抱朴子内篇
抱朴子内篇
道家典籍
まず老子と荘子内篇を読み、列子・文子・淮南子へ進む。道教が「道」をどう修持として書いたかを見るには、陰符経・黄庭・参同契・悟真篇と抱朴子を読む。
抱朴子內篇
抱朴子内篇
晉·葛洪著
晋の葛洪の著。
卷一·暢玄
巻一・暢玄
抱朴子曰:“玄者,自然之始祖,而萬殊之大宗也。眇眛乎其深也,故稱微焉。綿邈乎其遠也,故稱妙焉。其高則冠蓋乎九霄,其曠則籠罩乎八隅。光乎日月,迅乎電馳。或倏爍而景逝,或飄滭而星流,或滉漾於淵澄,或雰霏而云浮。因兆類而為有,託潛寂而為無。淪大幽而下沈,凌辰極而上游。金石不能比其剛,湛露不能等其柔。方而不矩,圓而不規。來焉莫見,往焉莫追。乾以之高,坤以之卑,雲以之行,雨以之施。胞胎元一,範鑄兩儀,吐納大始,鼓冶億類,佪旋四七,匠成草昧,轡策靈機,吹噓四氣,幽括沖默,舒闡粲尉,抑濁揚清,斟酌河渭,增之不溢,挹之不匱,與之不榮,奪之不瘁。故玄之所在,其樂不窮。玄之所去,器弊神逝。夫五聲八音,清商流徵,損聰者也。鮮華豔採,彧麗炳爛,傷明者也。宴安逸豫,清醪芳醴,亂性者也。冶容媚姿,鉛華素質,伐命者也。其唯玄道,可與為永。不知玄道者,雖顧眄為生殺之神器,唇吻為興亡之關鍵,綺榭俯臨乎雲雨,藻室華綠以參差。組帳霧合,羅幬雲離。西毛陳於閒房,金觴華以交馳,清弦嘈囋以齊唱,鄭舞紛糹柔蜲,哀簫鳴以凌霞,羽蓋浮於漣漪,掇芳華於蘭林之囿,弄紅葩於積珠之池,登峻則望遠以忘百憂,臨深則俯攬以遺朝飢,入宴千門之焜熀,出驅朱輪之華儀。然樂極則哀集,至盈必有虧。故曲終則嘆發,燕罷則心悲也。寔理勢之攸召,猶影響之相歸也。彼假借而非真,故物往若有遺也。
抱朴子は言う。「玄(幽深にして測りがたいもの)は、自然(自ずから然り、本来そうあるもの。「大自然」ではない)の始祖であり、万の差異ある事物の大宗である。それは深くて見極めがたいので微と称し、綿邈として遠く尽きないので妙と称する。その高さは九霄を冠盖し、その曠さは八方を籠罩する。日月より明るく、電走より疾い。あるいは倏忽として閃き景のように逝き、あるいは飄滭として疾走し星のように流れ、あるいは澄んだ淵に滉漾と蕩れ、あるいは雰霏と雲のように浮かぶ。兆類に因って有となり、潜寂に託して無となる。大幽に淪れて下に沈み、辰極を凌いで上に遊ぶ。金石もその剛に比べられず、湛露もその柔に等しくない。方なれど矩に束ねられず、円なれど規に束ねられない。来るとき誰も見ず、往くとき誰も追えない。天はこれによって高く、地はこれによって卑く、雲はこれによって行き、雨はこれによって施す。元一を胞胎し、両儀を範に鋳て、太始を吐納し、億の物類を鼓冶し、四七(二十八宿)を佪旋し、草昧の初めを匠成し、霊機を轡策し、四気(万物を構成し貫く流動するもの)を吹噓し、幽深を冲黙に幽括し、粲爛を舒闡し、濁を抑え清を揚げ、河と渭を斟酌する。増しても溢れず、挹しても匱えず、与えても栄えず、奪っても瘁えない。故に玄の在る所、楽しみは窮まりない。玄の去る所、器は弊れ精は逝く。五声八音、清商流徵は、聴を損なうものである。鮮華艶彩、綺麗炳爛は、視を損なうものである。宴安佚楽、清醪芳醴は、性を乱すものである。冶容媚態、鉛華と潔白の肌質は、寿命を伐るものである。ただ玄道(老子が万物の本源と运行の在り方を指すために借りた字で、それ自体は名状しがたい)のみ、これと長久を共にできる。玄道を知らぬ者は、たとえ顧盼が生殺の神器であり、唇吻が興亡の枢機であり、綺麗な台榭が雲雨に俯臨し、藻飾の宮室が青緑に参差していても。組帳は霧のように合し、羅帷は雲のように分かれる。西施・毛嬙が閑房に列び、金杯が交錯して飛び、清弦が嘈雜に唱い、鄭の舞が紛垂して蜿蜿とし(底本はここを「紛糸柔蜲」とし、文句が残損している)、哀簫が雲霞に響き、羽盖が漣漪に浮かび、蘭林の園囿で芳華を采り、積珠の池で紅葩を弄び、高く登り遠く望めば百憂を忘れ、深きに臨み俯攬すれば朝飢を忘れ、入れば千門の焜煌たる宴に赴き、出れば朱輪の華儀の車を駆る。しかし楽しみ極まれば哀が来たり、満盈は必ず虧損する。故に曲終われば嘆息を発し、宴罷れれば心に悲しむ。これ実に事理の情勢の召すところ、影の形に随い、響の声に随うがごとし。彼らは皆假借にして真ではない。故に物事一往すれば、何かを失ったがごとし。」
夫玄道者,得之乎內,守之者外,用之者神,忘之者器,此思玄道之要言也。得之者貴,不待黃鉞之威。體之者富,不須難得之貨。高不可登,深不可測。乘流光,策飛景,凌六虛,貫涵溶。出乎無上,入乎無下。經乎汗漫之門,遊乎窈眇之野。逍遙恍惚之中,倘佯彷佛之表。咽九華於雲端,咀六氣於丹霞。俳徊茫昧,翱翔希微,履略蜿虹,踐跚旋璣,此得之者也。
玄道について言えば、これを得るは内にあり、これを守る者は外にあり、これを用いる者は神に入り、これを忘れる者は器に滞る。これが玄道を思う要言である。これを得る者は貴く、黄鉞の威を待たない。これを体する者は富み、难得の貨を須ちない。高くして登るべからず、深くして測るべからず。流光に乗り、飛景を策し、六虚を凌ぎ、涵溶を貫く。出でて無上の上、入って無下の下。汗漫の門を経て、窈眇の野に遊ぶ。恍惚の中に逍遥し、彷彿の表に徜徉す。雲端に九華を咽び、丹霞に六気を咀む。茫昧に徘徊し、希微に翱翔し、蜿虹を履み、璇璣を踐す。これがこれを得た者である。
其次則真知足,知足者則能肥遁勿用,頤光山林。紆鸞龍之翼於細介之伍,養浩然之氣於蓬蓽之中。襤縷帶索,不以貿龍章之煒曄也。負步杖策,不以易結駟之駱驛也。藏夜光於嵩岫,不受他山之攻。沈鱗甲於玄淵,以違鑽灼之災。動息知止,無往不足。棄赫奕之朝華,避僨車之險路。吟嘯蒼崖之閒,而萬物化為塵氛。怡顏豐柯之下,而朱戶變為繩樞。握耒甫田,而麾節忽若執鞭。啜荈漱泉,而太牢同乎藜藿。泰爾有餘歡於無為之場,忻然齊貴賤於不爭之地。含醇守樸,無慾無憂,全真虛器,居平味澹。恢恢蕩蕩,與渾成等其自然。浩浩茫茫,與造化鈞其符契。如暗如明,如濁如清,似遲而疾,似虧而盈。豈肯委尸祝之坐,釋大匠之位,越樽俎以代無知之庖,舍繩墨而助傷手之工。不以臭鼠之細瑣,而為庸夫之憂樂。藐然不喜流俗之譽,坦爾不懼雷同之毀。不以外物汩其至精,不以利害汙其純粹也。故窮富極貴,不足以誘之焉,其餘何足以悅之乎?直刃沸鑊,不足以劫之焉,謗讟何足以戚之乎?常無心於眾煩,而未始與物雜也。
その次が、真の知足である。知足の者は肥遁して見用を求めず、山林の中に光華を頤養する。鸞竜の翼を小さな介虫の列に收め、蓬門篳戸の中に浩然の気を養う。襤褸にして腰に繩を帯びても、竜章の煒曄と換えない。背負し杖を衝いても、結駟の絡繹と換えない。夜光を嵩山の巖岫に蔵して、他山の攻治を受けない。鱗甲を玄淵に沈めて、鑽灼の患いを避ける。動も息も止まるを知り、往く所に足らざるなし。赫奕の朝花を棄て、覆車の険路を避ける。蒼崖の間に吟嘯すれば、万物は皆塵氛と化す。豊茂の枝柯の下に怡顔すれば、朱門大戸も皆繩樞の窮戸となる。手に耒を握り甫田を耕せば、麾節も忽ち鞭を執るがごとく軽し。茶を啜り泉を漱げば、太牢も藜藿と同じ。安泰にして無為(主観的な意志で強引に干预せず、事物をその本性に従って運行させること。何もしないことではない)の場に余裕の歓があり、欣然として不争の地に貴賤を一に見る。醇厚を含み朴(加工されていない原木。人為的に雕琢されていない本真の状態の喻)を守り、欲なく憂なく、真を全うして器を虚に見、居る所は平常で滋味は清淡。恢恢蕩蕩、渾成と其の自然を同じくす。浩浩茫茫、造化と符契する。暗きがごとくして明、濁れるがごとくして清、遅きがごとくして実は疾く、虧けるがごとくして実は盈ちる。どうして尸祝の座を降り、大匠の位を棄て、樽俎を越えて知らぬ庖人に代わり、繩墨を捨てて手を傷ける工を助けようか。臭鼠のごとき細瑣をもって、庸夫の憂楽としない。藐然として流俗の称誉を喜ばず、坦爾として雷同の毀謗を懼れない。外物をもって己の至精を乱さず、利害をもって己の純粋を汚さない。故に窮富極貴も、これを誘うに足らず。その余、何ぞこれを悦ばしめるに足らん。直刃と沸鑊も、これを脅すに足らず。誹謗、何ぞこれを憂戚せしめるに足らん。種々の煩擾に常に無心にして、未だかつて外物と相雑らず。
若夫操隋珠以彈雀,舐秦痔以屬車,登朽緡以探巢,泳呂梁以求魚,旦為稱孤之客,夕為狐鳥之餘。棟撓餗覆,傾溺不振,蓋世人之所為載馳企及,而達者之所為寒心而悽愴者也。故至人嘿韶夏而韜藻梲。。奮其六羽於五城之墟,而不煩銜蘆之衛。翳其鱗角乎勿用之地,而不恃曲穴之備。俯無倨鴟之呼,仰無亢極之悔,人莫之識,邈矣遼哉!”
さて、隋侯の珠をもって雀を弾き、秦の痔を舐めて附従の車乗を求め、朽ちた繮繩に登って巢を窺い、吕梁を游いで魚を求めるようなもの。朝には孤を称した貴客が、夕には狐狸烏鴉の残滓となる。棟梁は折れ、鼎中の餗は覆り、沉溺して再び振るえない。これはまさに世人が奔走して企及する事であり、達者がこれに寒心凄愴する事である。故に至人は韶夏の楽を默藏し、藻飾の梁上短柱を韜藏する。五城の墟に六羽を奮い、銜蘆のごとき防衛を煩わさない。鱗角を勿用の地に隠蔽し、曲穴の備えに倚らない。俯首して倨傲鴟鳥の呼号なく、仰望して極処に至る悔恨なく、彼を知る人なく、邈遠遼闊極まりない!」
卷二·論仙
巻二・論仙
或問曰:“神仙不死,信可得乎?”抱朴子答曰:“雖有至明,而有形者不可畢見焉。雖稟極聰,而有聲者不可盡聞焉。雖有大章豎亥之足,而所常履者,未若所不履之多。雖有禹益齊諧之智,而所嘗識者未若所不識之眾也。萬物云云,何所不有,況列仙之人,盈乎竹素矣。不死之道,曷為無之?”
ある人が問うて言った。「神仙は不死、実に得られるのでしょうか。」抱朴子は答えて言った。「至極の明があっても、形あるものは尽く見えません。至極の聡を稟けても、声あるものは尽く聞こえません。大章・竪亥のごとき脚力があっても、平生歩いた所は、歩かない所に如きません。禹・益・斉諧のごとき智があっても、かつて識ったものは、識らないものに衆しくありません。万物は紛紛として何が無かろう。まして列仙の人は、竹帛に充満しています。不死の道、なぜ無いと言えましょう。」
於是問者大笑曰:“夫有始者必有卒,有存者必有亡。故三五丘旦之聖,棄疾良平之智,端嬰隨酈之辯,賁育五丁之勇,而鹹死者,人理之常然,必至之大端也。徒聞有先霜而枯瘁,當夏而凋青,含穗而不秀,未實而萎零,未聞有享於萬年之壽,久視不已之期者矣。故古人學不求仙,言不語怪,杜彼異端,守此自然,推龜鶴於別類,以死生為朝暮也。夫苦心約己,以行無益之事,鏤冰雕朽,終無必成之功。未若攄匡世之高策,招當年之隆祉,使紫青重紆,玄牡龍跱,華轂易步趨,鼎餗代耒耜,不亦美哉?每思詩人甫田之刺,深惟仲尼皆死之證,無為握無形之風,捕難執之影,索不可得之物,行必不到之路,棄榮華而涉苦困,釋甚易而攻至難,有似喪者之逐遊女,必有兩失之悔,單張之信偏見,將速內外之禍也。夫班狄不能削瓦石為芒針,歐冶不能鑄鉛錫為干將。故不可為者,雖鬼神不能為也;不可成者,雖天地不能成也。世間亦安得奇方,能使當老者復少,而應死者反生哉?而吾子乃欲延蟪蛄之命,令有曆紀之壽,養朝菌之榮,使累晦朔之積,不亦謬乎?願加九思,不遠迷復焉。”
そこで問いし人は大笑して言った。「始め有るは必ず終わり有り、存するは必ず亡び有り。故に三皇五帝・孔丘・周公旦のごとき聖、棄疾・張良・陳平のごとき智、端木賜・晏嬰・随何・酈食其のごとき弁、孟賁・夏育・五丁のごとき勇、皆死しました。これは人理の常然、必至の大端です。霜未だ至らざるに枯瘁するもの、夏に当たりて青葉凋むもの、穂を含みて花を抽かざるもの、未だ実らざるに萎零するものは聞きましたが、万年の寿を享け、久視して止まぬ期限を聞きません。故に古人は学びて仙を求めず、言うて怪を談ぜず、彼の異端を杜じ、この自然を守り、亀鶴を別の物類に推し、死生を朝暮に見る。苦心して己を約束し、益なき事を為すは、氷上に花を鏤め、朽木に彫刻するがごとく、終に必成の功無し。人の世を匡正する高策を施し、当年の隆盛福禄を招来し、紫綬青綬を再び紆回せしめ、黒牡龍車を停駐せしめ、華轂をもって歩行に代え、鼎中の餗をもって耒耜に代える、あに美ならずや。詩人《甫田》の諷刺を想い、孔子『皆死』の証言を深思し、形無き風を握らず、捉え難き影を捕えず、得難き物を求めず、至らざる路を行かず、栄華を棄てて苦困に入り、易きを放ちて難きを攻むるは、喪家の人が遊女を追うがごとく、必ず両頭皆失の悔有り。また単豹・張毅が各々偏見を信じて、内外の禍を招かんとするがごとし。班輸・墨翟も瓦石を芒鍼に削ること能わず、欧冶も鉛錫を干将に鋳ること能わず。故に為すべからざるは、鬼神も為し能わず。成すべからざるは、天地も成し能わず。世間にまたいずくんぞ奇方有りて、当に老いゆくを再び少なくし、当に死すべきを反りて生ぜしめん。而るに足下は蟪蛄の命を延ばして一紀の寿を経させ、朝菌の栄を養いて晦朔を累ねせめんと欲す、あに謬らずや。足下の再々思慮し、迷途未だ遠からず、帰るべきを願います。」
抱朴子答曰:“夫聰之所去,則震雷不能使之聞,明之所棄,則三光不能使之見,豈輷磕之音細,而麗天之景微哉?而聾夫謂之無聲焉,瞽者謂之無物焉。又況管絃之和音,山龍之綺粲,安能賞克諧之雅韻,煒曄之鱗藻哉?故聾瞽在乎形器,則不信豐隆之與玄象矣。而況物有微於此者乎?闇昧滯乎心神,則不信有周孔於在昔矣。況告之以神仙之道乎?夫存亡終始,誠是大體。其異同參差,或然或否,變化萬品,奇怪無方,物是事非,本鈞末乖,未可一也。夫言始者必有終者多矣,混而齊之,非通理矣。謂夏必長,而薺麥枯焉。謂冬必凋,而竹柏茂焉。謂始必終,而天地無窮焉。謂生必死,而龜鶴長存焉。盛陽宜暑,而夏天未必無涼日也。極陰宜寒,而嚴冬未必無暫溫也。百川東注,而有北流之浩浩。坤道至靜,而或震動而崩弛。水性純冷,而有溫谷之湯泉;火體宜熾,而有蕭丘之寒焰;重類應沈,而南海有浮石之山;輕物當浮,而牜羊柯有沈羽之流。萬殊之類,不可以一概斷之,正如此也久矣。
抱朴子は答えて言った。「聡を除き去られれば、震雷も聞かせること能わず。明を棄てられれば、日月星の三光も見せること能わず。轟隆の声が細く、天に麗する光が微であろうか。しかるに聾する者は声無しと言い、盲いる者は物無しと言う。又況んや管弦の和音、山竜華虫の綺粲、いずくんぞ克諧の雅韻、煒曄の鱗藻を賞玩せんや。故に聾盲は形器に在りて、豊隆と天上の玄象とを信ぜず。況んや物これより微なる者有らんや。暗昧心神に滞れば、昔日周公・孔子有りしを信ぜず。況んや神仙の道をこれに告げんや。存亡終始、誠に大体である。しかるに異同参差不斉、或は然り或は否、変化万品、奇怪定方無し。物是にして事非、本同じくして末乖かる。一概に論ずべからず。始め有るは必ず終り有りと言うは、斯のごとき情多し。混ぜて斉しく観れば、通理に非ず。夏は必ず長しと言えば、薺麦は枯る。冬は必ず凋むと言えば、竹柏は茂る。始有り必ず終ると言えば、天地は窮まり無し。生有り必ず死すと言えば、亀鶴は長く存す。盛陽は暑に当たるべきが、夏は必ずしも涼日無きに非ず。極陰は寒に当たるべきが、厳冬は必ずしも暫時の温無きに非ず。百川東に流るも、浩浩として北に流るる者有り。坤道至静なれど、時に震動崩弛す。水の性本冷なれど、温谷の湯泉有り。火の体は熾なるべきなれど、蕭丘の寒焰有り。重き類は沈むべきなれど、南海に浮石の山有り。軽き物は浮くべきなれど、牂牁に沈羽の水有り(底本「牜羊柯」は「牂牁」の残損)。万殊の物類、一概に断ずべからざるは、正に此のごとくにして已に久し。
有生最靈,莫過乎人。貴性之物,宜必鈞一。而其賢愚邪正,好醜修短,清濁貞淫,緩急遲速,趨舍所尚,耳目所欲,其為不同,已有天壤之覺,冰炭之乖矣。何獨怪仙者之異,不與凡人皆死乎?
有生の中にて最も霊なるは、人に過ぎたるは無し。貴性を稟受する物、当に一律なるべし。しかるに賢愚邪正、美醜長短、清濁貞淫、緩急遅速、趨捨の尚ぶ所、耳目の欲求する所、彼此同じからず、已に天壌の別、冰炭の乖有り。何ぞ独り仙者の特異を怪しみ、凡人と皆同じく死せざるをや。
若謂受氣皆有一定,則雉之為蜃,雀之為蛤,壤蟲假翼,川蛙翻飛,水蠣為蛉,荇苓為蛆,田鼠為鴽,腐草為螢,鼉之為虎,蛇之為龍,皆不然乎?
若し所受の気皆一定有りと言わば、雉は蜃に変じ、雀は蛤に変じ、壤虫は翅を借り、川中の蛙は翻飛し、水蛎は蛉に変じ、荇苓は蛆に変じ、田鼠は鴽に変じ、腐草は螢に変じ、鼉は虎に変じ、蛇は龍に変ず。豈皆然らざらんや。
若謂人稟正性,不同凡物,皇天賦命,無有彼此,則牛哀成虎,楚嫗為黿,枝離為柳,秦女為石,死而更生,男女易形,老彭之壽,殤子之夭,其何故哉?苟有不同,則其異有何限乎?
若し人は正性を稟受して凡物に異なり、皇天の賦する命に彼此の別無しと言わば、牛哀は虎に変じ、楚の老婦は鼋に変じ、支離叔は柳に変じ、秦女は石に変じ、死して再び更生し、男女形を換え、老彭の長寿、殤子の夭折は、又何の故ぞ。但だ所不同有り、則ちその差異又何の限り有らん。
若夫仙人,以藥物養身,以術數延命,使內疾不生,外患不入,雖久視不死,而舊身不改,苟有其道,無以為難也。而淺識之徒,拘俗守常,鹹曰世閒不見仙人,便雲天下必無此事。夫目之所曾見,當何足言哉?天地之間,無外之大,其中殊奇,豈遽有限,詣老戴天,而無知其上,終身履地,而莫識其下。形骸己所自有也,而莫知其心志之所以然焉。壽命在我者也,而莫知其修短之能至焉。況乎神仙之遠理,道德之幽玄,仗其短淺之耳目,以斷微妙之有無,豈不悲哉?
仙人に至りては、药物をもって身を養い、術数をもって寿を延ばし、内の病をして生ぜず、外の患をして入らざらしむ。久視不死すれども、旧日の身は改まらず。但だその道有り、以て難しと為さざるのみ。而れど見識浅き者、流俗常情に拘り、皆世間仙人を見ずと言い、便ち天下必ず此事無しと言う。目の嘗て見たる所、何ぞ凭拠と為すに足らん。天地之間、大にして外無し。その中の殊奇、豈に限度有らんや。老に至るまで天を頂きて、天の上を知らず。終身地を蹈みて、地の下を識らず。形骸は自己本有するに、心志の何の故にか然るを知らず。寿命自己の身に在るに、修短何の所に至るを知らず。況んや神仙の遠理、道徳(道が具体的事物に落実して顕れた性能で、倫理の義の品德ではない)の幽深玄遠、短浅の耳目を仗りて、微妙の有無を断ずるは、豈に悲しむべからずや。
設有哲人大才,嘉遁勿用,翳景掩藻,廢偽去欲,執太璞於至醇之中,遺末務於流俗之外,世人猶鮮能甄別,或莫造志行於無名之表,得精神於陋形之裡,豈況仙人殊趣異路,以富貴為不幸,以榮華為穢汙,以厚玩為塵壤,以聲譽為朝露,蹈炎飆而不灼,躡玄波而輕步,鼓翮清塵,風駟雲軒,仰凌紫極,俯棲崑崙,行屍之人,安得見之?假令遊戲,或經人間,匿真隱異,外同凡庸,比肩接武,孰有能覺乎?若使皆如郊閒兩曈之正方,邛疏之雙耳,出乎頭巔。馬皇乘龍而行,子晉躬御白鶴。或鱗身蛇軀,或金車羽服,乃可得知耳。自不若斯,則非洞視者安能覿其形,非徹聽者安能聞其聲哉?世人既不信,又多疵毀,真人疾之,遂益潛遁。且常人之所愛,乃上士之所憎。庸俗之所貴,乃至人之所賤也。英儒偉器,養其浩然者,猶不樂見淺薄之人,風塵之徒。況彼神仙,何為汲汲使芻狗之倫,知有之何所索乎,而怪於未嘗知也。目察百步,不能了了,而欲以所見為有,所不見為無,則天下之所無者,亦必多矣。所謂以指測海,指極而云水盡者也。蜉蝣校巨鰲,日及料大椿,豈所能及哉?魏文帝窮覽洽聞,自呼於物無所不經,謂天下無切玉之刀,火浣之布,及著典論,嘗據言此事。其閒未期,二物畢至。帝乃嘆息,遽毀斯論。事無固必,殆為此也。陳思王著釋疑論云,初謂道術,直呼愚民詐偽空言定矣。及見武皇帝試閉左慈等,令斷谷近一月,而顏色不減,氣力自若,常雲可五十年不食,正爾,復何疑哉?又云,令甘始以藥含生魚,而煮之於沸脂中,其無藥者,熟而可食,其銜藥者,遊戲終日,如在水中也。又以藥粉桑以飼蠶,蠶乃到十月不老。又以住年藥食雞雛及新生犬子,皆止不復長。以還白藥食白犬,百日毛盡黑。乃知天下之事,不可盡知,而以臆斷之,不可任也。但恨不能絕聲色,專心以學長生之道耳。
哲人大才を設け、嘉美に隠遁して見用を求めず、光影を掩い文藻を蔵し、虚偽を廃し嗜欲を去り、至醇の中に太璞を守り、末務を流俗の外に遺落せば、世人尚お甄別能わず、或は無名の表層に志行を見る能わず、陋形の裏面に精神を得る能わず。況んや仙人の旨趣殊異、道路同じからず、富貴を不幸と見、栄華を穢汚と見、厚重の玩好を塵土と見、声誉を朝露と見、炎飈を蹈みて灼かず、玄波を蹈みて軽く歩み、翅を鼓して塵埃を掃い、風を以て駟と為し雲を以て軒と為し、上は紫極を凌ぎ、下は崑崙に棲止す。行尸走肉の人、何ぞこれを見んや。假如遊戯にして偶々人間を経過し、真を隠し異を蔵し、外は凡庸に同じく、比肩接踵せば、誰か察覚せん。若し彼らをして皆郊間の両瞳正方、邛疏の両耳頭頂に出づ、馬師皇の龍に乗りて行く、王子晋の親自白鶴を駕するがごとく、或は鱗身蛇躯、或は金車羽服ならしめば、此乃ち認識すべし。若し然らざれば、洞視の人に非ずんば何ぞその形を見、徹聴の人に非ずんば何ぞその声を聞かんや。世人既に信ぜず、又多く疵毀を加う。真人は此を悪み、益々潜藏逃遁す。且つ常人の愛する所は、正に上士の憎む所。庸俗の貴ぶ所は、正に至人の賤む所。英儒偉器、浩然の気を養う者、尚お浅薄の人、風塵の徒を見るを楽しまず。況んや彼の神仙、何ぞ急々として芻狗のごとき人に神仙有るを知らしめ、又彼らに向かって何を求めんや、而も彼ら未曾て知らざるを怪む。目は百歩を見て尚お了了能わず、而も所見を以て有と為し、所不見を以て無と為さば、則ち天下の無き所、亦必ず多し。此れ所謂指をもって海を測り、指頭到れば便ち水尽きたりと言う。蜉蝣は巨鰲を校量し、朝菌は大椿を估量す。何ぞ及ぶことを得んや。魏文帝窮覧洽聞、自ら物に於て経過せざる無しと称し、天下に玉を切る刀、火浣の布無しと言う。及び《典論》を著し、嘗て此に拠りて此事を言う。此の中間一年に至らず、両件の物皆来たる。帝乃ち嘆息し、即刻此の論を毀る。事は固定必然無し、蓋し此の為めなり。陳思王《釋疑論》を著して曰く、初め道術を以ては、直に愚民詐偽の空言と呼び、已に認定せり。及び武皇帝が左慈等を関置し、断谷せしめること将近一月、顔色減ぜず、気力自如なるを見、且つ常に五十年食わずとも可なりと言う、正に此のごとし、又何の疑う所か有らん。又曰く、甘始に药を取らせて活魚に含ませ、沸油中に置きて煮る。药無き者は熟して食うべく、药を銜む者は終日游戯し、水中に在るがごとし。又药粉を桑葉に灑きて蚕に飼わしむるに、蚕十月に至るも老いず。又住年药を鶏雛と新生の小狗に食わしむるに、皆止まりて再び長せず。還白药を白狗に食わしむるに、百日毛皆黒に変ず。此乃ち知る、天下の事は尽く知るべからず、而れど臆断を凭りて断ずるは、靠むべからず。只だ自ら声色を棄絶し、専心して長生の道を学ぶ能わざるを恨むのみ。
彼二曹學則無書不覽,才則一代之英,然初皆謂無,而晚年乃有窮理盡性,其嘆息如此。不逮若人者,不信神仙,不足怪也。劉向博學則究微極妙,經深涉遠,思理則清澄真偽,研核有無,其所撰列仙傳,仙人七十有餘,誠無其事,妄造何為乎?邃古之事,何可親見,皆賴記籍傳聞於往耳。列仙傳炳然其必有矣。然書不出周公之門,事不經仲尼之手,世人終於不信。然則古史所記,一切皆無,何但一事哉?俗人貪榮好利,汲汲名利,以己之心,遠忖昔人,乃復不信古者有逃帝王之禪授,薄卿相之貴任,巢許之輩,老萊莊周之徒,以為不然也。況於神仙,又難知於斯,亦何可求今世皆信之哉?多謂劉向非聖人,其所撰錄,不可孤據,尤所以使人嘆息者也。夫魯史不能與天地合德,而仲尼因之以著經。子長不能與日月並明,而揚雄稱之為實錄。劉向為漢世之名儒賢人,其所記述,庸可棄哉?凡世人所以不信仙之可學,不許命之可延者,正以秦皇漢武求之不獲,以少君欒太為之無驗故也。然不可以黔婁原憲之貧,而謂古者無陶朱猗頓之富。不可以無鹽宿瘤之醜,而謂在昔無南威西施之美。進趨尤有不達者焉,稼穡猶有不收者焉,商販或有不利者焉,用兵或有無功者焉。況乎求仙,事之難者,為之者何必皆成哉?彼二君兩臣,自可求而不得,或始勤而卒怠,或不遭乎明師,又何足以定天下之無仙乎?
あの二曹は学問を論ずれば書を看ないことなく、才を論ずれば一代の英傑である。しかるに起初は皆無しと言い、晚年に至りて窮理尽性、嘆息すること此のごとし。斯のごとき人に及ばずんば、神仙を信ぜざるは怪しむに足らず。劉向博学は微に究め妙に極り、深きを経て遠きを渉り、思理は真偽を澄まして清清楚楚、研核は有と無、其の撰する《列仙伝》は、仙人七十有余。若し真にその事無からば、妄りに之を造りて何を為さん。遠古の事、何ぞ親眼に見るを得ん。皆記籍に頼りて往昔を伝聞するのみ。《列仙伝》明白此のごとし、則ち必ず有り。しかるに書は周公の門より出でず、事は仲尼の手を経ず。世人終に信ぜず。則ち古史の記する所、一切皆無し、何ぞ止まらん此の一事のみや。俗人は栄を貪り利を好み、汲汲として名利に於て、己の心を以て遠く昔人を忖度す。于是に又古に帝王の禅授を逃れ、卿相貴任を看薄する者有るを信ぜず。巢父・許由の輩、老莱・荘周の徒、皆以て是のごとくに非ずと為す。況んや神仙、又此らより難知なり、又安くんぞ今世の人皆信ぜんことを求めんや。多くの人は劉向は聖人に非ず、其の撰録する所、独り凭拠と為すべからずと言う。此れ尤も嘆息せしむ。魯史は天地と徳を合する能わず、仲尼は此に据りて経を著す。司馬遷は日月と明を並ぶる能わず、揚雄は之を称して実録と為す。劉向は漢世の名儒賢人、其の記述する所、豈に棄てるべからんや。凡そ世人の仙の学ぶべしと信ぜず、命の延長すべしを准せざる所以の者は、正に秦始皇・漢武帝の求めて得ざり、李少君・欒太の為して応験無きの故なり。しかるに黔娄・原憲の貧を以て、古に陶朱・猗頓の富無しと言うべからず。無鹽・宿瘤の醜を以て、昔に南威・西施の美無しと言うべからず。進取尚お達せざる有り、稼穡尚お収穫せざる有り、商販或は利あらざる有り、用兵或は功無き有り。況んや仙を求むるは難事、為す者何必ず皆成らんや。彼の二君両臣、自ずから求めて得ざるべく、或は始め勤くして後怠り、或は明師に遇わず。又何ぞ天下に仙無しを断定するに足らんや。
夫求長生,修至道,訣在於志,不在於富貴也。苟非其人,則高位厚貨,乃所以為重累耳。何者?學仙之法,欲得恬愉澹泊,滌除嗜慾,內視反聽,屍居無心,而帝王任天下之重責,治鞅掌之政務,思勞於萬幾,神馳於宇宙,一介失所,則王道為虧,百姓有過,則謂之在予。醇醪汩其和氣,豔容伐其根荄,所以翦精損慮削乎平粹者,不可曲盡而備論也。蚊噆膚則坐不得安,蝨群攻則臥不得寧。四海之事,何祗若是。安得掩翳聰明,歷藏數息,長齋久潔,躬親爐火,夙興夜寐,以飛八石哉?漢武享國,最為壽考,已得養性之小益矣。但以升合之助,不供鍾石之費,畎澮之輸,不給尾閭之洩耳。
長生を求め至道を修るは、訣竅は志に在り、富貴に在らず。若し其の人に非ずんば、高位厚貨は反って沉重の累贅と為る。何を以てか。学仙の法は、恬愉澹泊、嗜欲を滌除し、内視反聴し、尸のごとく居処して心に事無きを要す。而れど帝王は天下の重責を担い、紛繁の政務を治理し、思慮は万機に労し、精神は宇宙に馳騁し、一事失所すれば王道虧け、百姓過有れば則ち責は我に在りと言う。醇酒は其の和気を乱し、艶容は其の根荄を伐る。此に因り精神を翦損し、思慮を損傷し、其の平粹を削薄するは、曲曲折折に言い尽くす能わず。蚊が皮膚を叮ば、坐すれば安きを得ず。虱成群して攻め来れば、臥して寧きを得ず。四海の事、何ぞ止まらん此のごときのみや。何ぞ尚お聪明を掩い、五臓を歴り呼吸を数え、長期斎戒潔斉し、親自爐火を守り、早起晚睡して、八石を飛煉せんや。漢武帝の国を享くるは、算えば最も寿考なり。已に養性の小益を得たり。只だ升合のごとき少許の補助、鐘石のごとき大きな耗費に供給せず、田間小溝の輸送、尾閭の宣泄を填補せざるのみ。
仙法欲靜寂無為,忘其形骸,而人君撞千石之鍾,伐雷霆之鼓,砰磕嘈囐,驚魂蕩心,百技萬變,喪精塞耳,飛輕走迅,釣潛弋高。仙法欲令愛逮蠢蠕,不害含氣,而人君有赫斯之怒,芟夷之誅,黃鉞一揮,齊斧暫授,則伏屍千里,流血滂沱,斬斷之刑,不絕於市。仙法欲止絕臭腥,休糧清腸,而人君烹肥宰腯,屠割群生,八珍百和,方丈於前,煎熬勺藥,旨嘉饜飫。仙法欲溥愛八荒,視人如己,而人君兼弱攻昧,取亂推亡,闢地拓疆,泯人社稷,驅合生人,投之死地,孤魂絕域,暴骸腐野,五嶺有血刃之師,北闕懸大宛之首,坑生煞伏,動數十萬,京觀封屍,仰幹雲霄,暴骸如莽,彌山填谷。秦皇使十室之中,思亂者九。漢武使天下嗷然,戶口減半。祝其有益,詛亦有損。結草知德,則虛祭必怨。眾煩攻其膏肓,人鬼齊其毒恨。彼二主徒有好仙之名,而無修道之實,所知淺事,不能悉行。要妙深秘,又不得聞。又不得有道之士,為合成仙藥以與之,不得長生,無所怪也。
仙法は静寂無為を要し、形骸を忘る。而れど人君は千石の鐘を撞撃し、雷霆のごとき鼓を敲打し、砰磕嘈雜、魂を驚かし心を蕩かし、百般技藝万般變化、精神を喪失し耳を塞ぐ。軽捷を飛ばし、迅疾を走らし、潜伏を釣り、高飛を射る。仙法は愛を蠢蠕の虫に施及し、気を含む物を傷害せざるを要す。而れど人君は赫然の怒有り、芟夷の誅有り。黄鉞一揮、斉斧剛く授ければ、則ち尸を伏すこと千里、流血滂沱、斬斷の刑、市上に断えず。仙法は腥臭を止絶し、糧を停め腸を清めるを要す。而れど人君は肥を烹り腯を宰り、群生を屠割し、八珍百味調和し、方丈の食を面前に擺し、芍藥を煎熬し、美味食べて饜足す。仙法は八荒に溥愛し、人を視ること己を視るがごとくを要す。而れど人君は弱きを兼并し昧きを攻打し、乱に乗じて取り、将に亡びんとするを推倒し、土地を開辟し疆域を開拓し、人の社稷を滅し、活人を驅趕聚合して死地に投じ、孤魂は絶域に在り、尸骸は野に暴露腐爛し、五嶺に血刃の軍隊有り、北闕に大宛の首級を懸け、生靈を坑殺し降者を誅殺し、動もすれば数十萬、京觀を堆起して尸を封じ、上は雲霄に衝き、暴露の骸骨は草莽のごとく、山嶺に鋪き山谷を填む。秦始皇は十室の中、乱を作さんと欲する者九ならしめたり。漢武帝は天下をして嗷嗷、戸口半減せしめたり。祝禱若し益有らば、詛咒亦損有り。結草は徳を報ずるを知る、則ち虚に故事を応ずる祭祀は必ず怨を招く。種種の煩擾は其の膏肓を攻め、人と鬼一斉に彼を毒恨す。彼の二主は空しく仙を好むの名有りて、道を修るの實無し。所知の浅事、尽く實行する能わず。要妙深秘、又聞くを得ず。又道有る之士を得ずして、彼らの為に仙藥を合成して彼らに與えず。長生を得ざるは、怪しむべき無し。
吾徒匹夫,加之罄困,家有長卿壁立之貧,腹懷翳桑絕糧之餒,冬抱戎夷後門之寒,夏有儒仲環堵之映,欲經遠而乏舟車之用,欲有營而無代勞之役,入無綺紈之娛,出無遊觀之歡,甘旨不經乎口,玄黃不過乎目,芬芳不歷乎鼻,八音不關乎耳,百憂攻其心曲,眾難萃其門庭,居世如此,可無戀也。
我は只だ匹夫のみ、加之窮困空盡し、家は司馬長卿の家徒四壁の貧有り、腹は翳桑の餓人絕糧の餒を懐き、冬は戎夷の門外に堵する寒を抱き、夏は王儒仲の環堵土牆の映照有り。遠路を走らんと欲すれど舟車の費を闕き、營む所有らんと欲すれど代勞の僕役無し。入りて綺紈の娛樂無く、出でて游觀の歡無し。甘美は口を經ず、玄黃は眼を經ず、芬芳は鼻を經ず、八音は耳に關せず。百憂は其の心曲を攻め、衆難は其の門庭に聚まる。人世に居處すること此のごとし、留戀すべき無し。
或得要道之訣,或值不群之師,而猶恨恨於老妻弱子,眷眷於狐兔之丘,遲遲以臻殂落,日月不覺衰老,知長生之可得而不能修,患流俗之臭鼠而不能委。何者?愛習之情卒難遣,而絕俗之志未易果也。況彼二帝,四海之主,其所耽玩者,非一條也,其所親倖者,至不少矣。正使之為旬月之齋,數日閒居,猶將不能,況乎內棄婉孌之寵,外捐赫奕之尊,口斷甘餚,心絕所欲,背榮華而獨往,求神仙於幽漠,豈所堪哉?是以歷覽在昔,得仙道者,多貧賤之士,非勢位之人。又欒太所知,實自淺薄,飢渴榮貴,冒乾貨賄,衒虛妄於苟且,忘禍患於無為,區區小子之奸偽,豈足以證天下之無仙哉?昔勾踐式怒璉,戎卒爭蹈火。楚靈愛細腰,國人多餓死。齊桓嗜異味,易牙蒸其子。宋君賞瘠孝,毀歿者比屋。人主所欲,莫有不至。漢武招求方士,寵待過厚,致令斯輩,敢為虛誕耳。欒太若審有道者,安可得煞乎?夫有道者,視爵位如湯鑊,見印綬如縗絰,視金玉如土糞,睹華堂如牢獄。豈當扼腕空言,以僥倖榮華,居丹楹之室,受不訾之賜,帶五利之印,尚公主之貴,耽淪勢利,不知止足,實不得道,斷可知矣。按董仲舒所撰李少君家錄云,少君有不死之方,而家貧無以市其藥物,故出於漢,以假塗求其財,道成而去。又按漢禁中起居注云,少君之將去也,武帝夢與之共登嵩高山,半道,有使者乘龍持節,從雲中下。雲太乙請少君。帝覺,以語左右曰,如我之夢,少君將舍我去矣。數日,而少君稱病死。久之,帝令人發其棺,無屍,唯衣冠在焉。按仙經云,上士舉形升虛,謂之天仙。中士遊於名山,謂之地仙。下士先死後蛻,謂之尸解仙。今少君必尸解者也。近世壺公將費長房去。及道士李意期將兩弟子去,皆託卒,死,家殯埋之。積數年,而長房來歸。又相識人見李意期將兩弟子皆在郫縣。
あるいは要道の訣を得、あるいは出衆の師に遇いながら、尚お老妻弱子に恨々とし、狐狸兎子の丘墟に眷眷として、遅遅として死亡に至る。日月は知らず覺えず衰老し、長生は得られると知りながら修することが能わず、流俗を臭鼠のごとく嫌悪しながら放下する能わず。何を以てか。愛習の情は終に遣り難く、絶俗の志は容易に果決し難い。況んや彼の二帝は四海の主、其の耽玩する所は一条に非ず、其の親幸する所は非常に少なからず。仮令彼らをして旬月の斎、数日の閒居を為さしめんも、皆將に能わざらん。況んや内に婉孌の寵愛を拋棄し、外に赫奕の尊位を捐棄し、口に甘肴を絶ち、心に所欲を絶ち、榮華を背けて獨り往き、幽漠に於て神仙を求めん、何ぞ堪えんや。故に從來を歷覽するに、仙道を得たる者は多く貧賤の士、勢位有るの人に非ず。又欒太の所知する所は、實に淺薄、榮貴に飢渴し、冒昧に貨賄を求取し、苟且の中に虚妄を炫耀し、無所作為の中に禍患を忘掉す。區區小子の奸偽、何ぞ天下に仙無しを證明するに足らんや。昔勾踐は軾に凭りて怒れる蛙を敬禮し、戎卒は爭うて火を蹈む。楚靈王は細腰を愛し、國人多く餓死す。齊桓公は異味を嗜好し、易牙は己の子を蒸す。宋君は毀瘠して孝を盡くす人を奬賞し、毀傷して死に至るは一家に連なり一家に連なる。人主の要する所、達せざる無し。漢武帝は方士を招求し、寵待すること厚過ぎ、以て此の類に虚誕の事を敢て為さしめたのみ。欒太若し真に道有らば、何ぞ殺されるを得んや。道有る人は、爵位を視ること湯鑊のごとく、印綬を見ること喪服のごとく、金玉を視ること土糞のごとく、華堂を睹ること牢獄のごとし。何ぞ腕を扼みて空言を說き、僥倖に榮華を求め、丹楹の屋に住し、計量すべからざる賞賜を受け、五利將軍の印を帶び、公主を尚るの貴、勢利に沈淪して止足を知らざるや。實に道を得ず、斷じて知るべし。按ずるに董仲舒の撰する《李少君家錄》に曰く、少君は不死の方有り、家貧しく藥物を買う錢無し、故に漢朝に來り、此の路を借りて財物を求め、道成れば去ると。又漢の禁中《起居注》に按ずるに曰く、少君將に去らんとする時、武帝は彼と俱に嵩高山に登るを夢見、半道にして、使者の龍に乘り節を持して雲中より下る有り。太乙が少君を請うと曰う。帝覺め、左右に告げて曰く、我が夢のごとき、少君將に我を舍てて去らんとす。數日、少君病死を稱す。久しきを過ぎ、帝は人をして其の棺を開かしむ、尸無く、衣冠有るのみ。按ずるに仙經に曰く、上士は形を擧げて虚空に升る、之を天仙と謂う。中士は名山に游ぶ、之を地仙と謂う。下士は先ず死して後に蛻去す、之を尸解仙と謂う。今少君は必ず尸解なり。近世壺公は費長房を將て去る。及び道士李意期が二箇の弟子を將て去る、皆猝死と託言し、家は之を殯埋す。數年を過ぎ、長房歸來る。又相識の人李意期が二弟子を帶びて皆郫縣に在るを見たり。
其家各發棺視之,三棺遂有竹杖一枚,以丹書於枚,此皆尸解者也。
(彼は続けて言う:)彼らの家各々棺を開きて之を見れば、三具の棺裏于是に各々竹杖一枚有り、丹を以て杖上に寫す、此ら皆尸解なり。
昔王莽引典墳以飾其邪,不可謂儒者,皆為篡盜也。相如因鼓琴以竊文君,不可謂雅樂主於淫佚也。噎死者不可譏神農之播谷,燒死者不可怒燧人之鑽火,覆溺者不可怨帝軒之造舟,酗■者不可非杜儀之為酒。豈可以欒太之邪偽,謂仙道之果無乎?是猶見趙高董卓,便謂古無伊周霍光。見商臣冒頓,而云古無伯奇孝己也。又神仙集中有召神劾鬼之法,又有使人見鬼之術。俗人聞之,皆謂虛文。或雲天下無鬼神,或雲有之,亦不可劾召。或雲見鬼者,在男為覡,在女為巫,當須自然,非可學而得。按漢書及太史公記皆雲齊人少翁,武帝以為文成將軍。武帝所幸李夫人死,少翁能令武帝見之如生人狀。又令武帝見灶神,此史籍之明文也。夫方術既令鬼見其形,又令本不見鬼者見鬼,推此而言,其餘亦何所不有也。鬼神數為人間作光怪變異,又經典所載,多鬼神之據,俗人尚不信天下之有神鬼,況乎仙人居高處遠,清濁異流,登遐遂往,不返於世,非得道者,安能見聞。而儒墨之家知此不可以訓,故終不言其有焉。俗人之不信,不亦宜乎?惟有識真者,校練眾方,得其徵驗,審其必有,可獨知之耳,不可強也。故不見鬼神,不見仙人,不可謂世閒無仙人也。人無賢愚,皆知己身之有魂魄,魂魄分去則人病,盡去則人死。故分去則術家有拘錄之法,盡去則禮典有招呼之義,此之為物至近者也。然與人俱生,至乎終身,莫或有自聞見之者也。豈可遂以不聞見之,又云無之乎?若夫輔氏報施之鬼,成湯怒齊之靈,申生交言於狐子,杜伯報恨於周宣,彭生託形於玄豕,如意假貌於蒼狗,灌夫守田鼢,子義掊燕簡,蓐收之降於莘,欒侯之止民家,素姜之說讖緯,孝孫之著文章,神君言於上林,羅陽仕於吳朝,鬼神之事,著於竹帛,昭昭如此,不可勝數。然而蔽者猶謂無之,況長生之事,世所希聞乎!
昔王莽は典墳を援引して其の邪を文飾す、儒者皆篡盜なりと言うべからず。司馬相如是鼓琴に借りて卓文君を騙走す、雅樂の主旨は淫佚に在りと言うべからず。噎死者は神農の百穀を播種するを譏るべからず、燒死者は燧人の火を鑽るを惱怒すべからず、翻船淹死者は黃帝の舟を造るを怨むべからず、酗酒(底本此の字殘缺)する者は杜康・儀狄の酒を作るを非難すべからず。豈に欒太の邪偽を以て、仙道果てして無しと言うべけんや。此れ趙高・董卓を見、便ち古に伊尹・周公・霍光無しと言うがごとし。商臣・冒頓を見、便ち古に伯奇・孝己無しと言うがごとし。又《神仙集》中に神を召し鬼を劾するの法有り、又人をして鬼を見しむるの術有り。俗人聞きて、皆虚文なりと曰う。或は天下に鬼神無しと曰い、或は有れども、亦劾召すべからずと曰い、或は鬼を見る能くする者、男に在りては覡と曰い、女に在りては巫と曰い、須らく自然より出づべし、學びて得る可きに非ずと曰う。按ずるに《漢書》及び太史公記は皆齊人少翁を曰い、武帝は之を以て文成將軍と為す。武帝の寵幸する所の李夫人死す、少翁は武帝をして彼女を活ける人の狀貌のごとく見しむ。又武帝をして竈神を見しむ、此れ史籍の明文なり。方術既に鬼をして形を現せしめ、又能く本來鬼を見る能わざる人に鬼を見しむ、此に由りて推論すれば、其の餘又何ぞ無き有らんや。鬼神屢屢人間に光怪變異を作す、經典の載する所、又多く鬼神の憑據有り、俗人尚お天下に神鬼有るを信ぜず、況んや仙人は居ること高く處ること遠く、清濁流を同じくせず、登遐遠去し、人世に返らず、道を得たる人に非ずんば、何ぞ見る能く聞く能わんや。而れど儒墨の家は此らを以て世に訓すべからざるを知る、故に始終其有るを說かず。俗人信ぜざるは、亦當ならずや。唯だ真を識る人、諸種の方術を校練し、徵驗を得、審かに其れ必ず有るを定め、獨り知る可きのみ、強ひて求むべからず。故に鬼神を見ず、仙人を見ず、世間に仙人無しと說くべからず。人賢愚を論ぜず、皆己が身上に魂魄有るを知る、魂魄分かれ出でば人則ち病み、盡く出でば人則ち死す。故に分かれ出づれば則ち術家に拘錄の法有り、盡く出づれば則ち禮典に招呼の義有り、此れ物と為すは至近なり。しかるに人と俱に生まれ、終身に至るまで、自ら之を聞き見たる者無し。豈に未曾て聞き見ざるを以て、又其れ無しと說かんや。輔氏の報施する鬼、成湯が齊に怒るの靈、申生が狐突と交談し、杜伯が周宣王に恨みを報い、彭生が黑猪に形を托し、如意が蒼狗に貌を借り、灌夫が田蚡を守り、莊子義が燕簡公を撃打し、蓐收が莘に降臨し、欒侯が民家に止まり、素姜が讖緯を說き、孝孫が文章を著し、神君が上林に在りて說話し、羅陽が吳朝に於て官を為す、鬼神の事、竹帛に寫るは、昭昭として此のごとし、勝數すべからず。然るに蔽塞の人は尚お無しと說く、況んや長生の事、世に聞くこと稀ならんや。
望使必信,是令蚊虻負山,與井蟆論海也。俗人未嘗見龍麟鸞鳳,乃謂天下無有此物,以為古人虛設瑞應,欲令人主自勉不息,冀致斯珍也。況於令人之信有仙人乎!
必ず人をして信ぜしめんと指望するは、此れ蚊虻をして山を背負わしめ、井底の蛤蟆と海を談ずるなり。俗人は未だかつて龍・麟・鸞・鳳を見ず、便ち天下に此らの物無しと曰い、以て古人虚に瑞應を設け、人主をして自ら勉力息まざらしめ、此らの珍物を招來せんことを希望すと為す。況んや人をして仙人有りを信ぜしめんと欲するや。
世人以劉向作金不成,便謂索隱行怪,好傳虛無,所撰列仙,皆復妄作。悲夫!此所謂以分寸之瑕,棄盈尺之夜光,以蟻鼻之缺,捐無價之淳鈞,非荊和之遠識,風胡之賞真也。斯朱公所以鬱悒,薛燭所以永嘆矣。夫作金皆在神仙集中,淮南王抄出,以作鴻寶枕中書,雖有其文,然皆秘其要文,必須口訣,臨文指解,然後可為耳。其所用藥,復多改其本名,不可按之便用也。劉向父德治淮南王獄中所得此書,非為師授也。向本不解道術,偶偏見此書,便謂其意盡在紙上,是以作金不成耳。至於撰列仙傳,自刪秦大夫阮倉書中出之,或所親見,然後記之,非妄言也。狂夫童謠,聖人所擇。芻蕘之言,或不可遺。採葑採菲,無以下體,豈可以百慮之一失,而謂經典之不可用,以日月曾蝕之故,而謂懸象非大明哉?外國作水精碗,實是合五種灰以作之。今交廣多有得其法而鑄作之者。今以此語俗人,俗人殊不肯信。乃雲水精本自然之物,玉石之類。況於世間,幸有自然之金,俗人當何信其有可作之理哉?愚人乃不信黃丹及胡粉,是化鉛所作。又不信騾及駏驉,是驢馬所生。雲物各自有種。況乎難知之事哉?夫所見少,則所怪多,世之常也。信哉此言,其事雖天之明,而人處覆甑之下,焉識至言哉?”
世人は劉向が金を作って成らざるを以て、便ち彼は隱僻を求め怪異を行い、虛無の事を傳えるを好み、撰する所の列仙、又皆妄作なりと曰う。悲しむべし。此れ所謂分寸の瑕を以て、盈尺の夜光を丟掉し、蟻鼻大の缺を以て、無價の淳鈞を捐棄するなり。卞和のごとき遠識に非ず、風胡のごとき真を賞識する能くするに非ず。此れ朱公の郁悒する所以、薛燭の長嘆する所以の故なり。金を作る方は皆《神仙集》中に在り、淮南王抄出し、《鴻寶枕中書》を作る。其の文字有るといえども、要文を皆隱祕し、必ず口訣有りて、文字に對し指點講解し、然る後乃ち做る可し。所用の藥は、又多く本名を改め、字面に按じて即ち用ゆる可からず。劉向の父劉德は淮南王の獄を治理する時此の書を得たり、師授に非ず。向本來道術を解せず、偶然片面此の書を見、便ち意思全く紙上に在りと以為す、故に金を作りて成らざるのみ。至りて《列仙傳》を撰するは、秦の大夫阮倉の書の裏より刪出す、或は親自見て、然る後記す、妄言に非ず。狂夫の童謠、聖人尚お選取す。樵夫の言、或は亦棄てるべからず。葑を采り菲を采る、根莖の不好を以て丟掉する勿れ。豈に百次思慮の中の一次の失を以て、經典用ゆべからずと言い、日月嘗て虧蝕するを以て、天上に懸る象は大明に非ずと言うべけんや。外國は水精碗を作る、其の實は五種の灰を合して作るなり。今交州・廣州多く彼の方法を得て鑄作する者を得たり。今此の言を俗人に告ぐれば、俗人甚だ肯じて信ぜず。竟に水精は本來自然の物、玉石の一類なりと曰う。況んや世間幸いに自然の金有り、俗人又何ぞ其れ作り出す可きの理有るを信ぜんや。愚人竟に黃丹及び胡粉は、鉛を化して成るを信ぜず。又騾及び駏驉は、驢馬の生ずる所を信ぜず。物各々種有りと曰う。況んや知り難きの事や。所見の少なきは、所怪の多し、此れ世上の常情なり。此の言信ずべし、彼らの事天のごとき明なるといえども、而れど人は覆える甑の下に處り、何ぞ至言を識らんや。
卷三·對俗
巻三・對俗
或人難曰:“人中之有老彭,猶木中之有松柏,稟之自然,何可學得乎?”抱朴子曰:“夫陶冶造化,莫靈於人。故達其淺者,則能役用萬物,得其深者,則能長生久視。知上藥之延年,故服其藥以求仙。知龜鶴之遐壽,故效其道引以增年。且夫松柏枝葉,與眾木則別。龜鶴體貌,與眾蟲則殊。至於彭老猶是人耳,非異類而壽獨長者,由於得道,非自然也。眾木不能法松柏,諸蟲不能學龜鶴,是以短折耳。人有明哲,能修彭老之道,則可與之同功矣。若謂世無仙人乎,然前哲所記,近將千人,皆有姓字,及有施為本末,非虛言也。若謂彼皆特稟異氣,然其相傳皆有師奉服食,非生知也。若道術不可學得,則變易形貌,吞刀吐火,坐在立亡,興雲起霧,召致蟲蛇,合聚魚鱉,三十六石立化為水,消玉為臺,潰金為漿,入淵不沾,蹴刃不傷,幻化之事,九百有餘,按而行之,無不皆效,何為獨不肯信仙之可得乎!仙道遲成,多所禁忌。自無超世之志,強力之才,不能守之。其或頗好心疑,中道而廢,便謂仙道長生,果不可得耳。仙經曰,服丹守一,與天相畢,還精胎息,延壽無極。此皆至道要言也。民間君子,猶內不負心,外不愧影,上不欺天,下不食言,豈況古之真人,寧當虛造空文,以必不可得之事,誑誤將來,何所索乎!苟無其命,終不肯信,亦安可強令信哉!”
或る人詰難して曰く、「人中に老聃・彭祖、譬えば木中に松柏、是れ自然を稟受す、何ぞ學びて得る可けんや。」抱朴子曰く、「陶冶造化、人より靈なるは莫し。故に其の淺處を通達する者は、則ち萬物を役使し、其の深處を得る者は、則ち長生久視す。上品の藥の延年なるを知る、故に彼らの藥を服して仙を求む。龜鶴の壽命長遠なるを知る、故に彼らの導引を效法して年を增す。又松柏の枝葉、衆木と分別有り。龜鶴の體貌、衆蟲と同じからず。彭祖・老聃に至りては仍ほ人のみ、並びに異類にして壽命獨り長きに非ず、是れ道を得るに由り、自然此のごとくに非ず。衆木は松柏を效法する能わず、諸蟲は龜鶴を學ぶ能わず、故に短折す。人は明哲有り、彭老の道を修する能わば、則ち彼らと同功する可し。若し世上に仙人無しと言わば、然るに前哲の記する所、千人に將近し、皆姓字有り、及び行事本末、虛言に非ず。若し彼ら皆特別に異氣を稟受すと言わば、然るに相傳皆師奉有り、服食有り、生まれて知るに非ず。若し道術は學びて得る可からずと言わば、則ち形貌を變易し、刀を吞み火を吐き、坐して在り立てば亡び、雲を興し霧を起し、蟲蛇を召來し、魚鱉を聚合し、三十六種の石を立ちどころに水に化し、玉を消して臺と為し、金を潰して漿と為し、淵に入りて沾濕せず、刃を踩みて傷つかず、幻化の事、九百有餘、按じて做れば、效驗せざる無し、何ぞ獨り肯じて仙の得る可きを信ぜざるや。仙道は成就すること遲く、禁忌又多し。若し超世の志、強力の才無くんば、守る能わず。或は心中頗る疑惑、中道にして廢し、便ち仙道長生果てして得る可からずと曰うのみ。仙經に曰く、丹を服し一を守り、天と同じく畢んぬ、精を還し胎息し、壽を延ばして極限無し。此ら皆至道の要言なり。民間の君子、尚お内は心に負かず、外は影子に愧ぢず、上は天を欺かず、下は言を食まず、況んや古時の真人、豈に虛造空文、必ず得る可からざるの事を以て、將來を誑誤し、求むる所は何を為すか。若し其の命無ければ、終に肯じて信ぜず、又何ぞ強ひて彼を信ぜしめんや。」
或難曰:“龜鶴長壽,蓋世閒之空言耳,誰與二物終始相隨而得知之也。”抱朴子曰:“苟得其要,則八極之外,如在指掌,百代之遠,有若同時,不必在乎庭宇之左右,俟乎瞻視之所及,然後知之也。玉策記曰,千歲之龜,五色具焉,其額上兩骨起似角,解人之言,浮於蓮葉之上,或在叢蓍之下,其上時有白雲蟠蛇。千歲之鶴,隨時而鳴,能登於木,其未千載者,終不集於樹上也,色純白而腦盡成丹。如此則見,便可知也。然物之老者多智,率皆深藏邃處,故人少有見之耳。按玉策記及昌宇經,不但此二物之壽也。雲千歲松樹,四邊披越,上杪不長,望而視之,有如偃蓋,其中有物,或如青牛,或如青羊,或如青犬,或如青人,皆壽萬歲。又云,蛇有無窮之壽,獮猴壽八百歲變為猿,猿壽五百歲變為玃。玃壽千歲。蟾蜍壽三千歲,騏驎壽二千歲。騰黃之馬,吉光之獸,皆壽三千歲。千歲之鳥,萬歲之禽,皆人面而鳥身,壽亦如其名。虎及鹿兔,皆壽千歲,壽滿五百歲者,其毛色白。熊壽五百歲者,則能變化。狐狸豺狼,皆壽八百歲。滿五百歲,則善變為人形。鼠壽三百歲,滿百歲則色白,善憑人而卜,名曰仲,能知一年中吉凶及千里外事。如此比例,不可具載。但博識者觸物能名,洽聞者理無所惑耳。何必常與龜鶴周旋,乃可知乎?苟不識物,則園中草木,田池禽獸,猶多不知,況乎巨異者哉?史記龜策傳云:江淮閒居人為兒時,以龜枝床,至後老死,家人移床,而龜故生。此亦不減五六十歲也,不飲不食,如此之久而不死,其與凡物不同亦遠矣,亦復何疑於千歲哉?仙經象龜之息,豈不有以乎?
或る人詰難して曰く、「龜鶴長壽、蓋し世間の空話のみ、誰か此の二物と首尾相隨りて、從りて此を知らん。」抱朴子曰く、「但だ要領を得れば、八極の外、指掌に在るがごとく、百代の遠、同時に在るがごとし、必ずしも庭宇の左右に在り、瞻視の及ぶ所を等し、然る後乃ち知るを須ちず。玉策記に曰く、千歲の龜、五色齊く備わり、額上兩骨隆起して角のごとし、人の言を懂する能く、蓮葉上に浮き、或は叢蓍の下に在り、上に時時白雲蛇のごとく盤る有り。千歲の鶴、時候に按じて鳴き、樹木に登る能く、千載に至らざる者は、終に樹上に聚集せず、色純白にして腦は皆丹紅に變ず。此のごとき見れば、便ち以て知る可し。然るに物老いれば大多智有り、大都深く邃處に藏まる、故に人見ること少なし。按ずるに玉策記及び昌宇經は、但だ此の二物長壽のみならず。曰く、千歲の松樹、四邊披散して開け、上梢更に長せず、望去れば偃えたる車蓋のごとし、其中に物有り、或は青牛のごとく、或は青羊のごとく、或は青犬のごとく、或は青人のごとく、皆壽萬歲。又曰く、蛇は無窮の壽有り、獼猴は壽八百歲にして猿に變じ、猿は壽五百歲にして玃に變ず。玃は壽千歲。蟾蜍は壽三千歲、騏驎は壽二千歲。騰黃の馬、吉光の獸、皆壽三千歲。千歲の鳥、萬歲の禽、皆人面鳥身、壽亦其の名のごとし。虎及び鹿兔、皆壽千歲、壽滿五百歲の者は、毛色白に變ず。熊壽五百歲の者は、則ち變化する能し。狐狸豺狼、皆壽八百歲。滿五百歲、則ち人形に變ずるに善し。鼠壽三百歲、滿百歲則ち色白、善く人に憑附して卜を問う、名は仲と曰い、一年の中の吉凶及び千里外の事を知る能し。此のごとき比類、一一に記載する能わず。只だ博識の人は物に碰えば則ち名字を叫ぶ、見聞廣き人は道理上疑惑無きのみ。何ぞ必ずしも常に龜鶴と周旋し、乃ち知る能くせんや。若し物を識らざれば、園中の草木、田池の禽獸、尚お多く知らざる有り、況んや巨大特異の者や。《史記・龜策傳》に曰く、江淮間に人孩子を為す時有り、龜を以て床を支ふ、後に老死するに至り、家人床を移し開くに、龍尚お活きて在り。此れ亦五六十歲に少なからず、飲まず食わず、此のごとく久しくして死せず、其れ凡物と同じからざること亦遠し、又何ぞ必ず千歲を疑わんや。仙經は龜の呼吸を取法す、豈に緣故無からんや。」
故太丘長潁川陳仲弓,篤論士也,撰異聞記云,其郡人張廣定者,遭亂常避地,有一女年四歲,不能步涉,又不可擔負,計棄之固當餓死,不欲令其骸骨之露,村口有古大冢,上巔先有穿穴,乃以器盛縋之,下此女於冢中,以數月許乾飯及水漿與之而捨去。候世平定,其間三年,廣定乃得還鄉里,欲收冢中所棄女骨,更殯埋之。廣定往視,女故坐冢中,見其父母,猶識之甚喜。而父母猶初恐其鬼也,父下入就之,乃知其不死。問之從何得食,女言糧初盡時甚飢,見冢角有一物,伸頸吞氣,試效之,轉不復飢,日月為之,以至於今。父母去時所留衣被,自在冢中,不行往來,衣服不敗,故不寒凍。廣定乃索女所言物,乃是一大龜耳。女出食谷,初小腹痛嘔逆,久許乃習,此又足以知龜有不死之法,及為道者效之,可與龜同年之驗也。史遷與仲弓,皆非妄說者也。天下之蟲鳥多矣,而古人獨舉斯二物者,明其獨有異於眾故也,睹一隅則可以悟之矣。”
(抱朴子續けて言う:)故に太丘長潁川陳仲弓は、篤く持論するの士、撰して《異聞記》に曰く、彼の郡裏に人張廣定と曰う者有り、亂に遭い常に地を避く、一女兒四歲有り、遠路を走る能わず、又擔負する能わず、計るに彼女を棄てば固に餓死せん、又彼女の骸骨を暴露せしめんと欲せず、村口に古の大冢有り、頂上は原先穿開の穴有り、即ち器皿を以て盛りて彼女を縋下し、此の女孩を冢中に放り、彼女に數個月の乾飯及び水漿を給し、然る後舍下し去る。及び世道平定するに至り、此の中間三年、廣定乃ち鄉里に還るを得、冢中に棄てたる女孩の骨殖を收め、別に殯埋せんと欲す。廣定往きて見るに、女孩仍ほ冢中に坐す、父母を見、還た認識し、甚だ歡喜す。父母初めは尚お彼女は鬼ならんと怕れ、父下りて彼女に近づき、乃ち彼女の死せざるを知る。彼女に問うて何處より食を得ると、女孩曰く、糧食剛く盡きる時甚だ餓え、冢角に一物有るを見、頸を伸して氣を吞む、試みに之を效法し、漸く再び餓えず、日月此のごとく做して、今に至る。父母の去る時留めたる衣被、自ら冢中に在り、走りて來往せず、衣服敗れず、故に寒凍せず。廣定便ち女孩の言う所の物を找ぬ、原來は一隻の大龜なり。女孩出でて穀を食うに、初め小腹疼痛・嘔逆し、許久を過ぎて乃ち習慣す、此れ又龜の不死の法有るを知るに足り、及び道を為す人の之を效法するは、龜と同年する可きの應驗なり。司馬遷と陳仲弓は、皆妄說の人に非ず。天下の蟲鳥多し、古人獨り此の二物を擧ぐるは、彼らの獨り衆に特異有るを表明するの故なり、一隅を見れば以て領悟すべし。」
或難曰:“龜能土蟄,鶴能天飛,使人為須臾之蟄,有頃刻之飛,猶尚不能,其壽安可學乎?”抱朴子答曰:“蟲之能蟄者多矣,鳥之能飛者饒矣,而獨舉龜鶴有長生之壽者,其所以不死者,不由蟄與飛也。是以真人但令學其道引以延年,法其食氣以絕谷,不學其土蟄與天飛也。夫得道者,上能竦身於雲霄,下能潛泳於川海。是以蕭史偕翔鳳以凌虛,琴高乘朱鯉於深淵,斯其驗也。何但須臾之蟄,須刻之飛而已乎!龍蛇蛟螭,狙猥鼉□,皆能竟冬不食,不食之時,乃肥於食時也。莫得其法。且夫一致之善者,物多勝於人,不獨龜鶴也。故太昊師蜘蛛而結網,金天據九鳸以正時,帝軒俟鳳鳴以調律,唐堯觀蓂莢以知月,歸終知往,乾鵲知來,魚伯識水旱之氣,蜉蝣曉潛泉之地,白狼知殷家之興,鸑鷟見周家之盛,龜鶴偏解導養,不足怪也。且仙經長生之道,有數百事,但有遲速煩要耳,不必皆法龜鶴也。上士用思遐邈,自然玄暢,難以愚俗之近情,而推神仙之遠旨。”
或る人詰難して曰く、「龜は土中に蟄伏する能く、鶴は天上に飛ぶ能し、人をして片刻の蟄、頃刻の飛を為さしめんも、尚お能わず、彼らの壽何ぞ學ぶ可けんや。」抱朴子答えて曰く、「蟲の蟄する能くするは多し、鳥の飛ぶ能くする亦多し、而れど獨り龜鶴に長生の壽有るを擧ぐるは、彼らの不死なる所以は、並びに蟄と飛に由らず。故に真人は只だ人をして彼らの導引を學びて年を延ばし、彼らの食氣を效法して穀を絶たしむるのみ、彼らの土蟄と天飛を學ばず。道を得たる人、上は雲霄に竦身し、下は川海に潛泳す。故に蕭史は翔鳳に偕同し虛を凌ぎ、琴高は紅鯉に乘りて深淵に在る、此れ即ち應驗なり。何ぞ止まらん片刻の蟄、頃刻の飛のみならんや。龍蛇蛟螭、狙猥鼉(底本此の字殘缺)、皆冬を整えて食わず、食わざる時、反りて食う時より肥ゆ。其の法を得る人無し。又各々一種の專長有り、物の人に勝るは多し、獨り龜鶴のみならず。故に太昊は蜘蛛を師法して網を結び、金天氏は九鳸に依據して時令を正し、黃帝は鳳凰の鳴くを等し律を調え、唐堯は蓂莢を看て月を知り、歸終は往を知り、乾鵲は來を知り、魚伯は水旱の氣を識り、蜉蝣は潛泉の地を曉り、白狼は殷家の興らんことを知り、鸑鷟の出現は周家の盛を標誌す。龜鶴偏に導養を懂る、怪しむに足らず。且つ仙經裏の長生の道、數百事有り、只だ遲速・煩要有るのみ、必ずしも皆龜鶴を效法せず。上士は思を以て遠邈し、自然玄暢し、愚俗の近情を以て、神仙の遠旨を推求し難し。」
或曰,“我等不知今人長生之理,古人何獨知之?”“此蓋愚闇之局談,非達者之用懷也。夫占天文之玄道,步七政之盈縮,論凌犯於既往,審崇替於將來,仰望雲物之徵祥,俯定卦兆之休咎,運三棋以定行軍之興亡,推九符而得禍福之分野,乘除一算,以究鬼神之情狀,錯綜六情,而處無端之善否。其根元可考也,形理可求也,而庸才近器,猶不能開學之奧治,至於樸素,徒銳思於糟粕,不能窮測其精微也。夫鑿枘之粗伎,而輪扁有不傳之妙;掇蜩之薄術,而亻區僂有入神之巧,在乎其人,由於至精也。況於神仙之道,旨意深遠,求其根莖,良未易也。松喬之徒,雖得其效,未必測其所以然也,況凡人哉?其事可學,故古人記而垂之,以傳識者耳。若心解意得,則可信而修之,其猜疑在胸,皆自其命,不當詰古人何以獨曉此,而我何以獨不知之意耶?吾今知仙之可得也,吾能休糧不食也,吾保流珠之可飛也,黃白之可求也,若責吾求其本理,則亦實復不知矣。世人若以思所能得謂之有,所不能及則謂之無,則天下之事亦鮮矣。故老子有言,以狸頭之治鼠漏,以啄木之護齲齒,此亦可以類求者也。若蟹之化漆,麻之壞酒,此不可以理推者也。萬殊紛然,何可以意極哉?設令抱危篤之疾,須良藥之救,而不肯即服,須知神農岐伯所以用此草治此病本意之所由,則未免於愚也。”
或る人曰く、「我らは今人の長生の道理を知らず、古人何ぞ獨り知りて然り。」抱朴子曰く、「此れ蓋し愚暗の局限の談、通達者の用ゆる心懷に非ず。天文の玄道を占い、七政の盈縮を推步し、既往の凌犯を討論し、將來の興廢を審察し、仰ぎて雲物の徵祥を望み、俯して卦兆の休咎を定め、三棋を運して行軍の興亡を定め、九符を推して禍福の分野を得、乘除一算して、鬼神の情狀を窮究し、六情を錯綜して、端緒無き善否を處斷す。其の根元は考う可く、形理は求む可し。而れど庸才近器、尚お學術の奧治を打開する能わず、朴素に至りては、只だ糟粕上に銳思し、其の精微を窮測する能わず。鑿枘は粗淺の技藝、輪扁は卻って不傳の妙有り。掇蜩は淺薄の術、佝僂は卻って入神の巧有り(底本「亻区僂」は「佝僂」の殘損)、其の人に在り、至精に由る。況んや神仙の道、旨意深遠、其の根莖を求むるは、實に容易ならず。赤松・王喬の徒、效驗を得るといえども、未必しも然る所以を測知せず、況んや凡人や。彼の事學ぶ可き、故に古人記し並びに垂示し、以て識者に傳えんがためのみ。若し心裏解け意思得れば、則ち信じて之を修る可し、猜疑胸中に在る者は、皆他自らの命より出づ、古人何ぞ獨り此を曉り、我何ぞ獨り知らざるを詰問すべからず。我今仙の得る可きを知り、我能く糧を休め食わず、我は流珠(水銀)の飛升する可きを擔保し、黃白(黃金白銀)の求得する可きを知る、若し我に責めて其の本理を求めん、則ち亦實に尚お知らず。世人若し思慮の得る所能くするを以て有と稱し、及ぶ能わざる所を以て無と稱さば、則ち天下の事亦少なし。故に老子言有り、狸頭を以て鼠漏を治め、啄木を以て齲齒を護る、此れ亦類推して求むる可きなり。蟹の漆を敗壞せしめ、麻の酒を壞せしむるに至りては、此れ理を以て推すべからざるなり。萬殊紛然、何ぞ心意を以て窮盡せんや。假如危篤の病を抱き、良藥を須ちて救わんも、卻って肯じて立刻服せず、必ず先に神農・岐伯の此の草を以て此の病を治する本意何處より來るを知らんと欲するは、愚に免れず。」
或曰:“生死有命,修短素定,非彼藥物,所能損益。夫指既斬而連之,不可續也;血既灑而吞之,無所益也。豈況服彼異類之松柏,以延短促之年命,甚不然也。”抱朴子曰:“若夫此論,必須同類,乃能為益,然則既斬之指,已灑之血,本自一體,非為殊族,何以既斬之而不可續,已灑之而不中服乎!餘數見人以蛇銜膏連已斬之指,桑豆易雞鴨之足,異物之益,不可誣也。若子言不恃他物,則宜搗肉冶骨,以為金瘡之藥,煎皮熬發,以治禿鬢之疾耶?夫水土不與百卉同體,而百卉仰之以植焉。五穀非生人之類,而生人須之以為命焉。脂非火種,水非魚屬,然脂竭則火滅,水竭則魚死,伐木而寄生枯,芟草而兔絲萎,川蟹不歸而蛣敗,桑樹見斷而蠹殄,觸類而長之,斯可悟矣。金玉在九竅,則死人為之不朽。鹽滷沾於肌髓,則脯臘為之不爛,況於以宜身益命之物,納之於己,何怪其令人長生乎?”
或る人曰く、「生死は命有り、長短本來已定、彼らの藥物の増減する能くする所に非ず。手指已に斬斷せられて再び連ぬるも、接續すべからず。血已に灑出せられて再び吞下するも、益無し。況んや彼らの異類の松柏を服して、短促の年命を延ばさん、甚だ是のごとくに非ず。」抱朴子曰く、「若し此の套の議論に依れば、須らく同類のみ乃ち益有るべし。則ち已に斬斷せられし指、已に灑出せられし血、本は一體、並びに異族に非ず、何を以てか斬斷せられば則ち續ぐ可からず、灑出せられば則ち服するに適はざらんや。我屢屢人の蛇銜膏を以て已に斬たる指を接上し、桑豆を以て鶏鴨の脚を替換するを見たり、異物の益處、誣沒すべからず。若し足下の說く他物に依仗せずと按ずれば、則ち肉を搗き骨を冶して、以て金瘡の藥を為り、皮を煎り髮を熬して、以て禿鬢の病を治せんか。水土は百卉と體を同じくせざれど、而れど百卉は彼らに靠りて種植す。五穀は活人の一類に非ざれど、而れど活人は彼らを須ちて命と為す。脂は火種に非ず、水は魚屬に非ず、然るに脂枯竭すれば則ち火滅し、水枯竭すれば則ち魚死し、木を伐れば寄生枯れ、草を割れば兔絲萎れ、川蟹歸らざれば蛣敗れ、桑樹斷たるれば蠹死す。類に觸れて推きて去れば、此れ以て領悟すべし。金玉を九竅に放てば、死人此に因り不朽。鹽鹵肌髓に沾れば、脯腊此に因り爛れず、況んや身に宜しく命に益する物を、自己の身上に納入するや、何を怪しむか其れ人をして長生せしむるを。」
或難曰:“神仙方書,似是而非,將必好事者妄所造作,未必出黃老之手,經松喬之目也。”抱朴子曰:“若如雅論,宜不驗也,今試其小者,莫不效焉。餘數見人以方諸求水於夕月,陽燧引火於朝日,隱形以淪於無象,易貌以成於異物,結巾投地而兔走,針綴丹帶而蛇行,瓜果結實於須臾,龍魚瀺灂於盤盂,皆如說焉。按漢書欒太初見武帝,試令鬥棋,棋自相觸。而後漢書又載魏尚能坐在立亡,張楷能興雲起霧,皆良史所記,信而有徵,而此術事,皆在神仙之部,其非妄作可知矣。小既有驗,則長生之道,何獨不然乎!”
或る人詰難して曰く、「神仙方書、是に似て是に非ず、必ず將に好事の人の妄りに造り出せし、未必しも黃帝・老子の手より出で、赤松・王喬の眼を經たらざらん。」抱朴子曰く、「若し高雅の議論に依れば、應當應、應當應驗せざるべし。今之を小なるを試みるに、效かざる無し。我屢屢人の方諸を以て夕月下に水を求め、陽燧を以て朝日下に火を引き、形を隱して形象無き處に沉入し、貌を改めて異物に變成し、巾を結びて地に投げれば兔子走り、鍼を丹帶上に綴れば蛇走り、瓜果頃刻に結實し、龍魚盤盂中に浮沉す、皆說く所のごとし。按ずるに《漢書》欒太初めて武帝を見、試みに棋をして相鬥せしむ、棋自ら相觸碰す。而れど《後漢書》又載す、魏尚は坐して在り立てば亡ぶ能く、張楷は雲を興し霧を起す能くするを、皆良史の記する所、信にして徵有り。而れど此らの術事、皆神仙の部類に在り、其れ妄作に非ざるは知る可し。小なるは既に應驗有り、長生の道、何ぞ獨り此のごとくに非ざらんや。」
或曰:“審其神仙可以學致,翻然凌霄,背俗棄世,烝嘗之禮,莫之修奉,先鬼有知,其不餓乎!”抱朴子曰:“蓋聞身體不傷,謂之終孝,況得仙道,長生久視,天地相畢,過於受全歸完,不亦遠乎?果能登虛躡景,雲輿霓蓋,餐朝霞之沆瀣,吸玄黃之醇精,飲則玉醴金漿,食則翠芝朱英,居則瑤堂瑰室,行則逍遙太清。先鬼有知,將蒙我榮,或可以翼亮五帝,或可以監御百靈,位可以不求而自致,膳可以咀茹華璚,勢可以總攝羅酆,威可以叱吒梁成,誠如其道,罔識其妙,亦無餓之者。得道之高,莫過伯陽。伯陽有子名宗,仕魏為將軍,有功封於段幹。然則今之學仙者,自可皆有子弟,以承祭祀,祭祀之事,何緣便絕!”
或る人曰く、「果てして神仙は學びて致る可く、翻然として霄を凌ぎ、俗に背き世を棄て、烝嘗の禮、人の修奉する無くんば、先人の鬼若し知有らば、豈に餓えんと欲するか。」抱朴子曰く、「聞く、身體傷つかざるを、終孝と謂う。況んや仙道を得、長生久視し、天地と同じく畢んぬ、全を受け完を歸するを超過するをや、不亦遠からんか。果てして能く虚空に登り、光影を踩み、雲を車と為し霓を蓋と為し、朝霞の沆瀣を餐とし、玄黃の醇精を吸い、飲めば玉醴金漿、食えば翠芝朱英、居れば瑤堂瑰室、行けば逍遙太清。先人の鬼若し知有らば、將に我が榮を蒙らん、或は五帝を翼亮し、或は百靈を監御し、位は求めずして自ら至り、膳は華美の美玉を咀嚼し、勢は羅酆を總攝し、威は梁成を叱咤する可し。果てして彼の道のごとくなれば、其の妙を識らずとも、亦餓える有る無し。道を得るの高き、伯陽に超過するは莫し。伯陽に兒子名は宗、魏に在りて將軍を為し、功有りて段干に封ぜらる。則ち今仙を學ぶ者、自然皆子弟子を有りて、祭祀を承くる可し。祭祀の事、何に凭りて斷絕せんや。」
或曰:“得道之士,呼吸之術既備,服食之要又該,掩耳而聞千里,閉目而見將來,或委華駟而轡蛟龍,或棄神州而宅蓬瀛,或遲迴於流俗,逍遙於人間,不便絕跡以造玄虛,其所尚則同,其逝止或異,何也?”抱朴子答曰:“聞之先師云,仙人或昇天,或住地,要於俱長生,去留各從其所好耳。又服還丹金液之法,若且欲留在世間者,但服半劑而錄其半。若後求昇天,便盡服之。不死之事已定,無復奄忽之慮。正復且遊地上,或入名山,亦何所復憂乎?彭祖言,天上多尊官大神,新仙者位卑,所奉事者非一,但更勞苦,故不足役役於登天,而止人間八百餘年也。又云,古之得仙者,或身生羽翼,變化飛行,失人之本,更受異形,有似雀之為蛤,雉之為蜃,非人道也。人道當食甘旨,服輕暖,通陰陽,處官秩,耳目聰明,骨節堅強,顏色悅懌,老而不衰,延年久視,出處任意,寒溫風溼不能傷,鬼神眾精不能犯,五兵百毒不能中,憂喜譭譽不為累,乃為貴耳。若委棄妻子,獨處山澤,邈然斷絕人理,塊然與木石為鄰,不足多也。昔安期先生龍眉寧公修羊公陰長生,皆服金液半劑者也。其止世間,或近千年,然後去耳。篤而論之,求長生者,正惜今日之所欲耳,本不汲汲於升虛,以飛騰為勝於地上也。若幸可止家而不死者,亦何必求於速登天乎?若得仙無復住理者,復一事耳。彭祖之言,為附人情者也。”
或る人曰く、「道を得たる之士、呼吸の術既に具備し、服食の要領又已に齊備す。耳を掩いて千里を聞く能く、目を閉ぢて將來を見る能し。或は華駟を放下して蛟龍を駕馭し、或は神州を拋棄して蓬萊・瀛洲に住し、或は流俗中に遲回し、人間に逍遙す、並びに立刻跡を絶ちて玄虚に去到せず、彼らの崇尚する所は同じく、去るか留まるか或は同じからず、何を以てか。」抱朴子答えて曰く、「先師の說を聞く、仙人或は天に升り、或は地上に住す、要は皆長生するに在り、去留各々其の好む所に從うのみ。又還丹金液の法を服するは、若し且く世間に留まらんと欲すれば、只だ半劑を服して其の一半を留む。若し後に天に升らんを求むれば、便ち全部服下す。不死の事已に定まり、更に奄忽の顧慮無し。仮令且く地上に游ぶも、或は名山に入るも、又何ぞ更に憂うる可けんや。彭祖曰く、天上多く尊官大神有り、新仙位卑く、奉事する所は一位に止まらず、只だ益々勞苦す、故に天に登るに役役するに足らず、而れど人間に留まること八百餘年。又曰く、古時仙を得たる者、或は身上に羽翼を生出し、變化飛行し、人の本を失い、別に異形を受く、雀の蛤に變ずるがごとく、雉の蜃に變ずるがごとし、人道に非ず。人道は當に甘美を食い、輕暖を穿ち、陰陽を通じ、官秩に處り、耳目聰明、骨節堅強、顏色悅澤、老いて衰えず、年を延ばして久視し、出處意のまま、寒溫風濕も傷つける能わず、鬼神衆精も犯す能わず、五兵百毒も中る能わず、憂喜毀譽も累と為らず、此れ乃ち貴ぶべし。若し妻子を拋棄し、獨り山澤に處り、邈然として人理を斷絶し、塊然として木石と鄰と為すは、稱美するに足らず。昔安期先生・龍眉寧公・修羊公・陰長生、皆金液半劑を服したる人なり。彼ら世間に留まること、或は千年に近く、然る後乃ち去る。切實に言えば、長生を求むる人は、正に今日の所欲を珍惜するのみ、本來虚空に升るに汲汲とせず、飛騰を地上に勝ると看るに非ず。若し僥倖家に留まりて死せざるべからば、又何ぞ必ずしも速かに天に登らんを求めんや。若し仙を得れば則ち再び留まるの道理無しと、則ち又是一回事のみ。彭祖の言は、人情に附着して說くなり。」
或問曰:“為道者當先立功德,審然否?”抱朴子答曰:“有之。按玉鈐經中篇云,立功為上,除過次之。為道者以救人危使免禍,護人疾病,令不枉死,為上功也。欲求仙者,要當以忠孝和順仁信為本。若德行不修,而但務方術,皆不得長生也。行惡事大者,司命奪紀,小過奪算,隨所犯輕重,故所奪有多少也。凡人之受命得壽,自有本數,數本多者,則紀算難盡而遲死,若所稟本少,而所犯者多,則紀算速盡而早死。又云,人慾地仙,當立三百善;欲天仙,立千二百善。若有千一百九十九善,而忽復中行一惡,則盡失前善,乃當復更起善數耳。故善不在大,惡不在小也。雖不作惡事,而口及所行之事,及責求佈施之報,便復失此一事之善,但不盡失耳。又云,積善事未滿,雖服仙藥,亦無益也。若不服仙藥,並行好事,雖未便得仙,亦可無卒死之禍矣。吾更疑彭祖之輩,善功未足,故不能昇天耳。”
或る人問うて曰く、「道を為す人は當に先ず功德を立つべし、確かに是のごとしや。」抱朴子答えて曰く、「此の事有り。按ずるに《玉鈐經》中篇に曰く、功を立つるを上と為し、過錯を除去するを次と為す。道を為す人は人を危に救い、人をして禍を免れしめ、人の疾病を護り、人をして枉死せしめざるを、上功と為す。仙を求めんと欲する者は、當に忠孝和順仁信を以て本と為すべし。若し德行修めずして、而れど只だ方術を務むれば、皆長生を得ず。惡事を為すこと多きなるは、司命紀を奪い、小過は算を奪う、犯す所の輕重に隨い、故に奪う所有多有少。凡人命を受け壽を得るに、自ずから本數有り、數本來多き者は、紀算盡き難くして死すること遲し、若し稟する所本來少なく、而れど犯す所多ければ、紀算甚だ速かに盡きて早く死す。又曰く、人地仙を為さんと欲するは、當に三百善を立つべし。天仙を為さんと欲するは、千二百善を立つべし。若し千一百九十九善有りて、忽然中間に又一惡を做れば、則ち先前の善を盡く失い、當に重新に算を起して善數を數ふべし。故に善は大に在らず、惡は小に在らず。惡事を做らざるといえども、而れど口裏談及して為したる事、及び布施の回報を責求すれば、便ち又此の一事の善を失う、只だ盡く失わざるのみ。又曰く、積む善事未だ滿たざれば、仙藥を服するといえども、亦益處無し。若し仙藥を服せずして、併せて好事を做れば、未必しも便ち仙を得るとはいえども、亦猝死の禍無き可し。我更に彭祖の一輩を疑う、善功尚お足らず、故に天に升る能わざるのみ。」
卷四·金丹
巻四・金丹
抱朴子曰:餘考覽養性之書,鳩集久視之方,曾所披涉篇卷,以千計矣,莫不皆以還丹金液為大要者焉。然則此二事,蓋仙道之極也。服此而不仙,則古來無仙矣。往者上國喪亂,莫不奔播四出。餘周旋徐豫荊襄江廣數州之間,閱見流移俗道士數百人矣。或有素聞其名,乃在雲日之表者。然率相似如一,其所知見,深淺有無,不足以相傾也。雖各有數十卷書,亦未能悉解之也,為寫蓄之耳。時有知行氣及斷谷服諸草木藥法,所有方書,略為同文,無一人不有道機經,唯以此為至秘,乃雲是君喜所撰。餘告之曰,此是魏世軍督王圖所撰耳,非古人也。圖了不知大藥,正欲以行氣入室求仙,作此道機,謂道畢於此,此復是誤人之甚者也。餘問諸道士以神丹金液之事,及三皇內文召天神地祇之法,了無一人知之者,其夸誕自譽及欺人,雲己久壽。及言曾與仙人共遊者將太半矣,足以與盡微者甚鮮矣。或有頗聞金丹,而不謂今世復有得之者,皆言唯上古已度仙人,乃當曉之。或有得方外說,不得其真經。或得雜碎丹方,便謂丹法盡於此也。昔左元放於天柱山中精思,而神人授之金丹仙經,會漢末亂,不遑合作,而避地來渡江東,志欲投名山以修斯道。餘從祖仙公,又從元放受之。凡受太清丹經三卷及九鼎丹經一卷金液丹經一卷。餘師鄭君者,則餘從祖仙公之弟子也,又於從祖受之,而家貧無用買藥。餘親事之,灑掃積久,乃於馬跡山中立壇盟受之,並諸口訣訣之不書者。江東先無此書,書出於左元放,元放以授餘從祖,從祖以授鄭君,鄭君以授餘,故他道士了無知者也。然餘受之已二十餘年矣,資無擔石,無以為之,但有長嘆耳。有積金盈櫃,聚錢如山者,復不知有此不死之法。就令聞之,亦萬無一信,如何?夫飲玉臺則知漿荇之薄味,睹崑崙則覺丘垤之至卑。既覽金丹之道,則使人不欲複視小小方書。
抱朴子曰く、我養性の書を考覽し、久視の方を聚集し、嘗て披閱する所の篇卷は、千を以て計う、還丹・金液を以て大綱と為さざるは莫し。則ち此の兩件の事、則ち仙道の極致なり。此れを服して仙と為らざれば、古來便ち仙無し。往時中原喪亂し、奔逃流徙四出せざるは莫し。我徐・豫・荊・襄・江・廣數州の間に周旋し、流移の世俗道士數百人を見たり。或は素より其の名を聞き、竟に雲日の上に在り。然るに大都相似如一、彼らの所知所見、深淺有無、以て互相傾動するに足らず。各々數十卷の書有るといえども、亦盡く理解する能わず、只だ抄寫蓄藏するのみ。時時人行氣及び斷穀、諸種の草木藥を服するの法を知る者有り、所有の方書、文字大致相同、一人も《道機經》無き者無く、只だ此れを以て至秘と為し、竟に尹喜の撰と曰う。我彼らに告ぐ、此れ魏世軍督王圖の撰するのみ、古人に非ず。王圖は全く大藥を知らず、只だ行氣・入室を以て仙を求めんと欲し、此の《道機》を作り、以て道此れに至れば則ち完畢すと為す、此れ又人を誤ること甚だ厲し。我諸道士に神丹金液の事、及び《三皇內文》の天神地祇を召する法を問うに、全く一人の知る者無し、彼ら誇誕自譽及び人を欺き、自己已に長壽と說く。及び嘗て仙人と共に游びしと說く者、將近大半なり、以て共に精微を窮盡するに足るは非常に少なし。或は頗る金丹を聞説すれども、卻って今世に尚お之を得る人の有るを以為せず、皆曰く只だ上古已に世を度りたる仙人、乃ち曉るべしと。或は方外の說を得、真經を得ず。或は雜碎の丹方を得れば、便ち以て丹法盡く此に在りと為す。昔左元放天柱山中に精思し、神人彼に金丹仙經を授く、漢末の亂に趕上し、未だ配合燒煉するに及ばず、地を避けて來り江東に渡る、志は名投名山にして此の道を修めんと欲す。我が從祖仙公、又元放の處より之を受く。共に《太清丹經》三卷及び《九鼎丹經》一卷、《金液丹經》一卷を受く。我が師鄭君は、我が從祖仙公の弟子、又從祖の處より之を受く、家貧しく藥を買う錢無し。我親自彼に侍奉し、灑掃すること久しく、乃ち馬迹山中に壇を立て盟誓して之を受く、併せて諸の口訣裏寫下せざる者有り。江東原先此らの書無し、書は左元放より出で、元放は我が從祖に授け、從祖は鄭君に授け、鄭君は我に授く、故に其の他の道士は全く知る者無し。然るに我之を受くこと已に二十餘年、資財擔石無し、做る辦法無し、唯だ長嘆するのみ。積金を櫃に滿たし、錢を聚めて山のごとき者有り、反って此の不死の法有るを知らず。仮令彼らをして聞かしむるも、亦萬中無一相信ず、如何せん。玉臺を飲みて則ち漿荇の味道薄きを知り、崑崙を見て則ち小土丘の至りて卑下なるを覺ゆ。既に金丹の道を覽れば、則ち人をして再び小小の方書を看たしめず。
然大藥難卒得辦,當須且將御小者以自支持耳。然服他藥萬斛,為能有小益,而終不能使人遂長生也。故老子之訣言云,子不得還丹金液,虛自苦耳。夫五穀猶能活人,人得之則生,絕之則死,又況於上品之神藥,其益人豈不萬倍於五穀耶?夫金丹之為物,燒之愈久,變化愈妙。黃金入火,百鍊不消,埋之,畢天不朽。服此二物,煉人身體,故能令人不老不死。此蓋假求於外物以自堅固,有如脂之養火而不可滅,銅青塗腳,入水不腐,此是借銅之勁以扞其肉也。金丹入身中,霑洽榮衛,非但銅青之外傅矣。世間多不信至道者,則悠悠者皆是耳。然萬一時偶有好事者,而復不見此法,不值明師,無由聞天下之有斯妙事也。餘今略鈔金丹之都較,以示後之同志好之者。其勤求之,求之不可守淺近之方,而謂之足以度世也。遂不遇之者,直當息意於無窮之冀耳。想見其說,必自知出潢汙而浮滄海,背螢燭而向日月,聞雷霆而覺布鼓之陋,見巨鯨而知寸介之細也。如其嘍嘍,無所先入,欲以弊藥必規升騰者,何異策蹇驢而追迅風,棹藍舟而濟大川乎?
然るに大藥は倉卒に辦齊し難し、當に且く小なるを以て自ら支持すべし。然るに其の他の藥を服すること萬斛なりとも、只だ小益有るに能く、終に人をして此に就りて長生せしむる能わず。故に老子の訣言曰く、汝還丹金液を得ずんば、自ら苦しむを空しうするのみ。五穀尚お人を養活する能く、人之を得れば則ち生き、之を斷絶すれば則ち死す、又況んや上品の神藥、其れ人に益すること豈に五穀の萬倍ならずや。金丹此の物、燒くこと愈久しければ變化愈妙なり。黃金火に入り、百煉消えず、埋めて、天終るに至るも朽ちず。此の兩種の物を服し、人の身體を煉る、故に人をして老いず死せずせしむる可きなり。此れ外物に假借して以て自己を堅固ならしむ、脂の火を養活して滅すべからざるがごとく、銅青を脚上に塗り、水に入りて腐爛せず、此れ銅の強勁を借りて彼の肉を護住す。金丹身中に入り、榮衛に沾洽す、只だ銅青のごとき外敷のみならず。世間多く至道を信ぜざる者有り、悠悠茫茫皆此のごとし。然るに若し一偶然好事の人有らば、又卻って此の法を見ず、明師に遇わず、天下に此のごとき妙事有るを聞く由無し。我今略かに金丹の大較を抄し、將來の同志喜好の人に看せしめんと取る。要は勤勤として求め、求むる時は浅近の方を守りて、以て世を度るに足ると為すべからず。終に遇う能わざるは、只だ無窮の冀望を放下すべきのみ。彼らの說法を見んと欲すれば、必ず自己污池より出でて滄海に浮上し、螢火を背負いて日月に向かい、雷霆を聞きて乃ち布鼓の簡陋を覺え、巨鯨を見て乃ち寸把長の介蟲の細小を知る可し。若し尚お嘍嘍瑣碎、心中先に進入する無ければ、弊藥を以て必然に升騰を謀求せんと欲するは、跛驢を鞭ちて迅風に追い、小藍船を划りて大河を渡ると何の異ならんや。
又諸小餌丹方甚多,然作之有淺深,故力勢不同,雖有優劣,轉不相及,猶一酘之酒,不可以方九醞之醇耳。然小丹之下者,猶自遠勝草木之上者也。凡草木燒之即燼,而丹砂燒之成水銀,積變又還成丹砂,其去凡草木亦遠矣。故能令人長生,神仙獨見此理矣,其去俗人,亦何緬邈之無限乎?世人少所識,多所怪,或不知水銀出於丹砂,告之終不肯信,雲丹砂本赤物,從何得成此白物。又云丹砂是石耳,今燒諸石皆成灰,而丹砂何獨得爾。此近易之事,猶不可喻,其聞仙道,大而笑之,不亦宜乎?上古真人愍念將來之可教者,為作方法,委曲欲使其脫死亡之禍耳,可謂至言矣。然而俗人終不肯信,謂為虛文。若是虛文者,安得九轉九變,日數所成,皆如方耶?真人所以知此者,誠不可以庸近思求也。餘少好方術,負步請問,不憚險遠。每有異聞,則以為喜。雖見毀笑,不以為戚。焉知來者之不如今,是以著此以示識者。豈苟尚奇怪,而崇飾空言,欲令書行於世,信結流俗哉?盛陽不能榮枯朽,上智不能移下愚,書為曉者傳,事為識者貴。農夫得彤弓以驅鳥,南夷得袞衣以負薪,夫不知者,何可強哉?世人飽食終日,復未必能勤儒墨之業,治進德之務,但共逍遙遨遊,以盡年月。其所營也,非榮則利。或飛蒼走黃於中原,或留連杯觴以羹沸,或以美女荒沈絲竹,或耽淪綺紈,或控弦以弊筋骨,或博弈以棄功夫。聞至道之言而如醉,睹道論而晝睡。有身不修,動之死地,不肯求問養生之法,自欲割削之,煎熬之,憔悴之,漉汔之。而有道者自寶秘其所知,無求於人,亦安肯強行語之乎?世人之常言,鹹以長生若可得者,古人之富貴者,己當得之,而無得之者,是無此道也。而不知古之富貴者,亦如今之富貴者耳。俱不信不求之,而皆以目前之所欲者為急,亦安能得之耶?
