Libo

列子

战国至魏晋 · 列御寇(传)

列子は鄭国の圃田に住み、四十年誰も彼を識る者がなかった。国君卿大夫は彼を衆庶と同じように見た。国が歉收し、彼は衛に遷ろうとした。弟子が言った…

道家典籍

まず老子と荘子内篇を読み、列子・文子・淮南子へ進む。道教が「道」をどう修持として書いたかを見るには、陰符経・黄庭・参同契・悟真篇と抱朴子を読む。

天瑞篇

子列子居鄭圃,四十年人無識者。國君卿大夫眎之,猶眾庶也。國不足,將嫁於衛。弟子曰:「先生往無反期,弟子敢有所謁,先生將何以教?先生不聞壺丘子林之言乎?」子列子笑曰:「壺子何言哉?雖然,夫子嘗語伯昏瞀人。吾側聞之,試以告女。其言曰:有生不生,有化不化。不生者能生生,不化者能化化。生者不能不生,化者不能不化。故常生常化。常生常化者,無時不生,無時不化。陰陽爾,四時爾,不生者疑獨,不化者往復。往復,其際不可終;疑獨,其道不可窮。《黃帝書》曰:『谷神不死,是謂玄牝。玄牝之門,是謂天地之根。綿綿若存,用之不勤。』故生物者不生,化物者不化。自生自化,自形自色,自智自力,自消自息。謂之生化形色智力消息者,非也。」

列子は鄭国の圃田に住み、四十年誰も彼を識る者がなかった。国君卿大夫は彼を衆庶と同じように見た。国が歉收し、彼は衛に遷ろうとした。弟子が言った。「先生のこの去りは帰る期日がない、弟子は敢えて請教する所がある、先生は何をもって私たちを教えるのですか。先生は壺丘子林の言を聞いたことがありませんか」と。列子が笑って言った。「壺子は何を言ったのか。それでも、夫子はかつて伯昏瞀人に告げ、私は傍らで聞いた、試しにあなたたちに告げよう。彼の言に曰く、生ありて生せざる者あり、化ありて化せざる者あり。生せざる者は生を生ずることができ、化せざる者は化を化することができる。生ずる者は生ぜざるを得ず、化する者は化せざるを得ない。ゆえに常に生じ常に化す。常に生じ常に化する者は、時に生ぜざるなく、時に化せざるなし。陰陽はこのようであり、四時はこのようである。生せざる者は疑然として独立し、化せざる者は往き来り反復す。往復すれば、その辺際は終えることができない。疑独すれば、その道(老子がこの字を借りて万物の本原と運行方式を指称する、それ自体は名づけられない)は窮めることができない。《黄帝書》に曰く、『谷神は死せず、これを玄牝(虚空にして万物を生育する者の喩)という。玄牝の門は、すなわち天地の根。綿綿として存在するが如く、用いても尽きない』と。ゆえに物を生ずる者は自ら生ぜず、物を化する者は自ら化せず。自ら生じ、自ら化し、自ら形あり、自ら色あり、自ら智あり、自ら力あり、自ら消し、自ら息む。これらを生化形色智力消息と呼ぶのは、誤りである」と。

子列子曰:「昔者聖人因陰陽以統天地。夫有形者生於無形,則天地安從生?故曰:有太易,有太初,有太始,有太素。太易者,未見氣也;太初者,氣之始也;太始者,形之始也;太素者,質之始也。氣形質具而未相離,故曰渾淪。渾淪者,言萬物相渾淪而未相離也。視之不見,聽之不聞,循之不得,故曰易也。易無形埒,易變而為一,一變而為七,七變而為九。九變者,究也,乃復變而為一。一者,形變之始也。清輕者上為天,濁重者下為地,沖和氣者為人;故天地含精,萬物化生。」

列子が言った。「昔の聖人は陰陽に憑りて天地を統理した。有形は無形から生ずる、然らば天地はどこから生じたのか。ゆえに言う、太易あり、太初あり、太始あり、太素あり。太易は、まだ気(万物を構成し貫通する流動するもの)を見ない。太初は、気の始まり。太始は、形の始まり。太素は、質の始まり。気、形、質が具わってまだ相互に離れていない、ゆえに渾淪という。渾淪とは、万物が相渾淪してまだ分離していないことを言う。見ても見えず、聴いても聞こえず、摸しても得られない、ゆえに易という。易に形埒がなく、易は変じて一となり、一は変じて七となり、七は変じて九となる。九変は窮尽であり、そこで再び一に変じ戻る。一は形変の始まりである。清軽は上昇して天となり、濁重は下降して地となり、沖和の気は人となる。ゆえに天地は精を含み、万物は化生する」と。

子列子曰:「天地無全功,聖人無全能,萬物無全用。故天職生覆,地職形載,聖職教化,物職所宜。然則天有所短,地有所長,聖有所否,物有所通。何則?生覆者不能形載,形載者不能教化,教化者不能違所宜,宜定者不出所位。故天地之道,非陰則陽;聖人之教,非仁則義;萬物之宜,非柔則剛:此皆隨所宜而不能出所位者也。故有生者,有生生者;有形者,有形形者;有聲者,有聲聲者;有色者,有色色者;有味者,有味味者。生之所生者死矣,而生生者未嘗終;形之所形者實矣,而形形者未嘗有;聲之所聲者聞矣,而聲聲者未嘗發;色之所色者彰矣,而色色者未嘗顯;味之所味者嘗矣,而味味者未嘗呈:皆無為之職也。能陰能陽,能柔能剛,能短能長,能員能方,能生能死,能暑能涼,能浮能沈,能宮能商,能出能沒,能玄能黃,能甘能苦,能羶能香。無知也,無能也,而無不知也,而無不能也。」

列子が言った。「天地に完備の功はなく、聖人に完備の能はなく、万物に完備の用はない。ゆえに天の職分は生育覆蓋し、地の職分は賦形載せ、聖人の職分は教化し、物の職分は各々その宜を得る。然らば天に短あり、地に長あり、聖人に滞礙あり、物に貫通あり。なぜか。生育覆蓋する者は賦形載せることができず、賦形載せる者は教化することができず、教化する者は宜に違うことができず、宜がすでに定まった者は本位を越えることができない。ゆえに天地の道は、陰でなければ陽であり、聖人の教は、仁でなければ義であり、万物の宜は、柔でなければ剛である。これらは皆その宜に随って本位を越えることができない。ゆえに生ずる者有り、これを生ぜしめる者有り。形ある者有り、これを形あるせしめる者有り。声ある者有り、これを声あるせしめる者有り。色ある者有り、これを色あるせしめる者有り。味ある者有り、これを味あるせしめる者有り。生の生じ出した者は死するが、これを生ぜしめる者は未だ終わらない。形の成形した者は落実するが、これを形あるせしめる者は未だ有さない。声の発せられた者は聞こえるが、これを声あるせしめる者は未だ発さない。色の成した者は彰明するが、これを色あるせしめる者は未だ顕れない。味の成した者は嘗められるが、これを味あるせしめる者は未だ呈さない。皆無為(主観的意志に憑って強行的に干渉せず、事物をその本性に従って運行させる、何もしないということではない)の職分である。能く陰能く陽、能く柔能く剛、能く短能く長、能く円能く方、能く生能く死、能く熱能く涼、能く浮能く沈、能く宮能く商、能く出能く没、能く玄能く黄、能く甘能く苦、能く膻能く香。知なく能なく、しかも知らざるなく能わざるなし」と。

子列子適衛,食於道,從者見百歲髑髏,攓蓬而指,顧謂弟子百豐曰:「唯予與彼知而未嘗生未嘗死也。此過養乎?此過歡乎?種有幾:若䵷為鶉,得水為㡭,得水土之際,則為䵷蠙之衣。生於陵屯,則為陵舄。陵舄得鬱棲,則為烏足。烏足之根為蠐螬,其葉為胡蝶。胡蝶胥也,化而為蟲,生灶下,其狀若脫,其名曰𪀊掇。𪀊掇千日,化而為鳥,其名曰乾餘骨。乾餘骨之沫為斯彌。斯彌為食醯頤輅。食醯頤輅生乎食醯黃軦,食醯黃軦生乎九猷。九猷生乎瞀芮,瞀芮生乎腐蠸。羊肝化為地皋,馬血之為轉鄰也,人血之為野火也。鷂之為鸇,鸇之為布穀,布穀久復為鷂也,鷰之為蛤也,田鼠之為鶉也,朽瓜之為魚也,老韭之為莧也,老羭之為猨也,魚卵之為蟲。亶爰之獸自孕而生曰類。河澤之鳥視而生曰鶂。純雌其名大𦝫,純雄其名稺蜂。思士不妻而感,思女不夫而孕。后稷生乎巨蹟,伊尹生乎空桑。厥昭生乎濕。醯雞生乎酒。羊奚比乎不筍。久竹生青寧,青寧生程,程生馬,馬生人。人久入於機。萬物皆出於機,皆入於機。」

列子が衛に行き、路上で食事をした時、従者が一具の百年の髑髏を見て、蓬草を撥いてこれを指し、振り返って弟子の百豊に言った。「ただ私とこれだけが未だ生ぜず、未だ死せざるを知る。これは養いが過ぎたのか。これは歓愉が過ぎたのか。物種は幾等多変である。青蛙は鶉に変わり、水を得て䀟に変わり、水土の際に至れば䵷蠙の衣となる。高地に生ずれば陵舄となる。陵舄は糞壤を得て烏足となる。烏足の根は蠐螬となり、葉は蝴蝶となる。蝴蝶はすぐまた化して虫となり、竈の下に生じ、形は蜕皮したよう、𪀊掇と名と名づく。𪀊掇は千日を過ぎて化して鳥となり、乾余骨と名づく。乾余骨の沫は斯弥となる。斯弥は食醯頤輅となる。食醯頤輅は食醯黄軦を生じ、食醯黄軦は九猷を生じる。九猷は瞀芮を生じ、瞀芮は腐蠸を生じる。羊肝は地皋に化し、馬血は轉鄰の燐火に化し、人血は野火に化する。鷂は鸇に変わり、鸇は布穀に変わり、布穀は久しくしてまた鷂に変じ戻る。燕子は蛤に変わり、田鼠は鶉に変わり、朽瓜は魚に変わり、老韭は莧に変わり、老母羊は猿に変わり、魚卵は虫に変わる。亶爰の獣は自ら懐孕して生む者を類という。河沢の鳥は相視して生む者を鶂という。純雌の名を大𦝫と言い、純雄の名を稺蜂と言う。思士は妻を娶らずして感じ、思女は夫に嫁がずして孕む。后稷は巨人の足跡に生まれ、伊尹は空桑に生まれた。厥昭は湿処に生まれ、醯鶏は酒に生まれる。羊奚は笋の長たない竹と並び生じ、久竹は青寧を生じ、青寧は程を生じ、程は馬を生じ、馬は人を生ずる。人は久しくして機に入る。万物は皆機より出で、皆機に入る」と。

《黃帝書》曰:「形動不生形而生影,聲動不生聲而生響,無動不生無而生有。」形,必終者也;天地終乎?與我偕終。終進乎?不知也。道終乎本無始,進乎本不久。有生則復於不生,有形則復於無形。不生者,非本不生者也;無形者,非本無形者也。生者,理之必終者也。終者不得不終,亦如生者之不得不生。而欲恆其生,畫其終,惑於數也。精神者,天之分;骨骸者,地之分。屬天清而散,屬地濁而聚。精神離形,各歸其真,故謂之鬼。鬼,歸也,歸其真宅。黃帝曰:「精神入其門,骨骸反其根,我尚何存?」

《黄帝書》に曰く、「形動いて形を生ぜずして影を生じ、声動いて声を生ぜずして回响を生じ、無動いて無を生ぜずして有を生ず」と。形は必ず終える。天地は終えるか。我とともに終える。終えた後さらに何に進むか。知らない。道は本より始まりなきに終え、本より久長なきに進む。生あれば不生に復帰し、形あれば無形に復帰する。生ぜざる者は、本より生生ぜざるではない。無形の者は、本より無形ではない。生ずる者は、理により必ず終える。終える者は終えざるを得ない、生ずる者が生ぜざるを得ないようである。しかるに生を永遠にし終りを劃さんと欲するのは、気数に惑わされている。精神は天の分であり、骨骸は地の分である。天に属するは清くして散じ、地に属するは濁くして聚まる。精神が形を離れて、各々その真処に帰る、ゆえに鬼という。鬼はすなわち帰であり、真宅に帰る。黄帝が言った。「精神はその門に入り、骨骸はその根に返る、私に何の存留があろうか」と。

人自生至終,大化有四:嬰孩也,少壯也,老耄也,死亡也。其在嬰孩,氣專志一,和之至也;物不傷焉,德莫加焉。其在少壯,則血氣飄溢,欲慮充起;物所攻焉,德故衰焉。其在老耄,則欲慮柔焉;體將休焉,物莫先焉。雖未及嬰孩之全,方於少壯,間矣。其在死亡也,則之於息焉,反其極矣。

人は生まれて終わるまでに、大きな変化が四つある。幼児、少壮、老耄、死亡である。幼児においては、気は専らで志は一つ、和の極致である。物は傷つけることができず、徳(道が具体的事物において現れる性能であり、倫理の意味での品德ではない)にはこれ以上の増加はない。少壮においては、血気が溢れ、欲慮が満ち起こる。物が攻めてきて、徳は衰える。老耄においては、欲慮は柔らぎ、身体は休息しようとし、物は先んずることができない。幼児の完全さにはまだ及ばないが、少壮に比べれば、隔たりがある。死亡に至っては、止息に向かい、極点に帰る。

孔子遊於太山,見榮啟期行乎郕之野,鹿裘帶索,鼓琴而歌。孔子問曰:「先生所以樂,何也?」對曰:「吾樂甚多:天生萬物,唯人為貴。而吾得為人,是一樂也。男女之別,男尊女卑,故以男為貴;吾既得為男矣,是二樂也。人生有不見日月、不免襁褓者,吾既己行年九十矣,是三樂也。貧者士之常也,死者人之終也,處常得終,當何憂哉?」孔子曰:「善乎!能自寬者也。」

孔子が泰山を遊んでいると、栄啓期が郕の郊野を歩いているのを見た。鹿皮衣を着て縄を帯び、琴を弾き歌っている。孔子が問うた。「先生が楽しむ理由は何ですか」と。答えて曰く、「私の楽しみは多い。天は万物を生じ、人のみが貴い。私は人となることを得た、これが一の楽しみである。男女には別があり、男は尊く女は卑しい。ゆえに男を貴とし、私は男となることを得た、これが二の楽しみである。人生には日月を見ず、襁褓を逃れられない者もいる。私はすでに九十歳まで生きた、これが三の楽しみである。貧は士の常態であり、死は人の終結である。常態の中にいて終結を得る、何を憂えようか」と。孔子が言った。「素晴らしい! 自分を慰めることができる人だ」と。

林類年且百歲,底春被裘,拾遺穗於故畦,並歌並進。孔子適衛,望之於野。顧謂弟子曰:「彼叟可與言者,試往訊之!」子貢請行。逆之壠端,面之而歎曰:「先生曾不悔乎,而行歌拾穗?」林類行不留,歌不輟。子貢叩之不已,乃仰而應曰:「吾何悔邪?」子貢曰:「先生少不勤行,長不競時,老無妻子,死期將至,亦有何樂而拾穗行歌乎?」林類笑曰:「吾之所以為樂,人皆有之,而反以為憂。少不勤行,長不競時,故能壽若此。老無妻子,死期將至,故能樂若此。」子貢曰:「壽者人之情,死者人之惡。子以死為樂,何也?」林類曰:「死之與生,一往一反。故死於是者,安知不生於彼?故吾知其不相若矣。吾又安知營營而求生非惑乎?亦又安知吾今之死不愈昔之生乎?」子貢聞之,不喻其意,還以告夫子。夫子曰:「吾知其可與言,果然,然彼得之而不盡者也。」

林類は百歳に近い年齢で、暮春に裘を被り、古い畦で落穂を拾い、歌いながら歩いていた。孔子が衛に行く途中、野地で彼を望見した。弟子に振り返って言った。「あの老人は話ができる、試しに尋ねてみなさい」と。子貢が行くことを請い、田の畦の果てで彼を迎え、彼に向かって嘆息して言った。「先生は悔いることがなく、歩きながら歌って穂を拾っているのですか」と。林類は歩きを止めず、歌をやめなかった。子貢が絶えず問い続けると、彼はやっと頭を上げて答えた。「私が何を悔いるというのか」と。子貢が言った。「先生は年少の時に行いに励まず、成長して時運に競わず、老いて妻子もなく、死期が近づいているのに、何の楽しみがあって穂を拾い歌うのですか」と。林類は笑って言った。「私が楽しむ理由は、すべての人が持っているのに、むしろ憂いとしている。年少の時に行いに励まず、成長して時運に競わなかったからこそ、このように生きることができた。老いて妻子がなく、死期が近いからこそ、このように楽しむことができる」と。子貢が言った。「長寿は人情の願いであり、死は人の嫌悪するところです。あなたは死を楽しみとしていますが、なぜですか」と。林類が言った。「死と生は、一往一返である。ここで死する者が、あちらで生まれないとどうして分かろうか。だから私は両者が相応しくないことを知っている。また、営々として生を求めることが迷いでないとどうして分かろうか。また、私の今の死が昔の生に勝らないとどうして分かろうか」と。子貢は聞いたが、その意味を理解できず、戻って夫子に告げた。夫子が言った。「彼と話すことができると知っていたが、果たしてその通りだった。しかし彼は得たが、まだ言い尽くしていない」と。

子貢倦於學,告仲尼曰:「願有所息。」仲尼曰:「生無所息。」子貢曰:「然則賜息無所乎?」仲尼曰:「有焉耳。望其壙,睪如也,宰如也,墳如也,鬲如也,則知所息矣。」子貢曰:「大哉死乎!君子息焉,小人伏焉。」仲尼曰:「賜!汝知之矣。人胥知生之樂,未知生之苦;知老之憊,未知老之佚;知死之惡,未知死之息也。晏子曰:『善哉,古之有死也!仁者息焉,不仁者伏焉。』死也者,德之徼也。古者謂死人為歸人。夫言死人為歸人,則生人為行人矣。行而不知歸,失家者也。一人失家,一世非之;天下失家,莫知非焉。有人去鄉土、離六親、廢家業、遊於四方而不歸者,何人哉?世必謂之為狂蕩之人矣。又有人鍾賢世,矜巧能、脩名譽、誇張於世而不知已者,亦何人哉?世必以為智謀之士。此二者,胥失者也。而世與一不與一,唯聖人知所與,知所去。」

子貢が学びに倦み、仲尼に告げて言った。「少し止息したい」と。仲尼が言った。「生に止息の場所はない」と。子貢が言った。「では賜に止息の場所がないのですか」と。仲尼が言った。「ある。あの墳塋を見よ、高く、宰割するように、墳起し、鬲のようである。これを見れば止息の場所が分かる」と。子貢が言った。「死はなんと大きいことか! 君子はそこで止息し、小人はそこで伏する」と。仲尼が言った。「賜よ、お前は分かった。人は皆生の楽しみを知るが、生の苦しみを知らない。老の疲れを知るが、老の安逸を知らない。死の忌むべきを知るが、死の止息を知らない。晏子が言った。『素晴らしい、古より死がある! 仁者はそこで止息し、不仁者はそこで伏する』と。死は徳の帰宿である。古人は死人を帰人と呼んだ。死人を帰人と言うならば、生人は行人である。歩いて帰ることを知らないのは、家を失った人である。一人が家を失えば、一世が彼を非難する。天下が家を失っても、非難することを知る者はいない。郷土を離れ、六親を離れ、家業を廃し、四方を遊んで帰らない者がいる、どんな人か? 世人は必ず彼を狂蕩の人と言う。また当世を重んじ、巧能を矜夸し、名誉を修治し、世に夸张して止まることを知らない者がいる、またどんな人か? 世人は必ず彼を智謀の士と思う。この二種類の人は皆誤りである。世人は一方を賛成し一方を賛成しないが、聖人のみが何を賛成すべきか、何を除くべきかを知っている」と。

或謂子列子曰:「子奚貴虛?」列子曰:「虛者無貴也。」子列子曰:「非其名也,莫如靜,莫如虛。靜也虛也,得其居矣;取也與也,失其所矣。事之破䃣而後有舞仁義者,弗能復也。」

ある人が列子に言った。「あなたはなぜ虚を貴ぶのですか」と。列子が言った。「虚に貴ぶべきものはない」と。列子がまた言った。「その名称をなくしてしまえば、静より善いものはなく、虚より善いものはない。静か虚か、それが安居を得る。取るか与えるか、それが処を失う。事が破れ壊れてから仁義を舞弄する者は、もはや回復することができない」と。

粥熊曰:「運轉亡已,天地密移,疇覺之哉?故物損於彼者盈於此,成於此者虧於彼。損盈成虧,隨世隨死。往來相接,間不可省,疇覺之哉?凡一氣不頓進,一形不頓虧;亦不覺其成,亦不覺其虧。亦如人自世至老,貌色智態,亡日不異;皮膚爪髮,隨世隨落,非嬰孩時有停而不易也。間不可覺,俟至後知。」

鬻熊が言った。「運転に停止はなく、天地は暗中に移行する、誰がこれを察したか? ゆえに物はあちらで損なわれこちらで盈ち、こちらで成りあちらで虧ける。損盈成虧は、世に随い死に随う。往き来り相接し、間隔は見えない、誰がこれを察したか? およそ一気は突然進まず、一形は突然虧けない。成ることを覚えず、虧けることを覚えない。人も出世から老に至るまで、容貌神智態度は一日として異ならない日はない。皮膚爪髪は世に随って脱落するが、幼児の時に停まって改まらないわけではない。間隔は察することができず、後になって知るのである」と。

杞國有人憂天地崩墜,身亡所寄,廢寢食者;又有憂彼之所憂者,因往曉之,曰:「天,積氣耳,亡處亡氣。若屈伸呼吸,終日在天中行止,奈何憂崩墜乎?」其人曰:「天果積氣,日月星宿,不當墜耶?」曉之者曰:「日月星宿,亦積氣中之有光耀者;只使墜,亦不能有所中傷。」其人曰:「奈地壞何?」曉者曰:「地積塊耳,充塞四虛,亡處亡塊。若躇步跐蹈,終日在地上行止,奈何憂其壞?」其人舍然大喜,曉之者亦舍然大喜。長廬子聞而笑之曰:「虹蜺也,雲霧也,風雨也,四時也,此積氣之成乎天者也。山嶽也,河海也,金石也,火木也,此積形之成乎地者也。知積氣也,知積塊也,奚謂不壞?夫天地,空中之一細物,有中之最巨者。難終難窮,此固然矣;難測難識,此固然矣。憂其壞者,誠為大遠;言其不壞者,亦為未是。天地不得不壞,則會歸於壞。遇其壞時,奚為不憂哉?」子列子聞而笑曰:「言天地壞者亦謬,言天地不壞者亦謬。壞與不壞,吾所不能知也。雖然,彼一也,此一也。故生不知死,死不知生;來不知去,去不知來。壞與不壞,吾何容心哉?」

杞国に人があり、天地が崩れ墜ちて自分の身を寄せる所がないことを憂え、寝食を廃した。また別の人が彼の憂いを憂え、彼を導いて言った。「天は積み重なった気に過ぎず、気のない所はない。あなたが屈伸し呼吸し、終日天の中を行き止まりしているのに、なぜ崩墜を憂えるのか」と。その人が言った。「天が果たして積気ならば、日月星宿は墜ちてこないのか」と。導く人が言った。「日月星宿もまた、積気の中で光耀があるものである。たとえ墜ちてきても、撃ち傷つけることはできない」と。その人が言った。「地が壊れたらどうする」と。導く人が言った。「地は積み重なった塊に過ぎず、四方に充満し、塊のない所はない。あなたが踏み歩き、終日地の上を行き止まりしているのに、なぜ壊れることを憂えるのか」と。その人は心を安んじて大いに喜び、導く人も心を安んじて大いに喜んだ。長廬子がこれを聞いて笑って言った。「虹霓、雲霧、風雨、四時、これらは積気が天において成すものである。山岳、河海、金石、火木、これらは積形が地において成すものである。積気を知り積塊を知りながら、壊れないとどうして言えようか。天地は空中の一つの細物であり、有形の中で最も巨大である。終え窮めることは難い、これは固然である。測度し認識することは難しい、これも固然である。壊れることを憂えるのは実に遠すぎる。壊れないと言うのもまた正しくない。天地は壊れざるを得ず、ついに壊に帰するであろう。その壊れる時に遭ったら、なぜ憂えないことがあろうか」と。列子がこれを聞いて笑って言った。「天地が壊れると言うのも誤り、壊れないと言うのも誤り。壊れるか壊れないかは、私の知ることができるものではない。それにもかかわらず、あれは一であり、これも一である。ゆえに生は死を知らず、死は生を知らない。来は去を知らず、去は来を知らない。壊れるか壊れないか、私がなぜ心に留める必要があろうか」と。

舜問乎烝曰:「道可得而有乎?」曰:「汝身非汝有也,汝何得有夫道?」舜曰:「吾身非吾有,孰有之哉?」曰:「是天地之委形也。生非汝有,是天地之委和也。性命非汝有,是天地之委順也。孫子非汝有,是天地之委蛻也。故行不知所往,處不知所持,食不知所以。天地強陽,氣也;又胡可得而有邪?」

舜が烝に問うて言った。「道は得て有することができるか」と。答えて曰く。「あなたの身さえあなたの有ではないのに、どうして道を有することができようか」と。舜が言った。「私の身が私の有でないならば、誰がこれを有するのか」と。答えて曰く。「これは天地が委託した形である。生命はあなたの有ではなく、天地が委託した和である。性命はあなたの有ではなく、天地が委託した順である。子孫はあなたの有ではなく、天地が委託した蜕である。ゆえに歩いてどこへ往くか知らず、住んで何を持つか知らず、食べて何に拠るか知らない。天地の剛健な運動は、気に過ぎない。またどうしてこれを有することができようか」と。

