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抱朴子外篇

东晋 · 葛洪

抱朴子外篇 晋の葛洪

道家典籍

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抱朴子外篇晉葛洪

抱朴子外篇 晋の葛洪

嘉遁卷第一

嘉遁巻第一

抱朴子曰:有懷冰先生者,薄周流之棲遑,悲吐握之良苦。讓膏壤於陸海,爰躬耕乎斥鹵。秘六奇以括囊,含琳琅而不吐。謐清音則莫之或聞,掩輝藻則世不得睹。背朝華於朱門,保恬寂乎蓬戶。絕軌躅於金張之閭,養浩然於幽人之仵。謂榮顯為不幸,以玉帛為草土。抗靈規於雲表,獨違今而遂古。庇峻岫之巍峨,藉翠蘭之芳茵。漱流霞之澄液,茹八石之精英。思眇眇焉若居乎虹霓之端,意飄飄焉若在乎倒景之鄰。萬物不能攪其和,四海不足汩其神。

抱朴子曰く、懐氷先生という者有り、列国を周游する栖栖遑遑たるを軽んじ、周公の吐哺握髪の如き辛苦を哀れんだり。彼は膏腴の沃土を陸海の如き富饒の地に譲り、自らは鹸鹼の地に往きて親しく耕作す。陳平の六出奇計の如き智謀を秘蔵し、《周易》の括嚢の如く顯さず、琳琅の美玉を含みて吐露せず。彼は清越の音聲を沈寂せしめ、聞く能くする人なく、輝光の辭藻を掩い、世人は得て見る無し。彼は朱門裡の朝華に背き、蓬戸の中に恬靜寂寞を守る。金張(漢代の金日磾・張安世の両家、権貴を借指す)の里巷に車轍を断絶し、幽人の行列に浩然の氣を養う。彼は榮顯を不幸と看、玉帛を草土と看る。靈明の規度を雲表に擧げ、獨り當今に違逆して上古に追隨す。巍峨の峻岫に庇身し、翠綠香蘭の芳茵に坐す。流霞の澄液を漱ぎ、八石(傳説の仙藥)の精華を咀嚼す。思緒は眇眇として虹霓の盡頭に住するが如く、意態は飄飄として倒景(日の上に倒照する處)の近旁に在るが如し。萬物も彼の和を攪亂する能わず、四海も彼の神を汩亂するに足らず。

於是有赴勢公子聞之,慨然而嘆曰:“空谷有項領之駿者,孫陽之恥也;太平遺冠世之才者,賞真之責也。安可令俊民全其獨善之分,而使聖朝乏乎元凱之用哉!”

是に赴勢公子という者有りて聞きて、感慨歎息して曰く、空穀に項領高昂の駿馬を藏するは、孫陽(伯樂)の恥辱なり。太平の世に冠絶一世の人才を遺棄するは、真才を賞識する人の責任なり。何ぞ俊民をしてただ獨善其身の本分を守らしめて、聖朝に元凱(八元八凱、賢臣)の器用を缺かしめんや、と。

乃造而說曰:“徒聞振翅竦身,不能凌厲九霄,騰跚玄極,攸敘彝倫者,非英偉也。今先生操立斷之鋒,掩炳蔚之文,玩圖籍於絕跡之藪,括藻麗乎鳥獸之群,陳龍章於晦夜,沈琳琅於重淵,蟄伏於盛夏,藏華於當春;雖復下帷覃思,殫毫騁藻,幽贊太極,闡釋元本,言歡則木梗怡顏如巧笑,語戚則偶嚬顣而滂沱,抑輕則鴻羽沈於弱水,抗重則玉石漂於飛波,離同則肝膽為胡越,合異則萬殊而一和,切論則秋霜春肅,溫辭則冰條吐葩,摧高則峻極頹淪,竦卑則淵池嵯峨,疵清則倚暗夜光,救濁則立澄黃河。然不能沾大惠於庶物,著弘勳於皇家,名與朝露皆晞,體與蜉蝣並化,忽崇高於聖人之寶,忘川逝於大耋之嗟,竊為先生不取焉。

彼は便ち門に上りて勸説して曰く、ただ翅を振り身を聳やすを聞くも、九霄を凌厲し玄極に騰躍し、彝倫の叙次を清楚とする能わざる者は、英偉と算すに足らず、と。如今先生は一揮立斷の鋒刃を操り、炳蔚の文采を掩い、絶跡の藪澤に圖籍を玩味し、鳥獸の群に藻麗を括藏し、龍章を晦夜に陳列し、琳琅を重淵に沈め、盛夏に蟄伏し、正に春に當りて華彩を藏す。再び帷帳を放下して深思し、筆毫を用盡して辭藻を馳騁し、幽深に太極を贊明し、元本を闡釋するも、歡を説けば木梗をも巧笑の怡顏を露わさしめ、戚を説けば木偶をも眉を顰め淚滂沱の如くならしめ、輕きを壓低せんとすれば鴻羽を弱水に沈め、重きを擡起せんとすれば玉石を飛波に漂わせ、相同なるを拆開せんとすれば肝膽を胡越に分け、相異なるを合起せんとすれば萬殊を一和に歸せしめ、切直の議論は秋霜の如く春をも肅殺せしめ、温潤の辭令は冰條をも花葩を吐かしめ、高きを摧折せんとすれば峻極を推頹淪陷せしめ、卑きを擡擧せんとすれば淵池を嵯峨とならしめ、清きを挑剔せんとすれば夜光を暗處に倚り、濁きを救わんとすれば立ちどころに黃河を澄澈せしむ。然れども大惠を庶物に沾溉する能わず、皇家に弘勳を留下する能わず、名字は朝露と俱に曬乾し、形體は蜉蝣と同じく變化し、聖人の至寶と看作する崇高を忽然として看輕し、大耋の年の川逝の嗟歎を忘掉す、我は私に先生のこの如くなる可からざるを覺ゆ、と。

“蓋聞大者天地,其次君臣。先聖憂時,思行其道,三月無君,皇皇如也。恥今聖主不與堯舜一致,愍此黎民不可比屋而封,故或負鼎而龍躍,或扣角以鳳歌,不須蒲輪而後動,不待文王而後興。潛初飛五,與時消息,進有攸往之利,退無濡尾之累,明哲以保身,宣化以濟俗。使夫承蘭風以傾柯,濯清波以遣穢者,若沈景之應朗鑑,方圓之赴規矩。故勳格上下,惠沾八表。夫有唐所以巍巍,重華所以恭己,西伯所以三分,姬發所以革命,桓文所以一匡,漢高所以應天,未有不致群賢為六翮,托豪傑為舟輯者也。若令各守洗耳之高,人執耦耕之分,則稽古之化不建,英明之盛不彰,明良之歌不作,括天之網不張矣。

(赴勢公子が続けて言うには、)「最大は天地、その次は君臣と聞く。先聖は時世を憂慮し、彼らの主張を推行せんと欲し、三箇月君主なくんば、皇皇として安からず。彼らは當今の聖主が堯舜と一致する能わざるを恥とし、これらの黎民が比屋して封せらるる能わざるを哀憫す、ゆえに或るは鼎器を背負いて龍の如く躍起し、或るは牛角を叩きて鳳の如く歌唱し、蒲輪の來迎を待たずして動身せず、文王の出現を待たずして奮起せず。初位に潛藏し五位に飛升し、時運の消長に隨い、進めば往く所の利有り、退けば濡尾の累なし、明哲を以て自身を保全し、教化を宣揚して流俗を救濟す。あの蘭風を承受して枝柯を傾側し、清波を洗濯して污穢を遣除する人をして、沈影の明鏡に應對し、方圓の規矩に趨赴せしむ。ゆえに功勳は上は天下に達し下は黄泉に及び、恩惠は八表に沾溉す。唐堯の巍巍たる所以、重華の恭己南面の所以、西伯の三分天下有其二の所以、姬發の革命の所以、桓文の一匡天下の所以、漢高の應天の所以は、群賢を招致して六翮と為し、豪傑を托付して舟楫と為さざるはなし。若し人人皆洗耳の如き清高を守り、人人皆耦耕の本分を執着せば、則ち稽古の教化は建立起來する能わず、英明の盛德は彰顯出來せず、明良の歌は唱起する能わず、整個の天を罩る網は張開する能わざらん」と。

“故藏器者珍於變通隨時,英逸者貴於吐奇撥亂。若乃耀靈翳景於雲表,則麗天之明不著;哮虎韜牙而握爪,則搏噬之捷不揚;太阿潛鋒而不擊,則立斷之勁不顯;驥騄踠趾而不馳,則追風之迅不形;並默則子貢與喑者同口,鹹暝則離朱與蒙瞽不殊矣。先生潔身而忽大倫之亂,得意而忘安上之義,存有關機之累,沒無金石之聲,庸人且猶憤色,何有大雅而無心哉!

(赴勢公子が続けて言うには、)「ゆえに器能を懷藏する者は、變通して時に隨りて動く能くするに貴し。英逸の人は、奇計を吐出して亂を撥り正に反る能くするに貴し。耀靈が光影を雲表に翳藏するに至りては、麗天の光明は顯著ならず。哮虎が牙齒を韜藏し爪子を握住すれば、搏噬の敏捷は揚がらず。太阿が鋒刃を潛藏して擊たざれば、立斷の勁力は顯れず。驥𫘧が蹄足を踠曲して馳せざれば、追風の迅疾は成形せず。一齊に沈默すれば、子貢は唖巴と同一張の嘴なり。一齊に眼を閉ずれば、離朱は蒙瞽と分別なし。先生は身を潔うして大倫の紊亂を忽略し、意を得て君上を安定するの大義を忘掉し、生きて時機に關乎る牽累有り、死して金石の如き聲名なく、庸人なお變色して憤慨せん、大雅の人豈に心無からんや」と。

“夫繩舒則木直,正進則邪凋,有虞舉則四凶戮,宣尼任則少卯梟,猶震雷駭則鼛鼓堙,朝日出則螢燭幽也。不拯招魂之病,則無為效越人之絕伎;不獎多難之世,則無以知非常之遠量。高拱以觀溺,非勿踐之仁也,懷道以迷國,非作者之務也。若俟中唐殖占日之草,朝陽繁鳴鳳之音,郊跱獨角之獸,野攢連理之林,長旌卷而不懸,干戈戢而莫尋,少伯方將告退於成功,孰能相擢乎陸沈哉深願先生不遠迷復哉!”

(赴勢公子が続けて言うには、)「繩子は一舒展すれば、木頭は便ち直なり。正道は一進用すれば、邪は便ち凋落す。有虞が擧用すれば、四凶は便ち誅戮せらる。宣尼(孔子)が任用せられれば、少正卯は便ち梟首せらる。震雷が一駭すれば鼛鼓は掩没せられ、朝日が一出れば螢燭は幽暗と變ずるが如し。招魂の如き病を拯救せざれば、越人(扁鵲)の絶技を效驗する無し。多難の時世を奬勵せざれば、非常の人の遠大器量を知る無し。高く手を拱いて人の溺水を看るは、「勿踐」の如き仁に非ず。道を懷藏して國家を迷亂せしむるは、作者の為す可き事に非ず。若し中庭に日を占う草(蓂莢の類)の長出し、朝陽の邊に鳴鳳の聲音の繁響し、郊野に獨角の獸の立ち、林野に連理の樹の攅り、長旌の卷起して再び懸挂せず、干戈の收藏して尋ぬる處なきを待たば、少伯(范蠡)は乃ち成功の後に告退せんと將にす、誰か還に陸沈埋没の人を提拔せんや。深切に先生の走り遠く迷途して復返せざらざらんことを希望す」と。

於是懷冰先生蕭然遐眺,遊氣天衢,情神遼緬,旁若無物。俯而答曰:“嗚呼!有是言乎蓋至人無為,棲神沖漠,不役志於祿利,故害辱不能加也;不*峙於險途,故傾墜不能為患也。藜藿不供,而意佚於方丈;齊編庸民,而心歡於有土。寢宜僚之舍,閉幹木之閭,攜莊萊之友,治陋巷之居,確嶽峙而不拔,豈有懷於卷舒乎以欲廣則濁和,故委世務而不紆眄;以位極者憂深,故背勢利而無餘疑。其貴不以爵也,富不以財也。侶雲鵬以高逝,故不縈翮於腐鼠;以蕃武為厚誡,故不改樂於簞瓢。

是に懷氷先生は蕭然として遠望し、氣(萬物を構成し貫通するあの流動するもの)は天衢に游蕩し、情神は遼遠緬邈として、旁に物無きが若し。彼は頭を低下して回答して曰く、嗚呼、竟にこの如き話有るや。至人は無為(主觀意志を凭りて強行に干渉せず、事物をその本性に随って運行せしめることであって、何もしないことではない)にして、神を冲虛寂寞の裡に棲止せしめ、心志を以て祿利を役使せず、ゆえに害と辱は彼の身上に加うる能わず。險途の上に〔底本此字は生僻字にして轉錄後失落せり〕峙立せず、ゆえに傾墜は禍患と成る能わず。藜藿は供應に上らざれども、意態は方丈の盛宴に面對するよりも安逸に、編戸の庸民と並列すれども、心裡は國土有る者よりも歡喜なり。宜僚の館舍に睡り、段干木の里門を關し、莊周・老萊の如き朋友を攜え、陋巷の居處を治理し、岳峙の如く確固として拔く可からず、何處か還に卷舒を心裡に放らんや。欲望は一廣くなれば和は便ち濁るを以て、ゆえに世務を委棄して斜視すらも給わず。位子は極處に到れば憂は便ち深きを以て、ゆえに勢利に背對して其餘の疑惑なし。彼の貴は爵に靠らず、彼の富は財に靠らず。雲鵬と伴を作りて高飛遠逝す、ゆえに翅膀を腐鼠の上に縈繞せず。蕃・武を深重の誡告と當てす、ゆえに簞瓢に因りて快樂を改變せず、と。

“且夫玄黃遐邈,而人生倏忽,以過隙之促,托罔極之間,迅乎猶奔星之暫見,飄乎似飛矢之電經。聊且優遊以自得,安能苦形於外物哉!夫鸞不絓網,驎不墮阱,相彼鳥獸,猶知為患,風塵之徒,曾是未吝也

(懷氷先生が続けて言うには、)況んや玄黃(天地)は邈遠にして、人生は倏忽なり、過隙の如き短促の時間を以て、無極の中間に寄托し、迅疾は奔星の暫現の如く、飄忽は飛矢電の經過の如し。姑く優游自得せん、何ぞ形體を外物の上に苦しめんや。鸞は網に挂からず、麟は阱に墮ちず、あの鳥獸を看るに、なお禍患を知る、風塵の中の人は、竟然として還にそれらに及ばず。(底本は「吝」と作る、疑らくは「若」の訛ならん)

若夫要離滅家以效功,紀信赴燔以誑楚,陳賈刎頸以證弟,仲由投命而菹醢,嬴門伏劍以表心,聶政感惠而屠菹,荊卿絕臏以報燕,樊公含悲而授首,皆下愚之狂惑,豈上智之攸取哉!

(懷氷先生が続けて言うには、)要離が全家を滅して功を效し、紀信が火に赴いて楚を誑し、陳賈が頸を刎ねて弟弟の為に作證し、仲由が命を投じて菹醢せられ、嬴門が劍を伏して心跡を表明し、聶政が恩惠に感じて屠膾を為し、荆卿が脛骨を折斷して燕に報答し、樊公が悲痛を含んで自己の頭を獻上するに至りては、皆下愚の狂惑、何處か上智の取る所ならんや。

“蓋祿厚者責重,爵尊者神勞。故漆園垂綸,而不顧卿相之貴;柏成操耜,而不屑諸侯之高。羊說安乎屠肆,楊朱吝其一毛。僥求之徒,昧乎可欲,集不擇木,仕不料世,貪進不慮負乘之禍,受任不計不堪之敗;論榮貴則引伊周以救溺,言亢悔則諱覆餗而不記;伺河龍之睡而撥明珠,居量表之寵而冀無患;耽漏刻之安,蔽必至之危;無朝菌之榮,望大椿之壽;似蹈薄冰以待夏日,登朽枝而須勁風;淵魚之引芳餌,澤雉之咽毒粒;咀漏脯以充飢,酣鴆酒以止渴也。

(懷氷先生が続けて言うには、)「祿厚き人は責任重く、爵尊き人は精神勞す。ゆえに漆園(莊周)は釣絲を垂れて、卿相の貴を顧みず。柏成子高は耜を操りて、諸侯の高位を屑とせず。羊説は屠肆に安んじ、楊朱は彼の一根の毛を吝惜す。僥倖して進を求むる人は、可欲の物に眼を迷わされ、棲集は樹木を選擇せず、出仕は時世を估量せず、貪進すれば負乘の禍を想わず、任命を接受すれば擔當し得ざるの敗局を算せず。榮貴に論至れば伊尹・周公を引出して溺を救わんと引き、亢龍有悔に説至れば覆𫗧を諱言して記せず。河龍の睡着に趁りて明珠を撥き、量表之外の寵幸の裡に處して還に禍患なきを指望す。漏刻の如き短き安穩に沈溺して、必ず將至の危を看破せず。朝菌の如き榮華なくして、大椿の如き壽命を指望す。薄冰を踏みて夏日を等し、朽枝に登りて勁風を等するが如し。淵裡の魚の芳餌を牽引し、澤中の雉の毒粒を咽下するが如し。漏脯を咀嚼して饑を充たし、鴆酒を痛飮して渴を止む」と。

“昔箕子睹象箸而流泣,尼父聞偶葬而永嘆,蓋尋微以知著,原始以見終。然而暗夫蹈機不覺,何前識之至難,而利慾之*篤邪!周成賢而信流言,公旦聖而走南楚,托鴟鴞以告悲,賴金縢以僅免。況能寤之主,不世而一有;不悅之謗,無時而暫乏。德不以激烈風而起斃禾,事不以載圭璧而稱多才,嗟泣靡及,宜其然也。

(懷氷先生が続けて言うには、)「從前箕子は象牙の筷子を見て便ち流淚し、尼父は木偶を以て殉葬するを聞きて便ち長歎せり、是れ微兆を尋ねて便ち顯著を知り、起始を推原して便ち終結を見るなり。然れども暗昧の人は機關を踏着しても覺えず、何を以て前識はこの如く難く、利欲の〔底本此字は生僻字にして轉錄後失落せり〕篤きや。周成王は賢明なるも流言を聽信し、周公旦は聖人なるも南楚に逃げ、借りて《鴟鴞》を以て悲傷を告げ、金縢に靠りて乃ち勉强して禍を免れたり。況んや醒悟する能くする君主は、每世代に一個有るに非ず、人を喜ばしめざる誹謗は、一時片刻の缺少なし。德は激烈の風に因りて已に倒下せる禾を再び立たしむる能わず、事は圭璧を載せるに因りて多才と稱せらるる能わず、嗟歎哭泣も及ばず、本來この如くなるべし」と。

“夫漸漬之久,則膠漆解堅;浸潤之至,則骨肉乖析;塵羽之積,則沈舟折軸;三至之言,則市虎以成。故江充疏賤,非親於元儲,後母假繼,非密於伯奇;而掘梗之誣,滅父子之恩;袖蜂之誑,破天性之愛。又況其他,安可自必。嗟乎!伍員所以懷忠而漂屍;悲夫!白起所以秉義而刎頸也。蓋徹鑑所為寒心,匠人之所眩惑矣。

(懷氷先生が続けて言うには、)「浸漬すること久しければ、膠漆も堅固を解開する能く、讒言の浸潤極處に到れば、骨肉も乖離析裂せん。灰塵と羽毛は積み起こりて、亦船を沈め軸を折斷する能く、三次傳來の話は、市に虎有れば便ち坐實する能くす。ゆえに江充は疏遠低賤にして、太子より更に親ならず。后母は假繼にして、伯奇より更に密ならず。然れども梗を掘るの誣陷は、父子の恩を滅掉し、袖裡蜂を藏するの誑騙は、天性の愛を破りたり。又況んや其他をや、何ぞ自ら以て一定無事と爲さんや。嗟乎、這即ち伍員が忠を懷きて屍を漂わせたるの緣故なり。悲夫、這即ち白起が義を秉りて頸を刎ねたるの緣故なり。這は明徹の鑑識の寒心する所以、匠石の如き人の眩惑する所以の事なり」と。

“又欲推短才以釐雷同,仗獨是以彈眾非。然不睹金雖克木,而錐鑽不可以伐鄧林;水雖勝火,而升合不足以救焚山。寸膠不能治黃河之濁,尺水不能卻蕭丘之熱。是以身名並全者甚稀,而先笑後號者多有也。畏亢悔而貪榮之慾不滅,忌毀辱而爭肆之情不遣,亦猶惡溼而泳深淵,憎影而不就陰,穿舟而息漏,猛爨而止沸者也。

(懷氷先生が続けて言うには、)「また短淺の才能を以て雷同を厘正せんと拿想し、一己之是を仗りて衆人之非を彈劾せんとす。然れども金子は木を克すと雖も、錐鑽は鄧林を砍る能わざるを見ず。水は火に勝つと雖も、升合の水は焚山を救う能わず。一寸の膠は黃河の濁を澄ます能わず、一尺の水は蕭丘の熱を退く能わず。ゆえに身と名と一并に保全するは少く、先に笑い後に號するは多し。亢龍有悔を害怕するも、榮を貪るの欲望は滅掉する能わず。毁辱を忌憚するも、争い放肆するの心情は遣走する能わず、亦ち潮濕を厭惡して深淵の中に游泳し、影子を憎惡して陰處に就かず、船を鑿穿して漏を止住せんと欲し、火を猛烈に燒いて沸を止住せんと欲するが如きなり」と。

“夫七尺之骸,稟之以所生,不可受全而歸殘也;方寸之心,制之在我,不可放之於流遁也。躬耕以食之,穿井以飲之,短褐以蔽之,蓬廬以覆之,彈詠以娛之,呼吸以延之,逍遙竹素,寄情玄毫,守常待終,斯亦足矣。且夫道存則尊,德勝則貴,隋珠彈雀,知者不為。何必須權而顯,俟祿而飽哉!

