化书
『化書』五代・譚峭撰
道家典籍
まず老子と荘子内篇を読み、列子・文子・淮南子へ進む。道教が「道」をどう修持として書いたかを見るには、陰符経・黄庭・参同契・悟真篇と抱朴子を読む。
化書五代譚峭撰
『化書』五代・譚峭撰
卷一道化
巻一 道化
道之委也,虛化神,神化氣,氣化形,形生而萬物所以塞也。道之用也,形化氣,氣化神,神化虛,虛明而萬物所以通也。是以古聖人窮通塞之端,得造化之源,忘形以養氣,忘氣以養神,忘神以養虛。虛實相通,是謂大同。故藏之為元精,用之為萬靈,含之為太一,放之為太清。是以坎離消長於一身,風雲發洩於七竅,真氣燻蒸而時無寒暑,純陽流注而民無死生,是謂神化之道者也。
道(老子がこの字で万物の本原と運行のあり方を指し、その自体は名づけ得ないもの)が委ね積もって、虚が神に化し、神が気(万物を構成し貫く流動するもの)に化し、気が形に化して、形が生じると、万物はそれによって壅塞する。道が用いられると、形が気に化し、気が神に化し、神が虚に化して、虚が明らかになると、万物はそれによって通ずる。だから古の聖人は通と塞の端緒を窮め、造化の源を得て、形を忘れて気を養い、気を忘れて神を養い、神を忘れて虚を養った。虚と実が通じ合う、これを大同と言う。だから蔵せば元精となり、用いれば万霊となり、含めば太一となり、放てば太清となる。このように坎離が一身の中で消長し、風雲が七竅から発泄し、真気が薫蒸して四時に寒暑がなく、純陽が流注して民に死生がない。これを神化の道と言う。
蛇雀
蛇雀
蛇化為龜,雀化為蛤。彼忽然忘曲屈之狀,而得蹣跚之質;此倏然失飛鳴之態,而得介甲之體。斫削不能加其功,繩尺不能定其象,何化之速也。且夫當空團塊,見塊而不見空;粉塊求空,見空而不見塊。形無妨而人自妨之,物無滯而人自滯之,悲哉!
蛇が亀に化し、雀が蛤に化した。あの蛇は忽ち屈曲の形を忘れて、這い回る体質を得、この雀はたちまち飛び鳴く姿を失って、甲殻の身を得た。刀斧で削ってももはや加工できず、縄尺でももう形を定められない。変化とは実に速いものだ。空を団ねて塊にすれば、塊が見えて空が見えなくなり、塊を砕いて粉にして空を求めれば、空が見えて塊が見えなくなる。形はもともと妨げないのに、人が自ら妨げる。物はもともと滞らないのに、人が自ら滞らせる。悲しいことだ。
老楓
老楓
老楓化為羽人,朽麥化為蝴蝶,自無情而之有情也。賢女化為貞石,山蚯化為百合,自有情而之無情也。是故土木金石,皆有情性精魄。虛無所不至,神無所不通,氣無所不同,形無所不類。孰為彼,孰為我?孰為有識,孰為無識?萬物,一物也;萬神,一神也,斯道之至矣。
老楓が羽人に化し、朽ちた麦が胡蝶に化するのは、無情から有情に変わることである。賢女が貞石に化し、山の蚯蚓が百合に化するのは、有情から無情に変わることである。だから土木金石にはみな情性精魄がある。虚は至らない所がなく、神は通じない所がなく、気は同じでないものがなく、形は類しないものがない。どれが彼で、どれが我か。どれに識があり、どれに識がないか。万物は一物、万神は一神、これが道の極致である。
耳目
耳目
目所不見,設明鏡而見之;耳所不聞,設虛器而聞之。精神在我,視聽在彼。跰趾可以割,陷吻可以補,則是耳目可以妄設,形容可以偽置。既假又假,既惑又惑。所以知魂魄魅我,血氣醉我,七竅囚我,五根役我。惟神之有形,由形之有疣。苟無其疣,何所不可?
目に見えないものは、明鏡を据えれば見える。耳に聞こえないものは、空の器を据えれば聞こえる。精神は我にあって、視聴はあの器にある。癒着した足指は割くことができ、陷んだ唇は補うことができる。これを見れば、耳目は妄りに設けられ、形容は偽りに置かれるものと分かる。仮にまた仮、惑にまた惑う。だから魂魄が我を魅惑し、血気が我を迷醉させ、七竅が我を囚禁し、五根が我を役使していると知る。神に形があるのは、形に疣ができたようなものだ。もしあの疣がなければ、何ができないことがあろうか。
環舞
環舞
作環舞者宮室皆轉,瞰迴流者頭目自旋。非宮室之幻惑也,而人自惑之;非迴流之改變也,而人自變之。是故粉巾為兔,藥石為馬,而人不疑;甘言巧笑,圖臉畫眉,而人不知。唯清靜者,物不能欺。
環舞をする者は宮室がみな回ると感じ、回流を俯看する者は頭目が自ら旋ると感じる。宮室が幻惑するのではなく、人が自ら惑うのだ。回流が改変するのではなく、人が自ら変わるのだ。だから粉巾を兎に変え、薬石を馬に変えても、人は疑わない。甘言巧笑に顔を画き眉を描けば、人はかえって知らない。清静な者だけが、物に欺かれることがない。
鉛丹
鉛丹
術有火練鉛丹以代穀食者,其必然也。然歲豐則能飽,歲儉則能飢,是非丹之恩,蓋由人之誠也。則是我本不飢而自飢之,丹本不飽而自飽之。飢者大妄,飽者大幻,蓋不齊其道也。故人能一有無,一死生,一情性,一內外,則可以蛻五行、脫三光,何患乎一日百食,何慮乎百日一食。
一種の方術に、火で鉛丹を練って穀食に代えさせるものがあり、言うところは必然らしい。しかし年が豊かなら飽き、年が凶なら飢える。これは丹の恩ではなく、人の誠によるのだ。これで分かるように、我はもともと飢えていないのに自らを飢えさせ、丹はもともと飽かせないのに自らを飽かせる。飢は大妄であり、飽は大幻である。道に斉一がないからだ。だから人が有無を一と見、死生を一と見、情性を一と見、内外を一と見れば、世の五行を蜕ぎ、三光を脱ぐことができる。一日に百食を憂える必要がなく、百日に一食を顧慮する必要もない。
形影
形影
以一鏡照形,以餘鏡照影。鏡鏡相照,影影相傳,不變冠劍之狀,不奪黼黻之色。是形也與影無殊,是影也與形無異。乃知形以非實,影以非虛,無實無虛,可與道俱。
一面の鏡で形を照らし、残りの鏡で影を照らす。鏡と鏡が互いに照らし、影と影が互いに伝えあって、冠剣の形を改めず、黼黻の色を奪わない。この形と影に分別はなく、この影と形に差異はない。ここから形は実ではなく、影は虚ではなく、実なく虚なく、道とともにあることができると知る。
蟄藏
蟄蔵
物有善於蟄藏者,或可以御大寒,或可以去大飢,或可以萬歲不死。以其心冥冥兮無所知,神怡怡兮無所之,氣熙熙無所為。萬慮不能惑,求死不可得。是以大人體物知身,體身知神,體神知真,是謂吉人之津。
物に蟄蔵を善くする者があって、あるいは大寒を禦ぎ、あるいは大飢を去り、あるいは一万歳生きて死なない。その心が冥冥として知ることがなく、神が怡怡然として往く所がなく、気が熙熙然として為すことがないからだ。万の思慮もそれを惑わすことができず、死を求めても得られない。だから大人は物を察して身を知り、身を察して神を知り、神を察して真を知る。これを吉人の津渡と言う。
梟雞
梟鶏
梟夜明而晝昏,雞晝明而夜昏,其異同也如是。或謂梟為異,則謂雞為同;或謂雞為異,則謂梟為同。孰梟雞之異晝夜乎?晝夜之異梟雞乎?孰晝夜之同梟雞乎?梟雞之同晝夜乎?夫耳中磬,我自聞;目中花,我自見。我之晝夜,彼之晝夜,則是晝不得謂之明,夜不得謂之昏。能齊昏明者,其唯大人乎!
梟(フクロウ)は夜に明らかで昼に昏く、鶏は昼に明らかで夜に昏い。その異同はこのようなものだ。あるいは梟が異で鶏が同と言い、あるいは鶏が異で梟が同と言う。一体、梟と鶏が昼夜を異ならせるのか、それとも昼夜が梟と鶏を異ならせるのか。一体、昼夜が梟と鶏を同じくさせるのか、それとも梟と鶏が昼夜を同じくさせるのか。耳の中の磬の音は、我が自ら聞くのだ。目の中の花は、我が自ら見るのだ。我の昼夜はすなわちそれの昼夜であれば、昼を明と言うことができず、夜を昏と言うことができない。昏と明を斉一にできる者は、おそらく大人だけだろう。
四鏡
四鏡
小人常有四鏡:一名璧,一名珠,一名砥,一名盂。璧視者大,珠視者小,砥視者正,盂視者倒。觀彼之器,察我之形,由是無大小、無長短、無妍醜、無美惡。所以知形氣謟我,精魄賊我,奸臣貴我,禮樂尊我。是故心不得為之君,王不得為之主。戒之如火,防之如虎。純儉不可襲,清靜(宋本:淨)不可侮,然後可以跡容廣而躋三五。
小人には常に四面の鏡がある。一つは璧と言い、一つは珠と言い、一つは砥と言い、一つは盂と言う。璧で見れば大きく、珠で見れば小さく、砥で見れば正しく、盂で見れば倒れて見える。あの器を見て我の形を察すれば、ここから大きさなく、長短なく、美醜なく、善悪ないことが分かる。だから形気が我を諂い、精魄が我を賊害し、奸臣が我を貴ばせ、礼楽が我を尊ばせていると知る。それで心はその君となることができず、王はその主となることができない。火を防ぐように戒め、虎を防ぐように備える。純儉は侵すことができず、清静(宋本は「浄」)は侮ることができない。そうして後に形跡を広く容れることができ、三皇五帝の列に加わることができる。
射虎
射虎
射似虎者,見虎而不見石;斬暴蛟者,見蛟而不見水。是知萬物可以虛,我身可以無。以我之無,合彼之虛。自然可以隱,可以顯,可以死,可以生而無所拘。夫空中之塵若飛雪,而目未嘗見;穴中之蟻若牛鬥,而耳未嘗聞,況非見聞者乎!
虎に似た石を射る者は、虎を見て石を見ない。暴蛟を斬る者は、蛟を見て水を見ない。ここから万物は虚にできる、我の身は無にできると知る。我の無をもって、あの物の虚に合わせれば、自然(おのずから然る、もともとそうである。「大自然」ではない)に隐ることができ、顕れることができ、死ぬことができ、生きることができて、拘碍がない。空中の塵は飛雪のようだが目はかつて見ず、穴中の蟻は牛が闘うようだが耳はかつて聞かない。ましてあれはもともと見聞のものではないのを、どうしようか。
龍虎
龍虎
龍化虎變,可以蹈虛空,虛空非無也;可以貫金石,金石非有也。有無相通,物我相同。其生非始,其死非終。知此道者,形不可得斃,神不可得逝。
龍が化し虎が変すれば、虚空を踏むことができる。虚空は無ではない。金石を貫くことができる。金石は有ではない。有と無は通じ、物と我は同じだ。生は始まりではなく、死は終わりではない。この道を知る者は、形は殺されようがなく、神は消逝しようがない。
遊雲
遊雲
遊雲無質,故五色舍焉;明鏡無瑕,故萬物象焉。謂水之含天也,必天之含水也。夫百步之外,鏡則見人,人不見影,斯為驗也。是知太虛之中無所不有,萬耀之內無所不見。則世人且知心仰寥廓,而不知跡處虛空。寥廓無所間,神明且不遠。是以君子常正其心,常儼其容。則可以游泳於寥廓,交友于神明而無咎也。
遊雲には質がないから、五色がその中に宿る。明鏡に瑕がないから、万物がその上に像を成す。水が天を含むと言えば、必ず天も水を含んでいる。百歩の外、鏡は人を照らすことができるのに、人は自分の影を見ない。これが検証だ。ここから太虚の中に有らないものがなく、万耀の内に見えないものがないと知る。世の人はただ心が寥廓を仰ぐことを知って、自分の形跡が虚空の中に居ることを知らない。寥廓に間隔はなく、神明は遠くない。だから君子は常にその心を端正し、常にその容を荘厳にすれば、寥廓の中で泳ぎ、神明と交友して咎害がない。
噦咽
噦咽
有言臭腐之狀,則輒有所噦;聞珍羞之名,則妄有所咽。臭腐瞭然虛,珍羞必然無,而噦不能止,咽不能已。有懼菽醬若蝤蠐者,有愛鮑魚若鳳膏者。知此理者,可以齊奢儉,外榮辱,黜是非,忘禍福。
ある人は腐臭の状を言うと、すぐに嘔吐したくなり、珍饈の名を聞くと、空しく唾を呑みたくなる。腐臭は明らかに虚で、珍饈は必ず無なのに、嘔吐は止められず、嚥は停められない。ある人は豆醤を蛴螬のように怕れ、ある人は鮑魚を鳳凰の膏のように愛する。この理を知る者は、奢と倹を斉一にし、栄辱を外に置き、是非を黜し、禍福を忘れることができる。
大化
大化
虛化神,神化氣,氣化形,形化精,精化顧盼,而顧盼化揖讓,揖讓化升降,升降化尊卑,尊卑化分別,分別化冠冕,冠冕化車輅,車輅化宮室,宮室化掖衛,掖衛化燕享,燕享化奢蕩,奢蕩化聚斂,聚斂化欺罔,欺罔化刑戮,刑戮化悖亂,悖亂化甲兵,甲兵化爭奪,爭奪化敗亡。其來也勢不可遏,其去也力不可拔。是以大人以道德游泳之,以仁義漁獵之,以刑禮籠罩之,蓋保其國家而護其富貴也。故道德有所不實,仁義有所不至,刑禮有所不足,是教民為奸詐,使民為淫邪,化民為悖逆,驅民為盜賊。上昏昏然不知其弊,下恍恍然不知其病,其何以救之哉!