齊之國氏大富,宋之向氏大貧;自宋之齊,請其術。國氏告之曰:「吾善為盜。始吾為盜也,一年而給,二年而足,三年大穰。自此以往,施及州閭。」向氏大喜。喻其為盜之言,而不喻其為盜之道,遂踰垣鑿室,手目所及,亡不探也。未及時,以贓獲罪,沒其先居之財。向氏以國氏之謬己也,往而怨之。國氏曰:「若為盜若何?」向氏言其狀。國氏曰:「嘻!若失為盜之道至此乎?今將告若矣。吾聞天有時,地有利。吾盜天地之時利,雲雨之滂潤,山澤之產育,以生吾禾,殖吾稼,築吾垣,建吾舍。陸盜禽獸,水盜魚鼈,亡非盜也。夫禾稼、土木、禽獸、魚鼈,皆天之所生,豈吾之所有?然吾盜天而亡殃。夫金玉珍寶,穀帛財貨,人之所聚,豈天之所與?若盜之而獲罪,孰怨哉?」向氏大惑,以為國氏之重罔己也,過東郭先生問焉。東郭先生曰:「若一身庸非盜乎?盜陰陽之和以成若生,載若形,況外物而非盜哉?誠然,天地萬物不相離也;仞而有之,皆惑也。國氏之盜,公道也,故亡殃;若之盜,私心也,故得罪。有公私者,亦盜也;亡公私者,亦盜也。公公私私,天地之德。知天地之德者,孰為盜耶?孰為不盜耶?」

斉国の国氏はとても富み、宋国の向氏はとても貧しかった。向氏が宋から斉に行き、富を致す方法を尋ねた。国氏が彼に告げて言った。「私は盗を為すことに善い。私が盗を始めてから、一年で足りるようになり、二年で充実し、三年で大豊となった。これ以後、州閭に施し及んだ」と。向氏は大いに喜んだ。彼が盗を為すという言葉を理解したが、彼が盗を為す道を理解しなかった。そこで牆を越え室を鑿ち、手眼の及ぶところ探り取らないものはなかった。ほどなくして、贓で罪を得て、先に蓄えた財も没収された。向氏は国氏が自分を騙したと思い、彼を怨みに行った。国氏が言った。「あなたは盗をどのように為したのか」と。向氏が情状を述べた。国氏が言った。「ああ! あなたは盗を為す道をここまで失ったのか。今あなたに告げよう。私は聞いた、天には時があり、地には利があると。私は天地の時と利を盗み、雲雨の潤い、山沢の産育を盗み、私の禾を生じ、私の稼を種え、私の牆を築き、私の屋を建てる。陸において禽獣を盗み、水において魚鼈を盗む、盗まないものはない。禾稼、土木、禽獣、魚鼈は皆天が生じたものであり、どうして私の有であろうか。しかし私は天を盗んで殃がない。金玉珍宝、穀帛財貨は人が聚めたものであり、どうして天が与えたものであろうか。あなたは盗んで罪を得た、誰を怨むのか」と。向氏は大いに惑い、国氏がまた自分を激しく騙したと思い、東郭先生に問うた。東郭先生が言った。「あなたのこの一身は盗ではないか。陰陽の和を盗んであなたの生を成就し、あなたの形を載せているのに、外物が盗でないことがあろうか。誠に、天地万物は相離れない。これらを己の有とするのは皆惑である。国氏の盗は公道である、ゆえに殃がない。あなたの盗は私心である、ゆえに罪を得た。公私があるのも盗であり、公私がないのも盗である。公をその公とし、私をその私とするのは天地の徳である。天地の徳を知る者は、誰が盗で誰が盗でないか」と。

黄帝篇

黃帝即位十有五年,喜天下戴己,養正命,娛耳目,供鼻口,焦然肌色皯黣,昏然五情爽惑。又十有五年,憂天下之不治,竭聰明,進智力,營百姓,焦然肌色皯黣,昏然五情爽惑。黃帝乃喟然讚曰:「朕之過淫矣。養一己其患如此,治萬物其患如此。」於是放萬機,舍宮寢,去直侍,徹鐘懸,減廚膳,退而閒居大庭之館,齋心服形,三月不親政事。晝寢而夢,遊於華胥氏之國。華胥氏之國在弇州之西,台州之北,不知斯齊國幾千萬裡,蓋非舟車足力之所及,神遊而已。其國無師長,自然而已。其民無嗜慾,自然而已。不知樂生,不知惡死,故無夭殤;不知親己,不知疏物,故無愛憎;不知背逆,不知向順,故無利害,都無所愛惜,都無所畏忌。入水不溺,入火不熱。斫撻無傷痛,指擿無痟癢。乘空如履實,寢虛若處床。雲霧不硋其視,雷霆不亂其聽,美惡不滑其心,山谷不躓其步,神行而已。黃帝既寤,怡然自得,召天老、力牧、太山稽,告之曰:「朕閒居三月,齋心服形,思有以養身治物之道,弗獲其術。疲而睡,所夢若此。今知至道不可以情求矣,朕知之矣,朕得之矣,而不能以告若矣!」又二十有八年,天下大治,幾若華胥氏之國,而帝登假。百姓號之,二百餘年不輟。

黄帝が即位して十五年、天下が自分を擁戴することを喜び、正命を頤養し、耳目を娯楽し、鼻口に供奉したが、肌色は焦黄黯淡し、五情は昏乱迷惑した。また十五年、天下が治まらないことを憂い、聡明を尽くし、智力を進め、百姓を経営したが、肌色は再び焦黄黯淡し、五情は再び昏乱迷惑した。黄帝はそこで喟然と嘆じて言った。「私の過ちは甚だしかった。一己を養うその患はこのようであり、万物を治めるその患もこのようである」と。そこで万機を放し、宮寝を捨て、近侍を去り、鐘懸を撤し、厨膳を減省し、退いて大庭の館に閑居し、心を斎戒し形を降服させ、三ヶ月政事に親しまなかった。昼間眠って夢を見、華胥氏の国を遊んだ。華胥氏の国は弇州の西、台州の北にあり、中国から幾千万里離れているか知らず、舟車脚力の及ぶところではなく、ただ神遊するのみである。その国には師長がなく、自然(自ずからそうである、本来そうである、「大自然」ではない)のみである。その民には嗜欲がなく、自然のみである。生を楽しむことを知らず、死を悪むことを知らない、ゆえに夭殤がない。己に親しむことを知らず、外物を疏外することを知らない、ゆえに愛憎がない。背逆を知らず、向順を知らない、ゆえに利害がない。皆愛惜がなく、皆畏忌がない。水に入っても淹れず、火に入っても熱くない。砍打しても傷痛がなく、指戳しても酸痒がない。空を乗ることは実を踏むようであり、虚に寝ることは床に寝るようである。雲霧はその視を碍げず、雷霆はその聴を乱さず、美悪はその心を滑らかに乱さず、山谷はその歩を絆さない、ただ神が行くのみである。黄帝が覚めて、怡然として自得し、天老、力牧、太山稽を召して彼らに告げて言った。「私は三ヶ月閑居し、心を斎え形を服させ、身を養い物を治める道を求めたが、方法を得なかった。疲れて眠り、夢でこのようになった。今、至道は情をもって求めることができないことを知った。私は知り、私は得たが、あなたたちに告げることができない」と。また二十八年が過ぎ、天下は大いに治まり、ほとんど華胥氏の国のようになり、帝は天に昇って去った。百姓は彼を号哭して弔い、二百余年止まなかった。

列姑射山在海河洲中,山上有神人焉,吸風飲露,不食五穀;心如淵泉,形如處女;不偎不愛,仙聖為之臣;不畏不怒,願慤為之使;不施不惠,而物自足;不聚不歛,而己無愆。陰陽常調,日月常明,四時常若,風雨常均,字育常時,年穀常豐;而土無札傷,人無夭惡,物無疵厲,鬼無靈響焉。

列姑射山は海河洲の中にあり、山の上に神人がいて、風を吸い露を飲み、五穀を食べない。心は淵泉のようであり、形は処女のようである。親しまず愛さないが、仙聖が彼に臣となる。威せず怒らないが、愿愨の人が彼に使われる。施さず恵まないが、物は自ずから充足する。聚めず斂めないが、自分に過失がない。陰陽は常に調い、日月は常に明らかで、四時は常に順い、風雨は常に均しく、生育は常に時に応じ、年穀は常に豊作である。土地に札傷がなく、人に夭悪がなく、物に疵癘がなく、鬼に霊響がない。

列子師老商氏,友伯高子,進二子之道,乘風而歸。尹生聞之,從列子居,數月不省舍。因閒請蘄其術者,十反而十不告。尹生懟而請辭,列子又不命。尹生退。數月,意不已,又往從之。列子曰:「汝何去來之頻?」尹生曰:「曩章戴有請於子,子不我告,固有憾於子。今復脫然,是以又來。」列子曰:「曩吾以汝為達,今汝之鄙至此乎?姬!將告汝所學於夫子者矣。自吾之事夫子友若人也,三年之後,心不敢念是非,口不敢言利害,始得夫子一眄而已。五年之後,心庚念是非,口庚言利害,夫子始一解顏而笑。七年之後,從心之所念,庚無是非;從口之所言,庚無利害,夫子始一引吾並席而坐。九年之後,橫心之所念,橫口之所言,亦不知我之是非利害歟,亦不知彼之是非利害歟,亦不知夫子之為我師、若人之為我友,內外進矣。而後眼如耳,耳如鼻,鼻如口,無不同也。心凝形釋,骨肉都融;不覺形之所倚,足之所履,隨風東西,猶木葉幹殼。竟不知風乘我邪?我乘風乎?今女居先生之門,曾未浹時,而懟憾者再三。女之片體將氣所不受,汝之一節將地所不載。履虛乘風,其可幾乎?」尹生甚怍,屏息良久,不敢復言。

列子は老商氏に師事し、伯高子と友となり、この両人の道を学び通し、風に乗って帰った。尹生がこれを聞き、列子に従って住み、数ヶ月家に帰って見ることがなかった。暇に乗じてその術を学ぶことを請い、十回往き来りしても十回告げられなかった。尹生は怨んで告辞することを請い、列子はまた引き留めなかった。尹生は退き去った。数ヶ月過ぎて、心意が止まず、また従いに行った。列子が言った。「あなたはなぜこんなに頻繁に行き来するのか」と。尹生が言った。「昔、章戴があなたに請うたことがあり、あなたは私に告げなかった、本からあなたに憾みを持っていました。今心がまた開けたので、また来ました」と。列子が言った。「昔私はあなたを通達していると思ったが、今あなたはここまで鄙陋なのか。しばらく待て! 私が夫子から学んだことをあなたに告げよう。私が夫子に事え、あのような人と友となってから、三年の後、心に是非を念ずることを敢えてせず、口に利害を言うことを敢えてせず、やっと夫子の一瞥を得たのみ。五年の後、心に却って是非を念じ、口に却って利害を言い、夫人才が顔を開いて一笑した。七年の後、心の念ずるところに任せると、却って是非がなく、口の言うところに任せると、却って利害がなく、夫人はやっと私を引いて席を並べて坐らせた。九年の後、心の念ずるところに横たわり、口の言うところに横たわり、私の是非利害をも知らず、相手の是非利害をも知らず、夫子が私の師であることも、あのような人が私の友であることも知らず、内外皆尽きた。そして眼は耳のよう、耳は鼻のよう、鼻は口のよう、異なるところがない。心は凝聚し形は消釈し、骨肉は皆融け、形が何に倚るか、足が何を踏むか、心が何を念ずるか、言が何を蔵するかを覚えない。このようであるのみ。風に随って東西し、木葉や干殻のようである。果たして風が私に乗るのか、私が風に乗るのか分からない。今あなたは先生の門下に住んで、まだ一時も経っていないのに、怨憾がすでに再三ある。あなたの一片の体、気がこれを受け入れようとせず、あなたの一節、地がこれを載せようとしない。虚を踏み風に乗ること、どうして望むことができようか」と。尹生はとても慙愧し、息を屏って久しく、再び言うことを敢えてしなかった。

列子問關尹曰:「至人潛行不空,蹈火不熱,行乎萬物之上而不慄。請問何以至於此?」關尹曰:「是純氣之守也,非智巧果敢之列。姬!魚語女。凡有貌像聲色者,皆物也。物與物何以相遠也?夫奚足以至乎先?是色而已。則物之造乎不形,而止乎無所化。夫得是而窮之者,焉得而正焉?彼將處乎不深之度,而藏乎無端之紀,遊乎萬物之所終始。壹其性,養其氣,含其德,以通乎物之所造。夫若是者,其天守全,其神無郤,物奚自入焉?夫醉者之墜於車也,雖疾不死。骨節與人同,而犯害與人異,其神全也。乘亦弗知也,墜亦弗知也。死生驚懼不入乎其胸,是故遌物而不慴。彼得全於酒而猶若是,而況得全於天乎?聖人藏於天,故物莫之能傷也。」

列子が関尹に問うて言った。「至人は水に潜っても窒息せず、火を踏んでも熱くなく、万物の上を歩いても戦慄しない。請う、何に拠ってこの境地に至るのか」と。関尹が言った。「これは純気を守ることであり、智巧果敢の類ではない。しばらく待て! あなたに告げよう。およそ貌像声色があるものは皆物である。物と物は何に拠って相遠く離れるのか。またどうして最先に至るに足るのか。色に過ぎない。然らば物は無形に造り、化する所なきに止まる。これを得てこれを窮める者は、どうして外物に正されることがあろうか。彼は不測の度の中に処り、無端の緒の中に蔵れ、万物の終始に遊ぶ。性を一にし、気を養い、徳を含み、物の由って造られる所に通ずる。このような人は、天守が完整し、神に隙間がなく、物はどこから入るのか。酔った人が車から墜ちても、傷ついても死なない。骨節は人と同じだが、害を受けることは人と異なる、その神が完整だからである。乗ることも知らず、墜ちることも知らない。死生驚懼が胸中に入らない、ゆえに物に触れても懼れない。彼が酒から完整を得て尚このようであるのに、天から完整を得る者はいかばかりか。聖人は天に蔵れる、ゆえに物は彼を傷つけることができない」と。

列禦寇為伯昏無人射,引之盈貫,措杯水其肘上,發之,鏑矢復沓,方矢復寓。當是時也,猶象人也。伯昏無人曰:「是射之射,非不射之射也。當與汝登高山,履危石,臨百仞之淵,若能射乎?」於是無人遂登高山,履危石,臨百仞之淵,背逡巡,足二分垂在外,揖禦寇而進之。禦寇伏地,汗流至踵。伯昏無人曰:「夫至人者,上闚青天,下潛黃泉,揮斥八極,神氣不變。今汝怵然有恂目之志,爾於中也殆矣夫!」

列御寇が伯昏無人に射を見せた。弓を満たして引き、肘の上に一杯の水を置き、射出した後、箭簇が相重なり、二支の箭がまた搭えられた。この時、木偶のようであった。伯昏無人が言った。「これは心をもって射る射であり、無心の射ではない。あなたと高山に登り、危石を踏み、百仞の深淵に臨んで、まだ射ることができるか」と。そこで無人は高山に登り、危石を踏み、百仞の深淵に臨み、背を向けて後ずさりし、足の二分が外に懸かり、揖をして御寇に前に進むよう請った。御寇は地に伏し、汗が脚跟まで流れた。伯昏無人が言った。「至人は上に青天を窺い、下に黄泉に潜み、八極を揮斥しても、神気は変わらない。今あなたは驚恐して眼が眩んでいる、あなたが射中する把握は危ない」と。

范氏有子曰子華,善養私名,舉國服之;有寵於晉君,不仕而居三卿之右。目所偏視,晉國爵之;口所偏肥,晉國黜之。遊其庭者侔於朝。子華使其俠客以智鄙相攻,彊弱相凌。雖傷破於前,不用介意。終日夜以此為戲樂,國殆成俗。禾生、子伯,范氏之上客,出行,經坰外,宿於田更商丘開之舍。中夜,禾生、子伯二人相與言子華之名勢,能使存者亡,亡者存;富者貧,貧者富。商丘開先窘於飢寒,潛於牖北聽之。因假糧荷畚之子華之門。子華之門徒皆世族也,縞衣乘軒,緩步闊視。顧見商丘開年老力弱,面目黎黑,衣冠不檢,莫不眲之。既而狎侮欺詒,攩㧙挨抌,亡所不為。商丘開常無慍容,而諸客之技單,憊於戲笑。遂與商丘開俱乘高臺,於眾中漫言曰:「有能自投下者賞百金。」眾皆競應。商丘開以為信然,遂先投下,形若飛鳥,揚於地,𩨒骨無䃣。范氏之黨以為偶然,未詎怪也,因復指河曲之淫隈曰:「彼中有寶珠,泳可得也。」商丘開復從而泳之。既出,果得珠焉。眾昉同疑。子華昉令豫肉食衣帛之次。俄而范氏之藏大火,子華曰:「若能入火取錦者,從所得多少賞若。」商丘開往無難色,入火往還,埃不漫,身不焦。范氏之黨以為有道,乃共謝之曰:「吾不知子之有道而誕子,吾不知子之神人而辱子。子其愚我也,子其聾我也,子其盲我也。敢問其道。」商丘開曰:「吾亡道。雖吾之心,亦不知所以。雖然,有一於此,試與子言之。曩子二客之宿吾舍也,聞譽范氏之勢,能使存者亡,亡者存;富者貧,貧者富。吾誠之無二心,故不遠而來。及來,以子黨之言皆實也,唯恐誠之之不至,行之之不及,不知形體之所措,利害之所存也。心一而已。物亡迕者,如斯而已。今昉知子黨之誕我,我內藏猜慮,外矜觀聽,追幸昔日之不焦溺也,怛然內熱,惕然震悸矣。水火豈復可近哉?

范氏に子華という子があり、私門の声名を培うことに善く、全国が彼に服し、晋君に寵され、官を為さなくても位は三卿の上にあった。眼で偏り見る者には晋国が爵を与え、口で偏り貶す者には晋国が黜した。彼の庭を遊ぶ者は朝廷のように多かった。子華は侠客に智鄙をもって相攻め、強弱をもって相凌がせた。たとえ眼前で傷残する者がいても、心に留めなかった。日夜これをもって戯楽とし、国はほとんど風気となった。禾生、子伯は范氏の上客で、出行して郊野を経て、田叟商丘開の家に宿った。夜半、二人は子華の名勢を論じ、生きる者を亡ぼし、亡びる者を存せしめ、富む者を窮に変え、窮する者を富に変えることができると言った。商丘開は先に飢寒に困んでおり、窓の北に隠れて窃かに聞いた。そこで糧食を借り、畚箕を担いで子華の門下に至った。子華の門徒は皆世族で、白衣を着て軒に乗り、緩步し闊視した。商丘開が年老いて力弱く、面目が黎黒で、衣冠が整わないのを見て、軽視しない者はいなかった。やがて狎侮欺詒し、推搡殴打し、為さないことはなかった。商丘開は常に慍色がなく、あの客たちの伎俩も尽き、戯笑をも懶く思った。そこで商丘開とともに高台に登り、衆人に当たって随口に言った。「自ら跳び下りることができる者には百金を賞する」と。衆人は皆争って声に応えた。商丘開は真実と思い、先に跳び下りた、形は飛鳥のように、地に飘いて、肌骨に毀傷がなかった。范氏の一党は偶然と思い、まだ大いに奇異とはしなかったが、また河湾の深い所を指して言った。「そこに宝珠がある、潜泳すれば得ることができる」と。商丘開はまた従って游び下りた。出てきて果たして珠を得た。衆人はやっとともに疑いを起こした。子華はやっと彼を肉を食べ帛を着る行列に入れた。ほどなくして范氏の庫蔵に大火があり、子華が言った。「誰か火に入って錦を取る者がいれば、得る多少によって賞しよう」と。商丘開が往くに難色がなく、火に入って来回り、塵埃も沾らず、身も焦げなかった。范氏の一党は彼に道があると思い、ともに謝罪して言った。「私たちはあなたに道があることを知らずに騙し、あなたが神人であることを知らずに辱めました。あなたは私たちを愚人、聾人、盲人と思っているでしょう。敢えてその道を問う」と。商丘開が言った。「私に道はない。私の心さえ、何に拠るか知らない。それでも、ここに一点がある、試しにあなたたちに言おう。昔あなたたちの二人の客が我が家に宿り、范氏の勢いを称賛するのを聞き、生きる者を亡ぼし、亡びる者を存せしめ、富む者を窮に変え、窮する者を富に変えることができると。私は誠信に二心がなく、遠くを厭わず来た。来てからは、あなたたち一党の言葉は皆実であると思い、誠信が至らず、实行が及ばないことを恐れたのみで、形体がどこに置かれ、利害がどこに存するかを知らなかった。心はただ専一のみ。物に違逆するものがなく、これのみである。今やっとあなたたち一党が私を騙したことを知り、内に猜慮を蔵し、外に観聴を顧み、幸いにも昔焦げず溺れなかったことを回想し、怛然として内に熱し、惕然として震悸した。水火はどうして再び近づくことを敢えてしようか」と。

」自此之後,范氏門徒路遇乞兒馬醫,弗敢辱也,必下車而揖之。宰我聞之,以告仲尼。仲尼曰:「汝弗知乎?夫至信之人,可以感物也。動天地,感鬼神,橫六合,而無逆者,豈但履危險,入水火而已哉?商丘開信偽物猶不逆,況彼我皆誠哉?小子識之!」

これ以後、范氏の門徒は路上で乞丐や馬医に遇っても、辱めることを敢えてせず、必ず車を下りて揖をした。宰我がこれを聞き、仲尼に告げた。仲尼が言った。「あなたは知らないのか? 至信の人は、外物を感動させることができる。天地を動かし、鬼神を感じ、六合に横貫して違逆がないのは、危険を踏み、水火に入るのみならず。商丘開が虚偽の事物を信じて尚違逆しないのに、彼此皆誠実であるならばいかばかりか。小子よ、これを記憶せよ」と。

周宣王之牧正有役人梁鴦者,能養野禽獸,委食於園庭之內,雖虎狼鵰鶚之類,無不柔馴者。雄雌在前,孳尾成群,異類雜居,不相搏噬也。王慮其術終於其身,令毛丘園傳之。梁鴦曰:「鴦,賤役也,何術以告爾?懼王之謂隱於爾也,且一言我養虎之法。凡順之則喜,逆之則怒,此有血氣者之性也。然喜怒豈妄發哉?皆逆之所犯也。夫食虎者,不敢以生物與之,為其殺之之怒也;不敢以全物與之,為其碎之之怒也。時其飢飽,達其怒心。虎之與人異類,而媚養己者,順也;故其殺之,逆也。然則吾豈敢逆之使怒哉?亦不順之使喜也。夫喜之復也必怒,怒之復也常喜,皆不中也。今吾心無逆順者也,則鳥獸之視吾,猶其儕也。故遊吾園者,不思高林曠澤;寢吾庭者,不願深山幽谷,理使然也。」

周宣王の牧正に梁鴦という役人がいて、野禽獣を養うことができ、園庭の内で食を投げると、虎狼雕鶚の類でさえ、柔驯しないものはなかった。雄雌が前にいて、孳尾が群を成し、異類が雑居して、相搏噬しなかった。王はこの術が彼一身に終わることを憂え、毛丘園をして伝えさせようとした。梁鴦が言った。「私は賤役であり、何の術をあなたに告げようか。ただ王が私があなたに隠していると言うことを恐れるのみ、姑且私の虎を養う方法を一言しよう。およそこれに順えば喜び、これに逆えば怒る、これは血気ある者の性である。しかし喜怒はどうして妄りに発するのか。皆逆らうことに犯されるのである。虎を養う者は、生きた物をこれに与えることを敢えてしない、その生を殺すことに怒ることを恐れる。整物をこれに与えることを敢えてしない、その撕り裂くことに怒ることを恐れる。その飢飽を見極め、その怒心を疏通する。虎は人と異類だが、それを養う人に親媚する、順うからである。それが殺すのは、逆うからである。然らば私はどうしてこれに逆らって怒らせることを敢えてしようか。また順って喜ばせもしない。喜びの反復は必ず怒りであり、怒りの反復は常に喜びである、皆中らない。今私の心に逆順がなければ、鳥獣が私を見るのは、同伴を見るようである。ゆえに我が園に遊ぶ者は、高林曠沢を思わず、我が庭に睡る者は、深山幽谷を願わない、理がこのようにさせるのである」と。

顏回問乎仲尼曰:「吾嘗濟乎觴深之淵矣,津人操舟若神。吾問焉,曰:『操舟可學邪?』曰:『可。能遊者可教也,善遊者數能。乃若夫沒人,則未嘗見舟而謖操之者也。』吾問焉,而不告。敢問何謂也?」仲尼曰:「𧮒!吾與若玩其文也久矣,而未達其實,而固且道與。能遊者可教也,輕水也;善遊者之數能也,忘水也。乃若夫沒人之未嘗見舟也而謖操之也,彼視淵若陵,視舟之覆猶其車卻也。覆卻萬物方陳乎前而不得入其舍。惡往而不暇?以瓦摳者巧,以鉤摳者憚,以黃金摳者惛。巧一也,而有所矜,則重外也。凡重外者拙內。」

顔回が仲尼に問うて言った。「私はかつて觴深の淵を渡り、渡し守の操舟が神のようであった。私が問うた。『操舟は学ぶことができるか』と。彼が言った。『できる。游ぶことができる者には教えられる。善く游ぶ者はすぐにできる。潜水できる者に至っては、船を見たことがなくてもすぐに操ることができる』と。私が再び問うても、彼は告げなかった。敢えて問う、これは何の意味か」と。仲尼が言った。「ああ! 私とあなたはその文を玩んで久しいが、まだその実に通じていない、姑且言ってみよう。游ぶことができる者に教えられるのは、水を軽んじるからである。善く游ぶ者がすぐにできるのは、水を忘れるからである。潜水できる者が船を見たことがなくてもすぐに操れるのは、深淵を丘陵と見なし、船が覆ることを車が後退すると見なすからである。覆却する万物が目前に陳列していても、彼の心に入ることができない。どこへ往いても従容でないことがあろうか。瓦で注を投ずる者は巧みであり、帯鉤で投ずる者は怕れ、黄金で投ずる者は昏い。巧は同じである、顧惜する所があるのは、外物を重んじるからである。およそ外物を重んじる者は、内が拙い」と。

孔子觀於呂梁,懸水三十仞,流沫三十里,黿鼉魚鼈之所不能遊也,見一丈夫遊之,以為有苦而欲死者也,使弟子並流而承之。數百步而出,被髮行歌,而遊於棠行。孔子從而問之,曰:「呂梁懸水三十仞,流沫三十里,黿鼉魚鼈所不能遊。向吾見子道之,以為有苦而欲死者,使弟子並流將承子。子出而被髮行歌,吾以子為鬼也。察子,則人也。請問蹈水有道乎?」曰:「亡,吾無道。吾始乎故,長乎性,成乎命,與齎俱入,與汩偕出。從水之道而不為私焉,此吾所以道之也。」孔子曰:「何謂始乎故,長乎性,成乎命也?」曰:「吾生於陵而安於陵,故也;長於水而安於水,性也;不知吾所以然而然,命也。」