又諸種の小餌丹方多し、然るに制作淺深有り、故に力勢同じからず、優劣有るといえども、輾轉比ぶるに及ばず、譬えば一酘の酒、九醞の醇と比ぶる可からず。然るに小丹中の最下等、尚お遠く草木中の最上等に勝る。凡そ草木、燒けば則ち灰燼と為る、而れど丹砂燒けば水銀に變じ、積めて再び變化すれば、又還原して丹砂と為る——本篇に用ゆる丹砂、水銀、鉛、汞、黃金、還丹、金液、鼎爐の一類名目は、外丹家が實に金石藥物と爐火燒煉を指す、內丹が外丹の名を借りて身中の精氣神を說くに非ず——其れ凡草木を離るること亦遠し。故に人をして長生せしむる能く、神仙獨り此の道理を見る、彼ら俗人を離るること、又何等か緬邈無限なるか。世人識ること少なく、怪しむこと多し、或は水銀の丹砂より出づるを知らず、彼に告ぐれど終に肯じて信ぜず、曰く丹砂は本來赤色の物、何處よりか能く此の白色の物を做成せん。又曰く丹砂は石頭のみ、今諸種の石頭を燒く皆灰と為る、丹砂何ぞ獨り能く此のごとくせん。此れ近くして易く見るの事、尚お曉喻する能わず、彼ら仙道を聞き、大と覺えて之を笑話す、亦當ならずや。上古真人は將來教う可き人を憐憫し、彼らの為に方法を作り、委曲詳盡して彼らをして死亡の禍を脫離せしめんと欲す、至言と說く可し。然るに俗人終に肯じて信ぜず、是れ虛文なりと曰う。若し是れ虛文ならば、何ぞ能く九轉九變、日數の成す所に按じて、皆方上の說くごとくならんや。真人の此らを知る所以、實に平庸淺近の心思を以て求むべからず。我少時方術を好み、背負い走りて請問す、險遠を怕れず。每に異聞有れば、則ち以て喜と為す。毀笑せらるるといえども、以て憂と為さず。怎くんぞ後來の人今に如かざるを知らん、故に此らを寫下して識者に看せんを取る。豈に苟且奇怪を崇尚し、粉飾空言、書をして世に行わしめ、流俗中に信を結ばんと欲するか。盛陽も枯朽をして再び榮えしむる能わず、上智も下愚を改變する能わず、書は曉事の人の為に傳わる、事は識者の為に重んぜらる。農夫彤弓を得て以て鳥を驅り、南夷衮衣を得て以て柴を背負う、知らざる者、何ぞ能く強求せん。世人飽食終日し、又未必しも儒墨の業、治理進德の事務に勤しむ能く、只だ一齊に逍遙遨遊して、以て年月を過完す。彼らの經營する所、榮に非ざれば則ち利なり。或は中原に蒼鷹を放ち黃犬を走らし、或は杯觴に留連して羹湯の沸くがごとく、或は美女を以て絲竹に沉溺し、或は綺紈裏に耽淪し、或は弓を拉いて筋骨を用壞し、或は博弈して功夫を拋棄す。至道の言を聞くこと醉のごとく、道論を見ること大白天に睡る。身有りて修めず、動もすれば死地に走向り、肯じて養生の法を求問せず、自ら之を割削し、之を煎熬し、之を憔悴し、之を漉乾す。而れど道有る人は自ら知る所を珍祕し、人に對して求むる所無し、又何ぞ肯じて強ひて彼に告げんや。世人の常言、皆以て長生若し得る可からば、古人裏の富貴、自ら當に已に得たるべく、而れど得ざるは、則ち此の道無しと為す。卻って知らず古時の富貴、亦不過今の富貴のごとし、皆信ぜず、求めず、皆眼前の所欲を以て急務と為す、又何ぞ能く得んや。
假令不能決意,信命之可延,仙之可得,亦何惜於試之。試之小效,但使得二三百歲,不猶愈於凡人之少夭乎?天下之事萬端,而道術尤難明於他事也。何可以中才之心,而斷世間必無長生之道哉?若正以世人皆不信之,便謂為無,則世人之智者,又何太多乎?今若有識道意而猶修求之者,詎必便是至愚,而皆不及世人耶?又或慮於求長生,儻其不得,恐人笑之,以為暗惑。若心所斷,萬有一失,而天下果自有此不死之道者,不亦當復為得之者所笑乎?日月有所不能周照,人心安足孤信哉?抱朴子曰:按黃帝九鼎神丹經曰,黃帝服之,遂以昇仙。
假令決心を下す能わず、命の延長すべきを信じ、仙の得る可きを信じ、亦何ぞ必ずしも吝嗇して試みんや。試みて小效有り、只だ人をして二三百歲を得しめるのみ、亦凡人の少夭に勝るあらずや。天下の事萬端、而れど道術尤も他の事より明なり難し。何ぞ能く中等之才の心を以て、世間必ず長生の道無しを斷定せんや。若し正に世人皆信ぜざるを以て、便ち以て無しと為さば、則ち世人裏の聰明、何其の多きこと甚だしきかな。今若し道意を識りて尚お修求する人有らば、豈に必ずしも則ち至愚にして、而も皆世人に及ばざらんか。又或は長生を求むるを顧慮し、倘も得ざれば、人の笑話を怕れ、以て暗惑と為す。若し心裏の斷ずる所、萬中一失有りて、而れど天下果てして自ら此の不死の道有らば、不亦該當再び得たる人の笑う所と為らんか。日月尚お照らす能わざるの處有り、人心何ぞ獨り信賴するに足らん。抱朴子曰く、按ずるに《黃帝九鼎神丹經》に曰く、黃帝之を服して、遂に仙に升る。
又云,雖呼吸道引,及服草木之藥,可得延年,不免於死也;服神丹令人壽無窮已,與天地相畢,乘雲駕龍,上下太清。黃帝以傳玄子,戒之曰,此道至重,必以授賢,苟非其人,雖積玉如山,勿以此道告之也。受之者以金人金魚投於東流水中以為約,唼血為盟,無神仙之骨,亦不可得見此道也。合丹當於名山之中,無人之地,結伴不過三人,先齋百日,沐浴五香,致加精潔,勿近穢汙,及與俗人往來,又不令不信道者知之,謗毀神藥,藥不成矣。成則可以舉家皆仙,不但一身耳。世人不合神丹,反信草木之藥。草木之藥,埋之即腐,煮之即爛,燒之即焦,不能自生,何能生人乎?
(《黃帝九鼎神丹經》續けて言う:)又曰く、呼吸導引、及び草木の藥を服すといえども、延年を得る可きも、死を免れず。神丹を服すれば人をして壽無窮已ならしめ、天地と同じく畢んぬ、雲に乘り龍を駕し、太清に上下す。黃帝之を玄子に傳え、誡めて曰く、此の道至爲重大、須らく賢人に授くべし、若し其の人に非ずんば、玉を積みて山のごとくとも、此の道を彼に告ぐる勿れ。受くる人は金人・金魚を東流の水に投じて以て約と為し、歃血して盟と為す、神仙の骨無くんば、亦此の道を見るを得ず。丹を合するは當に名山の中、人無きの處、伴を結ぶこと三人を超えず、先ず百日齋し、五香を以て沐浴し、務めて益々精潔にし、穢汚に近づく勿れ、及び俗人と往來せず、又不信道の人をして知らしめず、神藥を謗毀すれば、藥則ち成らず。成れば則ち全家皆仙と爲る可く、一身のみならず。世人は神丹を合せず、反って草木の藥を信ず。草木の藥、埋めれば則ち腐り、煮れば則ち爛れ、燒けば則ち焦ぐ、自ら存活する能わず、何ぞ能く人をして活せしめんや。
九丹者,長生之要,非凡人所當見聞也,萬兆蠢蠢,唯知貪富貴而已,豈非行屍者乎?合時又當祭,祭自有圖法一卷也。第一之丹名曰丹華。當先作玄黃,用雄黃水、礬石水、戎鹽、滷鹽、礜石、牡蠣、赤石脂、滑石、胡粉各數十斤,以為六一泥,火之三十六日成,服七之日仙。又以玄膏丸此丹,置猛火上,須臾成黃金。又以二百四十銖合水銀百斤火之,亦成黃金。金成者藥成也。金不成,更封藥而火之,日數如前,無不成也。
九丹は、長生の要法、凡人の當に見聞すべきに非ず、萬兆蠢蠢、只だ富貴を貪るを知るのみ、豈に行尸ならずや。配合の時又當に祭るべし、祭自ら圖法一卷有り。第一の丹名は丹華。當に先ず玄黃を作るべし、雄黃水・礬石水・戎鹽・鹵鹽・礜石・牡蠣・赤石脂・滑石・胡粉各數十斤を以て、六一泥を做成し、火燒三十六日にして成り、七日服すれば則ち仙と成る。又玄膏を以て此の丹を丸と爲し、猛火上に置けば、片刻則ち黃金と成る。又二百四十銖を取りて水銀百斤を合し火煉すれば、亦黃金と成る。金成れば則ち藥成れり。金成らざれば、再び藥を封じて火煉す、日數前のごとく、成らざる無し。
第二之丹名曰神丹,亦曰神符。服之百日仙也。行度水火,以此丹塗足下,步行水上。服之三刀圭,三尸九蟲皆即消壞,百病皆愈也。
第二の丹名は神丹、亦名は神符。百日服すれば則ち仙と成る。行きて水火を度る、此の丹を脚下に塗りて、水上を步行す。三刀圭を服すれば、三尸九蟲皆立刻に消壞し、百病皆愈ゆ。
第三之丹名曰神丹。服一刀圭,百日仙也。以與六畜吞之,亦終不死。又能闢五兵。服百日,仙人玉女,山川鬼神,皆來侍之,見如人形。
第三の丹名は神丹。一刀圭を服すれば、百日にして則ち仙と成る。六畜に吞ましめれば、亦終に死せず。又能く五兵を辟開す。百日服すれば、仙人玉女・山川鬼神、皆來りて侍奉し、人の形のごときを現出す。
第四之丹名曰還丹。服一刀圭,百日仙也。朱鳥鳳凰,翔覆其上,玉女至傍。以一刀圭合水銀一斤火之,立成黃金。以此丹塗錢物用之,即日皆還。以此丹書凡人目上,百鬼走避。
第四の丹名は還丹。一刀圭を服すれば、百日にして則ち仙と成る。朱鳥鳳凰、飛翔して上に覆蓋し、玉女身旁に至る。一刀圭を取りて水銀一斤を合し火煉すれば、立刻黃金と成る。此の丹を取りて錢物上に塗りて使用すれば、當日皆回來る。此の丹を取りて凡人眼上に寫せば、百鬼走避す。
第五之丹名餌丹。服之三十日,仙也。鬼神來侍,玉女至前。
第五の丹名は餌丹。三十日服すれば、則ち仙と成る。鬼神來りて侍奉し、玉女面前に至る。
第六之丹名煉丹。服之十日,仙也。又以汞合火之,亦成黃金。
第六の丹名は煉丹。十日服すれば、則ち仙と成る。又汞を取りて合し火煉すれば、亦黃金と成る。
第七之丹名柔丹。服一刀圭,百日仙也。以缺盆汁和服之,九十老翁,亦能有子,與金公合火之,即成黃金。
第七の丹名は柔丹。一刀圭を服すれば、百日にして則ち仙と成る。缺盆汁を以て和着し服すれば、九十歲の老翁、亦能く子有り、金公(鉛)と合し火煉すれば、則ち黃金と成る。
第八之丹名伏丹。服之即日仙也。以此丹如棗核許持之,百鬼避之。以丹書門戶上,萬邪眾精不敢前,又闢盜賊虎狼也。
第八の丹名は伏丹。服すれば當日則ち仙と成る。此の丹を棗核のごとき大きさに取りて手中に持てば、百鬼避開す。丹を取りて門戶上に寫せば、萬邪衆精敢えて上前せず、又能く盜賊虎狼を辟開す。
第九之丹名寒丹。服一刀圭,百日仙也。仙童仙女來侍,飛行輕舉,不用羽翼。
第九の丹名は寒丹。一刀圭を服すれば、百日にして則ち仙と成る。仙童仙女來りて侍奉し、飛行輕擧し、羽翼を用いず。
凡此九丹,但得一丹便仙,不在悉作之,作之在人所好者耳。凡服九丹,欲昇天則去,欲且止人間亦任意,皆能出入無間,不可得之害矣。
凡そ此の九丹、只だ一丹を得れば便ち仙と成る、全部作るに在らず、何種を作るかは人の好むに在るのみ。凡そ九丹を服すれば、天に升らんと欲すれば則ち去り、且く人間に留まらんと欲すれば亦意のまま、皆間隙無きの處に出入する能く、傷害せらるる可からず。
抱朴子曰:復有太清神丹,其法出於元君。元君者,老子之師也。太清觀天經有九篇,雲其上三篇不可教授,其中三篇世無足傳,常沈之三泉之下,下三篇者,正是丹經上中下,凡三卷也。元君者,大神仙之人也,能調和陰陽,役使鬼神風雨,驂駕九龍十二白虎,天下眾仙皆隸焉,猶自言亦本學道服丹之所致也,非自然也。況凡人乎?其經曰:上士得道,升為天官;中士得道,棲集崑崙;下士得道,長生世間。愚民不信,謂為虛言,從朝至暮,但作求死之事,了不求生,而天豈能強生之乎?凡人唯知美食好衣,聲色富貴而已,恣心盡欲,奄忽終歿之徒,慎無以神丹告之,令其笑道謗真。傳丹經不得其人,身必不吉。若有篤信者,可將合藥成以分之,莫輕以其方傳之也。知此道者,何用王侯?為神丹既成,不但長生,又可以作黃金。金成,取百斤先設大祭。祭自有別法一卷,不與九鼎祭同也。祭當別稱金各檢署之。
抱朴子曰く、又太清神丹有り、其の方法元君より出づ。元君は、老子の師なり。《太清觀天經》九篇有り、其の上三篇は教授すべからず、中三篇は世上傳授するに足る人無し、常に三泉の下に沈む、下三篇は、正に丹經の上中下、一共に三卷と曰う。元君は大神仙の人、能く陰陽を調和し、鬼神風雨を役使し、九龍十二白虎を驂駕し、天下衆仙皆彼に隸屬す、尚お自ら亦本は道を學び丹を服して致す所と曰う、自然此のごとくに非ず。況んや凡人や。彼の經曰く、上士道を得れば、天官に升る。中士道を得れば、崑崙に棲集す。下士道を得れば、世間に長生す。愚民信ぜず、虛言と曰う、早より晚まで、只だ死を求むるの事を做し、全く生を求めず、天又何ぞ能く強ひて彼を生せしめんや。凡人只だ美食好衣・聲色富貴を知るのみ、心思を放恣し、欲望を窮盡し、奄忽終殁する此の類、千萬神丹を彼に告ぐる勿れ、彼をして笑い道い真を謗らしめん。丹經を其の人を得ずに傳えれば、自身必ず不吉。若し篤信の人有らば、合して成りし藥を分けて彼に給す可し、輕易に彼の方を彼に傳える勿れ。此の道を知る人、何ぞ王侯を用いん。神丹既に成れば、不但長生、又可以て黃金を作るを以てなり。金成れば、百斤を取りて先ず大祭を設く。祭は自ら別の方法一卷有り、九鼎の祭と同じからず。祭の時當に分別して金を稱出し、各々檢署すべし。
禮天二十斤,日月五斤,北斗八斤,太乙八斤,井五斤,灶五斤,河伯十二斤,社五斤,門戶閭鬼神清君各五斤,凡八十八斤。餘一十二斤,以好韋囊盛之,良日於都市中市盛之時,嘿聲放棄之於多人處,徑去無復顧。凡用百斤外,乃得自恣用之耳。不先以金祀神,必被殃咎。又曰,長生之道,不在祭祀事鬼神也,不在道引與屈伸也,昇仙之要,在神丹也。知之不易,為之實難也。子能作之,可長存也。近代漢末新野陰君,合此太清丹得仙。其人本儒生,有才思,善著詩及丹經贊並序,述初學道隨師本末,列己所知識之得仙者四十餘人,甚分明也。作此太清丹,小為難合於九鼎,然是白日昇天之上法也。合之當先作華池赤鹽艮雪玄白飛符三五神水,乃可起火耳。
(彼は続けて言う:)天を禮すること二十斤、日月五斤、北斗八斤、太乙八斤、井五斤、竈五斤、河伯十二斤、社五斤、門戶閭鬼神淸君各五斤、一共八十八斤。其の餘一十二斤、好き韋囊を以て盛り、好日子を選び都市中市集正に盛んの時、默不作聲して人の多き處に放棄し、徑直離去し再び回頭せず。凡そ百斤を用いる之外、乃ち自ら任意に使用する可し。先ず金を以て神を祀らざれば、必ず殃咎に遭う。又曰く、長生の道、祭祀鬼神を事奉するに在らず、導引と屈伸に在らず、仙に升るの要、神丹に在り。其れ容易ならざるを知る、其れを作るは實に難し。汝能く之を作れば、長存する可し。近代漢末新野陰君、此の太清丹を合して仙を得たり。彼の人本は儒生、才思有り、善く詩及び丹經贊併序を著し、初めて道を學び師に隨うの本末を叙述し、自ら知識する所の仙を得たる者四十餘人を列出し、甚だ分明なり。此の太清丹を作るは、九鼎に比ぶれば稍合すれども難し、卻って白日升天の上法なり。合する時當に先ず華池・赤鹽・艮雪・玄白・飛符・三五神水を作るべし、乃ち火を起す可し。
一轉之丹,服之三年得仙。二轉之丹,服之二年得仙。三轉之丹,服之一年得仙。四轉之丹,服之半年得仙。五轉之丹,服之百日得仙。六轉之丹,服之四十日得仙。七轉之丹,服之三十日得仙。八轉之丹,服之十日得仙。九轉之丹,服之三日得仙。若取九轉之丹,內神鼎中,夏至之後,爆之鼎熱,內朱兒一斤於蓋下。伏伺之,候日精照之。須臾翕然俱起,煌煌輝輝,神光五色,即化為還丹。取而服之一刀圭,即白日昇天。又九轉之丹者,封塗之於土釜中,糠火,先文後武,其一轉至九轉,遲速各有日數多少,以此知之耳。其轉數少,其藥力不足,故服之用日多,得仙遲也。其轉數多,藥力盛,故服之用日少,而得仙速也。
一轉の丹は、三年服して仙を得。二轉の丹は、二年服して仙を得。三轉の丹は、一年服して仙を得。四轉の丹は、半年服して仙を得。五轉の丹は、百日服して仙を得。六轉の丹は、四十日服して仙を得。七轉の丹は、三十日服して仙を得。八轉の丹は、十日服して仙を得。九轉の丹は、三日服して仙を得。若し九轉の丹を取り、神鼎中に放入し、夏至の後、爆曬して鼎を熱せしめ、朱兒一斤を蓋下に放入す。埋伏伺候して、日精の之を照らすを待つ。片刻翕然と一起升り、煌煌輝輝、神光五色、則ち還丹に化す。取りて一刀圭を服せば、則ち白日升天す。又九轉の丹、土釜中に封塗し、糠火を以てし、先ず文火後に武火、一轉より九轉に至る、遲速各々日數多少有り、此に由りて知る。轉數少なければ、藥力足らず、故に服用の日子多く、仙を得ること遲し。轉數多ければ、藥力盛ん、故に服用の日子少なく、仙を得ること速やかなり。
又有九光丹,與九轉異法,大都相似耳。作之法,當以諸藥合火之,以轉五石。五石者,丹砂、雄黃、白礜、曾青、慈石也。一石輒五轉而各成五色,五石而二十五色,色各一兩,而異器盛之。欲起死人,未滿三日者,取青丹一刀圭和水,以浴死人,又以一刀圭發其口內之,死人立生也。欲致行廚,取黑丹和水,以塗左手,其所求如口所道皆自至,可致天下萬物也。欲隱形及先知未然方來之事,及住年不老,服黃丹一刀圭,即便長生不老矣。及坐見千里之外,吉凶皆知,如在目前也。人生宿命,盛衰壽夭,富貴貧賤,皆知之也,其法俱在太清經中卷耳。
又九光丹有り、九轉の方法と不同、大體相似のみ。作るの方法は、當に諸藥を取りて合して火煉し、以て五石を轉ずべし。五石は、丹砂・雄黃・白礜・曾青・慈石。一石各々五回轉じて各々五色と成り、五石則ち二十五色、每色各々一兩、異なる器を以て盛る。死人を救起さんと欲するは、未だ三日に滿たざる者、青丹一刀圭を取りて水を合し、以て死人を浴し、再び一刀圭を取りて其の口を掰開して納入すれば、死人立刻活す。行厨を招致せんと欲するは、黑丹を取りて水を合し、左手に塗りて、求むる所口裏說くがごとく皆自ら來至り、天下萬物を招致する可し。形を隱し及び未然將に來らんとするの事を豫知し、及び年歲を停住して老いざらんと欲するは、黃丹一刀圭を服すれば、便ち長生不老なり。及び坐して千里之外を見、吉凶皆知る、眼前に在るがごとし。人の宿命、盛衰壽夭、富貴貧賤、皆知る、彼らの法皆《太清經》中卷に在り。
抱朴子曰:其次有五靈丹經一卷,有五法也。用丹砂、雄黃、雌黃、石硫黃、曾青、礬石、慈石、戎鹽、太乙餘糧,亦用六一泥,及神室祭醮合之,三十六日成。又用五帝符,以五色書之,亦令人不死,但不及太清及九鼎丹藥耳。
抱朴子曰く、其次《五靈丹經》一卷有り、五種の法有り。丹砂・雄黃・雌黃・石硫黃・曾青・礬石・慈石・戎鹽・太乙餘糧を以てし、亦六一泥を以てし、及び神室祭醮を以て合す、三十六日にして成る。又五帝符を以てし、五色を以て寫し、亦人をして死せざらしむ、只だ太清及び九鼎の丹藥に及ばざるのみ。
又有岷山丹法,道士張蓋蹋精思於岷山石室中,得此方也。其法鼓冶黃銅,以作方諸,以承取月中水,以水銀覆之,致日精火其中,長服之不死。又取此丹置雄黃銅燧中,覆以汞曝之,二十日發而治之,以井華水服如小豆,百日,盲者皆能視之,百病自愈,發白還黑,齒落更生。
又岷山丹法有り、道士張蓋蹋岷山石室中に精思し、此の方を得たり。彼の方法は黃銅を鼓冶し、方諸を作成し、以て月中の水を承接し、水銀を以て覆蓋し、日精の火を其の中に加進す、長く之を服すれば死せず。又此の丹を取りて雄黃銅燧中に放ち、汞を以て覆蓋し以て曝曬す、二十日打開して研治し、井華水を以て小豆のごとき大きさを服下す、百日、盲える人皆見る能く、百病自ら愈え、頭髮白きは變りて黑に回り、牙齒落ちたるは再び長ず。
又務成子丹法,用巴沙汞置八寸銅盤中以土爐盛炭,倚三隅塹以枝盤,以硫黃水灌之,常令如泥,百日服之不死。
又務成子丹法、巴地の丹砂と汞を以て八寸銅盤中に放ち、土爐を以て炭を盛り、三面の堑に倚りて盤子を支住し、硫黃水を以て澆灌し、常に之をして泥のごとくせしめ、百日服すれば死せず。
又羨門子丹法,以酒和丹一斤,用酒三升和,曝之四十日,服之一日,則三蟲百病立下;服之三年,仙道乃成,必有玉女二人來侍之,可役使致行廚,此丹可以厭百鬼,及四方死人殃注害人宅,及起土功妨人者,懸以向之,則無患矣。
又羨門子丹法、酒と丹一斤を以てし、酒三升を以て和し、曝曬四十日、一日服すれば、三蟲百病立刻瀉下す。三年服すれば、仙道乃ち成り、必ず玉女二人來りて侍奉し、行厨を役使招致する可し、此の丹以て百鬼を厭伏し、及び四方死人殃注の人の宅を害する、及び土功を起して人を妨害する者、懸掛して之に對せば、則ち患無し。
又有立成丹,亦有九首,似九鼎而不及也。其要一本更云,取雌黃雄黃燒下其中銅,鑄以為器,覆之三歲淳苦酒上,百日,此器皆生赤乳,長數分,或有五色琅玕,取理而服之,亦令人長生。又可以和菟絲,菟絲是初生之根,其形似菟,掘取克其血,以和此丹,服之立變化,任意所作也。又和以朱草,一服之,能乘虛而行云,朱草狀似小棗,栽長三四尺,枝葉皆赤,莖如珊瑚,喜生名山岩石之下,刻之汁流如血,以玉及八石金銀投其中,立便可丸如泥,久則成水,以金投之,名為金漿,以玉投之,名為玉醴,服之皆長生。
又立成丹有り、亦九首有り、九鼎に似て及ばず。其の要一あり更に說く、雌黃・雄黃を取りて其の中の銅を燒下し、器を鑄成し、三年の淳苦酒上に覆蓋す、百日、此の器皆赤乳を生出し、長さ幾分、或は五色琅玕有り、取りて整治して服すれば、亦人をして長生せしむ。又可以て菟絲と和す、菟絲は初生の根、形狀兔子に似る、掘取して其の汁血を刻出し、以て此の丹と和す、服すれば立刻變化し、任意作る所。又朱草を和上す、一服すれば、能く虛に乘り雲上を行走す、朱草形狀小棗に似る、纔かに長さ三四尺、枝葉皆赤、莖珊瑚に似る、名山岩石の下に生ずるを喜ぶ、之を刻めば汁血のごとく流れ、玉及び八石金銀を取りて投進すれば、立刻搓丸して泥のごとく、久しければ則ち水と成る、金を取りて投進すれば、名は金漿、玉を取りて投進すれば、名は玉醴、服すれば皆長生。
又有取伏丹法云,天下諸水,有名丹者,有南陽之丹水之屬也,其中皆有丹魚,當先夏至十日夜伺之,丹魚必浮於水側,赤光上照,赫然如火也,網而取之可得之,得之雖多,勿盡取也,割其血,塗足下,則可步行水上,長居淵中矣。
又伏丹法を取るに說く、天下諸種の水、名を丹と曰う者有り、南陽の丹水の類有り、其の中皆丹魚有り、當に夏至前十日の夜伺候すれば、丹魚必ず水邊に浮き、赤光上に向かって照り、赫然として火のごとし、網を以て取れば以て得る可し、得ること多しといえども、取り盡くす勿れ、其の血を割り、脚下に塗れば、則ち以て水上を步行し、長久淵中に居住する可し。
又赤松子丹法,取千歲虆汁及礬桃汁淹丹,著不津器中,練蜜蓋其口,埋之入地三尺,百日,絞檸木赤實,取汁和而服之,令人面目鬢髮皆赤,長生也。昔中黃仙人有赤鬚子者,豈非服此乎?
又赤松子丹法、千歲蔂の汁及び礬桃汁を取りて以て丹を淹れ、不滲の器中に放ち、煉過の蜜を以て口を蓋い、地三尺に埋入し、百日、檸木の赤の赤實を絞り、汁を取りて和着し服すれば、人をして面目鬢髮皆赤ならしめ、長生す。昔中黃仙人に赤須子有り、豈に此れを服せざらんか。
又石先生丹法,取烏鷇之未生毛羽者,以真丹和牛肉以吞之,至長,其毛羽皆赤,乃煞之,陰乾百日,並毛羽搗服一刀圭,百日得壽五百歲。
又石先生丹法、烏鴉の雛未だ毛羽を生を生ぜざるを取り、真丹と牛肉を以て之を吞ましめ、長大するに及び、毛羽皆赤、則ち之を殺し、陰干百日、毛羽を連ねて擣きて一刀圭を服せば、百日壽五百歲を得。
又康風子丹法,用羊烏鶴卵雀血,合少室天雄汁,和丹內鵠卵中漆之,內雲母水中,百日化為赤水,服一合,輒益壽百歲,服一升千歲也。
又康風子丹法、羊・烏鴉・鶴卵・雀血を以てし、少室天雄汁を合し、丹を和して鵠卵中に放入し漆を以て封じ、雲母水中に放入す、百日赤水に化し、一合を服すれば、則ち壽百歲を增し、一升を服すれば則ち千歲。
又崔文子丹法,納丹鶩腹中蒸之,服,令人延年,長服不死。
又崔文子丹法、丹を鶩腹中に納れて蒸し、服せば、人をして延年せしめ、長く服すれば死せず。
又劉元丹法,以丹砂內玄水液中,百日紫色,握之不汙手,又和以雲母水,內管中漆之,投井中,百日化為赤水,服一合,得百歲,久服長生也。
又劉元丹法、丹砂を玄水液中に放入す、百日紫色と成り、握りて手を污さず、又雲母水を和上し、管中に放入し漆を以て封じ、井中に投進す、百日赤水に化し、一合を服せば、百歲を得、久しく服せば長生す。
又樂子長丹法,以曾青鉛丹合汞及丹砂,著銅筒中,乾瓦白滑石封之,於白砂中蒸之,八十日,服如小豆,三年仙矣。
又樂子長丹法、曾青・鉛丹を以て汞及び丹砂を合し、銅筒中に放ち、干瓦と白滑石を以て口を封じ、白砂中にて蒸す、八十日、小豆のごとき大きさを服下す、三年仙と成る。
又李文丹法,以白素裹丹,以竹汁煮之,名紅泉,乃浮湯上蒸之,合以玄水,服之一合,一年仙矣。
又李文丹法、白素を以て丹を裹み、竹汁を以て煮る、名は紅泉、再び湯上に浮かべて蒸し、玄水を合上し、一合を服せば、一年仙と成る。
又尹子丹法,以雲母水和丹密封,致金華池中,一年出,服一刀圭,盡一斤,得五百歲。
又尹子丹法、雲母水と丹を以て密封し、金華池中に放至り、一年取出し、一刀圭を服し、一斤を服盡くせば、五百歲を得。
又太乙招魂魄丹法,所用五石,及封之以六一泥,皆似九丹也,長於起卒死三日以還者,折齒內一丸,與硫黃丸,俱以水送之,令入喉即活,皆言見使者持節召之。
又太乙招魂魄丹法、所用の五石、及び六一泥を以て封ずる、皆九丹のごとし、猝死三日以内の人を救起するに長す、牙齒を折開して一丸を納入し、硫黃丸と與し、皆水を以て送下し、之をして喉に入れば則ち活す、皆使者の節を持して來召するを見たと曰う。
又采女丹法,以兔血和丹與蜜蒸之,百日,服之如梧桐子者大一丸,日三,至百日,有神女二人來侍之,可役使。
又采女丹法、兔血と丹與蜜を以て和して蒸し、百日、梧桐子のごとき大きさの一丸を服し、一日三次、百日に至りて、神女二人來りて侍奉す、役使する可し。
又稷丘子丹法,以清酒麻油百華醴龍膏和,封以六一泥,以糠火熅之,十日成,服如小豆一丸,盡劑,得壽五百歲。
又稷丘子丹法、清酒・麻油・百華醴・龍膏を以て和し、六一泥を以て封じ、糠火を以て溫煨す、十日成る、小豆のごとき大きさの一丸を服し、一劑を服盡くせば、壽五百歲を得。
又墨子丹法,用汞及五石液於銅器中,火熬之,以鐵匕撓之,十日,還為丹,服之一刀圭,萬病去身,長服不死。又張子和丹法,用鉛汞曾青水合封之,蒸之於赤黍米中,
又墨子丹法、汞及び五石液を以て銅器中にて、火上に熬し、鐵匕を以て攪動す、十日、還りて丹と成る、一刀圭を服せば、萬病身を離れ、長く服すれば死せず。又張子和丹法、鉛・汞・曾青水を以て合して封上し、赤黍米中にて蒸し、
八十日成,以棗膏和丸之,服如大豆,百日,壽五百歲。
(上文に接續して曰く)八十日成る、棗膏を以て和着して丸を作成し、大豆のごとき大きさを服す、百日、壽五百歲。
又綺裡丹法,先飛取五石玉塵,合以丹砂汞,內大銅器中煮之,百日,五色,服之不死。以鉛百斤,以藥百刀圭,合火之成白銀,以雄黃水和而火之,百日成黃金,金或太剛者,以豬膏煮之,或太柔者,以白梅煮之。
又綺里丹法、先ず五石玉塵を飛取し、丹砂・汞を合上し、大銅器中に放入して煮る、百日、五色と成り、服せば死せず。鉛百斤を取り、藥百刀圭を以て、合して火煉し白銀と成し、雄黃水を以て和着して再び火煉す、百日黃金と成る、金或いは太剛なるは、豬膏を以て煮、或いは太柔なるは、白梅を以て煮る。
又玉柱丹法,以華池和丹,以曾青硫黃末覆之薦之,內筒中沙中,蒸之五十日,服之百日,玉女六甲六丁神女來侍之,可役使,知天下之事也。
又玉柱丹法、華池を以て丹と和し、曾青・硫黃末を以て覆蓋鋪墊し、筒中沙中に放入し、五十日蒸し、百日服すれば、玉女・六甲六丁神女來りて侍奉す、役使する可し、天下の事を知る。
又肘後丹法,以金華和丹乾瓦封之,蒸八十日,取如小豆,置盤中,向日和之,其光上與日連,服如小豆,長生矣。以投丹陽銅中,火之成金。
又肘後丹法、金華を以て丹と和し、干瓦を以て口を封じ、八十日蒸し、小豆のごとき大きさを取り、盤中に放ち、日に對して以て和す、其の光上に向かって日と相連なり、小豆のごとき大きさを服せば、則ち長生す。之を丹陽銅中に投進し、火煉して金と成す。
又李公丹法,用真丹及五石之水各一升,和令如泥,釜中火之,三十六日出,和以石硫黃液,服之十年,與天地相畢。又劉生丹法,用白菊花汁地楮汁樗汁和丹蒸之,三十日,研合服之,一年,得五百歲,老翁服更少不可識,少年服亦不老。
又李公丹法、真丹及び五石の水各一升を以て、和して泥のごとく、釜中にて火煉す、三十六日取出し、石硫黃液を和上し、十年服すれば、天地と一同に畢わる。又劉生丹法、白菊花汁・地楮汁・樗汁を以て丹と和して蒸し、三十日、研合して服せば、一年、五百歲を得、老翁服せば更に年若くして人をして認出ださしめず、少年服せば亦老いず。
又王君丹法,巴沙及汞內雞子中,漆合之,令雞伏之三枚,以王相日服之,住年不老,小兒不可服,不復長矣,與新生雞犬服之,皆不復大,鳥獸亦皆如此驗。
又王君丹法、巴地の丹砂及び汞を雞子中に放入し、漆を以て合上し、雞をして三枚を伏せしめ、王相の日に服せば、年歲を停住して老いず、小兒服す可からず、再び長せず、新生の雞犬に服せしめれば、皆再び大ならず、鳥獸も皆此のごとき應驗有り。
又陳生丹法,用白蜜和丹,內銅器中封之,沈之井中,一期,服之經年,不飢,盡一斤,壽百歲。
又陳生丹法、白蜜を以て丹と和し、銅器中に放入して封上し、井中に沈め、一年に滿ち、一年を服過せば、餓えず、一斤を服盡くせば、壽百歲。
又韓終丹法,漆蜜和丹煎之,服可延年久視,立日中無影。過此以往,尚數十法,不可具論。
又韓終丹法、漆・蜜を以て丹と和して煎し、服せば以て延年久視す、日中に立ちて影無し。此を過ぎて以往、尚ほ數十種の法有り、一一論列する能わず。
抱朴子曰:金液太乙所服而仙者也,不減九丹矣,合之用古秤黃金一斤,並用玄明龍膏、太乙旬首中石、冰石、紫遊女、玄水液、金化石、丹砂,封之成水,其經云,金液入口,則其身皆金色。老子受之於元君,元君曰,此道至重,百世一齣,藏之石室,合之,皆齋戒百日,不得與俗人相往來,於名山之側,東流水上,別立精舍,百日成,服一兩便仙。若未欲去世,且作地水仙之士者,但齋戒百日矣。若求昇天,皆先斷谷一年,乃服之也。若服半兩,則長生不死,萬害百毒,不能傷之,可以畜妻子,居官秩,任意所欲,無所禁也。若復欲昇天者,乃可齋戒,更服一兩,便飛仙矣。
抱朴子曰く、金液は太乙の服する所にして仙と成る、九丹より差しも劣らず、合するの時古秤黃金一斤を以て、竝びに玄明龍膏・太乙旬首中石・冰石・紫游女・玄水液・金化石・丹砂を以て、封じて水と作成す、彼の經曰く、金液口に入れば、身子皆金色と成る、老子元君より之を受け、元君曰く、此の道至重至大、百世纔かに一度出現す、石室に藏せ、合するの時、皆百日齋戒し、俗人與相互往來するを得ず、名山の旁、東流の水上にて、別に精舍を立て、百日成る、一兩を服せば便ち仙と成る。若し未だ人世を離れんと欲せず、且く地仙・水仙の士を做さんには、只だ百日齋戒すれば則ち行う可し。若し升天を求めんには、皆先ず一年斷穀し、纔かに之を服す。若し半兩を服せば、則ち長生不死、萬害百毒傷る能わず、以て妻子を畜養し、官秩を居り、任意欲する所、禁無きこと有り。若し又升天せんと欲せば、纔かに齋戒する可し、再び一兩を服せば、便ち飛仙なり。
以金液為威喜巨勝之法,取金液及水銀一味合煮之,三十日,出,以黃土甌盛,以六一泥封,置猛火炊之,六十時,皆化為丹,服如小豆大便仙,以此丹一刀圭粉,水銀一斤,即成銀。又取此丹一斤置火上扇之,化為赤金而流,名曰丹金。以塗刀劍,闢兵萬里。以此丹金為盤碗,飲食其中,令人長生。以承日月得液,如方諸之得水也,飲之不死。以金液和黃土,內六一泥甌中,猛火炊之,盡成黃金,中用也,復以火炊之,皆化為丹,服之如小豆、可以入名山大川為地仙。以此丹一刀圭粉水銀立成銀,以銀一兩和鉛一斤,皆成銀。金液經云,投金人八兩於東流水中,飲血為誓,乃告口訣,不如本法,盜其方而作之,終不成也。凡人有至信者,可以藥與之,不可輕傳其書,必兩受其殃,天神鑑人甚近,人不知耳。
金液を取りて威喜・巨勝の法を作る、金液及び水銀一味を取りて合して煮、三十日、取出し、黃土甌を以て盛り、六一泥を以て封じ、猛火上に放ちて炊す、六十時、皆丹に化し、小豆のごとき大を服せば仙と成る、此の丹一刀圭を取りて粉に研し、水銀一斤、則ち銀と成る。又此の丹一斤を取りて火上に放ちて扇す、赤金に化して流動す、名は丹金。以て刀劍に塗れば、萬里兵を辟く。此の丹金を以て盤碗を做り、其の中にて飲食すれば、人をして長生せしむ。以て日月を承接して液を得、方諸の水を得るがごとく、飲めば死せず。金液を取りて黃土と和し、六一泥甌中に放入し、猛火に炊せば、皆黃金と成り、中に用い、再び火を以て炊せば、皆丹に化し、小豆のごとき大を服せば、以て名山大川に入り地仙を做る可し。此の丹一刀圭を取りて粉を研し水銀を與すれば立刻銀と成る、銀一兩を取りて鉛一斤と和せば、皆銀と成る。《金液經》曰く、金人八兩を東流の水中に投進し、血を飲して誓いを為し、纔かに口訣を告ぐ、此の本法に按わず、方を盜みて作りて行かば、終に成らず。凡人至信有らば、以て藥を之に與ふ可し、輕易に彼の書を傳ふ可からず、必ず兩邊殃を受けん、天神人を鑑察すること近し、人自ら知らざるのみ。
抱朴子曰:九丹誠為仙藥之上法,然合作之,所用雜藥甚多。若四方清通者,市之可具。若九域分隔,則物不可得也。又當起火晝夜數十日,伺候火力,不可令失其適,勤苦至難,故不及合金液之易也。合金液唯金為難得耳。古秤金一斤於今為二斤,率不過直三十許萬,其所用雜藥差易具。又不起火,但以置華池中,日數足便成矣,都合可用四十萬而得一劑,可足八人仙也。然其中稍少合者,其氣力不足以相化成,如釀數升米酒,必無成也。
抱朴子曰く、九丹誠に仙藥の上法たり、然れども配合制作し、所用の雜藥甚だ多し。若し四方清通ならば、市上に至りて以て備齊す可し。若し九域分隔ならば、物則ち得る可からず。又當に火を起し晝夜數十日、火力を伺候し、之をして適度を失わしめざるべし、勤苦至難、故に金液を合するに易きに及ばず。金液を合するは只だ金の難得なるのみ。古秤金一斤は今に在りて二斤、大致三十來萬に過ぎざるを值し、所用の雜藥比較的備辦し易し。又火を起さず、只だ之を華池中に放ち、日數足らば便ち成る、皆合して以て四十萬を用うるに一劑を得、八人を仙と成すに足る。然れども其の中稍微少合するは、氣力足らず以て相化成せず、數升米酒を釀するがごとく、必ず成る無し。
抱朴子曰:其次有餌黃金法,雖不及金液,亦遠不比他藥也。或以豕負革肪及酒煉之,或以樗皮治之,或以荊酒磁石消之,或有可引為巾,或立令成水服之。或有禁忌,不及金液也。或以雄黃雌黃合餌之,可引之張之如皮,皆地仙法耳。銀及蚌中大珠,皆可化為水服之。然須長服不可缺,故皆不及金液也。抱朴子曰:合此金液九丹,既當用錢,又宜入名山,絕人事,故能為之者少,且亦千萬人中,時當有一人得其經者。故凡作道書者,略無說金丹者也。第一禁,勿令俗人之不信道者,謗訕評毀之,必不成也。鄭君言所以爾者,合此大藥皆當祭,祭則太乙元君老君玄女皆來鑑省。作藥者若不絕跡幽僻之地,令俗閒愚人得經過聞見之,則諸神便責作藥者之不遵承經戒,致令惡人有謗毀之言,則不復佑助人,而邪氣得進,藥不成也。必入名山之中,齋戒百日,不食五辛生魚,不與俗人相見,爾乃可作大藥。作藥須成乃解齋,不但初作時齋也。鄭君云,左君告之,言諸小小山,皆不可於其中作金液神丹也。凡小山皆無正神為主,多是木石之精,千歲老物,血食之鬼,此輩皆邪炁,不念為人作福,但能作禍,善試道士,道士須當以術闢身,及將從弟子,然或能壞人藥也。今之醫家,每合好藥好膏,皆不欲令雞犬小兒婦人見之。若被諸物犯之,用便無驗。又染採者惡惡目者見之,皆失美色。況神仙大藥乎?是以古之道士,合作神藥,必入名山,不止凡山之中,正為此也。又按仙經,可以精思合作仙藥者,有華山泰山霍山恆山嵩山少室山長山太白山終南山女幾山地肺山王屋山抱犢山安丘山潛山青城山娥眉山緌山雲臺山羅浮山陽駕山黃金山鱉祖山大小天台山四望山蓋竹山括蒼山,此皆是正神在其山中,其中或有地仙之人。上皆生芝草,可以避大兵大難,不但於中以合藥也。若有道者登之,則此山神必助之為福,藥必成。
抱朴子曰く、其次餌黃金法有り、金液に及ばざるといえども、亦遠く他藥と比する能わず。或は豬負革の脂肪及び酒を以て煉し、或は樗皮を以て治し、或は荆酒・磁石を以て消し、或有りて以て巾に拉成す可し、或は立刻之をして水と成し服せしむ。或有りて禁忌有り、金液に及ばず。或は雄黃・雌黃を以て合して餌せば、以て拉開して皮のごとく展す可し、皆地仙の法のみ。銀及び蚌中の大珠、皆以て水に化して服す可し。然れども必ず長服缺かす可からず、故に皆金液に及ばず。抱朴子曰く、此の金液・九丹を合する、既に錢を用い、又當に名山に入り、人事を斷絕すべし、故能くする人少なし、而且亦是れ千萬人中、時に纔かに一人彼の經を得。故に凡そ道書を作る者、幾ほども金丹を說く無し。第一禁、俗人の裏に道を信信ぜざる者をして、謗訕評毀せしめず、必ず成らず。鄭君曰く所以此のごときは、此の大藥を合するに皆當に祭るべし、祭れば則ち太乙・元君・老君・玄女皆來りて鑑察す。藥を作る人若し絕跡して幽僻の地に至らざれば、世間愚人をして經過聞見するを得しめ、諸神便ち藥を作る人の經戒に遵承せざるを責め、以致惡人をして謗毀の言有らしむ、則ち再び人を佑助せず、而も邪氣得て入り、藥成らず。必ず名山の中に入り、百日齋戒し、五辛生魚を食わず、俗人與見會せず、然る後に乃ち以て大藥を作る可し。藥を作るに必ず作り成りて齋を解く、不但初作の時齋する。鄭君曰く、左君之に告げて曰く、諸の小小山、皆其の中にて金液神丹を作る可からず。凡そ小山皆正神の主為る無く、多くは木石の精、千歲の老物、血食を喫する鬼、此の類皆是れ邪炁、人の為に福を作さんと欲せず、只だ禍を作る能く、道士を試探するに善し、道士必ず術を以て身を護り、及び隨從の弟子を帶領す、然れども或は尚ほ能く人の藥を壞る。今の醫家、每に好藥好膏を合するに逢う、皆雞犬・小兒・婦人をして見るを得しめんと欲せず。若し此らの物に犯されば、之を用うれば便ち效驗無し。又彩を染する人惡目の人の見るを惡む、皆美色を失う。何況神仙大藥をや。故に古時の道士、神藥を配合す、必ず名山に入る、不只凡山の中に在る、正に此の為なり。又仙經に按ずるに、以て精思仙藥を配合する可きは、華山・泰山・霍山・恒山・嵩山・少室山・長山・太白山・終南山・女几山・地肺山・王屋山・抱犢山・安丘山・潛山・青城山・峨眉山・緌山・雲臺山・羅浮山・陽駕山・黃金山・鱉祖山・大小天臺山・四望山・蓋竹山・括蒼山、此ら皆是れ正神山中に在り、其の中或は地仙の人有り。上皆芝草を生ず、以て大兵大難を避く可し、不但其の中にて藥を合する。若し道有る人登りて上れば、此の山神必ず之が為に福を帮助し、藥必ず成る。
若不得登此諸山者,海中大島嶼,亦可合藥。若會稽之東翁洲亶洲紵嶼,及徐州之莘莒洲泰光洲鬱洲,皆其次也。今中國名山不可得至,江東名山之可得住者,有霍山,在晉安;長山太白,在東陽;四望山大小天台山蓋竹山括蒼山,並在會稽。
(他接續して曰く)若し此らの山に登る能わざれば、海中の大島嶼、亦以て藥を合す可し。會稽の東の翁洲・亶洲・紵嶼、及び徐州の莘莒洲・泰光洲・郁洲のごとき、皆是れ其次なり。今中原の名山至るを得ず、江東名山住む可きは、霍山有り、晉安に在り。長山・太白、東陽に在り。四望山・大小天臺山・蓋竹山・括蒼山、皆會稽に在り。
抱朴子曰:予忝大臣之子孫,雖才不足以經國理物,然疇類之好,進趨之業,而所知不能遠餘者,多揮翮雲漢,耀景辰霄者矣。餘所以絕慶弔於鄉黨,棄當世之榮華者,必欲遠登名山,成所著子書,次則合神藥,規長生故也。俗人莫不怪予之委桑梓,背清塗,而躬耕林藪,手足胼胝,謂予有狂惑之疾也。然道與世事不併興,若不廢人間之務,何得修如此之志乎?見之誠了,執之必定者,亦何憚於譭譽,豈移於勸沮哉?聊書其心,示將來之同志尚者雲。後有斷金之徒,所捐棄者,亦與餘之不異也。
抱朴子曰く、我愧として大臣の子孫と為る、才國を經じ物を理するに足らざるといえども、然れども同輩の喜好する所、進取の從事する所、而も知る所我を過ぎる能わざるは、多く翅を揮るいて雲漢に、光曜星辰霄漢に在る者有り。我の鄉黨中に於てに慶弔を斷絕し、當世榮華を抛棄する所以は、必ず遠く名山に登り、著す所の子書を寫成し、其次則ち神藥を合し、長生を謀求するの故なり。俗人我が桑梓を丢下し、淸貴の路途を背離し、而も親ら林藪に耕作し、手足胼胝を生出すを怪しまざる無し、我に狂惑の病有りと曰う。然れども道與世事並び興る能わず、若し人間の事務を廢せざれば、焉んぞ能く此のごとき志を修めん。得るを見ること確實了然、取るを把むこと必なる者、又何ぞ必ず毀譽を怕れん、豈に勸勉或いは阻撓に因りて改變せんや。且く此の點心を寫下し、將來同志崇尚の人に與へて看せしむ。後來斷金の交の人有らば、捐棄する所、亦我與異なる無からん。
小神丹方,用真丹三斤,白蜜六斤攪合,日暴煎之,令可丸,旦服如麻子許十丸,未一年,發白者黑,齒落者生,身體潤澤,長服之,老翁成少年,長生不死矣。
小神丹方、真丹三斤を以て、白蜜六斤攪合し、日曬煎して、之をして丸に成る可からしめ、早晨麻子のごとき大きさの十丸を服せば、一年に至らず、頭髮白きは黑に變り、牙齒落ちたるは再生し、身體潤澤し、長く之を服せば、老翁少年と成り、長生不死なり。
小丹法,丹一斤,搗篩,下淳苦酒三升,漆二升,凡三物合,令相得,微火上煎令可丸,服如麻子三丸,日再服,三十日,腹中百病癒,三尸去;服之百日,肌骨強堅;千日,司命削去死籍,與天地相畢,日月相望,改形易容,變化無常,日中無影,乃別有光也。
小丹法、丹一斤、擣篩し、淳苦酒三升・漆二升を下し、一共三物合し、之らをして相得せしめ、微火上に煎じて丸に成る可きに至り、麻子のごとき大きさの三丸を服し、一日服二次、三十日、腹中百病愈え、三尸去掉す。百日服せば、肌骨強堅。一千日、司命死籍を削去し、天地與一同に畢わり、日月與相對望し、形を改め容を易え、變化無常、日中影無し、卻りて別に光有り。
小餌黃金法,鍊金內清酒中,約二百過,出入即沸矣,握之出指間令如泥,若不沸,及握之不出指間,即削之,內清酒中無數也。成,服之如彈丸一枚,亦可一丸,分為小丸,服之三十日,無寒溫,神人玉女侍之,銀亦可餌之,與金同法。服此二物,能居名山石室中者,一年即輕舉矣。止人間服亦地仙,勿妄傳也。
小餌黃金法、煉過の金を淸酒中に放入し、約二百遍、出入すれば則ち沸す、握りて之を指閒より出でて泥のごとくせしむ、若し沸せず、及び握りて指閒より出ざれば、則ち之を削り、再び淸酒中に放入すること無數遍。成れば、彈丸一枚のごときを服し、亦以一丸を分かちて小丸と為す可し、三十日服せば、寒溫無し、神人玉女侍奉す、銀亦餌す可し、金と同一の方法。此の兩種の物を服し、能く名山石室中に住する者は、一年にして則ち輕擧す。人間に留まりて服するも亦是れ地仙、妄りに傳ふる勿れ。
兩儀子餌黃金法,豬負革脂三斤,淳苦酒一升,取黃金五兩,置器中,煎之土爐,以金置脂中,百入百出,苦酒亦爾。食一斤,壽蔽天地;食半斤,壽二千歲;五兩,壽千二百歲。無多少,便可餌之。當以王相日作,服之神良。勿傳非人,傳示非人,令藥不成不神。欲食去屍藥,當服丹砂也。
兩儀子餌黃金法、豬負革脂三斤、淳苦酒一升、黃金五兩を取り、器中に放ち、土爐上に煎し、金を脂中に放進し、百入百出、苦酒亦此のごとし。一斤を食すれば、壽天地を遮蔽し。半斤を食すれば、壽二千歲。五兩、壽千二百歲。多少を論せず、便ち以て餌す可し。當に王相の日に作るべし、服せば神良。傳ふべからざる人に傳ふる勿れ、傳示し當に傳ふべからざる人は、藥をして成らず、神ならざらしむ。尸を去るの藥を喫せんと欲せば、當に丹砂を服すべし。
卷五·至理
卷五・至理
抱朴子曰:微妙難識,疑惑者眾。吾聰明豈能過人哉?適偶有所偏解,猶鶴知夜半,燕知戊巳,而未必達於他事也。亦有以校驗,知長生之可得,仙人之無種耳。夫道之妙者,不可盡書,而其近者,又不足說。昔庚桑胼胝,文子釐顏,勤苦彌久,及受大訣,諒有以也。夫圓首含氣,孰不樂生而畏死哉?然榮華勢利誘其意,素顏玉膚惑其目,清商流徵亂其耳,愛惡利害攪其神,功名聲譽束其體,此皆不召而自來,不學而已成,自非受命應仙,窮理獨見,識變通於常事之外,運清鑑於玄漠之域,寤身名之親疏,悼過隙之電速者,豈能棄交修賒,抑遺嗜好,割目下之近欲,修難成之遠功哉?夫有因無而生焉,形須神而立焉。有者,無之宮也。形者,神之宅也。故譬之於堤,堤壞則水不留矣。方之於燭,燭糜則火不居矣。身勞則神散,氣竭則命終。根竭枝繁,則青青去木矣。氣疲欲勝,則精靈離身矣。夫逝者無反期,既朽無生理,達道之士,良所悲矣!輕璧重陰,豈不有以哉?故山林養性之家,遺俗得意之徒,比崇高於贅疣,方萬物乎蟬翼,豈苟為大言,而強薄世事哉?誠其所見者了,故棄之如忘耳。是以遐棲幽遁,韜鱗掩藻,遏欲視之目,遣損明之色,杜思音之耳,遠亂聽之聲,滌除玄覽,守雌抱一,專氣致柔,鎮以恬素,遣歡戚之邪情,外得失之榮辱,割厚生之臘毒,謐多言於樞機,反聽而後所聞徹,內視而後見無朕,養靈根於冥鈞,除誘慕於接物,削斥淺務,御以愉慔,為乎無為,以全天理爾。
抱朴子曰く、微妙は識り難し、疑惑する者多し。我が聰明豈に人を過ぎんや。只だ偶然偏解する所有るのみ、譬へば鶴夜半を知り、燕戊己を知るがごとく、卻りて未だ必ずしも他事に通達せず。亦以て校驗する有り、長生得る可きを知り、仙人竝びに種無きのみ。道の妙、寫し盡くす可からず、而も其れ近きは、又說くに足らず。昔庚桑手足胼胝、文子面色黎黑、勤苦久しきこと甚だ、纔かに大訣を受け、諒らかに是れ緣故有るなり。圓頭氣を含む者、誰か生を樂しみ死を怕れざらん。然れども榮華勢利其の意を引誘し、素顏玉膚其の目を迷惑し、淸商流徵其の耳を擾亂し、愛惡利害其の神を攪亂し、功名聲譽其の體を束縛す、此ら皆召せずして自ら來り、學ばずして已に成る、若し受命仙と成る當きに非ざれば、理を窮めて獨り見、常事の外に變通を識り、玄漠の域に淸鑑を運轉し、身與名の親疏を覺悟し、過隙の電速を哀悼する人、豈に能く近きを拋棄して遠きを修め、嗜好を抑制遺落し、眼前の近欲を割捨して、難成の遠功を修めんや。有因りて無より生じ、形神を須ちて立つ。有は、無の宮。形は、神の宅。故に譬喻して堤を作れば、堤壞るれば水則ち留まらず。比方して燭を作れば、燭糜爛すれば火則ち居らず。身勞すれば則ち神散じ、氣竭くれば則ち命終す。根枯竭すれば枝葉繁く、青青則ち樹木を離る。氣疲れて欲勝れば、精靈則ち身を離る。逝き去るは返回の期無く、既に朽ちれば再活の理無し、達道の士、實に悲傷す。璧玉を看輕し、光陰を看重す、豈に緣故無からんや。故に山林性を養うの人家、流俗を遺落し意を得るの一類人、崇高を以て贅疣に比し、萬物を以て蟬翼に比す、豈に苟且大言を說き、勉强世事を看薄せんや。實に見る所了然たるを以て、故に之を拋棄するに忘るるがごとし。因此遠く栖止し、幽深に隱遁し、鱗を以て韜藏し、藻を以て掩蓋し、見んと欲する目を遏め、明を損傷する色を遣開し、聲を聽かんと欲する耳を堵住し、聽を擾亂する聲を遠離し、玄覽を滌除し、雌を守り一を抱き、氣を專らにして柔を致し、恬素を以て鎭定し、歡戚の邪情を遣開し、得失の榮辱を外に放ち、厚生の腊毒を割去し、多言を樞機にて靜謐せしめ、聽を反して然る後聞く所乃ち徹し、內視して然る後朕兆無きを見、冥鈞中に靈根を養い、物に接するに誘慕を除去し、淺務を削斥し、愉穆を以て駕馭し、無爲に爲して、以て天理を保全するのみ。
乃父吸寶華,浴神太清,外除五曜,內守九精,堅玉鑰於命門,結北極於黃庭,引三景於明堂,飛元始以煉形,採靈液於金梁,長驅白而留青,凝澄泉於丹田,引沈珠於五城,瑤鼎俯爨,藻禽仰鳴,瑰華擢穎,天鹿吐瓊,懷重規於絳宮,潛九光於洞冥,雲蒼鬱而連天,長谷湛而交經,履躡乾兌,召呼六丁,坐臥紫房,咀吸金英,曄曄秋芝,朱華翠莖,皛皛珍膏,溶溢霄零,治飢止渴,百痾不萌,逍遙戊巳,燕和飲平,拘魂制魄,骨填體輕,故能策風雲以騰虛,並混輿而永生也。然梁塵之盈尺,非可求之漏刻,山溜洞徹,非可致之於造次也。患於聞之者不信,信之者不為,為之者不終耳。夫得之者甚希而隱,不成者至多而顯。世人不能知其隱者,而但見其顯者,故謂天下果無仙道也。
(他接續して曰く)於是再び寶華を吸い、太清中に神を浴し、外に五曜を除去し、內に九精を守住し、玉鑰を命門に堅固し、北極を黃庭に結び、三景を明堂に引至し、元始を飛起して形を煉し、金梁に靈液を采集し、白色を長驅して青色を留留し、澄泉を丹田に凝らし、沈珠を五城に引き、瑤鼎下に向かって炊爨し、藻禽上に向かって鳴き、瑰華穎を抽出し、天鹿瓊を吐出し、絳宮に重規を懷き、洞冥に九光を潛藏し、雲蒼鬱として天に連なり、長谷深湛として經を交え、乾兌を脚踏し、六丁を召呼し、紫房に坐臥し、金英を咀吸し、曄曄の秋芝、朱紅の花、翠綠の莖、皛皛の珍膏、溶溢として霄上より零落し、饑を治し渇を止め、百病萌えず、戊己に逍遙し、燕居和洽、平和に飲し、魂を拘り魄を制し、骨充實し體輕し、故に能く風雲を鞭策して虛に騰り、混輿與竝びに永生す。然れども梁上の塵一尺に積むは、漏刻の閒以て求む可きに非ず、山溜石を洞穿するは、倉促成事以て致す可きに非ず。毛病聞く者信ぜず、信ずる者作らず、作る者終る能わざるに在り。得る者少なく而且隱れ、成らざる者極めて多く而且顯る。世人彼らの隱るるを知る能わず、只だ彼らの顯るるを見る、故に天下果して仙道無しと曰う。
抱朴子曰:防堅則水無漉棄之費,脂多則火無寢曜之患,龍泉以不割常利,斤斧以日用速弊,隱雪以違暖經夏,藏冰以居深過暑,單帛以幔鏡不灼,凡卉以偏覆越冬。泥壤易消者也,而陶之為瓦,則與二儀齊其久焉。柞楢速朽者也,而燔之為炭,則可億載而不敗焉。轅豚以優畜晚卒,良馬以陟峻早斃,寒蟲以適己倍壽,南林以處溫長茂,接煞氣則雕瘁於凝霜,值陽和則鬱藹而條秀。物類一也,而榮枯異功,豈有秋收之常限,冬藏之定例哉?而人之受命,死生之期,未若草木之於寒天也,而延養之理,補救之方,非徒溫暖之為淺益也,久視之效,何為不然?而世人守近習隘,以仙道為虛誕,謂黃老為妄言,不亦惜哉?夫愚夫乃不肯信湯藥針艾,況深於此者乎?皆曰,俞跗扁鵲和緩倉公之流,必能治病,何不勿死?又曰,富貴之家,豈乏醫術,而更不壽,是命有自然也。乃責如此之人,令信神仙,是使牛緣木,馬逐鳥也。
抱朴子曰く、隄防堅固なれば、水則ち滲漏拋棄の耗費無し。脂多ければ、火則ち熄滅の患無し。龍泉割らざるを以て常に鋒利、斤斧日用を以て迅速弊壞し、隱雪暖を避くるを以て夏を經過し、藏冰深處に處るを以て暑を過し、單帛鏡を幔るを以て灼けず、凡卉偏に覆蓋せらるるを以て冬を越ゆ。泥壤は消え易き也、陶して瓦と成れば、則ち二儀與一樣に長久。柞楢は速朽なり、燔して炭と成れば、則ち以て億載にして敗れず。轅下の豚優畜を以て晚死し、良馬峻を登るを以て早斃し、寒蟲己に適うを以て壽命倍加し、南林溫處に處るを以て長じて茂し、煞氣に接到すれば則ち凝霜中に凋瘁し、陽和に遇上すれば郁藹として條秀す。物類是れ一樣、榮枯の功效卻りて同じからず、豈に秋收の常限、冬藏の定例有らんや。而も人受命し、死生の期限、草木の寒天に於けるがごときに及ばず、延養の理、補救の方、不只溫暖のごとき淺益、久視の效驗、何を以て此のごとくならざらん。而も世人近きを守り、隘に習い、仙道を以て虛誕と做し、黃老を妄言と曰う、亦可惜ならずや。愚夫湯藥鍼艾をも肯んじて信ぜず、何況此より深きをや。皆曰く、俞跗・扁鵲・醫和・醫緩・倉公の一流、必ず能く病を治す、何を以て死を免れざる。又曰く、富貴の家、豈に醫術を缺少けんや、卻りて更に壽ならず、是れ命自然有り。竟に此のごとき人を責め、之をして神仙を信ぜしめんは、此れ牛をして樹に爬らせ、馬をして鳥を追はしむるなり。
抱朴子曰:召魂小丹三使之丸,及五英八石小小之藥,或立消堅冰,或入水自浮,能斷絕鬼神,禳卻虎豹,破積聚於腑臟,追二豎於膏肓,起猝死於委屍,返驚魂於既逝。夫此皆凡藥也,猶能令已死者復生,則彼上藥也,何為不能令生者不死乎?越人救虢太子於既殞,胡醫活絕氣之蘇武,淳于能顱以理腦,元化能刳腹以澣胃,文摯愆期以瘳危困,仲景穿胸以納赤餅,此醫家之薄技,猶能若是,豈況神仙之道,何所不為?夫人所以死者,諸欲所損也,老也,百病所害也,毒惡所中也,邪氣所傷也,風冷所犯也。今道引行氣,還精補腦,食飲有度,興居有節,將服藥物,思神守一,柱天禁戒,帶佩符印,傷生之徒,一切遠之,如此則通,可以免此六害。今醫家通明腎氣之丸,內補五絡之散,骨填苟杞之煎,黃蓍建中之湯,將服之者,皆致肥丁。漆葉青蓁,凡弊之草,樊阿服之,得壽二百歲,而耳目聰明,猶能持針以治病,此近代之實事,良史所記注者也。
抱朴子曰く、召魂小丹・三使之丸、及び五英八石此らの小小の藥、或は立刻堅冰を消し、或は水に入りて自ら浮き、能く鬼神を斷絕し、虎豹を禳卻し、腑臟に積聚を破り、二豎を膏肓より追出し、委尸より猝死を救起し、驚魂を既逝より返還す。此ら皆是れ凡藥、尚ほ能く已死の人をして復生せしむ、則ち彼らの上藥、何を以て活ける人をして死せざらしめざらん。越人虢太子の既殞の後に彼を救い、胡醫絕氣の蘇武を救活し、淳于意能く顱を開きて以て腦を治理し、華佗能く腹を剖きて以て胃を洗滌し、文摯期を愆りて以て危困を治好し、仲景胸を穿ちて赤餅を納入す、此ら是れ醫家の薄技、尚ほ能く此のごとし、何況神仙の道、作らざる有らんや。人の死する所以は、諸欲の損する所、是老なり、是百病の害する所、是毒惡の中する所、是邪氣の傷る所、是風冷の犯する所。今導引行氣し、精を還し腦を補い、食飲度有り、興居節有り、將に藥物を服し、神を思い一を守り、柱天の禁戒を守り、符印を帶佩し、生を傷るの一類、一切遠離す、此のごとくすれば能く通じ、以て此の六害を免る可し。今醫家通明腎氣の丸、內補五絡の散、骨填枸杞の煎、黃蓍建中の湯、將に服する人、皆肥壯を致す。漆葉・青蓁、凡そ弊陋の草、樊阿之を服し、壽二百歲を得、而も耳目聰明、還た能く鍼を以て病を治す、此れ近代の實事、良史の記注する所。
又云,有吳普者,從華陀受五禽之戲,以代導引,猶得百餘歲。此皆藥術之至淺,尚能如此,況於用其妙者耶?今語俗人云,理中四順,可以救霍亂,款冬、紫苑,可以治欬逆,萑蘆、貫眾之煞九蟲,當歸、芍藥之止絞痛,秦膠、獨活之除八風,菖蒲、乾姜之止痺溼,菟絲、蓯蓉之補虛乏,甘遂、葶歷之逐痰癖,括樓、黃連之愈消渴,薺苨、甘草之解百毒,蘆如益熱之護眾創,麻黃、大青之主傷寒,俗人猶謂不然也,寧煞生請福,分蓍問祟,不肯信良醫之攻病,反用巫史之紛若,況乎告之以金丹可以度世,芝英可以延年哉?昔留侯張良,吐出奇策,一代無有,智慮所及,非淺近人也,而猶謂不死可得者也,其聰明智用,非皆不逮世人,而曰吾將棄人間之事,以從赤松遊耳,遂修道引,絕谷一年,規輕舉之道,坐呂后逼蹴,從求安太子之計,良不得已,為畫致四皓之策,果如其言,呂后德之,而逼令強食之,故令其道不成耳。按孔安國秘記云,良得黃石公不死之法,不但兵法而已。又云,良本師四皓,甪里先生綺裡季之徒,皆仙人也,良悉從受其神方,雖為呂后所強飲食,尋復修行仙道,密自度世,但世人不知,故云其死耳。如孔安國之言,則良為得仙也。又漢丞相張蒼,偶得小術,吮婦人乳汁,得一百八十歲,此蓋道之薄者,而蒼為之,猶得中壽之三倍,況於備術,行諸秘妙,何為不得長生乎?此事見於漢書,非空言也。
(他接續して曰く)又曰く、吳普有り、華佗より五禽之戲を受け、以て導引に代替し、還た百餘歲を得。此ら皆是れ藥術の裏至淺、尚ほ能く此のごとし、何況彼の精妙を以てするをや。今俗人に告げて曰く、理中・四順、以て霍亂を救う可し、款冬・紫菀、以て咳逆を治す可し、萑蘆・貫衆九蟲を殺し、當歸・芍藥絞痛を止め、秦艽・獨活八風を除き、菖蒲・乾薑痹濕を止め、菟絲・苁蓉虛乏を補い、甘遂・葶藶痰癖を逐い、栝樓・黃連消渴を愈し、薺苨・甘草百毒を解き、蘆茹熱を益し衆創を護り、麻黃・大青傷寒を主る、俗人尚ほ此のごとくならずと曰い、寧ろ生を殺して福を請い、蓍草を分かちて作祟するを問い、肯んじて良醫の病を攻るを信ぜず、反りて巫史を紛紛然として用う、何況彼らに告げん金丹以て世を度る可し、芝英以て年を延す可しとや。昔留侯張良、奇策を吐出し、一代無し、智慮の及ぶ所、是れ淺近の人に非ず、尚ほ不死得る可しと曰い、其の聰明智用、竝びに皆世人に趕不上に非ず、卻りて我將に人間の事を拋棄して、赤松に從い游ばんとすと曰い、於是導引を修め、一年絕穀し、輕擧の道を謀求し、呂后逼迫催促に因り、彼に向かい太子を安定するの計を求め、良已むを得ず、彼女に替わり四皓を招致するの策を謀劃し、果然其の言のごとく、呂后彼を感激し、逼りて彼をして强く食せしむ、故に其の道をして成らざらしむのみ。孔安國祕記に按ずるに曰く、良黃石公の不死の法を得、不只兵法のみ。又曰く、良の本師是れ四皓、甪里先生・綺里季の徒、皆是れ仙人、良皆彼らに從い神方を受け、雖も呂后に强く飲食せしめられ、隨に又仙道を修行し、祕密に自ら世を度る、只だ世人知らず、故に彼死せりと曰うのみ。孔安國の言のごとくならば、則ち良是れ仙を得たり。又漢丞相張蒼、偶然小術を得、婦人の乳汁を吮い、一百八十歲を得、此れ蓋し道の裏薄き、蒼之を做して、尚ほ中壽の三倍を得、何況術を備齊し、諸種の祕妙を實行せば、何を以て長生を得ざらん。此の事《漢書》に見ゆ、是れ空言に非ず。
抱朴子曰:服藥雖為長生之本,若能兼行氣者,其益甚速,若不能得藥,但行氣而盡其理者,亦得數百歲。然又宜知房中之術,所以爾者,不知陰陽之術,屢為勞損,則行氣難得力也。夫人在氣中,氣在人中,自天地至於萬物,無不須氣以生者也。善行氣者,內以養身,外以卻惡,然百姓日用而不知焉。吳越有禁祝之法,甚有明驗,多炁耳。知之者可以入大疫之中,與病人同床而己不染。又以群從行數十人,皆使無所畏,此是炁可以禳天災也。或有邪魅山精,侵犯人家,以瓦石擲人,以火燒人屋舍。或形見往來,或但聞其聲音言語,而善禁者以炁禁之,皆即絕,此是炁可以禁鬼神也。入山林多溪毒蝮蛇之地,凡人暫經過,無不中傷,而善禁者以炁禁之,能闢方數十里上,伴侶皆使無為害者。又能禁虎豹及蛇蜂,皆悉令伏不能起。以炁禁金瘡,血即登止。又能續骨連筋。以炁禁白刃,則可蹈之不傷,刺之不入。若人為蛇虺所中,以炁禁之則立愈。近世左慈趙明等,以炁禁水,水為之逆流一二丈。又於茅屋上然火,煮食食之,而茅屋不焦。又以大釘釘柱,入七八寸,以炁吹之,釘即湧射而出。又以炁禁沸湯,以百許錢投中,令一人手探摝取錢,而手不灼爛。又禁水著中庭露之,大寒不冰。又能禁一里中炊者盡不得蒸熟。又禁犬令不得吠。昔吳遣賀將軍討山賊,賊中有善禁者,每當交戰,官軍刀劍皆不得拔,弓弩射矢皆還向,輒致不利。賀將軍長智有才思,乃曰,吾聞金有刃者可禁,蟲有毒者可禁,其無刃之物,無毒之蟲,則不可禁,彼能禁吾兵者,必不能禁無刃物矣。乃多作勁木白棒,選異力精卒五千人為先登,盡捉棓彼山賊,賊恃其善禁者,了不能備,於是官軍以白棒擊之,大破彼賊,禁者果不復行,所打煞者,乃有萬計。夫炁出於形,用之其效至此,何疑不可絕谷治病,延年養性乎?
抱朴子曰く、藥を服するは長生の本なるといえども、若し能く行氣を兼ねば、益處甚だ快し、若し藥を得る能わざれば、只だ行氣して彼の理を窮盡する者も、亦能く數百歲を得。然れども又當に房中の術を知るべし、所以此のごときは、以て陰陽の術を知らざれば、屢々勞損し、行氣則ち力を得難し。人氣の中に在り、氣人の中に在り、天地より萬物に至るまで、氣を須ちて生ぜざる無し。行氣に善き者、內以て身を養い、外以て惡を卻く、然れども百姓日用して知らず。吳越禁祝の法有り、甚だ明驗有り、多く炁に在るのみ。知る者以て大疫の中に入り、病人與同床して自ら染せず。又隨從を帶びて數十人を行かしめ、皆彼らをして畏るる無からしむ、此れ炁以て天災を禳る可し。或は邪魅山精有り、人家を侵犯し、瓦石を以て人を擲り、火を以て人の屋舍を燒く。或は形を現出して往來し、或は只だ聲音言語を聞く、而も禁に善き者炁を以て禁ずれば、皆立刻斷絕す、此れ炁以て鬼神を禁ず可し。山林溪毒蝮蛇多きの地に入る、凡人暫く經過すれば、中傷せざる無し、而も禁に善き者炁を以て禁ずれば、能く方圓數十里以上を辟開し、伴侣皆彼らをして害せられざらしむ。又能く虎豹及び蛇蜂を禁じ、皆彼らをして伏して起つ能わざらしむ。炁を以て金瘡を禁ずれば、血立刻止む。又能く骨を續ぎ筋を連ぬ。炁を以て白刃を禁ずれば、則ち以て踏みて傷らず、刺して入らず。若し人蛇虺に中られば、炁を以て禁ずれば則ち立刻愈ゆ。近世左慈・趙明等、炁を以て水を禁じ、水因此一二丈逆流す。又茅屋上に火を點け、食物を煮て以て喫し、而も茅屋焦げず。又大釘を取りて柱を釘り、七八寸入り、炁を以て吹けば、釘則ち涌射して出づ。又炁を以て沸湯を禁じ、百來の錢を取りて投進し、一人をして手を伸ばし錢を探取せしむるに、而も手灼爛せず。又水を禁じて中庭に放ちて露せば、大寒冰を結ばず。又能く一里中飯を炊く者をして皆蒸し熟さざらしむ。又狗を禁じて彼をして吠ゆるを得ざらしむ。昔吳賀將軍を派遣して山賊を討たしめ、賊中禁に善き者有り、每に交戰すれば、官軍刀劍皆拔出を得ず、弓弩の射出す矢皆回向し、往往にして利ならず。賀將軍智慮長く、才思有り、則ち曰く、我聞く金刃有るは禁ず可し、蟲毒有るは禁ず可し、彼ら刃無きの物、毒無きの蟲、則ち禁ず可からず、彼能く我が兵を禁ずれば、必ず能く刃無きの物を禁ぜざらんと。於是多く堅硬の木白棒を作り、異力精卒五千人を選びて先登と為し、皆棒を以て彼らの山賊を打ち、賊禁に善き者を依仗し、完全に防備する能わず、於是官軍白棒を以て擊打し、大いに彼らの賊を破り、禁の者果然不再行得通、打殺する所、竟に萬計有り。炁形より出づ、之を以て效驗此の地步に至る、何必疑う可からざる絕穀病を治し、年を延し性を養うをや。
仲長公理者,才達之士也,著昌言,亦論“行炁可以不飢不病,雲吾始者未之信也,至於為之者,盡乃然矣。養性之方,若此至約,而吾未之能也,豈不以心馳於世務,思銳於人事哉?他人之不能者,又必與吾同此疾也。昔有明師,知不死之道者,燕君使人學之,不捷而師死。燕君怒其使者,將加誅焉。諫者曰,夫所憂者莫過乎死,所重者莫急乎生,彼自喪其生,亦安能令吾君不死也。君乃不誅。其諫辭則此為良說矣。使彼有不死之方,若吾所聞行炁之法,則彼說師之死者,未必不知道也,直不能棄世事而為之,故雖知之而無益耳,非無不死之法者也。”又云:“河南密縣,有卜成者,學道經久,乃與家人辭去,其始步稍高,遂入雲中不復見。此所謂舉形輕飛,白日昇天,仙之上者也。”陳元方韓元長,皆潁川之高士也,與密相近,二君所以信天下之有仙者,蓋各以其父祖及見卜成者成仙昇天故耳,此則又有仙之一證也。
仲長公理、是れ才達の士、《昌言》を著し、亦論じて及ぶ「行炁以て飢えず病まざる可し、我が初め信ぜざると說き、做する人に至りて、全く皆此のごとし。性を養うの方、此のごとき至簡至約、而も我未だ做到能わず、豈に心世務に馳し、思慮人事に銳きに因らずや。他人能わざるの、又必ず我與此の病に同じ。昔明師有り、不死の道を知り、燕君人を遣わして學ばしめ、趕上せずして師死す。燕君彼の使者を怒り、將に誅を加えんとす。諫むる人曰く、憂ふる所死に過ぎる無く、重んずる所生より急なる無し、彼自ら生を喪い、又焉んぞ能く吾が君をして死せざらしめん。君於是誅せず。彼の諫辭此を以て良說と為す。假令彼不死の方有らば、我が聞く所の行炁の法のごとく、則ち彼の師死せりと說く、未だ必ずしも道を知らざるに非ず、只だ能く世事を拋棄して做る能わざる、故に知るといえども益無きのみ、竝びに不死の法無きに非ず」と。又曰く「河南密縣、卜成有り、學道甚だ久し、纔かに家人與辭去し、起初步子稍高く、於是雲中に入りて再び見えず。此れ則ち謂う所の擧形輕飛、白日升天、仙の裏上等」。陳元方・韓元長、皆是れ潁川の高士、密縣與相近し、二君天下有仙を信ずる所以、蓋し各々彼らの父祖親ら卜成の成仙升天を見るに因るのみ、此れ又有仙の一證。
卷六·微旨
卷六・微旨
抱朴子曰:“餘聞歸同契合者,則不言而信著;途殊別務者,雖忠告而見疑。夫尋常咫尺之近理,人間取捨之細事,沈浮過於金羽,皂白分於粉墨,而抱惑之士,猶多不辨焉,豈況說之以世道之外,示之以至微之旨,大而笑之,其來久矣,豈獨今哉?夫明之所及,雖玄陰幽夜之地,豪釐芒發之物,不以為難見。苟所不逮者,雖日月麗天之照灼,嵩岱幹雲之峻峭,猶不能察焉。黃老玄聖,深識獨見,開秘文於名山,受仙經於神人,蹶埃塵以遣累,凌大遐以高躋,金石不能與之齊堅,龜鶴不足與之等壽,念有志於將來,愍信者之無文,垂以方法,炳然著明,小修則小得,大為則大驗。然而淺見之徒,區區所守,甘於荼蓼而不識臺蜜,酣於醨酪而不賞醇醪。知好生而不知有養生之道,知畏死而不信有不死之法,知飲食過度之畜疾病,而不能節肥甘於其口也。知極情恣欲之致枯損,而不知割懷於所欲也。餘雖言神仙之可得,安能令其信乎?”
抱朴子曰く「我聞く歸向相同、機緣契合するは、則ち言わずして信著し。路途同じからず、事務別有るは、雖も忠告亦疑わる。尋常咫尺の近理、人間取捨の細事、沈浮金與羽を超過し、皂白粉與墨に分辨し、而も疑惑を抱くの士、還た多く辨ぜざる有り、何況世道の外を以て彼に說き、至微の旨を以て彼に示さんや、大と覺えて之を笑話する、由來已久し、豈に獨り今天ならんや。明の及ぶ所、即使玄陰幽夜の地、毫釐芒髮の物、難見と爲さず。如果及ばざる所、即使日月天上に附著の照灼、嵩山岱嶽雲霄に上衝の峻峭、還た察する能わず。黃老玄聖、深識獨見、名山に祕文を打開し、神人より仙經を受け、埃塵を踢開して負累を遣除し、大遠を凌越して高昇し、金石彼ら與堅を齊しう能わず、龜鶴彼ら與壽を等しうするに足らず、將來有志の人を念及し、信者文無きを憐憫し、方法を垂下し、炳然として著明、小さく修めれば小さく得、大きく做れば大きく驗す。然れども淺見の徒、區區として己を守り、荼蓼に甘んじて臺蜜を識らず、薄酪に酣りて醇醪を賞せず。好生を知りて養生の道有るを知らず、死を怕るるを知りて不死の法有るを信ぜず、飲食過度疾病を蓄積するを知りて、卻りて能く口上に肥甘を節制せず。極情恣欲枯損を致すを知りて、卻りて所欲上に胸懷を割捨するを知らず。我雖も神仙得る可しと說く、又怎んぞ能く彼をして信ぜしめん」と。
或人難曰:“子體無參午達理,奇毛通骨,年非安期彭祖多歷之壽,目不接見神仙,耳不獨聞異說,何以知長生之可獲,養性之有徵哉?若覺玄妙於心得,運逸鑑於獨見,所未敢許也。夫衣無蔽膚之具,資無謀夕之儲,而高談陶朱之術,自同猗頓之策,取譏論者,其理必也。抱痼疾而言精和鵲之技,屢奔北而稱究孫吳之算,人不信者,以無效也。”餘答曰:“夫寸鮹泛跡濫水之中,則謂天下無四海之廣也。芒蠍宛轉果核之內,則謂八極之界盡於茲也。雖告之以無涯之浩汗,語之以宇宙之恢闊,以為空言,必不肯信也。若令吾眼有方瞳,耳長出頂,亦將控飛龍而駕慶云,凌流電而造倒景,子又將安得而詰我。設令見我,又將呼為天神地祇異類之人,豈謂我為學之所致哉?姑聊以先覺挽引同志,豈強令吾子之徒,皆信之哉?若令家戶有仙人,屬目比肩,吾子雖蔽,亦將不疑。但彼人之道成,則蹈青霄而遊紫極,自非通靈,莫之見聞,吾子必為無耳。世人信其臆斷,仗其短見,自謂所度,事無差錯,習乎所致,怪乎所希,提耳指掌,終於不悟,其來尚矣,豈獨今哉?”
有人詰難して曰く「您身に縱橫通達の紋理無く、奇毛通骨無く、年歲安期・彭祖のごとき經歷許多の壽に非ず、眼睛神仙を接觸見ず、耳朵獨り異說を聞かず、何を憑じて長生獲得可し、養性徵驗有りと知るや。若し心得上に玄妙を覺悟し、獨見上に逸鑑を運轉すと說かば、是れ我が敢て許さざる所。衣服蔽膚の具備無く、資財晚上を謀るの儲蓄無く、卻りて陶朱の術を高談し、猗頓の策に自比し、議論する人に譏笑せらる、彼の理是れ必然なり。痼疾を抱いて卻りて醫和・扁鵲の技に精しと說き、屢々敗逃して卻りて孫吳の算を窮究すと稱す、人信ぜず、是れ以て效無きを爲す」と。我回答えて曰く「寸把長の魚淺水痕跡中に浮游すれば、則ち天下四海の廣無しと說く。小蝎果核裏に宛轉すれば、則ち八極の邊界盡く此に在りと說く。即使彼に無涯の浩汗を告げ、彼に宇宙の恢闊を說くも、亦以て空言と爲し、必ず肯んじて信ぜざらん。若し我が眼睛方瞳有り、耳朵頭頂より長出せしめば、亦將に飛龍を控えて慶雲を駕し、流電を凌越して倒景に去到らん、您又將に何處より我を詰問せん。假使我を見れば、又將に天神地祇異類の人と叫作せん、豈に我を學の致す所と說かんや。姑且先覺を以て同志を挽引す、豈に强いて您のごとき人をして皆信ぜしめんや。若し家家戶戶をして仙人有らしめば、目光相接、比肩して立ち、您雖も蔽塞、亦將に疑わざらん。只だ彼の人道成れば、則ち靑霄を踏みて紫極に游ぶ、若し通靈に非ざれば、聞見する無し、您必ず以て無しと爲すのみ。世人己の臆斷を信じ、短見を仗り、自ら以て度量する所、事差錯無し、招致する所に習い、稀有する所を怪しみ、耳を提げ手掌を指し、終に悟らず、由來已久し、豈に獨り今天ならんや」と。
或曰:“屢承嘉談,足以不疑於有仙矣,但更自嫌於不能為耳。敢問更有要道,可得單行者否?”抱朴子曰:“凡學道當階淺以涉深,由易以及難,志誠堅果,無所不濟,疑則無功,非一事也。夫根荄不洞地,而求柯條幹云,淵源不泓窈,而求湯流萬里者,未之有也。是故非積善陰德,不足以感神明;非誠心款契,不足以結師友;非功勞不足以論大試;又未遇明師而求要道,未可得也。九丹金液,最是仙主。然事大費重,不可卒辦也。寶精愛炁,最其急也,並將服小藥以延年命,學近術以辟邪惡,乃可漸階精微矣。”
有人曰く「屢々嘉談を承蒙し、足以て有仙を疑わず、只だ更に己の做る能わざるを嫌うのみ。敢問還た要道有り、單獨實行を得る可きか」と。抱朴子曰く「凡そ道を學ぶに當に淺處より階を登りて深に涉り、易によりて難に及び、志誠堅果なれば、濟らざる無し、疑えば則ち功無し、不是一事。根荄地を洞穿せず、卻りて枝條雲霄に上衝するを求め、淵源泓深窈遠ならず、卻りて熱湯萬里流淌するを求むるは、此の事無し。故に積善陰德に非ざれば、足以て神明を感ずるに足らず。誠心款契に非ざれば、足以て師友を結ぶに足らず。功勞に非ざれば、足以て大試を論ずるに足らず。又未だ明師に遇上せずして要道を求むれば、未だ得る可からず。九丹金液、最是れ仙の主腦。然れども事大にして費重し、倉促辦成す可からず。精を寶愛し、炁を愛惜する、最是れ急、并且將に小藥を服して年命を延長し、近術を學びて邪惡を辟開し、纔かに以て漸漸精微に登上す可し」と。
或曰:“方術繁多,誠難精備,除置金丹,其餘可修,何者為善?”抱朴子曰:“若未得其至要之大者,則其小者不可不廣知也。蓋藉眾術之共成長生也。大而諭之,猶世主之治國焉,文武禮律,無一不可也。小而諭之,猶工匠之為車焉,轅罔軸轄,莫或應虧也。所為術者,內修形神,使延年愈疾,外攘邪惡,使禍害不幹,比之琴瑟,不可以孑弦求五音也,方之甲冑,不可以一札待鋒刃也。何者,五音合用不可闕,而鋒刃所集不可少也。凡養生者,欲令多聞而體要,博見而善擇,偏修一事,不足必賴也。又患好事之徒,各仗其所長,知玄素之術者,則曰唯房中之術,可以度世矣;明吐納之道者,則曰唯行氣可以延年矣;知屈伸之法者,則曰唯導引可以難老矣;知草木之方者,則曰唯藥餌可以無窮矣;學道之不成就,由乎偏枯之若此也。淺見之家,偶知一事,便言已足,而不識真者,雖得善方,猶更求無已,以消工棄日,而所施用,意無一定,此皆兩有所失者也。或本性戇鈍,所知殊尚淺近,便強入名山,履冒毒螫,屢被中傷,恥復求還。或為虎狼所食,或為魍魎所殺,或餓而無絕谷之方,寒而無自溫之法,死於崖谷,不亦愚哉?夫務學不如擇師,師所聞素狹,又不盡情以教之,因告云,為道不在多也。夫為道不在多,自為已有金丹至要,可不用餘耳。然此事知之者甚希,寧可虛待不必之大事,而不修交益之小術乎?譬猶作家,雲不事用他物者,蓋謂有金銀珠玉,在乎掌握懷抱之中,足以供累世之費者耳。苟其無此,何可不廣播百穀,多儲果疏乎?是以斷谷闢兵,厭劾鬼魅,禁御百毒,治救眾疾,入山則使猛獸不犯,涉水則令蛟龍不害,經瘟疫則不畏,遇急難則隱形,此皆小事,而不可不知,況過此者,何可不聞乎?”
有人曰く「方術繁多、實に精備し難し、金丹を除開し放下して、其餘修む可き、哪れか善と爲す」と。抱朴子曰く「若し未だ至要の大を得ざれば、則ち小は廣知せざる可からず。是れ衆術を借りて共同長生を成就せんとす。大處に往って喻すれば、譬へば世主國家を治する、文武禮律、一樣として無かる可き無し。小處に往って喻すれば、譬へば工匠車を造る、轅・罔・軸・轄、一樣として虧缺當き無し。謂う所の術、內に形神を修め、年を延し疾を愈さしめ、外に邪惡を攘い、禍害をして來り干擾せざらしむ、琴瑟に比すれば、單弦を以て五音を求む可からず、甲胄に比すれば、一片甲札を以て鋒刃を擋ぐ可からず。何を爲す、五音合用缺く可からず、鋒刃集中する所少なかる可からざればなり。凡そ養生の人、彼をして多聞にして要領を體察し、博見にして選擇に善からしめんとす、偏に一事を修めば、必然依賴するに足らず。又好事の徒を怕る、各々長所を仗り、玄素の術を知るは、則ち只だ房中の術以て世を度る可しと說き。吐納の道を明白するは、則ち只だ行氣以て年を延す可しと說き。屈伸の法を知るは、則ち只だ導引以て老い難しと說き。草木の方を知るは、則ち只だ藥餌以て無窮可しと說く。道を學ぶの成就不せず、偏枯此のごときに由る。淺見の家、偶然一事を知れば、便ち已に足ると說き、而も眞を識らざる人、雖も善方を得、還た更に求めて停まらず、以て功夫を消磨し時日を拋棄し、而も施用する所、意見一定無し、此ら皆是れ兩頭失有る所。或は本性戇鈍、知る所特に還た淺近、便ち强りて名山に入り、毒螫を踩冒し、屢々中傷せられ、再び求めて回來るを恥とす。或は虎狼に食われ、或は魍魎に殺され、或は餓えて絕穀の方無く、寒くして自溫の法無く、崖谷に死す、亦愚ならずや。學を務むるは師を擇ぶに如かず、師の聞見する所素より狹窄、又情を盡くして彼を教えず、於是告げて曰く、道を爲すは多に在らずと。道を爲すは多に在らず、自然是れ因りて已に金丹至要有り、以て其餘を用いず可きのみ。然れども此の事知る人少なし、寧ろ空く彼の一成る能く定ならざるの大事を等待して、而も互相補益の小術を修めざらんか。譬へば家を治する、他物を用いずと說くは、是れ金銀珠玉有り、掌握懷抱の中に在り、足以て累世の費用を供するのみを說く。若し此ら無からば、怎んぞ廣く百穀を播種し、多く果蓏を儲藏せざる可けんや。故に穀を斷ち兵を辟き、鬼魅を厭劾し、百毒を禁御し、衆疾を治救し、山に入れば則ち猛獸をして犯さざらしめ、水に涉れば則ち蛟龍をして害せざらしめ、瘟疫を經過すれば則ち畏れず、急難に遇うれば則ち形を隱す、此ら皆是れ小事、而も知らざる可からず、何況此らを超過するを、怎んぞ聞見せざる可けんや」と。
或曰:“敢問欲修長生之道,何所禁忌?”抱朴子曰:“禁忌之至急,在不傷不損而已。按易內戒及赤松子經及河圖記命符皆云,天地有司過之神,隨人所犯輕重,以奪其算,算減則人貧耗疾病,屢逢憂患,算盡則人死,諸應奪算者有數百事,不可具論。又言身中有三尸,三尸之為物,雖無形而實魂靈鬼神之屬也。欲使人早死,此屍當得作鬼,自放縱遊行,享人祭酹。是以每到庚申之日,輒上天白司命,道人所為過失。又月晦之夜,灶神亦上天白人罪狀。大者奪紀。紀者,三百日也。小者奪算。算者,三日也。吾亦未能審此事之有無也。然天道邈遠,鬼神難明。趙簡子秦穆公皆親受金策於上帝,有土地之明徵。山川草木,井灶洿池,猶皆有精氣;人身之中,亦有魂魄;況天地為物之至大者,於理當有精神,有精神則宜賞善而罰惡,但其體大而網疏,不必機發而響應耳。然覽諸道戒,無不雲欲求長生者,必欲積善立功,慈心於物,恕己及人,仁逮昆蟲,樂人之吉,愍人之苦,周人之急,救人之窮,手不傷生,口不勸禍,見人之得如己之得,見人之失如己之失,不自貴,不自譽,不嫉妒勝己,不佞諂陰賊,如此乃為有德,受福於天,所作必成,求仙可冀也。
有人曰く「敢問長生の道を修めんと欲す、何の禁忌有る」と。抱朴子曰く「禁忌の裏最急なるは、傷らず損せざるに在るのみ。《易內戒》及び《赤松子經》及び《河圖記命符》に按ずるに皆曰く、天地司過の神有り、人の犯す所輕重に隨い、以て其の算を奪う、算減れば則ち人貧耗疾病し、屢々憂患に逢い、算盡くれば則ち人死す、諸種算を奪う當きは數百事有り、一一論列す可からず。又身中三尸有りと曰く、三尸此の物、雖も無形而も實に是れ魂靈鬼神の一類。人をして早死せしめんと欲し、此の尸當に鬼と作るを得、自ら放縱游行し、人の祭酹を享受す。故に庚申の日に至る每に、則ち上天し司命に稟告し、人の做する所の過失を說く。又月晦の夜、竈神亦上天し人の罪狀を稟告す。大なるは紀を奪う。紀は、是れ三百日。小なるは算を奪う。算は、是れ三日。我亦未だ此の事の有無を審定する能わず。然れども天道邈遠、鬼神明らかに難し。趙簡子・秦穆公皆親ら上帝より金策を受け、土地有るの明徵有り。山川草木、井竈污池、尚ほ皆精氣有り。人身の中、亦魂魄有り。何況天地是れ物の裏至大、理に按りて當に精神有るべし、精神有れば則ち當に善を賞し惡を罰すべし、只だ其れ體大にして網疏、必ず弩機觸發のごとく響應せざるのみ。然れども諸の道戒を覽るに、求めて長生せんと欲するを說かざる無し、必ず善を積み功を立て、物に慈心し、己を恕み人に及ぼし、仁昆虫に施し、人の吉を樂しみ、人の苦を憫み、人の急を周し、人の窮を救い、手生を傷らず、口禍を勸めず、人の得有るを見れば己の得有るがごとく、人の失有るを見れば己の失有るがごとく、自ら貴ばず、自ら譽れず、己に勝るを嫉妬せず、佞諂陰賊せず、此のごとく纔かに是れ德有り、天より福を受け、作る所必ず成り、仙を求む以て期望す可し。
若乃憎善好殺,口是心非,背向異辭,反戾直正,虐害其下,欺罔其上,叛其所事,受恩不感,弄法受賂,縱曲枉直,廢公為私,刑加無辜,破人之家,收人之寶,害人之身,取人之位,侵克賢者,誅戮降伏,謗訕仙聖,傷殘道士,彈射飛鳥,刳胎破卵,春夏燎獵,罵詈神靈,教人為惡,蔽人之善,危人自安,佻人自功,壞人佳事,奪人所愛,離人骨肉,辱人求勝,取人長錢,還人短陌,決放水火,以術害人,迫脅尪弱,以惡易好,強取強求,擄掠致富,不公不平,淫佚傾邪,凌孤暴寡,拾遺取施,欺紿誑詐,好說人私,持人短長,牽天援地,咒詛求直,假借不還,換貸不償,求欲無已,憎拒忠信,不順上命,不敬所師,笑人作善,敗人苗稼,損人器物,以窮人用,以不清潔飲飼他人,輕秤小鬥,狹幅短度,以偽雜真,採取奸利,誘人取物,越井跨灶,晦歌朔哭。凡有一事,輒是一罪,隨事輕重,司命奪其算紀,算盡則死。但有噁心而無惡跡者奪算,若惡事而損於人者奪紀,若算紀未盡而自死者,皆殃及子孫也。諸橫奪人財物者,或計其妻子家口以當填之,以致死喪,但不即至耳。其惡行若不足以煞其家人者,久久終遭水火劫盜,及遺失器物,或遇縣官疾病,自營醫藥,烹牲祭祀所用之費,要當令足以盡其所取之直也。故道家言枉煞人者,是以兵刃而更相殺。其取非義之財,不避怨恨,譬若以漏脯救飢,鴆酒解渴,非不暫飽而死亦及之矣。其有曾行諸惡事,後自改悔者,若曾枉煞人,則當思救濟應死之人以解之。若妄取人財物,則當思施與貧困以解之。若以罪加人,則當思薦達賢人以解之。皆一倍於所為,則可便受吉利,轉禍為福之道也。能盡不犯之,則必延年益壽,學道速成也。夫天高而聽卑,物無不鑑,行善不怠,必得吉報。羊公積德佈施,詣乎皓首,乃受天墜之金。蔡順至孝,感神應之。
(抱朴子接續して曰く)善を憎み殺を好み、口是れ心非、背地當面言辭同じからず、正直に乖戾し、己の下屬を虐害し、己の上司を欺罔し、事奉する所を背叛し、恩を受けて感激せず、法を弄して賂を受け、彎曲を放縱し、正直を冤枉し、公を廢して私と爲し、刑罰無辜に加え、人の家を破り、人物の寶を收め、人の身を害し、人の位を取り、賢者を侵克し、已に降伏するを誅戮し、仙聖を謗訕し、道士を傷殘し、飛鳥を彈射し、胎を剖き卵を破り、春夏火を放ちて獵し、神靈を罵詈し、人を教えて惡を爲さしめ、人の善を遮蔽し、人を危うくして自ら安んじ、人の功を偷取して己のと作り、人の佳事を壞り、人の愛する所を奪い、人の骨肉を離し、人を辱めて勝を求め、人の長錢を取り、人に短陌を還し、水火を決放し、術を以て人を害し、瘦弱を迫脅し、惡を以て好を換え、强取强求し、掳掠して富を致し、不公不平、淫佚傾邪、孤寡を欺凌し、遺を拾い施を取り、欺紿誑詐し、人の私を說くを好み、人の短長を持ち、天を牽き地を援き、咒詛して直を求め、假借して還さず、換貸して償わず、求欲止まる無く、忠信を憎拒し、上命に順わず、師とする所を敬わず、人の善を作るを笑い、人の苗稼を敗り、人の器物を損し、人をして用に窮せしめ、不清潔のを以て他人に飲飼し、秤を輕く斗を小さく、幅を狹く度を短く、僞を以て眞に雜え、姦利を采取し、人を誘い物を取り、井竈を跨越し、晦日歌を唱い、朔日哭泣す。凡そ一事有れば、則ち一罪、事の輕重に隨い、司命其の算紀を奪う、算盡くれば則ち死す。惡心有りて惡跡無きの算を奪う、若し惡事にして人に損するの紀を奪う、若し算紀未だ盡きずして自ら死するは、皆子孫に殃及す。諸種橫に人の財物を奪うは、或は其の妻子家口を計算して以て抵填し、死喪を致すに至る、只だ立刻至らざるのみ。其の惡行若し其の家人を殺すに足らざれば、久久終に水火劫盜に遭遇し、及び器物を遺失し、或は縣官疾病に遇上し、自ら醫藥を經營し、牲を烹り祭祀するの費を用い、總て之をして其の取る所の價值を盡くすに足らしむ。故に道家曰く枉に人を殺すは、是れ兵刃を以て更に相殺す。彼義ならざるの財を取り、怨恨を避けず、譬へば漏脯を以て饑を救い、鴆酒以て渇を解するがごとく、暫く飽きざるに非ざるとて死亡亦跟隨して到る。曾て諸種の惡事を做して後來自ら改悔する有れば、若し曾て枉に人を殺せば、則ち當に死るべき人を救濟して以て之を解くべし。若し妄りに人の財物を取れば、則ち當に貧困に施與して以て之を解くべし。若し罪を人に加えれば、則ち當に賢人を薦達して以て之を解くべし。皆做する所より加倍すれば、則ち以て便ち吉利を受く可し、此れ禍を轉じて福と爲すの道。能く全部犯さざれば、則ち必ず年を延し壽を益し、道を學ぶ速やかに成る。天高くして聽くこと低下し、物鑑察せざる無し、善を行いて怠らざれば、必ず吉報を得。羊公德を積累し、布施を實行し、皓首に至るまで、纔かに天上墜下の金を受く。蔡順至孝、神を感動して應を來さしむ。
郭巨煞子為親,而獲鐵券之重賜。然善事難為,惡事易作,而愚人復以項託伯牛輩,謂天地之不能辨臧否,而不知彼有外名者,未必有內行,有陽譽者不能解陰罪,若以薺麥之生死,而疑陰陽之大氣,亦不足以致遠也。蓋上士所以密勿而僅免,凡庸所以不得其欲矣。”
(抱朴子接續して曰く)郭巨子を殺して親の爲にして、而も鐵券の重賜を獲たり。然れども善事作り難く、惡事作り易し、而も愚人又項橐・伯牛の一輩を以て、天地善惡を辨ずる能わずと說く、卻りて彼ら外名有るは、未だ必ずしも內行有らず、表面上聲譽有るは暗中の罪を解開する能わざるを知らず、若し薺麥の生死に因りて、而も陰陽の大氣を疑えば、亦以て遠を致すに足らず。故に上士勤勉して僅かに過を免るる所以、凡庸其の欲する所を得ざる所以なり」と。
或曰:“道德未成,又未得絕跡名山,而世不同古,盜賊甚多,將何以卻朝夕之患,防無妄之災乎?”抱朴子曰:“常以執日,取六癸上土,以和百葉燻草,以泥門戶方一尺,則盜賊不來;亦可取市南門土,及歲破土,月建土,合和為人,以著朱鳥地,亦壓盜也。有急則入生地而止,無患也。天下有生地,一州有生地,一郡有生地,一縣有生地,一鄉有生地,一里有生地,一宅有生地,一房有生地。”
有人曰く「道德未だ成らず、又未だ名山に絕跡する能わず、而も世道古に同じからず、盜賊甚だ多し、將に何を以て朝夕の患を卻け、無妄の災を防がん」と。抱朴子曰く「常に執日に在りて、六癸上の土を取り、以て百葉熏草を和し、門户上に一方尺泥れば、盜賊則ち來らず。亦以て市南門の土を取り、及び歲破土・月建土、合和して人形を做り、朱鳥地に放ち、亦盜を鎮壓す。急有れば則ち生地に入りて止まれば、患無し。天下生地有り、一州生地有り、一郡生地有り、一縣生地有り、一鄉生地有り、一里生地有り、一宅生地有り、一房生地有り」と。
或曰:“一房有生地,不亦偪乎?”抱朴子曰:“經云,大急之極,隱於車軾。如此,一車之中,亦有生地,況一房乎?”