虚が神に化し、神が気に化し、気が形に化し、形が精に化し、精が顧眄に化し、顧眄が揖譲に化し、揖譲が升降に化し、升降が尊卑に化し、尊卑が分別に化し、分別が冠冕に化し、冠冕が車輅に化し、車輅が宮室に化し、宮室が掖衛に化し、掖衛が宴享に化し、宴享が奢蕩に化し、奢蕩が聚斂に化し、聚斂が欺罔に化し、欺罔が刑戮に化し、刑戮が悖乱に化し、悖乱が甲兵に化し、甲兵が争奪に化し、争奪が敗亡に化する。その来るときは勢いが遏えられず、その去るときは力が抜けられない。だから大人は道徳をもってその中に游び、仁義をもって漁猟し、刑礼をもって籠罩し、国を全うし富貴を守ろうとする。だから道徳に届かない所があり、仁義に至らない所があり、刑礼に足りない所がある。これは民を教えて奸詐を為させ、民を使って淫邪を為させ、民を化して悖逆を成させ、民を駆って盗賊を成させることだ。上は昏昏として弊を知らず、下は恍恍として害を知らない。何をもって救うのか。
正一
正一
世人皆知莧菹可以剖鱉,而不知朱草可以剖人。小人由是知神可以分,氣可以泮,形可以散。散而為萬,不謂之有餘;聚而為一,不謂之不足。若狂風飄發,魂魄夢飛;屐齒斷蚓,首尾皆動。夫何故?太虛,一虛也;太神,一神也;太氣,一氣也;太形,一形也。命之則四,根之則一。守之不得,舍之不失,是謂正一。
世の人はみな莧菜の菹(塩漬け)は鼈を剖けることを知っているが、朱草が人を剖けることを知らない。小人はここから神は分かつことができ、気は融解でき、形は散らすことができると知る。散じて万となっても有余とは言わず、聚めて一となっても不足とは言わない。狂風が忽ち起これば魂魄が夢の中を飛び、屐の歯が蚯蚓を断ち切っても頭尾とも動いているようなものだ。なぜか。太虚は一つの虚、太神は一つの神、太気は一つの気、太形は一つの形だからだ。それらに名をつければ四、その根に推せば一である。守ろうとしても守れず、捨てようとしても捨てられない。これを正一と言う。
天地
天地
天地盜太虛生,人蟲盜天地生,營(右蟲旁)虰盜人蟲生。營虰者,腸中之蟲也,搏(有口旁)我精氣,鑠我魂魄,盜我滋味,而有其生。有以見我之必死,所以知天之必頹。天其頹乎,我將安有;我其死乎,營虰將安守?所謂奸臣盜國,國破則家亡;蠹蟲蝕木,木盡則蟲死。是以大人錄精氣,藏魂魄,薄滋味,禁嗜慾,外富貴。雖天地老而我不傾,營虰死而我長生,奸臣去而國太平。
天地は太虚を盗んで生じ、人虫は天地を盗んで生じ、営虰(底本注:営の字は右旁が虫)が人虫を盗んで生ずる。営虰は腸中の虫で、我の精気を嘬食(底本「搏」に「口旁あり」の注)し、我の魂魄を銷鑠し、我の滋味を偸んで、その生を有する。ここから我が必ず死ぬことが見え、それで天が必ず崩頽することを知る。天がもし崩頽すれば、我は何か有せよう。我がもし死ねば、営虰は何を守ろうか。いわゆる奸臣が国を盗めば、国破れて家亡ぶ。蠹虫が木を蝕めば、木尽きて虫死す。だから大人は精気を収摂し、魂魄を蔵し、滋味を淡薄にし、嗜欲を禁絶し、富貴を外に置く。天地が老いても我は傾覆せず、営虰が死んでも我は長生し、奸臣が去れば国が太平である。
稚子
稚子
稚子弄影,不知為影所弄;狂夫侮像,不知為像所侮。化家者不知為家所化,化國者不知為國所化,化天下者不知為天下所化。三皇,有道者也,不知其道化為五帝之德。五帝,有德者也,不知其德化為三王之仁義。三王,有仁義者也,不知其仁義化為秦漢之戰爭。醉者負醉,疥者療疥,其勢彌顛,其病彌篤,而無反者也。
稚児が影を弄ぶのは、自分が影に弄ばれていることを知らないからだ。狂夫が神像を侮慢するのは、自分が神像に侮慢されていることを知らないからだ。家を化する者は家に化されていることを知らず、国を化する者は国に化されていることを知らず、天下を化する者は天下に化されていることを知らない。三皇は道ある者だが、その道が五帝の徳(道が具体的事物に落ちて顕れる性能で、倫理上の品德ではない)に化したことを知らなかった。五帝は徳ある者だが、その徳が三王の仁義に化したことを知らなかった。三王は仁義ある者だが、その仁義が秦漢の戦争に化したことを知らなかった。酔った者がまた酔った者を負い、疥癬の者がまた疥癬を治そうとする。その勢いはますます顛倒し、その病はますます重くなるのに、振り返る者がない。
陽燧
陽燧
陽燧召火,方諸召水,感激之道,斯不遠矣。高視者強,低視者賊;斜視者狡,平視者仁;張視者怒,細視者佞;遠視者智,近視者拙;外視者昏,內視者明。是故載我者身,用我者神,用神合真,可以長存。
陽燧は火を召し、方諸は水を召す。感応の激盪する理は遠くない。高く視る者は強く、低く視る者は賊で、斜めに視る者は狡く、平らに視る者は仁で、張って視る者は怒り、細く視る者は佞で、遠く視る者は智、近く視る者は拙で、外に向かって視る者は昏く、内に向かって視る者は明らかだ。だから我を載せるのは身、我を用いるのは神、神をもって真に合わせれば、長く存することができる。
死生
死生
虛化神,神化氣,氣化血,血化形,形化嬰,嬰化童,童化少,少化壯,壯化老,老化死。死復化為虛,虛復化為神,神復化為氣,氣復化為物。化化不間,由環之無窮。夫萬物非欲生,不得不生;萬物非欲死,不得不死。達此理者虛而乳之,神可以不化,形可以不生。
虚が神に化し、神が気に化し、気が血に化し、血が形に化し、形が嬰児に化し、嬰児が児童に化し、児童が少年に化し、少年が壮年に化し、壮年が老年に化し、老が死に化する。死はまた虚に化し、虚はまた神に化し、神はまた気に化し、気はまた物に化する。化と化の間に間断はなく、環のように窮まりがない。万物は生きたいのではなく、生きざるを得ないのだ。万物は死にたいのではなく、死なざるを得ないのだ。この理に達する者は、虚を守ってそれを乳養すれば、神は化せず形は生ぜずにいられる。
爪發
爪髪
爪發者,我之形。何爪可割而無害,發可截而無痛?蓋榮衛所不至也。則是我本無害而筋骨為之害,我本無痛而血肉為之痛。所以知喜怒非我作,哀樂非我動,我為形所昧,形為我所愛。達此理者,可以出生死之外。
爪甲と頭髪は我の形だ。なぜ爪は割いても害がなく、髪は截っても痛くないのか。栄衛がそこに届かないからだ。これで分かるように、我本來害がなく、筋骨がそれに害を為し、我本來痛みがなく、血肉がそれに痛みを為すのだ。だから喜怒は我の作るものではなく、哀楽は我の動かすものではなく、我は形に蒙昧され、形は我に愛惜されると知る。この理に達する者は、生死の外に出ることができる。
神道
神道
太上者,虛無之神也;天地者,陰陽之神也;人蟲者,血肉之神也。其同者神,其異者形。是故形不靈而氣靈,語不靈而聲靈,覺不靈而夢靈,生不靈而死靈。水至清而結冰不清,神至明而結形不明。水泮返清,形散返明。能知真死者,可以遊太上之京。
太上は虚無の神、天地は陰陽の神、人虫は血肉の神である。同じなのは神、異なるのは形だ。だから形は霊でなくて気が霊、語は霊でなくて声が霊、醒めた時は霊でなくて夢が霊、生は霊でなくて死が霊である。水は極めて清いが、結んで冰になれば清くない。神は極めて明らかだが、結んで形になれば明らかでない。冰が化ければまた清に帰り、形が散じればまた明に帰る。何が真の死かを知る者は、太上の京城に游ぶことができる。
神交
神交
牝牡之道,龜龜相顧,神交也;鶴鶴相唳,氣交也。蓋由情愛相接,所以神氣可交也。是故大人大其道以合天地,廓其心以符至真,融其氣以生萬物,和其神以接兆民。我心熙熙,民心怡怡。心怡怡兮不知其所思,形惚惚兮不知其所為。若一氣之和合,若一神之混同,若一聲之哀樂,若一形之窮通。安用旌旗,安用金鼓,安用賞罰,安用行伍?斯可以將天下之兵,滅天下之敵。是謂神交之道也。
牝牡の道:亀と亀が互いに視るのは神交、鶴と鶴が互いに唳るのは気交である。情愛が相接するから、神気が相交することができる。だから大人はその道を拡げて天地に合わせ、その心を開いて至真に符契し、その気を融和して万物を生じ、その神を調和して兆民に交接する。我心は熙熙、民心は怡怡。心が怡怡として何を思っているか知らず、形が惚惚として何を為しているか知らない。一気の和合のよう、一神の混同のよう、一声の哀楽のよう、一形の窮通のようだ。どこに旌旗を用いることがあろう、どこに金鼓を用いることがあろう、どこに賞罰を用いることがあろう、どこに行伍を用いることがあろう。こうすれば天下の兵を統率し、天下の敵を滅ぼすことができる。これを神交の道と言う。
大含
大含
虛化神,神化氣,氣化形,形氣相乘而成聲。耳非聽聲也,而聲自投之;谷非應響也,而響自滿之。耳,小竅也;谷,大竅也。山澤,小谷也;天地,大谷也。一竅鳴,萬竅皆鳴;一谷聞,萬谷皆聞。聲道氣,氣道神,神道虛;虛含神,神含氣,氣含聲。聲氣形相道相含,雖秋蚊之翾翾,蒼蠅之營營,無所不至也。由此知之,雖絲毫之慮,必有所察;雖啾嚓之言,必有所聞。唯大人之機,天地莫能見,陰陽莫能知,鬼神莫能窺。夫何故?道德仁義之所為。
虚が神に化し、神が気に化し、気が形に化し、形と気が互いに乗じて声となる。耳は声を聴きに行くのではなく、声が自ら投じ入るのだ。山谷は回响に応えに行くのではなく、回响が自ら充満するのだ。耳は小さな竅、谷は大きな竅。山沢は小さな谷、天地は大きな谷である。一竅が鳴れば万竅がみな鳴り、一谷が聞けば万谷がみな聞く。声は気に通じ、気は神に通じ、神は虚に通じる。虚は神を含み、神は気を含み、気は声を含む。声・気・形が互いに通じ互いに含みあう。秋の蚊が翾翾と飛び、蠅が営営と鳴いても、至らない所はない。ここから、たとえ丝毫の思慮も必ず察せられる所があり、たとえ啾嚓の言葉も必ず聞かれる所があると知る。ただ大人の機は、天地も見えず、陰陽も知らず、鬼神も窺えない。なぜか。それは道徳仁義の為すところだからだ。
卷二術化
巻二 術化
雲龍
雲龍
雲龍風虎,得神氣之道者也。神由母也,氣由子也,以神召氣,以母召子,孰敢不至也?夫蕩穢者,必召五帝之氣,苟召不至,穢何以蕩?伏虺者,必役五星之精,苟役不至,虺何以伏?小人由是知陰陽可以作,風雲可以會,山陵可以拔,江海可以覆。然召之於外,不如守之於內,然後用之於外,則無所不可。
雲は龍に従い、風は虎に従う。神気の道を得ているからだ。神は母、気は子、神をもって気を召し、母をもって子を召せば、誰が敢えて来ないだろう。汚穢を蕩除する者は、必ず五帝の気を召す。もし召せなければ、穢を何で蕩すか。毒蛇を降伏する者は、必ず五星の精を役使する。もし役使できなければ、虺を何で伏せるか。小人はここから陰陽は造作でき、風雲は会合でき、山陵は抜き起こせ、江海は傾覆できると知る。しかし外に召すより、内に守るに如かない。そうして後に外に用いれば、不可ない。
猛虎
猛虎
猛虎行,草木偃;毒鴆怒,土石揭。威之所爍,氣之所搏,頑嚚為之作。小人由是知鋏可使之飛,山河可使之移,萬物可使之相隨。夫神全則威大,精全則氣雄。萬惑不能溺,萬物可以役。是故一人所以能敵萬人者,非弓刀之技,蓋威之至也;一人所以能悅萬人者,非言笑之惠,蓋和之至也。
猛虎が行けば草木がみな倒れ、毒鴆が怒れば土石がみな揭げる。威の灼く所、気の搏つ所は、頑愚の物もそれによって動作する。小人はここから長剣を飛ばすことができ、山河を移すことができ、万物を随わせることができると知る。神が全ければ威が大きく、精が全ければ気が雄だ。万の迷惑もそれを淹えることができず、万物はみな役使できる。だから一人で万人に敵するのは弓刀の技ではなく、威が極まったからだ。一人で万人を悦ばせるのは言笑の恩ではなく、和が極まったからだ。
用神
用神
蟲之無足:蛇能屈曲,蛭能掬蹙,蝸牛能蓄縮。小人所以見其機,由是得其師,可以坐致萬里而不馳。是故足行者有所不達,翼飛者有所不至,目視者有所不見,耳聽者有所不聞。夫何故?彼知形而不知神,此知神而不知形。以形用神則亡,以神用形則康。
足のない虫:蛇は屈曲でき、水蛭は身を掬いて蹙行でき、蝸牛は蓄縮できる。小人はこの機を見て、ここから師法を得、坐して万里に至り奔らない。だから足で走るのに到れない所があり、翼で飛ぶのに至れない所があり、目で見るのに見えないものがあり、耳で聴くのに聞こえないものがある。なぜか。あの人々は形を知って神を知らず、この人々は神を知って形を知らないからだ。形をもって神を用いれば亡び、神をもって形を用いれば康い。
水竇
水竇
水竇可以下溺,杵糠可以療噎。斯物也,始制於人,又複用於人。法本無祖,術本無狀,師之於心,得之於象。陽為陰所伏,男為女所制,剛為柔所克,智為愚所得。以是用之,則鐘鼓可使之啞,車轂可是之鬥,妻子可使之改易,君臣可使之離合。萬物本虛,萬法本無,得虛無之竅者,知法術之要乎!