孔子が吕梁で観ていた時、懸水が三十仞、流沫が三十里、鼋鼍魚鼈も游ぐことができない中、一男子が游いでいるのを見て、苦しみがあって死を欲していると思い、弟子に流れに沿って救わせようとした。数百歩後にその人が出てきて、髪を披いて歩き歌いながら、塘岸を歩いた。孔子が追いついて問うた。「吕梁の懸水は三十仞、流沫は三十里、鼋鼍魚鼈も游ぐことができない。さきほど私はあなたがそこを過ぎるのを見て、苦しみがあって死を欲していると思い、弟子に流れに沿ってあなたを迎えさせた。あなたが出てきて髪を披いて歌うのを見て、私はあなたを鬼と思った。詳しく見ると、人である。請う、水を蹈む道はあるか」と。彼が言った。「ない、私に道はない。私は故に始まり、性に長ち、命に成る。漩涡とともに入り、涌流とともに出る。水の道に順って自分のために別の一套を作らない、これが私がこのように過ぎる所以である」と。孔子が言った。「故に始まり、性に長ち、命に成るとは何か」と。彼が言った。「私は高地に生まれて高地に安んずる、これが故である。水辺に長ちて水に安んずる、これが性である。なぜこのようであるかを知らずしてこのようである、これが命である」と。

仲尼適楚,出於林中,見痀僂者承蜩,猶掇之也。仲尼曰:「子巧乎!有道邪?」曰:「我有道也。五六月,纍垸二而不墜,則失者錙銖;纍三而不墜,則失者十一;纍五而不墜,猶掇之也。吾處也若橜株駒,吾執臂若槁木之枝,雖天地之大、萬物之多,而唯蜩翼之知。吾不反不側,不以萬物易蜩之翼,何為而不得?」孔子顧謂弟子曰:「用志不分,乃疑於神,其痀僂丈人之謂乎!」丈人曰:「汝逢衣徒也,亦何知問是乎?修汝所以,而後載言其上。」

仲尼が楚に行き、林中から出てきて、佝僂の老人が蝉を粘り取るのを見た、拾い取るようであった。仲尼が言った。「あなたは実に巧みだ! 道はあるか」と。彼が言った。「私に道はある。五、六ヶ月、二つの泥丸を累ねて落とさなければ、手を失することは少ない。三つを累ねて落とさなければ、手を失することは十分の一のみ。五つを累ねて落とさなければ、拾い取るようである。私は立つこと断木の桩のよう、私が臂を挙ぐること枯木の枝のよう、天地の大きさ、万物の多さであっても、ただ蝉翼を知るのみ。私は反らず側らず、万物をもって蝉翼に換えない、どうして得られないことがあろうか」と。孔子が振り返って弟子に言った。「心を用いて分散させなければ、神に近づく、これはこの佝僂の老人のことだろう」と。老人が言った。「あなたたちは逢衣を着た儒者であり、どうしてこれを問うことを知ろうか。先ずあなたたち自身の本事を修め、それから話をその上に架けなさい」と。

海上之人有好漚鳥者,每旦之海上,從漚鳥遊,漚鳥之至者百住而不止。其父曰:「吾聞漚鳥皆從汝遊,汝取來,吾玩之。」明日之海上,漚鳥舞而不下也。故曰:至言去言,至為無為。齊智之所知,則淺矣。

海辺に鴎鳥を好む人がいて、毎朝海上に行き、鴎鳥に従って游び、来る鴎鳥は百を過ぎても止まらなかった。彼の父が言った。「私は聞いた、鴎鳥は皆あなたに従って游ぶという、あなたが捉えて、私に玩ばせてほしい」と。翌日海上に行くと、鴎鳥は盘旋して下りてこなかった。ゆえに言う、至言は言を去り、至為は無為である。智の知る所をもって斉一にすれば、浅い。

趙襄子率徒十萬狩於中山,藉芿燔林,扇赫百里。有一人從石壁中出,隨煙燼上下。眾謂鬼物。火過,徐行而出,若無所經涉者。襄子怪而留之。徐而察之,形色七竅,人也;氣息音聲,人也。問:「奚道而處石?奚道而入火?」其人曰:「奚物而謂石?奚物而謂火?」襄子曰:「而嚮之所出者,石也;而嚮之所涉者,火也。」其人曰:「不知也。」魏文侯聞之,問子夏曰:「彼何人哉?」子夏曰:「以商所聞夫子之言,和者大同於物,物無得傷閡者,遊金石,蹈水火,皆可也。」文侯曰:「吾子奚不為之?」子夏曰:「刳心去智,商未之能。雖然,試語之有暇矣。」文侯曰:「夫子奚不為之?」子夏曰:「夫子能之而能不為者也。」文侯大說。

趙襄子が徒衆十万を率いて中山で狩りをした。荒草を踏み林を焼き、火勢は赫然として百里あった。一人の人が石壁の中から出てきて、煙燼に随って上下した。衆人は鬼物と言った。火が過ぎると、彼は徐々に出てきて、何も経験していないようであった。襄子は奇怪に思い彼を留めた。徐々に察すると、形色七竅は人であり、気息音声は人であった。問うた。「何の道をもって石の中に住み、何の道をもって火に入るのか」と。その人が言った。「何の物を石と言い、何の物を火と言うのか」と。襄子が言った。「あなたがさきほど出てきた所は石であり、あなたがさきほど過ぎた所は火である」と。その人が言った。「知らない」と。魏文侯がこれを聞き、子夏に問うた。「あれは何の人か」と。子夏が言った。「商が聞いた夫子の言によると、和の人は物と大同し、物は彼を傷つけ隔てることができない、金石を游び水火を蹈むこともできる」と。文侯が言った。「あなたはなぜこのようにしないのか」と。子夏が言った。「心を刳り空にして智を去ること、商にはまだできない。それでも、試しに言うにはまだ余暇がある」と。文侯が言った。「夫子はなぜこのようにしないのか」と。子夏が言った。「夫子は能くして能くしないことができる」と。文侯は大いに喜んだ。

有神巫自齊來處於鄭,命曰季咸,知人死生、存亡、禍福、壽夭,期以歲、月、旬、日,如神。鄭人見之,皆避而走。列子見之而心醉,而歸以告壺丘子,曰:「始吾以夫子之道為至矣,則又有至焉者矣。」壺子曰:「吾與汝無其文,未既其實,而固得道與?眾雌而無雄,而又奚卵焉?而以道與世抗,必信矣。夫故使人得而相汝。嘗試與來,以予示之。」明日,列子與之見壺子。出而謂列子曰:「譆!子之先生死矣,弗活矣,不可以旬數矣。吾見怪焉,見濕灰焉。」列子入,涕泣霑衿,以告壺子。壺子曰:「向吾示之以地文,罪乎不誫不止,是殆見吾杜德幾也。嘗又與來!」明日,又與之見壺子。出而謂列子曰:「幸矣,子之先生遇我也,有瘳矣。灰然有生矣,吾見杜權矣。」列子入告壺子。壺子曰:「向吾示之以天壤,名實不入,而機發於踵,此為杜權。是殆見吾善者幾也。嘗又與來!」明日,又與之見壺子。出而謂列子曰:「子之先生坐不齋,吾無得而相焉。試齋,將且復相之。」列子入告壺子。壺子曰:「向吾示之以太沖莫眹,是殆見吾衡氣幾也。鯢旋之潘為淵,止水之潘為淵,流水之潘為淵,濫水之潘為淵,沃水之潘為淵,氿水之潘為淵,雍水之潘為淵,汧水之潘為淵,肥水之潘為淵,是為九淵焉。嘗又與來!」明日,又與之見壺子。立未定,自失而走。壺子曰:「追之!」列子追之而不及,反以報壺子,曰:「已滅矣,已失矣,吾不及也。」壺子曰:「向吾示之以未始出吾宗。吾與之虛而猗移,不知其誰何,因以為茅靡,因以為波流,故逃也。」然後列子自以為未始學而歸,三年不出,為其妻爨,食狶如食人,於事無親,雕瑑復樸,塊然獨以其形立,㤋然而封戎,壹以是終。

神巫が斉から来て鄭に住み、季咸と名乗った。人の死生、存亡、禍福、寿夭を知ることができ、年、月、旬、日に期すこと神のようであった。鄭人は彼を見ると皆避けて行った。列子が見て心が醉い、帰って壺丘子に告げて言った。「初め私は夫子の道が至極だと思っていたが、さらに至る者がいた」と。壺子が言った。「私とあなたはまだその文を得ていない、さらにその実を尽くしていないのに、自ら道を得たと思うのか。多くの雌があって雄がなくて、どうして卵があろうか。あなたは道をもって世と抗する、必ず顕露する。ゆえに人にあなたを看相させることができる。試しに彼と来て、私を彼に見せなさい」と。翌日、列子は彼を連れて壺子に見せた。出て列子に言った。「ああ! あなたの先生は死ぬ、生きられない、十日を過ごせない。私は怪異を見た、湿灰を見た」と。列子が入り、涕泣して衣を沾らせ、壺子に告げた。壺子が言った。「さきほど私は地文を彼に見せた、震わず止まらぬに罪する、彼はおそらく私の杜塞した徳の几微を見た。再び彼を連れて来い」と。翌日また彼を連れて壺子に見せた。出て列子に言った。「幸いだ、あなたの先生は私に遇い、好転した。灰の中に生気があるようだ、私は閉塞の中の権変を見た」と。列子が入って壺子に告げた。壺子が言った。「さきほど私は天壤を彼に見せた、名実は入らず、機は脚踵から発す、これを閉塞の中の権という。彼はおそらく私の好い几微を見た。再び彼を連れて来い」と。翌日また彼を連れて壺子に見せた。出て列子に言った。「あなたの先生は坐りが斉整でない、私は彼に相を見ることができない。試しに斎えて、再び相に来い」と。列子が入って壺子に告げた。壺子が言った。「さきほど私は太沖の朕兆なきを彼に見せた、彼はおそらく私の平衡の気の几微を見た。鲵旋の水は聚まって淵となり、止水は聚まって淵となり、流水は聚まって淵となり、濫水は聚まって淵となり、沃水は聚まって淵となり、氿水は聚まって淵となり、雍水は聚まって淵となり、汧水は聚まって淵となり、肥水は聚まって淵となる、これが九淵である。再び彼を連れて来い」と。翌日また彼を連れて壺子に見せた。まだ立ち止まらないうちに、季咸は色を失って逃げた。壺子が言った。「彼を追え」と。列子は追いつけず、帰って壺子に報告して言った。「すでに滅し、すでに失した、私は追いつけない」と。壺子が言った。「さきほど私は未だかつて出たことのない私の宗を彼に見せた。私は彼と虚をもって相随い逶迤し、彼が誰何であるかを知らず、因而として茅草の披靡するが如く、因而として波流するが如く、ゆえに逃げた」と。そして列子は自らまだ学び始めていないと思い、家に帰って三年出ず、妻子のために火を焚き、豚を飼うこと人に食わせるよう、事に偏親がなく、雕琢の後に朴(彫琢されていない質地、「朴素」という形容詞ではない)に復帰し、塊然として自らの形をもって立ち、紛然として世と混じり、専一にしてこのように一生を終えた。

子列子之齊,中道而反,遇伯昏瞀人。伯昏瞀人曰:「奚方而反?」曰:「吾驚焉。」「惡乎驚?」「吾食於十漿,而五漿先饋。」伯昏瞀人曰:「若是,則汝何為驚己?」曰:「夫內誠不解,形諜成光,以外鎮人心,使人輕乎貴老,而𩐎其所患。夫漿人特為食羹之貨,多餘之贏;其為利也薄,其為權也輕,而猶若是。而況萬乘之主,身勞於國,而智盡於事;彼將任我以事,而效我以功,吾是以驚。」伯昏瞀人曰:「善哉觀乎!汝處己,人將保汝矣。」無幾何而往,則戶外之屨滿矣。伯昏瞀人北面而立,敦杖蹙之乎頤。立有閒,不言而出。賓者以告列子。列子提履徒跣而走,暨乎門,問曰:「先生既來,曾不廢藥乎?」曰:「已矣。吾固告汝曰,人將保汝,果保汝矣。非汝能使人保汝,而汝不能使人無汝保也。而焉用之感也?感豫出異。且必有感也,搖而本身,又無謂也。與汝遊者,莫汝告也。彼所小言,盡人毒也。莫覺莫悟,何相孰也。」

列子が斉に行こうとして、半ばで帰り、伯昏瞀人に遇った。伯昏瞀人が言った。「なぜ半ばで帰ったのか」と。彼が言った。「私は驚いた」と。「どう驚いたのか」と。「私は十家の漿売りで食事をし、五家が先に送ってきた」と。伯昏瞀人が言った。「このようなことで、なぜ自分が驚くのか」と。彼が言った。「内なる誠がまだ解けず、形跡が漏れて光となり、外表をもって人心を鎮め、人に貴老を軽く見させ、却って自分の患を出してしまった。漿を売る人は羹湯の売買をするに過ぎず、余分な赢利がある。彼らの利は薄く権は軽い、尚且このようである。いわんや万乗の主は、身を国のために労し、智を事のために尽くす。彼は事を私に任せ、功をもって私を核めようとするだろう、私はこれに因り驚いた」と。伯昏瞀人が言った。「観察が善い! あなたがこのように自ら処れば、人はあなたに依附するだろう」と。ほどなくして再び往くと、門外の鞋子はすでに満ちていた。伯昏瞀人は北に向かって立ち、杖を拄いて頤に抵らせた。しばらく立って、言わずに出て行った。賓者が列子に告げた。列子は鞋を提げて素足で門口まで走り、問うた。「先生は既に来られたのに、竟に薬石の言を留めないのですか」と。彼が言った。「もうよい。私はもともとあなたに告げた、人はあなたに依附するだろう、果たして依附した。あなたが人に依附させることができるのではなく、あなたが人に依附させないことができないのである。あなたにどうして感召する必要があろうか。感召して出るのは標異である。しかも必ず感ずる所があり、あなたの本身を摇動し、また意味がない。あなたと交遊する者は、誰もあなたにこれを告げない。彼らの小言は、皆人を害する毒である。覚悟せずして、何をもって相知ることができようか」と。

楊朱南之沛,老聃西遊於秦,邀於郊。至梁而遇老子。老子中道仰天而歎曰:「始以汝為可教,今不可教也。」楊朱不答。至舍,進涫漱巾櫛,脫履戶外,膝行而前,曰:「曏者夫子仰天而歎曰:『始以汝為可教,今不可教。』弟子欲請夫子辭,行不閒,是以不敢。今夫子閒矣,請問其過。」老子曰:「而睢睢而盱盱,而誰與居?大白若辱,盛德若不足。」楊朱蹵然變容曰:「敬聞命矣。」其往也,舍迎將家,公執席,妻執巾櫛;舍者避席,煬者避灶。其反也,舍者與之爭席矣。

楊朱が南の沛に往き、老聃が西に游んで秦に至り、郊野で邀約した。梁に至って老子に遇った。老子が途上で天を仰いで嘆息して言った。「初めはあなたを教えられると思ったが、今は教えられない」と。楊朱は答えなかった。館舎に至って、洗顔水と巾梳を奉り、鞋を門外に脱ぎ、跪いて膝行して前に進み、言った。「さきほど夫子が天を仰いで嘆息して言いました。『初めはあなたを教えられると思ったが、今は教えられない』と。弟子は夫子の言を請教したいと思いましたが、歩いていて暇がなかったので敢えてしませんでした。今夫子が閑なので、私の過ちを請い問いたい」と。老子が言った。「あなたが睢睢盱盱と張望するのに、誰があなたと住もうか。大白は污辱があるようであり、盛徳は不足があるようである」と。楊朱は蹴然として容を変えて言った。「敬して命を聞きます」と。彼が去る時、館舎の主人は全家を迎え、男主人は席を執り、妻は巾梳を執った。同住の者は席を避け、火に当たる者は竈を避けた。彼が帰って来ると、同住の者はすでに彼と席を争っていた。

楊朱過宋,東之於逆旅。逆旅人有妾二人,其一人美,其一人惡,惡者貴而美者賤。楊子問其故。逆旅小子對曰:「其美者自美,吾不知其美也;其惡者自惡,吾不知其惡也。」楊子曰:「弟子記之!行賢而去自賢之行,安往而不愛哉?」

楊朱が宋を経て、東に旅舎に住んだ。旅舎の主人に二人の妾がいて、一人は美しく、一人は醜かった。醜い方が重んじられ、美しい方が軽んじられた。楊子がその故を問うた。旅舎の小子が答えて言った。「あの美しい方は自ら美しいと思っている、私は彼女が美しいとは知らない。あの醜い方は自ら醜いと思っている、私は彼女が醜いとは知らない」と。楊子が言った。「弟子たちよ、記憶せよ! 賢徳の事を行って自ら賢いと思う行跡を去れば、どこへ行っても愛されないことがあろうか」と。

天下有常勝之道,有不常勝之道。常勝之道曰柔,常不勝之道曰彊。二者亦知,而人未之知。故上古之言:彊,先不己若者;柔,先出於己者。先不己若者,至於若己,則殆矣。先出於己者,亡所殆矣。以此勝一身若徒,以此任天下若徒,謂不勝而自勝,不任而自任也。粥子曰:「欲剛,必以柔守之;欲彊,必以弱保之。積於柔必剛,積於弱必彊。觀其所積,以知禍福之鄉。彊勝不若己,至於若己者剛;柔勝出於己者,其力不可量。」老聃曰:「兵彊則滅,木彊則折。柔弱者生之徒,堅彊者死之徒。」

天下に常勝の道があり、不常勝の道がある。常勝の道を柔と言い、常不勝の道を強と言う。この二者は人も知っているが、人々はまだ知らない。ゆえに上古の言に曰く、強は己に及ばない者に先に対付し、柔は己を超える者に先に対付する。己に及ばない者に先に対付すれば、相手が己に相当する時、危ない。己を超える者に先に対付すれば、危ないことはない。これをもって一身に勝つこと徒役を待遇するよう、これをもって天下に任ずること徒役を待遇するよう、これを勝を求めずして自ら勝ち、任を求めずして自ら任ずると言う。鬻子が言った。「剛を欲すれば、必ず柔をもって守る。強を欲すれば、必ず弱をもって保つ。柔を積めば必ず剛となり、弱を積めば必ず強となる。彼が積む所を見れば、禍福の方向を知る。強は己に及ばない者に勝つ、相手が己に相当すれば折れる。柔は己を超える者に勝つ、その力は量ることができない」と。老聃が言った。「兵が強ければ滅び、木が強ければ折れる。柔弱は生の類であり、堅強は死の類である」と。

狀不必童而智童,智不必童而狀童。聖人取童智而遺童狀,眾人近童狀而疏童智。狀與我童者,近而愛之;狀與我異者,疏而畏之。有七尺之骸,手足之異,戴髮含齒,倚而趣者,謂之人,而人未必無獸心。雖有獸心,以狀而見親矣。傅翼戴角,分牙布爪,仰飛伏走,謂之禽獸,而禽獸未必無人心。雖有人心,以狀而見疏矣。庖犧氏、女媧氏、神農氏、夏后氏,蛇身人面,牛首虎鼻,此有非人之狀,而有大聖之德。夏桀、殷紂、魯桓、楚穆,狀貌七竅,皆同於人,而有禽獸之心。而眾人守一狀以求至智,未可幾也。黃帝與炎帝戰於阪泉之野,帥熊、羆、狼、豹、貙、虎為前驅,鵰、鶡、鷹、鳶為旗幟,此以力使禽獸者也。堯使夔典樂,擊石拊石,百獸率舞;《簫韶》九成,鳳皇來儀,此以聲致禽獸者也。然則禽獸之心,奚為異人?形音與人異,而不知接之之道焉。聖人無所不知,無所不通,故得引而使之焉。禽獸之智有自然與人童者,其齊欲攝生,亦不假智於人也。牝牡相偶,母子相親;避平依險,違寒就溫;居則有群,行則有列;小者居內,壯者居外;飲則相攜,食則鳴群。太古之時,則與人同處,與人並行。帝王之時,始驚駭散亂矣。逮於末世,隱伏逃竄,以避患害。今東方介氏之國,其國人數數解六畜之語者,蓋偏知之所得。太古神聖之人,備知萬物情態,悉解異類音聲。會而聚之,訓而受之,同於人民。故先民會鬼神魑魅,次達八方人民,末聚禽獸蟲蛾。言血氣之類心智不殊遠也。神聖知其如此,故其所教訓者無所遺逸焉。

状貌は必ずしも同じでなくても智が同じ、智は必ずしも同じでなくても状貌が同じ。聖人は同じ智を取って同じ状貌を捨て、衆人は同じ状貌に親しみ同じ智を疏外する。状貌が我と同じ者は、親しみ愛する。状貌が我と異なる者は、疏外して怕れる。七尺の骸があり、手足に別があり、髪を戴き歯を含み、倚って走る者を人と言うが、人は必ずしも獣心がないわけではない。たとえ獣心があっても、状貌のために親しまれる。翅を長し角を戴き、牙を分かち爪を布き、仰いで飛び伏して走る者を禽獣と言うが、禽獣は必ずしも人心がないわけではない。たとえ人心があっても、状貌のために疏外される。庖犠氏、女媧氏、神農氏、夏后氏は、蛇身人面、牛首虎鼻、これは非人の状貌があるが、大聖の徳がある。夏桀、殷紂、魯桓、楚穆は、状貌七竅皆人と同じだが、禽獣の心がある。衆人は一種の状貌を守って至智を求める、これは指望できない。黄帝が炎帝と阪泉の野で戦った時、熊、羆、狼、豹、䝙、虎を率いて前駆とし、雕、鶡、鷹、鳶を旗幟とした、これは力をもって禽獣を役使したのである。尭が夔に楽を典させ、石を撃ち石を拊すと、百獣は相率いて舞い、《簫韶》九成、鳳凰が来儀した、これは声をもって禽獣を招致したのである。然らば禽獣の心は、なぜ人と異なるのか。形音が人と異なり、交接の道を知らないからである。聖人は知らないことがなく、通じないことがない、ゆえに引き寄せて役使することができる。禽獣の智には自然に人と同じものがある、彼らも同じく摂生を欲し、智を人に假借しない。牝牡は相偶し、母子は相親しむ。平地を避けて険に依り、寒を避けて温に近づく。住めば群があり、行けば列がある。小さい者は内に、壮なる者は外に。飲めば相携え、食べれば鳴叫して群れる。太古の時、人と同処し、人と並行した。帝王の時に至って、やっと驚駭して散乱した。末世に至って、隠伏して逃窜し、患害を避けた。今東方の介氏の国は、国人は屡々六畜の言語を解することができる、おそらく偏知の所得であろう。太古の神聖な人は、万物の情態を完全に知り、悉く異類の音声を解することができた。会してこれを聚め、訓してこれを受け、人民と同じようにした。ゆえに先民は鬼神魑魅と会し、次いで八方の人民に通達し、最後に禽獣虫蛾を聚めた。これは血気の類の心智が相遠くないことを言う。神聖はこのようであることを知り、ゆえに教訓する所に遺漏がなかった。

宋有狙公者,愛狙,養之成群,能解狙之意,狙亦得公之心。損其家口,充狙之慾。俄而匱焉,將限其食。恐眾狙之不馴於己也,先誑之曰:「與若芧,朝三而暮四,足乎?」眾狙皆起而怒。俄而曰:「與若芧,朝四而暮三,足乎?」眾狙皆伏而喜。物之以能鄙相籠,皆猶此也。聖人以智籠群愚,亦猶狙公之以智籠眾狙也。名實不虧,使其喜怒哉!

宋国に狙公がいて、猴子を愛し、群れを養い、猴子の意を解することができ、猴子も彼の心を得た。自己家の口糧を減らして、猴子の欲望を満たした。ほどなくして匱乏し、彼らの食を限らんとした。衆猴が自分に驯わないことを恐れ、先に彼らを騙して言った。「あなたたちに橡子を与えよう、朝三つ晩四つ、足りるか」と。衆猴は皆跳び起きて怒った。しばらくして言った。「あなたたちに橡子を与えよう、朝四つ晩三つ、足りるか」と。衆猴は皆伏して喜んだ。物は能与鄙をもって互相に籠絡する、皆このようである。聖人は智をもって群愚を籠絡する、狙公が智をもって衆猴を籠絡するようである。名と実に虧けがなく、彼らを喜怒させることができるのだ!

