Libo

乾元秘旨

清 · 舒继英

作盤ガイド: 八字作盤

恩難仇用(おんなんきゅうよう)

八字命理典籍

初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。

七政四余・乾元秘旨・舒継英

九重天

《楚詞》言:闤則九重,孰營度之?則天有九重,古昔已言之矣。西人之言九重天也,曰:最上為宗動天,無星辰,每日帶各重天自東而西左旋一周。次曰列宿天,次曰鎮星天,次日歲星天,次曰熒惑天,次曰太陽天,次曰金星天,次曰水星天,最下曰太陰天。自恆星以下,八重天皆隨宗動天左旋,然各天皆有右旋之度,自西而東,與蟻行磨上之喻相符,由是往復循環,運行不息,以氤以氳,眾物憑生,而人於其間得氣之吉者則吉,得氣之凶者則凶,細細按之,不爽毫末。有志者所當詳察焉。

『楚辞・天問』に「圜則九重、孰かこれを営度せん」(天は円くして九重なり、誰がこれを測り区画したか)と問うている。天が九層に分かれることは、古人がすでに言い尽くしていた。西洋の暦家の言う九重天では、最上層を「宗動天」とし、そこには星辰がなく、毎日その下の各重天を率いて東より西へ左旋して一周する。その下より、第二層は「列宿天」すなわち衆恒星のある天、第三層は「鎮星天」すなわち土星の天、第四層は「歳星天」すなわち木星の天、第五層は「熒惑天」すなわち火星の天、第六層は「太陽天」、第七層は「金星天」、第八層は「水星天」、最下層は「太陰天」すなわち月の行く天である。恒星の層より下の八重天はすべて宗動天に随って左旋するが、各天それ自体にも右旋する度があり、西より東へ進む。これはまさに古人の「蟻が磨盤の上を這う」たとえに合致する。磨盤は左に回り、蟻は磨面上を右に行き、二つの方向が重なり合う。天体はこのように往復循環して運行止まず、陰陽二気が交感して氤氳し、万物はこれに凭りて生を得る。人はその間に生まれ、吉気を禀ければ吉、凶気を禀ければ凶となり、一つ一つ細かく按じていけば毫末も違わない。星命の学に志す者は、この根本の理を詳しく考察すべきである。

正五行

水生木,又生氣;火生土,又生計;木生火,又生羅;金生水,又生孛;羅生計,又生土;氣生羅,又生火;孛生氣,又生木。土計生金,金扶月,金水孛扶日。水克火,又克羅;木克土,又克計;金克木,又克氣;土克水,又克孛;計克孛,又克水;氣克計,又克土;孛克羅,又克火;火羅克金,木氣蔽日,土計掩月。

これは「七政四余」十一曜を正五行に依って推し並べた生剋の次序である。七政とは日・月と水・火・木・金・土の五星を指し、四余とは「紫気」(木の余)、「羅睺」(火の余)、「計都」(土の余)、「月孛」(水の余)を指す。相生の路:水は木を生じ、また「紫気」を生ず。火は土を生じ、また「計都」を生ず。木は火を生じ、また「羅睺」を生ず。金は水を生じ、また「月孛」を生ず。「羅睺」は「計都」を生じ、また土を生ず。「紫気」は「羅睺」を生じ、また火を生ず。「月孛」は「紫気」を生じ、また木を生ず。土星と「計都」はともに金を生じ、金は太陰を扶け、金・水と「月孛」はともに太陽を扶ける。相剋の路:水は火を剋し、また「羅睺」を剋す。木は土を剋し、また「計都」を剋す。金は木を剋し、また「紫気」を剋す。土は水を剋し、また「月孛」を剋す。「計都」は「月孛」を剋し、また水を剋す。「紫気」は「計都」を剋し、また土を剋す。「月孛」は「羅睺」を剋し、また火を剋す。火と「羅睺」は金を剋す。このほか二曜に限った特例が二条ある。木と「紫気」は太陽を遮蔽し、土と「計都」は太陰を掩蝕するのである。

変五行

水生計,又生羅;火生木,又生金;木生土,又生月;金生月,又生土;土生水,又生氣;計生火,又生孛;羅生孛,又生火;氣生羅,又生計;孛生金,又生木;月生氣,又生水。水克火,又克孛;火克土,又克月;木克水,又克氣;金克氣,又克水;土克計,又克羅;計克木,又克金;羅克金,又克木;氣克孛,又克火;孛克月,又克土;月克羅,又克計;太陽至尊獨不與。

これは十一曜を「変五行」に依って推し並べた生剋で、上の正五行とはまったく異なり、本門の別に立てた一套の用法である。相生の路:水は「計都」を生じ、また「羅睺」を生ず。火は木を生じ、また金を生ず。木は土を生じ、また太陰を生ず。金は太陰を生じ、また土を生ず。土は水を生じ、また「紫気」を生ず。「計都」は火を生じ、また「月孛」を生ず。「羅睺」は「月孛」を生じ、また火を生ず。「紫気」は「羅睺」を生じ、また「計都」を生ず。「月孛」は金を生じ、また木を生ず。太陰は「紫気」を生じ、また水を生ず。相剋の路:水は火を剋し、また「月孛」を剋す。火は土を剋し、また太陰を剋す。木は水を剋し、また「紫気」を剋す。金は「紫気」を剋し、また水を剋す。土は「計都」を剋し、また「羅睺」を剋す。「計都」は木を剋し、また金を剋す。「羅睺」は金を剋し、また木を剋す。「紫気」は「月孛」を剋し、また火を剋す。「月孛」は太陰を剋し、また土を剋す。太陰は「羅睺」を剋し、また「計都」を剋す。ただ太陽のみ至尊の象で、独りこの変五行の生剋には参与しない。

正五行の変

木正旺則畏金,太旺又借金以成其器。火正旺則怯於水孛,太旺又借水孛以殺其威。土正旺則懮乎木氣,太旺又借木氣以疏其硬。金正旺則嫌於火羅,太旺又借火羅以化其頑鈍。水正旺則妨於土計,太旺又借土計以防其浸淫。且寒日偏替於金水,而素月獨隆於火羅。

同じ正五行でも、旺の度合いがどの程度かによって、取用は逆に見なければならない。木は当令して正しく旺するときは金に伐られるのを惧れるが、いったん旺の極みに達すれば、かえって金の斧鑿を借りてこそ器となる。火が正しく旺するときは水と「月孛」に潑き消されるのを怯れるが、旺りすぎればかえって水・「月孛」を借りてその威焔を殺がねばならない。土が正しく旺するときは木と「紫気」に疏剋されるのを憂えるが、旺りすぎればかえって木・「紫気」を借りてその堅く板結したのを疏らさねばならない。金が正しく旺するときは火と「羅睺」に熔練されるのを嫌うが、旺りすぎればかえって火・「羅睺」を借りてその頑鈍を熔かさねばならない。水が正しく旺するときは土と「計都」に壅塞されるのを忌むが、旺りすぎればかえって土・「計都」を借りてその氾濫浸淫を堤防せねばならない。このほか対挙の理がもう一層ある。冬の日の陽は最も金水を惧れ、金水が多ければ日光はかえって衰替を顕す。素浄の太陰は独り火と「羅睺」の照映を喜び、これを得て光華はいよいよ盛んとなる。

《摘奧經》云:「冬水輔陽,水借光溫暖,而太陽則凝寒矣,主克父。夏水輔陽,陽借水滋潤,而水則枯涸矣,主短壽。」

『摘奥経』にいう。冬に生まれた人が水星をもって太陽を輔けば、水は日光を借りて暖を得るが、太陽は寒水に凍えて凝滞し明るさを失い、このような命は父を剋する。夏に生まれた人が水星をもって太陽を輔けば、太陽は水を借りて潤いを得るが、水は烈日に蒸されて枯涸し、このような命は寿数が長くない。同じ「水輔陽」でも、冬夏二季の結果はまったく相反することが分かる。命を断ずるに一概に論じてはならない。

耶律楚材云:「如木為財而在春,春木本旺,旺而逢生,不幾生之太過乎?以富斷之則誤矣。蓋春木宜逢金,夏宜逢水,秋宜躔木,冬宜躔火,反是非天地之中和,恐不免於貧,命主等星亦如之。再以月論,春月,火羅照之不明不燥,金水扶之,有光。夏月,逢金無益,值木亦損,不惟土計是凶,即火羅亦難,惟水孛扶之,斯元精不散。秋月,獨畏土計,不妨獨行,亦喜金水以助華。至冬,失之太寒,金水孛皆忌,火羅相照為美。」合此二書觀之,一一皆可類推。

耶律楚材(やりつそざい。元初の名臣で星命に通じた)がいう。もし木星を財星とし、人がまた春に生まれたとすれば、春の木はもともと旺で、旺の上にさらに生扶に逢う。これでは生が過ぎるのではないか。このとき仍お「財旺」として富有と断ずれば、断ち違いとなる。大凡そ、春の木は金に遇い裁制を受けるを宜とし、夏は水に遇い滋潤を受けるを宜とし、秋は木宿の度に行るを宜とし、冬は火宿の度に行るを宜とする。この次序に違えば天地中和の気に合わず、貧寒を免れまい。命主星およびその余諸星の取用も、みなこの理による。再び太陰を取って言えば、春の月は火と「羅睺」の照映を得て、昏からず燥からず、さらに金水が来て扶けば格別に光がある。夏の月は金に遇いて益なく、木に遇いて損を受け、土と「計都」が凶なるのみならず、火と「羅睺」すら受け難く、ただ水と「月孛」が来て扶けるとき、元精は耗散を免れる。秋の月は単に土と「計都」を惧れ、独行無侣も妨げず、また金水がその光華を助けるを喜ぶ。冬に至れば月は寒さ過ぎるの失があり、金・水・「月孛」はいずれも忌むところ、火と「羅睺」の相照を得てこそ美とする。『摘奥経』と耶律楚材の二家の言を合わせ見れば、その余各曜が四時に依って取用される理も、この筋に照らして一々類推できる。

変五行の正五行の変(化禄)

變於十干,化祿也。甲火,乙孛,丙木,丁金,戊土,己月,庚水,辛氣,壬計,癸羅,其中自有正理存焉。竊嘗從元星天道立極之圖及元星仰觀天文之圖而窮極之。

いわゆる「変五行の正五行の変」とは、その変化を十干に落とし込むこと、すなわち「化禄」の一法である。甲干は火に化し、乙干は「月孛」に化し、丙干は木に化し、丁干は金に化し、戊干は土に化し、己干は太陰に化し、庚干は水に化し、辛干は「紫気」に化し、壬干は「計都」に化し、癸干は「羅睺」に化す。この配法は漫然と按じたものではなく、内におのずから一定の正理がある。私はかつて『元星』の書に載る「元星天道立極之図」と「元星仰観天文之図」の二図に依拠して、その所以然を推し究め尽くした。

日月麗乎天,日午月未,地勢起於北,子丑皆土;天道左旋,寅配春屬木,卯配夏屬火,辰配秋屬金,巳配冬屬水;地道右轉,亥配春屬木,戌配夏屬火,酉配秋屬金,申配冬屬水。

日月は天に附麗し、太陽の本位は午にあり、太陰の本位は未にある。地勢は正北に起るから、子・丑の二位はともに土に属する。天道は左より旋り、寅より数え起す。寅は春に配して木に属し、卯は夏に配して火に属し、辰は秋に配して金に属し、巳は冬に配して水に属する。地道は右より回り、亥より数え起す。亥は春に配して木に属し、戌は夏に配して火に属し、酉は秋に配して金に属し、申は冬に配して水に属する。天道・地道の一左一右は、ちょうど子丑と午未の二箇所で交わり会し、十二支の五行の帰属はこれによって定まる。

惟子丑合而屬土,故戊歸丑,己歸子;寅亥合而屬木,故甲歸寅,乙歸亥;卯戌合而屬火,故丙歸卯,丁歸戌;辰酉合而屬金,故庚歸辰,辛歸酉;巳申合而屬水,故壬歸巳,癸歸申。寅卯辰巳皆陽位也,陽居陽位,故甲丙庚壬居之;申酉戌亥皆陰位也,陰居陰位,故癸辛丁乙居之。子之視亥戌酉申,乃自西而北,陰之極也,故己居之;丑之視寅卯辰巳,乃由北而東南,陽之始也,故戊居之。

ただ子と丑は相合してともに土に属するから、陽土の戊は丑に帰し、陰土の己は子に帰する。寅と亥は相合してともに木に属するから、陽木の甲は寅に帰し、陰木の乙は亥に帰する。卯と戌は相合してともに火に属するから、陽火の丙は卯に帰し、陰火の丁は戌に帰する。辰と酉は相合してともに金に属するから、陽金の庚は辰に帰し、陰金の辛は酉に帰する。巳と申は相合してともに水に属するから、陽水の壬は巳に帰し、陰水の癸は申に帰する。さらに陰陽の分配を見れば、寅・卯・辰・巳はみな陽位で、陽干は陽位に住すべきゆえ、甲・丙・庚・壬の四陽干をこの四支に安ず。申・酉・戌・亥はみな陰位で、陰干は陰位に住すべきゆえ、癸・辛・丁・乙の四陰干をこの四支に安ず。子丑の二つの土位に至っては、子より亥・戌・酉・申を回顧すれば西より北に転ずる一路で、まさに陰気の尽きるところ、ゆえに陰土の己は子に居る。丑より寅・卯・辰・巳を望めば北より東南に転ずる一路で、まさに陽気の萌動し始めるところ、ゆえに陽土の戊は丑に居る。

丑為土之初基,巳為土之中位,故土歸丑,計歸巳;寅乃火甫見之方,申乃火將滅之地,故火歸寅,羅歸申;卯為木之盛,酉為木之衰,故木歸卯,氣歸酉;辰為納水之府,亥為出水之區,故水歸辰,孛歸亥;獨金好殺,而天地好生,故藏金於戌並使無餘氣也。午為日位,日居之;未為月位,月居之。月固借日之光以為光,必對始望,日既居午,故月亦居子。

続いて五星四余の各々帰する宮を言う。丑は土の初基、巳は土の中位ゆえ、土星は丑に帰し、土の余「計都」は巳に帰する。寅は火の剛い顕れる方位、申は火の将に熄まんとする所ゆえ、火星は寅に帰し、火の余「羅睺」は申に帰する。卯は木の最も盛んな処、酉は木の最も衰える処ゆえ、木星は卯に帰し、木の余「紫気」は酉に帰する。辰は衆水を収める庫府、亥は水源の湧き出る区域ゆえ、水星は辰に帰し、水の余「月孛」は亥に帰する。ただ金の性のみ殺を好み、天地の心は生を好むゆえ、金を戌庫の中に蔵し、しかも余曜を留めず。「金无余(金に余なし)」はこれに由来する。午は太陽の本位、太陽これに居る。未は太陰の本位、太陰これに居る。月はもと日光を借りて光あるもの、必ず日と正対してこそ望月となる。太陽すでに午に居るから、月はまた子に居るを取るのである。(底本のこの句は上文「未を月位とし月これに居る」と牴牾し、訛脱あるを疑う。今は原文のまま実録し、敢えて臆改しない。)

此甲火,乙孛,丙木,丁金,戊土,己月,庚水,辛氣,壬計,癸羅之所由化也;金無餘,特端列一宮,水木火土孛氣羅計,皆以遞生。

以上に講じたのが、甲は火に化、乙は「月孛」に化、丙は木に化、丁は金に化、戊は土に化、己は太陰に化、庚は水に化、辛は「紫気」に化、壬は「計都」に化、癸は「羅睺」に化するという十条の化禄の由来である。金は配属する余曜がないゆえに単独で端居して一宮を占め、水・木・火・土の四星と「月孛」「紫気」「羅睺」「計都」の四余は、二々相配して順に递い相生发し、首尾相接する一条の脈絡を串成する。

至於甲與己合,月借火暖;乙與庚合,孛資水勢;丙與辛合,氣叨木蔭;丁與壬合,金賴計生;戊與癸合,土用羅恩;午與未合,月藉日光;蓋化祿之合,適以相成如此。子午而犯君,丑未沖而掩光,寅申而炎燥,巳亥而克害,卯酉而侵凌,辰戌而洩漏,蓋化祿之,實以相虧如此。

さらに化禄の後に彼此相合する効果を見る。甲己の相合は、甲は火に化し己は太陰に化すから、太陰は便ち火気を借りて暖を得る。乙庚の相合は、乙は「月孛」に化し庚は水に化すから、「月孛」は便ち水勢に藉りていよいよ盛んとなる。丙辛の相合は、丙は木に化し辛は「紫気」に化すから、「紫気」は便ち木の蔭庇を得る。丁壬の相合は、丁は金に化し壬は「計都」に化すから、金は便ち「計都」という土余に倚りて生を受ける。戊癸の相合は、戊は土に化し癸は「羅睺」に化すから、土は便ち「羅睺」の火を得て恩星とする。午未の相合は、午は太陽、未は太陰ゆえ、月は便ち日光を借りる。これで化禄の「合」はまさに彼此成就であると見える。反対に相冲を見れば、子午の相冲は君象たる太陽を冲犯し、丑未の相冲は月光を掩蔽し、寅申の相冲は火気炎燥し、巳亥の相冲は水火剋害し、卯酉の相冲は木金侵凌し、辰戌の相冲は庫気泄漏する。これで化禄の「冲」は実に彼此の虧損であると見える。(底本「子午而犯君」と末句「蓋化禄之」の二箇所に各々「冲」の一字を脱す。今は照録して補わない。)

或又曰:己加子,子為寄宮,月方明,子宜從月;月在晦,子宜從計,二者必並推而得之,姑存其說,以俟好學者。若夫戊甲丙庚壬為五陽,五陽各與正財合,癸辛丁乙己為五陰,五陰各與正官合,是尤見合之為義大,而化祿之體精用博也。

別に一説あり。己干は太陰に化して子に加臨し、子はその寄宮である。もし月の正しく明るき時に逢えば、子位は太陰に随うべし。もし月の晦暗の時に逢えば、子位は「計都」に随うべし。この二つの情形は必ず並び推求してこそ取用を定め得る。この説は姑く存置し、後の好学の人の印証を待つ。戊・甲・丙・庚・壬は五陽干、五陽干は化禄の後に各々自己の「正財」と相合す。癸・辛・丁・乙・己は五陰干、五陰干は化禄の後に各々自己の「正官」と相合す。これにより「合」のこの学問における意義の大なるがいよいよ見え、化禄の一法の体例精厳にして用途広博なるも見える。

元星二図

計——日——月——羅水——元星天道——氣木——立極之圖——金火——土——計——孛。計壬——太陽——太陰——羅癸水庚——元星仰觀——氣辛木丙——天文之圖——金丁火甲——土戊——月己——孛乙。

この二行は『元星』の書中の二幅の図の文字配列で、伝写の際に字の順序のみが残り図形は存しないため、そのままの形で録出する。上の一行は「元星天道立極之図」の環列の次序で、順に「計都」、太陽、太陰、「羅睺」と水星、「紫気」と木星、金星と火星、土星、「計都」、「月孛」と並び、図題の八字は環列の間に挟み書きされる。下の一行は「元星仰観天文之図」の配位で、「計都」は壬に配し、太陽・太陰は中に居り、「羅睺」は癸に配して水星は庚に配し、「紫気」は辛に配して木星は丙に配し、金星は丁に配して火星は甲に配し、土星は戊に配し、太陰は己に配し、「月孛」は乙に配す。図題の八字は同じくその間に挟み書きされる。この一行に載せたのは、まさに上文に講じた十干化禄の配属である。

右將元星天道立極之圖、元星仰觀天文之圖,依元星一書開載。

以上に挙げた「元星天道立極之図」と「元星仰観天文之図」の二幅は、いずれも『元星』一書の原本に刊載された様式に照らして抄録したもので、本書の創作ではない。読者はこれを以て原書と互いに校えることができる。

日

太陽者君象也,用天下之星,而不為諸星之用,無遠弗□,無幽弗燭,不分日晝夜,不分南北,其光炯然,其氣勃然。

太陽は君主の象である。それは天下の衆星を役使して衆星に役使されることがなく、どれほど遠くても照らし届かぬところはなく、どれほど幽暗でも燭照し明るくせぬところはない。白昼黑夜を分たず、南方北方を分たず、その光明は炯然として見え、その気象は勃然として発する。(「無遠弗□」の一句は底本に一字を欠き、「照」「届」などの類であろう。今は欠文の号を存し、敢えて臆補しない。下句「不分日昼夜」の「日」の字もまた「是」の字の訛りと疑う。)

凡星居日之前後,謂之內夾;居日列之最前最後,謂之外輔,必值四餘乃止。近日之度至十五度內,謂之密;自十五度至二十度外,謂之疏;眾星密,獨一星在遠,謂之特;羅計間隔一星朝日,謂之間;二星共一度輔日,謂之疊;一二星近密,謂之聚。