水竇は溺れる人を下すことができ、杵糠は噎を治すことができる。これらの物は、始めは人が造ったもので、後にまた人の身に用いられた。法はもともと祖宗がなく、術はもともと形状がない。心から師法し、象から得る。陽は陰に伏せられ、男は女に制せられ、剛は柔に克たれ、智は愚に得られる。これをもって用いれば、鐘鼓を瘖にすることができ、車轂を闘わせることができ(底本「可是之斗」の「是」は「使」に作るべき)、妻子を改易させることができ、君臣を離合させることができる。万物はもともと虚、万法はもともと無。虚無の竅を得た者だけが、法術の領要を知るのだろう。
魍魎
魍魎
魍魎附巫祭言禍福事,每來則飲食言語皆神,每去則飲食言語皆人。不知魍魎之附巫祭也,不知巫祭之附魍魎也。小人由是知心可以交,氣可以易,神可以奪,魄可以錄。形為神之宮,神為形之容。以是論之,何所不可?
魍魎が巫祭の身に附着して禍福の事を言うと、来るたびに飲食言語が神のようになり、去るたびに飲食言語が人のようになる。魍魎が巫祭に附着したのか、巫祭が魍魎に附着したのか分からない。小人はここから心は相交することができ、気は改易でき、神は奪取でき、魄は登録できると知る。形は神の宮室、神は形の容貌。これをもって論ずれば、何ができないことがあろうか。
虛無
虚無
鬼之神可以御,龍之變可以役,蛇虺可以不能螫,戈矛可以不能擊。唯無心者火不能燒,水不能溺,兵刃不能加,天命不能死。其何故?志於樂者猶忘飢,志於憂者猶忘痛,志於虛無者可以忘生死。
鬼の神は駕御でき、龍の変は役使でき、蛇虺は螫せないようにでき、戈矛は撃たせないようにできる。ただ無心の人は、火も焼くことができず、水も淹れることができず、兵刃も加えることができず、天命も彼を死なせることができない。なぜか。志が楽にある者はなお飢を忘れ、志が憂にある者はなお痛を忘れる。志が虚無にある者は生死を忘れることができる。
虛實
虚実
方咫之木置於地之上,使人蹈之而有餘。方尺之木置於竿之端,使人踞之而不足。非物有小大,蓋心有虛實。是故冒大暑而撓者愈熱,受灸灼而懼者愈痛。人無常心,物無常性。小人由是知水可使不溼,火可使不燥。
方円咫尺ばかりの木を地上に置けば、人に踏ませても有余と感じる。方円一尺の木を竿の頭に置けば、人に蹲らせても不足と感じる。物に小大があるのではなく、心に虚実があるのだ。だから大暑を冒しても烦躁する者はますます熱く、灸灼を受けても恐懼する者はますます痛い。人に常心はなく、物に常性はない。小人はここから水を湿らせずでき、火を燥がせずできると知る。
狐狸
狐狸
狐狸之怪,雀鼠之魅,不能幻明鏡之鑑者,明鏡無心之故也。是以虛空無心而無所不知,昊天無心無萬象自馳,行師無狀而敵不敢欺,大人無慮而元精自歸,能師於無者,無所不之。
狐狸の怪、雀鼠の魅は、明鏡の鑑照を変幻できない。明鏡に心がないからだ。だから虚空は心なきも知らないものがなく、昊天は心なきも万象が自ら奔馳し(底本「無万象」、一説に「無」は「而」に作るべき)、行軍に形狀なきも敵は敢えて欺かず、大人に思慮なきも元精が自ら帰る。無に師法できる者は、到らない所がない。
轉舟
転舟
轉萬斛之舟者,由一尋之木;發千鈞之弩者,由一寸之機。一目可以觀大天,一人可以君兆民。太虛茫茫而有涯,太上浩浩而有象。得天地之綱,知陰陽之房,見精神之藏,則數可以奪,命可以活,天地可以反覆。
万斛の大船を転じるのは、一尋の舵木による。千鈞の大弩を発するのは、一寸の機括による。一つの目で大天を観ることができ、一人で兆民に君臨できる。太虚は茫茫としても辺際があり、太上は浩浩としても形象がある。天地の綱を得て、陰陽の房を知り、精神の蔵を見れば、気数を奪うことができ、性命を救活でき、天地を反覆できる。
心變
心変
至淫者化為婦人,至暴者化為猛虎,心之所變,不得不變。是故樂者其形和,喜者其形逸,怒者其形剛,憂者其形戚。斯亦變化之道也。小人由是知顧六尺之軀,可以為龍蛇,可以為金石,可以為艹木。大哉斯言!
極めて淫の者は婦人に化し、極めて暴の者は猛虎に化する。心の変ずる所は、変ぜざるを得ない。だから楽の者は形が和らぎ、喜の者は形が安逸し、怒の者は形が剛になり、憂の者は形が戚となる。これも変化の道だ。小人はここからこの六尺の躯を看顧すれば、龍蛇に変じることができ、金石に変じることができ、草木に変じることができると知る(底本「艹木」)。この言葉はなんと大きいことか。
珠玉
珠玉
悲則雨淚,辛則雨涕;憤則結癭,怒則結疽。心之所欲,氣之所屬,無所不育。邪苟為此,正必為彼。是以大人節悲辛,誡憤怒;得灝氣之門,所以收其根;知元神之囊,所以韜其光;若蚌內守,若石內藏,所以為珠玉之房。
悲しめば涙が落ち、辛ければ涕が落ちる。憤れば癭が結び、怒れば疽が結ぶ。心の欲する所、気の帰属する所は、生育しないものがない。邪がもしこれを為せば、正がかならずあれを為す。だから大人は悲辛を節制し、憤怒を警戒する。灝気の門を得て、その根を収斂し、元神の嚢を知って、その光を韜蔵する。蚌が内に守るように、石が内に蔵するようにして、珠玉の房となる。
蠮螉
蠮螉
夫蠮螉之蟲,孕螟蛉之子,傳其情,交其精,混其氣,和其神。隨物大小,俱得其真。蠢動無定情,萬物無定形。小人由是知馬可使之飛,魚可使之馳,土木偶可使之有知,嬰兒似乳母,斯道不遠矣。
蠮螉という虫は、螟蛉の子を我が子として、その情を伝え、その精を交え、その気を混ぜ、その神を和する。物の大小に随って、みなその真を得る。蠢動の物に一定の情はなく、万物に一定の形はない。小人はここから馬を飛ばすことができ、魚を走らせることができ、土木の偶に知を持たせることができると知る。嬰児が乳母に似るのは、この道が遠くないからだ。
胡夫
胡夫
胡夫而越婦,其子髯面而矬足;蠻夫而羌婦,其子抝鼻而昂首。梨接桃而本強者其實毛,梅接杏而本強者其實甘。以陰孕陽,以柔孕剛,以曲孕直,以短孕長,以大孕小,以圓孕方,以水孕火,以丹孕黃。小人由是知可以為金石,可以為珠玉,可以為異類,可以為怪狀,造化之道也。
胡の夫が越の婦に配すれば、子は顔に鬚があり脚は矮短になる。蛮の夫が羌の婦に配すれば、子は鼻が歪み頭が高く仰ぐ。梨を桃に接いで本が強ければ、果実に毛がある。梅を杏に接いで本が強ければ、果実が甘い。陰をもって陽を孕み、柔をもって剛を孕み、曲をもって直を孕み、短をもって長を孕み、大をもって小を孕み、円をもって方を孕み、水をもって火を孕み、丹をもって黄を孕む。小人はここから金石を成すことができ、珠玉を成すことができ、異類を成すことができ、怪状を成すことができると知る。これが造化の道だ。
陰陽
陰陽
陰陽相搏,不根而生芝菌;燥溼相育,不母而生蝤蠐。是故世人體陰陽而根之,斆燥溼而母之,無不濟者。小人由是知陶煉五行,火之道也;流行無窮,水之道也;八卦環轉,天地之道也;神物乃生,變化之道也。是以君子體物而知身,體身而知道。夫大人之道幽且微,則不知其孰是孰非。
陰陽が相搏てば、根なきも芝菌を生じ、燥湿が相育てば、母なきも蛴螬を生ず。だから世人は陰陽を察してその根となし、燥湿を法ってその母となせば、済らないことはない。小人はここから陶錬五行は火の道、流行無窮は水の道、八卦環転は天地の道、神物ここに生ずるは変化の道と知る。だから君子は物を察して身を知り、身を察して道を知る。大人の道は幽深微細にして、どれが是でどれが非か知られない。
海魚
海魚
海魚有以蝦為目者,人皆笑之。殊不知古人以囊螢為燈者,又不知晝非日之光則不能馳,夜非燭之明則有所欺。觀傀儡之假而不自疑,嗟明友之逝而不自悲,賢興愚莫知,唯抱純白、養太玄者,不入其機。
海の魚に、蝦を目にするものがある。人はみなそれを笑う。古人は袋に螢火を入れて灯としたことを知らず、また昼は日の光なくては奔れず、夜は燭の明なくては欺瞞されることを知らない。傀儡の假を見ても自らを疑わず、朋友の逝くを歎きても自らを悲しまず、賢か愚か誰も知らない。ただ純白を抱き、太玄(幽深難測)を養う者だけが、あの機に落ちない。
磵松
磵松
磵松所以能凌霜者,藏正氣也;美玉所以能犯火者,蓄至精也。是以大人晝運靈旗,夜錄神芝(宋本、元本作:晝運生靈,夜錄神鬼),覺所不覺,思所不思,可以冬御風而不寒,夏御火而不熱。故君子藏正氣者,可以遠鬼神、伏奸佞;蓄至精者,可以福生靈、保富壽。夫何為?多少之故也。
磵辺の松が霜を凌げるのは、正気を蔵しているからだ。美玉が火を犯せるのは、至精を蓄えているからだ。だから大人は昼に靈旗を運転し、夜に神芝を登録し(宋本・元本は「昼運生霊、夜録神鬼」)、彼の覚えざるを覚え、彼の思わざるを思えば、冬に風を駕しても寒からず、夏に火を御しても熱からない。だから君子で正気を蔵する者は、鬼神を遠ざけ奸佞を降伏できる。至精を蓄える者は、生霊を福佑し富寿を保全できる。何によるか。多少の故だけだ。
動靜
動靜
動靜相磨,所以化火也;燥溼相蒸,所以化水也;水火相勃,所以化雲也;湯盎投井,所以化雹也;飲水雨日,所以化虹霓也。小人,由是知陰陽可以召,五行可以役,天地可以別構,日月可以我作。有聞是言者,必將以為誕。夫民之形也,頭圓而足方,上動而下靜,五行運於內,二曜明於外。斯亦別構之道也。
