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太乙金镜式经

唐 · 王希明

作盤ガイド: 奇門遁甲作盤, 大六壬起課

冬・夏二至以後の太乙所在の法を推す

太乙神数典籍

六壬または奇門の排盤の論理に慣れてから読むのがよい。でないと積年推算の部分を自力で検証しにくい。

太乙金鏡式經(唐・王希明撰)

序

太乙,天帝之神也。下司九宮,中建皇極。欽若則彝倫攸敘,怠棄三正,錯亂五常。黃帝以惠迪吉而為五帝之聖,大禹戒從逆凶而衍九疇之文。炎漢高祖受命,張良秘金刀之錄;吳主爭權,劉悵演炎旌之祥。神用於不言之載,容化於無為之間。閉戶而休咎自徵,拂鑑而毫髮皆極。非主精妙物、執契於混油之始者,又何足以知之?

「太乙」とは天帝の神名で、下において九宮の方位を統轄し、中において治国の最高準則たる「皇極」を確立する。人君が恭しく天道に順承すれば人倫の綱紀は整然とし、ひとたび怠って夏・商・周三代の建てた正朔を廃すれば五常の徳もまた乱れる。黄帝は「道に順えば吉」であることを知ったからこそ五帝のうちの聖君となり、大禹は「道に逆らえば凶」であることを警戒したからこそ『尚書・洪範』九疇の文字を推衍した。漢の高祖は天命を受け、張良は彼のために赤刀の符命の秘録を守り、孫呉の主は権柄を争い、劉悵は炎漢の旌旗の祥瑞を推演した。この術数の神妙さは、言わざるうちに運用され、無為のうちに変化を包み容れる。戸を閉じて出なくとも吉凶はおのずと応験し、鏡面を払拭すれば毫髪の微も余すところなく収まる。精微な物を主宰し、混沌の開闢の初めから契要を執る人でなければ、どうして真にこれを知ることができようか。

愛發上元,迄是帝載,幾千年而一聖,數百年而一賢。得隩隅有登龍之喜,窺閉鍵而若重關之隔。沿波獨往,泛滄海而不歸,討本窮源,恃孟門之嶄絕。至於計神審物,天日司奸,一三置將之數,四六對絕之氣,掩迫孤單,閉杜十精。喉交較以八節占水早,九州島言吉凶,五將定主客,亦猶兵戈勝負。

この学問は上元の端緒から推し起こし、歴代帝王の年代まで並べてゆくもので、数千年に一人の聖人、数百年に一人の賢者が出るにすぎない。偶然に門径の一端を窺い得た者は、鯉が竜門に登ったように喜ぶが、鍵もなく閉じた門戸を無理に窺う者は、重なり合う関塞を隔てるがごときである。支流に沿って独り流れ去り、滄海に泛び入って再び戻らない者もあり、根源を追って遡れば、孟門山のような険絶の峭壁に阻まれる者もある。「計神」をもって事物を審察し、「天目」をもって奸邪を伺察し、一算・三算の類の置算の数で諸将を配し、四と六の類の対宮・絶気で凶を判断し、さらに「掩」「迫」「孤」「単」の諸格と閉杜不通の「十精」、そして八節の気を交会比較して水旱を占い、九州の分野を按じて吉凶を断じ、五将をもって主客を判定することなどは、いずれも兵戈の交鋒に勝敗を分けるがごとく、それぞれ確定した法則がある。

丘明受經而作傳,見非公谷;子夏師聖而序詩,復殊毛魯。學而時習之,攻乎異端;籠他人之口,未忘已拙。以鼓測海,以管窺天;心見之外,愚衷謂盡。或指陳實錄,或涎錫嘉名。正二局,有陰陽之殊;糾六壬,附時計之謬。淮南分野,縱博我以多聞;黃道日躔,競有疑而則闕。源流則廣,枝葉扶疏。孤裘同士薦之風,玉石抵崑山之鵲。雖億則屢中,時自賢於仲尼,而謀之不藏,且推過於季氏。王大實遂偃弊風,國之事多惟慚德。

左丘明は自ら『春秋』の経義を受けて『左伝』を作ったが、『公羊伝』『穀梁伝』の二家に非議され、子夏は孔子に師事して『詩』の序を作ったが、その伝はまた『毛詩』『魯詩』と異なる。経を伝えることはもとより一致しがたいのである。後に太乙を治める者は、学んで時に習うべきところを、しばしば力を異端に用い、人の口を塞ぐことばかりに汲々として、自分がもともと拙いことを忘れている。鼓槌をもって海の深さを量り、竹管をもって天の広大を見るようなもので、自分の心に思い及ばないことは、天下に他の道理はないと断定する。これらの人々のうちには実録を指陳する者もあれば、ただ美名を妄りに取る者もある。陰遁・陽遁の二局を厘正してその中に別の陰陽の分別があると言い、六壬に牽合して時計の謬誤を附会し、淮南の九州分野を説いては博聞をもって我を圧倒できるが、黄道の日行度数を説くとなると、疑難に遇うやいなや整段を闕略してしまう。この学問は源流がもともと広く枝葉がもともと茂っているのに、今では一件の狐裘が衆人の吹聴を頼んでようやく貴ばれ、昆山の頑石を美玉と見なす有様である。彼らは偶々一度当たれば孔子に勝ったと自負し、ひとたび謀が空しくなれば、かえって季氏の類に過ちを押しつける。王大実はこの頽敗の風気を掃除する意があったが、国事が紛繁で、ついに多くの愧憾を残した。

伏惟開元皇帝陛下明極稽疑,睿聖作範,察璇璣以齊七政,制禮樂以穆百揆,明太乙之威神,封泰山之能事,高視萬古名言。謂何神嘉承日月之照,荷覆躊之廣,參沼賜於金馬,觀秘籍於蘭臺。磋此《式經》,有乖微旨。乃上稽天象,中跡算術,下統人事,旁貫歲時,考帝先於神女之符,歷載紀於蒼頡之筆,甲乙之終數、宮元之往復、奇偶之二算、勝負之八門,與人惎法式之愆、陣圖水火之失、禮樂不興之論、周宇狂簡之文,或義通而即流,或理僻而便削,皆考經義,以一貫之。

臣は恭しく思うに、開元皇帝陛下は明察の極み・疑に遇えば能く決し、叡智聖徳をもって天下の範を立て、璇璣玉衡を考察して日月五星七政の運行を校正し、礼楽を制作して百官を和し給う。陛下は深く「太乙」の威霊神妙を明らかにし、泰山封禅の盛事を成就され、見識は高く遠く、万古の名言と称するに足る。臣は何の徳能かあって、日月の照臨のごとき恩沢を受け、天覆地載のごとき広大な庇護を蒙り、金馬門の賞賜に参預し、また蘭台で秘蔵の典籍を披閲するを許された。臣は現行のこの『式経』が太乙の微妙な旨趣と多く背いていることを歎惜し、そこで上は天象を考え、中は算術に拠り、下は人事を統べ、旁ら歳時に通じた。黄帝以前に九天玄女より得た符法を考訂し、蒼頡の造字以来記された年代を歴数し、甲乙紀日の終数、宮元往复の次序、奇偶二種の置算の法、勝敗を決する八門、および世人が法式を誤用した過失、陣図の布置が水火の性に合わぬ失、礼楽の興らぬ議論、天下の狂簡浮夸の文辞について、義理の通じるものは採録して伝え、道理の偏僻なものはそのまま削り、一概に経義をもって断じ、一つの条貫をもってそれらを統摂した。

穆若蕙婉,聲如玉振。夫詩對惠連,輒得嘉句;筆因樂廣,便至能文。萬殊皆極而同歸,獨見忘言而既驗。校之以元紀,又精之以日時。代謀於述作之前,總括於天人之際。會披覽得意之妙,動契合如神之在,亦曠代之能事也。經凡十卷,名曰《太乙金境式經》。若筆削後於孔明用賢,則子房升堂,風后入室,宋琨樂產,李淳風屬,可座廊廡之下,如以爾言過矣。將侯來哲。

全書は蕙草のごとく和らかで柔婉に美しく、音節は玉磬の声を収めるがごとく鏗鏘としている。謝霊運は詩を作るに族弟の謝惠連に遇って屡々佳句を得、衛玠は筆を下ろして楽広の指撥を得て文を成した。臣のこの書もまた、そのような知音に遇うことを望む。万種の殊途はついに一致に帰し、独得の見解は多言せずともおのずと応験する。臣はまず上元紀年をもって校勘し、ついで日計・時計をもって精求し、筆を執り著述するに先だって後人のために謀り、天道と人事の交界处でこれを総括した。読者がひとたび巻を披き心に会すれば、その中の妙を領略し、ひとたび手を動かして推演すれば、神明が傍らにいるがごとく契合する――これもまた曠世稀なる成就といえよう。全経は十巻、題して『太乙金鏡式経』という。もし臣の筆削が諸葛孔明の用賢に比すべきと言うならば、張子房は堂に登り、風后は室に入り、宋琨・楽産・李淳風の類は廊廡の下に列坐すべきであろう。ただこのような言い方はいささか過分なので、評断は将来の明達の士に留めることとする。

太乙金鏡式経十巻

其以歲、月、日、時為綱而以八將為緯,三基五福、十精之類為經亦猶夫歷也。其法以八將推其掩迫、囚擊、關格之類,占內外災福,又推四神所臨分野,占水旱、兵喪、饑饉、疾疫,又推三基、五福、大小游、二限易卦大運,占古今治亂。

この書は歳計・月計・日計・時計の四種の推法を綱とし、八将を緯とし、さらに「三基」「五福」「十精」の類の神煞を経線としてその間に貫き、全体の体例は一部の暦法を編むがごとくである。その具体的な方法は、まず八将で「掩」「迫」「囚」「撃」「関」「格」などの格局を推求し、これに拠って朝廷内外の災禍と福慶を占断し、次に四神の臨む州域分野を推して水旱・兵禍・喪乱・饑饉・瘟疫を占断し、また「三基」(君基・臣基・民基)・「五福」および大游・小游を推し、二限・易卦・大運に配合して、古今の治乱興衰を占断する。

俞正夑《癸巳類纂》十史記用蓋天論云:「渾天所有箕義雲;萬物之根棋,徐廣本作橫,則橫非基無疑,大一十神之君棋、臣棋、民棋,沈括《蘿溪筆談》謂是基字,因唐諱改棋,熙寧中,領太史欲正之而未能也。《雲麗漫抄》亦言十神君基、民基。唐明皇諱為碁,至今不改,今所見邱溶太乙淘金歌,已改從基,其亦未之思矣。」

清の兪正燮『癸巳類稿』のうち『十史記用蓋天論』の一篇に言う。渾天家の引く箕子の義は「万物之根棋」と講ずるが、徐広の本は「横」と作る。ここはもとより「基」と作るべきでないことに疑問はない。太乙十神中の「君棋」「臣棋」「民棋」は、沈括『夢溪筆談』がもとは皆「基」の字で、唐の名諱を避けて「棋」と改書したとし、煕寧年間に太史局を掌る者が正そうとしたが、ついに成らなかった。『雲麓漫抄』もまた十神を「君基」「民基」と称する。唐明皇の避諱で「碁」と改書され、今日に至るもなお改め戻されず、今見る邱溶の『太乙淘金歌』はすでに「基」の字に改め従っている。前人もまた、ただ細かく考えなかったにすぎないことがわかる。

又《九宮紀年論》云:「太乙金鏡式經云:太一十神、五福、君棋,大游、小游、天一、地一、四神,臣棋、民棋、直符,皆天之尊神,行五宮五移而周,」《蘿溪筆談》小遊作太一,四神作十神,直符作九氣,三年一移」,又云:「棋應作基,案其式君棋、臣棋、民棋行十二次天,一行十二宮,或行八卦或行十六神,不得總云行五宮五移而周也。」其下詳論諸法,有一月—移,一年—移,三年一移,四十五年一移,不錄。

兪氏の『九宮紀年論』にまた言う。『太乙金鏡式経』の講ずる太一十神、すなわち五福・君棋・大游・小游・天一・地一・四神・臣棋・民棋・直符は、いずれも上天の尊神で、それぞれ「五宮を行り、五移して一周」する。しかし『夢溪筆談』の記すところはこれと異なり、「小游」を「太一」と書き、「四神」を「十神」と書き、「直符」を「九気」と書き、しかも三年に一度迁移するという。兪氏はまた言う。「棋」の字は「基」と作るべきである。この式盤を考察するに、君基・臣基・民基は十二次に循って行り、天一は十二宮に循って行り、其余の諸神はあるものは八卦に循り、あるものは十六神に循って行るので、「五宮を行り五移して周」と一概に言うことはできない。この議論以下にはなお各種の行度の法を詳しく論じ、一月一移するもの、一年一移するもの、三年一移するもの、四十五年一移するものがあるが、ここではこれ以上抄録しない。

元朝曉山老人輯《太乙統宗寶鑑》序文中曰:「太乙理蘊於數之中,數顯於理之外,主管三元,分佈四方。」

元の暁山老人は『太乙統宗宝鑑』を編纂し、その序文に言う。太乙の義理は数の推演の中に藴含され、数はまた義理を形跡の外に顕現する。太乙は上元・中元・下元の三大紀元を統管し、所辖の神煞は四方の各処の分野に分布する。

何謂十六神,以天有十二次配地十二辰,以天有四時配地有四維,通之十六也。

いわゆる「十六神」とは、天上の十二次と地上の十二辰を相配し、さらに天の四時と地の四維(乾・艮・巽・坤の四つの隅位)を相配して、十二に四を加えて十六位を成し、太乙式盤の外層に列する神名はこれに依って排定される。

太乙金鏡式経巻一

上元積年を推す

自上元以來,歲代綿遠,紀法差殊。雖設繁詞,備而靡用。今從上元甲子到唐開元十二年甲子歲,通前計四萬八百一算。臣按宋琨置元,似童兒戲。推求人紀之年,下求不得日辰,上求不得冬至。自三百餘年,學者何多,逮於淳風,但效尤而已。

上元から今日まで推算すると年代が久しく遠く、各家の用いる紀法もまた互いに出入りがある。前人は繁瑣な説を多く舖陳したが、一見完備のようで、実際にはいずれも用をなさない。今、上元甲子から起算し、大唐開元十二年甲子歳に至るまで、前後あわせて四万八百一算である。臣が宋琨の定めた暦元を考察するに、ほとんど児戯に近い。彼の方法で人紀の年数を推求すれば、下に推して日辰を求められず、上に推して冬至を求められない。三百余年来この学問を治める者は少なくないと言えないが、李淳風に至るまで、彼の誤りを踏襲したにすぎない。

臣今別修甲子元四分曆法,與太乙同元。舉而備用,得上元甲子冬至;引而下之,齊距歲計大乙行官。進不違於四分,退不失於元紀。自上元混沌甲子之歲,至今大唐開元十二年甲子歲,積得一百九十三萬七千二百八十一算。上考注古,每年減一算;下撿將來,每年加一算。

臣は今、別に甲子を暦元とする四分暦法を修訂し、太乙の起元と相合するようにした。一揃いの法数を挙げれば即座に備え用いられる。上に推せば上元甲子年の冬至を得、下に引けば歳計中の太乙行宮の度数と整い合い、前に推しても四分暦の常数に背かず、後に推しても元紀の次序を離れない。上元混沌甲子の年より当今大唐開元十二年甲子歳に至るまで、累積して百九十三万七千二百八十一算を得る。これをもって上は古代を考え、前へ一年ごとに一算を減じ、下は未来を検して後へ一年ごとに一算を加える。

太歳の所在を推す

置上元甲子積年,以三百六十去之;不盡,以六十去之;又不盡,命甲子算外,即太歲所在辰也。

太歳の所在を推求する法。まず上元甲子以来の積年数を列し、三百六十をもって整周を除く。除ききれぬ余数をさらに六十をもって整紀を除く。なお余数があれば、甲子から順に干支を数え、余数に数え満たしたのちさらに一位を進めて取る。これが術家のいう「算外」である。得たその辰が、求める年の太歳の居る地支である。

六紀三無に入る法を推す

置上元以來距所求積年,以周紀法三百六十去之;不盡,紀法六十去之,所得為紀數;不盡,為入紀年數也。

求める年が六紀のいずれの紀に落ちるかを推求する。まず上元から求める年までの積年数を列し、「周紀法」三百六十をもって整周を除く。残った余数をさらに「紀法」六十で除し、得た商がすでに歴過した紀数である(六十年を一紀とし、六紀あわせて三百六十年を一周とする)。最後に除ききれぬ零数が、本紀に入って以来の年数である。

太乙の所在を積む法

推上元積年,以周紀法三百六十去之;不盡,以元法七十二去之;又不盡,以太乙小周法二十四除之,又不盡,以三約之,為宮數,不滿,為入宮以來年數。其宮數易其命起一宮,順行八宮,不遊中五,算外,即得太乙所在及入官以來年數也。

歳計の太乙の居る宮を推す。まず上元以来の積年を取り、「周紀法」三百六十をもって整周を除き、余数をさらに「元法」七十二をもって除し、なお余数があれば、さらに「太乙小周法」二十四で除する。なお余数があれば、三をもって約する。太乙は三年に一宮を迁移するので、三年をもって一宮に当てるからである。約して得た整数がすなわち宮数であり、三に満たぬ端数は本宮に入って以来の年数である。宮数を得たのち、第一宮から順に八宮を行き、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、宮数に数え満たしてさらに一位を進めて取れば、太乙の居る宮位および入宮して歴た年数が得られる。

天目の所在を推す法

置上元積年,以周紀法去之;不盡,以元法七十二去之;不盡,以天目周法十八去之,不滿者,命起武德,順行十六神,遇武德、大武,重留一算外,即天目所在。

「天目」の所在を推す。まず上元以来の積年を列し、周紀法三百六十をもって整周を除き、余数をさらに元法七十二をもって除し、さらに余数があれば「天目周法」十八で除する。十八に満たぬ余数は、「武徳」から順に十六神の次序に沿って数え下り、武徳・大武の二神に遇うときは重复して一算に停まり、数え終わって一位を進めて取れば、得た神位が天目の所在である。天目は太乙式において文昌・始撃の諸将を安置する根拠なので、必ず先に求めなければならない。

計神の所在を推す法

置積年,以紀法六十去之;不盡,命起寅宮,逆行十二辰,算外,即計神所在也。

「計神」の所在を推す。上元以来の積年を列し、紀法六十をもって整紀を除き、除ききれぬ余数は、寅宮から逆に十二辰の次序に沿って数え去り、余数に数え満たしたのち一位を進めて取れば、得た辰位が計神の所在である。計神は歳計において太乙と相配し、これに拠って主客の置算の数を求める鍵となる神位なので、必ず先に定めなければならない。

太歳支の合神を推す法

假令太歲在子,合神在丑,逆行十二辰,十二年一周天矣。

「合神」は地支相合の義を取り、太歳と一順一逆に相配する。仮に太歳が子にあれば、合神は丑にある。合神は十二辰を逆行し、十二年でちょうど天盤を一周する。子は丑と合し、寅は亥と合し、其余の各辰もこれに類推する。太歳が順に一位を進むごとに、合神は一位を退行し、両者は終始首尾相応じる。

六紀月建を推す法

一紀:二甲仲辰。甲子、甲午,二甲仲辰。十一月建甲子,太乙在一宮,武德為天目,計神寅,合神丑;二紀:二己孟辰。己巳、己亥,二已孟辰。十一月建甲子,太乙在六宮,地主為天目,計神、合神如上同;三紀:二甲季辰。甲辰、甲戍,二甲季辰。十一月建甲子,太乙在一宮,大靈為天目,計神、合神如上同;