(懷氷先生が続けて言うには、)「七尺の骸骨は、所生の賦與する所にして、完整を受けて殘缺を歸還する能わず。方寸の心は、控制權は我に在り、それを流遁の裡に放逐する能わず。親しく耕作して以て喫し、井を鑿りて以て飮み、短褐を以て遮蔽し、蓬廬を以て覆蓋し、彈詠を以て娛樂し、呼吸を以て延年し、竹素の間に逍遙し、情を玄毫の上に寄托し、常道を守りて終結を等待す、這も亦た足れり。況んや道(老子がこの字を借りて萬物の本原と運行方式を指稱する、本身は名状しがたし)在れば便ち尊く、德(道が具體的事物の上に落ち着いて顯れる性能、倫理意義の品德に非ず)勝てば便ち貴し、隋侯之珠を拿りて雀を彈くは、智者の幹らざる所なり。何を必ずしも權有るを待ちて顯達し、俸祿有るを待ちて喫飽せんや」と。

“且夫安貧者以無財為富,甘卑者以不仕為榮。故幼安浮海而澄神,鬍子甘心於退耕。逢比有令德之罪,信布陷功大之刑。一枝足以戢鸞羽,何煩乎豐林潢洿足以泛龍鱗,豈事乎滄海藜藿嘉於八珍,寒泉旨於醽醁;躡履美於赤舄,縕袍麗於袞服;把橦安於杖鉞,鳴條樂乎絲竹;茅茨豔於丹楹,辨椽珍於刻桷;登高峰為臺榭,疵巖溜為華屋;積篇章為敖庾,寶玄談為金玉;棄細人之近戀,捐庸隸之所欲;遊九皋以含歡,遣智慧以絕俗。同屈尺蠖,藏光守樸;表拙示訥,知止常足。然後咀嚼芝芳,風飛雲浮;晞景九陽,附翼高遊;仰棲梧桐,俯集玄洲。孰與銜轡而伏櫪,同被繡於犧牛哉!”

(懷氷先生が続けて言うには、)「況んや貧に安んずる人は、財無きを以て富と看なし、卑に甘んずる人は、出仕せざるを以て榮と看なす。ゆえに管寧は海を浮びて精神を澄定せしめ、胡昭は甘心して退きて耕作す。關龍逢・比干は令德有りて罪を獲、韓信・英布は功大なるに因りて刑罰に陷進せり。一根の樹枝は便ち鸞の羽毛を收起するに足る、何を必ずしも豐林を煩勞せんや。潢洿は便ち龍の鱗甲を浮起するに足る、何處か滄海を用いんや。藜藿は八珍より還に可口、寒泉は醽醁より還に甘美、履を踏着するは赤舄より還に美しく、縕袍は衮服より還に麗しく、橦を握着するは杖鉞より還に安穩に、風の樹枝を吹くは絲竹より還に樂しく、茅茨は丹楹より還に艷やかに、雕飾を加えざる椽は刻桷より還に珍し。高峰を以て臺榭と當て、山巖の滴溜を華屋の疵病と看なし、篇章を堆積して敖倉の如き糧庾と成し、玄(幽深にして測りがたし)談を珍として金玉と成し、小人眼前の貪戀を抛棄し、庸隸の欲する所を捐棄し、九皋の上に游覽して歡を含み、智慧を遣開して流俗を棄絶す。尺蠖の如く屈縮し、光を藏して朴(未だ加工せざる原木、未だ人為に雕琢せられざる本真の狀態を喻う)を守り、拙を顯出し訥を露出し、止を知り常に足れり。然後芝芳を咀嚼し、風の如く飛び雲の如く浮び、九陽の上に日影を曬し、翅膀を附着して高游し、上は梧桐に棲し、下は玄洲に集まる。這は轡頭を銜えて馬槽の裡に伏し、犧牛と一樣に文繡を披着するに比べて、又怎樣ならん」と。

赴勢公子曰:“夫入而不出者,謂之耽寵忘退;往而不反者,謂之不任無義。故達者以身非我有,任乎所值。隱顯默語,無所必固。時止則止,時行則行。束帛之集,庭燎之舉,則君子道長,在天利見。若運涉陽九讒勝之時,則不出戶庭,括囊勿用。龍起鳳戢,隨時之宜。古人所以或避危亂而不肯入,或色斯而不終日者,慮巫山之失火,恐芝艾之並焚耳。

赴勢公子曰く、進入して出來せざるは、寵幸に耽り引退を忘掉すると謂い、一ち去りて返回せざるは、責任を負わず義なしと謂う。ゆえに通達の人は身體を我の有に非ずと認め、便ち遇う所に任凭す。隱あるいは顯、沈默あるいは說話、必ずしも固執する無し。時該まれば止まり、時行う可ければ行う。束帛聚集し庭燎擧起すれば、即ち君子の道の伸長し、天上に大人を利見するの時なり。若し運數が陽九に落ち讒言の勝を得るの時ならば、便ち戸庭を出でず、括嚢の如く用いず。龍は奮起し鳳は收斂し、時の宜しき所に隨う。古人は或るは危亂を避開して進入を肯んぜず、或るは神色一變して一日に足らずして走る、ただ巫山の失火を擔心して、芝と艾の一倂に焚かるるを罷むのみ、と。

方今聖皇御運,世夷道泰,仁及蒼生,惠風遐邁,威肅鬼方,澤沾九裔;儀坤德以厚載,擬乾穹以高蓋;神化則雲行雨施,玄澤則煙熅汪濊;四門穆穆以博延,主思英逸以俾乂。此乃千載所希值,剖判之一會。而先生慕嘉遁之偏枯,不覺狷華之患害也;務乎單豹之養內,未睹暴虎之犯外也。是聞涉水之或溺,則謂乘舟者皆敗;以商臣之凶逆,則謂繼體無類也。”

(赴勢公子が続けて言うには、)方今聖皇は運數を駕馭し、世道は平夷・大道は安泰、仁は蒼生に及び、惠風は遠く被り、威嚴は鬼方を整肅し、恩澤は九裔に沾溉す。坤德を取法して厚載し、乾穹に比擬して高蓋す。神化は雲行雨施の如く、玄澤は煙縕汪濊の如し。四門は穆穆として廣く延攬し、君主は英逸を思念して治理を幫助せしめんとす。這は千年難得一遇・開天闢地にして乃ち一次有るの會合なり。然れども先生は嘉遁の偏枯の一面を羨慕して、狷介・華士の如き禍害を覺えず。ただ單豹の如く內を養うを顧みて、暴虎の外より來犯するを見ず。這は涉水に淹死する人有るを聞きて、便ち乘船するは皆敗ると説き、商臣の如き凶逆に因りて、便ち繼位の嫡子に一類の好きなしと説くなり。

懷冰先生曰:“聖化之盛,誠如高論。出處之事,人各有懷。故堯舜在上,而箕潁有巢棲之客;夏後御世,而窮藪有握耒之賢。豈有慮於此險哉蓋各附於所安也。是以高尚其志,不仕王侯,存夫爻象,匹夫所執,延州守節,聖人許焉。”

懷氷先生曰く、聖化の隆盛は、確實に您的説く如し。出仕あるいは隱居の事は、人各々懷抱有り。ゆえに堯舜在上なるも、箕山・潁水の間になお巢栖の客有り。夏后が天下を治理するも、窮僻の藪澤の裡になお耒を握る賢人有り。何處かあの險を擔心せんや。ただ各々安んずる所に依附するのみ。ゆえにその志を高尚にして王侯に侍奉せざるは、這件事は爻象の裡に保存し、匹夫の執守す可きなり。延州(季札)は節を守りて、聖人も許可す、と。

“僕所以逍遙於丘園,斂跡乎草澤者,誠以才非政事,器乏治民,而多士雲起,髦彥鱗萃,文武盈朝,庶事既康,故不欲復舉熠耀以廁日月之間,拊甂瓴於洪鍾之側,貢輕扇於堅冰之節,炫裘爐乎隆暑之月,必見捐於無用,速非時之巨嗤。若擁經著述,可以全真成名,有補末化;若強所不堪,則將顛沛惟咎,同悔小狐。故居其所長,以全其所短耳。雖無立朝之勳,即戎之勞;然切磋後生,弘道養正,殊塗一致,非損之民也。劣者全其一介,何及於許由,聖世恕而容之,同曠於有唐,不亦可乎!”

(懷氷先生が続けて言うには、)「我の丘園に逍遙し草澤の中に行迹を收斂する所以は、實は才能が政事に適合せず、器度は治民の本事を缺少し、而も多士は雲の如く涌起し、髦彥は鱗の如く萃集し、文武は朝廷に擠滿し、各種の事情はすでに安康なればなり、ゆえに再び螢火を擧げて日月の中間に夾み、洪鐘の旁邊に瓦盆を敲き、堅冰の季節に輕扇を獻上し、盛暑の月份に皮裘と火爐を誇耀せんと欲せず、必ず無用と當てられて抛棄せられ、不合時宜の大笑を招來せん。若し經典著述を抱守せば、真を保全し名を成就する可く、末世の教化に還に補益有らん。若し自己の擔當し得ざる事を勉强すれば、將に顛沛して過錯のみ有り、あの小狐と一樣に後悔せんとす。ゆえに自己の長ずる所に處りて、以て自己の短ずる所を保全するのみ。立朝の功勳・從軍の勞苦無しと雖も、然れども後生を切磋し、道を弘揚し正を培養し、殊途にして一致し、並び人の民に損有るに非ず。劣者は自己の一介の身を保全し、何處か許由に比べん、聖世は寬恕して彼を容納し、有唐と一樣に曠達なれば、不亦可ならんや」と。

赴勢公子勃然自失,肅爾改容,曰:“先生立言助教,文討奸違,摽退靜以抑躁競之俗,興儒教以救微言之絕,非有出者,誰敘彝倫非有隱者,誰誨童蒙普天率土,莫匪臣民。亦何必垂纓執笏者為是,而樂飢衡門者可非乎!夫群迷乎雲夢者,必須指南以知道;並乎滄海者,必仰辰極以得反。今聞嘉訓,乃覺其蔽。請負衣冠,策駑希驥,泛愛與進,不嫌擇焉。”

赴勢公子は忽然として悵然若失、肅然として面容を改變して曰く、先生は言を立てて教化を輔助し、文章を以て奸邪悖違を討伐し、退靜を標擧して躁競の風俗を抑制し、儒教を振興して微言の斷絶を挽救す。出仕する人無くんば、誰か彝倫を叙次せん。隱居する人無くんば、誰か童蒙を教誨せん。普天之下・率土之濱、臣民に非ざるはなし。又河を必ずしも冠纓を垂れ笏板を拿るのみ對として、饑餓を樂しみ衡門下に處るは便ち非議す可きや。群を成して雲夢に迷失する人は、必ず指南に靠りて乃ち方向を知る能く、大海の中に漂う人は、必ず北極星を仰望して乃ち返回する能くす。如今嘉訓を聞きて、乃ち自己の蔽塞を發覺す。請う我をして衣冠を背負い、劣馬を鞭策して騏驥を仰慕し、汎愛して一齊に進取し、選擇を嫌棄せざらしめよ、と。

逸民卷第二

逸民巻第二

抱朴子曰:餘昔遊乎雲臺之山,而造逸民,遇仕人在焉。仕人之言曰:“明明在上,總御八紘,華夷同歸,要荒服事;而先生遊柏成之遐武,混群伍於鳥獸。然時移俗異,世務不拘,故木食山棲,外物遺累者,古之清高,今之逋逃也。君子思危於未形,絕禍於方來,無乃去張毅之內熱,就單豹之外害,畏盈抗慮,忘亂群之近憂,避牛跡之淺嶮,而墮百仞之不測,違濡足之泥涇,投爐冶而不覺乎”

抱朴子曰く、我は從前雲臺山に游覽して、逸民を拜訪し、一位の仕人がそこに在るに遇見せり。仕人の話は曰く、明君在上にして、八紘を總攬駕馭し、華夷は一同に歸附し、要服・荒服は皆來りて事奉す。然れども先生は柏成子高の如き邈遠の足迹を追隨して、自己を鳥獸の群伍の裡に混同す。然れども時移り俗異なり、當世の事務は拘泥せず、ゆえに樹木の果實を喫し山に棲し外物と牽累とを遺棄する人は、古代には清高なりしも、今は則ち逋逃なり。君子は禍患未だ成形せざる時に危險を想到し、禍患將に到來せんとする時にそれを斷絶す、ただ張毅の如き內熱を離開して、却って單豹の如き外害に就くを怕れ、盈滿を害怕して憂慮を抗起し、人群を擾亂する近憂を忘掉し、牛蹄印の如き淺き險を避開して、却って百仞の深く測り難き所に墮進し、脚を沾濕する泥涇を躲開して、却って鑪冶に投進して覺えざるや、と。

逸民答曰:“夫銳志於雛鼠者,不識騶虞之用心;盛務於庭粒者,安知鴛鸞之遠指猶焦螟之笑雲鵬,朝菌之怪大椿,坎蛙之疑海鱉,井蛇之嗤應龍也。子誠喜懼於勸沮,焉識玄曠之高韻哉!吾幸生於堯舜之世,何憂不得此人之志乎!”

逸民回答して曰く、志向を銳利に雛鼠の上に用うる人は、騶虞の用心を認識せず。事務を盛大に庭院米粒の上に用うる人は、何處か鴛鸞の遠大の指向を知らん。焦螟の雲鵬を笑話し、朝菌の大椿を驚怪し、坎井之蛙の海鱉を懷疑し、井中之蛇の應龍を嗤笑するが如し。你は實にただ勸勉と阻攔の間に喜懼するのみ、何處か玄曠の高韻を識得せんや。我は幸に堯舜の世に生る、何を必ずしもこれらの人の志向を得る能わざるを憂慮せんや、と。

仕人曰:“昔狂狷華士義不事上,隱於海隅,而太公誅之。吾子沈遁,不亦危乎”

仕人曰く、從前狂狷の華士は義を以て主上に事奉せず、海隅に隱居せり、然れども太公は却って彼を殺せり。您は深く逃遁す、不亦危險ならんや、と。

逸民曰:“呂尚長於用兵,短於為國,不能儀玄黃以覆載,擬海嶽以博納,褒賢貴德,樂育人才;而甘於刑殺,不修仁義,故其劫殺之禍,萌於始封,周公聞之,知其無國也。夫攻守異容,道貴知變,而呂尚無烹鮮之術,出致遠之御,推戰陳之法,害高尚之士,可謂賴甲冑以完刃,又兼之浮泳,以射走之儀,又望求之於準的者也。

逸民曰く、呂尚は用兵に長じ、治國に短く、玄黃(天地)を取法して覆載し、海岳に比擬して博納し、賢人を褒奬し德を貴重し、人才を培育するを樂しむ能わず。然れども刑殺に甘心して、仁義を修せず、ゆえに彼の劫殺の禍は、始封の日より萌芽せり、周公は聞きて、便ち彼の國を保つ能わざるを知れり。攻と守は容貌同じからず、道は變を知るに貴し、然れども呂尚は烹鮮の如き治術なくして、却って致遠の駕馭を使出し、戰陣の法を高尚の士の身上に推して以て彼らを害す、以て甲胄に靠りて兵刃を保全し、又兼ねて浮泳し、走獸を射るの儀態を拿りて、又的の上に中を求むと謂う可し、と。

夫傾庶鳥之巢,則靈鳳不集;漉魚鱉之池,則神虯遐逝;刳凡獸之胎,則麒麟不止寺其郊;害一介之士,則英傑不踐其境。呂尚創業垂統,以示後人,而張苛酷之端,開殘賊之軌,適足以驅俊民以資他國,逐賢能以遺讎敵也。去彼市馬骨以致駿足,軾陋巷以退秦兵者,不亦遠乎!子謂呂尚何如周公乎”仕人曰:“不能審也。”

(逸民が続けて言うには、)庶鳥の巢を傾覆すれば、靈鳳は便ち來りて聚集せず。魚鱉の池を淘乾すれば、神虯は便ち遠逝す。凡獸の胎を剖開すれば、麒麟は便ちその郊野に停留せず(底本は「寺」と作る、疑らくは「至」の訛ならん)。一介の士を傷害すれば、英傑は便ちその國境に踏進せず。呂尚は創業して統を垂れ、以て後人に看さしむるも、却って苛酷の端緒を張開し、殘賊の軌道を開出し、恰好俊民を別國に驅趕して以て他人を資助し、賢能を逐走して仇敵に留るに足るのみ。あの馬骨を買いて駿足を招致し、陋巷に軾を憑りて秦兵を退去せしむる做法に比べれば、不太遠ならんや。你は呂尚が周公に比べて怎樣と説く、と。仕人曰く、審察して清楚とする能わず、と。

逸民曰:“夫周公大聖,以貴下賤,吐哺握髮,懼於失人,從白屋之士七十人,布衣之徒親執贄所師見者十人,所友者十有二人,皆不逼以在朝也。設令呂尚居周公之地,則此等皆成市朝之暴屍,而溝澗之腐此肉矣。

逸民曰く、周公は大聖にして、貴を以て賤に下り、吐哺握髮して、人を失うを怕れ、白屋之士に跟從する七十人、布衣之徒に對して親しく贄を執りて師事拜見する十人、朋友と當てる十二人、皆彼らを朝廷に留むるを逼らず。假如呂尚をして周公の位子に處らしめば、這些の人は便ち皆市朝上の暴屍・溝澗裡の腐肉と成らん、と。

唐堯非不能致許由巢父也,虞舜非不能脅善鄭石戶也,夏禹非不能逼柏成子高也,成湯非不能錄卞隨務光也,魏文非不能屈幹木也,晉平非不能吏亥唐也,然服而師之,貴而重之,豈六君之小弱也誠以百行殊尚,默默難齊,慕尊賢之美稱,恥賊善之醜跡,取之不足以增威,放之未憂於官曠,從其志則可以闡弘風化,熙隆退讓,厲苟進之貪夫,感輕薄之冒昧;雖器不益於旦夕之用,才不周於立朝之俊,不亦愈於脅肩低眉,諂媚權右,提贄懷貨,宵征同塵,爭津競濟,市買名品,棄德行學問之本,赴雷同比周之末也彼六君尚不肯苦言以侵隱士,寧肯加之鋒刃乎!聖賢誠可師者,呂尚居然謬矣。