動靜が相磨ぐから火に化し、燥湿が相蒸すから水に化し、水火が相激するから雲に化する。熱湯の盆を井に投げれば雹に化し、飲んだ水が雨と日に対すれば虹蜺に化する。小人はここから陰陽を召すことができ、五行を役使でき、天地を別に構造でき、日月を我が作り出せると知る。この言を聞く者は、必ず荒誕と思うだろう。しかし人の形は、頭が円く脚が方く、上が動き下が靜かで、五行が内に運転し、日月が外に照明する。これも別に構造する理だ。
聲氣
聲氣
操琴瑟之音,則翛然而閒;奏鄧衛之音,則樂然而逸;碎瓴甓之音,則背膂凜森;撾鼓鼙之音,則鴻毛躑躅,其感激之道也如是。以其和也,召陽氣,化融風,生萬物也。其不和也,作陰氣,化厲風,辱萬物也。氣由聲也,聲由氣也,氣動則聲發,聲發則氣振,氣振則風行而萬物變化也。是以風雲可以命,霜雹可以致,鳳凰可以歌,熊羆可以舞,神明可以友,用樂之術也甚大。
琴瑟の音を奏でれば翛然として閑適になり、鄭衛の音を演じれば樂然として安逸になる(底本「鄧衛」の「鄧」は「鄭」に作るべき)。瓴甓を打ち碎く音を聴けば脊背が凜森となり、鼓鼙を擂る音を聴けば鴻毛のように躑躅する。感応激盪の理はこのようだ。和なるがゆえに陽氣を召して融風に化し、萬物を生育する。不和なるがゆえに陰氣を興して厲風に化し、萬物を挫辱する。氣は聲由り、聲は氣由り、氣動けば聲發し、聲發すれば氣振い、氣振えば風行して萬物變化する。だから風雲を命令でき、霜雹を招致でき、鳳凰に歌わせ、熊羆に舞わせ、神明と交友できる。樂を用いる法術は非常に大きい。
大同
大同
虛含虛,神含神,氣含氣,明含明,物含物。達此理者,情可以通,形可以同。同於火者化為火,同於水者化為水,同於日月者化為日月,同於金石者化為金石。唯大人無所不同,無所不化,足可以與虛皇並駕。
虚は虚を含み、神は神を含み、氣は氣を含み、明は明を含み、物は物を含む。この理に達する者は、情が通じ、形が同じくできる。火に同じければ火に化し、水に同じければ水に化し、日月に同じければ日月に化し、金石に同じければ金石に化する。ただ大人のみ同じからないものなく、化しないものなく、虚皇と竝駕するに足る。
帝師
帝師
鏡非求鑑於物,而物自投之;橐非求飽於氣,而氣自實之。是故鼻以虛受臭,耳以虛受聲,目以虛受色,舌以虛受味。所以心同幽冥,則物無不受;神同虛無,則事無不知。是以大人奪其機,藏其微,羽符至怪,陰液甚奇,可以守國,可以救時,可以坐為帝王之師。
鏡は物を照らしに求めないのに、物は自ら投じ上がる。風箱は氣を充滿させに求めないのに、氣は自らそれを充実する。だから鼻は虚をもって氣味を受け、耳は虚をもって聲を受け、目は虚をもって色を受け、舌は虚をもって味を受ける。だから心が幽冥と同じければ、受けられない物はなく、神が虚無と同じければ、知らない事はない。だから大人はその機を奪い、その微を蔵する。羽符は極めて怪しく、陰液は極めて奇で、國を守ることができ、時を救うことができ、坐して帝王の師となることができる。
琥珀
琥珀
琥珀不能呼腐芥,丹砂不能入焦金,磁石不能取憊鐵,元氣不能發陶爐。所以大人善用五行之精,善奪萬物之靈,食天人之祿,駕風馬之榮。其道也在忘其形而求其情。
琥珀は腐れた芥を召せず、丹砂は焦げた金に入らず、磁石は疲れた鐵を吸わず、元氣は陶爐を動かせない。だから大人は五行の精を善く用い、萬物の靈を善く奪い、天人の祿を食み、風馬の榮を駕する。この道は、形を忘れてその情を求めることにある。
卷三德化
巻三 德化
五常
五常
儒有講五常之道者,分之為五事,屬之為五行,散之為五色,化之為五聲,俯之為五嶽,仰之為五星,物之為五金,族之為五靈,配之為五味,感之為五情。所以聽之者若酰雞之遊太虛,如井蛙之浮滄溟,莫見其鴻蒙之涯,莫測其浩渺之程。日暮途遠,無不倒行。殊不知五常之道一也,忘其名則得其理,忘其理則得其情。然後牧之以清靜,棲之以杳冥,使混我神氣,符我心靈。若水投水,不分其清;若火投火,不間其明。是謂奪五行之英,盜五常之精,聚之則一芥可包,散之則萬機齊亨。其用事也如酌醴以投器,其應物也如懸鏡以鑑形。於是乎變之為萬象,化之為萬生,通之為陰陽,虛之為神明。所以運帝王之籌策,代天地之權衡,則仲尼其人也。
儒者に五常の道を講ずる者があって、それを分けて五事とし、五行に歸屬し、散じて五色となり、化して五聲となり、俯して五嶽を成し、仰いで五星を成し、物化して五金となり、族類して五靈となり、配して五味となり、感じて五情となる。聽く者は蠛蠓が太虚を遊ぶよう、井蛙が滄溟に浮かぶようで、鴻濛の辺際を見ず、浩渺の路程を測らない。日暮れて途遠く、倒行しない者がない。殊に知らないのは、五常の道は一だということ。名稱を忘れれば理を得、理を忘れれば情を得る。然して後に清静をもって牧養し、杳冥をもって安棲させ、我が神氣に混同させ、我が心靈に符契させる。水を水に投げるように、清濁を分かたず、火を火に投げるように、光明を間隔しない。これを五行の英華を奪い、五常の精を盗むと言う。聚めれば一粒の芥も包み、散じれば萬機が一齊に亨通する。その事を用いるは醴酒を器皿に酌むように、その物に應ずるは鏡を懸けて形を鑑るように。ここに變じて萬象となり、化して萬生となり、通じて陰陽となり、虚して神明となる。だから帝王の籌策を運し、天地の權衡を代わることができる。あれは仲尼という人だ。
飛蛾
飛蛾
天下賢愚,營營然若飛蛾之投夜燭,蒼蠅之觸曉窗。知往而不知返,知進而不知退。而但知避害而就利,不知聚利而就害。夫賢於人而不賢於身,何賢之謂也?博於物而不博於己,何博之謂也?是以大人利害俱忘,何往不臧?
天下の賢愚は、營營として飛蛾が夜燭に投ずるよう、蠅が曉窓に撞くようだ。往くを知って返るを知らず、進むを知って退くを知らない。ただ害を避け利に就くことを知って、利を聚めればすなわち害に就くことを知らない。人に賢であって自らに賢でなければ、何を賢と言うか。物に博であって自らに博でなければ、何を博と言うか。だから大人は利害を皆忘れる。どこに至って善くないことがあろうか。
異心
異心
虎踞於林,蛇遊於澤,非鴟鳶之讎;鴟鳶從而號之,以其蓄異心之故也。牛牧于田,豕眠於圃,非烏鵲之馭;烏鵲從而乘之,以其無異心之故也。是故麟有利角,眾獸不伏;鳳有利觜,眾鳥不賓;君有奇智,天下不臣。善馳者終於蹶,善鬥者終於敗。有數則終,有智則窮。巧者為不巧者所使,詐者為不詐者所理。
虎が林に蹲り、蛇が沢に游ぶのは、鴟鳶の仇敵ではない。ところが鴟鳶はついてきて号叫する。異心を蓄えているからだ。牛が田で草を食み、豚が圃で寝るのは、烏鵲の乗騎ではない。ところが烏鵲はついてきて乗る。異心がないからだ。だから麒麟に利角があっても、衆獣は降伏しない。鳳凰に利嘴があっても、衆鳥は賓服しない。君主に奇智があっても、天下は臣と称しない。善く走る者は終に蹶き、善く闘う者は終に敗れる。術数あれば終わり、智巧あれば窮まる。巧なる者は不巧なる者に使われ、詐なる者は不詐なる者に治められる。
弓矢
弓矢
天子作弓矢以威天下,天下盜弓矢以侮天子。君子作禮樂以防小人,小人盜禮樂以僭君子。有國者好聚斂,蓄粟帛、具甲兵以御賊盜,賊盜擅甲兵、踞粟帛以奪其國,或曰:“安危德也。”又曰:“興亡數也。”苟德可以恃,何必廣粟帛乎?苟數可以憑,何必廣甲兵乎?
天子が弓矢を作って天下を威しても、天下は弓矢を盗んで天子を侮慢する。君子が礼楽を作って小人を防いでも、小人は礼楽を盗んで君子を僭越する。国を有する者が聚斂を好み、粟帛を蓄積し甲兵を備えて賊盗を禦いでも、賊盗は甲兵を擅用し粟帛を占拠してその国を奪う。ある人は言う、「安危は徳にあり」と。また言う、「興亡は数にあり」と。もし徳が仗恃できるなら、何で粟帛を広く積む必要があろう。もし数が憑依できるなら、何で甲兵を広く備える必要があろう。
聰明
聡明
無所不能者,有大不能;無所不知者,有大不知,夫忘弓矢然後知射之道,忘策轡然後知馭之道,忘弦匏然後知樂之道,忘智慮然後知大人之道。是以天下之主,道德出於人;理國之主,仁義出於人;亡國之主,聰明出於人。
能くないものない者には大いなる不能があり、知らないものない者には大いなる不知がある。弓矢を忘れて然後に射の道を知り、鞭轡を忘れて然後に御の道を知り、弦匏を忘れて然後に楽の道を知り、智慮を忘れて然後に大人の道を知る。だから天下の主は、道徳が人に出る。治国の主は、仁義が人に出る。亡国の主は、聡明が人に出る。
有國
有国
有國之禮,享郊廟,敬鬼神也;亹龜策占吉凶也。敬鬼神,信禍福之職也;占吉凶,信興亡之數也。柰何有大不信,窮民之力以為城郭,奪民之食以為儲蓄?是福可以力取,是禍可以力敵;是疑貳於鬼神,是欺惑於龜策,是不信於天下之人;斯道也,賞不足勸,罰不足懼,國不足守。
有国の礼は、郊廟を享祭するのが鬼神を敬うことで、亀策を陳列して吉凶を問卜する。鬼神を敬うのは、禍福の職分を信じること。吉凶を問卜するのは、興亡の気数を信じること。奈何にも大いなる不信がある:民力を窮めて城郭を築き、民食を奪って儲蓄を為すとは。これは福は力をもって取れる、禍は力をもって敵できると思うことだ。これは鬼神に疑貳し、亀策に欺惑し、天下の人に信じないことだ。この道は、賞しても勧むに足らず、罰しても懼れに足らず、国は守るに足らない。
黃雀
黄雀
黃雀之為物也,日遊於庭,日親於人而常畏人,而人常撓之。玄鳥之為物也,時遊於戶,時親於人而不畏人,而人不撓之,彼行促促,此行佯佯;彼鳴啾啾,此鳴鏘鏘;彼視矍矍,此視汪汪;彼心慼慼,此心堂堂。是故疑人者為人所疑,防人者為人所防。君子之道,仁與義、中與正,何憂何害!