紀渻子為周宣王養鬭雞,十日而問:「雞可鬭已乎?」曰:「未也,方虛驕而恃氣。」十日又問。曰:「未也,猶應影嚮。」十日又問。曰:「未也,猶疾視而盛氣。」十日又問。曰:「幾矣。雞雖有鳴者,已無變矣,望之似木雞矣,其德全矣。異雞無敢應者,反走耳。」

紀渻子が周宣王のために闘鶏を養っていた。十日経って問われた。「鶏は闘えるか」と。彼が言った。「まだだ、虚に驕り気に凭っている」と。十日経ってまた問われた。彼が言った。「まだだ、影と回响に応じている」と。十日経ってまた問われた。彼が言った。「まだだ、疾視して盛気である」と。十日経ってまた問われた。彼が言った。「ほぼよい。たとえ鶏が鳴いても、彼はすでに変化がない、望むと木鶏のよう、その徳は完整した。他の鶏で敢えて応える者はなく、頭を掉らして走る」と。

惠盎見宋康王。康王蹀足謦欬,疾言曰:「寡人之所說者,勇有力也,不說為仁義者也。客將何以教寡人?」惠盎對曰:「臣有道於此,使人雖勇,刺之不入;雖有力,擊之弗中。大王獨無意邪?」宋王曰:「善。此寡人之所欲聞也。」惠盎曰:「夫刺之不入,擊之不中,此猶辱也。臣有道於此,使人雖有勇,弗敢刺;雖有力,弗敢擊。夫弗敢,非無其志也。臣有道於此,使人本無其志也。夫無其志也,未有愛利之心也。臣有道於此,使天下丈夫女子莫不驩然皆欲愛利之。此其賢於勇有力也,四累之上也。大王獨無意邪?」宋王曰:「此寡人之所欲得也。」惠盎對曰:「孔墨是已。孔丘墨翟無地而為君,無官而為長,天下丈夫女子莫不延頸舉踵而願安利之。今大王,萬乘之主也,誠有其志,則四竟之內皆得其利矣,其賢於孔墨也遠矣。」宋王無以應。惠盎趨而出。宋王謂左右曰:「辯矣,客之以說服寡人也!」

惠盎が宋康王に見えた。康王は足を頓かせ咳嗽し、急いで言った。「寡人が好むのは勇有力であり、仁義を為す人を好まない。客人は何をもって寡人を教えるのか」と。惠盎が答えて言った。「臣にここに道があり、人をして勇があっても刺し入れることができず、力があっても撃ち中てることができないようにする。大王は意がないのか」と。宋王が言った。「善い。これは寡人が聞きたいと思うことだ」と。惠盎が言った。「刺し入れられず撃ち中てられないのは、これはまだ辱めを受けることである。臣にここに道があり、人をして勇があっても敢えて刺さず、力があっても敢えて撃たないようにする。敢えてしないのは、その心意がないのではない。臣にここに道があり、人をして本からその心意がないようにする。その心意がなくても、まだ愛利の心がない。臣にここに道があり、天下の丈夫女子をして歓然として皆彼を愛利しようと思わない者がいないようにする。これは勇有力に賢く、四層の上にある。大王は意がないのか」と。宋王が言った。「これは寡人が得たいと思うことだ」と。惠盎が答えて言った。「孔墨はこのようである。孔丘墨翟は土地がなくても君となり、官職がなくても長となる、天下の丈夫女子で頸を伸ばし踵を踥めて彼らを安利しようと願わない者はいない。今大王は万乗の主であり、真にこの志があるならば、四境の内は皆利を得る、孔墨より遥かに賢い」と。宋王は応える言がなかった。惠盎は快步して出て行った。宋王が左右に言った。「善く弁ずるな、客人は説をもって寡人を折服した」と。

周穆王篇

周穆王時,西極之國有化人來,入水火,貫金石;反山川,移城邑;乘虛不墜,觸實不硋。千變萬化,不可窮極。既已變物之形,又且易人之慮。穆王敬之若神,事之若君。推路寢以居之,引三牲以進之,選女樂以娛之。化人以為王之宮室卑陋而不可處,王之廚饌腥螻而不可饗,王之嬪御羶惡而不可親。穆王乃為之改築。土木之功,赭堊之色,無遺巧焉。五府為虛,而臺始成。其高千仞,臨終南之上,號曰中天之臺。簡鄭衛之處子娥媌靡曼者,施芳澤,正娥眉,設笄珥,衣阿錫,曳齊紈。粉白黛黑,珮玉環。雜芷若以滿之,奏《承雲》《六瑩》《九韶》《晨露》以樂之。月月獻玉衣,旦旦薦玉食。化人猶不捨然,不得已而臨之。居亡幾何,謁王同遊。王執化人之袪,騰而上者,中天迺止。暨及化人之宮,化人之宮構以金銀,絡以珠玉,出雲雨之上,而不知下之據,望之若屯雲焉。耳目所觀聽,鼻口所納嘗,皆非人間之有。王實以為清都、紫微、鈞天、廣樂,帝之所居。王俯而視之,其宮榭若累塊積蘇焉。王自以居數十年不思其國也。化人復謁王同遊,所及之處,仰不見日月,俯不見河海。光影所照,王目眩不能得視;音響所來,王耳亂不能得聽。百骸六藏,悸而不凝。意迷精喪,請化人求還。化人移之,王若殞虛焉。既寤,所坐猶嚮者之處,侍御猶嚮者之人。視其前,則酒未清,餚未昲。王問所從來,左右曰:「王默存耳。」由此穆王自失者三月而復,更問化人。化人曰:「吾與王神遊也,形奚動哉?且曩之所居,奚異王之宮?曩之所遊,奚異王之圃?王閒恆有,疑蹔亡。變化之極,徐疾之間,可盡模哉?」王大悅。不恤國事,不樂臣妾,肆意遠遊。命駕八駿之乘,右服𧄪騮而左綠耳,右驂赤驥而左白𣚘,主車則造父為御,𧮼𠱛為右;

周穆王の時、西極の国から化人が来た。水火に入り、金石を貫き、山川を転覆し、城邑を移動し、虚に乗って墜ちず、実に触れて碍げられない。千変万化、窮極することができない。すでに物の形を変え、また人の思慮を改めた。穆王は彼を神のように敬い、君のように事えた。路寝を譲って彼に住ませ、三牲を奉って彼に進め、女楽を選んで彼を娯楽させた。化人は王の宮室が卑陋で住むべからず、王の厨饌が腥臊で食べるべからず、王の嬪御が膻悪で親しむべからずと思った。穆王はそこで彼のために改築した。土木の功、赭堊の色、巧を留めないものはなかった。五府が皆空になり、台がやっと成った。高さ千仞、終南の上に臨み、中天の台と号した。鄭衛の処子で美しさ柔曼な者を選び、芳沢を施し、娥眉を正し、笄珥を設け、阿錫を穿き、斉紈を曳かせた。粉白黛黒、玉環を佩び、芷若を雑陳してこれを充たし、《承雲》《六塋》《九韶》《晨露》を奏でて彼を娯楽させた。月々玉衣を献じ、日々玉食を薦めた。化人はなお心を安んじず、已むを得ずしてやっと臨幸した。住むことほどなく、王に同游を請うた。王は化人の袖を拉き、空を騰げて上り、中天に至ってやっと止まった。化人の宮に至り、化人の宮は金銀をもって構え、珠玉をもって絡め、雲雨の上に出て、下に何に依拠するか知らず、望むと屯積する雲のようであった。耳目の観聴する所、鼻口の納嘗する所、皆人間の有ではなかった。王は実にこれを清都、紫微、鈞天、広楽、帝の住む所と思った。王が低頭して見ると、自分の宮榭は累塊積草のようであった。王は自ら数十年住んで自分の国を思わないと思った。化人がまた王に同游を請い、至る所、仰いで日月を見ず、俯して河海を見なかった。光影の照らす所、王は目眩して見ることができず、音响の来る所、王は耳乱して聴くことができなかった。百骸六蔵が悸動して凝聚しなかった。意迷い精喪し、化人に還ることを請うた。化人が一移すると、王は虚空から隕落するようであった。覚めると、坐す所は先前の地であり、侍御は先前の人であった。面前を見ると、酒はまだ澄清せず、菜肴はまだ乾いていなかった。王がどこから来たか問うと、左右が言った。「王はただ黙坐していたのみです」と。これ以後穆王は三ヶ月神を失ってやっと回復し、再び化人に問うた。化人が言った。「私と王は神游であった、形は動いたか。況んや昔住んだ所は、王の宮と何の異なることがあろうか。昔游んだ所は、王の圃と何の異なることがあろうか。王は恒常の所有に習い、暫時の亡失を疑う。変化の極致、徐疾の間、尽くして数え摹擬することができようか」と。王は大いに悦んだ。国事を体恤せず、臣妾を好まず、肆意に遠游した。命じて八駿の乗を駕せしめ、右に驊騮を駕し左に緑耳を駕し、右驂に赤驥、左驂に白犠をし、主車は造父が駕御し、泰丙が車右となった。

次車之乘,右服渠黃而左踰輪,左驂盜驪而右山子,柏夭主車,參百為御,奔戎為右。馳驅千里,至於巨蒐氏之國。巨蒐氏乃獻白鵠之血以飲王,具牛馬之湩以洗王之足,及二乘之人。已飲而行,遂宿於崑崙之阿,赤水之陽。別日升於崑崙之丘,以觀黃帝之宮,而封之以詒後世。遂賓於西王母,觴於瑤池之上。西王母為王謠,王和之,其辭哀焉。西觀日之所入。一日行萬裡。王乃歎曰:「於乎!予一人不盈於德而諧於樂,後世其追數吾過乎!」穆王幾神人哉!能窮當身之樂,猶百年乃徂,世以為登假焉。

(叙述は続く:)副車の乗は、右に渠黄を駕し左に踰輪を駕し、左驂に盗驪、右驂に山子をし、柏夭が主車をし、参百が駕御し、奔戎が車右となった。馳駆千里、巨蒐氏の国に至った。巨蒐氏はそこで白鵠の血を王に献じて飲ませ、牛馬の乳を備えて王の脚を洗わせ、および二乗の人に及んだ。飲み終わると去り、そこで崑崙の阿、赤水の陽に宿った。改めて日に崑崙の丘に升り、黄帝の宮を観て、封じて後世に留めた。そこで西王母の賓客となり、瑶池の上で酒を飲んだ。西王母が王のために謡を作り、王が應和し、辞はとても哀であった。西に日の入る所を見た。一日に万里を走った。王はそこで嘆息して言った。「ああ! 私一人は徳が充実していないのに楽に諧い、後世はおそらく私の過ちを追数するだろう」と。穆王はほとんど神人であった! 当身の楽を窮めることができ、なお百年に生きて往き、世人は彼が天に昇ったと思った。

老成子學幻於尹文先生,三年不告。老成子請其過而求退。尹文先生揖而進之於室,屏左右而與之言曰:「昔老聃之徂西也,顧而告予曰:『有生之氣,有形之狀,盡幻也。造化之所始,陰陽之所變者,謂之生,謂之死。窮數達變,因形移易者,謂之化,謂之幻。造物者其巧妙,其功深,固難窮難終。因形者其巧顯,其功淺,故隨起隨滅。知幻化之不異生死也,始可與學幻矣。』吾與汝亦幻也,奚須學哉?」老成子歸,用尹文先生之言,深思三月,遂能存亡自在,憣校四時,冬起雷,夏造冰;飛者走,走者飛,終身不箸其術,故世莫傳焉。子列子曰:「善為化者,其道密庸,其功同人。五帝之德,三王之功,未必盡智勇之力,或由化而成。孰測之哉?」

老成子が尹文先生に幻を学び、三年告げられなかった。老成子は自分の過ちを請い問い退を求めた。尹文先生は揖をして室内に進み、左右を屏退して彼に言った。「昔老聃が西に往く時、振り返って私に告げて言った。『生ある気、形ある状は皆幻である。造化の始まり、陰陽の変化する所を生と言い死と言う。気数を窮め変化に通達し、形に因り移易する者を化と言い幻と言う。造物者は巧妙で功深く、本から窮め難く終わり難い。形に因るは巧顕で功浅く、ゆえに起こるに随い滅する。幻化と生死が異ならないことを知れば、やっと幻を学ぶことができる』と。私とあなたもまた幻である、何を学ぶ必要があろうか」と。老成子は帰り、尹文先生の言をもって三ヶ月深思し、そこで存亡自在にし、四時を翻覆し、冬に雷を起こし、夏に冰を造ることができた。飛ぶ者を走らせ、走る者を飛ばせ、終身その術を著録せず、ゆえに世に伝がない。列子が言った。「化を為すに善い者は、その道は密で平凡であり、その功は人と同じである。五帝の徳、三王の功は、必ずしも皆智勇の力に尽きず、あるいは化に由って成る。誰がこれを測度できようか」と。

覺有八徵,夢有六候。奚謂八徵?一曰故,二曰為,三曰得,四曰喪,五曰哀,六曰樂,七曰生,八曰死。此者八徵,形所接也。奚謂六候?一曰正夢,二曰蘁夢,三曰思夢,四曰寤夢,五曰喜夢,六曰懼夢。此六者,神所交也。不識感變之所起者,事至則惑其所由然;識感變之所起者,事至則知其所由然。知其所由然,則無所怛。一體之盈虛消息,皆通於天地,應於物類。故陰氣壯,則夢涉大水而恐懼;陽氣壯,則夢涉大火而燔焫;陰陽俱壯,則夢生殺。甚飽則夢與,甚饑則夢取。是以以浮虛為疾者,則夢揚;以沈實為疾者,則夢溺;藉帶而寢則夢蛇,飛鳥銜髮則夢飛;將陰夢火,將疾夢食;飲酒者憂,歌儛者哭。子列子曰:「神遇為夢,形接為事。故晝想夜夢,神形所遇。故神凝者想夢自消。信覺不語,信夢不達,物化之往來者也。古之真人,其覺自忘,其寢不夢,幾虛語哉?」

醒には八種の徵験があり、夢には六種の予兆がある。何を八徵と言うか。一は故、二は為、三は得、四は喪、五は哀、六は楽、七は生、八は死。この八徵は、形が接触する所である。何を六候と言うか。一は正夢、二は噩夢、三は思夢、四は寤夢、五は喜夢、六は懼夢。この六種は、神が交接する所である。感変がどこから起こるかを識らなければ、事が至ってなぜこのようかに迷う。感変がどこから起こるかを識れば、事が至ってなぜこのようかを知る。なぜこのようかを知れば、怕れるべきものがない。一体の盈虚消息は、皆天地に通じ、物類に應じる。ゆえに陰気が壮なれば、大水を渉る夢を見て恐懼し、陽気が壮なれば、大火を渉る夢を見て燔灼し、陰陽皆壮なれば、生殺の夢を見る。甚だ飽きれば与える夢を見、甚だ飢えれば取る夢を見る。これに因り浮虚を病とする者は、揚がる夢を見、沈重を病とする者は、淹没の夢を見る。帯を垫にして睡れば蛇の夢を見、飛鳥が髪を銜えば飛ぶ夢を見る。将に陰なるは火の夢を見、将に病まんは食の夢を見る。酒を飲む者の憂、歌舞する者の哭。列子が言った。「神が相遇うは夢であり、形が相接するは事である。ゆえに昼思い夜夢るは、神形の遇う所である。ゆえに神が凝聚する者は、空想と夢が自ら消失する。醒を確信する者は言わず、夢を確信する者は通達しない、これは物化の往来である。古来の真人は、醒時に自ら忘れ、睡時に夢がない、どうして虚話であろうか」と。

西極之南隅有國焉,不知境界之所接,名古莽之國。陰陽之氣所不交,故寒暑亡辨;日月之光所不照,故晝夜亡辨。其民不食不衣而多眠。五旬一覺,以夢中所為者實,覺之所見者妄。四海之齊謂中央之國,跨河南北,越岱東西,萬有餘裡。其陰陽之審度,故一寒一暑;昏明之分察,故一晝一夜。其民有智有愚。萬物滋殖,才藝多方。有君臣相臨,禮法相持。其所云為不可稱計。一覺一寐,以為覺之所為者實,夢之所見者妄。東極之北隅有國曰阜落之國。其土氣常燠,日月餘光之照。其土不生嘉苗。其民食草根木實,不知火食,性剛悍,彊弱相藉,貴勝而不尚義;多馳步,少休息,常覺而不眠。

西極の南隅に国があり、境界がどこに接するか知らず、古莽の国と名づく。陰陽の気が相交わらず、ゆえに寒暑に分別がない。日月の光が相照らさず、ゆえに昼夜に分別がない。その民は食わず穿たずして多く眠る。五十日に一醒し、夢中に為した所を実とし、醒時に見た所を妄とする。四海の中央を中央の国と言い、河南北に跨り、岱東西を越え、一万余里。そこは陰陽審度分明で、ゆえに一寒一暑。昏明の分別が清楚で、ゆえに一昼一夜。その民には智ある者と愚ある者がいる。万物滋殖し、才藝多方。君臣相臨し、礼法相持する。彼らの為し言う所は称計できない。一醒一睡、醒時に為す所を実とし、夢中に見る所を妄とする。東極の北隅に阜落の国という国がある。そこは土気常に熱く、日月の余光が照る所。土地は嘉苗を生じない。民は草根木実を食べ、火をもって飯を炊くことを知らず、性は剛悍で、強弱相凌ぎ、勝を重んじて義を崇めない。多く奔走し、少なく休息し、常に醒て眠らない。

周之尹氏大治產,其下趣役者侵晨昏而弗息。有老役夫筋力竭矣,而使之彌勤。晝則呻呼而即事,夜則昏憊而熟寐。精神荒散,昔昔夢為國君,居人民之上,總一國之事,遊燕宮觀,恣意所欲,其樂無比,覺則復役。人有慰喻其懃者,役夫曰:「人生百年,晝夜各分。吾晝為僕虜,苦則苦矣;夜為人君,其樂無比,何所怨哉?」尹氏心營世事,慮鍾家業,心形俱疲,夜亦昏憊而寐,昔昔夢為人僕,趨走作役,無不為也;數罵杖撻,無不至也。眠中啽囈呻呼,徹旦息焉。尹氏病之,以訪其友。友曰:「若位足榮身,資財有餘,勝人遠矣。夜夢為僕,苦逸之復,數之常也。若欲覺夢兼之,豈可得邪?」尹氏聞其友言,寬其役夫之程,減己思慮之事,疾並少間。

周の尹氏は大いに産業を治め、手下の服役する者は清晨から黄昏まで休息を得なかった。一老役夫は筋力がすでに竭していたが、なお一層勤く使われた。昼は呻吟して事を為し、夜は昏憊して熟睡した。精神は荒散し、夜夜国君を為る夢を見、人民の上に位し、一国の事を総べ、宮観を游宴し、恣意に欲する所、快楽比類なし、覚めてまた服役した。ある人が彼の勤苦を慰めると、役夫が言った。「人生百年、昼夜各半分。私は昼に僕虜を為る、苦しいには苦しい。夜に人君を為る、快楽比類なし、何を怨むのか」と。尹氏は心に世事を経営し、思慮を家業に集中し、心形皆疲れ、夜も昏憊して睡り、夜夜人僕を為る夢を見、奔走して服役し、為さないことはなかった。責罵杖打、至らないことはなかった。眠中に囈語呻吟し、天明してやっと止んだ。尹氏はこれを病として、朋友に問うた。朋友が言った。「あなたの位は身を栄えさせるに足り、資財は余りあり、人に勝ること遠い。夜に僕を為る夢、苦逸は循環する、これは気数の常態である。あなたが醒と夢の両方を占めようとするのは、どうして得ることができようか」と。尹氏は朋友の言を聞き、役夫の課程を放寛し、自分の思慮する事を減らし、病も少しよくなった。

鄭人有薪於野者,偶駭鹿,御而擊之,斃之。恐人見之也,遽而藏諸隍中,覆之以蕉,不勝其喜。俄而遺其所藏之處,遂以為夢焉,順塗而詠其事。傍人有聞者,用其言而取之。既歸,告其室人曰:「向薪者夢得鹿而不知其處,吾今得之,彼直真夢矣。」室人曰:「若將是夢見薪者之得鹿邪?詎有薪者邪?今真得鹿,是若之夢真邪?」夫曰:「吾據得鹿,何用知彼夢我夢邪?」薪者之歸,不厭失鹿。其夜真夢藏之之處,又夢得之之主。爽旦,案所夢而尋得之,遂訟而爭之,歸之士師。士師曰:「若初真得鹿,妄謂之夢;真夢得鹿,妄謂之實。彼真取若鹿,而與若爭鹿。室人又謂夢仞人鹿,無人得鹿。今據有此鹿,請二分之。」以聞鄭君。鄭君曰:「嘻!士師將復夢分人鹿乎?」訪之國相。國相曰:「夢與不夢,臣所不能辨也。欲辨覺夢,唯黃帝孔丘。今亡黃帝孔丘,孰辨之哉?且恂士師之言可也。」

鄭国に人があり、野地で柴を打っていた時、偶然一隻の鹿を驚かし起こし、迎え撃って殺した。人に見られることを恐れ、急いで干壕の中に蔵し、蕉葉をもって蓋い、喜び自ら勝えなかった。しばらくして蔵した所を忘れ、そこで夢と思い、路に沿ってこの事を詠んだ。傍らに人が聞いて、彼の言に依って取って行った。帰って妻子に告げて言った。「さきほど柴を打つ人が夢で鹿を得たが場所を知らなかった、私は今得た、彼は真の夢だ」と。妻が言った。「あなたはおそらく柴を打つ人が鹿を得る夢を見たのでしょう。どこに真に柴を打つ人がいるのですか。今真に鹿を得たのは、あなたの夢が真なのですか」と。夫が言った。「私はすでに鹿を有している、彼の夢か私の夢かを知る必要がない」と。柴を打つ人は帰って、鹿を失うことに甘心せず。夜に真に蔵した所を夢見、また鹿を得た人を夢見た。天亮して夢に依って尋ねて得た、そこで争訟し、士師に委ねた。士師が言った。「あなたは初め真に鹿を得て、妄りに夢と言い、真に鹿を得る夢を見て、妄りに実と言った。彼は真にあなたの鹿を取ったが、あなたと鹿を争う。妻子はまた他人の鹿を夢見たと言い、誰も鹿を得ていない。今この鹿を有している、半分に分けることを請う」と。鄭君に報告した。鄭君が言った。「ああ! 士師もまた夢を見て人の鹿を分けるのか」と。国相に問うた。国相が言った。「夢か不夢か、臣は辨別できない。醒と夢を辨別するには、黄帝、孔丘のみ。今黄帝、孔丘がいない、誰が辨別するのか。姑且士師の言を信じればよい」と。

宋陽裡華子中年病忘,朝取而夕忘,夕與而朝忘;在塗則忘行,在室則忘坐;今不識先,後不識今。闔室毒之,謁史而卜之,弗占;謁巫而禱之,弗禁;謁醫而攻之,弗已。魯有儒生自媒能治之,華子之妻子以居產之半請其方。儒生曰:「此固非卦兆之所占,非祈請之所禱,非藥石之所攻。吾試化其心,變其慮,庶幾其瘳乎!」於是試露之,而求衣;飢之,而求食;幽之,而求明。儒生欣然告其子曰:「疾可已也。然吾之方密,傳世不以告人。試屏左右,獨與居室七日。」從之,莫知其所施為也,而積年之疾一朝都除。華子既悟,迺大怒,黜妻罰子,操戈逐儒生。宋人執而問其以,華子曰:「曩吾忘也,蕩蕩然不覺天地之有無。今頓識既往,數十年來存亡、得失、哀樂、好惡,擾擾萬緒起矣。吾恐將來之存亡、得失、哀樂、好惡之亂吾心如此也,須臾之忘,可復得乎?」子貢聞而怪之,以告孔子。孔子曰:「此非汝所及乎!」顧謂顏回紀之。

宋国陽里の華子は中年に健忘の病を得て、朝に取ったものは夕に忘れ、夕に与えたものは朝に忘れた。路上で歩くことを忘れ、屋裏で坐することを忘れた。今は先前を識らず、以後は今を識らない。全家がこれを苦しみ、史官を請いて卜を問うたが、応験がなく、巫を請いて祈禱したが、禁じられず、医を請いて攻治したが、止まらなかった。魯国に儒生がいて自ら治せると紹介し、華子の妻子兒女は家産の半分をもって彼の方を求めた。儒生が言った。「これは本から卦兆の占う所能、祈禱の求む所能、薬石の攻む所能ではない。私は試しに彼の心を変化させ、彼の慮を改変しよう、あるいは能くなれるかもしれない」と。そこで試しに彼を裸露させると、彼は衣を求めた。彼を飢えさせると、彼は食を求めた。彼を幽暗にすると、彼は明を求めた。儒生は喜んで彼の兒子に告げて言った。「病は止めることができる。しかし私の方は密であり、傳世して人に告げない。試しに左右を屏退し、単独で彼と室に七日住もう」と。従い、誰も彼が何を施したか知らなかったが、積年の病は一朝に皆除かれた。華子が醒悟した後、却って大怒し、妻を黜し子を罰し、戈を執って儒生を追った。宋人が彼を捉えて故を問うと、華子が言った。「昔私が忘れていた時、蕩蕩然として天地が有るか無いかを覚えなかった。今忽然として既往を識り、数十年来的存亡、得失、哀楽、好悪が、擾擾として万緒起こった。私は将來の存亡、得失、哀楽、好悪が私の心をこのように乱すことを恐れる、須臾の忘れ、また再び得ることができるか」と。子貢が聞いて奇怪に思い、孔子に告げた。孔子が言った。「これはあなたの及ぶ所ではない」と。振り返って顔回に記させた。

秦人逢氏有子,少而惠,及壯而有迷罔之疾,聞歌以為哭,視白以為黑,饗香以為朽,嘗甘以為苦,行非以為是;意之所之,天地、四方,水火、寒暑,無不倒錯者焉。楊氏告其父曰:「魯之君子多術藝,將能已乎?汝奚不訪焉?」其父之魯,過陳,遇老聃,因告其子之證。老聃曰:「汝庸知汝子之迷乎?今天下之人皆惑於是非,昏於利害。同疾者多,固莫有覺者。且一身之迷不足傾一家,一家之迷不足傾一鄉,一鄉之迷不足傾一國,一國之迷不足傾天下。天下盡迷,孰傾之哉?向使天下之人其心盡如汝子,汝則反迷矣。哀樂、聲色、臭味、是非,孰能正之?且吾之此言未必非迷,而況魯之君子迷之郵者,焉能解人之迷哉?榮汝之糧,不若遄歸也。」

秦人の逢氏に一子がいて、年少にして聡慧であったが、壮年に至って迷罔の病を得た。歌を聞けば哭と思い、白を見れば黒と思い、香を聞けば腐朽と思い、甘を嘗めれば苦と思い、非を行えば是と思った。意念の至る所、天地、四方、水火、寒暑、倒錯しないものはなかった。楊氏が彼の父に告げて言った。「魯国の君子は多く術藝があり、おそらく治せるだろう。あなたはなぜ往いて訪ねないのか」と。父は魯に往き、陳を経て、老聃に遇い、兒子の證状を彼に告げた。老聃が言った。「あなたはどうしてあなたの兒子が迷であると知るのか。今天下の人は皆是非に惑い、利害に昏い。同病は多く、本から覚悟する者がいない。しかも一身の迷は一家を傾覆するに足らず、一家の迷は一郷を傾覆するに足らず、一郷の迷は一国を傾覆するに足らず、一国の迷は天下を傾覆するに足らない。天下皆迷である、誰が誰を傾覆するのか。仮に天下人の心が皆あなたの兒子のようであれば、あなたが却って迷である。哀楽、声色、臭味、是非、誰がこれを糾正できるか。しかも私のこれらの言も必ずしも迷でないとは限らない、いわんや魯国の君子は迷の最も甚だしい者であり、どうして人の迷を解くことができようか。あなたの糧食を帯びて、急いで帰るがよい」と。

燕人生於燕,長於楚,及老而還本國。過晉國,同行者誑之,指城曰:「此燕國之城。」其人愀然變容。指社曰:「此若裡之社。」乃喟然而歎。指舍曰:「此若先人之廬。」乃涓然而泣。指壠曰:「此若先人之冢。」其人哭不自禁。同行者啞然大笑,曰:「予昔紿若,此晉國耳。」其人大慙。及至燕,真見燕國之城社,真見先人之廬冢,悲心更微。