およそ星曜が太陽の前後に緊列するのを「内夾」といい、この一隊の星の最前頭と最末尾に列なるのを「外輔」という。外輔は「四余」の星までずっと排してこそ尽きる。太陽から十五度以内にあるのを「密」といい、十五度より外に出て二十度以上までを「疏」という。衆星が皆日辺に密聚するのに、独り一星が遥か外にあるのを「特」という。「羅睺」「計都」が一星を隔てて太陽を朝拱するのを「間」という。二つの星が共に一度を占めて日を輔けるのを「畳」という。一二の星が日側に緊貼するのを「聚」という。この七つの名目は下文で科第功名を論ずる根柢であり、まず一々分辨し清楚にせねばならない。

昔人有歌云:「疏中外輔密中密,不中密兮即中日,眾密出特特上取,特不如間升階明,疏密只就日邊說,數者又不如一疊,疊日疊輔皆登第,經緯連處可登雲,聚處逢之魁南北,遇日須遇日度數,日度亦是度末年。」此雖端為科第而言,然由其意推而廣之,則固一一應之如響矣。

前人に一首の歌訣があっていう。疏散の中に「外輔」あり、密聚の中にはさらに密なるものあり。取用するには最も密なる星を取るか、正しく太陽に当たる一顆を取るかである。衆星が密聚して独り「特」星が出れば、便ち特星の上に取用する。しかし特星はまた「間」の格に如かず、「間」の格を得れば升階顕達を主る。疏と密はただ日辺の遠近に就いて言うのみで、この数種はまた一つの「畳」の格が来るのに如かない。太陽の上に畳み、輔星の上に畳むは、いずれも登科及第を主る。経度緯度の相連なる処は、青雲直ちに上ることができる。「聚」の地で吉曜に遇えば、南北榜の魁首を奪うことができる。およそ太陽の吉に応ずるには、必ず太陽の躔る度数に行り至らねばならない。そして日度に行るその年は、すなわちこの一段の行度の末年である。この歌はもと専ら科第功名のために作られたが、その意を推し広げて別の事に用いても、一々応験して響の如しである。

嘗見命主及吉星夾輔太陽者,不為公卿,亦作侍從臣,且行至日度,或由督撫內升正卿,或由正卿晉爵宰輔,比比皆是。若與日氣不通,縱使吉曜有情,亦不過外任而已。

私はかつて命主星と吉星とがともに太陽を夾輔する命を見たことがある。このような人は公卿に至らずとも、必ず天子の侍従近臣となる。しかも行限がいったん太陽の躔る度に走れば、ある者は督撫の任より内調して九卿の正卿に升り、ある者は正卿より宰輔に晋位する。この類の例は比々そこにある。反対に言えば、命主が太陽と気脈の通ぜざるものなら、たとえ吉曜がそれに情を有しても、外省の官を為すに過ぎず、ついに君側に接することはない。

更有近君之員,一交木度,其像蔽陽,非主眷稍衰,即退居林下,或由京官外放,或降罰重重。更有候選及候升出差等,即使限度果利,必是年得太陽照臨,或流太陽釣大限之月,始能有獲。

またもとより侍従して君に近い官員であっても、行限がいったん木宿の度に交われば、木は日を蔽う能くし、その象はまさに太陽を遮蔽するものであるから、聖眷の稍や衰えるか、罷職して田園に帰り隠れるか、京官より外放されるか、重々の降罰に遭うかのいずれかであろう。別に銓選を待ち、升遷を待ち、差委を待つ者は、たとえ行る限度が確かに有利でも、必ず当年に太陽の照臨を得るか、あるいは流年の太陽が大限の在る宮を釣照するその月に遇ってこそ、真に獲るところがある。

若傷煞在日前後,及與日有關會,即難宦遊,宦遊亦不能見君,見君亦不能優旨,且恐終於賈禍。若命主是金,火羅拱夾日,或火羅同緯日,繫春夏生人遇日度必死。命主是火,水孛輔日,雖係春生人,遇日度亦死。餘仿此。

もし「傷官」「七煞」といった悪曜が太陽の前後に列したり、太陽と関会牽連したりすれば、この人は出仕して遠く游ぶことが難しい。たとえ出仕しても君主に見えず、たとえ君主に見えても優旨褒奨を得られず、下手をすればこれによって禍事を招きさえする。また命主が金であって、火星と「羅睺」が太陽を拱夾し、あるいは火・「羅睺」が太陽と同一の緯度上にあれば、この人が春夏二季に生まれた場合、行限がいったん日度に遇えば必ず死する。火羅が当令して、正しく金主を剋するからである。命主が火であって、水星と「月孛」が日を輔けば、たとえ春に生まれても、行限が日度に遇えばやはり死する。水孛が火を剋し、日光がまた奪われるからである。その余の各種の情形は、みなこの二つの例に照らして推すのである。

月

月到中秋則分外明。凡在上弦,以迄於望,謂之得令,有權;在下弦,則光短而力薄;在廿七至初二,畢竟無光。若與陽合,朔之前後七八度內生人,以月為命主,大率不永。倘月躔土而遇土計掩蝕,或土計躔四月度,則自其母以及其目皆主不利。

太陰は中秋に至れば分外に明るくなる。これが得時の験である。およそ上弦以後から望日の間までを「得令」といい、この時月は権勢を有する。下弦以後に至れば、月光は短促して力量は単薄となる。毎月二十七日から次月の初二日までの数日は、月はほぼ全然光なし。もし太陰が太陽と相合する、すなわち朔日前後の七八度以内に生まれた人で、またちょうど太陰を以て命主とするなら、大抵は寿数が長くない。もし太陰が土星の度に躔って土星・「計都」に掩蝕されるか、あるいは土・「計都」が太陰の在る度に躔り至れば、その母から自身に至るまで皆不利を主る。(末句の「四月度」「其目」の二箇所は底本に訛字があり、文義は通ずるも字は強いて解し難い。今は原様のまま録出する。)

五星四余

五星臣象也,一遇日即遲留伏逆,遠於日則見。譬之王者出,諸臣或趨避或俯伏;王者遠去,諸臣即呈顏色,怡怡如也。吉以此分忌喜,凶以此分喜忌。但吉星與命主在陽前,又喜其逆,逆則其氣轉親;在陽後,又忌其逆,逆則其氣轉疏,凶星反是。

五星は臣子の象である。それらは太陽に近づくや、遅行・留守・伏して見えず・逆行といった状態を現し、太陽を離れて遠くなってから、やっと再び顕れ出る。これは君王が出行するに、群臣が趨避するものあり俯伏するものあり、君王が遠く去ってから群臣はやっと敢えて神色を露わにし、一団和悦となるに似たり。吉星はこれによって忌む所と喜ぶ所とを分かち、凶星もまたこれによって喜ぶ所と忌む所とを分かち、方向はちょうど相反する。ただしさらに細分の一層がある。吉星と命主とが太陽の前にあれば、その逆行を喜ぶ。逆行は回頭して日に向かい、その気はかえって親に転ずるからである。もし太陽の後にあれば、その逆行を忌む。逆行は日を背いて去り、その気はかえって疏に転ずるからである。凶星の取舍は、これとまったく顛倒して見る。

耶律楚材云:「難逆用伏,凶災不能解救。文伏魁逆,吉祥又難並臻。主伏不顯,倘逢難亦可斷吉。恩逆不祥,倘生主未可談凶。」誠哉是言,推此可廣驗。至與春木得時,一望亦當情適;冬火失令,已過始能神怡;亦自然之理。木吏、土戶、火禮、金兵刑、水司空,皆歷歷不爽。

耶律楚材がいう。「難星」が逆行して「用星」が伏没すれば、凶災は救う途なし。「文星」が伏没して「魁星」が逆行すれば、吉祥もまた来り揃い難し。命主星が伏没すれば、人は顕達せず。ただしそれが正しく「難星」を冲れば、仍お吉と断ずべし。「恩星」が逆行するはもとより好事ならざるも、ただしそれがなお命主を生扶するなら、未だ凶と断ずべからず。この数句は実に言い得たもので、この筋に照らして推せば、処処に験あり。春の木星は正しく得令の時なれば、遥かに相望むだけで情意相適うと覚え、冬の火星はすでに失令なれば、それが行り過ぎた後を待ってこそ心神舒暢となる。これも自然の理である。このほか五星はまた各々一部の職を主る。木星は吏部を主り、土星は戸部を主り、火星は礼部を主り、金星は兵部と刑部を主り、水星は工部・司空の任を主り、一々分明にして、曾て差錯なし。

四餘奴象也,主旺則竊,主衰則救。奴統於主,行主度即作奴度行,必謂氣羅之貴、金孛之淫、土月之迍、火羅之燥,單孛為拗、單計多謀,何其妄甚!若夫木司令朝日,已為青龍扶硯,何嘗蔽陽?孛乘旺凌金,方將妾奪妻權,奚啻犯主?

四余は奴僕の象である。本主の星が旺盛の時は、余曜は来てその気を分窃する。本主の星が衰弱の時は、余曜はかえってそれを救助し得る。奴僕はつねに主人に統属するから、行限が本主星の度に走れば、即ち奴星の度をも併せ行るに等しい。ある人は偏に一堆の死条文を立てて、「紫気」が「羅睺」に配すれば便ち貴を主り、金星が「月孛」に配すれば便ち淫を主り、土星が太陰に配すれば便ち困頓を主り、火星が「羅睺」に配すれば便ち燥烈を主り、単に「月孛」を見れば性情拗執、単に「計都」を見れば機謀多端——これらの説はなんと荒謬なるか。木星が当令して太陽を朝拱するは、青龍が文硯を扶持する吉象で、どうして太陽を遮蔽するものであろうか。「月孛」が旺に乗じて金星を欺凌するは、侍妾が正妻の権を奪うの象で、またどうして本主を冒犯するのみであろうか。一切はみな具体の格局を見るべきで、死に成例を執るべからざるを知れ。

科名

從年干取用,甲乙木、丙丁火、庚辛金、戊己土、壬癸水,敬天迎神,乘時布用。

「科名」という星は出生の年の年干の上に取用し、取るのは年干と同気のあの本星である。甲年・乙年は木星を取り、丙年・丁年は火星を取り、庚年・辛年は金星を取り、戊年・己年は土星を取り、壬年・癸年は水星を取る。取り定めた後には、なお天時を敬奉し神機に迎合して、この星の時を得地を得たときに乗じて布置使用してこそ、科第の験に応うことができる。もし时令を顧みず強いて硬用すれば、霊験の言うべきなし。

文星

五行相濟而成。甲見羅,其色青赤;乙見計,其色碧黃;己見氣,其色絳青;丙見金,其色赤白;丁見火,其色紫赤;戊見金,其色黃白;庚見木,其色白青;辛見土,其色粟黃;壬見日,其色黑赤;癸見月,其色綠白;發焰呈祥。含輝吐秀,獨不以水孛為文者,其無質也。

「文星」は二種の五行が互いに調済することによって成る。ゆえに毎組には二種の顔色を配する。甲年は「羅睺」を以て文星とし、木と火とが相済し、その色は青の中に赤を帯ぶ。乙年は「計都」を以て文星とし、木と土とが相済し、その色は碧の中に黄を帯ぶ。己年は「紫気」を以て文星とし、土と木とが相済し、その色は絳の中に青を帯ぶ。丙年は金星を以て文星とし、火と金とが相済し、その色は赤の中に白を帯ぶ。丁年は火星を以て文星とし、火と火とが相扶け、その色は紫の中に赤を帯ぶ。戊年は金星を以て文星とし、土と金とが相済し、その色は黄の中に白を帯ぶ。庚年は木星を以て文星とし、金と木とが相済し、その色は白の中に青を帯ぶ。辛年は土星を以て文星とし、金と土とが相済し、その色は粟の黄の如し。壬年は太陽を以て文星とし、水と火とが相済し、その色は黒の中に赤を帯ぶ。癸年は太陰を以て文星とし、水と金とが相済し、その色は緑の中に白を帯ぶ。二色相配して、はじめて光焔を発し祥瑞を呈し、光輝を含蓄して秀気を吐露し得る。ただ水星と「月孛」を取って文星とせぬは、水の性が虚にして質なく、凝聚して文采を成せぬが故である。(底本のこの条は己年の一項を乙丙の間に列し、次序が参差する。今はその旧に仍る。)

魁星

陰陽和合,相生而成。甲月木受水生,乙日木生火,丙羅火生火,丁計火生土,戊火土受火生,己金土生金,庚水辛孛金生水,壬氣癸木水生木。借勢向榮,權抒採。獨遺土者,以土性混濁之故。

「魁星」は陰陽和合し彼此相生して成るを取る。配法は年干の五行と取る所の星とがちょうど一層の生扶関係を成す。甲年は太陰を以て魁とし、甲は木に属し月は水に属す、是れ木が水の生を受くるなり。乙年は太陽を以て魁とし、乙は木に属し日は火に属す、是れ木が火を生ずるなり。丙年は「羅睺」を以て魁とし、丙は火に属し羅もまた火に属す、是れ火が火を扶くるなり。丁年は「計都」を以て魁とし、丁は火に属し計は土に属す、是れ火が土を生ずるなり。戊年は火星を以て魁とし、戊は土に属し火は土を生ぜしめ得、是れ土が火の生を受くるなり。己年は金星を以て魁とし、己は土に属し土は金を生ず。庚年は水星を以て魁とし、辛年は「月孛」を以て魁とし、いずれも金が水を生ずるなり。壬年は「紫気」を以て魁とし、癸年は木星を以て魁とし、いずれも水が木を生ずるなり。この一層の生気有れば、便ち勢に借りて栄に向かい、権柄と文采とが一斉に舒展する。ただ土星を漏らして用いぬは、土の性が混濁にして魁星清貴の義に合わざればなり。(「権抒采」の句中、疑うらくは一字を脱す。今は照録して補わず。)

三台

子年辰,丑年巳,寅年午,卯年未,辰年申,巳年酉,午年戌,未年亥,申年子,酉年丑,戌年寅,亥年卯;分年挨定,尚需參詳。但大拜諸公,非三臺貫命、三臺貫度,即行三臺度高遷,姑存之以待用。

「三台」は出生年支に按じて挨次排定し、いずれも本年支より前へ数えて四位とする。子年は辰に在り、丑年は巳に在り、寅年は午に在り、卯年は未に在り、辰年は申に在り、巳年は酉に在り、午年は戌に在り、未年は亥に在り、申年は子に在り、酉年は丑に在り、戌年は寅に在り、亥年は卯に在り。このように逐年排定すれば条理あるも、頼りになるや否やはなお参詳を要す。ただ実例より見るに、およそ官が宰輔に至り大拜の礼を行った諸公は、「三台」が命宮を貫くか、「三台」が立たる所の度を貫くか、さもなくば行限が三台の度に走到して高遷を得るかのいずれかである。ゆえにこの星も姑く保存し、後日の取用を留め置く。

金轝

轝者車也,金者貴重之義。譬諸君子居官得祿,須坐車以載之,故常居祿前二辰,如甲年祿在寅,辰為金轝之類。此煞乃祿命之旌旗、三才之節鉞。如生旺得地,婦人不富即貴,男子多得賢妻妾,子孫茂盛,或主作贅,且皇族每與此煞關通。

「轝」は即ち車、「金」は貴重の意で、合わせれば禄を載せる貴車である。譬えば君子が官を為して俸禄を得れば、須く車馬が彼を載せて行かしめねばならぬ。ゆえにこの星は常に禄位より前へ数えて二辰の地に安ず。甲年の禄は寅に在り、寅より前進二位して辰に至る。辰は即ち甲年の「金轝」で、その余の各年はこれに照らして類推する。この煞は禄命の旌旗であり、また天地人三才の節鉞でもあり、主る所は儀従威儀である。もしそれが生旺してまた地を得れば、女命は富まずとも貴し、男命は多く賢徳の妻妾を娶ることができ、子孫も繁茂する。時にまた女家に入り婿することを主る。しかも歴来皇族の命盤は、毎々この煞と相関通ずる。

爵星

子申年土,未亥年火,丑午年水,寅巳年木,酉戌年金,卯年氣,辰年孛。按之頗有驗,亦姑存之。

「爵星」は出生年支に按じて一曜を取り定める。子年・申年は土星を取り、未年・亥年は火星を取り、丑年・午年は水星を取り、寅年・巳年は木星を取り、酉年・戌年は金星を取り、卯年は「紫気」を取り、辰年は「月孛」を取る。実際の命例に照らして核对するに、この星は頗る応験あり。ゆえにまた「三台」と同じく姑く保存し、参用を留め置く。

将星

子辰申年在子,丑巳酉年在酉,寅午戌年在午,卯未亥年在卯。水金火木之年,各就帝旺之地。經云:「將星文武兩相宜,祿重權高自可知,不作宰臣清要職,便居帥府擁旌旗。」

「将星」は三合局に按じて取る。子・辰・申の三年は子に在り、丑・巳・酉の三年は酉に在り、寅・午・戌の三年は午に在り、卯・未・亥の三年は卯に在る。この四處は正しく水局・金局・火局・木局それぞれの帝旺の地。ゆえに将星は本局の旺地に安ず。経書に詩があっていう。「将星文武両相宜、禄重権高自可知。不作宰臣清要職、便居帥府擁旌旗。」意味は、将星を得た人は文武の二途いずれも合宜し、禄厚く権大なるは言うを俟たず、朝中の清要なる宰輔の臣と為らずとも、必ず軍府の中に居りて旌旗を執掌する、ということである。

刃星

刃取宰割之義。祿過則刃生,故刃居祿前一位。亦劫財為刃,以旺處即劫財。卯午酉子為甲丙戊庚壬之祿前一位,並皆劫財旺地,故謂之刃。

「刃」は宰割の義を取り、殺伐を主る一星である。禄気が一たび頭を過ぎれば刃を生ず。ゆえに刃は禄位より前へ数えて一位の地に安ず。別の言い方をすれば、「劫財」も即ち刃である。五行の旺極の処は正しく劫財の在所だからである。甲の禄は寅に在り、丙・戊の禄は巳に在り、庚の禄は申に在り、壬の禄は亥に在り、各々前へ一位して、便ち卯・午・酉・子の四處を得る。この四處はまた各々の劫財の旺地である。ゆえにこれを「刃」と呼ぶ。

乙祿卯,寅為祿之前位;丁己祿午,巳為祿之前位;辛祿酉,申為祿之前位;癸祿子,亥為祿之前位;亦即劫財旺地,其為刃何疑?乃乙丁己辛癸反刃於戌丑辰未,傳襲之謬,亟宜改正。得用則掌重權,失用則構奇禍。

五つの陰干もこの法に照らして算する。ただ陰干は逆行する。乙の禄は卯に在り、寅は即ちその禄位の前一位。丁・己の禄は午に在り、巳は即ちその禄位の前一位。辛の禄は酉に在り、申は即ちその禄位の前一位。癸の禄は子に在り、亥は即ちその禄位の前一位。この数處も同じく各々の劫財の旺地である。これを刃と言うに何の疑いがあろうか。しかるに旧法は偏に乙・丁・己・辛・癸の五つの陰干の刃を戌・丑・辰・未の四つの墓庫の上に安ず。これは歴代の輾転抄袭から伝わった謬誤で、急いで改正すべきである。刃という星は、用いるに値すれば重権を執掌し、用いるに値せざれば奇禍を惹き起す。

神煞

神煞甚夥,大抵皆穿鑿支離,絕無理解,故多不錄。即卦氣、斗柄、貴人、文昌、馬元、祿元、壽元、的殺、陰殺、大殺、天雄、地雌、大耗、小耗等項,似皆可解,然按之於命十不一驗,故並削之。

神煞の名目は極めて多いが、大抵はみな穿鑿附会・支離砕裂にして、まったく道理を講じ得ない。ゆえに本書は大半を収録しない。たとえ「卦気」「斗柄」「貴人」「文昌」「馬元」「禄元」「寿元」「的殺」「陰殺」「大殺」「天雄」「地雌」「大耗」「小耗」の類のように、見たところまだ所以然を言い得そうでも、実際の命盤に持って行って核对すれば、十個のうちに応験を得ること稀れである。ゆえにまた併せて刪去して用いない。

至於催官、科甲二名尤為誕妄,既曰催官,何以甲年人官在氣,而催官乃在金?直傷官矣,漫云催乎?果老云:「與元祿相催克。」夫與元祿相催,謂之催官可也,與元祿相剋亦謂之催官,何歟?用之則顧此失彼,殊為紊亂。科甲既不問其於年干何如,又不問其於官魁科文何如,而直以對宮主星當之,更屬矯誣,均不可從。

「催官」「科甲」という二つの名目に至っては、殊に荒誕不経である。既に催官と呼ぶ以上、なぜ甲年人の「天官」は「紫気」であるのに、いわゆる催官は金の上に落ちるのか。金は甲年人にとって正しく「傷官」で、あれは傷官傷尽であり、なんの催を談ずるに足るか。果老の説は「元禄と相催克する」——元禄と相催するを以て催官と称するは、なお講じ通ず。元禄と相克するもまた催官と呼ぶは、これはどんな道理か。用いれば顧此失彼して、実に紊乱である。さらに「科甲」を言うに、それが出生年干に対して如何なる関係かを問わず、また「天官」「魁星」「科名」「文星」に対して如何なる関係かを問わず、径に命宮の対宮の主星を取って充当する。更に虚妄不実に属す。この二つの名目はいずれも依従すべからず。