黄雀という物は、日々庭院に游び、日々人に親しみながら常に人を怕れる。人もまた常にそれを擾す。燕という物は、時には門戸に游び、時には人に親しんで人を怕れない。人もまたそれを擾さない。あれは行くに促促、このは行くに佯佯。あれは鳴くに啾啾、このは鳴くに鏘鏘。あれは見るに矍矍、このは見るに汪汪。あれは心に戚戚、このは心に堂堂。だから人を疑う者は人に疑われ、人を防ぐ者は人に防がれる。君子の道は、仁と義、中と正。何の憂があろう、何の害があろう。
籠猿
籠猿
籠中之猿,踴躍萬變不能出於籠;匣中之虎,狂怒萬變不能出於匣;小人之機,智慮萬變不能出於大人之道。夫大人之道,如地之負,如天之垂。無日不怨,無人不欺,怨不我怒,欺不我夷,然後萬物知其所歸。
籠中の猿は、踊躍して万変しても籠を出られない。匣中の虎は、狂怒して万変しても匣を出られない。小人の機巧は、智慮して万変しても大人の道を出られない。大人の道は、地のように承載し、天のように垂覆する。一日として怨まない日はなく、一人として欺かない人はないが、怨まれても我を怒らせず、欺かれても我を傷つけない。然後に万物は帰宿を知る。
常道
常道
仁義者常行之道,行之不得其術,以至於亡國。忠信者常用之道,用之不得其術,以至於獲罪。廉潔者常守之道,守之不得其術,以至於暴民。財辯者常御之道,御之不得其術,以至於罹禍。蓋拙在用於人,巧在用於身。使民親稼則怨,誡民輕食則怒。夫餌者魚之嗜,羶者蟻之慕,以餌投魚魚必以懼,以羶投蟻蟻必去,由不得化之道。
仁義は常行の道だが、行がその術を得なければ、亡国に至る。忠信は常用の道だが、用がその術を得なければ、罪を獲るに至る。廉潔は常守の道だが、守がその術を得なければ、百姓を暴虐するに至る。財弁は常御の道だが、御がその術を得なければ、禍に遭うに至る。拙は人を用うるに在り、巧は身を用うるに在り。民を稼穡に親しませれば民は怨み、食を軽んじよと誡めれば民は怒る。餌は魚の嗜むところ、羶は蟻の慕うところだが、餌を魚に投げれば魚は必ず恐懼し、羶を蟻に投げれば蟻は必ず離れる。化の道を得ていないからだ。
感喜
感喜
感父之慈,非孝也;喜君之寵,非忠也。感始於不感,喜始於不喜。多感必多怨,多喜必多怒。感喜在心,由物之有毒,由蓬之藏火,不可不慮。是以君子之業,爵之不貴,禮之不大,親之不知,疏之不疑,辱之不得,何感喜之有。
父の慈に感激するのは孝ではなく、君主の寵を喜ぶのは忠ではない。感は感ない所から始まり、喜は喜ばない所から始まる。感多ければ必ず怨多く、喜多ければ必ず怒多い。感喜は心の中にあって、物の中に毒があるよう、蓬草の中に火を蔵するようだ。慮らざるべからず。だから君子の事業は、爵位を与えられても貴ばず、礼遇を与えられても大とせず、親しまれても知らず、疎まれても疑わず、侮辱されても得ない。何の感喜があろうか。
太醫
太医
太醫之道,脈和而實者為君子,生之道也;撓而浮者為小人,死之道也。太卜之道,策平而慢者為君子,吉之道也;曲而利者為小人,兇之道也。以是論之,天下之理一也,是故觀其國,則知其臣;觀其臣,則知其君;觀其君,則知其興亡。臣可以擇君而仕,君可以擇臣而任。夫揖讓可作而躁靜不可作,衣冠可詐而形器不可詐,言語可文而聲音不可文。
太医の道は、脈が和で実なるは君子、生の道。撓れて浮なるは小人、死の道。太卜の道は、策が平らかで慢なるは君子、吉の道。曲がりて利なるは小人、凶の道。これをもって論ずれば、天下の理は一だ。だからその国を見ればその臣を知り、その臣を見ればその君を知り、その君を見れば興亡を知る。臣は君を択んで出仕することができ、君は臣を択んで任用することができる。揖譲は做作できるが、躁靜は做作できない。衣冠は詐れるが、形器は詐れない。言語は文飾できるが、聲音は文飾できない。
讒語
讒語
藏於人者謂之機,奇於人者謂之謀。殊不知道德之機,眾人所知;仁義之謀,眾人所無。是故有賞罰之教則邪道進,有親疏之分則小人入。夫棄金於市,盜不敢取;詢政於朝,讒不敢語,天下之至公也。
人に蔵するを機と言い、人に奇特なを謀と言う。殊に知らないのは、道徳の機は衆人が皆知っているが、仁義の謀は衆人にないことだ。だから賞罰の教があれば邪道が入り、親疎の分別があれば小人が入る。金子を集市に棄てれば、盗も敢えて取らない。朝廷上で政事を問えば、讒人も敢えて言わない。これが天下の至公だ。
刻畫
刻畫
畫者不敢易於圖象,苟易之,必有咎。刻者不敢侮於本偶,苟侮之,必貽禍。始製作於我,又要敬於我,又置禍於我。是故張機者用於機,設險者死於險,建功者辱於功,立法者罹於法。動一竅則百竅相會,舉一事則萬事有害,所以機貴乎明,險貴乎平,功貴乎無狀,法貴乎無象。能出刻畫者,可以名之為大象。
畫を畫く者は圖像を改易するを敢えてしない。改易すれば、必ず咎害がある。刻る者は木偶(底本「本偶」の「本」は「木」に作るべき)を侮慢するを敢えてしない。侮慢すれば、必ず禍を留める。始めは我が作ったのに、また我に敬わせ、また禍を我の身に加える。だから機關を張設する者は機關に死し、險を設ける者は險に死し、功を建てる者は功に辱められ、法を立てる者は法に罹る。一竅を動かせば百竅が相會し、一事を擧げれば萬事が害ある。だから機は明に貴し、險は平に貴し、功は形狀なきに貴し、法は跡象なきに貴し。刻畫を超出できる者は、これを大像と稱できる。
酒醴
酒醴
夫酒醴者,迫之飲愈不飲,恕之飲愈欲飲。是故抑人者人抑之,容人者人容之;貸其死者樂其死,貸其輸者樂其輸。所以民盜君之德,君盜民之力。能知反覆之道者,可以居兆民之職。
酒醴という物は、逼って飲ませるほど飲まず、寛くして飲ませるほど飲みたがる。だから人を抑壓する者は人に抑壓され、人を寛容する者は人に寛容される。彼を死に寛貸する者は樂んで死に、彼を輸に寛貸する者は樂んで輸にする。だから民は君の德を盜み、君は民の力を盜む。反覆の道を知る者は、兆民を治める職分を擔當できる。
恩賞
恩賞
侯者人所貴,金者人所重,眾人封公而得侯者不美,眾人分玉而得金者不樂。是故賞不可妄行,恩不可妄施。其當也由為爭奪之漸,其不當也即為亂亡之基。故我自卑則賞不能大,我自儉則恩不得奇。歷觀亂亡之史皆驕侈,恩賞之所以為也。
侯は人の貴ぶところ、金は人の重んずるところ。衆人が公に封じられて侯のみ得れば美しからず、衆人が玉を分かちて金のみ得れば樂しまず。だから賞は妄りに行えず、恩は妄りに施せない。當を得てもなお爭奪の開端で、當を得なければ乱亡の根基である。だから我自ら謙卑すれば、賞は大きくできない。我自ら節儉すれば、恩は奇しくできない。亂亡の史書を歴觀すれば、みな驕侈で、まさに恩賞の致すところだ。
養民
養民
民不怨火而怨使之禁火,民不怨盜而怨使之防盜。是故濟民不如不濟,愛民不如不愛。天有雨露,所以招其怨;神受禱祝,所以招其謗。夫禁民火不如禁心火,防人盜不如防我盜,其養民也如是。
民は火を怨まず、彼らに火を禁じさせた者を怨む。民は盜を怨まず、彼らに盜を防がせた者を怨む。だから民を救濟するは救濟しないに如かず、民を愛するは愛しないに如かず。天に雨露があれば、怨を招く。神が禱祝を受ければ、謗を招く。民の火を禁ずるは心火を禁ずるに如かず、人の盜を防ぐは我盜を防ぐに如かず。民を養うはこのようだ。
卷四仁化
巻四 仁化
得一
得一
曠然無為之謂道,道能自守之謂德,德生萬物之謂仁,仁救安危之謂義,義有去就之謂禮,禮有變通之謂智,智有誠實之謂信,通而用之之謂聖。道,虛無也,無以自守,故授之以德。德,清靜也,無以自用,故授之以仁。仁用而萬物生,萬物生必有安危,故授之以義。義濟安拔危,必有臧否,故授之以禮。禮秉規持範,必有疑滯,故授之以智。智通則多變,故授之以信,信者,成萬物之道也。
曠然無為(主觀の意志で強く干渉せず、事物にその本性のままに運行させる。何もしないことではない)を道と言い、道が自ら守れるを德と言い、德が萬物を生ずるを仁と言い、仁が安危を救うを義と言い、義に去あるを禮と言い、禮に變通あるを智と言い、智に誠實あるを信と言い、貫通して運用するを聖と言う。道は虚無で、自ら守る法がない。だから德を授ける。德は清静で、自ら用いる法がない。だから仁を授ける。仁を用いれば萬物が生じ、萬物生じれば必ず安危がある。だから義を授ける。義は安を濟い危を拔くが、必ず臧否がある。だから禮を授ける。禮は規矩を秉持するが、必ず疑滯がある。だから智を授ける。智は通じれば多變する。だから信を授ける。信は、萬物を成就する道である。
五行
五行
道德者,天地也。五常者,五行也。仁,發生之謂也,故君於木。義,救難之謂也,故君於金。禮,明白之謂也,故君於火。智,變通之謂也,故君於水。信,愨然之謂也,故君於土。仁不足則義濟之,金伐木也。義不足則禮濟之,火伐金也。禮不足則智濟之,水伐火也。智不足則信濟之,土伐水也。始則五常相濟之業,終則五常相伐之道,斯大化之往也。
道徳は天地であり、五常は五行である。仁は發生の義だから木に屬する。義は救難の義だから金に屬する。禮は明白の義だから火に屬する。智は變通の義だから水に屬する。信は誠懇の義だから土に屬する。仁足らなければ義が濟しに來る。金が木を伐つ。義足らなければ禮が濟しに來る。火が金を伐つ。禮足らなければ智が濟しに來る。水が火を伐つ。智足らなければ信が濟しに來る。土が水を伐つ。始めは五常が相濟する事業、終わりは五常が相伐する道理。これが大化の往復である。
畋漁
畋漁
夫禽獸之於人也何異?有巢穴之居,有夫婦之配,有父子之性,有死生之情。烏反哺,仁也;隼憫胎,義也;蜂有君,禮也;羊跪乳,智也;雉不再接,信也。孰究其道?萬物之中,五常百行無所不有也,而教之為綱罟,使之務畋漁。且夫焚其巢穴,非仁也;奪其親愛,非義也;以斯為享,非禮也;教民殘暴,非智也;使萬物懷疑,非信也。夫羶臭之慾不止,殺害之機不已。羽毛雖無言,必狀我為貪狼之與封豕;鱗介雖無知,必名我為長鯨之與巨虺也。胡為自安,焉得不恥?籲!直疑自古無君子。
禽獣は人と何が違うか。巣穴の居処があり、夫婦の匹配があり、父子の天性があり、死生の情がある。烏が反哺するのは仁、隼が胎を憐れむのは義、蜂に君あるのは礼、羊が跪いて乳を飲むのは智、雉が再び交尾しないのは信である。誰がこの道を追究したことがあろう。万物の中に、五常百行は有らないものがないのに、人を教えて網罟を作らせ、畋猟漁撈に従事させる。その巣穴を焼くは仁ではなく、その親愛を奪うは義ではなく、これをもって享祭するは礼ではなく、民を教えて残虐にするは智ではなく、万物を疑わせるは信ではない。羶臭の欲は停まらず、殺害の機心は已まない。羽毛のものは言無くとも、必ず我を貪狼封豕と見、鱗甲のものは知無くとも、必ず我を長鯨巨虺と呼ぶ。何で自安できるか、どうして羞恥しないか。嗚呼、古来君子がいなかったのではと疑うほどだ。
犧牲
犧牲
犧牲之享,羔雁之薦,古之禮也。且古之君子,非不知情之憂喜、聲之哀樂能動天地、能感鬼神。刀杌前列,則憂喜之情可知矣;鷹犬齊至,則哀樂之聲可知矣。以是祭天地,以是禱神明,天地必不享,苟享之必有咎;神明必不歆,苟歆之必有悔。所以知神龍見,喪風雲之象也;鳳凰來,失尊戴之象也;麒麟出,亡國土之象也。觀我之義,禽必不義也;以彼為祥,禽必不祥也。
犧牲の享祭、羔雁の進獻は、古の禮である。古の君子は、情の憂喜、聲の哀樂が天地を感動し鬼神を感通することを知らなかったのではない。刀俎が前に陳列すれば、憂喜の情は知れる。鷹犬が一齊に至れば、哀樂の聲は知れる。これをもって天地を祭り、これをもって神明を禱れば、天地は必ず享けず、享ければ必ず咎害があり、神明は必ず歆享せず、歆享すれば必ず悔恨がある。だから神龍の出現は、風雲を失う象、鳳凰の到來は、尊戴を失う象、麒麟の出るは、國土を亡す象と知る。我らの義を見れば、禽は必ず不義と思い、彼らを祥瑞とすれば、禽は必ず不祥と思う。
太和
太和
非兔狡,獵狡也;非民詐,吏詐也。慎勿怨盜賊,盜賊惟我召;慎勿怨叛亂,叛亂稟我教。不有和睦,焉得仇讎;不有賞勸,焉得鬥爭。是以大人無親無疏,無愛無惡,是謂太和。
兎が狡いのではなく、猟する人が狡いのだ。民が詐欺なのではなく、吏が詐欺なのだ。盗贼を怨むことなかれ。盗贼は我が召したものだ。叛乱を怨むことなかれ。叛乱は我の教導を禀承したものだ。和睦なければ、何の仇敵があろう。賞勸なければ、何の鬥爭があろう。だから大人は親なく疏なく、愛なく惡なし。これを太和と言う。
墨魚
墨魚
海魚有吐墨水上庇其身而遊者,人因墨而漁之。夫智者多屈,辯者多辱,明者多蔽,勇者多死。扃鐍固,賊盜喜;忌諱嚴,敵國幸。禁可以越者,號也;兵可以奪者,符也。蜀敗於山,晉敗於馬。夫大人之機,道德仁義而已矣。
海の魚に、墨を吐いて身を遮りて游ぶものがある。人はその墨によってそれを捕える。智の者多く屈し、辯の者多く辱し、明の者多く蔽れ、勇の者多く死す。門は鎖すれば鎖するほど固く、盗贼は喜び、忌諱は嚴にすればするほど敵國は慶幸する。禁令で越えられるは名號、兵權で奪われるは符節。蜀は山で敗れ、晉は馬で敗れた。大人の機は、ただ道徳仁義だけだ。
神弓
神弓
譽人者人譽之,謗人者人謗之,是以君子能罪己,斯罪人也;不報怨,斯報怨也。所謂神弓鬼矢,不張而發,不注而中。天得之以假人,人得之以假天下。