有人曰く「一房生地有り、亦逼仄ならずや」と。抱朴子曰く「經曰く、大急極點に至れば、車軾に隱る。此のごとく、一車の中、亦生地有り、何況一房をや」と。
或曰:“竊聞求生之道,當知二山,不審此山,為何所在,願垂告悟,以袪其惑。”抱朴子曰:“有之,非華霍也,非嵩岱也。夫太元之山,難知易求,不天不地,不沈不浮,絕險綿邈,{山罪}嵬崎嶇,和氣絪縕,神意並遊,玉井泓邃,灌溉匪休,百二十官,曹府相由,離坎列位,玄芝萬株,絳樹特生,其寶皆殊,金玉嵯峨,醴泉出隅,還年之士,挹其清流,子能修之,喬松可儔,此一山也。長谷之山,杳杳巍巍,玄氣飄飄,玉液霏霏,金池紫房,在乎其隈,愚人妄往,至皆死歸,有道之士,登之不衰,採服黃精,以致天飛,此二山也。皆古賢之所秘,子精思之。”或曰:“願聞真人守身煉形之術。”抱朴子曰:“深哉問也。夫始青之下月與日,兩半同升合成一。出彼玉池入金室,大如彈丸黃如橘,中有嘉味甘如蜜,子能得之謹勿失。既往不追身將滅,純白之氣至微密,升於幽關三曲折,中丹煌煌獨無匹,立之命門形不卒,淵乎妙矣難致詰。此先師之口訣,知之者不畏萬鬼五兵也。”
有人曰く「私に聞く生を求めるの道、當に二山を知るべし、此の山が何の處に在るかを知らず、願わくは垂れて告げて開悟し、以て疑惑を除去せん」と。抱朴子曰く「此の事有り、華山・霍山に非ず、嵩山・岱嶽に非ず。太元の山、知り難くして求め易し、天に在らず地に在らず、沈まず浮かず、險を絕し綿邈たり、山勢崔嵬崎嶇(底本此の字「山」旁に「罪」を合す)、和氣絪縕、神意一竝に游び、玉井泓深、灌溉止まず、一百二十官、曹府相由り、離坎位を列ね、玄芝萬株、絳樹特に生じ、其の寶皆特殊、金玉嵯峨、醴泉角落より出づ、還年の士、彼の淸流を舀う、你能く之を修めば、以て王喬・赤松與儔を爲す可し、此れ一山。長谷の山、杳杳巍巍、玄氣飄飄、玉液霏霏、金池紫房、其の隈曲に在り、愚人妄りに往き、到れば皆死して回來り、道有る之士、登りて上れば衰えず、黃精を采服し、以て天飛を致す、此れ二山。皆古賢の隱祕する所、汝之を精思せよ」と。有人曰く「願わくは眞人の身を守り形を煉るの術を聞かん」と。抱朴子曰く「此れ問うこと深し。始青の下に月與日有り、兩半同じく升りて合し一と成す。彼の玉池より出でて金室に入る、大きさ彈丸のごとく黃きこと橘のごとく、中に嘉味有り甘きこと蜜のごとし、你能く之を得て謹みて失う勿れ。既往追わず身將に滅せんとす、純白の氣至微至密、升りて幽關に三曲折し、中丹煌煌として獨り匹無し、命門に立ちて形猝亡せず、淵深妙なり難致詰。此れ先師の口訣、知る者萬鬼五兵を怕れず」と。
或曰:“聞房中之事,能盡其道者,可單行致神仙,並可以移災解罪,轉禍為福,居官高遷,商賈倍利,信乎?”抱朴子曰:“此皆巫書妖妄過差之言,由於好事增加潤色,至令失實。或亦奸偽造作虛妄,以欺誑世人,隱藏端緒,以求奉事,招集弟子,以規世利耳。夫陰陽之術,高可以治小疾,次可以免虛耗而已。其理自有極,安能致神仙而卻禍致福乎?人不可以陰陽不交,坐致疾患。若欲縱情恣欲,不能節宣,則伐年命。善其術者,則能卻走馬以補腦,還陰丹以朱腸,採玉液於金池,引三五於華梁,令人老有美色,終其所稟之天年。而俗人聞黃帝以千二百女昇天,便謂黃帝單以此事致長生,而不知黃帝於荊山之下,鼎湖之上,飛九丹成,乃乘龍登天也。黃帝自可有千二百女耳,而非單行之所由也。凡服藥千種,三牲之養,而不知房中之術,亦無所益也。是以古人恐人輕恣情性,故美為之說,亦不可盡信也。玄素諭之水火,水火煞人,而又生人,在於能用與不能耳。大都知其要法,御女多多益善,如不知其道而用之,一兩人足以速死耳。彭祖之法,最其要者。其他經多煩勞難行,而其為益不必如其書。人少有能為之者。口訣亦有數千言耳。不知之者,雖服百藥,猶不能得長生也。”
有人曰く「聞く房中の事、能く彼の道を盡くすは、以て單獨實行して神仙を致す可し、并且以て災を移し罪を解き、禍を轉じて福と爲し、官を居りて高遷し、商賈倍利す、信ず可きか」と。抱朴子曰く「此ら皆是れ巫書妖妄過差の言、好事の人潤色を增加するに由りて、以致失實す。或は亦奸僞造作虛妄、以て世人を欺誑し、端緒を隱藏し、以て奉事を求め、弟子を招集し、以て世利を謀求するのみ。陰陽の術、高くは以て小疾を治し、其次以て虛耗を免るるのみ。其の理自ら極限有り、怎んぞ能く神仙を致して而も禍を卻け福を致さんや。人陰陽交わらざる可からず、坐して疾患を招致す。若し情を縱り欲を恣にせんと欲して、節宣する能わざれば、則ち年命を砍伐す。彼の術に善き者、則ち能く走馬(泄精)を止住して以て腦を補い、陰丹を返還して以て腸を染紅し、金池に玉液を采集し、華梁に三五を引き、人をして老いて尚ほ美色有らしめ、其の禀する所の天年を終えしむ。而も俗人黄帝以て一千二百女升天すと聞き、便ち黄帝單獨此事を憑じて長生を致すと說く、卻りて黄帝荆山の下、鼎湖の上にて、九丹を飛煉して功を成し、纔かに龍に乘りて天に登るを知らず。黄帝自ら以て一千二百女有る可きのみ、而も單獨房中を實行する由る所の路徑に非ず。凡そ藥千種を服し、三牲の奉養するも、而も房中の術を知らざれば、亦益處無し。故に古人怕る人の輕易に情性を放恣するを、因此言を美して說く、亦盡く信ず可からず。玄素之を水火に喻す、水火人を殺し、而又人を生ず、能用と不能に在るのみ。大體彼の要法を知れば、女を御すること多きは愈益し、若し彼の道を知らずして之を用うれば、一兩人以て死を加速するに足るのみ。彭祖の法、是れ其の中最要。其他の經多く煩勞難行、而も其の益處必ずしも書上の說くごとくならず。人少なく能くする有り。口訣亦數千言有るのみ。知らざる者、雖も百藥を服すとも、還た長生を得る能わず」と。
卷七·塞難
卷七・塞難
或曰:“皇穹至神,賦命宜均,何為使喬松凡人受不死之壽,而周孔大聖無久視之祚哉?”抱朴子曰:“命之修短,實由所值,受氣結胎,各有星宿。天道無為,任物自然,無親無疏,無彼無此也。命屬生星,則其人必好仙道。好仙道者,求之亦必得也。命屬死星,則其人亦不信仙道。不信仙道,則亦不自修其事也。所樂善否,判於所稟,移易予奪,非天所能。譬猶金石之消於爐冶,瓦器之甄於陶灶,雖由之以成形,而銅鐵之利鈍,甕罌之邪正,適遇所遭,非復爐灶之事也。”
有人曰く「皇穹至神、賦與するの命當に均勻なるべし、何を以て王喬・赤松與凡人に不死の壽を受けしめ、而も周公・孔子大聖卻りて久視の福祚無きや」と。抱朴子曰く「命の長短、實に遇上する所に由る、氣を受け胎を結び、各々星宿有り。天道無爲、物を任して自然、親無く疏無く、彼無く此無し。命生星に屬すれば、彼の人必ず仙道を好む。仙道を好む者、求めれば亦必ず得。命死星に屬すれば、彼の人亦仙道を信ぜず。仙道を信ぜざれば、亦自ら彼らの事を修めず。樂しむ所の善與不善、禀する所に判たれ、移易予奪、不是天の能くする所。譬へば金石爐冶に消融し、瓦器陶竈に甄陶す、雖も此に由りて形を成すも、而も銅鐵の利鈍、瓮罂の邪正、恰も遭逢する所を遇上する、不再是爐竈の事」と。
或人難曰:“良工所作,皆由其手,天之神明,何所不為,而云人生各有所值,非彼昊蒼所能匠成,愚甚惑焉,未之敢許也。”抱朴子答曰:“渾茫剖判,清濁以陳,或升而動,或降而靜,彼天地猶不知所以然也。萬物感氣,並亦自然,與彼天地,各為一物,但成有先後,體有鉅細耳。有天地之大,故覺萬物之小。有萬物之小,故覺天地之大。且夫腹背雖包圍五臟,而五臟非腹背之所作也。肌膚雖纏裹血氣,而血氣非肌膚之所造也。天地雖含囊萬物,而萬物非天地之所為也。譬猶草木之因山林以萌秀,而山林非有事焉。魚鱉之託水澤以產育,而水澤非有為焉。俗人見天地之大也,以萬物之小也,因曰天地為萬物之父母,萬物為天地之子孫。夫蝨生於我,豈我之所作?故蝨非我不生,而我非蝨之父母,蝨非我之子孫。蠛蠓之育於酰醋,芝檽之產於木石,蛣屈之滋於汙淤,翠蘿之秀於松枝,非彼四物所創匠也,萬物盈乎天地之閒,豈有異乎斯哉?天有日月寒暑,人有瞻視呼吸,以遠況近,以此推彼,人不能自知其體老少痛癢之何故,則彼天亦不能自知其體盈縮災祥之所以;人不能使耳目常聰明,榮衛不輟閡,則天亦不能使日月不薄蝕,四時不失序。由茲論之,大壽之事,果不在天地,仙與不仙,決非所值也。夫生我者父也,娠我者母也,猶不能令我形器必中適,姿容必妖麗,性理必平和,智慧必高遠,多致我氣力,延我年命;而或矬陋尪弱,或且黑且醜,或聾盲頑嚚,或枝離劬蹇,所得非所欲也,所欲非所得也,況乎天地遼闊者哉?父母猶復其遠者也。我自有身,不能使之永壯而不老,常健而不疾,喜怒不失宜,謀慮無悔吝。故授氣流形者父母也,受而有之者我身也,其餘則莫有親密乎此者也,莫有制御乎此者也,二者已不能有損益於我矣,天地亦安得與知之乎?
有人詰難して曰く「良工の作る所、皆其の手を經由し、天の神明、作らざる有らんや、卻りて人生各々值する所有りと說き、彼の昊蒼の能く匠成する所に非ずと、愚下甚だ迷惑し、敢て此を許さず」と。抱朴子回答えて曰く「渾茫剖判し、淸濁陳列し、或は升りて動き、或は降りて靜か、彼の天地自ら亦其の所以然を知らず。萬物氣を感じ、亦一竝に自然、彼の天地與、各々是れ一物、只だ成るに先後有り、體に巨細有るのみ。天地の大有るを以て、故に萬物の小を覺ゆ。萬物の小有るを以て、故に天地の大を覺ゆ。再び說く腹背雖も五臟を包圍す、而も五臟不是腹背の作る所。肌膚雖も血氣を纏裹す、而も血氣不是肌膚の造る所。天地雖も萬物を含囊す、而も萬物不是天地の爲す所。譬へば草木山林に因りて萌秀するも、山林竝びに事を做す無し。魚鱉水澤に托して產育するも、水澤竝びに有爲無し。俗人天地の大を見、萬物の小に因りて、於是天地是れ萬物の父母、萬物是れ天地の子孫と說く。虱我が身に生ず、豈に我が做する所ならんや。故に虱我に非ざれば生ぜず、而も我是不是虱の父母、虱不是我の子孫。蠛蠓酰醋に育ち、芝檽木石に產し、蛣屈污淤に滋し、翠蘿松枝に秀づ、不是彼の四物の創匠する所、萬物天地之閒に盈滿す、豈に此に同じからざる有らんや。天に日月寒暑有り、人に瞻視呼吸有り、遠きを以て近きに比し、此を以て彼を推す、人自ら身體の老少痛痒の緣故を知る能わざれば、則ち彼の天亦自ら身體の盈縮災祥の所以然を知る能わず。人耳目をして常に聰明ならしめる能わず、榮衛停止隔閡せざれば、則ち天亦日月をして薄蝕せざらしめ、四時序を失わざらしむる能わず。此に由りて論ずれば、大壽の事、果然天地に在らず、仙與不仙、決して值する所の星宿の單獨決定に非ず。我を生むは是れ父、我を娠むは是れ母、尚ほ能く我をして形器必ず中適ならしめ、姿容必ず妖麗ならしめ、性理必ず平和ならしめ、智慧必ず高遠ならしめ、多く我に氣力を與え、我が年命を延長せしめず。而も或は矮陋瘦弱、或は又黑又醜、或は聾盲頑嚚、或は肢離勞蹇、得る所不是欲する所、欲する所不是得る所、何況天地遼闊をや。父母尚ほ彼の較遠なるなり。我自ら身有り、能く之をして永く壯にして老いざらしめ、常に健にして病まざらしめ、喜怒宜を失わず、謀慮悔吝無からしめず。故に氣を授け形を流するは是父母、受けて之を有するは是我が身、其餘則ち此より親密なる無く、此より制御する能くする無し、此の二者已に我に對し損益有る能わず、天地又怎んぞ能く參與知らんや」と。
必若人物皆天地所作,則宜皆好而無惡,悉成而無敗,眾生無不遂之類,而項楊無春雕之悲矣!子以天不能使孔孟有度世之祚,益知所稟之有自然,非天地所剖分也。聖之為德,德之至也。天若能以至德與之,而使之所知不全,功業不建,位不霸王,壽不盈百,此非天有為之驗也。聖人之死,非天所殺,則聖人之生,非天所挺也。賢不必壽,愚不必夭,善無近福,惡無近禍,生無定年,死無常分,盛德哲人,秀而不實,竇公庸夫,年幾二百,伯牛廢疾,子夏喪明,盜跖窮兇而白首,莊蹻極惡而黃髮,天之無為,於此明矣。”
(抱朴子接續して曰く)必ず若し人物皆是れ天地の作る所ならば、則ち當に皆好にして惡無く、全く成りて敗無く、衆生不遂の一類無く、項橐・楊烏亦春彫の悲無からん。您天能く孔孟に度世の福祚せざるを以て、更加知る禀する所自然有り、不是天地の剖分する所。聖德と作るは、是れ德の極至。天若能く至德を彼に與へ、卻りて彼をして知る所全からず、功業建たず、位霸王に非ず、壽百に滿たざらしめば、此れ不是天有爲の應驗。聖人の死、不是天の殺す所、則ち聖人の生、亦不是天の挺拔する所。賢必ずしも壽ならず、愚必ずしも夭ならず、善近福無く、惡近禍無く、生定年無く、死常分無し、盛德哲人、秀でて實らず、竇公是れ庸夫、年近く二百、伯牛廢疾、子夏光明を喪失し、盜跖窮凶にして白首、莊蹻極惡にして黃髮、天の無爲、此に於て明白なり」と。
或曰:“仲尼稱自古皆有死,老子曰神仙之可學。夫聖人之言,信而有徵,道家所說,誕而難用。”抱朴子曰:“仲尼,儒者之聖也;老子,得道之聖也。儒教近而易見,故宗之者眾焉。道意遠而難識,故達之者寡焉。道者,萬殊之源也。儒者,大淳之流也。三皇以往,道治也。帝王以來,儒教也。談者鹹知高世之敦樸,而薄季俗之澆散,何獨重仲尼而輕老氏乎?是玩華藻於木末,而不識所生之有本也。何異乎貴明珠而賤淵潭,愛和璧而惡荊山,不知淵潭者,明珠之所自出,荊山者,和璧之所由生也。且夫養性者,道之餘也;禮樂者,儒之末也。所以貴儒者,以其移風易俗,不唯揖讓與盤旋也。所以尊道者,以其不言而化行,匪獨養生之一事也。若儒道果有先後,則仲尼未可專信,而老氏未可孤用。仲尼既敬問伯陽,願比老彭。又自以知魚鳥而不識龍,喻老氏於龍,蓋其心服之辭,非空言也。與顏回所言,瞻之在前,忽然在後,鑽之彌堅,仰之彌高,無以異也。”
有人曰く「仲尼自古皆死有りと稱し、老子神仙學ぶ可しと說く。聖人の言、信にして徵有り、道家の說く所、誕にして用い難し」と。抱朴子曰く「仲尼は、是れ儒者の聖。老子は、是れ道を得たるの聖。儒教近くして見易し、故に之を宗とする人多し。道意遠くして識り難し、故に之に達する人少なし。道は、是れ萬殊の源。儒は、是れ大淳の流。三皇以往、是れ道治。帝王以來、是れ儒教。談ずる人皆上世の敦朴を知り、而も季世習俗の澆散を看薄す、何を爲す獨り仲尼を看重して老氏を看輕せんや。此れ是れ樹梢に華藻を玩ぶ、而も生ずる所の本有るを識らず。明珠を看重して淵潭を看賤し、和氏璧を愛して荊山を惡厭するに何の異ならん、淵潭是れ明珠の出づる所、荊山是れ和氏璧の生ずる由る所を知らざるなり。再び說く養性は、是れ道の餘事。禮樂は、是れ儒の末節。故に儒を貴ぶは、以て其れ風を移し俗を易ゆ、不只揖讓與盤旋。故に道を尊ぶは、以て其れ言わずして教化自ら行わる、不獨養生此の一事。若し儒道果然先後有らば、則ち仲尼未だ專ら信ず可からず、老氏亦未だ孤用す可からず。仲尼既に伯陽を敬問し、願わくは老彭に比す。又自ら以て魚鳥を知りて龍を識らずと爲し、老氏を以て龍に喻す、蓋し是れ彼の心服の辭、不是空言。顏回の說く所與、之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在り、之を鑽ずれば彌堅、之を仰げば彌高、異なる無し」と。
或曰:“仲尼親見老氏而不從學道,何也?”抱朴子曰:“以此觀之,益明所稟有自然之命,所尚有不易之性也。仲尼知老氏玄妙貴異,而不能挹酌清虛,本源大宗,出乎無形之外,入乎至道之內,其所諮受,止於民閒之事而已,安能請求仙法耶?忖其用心汲汲,專於教化,不存乎方術也。仲尼雖聖於世事,而非能沈靜玄默,自守無為者也。故老子戒之曰:良賈深藏若虛,君子盛德若愚,去子之驕氣與多欲,態色與淫志,是無益於子之身。此足以知仲尼不免於俗情,非學仙之人也。夫棲棲遑遑,務在匡時,仰悲鳳鳴,俯嘆匏瓜,沽之恐不售,忼慨思執鞭,亦何肯舍經世之功業,而修養生之迂闊哉?”
有人曰く「仲尼親ら老氏を見て而も彼に從い道を學ばず、何を爲す」と。抱朴子曰く「此に由りて觀れば、更加明白禀する所自然の命有り、崇尚する所不易の性有り。仲尼老氏の玄妙貴異を知るも、能く淸虛を挹酌せず、本源大宗、無形の外に出で、至道の內に入る、彼の咨受する所、止まりて民閒の事のみ、怎んぞ能く仙法を請求せん。仲尼用心汲汲たりと忖度す、專ら教化に在り、方術に在らず。仲尼雖も世事に聖なり、卻りて不是能く沈靜玄默、自守無爲の人。故に老子之を告誡して曰く、良賈深藏して虛のごとく、君子盛德して愚のごとし、您の驕氣與多欲、態色與淫志を去れ、此ら您の身に益處無しと。此足以て仲尼俗情を免れざるを知る、不是學仙の人。栖栖遑遑、務めて時を匡すに在り、上に向かい鳳鳴を悲しみ、下に向かい匏瓜を歎き、之を賣りて賣れざるを怕れ、慷慨して執鞭を想う、又怎んぞ肯んじて經世の功業を捨て、養生の迂闊を修めんや」と。
或曰:“儒道之業,孰為難易?”抱朴子答曰:“儒者,易中之難也。道者,難中之易也。夫棄交遊,委妻子,謝榮名,損利祿,割粲爛於其目,抑鏗鏘於其耳,恬愉靜退,獨善守己,謗來不戚,譽至不喜,睹貴不欲,居賤不恥,此道家之難也。出無慶弔之望,入無瞻視之責,不勞神於七經,不運思於律歷,意不為推步之苦,心不為藝文之役,眾煩既損,和氣自益,無為無慮,不怵不惕,此道家之易也,所謂難中之易矣。夫儒者所修,皆憲章成事,出處有則,語默隨時,師則循比屋而可求,書則因解注以釋疑,此儒者之易也。鉤深致遠,錯綜典墳,該河洛之籍籍,博百氏之云云,德行積於衡巷,忠貞盡於事君,仰馳神於垂象,俯運思於風云,一事不知,則所為不通,片言不正,則褒貶不分,舉趾為世人之所則,動唇為天下之所傳,此儒家之難也,所謂易中之難矣。篤論二者,儒業多難,道家約易,吾以患其難矣,將舍而從其易焉。世之譏吾者,則比肩皆是也。可與得意者,則未見其人也。若同志之人,必存乎將來,則吾亦未謂之為希矣。”
有人曰く「儒道の業、哪れか難哪れか易」と。抱朴子回答えて曰く「儒は、是れ易中の難。道は、是れ難中の易。交游を拋棄し、妻子を放下し、榮名を謝去し、利祿を減損し、眼裏より粲爛を割去し、耳裏より鏗鏘を抑制し、恬愉靜退し、獨り善く己を守り、謗り來れば憂戚せず、譽至れば歡喜せず、貴なるを見て要せず、賤なるに居りて羞恥せず、此れ道家の難。出でて慶弔の期望無く、入りて瞻視の責任無く、七經上に神を勞せず、律歷上に思を運ばず、意推步の苦を爲さず、心藝文の役を爲さず、衆煩既に減損し、和氣自ら增益し、無爲無慮、不怵不惕、此れ道家の易、謂う所の難中の易。儒者の修める所、皆是れ憲章成事、出處則有り、語默時に隨い、老師則ち家に挨りて求む可し、書則ち解注を憑藉して以て疑を釋す、此れ儒者の易。深を鉤き遠を致し、錯綜典墳し、河洛の籍籍を該通し、百氏の紛紛を博覽し、德行里巷に積み、忠貞事君に盡くし、上に向かい垂象に神を馳せ、下に向かい風雲に思を運ばし、一事知らざれば、爲す所則ち通ぜず、片言正しからざれば、褒貶則ち分かたず、足を擧げて世人の法則と爲り、唇を動かして天下の傳うる所と爲る、此れ儒家の難、謂う所の易中の難。切實に此の二者を論ずれば、儒業多難、道家約易、我以て其の難を患え、將に之を捨てて彼の易に從わんとす。世上我を譏笑する、比肩皆然り。之與得意する可きは、未だ彼の人を見ず。若し同志の人、必ず將來に存在せば、則ち我亦稀少と說かざらん」と。
或曰:“餘閱見知名之高人,洽聞之碩儒,果以窮理盡性,研核有無者多矣,未有言年之可延,仙之可得者也。先生明不能並日月,思不能出萬夫,而據長生之道,未之敢信也。”抱朴子曰:“吾庸夫近才,見淺聞寡,豈敢自許以拔群獨識,皆勝世人乎?顧曾以顯而求諸乎隱,以易而得之乎難,校其小驗,則知其大效,睹其已然,則明其未試耳。且夫世之不信天地之有仙者,又未肯規也。率有經俗之才,當塗之伎,涉覽篇籍助教之書,以料人理之近易,辨凡猥之所惑,則謂眾之所疑,我能獨斷之,機兆之未朕,我能先覺之,是我與萬物之情,無不盡矣,幽翳冥昧,無不得也。我謂無仙,仙必無矣,自來如此其堅固也。吾每見俗儒碌碌,守株之不信至事者,皆病於頗有聰明,而偏枯拘繫,以小黠自累,不肯為純在乎極暗,而了不別菽麥者也。夫以管窺之狹見,而孤塞其聰明之所不及,是何異以一尋之綆,汲百仞之深,不覺所用之短,而云井之無水也。俗有聞猛風烈火之聲,而謂天之冬雷,見遊雲西行,而謂月之東馳。人或告之,而終不悟信,此信己之多者也。夫聽聲者,莫不信我之耳焉。視形者,莫不信我之目焉。而或者所聞見,言是而非,然則我之耳目,果不足信也。況乎心之所度,無形無聲,其難察尤甚於視聽,而以己心之所得,必固世閒至遠之事,謂神仙為虛言,不亦蔽哉?”
有人曰く「我閱見知名の高人、洽聞の碩儒、果然以て理を窮め性を盡くし、有無を研核する多し、年延長す可し、仙得る可しと說く無し。先生の明日月與並列する能わず、思萬夫を超出する能わず、卻りて長生の道に依據す、我敢て信ぜず」と。抱朴子曰く「我是れ庸夫近才、見淺く聞寡し、豈に敢て拔群獨識を自許し、皆世人に勝過せんや。只だ曾て顯なるを以て隱なるを求め、易なるを以て難なるを得、小なる應驗を校驗し、則ち大なる效を知り、已に此のごときを見れば、則ち未だ試みざるを明白するのみ。再び說く世人天地の閒仙有るを信ぜざるは、又肯んじて謀求せず。大都世俗を經營するの才、當路の伎能有り、篇籍助教の書を涉覽し、以て人理の近易を料想し、凡猥の疑惑する所を辨別し、則ち衆人の疑う所、我能く獨り斷定し、機兆未だ朕兆無し、我能く先覺すと說く、此れ我與萬物の情、盡くさざる無し、幽翳冥昧、得ざる無し。我曰く仙無し、仙必ず無し、從來此のごとく堅固。我每に俗儒碌碌、株を守りて至事を信ぜざるを見、皆病頗る聰明有りて、而も偏枯拘係し、小聰明を以て己を拖累し、肯んじて彼の純に極暗に在りて、而も全く菽麥を辨ぜざる人を做らず。管窺の狹見を以て、而も獨り聰明の及ばざる所を堵塞す、此れ一尋の繩を以て、百仞の深を汲むに往き、用いる所の短きを覺えず、卻りて井水無しと說くに何の異ならん。俗猛風烈火の聲を聞く有りて、而も天冬に雷を打つと說き、游云西行を見て、而も月東馳すと說く。或は人有りて彼に告げ、而も終に悟らず信ぜず、此れ是れ己を信ずること多し。聲を聽く者、我が耳を信ぜざる無し。形を視る者、我が目を信ぜざる無し。而も或は聞見する所、說きて是と爲し非と爲せば、則ち我が耳目、果然信ずに足らず。何況心の度量する所、無形無聲、難察尤も視聽を超過し、而も己の心里得る所を以て、必ず固く世閒至遠の事と爲し、神仙是れ虛言と說く、亦蔽塞ならずや」と。
抱朴子曰:“妍媸有定矣,而憎愛異情,故兩目不相為視焉。雅鄭有素矣,而好惡不同,故兩耳不相為聽焉。真偽有質矣,而趨舍舛忤,故兩心不相為謀焉。以醜為美者有矣,以濁為清者有矣,以失為得者有矣,此三者乖殊,炳然可知,如此其易也,而彼此終不可得而一焉。又況乎神仙之事,事之妙者,而欲令人皆信之,未有可得之理也。凡人悉使之知,又何貴乎達者哉?若待俗人之息妄言,則俟河之清,未為久也。吾所以不能默者,冀夫可上可下者,可引致耳。其不移者,古人已末如之何矣。”抱朴子曰:“至理之未易明,神仙之不見信,其來久矣,豈獨今哉?太上自然知之,其次告而後悟,若夫聞而大笑者,則悠悠皆是矣。吾之論此也,將有多敗之悔,失言之咎乎!夫物莫之與,則傷之者至焉。蓋盛陽不能榮枯朽之木,神明不能變沈溺之性,子貢不能悅錄馬之野人,古公不能釋欲地之戎狄,實理有所不通,善言有所不行。章甫不售於蠻越,赤舄不用於跣夷,何可強哉?夫見玉而指之曰石,非玉之不真也,待和氏而後識焉。見龍而命之曰蛇,非龍之不神也,須蔡墨而後辨焉。所以貴道者,以其加之不可益,而損之不可減也。所以貴德者,以其聞毀而不慘,見譽而不悅也。彼誠以天下之必無仙,而我獨以實有而與之諍,諍之彌久,而彼執之彌固,是虛長此紛紜,而無救於不解,果當從連環之義乎!”
抱朴子曰く「妍媸一定有りて、而も憎愛の情同じからず、故に兩目相互爲視せず。雅鄭素有りて、而も好惡同じからず、故に兩耳相互爲聽せず。眞僞質有りて、而も趨舍乖忤す、故に兩心相互爲謀せず。醜を以て美と爲す有り、濁を以て淸と爲す有り、失を以て得と爲す有り、此の三者乖殊、炳然として知る可し、此のごとき容易、而も彼此終に得て合一する可からず。又何況神仙の事、是れ事の裏妙、而も人をして皆信ぜしめんと欲す、得る可きの理無し。凡人全く彼をして知らしめば、又何必達者を看重せんや。若し俗人の妄言を止息するを等しくすれば、彼は黃河淸に變ずるを等し、還た久しきと算せず。我の沉默する能わざる所以は、希望上可き下可きの人、以て引致す可きのみ。彼ら移す可からざるは、古人已に彼に對し無可奈何なり」と。抱朴子曰く「至理明らかに易からず、神仙信ぜられず、由來已久し、豈に獨り今天ならんや。最上等自然知り、其次告げて然る後覺悟す、至於聞きて大笑するは、悠悠皆是れ此のごとし。我此らを論ず、將有多敗の悔、失言の咎有らんか。物人に給ふ無ければ、之を傷害する至らん。盛陽能く枯朽の木をして再榮せしめず、神明能く沈溺の性を改變せず、子貢能く馬を扣留する野人を取悅せず、古公能く地を要する戎狄を化解せず、實理通ぜざる所有り、善言行われざる所有り。章甫蠻越に賣出す可からず、赤舄赤脚の夷人に使用せられず、怎んぞ能く强求せんや。玉を見て指して石と說く、不是玉不眞、要して卞和を待ちて然る後識得す。龍を見て之を蛇と叫ぶ、不是龍不神、蔡墨を須ちて然る後辨認す。故に道を貴ぶは、以て其れ加ふるも更に益す可からず、減損するも更に減ず可からず。故に德を貴ぶは、以て其れ毀を聞きて慘せず、譽を見て悅ばず。彼誠に以て天下必ず仙無しと爲し、而も我独り以て實有りて彼與爭辯す、爭辯愈久しき、彼執ること愈固し、此れ空く此らの紛紜を長し、而も不解に救無し、果然連環を解くの義に依從すべきか」と。
卷八·釋滯
卷八・釋滯
或問曰:“人道多端,求仙至難,非有廢也,則事不兼濟。藝文之業,憂樂之務,君臣之道,胡可替乎?”抱朴子答曰:“要道不煩,所為鮮耳。但患志之不立,信之不篤,何憂於人理之廢乎?長才者兼而修之,何難之有?內寶養生之道,外則和光於世,治身而身長修,治國而國太平。以六經訓俗士,以方術授知音,欲少留則且止而佐時,欲升騰則凌霄而輕舉者,上士也。自持才力,不能併成,則棄置人間,專修道德者,亦其次也。昔黃帝荷四海之任,不妨鼎湖之舉;彭祖為大夫八百年,然後西適流沙;伯陽為柱史,寧封為陶正,方回為閭士,呂望為太師,仇生仕於殷,馬丹官於晉,范公霸越而泛海,琴高執笏於宋康,常生降志於執鞭,莊公藏器於小吏,古人多得道而匡世,修之於朝隱,蓋有餘力故也。何必修於山林,盡廢生民之事,然後乃成乎?亦有心安靜默,性惡喧譁,以縱逸為歡,以榮任為戚者,帶索藍縷,茹草操耜,玩其三樂,守常待終,不營苟生,不憚速死,辭千金之聘,忽卿相之貴者。無所修為,猶常如此,況又加之以知神仙之道,其亦必不肯役身於世矣,各從其志,不可一概而言也。”抱朴子曰:“世之謂一言之善,貴於千金然,蓋亦軍國之得失,行己之臧否耳。至於告人以長生之訣,授之以不死之方,非特若彼常人之善言也,則奚徒千金而已乎?設使有困病垂死,而有能救之得愈者,莫不謂之為宏恩重施矣。今若按仙經,飛九丹,水金玉,則天下皆可令不死,其惠非但活一人之功也。黃老之德,固無量矣,而莫之克識,謂為妄誕之言,可嘆者也。”
有人問道て曰く「人道多端、仙を求むる至難、若し廢する所有るに非ざれば、事則ち兼濟する能わず。藝文の學業、憂樂の事務、君臣の道理、怎んぞ能く廢せんや」と。抱朴子回答えて曰く「要道煩らず、做する所少きのみ。只だ怕れる志立たず、信篤からざるを、何必憂慮せん人倫の理廢せんことをや。長才の人兼ねて之を修む、何の難有らん。內に寶愛養生の道、外に則ち世に和光し、身を治めて身長久修治し、國を治めて國太平す。六經を以て俗士を訓し、方術を以て知音に授け、少留せんと欲すれば則ち暂且止まりて時世を輔佐し、升騰せんと欲すれば則ち凌霄して輕擧する、是れ上士。自ら才力を估量し、能く一竝に成らざれば、則ち人間を棄置し、專ら道德を修する、亦是れ其次。昔黄帝四海の任を擔負し、鼎湖の升擧を妨礙せず。彭祖大夫を做ること八百年、然る後西に流沙に去る。伯陽柱下史を做り、寧封陶正を做り、方回閭士を做り、呂望太師を做り、仇生殷に官を做り、馬丹晉に官を做り、范公(范蠡)越を霸して海に泛び、琴高宋康に執笏し、常生執鞭に志を降げ、莊公器を小吏の職に藏す、古人多く道を得て世を匡し、朝隱中に修む、蓋し是れ餘力有るの緣故。何必山林に修め、盡く生民の事を廢し、然る後纔かに成らんや。亦心安静默、性喧嘩を惡み、縱逸を以て歡と爲し、榮任を以て憂と爲する有り、腰裏繩を繫ぎ、襤褸を穿著し、草を喫い耜を拿し、其の三樂を玩び、常を守りて終を待ち、苟生を經營せず、速死を怕れず、千金の聘を辭し、卿相の貴を忽略す。修爲する無く、尚ほ常に此のごとし、何況又神仙の道を知るを加ふれば、彼亦必ず肯んじて身を世に役使せざらん、各々其の志に從う、一概に論ず可からず」と。抱朴子曰く「世人一言の善、千金より貴しと說く、蓋し亦只だ軍國の得失、自己行事の善惡のみ。至於長生の訣を以て人に告げ、不死の方を以て人に授くるは、不只彼らの常人の善言のごとく、又何止千金のみならんや。假如困病垂死有りて、而も能く彼を救い愈ゆを得る有らば、彼は宏恩重施と說かざる無し。今若し仙經に按り、九丹を飛煉し、金玉を化して水と爲せば、天下皆以て人をして死せざらしむ可し、彼の恩惠不只一人を救活するの功。黃老の德、固より無量、卻りて能く識る人无し、妄誕の言と說く、歎く可きなり」と。
抱朴子曰:“欲求神仙,唯當得其至要,至要者在於寶精行炁,服一大藥便足,亦不用多也。然此三事,復有淺深,不值明師,不經勤苦,亦不可倉卒而盡知也。雖雲行炁,而行炁有數法焉。雖曰房中,而房中之術,近有百餘事焉。雖言服藥,而服藥之方,略有千條焉。初以授人,皆從淺始,有志不怠,勤勞可知,方乃告其要耳。故行炁或可以治百病,或可以入瘟疫,或可以禁蛇虎,或可以止瘡血,或可以居水中,或可以行水上,或可以闢飢渴,或可以延年命。其大要者,胎息而已。得胎息者,能不以鼻口噓吸,如在胞胎之中,則道成矣。初學行炁,鼻中引炁而閉之,陰以心數至一百二十,乃以口微吐之,及引之,皆不欲令己耳聞其炁出入之聲,常令入多出少,以鴻毛著鼻口之上,吐炁而鴻毛不動為候也。漸習轉增其心數,久久可以至千,至千則老者更少,日還一日矣。夫行炁當以生炁之時,勿以死炁之時也。故曰仙人服六炁,此之謂也。一日一夜有十二時,其從半夜以至日中六時為生炁,從日中至夜半六時為死炁,死炁之時,行炁無益也。善用炁者,噓水,水為之逆流數步;噓火,火為之滅;噓虎狼,虎狼伏而不得動起;噓蛇虺,蛇虺蟠而不能去。若他人為兵刃所傷,噓之血即止;聞有為毒蟲所中,雖不見其人,遙為噓祝我之手,男噓我左,女噓我右,而彼人雖在百里之外,即時皆愈矣。又中惡急疾,但吞三九之炁,亦登時差也。但人性多躁,少能安靜以修其道耳。又行炁大要,不欲多食,及食生菜肥鮮之物,令人炁強難閉。又禁恚怒,多恚怒則炁亂,既不得溢,或令人發欬,故鮮有能為者也。予從祖仙公,每大醉及夏天盛熱,輒入深淵之底,一日許乃出者,正以能閉炁胎息故耳。房中之法十餘家,或以補救傷損,或以攻治眾病,或以採陰益陽,或以增年延壽,其大要在於還精補腦之一事耳。
抱朴子曰く「神仙を求めんと欲せば、只だ當に至要を得べし、至要寶精行炁に在り、一種の大藥を服すれば便ち足る、亦多く用いず。然れども此の三事、又淺深有り、明師に遇上せず、勤苦を經過せざれば、亦倉促全く知る可からず。雖も行炁と說くも、行炁數種の法有り。雖も房中と說くも、房中の術、近百餘事有り。雖も服藥と說くも、服藥の方、大約千條有り。初め人に授くる、皆淺處より開始し、志有りて怠らず、勤勞以て知る可し、纔かに彼に要領を告ぐるのみ。故に行炁或は以て百病を治す可し、或は以て瘟疫に入る可し、或は以て蛇虎を禁ず可し、或は以て瘡血を止む可し、或は以て水中に住す可し、或は以て水上を走る可し、或は以て饑渴を辟開す可し、或は以て年命を延長す可し。其の大要、是れ胎息のみ。胎息を得る者、能く鼻口を用いて嘘吸せず、胞胎の中に在るがごとく、道成れたり。初め行炁を學ぶ、鼻中より炁を引きて閉住し、暗裏心を以て一百二十を數え、纔かに口を以て微微に吐出し、及び引くの時、皆己の耳朵炁の出入の聲を聞かしめんと欲せず、常に入ること多く、出づること少なからしめ、鴻毛を鼻口上に放ち、炁を吐きて鴻毛動かざるを以て徵候と爲す。漸漸練習し、心數輾轉增加し、久久千に至る可し、千に至れば則ち老的更少し、一天比一天還童す。行炁當に生炁の時に在りて、死炁の時に在らざるべし。故に仙人六炁を服すと說く、說くは則ち此れ。一日一夜十二時有り、半夜より日中に至る六時是れ生炁、日中より夜半に至る六時是れ死炁、死炁の時、行炁益處無し。炁を用うに善き者、水を嘘けば、水因此數步逆流し。火を嘘けば、火因此滅す。虎狼を嘘けば、虎狼伏して動起する能わず。蛇虺を嘘けば、蛇虺盤りて去る能わず。若し他人兵刃に傷られば、之を嘘けば血立刻止む。聞く毒蟲に中らるる有るを、雖も彼の人を見ず、遠く我が手に對して嘘祝し、男は我が左手を嘘き、女は我が右手を嘘けば、而も彼の人雖も百里の外に在るも、即時皆愈ゆ。又中惡急疾、只だ三九の炁を吞すれば、亦立刻差愈す。只だ人性多く躁、少なく能く安静にして彼の道を修む。又行炁の大要、多く喫せんと欲せず、及び生菜肥鮮の物を喫し、人をして炁強く閉じ難からしむ。又恚怒を禁ず、多く恚怒すれば則ち炁亂れ、既に閉住せず、溢出或は人をして咳嗽せしむ、故に能くする少なし。我が從祖仙公、每に大醉及び夏天盛熱に逢えば、則ち深淵の底に入り、一日左右にして纔かに出づ、正是れ能く炁を閉じ胎息するの緣故。房中の法十餘家、或は以て傷損を補救し、或は以て衆病を攻治し、或は以て陰を采り陽を益し、或は以て年を增し壽を延す、其の大要精を還し腦を補う此の一件事に在るのみ」。
此法乃真人口口相傳,本不書也,雖服名藥,而復不知此要,亦不得長生也。人復不可都絕陰陽,陰陽不交,則坐致壅閼之病,故幽閉怨曠,多病而不壽也。任情肆意,又損年命。唯有得其節宣之和,可以不損。若不得口訣之術,萬無一人為之而不以此自傷煞者也。玄素子都容成公彭祖之屬,蓋載其粗事,終不以至要者著於紙上者也。志求不死者,宜勤行求之。餘承師鄭君之言,故記以示將來之信道者,非臆斷之談也。餘實復未盡其訣矣。一塗之道士,或欲專守交接之術,以規神仙,而不作金丹之大藥,此愚之甚矣。”
(抱朴子接續して曰く)此の法是れ眞人口口相傳、本來寫下さず、雖も名藥を服すも、卻りて又此の要を知らざれば、亦長生を得ず。人又全く陰陽を斷絕す可からず、陰陽交わらざれば、則ち坐して壅塞の病を招致す、故に幽閉怨曠、多病にして壽ならず。情を任り意を肆にすれば、又年命を損す。只だ節宣の和を得れば、以て損せざる可し。若し口訣の術を得ざれば、萬中一人無く做して而も此に因りて自ら傷殺せざる。玄素・子都・容成公・彭祖の一類、蓋し彼の粗事を記載し、終に至要を以て紙上に寫さず。志不死を求める在る者、當に勤行して求むべし。我師鄭君の言を承け、故に記し取りて將來道を信ずる人に拿げて看せしむ、不是臆斷の談。我實に尚ほ未だ彼の訣を盡くさず。只だ一條の路を走る道士、或は專ら交接の術を守せんと欲し、以て神仙を謀求し、而も金丹の大藥を作らず、此れ是れ愚の甚だしきなり」と。
抱朴子曰:“道書之出於黃老者,蓋少許耳,率多後世之好事者,各以所知見而滋長,遂令篇卷至於山積。古人質樸,又多無才,其所論物理,既不周悉,其所證按,又不著明,皆闕所要而難解,解之又不深遠,不足以演暢微言,開示憤悱,勸進有志,教戒始學,令知玄妙之塗徑,禍福之源流也。徒誦之萬遍,殊無可得也。雖欲博涉,然宜詳擇其善者,而後留意,至於不要之道書,不足尋繹也。末學者或不別作者之淺深,其於名為道家之言,便寫取累箱盈筐,盡心思索其中。是探燕巢而求鳳卵,搜井底而捕鱔魚,雖加至勤,非其所有也,不得必可施用,無故消棄日月,空有疲睏之勞,了無錙銖之益也。進失當世之務,退無長生之效,則莫不指點之曰,彼修道如此之勤,而不得度世,是天下果無不死之法也;而不知彼之求仙,猶臨河羨魚,而無網罟,非河中之無魚也。又五千文雖出老子,然皆泛論較略耳。其中了不肯首尾全舉其事,有可承按者也。但闇誦此經,而不得要道,直為徒勞耳,又況不及者乎?至於文子莊子關令尹喜之徒,其屬文筆,雖祖述黃老,憲章玄虛,但演其大旨,永無至言。或復齊死生,謂無異以存活為徭役,以殂歿為休息,其去神仙,已千億裡矣,豈足耽玩哉?其寓言譬喻,猶有可採,以供給碎用,充御卒乏,至使末世利口之奸佞,無行之弊子,得以老莊為窟藪,不亦惜乎?”
抱朴子曰く「道書黃老より出づるは、蓋し少許のみ、大皆是れ後世好事の人、各々知る所見る所を以て滋長し、於是篇卷をして堆積山のごとく至らしむ。古人質樸、又多く才無し、彼らの論ずる所の物理、既に周悉せず、證按する所、又不著明、皆要領を缺きて難解、解するも又不深遠、以て微言を演暢し、憤悱を開示し、有志を勸進し、初學を教戒し、人をして玄妙の途徑、禍福の源流を知らしむるに足らず。空く之を萬遍誦すとも、特に得る可き無し。雖も博涉せんと欲するも、亦當に彼の善を詳擇し、然る後留意し、至於要ならざるの道書、尋繹するに足らず。末學の人或は作者の淺深を辨別せず、名道家と爲すの言に對して、便ち抄取して箱を累ね筐を盈たし、心を盡くして其の中を思索す。此れ是れ燕巢を探りて鳳卵を求め、井底を搜りて鱔魚を捕る、雖も至勤に加ふるも、不是其の該有る所、得て必ず施用す可き無し、無故に日月を消棄し、空く疲困の勞有り、全く錙銖の益處無し。進めば則ち當世の事務を失い、退けば則ち長生の效無し、則ち指點して說かざる無し、彼道を修すること此のごとく勤にして、而も世を度るを得ず、是れ天下果然不死の法無し。卻りて彼の仙を求むるを知らず、譬へば河に臨みて魚を羡み、而も網罟無し、不是河中魚無し。又五千文雖も老子より出づ、然れども皆是れ泛論大較のみ。其の中全く肯んじて首尾全く彼の事を擧出せず、承按す可き有り。只だ此の經を暗誦して、而も要道を得ざれば、直ち是れ徒勞のみ、又何況此に及ばざるをや。至於文子・莊子・關令尹喜の徒、彼ら文に屬し筆を用う、雖も黃老を祖述し、玄虛を憲章す、只だ彼の大旨を演繹し、永く至言無し。或は又死生を齊同し、差異無しと說き、存活を以て徭役と爲し、死亡を以て休息と爲す、彼ら神仙を離るる、已に千億里、哪れにか耽玩するに值せん。彼らの寓言譬喻、還た采る可き有り、以て瑣碎の用を供給し、當時の缺乏に充應し、以致末世利口の奸佞、無行の弊子をして、老莊を以て窟藪に當るを得しむ、亦可惜ならずや」と。
或曰:“聖明御世,唯賢是寶,而學仙之士,不肯進宦,人皆修道,誰復佐政事哉?”抱朴子曰:“背聖主而山棲者,巢許所以稱高也;遭有道而遁世者,莊伯所以為貴也;軒轅之臨天下,可謂至理也,而廣成不與焉;唐堯之有四海,可謂太平也,而偓佺不佐焉,而德化不以之損也,才子不以之乏也;天乙革命,而務光負石以投河,姬武翦商,而夷齊不食於西山;齊桓之興,而少稷高枕於陋巷;魏文之隆,而幹木散發於西河;四老鳳戢於商洛,而不妨大漢之多士也;周黨麟跱於林藪,而無損光武之刑厝也。夫寵貴不能動其心,極富不能移其好,濯纓滄浪,不降不辱,以芳林為臺榭,峻岫為大廈,翠蘭為絪床,綠葉為幃幙,被褐代袞衣,薇藿當嘉膳,非躬耕不以充飢,非妻織不以蔽身,千載之中,時或有之,況又加之以委六親於邦族,捐室家而不顧,背榮華如棄跡,絕可欲於胸心,凌嵩峻以獨往,侶影響於名山,內視於無形之域,反聽乎至寂之中,八極之內,將遽幾人?而吾子乃恐君之無臣,不亦多憂乎?”
有人曰く「聖明世を駕馭し、只だ賢を以て寶と爲す、而も仙を學ぶ之士、肯んじて宦に進まず、人皆道を修めば、誰か再び政事を輔佐せん」と。抱朴子曰く「聖主を背けて山に栖るは、是れ巢父・許由の高を稱する所以。有道に遇上して世を遁るるは、是れ莊伯の貴と爲す所以。軒轅天下に臨み、至理と說く可し、而も廣成參與せず。唐堯四海有り、太平と說く可し、而も偓佺輔佐せず、德化此に因りて減損せず、才子此に因りて缺乏せず。天乙革命し、務光石を負い河に投ず。姬武商を翦り、伯夷叔齊西山の食を食わず。齊桓興起し、少稷陋巷に高枕す。魏文隆盛、段干木西河に散髮す。四老鳳のごとく商洛に翼を斂め、而も大漢の多士を妨礙せず。周黨麟のごとく林藪に停まり、而も光武の刑措を損う無し。寵貴能く其の心を動かさず、極富能く其の好を移さず、滄浪に纓を洗い、不降不辱、芳林を以て臺榭に當て、峻岫を以て大廈に當て、翠蘭を以て褥床に當て、綠葉を以て幃幕に當て、褐を披きて衮衣に代替し、薇藿を以て嘉膳と作る、親ら耕すに非ざれば以て饑を充たさず、妻子織るに非ざれば以て身を蔽わず、千載の中、時或有り此のごとき人、何況又六親を以て邦族に委ね、室家を捐棄して顧みず、榮華を背けること足跡を棄つるがごとく、胸心里可欲を斷絕し、高峻を凌越して獨り前往し、名山に影與回響と爲りて侶とし、無形の域に內視し、至寂の中に反聽し、八極の內、將に能く幾人あらん。而も您竟に君の臣無きを怕る、亦憂へること多しと爲さずや」と。
或曰:“學仙之士,獨潔其身而忘大倫之亂,背世主而有不臣之慢,餘恐長生無成功,而罪罟將見及也。”抱朴子答曰:“夫北人石戶善卷子州,皆大才也,而沈遁放逸,養其浩然,升降不為之虧,大化不為之缺也。況學仙之士,未必有經國之才,立朝之用,得之不加塵露之益,棄之不覺毫釐之損者乎?方今九有同宅,而幽荒來仕,元凱委積,無所用之。士有待次之滯,官無暫曠之職;勤久者有遲敘之嘆,勳高者有循資之屈;濟濟之盛,莫此之美,一介之徒,非所乏也。昔子晉舍視膳之役,棄儲貳之重,而靈王不責之以不孝;尹生委衿帶之職,違式遏之任,而有周不罪之以不忠。何者,彼誠亮其非輕世薄主,直以所好者異,匹夫之志,有不可移故也。夫有道之主,含垢善恕,知人心之不可同,出處之各有性,不逼不禁,以崇光大,上無嫌恨之偏心,下有得意之至歡,故能暉聲並揚於罔極,貪夫聞風而忸怩也。吾聞景風起則裘爐息,世道夷則奇士退,今喪亂既平,休牛放馬,烽燧滅影,干戈載戢,繁弱既韜,盧鵲將烹,子房出玄帷而反閭巷,信越釋甲冑而修魚釣,況乎學仙之士,萬未有一,國家吝此以何為哉?然其事在於少思寡慾,其業在於全身久壽,非爭競之醜,無傷俗之負,亦何罪乎?且華霍之極大,滄海之滉漾,其高不俟翔埃之來,其深不仰行潦之注,撮壤土不足以減其峻,挹勺水不足以削其廣,一世不過有數仙人,何能有損人物之鞅掌乎?”
有人曰く「仙を學ぶ之士、獨り己の身を潔くして大倫の亂を忘れ、世主を背けて不臣の慢有り、我怕る長生未だ成功せず、而も罪網將に身に及ばんとす」と。抱朴子回答えて曰く「北人・石戶・善卷・子州、皆是れ大才、而も沈遁放逸し、其の浩然を養い、升降此に因りて虧けず、大化此に因りて缺けず。何況仙を學ぶ之士、未だ必ずしも經國の才、立朝の用有らず、彼を得て塵露の益を加えず、彼を拋棄して毫釐の損を覺えざるをや。今九有同宅、幽荒皆來りて官を做し、元凱堆積し、彼らを用うるの地無し。士依次を等待するの滯留有り、官片刻空缺の職無し。勤久の遲敘の歎有り、勳高の循資の屈有り。濟濟の盛、此より美なる無し、一介の徒、不是缺する所。昔王子晉視膳の役を捨棄し、儲君の重を拋棄し、而も周靈王不孝を以て彼を責めず。尹生衿帶の職を委掉し、式遏の任を違背し、而も有周不忠を以て彼を罪せず。何を爲す、彼ら誠に彼の世を輕し主を薄くするに非ざるを諒察し、只だ好む所同じからざる、匹夫の志、移す可からざる有るの緣故。有道の主、垢を含み善く恕み、人心同じくす可からざるを知り、出處各々性有り、逼らず禁せず、以て崇尚光大し、上嫌恨の偏心無く、下得意の至歡有り、故に能く光輝聲名一竝に極無きに揚げ、貪夫風を聞きて忸怩す。我聞く景風起れば則ち皮裘火爐停息し、世道平なれば則ち奇士退去す、今喪亂既に平らぎ、牛を休め馬を放ち、烽燧影を滅し、干戈收藏し、繁弱已に韜藏し、盧鵲將に烹らんとす、子房玄帷を走出して閭巷に返回し、韓信・彭越甲胄を脫下して魚釣を修む、何況仙を學ぶ之士、萬中未だ一有らず、國家此らを吝惜して何を爲すや。然れども彼の事少思寡欲に在り、彼の業全身久壽に在り、不是爭競の醜、傷俗の負無し、又何の罪有らん。再び說く華霍の極大、滄海の滉漾、其の高飛塵を待たずして來り、其の深行潦の注入を仰賴せず、一撮の壤土以て其の峻を減ずるに足らず、一勺の水以て其の廣を削るに足らず、一世過ぎて數個の仙人有るに過ぎず、怎んぞ能く人物の紛繁に損有らんや」と。
或曰:“果其仙道可求得者,五經何以不載,周孔何以不言,聖人何以不度世,上智何以不長存?若周孔不知,則不可為聖。若知而不學,則是無仙道也。”抱朴子答曰:“人生星宿,各有所值,既詳之於別篇矣。子可謂戴盆以仰望,不睹七曜之炳粲;暫引領於大川,不知重淵之奇怪也。夫五經所不載者無限矣,周孔所不言者不少矣。特為吾子略說其萬一焉。雖大笑不可止,局情難卒開,且令子聞其較略焉。夫天地為物之大者也。九聖共成易經,足以彌綸陰陽,不可復加也。今問善易者,周天之度數,四海之廣狹,宇宙之相去,凡為幾里?上何所極,下何所據,及其轉動,誰所推引,日月遲疾,九道所乘,昏明修短,七星迭正,五緯盈縮,冠珥薄蝕,四七凌犯,彗孛所出,氣矢之異,景老之祥,辰極不動,鎮星獨東,羲和外景而熱,望舒內鑑而寒,天漢仰見為潤下之性,濤潮往來有大小之變,五音六屬,占喜怒之情,雲動氣起,含吉凶之候,欃、槍、尤、矢,旬始絳繹,四鎮五殘,天狗歸邪,或以示成,或以正敗,明易之生,不能論此也。以次問春秋四部詩書三禮之家,皆復無以對矣。皆曰悉正經所不載,唯有巫咸甘公石申海中郄萌七曜記之悉矣。餘將問之曰,此六家之書,是為經典之教乎?彼將曰非也。餘又將問曰:甘石之徒,是為聖人乎?彼亦曰非也。然則人生而戴天,詣老履地,而求之於五經之上則無之,索之於周孔之書則不得,今寧可盡以為虛妄乎?天地至大,舉目所見,猶不能了,況於玄之又玄,妙之極妙者乎?
有人曰く「果然仙道求むる可し、五經何を爲す載せず、周公孔子何を爲す言わず、聖人何を爲す世を度らず、上智何を爲す長存せず。若し周公孔子知らざれば、則ち聖と爲す可からず。若し知りて學ばざれば、則ち是れ仙道無し」と。抱朴子回答えて曰く「人生星宿、各々值する所有り、已に別篇に詳細說き過ぐ。您以て盆を戴きて仰望し、七曜の炳粲を見ずと說く可し。大川上に暂且頸を伸ばし、重淵の奇怪を知らず。五經の載せざる所無限、周公孔子の言わざる所少なからず。特に您の爲に彼の萬分之一を略說す。雖も大笑止む可からず、局狹の情倉促開く難し、且く您をして彼の大較を聞かしめん。天地是れ物の裏大。九聖共同《易經》を作成し、足以て陰陽を彌綸し、再加ふ可からず。今《易》に善き人を問う、周天の度數、四海の廣狹、宇宙相去、一共幾里。上何處に至りて極と爲し、下何を憑據と爲し、以及其れ轉動、誰か來りて推引し、日月遲疾、九道の乘る所、昏明長短、七星迭正、五緯盈縮、冠珥薄蝕、二十八宿凌犯、彗孛の出づる所、氣矢の異、景星老人の祥、辰極動かず、鎭星獨り東に向かい、羲和外景にして熱、望舒內鑑にして寒、天漢仰見是れ潤下の性、濤潮往來大小の變有り、五音六屬、喜怒の情を占し、雲動氣起、吉凶の候を含み、欃・槍・蚩尤・天矢、旬始絳繹、四鎭五殘、天狗歸邪、或は以て成を示し、或は以て敗を正す、《易》を明らかにする儒生、此らを論ずる能わず。依次春秋四部・詩書三禮の家を問う、又皆回答に從う無し。皆曰く全是れ正經の載せざる所、只有巫咸・甘公・石申・《海中》・郄萌・七曜記し全きのみ。我將に彼らを問わん、此の六家の書、經典の教と算すか。彼ら將に非ずと說かん。我又將に問わん、甘石の徒、聖人と算すか。彼ら亦非ずと說かん。則ち人生れて天を頂き、一直に老に至りて地を踩み、五經の上に求めれば則ち無く、周公孔子の書裏に索すれば則ち得ず、今寧ろ全部以て虛妄と爲さんや。天地至大、目を擧げて見る所、還た能く了然ならず、何況玄の又玄、妙の極妙をや。
”復問俗人曰:“夫乘雲繭產之國,肝心不朽之民,巢居穴處,獨目三首,馬閒狗蹄,修臂交股,黃池無男,穿胸旁口,廩君起石而泛土船,沙壹觸木而生群龍,女媧地出,杜宇天墮,甓飛犬言,山徙社移,三軍之眾,一朝盡化,君子為鶴,小人成沙,女丑倚枯,貳負抱桎,寄居之蟲,委甲步肉,二首之蛇,弦之為弓,不灰之木,不熱之火,昌蜀之禽,無目之獸,無身之頭,無首之體,精衛填海,交讓遞生,火浣之布,切玉之刀,炎昧吐烈,磨泥漉水,枯灌化形,山夔前跟,石修九首,畢方人面,少千之劾伯率,聖卿之役肅霜,西羌以虎景興,鮮卑以乘鱉強,林邑以神錄王,庸蜀以流屍帝,鹽神嬰來而蟲飛,縱目世變於荊岫,五丁引蛇以傾峻,肉甚振翅於三海。金簡玉字,發於禹井之側。正機平衡,割乎文石之中。凡此奇事,蓋以千計,五經所不載,周孔所不說,可皆復雲無是物乎?至於南人能入柱以出耳,禦寇停肘水而控弦,伯昏躡億仞而企踵,呂梁能行歌以憑淵,宋公克象葉以亂真,公輸飛木玄之翩翾,離朱覿毫芒於百步,賁獲效膂力於萬鈞,越人揣針以蘇死,豎亥超跡於累千,郢人奮斧於鼻堊,仲都袒身於寒天,此皆周孔所不能為也,復可以為無有乎?若聖人誠有所不能,則無怪於不得仙,不得仙亦無妨於為聖人,為聖人偶所不閒,何足以為攻難之主哉?聖人或可同去留,任自然,有身而不私,有生而不營,存亡任天,長短委命,故不學仙,亦何怪也。”
(抱朴子接續して曰く)又俗人に問うて曰く「雲に乘り、繭產するの國、肝心不朽の民、巢居穴處、獨目三首、馬閑狗蹄、長臂交股、黃池男無し、胸を穿ち旁口、廩君石頭をして浮起せしめ、土船漂浮し、沙壹木に觸れて群龍を生じ、女媧地より出で、杜宇天より墮ち、磚飛び狗說話し、山遷徙し社轉移し、三軍之衆、一朝全部變化し、君子鶴に變成し、小人沙に變成し、女丑枯死に倚り、貳負桎梏を抱き、寄居の蟲、甲を脫去して步行肉を用い、兩頭の蛇、繃げて以て弓を做り、不灰の木、不熱の火、昌蜀の禽、無目の獸、無身の頭、無首の體、精衛海を塡め、交讓輪流に生じ、火浣の布、玉を切るの刀、炎昧烈焰を吐出し、泥を磨き水を漉し、枯灌形を化し、山夔脚前に在り、石修九首、畢方人面、少千伯率を劾治し、聖卿肅霜を役使し、西羌虎景に因りて興り、鮮卑鱉に乘るに因りて強く、林邑神錄に因りて王と稱し、庸蜀流尸に因りて帝と稱し、鹽神嬰來りて蟲飛び、縱目荆岫に世變あり、五丁蛇を引きて峻嶺を傾倒し、肉甚三海に翅を振る。金簡玉字、禹井の側より發見す。正機平衡、文石の中より剖出す。凡そ此らの奇事、蓋し千を以て計し、五經の載せざる所、周公孔子の說かざる所、以て皆再び此らの物無しと說く可きか。至於南人能く柱子に入りて耳朵より出づ、御寇肘を水に停めて弦を控え、伯昏億仞上に足を蹑み踵を踮り、吕梁能く行歌して深淵に憑り、宋人能く象牙葉子を刻して眞に亂れ、公輸木鳶をして翩翩飛ばしめ、離朱百步外に毫芒を見、孟賁・烏獲萬鈞上に效力し、越人鍼を揣みて死人を救活し、豎亥步を超えて千里を累計し、郢人鼻堊上に斧を奮い、仲都寒天に身を袒ぐ、此ら皆是れ周公孔子の能くする所に非ず、又以て無しと爲す可きか。若し聖人誠に能わざる所有らば、則ち必ず仙を怪むを得ず、仙を得ずも亦聖人と成るを妨げず、聖人を做るに偶然嫺熟せざる所有り、哪れにか以て攻難の主腦に當るに足らん。聖人或は以て去留を同じくし、自然を任し、身有りて私せず、生有りて經營せず、存亡天に任せ、長短命に委ね、故に仙を學ばず、又何の怪む可き有らん」と。
卷九·道意
卷九・道意
抱朴子曰:“道者涵乾括坤,其本無名。論其無,則影響猶為有焉;論其有,則萬物尚為無焉。隸首不能計其多少,離朱不能察其彷彿,吳札晉野竭聰,不能尋其音聲乎窈冥之內,犭周豨犭步豬疾走,不能跡其兆朕乎宇宙之外。以言乎邇,則周流秋毫而有餘焉;以言乎遠,則彌綸太虛而不足焉。為聲之聲,為響之響,為形之形,為影之影,方者得之而靜,員者得之而動,降者得之而俯,升者得之以仰,強名為道,已失其真,況復乃千割百判,億分萬析,使其姓號至於無垠,去道遼遼,不亦遠哉?
抱朴子曰く「道乾坤を涵括し、其の本に名無し。其の無を論ずれば、則ち影與回響尚ほ有りと算し、其の有を論ずれば、則ち萬物尚ほ無しと算す。隸首能く其の多少を計算せず、離朱能く其の髣彿を察看せず、吳札・晉野聰慧を盡くし、能く窈冥の內に其の音聲を尋ねず、彼らの善走の獸・豨・豬の疾走するを連ね、能く宇宙の外に其の兆朕を追蹤せず。近處に就きて言えば、則ち秋毫を周流して尚ほ餘有り。遠處に就きて言えば、則ち太虚を彌綸して尚ほ足らず。它是れ聲の聲、響の響、形の形、影の影、方の之を得て靜か、圓の之を得て動き、降の之を得て俯き、升の之を得て仰ぐ、勉强して道と稱す、已に其の眞を失う、何況又千割百判、億分萬析して、其の姓號をして邊際無きに至らしめ、道を離るる遼遼、亦遠からずや」と。
俗人不能識其太初之本,而修其流淫之末,人能淡默恬愉,不染不移,養其心以無慾,頤其神以粹素,掃滌誘慕,收之以正,除難求之思,遣害真之累,薄喜怒之邪,滅愛惡之端,則不請福而福來,不禳禍而禍去矣。何者,命在其中,不繫於外,道存乎此,無俟於彼也。患乎凡夫不能守真,無杜遏之檢括,愛嗜好之搖奪,馳騁流遁,有迷無反,情感物而外起,智接事而旁溢,誘於可欲,而天理滅矣,惑乎見聞,而純一遷矣。心受制於奢玩,情濁亂於波盪,於是有傾越之災,有不振之禍,而徒烹宰肥腯,沃酹醪醴,撞金伐革,謳歌踴躍,拜伏稽顙,守請虛坐,求乞福願,冀其必得,至死不悟,不亦哀哉?若乃精靈困於煩擾,榮衛消於役用,煎熬形氣,刻削天和,勞逸過度,而碎首以請命,變起膏肓,而祭禱以求痊,當風臥溼,而謝罪於靈祇,飲食失節,而委禍於鬼魅,蕞爾之體,自貽茲患,天地神明,曷能濟焉?其烹牲罄群,何所補焉?夫福非足恭所請也,禍非禋祀所禳也。若命可以重禱延,疾可以豐祀除,則富姓可以必長生,而貴人可以無疾病也。夫神不歆非族,鬼不享淫祀,皂隸之巷,不能紆金根之軒,布衣之門,不能動六轡之駕,同為人類,而尊卑兩絕,況於天神,緬邈清高,其倫異矣,貴亦極矣。蓋非臭鼠之酒餚,庸民之曲躬,所能感降,亦已明矣。夫不忠不孝,罪之大惡,積千金之賂,太牢之饌,求令名於明主,釋愆責於邦家,以人釋人,猶不可得,況年壽難獲於令名,篤疾難除於愆責,鬼神異倫,正直是與,冀其曲佑,未有之也。夫慚德之主,忍詬之臣,猶能賞善不須貸財,罰惡不任私情,必將修繩履墨,不偏不黨,豈況鬼神,過此之遠,不可以巧言動,不可以飾賂求,斷可識矣。
(抱朴子接續して曰く)俗人能く彼の太初の本を識らず、卻りて彼の流淫の末を修め、人若能く淡默恬愉、染まらず移らず、無欲を以て心を養い、粹素を以て神を頤し、誘慕を掃滌し、正を以て收攝し、難求の思を除去し、眞を害するの累を遣開し、喜怒の邪を減薄し、愛惡の端を滅掉せば、則ち福を請わずして福來り、禍を禳わずして禍去る。何を爲す、命其の中に在り、外に係らず、道此に存在し、彼を等待するに必せず。怕るるは凡夫能く眞を守らず、杜遏の檢括無く、彼の嗜好の搖奪を愛し、馳騁流遁し、迷有りて返る無し、情物を感じて外より起り、智事に接して旁に溢出し、可欲に誘われれば、天理則ち滅し、見聞に惑わされれば、純一則ち遷る。心奢玩に受制し、情波蕩に濁亂し、於是傾覆の災有り、振起こす能わざるの禍有り、卻りて空く肥牲を烹宰し、醪醴を澆酹し、金を撞き革を伐ち、謳歌踊躍し、拜伏叩頭し、空坐を守りて請い、福願を求乞し、必得を希望し、死するに至りて悟らず、亦可哀ならずや。至於精靈煩擾に困み、榮衛役用に消え、形氣を煎熬し、天和を刻削し、勞逸過度し、卻りて頭を磕破して命を請い、變故膏肓より起れば、卻りて祭禱して痊愈を求め、風に當り濕に臥し、卻りて靈祇に向かい罪を謝し、飲食節を失えば、卻りて禍を鬼魅に委ね、小小の身體、自ら此らの患を招來し、天地神明、怎んぞ能く救わんや。牲を烹りて成群を盡くす、何の補有らん。福不是足恭の請う能くする所、禍不是禋祀の禳う能くする所。若し命以て重禱延長す可く、疾以て豐祀除去す可からば、則ち富姓以て必ず長生を得、貴人以て疾病無からん。神非本族の祭を歆せず、鬼淫祀を享けず、皂隸の巷、能く金根車の軒を紆回せず、布衣の門、能く六轡の駕を驚動せず、同じく人類、尊卑兩つ絕つ、何況天神、緬邈淸高、倫類同じからず、貴なる亦極點に到る。蓋し不是臭鼠のごとき酒肴、庸民の曲躬、感降す能くする所、亦已に明白なり。不忠不孝、是れ罪の裏大惡、千金の賄賂を堆積し、太牢の饌、明主に向かい令名を求め、邦家に向かい愆責を開釋せんことを求む、人以て人を求む、尚ほ得る可からず、何況年壽令名より獲得難く、重病愆責より除去難く、鬼神是れ別の一倫類、只だ正直與一處に在り、其れ曲意保佑するを希望するは、是れ無し。慚德の主、詬を忍ぶの臣、還た能く善を賞するに必ずしも財貨を用いず、惡を罰するに私情を任用せず、必ず將に繩墨を修め、規矩を履み、偏らず黨せず、何況鬼神、此より還た遠し、以て巧言を打動す可からず、以て飾賂を求む可からず、斷然として識得す可し。
楚之靈王,躬自為巫,靡愛斯牲,而不能卻吳師之討也。
楚の靈王、親ら巫を做し、犧牲を吝惜せず、而も吳師の討伐を退却する能わず。
漢之廣陵,敬奉李須,傾竭府庫而不能救叛逆之誅也。孝武尤信鬼神,鹹秩無文,而不能免五柞之殂。孫主貴待華鄉,封以王爵,而不能延命盡之期。非犧牲之不博碩,非玉帛之不豐醲,信之非不款,敬之非不重,有丘山之損,無毫釐之益,豈非失之於近,而營之於遠乎?
漢の廣陵王、李須を敬奉し、府庫を傾竭すも己の叛逆の誅を救う能わず。孝武尤も鬼神を信じ、秩祀す可きは文飾して擧行せざる無し、而も五柞宮の死亡を免れず。孫權神人を貴待し、王爵を封給すも、命盡くの期を延長する能わず。不是犧牲博碩ならず、不是玉帛豐濃ならず、信不是不誠、敬不是不重、丘山の損有りて、毫釐の益無し、豈に是れ失近處に在りて、卻りて遠處を經營するに非ずや。
第五公誅除妖道,而既壽且貴;宋廬江罷絕山祭,而福祿永終;文翁破水靈之廟,而身吉民安;魏武禁淫祀之俗,而洪慶來假,前事不忘,將來之鑑也。明德惟馨,無憂者壽,嗇寶不夭,多慘用老,自然之理,外物何為!若養之失和,伐之不解,百痾緣隙而結,榮衛竭而不悟,太牢三牲,曷能濟焉?俗所謂率皆妖偽,轉相誑惑,久而彌甚,既不能修療病之術,又不能返其大迷,不務藥石之救,惟專祝祭之謬,祈禱無已,問卜不倦,巫祝小人,妄說禍祟,疾病危急,唯所不聞,聞輒修為,損費不訾,富室竭其財儲,貧人假舉倍息,田宅割裂以訖盡,篋櫃倒裝而無餘。或偶有自差,便謂受神之賜,如其死亡,便謂鬼不見赦,幸而誤活,財產窮罄,遂復飢寒凍餓而死,或起為劫剽,或穿窬斯濫,喪身於鋒鏑之端,自陷於醜惡之刑,皆此之由也。或什物盡於祭祀之費耗,縠帛淪於貪濁之師巫,既沒之日,無復兇器之直,衣衾之周,使屍朽蟲流,良可悼也。愚民之蔽,乃至於此哉!淫祀妖邪,禮律所禁。然而凡夫,終不可悟。唯宜王者更峻其法制,犯無輕重,致之大辟,購募巫祝不肯止者,刑之無赦,肆之市路,不過少時,必當絕息,所以令百姓杜凍飢之源,塞盜賊之萌,非小惠也。
第五公妖道を誅除し、既に壽にして且つ貴し。宋廬江山祭を罷絕し、福祿一直に終に至る。文翁水靈の廟を破掉し、身吉・民安。魏武淫祀の俗を禁止し、洪慶來臨す、前事忘れず、是れ將來の鑑。明德纔かに是れ馨香、憂無き人壽、寶を嗇む人夭せず、多く慘戚の人因此衰老す、此れ自然の理、外物何を爲すや。若し養和を失えば、伐削解けず、百病隙に順い結上し、榮衛枯竭して悟らず、太牢三牲、怎んぞ能く救わんや。世俗の謂う所、大皆是れ妖僞、轉相誑惑し、久しければ更加厲害し、既に能く病を療するの術を修めず、又能く彼の大迷を返回せず、藥石の救を務めず、只だ專ら祝祭の謬、祈禱停まず、卜を問いて倦まず、巫祝小人、妄りに禍祟を說き、疾病危急、只だ怕れる聞かざる所有るを、聞けば則ち修爲し、損費計量す可からず、富室財儲を竭盡し、貧人債を借りて倍息を付し、田宅割裂して盡くし、篋櫃倒裝して餘餘無し。或は偶然自ら差愈すれば、便ち神の賜を受けたと說く、若し死亡せば、便ち鬼赦を見ずと說く、幸いに誤りて活けば、財產窮盡し、于是又饑寒凍餓して死し、或は起ちて劫剽を做り、或は牆を穿ちて濫を行い、鋒鏑の端に身を喪し、自ら醜惡の刑に陷入る、皆是れ此に由りて來る。或は什物祭祀の費耗に盡き、穀帛貪濁の師巫に淪し、既死の日、再び棺木の錢、衣衾の周全無し、尸をして朽ちて蟲流れしむ、實に悼む可し。愚民の蔽、竟然此に至る。淫祀妖邪、是れ禮律の禁ずる所。然れども凡夫、終に悟る可からず。只だ當に王者更に法制を加嚴し、犯す輕重を論ぜず、皆大辟を致し、巫祝肯んじて停止せざるを購募し、刑して赦さず、尸を市路に陳す、不過少時、必ず當に絕息す、故に百姓をして凍饑の源を堵住せしめ、盜賊の萌を塞ぐ、不是小惠。
曩者有張角柳根王歆李申之徒,或稱千歲,假託小術,坐在立亡,變形易貌,誑眩黎庶,糾合群愚,進不以延年益壽為務,退不以消災治病為業,遂以招集奸黨,稱合逆亂,不純自伏其辜,或至殘滅良人,或欺誘百姓,以規財利,錢帛山積,富逾王公,縱肆奢淫,侈服玉食,妓妾盈室,管絃成列,刺客死士,為其致用,威傾邦君,勢凌有司,亡命逋逃,因為窟藪。皆由官不糾治,以臻斯患,原其所由,可為嘆息。吾徒匹夫,雖見此理,不在其位,末如之何!臨民官長,疑其有神,慮恐禁之,或致禍祟,假令頗有其懷,而見之不了,又非在職之要務,殿最之急事,而復是其愚妻頑子之所篤信,左右小人,並雲不可,阻之者眾,本無至心,而諫怖者異口同聲,於是疑惑,竟於莫敢,令人扼腕發憤者也。餘親見所識者數人,了不奉神明,一生不祈祭,身享遐年,名位巍巍,子孫蕃昌,且富且貴也。唯餘亦無事於斯,唯四時祀先人而已。曾所遊歷水陸萬里,道側房廟,固以百許,而往返徑遊,一無所過,而車馬無頗覆之變,涉水無風波之異,屢值疫癘,當得藥物之力,頻冒矢石,幸無傷刺之患,益知鬼神之無能為也。又諸妖道百餘種,皆煞生血食,獨有李家道無為為小差。然雖不屠宰,每供福食,無有限劑,市買所具,務於豐泰,精鮮之物,不得不買,或數十人廚,費亦多矣,復未純為清省也,亦皆宜在禁絕之列。
昔張角・柳根・王歆・李申の徒有り、或は自ら千歲と稱し、小術を假托し、坐して立亡し、形を變じ貌を易え、黎庶を誑眩し、群愚を糾合し、進んで以て延年益壽を務と爲さず、退いて以て災を消し病を治するを業と爲さず、於是奸黨を招集し、逆亂を稱合し、自ら辜に伏せざる、或は良人を殘滅し、或は百姓を欺誘し、以て財利を謀り、錢帛山のごとく堆積し、富王公を超過し、奢淫を縱肆し、服を侈り食を玉とし、妓妾室に滿ち、管絃列を成し、刺客死士、彼の爲に致用す、威勢邦君を壓過し、勢有司を凌ぐ、亡命逋逃、因此窟藪に當る。皆是れ官糾治せざるに由りて、以致此の患に至る、原を推して由る所、以て歎息す可し。我只だ是れ匹夫、雖も此の理を見るも、其の位に在らず、之を以て辦法無し。民に臨むの官長、彼らを疑して神有りと爲し、彼らを禁止するを擔心し、或は禍祟を招來せんと、假令心里頗る此の念頭有り、見るも卻りて了然せず、又是れ在職の要務・考課の急事に非ず、而も又是れ彼の愚妻頑子の篤信する所、左右小人、皆不可と說き、阻攔する人多し、本來至心無し、而も勸諫恐嚇する異口同聲、於是疑惑し、竟然敢えず、人をして腕を扼め發憤せしむ。我親ら見る所識の數人、全く神明を奉ぜず、一生祈祭せず、自身遐年を享け、名位巍巍、子孫蕃昌、且つ富且つ貴し。我亦此らに事無し、只だ四時先人を祭祀するのみ。曾て水陸萬里を游歷し、道邊の房廟、固より百來處有り、而も往返徑直走過し、一處亦經過せず、車馬傾覆の變無く、水に涉り風波の異無く、屢々疫癘に遇上し、當に是れ藥物の力を得、頻々に矢石を冒し、幸いに傷刺の患無し、更加知る鬼神能く作爲する有らずと。又諸種の妖道百餘種、皆生を殺し血食す、獨り李家道淸靜無爲稍微好しと算す。然れども雖も屠宰せず、每に福食を供するに逢えば、限量無く、市買の備うる所、務めて豐泰を求め、精鮮の物、買わざるを得ず、或は數十人厨に下り、費用亦多し、又尚ほ未だ純粹淸省ならず、亦皆當に禁絕の列に在るべし。
或問李氏之道起於何時。餘答曰:吳大帝時,蜀中有李阿者,穴居不食,傳世見之,號為八百歲公。人往往問事,阿無所言,但占阿顏色。若顏色欣然,則事皆吉;若顏容慘慼,則事皆兇;若阿含笑者,則有大慶;若微嘆者,即有深憂。如此之候,未曾一失也。後一旦忽去,不知所在。後有一人姓李名寬,到吳而蜀語,能祝水治病頗愈,於是遠近翕然,謂寬為李阿,因共呼之為李八百,而實非也。自公卿以下,莫不雲集其門,後轉驕貴,不復得常見,賓客但拜其外門而退,其怪異如此。於是避役之吏民,依寬為弟子者恆近千人,而升堂入室高業先進者,不過得祝水及三部符導引日月行炁而已,了無治身之要、服食神藥、延年駐命、不死之法也。吞氣斷谷,可得百日以還,亦不堪久,此是其術至淺可知也。餘親識多有及見寬者,皆雲寬衰老羸悴,起止咳噫,目瞑耳聾,齒墮發白,漸又昏耗,或忘其子孫,與凡人無異也。然民復謂寬故作無異以欺人,豈其然乎?吳曾有大疫,死者過半。寬所奉道室,名之為廬,寬亦得溫病,託言入廬齋戒,遂死於廬中。而事寬者猶復謂之化形尸解之仙,非為真死也。夫神仙之法,所以與俗人不同者,正以不老不死為貴耳。今寬老則老矣,死則死矣,此其不得道,居然可知矣,又何疑乎?若謂於仙法應尸解者,何不且止人間一二百歲,住年不老,然後去乎?天下非無仙道也,寬但非其人耳。餘所以委曲論之者,寬弟子轉相教授,佈滿江表,動有千許,不覺寬法之薄,不足遵承而守之,冀得度世,故欲令人覺此而悟其滯迷耳。
有人李氏の道何時に起るを問う。我回答えて曰く、吳大帝の時、蜀中に李阿有り、穴居して食わず、世を傳え皆彼を見る能く、號は八百歲公。人往往事を問う、阿言說無し、只だ阿の顏色を看て以て卜を問う。若し顏色欣然なれば、則ち事皆吉。若し顏容慘戚なれば、則ち事皆凶。若し阿笑を含めば、則ち大慶有り。若し微微に歎息すれば、則ち深憂有り。此のごとき徵候、曾て一度失誤無し。後來ある日忽然として去り、在る所を知らず。後來一人有り姓は李名は寬、吳地に到りて蜀語を說き、能く水を祝して病を治して頗る愈ゆる有り、於是遠近翕然、寬則ち李阿と說き、因此共同彼を呼んで李八百と爲す、而も其の實不是。公卿以下、彼の門下に雲集せざる無し、後來轉じて驕貴し、再び能く常見せず、賓客只だ其の外門を拜して則ち退く、怪異此に至る。於是役を避くるの吏民、寬に依りて弟子と做る常に千人に近し、而も堂に升り室に入り、高業先進の、不過祝水及び三部符・日月を導引し、炁を行うを得るのみ、全く身を治するの要、神藥を服食し、年を延し命を駐め、不死の法無し。氣を吞み穀を斷てば、以て百日以內を得る可し、亦耐えて久しくする能わず、此れ其の術至淺を以て知る可し。我親識の裏趕上して寬を見る多有り、皆曰く寬衰老羸悴し、起止咳嗽噫氣し、目瞑み耳聾み、齒墮ち髮白く、漸漸又昏耗し、或は其の子孫を忘れ、凡人與差異無し。然れども民又寬故意無差異を裝作して以て人を欺くと說く、豈に是れ然らんや。吳曾て大疫有り、死者過半。寬の奉する所の道室、名は廬、寬亦溫病を得、廬に入りて齋戒すと托言し、於是廬中に死す。而も寬を事奉する人還た彼を化形尸解の仙と說く、不是眞死。神仙の法、俗人與同じからざる所以、正是れ不老不死を以て貴と爲すのみ。今寬老いれば則ち老い、死すれば則ち死す、此れ彼の道を得ざる、顯然として知る可し、又何の疑有らん。若し仙法に按りて當に尸解すべしと說かば、何を爲す且く人間に留まりて一二百歲、年を住して老いず、然る後去らざるや。天下仙道無きに非ず、寬只だ不是彼の種の人のみ。我の委曲に此らを論述する所以は、以て寬の弟子轉相教授し、江表に布滿し、動すれば則ち千來人有り、寬法の淺薄を覺えず、遵承して之を守るに足らず、世を度るを得んと希望す、故に人をして此を察覺して彼の滯迷を醒悟せしめんと欲するのみ。
天下有似是而非者,實為無限,將復略說故事,以示後人之不解者。昔汝南有人於田中設繩罥以捕獐而得者,其主未覺。有行人見之,因竊取獐而去,猶念取之不事。其上有鮑魚者,乃以一頭置罥中而去。本主來,於罥中得鮑魚,怪之以為神,不敢持歸。於是村裡聞之,因共為起屋立廟,號為鮑君。後轉多奉之者,丹楹藻梲,鐘鼓不絕。病或有偶愈者,則謂有神,行道經過,莫不致祀焉。積七八年,鮑魚主後行過廟下,問其故,人具為之說。其鮑魚主乃曰,此是我鮑魚耳,何神之有?於是乃息。
天下似て是にして非なる有り、實に無限、將に再び故事を略說し、以て後人解せざる人に拿げて看せん。昔汝南人田中に繩套を設けて麞を捕えて而も捕得たり、主人未だ發覺せず。行人有りて見、因此麞を偷取して去り、還た念る之を取りて事に像さずと。彼の身上に鮑魚有り、則ち一頭を取りて套中に放ちて去る。本主來り、套中に鮑魚を得、之を怪しみ以て神と爲し、敢て拿還せず。於是村里聞き、因此共同屋を起ち廟を立て、號は鮑君。後來轉じて奉祀する人更に多く、楹を丹にし棁を藻とし、鐘鼓絕えず。病或は偶然愈ゆる有れば、則ち神有りと說き、道を行て經過する、祀を致さざる無し。七八年を積し、鮑魚主人後來廟下を行過し、緣故を問えば、人詳細彼に說く。彼の鮑魚主人則ち曰く、此れ我の鮑魚のみ、何の神有らんと。於是纔かに停息す。
又南頓人張助者,耕白田,有一李栽,應在耕次,助惜之,欲持歸,乃掘取之,未得即去,以溼土封其根,以置空桑中,遂忘取之。助後作遠職不在。後其裡中人,見桑中忽生李,謂之神。有病目痛者,蔭息此桑下,因祝之,言李君能令我目愈者,謝以一肫。其目偶愈,便殺肫祭之。傳者過差,便言此樹能令盲者得見。遠近翕然,同來請福,常車馬填溢,酒肉滂沱,如此數年。張助罷職來還,見之,乃曰,此是我昔所置李栽耳,何有神乎?乃斫去便止也。
又南頓人張助、白田を耕し、李苗一棵有り、當に耕の次序の裏に在る、助之を愛惜し、拿還せんと欲し、則ち掘取し、未だ立刻離去せず、濕土を以て其の根を封じ、之を空桑中に放ち、於是取るを忘る。助後來遠職を做りて在らず。後來里中人、桑中忽然李を生ずを見、之を神と說く。病目痛の有る、此の桑下に蔭息し、因此祝禱して曰く、李君若能く我をして目愈えしめば、豬腿一隻を以て謝せんと。其の目偶然愈え、便ち豬腿を殺して之を祭る。傳說分寸を超過し、便ち此の樹能く盲者をして見を得しむと說く。遠近翕然、同じく來りて福を請い、常に車馬填溢し、酒肉滂沱、此のごとく數年。張助職を罷めて回來り、之を見て、則ち曰く、此れ我が從前放置せし李苗のみ、哪れにか神有らんと。則ち砍去し、便ち停止す。
又汝南彭氏墓近大道,墓口有一石人,田家老母到市買數片餅以歸,天熱,過蔭彭氏墓口樹下,以所買之餅暫著石人頭上,忽然便去,而忘取之。行路人見石人頭上有餅,怪而問之。或人云,此石人有神,能治病,愈者以餅來謝之。如此轉以相語,雲頭痛者摩石人頭,腹痛者摩石人腹,亦還以自摩,無不愈者。遂千里來就石人治病,初但雞豚,後用牛羊,為立帷帳,管絃不絕,如此數年。忽日前忘餅母聞之,乃為人說,始無復往者。
又汝南彭氏の墓大道に靠近し、墓口に石人一個有り、田家老母市上に到りて數片の餅を買い回來り、天熱、彭氏墓口の樹下を經過して歇蔭し、買う所の餅を暫時石人頭上に放ち、忽然便ち離去し、取るを忘る。行路人石人頭上に餅有るを見、怪しみて問う。或は有人曰く、此の石人神有り、能く病を治す、愈えたる者餅を拿げて以て之を謝すと。此のごとく輾轉相語り、頭痛すると說くは石人頭を摩し、腹痛すると說くは石人腹を摩し、亦還た以て自摩す、愈えざる無し。於是千里來りて石人に就きて病を治す、起初只だ雞豚を以てし、後來牛羊を以てす、彼の爲に帷帳を立て、管絃絕えず、此のごとく數年。忽然日前餅を忘れし老母聞說き、則ち人に對して說く、纔かに再び去る人無し。
又洛西有古大墓,穿壞多水,墓中多石灰,石灰汁主治瘡,夏月,行人有病瘡者煩熱,見此墓中水清好,因自洗浴,瘡偶便愈。於是諸病者聞之,悉往自洗,轉有飲之以治腹內疾者。近墓居人,便於墓所立廟舍而賣此水。而往買者又常祭廟中,酒肉不絕。而來買者轉多,此水盡,於是賣水者常夜竊他水以益之。其遠道人不能往者,皆因行便或持器遺信買之。於是賣水者大富。人或言無神,官申禁止,遂填塞之,乃絕。
又洛西に古大墓有り、穿壞して水多く、墓中石灰多し、石灰汁主に瘡を治す、夏天、行人瘡に病み煩熱する有り、此の墓中の水淸好なるを見、因此自ら洗浴し、瘡偶然便ち愈ゆ。於是諸の病む人聞き、皆去りて自ら洗い、轉じて之を飲して以て腹內疾を治する有り。墓に靠近して住する人、便ち墓所に廟舍を立てて此の水を賣る。而も去りて買う人又常に廟中に祭し、酒肉絕えず。來りて買う轉じて更に多く、此の水盡き、於是水を賣る常に夜に他水を偷んで以て添す。彼ら遠道にして去る能わざる者、皆出行に趁い或は人を托して器を帶び、信を送りて以て買う。於是水を賣る大富す。或は人神無しと說き、官令を申し禁止し、於是塡塞し、纔かに絕つ。
又興古太守馬氏在官,有親故人投之求恤焉,馬乃令此人出外住,詐雲是神人道士,治病無不手下立愈。又令辨士遊行,為之虛聲,雲能令盲者登視,躄者即行。於是四方雲集,趨之如市,而錢帛固已山積矣。又敕諸求治病者,雖不便愈,當告人言愈也,如此則必愈;若告人未愈者,則後終不愈也,道法正爾,不可不信。於是後人問前來者,前來輒告之雲已愈,無敢言未愈者也。旬日之閒,乃致鉅富焉。凡人多以小黠而大愚,聞延年長生之法,皆為虛誕,而喜信妖邪鬼怪,令人鼓舞祈祀。所謂神者,皆馬氏誑人之類也,聊記其數事,以為未覺者之戒焉。”
又興古太守馬氏官に在り、親故有りて來り投奔し救濟を求め、馬則ち此の人をして出外住せしめ、詐りて是れ神人道士と稱し、病を治して手下立刻愈えざる無しとす。又辨士をして游行せしめ、彼の爲に虛く聲名を張らしめ、能く盲者をして登時見せしめ、瘸を立刻走らしむと說く。於是四方雲集し、之に趨くこと市のごとし、錢帛固より已に山のごとく堆積す。又敕令諸の病を治せんと求むる、即使愈ゆに便せず、亦當に人に告げて曰く愈えたりと、此のごとくすれば則ち必ず愈ゆ。若し人に告げて未愈なれば、則ち後來終に愈えず、道法正是れ此のごとく、信ぜざる可からずと。於是後來の人前の來るを問う、前の來る則ち告げて已に愈えたりと說き、敢て未愈と說く無し。旬日の閒、則ち巨富を致す。凡人多く是れ小聰明にして大愚、延年長生の法を聞く、皆以て虛誕と爲す、卻りて妖邪鬼怪を信ずるを好み、人をして鼓舞祈祀せしむ。謂う所の神、皆是れ馬氏の人を誑くの一類、聊か此の數事を記し、以て未だ覺悟せざる人の戒と爲す」と。
或問曰:“世有了無知道術方伎,而平安壽考者,何也?”抱朴子曰:“諸如此者,或有陰德善行,以致福佑;或受命本長,故令難老遲死;或亦幸而偶爾不逢災傷。譬猶田獵所經,而有遺禽脫獸;大火既過,時餘不燼草木也。要於防身卻害,當修守形之防禁,佩天文之符劍耳。祭禱之事無益也,當恃我之不可侵也,無恃鬼神之不侵我也。然思玄執一,含景環身,可以辟邪惡,度不祥,而不能延壽命,消體疾也。任自然無方術者,未必不有終其天年者也,然不可以值暴鬼之橫枉,大疫之流行,則無以卻之矣。夫儲甲冑,蓄蓑笠者,蓋以為兵為雨也。若幸無攻戰,時不沈陰,則有與無正同耳。若矢石霧合,飛鋒煙交,則知裸體者之困矣。洪雨河傾,素雪彌天,則覺露立者之劇矣。不可以薺麥之細碎,疑陰陽之大氣,以誤晚學之散人,謂方術之無益也。”
有人問道て曰く「世上完全に術方技を知らず、卻りて平安壽考する有るは何を爲す」と。抱朴子曰く「此のごときの類、或は陰德善行有りて、以致福佑。或は受命本來長く、故に老い難く死遲し。或は亦幸にして偶り災傷に逢わず。譬へば田獵の經過する所、還た遺禽脫獸有り。大火既に過ぎ、時或は燒成灰を被らざるの草木を剩下す。要は身を防ぎ害を卻くに在り、當に形を守るの防禁を修め、天文の符劍を帶佩するのみ。祭禱の事益處無し、當に我の侵されざるを依仗し、鬼神の我を侵さざるを依仗する勿れ。然れども玄を思い一を執し、景を含み身を環れば、以て邪惡を辟き、不祥を度過す可し、卻りて能く壽命を延長し、體疾を消除せず。自然を任して方術無きは、未だ必ずしも其の天年を終る無きに非ず、然れども以て暴鬼の橫枉・大疫の流行に遇上す可からず、則ち退却するに從う無し。甲胄を儲備し蓑笠を蓄積するは、蓋し是れ兵の爲、雨の爲。若し幸にして攻戰無く、時令陰沈せざれば、則ち有と無正好同じ。若し矢石霧のごとく合して來り、飛鋒煙塵交錯せば、則ち裸體の人の困を知る。洪雨河のごとく傾瀉し、素雪天に滿ちれば、則ち露立の人の劇苦を覺ゆ。以て薺麥の細碎を、陰陽の大氣を疑い、以て晚學の散人を誤る可からず、方術益處無しと說く」と。
卷十·明本
卷十・明本
或問儒道之先後。抱朴子答曰:“道者,儒之本也;儒者,道之末也。先以為陰陽之術,眾於忌諱,使人拘畏;而儒者博而寡要,勞而少功;墨者儉而難遵,不可遍循;法者嚴而少恩,傷破仁義。唯道家之教,使人精神專一,動合無形,包儒墨之善,總名法之要,與時遷移,應物變化,指約而易明,事少而功多,務在全大宗之樸,守真正之源者也。而班固以史遷先黃老而後六經,謂遷為謬。夫遷之洽聞,旁綜幽隱,沙汰事物之臧否,核實古人之邪正。其評論也,實原本於自然,其褒貶也,皆準的乎至理。不虛美,不隱惡,不雷同以偶俗。劉向命世通人,謂為實錄;而班固之所論,未可據也。固誠純儒,不究道意,玩其所習,難以折中。夫所謂道,豈唯養生之事而已乎?易曰:立天之道,曰陰與陽;立地之道,曰柔與剛;立人之道,曰仁與義。又曰:易有聖人之道四焉,苟非其人,道不虛行。又於治世隆平,則謂之有道,危國亂主,則謂之無道。又坐而論道,謂之三公,國之有道,貧賤者恥焉。凡言道者,上自二儀,下逮萬物,莫不由之。但黃老執其本,儒墨治其末耳。今世之舉有道者,蓋博通乎古今,能仰觀俯察,歷變涉微,達興亡之運,明治亂之體,心無所惑,問無不對者,何必修長生之法,慕松喬之武者哉?而管窺諸生,臆斷瞽說,聞有居山林之間,宗伯陽之業者,則毀而笑之曰,彼小道耳,不足算也。嗟乎!所謂抱螢燭於環堵之內者,不見天光之焜爛;侶鮋鰕於跡水之中者,不識四海之浩汗;重江河之深,而不知吐之者崑崙也;珍黍稷之收,而不覺秀之者豐壤也。今苟知推崇儒術,而不知成之者由道。道也者,所以陶冶百氏,範鑄二儀,胞胎萬類,醞釀彝倫者也。世間淺近者眾,而深遠者少,少不勝眾,由來久矣。是以史遷雖長而不見譽,班固雖短而不見彈。
有人儒與道孰れか先孰れか後を問う。抱朴子回答えて曰く「道是れ儒の本。儒是れ道の末。先前以て陰陽の術、忌諱多く、人をして拘畏せしむと爲す。而も儒者博にして要領少なく、勞にして功少なし。墨者儉にして遵い難く、普遍遵循す可からず。法者嚴にして恩少なく、仁義を傷破す。只有道家の教、人をして精神專一ならしめ、擧動無形に合し、儒墨の善を包み、名法の要を總め、時與遷移し、物に應じて變化し、指約にして明らかに易く、事少なくして功多し、務めて大宗の朴を保全し、眞正の源を守住すに在り。而も班固史遷先黃老にして後六經を以て、遷錯れたりと說く。遷の洽聞、幽隱を旁綜し、事物の善惡を沙汰し、古人の邪正を核實す。其の評論、實に自然に原本し、其の褒貶、皆至理に對準す。虛美せず、惡を隱さず、雷同して俗に迎合せず。劉向是れ命世通人、是れ實錄と說く。而も班固の論ずる所、未だ依據す可からず。班固誠に是れ純儒、道意を究めず、其の習う所を玩ぶ、以て折中し難し。謂う所の道、哪れにか只だ養生の事のみならんや。《易》曰く、天を立てるの道、陰與陽と曰い。地を立てるの道、柔與剛と曰い。人を立てるの道、仁與義と曰うと。又曰く、《易》聖人の道四有り、若し彼の種の人に非ざれば、道虛行せずと。又治世隆平に對しては、則ち道有りと說き、危國亂主、則ち道無しと說く。又坐して道を論ずる、三公と稱す、國道有れば、貧賤の人以て恥と爲す。凡そ道を說く、上二儀より下萬物に及ぶまで、其に由らざる無し。只だ黃老其の本を執し、儒墨其の末を治するのみ。今世上擧げて道有りと爲すは、蓋し是れ古今を博通し、能く仰觀俯察し、變化を經歷し、精微に涉入し、興亡の運を通達し、治亂の體を明白し、心里疑惑無く、問に對えざる能わざる無し、何必長生の法を修め、赤松子王子喬の足跡を慕わんや。而も管窺の諸生、臆斷瞽說し、山林の閒に住し、伯陽の業を宗とする有るを聞けば、則ち毀りて彼を笑い曰く、彼れ小道のみ、算するに足らずと。嗚呼。謂う所の環堵の內に螢燭を抱くは、天光の焜爛を見ず。足跡積水に鮋鰕與侶と爲るは、四海の浩汗を識らず。江河の深を看重して、卻りて彼らを吐出するは是れ昆崙を知らず。黍稷の收成を珍視して、卻りて彼らを秀實せしむる是れ豐壤を覺えず。今但だ儒術を推崇するを知りて、卻りて它を成就する是れ道に由るを知らず。道此の東西、是れ以て百氏を陶冶し、模子を以て二儀を鑄成し、萬類を胞胎し、彝倫を醞釀す。世閒淺近の人多く、深遠の人少なし、少衆に勝たず、由來已久し。故に史遷雖も長ずる所しかれども稱譽を見ず、班固雖も短ずる所しかれども彈劾を見ず。
然物以少者為貴,多者為賤,至於人事,豈獨不然?故藜藿彌原,而芝英不世;枳棘被野,而尋木間秀;沙礫無量,而珠璧甚鮮;鴻隼屯飛,而鸞鳳罕出;虺蜴盈藪,而虯龍希覿;班生多黨,固其宜也。夫道者,內以治身,外以為國,能令七政遵度,二氣告和,四時不失寒燠之節,風雨不為暴物之災,玉燭表昇平之徵,澄醴彰德洽之符,焚輪虹霓寢其妖,頹雲商羊戢其翼,景耀高照,嘉禾畢遂,疫癘不流,禍亂不作,巉壘不設,干戈不用,不議而當,不約而信,不結而固,不謀而成,不賞而勸,不罰而肅,不求而得,不禁而止,處上而人不以為重,居前而人不以為患,號未發而風移,令未施而俗易,此蓋道之治世也。故道之興也,則三五垂拱而有餘焉。道之衰也,則叔代馳騖而不足焉。夫唯有餘,故無為而化美。夫唯不足,故刑嚴而奸繁。黎庶怨於下,皇靈怒於上。或洪波橫流,或亢陽赤地,或山谷易體,或冬雷夏雪,或流血漂櫓,積屍築京,或坑降萬計,析骸易子,城愈高而沖愈巧,池愈深而梯愈妙,法令明而盜賊多,盟約數而叛亂甚,猶風波駭而魚鱉擾於淵,纖羅密而羽禽躁於澤,豺狼眾而走獸劇於林,爨火猛而小鮮糜於鼎也。君臣易位者有矣,父子推刃者有矣,然後忠義制名於危國,孝子收譽於敗家。疾疫起而巫醫貴矣,道德喪而儒墨重矣。由此觀之,儒道之先後,可得定矣。”
(抱朴子接續して曰く)然れども物少きを以て貴と爲し、多きを以て賤と爲す、至於人事、豈に獨り此のごとくならざらんや。故に藜藿原野に鋪滿し、而も芝英常に世に出でず。枳棘田野を覆蓋し、而も尋木間或に秀出す。沙礫無量、而も珠璧甚だ少なし。鴻隼群を成して飛び、而も鸞鳳罕出。虺蜴藪に滿ち、而も虯龍少見。班生黨羽多し、固より是れ應當なり。道此の東西、內以て身を治め、外以て國と爲し、能く七政をして度を遵らしめ、二氣和を告げ、四時寒暖の節を失わず、風雨暴物の災と成らず、玉燭升平の徵を表し、澄醴德洽の符を彰す、焚輪虹霓其の妖を停息し、頹雲商羊其の翼を收斂し、景耀高照り、嘉禾全部遂成し、疫癘流れず、禍亂作らず、巉壘設けず、干戈用いず、議せずして恰當、約せずして信有り、結ばずして牢固、謀らずして成、賞せずして勸め、罰せずして肅、求めずして得、禁せずして止まり、上に處りて人以て重と爲さず、前に居りて人以て患と爲さず、號令未だ發せずして風氣已に移り、法令未だ施さずして習俗已に易ゆ、此れ蓋し是れ道の治世。故に道興盛なれば、則ち三皇五帝拱を垂れて尚ほ餘有り。道衰微なれば、則ち叔世馳騖して尚ほ足らず。正に餘有るに因りて、故に無爲にして化美なり。正に足らざるに因りて、故に刑嚴にして奸繁なり。黎庶下に怨み、皇靈上に怒る。或は洪波橫流し、或は亢陽赤地し、或は山谷形體を改換し、或は冬雷夏雪し、或は流血櫓を漂わし、尸を積みて高丘を築成し、或は降卒を坑殺するに萬を以て計し、骸を析き子を易え、城愈高くして衝車愈巧なり、池愈深くして雲梯愈妙なり、法令明にして盜賊多く、盟約頻繁にして叛亂更に甚だし、譬へば風波驚駭して魚鱉淵中に擾動し、纖羅密にして羽禽澤中に躁し、豺狼多くして走獸林中に劇急し、竈火猛くして小魚鼎中に糜爛す。君臣位を換る有り、父子刀を動かす有り、然る後忠義危國に名を制し、孝子敗家に譽を收得す。疾疫起りて巫醫貴し、道德喪して儒墨重し。此に由りて觀れば、儒道の先後、以て確定を得る可し」と。
或問曰:“昔赤松子王喬琴高老氏彭祖務成鬱華皆真人,悉仕於世,不便遐遁,而中世以來,為道之士,莫不飄然絕跡幽隱,何也?”抱朴子答曰:“曩古純樸,巧偽未萌,其信道者,則勤而學之,其不信者,則嘿然而已。謗毀之言,不吐乎口,中傷之心,不存乎胸也。是以真人徐徐於民間,不促促於登遐耳。末俗偷薄,雕偽彌深,玄淡之化廢,而邪俗之黨繁,既不信道,好為訕毀,謂真正為妖訛,以神仙為誕妄,或曰惑眾,或曰亂群,是以上士恥居其中也。昔之達人,杜漸防微,色斯而逝,夜不待旦,睹幾而作,不俟終日。故趙害鳴犢,而仲尼旋軫,醴酒不設,而穆生星行,彼眾我寡,華元去之。況乎明哲,業尚本異,有何戀之當住其間哉?夫淵竭池漉,則蛟龍不遊,巢傾卵拾,則鳳凰不集,居言於室,而翔鷗不下,凡卉春翦,而芝蓂不秀,世俗醜正,慢辱將臻,彼有道者,安得不超然振翅乎風雲之表,而翻爾藏軌於玄漠之際乎?山林之中非有道也,而為道者必入山林,誠欲遠彼腥羶,而即此清淨也。夫入九室以精思,存真一以招神者,既不喜喧譁而合汙穢,而合金丹之大藥,釒柬八石之飛精者,尤忌利口之愚人,凡俗之聞見,明靈為之不降,仙藥為之不成,非小禁也,止於人中,或有淺見毀之有司,加之罪福,或有親舊之往來,牽之以慶弔,莫若幽隱一切,免於如此之臭鼠矣。彼之邈爾獨往,得意嵩岫,豈不有以乎?或云:上士得道於三軍,中士得道於都市,下士得道於山林,此皆為仙藥已成,未欲昇天,雖在三軍,而鋒刃不能傷,雖在都市,而人禍不能加,而下士未及於此,故止山林耳。不謂人之在上品者,初學道當止於三軍都市之中而得也,然則黃老可以至今不去也。”
有人問道て曰く「昔赤松子・王喬・琴高・老氏・彭祖・務成・郁華皆是れ眞人、全く皆世に官を做し、立刻遠遁せず、而も中世以來、道を爲る之士、飄然として幽隱に絕跡せざる無し、何を爲す」と。抱朴子回答えて曰く「往古純樸、巧僞未だ萌生せず、道を信ずる人、則ち勤にして之を學び、信ぜざる人、則ち沉默のみ。謗毀の言、口より吐出せず、中傷の心、胸中に存在せず。故に眞人民閒に徐徐として行し、急促して遐に登らざるのみ。末俗偷薄、彫僞更深く、玄淡の化廢れ、邪俗の黨繁し、既に道を信ぜず、又訕毀を好み、眞正を以て妖訛と說き、神仙を以て誕妄と當て、或は衆を惑わすと說き、或は群を亂すと說く、故に上士其の中に住するを恥とす。從前の達人、漸を杜じ微を防ぎ、顏色對せざるを見れば則ち離去し、夜明けを待たず、幾微を見れば則ち行動し、終日を待たず。故に趙鳴犢を害し、仲尼車軫を掉轉し、醴酒設けず、穆生星夜走り、彼衆我寡、華元離去す。何況明哲、業尚本來同じからず、何の戀其の閒に住する可き有らん。淵枯竭し池漉盡くれば、則ち蛟龍游ばず。巢傾覆し卵拾われれば、則ち鳳凰集まらず。室中に言語すれば、翔鷗下り來らず。凡卉春に剪られれば、芝蓂秀でず。世俗正を醜とし、慢辱將に至らん、彼ら道有る人、怎んぞ能く超然として風雲の表に翅を振るい、而も翻然として玄漠の際に車轍を藏めざらんや。山林の中竝びに道有るに非ず、而も道を爲る人必ず山林に入る、實に彼の腥膻を遠離して、此の淸淨に就近せんと欲するなり。九室に入りて以て精思し、眞一を存して以て神を招く、既に喧嘩を喜ばず汙穢に合せず、而も金丹の大藥を合し、八石の飛精を煉する(底本「煉」を「钅柬」と作す)、尤も利口の愚人・凡俗の聞見を忌む、明靈因此降らず、仙藥因此成らず、不是小禁。人中に停まれば、或は淺見有司に向かい彼を毀り、罪福を以て加へ、或は親舊往來し、慶弔を以て彼を牽住し、幽隱一切に如かず、此のごとき臭鼠を免る。彼ら邈然として獨り往き、嵩岫に得意す、豈に緣故無からんや。或は說く、上士三軍に道を得、中士都市に道を得、下士山林に道を得る、此ら皆是れ仙藥已に成り、還た升天せんと欲せず、雖も三軍に在るも、鋒刃傷る能わず、雖も都市に在るも、人禍加ふる能わず、而も下士尚ほ未だ此に至らず、故に山林に停まるのみ。不是說く人品上に在るは、初め道を學べば則ち當に三軍都市の中に停まりて道を得べしと、則ち黃老以て今に至るまで離去せざる可きのみ」と。
或問曰:“道之為源本,儒之為末流,既聞命矣,今之小異,悉何事乎?”抱朴子曰:“夫升降俯仰之教,盤旋三千之儀,攻守進趣之術,輕身重義之節,歡憂禮樂之事,經世濟俗之略,儒者之所務也。外物棄智,滌盪機變,忘富逸貴,杜遏勸沮,不恤乎窮,不榮乎達,不戚乎毀,不悅乎譽,道家之業也。儒者祭祀以祈福,而道者履正以禳邪。儒者所愛者勢利也,道家所寶者無慾也。儒者汲汲於名利,而道家抱一以獨善。儒者所講者,相研之簿領也。道家所習者,遣情之教戒也。夫道者,其為也,善自修以成務;其居也,善取人所不爭;其治也,善絕禍於未起;其施也,善濟物而不德;其動也,善觀民以用心;其靜也,善居慎而無悶。此所以為百家之君長,仁義之祖宗也,小異之理,其較如此,首尾汙隆,未之變也。”
有人問道て曰く「道源本と作り、儒末流と作る、已に命を聽き、今の小異、皆是れ何の事」と。抱朴子曰く「升降俯仰の教、盤旋三千の儀、攻守進趣の術、身を輕く義を重くするの節、歡憂禮樂の事、經世濟俗の略、是れ儒者の務する所。物を外にし智を棄て、機變を滌蕩し、富を忘れ貴を逸し、勸沮を杜遏し、窮を以て憂と爲さず、達を以て榮と爲さず、毀を以て戚と爲さず、譽を以て悅と爲さず、是れ道家の業。儒者祭祀して以て福を祈り、而も道者正を履して以て邪を禳ぐ。儒者の愛する所是れ勢利、道家の寶とする所是れ無欲。儒者汲汲名利にして、而も道家一を抱きて以て獨善す。儒者の講ずる所、是れ相研核するの簿領。道家の習う所、是れ情を遣するの教戒。道此の東西、其れ爲す所有り、善く自修して以て務を成す。其れ居處、善く人の爭わざる所を取る。其れ治理、善く未だ起らざるの時禍を絕つ。其れ施與、善く物を濟して而も自ら德と爲さず。其れ行動、善く民を觀て以て心を用う。其れ靜處、善く愼に居りて悶無し。此れ是れ百家の君長・仁義の祖宗と爲る所以、小異の理、大較此のごとく、首尾高下、變無し」と。
或曰:“儒者,周孔也,其籍則六經也,蓋治世存正之所由也,立身舉動之準繩也,其用遠而業貴,其事大而辭美,有國有家不易之制也。為道之士,不營禮教,不顧大倫,侶狐貉於草澤之中,偶猿猱於林麓之閒,魁然流擯,與木石為鄰,此亦東走之迷,忘葵之甘也。”抱朴子答曰:“摛華騁豔,質直所不尚,攻蒙救惑,疇昔之所饜,誠不欲復與子較物理之善否,校得失於機吻矣。然觀孺子之墜井,非仁者之意,視瞽人之觸柱,非兼愛之謂耶?又陳梗概,粗抗一隅。夫體道以匠物,寶德以長生者,黃老是也。黃帝能治世致太平,而又昇仙,則未可謂之後於堯舜也。老子既兼綜禮教,而又久視,則未可謂之為減周孔也。故仲尼有竊比之嘆,未聞有疵毀之辭,而末世庸民,不得其門,修儒墨而毀道家,何異子孫而罵詈祖考哉?是不識其所自來,亦已甚矣。夫侏儒之手,不足以傾嵩華;焦僥之脛,不足以測滄海;每見凡俗守株之儒,營營所習,不博達理,告頑令嚚,崇飾惡言,誣詰道家,說糟粕之滓,則若睹駿馬之過隙也,涉精神之淵,則淪溺而自失也。猶斥鴳之揮短翅,以凌陽侯之波,猶蒼蠅之力駑質,以涉昫猿之峻,非其所堪,袛足速困。然而嘍嘍守於局隘,聰不經曠,明不徹離,而欲企踵以包三光,鼓腹以奮雷靈,不亦蔽乎?蓋登旋璣之眇邈,則知井谷之至卑,睹大明之麗天,乃知鷦金之可陋。吾非生而知之,又非少而信之,始者濛濛,亦如子耳,既觀奧秘之宏修,而恨離困之不早也。五經之事,注說炳露,初學之徒,猶可不解。豈況金簡玉札,神仙之經,至要之言,又多不書。登壇歃血,乃傳口訣,苟非其人,雖裂地連城,金璧滿堂,不妄以示之。夫指深歸遠,雖得其書而不師受,猶仰不見首,俯不知跟,豈吾子所詳悉哉?