六十年を一紀とし、六紀三百六十年を一周とし、各紀の起首の年と太乙・天目の居るところは皆それぞれ異なる。第一紀は二つの甲年の仲辰に起こる。すなわち甲子・甲午の二年で、子・午はともに仲辰の位に属する。この紀の十一月の月建は甲子で、太乙は第一宮にあり、「武徳」をもって天目とし、計神は寅にあり、合神は丑にある。第二紀は二つの己年の孟辰に起こる。すなわち己巳・己亥の二年で、巳・亥はともに孟辰の位に属する。十一月も同じく甲子を建て、太乙は第六宮にあり、「地主」をもって天目とし、計神と合神はともに前の紀と同じである。第三紀は二つの甲年の季辰に起こる。すなわち甲辰・甲戌の二年で、辰・戌はともに季辰の位に属する。十一月は甲子を建て、太乙は第一宮にあり、「大霊」をもって天目とし、計神・合神はなお前と同じである。

四紀:二己仲辰。已卯、己酉,二已仲辰。十一月建甲子,太乙在六官,武德為天目,計神、合神如上同;五紀:二甲孟辰。甲申、甲寅,二甲孟辰。十一月建甲子,太乙在一官,地主為天目,計神、合神如上同;六紀:二已季辰。己丑、已未,二已季辰。十一月建甲子,太乙在六宮,大靈為天目,計神、合神如上同。

第四紀は二つの己年の仲辰に起こる。すなわち己卯・己酉の二年で、十一月は甲子を建て、太乙は第六宮にあり、「武徳」をもって天目とし、計神・合神は前の諸紀と同じである。第五紀は二つの甲年の孟辰に起こる。すなわち甲申・甲寅の二年で、十一月は甲子を建て、太乙は第一宮にあり、「地主」をもって天目とし、計神・合神は前に同じ。第六紀は二つの己年の季辰に起こる。すなわち己丑・己未の二年で、十一月は甲子を建て、太乙は第六宮にあり、「大霊」をもって天目とし、計神・合神もまた前の諸紀と同じである。これによって見えるに、六紀のうち太乙はただ第一宮と第六宮のあいだで交替し、天目は武徳・地主・大霊の三神のあいだで輪転し、計神と合神は六紀変わらない。

凡三十有六紀。三十年有三百六十個月,是以甲子、甲午同建,太乙、天目、計神、合神用式之法一同歲計之法,占驗逆顧,其義亦等。臣今為李淳風定時,計五日六十時。法以為月,計五年六十個月,三十年有三百六十個月。若有閏月,只以逐月節氣時刻為正也。

以上の六紀を反復推衍して、合わせて三十六紀となる。三十年は三百六十ヶ月に合するので、甲子年と甲午年の月建は同じである。太乙・天目・計神・合神の月計における用式の法は、歳計の推法と完全に一致し、占験するに順推逆考し、義を取るも相等しい。臣は今、李淳風の定時の法のために補正を作る。五日はあわせて六十の時辰で、この比例を月に移用すれば、五年はあわせて六十ヶ月、三十年はあわせて三百六十ヶ月である。もし中間に閏月があれば、ただ毎月の節気交接の時刻を準として月建を定めればよく、別に算法を立てる必要はない。

太乙月計差法を推す

章歲六百五十七。章月八千七百二十六。閏差二十秒二十七。周紀法三百六十。秒法二百。

月計の推に用いる各項の常数は次のごとくである。章歳六百五十七、章月八千七百二十六、閏差二十・秒二十七、周紀法三百六十、秒法二百。「章歳」は一章の内の年数、「章月」は同じ章内の月数で、両者を相乗除すれば逐年応有の月数と閏余を得られる。「閏差」と「秒法」は毎月積欠する分秒を累積して何月に閏を置くかを定めるのに用い、「周紀法」三百六十は六紀一周の常数で、およそ歳計・月計が整周を去るとき皆これを用いる。

積月を推す

置積年,所求年以章月乘之。章歲而一,為積月;不盡,為閏餘。若有餘月,隨數加之。

積月を推す。まず求める年の上元以来の積年数を列し、章月八千七百二十六をもって乗じ、得た数をさらに章歳六百五十七をもって除する。商数がすなわち上元から今日まで累積した月数で、除ききれぬ余数を「閏余」と呼ぶ。もし別に零余の月分があれば、実数に按じて随時に積月の中に加え入れる。

閏月を推求す

置閏餘,每月加閏差及秒,滿法從閏餘,或六百三十秒者,以上無中氣者,詳之。

閏月を推す。上に求めた閏余を列し、これより毎月過ぎるごとに閏差二十と秒二十七を加える。秒数が秒法二百に積み満たれば、位を進めて閏余の内に加える。六百三十秒以上に累積したその月は、まさに当月中気を含まぬ月で、閏月と定めるべきである。ただしなおその月の節気の実況を照合し、仔細に審定したのちでなければ確立してはならない。

太乙月計の所在を推す

置積月,以周紀法三百六十去之;不盡,以元法七十二去之,又不盡,以太乙小周法二十四去之;不盡,以三約之,為宮數;不滿,為入宮月數。命起一宮,順行八宮,不遊中五,算外,即月計大乙所在也。

月計の太乙の居る宮を推す。積月数を列し、周紀法三百六十をもって整周を除き、余数をさらに元法七十二をもって除し、なお余数があれば太乙小周法二十四で除し、なお余数があれば三をもって約し、得た整数がすなわち宮数で、三に満たぬ端数は本宮に入って以来の月数である。宮数を得たのち、第一宮から順に八宮を行き、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、宮数に数え満たしてさらに一位を進めて取れば、得たものが月計太乙の居る宮である。月計は歳計と法数が全く同じで、ただ「年」を「月」に換えるだけなので、太乙は月計において三ヶ月ごとに一宮を迁移する。

天目の所在を推す

置入月紀,以天目周法十八去之;不盡,命起武德,順行十六神,遇陰德大武,重留一算外,即天目所在也。

月計の天目を推す。本紀に入って以来の月数を列し、天目周法十八で除する。除ききれぬ余数は「武徳」から順に十六神の次序に沿って数え下り、「陰徳」「大武」の二位の四維に居る神位に遇うときは重复して一算に停まり、数え終わって一位を進めて取れば、得た神位がすなわち月計の天目の所在である。四維の神は各々二算を占めるが、これはまさに十六神と十八周法の数目が斉わない故である。

計神の所在を推す

置積月,以紀法去之;不滿者,以周法十二去之;不盡,命起寅,逆行十二辰,算外,即計神所在也。

月計の計神を推す。積月数を列し、紀法六十をもって整紀を除き、六十に満たぬ部分をさらに周法十二で除する。除ききれぬ余数は寅位から起首し、十二辰を逆行して、余数に数え満たしたのち一位を進めて取れば、得た辰位がすなわち月計の計神の所在である。計神は月計において一月ごとに一辰を移り、十二ヶ月で一周する。

日計差法を推す

日法四十九。 月法二千四百四十七。 朔策二十九。 小餘二十六。紀法六十。

日計の推に用いる常数は次のごとくである。日法四十九、月法二千四百四十七、朔策二十九、小余二十六、紀法六十。「日法」は一日を四十九分に均分する分母、「月法」は一朔望月をこの種の分数に折合した後の総数、「朔策」二十九日に小余二十六分を加えれば一朔望月の実際の長さ、「紀法」六十は干支紀日一周の日数である。

積月朔法を推す

置積月,以月法乘之,日法而一,為積日;不盡,為小餘。以紀法除積日,不滿,為月餘。命甲子算外,即所求年天正十一月經朔日辰及小餘也。若更有餘日,隨數加之,求次月,每月加二十九,小餘三十六,各加法求之。弦望,算如大曆,非此所須也。

毎月の合朔の日辰を推す。積月数を列し、月法二千四百四十七をもって乗じ、さらに日法四十九をもって除する。得た整数が積日で、除ききれぬ余数がすなわち小余である。紀法六十をもって積日を除し、六十に満たぬ部分がすなわち本月の余数である。甲子から起首してこの余数に数え満たしさらに一位を進めて取れば、得た干支が求める年の天正十一月の経朔の日辰で、小余とともに記する。もし別に零余の日数があれば、実数に按じて随時に加え入れる。翌月の経朔を推すには、本月の上に二十九日・小余三十六分を加え、逐月法に依って累加する。上弦・下弦と望日の推算は通行の大暦の算法と同じで、本経の需とするところではないので、ここでは贅述しない。

臣按:梁武帝天監三年甲申,帝召太史虞履、樂茂言之:今日太乙在八宮,和德為天目,文昌將外宮,迫災輕,無所畏也。退謂人曰:外宮迫,為外人之迫也。四十年後辰巳之年,同於桓公大亨之歲。臣以日計太乙求之,積至梁天監三年甲申歲六月八日,凡得七億七百五十萬一千六十一日。以周紀法除之,得一百九十六萬五千二百八十;不盡二百六十一,以小紀法除之,得四;不盡二十一,為入第五紀也。

臣は史事を考按する。梁の武帝の天監三年甲申、武帝は太史虞履・楽茂を召して時局を問い、二人は回奏していう。今日太乙は第八宮にあり、「和徳」をもって天目とし、文昌将は外宮に落ちて、外宮の「迫」を構成し、災害は軽微で懼れるに足りない。退朝ののち、彼らはまた私に人に語った。外宮が迫を受けるとは、外来の人の進逼を指し、四十年後に辰・巳の年に逢えば、情形は魯の桓公の「大亨」の年と同じになる、と。臣は日計太乙の法をもってこの事を核験した。梁の天監三年甲申歳六月八日まで累積して、あわせて七億七百五十万一千六十一日を得た。周紀法三百六十をもって除し、百九十六万五千二百八十を得て、余は二百六十一。さらに小紀法六十をもって除し、四を得て、余は二十一。この日がまさに第五紀の内に落ちることがわかる。推したところは二人の言うところと相合し、日計の法は確かに徴験があることが見える。

日計太乙の所在を推す

置積日,以周紀法三百六十去之;不盡者,以元法七十二去之;不盡,以大乙小周法二十四去之;又不盡,以三約之,不滿,為入宮以來日數。其宮數命起一宮,不遊中五,算外,即太乙所在也。

日計の太乙の居る宮を推す。上元から求める日まで累積した積日数を列し、周紀法三百六十をもって整周を除き、余数をさらに元法七十二をもって除し、なお余数があれば太乙小周法二十四で除し、なお余数があれば三をもって約し、得た整数が宮数で、三に満たぬ端数は本宮に入って以来の日数である。宮数を得たのち、第一宮から順に行き、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、宮数に数え満たしてさらに一位を進めて取れば、得たものがすなわち日計太乙の居る宮である。日計は歳計・月計と同一の法度で、ただ太乙は日計において三日ごとに一宮を迁移する。

月計天目の所在を推す

置積月,以元法七十二去之;不盡,以天目周法十八去之;又不盡,命起武德,順行十六神,遇陰德大武,重留一算外,即天目所在也。

月計の天目の所在を推す。積月数を列し、元法七十二をもって整元を除き、余数をさらに天目周法十八で除し、なお余数があれば「武徳」から起首し、十六神の次序に沿って数え下り、「陰徳」「大武」の二位の維神に遇うときは重复して一算に停まり、数え終わって一位を進めて取れば、得た神位がすなわち天目の所在である。天目は太乙と一順一応であり、文昌・始撃の二将を安置する根本なので、歳・月・日の三計は皆まずこれを求めなければならない。

日計計神の所在を推す

置積日,以紀法六十去之;不盡者,又以計神十二除之。命起寅,逆行二十辰,算外,即計神所在也。

日計の計神の所在を推す。積日数を列し、紀法六十をもって整紀を除き、除ききれぬ余数をさらに計神一周の数十二で除する。余った数を寅位から起首し、諸辰を逆行して、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得た辰位がすなわち日計の計神の所在である。計神は日計において一日ごとに一辰を移り、十二日で一周する。

時計差法を推す

全數二十六萬口千八百四十三。氣法三萬三千一百九十三。辰法三千六百八十二。 小分十二分之也。 半辰法一千三百四十一。 小分十二分之四半。

時計の推に用いる常数は次のごとくである。全数二十六万□千八百四十三(ここに底本脱字があり「口」と作る。臆補は敢えてしない)、気法三万三千一百九十三、辰法三千六百八十二・小分は十二分の数、半辰法一千三百四十一・小分は十二分の四半。「全数」は一歳の総分数、「気法」は二十四気各々の占める分数、「辰法」は一時辰に折合する分数、「半辰法」はその半を取り、加時の推算において進退取整の用をなす。

冬至を求める法

置積年減一,以餘數乘之,為氣法,而一,得積日;不盡,為小餘。以紀法去積日,不盡,為大餘。命大餘起甲子,算外,天正冬至日辰也。

冬至の日辰を求める。まず積年を取って一年を減じ、余数をもって相乗し、さらに気法三万三千一百九十三をもって除する。得た整数が積日で、除ききれぬ部分がすなわち小余である。紀法六十をもって積日を除し、除ききれぬ部分がすなわち大余である。大余をもって甲子から順に干支を数え、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得た干支がすなわち求める年の天正十一月冬至の日辰である。

次気を求める法

置天正冬至大小餘,每氣加一十五日,餘七十三千五秒,滿二十四,從小餘一;滿氣法,從大餘;滿紀法去之,即次氣大、餘也。

次の節気を求める。天正冬至の大余・小余を起点とし、一気を過るごとに十五日を加え、別に余七十三・千五秒を加える。秒数は二十四に積み満たればすなわち小余一分に進み、小余は気法に積み満たればすなわち大余一日に進み、大余は紀法六十に積み満たればすなわち一周を減じる。このように递加してゆけば、得た大余・小余がすなわち次の節気交接の日辰と零分である。二十四気を順に加えてゆけば、一年の節気はすべて排定できる。

加時を求める法

先置半辰法之數一千三百四十一、以十二小分之四半,以夏至小餘加之,滿法而一,所得為辰數。命甲子算外,則氣應加時也。不盡,以三乘之,辰法而一,得致命為一辰中孟、仲季數也。

節気交接の具体的な時辰を求める。まず半辰法一千三百四十一を取り、十二分の四半の小分とともに、夏至の小余と相加する。得た数が辰法に満たればすなわち一を進め、商数がすなわち辰数である。この辰数をもって甲子から起首して数え去り、数え満たしたのち一位を進めて取れば、その節気の交接すべき時辰である。除ききれぬ余数は三をもって乗じ、さらに辰法をもって除し、得た数をもって一時辰の内の孟・仲・季の三分のいずれに落ちるかを判定する。古法は一時辰ごとをさらに孟・仲・季の三段に分つので、三をもって乗じるのである。

太乙冬夏至入紀を求む

陽遁太乙冬至起乾,陰遁太乙夏至起巽,凡一百八十二日三萬二千二百九十三分日之二萬三十五,為太乙變行。

太乙は時計において陰陽の二遁に分かれる。陽遁は冬至より始まり、太乙は乾位(第一宮)より起算する。陰遁は夏至より始まり、太乙は巽位(第九宮)より起算する。冬至より夏至に至り、夏至より冬至に至るまで、各々百八十二日と三万二千二百九十三分日の二万三十五を経て、太乙はすなわち順行より逆行に改まり、あるいは逆行より順行に改まる。この転換を「太乙変行」と呼ぶ。

冬至加時太乙変行を推す

臣希明按,張良云:太神變順氣為餘。今置上元所求年天正積日及小餘,先加半辰法,以辰法除之,得為加時辰數。及置積日減一,以十二乘之,並加時辰數,為天正時實。以周紀法去之;不盡,為入紀實。置入紀實,以太乙周法去之,餘者,以三約之,為宮數;不盡,為入宮時數。命起第一宮,順行入宮,不遊中五,算外,即天正加時太乙所在宮也。

臣王希明考按す。張良はかつて言った、太乙の神は節気の転換に随ってその順逆を変え、余った分数はすなわちこれより生ずる、と。今、冬至加時の太乙を推す。まず上元から求める年の天正までの積日と小余を列し、小余に半辰法一千三百四十一を加え、さらに辰法三千六百八十二をもって除すれば、得たものがすなわち加時の辰数である。別に積日を取って一日を減じ、十二をもって乗じ(一日は十二時辰)、さらに上に求めた加時の辰数を併せ入れて、「天正時実」と成す。周紀法三百六十をもって整周を除き、余ったものを「入紀実」と呼ぶ。さらに入紀実を取り、太乙周法二十四をもって除し、余った数を三をもって約すれば、商がすなわち宮数で、除ききれぬものは本宮に入って以来の時数である。第一宮から順に八宮を行き、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、数え満たしてさらに一位を進めて取れば、得たものがすなわち天正冬至加時太乙の居る宮である。

太乙夏至加時所在変行を推す

置天正積日及小餘秒,加陽遁一百八十二日三萬二千二百九十三分日之二萬三十五為小餘秒。滿秒法,從小餘一;不盡,為秒。其小餘先加半辰法,以辰法除之,為加時辰數。乃置積日減一,以十二乘之,併入加時辰數,為夏至加時實,亦以周紀除之;不盡,為入紀實。

夏至加時の太乙を推す。まず天正の積日と小余・秒数を列し、陽遁一段の百八十二日と三万二千二百九十三分日の二万三十五を加え、これを小余と秒の中に併せ入れる。秒数は秒法に積み満たればすなわち小余一分に進み、満たぬものはなお秒として存留する。得た小余にまず半辰法一千三百四十一を加え、さらに辰法をもって除すれば、商数がすなわち加時の辰数である。ついで積日を取って一日を減じ、十二をもって乗じ、加時の辰数を併せ入れて「夏至加時実」と成し、同じく周紀法三百六十をもって整周を除き、余ったものがすなわち「入紀実」である。

置入紀實,以太乙周法二十四去之;不盡,以三約之數;不滿,為入宮時數。命起一宮,順行八官,不遊中五,則為陰遁大乙變行也。

さらに上に求めた入紀実を取り、太乙周法二十四をもって除し、除ききれぬ余数を三をもって約すれば、得たものがすなわち宮数で、三に約し満たぬ端数は本宮に入って以来の時数である。なおも第一宮から順に八宮を行き、中央第五宮は空しく過ぎて入らない。夏至ののちは陽が極まりて陰生ずるので、太乙はこれより陰遁に改まって行る。これがいわゆる「陰遁太乙変行」である。

冬・夏二至以後の太乙所在の法を推す

置冬、夏二至以來並今日所求日減一,以十二乘之,先加冬、夏二至時數並今加所求時數,為冬、夏二至後時實,以太乙周法二十四去之;不盡者,以三約之,為宮數;不滿,為入宮時數。陽遁命起一宮,順八宮,不遊中五,算外,即太乙所在宮。陰遁命起九宮,逆行八宮,三時一移,不遊中五,算外,即陰遁太乙所在宮也。

二至以後のいかなる日の太乙の所在を推す。冬至または夏至以来歴た日数を、求める当日とともに計入し、ついで一日を減じて十二をもって乗じ、さらに二至当日の加時の辰数と、求めるその刻の時辰数を加えて、「二至後時実」と成す。太乙周法二十四をもって除し、除ききれぬ余数を三をもって約し、商を宮数とし、三に満たぬ端数はすなわち本宮に入って以来の時数である。もし冬至以後で陽遁に属すれば、第一宮から順に八宮を行き、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、数え満たして一位を進めて取れば、すなわち太乙の居る宮を得る。もし夏至以後で陰遁に属すれば、第九宮から逆に八宮を行き、同じく中五を空しく過ぎ、三時辰ごとに一宮を迁移し、数え満たして一位を進めて取れば、すなわち陰遁太乙の居る宮を得る。

陰・陽二遁時計計神の法を推す

置時實,各以十二去之,餘者;陽遁命起寅,逆行十二辰;陰遁命起申十二辰,各一時一移算外,即陰、陽二遁計神所在也。

時計の計神を推す。上に求めた時実を取り、各々十二をもって除する。余った数は、陽遁に属すれば寅位から起首して十二辰を逆行し、陰遁に属すれば申位から起首して十二辰に依って行去する。両者とも一時辰ごとに一位を迁移し、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得た辰位がすなわち陽遁または陰遁時計の計神の所在である。陽は寅に起こり、陰は申に起こる。これはまさに寅申相衝・一陽一陰の義を取るものである。