万年書暦の由来

萬年書歷之由來久矣,自漢至明修輯者七十餘家,創制者十有三家,其中如《太初》、《大衍》,皆稱精當,至元郭守敬《授時曆》出,而前人莫有及焉。迨西法行,而後更由疏入密,由同得異,識者遂以為觀止也。

万年暦書の由来はすでに久しい。漢代より明代に至るまで、修訂整理に参与した者は七十餘家あり、別に新法を立てて自ら一家を成した者は十三家ある。そのうち漢代の『太初暦』、唐代の一行が造った『大衍暦』は、いずれも精密妥当と称し得る。元代に至り郭守敬の『授時暦』が一出すると、前人は再びそれに及ぶ者がなかった。西洋暦法の通行するに及んで、推歩の術はさらに粗疏より精密に入り、旧法と相同じる処よりまた相異なる処を生じ、識者はここに暦法の精はすでに観止めた、復た加えることなしと認めた。

天を觀る器

試撮其大概言之,凡造歷必造觀天之器,自古觀天者三家:周髀、宣夜、渾天。周髀、宣夜多所違失,惟渾天為得其情,郭守敬循之,更為簡儀、仰儀、懸坐、正坐諸器,乃用二線推測餘分,測景之所凡二十有七,東極高麗、西至滇池、南逾珠崖、北盡鐵勒,中法以天儀而盡地矣。

いま試しに大概について言う。およそ暦を造るには、必ず先に天を觀る器具を造らねばならない。古来天を論ずる者は合わせて三家ある。周髀家・宣夜家・渾天家である。周髀・宣夜の両家の説は多く違失あり、ただ渾天家のみ最も天体の実情を得たり。郭守敬は渾天の一路に沿って推衍し、また簡儀・仰儀・懸坐儀・正坐儀などの器を造り、二条の準線を以て度数の零余を推測した。彼の設けた測影の所は全部で二十七處あり、東は高麗に遠く達し、西は滇池に至り、南は珠崖を越え、北は鉄勒に尽きた。これは中法が一架の天儀を以て、大地全体を量り尽くしたのである。

西法則增置測儀六式,曰象限懸儀、平面懸儀、象限立運儀、象限坐正儀、象限大儀、三直遊儀,又有子午儀、黃赤全儀、弩儀、天環、天球等器,而最巧者無如遠鏡,用之能詳日蝕分秒,能見太白上下弦,能見鎮星為撱形,能見歲星旁四小星,能見鬼宿中之積尸氣,能見天漢中之無算微星;西法更以地儀而盡天,器之疏密不同矣。

西法はまた別に六式の測儀を増設し、象限懸儀・平面懸儀・象限立運儀・象限坐正儀・象限大儀・三直游儀と呼ぶ。このほか子午儀・黄赤全儀・弩儀・天環・天球などの器がある。そのうち最も精巧なるは遠鏡、すなわち望遠鏡に過ぎない。これを以て日蝕の分秒を詳しく知ることができ、金星にもまた上弦下弦の形あるを見ることができ、土星が楕円の状を呈するを見ることができ、木星の傍に別に四顆の小星あるを見ることができ、鬼宿の中の積尸気を見ることができ、銀河の中の数え切れぬ微細な星点を見ることができる。これは西法が一架の地上の儀器を以て、天空全体を看尽くしたのである。中西両家の器具の粗疏と精密は、ここに高下を分けた。

度分と時刻

中法以天為三百六十五度二十五分,度析百分,分析百秒;西法則以三百六十平剖之,度析六十分,分析六十秒。中法以一日為百刻,時各八刻,子午卯酉為九刻;西法則以齊之以九十六刻,減天之度,正日之刻,此又於疏之中寓密也。

中法は周天を三百六十五度二十五分と定め、一度を百分に分け、一分を百秒に分ける。西法は周天を平均して三百六十度に剖し、一度を六十分に分け、一分を六十秒に分ける。中法は一昼夜を百刻と定め、十二時辰は毎時八刻で、ただ子・午・卯・酉の四正時のみ各々九刻を占める。西法は一律に斉整して九十六刻とする。西法は周天の度数を減らしたが、一日の刻数を匀停に据えた。これはまた粗疏に見える中に精密を暗藏したものである。

置閏

置閏之法,氣盈朔虛,此其大綱,中法二十四氣平分,每一節氣十五日二十一刻有奇,積算每年所餘十一日,三年所餘三十三日,因而置潤;西法則云:冬夏不齊,冬一節氣,十四日八十四刻有奇,夏一節氣十五日七十二刻有奇。因日行距地遠近不等,冬日距地遠而行疾,夏日距地近而行遲,以此詳算置閏,氣朔分齊,無盈縮之差,其置閏視中法疏密為何如耶?

置閏の法は、大綱は「気盈朔虚」の四字にある。すなわち一歳の節気の多く出る日数と、十二の朔望月の足らぬ日数とが相抵する。中法は二十四節気を平均に分配し、毎一節気は十五日二十一刻に零あり。累算して毎年十一日を多くし、三年に三十三日を多くし、ここに一つの閏月を安置する。西法はいう。冬夏二季の節気の長短は並び相等しくない。冬の一節気はただ十四日八十四刻に零あり、夏の一節気は十五日七十二刻に零ある。これは太陽の地よりの遠近が同じからぬためで、冬は地を離れて遠く行い速く、夏は地に近く行い遅い。西法はこれに依りて詳しく算して置閏し、節気と朔望とは分配斉整にして、盈縮の誤差なし。このように比べれば、西法の置閏は中法と孰疏孰密なるか、また明らかである。(末句「因而置潤」の「潤」は「閏」の訛り。今は原様のまま録出する。)

歳差

歲差之法,則以日躔之所遷,驗列宿之退數。古無差法,虞喜始立其法,以五十年差一度;何承天則以百年差一度;劉焯則以七十五年差一度;一行以八十三年差一度。中法始減週歲為三百六十五度二十四分五秒,加周天為三百六十五度二十五分七十五秒,以六十七年而差一度,視前為不同矣。

歳差の法は、太陽の躔る位置の遷移を以て、二十八宿の逐年後退する度数を検証する。上古はもと歳差の説なし。晋人の虞喜がはじめてこの法を創して、五十年に一度差ずと定めた。南朝の何承天は百年に一度差と改め、隋人の劉焯は七十五年に一度差と改め、唐僧の一行は八十三年に一度差と改めた。中法は後に至りて周岁を三百六十五度二十四分五秒に減じ、周天を三百六十五度二十五分七十五秒に加え、六十七年に一度差と定作す。前の数家よりまた自ら同じからず。

西法詳算列星,每年東行五十一秒,積七十年有奇而差一度,二千一百十七年有奇而差一宮,二萬五千四百一十年有奇而東旋一周,西法歲差更不同焉。

西法は詳しく衆恒星の行度を推算して、恒星は毎年東へ五十一秒を行き、累積して七十年に零あってやっと一度を差し満たし、二千一百十七年に零あってやっと一宮を差し満たし、二万五千四百十年に零あってやっと東に旋りて一周天を満たすという。西法が歳差を講ずるは、中法各家とまた別の一副の面目あるが見える。

里差

裡差之法,為分省節氣之刻;中法立表測景以求時刻,難為依據,即所測冬夏二至,猶未盡善;西法用八線表法,已為精細,且又有別法以相濟,人莫窺其底蘊。西法裡差密乎不密,異乎不異。

里差の法は、各省の節気に交わる時刻を分別するためのものである。中法は圭表を立てて日影を測り時刻を求むるも、拠り所とし難く、測定した冬至・夏至の二つの至点すら、なお完善とはいえない。西法は「八線表」の法を用い、すでに十分精細であり、しかも別に別の算法ありて互相補済し、外人はその底蘊を窺うこと能わず。かく見れば、西法の里差が果たして密なるか否か、異なるか否か、答えはおのずからその中にある。

交蝕

以交蝕言之,日月之行由南北而縱分之謂之度,由東西而橫截之謂之道,日行高而月行卑,若合朔之時,日與月同度同道,則日為月掩而日蝕;月本無光,借日之光;若對望之時,月與日對度對道,則月為日所,陽極反亢,故蝕;凡交蝕分數總由同道對道之多寡,此中法西法之同也。

さらに日月の交蝕を取って言う。日月の運行する路は、南北の方向より縦に劃分するを「度」といい、東西の方向より横に截断するを「道」という。太陽は行くこと高く、月は行くこと低し。合朔の時に至りて、日と月と同一度・同一道に在り、太陽が月に掩われれば、日蝕となる。月はもとより光なきも、太陽の光を借る。対望の時に至りて、月と日と度・道相対し、月は太陽に掩われ、陽気は極まりてかえって亢盛す。ゆえに月蝕となる。およそ交蝕の分数の多少は、つねに同道・対道の相合の多寡による。この一層は中法と西法とが完全一致する処である。(「則月為日所」の句下、底本は一字を脱す。まさしく「所掩」なるべし。今は照録して補わず。)

至西法更謂月蝕則在日月正望,而地球介乎其間,月入地影中失其所借之光而為蝕;地在天中,其體微渺,尋常不能障隔日月,惟日月同在一線,乃為地所隔而成蝕;故中法謂太陽之體本有暗虛,月值之則遙奪其光,西法則謂月蝕仍名暗虛,為地所隔則暗而虛也,是月蝕又更異矣。

西法はさらに一層進めていう。月蝕は日月の正しく対する望日に起り、地球がちょうど中間に挟まり、月は地球の影に入りて借りた日光を失い、ここに蝕を成す。地球は天体の中に処し、形体は極めて微小にして、平常はよく日月を遮隔せず。ただ日・地・月の三者が同じ一直線上に在るときのみ、地球に隔てられて蝕を成す。ゆえに中法は太陽の本体上にもと一塊の「暗虚」ありと講じ、月がこれに当たれば便ち遥かに光亮を奪わるとする。西法は月蝕も依然として暗虚と呼ぶべしと講ずるも、ただ地球に隔てられて暗く虚しくなるのみ。この一層は、中西両家が月蝕を解釈するに大いに相同じず。

刻漏

刻漏之制,周禮挈壺氏掌之,孔壺謂之漏,浮箭謂之刻。浮箭壺、漏水壺名異而實同,中法因之。西法又有地平晷、百遊晷、通光晷、十字晷,遇陰雨則有自嗚鍾,沙漏、水漏之制。中法以水入壺而時箭浮,西法以水出壺而時牌出,壺體並不開孔,以節時分、定晨昏、考中星、撥晷景,無有差忒,刻漏視中法亦較密焉。

刻漏という制度は、『周礼』に挈壺氏が掌る。孔を開けた壺を「漏」といい、浮かぶ箭杆を「刻」という。浮箭壺と漏水壺とは名称は異なるも実質は同じく、中法はずっとこれに沿って用いる。西法は別に地平晷・百游晷・通光晷・十字晷などの日晷があり、陰雨に遇いて晷影を見る能わざれば、自鳴鐘を用い、また沙漏・水漏の制がある。中法は水を壺中に注がしめ、時箭はこれに随いて浮き起る。西法は水を壺外に流出さしめ、時牌はこれに随いて顕れ、壺身は別に孔竅を開かず。以て時刻を劃分し、晨昏を判定し、中星を考験し、晷影を撥正するに、差錯あることなし。刻漏の一項に就いて論ずれば、西法は中法よりも精密なるが見える。(「自嗚鐘」の「嗚」は「鳴」の訛り。今は原様のまま録出する。)

暦元

惟曆元之準於北極,推而上之,而章、而蔀、而紀、而元,東西兩漢異而實同,中法、西法皆循之,無疏密也。

ただ暦元の一項は、北極を以て准とする。これより上へ層々推排す。十九年積りて一「章」となり、四章積りて一「蔀」となり、二十蔀積りて一「紀」となり、三紀積りて一「元」となる。この一套の算法は、西漢・東漢の两代に異なるが如く見えて実質は同じ。中法と西法とがともにそれに沿って用い、誰が疏で誰が密かは談ずるに足らず。

西法の諸差と三角八線

至西法謂地如圓球,正居天中,日大於地,月小於地,五星大如月,尤振古所未聞。若其論恆星之南北差、赤黃道之疏密差、日與地之不同心差、七政之視差、日蝕之內三差外三差、月蝕時刻之裡差以及悉月星之本次,輪調參觜之先後度,正羅計之誤,元思至理,深切著明,中法不能讚詞矣。

西法の言うところ、大地の形は円球の如く、端正に天体の正中に居り、太陽は地より大にして、月は地より小さく、五星の大小は月に相仿つ。これはさらに古来曾て聞かざるところである。さらにそれが論ずる恒星の南北差、赤道黄道の疏密差、日と地との不同心差、七政の視差、日蝕の内三差と外三差、月蝕時刻の里差、および詳しく月と星と各々の本次を審らかにし、参宿・觜宿の先後の度数を調整し、羅睺・計都の首尾顛倒の誤りを訂正する——思慮の深く道理の至れるは、いずれも明白透徹に講じ得て、中法はこれらの処に一語を置くの余地すらない。

更用以三角八線之算,揆以均數自變量根數之法,天地之寒暑、日月之晦明、渾淪磅礴於太虛之表而不能出其範圍,直可上接容成之統,遠紹羲和之傳,行之萬世而可無敝,密莫密於此,異莫異於此。

さらに三角形と八線の術を加えて運算し、均数・変数・根数の類の算法を以て推校するならば、天地間の寒来暑往、日月の晦朔明暗は、たとい渾淪磅礴して太虚の外に充塞するも、その推算の範囲を逃れること能わず。このような暦法は、上は黄帝の時の容成が暦を造った統緒を承け、遠くは唐堯の時の羲和が天を掌った伝授を継ぎ、これを万世に行っても敗壊せざるべし。密を言えば、これより密なるものなし。異を言えば、またこれより異なるものなし。(「自変量」の三字は底本の如し。まさしく「自変数」の類の訛文なるべし。今は照録する。)

有志者誠取預定之萬年書,及當年之七政經緯躔度書,一一遵而行之,求其故而晰其微,庶幾精算無餘蘊矣。

この道に志す人、果たしてよく予め編定した万年暦書および当年に頒行する七政経緯躔度の書を取り来たり、一条一条に依りて推演し、その然る所以の故を探求し、その精微にして見え難き処を剖析するならば、推算の術はほぼ窮尽して余なし。

十二宮の分度数相照

隔六宮,一百八十度相。隔四宮,一百二十度三合。隔三宮,九十度二絃。隔二宮,六十度六合。

十二宮は彼此相照応し、隔たる宮数に按じて四等に分かる。六宮を隔たるは、両宮の相去ること百八十度、これ正対の照。四宮を隔たるは、相去ること百二十度、これ「三合」の照。三宮を隔たるは、相去ること九十度、これ「二弦」の照。二宮を隔たるは、相去ること六十度、これ「六合」の照。この四種の照法は、すなわち全書が「絡」「釣」「拱」「冲」を講ずるに依拠する度数である。(「一百八十度相」の句下、底本は一字を脱す。まさしく「相對」または「相冲」なるべし。今は照録して補わず。)

立命

生時加太陽上順數至卯是。

命宮を安ずる法:出生の時辰を太陽の在るあの宮の上に加え、再び十二宮の次序に順って数え下し、卯位に数え至るを以て止める。落ちたあの宮がすなわち命宮である。

立度

從太陽所躔之度,用量天尺直數至命宮某度是,即所謂絡也,亦即對三合六合二絃之謂,特兼及三十度,一百五十度而其數益全。

立度の法:太陽の躔るあの度より起算し、「量天尺」を以て一路直に命宮のある度に数え至る。数え至ったあの度がすなわち立つ所の度である。これすなわち前に言うた「絡」、即ち対照・三合・六合・二弦という数種の関係である。ただ立度の法はさらに兼ねて相去ること三十度と百五十度との二種を取る。単に対冲三合を講ずる度数より更に完備なり。

十二宮の名目次序

人以命為主,故命宮第一;財為養命之源,故次二;分我之財曰兄弟,故次三;田宅所以安命藏財而居兄弟,故次四;既有財帛兄弟田宅,而男女所以承田與財者也,故次五;奴婢所以輔男女,故次六;妻妾敵體,與命宮對,故次七;疾厄人所難免,故次八;遷移人所常有,故次九;官祿夭之所予於人,故次十;福德人之所享於天,故次十一;相貌所以成身,故次十二。

十二宮の排列の次序にはおのずから道理あり。人は性命を以て根本とす。ゆえに命宮を第一に排す。財帛は命を養う源頭。ゆえに第二に排す。我が財産を分つ能くするは兄弟。ゆえに第三に排す。田宅は以て身命を安頓し、財貨を収蔵し、兄弟を安置す。ゆえに第四に排す。すでに財帛・兄弟・田宅を有ちて、而も子女は田産家業を承接する人。ゆえに男女宮を第五に排す。奴婢は子女を輔助するもの。ゆえに第六に排す。妻妾は自身と身分相當し、正しく命宮と相対す。ゆえに第七に排す。疾病災厄は人の免るる能わざる所。ゆえに第八に排す。遷徙調動は人の常に有る所。ゆえに第九に排す。官禄は天が人に授ける所。ゆえに第十に排す。福徳は人が天より領受し享用する所。ゆえに第十一に排す。相貌はこの身形を成就する所。ゆえに第十二に排す。(「官禄夭之所予于人」の「夭」は「天」の訛り。今は原様のまま録出する。)

自命宮而至妻宮,其敘不亂;自疾厄而至相貌,卻乃倒置,何歟?命與妻相對,相貌福德官祿出天上,故列在命前;財帛兄弟田宅隱地下,故列在命後。

ある人問う。命宮より妻宮に排ぶるに至るまで、次序は井然として乱れず。しかるに疾厄宮より相貌宮に排ぶるに至っては、看るに顛倒せるに似たり。これは何の故か。要は命宮と妻宮とがもとより相対する両端なるにあり。相貌・福徳・官禄の三宮は天上顕露の一路に属す。ゆえに盤面上に命宮の前に列す。財帛・兄弟・田宅の三宮は地下隠伏の一路に属す。ゆえに盤面上に命宮の後に列す。宮名の先後の次第と盤位の前後の位置とは、もとより一回事にあらず。

有相貌才見福德,有福德才居官祿,有官祿才多遷移,才遷移才招疾厄,自相貌至疾厄,皆日月之喜升而惡沉;有財帛應分兄弟,有兄弟應剖田宅,有田宅應歸男女,有男女應用奴僕,自財帛至奴僕,皆日月之右轉而分佈。此十二宮之立,而人之所以為生,盡在是矣。

さらにこの两路の各々の連貫を見る。先ず相貌ありてこそ福徳を談ずべく、福徳ありてこそ居官食禄を談ずべく、官禄ありてこそ多く調遷外任を談ずべく、調遷ありてこそ疾病災厄を招来す——相貌より疾厄に至るこの一路は、皆日月の升るを喜び沈むを悪む一面に属す。また財帛あれば便ち兄弟に分与すべく、兄弟あれば便ち田宅を剖分すべく、田宅あれば便ち子女に伝帰すべく、子女あれば便ち奴僕を役使すべし——財帛より奴僕に至るこの一路は、皆日月の右に回転し而も挨次分布する一面に属す。十二宮かくの如く建立起てば、人生在世の種種の境遇もまた全てその中に包括せり。

限年

命與祿十有五,福與妻十有一,田宅子孫各四年半,而奴僕隨之,財帛兄弟各五,而相貌獨十年,疾厄遷移退以七八。

各宮の管する行限の年数は並び同じからず。命宮と官禄宮とは各々十五年を管し、福徳宮と妻妾宮とは各々十一年を管し、田宅宮と子孫宮とは各々四年半を管し、奴僕宮もまたこの数に随い、財帛宮と兄弟宮とは各々五年を管し、ただ相貌宮のみ多くして十年、疾厄宮と遷移宮とは退いてただ七年・八年を管す。

其所以若此者,子午卯酉居陰陽之中位,命祿妻田為四正宮,管四十五年有奇,乃含洛書四十有五之妙也;寅申巳亥辰戌丑未八宮,當陰陽終始之地,管五十五年無奇,乃具河圖五十有五之妙也。

なぜかく分配するか。子・午・卯・酉の四支は陰陽の中位に居るがゆえに、命宮・官禄・妻妾・田宅の四つの宮は四正の地に落ち、合わせて四十五年に零ありを管す。正しく『洛書』の数四十五の妙を暗含す。而も寅・申・巳・亥・辰・戌・丑・未のこの八宮は、陰陽の終わりて復た始まる処に処り、合わせて五十五年の整数に零なきを管す。正しく『河図』の数五十五の妙を具備す。四正と八宮と相加えてちょうど一百年。人の一生の限数は便ち皆その中に在り。

童限を出で大限を行る

童限管十五年,此其常也。不及則十歲後即出,太過則二十歲才出,總查太陽過宮之淺深,以定行限之遲早。太陽過宮三日管一年,三十日管十年,須扣算實數起;

童限は一般に十五年を管す。これは常例である。もし足らずんば、十歳以後に童限を出づ。もし過ぎるときは、二十歳に至ってやっと出づ。つねに太陽の宮を過ぐる深浅を査し、これに拠りて大限を起行する遅早を定む。折算の法は、太陽の宮を過ぐること毎三日を以て一年に抵し、三十日を以て十年に抵す。必ず実際の日数に按じて扣算した後に起限せねばならぬ。

倘未滿三日,只二日零六個時,即十歲十個月行限。如七月初一生,必至十一歲六月三十滿十歲,再加十個月,行限則十二歲五月初一才起。

例を挙げて言う。もし三日に満たず、ただ二日零六時辰のみあれば、折りて十歳零十箇月を以て大限を起行す。たとえば七月初一に生れた人は、十一歳の年の六月三十日に至ってやっと満十周岁と算し、さらに十箇月を加えれば、大限の行は十二歳の年の五月初一に至ってやっと起る。

倘將滿三十日,只缺少九個時,即十九歲零九個月行限。如六月初十生,必至二十歲六月初九滿十九歲,再加九個月,行限則二十一歲三月初十才起。

また三十日将に満たんとしてただ九時辰を差すのみあれば、折りて十九歳零九箇月を以て大限を起行す。たとえば六月初十に生れた人は、二十歳の年の六月初九に至ってやっと満十九周岁と算し、さらに九箇月を加えれば、大限の行は二十一歳の年の三月初十に至ってやっと起る。

定命

定命專論宮,果老論度固不可以,即另立度主亦在所不必,但看度之經緯、貫串以卜休咎而已,至於身主尤屬泛泛,皆所宜削。

命宮を定むるはただ宮を論じて度を論ぜず。果老の一派は命を定むるにまた度を論ずるも、固より当らず。すなわち別に一つの「度主」を立つるも、同じく大いに用うるに足らず。度上はただそれの経緯関係と貫串関係とを見るを須み、以て休咎を占断すれば即ち足る。いわゆる「身主」に至っては、さらに泛泛として凭るところなし。これらは皆一概に刪去すべし。

行限

行限專論度,如寅宮有房心尾箕四度,行房以日論,行心以月論,行尾以火論,行箕以水論。若又論宮之為木,則金躔尾,顧不受火克而反雲克木可乎?卯宮有亢氐二度,行亢以金論,行氐以土論,若又論宮之為火,則金躔氐,顧不受土生,而反雲火克可乎?