有人曰く「儒者は、是れ周公孔子、彼らの籍是れ六經、蓋し是れ世を治め正を存するの由る所、身を立て擧動するの準繩、其の用遠くして業貴く、事大にして辭美、是れ國有家に改易す可からざるの制度。道を爲る之士、禮教を經營せず、大倫を顧みず、草澤の中に狐貉與侶と爲り、林麓の閒に猿猱與偶と爲り、魁然として流放擯棄せられ、木石與鄰と爲る、此れ亦東走の迷、葵の甘を忘るるなり」と。抱朴子回答えて曰く「華艷を鋪陳する、是れ質直の崇尚せざる所、蒙を攻め惑を救う、是れ往日の滿足する所、實に再び您與物理の善否を較量し、機鋒口舌上に得失を校せんと欲せず。然れども孺子井に墮つるを見る、不是仁者の心意の忍ぶ所、瞽人柱に觸るるを見る、不是兼愛の說なるか。再び梗概を陳說し、粗く一隅を抗す。道を體して以て物を匠成し、德を寶として以て長生する、是れ黃老。黄帝能く世を治め太平を致し、而又仙に升る、則ち以て堯舜の後に在りと說く可からず。老子既に禮教を兼綜し、而又久視す、則ち以て周公孔子より減ずと說く可からず。故に仲尼竊比の歎有り、未だ疵毀の辭有るを聞かず、而も末世庸民、其の門を得ず、儒墨を修めて道家を毀る、子孫祖考を罵詈するに何の異ならん。此れ是れ己の從來る所を識らず、亦已に過分なり。侏儒の手、以て嵩華を傾覆するに足らず。焦僥の脛、以て大海を測量するに足らず。每に凡俗守株の儒を見、習う所に營營し、理に博達せず、頑なるを告げ、奸なるを命じ、惡言を崇飾し、道家を誣詰し、糟粕の滓を說く、猶ほ駿馬の隙を過ぐるを見るがごとし、精神の淵に涉入すれば、則ち淪溺して自失す。譬へば斥鴳短翅を揮るい、以て陽侯の波を凌ぐがごとし、譬へば蒼蠅力駑質弱、以て昫猿の峻に涉るがごとし、不是其の堪うる所、只だ以て困頓を加速するに足る。然れども嘍嘍として局隘を守り、聰師曠を過ぎず、明離朱を徹せず、卻りて脚を踮げて以て三光を包み、腹を鼓して以て雷靈を奮わんと欲す、亦蔽ならずや。蓋し旋璣の眇邈に登上すれば、則ち井谷の至卑を知り、大明天に麗るを見れば、纔かに鷦鷯金子を當てて陋る可きを知る。我不是生れて之を知る、亦不是少にして之を信ず、初め蒙蒙、亦您のごときのみ、既に奧祕の宏修を觀看して、而も困頓を離るること早からざるを恨む。五經の事、注說炳露し、初學の徒、還た以て解せざる可し。何況金簡玉札、神仙の經、至要の言、又多く寫下さざるをや。壇に登り血を歃して、纔かに口訣を傳う、若し彼の種の人に非ざれば、雖も地を裂き城を連ね、金璧堂に滿つとも、亦妄りに之を拿げて見さず。意旨歸趨深遠、雖も書を得て師に從い受けざれば、譬へば仰いで首を見ず、俯して脚根を知らざるがごとし、哪れにか您の詳悉する能くする所ならんや」。
夫得仙者,或升太清,或翔紫霄,或造玄洲,或棲板桐,聽鈞天之樂,享九芝之饌,出攜松羨於倒景之表,入宴常陽於瑤房之中,曷為當侶狐貉而偶猿狖乎?所謂不知而作也。夫道也者,逍遙虹霓,翱翔丹霄,鴻崖六虛,唯意所造。魁然流擯,未為戚也。犧腯聚處,雖被藻繡,論其為樂,孰與逸麟之離群以獨往,吉光坼偶而多福哉?”
(抱朴子接續して曰く)仙を得る人、或は太清に升り、或は紫霄に翔り、或は玄洲に至り、或は板桐に栖り、鈞天の樂を聽き、九芝の饌を享け、出でて倒景の表に赤松子・羨門を攜帶し、入りて瑤房の中に平常・陽生を宴請す、何を爲す當に狐貉與侶と爲り猿狖與偶と爲らんや。謂う所の知らずして作る。道此の東西、虹霓に逍遙し、丹霄に翱翔し、鴻崖六虛、只だ意の到る所に隨う。魁然として流放擯棄せらるる、憂戚と算せず。犧牲肥牲聚處し、雖も藻繡を披くも、其の樂を論ずれば、逸麟群を離れ獨り往き、吉光偶を拆して福多きに比ぶれば、哪れか更に好しと爲さん」と。
卷十一·仙藥
卷十一・仙藥
抱朴子曰:神農四經曰,上藥令人身安命延,升為天神,遨遊上下,使役萬靈,體生毛羽,行廚立至。又曰,五芝及餌丹砂、玉札、曾青、雄黃、雌黃、雲母、太乙禹餘糧,各可單服之,皆令人飛行長生。又曰,中藥養性,下藥除病,能令毒蟲不加,猛獸不犯,惡氣不行,眾妖並闢。又孝經援神契曰,椒姜御溼,菖蒲益聰,巨勝延年,威喜闢兵。皆上聖之至言,方術之實錄也,明文炳然,而世人終於不信,可嘆息者也。仙藥之上者丹砂,次則黃金,次則白銀,次則諸芝,次則五玉,次則雲母,次則明珠,次則雄黃,次則太乙禹餘糧,次則石中黃子,次則石桂,次則石英,次則石腦,次則石硫黃,次則石臺,次則曾青,次則松柏脂、茯苓、地黃、麥門冬、木巨勝、重樓、黃連、石韋、楮實、象柴,一名托盧是也。或雲仙人杖,或雲西王母杖,或名天精,或名卻老,或名地骨,或名苟杞也。天門冬,或名地門冬,或名莚門冬,或名顛棘,或名淫羊食,或名管松,其生高地,根短而味甜,氣香者善。其生水側下地者,葉細似蘊而微黃,根長而味多苦,氣臭者下,亦可服食。然喜令人下氣,為益尤遲也。服之百日,皆丁肚倍吏於術及黃精也,入山便可蒸,若煮啖之,取足可以斷谷。若有力可餌之,亦可作散,並及絞其汁作酒,以服散尤佳。楚人呼天門冬為百部,然自有百部草,其根俱有百許,相似如一也,而其苗小異也。真百部苗似拔揳,唯中以治欬及殺蝨耳,不中服食,不可誤也。如黃精一名白及,而實非中以作糊之白及也。按本草藥之與他草同名者甚多,唯精博者能分別之,不可不詳也。黃精一名兔竹,一名救窮,一名垂珠。服其花勝其實,服其實勝其根,但花難多得。得其生花十斛,乾之才可得五六鬥耳,而服之日可三合,非大有役力者不能辨也。服黃精僅十年,乃可大得其益耳。
抱朴子曰く、神農四經曰く、上藥人をして身安く命延び、天神に升りて、上下を遨游し、萬靈を役使し、身上毛羽を生出し、行厨立刻に至らしむと。又曰く、五芝及び丹砂・玉札・曾青・雄黃・雌黃・雲母・太乙禹餘糧を服食す、各々以て單服す可し、皆人をして飛行長生せしむと。又曰く、中藥性を養い、下藥病を除き、能く毒蟲をして加えざらしめ、猛獸をして犯さざらしめ、惡氣をして行わせざらしめ、衆妖一竝に避くると。又《孝經援神契》曰く、椒姜濕を御し、菖蒲聰を益し、巨勝年を延し、威喜兵を辟くと。皆是れ上聖の至言、方術の實錄、明文炳然、而も世人終に信信ぜず、歎息す可きなり。仙藥最上は是れ丹砂、其次黃金、其次白銀、其次諸芝、其次五玉、其次雲母、其次明珠、其次雄黃、其次太乙禹餘糧、其次石中黃子、其次石桂、其次石英、其次石腦、其次石硫黃、其次石台、其次曾青、其次松柏脂・茯苓・地黃・麥門冬・木巨勝・重樓・黃連・石韋・楮實・象柴、一名托盧。或は仙人杖と說き、或は西王母杖と說き、或は名天精、或は名卻老、或は名地骨、或は名枸杞。天門冬、或は名地門冬、或は名莚門冬、或は名顛棘、或は名淫羊食、或は名管松、高地に生じ、根短にして味甘く、氣香なる好し。水邊低下の地に生ずるは、葉細くして薀のごとく微黃し、根長にして味多く苦く、氣臭くして低下、亦以て服食す可し。然れども人をして下氣せしめ易く、益を得ること尤も遲し。之を服すること百日、皆術與黃精より更に能く人をして壯實ならしむ(底本「丁肚倍吏」と作す、「肚」「吏」當に「壯」「于」の類の訛殘なるべし)、山に入れば便ち以て蒸し、或は煮て喫し、足を取りて以て穀を斷つ可し。若し力有りて以て之を餌食せば、亦以て散を作り、并且其の汁を絞りて酒を作り、拿げて以て散を服する尤も好し。楚人天門冬を呼びて百部と爲す、然れども別に自ら百部草有り、其の根皆百來條有り、相似如一、而も苗稍々不同。眞百部苗菝葜に似る、只だ咳を治し及び虱を殺すに適すのみ、服食に適さず、錯誤す可からず。像黄精一名白及、而も其の實不是糊を作るに適するの白及。本草の裏藥別の草與同名多き有り、只有精博の人能く分別す、詳審せざる可からず。黃精一名兔竹、一名救窮、一名垂珠。其の花を服する其の實に勝り、其の實を服する其の根に勝る、只だ花多く得難し。其の生花十斛を得、干して纔かに五六斗を得る可きのみ、而も服の日に以て三合可し、不是大に役力有る人辦う能わず。黃精を服すること僅かに十年、纔かに以て大に其の益處を得るのみ。
俱以斷谷不及術,術餌令人肥健,可以負重涉險,但不及黃精甘美易食,凶年可以與老小休糧,人不能別之,謂為米脯也。
(上文接續して曰く)皆拿げて以て穀を斷てば、術に及ばず、術餌人をして肥健ならしめ、以て重を負い險に涉る可し、只だ黃精のごとく甘美易喫ならず、凶年以て老小に糧を休ましめ可し、人它を辨別する能わず、米脯と說く。
五芝者,有石芝,有木芝,有草芝,有肉芝,有菌芝,各有百許種也。
五芝、石芝有り、木芝有り、草芝有り、肉芝有り、菌芝有り、各々百來種有り。
石芝者,石象芝生於海隅名山,及島嶼之涯有積石者,其狀如肉象有頭尾四足者,良似生物也,附於大石,喜在高岫險峻之地,或卻著仰綴也。赤者如珊瑚,白者如截肪,黑者如澤漆,青者如翠羽,黃者如紫金,而皆光明洞徹如堅冰也。晦夜去之三百步,便望見其光矣。大者十餘斤,小者三四斤,非久齋至精,及佩老子入山靈寶五符,亦不能得見此輩也。凡見諸芝,且先以開山卻害符置其上,則不得復隱蔽化去矣。徐徐擇王相之日,設醮祭以酒脯,祈而取之,皆從日下禹步閉氣而往也。又若得石象芝,搗之三萬六千杵,服方寸匕,日三,盡一斤,則得千歲;十斤,則萬歲。亦可分人服也。又玉脂芝,生於有玉之山,常居懸危之處,玉膏流出,萬年已上,則凝而成芝,有似鳥獸之形,色無常彩,率多似山玄水蒼玉也。亦鮮明如水精,得而末之,以無心草汁和之,須臾成水,服一升,得一千歲也。七明九光芝,皆石也,生臨水之高山石崖之間,狀如盤碗,不過徑尺以還,有莖蒂連綴之,起三四寸,有七孔者,名七明,九孔者名九光,光皆如星,百餘步內,夜皆望見其光,其光自別,可散不可合也。常以秋分伺之得之,搗服方寸匕,入口則翕然身熱,五味甘美,盡一斤則得千歲,令人身有光,所居暗地如月,可以夜視也。石蜜芝,生少室石戶中,戶中便有深谷,不可得過,以石投谷中,半日猶聞其聲也。去戶外十餘丈有石柱,柱上有偃蓋石,高度徑可一丈許,望見蜜芝從石戶上墮入偃蓋中,良久,輒有一滴,有似雨後屋之餘漏,時時一落耳。然蜜芝墮不息,而偃蓋亦終不溢也。戶上刻石為科斗字,曰得服石蜜芝一斗者壽萬歲。諸道士共思惟其處,不可得往,唯當以碗器著勁竹木端以承取之,然竟未有能為之者。按此石戶上刻題如此,前世必已有得之者也。石桂芝,生名山石穴中,似桂樹而實石也。
石芝、石象芝海隅名山に生じ、以及島嶼の涯積石有るの地方、形狀肉象に似て頭尾四足有り、甚だ活物に似る、大石に附著し、高岫險峻の地に喜ぶ、或は倒れて仰ぎ綴る。赤は珊瑚に似る、白は截肪に似る、黑は澤漆に似る、青は翠羽に似る、黃は紫金に似る、而も皆光明洞徹して堅冰のごとし。晦夜之を離るること三百步、便ち其の光を望見す。大なるは十餘斤、小なるは三四斤、不是久齋至精、以及老子入山靈寶五符を佩ずるも、亦此の類を見得る能わず。凡そ諸芝を見るは、暫時先ず開山卻害符を其の上に放てば、則ち能く再び隱蔽化去せず。徐徐として王相の日を選擇し、醮祭を設けて酒脯を用い、祈りて之を取る、皆日下より禹步して氣を閉じて去る。又若し石象芝を得れば、三萬六千杵を擣き、方寸匕を服し、一日三次、一斤を盡くせば、則ち千歲を得。十斤、則ち萬歲。亦以て人に分けて服せしむ可し。又玉脂芝、玉有るの山に生じ、常に懸危の處に居り、玉膏流出し、萬年以上、則ち凝りて芝と成る、鳥獸の形のごとき有り、色常彩無く、大都山玄水蒼玉に似る。亦鮮明にして水晶のごとし、得て研末し、無心草汁を以て之を和せば、片刻水と成り、一升を服せば、一千歲を得。七明九光芝、皆是れ石、水に臨むの高山石崖の閒に生じ、狀盤碗のごとく、不過徑尺以內、莖蒂有りて之を連綴し、高出三四寸、七孔有るは、名は七明、九孔の名は九光、光皆星のごとく、百餘步內、夜皆其の光を望見す、彼の光各々自ら分別し、散ず可くして合す可からず。常に秋分に伺候して之を得、擣きて方寸匕を服せば、口に入れば則ち翕然として身熱し、五味甘美、一斤を盡くせば則ち千歲を得、人をして身光有らしめ、住する所の暗地月のごとく、以て夜視す可し。石蜜芝、少室石戶中に生じ、戶中便ち深谷有り、以て過ぎるを得ず、石頭を拿げて谷中に投進すれば、半日還た聲を聞く。戶外を離るる十餘丈に石柱有り、柱上に偃蓋石有り、高度徑大約一丈左右、蜜芝の石戶上より偃蓋中に墮入るを望見す、甚だ久しければ、則ち一滴有り、雨後の屋上の餘漏に好く似て、時時一滴を落とすのみ。然れども蜜芝墮ちて停まず、而も偃蓋亦終に溢出せず。戶上石を刻して蝌蚪字と爲し、說く之を服する石蜜芝一斗を得る人壽萬歲と。諸道士共同彼の處所を思量す、得て前往す可からず、只だ當に碗器を勁竹木端に安じて以て之を承接取すべし、然れども竟然能くする無し。此の石戶上刻題此のごとくなるに按ずれば、前世必ず已に之を得る人有り。石桂芝、名山石穴中に生じ、桂樹に似て而も其の實是れ石。
高尺許,大如徑尺,光明而味辛,有枝條,搗服之一斤得千歲也。石中黃子,所在有之,沁水山為尤多。其在大石中,則其石常潤溼不燥,打其石有數十重,乃得之。在大石中,赤黃溶溶,如雞子之在其殼中也。即當飲之,不飲則堅凝成石,不復中服也。法正當及未堅時飲之,既凝則應末服也。破一石中,多者有一升,少者有數合,可頓服也。雖不得多,相繼服之,共計前後所服,合成三升,壽則千歲。但欲多服,唯患難得耳。石腦芝,生滑石中,亦如石中黃子狀,但不皆有耳。打破大滑石千許,乃可得一枚。初破之,其在石中,五色光明而自動,服一升得千歲矣。石硫黃芝,五嶽皆有,而箕山為多。其方言許由就此服之而長生,故不復以富貴累意,不受堯禪也。石硫丹者,石之赤精,蓋石硫黃之類也。皆浸溢於崖岸之間,其濡溼者可丸服,其已堅者可散服,如此有百二十,皆石芝也,事在太乙玉策及昌宇內記,不可具稱也。
(上文接續して曰く)高一尺左右、大きさ徑尺のごとく、光明にして味辛く、枝條有り、擣きて一斤を服せば千歲を得。石中黃子、所在皆之有り、沁水山尤も多し。它大石中に在れば、則ち彼の石常に潤濕して燥せず、彼の石を打破するに數十重、纔かに之を得。大石中に在りて、赤黃溶溶、雞子の殼中に在るがごとし。則ち當に之を飲すべし、飲まざれば則ち堅凝して石と成り、再び服に適さず。法正に當に未堅の時に趁りて之を飲むべし、既に凝れば則ち當に末を研して服すべし。一石中を破開す、多きは一升有り、少きは數合有り、以て頓服す可し。雖も多く得ざれども、相繼いで之を服し、共に計るに前後服する所、合して三升を成れば、壽則ち千歲。只だ多く服せんと欲す、只だ怕るる得難きのみ。石腦芝、滑石中に生じ、亦石中黃子の狀のごとし、只だ皆之有らざるのみ。大滑石千來塊を打破して、纔かに一枚を得る可し。初め破開の時、它石中に在りて、五色光明して自ら動く、一升を服せば千歲を得たり。石硫黃芝、五岳皆之有り、而も箕山多しと爲す。彼の方言曰く許由則ち此に在りて之を服して長生せしと、故に再び富貴を以て心意を累さず、堯の禪讓を接受せず。石硫丹、是れ石の赤精、蓋し是れ石硫黃の一類。皆崖岸の閒に浸溢し、彼の濡濕なるは以て丸服す可し、彼の已に堅なるは以て散服す可し、此のごとき百二十有り、皆是れ石芝、事《太乙玉策》及び《昌宇內記》に在り、盡く稱說す可からず。
及夫木芝者,松柏脂淪入地千歲,化為茯苓,茯苓萬歲,其上生小木,狀似蓮花,名曰木威喜芝。夜視有光,持之甚滑,燒之不然,帶之闢兵,以帶雞而雜以他雞十二頭其籠之,去之十二步,射十二箭,他雞皆傷,帶威喜芝者終不傷也。從生門上採之,於六甲陰乾之,百日,末服方寸匕,日三,盡一枚,則三千歲也。千歲之栝木,其下根如坐人,長七寸,刻之有血,以其血塗足下,可以步行水上不沒;以塗人鼻以入水,水為之開,可以止住淵底也;以塗身則隱形,欲見則拭之。又可以治病,病在腹內,刮服一刀圭,其腫痛在外者,隨其所在刮一刀圭,即其腫痛所在以摩之,皆手下即愈,假令左足有疾,則刮塗人之左足也。又刮以雜巨勝為燭,夜遍照地下,有金玉寶藏,則光變青而下垂,以鍤掘之可得也。末之,服盡十斤則千歲也。又松樹枝三千歲者,其皮中有聚脂,狀如龍形,名曰飛節芝,大者重十斤,末服之,盡十斤,得五百歲也。又有樊桃芝,其木如升龍,其花葉如丹羅,其實如翠鳥,高不過五尺,生於名山之陰,東流泉水之土,以立夏之候伺之,得而末服之,盡一株得五千歲也。參成芝,赤色有光,扣之枝葉,如金石之音,折而續之,即復如故。木渠芝,寄生大木上,如蓮花,九莖一叢,其味甘而辛。建木芝實生於都廣,其皮如纓蛇,其實如鸞鳥。此三芝得服之,白日昇天也。黃盧子、尋木華、玄液華,此三芝生於泰山要鄉及奉高,有得而服之,皆令人壽千歲。黃檀桓芝者,千歲黃,木下根有如三斛器,去本株一二丈,以細根相連狀如縷,得末而服之,盡一枚則成地仙不死也。此輩復百二十種,自有圖也。
至於木芝、松柏脂地に沈入すること千歲、茯苓に化し、茯苓萬歲、其の上小木を生じ、狀蓮花に似る、名は木威喜芝。夜看れば光有り、持てば甚だ滑らか、之を燒きて燃えず、帶びて兵を辟き、拿げて以て雞身上に帶びて他雞十二頭を雜へ同じく籠とし、十二步を離れ、十二箭を射れば、他雞皆傷り、威喜芝を帶びたる終に傷らず。生門上より之を采し、六甲の日に陰干し、百日、末を研して方寸匕を服し、一日三次、一枚を盡くせば、則ち三千歲。千歲の栝木、其の下根坐する人に似て、長さ七寸、之を刻めば血有り、其の血を以て足下に塗れば、以て水上を步行して沒せず。以て人の鼻を塗りて水に入れば、水因此開き、以て淵底に停住す可し。以て身を塗れば則ち形を隱し、見んと欲すれば則ち拭掉す。又以て病を治す可し、病腹內に在れば、一刀圭を刮服し、腫痛外に在るは、其の所在するに隨い一刀圭を刮り、則ち彼の腫痛所在にて之を摩す、皆手下立刻愈ゆ、假如左足疾有れば、則ち人の左足を刮塗す。又刮下して巨勝を雜へ燭を做り、夜遍く地下を照らせば、金玉寶藏有れば、則ち光青に變りて下垂す、鍤を以て掘れば則ち以て得る可し。末を研し、十斤を服盡くせば則ち千歲。又松樹枝三千歲の、皮中聚脂有り、狀龍形に似る、名は飛節芝、大ききは重さ十斤、末を研して之を服し、十斤を盡くせば、五百歲を得。又樊桃芝有り、彼の木升龍に似て、花葉丹羅に似て、果實翠鳥に似て、高さ五尺を過ぎず、名山の陰面・東流泉水の土上に生じ、立夏の時に在りて伺候し、得て末を研して服し、一株を盡くせば五千歲を得。參成芝、赤色光有り、其の枝葉を敲けば、金石の音のごとく、折斷して接續すれば、則ち又元來のごとし。木渠芝、大木上に寄生し、蓮花に似て、九莖一叢、味甘くして辛。建木芝實都廣に生じ、皮纓蛇に似て、果實鸞鳥に似る。此の三芝得て服せば、白日升天す。黃盧子・尋木華・玄液華、此の三芝泰山要鄉及び奉高に生じ、得て服する有る、皆人をして壽千歲ならしむ。黃檀桓芝、千歲黃、木下根三斛器に似る有り、本株を離るる一二丈、細根を以て相連なる狀縷に似る、得來して末を研して服し、一枚を盡くせば則ち地仙と成りて不死。此の類又百二十種有り、自ら圖有り。
草芝有獨搖芝,無風自動,其莖大如手指,赤如丹,素葉似莧,其根有大魁如鬥,有細者如雞子十二枚,周繞大根之四方,如十二辰也,相去丈許,皆有細根,如白髮以相連,生高山深谷之上,其所生左右無草。得其大魁末服之,盡則得千歲,服其細者一枚百歲,可以分他人也。懷其大根即隱形,欲見則左轉而出之。牛角芝,生虎壽山及吳阪上,狀似蔥,特生如牛角,長三四尺,青色,末服方寸匕,日三,至百日,則得千歲矣。龍仙芝,狀如升龍之相負也,以葉為鱗,其根則如蟠龍,服一枚則得千歲矣。麻母芝,似麻而莖赤色,花紫色。紫珠芝,其花黃,其葉赤,其實如李而紫色,二十四枝輒相連,而垂如貫珠也。白符芝,高四五尺,似梅,常以大雪而花,季冬而實。朱草芝,九曲,曲有三葉,葉有三實也。五德芝,狀似樓殿,莖方,其葉五色各具而不雜,上如偃蓋,中常有甘露,紫氣起數尺矣。龍銜芝,常以仲春對生,三節十二枝,下根如坐人。凡此草芝,又有百二十種,皆陰乾服之,則令人與天地相畢,或得千歲二千歲。
草芝に獨搖芝有り、風無くして自ら動き、莖大きさ手指のごとく、赤くして丹のごとく、素葉莧に似て、根大魁有りて斗のごとく、細き有りて雞子十二枚のごとく、大根の四方を周繞し、十二辰に似て、相去一丈左右、皆細根有り、白髮相連なるに似て、高山深谷の上に生じ、生ずる所左右草無し。其の大魁を得て末を研して服し、盡くせば則ち千歲を得、細き一枚を服すれば百歲、以て他人に分與す可し。其の大根を懷けば則ち形を隱し、見んと欲すれば則ち左轉して取出す。牛角芝、虎壽山及び吳阪上に生じ、狀葱に似て、特に生じて牛角に似て、長さ三四尺、青色、末を研して方寸匕を服し、一日三次、百日に至れば、則ち千歲を得たり。龍仙芝、狀升龍相負えるに似て、葉を拿げて鱗に當て、根則ち蟠龍に似て、一枚を服せば則ち千歲を得たり。麻母芝、麻に似て而も莖赤色、花紫色。紫珠芝、花黃、葉赤、果實李に似て而も紫色、二十四枝則ち相連なり、下垂して貫珠に似る。白符芝、高さ四五尺、梅に似て、常に大雪に花を開き、季冬に果を結ぶ。朱草芝、九曲、每曲に三葉有り、葉に三實有り。五德芝、狀樓殿に似て、莖方、葉五色各具して雜らず、上偃蓋に似て、中常に甘露有り、紫氣數尺升起す。龍銜芝、常に仲春に對生し、三節十二枝、下根坐する人に似る。凡そ此らの草芝、又百二十種有り、皆陰干して之を服せば、則ち人をして天地與相齊しめ、或は千歲二千歲を得。
肉芝者,謂萬歲蟾蜍,頭上有角,頷下有丹書八字再重,以五月五日日中時取之,陰乾百日,以其左足畫地,即為流水,帶其左手於身,闢五兵,若敵人射己者,弓弩矢皆反還自向也。千歲蝙蝠,色白如雪,集則倒縣,腦重故也。此二物得而陰乾末服之,令人壽四萬歲。千歲靈龜,五色具焉,其雄額上兩骨起似角,以羊血浴之,乃剔取其甲,火炙搗服方寸匕,日三,盡一具,壽千歲。行山中,見小人乘車馬,長七八寸者,肉芝也,捉取服之即仙矣。風生獸似貂,青色,大如狸,生於南海大林中,張網取之,積薪數車以燒之,薪盡而此獸在灰中不然,其毛不焦,斫刺不入,打之如皮囊,以鐵錘鍛其頭數十下乃死,死而張其口以向風,須臾便活而起走,以石上菖蒲塞其鼻即死。取其腦以和菊花服之,盡十斤,得五百歲也。又千歲燕,其窠戶北向,其色多白而尾掘,取陰乾,末服一頭五百歲。凡此又百二十種,此皆肉芝也。
肉芝、是れ萬歲蟾蜍を說く、頭上角有り、頷下丹書八字再び一層を重ね、五月五日日中時に之を取り、陰干百日、其の左足を以て地を畫けば、則ち流水と成り、其の左手を身上に帶びれば、五兵を辟き、若し敵人自らに射れば、弓弩矢皆反還して自らに向かう。千歲蝙蝠、色白くして雪のごとく、落下すれば則ち倒懸す、是れ腦重の緣故。此の兩物得て陰干し末を研して服せば、人をして壽四萬歲ならしむ。千歲靈龜、五色皆具備し、雄は額上兩骨隆起して角に似る、羊血を以て之を洗い、纔かに其の甲を剔取し、火炙して擣き方寸匕を服し、一日三次、一具を盡くせば、壽千歲。山中を行きて、小人の車馬に乘るを見、長さ七八寸の、是れ肉芝、捉取して服せば則ち仙と成る。風生獸貂に似て、青色、大きさ狸のごとく、南海大林中に生じ、網を張りて之を取り、數車の薪を堆積して以て之を燒く、薪盡きて而も此の獸灰中に燃えず、毛焦げず、斫刺入らず、之を打てば皮囊のごとし、鐵鎚を以て其の頭を鍛すること數十下にして纔かに死し、死して口を張開して風に對せば、片刻便ち活して起走り、石上の菖蒲を以て其の鼻を塞げば則ち死す。其の腦を取りて以て菊花と和して服し、十斤を盡くせば、五百歲を得。又千歲燕、户に巢うて北に向かい、色多く白くして尾屈す、取來して陰干し、末を研して一頭を服せば五百歲。凡そ此ら又百二十種有り、此ら皆是れ肉芝。
菌芝,或生深山之中,或生大木之下,或生泉之側,其狀或如宮室,或如車馬,或如龍虎,或如人形,或如飛鳥,五色無常,亦百二十種,自有圖也。皆當禹步往採取之,刻以骨刀,陰乾末服方寸匕,令人昇仙,中者數千歲,下者千歲也。欲求芝草,入名山,必以三月九月,此山開出神藥之月也,勿以山佷日,必以天輔時,三奇會尤佳。出三奇吉門到山,須六陰之日,明堂之時,帶靈寶符,牽白犬,抱白雞,以白鹽一斗,及開山符檄,著大石上,執吳唐草一把以入山,山神喜,必得芝也。又採芝及服芝,欲得王相專和之日,支幹上下相生為佳。此諸芝名山多有之,但凡庸道士,心不專精,行穢德薄,又不曉入山之術,雖得其圖,不知其狀,亦終不能得也。山無大小,皆有鬼神,其鬼神不以芝與人,人則雖踐之,不可見也。
菌芝、或は深山の中に生じ、或は大木の下に生じ、或は泉側に生じ、形狀或は宮室に似て、或は車馬に似て、或は龍に似て虎に似て、或は人形に似て、或は飛鳥に似て、五色常規無し、亦百二十種有り、自ら圖有り。皆當に禹步して前往し采取し、骨刀を以て刻し、陰干して末を研して方寸匕を服すべし、人をして升仙せしめ、中等數千歲、下等千歲。芝草を求めんと欲せば、名山に入る、必ず三月九月に在り、此れ是れ山神藥を開出するの月、山佷の日に在る勿れ、必ず天輔の時、三奇相會する尤も好し。三奇吉門を出でて山に到るは、須らく六陰の日・明堂の時、靈寶符を帶び、白犬を牽き、白雞を抱き、白鹽一斗を以て、以及開山符檄、大石に放上し、吳唐草一把を拿げて山に入る、山神喜び、必ず芝を得。又芝を采し及び芝を服す、王相專和の日を得んと欲し、地支天干上下相生を以て好しと爲す。此らの芝名山多く有り、只だ凡庸道士、心專精ならず、行穢れ德薄く、又入山の術を曉らず、雖も圖を得も、形狀を知らず、亦終に能く得ず。山大小を論ぜず、皆鬼神有り、彼の鬼神芝を人に與へざれば、人則ち之を踩みて踏むといえども、亦見る可からず。
又云母有五種,而人多不能分別也,法當舉以向日,看其色,詳占視之,乃可知耳。正爾於陰地視之,不見其雜色也。五色並具而多青者名雲英,宜以春服之。五色並具而多赤者名雲珠,宜以夏服之。五色並具而多白者名雲液,宜以秋服之。五色並具而多黑者名雲母,宜以冬服之。但有青黃二色者名雲沙,宜以季夏服之。皛皛純白名磷石,可以四時長服之也。服五雲之法,或以桂蔥水玉化之以為水,或以露於鐵器中,以玄水熬之為水,或以硝石合於筒中埋之為水,或以蜜搜為酪,或以秋露漬之百日,韋囊挻以為粉,或以無巔草樗血合餌之,服之一年,則百病除,三年久服,老公反成童子,五年不闕,可役使鬼神,入火不燒,入水不濡,踐棘而不傷膚,與仙人相見。又他物埋之即朽,著火即焦,而五雲以納猛火中,經時終不然,埋之永不腐敗,故能令人長生也。又云,服之十年,雲氣常覆其上,服其母以致其子,理自然也。又向日看之,晻晻純黑色起者,不中服,令人病淋發瘡。雖水餌之,皆當先以茅屋溜水,若東流水露水,漬之百日,淘汰去其土石,乃可用耳。中山衛叔卿服之,積久能乘雲而行,以其方封之玉匣之中,仙去之後,其子名世,及漢使者梁伯,得而按方合服,皆得仙去。
又雲母五種有り、而も人多く分別する能わず、法、法當に擧げて日に對し、其の色を看、詳細占視し、纔かに以て知る可し。只だ陰地にて之を看れば、其の雜色を見ず。五色竝具して多く青なる名は雲英、宜しく春に服すべし。五色竝具して多く赤なる名は雲珠、宜しく夏に服すべし。五色竝具して多く白なる名は雲液、宜しく秋に服すべし。五色竝具して多く黑なる名は雲母、宜しく冬に服すべし。只有青黃二色の名は雲沙、宜しく季夏に服すべし。皛皛として純白の名は燐石、以て四時長期服す可し。五雲を服するの法、或は桂葱水を以て之を玉化して水と成し、或は露を以て鐵器中にて、玄水を以て熬して水と成し、或は硝石を以て筒中に合して埋れて水と成し、或は蜜を以て搜して酪と成し、或は秋露を以て漬すこと百日、韋囊挻して粉と成し、或は無巔草・樗血を以て合して餌食す、一年を服せば、則ち百病除く、三年久服すれば、老公返りて童子と成り、五年缺かざれば、以て鬼神を役使し、火に入りて燒けず、水に入りて濕れず、棘を踩みて膚を傷らず、仙人與相見ん。又別の物埋むれば則ち朽ち、火に着けば則ち焦ぐ、而も五雲猛火中に拿進して、一時を經過して終に燃えず、埋れて永く腐敗せず、故に能く人をして長生せしむ。又曰く、十年を服せば、雲氣常に上に覆蓋す、其の母を服して以て其の子を致す、理是れ自然。又日に向かい看るに、晻晻として純黑色起るは、服に適さず、人をして淋を病み瘡を發さしむ。即使水餌すとも、皆當に先ず茅屋溜水、或は東流水・露水を以てし、漬すこと百日、淘汰して土石を去り、纔かに以て用う可し。中山衛叔卿之を服し、積久して能く雲に乘りて行し、其の方を玉匣の中に封して、仙去の後、彼の兒子名世、及び漢使者梁伯、得て方に按りて合服し、皆仙去を得。
又雄黃當得武都山所出者,純而無雜,其赤如雞冠,光明曄曄者,乃可用耳。其但純黃似雄黃色,無赤光者,不任以作仙藥,可以合理病藥耳。餌服之法,或以蒸煮之,或以酒餌,或先以硝石化為水乃凝之,或以玄胴腸裹蒸之於赤土下,或以松脂和之,或以三物煉之,引之如布,白如冰,服之皆令人長生,百病除,三尸下,瘢痕滅,白髮黑,墮齒生,千日則玉女來侍,可得役使,以致行廚。又玉女常以黃玉為志,大如黍米,在鼻上,是真玉女也,無此志者,鬼試人耳。
又雄黃當に武都山の出づる所を得べし、純にして雜無く、赤きこと雞冠に得似て、光明曄曄たる、纔かに以て用う可し。彼の只だ純黃にして雄黃色に似て、赤光無きは、拿げて以て仙藥を作るに勝任せず、以て病を治する藥を合す可きのみ。餌服の法、或は之を蒸煮し、或は酒を以て餌し、或は先ず硝石を以て化して水と為し再び之を凝し、或は玄胴腸を以て裹んで赤土下に蒸し、或は松脂を以て之を和し、或は三物を以て之を煉し、之を引きて布のごとく、白きこと冰のごとく、服せば皆人をして長生せしめ、百病除き、三尸下り、瘢痕滅し、白髮黑に變り、墮齒再生し、千日則ち玉女來りて侍す、以て役使し、以致行厨す。又玉女常に黃玉を以て標記と爲す、大きさ黍米のごとく、鼻上に在り、此れ是れ眞玉女、此の標記無きは、是れ鬼の來りて人を試するのみ。
玉亦仙藥,但難得耳。玉經曰:服金者壽如金,服玉者壽如玉也。又曰:服玄真者,其命不極。玄真者,玉之別名也。令人身飛輕舉,不但地仙而已。然其道遲成,服一二百斤,乃可知耳。玉可以烏米酒及地榆酒化之為水,亦可以蔥漿消之為臺,亦可餌以為丸,亦可燒以為粉,服之一年已上,入水不沾,入火不灼,刃之不傷,百毒不犯也。不可用已成之器,傷人無益,當得璞玉,乃可用也,得於闐國白玉尤善。其次有南陽徐善亭部界中玉及日南盧容水中玉亦佳。赤松子以玄蟲血漬玉為水而服之,故能乘煙上下也。玉屑服之與水餌之,俱令人不死。所以為不及金者,令人數數發熱,似寒食散狀也。若服玉屑者,宜十日輒一服雄黃丹砂各一刀圭,散發洗沐寒水,迎風而行,則不發熱也。董君異嘗以玉醴與盲人服之,目旬日而愈。有吳延稚者,志欲服玉,得玉經方不具,了不知其節度禁忌,乃招合得珪璋環璧,及校劍所用甚多,欲餌治服之,後餘為說此不中用,乃嘆息曰:事不可不精,不但無益,乃幾作禍也。
玉亦是れ仙藥、只だ得難きのみ。《玉經》曰く、金を服する壽金のごとく、玉を服する壽玉のごとしと。又曰く、玄眞を服するは、命極限無しと。玄眞、是れ玉の別名。人をして身飛輕擧せしめ、不只地仙のみ。然れども彼の道成就遲し、一二百斤を服して、纔かに以て知るのみ。玉以て烏米酒及び地榆酒化成して水と爲す可し、亦以て葱漿消して膏と成す可し、亦以て餌して丸と成す可し、亦以て燒して粉と成す可し、一年以上を服せば、水に入りて沾らず、火に入りて灼けず、刀刃傷る能わず、百毒犯さず。以て已に成りたるの器を用う可からず、人を傷る益處無し、當に璞玉を得べし、纔かに以て用う可し、于闐國白玉を得る尤も好し。其次南陽徐善亭部界中の玉及び日南盧容水中の玉亦好し。赤松子玄蟲血を以て玉を漬して水と成して服す、故に能く煙に乘りて上下す。玉屑之を服し與水餌し、皆人をして死せざらしむ。金に比ぶるに及ばざる所以は、是れ人をして常に熱を發せしめ、寒食散の狀のごとし。若し玉屑を服せば、宜しく十日則ち雄黃・丹砂各一刀圭を服し、寒水中に散發して洗沐し、風に迎うて行せば、則ち熱を發せず。董君異曾て玉醴を拿げて盲人に與へて服せしめ、目旬日にして則ち愈えたり。吳延稚有り、志玉を服せんと想い、《玉經》方を得て不完備、全く節度禁忌を知らず、則ち珪璋環璧を招合し、以及劍を校する所用の多し、餌治して之を服せんと欲し、後來我彼に說きて此ら中に用えざるを、纔かに歎息して曰く、事精せざる可からず、不但益有らず、幾んど還た禍を作さんとすと。
又銀但不及金玉耳,可以地仙也。服之法,以麥漿化之,亦可以朱草酒餌之,亦可以龍膏煉之,然三服,輒大如彈丸者,又非清貧道士所能得也。
又銀只だ金玉に及ばざるのみ、以て因此地仙と成る可し。服の法、麥漿を以て之を化し、亦以て朱草酒之を餌し、亦以て龍膏之を煉す、然れども三次服し、每に則ち大きさ彈丸のごとし、又不是淸貧道士の得る能くする所。
又真珠徑一寸以上可服,服之可以長久,酪漿漬之皆化如水銀,亦可以浮石水蜂窠化,包彤蛇黃合之,可引長三四尺,丸服之,絕谷服之,則不死而長生也。淳漆不沾者,服之令人通神長生,餌之法,或以大無腸公子,或雲大蟹,十枚投其中,或以雲母水,或以玉水合服之,九蟲悉下,惡血從鼻去,一年六甲行廚至也。
又眞珠徑一寸以上以て服す可し、服せば以て長久す可し、酪漿之を漬けば皆水銀のごとく化す、亦以て浮石水・蜂窠化し、包彤・蛇黃之を合せば、以て長さ三四尺を引き、丸服し、穀を絕ちて之を服せば、則ち死せずして長生す。淳漆沾らざる、服せば人をして神に通じ長生せしむ、餌の法、或は大無腸公子を以て、或は大蟹と說く、十枚其の中に投進し、或は雲母水を以て、或は玉水合服を以てし、九蟲全部下り、惡血鼻より去り、一年六甲行厨則ち到らん。
桂可以蔥涕合蒸作水,可以竹瀝合餌之,亦可以先知君腦,或雲龜,和服之,七年,能步行水上,長生不死也。巨勝一名胡麻,餌服之不老,耐風溼,補衰老也。桃膠以桑灰汁漬,服之百病癒,久服之身輕有光明,在晦夜之地如月出也,多服之則可以斷谷。
桂以て葱涕合蒸して水を作る可し、以て竹瀝合して餌食す可し、亦以て先知君腦、或は龜と說く、和して服し、七年、能く水上を步行し、長生不死。巨勝一名胡麻、餌服して老いず、風濕に耐え、衰老を補う。桃膠桑灰汁を以て漬し、服せば百病愈ゆ、久服すれば身輕くして光明有り、晦夜の地にて月出ずるがごとし、多服すれば則ち以て穀を斷つ可し。
檸木實之赤者,餌之一年,老者還少,令人徹視見鬼。昔道士梁須年七十乃服之,轉更少,至年百四十歲,能夜書,行及奔馬,後入青龍山去。槐子以新甕合泥封之,二十餘日,其表皮皆爛,乃洗之如大豆,日服之,此物主補腦,久服之,令人發不白而長生。玄中蔓方,楚飛廉、澤瀉、地黃、黃連之屬,凡三百餘種,皆能延年,可單服也。靈飛散、未夬丸、制命丸、羊血丸,皆令人駐年卻老也。
檸木實赤き、餌一年、老は少に還り、人をして徹視して鬼を見しむ。昔道士梁須年七十纔かに之を服し、轉じて更少し、年百四十歲に至り、能く夜字を寫し、走りて奔馬に趕上し、後來青龍山に入りて去る。槐子新瓮を以て泥に合封し、二十餘日、表皮皆爛れ、纔かに大豆のごとく洗し、每日服す、此の物主に腦を補う、久服せば、人をして髮白からずして長生せしむ。《玄中蔓方》、楚飛廉・澤瀉・地黃・黃連の類、凡そ三百餘種、皆能く年を延し、以て單獨服す可し。靈飛散・未夬丸・制命丸・羊血丸、皆人をして年を駐め老を卻からしむ。
南陽酈縣山中有甘谷水,谷水所以甘者,谷上左右皆生甘菊,菊花墮其中,歷世彌久,故水味為變。其臨此谷中居民,皆不穿井,悉食甘谷水,食者無不老壽,高者百四五十歲,下者不失八九十,無夭年人,得此菊力也。故司空王暢太尉劉寬太傅袁隗,皆為南陽太守,每到官,常使酈縣月送甘谷水四十斛以為飲食。此諸公多患風痺及眩冒,皆得愈,但不能大得其益,如甘谷上居民,生小便飲食此水者耳。又菊花與薏花相似,直以甘苦別之耳,菊甘而薏苦,諺言所謂苦如薏者也。今所在有真菊,但為少耳,率多生於水側,緱氏山與酈縣最多,仙方所謂日精更生,周盈皆一菊,而根莖花實異名,其說甚美,而近來服之者略無效,正由不得真菊也。夫甘谷水得菊之氣味,亦何足言。而其上居民,皆以延年,況將復好藥,安得無益乎?
南陽酈縣山中に甘谷水有り、谷水の甘なる所以、是れ以て谷上左右皆甘菊を生じ、菊花其の中に墮入り、世を歷ること久しき、故に水味變れたり。此の谷中に臨むの居民、皆井を打たず、全く甘谷水を喫し、喫する老壽せざる無し、高きは百四五十歲、下きは八九十を失せず、夭年の人無し、是れ此の菊の力を得たり。故に司空王暢・太尉劉寬・太傅袁隗、皆南陽太守を做し、官に到る每に、常に酈縣をして每月甘谷水四十斛を送らしめて以て飲食に當つ。此の幾位の公多く風痹及び眩冒を患え、皆愈ゆを得、只だ能く大に其の益處を得ざる、甘谷上の居民のごとく、生れて來りて便ち此の水を飲食するのみ。又菊花與薏花相似、只だ甘苦を以て分別するのみ、菊甘くして薏苦し、諺語の謂う所の苦きこと薏のごとし。今所在眞菊有り、只だ少きのみ、大都水側に生じ、緱氏山與酈縣最多し、仙方の謂う所の日精・更生・周盈皆是れ一種の菊、而も根莖花實異名、彼の說法甚だ美なり、而も近來服する人大都效無し、正是れ眞菊を得ざるに由る。甘谷水菊の氣味を得、又何の說くに足らん。而も彼の上の居民、皆因此年を延す、何況再び好藥を拿げて、怎んぞ能く益處無からんや。
餘亡祖鴻臚少卿曾為臨沅令,雲此縣有廖氏家,世世壽考,或出百歲,或八九十,後徙去,子孫轉多夭折。他人居其故宅,復如舊,後累世壽考。由此乃覺是宅之所為,而不知其何故,疑其井水殊赤,乃試掘井左右,得古人埋丹砂數十斛,去井數尺,此丹砂汁因泉漸入井,是以飲其水而得壽,況乃餌煉丹砂而服之乎?
我が亡故の祖父鴻臚少卿曾て臨沅令を做し、此の縣廖氏家有りと說き、世世壽考、或は百歲を超出し、或は八九十、後來遷徙して離去し、子孫轉じて多く夭折す。他人其の故宅に住し、又舊時のごとく、後來累世壽考す。此に由りて纔かに是れ宅の造成する所を覺え、卻りて何の緣故かを知らず、其の井水特に赤しと疑い、則ち試みに井左右を掘り、古人の埋れし丹砂數十斛を得、井を離るる數尺、此の丹砂汁泉に因りて漸漸井中に入る、故に彼の水を飲して壽を得、何況是れ丹砂を餌煉して之を服するをや。
餘又聞上黨有趙瞿者,病癩歷年,眾治之不愈,垂死。或雲不及活,流棄之,後子孫轉相注易,其家乃齎糧將之,送置山穴中。瞿在穴中,自怨不幸,晝夜悲嘆,涕泣經月。有仙人行經過穴,見而哀之,具問訊之。瞿知其異人,乃叩頭自陳乞哀,於是仙人以一囊藥賜之,教其服法。瞿服之百許日,瘡都愈,顏色豐悅,肌膚玉澤。仙人又過視之,瞿謝受更生活之恩,乞丐其方。仙人告之曰,此是松脂耳,此山中更多此物,汝煉之服,可以長生不死。瞿乃歸家,家人初謂之鬼也,甚驚愕。瞿遂長服松脂,身體轉輕,氣力百倍,登危越險,終日不極,年百七十歲,齒不墮,發不白。夜臥,忽見屋間有光大如鏡者,以問左右,皆雲不見,久而漸大,一室盡明如晝日。又夜見面上有采女二人,長二三寸,面體皆具,但為小耳,遊戲其口鼻之間,如是且一年,此女漸長大,出在其側。又常聞琴瑟之音,欣然獨笑,在人間三百許年,色如小童,乃入抱犢山去,必地仙也。於時聞瞿服松脂如此,於是競服。其多役力者,乃車運驢負,積之盈室,服之遠者,不過一月,未覺大有益輒止,有志者難得如是也。
我又聞く上黨に趙瞿有り、癩を病むこと多年、衆治愈えず、垂死。或は活を待たずと說き、之を流放拋棄し、後來子孫轉相注易し、彼の家裏則ち糧を帶びて彼を領し、山穴中に送り到る。瞿穴中に在り、自ら不幸を怨み、晝夜悲歎し、涕泣月を經る。仙人穴を行經する有り、見て彼を哀憐し、詳細問訊す。瞿彼を異人と知り、則ち叩頭して自陳し哀を乞う、於是仙人一囊の藥を以て彼に賜う、彼に服法を教へ。瞿之を服すること百來日、瘡皆愈え、顏色豐悅し、肌膚玉澤す。仙人又過ぎて彼を視し、瞿謝し更に生活を得たるの恩を受け、彼の方を乞求す。仙人彼に告げて曰く、此れ是れ松脂のみ、此の山中更に此の物多し、你煉して服せば、以て長生不死す可しと。瞿則ち家に回來り、家人初め彼を鬼と說き、甚だ驚愕す。瞿於是長期松脂を服し、身體轉じて輕く、氣力百倍、危に登り險を越え、終日疲れず、年百七十歲、齒墮ちず、髮白からず。夜臥りて、忽然屋閒に光鏡のごとき有るを見、左右に問えば、皆見ずと說く、久しければ漸々大きく、一室盡く明るく白日のごとし。又夜面上に采女二人有るを見、長さ二三寸、面體皆具備し、只だ小きのみ、彼の口鼻の閒に遊戲し、此のごとく將に一年、此の女漸々長大し、出でて彼の身旁に至る。又常に琴瑟の音を聞き、欣然として獨り笑う、人間に三百來年、色小童のごとく、纔かに抱犢山に入りて去る、必ず是れ地仙。當時瞿の松脂を服すること此のごとくなるを聞き、於是爭りて服す。彼ら多く役力有る、則ち車運驢負し、室に堆積滿ち、服し得る遠き、不過一月、未だ大に益有るを覺えずして則ち停止す、志有る此のごとくを得難し。
又漢成帝時,獵者於終南山中,見一人無衣服,身生黑毛,獵人見之,欲逐取之,而其人逾坑越谷,有如飛騰,不可逮及。於是乃密伺候其所在,合圍得之,定是婦人。問之,言我本是秦之宮人也,聞關東賊至,秦王出降,宮室燒燔,驚走入山,飢無所食,垂餓死,有一老翁教我食松葉松實,當時苦澀,後稍便之,遂使不飢不渴,冬不寒,夏不熱。計此女定是秦王子嬰宮人,至成帝之世,二百許歲,乃將歸,以穀食之,初聞谷臭嘔吐,累日乃安。如是二年許,身毛乃脫落,轉老而死。向使不為人所得,便成仙人矣。
又漢成帝の時、獵の人終南山中にて、一人の衣無きを見、身上黑毛を生じ、獵人見、追逐して捉取せんと欲す、而も彼の人坑谷を越過し、飛騰するがごとく、趕上す可からず。於是纔かに密密に彼の所在を伺候し、圍を合して得、確定是れ婦人。彼女に問うに、曰く我本是れ秦の宮人、關東賊の到るを聞き、秦王出降し、宮室燒燔し、驚きて山に走入り、饑えて喫う無く、將に餓死せんとす、一老翁我に松葉松實を喫を教へたりと。當時苦澀、後來漸々習慣し、於是我をして饑えず渇かず、冬寒からず、夏熱からざらしむ。計り來るに此の女確定是れ秦王子嬰の宮人、成帝の世に至る、二百來歲、纔かに帶びて回來り、穀食を以て彼女を餧う、初め穀臭を聞見すれば則ち嘔吐し、累日にして纔かに安んず。此のごとく二年左右、身毛纔かに脫落し、轉じて老いて死す。假使人に得られざらば、便ち仙人と成らん。
南陽文氏,說其先祖,漢末大亂,逃去山中,飢困欲死。有一人教之食術,遂不能飢,數十年乃來還鄉里,顏色更少,氣力勝故。自說在山中時,身輕欲跳,登高履險,歷日不極,行冰雪中,了不知寒。常見一高巖上,有數人對坐博戲者,有讀書者,俛而視文氏,因聞其相問,言此子中呼上否。其一人答言未可也。術一名山磷,一名山精。故神藥經曰:必欲長生,常服山精。
南陽文氏、其の先祖を說き、漢末大亂、山中に逃進し、饑困して死せんと欲す。一人彼に術を喫を教へ、於是饑ゆる能わず、數十年纔かに鄉里に回來り、顏色更少く、氣力從前に勝る。自ら說く山中の時、身輕くして跳ばんと欲し、高に登り險を履み、整日疲れず、冰雪中を行きて、全く寒きを知らずと。常に一高岩上に、數人對坐して博戲する有るを見、讀書する有り、文氏を俯視し、因りて彼らの相問うを聞き、此の子得上來る可きかと說く。其の中一人回答えて還た不可と曰く。術一名山磷、一名山精。故に《神藥經》曰く、必ず長生せんと欲せば、常に山精を服せよと。
昔仙人八公,各服一物,以得陸仙,各數百年,乃合神丹金液,而升太清耳。人若合八物,煉而服之,不得其力,是其藥力有轉相勝畏故也。韓終服菖蒲十三年,身生毛,日視書萬言,皆誦之,冬袒不寒。又菖蒲生須得石上,一寸九節已上,紫花者尤善也。趙他子服桂二十年,足下生毛,日行五百里,力舉千斤。移門子服五味子十六年,色如玉女,入水不沾,入火不灼也。楚文子服地黃八年,夜視有光,手上車弩也。林子明服術十一年,耳長五寸,身輕如飛,能超逾淵谷二丈許。杜子微服天門冬,御八十妾,有子百三十人,日行三百里。任子季服茯苓十八年,仙人玉女往從之,能隱能彰,不復食谷,灸瘢皆滅,面體玉光。陵陽子仲服遠志二十年,有子三十七人,開書所視不忘,坐在立亡。仙經曰:雖服草木之葉,已得數百歲,忽怠於神丹,終不能仙。以此論之,草木延年而已,非長生之藥可知也。未得作丹,且可服之,以自支持耳。
昔仙人八公、各々一物を服し、因此陸仙を得、各々數百年、纔かに神丹金液を合して、而も太清に升るのみ。人若し八物を合して、煉して之を服せば、其の力を得ざる、是れ以て藥力轉相勝畏の緣故なり。韓終菖蒲を服すること十三年、身上毛を生じ、一日書萬言を看、皆能く誦し、冬袒りて寒からず。又菖蒲生ずる必ず石上に得るを須ち、一寸九節以上、紫花の尤も好し。趙他子桂を服すること二十年、足下毛を生じ、一日五百里を走り、力千斤を擧ぐ。移門子五味子を服すること十六年、色玉女のごとく、水に入りて沾らず、火に入りて灼けず。楚文子地黃を服すること八年、夜看れば光有り、手上車弩を開くを得。林子明術を服すること十一年、耳長さ五寸、身輕きこと飛のごとく、能く淵谷二丈左右を超越す。杜子微天門冬を服し、八十妾を御し、子百三十人有り、一日三百里を走る。任子季茯苓を服すること十八年、仙人玉女前往して彼に從い、能く隱れ能く顯れ、再び穀を喫わず、灸瘢皆滅し、面體玉光す。陵陽子仲遠志を服すること二十年、子三十七人有り、書を開き看る所忘れず、坐して立亡す。《仙經》曰く、雖も草木の葉を服して、已に數百歲を得も、忽然神丹を怠慢すれば、終に仙と成る能わずと。此を以て論ずれば、草木只だ年を延するのみ、不是長生の藥、以て知る可し。尚ほ未だ丹を作る能わざれば、暂且以て之を服し、以て自ら支持するのみ。
或問:“服食藥物,有前後之宜乎?”抱朴子答曰:“按中黃子服食節度云,服治病之藥,以食前服之;養性之藥,以食後服之。吾以諮鄭君,何以如此。鄭君言,此易知耳,欲以藥攻病,既宜及未食,內虛,令藥力勢易行,若以食後服之,則藥但攻谷而力盡矣;若欲養性,而以食前服藥,則力未行,而被谷驅之下去不得止,無益也。”
有人問うて曰く「藥物を服食す、前後の適宜有るか」と。抱朴子回答えて曰く「《中黃子服食節度》に按ずるに曰く、病を治する藥を服するは、食前に服せよ。性を養う藥は、食後に服せよと。我此を以て鄭君に問う、何を爲す此のごとくと。鄭君曰く、此れ知り易きのみ、藥を以て病を攻めんと欲すれば、既に宜しく未だ喫わざるに趁り、內裏虛くして、藥力勢をして行い易からしむ、若し食後に服せば、則ち藥只だ穀を攻めて力盡く。若し性を養わんと欲して、而も食前に藥を服せば、則ち力未だ行われず、則ち穀に驅趕せられて下りて停留を得ず、益處無しと。
或問曰:“人服藥以養性,雲有所宜,有諸乎?”抱朴子答曰:“按玉策記及開明經,皆以五音六屬,知人年命之所在。子午屬庚,卯酉屬己,寅申屬戊,丑未屬辛,辰戌屬丙,巳亥屬丁。一言得之者,宮與土也。三言得之者,徵與火也。五言得之者,羽與水也。七言得之者,商與金也。九言得之者,角與木也。若本命屬土,不宜服青色藥;屬金,不宜服赤色藥;屬木,不宜服白色藥;屬水,不宜服黃色藥;屬火,不宜服黑色藥。以五行之義,木克土,土克水,水克火,火克金,金克木故也。若金丹大藥,不復論宜與不宜也。
有人問道て曰く「人藥を服して以て性を養う、宜有る所と說く、此の事有るか」と。抱朴子回答えて曰く「《玉策記》及び《開明經》に按ずるに、皆五音六屬を以て、人の年命所在を知る。子午庚に屬し、卯酉己に屬し、寅申戊に屬し、丑未辛に屬し、辰戌丙に屬し、巳亥丁に屬す。一言得るは、是れ宮與土。三言得るは、是れ徵與火。五言得るは、是れ羽與水。七言得るは、是れ商與金。九言得るは、是れ角與木。若し本命土に屬せば、青色藥を服するに宜しからず。金に屬せば、赤色藥を服するに宜しからず。木に屬せば、白色藥を服するに宜しからず。水に屬せば、黃色藥を服するに宜しからず。火に屬せば、黑色藥を服するに宜しからず。五行の義に因りて、木土に克ち、土水に克ち、水火に克ち、火金に克ち、金木に克つの緣故。若し是れ金丹大藥、則ち再び宜與不宜を論ぜず。
一言宮。庚子庚午,辛未辛丑,丙辰丙戌,丁亥丁巳,戊寅戊申,己卯己酉。
一言是れ宮。庚子庚午、辛未辛丑、丙辰丙戌、丁亥丁巳、戊寅戊申、己卯己酉。
三言徵。甲辰甲戌,乙亥乙巳,丙寅丙申,丁酉丁卯,戊午戊子,己未己丑。
三言是れ徵。甲辰甲戌、乙亥乙巳、丙寅丙申、丁酉丁卯、戊午戊子、己未己丑。
五言羽。甲寅甲申,乙卯乙酉,丙子丙午,丁未丁丑,壬辰壬戌,癸巳癸亥。
五言是れ羽。甲寅甲申、乙卯乙酉、丙子丙午、丁未丁丑、壬辰壬戌、癸巳癸亥。
七言商。甲子甲午,乙丑乙未,庚辰庚戌,辛巳辛亥,壬申壬寅,癸卯癸酉。
七言是れ商。甲子甲午、乙丑乙未、庚辰庚戌、辛巳辛亥、壬申壬寅、癸卯癸酉。
九言角。戊辰戊戌,己巳己亥,庚寅庚申,辛卯辛酉,壬午壬子,癸丑癸未。
九言是れ角。戊辰戊戌、己巳己亥、庚寅庚申、辛卯辛酉、壬午壬子、癸丑癸未。
禹步法:前舉左,右過左,左就右。次舉右,左過右,右就左。次舉右,右過左,左就右。
禹步の法、先ず左足を擧げ、右足左足を越過し、左足右足に靠上す。其次右足を擧げ、左足右足を越過し、右足左足に靠上す。其次右足を擧げ、右足左足を越過し、左足右足に靠上す。
如此三步,當滿二丈一尺,後有九跡。
此のごとき三步、當に二丈一尺に滿つべし、後面に九個の足迹有り。
小神方,用真丹三斤,白蜜一斤,合和日曝煎之,令可丸。旦服如麻子十丸,未一年,發白更黑,齒墮更生,身體潤澤,長服之,老翁還成少年,常服長生不死也。
小神方、真丹三斤、白蜜一斤を以て、合和して日下に曝曬して之を煎し、之をして丸可からしめ、早晨麻子大の十丸を服せば、一年に至らず、髮白くして更に黑く、齒墮ちて更に生じ、身體潤澤し、長期服せば、老翁還りて少年と成り、常に服せば長生不死。
小餌黃金方,火銷金納清酒中,二百出,二百入,即沸矣。握之出指間,令如泥,若不沸及握之不出指間,即復銷之內酒中無數也。成服如彈丸一枚,亦可汁一丸分為小丸,服三十日,無寒溫,神人玉女下之。又銀亦可餌,與金同法。服此二物,可居名山石室中,一年即輕舉矣。人間服之,名地仙,勿妄傳也。
小餌黃金方、火金を銷して淸酒中に納入し、二百次出、二百次入、則ち沸す。之を握住して指閒より擠出させ、之をして泥のごとくせしむ、若し沸せずおよび握住して擠出し指閒より出ざれば、則ち再び銷して酒中に納入すること無數次。成れば彈丸一枚のごときを服し、亦以一丸を分かちて小丸と爲す可し、三十日服せば、寒溫無し、神人玉女下り來る。又銀亦餌す可し、金與同一の法。此の兩物を服し、以て名山石室中に住す可し、一年にして則ち輕擧す。人間に在りて服す、名は地仙、妄りに傳ふる勿れ。
兩儀子餌銷黃金法,豬負革肪三斤,醇苦酒一斗,取黃金五兩,置器中煎之,出爐,以金置肪中,百入百出,苦酒亦爾,餐一斤金,壽弊天地,食半斤金,壽二千歲;五兩,千二百歲,無多少,便可餌之。當以王相之日,作之神良,勿傳人,傳人,藥不成不神也。欲食去屍藥,當服丹砂。
兩儀子餌銷黃金法、豬負革肪三斤、醇苦酒一斗、黃金五兩を取り、器中に放ちて煎し、爐を出でて、金を肪中に放ち、百次入百次出、苦酒亦此のごとし、金一斤を餐すれば、壽天地與同弊し、金半斤を食すれば、壽二千歲。五兩、千二百歲、多少を論せず、便ち以て餌す可し。當に王相の日に作るべし、神良、人に傳ふる勿れ、人に傳へば、藥成らず神ならず。尸を去るの藥を喫せんと欲せば、當に丹砂を服すべし。
餌丹砂法,丹砂一斤,搗篩,下醇苦酒三升,淳漆二升,凡三物合,令相得,微火上煎之,令可丸,服如麻子三丸,日再。四十日,腹中百病癒,三尸去;服之百日,肌骨堅強;服之千日,司命削死籍,與天地相保,日月相望,改形易容,變化無常,日中無影,乃別有光矣。
丹砂を餌する法、丹砂一斤、擣篩し、醇苦酒三升・淳漆二升を下し、凡そ三物合し、之らをして相得せしめ、微火上に煎じ、之をして丸可からしめ、麻子大の三丸を服し、一日兩次。四十日、腹中百病愈え、三尸去る。百日を服せば、肌骨堅強。千日を服せば、司命死籍を削去し、天地與相保ち、日月相望み、形を改め容を易え、變化無常、日中影無し、卻りて別に光有り。
卷十二·辨問
卷十二・辨問
或問曰:“若仙必可得,聖人已修之矣,而周孔不為之者,是無此道可知也。”抱朴子答曰:“夫聖人不必仙,仙人不必聖。聖人受命,不值長生之道,但自欲除殘去賊,夷險平暴,制禮作樂,著法垂教,移不正之風,易流遁之俗,匡將危之主,扶亡徵之國,刊詩書,撰河洛,著經誥,和雅頌,訓童蒙,應聘諸國,突無凝煙,席不暇暖。其事則鞅掌罔極,窮年無已,亦焉能閉聰掩明,內視反聽,呼吸導引,長齋久潔,入室煉形,登山採藥,數息思神,斷谷清哉?至於仙者,唯須篤志至信,勤而不怠,能恬能靜,便可得之,不待多才也。有入俗之高真,乃為道者之重累也。得合一大藥,知守一養神之要,則長生久視,豈若聖人所修為者云云之無限乎?且夫俗所謂聖人者,皆治世之聖人,非得道之聖人,得道之聖人,則黃老是也。治世之聖人,則周孔是也。黃帝先治世而後登仙,此是偶有能兼之才者也。古之帝王,刻於泰山,可省讀者七十二家,其餘磨滅者,不可勝數,而獨記黃帝仙者,其審然可知也。
有人問道て曰く「若し仙必ず以て得る可し、聖人已に之を修めたり、而も周公孔子做らざるは、是れ此の道無きを以て知る可し」と。抱朴子回答えて曰く「聖人必ずしも是れ仙ならず、仙人必ずしも是れ聖ならず。聖人命を受け、長生の道に遇上せず、只だ自ら想う殘を除き賊を去り、險暴を夷平し、禮を制し樂を作り、法を著し教を垂れ、不正の風を移し、流遁の俗を改易し、將に危なんとする主を匡救し、亡徵有るの國を扶持し、詩書を刊定し、河洛を撰集し、經誥を著し、雅頌を和し、童蒙を訓し、諸國に應聘し、煙囪凝煙無く、席暖まるに及ばず。彼の事則ち紛繁にして極限無く、年を窮めて停まらず、又怎んぞ能く聰を閉じ明を掩い、內視反聽し、呼吸導引し、長齋久潔し、室に入りて形を煉し、山に登りて藥を采し、息を數え神を思い、穀を斷ち淸靜せんや。至於仙の者、只だ須らく篤志至信、勤にして怠らず、能く恬に能く靜にすれば、便ち以て得る可し、多才を等待せず。俗に入るの高眞、反りて是れ道者の爲るの重累。能く一種の大藥を合し、一を守り神を養うの要を知れば、則ち長生久視す、哪れにか聖人の修爲する所のごとく紛紜無限ならんや。再び說く世俗の謂う所の聖人、皆是れ治世の聖人、不是得道の聖人、得道の聖人、則ち是れ黃老。治世の聖人、則ち是れ周公孔子。黄帝先に世を治めて後に仙に登る、此れ是れ偶有能く兼ねるの才。古の帝王、泰山に刻す、以て省讀す可き七十二家、其餘磨灭する、數を勝る可からず、而も獨り黄帝の成仙を記下す、彼の審然として以て知る可し。
世人以人所尤長,眾所不及者,便謂之聖。故善圍棋之無比者,則謂之棋聖,故嚴子卿馬綏明於今有棋聖之名焉。善史書之絕時者,則謂之書聖,故皇象胡昭於今有書聖之名焉。善圖畫之過人者,則謂之畫聖,故衛協張墨於今有畫聖之名焉。善刻削之尤巧者,則謂之木聖,故張衡馬鈞於今有木聖之名焉。故孟子謂伯夷,清之聖者也;柳下惠,和之聖者也;伊尹,任之聖者也。吾試演而論之,則聖非一事。夫班輸倕狄,機械之聖也;附扁和緩,治疾之聖也;子韋甘均,占候之聖也;史蘇辛廖,卜筮之聖也;夏育杜回,筋力之聖也;荊軻聶政,勇敢之聖也,飛廉夸父,輕速之聖也;子野延州,知音之聖也;孫吳韓白,用兵之聖也。聖者,人事之極號也,不獨於文學而已矣。莊周云:盜有聖人之道五焉。妄意而知人之藏者,明也;先入而不疑者,勇也;後出而不懼者,義也;知可否之宜者,知也;分財均同者,仁也。不得此道而成天下大盜者,未之有也。”
(抱朴子接續して曰く)世人の尤も長ずる所、衆人の及ばざる所を以てすれば、則ち聖と稱す。故に圍棋に善き無比なれば、則ち棋聖と稱す、故に嚴子卿・馬綏明今に至るまで棋聖の名有り。史書に善き當時に絕するは、則ち書聖と稱す、故に皇象・胡昭今に至るまで書聖の名有り。圖畫に善き人に過ぎるは、則ち畫聖と稱す、故に衛協・張墨今に至るまで畫聖の名有り。刻削に善き尤も巧なるは、則ち木聖と稱す、故に張衡・馬鈞今に至るまで木聖の名有り。故に孟子曰く伯夷、是れ淸の聖。柳下惠、是れ和の聖。伊尹、是れ任の聖と。我試みに演繹して論ずれば、則ち聖不是一事。班輸・倕・狄、是れ機械の聖。附・扁・和・緩、是れ疾を治するの聖。子韋・甘均、是れ占候の聖。史蘇・辛廖、是れ卜筮の聖。夏育・杜回、是れ筋力の聖。荆軻・聶政、是れ勇敢の聖。飛廉・夸父、是れ輕速の聖。子野・延州、是れ知音の聖。孫・吳・韓・白、是れ兵を用うるの聖。聖は、是れ人事の極號、不獨文學に在るのみ。莊周曰く、盜に聖人の道五有り。妄意して人の藏を知るは、是れ明。先に入りて疑わざるは、是れ勇。後に出でて懼れざるは、是れ義。可否之宜を知るは、是れ知。財を分かち均同なるは、是れ仁。此の道を得ずして天下大盜と成るは、是れ無しと。
或曰:“聖人之道,不得枝分葉散,必總而兼之,然後為聖。”
有人曰く「聖人の道、枝分葉散を得ず、必ず總めて之を兼ね、然る後聖と爲す」と。
餘答之曰:“孔子門徒,達者七十二,而各得聖人之一體,是聖事有剖判也。又云:顏淵具體而微,是聖事有厚薄也。又易曰:有聖人之道四焉,以言者尚其辭,以動者尚其變,以制器者尚其象,以卜筮者尚其占。此則聖道可分之明證也。何為善於道德以致神仙者,獨不可謂之為得道之聖?苟不有得道之聖,則周孔不得為治世之聖乎?既非一矣,何以當責使相兼乎?按仙經以為諸得仙者,皆其受命偶值神仙之氣,自然所稟。故胞胎之中,已含信道之性,及其有識,則心好其事,必遭明師而得其法,不然,則不信不求,求亦不得也。玉鈐經主命原曰:人之吉凶,制在結胎受氣之日,皆上得列宿之精。其值聖宿則聖,值賢宿則賢,值文宿則文,值武宿則武,值貴宿則貴,值富宿則富,值賤宿則賤,值貧宿則貧,值壽宿則壽,值仙宿則仙。又有神仙聖人之宿,有治世聖人之宿,有兼二聖之宿,有貴而不富之宿,有富而不貴之宿,有兼富貴之宿,有先富後貧之宿,有先貴後賤之宿,有兼貧賤之宿,有富貴不終之宿,有忠孝之宿,有兇惡之宿。如此不可具載,其較略如此。為人生本有定命,張車子之說是也。苟不受神仙之命,則必無好仙之心,未有心不好之而求其事者也,未有不求而得之者也。自古至今,有高才明達,而不信有仙者,有平平許人學而得仙者,甲雖多所鑑識而或蔽於仙,乙則多所不通而偏達其理,此豈非天命之所使然乎?
我彼に回答えて曰く「孔子の門徒、達する七十二、而も各々聖人の一體を得、此れ是れ聖事剖判有り。又曰く、顏淵具體にして微なり、此れ是れ聖事厚薄有り。又《易》曰く、聖人の道四有り、以て說する其の辭を崇尚し、以て動く其の變を崇尚し、以て器を制する其の象を崇尚し、以て卜筮する其の占を崇尚す。此れ則ち聖道分け可きの明證。何を爲す道德に善きを以て神仙を致すは、獨り得道の聖と稱す可からずと爲さんや。若し得道の聖無からば、則ち周公孔子治世の聖と爲るを得ざらんか。既に一に非ず、何を爲す當に彼らをして相兼せしめんと責備せんや。仙經に按ずるに以て諸の仙を得る、皆是れ受命して偶り神仙の氣に值し、自然の禀する所。故に胞胎の中、已に道を信ずるの性を含み、識有るに及べば、則ち心彼の事を好み、必ず明師に遭りて彼の法を得、然らざれば、則ち信ぜず求めず、求めて亦得ず。《玉鈐經主命原》曰く、人の吉凶、結胎受氣の日に制さる、皆上列宿の精を得。聖宿に值れば則ち聖、賢宿に值れば則ち賢、文宿に值れば則ち文、武宿に值れば則ち武、貴宿に值れば則ち貴、富宿に值れば則ち富、賤宿に值れば則ち賤、貧宿に值れば則ち貧、壽宿に值れば則ち壽、仙宿に值れば則ち仙。又有神仙聖人の宿、有治世聖人の宿、有兼二聖の宿、有貴にして不富の宿、有富にして不貴の宿、有兼富貴の宿、有先富後貧の宿、有先貴後賤の宿、有兼貧賤の宿、有富貴不終の宿、有忠孝の宿、有凶惡の宿。此のごとく盡く記載す可からず、大較此のごとし。人爲れて一生本定命有り、張車子の說法是れ此のごとし。若し神仙の命を受けざれば、則ち必ず仙を好むの心無し、心無きは好まずして卻りて彼の事を求むる無し、求めずして卻りて得る無し。古より今に至る、高才明達有りて、而も仙有るを信を信ぜざる有り、平平許人學びて仙を得る有り、甲雖も多く鑑識するも而も或は仙に蔽され、乙則ち多く通ぜざるも而も偏に彼の理に達す、此れ豈に天命の使然する所に非ずや」と。
夫道家寶秘仙術,弟子之中,尤尚簡擇,至精彌久,然後告之以要訣,況於世人,幸自不信不求,何為當強以語之邪?既不能化令信之,又將招嗤速謗。故得道之士,所以與世人異路而行,異處而止,言不欲與之交,身不欲與之雜。隔千里,猶恐不足以遠煩勞之攻;絕軌跡,猶恐不足以免毀辱之醜。貴不足以誘之,富不足以移之,何肯當自衒於俗士,言我有仙法乎?此蓋周孔所以無緣而知仙道也。且夫周孔,蓋是高才大學之深遠者耳,小小之伎,猶多不閒。使之跳丸弄劍,逾鋒投狹,履登幢,擿盤緣案,跟掛萬仞之峻峭,游泳呂梁之不測,手扛千鈞,足躡驚飆,暴虎檻豹,攬飛捷矢,凡人為之,而周孔不能,況過於此者乎?他人之所念慮,蚤蝨之所首向,隔牆之朱紫,林下之草芥,匣匱之書籍,地中之寶藏,豐林邃藪之鳥獸,重淵洪潭之魚鱉,令周孔委曲其采色,分別其物名,經列其多少,審實其有無,未必能盡知,況於遠此者乎?聖人不食則飢,不飲則渴,灼之則熱,凍之則寒,撻之則痛,刃之則傷,歲久則老矣,損傷則病矣,氣絕則死矣。此是其所與凡人無異者甚多,而其所以不同者至少矣。所以過絕人者,唯在於才長思遠,口給筆高,德全行潔,強訓博聞之事耳,亦安能無事不兼邪?既已著作典謨,安上治民,復欲使之兩知仙道,長生不死,以此責聖人,何其多乎?吾聞至言逆俗耳,真語必違眾,儒士卒覽吾此書者,必謂吾非毀聖人。吾豈然哉?但欲盡物理耳,理盡事窮,則似於謗訕周孔矣。世人謂聖人從天而墜,神靈之物,無所不知,無所不能。甚於服畏其名,不敢復料之以事,謂為聖人所不為,則人無復能之者也;聖人所不知,則人無復知之者也,不可笑哉?今具以近事校之,想可以悟也。完山之鳥,賣生送死之聲,孔子不知之,便可復謂顏回只可偏解之乎?