燕人は燕に生まれ、楚に長ち、老いて本国に帰った。晋国を経る時、同行の人が彼を騙し、城を指して言った。「これは燕国の城だ」と。その人は愀然として容を変えた。社を指して言った。「これはあなたの里中の社だ」と。彼は喟然として嘆息した。屋を指して言った。「これはあなたの先人の廬だ」と。彼は涓然として涙を流した。墳を指して言った。「これはあなたの先人の塚だ」と。その人は哭きて自ら禁じることができなかった。同行の人は唖然として大笑し、言った。「私はさきほどあなたを騙した、これは晋国に過ぎない」と。その人はとても慙愧した。燕に至ると、真に燕国の城社を見、真に先人の廬塚を見たが、悲心は却って更に淡かった。

仲尼篇

仲尼閒居,子貢入侍,而有憂色。子貢不敢問,出告顏回,顏回援琴而歌。孔子聞之,果召回入,問曰:「若奚獨樂?」回曰:「夫子奚獨憂?」孔子曰:「先言爾志。」曰:「吾昔聞之夫子曰:『樂天知命故不憂。』回所以樂也。」孔子愀然有閒,曰:「有是言哉?汝之意失矣。此吾昔日之言爾,請以今言為正也。汝徒知樂天知命之無憂,未知樂天知命有憂之大也。今告若其實:修一身,任窮達,知去來之非我,亡變亂於心慮,爾之所謂樂天知命之無憂也。曩吾修《詩》《書》,正禮樂,將以治天下,遺來世,非但修一身,治魯國而已,而魯之君臣日失其序,仁義益衰,情性益薄。此道不行一國與當年,其如天下與來世矣?吾始知《詩》《書》、禮樂無救於治亂,而未知所以革之之方,此樂天知命者之所憂。雖然,吾得之矣。夫樂而知者,非古人之所謂樂知也。無樂無知,是真樂真知,故無所不樂,無所不知,無所不憂,無所不為。《詩》《書》、禮樂,何棄之有?革之何為?」顏回北面拜手曰:「回亦得之矣。」出告子貢。子貢茫然自失,歸家淫思七日,不寢不食,以至骨立。顏回重往喻之,乃反丘門,絃歌誦書,終身不輟。

仲尼が閑居していると、子貢が入って侍し、彼に憂色があるのを見た。子貢は敢えて問わず、出て顔回に告げた、顔回は琴を援ねて歌った。孔子が聞いて、果たして彼を呼び入れ、問うた。「あなたはなぜ独りで楽しむのか」と。回が言った。「夫子はなぜ独りで憂えているのですか」と。孔子が言った。「先ずあなたの志を言いなさい」と。回が言った。「私はかつて夫子が言うのを聞きました。『天を楽しみ命を知る、ゆえに憂えない』と。これが回が楽しむ所以です」と。孔子は愀然としてしばらくして言った。「この言があったか。あなたの意は誤っている。これは私の昔日の言に過ぎない、請う、現在の言を正とせよ。あなたはただ天を楽しみ命を知ることの無憂を知り、天を楽しみ命を知ることに大憂があることを知らない。今あなたに実情を告げよう。一身を修養し、窮達に任せ、去来は我ではないことを知り、心に変乱がない、これはあなたの言う天を楽しみ命を知る無憂である。昔私は《詩》《書》を修め、礼楽を正し、もって天下を治め来世に遺そうとした、一身を修め魯国を治めるだけではなかった、しかるに魯の君臣は日々秩序を失い、仁義は更に衰え、情性は更に薄い。この道は一国と当年においてさえ行き通らないのに、天下と来世にどうして用いようか。私はやっと《詩》《書》、礼楽が治乱を救えないことを知ったが、改革の方法をまだ知らない、これが天を楽しみ命を知る者の憂である。それでも、私は得た。あの楽しみ知るは、古人の言う楽知ではない。楽なく知なく、これが真の楽真の知である、ゆえに楽しまざるなく、知らざるなく、憂えざるなく、為さざるなし。《詩》《書》、礼楽は、どうして捨てる必要があろうか。改革をまた何とするか」と。顔回は北に向かって拜手して言った。「回も得ました」と。出て子貢に告げた。子貢は茫然として自失し、家に帰って七日深思し、寝ず食わず、骨立するに至った。顔回が再び往いて彼を導き、やっと孔門に戻り、弦歌して書を誦し、終身止まなかった。

陳大夫聘魯,私見叔孫氏。叔孫氏曰:「吾國有聖人。」曰:「非孔丘邪?」曰:「是也。」「何以知其聖乎?」叔孫氏曰:「吾常聞之顏回曰:『孔丘能廢心而用形。』」陳大夫曰:「吾國亦有聖人,子弗知乎?」曰:「聖人孰謂?」曰:「老聃之弟子有亢倉子者,得聃之道,能以耳視而目聽。」魯侯聞之大驚,使上卿厚禮而致之。亢倉子應聘而至,魯侯卑辭請問之。亢倉子曰:「傳之者妄。我能視聽不用耳目,不能易耳目之用。」魯侯曰:「此增異矣。其道奈何?寡人終願聞之。」亢倉子曰:「我體合於心,心合於氣,氣合於神,神合於無。其有介然之有,唯然之音,雖遠在八荒之外,近在眉睫之內,來幹我者,我必知之。乃不知是我七孔四支之所覺,心腹六藏之所知,其自知而已矣。」魯侯大悅。他日以告仲尼,仲尼笑而不答。

陳大夫が魯に聘問し、私に叔孫氏に見えた。叔孫氏が言った。「我が国に聖人がいる」と。問うた。「孔丘ではないか」と。言った。「そうだ」と。「何をもって彼が聖であると知るのか」と。叔孫氏が言った。「私は常に顔回が言うのを聞いた。『孔丘は心を廃して形を用いることができる』と」と。陳大夫が言った。「我が国にも聖人がいる、あなたは知らないのか」と。問うた。「聖人は誰のことか」と。言った。「老聃の弟子に亢倉子がおり、聃の道を得、耳をもって視、目をもって聴くことができる」と。魯侯が聞いて大いに驚き、上卿に厚礼をもって請わせた。亢倉子が聘に應じて来て、魯侯は謙卑な言をもって請い問うた。亢倉子が言った。「傳える者が妄である。私は耳目を用いずに視聴することができるが、耳目の用途を改換することはできない」と。魯侯が言った。「これは更に奇異だ。その道はどのようなものか。寡人はついに聞きたい」と。亢倉子が言った。「私の體は心に合し、心は氣に合し、氣は神に合し、神は無に合す。介然たる存在、唯然たる声音があれば、たとえ遠く八荒の外、近く眉睫の内にあって、來りて我を干犯する者は、我必ず之を知る。ここにおいて我が七孔四肢の覺える所か、心腹六藏の知る所かを知らず、ただ自ら知るのみ」と。魯侯は大いに悅んだ。他日仲尼に告げると、仲尼は笑って答えなかった。

商太宰見孔子曰:「丘聖者歟?」孔子曰:「聖則丘何敢,然則丘博學多識者也。」商太宰曰:「三王聖者歟?」孔子曰:「三王善任智勇者,聖則丘弗知。」曰:「五帝聖者歟?」孔子曰:「五帝善任仁義者,聖則丘弗知。」曰:「三皇聖者歟?」孔子曰:「三皇善任因時者,聖則丘弗知。」商太宰大駭,曰:「然則孰者為聖?」孔子動容有閒,曰:「西方之人有聖者焉,不治而不亂,不言而自信,不化而自行,蕩蕩乎民無能名焉。丘疑其為聖,弗知真為聖歟?真不聖歟?」商太宰嘿然心計曰:「孔丘欺我哉!」

商太宰が孔子に見えて言った。「丘は聖者か」と。孔子が言った。「聖ならば丘はどうして敢えてそう言えよう、ただ丘は博學多識の人である」と。商太宰が言った。「三王は聖者か」と。孔子が言った。「三王は智勇の人を任用するに善い、聖ならば丘は知らない」と。問うた。「五帝は聖者か」と。孔子が言った。「五帝は仁義の人を任用するに善い、聖ならば丘は知らない」と。問うた。「三皇は聖者か」と。孔子が言った。「三皇は因時の人を任用するに善い、聖ならば丘は知らない」と。商太宰は大いに駭き、言った。「然らば誰が聖か」と。孔子は動容してしばらくして言った。「西方の人に聖者がいる、治めずして乱れず、言わずして信あり、化せずして自ら行く、蕩蕩乎として民は彼に名を安んずることができない。丘は彼を聖と疑う、真に聖であるか、真に聖でないか、知らない」と。商太宰は默然として心に盤算して言った。「孔丘は私を騙している」と。

子夏問孔子曰:「顏回之為人奚若?」子曰:「回之仁賢於丘也。」曰:「子貢之為人奚若?」子曰:「賜之辯賢於丘也。」曰:「子路之為人奚若?」子曰:「由之勇賢於丘也。」曰:「子張之為人奚若?」子曰:「師之莊賢於丘也。」子夏避席而問曰:「然則四子者何為事夫子?」曰:「居!吾語汝。夫回能仁而不能反,賜能辯而不能訥,由能勇而不能怯,師能莊而不能同。兼四子之有以易吾,吾弗許也。此其所以事吾而不貳也。」

子夏が孔子に問うて言った。「顏回の人となりはどのようなものか」と。孔子が言った。「回の仁は丘に勝る」と。問うた。「子貢の人となりはどのようなものか」と。孔子が言った。「賜の辯は丘に勝る」と。問うた。「子路の人となりはどのようなものか」と。孔子が言った。「由の勇は丘に勝る」と。問うた。「子張の人となりはどのようなものか」と。孔子が言った。「師の莊は丘に勝る」と。子夏は席を離れて問うた。「然らばこの四人はなぜ夫子に事えるのか」と。孔子が言った。「坐れ! あなたに告げよう。回は能く仁あるも能く反らず、賜は能く辯あるも能く訥ならず、由は能く勇あるも能く怯えず、師は能く莊あるも能く同せず。四人の長を兼ねて我に換えても、我は許さない。これが彼らが我に事えて貳せざる所以である」と。

子列子既師壺丘子林,友伯昏瞀人,乃居南郭。從之處者,日數而不及。雖然,子列子亦微焉。朝朝相與辯,無不聞。而與南郭子連牆二十年,不相謁請;相遇於道,目若不相見者。門之徒役以為子列子與南郭子有敵不疑。有自楚來者,問子列子曰:「先生與南郭子奚敵?」子列子曰:「南郭子貌充心虛,耳無聞,目無見,口無言,心無知,形無惕。往將奚為?雖然,試與汝偕往。」閱弟子四十人同行。見南郭子,果若欺魄焉,而不可與接。顧視子列子,形神不相偶,而不可與群。南郭子俄而指子列子之弟子末行者與言,衎衎然若專直而在雄者。子列子之徒駭之,反舍,鹹有疑色。子列子曰:「得意者無言,進知者亦無言。用無言為言亦言,無知為知亦知。無言與不言,無知與不知,亦言亦知。亦無所不言,亦無所不知;亦無所言,亦無所知。如斯而已,汝奚妄駭哉?」

列子がすでに壺丘子林に師事し、伯昏瞀人と友となり、そこで南郭に住んだ。彼と相處する者は、每日數えても盡きなかった。それでも、列子もまた隱微であった。日々相辯論して、聞こえないことはなかった。しかるに南郭子と牆を連ねて二十年、相拜訪せず、路上で相遇っても、眼は相見えないようであった。門下の徒役は列子と南郭子が仇敵があると思い、毫も疑わなかった。楚から來た人が列子に問うた。「先生と南郭子はなぜ敵對するのか」と。列子が言った。「南郭子は貌は充實して心は虚、耳に聞くことなく、目に見ることなく、口に言うことなく、心に知ることなく、形に惕ることなし。往いて何を為すか。それでも、試しにあなたとともに往こう」と。弟子四十人を檢閱して同行した。南郭子に見えると、果たして土偶のよう、交接すべからず。振り返って列子を見ると、形神が相匹配せず、之と群を為すべからず。南郭子はしばらくして列子の弟子の末行の者を指して言った、和悅として專直にして雄の位に處るようであった。列子の門徒は駭然として、館舍に歸り、皆疑色があった。列子が言った。「意を得た者は言なく、知に進んだ者も言ない。無言をもって言とするもまた言であり、無知をもって知とするもまた知である。無言と不言、無知と不知も、また言でありまた知である。もまた言わざるなく、もまた知らざるなく、もまた言うことなく、もまた知ることなし。このようであるのみ、あなたたちはなぜ妄りに驚駭するのか」と。

子列子學也,三年之後,心不敢念是非,口不敢言利害,始得老商一眄而已。五年之後,心更念是非,口更言利害,老商始一解顏而笑。七年之後,從心之所念,更無是非;從口之所言,更無利害,夫子始一引吾並席而坐。九年之後,橫心之所念,橫口之所言,亦不知我之是非利害歟,亦不知彼之是非利害歟,外內進矣。而後眼如耳,耳如鼻,鼻如口,口無不同。心凝形釋,骨肉都融,不覺形之所倚,足之所履,心之所念,言之所藏。如斯而已,則理無所隱矣。

列子が學んで、三年の後、心に是非を念ずることを敢えてせず、口に利害を言うことを敢えてせず、やっと老商の一見を得たのみ。五年の後、心に却って是非を念じ、口に却って利害を言い、老商はやっと顏を開いて一笑した。七年の後、心の念ずる所に任せると、却って是非がなく、口の言う所に任せると、却って利害がなく、夫人はやっと我を引いて席を並べて坐らせた。九年の後、心の念ずる所に橫たわり、口の言う所に橫たわり、我が是非利害をも知らず、對方の是非利害をも知らず、外内皆盡きた。然る後眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く、口に異なることなし。心は凝聚し形は消釋し、骨肉は皆融け、形が何に倚るか、足が何を蹈むか、心が何を念ずるか、言が何を藏するかを覺えない。このようであるのみ、然らば理に隱すべきものがない。

初,子列子好遊。壺丘子曰:「禦寇好遊,遊何所好?」列子曰:「遊之樂所玩無故。人之遊也,觀其所見;我之遊也,觀其所變。遊乎遊乎!未有能辨其遊者。」壺丘子曰:「禦寇之遊固與人同歟,而曰固與人異歟?凡所見,亦恆見其變。玩彼物之無故,不知我亦無故。務外遊,不知務內觀。外遊者,求備於物;內觀者,取足於身。取足於身,遊之至也;求備於物,遊之不至也。」於是列子終身不出,自以為不知遊。壺丘子曰:「遊其至乎!至遊者,不知所適;至觀者,不知所眂。物物皆遊矣,物物皆觀矣,是我之所謂遊,是我之所謂觀也。故曰:遊其至矣乎,遊其至矣乎!」

初め、列子は遊を好んだ。壺丘子が言った。「御寇は遊を好む、遊は何を好むのか」と。列子が言った。「遊の樂は、玩ぶ所に陳舊なきにある。他人の遊は、その見る所を觀る。我が遊は、その變る所を觀る。遊や遊や! まだ遊ぶ者を辨別するものがない」と。壺丘子が言った。「御寇の遊は本より人と同じか、しかも本より人と異なると言うか。およそ見る所は、常にその變を見ている。外物を玩ぶに陳舊なしとするも、我にも陳舊なきを知らず。外遊を務めて、內觀を務めることを知らず。外遊する者は、物に完備を求める。內觀する者は、身に充足を取る。身に充足を取るは、遊の至極である。物に完備を求めるは、遊の至らざるである」と。ここにおいて列子は終身出ず、自ら遊を知らないと思った。壺丘子が言った。「遊は至極に至ったか! 至遊する者は、往く所を知らず。至觀する者は、視る所を知らず。物物皆遊び、物物皆觀る、これが我が言う遊であり、これが我が言う觀である。ゆえに言う、遊は至極に至り、遊は至極に至った」と。

龍叔謂文摯曰:「子之術微矣。吾有疾,子能已乎?」文摯曰:「唯命所聽。然先言子所病之證。」龍叔曰:「吾鄉譽不以為榮,國毀不以為辱;得而不喜,失而弗憂;視生如死,視富如貧;視人如豕,視吾如人。處吾之家,如逆旅之舍;觀吾之鄉,如戎蠻之國。凡此眾疾,爵賞不能勸,刑罰不能威,盛衰、利害不能易,哀樂不能移。固不可事國君,交親友,御妻子,制僕隸。此奚疾哉?奚方能已之乎?」文摯乃命龍叔背明而立,文摯自後嚮明而望之。既而曰:「嘻!吾見子之心矣,方寸之地虛矣。幾聖人也!子心六孔流通,一孔不達。今以聖智為疾者,或由此乎!非吾淺術所能已也。」

龍叔が文摯に言った。「あなたの術は精微だ。私に病がある、あなたは止めることができるか」と。文摯が言った。「命を聽くのみ。しかし先ずあなたの病の證狀を言いなさい」と。龍叔が言った。「鄉里が我を稱譽しても榮とせず、國中が我を毀謗しても辱とせず。得ても喜ばず、失っても憂えず。生を視ること死の如く、富を視ること貧の如く。人を視ること豬の如く、我を視ること人の如く。我が家に處ること、旅舍の如し。我が鄉を視ること、戎蠻の國の如し。およそこれらの衆疾は、爵賞は勸めることができず、刑罰は威すことができず、盛衰、利害は改めることができず、哀樂は移すことができない。本より國君に事えることができず、親友に交接することができず、妻子を駕御することができず、僕隸を制服することができない。これは何の病か。何の方がこれを止めるか」と。文摯はそこで龍叔をして光を背負って立たせ、文摯は後ろから光に向かって彼を望んだ。しばらくして言った。「ああ! 私はあなたの心を見た、方寸の地が虚いている。ほとんど聖人だ! あなたの心は六孔流通し、一孔通じない。今聖智を病とするのは、あるいはこれに由るのか。我が淺術の止める所能ではない」と。

無所由而常生者,道也。由生而生,故雖終而不亡,常也。由生而亡,不幸也。有所由而常死者,亦道也。由死而死,故雖未終而自亡者,亦常也。由死而生,幸也。故無用而生謂之道,用道得終謂之常;有所用而死者亦謂之道,用道而得死者亦謂之常。季梁之死,楊朱望其門而歌;隨梧之死,楊朱撫其屍而哭。隸人之生,隸人之死,眾人且歌,眾人且哭。

憑依する所なくして常に生ずるは、道である。生に由りて生ず、ゆえにたとえ終わっても亡びない、これは常である。生に由りて亡ぶは、不幸である。憑依する所有りて常に死するも、また道である。死に由りて死す、ゆえにたとえ未だ終わらずとも自ら亡ぶも、また常である。死に由りて生ずるは、幸である。ゆえに用無きをもって生ずるを道と言い、道を用いて終わりを得るを常と言う。用有りて死するもまた道と言い、道を用いて死を得るもまた常と言う。季梁が死すと、楊朱はその門を望んで歌った。隨梧が死すと、楊朱はその屍を撫して哭いた。隸人の生、隸人の死、衆人は則ち唱い、衆人は則ち哭す。

目將眇者,先睹秋毫;耳將聾者,先聞蚋飛;口將爽者,先辨淄澠;鼻將窒者,先覺焦朽;體將僵者,先亟犇佚,心將迷者,先識是非,故物不至者則不反。

眼が將に瞎ならんとするは、先ず秋毫を見る。耳が將に聾ならんとするは、先ず蚋飛を聞く。口が將に味を失わんとするは、先ず淄澠を辨別する。鼻が將に窒がらんとするは、先ず焦朽を覺える。體が將に僵ならんとするは、先ず奔逸を急ぐ。心が將に迷わんとするは、先ず是非を識別する。ゆえに物は極に至らなければ返らない。

鄭之圃澤多賢,東裡多才。圃澤之役有伯豐子者,行過東裡,遇鄧析。鄧析顧其徒而笑曰:「為若舞,彼來者奚若?」其徒曰:「所願知也。」鄧析謂伯豐子曰:「汝知養養之義乎?受人養而不能自養者,犬豕之類也;養物而物為我用者,人之力也。使汝之徒食而飽,衣而息,執政之功也。長幼群聚而為牢藉庖廚之物,奚異犬豕之類乎?」伯豐子不應。伯豐子之從者越次而進曰:「大夫不聞齊魯之多機乎?有善治土木者,有善治金革者,有善治聲樂者,有善治書數者,有善治軍旅者,有善治宗廟者,群才備也。而無相位者,無能相使者。而位之者無知,使之者無能,而知之與能為之使焉。執政者,迺吾之所使,子奚矜焉?」鄧析無以應,目其徒而退。

鄭國の圃澤は賢が多く、東里は才が多い。圃澤の役屬に伯豊子がおり、東里を過ぎる時、鄧析に遇った。鄧析は振り返って徒衆に笑って言った。「あなたたちに一演してやろう、あの來る人はどうか」と。徒衆が言った。「まさに知りたい」と。鄧析が伯豊子に言った。「あなたは養うと養われるの意を知るか。人の養いを受けて自ら養うことができないは、犬豕の類である。物を養って物が我の用となるは、人の力である。あなたたちの班の者を飽かせ、衣を着て休息せしめるは、執政の功である。長幼が群聚して圈欄庖廚の物を為すは、犬豕の類と何の異なるか」と。伯豊子は應じなかった。伯豊子の隨從が次を越えて前に進み言った。「大夫は齊魯に機巧が多いと聞かなかったか。土木を治めるに善い者あり、金革を治めるに善い者あり、聲樂を治めるに善い者あり、書數を治めるに善い者あり、軍旅を治めるに善い者あり、宗廟を治めるに善い者あり、群才齊備す。しかるに相位する者なく、相使う能くする者なし。しかも位に居るは知なく、使うは能なし、知有り能有る者は却って使われる。執政の人は、まさに我らが使う所である、あなたは何を矜夸するのか」と。鄧析は應ずる言なく、徒衆を看て退走した。

公儀伯以力聞諸侯,堂谿公言之於周宣王,王備禮以聘之。公儀伯至,觀形,懦夫也。宣王心惑而疑曰:「女之力何如?」公儀伯曰:「臣之力能折春螽之股,堪秋蟬之翼。」王作色曰:「吾之力能裂犀兕之革,曳九牛之尾,猶憾其弱。女折春螽之股,堪秋蟬之翼,而力聞天下,何也?」公儀伯長息退席,曰:「善哉王之問也!臣敢以實對。臣之師有商丘子者,力無敵於天下,而六親不知,以未嘗用其力故也。臣以死事之。乃告臣曰:『人慾見其所不見,視人所不窺;欲得其所不得,修人所不為。故學眎者先見輿薪,學聽者先聞撞鐘。夫有易於內者無難於外。於外無難,故名不出其一家。』今臣之名聞於諸侯,是臣違師之教,顯臣之能者也。然則臣之名不以負其力者也,以能用其力者也,不猶愈於負其力者乎?」

公儀伯は力をもって諸侯に聞こえ、堂谿公が周宣王に告げ、王は禮を備えて彼を聘問した。公儀伯が至ると、形貌を見るに、懦夫であった。宣王は心に疑いを懐き問うた。「あなたの力はどのようか」と。公儀伯が言った。「臣の力は春螽の股を折り、秋蟬の翼を承くることができる」と。王は色を變えて言った。「我が力は犀兕の皮革を撕裂し、九牛の尾を曳くことができる、なお弱きを憾恨す。あなたは春螽の股を折り秋蟬の翼を承く、しかも力が天下に聞こえるとは、なぜか」と。公儀伯は長歎して席を退き、言った。「王の問うこと善いなり! 臣は敢えて實をもって對へん。臣の師に商丘子あり、力は天下に敵なし、しかるに六親も知らず、未だその力を用いたことがないが故に。臣は死をもって彼に事えた。彼はやっと臣に告げて言った。『人は見ること能わざる所を見んと欲し、人の窺わざる所を看んとす。得ること能わざる所を得んと欲し、人の為さざる所を修めんとす。ゆえに看を學ぶ者は先ず一車の柴を見、聽を學ぶ者は先ず撞鐘を聞く。内に易き者は、外に難きなし。外に難きなし、ゆえに名は一家を出ず』と。今臣の名は諸侯に聞こゆ、是れ臣が師の教に背き、臣の能を顯露せしなり。然らば臣の名はその力を負うに由らず、その力を用いる能くするに由る、なおその力を負う者に勝らずや」と。

中山公子牟者,魏國之賢公子也,好與賢人遊,不恤國事,而悅趙人公孫龍。樂正子輿之徒笑之。公子牟曰:「子何笑牟之悅公孫龍也?」子輿曰:「公孫龍之為人也,行無師,學無友,佞給而不中,漫衍而無家,好怪而妄言,欲惑人之心,屈人之口,與韓檀等肄之。」公子牟變容曰:「何子狀公孫龍之過歟?請聞其實。」子輿曰:「吾笑龍之詒孔穿,言『善射者能令後鏃中前括,發發相及,矢矢相屬,前矢造準而無絕落,後矢之括猶銜弦,視之若一焉。』孔穿駭之。龍曰:『此未其妙者。逢蒙之弟子曰鴻超,怒其妻而怖之。引烏號之弓,綦衛之箭,射其目。矢來注眸子而眶不睫,矢隧地而塵不揚。』是豈智者之言與?」公子牟曰:「智者之言固非愚者之所曉。後鏃中前括,鈞後於前。矢注眸子而眶不睫,盡矢之勢也。子何疑焉?」樂正子輿曰:「子,龍之徒,焉得不飾其闕?吾又言其尤者。龍誑魏王曰:『有意不心。有指不至。有物不盡。有影不移。髮引千鈞。白馬非馬。孤犢未嘗有母。』其負類反倫,不可勝言也。」公子牟曰:「子不諭至言而以為尤也,尤其在子矣。夫無意則心同;無指則皆至;盡物者常有;影不移者,說在改也;髮引千鈞,勢至等也;白馬非馬,形名離也;孤犢未嘗有母,非孤犢也。」樂正子輿曰:「子以公孫龍之鳴皆條也。設令發於餘竅,子亦將承之。」公子牟默然良久,告退,曰:「請待餘日,更謁子論。」