(逸民が続けて言うには、)唐堯は並び許由・巢父を招致する能わざるに非ず、虞舜は並び善卷・石戸之農を脅迫する能わざるに非ず、夏禹は並び柏成子高を逼迫する能わざるに非ず、成湯は並び卞隨・務光を録用する能わざるに非ず、魏文侯は並び段干木を屈下する能わざるに非ず、晋平公は並び亥唐をして官を做らしむる能わざるに非ず、然れども彼らに對して佩服して師事し、貴重して看重す、何處か六位の君主は弱小ならんや。實は百行各々崇尚同じからず、默默として齊一し難く、尊賢の美稱を羨慕し、善人を殘害するの醜迹を恥とし、彼らを取用するも威嚴を增加するに足らず、彼らを放任するも官職空缺を憂慮するを用いず、彼らの志向に順從すれば便ち風化を闡揚し、退讓を興盛せしめ、苟且進取の貪夫を激勵し、輕薄冒昧の人を感動するに足るを以てなり。卽使器能は旦夕の用に補無く、才能も立朝の俊傑を周全する能わずとも、肩膀を聳やし眉眼を低下して權貴に諂媚し、贄禮を提げ貨物を懷き、夜裡路を趕りて塵土と混同し、渡口を争い河を搶渡り、錢を以て名品を買い、德行學問の根本を抛棄し、雷同・比周の末流に奔赴するに、不亦勝れりや。あの六位の君主はなお難聽の話を以て隱士を侵擾するを肯んぜず、豈に鋒刃を彼らの身上に加うるを肯んぜんや。聖賢は實に師法す可し、呂尚は顯然として錯誤せり、と。

“漢高帝雖細行多闕,不涉典藝,然其弘曠恢廓,善恕多容,不繫近累,蓋豁如也。雖飢渴四皓,而不逼也。及太子卑辭致之,以為羽翼,便敬德矯情,惜其大者,發《黃鵠》之悲歌,杜宛妾之覬覦,其珍賢貴隱,如此之至也。宜其以布衣而君四海,其度量蓋有過人者矣。

(逸民が続けて言うには、)「漢高帝は細行多く缺漏有り、典藝に涉獵せざれども、然れども彼は弘曠恢廓にして、寬恕に善く多所容納し、近前の牽累に拴住せられず、大概豁達なり。卽使四皓を得たきこと饑渴の如くとも、逼迫せず。太子が聲を低く氣を下げて彼らを請來し、羽翼と當てるに等及びて、便ち德を敬重し感情を矯飾し、あの更大なる方面を愛惜し、《黃鵠》の悲歌を唱出し、戚夫人の覬覦を堵住す、彼の賢人を珍しみ隱者を貴重する、到るこの地步なり。彼は布衣を以て四海の君主を做るは、應當なり、彼の度量は大概人に過ぐる處有らん」と。

且夫呂尚之殺狷華者,在於恐其沮眾也。然俗之所患者,病乎躁於進趨,不務行業耳。不苦於安貧樂賤者之太多也。假令隱士往往屬目,至於情掛勢利,志無止足者,終莫能割此常欲,而慕彼退靜者也。開闢已降,非少人也,而忘富遺貴之士,猶不能居萬分之一。仲尼親受業於老子,而不能修其無為;子貢與原憲同門,而不能模其清苦。四凶與巢由同時,王莽與二龔共世,而不能效也。凡民雖復笞督之,危辱之,使追狷華,猶必不肯,乃反憂其壞俗邪呂尚思不及此,以軍法治平世,枉害賢人,酷誤已甚矣!賴其功大,不便以至顛沛耳。

(逸民が続けて言うには、)況んや呂尚が狂狷の華士を殺すは、彼の衆人を敗壞するを怕るればなり。然れども流俗の憂患する所は、毛病は進取を急ぐに在り、行業に致力せざるのみ、安貧樂賤の人の太多を苦とせざるなり。假如隱士が處處人に注目せられ、情が勢利の上に挂かり志向に止足なき人に至りては、終究この常欲を割斷する能わず、あの退靜の人を羨慕せん。開天闢地以來、人は少からず、然れども富を忘掉し貴を遺棄する士は、還に萬分之一を占めず。仲尼は親しく老子に向かって受業するも、彼の無為を修する能わず。子貢は原憲と同門なるも、彼の清苦を仿效する能わず。四凶は巢父・許由と同時に、王莽は龔勝・龔舍と世を共にすとも、皆仿效する能わず。凡民は再び彼らを鞭打督責し、危辱を以て彼らに對待して、彼らをして狂狷の華士を追步せしめんとも、也一定に肯んぜず、却って彼の風俗を敗壞するを憂慮せんや。呂尚はここに想到せず、軍法を拿りて平世を治理し、冤枉して賢人を殺害す、酷烈謬誤すでに太甚なり。彼の功勞大に靠りて、乃ち立刻顛沛せざるに至るのみ、と。

且呂尚之未遇文王也,亦曾隱於窮賤,凡人易之,老婦逐之,賣庸不售,屠釣無獲,曾無一人慕之。其避世也,何獨慮狷華之沮眾邪設令殷紂以尚逃遁,收而斂之,尚臨死,豈能自謂罪所應邪魏武帝亦弄法嚴峻,果於殺戮,乃心欲用乎孔明,孔明自稱不樂出身。武帝謝遣之曰:‘義不使高世之士,辱於汙君之朝也。’其鞭撻九有,草創皇基,亦不妄矣。

(逸民が続けて言うには、)況んや呂尚が未だ文王に遇わざるの時、も亦窮賤の裡に隱れり、凡人は彼を輕慢し、老婦は彼を驅逐し、傭を賣るも人要なく、屠釣は收穫なく、竟に一人も彼を羨慕するなかりき。彼の世を避くるの時、又河を必ずしも單單に狂狷の華士の衆人を敗壞するを憂慮せんや。假如殷紂が呂尚の逃遁に因りて、彼を收捕拘囚せば、呂尚は死に臨みて、豈に自ら罪を己の當に該ると稱する能けんや。魏武帝も亦法令を玩弄して嚴峻にして、殺戮を敢えてし、心裡は却って孔明を任用せんと想い、孔明は自ら出仕を樂しまずと稱す。武帝は辭謝して彼を遣回して曰く、義を以て世俗に高出る士をして、污浊の君主の朝廷上に辱を受けしめず、と。彼は九州を鞭撻して皇家の基業を草創す、も亦妄為と算せず、と。

“紛擾日久,求競成俗,或推貨賄以龍躍,或階黨援以鳳起,風成化習,大道漸蕪,後生昧然,儒訓遂堙。將為立身,非財莫可。苟有卓然不群之士,不出戶庭,潛志味道,誠宜優訪,以興謙退也。夫使孫吳荷戈,一人之力耳;用其計術,則賢於萬夫。今令大儒為吏,不必切事。肆之山林,則能陶冶童蒙,闡弘禮敬。何必服巨象使捕鼠韛鸞(有脫文)也。”(脫“仕人曰”數語)“若乃零淪藪澤,空生徒死,亦安足貴乎”

(逸民が続けて言うには、)「紛亂擾攘の日は久しく、進を求め競争するは風俗と成り、或るは貨賄を推送するに靠りて龍の如く躍起し、或るは黨援を臺階と作りて鳳の如く飛起し、風は形成し化は習と成り、大道は漸漸荒蕪し、後生は昧然として知なく、儒者の訓導は是に埋没す。將に立身せんとするに、財なくんば不行なり。假如卓然不群の士有りて、戸庭を出でず、心を潛め志を立てて道を體味せんとすれば、實に優禮して尋訪し、以て謙退を興起すべし。孫吳をして戈を扛がしむるは、ただ一人の力氣のみ。彼らの計術を用いれば、便ち萬夫に勝過す。如今大儒をして吏を做らしめば、必ずしも事務に切合せざる可からず。彼らを山林の裡に放れば、便ち童蒙を陶冶し、禮敬を闡揚する能くす。何を必ずしも巨象をして鼠を捕え、韛鸞をして〔底本此處疑して脫文有り〕せしめんや」(底本此處「仕人曰」數語を脫去せり)。「若し藪澤の裡に零落沈淪して、白白に生きて然後死せば、又河處か貴重に値せんや」

逸民答曰:“子可謂守培螻,玩狐丘,未登閬風而臨雲霓;玩瀅汀,遊潢洿,未浮南溟而涉天漢。凡所謂志人者,不必在乎祿位,不必須乎勳伐也。太上無己,其次無名,能振翼以絕群,騁跡以絕軌,為常人所不能為,割近才所不能割,少多不為凡俗所量,恬粹不為名位所染,淳風足以濯百代之穢,高操足以激將來之濁。何必紆朱曳紫,服冕乘軺,被犧牛之文繡,吞詹何之香餌,朝為張天之炎熱,夕成冰冷之季灰!

逸民回答して曰く、你可以説は培螻を守り狐丘を玩ぶ、未だ閬風に登りて雲霓を臨まず。滢汀を玩び潢洿に游ぶ、未だ南溟を浮びて天漢を渉らず。凡是の所謂志人は、必ずしも祿位に在乎せず、必ずしも勳伐を等待せず。太上は自己なく、その次は名なし、能く翅膀を振起して群類を離れ、足迹を馳騁して軌道を離れ、常人の能くせざる所を做り、近才の割捨する能わざる所を割捨し、多少は凡俗の量度する所に遭わず、恬粹は名位の污染する所に遭わず、淳風は百代の污穢を洗濯するに足り、高操は將來の混濁を激揚するに足る。何を必ずしも朱を紆り紫を曳き、冕を穿ち軺に乘り、犧牛の文繡を披き、詹何の香餌を吞下せんや、早上はなお張天の炎熱にして、晚上は便ち冰冷の季灰と成るをや、と。

“夫斥鴳不以蓬榛易雲霄之表,王鮪不以幽岫貿滄海之曠,虎豹入廣廈而懷悲,鴻鵾登嵩巒而含戚。物各有心,安其所長。莫不泰於得意,而慘於失所也。經世之士,悠悠皆是,一日無君,惶惶如也。譬猶藍田之積玉,鄧林之多材,良工大匠,肆意所用。亦何必棲魚而沈鳥哉!嘉遁高蹈,先聖所許;或出或處,各從攸好。

(逸民が続けて言うには、)「斥鴳は蓬榛を以て雲霄之外に換えず、王鮪は幽深の山岫を以て滄海の曠遠に換えず、虎豹は廣厦に進入すれば便ち悲傷を懷き、鴻鵾は嵩巒に登れば便ち憂戚を含む。物各々心有り、自己の長ずる所に安んず。得意の時に安泰にして失所の時に慘戚せざるはなし。經世の士は、悠悠として皆この如し、一日君主なくんば、便ち惶惶として安からず。藍田の堆積する玉・鄧林の衆多の材の如く、良工大匠は随意に取用す可し。又河を必ずしも魚をして棲息せしめ鳥をして下沈せしめんや。嘉遁高蹈は、先聖の許可する所なり。或いは出で或いは處る、各々好む所に從う」と。

“蓋士之所貴,立德立言。若夫孝友仁義,操業清高,可謂立德矣。窮覽《墳》《索》,著述粲然,可謂立言矣。夫善鄭無治民之功,未可謂減於俗吏;仲尼無攻伐之勳,不可以為不及於韓白矣。身名並全,謂之為上。隱居求志,先民嘉焉。夷齊一介,不合變通,古人嗟嘆,謂不降辱。夫言不降者,明隱逸之為高也;不辱者,知羈縶之為洿也。聖人之清者,孟軻所美,亦云天爵貴於印綬。志修遺榮,孫卿所尚,道義既備,可輕王公。而世人所畏唯勢,所重唯利。盛德身滯,便謂庸人;器小任大,便謂高士。或有乘危冒嶮,投死忘生,棄遺體於萬仞之下,邀榮華乎一朝之間,比夫輕四海愛脛毛之士,何其緬然邪!”

(逸民が続けて言うには、)「士の貴重する所は、德を立て言を立つるなり。孝友仁義に至りて、操守行業清高なれば、以て德を立つと謂う可し。《三墳》《八索》を窮盡して閱覽し、著述粲然として觀る可ければ、以て言を立つと謂う可し。善卷は治民の功勞なく、俗吏より差れると謂う能わず。仲尼は攻伐の勳勞なく、韓信・白起に及ばずと認爲する能わず。身と名と一并に保全するを、上と稱す。隱居して以て自己の志向を求むるは、先民の稱贊する所なり。伯夷・叔齊はただ一介の士、變通に合せざれども、古人は嗟歎して、彼らを降らず辱められずと説く。降らずと説くは、隱逸を以て高と表明するなり。辱められずと説くは、羈絆束縛せらるるを污浊と知るなり。聖人の中の清き一類は、孟軻の贊美する所にして、も亦天爵は印綬より貴しと説く。志向修整して榮華を遺棄するは、孫卿の崇尚する所にして、道義すでに具備せば、王公を輕視す可し。然れども世人の畏懼するはただ勢のみ、看重するはただ利のみ。盛德の人は自身滞留すれば、便ち庸人と説く。器小にして大を任ずれば、便ち高士と説く。或る人は危に乘り險を冒し、死を投じ生を忘掉し、父母の留下せる身體を萬仞の下に抛棄し、一個の早晨の間に榮華を邀取す、あの四海を看輕し小腿上の毫毛を愛惜する士に比べて、何其遙遠なるや」と。

仕人曰:“潛退之士,得意山澤,不荷世貴,蕩然縱肆,不為時用,嗅祿利(有脫文),誠為天下無益之物,何如”

仕人曰く、潛退の士は、山澤の中に得意して、世間の貴重を擔負せず、蕩然として放縱して、時世の用いる所に遭わず、祿利を嗅ぎ〔底本此處疑して脫文有り〕、實に天下の益なき物なり、怎樣ならん、と。

逸民答曰:“夫麟不吠守,鳳不司晨,騰黃不引犁,尸祝不治庖也。且夫揚大明乎無外,宜嫗煦之和風者,日也;耀華燈於暗夜,治金石以致用者,火也。天下不可以經時無日,不可以一旦無火,然其大小,不可同也。江海之外,彌綸二儀,升為雲雨,降成百川;而朝夕之用,不及累仞之井,灌田溉園,未若溝渠之沃。校其鉅細,孰為曠哉

逸民回答して曰く、麟は吠守に用いず、鳳は司晨に用いず、騰黃は犁を拉くに用いず、尸祝は庖廚を治理せず。況んや大明を外面なきに揚げて、和風を以て嫗煦す可きは、日なり。暗夜の裡に華燈を照耀し、金石を熔冶して以て人の用に供するは、火なり。天下は經時に日なかる可からず、一日に火なかる可からず、然れどもそれらの大小は、同等とする可からず。江海の外は、二儀を彌綸し、升れば雲雨と成り、降れば百川と成る。然れども朝夕の用は、幾仞の深き井に及ばず、田を澆ぎ園を灌ぐは、溝渠の肥沃の如くならず。それらの巨細を比較すれば、誰か乃ち曠遠なる、と。

桀紂,帝王也;仲尼,陪臣也。今見比於桀紂,則莫不怒焉;見擬於仲尼,則莫不悅焉。爾則貴賤果不在位也。故孟子云,禹稷顏淵,易地皆然矣。宰予亦謂,孔子賢於堯舜遠矣。夫匹庶而鈞稱於王者,儒生高極乎唐虞者,德而已矣,何必官哉!

(逸民が続けて言うには、)桀紂は帝王にして、仲尼は陪臣なり。如今桀紂に比起せられれば、怒らざるはなし。仲尼に擬せられれば、悅ばざるはなし。この如く看れば、貴賤は果たして位子に在らず。ゆえに孟子曰く、禹・稷と顔淵は、地方を換うれば皆同じ、と。宰予も亦曰く、孔子は堯舜より賢良多し、と。匹庶にして王者と同じく稱道せられ、儒生は高きこと唐虞と相比す可きに至るは、ただ德を以てのみ、何を必ずしも官を做らんや、と。

“且夫交靈升於造化,運天地於懷抱,恢恢然世故不棲於心術,茫茫然寵辱不汨其純白,流俗之所欲,不能染其神,近人之所惑,不能移其志。榮華,猶贅疣也;萬物,猶蜩翼也。若然者,豈肯詰屈其支體,俯仰其容儀,挹酌於其所不喜,修索於其所棄遺,怡顏以取進,曲躬以避退,恐俗人之不悅,戚我身之凌遲,屈龍淵為錐鑽之用,抑靈鼖為鼓兆鼙之音,推黃鉞以適釤鎌之持,撓華旗以入林杞之下乎

(逸民が続けて言うには、)「況んや造化と交接して飛升し、天地を懷抱の裡に運轉し、恢恢然として世故は心術の上に棲止せず、茫茫然として寵辱は彼の純白を汩亂せず、流俗の欲する所は彼の神を污染する能わず、近人の疑惑する所は彼の志を移易する能わず。榮華は贅疣の如く、萬物は蟬翼の如し。この如き人は、豈に自己の肢體を詰屈し、自己の容儀を俯仰し、自己の喜歡せざる事の上に挹酌し、自己の遺棄する事の上に搜索し、和顏悅色して進取を求め、身を彎曲して退却を躲避し、俗人の不悅を怕れ、自己身軀の凌遲を憂戚し、龍淵を屈して錐鑽と爲して用い、靈鼖を壓して鼗鼙の聲音と爲し、黃鉞を推して釤鎌に適合せしめて持たしめ、華旗を撓彎して林杞の下に送進せんや」と。

古公杖策而捐之,越翳入穴以逃之,季札退耕以委之,老萊灌園以遠之,從其所好,莫與易也。故醇而不雜,斯則富矣;身不受役,其則貴矣。若夫剖符有土,所謂祿利耳,非富貴也。且夫官高者其責重,功大者人忌之,獨有貧賤,莫與我爭,可得長寶,而無憂焉。

(逸民が続けて言うには、)古公は杖を拄いて王位を捐棄し、越翳は洞穴に鑽進して逃避し、季札は退きて耕作して推辭し、老萊は園を澆ぎて遠離す、皆その好む所に從い、替換す可きものなし。ゆえに醇にして雜らざれば、這即ち富なり。身體は役使を受けざれば、這即ち貴なり。符を剖して封土有るに至りては、ただ所謂祿利のみ、並び富貴に非ず。況んや官高き人は責任重く、功大き人は人に忌まる、ただ貧賤のみ、人の我と争うなく、長久保有を得て、憂なし、と。

“濯裘布被,拔葵去織,豚不掩豆,菜餚糲餐,又獲逼下邀偽之譏,樹塞反坫,三歸玉食,穰侯之富,安昌之泰,則有僭上洿濁之累。未若遊神典文,吐故納新,求飽乎耒梠之端,索縕乎杼軸之間,腹仰河而已滿,身集一枝而餘安,萬物芸芸,化為埃塵矣。食齧弱餬口,布褐縕袍,淡泊肆志,不憂不喜,斯尊樂,喻之無物也。

(逸民が続けて言うには、)「裘を洗い被を布き、葵を拔き織を去掉し、豬肉は豆を蓋滿せず、菜肴は粗飯に配し、又逼下・虛僞を邀取するの譏評を招來す。塞門を樹え反坫・三歸・玉食、穰侯の富・安昌の安泰は、便ち主上を僭越し污浊の牽累有り。神を典文に游ばしめ、故を吐出し新を納入し、耒耜の端頭に飽を求め、杼軸の間に縕袍を求むるに如かず。肚子は河に面對してすでに滿ち、身は一根の樹枝に集まりて其餘皆安し、萬物芸芸として、皆埃塵に化成す。嚙咬の弱食を喫りて口を糊り、布褐縕袍を穿著し、淡泊として心志を放任し、憂えず喜ばず、這乃ち尊貴と快樂なり、何の外物を拿りて比喻すとも有らず」と。

“夫仕也者,欲以為名邪則修毫可以洩憤懣,篇章可以寄姓字,何假乎良史,何煩乎鑱鼎哉!孟子不以矢石為功,揚雲不以治民益世,求仁而得,不亦可乎”

(逸民が続けて言うには、)「出仕は、此を借りて名を求めんと欲するか。然らば毫を修する便可ち憤懣を宣泄し、篇章は便ち姓名を寄托す可し、何を必ずしも良史を借重し、何を必ずしも鼎の上に刻むを煩勞せんや。孟子は矢石を以て功勞と爲さず、揚雄は治民を以て世に益有りと爲さず、仁を求めて仁を得れば、不亦可ならんや」と。