(我接續して曰く)道家仙術を寶祕し、弟子の中、尤も簡擇を崇尚し、至精甚だ久しき、然る後要訣を以て彼に告ぐ、何況世人、幸にして自ら信ぜず求めず、何を爲す當に強りて言を以て彼に告げんや。既に能く化して彼をして信ぜしめず、又將に嗤を招きて謗を加速せん。故に道を得る之士、世人與異路して行き、異處して止まる所以、言彼ら與交わらんと欲せず、身彼ら與雜らんと欲せず。千里を隔て、還た怕れる煩勞の攻を遠離するに足らざるを。軌跡を斷絕し、還た怕れる毀辱の醜を免るるに足らざるを。貴以て彼を誘うに足らず、富以て彼を移すに足らず、怎んぞ肯んじて自ら俗士に向かい炫耀し、我仙法有りと說かんや。此れ蓋し是れ周公孔子の仙道を知るに緣無き所以。再び說く周公孔子、蓋し是れ高才大學裏深遠のみ、小小の伎藝、還た多く嫺熟せず。彼らをして丸を跳ばし劍を弄し、鋒刃を越過し、狹處に投入し、幢を履登し、盤を擿き案に緣り、脚跟萬仞の峻峭に挂け、吕梁不測の處に游泳し、手千鈞を扛ぎ、足驚飆を蹑み、虎を暴れ豹を檻し、飛捷の矢を攬れしむれば、凡人此らを做る、而も周公孔子能わず、何況此らを超過するをや。他人の念慮する所、蚤虱の頭向する所、牆を隔てるの朱紫、林下の草芥、匣匱の書籍、地中の寶藏、豐林邃藪の鳥獸、重淵洪潭の魚鱉、周公孔子をして委曲に彼らの采色を說き、彼らの物名を分別し、彼らの多少を經列し、彼らの有無を審實せしめば、未だ必ずしも盡く知る能わず、何況遠く此らを過ぐるをや。聖人食わざれば則ち饑え、飲まざれば則ち渇し、之を灼けば則ち熱し、之を凍れば則ち寒し、之を撻れば則ち痛み、刀刃之れば則ち傷り、歲久しければ則ち老い、損傷すれば則ち病み、氣絕すれば則ち死す。此れ彼らの凡人與異なる無きの多し、而も同じからざる所以の至も少なし。人を過絶する所以、只だ才長思遠・口給筆高・德全行潔・强訓博聞の事に在るのみ、又怎んぞ能く事と無く兼ねんや。既に典謨を著作し、上を安んじ民を治め、又想う彼らをして兩つ仙道を知らしめ、長生不死せんと、此を以て聖人を責備す、何其多きや。我聞く至言俗耳に逆らい、眞語必ず衆に違う、儒士倉促我が此の書を看る、必ず我聖人を非毀すと說かん。我哪れにか是れ此のごとくならんや。只だ想う物理を盡くすのみ、理盡き事窮まれば、猶ほ周公孔子を謗訕するがごとし。世人說く聖人天より墜ち、是れ神靈の物、知らざる無し、能わざる無しと。過分其の名を服畏し、敢て再び事を以て料度せず、說く聖人の做らざる所、則ち人再び能くする無し。聖人の知らざる所、則ち人再び知る無し、可笑ならずや。今皆近事を以て之を校す、想う以て醒悟す可し。完山の鳥、生を賣り死を送るの聲、孔子知らず、便ち以て再び顏回只だ偏解す可しと說かんや。
聞太山婦人之哭,問之,乃知虎食其家三人,又不知此婦人何以不徙去之意,須答乃悟。見羅雀者純得黃口,不辨其意,問之乃覺。及欲葬母,不知父墓所在,須人語之,既定墓崩,又不知之,弟子誥之,乃泫然流涕。又疑顏淵之盜食,乃假言欲祭先人,卜掇塵之虛偽。廄焚,又不知傷人馬否。顏淵後,便謂之已死。又周流七十餘國,而不能逆知人之必不用之也,而棲棲遑遑,席不暇溫。又不知匡人當圍之,而由其途。問老子以古禮,禮有所不解也。問郯子以鳥官,官有所不識也。行不知津,而使人問之,又不知所問之人,必譏之而不告其路,若爾可知不問也。下車逐歌鳳者,而不知彼之不住也。見南子而不知其無益也。諸若此類,不可具舉,但不知仙法,何足怪哉?又俗儒云:聖人所不能,則餘人皆不能。則宕人水居,梁母火化,伯子耐至熱,仲都堪酷寒,左慈兵解而不死,甘始休糧以經歲,範軼見斫而不入,鱉令流屍而更生,少千執百鬼,長房縮地脈,仲甫假形於晨鳧,張楷吹噓起雲霧,未聞周孔能為斯事也。”
(我接續して曰く)太山婦人の哭を聞き、之を問うて、纔かに虎其の家三人を食えるを知り、又此の婦人何を爲す遷徙離去せざるの意を知らず、須らく回答して纔かに悟る。雀を羅るの純黄口を得るを見、彼の意を辨せず、問うて纔かに覺ゆ。及び母を葬らんと欲して、父の墓所在を知らず、須らく人の告ぐる、既定墓崩れ、又知らず、弟子彼に告げて、纔かに泫然として流涕す。又顏淵食を盜むを疑い、纔かに假りて先人を祭らんと欲すと說き、彼の塵を掇るの虛僞を卜す。廐焚け、又人馬を傷る有無を知らず。顏淵後落すれば、便ち彼已に死せりと說く。又七十餘國を周流し、而も能く豫め人必ず彼を用いざるを知らず、而も栖栖遑遑、席溫まるに及ばず。又匡人當に彼を圍むべきを知らず、而も彼の條路に從い行く。老子に古禮を問う、禮解せざる所有り。郯子に鳥官を問う、官識らざる所有り。路を行きて渡口を知らず、而も人をして問はしめ、又所問の人を知らず、必ず彼を譏りて路を告げず、若し此のごとく以て知る可きは問わず。車を下りて鳳を歌う者を追う、而も彼の留まらざるを知らず。南子を見て益無きを知らず。此のごときの類、盡く列擧す可からず、只だ仙法を知らざる、哪れにか怪むに足らん。又俗儒說く、聖人の能わざる所、則ち其餘人皆能わずと。則ち宕人水に居り、梁母火に化し、伯子至熱に耐え、仲都酷寒に堪え、左慈兵解して死せず、甘始糧を休めて歲を經、范軼斫られて入らず、鱉令尸を流して更生し、少千百鬼を執り、長房地脈を縮め、仲甫形を晨鳧上に假り、張楷吹噓して雲霧を起す、未だ周公孔子此らの事を做る能くするを聞かず。
俗人或曰:“周孔皆能為此,但不為耳。”
俗人或は說く「周公孔子皆能く此らを做る、只だ做らざるのみ」と。
吾答之曰:“必不求之於明文,而指之以空言者,吾便可謂周孔能振翮翻飛,翱翔八極,興雲致雨,移山拔井,但不為耳。一不以記籍見事為據者,復何限哉?必若所云者,吾亦可以言周孔皆已昇仙,但以此法不可以訓世,恐人皆知不死之可得,皆必悉委供養,廢進宦而登危浮深,以修斯道,是為家無復子孫,國無復臣吏,忠孝並喪,大倫必亂,故周孔密自為之,而秘不告人,外託終亡之形,內有上仙之實。如此,則子亦將何以難吾乎?亦又未必不然也。靈寶經有正機平衡飛龜授袟凡三篇,皆仙術也。吳王伐石以治宮室,而於合石之中,得紫文金簡之書,不能讀之,使使者持以問仲尼,而欺仲尼曰:‘吳王閒居,有赤雀銜書以置殿上,不知其義,故遠諮呈。’仲尼以視之,曰:‘此乃靈寶之方,長生之法,禹之所服,隱在水邦,年齊天地,朝於紫庭者也。禹將仙化,封之名山石函之中,乃今赤雀銜之,殆天授也。’以此論之是夏禹不死也,而仲尼又知之;安知仲尼不皆密修其道乎?正復使聖人不為此事,未可謂無其效也。人所好惡,各各不同,諭之以面,豈不信哉?誠合其意,雖小必為也;不合其神,雖大不學也。好苦憎甘,既皆有矣,嗜利棄義,亦無數焉。‘聖人之大寶曰位,何以聚人曰財。’又曰:‘富與貴,是人之所欲’,而昔已有禪之以帝王之位而不用,委之以四海之富而不願,蔑三九之官,背玉帛之聘,遂山林之高潔,甘魚釣之陋業者,蓋不可勝數耳。又曰:‘男女飲食,人之大欲存焉。’是以好色不可諫,甘旨可忘憂。昔有絕谷棄美,不畜妻妾,超然獨往,浩然得意,顧影含歡,漱流忘味者,又難勝記也。人情莫不愛紅顏豔姿,輕體柔身,而黃帝逑篤醜之嫫母,陳侯憐可憎之敦洽。
我彼に回答えて曰く「必ず明文に向かい求めず、而も空言を以て指に來るは、我便ち說く可し周公孔子能く翮を振るい翻飛し、八極に翱翔し、雲を興して雨を致し、山を移し井を拔く、只だ做らざるのみと。一たび記籍の見る所の事を以て據と爲さざれば、又何の限度有らん。必ず若し說く所のごとくならば、我亦說く可し周公孔子皆已に升仙し、只だ此の法以て世を訓う可からざるに因りて、怕れる人皆知る不死得る可きを、皆必ず全部供養を委棄し、進宦を廢して危に登り深に浮かび、以て此の道を修めんことを、此のごとくすれば則ち是れ家再び子孫有らず、國再び臣吏有らず、忠孝一竝に喪し、大倫必ず亂る、故に周公孔子密かに自ら做り、而も祕して人に告げず、外面終亡の形を托し、內裏上仙の實有りと。此のごとき、則ち您又將に何を以て我を難ぜんや。亦又未だ必ずしも此のごとくならざらず。《靈寶經》正機・平衡・飛龜授袟凡そ三篇有り、皆是れ仙術。吳王石を伐りて以て宮室を治めんとし、而も石を合する中に、紫文金簡の書を得、讀む能わず、使者をして拿げて仲尼に問はしめ、而も仲尼を欺きて曰く『吳王閑居、赤雀書を銜へて殿上に放つ、彼の義を知らず、故に遠く來りて咨呈す』と。仲尼之を看て曰く『此れ是れ靈寶の方、長生の法、禹の服する所、水邦に隱れ、年天地與齊し、紫庭に朝するなり。禹將に仙化せんとし、名山石函の中に封す、今赤雀銜へて來る、蓋し是れ天授』と。此を以て論ずれば是れ夏禹死せず、而も仲尼又之を知る、怎んぞ知る仲尼皆密かに彼の道を修めざるをや。正即使聖人此の事を做らざるも、亦以て彼の效無しと說く可からず。人の好惡、各々同じからず、臉を以て曉諭す、豈に信ならずや。誠に其の意に合すれば、雖も小必ず做る。其の神に合せざれば、雖も大學ばず。苦を好み甘を憎む、既に皆之有り、利を嗜み義を棄つ、亦數無し。『聖人の大寶位と曰い、何を以て人を聚むる財と曰う』。又曰く『富與貴、是れ人の欲する所』と、而も從前已に帝王の位を以て禪讓して用ゐず、四海の富を以て彼に委ねて願わず、三九の官を蔑視し、玉帛の聘を背棄し、山林の高潔を遂げ、魚釣の陋業に甘心する有り、蓋し數を勝る可からず。又曰く『男女飲食、人の大欲彼に存在す』と。故に色を好むは諫む可からず、甘旨以て憂を忘る可し。從前絕谷棄美し、妻妾を畜わず、超然として獨り往き、浩然として得意し、影を顧みて歡を含み、流れに漱いで味を忘るる有り、又記を勝ること難し。人情愛せざる無し紅顏艷姿・輕體柔身、而も黄帝篤醜の嫫母を逑娶し、陳侯可憎の敦洽を憐む。
人鼻無不樂香,故流黃鬱金、芝蘭蘇合、玄膽素膠、江離揭車、春蕙秋蘭,價同瓊瑤,而海上之女,逐酷臭之夫,隨之不止。周文嗜不美之菹,不以易太牢之滋味。魏明好椎鑿之聲,不以易絲竹之和音。人各有意,安可求此以同彼乎?周孔自偶,不信仙道,日月有所不照,聖人有所不知,豈可以聖人所不為,便雲天下無仙!是責三光不照覆盆之內也。”
(我接續して曰く)人の鼻香を樂しまざる無し、故に流黃・郁金・芝蘭・蘇合・玄膽・素膠・江離・揭車・春蕙秋蘭、價瓊瑤に同じ、而も海上の女、酷臭の夫を追逐し、隨從して止まず。周文不美の菹を嗜み、以て太牢の滋味に換えず。魏明椎鑿の聲を好み、以て絲竹の和音に換えず。人各々意有り、怎んぞ以て此を求めて彼に同じくせんや。周公孔子自ら偶合し、仙道を信ぜず、日月照らさざる所有り、聖人知らざる所有り、怎んぞ以て聖人の做らざる所に因りて、便ち天下仙無しと說かん。此れ是れ三光を責備して覆盆の內を照らさざるなり」と。
卷十三·極言
卷十三・極言
或問曰:“古之仙人者,皆由學以得之,將特稟異氣耶?”抱朴子答曰:“是何言歟?彼莫不負笈隨師,積其功勤,蒙霜冒險,櫛風沐雨,而躬親灑掃,契闊勞藝,始見之以信行,終被試以危困,性篤行貞,心無怨貳,乃得升堂以入於室。或有怠厭而中止,或有怨恚而造退,或有誘於榮利,而還修流俗之事,或有敗於邪說,而失其淡泊之志,或朝為而夕欲其成,或坐修而立望其效。若夫睹財色而心不戰,聞俗言而志不沮者,萬夫之中,有一人為多矣。故為者如牛毛,獲者如麟角也。夫彀勁弩者,效力於發箭;涉大川者,保全於既濟;井不達泉,則猶不掘也;一步未至,則猶不往也。修塗之累,非移晷所臻;凌霄之高,非一簣之積。然升峻者患於垂上而力不足,為道者病於方成而志不遂。千倉萬箱,非一耕所得;幹天之木,非旬日所長;不測之淵,起於汀瀅;陶朱之資,必積百千。若乃人退己進,陰子所以窮至道也。敬卒若始,羨門所以致雲龍也。我志誠堅,彼何人哉?”
有人問道て曰く「古の仙人、皆學びに由りて得たるか、還た特に異氣を禀けたるか」と。抱朴子回答えて曰く「此れ是れ何の言。彼ら負笈して師に隨わざる無く、彼の功勤を積み、霜を蒙り險を冒し、風に櫛り雨に沐り、而も自ら灑掃し、契闊勞藝し、始め信行を以て見え、終り危困を以て試せられ、性篤く行貞く、心怨貳無くして、纔かに堂に升り室に入るを得。或は怠厭して中止する有り、或は怨恚して造退する有り、或は榮利に誘われて、而も回來りて流俗の事を修むる有り、或は邪說に敗れて、而も淡泊の志を失う有り、或は朝做りて夕成功を想う有り、或は坐して修めて立刻効を望む有り。至於財色を見て心戰わず、俗言を聞きて志沮らざるは、萬夫の中、一人已に多しと算す。故に做るは牛毛のごとく、獲得するは麟角のごとし。彀滿强弩するは、效力箭を發するに在り。大川に涉るは、保全既濟に在り。井泉に達せざれば、則ち還た掘らざるに像る。一步未だ至らざれば、則ち還た去らざるに像る。長途の積累、不是移晷の到る能くする所。霄に凌ぐの高、不是一簣の積。然れども峻に登る人患將に上らんとして力足らざるに在り、道を爲る人病將に成らんとして志遂げざるに在り。千倉萬箱、不是一耕の所得。上雲霄に衝くの木、不是旬日の長ずる所。不測の淵、淺汀より起る。陶朱の資、必ず百千を積む。至於人退己進は、是れ陰子の道至を窮める所以。敬重終結始のごときは、是れ羨門の雲龍を招致する所以。我が志誠堅し、彼是れ何人。
抱朴子曰:“俗民既不能生生,而務所以煞生。夫有盡之物,不能給無已之耗;江河之流,不能盈無底之器也。凡人利入少而費用多者,猶不供也,況無錙銖之來,而有千百之往乎?人無少長,莫不有疾,但輕重言之耳。而受氣各有多少,多者其盡遲,少者其竭速。其知道者補而救之,必先復故,然後方求量表之益。若令服食終日,則肉飛骨騰,導引改朔,則羽翮參差,則世閒無不信道之民也。患乎升勺之利未堅,而鍾石之費相尋,根柢之據未極,而冰霜之毒交攻。不知過之在己,而反雲道之無益,故捐丸散而罷吐納矣。故曰非長生難也,聞道難也;非聞道難也,行之難也;非行之難也,終之難也。良匠能與人規矩,不能使人必巧也。明師能授人方書,不能使人必為也。夫修道猶如播谷也,成之猶收積也。厥田雖沃,水澤雖美,而為之失天時,耕鋤又不至,登稼被壟,不獲不刈,頃畝雖多,猶無獲也。凡夫不徒不知益之為益也,又不知損之為損也,夫損易知而速焉,益難知而遲焉,人尚不悟其易,安能識其難哉?夫損之者如燈火之消脂,莫之見也,而忽盡矣。益之者如苗禾之播殖,莫之覺也,而忽茂矣。故治身養性,務謹其細,不可以小益為不平而不修,不可以小損為無傷而不防。凡聚小所以就大,積一所以至億也。若能愛之於微,成之於著,則幾乎知道矣。”
抱朴子曰く「俗民既に能く生命を生長せしめず、卻りて專ら生を殺す所以を務む。盡き有るの物、能く無已の耗を供給せず。江河の流、能く無底の器を盈滿せず。凡人利入少なくして費用多きは、尚ほ供給せず、何況錙銖の來無くして、千百の往有るをや。人少長を論ぜず、疾有らざる無し、只だ輕重を以て言うのみ。而も氣を受くる各々多少有り、多きは盡き得ること遲し、少きは枯竭すること快し。彼ら知る人補いて之を救う、必ず先ず故狀を恢復し、然る後纔かに量表上の益を求む。若し人をして服食終日せしめば、則ち肉飛び骨騰す、導引朔を改めれば、則ち羽翮參差す、則ち世上信道の民無からん。怕るるは升勺の利未だ堅ならずして、而も鐘石の費相尋して來り、根柢の據未だ極まらずして、而も冰霜の毒交攻す。過己に在るを知らず、卻りて反りて道路益無しと說き、故に丸散を捐棄して吐納を罷めたり。故に說く不是長生難、道を聞く難。不是道を聞く難、實行難。不是實行難、終結難と。良匠能く人に規矩を與へ、能く人をして必ず巧ならしめず。明師能く人に方書を授け、能く人をして必ず做らしめず。道を修むるは譬へば穀を播くがごとく、成就するは譬へば收積するがごとし。彼の田雖も肥沃、水澤雖も美なりとも、而も作りて天時を失い、耕鋤又到らず、莊稼壟に鋪滿し、獲せず刈らず、頃畝雖も多し、還た收穫無し。凡夫不但益の益と爲るを知らず、又損の損と爲るを知らず、損知り易くして快く、益知り難くして遲し、人尚ほ彼の易きを悟らず、怎んぞ能く彼の難きを識らんや。損のは像く燈火脂を消す、見る無くして、而も忽然盡く。益のは像く苗禾播殖す、覺え無くして、而も忽然茂る。故に身を治め性を養う、務めて彼の細の細處を謹み、以小益を以て不平と爲して修めざる可からず、以小損を以て傷無しと爲して防がざる可からず。凡そ小を聚むる大を就くる所以、一を積む億に到る所以。若能く微處にて之を愛し、顯著處にて之を成せば、則ち幾んど知らん。
或問曰:“古者豈有無所施行,而偶自長生者乎?”抱朴子答曰:“無也。或隨明師,積功累勤,便得賜以合成之藥。或受秘方,自行治作,事不接於世,言不累於俗,而記著者止存其姓名,而不能具知其所以得仙者,故闕如也。昔黃帝生而能言,役使百靈,可謂天授自然之體者也,猶復不能端坐而得道。故陟王屋而受丹經,到鼎湖而飛流珠,登崆峒而問廣成,之具茨而事大隗,適東岱而奉中黃,入金谷而諮涓子,道養則資玄素二女,精推步則訪山稽力牧,講占候則詢風后,著體診則受雷岐,審攻戰則納五音之策,窮神奸則記白澤之辭,相地理則書青烏之說,救傷殘則綴金冶之術。故能畢該秘要,窮道盡真,遂升龍以高躋,與天地乎罔極也。然按神仙經,皆雲黃帝及老子奉事太乙元君以受要訣,況乎不逮彼二君者,安有自得仙度世者乎?未之聞也。”
有人問道て曰く「古時豈に施行する所無くして、而も偶然自ら長生する有らんや」と。抱朴子回答えて曰く「無し。或は明師に隨從し、功を積み勤を累ね、便ち合成の藥を賜給するを得。或は秘方を受け、自ら去りて治作し、事世與交接せず、話俗に累及せず、而も記著する只だ彼の姓名を存し、而も能く詳細其の仙を得る所以を知らず、故に闕如。昔黄帝生れて來りて能く言說し、百靈を役使し、說く可し天授自然の體、還た能く端坐して道を得ざるなり。故に王屋に登りて丹經を受け、鼎湖に到りて流珠を飛煉し、崆峒に登りて廣成に問い、具茨に到りて大隗を事奉し、東岱に去りて中黃を奉げ、金谷に入りて涓子に諮詢し、道養則ち玄素二女に憑藉し、歩を精推すれば則ち山稽・力牧を訪れ、占候を講ずれば則ち風后を詢え、體診を著さば則ち雷・岐を受け、攻戰を審すれば則ち五音の策を納れ、神奸を窮めば則ち白澤の辭を記し、地理を相れば則ち青烏の說を書し、傷殘を救わば則ち金冶の術を綴る。故に能く全部秘要を該備し、道を窮め眞を盡くし、於是龍に升り高く躋り、天地與極限無し。然れども神仙經に按ずれば、皆說く黄帝及び老子太乙元君を奉事して以て要訣を受くと、何況彼の二君に趕上せざるは、哪れにか自ら仙を得て世を度る有らんや。聞く有らざるなり。
或曰:“黃帝審仙者,橋山之冢,又何為乎?”抱朴子答曰:“按荊山經及龍首記,皆雲黃帝服神丹之後,龍來迎之,群臣追慕,靡所措思,或取其几杖,立廟而祭之;或取其衣冠,葬而守之。列仙傳云:黃帝自擇亡日,七十日去,七十日還,葬於橋山,山陵忽崩,墓空無屍,但劍舄在焉。此諸說雖異,要於為仙也。言黃帝仙者,見於道書及百家之說者甚多,而儒家不肯長奇怪,開異塗,務於禮教,而神仙之事,不可以訓俗,故云其死,以杜民心耳。朱邑欒巴於公,有功惠於民,百姓皆生為之立廟祠。又古者盛德之人,身沒之後,臣子刊其勳績於不朽之器。而今世君長遷轉,吏民思戀,而樹德頌之碑者,往往有焉,此亦黃帝有廟墓之類也,豈足以證其必死哉?”
有人曰く「黄帝果して是れ仙、橋山の冢、又何を爲すや」と。抱朴子回答えて曰く「《荊山經》及び《龍首記》に按ずるに、皆說く黄帝神丹を服するの後、龍來りて迎接し、群臣追慕し、思を措く地方無し、或は其の几杖を取り、廟を立てて祭る。或は其の衣冠を取り、葬りて守ると。《列仙傳》曰く、黄帝自ら亡日を選擇し、七十日離去し、七十日回來り、橋山に葬る、山陵忽然崩れ、墓空しく尸無し、只有劍與舄在りと。此らの說法雖も不同、要約成仙に在り。黄帝成仙を說く、道書及び百家の說に見る多し、而も儒家肯んじて奇怪を助長せず、異途を開かず、禮教に務め、而も神仙の事、以て俗を訓う可からず、故に彼を死と說き、以て民心を杜絕するのみ。朱邑・欒巴・于公、民に功惠に對し、百姓皆彼らの生くる時廟祠を立つ。又古時盛德の人、身沒の後、臣子其の勳績を不朽の器上に刊す。而今世君長遷轉し、吏民思戀し、而も德頌の碑を樹立する、往々有り、此れ亦是れ黄帝廟墓有るの一類、哪れに足以彼の必ず死せんを證明せんや」と。
或人問曰:“彭祖八百,安期三千,斯壽之過人矣。若果有不死之道,被何不遂仙乎?豈非稟命受氣,自有修短,而彼偶得其多,理不可延,故不免於雕隕哉?”抱朴子答曰:“按彭祖經云,其自帝嚳佐堯,歷夏至殷為大夫,殷王遣采女從受房中之術,行之有效,欲殺彭祖,以絕其道,彭祖覺焉而逃去。去時年七八百餘,非為死也。黃石公記云:彭祖去後七十餘年,門人於流沙之西見之,非死明矣。又彭祖之弟子,青衣烏公、黑穴公、秀眉公、白兔公子、離婁公、太足君、高丘子、不肯來七八人,皆歷數百歲,在殷而各仙去,況彭祖何肯死哉?又劉向所記列仙傳亦言彭祖是仙人也。又安期先生者,賣藥於海邊,琅琊人傳世見之,計已千年。秦始皇請與語,三日三夜。其言高,其旨遠,博而有證,始皇異之,乃賜之金璧,可直數千萬,安期受而置之於阜鄉亭,以赤玉舄一量為報,留書曰,複數千載,求我於蓬萊山。如此,是為見始皇時已千歲矣,非為死也。又始皇剛暴而驁很,最是天下之不應信神仙者。又不中以不然之言答對之者也。至於問安期以長生之事,安期答之允當,始皇惺悟,信世閒之必有仙道,既厚惠遺,又甘心欲學不死之事,但自無明師也,而為盧敖徐福輩所欺弄,故不能得耳。向使安期先生言無符據,三日三夜之中,足以窮屈,則始皇必將烹煮屠戮,不免鼎俎之禍,其厚惠安可得乎?”
有人問道て曰く「彭祖八百、安期三千、此の壽已に人に過ぐ。若し果して不死の道有れば、彼ら何を爲す則ち仙と成らざるや。豈に是れ命を禀け氣を受け、自ら長短有り、而も彼ら偶然得る多く、理延長す可からず、故に雕隕を免れざるか」と。抱朴子回答えて曰く「《彭祖經》に按ずるに說く、彼帝嚳より堯を輔佐し、夏を經歷して殷に到り大夫を做り、殷王采女を派遣して隨從して房中の術を受けしめ、實行效有り、彭祖を殺さんと欲し、以て彼の道を絕たんと、彭祖察覺して逃走す。離去の時年七八百餘、不是死。《黃石公記》曰く、彭祖離去の後七十餘年、門人流沙の西に彼を見る、不是死已に明白なり。又彭祖の弟子、青衣烏公・黑穴公・秀眉公・白兔公子・離婁公・太足君・高丘子・不肯來七八人、皆數百歲を經歷し、殷に在りて各々仙去す、何況彭祖怎んぞ肯んじて死せんや。又劉向の記する所《列仙傳》亦說く彭祖是れ仙人。又安期先生、海邊に藥を賣り、琅琊人世を傳え彼を見、算來已に千年。秦始皇彼を請りて話を與し、三日三夜。其の言高く、旨遠く、博にして證有り、始皇驚異し、則ち金璧を賜う、以て數千萬に值す、安期接受して阜鄉亭に放ち、赤玉舄一雙を以て報と爲し、書を留下して曰く、再び數千年を過ぎ、蓬萊山に到りて我を求めよと。此のごとき、是れ始皇を見の時已に千歲、不是死。又始皇剛暴にして傲慢狠戾、最是れ天下信ずべからざる神仙の。又不適彼に對答するに不然の話を以てす。至於安期に長生の事を問う、安期答へ得允當し、始皇醒悟し、世上必ず仙道有るを信じ、既に厚惠贈送し、又不死の事を學ばんと甘心す、只だ自ら明師無く、而も盧敖・徐福の輩に欺弄せられ、故に能く得ざるのみ。假使安期先生の話符據無からば、三日三夜裏、足以窮屈す、則ち始皇必ず將に烹煮屠戮し、鼎俎の禍を免れず、彼の厚惠怎んぞ以て得る可けんや」と。
或問曰:“世有服食藥物,行氣導引,不免死者,何也?”
有人問道て曰く「世上服食藥物・行氣導引する有り、仍ほ死を免れず、何を爲す」と。
抱朴子答曰:“不得金丹,但服草木之藥及修小術者,可以延年遲死耳,不得仙也。或但知服草藥,而不知還年之要術,則終無久生之理也。或不曉帶神符,行禁戒,思身神,守真一,則止可令內疾不起,風溼不犯耳。若卒有惡鬼強邪,山精水毒害之,則便死也。或不得入山之法,令山神為之作禍,則妖鬼試之,猛獸傷之,溪毒擊之,蛇蝮螫之,致多死事,非一條也。或修道晚暮,而先自損傷已深,難可補復。補復之益,未得根據,而疾隨復作,所以克伐之事,亦何緣得長生哉?或年老為道而得仙者,或年少為道而不成者,何哉?彼雖年老而受氣本多,受氣本多則傷損薄,傷損薄則易養,易養故得仙也。此雖年少而受氣本少,受氣本少則傷深,傷深則難救,難救故不成仙也。夫木槿楊柳,斷殖之更生,倒之亦生,橫之亦生。生之易者,莫過斯木也。然埋之既淺,又未得久,乍刻乍剝,或搖或拔,雖壅以膏壤,浸以春澤,猶不脫於枯瘁者,以其根荄不固,不暇吐其萌芽,津液不得遂結其生氣也。人生之為體,易傷難養,方之二木,不及遠矣。而所以攻毀之者,過於刻剝,劇乎搖拔也。濟之者鮮,壞之者眾,死其宜也。夫吐故納新者,因氣以長氣,而氣大衰者則難長也。服食藥物者,因血以益血,而血垂竭者則難益也。夫奔馳而喘逆,或欬或滿,用力役體,汲汲短乏者,氣損之候也。面無光色,皮膚枯臘,唇焦脈白,腠理萎瘁者,血減之證也。二證既衰於外,則靈根亦凋於中矣。如此,則不得上藥,不能救也。凡為道而不成,營生而得死者,其人非不有氣血也。然身中之所以為氣為血者,根源已喪,但餘其枝流也。譬猶入水之燼,火滅而煙不即息;既斷之木,柯葉猶生。二者非不有煙,非不有葉,而其所以為煙為葉者,已先亡矣。世人以覺病之日,始作為疾,猶以氣絕之日,為身喪之候也。
抱朴子回答えて曰く「金丹を得ず、只だ草木の藥及び小術を修めるを服するは、以て年を延し死を遲らしむるのみ、仙を得ず。或は只だ草藥を服するを知りて、而も還年の要術を知らざれば、則ち終に久生の理無し。或は神符を帶び、禁戒を行い、身神を思い、眞一を守るを曉らざれば、則ち只だ以て內疾をして起らざらしめ、風濕をして犯さざらしむるのみ。若し突然惡鬼强邪・山精水毒彼を害する有れば、則ち便ち死す。或は山に入るの法を得ず、山神をして因此禍を作さしめば、則ち妖鬼彼を試し、猛獸彼を傷り、谿毒彼を擊ち、蛇蝮彼を螫し、以致多く死事有り、不是一條。或は道を修むる晚暮にして、而も先に自ら損傷已に深く、以て補復し難し。補復の益、尚ほ未だ能く據せず、而も疾隨い又作る、故に克伐の事、又何より長生を得んや。或は年老いて道を爲して仙を得る有り、或は年少くして道を爲して成らざる有るは、何を爲す。彼雖も年老くも而も氣を受くる本來多く、氣を受くる本來多ければ則ち傷損薄く、傷損薄ければ則ち養い易く、養い易き所以仙を得。此の人雖も年少くも而も氣を受くる本來少なく、氣を受くる本來少なければ則ち傷深く、傷深ければ則ち救い難く、救い難き所以成仙せず。木槿楊柳、切斷して種植すれば更生し、倒れて亦生じ、橫たえて亦生ず。生ずるの易き、此らの木に過ぐる無し。然れども埋むる既に淺く、又未だ久しきを得ず、忽刻忽剥し、或は搖し或は拔すれば、雖も膏壤を以て壅ぎ、春澤を以て浸すとも、還た枯瘁を脫せず、根荄固ならざるに因りて、萌芽を吐くに及ばず、津液彼の生氣を遂結するを得ざるなり。人生體と爲る、傷り易く養い難し、此の兩木與比すれば、遠く及ばず。而も攻毀する所以、刻剥を超過し、搖拔より劇烈し。救濟する少なく、毀壞する多し、死是れ應當。故を吐き新を納るるは、氣に因りて血を長ず、而も氣大衰するは則ち長じ難し。藥物を服食するは、血に因りて血を益す、而も血將に枯竭せんとするは則ち益し難し。奔馳して喘逆し、或は咳し或は滿悶し、力を用い體を役し、汲汲短乏するは、是れ氣損の候。面光色無く、皮膚枯臘し、唇焦え脈白く、腠理萎瘁するは、是れ血減の證。二證既に外に衰うれば、則ち靈根亦中に凋す。此のごとき、則ち上藥を得ず、能く救わず。凡そ道を爲して成らず、生を營みて死を得るは、其の人不是氣血無き。然れども身中氣と爲り血と爲る所以、根源已に喪し、只だ枝流を餘す。譬へば水に入るの燼、火滅して煙立刻息せず。既斷の木、柯葉還た生ず。二者不是煙無き、不是葉無き、而も煙と爲り葉と爲る所以、已に先に亡びたり。世人病を覺えるの日を以て、始めて當に疾と作る、譬へば氣絕の日を以て、當に身喪の候と作る。
唯怨風冷與暑溼,不知風冷暑溼,不能傷壯實之人也,徒患體虛氣少者,不能堪之,故為所中耳。何以較之,設有數人,年紀老壯既同,服食厚薄又等,俱造沙漠之地,並冒嚴寒之夜,素雪墮於上,玄冰結於下,寒風摧條而宵駭,欬唾凝冱於唇吻,則其中將有獨中冷者,而不必盡病也。非冷氣之有偏,蓋人體有不耐者耳。故俱食一物,或獨以結病者,非此物之有偏毒也。鈞器齊飲,而或醒或醉者,非酒勢之有彼此也。同冒炎暑,而或獨以暍死者,非天熱之有公私也。齊服一藥,而或昏瞑煩悶者,非毒烈之有愛憎也。是以沖風赴林,而枯柯先摧;洪濤凌崖,而拆隙首頹;烈火燎原,而燥卉前焚;龍碗墜地,而脆者獨破。由茲以觀,則人之無道,體已素病,因風寒暑溼者以發之耳。苟能令正氣不衰,形神相衛,莫能傷也。凡為道者,常患於晚,不患於早也。恃年紀之少壯,體力之方剛者,自役過差,百病兼結,命危朝露,不得大藥,但服草木,可以差於常人,不能延其大限也。故仙經曰:養生以不傷為本。此要言也。神農曰:百病不愈,安得長生?信哉斯言也。”
(抱朴子接續して曰く)只だ風冷與暑濕を怨み、風冷暑濕を知らず、能く壯實の人を傷らず、只だ體虛氣少を患え、能く堪えず、故に中せらるるのみ。何を以て比較す、假令數人有り、年紀老壯既に同じく、服食厚薄又等し、皆沙漠の地に到り、竝び嚴寒の夜を冒し、素雪上より墮ち、玄冰下に結び、寒風條を摧いて夜驚駭し、咳唾唇吻に凝冱せば、則ち其の中將に獨り冷に中る有らん、而も不必皆病む。不是冷氣偏有り、蓋し人體耐えざる有るのみ。故に皆一物を喫し、或は獨り因此病を結ぶは、不是此の物偏毒有り。同じく器一齊に飲し、而も或は醒め或は醉うは、不是酒勢彼此有り。同じく炎暑を冒し、而も或は獨り中暑死するは、不是天熱公私有り。一齊に一藥を服し、而も或は昏瞑煩悶するは、不是毒烈愛憎有り。故に衝風林に赴き、而も枯柯先に摧き。洪濤崖に凌ぎ、而も裂縫先に頹く。烈火原を燎り、而も燥卉前に焚く。龍碗地に墮ち、而も脆き獨り破る。此に由りて觀れば、則ち人の道無きは、體已に素來病有り、風寒暑濕に因りて之を發するのみ。若能く正氣をして衰えざらしめ、形神相衛らしめば、傷る能くする無し。凡そ道を爲る、常に患晚に在り、患早に在らず。年紀少壯・體力方剛を依仗する、自ら役使過分し、百病兼結し、命危きこと朝露のごとし、大藥を得ず、只だ草木を服し、以て常人より稍々好しと比す可し、能く彼の大限を延長せず。故に《仙經》曰く、生を養う以て傷らざるを本と爲す。此れ是れ要言。神農曰く、百病愈えず、怎んぞ長生を得んや。此の話信ず可きなり。
或問曰:“所謂傷之者,豈非淫慾之閒乎?”抱朴子曰:“亦何獨斯哉?然長生之要,在乎還年之道。上士知之,可以延年除病;其次不以自伐者也。若年尚少壯而知還年,服陰丹以補腦,採玉液於長谷者,不服藥物,亦不失三百歲也,但不得仙耳。不得其術者,古人方之於冰杯之盛湯,羽苞之蓄火也。且又才所不逮,而困思之,傷也;力所不勝,而強舉之,傷也;悲哀憔悴,傷也;喜樂過差,傷也;汲汲所欲,傷也;久談言笑,傷也;寢息失時,傷也;挽弓引弩,傷也;沈醉嘔吐,傷也;飽食即臥,傷也;跳走喘乏,傷也;歡呼哭泣,傷也;陰陽不交,傷也;積傷至盡則早亡,早亡非道也。是以養生之方,唾不及遠,行不疾步,耳不極聽,目不久視,坐不至久,臥不及疲,先寒而衣,先熱而解,不欲極飢而食,食不過飽,不欲極渴而飲,飲不過多。凡食過則結積聚,飲過則成痰癖。不欲甚勞甚逸,不欲起晚,不欲汗流,不欲多睡,不欲奔車走馬,不欲極目遠望,不欲多啖生冷,不欲飲酒當風,不欲數數沐浴,不欲廣志遠願,不欲規造異巧。冬不欲極溫,夏不欲窮涼,不露臥星下,不眠中見肩,大寒大熱,大風大霧,皆不欲冒之。五味入口,不欲偏多,故酸多傷脾,苦多傷肺,辛多傷肝,鹹多則傷心,甘多則傷腎,此五行自然之理也。凡言傷者,亦不便覺也,謂久則壽損耳。是以善攝生者,臥起有四時之早晚,興居有至和之常制;調利筋骨,有偃仰之方;杜疾閒邪,有吞吐之術;流行榮衛,有補瀉之法;節宣勞逸,有與奪之要。忍怒以全陰氣,抑喜以養陽氣。然後先將服草木以救虧缺,後服金丹以定無窮,長生之理,盡於此矣。若有欲決意任懷,自謂達識知命,不泥異端,極情肆力,不營久生者,聞此言也,雖風之過耳,電之經目,不足諭也。
有人問道て曰く「謂う所の傷、豈に是れ淫欲の閒に非ずや」と。抱朴子曰く「又何止此れのみ。然れども長生の要、還年の道に在り。上士之を知る、以て年を延し病を除く可し。其次是れ之を以て自らを伐さざる。若し年還りて少壯にして還年を知れば、陰丹を服して以て腦を補い、長谷に玉液を采取する(此れ是れ房中還年、長谷身中を指し、不是山中の谷)、藥物を服せずとも、亦三百歲を失せず、只だ仙と成るを得ざるのみ。彼の術を得ざるは、古人之を冰杯に湯を盛り、羽苞に火を蓄ふるに比作す。而且才の逮らざる所、而も困苦して想うは、是れ傷。力の勝えざる所、而も強りて擧ぐるは、是れ傷。悲哀憔悴するは、是れ傷。喜樂過分するは、是れ傷。汲汲として欲する所にするは、是れ傷。久しく談言笑するは、是れ傷。寢息時を失うは、是れ傷。弓を挽き弩を引くは、是れ傷。沈醉嘔吐するは、是れ傷。飽食して臥に就くは、是れ傷。跳走喘乏するは、是れ傷。歡呼哭泣するは、是れ傷。陰陽交わらざるは、是れ傷。傷を積みて盡くせば則ち早亡し、早亡不是道。故に養生の方、唾遠處に吐かず、走りて疾步せず、耳極聽せず、目久視せず、坐久に至らず、臥疲に到らず、寒に先んじて衣を穿き、熱に先んじて解く、極饑して纔かに喫うを想わず、喫う飽を過ぎず、極渴して纔かに飲むを想わず、飲む多を過ぎず。凡そ喫過すれば則ち積聚を結び、飲過すれば則ち痰癖と成る。甚だ勞し甚だ逸することを想わず、晚く起くるを想わず、汗流るるを想わず、多く睡るを想わず、車を奔り馬を走るを想わず、極目遠望するを想わず、多く生冷を喫うを想わず、酒を飲みて風に當るを想わず、頻々に沐浴するを想わず、志を廣く願を遠くするを想わず、規劃して異巧を造作するを想わず。冬極溫を想わず、夏窮涼を想わず、星下に露臥せず、眠中に肩を露出せず、大寒大熱、大風大霧、皆冒すを想わず。五味口に入る、偏に多きを想わず、故に酸多きは脾を傷り、苦多きは肺を傷り、辛多きは肝を傷り、鹹多きは則ち心を傷り、甘多きは則ち腎を傷る、此れ是れ五行自然の理。凡そ傷を說く、亦不是立刻覺ゆる、是れ久しければ則ち壽を損ずと說くのみ。故に攝生に善きは、臥起に四時の早晚有り、興居に至和の常制有り。筋骨を調利するに、偃仰の方有り。疾を杜じ邪を防ぐに、吞吐の術有り。榮衛を流行すに、補瀉の法有り。勞逸を節宣するに、與奪の要有り。怒を忍んで以て陰氣を保全し、喜を抑えて以て陽氣を養う。然る後先ず將に草木を服して以て虧缺を救い、後に金丹を服して以て無窮を定めん、長生の理、盡く此に在り。若し有人决意して懷に任せ、自ら以て達識命を知ると爲し、異端に泥まず、情を極め力を肆にし、久生を經營せざる、此の話を聞くは、即使風の耳を過ぎ、電の目を經るも、亦以て比喩するに足らずと。」
雖身枯於流連之中,氣絕於紈綺之閒,而甘心焉,亦安可告之以養生之事哉?不惟不納,乃謂妖訛也。而望彼信之,所謂以明鑑給蒙瞽,以絲竹娛聾夫也。”
(抱朴子接續して曰く)雖も身流連の中に枯し、氣紈綺の閒に絕ゆるも、而も此のごとくに甘心し、又怎んぞ以て養生の事を彼に告げんや。不但納れず、還た是れ妖訛と說く。而も彼を指して信を望む、謂う所の明鑑を以て蒙瞽に給し、絲竹を以て聾夫を娛す。」
卷十四·勤求
卷十四・勤求
抱朴子曰:“天地之大德曰生,生好物者也。是以道家之所至秘而重者,莫過乎長生之方也。故血盟乃傳,傳非其人,戒在天罰。先師不敢以輕行授人,須人求之至勤者,猶當揀選至精者乃教之,況乎不好不求,求之不篤者,安可衒其沽以告之哉?其受命不應仙者,雖日見仙人成群在世,猶必謂彼自異種人,天下別有此物,或呼為鬼魅之變化,或雲偶值於自然,豈有肯謂修為之所得哉?苟心所不信,雖令赤松王喬言提其耳,亦當同以為妖訛。然時頗有識信者,復患於不能勤求明師。夫曉至要得真道者,誠自甚稀,非倉卒可值也。然知之者,但當少耳,亦未嘗絕於世也。由求之者不廣不篤,有仙命者,要自當與之相值也。然求而不得者有矣,未有不求而得者也。世閒自有奸偽圖錢之子,而竊道士之號者,不可勝數也。然此等復不謂挺無所知也,皆復粗開頭角,或妄沽名,加之以伏邪飾偽,而好事之徒,不識其真偽者,徒多之進問,自取誑惑,而拘制之,不令得行,廣尋奇士異人,而告之曰,道盡於此矣。以誤於有志者之不少,可嘆可恚也。或聞有曉消五雲、飛八石、轉九丹、冶黃白、水瓊瑤、化朱碧、凝霜雪於神爐、採靈芝於嵩嶽者,則多而毀之曰,此法獨有赤松王喬知之,今世之人而云知之者,皆虛妄耳。則淺見之家,不覺此言有詐偽而作,便息遠求之意。悲夫,可為慨嘆者也!凌晷飆飛,暫少忽老,迅速之甚,諭之無物,百年之壽,三萬餘日耳。幼弱則未有所知,衰邁則歡樂並廢,童蒙昏耄,除數十年,而險隘憂病,相尋代有,居世之年,略消其半,計定得百年者,喜笑平和,則不過五六十年,咄嗟滅盡,哀憂昏耄,六七千日耳,顧眄已盡矣,況於全百年者,萬未有一乎?諦而念之,亦無以笑彼夏蟲朝菌也。蓋不知道者之所至悲矣。
抱朴子曰く「天地の大德生と曰い、生是れ物を好す。故に道家の至祕にして看重する所、長生の方に過ぐる無し。故に血を歃めて盟誓して纔かに傳う、傳へて其の人に非ざれば、戒天罰に在り。先師敢て以て輕く行って人に授けず、須らく人至勤に求め到る、還た當に至精を揀選して纔かに教へ、何況好まず求めず、之を求めて篤からざるは、怎んぞ以て炫耀出賣して彼に告げんや。彼ら命を受けて當に仙と成るべからざるは、即使每日仙人成群世に在るを見るも、還た必ず彼ら自ら是れ異種人、天下別に此の物有りと說き、或は鬼魅の變化と呼び、或は偶然自然に值したと說き、哪れにか肯んじて是れ修爲の所得と說かんや。若し心の信ぜざる所、即使赤松子・王喬をして其の耳を提げて說かしむるも、亦當に同じく以て妖訛と爲さん。然れども時或は頗る識信有る、又患勤く明師を求める能わざるに在り。至要を曉り眞道を得るは、誠に自ら少なし、不是倉促以て遇上す可し。然れども之を知るは、只だ當に少きのみ、亦曾て世上に絕せず。求むる人廣からず篤からざるに由りて、仙命有るは、總じて當に它與相值すべし。然れども求めて得ざる有り、求めずして得る無し。世上自ら奸僞錢を圖る人有り、而も道士の號を竊る、數を勝る可からず。然れども此の類又說く挺然一知無しと爲さず、皆又粗く頭角を開き、或は妄りに名を沽り、伏邪飾僞を加へ、而も事を好む之徒、眞僞を識らざるは、空く多く進問に去り、自ら誑惑を取り、而も拘制せられ、得て行わせず、廣く奇士異人を尋ね、卻りて彼に告げて曰く、道盡く此に在りと。因此志有る人を耽誤する少なからず、歎く可し恚る可し。或は聞く五雲を消し、八石を飛ばし、九丹を轉じ、黃白を冶し、瓊瑤を把て水に化し、朱碧を化し、神爐上に霜雪を凝らし、嵩嶽に靈芝を采する曉る有るを、則ち多く彼を毀りて說く、此の法獨り赤松子・王喬之を知る、今世の人而も知ると說くは、皆是れ虛妄のみと。則ち淺見の家、此の話詐僞有りて作るを覺えず、便ち遠求の意を停息す。悲なり、以て慨歎す可し。光陰飆のごとく飛び、暫く少くして忽然老ゆ、迅速なること甚だし、比喩す可きの物無し、百年の壽、三萬餘日のみ。幼弱則ち尚ほ未だ知る所有らず、衰邁則ち歡樂一竝に廢す、童蒙昏耄、數十年を除去し、而も險隘憂病、相尋して代有り、世に居るの年、大約半を消掉し、確定百年を得るを算すれば、喜笑平和、則ち不過五六十年、咄嗟滅盡し、哀憂昏耄、六七千日のみ、顧盼已に盡き、何況全百年の、萬中未だ一有らざるをや。仔細此を念ずれば、亦彼の夏蟲朝菌を笑うに從無し。蓋し是れ知らざる人の至悲する所。
里語有之:人在世閒,日失一日,如牽牛羊以詣屠所,每進一步,而去死轉近。此譬雖醜,而實理也。達人所以不愁死者,非不欲求,亦固不知所以免死之術,而空自焦愁,無益於事。故云樂天知命,故不憂耳,非不欲久生也。姬公請代武王,仲尼曳杖悲懷,是知聖人亦不樂速死矣。俗人見莊周有大夢之喻,因復競共張齊死生之論。蓋詭道強達,陽作違抑之言,皆仲尼所為破律應煞者也。今察諸有此談者,被疾病則遽針灸,冒危險則甚畏死。然末俗通弊,不崇真信,背典誥而治子書,若不吐反理之巧辨者,則謂之樸野,非老莊之學。故無骨殖而取偶俗之徒,遂流漂於不然之說,而不能自返也。老子以長生久視為業,而莊周貴於搖尾塗中,不為被網之龜,被繡之牛,餓而求粟於河侯,以此知其不能齊死生也。晚學不能考校虛實,偏據一句,不亦謬乎?且夫深入九泉之下,長夜罔極,始為螻蟻之糧,終與塵壤合體,令人怛然心熱,不覺咄嗟。若心有求生之志,何可不棄置不急之事,以修玄妙之業哉?其不信則已矣。其信之者,復患於俗情之不蕩盡,而不能專以養生為意,而營世務之餘暇而為之,所以或有為之者,恆病晚而多不成也。凡人之所汲汲者,勢利嗜慾也。苟我身之不全,雖高官重權,金玉成山,妍豔萬計,非我有也。是以上士先營長生之事,長生定可以任意。若未升玄去世,可且地仙人閒。若彭祖老子,止人中數百歲,不失人理之歡,然後徐徐登遐,亦盛事也。然決須好師,師不足奉,亦無由成也。昔漢太后從夏侯勝受尚書,賜勝黃金百斤,他物不可勝數。及勝死,又賜勝家錢二百萬,為勝素服一百日。成帝在東宮時,從張禹受論語。及即尊位,賜禹爵關內侯,食邑千戶,拜光祿大夫,賜黃金百斤。又遷丞相,進爵安昌侯。年老乞骸骨,賜安車駟馬,黃金百斤,錢數萬。
(抱朴子接續して曰く)里語此のごとき有り、人世に在り、日一日を失し、牛羊を牽きて屠所に到るに似て、每に一步を進めば、死を離るる轉じて近しと。此の譬雖も醜し、而も實是れ理。達人の死を愁えざる所以、不是求めんと欲せず、亦固より死を免るる所以の術を知らず、而も空く自ら焦愁し、事に益無し。故に說く樂天命を知る、故に憂えざるのみ、不是久生を欲せざるなり。姬公武王に代わるを請い、仲尼杖を曳きて悲懷す、此れ是れ聖人亦死を速むを樂しまざるを知る。俗人莊周大夢の比喩有るを見、因此又爭りて死生を齊すの論を張る。蓋し是れ詭道强達、表面上違抑の話を作る、皆是れ仲尼の說く破律當に殺すべき所。今察る彼ら此の談有る、疾病を被れば則ち急に鍼灸し、危險を冒せば則ち甚だ死を怕る。然れども末俗通弊、眞信を崇せず、典誥を背きて子書を治し、若し反理の巧辨を吐かざれば、則ち是れ樸野、不是老莊の學と說く。故に骨殖無くして偶俗を取る之徒、於是然らざるの說に流漂し、而も能く自ら返回せず。老子長生久視を以て業と爲し、而も莊周涂中に尾を搖るを貴し、網せらるるの龜・繡せらるるの牛を做らず、饑えて河侯に向かい粟を求む、此に由りて彼の死生を齊しう能わざるを知る。晚學能く虛實を考校せず、偏に一句を據す、亦謬ならずや。再び說く九泉の下に深入り、長夜極限無く、始め螻蟻の糧を做り、終り塵壤與合體し、人をして怛然として心熱からしめ、咄嗟を覺えず。若し心生を求むるの志有れば、怎んぞ以て急ならざるの事を棄置せずして、以て玄妙の業を修めざらんや。信ぜざれば則ち了れ。信ずる人、又患俗情盡く蕩れずに在り、而も能く專ら養生を以て意と爲さず、而も世務を經營するの餘暇纔かに做る、故に或は做る人、常に病晚にして多く成らざるに在り。凡人の汲汲する所、是れ勢利嗜欲。若し我の身全からざれば、雖も高官重權・金玉山を成し・妍艷萬計、不是我の所有。故に上士先ず長生の事を經營し、長生定まれば以て任意す可し。若し尚ほ未だ玄に升り世を去世せざれば、以て暫く人間地仙を做る可し。彭祖老子のごとき、人中に停まること數百歲、人理の歡を失せず、然る後徐徐として遐に登る、亦是れ盛事。然れども決して須らく好師、師奉ずるに足らざれば、亦成るに從無し。昔漢太后夏侯勝に跟りて《尚書》を受け、勝に黃金百斤を賜い、他物數を勝る可からず。及び勝死するや、又勝家に錢二百萬を賜い、勝の爲に素服を穿くこと一百日。成帝東宮の時、張禹に跟りて《論語》を受く。及び尊位に即くや、禹に爵關內侯を賜い、食邑千戶、光祿大夫を拜し、黃金百斤を賜う。又丞相に遷り、爵安昌侯に進む。年老いて骸骨を乞う、安車駟馬・黃金百斤・錢數萬を賜う。
及禹疾,天子自臨省之,親拜禹床下。章帝在東宮時,從桓榮以受孝經。及帝即位,以榮為太常上卿。天子幸榮第,令榮東面坐,設几杖。會百官及榮門生生徒數百人,帝親自持業講說。賜榮爵關內侯,食邑五千戶。及榮病,天子幸其家,入巷下車,抱卷而趨,如弟子之禮。及榮薨,天子為榮素服。凡此諸君,非能攻城野戰,折沖拓境,懸旌效節,祈連方,轉元功,騁銳絕域也。徒以一經之業,宣傳章句,而見尊重,巍巍如此,此但能說死人之餘言耳。帝王之貴,猶自卑降以敬事之。世閒或有欲試修長生之道者,而不肯謙下於堪師者,直爾蹴迮,從求至要,寧可得乎?夫學者之恭遜驅走,何益於師之分寸乎?然不爾,則是彼心不盡;彼心不盡,則令人告之不力;告之不力,則秘訣何可悉得邪?不得已當以浮淺示之,豈足以成不死之功哉?亦有人皮膚好喜,而信道之誠,不根心神,有所索欲,陽為曲恭,累日之閒,怠慢已出。若值明智之師,且欲詳觀來者變態,試以淹久,故不告之,以測其志。則若此之人,情偽行露,亦終不得而教之,教之亦不得盡言吐實,言不了則為之無益也。陳安世者,年十三歲,蓋灌叔本之客子耳,先得仙道。叔本年七十皓首,朝夕拜安世曰,道尊德貴,先得道者則為師矣,吾不敢倦執弟子之禮也。由是安世告之要方,遂復仙去矣。夫人生先受精神於天地,後稟氣血於父母,然不得明師,告之以度世之道,則無由免死,鑿石有餘焰,年命已凋頹矣。由此論之,明師之恩,誠為過於天地,重於父母多矣,可不崇之乎?可不求之乎?”
(抱朴子接續して曰く)及び禹疾するや、天子親ら省に臨み、親ら禹の床下に拜す。章帝東宮の時、桓榮に跟りて《孝經》を受く。及び帝位に即くや、榮を以て太常上卿と爲す。天子榮の第に幸し、榮をして東面して坐せしめ、几杖を設く。百官及び榮の門生生徒數百人を會集し、帝親ら業を持して講說す。榮に爵關內侯を賜い、食邑五千戶。及び榮病むや、天子其の家に幸し、巷に入り車を下り、卷を抱きて趨り、弟子の禮のごとし。及び榮薨ずるや、天子榮の爲に素服を穿く。凡そ此らの諸君、不是能く城を攻め野に戰い、折衝して境を拓き、旌を懸げ節を效し、連方を祈り、元功を轉じ、絕域に銳を騁する。只だ一經の業に憑り、章句を宣傳し、而も尊重を受け、巍巍此のごとく、此れ只だ死人の餘言を說く能くするのみ。帝王の貴、還た自ら卑降して彼らを敬事す。世上或は試みに長生の道を修めんと想う有る、而も師と爲るに堪えたるに對して謙下せず、只だ直爾として蹴迫し、至要を求めに去る、豈に以て得る可けんや。學者の恭遜驅走、師に對して何の分寸の益處有らん。然れども此のごとくせざれば、則ち是れ其の心盡くさず。其の心盡くさざれば、則ち人をして彼に告げるに力ならしめず。彼に告げるに力ならざれば、則ち祕訣怎んぞ以て全部得る可けんや。已むを得ず當に浮淺を以て彼に給して看せ、哪れに足以不死の功を成さんや。或は人皮膚上好喜にして、而も道を信ずるの誠、心神に扎根せず、索欲する所有り、表面上曲恭し、累日の閒、怠慢已に出る。若し明智の師に遇上せば、且く來る者の變態を詳觀し、淹久を以て試せんと欲し、故に彼に告げず、以て其の志を測る。則ち此のごときの人、情僞行露し、亦終に得て彼を教えず、彼を教えて亦能く盡言して實を吐かず、話了さざれば則ち作りて益處無し。陳安世、年十三歲、蓋し是れ灌叔本の客子のみ、先に仙道を得。叔本年七十皓首、朝夕安世を拜して說く、道尊德貴、先に道を得るは則ち是れ師たり、我敢て弟子の禮を執るに倦まずと。此に由りて安世彼に要方を告げ、于是又仙去す。人生先に天地より精神を受け、後に父母より氣血を禀く、然れども明師を得ず、世を度るの道を以て彼に告げざれば、則ち死を免るるに從無し、石を鑿れども還た餘焰有り、年命已に凋頹せり。此に由りて論ずれば、明師の恩、誠に天地を超過し、父母より重し多し、以て崇敬せざる可けんや。以て求めざる可けんや。
抱朴子曰:“古人質正,貴行賤言,故為政者不尚文辨,修道者不崇辭說。風俗衰薄,外飾彌繁,方策既山積於儒門,而內書亦鞅掌於術家。初學之徒,即未便可授以大要。又亦人情以本末殷富者為快。故後之知道者,幹吉容嵩桂帛諸家,各著千所篇,然率多教誡之言,不肯善為人開顯大向之指歸也。其至真之訣,或但口傳,或不過尋尺之素,在領帶之中,非隨師經久,累勤歷試者,不能得也。雜猥弟子,皆各隨其用心之疏密,履苦之久遠,察其聰明之所逮,及志力之所能辨,各有所授,千百歲中,時有盡其囊枕之中,肘腋之下,秘要之旨耳。或但將之合藥,藥成分之,足以使之不死而已,而終年不以其方文傳之。故世閒道士,知金丹之事者,萬無一也。而管見之屬,謂仙法當具在於紛若之書,及於祭祀拜伏之閒而已矣。夫長生制在大藥耳,非祠醮之所得也。昔秦漢二代,大興祈禱,所祭太乙五神,陳寶八神之屬,動用牛羊谷帛,錢費億萬,了無所益。況於匹夫,德之不備,體之不養,而欲以三牲酒餚,祝願鬼神,以索延年,惑亦甚矣。或頗有好事者,誠欲為道,而不能勤求明師,合作異藥,而但晝夜誦講不要之書,數千百卷,詣老無益,便謂天下果無仙法。或舉門扣頭,以向空坐,烹宰犧牲,燒香請福,而病者不愈,死喪相襲,破產竭財,一無奇異,終不悔悟,自謂未篤。若以此之勤,求知方之師,以此之費,給買藥之直者,亦必得神仙長生度世也。何異詣老空耕石田,而望千倉之收,用力雖盡,不得其所也。所謂適楚而道燕,馬雖良而不到,非行之不疾,然失其道也。或有性信而喜信人,其聰明不足以校練真偽,揣測深淺;所博涉素狹,不能賞物。後世頑淺,趣得一人,自譽之子,雲我有秘書,便守事之。
抱朴子曰く「古人質正、行を貴び言を賤し、故に政を爲るは文辨を崇尚せず、道を修むるは辭說を崇尚せず。風俗衰薄、外飾更加繁く、方策既に儒門に山のごとく堆積し、而も內書亦術家に紛繁す。初學の徒、則ち未だ便ち大要を授給する可からず。又亦是れ人情本末殷富を以て快と爲す。故に後來之を知る人、干吉・容嵩・桂・帛の諸家、各々千來篇を著す、然れども大皆是れ教誡の話、肯んじて好く人に大方向の指歸を開顯せず。彼の至眞の訣、或は只だ口傳、或は不過尋尺の素帛、領帶の中に在り、不是師に隨い久きを經、勤を累ね試を歷する、得る能わず。雜猥弟子、皆各々其の心を用うるの疏密・苦を履むの久遠に隨い、彼の聰明の及ぶ能くする所、以及志力の辦う能くする所を察し、各々授ける所有り、千百歲中、時或は彼の囊枕の中・肘腋の下の祕要の旨を盡くすのみ。或は只だ彼を帶びて藥を合し、藥成れば彼に分與し、足以彼をして死せざらしむるのみ、而も終年彼の方文を以て彼に傳へず。故に世上道士、金丹の事を知る、萬中一無し。而も管見の屬、說く仙法當に皆紛然の書裏、以及祭祀拜伏の閒に在るべしと。長生の制大藥に在るのみ、不是祠醮の得る能くする所。昔秦漢二代、大に祈禱を興し、祭する所太乙五神・陳寶八神の類、牛羊穀帛を動用し、錢費億萬、全く益處無し。何況匹夫、德完備せず、體奉養せず、而も三牲酒肴を以て、鬼神に向かい祝願し、以て延年を求めんと想う、惑亦太甚なり。或は頗る事を好む有り、誠心道を爲さんと想い、而も能く勤く明師を求めず、異藥を合作せず、而も只だ晝夜要らざるの書を誦講し、數千百卷、老に至るまで益無し、便ち天下果して仙法無しと說く。或は門を擧げて叩頭し、空坐に對して、犧牲を烹宰し、香を燒きて福を請い、而も病の愈えざる、死喪相襲い、產を破り財を竭し、一點の奇異亦無し、終に悔悟せず、自ら以て還た篤きに足らずと爲す。若し此のごときの勤を以て、方を知るの師を求知し、此のごときの費を以て、藥を買うの錢を給すれば、亦必ず神仙長生世を度るを得。老に至るまで空く石田を耕して、而も千倉の收を望む與何の異有らん、力を用うる雖も盡く、其の所を得ず。謂う所の楚に適きて燕に道を取る、馬雖も良にして到らず、不是走ること快からず、卻りて是れ道を失へり。或は性信じて人を信ずるを好む、其の聰明以て眞僞を校練し、深淺を揣測するに足らず。博涉する所素來狹く、能く物を賞せず。後世頑淺、纔かに一人を得、自譽の子、我祕書有りと說けば、便ち彼を守事す。
而庸人小兒,多有外託有道之名,名過其實,由於誇誑,內抱貪濁,惟利是圖,有所請為,輒強喑嗚,俛仰抑揚。若所知寶秘乃深而不可得之狀。其有所請,從其所求,俛仰含笑,或許以頃後,故使不覺者,欲罷而不能,自謂事之未勤,而禮幣之尚輕也。於是篤信之心,尤加恭肅,賂以殊玩,為之執奴僕之役,不辭負重涉遠,不避經險履危,欲以積勞自效,服苦求哀,庶有異聞。而虛引歲月,空委二親之供養,捐妻子而不恤,戴霜蹈冰,連年隨之,而妨資棄力,卒無所成。彼初誠欺之,末或慚之,懵然體中,實自空罄短乏,無能法以相教,將何法以成人乎?餘目見此輩不少,可以有十餘人。或自號高名,久居於世,世或謂之已三四百歲,但易名字,詐稱聖人,託於人閒,而多有承事之者,餘但不喜書其人之姓名耳。頗遊俗閒,凡夫不識妍蚩,為共吹揚,增長妖妄,為彼巧偽之人,虛生華譽,歙習遂廣,莫能甄別。故或令高人偶不留意澄察,而但任兩耳者,誤於學者,常由此輩,莫不使人嘆息也。每見此曹,欺誑天下,以規勢利者,遲速皆受殃罰,天網雖疏,終不漏也。但誤有志者可念耳。世人多逐空聲,鮮能校實。聞甲乙多弟子,至以百許,必當有異,便載馳競逐,赴為相聚守之徒,妨工夫以崇重彼愚陋之人也。而不復尋精,彼得門人之力。或以致富,辨逐之雖久,猶無成人之道,愚夫故不知此人不足可事,何能都不與悟,自可悲哉!夫搜尋仞之壟,求幹天之木;漉牛跡之中,索吞舟之鱗,用日雖久,安能得乎?嗟乎!將來之學者,雖當以求師為務,亦不可以不詳擇為急也。陋狹之夫,行淺德薄,功微緣少,不足成人之道,亦無功課以塞人重恩也。深思其趣,勿令徒勞也。”
(抱朴子接續して曰く)而も庸人小兒、多く外面道有るの名を托し、名實に過ぐ、誇誑に由りて、內裏貪濁を抱き、惟れ利是れ圖る、請爲する所有れば、則ち強く喑嗚を作り、俯仰抑揚し、所知寶祕乃ち深くして得る可からざるの狀に像る。彼請う所有れば、求むる所に順從し、俯仰笑を含み、或は稍後を以て許し、故に覺えざる人をして、罷めんと欲して能わざらしめ、自ら以て事奉尚ほ勤からず、而も禮幣還た輕しと爲す。於是篤信の心、更加恭肅し、殊玩を以て賄賂し、彼の爲に奴僕の役を執り、重を負い遠に涉るを辭せず、險を經危を履むを避けず、積勞を以て自效せんと想い、苦を服し哀を求め、異聞有るを希望す。而も虛く歲月を引き、空く二親の供養を委棄し、妻子を捐てて恤せず、霜を戴き冰を蹈み、年を連ねて隨從し、而も資を妨げ力を棄て、終に成る所無し。彼初め誠に彼を欺き、末或は慚愧し、懵然として體中、實に自ら空罄短乏、以て教ふる能くするの法無し、將に何の法を以て人を成就せんや。我親ら此の類の人を見る少なからず、以て十餘個有り。或は自ら高名を號し、久しく世に居り、世或は已に彼を三四百歲と說く、只だ名字を改め、詐りて聖人と稱し、人間に托し、而も承事する多し、我只だ彼の人の姓名を寫すを喜ばざるのみ。頗る俗閒に游び、凡夫妍蚩を識らず、彼の爲に共同吹揚し、妖妄を增長し、彼らの巧僞の人の爲に、虛く華譽を生じ、歙習於是廣し、能く甄別する無し。故に或は高人偶然澄察に留意せず、而も只だ兩耳を任用するをして、學者を耽誤す、常に此の類に由りて、人をして歎息せしめざる無し。每に此らの傢伙を見、天下を欺誑し、以て勢利を謀り、遲速皆殃罰を受け、天網雖も疏、終に漏らさず。只だ志有る人を耽誤する念む可きのみ。世人多く空聲を追逐し、少く能く實を校す。甲乙弟子多く、至りて百來人、必ず當に異有るべしと聞けば、便ち馳せ競逐を載せ、趕りて當に相聚守るの徒と爲るに去り、工夫を妨げて以て彼らの愚陋の人を崇重す。而も再び精を尋ねず、彼門人の力を得。或は因此富を致し、辨逐雖も久し、尚ほ未だ人の道を成せず、愚夫此の人足らず事む可きを知らざる所以、怎んぞ能く皆醒悟せず、自ら悲む可きなり。仞の壟を搜尋し、上雲霄に衝くの木を求む。牛跡の中を漉り、舟を吞むの鱗を索む、日を用うる雖も久し、怎んぞ能く得んや。嗚呼。將來の學者、雖も當に師を求むるを以て務と爲すべし、亦以て詳擇を以て急と爲さざる可からず。陋狹の人、行淺く德薄く、功微く緣少なく、足らず人の道を成さず、亦功課無くして以て人の重恩を填塞す。彼の趣向を深思し、人をして徒勞せしむる勿れ。
抱朴子曰:“諸虛名之道士,既善為誑詐,以欺學者;又多護短匿愚,恥於不知,陽若以博涉已足,終不肯行求請問於勝己者,蠢爾守窮,面牆而立;又不但拱默而已,乃復憎忌於實有道者而謗毀之,恐彼聲名之過己也。此等豈有意於長生之法哉?為欲以合致弟子,圖其財力,以快其情慾而已耳。而不知天高聽卑,其後必受斯殃也。夫貧者不可妄雲我富也,賤者不可虛雲我貴也,況道德之事實無,而空養門生弟子乎?凡俗之人,猶不宜懷妒善之心,況於道士,尤應以忠信快意為生者也,云何當以此之亻敝然函胸臆閒乎?人自不能聞見神明,而神明之聞見己之甚易也。此何異乎在紗幌之外,不能察軒房之內,而肆其倨慢,謂人之不見己。此亦如竊鍾棖物,鏗然有聲,惡他人聞之,因自掩其耳者之類也。而聾瞽之存乎精神者,唯欲專擅華名,獨聚徒眾,外求聲價,內規財力,患疾勝己,乃劇於俗人之爭權勢也。遂以唇吻為刃鋒,以譭譽為朋黨,口親心疏,貌合行離,陽敦同志之言,陰挾蜂蠆之毒,此乃天人所共惡,招禍之符檄也。夫讀五經,猶宜不恥下問,以進德修業,日有緝熙。至於射御之粗伎,書數之淺功,農桑之露事,規矩之小術,尚須師授以盡其理,況營長生之法,欲以延年度世,斯與救恤死事無異也。何可務惜請受之名,而永守無知之困,至老不改,臨死不悔,此亦天民之篤暗者也。令人代之慚悚,為之者獨不顧形影也。為儒生尚當兀然守樸,外託質素,知而如否,有而如無,令庸兒不得盡其稱,稱而不問不對,對必辭讓而後言。何其道士之人,強以不知為知,以無有為有,虛自衒耀,以圖奸利者乎?迷而不知返者,愈以遂往,若有以行此者,想不恥改也。吾非苟為此言,誠有為而興,所謂疾之而不能默然也。徒愍念愚人,不忍見嬰兒之投井耳。若覽之而悟者,亦仙藥之一草也,吾何為哉!
抱朴子曰く「諸の虛名の道士、既に誑詐を爲るに善く、以て學者を欺く。又多く短を護り愚を匿し、知らざるを恥とし、表面上博涉已に足れるに像り、終に肯んじて己に勝る人を行求請問せず、蠢然として窮を守り、牆に面して立つ。又不但拱默のみ、乃ち又實に道有るを憎忌して彼を謗毀し、彼の聲名己を超過せんを怕る。此の類哪れにか長生の法に意有らんや。是れ以て弟子を合致し、其の財力を圖り、以て己の情欲を快くせんと欲するのみ。而も天高く聽卑きを知らず、其の後必ず此の殃を受けん。貧の以て妄りに我富と說く可からず、賤の以て虛く我貴と說く可からず、何況道德の事實無くして、而も空く門生弟子を養うをや。凡俗の人、尚ほ宜しく妒善の心を懷かざるべし、何況道士、尤も當に忠信快意を以て生と爲すべし、怎んぞ當に此のごとき憋悶の念頭を胸臆の閒に函せんや。人自ら能く神明を聞見せず、而も神明自己を聞見する卻りて甚だ易し。此れ紗幌の外に在りて、能く軒房の內を察せず、而も其の倨慢を肆にし、人自己を見ずと說く與、何の異有らん。此れ亦像く鐘を偷み、物を棖りて鏗然として聲有り、他人の聞くを怕れ、因此自ら耳を掩うの一類。而も精神上の聾瞽、只だ想う專ら華名を擅にし、獨り徒衆を聚め、外聲價を求め、內財力を謀り、己に勝るを患疾する、俗人の權勢を爭うより還た劇烈し。於是脣吻を以て刃鋒に當て、毀譽を以て朋黨に當て、口親く心疏く、貌合い行離れ、表面上同志の話を敦くし、暗裏蜂蠆の毒を挾む、此れ是れ天人の共に惡む所、禍を招くの符檄。五經を讀む、還た當に下問を恥とせず、以て德を進め業を修め、日に緝熙有るべし。至於射御の粗伎、書數の淺功、農桑の露事、規矩の小術、尚ほ須らく師授を以て彼の理を盡くさん、何況長生の法を經營し、以て年を延し世を度らんと欲する、此れ死事を救恤する與差異無し。怎んぞ以て務めて請受の名を惜しみ、而も永く無知の困を守り、老に至るまで改めず、死に臨みて悔いざらんや、此れ亦是れ天民の裏篤暗の。人をして彼に代わりて慚悚せしめ、做る人獨り形影を顧みず。儒生を做る尚ほ當に兀然として朴を守り、外面質素を托し、知りて知らざるに像り、有りて無きに像り、庸児をして其の稱を盡くすを得ざらしめ、稱して問われて對えず、對えば必ず辭讓して然る後言うべし。何を爲す道士の人、強りて知らざるを以て知と爲し、無有を以て有と爲し、虛く自ら炫耀し、以て奸利を圖らんや。迷りて返るを知らざるは、更加遂往し、若し此に因りて行う有れば、改むるを恥とせざらんと欲す。我不是苟且此らの話を說く、誠に爲る有りて發す、謂う所の之を疾しめて能く默然せず。只だ愚人を愍念し、嬰兒の井に投ぜらるるを見るに忍びざるのみ。若し看て悟る有れば、亦是れ仙藥中の一草、我何を爲さん
不御苦口,其危至矣,不俟脈診而可知者也。”
(抱朴子接續して曰く)苦口に進まざれば、彼の危到る、脈診を待たずして以て知る可し。」
抱朴子曰:“設有死罪,而人能救之者,必不為之吝勞辱而憚卑辭也,必獲生生之功也。今雜猥道士之輩,不得金丹大法,必不得長生可知也。雖治病有起死之效,絕谷則積年不飢,役使鬼神,坐在立亡,瞻視千里,知人盛衰,發沈祟於幽翳,知禍福於未萌,猶無益於年命也,尚羞行請求,恥事先達,是惜一日之屈,而甘罔極之痛,是不見事類者也。古人有言曰,生之於我,利亦大焉。論其貴賤,雖爵為帝王,不足以此法比焉。論其輕重,雖富有天下,不足以此術易焉。故有死王樂為生鼠之喻也。夫治國而國平,治身而身生,非自至也,皆有以致之也。惜短乏之虛名,恥師授之暫勞,雖日不愚,吾不信也。今使人免必死而就戮刑者,猶欣然喜於去重而即輕,脫炙爛而保視息,甘其苦痛,過於更生矣。人但莫知當死之日,故不暫憂耳。若誠知之,而刖劓之事,可得延期者,必將為之。況但躬親灑掃,執巾竭力於勝己者,可以見教之不死之道,亦何足為苦,而蔽者憚焉。假令有人,恥迅走而待野火之燒爇,羞逃風而致沈溺於重淵者,世必呼之為不曉事也,而鹹知笑其不避災危,而莫怪其不畏實禍,何哉?”
抱朴子曰く「假令死罪有りて、而も人能く救うは、必ず此の爲めに勞辱を吝惜して卑辭を怕れず、必ず生生の功を獲ん。今雜猥道士の輩、金丹大法を得ず、必ず長生を得ざる以て知る可し。雖も病を治して死を起すの效有り、穀を絕てば則ち年を積んで饑えず、鬼神を役使し、坐して立亡し、瞻視千里、人の盛衰を知り、幽翳の中に沈祟を發し、未萌の時に禍福を知るも、還た年命に益無し、尚ほ行って請求するを羞とし、先達に事奉するを恥とす、此れ是れ一日の屈を惜しみ、而も無窮の痛に甘心する、是れ事類を見ざるなり。古人話有りて曰く、生我に對して、利亦大きなりと。彼の貴賤を論ずれば、雖も爵帝王と爲るも、以て此の法與比すに足らず。彼の輕重を論ずれば、雖も天下を富むも、以て此の術と換ふるに足らず。故に死王生鼠と爲るを樂しむの比喩有り。國を治めて國平か、身を治めて身生ず、自ら到るに非ず、皆之を致す所以有り。短乏の虛名を惜しみ、師授の暫勞を恥とす、雖も日日愚ならずと說くも、我信ぜず。今人をして必死を免れて戮刑に就かしむる、還た欣然として重を去りて輕に就くを喜び、炙爛を脫して視息を保ち、彼の苦痛に甘んず、更生を超過す。人只だ當死の日を知らざる、故に暫く憂えざるのみ。若し誠に知れば、而も刖劓の事、以て延期を得る可く、必ず將に之を做らん。何況只だ自ら灑掃し、己に勝る者の處に巾を執り力を竭して、以て不死の道を受教す可きは、又哪れにか苦と爲すに足らん、而も蔽る人それを怕る。假令人有りて、迅走を恥として野火の燒爇を待ち、逃風を羞として重淵に沈溺を致すは、世必ず不曉事と呼び、而も皆知りて彼の災危を避けざるを笑う、卻りて彼の實禍を畏れざるを怪まざる無し、何を爲すや」と。
抱朴子曰:“昔者之著道書多矣,莫不務廣浮巧之言,以崇玄虛之旨,未有究論長生之階徑,箴砭為道之病痛,如吾之勤勤者也。實欲令迷者知反,失之東隅,收之桑榆,墜井引綆,愈於遂沒。但惜美疢而距惡石者,不可如何耳。人誰無過,過而能改,日月之蝕,睎顏氏之子也。又欲使將來之好生道者,審於所託,故竭其忠告之良謀,而不飾淫麗之言,言發則指切,筆下則辭痛,惜在於長生而折抑邪耳,何所索哉?”
抱朴子曰く「昔道書を著す者多し、務めて廣浮巧の話を以て玄虛の旨を崇尚せざる無し、長生の階徑を究論し、道を爲るの病痛を箴砭する、我が此のごとく勤勤たる無し。實に迷う人をして返回を知らしめ、東隅に失ひ、桑榆に收む、井に墮ちて綆を引く、此に就きて沈沒するに勝る、のみ。只だ美疢を惜して惡石を拒絕する、彼を以て辦法無しのみ。人誰か過無からん、過りて能く改む、日月の蝕のごとく、顏氏の子を仰慕す。又將來生を好む道の人をして、托する所に審ならしめんと欲し、故に彼の忠告の良謀を竭くし、而も淫麗の話を飾らず、言發せば則ち指切し、筆下せば則ち辭痛し、痛惜長生に在りて而も邪を折抑するのみ、何の求有らんや」と。
抱朴子曰:“深念學道藝養生者,隨師不得其人,竟無所成,而使後之有志者,見彼之不得長生,因雲天下之果無仙法也。凡自度生,必不能苦身約己以修玄妙者,亦徒進失干祿之業,退無難老之功,內誤其身,外沮將來也。仙之可學致,如黍稷之可播種得,甚炳然耳。然未有不耕而獲嘉禾,未有不勤而獲長生度世也。”
抱朴子曰く「深く念る道藝養生を學ぶ人、師に隨いて其の人を得ず、竟に成る所無くして、而も後來志有るをして、彼の長生を得ざるを見、因此天下果して仙法無しと說かしむ。凡そ自ら生を度る、必ず能く身を苦しめ己を約して以て玄妙を修めざれば、亦徒らに進めば則ち俸祿を謀るの業を失い、退けば則ち老い難きの功無し、內自身を誤り、外將來を沮る。仙以て學びて致す可し、像く黍稷以て播種して得る可し、甚だ炳然のみ。然れども耕さずして嘉禾を獲る無く、勤せずして長生世を度るを獲る無し」と。
卷十五·雜應
卷十五・雜應
或曰:“敢問斷穀人可以長生乎?凡有幾法,何者最善與?”抱朴子答曰:“斷穀人止可息餚糧之費,不能獨令人長生也。問諸曾斷谷積久者云,差少病痛,勝於食谷時。其服術及餌黃精,又禹餘糧丸,日再服,三日,令人多氣力,堪負擔遠行,身輕不極。其服諸石藥,一服守中十年五年者及吞氣服符飲神水輩,但為不飢耳,體力不任勞也。道書雖言欲得長生,腸中當清;欲得不死,腸中無滓。又云,食草者善走而愚,食肉者多力而悍,食谷者智而不壽,食氣者神明不死。此乃行氣者一家之偏說耳,不可便孤用也。若欲服金丹大藥,先不食百許日為快。若不能者,正爾服之,但得仙小遲耳,無大妨也。若遭世荒,隱竄山林,知此法者,則可以不餓死。其不然也,則無急斷,急既無可大益。又止人中斷肉,聞肥鮮之氣,皆不能不有欲於中心。若未便絕俗委家,巖棲岫處者,固不成遂休五味,無致自苦,不如莫斷谷而節量飢飽。近有一百許法,或服守中石藥數十丸,便辟四五十日不飢,練松柏及術,亦可以守中,但不及大藥,久不過十年以還。或闢一百二百日,或須日日服之,乃不飢者。或先作美食極飽,乃服藥以養所食之物,令不消化,可闢三年。欲還食谷,當以葵子豬膏下之,則所作美食皆下,不壞如故也。洛陽有道士董威輦,常止白社中,了不食,陳子敘共守事之,從學道積久,乃得其方,雲以甘草、防風、莧實之屬十許種搗為散,先服方寸匕,乃吞石子大如雀卵十二枚,足闢百日,輒更服散,氣力顏色如故也。欲還食谷者,當服葵子湯下石子,乃可食耳。又赤龍血青龍膏作之,用丹砂曾青水,以石內其中,復須臾,石柔而可食也。若不即取,便消爛盡也。食此石以口取飽,令人丁壯。又有引石散,以方寸匕投一斗白石子中,以水合煮之,亦立熟如芋子,可食以當谷也。
有人曰く「穀を斷つ人を請問す、以て長生す可けんや。一共幾種の法、哪一种最も好し」と。抱朴子回答えて曰く「穀を斷つ人只だ以て肴糧の費用を省下す可し、竝びに能く單獨此の一樣に靠りて人をして長生せしめず。曾て穀を斷つこと久しきを積む人に問う、皆說く病痛稍々少なく、穀を喫するの時に勝ると。術を服し以及黃精を餌し、又禹餘糧丸を服し、一日兩次、三日、則ち人をして氣力多く、擔負遠行に禁得起、身輕くして疲れざらしむ。諸種の石藥を服し、一服して中を守ること十年五年の、以及氣を吞み、符を服し、神水を飲む此の類、只だ饑えざるのみ、體力勞作に擔當す可からず。道書雖も說く長生を得んと想はば、腸中當に淸なるべし。不死を得んと想はば、腸中滓無かるべしと。又曰く、草を喫うは善走にして愚、肉を喫うは力多くして悍、穀を喫うは智にして不壽、氣を喫うは神明にして不死と。此れ只だ氣を行うの此の一家の偏說のみ、以て孤用す可からず。若し金丹大藥を服せんと想はば、先ず百來日喫わざるを以て快と爲す。若し能わざれば、則ち此のごとく服せよ、只だ仙を得る稍々遲きのみ、大礙無し。若し世荒に遇上し、山林に隱竄せば、此の法を知るは、則ち以て餓死せざる可し。若し此のごとくに非ざれば、則ち必ず急に斷つに須せず、急すれば既に大益無し。又人中に停まりて只だ肉を斷てば、肥鮮の氣を聞見して、皆能く心里欲有らざるを得ず。若し尚ほ未だ立刻俗を絕ち家を委ね、岩に栖み岫に處らざれば、固より能く此に就きて五味を休掉せず、必ず自ら苦喫を討ふる勿れ、穀を斷たずして饑飽を節量するに如かず。近に百來種の法有り、或は中を守る石藥數十丸を服せば、便ち四五十日を辟開して饑えず、松柏及び術を煉すれば、亦以て中を守る可し、只だ大藥に比ぶに及ばず、久しき不過十年以內。或は一百二百日を辟き、或は須らく日日服して、纔かに饑えず。或は先ず美食を作りて喫して極飽に至り、纔かに藥を服して以て喫する所の物を養い、之をして消化せざらしめ、以て三年を辟く可し。回來りて穀を喫わんと想はば、當に葵子・豬膏を以て瀉下し、則ち作る所の美食皆下り、元來のごとく壞れず。洛陽に道士董威輦有り、常に白社中に停まり、全く喫わず、陳子敍共同彼を守事し、彼に跟りて道を學ぶこと久しきを積し、纔かに其の方を得、說く甘草・防風・莧實の類十來種を拿げて搗して散と成し、先ず方寸匕を服し、纔かに雀卵のごとき大きさの石子十二枚を吞む、足以百日を辟き、則ち再び散を服す、氣力顏色元來のごとし。回來りて穀を喫わんと欲するは、當に葵子湯を服して石子を瀉下し、纔かに以て喫う可し。又赤龍血・青龍膏來作に以てし、丹砂・曾青水を以て、石頭を其の中に納れ、再び片刻を過ぎれば、石柔らかにして以て喫う可し。若し立刻取らざれば、便ち消爛盡く。此の石を喫う口を以て飽を取り、人をして壯實ならしむ。又引石散有り、方寸匕を拿げて一斗白石子中に投進し、水を以て合煮せば、亦立刻芋子のごとく熟れ、以て喫して穀に當つ可し。
張太元舉家及弟子數十人,隱居林慮山中,以此法食石十餘年,皆肥健。但為須得白石,不如赤龍血青龍膏,取得石便可用,又當煮之,有薪火之煩耳。或用符,或用水,或符水兼用。或用乾棗,日九枚,酒一二升者。或食十二時氣,從夜半始,從九九至八八七七六六五五而止。或春向東食歲星青氣,使入肝;夏服熒惑赤氣,使入心;四季之月食鎮星黃氣,使入脾;秋食太白白氣,使入肺;冬服辰星黑氣,使入腎。又中嶽道士郗元節食六戊之精,亦大有效。假令甲子之旬,有戊辰之精,則竟其旬十日,常向辰地而吞氣,到後甲復向其旬之戊也。甘始法,召六甲六丁玉女,各有名字,因以祝水而飲之,亦可令牛馬皆不飢也。或思脾中神名,名黃裳子,但合口食內氣,此皆有真效。餘數見斷穀人三年二年者多,皆身輕色好,堪風寒暑溼,大都無肥者耳。雖未見數十歲不食者,然人絕谷不過十許日皆死,而此等已積載而自若,亦何疑於不可大久乎?若令諸絕谷者專羸,極常慮之,恐不可久耳。而問諸為之者,無不初時少氣力,而後稍丁健,月勝一月,歲勝一歲,正爾,可久無嫌也。夫長生得道者,莫不皆由服藥吞氣,而達之者而不妄也。夫服藥斷谷者,略無不先極也。但用符水及單服氣者,皆作四十日中疲瘦,過此乃健耳。鄭君云:本性飲酒不多,昔在銅山中,絕谷二年許,飲酒數鬥不醉。以此推之,是為不食更令人耐毒,耐毒則是難病之候也。餘因此問山中那得酒?鄭君言,先釀好雲液勿壓漉,因以桂附子甘草五六種末合丸之,曝乾,以一丸如雞子許,投一斗水中,立成美酒。又有黃帝雲液泉法,以糵米及七八種藥合之,取一升,輒內一升水投中,如千歲苦酒之內水也。無知盡時,而味常好不變,飲之大益人。又符水斷谷,雖先令人羸,然宜兼知者,倘卒遇荒年,不及合作藥物,則符水為上矣。
(抱朴子接續して曰く)張太元家を擧げて及び弟子數十人、林慮山中に隱居し、此の法を以て石を喫すること十餘年、皆肥健す。只だ須らく白石を得べし、赤龍血・青龍膏に如かず、石を取得すれば便ち以て用う可し、又當に煮るべし、薪火の煩有るのみ。或は符を以てし、或は水を以てし、或は符水兼用す。或は干棗を以てし、一日九枚、酒一二升。或は十二時の氣を食し、夜半より始め、九九より八八・七七・六六・五五に至りて止まる。或は春東に向かい歲星青氣を食し、之をして肝に入らしむ。夏熒惑赤氣を服し、之をして心に入らしむ。四季の月鎮星黃氣を食し、之をして脾に入らしむ。秋太白白氣を食し、之をして肺に入らしむ。冬辰星黑氣を服し、之をして腎に入らしむ。又中嶽道士郗元節六戊の精を食す、亦大に效有り。假如甲子此の一旬、戊辰の精有れば、則ち此の一旬十日裏、常に辰地に向かい氣を吞み、後の一個の甲日に到りて再び彼の一旬の戊に向かう。甘始の法、六甲六丁玉女を召す、各々名字有り、因此水を祝して飲めば、亦以て牛馬をして皆饑えざらしむ可し。或は脾中神の名を思う、名は黃裳子、只だ口を合して內氣を食す、此ら皆眞效有り。我屢々穀を斷つこと二三年の人多きを見、皆身輕く色好く、風寒暑濕に禁得起、大都没有肥ののみ。雖も未だ數十歲喫わざるを見ざれども、然れども人穀を絕てば不過十來日皆死す、而も此の類已に年を積みて自若たり、又何必大久す可からずと疑わんや。若し諸の穀を絕つ人をして專ら是れ羸瘦し、極常憂慮すれば、怕るる久しき可からざるのみ。而も彼ら做る人に問うに、初時氣力少なく、而も後漸々壯健し、月一月に勝り、歲一歲に勝る、正是れ此のごとく、以て久しくして嫌う可からず。長生道を得る、皆藥を服し氣を吞むに由らざる無し、而も通達の人不是妄說。藥を服し穀を斷つは、大約先に極疲せざる無し。只だ符水を以てし及び單に氣を服するは、皆四十日中疲瘦し、此を過ぎて纔かに健となるのみ。鄭君曰く、本性酒を飲むこと多からず、昔銅山中に在りて、穀を絕つこと二年左右、酒數斗を飲みて醉わずと。此を以て推之、是れ喫わざる更に人をして毒に耐えしむ、毒に耐うれば則ち是れ病み難きの徵候。我因此山中に問う哪れより酒を得ると。鄭君曰く、先ず雲液を釀好して壓漉する勿れ、因此桂・附子・甘草五六種末を以て合して丸とし、日に干し、雞子のごとき大きさの一丸を拿げて、一斗水中に投進すれば、立刻美酒と成る。又黄帝雲液泉法有り、糵米及び七八種の藥を以て之を合し、一升を取り、則ち一升水を納れて投進す、像く千年苦酒の內に水を加ふるがごとし。盡くの時を知る無く、而も味常に好く變らず、飲めば大に人に益す。又符水穀を斷つは、雖も先に人をして羸ならしむれども、然れども當に兼ねて知るべし、倘若突然荒年に遇上し、藥物を合作するに及ばざれば、則ち符水を上と爲す。
有馮生者,但單吞炁,斷谷已三年,觀其步陟登山,擔一斛許重,終日不倦。又時時引弓,而略不言語,言語又不肯大聲。問之云,斷谷亡精費氣,最大忌也。餘亦屢見淺薄道士輩,為欲虛曜奇怪,招不食之名,而實不知其道,但虛為不啖羹飯耳。至於飲酒,日中鬥餘,脯臘臺甫棗栗雞子之屬,不絕其口。或大食肉而咽其汁,吐其滓,終日經口者數十斤,此直是更作美食矣。凡酒客但飲酒食脯而不食谷,皆自堪半歲一歲而不蹙頓矣,未名絕谷耳。吳有道士石春,每行氣為人治病,輒不食,以須病者之愈,或百日,或一月乃食。吳景帝聞之曰,此但不久,必當飢死也。乃召取鎖閉,令人備守之。春但求三二升水,如此一年餘,春顏色更鮮悅,氣力如故。景帝問之,可復堪幾時?春言無限,可數十年,但恐老死耳,不憂飢也。乃罷遣之。按如春言,是為斷谷不能延年可知也。今時亦有得春之法者。”
馮生有り、只だ單に炁を吞み、穀を斷つこと已に三年、彼の步陟登山を看るに、一斛左右の重を擔ぎ、終日倦まず。又時時弓を引く、而も幾んど言話せず、言話すれば又肯んじて大聲せず。彼に問うて說く、穀を斷つは精を損耗し氣を費す、是れ最大の忌と。我亦屢々淺薄道士の輩を見、欲して虛く奇怪を耀い、喫わざるの名を招き、而も其の實彼の道を知らず、只だ虛く羹飯を喫わざるを作すのみ。至於酒を飲む、一日の中一斗餘有り、脯腊・飴(底本「台甫」と作す)・棗栗・雞子の類、口此らを離れず。或は大に肉を喫して彼の汁を咽み、彼の滓を吐く、終日口を經るの數十斤、此れ直ち是れ別に美食を作る。凡そ酒客只だ酒を飲み脯を喫して穀を喫わざるは、皆自ら半歲一歲に禁得起して蹶頓せず、未だ絕穀と稱す可からず。吳に道士石春有り、每に氣を行いて人の病を治するに、則ち喫わず、以て病の人の愈ゆるを待ち、或は百日、或は一月纔かに喫す。吳景帝聞說き、說く此れ只だ久しからず、必ず當に餓死すべしと。則ち召來して鎖閉し、人をして備守せしむ。春只だ三二升水を求む、此のごとく一年餘、春顏色更加鮮悅し、氣力元來のごとし。景帝彼に問う、還た可く再び幾時に禁得起すや。春曰く無限、以て數十年可し、只だ怕るる老死するのみ、饑を憂えずと。纔かに彼を罷遣す。春の說く所に像く按ずれば、是れ穀を斷つ能く年を延せざる以て知る可し。今亦有春の法を得る有り。
或問不寒之道。抱朴子曰:“或以立冬之日,服六丙六丁之符,或閉口行五火之炁千二百遍,則十二月中不寒也。或服太陽酒,或服紫石英朱漆散,或服雄丸一,後服雌丸二,亦可堪一日一夕不寒也。雌丸用雌黃、曾青、礬石、磁石也。雄丸用雄黃、丹砂、石膽也。然此無益於延年之事也。”
有人寒からざるの道を問う。抱朴子曰く「或は立冬の日に、六丙六丁の符を服す。或は口を閉じて五火之炁を行うこと一千二百遍、則ち十二月中寒からず。或は太陽酒を服す。或は紫石英朱漆散を服す。或は先ず雄丸一を服し、後に雌丸二を服す、亦以て一日一夕寒からざるに禁得起す。雌丸雌黃・曾青・礬石・磁石を以てす。雄丸雄黃・丹砂・石膽を以てす。然れども此ら年を延するの事に益無し。
或問不熱之道。抱朴子曰:“或以立夏日,服六壬六癸之符,或行六癸之炁,或服玄冰之丸,或服飛霜之散。然此用蕭丘上木皮,及五月五日中時北行黑蛇血,故少有得合之者也。唯幼伯子王仲都,此二人衣以重裘,曝之於夏日之中,周以十爐之火,口不稱熱,身不流汗,蓋用此方者也。”
有人熱からざるの道を問う。抱朴子曰く「或は立夏の日に、六壬六癸の符を服す。或は六癸之炁を行う。或は玄冰之丸を服す。或は飛霜之散を服す。然れども此ら蕭丘上の木皮を以てし、以及五月五日中時に北行する黑蛇の血、故に少く能く合得成る。只有幼伯子・王仲都、此の兩人重裘を穿著し、夏日の中に曝曬し、周圍十爐の火を以てし、口熱と稱せず、身汗流さず、蓋し是れ此の方を以てする。
或問闢五兵之道。抱朴子答曰:“吾聞吳大皇帝曾從介先生受要道云,但知書北斗字及日月字,便不畏白刃。帝以試左右數十人,常為先登鋒陷陣,皆終身不傷也。鄭君云,但誦五兵名亦有驗。刀名大房,虛星主之;弓名曲張,氐星主之;矢名彷徨,熒惑星主之;劍名失傷,角星主之;弩名遠望,張星主之;戟名大將,參星主之也。臨戰時,常細祝之。或以五月五日作赤靈符,著心前。或丙午日日中時,作燕君龍虎三囊符。歲符歲易之,月符月易之,日符日易之。或佩西王母兵信之符,或佩熒惑朱雀之符,或佩南極鑠金之符,或戴卻刃之符,祝融之符。或傅玉札散,或浴禁蔥湯,或取牡荊以作六陰神將符,符指敵人。或以月蝕時刻,三歲蟾蜍喉下有八字者血,以書所持之刀劍。或帶武威符熒火丸。或交鋒刃之際,乘魁履罡刂,呼四方之長,亦有明效。今世之人,亦有得禁闢五兵之道,往往有之。”
有人五兵を辟くの道を問う。抱朴子回答えて曰く「我聞く吳大皇帝曾て介先生に跟りて要道を受け、說く只だ北斗字及び日月字を寫すを知れば、便ち白刃を畏れずと。帝以て左右數十人を試み、常に先登鋒陣に陷るを做し、皆終身傷らず。鄭君曰く、只だ五兵の名を誦する亦驗有り。刀名は大房、虛星之を主る。弓名は曲張、氐星之を主る。矢名は彷徨、熒惑星之を主る。劍名は失傷、角星之を主る。弩名は遠望、張星之を主る。戟名は大將、參星之を主る。戰に臨むの時、常に細細祝禱す。或は五月五日に赤靈符を作り、心前に放つ。或は丙午日日中時、燕君龍虎三囊符を作る。歲符歲に換え、月符月に換え、日符日に換う。或は西王母兵信之符を佩ず。或は熒惑朱雀之符を佩ず。或は南極鑠金之符を佩ず。或は卻刃之符・祝融之符を戴く。或は玉札散を傅す。或は禁葱湯を以て洗浴す。或は牡荊を取りて以て六陰神將符を作り、符敵人を指向す。或は月蝕時刻、三歲蟾蜍喉下の八字の血を以て、持する所の刀劍を寫す。或は武威符熒火丸を帶ぶ。或は鋒刃を交ふるの際、魁に乘り罡を履み(底本「罡」の旁に「刂」を衍す)、四方の長を呼ぶ、亦明效有り。今世の人、亦有禁辟五兵の道を得る、往々有りと。
或問隱淪之道。抱朴子曰:“神道有五,坐在立亡其數焉。然無益於年命之事,但在人閒無故而為此,則致詭怪之聲,不足妄行也。可以備兵亂危急,不得已而用之,可以免難也。鄭君云,服大隱符十日,欲隱則左轉,欲見則右回也。或以玉臺丸塗人身中;或以蛇足散,或懷離母之草,或折青龍之草,以伏六丁之下;或入竹田之中,而執天樞之壤;或造河龍石室,而隱雲蓋之陰;或伏清泠之淵,以過幽闕之徑;或乘天一馬以遊紫房;或登天一之明堂;或入玉女之金匱;或背輔向官,立三蓋之下;或投巾解履、膽煎及兒衣符,子居蒙人,青液桂梗,六甲父母,僻側之膠,駁馬泥丸,木鬼之子,金商之艾,或可為小兒,或可為老翁,或可為鳥,或可為獸,或可為草,或可為木,或可為六畜,或依木成木,或依石成石,依水成水,依火成火,此所謂移形易貌,不能都隱者也。”
有人隱淪の道を問う。抱朴子曰く「神道五有り、坐して立亡是れ其の中の一數。然れども年命の事に益無し、只だ人間に在りて故無く此を做る、則ち詭怪の聲名を招致す、妄りに行うに足らず。以て兵亂危急に備へ、已むを得ずして之を用い、以て難を免る可し。鄭君曰く、大隱符を服すること十日、隱れんと欲すれば則ち左轉し、見んと欲すれば則ち右回す。或は玉台丸を以て人身中に塗る。或は蛇足散を以てし、或は離母之草を懷き、或は青龍之草を折り、以て六丁の下に伏す。或は竹田の中に入りて、而も天樞之壤を執る。或は河龍石室に到りて、而も雲蓋之陰に隱る。或は淸泠之淵に伏して、以て幽闕之徑を來過す。或は天一馬に乘りて紫房に游去る。或は天一の明堂に登る。或は玉女の金匱に入る。或は輔を背にして官に向かい、三蓋の下に立つ。或は巾を投げ履を解き、膽煎及び兒衣符、子居蒙人、青液桂梗、六甲父母、僻側之膠、駁馬泥丸、木鬼之子、金商之艾、或は以て小兒を做る可し、或は以て老翁を做る可し、或は以て鳥を做る可し、或は以て獸を做る可し、或は以て草を做る可し、或は以て木を做る可し、或は以て六畜を做る可し、或は木に依りて木と成り、或は石に依りて石と成り、水に依りて水と成り、火に依りて火と成る、此れ則ち謂う所の形を移し貌を易ふる、能く皆隱去せざるなり。
或問:“魏武帝曾收左元放而桎梏之,而得自然解脫,以何法乎?”抱朴子曰:“吾不能正知左君所施用之事。然歷覽諸方書,有月三服薏苡子,和用三五陰丹,或以偶牙陽胞,或以七月七日東行跳脫蟲,或以五月五日石上龍子單衣,或以夏至日霹靂楔,或以天文二十一字符,或以自解去父血,或以玉子餘糧,或合山君目,河伯餘糧,浮雲滓以塗之,皆自解。然左君之變化無方,未必由此也。自用六甲變化,其真形不可得執也。”
有人問うて曰く「魏武帝曾て左元放を收捕して桎梏を加へ、卻りて自然解脫を得、用うる是れ何の法か」と。抱朴子曰く「我能く正に左君の施用する所の事を知らず。然れども歷覽諸方書、每月三次薏苡子を服する有り、和して三五陰丹を用い、或は偶牙陽胞を以てし、或は七月七日東行する跳脫蟲を以てし、或は五月五日石上龍子單衣を以てし、或は夏至日霹靂楔を以てし、或は天文二十一字符を以てし、或は自解去父血を以てし、或は玉子餘糧を以てし、或は山君目・河伯餘糧・浮雲滓を合して來塗る、皆自ら解脫す。然れども左君の變化無方、未だ必ずしも此らに由らざらん。彼自ら六甲變化を以てす、眞形得て執る可からず。
或問曰:“為道者可以不病乎?”抱朴子曰:“養生之盡理者,既將服神藥,又行氣不懈,朝夕導引,以宣動榮衛,使無輟閡,加之以房中之術,節量飲食,不犯風溼,不患所不能,如此可以不病。但患居人閒者,志不得專,所修無恆,又苦懈怠不勤,故不得不有疹疾耳。苦徒有信道之心,而無益己之業,年命在孤虛之下,體有損傷之危,則三尸因其衰月危日,入絕命病鄉之時,招呼邪氣,妄延鬼魅,來作殃害。其六厄並會,三刑同方者,其災必大。其尚盛者,則生諸疾病,先有疹患者,則令發動。是故古之初為道者,莫不兼修醫術,以救近禍焉。凡庸道士,不識此理,恃其所聞者,大至不關治病之方。又不能絕俗幽居,專行內事,以卻病痛,病痛及己,無以攻療,乃更不如凡人之專湯藥者。所謂進不得邯鄲之步,退又失壽陵之義者也。餘見戴霸華他所集金匱綠囊崔中書黃素方及百家雜方五百許卷。甘胡呂傅周始甘唐通阮南河等,各撰集暴卒備急方,或一百十,或九十四,或八十五,或四十六,世人皆為精悉,不可加也。餘究而觀之,殊多不備,諸急病甚尚未盡,又渾漫雜錯,無其條貫,有所尋按,不即可得。而治卒暴之候,皆用貴藥,動數十種,自非富室而居京都者,不能素儲,不可卒辦也。又多令人以針治病,其灸法又不明處所分寸,而但說身中孔穴榮輸之名。自非舊醫備覽明堂流注偃側圖者,安能曉之哉?餘所撰百卷,名曰玉函方,皆分別病名,以類相續,不相雜錯,其救卒參卷,皆單行徑易,約而易驗,籬陌之閒,顧眄皆藥,眾急之病,無不畢備,家有此方,可不用醫。醫多承襲世業,有名無實,但養虛聲,以圖財利。寒白退士,所不得使,使之者乃多誤人,未若自閒其要,勝於所迎無知之醫。醫又不可卒得,得又不肯即為人使,使腠理之微疾,成膏肓之深禍,乃至不救。
有人問道て曰く「道を爲る人以て病まざる可けんや」と。抱朴子曰く「養生理を盡くす人、既に將に神藥を服し、又氣を行いて懈らず、朝夕導引し、以て榮衛を宣動し、之をして輟阂無からしめ、房中の術を加へ、飲食を節量し、風濕を犯さず、能わざる所を患えず、此のごとく以て病まざる可し。只だ怕るる人間に住する、志專ならずを得ず、修する恒無く、又苦しむ懈怠にして勤せざる、故に疹疾有らざるを得ざるのみ。苦しむ徒らに道を信ずるの心有りて、而も己に益するの業無く、年命孤虚の下に在り、體損傷の危有れば、則ち三尸其の衰月危日・絕命病鄉に入るの時に趁い、邪氣を招呼し、妄りに鬼魅を延し、以て殃害を作る。六厄竝會・三刑同方の、災必ず大なり。彼の還た盛なるは、則ち諸種の疾病を生じ、先に疹患有るは、則ち之をして發動せしむ。故に古初道を爲る、兼ねて醫術を修めざる無く、以て近禍を救う。凡庸道士、此の理を識らず、聞く所に仗りて、大至病を治するの方に關せず。又能く俗を絕ち幽居して、專ら內事を行い、以て病痛を退却せず、病痛己の身上に到れば、攻療するに從無し、乃ち更に凡人の專ら湯藥にするに如かず。謂う所の進めば邯鄲の步を得ず、退けば又壽陵の義を失う。我見る戴霸・華他の集むる所《金匱綠囊》・崔中書《黃素方》及び百家雜方五百來卷。甘胡・呂傅・周始・甘唐通・阮南河等、各々暴卒備急方を撰集す、或は一百十、或は九十四、或は八十五、或は四十六、世人皆以て精悉と爲し、加ふる可からずと。我究めて觀看す、特に多く不備、諸の急病甚至還た未だ盡さず、又渾漫雜錯し、條貫無く、尋按する所有り、能く立刻得ず。而も卒暴を治するの候、皆貴藥を用い、動すれば則ち數十種、若し不是富室にして京都に住する、能く素來儲備せず、倉促辦う可からず。又多く人をして鍼を以て病を治せしむ、彼の灸法又不明處所分寸、而も只だ身中孔穴榮輸の名を說く。若し不是舊醫明堂流注偃側圖を備覽する、怎んぞ能く曉らんや。我が撰する所百卷、名は《玉函方》、皆病名を分別し、類に按りて相續き、相雜錯せず、彼の卒を救う三卷、皆單行徑易し、約にして驗し易し、籬陌の閒、顧盼皆是れ藥、衆の急病、畢備せざる無し、家此の方有れば、以て醫を用いず可し。醫多く世業を承襲し、名有りて實無し、只だ虛聲を養い、以て財利を圖る。寒白退士、得て使う可からず、使う乃ち多く人を誤る、自ら彼の要を嫺熟するに如かず、迎ふる所無知の醫に勝る。醫又倉促得る可からず、得て又肯んじて立刻人の爲に使せず、腠理の微疾をして、膏肓の深禍と成らしめ、乃至救わざるに至る。
且暴急之病,而遠行借問,率多枉死矣。”
(抱朴子接續して曰く)而且暴急の病、卻りて遠く行きて借問す、大都枉死せり。」
或問:“將來吉凶,安危去就,知之可全身,為有道乎?”