太乙当時の法を推す

算二至以後日度所在加時位,加於時支也。明太乙、天目類時計終法,立五將式之天乙,朝暮治神。

太乙当時の法を推す。まず冬至または夏至以後に太陽の行った宿度を算出し、これを求める加時の位に加え、さらに当時の時支の上に落とす。こうすれば太乙・天目の類の神位が時計終法における位置を明らかにし、進んで五将式の依る「天乙」貴神を安立し、早晨と傍晚それぞれ当値する治神を分かつことができる。

甲日朝治小吉,暮治大吉,戊、庚日反是;己日朝治神后,暮治傳送,乙日反是;丁日朝治登明,暮治從魁,丙日反是;癸日胡治太乙,暮治太沖,壬日反是;六辛之日,朝治功曹,暮治勝光。不理魁、罡二辰。戍為天獄,辰為天庭,非貴所居也,老將所在,以宰殺推吉凶。

天乙貴神には昼夜の二位があり、日干と早晚に随って更換する。およそ甲日は、早晨は「小吉」(未)が当値し、傍晚は「大吉」(丑)が当値し、戊日・庚日は早晚がちょうど反対である。己日は早晨に「神后」(子)が当値し、傍晚に「伝送」(申)が当値し、乙日は反対。丁日は早晨に「登明」(亥)が当値し、傍晚に「従魁」(酉)が当値し、丙日は反対。癸日は早晨に「太乙」(巳)が当値し、傍晚に「太衝」(卯)が当値し、壬日は反対。およそ六つの辛日は、早晨に「功曹」(寅)が当値し、傍晚に「勝光」(午)が当値する。貴神は天魁戌と天罡辰の二辰には入らない。戌は天獄、辰は天庭で、いずれも貴人の居るところではない。この二位は老将の守るところで、遇うときはただ刑殺の義に依って吉凶を断ずる。

天乙貴神土,主貴人、接引、升進、王相,吉;囚死,凶;前一螣蛇火,主驚恐、戰鬥,凶;前二朱雀火,主文書、口舌、衣物,凶;前三六合木,主凡事和合、婚姻,吉;前四勾陳土,主勾留、戰鬥,凶;前五青龍木,主遷官、錢財、婚姻,吉;

天乙貴神は土に属し、貴人の提携・引薦と昇遷を主り、旺相の気に居れば吉、囚死の気に落ちれば凶。貴神の前第一位は「螣蛇」で、五行は火に属し、驚恐と争闘を主り、凶。前第二位は「朱雀」で、火に属し、文書・口舌と衣物の事を主り、凶。前第三位は「六合」で、木に属し、諸事の和合と婚姻の喜びを主り、吉。前第四位は「勾陳」で、土に属し、牽連滞留と争闘を主り、凶。前第五位は「青龍」で、木に属し、官職の昇遷・銭財の進益と婚姻を主り、吉。

後一天后水,主蔽匿、婦人淫亂事;後二太陰金,主陰人掌事,吉;後三玄武水,主盜賊、亡失財物,凶;後四太常土,主財物、金玉、酒食,吉;後五白虎金,主死亡、哭泣、兵刃、道路,凶;後六天空土,主萬物欺殆、奴婢欺詐,凶。

貴神の後第一位は「天后」で、五行は水に属し、隠蔽蔵匿と婦人淫乱の事を主る。後第二位は「太陰」で、金に属し、女子あるいは陰柔の人が事に当たるを主り、吉。後第三位は「玄武」で、水に属し、盗賊と財物の亡失を主り、凶。後第四位は「太常」で、土に属し、財帛・金玉と酒食を主り、吉。後第五位は「白虎」で、金に属し、死亡・哭泣・兵刃と道路の災いを主り、凶。後第六位は「天空」で、土に属し、万物の虚耗敗壊・奴婢の欺詐を主り、凶。この十二位の神将は貴神に随って順逆に排布し、太乙の諸将がいずれの位に臨むかによって、その位の主るところに拠って吉凶を断ずる。

臣希明以為算術時計立五將,亦未能決定大小將之古凶,更以日度加時。因步六壬式,知天乙成敗之分。其主、客諸將在此吉神下者,吉;若在凶神下,凶;若門具將發遇吉神,則大吉;若門杜閉塞凶神,則先吉後凶;若門杜閉塞遇吉神,守固大利也。

臣王希明は思う。ただ算術のみをもって時計に五将を安立するのは、なお大将・参将の吉凶を断ずるに足らない。さらに進んで太陽宿度をもって時辰に加臨し、これに拠って六壬式を推排し、天乙貴神の位置より成敗の分際を見出すべきである。およそ主方・客方の諸将が上述の吉神の下に落ちるものは吉を主り、凶神の下に落ちるものは凶を主る。もし八門が斉備し五将が発動してしかも吉神に遇えば、すなわち大吉。もし門が杜絶閉塞せられてしかも凶神に逢えば、先ず吉にして後に凶。もし門は閉塞すれども遇うところが吉神ならば、堅守するに宜しく、固守してかえって大いに利あり。

假十月五日庚申時加戊寅,入立冬氣,六陰遁曰,入第六紀壬子元二十七局,太乙在九宮,大武為天目,午為計神,己為合神,主算得二十九,主大將在九宮,主參將在七宮。以計神加和德宮,天目下臨高叢卯,客算得單四,客大將在四宮,參將在二宮。

一例を挙げて説明する。仮に十月五日を庚申日とし、時は戊寅に加し、すでに立冬の気に入り、六陰遁に属し、第六紀壬子元第二十七局に落ちるとする。この時太乙は第九宮にあり、「大武」をもって天目とし、午を計神とし、己を合神とする。主算は二十九を得て、主大将は第九宮にあり、主参将は第七宮にある。さらに計神を和徳宮に加えて推排すると、天目は「高叢」すなわち卯位に下臨する。客算はただ単四を得て、客大将は第四宮にあり、客参将は第二宮にある。こうして主客両辺の算数と将位はすべて排定される。

因步天乙式,立冬六日,日在心宿,加寅庚日天乙,朝治大吉。太乙在青龍下,主大將在青龍下,主參將在太常下,客大將在六合下,客參將在天定下,以此觀之,諸將吉凶定矣。雖微有差,未可近而取之。

つづいてさらに天乙貴神の式を推排する。立冬後第六日、太陽は心宿を行り、寅をもって加臨する。庚日の天乙貴神は早晨は「大吉」が当値する。このように排すると、太乙は青龍の下に落ち、主大将もまた青龍の下に落ち、主参将は太常の下に落ち、客大将は六合の下に落ち、客参将は天定の下に落ちる。これに拠って観察すれば、主客諸将の吉凶はみな定まる。そのうちにはなおわずかに出入りがあっても、ただ眼前のこの一局のみを憑に倉卒に断を取るべきではない。

太乙玄命の法を推す

天子玄命在天乙。皇后玄命在天后。公侯玄命在太常。將軍玄命在勾陳。九牧玄命在螣蛇。常侍玄命在天空。二千石玄命在青龍。大夫、吏士玄命在朱雀。庶人玄命在行年。

「玄命」とは各等の人の本命の寄託する神位で、ある人の吉凶を占問すればその人の寄る神がいずこに落ち、いかなる気数に乗るかを見る。天子の玄命は天乙貴神に寄り、皇后の玄命は天后に寄り、公侯の玄命は太常に寄り、将軍の玄命は勾陳に寄り、九州の牧伯の玄命は螣蛇に寄り、常侍近臣の玄命は天空に寄り、二千石一級の郡守の玄命は青龍に寄り、大夫と吏士の玄命は朱雀に寄る。庶人に至っては専属の神位がなく、玄命はただ自己のその年の行年の上に寄る。

太公考時の法を推す

有太乙左天日。假令太乙在一宮,天目臨在三宮,是右太乙、左天目,陰陽和順,上下無掩、擊、邊、囚、關、格、對,並不相四口郭固、杜,又不提挾,太乙不在陽絕之地,神將獨立吉道清虛。

太公考時の法は、太乙が右に居り天目が左に居る格局を講究する。たとえば太乙が第一宮にあり、天目が第三宮に臨めば、これがすなわち右に太乙・左に天目で、陰陽和順である。上下のあいだに「掩」「撃」「辺」「囚」「関」「格」「対」のこれらの悪格がなく、たがいにまた四郭の固と閉杜を構成せず、提挟の勢をも成さず、太乙もまた陽絶の地に落ちなければ、諸神将は各々独立して、吉道は清虚で、まさに最善の局面である。(原文「四口郭固」の「口」は底本の脱字で、「郭」の上の字に当たる。臆補は敢えてしない。)

吉道,謂開、休、生三門是也。清虛,謂門無凶惡之神也。則三門具五將,發利以行兵,又合玄命,王相挾和。假令天子玄命於天乙,臨在旺相之鄉,上下相生,故曰合也。乙直使前三五、後二四合者,大吉。

いわゆる「吉道」とは、開門・休門・生門の三つの吉門を指す。いわゆる「清虚」とは、門下に凶悪の神のないことを指す。三門が斉備して五将が発動すれば、出兵に便利である。もしさらに玄命と相合し、旺相の気がたがいに挟持調和すれば、なおよい。たとえば天子の玄命は天乙貴神に寄り、天乙がまた旺相の郷に臨み、上下の五行が相生すれば、これを「合」と呼ぶ。このほか、天乙の直使と前第三・前第五・後第二・後第四の諸位と相合するものもまた大吉を主る。

八門の用法を推す

張良云:陽遁冬至甲日夜半甲子以後開門直使,丙日日中甲午以後生門直使;己日夜半甲子以後驚門直使;辛日日中甲午以後休門直使,三十時移門。陰遁夏至甲日夜半甲子以後杜門直使;丙日日中甲午以後死門直使;己日夜半甲予以後傷門直使;辛日日中甲午以後景門直使,三十時一移門也。

張良は言う。陽遁は冬至より起算し、甲日の夜半甲子時以後は開門が直使を充て、丙日の日中甲午時以後は生門が直使を充て、己日の夜半甲子時以後は驚門が直使を充て、辛日の日中甲午時以後は休門が直使を充て、三十時辰ごとに一門を迁移する。陰遁は夏至より起算し、甲日の夜半甲子時以後は杜門が直使を充て、丙日の日中甲午時以後は死門が直使を充て、己日の夜半甲子時以後は傷門が直使を充て、辛日の日中甲午時以後は景門が直使を充て、同じく三十時辰ごとに一門を迁移する。

常以直門加太乙,及主、客大將隨數而行。太乙三時一移,大將一時一移也。臣今太乙冬至、夏至初臨之時,門則隨數起,時盡則移,不拘其甲、丙、己、辛日也。陽遁四門,開、生、驚、休;陰通四門,杜、死、傷、景。

用法は当値の直門を太乙の上に加え、主・客大将は各々得た算数に依って順に行る。太乙は三時辰ごとに一次迁移し、大将は一時辰ごとに一次迁移する。臣は今、新法に改めて用いる。太乙が冬至・夏至に初めて臨む時、門はすなわち得た数に随って起算し、時数を用い尽くせばすなわち迁移を行い、もはや甲・丙・己・辛の四日に門を起こす旧例に拘守しない。陽遁の用いるところは開・生・驚・休の四門、陰遁の用いるところは杜・死・傷・景の四門である。

冬至加时所直の門を推す法

臣希明今置天正時實,以二百四十去之;不盡,以一百二十去之;不盡,以三十約之,為門數。命起開門,以次而行,即天正冬至加時所直門也。

臣王希明は冬至加时所値の門を推す。前に求めた天正時実を取り、二百四十をもって整周を除き、余数をさらに百二十をもって除し、なお余数があれば三十をもって約し、得たものがすなわち門数である――一門ごとに三十時辰を管するので、三十をもって約とする。開門から起首し、順に数え去り、落ちるところの一門がすなわち天正冬至加時当値の門である。

夏至加時歴直の門を推す法

置夏至時實,以一百二十去之,不盡者,以三十約之,為門數。命起開門依次而行之,即夏至加時所直門也。

夏至加时所値の門を推す。夏至の時実を取り、百二十をもって整周を除き、除ききれぬ余数を三十をもって約し、得たものがすなわち門数である。なおも開門から起首し、順に数え下り、落ちるところの一門がすなわち夏至加時当値の門である。陰遁は杜・死・傷・景の四門をもって用とするが、数を起こす位はなお開門から算する。

八門歳計の占法を推す

李淳風雲:常以開門加大乙,即太乙之八門也。又以開門加主大將,即主大將之八門也。又以開門加客大將,即客大將之八門也。又以開門加定計大將,即定計大將八門也。本是太公考歲計定八門,立五將也。又云:客、主八門與太乙八門開、休、生臺者,大利。太乙天目在主、客三門下者,閉塞不通。今雲窖、主八門與太乙八門開、休、生三門合者,大利。

李淳風は言う。通常、開門を太乙の上に加えれば太乙の八門を得、開門を主大将の上に加えれば主大将の八門を得、開門を客大将の上に加えれば客大将の八門を得、開門を定計大将の上に加えれば定計大将の八門を得る。これはもともと太公が歳計を考較するに八門を定め五将を立てるのに用いた法である。彼はまた言う。客・主両辺の八門が太乙の八門と開・休・生の三吉門上に相合すれば、極めて有利である。太乙と天目がもし主・客の三門の下に落ちれば、閉塞不通となる。今本のこの句は「窖・主八門与太乙八門開・休・生三門合者、大利」と作るが、「窖」の字は「客」の字の訛に当たる。

臣今別立新術,置上元甲子以來距所求積年,求歲計八門,以大遊紀法七百二十去之;不盡,以三分紀法二百四十除之;餘以三十約之,為直門致;不盡,即宣門所入年。命起開門,以次休、生門,左行八門,周而復始。假令今開元十二年甲子,即開門為宜使,至三十一年甲午歲即休門為直使,他皆仿此。

臣は今、別に一套の新法を立てて歳計の八門を推す。上元甲子以来から求める年までの積年数を取り、大游紀法七百二十をもって整周を除き、余数をさらに三分紀法二百四十で除し、余った数を三十をもって約すれば、得たものがすなわち直使の門の門数で、除ききれぬ端数はこの門に入って以来の年数である。開門から起首し、順に休門・生門を数え、左に順行して八門を巡り、周してまた始まる。たとえば当今開元十二年甲子は、まさに開門をもって直使とする。三十一年甲午歳に至れば、輪番で休門が直使を作り、其余の各年もみなこれに類推する。

太乙金鏡式経巻二

太乙所在の法を推す

《傳》曰:太乙者,天帝之神也。主使十六神,知風雨、水早、兵革、飢謹、疾疫、災害之國也。常考之,順行八官,不遊中五,三年徒一宮。第一年治天,齊日月、星辰,使七曜無差其度,以明天道。所臨之分,承天道而行,則獲治天之考。

『伝』のうちに言う。太乙は天帝の神で、十六位の神将を統領駆使し、風雨・水旱・兵革・饑饉・瘟疫および各国の災害を掌管する。それは常年天下を考較し、八宮を順行し、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、三年に一宮を迁移する。入宮の第一年は「治天」を主り、日月星辰を整斉して日月五星七曜の運行をその度を失わせず、もって天道を彰明する。この年それが臨む分野がもし天道に承奉して行事すれば、治天の考較を通過できる。

第二年治地,調四氣、八風,能使風雨不愆其候,以明地道。所臨之分,無興土木之功、役人民、妨稼穡,則獲治地之考。第三年治民,使君臣、父子、長幼無失其序,以明人道。所臨之分,進忠良,察獄訟,恤孤寡,則獲治人之考。

入宮の第二年は「治地」を主り、四時の気と八方の風を調和して風雨を時令に違わせず、もって地道を彰明する。この年それが臨む分野がもし大いに土木を興さず・濫りに百姓を役せず・農事を妨害しなければ、治地の考較を通過できる。第三年は「治民」を主り、君臣・父子・長幼を各々その次序を失わせず、もって人道を彰明する。この年それが臨む分野がもし忠良を進用し・獄訟を明察し・孤寡を撫恤すれば、治人の考較を通過できる。太乙が三年に一宮を移るのは、まさに天・地・人の三考に相応する。

古太乙考治天下。若無道之國、失禮之君,恃干戈恣侵伐,則兵災、水早、飢()、流亡以行其罰。若守道安民,()兵禁暴,則五緯不愆度,四民無失業。故《經》云:太乙所臨之國,有道則昌,無道則殃。樂產云:能使日月無光,五緯孛現,山崩地震,川湧河竭者也。

古より太乙は天下を考較治理するを職としてきた。もし無道の国・失礼の君があって、兵戈を倚仗して肆に侵伐すれば、太乙は兵災・水旱・饑饉と流亡を降して懲罰を施行する(底本はここに「饑」の下に闕文があり空圍のみ存す。字を補うことは敢えてしない)。もし道を守り民を安んじ・干戈を止息し・暴虐を禁絶すれば、金木水火土の五星は運行して常度を失わず、士農工商の四民もまた各々その業に安んずる。ゆえに『経』の上に言う。太乙の臨む国は、道あれば昌盛し、道なければ殃を受ける、と。楽産は解して言う。太乙が罰を降す時、日月をして光輝を失わせ、五星をして彗孛の変を生ぜしめ、山は崩れ地は震い、河川は泛涌しあるいは干竭す、と。

五将所主の法を推す

五將者,太乙監將,並上下二目、主客大小將也。監將者,東方歲星之精,受木德之正氣,王在春三月。上目者,南方熒感之精,受火德之正氣,在天為陽,號始擊將,屬客,王在夏三月。下目者,中宮鎮星之精,受土德之正氣,在地為陰,號文昌將,屬主,王在四季。

いわゆる「五将」とは、太乙の監将・上目・下目の二目および主・客両方の大将と小将を指す。監将は東方の歳星(木星)の精気の化するところで、木徳の正気を禀受し、春の三ヶ月に旺する。上目は南方の熒惑(火星)の精気の化するところで、火徳の正気を禀受し、天において陽となり、「始撃将」と称して客方に隷属し、夏の三ヶ月に旺する。下目は中宮の鎮星(土星)の精気の化するところで、土徳の正気を禀受し、地において陰となり、「文昌将」と称して主方に隷属し、辰・戌・丑・未の四季の月に旺する。

客大將者,北方辰星之精,受水德之正氣,主兵革,王在冬三月。主大將者,西方太白之精,受金德之正氣,主戰鬥,王在秋三月。又五將各應五方,隨四時備有休王。《經》云;主客兩陣相當,乘生氣者勝,乘死氣者敗。

客大将は北方の辰星(水星)の精気の化するところで、水徳の正気を禀受し、兵革の事を主り、冬の三ヶ月に旺する。主大将は西方の太白(金星)の精気の化するところで、金徳の正気を禀受し、戦闘殺戮を主り、秋の三ヶ月に旺する。この五将は各々五方に対応し、四時の推移に随って各々旺・相・休・囚・死の気数がある。『経』の上に言う。主客両軍が陣して相対し相が当たるとき、およそ生気に乗る方が勝ちを得、死気に乗る方が敗北す、と。

假令八月攻東方,以太簇為始擊將,乘生氣也,大勝。若高叢為始擊將,乘死氣也,大負。他仿此。歲汁者,歲星之使也,謂計歲、月、日、時之事也。是故聖人則而像之,創法而制局。太乙為人君,二目法輔相五將,定主客八門,分勝負、運沉於機樽之間,突雄略於幃幄之內,蓋王佐之要道也。