仕人又曰:“隱遁之士,則為不臣,亦豈宜居君之地,食君谷乎”逸民曰:“何謂其然乎!昔顏回死,魯定公將躬吊焉,使人訪仲尼。仲尼曰:‘凡在邦內,皆臣也。’定公乃升自東階,行君禮焉。由此論之,‘率土之濱,莫匪王臣’可知也。在朝者陳力以秉庶事,山林者修德以厲貪濁,殊途同歸,俱人臣也。王者無外,天下為家,日月所照,雨露所及,皆其境也。安得懸虛空,餐咀流霞,而使之不居乎地,不食乎谷哉

仕人また曰く、隱遁の士は、即ち臣たらず、又豈に君主の土地上に住し君主の穀を喫るに適合せんや、と。逸民曰く、何ぞ能くこの如く説かんや。從前顏回死せり、魯定公は將に親しく往きて弔わんとし、人を遣りて仲尼に問わしむ。仲尼曰く、凡是邦內に在るは、皆臣なり、と。定公は是に東階より升りて、君主の禮を行えり。此より説けば、「率土之濱、莫非王臣」は知る可きなり。朝に在る人は力氣を貢獻して庶事を執掌し、山林に在る人は德を修して貪濁を激勵す、殊途同歸して、皆人臣なり。王者に外面なく、天下は即ち家、日月の照らす所・雨露の及ぶ所は、皆彼の境域なり。何ぞ能く虛空の中に懸り流霞を咀嚼して、彼らをして地上に居住せず穀を喫らざらしめんや、と。

“夫山之金玉,水之珠貝,雖不在府庫之中,不給朝夕之用,然皆君之財也。退士不居肉食之列,亦猶山水之物也,豈非國有乎許由不竄於四海之外,四皓不走於八荒之表也。故曰:萬邦黎獻,共惟帝臣。幹木不荷戈戍境,築壘疆場,而有蕃魏之功。今隱者潔行蓬蓽之內,以詠先王之道,使民知退讓,儒墨不替,此亦堯舜之所許也。昔夷齊不食周粟,鮑焦死於橋上,彼之硜硜,何足師表哉

(逸民が続けて言うには、)「山裡の金玉・水裡の珠貝は、府庫の中に在らず朝夕の用に供給せざれども、然れども皆君主の財なり。退士は肉食の行列に處らず、亦ち山水の中の物の如し、豈に國有に非ずや。許由は並び四海之外に逃竄せず、四皓は並び八荒の邊際に跑らず。ゆえに説く、萬邦の黎獻は、皆帝の臣なり、と。段干木は戈を扛ぎて邊境を戍守し疆場に壘を築かざれども、却って魏國を蕃衛するの功勞有り。如今隱者は蓬蓽の內に德行を潔治して、以て先王の道を詠歎し、百姓をして退讓を知らしめ、儒墨は廢替せず、這も亦堯舜の許可する所なり。從前伯夷・叔齊は周粟を喫らず、鮑焦は橋上に死せり、彼らのあの硜硜の固執は、何處か師表と當てるに足らんや」と。

“昔安帝以玄纁玉帛聘周彥祖。桓帝以玄纁玉帛聘韋休明,順帝以玄纁玉帛聘楊仲宣,就拜侍中,不到。魏文帝徵管幼安不至,又就拜光祿勳,竟不到;乃詔所在常八月致羊一口酒二斛。桓帝玄纁玉帛聘憑藉孺子,就拜太原太守及東海相,不到。順帝以玄纁玉帛聘樊季高,不到;乃詔所在常以八月致羊一口酒二斛,又賜几杖,待以師傅之禮。獻帝時,鄭康成州辟舉賢良方正茂才,公府十四闢,皆不就;公車徵左中郎博士趙相侍中大司農,皆不起。昭帝公車徵韓福,到;賜帛五十匹及羊酒。法高卿再舉孝廉,本州五辟,公府八辟,九舉賢良博士,三徵,皆不就。桓帝以玄纁玉帛安車軺輪聘韓伯休,不到。以玄纁玉帛安車軺輪聘妾伯雅,就拜太中大夫犍為太守,不起。然皆見優重,不加威闢也。若此諸帝褒隱逸之士不謬者,則呂尚之誅華士為兇酷過惡,斷可知矣。”

(逸民が続けて言うには、)「從前安帝は玄纁玉帛を以て周彦祖を聘し、桓帝は玄纁玉帛を以て韋休明を聘し、順帝は玄纁玉帛を以て楊仲宣を聘し、地に就きて侍中に拜す、任に到らず。魏文帝は管幼安を徵召す、來らず、又地に就きて光祿勳に拜す、終究任に到らず。是に所在の處に詔令して常に八月に羊一隻・酒二斛を送らしむ。桓帝は玄纁玉帛を以て徐孺子を聘し、地に就きて太原太守及び東海相に拜す、任に到らず。順帝は玄纁玉帛を以て樊季高を聘す、任に到らず。是に所在の處に詔令して常に八月に羊一隻・酒二斛を送らしめ、又几杖を賜い、師傅の禮を以て對待す。獻帝の時、鄭康成は州里に賢良方正・茂才に辟擧せられ、公府十四次辟召す、皆就かず。公車は左中郎・博士・趙相・侍中・大司農に徵す、皆起たず。昭帝は公車を以て韓福を徵す、到れり。帛五十匹及び羊酒を賜う。法真(法高卿)は兩次孝廉に擧げられ、本州五次辟す、公府八次辟し、九次賢良・博士に擧げ、三次徵召す、皆就かず。桓帝は玄纁玉帛・安車軺輪を以て韓伯休を聘す、到らず。玄纁玉帛・安車軺輪を以て姜伯雅を聘し、地に就きて太中大夫・犍爲太守に拜す、起たず。然れども皆優禮して看重し、威嚴を加えて辟召せず。若し這些の皇帝が隱逸の士を褒奬するに錯なくんば、則ち呂尚の華士を誅殺するは凶酷過惡にして、斷然として知る可きなり」と。

仕人乃悵然自失,慨爾永嘆曰:“始悟超俗之理,非庸瑣所見矣。”

仕人は是に悵然若失、感慨長歎して曰く、這乃ち流俗を超出するの道理を領悟す、平庸瑣碎の見識の見る能くする所に非ず、と。

勖學卷第三

勖學巻第三

抱朴子曰:夫學者所以清澄性理,簸揚埃穢,雕鍛礦璞,礱煉屯鈍,啟導聰明,飾染質素,察往知來,博涉勸戒,仰觀俯察,於是乎在,人事王道,於是乎備。進可以為國,退可以保己。是以聖賢罔莫孜孜而勤之,夙夜以勉之,命盡日中而釋,飢寒危困而不廢。豈以有求於當世哉誠樂之自然也。

抱朴子曰く、學習は、以て性理を澄清し、埃穢を簸揚し、礦石と璞玉を雕鍛し、遲鈍を磨煉し、聰明を開啓引導し、質素を文飾浸染し、往を察して來を知り、勸誡を廣博涉獵するなり、仰觀俯察は、就中ここに在り。人事と王道も、亦たここに完備す。進めば以て國を治め、退けば以て自己を保全す可し。ゆえに聖賢は孜孜として勤學せざるなく、早より夜に至るまで勉力して做り、壽命は正午に到りて乃ち放下し、饑寒危困も廢棄せず。何處か當世に求有らんや。實は以て樂しみと爲して、自然(自ずから然り、本來そのよう、大自然に非ず)に此の如し、と。

夫斫削刻畫之薄伎,射御騎乘之易事,猶須慣習,然後能善,況乎人理之曠,道德之遠,陰陽之變,鬼神之情,緬邈玄奧,誠難生知。雖雲色白,匪染弗麗;雖雲味甘,匪和弗美。故瑤華不琢,則耀夜之景不發;丹青不治,則純鉤之勁不就。火則不鑽不生,不扇不熾;水則不決不流,不積不深。故質雖在我,而成之由彼也。登閬風,捫晨極,然後知井谷之暗隘也;披七經,玩百氏,然後覺面牆之至困也。

砍削刻畫の如き淺薄の技藝・射御騎乘の如き容易の事は、なお必ず慣習して、然後能く善とす、況んや人理の曠遠・道德の深遠・陰陽の變化・鬼神の情狀、緬邈玄奧にして、實に生れて之を知るは難し。顏色は白しと説くも、染めざれば麗ならず。味道は甘しと説くも、和せざれば美ならず。ゆえに瑶華は琢磨を加えざれば、夜を照らす光采は發し出づる能わず。丹青は修治を加えざれば、純鈞の如き勁は成就する能わず。火は則ち鑽らざれば生ぜず、扇がざれば熾ならず。水は則ち決さざれば流れず、積まざれば深からず。ゆえに質は我に在ると雖も、それを成就するは彼に由るなり。閬風に登り、北極星を摸到して、然後乃ち井谷の暗隘を知る。七經を披閱し、百家を玩味して、然後乃ち牆壁に面對するの困窘の極點に到れるを覺ゆ。

夫不學而求知,猶願魚而無網焉,心雖勤而無獲矣;廣博以窮理,猶須風而托焉,體不勞而致遠矣。粉黛至則西施以加麗,而宿瘤以藏醜;經術深則高才者洞達,鹵鈍者醒悟。文梓幹云,而不可名臺榭者,未加班輪之結構也;天然爽朗,而不可謂之君子者,不識大倫之臧否也。

學習せずして知を求むるは、魚を得んと盼望して網なきが如く、心は勤なるも收穫なし。廣博にして事理を窮盡するは、風に憑藉して寄托するが如く、身體は勞せずして遠く致る能くす。粉黛は一到れば、西施は更加美麗に、宿瘤も亦た醜を藏す。經術深ければ、高才の人は洞達し、魯鈍の人も醒悟す。文梓は高きこと雲に冲上するも、臺榭と稱す能わず、是れ未だ公輸班の如き結構を加えざればなり。天然爽朗なるも、君子と稱す能わず、是れ大倫の好壞を認識せざればなり。

欲超千里於終朝,必假追影之足;欲凌洪波而遐濟,必因艘楫之器;欲見無外而不下堂,必由之乎載籍;欲測淵微而不役神,必得之乎明師。故朱綠所以改素絲,訓誨所以移矇蔽。披玄雲而揚大明,則萬物無所隱其狀矣;舒竹帛而考古今,則天地無所藏其情矣。況於鬼神乎而況於人事乎泥涅可令齊堅乎金玉,曲木可攻之以應繩墨,百獸可教之以戰陳,畜牲可習之以進退,沈鱗可動之以聲音,機石可感之以精誠,又況乎含五常而稟最靈者哉!

一個の早晨に千里を超越せんと欲すれば、必ず光影に追得く足を借助せねばならず。洪波を凌越して遠渡せんと欲すれば、必ず船と槳に依靠せねばならず。外面なきの境界を見んと欲して堂を下らざれば、必ず典籍を經由せねばならず。淵微を測度せんと欲して精神を役使せざれば、必ず明師より得るに從わねばならず。ゆえに朱綠は以て素絲を改變する所の物、訓誨は以て蒙蔽を移易する所の物なり。玄雲を披開して大明を揚起すれば、萬物は便ち自己の形狀を隱藏する無し。竹帛を舒展して古今を考核すれば、天地は便ち自己の情を藏住する無し。況んや鬼神をや。又況んや人事をや。泥涅はそれを堅固に金玉と齊等ならしむる能く、曲木は整治して繩墨に合せしむる能く、百獸はそれらに戰陣を教うる能く、畜牲はそれらに進退を訓練する能く、水の裡に沉る鱗は聲音を以てそれらを打動する能く、機弩と石は精誠を以てそれらを感化する能くす、又況んや五常を含み最靈を禀受する人をや。

低仰之駟,教之功也;鷙擊之禽,習之馴也。與彼凡馬野鷹,本實一類,此以飾貴,彼以質賤。運行潦而勿輟,必混流乎滄海矣;崇一簣而弗休,必鈞高乎峻極矣。大川滔漾,則虯螭群遊;日就月將,則德立道備。乃可以正。夢乎丘旦,何徒解桎乎困蒙哉!

低昂進退の駟馬は、教の功勞なり。鷙擊の禽鳥は、習がそれを馴ならしめしなり。あの凡馬野鷹と、本來實に一類にして、這は文飾に因りて貴く、彼は質に因りて賤し。潦を運行して停止せざれば、一定に混流して滄海に至る。一簣を堆高して休息せざれば、一定に峻極と同じく高し。大川は滔漾として、虬螭は便ち群を成して游ぶ。日に就く所有り月に進む所有れば、德は便ち立ち道は便ち備わる。這乃ち端正す可し。夢の裡に孔丘・周公を見るは、何止り困蒙の桎梏を解開するのみならんや。

昔仲由冠雞帶豚,靃珥鳴蟬,杖劍而舞,盛稱南山之勁竹,欲任掘強之自然;尼父善誘,染以德教,遂成升堂之生,而登四科之哲。子張鄙人,而灼聚兇猾,漸漬道訓,成化名儒,乃抗禮於王公,豈直免於庸陋!

從前仲由は雞冠を戴き豚を佩び、霍然として珥を插し蟬を鳴らし、劍を杖して舞い、南山の勁竹を盛稱して、倔强の自然を放任せんと欲せり。尼父は誘導に善くして、德教を以て彼を浸染し、是に升堂の學生と成り、四科の哲人に登上せり。子張は鄙人、灼聚は凶猾、漸漸道の訓導に漬染して、名儒に化成し、竟に王公と分庭抗禮する能くす、何止り庸陋を免るるのみならんや。

以是賢人悲寓世之倏忽,疾泯沒之無稱;感朝聞之弘訓,悟通微之無類;懼將落之明戒,覺罔念之作狂;不飽食以終日,不棄功於寸陰;鑑逝川之勉志,悼過隙之電速;割遊情之不急,損人間之末務;洗憂貧之心,遣廣願之穢,息畋獵博奕之遊戲,矯晝寢坐睡之懈怠;知徒思之無益,遂振策於聖途。學以聚之,問以辯之,進德修業,溫故知新。

此に因りて賢人は人世に寄寓するの倏忽を悲傷し、泯没して稱譽なきを痛疾す。朝に道を聞くの弘訓に感じ、通微に類別の限制なきを覺悟し、將に凋落せんとするの明戒を懼怕し、思念せざれば便ち狂を作るを發覺す。ただ整天に喫飽するに非ず、寸陰の功勞を抛棄せず。逝川を鑑察して志向を勉勵し、過隙の電速を悼念す。游情の中の急ならざるを割捨し、人間の末務を減損す。貧を憂うの心を洗去し、廣願の污穢を遣開し、畋獵博弈の游戲を止息し、白天睡覺・坐りて打盹るの懈怠を矯正す。徒然に思索して益處なきを知り、是に聖途の上に馬鞭を振起す。學を以て聚集し、問を以て辯論し、德を進め業を修め、故を温ねて新を知る。

夫周公上聖,而日讀百篇。仲尼天縱,而韋編三絕。墨翟大賢,載文盈車。仲舒命世,不窺園門。倪寬帶經以芸鉏,路生截蒲以寫書,黃霸抱桎梏以受業,寧子勤夙夜以倍功,故能究覽道奧,窮測微言,觀萬古如同日,知八荒若廬庭,考七耀之盈虛,步三五之變化,審盛衰之方來,驗善否於既往,料玄黃於掌握,甄未兆以如成。故能盛德大業,冠於當世,清芒令問,播於罔極也。

周公は上聖なるも、一日に百篇を讀む。仲尼は天縱の聖なるも、韋編三絶す。墨翟は大賢なるも、載せる書籍は車に滿つ。董仲舒は名世の人なるも、園門を朝んじて看一眼せず。倪寬は經を帶びて芸鋤に往き、路溫舒は蒲を截りて以て書を寫し、黃霸は桎梏を抱きて受業し、寧越は早より夜に至るまで勤勉して以て功效を加倍せり、ゆえに能く道の奧秘を閱覽し盡し、微言を測度し盡し、萬古を觀看して同一天の如く、八荒を知ること廬庭の如く、七曜の盈虛を考核し、三辰五星の變化を推步し、盛衰の將に至らんとするを審察し、既往に善否を驗證し、玄黃(天地)を掌握の中に料想し、未だ兆を成さざる事を甄別して已經完成の如くせり。ゆえに能く盛德大業して、當世に冠たり、清光美名して、極限なきに傳播す。

且夫聞商羊而戒浩漾,訪鳥砮而洽東肅,諮萍實而言色味,訊土狗而識墳羊,披《靈寶》而知山隱,因折俎而說專車,瞻離畢而分陰陽之候,由冬螽而覺閏餘之錯,何神之有學而已矣。夫童謠猶助聖人之耳目,豈況《墳》《索》之弘博哉!

況んや商羊を聞けば便ち浩漾の大水を戒備し、鳥羽石砮を訪求すれば便ち東方肅愼に洽合し、萍實を詢問すれば便ち顏色味道を説出し、土狗を訊問すれば便ち墳羊を認識し、《靈寶》を披閱すれば便ち山隱を知り、折俎に憑藉すれば便ち專車の骨を解説し、月亮の畢に離るるを瞻望すれば便ち陰陽の氣候を分辨し、冬天の螽蟲に由りて便ち閏餘の差錯を發覺す、何の神有らん。學習のみ。童謠はなお聖人の耳目を輔助する能くす、況んや《三墳》《八索》の弘博をや。

才性有優劣,思理有修短。或有夙知而早成,或有提耳而後喻。夫速悟時習者,驥騄之腳也;遲解晚覺者,鶉鵲之翼也。彼雖尋飛絕景,止而不行,則步武不過焉;此雖咫尺以進,往而不輟,則山澤可越焉。明暗之學,其猶茲乎蓋少則志一而難忘,長則神放而易失,故修學務早,及其精專,習與性成,不異自然也。若乃絕倫之器,盛年有故,雖失之於暘谷,而收之於虞淵。方知良田之晚播,愈於座歲之荒蕪也。日燭之喻,斯言當矣。

才性に優劣有り、思理に長短有り。或る人は早く知りて早く成り、或る人は耳を提げて然後乃ち曉喻す。速悟して又時時温習するは、騏驥の脚なり。遲解して晚く乃ち覺悟するは、鶉鵲の翼なり。あれは卽使飛翔を尋り光影を超過すとも、停住して走らざれば、脚步は便ち超過する能わず。これは卽使一尺一寸に前進すとも、去りて停止せざれば、山澤も亦た越過す可し。明と暗の學習は、大概この如きならん。年少ければ便ち志向專一にして忘掉し難く、年長ければ便ち精神放逸にして失掉し易し、ゆえに學を修するは務めて趁早にし、精專に等到りて、習慣と本性養成せば、便ち自然と分別なし。絶倫の器能に至りては、盛年に變故有り、卽使暘谷に丢失すとも、能く虞淵に收回す。這乃ち良田は晚播するも、整年に抛荒するに勝るを知る。日燭の比喻は、這話は恰當なり。

世道多難,儒教淪喪,文武之軌,將遂凋墜。或沈溺於聲色之中,或驅馳於競逐之路。孤貧而精六藝者,以遊夏之資,而抑頓乎九泉之下;因風而附鳳翼者,以駑庸之質,猶辶回遑乎霞霄之表。捨本逐末者,謂之勤修庶幾;擁經求己者,謂之陸沈迂闊。於是莫不蒙塵觸雨,戴霜履冰,懷黃握白,提清挈肥,以赴邪徑之近易,規朝種而暮獲矣。

世道は多難にして、儒教は淪喪し、文武の軌道は、將に凋墜せんとす。或るは聲色の中に沈溺し、或るは競逐の路上に驅馳す。孤貧にして六藝に精なる人は、游夏の如き資質を憑るも、却って壓抑頓挫して九泉の下に在り。風を借りて鳳翼に附着する人は、駑庸の質地を憑るも、還に霞霄の外に回遑す(底本「辶回遑」は「辶」は偏旁の殘留)。本を舍て末を逐う者は、勤修・差不多と稱せらる。經典を抱きて己に求むる者は、陸沈迂闊と稱せらる。是に蒙りて塵に觸りて雨に、霜を戴き冰を踏み、黃金を懷き白銀を握り、清酒を提げ肥肉を挈げて、邪徑の近く易き好處に奔赴し、早上種を種えて晚上收穫するを謀劃せざるはなし。

若乃下帷高枕,遊神九典,精義賾隱,味道居靜,確乎建不拔之操,揚青於歲寒之後,不揆世以投跡,不隨眾以萍漂者,蓋亦鮮矣。汲汲於進趨,悒悶於否滯者,豈能捨至易速達之通途,而守甚難必窮之塞路乎此川上所以無人,《子衿》之所為作。憫俗者所以痛心而長慨,憂道者所以含悲而頹思也。

帷帳を放下し高枕して臥し、神を九典に游ばしめ、義理を精研し隱微を探索し、道を體味して居處清静にして、確然として拔く可からざる操守を建立起し、歲寒の後に青蒼を揚起し、時世を估量せずして投足し、衆人に跟隨して浮萍の如く漂う人に至りては、大概も亦た少なし。急急として進取し滯留に悒悶する人は、何ぞ能く至易速達の通途を舍棄して、甚難・一定窮困の塞路を守らんや。這即ち川上に人なき所以・《子衿》の寫作せられたる所以の緣故なり。流俗を憫傷する人は此に因りて痛心して長慨し、道を憂慮する人は此に因りて悲を含みて頹喪思念す。

夫寒暑代謝,否終則泰,文武迭貴,常然之數也。冀群寇畢滌,中興在今,七耀遵度,舊邦惟新,振天彗以廣埽,鼓九陽之洪爐,運大鈞乎皇極,開玄模以軌物。陶冶庶類,匠成翹秀,蕩汰積埃,革邪反正。戢干戈,橐弓矢,興辟雍之庠序,集國子,修文德,發金聲,振玉音。降風雲於潛初,旅束帛乎丘園,令抱翼之鳳,奮翮於清虛;項領之駿,騁跡於千里。使夫含章抑鬱,窮覽洽聞者,申公伏生之徒,發玄纁,登蒲輪,吐結氣,陳立素,顯其身,行其道,俾聖世迪唐虞之高軌,馳昇平之廣途,玄流沾於九垓,惠風被乎無外。五刑厝而頌聲作,和氣洽而嘉禾遂生,不亦休哉!