行限は則ち専ら度を論じて宮を論ぜず。たとえば寅宮の裏に房・心・尾・箕の四度あり、房度に行れば即ち太陽に按じて論じ、心度に行れば即ち太陰に按じて論じ、尾度に行れば即ち火に按じて論じ、箕度に行れば即ち水に按じて論ず。仮に度を論ずる外にさらに宮の五行をも併せ論ぜば、寅宮は木に属す。然らば金星が尾度に躔る時、それが尾火の剋を受くるを算せざって、かえってそれが宮中の木を剋すと言わんか。また卯宮の裏に亢・氐の二度あり、亢度に行れば金に按じて論じ、氐度に行れば土に按じて論ず。仮にまた卯宮の火に属すを論ぜば、金星が氐度に躔る時、それが氐土の生を受くるを算せざって、かえってそれが宮火に剋されりと言わんか。行限はただ度を論ずるのみ能くして、宮の五行を牽入すべからざるが見える。

命主

命主總在得時得地但左右無相剋者,有相生者更優遊自如,尤須朝陽近吉,或作陽引,或作陽從,或有吉神引,或有吉神從,皆主貴顯;若凶神引從,便以禍論。如吉凶神均不引從,則專看經絡貫串等矣。倘有盤合全格而不貴者,皆由主星失之也。

命主星はつねに時を得地を得るを要す。ただ左右にそれを剋する星なければ、それは安穏なり。もし左右にそれを生ずる星あれば、さらに優游自如なり。殊に緊要なるは太陽を朝拱し、吉曜に親近すること。あるいは太陽の前に「引」を為し、あるいは太陽の後に「従」を為し、あるいは吉神ありて前に引き、吉神ありて後に従す。この数種は皆貴顕を主る。反対に、もし凶神ありて前に引き後に従せば、便ち災禍に按じて断ずべし。仮に吉神凶神いずれも引従に来らずんば、便ち専らそれが各星との経・絡・貫・串の関係の如何を見る。ある命盤は格局の配う斉整なれども終に貴ならざるは、毛病は皆命主星の時を失地を失したに出づ。

経

經者四經,如箕參軫壁、井角斗奎、尾窒觜翼、亢牛婁鬼、氐女胃柳、房虛昴星、心危畢張,在天同為一氣,故宮神皆暗相管攝。命主在箕,吉星在箕,固是同經;命主在箕,吉星在參軫壁,亦係同經,應無不利。反是而為凶曜,害亦如之。

いわゆる「経」とは、四方遥かに相対応する宿度が同一の経に属することを指し、毎経に四宿あり。たとえば箕・参・軫・壁は合して一経を為し、井・角・斗・奎は合して一経を為し、尾・窒(即ち室宿)・觜・翼は合して一経を為し、亢・牛・婁・鬼は合して一経を為し、氐・女・胃・柳は合して一経を為し、房・虚・昴・星は合して一経を為し、心・危・畢・張は合して一経を為す。同経の数宿は天上に本より一気相通ず。ゆえに各宮の宮神は皆暗に彼此管攝す。命主が箕度に躔り、吉星もまた箕度に躔るは、固より同経。命主が箕度に躔り、吉星が参・軫・壁のいずれかの度に躔るも、同じく同経と算す。当に不利あるべからず。反対に、もし同経なるが凶曜なれば、為害もまたこの路子に照らして同じく伝わり来る。

絡

絡者宮度對也,即對沖三合二絃六合之謂,而兼及三十度、一百五十度,所以立度者即此道也。一氣相通最為親切,即以日月論,日晝夜行一度,月晝夜行十二三四度不等,月與日同宮同度則合朔,離日九十度則上弦,離日一百八十度則望,近日九十度又下弦,非即絡之謂歟?諸星之互相感通,何獨不然?故命主與吉凶星絡對而榮枯立判。

いわゆる「絡」とは、宮と度とが彼此相対すること、即ち対冲・三合・二弦・六合という数種の関係で、ほかにさらに兼ねて相去ること三十度と百五十度との二種を取る。前に講じた立度の法は、用いる所は正しくこの一套の道理である。同一の気中に在りて彼此相通ずれば、感応は最も親切なり。まず日月を以て言うに、太陽は昼夜に一度を行き、太陰は昼夜に十二度より十四度に至るまで等しからず。月が日と同宮同度なれば即ち合朔、日を離れて九十度なれば即ち上弦、日を離れて百八十度なれば即ち望、再び日に逼近して九十度なれば即ち下弦。これは正しく「絡」の意にあらずや。その余の各星の彼此感通、豈に例外あらんや。ゆえに命主と吉星凶星とが一旦絡対すれば、人の栄枯は立刻に分判し出づ。

貫

貫者,他星與命度共為一經也。如命與度是火,他星即火之類。分衰旺不分同異,吉星自亨,凶星自蹇。

いわゆる「貫」とは、別の星が命宮の立つ所の度と同一の経に属するをいう。たとえば命宮と立つ所の度とが俱に火に属し、来るあの星もまた火に属すれば、これを貫と呼ぶ。貫を看るにはただそれの衰旺を分かつのみ、彼此の同異を分たず。来貫するが吉星なれば自然に亨通し、来貫するが凶星なれば自然に蹇滞す。

串

串者,在立命立度之度也。如命是木,他星即躔角斗奎井;度是角,他星即躔角斗奎井。有相迎無相拒,吉星自亨,凶星自蹇。

いわゆる「串(ちゅう)」とは、別の星がちょうど立命・立度と相応するその一路の度に躔する(ちな)ことである。たとえば命が木に属し、別の星が角・斗・奎・井の几度に躔れば、立てた度が角であれば、別の星も角・斗・奎・井の几度に躔すればよい。このように彼此は相迎えるだけで相拒むことがない。串に来るのが吉星なら亨通し、凶星なら蹇滞(けんたい)する。

塡(てん)

填者四柱填實也。如四柱有子丑,吉凶星在子丑;四柱有戌亥,吉凶星在戌亥之類。

いわゆる「塡」とは、盤上の吉凶星がちょうど生辰四柱の地支を塡め実(み)たすことである。たとえば年月日時の四柱のうちに子・丑があり、吉星・凶星がまさに子宮・丑宮に落ちる、また四柱のうちに戌・亥があり、吉星・凶星がまさに戌宮・亥宮に落ちる——この類を皆「塡」と呼ぶ。塡め実たされたのち、その星の吉凶は格段に応験(おうけん)しやすくなる。

冲(己後補)

沖者對宮沖照也。即隔六宮一百八十度之謂,而正不必拘拘於一百八十度也。如立命在子,吉凶星在午之類,更須看命主與大限。

いわゆる「冲」とは、対宮が遥かに冲照すること、すなわち六宮を隔て百八十度を距てる関係である。ただし実際の取用は必ずしも足かせのように百八十度に固守しなくてよい。たとえば命宮が子に立ち、吉星・凶星が午宮に落ちれば、これを冲と呼ぶ。冲の吉凶を断ずるには、なお併せて命主星と大限の様子を参看しなければならない。(篇題下の底本原注「己後補」の三字は、作者が後にこの条を補入した記号である。)

守(す)

守者守命宮也,吉凶星在命宮之謂,大限亦然。

いわゆる「守」とは、星曜が命宮に坐守すること、すなわち吉星または凶星がまさに命宮の内に落ちることである。大限の行き到るその宮のうちに星が坐すれば、同じくこれを守と呼ぶ。

釣(ちょう)

釣者三方四正釣照也。三方即隔四宮之三合,而不必拘拘於一百二十度也。如命宮在卯,吉凶星在亥未之類。四正即隔三宮之二絃,而不必拘拘於九十度也。如命宮在申,吉凶星在亥寅巳之類,更須看命主及大限。

いわゆる「釣」とは、三方四正から遥かに釣照することである。三方とは四宮を隔てる三合で、これも必ずしも百二十度に固守しなくてよい。たとえば命宮が卯にあり、吉星・凶星が亥宮・未宮に落ちれば、卯亥未がまさに三合を成す——これが三方釣である。四正とは三宮を隔てる二弦で、これも必ずしも九十度に固守しなくてよい。たとえば命宮が申にあり、吉星・凶星が亥・寅・巳の三宮に落ちれば、これが四正釣である。釣の吉凶を断ずるにも、同じく併せて命主星と大限を参看しなければならない。

拱(きょう)

兩星拱命主,或在三方,或在對宮,總以無混雜為貴,日月官魁之拱尤重,命主大限皆然,然亦須辨拱星之吉凶。

いわゆる「拱」とは、二つの星がともども命主を拱抱(きょうほう)することで、あるいは三方から拱に来るか、あるいは対宮から拱に来る。拱は中間に別の星が夾雑しないのを貴ぶ。そのうち太陽・太陰・「天官」・「魁星」が拱に来るのが最も緊要である。命主が拱を受けるのもそうであれば、大限が拱を受けるのもそうである。ただし来て拱するのが果たして吉星か凶星かを分別しなければならず、拱あるを見ればすぐ美と思うべきではない。

夾(きょう)

兩星夾命主,或在一宮,或在數宮,總以不混雜為貴,日月官魁之夾尤重,命主大限皆然,然亦須辨夾星之吉凶,至於日月所夾,更當推求。

いわゆる「夾」とは、二つの星が一前後に命主を中間に夾むことで、あるいは同一宮の内に夾むか、あるいは数宮を隔てて夾む。夾もまた中間に別の星が夾雑しないのを貴ぶ。そのうち太陽・太陰・「天官」・「魁星」が夾に来るのが最も緊要である。命主が夾を受けるのもそうであれば、大限が夾を受けるのもそうである。同じく来て夾むのが吉星か凶星かを分別しなければならない。日月の夾む情況に至っては、さらに詳しく推求すべきである。

命主是官魁文科,日月夾最宜,以其氣聚神旺也,若係劫煞傷刃,日月夾之反為不美。倘非命主,僅屬他星,則以夾官魁文科為祥,夾劫煞傷刃為災,但必察其與命度有關會與否,如並未與命度經絡貫串,則亦不見災祥也。

命主が「天官」「魁星」「文星」「科名」といった類の貴曜ならば、日月の夾を得るのが最も相応しく、気が聚まり神が旺えるからである。命主が「劫財」「七煞」「傷官」「羊刃」といった類の悪曜ならば、日月がそれを夾むとかえって美しくなく、凶気まで培養して旺えさせるに等しい。もし夾まれるのが命主ではなく別の星だけならば、官・魁・文・科を夾めるのを吉祥とし、劫・煞・傷・刃を夾めるのを災殃とする。ただしその夾まれた星が命宮立度と関会(かんえ)あるかを必ず察しなければならない——もしその星が命度と経絡もなく貫串もなければ、災であれ祥であれ、いずれも応験しない。

日月之夾雖取其不混雜,若冬生人,以水孛為官魁科名,日月夾水夾孛,或並夾火夾羅在內,則水孛方藉火羅以暖,始不寒凍,非惟不作混雜論,其精神正全在火羅;如夾水孛並無火羅,似乎不混雜,而其實反難生動矣。推之於拱亦然,夾與拱略同,而其力較大。

日月の来て夾むことは別の星が夾雑しないのを貴とするが、例外もある。たとえば冬に生まれた人が、水星と「月孛」をもって「天官」「魁星」「科名」とする場合、日月が水を夾め、「月孛」を夾めるが、その中間に火星と「羅睺」まで一併せて夾まれている。このとき水と「月孛」はまさに火・「羅睺」を借りて暖を取り、寒凍凝滞に陥らないのである。これは決して夾雑と見なせないばかりか、かえって全副の精神がまさに火と「羅睺」の上に落ちる。反対に、夾まれるものが水・「月孛」だけで火・「羅睺」がなければ、表面には清潔で雑なきように見えて、実は寒凝板滞(かんぎょうはんたい)して、かえって生動しがたい。この道理は「拱」に推しても同じである。夾と拱は大体同じだが、夾の力は拱よりも大きい。

攔截(らんせつ)

或羅計攔出一星,日月攔出一星是也。所當辨攔截之星之吉凶,並當辨吉凶星之與命度有關會與否,更取其無他星混雜。然使攔出吉凶星,兼攔出命主,則此吉凶星雖與命度絕不經絡貫串,卻以命主同攔出而有關會矣。

いわゆる「攔截」とは、「羅睺」「計都」の二星が一つの星を中間に攔(ふせ)ぎ截(き)り出すか、または太陽・太陰が一つの星を攔截し出すことである。この格を断ずるには、まず攔截を作す二つの星自体が吉か凶かを分別し、次に攔き出されたその吉星・凶星が命宮立度と関会あるかを分別し、さらに中間に別の星が来て混雑しないことを取る。ただし一つの情形に留意すべきである。もし攔き出されたものが吉星・凶星であると同時に、命主をも一併せて攔め入れたなら、その吉星または凶星はたとい命度と全く経絡・貫串がなくても、命主とともに攔き出されたことによって、そこに関会が生じるのである。

又冬生人,攔出水孛,兼攔出火羅,似乎混雜,但水孛是官魁科名,得火羅暖之,其氣正揚;水孛是劫煞傷官,有火羅助之,其焰彌熾,未可執一而斷。

またたとえば冬に生まれた人で、攔き出されたのが水と「月孛」で、同時に火と「羅睺」も攔き出されたなら、見るに混雑のようである。実は両頭に分けて見なければならない。もし水・「月孛」がその人の「天官」「魁星」「科名」なら、火・「羅睺」の温暖を得て、その気はちょうど発揚する。もし水・「月孛」がその人の「劫財」「七煞」「傷官」なら、火・「羅睺」が傍らで相助けて、凶焔はかえっていよいよ熾ん(おこ)る。だから一方に執定して断語を下してはならない。

天官(てんかん)

等天官者何?天干之官也,餘俱從天干取用。如甲年生人,甲以辛為官,辛之化祿為氣,氣即天官;以庚為七煞,庚之化祿為水,水即七煞;以丁為傷官,丁之化祿為金,金即傷官;以丙為食神,丙之化祿為木,木即食神;

何を「天官」と呼ぶか。それは天干上の正官である。その余の各種の十神も、一概に天干上から取用する。たとえば甲年に生まれた人。甲は辛をもって正官とし、辛の化禄は「紫氣」だから、「紫氣」がすなわちその人の天官となる。甲は庚をもって七煞とし、庚の化禄は水だから、水星がすなわちその人の七煞となる。甲は丁をもって傷官とし、丁の化禄は金だから、金星がすなわちその人の傷官となる。甲は丙をもって食神とし、丙の化禄は木だから、木星がすなわちその人の食神となる。(句首の「等」の字は上の条の篇題の残留の文なり。今は照録して削らない。)

以己為正財,己之化祿為月,月即正財;以戊為偏財,戊之化祿為土,土即偏財;以壬為偏印,壬之化祿為計,計即偏印;以癸為正印,癸之化祿為羅,羅即正印;以乙為劫財,乙之化祿為孛,孛即劫財;甲之化祿為火,火即元祿。餘仿此。

引き続き下に配する。甲は己をもって正財とし、己の化禄は太陰だから、太陰がすなわちその人の正財となる。甲は戊をもって偏財とし、戊の化禄は土だから、土星がすなわちその人の偏財となる。甲は壬をもって偏印とし、壬の化禄は「計都」だから、「計都」がすなわちその人の偏印となる。甲は癸をもって正印とし、癸の化禄は「羅睺」だから、「羅睺」がすなわちその人の正印となる。甲は乙をもって劫財とし、乙の化禄は「月孛」だから、「月孛」がすなわちその人の劫財となる。甲自身の化禄は火だから、火星がすなわちその人の「元禄」となる。その余の九つの年干は、いずれもこの方法に照らしておのおのの十曜を推し出す。

天官(続)

天官固取其與命度經絡貫串矣,亦有通根而不通根者。如官躔傷官度,命亦躔傷是也;或官躔他度,正財躔命度,則又不通根而通根焉。

天官という星は、固よりそれが命宮立度と経絡・貫串の関係を持つことを取るが、そのうちになお「通根」と「不通根」の分別がある。たとえば天官が傷官の度に躔し、命宮も傷官の度に躔すれば、表面上は気脈が相接するようでも、実は根気がすでに傷官に壊され尽くしている——これを通根にして不通根と呼ぶ。反対に、天官が別の度に躔しても、正財が命度の上に躔し、正財は官を生ずることができる——表面上は相接しないようでも、実は気脈が暗に通じる——これを不通根にして通根と呼ぶ。

《天官經》云:「日月扶官,才昭廊廟。官入命垣,格低還貴。天官秉令,身居九鼎。天官貫日,食祿豐隆。官命互躔,魁元早奪。官躔傷度,逢生猶榮。正財隨駕而對照兮,喬遷不次。正財當限而拱官兮,恩寵駢集。惟忌傷官作妒,更嫌七煞當前。傷官伴官兮崎嶇有阻,七煞混官兮荊棘自生。」

《天官經》にいう。日月が天官を扶助すれば、才華は朝廷に昭顕(しょうけん)し、天官が命宮に入れば、格局は低くても終わりに貴となる。天官が当令し権を秉(と)れば、この身は九鼎の尊に居るべく、天官が太陽に貫かれば、食禄は豊厚である。天官と命宮が互いに躔臨すれば、早く魁元を奪うことができる。天官はたとい傷官の度に躔しても、ただ別に生扶があれば、なお栄顕である。正財が駕の側に随い天官と対照すれば、すなわち越級の昇遷ができる。正財がまさに行限に当たり天官を拱護すれば、恩寵は串を成して至る。忌むべきはただ傷官が傍らから妬害し、さらに嫌うは七煞が前頭に遮ることである。傷官が天官に伴えば、仕途は崎岖して阻まり、七煞が天官に混じれば、至るところ荊棘(けいきょく)が叢生(そうせい)する。

此亦得其大概也。更不宜合化,如丙用羅官愁見月,土陰湊合不為官。餘仿此。

この数語は大体天官取用の要領を言い出したものである。このほかになお一層ある。天官は合化され去られるのを宜しくとしない。たとえば丙年に生まれた人は「羅睺」をもって天官とするが、太陰を見るを愁う——「羅睺」は癸の化禄、太陰は己の化禄で、土気と陰月とが一たび湊合(そうごう)すれば、天官の気は合せ去られ、もはや官たりえない。その余の各年干が合化に遇う情況も、いずれもこの例に照らして推求する。

七煞(しちさつ)

子平可去官留煞,五星則煞總不可混官,須以食神制之,遂使官清,否則陽年之煞與劫合化,陰年之煞與傷合化,亦可。《天官經》云:「劫傷見煞也相制,天官有勢。」又云:「貪合見煞也忘煞,天官亦尊。」