たとえば八月に兵を出して東方を攻めるに、もし「太簇」(酉、金に属す)を始撃将とすれば、金は秋に旺して東方の木を克するので、生気に乗って動き、必ず大勝を獲る。もし「高叢」(卯、木に属す)を始撃将とすれば、木は秋月にまさに死気に当たり、それは大敗である。其余の各方各月もみなこれに類推する。いわゆる「歳計」とは歳星の使者で、年・月・日・時の四層に按じて事を推算するを指す。この故に聖人は天象を取法してその形を摹拟し、法度を創立し式局を制作した。太乙をもって人君に象徴させ、上下二目をもって輔相の臣に取法し、五将を率いて、主客を判定し八門を安排し、酒樽機杼のあいだに勝敗を分かち、帷幄の内に雄略を施展する――これはまさに王者を輔佐する緊要の道である。

九宮の法を推す

昔燧人氏仰觀北極而定方。包犧氏因畫八封。帝宣受命,使大撓造甲子,容成以造曆數,八封九宮之旨,自此興焉。

昔、燧人氏は頭を挙げて北極星を観察して四方を定め、伏羲氏はこの方位に依拠して八卦を画いた。黄帝軒轅が受命した時に至り、大撓に命じて甲子干支を創制させ、容成に命じて暦数を創制させた。八卦と九宮の旨要はこれより始めて興った。九宮の法が八卦と相配することのできた根源は、すなわちここにある。

九宮之義法以靈龜,以二、四為肩,六、八為足,左三右七,戴九履一,此為不易之常道也。黃帝又命風后為太乙式,九宮皆差一位,自晉以前,莫詳所以推。

九宮の取義は神亀の背の紋路に效法する。二と四は両肩に分列し、六と八は両足に分列し、三は左に居り七は右に居り、九は頭上に頂き一は足下に踏み、中央を五とする。これは万世不易の常規の排法である。しかるに黄帝はまた風后に命じて太乙式盤を制作させ、その中の九宮の位置は一律に一位錯け、洛書の本位と異なる。この故は晋代以前に至るまで、終始説明し得た人がいなかった。

郭醫《曜靈經》云:地缺東南,宮數多者不出於九,故差九以填之。樂產曰:太乙寄理,以明人事,后王得之以統一天下,所以差一官以就乾位。王希明曰:太乙統人事,以知未來之道。故聖人特差一宮,以明先知之義也。

郭璞『曜霊経』は解して言う。大地は東南方に欠けるところがあり、宮数は最大でも九を過ぎないので、九宮を錯開してこの缺陷を填補した、と。楽産は解して言う。太乙は義理を寄託して人事を闡明するのに用い、後世の君王がこれを得れば天下を統一できるので、わざと一宮を錯開して太乙を乾位に就居させた、と。臣王希明の見るところでは、太乙は人事を総管して未来の道を推知するのに用いるので、聖人はあえて一宮を錯開した。これはまさに「先知」の意義を顕明するためで、洛書の本位と同じでないことは、それが推すのがまだ発生していない事であることをまさに示している。

一宮在乾,主冀州、幷州。若文昌將關囚,必有迫肋君父之象矣。二宮在離,主荊州。若太乙臨之,君誅大臣、將相矣。三宮在艮,主青州。若始擊臨之,嬖寵進中宮,兵起。四宮在震,主徐州。若始擊臨之,主西戎來侵。

太乙式の九宮は各々卦位と州域に配し、各々主るところがある。第一宮は乾位(西北)に居り、分野は冀州・并州である。この宮がもし文昌将に逢って「関」を成し「囚」を成せば、必ず臣下が君父を逼迫する徴象が現れる。第二宮は離位(南方)に居り、分野は荆州である。太乙がもしこの宮に臨めば、君主が大臣と将相を誅戮することを主る。第三宮は艮位(東北)に居り、分野は青州である。始撃将がもしこの宮に臨めば、寵幸を受けた嬖人が後宮に引き入れられ、また兵事が起こることを主る。第四宮は震位(東方)に居り、分野は徐州である。始撃将がもしこの宮に臨めば、西方の戎狄が来て侵擾することを主る。

六宮在兌,主雍州。若客大將臨之,南楚來侵。七官在坤,主樑、益州。若主大將臨之,梁、益二州兵起。八宮在坎,主兗州。若太乙臨之,臣欺君也。九宮在冀,主楊州。若客大將臨之,幽、冀二州來侵。

第六宮は兌位(西方)に居り、分野は雍州である。客大将がもしこの宮に臨めば、南方の楚地が来て侵犯することを主る。第七宮は坤位(西南)に居り、分野は梁州・益州である。主大将がもしこの宮に臨めば、梁・益の二州が兵事を興すことを主る。第八宮は坎位(北方)に居り、分野は兗州である。太乙がもしこの宮に臨めば、臣下が君上を欺蒙することを主る。第九宮は巽位(東南、底本は「冀」と作る)に居り、分野は揚州である。客大将がもしこの宮に臨めば、幽州・冀州の两地が来て犯すことを主る。

張良《經》云:八、三、四、九為陽,二、七、六、一為陰。一宮為純陽,九宮為純陰。五月一陰生,至戌月單陽,亥月絕陰,戌、亥在一宮之地,故曰純陽。十一月一陽生,至辰月單陰,巳月純陽,辰、巳在九宮之地,故曰絕陰。凡六、四為絕氣。二午八子,冬、夏之至位,阻陽交易之地,故曰絕氣。凡至陽絕之,氣與事皆凶也。

張良『経』に言う。八・三・四・九の四宮は陽に属し、二・七・六・一の四宮は陰に属す。第一宮は純陽の地、第九宮は純陰の地である。五月に一陰が初めて生じ、戌月に至れば単陽のみが残り、亥月に陰気が終尽する。戌・亥はともに第一宮の方位にあるので、第一宮を純陽と称する。十一月に一陽が初めて生じ、辰月に至れば単陰のみが残り、巳月に転じて純陽となる。辰・巳はともに第九宮の方位にあるので、第九宮を絶陰と称する。およそ六宮と四宮はみな「絶気」の地と算する。第二宮は午に配し第八宮は子に配し、まさに夏至と冬至の所在で、陰陽が交替更換する処なので、また絶気とも呼ぶ。およそ陽絶・気絶の位置に落ちるものは、気数と占う事とともに凶を主る。

八門所主の法を推す

玄女云:天有八門,以通八風也。地有八方,以應八卦之綱紀、四時,主於萬物者也。開門直乾,位在西北,主開向通達。休直坎,位正北,主休息、安居。生門直艮,位東北,主生育萬物。傷門直震,位正東,主疾病、災殃。

九天玄女は言う。天には八門があり、八方の風を通達するのに用い、地には八方があり、八卦に対応して四時を綱紀し万物を主宰する。開門は乾卦に当たり、位は西北にあり、開通順達を主る。休門は坎卦に当たり、位は正北にあり、休息安居を主る。生門は艮卦に当たり、位は東北にあり、万物を生育することを主る。傷門は震卦に当たり、位は正東にあり、疾病と災殃を主る。

杜門直巽,位東南,主閉塞不通。景門直離,正位南,主鬼怪亡遺、驚恐奔走。死門直坤,位在西南,主死喪、葬埋。驚門直兌,位正西,主驚恐奔走。開、休、生三門大吉,景門小吉,驚門小凶,死、傷、杜大凶。八節八門各主王四十五日,通王,以戰勝,吉;不王,凶。

杜門は巽卦に当たり、位は東南にあり、閉塞不通を主る。景門は離卦に当たり、位は正南にあり、鬼怪の作祟・遺失亡逸と驚恐奔走を主る。死門は坤卦に当たり、位は西南にあり、死喪と埋葬を主る。驚門は兌卦に当たり、位は正西にあり、驚恐奔走を主る。八門のうち、開・休・生の三門は大吉、景門は小吉、驚門は小凶、死・傷・杜の三門は大凶である。八節は各々一門に配し、各門は四十五日を当旺する。出兵の時にもし用いる門がまさに旺気に当たれば、交戦すれば勝ちを得て吉を主り、もし旺に当たらなければ凶を主る。

十六神所主の法を推す

《爾雅》云:四時和為玉燭。《律曆志》曰:太極運三辰五星於天,元氣轉三、五流行於下地也。

『爾雅』に言う。四季の気が調和すれば、これを「玉燭」と呼ぶ、と。『漢書・律暦志』に言う。太極は天上において日・月・星の三辰と金木水火土の五星を運行し、元気は三と五の数理をもって地下に流転運行す、と。十六神の名号と所主は、まさにこの天地の気の消長に依って立てられる。

子神曰地主。建於之月,陽氣初發,萬物陰生,故曰地主也;丑神曰陽德。建丑之月,二陽用事,布育萬物,故曰陽德也;艮神曰和德。冬春將交,陰陽氣合,群物方生,故曰和德也;寅神曰呂申。建寅之月,陽氣大申,草木甲拆,故曰呂申也;卯神曰高叢。建卯之月,萬物皆出,自地叢生,故曰高叢也;

子位の神を「地主」と呼ぶ。建子の月に一陽が初めて動き、陽気がようやく萌発し、万物はなお地下にあって暗いうちに滋生するので、地主と名づける。丑位の神を「陽徳」と呼ぶ。建丑の月に二陽が用事し、陽気が布散して万物を化育し始めるので、陽徳と名づける。艮位の神を「和徳」と呼ぶ。この時冬春がまさに交替しようとし、陰陽の二気が交合して群物がまさに萌生しようとするので、和徳と名づける。寅位の神を「呂申」と呼ぶ。建寅の月に陽気が大いに伸展し、草木が甲を破って出るので、呂申と名づける。卯位の神を「高叢」と呼ぶ。建卯の月に万物がみな土を出で、地面上に叢集して生長するので、高叢と名づける。

辰神曰太陽。建辰之月,雷出震勢,陽氣大盛,故曰太陽也;巽神曰太靈。春夏將交,盛署方至,陽氣炎酷,故曰太靈;巳神曰太神。建巳之月,少陰用事,陰陽不測,故曰太神;午神曰大威。建午之月,陽附陰生,刑暴始行,故曰大威也;末神曰天道。建末之月,火能生土,土王於未,故曰天道也;

辰位の神を「太陽」と呼ぶ。建辰の月に雷が震位より声勢を発し、陽気が極めて盛んなので、太陽と名づける。巽位の神を「太霊」と呼ぶ。この時春夏がまさに交替しようとし、盛暑が至らんとして、陽気が炎烈酷熱なので、太霊と名づける。巳位の神を「太神」と呼ぶ。建巳の月に少陰が用事を始め、陰陽の変化が測度しがたいので、太神と名づける。午位の神を「大威」と呼ぶ。建午の月に陽気が極処に至りて一陰が依附して生じ、粛殺刑暴の気が施行を始めるので、大威と名づける。未位の神を「天道」と呼ぶ。建未の月に火は土を生ずることができ、土気が未においてまさに旺なので、天道と名づける。

坤神曰大武。夏秋將交,陰氣施令,殺傷萬物,故曰大武;申神曰武德。建申之月,萬物欲死,葬麥將生,故曰武德也;酉神曰太簇。建酉之月,萬物皆成,有大品蔟,故曰太簇也;戍神曰陰主。建戍之月,陽氣不長,陰氣用事,故曰陰主也;干神曰陰德。秋冬將交,陰前生陽,大有其情,故曰陰德也;亥神曰大義。建亥之月,萬物懷垢,群陽欲盡,故曰大義。

坤位の神を「大武」と呼ぶ。この時夏秋がまさに交替しようとし、陰気が号令を発して万物を摧折傷害し始めるので、大武と名づける。申位の神を「武徳」と呼ぶ。建申の月に万物はまさに衰亡せんとするが、冬麦はかえってまさに下種萌生せんとして、一殺一生が並行するので、武徳と名づける。酉位の神を「太簇」と呼ぶ。建酉の月に万物はみな成熟し、物品が豊盛に叢聚するので、太簇と名づける。戌位の神を「陰主」と呼ぶ。建戌の月に陽気はもはや生長せず、陰気が用事を始めるので、陰主と名づける。乾位の神を「陰徳」と呼ぶ。この時秋冬がまさに交替しようとし、陰の中にすでに陽気を孕育し、情を含むこと深いので、陰徳と名づける。亥位の神を「大義」と呼ぶ。建亥の月に万物は垢晦を懐蔵し、群陽がまさに尽きようとするので、大義と名づける。子・丑・寅・卯など十二辰の神に、艮・巽・坤・乾の四維の神を加えて、合わせてまさに十六神となる。

太乙式僅の法を推す

黃帝受命,龍馬負因而出河,因體其象,而制太乙式,體有三重,上青法天,下黃法地,中體像人,即天、地、人三才悉備。天有十二辰,地有十二次,四維、八門、九宮、十二神,咸有象焉。

黄帝が天命を受けた時、龍馬が図書を負いて黄河の中より出現し、黄帝はその形象に依拠して太乙式盤を製作した。式盤は三重に分かれる。上層は青色を塗り、天に取法し、下層は黄色を塗り、地に取法し、中層は人を象徴する。ここに天・地・人の三才がすべて備わる。式盤の上、天には十二辰、地には十二次があり、乾・艮・巽・坤の四維および八門・九宮・十二神を加え、各々皆対応する象位が盤に刻まれている。

《經》云:運式之儀有八;一詳太歲所在,欲求計神,故先詳之;第二詳太乙所在宮,以立監將;第三詳何神為天目,以置文昌、始擊諸神也;第四詳何神為計神,以知主客計;第五詳何神為始擊,以計神加和德官,求文昌所臨宮,以艮為鬼門方,求幽冥吉凶,故加和德而計之;

『経』の上に言う。式盤を運転する程序はあわせて八歩ある。第一歩は太歳の所在を審定する。計神を求めるには必ず先に太歳を知らなければならないので、まずそれを審す。第二歩は太乙の居る宮を審定し、これに拠って監将を安立する。第三歩はいずれの神が天目を充てるかを審定し、これに拠って文昌・始撃などの諸将を安置する。第四歩はいずれの神が計神を充てるかを審定し、これに拠って主・客両方の算数を推知する。第五歩はいずれの神を始撃とするかを審定する。その法は計神を和徳宮の上に加え、さらに文昌の臨む宮を求める。艮位は鬼門の所在で、幽冥の中の吉凶を推求するのに用いられるので、和徳(艮位の神)の上に加えて起算するのである。

第六視天地二目各在何所,求主客之算,第七詳置算之數,以定主容大將之官;第八論主客置算,若得十,置一;若得二十四,棄二十,置四,餘皆以例而推之,各視天目所在宮而行算。若天日在正宮,則按本數。若天目間神,則加一數而行算,至太乙宮止矣。

第六歩は天目・地目の二目が各々いずこに在るかを查看し、これに拠って主方と客方の算数を求める。第七歩は置かれた算数の多少を核定し、これに拠って主・客大将の居る宮を確定する。第八歩は主客置算の取舍を論ずる。およそ算が十を得れば、ただ一を取り、算が二十四を得れば、二十を捨てて四を取る。其余の数目もみなこの体例に照らして類推する。算を行うときはみな天目の居る宮より数を起こして見る。天目がもし八正宮に落ちれば、本宮の数に按じて計算し、天目がもし四維の間神の位に落ちれば、一数を加えてさらに推算し、一路太乙の居る宮まで数えて止まる。

假令太乙在九宮,大義為天目,後大義一算,地主八算,和德三,高叢四,計得十六。餘仿此。

例を挙げて言う。仮に太乙が第九宮にあり、「大義」(亥)をもって天目とするとする。大義の後より起算し、大義自身は一算を得、地主(子)は八算を得、和徳(艮)は三算を得、高叢(卯)は四算を得、一路累加して太乙の宮に至り、合計して十六を得る。其余の各局もみなこの法に照らして推算する。

太乙用式不同の法を推す

《禮》設尊卑,《易》陳貴殘。臣行君道則政悖,子行父道則義乖,故用式之道,事各不同。《洪範》曰:洪者,大也。範者,法也。言天地之大法也。

『礼』は尊卑の分際を確立し、『易』は貴賤の等差を陳述する。臣子がもし君主の道を行えば政事は悖乱し、子がもし父の道を行えば義理は乖違する。ゆえに式盤を運用する道もまた、占う者の身分の不同に随って各々分別があり、混同してはならない。『尚書・洪範』に言う。「洪」とは大のこと、「範」とは法のことで、合わせて言えばまさに天地の間の大法である。

王省維歲:王所有歲,兼總群吏,如歲兼四時也。卿士惟月:卿士各有所掌,如月之有別也。師尹惟日:象正官之吏,分治其職,如歲有日也。歲、月、日、時無易,各順其常,故王者用歲計,卿士惟月計,師尹惟日計,故時通上下,則上白天子,下及庶士,時通用也。

『洪範』に「王は省るに歳をもってす」という。君王が省察するのは一歳の事で、それは群吏を総攬し、ちょうど一年が四季を総括するがごときだからである。又「卿士は月をもってす」という。卿士は各々分掌の職事があり、ちょうど一年のうち月份に各々分別があるがごときである。又「師尹は日をもってす」という。衆官の長は各々その職守を分治し、ちょうど一年のうち日子に各々その事があるがごときである。歳・月・日・時の次第は更易すべからず、各々常道に遵循する。ゆえに君王の占問は歳計を用い、卿士は月計を用い、師尹は日計を用いる。時計に至っては上下通用で、上は天子より、下は庶士に至るまで、およそ急事があれば皆取り用いることができる。

陰遁の和と不和を推す

張良《經》曰:陰陽和不和者,渭太乙及上、下二目就算數以相配。下目立正宮,為陽;立間神,為陰。立陽,算得奇為重陽;立陰,算得偶為重陰,則不和。上目所臨陽宮,算得重陽,為重臨正二官,算得奇也。臨陰宮,算得陰為重陰,為臨間神,算得偶也。若在陽,算得偶陰,算得奇為陰陽和,和則吉,算十一、十三、十七、十九、三十一、三十三、三十七、三十九為陽數。

張良『経』に言う。いわゆる陰陽の和と不和とは、太乙および上目・下目の三者の得た算数がたがいに相配するかどうかをもって判定する。下目がもし八正宮に立てば陽と算し、四維の間神の位に立てば陰と算する。陽位に立って算数が奇を得れば「重陽」を成し、陰位に立って算数が偶を得れば「重陰」を成す。二種とも不和に属す。上目の臨むところがもし陽宮でしかも重陽を得るのは、正宮に重ねて臨み算数がまた奇数だからである。もし陰宮に臨んで算が陰数を得れば重陰を成し、これは間神に臨み算数がまた偶数だからである。これに反して、陽位に処って算が偶数を得、陰位に処って算が奇数を得ること、これを陰陽相和と呼び、和はすなわち吉を主る。算数の中の十一・十三・十七・十九・三十一・三十三・三十七・三十九はみな陽数に属す。

目臨為重陽,算中陰陽。若算得二十二、二十四、二十六、二十八為陰,皆不和也。太乙在陽宮,算得奇者為重陽之數,八、三、四、九為陽宮。太乙陰宮,算得偶者為重陰之數,二、七、六、一為陰宮,皆不和。若太乙在陰宮陽奇,算得偶數者,為陰陽和也。

二目が陽位に臨んでしかも陽数を得れば、すなわち重陽を成すので、算数の中で陰陽の属性を細かく弁じなければならない。算が二十二・二十四・二十六・二十八の類の数を得れば、みな陰に属し、陰位と相重なるので、同じくみな不和と算する。太乙が陽宮に居って算が奇数を得れば、すなわち重陽の数である――八・三・四・九の四宮は陽に属す。太乙が陰宮に居って算が偶数を得れば、すなわち重陰の数である――二・七・六・一の四宮は陰に属す。この二種の情形はいずれも不和である。ただ太乙が陰宮に居って算が陽奇を得、あるいは陽宮に居って算が偶数を得て、陰陽が互補することのみを、陰陽相和と呼ぶ。