寒暑は代謝し、否は終れば則ち泰、文と武は交替して貴重す、是れ常然の定數なり。群寇の滌除し淨盡せんを希望し、中興は今の日に在り、七曜は度數を遵循し、舊邦は維新を得しめ、天彗を揮動して以て廣く掃除し、九陽の洪鑪を鼓動し、皇極に大鈞を運轉し、玄模を打開して事物を規範せんことを。庶類を陶冶し、翹秀を匠成し、積埃を蕩去し、邪を革除して正に返回せしめ、干戈を收藏し、弓矢を袋子の裡に裝進し、辟雍の庠序を興辦し、國子を聚集し、文德を修明し、金聲を發出し、玉音を振起せしめん。風雲を潛藏の初位に降到し、束帛を丘園に送到し、翅膀を收起せる鳳をして、清虛の中に翮を奮起せしめ、項領高昂の駿馬をして、千里の路上に足迹を馳騁せしめん。あの文采を含みて抑郁せられ・閱覽を窮盡して洽博の見聞有る人をして、申公・伏生の一類の如く、玄纁を打開し、蒲輪に登上し、鬱結の氣を吐出し、素來の立論を陳述し、自身を顯揚し、彼らの道を推行し、聖世をして唐虞の高軌に遵循し、升平の廣途に奔馳し、玄流は九垓に沾溉し、惠風は外面なきに被及せしめん。五刑は擱置して頌聲興起し、和氣洽合して嘉禾是に生長す、不亦美好ならんや。

昔秦之二世,不重儒術,舍先聖之道,習刑獄之法。民不見德,唯戮是聞。故惑而不知反迷之路,敗而不知自救之方,遂墮墜於雲霄之上,而敕韭粉乎不測之下。惟尊及卑,可無鑑乎!

從前秦の二世は、儒術を看重せず、先聖の道を舍棄し、刑獄の法を習用せり。百姓は德を見ず、ただ殺戮を聞くのみ。ゆえに迷惑して返回の路を知らず、敗亂して自救の方法を知らず、是に雲霄の上より墮墜して、測り可からざる下に敕令して齏粉に碾碎せられたり。尊より卑に至るまで、鑑戒無かる可けんや。

崇教卷第四

崇教巻第四

抱朴子曰:澄視於秋毫者,不見天文之煥炳。肆心於細務者,不覺儒道之弘遠。玩鮑者忘茞蕙,迷大者不能反。夫受繩墨者無枉刳之木,染道訓者無邪僻之人。飾治之術,莫良乎學。學之廣在於不倦,不倦在於固志。志苟不固,則貧賤者汲汲於營生,富貴者沈倫於逸樂。是以遐覽淵博者,曠代而時有;面牆之徒,比肩而接武也。

抱朴子曰く、視力を秋毫の上に澄清する人は、天文の焕炳を見えず。心を細務の上に放縱する人は、儒道の弘遠を覺えず。鮑魚を玩ぶ人は茝蕙を忘掉し、大に迷う人は返回する能わず。繩墨を受くるは枉に刳削を加えらるる木なし、道訓に染むるは邪僻の人なし。修飾整治の方法は、學習より更に好きなし。學の廣は不倦に在り、不倦は志向の堅固に在り。志向もし堅固ならざれば、貧賤の人は急急として營生し、富貴の人は逸樂の裡に沈淪す。ゆえに遠覽淵博の人は、曠代に時を經て乃ち一個有り。牆壁に面對する一類は、却って肩を挨ぎ脚を接ぐ、と。

若使素士則晝躬耕以餬口,夜薪火以修業,在位則以酣宴之餘暇,時遊觀於勸誡,則世無視肉,遊夏不乏矣。亦有飢寒切己,藜藿不給,膚困風霜,口乏糟糠,出無從師之資,家有暮旦之急,釋耒則農事廢,執卷則供養虧者,雖闕學業,可怒者也。所謂千里之足,困於鹽車之下;赤刀之礦,不經歐冶之門者也。

假如寒素の士が白天に親しく耕作して以て口を糊り、夜裡薪火を點起して以て業を修め、位に在る人は酣宴の剩餘の閒暇を以て、時時勸誡の上に游觀せば、則ち世上は視肉(傳説の神物、難得の人才を喻う)無きことなく、游夏も亦た缺乏せざらん。も亦た饑寒身に切り、藜藿は供給に上らず、皮膚は風霜に困り、口裡は糟糠を缺少し、出門は從師の資用なく、家裡は朝夕の急難有り、耒を放下すれば農事は便ち廢し、書卷を拿起すれば供養は便ち虧くる人は、卽使學業を缺くとも、亦た原諒す可きなり。這即ち所謂千里の足、鹽車の下に困る、赤刀の礦石は、歐冶の門を經由せざるなり。

若夫王孫公子,優遊貴樂,婆娑綺紈之間,不知稼穡之艱難,目倦於玄黃,耳疲乎鄭衛,鼻饜乎蘭麝,口爽於膏粱,冬沓貂狐之縕麗,夏縝紗縠之翩飄,出驅慶封之輕軒,入宴華房之粲蔚,飾朱翠於楹梲,積無已於篋匱,陳妖冶以娛心,湎醹醁以沈醉,行為會飲之魁,坐為博奕之帥。省文章既不曉,睹學士如草芥,口筆乏乎典據,牽引錯於事類。劇談則方戰而已屈,臨疑則未老而憔悴。雖叔麥之能辯,亦奚別乎瞽瞶哉!

王孫公子に至りては、貴樂の裡に優游し、綺紈の間に徘徊し、稼穡の艱難を知らず、眼睛は玄黃に倦み、耳朵は鄭衛に疲れ、鼻子は蘭麝に饜足し、口裡は膏粱に敗壞し、冬天は貂狐の縕麗を重疊し、夏天は紗縠の翩飄を密織し、出門は慶封の如き輕軒を驅り、進門は華房の粲蔚に宴し、楹梲の上に朱翠を裝飾し、篋匱の裡に止境なきを積蓄し、妖冶を陳列して以て心を娛樂し、醹醁に沈湎して沈醉し、行動は會飮の魁首にして、坐着は博弈の主帥なり。文章を省視して已に曉らず、學士を看待して草芥の如く、口と筆は典據を缺少し、事情を牽引して類別錯亂す。劇談は剛交戰して已に屈服し、疑難に面臨して未だ老せずして憔悴す。卽使菽麥を分辨する能くすとも(底本は「叔」と作る、「叔」は「菽」の訛)、瞽瞶と又什麼の分別有らんや。

抱朴子曰:蓋聞帝之元儲,必入太學,承師問道。齒於國子者,以知為臣,然後可以為君;知為子,然後可以為父也。故學立而仕,不以政學,操刀傷割,鄭喬所嘆。觸情縱慾,謂之非人。而貴遊子弟,生乎深宮之中,長乎婦人之手,憂懼之勞,未常經心,或未免於襁褓之中,而加青紫之官;才勝衣冠,而居清顯之位。操殺生之威,提黜陟之柄,榮辱決於與奪,利病感於唇吻,愛惡無時暫乏,譭譽括厲於耳。嫌疑象類,似是而非,因機會以生無端,藉素信以設巧言,交構之變,千端萬緒,巧算所不能詳,毫墨所不能究也。無術學,則安能見邪正之真偽,具古今之行事自悟之理,無所惑假,能無傾巢覆車之禍乎!

抱朴子曰く、帝王の嫡長子は、一定に太學に進入し、師傅を承受し道を詢問す、と聞く。國子と年齡を按じて排列するは、以て臣を做るを知り、然後乃ち君を做る可く、子を做るを知り、然後乃ち父を做る可きが爲なり。ゆえに學成して再び出仕し、政事を拿りて學習せず、刀を操れば便ち割傷せん、這は鄭國の子産の歎息する所なり。情に觸れ欲を放縱するは、非人と稱す。然れども貴游の子弟は、深宮の中に生まれ、婦人の手に長ち、憂懼の勞苦は、未曾だ心を經過せず、或いは未だ襁褓を離れずして、便ち青紫の官を加う。才能剛く衣冠を撑起するに足れば、便ち清顯の位子を占む。殺生の威嚴を操り、黜陟の權柄を提げ、榮辱は給與あるいは剥奪に決定し、利害は嘴唇に感應し、愛惡は一時片刻の缺乏なく、毁譽は括りて耳邊に猛烈なり。嫌疑と象類は、是に似て是に非ず、機會を借りて無端を生出し、素來の信任に憑りて巧言を設置し、交相構陷の變化は、千端萬緒にして、巧算も亦た詳細する能わず、毫墨も亦た窮盡する能わず。術學なくんば、又怎ぞ能く邪正の真僞を見、古今行事の自己覺悟の道理を具備し、迷惑假借せらるる處なく、傾巢覆車の禍無き能けんや。

先哲居高,不敢忘危,愛子欲教之義方,雕琢切磋,弗納於邪偽。選明師以象成之,擇良友以漸染之,督之以博覽,示之以成敗,使之察往以悟來,觀彼以知此,驅之於直道之上,斂之乎檢括之中,懍乎若跟掛於萬仞,慄然有如乘奔以履冰。故能多遠悔吝,保其貞吉也。

先哲は高位に處りて、危險を忘掉するを敢えてせず、兒子を愛すれば便ち義方を拿りて教えんと想い、雕琢切磋して、邪僞の裡に接納せず。明師を選擇して以て彼を仿效成就せしめ、良友を選擇して以て漸漸彼を浸染し、博覽を以て彼を督促し、成敗を以て彼に指示し、彼をして往來を察して將來を覺悟し、彼を觀看して以て此を知らしめ、彼を直道の上に驅趕し、彼を檢括の中に收斂し、懔然として脚根を萬仞の上に挂け、栗然として奔馬に乘りて冰を踏むが如くせしむ。ゆえに能く悔吝を遠離して多く、彼の貞吉を保全す。

昔諸竇蒙遺教之福,霍禹受率意之禍,中山東平以好古而安,燕剌由面牆而危。前事不忘,今之良鑑也。湯武染乎伊呂,其興勃然;辛癸染乎推崇,其亡忽焉。朋友師傅,尤宜精簡。必取寒素德行之士,以清苦自立,以不群見憚者。其經術如仲舒桓榮者,強直若龔遂王吉者,能朝夕講論忠孝之至道,正色證存亡之軌跡,以洗濯垢涅,閒邪矯枉,宜必抑情遵憲法,入德訓者矣。

從前諸位の竇氏は遺教の福を蒙受し、霍禹は任性の禍を承受し、中山・東平は古を好むに因りて安く、燕剌王は面牆に因りて危うし。前事不忘れば、是れ今の日の好鏡子なり。湯武は伊尹・呂尚に浸染して、彼らの興盛は勃然なり。辛癸は推崇する人に浸染して、彼らの滅亡は忽然として至れり。朋友師傅は、尤も精嚴簡選すべし。必ず寒素の德行有る士を取り、清苦に靠りて自立し不群に因りて人に忌まるる者を。經術は董仲舒・桓榮の如き、強直は龔遂・王吉の如き、能く朝夕忠孝の至道を講論し、正色して存亡の軌迹を證明し、以て垢涅を洗濯し、邪を防止し枉を矯正せば、便ち一定に感情を抑制し憲法を遵守し、德の訓導に進入する能くす。

漢之末世,吳之晚年,則不然焉。望冠蓋以選用,任朋黨之華譽,有師友之名,無拾遺之實。匪唯無益,乃反為損。故其所講說,非道德也;其所貢進,非忠益也。唯在於新聲豔色,輕體妙手,評歌謳之清濁,理管絃之長短,相狗馬之剿駑,議遨遊之處所,比錯途之好惡,方雕琢之精粗,校彈棋樗蒲之巧拙,計漁獵相掊之勝負,品藻妓妾之妍蚩,指摘衣服之鄙野,爭騎乘之善否,論弓劍之疏密。招奇合異,至於無限,盈溢之過,日增月甚。

漢の末世・吳の晚年は、便ちこの如くならず。冠蓋を望見して以て選用し、朋黨浮華の稱譽に聽任し、師友の名有りて、拾遺補闕の實なし。益處無きのみならず、却って損害と爲る。ゆえに彼らの講説する所は、道德に非ず。彼らの貢進する所は、忠益に非ず。ただ新聲艷色・輕體妙手に在り、歌謳の清濁を評議し、管弦の長短を調理し、狗馬の迅捷あるいは駑鈍を相看し、遨游の處所を議論し、錯雜道路の好惡を比較し、雕琢の精粗を衡量し、彈棋樗蒲の巧拙を校核し、漁獵相搏の勝負を計算し、妓妾の美醜を品評し、衣服の鄙野を指摘し、騎乘の好壞を争い、弓劍の疏密を談論す。奇を招き異を合して、極限なきに至り、盈溢の過錯は、日增し月甚し。

其談宮殿,則遠擬瑤臺瓊室,近效阿房林光,以千門萬戶為侷促,以昆明太液為淺陋,笑茅茨為不肖,以土階為樸馬矣。民力竭於功役,儲蓄靡於不急,起土山以準嵩霍,決渠水以象九河;登凌霄之華觀,闢雲際之綺窗。淫音噪而惑耳,羅袂揮而亂目,濮上北里,迭奏迭起;或號或呼,俾晝作夜。流連於羽觴之間,沈淪乎弦節之側。

彼らは宮殿を談ずれば、便ち遠く瑶臺瓊室に比し、近く阿房・林光を效し、千門萬戸を局促と看なし、昆明・太液を淺陋と看なし、茅茨を不肖と笑話し、土階を朴陋と看なせり(底本は「朴馬」と作る、「馬」は「焉」の訛)。民力は功役の上に枯竭し、儲蓄は不急の事の上に消耗し、土山を堆起して嵩霍に比准し、渠水を開決して九河を模仿す。凌霄の華觀に登上し、雲際の綺窓を開闢す。淫音は噪響して耳朵を迷惑し、羅袖は揮動して眼睛を擾亂し、濮上・北里は、交替して奏起し、或いは號し或いは呼して、白天を以て夜晚と當てす。羽觴の間に流連し、弦節の側に沈淪す。

或建翠翳之青蔥,或射勇禽於郊垧,馳輕足於嶮峻之上,暴僚隸於盛日之下,舉火而往,乘星而返,機事廢而不修,賞罰棄而不治。或浮文艘於滉漾,布密網於綠川,垂香餌於漣潭,縱擢歌於清淵,飛高繳以下輕鴻,引沈綸以拔潛鱗;或結罝罘於林麓之中,合重圍於山澤之表,列丹飈於豐草,騁逸騎於平原,縱盧獵以噬狡獸,飛輕鷂以鷙翔禽,勁弩殪狂兕,長戟斃熊虎。如此,既彌年而不厭,歷載而無已矣。

或いは翠綠の翳蓋の如き青葱を樹起し、或いは郊野に勇禽を射擊し、險峻の上に輕捷の足を驅馳し、盛日の下に僚隸を暴露し、火把を擧げて前往し、星辰に乘りて返回し、機要の事は廢棄して修せず、賞罰は抛棄して治せず。或いは彩飾の船を滉漾の水上に浮べ、綠川の中に密網を布下し、漣漪の潭裡に香餌を垂下し、清淵の中に棹歌を放任し、高繳を放出して輕鴻を射下し、沉綸を牽引して潛鱗を拔出し、或いは林麓の中に罝罘を結起し、山澤の外に重圍を合成し、豐草の裡に丹飇を列出し、平原の上に逸騎を馳騁し、韓盧を放縱して狡獸を咬ましめ、輕鷂を放出して翔禽を搏擊し、勁弩は狂兕を射死し、長戟は熊虎を殺死す。這の如く、已に滿年しても厭かず、歷年して停止なし。

而又加之以四時請會,祖送慶賀,要思數之密客,接執贄之嘉賓。人間之務,密勿罔極。是以雅正稍遠,遨逸漸篤。其去儒學,緬乎邈矣。能獨見崇替之理,自拔淪溺之中,舍敗德之嶮途,履長世之大道者,良甚鮮矣。嗟乎!此所以保國安家者至稀,而傾撓泣血者無算也。

而も又四季の邀請聚會・餞行送別・慶賀を加え、恩數親密の客を邀約し、贄を執る嘉賓を接待す。人間の事務は、勤勉して極限なし。ゆえに雅正は漸漸遠離し、遨逸は漸漸加重す。儒學を離開する、緬邈なる甚だし。能く獨り興廢の道理を見て、淪溺の中より自己を拔出し、敗德の險途を舍棄し、長世の大道を踏上する人は、實に少なし。嗟乎、這即ち國を保ち家を安んずる人の極少にして、傾覆撓亂・泣血する人の計算する能わざる緣故なり。

今聖明在上,稽古濟物,堅堤防以杜決溢,明褒貶以彰勸沮;想宗室公族,及貴門富年,必當競尚儒術,撙節藝文,釋老莊之意(意字衍)不急,精六經之正道也。

如今聖明在上にして、古代を考核して以て萬物を成就し、堤防を堅固にして以て決溢を杜絶し、褒貶を明確にして以て勸勉と阻攔を彰顯す。想来宗室公族及び貴門裡の年輕の人は、一定に競い儒術を崇尚し、藝文を撙節し、老莊の意中のあの不急のものを放下し(底本「意」字は衍文)、六經の正道を精研すべし。

君道卷第五

君道巻第五

抱朴子曰:清玄剖而上浮,濁黃判而下沈。尊卑等威,於是乎著。往聖取諸兩儀,而君臣之道立;設官分職,而雍熙之化隆。君人者,必修諸己以先四海,去偏黨以平王道,遣私情以標至公,氦宇宙以籠萬殊。真偽既明於物外矣,而兼之以自見;聽受既聰於接來矣,而加之以自聞。儀決水以進善,鈞絕弦以黜惡,昭德塞違,庸親暱賢,使規盡其圓,矩竭其方,繩肆其直,斤效其斫。器無量表之任,才無失授之用。