人を稱譽する者は人に稱譽され、人を毀謗する者は人に毀謗される。だから君子は自らに罪を歸することができる。これが人に罪を歸するだ。怨に報いない、これが怨に報いるだ。いわゆる神弓鬼箭は、張らずして發し、瞞らずして中る。天がそれを得て人に假し、人がそれを得て天下に假す。
救物
救物
救物而稱義者,人不義之;行惠而求報者,人不報之。民之情也,讓之則多,爭之則少,就之則去,避之則來;與之則輕,惜之則奪。是故大義無狀,大恩無象。大義成,不知者荷之;大恩就,不識者報之。
物を救って自ら義と稱する者は、人は彼を義としない。惠を行って報を求める者は、人は彼に報いない。民の情は、讓れば多く、爭えば少なく、湊れば離れ、避ければ來る。與えれば輕んじ、吝惜すれば奪われる。だから大義に形狀なく、大恩に迹象なし。大義が成れば、知らない者がそれを承け、大恩が濟れば、識らない者がそれに報いる。
書道
書道
心不疑乎手,手不疑乎筆,忘手筆,然後知書之道。和暢,非巧也;淳古,非樸也;柔弱,非美也;強梁,非勇也。神之所浴,氣之所沐。是故點策蓄血氣,顧盼含情性。無筆黑之跡,無機智之狀;無剛柔之容,無馳騁之象。若皇帝之道熙熙然,君子之風穆穆然。是故觀之者,其心樂,其神和,其氣融,其政太平,其道無朕。夫何故?見山思靜,見水思動,見雲思變,見石思貞,人之常也。
心が手を疑わず、手が筆を疑わず、手と筆を忘れて、然後に書の道を知る。和暢は巧ではなく、淳古は樸(加工されていない原木で、人為に雕琢されていない本真の狀態の喻)ではなく、柔弱は美ではなく、強梁は勇ではない。神の沐浴する所、氣の浸潤する所。だから點畫に血氣が蓄わり、顧眄に情性が含まれる。筆墨の痕迹なく、機智の形狀なく、剛柔の容貌なく、馳騁の迹象なし。皇帝の道は熙熙然、君子の風は穆穆然。だから觀る者は、心樂し、神和し、氣融け、政事太平で、道に朕兆なし。なぜか。山を見れば靜を思い、水を見れば動を思い、雲を見れば變を思い、石を見れば貞固を思う。これが人の常情だ。
鳳鴟
鳳鴟
鳳不知美,鴟不知惡,陶唐氏不知聖,有苗氏不知暴。使陶唐氏恃其聖,非聖也;有苗氏知其暴,不暴也。眾人皆能寫人之形,而不能寫己之形;皆能求人之惡,而不能求己之惡;皆能知人之禍,而不能知己之禍。是以大人聽我聲,察我色,候我形,伺我氣,然後知人之情偽。
鳳凰は自ら美を知らず、鴟は自ら惡を知らず、陶唐氏は自ら聖を知らず、有苗氏は自ら暴を知らない。もし陶唐氏がその聖を仗恃すれば、聖ではない。有苗氏がその暴を知れば、暴ではない。衆人はみな他人の形を描畫できるが、自らの形を描畫できない。みな他人の惡を求められるが、自らの惡を求められない。みな他人の禍を知れるが、自らの禍を知れない。だから大人は我の聲を聽き、我の色を察し、我の形を候い、我の氣を伺って、然後に人情の真僞を知る。
知人
知人
觀其文章,則知其人之貴賤焉;觀其書篆,則知其人之情性焉;聞其琴瑟,則知其人之道德焉;聞其教令,則知其人之吉凶焉。小人由是知唐堯之容淳淳然,虞舜之容熙熙然,伯禹之容蕩蕩然,殷湯之容堂堂然,文王之容巍巍然,武王之容諤諤然,仲尼之容皇皇然。則天下之人,可以自知其愚與賢。
その文章を見れば、その人の貴賤を知る。その書篆を見れば、その人の情性を知る。その琴瑟を聽けば、その人の道徳を知る。その教令を聽けば、その人の吉凶を知る。小人はここから、唐堯の容は淳淳然、虞舜の容は熙熙然、伯禹の容は蕩蕩然、殷湯の容は堂堂然、文王の容は巍巍然、武王の容は諤諤然、仲尼の容は皇皇然と知る。然らば天下の人は、自ら己が愚か賢かを知ることができる。
螻蟻
螻蟻
螻蟻之有君也,一拳之宮,與眾處之;一塊之臺,與眾臨之;一粒之食,與眾蓄之,一蟲之肉,與眾咂之;一罪之疑,與眾戮之。故得心相通而後神相通。神相通而後氣相通,氣相通而後形相通。故我病則眾病,我痛則眾痛,怨何由起,叛何由始?斯太古之化也。
螻蟻にも君がある:一拳大の宮は、衆と同じく處し、一塊大の臺は、衆と同じく臨み、一粒の食は、衆と同じく蓄え、一、一條の蟲の肉は、衆と同じく咂し、一樁の疑いある罪は、衆と同じく戮す。だから心が通じて然後に神が通じ、神が通じて然後に氣が通じ、氣が通じて然後に形が通ず。だから我病めば衆病み、我痛めば衆痛む。怨はどこから起り、叛はどこから始まるか。これが太古の化だ。
歌舞
歌舞
能歌者,不能者聽之;能舞者,不能者觀之;巧者,不巧者辨之;賢者,不賢者任之。夫養木者必將伐之,待士者必將死之。綱之以冠冕,釣之以爵祿。若馬駕車輅,貴不我得;彘食糟糠,肥不我有。是以大人道不虛貴,德不虛守;貧有所倚,進有所恃。退者非樂寒賤,而甘委棄。
歌える者は、歌えない者が聽く。舞える者は、舞えない者が觀る。巧なるは、不巧なるが來り辨認する。賢なるは、不賢なるが來り任用する。木を養う者は必ずそれを伐採し、士に對する者は必ず彼を死なせる。冠冕をもって網羅し、爵祿をもって釣取る。馬が車輅を挽くように、貴は我に輪らず。豬が糟糠を食むように、肥も我のものではない。だから大人の道は空しく貴ばず、德は空しく守らず、貧に倚靠あり、進に仗恃あり。退く者は寒賤を樂しみ委棄に甘んずるのではない。
躑躅
躑躅
躑躅之酒,烏啄之脯,莨菪(宀為廠)之膏,冶葛之乳。初啖之若芥,再啖之若黍,復啖之若丸,又啖之若脯。小人由是知強弩可以漸引,巨鼎可以漸舉,水火可以漸習,虎兕可以漸侶。逆者我所化,辱者我所與,不應者我所命,不臣者我所取。所以信柔馬不可馭,漸賊不可御。得之以為萬化之母。
躑躅で作った酒、烏喙で作った脯、莨菪(底本注:宀を厂に作る)の膏、冶葛の乳。初めて食えば芥のよう、再び食えば黍のよう、また食えば丸のよう、また食えば脯のよう。小人はここから強弩は漸く引ける、巨鼎は漸く擧げられる、水火は漸く習熟できる、虎兕は漸く伴にできると知る。逆うは我の化する所、辱めるは我の與える所、應えざるは我の命令する所、臣たらざるは我の取る所。だから柔馬は駕馭できず、漸く養い成した賊は抵禦できないと確かに知る。これを得て、萬化の母と為す。
止鬥
止鬥
止人之鬥者使其鬥,抑人之忿者使其忿;善救鬥者預其鬥,善解忿者濟其忿。是故心不可伏,而伏之愈亂;民不可理,而理之愈怨。水易動而自清,民易變而自平。其道也在不逆萬物之情。
人の鬪爭を止めるは、かえって彼を鬪わせる。人の忿怒を抑壓するは、かえって彼を忿らせる。鬪を善く救う者は豫めその鬪に入り、忿を善く解く者はその忿を成全する。だから心は壓伏できず、壓伏すればますます亂れる。民は強理できず、強理すればますます怨む。水は動き易きも自ら清く、民は變り易きも自ら平らぐ。この道は、萬物の情に違わないことにある。
象符
象符
術有降萬物之蘊毒者,則交臂鉤指,象之為符。是故若夭矯之勢者鱗之符,若飛騰之勢者羽之符,若偃蹇之勢者毛之符,若拳局之勢者介之符,所以知拱折者人之符。夫拱手者,人必拱之;折腰者,人必折之,禮之本也。而疏之為萬象,別之為萬態。教之蹈舞,非蹈舞也;使之禱祝,非禱祝也,我既寡實,彼亦多虛。而責人之無情,固無情也;而罪禮之無驗,固無驗也。
一種の方術に、萬物の蕴藏する毒を降伏できるものがあって、臂を交差し指を鈎らせて、符の形象を作る。だから夭矯の勢に似るは鱗の符、飛騰の勢に似るは羽の符、偃蹇の勢に似るは毛の符、拳局の勢に似るは介の符。ここから拱手折腰は人の符と知る。拱手する者は、人は必ず彼に拱手する。折腰する者は、人は必ず彼に折腰する。これが禮の根本だ。これを疏散して萬象となし、分別して萬態と為す。人を教えて蹈舞させるは、真の蹈舞ではない。人をして禱祝させるは、真の禱祝ではない。我が旣に實を缺けば、彼もまた虛を多くす。人に無情を責めれば、本來無情。禮に應驗なしを怪せば、本來應驗なし。
善惡
善惡
為惡者畏人識,必有識者;為善者欲人知,必有不知者。是故人不識者,謂之大惡;人不知者,謂之至善。好行惠者恩不廣,務奇特者功不大,善博奕者智不遠,文綺麗者名不久。是以君子惟道是貴,惟德自守,所以能萬世不朽。
惡を為す者は人に認められるを怕れ、必ず認められる者がある。善を為す者は人に知られるを要し、必ず知られない者がある。だから人が認めないを大惡と言い、人が知らないを至善と言う。惠を好んで行う者は恩が廣からず、奇特を務め求める者は功が大ならず、博弈を善くする者は智が遠からず、文辭の綺麗なる者は名が久しからず。だから君子はただ道を以て貴とし、ただ德を以て自ら守る。だから萬世不朽できる。
卷五食化
巻五 食化
七奪
七奪
一日不食則憊,二日不食則病,三日不食則死。民事之急,無甚於食,而王者奪其一,卿士奪其一,兵吏奪其一,戰伐奪其一,工藝奪其一,商賈奪其一,道釋之族奪其一,稔亦奪其一,儉亦奪其一。所以蠶告終而繰葛苧之衣,稼雲畢而飯橡櫟之實。王者之刑理不平,斯不平之甚也;大人之道救不義,斯不義之甚也。而行切切之仁,用慼慼之禮,其何以謝之哉!
一日食えなければ疲れ、二日食えなければ病み、三日食えなければ死ぬ。民事の急は、食に過ぎるものはない。しかるに王者が一份を奪い、卿士が一份を奪い、兵吏が一份を奪い、戦伐が一份を奪い、工藝が一份を奪い、商賈が一份を奪い、道釋の族が一份を奪い、豐年も一份を奪い、歉年も一份を奪う。だから蠶事が畢ってもなお葛苧の衣を繅り、稼事が畢ってもなお橡櫟の實を食う。王者の刑理が公平ならざるは、最も不公平なり。大人の道が不義を救濟するは、最も不義なり。それでいて切切たる仁を行い、戚戚たる禮を用いるとは、何をもって罪を謝するか。
巫像
巫像
為巫者鬼必附之,設像者神必主之,蓋樂所饗也。戎羯之禮,事母而不事父;禽獸之情,隨母而不隨父;凡人之痛,呼母而不呼父,蓋乳哺之教也。虎狼不過於嗜肉,蛟龍不過於嗜血,而人無所不嗜。所以不足則鬥,不與則判,鼓天下之怨,激烈士之忿。食之道非細也。
巫を為す者に鬼は必ず附着し、神像を設立する者に神は必ず來りて主となる。饗祭を樂しむからだ。戎羯の禮は、母を事えて父を事えない。禽獸の情は、母に隨いて父に隨わない。凡人が痛むとき、母を呼んで父を呼ばない。乳哺に敎えられたからだ。虎狼はただ肉を嗜み、蛟龍はただ血を嗜むに過ぎないが、人は嗜まないものがない。だから足らなければ爭鬥し、與えなければ叛離し、天下の怨を鼓動し、烈士の忿を激起する。食の道理は細事ではない。
養馬
養馬
養馬者主,而牧之者親;養子者母,而乳之者親。君臣非所比,而比之者祿也;子母非所愛,而愛之者哺也。駑馬本無知,嬰兒本無機,而知由此始,機由此起。所以有愛惡,所以有彼此,所以稔鬥爭而蓄奸詭。
馬を養うは主人だが、放牧する人の方がより親しい。子を養うは母親だが、哺乳する人の方がより親しい。君臣は本來比すべきものではないが、彼らを比せしめるは祿。子母は本來愛ゆえに親しむのではないが、彼らを相愛せしめるは哺。駑馬は本來知なく、嬰兒は本來機ないが、知はここから始まり、機はここから興る。だから愛惡があり、彼此があり、鬪爭を釀成して奸詭を蓄積する。
絲綸
絲綸
王取其絲,吏取其綸;王取其綸,吏取其綍。取之不已,至於欺罔;欺罔不已,至於鞭撻;鞭撻不已,至於盜竊;盜竊不已,至於殺害;殺害不已,至於刑戮。欺罔非民愛而裒斂者教之,殺害非民原而鞭撻者訓之。且夫火將逼而投於水,知必不免,且貴其緩;虎將噬而投於谷,知必不可,或覬其生。以斯為類,悲哉!
王が絲を取れば吏は綸を取り、王が綸を取れば吏は綍を取る。取ること已まず、欺罔に至る。欺罔已まず、鞭撻に至る。鞭撻已まず、盗窃に至る。盗窃已まず、殺害に至る。殺害已まず、刑戮に至る。欺罔は民の愛する所ではない、聚斂する者の教えだ。殺害は民の本願ではない、鞭撻する者の訓だ。火が將に逼らんとして水に投げ入るは、免れられないと知りつつ、ただ緩めるを求む。虎が將に咬まんとして山谷に投げ入るは、活きられないと知りつつ、或いは生きるを望む。これをもって比類すれば、悲しいかな。
奢僭
奢僭
夫君子不肯告人以飢,恥之甚也。又不肯矜人以飽,愧之甚也。既起人之恥愧,必激人之怨咎,食之害也如是。而金籩玉豆,食之飾也;鼓鍾戛石,食之遊也;張組設繡,食之惑也;窮禽竭獸,食之暴也;滋味厚薄,食之忿也;貴賤精粗,食之爭也。欲之愈不止,求之愈不已,貧食愈不足,富食愈不美。所以奢僭由茲而起,戰伐由茲而始。能均其食者,天下可以治。
君子は人に自ら飢えたと告げるを肯んじない。羞恥の甚しきだ。また人に自ら飽いたと誇るを肯んじない。慚愧の甚しきだ。旣に人の恥愧を引き起こせば、必ず人の怨咎を激する。食の害はこのようだ。金籩玉豆は食の文飾、鼓鍾擊石は食の游樂、組繡を張設するは食の迷惑、禽獸を窮めるは食の暴虐、滋味の厚薄は食の忿爭、貴賤の精粗は食の爭奪。欲望はますます止まず、求取はますます已まず、貧はますます食え足らず、富はますます食え美ならず。だから奢僭はここから起り、戰伐はここから始まる。食を均平できる者は、天下を治めることができる。
燔骨
燔骨
嚼燔骨者,焦唇爛舌不以為痛;飲醇酎者,噦腸嘔胃不以為苦。饞嗜者由忘於痛苦,飢窘者必輕於性命。痛苦可忘,無所不欺;性命可輕,無所不為。是以主者以我欲求人之慾,以我飢求人之飢。我怒民必怒,我怨民必怨。能知其道者,天下胡為乎叛?