有人問うて曰く「將來吉凶、安危去就、之を知りて以て身を全うす可し、此のごときの道有るか」と。
抱朴子曰:“仰觀天文,俯察地理,占風氣,布籌算,推三棋,步九宮,檢八卦,考飛伏之所集,診訞訛於物類,占休咎於龜策,皆下術常伎,疲勞而難恃。若乃不出帷幕而見天下,乃為入神矣。或以三皇天文,召司命司危五嶽之君,阡陌亭長六丁之靈,皆使人見之,而對問以諸事,則吉凶昭然,若存諸掌,無遠近幽深,鹹可先知也。或召六陰玉女,其法六十日而成,成則長可役使。或祭致八史,八史者,八卦之精也,亦足以預識未形矣。或服葛花及秋芒麻勃刀圭方寸匕,忽然如欲臥,而聞人語之以所不決之事,吉凶立定也。或用明鏡九寸以上自照,有所思存,七日七夕則見神仙,或男或女,或老或少,一示之後,心中自知千里之外,方來之事也。明鏡或用一,或用二,謂之日月鏡。或用四,謂之四規鏡。四規者,照之時,前後左右各施一也。用四規所見來神甚多。或縱目,或乘龍駕虎,冠服彩色,不與世同,皆有經圖。欲修其道,當先闇誦所當致見諸神姓名位號,識其衣冠。不爾,則卒至而忘其神,或能驚懼,則害人也。為之,率欲得靜漠幽閒林麓之中,外形不經目,外聲不入耳,其道必成也。三童九女節壽君,九首蛇軀百二十官,雖來勿得熟視也。或有問之者,或有訶怒之者,亦勿答也。或有侍從煒曄,力士甲卒,乘龍駕虎,簫鼓嘈嘈,勿舉目與言也。但諦念老君真形,老君真形見,則起再拜也。老君真形者,思之,姓李名聃,字伯陽,身長九尺,黃色,鳥喙,隆鼻,秀眉長五寸,耳長七寸,額有三理上下徹,足有八卦,以神龜為床,金樓玉堂,白銀為階,五色云為衣,重疊之冠,鋒鋋之劍,從黃童百二十人,左有十二青龍,右有二十六白虎,前有二十四朱雀,後有七十二玄武,前道十二窮奇,後從三十六辟邪,雷電在上,晃晃昱昱,此事出於仙經中也。見老君則年命延長,心如日月,無事不知也。”
抱朴子曰く「仰いで天文を觀、俯して地理を察し、風氣を占し、籌算を布き、三棋を推し、九宮を步み、八卦を檢し、飛伏の集まる所を考察し、物類上に訞訛を診し、龜策上に休咎を占う、皆是れ下術常伎、疲勞にして仗恃し難し。至於帷幕を出でずして天下を見る、纔かに是れ神に入る。或は三皇天文を以て、司命・司危・五岳之君・阡陌亭長・六丁之靈を召し、皆人をして見しめ、而も諸事を對問せば、則ち吉凶昭然、掌上に存在するがごとく、遠近幽深を論ぜず、皆以て先に知る可し。或は六陰玉女を召す、彼の法六十日にして成り、成れば則ち長く役使す可し。或は八史を祭致す、八史是れ八卦の精、亦足以未形を預識す。或は葛花及び秋芒・麻勃刀圭方寸匕を服すれば、忽然として臥せんと想うがごとく、而も人の决せざる所の事を彼に告ぐるを聞き、吉凶立刻定まる。或は明鏡九寸以上を以て自照し、思存する所有れば、七日七夕則ち神仙を見、或は男或は女、或は老或は少、一示の後、心中自ら千里之外・方來の事を知る。明鏡或は一を以てし、或は二を以てす、日月鏡と稱す。或は四を以てす、四規鏡と稱す。四規は、是れ照の時、前後左右各々一面を施す。四規を以て見る所の來る神甚だ多し。或は目を縱び、或は龍に乘り虎を駕し、冠服彩色、世與同じからず、皆經圖有り。彼の道を修めんと欲せば、當に先ず暗に致見す可き諸神の姓名位號を誦し、彼らの衣冠を識るべし。此のごとくせざれば、則ち倉促到りて彼の神を忘れ、或は能く驚懼し、則ち人を害す。此を做る、大都靜漠幽閑林麓の中を得んと想い、外形目を經ず、外聲耳に入らず、彼の道必ず成る。三童九女節壽君、九首蛇軀百二十官、雖も來るも熟視する勿れ。或は問う有り、或は訶怒する有りとも、亦答ふる勿れ。或は侍從煒曄し、力士甲卒、龍に乘り虎を駕し、簫鼓嘈嘈たるも、目を擧げて彼ら與話する勿れ。只だ老君眞形を諦念せよ、老君眞形出現すれば、則ち身を起して再拜す。老君眞形、思の時、姓李名聃、字伯陽、身長九尺、黃色、鳥喙、隆鼻、秀眉長さ五寸、耳長さ七寸、額に三理有り上下徹し、足に八卦有り、神龜を以て床に當て、金樓玉堂、白銀階と爲し、五色雲衣と爲し、重疊之冠、鋒鋋之劍、黃童百二十人に隨從せられ、左に十二青龍、右に二十六白虎、前に二十四朱雀、後に七十二玄武、前導十二窮奇、後從三十六辟邪、雷電上に在り、晃晃昱昱、此の事仙經中に出づ。老君を見れば則ち年命延長し、心日月のごとく、事と無く知らざる無し。
或問堅齒之道。抱朴子曰:“能養以華池,浸以醴液,清晨建齒三百過者,永不搖動。其次則含地黃煎,或含玄膽湯,及蛇脂丸、礬石丸、九棘散。則已動者更牢,有蟲者即愈。又服靈飛散者,則可令既脫者更生也。”
有人齒を堅くするの道を問う。抱朴子曰く「能く華池を以て養い、醴液を以て浸し、淸晨齒を叩くこと三百過、永く搖動せず。其次則ち地黃煎を含み、或は玄膽湯を含み、以及蛇脂丸・礬石丸・九棘散。則ち已に動く更に牢く、蟲有る立刻愈ゆ。又靈飛散を服する、則ち以て既脫の更に生ずるを得。
或問聰耳之道。抱朴子曰:“能龍導虎引,熊經龜咽,燕飛蛇屈鳥伸,天俛地仰,令赤黃之景,不去洞房,猿據兔驚,千二百至,則聰不損也。其既聾者,以玄龜燻之,或以棘頭、羊糞、桂毛、雀桂成裹塞之;或以狼毒冶葛,或以附子蔥涕,合內耳中,或以蒸鯉魚腦灌之,皆愈也。”
有人耳を聰くするの道を問う。抱朴子曰く「能く龍のごとく導き、虎のごとく引き、熊のごとく經り、龜のごとく咽み、燕飛・蛇屈・鳥伸し、天俯地仰し、赤黃の景をして、洞房を離れざらしめ、猿據兔驚し、一千二百を做到すれば、則ち聰損わず。彼の已に聾きは、玄龜を以て熏し、或は棘頭・羊糞・桂毛・雀桂成裹を以て塞ぐ。或は狼毒・冶葛を以てし、或は附子・葱涕を以て、合して耳中に納れ、或は鯉魚腦を蒸して以て灌ぐ、皆愈ゆ。
或問明目之道。抱朴子曰:“能引三焦之升景,召大火於南離,洗之以明石,慰之以陽光,及燒丙丁洞視符,以酒和洗之,古人曾以夜書也。或以苦酒煮蕪菁子令熟,曝乾,末服方寸匕,日三,盡一斗,能夜視有所見矣。或以犬膽煎青羊、班鳩、石決明、充蔚百華散,或以雞舌香、黃連、乳汁煎注之。諸有百疾之在目者皆愈,而更加精明倍常也。”
有人目を明らかにするの道を問う。抱朴子曰く「能く三焦の升景を引き、南離に大火を召し、明石を以て洗い、陽光を以て慰し、以及丙丁洞視符を燒き、酒を以て和して洗う、古人曾て以て夜書す。或は苦酒を以て蕪菁子を煮て熟せしめ、日に干し、末を研して方寸匕を服し、一日三次、一斗を盡くせば、能く夜視して見る所有り。或は犬膽煎青羊・斑鳩・石决明・充蔚百華散を以てし、或は雞舌香・黃連・乳汁煎を以て注す。諸の百疾目に在る皆愈ゆ、而も更加精明常に倍す。
或問登峻涉險、遠行不極之道。抱朴子曰:“惟服食大藥,則身輕力勁,勞而不疲矣。若初入山林,體未全實者,宜以雲珠粉、百華醴、玄子湯洗腳,及虎膽丸、朱明酒、天雄鶴脂丸、飛廉煎秋芒、車前、澤瀉散,用之旬日,不但涉遠不極,乃更令人行疾,可三倍於常也。若能乘蹻者,可以周流天下,不拘山河。凡乘蹻道有三法:一曰龍蹻,二曰虎蹻,三曰鹿盧蹻。或服符精思,若欲行千里,則以一時思之。若晝夜十二時思之,則可以一日一夕行萬二千里,亦不能過此,過此當更思之,如前法。或用棗心木為飛車,以牛革結環劍以引其機,或存念作五蛇六龍三牛交罡而乘之,上升四十里,名為太清。太清之中,其氣甚罡刂,能勝人也。師言鳶飛轉高,則但直舒兩翅,了不復扇搖之而自進者,漸乘罡刂炁故也。龍初升階云,其上行至四十里,則自行矣。此言出於仙人,而留傳於世俗耳,實非凡人所知也。又乘蹻須長齋,絕葷菜,斷血食,一年之後,乃可乘此三蹻耳。雖復服符,思五龍蹻行最遠,其餘者不過千里也。其高下去留,皆自有法,勿得任意耳。若不奉其禁,則不可妄乘蹻,有傾墜之禍也。”
有人峻に登り險に涉り・遠行して疲れざるの道を問う。抱朴子曰く「只有大藥を服食すれば、則ち身輕く力勁く、勞して疲れざる。若し初め山林に入り、體尚ほ未だ全實ならざるは、宜しく雲珠粉・百華醴・玄子湯を以て脚を洗い、以及虎膽丸・朱明酒・天雄鶴脂丸・飛廉煎秋芒・車前・澤瀉散、之を用うること旬日、不但遠に涉りて疲れず、乃ち更に人をして走ること快くせしめ、以て常に三倍す可し。若能く蹻に乘れば、以て天下を周流し、山河に拘わらず。凡そ蹻に乘るの道三法有り、一曰く龍蹻、二曰く虎蹻、三曰く鹿盧蹻。或は符を服し精思し、若し千里を走らんと想はば、則ち一時を以て思う。若し晝夜十二時思えば、則ち以て一日一夕萬二千里を走る可し、亦能く此を超過せず、此を過ぎれば當に再び思うべし、前の法に像く。或は棗心木を以て飛車を做り、牛革結環劍を以て彼の機を引き、或は存念して五蛇六龍三牛を作りて交罡して之に乘り、上昇四十里、名は太淸。太淸の中、彼の氣甚だ罡く(底本「罡」の旁に「刂」を衍す)、能く人に勝つ。師說く鳶飛び轉じて高く、則ち只だ直ちに兩翅を舒べ、全く再び扇搖せずして自ら進むは、是れ漸々罡炁に乘るの緣故。龍初め雲に升り階る、它上行して四十里に到れば、則ち自ら行す。此の話仙人に出で、而も世俗に留傳するのみ、實に不是凡人の知る所。又蹻に乘るは須らく長齋し、葷菜を絕ち、血食を斷ち、一年の後、纔かに以て此の三蹻に乘る可きのみ。雖も又符を服すとも、五龍蹻を思う走る最も遠し、其餘不過千里。彼の高下去留、皆自ら法有り、任意を得ざるのみ。若し彼の禁を奉ぜざれば、則ち妄りに蹻に乘る可からず、傾墜の禍有り。
或曰:“老子篇中記及龜文經,皆言藥兵之後,金木之年,必有大疫,萬人餘一,敢問闢之道。”抱朴子曰:“仙人入瘟疫秘禁法,思其身為五玉。五玉者,隨四時之色,春色青,夏赤,四季月黃,秋白,冬黑。又思冠金巾,思心如炎火,大如鬥,則無所畏也。又一法,思其發散以被身,一發端,輒有一大星綴之。又思作七星北斗,以魁覆其頭,以罡指前。又思五臟之氣,從兩目出,周身如雲霧,肝青氣,肺白氣,脾黃氣,腎黑氣,心赤氣,五色紛錯,則可與疫病者同床也。或禹步呼直日玉女,或閉氣思力士,操千斤金錘,百二十人以自衛。或用射鬼丸、赤車使者丸、冠軍丸、徐長卿散、玉函精粉、青年道士燻身丸、崔文黃散、草玉酒、黃庭丸、皇符、老子領中符、赤鬚子桃花符,皆有良效者也。”
有人曰く「老子篇中記および《龜文經》、皆說く兵藥の後、金木の年、必ず大疫有り、萬人餘一、辟くの道を請問す」と。抱朴子曰く「仙人瘟疫に入るの祕禁法、己の身を五玉と思う。五玉は、四時の色に隨い、春色青、夏赤、四季月黃、秋白、冬黑。又冠金巾を思い、心を炎火に像えるを思い、大きさ斗のごとく、則ち畏るる所無し。又一法、頭髮散開して身上に披るを思い、每一發端、則ち一顆の大星綴ふる有り。又七星北斗を作るを思い、魁を以て頭を覆蓋し、罡を以て前に指向す。又五臟の氣を思い、兩目より出で、身を周して雲霧のごとく、肝青氣、肺白氣、脾黃氣、腎黑氣、心赤氣、五色紛錯し、則ち以て疫病の人與同牀す可し。或は禹步して直日玉女を呼び、或は氣を閉じて力士を思い、千斤金鎚を操る、百二十人自衛に來す。或は射鬼丸・赤車使者丸・冠軍丸・徐長卿散・玉函精粉・青年道士熏身丸・崔文黃散・草玉酒・黃庭丸・皇符・老子領中符・赤須子桃花符を以てす、皆良效有りと。
卷十六·黃白
卷十六・黃白
抱朴子曰:神仙經黃白之方二十五卷,千有餘首。黃者,金也。白者,銀也。古人秘重其道,不欲指斥,故隱之云爾。或題篇雲庚辛,庚辛亦金也。然率多深微難知,其可解分明者少許爾。世人多疑此事為虛誕,與不信神仙者正同也。餘昔從鄭公受九丹及金銀液經,因復求受黃白中經五卷。鄭君言,曾與左君於廬江銅山中試作,皆成也。然而齋潔禁忌之勤苦,與金丹神仙藥無異也。俗人多譏餘好攻異端,謂予為趣欲強通天下之不可通者。餘亦何為然哉!餘若欲以此輩事,騁辭章於來世,則餘所著外篇及雜文二百餘卷,足以寄意於後代,不復須此。且此內篇,皆直語耳,無藻飾也。餘又知論此曹事,世人莫不呼為迂闊不急,未若論俗間切近之理,可以合眾心也。然餘所以不能已於斯事,知其不入世人之聽,而猶論著之者,誠見其效驗,又所承授之師非妄言者。而餘貧苦無財力,又遭多難之運,有不已之無賴,兼以道路梗塞,藥物不可得,竟不遑合作之。餘今告人言,我曉作金銀,而躬自飢寒,何異自不能行,而賣治躄之藥,求人信之,誠不可得。然理有不如意,亦不可以一概斷也。所以勤勤綴之於翰墨者,欲令將來好奇賞真之士,見餘書而具論道之意耳。夫變化之術,何所不為。蓋人身本見,而有隱之之法。鬼神本隱,而有見之之方。能為之者往往多焉。水火在天,而取之以諸燧。鉛性白也,而赤之以為丹。丹性赤也,而白之而為鉛。雲雨霜雪,皆天地之氣也,而以藥作之,與真無異也。至於飛走之屬,蠕動之類,稟形造化,既有定矣。及其倏忽而易舊體,改更而為異物者,千端萬品,不可勝論。人之為物,貴性最靈,而男女易形,為鶴為石,為虎為猿,為沙為黿,又不少焉。至於高山為淵,深谷為陵,此亦大物之變化。變化者,乃天地之自然,何為嫌金銀之不可以異物作乎?
抱朴子曰く、神仙經裏黃白の方二十五卷、千首餘有り。黃は、是れ金。白は、是れ銀。古人彼の道を祕重し、指して斥說せんと欲せず、故に此のごとく稱するを隱す。或は篇に題して庚辛と曰う、庚辛亦是れ金。然れども大都深微知り難し、以て分明に解し得る少許のみ。世人多く此の事を疑して虛誕と爲す、神仙を信信ぜざる與正同じ。我昔鄭公に跟りて九丹及び金銀液經を受け、因此又黃白中經五卷を求受す。鄭君曰く、曾て左君與廬江銅山中に在りて試作し、皆成りと。然れども齋潔禁忌の勤苦、金丹神仙藥與差異無し。俗人多く我の異端を攻むるを好むを譏り、我を是れ趣欲して天下の通す可からざるを強通すと說く。我又何を爲す此のごとくならんや。我若し此の類の事を以て、來世に辭章を騁せんと想はば、則ち我が著する所の外篇及び雜文二百餘卷、足以意を後代に寄す、再び此を須せず。而且此の內篇、皆是れ直語のみ、藻飾無し。我又知る此の類の事を論ずれば、世人迂闊不急と呼ばざる無しと、俗閒切近の理を論ずるに如かず、以て衆心に合す可し。然れども我此の事に已む能わざる所以、它の世人の聽に入らざるを知りて、而も還た論著す、誠に是れ其の效驗を見、又承授する所の師不是妄言の人。而も我貧苦財力無く、又多難の運に遭受し、已まざるの無賴有り、兼ねて道路梗塞し、藥物得る可からず、竟然合作するに遑あらず。我今人に告げて說く、我金銀を作るを曉る、而も自身饑寒す、己能く走らざる與、卻りて瘸を治するの藥を賣りて、人に信を求む、誠に得る可からず、何の異有らん。然れども理不如意有り、亦以て一概に斷ず可からず。故に勤勤として翰墨上に綴るは、是れ將來好奇賞眞の士をして、我が書を見て具に道を論ずるの意を見しめんと欲するのみ。變化の術、何の到らざる所有らん。人身本來見る可し、而も之を隱すの法有り。鬼神本來隱れ、而も之をして見しむるの方有り。能くする往々多し。水火天に在り、而も諸燧を以て之を取る。鉛性白、而も之を變じて赤くして丹と成す。丹性赤、而も之を變じて白くして鉛と成す。雲雨霜雪、皆是れ天地の氣、而も藥を以て作れ、眞與差異無し。至於飛走之屬・蠕動之類、形を造化に禀け、既に定有り。及び倏忽として舊體を改易し、改更して異物と成るは、千端萬品、論を勝る可からず。人物と爲る、貴性最も靈、而も男女形を易え、鶴と爲り石と爲り、虎と爲り猿と爲り、沙と爲り鼋と爲る、又少なからず。至於高山淵に變じ、深谷陵に變ずる、此れ亦大物の變化。變化は、乃ち是れ天地の自然、何を爲す金銀以て異物を以て作る可からずと嫌わんや。
譬諸陽燧所得之火,方諸所得之水,與常水火,豈有別哉?蛇之成龍,茅糝為膏,亦與自生者無異也。然其根源之所緣由,皆自然之感致,非窮理盡性者,不能知其指歸,非原始見終者,不能得其情狀也。狹觀近識,桎梏巢穴,揣淵妙於不測,推神化於虛誕,以周孔不說,墳籍不載,一切謂為不然,不亦陋哉?又俗人以劉向作金不成,便雲天下果無此道,是見田家或遭水旱不收,便謂五穀不可播殖得也。成都內史吳大文,博達多知,亦自說昔事道士李根,見根煎鉛錫,以少許藥如大豆者投鼎中,以鐵匙攪之,冷即成銀。大文得其秘方,但欲自作,百日齋便為之,而留連在官,竟不能得,恆嘆息言人閒不足處也。又桓君山言漢黃門郎程偉,好黃白朮,娶妻得知方家女。偉常從駕出而無時衣,甚憂。妻曰,請致兩端縑。縑即無故而至前。偉按枕中鴻寶,作金不成。妻乃往視偉,偉方扇炭燒筒,筒中有水銀。妻曰,吾欲試相視一事。乃出其囊中藥,少少投之,食頃發之,已成銀。偉大驚曰,道近在汝處,而不早告我,何也?妻曰,得之須有命者。於是偉日夜說誘之,賣田宅以供美食衣服,猶不肯告偉。偉乃與伴謀撾笞伏之。妻輒知之,告偉言,道必當傳其人,得其人,道路相遇輒教之;如非其人,口是而心非者,雖寸斷支解,而道猶不出也。偉逼之不止,妻乃發狂,裸而走,以泥自塗,遂卒。近者前廬江太守華令思,高才達學,洽聞之士也,而事之不經者,多所不信。後有道士說黃白之方,乃試令作之,雲以鐵器銷鉛,以散藥投中,即成銀。又銷此銀,以他藥投之,乃作黃金。又從此道士學徹視之方,行之未百日,夜臥即便見天文及四鄰了了,不覺復有屋舍籬障。又妾名瑤華者已死,乃見形,與之言語如平生。又祭廟,聞廟神答其拜,床似動有聲。令思乃嘆曰,世閒乃定無所不有,五經雖不載,不可便以意斷也。
(上文接續して曰く)譬へば陽燧の得る所の火、方諸の得る所の水、平常水火與、豈に分別有らん。蛇蛇龍に變ず、茅糝膏に變ず、亦自ら生ずる與差異無し。然れども根源の由緣する所、皆是れ自然の感致、不是理を窮め性を盡くす人、能く指歸を知らず、不是原を始め終を見る人、能く彼の情狀を得ず。狹觀近識、巢穴に桎梏し、不測處に淵妙を揣し、神化を虛誕に推す、周公孔子說かず・墳籍載せざるに因りて、一切然らずと說成す、亦陋ならずや。又俗人劉向金を作りて成らざるに因りて、便ち天下果して此の道無しと說く、此れ是れ田家或は水旱に遭い收せざるを見て、便ち五穀以て播種して得る可からずと說く。成都內史吳大文、博達多知、亦自ら說く昔道士李根を事奉し、根鉛錫を煎するを見、藥少許大豆のごときを拿げて鼎中に投進し、鐵匙を以て攪き、冷めれば則ち銀と成ると。大文祕方を得、只だ想う自ら作らんと、百日齋せば便ち做る可し、而も官に留連し、竟然能く得ず、恒に歎息して曰く人間處するに足らずと。又桓君山說く漢黃門郎程偉、黃白術を好み、妻を娶りて方を知るの家の女に到る。偉常に駕に從い出でて而も時衣無く、甚だ憂ゆ。妻曰く、緣兩端を請りて致さんと。緣則ち故無く眼前に來到す。偉《枕中鴻寶》に按りて、金を作りて成らず。妻纔かに前往して偉を看る、偉正在炭を扇ぎ筒を燒き、筒中水銀有り。妻曰く、我試みに一事を你に看せんと欲すと。則ち囊中の藥を拿出し、少少投下し、一頓飯の頃刻開けば、已に銀と成る。偉大驚して說く、道近く你の處に在りて、而も早く我に告げず、何を爲すと。妻曰く、之を得るは須らく命有るの人と。於是偉日夜說誘し、田宅を賣りて以て美食衣服を供す、還た肯んじて偉に告げず。偉則ち同伴與謀劃して撻笞して以て降伏せんとす。妻總じて之を知り、偉に告げて說く、道必ず當に彼の種の人に傳ふべし、彼の種の人を得れば、道路相遇すれば則ち教ふ。若し不是彼の種の人、口是にして心非の、雖も寸斷肢解すとも、道還た出來らずと。偉逼りて停まず、妻則ち發狂し、裸りて走り、泥を以て自ら塗り、於是死す。近來前廬江太守華令思、高才達學、洽聞の士、而も經せざるの事、多く信ぜざる所。後來道士黄白の方を說く有り、纔かに試みて彼をして作らしめ、說く鐵器を以て鉛を銷し、散藥を把て投進すれば、則ち銀と成ると。又此の銀を銷し、別の藥を拿げて投下し、纔かに黃金を作る。又此の道士に跟りて徹視の方を學び、實行未だ百日に至らず、夜臥りて便ち天文及び四鄰了了を見、再び屋舍籬障有るを覺えず。又妾名は瑤華の已に死せる、纔かに形を見、彼女與言語して平生のごとし。又廟を祭る、廟神其の拜に答ふるを聞き、床動く有る聲のごとし。令思纔かに歎して說く、世上乃ち確定無き所有らず、五經雖も載せざれども、以て意を以て斷ず可からずと。
然不聞方伎者,卒聞此,亦焉能不驚怪邪?又黃白朮亦如合神丹,皆須齋潔百日已上,又當得閒解方書,意合者乃可為之,非濁穢之人,及不聰明人,希涉術數者所辨作也。其中或有須口訣者,皆宜師授。又宜入於深山之中,清潔之地,不欲令凡俗愚人知之。而劉向止宮中作之,使宮人供給其事,必非齋潔者,又不能斷絕人事,使不來往也,如此安可得成哉?桓譚新論曰:史子心見署為丞相史,官架屋,發吏卒及官奴婢以給之,作金不成。丞相自以力不足,又白傅太后。太后不復利於金也,聞金成可以作延年藥,又甘心焉,乃除之為郎,舍之北宮中,使者待遇。寧有作此神方可於宮中,而令凡人雜錯共為之者哉?俗閒染繒練,尚不欲使雜人見之,見之即壞,況黃白之變化乎?凡事無鉅細,皆宜得要。若不得其法,妄作酒醬醋羹臛猶不成,況大事乎?餘曾諮於鄭君曰:“老君云,不貴難得之貨。而至治之世,皆投金於山,捐玉於谷,不審古人何用金銀為貴而遺其方也?”鄭君答餘曰:“老君所云,謂夫披沙剖石,傾山漉淵,不遠萬里,不慮壓溺,以求珍玩,以妨民時,不知止足,以飾無用。及欲為道,志求長生者,復兼商賈,不敦信讓,浮深越險,乾沒逐利,不吝軀命,不修寡慾者耳。至於真人作金,自欲餌服之致神仙,不以致富也。故經曰,金可作也,世可度也,銀亦可餌服,但不及金耳。”餘難曰:“何不餌世閒金銀而化作之,作之則非真,非真則詐偽也。”鄭君答餘曰:“世閒金銀皆善,然道士率皆貧。故諺云,無有肥仙人富道士也。師徒或十人或五人,亦安得金銀以供之乎?又不能遠行採取,故宜作也。又化作之金,乃是諸藥之精,勝於自然者也。仙經云,丹精生金。此是以丹作金之說也。故山中有丹砂,其下多有金。且夫作金成則為真物,中表如一,百鍊不減。故其方曰,可以為釘。明其堅勁也。
(上文接續して曰く)然れども方技を聞かざる人、倉促此を聞けば、又怎んぞ能く驚怪せざらんや。又黃白術亦合神丹のごとく、皆須らく齋潔百日以上、又當に閑解方書・意合するを得て纔かに以て做る可し、不是濁穢の人、以及不聰明の人・甚だ少く術數に涉るの辦作する能くする所。其の中或は口訣を須する有り、皆宜しく師授すべし。又宜しく深山の中・淸潔の地に進入し、凡俗愚人をして知らしめざらんと欲す。而も劉向只だ宮中に在りて作り、宮人をして彼の事を供給せしめ、必ず不是齋潔の、又能く人事を斷絕して、來往せしめず、此のごとく怎んぞ以て成るを得んや。桓譚《新論》曰く、史子心丞相史に署せらる、官屋を架し、吏卒及び官奴婢を發して來て供給せしめ、金を作りて成らずと。丞相自ら以て力足らずと爲し、又傅太后に禀告す。太后再び金に利在らず、金成れば以て延年藥を作る可しと聞き、又甘心し、纔かに彼を除して郎と爲し、彼をして北宮中に住せしめ、使者待遇す。哪れにか此の神方を作る以て宮中に在る可き、而も凡人をして雜錯共同に做らしむる有らんや。俗閒繒練を染む、尚ほ雜人をして見しめざらんと欲せず、見れば則ち壞る、何況黃白の變化をや。凡事巨細を論ぜず、皆宜しく要を得べし。若し彼の法を得ざれば、妄りに酒醬醋羹臛を作るも還た成らず、何況大事をや。我曾て鄭君に問うて說く「老君曰く、得難きの貨を貴ばずと。而至治の世、皆金を山に投げ、玉を谷に捐つ、古人何を爲す金銀を以て貴と爲して彼の方を留下するを審せずや」と。鄭君我に回答えて曰く「老君の說く所、是れ彼ら沙を披き石を剖き、山を傾け淵を漉り、萬里を遠からず、壓溺を顧みず、以て珍玩を求め、以て民時を妨げ、止足を知らず、以て無用を飾るを說く。以及道を爲さんと想い、志長生を求め、又兼ねて商賈し、信讓を敦くせず、深に浮かび險を越え、機に投り利を逐い、軀命を吝惜せず、寡欲を修めざるのみ。至於眞人金を作る、自ら之を餌服して以て神仙を致せんと想う、不是用ゐて富を致す。故に經說く、金以て作る可し、世以て度る可し、銀亦以て餌服す可し、只だ金に比ぶに及ばざるのみと」。我彼に難じて曰く「何を爲す世上の金銀を餌して之を化作せざるや、作るは則ち不是眞、不是眞則ち是れ詐僞」と。鄭君我に回答えて曰く「世上金銀皆善、然れども道士大都貧し。故に諺語說く、肥仙人富道士無しと。師徒或は十人或は五人、又怎んぞ金銀を得て以て供給せんや。又能く遠行して采取せず、故に宜しく作るべし。又化作の金、乃ち是れ諸藥の精、自然に勝る。仙經說く、丹精金を生ずと。此れ是れ丹を以て金を作るの說法。故に山中丹砂有れば、其の下金多く有り。而且金を作りて成れば則ち是れ眞物、中表如一、百煉減らず。故に彼の方說く、以て釘子を做る可しと。是れ其の堅勁を表明す。
此則得夫自然之道也。故其能之,何謂詐乎?詐者謂以曾青塗鐵,鐵赤色如銅;以雞子白化銀,銀黃如金,而皆外變而內不化也。夫芝菌者,自然而生,而仙經有以五石五木種芝,芝生,取而服之,亦與自然芝無異,俱令人長生,此亦作金之類也。雉化為蜃,雀化為蛤,與自然者正同。故仙經曰,流珠九轉,父不語子,化為黃白,自然相使。又曰,硃砂為金,服之昇仙者,上士也;茹芝導引,嚥氣長生者,中士也;餐食草木,千歲以還者,下士也。又曰,金銀可自作,自然之性也,長生可學得者也。玉牒記云:天下悠悠,皆可長生也,患於猶豫,故不成耳。凝水銀為金,可中釘也。銅柱經曰:丹沙可為金,河車可作銀,立則可成,成則為真,子得其道,可以仙身。黃山子曰:天地有金,我能作之,二黃一赤,立成不疑。龜甲文曰:我命在我不在天,還丹成金億萬年。古人豈欺我哉?但患知此道者多貧,而藥或至賤而生遠方,非亂世所得也。若戎鹽滷鹹皆賤物,清平時了不直錢,今時不限價直而買之無也。羌裡石膽,千萬求一斤,亦不可得。徒知其方,而與不知者正同,可為長嘆者也。有其法者,則或飢寒無以合之,而富貴者復不知其法也。就令知之,亦無一信者。假令頗信之,亦已自多金銀,豈肯費見財以市其藥物,恐有棄系逐飛之悔,故莫肯為也。又計買藥之價,以成所得之物,尤有大利,而更當齋戒辛苦,故莫克為也。且夫不得明師口訣,誠不可輕作也。”夫醫家之藥,淺露之甚,而其常用效方,便復秘之。故方有用後宮遊女,僻側之膠,封君泥丸,木鬼子,金商芝,飛君根,伏龍肝,白馬汗,浮雲滓,龍子丹衣,夜光骨,百花醴,冬鄒齋之屬,皆近物耳,而不得口訣,猶不可知,況於黃白之術乎?今能為之者,非徒以其價貴而秘之矣,此道一成,則可以長生。長生之道,道之至也,故古人重之也。
(鄭君接續して曰く)此れ則ち彼の自然の道を得たり。故に彼能く此のごとし、怎んぞ詐と呼ばんや。詐是れ曾青を以て鐵を塗り、鐵赤色銅に似る。雞子白を以て銀を化し、銀黃くして金に似る、而も皆是れ外變して內化せず。芝菌は、是れ自然而して生ず、而も仙經五石五木を以て芝を種する用有り、芝生ぜば、取來して服す、亦自然芝與差異無し、皆人をして長生せしむ、此れ亦金を作るの一類。雉蜃に化し、雀蛤に化す、自然の與正同じ。故に仙經說く、流珠九轉、父子に語らず、黃白に化し、自然相使すと。又曰く、朱砂金と爲る、服して仙に升るは、是れ上士。芝を茹で導引し、氣を咽みて長生するは、是れ中士。草木を餐食し、千歲以內の、是れ下士と。又曰く、金銀以て自ら作る可し、是れ自然の性、長生以て學得す可しと。玉牒記曰く、天下悠悠、皆以て長生す可し、患猶豫に在り、故に成らざるのみと。水銀を凝して金と爲す、以て釘子に當つ可し。銅柱經曰く、丹砂以て金と爲す可し、河車以て銀を作る可し、立刻則ち以て成る可し、成れば則ち是れ眞、你彼の道を得れば、以て身を仙らしむ可しと。黃山子曰く、天地金有り、我能く之を作る、二黃一赤、立刻成りて疑わずと。龜甲文曰く、我命我在り天在らず、還丹金を成して億萬年と。古人豈に是れ我を欺かんや。只だ怕るる此の道を知る人多く貧し、而も藥或は至賤にして卻りて遠方に生じ、不是亂世の得る能くする所。像く戎鹽・鹵鹹皆是れ賤物、淸平の時全く錢に值せず、今時價值を限らずして買うも亦無し。羌里石膽、千萬一斤を求めても、亦得る可からず。徒らに彼の方を知る、而も知らざる與正同じ、以て長嘆す可し。彼の法有るは、則ち或は饑寒して之を合するに從無し、而も富貴の人又彼の法を知らず。就か令知らしめても、亦一個の信ずる無し。假令頗る信ずとも、已に自ら金銀多く、豈に肯んじて現財を費して以て彼の藥物を買わんや、怕るる棄系逐飛の悔有るを、故に肯んじて做る無し。又藥を買うの價を計算し、作成して得る所の物を以てすれば、尤も大利有り、卻りて更に當に齋戒辛苦すべし、故に克つて成る無し。而且明師口訣を得ず、誠に以て輕く作る可からずと。醫家の藥、淺露なること甚だし、而も彼らの常用效方、便ち又祕起來す。故に方後宮游女・僻側之膠・封君泥丸・木鬼子・金商芝・飛君根・伏龍肝・白馬汗・浮雲滓・龍子丹衣・夜光骨・百花醴・冬鄒齋の類を用うる有り、皆是れ近物のみ、而も口訣を得ず、還た知る可からず、何況黃白の術をや。今能くする、不只だ其の價貴きに因りて之を祕す、此の道一成すれば、則ち以て長生す可し。長生の道、是れ道の至、故に古人之を看重す。
凡方書所名藥物,又或與常藥物同而實非者,如河上奼女,非婦人也;陵陽子明,非男子也;禹餘糧,非米也;堯漿,非水也。而俗人見方用龍膽虎掌、雞頭鴨蹠、馬蹄犬血、鼠尾牛膝,皆謂之血氣之物也;見用缺盆覆盆、釜釒歷大戟、鬼箭天鉤,則謂之鐵瓦之器也;見用胡王使者、倚姑新婦、野丈人、守田公、戴文浴、徐長卿,則謂人之姓名也。近易之草,或有不知,玄秘之方,孰能悉解?劉向作金不成,無可怪之也。及得其要,則復不煩聖賢大才而後作也,凡人可為耳。劉向豈頑人哉,直坐不得口訣耳。今將載其約而效之者,以貽將來之同志焉。當先取武都雄黃,丹色如雞冠,而光明無夾石者,多少任意,不可令減五斤也。搗之如粉,以牛膽和之,煮之令燥。以赤土釜容一斗者,先以戎鹽石膽末薦釜中,令厚三分,乃內雄黃末,令厚五分,復加戎鹽於上。如此,相似至盡。又加碎炭火如棗核者,令厚二寸。以蚓螻土及戎鹽為泥,泥釜外,以一釜覆之,皆泥令厚三寸,勿洩。陰乾一月,乃以馬糞火熅之,三日三夜,寒,發出,鼓下其銅,銅流如冶銅鐵也。乃令鑄此銅以為筒,筒成以盛丹砂水。又以馬屎火熅之,三十日發爐,鼓之得其金,即以為筒,又以盛丹砂水。又以馬通火熅三十日,發取搗治之。取其二分生丹砂,一分並汞,汞者,水銀也,立凝成黃金矣。光明美色,可中釘也。
凡そ方書の名する所の藥物、又或は平常藥物與同名にして其の實不是の、如く河上奼女、不是婦人(此れ是れ外丹隱名、水銀の一類實物を指し、不是內丹借りて來りて身中陰氣を說く)。陵陽子明、不是男子。禹餘糧、不是米。堯漿、不是水。而も俗人方の龍膽・虎掌・雞頭・鴨跖・馬蹄・犬血・鼠尾・牛膝を用うるを見、皆說く是れ血氣の物。缺盆・覆盆・釜鬲(底本「鬲」を「钅历」と作す)・大戟・鬼箭・天鈎を用うるを見れば、則ち說く是れ鐵瓦の器。胡王使者・倚姑新婦・野丈人・守田公・戴文浴・徐長卿を用うるを見れば、則ち說く是れ人の姓名。近易の草、或は還た知らざる有り、玄祕の方、誰か能く全部解せん。劉向金を作りて成らず、怪む可き無し。及び要領を得れば、則ち又聖賢大才に煩わずして然る後作る、凡人以て做る可きのみ。劉向豈に是れ頑人、只だ是れ口訣を得ざるに因るのみ。今將に彼の簡約にして效有るを記載して、以て將來同志に留めん。當に先ず武都雄黃を取り、丹色雞冠に似て、而も光明夾石無き、多少意に任せ、之をして五斤より少なからしむる勿れ。粉のごとく擣き、牛膽を以て之を和し、之をして燥ぐに至るまで煮る。赤土釜容一斗を以てし、先ず戎鹽・石膽末を以て釜中に墊ぎ、厚さ三分をして、纔かに雄黃末を納入し、厚さ五分をして、再加戎鹽上に。此のごとく相間して盡くすに至る。又碎炭火棗核のごときを加へ、厚さ二寸をして。蚓螻土及び戎鹽を以て泥と爲し、釜外に泥し、一釜を以て覆蓋し、皆泥して厚さ三寸をして、泄す勿れ。陰干一月、纔かに馬糞火を以て之を煴し、三日三夜、冷めて、發出し、彼の銅を鼓下し、銅流るること冶銅鐵のごとし。纔かに此の銅を鑄して筒を做り、筒成れば以て丹砂水を盛る。又馬屎火を以て之を煴し、三十日爐を開き、之を鼓して彼の金を得、則ち拿げて以て筒を做り、又以て丹砂水を盛る。又馬通火を以て煴すること三十日、發出して取來して擣治す。之を取る二分生丹砂、一分竝び汞、汞則ち是れ水銀、立刻則ち黃金に凝成す。光明美色、以て釘子に當つ可し。
△作丹砂水法
丹砂水を作る法。
治丹砂一斤,內生竹筒中,加石膽消石各二兩,覆薦上下,閉塞筒口,以漆骨丸封之,須乾,以內醇苦酒中,埋之地中,深三尺,三十日成水,色赤味苦也。
丹砂一斤を治して、生竹筒中に納入し、石膽・硝石各二兩を加へ、上下覆蓋して墊ぎ、筒口を閉塞し、漆骨丸を以て之を封じ、須らく干せ、醇苦酒中に納入し、地中に埋め、深さ三尺、三十日水と成り、色赤く味苦し。
△金樓先生所從青林子受作黃金法
金樓先生の青林子に從う所の黃金を作る法を受く。
先鍛錫,方廣六寸,厚一寸二分,以赤鹽和灰汁,令如泥,以塗錫上,令通厚一分,累置於赤土釜中。率錫十斤,用赤鹽四斤,合封固其際,以馬通火熅之,三十日,發火視之,錫中悉如灰狀,中有累累如豆者,即黃金也。合治內土甌中,以炭鼓之,十煉之併成也。率十斤錫,得金二十兩。唯長沙桂陽豫章南海土釜可用耳。彼鄉土之人,作土釜以炊食,自多也。
先ず錫を鍛し、方廣六寸、厚さ一寸二分、赤鹽和灰汁を以て、之をして泥のごとくせしめ、以て錫上に塗り、通じて厚さ一分をして、赤土釜中に累放す。大約錫十斤、赤鹽四斤を以て、彼の際縫を合封固し、馬通火を以て之を煴し、三十日、火を發いて看れば、錫中全く皆灰狀のごとく、中に累累として豆のごとき有れば、則ち是れ黃金。合治して土甌中に納入し、炭を以て之を鼓し、十煉皆成る。大約十斤錫、金二十兩を得。只有長沙・桂陽・豫章・南海の土釜以て用う可し。彼の鄉土の人、土釜を作りて以て食を炊ぐ、自然多し。
△治作赤鹽法
赤鹽を治作する法。
用寒鹽一斤,又作寒水石一斤,又作寒羽涅一斤,又作白礬一斤,合內鐵器中,以炭火火之,皆消而色赤,乃出之可用也。
寒鹽一斤を以て、又寒水石一斤を作り、又寒羽涅一斤を作り、又白礬一斤を作り、合して鐵器中に納入し、炭火を以て之を燒き、皆消して色赤し、纔かに取出して以て用う可し。
△角里先生從稷丘子所授化黃金法
角里先生稷丘子に從う所の黃金を化する法を授く。
先以礬水石二分,內鐵器中,加炭火令沸,乃內汞多少自在,攪令相得,六七沸,注地上成白銀。乃取丹砂水曾青水各一分,雄黃水二分,於釒歷中加微火上令沸,數攪之,令相得,復加炭火上令沸,以此白銀內其中,多少自在,可六七沸,注地上凝,則成上色紫磨金也。
先ず礬水石二分を把て、鐵器中に納入し、炭火を加へて沸せしめ、纔かに汞を納入し、多少自便、攪きて相得せしめ、六七沸、地に注いで白銀と成る。纔かに丹砂水・曾青水各一分・雄黃水二分を取り、鬲中(底本「鬲」を「钅历」と作す)にて微火上を加へて沸せしめ、數次攪き、相得せしめ、再加炭火上にて沸せしめ、此の白銀を其の中に納入し、多少自便、以て六七沸す可し、地に注いで凝れば、則ち上色紫磨金と成る。
△治作雄黃水法
雄黃水を治作する法。
治雄黃內生竹筒中一斤,輒加消石二兩,覆薦上下,封以漆骨丸,內醇大醋中,埋之深三尺,二十日即化為水也。作曾青水方,及礬石水同法,但各異筒中耳。
雄黃を治して生竹筒中に一斤を納入し、則ち硝石二兩を加へ、上下覆蓋して墊ぎ、漆骨丸を以て封じ、醇大醋中に納入し、埋めて深さ三尺、二十日則ち水に化す。曾青水方を作る、及び礬石水同一の法、只だ各々異筒中に在るのみ。
△小兒作黃金法
小兒黃金を作る法。
作大鐵筒成,中一尺二寸,高一尺二寸。作小鐵筒成,中六寸,瑩磨之。赤石脂一斤,消石一斤,雲母一斤,代赭一斤,流黃半斤,空青四兩,凝水石一斤,皆合搗細篩,以酰和,塗之小筒中,厚二分。汞一斤,丹砂半斤,良非半斤。取良非法用鉛十斤內鐵釜中,居爐上露灼之,鉛銷,內汞三兩,早出者以鐵匙抄取之,名曰良非也。攪令相得,以汞不見為候,置小筒中,雲母覆其上,鐵蓋鎮之。取大筒居爐上,銷鉛注大筒中,沒小筒中,去上半寸,取銷鉛為候,猛火炊之,三日三夜成,名曰紫粉。取鉛十斤於鐵器中銷之,二十日上下,更內銅器中,須鉛銷,內紫粉七方寸匕,攪之,即成黃金也。欲作白銀者,取汞置鐵器中,內紫粉三寸已上,火令相得,注水中,即成銀也。
大鐵筒を作りて、內徑一尺二寸、高一尺二寸。小鐵筒を作りて、內徑六寸、瑩磨す。赤石脂一斤、硝石一斤、雲母一斤、代赭一斤、流黃半斤、空青四兩、凝水石一斤、皆合して細を擣篩し、酰を以て和し、小筒中に塗り、厚さ二分。汞一斤、丹砂半斤、良非半斤。良非を取るの法、鉛十斤を以て鐵釜中に納入し、爐上に放ちて露りて灼き、鉛銷れば、汞三兩を納入し、早く出るを鐵匙を以て抄取す、名は良非。攪きて相得せしめ、以て汞を見ざるを候と爲し、小筒中に放ち、雲母上面を覆蓋し、鐵蓋鎮住す。大筒を取りて爐上に放ち、鉛を銷して大筒中に注入し、小筒を淹沒し、上に半寸を離れ、以て鉛銷を候と爲し、猛火之を炊ぎ、三日三夜成る、名は紫粉。鉛十斤を取りて鐵器中に銷し、二十日上下、再び銅器中に納入し、須らく鉛銷せ、紫粉七方寸匕を納入し、之を攪けば、則ち黃金と成る。白銀を作らんと欲するは、汞を取りて鐵器中に放ち、紫粉三寸以上を納入し、火して相得せしめ、水中に注進すれば、則ち銀と成る。
△務成子法
務成子の法。
作鐵筒長九寸,徑五寸,搗雄黃三斤,蚓螻壤等分,作合以為泥,塗裹使徑三寸,匱口四寸,加丹砂水二合,覆馬通火上,令極乾,內銅筒中,塞以銅合蓋堅,以黃沙築上,覆以蚓壤重泥,上無令洩,置爐炭中,令有三寸炭,筒口赤,可寒發之,雄黃皆入著銅筒,復出入如前法。三斤雄黃精,皆下入著筒中,下提取與黃沙等分,合作以為爐,爐大小自在也。欲用之,置爐於炭火中,爐赤,內水銀,銀動則內鉛其中,黃從傍起交中央,注之於地,即成金。凡作一千五百斤,爐力即盡矣。此金取牡荊赤黍酒漬之,百日,即柔可和也。如小豆,服一丸,日三服,盡一斤,三蟲伏屍,百病皆去,盲者視,聾者聞,老者即還年如三十時,入火不灼,百邪眾毒、冷風暑溼、不能侵入;盡三斤,則步行水上,山川百神,皆來侍衛,壽與天地相畢。以杼血朱草煮一丸,以拭目眥,即見鬼及地中物,能夜書;以白羊血塗一丸,投水中,魚龍立出,可以取也;以青羊血丹雞血塗一丸,懸都門上,一里不疫;以塗牛羊六畜額上,皆不疫病,虎豹不犯也;以虎膽蛇肪塗一丸,從月建上以擲敵人之軍,軍即便無故自亂,相傷殺而走矣;以牛血塗一丸以投井中,井中即沸,以投流水,流水則逆流百步;以白犬血塗一丸,投社廟舍中,其鬼神即見,可以役使;以兔血塗一丸,置六陰之地,行廚玉女立至,可俟六七十人也;以鯉魚膽塗一丸,持入水,水為之開一丈,可得氣息水中以行,冒雨衣不沾也;以紫莧煮一丸,含咽其汁,可百日不飢;以慈石煮一丸,內髻中,以擊賊,白刃流矢不中之,有射之者,矢皆自向也;以六丁六壬上土並一丸,以蔽人中則隱形,含一丸,北向以噴火,火則滅;以庚辛日申酉時,向西地以一丸擲樹,樹木即日便枯;又以一丸,禹步擲虎狼蛇蝮,皆即死;
鐵筒を作ること長さ九寸、徑五寸、雄黃三斤を擣き、蚓螻壤等分、合作して以て泥と爲し、塗裹して徑三寸をして、匱口四寸、丹砂水二合を加へ、馬通火上に覆し、之をして極干せしめ、銅筒中に納入し、銅合蓋を以て堅く塞ぎ、黃沙を以て上を築し、蚓壤を以て重ねて泥し、上面之をして泄さしむる勿れ、爐炭中に放ち、三寸炭有らしめ、筒口赤くなれば、以て冷して開く可し、雄黃皆進入して銅筒に附着す、再び出入すること前の法に像く。三斤雄黃精、皆下入して筒中に附着し、下提して黃沙與等分を取り、合作して以て爐と爲す、爐大小自便。之を用ゐんと想はば、爐を把て炭火中に放ち、爐赤くなれば、水銀を納入し、銀動けば則ち其の中に鉛を納入し、黃旁より昇起して中央に在りて相交わり、地に注げば、則ち金と成る。凡そ一千五百斤を作れば、爐力則ち盡く。此の金牡荊赤黍酒を取りて之を漬け、百日、則ち柔らかにして和す可し。小豆のごとく、一丸を服し、一日三服、一斤を盡くせば、三蟲伏尸し、百病皆去り、盲の能く視、聾の能く聞、老の則ち還年三十の時に像り、火に入りて灼かれず、百邪衆毒・冷風暑濕、能く侵入せず。三斤を盡くせば、則ち水上に步行し、山川百神、皆來て侍衛し、壽天地與相齊し。杼血・朱草を以て一丸を煮て、以て目眦を拭えば、則ち鬼及び地中物を見、能く夜書す。白羊血を以て一丸に塗り、水中に投進すれば、魚龍立刻出で、以て取る可し。青羊血・丹雞血を以て一丸に塗り、都門上に懸ければ、一里疫せず。拿來して牛羊六畜額上に塗れば、皆疫病せず、虎豹犯さず。虎膽・蛇肪を以て一丸に塗り、月建上より取來して敵の軍に擲てば、軍便ち即ち故無く自ら亂れ、相傷殺して走る。牛血を以て一丸に塗り井中に投進すれば、井中則ち沸し、拿來して流水に投げれば、流水則ち逆流百步す。白犬血を以て一丸に塗り、社廟舍中に投進すれば、彼の鬼神則ち見え、以て役使す可し。兔血を以て一丸に塗り、六陰の地に放てば、行廚玉女立刻到り、以て六七十人を伺候す可し。鯉魚膽を以て一丸に塗り、持して水に入れば、水因此一丈を開き、以て水中に在りて氣息を得て來走し、雨衣に冒して沾らず可し。紫莧を以て一丸を煮て、彼の汁を含咽すれば、以て百日饑えざる可し。慈石を以て一丸を煮て、髻中に納れ、以て賊を撃てば、白刃流矢中らず、射る有れば、矢皆自ら轉向す。六丁六壬上土竝び一丸を以て、以て人中を蔽えば則ち形を隱し、一丸を含み、北に向かい火を噴けば、火ば、火則ち滅す。庚辛日申酉時、西地に向かい一丸を拿げて樹に擲れば、樹木即日便ち枯る。又拿げて一丸、禹步して虎狼蛇蝮に擲てば、皆立刻死す。
研一丸以書石即入石,書金即入金,書木入木,所書皆徹其肌理,削治不可去也。卒死未經宿,以月建上水下一丸,令入咽喉,並含水噴死人面,即活。以狐血鶴血塗一丸,內爪中,以指萬物,隨口變化,即山行木徙,人皆見之,然而實不動也。凡作黃白,皆立太乙、玄女、老子坐醮祭,如作九丹法,常燒五香,香不絕。又金成,先以三斤投深水中,一斤投市中,然後方得恣其意用之耳。
(上文接續して曰く)一丸を研して以て石に寫れば則ち石に入り、金に寫れば則ち金に入り、木に寫れば木に入り、寫する所皆肌理に徹到し、削治して去る可からず。突然死して尚ほ一夜を過さざるは、月建上水を以て一丸を下し、之をして咽喉に入らしめ、并且水を含んで死人の面に噴けば、則ち活す。狐血・鶴血を以て一丸に塗り、爪中に納れ、以て萬物を指せば、口に隨い變化し、即ち是れ山行き木徙し、人皆之を見、然れども其の實動かず。凡そ黃白を作る、皆太乙・玄女・老子の坐位を設立して以て醮祭し、九丹を作るの法に像く、常に五香を燒き、香絕えず。又金成れば、先ず三斤を拿げて深水中に投進し、一斤を市中に投進し、然る後纔かに恣意以て之を用う可きのみ。
卷十七·登涉
卷十七・登涉
或問登山之道。抱朴子曰:“凡為道合藥,及避亂隱居者,莫不入山。然不知入山法者,多遇禍害。故諺有之曰,太華之下,白骨狼藉。皆謂偏知一事,不能博備,雖有求生之志,而反強死也。山無大小,皆有神靈,山大則神大,山小即神小也。入山而無術,必有患害。或被疾病及傷刺,及驚怖不安;或見光影,或聞異聲;或令大木不風而自摧折,岩石無故而自墮落,打擊煞人;或令人迷惑狂走,墮落坑谷;或令人遭虎狼毒蟲犯人,不可輕入山也。當以三月九月,此是山開月,又當擇其月中吉日佳時。若事久不得徐徐須此月者,但可選日時耳。凡人入山,皆當先齋潔七日,不經汙穢,帶升山符出門,作周身三五法。又五嶽有受殃之歲,如九州之地,更有衰盛,受飛符煞炁,則其地君長不可作也。按周公城名錄,天下分野,災之所及,可避不可禳,居宅亦然,山嶽皆爾也。又大忌不可以甲乙寅卯之歲,正月二月入東嶽;不以丙丁巳午之歲,四月五月入南嶽;不以庚辛申酉之歲,七月八月入西嶽;不以戊巳之歲,四季之月入中嶽;不以壬癸亥子之歲,十月十一月入北嶽。不須入太華霍山恆山太山嵩高山,乃忌此歲,其嶽之方面,皆同禁也。又萬物之老者,其精悉能假託人形,以眩惑人目而常試人,唯不能於鏡中易其真形耳。是以古之入山道士,皆以明鏡徑九寸已上,懸於背後,則老魅不敢近人。或有來試人者,則當顧視鏡中,其是仙人及山中好神者,顧鏡中故如人形。若是鳥獸邪魅,則其形貌皆見鏡中矣。又老魅若來,其去必卻行,行可轉鏡對之,其後而視之,若是老魅者,必無踵也,其有踵者,則山神也。昔張蓋蹋及偶高成二人,並精思於蜀雲臺山石室中,忽有一人著黃練單衣葛巾,往到其前曰,勞乎道士,乃辛苦幽隱!於是二人顧視鏡中,乃是鹿也。因問之曰:汝是山中老鹿,何敢詐為人形。
有人山に登るの道を問う。抱朴子曰く「凡そ道を爲して藥を合し、以及亂を避け隱居する、山に入らざる無し。然れども山に入るの法を知らざるは、多く禍害に遇上す。故に諺語此のごときの話有り、太華の下、白骨狼藉すと。皆是れ偏に一事を知るを說く、能く博備せず、雖も生を求むるの志有るも、卻りて強死に遭う。山大小を論ぜず、皆神靈有り、山大なれば則ち神大、山小なれば則ち神小。山に入りて而も術無ければ、必ず患害有り。或は疾病及び傷刺せられ、以及驚怖不安す。或は光影を見、或は異聲を聞く。或は大木をして風無くして自ら摧折せしめ、巖石故無くして自ら墮落し、打擊して人を殺す。或は人をして迷惑し狂走し、坑谷に墮落せしむ。或は人をして虎狼毒蟲に遭い人を犯さしむ、以て輕く山に入る可からず。當に三月九月、此れ是れ山開くの月、又當に彼の月中吉日佳時を擇ぶべし。若し事久く能く徐徐として此の月を待たざるは、只だ日時を選ぶ可きのみ。凡そ人山に入る、皆當に先ず齋潔七日、污穢を經ず、升山符を帶びて門を出で、周身三五法を作すべし。又五岳受殃の歲有り、像く九州の地、更に衰盛有り、飛符煞炁を受ければ、則ち彼の地の君長作る可からず。《周公城名錄》に按ずれば、天下分野、災の及ぶ所、以て避く可く禳ふ可からず、居宅亦此のごとく、山岳皆此のごとし。又大忌以て甲乙寅卯之歲・正月二月に東岳に入る可からず。丙丁巳午之歲・四月五月に南岳に入る可からず。庚辛申酉之歲・七月八月に西岳に入る可からず。戊己之歲・四季の月に中岳に入る可からず。壬癸亥子之歲・十月十一月に北岳に入る可からず。必ずしも太華・霍山・恒山・太山・嵩高山に入るを須せず、纔かに此らの歲を忌む、彼の岳の方面、皆禁に同じ。又萬物老いし、其の精皆能く人形を假托し、以て人の目を眩惑して而も常に人を試す、只だ能く鏡中に眞形を改易せざるのみ。故に古時山に入るの道士、皆明鏡徑九寸以上を拿げ、背後に懸け、則ち老魅敢へて人に近づかず。或は來て人を試する有れば、則ち當に頭を回して鏡中を看るべし、若し是れ仙人及び山中好神なれば、頭を回して鏡中を看る仍ほ人形に像る。若し是れ鳥獸邪魅、則ち其の形貌皆鏡中に於て見る。又老魅若し來れば、它去る必ず倒して走り、走るの時以て鏡を轉じて之に對し、後面より看る、若し是れ老魅、必ず踵無し、踵有るは、則ち是れ山神。昔張蓋蹋及び偶高成二人、一起蜀雲台山石室中に在りて精思し、忽然一人有りて黃練單衣葛巾を穿著し、彼らの前に走到して說く、勞苦啊道士、竟に此のごとく辛苦幽隱せりと。於是二人頭を回して鏡中を看れば、乃ち是れ鹿。因此之に問うて說く、你是れ山中の老鹿、怎んぞ敢へて人形を詐せんと。
言未絕,而來人即成鹿而走去。林慮山下有一亭,其中有鬼,每有宿者,或死或病,常夜有數十人,衣色或黃或白或黑,或男或女。後郅伯夷者過之宿,明燈燭而坐誦經,夜半有十餘人來,與伯夷對坐,自共樗蒲博戲,伯夷密以鏡照之,乃是群犬也。伯夷乃執燭起,佯誤以燭燼爇其衣,乃作燋毛氣。伯夷懷小刀,因捉一人而刺之,初作人叫,死而成犬,餘犬悉走,於是遂絕,乃鏡之力也。上士入山,持三皇內文及五嶽真形圖,所在召山神,及按鬼錄,召州社及山卿宅尉問之,則木石之怪,山川之精,不敢來試人。其次即立七十二精鎮符,以制百邪之章,及朱官印包元十二印,封所住之四方,亦百邪不敢近之也。其次執八威之節,佩老子玉策,則山神可使,豈敢為害乎?餘聞鄭君之言如此,實復不能具知其事也。餘師常告門人曰:“夫人求道,如憂家之貧,如愁位之卑者,豈有不得耶?但患志之不篤,務近忘遠,聞之則悅,倔倔前席,未久,則忽然若遺,毫釐之益未固,而丘山之損不已,亦安得窮至言之微妙,成罔極之峻崇乎?”
(抱朴子接續して曰く)話尚ほ未だ絕えざるに、而も來人則ち鹿と成りて逃走す。林慮山下に一亭有り、其の中鬼有り、每に宿する有れば、或は死或は病す、常々夜裏數十人有り、衣色或は黃或は白或は黑、或は男或は女。後來郅伯夷過ぎて彼處に宿り、明燈燭を點して坐して經を誦し、夜半十餘個人有りて來り、伯夷與對坐し、自ら共同樗蒲博戲し、伯夷密かに鏡を拿げて彼らを照らせば、乃ち是れ群犬。伯夷則ち燭を執りて起き、假裝失誤して燭燼を拿げて彼らの衣を燒き、纔かに燋毛の氣有り。伯夷懷裏小刀を藏し、因此一人を捉住して彼を刺し、初め人の叫を作し、死して犬と成り、其餘の犬全都走り、於是遂に絕ゆ、乃ち是れ鏡の力。上士山に入る、《三皇內文》及び《五岳眞形圖》を持し、在る所山神を召し、以及鬼錄に按り、州社及び山卿宅尉を召して來問せば、則ち木石の怪・山川の精、敢へて來りて人を試せず。其次則ち七十二精鎭符を立て、百邪を制するの章を以てし、以及朱官印包元十二印、住する所の四方を封ず、亦是れ百邪敢へて近づかず。其次八威之節を執り、老子玉策を佩ずれば、則ち山神以て使ふ可し、豈に敢へて害を爲さんや。我聞く鄭君の話此のごとく、實に又能く詳しく彼の事を知らず。我が師常に門人に告げて曰く「人道を求む、像く家の貧を憂え、位の卑を愁ふ、哪れにか得ざる有らんや。只だ怕るる志篤からざる、近を務め遠を忘れ、聞けば則ち悅び、倔倔として席に前り、久しからず、則ち忽然として遺失のごとく、毫釐の益尚ほ未だ固く、而も丘山の損停まず、又怎んぞ至言の微妙を窮め、極限無きの峻崇を成るを得んや」と。
抱朴子曰:“入山之大忌,正月午,二月亥,三月申,四月戌,五月未,六月卯,七月甲子,八月申子,九月寅,十月辰未,十一月己丑,十二月寅。入山良日:甲子、甲寅、乙亥、乙巳、乙卯、丙戌、丙午、丙辰,已上日大吉。”抱朴子曰:“按九天秘記及太乙遁甲云,入山大月忌:三日、十一日、十五日、十八日、二十四日、二十六日、三十日;小月忌:一日、五日、十三日、十六日、二十六日、二十八日。以此日入山,必為山神所試。又所求不得,所作不成。不但道士,凡人以此日入山,皆兇害,與虎狼毒蟲相遇也。”
抱朴子曰く「山に入るの大忌、正月午、二月亥、三月申、四月戌、五月未、六月卯、七月甲子、八月申子、九月寅、十月辰未、十一月己丑、十二月寅。山に入るの良日、甲子・甲寅・乙亥・乙巳・乙卯・丙戌・丙午・丙辰、以上の日子大吉と。抱朴子曰く「《九天祕記》及び太乙遁甲の說に按ずれば、山に入るの大月忌、三日・十一日・十五日・十八日・二十四日・二十六日・三十日。小月忌、一日・五日・十三日・十六日・二十六日・二十八日。此らの日子を拿げて山に入れば、必ず山神の試する所と爲る。又求むる所得られず、作る所成らず。不但道士、凡人此らの日子を拿げて山に入る、皆凶害、虎狼毒蟲與相遇う。
抱朴子曰:“天地之情狀,陰陽之吉凶,茫茫乎其亦難詳也,吾亦不必謂之有,又亦不敢保其無也。然黃帝太公皆所信仗,近代達者嚴君平司馬遷皆所據用,而經傳有治歷明時剛柔之日。古言曰,吉日惟戊。有自來矣。王者立太史之官,封拜置立,有事宗廟,郊祀天地,皆擇良辰;而近才庸夫,自許脫俗,舉動所為,恥揀善日,不亦戇愚哉?每伺今入山,不得其良時日交,下有其驗,不可輕入也。按玉鈐經云,欲入名山,不可不知遁甲之秘術,而不為人委曲說其事也。而靈寶經云,入山當以保日及義日,若專日者大吉,以制日伐日必死,又不一一道之也。餘少有入山之志,由此乃行學遁甲書,乃有六十餘卷,事不可卒精,故鈔集其要,以為囊中立成,然不中以筆傳。今論其較略,想好事者欲入山行,當訪索知之者,亦終不乏於世也。遁甲中經曰,欲求道,以天內日天內時,劾鬼魅,施符書;以天禽日天禽時入名山,欲令百邪虎狼毒蟲盜賊,不敢近人者。出天藏,入地戶。凡六癸為天藏,六己為地戶也。又曰,避亂世,絕跡於名山,令無憂患者,以上元丁卯日,名曰陰德之時,一名天心,可以隱淪,所謂白日陸沈,日月無光,人鬼不能見也。又曰,求仙道入名山者,以六癸之日六癸之時,一名天公日,必得度世也。又曰,往山林中,當以左手取青龍上草,折半置逢星下,歷明堂入太陰中,禹步而行,三祝曰,諾皋大陰,將軍獨聞,曾孫王甲,勿開外人;使人見甲者,以為束薪;不見甲者,以為非人。則折所持之草置地上,左手取土以傅鼻人中,右手持草自蔽,左手著前,禹步而行,到六癸下,閉氣而住,人鬼不能見也。凡六甲為青龍,六乙為逢星,六丙為明堂,六丁為陰中也。ⅴⅵ比成既濟卦,初一初二跡不任九跡數,然相因仍一步七尺。又云,一尺合二丈一尺,顧視九跡。
抱朴子曰く「天地の情狀・陰陽の吉凶、茫茫然として詳しくする亦難し、我亦必ずしも之を有りと說かず、又亦敢へて之を無しと保せず。然れども黄帝・太公皆信仗する所、近代達者嚴君平・司馬遷皆據用する所、而も經傳治歷明時剛柔の日有り。古話曰く、吉日惟れ戊と。是れ來由有り。王者太史の官を設立し、封拜置立・宗廟に事有り・郊祀天地する、皆良辰を擇ぶ。而も近才庸夫、自ら俗を脫すと許し、擧動所爲、善日を揀ぶを恥とす、亦戇愚ならずや。每に伺う今山に入る、彼の良時日相交を得ず、下に彼の驗有り、以て輕く入る可からず。《玉鈐經》說く、名山に入らんと想はば、以て遁甲の祕術を知らざる可からず、而も人に委曲彼の事を說かず。而も《靈寶經》說く、山に入るは當に保日及び義日に在るべし、若し是れ專日大吉、制日伐日に在れば必ず死す、又不一一に道說すと。我少時山に入るの志有り、由此纔かに遁甲書を學ぶに去り、乃ち六十餘卷有り、事倉促精す可からず、故に彼の要を鈔集し、當に囊中立成に作る、然れども筆を以て傳ふるに適わず。今彼の大較を論ず、好事の人をして山行に入らんと要す、當に之を知るの人を訪索すべし、亦終に世に乏しからず。《遁甲中經》說く、道を求めんと欲せば、天內日天內時に在りて、鬼魅を劾し、符書を施す。天禽日天禽時に在りて名山に入る、百邪虎狼毒蟲盜賊をして、敢へて人に近人に近づかざらしめんと欲す。天藏を出で、地戶に入る。凡そ六癸是れ天藏、六己是れ地戶。又說く、亂世を避く、名山に絕迹し、之をして憂患無からしめる、上元丁卯日に在り、名は陰德之時、一名天心、以て隱淪す可し、謂う所の白日陸沈、日月無光、人鬼能く見ざるなりと。又說く、仙道を求め名山に入る、六癸之日六癸之時に在り、一名天公日、必ず世を度るを得と。又說く、山林中に往く、當に左手を以て青龍上草を取り、半を折りて逢星下に放ち、明堂を經歷して太陰中に進入し、禹步して行き、三祝して說く、諾皋大陰、將軍獨聞、曾孫王甲、外人を開かざる勿れ。人をして甲を見しむる、以て束薪と爲す。甲を見ざる、以て非人と爲す。則ち持する所の草を折りて地上に放ち、左手土を取りて以て鼻人中に傅し、右手草を持して自蔽し、左手前に放ち、禹步して行き、六癸下に到り、氣を閉じて住す、人鬼能く見ざらん。凡そ六甲是れ青龍、六乙是れ逢星、六丙是れ明堂、六丁是れ陰中。底本「ⅴⅵ」記號有り、禹步比成既濟卦を以て理解す、初一初二の迹九迹の數を任ぜず、然れども相因して仍ほ一步七尺。又說く、一尺二丈一尺に合し、頭を回して九迹を看ると。
又禹步法:正立,右足在前,左足在後,次復前右足,以左足從右足並,是一步也。次復前右足,次前左足,以右足從左足並,是二步也。次復前右足,以左足從右足並,是三步也。如此,禹步之道畢矣。凡作天下百術,皆宜知禹步,不獨此事也。”
(抱朴子接續して曰く)又禹步法、正立し、右足前に在り、左足後に在り、其次再び右足を前し、左足を以て右足に從い竝び上る、此れ是れ一步。其次再び右足を前し、其次左足を前し、右足を以て左足に從い竝び上る、此れ是れ二步。其次再び右足を前し、左足を以て右足に從い竝び上る、此れ是れ三步。此のごとく、禹步の道畢了す。凡そ天下百術を作る、皆宜しく禹步を知るべし、不獨此の事。
抱朴子曰:“靈寶經曰,所謂寶日者,謂支幹上生下之日也,若用甲午乙巳之日是也。甲者,木也。午者,火也。乙亦木也,巳亦火也,火生於木故也。又謂義日者,支幹下生上之日也,若壬申癸酉之日是也。壬者,水也。申者,金也。癸者,水也。酉者,金也,水生於金故也。所謂制日者,支幹上克下之日也。若戊子己亥之日是也。戊者,土也。子者,水也。己亦土也,亥亦水也,五行之義,土克水也。所謂伐日者,支幹下克上之日,若甲申乙酉之日是也。甲者,木也。申者,金也。乙亦木也,酉亦金也,金克木故也。他皆仿此,引而長之,皆可知之也。”
抱朴子曰く「《靈寶經》說く、謂う所の寶日、是れ地支天干上生下の日を說く、像く甲午・乙巳の日を以てすれば則ち是れ。甲是れ木。午是れ火。乙亦是れ木、巳亦是れ火、火木に生ずるの緣故。又謂う所の義日、是れ地支天干下生上の日、像く壬申・癸酉の日則ち是れ。壬是れ水。申是れ金。癸是れ水。酉是れ金、水金に生ずるの緣故。謂う所の制日、是れ地支天干上克下の日。像く戊子・己亥の日則ち是れ。戊是れ土。子是れ水。己亦是れ土。亥亦是れ水、五行の義、土水を克す。謂う所の伐日、是れ地支天干下克上の日、像く甲申・乙酉の日則ち是れ。甲是れ木。申是れ金。乙亦是れ木。酉亦是れ金、金木を克するの緣故。其餘皆此に仿し、引きて之を長ずれば、皆以て知る可し。
抱朴子曰:“入名山,以甲子開除日,以五色繒各五寸,懸大石上,所求必得。又曰,入山宜知六甲秘祝。祝曰,臨兵鬥者,皆陣列前行。凡九字,常當密祝之,無所不闢。要道不煩,此之謂也。”
抱朴子曰く「名山に入る、甲子開除日に在りて、五色繒各五寸を以て、大石に懸け、求むる所必ず得。又說く、山に入るは宜しく六甲祕祝を知るべし。祝して說く、臨兵鬬者、皆陣列前行と。凡そ九個字、常に當に密かに祝すべし、辟かざる所無し。要道不煩、說く是れ此のごとしと。
抱朴子曰:“山中山精之形,如小兒而獨足,走向後,喜來犯人。人入山,若夜聞人音聲大語,其名曰蚑,知而呼之,即不敢犯人也。一名熱內,亦可兼呼之。又有山精,如鼓赤色,亦一足,其名曰暉。又或如人,長九尺,衣裘戴笠,名曰金累。或如龍而五色赤角,名曰飛飛,見之皆以名呼之,即不敢為害也。”
抱朴子曰く「山中山精の形、小兒に像りて而も獨足、走りて後に向かう、好みて來りて人を犯す。人山に入りて、若し夜裏人の音聲大語を聞けば、其の名は蚑、之を知りて之を呼叫せば、則ち敢へて人を犯さず。一名熱內、亦以て兼ねて呼ぶ可し。又山精有り、鼓に像りて赤色、亦是れ一足、名は暉。又或は人に像り、長さ九尺、裘を衣て笠を戴き、名は金累。或は龍に像りて五色赤角、名は飛飛、皆名を以て之を呼ぶを見れば、則ち敢へて害を爲さず。
抱朴子曰:“山中有大樹,有能語者,非樹能語也,其精名曰云陽,呼之則吉。山中夜見火光者,皆久枯木所作,勿怪也。山中夜見胡人者,銅鐵之精。見秦者,百歲木之精。勿怪之,並不能為害。山水之閒見吏人者,名曰四徼,呼之名即吉。山中見大蛇著冠幘者,名曰升卿,呼之即吉。山中見吏,若但聞聲不見形,呼人不止,以白石擲之則息矣;一法以葦為矛以刺之即吉。山中見鬼來喚人,求食不止者,以白茅投之即死也。山中鬼常迷惑使失道徑者,以葦杖投之既死也。山中寅日,有自稱虞吏者,虎也。稱當路君者,狼也。稱令長者,老狸也。卯日稱丈人者,兔也。稱東王父者,麋也。稱西王母者,鹿也。辰日稱雨師者,龍也。稱河伯者,魚也。稱無腸公子者,蟹也。巳日稱寡人者,社中蛇也。稱時君者,龜也。午日稱三公者,馬也。稱仙人者,老樹也。未日稱主人者,羊也。稱吏者,獐也。申日稱人君者,猴也。稱九卿者,猿也。酉日稱將軍者,老雞也。稱捕賊者,雉也。戌日稱人姓字者,犬也。稱成陽公者,狐也。亥日稱神君者,豬也。稱婦人者,金玉也。子日稱社君者,鼠也。稱神人者,伏翼也。丑日稱書生者,牛也。但知其物名,則不能為害也。”
抱朴子曰く「山中大樹有り、能く話す有る、不是樹能く話す、其の精名は雲陽、之を呼べば則ち吉。山中夜裏火光を見る、皆是れ久枯木の作る所、怪む勿れ。山中夜裏胡人を見る、是れ銅鐵の精。秦人を見る、是れ百歲木の精。彼らを怪む勿れ、竝びに能く害を爲さず。山水の閒吏人を見る、名は四徼、其の名を呼べば則ち吉。山中大蛇冠幘を戴くを見る、名は升卿、之を呼べば則ち吉。山中吏を見、若し只だ聲を聞きて形を見ず、人を呼びて止まざるは、白石を以て之に擲てば則ち停まる。一法葦を以て矛を作りて以て之を刺せば則ち吉。山中鬼來りて人を喚び、食を求めて止まざるを見る、白茅を以て之に投げれば則ち死す。山中鬼常に人を迷惑して道徑を失はしむる、葦杖を以て之に投げれば則ち死す。山中寅日、自ら虞吏と稱する有るは、是れ虎。當路君と稱するは、是れ狼。令長と稱するは、是れ老狸。卯日丈人と稱するは、是れ兔。東王父と稱するは、是れ麋。西王母と稱するは、是れ鹿。辰日雨師と稱するは、是れ龍。河伯と稱するは、是れ魚。無腸公子と稱するは、是れ蟹。巳日寡人と稱するは、是れ社中蛇。時君と稱するは、是れ龜。午日三公と稱するは、是れ馬。仙人と稱するは、是れ老樹。未日主人と稱するは、是れ羊。吏と稱するは、是れ獐。申日人君と稱するは、是れ猴。九卿と稱するは、是れ猿。酉日將軍と稱するは、是れ老雞。捕賊と稱するは、是れ雉。戌日人姓字と稱するは、是れ犬。成陽公と稱するは、是れ狐。亥日神君と稱するは、是れ豬。婦人と稱するは、是れ金玉。子日社君と稱するは、是れ鼠。神人と稱するは、是れ伏翼。丑日書生と稱するは、是れ牛。只だ彼の物名を知れば、則ち能く害を爲さず。
或問隱居山澤闢蛇蝮之道。抱朴子曰:“昔圓丘多大蛇,又生好藥,黃帝將登焉,廣成子教之佩雄黃,而眾蛇皆去。今帶武都雄黃,色如雞冠者五兩以上,以入山林草木,則不畏蛇。蛇若中人,以少許雄黃末內瘡中,亦登時愈也。蛇種雖多,唯有蝮蛇及青金蛇中人為至急,不治之,一日則煞人。人不曉治之方術者,而為此二蛇所中,即以刀割所傷瘡肉以投地,其肉沸如火炙,須臾焦盡,而人得活。此蛇七八月毒盛之時,不得咬人,而其毒不洩,乃以牙咬大竹及小木,皆即燋枯。今為道士人入山,徒知大方,而不曉闢之之道,亦非小事也。未入山,當預止於家,先學作禁法,思日月及朱雀玄武青龍白虎,以衛其身,乃行到山林草木中,左取三口炁閉之,以吹山草中,意思令此炁赤色如雲霧,彌滿數十里中。若有從人,無多少皆令羅列,以炁吹之,雖踐蛇,蛇不敢動,亦略不逢見蛇也。若或見蛇,因向日左取三炁閉之,以舌柱天,以手捻都關,又閉天門,塞地戶,因以物抑蛇頭而手縈之,畫地作獄以盛之,亦可捉弄也。雖繞頭頸,不敢咬人也。自不解禁,吐炁以吹之,亦終不得復出獄去也。若他人為蛇所中,左取三口炁以吹之,即愈不復痛。若相去十數里者,亦可遙為作炁,呼彼姓字,男祝我左手,女祝我右手,彼亦愈也。介先生法,到山中住,思作五色蛇各一頭,乃閉炁以青竹及小木板屈刺之,左徊禹步,思作吳蚣數千板,以衣其身,乃去,終亦不逢蛇也。或以乾姜附子帶之肘後,或燒牛羊鹿角燻身,或帶王方平雄黃丸,或以豬耳中垢及麝香丸著足爪甲中,皆有效也。又麝及野豬皆啖蛇,故以厭之也。又云日鳥及蠳龜,亦皆啖蛇。故南人入山,皆帶蠳龜之尾,雲日之喙以闢蛇。蛇中人,刮此二物以塗其瘡,亦登時愈也。雲日,鴆鳥之別名也。
有人山澤に隱居して蛇蝮を辟くの道を問う。抱朴子曰く「昔圓丘大蛇多く、又好藥を生じ、黄帝將に登らんとし、廣成子彼に雄黃を佩べよと教へ、而も衆蛇皆離去す。今武都雄黃を帶び、色雞冠に像るの五兩以上、山林草木に進入せば、則ち蛇を怕れず。蛇若し人に中れば、雄黃末少許を拿げて瘡中に納れ、亦立刻愈ゆ。蛇種雖も多し、只有蝮蛇及び青金蛇人に中るを至急と爲す、治せざれば、一日則ち人を殺す。人治するの方術を曉らずして、而も此の兩蛇に中られれば、則ち刀を以て傷する所の瘡肉を割りて地に投げ、彼の肉沸すること火炙のごとく、片刻焦盡し、而も人生を得。此の蛇七八月毒盛の時、人を咬むを得ずして、而も毒泄れず、則ち牙を以て大竹及び小木を咬み、皆立刻燋枯す。今道士を做る人山に入る、徒らに大方を知る、而も之を辟くの道を曉らず、亦不是小事。未だ山に入らず、當に豫め家に停まり、先ず禁法を學作し、日月及び朱雀・玄武・青龍・白虎を思い、以て己の身を衛し、纔かに山林草木中に走到し、左邊三口炁を取りて閉住し、以て山草中に吹き、意此の炁をして赤色雲霧のごとくせしめ、數十里中に彌滿す。若し從人有れば、多少を論ぜず皆之を羅列せしめ、炁を以て彼らを吹けば、雖も蛇を踩着すとも、蛇敢へて動かず、亦幾んど蛇に逢見せず。若し或は蛇を見れば、因此日に向かい左邊三炁を取りて閉住し、舌を以て天を柱し、手を以て都關を捻り、又天門を閉じ、地戶を塞ぎ、因此物を以て蛇頭を抑住して而も手之を縈り、地を畫いて獄を作りて以て之を盛る、亦以て捉弄す可し。雖も頭頸を繞るも、敢へて人を咬まず。自ら禁を解かざれば、炁を吐きて以て之を吹くも、亦終に再び獄を出でて離去するを得ず。若し他人蛇の中る所にあれば、左邊三口炁を取りて以て吹けば、則ち愈えて再び痛まず。若し相去ること十數里の、亦以て遠く炁を作り、彼の人の姓字を呼び、男は我左手を祝し、女は我右手を祝す、彼の人亦愈ゆ。介先生の法、山中に到りて住し、五色蛇各一頭を思作し、纔かに炁を閉じて青竹及び小木板を以て屈刺し、左徊禹步し、吳蚣數千板を思作し、以て己の身に衣せしめ、纔かに離去す、終に亦蛇に逢わず。或は干姜・附子を以て肘後に帶び、或は牛羊鹿角を燒きて身を熏し、或は王方平雄黃丸を帶び、或は豬耳中垢及び麝香丸を把て足爪甲中に放つ、皆效有り。又麝及び野豬皆蛇を喫う、故に以て之を厭す。又云日鳥及び蠳龜、亦皆蛇を喫う。故に南人山に入る、皆蠳龜の尾・云日の喙を帶びて以て蛇を辟く。蛇人に中れば、此の兩物を刮りて以て彼の瘡に塗れば、亦立刻愈ゆ。云日は、是れ鴆鳥の別名。
又南人入山,皆以竹管盛活蜈蚣,蜈蚣知有蛇之地,便動作於管中,如此則詳視草中,必見蛇也。大蛇丈餘,身出一圍者,蜈蚣見之,而能以炁禁之,蛇即死矣。蛇見蜈蚣在涯岸間,大蛇走入川穀深水底逃,其蜈蚣但浮水上禁,人見有物正青,大如綖者,直下入水至蛇處,須臾蛇浮出而死。故南人因此末蜈蚣治蛇瘡,皆登愈也。”
(抱朴子接續して曰く)又南人山に入る、皆竹管を以て活蜈蚣を盛る、蜈蚣蛇有るの地方を知れば、便ち管中に動作し、此のごとく則ち草中を詳視せば、必ず蛇を見。大蛇一丈餘、身一圍を出づるは、蜈蚣之を見て、而も能く炁を以て之を禁ずれば、蛇則ち死す。蛇蜈蚣涯岸閒に在るを見れば、大蛇溪谷深水底に逃進し、彼の蜈蚣只だ水上に浮かびて禁ず、人物有る正青・大きさ絲𫄧のごときを見て、直ちに水に下入りて蛇の處に到り、片刻蛇浮出して死す。故に南人因此蜈蚣を研末して蛇瘡を治す、皆立刻愈ゆ。」
或問曰:“江南山谷之閒,多諸毒惡,闢之有道乎?”抱朴子答曰:“中州高原,土氣清和,上國名山,了無此輩。今吳楚之野,暑溼鬱蒸,雖衡霍正嶽,猶多毒蠚也。又有短狐,一名蜮,一名射工,一名射影,其實水蟲也,狀如鳴蜩,狀似三合杯,有翼能飛,無目而利耳,口中有橫物角弩,如聞人聲,緣口中物如角弩,以氣為矢,則因水而射人,中人身者即發瘡,中影者亦病,而不即發瘡,不曉治之者煞人。其病似大傷寒,不十日皆死。又有沙蝨,水陸皆有,其新雨後及晨暮前,跋涉必著人,唯烈日草燥時,差稀耳。其大如毛髮之端,初著人,便入其皮裡,其所在如芒刺之狀,小犯大痛,可以針挑取之,正赤如丹,著爪上行動也。若不挑之,蟲鑽至骨,便周行走入身,其與射工相似,皆煞人。人行有此蟲之地,每還所住,輒當以火炙燎令遍身,則此蟲墮地也。若帶八物麝香丸、及度世丸、及護命丸、及玉壺丸、犀角丸、及七星丸、及薺苨,皆闢沙蝨短狐也。若卒不能得此諸藥者,但可帶好生麝香亦佳。以雄黃大蒜等分合搗,帶一丸如雞子大者亦善。若已為所中者,可以此藥塗瘡亦愈。父咀赤莧汁,飲之塗之亦愈。五茄根及懸鉤草葍藤,此三物皆可各單行,可以搗服其汁一二升。又射工蟲冬天蟄於山谷間,大雪時索之,此蟲所在,其雪不積留,氣起如灼蒸,當掘之,不過入地一尺則得也,陰乾末帶之,夏天自闢射工也。若道士知一禁方,及洞百禁,常存禁及守真一者,則百毒不敢近之,不假用諸藥也。”
有人問道て曰く「江南山谷の閒、諸種の毒惡多し、彼らを辟くに道有るか」と。抱朴子回答えて曰く「中州高原、土氣淸和、上國名山、全く此の類無し。今吳楚之野、暑濕鬱蒸し、雖も衡霍正岳、還た毒螫多し。又短狐有り、一名蜮、一名射工、一名射影、其の實是れ水蟲、狀鳴蜩に像り、狀三合杯に像り、翼有りて能く飛び、目無くして耳利し、口中橫物角弩有り、若し人聲を聞かば、口中物に順ひて角弩に像り、氣を以て矢に當て、則ち水に因りて人を射、人身に中る立刻瘡を發し、影に中る亦病し、而も立刻瘡を發せず、治するを曉らざる則ち人を殺す。彼の病大傷寒に像り、十日に及ばず皆死す。又沙虱有り、水陸皆有り、新雨後及び晨暮前、跋涉すれば必ず人に附着す、只有烈日草燥の時、稍々稀なるのみ。其の大きさ毛髮之端のごとく、初め人に附着すれば、便ち皮裏に進入し、在る所芒刺の狀のごとく、小さく犯して大いに痛み、以て鍼を以て挑取す可し、正赤丹に像り、爪上に放てば行動す。若し挑がざれば、蟲骨に到るまで鑽り、便ち周回行走入身し、射工與相似、皆人を殺す。人此の蟲有るの地方に走到する、每回住する所に到れば、則ち當に火を以て炙燎して遍身せしむべし、則ち此の蟲地に墮つ。若し八物麝香丸・及び度世丸・及び護命丸・及び玉壺丸・犀角丸・及び七星丸・及び薺苨を帶ぶれば、皆沙虱短狐を辟く。若し倉促此らの藥を得る能わざれば、只可く好生麝香を帶ぶ亦善し。雄黃・大蒜等分を以て合擣し、雞子大の一丸を帶ぶ亦善し。若し已に中られしは、以て此の藥を瘡に塗る亦愈ゆ。父咀赤莧汁、之を飲み之に塗る亦愈ゆ。五茄根及び懸鈎草・葍藤、此の三物皆以て各々單行す可し、以て其の汁一二升を擣服す可し。又射工蟲冬天山谷閒に蟄し、大雪の時之を索めれば、此の蟲の在る所、彼の雪積留せず、氣起ること灼蒸のごとし、當に掘るべし、地に入る一尺を過さずして得、陰干して末を研して之を帶べば、夏天自ら射工を辟く。若し道士一禁方を知り、以及百禁を洞曉し、常に禁を存し及び眞一を守れば、則ち百毒敢へて近づかず、必ず諸藥を借らず。
或問:“道士山居,棲巖庇岫,不必有絪縟之溫,直使我不畏風溼,敢問其術也?”抱朴子曰:“金餅散、三陽液、昌辛丸、葷草耐冬煎、獨搖膏、茵芋玄華散、秋地黃血丸,皆不過五十日服之而止,可以十年不畏風溼。若服金丹大藥,雖未升虛輕舉,然體不受疾,雖當風臥溼。不能傷也。服此七藥,皆謂始學道者耳。姚先生但服三陽液,便袒臥冰上,了不寒振。此皆介先生及梁有道臥石上,及秋冬當風寒,已試有驗,秘法也。”
有人問うて曰く「道士山居、岩に栖み岫に庇ぐ、必ず褥の溫有らず、只だ我をして風濕を畏れざらしめん、彼の術を請問す」と。抱朴子曰く「金餅散・三陽液・昌辛丸・葷草耐冬煎・獨搖膏・茵芋玄華散・秋地黃血丸、皆不過五十日服して止まる、以て十年風濕を畏れざる可し。若し金丹大藥を服すれば、雖も尚ほ未だ虛に升り輕擧せずとも、然れども體疾を受けず、雖も風に當り濕に臥るも、能く傷らず。此の七藥を服する、皆是れ始めて道を學ぶを說くのみ。姚先生只だ三陽液を服し、便ち冰上に袒臥す、全く寒振せず。此ら皆是れ介先生及び梁有道石上に臥り、以及秋冬風寒に當る、已に試して驗有り、是れ祕法と。
或問涉江渡海闢蛇龍之道。抱朴子曰:“道士不得已而當遊涉大川者,皆先當於水次,破雞子一枚,以少許粉雜香末,合攪器水中,以自洗濯,則不畏風波蛟龍也。又佩東海小童符、及制水符、蓬萊札,皆卻水中之百害也。又有六甲三金符、五木禁。又法,臨川先祝曰:卷蓬卷蓬,河伯導前闢蛟龍,萬災消滅天清明。又金簡記云,以五月丙午日日中,搗五石,下其銅。五石者,雄黃、丹砂、雌黃、礬石、曾青也。皆粉之,以金華池浴之,內六一神爐中鼓下之,以桂木燒為之,銅成以剛炭煉之,令童男童女進火,取牡銅以為雄劍,取牝銅以為雌劍,各長五寸五分,取土之數,以厭水精也。帶之以水行,則蛟龍巨魚水神不敢近人也。欲知銅之牝牡,當令童男童女俱以水灌銅,灌銅當以在火中向赤時也,則銅自分為兩段,有凸起者牡銅也,有凹陷者牝銅也,各刻名識之。欲入水,以雄者帶左,以雌者帶右。但乘船不身涉水者,其陽日帶雄,陰日帶雌。又天文大字,有北帝書,寫帛而帶之,亦闢風波蛟龍水蟲也。”或問曰:闢山川廟堂百鬼之法。抱朴子曰:“道士常帶天水符、及上皇竹使符、老子左契、及守真一思三部將軍者,鬼不敢近人也。其次則論百鬼錄,知天下鬼之名字,及白澤圖九鼎記,則眾鬼自卻。其次服鶉子赤石丸、及曾青夜光散、及蔥實烏眼丸、及吞白石英祇母散,皆令人見鬼,即鬼畏之矣。”抱朴子曰:“有老君黃庭中胎四十九真秘符,入山林,以甲寅日丹書白素,夜置案中,向北鬥祭之,以酒脯各少少,自說姓名,再拜受取,內衣領中,闢山川百鬼萬精虎狼蟲毒也。何必道士,亂世避難入山林,亦宜知此法也。”
有人江に涉り海を渡り蛇龍を辟くの道を問う。抱朴子曰く「道士已むを得ずして當に大川を游涉すべき、皆當に先ず水邊に在りて、雞子一枚を破り、粉少許を拿げて香末を雜え、器水中に合攪し、以て自ら洗濯すれば、則ち風波蛟龍を怕れず。又東海小童符・及び制水符・蓬萊札を佩ず、皆水中の百害を退却す。又有六甲三金符・五木禁。又一法有り、川に臨みて先ず祝して說く、卷蓬卷蓬、河伯前を導き蛟龍を辟く、萬災消滅し天淸明なりと。又《金簡記》說く、五月丙午日日中に在りて、五石を擣き、其の銅を下す。五石は、是れ雄黃・丹砂・雌黃・礬石・曾青。皆粉に研し、金華池を以て之を浴し、六一神爐中に納入して鼓下し、桂木を以て燒きて做り、銅成れば剛炭を以て之を煉し、童男童女をして火を進めしめ、牡銅を取りて做りて雄劍と爲し、牝銅を取りて做りて雌劍と爲す、各長さ五寸五分、土の數を取り、以て水精を厭す。之を帶びて水中に行けば、則ち蛟龍巨魚水神敢へて人に近づかず。銅の牝牡を知らんと欲せば、當に童男童女をして皆水を以て銅を灌がしむべし、銅を灌ぐは當に火中に在りて赤に向かうの時、則ち銅自ら兩段に分成し、凸起有るは是れ牡銅、凹陷有るは是れ牝銅、各名を刻して識記す。水に入らんと欲せば、雄を拿げて左に帶び、雌を拿げて右に帶ぶ。只だ船に乘りて身水に涉らざるは、陽日雄を帶び、陰日雌を帶ぶ。又天文大字、北帝書有り、帛上に寫して帶ぶ、亦風波蛟龍水蟲を辟くと」。有人問道て曰く、山川廟堂百鬼を辟くの法。抱朴子曰く「道士常に天水符・及び上皇竹使符・老子左契を帶び、以及眞一を守り・三部將軍を思う、鬼敢へて人に近づかず。其次則ち百鬼錄を論じ、天下鬼の名字を知り、以及《白澤圖》《九鼎記》、則ち衆鬼自ら退却す。其次鶉子赤石丸・及び曾青夜光散・及び葱實烏眼丸・及び白石英祇母散を吞む、皆人をして鬼を見しめ、鬼則ち彼を怕ると。抱朴子曰く「老君黃庭中胎四十九眞祕符有り、山林に入る、甲寅日に在りて丹を以て白素上に寫し、夜案中に放ち、北斗に向かい祭り、酒脯各少少を以てし、自ら姓名を說い、再拜して受取し、衣領中に納れ、山川百鬼萬精虎狼蟲毒を辟く。何必道士、亂世難を避けて山林に入る、亦宜しく此の法を知るべしと。
△入山符
入山符。
抱朴子曰:“上五符,皆老君入山符也。以丹書桃板上,大書其文字,令彌滿板上,以著門戶上,及四方四隅,及所道側要處,去所住處,五十步內,闢山精鬼魅。戶內梁柱,皆可施安。凡人居山林及暫入山,皆可用,即眾物不敢害也。三符以相連著一板上。意謂爾非葛氏。”
抱朴子曰く「上面五種の符、皆是れ老君入山符。丹を以て桃板上に寫し、彼らの文字を大寫し、之をして板上に彌滿せしめ、門戸上に放ち、以及四方四隅、以及過する所の道側要處、住する所を離れ、五十步內、山精鬼魅を辟く。戸內梁柱、皆以て施安す可し。凡そ人山林に住し及び暫く山に入る、皆以て用う可し、衆物則ち敢へて害せず。三符相連著して一塊板上に在り。底本「意謂爾非葛氏」一句有り、像く後人夾注、今仍ほ譯出す、意思是れ説く你不是葛氏と。
抱朴子曰:“此符亦是老君入山符,戶內梁柱皆可施。凡人居山林及暫入山,皆宜用之也。”
抱朴子曰く「此の符亦是れ老君入山符、戸內梁柱皆以て施す可し。凡そ人山林に住し及び暫く山に入る、皆宜しく之を用うべしと。
抱朴子曰:“此是仙人陳安世所授入山闢虎狼符,以丹書絹二符,各異之。常帶著所住之處,各四枚。移涉當拔收之以去,大神秘也。開山符以千歲虆名山之門,開寶書古文金玉,皆見秘之。右一法如此,大同小異。”
抱朴子曰く「此の符亦是れ仙人陳安世の授する所の入山虎狼を辟くの符、丹を以て絹上に二符を寫し、各々相同じからず。常に之を帶びて住する所の處に放ち、各々四枚。移涉する當に拔收して帶て去るべし、大に神祕。開山符千歲蔂を以て名山の門を開啟し、寶書古文金玉を開く、皆見て之を祕す。右邊一法此のごとく、大同小異と。
抱朴子曰:“此符是老君所戴,百鬼及蛇蝮虎狼神印也。以棗心木方二寸刻之,再拜而帶之,甚有神效。仙人陳安世符矣。”
抱朴子曰く「此の符是れ老君の戴く所、是れ百鬼及び蛇蝮虎狼の神印。棗心木方二寸を以て之を刻し、再拜して帶ぶ、甚だ神效有り。是れ仙人陳安世の符と。
△入山佩帶符
山に入りて佩帶する符。
此三符,兼同著牛馬屋左右前後及豬欄上,闢虎狼也。或問曰:“昔聞談昌,或步行水上,或久居水中,以何法乎?”抱朴子曰:“以蔥涕和桂,服如梧桐子大七丸,日三服,至三年,則能行水上也。鄭君言但習閉氣至千息,久久則能居水中一日許。得真通天犀角三寸以上,刻以為魚,而銜之以入水,水常為人開,方三尺,可得炁息水中。又通天犀角有一赤理如綖,有自本徹末,以角盛米置群雞中,雞欲啄之,未至數寸,即驚卻退。故南人或名通天犀為駭雞犀。以此犀角著谷積上,百鳥不敢集。大霧重露之夜,以置中庭,終不沾濡也。此犀獸在深山中,晦冥之夕,其光正赫然如炬火也。以其角為叉導,毒藥為湯,以此叉導攪之,皆生白沫湧起,則了無復毒勢也。以攪無毒物,則無沫起也。故以是知之者也。若行異域有蠱毒之鄉,每於他家飲食,則常先以犀攪之也。人有為毒箭所中欲死,以此犀叉刺瘡中,其瘡即沫出而愈也。通天犀所以能煞毒者,其為獸專食百草之有毒者,及眾木有刺棘者,不妄食柔滑之草木也。歲一解角於山中石閒,人或得之,則須刻木色理形狀,令如其角以代之,犀不能覺,後年輒更解角著其處也。他犀亦辟惡解毒耳,然不能如通天者之妙也。或食六戊符千日,或以赤班蜘蛛及七重水馬,以合馮夷水仙丸服之,則亦可以居水中,只以塗蹠下,則可以步行水上也。頭垢猶足以使金鐵浮水,況妙於茲乎?”