子平一家には「去官留煞」の用法があるが、五星のこの門はそうではない。七煞は総じて天官に混雑してはならない。必ず食神を用いてこれを制伏しなければ、官星は清純を得ない。もし食神がなければ、陽年生まれは七煞を劫財と合化させ、陰年生まれは七煞を傷官と合化させても、また解くことができる。《天官經》にいう。「劫傷は煞を見ても相制し、天官は勢い有り。」またいう。「貪合は煞を見ても煞を忘れ、天官もまた尊し。」劫財・傷官が七煞に遇えば牽制の功を起こし、天官はすなわち勢力を有する。七煞が相合を貪って、官に混ずるこの事を忘れれば、天官は同じく尊貴である。

若七煞無食神制,又無劫傷合,獨與天官經串釣,難望清貴。縱得進士亦不能館選,即使館選亦必至散去。內至京堂四品,終不能大轎;外至藩臬兩司,亦不能八座。

もし七煞に食神の来て制するもなく、また劫財・傷官がそれと相合するもなく、偏(ひとえ)に単独で天官と経・串・釣の関係を結べば、これは清貴を望みがたい。このような命はたとい進士に及第しても、翰林院には入れず、僥倖(ぎょうこう)に館選に与っても、末には必ず散館して外放される。京で官を為しても至るところ四品京堂に止まり、終わりに宰輔の大轎(おおこし)に坐れず、外で官を為しても至るところ布政使・按察使の両司に止まり、また八座尚書の列に昇り入れない。

更有公卿貴命,原盤並未官受煞混,特無食神制煞,劫傷化煞,往往從不清貴之衙門,一轉則煞之為崇大也。惟武職官員,由行五起者,煞而兼刃,或掌威權有之。至於煞兼魁兼科,又當分觀魁科之盛衰,或作清宦亦有之。

また一種の公卿貴命があって、原盤上は天官が七煞に混雑されず、ただ食神制煞を欠き、また劫財・傷官化煞を欠く。この種の人は往々にして清貴ならざる衙門から起家し、一任を転じてようやく昇ることができる——七煞の作祟(さくすい)する力がいかに大きいかを見るべきである。惟(ただ)武職の官員で、行伍の下級から起ち身した者は、煞をして兼ねて羊刃を帯びれば、むしろ威権を執る者もいる。七煞が同時に兼ねて「魁星」を作し、兼ねて「科名」を作すものに至っては、また魁・科そのものの盛衰を分けて見るべく、そのうちにも清貴の官を為し成す者がある。

正財(せいざい)

正財乃生天官星也,亦看與命主經絡貫串何如,司令升殿或拱夾攔截合宜,不但增秩,兼能至富。總須與天官有情,或經或絡,或串或拱,或或同,攔截皆妙。但陽年不可遇元祿,陰年不可遇偏印,遇之則貪合而忘生也。

正財は天官を生ずる星だから、それが命主との経絡・貫串の情況がいかにかをも見なければならない。もし正財が当令して権を司り、殿に升り地を得れば、あるいは拱・夾・攔截が各々その宜しきを得れば、官を加え秩を晋めるばかりか、兼ねて富厚を致すこともできる。要するにそれが天官と情有ることを要する。あるいは経を結び、あるいは絡を結び、あるいは串し、あるいは拱し、あるいは同宮同度し、あるいは攔截の勢いを成せば、いずれも妙格である。ただし陽年生まれは正財をして「元禄」に遇わせてはならず、陰年生まれは正財をして偏印に遇わせてはならない。一たび遇えば、正財は相合を貪って官を生ずるを忘れる。(「或或同」の句のうち底本は一字を脱す。今は照録して補わない。)

偏財(へんざい)

偏財雖能生煞,亦能生官,特陽生陰,陰生陽,其力自薄耳。倘與煞同宮同度,或獨釣,或獨,則生煞而煞彌橫;如與官同宮同度,或獨釣,或獨,則於官亦不無小補。但陽年與正印合化,懮其無以制傷官;陰年與劫財合化,喜其有以扶正財。

偏財は七煞を生ずることができるが、同時に天官をも生ずることができる。ただし一は陽が陰を生じ、一は陰が陽を生ずるので、同気相生ではなく、力量は自ずから単薄である。もし偏財が七煞と同宮同度し、あるいは単独で釣照・単独で夾照すれば、専ら煞を生じに往き、煞の気焔はいよいよ横暴となる。もし天官と同宮同度し、あるいは単独で釣照・単独で夾照すれば、天官に対してもまた小補なきにあらず。このほか陽年生まれは偏財が正印と合化し、憂うべきはこれより傷官を制伏するものがなくなること。陰年生まれは偏財が劫財と合化し、喜ばしいのはこれより正財を扶助するものが有ることである。(両箇所の「或独」の下に底本は各々一字を脱す。おそらく「或独夾」「或独拱」の類か。今は照録して補わない。)

傷官(しょうかん)

凡天官遇傷者,須見正財。若見正財,轉能生官,蓋傷生財,財生官也,故有行傷官度發者,非傷官在正財度,即正財在傷官度。傷財互躔,行傷度勝於財度。

およそ天官が傷官に遇うには、必ず正財を見ればよい。正財があれば、傷官の気はかえって転じて官を生ずることができる。傷官が財を生じ、財がさらに官を生ずるので、中間に転手の処があるからである。だからある人は偏(ひとえ)に傷官の度を行るときに発達する——一たび査(しら)べれば明らかである。傷官がまさに正財の度に躔しているか、または正財がまさに傷官の度に躔しているかのいずれかである。傷官と正財が互いに躔臨するときは、傷官の度を行るがかえって正財の度を行るに勝る。

昔人有專看天官正財傷官三星者,詳其聚散,審其衰旺,知其生中有傷、傷中有生,從而斷之,無不立驗。是天官遇傷官,必須正財,若無正財,即須正印以制之,尤須陽年以偏印,陰年以七煞合化之。

前人には専ら天官・正財・傷官の三つの星を看て命を断ずる者がある。詳しくそれらの聚合・離散を審(つぶさ)にし、それらの衰旺・強弱を考察し、生の中に傷を含み、傷の中に生を含むを見て、これに拠って断語を下せば、立ちどころに応験せざるはない。見るべし、天官が傷官に遇うには、第一に正財を要する。もし正財がなければ、正印を用いて傷官を制伏しなければならず、さらに然らざれば、陽年生まれは偏印を用い、陰年生まれは七煞を用いて、傷官を合化し去るのである。

食神(しょくしん)

食神取其制煞,因之煞去官清,但陽年頗忌其合官,陰年亦忌其剝官。如煞在對宮,官在同宮,則只能合近地之官,剝近地之官,而不能及煞,煞仍自如,何也?對宮疏而同宮親也。

食神はそれが七煞を制伏するを取る。煞が制されれば、天官はすなわち清純となる。ただし陽年生まれは頗(すこぶ)る食神が反って天官を合し留めるを忌み、陰年生まれも食神が天官を剥削(はくさく)するを忌む。たとえば七煞が遠く対宮にあり、天官が食神と同一宮に在れば、食神はただ近処の天官を合し留め、近処の天官を剥削できるのみで、遠処の七煞には及ばず、七煞は照り旧り逍遙(しょうよう)自在である。これは何の故ぞや。対宮は畢竟(ひっきょう)疎遠であり、同宮こそ親近と算えられるので、星の力はつねに先ず近に及んで後に遠に及ぶからである。

正印(せいいん)

正印乃所以制傷官也,但陽年與偏財合化,既無以制傷官,又慮天官有藉於偏財,為之阻隔;陰年與食神合化,既無以制傷官,又慮七煞待制於食神,為之消滅。

正印の用処は、傷官を制伏するに在る。ただし陽年生まれは正印が偏財と合化し、一に傷官を制伏する力量を失い、二に天官は本より偏財を借りて生ぜんとするに、今や偏財が合せ去られれば、天官の生路もまた阻隔される。陰年生まれは正印が食神と合化し、一に同じく傷官を制伏する力量を失い、二に七煞は本より食神が制するを待つに、今や食神が合せ去られれば、煞を制する力量もまた消滅する。

偏印(へんいん)

偏印能制食神,使食神不能制七煞,其害最大。惟食神與天官有礙,則又賴偏印之制。陽年與傷官合化,可以助官;陰年與正財合化,適以損官。

偏印は食神を制伏し、食神は一たび制されれば、さらに七煞を制することができない——この一層の害処は最大である。ただし例外もある。もし食神そのものがかえって天官を妨げるならば、それはまさに偏印を頼んでこれを制すべきである。このほか陽年生まれは偏印が傷官と合化し、傷官はすでに去って、かえって天官を助ける。陰年生まれは偏印が正財と合化し、正財はすでに去って、ちょうど天官を損害する。

劫財(ごうざい)

此為十曜中最惡之星。陽年雖有合七煞之休,陰年實有合偏財之咎,經但端主傷妻,自歷年試之,正不止此。與日有關,即行劫度,克父;與月有關,即行劫度,克母;與弟兄有關,即行劫度,克弟兄;與子孫有關,即行劫度,克子孫。

劫財は十曜のうち最も凶悪な一つである。陽年生まれには七煞を合し去る好処があるが、陰年生まれには実実として偏財を合し去る過咎(かきゅう)がある。旧経にはただそれが主として妻室を克傷すると説くが、我が歴年の試験を経て見れば、為害は遠くこれに止まらない。劫財がもし太陽と関会あれば、一行して劫財の度に至れば父を克し、太陰と関会あれば、一行して劫財の度に至れば母を克し、兄弟宮と関会あれば、一行して劫財の度に至れば兄弟を克し、子孫宮と関会あれば、一行して劫財の度に至れば子孫を克する。

雖不行劫度,但逢劫頂度,亦諸惡畢集,而且耗散有之、疾病有之,居官者降罰亦有之;若與妻主有關,妻主又不得氣,常常斷絃;與子星有關,子星又不得氣,每每絕嗣;與財曜有關,財曜又不得氣,屢屢空乏。僅置諸閒散之地,尚恐招殃,倘入乎攔夾之鄉,愈將肆虐,必得天官乃能制之,而天官又以制劫,力薄矣。

たとい曾(かつ)て劫財の本度に行らずとも、ただ劫財の頂(いただ)くその度に遇えば、同じく諸悪が斉しく来る。あるいは破財して耗散し、あるいは疾病が身に纏い、官を為す者はまた降級の処罰を遭う。もし劫財が妻主星と関会ありて、妻主星がまた気を得なければ、常に偶を喪い弦を続(つ)ぐ。子星と関会ありて、子星がまた気を得なければ、每每(まいまい)に後嗣を絶つ。財曜と関会ありて、財曜がまた気を得なければ、屡屡(るる)に窮乏する。この星はたとい閑散無用の地に擺(お)かれるのみでも、なおそれが災いを招くを怕れ、もし攔截・夾拱の要衝に落ち入れば、為虐はいよいよ烈しい。必ず天官を得てこそそれを制伏できるが、しかし天官はみずからも他処を顧みて、さらに力を分けて劫財を制すれば、力量は単薄となる。(末句は底本に疑わしき脱字あり。今は照録して補わない。)

元禄(げんろく)

元祿即天祿也。果得時得地,與命主有情,多食天祿。惟不取其有合,陽年與正財合,無以生官,陰年與天官合,有以奪官。

「元禄」とは天禄のことで、すなわち本年干そのものが化したその星である。それが果たして時を得地を得て、また命主と情有れば、この人は多く朝廷の俸禄を享受することができる。ただしそれをして別の星と相合せしむべからず。陽年生まれは元禄が正財と相合すれば、正財が牽き去られて、天官を生ずるものがなくなり、陰年生まれは元禄が天官と相合すれば、かえって天官を奪い去る。

恩難仇用(おんなんきゅうよう)

恩難仇用,皆五行之理,但恩難較切,尚可兼觀;仇用更寬,不妨偏廢。況煞忌黨,其剛凶多驗,於刃兼之,氣盡則身盡,官竭則命竭,危亦恆不在難也;引從者吉,則外貴乎空,挈提者凶,則內喜乎善,吉凶扶陽勢,餘奴亦足敵殺,安亦恆不在恩也。

「恩星」「難星」「仇星」「用星」のこの一套の名目は、いずれも五行生克の理から出る。ただし恩・難の二項は命との関係が比較的切近いので、なお併せて観ることができる。仇・用の二項は界限が余りに広いので、しばらく擱(お)いておいてよい。しかも七煞が忌むべき星と党羽を結べば、その剛戾(ごうれい)凶暴は多く応験し、もしさらに羊刃を兼ねれば、気数が一たび尽きれば人身も尽き、官星が一たび竭(つ)きれば性命も竭く——見るべし、危亡は必ずしも皆「難星」より出ず。反対にいえば、前に引き後に従うものが皆吉星ならば、外囲は空浄にして雑なきを貴とし、提挈して前に在るものが凶星ならば、内里は善星の化解あるを喜ぶ。吉凶の間でただ陽気の勢いを扶け起こすこと能くば、たとい余曜・奴星もまた凶煞に抵敵(ていてき)するに足る——見るべし、平安もまた必ずしも皆「恩星」より出ず。(本条は底本の文字が簡奥にして頗る脱訛(だつか)あり。今はその通ずべきところに就き訳出し、存疑の処は敢えて強解しない。)

官福(かんぷく)

官福皆分宮挨定,原非無理,但按之似近於泛,不如從年干上徑用天官等星,神明變化而不離乎其宗。升沉之緒已完,否泰之端自備。

「官」「福」のこの二項は、いずれも十二宮に挨次排定したもので、本より道理なきにあらざれど、これを取りて命盤を核(かく)対するに、総じて空泛にして切実ならずと覚え、いっそ径(じか)に出生年干の上から「天官」等の十曜を取用するに如かず——こう推せば変化は神妙なれども、終始本宗を離れない。ここまで講じて、一人の升沈起伏の頭緒はすでに交代し尽くし、通泰(つうたい)か否塞(ひそく)かの端倪(たんげい)もまた皆備わった。

財帛田宅兄弟妻子(ざいはくでんたくけいていさいし)

是皆在得時得地,或日月,或吉曜拱夾為妙。妻以主之強弱分其人之存亡。財帛田宅尤在與命主有情。若以日月為財者,其財非從父母來即為天下所共見之財,但必合偏正財參觀方能有準。

財帛・田宅・兄弟・妻子のこの数宮は、いずれもそれらが時を得地を得るかを見、太陽・太陰あるいは別の吉曜が来て拱し来て夾めるを得てこそ妙と算える。妻宮は妻主星の強弱を見て、これに拠って配偶の存亡を判断する。財帛・田宅の両宮は、殊にそれらが命主と情あるかを見る。もし太陽・太陰を取って財星に充てるならば、この財は父母の手より得たるか、さもなくば天下人が共に見る顕赫(けんかく)の財である。ただしまた必ず偏財・正財を合わせて参看し、断じてこそ準頭(じゅんとう)あるのである。

兄弟子息故以水一、火二、木三、金四、土五為權衡矣,倘逢生則倍而增,逢克則倍而減。如弱土寄水,未必五不變一;干木寄火,未必三不變二;旺水寄木,未必一不變三;燥火寄土,未必二不變五。蓋亦在其位謀其政之義也。

兄弟と子息の数目は、従来より五行の成数をもって権衡(けんこう)とす。水は一を主り、火は二を主り、木は三を主り、金は四を主り、土は五を主る。もし生扶に逢えば倍に増添し、もし克制に逢えば倍に減損する。このほかなおそれが何処に寄居するかを見る。衰弱の土が水の上に寄れば、本より五を主れど必ずしも一と変らざることなく、乾枯の木が火の上に寄れば、本より三を主れど必ずしも二と変らざることなく、旺盛の水が木の上に寄れば、本より一を主れど必ずしも三と変らざることなく、燥烈の火が土の上に寄れば、本より二を主れど必ずしも五と変らざることなし。これまさにいわゆる何(いず)れの位置に在れば何れの職分を謀るかの意なり——星は何れの家に至るや、その家の数目に拠って算えるのである。

限度(げんど)

耶律楚材云:「一生得失,總在行度。」其詔我哉?命宮猶家,限度猶寓。試以家北而寓南者譬之。其家遭水火,其寓遭水火,一及身,一不及身,其緩急迥不侔矣。

耶律楚材がいう。「一生の得失は、つねに行う度の上に在り。」この言はまことに我らへの教誨である。命宮は自分の家に譬(たと)えられ、行限の到る度は寄居する旅舎に譬えられる。試しに家が北辺にあって南辺に寄寓する人をたとえに取る。家が水火の患(わざわ)いに遭っても、人は家に在らざれば、自身に焼け及ばない。旅舎が水火に遭えば、人はまさにその中に住んで、立ちどころに自身に焼け及ぶ。両者の緩急・軽重は截然(せつぜん)として異なる。命宮と行度の孰(いず)れが軽く孰れが急なるかは、まさにこのように分別すべきである。

現行之度有星無星,總須察其與當生何吉星有關會,何凶星有關會。當生吉星滿用,主行此星之度之年定見榮華。當生凶神有力,主行此星之度之年立看凋落。原吉凶星頂度,又當以情之輕重分禍福之大小,其理至微,所當經究。

現に行くこの一度は、その上に星があってもなくても、つねにそれが本命原盤上のどの吉星と関会(かんえ)があり、どの凶星と関会があるかを察しなければならない。本命の吉星がもし充分に用を得ていれば、その吉星の度に行き到るその年に、必ず栄華を見る。本命の凶神がもし力量あれば、その凶星の度に行き到るその年に、すぐ凋落を見る。原盤の吉星・凶星が或る度に頂いているものに至っては、さらにそれと命との情分の軽重に拠り、禍福の大小を分ける。この中の道理は極めて精微である。詳しく研究すべきである。

一甲年四月生人,一壬年二月生人,同行戌宮奎木度,奎木上同坐金星。甲生人以金為傷官,遂致仕途屢跌;壬年人以金為正財,遂致官級聯升。

二つの実例を挙げる。一人の甲年四月生まれの人と、一人の壬年二月生まれの人がいて、両人とも同じく戌宮の奎木の度に行り、奎木度上にはまた同じく一つの金星が坐していた。甲年の人は金をもって「傷官」とし、傷官が行度の上に坐して官星を傷るので、ここに仕途は屡(しばしば)跌挫(てつざ)に遭った。壬年の人は金をもって「正財」とし、正財が行度の上に坐して転じて官を生ずることができたので、ここに官階は連なり高く升った。同じ一つの星、同じ一つの度なれど、ただ年干が異なるがために、取用は判然として天淵の隔たりをなす。

一辛年十一月生人,一辛年十月生人,同行丑宮斗木度,度為天官,十一月生人正財火星在斗,太陽在尾火度,與太陽通,即入翰林;十月生人正財火星在箕,太陽雖在尾,火度與太陽不通,僅中進士。甚矣,度之所繫為切且要也。度固因太歲填釣而彌動,其初入度將出度之時,尤與尋常不同。

さらに二つの実例を挙げる。一人の辛年十一月生まれの人と、一人の辛年十月生まれの人がいて、同じく丑宮の斗木の度に行り、この度は辛年の人にとってまさに「天官」であった。十一月生まれのほうは、正財の火星がちょうど斗宿の内に在り、太陽がまた尾宿の火度の上に在って、火度と太陽とは気脈が相通じたので、ここに翰林に入った。十月生まれのほうは、正財の火星は却って箕宿に落ち、太陽は同じく尾宿に在るけれども、その火度は太陽と相通じず、ただ進士に中ったのみであった。見るべし、行度の関係するところは、実に切要の極みである。行度はもともと流年太歳の塡実(てんじつ)・釣照によって愈(いよいよ)発動し、しかもちょうどこの度に入り入ったばかりの時と、まさにこの度を出ようとする時のこの両段のときには、感応がまた平常と大いに異なる。

度(ど)

度之說,所謂緯克經也。如金躔木度,木躔土度是也。倘有水火沖釣,可以救解,然亦難免刑耗病疾、火盜官非等事。若帶刃煞來,流年又逢度之星、殺刃之類,死更速矣耳。

「度」を論ずるこの一説は、緯星(いせい)が経度を克(か)つことを講ずるものである。たとえば金星が木宿の度に躔し、木星が土宿の度に躔するのは、いずれも行星が本宿を克するので、「緯克経(いせいけいをかく)」と呼ぶ。もし別に水星・火星が来て冲照・釣照すれば、なお救い解くことができる。ただし解けても、刑傷・破耗・疾病、および火災・盗賊・官司の類は免れない。もしさらに羊刃・七煞を帯びてともに来て、流年がまたこの度の星または煞刃の類に逢うならば、それは死ぬのがさらに速い。(「流年又逢度之星」の句のうち、底本は一字を脱したようである。今は照録して補わない。)

木躔金度,火躔水度,便是經克緯,似乎稍輕,然有刃煞加臨者亦死。若度上刃煞俱占,不拘相生之度皆死。刃度逢煞,煞度逢刃,緯克經固重,經克緯亦不輕,行度至此,其害立□。

反対に、木星が金宿の度に躔し、火星が水宿の度に躔するのは、本宿が行星を克しに往くので、「経克緯(けいいせいをかく)」と呼び、見るにはやや軽いようである。然るにただ羊刃・七煞の加臨さえあれば、照り旧り死す。もしこの度の上に羊刃と七煞の両様が悉く占め備われば、相生の度であるか否かを論ぜず、一概に死を主どる。羊刃の度の上に七煞に遇い、七煞の度の上に羊刃に遇う——緯克経は固より重いが、経克緯もまた同じく軽くない。行度がここに到れば、禍害は立ちどころに現れる。(末の一字は底本残欠にして、おそらく「見」「至」の類か。今は缺文の号を存し、敢えて臆補(おくほ)しない。)

如限入刃鄉,度又為煞,謂之凶會臨,出限之年亦死。至於水孛同經,行水度即危;又如限行木度,木登木殿,遇流氣來,太歲刃煞又至其宮亦危;若木翼火胃,不過洩氣而已,其災自減。

たとえば大限が羊刃の郷(きょう)に入り、行く度がまたちょうど七煞であれば、これを「凶会臨(きょうえりん)」と呼び、たとい限を出る年まで熬(こら)えても死ぬ。水星と「月孛」が同一経に在るものに至っては、水度に行れば危険である。またたとえば大限が木度に行き、木星がちょうど木宿の殿に登臨すれば、もしさらに流年の「紫氣」が到来し、太歳の羊刃・七煞がまたともにこの宮に到れば、これも危険である。もしただ木星が翼宿に躔し、火星が胃宿に躔するという類ならば、木は翼火を生じ、火は胃土を生ずるので、ただ気を少し泄(も)らすに過ぎず、災禍は自ずから軽くなる。

要而論之,不問坐命何宮何度,但一歲之中只看限行至何度為率。雖係天官,既是度,亦任中聞擢而亡,或得之亦不可久。命主所泊之度尤怕破,在後破猶輕,在前破更重。行至破之度,未及所之度數猶輕,已過所之度數更重。

総括していえば、命宮がどの宮のどの度に坐するかを問わず、ただ一年のうちに行限がどの度に走り到るかを見て、その度をもって準とすればよい。この度はたとい「天官」であっても、ただそれが同時に受克の度であれば、まさに得意のときに忽然として亡故(ぼうこ)することもある。たとい僥倖に功名を得ても、長く保つことはできない。命主の停泊するその一度は、殊に破(やぶ)られるを怕れる。それが後ろで破られるのはなお軽く、前で破られるのはいよいよ重い。破られた度に行り到るとき、まだ破られたその度数に走り至らざるうちは、為害はなお軽く、すでに破られたその度数を走り過ぎれば、為害はさらに重い。(本条の「既是度」「亦任中聞擢而亡」「未及所之度数」の数箇所は、底本各々脱字あるも、文義は意会すべし。今は一概に照録して補わない。)

然亦須因時度令,木宿遇金,春林愈茂;火宿逢水,夏生不畏;金值火來,秋生無礙;水宿見土,冬月反美;土歸四季,會木何懼?