抱朴子曰く、清にして玄きは剖開して上に浮び、濁にして黃きは分開して下に沉む。尊卑と等級威儀は、此より顯著す。往昔の聖人は兩儀に取法して、君臣の道は是に確立し、官職を設置し職事を分開して、雍熙の教化は是に隆盛す。人君を做るは、必ず先ず自己を修治して以て四海に先を作り、偏黨を去掉して以て王道を平正せしめ、私情を遣開して以て至公を標擧し、宇宙を函蓋して以て萬種の差異を籠罩せねばならず(底本は「氦」と作る、「氦」は「函」の訛)。真僞はすでに物外に辨明せられ、再び自己の能く自己を見るを兼ね、聽受はすでに到來の事に聰敏せられ、再び加上自己の能く自己を聞くを。决堤放水を取法して以て善を引進し、斷弦に比擬して以て惡を黜退し、明德を昭らかにし違を堵塞し、親族を用い賢人を親近し、規をしてその圓を用盡せしめ、矩をしてその方を用盡せしめ、繩をしてその直を放任せしめ、斧をしてその斫を效驗せしむ。器物に量度を超過するの任用なく、才能に授錯するの使用なし。

考名責實,屢省勤恤,樹訓典以示民極,審褒貶以彰勸沮,明檢齊以杜僭濫,詳直枉以違晦吝。其與之也,無叛理之幸;其奪之也,有百氏之掩。匠之以六藝,軌之以忠信,蒞之以慈和,齊之以禮刑。揚仄陋以促沈抑,激清流以澄臧否。使物無詭道,事無非分。立朝牧民者,不得侵官越局;推轂即戎者,莫敢憚危顧命。悅近以懷遠,修文以招攜。阜百姓之財粟,闡進德之廣途,杜機偽之繁務(下有脫文),則明罰敕法,哀敬折獄;淳化洽,則匿瑕藏疾,五教在寬。

名を考核して以て實を責求し、屢次省察し勤めて體恤し、訓典を樹立して以て百姓に極則を看さしめ、褒貶を審察して以て勸勉と阻攔を彰顯し、檢齊を明確にして以て僭濫を杜絶し、正直と枉曲とを詳細にして以て悔吝を遠離す。彼の給與するの時は、道理に違背するの僥倖なし。彼の剥奪するの時は、百官の掩蓋せらるる處有り。六藝を以て造就し、忠信を以て規範し、慈和を以て臨莅し、禮刑を以て齊一す。仄陋を揚起して以て沈抑せらるる人を催促し、清流を激揚して以て臧否を澄清す。物に詭詐の道なく、事に非分なからしむ。立朝して民を牧する人は、官職局守を侵越するを得ず。轂を推して軍に從う人は、危險を怕れて性命を顧惜する敢えてするなし。近處をして喜悅せしめて以て遠方を懷柔し、文教を修明して以て攜貳を招徠す。百姓の財粟をして豐阜せしめ、德を進むるの廣途を開闢し、機巧虛僞の繁務を杜絶せば(底本此處疑して脫文有り)、則ち刑罰を顯明にし法令を整飭し、哀矜敬慎して獄訟を判決す。淳化洽合せば、便ち瑕疵を藏起して疾苦を包容し、五教は寬に主す。

外總多士於文武,內建維城之穆屬,使親疏相持,尾為身幹。枝雖茂而無傷本之憂,流雖盛而無背源之勢。石盤嶽峙,式遏覬覦。見三苗之傾殄,則知川源之未可恃也;睹翳幽之不守,則覺嚴*嶮之不足賴也。夫江漢猶存,而強楚虜辱;劍閣自如,而子陽赤族。四嶽三塗土,實不一姓;金城湯池,未若人和。守在海外,匪山河也。

外に文武の多士を總攬し、內に維城の如き宗族を建立し、親疏をして互相に扶持せしめ、尾巴をして身子の骨干と爲らしむ。枝は茂盛なると雖も、然れども本を傷害するの憂なし。流は盛大なると雖も、然れども源に背離するの勢なし。石盤・岳峙の如くして、以て覬覦を遏止す。三苗の傾覆殄滅するを見れば、便ち川源は依恃す可からざるを知る。翳・幽の守る能わざるを見れば、便ち嚴〔底本此字は生僻字にして轉錄後失落せり〕險は依賴するに足らざるを覺ゆ。江漢は還在するも、強楚は却って俘虜せられ辱を受けたり。劍閣は仍舊なるも、子陽は却って滅族せられたり。四岳・三塗の土地は、實に一姓のみならず。金城湯池は、人和に如かず。海外に守るに在りて、山河に在らず。

是以賢君抱(有脫文)懼不足,而改過恐有餘。謀當計得,猶思危而弗休焉;戰勝地廣,猶戒盈而夕惕焉。象渾穹以遐燾,式坤厚以廣載。運重光以表微,致遠思乎未兆。資春景以嫗煦,範秋霜以肅物。言州諮以校同異,平衡以銓群言。虛己以盡下情,推功以勸將來。御之以術,則終始可竭也;整之以度,則叄差可齊也。嶷若閬風之凌霄,而諸下不得以輕重料焉;窈若玄淵之萬仞,則近侍不能以少多量焉。然則君之流源不窮,而百僚之才力畢陳矣;我之涯畔無外,而彼之斤兩可限矣。

ゆえに賢君は〔底本此處疑して脫文有り〕を抱きて足らざるを懼怕し、而も過錯を改正するは有餘を恐るのみ。計謀當を得るも、還に危險を想着して休息せず。戰勝して地廣きも、還に盈滿を警戒して夕惕す。渾穹を取法して以て遠く覆燾し、坤厚を效法して以て廣く承載す。重光を運轉して以て微細を表彰し、深遠の思慮を未だ兆を成さざる處に送到す。春日に憑藉して以て嫗煦し、秋霜を取範して以て萬物を整肅す。言事・州里を咨詢して以て同異を校核し、平衡を以て群言を銓衡す。自己を虛にして以て下情を窮盡し、功勞を推讓して以て將來を勸勉す。術を以て駕馭すれば、終始は便ち用盡す可し。法度を以て整飭すれば、參差は便ち齊一す可し。嶷然として閬風の雲霄を凌越するが如くすれば、諸下は便ち輕重を以て彼を料想する能わず。窈然として玄淵萬仞の如くすれば、近侍は便ち多少を以て彼を量度する能わず。この如くすれば、君主の流源は窮盡なくして、而も百僚の才力は全部陳列出來す。我の涯畔に外面なくして、而も彼の斤兩は便ち限定す可し。

發號吐令,則車訇若震霆之激響,而不為邪辯改其正。畫法創制,則炳若七曜之麗天,而不以愛惡曲其情。宏略遠罩,則藹若密雲之高結。居貞成務,則確若嵩岱之根地。料倚伏於未萌之前,審譭譽於巧言之口。不使敦樸散於雕偽,不使一體澆於二端。雖能獨斷,必博納乎芻蕘;雖務含弘,必清耳於浸潤。

號を發し令を吐けば、便ち車然轟響して震霆の回響を激起するが如く、然れども邪辯の爲にその正を改變せず。法を畫し制を創れば、便ち炳然として七曜の天上に附着するが如く、然れども愛惡に因りてその情を彎曲せず。宏略は遠く罩住すれば、便ち藹然として密雲の高高結起するが如し。居守貞正して以て事務を成就すれば、便ち確然として嵩岱の地上に生根するが如し。未だ萌芽せざる前に倚伏を料想し、巧言の口裡に毁譽を審察す。敦朴を雕僞の裡に散らしめず、一體を両端に澆薄せしめず。卽使能く獨り決斷すとも、一定に芻蕘に向かって廣く接納す。卽使含弘を務求すとも、一定に耳朵を清理乾淨して以て浸潤の讒言を聽く。

民之飢寒,則哀彼責此;百姓有罪,則謂之在予。嘉祥之臻,則念得神之佑;或逢天之怒,則思桑林之引咎。不吝改弦於宜易之調,不恥反迷於朝過之途。虎眄以警密,麟跱以接疏。路無擊壤之叟,則羞聞和音之作;民有不粒之匱,則愧臨方丈之膳。處飛閣之概天,則懼役夫之勞瘁;茹柔嘉之旨月色,則憂敬授之失時;聆管絃之宴羨,則戚逸樂之有過;瞻藻麗之辨粲,則慮賦斂之慘烈。遵放勳之粗裘,準衛文之大帛;追有夏之卑宮,識露臺之不果;鑑章華之召災,悟阿房之速禍。

百姓饑寒なれば、便ち彼らを哀憫して自己を責備す。百姓に罪有れば、便ち罪過は我に在りと説く。嘉祥到來すれば、便ち神の保佑を得るを思念す。或いは上天の怒りに逢えば、便ち桑林の如き引咎を想着す。適宜改換すべき曲調の上に弦を改むるを吝嗇せず、早上走り過ぎた迷途の上に返回するを恥と爲さず。虎の如く眄視して以て周密を警戒し、麟の如く停駐して以て疏遠を接待す。路上に壤を擊つ老人なくんば、便ち和樂の音の興起するを聞くを羞恥し、百姓に顆粒繼がざるの匱乏有れば、便ち方丈の膳食に面對するを愧じる。飛閣の高きこと天に接近する處に處れば、便ち役夫の勞瘁を懼怕し、柔嘉の旨味(底本「旨月色」は疑らくは「旨味」と當るべし)を喫れば、便ち敬授人時の失時を憂慮し、管弦宴飮の羨樂を聽けば、便ち逸樂の過有るを憂戚し、藻麗の粲然を看れば、便ち賦斂の慘烈を顧慮す。放勳の粗裘を遵循し、衛文公の大帛に比准し、有夏の卑宮を追慕し、露臺の終に建成せざるを記得し、章華の召來せし災を鑑戒し、阿房の加速せし禍を覺悟す。

誥誓則念依時之失信。耽玩則覺褒妲之惑我。征伐則量力度時,不令百里有號泣之憤;誅戮則遺情任理,不使鴟夷有抱枉之魂。鑑操彤之杜伯,惟人立之呼豕。廢嫡則戒晉獻之巨惑。立庶則念劉表之殄祀。草鬼畋則樂失獸而得士,識馳網而悅遠,偏愛則慮袖蜂之謗巧,飛燕之專寵。獨任則悟鹿馬之作威,恭顯之惡直。納策則思漢祖之吐哺,孝景之誅錯。

誥誓すれば便ち時令に依照せざるの失信を思念す。耽玩すれば便ち褒姒・妲己の我を迷惑するを發覺す。征伐すれば便ち力を量り時を度して、百里の地に號泣の憤を有らしめず。誅戮すれば便ち私情を放下し道理に聽任して、鴟夷裡に冤枉を抱く魂を有らしめず。彤弓を操る杜伯を鑑戒し、人立ちて呼叫する豕を思量す。嫡を廢すれば便ち晋獻公の巨大の迷惑を警戒す。庶を立てれば便ち劉表の祀統の斷絶を思念す。田獵(底本は「草鬼畋」と作る、疑らくは「搜畋」と當るべし)すれば便ち獸を失いて士を得るを樂しみ、網を放开して遠方の來歸を喜悅するを知る。偏愛すれば便ち袖裡蜂を藏するの巧謗・飛燕の專寵を顧慮す。獨任すれば便ち鹿を指して馬と爲すの作威・弘恭石顯の正直を厭惡するを覺悟す。計策を接納すれば便ち漢祖の吐哺・孝景の晁錯を誅するを想着す。

旨甘之進,則疏儀狄。容悅姑息,則沈欒激。除蒸子之諂,親放麋之仁。鑑白龍以輟輕脫,觀羸(原脫一字)以節無饜。防人彘之變於六宮之中,止汗血之求於絕域之外。除惡犬以遏酒酗之患,市馬骨以招追風之駿。軾怒蛙以以勸勇,避螳螂以勵武。聆公廬之讜言,容保甲之正直。剔腹背無益之毛,攬六翮凌虛之用。烹如簧以謐司原之箴,折菀渃以迪梁伯之美。放丹姬以弭婉孌之迷,退子瑕以杜餘桃之惑。藏淵中之魚,操利器之柄。勿憚徙薪之煩,以省焦爛之費。鼓廉恥之陶冶,明考試之準的。

甜美の進獻には、便ち儀狄を疏遠す。容悅姑息には、便ち欒激を沈没す。子を蒸すの諂媚を除去し、小麋を放走するの仁を親近す。白龍を鑑戒して以て輕脫を停止し、羸〔底本原一字を脫す〕を觀看して以て饜足なきを節制す。六宮の中に人彘の變故を防止し、絶域の外に汗血を求取するを停止す。惡犬を除去して以て酒酗の禍患を遏止し、馬骨を買いて以て追風の駿馬を招致す。軾を憑りて怒蛙に向かいて以て勇を勸勉し(底本「以以」は一「以」字を衍す)、螳螂を避開して以て武を激勵す。公廬の正直の言を聽き、保甲の正直を容納す。腹背上の益處なき毛を剔除し、六翮の虛空を凌越するの用を攬取す。簧の如き巧言を烹掉して以て司原の箴言を安静せしめ、菀渃を折斷して以て梁伯の美を開導す。丹姬を放走して以て婉孌の迷惑を止息し、彌子瑕を斥退して以て餘桃の惑亂を杜絶す。淵中の魚を藏起し、利器の權柄を操る。柴薪を搬開するの麻煩を怕れずして、以て焦爛の耗費を省去す。廉恥の陶冶を鼓動し、考試の準的を明確にす。

怒不越法以加虐,喜不逾憲以厚遺。割情於所愛,而有犯者無赦;辨善於所憎,而有勞者不遺。傾下(原脫一字)以納忠,聞逆耳而不諱。廣乞言於誹謗,雖委抑而不距。掩細瑕而錄大用,忘近惡而念遠功,使夫曹劌孟明有修來之效,魏尚張敞立雪恥之績。身鉤之賊臣,著匡合之弘勳;釋縛之左車,吐止戈之高策。則鵂梟化為鴛鸞,邪偽變成忠貞。芒穎秀於斥鹵,夜光起乎泥濘。剡銳載胥,九功允諧,西面逡巡,以延師友之才;尊事老叟,以敦孝悌之行。

發怒は法度を超過して虐待を施加せず、喜悅は憲章を超過して贈遺を厚加せず。愛する所の人に感情を割捨し、觸犯有るは便ち赦免せず。憎む所の人に善を辨別し、勞績有るは便ち遺漏せず。下を傾け〔底本原一字を脫す〕て以て忠言を接納し、耳に逆らうを聞きても避諱せず。誹謗に向かって廣く言論を求取し、卽使委屈壓抑すとも拒絶せず。細小の瑕疵を掩住して大用を錄用し、近處の惡を忘掉して遠處の功を思念し、曹劌・孟明をして後來を修治するの效驗有らしめ、魏尚・張敞をして恥辱を洗雪するの業績を立てしむ。曾て鉤を射るの仇有る賊臣は、匡合の弘勳を顯出し、縛を解くの李左車は、戈を止めるの高策を吐出せり。是に鵂梟は鴛鸞に化し、邪僞は忠貞に變ず。芒穎は斥鹵の中に秀出し、夜光は泥濘の裡より升起す。鋒銳は皆在り、九功は確實に和諧し、西面して彼らに向かって逡巡し、以て師友の人才を延請し、老者を尊奉して、以て孝悌の德行を敦厚す。

是以淵蟠者仰赴,山棲者俯集。炳蔚內弼,九虎闞外御。政得於上,而物傾於下;惠發乎邇,而澤邁乎遠。明哲宣力於攸蒞,黔庶讓畔於藪澤。爾乃蠲滋章之法令,振大和之清風。蒲輪玉帛,以抽丘園之俊民;元豈畢集,以究論道之損益。減牧羊之多人,反不酤之至醇,張仁讓之闈,杜華競之津,旌義正之操,弘道素之格。使附德者若潛萌之悅甘雨,見歸者猶行潦之赴大川。黎民安之,若綠葉之綴修柯;左衽仰之,若眾星之系北辰。

ゆえに淵中に蟠曲する人は仰頭して赴來し、山上に棲止する人は低頭して聚集す。炳蔚の文采は內に輔弼し、九虎は怒視して外に防御す。政は上に當を得、物は下に傾心す。惠は近處より發出し、澤は遠方に邁向す。明哲は臨莅する所の處に力氣を宣揚し、黎庶は藪澤の裡に田畔を讓出す。是に滋章の法令を免除し、大和の清風を振起す。蒲輪玉帛を以て、丘園裡の俊民を抽取し、元凱は全部聚集し(底本は「豈」と作る、「豈」は「凱」の訛)、以て道を論ずるの損益を窮盡す。牧羊の多余の人を減少し、酒を薄めざるの至醇に返回し、仁讓の門闈を張開し、浮華競争の津渡を堵住し、義正の操守を旌表し、道素の格範を弘揚す。德に歸附する人をして潛藏の萌芽の甘雨を喜悅するが如く、來歸する人をして行潦の大川に奔赴するが如くせしむ。黎民はそれに安定して、綠葉の修長の枝柯に連綴するが如く、左衽はそれを仰望して、衆星の北辰に維繫するが如し。

是以七政不亂象於玄極,寒溫不謬節而錯集。四靈備覿,芝華灼粲。甘露淋漉以霄附,嘉穗婀娜而盈箱。。丹魃逐於神潢,玄厲拘於廣朔。百川無沸騰之異,南箕謐偃禾之暴,物無詭時之凋,人無嗟慨之響。囹圄虛陳,五刑寢厝。正朔所不加,冕紳所不暨,氈裘皮服,山棲海竄,莫不含歡革面,感和重譯,靈禽貢於彤庭,瑤環獻自西極。員首遽善,猶氤氳之順勁風;要荒承指,若響亮之和絕音。誠升隆之盛致,三五之軌躅也。故能固廟祧於罔極,繁本枝乎百世矣。

ゆえに七政は玄極の上に象を亂らず、寒温は節令を錯えずして錯集せず。四靈は皆來りて見え、芝華は灼然粲爛たり。甘露は淋漉として夜空に附着し、嘉穗は婀娜として箱子に裝滿す。旱魃は神潢に趕到せられ、疫厲は廣朔に拘せらる。百川に沸騰の變異なく、南箕は禾を吹倒するの暴風を平息せり、物に時令に違背するの凋落なく、人に嗟慨の聲響なし。囹圄は虛空に陳設し、五刑は擱置して用いず。正朔の加えざる所・冕紳の到らざる所の、氈裘皮服・山棲海竄する人は、歡を含みて面貌を改變し、和氣に感じて輾轉翻譯せざるなし、靈禽は彤庭に貢到し、瑶環は西極より獻上す。圓頭の人は善に向かって急ぎ、氤氳の勁風に順從するが如く、要荒は意旨を奉承して、響亮の絶音に應和するが如し。這實に升隆の盛致・三皇五帝の軌迹なり。ゆえに能く廟祧を極限なきに鞏固し、本枝を百世に繁衍せしむ。

夫根深則末盛矣,下樂則上安矣。馬不調,造父不能超千里之跡;民不附,唐虞不能致同天之美。馬極則變態生,而傾僨惟憂矣;民困則多離叛,其禍必振矣。可不戰戰以待旦乎!可不慄慄而慮危乎!人主不澄思於治亂,不深鑑於亡徵,雖盼百尋之秋毫,耳精八音之清濁,文則琳琅墮於筆端,武則鉤鉻摧於指掌,心苞萬篇之誦,口播濤波之辯,猶無補於土崩,不救乎瓦解也。何者不居其大,而務其細,滯乎下人之業,而暗元本之端也。

根深ければ則ち末梢便ち盛んに、下邊快樂なれば則ち上邊便ち安し。馬は調理せざれば、造父も亦た千里の足迹を超過する能わず。百姓は親附せざれば、唐虞も亦た天と同等の美に達する能わず。馬は極處に用到れば便ち變態を生出し、傾覆すれば便ち憂のみ剩る。百姓は困頓すれば便ち多く離散叛亂し、禍は一定に震動す。能く戰戰兢兢として天亮を等待せざらんや。能く栗栗として危險を憂慮せざらんや。人主は思慮を治亂の上に澄清せず、滅亡の征兆を深く鑑戒せざれば、卽使百尋外の秋毫を盼視し、耳朵は八音の清濁を精辨し、文は則ち琳琅を筆端より墜落し、武は則ち鉤铬を指掌の間に摧折すとも(底本は「铬」と作る、「铬」は近代の元素名にして晋人の書に出現する能わず、上文の「琳琅」と對擧して、指す所は當に兵器なるべし、正字は未だ唯一に判定する能わず)、心裡に萬篇の誦讀を包含し、口裡に濤波の如き辯才を播散すとも、還に土崩に補無く、瓦解を救う能わず。何を爲すか。あの大なる處に處らずして、却ってあの細なるを務求し、下人の行業に滯留して、却って元本の端緒に暗昧なればなり。

誠能事過乎叢,臨深履冰,居安不忘乘奔之戒,處存不廢慮亡之懼,操綱領以整毛目,握道數以御眾才,韓白畢力以折沖,蕭曹竭能以經國,介一人之心致其果毅,謀夫協思進其長算;則人主雖從容玉房之內,逍遙雲閣之端,羽爵腐於甘醪,樂人疲於拚舞,猶可以垂拱而任賢,高枕以責成。何必居茅茨之狹陋,食薄味之大羹,躬監門之勞役,懷損命之辛勤,然後可以惠流蒼生,道洽海外哉!