此の三符、兼ねて同樣牛馬屋左右前後及び豬欄上に着し、虎狼を辟く。有人問道て曰く「昔談昌を聞く、或は水上を步行し、或は久しく水中に居る、何の法を以てするか」と。抱朴子曰く「葱涕和桂を以て、梧桐子大の七丸を服し、一日三服、三年に到れば、則ち能く水上に走る。鄭君曰く、只だ氣を閉ぢるを練習して千息に到れば、久久則ち能く水中に一日左右住すと。眞通天犀角三寸以上を得、魚に刻成し、銜へて水に入れば、水常に人の爲に開き、方三尺、以て水中に在りて炁息を得る可し。又通天犀角一條の赤理𫄧のごとき有り、本より末に徹する有り、角を以て米を盛りて群雞中に放てば、雞之を啄まんと欲し、數寸に至らず、則ち驚卻退す。故に南人或は通天犀を駭雞犀と稱す。此の犀角を谷積上に放てば、百鳥敢へて集まらず。大霧重露の夜、中庭に放てば、終に沾濡せず。此の犀獸深山中に在りて、晦冥の夕、其の光正に赫然として炬火のごとし。其の角を以て叉導を做り、毒藥湯を做成し、此の叉導を以て攪けば、皆白沫を生じて涌起し、則ち全く再び毒勢無し。拿來して毒無きの物を攪けば、則ち沫起る無し。故に因此知る。若し異域蠱毒有るの鄉に走到すれば、每に他家に在りて飲食すれば、則ち常に先ず犀を以て攪く。人毒箭の中る所にあ死せんと想う有れば、此の犀叉を以て瘡中に刺せば、彼の瘡則ち沫出して愈ゆ。通天犀能く毒を殺す所以、是れ因りて它獸と爲りて專ら百草の毒有るを喫う、以及衆木の刺棘有る、妄りに柔滑の草木を喫わざる。每歲山中石間に在りて一度角を解し、人或は之を得れば、則ち須らく木の色理形狀を刻して、之をして彼の角に像らしめて以て代替し、犀能く覺えず、後年則ち再び角を解して彼の處に放つ。其他犀亦惡を辟き毒を解するのみ、然れども能く通天のごとき妙に如かず。或は六戊符を食すること千日、或は赤斑蜘蛛及び七重水馬を以て、來りて馮夷水仙丸を合して服せば、則ち亦以て水中に住す可し、只だ以て跖下に塗れば、則ち以て水上に步行す可し。頭垢還た足以金鐵をして水に浮かばしむ、何況此に比ぶる更に妙なるをや」と。
或問:“為道者多在山林,山林多虎狼之害也,何以闢之?”抱朴子曰:“古之人入山者,皆佩黃神越章之印,其廣四寸,其字一百二十,以封泥著所住之四方各百步,則虎狼不敢近其內也。行見新虎跡,以印順印之,虎即去;以印逆印之,虎即還;帶此印以行山林,亦不畏虎狼也。不但只闢虎狼,若有山川社廟血食惡神能作福禍者,以印封泥,斷其道路,則不復能神矣。昔石頭水有大黿,常在一深潭中,人因名此潭為黿潭。此物能作鬼魅,行病於人。吳有道士戴炳者,偶視之,以越章封泥作數百封,乘舟以此封泥遍擲潭中,良久,有大黿徑長丈餘,浮出不敢動,乃格煞之,而病者並愈也。又有小黿出,羅列死於渚上甚多。山中卒逢虎,便作三五禁,虎亦即卻去。三五禁法,當須口傳,筆不能委曲矣。一法,直思吾身為朱鳥,令長三丈,而立來虎頭上,因即閉氣,虎即去。若暮宿山中者,密取頭上釵,閉炁以刺白虎上,則亦無所畏。又法,以左手持刀閉炁,畫地作方,祝曰,恆山之陰,太山之陽,盜賊不起,虎狼不行,城郭不完,閉以金關,因以刀橫旬日中白虎上,亦無所畏也。或用大禁,吞三百六十氣,左取右以叱虎,虎亦不敢起。以此法入山,亦不畏虎。或用七星虎步,及玉神符、八威五勝符、李耳太平符、中黃華蓋印文、及石流黃散,燒牛羊角,或立西嶽公禁山符,皆有驗也。闕此四符也。”
有人問うて曰く「道を爲る人多く山林に在り、山林虎狼の害多し、何を以て辟かんや」と。抱朴子曰く「古人山に入る、皆黃神越章の印を佩ず、寛さ四寸、字一百二十、封泥を以て住する所の四方各百步に放てば、則ち虎狼敢へて彼の范圍内に近づかず。走りて新虎迹を見れば、印を以て印に順へば、虎則ち離去す。印を以て印に逆らへば、虎則ち回來す。此の印を帶びて山林を走れば、亦虎狼を怕れず。不但只だ虎狼を辟く、若し山川社廟血食惡神能く福禍を作る有れば、印封泥を以て、其の道路を斷てば、則ち能く再び神ならず。昔石頭水大鼋有り、常に一深潭中に在り、人因此此の潭を鼋潭と稱す。此の物能く鬼魅を作り、人の爲に病を行す。吳に道士戴炳有り、偶然見て、越章封泥を以て數百封を作り、舟に乘りて此の封泥を把て遍く潭中に擲ち、甚だ久し、大鼋徑長丈餘有り、浮出して敢へて動かず、纔かに之を格殺し、而も病の人皆愈えり。又小鼋出づる有り、羅列して渚上に死すること甚だ多し。山中倉促虎に逢えば、便ち三五禁を作れば、虎亦則ち卻去す。三五禁法、當に須らく口傳、筆能く委曲ならず。一法、直ちに我が身を朱鳥と思い、長さ三丈をして、而も立來りて虎頭上に在り、因此則ち氣を閉ぢれば、虎則ち離去す。若し夜裏山中に宿れば、密かに頭上の釵を取り、炁を閉ぢて以て白虎上に刺せば、則ち亦畏るる所無し。又一法有り、左手を以て刀を持し炁を閉ぢ、地を畫いて方を作り、祝して說く、恒山之陰、太山之陽、盜賊起らず、虎狼行らず、城郭完せず、金關を以て閉す、因此刀を以て旬日中白虎上に横へば、亦畏るる所無し。或は大禁を以て、三百六十氣を吞み、左取右來して虎を叱れば、虎亦敢へて起らず。此の法を以て山に入れば、亦虎を怕れず。或は七星虎步を以てし、及び玉神符・八威五勝符・李耳太平符・中黃華蓋印文、及び石流黃散、牛羊角を燒き、或は西岳公禁山符を立つ、皆驗有り。此の四符を闕くと。
此符是老君入山符,下說如文。又可戶內梁柱皆施之。凡人居山林及暫入,皆可用之。
此の符是れ老君入山符、下說の文のごとし。又可く戸內梁柱皆之を施す。凡そ人山林に住し及び暫く入る、皆以て用う可し。
卷十八·地真
卷十八・地眞
抱朴子曰:“餘聞之師云,人能知一,萬事畢。知一者,無一之不知也。不知一者,無一之能知也。道起於一,其貴無偶,各居一處,以象天地人,故曰三一也。天得一以清,地得一以寧,人得一以生,神得一以靈。金沈羽浮,山峙川流,視之不見,聽之不聞,存之則在,忽之則亡,向之則吉,背之則兇,保之則遐祚罔極,失之則命雕氣窮。老君曰:忽兮恍兮,其中有象;恍兮忽兮,其中有物。一之謂也。故仙經曰:子欲長生,守一當明;思一至飢,一與之糧;思一至渴,一與之漿。一有姓字服色,男長九分,女長六分,或在臍下二寸四分下丹田中,或在心下絳宮金闕中丹田也,或在人兩眉閒,卻行一寸為明堂,二寸為洞房,三寸為上丹田也。此乃是道家所重,世世歃血口傳其姓名耳。一能成陰生陽,推步寒暑。春得一以發,夏得一以長,秋得一以收,冬得一以藏。其大不可以六合階,其小不可以毫芒比也。昔黃帝東到青丘,過風山,見紫府先生,受三皇內文,以劾召萬神,南到圓隴陰建木,觀百靈之所登,採若乾之華,飲丹巒之水;西見中黃子,受九加之方,過崆峒,從廣成子受自然之經;北到洪堤,上具茨,見大隗君黃蓋童子,受神芝圖,還陟王屋,得神丹金訣記。到峨眉山,見天真皇人於玉堂,請問真一之道。皇人曰:子既君四海,欲復求長生,不亦貪乎?其相覆不可具說,粗舉一隅耳。夫長生仙方,則唯有金丹;守形卻惡,則獨有真一,故古人尤重也。仙經曰:九轉丹,金液經,守一訣,皆在崑崙五城之內,藏以玉函,刻以金札,封以紫泥,印以中章焉。吾聞之於先師曰:一在北極大淵之中,前有明堂,後有絳宮;巍巍華蓋,金樓穹隆;左罡右魁,激波揚空;玄芝被崖,朱草蒙瓏;白玉嵯峨,日月垂光;歷火過水,經玄涉黃;城闕交錯,帷帳琳琅;龍虎列衛,神人在傍;不施不與,一安其所;
抱朴子曰く「我師の處より聞く、人能く一を知れば、萬事則ち畢了す。一を知る人、一樁の能く知らざる無し。一を知らざる人、一樁の能く知る無し。道一に起り、其の貴匹偶無し、各々一處に居し、以て天地人に像る、故に三一と呼ぶ。天一を得て淸し、地一を得て寧し、人一を得て生ず、神一を得て靈す。金沈み羽浮かび、山峙ち川流る、之を視れども見えず、之を聽けども聞こえず、之を存すれば則ち在り、之を忽略すれば則ち亡び、之に向かへば則ち吉、之に背けば則ち凶、之を保てば則ち遠福極限無し、之を失へば則ち命雕れ氣窮す。老君曰く、忽兮恍兮、其の中象有り。恍兮忽兮、其の中物有り。說く是れ一。故に仙經說く、你長生せんと想はば、一を守る當に明白なるべし。一を思うこと饑に到れば、一之に糧を給す。一を思うこと渴に到れば、一之に漿を給す。一姓字服色有り、男長さ九分、女長さ六分、或は臍下二寸四分下丹田中に在り、或は心下絳宮金闕中丹田に在り、或は人兩眉の間に在り、卻行一寸是れ明堂、二寸是れ洞房、三寸是れ上丹田。此れ乃ち是れ道家の重んずる所、世世歃血して口傳其の姓名するのみ。一能く陰を成し陽を生じ、寒暑を推步す。春一を得て發し、夏一を得て長ず、秋一を得て收し、冬一を得て藏す。其の大以て六合を以て階す可からず、其の小以て毫芒を以て比す可からず。昔黄帝東青丘に到り、風山を過ぎ、紫府先生に見え、《三皇內文》を受け、以て萬神を劾召し、南圓隴陰建木に到り、百靈の登る所を觀看し、若乾の花を采り、丹巒の水を飲み、西中黃子に見え、九加の方を受け、崆峒を過ぎ、廣成子に跟りて自然之經を受け、北洪堤に到り、具茨に上り、大隗君黃蓋童子に見え、神芝圖を受け、回來りて王屋に登上し、神丹金訣記を得。峨眉山に到り、玉堂に在りて天眞皇人に見え、眞一の道を請問す。皇人曰く、你既に已に四海に君臨す、更に長生を求めんと欲す、亦貪ならずや。彼の相互覆の盡く說く可からず、粗く一隅を擧ぐるのみ。長生の仙方、則ち只有金丹。形を守り惡を卻く、則ち獨有眞一、故に古人尤も之を看重す。仙經說く、九轉丹・金液經・守一訣、皆昆崙五城の內に在り、玉函を以て藏し、金札を以て刻し、紫泥を以て封じ、中章を以て印すと。我先師の處より聞く、一北極大淵の中に在り、前明堂有り、後絳宮有り。巍巍たる華蓋、金樓穹隆す。左罡右魁、波を激し空を揚ぐ。玄芝崖を披き、朱草蒙瓏たり。白玉嵯峨、日月光を垂る。歷火・經水し、玄を經黃に涉る。城闕交錯し、帷帳琳琅たり。龍虎列衛し、神人旁に在り。施さず與えず、一其の所に安んず。
不遲不疾,一安其室;能暇能豫,一乃不去;守一存真,乃能通神;少欲約食,一乃留息;白刃臨頸,思一得生;知一不難,難在於終;守之不失,可以無窮;陸辟惡獸,水卻蛟龍;不畏魍魎,挾毒之蟲;鬼不敢近,刃不敢中。此真一之大略也。”
(抱朴子接續して曰く)遲からず疾からず、一其の室に安んず。能く暇し能く豫し、一纔かに離去せず。一を守り眞を存す、纔かに能く神に通ず。欲少く食約し、一纔かに留息す。白刃頸に臨めば、一を思い生を得。一を知る難からず、難は終結に在り。之を守り失はざれば、以て無窮す可し。陸上惡獸を辟き、水中蛟龍を退却す。魍魎・毒を挾むの蟲を怕れず。鬼敢へて近づかず、刃敢へて中らず。此れ是れ眞一の大略。」
抱朴子曰:“吾聞之於師云,道術諸經,所思存念作,可以卻惡防身者,乃有數千法。如含影藏形,及守形無生,九變十二化二十四生等,思見身中諸神,而內視令見之法,不可勝計,亦各有效也。然或乃思作數千物以自衛,率多煩難,足以大勞人意。若知守一之道,則一切除棄此輩,故曰能知一則萬事畢者也。受真一口訣,皆有明文,歃白牲之血,以王相之日受之,以白絹白銀為約,克金契而分之,輕說妄傳,其神不行也。人能守一,一亦守人。所以白刃無所措其銳,百害無所容其兇,居敗能成,在危獨安也。若在鬼廟之中,山林之下,大疫之地,冢墓之閒,虎狼之藪,蛇蝮之處,守一不怠,眾惡遠迸。若忽偶忘守一,而為百鬼所害。或臥而魘者,即出中庭視輔星,握固守一,鬼即去矣。若夫陰雨者,但止室中,向北思見輔星而已。若為兵寇所圍,無復生地,急入六甲陰中,伏而守一,則五兵不能犯之也。能守一者,行萬里,入軍旅,涉大川,不須卜日擇時,起工移徙,入新屋舍,皆不復按堪輿星曆,而不避太歲太陰將軍、月建煞耗之神,年命之忌,終不復值殃咎也。先賢歷試有驗之道也。”
抱朴子曰く「我師の處より聞く、道術諸經、思存念作する所、以て惡を卻き身を防ぐ可き、乃ち數千法有り。如く影を含み形を藏し、及び形を守り生無き、九變十二化二十四生等、身中諸神を見るを思い、而も內視して之を見しむるの法、計を勝る可からず、亦各々效有り。然れども或は乃ち數千物を思作して以て自衛す、大都煩難、足以大に人意を勞す。若し一を守るの道を知れば、則ち一切此の類を除棄す、故に說く能く一を知れば則ち萬事畢ずと。眞一口訣を受く、皆明文有り、白牲の血を歃し、王相の日に在りて受け、白絹白銀を以て約と爲し、金契を刻して分開す、輕く說き妄りに傳へば、彼の神行らず。人能く一を守れば、一亦人を守る。故に白刃其の銳を措くに從無し、百害其の凶を容るるに從無し、敗に居りて能く成り、危に在りて獨り安し。若し鬼廟の中・山林の下・大疫の地・冢墓の間・虎狼の藪・蛇蝮の處に在りて、一を守り怠らざれば、衆惡遠く迸開す。若し忽然偶り一を守るを忘れて、而も百鬼の害する所と爲る。或は臥りて魘するは、則ち中庭に出でて輔星を看、握固して一を守れば、鬼則ち離去す。至於陰雨、只だ室中に停まり、北に向かい輔星を見るを思うのみ。若し兵寇の圍する所と爲り、再び生地無ければ、急ぎ六甲陰中に入り、伏して一を守れば、則ち五兵能く犯さず。能く一を守る、萬里を走り、軍旅に入り、大川に涉り、卜日時を擇ぶを須せず、工を起し移徙し、新屋舍に入る、皆再び堪輿星歷に按らず、而も太歲・太陰將軍・月建煞耗之神・年命の忌を避けず、終に再び殃咎に遇上せず。此れ是れ先賢歷試して驗有るの道と。
抱朴子曰:“玄一之道,亦要法也。無所不闢,與真一同功。吾內篇第一名之為暢玄者,正以此也。守玄一復易於守真一。真一有姓字長短服色目,玄一但此見之。初求之於日中,所謂知白守黑,欲死不得者也。然先當百日潔齋,乃可候求得之耳,亦不過三四日得之,得之守之,則不復去矣。守玄一,並思其身,分為三人,三人已見,又轉益之,可至數十人,皆如己身,隱之顯之,皆自有口訣,此所謂分形之道。左君及薊子訓葛仙公所以能一日至數十處,及有客座上,有一主人與客語,門中又有一主人迎客,而水側又有一主人投釣,賓不能別何者為真主人也。師言守一兼修明鏡,其鏡道成則能分形為數十人,衣服面貌,皆如一也。”
抱朴子曰く「玄一の道、亦是れ要法。辟く所無し、眞一與功を同じくす。我が內篇第一の之を暢玄と稱する、正是れ此の爲め。玄一を守る又眞一を守るに比べて容易し。眞一姓字長短服色目有り、玄一只だ此のごとく之を見る。初め日中に在りて之を求む、謂う所の白を知り黑を守る、死せんと欲して得ざる。然れども先ず當に百日潔齋すべし、纔かに以て之を候求す可きのみ、亦不過三四日之を得、之を得て之を守れば、則ち再び離去せず。玄一を守り、竝びに己の身を思い、分成三人とし、三人已に見え、又轉じて增益し、以て數十人に到る可し、皆己の身に像り、之を隱し之を顯す、皆自ら口訣有り、此れ則ち謂う所の形を分くの道。左君及び薊子訓・葛仙公能く一日數十處に到る所以、以及客座に在る有り、一個主人有りて客與話し、門中又有一個主人有りて客を迎へ、而も水側又有一個主人有りて釣を投ぐ、賓能く辨別どれか是れ眞主人かせず。師說く一を守り兼ねて明鏡を修むれば、彼の鏡道成れば則ち能く形を分して數十人と爲す、衣服面貌、皆一に像ると。
抱朴子曰:“師言欲長生,當勤服大藥,欲得通神,當金水分形。形分則自見其身中之三魂七魄,而天靈地祇,皆可接見,山川之神,皆可使役也。”
抱朴子曰く「師說く長生せんと想はば、當に勤して大藥を服すべし、神に通ずるを得んと想はば、當に金水分形すべし。形分かれれば則ち自ら身中の三魂七魄を見、而も天靈地祇、皆以て接見す可し、山川の神、皆以て使役す可しと。
抱朴子曰:“生可惜也,死可畏也。然長生養性闢死者,亦未有不始於勤,而終成於久視也。道成之後,略無所為也。未成之閒,無不為也。採掘草木之藥,劬勞山澤之中,煎餌治作,皆用筋力,登危涉險,夙夜不怠,非有至志,不能久也。及欲金丹成而昇天,然其大藥物,皆用錢直,不可卒辦。當復由於耕牧商販以索資,累年積勤,然後可合。及於合作之日,當復齋潔清淨,斷絕人事。有諸不易,而當復加之以思神守一,卻惡衛身,常如人君之治國,戎將之待敵,乃可為得長生之功也。以聰明大智,任經世濟俗之器,而修此事,乃可必得耳。淺近庸人,雖有志好,不能克終矣。故一人之身,一國之象也。胸腹之位,猶宮室也。四肢之列,猶郊境也。骨節之分,猶百官也。神猶君也,血猶臣也,氣猶民也。故知治身,則能治國也。夫愛其民所以安其國,養其氣所以全其身。民散則國亡,氣竭即身死,死者不可生也,亡者不可存也。是以至人消未起之患,治未病之疾,醫之於無事之前,不追之於既逝之後。民難養而易危也,氣難清而易濁也。故審威德所以保社稷,割嗜慾所以固血氣。然後真一存焉,三七守焉,百害卻焉,年命延矣。”
抱朴子曰く「生惜しむ可し、死畏る可し。然れども長生性を養い死を辟く、亦勤に始まらざる無く、而も久視に終成す。道成りし之後、幾んど爲す所無し。未成の閒、爲さざる無し。草木の藥を采掘し、山澤の中に劬勞し、煎餌治作し、皆筋力を用い、危に登り險に涉り、夙夜怠らず、不是至志有る、能く久しからず。及び金丹成りて天に升らんと欲す、然れども彼の大藥物、皆錢值を用い、倉促辦う可からず。當に再び耕牧商販に由りて以て資を求め、年を累ね勤を積し、然る後以て合す可し。及び合作の日、當に再び齋潔淸淨し、人事を斷絕すべし。諸種の容易ならざる有り、而も當に更に神を思い一を守り・惡を卻き身を衛るを加へ、常に人君の國を治め・戎將敵を待つに像り、纔かに以て長生の功を算得す。聰明大智を拿げ、經世濟俗の器に任せ、而も此の事を修め、纔かに以て必ず得る可きのみ。淺近庸人、雖も志好有るも、能く終を克たず。故に一人之身、是れ一國の象。胸腹の位、譬へば宮室。四肢の列、譬へば郊境。骨節の分、譬へば百官。神譬へば君、血譬へば臣、氣譬へば民。故に身を治するを知れば、則ち能く國を治す。其の民を愛する所以其の國を安んず、其の氣を養う所以其の身を全うす。民散れば則ち國亡び、氣枯竭すれば則ち身死す、死の生ず可からず、亡の存す可からず。故に至人未起の患を消し、未病の疾を治し、無事の前に醫し、既逝の後に追はず。民養い難くして危り易く、氣淸き難くして濁り易し。故に威德を審にする所以社稷を保ち、嗜欲を割く所以血氣を固くす。然る後眞一存り、三七守り、百害退却し、年命延長せりと。
抱朴子曰:“師言服金丹大藥,雖未去世,百邪不近也。若但服草木及小小餌八石,適可令疾除命益耳,不足以禳外來之禍也。或為鬼所冒犯,或為大山神之所輕凌,或為精魅所侵犯,唯有守真一,可以一切不畏此輩也。次則有帶神符。若了不知此二事以求長生,危矣哉。四門而閉其三,盜猶得入,況盡開者邪?”
抱朴子曰く「師說く金丹大藥を服すれば、雖も尚ほ未だ世を去らざれども、百邪近づかず。若し只だ草木及び小小餌八石を服せば、只だ以て疾を除き命を益す可きのみ、以て外來の禍を禳ぐに足らず。或は鬼の冒犯する所と爲り、或は大山神の輕凌する所と爲り、或は精魅の侵犯する所と爲る、只有眞一を守る、以て一切此の類を怕れざる可し。其次則ち神符を帶ぶ有り。若し全く此の兩事を知らずして以て長生を求む、危うし。四門にして其の三を閉ぢ、盜還た能く進入す、何況全部開きて之るをや」と。
卷十九·遐覽
卷十九・遐覽
或曰:“鄙人面牆,拘繫儒教,獨知有五經三史百氏之言,及浮華之詩賦,無益之短文,盡思守此,既有年矣。既生值多難之運,亂靡有定,干戈戚揚,藝文不貴,徒消工夫,苦意極思,攻微索隱,竟不能祿在其中,免此壟畝;又有損於精思,無益於年命,二毛告暮,素志衰頹,正欲反迷,以尋生道,倉卒罔極,無所趨向,若涉大川,不如攸濟。先生既窮觀墳典,又兼綜奇秘,不審道書,凡有幾卷,願告篇目。”
有人曰く「鄙人面牆、儒教に拘系し、只だ五經・三史・百氏の話有るを知り、以及浮浮華の詩賦・無益の短文、盡く此らを思守りて、已に年有り。既に已に多難の運に生値し、亂定無く、干戈戚揚し、藝文貴ばれず、徒らに工夫を消し、意を苦しめ思を極め、微を攻め隱を索む、竟然能く其の中に祿し、壟畝を免れず。又精思を損有り、年命に益無し、二毛暮を告げ、素志衰頹し、正に迷途に返回して、以て生道を尋ねんと欲す、倉促極限無く、趨向無く、像く大川に涉りて、濟る所を知らず。先生既に已に墳典を窮觀し、又兼ねて奇祕を綜へ、道書一共幾卷かを審せず、篇目を告げられんことを願う」と。
抱朴子曰:“餘亦與子同斯疾者也。昔者幸遇明師鄭君,但恨弟子不慧,不足以鑽至堅極彌高耳。於時雖充門人之灑掃,既才識短淺,又年尚少壯,意思不專,俗情未盡,不能大有所得,以為巨恨耳。鄭君時年出八十,先發鬢班白,數年閒又黑,顏色豐悅,能引強弩射百步,步行日數百里,飲酒二斗不醉。每上山,體力輕便,登危越險,年少追之,多所不及。飲食與凡人不異,不見其絕谷。餘問先隨之弟子黃章,言鄭君嘗從豫章還,於掘溝浦中,連值大風。又聞前多劫賊,同侶攀留鄭君,以須後伴,人人皆以糧少,鄭君推米以恤諸人,己不復食,五十日亦不飢。又不見其所施為,不知以何事也。火下細書,過少年人。性解音律,善鼓琴,閒坐,侍坐數人,口答諮問,言不輟響,而耳並料聽,左右操弦者,教遣長短,無毫釐差過也。餘晚充鄭君門人,請見方書,告餘曰:要道不過尺素,上足以度世,不用多也。然博涉之後,遠勝於不見矣。既悟人意,又可得淺近之術,以防初學未成者諸患也。乃先以道家訓教戒書不要者近百卷,稍稍示餘。餘亦多所先見,先見者頗以其中疑事諮問之。鄭君言:君有甄事之才,可教也。然君所知者,雖多未精,又意在於外學,不能專一,未中以經深涉遠耳,今自當以佳書相示也。又許漸得短書縑素所寫者,積年之中,合集所見,當出二百許卷,終不可得也。他弟子皆親僕使之役,採薪耕田,唯餘尪羸,不堪他勞,然無以自效,常親掃除,拂拭床幾,磨墨執燭,及與鄭君繕寫故書而已。見待餘同於先進者,語餘曰,雜道書卷卷有佳事,但當校其精粗,而擇所施行,不事盡諳誦,以妨日月而勞意思耳。若金丹一成,則此輩一切不用也。亦或當有所教授,宜得本末,先後淺始,以勸進學者,無所希準階由也。鄭君亦不肯先令人寫其書,皆當決其意,雖久借之,然莫有敢盜寫一字者也。
抱朴子曰く「我亦您與同じく此の疾有り。昔幸に明師鄭君に遇い、只だ恨む弟子不慧、以て至堅を鑽り・彌高を極むるに足らざるのみ。當時雖も門人の灑掃を充つるも、既に才識短淺、又年尚ほ少壯、意思不專、俗情未だ盡さず、能く大に得る所有らず、巨恨に作るのみ。鄭君當時年八十を過ぎ、先前髮鬢斑白、數年の間又黑く、顏色豊悅し、能く強弩を引きて百步を射、步行一日數百里、酒二斗を飲みて醉わず。每に山に上れば、體力輕便し、危に登り險を越ゆ、年少彼を追う、多く及ばざる所。飲食凡人與異ならず、彼の穀を絕つを見ざる。我先に隨從せし弟子黃章に問う、說く鄭君曾て豫章より回來り、掘溝浦中に在りて、連りて大風に値す。又聞く前面劫賊多し、同侶鄭君を攀留し、以て後伴を待ち、人人皆糧少なきに因りて、鄭君米を推して以て諸人を恤へ、自ら再び喫わず、五十日亦饑えず。又彼の施爲する所を見ず、何の事に凭るかを知らず。火下細書し、少年人を超過す。性音律を解し、善く琴を鼓し、閑坐し、侍坐數人、口咨問に答え、話響を輟めず、而も耳一竝び料聽し、左右絃を操る、長短を教遣し、毫釐の差過無し。我晚く鄭君門人を充て、請ひて方書を看、我に告誡して曰く、要道不過尺素、上足以世を度る、多を用ゐずと。然れども博涉の後、遠く見ざるに勝る。既に已に人意を開悟し、又以て淺近の術を得る可し、以て初學未成の諸患を防ぐ。纔かに先ず道家訓教戒書の要らざる近百卷を拿げ、漸々我に看せしむ。我亦多く先見する所、先見の頗る其の中の疑事を拿げて彼に咨問す。鄭君曰く、您甄事の才有り、以て教ふ可し。然れども您の知る所、雖も多く未だ精ならず、又意外學に在り、能く專一せず、以て深に經て遠に涉るを拿るに適わざるのみ、今自ら當に佳書を以て您に看せん。又漸々短書縑素の寫する所を得るを許す、年を積むの中、見る所を合集せば、當に二百來卷を超出すべし、終に得る可からず。他弟子皆親ら僕使の役を做し、薪を采り田を耕す、只有我尪羸し、他勞に堪えず、然れども自ら效するに從無し、常に親ら掃除し、床几を拂拭し、墨を磨り燭を執り、以及鄭君の爲に故書を繕寫するのみ。我を待ること先進の人に同じくし、我に告誡して曰く、雜道書卷卷佳事有り、只だ當に彼の精粗を校し、而も施行する所を擇ぶべし、必ずしも盡く諳誦して、以て日月を妨げ意思を勞すを須せずと。若し金丹一成れば、則ち此の類一切用ゐず。亦或は當に教授する所有り、宜しく本末を得べし、先後淺より始め、以て學者を勸進し、希準階由無しと。鄭君亦肯んじて先ず人をして其の書を寫さしめず、皆當に其の意に取决すべし、雖も久しく借るも、然れども敢へて一字を盜寫する無しと。
鄭君本大儒士也,晚而好道,由以禮記尚書教授不絕。其體望高亮,風格方整,接見之者皆肅然。每有諮問,常待其溫顏,不敢輕銳也。書在餘處者,久之一月,足以大有所寫,以不敢竊寫者,政以鄭君聰敏,邂逅知之,失其意則更以小喪大也。然於求受之初,復所不敢,為斟酌時有所請耳。是以徒知飲河,而不得滿腹。然弟子五十餘人,唯餘見受金丹之經及三皇內文枕中五行記,其餘人乃有不得一觀此書之首題者矣。他書雖不具得,皆疏其名,今將為子說之,後生好書者,可以廣索也。
(抱朴子接續して曰く)鄭君本是れ大儒士、晚にして道を好み、還た《禮記》《尚書》を以て教授して絕えず。其の體望高亮し、風格方整、接見する人皆肅然たり。每に咨問有れば、常に其の溫顏を等待し、敢へて輕銳せず。書我が處に在る、久しき一月に到り、足以大に寫する所有り、故に敢へて竊寫せず、正是れ鄭君聰敏、邂逅知られ、其の意を失へば則ち更に是れ小を以て大を喪ふ。然れども求受の初に在りて、又敢へてせざる所、只だ斟酌して時請う所有るのみ。故に徒らに河を飲むを知る、而も滿腹を得ず。然れども弟子五十餘人、只有我金丹之經及び《三皇內文》《枕中五行記》を傳授せられ、其餘の人乃ち此の書の首題を一觀するを得ざる有り。他書雖も盡く得ざれども、皆疏記して名下せり、今將に您の爲に說かん、後生書を好む、以て廣く索めん可し。
道經有三皇內文天地人三卷、元文上中下三卷、混成經二卷、玄錄二卷、九生經、二十四生經、九仙經、靈卜仙經、十二化經、九變經、老君玉曆真經、墨子枕中五行記五卷、溫寶經、息民經、自然經、陰陽經、養生書一百五卷、太平經五十卷、九敬經、甲乙經一百七十卷、青龍經、中黃經、太清經、通明經、按摩經、道引經十卷、元陽子經、玄女經、素女經、彭祖經、陳赦經、子都經、張虛經、天門子經、容成經、入山經、內寶經、四規經、明鏡經、日月臨鏡經、五言經、柱中經、靈寶皇子心經、龍蹻經、正機經、平衡經、飛龜振經、鹿盧蹻經、蹈形記、守形圖、坐亡圖、觀臥引圖、含景圖、觀天圖、木芝圖、菌芝圖、肉芝圖、石芝圖、大魄雜芝圖、五嶽經五卷、隱守記、東井圖、虛元經、牽牛中經、王彌記、臘成記、六安記、鶴鳴記、平都記、定心記、龜文經、山陽記、玉策記、八史圖、入室經、左右契、玉曆經、昇天儀、九奇經、更生經、四衿經十卷、食日月精經、食六氣經、丹一經、胎息經、行氣治病經、勝中經十卷、百守攝提經、丹壺經、岷山經、魏伯陽內經、日月廚食經、步三罡六紀經、入軍經、六陰玉女經、四君要用經、金雁經、三十六水經、白虎七變經、道家地行仙經、黃白要經、八公黃白經、天師神器經、枕中黃白經五卷、白子變化經、移災經、厭禍經、中黃經、文人經、涓子天地人經、崔文子肘後經、神光占方來經、水仙經、尸解經、中遁經、李君包天經、包元經、黃庭經、淵體經、太素經、華蓋經、行廚經、微言三卷、內視經、文始先生經、歷藏延年經、南闊記、協龍子記七卷、九宮五卷、三五中經、宣常經、節解經、鄒陽子經、玄洞經十卷、玄示經十卷、箕山經十卷、鹿臺經、小僮經、河洛內記七卷、舉形道成經五卷、道機經五卷、見鬼記、無極經、宮氏經、真人玉胎經、道根經、候命圖、反胎胞經、枕中清記、幻化經、詢化經、金華山經、鳳網經、召命經、保神記、鬼谷經、凌霄子安神記、去丘子黃山公記、王子五行要真經、小餌經、鴻寶經、鄒生延命經、安魂記、皇道經、九陰經、雜集書錄、銀函玉匱記金板經、黃老仙錄、原都經、玄元經、日精經、渾成經、三尸集、呼身神治百病經、收山鬼老魅治邪精經三卷、入五毒中記、休糧經三卷、採神藥治作秘法三卷、登名山渡江海敕地神法三卷、趙太白囊中要五卷、入溫氣疫病大禁七卷、收治百鬼召五嶽丞太山主者記三卷、興利宮宅官舍法五卷、斷虎狼禁山林記、召百里蟲蛇記、萬畢高丘先生法三卷、王喬養性治身經三卷、服食禁忌經、立功益算經、道士奪算律三卷、移門子記、鬼兵法、立亡術、練形記五卷、郄公道要、角里先生長生集、少君道意十卷、樊英石壁文三卷、思靈經三卷、龍首經、荊山記、孔安仙淵赤斧子大覽七卷、董君地仙卻老要記、李先生口訣肘後二卷。
道經《三皇內文》天地人三卷・《元文》上中下三卷・《混成經》二卷・《玄錄》二卷・《九生經》・《二十四生經》・《九仙經》・《靈卜仙經》・《十二化經》・《九變經》・《老君玉歷眞經》・《墨子枕中五行記》五卷・《溫寶經》・《息民經》・《自然經》・《陰陽經》・《養生書》一百五卷・《太平經》五十卷・《九敬經》・《甲乙經》一百七十卷・《青龍經》・《中黃經》・《太淸經》・《通明經》・《按摩經》・《道引經》十卷・《元陽子經》・《玄女經》・《素女經》・《彭祖經》・《陳赦經》・《子都經》・《張虛經》・《天門子經》・《容成經》・《入山經》・《內寶經》・《四規經》・《明鏡經》・《日月臨鏡經》・《五言經》・《柱中經》・《靈寶皇子心經》・《龍蹻經》・《正機經》・《平衡經》・《飛龜振經》・《鹿盧蹻經》・《蹈形記》・《守形圖》・《坐亡圖》・《觀臥引圖》・《含景圖》・《觀天圖》・《木芝圖》・《菌芝圖》・《肉芝圖》・《石芝圖》・《大魄雜芝圖》・《五岳經》五卷・《隱守記》・《東井圖》・《虛元經》・《牽牛中經》・《王彌記》・《臘成記》・《六安記》・《鶴鳴記》・《平都記》・《定心記》・《龜文經》・《山陽記》・《玉策記》・《八史圖》・《入室經》・《左右契》・《玉歷經》・《升天儀》・《九奇經》・《更生經》・《四衿經》十卷・《食日月精經》・《食六氣經》・《丹一經》・《胎息經》・《行氣治病經》・《勝中經》十卷・《百守攝提經》・《丹壺經》・《岷山經》・《魏伯陽內經》・《日月廚食經》・《步三罡六紀經》・《入軍經》・《六陰玉女經》・《四君要用經》・《金雁經》・《三十六水經》・《白虎七變經》・《道家地行仙經》・《黃白要經》・《八公黃白經》・《天師神器經》・《枕中黃白經》五卷・《白子變化經》・《移災經》・《厭禍經》・《中黃經》・《文人經》・《涓子天地人經》・《崔文子肘後經》・《神光占方來經》・《水仙經》・《尸解經》・《中遁經》・《李君包天經》・《包元經》・《黃庭經》・《淵體經》・《太素經》・《華蓋經》・《行廚經》・《微言》三卷・《內視經》・《文始先生經》・《歷藏延年經》・《南闊記》・《協龍子記》七卷・《九宮》五卷・《三五中經》・《宣常經》・《節解經》・《鄒陽子經》・《玄洞經》十卷・《玄示經》十卷・《箕山經》十卷・《鹿台經》・《小僮經》・《河洛內記》七卷・《擧形道成經》五卷・《道機經》五卷・《見鬼記》・《無極經》・《宮氏經》・《眞人玉胎經》・《道根經》・《候命圖》・《反胎胞經》・《枕中淸記》・《幻化經》・《詢化經》・《金華山經》・《鳳網經》・《召命經》・《保神記》・《鬼谷經》・《凌霄子安神記》・《去丘子黃山公記》・《王子五行要眞經》・《小餌經》・《鴻寶經》・《鄒生延命經》・《安魂記》・《皇道經》・《九陰經》・《雜集書錄》・《銀函玉匱記金板經》・《黃老仙錄》・《原都經》・《玄元經》・《日精經》・《渾成經》・《三尸集》・《呼身神治百病經》・《收山鬼老魅治邪精經》三卷・《入五毒中記》・《休糧經》三卷・《采神藥治作祕法》三卷・《登名山渡江海敕地神法》三卷・《趙太白囊中要》五卷・《入溫氣疫病大禁》七卷・《收治百鬼召五岳丞太山主者記》三卷・《興利宮宅官舍法》五卷・《斷虎狼禁山林記》・《召百里蟲蛇記》・《萬畢高丘先生法》三卷・《王喬養性治身經》三卷・《服食禁忌經》・《立功益算經》・《道士奪算律》三卷・《移門子記》・《鬼兵法》・《立亡術》・《練形記》五卷・《郄公道要》・《角里先生長生集》・《少君道意》十卷・《樊英石壁文》三卷・《思靈經》三卷・《龍首經》・《荊山記》・《孔安仙淵赤斧子大覽》七卷・《董君地仙卻老要記》・《李先生口訣肘後》二卷。
凡有不言卷數者,皆一卷也。
凡そ卷數を說かざる有る、皆是れ一卷。
其次有諸符,則有自來符、金光符、太玄符三卷、通天符、五精符、石室符、玉策符、枕中符、小童符、九靈符、六君符、玄都符、黃帝符、少千三十六將軍符、延命神符、天水神符、四十九真符、天水符、青龍符、白虎符、朱雀符、玄武符、朱胎符、七機符、九天發兵符、九天符、老經符、七符、大捍厄符、玄子符、武孝經燕君龍虎三囊闢兵符、包元符、沈羲符、禹蹻符、消災符、八卦符、監乾符、雷電符、萬畢符、八威五勝符、威喜符、巨勝符、采女符、玄精符、玉曆符、北臺符、陰陽大鎮符、枕中符、治百病符十卷、厭怪符十卷、壺公符二十卷、九臺符九卷、六甲通靈符十卷、六陰行廚龍胎石室三金五木防終符合五百卷、軍火召治符、玉斧符十卷,此皆大符也。其餘小小,不可具記。”抱朴子曰:“鄭君言符出於老君,皆天文也。老君能通於神明,符皆神明所授。今人用之少驗者,由於出來歷久,傳寫之多誤故也。又信心不篤,施用之亦不行。又譬之於書字,則符誤者,不但無益,將能有害也。書字人知之,猶尚寫之多誤。故諺曰,書三寫,魚成魯,虛成虎,此之謂也。七與士,但以倨勾長短之閒為異耳。然今符上字不可讀,誤不可覺,故莫知其不定也。世閒又有受體使術,用符獨效者,亦如人有使麝香便能芳者,自然不可得傳也。雖爾,必得不誤之符,正心用之。但當不及真體使之者速效耳,皆自有益也。凡為道士求長生,志在藥中耳,符劍可以卻鬼辟邪而已。諸大符乃雲行用之可以得仙者,亦不可專據也。昔吳世有介象者,能讀符文,知誤之與否。有人試取治百病雜符及諸厭劾符,去其籤題以示象,皆一一據名之。其有誤者,便為人定之。自是以來,莫有能知者也。”
其次諸符有れば、則ち自來符・金光符・《太玄符》三卷・通天符・五精符・石室符・玉策符・枕中符・小童符・九靈符・六君符・玄都符・黄帝符・少千三十六將軍符・延命神符・天水神符・四十九眞符・天水符・青龍符・白虎符・朱雀符・玄武符・朱胎符・七機符・九天發兵符・九天符・老經符・七符・大捍厄符・玄子符・武孝經燕君龍虎三囊辟兵符・包元符・沈羲符・禹蹻符・消災符・八卦符・監乾符・雷電符・萬畢符・八威五勝符・威喜符・巨勝符・采女符・玄精符・玉歷符・北台符・陰陽大鎭符・枕中符・《治百病符》十卷・《厭怪符》十卷・《壺公符》二十卷・《九台符》九卷・《六甲通靈符》十卷・六陰行廚龍胎石室三金五木防終符合五百卷・軍火召治符・《玉斧符》十卷、此ら皆是れ大符。其餘小小の、以て全部記す可からずと。抱朴子曰く「鄭君說く符老君に出づ、皆是れ天文。老君能く神明に通ず、符皆是れ神明の授くる所。今人它を用うる少驗の、出來りて時を歷すること久しく、傳寫誤多きの緣故。又信心篤からず、施用亦行はれず。又譬へば字を書する、則ち符誤る、不但益無し、還た能く害有らん。字を書する人知れば、還た尚ほ寫し多く誤る。故に諺語說く、書三寫、魚魯と成り、虛虎と成る、說く是れ此のごとしと。七與士、只だ倨勾長短の閒を以て異と爲すのみ。然れども今符上の字讀む可からず、誤りて覺ゆ可からず、故に人它の不定を知る無し。世上又有體使術を受け、符を以て獨り效有る、亦人麝香を使せば便ち芳るの有るに像り、自然得て傳ふる可からず。雖も此のごとし、必ず誤らざるの符を得、心を正しくして之を用いよ。只だ當に眞能く體使の人の速效に及ばざるのみ、皆自ら益有り。凡そ道士を做りて長生を求む、志藥中に在るのみ、符劍以て鬼を卻き邪を辟くのみ。諸の大符乃ち說く行ひて之を用うれば以て仙を得る可しと、亦以て專ら據る可からず。昔吳世介象有り、能く符文を讀み、誤與否を知る。有人試みに治百病雜符及び諸の厭劾符を取り、簽題を去りて象に看せしめば、皆一一名に據りて指出す。彼の誤有る、便ち人に勘定を給す。此より以來、能く知る無し」と。
或問:“仙藥之大者,莫先於金丹,既聞命矣,敢問符書之屬,不審最神乎?”抱朴子曰:“餘聞鄭君言,道書之重者,莫過於三皇內文五嶽真形圖也。古人仙官至人,尊秘此道,非有仙名者,不可授也。受之四十年一傳,傳之歃血而盟,委質為約。諸名山五嶽,皆有此書,但藏之於石室幽隱之地,應得道者,入山精誠思之,則山神自開山,令人見之。如帛仲理者,於山中得之,自立壇委絹,常畫一本而去也。有此書,常置清潔之處。每有所為,必先白之,如奉君父。其經曰,家有三皇文,辟邪惡鬼,溫疫氣,橫殃飛禍。若有困病垂死,其信道心至者,以此書與持之,必不死也。其乳婦難艱絕氣者持之,兒即生矣。道士欲求長生,持此書入山,闢虎狼山精,五毒百邪,皆不敢近人。可以涉江海,卻蛟龍,止風波。得其法,可以變化起工。不問地擇日,家無殃咎。若欲立新宅及冢墓,即寫地皇文數十通,以布著地,明日視之,有黃色所著者,便於其上起工,家必富昌。又因他人葬時,寫人皇文,並書己姓名著紙裡,竊內人冢中,勿令人知之,令人無飛禍盜賊也。有謀議己者,必反自中傷。又此文先潔齋百日,乃可以召天神司命及太歲,日遊五嶽四瀆,社廟之神,皆見形如人,可問以吉凶安危,及病者之禍祟所由也。又有十八字以著衣中,遠涉江海,終無風波之慮也。又家有五嶽真形圖,能闢兵凶逆,人慾害之者,皆還反受其殃。道士時有得之者,若不能行仁義慈心,而不精不正,即禍至滅家,不可輕也。
有人問うて曰く「仙藥裏大、金丹に先ならざる無し、已に命を聽了す、符書の類を請問す、何種か最も神なるを審せず」と。抱朴子曰く「我聞く鄭君說く、道書裏重、超過する《三皇內文》《五岳眞形圖》無し。古人仙官至人、此の道を尊祕し、不是仙名有る、授す可からず。受く四十年一傳、傳の時歃血して盟し、質を委ねて約と爲す。諸の名山五岳、皆此の書有り、只だ石室幽隱の地に藏し、道を得るべきの人、山に入りて精誠之を思えば、則ち山神自ら山を開き、人をして見しむ。像く帛仲理、山中に在りて得、自ら壇を立てて絹を委ね、常に一本を畫して離去す。此の書有れば、常に淸潔の處に放つ。每に爲す所有れば、必ず先ず禀白し、君父を奉るに像く。彼の經說く、家三皇文有れば、邪惡鬼・温疫氣・横殃飛禍を辟く。若し困病垂死有り、彼の道を信ずる心至るは、此の書を拿げて彼に持せしめば、必ず死せず。乳婦難産氣絕する持すれば、兒則ち生まる。道士長生を求めんと欲し、此の書を持して山に入れば、虎狼山精・五毒百邪、皆敢へて人に近づかず。以て江海に涉り、蛟龍を退却し、風波を止む可し。彼の法を得れば、以て變化起工す可し。地を問はず日を擇ばず、家殃咎無し。若し新宅及び冢墓を立てんと欲せば、則ち地皇文數十通を寫し、地上に布放し、明日看れば、黃色の着する所有れば、便ち其の上面に起工せよ、家必ず富昌す。又他人の葬の時に趁い、人皇文を寫し、竝びに己の姓名を寫して紙裏に放ち、偷偷人冢中に納れ、人をして知らしむる勿れ、人をして飛禍盜賊無からしむ。己を謀議する有れば、必ず反りて自ら中傷す。又此の文先ず潔齋百日、纔かに以て天神司命及び太歲を召し、日游五岳四瀆・社廟の神、皆形を現して人に像り、以て吉凶安危を問う可し、以及病の人の禍祟の由る所。又有十八字衣中に放ち、遠く江海に涉る、終に風波の慮無し。又家《五岳眞形圖》有れば、能く兵凶逆を辟き、人彼を害せんと欲する、皆還た反りて彼の殃を受く。道士時に得る有り、若し能く仁義慈心を行はず、而も精ならず正ならざれば、則ち禍家を滅すに到る、以て輕視す可からずと。
其變化之術,大者唯有墨子五行記,本有五卷。昔劉君安未仙去時,鈔取其要,以為一卷。其法用藥用符,乃能令人飛行上下,隱淪無方,含笑即為婦人,蹙面即為老翁,踞地即為小兒,執杖即成林木,種物即生瓜果可食,畫地為河,撮壤成山,坐致行廚,興雲起火,無所不作也。其次有玉女隱微一卷,亦化形為飛禽走獸,及金木玉石,興雲致雨方百里,雪亦如之,渡大水不用舟梁,分形為千人,因風高飛,出入無閒,能吐氣七色,坐見八極,及地下之物,放光萬丈,冥室自明,亦大術也。然當步諸星數十,曲折難識,少能譜之。其淮南鴻寶萬畢,皆無及此書者也。又有白虎七變法,取三月三日所殺白虎頭皮,生扆血、虎血,紫綬,履組,流萍,以三月三日合種之。初生草似胡麻,有實,即取此實種之,一生輒一異。凡七種之,則用其實合之,亦可以移形易貌,飛沈在意,與墨子及玉女隱微略同,過此不足論也。”
(抱朴子接續して曰く)彼の變化の術、大は只有《墨子五行記》、本五卷有り。昔劉君安尚ほ未だ仙去せざる時、其の要を鈔取し、一卷に做成す。其の法藥を用ゐ符を用ゐ、纔かに能く人をして飛行上下・隱淪無方せしむ、笑を含めば則ち婦人と成り、面を蹙めば則ち老翁と成り、地に踞れば則ち小兒と成り、杖を執れば則ち林木と成り、物を種れば則ち瓜果を生じ喫う可し、地を畫けば河と爲り、壤を撮れば山と成り、坐して行廚を致し、雲を興し火を起し、作さざる所無し。其次《玉女隱微》一卷有り、亦形を化して飛禽走獸と爲り、及び金木玉石と爲り、雲を興して雨を致すこと方百里、雪亦此のごとく、大水を渡るに舟梁を用ゐず、形を分して千人と爲り、風に因りて高飛し、出入無間し、能く氣を吐くこと七色、坐して八極を見、及び地下の物、光を放つこと萬丈、冥室自ら明なり、亦是れ大術。然れども當に諸星數十を步むべし、曲折して識り難く、少く能く之を譜す。《淮南鴻寶萬畢》、皆此の書に趕上らず。又有白虎七變法、三月三日の殺する所の白虎頭皮を取り、生扆血・虎血・紫綬・履組・流萍、三月三日に在りて合種す。初め草を生ずること胡麻に像り、實有れば、則ち此の實を取りて之を種す、一生すれば則ち一異す。凡そ七次種し、則ち其の實を以て之を合す、亦以て形を移し貌を易え、飛沈意に在り、墨子及び《玉女隱微》與大略相同じ、此らを過ぎれば論ずるに足らず。
遐覽者,欲令好道者知異書之名目也。鄭君不徒明五經、知仙道而已,兼綜九宮三奇、推步天文、河洛讖記,莫不精研。太安元年,知季世之亂,江南將鼎沸,乃負笈持仙藥之撲,將入室弟子,東投霍山,莫知所在。
謂う所の遐覽、是れ好道の人をして異書の名目を知らしめんと欲す。鄭君徒らに五經を明らかにし・仙道を知るのみに非ず、兼ねて九宮三奇・天文を推步・河洛讖記を綜へ、精研せざる無し。太安元年、季世の亂・江南將に鼎沸せんとするを知り、則ち笈を負ひて仙藥の包袱を持ち(文「扑」と作す)、入室弟子を帶て、東霍山に投ず、人其の在る所を知る無し。
卷二十·袪惑
卷二十・袪惑
抱朴子曰:“凡探明珠,不於合浦之淵,不得驪龍之夜光也。採美玉,不於荊山之岫,不得連城之尺璧也。承師問道,不得其人,委去則遲遲冀於有獲,守之則終已竟無所成,虛費事妨功,後雖痛悔,亦不及已。世閒淺近之事,猶不可坐知,況神仙之事乎?雖聖雖明,莫由自曉,非可以歷思得也,非可以觸類求也。誠須所師,必深必博,猶涉滄海而挹水,造長林而伐木,獨以力劣為患,豈以物少為憂哉?夫虎豹之所餘,乃狸鼠之所爭也。陶朱之所棄,乃原顏之所無也。所從學者,不得遠識淵潭之門,而值孤陋寡聞之人,彼所知素狹,源短流促,倒裝與人,則靳靳不捨,分損以授,則淺薄無奇能,其所寶宿已不精,若復料其粗者以教人,亦安能有所成乎?譬如假谷於夷齊之門,告寒於黔婁之家,所得者不過橡栗縕褐,必無太牢之膳、錦衣狐裘矣。或有守事庸師,終不覺悟。或有幸值知者,不能勤求,此失之於不覺,不可追者也。知人之淺深,實復未易。古人之難,誠有以也。白石似玉,奸佞似賢。賢者愈自隱蔽,有而如無,奸人愈自衒沽,虛而類實,非至明者,何以分之?彼之守求庸師而不去者,非知其無知而故不止也,誠以為足事故也。見達人而不能奉之者,非知其實深而不能請之也,誠以為無異也。夫能知要道者,無慾於物也,不狥世譽也,亦何肯自摽顯於流俗哉?而淺薄之徒,率多夸誕自稱說,以厲色希聲飾其虛妄,足以眩惑晚學,而敢為大言。乃云,已登名山,見仙人。倉卒聞之,不能清澄檢校之者,鮮覺其偽也。餘昔數見雜散道士輩,走貴人之門,專令從者作為空名,雲其已四五百歲矣。人適問之年紀,佯不聞也,含笑俯仰,雲八九十。須臾自言,我曾在華陰山斷谷五十年,復於嵩山少室四十年,復在泰山六十年,復與某人在箕山五十年,為同人遍說所歷,正爾,欲令人計合之,已數百歲人也。
抱朴子曰く「凡そ明珠を探る、合浦の淵に在らざれば、驪龍の夜光を得ず。美玉を采る、荊山の岫に在らざれば、連城の尺璧を得ず。師を承け道を問う、其の人を得ず、委去すれば則ち遲遲として獲有るを希望し、守れば則ち終已竟成る所無し、虛しく事を費し功を妨げ、後來雖も痛悔すとも、亦及ばざる。世上淺近の事、還た以て坐して知る可からず、何況神仙の事をや。雖も聖雖も明、自ら曉るに從無し、以て歷思して得る可からず、以て類に觸れて求む可からず。誠に師とする所を須す、必ず深必ず博ならん、譬へば滄海に涉りて水を挹げ、長林に到りて木を伐る、只だ力劣を以て患と爲し、豈に物少を以て憂と爲さんや。虎豹の餘る所、乃ち是れ狸鼠の爭う所。陶朱の棄つる所、乃ち是れ原顏の無き所。學ぶに從う所、遠識淵潭の門を得ずして、而も孤陋寡聞の人に遇上す、其の知る所素來狹く、源短く流促し、倒裝して人に給するは、則ち靳靳として舍てず、分損して來りて授するは、則ち淺薄して奇能無し、其の寶宿する已に精ならず、若し再び彼の粗を料りて以て人を教ふれば、又怎んぞ能く成る所有らんや。譬へば夷齊の門に向かい穀を借り、黔婁の家に向かい寒を告ぐ、得る所不過橡栗縕褐、必ず太牢の膳・錦衣狐裘無し。或は庸師を守事して、終に覺悟せず。或は幸に知者に遇上する有り、能く勤求せず、此の失覺えざるに在り、以て追ふ可からず。人の淺深を知る、實に又容易ならず。古人の難、誠に緣故有り。白石玉に像り、奸佞賢に像る。賢の人越えて自ら隱蔽し、有りて無きに像り、奸人越えて自ら炫耀沽賣し、虛にして實に像る、不是至明の人、何を以て分別せんや。彼らの庸師を守求して離去せざる、不是彼を知る無知にして故に止まらずと爲す、誠に以て事奉するに足ると爲す。達人を見て能く奉ぜざる、不是彼を知る實深にして能く請請ぜざると爲す、誠に以て差異無しと爲す。能く要道を知る、物に對して欲無く、世譽を徇はず、又怎んぞ肯んじて自ら流俗に標顯せんや。而も淺薄之徒、大都夸誕して自稱說し、厲色希聲を以て彼の虛妄を飾り、足以晚學を眩惑し、而も敢へて大話を說く。乃ち說く、已に名山に登り、仙人を見たりと。倉促聞きて、能く淸澄檢校せざる、少く能く彼の僞を覺ゆ。我昔屢々雜散道士の輩を見、貴人の門に走り、專ら從者をして空名を作らしめ、彼を說く已に四五百歲と。人巧みに年紀を問えば、假裝未だ聞かざるとし、笑を含み俯仰して、說く八九十と。片刻自ら說く、我曾て華陰山に在りて穀を斷つこと五十年、又嵩山少室に在りて四十年、又泰山に在りて六十年、又某人與箕山に在りて五十年、同人に遍く歷する所を說きて給す、正是れ此のごとく、人をして合計せしめんと欲す、已に是れ數百歲の人。
於是彼好之家,莫不煙起霧合,輻輳其門矣。
(抱朴子接續して曰く)於是彼らの此の道を好む家、烟起り霧合せざる無く、彼の門下に輻輳す。
又術士或有偶受體自然,見鬼神,頗能內占,知人將來及已過之事,而實不能有禍福之損益也。譬如蓍龜耳。凡人見其小驗,便呼為神人,謂之必無所不知。不爾者,或長於符水禁祝之法,治邪有效,而未必曉於不死之道也。或修行雜術,能見鬼怪,無益於年命。問之以金丹之道,則率皆不知也。因此細驗之,多行欺誑世人,以收財利,無所不為矣。此等與彼穿窬之盜,異途而同歸者也。夫託之於空言,不如著之於行事之有徵也,將為晚覺後學,說其比故,可徵之偽物焉。
(抱朴子接續して曰く)又術士或は偶然體自然を受け、鬼神を見、頗る能く內占し、人の將來及び已過の事を知る、而も其の實能く禍福の損益有らず。譬へば蓍龜のみ。凡人小驗を見れば、便ち神人と呼び、彼を說く必ず知らざる所無しと。此のごとくせざれば、或は符水禁祝の法に長じ、邪を治するに效有り、而も未だ必ず不死の道を曉らず。或は雜術を修行し、能く鬼怪を見、年命に益無し。金丹の道を以て彼に問えば、則ち大都知らず。因此細驗すれば、多く欺誑世人を行い、以て財利を收め、爲さざる所無し。此の類彼ら穿窬の盜與、途を異にして歸を同じくす。空言に托す、行事に着するの徵有るに如かず、將に晚覺後學と爲さん、彼の比故を說き、以て徵驗するの僞物。
昔有古強者,服草木之方,又頗行容成玄素之法,年八十許,尚聰明不大羸老,時人便謂之為仙人,或謂之千載翁者。揚州稽使君聞而試迎之於宜都。既至,而咽嗚掣縮,似若所知實遠,而未皆吐盡者。於是好事者,因以聽聲而響集,望形而影附,雲萃霧合,競稱歎之,饋餉相屬,常餘金錢。雖欒李之見重於往漢,不足加也。常服天門冬不廢,則知其體中未嘗有金丹大藥也。而強曾略涉書記,頗識古事。自言已四千歲,敢為虛言,言之不怍。雲已見堯舜禹湯,說之皆了了如實也。世雲堯眉八採,不然也,直兩眉頭甚豎,似八字耳。堯為人長大美髭髯,飲酒一日中二斛餘,世人因加之雲千鍾,實不能也,我自數見其大醉也。雖是聖人,然年老治事,轉不及少壯時。及見去四凶,舉元凱,賴用舜耳。舜是孤煢小家兒耳,然有異才,隱耕歷山,漁於雷澤,陶於海濱,時人未有能賞其奇者。我見之所在以德化民,其目又有重瞳子,知其大貴之相,常勸勉慰勞之。善崇高尚,莫憂不富貴,火德已終,黃精將起,誕承歷數,非子而誰!然其父至頑,其弟殊惡,恆以殺舜為事。吾常諫諭曰,此兒當興卿門宗,四海將受其賜,不但卿家,不可取次也。俄而受禪,嘗憶吾言之有徵也。又云:孔子母年十六七時,吾相之當生貴子,及生仲尼,真異人也,長九尺六寸,其顙似堯,其項似皋陶,其肩似子產,自腰以下不及禹三寸。雖然,貧苦孤微,然為兒童便好俎豆之事。吾知之必當成就。及其長大,高談驚人,遠近從之受學者,著錄數千人。我喜聽其語,數往從之,但恨我不學,不能與之覆疏耳。常勸我讀易云,此良書也,丘竊好之,韋編三絕,鐵撾三折,今乃大悟。魯哀公十四年,西狩獲麟,麟死。孔子以問吾,吾語之,言此非善祥也。孔子乃愴然而泣。後得惡夢,乃欲得見吾。
(抱朴子接續して曰く)昔古强有り、草木の方を服し、又頗る容成玄素の法を行い、年八十左右、還た聰明にして太だ羸老せず、當時人便ち彼を是れ仙人と說く、或は說く是れ千載翁と。揚州稽使君聞きて試みに宜都に迎へ、既に到りて、而も咽嗚掣縮し、知る所實に遠きに像りて、而も未だ都く吐盡さざる。於是好事の人、因此聲を聽きて響集し、形を望みて影附し、雲萃霧合し、稱嘆するを爭ひ、饋餉相屬し、常に金錢を餘す。雖も欒・李往き漢に看重せらるも、以て加ふるに足らず。常に天門冬を服して廢せず、則ち彼を知る體中未だ嘗て金丹大藥有らざると。而も强曾て書記を略涉し、頗る古事を識る。自ら說く已に四千歲、敢へて虛言を說き、之を言うて愧えず。說く已に堯舜禹湯を見たりと、說得皆了了として實有るに像る。世人說く堯眉八采、不是此のごとし、只だ兩眉頭甚だ竪く、八字に像るのみ。堯人と爲りて長大美髭髯、酒を飲む一日の中二斛餘、世人因此加上して千鍾を說く、其の實能わず、我自ら數次彼を見る大醉す。雖も是れ聖人、然れども年老きて事を治むる、轉じて少壯の時に及ばず。及び四凶を去り、元凱を擧げ、賴りて舜を用うるを見るのみ。舜是れ孤煢小家兒のみ、然れども異才有り、歷山に隱耕し、雷澤に漁し、海濱に陶す、當時人其の奇を賞する能くする無し。我其の在る所を見る以德民を化し、其の目又重瞳子有り、是れ大貴の相を知る、常に彼を勸勉慰勞す。好好高を崇尙せよ、富貴せざるを憂ふる勿れ、火德已に終り、黃精將に起らん、誕かに歷數を承け、不是你誰かと。然れども其父至頑し、其の弟甚だ惡く、恒に舜を殺すを以て事と爲す。我常に諫諭して說く、此の兒當に您の門宗を興さん、四海將に其の賜を受けん、不但您の家、以て輕率す可からずと。久しからず禪を受け、曾て我が話を回憶す徵有り。又說く、孔子の母年十六七の時、我彼女を相す當に貴子を生むべし、及び仲尼を生む、眞に是れ異人、長さ九尺六寸、額堯に像り、項皋陶に像り、肩子產に像り、腰より以下禹に及ばず三寸。雖も此のごとく、貧苦孤微し、然れども兒童と爲りて便ち俎豆の事を好む。我彼を知る必ず當に成就すべしと。及び長大し、高談して人を驚かし、遠近彼に跟りて學を受ける、著錄數千人。我其の話を聽くを喜び、數次前往して彼に從う、只だ恨む我不學、能く彼與覆疏せざるのみ。常に我を勸めて《易》を讀めと說く、此れ是れ良書、丘私かに之を喜好す、韋編三絕し、鐵撾三折し、今纔かに大悟すと。魯哀公十四年、西狩して麟を獲、麟死す。孔子以て來りて我に問う、我彼に告げて、說く此れ不是善祥と。孔子纔かに愴然として泣く。後來惡夢を得、纔かに想ひて我を見んと得す。
時四月中盛熱,不能往,尋聞之病七日而沒,於今彷彿記其顏色也。又云:秦始皇將我到彭城,引出周時鼎。吾告秦始皇,言此鼎是神物也。有德則自出,無道則淪亡。君但修己,此必自來,不可以力致也。始皇當時大有怪吾之色,而牽之果不得出也。乃謝吾曰,君固是遠見理人也。又說漢高祖項羽皆分明,如此事類,不可具記。時人各共識之,以為戲笑。然凡人聞之,皆信其言。又強轉惛耄,廢忘事幾。稽使君曾以一玉卮與強,後忽語稽曰,昔安期先生以此物相遺。強後病於壽春黃整家而死。整疑其化去。一年許,試鑿其棺視之,其屍宛在矣。此皆有名無實,使世閒不信天下有仙,皆坐此輩以偽亂真也。
(古强接續して曰く)當時四月の中盛熱し、能く前往せず、接きて彼の病七日にして沒すを聞く、今に至るまで髣髴として彼の顏色を記す。又說く、秦始皇我を帶て彭城に到り、周時の鼎を引出す。我秦始皇に告げて、說く此の鼎是れ神物。德有れば則ち自ら出で、道無ければ則ち淪亡す。你只だ己を修めよ、此れ必ず自ら來らん、以て力を以て致す可からずと。始皇當時大に我を怪むの色有り、而も之を牽きて果然出づるを得ず。纔かに我に謝して說く、您固より是れ遠見理人と。又說く漢高祖項羽皆分明、此のごとき事類、以て全部記す可からずと。當時人各々共同に識破し、以て戲笑と爲す。然れども凡人聞きて、皆其の話を信ず。又强轉じて昏耄し、事幾を廢忘す。稽使君曾て一隻の玉卮を以て强に給し、後來忽然稽に告げて說く、昔安期先生此の物を拿げて相贈せりと。强後來壽春黃整家に在りて病みて死す。整彼の化去せんと疑う。一年左右、試みに棺を鑿開して看れば、彼の尸宛然として在り。此ら皆是れ名有りて實無し、世上をして天下に仙有るを信ぜしめざらしむ、皆此の類を因りて僞を以て眞を亂す。
成都太守吳文,說五原有蔡誕者,好道而不得佳師要事,廢棄家業,但晝夜誦詠黃庭、太清中經、觀天節詳之屬,諸家不急之書,口不輟誦,謂之道盡於此。然竟不知所施用者,徒美其浮華之說而愚人。又教之但讀千遍,自得其意,為此積久,家中患苦之,坐消衣食,而不能有異,己亦慚忿,無以自解,於是棄家,言仙道成矣。因走之異界深山中,又不曉採掘諸草木藥可以辟穀者,但行賣薪以易衣食,如是三年,飢凍辛苦,人或識之,而詭不知也。久不堪而還家,黑瘦而骨立,不似人。其家問之,從何處來,竟不得仙邪?因欺家云,吾未能昇天,但為地仙也。又初成位卑,應給諸仙先達者,當以漸遷耳。曏者為老君牧數頭龍,一班龍五色最好,是老君常所乘者,令吾守視之,不勤,但與後進諸仙共博戲,忽失此龍,龍遂不知所在。為此罪見責,送吾付崑崙山下,芸鋤草三四頃,並皆生細,而中多荒穢,治之勤苦不可論,法當十年乃得原。會偓佺子王喬諸仙來按行,吾守請之,併為吾作力,且自放歸,當更自修理求去,於是遂老死矣。初誕還云,從崑崙來,諸親故競共問之,崑崙何似?答云:天不問其高几裡,要於仰視之,去天不過十數丈也。上有木禾,高四丈九尺,其穗盈車,有珠玉樹沙棠琅玕碧瑰之樹,玉李玉瓜玉桃,其實形如世閒桃李,但為光明洞徹而堅,須以玉井水洗之,便軟而可食。每風起,珠玉之樹,枝條花葉,互相扣擊,自成五音,清哀動心。吾見謫失志,聞此莫不愴然含悲。又見崑崙山上,一面輒有四百四十門,門廣四里,內有五城十二樓,樓下有青龍白虎,蜲蛇長百餘裡,其中口牙皆如三百斛船,大蜂一丈,其毒煞象。又有神獸,名獅子辟邪、三鹿焦羊,銅頭鐵額、長牙鑿齒之屬,三十六種,盡知其名,則天下惡鬼惡獸,不敢犯人也。
(抱朴子接續して曰く)成都太守吳文、說く五原蔡誕有り、道を好みて而も佳師要事を得ず、家業を廢棄し、只だ晝夜《黃庭》・《太淸中經》・《觀天節詳》の類・諸家不急の書を誦咏し、口誦を輟めず、道盡く此に在りと說く。然れども竟然施用する所を知らず、徒らに彼の浮華の說を美して人を愚にす。又彼を教へて只だ千遍を讀めと、自ら其の意を得、此れ爲めに久しきを積み、家中患苦し、坐して衣食を消し、而も能く異有らず、自ら亦慚忿し、自ら解するに從無し、於是家を棄て、仙道成れりと說く。因此異界深山中に走到し、又不曉諸の草木藥の以て辟穀す可きを采掘す、只だ薪を賣るを行ひて以て衣食を換ふ、此のごとく三年、饑凍辛苦し、人或は彼を識る、而も詭稱して知らずと。久しき堪えずして家に回り、黑瘦にして骨立ち、人に像らず。其の家彼に問う、何處より來る、竟然仙を得ざるか。因此家を欺して說く、我未だ能く天に升らず、只だ是れ地仙。又初成位卑く、當に諸仙先達に服役を給し、當に漸々遷るべきのみ。先前老君の爲に數頭の龍を牧す、一匹斑龍五色最も好し、是れ老君の常に乘る所、我をして守視せしむ、勤せず、只だ後進諸仙與共同に博戲し、忽然此の龍を失う、龍於是在る所を知らず。此の罪の爲めに責せられ、我を送りて崑崙山下に付し、草三四頃を芸鋤せしめ、并且皆細く生れ、而も中荒穢多く、之を治する勤苦以て論ず可からず、法當に十年纔かに原を得べし。偓佺子・王喬諸仙の來りて按行するに遇上し、我守りて彼らを請い、竝びに我に作力を給し、且つ我を放ちて歸らしめ、當に再び自ら修理して去るを求めん、於是遂に老死せりと。初め誕回來りて說く、崑崙より來れりと、諸親故爭ひて共同に問う、崑崙何樣なるか。回答えて曰く、天其の高幾里を問はず、要約仰視すれば、天を離るる不過十數丈。上面木禾有り、高さ四丈九尺、穗車に盈ち、珠玉樹・沙棠・琅玕・碧瑰の樹・玉李・玉瓜・玉桃有り、果實形狀世上桃李に像り、只だ光明洞徹にして堅し、須らく玉井水を以て洗え、便ち軟らかにして喫う可し。每に風起るに逢えば、珠玉の樹、枝條花葉、相互に扣擊し、自ら五音を成し、淸哀して心を動かす。我謫せられて志を失い、此らを聞きて愴然として悲を含まざる無し。又見る崑崙山上、一面則ち四百四十門有り、門廣さ四里、內に五城十二樓有り、樓下青龍白虎有り、蜿蛇長さ百餘里、其の中口牙皆三百斛船に像り、大蜂一丈、象を毒殺す。又神獸有り、名は獅子・辟邪・三鹿・焦羊、銅頭鐵額・長牙鑿齒の類、三十六種、全部名を知れば、則ち天下惡鬼惡獸、敢へて人を犯さずと。
其神則有無頭子、倒景君、翕鹿公、中黃先生、與六門大夫。張陽字子淵,浹備玉闕,自不帶老君竹使符左右契者,不得入也。五河皆出山隅,弱水繞之,鴻毛不浮,飛鳥不過,唯仙人乃得越之。其上神鳥神馬,幽昌、鷦明、騰黃、吉光之輩,皆能人語而不死,真濟濟快仙府也,恨吾不得善周旋其上耳。於時聞誕此言了了,多信之者。
(蔡誕接續して曰く)彼の神則ち無頭子・倒景君・翕鹿公・中黃先生・與六門大夫有り。張陽字子淵、玉闕を浹備し、自ら老君竹使符左右契を帶ばざる、入るを得ず。五河皆山隅に出づ、弱水之を繞り、鴻毛浮かばず、飛鳥過らず、只有仙人纔かに能く之を越ゆ。上面神鳥神馬、幽昌・鷦明・騰黃・吉光の類、皆能く人語して而も不死、眞に是れ濟濟快意の仙府、恨む我好好彼の上面に周旋するを得ざるのみ。當時誕此の話了了を聞きて、多く信ずる有り。
又河東蒲阪有項●都者,與一子入山學仙,十年而歸家,家人問其故。●都曰:在山中三年精思,有仙人來迎我,共乘龍而昇天。良久,低頭視地,窈窈冥冥,上未有所至,而去地已絕遠。龍行甚疾,頭昂尾低,令人在其脊上,危怖嶮巇。及到天上,先過紫府,金床玉幾,晃晃昱昱,真貴處也。仙人但以流霞一杯與我,飲之輒不飢渴。忽然思家,到天帝前,謁拜失儀,見斥來還,令當更自修積,乃可得更復矣。昔淮南王劉安昇天見上帝,而箕坐大言,自稱寡人,遂見謫守天廚三年,吾何人哉!河東因號●都為斥仙人。世多此輩,種類非一,不可不詳也。此妄語乃爾,而人猶有不覺其虛者,況其微茫欺誑,頗因事類之象似者而加益之,非至明者,倉卒安能辨哉?乃復有假託作前世有名之道士者,如白和者,傳言已八千七百歲,時出俗閒,忽然自去,不知其在。其洛中有道士,已博涉眾事,洽煉術數者,以諸疑難諮問和,和皆尋聲為論釋,皆無疑礙,故為遠識。人但不知其年壽,信能近千年不啻耳。後忽去,不知所在。有一人於河北自稱為白和,於是遠近競往奉事之,大得致遺至當。而白和子弟,聞和再出,大喜,故往見之,乃定非也。此人因亡走矣。
又河東蒲阪項(底本此の字殘缺)都有り、一個の兒子與山に入りて仙を學び、十年にして家に回り、家人緣故を問う。(缺字)皆說く、山中に在りて三年精思し、仙人有りて我を迎へ、共同に龍に乘りて天に升る。甚だ久し、頭を低して地を看れば、窈窈冥冥、上面尚ほ未だ到る所有らず、而も地を離るる已に絕遠し。龍走ること甚だ疾く、頭昂く尾低く、人をして其の脊上に在らしめ、危怖險巇す。及び天上に到り、先ず紫府を過ぎ、金床玉几、晃晃昱昱、眞に是れ貴處。仙人只だ流霞一杯を拿げて我に給し、飲めば則ち饑渴せず。忽然家を想ひ、天帝の前に到り、謁拜して儀を失し、斥せられて回來り、當に再び自ら修積すべし、纔かに以て再び去る可しと。昔淮南王劉安天に升りて上帝を見、而も箕坐して大言し、寡人と自稱し、於是謫せられて天廚を守ること三年、我是れ何人ぞやと。河東因此(缺字)都を斥仙人と稱す。世上此の類多し、種類非一、以て詳審せざる可からず。此の妄語竟然此のごとく、而も人還た彼の虛を覺えざる有り、何況彼の微茫欺誑・頗る事類の象似に因りて加益する、不是至明の人、倉促怎んぞ能く辨せんや。乃ち又有假托して前世有名の道士を作る、像く白和、傳言已に八千七百歲、時に俗間に出で、忽然自ら離去し、彼の何處に在るかを知らず。洛中道士有り、已に衆事を博涉し、術數を洽煉する、諸の疑難を拿げて和に咨問せば、和皆聲を尋ぬて論釋と爲す、皆疑礙無し、故に是れ遠識。人只だ其の年壽を知らず、信能く千年に近く止まらざるのみ。後來忽然離去し、在る所を知らず。一人河北に在りて自ら是れ白和と稱す、於是遠近爭ひて前往して事奉し、大に遺到當を致すを得。而も白和の子弟、和の再び出づるを聞き、大に喜び、故に前往して見、纔かに非るを確定す。此の人因此逃走去りぬ。
五經四部,並已陳之芻狗,既往之糟粕。所謂‘跡’者,足之自出而非足也。‘書’者聖人之所作而非聖也,而儒者萬里負笈以尋其師;況長生之道,真人所重,可不勤求足問者哉?然不可不精簡其真偽也!餘恐古強、蔡誕、項●都、白和之不絕於世閒,好事者省餘此書,可以少加沙汰其善否矣。又仙經云:仙人目瞳皆方。洛中見之白仲理者,為餘說其瞳正方,如此果是異人也。”
五經四部、皆是れ已陳の芻狗、既往の糟粕。謂う所の「迹」、是れ足自ら走出るにして而も不是足。「書」是れ聖人の著作する所にして而も不是聖、而も儒者萬里笈を負ひて來りて師を尋ぬ。何況長生の道・眞人の重んずる所、以て勤求して足に問わざる可けんや。然れども以て彼の眞僞を精簡せざる可からず。我怕るる古强・蔡誕・項(底本此の字殘缺)都・白和世上に在りて絕えざる、好事の人我が此の書を省看し、以て稍加彼の善否を沙汰す可し。又仙經說く、仙人の目瞳皆方と。洛中白仲理を見、我に其の瞳正に方なりと說く、此のごとく果然是れ異人と。
附錄
附錄
○抱朴子內篇佚文
○抱朴子內篇佚文
餘手校抱朴子,因翻檢群書所引見,往往有今本所無者。隨見隨錄,省並復重,得百四十五事。輒依本書大例,以其言神仙黃白事者,為內篇佚文。其餘駁難通釋,為外篇佚文。各一卷。長白繼昌。(明案此錄系嚴可均代輯,見鐵橋漫稿卷六,參全晉文卷一百一十七)
我が手《抱朴子》を校し、因此群書の引見する所を翻檢すれば、往々今本の無き所有り。見るに隨ひ錄るに隨ひ、重複を省并し、一百四十五事を得。則ち本書大例に依り、彼ら神仙・黃白の事を說くを、以て內篇佚文と作す。其餘駁難通釋、以て外篇佚文と作す。各一卷。長白繼昌。(王明案、此の錄是れ嚴可均代輯、《鐵橋漫稿》卷六に見ゆ、《全晉文》卷一百一十七に參す)
葛仙翁為丹書符投江中,順流而下。次投一符,逆流而上。次又投一符,不上不下,停住,而水中向二符皆還就之。舊寫本北堂書鈔一百三。
葛仙翁丹書符を寫して江中に投進し、流に順ひて下る。其次一符を投げ、流に逆らひて上る。其次又一符を投げ、上らず下らず、停住し、而も水中先前の兩符皆還た來りて之に就く。舊寫本《北堂書鈔》卷一百三。
魏武帝以左慈為妖妄,欲殺之,使軍人收之。慈故欲見而不去。欲拷之,而獄中有七慈,形狀如一,不知何者為真。以白武帝。帝使人盡殺之。須臾,六慈盡化為札,而一慈徑出,走赴羊群。舊寫本北堂書鈔一百四札篇,又御覽六百六。魏武收左慈,慈走入市。吏傳言慈一目眇,葛巾單衣。於是一市皆然也。御覽七百四十。
魏武帝左慈を以て妖妄と爲し、彼を殺さんと想ひ、軍人をして收捕せしむ。慈故に見んと要して而も離去せず。彼を拷せんと欲せば、而も獄中七個の慈有り、形狀一のごとく、どれか是れ眞かを知らず。以て武帝に禀白す。帝人をして全部殺さしむ。片刻、六個の慈全部札に化し、而も一個の慈徑直出去し、走りて羊群に赴く。舊寫本《北堂書鈔》卷一百四札篇、又《御覽》卷六百六。魏武左慈を收捕す、慈走りて市中に入る。吏傳言慈一目眇し、葛巾單衣。於是一市皆此のごとし。《御覽》卷七百四十。
城陽郄儉少時行獵,墮空冢中飢餓。見冢中先有大龜,數數迴轉,所向無常,張口吞氣,或俛或仰。儉亦素聞龜能導引,乃試隨龜所為,遂不復飢。百餘日,頗苦極。後人有偶窺冢中,見儉而出之。後竟能嚥氣斷谷。魏王召御覽作拘,又作棄。置土室中,閉試之,一年不食,顏色悅澤,氣力自若。藝文類聚七十七,御覽七百二十,又九百三十一。
城陽郄儉少時行獵し、空冢中に墮入して饑餓す。冢中先に大龜有るを見、數數回轉し、向かう所常無く、口を張りて氣を吞み、或は俯し或は仰ぐ。儉亦素來龜能く導引するを聞說き、則ち試みに龜の爲す所に隨ひ、於是再び饑えず。百餘日、頗る苦極し。後來有人偶然冢中を窺ひ、儉を見て彼を救出す。後來竟然能く氣を咽み穀を斷つ。魏王召して(《御覽》拘と作す、又弃と作す)土室中に放ち、關閉して以て試む、一年喫わず、顏色悅澤し、氣力自若たり。《藝文類聚》卷七十七、《御覽》卷七百二十、又卷九百三十一。
吳世有姚光者,有火術。吳主躬臨試之。積荻數千束,光坐其上,又以數千束荻累之。因猛風燔之,火盡,謂光當已化為煙燼。而光恬然端坐灰中,振衣而起,把一卷書,吳主取而視之,不能解也。藝文類聚八十、又八十二。御覽八百七十一,又一千。
吳世姚光有り、火術有り。吳主親ら臨試す。荻數千束を堆積し、光其の上に坐し、又數千束荻を拿げて上に累ぬ。因此猛風燔燒し、火盡き、光を以て當に已に烟燼に化すべしと爲す。而も光恬然として灰中に端坐し、衣を振りて起き、一卷書を把着す、吳主取來して看るも、能く解せず。《藝文類聚》卷八十、又卷八十二。《御覽》卷八百七十一、又卷一千。
李南乘赤馬行,道逢他人乘白馬者,白馬先鳴,赤馬應之。南謂從者曰,彼白馬言汝今當見一黃馬左目盲者,是吾子,可令使駛,行相及也。從者不信。須臾行二里,果逢所乘黃馬而左目盲。南之赤馬先鳴,而盲馬應之。問其子,疑作人。果向白馬子也。藝文類聚九十三,御覽八百九十七。
李南赤馬に乘りて走り、道上他人の白馬に乘るに逢う、白馬先に鳴き、赤馬之に應す。南從者に對して說く、彼の白馬說く你今當に一匹の黃馬左目盲なるを見べし、是れ我が子、之をして駛せしむ可し、走れば則ち能く相及ばんと。從者信ぜず。片刻二里を走り、果然乘る所の黃馬にして左目盲なるに逢う。南の赤馬先に鳴き、而も盲馬之に應ず。其の子を問えば(疑はく當に人と作るべし)、果然先前是れ白馬の子。《藝文類聚》卷九十三、《御覽》卷八百九十七。
王業疏疑當作為字。荊州卒,白虎三頭匍匐於輀下。舊寫本北堂書鈔三十五,此據嚴氏覆校補。
王業疏(疑はく當に「爲」の字と作るべし)荊州卒す、白虎三頭輀下に匍匐す。舊寫本《北堂書鈔》卷三十五、此れ嚴氏覆校に據りて補す。
案使者甘宗全晉文一百十七宗作崇。所奏西域事云,外國方士能神祝者,臨淵禹步吹氣,龍即浮出,其初出乃長十數丈。於是方士更一吹之,一吹則龍輒一縮。至長數寸,方士乃掇取著壺中。壺中或有四五龍,以少水養之,以疏物塞壺口。國常患旱災。於是方士聞餘國有少雨屢旱處,輒齎龍往賣之,一龍直金數十斤。舉國會斂以顧之直畢。乃發壺出一龍,著淵潭之中。因復禹步吹之,一吹一長,輒長數十丈,須臾而云雨四集矣。藝文類聚九十六,御覽十一,七百三十六,九百二十九。天陵偃蓋之松,大谷倒生之柏,皆為天齊其長,地等其久。藝文類聚八十八,此據嚴氏覆校補。
使者甘宗(《全晉文》卷一百十七宗を崇と作す)の奏する所の西域事に按じて說く、外國方士能く神祝する、淵に臨み禹步して氣を吹けば、龍則ち浮出す、初出乃ち長さ十數丈。於是方士再び一吹し、一吹すれば則ち龍則ち一縮す。長さ數寸に到り、方士纔かに掇取して壺中に放つ。壺中或は四五龍有り、少水を以て養い、疏物を以て壺口を塞ぐ。國常に旱災を患ふ。於是方士其餘國の少雨屢旱の處有るを聞き、則ち龍を帶て前往して賣る、一龍金數十斤に値す。擧國會斂して以て雇ふ、値完畢す。纔かに壺を開きて一龍を出だし、淵潭の中に放つ。因此再び禹步して吹き、一吹一長し、則ち數十丈に長じ、片刻にして雲雨四集せり。《藝文類聚》卷九十六、《御覽》卷十一・卷七百三十六・卷九百二十九。天陵偃蓋の松・大谷倒生の柏、皆天を爲して其の長を齊し、地を爲して其の久を等しうす。《藝文類聚》卷八十八、此れ嚴氏覆校に據りて補す。
薺麥大蒜,仲夏而枯。藝文類聚八十二,御覽九百八十。若士所食,必此草也。又海中有蛤蜊螺蚌之類,未加煮炙,凡人所不能啖,況君子與若士乎?藝文類聚九十七,御覽九百四十二。
薺麥大蒜、仲夏にして枯る。《藝文類聚》卷八十二、《御覽》卷九百八十。若士の喫する所、必ず是れ此の草。又海中蛤蜊螺蚌の類有り、未だ煮炙を加えず、凡人能く啖わず、何況君子與若士をや。《藝文類聚》卷九十七、《御覽》卷九百四十二。
青雲芝生於名山之陰,大青石間。青蓋三重,上有云氣覆之。味辛甘,以陰乾食之,令人壽千歲不老,能乘雲通天見鬼神。藝文類聚九十八。案此以下十九條疑仙藥篇佚文。
青雲芝名山の陰面・大青石間に生ず。青蓋三重、上面雲氣覆蓋有り。味辛甘、陰干して之を喫えば、人をして壽千歲老いず、能く雲に乘りて天に通じ鬼神を見しむ。《藝文類聚》卷九十八。按、以下十九條疑はく是れ《仙藥》篇の佚文。
黃龍芝生於神山之中,狀如黃龍。味辛甘,以四時採,陰乾治。日食一合,壽萬年,令人光澤。同上。
黃龍芝神山の中に生ず、狀黃龍に像り。味辛甘、四時に按りて采り、陰干して治す。每日一合を喫し、壽萬年、人をして光澤ならしむ。同上。
金蘭芝生於名山之陰,金石之間。上有水蓋,莖出。疑作赤。入秋旬求之,飲其中水,壽千歲,耳目聰明。同上。
金蘭芝名山の陰面・金石の間に生ず。上面水蓋有り、莖出ず(疑はく赤と作す)。秋に入り旬に之を求め、其の中の水を飲めば、壽千歲、耳目聰明す。同上。
蒼山岑石之中赤雲芝,狀如人豎,豎如連鼓。其色如澤,以夏採之。陰乾食之,令人乘云,能上天觀見八極,通見神明,延壽萬年。同上。
蒼山岑石の中赤雲芝、狀人の竪に像り、竪連鼓に像る。其の色澤に像り、夏に在りて之を采る。陰干して喫せば、人をして雲に乘らしめ、能く天に上りて八極を觀看し、神明に通見し、壽萬年を延す。同上。
丹芝生於名山之陰,崑崙之山,大谷源泉,金石之中。同上。
丹芝名山の陰面・崑崙之山・大谷源泉・金石の中に生ず。同上。
火芝常以夏採之,葉上赤,下莖青。赤松子服之,常在西王母前,隨風上下,往來東西。同上。
火芝常に夏に在りて采る、葉上赤、下莖青。赤松子之を服し、常に西王母の前に在りて、風に隨ひて上下し、東西に往來す。同上。
人芝生名山之陰,青蓋白莖。治乾食,日半合,則使人壽,入水可久也。同上。
人芝名山の陰面に生ず、青蓋白莖。治干して喫し、每日半合、則ち人をして壽ならしめ、水に入りて以て久しき可し。同上。
月精芝秋生山陽石上,莖青上赤。味辛苦,盛以銅物,十月食之,壽萬歲。同上。
月精芝秋山陽石上に生ず、莖青上赤。味辛苦、銅物裏に盛り、十月喫す、壽萬歲。同上。
黑芝生於山之陰,大谷中,白蓋赤莖。味甘,秋採之,陰乾。日食,令人身輕齒堅,與天地無極。同上。
黑芝山の陰面・大谷中に生ず、白蓋赤莖。味甘、秋采り、陰干す。每日喫せば、人をして身輕く齒堅くせしめ、天地與極限無し。同上。
火芝案上已有火芝,疑有一誤。生於名山陽,其色黃澤,大如車蓋。同上
火芝(案、上面已に火芝有り、疑はく一處誤有り)名山陽に生ず、色黃澤、大きさ車蓋のごとし。同上。
金芝生於金石之中,青蓋莖。味甘辛,以秋取,陰乾治食。令人身有光,壽萬歲。同上。
金芝金石の中に生ず、青蓋莖。味甘辛、秋に在りて取り、陰干して治食す。人をして身光有らしめ、壽萬歲。同上。
萬年芝令人不老,延壽九千。同上。
萬年芝人をして老いざらしめ、壽九千を延す。同上。
夜光芝出於名山之陰,大谷源泉中金石閒。上有浮雲翔其上,有五色,有目如兩日。同上。
夜光芝名山の陰面・大谷源泉中金石の間に出づ。上面浮雲其の上に翔る有り、五色有り、目兩日に像る有り。同上。
白雲芝生於名山之陰,白石上,有白雲覆之,白蓋二重。味辛甘,小苦。以秋採之,陰乾治食,日一合,不中風雷,令人色澤光也。同上。
白雲芝名山の陰面・白石上に生ず、白雲覆蓋有り、白蓋二重。味辛甘、小苦。秋に在りて采り、陰干して治食し、每日一合、風雷に中らず、人をして色澤光ならしむ。同上。
雲母芝生於名山之陰,青蓋赤莖。味甘,以季秋竹刀採之,陰乾治食,使人身光,壽千歲,醮以牛脯。同上。
雲母芝名山の陰面に生ず、青蓋赤莖。味甘、季秋に在りて竹刀を以て采り、陰干して治食すれば、人をして身光せしめ、壽千歲、牛脯を以て醮祭す。同上。
葉芝生於名山之陽,及出央山大谷源泉水中。赤蓋白莖,上有兩葉三實。同上。葉當作華。
葉芝名山の陽面に生ず、及び央山大谷源泉水中に出づ。赤蓋白莖、上面兩葉三實有り。同上。葉當に華と作るべし。
鬼芝青蓋長莖,陰乾屑之,日食五合,所見神明,令人長生。同上。
鬼芝青蓋長莖、陰干して之を屑し、每日五合を喫し、見る所神明、人をして長生せしむ。同上。
有自然之龍,有蛇蠋化成之龍。初學記三十、白孔六帖九十五、御覽九百二十九。
自然の龍有り、蛇蠋の化成したる龍有り。《初學記》卷三十・《白孔六帖》卷九十五・《御覽》卷九百二十九。
田地既有自然之鱔,而有荇莖芩根土龍之屬化為鱔。御覽九百三十七,又一千引{艹琴}根化為蘚,當即此。
田地既に自然の鱔有り、而又荇莖・芩根・土龍の類の鱔に化する有り。《御覽》卷九百三十七、又卷一千「艹」旁「琴」に合するの根の蘚に化するを引く、當に則ち此れなるべし。
龜蛇潛蟄則食氣,夏恣口而甚瘦,冬穴蟄而大肥。初學記三十。案對俗篇云:龍蛇蛟螭狙猥鼉■,皆能竟冬不食。不食之時,乃肥於食時也。語意同而文全異。此當是佚文。
龜蛇潛蟄すれば則ち氣を食ひ、夏口を恣にして甚だ痩せ、冬穴蟄して大いに肥ゆ。《初學記》卷三十。《對俗》篇に按ずるに說く、龍蛇蛟螭狙猥鼉(底本此の字殘缺)、皆能く冬を竟て喫わず。喫わざるの時、乃ち喫る時に比べて肥ゆ。語意同じくして文全く異なり。此れ當に是れ佚文なるべし。
黃帝醫經有蝦蟆圖,言月生始二日,蝦蟆始生,人亦不可針灸其處。御覽四。
黄帝醫經蝦蟆圖有り、說く月生始二日、蝦蟆始めて生ず、人亦其の處を針灸す可からず。《御覽》卷四。
歷陽有彭祖仙室,請雨必得。御覽十一。
歷陽彭祖仙室有り、雨を請へば必ず得。《御覽》卷十一。
左元放言,金華山可以合神丹,免五兵洪水之害。御覽四十七。
左元放說く、金華山以て神丹を合す可し、五兵洪水の害を免れんと。《御覽》卷四十七。
崑崙及蓬萊,其上鳥獸飲玉井,皆長生不死也。御覽二十。井下脫泉字。
崑崙及び蓬萊、上面鳥獸玉井を飲めば、皆長生して不死。《御覽》卷二十。井下「泉」の字を脫す。
上古無諡,始於周家耳。黃帝諡,蓋後人追為之。諡取其法法當作治世時行跡而已,非黃帝群臣之作也。俗人通自不信仙,寧肯以仙諡黃帝乎?御覽五百六十二。
上古謚無し、周家より始めるのみ。黄帝の謚、蓋し是れ後人の追做する所。謚只だ其の世を治める時の行迹を取るのみ(「法」當に「治」と作るべし)、不是黄帝群臣の作る所。俗人通じて自ら仙を信ぜず、怎んぞ肯んじて仙を以て黄帝に謚せんや。《御覽》卷五百六十二。