中山公子牟は、魏國の賢公子で、賢人と交遊することを好み、國事を體恤せず、しかし趙人の公孫龍を好んだ。樂正子輿の一班が彼を笑った。公子牟が言った。「あなたはなぜ牟が公孫龍を好むことを笑うのか」と。子輿が言った。「公孫龍の人となり、行事に師なく、學習に友なく、口才は佞給して中らず、漫衍して家なく、怪を好んで妄言し、人の心を惑わし人の口を屈さんと欲し、韓檀等人とともに研習した」と。公子牟は容を變えて言った。「あなたは何をもって公孫龍の過を狀說するのか。請う、その實を聽かん」と。子輿が言った。「私は龍が孔穿を騙したことを笑う、曰く『善射の者は後箭簇をして前箭尾に射中せしめ、發發相及び、矢矢相連なり、前箭は靶に至って斷落せず、後箭の尾はなお弦に銜えている、見れば一条の如し』と。孔穿は駭然とした。龍が言った。『これはなお最妙ではない。逢蒙の弟子に鴻超という者がおり、その妻を怒って彼女を嚇した。烏號の弓を引開き、綦衛の箭を搭え、彼女の眼を射た。箭は眸子に至っても眼眶は眨まず、箭は地に落ちても塵土は揚がらない』と。これはどうして智者の言であろうか」と。公子牟が言った。「智者の言は本より愚者の曉る所能ではない。後簇が前括に中るは、後の力度を前に均しくするである。箭が眸子に注がれて眶が眨まないは、箭の勢が盡きたのである。あなたは何を疑うのか」と。樂正子輿が言った。「あなたは龍の門徒である、どうして彼の缺を掩飾しないことができようか。私はさらに過分なことを言おう。龍は魏王を騙して言った。『意有りて心にあらず。指有りて達せず。物有りて盡きず。影有りて移らず。頭髮は千鈞を引くことができる。白馬は馬にあらず。孤犢は未だ嘗て母有らず』と。彼は類別に背き常倫に違い、說き盡くすことができない」と。公子牟が言った。「あなたは至言を明白せずして過とする、過はあなたにある。意無ければ心同じ、指無ければ皆至る。物を窮める常はなお有り。影が移らないは、理は改まれば元の影ではないに在り。髮が千鈞を引くは、勢が均等に至ればなり。白馬非馬は、形と名が分離するなり。孤犢未だ嘗て母有らずは、母あれば孤犢ではないなり」と。樂正子輿が言った。「あなたは公孫龍の鳴叫を皆條理とする。仮に別の竅から發出しても、あなたは將に承け接げん」と。公子牟は默然とすること久しく、告退して言った。「請う、改日を待ち、再び來りてあなたと談論せん」と。

堯治天下五十年,不知天下治歟、不治歟,不知億兆之願戴己歟、不願戴己歟,顧問左右,左右不知;問外朝,外朝不知;問在野,在野不知。堯乃微服遊於康衢,聞兒童謠曰:「立我蒸民,莫匪爾極。不識不知,順帝之則。」堯喜問曰:「誰教爾為此言?」童兒曰:「我聞之大夫。」問大夫,大夫曰:「古詩也。」堯還宮,召舜,因禪以天下。舜不辭而受之。

堯が天下を治めて五十年、天下が治まったか治まらなかったか知らず、億兆が自らを擁戴せんと願うか願わざるか知らず、振り返って左右に問うと、左右は知らず、外朝に問うと、外朝は知らず、在野に問うと、在野は知らなかった。堯はそこで微服して康衢に遊び、兒童が謡うのを聞いた。「我が衆民を安頓す、あなたの極則に非ずや。識らず知らず、帝の法則に順う」と。堯は喜んで問うた。「誰があなたたちにこの言を教えたか」と。兒童が言った。「私は大夫から聞いた」と。大夫に問うと、大夫が言った。「これは古詩である」と。堯は宮に歸り、舜を召し、そこで天下を彼に禪讓した。舜は辭せずして受けた。

關尹喜曰:「在己無居,形物其箸。其動若水,其靜若鏡,其應若響。故其道若物者也,物自違道,道不違物。善若道者,亦不用耳,亦不用目,亦不用力,亦不用心。欲若道而用視聽形智以求之,弗當矣。瞻之在前,忽焉在後;用之彌滿六虛,廢之莫知其所;亦非有心者所能得遠,亦非無心者所能得近。唯默而得之而性成之者得之。知而亡情,能而不為,真知真能也。發無知,何能情?發不能,何能為?聚塊也,積塵也,雖無為而非理也。」

關尹喜が言った。「自らに滯居なく、形物は自ずから顯著となる。動は水の如く、靜は鏡の如く、應は回响の如し。ゆえにその道は物に若く、物は自ら道に違い、道は物に違わない。道に若きに善い者は、耳をも用いず、目をも用いず、力をも用いず、心をも用いない。道に若かんと欲して視聽形智をもって求めれば、當らない。之を瞻れば前に在り、忽として後に在る。之を用いれば彌滿して六虛に充ち、之を廢すれば在所を知らず。亦た心ある者の推遠げる所能にあらず、亦た心無き者の拉近ぐる所能にあらず。ただ默して之を得、性に由りて成る者が之を得る。知りて情なく、能して為さざるは、真知真能なり。無知より發すれば、何ぞまだ情あらんや。不能より發すれば、何ぞまだ為あらんや。聚塊、積塵、たとえ無為なりとも理にあらず」と。

湯問篇

殷湯問於夏革曰:「古初有物乎?」夏革曰:「古初無物,今惡得物?後之人將謂今之無物,可乎?」殷湯曰:「然則物無先後乎?」夏革曰:「物之終始,初無極已。始或為終,終或為始,惡知其紀?然自物之外,自事之先,朕所不知也。」殷湯曰:「然則上下八方有極盡乎?」革曰:「不知也。」湯固問。革曰:「無則無極,有則有盡,朕何以知之?然無極之外復無無極,無盡之中復無無盡。無極復無無極,無盡復無無盡。朕以是知其無極無盡也,而不知其有極有盡也。」湯又問曰:「四海之外奚有?」革曰:「猶齊州也。」湯曰:「汝奚以實之?」革曰:「朕東行至營,人民猶是也。問營之東,復猶營也。西行至豳,人民猶是也。問豳之西,復猶豳也。朕以是知四海、四荒、四極之不異是也。故大小相含,無窮極也。含萬物者,亦如含天地。含萬物也故不窮,含天地也故無極。朕亦焉知天地之表不有大天地者乎?亦吾所不知也。然則天地亦物也。物有不足,故昔者女媧氏練五色石以補其闕,斷鼇之足以立四極。其後共工氏與顓頊爭為帝,怒而觸不周之山,折天柱,絕地維,故天傾西北,日月辰星就焉;地不滿東南,故百川水潦歸焉。」湯又問:「物有巨細乎?有修短乎?有同異乎?」革曰:「渤海之東不知幾億萬裡,有大壑焉,實惟無底之谷,其下無底,名曰歸墟。八紘九野之水,天漢之流,莫不注之,而無增無減焉。其中有五山焉:一曰岱輿,二曰員嶠,三曰方壺,四曰瀛洲,五曰蓬萊。其山高下週旋三萬裡,其頂平處九千里。山之中閒相去七萬裡,以為鄰居焉。其上臺觀皆金玉,其上禽獸皆純縞。珠玕之樹皆叢生,華實皆有滋味,食之皆不老不死。所居之人皆仙聖之種,一日一夕飛相往來者,不可數焉。而五山之根無所連箸,常隨潮波上下往還,不得蹔峙焉。仙聖毒之,訴之於帝。

殷湯が夏革に問うて言った。「古初に物はあったか」と。夏革が言った。「古初に物がなければ、今どうして物を得たか。後の人が今は物がないと言うのは、よいか」と。殷湯が言った。「然らば物に先後はないか」と。夏革が言った。「物の終始は、初めより終極がない。始あるいは終であり、終あるいは始である、どうしてその頭緒を知ろうか。しかるに物の外、事の先よりは、我は知らない」と。殷湯が言った。「然らば上下八方に極盡はあるか」と。革が言った。「知らない」と。湯は堅持して問うた。革が言った。「無なれば極なく、有れば盡あり、我は何をもって知ろうか。しかるに無極の外に更に『無無極』なく、無盡の中に更に『無無盡』なし。無極は更に無無極なく、無盡は更に無無盡なし。我はこれに因りてそれが無極無盡であることを知り、それが有極有盡であることを知らない」と。湯がまた問うた。「四海の外に何があるか」と。革が言った。「中國と同じようだ」と。湯が言った。「あなたは何をもって證實するか」と。革が言った。「我は東行して營に至り、人民はなおこのようであった。營の東を問えば、なお營の如し。西行して豳に至り、人民はなおこのようであった。豳の西を問えば、なお豳の如し。我はこれに因りて四海、四荒、四極は此處と異ならないことを知る。ゆえに大小は相含容し、窮極がない。萬物を含むは、天地を含むが如し。萬物を含むゆえに窮まらず、天地を含むゆえに極なし。我はまたどうして天地の外に更大の天地がないと知ろうか、亦た我が知る所にあらず。然らば天地も亦た物である。物に不足あり、ゆえに昔女媧氏は五色の石を煉りて闕を補い、鰲の足を斬りて四極を立てた。後に共工氏が顓頊と帝を爭い、怒りて不周の山に觸れ、天柱を折り地維を斷った、ゆえに天は西北に傾き、日月辰星は之に就き、地は東南滿たず、ゆえに百川水潦は之に歸す」と。湯がまた問うた。「物に巨細はあるか。長短はあるか。同異はあるか」と。革が言った。「渤海の東は幾億万里か知らず、大壑あり、實に無底の谷、下に底なし、歸墟と名づく。八紘九野の水、天漢の流、注がないことなく、しかも增も減もなし。その中に五山あり。一を岱輿、二を員嶠、三を方壺、四を瀛洲、五を蓬萊という。山の高下は周圍三万里、頂上の平處は九千里。山と山の中間は相距ること七万里、鄰居を為す。その上の臺觀は皆金玉、その上の禽獸は皆純白。珠玕の樹は皆叢生し、花實は皆滋味あり、食えば皆老死せず。住む所の人は皆仙聖の種、一日一夕飛んで往き來る者、數ふべからず。しかるに五山の根は連る所なく、常に潮波に隨って上下往還し、暫時も停峙することができない。仙聖はこれを苦として、帝に訴えた」と。

帝恐流於西極,失群仙聖之居,乃命禺彊使巨鼇十五舉首而戴之。迭為三番,六萬歲一交焉。五山始峙而不動。而龍伯之國有大人,舉足不盈數步而暨五山之所,一釣而連六鼇,合負而趣歸其國,灼其骨以數焉。於是岱輿員嶠二山流於北極,沈於大海,仙聖之播遷者巨億計。帝憑怒,侵減龍伯之國使阨,侵小龍伯之民使短。至伏羲神農時,其國人猶數十丈。從中州以東四十萬裡得僬僥國,人長一尺五寸。東北極有人名曰諍人,長九寸。荊之南有冥靈者,以五百歲為春,五百歲為秋。上古有大椿者,以八千歲為春,八千歲為秋。朽壤之上有菌芝者,生於朝,死於晦。春夏之月有蠓蚋者,因雨而生,見陽而死。終北之北有溟海者,天池也,有魚焉,其廣數千里,其長稱焉,其名為鯤。有鳥焉,其名為鵬,翼若垂天之云,其體稱焉。世豈知有此物哉?大禹行而見之,伯益知而名之,夷堅聞而志之。江浦之間生麼蟲,其名曰焦螟,群飛而集於蚊睫,弗相觸也。棲宿去來,蚊弗覺也。離朱子羽方晝拭眥揚眉而望之,弗見其形;䚦俞師曠方夜擿耳俛首而聽之,弗聞其聲。唯黃帝與容成子居空峒之上,同齋三月,心死形廢,徐以神視,塊然見之,若嵩山之阿;徐以氣聽,砰然聞之,若雷霆之聲。吳楚之國有大木焉,其名為櫾,碧樹而冬生,實丹而味酸。食其皮汁,已憤厥之疾。齊州珍之,渡淮而北而化為枳焉。鸜鵒不踰濟,貉踰汶則死矣,地氣然也。雖然,形氣異也,性鈞已,無相易已。生皆全已,分皆足已,吾何以識其巨細?何以識其修短?何以識其同異哉?」

(夏革が續けて言った:)帝は西極に流れて群仙聖の住處を失うことを怕れ、そこで禺强に命じて十五の巨鰲をして首を舉げて戴かしめた。輪番で三班に分かれ、六萬年に一交替した。五山はやっと峙立して動かなかった。しかるに龍伯の國に大人があり、足を舉げて幾步も滿たずして五山の所在に至り、一釣に六鰲を連起し、合して背負って本國に歸り、それらの骨を燒いて占數した。ここにおいて岱輿、員嶠の二山は北極に流れ、大海中に沈み、仙聖の播遷するは巨億をもって計った。帝は大怒し、龍伯の國を減削して狹隘とし、龍伯の民を縮小して短くした。伏羲、神農の時に至っても、その國人はなお數十丈あった。中州より東四十万里に僬僥國あり、人の長さ一尺五寸。東北極に諍人という人有り、長さ九寸。荊の南に冥靈あり、五百歲をもって春とし、五百歲をもって秋とす。上古に大椿あり、八千歲をもって春とし、八千歲をもって秋とす。朽壤の上に菌芝あり、朝に生まれ、暮に死す。春夏の月に蠓蚋あり、雨に因りて生まれ、陽を見て死す。終北の北に溟海あり、是れ天池、魚あり、寬さ數千里、長さ之に相稱す、鯤と名づく。鳥ありて鵬と名づき、翼は垂天の雲の如く、體は之に相稱す。世人はどうしてこれらの物あるを知らんや。大禹は行きて之を見、伯益は知りて名づけ、夷堅は聞きて之を記した。江浦の間に小蟲生ず、焦螟と名づく、群飛して蚊睫の上に聚まり、彼此相觸れず。栖宿し去來しても、蚊は覺えず。離朱、子羽が正當に白日に眼を擦り眉を揚げて之を望むも、その形を見ず。䚦俞、師曠が正當に夜に耳を掏り頭を俯せて之を聽くも、その聲を聞かず。ただ黃帝と容成子が空峒の上に住し、ともに齋戒三月、心死して形廢し、徐々に神をもって看ると、塊然として之を見る、嵩山の阿の如し。徐々に氣をもって聽くと、砰然として之を聞く、雷霆の聲の如し。吳楚の國に大木あり、柚と名づく、碧樹にして冬もなお生き、實は丹にして味は酸。その皮汁を食えば、憤厥の疾を止むることができる。中國は之を珍視し、淮を渡りて北に越えれば枳に化す。鴝鵒は濟を越えず、貉は汶を越えれば死す、是れ地氣の然らしむるなり。然りといえども、形氣は同じからざれど、性は均平にして、相換ゆる可きものなし。生は皆全く、分は皆足る、我は何をもってその巨細を識別せん。何をもってその長短を識別せん。何をもってその同異を識別せんや」と。

太行、王屋二山,方七百里,高萬仞,本在冀州之南,河陽之北。北山愚公者,年且九十,面山而居,懲山北之塞,出入之迂也,聚室而謀曰:「吾與汝畢力平險,指通豫南,達於漢陰,可乎?」雜然相許。其妻獻疑曰:「以君之力,曾不能損魁父之丘,如太行、王屋何?且焉置土石?」雜曰:「投諸渤海之尾,隱土之北。」遂率子孫荷擔者三夫,叩石墾壤,箕畚運於渤海之尾。鄰人京城氏之孀妻有遺男,始齔,跳往助之。寒暑易節,始一反焉。河曲智叟笑而止之,曰:「甚矣,汝之不惠!以殘年餘力,曾不能毀山之一毛,其如土石何?」北山愚公長息曰:「汝心之固,固不可徹,曾不若孀妻弱子。雖我之死,有子存焉;子又生孫,孫又生子;子又有子,子又有孫,子子孫孫無窮匱也,而山不加增,何苦而不平?」河曲智叟亡以應。操蛇之神聞之,懼其不已也,告之於帝。帝感其誠,命誇蛾氏二子負二山,一厝朔東,一厝雍南。自此,冀之南,漢之陰,無隴斷焉。

太行、王屋の二山は、方圓七百里、高さ萬仞、本より冀州の南、河陽の北にあった。北山の愚公は年將に九十に近く、山に面して住み、山北の阻塞、出入の迂迴を苦しみ、全家を聚めて商量して言った。「我とあなたたちは力を盡くして險阻を平げ、豫南に直通し、漢陰に達するは、可なりや」と。衆人は紛紛として應じた。彼の妻は疑問を提出して言った。「あなたの力をもってすれば、魁父の如き小丘すら損うことができず、太行、王屋をどうすることができよう。しかも土石をどこに置くか」と。衆人が言った。「渤海の邊上、隱土の北に投げよう」と。そこで子孫で擔を挑く能くする者三人を率い、石を敲き土を墾り、箕畚をもって渤海の邊上に運んだ。鄰人の京城氏の寡婦に遺腹子あり、纔に牙を換える年で、跳んで往きて助けた。寒暑は季を換え、やっと一往一返した。河曲の智叟は笑って彼を止めて言った。「あなたは不聰明なこと甚だしい! 殘餘の年歲力氣をもって、山の一毛すら毀ることができず、土石をどうすることができよう」と。北山の愚公は長歎して言った。「あなたの心は頑固で、頑固して貫通すべからず、寡婦弱子にも及ばない。たとえ我が死すとも、兒子あり。兒子はまた孫を生じ、孫はまた子を生ず。子はまた子あり、子はまた孫あり、子子孫孫窮盡なし、しかして山は增加せず、何を愁うて平げられざるや」と。河曲の智叟は應ずる言なし。蛇を操る神が之を聞き、彼の止まざるを怕れ、帝に報告した。帝は彼の誠に感動し、夸蛾氏の二子に命じて二山を背負わせ去らせ、一座を朔東に厝き、一座を雍南に厝いた。此の後、冀の南、漢の陰に山岡の阻斷なし。

夸父不量力,欲追日影,逐之於隅谷之際,渴欲得飲,赴飲河渭。河渭不足,將走北飲大澤。未至,道渴而死。棄其杖,屍膏肉所浸,生鄧林,鄧林彌廣數千里焉。

夸父は力を量らず、日影を追わんと欲し、隅谷の際に追い至って、渴きて飲まんと欲し、走りて河渭に飲んだ。河渭足らず、將に北の大澤に飲まんとす。至らずして、路上に渴死した。拐杖を扔棄し、屍の膏肉の浸す所、鄧林を生じ、鄧林は寬廣數千里。

大禹曰:「六合之間,四海之內,照之以日月,經之以星辰,紀之以四時,要之以太歲。神靈所生,其物異形,或夭或壽,唯聖人能通其道。」夏革曰:「然則亦有不待神靈而生,不待陰陽而形,不待日月而明,不待殺戮而夭,不待將迎而壽,不待五穀而食,不待繒纊而衣,不待舟車而行,其道自然,非聖人之所通也。」

大禹が言った。「六合の間、四海の內、日月をもって照らし、星辰をもって經り、四時をもって紀り、太歲をもって要約す。神靈の生ずる所、物の形同じからず、或は夭或は壽、ただ聖人のみその道に通ず」と。夏革が言った。「然らば亦有り、神靈を待たずして生じ、陰陽を待たずして形有り、日月を待たずして明に、殺戮を待たずして夭に、將迎を待たずして壽に、五穀を待たずして食い、繒纊を待たずして衣、舟車を待たずして行く、その道は自然、聖人の通ずる所能にあらず」と。

禹之治水土也,迷而失塗,謬之一國。濱北海之北,不知距齊州幾千萬裡。其國名曰終北,不知際畔之所齊限,無風雨霜露,不生鳥獸、蟲魚、草木之類。四方悉平,周以喬陟。當國之中有山,山名壺領,狀若甔甀。頂有口,狀若員環,名曰滋穴。有水湧出,名曰神瀵,臭過蘭椒,味過醪醴。一源分為四埒,注於山下。經營一國,亡不悉徧。土氣和,亡札厲。人性婉而從物,不競不爭;柔心而弱骨,不驕不忌;長幼儕居,不君不臣;男女雜遊,不媒不聘;緣水而居,不耕不稼;土氣溫適,不織不衣;百年而死,不夭不病。其民孳阜亡數,有喜樂,亡衰老哀苦。其俗好聲,相攜而迭謠,終日不輟音。飢惓則飲神瀵,力志和平。過則醉,經旬乃醒。沐浴神瀵,膚色脂澤,香氣經旬乃歇。周穆王北遊過其國,三年忘歸。既反周室,慕其國,𢠵然自失,不進酒肉,不召嬪御者,數月乃復。管仲勉齊桓公因遊遼口,俱之其國,幾尅舉。隰朋諫曰:「君舍齊國之廣,人民之眾,山川之觀,殖物之阜,禮義之盛,章服之美,妖靡盈庭,忠良滿朝。肆吒則徒卒百萬,視撝則諸侯從命,亦奚羨於彼而棄齊國之社稷,從戎夷之國乎?此仲父之耄,柰何從之?」桓公乃止,以隰朋之言告管仲。仲曰:「此固非朋之所及也。臣恐彼國之不可知之也。齊國之富奚戀?隰朋之言奚顧?」

禹が水土を治理して、路に迷い、誤って一國に入った。北海の北の濱にあり、中國より幾千万里か知らず。その國の名を終北と言い、邊際齊限の所在を知らず、風雨霜露なく、鳥獸、蟲魚、草木の類を生ぜず。四方は皆平らかで、周圍は高峻の山。國の中央に山あり、山の名を壺領といい、形狀は瓦甕の如し。頂上に口あり、形狀は圓環の如く、滋穴と名づく。水涌き出づるあり、神瀵と名づき、氣味は蘭椒に超え、味道は醪醴に超ゆ。一源は四道に分かれ、山下に注ぐ。一國を經營し、遍及せざるなし。土氣和らかで札厲なし。人性は婉順にして物に從い、競わず爭わず。柔心にして弱骨、驕らず忌まず。長幼同輩にして居り、君せず臣せず。男女は雜游し、媒せず聘せず。水に沿うて住み、耕さず稼がず。土氣は溫適、織らず衣せず。百年にして死し、夭せず病まず。民は孳生繁盛にして計數すべからず、喜樂あり、衰老哀苦なし。風俗は聲を好み、相携え手を取りて輪番に謡を唱い、終日歌聲停まらず。飢倦すれば則ち神瀵を飲み、力志は和平。過量すれば則ち醉い、十日を過ぎてやっと醒む。神瀵をもって沐浴すれば、膚色は脂澤し、香氣は十日を過ぎてやっと歇す。周穆王が北游してその國を經て、三年歸るを忘れた。周室に歸った後、その國を思慕し、悵然として自失し、酒肉を進めず、嬪御を召さず、數月にしてやっと回復した。管仲は齊桓公を勸めて遼口に游び、ともにその國に往かんとし、ほとんど成行せんとした。隰朋が勸諫して言った。「君は齊國の廣大、人民の衆多、山川の景觀、物産の豐阜、禮義の盛、章服の美を舍て、妖靡は庭に充滿し、忠良は朝に滿つ。一聲呵叱すれば則ち徒卒百萬、一眼指揮すれば則ち諸侯從命す、また何をあちらに羨んで齊國の社稷を抛棄し、戎夷の國に從わんとするや。是れ仲父の老糊涂なり、どうして從わん」と。桓公はそこで停止し、隰朋の言を管仲に告げた。仲が言った。「是れ本より朋の及ぶ所能にあらず。臣はその國が知曉の所能ならざるを怕る。齊國の富は何ぞ戀るに足らん。隰朋の言は何ぞ顧るに足らん」と。

南國之人祝髮而裸,北國之人鞨巾而裘,中國之人冠冕而裳。九土所資,或農或商,或田或漁,如冬裘夏葛,水舟陸車。默而得之,性而成之。越之東有輒沐之國,其長子生,則鮮而食之,謂之宜弟。其大父死,負其大母而棄之,曰:「鬼妻不可以同居處。」楚之南有炎人之國,其親戚死,㱙其肉而棄之,然後埋其骨,迺成為孝子。秦之西有儀渠之國者,其親戚死,聚祡積而焚之。燻則煙上,謂之登遐,然後成為孝子。此上以為政,下以為俗,而未足為異也。

南國の人は髮を剃りて裸、北國の人は巾を包みて裘、中國の人は冠冕して裳。九州の土地の資する所、或は農或は商、或は田或は漁、冬裘夏葛、水舟陸車の如し。默して之を得、性して之を成す。越の東に輒沐の國あり、長子生まれれば、則ち殺して食う、宜弟と言う。祖父死すれば、祖母を背負いて扔掉す、曰く「鬼妻は同居處すべからず」と。楚の南に炎人の國あり、親戚死すれば、肉を剔って扔掉し、然る後骨を埋む、やっと孝子と爲る。秦の西に儀渠の國あり、親戚死すれば、柴を堆みて焚燒す。煙は上りて熏る、登遐と言い、然る後孝子と爲る。上はこれをもって政と爲し、下はこれをもって俗と爲す、しかるに以て怪異と爲すに足らず。

孔子東遊,見兩小兒辯鬬,問其故。一兒曰:「我以日始出時去人近,而日中時遠也。」一兒以日初出遠,而日中時近也。一兒曰:「日初出大如車蓋,及日中則如盤盂,此不為遠者小而近者大乎?」一兒曰:「日初出滄滄涼涼,及其日中如探湯,此不為近者熱而遠者涼乎?」孔子不能決也。兩小兒笑曰:「孰為汝多知乎?」

孔子が東游して、兩小兒が爭辯するを見、故を問うた。一小兒が言った。「我は日の剛出する時は人に近く、日中の時は遠いと思う」と。一小兒は日の剛出は遠く、日中は近いと思った。一小兒が言った。「日の剛出は大いなること車蓋の如く、日中に至れば盤盂の如し、これは遠きは小、近きは大ではないか」と。一小兒が言った。「日の剛出は滄滄涼涼、日中に至れば手を伸ばして湯を探るが如し、これは近きは熱、遠きは涼ではないか」と。孔子は決斷することができなかった。兩小兒は笑って言った。「誰があなたを多知と言うのか」と。

均,天下之至理也,連於形物亦然。均髮均縣,輕重而髮絕,髮不均也。均也,其絕也莫絕。人以為不然,自有知其然者也。詹何以獨繭絲為綸,芒針為鉤,荊篠為竿,剖粒為餌,引盈車之魚於百仞之淵、汩流之中,綸不絕,鉤不伸,竿不橈。楚王聞而異之,召問其故。詹何曰:「臣聞先大夫之言,蒲且子之弋也,弱弓纖繳,乘風振之,連雙鶬於青雲之際。用心專,動手均也。臣因其事,放而學釣,五年始盡其道。當臣之臨河持竿,心無雜慮,唯魚之念;投綸沈鉤,手無輕重,物莫能亂。魚見臣之鉤餌,猶沈埃聚沫,吞之不疑。所以能以弱制彊,以輕致重也。大王治國誠能若此,則天下可運於一握,將亦奚事哉?」楚王曰:「善。」