王希明曰:三、九寅辰為純陽;二、八巳丑為雜陽;二十六未亥為純陰,七、一戊申為雜陰;三十三、三十九為重陽,二十二、二十六為重陰;二十四、二十八為雜陰;十三、十九、二十一、三十七為雜陽。皆以次凶尤甚。太乙、天日在陰位,算得純陰在陽位,算得純陽為內外有謀,在純者勝。太乙、天目在陰位,算得重陽為內有謀。

臣王希明は補して言う。三・九の両数と寅・辰の位は純陽に属し、二・八の両数と巳・丑の位は雑陽に属し、二十六と未・亥の位は純陰に属し、七・一の両数と戌・申の位は雑陰に属する。三十三・三十九は重陽、二十二・二十六は重陰、二十四・二十八は雑陰、十三・十九・二十一・三十七は雑陽である。この次第に依って下に排してゆくと、後になるほど凶険が重い。太乙と天目が陰位に落ちて算が純陰を得、あるいは陽位に落ちて算が純陽を得れば、みな内外双方に各々図謀があることを主り、その中で気数が純一なる方が勝利する。太乙と天目が陰位に落ちて算が重陽を得れば、内部に人が暗に図謀することを主る。

若算得十四、十八、三十三為上和,二十三、二十九、三十二為次和,十二、十六、二十七、三十四、三十八為下和,若太乙、天目立陰陽位,而算陽多者,利為客;陰多者,利為主。更須考其深淺,以明勝負也。

「和」に至ってもまた等第に分かれる。算が十四・十八・三十三を得れば上等の和、二十三・二十九・三十二を得れば次等の和、十二・十六・二十七・三十四・三十八を得れば下等の和である。もし太乙と天目が分かれて陰陽の位に立ち、算数の中で陽数が偏って多ければ、客となって先に発するに便利し、陰数が偏って多ければ、主となって後に応ずるに便利する。このほかなお陰陽の偏勝の深浅の程度を考究して、はじめて最終の勝負の帰属を判明できる。

太乙式僅の法を推す

黃帝受命,龍馬負因而出河,因體其象,而制太乙式,體有三重,上青法天,下黃法地,中體像人,即天、地、人三才悉備。天有十二辰,地有十二次,四維、八門、九宮、十二神,咸有象焉。

この篇は底本に重出し、文字は前と全く同じである。今、なお底本に依って収録する。黄帝が天命を受けた時、龍馬が図書を負いて黄河の中より出現し、黄帝はその形象に依って太乙式盤を製作した。式盤はあわせて三重に分かれ、上層は青色を塗って天に取法し、下層は黄色を塗って地に取法し、中層は人を象徴して、天・地・人の三才はここに全備する。盤の上、天には十二辰、地には十二次あり、四維の位および八門・九宮・十二神を加えて、いずれも各々その象なからんとするなし。

《經》云:運式之儀有八;一詳太歲所在,欲求計神,故先詳之;第二詳太乙所在宮,以立監將;第三詳何神為天目,以置文昌、始擊諸神也;第四詳何神為計神,以知主客計;第五詳何神為始擊,以計神加和德官,求文昌所臨宮,以艮為鬼門方,求幽冥吉凶,故加和德而計之;

『経』の上に言う。式盤を運転する程序はあわせて八歩ある。第一歩は太歳の所在を審定する。計神を求めるには先に太歳を知らねばならないので、最前に列する。第二歩は太乙の居る宮を審定し、これに拠って監将を安立する。第三歩はいずれの神かが天目を充てるかを審定し、これに拠って文昌・始撃の諸将を安置する。第四歩はいずれの神かが計神を充てるかを審定し、これに拠って主客両方の算数を推知する。第五歩はいずれを始撃とするかを審定する。その法は計神を和徳宮の上に加え、さらに文昌の臨む宮を求める。艮位は鬼門の所在で、これに拠って幽冥の事の吉凶を推求できるので、和徳の上に加えて起算するのである。

第六視天地二目各在何所,求主客之算,第七詳置算之數,以定主容大將之官;第八論主客置算,若得十,置一;若得二十四,棄二十,置四,餘皆以例而推之,各視天目所在宮而行算。若天日在正宮,則按本數。若天目間神,則加一數而行算,至太乙宮止矣。

第六歩は天目・地目の二者が各々いずこに居るかを查看し、これに拠って主客双方の算数を求める。第七歩は置かれた算数の多少を核定し、これに拠って主・客大将の居る宮を確定する。第八歩は主客置算の取舍の法を講ずる。算が十を得ればただ一を取り、算が二十四を得れば二十を捨てて四を取り、其余はみなこの例に依って推求する。算を行うには一律に天目の居る宮より数を起こす。天目がもし八正宮にあれば、本宮の数に按じ、天目がもし四維の間神の位にあれば、一数を加えてさらに算し、順に数えて太乙の宮に至れば停止する。

假令太乙在九宮,大義為天目,後大義一算,地主八算,和德三,高叢四,計得十六。餘仿此。

例を挙げて説明する。仮に太乙が第九宮にあり、「大義」(亥位の神)をもって天目とするとする。大義の後より起算し、大義自身は一算を得、地主(子)は八算を得、和徳(艮)は三算を得、高叢(卯)は四算を得、累加して太乙の宮に至り、あわせて十六算を得る。其余の諸局もみなこの法に仿って推求する。

帝王年紀の法を推す

臣希明自周厲王三十七年甲子為上元,至大唐開元十二年甲子歲,通計積一千五百六十一年矣。

臣王希明は別に一つの近世の起算点を取る。周の厲王三十七年甲子をもって上元とし、大唐開元十二年甲子歳まで推して、前後あわせて千五百六十一年を積す。以下、六十年を一紀とし六紀一周の次序に依り、歴代の甲子の年が各々いずれの紀に入るかを逐一列する。古今の治乱を占断するに、直接対照して取用できる。

周厲王三十七年甲子入第一紀;周幽由王五年甲子入第二紀;周惠王二十一年甲子入第三紀;周桓王三年甲於入第四紀;周定王十年甲子入第五紀;周景王八年甲子入第六紀;周敬王四十三年甲子入第一紀;周咸烈王九年甲子入第二紀;周顯王十二年甲子入第三紀;周赧王十八年甲子入第四紀;秦始皇十年甲子入第五紀;漢文帝三年甲子入第六紀;

周の厲王三十七年甲子は第一紀に入り、周の幽王五年甲子は第二紀に入り、周の恵王二十一年甲子は第三紀に入り、周の桓王三年甲子は第四紀に入り、周の定王十年甲子は第五紀に入り、周の景王八年甲子は第六紀に入る。六紀はすでに三百六十年に満ち、ここに周してまた始まり、改めて第一紀より起算する。周の敬王四十三年甲子は第一紀に入り、周の威烈王九年甲子は第二紀に入る(底本は「咸烈王」と作る)、周の顕王十二年甲子は第三紀に入り、周の赧王十八年甲子は第四紀に入り、秦始皇十年甲子は第五紀に入り、漢の文帝三年甲子は第六紀に入る。

漢武帝元狩六年甲子入第一紀,漢宣帝五鳳元年甲子入第二紀;漢平帝元始四年甲子入第三紀;漢明帝永平七年甲子入第四紀;漢安帝延光三年甲子入第五紀;漢靈帝中平元年甲子入第六紀;魏齊王正始五年甲子入第一紀;晉惠帝永興元年甲子入第二紀;晉哀帝興寧二年甲於入第三紀;後魏太武元年甲子入第四紀;後魏太和八年甲子入第五紀;西魏太武文統十年甲子入第六紀;隨文帝仁壽四年甲子入第一紀;大唐高祖龍朔四年甲子入第二紀;大唐開元十二年甲子入第三紀。

漢の武帝元狩六年甲子は第一紀に入り、漢の宣帝五鳳元年甲子は第二紀に入り、漢の平帝元始四年甲子は第三紀に入り、漢の明帝永平七年甲子は第四紀に入り、漢の安帝延光三年甲子は第五紀に入り、漢の霊帝中平元年甲子は第六紀に入る。ここに至りまた一周に満ち、以下改めて第一紀より起こる。魏の斉王正始五年甲子は第一紀に入り、晋の恵帝永興元年甲子は第二紀に入り、晋の哀帝興寧二年甲子は第三紀に入り、後魏の太武元年甲子は第四紀に入り、後魏の太和八年甲子は第五紀に入り、西魏の太武文統十年甲子は第六紀に入り、隋の文帝仁寿四年甲子は第一紀に入り、大唐の高祖龍朔四年甲子は第二紀に入る(龍朔はもと高宗の年号で、底本は高祖に繋す。訛誤あるべし)、大唐開元十二年甲子は第三紀に入る。まさに本書撰作の年である。

『太乙金鏡式経』巻三

掩を推す法

《經》曰:始擊將臨太乙宮,謂之掩。歲計遇之,王綱失序,臣張君弱,宜修德以禳之。蓋掩襲劫殺之義。若掩太乙在陽絕之地,君凶;陰絕之地,臣誅。掩主大將,主人算和,吉;不和,凶。參擊之勝。

『経』の上に言う。始撃将が太乙の居る宮に臨むを、「掩」と呼ぶ。歳計の中でこの格に遇えば、王朝の綱紀が次序を失い、臣下が強横にして君主が衰弱することを主り、徳行を修養して禳解すべきである。「掩」は掩襲劫殺の意を取る。もし掩を被った太乙が陽絶の地に落ちれば、君主に凶あることを主り、陰絶の地に落ちれば、臣下の誅されることを主る。もし掩を被ったのが主大将で、主方の算数がこれと相和すれば、なお吉と算し、算数が和せざれば、すなわち凶である。このほかなお参将の撃を受ける情形を参看して、はじめて最終の勝負を断定できる。

撃を推す法

《經》曰:太乙所在宮,客目在太乙前一辰,為前擊;在太乙後一辰,為後擊;在太乙前一宮,為外宮擊;在太乙後一官,為內宮擊。所為擊者,臣凌君卑。凌尊,下凌上,僣也。歲計遇之,將相相伐之義也。

『経』の上に言う。太乙の居る宮を准とし、客目が太乙の前一辰に落ちるを「前撃」と呼び、太乙の後一辰に落ちるを「後撃」と呼び、太乙の前一宮に落ちるを「外宮撃」と呼び、太乙の後一宮に落ちるを「内宮撃」と呼ぶ。いわゆる「撃」とは、臣下が君上を欺凌し、卑なる者が尊なる者を凌駕する意で、以下犯上の僭越の象に属す。歳計の中でこの格に遇えば、取義は将相のあいだに彼此攻伐することに在る。

迫を推す法

《經》曰:前為外迫,後為內迫,為上、下二目,主、客、大小四將,在太乙左右為迫。王希明曰:上目無迫。若下目在太乙前一辰,為外辰迫;在後一辰,為內辰邊;在太乙前一宮,為外宮迫;後一宮,為內宮迫。宮迫,災微緩;辰迫,災急疾。歲計遇迫,人君慎之。

『経』の上に言う。太乙の前に在るを「外迫」といい、太乙の後に在るを「内迫」という。およそ上目・下目の二目および主客両方の大将・小将の四将が、太乙の左右隣接の位に落ちることは、みな「迫」と算する。臣王希明按す。上目はそれ自身迫を構成しない。もし下目が太乙の前一辰にあれば「外辰迫」となし、後一辰にあれば「内辰迫」とする(底本は「迫」を「辺」と訛作)。太乙の前一宮にあれば「外宮迫」となし、後一宮にあれば「内宮迫」とする。宮迫の災禍は軽微にして来ること緩く、辰迫の災禍は急切にして来ること速い。歳計の中で迫格に遇えば、人君は格別に戒慎すべきである。

囚を推す法

《經》曰:囚者,篡戮之義也。若文呂將並主、客、大、小四將俱與太乙同宮,總名曰囚。若在陽氣、絕氣之地,大凶;若在絕陽、絕陰之地,自敗,臣受誅。若諸將與太乙同宮,或近大將,謀在同類;近參將,謀在內也。算和者,利;算不和者,謀不成也。

『経』の上に言う。「囚」は簒奪誅戮の義を取る。もし文昌将が主・客の大小四将を連ねて皆太乙と同じ一宮に居るを、総名して「囚」と呼ぶ。この格が陽気将尽・気数断絶の位置に落ちれば、大凶。絶陽・絶陰の地に落ちれば、自ら敗亡を取り、臣下が誅戮を被ることを主る。もし諸将が太乙と同宮で、その中大将に近きは、図謀が同類のあいだに発し、参将に近きは、図謀が内部より起こる。この時、算数が相和する者は利あり、算数が和せざる者は図謀なりがたい。

関を推す法

《經》曰:客、主、大、小將目相宮齊為關。王希明曰:關之為義,但將相怕忌之事,不及於君也。主、客、大、小將同宮數齊,皆為關日。

『経』の上に言う。客・主両方の大将・小将と目神の居る宮数が彼此相等しいを、「関」と呼ぶ。臣王希明按す。「関」の取義はただ将相のあいだの猜忌畏懼の事に関渉し、君主の身には牵连しない。およそ主・客の大小諸将が同一宮に処って宮数が相斉う日は、みな関日と算し、兵事を占うに将帥のあいだの嫌隙に留意すべきである。

格を推す法

《經》曰:客目大、小將與太乙對宮為格,言政事上下格也。若在陽絕之地,又與歲計遇格,不利。有為所格者,格易之義也。若格太乙者,盜侮其君。主、客算不和者,必敗。

『経』の上に言う。客目と大将・小将とが太乙と分かれて相対する宮に居るを、「格」と呼び、政令が上下のあいだに彼此扞格して通通ぜざるを言う。もし陽絶の地に落ち、またちょうど歳計の中で格に遇えば、それはさらに不利である。およそ相手方に格を受けた方は、彼此更易して相抗するの義を取る。もし格を受けたのがまさに太乙ならば、人が権柄を窃据してその君を欺侮することを主る。この時主客の算数がもし相和せざれば、必ず敗亡す。

対を推す法

《經》曰:下目文昌將與太乙沖而相當者,為對。若下目相對之時,皆為大臣懷二心,君逐良將,凶奸生,下臣欺上。

『経』の上に言う。下目文昌将が太乙と正しく相衝して両々面を当たるを、「対」と呼ぶ。およそ下目が太乙と対を成す時は、みな大臣が二心を懐き、君主が良将を放逐し、凶邪奸佞がこれより滋生し、下の臣子が君上を欺瞞することを主る。対は格と同じく相衝の象だが、ただ対はもっぱら下目と太乙に就いて言う。

四郭固の法を推す

《經》曰:四郭固者,文昌將囚,大乙宮至,大將、參將又相關。或客目臨之,或容、大、小將相關,皆四郭固也。主人勝固者,憑勝不利,先起四郭之固。歲計遇之,主篡廢之禍,利以修德禳之也。

『経』の上に言う。いわゆる「四郭固」とは、文昌将が囚位に陥り、太乙の宮が尽処に逼らせられ、大将と参将がまた彼此関を成し、あるいは客目がその上に臨圧し、あるいは客方と大・小将とが互いに関格を成す――これらをみな四郭固と呼ぶ。主方はたとえ上風を占めても、ただ一時の勝ちに憑恃するにすぎず、実際には利あらず、殊に自分から先に四郭閉固の局面を造成するのは宜しからず。歳計の中でこれに遇えば、簒位廃立の禍あることを主り、徳を修めて禳解するをもって利とすべきである。

郭杜の法

《經》曰:四郭杜者,為客參將與文昌將,並主大將與容大將併兼之掩、迫、關、格、提挾,以出兵,為閉杜不通,及謀諸事不成。歲計量之,無大禍也。

『経』の上に言う。いわゆる「四郭杜」とは、客参将と文昌将とが並び処り、主大将と客大将とが並び処り、さらに掩・迫・関・格・提挟の諸格がその間に夾雑することである。このような局面の下で兵を出せば、すなわち四面閉塞杜絶・道路不通で、各事を謀画しても成りがたい。ただし歳計の中で衡量すれば、この格は滞礙なれども、なお大禍を釀すに至らない。

攅擒攅の法

《經》曰:執提者,為開、生二門合沖,皆為不利。名為執提,對為提格,歲計遇之,不可舉事。所謂開、生二門合沖者,假令開門為直事,不可與開門合沖;生門為直事,不可與生門合沖,大凶。伍於胥曰:三門皆不可與太乙相沖。

『経』の上に言う。いわゆる「執提」とは、開門と生門とが相合しまた相衝することで、いずれも不利に属す。この格局の名を執提といい、それと相対する一格を「提格」と呼ぶ。歳計の中でこれに遇えば、大事を興挙すべからず。いわゆる開・生の二門が相合相衝するとは、仮に開門がまさに直事に当たれば、さらに開門と相衝すべからず、生門がまさに直事に当たれば、さらに生門と相衝すべからずと言うので、これに触れれば大凶である。伍子胥は言う。開・休・生の三つの吉門はみな太乙と相衝すべからず、と。

李淳風雲:客、主兩將或一將而共太乙,挾客、主目或大、小將於正宮者,為提挾。若客、主二目臨間神,客、主二將拱太乙,挾二目於間神,謂之挾閉。主人雖見提挾而在內,猶可戰。自一至四為內宮。若囚死在陽絕氣者,雖在外,亦凶。

李淳風は言う。客・主両方の将、あるいはその中の一将が太乙と同じく処り、客目・主目あるいは大小将を正宮の内に挟持することを、「提挟」と呼ぶ。もし客・主の二目が四維の間神の位に臨み、客・主の二従が両旁より太乙を拱夹して、二目を間神の上に挟めば、「挟閉」と呼ぶ。主方はたとえ提挟を被っても、身が内宮に処すれば、なお一戦をなし得る――第一宮より第四宮までを内宮と算する。ただしもし同時に囚死あるいは陽気断絶の地に落ちれば、たとえ身は外宮にあっても、同じく凶を主る。

客雖提挾而在外,猶可戰。自九至六為外宮。若在囚死及陽絕之地者,雖在內,亦凶。歲計通提挾,凶。客、主有內、外迫者,不利先起。張良云:客目大將、參將挾主目,客勝;挾太乙,先勝後敗。主計目囚迫太乙,客勝。

客方はたとえ提挟を被っても、身が外宮に処すれば、またもって一戦をなし得る――第九宮より第六宮までを外宮と算する。ただしもし囚死および陽絶の地に落ちれば、たとえ身は内宮にあっても、同じく凶を主る。歳計の中でもし通局みな提挟を成せば、凶を主る。客・主両辺におよそ内迫あるいは外迫のある者は、みな先んじて発動するを宜しとしない。張良は言う。客目が大将・参将を連ねて主目を挟める者は、客方が勝利を取る。もし挟めたのが太乙ならば、先ず勝ちて後に敗る。主方の計目が反って太乙を囚迫する者は、なお客方が勝利を取る、と。

太乙三門五将立成勝敗鈐(省略)

主客相関の法を推す

古者言太乙主客相關者,以林虎、淵蛟而為喻。蓋取勢不兩立、物無雙存之義。大抵與敵相遇,事不得已,當看客關得主人,則客勝;主人關得客,則主勝。皆用日計納音以決之。所謂關者,取五行相制之道也。

古人が太乙の主客のあいだの「関」を講ずるに、よく山林の虎と深淵の蛟をもって喩えとし、取るところは両強が並び立つ能わず、二物が共存し得ない意である。おおよそ敵人に遇って勢い已むを得ず交鋒するときは、客方が主方を関したか、それとも主方が客方を関したかを見る。客が主を関せば、客方が勝利を取り、主が客を関せば、主方が勝利を取る。判断するには一律に日計の納音五行を取って決断する。いわゆる「関」とは、まさに五行が彼此制伏する道理を用いるのである。