吳景帝時,戍將於江陵又作廣陵掘冢,取板治城。後發一大冢,內有重合石扉,皆樞轉開閉,四周徼道通事,當作車。且廣高可乘馬。又鑄銅為人數十枚,又作十數頭。長五尺,皆大冠衣,執劍列侍。靈坐皆刻銅人,背後石壁。言殿中將將下脫軍字。或言侍郎,似王公冢也。破其棺。棺中有人,鬢毛班白鮮明,面體如生人。棺中有云母,厚尺許,白玉璧三十雙以藉身又作屍。兵人舉出死人以倚冢壁。一玉長一尺,形似冬瓜,從死人懷中出墮地。兩耳及鼻孔中,皆有黃金,大如棗許。此等等當作則骨骸三字。有假物而不朽之效也。御覽五百五十八,八百五,八百六,八百八,八百十,又八百十三。
吳景帝の時、戍將江陵(又廣陵と作す)に在りて冢を掘り、板を取りて城を治す。後來一大冢を發掘す、內に重合石扉有り、皆樞轉して開閉し、四周徼道車を通じ(「事」當に「車」と作るべし)、并且廣高以て馬に乘る可し。又銅を鑄して人數十枚と爲し、又十數頭を作す。長さ五尺、皆大冠して衣し、劍を執りて列侍す。靈坐皆銅人を刻し、背後石壁。說く殿中將軍(「將」下「軍」の字を脫す)、或は說く侍郎、王公冢に像る。其の棺を破開す。棺中人有り、鬢毛斑白鮮明し、面體活人に像る。棺中雲母有り、厚さ一尺左右、白玉璧三十雙以て身を墊し(又尸と作す)。兵士死人を擧出して冢壁に倚らしむ。一塊の玉長さ一尺、形冬瓜に像り、死人懐中より出でて地に墮つ。兩耳及び鼻孔中、皆黃金有り、大きさ棗のごとし。此等(「等」當に「則骨骸」三字と作るべし)假物して不朽の效有り。《御覽》卷五百五十八・八百五・八百六・八百八・八百十、又八百十三。
專心憑師,依法行道,濟身度世,利在永亨,事師盡敬,得道為期,承間候色也。不盡力明師道,有罪不可除也。學道得明師事之,害亂不得發也。御覽六百五十九。
心を專らにして師に凭れ、法に依りて道を行ひ、身を濟り世を度り、利永亨に在り、師に事へて敬を盡し、道を得るを以て期と爲し、間を承けて色を候す。盡力せず師道を明らかにせば、罪以て除く可からず。道を學びて明師の事奉を得れば、害亂發するを得ず。《御覽》卷六百五十九。
道林子有五種尸解符,今太玄陰生符,及是一病解者。御覽六百六十四。
道林子五種尸解符有り、今太玄陰生符のごとく、以及是れ一病解の。《御覽》卷六百六十四。
薛振,字季和,燕代人。周武王時,學道於鍾山北河,經七試而不過者,由淫泆鄙滯敗其試耳。御覽六百六十六。郭文舉,河內軹縣人。入陸渾山學道,獨能無情,意不生也。同上
薛振、字は季和、燕代人。周武王の時、鍾山北河に在りて道を學び、七試を經て而も過過ぎざるは、是れ淫泆鄙滯に由りて其の試を敗れるのみ。《御覽》卷六百六十六。郭文擧、河內軹縣人。陸渾山に入りて道を學び、獨り能く情無く、意生ぜず。同上。
範零子,少好仙道,如此積年。後遇司馬季主。季主同入常山,積七年,入石室當有脫文甕。季主出行,懇戒之曰,慎勿開。零子忽發視之。季主還,乃遣歸。後復召至,使守一銅匱,又戒勿發。零子復發之。季主乃遣之,遂不得道。同上。石室下脫北東角有石五字。
范零子、少くして仙道を好み、此のごとく年を積む。後來司馬季主に遇上す。季主同じく常山に入り、七年を積み、石室に入る(當に脫文「瓮」有るべし)。季主出行す、懇切に彼を戒めて說く、愼んで開く勿れと。零子忽然發視す。季主回來り、纔かに歸りを遣はす。後來再び召して至らしめ、一銅匱を守らしめ、又發する勿れと戒む。零子再び之を發す。季主纔かに彼を遣はす、於是道を得ず。同上。石室下「北東角石有り」五字を脫す。
馮良者,南陽人,少作縣吏。年三十為尉佐史,迎督郵,自恥無志,乃毀車殺牛裂敗衣。尋去從師,受詩傳禮易,復學道術占候。遊十五年,乃還。州郡禮闢不就。詔特舉賢良高第。平道委此句有脫誤,平當作半。還家。年六十七,棄世東度入山,在鹿跡洞中。同上安丘望之,字仲都,京兆長陵人也。修尚黃老。漢成帝從疑作重。或此下有脫文。其道德,常宗師之。愈自損退。成帝詣之,若值望之章醮,則待事畢然後往。老子章句有安丘之學。望之忽病篤,弟子公沙都與與當作輿。於庭樹下,望之曉然病有痊。時冬月,鼻聞李香,開目則見雙赤李著枯枝。望之仰手承李,自墜掌中。因食李,所苦盡除,身輕目明,遂去,莫知何在也。同上
馮良、南陽人、少くして縣吏を作す。年三十尉佐史を做り、督郵を迎へ、自ら志無きを恥ぢ、則ち車を毀り牛を殺し衣を裂敗す。尋いで去りて師に從ひ、詩傳禮易を受け、再び道術占候を學ぶ。游十五年、纔かに還る。州郡禮辟して就かず。詔特に賢良高第を擧ぐ。平道委(此の句脫誤有り、「平」當に「半」と作るべし)家に還る。年六十七、世を棄て東に度りて山に入り、鹿迹洞中に在り。同上。安丘望之、字は仲都、京兆長陵人。黃老を修尚す。漢成帝其の道德に從し(疑はく重と作す。或は此の下脫文有り)、常に彼を宗師す。彼越えて自ら損退す。成帝往きて彼を見、若し望之の章醮に値へば、則ち事畢るを等待して然る後往く。老子章句安丘之學有り。望之忽然病篤し、弟子公沙都輿(「与」當に「輿」と作るべし)庭樹下に到り、望之曉然として病痊る有り。當時冬月、鼻李香を聞き、目を開けば則ち雙赤李枯枝に着するを見。望之手を仰ぎて李を承け、自ら墜りて掌中に到る。因此李を喫し、苦する所盡く除き、身輕く目明らかにして、於是離去す、人在る所を知る無し。同上。
家有三皇圖,必先齋戒百日,乃君至此句疑有脫誤。君至當作召致。天地五嶽社稷之神,後聖君命清虛小有真人,撰集上仙真籙,總名為上清一本作真正法,以懾萬邪。百年再授於人,須齋戒方得。御覽六百六十七。案此條齋戒方得下復引三元品經靈寶赤書太素玉籙經云云,疑非抱朴子文,未敢錄之。李阿者,行道逢奔車,阿兩腳中車,腳即折。弟子古強一作古弼,誤。神仙傳作古強,祛惑篇亦有其人。見之驚怖。阿須臾取斷腳相續如故也。御覽七百三十六。案此條疑是道意篇佚文。
家三皇圖有れば、必ず先ず齋戒百日、纔かに召致(「乃君至」此の句疑はく脫誤有り、當に「召致」と作るべし)天地五岳社稷の神をし、後聖君命淸虛小有眞人、上仙眞籙を撰集し、總名を上淸(一本眞正と作す)法と爲し、以て萬邪を懾す。百年再び人に授く、須らく齋戒して纔かに得。《御覽》卷六百六十七。按、此の條「齋戒方得」下又《三元品品經》《靈寶赤書》《太素玉籙經》等等を引く、疑はく不是《抱朴子》文、未だ敢へて錄入せず。李阿、道を行きて奔車に逢う、阿兩脚車の中る所と爲り、脚則ち折る。弟子古强(一古弼と作す、誤。《神仙傳》古强と作す、《袪惑》篇亦此の人有り)見て驚怖す。阿片刻斷脚を取りて續げて原來に像る。《御覽》卷七百三十六。按、此の條疑はく是れ《道意》篇の佚文。
葛仙公每飲酒醉,常入門前陂中,竟日乃出。會從吳主到荊州,還大風,仙公船沒。吳主謂其已死。須臾從水上來,衣履不溼,而有酒色,雲昨為伍子胥召,設酒不能便歸,以淹留也。御覽八百四十五。案首三語與釋滯篇異,非即彼文也。神仙傳載船沒事,亦與此文異。
葛仙公每に酒を飲み醉へば、常に門前陂中に進入し、竟日纔かに出づ。曾て吳主に跟りて荊州に到り、回來りて大風に遇い、仙公の船沒す。吳主彼を以て已に死せりと爲す。片刻水上より來り、衣履濕れず、而も酒色有り、說く昨日伍子胥の召する所と爲り、酒を設けて便ち歸る能わず、因此淹留せりと。《御覽》卷八百四十五。按、開頭三語《釋滯》篇與同じからず、不是則ち彼の文。《神仙傳》船没の事を載せ、亦此の文與同じからず。
軫星逐鬼,張星拘魂,東井還魂也。御覽八百八十六。
軫星鬼を逐ひ、張星魂を拘し、東井魂を還す。《御覽》卷八百八十六。
伍被記八公造淮南王安,初為老公,不見通。須臾皆成少年。御覽八百八十八。
伍被八公の淮南王安を造訪するを記す、起初是れ老公、通報せらるるを得ず。片刻皆少年と成る。《御覽》卷八百八十八。
韓子治以地黃甘草,哺五十歲老馬,以生三駒,又百三十歲乃死。御覽八百九十七。
韓子地黃甘草を治して、五十歲の老馬を哺ふ、因而三駒を生じ、又百三十歲に到りて纔かに死す。《御覽》卷八百九十七。
南方水牛,無冬夏常臥水中。御覽八百九十九。
南方水牛、冬夏に論わず常に水中に臥す。《御覽》卷八百九十九。
以鸛血塗金丹一丸,內衣中,以指物,隨口變化。御覽九百二十五。
鸛血を以て金丹一丸を塗り、衣中に納れ、以て物を指す、口に隨ひて變化す。《御覽》卷九百二十五。
胡麻好者,一夕蒸之,如炊。須曝乾復蒸,細篩,白蜜和丸,如雞子大,日二枚。一年,顏色美,身體滑;二年,白髮黑;三年,齒落更生;四年,入水不濡;五年,入火不燋;六年,走及奔馬。或蜜水和作餅如糖狀,炙食一餅。御覽九百八十九。
胡麻の好き、一夕之を蒸すこと炊るがごとし。須らく曬干して再び蒸し、細かに篩ひ、白蜜和して丸とし、雞子大に像り、每日二枚。一年、顏色美にして身體滑らかなり。二年、白髮黑し。三年、齒落ちて更生す。四年、水に入りて濕れず。五年、火に入りて燋けず。六年、走りて奔馬に上及ぶ。或は蜜水和して餅を作りて糖狀に像り、炙りて一餅を食す。《御覽》卷九百八十九。
中經曰:鉤吻狼毒,太陰之精氣,主殺,故入口令人死。御覽九百九十。
《中經》說く、鉤吻狼毒、是れ太陰之精氣、主殺す、故に口に入りて人をして死せしむ。《御覽》卷九百九十。
○抱朴子內篇序
○抱朴子內篇序
洪體乏超逸晉書作進趣。之才,偶好無為之業。假令奮翅則能凌厲玄霄,騁足則能追風躡景,猶故晉書無此字。欲戢勁翮於鷦鷯晉書作鴳。之群,藏逸跡於跛驢之伍,豈況大塊稟我以尋常之短羽,造化假我於晉書作以。至駑之蹇足,以晉書無此字。自卜者審,不能者止。晉書有又字。豈敢力蒼蠅而慕沖天之舉,策跛鱉而追飛兔之軌,飾嫫母之陋醜晉書作篤陋,求媒揚晉書作陽。之美談,推沙礫之賤質,索千金於和肆哉!夫以晉書無此字。焦僥之步,而企及夸父之蹤,近才所以躓閡藏本作閔,晉書作礙。也。以晉書無此字。要離之羸,而強赴扛鼎之契,原校或作勢,晉書作勢。秦人所以斷筋也。是以望絕於榮華之途,而志安乎窮否晉書作圮。之域。藜藿有八珍之甘,而晉書無此字。蓬蓽有藻梲之樂也。故權貴之家,雖咫尺弗從也。知道之士,雖艱遠必造也。
我が體超逸(《晉書》進趣と作す)の才乏しく、偶く無爲の業を好む。假令翅を奮へば則ち能く玄霄を凌厲し、足を騁すれば則ち能く風を追ひ景を蹑む、還た勁翮を鷦鷯(《晉書》鴳と作す)の群に收め、逸迹を跛驢の伍に藏めんと欲す、何況大塊我に尋常の短羽を禀け、造化我に(《晉書》以と作す)至駑の蹇足を借せば、自ら卜度の審愼、能わざれば則ち止む。(《晉書》又の字有り。)豈に敢へて蒼蠅に力を用ゐて衝天の擧を慕ひ、跛鱉に鞭策して飛兔の軌を追ひ、嫫母の陋丑(《晉書》篤陋と作す)を修飾し、媒揚(《晉書》陽と作す)の美談を求め、沙礫の賤質を推して、和氏之肆に千金を索めんや。焦僥の步を拿げて、而も夸父の蹤に企及せんとす、是れ近才の踬閡(藏本閔と作す、《晉書》礙と作す)する所以。要離の羸を拿げて、而も扛鼎の契(原校或は勢と作す、《晉書》勢と作す)に強赴する、是れ秦人の筋を斷つ所以。故に榮華之途に望みを絕ち、而も志窮否(《晉書》圮と作す)之域に安んず。藜藿八珍の甘有り、蓬蓽藻棁の樂有り。故に權貴之家、雖も咫尺なるも亦從はず。知之の士、雖も艱遠なるも亦必ず造訪す。
考覽奇書,既不少矣,率多隱語,難可卒解。自非至精,不能尋究,自非篤勤,不能悉見也。道士淵晉書作宏。博洽聞者寡,而意斷妄說者眾。至於時有好事者,欲有所修為,倉卒不知所從,而意之所疑,又無可晉書作足。諮問。晉書無此字。今為此書,粗舉長生之理,甚至妙者,不得宣之於翰墨。蓋粗言較略,以示一隅。冀悱憤之徒省之,可以思過半矣,豈為暗塞必能窮微暢遠乎!聊論其所先舉原校:先舉一本作“先覺者”。晉書作“先覺者”。耳。
奇書を考覽す、已に少なからざるも、大都隱語、倉促に解し難し。若不是至精、能く尋究せず。若不是篤勤、能く全部見ず。道士淵(《晉書》宏と作す)博洽聞の少く、而も意斷妄說の多し。至於時或好事有る、修爲する所有らんと欲す、倉促何處よりかを知らず、而も意疑う所有り、又以て咨問す可き(《晉書》足と作す)無し。今此の書を做り、粗く長生の理を擧げ、彼ら至妙の、翰墨に宣するを得ず。大概粗言大較、以て一隅を示す。悱憤之徒の省看を希望し、以て半ばを思過す可し、豈に是れ暗塞必ず能く微を窮め遠を暢げんや。聊か其の先に擧ぐる所を論ず(原校、先擧一本「先覺者」と作す。《晉書》「先覺者」と作す)のみ。
世儒徒知服膺周孔,桎梏皆死,晉書無此四字。莫信神仙之事,謂為妖妄之說,見餘此書,晉書無“事”至“此”共十字。不特大笑之。晉書作“不但大而笑之”。又將謗毀真正,故不以合於此下舊衍“世字”,今校刪。餘所箸子書之數,而別為此一部,名曰內篇,凡二十卷,與外篇各起次第也。晉書“故不”至“第也”作“故予所著子,言黃白之事,名曰內篇,其餘駁難通釋,名曰外篇,大凡內外一百一十六篇”,蓋史家刪改之耳。雖不足以藏晉書“以藏”作“藏諸”名山石室,晉書無此二字。且欲緘之金匱,以示識者。晉書止此,無下三十一字。其不可與言者,不令見也。貴使來世好長生者,有以釋其惑,豈求信於不信者乎!謹序。藏本作葛洪稚川謹序。後人所增。
世儒徒に周公孔子を服膺するを知り、桎梏皆死す(《晉書》此の四字無し)、神仙の事を信ぜず、是れ妖妄之說と說く、我が此の書を見て(《晉書》「事」より「此」に至る共に十字無し)、不特大笑す(《晉書》「不但大而笑之」と作す)。又將に眞正を謗毀せんとす、故に以て我が著する所の子書の數裏に合せず(此の下舊「世」の字を衍す、今校删す)、而も別外此の一部を做り、名づけて內篇と曰す、凡そ二十卷、外篇與各々次第を起す。(《晉書》「故不」より「第也」に至る「故予所著子、言黃白之事、名曰內篇、其餘駁難通釋、名曰外篇、大凡內外一百一十六篇」と作す、蓋し是れ史家の删改。)雖も以て名山石室に藏するに足らず(《晉書》「以藏」を「藏諸」と作す)、且つ金匱に緘めんと欲し、以て識者に看せしめん。(《晉書》此に止まる、下の三十一字無し。)彼らの與言す可からざる、之を見しめず。貴在來世長生を好む人をして、以て疑惑を解釋する有らしめんと、豈に信ぜざる人に信を求めんや。謹んで序す。(藏本葛洪稚川謹序と作す。是れ後人の增す所。)
○抱朴子外篇自敘
○抱朴子外篇自叙
抱朴子者,姓葛,名洪,字稚川,丹陽句容人也。其先葛天氏,蓋古之有天下者也,後降為列國,因以為姓焉。洪曩祖為荊州刺史,王莽之篡,君恥事國賊,棄官而歸,與東郡太守翟義共起兵,將以誅莽,為莽所敗,遇赦免禍,遂稱疾自絕於世。莽以君宗強,慮終有變,乃徙君於琅邪。君之子浦廬,起兵以佐光武,有大功。光武踐祚,以廬為車騎,又遷驃騎大將軍,封下邳僮縣侯,食邑五千戶。開國初,侯之弟文,隨侯征討,屢有大捷。侯比上書為文藏本作文為,從舊寫本乙轉。訟功,而官以文私從兄行,無軍名,遂不為論。侯曰:弟與我同冒矢石,瘡痍周身,傷失右眼,不得尺寸之報,吾乃重金累紫,何心以安?乃自表乞轉封於弟。書至上請報。漢朝欲成君高義,故特聽焉。文辭不獲已受爵,即第為驃騎營立宅舍於博望裡,於今基兆石礎存焉。又分割租秩,以供奉吏士,給如二君焉。驃騎殷勤止之而不從。驃騎曰:此更煩役國人,何以為讓?乃託他行,遂南渡江,而家於句容。子弟躬耕,以典籍自娛。文累使奉迎驃騎,驃騎終不還。又令人守護博望宅舍,以冀驃騎之反,至於累世無居之者。
抱朴子、姓は葛、名は洪、字は稚川、丹陽句容人。其の先人葛天氏、蓋し是れ古時天下有る、後來列國に降り、因此以て姓と爲す。洪の曩祖荊州刺史を做し、王莽位を篡し、君國賊に事奉するを恥ぢ、官を棄てて歸り、東郡太守翟義與共同に兵を起し、將に莽を誅せんとす、莽の敗る所と爲り、赦に遇い禍を免れ、於是疾を稱して自ら世に絕す。莽君宗強なるを因りて、終に變有らんことを擔心し、則ち君を琅邪に遷す。君の兒子浦廬、兵を起して光武を輔佐し、大功有り。光武祚を踐み、廬を以て車騎と爲し、又驃騎大將軍に遷し、下邳僮縣侯に封じ、食邑五千戶。開國初、侯の弟文、侯に隨ひて征討し、屢々大捷有り。侯屢々上書して文の爲に(藏本「文爲」と作す、舊寫本に從りて乙轉す)功を訟ぐ、而も官文私かに兄に從ひ行くを因りて、軍名無し、於是論を爲さず。侯說く、弟我與同じく矢石を冒し、瘡痍周身、右眼を傷失せども、尺寸の報を得ず、我卻れて重金累紫、何の心を以て安んぜんと。則ち自ら表して弟に轉封することを乞求す。書上に到りて報を請ふ。漢朝君の高義を成さんと想ひ、故に特に聽く。文辭獲ず已に爵を受け、即ち第驃騎營と爲りて博望里に在りて宅舍を立つ、今に至るまで基兆石礎還た在り。又租秩を分割し、以て吏士を供奉し、二君のごとく給す。驃騎殷勤に彼を止めて從はず。驃騎說く、此れ更に國人を煩役す、何を以て讓らんと。則ち他の出行に托し、於是南に江を渡り、而も家句容に在り。子弟躬耕し、典籍を以て自娛す。文累次人を遣はして驃騎を奉迎す、驃騎終に還らず。又人をして博望宅舍を守護せしめ、驃騎の返回を希望す、累世住する無きに至る。
洪祖父學無不涉,究測精微,文藝之高,一時莫倫,有經國之藏本作史,從舊寫本改。才。仕吳,歷宰海鹽臨安山陰三縣,入為吏部侍郎、御史中丞、廬陵太守、吏部尚書、太子少傅、中書、大鴻臚、侍中、光祿勳、輔吳將軍,封吳壽縣侯。洪父以孝友聞,行為士表,方冊所載,罔不窮覽。仕吳五官郎、中正,建城南昌二縣令,中書郎、廷尉平、中護軍、拜會稽太守未辭,而晉軍順流,西境不守。博簡秉文經武之才,朝野之論,僉然推君,於是轉為五郡赴警。大都督給親兵五千,總統徵軍,戍遏疆場。天之所壞,人不能支,故主欽若,九有同賓。藏本作實,從舊寫本改。君以故官赴除郎中,稍遷至大中大夫,歷位大中正、肥鄉令,藏本無正字,肥作肐,從舊寫本補改。縣戶二萬,舉州最治,德化尤異,恩洽刑清,野有頌聲,路無奸跡,不佃公田,越界如市,秋毫之贈,不入於門,紙筆之用,皆出私財,刑厝而禁止,不言而化行。以疾去官,發詔見用為吳王郎中令,正色弼違,進可替不,舉善彈枉,軍國肅雍。遷邵陵太守,卒於官。
洪の祖父學涉らざる無し、精微を究測し、文藝の高、一時倫比無し、經國(藏本史と作す、舊寫本に從りて改む)の才有り。吳に在りて官を做し、海鹽・臨安・山陰三縣を歷宰し、入りて吏部侍郎・御史中丞・廬陵太守・吏部尚書・太子少傅・中書・大鴻臚・侍中・光祿勳・輔吳將軍と爲し、吳壽縣侯に封ず。洪の父孝友を以て聞え、行爲是れ士の表、方册の載する所、窮覽せざる無し。吳に在りて五官郎・中正・建城・南昌二縣令・中書郎・廷尉平・中護軍を做り、會稽太守を拜して尚ほ未だ辭せず、而も晉軍流に順ひ、西境守られず。博文經武の才を秉り、朝野の論、僉然として君を推し、於是轉じて五郡警に赴く。大都督親兵五千を給し、總統して軍を征し、疆場を戍遏す。天の壞る所、人能く支へず、故主欽若し、九有同じく賓す(藏本實と作す、舊寫本に從りて改む)。君故官を以て郎中を除すに赴き、稍大中大夫に遷り、大中正・肥鄉令を歷位し(藏本正の字無し、肥を肐と作す、舊寫本に從りて補改す)。縣戶二萬、州を擧げて最も治り、德化尤異し、恩洽して刑淸し、野頌聲有り、路奸迹無し、公田を佃せず、界を越ゆること市のごとく、秋毫の贈、門に入らず、紙筆の用、皆私財に出で、刑措いて禁止し、言せずして化行わる。疾を因りて官を去り、詔を發して吳王郎中令に見用せられ、色を正しくして違を弼し、可を進め不を替へ、善を擧げ枉を彈ず、軍國肅雍す。邵陵太守に遷り、官に在りて卒す。
洪者,君之第三子也。生晚,為二親所嬌饒,不早見督以書史。年十有三,而慈父見背,夙失庭訓,飢塞困瘁,躬執耕穡,承星履草,密勿疇襲。又累遭兵火,先人典籍蕩盡,農隙之暇無所讀。乃負笈徒步行借,又卒於一家,少得全部之書。益破功日伐薪賣之,以給紙筆,就營田園處,以柴火寫書。坐此之故,不得早涉藝文。常乏紙,每所寫,反覆有字,人鮮能讀也。年十六,始讀孝經論語詩易。貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不通。但貪廣覽,於眾書乃無不闇誦精持,曾所披涉,自正經諸史百家之言,下至短雜文章,近萬卷。既性暗善忘,又少文,意志不專,所識者甚薄,亦不免惑。而著述時猶得有所引用,竟不成純儒,不中為傳授之師。其河洛圖緯,一視便止,不得留意也。不喜星書、及算術、九宮、三棋、太一、飛符之屬,了不從焉,由其苦人而少氣味也。晚學風角、望氣、三元、遁甲、六壬、太一之法,粗知其旨,又不研精。亦計此輩率是為人用之事,同出身情,無急以此自勞役,不如省子書之有益,遂又廢焉。案別錄藝文志,眾有萬三千二百九十九卷,而魏代以來,群文滋長,倍於往者,乃自知所未見之多也。江表書籍,通同不具。昔欲藏本作故,從舊寫本改。詣京師,索奇異,而正值大亂,半道而還,每自藏本作具,從舊寫本改。嘆恨。今齒近不惑,素志衰頹,但含損之又損,為乎無為,偶耕藪澤,苟存性命耳。博涉之業,於是日沮矣。
洪、是れ君の第三子。生れること晚く、二親の嬌饒する所と爲り、書史を以て督せられず早し。年十有三にして、而も慈父見背き、夙く庭訓を失ひ、饑寒困瘁し、親ら耕穡を執り、星を承け草を履み、密勿として疇畝に在り。又累々兵火に遭ひ、先人典籍蕩盡し、農隙の暇讀む所無し。則ち笈を負ひて徒步して往きて借り、又一家に卒し、少く全部の書を得ず。更加に功を破して日に薪を伐りて之を賣り、以て紙筆を供給し、則ち田園を營る處に在りて、柴火を以て書を寫す。此の緣故に坐りて、早く藝文に涉るを得ず。常に紙を乏し、每に寫する所、反覆字有り、人少く能く讀む。年十六、纔かに《孝經》《論語》《詩》《易》を讀む。貧乏遠く師友を尋ぬるに從無し、孤陋寡聞、明淺く思短く、大義多く通ぜざる所。只だ廣覽を貪り、衆書に於て乃ち暗誦精持せざる無し、曾て披涉せし、自ら正經諸史百家之言より、下って短雜文章に至るまで、近く萬卷。既に性暗く善く忘れ、又文少く、意志專ならず、識る所甚だ薄く、亦惑を免れず。而も著述の時還た引用する所有るを得、竟に純儒と成らず、傳授の師を做るに中らず。彼ら河洛圖緯、一看すれば便ち止まり、留意するを得ず。星書・及び算術・九宮・三棋・太一・飛符の類を喜ばず、完全に從はず、彼ら人を苦しめて氣味少なきに由る。晚く風角・望氣・三元・遁甲・六壬・太一の法を學び、粗く其の旨を知るも、又研精せず。亦此の類大都人の爲に用るの事を估計し、出身の情に同じく、必ずしも急に此らを拿げて自ら勞役せず、子書を省するに如かず益有り、於是又之を廢す。《別錄》《藝文志》に按ずるに、衆萬三千二百九十九卷有り、而も魏代以來、群文滋長し、往者に倍す、纔かに自ら見ざる所の多きを知る。江表書籍、通じて同じく具ならず。昔京師に到らんと想ひ(藏本故と作す、舊寫本に從りて改む)、奇異を索めんとす、而も正に大亂に値ひ、半道にして還る、每に自ら歎恨す(藏本具と作す、舊寫本に從りて改む)。今年齒不惑に近く、素志衰頹し、只だ損して之を又損することを含み、無爲に爲す、偶く藪澤を耕し、苟くも性命を存するのみ。博涉の業、於是日に沮げたり。
洪之為人也,(有脫文)而呆野,性鈍口訥,形貌醜陋,而終不辯自矜飾也。冠履垢弊,衣或襤縷,而或不恥焉。俗之服用,俄而屢改。或忽廣領而大帶,或促身本作身促,從意林乙轉。而修袖,或長裾曳地,或短不蔽腳。洪期於守常,不隨世變,言則率實,杜絕嘲戲,不得其人,終日默然。故邦人鹹稱之為抱朴之士,是以洪著書,因以自號焉。洪稟性尪羸,兼之多疾,貧無車馬,不堪徒行,行亦性所不好。又患弊俗,捨本逐末,交遊過差,故遂撫筆閒居,守靜蓽門,而無趨從之所。藏本作趨所之從,今從舊寫本改。至於權豪之徒,雖在密跡,而莫或相識焉。衣不闢寒,室不免漏,食不充虛,名不出戶,不能憂也。貧無僮僕,籬落頓決,荊棘叢於庭宇,蓬莠塞乎階溜,披榛出門,排草入室,論者以為意遠忽近,而不恕藏本作怒,從舊寫本改。其乏役也。不曉謁有脫文。以故初不修見官長,至於吊大喪,省困疾,乃心欲自勉強,令無不必至,而居疾少健,恆復不周,每見譏責於論者,洪引咎而不恤也。意苟無餘,而病使心違,顧不媿己而已,亦何理於人之不見亮乎?唯明鑑之士,乃恕其信抱朴,非以養高也。
洪の爲人、(脫文有り)而も呆野、性鈍く口訥く、形貌醜陋、而も終に辯じて自ら矜飾せず。冠履垢弊し、衣或は襤縷、而も或は之を恥ぢず。俗の服用、俄にして屢々改まる。或は忽然廣領にして大帶し、或は身を促して(本身促と作す、《意林》に從りて乙轉す)而も袖を修め、或は長裾地を曳き、或は短く脚を蔽はず。洪常を守るを期し、世變に隨はず、言うれば則ち實に率ゐ、嘲戲を杜絕し、其の人を得ず、終日默然たり。故に邦人皆彼を稱して抱朴之士と爲す、故に洪書を著し、因此自ら號す。洪禀性尪羸し、兼ねて疾多く、貧して車馬無く、徒行に堪えず、行くも亦是れ性の好まざる所。又弊俗を患ふ、本を舍てて末を逐ひ、交游過差す、故に於是筆を撫して閑居し、靜を守りて蓽門に在り、而も趨從の所無し(藏本趨所之從と作す、今舊寫本に從りて改む)。至於權豪之徒、雖も密邇に在るも、而も或は相識らず。衣寒を辟けず、室漏を免れず、食虛を充たず、名戸を出でず、以て憂ふる能わず。貧しく僮僕無く、籬落頓決し、荆棘庭宇に叢がり、蓬莠階溜に塞がり、榛を披きて門を出で、草を排して室に入る、論者以て意遠を忽せ近せしと爲り、而も彼の役乏しきを恕さず(藏本怒と作す、舊寫本に從りて改む)。謁を曉らず(脫文有り)。因此初め官長に見るを修めず、至於大喪を吊ひ、困疾を省す、乃ち心自ら勉强せんと欲し、必ず至らざる無きを讓れども、而も疾に居りて健少なく、恒に復た周ならず、每に論者の譏責する所と爲る、洪咎を引きて恤れず。意餘有るに若からざるも、而も病心をして違はしむ、只だ己に愧ざるを求めるのみ、又人の見諒せざるに何の理有らん。只有明鑒之士、纔かに彼を恕し、信じて抱朴す、以て高を養ふに用ゐざる。
世人多慕豫親之好,推暗室藏本作至,從舊寫本改。之密,洪以為知人甚未易,上聖之所難,浮雜之交,口合神疕,舊寫本作離。無益有損,雖不能如朱公叔一切絕之,且必須清澄詳悉,乃處意焉。又為此見憎者甚眾而不改也。馳逐苟達,側立勢門者,又共疾洪之異於己而見疵毀,謂洪為泬物輕俗。而洪之為人,信心而行,譭譽皆置於不聞。藏本置作之,舊寫本作譭譽之皆如不聞,今從盧本。至患近人,或恃其所長而輕人所短。洪忝為儒者之末,每與人言,常度其所知而論之,不強引之以造彼所不聞也。及與學士有所辯識,每舉綱領,若值惜短,難解心義。藏本作家,從舊寫本改。但粗說意之與向,使足以發寤而已,不致苦理,使彼率不得自還也。彼靜心者存舊寫本存字空白,疑是衍文。詳而思之,則多自覺而得之者焉。度不可藏本無不字,從舊寫本補。與言者,雖或有問,常辭以不知,以免辭費之過也。
世人多く豫親の好を慕ひ、暗室(藏本至と作す、舊寫本に從りて改む)の密を推す、洪以て人を知る甚だ容易ならず、是れ上聖の難とする所、浮雜の交、口合し神疕り(舊寫本離と作す)、益無く損有り、雖も能く朱公叔のごとく一切絕掉する能わざるも、且つ必ず淸澄詳悉して、纔かに意を處さん。又此れ爲めに憎む人多くして而も改めず。馳逐して苟に達し、側立して勢門の、又共同に洪の己に異なりて疵毀せらるるを疾み、洪を說く是れ泬物俗を輕んずと。而も洪の爲人、心を信じて行ひ、毀譽皆聞かざるに置く(藏本置を之と作す、舊寫本毀譽之皆如不聞と作す、今盧本に從ふ)。至患人に近き、或は其の長じる所を仗りて人の短かき所を輕んず。洪忝くも儒者の末と爲り、每に人與言へば、常に其の知る所を度量して論じ、彼を強引して其の聞かざる所に到らしめず。以及學士與辯識する所有れば、每に綱領を擧げ、若し短きを惜むに値へば、心義を解し難し(藏本家と作す、舊寫本に從りて改む)。只だ粗く意の與向を說き、足以寤を發さしむるのみ、苦理を致さず、彼をして大都自ら還るを得ざらしむ。彼ら靜心の人存し(舊寫本存の字空白、疑はく是れ衍文)詳にして思へば、則ち多く自ら覺悟して得。度量言ふ可からざる(藏本不の字無し、舊寫本に從りて補す)與、雖も或は問有るも、常に知らずを以て辭し、以て辭費の過を免れん。
洪性深不好乾煩官長,自少及長,曾救知己之抑者數人,不得已藏本無已字,從舊寫本補。有言於在位者。然其人皆不知洪之恤也,不忍見其陷於非理,密自營之耳。其餘雖親至者,在事秉勢,與洪無惜者,終不以片言半字少累之也。至於糧用窮匱,急合湯藥,則喚求朋類,或見濟,亦不讓也。受人之施,必皆久久漸有以報之,不令覺也。非類則不妄受其饋致焉。洪所食有旬日之儲,則分以濟人之乏,若殊自不足,亦不割己也。不為皎皎之細行,不治察察之小廉。村裡凡人之謂舊寫本謂字空白,疑有誤。良守善者,用舊寫本用字空白,疑有誤。時或齎酒餚候洪,雖非儔匹,亦不拒也。後有以答之,亦不登時也。洪嘗謂史雲不食於昆弟,華生治潔於暱客,蓋邀名之偽行,非廊廟之遠量也。洪尤疾無義之人,不勤農桑之本業,而慕非義之奸利。持鄉論者,則賣選舉以取謝。有威勢者,則解符疏以索財。或有有字當誤,舊寫本空白。罪人之賂,或當作而。枉有理之家,或為逋逃之藪,而饗亡命之人,疑作入。或挾使民丁以妨本作妨以,從下文乙轉。公役,或強收錢物以求貴价,或占錮市肆,奪百姓之利,或割人田地,劫孤弱之業,愡恫官府之閒,以窺掊克之益,內以誇妻妾,外以釣名位,其如此者,不與交焉。由是俗人憎洪疾己,自然疏絕。故巷無車馬之跡,堂無異志之賓,庭可設雀羅,而几筵積塵焉。
洪性深く官長を煩擾するを好まず、少より長に及ぶまで、曾て知己の抑せらるる數人を救ひ、不得已(藏本已の字無し、舊寫本に從りて補す)在位に言有り。然れども彼らの人皆洪の彼らを恤ふるを知らず、彼らの非理に陷るを見るに忍びず、密かに自ら營るのみ。其餘雖も親至の、事に在り勢を秉り、洪與惜む無き、終に片言半字を以て稍彼らを累さず。至於糧用窮匱し、急に湯藥を合すれば、則ち朋類を喚求し、或は濟を見るも、亦讓らず。人家の施を受ければ、必ず皆久久漸々用うる有りて以て報ゆ、覺えしめず。類に非ざれば則ち其の饋致を妄受せず。洪の喫する所旬日の儲有れば、則ち分かちて來りて人の乏しきを濟ふ、若し自ら殊に足らざれば、亦己を割かず。皎皎の細行を做さず、察察の小廉を治めず。村里凡人の謂う所(舊寫本謂の字空白、疑はく誤有り)の良守善の、用(舊寫本用の字空白、疑はく誤有り)時或は酒肴を帶て洪を候す、雖も不是儔匹、亦拒まず。後來以て答ふる有り、亦登時ならず。洪曾て說く史雲昆弟の處に在りて喫わず、華生昵客に對して潔を治む、蓋し是れ名を邀ふるの僞行、不是廊廟の遠量と。洪尤も義無きの人を疾み、農桑の本業を勤めず、而も義ならざるの奸利を慕ふ。鄕論を持する、則ち選擧を賣りて以て謝を取る。威勢有る、則ち符疏を解して以て財を索む。或は(有の字當に誤、舊寫本空白)罪人の賂有り、或は(當に而と作るべし)理有るの家を枉げ、或は逋逃の藪を做し、而も亡命の人を饗し(疑はく入と作す)、或は民丁を挾使して以て公役を妨げ(本妨以と作す、下文に從りて乙轉す)、或は錢物を強收して以て貴價を求め、或は市肆を占錮して、百姓の利を奪ひ、或は人の田地を割き、孤弱の業を劫し、官府の閒に憁恫して、以て掊克の益を窺ふ、內以て妻妾を誇り、外以て名位を釣る、此のごときの、交らず與。此れに由りて俗人洪を憎み己を疾み、自然疏絕す。故に巷車馬の迹無く、堂異志の賓無く、庭雀羅を設く可し、而も几筵塵を積む。
洪自有識以逮。將老,口不及人之非,不說人之私,乃自然也。雖僕豎有其所短所羞之事,不以戲之也。未嘗論評人物之優劣,不喜訶譴人交舊寫本作又人。之好惡。或為尊長所逼問,辭不獲已,其論人也,則獨舉彼體中之勝事而已。其論文也,則撮其所得之佳者,而不指摘其病累。故無譭譽之怨。貴人時或問官吏民甲乙何如。其清高閒舊寫本作賢。能者,洪指說其快事;其貪暴暗塞者,對以偶不識悉。洪由此頗見譏責,以顧護太多,不能明辯臧否,使皂白區分,而洪終不敢改也。每見世人有好論人物者,比方倫匹,未必當允,而褒貶與奪,或失準格。見譽者自謂已分,未必信德也;見侵者則恨之入骨,劇於血讎。洪益以為戒,遂不復言及士人矣。雖門宗子弟,其稱兩皆以付邦族,不為輕乎當作平,舊寫本作評。其價數也。或以譏洪。洪答曰:我身在我者也,法當易知。設令有人問我,使自比古人,及同時令我自求輩,則我實不能自知可與誰為匹也,況非我安可為取而。評定之耶?漢末俗弊,朋黨分部,許子將之徒,以口舌取戒,爭訟論議,門宗成讎。故汝南人士無復定價,而有月旦之評。魏武帝深亦疾之,欲取其首,爾乃奔波亡走,殆至屠滅。前鑑不遠,可以得師矣。且人之未易知也,雖父兄不必儘子弟也。同乎我者遽是乎?異於我者遽非乎?或有始無卒,唐堯公旦仲尼季札,皆有不全得之恨,無以近人信其嘍嘍管見熒舊寫本作螢。燭之明,而輕評人藏本作人評,從舊寫本乙轉。物,是皆賣賣字疑舊寫本空白。彼上聖大賢乎?
洪識有るより將に老んとするに至るまで、口人の非に及ばず、人の私を說かず、乃ち是れ自然。雖も僕豎短き所羞づる所の事有るも、以て彼を戲れず。未だ嘗て人物の優劣を論評せず、人の交の好惡を訶譴するを喜ばず(舊寫本又人と作す)。或は尊長の逼問する所と爲り、辭獲ず已、人を論ずるの時、則ち獨り其の體中の勝事を擧ぐるのみ。文を論ずるの時、則ち其の得る所の佳處を撮みて、而も病累を指摘せず。故に毀譽の怨無し。貴人時或は官吏民甲乙如何を問ふ。彼ら淸高閑(舊寫本賢と作す)能の、洪其の快事を指說す。彼ら貪暴暗塞の、以て偶に識悉せずを對ふ。洪此れに由りて頗る譏責せられ、以て顧護太多、能く臧否を明辯せず、皂白を區分せしめずと爲す、而も洪終に敢へて改めず。每に世人の人物を論ずるを好むを見、倫匹を比方す、未だ必ず當允ならず、而も褒貶與奪、或は準格を失ふ。譽せられしは自ら以て已分と爲し、未だ必ず信德ならず。侵せられしは則ち之を恨むこと骨に入る、劇烈血仇に過ぎる。洪更加に以て戒と爲し、於是再び士人に言及せず。雖も門宗子弟、彼を稱して兩都以て邦族に付す、輕乎(當に平と作るべし、舊寫本評と作す)彼の價數を做さず。或は因此洪を譏る。洪答へて說く、我が身我に在り、法當に知り易し。假如人我に問ふ有り、己をして古人に比せしめ、以及同時我をして自ら輩を求めしむれば、則ち我實に能く自ら誰と匹と爲す可きを知らず、何況不是我怎んぞ以て取りて評定す可けんや。漢末俗弊れ、朋黨部を分かち、許子將の徒、口舌を以て戒を取り、爭訟論議し、門宗仇と成る。故に汝南人士再び定價有らず、而も月旦の評有り。魏武帝深く亦此を疾み、其の首を取らんと想ひ、於是纔かに奔波亡走し、殆ど屠滅に至る。前鑒遠からず、以て師を得る可し。且つ人未だ知り易からず、雖も父兄必ずしも子弟を盡く知らず。我に同じき則ち便ち是れ是か。我に異なる則ち便ち是れ非か。或は始有りて卒無し、唐堯・公旦・仲尼・季札、皆全く得ざるの恨有り、近人を以て彼の嘍嘍管見熒(舊寫本螢と作す)燭の明を信ずるに從無し、而も輕く人を評し(藏本人評と作す、舊寫本に從りて乙轉す)物する、此ら皆是れ彼の上聖大賢を賣るか。
昔大安中,石冰作亂,六州之地,柯振葉藏本作鎮業,從舊寫本改。靡,違正黨逆,義軍大都督邀洪為將兵都尉,累見敦迫。既桑梓恐虜,禍深憂大,古人有急疾之義。又畏軍法,不敢任志。遂募合數百人,與諸軍旅進。曾攻賊之別將,破之日,錢帛山積,珍玩蔽地。諸軍莫不放兵收拾財物,繼轂連擔。洪獨約令所領,不得妄離行陣。士有摭得眾者,洪即斬之以徇。於是無敢委杖。而果有伏賊數百,出傷諸軍。諸軍悉發,無部隊,皆人馬負重,無復戰心,遂致驚亂,死傷狼藉,殆欲不振。獨洪軍整齊轂張,無所損傷,以救諸軍之大崩,洪有力焉。後別戰,斬賊小帥,多獲甲首,而獻捷幕府。於是大都督加洪伏波將軍。例給布百匹,諸將多封閉之,或送還家。而洪分賜將士,及施知故之貧者。餘之十匹,又徑以市肉酤酒,以饗將吏。於時竊擅一日之美談焉。
昔大安中、石冰亂を作し、六州之地、柯振りて葉靡す(藏本鎮業と作す、舊寫本に從りて改む)、正を違へて逆に黨す、義軍大都督洪を邀へて將兵都尉を做らしめ、累々敦迫せらる。既に桑梓虜せらるるを恐れ、禍深く憂大なり、古人急疾の義有り。又軍法を畏れ、敢へて志を任せず。於是數百人を募合し、諸軍旅與進む。曾て賊の別將を攻め、破るの日、錢帛山のごとく堆積し、珍玩地を蔽ふ。諸軍兵を放ちて財物を收拾せざる無し、轂を繼ぎ擔を連ぬ。洪獨り領する所を約束し、妄りに行陣を離るるを得ず。士卒摭りて衆物を得る有れば、洪則ち斬りて以て徇す。於是敢へて委杖する無し。而も果然伏賊數百有り、出でて諸軍を傷つく。諸軍全部發し、部隊無く、皆人馬重を負ひ、再び戰心有らず、於是驚亂を致し、死傷狼藉し、殆ど振はんと欲せず。獨り洪軍整齊轂張し、損傷する所無し、以て諸軍の大崩を救ふ、洪力有り。後來別に戰ひ、賊の小帥を斬り、甲首を多獲し、而も捷を幕府に獻ず。於是大都督洪を加へて伏波將軍と爲す。例布百匹を給し、諸將多く封閉し、或は家に送還す。而も洪將士に分賜し、以及知故の貧者に施給す。餘る十匹、又徑直以て肉を買ひ酒を沽り、以て將吏を饗す。當時竊かに擅り一日の美談と爲す。
事平,洪投戈釋甲,徑詣洛陽,欲廣尋異書,了不論戰功。竊慕魯連不受聊城之金,包胥不納存楚之賞,成功不處之義焉。正遇上國大亂,北道不通,而陳敏又反於江東,歸塗隔塞。會有故人譙國嵇君道,本作居道,從意林及晉書改,下放此。見用為廣州刺史,乃表請洪為參軍,雖非所樂,然利可避地於南,故黽勉就焉。見遣先行催兵,而君道於後遇害,遂停廣州,頻為節將見邀用,皆不就。永惟富貴可以漸得,而不可頓合,其閒屑屑亦足以勞人。且榮位勢利,譬如寄客,既非常物,又其去不可得留也。隆隆者絕,赫赫者滅,有若春華,須臾凋落。得之不喜,失之安悲?悔吝百端,憂懼兢戰,不可勝言,不足為也。且自度性篤懶而才至短,以篤懶而御短才,雖翕肩屈膝,趨走風塵,猶必不辦,大致名位而免患累,況不能乎?未若修松喬之道,在我而已,不由於人焉。將登名山,服食養性,非有廢也。事不兼濟,自非藏本作不,從舊寫本改。絕棄世務,則曷緣修習玄靜哉?且知之誠難,亦不得惜問而與人議也。是以車馬之跡,不經貴勢之域;藏本作貴世之域,從舊寫本改。片字之書,不交在位之家。又士林之中,雖不可出,而見造之賓,意不能拒,妨人所作,不得專一。乃嘆曰,山林之中無道也。而古之修道者,必入山林者,誠欲以違遠讙譁,使心不亂也。今將遂本志,委桑梓,適嵩嶽,以尋方平梁公之軌。先所作子書內外篇,幸已用功夫,聊復撰次,以示將來云爾。
事平らぎ、洪戈を投げ甲を釋き、徑直洛陽に到り、異書を廣く尋ぬるを想ひ、完全に戰功を論ぜず。私かに魯連の聊城の金を受けず、包胥の存楚の賞を納れざる、成功して處らざるの義を慕ふ。正に國大亂に遇ひ、北道通ぜず、而も陳敏又江東に在りて反す、歸途隔塞す。故人譙國嵇君道に遇上す(本居道と作す、《意林》及び《晉書》に從りて改む、下此を放す)廣州刺史に見用せられ、則ち表して洪を請ひて參軍を做らしむ、雖も樂む所に非ざれども、然れども利南に於て地を避る可きに在り、故に黽勉して職に就く。先に行きて兵を催するを遣はされ、而も君道後に在りて害に遇ふ、於是廣州に停まり、頻りに節將の邀用する所と爲るも、皆就かず。永く惟るに富貴以て漸得す可し、而も以て頓合す可からず、其の閒屑屑として亦以て人を勞すに足る。且つ榮位勢利、譬へば寄客、既に不是常物、又其の去る得て留む可からず。隆隆の絕、赫赫の滅、若く春華有り、須臾凋落す。之を得て喜ばず、之を失ひて何ぞ必ず悲まん。悔吝百端、憂懼兢戰し、以て言を勝つ可からず、爲すに足らず。且つ自ら性篤懶にして才至って短きを度量し、篤懶を以て短才を駕馭す、雖も肩を翕め膝を屈し、風塵に趨走すとも、還た必ず辦到らず、大致名位にして患累を免れん、何況能わざるをや。松喬の道を修するに如かず、我に在るのみ、人に由らず。將に名山に登り、服食して性を養ひ、不是廢する所有りと。事能く兼濟せず、若し不是(藏本不と作す、舊寫本に從りて改む)世務を絕棄せば、則ち何處よりか玄靜を修習せん。且つ之を知る誠に難く、亦問を惜んで人與議するを得ず。故に車馬の迹、貴勢之域に經ず(藏本貴世之域と作す、舊寫本に從りて改む)。片字の書、在位之家に交らず。又士林の中、雖も出づ可からざれども、而も造する賓を見れば、意能く拒まず、人の作る所を妨げ、專一を得ず。纔かに歎說す、山林の中竝びに道無し。而も古道を修する、必ず山林に入る、實に是れ喧嘩を違遠して、心をして亂れざらしめんと欲す。今將に本志を遂げ、桑梓を委ね、嵩岳に適き、以て方平・梁公の軌を尋ぬんとす。先の作する所の子書內外篇、幸に已に功夫を用ゐ、聊か再び撰次し、將來に看せんを給ふるのみ。
洪年十五六時,所作詩賦雜文,當時自謂可行於代。本脫於代二字,從意林補。至於弱冠,更詳省之,殊多不稱意,天才未必為增也,直所覽差廣,而覺妍媸之別。於是大有所制,棄十不存一。今除所作子書,但雜尚餘百所卷,猶未盡損益之理,而多慘憤,不遑復料護之。他人文成,便呼快意。餘才鈍思遲,實不能爾。作文章每一更字,輒自轉勝,但患懶,又所作多,不能數省之耳。
洪年十五六の時、作する所の詩賦雜文、當時自ら以て代に行ふ可しと爲す(本「于代」二字を脫す、《意林》に從りて補す)。至於弱冠、再び詳省す、特に多く意に稱はず、天才未だ必ず増加せず、只だ是れ覽る所稍く廣くして、而も妍媸の別を覺ゆ。於是大に制する所有り、十を棄てて一を存せず。今作する所の子書を除き、只だ雜尚ほ餘ること百來卷、尚ほ未だ損益の理を盡さず、而も多く慘憤し、遑あらず再び料護す。他人文成れば、便ち快意と呼ぶ。我才鈍く思遲く、實に能く此のごとくせず。文章を作る每に一字を改めば、自ら則ち轉じて勝る、只だ懶を患へ、又作る所多く、以て數省する能わざるのみ。
洪年二十餘,乃計作細碎小文,妨棄功日,未若立一家之言,乃草創子書。會遇兵亂,流離播越,有所亡失,連在道路,不復投筆十餘年,至建武中乃定,凡著內篇二十卷,外篇五十卷,碑頌詩賦百卷,軍書檄移章表箋記三十卷。又撰俗所不列者為神仙傳十卷,又撰高尚藏本作上,今從舊寫本。不仕者為隱逸傳十卷,又抄五經七史百家之言,兵事方伎短雜奇要三百一十卷,別有目錄。其內篇言神仙方藥鬼怪變化養生延年禳邪卻禍之事,屬道家。其外篇言人閒得失,世事臧否,屬儒家。洪見魏文帝典論藏本作典目,從舊寫本改。自敘,末藏本作未,從舊寫本改。及彈棋擊劍之事,有意於略說所知,而實不數少所便能,不可虛自稱揚,今將具言,所不閒焉。
洪年二十餘、纔かに計算して細碎小文を作り、功日を妨棄す、一家之言を立つるに如かず、纔かに子書を草創す。會兵亂に遇ひ、流離播越し、亡失する所有り、連りて道路に在りて、再び筆を投げざること十餘年、建武中に到りて纔かに定まる、凡そ內篇二十卷・外篇五十卷・碑頌詩賦百卷・軍書檄移章表箋記三十卷を著す。又俗の列さざる所を撰して《神仙傳》十卷と爲し、又高尚(藏本上と作す、今舊寫本に從ふ)仕せざるを撰して《隱逸傳》十卷と爲し、又五經七史百家之言・兵事方伎短雜奇要を鈔すこと三百一十卷、別に目錄有り。內篇神仙方藥鬼怪變化養生延年禳邪卻禍の事を說く、道家に屬す。外篇人間得失・世事臧否を說く、儒家に屬す。洪魏文帝《典論》(藏本典目と作す、舊寫本に從りて改む)の自叙を見、末(藏本未と作す、舊寫本に從りて改む)彈棋擊劍の事に及ぶ、意略く知る所を說く有るに於て、而も實に數少便する所に在らず、以て虛しく自ら稱揚す可からず、今將に具に言ふ、嫻熟せざる所を。
洪體鈍性駑,寡所玩好,自總髮垂髫,有脫句。又擲瓦手搏,不及兒童之群,未曾鬥雞鶩走狗馬。見人博戲,了不目眄,或強牽引觀之,殊不入神,有若晝睡。是以至今不知棋局上有幾道,樗蒲齒名。亦念此輩末伎,亂意思而妨日月,在位有損政事,儒者則廢講誦,凡民則忘稼穡,商人則失貨財。至於勝負未分,交爭都市,心熱於中,顏愁於外,名之為樂,而實煎悴。喪廉恥之操,興爭競之端,相取重貨,密結怨隙。昔宋閔公吳太子致碎首之禍,生叛亂之變,覆滅七國,幾傾天朝,作戒百代,其鑑明矣。每觀戲者,慚恚交集,手足相交,醜詈相加,絕交壞友,往往有焉。怨不在大,亦不在小,多召悔吝,不足為也。仲尼雖有晝寢之戒,以洪較之,洪實未許其賢於晝寢。何者,晝寢但無益,而未有怨恨之憂,鬥訟之變。聖者猶韋編三絕,以勤經業,凡才近人,安得兼修。惟諸戲盡不如示一尺之書,故因本不喜而不為,蓋此俗人所親焉。
洪體鈍く性駑く、玩好する所少なし、總髮垂髫より、(脫句有り。)又瓦を擲ち手搏す、兒童の群に及ばず、未だ嘗て雞を鬪はし鶩を走らせ狗馬せず。人の博戲を見るも、完全不目眄し、或は強ひて牽引して觀看せしむるも、殊に神に入らず、晝睡するに若し。故に今に至るまで棋局上幾道か・樗蒲の齒名を知らず。亦此の類末伎を念ふ、意思を亂りて日月を妨げ、在位あれば政事を損し、儒者あれば則ち講誦を廢し、凡民あれば則ち稼穡を忘れ、商人あれば則ち貨財を失ふ。至於勝負未だ分かれず、都市に交爭し、中に心熱し、外に顏愁ふ、之を樂と名づくるも、而も實に煎悴す。廉恥の操を喪び、爭競の端を興し、相ひ重貨を取り、密かに怨隙を結ぶ。昔宋閔公・吳太子碎首の禍を致し、叛亂の變を生じ、七國を覆滅し、幾んど天朝を傾け、百代に戒を作す、其の鑒明白なり。每に戲る人を觀れば、慚恚交々集まり、手足相ひ交はり、丑詈相ひ加へ、交を絕ち友を壞る、往々有り。怨大に在らず、亦小に在らず、多く悔吝を召し、爲すに足らず。仲尼雖も晝寢の戒有るも、洪を以て較べれば、洪實に未だ之を晝寢に賢なりと許さず。何爲れぞ、晝寢只だ益無きのみ、而も未だ怨恨の憂・鬪訟の變有らず。聖者還た韋編三絕し、以て經業を勤む、凡才近人、怎んぞ兼修するを得ん。想來諸戲皆一尺の書を出示するに如かず、故に本喜ばずして爲さざるを因る、蓋し是れ俗人の親しむ所。
少嘗學射,但力少不能挽強,若顏高之弓耳。意為射既在六藝,又可以禦寇闢劫,及取鳥獸,是以習之。昔在軍旅,曾手射追騎,應弦而倒,殺二賊一馬,遂以得免死。又曾受刀楯及單刀雙戟,皆有口訣要術,以待取人,乃有秘法,其巧入神。若以此道與不曉者對,便可以當全獨勝,所向無前矣。晚又學七尺杖術,可以入白刃,取大戟。然亦是不急之末學,知之譬如麟角鳳距,何必用之?過藏本脫過字,從舊寫本補。此已往,未之或知。
少時曾て射を學ぶ、只だ是れ力少く能く強を挽かず、顏高の弓に像るのみ。意射既に六藝に在り、又以て寇を禦ぎ劫を辟け、以及鳥獸を取る可しと爲し、故に之を習ふ。昔軍旅に在りて、曾て手追騎を射り、弦に應じて倒れ、二賊一馬を殺し、於是因此死を免るるを得。又曾て刀盾及び單刀雙戟を受け、皆口訣要術有り、以て人を取るを待つ、乃ち祕法有り、其の巧神に入る。若し此の道を以て曉らざる人與對すれば、便ち以て全獨勝に當たり、向かう所前無し。晚く又七尺杖術を學び、以て白刃に進入し、大戟を取る可し。然れども亦是れ急ならざるの末學、之を知ること譬へば麟角鳳距、何ぞ必ず之を用ゐん。此(藏本過の字を脫す、舊寫本に從りて補す)より以往、未だ之れ或は知る。
洪少有定志,決不出身。每覽巢許子州北人石戶二姜兩袁法真子龍之傳,嘗廢書前席,慕其為人。念精治五經,著一部子書,令後世知其為文儒而已。後州郡及車騎大將軍闢,皆不就。薦名琅邪王丞相府。昔起義兵,賊平之後,了不修名,詣府論功,主者永無賞報之冀。晉王應天順人,撥亂反正,結皇綱於垂絕,修宗廟之廢祀,念先朝之滯賞,並無報以勸來。洪隨例就彼。庚寅詔書,賜爵關中侯,食句容之邑二百戶。竊謂藏本作詔,從舊寫本改。討賊以救桑梓,勞不足錄,金紫之命,非其始願,本欲遠慕魯連,近引田疇,上書固辭,以遂微志。適有大例,同不見許。昔仲由讓應受之賜,而沮為善。醜虜未夷,天下多事,國家方欲明賞必罰,以彰憲典,小子豈敢苟潔區區之懦志,而距弘通之大制,故遂息意而恭承詔命焉。
洪少くして定志有り、決して出身せず。每に巢・許・子州・北人・石戸・二姜・兩袁・法眞・子龍の傳を覽れば、曾て書を廢して前席し、彼らの爲人を慕ふ。念精治五經し、一部の子書を著して、後世をして彼を是れ文儒と知らしめんのみ。後來州郡及び車騎大將軍辟す、皆就かず。名を薦めて琅邪王丞相府に到る。昔義兵を起し、賊平ぎし之後、完全不名を修め、府に到りて功を論ず、主者永く賞報の冀無し。晉王天に應じ人に順ひ、亂を撥きて正に反し、垂絕の處に在りて皇綱を結び、宗廟の廢祀を修し、先朝の滯賞を念ふ、竝びに報を以て勸を來たらざる無し。洪例に隨ひて彼に就く。庚寅詔書、關中侯の爵を賜り、句容の邑二百戶を食す。私かに以て(藏本詔と作す、舊寫本に從りて改む)賊を討ちて以て桑梓を救ふ、勞錄するに足らず、金紫の命、不是始願、本想遠く魯連を慕ひ、近く田疇を引き、上書して固辭し、以て微志を遂げんとす。適に大例有り、同じく許さるるを見ず。昔仲由應に受くべきの賜を讓りて、而も善を爲すを沮ぐ。丑虜未だ夷らざる、天下事多し、國家正に賞を明かにし罰を必ならしめんと想ひ、以て憲典を彰かにせん、小子豈に敢へて苟くも區區の懦志を潔め、而も弘通の大制を拒まんや、故に於是意を息めて恭んで詔命を承く。
洪既著自敘之篇。或人難曰:昔王充年在耳順,道窮望絕,懼身名之偕滅,故自紀終篇。先生以始立之盛,值乎有道之運,方將解申公之束帛,登穆藏本作枚,從舊寫本改。生之蒲輪,耀藻九五,絕聲昆吾,何憾芬芳之不揚,而務老生之彼務。洪答曰:夫二儀彌邈,而人居若寓,以朝菌之耀秀,不移晷而殄瘁,類春華之暫榮,未改旬而凋墜,雖飛飆之經霄,激電之乍照,未必速也。夫期頤猶奔星之騰煙,藏本作炯,從舊寫本改。黃髮如激箭之過隙,況或未萌藏本作明,從舊寫本改。而殞籜,逆秋而零瘁者哉?故項子有含穗之嘆,揚烏有夙折之哀。歷覽遠古逸倫之士,或以文藝而龍躍,或以武功而虎踞,高勳著於盟府,德音被乎管絃,形器雖沈鑠於淵壤,美談飄颻而日載,故雖千百代,猶穆如也。餘以庸陋,沈抑婆娑,用不合時,行舛於世,發音則響與俗乖,抗足則跡與眾迕,內無金張之援,外乏彈冠之友,循塗雖坦,而足無騏驎,六虛雖曠,而翼非大鵬,上不能鷹揚匡國,下無以顯親垂名,美不寄於良史,聲不附乎鍾鼎。故因著述之餘,而為自敘之篇,雖無補於窮達,亦賴將來之有述焉。
洪既に自叙の篇を著す。或は有人難して說く、昔王充年耳順に在り、道窮く望絕え、身名偕に滅せんを懼れ、故に自紀して終篇せり。先生始立の盛を以て、有道の運に値ひ、方に將に申公の束帛を解き、穆(《藏本枚と作す、舊寫本に從りて改む》)生の蒲輪に登り、九五に藻を耀はし、聲昆吾に絕えんとす、何の憾か芬芳揚らざる有らん、而も老生の彼らの務を務むと。洪答へて說く、二儀彌邈として、而も人居像寓す、朝菌の耀秀を拿げ、晷を移さずして殄瘁し、春華の暫榮に類して、旬を改めずして凋墜す、雖も飛飆霄を經て、激電乍か照すとも、未だ必ず更に快ならず。期頤還た奔星騰烟に像り(藏本炯と作す、舊寫本に從りて改む)、黃髮激箭の隙を過ぐに像る、何況或は未だ萌(藏本明と作す、舊寫本に從りて改む)せずして籜を殞し、秋に逆らひて零瘁するをや。故に項子含穗の歎有り、揚烏夙折の哀有り。歷覽遠古逸倫之士、或は文藝を以て龍躍し、或は武功を以て虎踞し、高勳盟府に著り、德音管弦に被る、形器雖も淵壤に沉鑠すとも、美談飄䬏して日に載る、故に雖も千百代、還た穆如なり。我庸陋を以て、沉抑婆娑し、用時に合せず、行世に舛し、音を發すれば則ち響俗與乖り、足を抗げば則ち迹衆與迕し、內金張の援無く、外彈冠の友乏し、途坦なるを循すとも、而も足騏𬴊無し、六虚曠なるも、而も翼大鹏に非ず、上能く鷹揚して國を匡せず、下親を顯し名を垂るるに從無し、美良史に寄せず、聲鐘鼎に附せず。故に著述の餘に因りて、而も自叙の篇を做す、雖も窮達に補無きも、亦將來述する所有るを賴む。
○校刊抱朴子內篇序
○抱朴子內篇の校刊序
道家宗旨,清淨沖虛而已。其弊或流為權謀,或流為放誕,無所謂金丹仙藥、黃白玄素、吐納導引、禁祝符■之術也。秦漢方士,絕不附會老子。即依託黃帝,亦非道家之說。漢書藝文志以黃帝諸篇,分屬道家神仙,蓋本七略。七略又本於別錄。劉子政固誦習鴻寶,篤信神仙者,而典校秘書,仍別方技於諸子之外,不相殽也。
道家の宗旨、不過淸淨冲虛のみ。其の流弊、或は權謀に流入り、或は放誕に流入り、竝びに謂う所の金丹仙藥・黃白(金銀を燒煉す)・玄素(房中)・吐納導引・禁祝符(底本此の字殘缺)此の類の術無し。秦漢の方士、絕て老子を以て附會せず。卽便黄帝に依托すとも、亦不是道家の說法。《漢書・藝文志》黄帝諸篇を以て分別道家・神仙家に屬す、蓋し《七略》に本づく。《七略》又《別錄》に本づく。劉子政固より《鴻寶》を誦習し・神仙を篤信すと雖も、然れども其の祕書を典校する時、仍然方技を以て諸子の外に別す、相混雜せず。
東漢之季,桓帝好神仙,祠老子。張陵之子衡,使人為祭酒,主以老子五千文都習。神仙之附會道家,實昉於此。抱朴子內篇,古之神仙家言也。雖自以內篇屬之道家,然所舉仙經神符,多至二百八十二種,絕無道家諸子。且謂老子泛論較略,莊子文子關尹喜之徒,祖述黃老,永無至言,去神仙千億裡。尋其旨趣,與道家判然不同。又後世學仙者,奉魏伯陽為正宗。是書偶及伯陽內篇之名,並無一語稱述,惟神仙傳中言參同契假爻象以說作丹之意而已。是稚川之學,匪特與道家異,並與後世神仙家無幾微之合。
東漢末年、桓帝神仙を好み、老子を祠祀す。張陵の兒子張衡、人をして祭酒を做らしめ、老子五千文を以て遍く習誦するを主持す。神仙の道家に附會する、實に是れ此より始まる。《抱朴子內篇》是れ古神仙家の言論。雖も葛洪自ら內篇を道家に屬す、然れども其の擧ぐる所の仙經神符多く二百八十二種に到る、絕て道家諸子無し。且つ其の說く老子の泛論比較的簡略、莊子・文子・關尹喜の徒黃老を祖述し、永遠に至言無し、神仙を離るること千億里。其の旨趣を尋ぬれば、道家與判然として同じからず。又、後世仙を學ぶ人魏伯陽を奉じて正宗と爲す。此の書偶々伯陽《內篇》の名目に及ぶ、竝びに一句稱述する無し、只だ《神仙傳》中に於て說く《參同契》爻象を假借して以て丹を作るの意を講ずのみ。稚川の學問を見る可し、不但道家與同じからず、并且後世神仙家與亦絲毫相合する無し。
餘嘗謂漢之仙術,元與黃老分途。魏晉之世,玄言日盛,經術多歧。道家自詭於儒,神仙遂溷於道。然第假借其名,不易其實也。迨及宋元,乃緣參同爐火而言內丹,煉養陰陽,混合元氣,斥服食胎息為小道,金石符祝為旁門,黃白玄素為邪術,惟以性命交修,為谷神不死,羽化登真之訣。其說旁涉禪宗,兼附易理,襲微重妙,且欲並儒釋而一之。自是而漢晉相傳神仙之說,盡變無餘,名實交溷矣。然則葛氏之書,墨守師傳,不矜妙悟。譬之儒者說經,其神仙家之漢學乎!
我曾て說く、漢代の仙術、原來黃老與途を分かつ。魏晉之世、玄言一天一天盛んなり、經術多く分歧す。道家自ら詭稱して儒に近しと、神仙於是道に混進す。然れども此れ只だ假借彼の名稱、竝びに其の實質を改めず。及び宋元、纔かに《參同契》の爐火に緣りて以て內丹を說き、陰陽を煉養し、元氣を混合し、服食・胎息を以て小道と斥け、金石・符祝を以て旁門と斥け、黃白・玄素を以て邪術と斥け、只だ性命交修を拿げて以て谷神不死・羽化登眞の口訣と爲す。彼の套說法旁ら禪宗に涉り、兼ねて易理に附し、微言を襲取し・奧妙を推重し、并且儒釋一竝びを合して一と爲さんと欲す。自此以後、漢晉相傳の神仙之說全部變盡し、名實與交相混雜せり。則ち葛氏の書師傳を墨守し、妙悟を矜持せず、以て儒者の經を說くに比ぶ、豈に正是れ神仙家の漢學ならずや。
孫伯淵漕司,篤好古義,兼綜九流,以明刻抱朴子及天一閣鈔本錯亂脫誤,手自校讎,復屬餘與顧澗●各以家藏諸本,參證他書,覆校數過,伯淵敘錄篇目,將以刊行。餘因舉神仙與道家者流,古今分合之故,論次為序,覽者或有考焉。嘉慶十七年七月甲戌桐城方維甸撰。
孫伯淵漕司古義を篤好し、兼ねて九流を綜へ、明刻《抱朴子》及び天一閣鈔本の錯亂脫誤を因りて、親ら校讐し、又我與顧澗(底本此の字殘缺)を囑托して各々家藏諸本を拿げ、他書を參證し、數過を覆校す。伯淵篇目を叙錄し、將に刊行せんとす。我因此神仙與道家者流古今分合の緣故を擧出し、論次して序を寫成す、閱覽の人或は考ふ可き有らん。嘉慶十七年七月甲戌、桐城方維甸撰。
按:明刻抱朴子於內篇之後,附入別旨一篇,專論吐納導引,與內篇本意不合,辭義亦甚淺近,不似晉人手筆。考之稚川自敘,本無此書。隋唐諸志,皆不著錄。惟宋史藝文志道家有抱朴子別旨二卷。注云,不知作者。亦不謂為稚川所著也。晚出之書,元不可信。且今本五百六十餘言,不盈一卷,並非宋元舊本。故削去之,不復附於篇末雲。維甸又跋。
按、明刻《抱朴子》內篇の後に於て《別旨》一篇を附入し、專ら吐納導引を論ず、內篇本意與合せず、辭義亦甚だ淺近、晉人の手筆に像らず。稚川自叙を考へば、本來此の部書無し。隋唐諸志皆著錄せず。只有《宋史・藝文志》道家《抱朴子別旨》二卷有り。注說く作者を知らずと。亦稚川の著する所と說かず。晚く出づるの書、原來信ず可からず。且つ今本五百六十餘字、一卷に滿たず、竝びに不是宋元舊本。故に之を削去し、再び篇末に附せず。維甸又跋す。
○抱朴子內篇目錄
○抱朴子內篇目錄
暢玄卷第一,論仙卷第二,對俗卷第三,金丹卷第四,至理卷第五,微旨卷第六,塞難卷第七,釋滯卷第八,道意卷第九,明本卷第十,仙藥卷第十一,辨問卷第十二,極言卷第十三,勤求卷第十四,雜應卷第十五,黃白卷第十六,登涉卷第十七,地真卷第十八,遐覽卷第十九,袪惑卷第二十。
暢玄卷第一、論仙卷第二、對俗卷第三、金丹卷第四、至理卷第五、微旨卷第六、塞難卷第七、釋滯卷第八、道意卷第九、明本卷第十、仙藥卷第十一、辨問卷第十二、極言卷第十三、勤求卷第十四、雜應卷第十五、黃白卷第十六、登涉卷第十七、地眞卷第十八、遐覽卷第十九、袪惑卷第二十。
右目錄依道藏本定。按抱朴子內篇敘云,別為此一部名曰內篇,凡二十卷,與外篇各起次第也。又外篇自敘云,凡著內篇二十卷,外篇五十卷。又云,其內篇言神仙方藥、鬼怪變化、養生延年、禳邪卻禍之事,屬道家。其外篇言人閒得失、世事臧否、屬儒家。隋書經籍志內篇亦屬道家,與外篇分行。道藏雖並收外篇,原未合為一部。觀其內篇之後,外篇之前,以抱朴子別旨一種閒隔之,可曉然矣。明人刻此書,從道藏取出,而不知其為三種,遂總名曰抱朴子,非也。今校刊內篇二十卷,不連外篇,以復葛氏之舊,兼正明人之誤。舊唐書經籍志及各家書目俱為二十卷。隋志二十一卷,音一卷者,或加序目及音為二十二卷也。音久不傳。道藏序在第一卷前,故不復列數雲。或疑別旨既自為一種,何以不見於自敘。考道藏所收,又有抱朴子養生論及稚川真人較證術一卷,抱朴子神仙金汋經三卷,葛稚川金木萬靈論,俱不見於自敘。然則別旨,正同斯例,蓋皆非稚川所撰也。嘉慶十六年十月五松居士孫星衍敘錄。
以上目錄《道藏》本に依りて定む。按《抱朴子內篇叙》說く、別外此の一部を做りて名づけて內篇と曰す、共に二十卷、外篇與各自次第を起す。又《外篇自叙》說く、一共內篇二十卷・外篇五十卷を著す。又說く、內篇神仙方藥・鬼怪變化・養生延年・禳邪卻禍の事を講ず、道家に屬す。外篇人間得失・世事臧否を講ず、儒家に屬す。《隋書・經籍志》內篇亦道家に屬し、外篇與分行す。《道藏》雖も一竝びに外篇を收めたるも、原來合成して一部と爲さず。其の內篇の後・外篇の前に在りて、《抱朴子別旨》一種を以て間隔して開くを看れば、則ち以て明白す可し。明人此の書を刻する、《道藏》より取出すも、而も知らず是れ三種、於是總名を《抱朴子》と曰す、此れ是れ不對。今內篇二十卷を校刊し、外篇に連ねず、以て葛氏の舊第を恢復し、兼ねて明人の誤を糾正す。舊《唐書・經籍志》及び各家書目皆二十卷と作す。《隋志》二十一卷・音一卷、或は是れ序目及び音を加上して以て二十二卷と成す。音久しく已に傳はらず。《道藏》序第一卷の前に在り、故に再び別列せず。或は疑ふ《別旨》既に自ら一種と成る、何の故に自叙に見えざる。考へる《道藏》の收する所、又有《抱朴子養生論》及び《稚川眞人校證術》一卷・《抱朴子神仙金汋經》三卷・《葛稚川金木萬靈論》、皆自叙に見えず。則ち《別旨》正に此の例に同じ、蓋し皆非稚川の撰する所。嘉慶十六年十月、五松居士孫星衍叙錄。
○校刊抱朴子內篇序
○抱朴子內篇の校刊序
道家宗旨,清淨沖虛而已。其弊或流為權謀,或流為放誕,無所謂金丹仙藥、黃白玄素、吐納導引、禁咒符籙之術也。秦漢方士,絕不附會老子。即依託黃帝,亦非道家之說。漢書藝文志以黃帝諸篇,分屬道家神仙,蓋本七略。七略又本於別錄。劉子政固誦習鴻寶,篤信神仙者,而典校秘書,仍別方技於諸子之外,不相殽也。
道家の宗旨、不過淸淨冲虛のみ。其の流弊、或は權謀に流入り、或は放誕に流入り、竝びに謂う所の金丹仙藥・黃白(金銀を燒煉す)・玄素(房中)・吐納導引・禁咒符籙此の類の術無し。秦漢の方士、絕て老子を以て附會せず。卽便黄帝に依托すとも、亦不是道家の說法。《漢書・藝文志》黄帝諸篇を以て分別道家・神仙家に屬す、蓋し《七略》に本づく。《七略》又《別錄》に本づく。劉子政固より《鴻寶》を誦習し・神仙を篤信すと雖も、然れども其の祕書を典校する時、仍然方技を以て諸子の外に別す、相混雜せず。
東漢之季,桓帝好神仙,祠老子。張陵之子衡,使人為祭酒,主以老子五千文都習。神仙之附會道家,實昉於此。抱朴子內篇,古之神仙家言也。雖自以內篇屬之道家,然所舉仙經神符,多至二百八十二種,絕無道家諸子。且謂老子泛論較略,莊子文子關尹喜之徒,祖述黃老,永無至言,去神仙千億裡。尋其旨趣,與道家判然不同。又後世學仙者,奉魏伯陽為正宗。是書偶及伯陽內篇之名,並無一語稱述,惟神仙傳中言參同契假爻象以說作丹之意而已。是稚川之學,匪特與道家異,並與後世神仙家無幾微之合。
東漢末年、桓帝神仙を好み、老子を祠祀す。張陵の兒子張衡、人をして祭酒を做らしめ、老子五千文を以て遍く習誦するを主持す。神仙の道家に附會する、實に是れ此より始まる。《抱朴子內篇》是れ古神仙家の言論。雖も葛洪自ら內篇を道家に屬す、然れども其の擧ぐる所の仙經神符多く二百八十二種に到る、絕て道家諸子無し。且つ其の說く老子の泛論比較的簡略、莊子・文子・關尹喜の徒黃老を祖述し、永遠に至言無し、神仙を離るること千億里。其の旨趣を尋ぬれば、道家與判然として同じからず。又、後世仙を學ぶ人魏伯陽を奉じて正宗と爲す。此の書偶々伯陽《內篇》の名目に及ぶ、竝びに一句稱述する無し、只だ《神仙傳》中に於て說く《參同契》爻象を假借して以て丹を作るの意を講ずのみ。稚川の學問を見る可し、不但道家與同じからず、并且後世神仙家與亦絲毫相合する無し。
餘嘗謂漢之仙術,元與黃老分途。魏晉之世,玄言日盛,經術多歧。道家自詭於儒,神仙遂溷於道。然第假借其名,不易其實也。迨及宋元,乃緣參同爐火而言內丹,釒柬養陰陽,混合元氣,斥服食胎息為小道,金石符祝為旁門,黃白玄素為邪術,惟以性命交修,為谷神不死,羽化登真之訣。其說旁涉禪宗,兼附易理,襲微重妙,且欲並儒釋而一之。自是而漢晉相傳神仙之說,盡變無餘,名實交溷矣。然則葛氏之書,墨守師傳,不矜妙悟。譬之儒者說經,其神仙家之漢學乎!
我曾て說く、漢代の仙術、原來黃老與途を分かつ。魏晉之世、玄言一天一天盛んなり、經術多く分歧す。道家自ら詭稱して儒に近しと、神仙於是道に混進す。然れども此れ只だ假借彼の名稱、竝びに其の實質を改めず。及び宋元、纔かに《參同契》の爐火に緣りて以て內丹を說き、陰陽を煉(底本「钅柬」是れ「金」旁與「柬」の拆開)養し、元氣を混合し、服食・胎息を以て小道と斥け、金石・符祝を以て旁門と斥け、黃白・玄素を以て邪術と斥け、只だ性命交修を拿げて以て谷神不死・羽化登眞の口訣と爲す。彼の套說法旁ら禪宗に涉り、兼ねて易理に附し、微言を襲取し・奧妙を推重し、并且儒釋一竝びを合して一と爲さんと欲す。自此以後、漢晉相傳の神仙之說全部變盡し、名實與交相混雜せり。則ち葛氏の書師傳を墨守し、妙悟を矜持せず、以て儒者の經を說くに比ぶ、豈に正是れ神仙家の漢學ならずや。
孫伯淵漕司,篤好古義,兼綜九流,以明刻抱朴子及天一閣鈔本錯亂脫誤,手自校讎,復屬餘與顧澗●各以家藏諸本,參證他書,覆校數過,伯淵敘錄篇目,將以刊行。餘因舉神仙與道家者流,古今分合之故,論次為序,覽者或有考焉。嘉慶十七年七月甲戌桐城方維甸撰。
孫伯淵漕司古義を篤好し、兼ねて九流を綜へ、明刻《抱朴子》及び天一閣鈔本の錯亂脫誤を因りて、親ら校讐し、又我與顧澗(底本此の字殘缺)を囑托して各々家藏諸本を拿げ、他書を參證し、數過を覆校す。伯淵篇目を叙錄し、將に刊行せんとす。我因此神仙與道家者流古今分合の緣故を擧出し、論次して序を寫成す、閱覽の人或は考ふ可き有らん。嘉慶十七年七月甲戌、桐城方維甸撰。
按:明刻抱朴子於內篇之後,附入別旨一篇,專論吐納導引,與內篇本意不合,辭義亦甚淺近,不似晉人手筆。考之稚川自敘,本無此書。隋唐諸志,皆不著錄。惟宋史藝文志道家有抱朴子別旨二卷。注云,不知作者。亦不謂為稚川所著也。晚出之書,元不可信。且今本五百六十餘言,不盈一卷,並非宋元舊本。故削去之,不復附於篇末雲。維甸又跋。
按、明刻《抱朴子》內篇の後に於て《別旨》一篇を附入し、專ら吐納導引を論ず、內篇本意與合せず、辭義亦甚だ淺近、晉人の手筆に像らず。稚川自叙を考へば、本來此の部書無し。隋唐諸志皆著錄せず。只有《宋史・藝文志》道家《抱朴子別旨》二卷有り。注說く作者を知らずと。亦稚川の著する所と說かず。晚く出づるの書、原來信ず可からず。且つ今本五百六十餘字、一卷に滿たず、竝びに不是宋元舊本。故に之を削去し、再び篇末に附せず。維甸又跋す。
○葛洪撰述書目表
○葛洪撰述書目表
抱朴子內篇二十卷抱朴子內篇序。抱朴子外篇自敘。隋志作二十一卷。今存。
《抱朴子內篇》二十卷。《抱朴子內篇序》・《抱朴子外篇自叙》に見ゆ。《隋書・經籍志》二十一卷と作す。今存す。
抱朴子外篇五十卷自敘。隋志作三十卷,並雲梁有五十一卷。今存。
《抱朴子外篇》五十卷。自叙に見ゆ。《隋志》三十卷と作し、竝びに說く梁五十一卷有りと。今存す。
碑頌詩賦百卷自敘。晉書本傳頌作誄。仙苑編珠引陳馬樞道學傳同。
碑頌詩賦百卷。自叙に見ゆ。《晉書》本傳「頌」を「誄」と作す。《仙苑編珠》陳馬樞《道學傳》を引く同じ。
軍書檄移章表箋記三十卷自敘。本傳作檄移章表。
軍書・檄移・章表・箋記三十卷。自叙に見ゆ。本傳檄移章表と作す。
神仙傳十卷自敘。本傳。今存。
《神仙傳》十卷。自叙・本傳に見ゆ。今存す。
隱逸傳十卷自敘。本傳。
《隱逸傳》十卷。自叙・本傳に見ゆ。
兵事方伎短雜奇要三百一十卷自敘。本傳作方伎雜事。
兵事・方伎・短雜奇要三百一十卷。自叙に見ゆ。本傳方伎雜事と作す。
金匱藥方一百卷本傳。
《金匱藥方》一百卷。本傳に見ゆ。
玉函方一百卷
《玉函方》一百卷。
抱朴子雜應篇。疑即前金匱藥方。
《抱朴子・雜應》篇。疑はく卽ち前の《金匱藥方》。
肘後要急方四卷本傳。雜應篇作救卒方三卷。隋志作肘後方六卷。舊唐志作肘後救卒方四卷。四庫全書目錄作肘後備急方八卷。今存。道藏正一部肘後備急方八卷,誤題作葛仙翁。
《肘後要急方》四卷。本傳に見ゆ。《雜應》篇《救卒方》三卷と作す。《隋志》《肘後方》六卷と作す。舊《唐志》《肘後救卒方》四卷と作す。《四庫全書》目錄《肘後備急方》八卷と作す。今存す。《道藏》正一部《肘後備急方》八卷、誤りて葛仙翁と題す。
神仙服食藥方十卷隋志。
《神仙服食藥方》十卷。《隋志》に見ゆ。
太清神仙服食經五卷新唐志。
《太淸神仙服食經》五卷。新《唐志》に見ゆ。
服食方四卷唐釋法琳辨正論卷九。
《服食方》四卷。唐釋法琳《辨正論》卷九に見ゆ。
玉函煎方五卷隋志。
《玉函煎方》五卷。《隋志》に見ゆ。
黑髮酒方一卷崇文總目。通志略。
《黑髮酒方》一卷。《崇文總目》・《通志・略》に見ゆ。
渾天論晉書天文志。文廷式補晉書藝文志。(簡稱補晉志)
《渾天論》。《晉書・天文志》に見ゆ。文廷式《補晉書藝文志》(略して補晉志と稱す)。
幕阜山記一卷補晉志。潮說補晉志。略見於外篇佚文。
《幕阜山記》一卷。補晉志に見ゆ。《潮說》、補晉志に見ゆ。略しく外篇佚文に見ゆ。
兵法孤虛月時秘要法一卷新唐志。
《兵法孤虛月時祕要法》一卷。新《唐志》に見ゆ。
陰符十德經一卷新唐志。
《陰符十德經》一卷。新《唐志》に見ゆ。
抱朴子軍術補晉志。雲此外篇中佚篇也,嚴可均全晉文輯得四十二條。今別錄其目。
《抱朴子軍術》。補晉志に見ゆ。說く此れ是れ外篇中の佚篇、嚴可均《全晉文》四十二條を輯得せり。今別外其の條目を登錄す。
金木萬靈訣一卷宋志通志略。今存道藏洞神部眾術類。蓋刪改金丹篇而成。太清玉碑子一卷宋志。葛洪與鄭思遠問答。今存道藏洞神部眾術類。
《金木萬靈訣》一卷。《宋志》・《通志・略》に見ゆ。今《道藏》洞神部衆術類に存す。蓋し《金丹》篇を删改して成る。《太淸玉碑子》一卷。《宋志》に見ゆ。葛洪鄭思遠與問答す。今《道藏》洞神部衆術類に存す。
大丹問答一卷今存道藏洞神部眾術類。
《大丹問答》一卷。今《道藏》洞神部衆術類に存す。
還丹肘後訣三卷今存道藏洞神部眾術類。
《還丹肘後訣》三卷。今《道藏》洞神部衆術類に存す。
四家要訣一卷通志略。集劉向、陵陽子、抱朴子、狐剛子所記煉丹事。
《四家要訣》一卷。《通志・略》に見ゆ。劉向・陵陽子・抱朴子・狐剛子の記する所の煉丹事を彙集す。
抱朴子養生論一卷宋志。今存道藏洞神部方法類。
《抱朴子養生論》一卷。《宋志》に見ゆ。今《道藏》洞神部方法類に存す。
稚川真人校證術一卷今存道藏洞神部眾術類。
《稚川眞人校證術》一卷。今《道藏》洞神部衆術類に存す。
神仙金汋經三卷通志略不著撰人。今存道藏洞神部眾術類。
《神仙金汋經》三卷。《通志・略》撰人を著さず。今《道藏》洞神部衆術類に存す。
嚴可均曰:抱朴子養生論,前半即地真篇也,後半與極言篇相輔。稚川真人校證術是後人所演。
嚴可均說く、《抱朴子養生論》、前半則ち是れ《地眞》篇、後半《極言》篇與相輔す。《稚川眞人校證術》是れ後人の推演する所。
神仙金汋經三卷,其中下二卷,即金丹篇也。見鐵橋漫稿
《神仙金汋經》三卷、其の中下二卷則ち是れ《金丹》篇。《鐵橋漫稿》に見ゆ。
卷六代繼蓮龕為抱朴子敘。
卷六、繼蓮龕に代りて《抱朴子叙》を作す。
孫詒讓札移十抱朴子微旨條云:
孫詒讓《札迻》卷十《抱朴子・微旨》條說く、
金汋經,晉宋間人依傅抱朴子假託為之。
《金汋經》是れ晉宋間人《抱朴子》に依傅して假托して做成せし。
要用字苑一卷舊唐志。顏氏家訓書證篇作字苑。馬國翰有輯佚本。
《要用字苑》一卷。舊《唐志》に見ゆ。顏氏《家訓・書證》篇《字苑》と作す。馬國翰輯佚本有り。
史記鈔十四卷新唐志。
《史記鈔》十四卷。新《唐志》に見ゆ。
漢書鈔三十卷隋志。
《漢書鈔》三十卷。《隋志》に見ゆ。
後漢書鈔三十卷舊唐志。
《後漢書鈔》三十卷。舊《唐志》に見ゆ。
良吏傳十卷本傳。
《良吏傳》十卷。本傳に見ゆ。
集異傳十卷本傳。
《集異傳》十卷。本傳に見ゆ。
西京雜記六卷舊唐志。
《西京雜記》六卷。舊《唐志》に見ゆ。
四庫全書簡明目錄子部十二云:舊本或題漢劉歆撰,或題晉葛洪撰,實則梁吳均撰。但餘嘉錫四庫提要辨證子部七考定為葛洪作。今存。
《四庫全書簡明目錄》子部十二說く、舊本或は漢劉歆撰と題し、或は晉葛洪撰と題す、其の實是れ梁呉均の撰。然れども余嘉錫《四庫提要辨證》子部七考定す是れ葛洪の作る所。今存す。
漢武內傳一卷隋志不著撰人。文廷式補晉志云:日本見在書目題葛洪,今從之。餘嘉錫四庫提要辨證子部七考定為晉葛洪撰。今存道藏洞真部記傳類。
《漢武內傳》一卷。《隋志》撰人を著さず。文廷式補晉志說く、日本《見在書目》葛洪と題す、今其に從ふ。余嘉錫《四庫提要辨證》子部七考定す是れ晉葛洪撰。今《道藏》洞眞部記傳類に存す。
老子道德經序訣二卷舊唐志。
《老子道德經序訣》二卷。舊《唐志》に見ゆ。
修撰莊子十七卷釋法琳辨正論。補晉志。
《修撰莊子》十七卷。釋法琳《辨正論》・補晉志に見ゆ。
喪服變除一卷隋志。
《喪服變除》一卷。《隋志》に見ゆ。
遁甲肘後立成囊中秘一卷隋志。
《遁甲肘後立成囊中祕》一卷。《隋志》に見ゆ。
登涉篇作囊中立成。
《登涉》篇《囊中立成》と作す。
遁甲返覆圖一卷隋志。
《遁甲返覆圖》一卷。《隋志》に見ゆ。
遁甲要用四卷隋志。
《遁甲要用》四卷。《隋志》に見ゆ。
遁甲秘要一卷隋志。
《遁甲祕要》一卷。《隋志》に見ゆ。
遁甲要一卷隋志。
《遁甲要》一卷。《隋志》に見ゆ。
三元遁甲圖三卷舊唐志。
《三元遁甲圖》三卷。舊《唐志》に見ゆ。
龜決二卷隋志。
《龜決》二卷。《隋志》に見ゆ。
周易雜占十卷隋志。
《周易雜占》十卷。《隋志》に見ゆ。
抱朴君書隋志集部。
《抱朴君書》。《隋志》集部に見ゆ。
序房內秘術一卷隋志稱葛氏撰。新唐志。或即葛洪。
《序房內祕術》一卷。《隋志》葛氏撰と稱す。新《唐志》。或は則ち是れ葛洪。
太一真君固命歌一卷宋志。
《太一眞君固命歌》一卷。《宋志》に見ゆ。
抱朴子別旨一篇通志略。今存道藏太清部。蓋後人掇輯吐納導引之訣而成,殆與胎息術相類。
《抱朴子別旨》一篇。《通志・略》に見ゆ。今《道藏》太淸部に存す。蓋し是れ後人吐納導引の口訣を掇輯して成る、大約胎息術與同類ならん。
胎息要訣一卷通志略。
《胎息要訣》一卷。《通志・略》に見ゆ。
胎息術一卷補晉志。
《胎息術》一卷。補晉志に見ゆ。
郭文傳補晉志。明案:郭文,字文舉,河內軹人。與葛
《郭文傳》。補晉志に見ゆ。王明按、郭文、字は文舉、河內軹の人。葛
洪同時亦遭世亂而隱者。先洪卒。見晉書隱逸本傳。
洪與同時、亦是れ世亂に遭ひて隱居する人。洪より先に卒す。《晉書・隱逸》本傳に見ゆ。
五金龍虎歌一卷崇文總目。
《五金龍虎歌》一卷。《崇文總目》に見ゆ。
五嶽真形圖文一卷崇文總目。
《五岳眞形圖文》一卷。《崇文總目》に見ゆ。
老子戒經一卷通志略。
《老子戒經》一卷。《通志・略》に見ゆ。
關中記一卷宋志。玉海引中興書目。
《關中記》一卷。《宋志》に見ゆ。《玉海》《中興書目》を引く。
馬陰二君內傳一卷宋志。
《馬陰二君內傳》一卷。《宋志》に見ゆ。
隱淪雜訣一卷宋志。明案抱朴子雜應篇答問隱淪之道,或為雜訣之所本。
《隱淪雜訣》一卷。《宋志》に見ゆ。王明按、《抱朴子・雜應》篇隱淪之道を答問す、或は是れ雜訣の本づく所ならん。
元始上真眾仙記一卷宋志。今存道藏洞真部譜■類。劉師培讀道藏記云:此書“次行題葛洪枕中記五字,中志各仙官位號及治所,即今所傳枕中記也”。
《元始上眞衆仙記》一卷。《宋志》に見ゆ。今《道藏》洞眞部譜(底本此の字殘缺)類に存す。劉師培《讀道藏記》說く、此の書次の一行「葛洪枕中記」五字を題し、中間各仙官の位號及び治所を記載す、則ち是れ今傳ふる所の《枕中記》。
明案:道藏洞神部方法類另有枕中記一卷,言養生接命之術,與眾仙記內容迥異。通志略著錄唐孫思邈枕中記一卷,未知孰是。四庫全書總目提要云:枕中書一卷,舊本題晉葛洪撰。考隋、唐、宋藝文志但有墨子枕中記及枕中素書,而無葛洪枕中書。此本(枕中書)一名元始上真眾仙記。餘嘉錫四庫提要辨證卷十九謂枕中書提到許穆與許玉斧,而洪當長於穆,許玉斧更其後輩,二人之去世,洪皆不及見,安得取而著之書中。是枕中書(上真眾仙記)之“不出於(葛)洪亦明矣”。餘先生之說是。
王明按、《道藏》洞神部方法類別に《枕中記》一卷有り、養生接命の術を講ず、《衆仙記》内容與迥然として異なり。《通志・略》唐孫思邈《枕中記》一卷を著錄す、どの一種か是れを知らず。四庫全書總目提要說く、《枕中書》一卷、舊本晉葛洪撰と題す。考ふる隋・唐・宋《藝文志》只有《墨子枕中記》及び《枕中素書》、而も葛洪《枕中書》無し。此の本子(《枕中書》)一名《元始上眞衆仙記》。余嘉錫《四庫提要辨證》卷十九說く、《枕中書》許穆與許玉斧に及ぶ、而も洪應に年穆より長ずるを當り、許玉斧更是れ其の後輩、二人去世せば、洪皆見るに及ばず、怎んぞ取りて以て書中に寫進せん。見る可し《枕中書》(《上眞衆仙記》)の「洪より出でざる明白なり」。余先生の說法是れ對。
抱朴子玉策記補晉志。
《抱朴子玉策記》。補晉志に見ゆ。
明案:此蓋抱朴子引玉策記,非葛洪所撰之玉策記也。徐堅初學記卷二十九狐第十三條引抱朴子玉策記曰:“狐及狸狼,皆壽八百歲,滿三百歲暫變為人形”。正是抱朴子對俗篇引玉策記之語(參校敦煌殘卷文字)。遐覽篇已著錄玉策記一卷,足徵葛洪曾見其書。而初學記始誤以玉策記屬抱朴子。嚴可均鐵橋漫稿卷六雲此記恐後人依託之書。亦不確。餘意並非後人有意假託,實乃唐人徐堅輩誤題耳。
王明按、此れ蓋し是れ《抱朴子》の《玉策記》を引用する、竝びに不是葛洪の撰する所の《玉策記》。徐堅《初學記》卷二十九狐第十三條《抱朴子玉策記》を引きて說く、「狐及び狸狼、皆壽八百歲、三百歲を滿ちて暫く人形に變ず」。正に是れ《抱朴子・對俗》篇《玉策記》を引くの話(敦煌殘卷文字を參校す)。《遐覽》篇已に《玉策記》一卷を著錄せり、以て葛洪曾て彼の部書を見たるを證明するに足る。而も《初學記》纔かに誤りて《玉策記》を《抱朴子》に屬せしめたり。嚴可均《鐵橋漫稿》卷六說く此の記恐らく是れ後人の依托する書。亦不確なり。我の意思竝びに不是後人の有意假托、實在是れ唐人徐堅の輩誤題せしのみ。