均は、天下の至理、有形之物に連るもまた然り。頭髮均なれば懸くることができ、輕重均ならざれば頭髮斷ゆ、是れ髮均ならざるなり。均なれば、斷ゆべきも斷えず。人は以て然らずとす、自然に之を然りと知る者有り。詹何は一繭の絲をもって釣綸と爲し、芒鍼をもって鈎と爲し、荊竹をもって竿と爲し、米粒を剖きて餌と爲し、百仞の深淵、急流の中に能く一車に滿つる魚を引出し、綸は斷えず、鈎は伸びず、竿は彎まず。楚王は聞きて奇異と思い、召して故を問うた。詹何が言った。「臣は先大夫の言を聞く、蒲且子が鳥を射るに、弱弓細繳、風に乘りて振り起こし、靑雲の際に雙鶬を連中す。心を用いて專らにし、手を動かして均し。臣はこの事に因り、做效して釣を學び、五年にしてやっとその道を盡くした。臣が河に臨み竿を持つ時、心に雜慮なく、ただ魚を念ず。綸を投げ鈎を沈むれば、手上に輕重なく、物は乱ること能わず。魚は臣の鈎餌を見るに、沈埃聚沫の如く、吞みて疑わず。ゆえに弱をもって強を制し、輕をもって重を致すこと能くす。大王が國を治めて真能くこの如くなれば、天下は一握に運す可し、將に何事を爲さんや」と。楚王が言った。「善し」と。

魯公扈、趙齊嬰二人有疾,同請扁鵲求治。扁鵲治之。既同愈,謂公扈、齊嬰曰:「汝曩之所疾,自外而幹府藏者,固藥石之所已。今有偕生之疾,與體偕長,今為汝攻之,何如?」二人曰:「願先聞其驗。」扁鵲謂公扈曰:「汝志彊而氣弱,故足於謀而寡於斷。齊嬰志弱而氣彊,故少於慮而傷於專。若換汝之心,則均於善矣。」扁鵲遂飲二人毒酒,迷死三日,剖胷探心,易而置之;投以神藥,既悟如初。二人辭歸。於是公扈反齊嬰之室,而有其妻子,妻子弗識。齊嬰亦反公扈之室,有其妻子,妻子亦弗識。二室因相與訟,求辨於扁鵲。扁鵲辨其所由,訟乃已。

魯公扈、趙齊嬰の二人に病あり、ともに扁鵲に治を求めた。扁鵲は之を治した。已にともに愈え、公扈、齊嬰に言った。「あなたたちの從前の病は、外より府藏を干犯する、本より藥石の止むる所能なり。今生まれた時より有る病あり、體とともに長ず、今あなたたちに攻治せん、如何」と。二人が言った。「願わくば先ず驗狀を聞かん」と。扁鵲が公扈に言った。「あなたは志强くして氣弱し、ゆえに謀劃は足れど決斷を缺く。齊嬰は志弱くして氣強し、ゆえに思慮少なくして專に傷る。若しあなたたちの心を換えれば、皆善に趨かん」と。扁鵲はそこで二人に毒酒を飲ませ、迷死すること三日、胸を剖き心を取り、互換して放置し、神藥を投じ、醒むれば當初の如し。二人は告辭して歸った。ここにおいて公扈は齊嬰の家に返り、その妻子を據有し、妻子は識らず。齊嬰もまた公扈の家に返り、その妻子を據有し、妻子もまた識らず。兩家はそこで相爭訟し、扁鵲に辨別を求めた。扁鵲は緣故を辨別し、爭訟はやっと停まった。

匏巴鼓琴而鳥舞魚躍,鄭師文聞之,棄家從師襄遊。柱指鈞弦,三年不成章。師襄曰:「子可以歸矣。」師文舍其琴,歎曰:「文非弦之不能鈞,非章之不能成。文所存者不在弦,所志者不在聲。內不得於心,外不應於器,故不敢發手而動弦。且小假之,以觀其後。」無幾何,復見師襄。師襄曰:「子之琴何如?」師文曰:「得之矣。請嘗試之。」於是當春而叩商弦以召南呂,涼風忽至,草木成實。及秋而叩角弦以激夾鍾,溫風徐迴,草木發榮。當夏而叩羽弦以召黃鐘,霜雪交下,川池暴沍。及冬而叩徵弦以激蕤賓,陽光熾烈,堅冰立散。將終,命宮而總四弦,則景風翔,慶雲浮,甘露降,澧泉湧。師襄乃撫心高蹈曰:「微矣,子之彈也!雖師曠之清角,鄒衍之吹律,亡以加之。彼將挾琴執管而從子之後耳。」

匏巴が琴を鼓すれば鳥舞い魚躍る、鄭國の師文は之を聞き、家を棄てて師襄に從って游學した。指を按じ弦を調べること三年、章を成さず。師襄が言った。「あなたは歸るべきだ」と。師文は琴を放下して歎息して言った。「文は弦を調べられないのではなく、章を成せられないのではない。文の存する所は弦に在らず、志する所は聲に在らず。內は心に得ず、外は器に應ぜず、ゆえに手を放ち弦を動かすを敢えてせず。姑且少しく寬限せよ、以後を看ん」と。ほどなくして、再び師襄に見えた。師襄が言った。「あなたの琴は如何」と。師文が言った。「得た。請う嘗試せん」と。そこで春に當たり商弦を叩きて南呂を召すと、涼風忽として至り、草木成實す。秋に至りて角弦を叩きて夾鐘を激すれば、溫風慢慢と回り、草木發榮す。夏に當たりて羽弦を叩きて黃鐘を召すれば、霜雪交下し、川池驟然に冰凍す。冬に至りて徵弦を叩きて蕤賓を激すれば、陽光熾烈、堅冰立刻に散ず。將終に宮を命じて四弦を總すれば、ここにおいて景風翔り、慶雲浮び、甘露降り、醴泉湧く。師襄はそこで心を撫し高蹈して言った。「精微なるかな、あなたの彈奏! たとえ師曠の清角、鄒衍の吹律といえども、加うること能わざらん。彼らは將に琴を挾み管を執りてあなたの後に從わん」と。

薛譚學謳於秦青,未窮青之技,自謂盡之,遂辭歸。秦青弗止,餞於郊衢,撫節悲歌,聲振林木,響遏行雲。薛譚乃謝求反,終身不敢言歸。秦青顧謂其友曰:「昔韓娥東之齊,匱糧,過雍門,鬻歌假食。既去而餘音繞梁欐,三日不絕,左右以其人弗去。過逆旅,逆旅人辱之。韓娥因曼聲哀哭,一里老幼悲愁,垂涕相對,三日不食,遽而追之。娥還,復為曼聲長歌。一里老幼喜躍抃舞,弗能自禁,忘向之悲也,乃厚賂發之。故雍門之人至今善歌哭,放娥之遺聲。」

薛譚は秦青に歌を學び、未だ青の技を窮めずして、自ら以て盡くしたと爲し、そこで告辭して歸らんとした。秦青は止めず、郊衢に餞行し、節拍を打ちて悲歌し、聲は林木を振い、回响は行雲を遏めた。薛譚はそこで謝罪して返回を求め、終身敢えて歸ると言わず。秦青は振り返って朋友に言った。「昔韓娥が東の齊に往き、糧食乏しく、雍門を經て、歌を賣りて食に換えた。去った後余音は梁を繞り、三日斷えず、左右は以て人未だ去らずと爲した。旅舍を經て、旅舍の人は彼女を侮辱した。韓娥はそこで曼聲哀哭し、一里の老幼は悲愁し、相對して流淚し、三日食わず、急ぎ彼女を追った。娥は歸り、再び曼聲長歌した。一里の老幼は喜躍し拍手して舞い、自禁すること能わず、先前の悲を忘れ、そこで厚く贈って彼女を去らせた。ゆえに雍門の人は今に至るまで歌哭に善し、娥の遺した聲を做效す」と。

伯牙善鼓琴,鍾子期善聽。伯牙鼓琴,志在登高山,鍾子期曰:「善哉!峩峩兮若泰山!」志在流水,鍾子期曰:「善哉!洋洋兮若江河!」伯牙所念,鍾子期必得之。伯牙遊於泰山之陰,卒逢暴雨,止於巖下,心悲,乃援琴而鼓之,初為霖雨之操,更造崩山之音。曲每奏,鍾子期輒窮其趣。伯牙乃舍琴而嘆曰:「善哉,善哉,子之聽夫!志想像猶吾心也。吾於何逃聲哉?」

伯牙は鼓琴に善く、鍾子期は聽に善し。伯牙が琴を鼓して、志は高山に登るに在れば、鍾子期が言った。「善いかな! 巍峨として泰山の如し」と。志は流水に在れば、鍾子期が言った。「善いかな! 洋洋として江河の如し」と。伯牙の念ずる所、鍾子期は必ず之を得た。伯牙は泰山の陰に游び、突然暴雨に遭い、岩下に停まり、心に悲あり、そこで琴を援ねて鼓し起こし、初め霖雨の操を作り、再び崩山の音を造った。每に一曲を奏すれば、鍾子期は總じてその趣を窮めた。伯牙はそこで琴を放下して歎息して言った。「善いかな、善いかな、あなたの聽! 志の想象は我が心の如し。我は何處に聲を逃れんや」と。

周穆王西巡狩,越崑崙,不至弇山。反還,未及中國,道有獻工人名偃師,穆王薦之,問曰:「若有何能?」偃師曰:「臣唯命所試。然臣已有所造,願王先觀之。」穆王曰:「日以俱來,吾與若俱觀之。」越日偃師謁見王。王薦之,曰:「若與偕來者何人邪?」對曰:「臣之所造能倡者。」穆王驚視之,趣步俯仰,信人也。巧夫顉其頤,則歌合律;捧其手,則舞應節。千變萬化,惟意所適。王以為實人也,與盛姬內御並觀之。技將終,倡者瞬其目而招王之左右侍妾。王大怒,立欲誅偃師。偃師大懾,立剖散倡者以示王,皆傅會革、木、膠、漆、白、黑、丹、青之所為。王諦料之,內則肝、膽、心、肺、脾、腎、腸、胃,外則筋骨、支節、皮毛、齒髮,皆假物也,而無不畢具者,合會復如初見。王試廢其心,則口不能言;廢其肝,則目不能視;廢其腎,則足不能步。穆王始悅而歎曰:「人之巧乃可與造化者同功乎?」詔貳車載之以歸。夫班輸之雲梯,墨翟之飛鳶,自謂能之極也。弟子東門賈禽滑釐聞偃師之巧以告二子,二子終身不敢語藝,而時執規矩。

周穆王が西に巡狩し、昆侖を越え、弇山に至らず。返回し、未だ中國に至らず、路上に獻技の工人ありて偃師と名づく、穆王は彼を召見し、問うた。「あなたに何の能あるか」と。偃師が言った。「臣はただ命を聽き試驗するのみ。しかるに臣は已に造る所有り、願わくば王先ず之を看ん」と。穆王が言った。「改日にともに持ち來れ、我とあなたとともに看ん」と。一日を過ぎて偃師は王に謁見した。王は召見して言った。「あなたとともに來るは何人ぞ」と。答えて曰く。「是れ臣の造れる能く倡優する者」と。穆王は驚きて視るに、趨步俯仰、真に人に似たり。巧なるかな、その下巴を掀れば則ち歌唱して律に合し、その手を捧ぐれば則ち舞蹈して節に應ず。千變萬化、ただ意の適う所に隨うのみ。王は以て真人と爲し、盛姬內御とともに觀た。技將に終らんとして、倡者は眼を眨して王の左右の侍妾を招いた。王は大怒し、立刻に偃師を誅さんと欲した。偃師は大懼し、立刻に倡者を剖散して王に見せた、皆革、木、膠、漆、白、黑、丹、靑の拼合して成る所なり。王は仔細に檢點すれば、內に肝、膽、心、肺、脾、腎、腸、胃、外に筋骨、支節、皮毛、齒髮、皆假物なれど、具備せざるなし、合せればまた初見の如し。王は試みにその心を廢せば、口は能く言わず。肝を廢せば、目は能く視ず。腎を廢せば、足は能く步まず。穆王は乃ち悅びて歎息して言った。「人の巧は竟に造化者と功を同じくすること能わんや」と。詔して副車に載せて歸らしめた。あの公輸班の雲梯、墨翟の飛鳶、自ら以て能く極に至ると爲した。弟子の東門賈、禽滑釐は偃師の巧を聞きて二人に告げ、二人は終身敢えて藝を談ぜず、而も時時規矩を把執した。

甘蠅,古之善射者,彀弓而獸伏鳥下,弟子名飛衛,學射於甘蠅,而巧過其師。紀昌者,又學射於飛衛。飛衛曰:「爾先學不瞬,而後可言射矣。」紀昌歸,偃臥其妻之機下,以目承牽挺。二年之後,雖錐末倒眥,而不瞬也。以告飛衛,飛衛曰:「未也,必學視而後可。視小如大,視微如著,而後告我。」昌以氂懸蝨於牖,南面而望之。旬日之間,浸大也;三年之後,如車輪焉。以覩餘物,皆丘山也。乃以燕角之弧、朔蓬之簳射之,貫蝨之心,而懸不絕。以告飛衛,飛衛高蹈拊膺曰:「汝得之矣!」紀昌既盡衛之術,計天下之敵己者,一人而已,乃謀殺飛衛。相遇於野,二人交射,中路矢鋒相觸,而墜於地,而塵不揚。飛衛之矢先窮,紀昌遺一矢。既發,飛衛以棘刺之端扞之,而無差焉。於是二子泣而投弓,相拜於塗,請為父子;尅臂以誓,不得告術於人。

甘蠅は、古代の善射の人で、弓を拉滿すれば獸伏し鳥下る。弟子に飛衛と名づく者あり、甘蠅に射を學び、巧は師に超えた。紀昌がまた飛衛に射を學んだ。飛衛が言った。「あなたは先ず眨まないことを學べ、然る後射を談ずるに足る」と。紀昌は歸り、仰臥して妻の織機の下に在り、眼をもって踏板に對した。二年の後、たとえ錐尖が眼眶に刺さるとも、眨まず。飛衛に告げた、飛衛が言った。「未だだ、必ず視を學びて然る後可なり。小を視ること大の如く、微を視ること著の如くし、然る後我に告げよ」と。昌は牦牛の毛をもって虱を窗の上に懸け、南に向かって之を望んだ。十日の間、漸々大きくなった。三年の後、車輪の如し。再び其の餘の物を看れば、皆丘山の如し。そこで燕角の弓、北方蓬杆の箭をもって之を射れば、虱心を貫穿し、然而して懸線斷えず。飛衛に告げた、飛衛は高蹈して胸を拍ちて言った。「あなたは得た」と。紀昌は已に衛の術を盡くし、天下に己に敵する能くする者を計るに、唯一人のみ、そこで飛衛を殺さんと謀った。野地に相遇い、二人は交射し、半路に箭鋒相觸れ、地に落ちて、塵土揚がらず。飛衛の箭は先に盡き、紀昌はなお一箭殘れり。發出の後、飛衛は棘刺の尖端をもって擋き、差錯なし。ここにおいて二人は哭泣し弓を扔棄し、路上に相拜し、請うて父子と爲らんとし、臂を刻みて誓い、術を他人に告ぐることを得ずとした。

造父之師曰泰豆氏。造父之始從習御也,執禮甚卑,泰豆三年不告。造父執禮愈謹,乃告之曰:「古詩言:『良弓之子,必先為箕;良冶之子,必先為裘。』汝先觀吾趣。趣如吾,然後六轡可持,六馬可御。」造父曰:「唯命所從。」泰豆乃立木為塗,僅可容足;計步而置,履之而行。趣走往還,無跌失也。造父學之,三日盡其巧。泰豆歎曰:「子何其敏也?得之捷乎!凡所御者,亦如此也。曩汝之行,得之於足,應之於心。推於御也,齊輯乎轡銜之際,而急緩乎唇吻之和,正度乎胷臆之中,而執節乎掌握之間。內得於中心,而外合於馬志,是故能進退履繩而旋曲中規矩,取道致遠而氣力有餘,誠得其術也。得之於銜,應之於轡;得之於轡,應之於手;得之於手,應之於心,則不以目視,不以策驅;心閑體正,六轡不亂,而二十四蹄所投無差,迴旋進退,莫不中節,然後輿輪之外可使無餘轍,馬蹄之外可使無餘地,未嘗覺山谷之嶮,原隰之夷,視之一也。吾術窮矣,汝其識之!」

造父の師を泰豆氏と言う。造父が始めて從い御を學ぶに、禮を執ること甚だ卑しく、泰豆は三年告げず。造父は禮を執ること益々謹み、やっと彼に告げて言った。「古詩に曰く、『良弓の子は、必ず先ず箕を爲す。良冶の子は、必ず先ず裘を爲す』と。あなたは先ず我が走るを看よ。我が如く走ること得れば、然る後六轡は持つ可く、六馬は御する可し」と。造父が言った。「命に唯諾して從わん」と。泰豆はそこで木を立てて路と爲し、僅かに足を容れるのみ。步を按じて放置し、踏んで走る。快走して往還し、跌失なし。造父はこれを學び、三日にしてその巧を盡くした。泰豆は歎息して言った。「あなたは何と敏なるか。得ること何と速きか。およそ駕御する所も、亦たこの如し。さきほどあなたが走るは、之を足に得て、之を心に應ず。之を御に推せば、齊整は轡銜の際に在り、急緩は唇吻の和に在り、正度は胸臆の中に在り、執節は掌握の間に在り。內は中心に得、外は馬志に合す、ゆえに能く進退は準繩を踏み、旋曲は規矩に合し、道を取り遠きに致すも氣力餘裕あり、真に術を得たり。之を銜に得て、之を轡に應ず。之を轡に得て、之を手に應ず。之を手に得て、之を心に應ずれば、則ち眼睛を用いて看ず、鞭を用いて驅らず。心閑にして體正しく、六轡乱れず、二十四蹄の投ずる所に差錯なく、回旋進退、中節せざるなし、然る後車輪の外は餘轍なきを使わしめ、馬蹄の外は餘地なきを使わしむる可し、未だ嘗て山谷の險、原隰の平を覺えず、之を看れば一様なり。我が術盡きたり、あなたはこれを記憶せよ」と。

魏黑卵以暱嫌殺丘邴章,丘邴章之子來丹謀報父之讐。丹氣甚猛,形甚露,計粒而食,順風而趨。雖怒,不能稱兵以報之。恥假力於人,誓手劍以屠黑卵。黑卵悍志絕眾,力抗百夫;節骨皮肉,非人類也,延頸承刀,披胸受矢,鋩鍔摧屈,而體無痕撻。負其材力,視來丹猶雛鷇也。來丹之友申他曰:「子怨黑卵至矣,黑卵之易子過矣,將奚謀焉?」來丹垂涕曰:「願子為我謀。」申他曰:「吾聞衛孔周其祖得殷帝之寶劍,一童子服之,卻三軍之眾,奚不請焉?」來丹遂適衛,見孔周,執僕御之禮,請先納妻子,後言所欲。孔周曰:「吾有三劍,唯子所擇;皆不能殺人,且先言其狀。一曰含光,視之不可見,運之不知有。其所觸也,泯然無際,經物而物不覺。二曰承影,將旦昧爽之交,日夕昏明之際,北面而察之,淡淡焉若有物存,莫識其狀。其所觸也,竊竊然有聲,經物而物不疾也。三曰宵練,方晝則見影而不見光,方夜見光而不見形。其觸物也,騞然而過,隨過隨合,覺疾而不血刃焉。此三寶者,傳之十三世矣,而無施於事。匣而藏之,未嘗啟封。」來丹曰:「雖然,吾必請其下者。」孔周乃歸其妻子,與齋七日。晏陰之間,跪而授其下劍,來丹再拜受之以歸。來丹遂執劍從黑卵。時黑卵之醉偃於牖下,自頸至腰三斬之,黑卵不覺。來丹以黑卵之死,趣而退。遇黑卵之子於門,擊之三下,如投虛。黑卵之子方笑曰:「汝何蚩而三招予?」來丹知劍之不能殺人也,歎而歸。黑卵既醒,怒其妻曰:「醉而露我,使我嗌疾而腰急。」其子曰:「疇昔來丹之來,遇我於門,三招我,亦使我體疾而支彊。彼其厭我哉!」

魏の黑卵は私嫌に因りて丘邴章を殺し、丘邴章の子の來丹は父の仇を報ぜんと謀った。丹は氣甚だ猛く、形甚だ羸弱、米粒を數えて食い、風に順ってやっと快走する能くす。たとえ怒るとも、兵を舉げて報復する能わず。他人の力を借るを恥じ、親手で劍をもって黑卵を屠らんと誓った。黑卵は悍志衆人を超出し、力は百夫に抗す。節骨皮肉は人類に似ず、頸を伸べて刀を受け、胸を敞きて箭を受く、鋒刃摧屈しても、體上に痕撻なし。材力に仗り、丹を看るに雛鳥の如し。來丹の朋友の申他が言った。「あなたは黑卵を怨むこと極點に至り、黑卵もあなたを輕視すること過分なり、將に如何に謀らん」と。來丹は流淚して言った。「願わくばあなた我に謀を與えよ」と。申他が言った。「我は聞く、衛國の孔周の祖先は殷帝の寶劍を得、一童子之を佩び、三軍の衆を退却する能くす、何ぞ往きて請わざる」と。來丹はそこで衛に至り、孔周に見え、僕御の禮を執り、先ず妻子を納れんことを請い、再び欲する所を言った。孔周が言った。「我に三劍あり、ただあなたに選ばしむ。皆人を殺す能わず、姑且先ず形狀を言わん。一を含光と言い、看れば見えず、運せば有るを知らず。觸る所泯然として際なし、物を經て物覺えず。二を承影と言い、將に天亮昧爽の交、日夕昏明の際、北に向かい察すれば、淡淡として物の在るが如く、形狀を識らず。觸る所竊竊として聲あり、物を經て物疼せず。三を宵練と言い、晝は影を見て光を見ず、夜は光を見て形を見ず。物に觸れば𬴃然として過ぎ、過ぎに隨い合し、疼きを覺えど血刃せず。此の三寶は十三世を傳え、然るに事に用いることなし。匣に藏り、未だ嘗て開封せず」と。來丹が言った。「然りといえども、我は必ず最下の那把を請わん」と。孔周はそこでその妻子を歸還し、ともに齋戒七日。陰晴の間、跪きて下劍を彼に授け、來丹は再拜して受けて歸った。來丹はそこで劍を執りて黑卵に跟從した。當時黑卵は醉って窗下に臥し、頸より腰に至るまで三下斬った、黑卵は覺えず。來丹は以て黑卵死せりと爲し、趕緊に退走した。門口に黑卵の子に遇い、三下擊つ、虚空に投ずるが如し。黑卵の子は正に笑って言った。「あなたは何を傻傻として我に三招するか」と。來丹は劍が人を殺す能わざるを知り、歎息して歸った。黑卵は醒めて、妻子を怒って言った。「醉いて我を露せしめ、我に咽喉疼き、腰緊ならしむ」と。子が言った。「日前に來丹が來り、門口に我に遇い、我に三下招き、亦た我に體疼肢僵せしむ。彼は大概我らを厭勝せんとするなり」と。

周穆王大征西戎,西戎獻錕鋙之劍,火浣之布。其劍長尺有咫,練鋼赤刃,用之切玉如切泥焉。火浣之布,浣之必投於火,布則火色,垢則布色;出火而振之,皓然疑乎雪。皇子以為無此物,傳之者妄。蕭叔曰:「皇子果於自信,果於誣理哉!」

周穆王が大いに西戎を征し、西戎は錕鋙の劍、火浣の布を獻じた。その劍は長さ一尺八寸、煉鋼赤刃、之をもって玉を切れば泥を切るが如し。火浣の布は、洗えば必ず火に投げ込まねばならず、布は則ち火色と爲り、垢は則ち布色と爲る。火を出でて一抖すれば、皓然として雪の如し。皇子は以て此の物なしと爲し、傳う者は妄なり。蕭叔が言った。「皇子は自信に果し、理を誣るに果するかな」と。

力命篇

力謂命曰:「若之功奚若我哉?」命曰:「汝奚功於物而欲比朕?」力曰:「壽夭、窮達,貴賤、貧富,我力之所能也。」命曰:「彭祖之智不出堯舜之上,而壽八百;顏淵之才不出眾人之下,而壽十八。仲尼之德不出諸侯之下,而困於陳蔡;殷紂之行不出三仁之上,而居君位。季札無爵於吳,田恆專有齊國。夷齊餓於首陽,季氏富於展禽。若是汝力之所能,柰何壽彼而夭此,窮聖而達逆,賤賢而貴愚,貧善而富惡邪?」力曰:「若如若言,我固無功於物,而物若此邪,此則若之所制邪?」命曰:「既謂之命,柰何有制之者邪?朕直而推之,曲而任之。自壽自夭,自窮自達,自貴自賤,自富自貧,朕豈能識之哉?朕豈能識之哉?」

力が命に言った。「あなたの功は我に比べて如何」と。命が言った。「あなたは物に何の功あって我と比べんと欲するか」と。力が言った。「壽夭、窮達、貴賤、貧富は、我が力の能くする所なり」と。命が言った。「彭祖の智は堯舜の上に超えず、然るに壽八百。顏淵の才は衆人の下に低からず、然るに壽十八。仲尼の德は諸侯の下に低からず、然るに陳蔡に困す。殷紂の行は三仁の上に超えず、然るに君位に居る。季札は吳に爵なく、田恒は齊國を專有す。伯夷叔齊は首陽に餓え、季氏は展禽より富む。若し是れあなたの力の能くする所ならば、何を以てかのを壽せしめ此を夭せしめ、聖を窮せしめ逆を達せしめ、賢を賤せしめ愚を貴せしめ、善を貧せしめ惡を富ましむるや」と。力が言った。「若しあなたの言うが如くならば、我は本より物に功なく、然るに物この如し、是れ即ちあなたの制する所か」と。命が言った。「既に命と曰う、何ぞ之を制する者有らん。我は直き者は推し、曲る者は任す。自ら壽し自ら夭し、自ら窮し自ら達し、自ら貴し自ら賤し、自ら富み自ら貧す、我は何ぞ能く識らん。我は何ぞ能く識らん」と。