假令高叢為地目,木神也;太簇為天目,金神也。金制木,此為客關得主人,客勝也。假令陰主為地目,土神也;地主為天目,水神也。土能制水,此謂主人關得客,主人勝也。

例を挙げて言う。仮に「高叢」(卯)を地目とし、木神に属し、「太簇」(酉)を天目とし、金神に属すとする。金は木を制し得、天目が地目を克すれば、これは客方が主方を関したので、客方が勝利を取る。さらに仮に「陰主」(戌)を地目とし、土神に属し、「地主」(子)を天目とし、水神に属すとする。土は水を制し得、地目が反って天目を克すれば、これは主方が客方を関したので、主方が勝利を取る。およそ戦陣を占うに、皆このように両目の五行生克をもって帰属を定める。

主客を推す

《經》曰:主、客者,先後之理、動靜之義也。古法曰:陳兵原野,先動者為客,後應者為主。若安居之勢,先動者為主,後應者為客。若得三門具,五將發,陰陽和,稱兵所向必克,先勝後負。若三門不具,五將不發,陰陽不和,則不利舉兵,宜固守,吉。

『経』の上に言う。いわゆる主と客とは、先後の道理・動静の分別を講ずる。古法は講ず。両軍が原野に陣を列ぶるに、先に発動する方を客とし、後に回応する方を主とす。もし各々安居の勢ならば、先に発動する方を反って主とし、後に回応する方を反って客とす。もし開・休・生の三吉門が斉備し、五将が発動し、陰陽が調和すれば、兵を挙げて向かうところ必ず勝ちを得るが、ただ先に勝ちて後に負けるを防ぐべし。もし三門が斉わず、五将が発せず、陰陽が和せざれば、兵を挙げるに利あらず。堅守して出ずべきで、堅守すれば吉である。

欲知主、客出入之者,東以陰德,南以和德,西以大顯,北以大武,為始發之神,以定主、客所起歸之神也。客欲知主,視其算所知也;主人慾知客,亦視其算所知也。

主客双方の出兵入境の方向を知らんと欲せば、四維の神をもって起発の位とする。東方は「陰徳」を取り、南方は「和徳」を取り、西方は「大顕」を取り、北方は「大武」を取り、これらをもって発動の神とし、これに拠って主客双方がいずこより起兵し、またいず方に帰するかを判定する。客方が主方の虚実を推知せんと欲せば、ただ主方の得た算数を見るのみ。主方が客方の虚実を推知せんと欲すれば、またただ客方の得た算数を見るのみ。

《經》曰:行師必出奇門,賂地並用其二。古法:人君須出其賂地,及安置諸軍者,算十二、二十二、三十二,五將發三門具,乃可出兵賂地,擇便處以出軍。故曰:賂地井用二奇門者,為出開、休、生三吉門也。

『経』の上に言う。行軍は必ず奇門より出発し、有利の地を選取し、しかもその中の二門を兼用せねばならない。古法は講ず。人君が出兵の地界と各軍を安置する処所を選定するには、算数が十二・二十二・三十二の類を得、同時に五将が発動し、三吉門が斉備することを須い、はじめて出兵して地を占め、さらに便利の地形を挑選して兵を発することができる。ゆえに「地を擇び二奇門を并用す」と言う。指すところは開門・休門・生門の三吉門の中より出兵するである。

算得一,出軍宜西北,戰利東南,背深澗隱匿之地,用方陣,舉白旗;算得二,出軍宜正南,戰利向正北,邪道向西南,背山邑火光耀耀焦之地,用宜陣,舉育旗;算得四,出軍宜正東,戰利向正西,背林木窮邁曲堤之地,用銳陣,舉赤旗;

算数が落ちる宫位が異なれば、出兵の方向・陣形と旗色もまた異なる。算が一を得れば、西北より出兵するに宜しく、交戦は東南方に利あり、深磵の隠蔽の地を背にして、方陣を擺し、白旗を挙ぐ。算が二を得れば、正南より出兵するに宜しく、交戦は正北に向かうに利あり、斜路は西南を取り、山邑と火光焦灼の地を背にして、円陣を擺し、青旗を挙ぐ。算が四を得れば、正東より出兵するに宜しく、交戦は正西に向かうに利あり、林木曲堤険阻の地を背にして、鋭陣を擺し、赤旗を挙ぐ。

算得五,出軍宜正北,戰利向正甫,背積土,負城邑、山林之地,用曲陣,舉黑旗。不然,探溝高壘固守,吉;算得六,出軍宜正酉,戰利向正東,背水澤,塹於丘纓之地,用方陣,舉白旗;算得九,出軍宜東南,戰利向西北,背高山、丘陵、積土之地,用銳陣,舉赤旗。今則太乙兵起鄉,陣隨於地,觀方制變,皆算稱神,此用兵之神道也。

算が五を得れば、正北より出兵するに宜しく、交戦は正南に向かうに利あり、積土を背にし、城邑と山林の地に依託して、曲陣を擺し、黒旗を挙ぐ。さもなくば深く溝塹を掘り・高く壁壘を築いて固守すれば、また吉。算が六を得れば、正西より出兵するに宜しく、交戦は正東に向かうに利あり、水沢を背にし、丘陵溝塹の地に憑険して、方陣を擺し、白旗を挙ぐ。算が九を得れば、東南より出兵するに宜しく、交戦は西北に向かうに利あり、高山・丘陵と積土の地を背にして、鋭陣を擺し、赤旗を挙ぐ。要するに太乙の指す起兵の郷に按じ、陣形を地勢に随わせて変え、方位を観察して変化を制定し、全て算数を憑に断を取る。これがすなわち用兵の神妙の道である。

《經》曰:置陣者,曲陣為水,銳陣為火,直陣為木,方陣為金,圓陣為土,皆取主、客置陣;次以五行相剋而取勝負。不知置陣之法,皆取地形而且之。若地形後高前下,則為銳陣,利以進戰,以潰其敵也;前高後下,不便進退,利以近斗,宜為直陣以守之,以疲敵力;

『経』の上に言う。布陣には五種の形制があり、各々五行に配す――曲陣は水に属し、鋭陣は火に属し、直陣は木に属し、方陣は金に属し、円陣は土に属す。主客双方は各々得た数に依って布陣し、ついで五行相克に按じて勝負を判断する。もし布陣の法度を明らかにせざれば、一概に地形に依って定める。地勢が後高前低の者は、鋭陣を擺するに宜しく、前に向かって進攻するに利あり、敵軍を衝潰することができる。地勢が前高後低の者は、進退ともに不便で、ただ近身の搏闘に利あり、直陣を擺して堅守し、敵の気力を消耗するのに用いるべきである。

若地汙邪、不便於戰者,宜為圓陣,利以堅守;若地高而乎,宣為方陣,利以四向以通敵也,若左右勢高,則宜為曲胯以吞敵。若死順其向,則吉;若地反箕拘,則凶。今則太乙兵起之鄉,陣隨其地,雙方置變,運變稱神,此用兵之法也。

地形が低窪傾斜で交戦に不便な者は、円陣を擺するに宜しく、堅守に利あり。地勢がまた高く平らな者は、方陣を擺するに宜しく、四面より出撃し敵と相通ずるに利あり。左右両側の地勢が高く起こる者は、曲陣を擺するに宜しく、合囲して敵軍を呑併することができる。およそ陣勢が地形の走向に順応すれば吉、もし地形が簸箕のごとく反張して拘束展びがたければ凶。帰するところ、太乙の指す起兵の郷に按じ、陣形を地勢に随わせて変化させ、主客双方が各々布置して変に応じ、変化を運用して神助のごとくあれば、これがすなわち用兵の法度である。

地に随い変を制すを推す

曰:善兵臨戰合用之急者有三:一曰士卒膿習;二曰隨其地形;三曰善用兵器。五丈之溝、居塹之水、山林積石、川澤丘阜、草木所臨,此步兵之地也,車騎三不當一;土水平陵,曼衍相屑,平原廣野,此車騎之地也、步兵十不當一;兩陣相近,平地線革可前可後,此長城之地,劍盾三不當一;

兵を善く用いる人が陣に臨んで最も緊要なのは三条ある。一は士卒の訓練が娴熟なること、二は地形に順応し得ること、三は兵器を善く使用すること。五丈の広さの深溝・塹壕に水を積む処・山林の乱石・川沢丘陵・草木叢生の地、これらは歩兵に適する地形で、車騎はここで三をもって一に敵しても歩兵に敵わない。高低が相接する平緩の丘陵・連綿開闊の平原曠野、これらは車騎に適する地形で、歩兵はここで十人をもって一騎に敵わない。両陣が相距ること近く、平地に進退可なる処、これは長兵器に適する地形で、剣を持ち盾を執る士卒は三人をもって一人に敵わない。

蓮葦竹蕭,草木蒙籠,枝葉接茂,此矛錘之地也,弓彎三不當一;乾陽相遠,山谷幽澗,仰高臨下,此弓彎之地也,短兵百不當一;士不選練,卒不服習,起居不櫻,動饞不漿,避難不及,射擊後解,與金鼓之指相失,此多勤卒之過也,百不當一。兵不完利,與空手同;中不能入,與無骸同,此將不習兵之過也,十不當一。

荷葦竹叢のあいだ・草木の遮蔽・枝葉の交錯茂密なる処、これは長矛短錘に適する地形で、弓弩手は三人をもって一人に敵わない。両辺が相隔ること遥か・山谷幽深・居高臨下の処、これは弓弩に適する地形で、短兵器の士卒は百人をもって一人に敵わない。士卒が選択訓練を加えられず、起居に節制なく、行動に給養を欠き、険に遇えば避けるに及ばず、射撃は遅緩脱節し、金鼓号令の指揮と彼此错失するは、士卒疲敝の過ちで、百人をもって一人に敵わない。兵器が完好鋒利でなければ、手を空しくするに同じ。射中しても穿ち入らなければ、兵器なきに同じ。これは将領が軍務に熟習せざるの過ちで、十人をもって一人に敵わない。

兵法曰:器械不利,以其卒與敵也;卒不可用,以其將與敵也;將不知兵,以其主與敵也;君不擇將,以其國與敵也。此四者,兵之要也。是以太乙用兵之道,克敵於未來,制勝於未兆,臨敵觀變,在於將也。故曰:出兵當從奇門,臨敵隨形制變,此之要也。

兵書の上に言う。器械が鋒利ならざれば、己の士卒を敵に与えるに等しい。士卒が任用に堪えざれば、己の将領を敵に与えるに等しい。将領が軍事を解せざれば、己の君主を敵に与えるに等しい。君主が将を選ぶを会せざれば、全の国家を敵に与えるに等しい。この四条はまさに用兵の関鍵である。ゆえに太乙用兵の道は、敵情の未だ発せざるに先立ってこれを克し、徴兆の未だ現れざるの時に勝算を取得することを講究する。陣に臨んで変化を観察し・機に随って応付するに至っては、それは全て将領自身に在り。ゆえに言う。出兵は奇門に依従すべく、敵に臨んでは地形に随って変化を制定す――これがすなわち全篇の要旨である。

太乙天外・地内の法を推す

古法曰:太乙在八、三、四官者,為地內宮,助主人;太乙在九、二、七、六宮者,為天外宮,助於客。若助主人之時,原野不利先起;若助客時,安居不利先起。《經》曰:欲為客,待大乙在天外之時;欲為主,候太乙在地內之時。又須得門具將發,則決勝也。

古法は講ず。太乙が第八・第三・第四宮に落ちれば「地内宮」に属し、主方を助益し、太乙が第九・第二・第七・第六宮に落ちれば「天外宮」に属し、客方を助益す。太乙が主方を助ける時は、原野に陣対して先んじて発動するを宜しとせず。太乙が客方を助ける時は、安居自守の方もまた先んじて発動するを宜しとせず。『経』の上に言う。客となりて先に発せんと欲せば、太乙が天外の宮に行るの時を待て。主となりて後に応ぜんと欲せば、太乙が地内の宮に行るの時を待て、と。このほかなお三吉門の斉備・五将の発動を須いて、はじめて勝算を決出できる。

奇伏の法を推す

《經》曰:能識奇伏,變禍為福,為釋五兵之義也。奇兵之法,若有百人,以三十人為奇兵;若有千人,以三百人為奇兵;若有萬人,以三千人為奇兵。隨地伏形,不可常也。古者,伏兵必敗大煞之地,望敵鼓譟而發。大煞之地,天目所臨之下也,得十二、二十二、三十二之時伏兵。

『経』の上に言う。奇兵と伏兵の用を識ること能わば、すなわち禍を転じて福と為すことができる。これはまさに五種の兵器を如何に運用するかを解釈する要義である。奇兵を設ける比例は、全軍が百人ならば、三十人を分けて奇兵とし、全軍が千人ならば、三百人を分けて奇兵とし、全軍が万人ならば、三千人を分けて奇兵とする。伏藏の形は地勢に随って定まり、固定の模式はない。古人が伏を設くるに、必ず「大煞」の地を選び、敵人を望見すれば鼓噪して出る。いわゆる大煞の地とは、天目の臨む宮の下方である。算数が十二・二十二・三十二を得る時は、まさに埋伏に宜しき時機である。

《經》曰;伏藏隱跡,必居其一算,十一、二十—、三十一之時,藏於山林溝澗之中,人不能見也。《經》曰:伏兵必用俺迫之時也。故伏兵待敵來掩襲者,必取掩迫太乙,軍可發。若賊急,則伏兵於要害也。

『経』の上に言う。形を蔵し跡を匿さんとすれば、必ず一を帯びた算数を占住せねばならない。すなわち算が十一・二十一・三十一を得る時に、兵を山林溝磵の中に蔵せば、敵人は便ち見えない。『経』はまた言う。伏を設くるには必ず「掩」「迫」の時機を用いよ、と。ゆえに埋伏して敵の来り掩襲するを待つ者は、必ず太乙を掩迫する時を取らねばならない。その時伏兵ははじめて出動し得る。もし敵情が緊急で時を擇ぶに及ばざれば、伏兵を直接要害の処に布置せよ。

太乙風雲飛鳥助戦の法を推す

《經》曰:助戰之法,常須觀風雲之勢,察飛烏之情。若太乙所在宮有風雲、飛鳥等來沖格、迫擊太乙者,大敗之兆。若追擊大將宮者,主敗。若從它日上去擊客,客敗。若從骼目上擊主,主敗。若從主人形上來,客敗。

『経』の上に言う。助戦の法は、須らく時常風雲の形勢を観察し、飛鳥の動静を審視せよ。もし太乙の居る宮に風雲・飛鳥が来りて太乙を衝格あるいは迫撃すれば、これは大敗の徴兆である。もし風雲飛鳥が大将の居る宮を追撃すれば、主方敗れる。もし他方の目の上より前去して客方を衝撃すれば、客方敗れる。もし客目の上より主方を衝撃すれば、主方敗れる。もし主方の形位の上より衝来すれば、則ち客方敗れる。占う者はまず風雲飛鳥が何方より起こり何方へ向かうかを分かち清めてから、誰勝誰負を定めるべきである。

若有風雲、飛鳥從太歲、大陰、月建上來擊主人,主人敗;擊客,客敗。若有風雲、飛鳥扶主人陣者,主人勝;扶客陣者,客勝。若其日有迴風起伏、飛烏旋轉,於陣中旗折,大敗之兆,若眾來噪陣者,及有風雲沖突主人陣,主人敗;沖突客陣,客敗也。

もし風雲・飛鳥が太歳・太陰・月建の方位の上より衝来して主方に撃向すれば、主方敗れ、客方に撃向すれば、客方敗れる。もし風雲・飛鳥が勢に順って主方の軍陣を扶助すれば、主方勝ち、客方の軍陣を扶助すれば、客方勝つ。もし当日旋風が忽ち起こり忽ち伏し、飛鳥が盤旋回転し、しかも陣中の旗杆が折断すれば、これは大敗の徴兆である。もし敵衆が鼓噪して我が陣に撲し、同時にまた風雲が直ちに主方の陣地を衝けば、主方敗れ、直ちに客方の陣地を衝けば、客方敗れる。

陣上の風雲気を推して勝負を定む

臣按:前篇但雲氣在敵上擊我,我敗者,大義如此。中不無至妙令世之言。

臣王希明按す。前の一篇はただ雲気が敵軍の上方に在りて我が軍を衝撃すれば我が軍すなわち敗ると説くのみで、大体の道理は確かにそのごとしだが、その中にはなお更に精微・当世に垂示するに足る講法が言い尽くされずにあるので、別にこの篇を立て、敵軍の処する方位に按じて分かれて雲気の顔色と勝負を論ずる。

假令敵在北方,若有黑氣,氣在敵陣上,敵大勝;若壬癸日,彌佳。若白雲氣在敵陣上,敵欲罷陣求和。若青雲氣在敵陣上,將寬緩,急擊則平。若紅雲氣在敵陣上,客勝。若黃雲氣在敵陣上,大敗;壬癸彌惡也。

仮に敵軍が北方に在りとす(北方は水に属し、その色は黒)。もし黒気が敵陣の上に籠罩すれば、これは本方の気がその正を得たもので、敵軍は大勝す。壬日・癸日に逢えばさらに得力である。もし白雲の気が敵陣の上にあれば、金が水を生じて気が泄れ、敵軍が兵を収め和を求めんとすることを主る。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、水が木を生じて気が外泄し、敵将の行動が遅緩で、我が方が急攻すれば平手に打てる。もし紅雲の気が敵陣の上にあれば、火が来て克を受け、客方の勝利を主る。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、土が来て水を克し、敵軍は大敗す。壬癸の日に逢えば敵に対してさらに不利である。

假令敵在南方,若有赤雲氣在敵陣上,大勝;丙丁日彌佳。若青雲氣在敵陣上,欲罷陣求解。若黃雲氣在敵陣上,敵將遲鈍,急擊則平。若白雲氣在敵陣上,失利。若黑雲氣在敵陣上,敵大敗;丙丁日彌惡。

仮に敵軍が南方に在りとす(南方は火に属し、その色は赤)。もし赤雲の気が敵陣の上にあれば、本方の気と相合し、敵軍は大勝す。丙日・丁日に逢えばさらに得力である。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、木が来て火を生じて力が分かれ、敵軍が兵を罷め和を求めんとすることを主る。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、火気が土に外泄し、敵将は遅鈍で、我が方が急攻すれば打平できる。もし白雲の気が敵陣の上にあれば、金が来て克を受け、敵方の失利を主る。もし黒雲の気が敵陣の上にあれば、水が来て火を克し、敵軍は大敗す。丙丁の日に逢えば敵に対してさらに不利である。

假令敵在西方,有白雲氣在敵陣上,庚辛日彌佳。若得黃雲氣在敵陣上,欲求解。若黑雲氣在敵陣上,將寬緩,急擊平。若青雲氣在敵陣上,敵敗。若赤雲氣在敵陣上,放大敗;庚辛日彌惡。

仮に敵軍が西方に在りとす(西方は金に属し、その色は白)。もし白雲の気が敵陣の上にあれば、まさに本方の気と合し、庚日・辛日に逢えばさらに得力である。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、土が金を生じて気が緩み、敵方が和解を求めんとすることを主る。もし黒雲の気が敵陣の上にあれば、金気が水に外泄し、敵将の行動が遅緩で、我が方が急攻すれば打平できる。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、木が来て克を受け、敵軍の敗を主る。もし赤雲の気が敵陣の上にあれば、火が来て金を克し、敵軍は大敗す。庚辛の日に逢えば敵に対してさらに不利である。

假令敵在東方,若青雲氣在敵陣上,大勝;甲乙日彌佳。若黑雲氣在敵陣上,欲求和。若赤雲氣在敵陣上,敵將遲鈍,然不可擊。若黃雲氣在敵陣上,大敗;甲乙日彌惡。

仮に敵軍が東方に在りとす(東方は木に属し、その色は青)。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、まさに本方の気と合し、敵軍は大勝す。甲日・乙日に逢えばさらに得力である。もし黒雲の気が敵陣の上にあれば、水が来て木を生じて力が分かれ、敵方が和を求めんとすることを主る。もし赤雲の気が敵陣の上にあれば、木気が火に外泄し、敵将は遅鈍なれども、我が方はかえって贸然として進撃すべからず。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、木が土を克して反ってその累を受け、大敗を主る。甲乙の日に逢えば敵に対してさらに不利である。四方の気はみな本色をもって旺とし、克せらるる色をもって敗とし、其余は五行生克に依って類推する。