燒骨を嚼む者は、唇焦げ舌爛れても痛みと為さず。醇酒を飮む者は、腸胃嘔吐しても苦しみと為さない。饞嗜する者は因りて痛苦を忘れ、飢窘する者は必ず性命を輕んず。痛苦忘れられれば、欺かないものなし。性命輕んぜられれば、為さないことなし。だから事を主る者は、我の欲をもって人の欲を求め、我の飢をもって人の飢を求める。我怒れば民必ず怒り、我怨めば民必ず怨む。この道を知る者は、天下何で叛くことがあろうか。
食迷
食迷
民有嗜食而飽死者,有婪食而鯁死者,有感食而義死者,有辱食而憤死者,有爭食而鬥死者,人或笑之。殊不知官所以務祿,祿所以務食;賈所以務財,財所以務食。而官以矯佞饞讟而律死者,賈以波濤江海而溺死者,而不知所務之端,不知得死之由,而遷怨於輩流,歸咎於江海,食之迷也。
民に食を嗜んで撑死する者あり、食を貪って鯁死する者あり、食のために義を感じて死する者あり、食のために辱を受けて憤死する者あり、食を爭って鬥死する者あり。人は或いは彼らを笑う。殊に知らないのは、官を為すは祿のため、祿は食のため、經商するは財のため、財は食のためだということ。官を為す者は矯佞讒慝で律法に處死され、商人は波濤江海で淹死するが、求むるの開端を知らず、死を得るの原由を知らず、怨を同僚に遷し、咎を江海に歸す。これは食に迷い込んだのだ。
戰欲
戰欲
食之慾也,思鹽梅之狀,則輙有所咽而不能禁;見盤餚之盛,則若有所吞而不能遏。飢思啖牛,渴思飲海。故欲之於人也如賊,人之於欲也如戰。當戰之際,錦繡珠玉不足為富,冠冕旌旗不足為貴,金石絲竹不聞其音,宮室臺榭不見其麗。況民腹常餒,民情常迫,而諭以仁義,其可信乎?講以刑政,其可畏乎?
食の欲望:鹽梅の樣を思えば、すぐに嚥みたくて禁じられず、盤肴の豐盛を見れば、吞む所あるが如くて遏えられない。飢えれば一頭の牛を吞みたく、渴えれば大海を飮み乾したい。だから欲は人に對して賊のごとく、人は欲に對して戰のごとし。戰うときは、錦繡珠玉も富と為すに足らず、冠冕旌旗も貴と為すに足らず、金石絲竹の聲は聞こえず、宮室臺榭の華麗は見えない。況んや民の腹は常に飢え、民情は常に急迫しているのに、仁義をもって曉諭する、能く信じられようか。刑政をもって講ずる、能く怕れられようか。
膠竿
膠竿
執膠竿捕黃雀,黃雀從而噪之;捧盤飱享烏鳥,烏鳥從而告之。是知至暴者無所不異,至食者無所不同。故蛇豕可以友而群,虎兕可以狎而馴,四夷可以率而賓。異族猶若此,況復人之人。
膠竿をもって黃雀を捕えれば、黃雀は隨いて噪叫する。盤餐を捧げて烏鴉を享ければ、烏鴉は隨いて同伴に告知する。ここから至暴は異ならないものなく、至食は同じからないものないと知る。だから蛇と豬は交友して群を成し、虎兕は親しみ驯服し、四夷は率いて賓服させられる。異族ですらこのようだ。況んや人の中の人をや。
庚辛
庚辛
庚氏穴池,構竹為憑檻,登之者其聲“策策”焉。辛氏穴池,構木為憑檻,登之者其聲“堂堂”焉。二氏俱牧魚於池中,每憑檻投餌,魚必踴躍而出。他日但聞“策策”“堂堂”之聲,不投餌亦踴躍而出,則是庚氏之魚可名“策策”,辛氏之魚可名“堂堂”,食之化也。
庚氏が池を掘り、竹をもって凭欄を作ると、登る者は「策策」の聲を發した。辛氏が池を掘り、木をもって凭欄を作ると、登る者は「堂堂」の聲を發した。兩家とも池中で魚を養い、凭欄で餌を投げるたびに、魚は必ず踊躍して出た。後にただ「策策」「堂堂」の聲を聞くだけで、餌を投げなくても魚は踊躍して出た。然らば庚氏の魚は「策策」と名づけられ、辛氏の魚は「堂堂」と名づけられる。これが食の化だ。
興亡
興亡
瘡者人之痛,火者人之急,而民喻飢謂之瘡,比餓謂之火,蓋情有所切也。夫鮑魚與腐屍無異,鱁鮧與足垢無殊,而人常食之。飽猶若是,飢則可知。苟其飢也無所不食,苟其迫也無所不為。斯所以為興亡之機。
瘡は人の痛、火は人の急。民は飢を瘡に比し、餓を火に比する。情に急切する所があるからだ。鮑魚と腐屍に差異なく、鱁鮧と脚垢に分別ないのに、人は常に食う。飽きてなおこのよう、飢えれば推して知るべし。もし飢えれば食わないものなく、もし急げば為さないことなし。これが興亡の機だ。
雀鼠
雀鼠
人所以惡雀鼠者,謂其有(襄攴)竊之行;雀鼠所以疑人者,謂其懷盜賊之心。夫上以食而辱下,下以食而欺上,上下得不惡下,下不得不疑上,各有所切也。夫剜其肌、啖其肉,不得不哭;扼其喉、奪其哺,不得不怒。民之瘠也由剜其肌,民之餒也由奪其哺。嗚呼,惜哉!
人が雀鼠を惡む所以は、攘竊の行があると言うからだ(底本「襄」に攴旁の注)。雀鼠が人を疑う所以は、人が盗賊の心を懐くと言うからだ。上は食のために下を辱め、下は食のために上を欺く。上は下を惡まざるを得ず、下は上を疑わざるを得ない。各々急切する所がある。彼の肌を剜り彼の肉を食えば、哭かざるを得ない。彼の喉を扼し彼の哺を奪えば、怒らざるを得ない。民の瘦せは、彼の肌を剜るからだ。民の飢えは、彼の哺を奪うからだ。嗚呼、惜しいかな。
無為
無為
牛可使之駕,馬可使之負,犬可使之守,鷹可使之擊,蓋食之所感也。獼猴可使之舞,鸚鵡可使之語,鴟鳶可使之死鬥,螻蟻可使之合戰,蓋食有所教也。魚可使之吞鉤,虎可使之入陷,雁可使之觸綱,敵國可使之自援,蓋食有所利也,天地可使之交泰,神明可使之掖衛,高尚可使之屈折,夷狄可使之委伏,蓋食有所奉也。故自天子至於庶人,暨乎萬族,皆可以食而通之。我服布素則民自暖,我食葵藿則民自飽。善用其道者,可以肩無為之化。
牛は車を駕せられ、馬は重を負わせられ、犬は看守せられ、鷹は搏擊せられる。食に感應する所があるからだ。獼猴は舞をさせられ、鸚鵡は言をさせられ、鴟鳶は死鬪させられ、螻蟻は會戰させられる。食に教導する所があるからだ。魚は鉤を吞ませられ、虎は陷阱に入れられ、雁は網に觸れさせられ、敵國は自ら來りて救援させられる。食に利する所があるからだ。天地は交泰させられ、神明は護衛させられ、高尚は屈折させられ、夷狄は委伏させられる。食に供奉する所があるからだ。だから上は天子より下は庶人に至り、萬族に至るまで、みな食をもって貫通できる。我が布素を衣れば民は自ら暖かく、我が葵藿を食えば民は自ら飽く。この道を善く用いる者は、無為の化を肩負できる。
王者
王者
獵食者母,分乳者子。全生者子,觸綱者母。母不知子之所累,子不知母之所苦。王者衣纓之費、盤餚之直,歲不過乎百萬,而封人之土地,與人之富貴,百萬之百萬。如咂王之肌,如飲王之血。樂在於下,怨在於上,利歸於眾,咎歸於王。夫不自貴,天下安敢貴;不自富,天下安敢富?
食物を獵取するは母、乳を分かつは子。性命を保全するは子、網に觸れるは母。母は子に累われることを知らず、子は母の苦しむことを知らない。王者の衣纓の費用、盤肴の價錢は、一年百萬に過ぎないが、人に封ずる土地、人に與える富貴は、百萬の百萬だ。王の肌を咂するが如く、王の血を飲むが如し。樂は下に在り、怨は上に在り、利は衆人に歸し、咎は君王に歸す。自ら貴ばなければ、天下敢えて貴ばせんや。自ら富まなければ、天下敢えて富まんや。
鴟鳶
鴟鳶
有智者憫鴟鳶之擊腐鼠,嗟螻蟻之駕斃蟲,謂其為蟲不若為人。殊不知當歉歲則爭臭斃之屍,值嚴圍則食父子之肉。斯豺狼之所不忍為,而人為之,則其為人不若為蟲。是知君無食必不仁,臣無食必不義,士無食必不禮,民無食必不智,萬類無食必不信。是以食為五常之本,五常為食之末。苟王者能均其衣,能讓其食,則黔黎相悅,仁之至也;父子相愛,義之至也;飢飽相讓,禮之至也;進退相得,智之至也;許諾相從,信之至也。教之善也在於食,教之不善也在於食。其物甚卑,其用甚尊;其名尤細,其化尤大。是謂無價之寶。
智ある人は鴟鳶が腐鼠を搏擊するを憐れみ、螻蟻が死蟲に駕るを歎息し、蟲となるは人となるに如かずと言う。殊に知らないのは、歉年に遭えば腐屍を爭食い、嚴酷な圍城に遭えば父子の肉を食うことだ。これは豺狼ですら忍ばないことだが、人はそれを為す。然らば人となるは蟲となるに如かず。ここから君に食なければ必ず不仁、臣に食なければ必ず不義、士に食なければ必ず不禮、民に食なければ必ず不智、萬類に食なければ必ず不信と知る。だから食は五常の根本、五常は食の末梢。もし王者が衣服を均平にし、食物を讓ることができれば、黔黎が相悅するは仁の極致、父子が相愛するは義の極致、飢飽が相讓するは禮の極致、進退が相得するは智の極致、許諾が相從するは信の極致。教の善は食に在り、教の不善も食に在り。この物は甚だ卑下、この用は甚だ尊貴。この名は甚だ細小、この化は甚だ大。これを無價の寶と言う。
卷六儉化
巻六 儉化
太平
太平
夫水火,常用之物,用之不得其道,以至於敗家,蓋失於不簡也。飲饌,常食之物,食之不得其道,以至於亡身,蓋失於不節也。夫禮失於奢,樂失於淫。奢淫若水,去不復返,議欲救之,莫過乎儉。儉者,均食之道也。食均則仁義生,仁義生則禮樂序,禮樂序則民不怨,民不怨則神不怒,太平之業也。
水火は常用の物だが、用いるにその道を得なければ、家を敗るに至る。失は不簡にあるからだ。飲饌は常食の物だが、食うにその道を得なければ、身を亡ぼすに至る。失は不節にあるからだ。禮の失は奢に在り、樂の失は淫に在り。奢淫は水の如く、去れば復た返らない。議論して拯救するに、儉に過ぎるものはない。儉は、食を均平にする道。食均しければ仁義生じ、仁義生じれば禮樂有序あり、禮樂有序あれば民怨まず、民怨まざれば神怒らず。これが太平の事業だ。
權衡
權衡
服絺綌者不寒,而衣之布帛愈寒;食藜藿者不飢,而飯之黍稷愈飢。是故我之情也,不可不慮;民之心也,不可不防。凡民之心,見負石者則樂於負塗,見負塗者則樂於負芻。飢寒無實狀,輕重無必然,皆豐儉相形,彼我相平,我心重則民心重,我負輕則民負輕。能至於儉者,可以與民為權衡。
細葛粗葛を衣る者は寒さを覺えないが、更に布帛を衣せればかえって寒い。藜藿を食う者は飢えを覺えないが、更に黍稷を食せばかえって飢える。だから我の情は慮らざるべからず、民の心は防がざるべからず。民の心は、石を負うを見れば泥を負うを樂しみ、泥を負うを見れば草を負うを樂しむ。飢寒に實在の形狀なく、輕重に一定なし。皆、豐儉が互いに比較し、彼我が互いに平を取る。我心重ければ民心重く、我が負擔輕ければ民の負擔輕し。儉に至れる者は、民に權衡を為すことができる。
禮道
禮道
禮貴於盛,儉貴於不盛;禮貴於備,儉貴於不備;禮貴於簪紱,儉貴於布素;禮貴於炳煥,儉貴於寂寞。富而之愈不樂,貴而貴之愈不美,賞而賞之愈不足,愛而愛之愈不敬。金玉者,富之常;官爵者,貴之常。渴飲則甘,飢食則香。夫惟儉,所以能知非常。
禮は盛を貴び、儉は不盛を貴ぶ。禮は備を貴び、儉は不備を貴ぶ。禮は簪紱を貴び、儉は布素を貴ぶ。禮は炳煥を貴び、儉は寂寞を貴ぶ。富んで更に富を求めればますます樂しまず、貴く更に貴を求めればますます美ならず、賞して更に賞すればますます足らず、愛して更に愛すればますます敬わず。金玉は富の常態、官爵は貴の常態。渴して飲めば甘く、飢えて食えば香り。ただ儉あるがゆえに、何が非常かを知ることができる。
食象
食象
觀食象者食牛不足,觀戴冕者戴冠不足。不足有所自,不廉有所始。是知王好奢則臣不足,臣好奢則士不足,士好奢則民不足,民好奢則天下不足。夫天下之物十之,王好一,民亦一;王好五,民亦五;王好十,民亦十。以十論之,則是十家為一家,十國為一國,十天下為一天下,何不弊之有!