北宮子謂西門子曰:「朕與子並世也,而人子達;並族也,而人子敬;並貌也,而人子愛;並言也,而人子庸;並行也,而人子誠;並仕也,而人子貴;並農也,而人子富;並商也,而人子利。朕衣則裋褐,食則粢糲,居則蓬室,出則徒行。子衣則文錦,食則粱肉,居則連欐,出則結駟。在家熙然有棄朕之心,在朝諤然有敖朕之色。請謁不相及,遨遊不同行,固有年矣。子自以德過朕邪?」西門子曰:「予無以知其實。汝造事而窮,予造事而達,此厚薄之驗歟?而皆謂與予並,汝之顏厚矣。」北宮子無以應,自失而歸。中塗遇東郭先生,先生曰:「汝奚往而反,偊偊而步,有深愧之色邪?」北宮子言其狀。東郭先生曰:「吾將舍汝之愧,與汝更之西門氏而問之。」曰:「汝奚辱北宮子之深乎?固且言之。」西門子曰:「北宮子言世族、年貌、言行與予並,而賤貴、貧富與予異。予語之曰:『予無以知其實。汝造事而窮,予造事而達,此將厚薄之驗歟?而皆謂與予並,汝之顏厚矣。』」東郭先生曰:「汝之言厚薄不過言才德之差,吾之言厚薄異於是矣。夫北宮子厚於德,薄於命;汝厚於命,薄於德。汝之達,非智得也;北宮子之窮,非愚失也。皆天也,非人也。而汝以命厚自矜,北宮子以德厚自愧,皆不識夫固然之理矣。」西門子曰:「先生止矣!予不敢復言。」北宮子既歸,衣其裋褐,有狐貉之溫;進其茙菽,有稻粱之味;庇其蓬室,若廣廈之蔭;乘其篳輅,若文軒之飾。終身逌然,不知榮辱之在彼也、在我也。東郭先生聞之曰:「北宮子之寐久矣,一言而能寤,易悟也哉!」

北宮子が西門子に言った。「我とあなたと世を並べ、然るに人はあなたを達せしむ。族を並べ、然るに人はあなたを敬う。貌を並べ、然るに人はあなたを愛す。言を並べ、然るに人はあなたを用う。行を並べ、然るに人はあなたを信ず。仕を並べ、然るに人はあなたを貴ぶ。農を並べ、然るにあなたは富む。商を並べ、然るにあなたは利を得る。我は穿てば則ち短褐、食えば則ち粗糧、住めば則ち蓬室、出れば則ち步行。あなたは穿てば則ち文錦、食えば則ち粱肉、住めば則ち連棟、出れば則ち結駟。家に在りて熙然として我を抛開する心有り、朝に在りて諤然として我を傲視する色有り。請謁相及ばず、遨游同行せず、已に年有り。あなたは自ら以て德我に超ゆと爲すか」と。西門子が言った。「我はその實を知るに由無し。あなたは事を爲して窮し、我は事を爲して達す、是れ厚薄の驗證か。然るに皆我と並列すと言う、あなたの臉皮は厚し」と。北宮子は應ずる言なく、自失して歸った。半路に東郭先生に遇い、先生が言った。「あなたは何處より歸るか、踽踽として走り、深愧の色有るか」と。北宮子は情狀を說いた。東郭先生が言った。「我は將にあなたの愧を去らん、あなたとともに再び西門氏に往きて問わん」と。言った。「あなたは何を以て北宮子を羞辱すること此の深きか。姑且說け」と。西門子が言った。「北宮子は世族、年貌、言行は我と並列と言い、然るに賤貴、貧富は我と異なり。我は彼に告げて曰く、『我はその實を知るに由無し。あなたは事を爲して窮し、我は事を爲して達す、是れ大概厚薄の驗證か。然るに皆我と並列すと言う、あなたの臉皮は厚し』と」と。東郭先生が言った。「あなたの言う厚薄は不過才德の差、我が言う厚薄は此と異なり。北宮子は德に厚く命に薄し。あなたは命に厚く德に薄し。あなたの達は、智の得る所にあらず。北宮子の窮は、愚の失う所にあらず。皆天なり、人にあらず。あなたは命厚きに因りて自矜し、北宮子は德厚きに因りて自愧す、皆その固然の理を識らず」と。西門子が言った。「先生止まれ! 我敢えて復た言わず」と。北宮子は歸りて後、短褐を穿てば、狐貉の溫有り。菽豆を食えば、稻粱の味有り。蓬室を庇えば、廣厦の蔭の如し。柴車に乘れば、文軒の飾の如し。終身悠然として、榮辱が彼に在るか我に在るかを知らず。東郭先生は聞きて言った。「北宮子は睡ること久し、一言能く醒ます、覺悟し易いかな」と。

管夷吾、鮑叔牙二人相友甚戚,同處於齊。管夷吾事公子糾,鮑叔牙事公子小白。齊公族多寵,嫡庶並行,國人懼亂。管仲與召忽奉公子糾奔魯,鮑叔奉公子小白奔莒。既而公孫無知作亂,齊無君,二公子爭入。管夷吾與小白戰於莒,道射中小白帶鉤。小白既立,脅魯殺子糾,召忽死之,管夷吾被囚。鮑叔牙謂桓公曰:「管夷吾能,可以治國。」桓公曰:「我讐也,願殺之。」鮑叔牙曰:「吾聞賢君無私怨,且人能為其主,亦必能為人君。如欲霸王,非夷吾其弗可。君必舍之!」遂召管仲。魯歸之,齊鮑叔牙郊迎,釋其囚。桓公禮之,而位於高國之上,鮑叔牙以身下之,任以國政,號曰仲父。桓公遂霸。管仲嘗歎曰:「吾少窮困時,嘗與鮑叔賈,分財多自與,鮑叔不以我為貪,知我貧也。吾嘗為鮑叔謀事而大窮困,鮑叔不以我為愚,知時有利不利也。吾嘗三仕,三見逐於君,鮑叔不以我為不肖,知我不遭時也。吾嘗三戰三北,鮑叔不以我為怯,知我有老母也。公子糾敗,召忽死之,吾幽囚受辱,鮑叔不以我為無恥,知我不羞小節而恥名不顯於天下也。生我者父母,知我者鮑叔也!」此世稱管鮑善交者,小白善用能者。然實無善交,實無用能也。實無善交、實無用能者,非更有善交、更有善用能也。召忽非能死,不得不死;鮑叔非能舉賢,不得不舉;小白非能用讐,不得不用。及管夷吾有病,小白問之,曰:「仲父之病病矣,可不諱。雲至於大病,則寡人惡乎屬國而可?」夷吾曰:「公誰欲歟?」小白曰:「鮑叔牙可。」曰:「不可。其為人也,潔廉善士也,其於不己若者不比之人,一聞人之過,終身不忘。使之理國,上且鉤乎君,下且逆乎民。其得罪於君也,將弗久矣。」小白曰:「然則孰可?」對曰:「勿已,則隰朋可。其為人也,上忘而下不叛,愧其不若黃帝而哀不己若者。

管夷吾、鮑叔牙の二人は相交ること甚だ親しく、ともに齊に住んだ。管夷吾は公子糾に事え、鮑叔牙は公子小白に事えた。齊の公族は寵多く、嫡庶並行し、國人は亂を怕れた。管仲と召忽は公子糾を奉じて魯に奔り、鮑叔は公子小白を奉じて莒に奔った。隨後公孫無知が亂を作し、齊に君なく、二公子は爭って國に入った。管夷吾は小白と莒に戰い、路上に小白の帶鈎を射中した。小白既に立ち、魯を脅迫して子糾を殺せしめ、召忽は死し、管夷吾は囚われた。鮑叔牙が桓公に言った。「管夷吾は能あり、國を治む可し」と。桓公が言った。「是れ我が仇なり、願わくば彼を殺さん」と。鮑叔牙が言った。「我は聞く、賢君に私怨なし、しかも人は能くその主の爲すれば、亦た必ず能く人君の爲す。若し霸王せんと欲せば、夷吾に非ざれば不可なり。君は必ず彼を赦免せよ」と。そこで管仲を召した。魯は送り歸り、齊の鮑叔牙は郊に至りて迎接し、囚禁を解いた。桓公は禮遇し、位は高氏國氏の上、鮑叔牙は自身下に居り、國政を彼に任せ、仲父と號した。桓公はそこで稱霸した。管仲は嘗て歎息して言った。「我が年少窮困の時、嘗て鮑叔と經商し、財を分るに多く自ら與え、鮑叔は我を以て貪と爲さず、我が貧を知る。我は嘗て鮑叔に事を謀りて大いに窮困し、鮑叔は我を以て愚と爲さず、時に利不利あるを知る。我は嘗て三度官を爲し、三度君に驅逐され、鮑叔は我を以て不肖と爲さず、我が時に逢わざるを知る。我は嘗て三戰三敗し、鮑叔は我を以て怯と爲さず、我に老母あるを知る。公子糾敗れ、召忽死し、我幽囚辱を受け、鮑叔は我を以て無恥と爲さず、我が小節を羞ずるなく名が天下に顯れざるを恥とするを知る。我を生むは父母なり、我を知るは鮑叔なり」と。是れ世人の管鮑善交、小白善く能を用うと稱する所以なり。然るに其實善交なく、其實用能なし。其實善交なく、其實用能なし、別に善交有り、別に善用能有るに非ず。召忽は能く死するに非ず、死せざるを得ざるなり。鮑叔は能く賢を舉ぐるに非ず、舉げざるを得ざるなり。小白は能く仇を用うるに非ず、用いざるを得ざるなり。管夷吾が病有るに及び、小白は彼に問うて言った。「仲父の病重し、諱む可からず。若し大病に至らば、則ち寡人は國を誰に屬せば可なり」と。夷吾が言った。「公は誰を用いんと欲するか」と。小白が言った。「鮑叔牙可なり」と。言った。「不可なり。彼の人となり、潔廉の善士にして、己に如かざる者に親しまず、人の過を聞けば一聞きて終身忘れず。彼をして國を治めしむれば、上は且つ君に鈎り、下は且つ民に逆わん。彼は君に罪を得、將に久しからざらん」と。小白が言った。「然らば誰か可なり」と。答えて曰く。「不得已なれば、則ち隰朋可なり。彼の人となり、上に在れば能く忘れ、下に在れば叛かず、己が黃帝に如かざるを愧じ、己に如かざる者を哀憐す」と。

以德分人謂之聖人,以財分人謂之賢人。以賢臨人,未有得人者也;以賢下人者,未有不得人者也。其於國有不聞也,其於家有不見也。勿已,則隰朋可。」然則管夷吾非薄鮑叔也,不得不薄;非厚隰朋也,不得不厚。厚之於始,或薄之於終;薄之於終,或厚之於始。厚薄之去來,弗由我也。

(管仲が續けて言った:)德を以て人に分與するを聖人と言い、財を以て人に分與するを賢人と言う。賢を以て人に臨むは、人を得る者なし。賢を以て人に下るは、人を得ざる者なし。彼は國に於て聞かざる有り、家に於て見ざる有り。不得已なれば、則ち隰朋可なり」と。然らば管夷吾は鮑叔に薄きに非ず、薄からざるを得ざるなり。隰朋に厚きに非ず、厚くせざるを得ざるなり。厚きは開始に在り、或は薄きは終結に在り。薄きは終結に在り、或は厚きは開始に在り。厚薄の去來、我に由らず。

鄧析操兩可之說,設無窮之辭,當子產執政,作《竹刑》。鄭國用之,數難子產之治。子產屈之。子產執而戮之,俄而誅之。然則子產非能用《竹刑》,不得不用;鄧析非能屈子產,不得不屈;子產非能誅鄧析,不得不誅也。

鄧析は兩可の說を操持し、無窮の辭を設置し、正當に子產が執政するに當たり、《竹刑》を作った。鄭國は之を用い、屢々子產の治を難ず。子產は折服せられた。子產は彼を捉えて戮辱し、ほどなくして彼を誅した。然らば子產は能く《竹刑》を用うるに非ず、用いざるを得ざるなり。鄧析は能く子產を屈するに非ず、屈せざるを得ざるなり。子產は能く鄧析を誅するに非ず、誅せざるを得ざるなり。

可以生而生,天福也;可以死而死,天福也。可以生而不生,天罰也;可以死而不死,天罰也。可以生,可以死,得生得死,有矣;不可以生,不可以死,或死或生,有矣。然而生生死死,非物非我,皆命也,智之所無柰何。故曰:窈然無際,天道自會;漠然無分,天道自運。天地不能犯,聖智不能幹,鬼魅不能欺。自然者默之成之,平之寧之,將之迎之。

生く可きに生ずるは、天福なり。死す可きに死するは、天福なり。生く可きに生ぜざるは、天罰なり。死す可きに死せざるは、天罰なり。生く可く、死す可く、生を得死を得るは、有るなり。生く可からず、死す可からず、或は死し或は生ずるも、亦た有るなり。然るに生生死死は、物に非ず我に非ず、皆命なり、智は之に無奈何なり。故曰く、窈然として邊際なく、天道自ら會合す。漠然として分別なく、天道自ら運行す。天地も侵犯する能わず、聖智も干與する能わず、鬼魅も欺く能わず。自然の者は默して之を成し、之を平らげ之を寧らめ、之を將に之を迎う。

楊朱之友曰季梁。季梁得病,七日大漸。其子環而泣之,請醫。季梁謂楊朱曰:「吾子不肖如此之甚,汝奚不為我歌以曉之?」楊朱歌曰:「天其弗識,人胡能覺?匪祐自天,弗孽由人。我乎汝乎,其弗知乎!醫乎巫乎,其知之乎?」其子弗曉,終謁三醫,一曰矯氏,二曰俞氏,三曰盧氏,診其所疾。矯氏謂季梁曰:「汝寒溫不節,虛實失度,病由飢飽色慾。精慮煩散,非天非鬼。雖漸,可攻也。」季梁曰:「眾醫也。亟屏之!」俞氏曰:「女始則胎氣不足,乳湩有餘。病非一朝一夕之故,其所由來漸矣,弗可已也。」季梁曰:「良醫也。且食之!」盧氏曰:「汝疾不由天,亦不由人,亦不由鬼。稟生受形,既有制之者矣,亦有知之者矣。藥石其如汝何?」季梁曰:「神醫也。重貺遣之!」俄而季梁之疾自瘳。

楊朱の朋友を季梁と言う。季梁は病を得、七日病危し。兒子たちは圍りて哭き、醫を請いた。季梁は楊朱に言った。「我が兒子は不肖此の地步に至る、あなたは何を以て我に唱い彼らを開導せざるか」と。楊朱は唱えて曰く。「天は皆識らず、人は何ぞ能く覺えん。祐は天より來らず、孽は人に由りて起らず。我啊你啊、何ぞ知らんや。醫啊巫啊、何ぞ知らんや」と。兒子たちは曉らず、終に三醫を請い、一を矯氏、二を俞氏、三を盧氏と言い、彼が疾する所を診た。矯氏は季梁に言った。「あなたは寒溫節なく、虛實度を失し、病は飢飽色欲に由る。精慮煩散し、天に非ず鬼に非ず。危きと雖も、攻む可し」と。季梁が言った。「是れ衆醫なり。趕緊に屏退せよ」と。俞氏が言った。「あなたは初め胎氣足らず、乳汁餘り有り。病は一朝一夕の故に非ず、由來漸漸なり、止む可からず」と。季梁が言った。「是れ良醫なり。姑且彼に食を與えよ」と。盧氏が言った。「あなたの疾は天に由らず、亦た人に由らず、亦た鬼に由らず。稟生形を受くれば、既に之を制する者有り、亦た之を知る者有り。藥石は能くあなたを如何せん」と。季梁が言った。「是れ神醫なり。重く謝して送れ」と。ほどなくして季梁の疾は自ら好えた。

生非貴之所能存,身非愛之所能厚;生亦非賤之所能夭,身亦非輕之所能薄。故貴之或不生,賤之或不死;愛之或不厚,輕之或不薄。此似反也,非反也;此自生自死,自厚自薄。或貴之而生,或賤之而死;或愛之而厚,或輕之而薄。此似順也,非順也;此亦自生自死,自厚自薄。鬻熊語文王曰:「自長非所增,自短非所損。算之所亡若何?」老聃語關尹曰:「天之所惡,孰知其故?」言迎天意,揣利害,不如其已。

生は貴の存する所能に非ず、身は愛の加厚する所能に非ず。生も亦た賤の夭する所能に非ず、身も亦た輕の削薄する所能に非ず。ゆえに之を貴べど或は生ぜず、之を賤めど或は死せず。之を愛すれど或は厚からず、之を輕すれど或は薄からず。此は反に似たれど、反に非ず。此は自ら生じ自ら死し、自ら厚く自ら薄し。或は之を貴びて生じ、或は之を賤んで死す。或は之を愛して厚く、或は之を輕んで薄し。此は順に似たれど、順に非ず。此も亦た自ら生じ自ら死し、自ら厚く自ら薄し。鬻熊は文王に告げて言った。「自ら長くは增す所能に非ず、自ら短くは損ずる所能に非ず。無き所を算計して又と如何」と。老聃は關尹に告げて言った。「天の惡む所、誰か其の故を知らん」と。是れ天意に迎合し利害を揣度するは、停止するに如かずと言うなり。

楊布問曰:「有人於此,年兄弟也,言兄弟也,才兄弟也,貌兄弟也,而壽夭父子也,貴賤父子也,名譽父子也,愛憎父子也。吾惑之。」楊子曰:「古之人有言,吾嘗識之,將以告若。不知所以然而然,命也。今昏昏昧昧,紛紛若若,隨所為,隨所不為。日去日來,孰能知其故?皆命也夫。信命者,亡壽夭;信理者,亡是非;信心者,亡逆順;信性者,亡安危。則謂之都亡所信,都亡所不信。真矣慤矣,奚去奚就?奚哀奚樂?奚為奚不為?黃帝之書云:『至人居若死,動若械。』亦不知所以居,亦不知所以不居;亦不知所以動,亦不知所以不動。亦不以眾人之觀易其情貌,亦不謂眾人之不觀不易其情貌。獨往獨來,獨出獨入,孰能礙之?」

楊布が問うた。「此處に人有り、年歲は兄弟の如く、言語は兄弟の如く、才は兄弟の如く、貌は兄弟の如く、然るに壽夭は父子の如く差あり、貴賤は父子の如く差あり、名譽は父子の如く差あり、愛憎は父子の如く差あり。我迷惑す」と。楊子が言った。「古人に言有り、我は嘗て記え、將にあなたに告げん。何を以て此の如くなるかを知らずして此の如くなるは、命なり。今昏昏昧昧、紛紛亂亂、爲す所に隨い、爲さざる所に隨う。日去り日來り、誰か能く緣故を知らん。皆命なり。命を信ずる者は、壽夭なし。理を信ずる者は、是非なし。心を信ずる者は、逆順なし。性を信ずる者は、安危なし。則ち之を皆信ずる所なく、皆信ぜざる所なしと言う。真に誠に、去れば何を就けん。哀れば何を樂まん。爲せば何を爲さざらん。黃帝の書に曰く、『至人は居れば死の如く、動けば機械の如し』と。亦た何を以て居るか知らず、亦た何を以て居らざるか知らず。亦た何を以て動くか知らず、亦た何を以て動かざるか知らず。亦た衆人の觀看に因りて情貌を改めず、亦た衆人の觀看せざれば情貌を改めざると言わず。獨往獨來、獨出獨入、誰か能く彼を礙げん」と。

墨杘、單至、嘽咺、憋懯四人相與遊於世,胥如志也。窮年不相知情,自以智之深也。巧佞、愚直、婩斫、便辟四人相與遊於世,胥如志也。窮年而不相語術,自以巧之微也。㺒㤉、情露、𧮈極、凌誶四人相與遊於世,胥如志也。窮年不相曉悟,自以為才之得也。眠娗、諈諉、勇敢、怯疑四人相與遊於世,胥如志也。窮年不相讁發,自以行無戾也。多偶、自專、乘權、隻立四人相與遊於世,胥如志也。窮年不相顧眄,自以時之適也。此眾態也,其貌不一,而鹹之於道,命所歸也。

墨杘、單至、啴咺、憋懯の四人は世に相交游し、皆各々其の志の如し。整年相知情せず、自ら以て智甚だ深しと爲す。巧佞、愚直、婩斫、便辟の四人は世に相交游し、皆各々其の志の如し。整年相術を告げず、自ら以て巧甚だ微なりと爲す。躁急、情露、凌厲、凌誶の四人は世に相交游し、皆各々其の志の如し。整年相曉悟せず、自ら以て才得る所有りと爲す。眠娗、諉諉、勇敢、怯疑の四人は世に相交游し、皆各々其の志の如し。整年相指摘せず、自ら以て行乖戾なしと爲す。多偶、自專、乘權、只立の四人は世に相交游し、皆各々其の志の如し。整年相顧盼せず、自ら以て時正しく合適すと爲す。此の衆態、貌は一樣ならず、然るに皆道に歸す、命の歸する所なり。

佹佹成者,俏成也,初非成也;佹佹敗者,俏敗者也,初非敗也。故迷生於俏,俏之際昧然。於俏而不昧然,則不駭外禍,不喜內福,隨時動,隨時止,智不能知也。信命者於彼我無二心。於彼我而有二心者,不若揜目塞耳,背坂面隍亦不墜僕也。故曰:死生自命也,貧窮自時也。怨夭折者,不知命者也;怨貧窮者,不知時者也。當死不懼,在窮不戚,知命安時也。其使多智之人量利害,料虛實,度人情,得亦中,亡亦中。其少智之人不量利害,不料虛實,不度人情,得亦中,亡亦中。量與不量,料與不料,度與不度,奚以異?唯亡所量,亡所不量,則全而亡喪。亦非知全,亦非知喪。自全也,自亡也,自喪也。

幾に成らんとするは、成に似たれど、初めは成に非ず。幾に敗れんとするは、敗に似たれど、初めは敗に非ず。ゆえに迷は相似より生じ、相似の際は昏昧なり。相似に對して昏昧せざれば、外禍を駭かず、內福を喜ばず、時に隨いて動き、時に隨いて止まり、智も知る能わず。命を信ずる者は彼我に對して二心なし。彼我に對して二心有る者は、眼を遮り耳を塞ぎ、坡を背負い壕に面して墜落せざるに如かず。故曰く、死生は命より出づ、貧窮は時より出づ。夭折を怨ずるは、命を知らざる者なり。貧窮を怨ずるは、時を知らざる者なり。死に臨みて懼れず、窮に處りて戚かず、是れ命を知り時に安んず。多智の者をして利害を量り、虛實を料り、人情を度せしむれば、得も亦た中り、失も亦た中る。少智の者は利害を量らず、虛實を料らず、人情を度らず、得も亦た中り、失も亦た中る。量ると量らざると、料ると料らざると、度ると度らざると、何の異なるか。ただ量る所なく、量らざる所なければ、やっと全くして喪わざるなり。亦た全きを知るに非ず、亦た喪うを知るに非ず。自ら全く、自ら亡び、自ら喪う。

齊景公遊於牛山,北臨其國城而流涕曰:「美哉國乎!鬱鬱芊芊,若何滴滴去此國而死乎?使古無死者,寡人將去斯而之何?」史孔、梁丘據皆從而泣曰:「臣賴君之賜,疏食惡肉可得而食,駑馬稜車可得而乘也,且猶不欲死,而況吾君乎?」晏子獨笑於旁。公雪涕而顧晏子曰:「寡人今日之遊悲,孔與據皆從寡人而泣。子之獨笑,何也?」晏子對曰:「使賢者常守之,則太公桓公將常守之矣;使有勇者而常守之,則莊公靈公將常守之矣。數君者將守之,吾君方將被蓑笠而立乎畎畝之中,唯事之恤,行假念死乎?則吾君又安得此位而立焉?以其迭處之迭去之,至於君也,而獨為之流涕,是不仁也。見不仁之君,見諂諛之臣。臣見此二者,臣之所為獨竊笑也。」景公慙焉,舉觴自罰,罰二臣者各二觴焉。

齊景公は牛山に游び、北に向かい國城に對して流淚して言った。「美しきかな此の國! 鬱鬱芊芊、何ぞ此の如く流逝し此の國を離れて死せんや。假に古來死者なかりせば、寡人は此を離れて何處に往かん」と。史孔、梁丘據は皆跟隨して哭きて曰く。「臣は君の賜に靠り、粗食惡肉は食を得る可く、劣馬棧車は乘を得る可し、尚且死せんと欲せず、況んや我らの君に於てをや」と。晏子は獨り傍らに笑う。公は淚を擦り振り返って晏子に言った。「寡人は今日游ぶこと甚だ悲し、孔と據は皆寡人に跟隨して哭く。あなたは獨り笑う、何を以てか」と。晏子は答えて曰く。「假に賢者常に守りせば、則ち太公、桓公は將に常に守らん。假に勇有る者常に守りせば、則ち莊公、靈公は將に常に守らん。此の數位の君將に守らば、我らの君は正に蓑を披り笠を戴きて田畝の中に立ち、ただ農事を憂え、何ぞ暇あって死を念わん。然らば我らの君は又と何ぞ此の位を得て立たんや。彼らは輪流に處り輪流に去る、君に至るに及びて、然るに獨り此れに淚を流す、是れ不仁なり。不仁の君を見、諂諛の臣を見る。臣は此の兩種を見、是れ臣の獨り竊笑する所以なり」と。景公は慚愧し、觴を舉げて自ら罰し、二臣を罰するに各々兩觴。

魏人有東門吳者,其子死而不憂。其相室曰:「公之愛子,天下無有。今子死不憂,何也?」東門吳曰:「吾常無子,無子之時不憂。今子死,乃與嚮無子同,臣奚憂焉?」

魏人に東門吳有り、子死するも憂えず。管家が言った。「あなたは子を愛すること天下無双、今子死するも憂えず、何を以てか」と。東門吳が言った。「我は嘗て子無し、子無き時は憂えず。今子死す、則ち從前の子無きに相同じ、我は何を憂えん」と。

農赴時,商趣利,工追術,仕逐勢,勢使然也。然農有水旱,商有得失,工有成敗,仕有遇否,命使然也。

農は時令に奔赴し、商は利に趨向し、工は術を追求し、仕は勢を追逐す、是れ勢の此の如くせしむるなり。然るに農に水旱有り、商に得失有り、工に成敗有り、仕に遇うか遇わざるか有り、是れ命の此の如くせしむるなり。

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