此諸雲氣在敵陣上既然。若在我陣上亦爾。諸勝氣動利,大勝。雖得勝雲氣,若斷續不次,或南北潰亂,亦敗。若得敗雲氣堅實,動大利。則雖得敗氣,若斷續潰亂,不至全惡。

以上の各種の雲気が敵陣の上に現るるはこのように断ずる。我が方の陣上に現るるも同じ道理に照らして断ずる。およそ得勝の気に属してしかも流動力あるは、大勝を主る。ただし縦令勝気を得ても、もし雲気が断続し参差して次第を成さず、あるいは南北に飄散潰乱すれば、なお敗るべし。これに反して、もし得るは敗気なれども、形質が堅実にして流動力あれば、なお大いに利あり。すなわちたとえ敗気に遇うとも、それが断続潰散すれば、全然凶悪には至らない。

若對陣之時,若勝雲氣在大將上,大勝;參將上,參將勝。若敗雲氣,反此。則前諸格、迫或太乙雲氣皆須約其方面,審候雲氣勝負,以定吉凶。若都無雲氣多少方分,無戰或復相勻也。

両軍の陣対する時、もし得勝の気が大将の位の上に籠罩すれば、大勝を主り、参将の位の上に籠罩すれば、則ち参将の一路が勝利を取る。もし敗気ならば、断法はちょうどその反対である。前に講じた各種の格・迫および太乙の主る雲気は、みなまずその所在の方位を約定し、さらに仔細に雲気の勝敗の状を伺察して、これに拠って吉凶を判定せねばならない。もし上空に全く雲気なく、多少と方位をも分かたざれば、それはあるいは交戦せざるか、あるいは両軍が勢均力敵して互いに勝負ありであろう。

太乙金鏡式経巻四

積年の法を推す

自上元甲寅之歲至大唐開元十二年甲於歲積,很二十八萬五千一十一算。臣今恐速要自漢安帝元初甲寅為近至開元十二年甲子歲,積得六百十一算。

上元甲寅の年より大唐開元十二年甲子歳まで推して、累積して二十八万五千十一算を得る。臣は上元が今に距ることあまりに遠く、推算が不便であるを慮り、別に漢の安帝元初甲寅の年を取って近元と為す。この年より開元十二年甲子歳まで推して、累積して六百十一算を得る。以下の諸神の行度は、みなこの近元より起算することができ、用るに簡便なことはるかに勝る。

君基太乙の法を推す

《經》曰:君基所臨之地,至宜服其地,或幸其方,以應兆也。置上元以來,以大周三百六十去之;不盡,為入周以來年數。置入周以來年數,以三十除之,為邦數;不滿,為入邦以來年數。其邦數命起戍邦、順行十二邦算外,得君基所在也。

『経』の上に言う。君基太乙の臨む地方は、君主が最も親臨巡幸するに宜しく、あるいはその方位に駕幸して、天降の吉兆に応合するのに用いる。推法は、上元以来の積年を列し、大周法三百六十をもって整周を除き、除ききれぬ余数がすなわち本周に入って以来の年数である。さらに入周年数を取り、三十をもって除し、得た商がすなわち「邦数」(君基は三十年に一邦を迁移)で、三十に満たぬ端数がすなわち本邦に入って以来の年数である。邦数を得たのち、戌邦より起首し、十二邦を順行し、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち君基太乙の居る邦である。

臣基太乙の法を推す

《經》曰:臣基所臨之分,宜進獻以供聖人也。置上元積年以來,以大周法三百六十去之;不盡,為入周以來年數。置入周以來年,以小周法三十六除之;不盡,為入周以來年數。又以三約之,為邦數;不滿,為入邦以來年數。命起戌邦、順行十二邦算外,即臣基所在也。

『経』の上に言う。臣基太乙の臨む分野は、そこの臣民は貢物を進献して聖人を供奉すべきである。推法は、上元以来の積年を列し、大周法三百六十をもって整周を除き、余数がすなわち本周に入って以来の年数である。さらに入周年数を取り、小周法三十六をもって除し、余数はなお入周年数と為す。ついで三をもって約し、得た商がすなわち邦数(臣基は三年に一邦を迁移)で、三に満たぬ端数がすなわち本邦に入って以来の年数である。同じく戌邦より起首し、十二邦を順行し、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち臣基太乙の居る邦である。

民基太乙の法を推す

置上元積年,以大周法三百六十去之;不盡,為入周以來年數,又以小周十二去之;不盡,為入小周以來年數。置小周以來年,命起戌邦、順行十二邦算外,即民基太乙所在也。

民基太乙を推す。上元以来の積年を列し、大周法三百六十をもって整周を除き、余数がすなわち本周に入って以来の年数。さらに小周十二をもって除し、余数がすなわち小周に入って以来の年数である。この入小周の年数を取り、戌邦より起首し、十二邦を順行し、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち民基太乙の居る邦である。民基は一年に一邦を迁移し、十二年で周行一遍し、君基・臣基に比べて行度が皆速い。君基・臣基・民基の三者を合わせて「三基」と称し、君・臣・民の三方面の休咎を分主する。

五福太乙の法を推す

《經》曰:五福太乙所臨之分,無兵革、疾疫、饑荒、水早之災。行宮有五、四、十五年移一宮,二百二十五年一周。

『経』の上に言う。五福太乙の臨む分野には、兵革・瘟疫・饑饉と水旱の災いがなく、天下最も安寧の一方である。それが行る宮はあわせて五つで、四十五年ごとに一宮を迁移し、二百二十五年でちょうど周行一遍する(五宮各々四十五年、五に四十五を乗ずればすなわち二百二十五)。

其一曰黃秘宮,在西河之乾地,西北方也;其二曰黃始官,在遼東之艮地,東方也;其三曰黃室宮,在東吳之巽地,東南方也;其四曰黃庭宮,在西蜀之坤地,西南方也;其五曰玄師宮,在京都洛陽之地,中原也。

五福の行る五宮は各々名号と分野がある。第一を「黄秘宮」といい、西河一帯の乾位にあり、すなわち西北方。第二を「黄始宮」といい、遼東一帯の艮位にあり、すなわち東北方(底本は「東方」と作る)。第三を「黄室宮」といい、東呉一帯の巽位にあり、すなわち東南方。第四を「黄庭宮」といい、西蜀一帯の坤位にあり、すなわち西南方。第五を「玄師宮」といい、京都洛陽の所在の地にあり、すなわち中原の中宮である。五福は乾・艮・巽・坤・中宮の次序に依って輪転する。

置上元積年以來至開元十二年甲子歲積,得一萬三干三百三十一歲。若上考往古,每年減一;下檢將來,每年加一。置積年,以大周法二百二十五去之;不盡,為入周以來年數。又以四、五約之,為宮之口;不滿,為入官以來年數。命起乾、艮、巽、坤、中宮算外,即五福所在也。今開元十二年甲子,在遼東十一年也。

上元以来から開元十二年甲子歳までの積年を列し、あわせて一万三千三百三十一年を得る。もし上に往古を考えば、前へ一年ごとに一算を減じ、下に未来を検せば、後へ一年ごとに一算を加える。推法は、積年を取り、大周法二百二十五をもって整周を除き、余数がすなわち本周に入って以来の年数。さらに四十五をもって約し(底本は「四、五」と作る。中に脱字あり、補うは敢えてせず)、得た商がすなわち宮数で、満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。乾宮より起首し、乾・艮・巽・坤・中宮の次序に依って数え去り、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち五福太乙の居る宮である。当今開元十二年甲子をもってこれを推せば、五福はまさに遼東の黄始宮に在り、すでにこの宮に入って第十一年である。

游太乙人紀年および天目の法を推す

紀法七百二十(以六紀通用,得紀法也);元法四千三百二十(是六紀法,亦名元紀也)。乘行率一百二十;太乙小周二百八十八(以八乘三十六,得行率)。太乙行宮三十六(以三乘十二也);天目周率二百一十六(以十二乘十八);天目行率十八。

大游・小游太乙を推するに需む常数は次のごとし。紀法七百二十、これは六紀を合わせて通用して得る。元法四千三百二十、六つの紀法を相乗して来るもので、また元紀とも呼ぶ。乗行率百二十。太乙小周二百八十八、これは八宮に三十六年を乗じて出た行率。太乙行宮三十六年、これは三に十二を乗じて出る。天目周率二百一十六、これは十二に十八を乗じて出る。天目行率はすなわち十八である。この幾つの数は本篇一切の推歩の根本で、須らく先に記熟せよ。

自上元甲寅歲,太乙在七官,天道為天目,子為計神(三十六年一移宮)。命起七宮,順行八宮,不遊中五,為大遊所在也。自上元甲寅歲距今開元十二年甲子,積一萬三干三百三十一年。上元年以來,以元法除之,得無數也;不盡,為入元年也。以紀除之,得紀數;不盡,為人紀年也。

上元甲寅の年より、太乙は第七宮に在り、「天道」(未位の神)をもって天目とし、子を計神とする。大游太乙は三十六年に一宮を迁移す。推算するに第七宮より起首し、八宮を順行し、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、得たものがすなわち大游太乙の所在である。上元甲寅より当今開元十二年甲子まで、累積して一万三千三百三十一年。上元以来の積年を取り、元法四千三百二十をもって除し、商がすなわち元数で、除ききれぬ余数がすなわち本元に入って以来の年数。さらに紀法七百二十をもって除し、商がすなわち紀数で、除ききれぬ余数がすなわち本紀に入って以来の年数である。

今從晉穆帝水和十年甲寅為上元,至今開元十二甲子,計三百七十一年也。不足,以紀法除之,十一年。

今、別に晋の穆帝永和十年甲寅を取って近上元と為し、この年より当今開元十二年甲子まで推して、あわせて三百七十一年。この数は一つの紀法七百二十に足らず、紀法をもって除しても一周に満たず、ただ十一年を余出するのみで、すなわち本紀に入って以来第十一年である。近元を取って起算すれば、遠上元より推し起こすに比べて簡便なことはるかに勝る。

大游太乙の所在を推す(天目、大煞時)

《經》曰:大游太乙者,巡考八宮,與小遊同宮。一考三十六年,十二年治天,十二年治地,十二年治人,考較人君善惡。二百八十八年一周,而行其伐。太乙在陽宮,遼東不見兵;太乙在陰官,蜀漢可以全身。八、三、四、九為陽宮,二、十、七、六、一為陰宮。

『経』の上に言う。大游太乙は八宮を巡行考察し、小游太乙と同じ一宮に居る。一宮ごとに三十六年を考察し、そのうち十二年は天を治め、十二年は地を治め、十二年は人を治め、もって人君の善悪を考較する。二百八十八年で周行一遍し、随いて誅伐を施行す。大游太乙が陽宮に居る時は、遼東一帯に兵禍見えず、陰宮に居る時は、蜀漢一帯は保全し得る。八・三・四・九の四宮は陽宮に属し、二・七・六・一の諸宮は陰宮に属す(底本は陰宮の中に一つ「十」の字を多く出す)。

置上元甲寅所求積年,以無法四千三百二十去之;不盡,為元以來年數。以大遊小周法二百八十八去之,得周數,不盡,以三十六除之,為宮數;不盡,為入宮以來年數。其宮數命起七宮,順行八宮,不遊中五,算外,即大游太乙所在宮。

大游太乙の所在を推す。上元甲寅より求める年までの積年を列し、元法四千三百二十をもって整元を除き、余数がすなわち本元に入って以来の年数。さらに大游小周法二百八十八をもって除し、商を周数とし、余数を三十六をもって除し、商がすなわち宮数で、除ききれぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。宮数を得たのち、第七宮より起首し、八宮を順行し、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち大游太乙の居る宮である。

大游天目の所在を推す法

置上元以來積年,以天目元法七十二去之,不盡,以天目周法十八去之。命起天道,順行十六神,遇大武陰德,重留一算,外即天目所在也。

大游の天目の所在を推す。上元以来の積年を列し、天目元法七十二をもって整元を除き、余数をさらに天目周法十八で除する。余った数を「天道」(未位の神)より起首し、十六神の次序に沿って数え下り、「大武」「陰徳」の二位の維神に遇うときは重复して一算に停まり、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得た神位がすなわち大游の天目の所在である。大游天目は天道より起こり、歳計天目が武徳より起こると同じからず。分かれて記し清めるを須う。

小游太乙積年の法を推す(四神・天乙・地乙・直符と同用)

置演紀上元甲子歲至大唐開元十二年甲於歲積,得三千三百六十一算。

演紀上元甲子の年より大唐開元十二年甲子歳までの積年を列し、あわせて三千三百六十一算を得る。この積数はただ小游太乙に用いるのみならず、四神・天乙・地乙・直符の諸神の推歩もまた一並びに取用するので、本篇は「四神・天乙・地乙・直符と同用」と標明する。

置積,以小遊大周法二百四十去之;不盡,以小周二十四除之;不盡,以三約之,為宮數;不滿,入宮以來年數。命起一宮,順行八宮,不遊中五,算外,即得小游太乙所在及入宮以來年數也。小遊主事見在歲計中,自此不復載,天目亦然也。

小游太乙を推す。上の積算を取り、小游大周法二百四十をもって整周を除き、余数をさらに小周二十四で除し、なお余数があれば三をもって約し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。第一宮より起首し、八宮を順行し、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち小游太乙の居る宮および入宮して歴た年数を得る。小游の主る事はすでに前の歳計の一門に見え、ここでは重複して記載せず、その天目の推法もまた同じである。

四神太乙の法を推す

《經》曰:四神太乙者,水神也。紀綱有道之代則昌,無道之代則殃。若臨克賊之鄉,兼君無道,則兵革、水旱、饑荒也。

『経』の上に言う。四神太乙は水徳の神で、その職は綱紀を整飭するに在り。それが臨む時代に道あれば天下は昌盛し、道なければ天下は殃いを受ける。もしそれが自ら克傷する郷に臨み、かつ当時の君主がまた道なければ、兵革・水旱と饑饉が一斉に発生するであろう。

置上元甲子所求積年,以一百八十去之;不盡,以三十六除之,為紀數。不滿算外,為入紀來年數。其紀數命起第一紀算外,即得四神太乙所在及入紀以來年數也。入紀有五、三、十、六為一紀:第一甲子;第二庚子;第三丙子;第四壬子;第五戊子。

四神太乙を推す。上元甲子より求める年までの積年を列し、百八十をもって整周を除き、余数をさらに三十六で除し、商がすなわち紀数で、三十六に満たぬ端数を一位進めて取れば、すなわち本紀に入って以来の年数である。紀数を得たのち、第一紀より数え去り、数え満たして一位を進めて取れば、すなわち四神太乙の在る紀および入紀して歴た年数を得る。入る所の紀はあわせて五つで、毎紀三十六年である(底本のここの数字に訛あり)。第一紀甲子、第二紀庚子、第三紀丙子、第四紀壬子、第五紀戊子。

置人紀年,以三除之,為宮數;不滿,為入宮以來年數。命起一宮,順行盡九宮。又以絳宮明堂、玉堂接之,算外,即得四神太乙所在及入宮以來年數也。

さらに本紀に入って以来の年数を取り、三をもって除し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。第一宮より起首し、九宮を順行して遍歴す。九宮を数え終わったのち、さらに絳宮・明堂・玉堂の三処に接続して数え、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち四神太乙の在る宮および入宮して歴た年数を得る。四神は前の諸神と同じからず、それは九宮のほかにさらに三宮の入るべきものあるゆえ、行度が長い。

天乙太乙の法を推す

《經》曰:天以太乙者,金神也。取六宮金氣,主兵革。若累年兵革相接者,天乙臨之,即有勝負。為金能決斷,主兵喪也。

『経』の上に言う。天乙太乙は金徳の神で、第六宮の金気を取って立ち、兵革の事を主管する。もし年を連ねて戦事が相接するとき、ただ天乙のある方に臨めば、その一方は勝負を分出する。これは金性がよく断ずればこそ、それで兵戈喪乱の事を主るのである(底本の「天乙」は多く「天以」と訛作る)。

置入紀年與四神同,以三除之,為宮數;不滿算外,為入宮以來年數。命起六宮,順行盡九宮。又以三宮接之,算外,即得天以太乙所在及入官以來年數也。

天乙太乙を推す。用いる入紀年数は四神太乙と同じく、三をもって除し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数を一位進めて取れば、すなわち本宮に入って以来の年数である。第六宮より起首し、九宮を順行して遍歴す。九宮を数え終わったのち、さらに絳宮・明堂・玉堂の三宮に接続して数え、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち天乙太乙の在る宮および入宮して歴た年数を得る。それと四神との差はただ起宮の位に在るのみ。四神は一宮に起こり、天乙は六宮に起こる。

直符太乙の法を推す

《經》曰;直符大乙者,火神也。乃天帝之使者,天遺觀察理道於萬民。若臨無道之邦,即兵革、水旱、疾疫、飢謹、流亡也。

『経』の上に言う。直符太乙は火徳の神で、すなわち天帝の使者で、上天はそれを遣わして下りて治道の万民に施行せらるや否やを考察せしむ。もしそれが道なき邦に臨めば、そこに兵革・水旱・瘟疫・饑饉と百姓流亡が現れる。

置入紀年與四神、大一同,以三除之,為宮數;不滿,為入宮以來年數。命起五宮,順行盡九宮。又以三宮接之,算外,即直符太乙術所在及入宮以來年數也。

直符太乙を推す。用いる入紀年数は四神・天乙と同じく、三をもって除し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。第五宮より起首し、九宮を順行して遍歴す。九宮を数え終わったのち、さらに絳宮・明堂・玉堂の三宮に接続して数え、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち直符太乙の在る宮および入宮して歴た年数を得る。四神は一宮に起こり、天乙は六宮に起こり、直符は五宮に起こる。三者はただ起宮が同じからざるのみで、其余の行法は全く一致する。

四神三元五紀立成(略)

太乙金鏡式経巻五

太乙七術の序を推す

太乙術者,昔玄女傳授於黃帝,黃帝獲之,敗蚩尤於琢鹿,則前術也。其後范蠡習之,佐越王勾踐而平吳國,終成霸業,治平。嬴秦失道,炎漢將興,張良用輔沛公,西入關中;子嬰銜壁,東會該下,項羽摧鋒。若然,入則為師,出授將略,或攻或守,靡不喻茲。其法有心,故謂之七術焉。

太乙の術は、昔、九天玄女より黄帝に伝授され、黄帝はこれを得て、涿鹿で蚩尤を破った。これがこの術の最も早い一回の応用である。後に范蠡がこれを研習し、越王勾践を輔佐して呉国を平らげ、ついに覇業を成就し、天下大治した。嬴秦が道を失い炎漢が興らんとするの際、張良がまたこれをもって沛公劉邦を輔佐して西に入り関中を取らしめた。秦王の子嬰は玉璧を口に銜んで出降し、項羽は東の垓下で合囲されて鋒芒を尽く折られた。これより観るに、この術は朝に在れば帝王の師を充て、出ずれば将帥の方略を伝授でき、進攻でも防守でもそれより推明せざるはない。その法度は全て心をもって体会するに在り、共に七条に分かつ。ゆえに「七術」と名づく。

臨津問道の術・一を推す

臨津問道者,常以呂申加敵兵起年,當視大神之下,是破年;又以呂申加破年大神下,是破月;又以呂申加破月大神下,是破日;又以呂申下加破日大神下,是破時。

第一の術は「臨津問道」という。做法は、「呂申」(寅位の神)を敵人の起兵した年の地支の上に加え、大神が何位の下に落ちるかを見れば、その一位がすなわち敵軍の敗破の年である。さらに呂申を破年大神の臨む下に加えて推したものがすなわち破月、また呂申を破月大神の臨む下に加えて推したものがすなわち破日、さらに呂申を破日大神の臨む下に加えて推したものがすなわち破時である。層層相加えて、年・月・日・時の四重の敗期がみな推し出せる。