若し真能く事情を叢脞瑣碎に超過し、深淵に臨み薄冰を履むが如く、安穩の裡に處りて奔に乘るの警戒を忘掉せず、生存の裡に處りて滅亡を憂慮するの懼怕を廢棄せず、綱領を操りて以て毛目を整飭し、道の術數を握着して以て衆才を駕馭し、韓信・白起は力氣を用盡して以て折衝し、蕭何・曹參は才能を用盡して以て國家を經營し、甲士は一人の心を果毅の上に用到し、謀夫は心を齊えて彼らの長算を獻上せば、則ち人主は卽使玉房の內に從容し、雲閣の端に逍遙し、羽爵は甘醪の裡に腐壞し、樂人は拊舞の中に疲倦すとも、還に手を垂れ拱して賢人を任用し、高枕して以て成功を責求す可し。何を必ずしも茅茨の狹陋の裡に住し、薄味の大羹を喫り、親しく監門の勞役を做り、性命を損傷するの辛勤を懷きて、然後乃ち恩惠を蒼生に流し道を海外に洽合せしむる可けんや。

昏惑之君,則不然焉。其為政也,或仁而不斷,朱紫混漫,正者不賞,邪者不罰。或苛猛慘酷,或純威無恩,刑過乎重,不恕不逮。根露基頹,危猶巢幕,而自比於天日,擬固於泰山,謂克明俊德者不難及,小心翼翼者未足算也。於是無罪無辜,淫刑以逞,民不見德,唯戮是聞。

昏惑の君主は、便ちこの如くならず。彼の施政は、或いは仁にして果斷せず、朱紫混漫して、正は賞せず、邪は罰せず。或いは苛猛慘酷にして、或いはただ威嚴を用いて恩なく、刑罰は重きに過ぎ、寬恕せず達せず。根基は裸露し基礎は頹壞し、危險は帷幕の上に巢を作るが如く、然れども自己を天日に比作し、堅固を泰山に比擬して、克明俊德の人は趕上する難からず、小心翼翼の人は計算するに足らずと説く。是に罪なく辜なきに、濫に刑罰を施して意を逞し、百姓は德を見ず、ただ殺戮を聞くのみ。

官人則以順志者為賢,擢才則以近習者為前。上宰鼎列,委之母后之族;專斷顧問,決之阿諂之徒。所揚引則遠九族外親,而不簡其器幹;所信仗則在於瑣才曲媚,而憎乎方直;所抑退則從雷同,而不察之以情;所寵進則任美談,而不考其績用。掌要治民之官,御戎專征之將,或貪汙以壞所在矣,或營私以亂朝廷矣,或懦弱以敗庶事矣,或恇怯以失軍利矣。終於不覺,不忍黜斥,猶加親委,冀其晚效。器小任大,遂及於禍。良才遠量無援之士,或披褐而朝隱,或沈淪於窮否,懷道括囊,民力莫由,陵替之災,所以多有也。

官員を任用すれば便ち自己の心意に順從するを以て賢と當て、人才を提拔すれば便ち近習を前面に放つ。上宰と鼎列は、母后の族人に委托す。專斷と顧問は、阿諛諂媚の徒に決定す。表揚引薦する所は便ち遠く九族外親に及ぶも、然れども彼らの器幹を簡選せず。信任依仗する所は便ち瑣才曲媚に在るも、然れども方直を憎惡す。壓抑斥退する所は便ち雷同に聽從するも、然れども實情を拿りて察せず。寵幸進用する所は便ち美談に聽任するも、然れども彼らの績用を考核せず。機要を執掌し百姓を治理する官・戎事を統率し征伐を專事する將は、或いは貪污して在る所の地方を敗壞し、或いは私を營して朝廷を擾亂し、或いは懦弱して庶事を敗壞し、或いは恇怯して軍利を失去す。終に覺悟せず、黜斥するを忍びず、還に親近委任を加えて、彼の晚年に效を見るを指望す。器小にして大を任ずれば、是に禍の上に落つ。良才遠量にして援助なき士は、或いは褐を披きて朝廷上に隱れ、或いは窮困否塞の裡に沈淪し、道を懷きて括嚢の如く顯さず、民力は發揮する無く、陵夷替代の災は、多く有る所以なり。

又經典規戒,弗聞弗覽,玩弄褻宴,是耽是務。高樓觀而下道德,廣苑囿而狹招納,深池沼而淺恩信,悅狗馬而惡蹇諤,貴珠玉而賤智略,豐綺紈而約惠澤,緩賑濟而急聚斂,勤畋弋而忽稼穡,重兼併而輕民命,進優倡而退儒雅,厚嬖倖而薄戰士,流聲色而忘庶事,先酣遊而後聽斷,數苦役而疏犒賜,工造費好不急之器,圈聚食肉靡谷之物。然則危亡不可以怨天,微弱不可以尤人也。夫吉凶由己,湯武豈一哉

また經典と規戒は、聽かず看もせず、褻狎宴樂を玩弄し、ただ沈溺し、ただ從事す。樓觀を高く建てて道德を却って低く看、苑囿を廣く拓いて招納を却って窄く看、池沼を深く挖って恩信を却って淺く看、狗馬を喜悅して蹇諤を厭惡し、珠玉を貴重して智略を賤視し、綺紈を豐厚ならしめて惠澤を儉約ならしめ、賑濟に緩くして聚斂に急く、畋獵に勤めて稼穡を忽略し、兼倂を看重して民命を看輕し、優倡を進用して儒雅を斥退し、嬖幸を厚待して戰士を薄待し、聲色に流向して庶事を忘掉し、先に酣游して後に聽斷し、苦役は頻繁なるも犒賜は疏く、工匠の造作は耗費し、不急の器物を愛好し、圈裡に肉を喫し穀を耗費する動物を聚集す。この如くなれば、危亡は天を怨む可からず、微弱は人を尤める可からず。吉凶は自己に由り、湯武は豈にただ一個のみならんや。

昔周文掩未埋之骨,而天下稱其仁。殷紂剖比干之心,而四海疾其虐。望在具瞻,譭譽尤速。得失之舉,不在多也。凡譽重則蠻貊歸懷,而不可以虛索也;毀積即華夏離心,而不可以言救也。是以小善雖無大益,而不可不為;細惡雖無近禍,而不可不去也。

從前周文王は未だ埋めざる骨を掩埋し、天下は彼を仁と稱せり。殷紂は比干の心を剖開し、四海は彼の虐を疾恨せり。望まるる人は衆目の瞻仰の下に在り、毁譽は尤も迅速なり。得失の擧動は、多きに在らず。凡是稱譽重ければ、蠻貊も歸懷す、然れども空虚に求取する可からず。毁謗積もれば、華夏も心を離る、然れども話を以て挽救する可からず。ゆえに小善は大益無しと雖も、然れども爲さざる可からず。細惡は近禍無しと雖も、然れども去掉せざる可からず。

若乃肆情縱慾,而不與天下共其樂,故有憂莫之恤也。削基憎峻,而不覺下墮則上崩,故傾頹莫之扶也。於是轡策去於我手,神物假而不還,力勤財匱,民不堪命,眾怨於下,天怒於上,田成盜全齊於帷幄,姬昌取有二於西鄰,陳吳之徒,奮劍而大呼,劉項之倫,揮戈而飈駭,雲梯乘於百雉之上,皓刃交於象魏之下,飛鋒內薦,禁兵外潰,而乃憂悲以思邈世之大賢,擁彗以延巖棲之智士,慕伊呂於嵩岫,招孫吳於草萊,拜昌言而無所,思嘉算而莫問,猶大廈既燔,而運水於滄海,洪潦凌室,而造船於長洲矣。

情欲を放肆するも、然れども天下とその樂を共享せざれば、ゆえに憂有りて體恤する人なし。基礎を削薄して高峻を憎惡し、然れども下邊墮ちれば上邊崩るるを覺えず、ゆえに傾頽して扶持する人なし。是に轡策は我が手裡より離れ、神物は借出して再び歸還せず、力氣勤めて財用匱乏し、百姓は命令を承受する能わず、衆怨は下に在り、天怒は上に在り、田成は帷幄の中に整個の齊を盗走し、姬昌は西鄰より殷の二分を取走り、陳勝・吳廣の一類人は劍を奮いて大呼し、劉邦・項羽の一類人は戈を揮って飆風の如く驚駭し、雲梯は百雉の上に登り、白刃は象魏の下に相交り、飛鋒は內に薦至し、禁兵は外に潰散す、這乃ち憂悲して邈世の大賢を思念し、掃帚を拿着して以て巖栖の智士を延請し、嵩岫に伊尹・呂尚を羨慕し、草萊に孫吳を招請し、昌言を拜求するも尋ぬる處なく、嘉算を思索するも問う可き人なし、大廈已に焚燒するに、却って滄海に往きて水を運び、洪潦は室中に漫るに、却って長洲に往きて船を造るが如し。

夫巍巍之稱,不可驕吝構;而東嶽之封,未易以恣欲修也。上聖兼策載馳,猶懼不逮前;而庸主緩步按轡,而自以為過之。或於安而思危,或在嶮而自逸。或功成治定,而匪怠匪荒,或綴旒累卵,而不覺不寤。不有辛癸之沒溺,曷用貴欽明之高濟哉念茲在茲,庶乎庶乎!

巍巍の稱號は、驕吝を靠りて構成する可からず。東岳の封禪は、恣欲を靠りて修成する容易ならず。上聖は馬鞭を并せて奔馳しても、還に前人に趕不上るを怕る。庸主は步を緩め轡を按じても、却って自ら以て超過したりと爲す。或いは安穩の裡に危險を思念し、或いは險處に自己安逸す。或いは功成治定して、然れども怠惰せず荒廢せず。或いは冠冕の線に連り累る卵の如く、然れども覺えず醒寤せず。辛癸の如き没溺なければ、何處か欽明の高濟を看重するを用いんや。茲を念じ茲に在り、差不多了、差不多了。

臣節卷第六

臣節巻第六

抱朴子曰:昔在唐虞,稽古欽明,猶俟群后之翼亮,用臻巍巍之成功。故能熙帝之載,庶績欺凝,四門穆穆,百揆時序,蠻夷無猾夏之變,阿閣有鳴鳳之巢也。喻之元首,方之股肱,雖有尊卑之殊,邈實若一體之相賴也。

抱朴子曰く、從前唐虞に在りて、古代を考核し敬慎明察し、還に群后の輔翼光大を等待して、乃ち巍巍の成功に達せり。ゆえに能く帝の事業を熙明し、各種の業績は是に凝定せり(底本は「欺」と作る、「欺」は「其」の訛)、四門は穆穆として、百揆は時に按じて序有り、蠻夷に華夏を擾亂するの變故なく、阿閣に鳴鳳の巢有り。元首に比喻し、股肱に比方す、尊卑の差別有ると雖も、邈遠に看れば實に一體にして互相依賴するが如し、と。

君必度能而授者,備乎覆食束之敗;臣必量才而受者,故無流放之禍。夫如影如響,俯伏惟命者,偷容之屍素也。違令犯顏,蹇蹇匪躬者,安上之民翰也。先意承指者,佞諂之徒也;匡過弼違者,社稷之鯁也。必將伏斧金質而正諫,據鼎鑊而盡言。忠而見疑,諍而不得者,待放可也;必死無補,將增主過者,去之可也。

君主は一定に才能を量度して再び授予するは、傾覆・束手の敗局を防備するが爲なり。臣は一定に才能を估量して再び接受するは、ゆえに流放の禍なきなり。影・回響の如く俯伏してただ命令を聽くは、容身を偷取する尸位素餐なり。令に違い顏を犯し、蹇蹇として自身を顧みざるは、主上を安定する民の骨干なり。意旨に先んじて迎合するは、佞諂の徒なり。過錯を匡正し違失を輔弼するは、社稷の鯁直なり。一定に斧質の上に伏して正諫し、鼎鑊を據りて話を説盡さん。忠なるも疑はれ、諍諫するも行を得ざるは、放逐を等待す可し。一定に死しても補益なく、將に主上の過錯を增加せんとするは、離開す可し。

其動也,匪訓典弗據焉;其靜也,匪憲章弗循焉。請託無所容,申繩不顧私。明刑而不濫乎所恨,審賞而不加乎附己。不專命以招權,不含洿而談潔。進思盡言以攻謬,退念推賢而不蔽。夙興夜寐,戚庶事之不康也;儉躬約志,若策奔於薄冰也。

彼の行動は、訓典に非ざれば依據せず。彼の靜止は、憲章に非ざれば遵循せず。請托は容る可き處なく、繩墨を申明して私を顧みず。刑罰を顯明にして所恨の人の身上に濫施せず、賞賜を審愼にして自己に依附する人に加給せず。命令を專擅して以て權柄を招攬せず、污濁を含みて清潔を談ぜず。進めば便ち話を説盡して以て謬誤を攻治せんと想い、退けば便ち賢人を推擧して遮蔽せざるを思念す。早く起き夜に睡り、庶事の安康せざるを憂戚す。自己節儉・志向約束して、薄冰の上に奔馬を鞭策するが如し。

納謀貢士,不宣之於口;非義之利,不棲之乎心。立朝則以砥矢為操,居己則以羔羊為節。當危值難,則忘家而不顧命。攬衡執銓,則平懷而無彼此。儀蕭曹之指揮,羨張陳之奇畫,追周勃之盡忠,準二鮑之直視,蹈嬰弘之節叢,執恬毅之守終,甘此離紀炙身之分,戒彼韓英失忠之禍。出不辭勞,入不數功,歸勳引過,讓以先下,專誠祗栗,恆若天威之在顏也;宵夙虔竦,有如湯鑊之在側也。

計謀を接納し士人を貢進するに、口上に宣揚せず。義に合せざる利は、心裡に棲止せず。立朝すれば便ち砥矢を當てて操守と爲し、自己に對待すれば便ち羔羊を當てて節度と爲す。危難に面對すれば、便ち家を忘掉して性命を顧みず。衡を攬り銓を執れば、便ち胸懷を平にして彼此なし。蕭何・曹參の指揮を取法し、張良・陳平の奇畫を羨慕し、周勃の盡忠を追慕し、二鮑の直視に比准し、嬰・弘の節操を踐履し、恬・毅の守終を執守し、比干・紀信の如き身を炙るの本分に甘心し、韓信・英布の忠を失うの禍を警戒す。出でて勞苦を辭せず、進みて功勞を計數せず、勳勞を別人に歸し過錯を自己に引き、謙讓して先に下に居り、專一誠敬して戰栗し、常常に天威の臉上に在るが如し。晝夜虔敬竦懼して、湯鑊の旁邊に在るが如し。

負荷寄託,則以伊周為師表;宣力四方,則以吉召為軌儀;送往視居,則竭忠貞而不辶回;搏噬幹紀,則若鷹鸇之鷙鳥雀;蕃捍疆場,則慕魏絳李牧之高蹤;蒞眾撫民,則希文翁信臣之德化。夫忠至者無(原脫一字)以為國,況懷智以迷上乎義督者滅祀而無憚,況黜辱之敢辭乎故能保勞貴以顯親,托良哉於輿歌。昆吾彝器,能者鐫勳。皋陶后稷,亦何人哉!

寄托を擔負すれば、便ち伊尹・周公を以て師表と爲し、四方に向かって力氣を宣揚すれば、便ち吉甫・召公を以て軌儀と爲し、送往する・在世を看顧するは、便ち忠貞を竭盡して回遑せず(底本「辶回」は「辶」は偏旁の殘留)。搏擊吞噬し紀綱を干犯するは、便ち鷹鸇の鳥雀を搏擊するが如し。蕃衛捍御して疆場するは、便ち魏絳・李牧の高踪を仰慕す。衆人に臨莅し百姓を安撫するは、便ち文翁・召信臣の德化を希求す。忠は極處に到る人は〔底本原一字を脫す〕して以て國家を爲す、況んや智を懷きて主上を迷惑するをや。義は督責せらるる人は祀を滅すも忌憚なく、況んや貶黜侮辱して敢えて推辭せんや。ゆえに能く勞苦と貴とを保全して以て親を顯揚し、「良哉」を輿人の歌裡に寄托す。昆吾の彝器は、才能有る人は勳勞を镌刻す。皋陶・后稷は、又什麼樣の人ならんや。

抱朴子曰:人臣勳不弘,則恥俸祿之虛厚也;績不茂,則羞爵命之妄高也。履信思順,天人攸贊;畏盈居謙,乃終有慶。舉足則蹈道度,抗手則奉繩墨,褒崇雖淹留,而悔辱亦必遠矣。若夫損上以附下,廢公以營私,阿媚曲從,以水濟水,君舉雖謬,而諂笑贊善。數進玩好,陷主於惡。巧言毀政,令色取悅,上蔽人主之明,下杜進賢之路;外結出境之交,內樹背公之黨。雖才足飾非,言足文過,專威若趙高,擅朝如董卓,未有不身膏剡鋒,家糜湯火者也。然而愚瞽舍正即邪,違真侶偽,親覽傾僨,不改其軌,殃禍之集,匪降自天也。

抱朴子曰く、人臣は勳勞弘大ならざれば、便ち俸祿の憑空に優厚なるを恥とし、業績茂盛ならざれば、便ち爵命の憑空に高きを羞とす。誠信を履行し和順を思念するは、天人の贊する所なり。盈滿を害怕し謙裡に處するは、乃ち終竟慶有り。脚を擡げれば便ち道の法度を踏着し、手を擧げれば便ち繩墨を奉行す、褒崇卽使淹留すとも、悔辱も亦た一定に遠離せん。上を減損して以て下に依附し、公を廢棄して以て私を經營し、阿媚曲從し、水を以て水に增加するに至りては、君主の擧動は謬誤なると雖も、却って諂笑贊美す。屢次玩好を進獻して、主上を惡の裡に陷進せしむ。巧言は政を毁壞し、令色は取悅し、上は人主の明を遮蔽し、下は賢人を進用するの路を堵住す。外に出境の交情を結交し、內に公に背離するの黨を樹立す。卽使才能は過錯を文飾するに足り、言語は過失を掩飾するに足るとも、趙高の如く威嚴を專擅し、董卓の如く朝廷に權を擅するは、自身鋒刃に膏涂し、家室は湯火の裡に糜爛せざるなし。然れども愚瞽は正を舍棄して邪に就向し、真に違背し僞に伴侶し、親眼に傾覆を看見するも、然れども彼らの軌道を改せず、殃禍の聚集は、天上より降下するに非ず、と。

抱朴子曰:臣喻股肱,則手足也。履冰執熱,不得辭焉。是以古人方之於地,掘之則出水泉,樹之則秀百穀;生者立焉,死者入焉。功多而不望賞,勞瘁而不敢怨。審識斯術,保己之要也。

抱朴子曰く、臣は股肱に比喻せられれば、即ち手足なり。冰を踏着し熱を拿着するは、推辭するを得ず。ゆえに古人は彼を地に比方せり、それを挖掘すれば便ち泉水を流出し、それを種植すれば便ち各種の穀物を秀出す。活くる人はその上に立ち、死せる人はその裡に進入す。功勞多くして賞を指望せず、勞瘁するも怨むを敢えてせず。審察してこの方法を認識するは、自己を保全するの要領なり、と。

抱朴子曰:臣職分則治,統廣則多滯。非賁獲之壯,不可以舉兼人之重;非萬夫之特,不可以總異官之局。韓侯所以罪侵冒之典,子元所以懼不勝之禍也。若乃才力絕倫,文武兼允,入有腹心之高算,出有折沖之遠略,雖事殷而益舉,兩循而俱濟,舍之則彝倫斁,委之而無其人者,兼之可也;非此器也,宜自忖引,轅若載重,鮮不及矣。常人貪榮,不慮後患,身既傾溺,而禍逮君親,不亦哀哉!人皆辭斧斤所未開,而莫讓攝官所不堪。嗟乎!陳李所以作戒於力少,而子房所以高蹈於挹盈也。