ただしなお時令を斟酌(しんしゃく)しなければならず、相克あるを見ればすぐ凶と断ずべからず。木宿が金星に遇うに、人が春に生まれれば、木旺して金の裁削を得、春林はかえっていよいよ茂盛する。火宿が水星に遇うに、人が夏に生まれれば、火旺して水の既済(きせい)を得、畏るに足らない。金宿が火星に遇うに、人が秋に生まれれば、金旺して火の鍛錬を得、また妨げなし。水宿が土星に遇うに、人が冬月に生まれれば、水旺して土の堤防を得、かえって美事である。土星が辰戌丑未の四季の月に帰りてまさに当令すれば、たとい木星が来て克するに会するも、何ぞ畏るべきことがあらん。

流年(りゅうねん)

小限之謬乃俗夫所為,流年吉凶全看內會外會。流星與原守相會,謂之內會;流星自來會合,謂之外會。

いわゆる「小限」のあの一套の算法は、俗人の謬(あやま)れる做法で、取るに足らない。流年の吉凶は、すべて「内会」と「外会」の二種の情況を見る。流年の行星が原盤上にここに坐守する星と相会するを「内会」と呼び、流年の行星がみずから走り来たって会合するを「外会」と呼ぶ。

如火為命主,則火星流行,便是命主流行。火星流躔水度、犯原水星,即為內會;遇流水星即為外會。水又是刃煞,三方無救,多凶。若原火本被水克,限度又是火,縱不犯原水,但遇流水,不必是刃煞亦災。如火為傷劫煞,正喜其犯原水、遇流水,喜其能制之也,故須活看。

たとえば火星をもって命主とするならば、流年火星の行走は、すなわち命主の行走に等しい。火星が流躔して水宿の度に至り、また原盤の水星を冲犯すれば、これが内会である。もし逢うのが流年水星であれば、それは外会である。仮にこの水がまたちょうど彼の羊刃・七煞であって、三方に来て救応する星がなければ、多くは凶険を主どる。もし原盤の火がもともと水に克されており、行限の度がまた火であれば、たとい原盤の水星を犯さずとも、ただ流年水星に遇えば、たといこの水が刃・煞でなくても、災を生ずる。反対に、もしこの火が彼の「傷官」「劫財」「七煞」であれば、却ってまさにそれが原水を犯し流水に遇うを喜ぶ。水はこの悪火を制し得るからである。だから流年を断ずるには必ず活看すべく、一条に死執すべからず。

假如甲年生人,天官辛氣,躔卯宮亢度,限行至戌,壁水七煞度足以暗混天官,幸有流木到度,則丙木能制庚水,若流土到度,則戊土能生庚水。

例を挙げていえば、甲年生まれの人、その天官は辛の化した「紫氣」で、卯宮の亢度に躔している。行限が戌宮に走り到れば、壁宿は水に属し、まさに彼の七煞の度で、暗に天官を混雑するに足る。幸いにも流年木星がこの度に到れば、木は丙の化禄で、変五行に拠れば木は水を克するので、ちょうど庚の化した煞水を制し得る。反対に、もし流年土星がこの度に到れば、土は戊の化禄で、変五行に拠れば土はかえって水を生ずるので、七煞は生扶を得て、為害はいよいよ大きくなる。

又如天官流氣入午傷官,丁金在戌之奎,現行奎度,奎木屬官,本是官度坐傷,又三方見流官,不吉孰甚?卻有流羅到奎,則丁金方受癸羅之制,豈能戕官?迨自奎行壁,壁乃煞度,正喜丁金之制庚水,而偏以癸羅到奎之故,使丁金無暇及煞,而煞勢猖獗,遂至奪官。此亦見移步換形,必不可膠柱而鼓瑟也。

またたとえば甲年の人の天官「紫氣」が流行して午宮に入り、午宮はまさに彼の傷官の位であり、丁の化した金星が戌宮の奎宿に在って、今ちょうど奎度に行っているとする。奎宿は木に属し、甲年の人にとっては官度であるから、これは官度の上に傷官が坐するのを成す。加うるに三方にまた流年官星を見る。不吉の極みである。幸いにも流年「羅睺」が奎度に到った。「羅睺」は癸の化禄にして火に属し、火は金を克するので、金星は制を受け、何ぞ官を傷ることができよう。しかし奎度からさらに壁度に行るを待つに至り、壁宿は水に属してまさに七煞の度で、このとき本より金星に頼んで庚の化した煞水を克制せしめるべきところ、偏(ひとえ)に「羅睺」がなお奎度の上に圧して金星を牽き留め、金星をして手を空(あ)けて七煞に対うることを得ざらしめる。ここにおいて煞勢は猖獗(しょうけつ)して、ついに官星を奪い去る。これより見るべし、行度は歩を移し形を換えるもので、命を断ずるに断じて膠柱鼓瑟(こうちゅうこしつ)すべからず。

太陽君象,須用太陽,照命宮無益,照大限有濟,到大限不如在四正照,在四正不如在三方照,在三方又不如在對宮照。太歲於填釣之外,尚有逐攔二法。如限在寅,丑年可逐寅也,丑宮無星,即子年亦可逐;卯年亦可攔寅也,卯宮無星,即辰年亦可攔。

太陽は君主の象で、万事はみな太陽を用いなければならない。ただし太陽が命宮を照るは大いに益あらず、大限を照ってこそ実済がある。太陽が親(みずか)ら大限の在る宮に到るは、なお四正の位から照り来るに如かず、四正に照るは三方に照るに如かず、三方に照るは対宮から照り来るに如かず——遠く照るほど、いよいよその光の被(およ)ぶ力を見る。太歳の用法は、「塡」「釣」の二種のほかに、なお「逐」「攔」の二法がある。たとえば大限が寅宮に在れば、丑は寅の後に在るので、丑年は後ろより寅を逐(お)うことができる。もし丑宮に星なければ、子年も同じく逐うことができる。卯は寅の前に在るので、卯年は前より寅を攔(ふせ)ぐことができる。もし卯宮に星なければ、辰年も同じく攔ぐことができる。

形気(けいき)

七政者天之有形也,形者人之所由成也;而氣即寓乎其內,形可見而氣不可見也。然可見者必有不可見者以為之宰,以故形氣交孚,天星與人命妙合,形氣自相流通,吉凶瞭如指掌。有形吉而氣凶者,有形凶而氣吉者,均不可泥形而遺氣焉。

七政は天上に有形の見ゆべきもので、人の形体もまたこれらの形気の凝るところより成る。そして「気」は形体の内に寄寓する。形は見ゆるも、気は見えない。然るに見ゆるものの背後には、必ず見えざるものが主宰を為している。だから形と気とは交(かわ)り契(ちぎ)り合い、天上の星と人間の命とは妙に吻合(ふんごう)し、形と気とは自ずから流通し、吉凶もまた掌を指すがごとく瞭然(りょうぜん)である。命盤上に形吉にして気凶なるものあり、また形凶にして気吉なるものあり、命を断ずるにいずれも形に拘泥して、気を一辺に丟(す)ててはならない。

試思最近大圜者莫如恆星,次之土、次之木、次之火、次之太陽、次之金、次之水,最卑為月。以形而論,則高下之距實大懸殊,向非有氣以主之,何以各繫於天而不墜?又何以天道左旋而諸曜皆能右轉也?以是知氣雖渺冥恍惚,實則周浹旁皇。人受陰陽五行以生,亦何時何刻不與十一曜默默相融貫乎?

試みに思うに、大円天に距(へだ)たり最も近きは恒星に如くはなく、其次は土星、其次は木星、其次は火星、其次は太陽、其次は金星、其次は水星、最も低きは太陰である。単に形体の高下に就いて論ずれば、彼此の相距るは懸殊(けんしゅ)の甚(はなは)だしきである。もし「気」あって主宰を為すにあらざれば、それらは何ぞ各々天上に係挂(けいか)して墜落せざるを得ん。又何ぞ天道の整体左旋のうちに在りて、各曜みずからなお右へ回転するを得ん。これより知るべし、気は渺冥恍惚(びょうめいこうこつ)として見えず摸(さぐ)れども、実は周流浹洽(しゅうりゅうこうちょう)して到らざる所なし。人は陰陽五行を禀受して生る。又何の時何の刻か、この十一曜と黙々として相通じ相貫かざることがあらん。

耶律楚材云:「各星俱合格,限度無貴氣所屬,終難大伸;各星俱陷落,限度非戾氣所歸,何至大屈?即有此限度,太歲尚不釣,亦將從緩。」是誠識氣之奧窔也。

耶律楚材がいう。各星はたとい皆貴格に合すとも、ただ行限の度が貴気の帰属する所にあらざれば、終わりに大いに展ぶること難し。各星はたとい皆陷落して地を失うとも、ただ行限の度が乖戻(かいれい)の気の汇聚する所にあらざれば、何ぞ大いに挫屈(ざくつ)せられん。たとい真にこのような限度あっても、もし流年太歳がなお釣照に来らざれば、応験もまた後ろに推して緩む。この数語は、まことに「気」の堂奥を深く識(し)る言語である。

善觀命者不視形而審氣,氣有清濁,則命分貴賤;氣有明暗,則命分窮達;氣有厚薄,則命分大小;氣有順逆,則命分夷險;氣有善惡,則命分賢奸;氣有促舒,則命分壽夭。若徒以形而已,則四餘攔月、五曜環陽,為格中之最巨者,豈皆人人富貴乎?試舉一二以例其餘:

命を看るに善い者は、形に止まらず気を審(つぶさ)にすることを重んず。気に清濁あれば、命はすなわち貴賤を分かつ。気に明暗あれば、命はすなわち窮達を分かつ。気に厚薄あれば、命はすなわち大小を分かつ。気に順逆あれば、命はすなわち平安と険阻を分かつ。気に善悪あれば、命はすなわち賢良と奸邪(かんじゃ)を分かつ。気に短促・舒長あれば、命はすなわち長寿と夭折を分かつ。もしただ形を看れば、「四余攔月」「五曜環陽」は格局のうち最大と算えられるが、豈(あに)この格ある者が皆富贵ならんや。以下に試みに一二の命例を挙げて、もってその余を類推する。

形気・命例二則

一康熙庚申甲申癸卯癸亥生人,月在子之虛,孛在卯之氐,氣在酉之胃,計在戌之室,羅在辰之翼,是四餘攔月矣,木在申之畢,火在未之井五,土在未之井十六,金在午之柳四,日在午之柳十一,水在巳之張,是五曜順生而環陽矣。

第一の命例。康熙年間、庚申年・甲申月・癸卯日・癸亥時に生まれた人。その盤上、太陰は子宮虚宿に在り、「月孛」は卯宮氐宿に在り、「紫氣」は酉宮胃宿に在り、「計都」は戌宮室宿に在り、「羅睺」は辰宮翼宿に在り——孛・気・計・羅の四余は分かれて四処に居り、太陰を中間に攔(ふせ)ぎ囲む。これが「四余攔月」の格である。さらに五星を見るに、木星は申宮畢宿に在り、火星は未宮井宿第五度に在り、土星は未宮井宿第十六度に在り、金星は午宮柳宿第四度に在り、太陽は午宮柳宿第十一度に在り、水星は巳宮張宿に在り——木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、一路順に生じ下って、太陽がちょうどその中間に環(めぐ)らされている。これが「五曜順生而環陽」の格である。二つの大格がともに揃った。

木為文為煞,火為偏財,土為偏印,金為天官科名,水為魁為元祿,金水貴氣所歸,作陽引從,又遞生至金水而住,若金水作命主,豈不大顯?彼立命於戌,以火為命主,甚遠於陽,僅受文木之生又帶煞氣,故於斗木文度內鄉薦,厥後屢膺保題而不用,用亦僅以教職,譬之地脈乃過龍,非結穴也。

この人は庚年に生まれ、すなわち庚干に就いて十曜を取る。庚は丙をもって七煞とし丙は木に化すので、庚年はまた木をもって文星とするから、木はすなわち「文星」でありまた「七煞」である。甲は火に化し甲は庚の偏財だから、火は「偏財」である。戊は土に化し戊は庚の偏印だから、土は「偏印」である。丁は金に化し丁は庚の正官で、庚年の科名はまた金を取るから、金はすなわち「天官」でありまた「科名」である。庚みずから禄は水に化し、庚年の魁星もまた水を取るから、水はすなわち「魁星」でありまた「元禄」である。見るべし、一盤の貴気はすべて金・水の両曜に帰し、しかもこの両曜はまたちょうど太陽の前後に在って「引」を作し「従」を作し、五星の遞生(ていせい)もまたまさに金水に生じて止まる。もし彼が金または水をもって命主としたらば、豈(あに)大いに顕達せざらんや。偏(ひとえ)に彼の命宮は戌宮に立ち、火をもって命主とする。火は偏財で、太陽に離れて遠く、受くるところはただ「文星」の木の生扶のみで、しかもこの木は同時に七煞の気を帯びている。だから彼はわずかに斗宿木度という文星の度の上で郷試の挙人に中ったのみで、こののち屡(しばしば)保挙されても終始任用を得ず、用いられても学官・教職を給わるに過ぎない。これは地脈を看るに譬えて、彼のこの一処はただ過龍の地であり、結穴の所にあらざるがごとし。

一康熙辛卯庚子壬辰壬寅生人,月在亥之危,孛在申之昴,氣在申之觜,羅在丑之斗十八,計在未之井,是四餘攔月矣。土在午之柳,金在卯之氐,水在寅之尾十五,木在丑之斗三,火在丑之斗四,日在寅之尾十一,是五曜順生而環陽矣。

第二の命例。康熙年間、辛卯年・庚子月・壬辰日・壬寅時に生まれた人。その盤上、太陰は亥宮危宿に在り、「月孛」は申宮昴宿に在り、「紫氣」は申宮觜宿に在り、「羅睺」は丑宮斗宿第十八度に在り、「計都」は未宮井宿に在り——同じく四余が太陰を中間に攔ぎ囲み、「四余攔月」の格を成す。さらに五星を見るに、土星は午宮柳宿に在り、金星は卯宮氐宿に在り、水星は寅宮尾宿第十五度に在り、木星は丑宮斗宿第三度に在り、火星は丑宮斗宿第四度に在り、太陽は寅宮尾宿第十一度に在り——土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じ、木は火を生じ、一路順に生じ、太陽もまたその中間に環らされている。同じく「五曜順生而環陽」である。単に形格を看れば、この命は前の命と全く同じである。

土為正印,金為科名七煞,水為劫財,木為天官,火為正財,遞生至火而住,立命於卯,以火為命主,火獨受天官之生,而陽又在火躔,正如地脈結穴之所也。木屬銓部,行至翼火,不滿三十歲,遂作少宰。合此二命觀之,全氣之作用,而非局局於形者所能窺其萬一也。

この人は辛年に生まれ、すなわち辛干に就いて十曜を取る。戊は土に化し戊は辛の正印だから、土は「正印」である。丁は金に化し丁は辛の七煞で、辛年の科名はまた金を取るから、金はすなわち「科名」でありまた「七煞」である。庚は水に化し庚は辛の劫財だから、水は「劫財」である。丙は木に化し丙は辛の正官だから、木は「天官」である。甲は火に化し甲は辛の正財だから、火は「正財」である。五星の遞生は、ちょうど火に生じて止まる。彼の命宮は卯宮に立ち、まさに火をもって命主とする。この火は単々として「天官」の木の生扶を承受し、しかも太陽はまたまさに尾宿の火度に躔して、命主と同気である——これは地脈がここに行りて正穴を結ぶに譬えるべし。木星はもともと吏部銓選(りぶせんせん)の職を主るから、彼は行限が翼宿火度に走り到るとき、まだ三十歳に満たざるに、便(すなわ)ち吏部侍郎を為した。この二つの命例を合わせて見れば明らかである。真に作用を起こすのは全く一つの「気」の字に在り、あのただ形格に死盯着(しちょうちゃく)する者は、その中の万分の一をも窺(うかが)い見ることを得ない。

旨(し)

余論(よろん)

是書成而星命之理昭然可□矣,然亦有書不盡言,言不盡意之憾,所望好學深思者闢彼邪說,循此正規,引而伸之,觸類而長之。蓋入微之旨,可以意會不可以言傳。若必欲一一遍及焉,雖累牘盈編,豈有竟乎?