假令敵以甲子年起兵征,便以呂申加子,則大神臨卯,則敵當在丁卯年五月酉日子時破也。

例を挙げて言う。仮に敵人が甲子年に起兵出征したとすれば、呂申を子位の上に加え、大神は卯位に臨む。上の次序に照らして層層に推して下れば、敵軍は丁卯年五月の酉日子時に攻破さるべきと知れる。

獅子反擲の術・二を推す

獅子反擲者,常以呂申加敵起年,常視大神之下臨囚死休,合破,如在旺相間,則不破。

第二の術は「獅子反擲」という。做法は、呂申を敵人の起兵の年の上に加え、ただ大神の臨む処が何の気数に落ちるかを見る。もし囚・死・休の類の衰敗の気に臨めば、敵軍は敗破さるべし。もし旺気・相気のあいだに臨めば、敵軍は攻破し難い。この術は前の一術と同じく呂申を加臨するが、ただ逐層に月・日・時を推さず、単に大神の乗る気の盛衰を見るのみ。

假令敵以甲戍年起兵,便以呂申加戍,則大神臨丑。丑且屬《艮》,在東北,即知其敵當在辛卯年破也。

例を挙げて言う。仮に敵人が甲戌年に起兵したとすれば、呂申を戌位の上に加え、大神は丑位に臨む。丑位は艮卦に隷属し、方位は東北。これの一位より推し去れば、敵軍は辛卯年に攻破さるべきと知れる。

白雲巻空の術・三を推す

白雲卷空者,謂兩陣相敵則課大乙,悉宜主客。便以呂申加主大將宮,看大神囚死休廢者。若展旗、交鋒、功戰,大敗;若臨冠帶,士卒戰死,若臨帝王,不可觸犯。

第三の術は「白雲巻空」という。両陣の相対する時、まず太乙の課を起こし、主客双方の将位算数を皆排定してのち、呂申を主大将の居る宮の上に加え、大神が囚・死・休・廃の類の衰気の上に落ちるや否やを察看する。もしこの種の気数の下に旗を展げ交鋒し・攻戦を発起せば、必ず大敗を遭う。もし大神が冠帯の位に臨めば、士卒は沙場に戦死す。もし帝王の位に臨めば、それは万万触犯すべからざるものである。

假令兩軍相見太乙上元第一紀第二局,太乙在一宮,武德為天目,主算七,大將七,參將一,寅為計神。始擊將臨大武,客算十三,大將三,參將九。

例を挙げて言う。仮に両軍の相遇する日に太乙上元第一紀第二局を排し得たとすれば、太乙は第一宮に在り、「武徳」をもって天目とし、主算は七を得、主大将は第七宮に在り、主参将は第一宮に在り、寅を計神とし、始撃将は「大武」に臨み、客算は十三を得、客大将は第三宮に在り、客参将は第九宮に在る。主客の算数と将位はすでに排定せられたれば、すなわち下の弁法に按じて加臨し断を取ることができる。

先以呂申加主大將七宮,則大神臨一宮金神,火克金。《經》曰:我克者囚,此名主大將乘囚氣,則主大敗。次以呂申加客大將於三宮,則大神臨九宮木神。《經》曰:生我者為相,此名大神乘相氣,則大勝也。

まず呂申を主大将の居る第七宮の上に加えれば、大神は第一宮に臨み、第一宮は金神に属す。しかるに呂申の主る火は金を克す。『経』に「我が克つ所を囚と謂う」と言う。これを主大将の囚気に乗ずと謂い、主方は必ず大敗を遭う。さらに呂申を客大将の居る第三宮の上に加えれば、大神は第九宮に臨み、第九宮は木神に属す。『経』に「我を生ずる者を相と謂う」と言い、木は火を生ず。このを大神の相気に乗ずと謂い、客方は大勝す。

猛虎相拒の術・四を推す

猛虎相拒者,視敵下營日,以呂申加其日太乙。大神臨王相,其營不可攻擊;衰死兼墓,其營不久見破矣。

第四の術は「猛虎相拒」という。做法は、敵人の営を扎したその日を看て、呂申を当日太乙の在る宮の上に加える。大神がもし旺気・相気の上に臨めば、敵営は堅固で強攻すべからず。もし衰・死の気に臨みしかも墓庫に兼入すれば、敵営は久しからずして攻破される。この術は専ら敵方の営壘の攻むべきか否かを判断するのに用いる。

假令上元第一紀第七局庚午日下營其日,太乙在三宮,便以呂申加三宮,則大神臨九宮木神。《經》曰:生我為相,此名大神乘相氣,此宮不可攻也。

例を挙げて言う。仮に上元第一紀第七局を排し得て、庚午日に敵人が営を扎し、当日太乙は第三宮に在れば、呂申を第三宮の上に加え、大神は第九宮の木神の位に臨む。『経』に「我を生ずる者を相と謂う」と言い、木は火を生ず。このを大神の相気に乗ずと謂う。気数が正に盛えれば、ゆえにこの一处の営壘は攻打すべからず。

雷公入水の術・五を推す

雷公入水者、常以呂申加大乙宮,看大神所臨之下官。若克主大將宮,將必死;克參將亦然。若克客大將,必厄;克參將亦然。不然,則士卒奔逃背叛矣。

第五の術は「雷公入水」という。做法は、呂申を太乙の居る宮の上に加え、大神の臨む宮の下方を察看する。もしそれが主大将の宮を克せば、主方の大将は必ず死し、主参将の宮を克するもまた同じ。もしそれが客大将を克せば、客方は必ず厄難を遭い、客参将を克するもまた同じ。将領の傷亡に至らずとも、なお士卒の奔逃背叛を主る。

假令上元第一紀第一甲子元十三局丙子日大乙在六宮,大靈為天目,主算十八,大將八,參將四,寅為計神,始擊將臨太陽;客算十九,大將九,參將七。

例を挙げて言う。仮に上元第一紀第一甲子元第十三局を排し得て、丙子日に太乙は第六宮に在り、「大霊」(巽位の神)をもって天目とし、主算は十八を得、主大将は第八宮に在り、主参将は第四宮に在り、寅を計神とし、始撃将は「太陽」(辰位の神)に臨み、客算は十九を得、客大将は第九宮に在り、客参将は第七宮に在る。

便以呂申加大乙於六宮,則大神臨八官,屬水,主大將八宮,亦屬水。《經》曰:同類為王,此為主大將乘王氣,勝。客大將九宮,屬木;大神臨八宮,屬水。生我者為相,此名主大將乘相氣,亦主小勝。

ここに呂申を太乙の居る第六宮の上に加えれば、大神は第八宮に臨み、第八宮は水に属し、しかも主大将もまた正に第八宮に在りて同じく水に属す。『経』に「同類を旺と為す」と言う。これを主大将の旺気に乗ずと謂い、主方は勝利を取る。さらに客大将の第九宮に在りて木に属するを見れば、大神の臨む第八宮は水に属し、水は木を生ず。「我を生ずる者を相と謂う」。ここに底本はなお「主大将相気に乗ず」と称するが、実は客方もまた相気を得るを指し、ゆえに客方もまた小勝を主る。

白龍得雲の術・六を推す

白龍得雲者,以呂申加其日太乙官,視大神、大將所臨下之官與主乘旺相,宜出軍下營。加臨囚死休墓,不可出軍,若被陣大將宮刑剋我軍大將宮,出戰必死;克小將,亦然也。

第六の術は「白龍得雲」という。做法は、呂申を当日太乙の居る宮の上に加え、大神と大将の臨む宮の下方を看て、もし我が方の乗ずる旺相の気と相合すれば、出兵して営を扎するに便である。もし加臨するが囚・死・休・墓の類の衰敗の気ならば、出兵すべからず。もし陣対する敵将の居る宮が我が軍の大将の居る宮を刑克せば、出戦すれば必ず陣亡す。我が方の小将を克する者も、情形は同じである。

假令上元第一甲子元二十二局乙酉日太乙在九宮,陰德為天目,主算十六,大將六,參將八,巳為計神,始擊將在天道;

例を挙げて言う。仮に上元第一甲子元第二十二局を排し得て、乙酉日に太乙は第九宮に在り、「陰徳」(乾位の神)をもって天目とし、主算は十六を得、主大将は第六宮に在り、主参将は第八宮に在り、巳を計神とし、始撃将は「天道」(未位の神)に落つ。

客計三十,大將三,參將九,便以呂申加大乙於九宮,則大神臨大武於七宮,主大將在六宮,屬金。大神下宮生,主大將宮。《經》曰:生我者為相,此名主大將乘相氣,於下營屯軍吉。客大將在三宮,屬土,與大神下營同類為旺。此名客大將乘旺氣,亦利屯軍下營,吉。

客方は三十を算得し、客大将は第三宮に在り、客参将は第九宮に在る。ここに呂申を太乙の居る第九宮の上に加えれば、大神は第七宮の「大武」の位に臨む。主大将は第六宮に在りて五行は金に属し、大神の臨む宮は正に主大将の宮を生助する。『経』に「我を生ずる者を相と謂う」と言う。これを主大将の相気に乗ずと謂い、営を扎し軍を屯するに宜しく、主なるもの吉。さらに客大将の第三宮に在りて土に属するを見れば、大神の臨む宮と同じ類に属して旺気と為る。これを客大将の旺気に乗ずと謂い、同じく軍を屯し営を扎するに利あり、また吉を主る。

回軍無言の術・七を推す

回軍無言者,常以呂申加彼軍初來時日太乙宮,看大神下。若彼軍臨旺相,其下有伏兵,宜備之。如臨囚死休廢,彼軍自破,無能為也,立可克之。如臨本軍旺相,亦自宜埋伏兵士。

第七の術は「回軍無言」という。做法は、呂申を敵軍の初到したその日の太乙の居る宮の上に加え、大神の臨む下の気数を察看する。もし敵軍の臨むが旺相の気ならば、それの下に別に伏兵あるを説明し、我が方は預め防備すべきである。もし臨むが囚・死・休・廃の気ならば、敵軍は自ずから潰敗して為す所なく、我が方は即刻勝利を得る。もし臨むが正に我が軍自身の旺相の気ならば、我が方もまた伏兵を設けて接応すべきである。

假令上元第一紀第一甲子元二十八局辛卯日太乙在二宮,呂申為天目,主算十四,大將四,參將二,亥為計神,始擊將在大靈;

例を挙げて言う。仮に上元第一紀第一甲子元第二十八局を排し得て、辛卯日に太乙は第二宮に在り、「呂申」(寅位の神)をもって天目とし、主算は十四を得、主大将は第四宮に在り、主参将は第二宮に在り、亥を計神とし、始撃将は「大霊」(巽位の神)に落つ。

客計得九,大將九,參將七,便以呂申加彼軍初來時日太乙在二宮,則大神臨太簇金神;客大將在九宮,屬木,大神屬金。金來克木,我克者為死。此客大將乘死氣,無伏兵,自破,立可克之。《經》曰:欲知諸將休旺者,常以同類為旺。生我為相,克我為死;我克為囚;我生為休。

客方は九を算得し、客大将は第九宮に在り、客参将は第七宮に在る。ここに呂申を敵軍の初到したその日の太乙の居る第二宮の上に加えれば、大神は「太簇」(酉位の神)に臨み、金に属す。客大将は第九宮に在りて木に属し、大神は金に属し、金は来て木を克す。およそ「我が克つ所を死と謂う」。これを客大将の死気に乗ずと謂い、敵方に伏兵なきを説明し、自ずから潰散し、我が方は即刻勝利を取るべし。『経』に言う。諸将の休旺を判断するには、通例同類をもって旺と為し、我を生ずるを相と為し、我を克するを死と為し、我が克つを囚と為し、我が生ずるを休と為す――五気の別はこのに在り。

假令高叢木以呂申、大靈同類為旺,以大義、地主為相,武德、大蔟為死,和德、大武、太陽、天道為囚,大神、大威為休。餘仿此。

さらに一例を挙げて五気の取法を説明す。仮に「高叢」(卯、木に属す)を本位とすれば、同じく木に属する「呂申」(寅)と「大霊」(巽)がすなわち同類で、旺を主る。木を生じ得る「大義」(亥、水に属す)と「地主」(子、水に属す)がすなわち相。木を克し得る「武徳」(申、金に属す)と「太簇」(酉、金に属す)がすなわち死。木の克つ所の「和徳」(艮)・「大武」(坤)・「太陽」(辰)・「天道」(未)の四位の土神がすなわち囚。木の生ず所の「太神」(巳、火に属す)と「大威」(午、火に属す)がすなわち休。其余の各神はみなこの弁法に照らして類推する。

三才を推して天地人を占う・八

三才者,天、地、人也。若算中無十者,無天。天變,則二曜虛蝕,五緯失度,慧孛飛流,霜雹為害也。此為算得一、二、三、四、五、六、七、八、九,為無天者也。

いわゆる「三才」とは、すなわち天・地・人である。およそ算数の中に十を含まざるを「無天」と謂う。無天なれば天象に変を生ず。日月両曜が故なく亏蝕し、金木水火土の五星が運行度を失い、彗星・孛星と流星が紛れて現れ、霜雹が災いを成す。およそ算が一・二・三・四・五・六・七・八・九の十に満たぬ単数を得るは、みな無天の数に属す。

《經》曰;算中無五者,為無地。地有變,由崩地震、川竭蝗蝻之象。此算得一、二、三、四、十一、十二、十三、十四、二十一、二十二、二十三、二十四、三十一、三十二、三十三、三十四,此無地也。《經》曰:若算得一十、二十、三十、四十,為無人。人有變,口舌襖言,更相殘賊,疾疫、遷移、流亡也。

『経』の上に言う。算数の中に五を含まざるを「無地」と謂う。無地なれば地道に変を生じ、山崩地震・河川干竭・蝗虫蝻子が災いを成すの象が現る。およそ算が一・二・三・四、十一・十二・十三・十四、二十一・二十二・二十三・二十四、三十一・三十二・三十三・三十四の五を含まぬ数を得るは、みな無地の数に属す。『経』にまた言う。算が一十・二十・三十・四十の類の整数を得て零を帯びざるを「無人」と謂う。無人なれば人事に変を生じ、口舌争訟と妖言が四起し、人びとは互いに残賊し、しかも瘟疫・遷徙と流亡の患いあり。

長短を推して災変を占う・九

《經》曰:天目所算主,以長算宜緩,短算宜急。十一以上為長,單九以下為短。長多利深入,短少利淺入。長為勝,短為負也。

『経』の上に言う。天目の得る算数は、長算は緩く図謀するに宜しく、短算は速戦速決に宜しい。十一以上を「長算」と謂い、単九以下を「短算」と謂う。長算は数多く、深く敵境に入るに利あり。短算は数少なく、ただ浅く入りて即ち回るに宜しい。総じて言うに、長算を得る一方を勝と為し、短算を得る一方を負と為す。

五音を推して災変を占う・十

《經》曰:算得一、二為宮。宮有變,占在君。《經》曰:一為宮;二為比宮。宮有變,占在君。《經》曰:算得三為徵;四為比徵。徵有變,占在宗廟。《經》曰:算得五為羽。羽有變,占在后妃。《經》曰:五為比羽。羽有變,占在後紀。《經》曰:其得七為商。商有變,占在子孫。《經》曰:算得九為角;十為比角。角有變,占在疾病。

『経』の上に言う。算が一・二を得るは「宮」音に属し、一は正宮、二は比宮。宮音に変あれば、占は君主の身上に応ず。算が三を得るは「徴」音に属し、四は比徴。徴音に変あれば、占は宗廟祭祀の事に応ず。算が五を得るは「羽」音に属し、別に一数ありて比羽と為す(底本は両処とも「五」と作る。訛字あるべし)。羽音に変あれば、占は后妃と後宮の事に応ず。算が七を得るは「商」音に属す。商音に変あれば、占は子孫に応ず。算が九を得るは「角」音に属し、十は比角。角音に変あれば、占は疾病に応ず。占う者は算数の配する五音に拠って、災変のどの類の人事に落つるかを判定することができる。

孤单を推して成敗を占う・十一

《經》曰:算孤單,以占主客成敗。一、三、七、九為單陽;二、四、六、八為單陰,一十、三十為孤陽;單陽並孤陽為重陽,單陰並孤陰為重陰。單陰算,並不利下,不利客;單陽算,不利上,不利主人也。

『経』の上に言う。算数の孤と単を用いて、主客双方の成敗を占断する。一・三・七・九は「単陽」、二・四・六・八は「単陰」。一十・三十の類の零を帯びた整十の数は「孤陽」。単陽にさらに孤陽を合すれば「重陽」を成し、単陰にさらに孤陰を合すれば「重陰」を成す。およそ単陰の算を得る者は、一概に下の位に居るに利あらず、また客と作りて先に発するに利あらず。およそ単陽の算を得る者は、上の位に居るに利あらず、また主と作りて後に応ずるに利あらず。

内外を推して攻撃を占う・十二

《經》曰:算有內外,以占攻擊者,為天目,前為內,可以攻外;後為外,可以攻內。天目外孤內虛,欲舉百事,於外慾得外算,於內欲得內算。陰德至太陽為內,大靈至陰為外也。

『経』の上に言う。算数に内外を分かち、もって攻守を占断す。分界は天目をもって準とし、天目の前を内と算し、内に居るは外を攻め得、天目の後を外と算し、外に居るは内を攻め得。もし天目が外に在れば孤立して援なく、内に在れば空虚にして実ならず。およそ事を挙げんとするに、外に於て行動すれば外算を得るを要し、内に於て行動すれば内算を得るを要し、内外相応してはじめて順なり。十六神をもって論ずれば、「陰徳」(乾)より順数して「太陽」(辰)に至るこの一段は内に属し、「大霊」(巽)より順数して「陰主」(戌)に至るこの一段は外に属す。

多少を推して勝負を占う・十三

《經》曰;多少以占勝負者,客以多算臨少,主人敗;客以少算臨多,主人勝也。

『経』の上に言う。算数の多少を用いて勝負を占断する。その弁法は甚だ簡明である。客方が多算の勢をもって主方の少算に臨圧すれば、主方敗れ、客方が少算のみにして主方の多算に臨圧しに行けば、主方勝つ。主客が位を易うる時は、断法もまたこのに照らして対調する。

陰陽を推して厄会を占う・十四

《經》曰:太乙在陽宮,算得奇為重陽,厄在火;大乙在陰宮,算得偶為重陰,厄在水。若主人得,主厄;若客得,客厄也。

『経』の上に言う。太乙が陽宮に居りて算が奇数を得るは「重陽」で、陽極まりて災いを生じ、その厄は火に応ず――主なるは火災・旱魃の患い。太乙が陰宮に居りて算が偶数を得るは「重陰」で、陰極まりて災いを生じ、その厄は水に応ず――主なるは水患・霖潦の災い。この厄難が誰の頭上に落つるかは、誰がこの算数を得たかを見ればよい。主方がこれを得れば主方は厄に遭い、客方がこれを得れば客方は厄に遭う。

所主を推して吉凶を占う・十五

《經》曰:算有所主,以明吉凶。謂十為將軍,五為吏土,一為兵卒。無此算者,凶。若數得十六以上,將、吏、卒備,百事吉也。

『経』の上に言う。算数は各々主る所あり、これに拠って吉凶を判明す。十は将軍を主り、五は吏士を主り、一は兵卒を主る。得た数の中にそのいずれか一項を欠けば、軍中にこの等の人を欠くを表示し、凶を主る。もし算数が十六以上を得れば(十加五加一が正に十六に合す)、将軍・吏士・兵卒の三者が斉備し、およそ百の事情はみな吉利である。

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