象を食うを見た者は、牛を食うても足りないと覺える。冕を戴くを見た者は、冠を戴いても足りないと覺える。不足には來る所有り、不廉には始まり有り。ここから王が奢を好めば臣は足らず、臣が奢を好めば士は足らず、士が奢を好めば民は足らず、民が奢を好めば天下足らずと知る。天下の物を十をもって算えば:王が一を好めば民も一、王が五を好めば民も五、王が十を好めば民も十。十をもって論ずれば、十家が一家となり、十國が一國となり、十の天下が一つの天下となる。どうして弊がないことがあろうか。
民情
民情
其夫好飲酒者,其妻必貧。其子好臂鷹者,其家必困。剩養一僕,日飯三甌,歲計千甌。以一歲計之,可享千兵。王者歲率是享,則必告勞而聚怨,病在於增不在於損。王駕牛車,民驕於行;王居土陛,民恥於平。杜之於漸,化之於儉。所以見葛藟不足者,則樂然服布素之衣;見窳杯而食者,則欣然用陶匏之器,民之情也。
丈夫が酒を好めば、妻子は必ず貧す。兒子が鷹を架るを好めば、家は必ず困む。僕を一人多く養えば、每日三甌の飯、一年に千甌。一年をもって算すれば、千の兵士を供養できる。王者が每年このよう享用すれば、必ず勞を告げて怨を積む。病は増加に在り、減損に在らず。王が牛車に駕れば、民は步行を以て驕りと為す。王が土階に住すれば、民は平坦を以て恥と為す。開端で杜じ、儉をもって化す。だから葛藟を衣るなお足らざるを見れば、樂然として布素の衣を衣る。粗杯で飯するを見れば、欣然として陶匏の器を用いる。これが民の情だ。
慳號
慳號
世有慳號者,人以為大辱,殊不知始得為純儉之道也。於己無所與,於民無所取。我耕我食,我蠶我衣。妻子不寒,婢僕不飢。人不怨之,神不罪之。故一人知儉則一家富,王者知儉則天下富。
世に慳吝と稱される人あり。他人は大辱と思うが、殊に知らない、これが始めて純儉の道を得ることだ。自らに與える所なく、民に求むる所なし。我耕して我食い、我蠶して我衣る。妻子寒からず、婢僕飢えず。人は彼を怨まず、神は彼を罪としない。だから一人儉を知れば一家富み、王者儉を知れば天下富む。
君民
君民
君之於民,異名而同愛。君樂馳騁,民亦樂之;君喜聲色,民亦喜之;君好珠玉,民亦好之;君嗜滋味,民亦嗜之。其名則異,其愛則同。所以服布素者,愛士之簪組;服士之簪組者,愛公卿之劍佩;服公卿之劍佩者,愛王者之旒冕,是故王者居兆民所愛之地,不得不慮也。況金根玉輅奪其貨,高臺崇榭奪其力,是賈民之怨,是教民之愛。所以積薪聚米,一歲之計,而易金換玉,一日之費,不得不困,不得不儉。
君は民に對して、名稱は異なるも愛する所は同じ。君が馳騁を樂しめば民も樂しみ、君が聲色を喜べば民も喜び、君が珠玉を好めば民も好み、君が滋味を嗜めば民も嗜む。名は異なり、愛は同じ。だから布素を衣る者は士の簪組を愛し、士の簪組を衣る者は公卿の劍佩を愛し、公卿の劍佩を佩びる者は王者の旒冕を愛する。だから王者は兆民の愛する地に處り、慮らざるを得ない。況んや金根玉輅が彼らの貨を奪い、高臺崇榭が彼らの力を奪うをや。これは民の怨を買い、民を敎えて愛せしめることだ。だから薪を積み米を聚むは一年の生計、金玉に換えるは一日の花費。困まざるを得ず、儉ならざるを得ない。
乳童
乳童
乳童拱手,誰敢戲之,豈在乎黼黻也。牧豎折腰,誰敢背之,豈在乎刑政也。有賓主之敬,則雞黍可以為大享,豈在乎簫韶也。有柔淑之態,則荊苧可以行婦道,豈在乎組繡也。而王者之制,設溝隍以御之,陳棨戟以衛之,蓄粟帛以養之,張欄檻以遠之。蓋有機於民,不得不藏;有私於己,不得不防。夫能張儉之機,民自不欺;用儉之私,我自不疑。夫儉者,可以為大人之師。
乳童が拱手すれば、誰が敢えて戲弄しよう。豈に黼黻に在らんや。牧童が折腰すれば、誰が敢えて違背しよう。豈に刑政に在らんや。賓主の敬あれば、雞黍も大宴に當たる。豈に簫韶に在らんや。柔淑の態度あれば、荆苧も婦道を行える。豈に組繡に在らんや。しかるに王者の制度は、溝隍を設けて抵禦し、棨戟を陳れて護衛し、粟帛を蓄えて養活し、欄檻を張って遠離する。民に對して機心あれば、藏せざるを得ない。自らに私あれば、防がざるを得ない。儉の機を張ることができれば、民は自ら欺かず。儉の私を用いれば、我は自ら疑わず。儉は、大人の師となることができる。
化柄
化柄
儉於聽可以養虛,儉於視可以養神,儉於言可以養氣,儉於私可以獲富,儉於公可以保貴,儉於門闥可以無盜賊,儉於環衛可以無叛亂,儉於職官可以無奸佞,儉於嬪嬙可以保壽命,儉於心可以出生死。是知儉可以為萬化之柄。
聽けば儉は虚を養い、視れば儉は神を養い、說けば儉は氣を養い、私用に儉は富を獲、公用に儉は貴を保つ。門闥儉なれば盗贼なく、環衛儉なれば叛亂なく、職官儉なれば奸佞なく、嬪嬙儉なれば壽命を保全し、心裏儉なれば生死を出ず。ここから儉は萬化の柄と為ることを知る。
御一
御一
王者皆知御一可以治天下也,而不知孰謂之一。夫萬道皆有一:仁亦有一,義亦有一,禮亦有一,智亦有一,信亦有一。一能貫五,五能宗一。能得一者,天下可以治。其道蓋簡而出自簡之,其言非玄而人自玄之。是故終迷其要,竟惑其妙。所以議守一之道,莫過乎儉;儉之所律,則仁不蕩,義不亂,禮不奢,智不變,信不惑。故心有所主,而用有所本,用有所本而民有所賴。
王者はみな「一」を御すれば天下を治められると知るが、何を一と言うかを知らない。萬道にみな一あり:仁にも一あり、義にも一あり、禮にも一あり、智にも一あり、信にも一あり。一は五を貫き、五は一を宗奉する。一を得る者は、天下を治められる。この道は本來簡なのに、自らそれを複雜にする。この話は玄ではないのに、人自らそれを玄化する。だから終に領要を迷失し、竟然としてその妙を疑惑する。だから守一の道を議論するに、儉に過ぎるものはない。儉の約束する所は、仁蕩れず、義亂れず、禮奢らず、智變わらず、信惑わず。だから心に主あり、用に本あり。用に本あれば、民に賴る所有り。
三皇
三皇
君儉則臣知足,臣儉則士知足,士儉則民知足,民儉則天下知足。天下知足,所以無貪財,無競名,無奸蠹,無欺罔,無矯佞。是故禮義自生,刑政自寧,溝壘自平,甲兵自停,遊蕩自耕,所以三皇之化行。
君が儉なれば臣は足ることを知り、臣が儉なれば士は足ることを知り、士が儉なれば民は足ることを知り、民が儉なれば天下は足ることを知る。天下足ることを知れば、だから財を貪らず、名を爭わず、奸蠹なく、欺罔なく、矯佞なし。だから禮義は自ら生じ、刑政は自ら安寧し、溝壘は自ら塡平し、甲兵は自ら停息し、游荡の人は自ら耕に去る。三皇の化はここにして行われる。
天牧
天牧
奢者三歲之計,一歲之用;儉者一歲之計,三歲之用。至奢者猶不及,至儉者尚有餘。奢者富不足,儉者貧有餘。奢者心常貧,儉者心常富。奢者好親人,所以多過,儉者能遠人,所以寡禍。奢者事君必有所辱,儉者事君必保其祿。奢者多憂,儉者多福,能終其儉者,可以為天下之牧。
奢の者は三年の生計を一年で用い盡くし、儉の者は一年の生計を三年用い足りる。至奢はなお足らず、至儉はなお余りあり。奢の者は富んでなお足らず、儉の者は貧しくなお余りあり。奢の者は心に常に貧しく、儉の者は心に常に富む。奢の者は人に親しむを好み、だから過失多し。儉の者は人に疏くできる、だから禍少なし。奢の者は君に事えて必ず辱あり、儉の者は君に事えて必ず祿を保つ。奢の者は憂多く、儉の者は福多し。儉を堅持し底まで持つ者は、天下の牧守と為ることができる。
雕籠
雕籠
懸雕籠、事玉粒養黃雀,黃雀終不樂。垂禮樂、設賞罰教生民,生民終不泰。夫心不可安而自安之,道不可守而自守之,民不可化而自化之。所以儉於臺榭則民力有餘,儉於寶貨則民財有餘,儉於戰伐則民時有餘。不與之由與之也,不取之由取之也。海伯亡魚,不出於海;國君亡馬,不出於國。
雕籠を懸けて玉粒をもって黃雀を養うても、黃雀は終に樂しまない。禮樂を垂れ、賞罰を設けて生民を敎うても、生民は終に安泰しない。心は強いて安んずべからずも自ら安んじ、道は強いて守るべからずも自ら守り、民は強いて化すべからずも自ら化す。だから臺榭儉なれば民力に余あり、寶貨儉なれば民財に余あり、戰伐儉なれば民時に余あり。與えざるは與えるに等しく、取らざるは取るに等しい。海伯が魚を失えば、海を出られず。國君が馬を失えば、國を出られない。
禮要
禮要
夫禮者,道出於君而君由不知,事出於職而職由不明。儒者棲山林,敬師友,窮理樂,講本末。暨乎見羽葆車輅之狀,鐘鼓簫韶之作,則矍然若鹿,怡然若豕;若醉於酒,若溺於水,莫知道之本,莫窮禮之旨。謂弓為弧,則民不知矣;謂馬為駟,則民莫信矣。所以數亂於多,不亂於少;禮惑於大,不惑於小。能師於儉者,可以得其要。
禮という物は、道は君に出るも君自らなお知らず、事は職に出るも職自らなお明白ならず。儒者は山林に棲居し、師友を敬事し、理樂を窮究し、本末を講論する。羽葆車輅の形狀、鍾鼓簫韶の演奏を見るに及んで、矍然として鹿の如く、怡然として豬の如し。酒に醉うが如く、水に溺るるが如く、道の根本を知らず、禮の旨意を窮めない。弓を弧と呼べば、民は知らない。馬を駟と呼べば、民は信じない。だから數の亂れるは多に在り、亂れざるは少に在り。禮の惑うは大に在り、惑わざるは小に在り。儉に師法できる者は、領要を得ることができる。
清靜
清静
奢者好動,儉者好靜;奢者好難,儉者好易;奢者好繁,儉者好簡;奢者好逸樂,儉者好恬淡。有保一器畢生無璺者,有掛一裘十年不斃者。斯人也可以親百姓,可以司粟帛,可以掌符璽,可以即清靜之道。
奢の者は動を好み、儉の者は靜を好む。奢の者は難を好み、儉の者は易を好む。奢の者は繁を好み、儉の者は簡を好む。奢の者は逸樂を好み、儉の者は恬淡を好む。一つの器具を保守して一生裂紋なき者あり、一つの裘衣を懸けて十年も壞れぬ者あり。かかる人は百姓に親しむことができ、粟帛を主管でき、符璽を執掌でき、清静の道に就近できる。
損益
損益
夫仁不儉,有不仁;義不儉,有不義;禮不儉,有非禮;智不儉,有無智;信不儉,有不信。所以知儉為五常之本,五常為儉之末。夫禮者,益之道也;儉者,損之道也。益者損之旨,損者益之理。禮過則淫,儉過則樸。自古及今,未有亡於儉者也。
仁儉ならざれば、不仁あり。義儉ならざれば、不義あり。禮儉ならざれば、非禮あり。智儉ならざれば、無智あり。信儉ならざれば、不信あり。だから儉は五常の根本、五常は儉の末梢と知る。禮は增益の道、儉は減損の道。增益は減損の旨意、減損は增益の道理。禮が過ぎれば淫し、儉が過ぎれば樸となる。古より今に至るまで、儉を以て亡びたものはない。
解惑
解惑
謙者人所尊,儉者人所寶。使之謙必不謙,使之儉必不儉。我謙則民自謙,我儉則民自儉。機在此不在彼,柄在君不在人。惡行之者惑,是故為之文。
謙は人の尊ぶ所、儉は人の寶とする所。人をして謙せしめれば彼必ず謙せず、人をして儉せしめれば彼必ず儉せず。我謙すれば民自ら謙し、我儉すれば民自ら儉す。機は此に在って彼に在らず、柄は君に在って人に在らず。實行する者を惡めば惑う所以なり。だからこの文字を書き下す。