この書が写成(しゃせい)されてのち、星命の道理は昭然として見るべきものとなった。ただし写し下した文字は終わりにいうべき言を尽くすこと能くさず、いい出した言も終わりに心中の意を尽くすこと能くさない。これはつねに一層の遺憾である。朢(のぞ)むところは、好学深思の人があの邪説を排斥し、ここの正規を遵循して、それを引申して開き、類に触れて旁通し、愈(いよいよ)推していよいよ広くせんことである。精微にして裏に入る意旨は、ただ心領神会すべく、言語をもって一々伝授することができない。もし必ず条条講じ遍(あまね)くさんとすれば、連篇累牘(れんぺんるいとく)に写し滿たしても、又何処か尽頭(じんとう)あらん。(「昭然可□矣」の句のうち底本は一字を缺く。おそらく「見」「睹」の類か。今は缺文の号を存し、敢えて臆補しない。)

觜参先後(ししんせんご)

黃赤俱差,甚至前後易次;觜宿距星,漢測距參二度,唐測一度,宋祟寧測半度,元郭守敬測五分,明測之不啻無分,且侵入參宿二十四分。故舊法先觜後參,今不得不先參後觜也。

黄道と赤道にはともに歳差があって、日久しければ、宿次の前後は至って互いに調換しさえする。觜宿の距星についていえば、漢代に測って参宿に距ること二度、唐代に測って一度、宋徽宗の崇寧年間に測って半度、元代の郭守敬が測って五分、明代に至って再び測れば、すでに零に帰するに止まらず、かえって参宿に侵入すること二十四分である。だから旧法が宿次を排(なら)ぶるには先觜後参なりしが、今は改めて先参後觜とせざるを得ない。(「祟寧」は「崇寧」の訛(あやま)り。今は原様のままに録す。)

羅計首尾(らけいしゅび)

羅喉計都生於日月交行,謂之天首天尾,中法以天首屬羅,天尾屬計;西法改而易之,遂以羅為尾,計為首,爰自利瑪竇等入中土,與明宰輔徐光啟等所裁定,後有作者皆莫之及,應不可輕議紛更。

「羅睺」「計都」の両星は、日月の交会する所行の二つの交点より生じ、「天首」「天尾」と呼ぶ。中法は天首を羅睺に属し、天尾を計都に属す。西法はこれを調換して、羅睺をもって尾とし、計都をもって首とする。これは利瑪竇(マテオ・リッチ)らが中国に来てのち、明代の宰輔徐光啓らとともに裁定したもので、後に書を著す者も誰も彼らを超えなかった。だから軽率にまた更改を議すべきではない。

恒星東行と歧度(きど)

恆星之行即古歲差之度,古謂恆星千古不移,而黃度之節氣每歲西退。西法則謂黃道終古不動,而恆星每歲東行。由今考之,恆星實有動移,其說不謬,故各宮皆有歧度,如角十歧辰卯,房初歧卯寅之類,數十年後歧者便當盡移,須逐年挨查,一以欽天監七政經緯躔度書為準,不可草率遷就。

恒星の行度は、すなわち古人の講ずる歳差である。古人は恒星が千古動かず、黄道上の節気が毎年西に退くと思った。西法は黄道が終古動かず、恒星が毎年東に行くとする。今日の実測をもって考究すれば、恒星は確かに移動あり、西法の説は錯(あやま)らない。それゆえ毎一宮の交界処にはいわゆる「歧度(きど)」があって、たとえば角宿第十度はまさに辰宮と卯宮の間に歧(わか)れ、房宿初度はまさに卯宮と寅宮の間に歧れ、いずれも両属の地である。さらに数十年を過れば、これらの歧度は全部移り去る。だから必ず逐年に査対して、一律に欽天監の頒行する七政経緯躔度の書をもって準とし、草率に将就(まごつ)くべからず。

太陽逐時進度

太陽每日皆從子正起,如初一注女二,初二注虛四,初一子時在女二,丑時即在女三,寅時即在女四,挨查至亥時當在虛三,則初二子時便在虛四矣,一日之行常不止十二度,再分派於各時可也。

太陽の毎日の度数は、皆子時の正中より起算する。たとえば暦書に初一に太陽は女宿第二度に在りと注明し、初二に虚宿第四度に在りと注明すれば、初一の子時は女宿二度に在り、丑時はすなわち女宿三度に到り、寅時はすなわち女宿四度に到る。このように一時辰ずつ挨査し下って、亥時には応に虚宿三度に在るべく、ここにおいて初二の子時はちょうど虚宿四度に落つ。太陽の一日に行る所は往々にして十二度の数に止まらない。ただ当日に実際行った度数を、さらに十二時辰に分派すればよい。

日と木の孰先孰後(じくせんじくご)

每度六十分,日與木如同在卯宮氐十,孰先孰後,必須辨明。日每日行六十分,木或六日行六十分。生人在午時,日已及三十五分,木自前二日至後三日才行盡氐十,則本日午時只及二十五分有奇,是日前而木後也。

一度は六十分に分かつ。仮に太陽と木星がともに卯宮氐宿第十度の上に同じく在るとき、究竟(くっきょう)どちらが前でどちらが後かは、必ず辨別して明白にせねばならない。太陽は毎日六十分を行り滿(み)つが、木星は六日を要してようやく六十分を行る。設(も)し人が午時に生まれれば、太陽はこの時すでに三十五分に走り至り、木星は前の二日にやっと氐宿十度に入り、後の三日に至ってようやくこの度を走り盡(つ)くすので、本日の午時にそれはただ二十五分少し余に走り至るのみ。見るべし、この時は太陽が前にして木星が後である。

命度流転の辨

有另立異說者,如一命三月初一卯時生,命在戌躔奎,其奎環轉流行於卯,是奎在戌乃其空名,奎在卯正其實跡,安用此宮度為?不知奎既流卯,而亥子丑等十一宮,未嘗不從流卯之戌上循次排列也,其理仍不外此,又何必立異而鳴高乎?

別に人あって異説を立てる。たとえばある命は三月初一卯時に生まれ、命宮は戌宮に在って奎宿に躔する。彼らはいう、奎宿は転(めぐ)り転じて、実際はすでに流行して卯宮に至った。それなら「奎在戌」はただ空名であり、「奎在卯」こそその実蹟である。しかるにこの宮度をなお何に用いるか、と。知らざるなり、奎宿はすでに流れて卯宮に至る以上、亥・子・丑等その余の十一宮もまた、未(ま)だこの戌宮から流れて卯位に至るものに順次排列して下らざるにあらず。整副の盤はなお整副の盤であり、道理は旧来としてこの範囲を出ない。又何ぞ必ずしも故(わざ)と異を立てて自ら高明を鳴らさん。

官財煞同経の辨

釣之間正須詳看。如甲生人,天官辛氣在卯亢,正財己月在酉婁五,天官雖躔傷,卻與正財同經,傷方生財,生官;七煞庚水在酉婁三,雖旁正財卻躔傷而稍受制,限行至婁十二、十一、十、九、八、七、六、五等度,正財對生官,官場極順,及行過婁五,遂在正財之後,與七煞密邇,而正財且生煞,宜乎順中稍逆。

星と星との間の釣照の分寸は、まさに詳しく審看を要する。たとえば甲年生まれの人。天官は辛の化した「紫氣」で、卯宮亢宿に在り、正財は己の化した太陰で、酉宮婁宿第五度に在る。天官は傷官の度に躔すれども、正財と同じく一経に属す。傷官は先ず財を生じに往き、財はさらに回頭して官を生ずる。気脈は通ずる。七煞は庚の化した水星で、酉宮婁宿第三度に在り、正財に緊く挨(ちかづ)くれども、また傷官の度に躔してやや制約を受ける。ここにおいて行限が婁宿の十二・十一・十・九・八・七・六・五の几度に走り到るとき、正財はちょうど対面より官を生じ、官場は極めて順遂(じゅんすい)である。婁宿第五度を行り過ぐるを待つに至り、人は便ち正財の後に落ち、七煞と貼(は)り極めて近く、しかも正財はこの時かえって七煞を生じに往く。だから順境のうちにやや逆折(ぎゃくせつ)あるのである。(「釣之間」の句首と「傷方生財、生官」の句のうち、底本は各々一字を脱す。今は照録して補わない。)

一星数用(いっせいすうよう)

一星常有數用。即以日論,日君象亦父象,立命於午即命主,立命於子即妻主,立命於戌即男女主,立命於申即兄弟主。或化文、或化魁化刃,每有行一度而吉凶參半者,亦宜此不宜彼,宜彼不宜此之故,且吉中或微帶危機,凶中或偶挾貴氣,即一用之中亦有不同,所當細為查參。

同一の星はつねに身をもって数種の用途を兼ねる。試みに太陽を取っていえば、それはすなわち君主の象であり、また父の象である。命宮が午に立てば、太陽はすなわち命主。命宮が子に立てば、太陽はすなわち妻主。命宮が戌に立てば、太陽はすなわち子女の主。命宮が申に立てば、太陽はすなわち兄弟の主。それは時にまた「文星」に化し、時に「魁星」に化し、時に羊刃に化す。だからつねに同一の度に行って吉凶が各半する情況がある。縁(ゆか)りはこの星がここに在れば相宜しく、かしこに在れば宜しからず、かしこに在れば相宜しく、ここに在れば宜しからざるに在る。しかも吉のうちに或いは微(わず)かに危機を帯び、凶のうちに或いは偶(たま)に貴気を挾(はさ)む。たとい同一種の用途でも、前後は同じからざることあり。いずれも細(こま)かに査考して参詳すべきである。

分金度,先天五行,皆節外生枝,在所宜闢。

「分金度」「先天五行」という類の名目に至っては、いずれも節外生枝(せつがいせいし)のもので、応に一概に排斥して用うべからず。

諸家の謬説を辟(ふさ)ぐ

天盤地盤、竹籮三限等,固屬謬說,即華羅五星,出自周述學,亦牽合無理,均宜廓清。

「天盤地盤」「竹籮三限(ちくらさんげん)」の類は、固より謬説である。連(つい)て明人周述学の手より出た「華羅五星(からごせい)」も、牽強附会(けんきょうふかい)にして毫(ごう)も道理なく、いずれも併せて廓清(かくせい)すべし。

西法推算自謂獨開生面,但其所言,如某星在某方喜殺人生人,某星在某方好戲好色,何粗鄙乃爾!嘗取《天步真原》一書試之,從不一驗,亦宜屏棄。

西洋の星占推算は自ら別に生面を開くと称すれども、しかしその講ずるところは、たとえば某星が某方に在れば殺人を好みあるいは人を救い、某星が某方に在れば戯を看るを愛し女色を好むという類——何ぞ粗鄙(そひ)なるや。かつて《天歩真原》の一書を取りて試験したるに、従来一条も応験せざりき。これらもまた摒棄(へいき)して用うべからず。

《果老星宗》《琴堂指金》《神道大編》《望斗仙經》《星學綱目》《星學源流》《歷府大成》《星學大成》等書所載正五行甚詳,但僅合此理十之一。

《果老星宗》《琴堂指金》《神道大編》《望斗仙經》《星学綱目》《星学源流》《曆府大成》《星学大成》のこの一批の書は、載する所の正五行は頗る詳しく講ずれど、真に本書のこの一套の道理に合するは、十分之一に過ぎない。

《耶律神數》《元星樞要》《原星出入》《天官經》等書皆命理正宗,集中已將精華採取,不復全錄。

《耶律神数》《元星枢要》《原星出入》《天官經》のこの数部の書は、いずれも命理の正宗である。書中の精華は本書すでに采録して入れた。就(な)お全文を照抄するを為さない。

分野・子平と格局

歲在鶉火而武王克商,歲在實沉而晉文得位,淫於伭枵而裨□知楚子之將死,星見大火而梓慎知宋之將災;他若五星聚東井而漢王入關,慧掃之而符秦滅,四星聚牛女而晉元王吳,景星見箕尾而慕容垂復燕。

古(いにしえ)より星象と人事と相応ずる例は多い。歳星が鶉火の次に在れば、周武王は便ち商紂を攻克し、歳星が実沈の次に在れば、晋文公は便ち君位を得、歳星が次を失いて玄枵に淫行すれば、鄭国の裨竈(ひそう)は便ち楚子の将に死せんを預知し、大火の星が出現すれば、魯国の梓慎(ししん)は便ち宋国の将に災禍あらんを預知した。このほか五星が東井に聚れば、漢高祖は便ち関中に入り、彗星が掃い過ぎれば、前秦の苻氏は便ち覆滅を告げ、四星が牛女に聚れば、晋元帝は便ち呉地に王を称し、景星が箕尾に現われれば、慕容垂は便ち燕国を復興した。(「裨□」の下は底本一字を缺く。おそらく「竈」、すなわち鄭の大夫裨竈。「符秦」の「符」は「苻」の訛(あやま)り。今はいずれも照録す。)

分野之說原非無稽,但事關軍國之大如可取證,若止一人一身,在心尾則以為宜遷宋燕,在虛危則以為宜遷齊衛,又何以為終身不去其鄉,及數十年仕在一方者解也?

分野の説は原本として毫(ごう)も根拠なきにあらざれど、あれは軍国の大事に関係するときにのみ取りて印証すべきである。もしただ一人一身に就いて講じ、命が心宿・尾宿に在れば応に宋・燕の地に遷(うつ)るべし、命が虚宿・危宿に在れば応に斉・衛の地に遷るべしといわば、あの終身故郷を離れざる者と、数十年一処に官を為す者とは、またどう解釈すべきか。

子平原有至理,但前六十年某月某日某時出一大貴人,後六十年仍有此八字,其人卻與前迥異,及查閱五星,果宜高下懸絕,則子平似稍遜五星一籌。子平為體,五星為用,體同而用異,此前後六十年,八字相同而五星各異也。然體用一理,終不可詳用而略體。

子平の学は原本として極めて精到の道理あるが、つねにこのような情況がある。前の一甲子の某月某日某時に一人の大貴人が出て、後の一甲子に同じ月日時でなおこの八字だが、あの人の境遇は前人と迥然(けいぜん)として異なる。五星の命盤を査対するを待つに至り、果たして高下懸殊(けんしゅ)なるべし。このように見れば、子平は五星に比してやや一籌(いっちゅう)を輸すのようである。子平は体であり、五星は用である。体は同じくして用は異なり、これまさに前後の両甲子に八字相同じくして五星各々異なる所以(ゆえん)である。ただし体と用はもともと一つの道理で、終わりに用に詳しくして体を略するばかり能くさない。

格局皆形也,宜參形中之氣。如四餘在西北,五星同日在東南,太陰入西北,即四餘欄月,五曜環陽;太陰入東南,即四餘包七政,文東武西每每至兩三月皆如此,其賤作奴隸者亦多矣!乃一見便以為大格局,即許以宜尊顯,何愚昧至此?

格局はただ形のみで、なお形の裏頭(りとう)の気を参看しなければならない。たとえば四余が西北に分布し、五星は太陽を連ねて皆東南に在る。このとき太陰がもし西北に入れば、「四余攔月」に「五曜環陽」を加えたのを成し、太陰がもし東南に入れば、「四余包七政」を成し、文星は東に在り武星は西に在る。この種の星象は往々にして連ねて二三箇月皆このようで、その間に生まれ来る人は多少(たしょう)を知らず、その中に奴僕下賤に淪(おち)る者もまた甚(はなは)だ多い。ある人は一見して便ち大格局と作し、すぐ彼に尊貴顕達を許す——何ぞ愚昧(ぐまい)かくのごとくなるや。(「欄月」の「欄」は「攔」の訛(あやま)り。今は原様のままに録す。)

七曜相照の光

何為七曜?相照之光,多少不同,日前後光十五度,月一十二度,土木火各九度,金水各七度。假令火追逐土相離七度,則二星沾光,呼為相會。

何を七曜相照と呼ぶか。各曜の発光の及ぶ範囲の大小は同じからず。太陽は前後各々十五度に及び、太陰は各々十二度、土星・木星・火星は各々九度、金星・水星は各々七度に及ぶ。仮に火星が土星を追い趕(お)って、両者が相距ること七度であれば、火星の九度の光はすでに土星に及び、両星は便ち彼此の光に沾(うるお)う。これを「相会」と呼ぶ。

若星光度數均者相會,則各星度數減半同沾光。若星光度數多少不同者,初會時度數多者先沾光,少者光未沾及;少者度數相及,則二星同沾光,為正會。

もし相会する両星の光度が相等しければ、それは各々みずからの度数の半分に拠って起算し、両辺が同時に光に沾う。もし両星の光度の大小が等しからざれば、剛(まさ)に相会し始めるとき、光度の大なる方は先に相手の光に沾み、光度の小なる方はまだ及ばない。光度の小なる方もまた及ぶを待つに至り、両星が同時に光に沾いで、これをやっと「正会(せいかい)」と呼ぶ。

凡二星同度為相會,但遇一分為相離,雖相離力尚在,為二星後光未盡也。若二星相會後相離一分或二分,卻再有一星在後追及,星雖未到,光已相沾,即與後星又為初會。

およそ両星が同一度に同じく在れば、すなわち相会と算える。一たび一分の差あれば、すなわち「相離(そうり)」と算える。相離というも、会合の力はなお在る。両星の身の後ろの余光がまだ散じ尽くさないからである。もし両星が相会したのちにすでに一分または二分を離れたのに、別に一星が後ろより追い上げて来れば、その星はまだ走り至らざれど、光はすでに先に沾かっている。これはすなわち後来のその星とまた一度「初会(しょかい)」を構成する。

此論經度則然,若在緯度、或黃道南、或黃道北,更重。如二星緯度同,經度亦同,則下星能掩卻上星,故相會為尤緊。

以上は経度に就いていえばである。もしさらに緯度を論ずれば、あるいは黄道の南に在り、あるいは黄道の北に在り、分量はいよいよ重い。仮に両星の緯度が相同じく、経度も相同じければ、位置の低い星は位置の高い星を遮掩(しゃえん)し得る。だからこの一種の相会は格別に緊要である。

且此二星相會後,一星前去追及一星,即將先會星光移向後相會之星,假令二星東出度數與對黃道的赤道度數相同,如亥宮二十五度與戌宮五度同,或二星在兩處,日長短同,如一星在申宮二十五度,一星在未宮五度,亦呼為相遇。

さらに一層ある。この両星が相会したのち、そのうちの一星がさらに前へ往って別の一つの星を追い上げれば、先前に会したその星の光を、後来相会の星に転移する。また仮に両星の東方より昇る度数が、それらが黄道に対する赤道度数と相同じく、たとえば亥宮二十五度と戌宮五度とがちょうど相当するか、または両星は地を分かち処(お)るといえども、昼夜の長短が相同じく、たとえば一星が申宮二十五度に在り、一星が未宮五度に在るか——この二種の情況もまたみな「相遇(そうぐう)」と呼ぶ。

又如火星在戌宮,木星在巳宮,金星在申宮,金離火追及木,卻將火之光移向木星,似火與木亦為相遇,謂金先與火六合照後與木相弦照也。又火星在戌宮,木星在巳宮,土星在申宮,土與火六合照,與木相弦照,土將木火二星光聚於一處,亦為相遇。若一星在本宮,又在分定數上與一星或三合、或六合、或對、二絃相照,主星即受相照之星之榮落。

さらに例を挙げていえば、火星は戌宮に在り、木星は巳宮に在り、金星は申宮に在る。金星が火星を離れて木星を追いに往けば、火星の光を帯びて往きて木星に移す。見るに火と木とがまた「相遇」を成したがごとし。これは金星が先ず火星と六合の照を成し、随いで木星と弦照を成すが故である。またたとえば火星は戌宮に在り、木星は巳宮に在り、土星は申宮に在る。土星は火星と六合の照を成し、木星と弦照を成し、土星は便ち木・火の両星の光を聚めて一処とす。これもまた「相遇」と算える。要するに、ただ一星がその本宮に在り、また規定の度数の上でもう一つの星と三合・六合・対照あるいは二弦の照を結べば、命主星はすなわち来照するその星の帯び来る栄枯升沈を承受しなければならない。

政余類聚(せいよるいじゅ)

何謂政餘類聚?乃水與孛、木與氣、火與羅、土與計,一類分聚也。若金星居中,貴氣所屬,以之作命主,金無餘氣,理應位冠群僚。如水土木火作命主,非貴氣所屬,又不近陽,亦尋常人耳。貴氣所屬,又能近陽,終嫌其為餘星分竊,僅列卿貳而已。

何を「政余類聚(せいよるいじゅ)」と呼ぶか。すなわち水星と「月孛」、木星と「紫氣」、火星と「羅睺」、土星と「計都」が、各々同類をもって分かれて一処に聚まる。もし金星が当間に居り、貴気がまた金に帰属し、これを取りて命主と作れば、金には配属の余曜なく、人としてその気を分窃する者なく、理に照らせば応に位は群僚に冠たるべし。反対に、もし水・土・木・火を取りて命主と作れば、すなわち貴気の帰する所にあらず、また太陽に親近する能くさず、それもただ尋常の人に過ぎない。たとい貴気がそれに帰属し、また太陽に親近する能くとも、終わりにその気が同類の余星に一份を分け去られるを嫌(きら)い、至るところ卿貳(けいじ)の副職を為すに過ぎない。

五列(ごれつ)

五列形也,而氣存焉。三四五星同坐一宮,疏密勻停,謂之坐列。三四宮上,疏密勻停,謂之排列,宜命主居中及高地,猶四五人同坐,居中者尊也。

いわゆる「五列(ごれつ)」は、講ずるは形なれども、気もまたその中に寓(ぐう)する。三・四・五の星が同じく一宮に坐し、彼此疎密均匀なるを「坐列(ざれつ)」と呼ぶ。三四箇の宮に分布し、疎密均匀なるを「排列(はいれつ)」と呼ぶ。この二種は、いずれも命主が当中に居り、高処に居るを以て好とす。譬えるに四五人が同じく一席に坐して、正中に坐る者が最も尊きがごとし。

疏密不勻,謂之行列,行列宜命主居前,猶四五同行,居前者尊,居後者卑也,居最後而有計羅攔轉則非後也,乃前也,又上尊也,儼然旌旗導引,士卒擁衛之象。

もし疎密均からざれば、すなわち「行列(ぎょうれつ)」と呼ぶ。行列は命主が前に居るを以て好とす。譬えるに四五人が同行して、前頭に走る者が尊く、後頭に落ちる者が卑しきがごとし。ただしもし命主が最末に居るに、「計都」「羅睺」があって後ろに攔(ふせ)ぎて整隊を転回せしむれば、それは後と算えず、かえって前と算え、しかもいよいよ尊き位置である——その気象は儼然(げんぜん)として旌旗(せいき)が前に導引し、士卒が後ろに擁衛するがごとし。

命主獨居一宮,兩傍有官魁夾,官魁有日月夾,日月又有四餘包裹,謂之主列,自是左右並輔,文武環護之象,或待漏於端門,或拜拱天門皆妙。太陽同三政一餘在一連四宮,太陰同三餘一政在一連四宮,獨空中四宮,惟命主居之,謂之中列,自是超群出眾,獨立寡儔之象。

命主が独り一宮に占め、両旁に「天官」「魁星」が来て夾み、官・魁の外にまた日月が来て夾み、日月の外にさらに四余が包裹する。これを「主列(しゅれつ)」と呼ぶ。自ずから左右並び輔き、文武環護する気象である。あるいは百官が端門の前に漏(ろう)を待つが如く、あるいは群臣が天門の下に拜拱(はいきょう)するが如く、いずれも妙格である。またたとえば太陽が三政一余を連ねて相連なる四宮を占住し、太陰が三余一政を連ねて相連なる四宮を占住し、中間の四宮は独り空空しく、ただ命主のみその中に居る。これを「中列(ちゅうれつ)」と呼ぶ。自ずから群を超え衆を出で、卓立(たくりつ)して儔(ともがら)なき気象である。

命主朝君(めいしゅちょうくん)

命主朝君,命餘覲後,此為陰陽和會,大都貴顯。

命主の星が太陽を朝拱するは、臣子の君王に朝見するがごとし。命主の配する余曜が太陰に覲見するは、臣下が后妃に謁見(えっけん)するがごとし。これは陰陽の両面が各々その会合を得るので、この格局ある人は大抵貴顕である。

命を拱する諸格

或十一曜拱命垣、或計羅攔截、或空四正、或空三方、或空對兩宮、或空子午丑未、或空卯酉辰戌、或居三隔三、或守一空一,皆貴氣所屬,亦宜留意。

このほかにまた種種の格局がある。あるいは十一曜が一斉に命宮を拱し、あるいは「計都」「羅睺」が攔截の勢いを結び、あるいは四正の位が全く空しく、あるいは三方の位が全く空しく、あるいは相対の両宮が皆空しく、あるいは子午丑未の四宮が皆空しく、あるいは卯酉辰戌の四宮が皆空しく、あるいは三宮を占めてまた三宮を隔て、あるいは一宮を守りてまた一宮を空しくす——これらはいずれも貴気の帰する格局で、また皆留意すべきである。

帰垣升殿(きえんしょうでん)

或七政歸垣,或七政升殿,或五星齊與日有關照,或五星齊與月有關照,亦屬罕覯,均宜細審。

またたとえば七政が各々本垣に帰り、あるいは七政が各々本殿に升り、あるいは五星が一斉に太陽と照応あり、あるいは五星が一斉に太陰と照応あるの類。これらはみな見ることを得難き格局に属し、また皆詳しく審察すべきである。

有謂木氣之入子丑,金之入寅亥,水孛之入卯戌,火羅之入辰酉,土計之入巳申,木氣之入午,土計之入未,所主者之宮究竟受傷,此亦宜泛泛參觀,兼當揆時度勢,不可執泥。立命於子,木獨守命;立命於寅,金獨守命,現在皆作卿貳矣,必欲一一執泥焉,庸有當乎?

ある人がいう。木と「紫氣」は子丑に入り、金は寅亥に入り、水と「月孛」は卯戌に入り、火と「羅睺」は辰酉に入り、土と「計都」は巳申に入り、木と「紫氣」は午に入り、土と「計都」は未に入る。およそこれらの情況に遇えば、主どるその一宮は終わりに傷を受けると。これらの言もただ泛泛として参看すべきのみで、なお併せて時令の情勢を揣度(しどく)しなければならず、死執する能くさない。我は命宮が子に立って木星が独り命を守るを見たことあり、また命宮が寅に立って金星が独り命を守るを見たことある。今やいずれも卿貳の位に至れり。もし必ず条条に成例を死守せば、何処か準かることを得ん。

童限(どうげん)

童限或十歲出,或二十歲出。其在童限中,即將所立之度逐年挨查。如度是木,木原與日通,童限中即克父。度是土,土原與月通,童限中即克母。度是吉氣所鍾,童限中即發;度是凶氣所會,童限中即亡。

童限はあるいは十歳にして出づる者あり、あるいは二十歳に至ってやっと出づる者あり。人がなお童限の中に在るときは、すなわち立てたる度に就きて逐年挨(あい)査考する。たとえば立てたる度が木に属すれば、木はもともと太陽と気脈相通じ、木はまた日を蔽(おお)う能くすれば、童限のうちにすなわち父を克す。立てたる度が土に属すれば、土はもともと太陰と気脈相通じ、土はまた月を掩(おお)う能くすれば、童限のうちにすなわち母を克す。立てたる度がもし吉気の鐘聚(しょうじゅ)する所なれば、童限のうちにすなわち発達す。立てたる度がもし凶気の会集する所なれば、童限のうちにすなわち夭亡す。

女命(じょめい)

女命與男命略同,所異者命主之外,尤以夫星子星為重。從夫子星之生剋制化及經絡貫串攔拱夾上,細細推求其貧富貴賤,亦相應如響。

女命の看法は男命と大致相同じい。異なるところは、命主のほかに、殊に夫星と子星とを看重するにある。夫星・子星の生克制化と、およびそれらと命度との間の経・絡・貫・串・攔・拱・夾の種種の関係の上より、細(こま)かにその貧富・貴賤を推求すれば、同じく響(ひび)きのごとく応験する。

双生(そうせい)

雙生之別,命主太旺幼者勝,命主太弱長者勝;命主不旺不弱,長幼略同。又長主正,幼主餘,政餘恆不類,則長幼亦多異。

双生子の分別はこのようである。命主が太く旺えれば、後に生まれた弟が兄に勝り、命主が太く弱ければ、先に生まれた兄が弟に勝り、命主が旺えず弱くなければ、兄弟二人の際遇は大致相同じい。このほか先に生まれた者は七政をもって主とし、後に生まれた者は四余をもって主とする。七政と四余はもともと性情が同類でないから、兄弟二人の境遇もまた多半各々異なる。

中人の命

大吉大凶之命一望而知,易於推算;若中立之輩,只可斷其大概。必謂當為某等人,不作某等業,豈未知士農之子長為士農,工商之子長為工商乎?一日不過十二時,所產何止數萬人?雖五方風土不齊,要亦大率相類也。

大吉大凶の命は、一見して便ち見出(みいだ)し得て、推算するに易い。居中して上がらず下がらざるあの輩の人に至っては、ただ大概を断ずるのみ。もし必ず彼に応に或る一等の人を為すべく、或る一種の行業を為すべからずと指定せんとすれば、すなわち未(ま)だ忘るるに免(まぬか)れざるなり。読書人と農人の子は多半なお読書人と農人であり、工匠・商賈の子は多半なお工匠・商賈である。しかも一日は十二時辰に過ぎず、同時に降生する者は何(なん)ぞ数万人に止まらんや。五方の水土風気は斉(ひと)しからずというも、大体上はつねに相類する。

大富大貴之命往往不重生,而貧賤者恆層見疊出,何歟?蓋天地之精華獨蘊釀於此日之一時,譬之祥麟綵鳳原不多見,若泛泛化生於陰陽五行,不啻吠犬嗚雞,何地無之?

大富大貴の命は往々にして重ねて出現せず、貧賤の命は層出(そうしゅつ)して窮まりなし。これは何の故ぞや。天地の精華が単々として彼の一日の彼の一時辰のうちに醞釀(うんじょう)するがゆえに、祥麟・彩鳳(しょうりんさいほう)のもともと多く見えざるに譬(たと)ゆべし。泛泛として陰陽五行より化生するものに至っては、すなわち吠ゆる狗(いぬ)、暁を報ずる鶏のごとく、何れの処の地方か之を無からん。(「嗚鶏(うけい)」の「嗚」は「鳴」の訛(あやま)り。今は原様のままに録す。)

気尽きれば則ち死す

限度雖極危,其氣未盡,即不死;限度雖尚穩,其氣已盡,即必死。大貴之人常在極吉之度死者,何也?其氣盡也,且當受身後之榮也。若至凶度而死,必罹禍患矣,非其命所應有也。

行限の度はたとい極めて危険でも、ただその気がまだ尽きざれば、死せず。行限の度はたといなお平稳(へいおん)でも、ただその気がすでに尽きれば、必ず死す。大貴の人はつねに極吉の度の上に去世する。これは何の故ぞや。ただその気が尽きたればに因るのみ。しかも吉度の上に死すれば、身後はなお哀栄・褒贈(あいえいほうぞう)を受くべし。もし凶度の上に走り到ってやっと死するならば、それは必ず禍患に遭いし者で、その死法は決して彼のこの命の分内に応有するものにあらず。

気尽の遅速

命只合得一科第,弱冠得之,其氣已盡,即死。命必至一二品,雖六七十歲外,其氣未盡,必候到此地位才死。

一人の命がもしただ一度の科第に配すべくして、その人が二十歳の上下にして中れば、気もまたこれに就いて用い尽くし、随いで便ち死す。一人の命がもし注定して一品二品に為るべくなれば、たとい六七十歳の開(あま)りまで活くるとも、ただ気がまだ用い尽くさざれば、必ずこの地位に為りてこそ死するを待つべし。

有兩人之命,皆宜位至二品。一人於三二十歲時,猝於數年間超擢至二品,其氣已盡,即死。一人歷久不升,即升亦循序漸進,遷延至六七十歲得之,其氣不盡,總不死。

二人の命あって、いずれも二品に為るべし。そのうち一人は二三十歳の上に、忽然として数年の間に破格して二品に提拔され、気はこれに就いて用い尽くし、随いで便ち死す。別の一人は却って久しく升遷を得ず、たとい升るもまた按部就班(あんぶしゅうはん)に一級ずつ上に挪(ず)らして、一直に六七十歳まで拖(ひ)きてやっと二品に為る。その気は終始として用い尽くさず。だから総(ふさ)がりても死せざるなり。見るべし、同じく一つの品級にして、得ることの遅速同じからざれば、寿数は便ち截然として両樣なり。

有中年忽然折挫者,如氣正未盡,可決其復起;如其氣或已盡,即判以終身。

ある人は中年に到って忽然として挫折に遭いて跌倒(てっとう)する。このときは全く気を看る。もしその気がまさにまだ用い尽くさざれば、すなわち彼のなお東山再起(とうざんさいき)すべきを断定し得る。もしその気がすでに用い尽くされば、すなわち彼のこの一生はここに止まると判定し得る。

三死は命に非ず

死生本有定數,而非所論於自取。嘗讀孔子之言而爽然矣,曰:「寢處不時,飲食不節,勞佚過度者,疾共殺之;居下位而好干上,嗜慾無厭,求索不止者,刑共殺之;少以犯眾,弱以侮強,忿不量力,兵共殺之。」此三死者非其命也,人自取之。

生死はもともと自ら定数あるが、あれは自然の数に就いていうので、みずから招来したる死を含まない。かつて孔子の一段の言を読みて、読みて恍然(こうぜん)として明白した。孔子がいう。起居に時なく、飲食に節なく、労累と安逸とが皆度を過ぐる者は、疾病にともに殺される。身は下位に居りて好んで上級に冒犯し、嗜好欲望は永く満足なく、索求は肯んじて停止せざる者は、刑罰にともに殺される。少数をもって衆人に触犯し、弱小をもって強大を欺侮し、一怒してみずから力を量らざる者は、兵刃にともに殺される。この三種の死はいずれもその命の応に然るべきにあらずして、みずから招来せしものなり。

諸書の存参と不取

《乾元秘書》內載七曜性情吉凶及所屬陰陽、所屬晝夜,皆於命理無關,故不錄。

《乾元秘書》のうちに七曜の性情吉凶と、および各々の所属する陰陽・所属する昼夜を載す。これらはいずれも命理と相干(あいかん)あらず。だから本書は収録を予(あずか)らない。

《元星變化》云命之主星最嫌洩氣。洩氣之輕,多招災禍;洩氣之重,不免死亡。此說似乎太拘,終於不採。

《元星変化》にいう。命主星は最も泄気(せっき)を忌み、泄ること軽ければ多く災禍を招き、泄ること重ければ死亡を免れないと。この説は未(いま)だ拘泥(こうでい)に太(はなはだ)しきを免れず。だから終わりに採用せざるなり。

《元星變化》云如甲與己合,看合何星,若官祿則得祿,疾厄則多疾。合著恩星,自為有用;合著難星,不無受制。此說亦微有驗,姑以存參。

《元星変化》にまたいう。たとえば甲と己とが相合するに、それの合するはどの一星か、落つるはどの一宮かを看る——官禄宮に合すれば禄を得、疾厄宮に合すれば多病となり、「恩星」に合着すればこの一合は自ずから用あり、「難星」に合着すればその牽制を受けるを免れないと。この説はやや応験あるも、姑(しばら)く存録して参攷(さんこう)に備うるのみ。

魁・科・文の三星

魁、科、文三星其用不同。《天官經》云:「魁官穿度,早步青雲;魁度逢官,陛廷司諫;官魁拱命,驄馬乘風」是魁主風審無疑,推而廣之,內至兵刑都察院等官,外至督撫按察司等官,皆作魁論。

「魁星」「科名」「文星」のこの三つの星は、用処は各々同じからず。《天官經》にいう。「魁官は度を穿(うが)てば、早く青雲を歩み、魁度に官に逢えば、陛廷(へいてい)の司諫(しけん)たり、官魁が命を拱すれば、驄馬(そうば)風に乗る。」これは魁と天官とが互いに穿度する者は早く青雲に登り、魁の度の上に天官に遇う者は朝廷の諫官たるべく、官・魁がともに命を拱する者は便ち驄馬御史の風に乗りて起つが如しをいう。見るべし、魁星の主どるは風紀と刑名の審断なり。この一点は疑問なし。これを推して広げれば、内には兵部・刑部・都察院の類の官の如く、外には督撫・按察司の類の官の如く、いずれも魁星に拠って論ずる。

文不獨科第然也,總裁、主試、房考、學差,內而司成等,外而教職等,皆以文論。倘不得氣,又微與命主有關,雖老於諸生,亦應有文名科名。升殿朝陽,兼日月拱夾,可以問鼎。天一生水,水作科名更妙。

「文星」の主どるところは単に科第のみにあらず。会試の総裁・郷試の主考・房考官・提督学政の如き、内には国子監の司成・祭酒の類の如く、外には府州県学の教職の類の如く、いずれも文星に拠って論ずる。文星はたとい気を得ずとも、また命主とやや関渉あれば、その人はたとい秀才の行列の裏に老死すとも、なお旧(もと)より文名あるいは科名あるべし。文星がもし殿に升り地を得、太陽を朝拱し、さらに日月の拱夾を兼ねれば、以て大魁を問鼎(もんてい)すべし。天は一を生じて水と為す。だから水星を用いて「科名」と作すは更に美妙なり。

有謂科名與陽隔一度,中第一;隔二度,中第二;隔三度,中第三;隔三度外,尚與日同度,亦可館選。又有謂魁守命坐度,與所立之度數相隔一二三,即以此定廷試之名次。二說皆驗,當參觀而得之。

ある人がいう。「科名」と太陽とが相隔ること一度なる者は第一名に中り、二度に隔たるは第二名に中り、三度に隔たるは第三名に中り、三度以外に隔たるも、ただなお太陽と同一度の内に在らば、また翰林に入选すべしと。またある人がいう。「魁星」が命宮の所在の度に坐守し、立てたる度と相隔ること一度・二度・三度に拠り、すなわちこれに拠って殿試の名次を定むと。この二種の説はいずれも応験あり。応に合わせて参看し、乃(すなわ)ちその真意を得べし。

煞度を行りて反(かえ)って貴なる例

有壬年人行柳土煞度館選者,查文、日、科、水皆在女躔,則柳度正收科文陽君貴氣,不要概論煞也。又有壬年人行女土煞度館選者,查科水在女躔,日月夾之,則女度正收科名貴氣,又科名頂度,不可概論煞也。

壬年の生まれの人ありて、柳宿土度のこの七煞の度に行り到りて、かえって翰林に入选せしあり。その盤を査するに、文星・太陽・科名と水星とが皆女宿に躔す。それならば柳度の収むる所はまさに科・文と君象太陽の貴気なり。一概に七煞と作して断ずべからず。また壬年の生まれの人ありて、女宿土度のこの七煞の度に行り到りて翰林に入选せしあり。その盤を査するに、科名の水星がまさに女宿に躔し、また日月あってこれを夾む。それならば女度の収むる所はまさに科名の貴気にして、しかも科名はすなわちこの一度に頂(いただ)けり。同じく一概に七煞と作して断ずべからず。

有庚年人行奎木煞度居大位掌重權者,查原木與氣照已經合化,天官金與太陽俱在斗躔,則奎木乃天官與太陽貴氣所通故也。有辛年人行婁金煞度館選者,查金即科名,木在陽躔,則即以科名近陽也。總之七煞止忌其混官,既不混官,則另視其氣之所並而已。蓋即一星常在數用,一用亦有不同之理,特因煞而詳載之。

また庚年の生まれの人ありて、奎宿木度のこの七煞の度に行り到りて、却って高位に身を居し重権を執れり。その盤を査するに、原盤の木星と「紫氣」とは互いに照り、早已(さっそく)合化して煞気を去れり。しかして天官の金星と太陽とが同じく斗宿に躔す。それならば奎宿の木はまさに天官と太陽との貴気の貫通する所なり。だから煞と作して論ずべからず。また辛年の生まれの人ありて、婁宿金度のこの七煞の度に行り到りて翰林に入选せしあり。その盤を査するに、金は辛年の人に対してまさに「科名」にして、しかも木星はまた太陽の所在の度に躔す。これはすなわち科名が太陽に親近する所以(ゆえん)なり。総じていえば、七煞の忌む所はただ天官を混雑するに在るのみ。すでに官を混ぜざれば、すなわちただその気が何と併せて一処に在るかを看るのみ。これまさに前にいいし一つの星はつねに数用を兼ね、同一種の用途もまた各々同じからざるの道理なり。ただ講ずるは七煞なれば、故(ことさ)らに詳しく記載し置くなり。

宮を過ぎ度を行る年数

七年每月行二十一分零,兩個月零二十四日行一度。一年,該四度十七分有奇。二年,該八度三十四分有奇。三年,該十二度五十一分有奇。四年,該十七度八分有奇。五年,該二十一度二十五分有奇。六年,該二十五度四十二分有奇。七年,合計三十度。

およそ一宮が七年を管するものは、毎月二十一分余を行り、二箇月零(れい)二十四日にして一度を行り滿つ。逐年に累計すれば、第一年は共に四度十七分零有り、第二年は共に八度三十四分零有り、第三年は共に十二度五十一分零有り、第四年は共に十七度八分零有り、第五年は共に二十一度二十五分零有り、第六年は共に二十五度四十二分零有り、第七年に到りて合計して恰(か)も三十度、正に一宮を走り滿つ。

八年每月行十九分,缺三個月零六日行一度。一年,該三度四十五分。二年,該七度三十分。三年,該十一度十五分。四年,該十五度。五年,該十八度四十五分。六年,該二十二度三十分。七年,該二十六度十五分。八年,合計三十度。

およそ一宮が八年を管するものは、毎月十九分を行り、三箇月零六日に足らずして便ち一度を行り滿つ。逐年に累計すれば、第一年は共に三度四十五分、第二年は共に七度三十分、第三年は共に十一度十五分、第四年は共に十五度、第五年は共に十八度四十五分、第六年は共に二十二度三十分、第七年は共に二十六度十五分、第八年に到りて合計して恰も三十度、正に一宮を走り滿つ。

十一年每月行十三分零,四個月零十二日行一度。一年,該二度四十三分有奇。二年,該五度二十七分有奇。三年,該八度十分有奇。四年,該十度五十四分有奇。五年,該十三度三十八分有奇。六年,該十六度二十一分有奇。七年,該十九度五分有奇。八年,該二十一度四十九分有奇。九年,該二十四度三十二分有奇。十年,該二十七度一十六分有奇。十一年,合計三十度。

およそ一宮が十一年を管するものは、毎月十三分余を行り、四箇月零十二日にして一度を行り滿つ。逐年に累計すれば、第一年は共に二度四十三分零有り、第二年は共に五度二十七分零有り、第三年は共に八度十分零有り、第四年は共に十度五十四分零有り、第五年は共に十三度三十八分零有り、第六年は共に十六度二十一分零有り、第七年は共に十九度五分零有り、第八年は共に二十一度四十九分零有り、第九年は共に二十四度三十二分零有り、第十年は共に二十七度十六分零有り、第十一年に到りて合計して恰も三十度、正に一宮を走り滿つ。

某宮行幾年,惟七年、八年、十一年尤須逐年扣清,特另開於右。

各宮が究竟何年を行るかは、前の「限年」の一条にすでに列明せり。そのうち七年を管し、八年を管し、十一年を管するこの三種は、殊に逐年に扣算して清楚なるを要すれば、故(ことさ)らに別に上の三張の表を列して査検に備うるなり。

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