抱朴子曰く、臣の職分は清楚なれば便ち治理し、統轄太に廣ければ便ち多く滯留す。賁・獲の如き壯に非ざれば、兼人の重を擧起する可からず。萬夫の中の特出に非ざれば、同じからざる官職の局守を總攬する可からず。這即ち韓侯の侵冒する典制を怪罪し、子元の擔當し得ざるの禍を懼怕したる所以の緣故なり。才力絶倫にして、文武兼備し、入朝すれば腹心の高算有り、外出すれば折衝の遠略有るに至りては、卽使事情殷繁なるも更加に辦起する能く、兩方面皆遵循して一倂に濟成し、彼を舍棄すれば便ち彝倫敗壞し、委托するにあの如き人なきのは、兼管す可し。這種の器能に非ざれば、便ち自己忖度して引退すべく、車轅もし載ること太に重ければ、禍に達せざる少なし。常人は榮を貪り、後患を考慮せず、自身已に傾溺して、禍は却って君親に延及す、不亦悲哀ならんや。人は皆斧斤の未だ劈開せざるを推辭するも、却って攝官の擔當し得ざるを辭讓するなし。嗟乎、這即ち陳・李の力少の上に鑑戒を作成し、而も子房の挹盈の上に高蹈したる所以の緣故なり、と。

良規卷第七

良規巻第七

抱朴子曰:翔集而不擇木者,必有離罻之禽矣。出身而不料時者,必有危辱之士矣。時之得也,則飄乎猶應龍之覽景雲;時之失也,則蕩然若巨魚之枯崇陸。是以智者藏其器以有待也,隱其身而有為也。若乃高巖將霣,非細縷所綴;龍門沸騰,非掬壤所遏。則不苟且於乾沒,不投險於僥倖矣。

抱朴子曰く、飛翔聚集して樹木を選擇せざるは、一定に網羅を離開する禽鳥有り。身を獻して時世を估量せざるは、一定に危辱の士有り。時を得れば、便ち飄然として應龍の景雲を覽觀するが如し。時を失えば、便ち蕩然として巨魚の高陸に枯するが如し。ゆえに智者はその器を藏起して以て等待する所有り、自身を隱藏して作爲有り。高巖の將に墜落せんとするに至りては、細縷の連綴する能くする所に非ず。龍門沸騰するは、一捧の土の遏止する能くする所に非ず。便ち僥倖して利を求むる上に苟且せず、險を僥倖に投與せず、と。

抱朴子曰:周公之攝王位,伊尹之黜太甲,霍光之廢昌邑,孫綝之退少帝,謂之舍道用權,以安社稷。然周公之放逐狼跋,流言載路;伊尹終於受戮,大霧三日;霍光幾於及身,家亦尋滅,孫綝桑蔭未移,首足異所。皆笑音未絕,而號咷已及矣。

抱朴子曰く、周公は王位を攝し、伊尹は太甲を貶黜し、霍光は昌邑を廢し、孫𬘭は少帝を斥退す、捨常道を棄て權變を使用して、以て社稷を安定すと稱す。然れども周公は放逐せられて狼狽跋扈し、流言は道路に載滿せり。伊尹は終に戮を受け、大霧三天せり。霍光は幾乎禍は自身に及び、家も亦た接いで滅亡せり。孫𬘭は桑蔭未だ移らざるに、頭と脚は已に一處に在らず。皆笑聲未だ斷えざるに、號咷已に到來せり、と。

夫危而不持,安用彼相爭臣七人,無道可救。致令王莽之徒,生其奸變,外引舊事以飾非,內包豺狼之禍心,由於伊霍,基斯亂也。將來君子,宜深茲矣。夫廢立之事,小順大逆,不可長也。召王之譎,已見貶抑。況乃退主,惡其可乎!此等皆計行事成,徐乃受殃者耳。若夫陰謀始權,而貪人賣之,赤族殄祀;而他家封者,亦不少矣。

危うくして扶持せざれば、あの輔相を要して什麼を做さん。争臣七人あれば、無道も亦た挽救す可し。以致王莽の一類人をして、その奸變を生出せしめ、外に舊事を引用して以て過錯を文飾し、內に豺狼の禍心を包含し、伊尹・霍光より而來りて、這種の亂に基礎を打下せり。將來の君子は、應に深く此を以て戒と爲すべし。廢立の事は、小處は順い大處は逆う、助長する可からず。王を召するの譎詐は、已に貶抑せらるるを見えり。況んや主上を斥退するは、あの惡豈に可ならんや。這一類は皆計謀實行し事情成功して、慢慢に乃ち殃を受くるのみ。陰謀剛く權を用い始むるに至りては、貪人は便ち彼を出賣し、滅族絶祀す。而も別家の封を受くるも、亦た少からざるなり。

若有奸佞翼成驕亂,若桀之干辛推哆,紂之崇惡來,厲之黨也,改置忠良,不亦易乎除君側之眾惡,流兇族於四裔,擁兵持疆,直道守法,嚴操柯斧,正色拱繩,明賞必罰,有犯無赦,官賢任能,唯忠是與,事無專擅,請而後行;君有違謬,據理正諫。戰戰競競,不忘恭敬,使社稷永安於上,己身無患於下。功成不處,乞骸告退,高選忠能,進以自代,不亦綽有餘裕乎何必奪至尊之璽紱,危所奉之見主哉!

若し奸佞有りて輔翼して驕亂を成就する有らば、桀の干辛・推哆、紂の崇侯・惡來、厲王の黨羽の如く、改換して忠良と爲さば、不亦容易ならんや。君側の衆惡を除去し、凶族を四裔に流放し、兵力を擁有し疆土を把持し、直道法を守り、斧柯を嚴操し、正色して繩墨を拿着し、賞罰は必ず行い、犯有れば便ち赦免せず、賢能を任用し、ただ忠と在り、事情は專擅なく、請示して後に實行す。君主に違謬有れば、理を據りて正諫す。戰戰兢兢として(底本は「競」と作る、「競」は「兢」の訛)、恭敬を忘掉せず、社稷をして上に永遠に安定せしめ、自身は下に禍患なからしむ。功成して處らず、骸骨を請い告退し、高く忠能を選拔し、引進來りて以て自己を替代せしむれば、不亦綽として餘裕有らんや。何を必ずしも至尊の璽紱を奪取し、奉事する所の現任主上を危害せんや。

夫君,天也,父也。君而可廢,則天亦可改,父亦可易也。功蓋世者不賞,威震主身危。此徒戰勝攻取,勳勞無二者,且猶鳥盡而弓棄,兔訖而犬烹。況乎廢退其君,而欲後主之愛己,是奚異夫為人子而舉其所生捐之山谷,而取他人養之,而云我能為伯瑜曾叄之孝,但吾親不中奉事,故棄去之。雖日享三牲,昏定晨省,豈能見憐信邪

君は、天なり、父なり。君もし廢す可ければ、則ち天も亦た改す可く、父も亦た換う可し。功は世を蓋う人は賞せられず、威は主を震う人は自身危し。這些はただ戰勝攻取し勳勞第二なき人にして、なお鳥盡きて弓は抛棄せられ、兔完して狗は烹せらる。況んや自己の君を廢退して、却って後主の自己を愛するを欲するは、這と人の子と爲りて自己の生む所の人を擧げて山谷に丟棄し、却って別人を取りて以て奉養し、還に我は伯瑜・曾參の孝を爲す能く(底本は「叁」と作る、「叁」は「參」の訛)、ただ我の親は奉事するに適合せず、ゆえに抛棄離開すと説くとは、什麼の分別有らん。卽使每日三牲を享用し、黃昏安定し早晨省視すとも、豈に憐憫せられ信任せられんや。

霍光之徒,雖當時增班進爵,賞賜無量,皆以計見崇,豈斯人之誠心哉夫納棄妻而論前婿之惡,買僕虜而毀故主之暴,凡人庸夫,猶不平之。何者重傷其類,自然情也。故樂羊以安忍見疏,而秦西以過厚見親。而世人誠謂湯武為是,而伊霍為賢,此乃相勸為逆者也。

霍光の一類人は、當時班次を增加し爵位を進升し、賞賜限量なきと雖も、皆計謀を以て推崇せられたるに因る、何處か這些の人の誠心ならんや。抛棄せられたる妻を接納して却って前婿の惡を談論し、僕虜を買來して却って舊主の暴を毁謗するは、凡人庸夫も、なお平ならず。何を爲すか。自己の同類を深く傷るは、自然の情なり。ゆえに樂羊は殘忍に安んずるに因りて疏遠せられ、秦西巴は過厚なるに因りて親近せられり。然れども世人は眞誠に湯武を對と認め、伊尹・霍光を賢と認む、這即ち互相勸勉して逆を做る人なり。

又見廢之君,未必悉非也。或輔翼少主,作威作福,罪大惡積,慮於為後患;及尚持勢,因而易之,以延近局之禍。規定策之功,計在自利,未必為國也。取威既重,殺生決口。見廢之主,神器去矣,下流之罪,莫不歸焉。雖知其然,孰敢形言無東牟朱虛以致其計,無南史董狐以證其罪,將來今日,誰又理之獨見者乃能追覺桀紂之惡不若是其惡,湯武之事不若是其美也。

又、廢せられたる君は、未必皆對ならざるなり。或いは少主を輔翼して、威を作り福を作り、罪大にして惡積み、後患と成るを憂慮す。還に勢を把持するに趁りて、因りて彼を改換し、以て近局の禍を延長せんとす。策を規定するの功勞は、計謀は自利に在り、未必國家を爲すに非ず。取得の威已に重く、殺生は口に決定す。廢せられたる主は、神器は離開し、下流の罪は、彼の身上に歸せざるなし。卽使この如くを知るとも、誰か敢えて言に形さん。東牟・朱虛なくして以て彼の計を實現せず、南史・董狐なくして以て彼の罪を證明せず、將來は今日を看て、誰か又來りて理清せん。獨見の人は乃ち追い發覺して桀紂の惡はこの如く惡ならず、湯武の事はこの如く美ならざるを。

方策所載,莫不尊君卑臣,強幹弱枝。《春秋》之義,天不可讎。大聖著經,資父事君。民生在三,奉之如一。而許廢立之事,開不道之端,下陵上替,難以訓矣。俗儒沈淪鮑肆,困於詭辯,方論湯武為食馬肝,以彈斯事者,為不知權之為變,貴於起善而不犯順,不謂反理而叛義正也。

方策の記載する所は、君を尊し臣を卑し幹を強し枝を弱しせざるなし。《春秋》の義は、天は以て仇と當てる可からず。大聖は經を著して、父を憑藉して以て君に事奉す。民生は三に在り、それらに事奉すること同一事の如し。然れども廢立の事を許可し、不道の端緒を開出し、下は上を陵り替はる、以て訓と爲すは難し。俗儒は鮑肆の裡に沈淪して、詭辯に圍困せられ、乃ち湯武を馬肝を喫うと論成し、取り來りて以て這件の事を彈劾する人は、權は變を知らざると當て、貴は善を興起して順に觸犯せざるに在り、道理に違反して義を背叛するの正と謂わざるを。

而前代立言者,不析之以大道,使有此情者加夫立剡鋒之端,登方崩之山,非所以延年長世,遠危之術。雖策命暫隆,弘賞暴集,無異乎犧牛之被紋繡,淵魚之愛莽麥,渴者之資口於雲日之酒,飢者之取飽於鬱肉漏脯也。而屬筆者皆共褒之,以為美談,以不容誅之罪為知變,使人悒而永慨者也。

然れども前代に言を立つる人は、大道を拿りて剖析せず、這種の心情有る人をして更加に鋒刃の端の上に立ち、將に崩れんとする山に登るが如くせしめ、以て年壽を延長し長遠に危險を離開するの方法と爲さず。卽使策命暫時隆盛にして、弘賞突然聚集すとも、犧牛の紋繡を披着し、淵魚の莽麥を喜愛し、渴する人は雲日之酒に向かって一口を求め、饑える人は郁肉漏脯に向かって飽を求むると、分別なし。然れども筆を執る人は皆共同に褒奬して、美談と當て、誅を容れざるの罪を以て變を知ると當て、人をして悒郁して永遠に慨歎せしむ。

或諫餘以此言為傷聖人,必見譏貶。餘答曰:“舜禹歷試內外,然後受終文祖。雖有好傷,聖人者豈能傷哉!昔人嚴延年廷奏霍光為不道,於時上下肅然,無以折也。況吾為世之誡,無所指斥,何慮乎常言哉!”

或る人は我を勸めてこの話は聖人を傷害し、一定に譏貶せられんとす。我回答して曰く、舜禹は內外に歷試せられ、然後文祖の處に於て終を受けたり。卽使傷害を喜歡する人有るとも、聖人は豈に傷害せらるる能けんや。從前嚴延年は朝廷上に霍光を不道と奏し、當時上下肅然として、駁倒す可き話なかりき。況んや我は當世の爲に誡を作る、斥する所なし、何を必ずしも平常の話を顧慮せんや、と。

時難卷第八

時難巻第八

抱朴子曰:盡節無隱者,可為也。若夫使言必納而身必安者,須時。時之否也。夫姦凶之徒妒所不逮,擁上抑下,惡直醜正,憂畏公方之彈擊邪枉,是以務除勝己以紓其誅。明主不世而出,庸君迷於皂白,既不能受用忠益,或乃宣洩至言。於是弘恭石顯之徒,飾巧辭以構象似,假至公以售私奸。令獻長生之術者,反獲立死之罪;進安上之計者,旋受危身之禍。故曰:非言之難也,談之時難也。

抱朴子曰く、節操を隱藏なきに盡くすは、做到する能くする所なり。話をして一定に接納せられ自身一定に安定ならしめんに至りては、必ず時を等待せねばならず。時對ならざるの時は、奸凶の徒は自己の趕不上る所を妒忌し、上を擁戴し下を壓抑し、正直を厭惡し正を醜化し、公正方直の邪枉を彈擊するを憂懼す、ゆえに務めて自己に勝過する人を除掉して以て將に誅せられんとするの危險を紓解せんとす。明主は每世代に出現するに非ず、庸君は黑白の上に迷惑し、既に忠益を受用する能わず、或いは竟に至言を宣泄し出去せん。是に弘恭・石顯の一類人は、巧辭を文飾して以て象似を構成し、至公を假借して以て私奸を出售す。長生の術を獻上する人をして、却って立刻死に往くの罪を獲得せしめ、主上を安定するの計を進上する人をして、轉眼に自身に危及するの禍を承受せしむ。ゆえに説く、話するは難に非ず、談ずるの時難なり、と。

夫以賢說聖,猶未必即受,故伊尹幹湯,至於七十也。以智告愚,則必不入,故文諫紂,終不納也。言不見信,猶之可也。若乃李斯之誅韓非,龐涓之刖孫臏,上官之毀屈平,袁盎之中晁錯,不可勝載也。為臣不易,豈一途也哉!蓋往而不反者,所以功在身後;而藏器俟時者,所以百無一遇。高勳之臣曠代而一有;陷冰之徒,委積乎史策。悲夫,時之難遇也,如此其甚哉!由茲以言,吾知渭濱呂尚之儔,巖間傅說之屬,懷其王佐之器,抱其邈世之材,秉竿擁築,老死於庸兒之伍,而遂不遭文王高宗者,必不訾矣。

賢を以て聖を説服するも、還に未必立刻接受せず、ゆえに伊尹は湯に干謁して、七十次に到れり。智を以て愚に告ぐるは、便ち一定に進入せず、ゆえに比干は紂を諫めて、終に接納せられず。話は信任せられずとも、も亦た可なり。李斯の韓非を誅殺し、龐涓の孫臏を刖し、上官の屈平を毁謗し、袁盎の晁錯を中傷するに至りては、記載は完き能わず。臣を做るは容易ならず、豈にただ一條の路のみならんや。一ち去りて返回せざる人は、ゆえに功勞は身死の後に在り。器能を藏起して時を待つ人は、ゆえに一百個に一個も遇わず。高勳の臣は曠代に乃ち一個有り。冰の裡に陷進する一類人は、史策の上に堆積す。悲夫、時の遇い難きは、竟にこの如く嚴重なり。此より説けば、我は渭濱の呂尚の一類人・巖間の傅説の一類人、王佐の器能を懷き、邈世の材を抱き、竿を拿着し筑を擁して、庸兒の行列の裡に老死し、然れども終に文王・高宗に遇わざるは、一定に多くして計量する能わざるを知る。

官理卷第九

官理巻第九

抱朴子曰:騄駬之騁逸跡,由造父之御也;禹稷之序百揆,遭唐虞之主也。故能不勞而千里至,揖讓而頌聲作。若乃臧否之乘驌驦,殷辛之臨三仁,欲長驅輕騖,則轡急轅逼,欲盡規竭忠,則禍如發機。所以車傾於險途,國覆而不振也。故良駿敗於拙御,智士躓於暗世。仲尼不能止魯侯之出,晏嬰不能遏崔杼之亂。其才則是,主則非也。

抱朴子曰く、駿馬の逸迹を馳騁するは(底本は「𫘧駬」と作る)、造父の駕馭に由るなり。禹稷の百揆を叙次するは、唐虞の君主に遇上するなり。ゆえに能く勞せずして千里に到達し、揖讓して頌聲興起す。臧否が駿馬に乘坐し、殷辛が三仁に臨視するに至りては、長驅輕馳せんと欲すれば、轡は便ち急く轅は便ち逼り、規諫を盡くし忠を竭盡せんと欲すれば、禍は便ち機括を扳動するが如く到來す。ゆえに車は險途の上に傾覆し、國は覆敗して再び振う能わず。ゆえに良駿は拙劣の御者の手裡に敗れ、智士は暗世に跌く。仲尼は魯侯の國を出づるを阻止する能わず、晏嬰は崔杼の亂を遏止する能わず。彼らの才是れ對なれども、主は却って對ならず、と。

夫君猶器也,臣猶物也,器小物大,不能相受矣。髫孺背千金而逐蛺蝶,越人棄八珍而甘蛙黽,即患不賞好,又病不識惡矣。夫不用,則雖珍而不貴矣;莫與,則傷之者必至。昔衛靈聽聖言而數驚,秦孝聞高談而睡寐,而欲緝隆平之化,收良能之勳,猶卻行以逐馳,適楚而道燕也。

君は器の如く、臣は物の如し、器小にして物大なれば、互相容納する能わず。孩童は千金に背對して蛺蝶を追逐し、越人は八珍を抛棄して却って蛙黽を以て甘と爲す、既に好きを賞識せざるを患い、又惡きを認識せざるを病む。用いられざれば、卽使珍なるも貴からず。人の給與する無ければ、彼を傷害する人は一定に到來せん。從前衛靈公は聖言を聽きて屢次驚き、秦孝公は高談を聽きて睡着せり、然れども隆平の教化を輯合し、良能の勳勞を收取せんと欲するは、倒着走りて馳騁を追逐し、楚國に到るに却って燕に取道するが如し。

務正卷第十

務正巻第十

抱朴子曰:南溟引朝宗以成不測之深,玄圃崇本石以致極天之峻。大夏凌霄,賴群橑之積;輪曲轅直,無可闕之物。故元凱之佐登,而格天之化洽;折沖之才周,則逐鹿之奸寢。舜禹所以有天下而不與,衛靈所以雖驕恣而不危也。

抱朴子曰く、南溟は朝宗を引來して乃ち測り可からざる深を成就し、玄圃は木石を堆高して乃ち極天の峻に達せり。大廈の雲霄を凌越するは、群椽の堆積に靠着す。輪は曲り轅は直く、缺少す可き物なし。ゆえに元凱の輔佐は登用せられれば、天に格する教化は便ち洽合す。折衝の才は周備せば、鹿を逐うの奸は便ち止息す。這即ち舜禹の天下有るも未曾だ參與せざるが如く、衛靈の驕恣なるも然れども危險ならざる所以の緣故なり、と。

眾力並,則萬鈞不足舉也;群智用,則庶績不足康也。故繁足者死而不弊,多士者亂而不亡。然劍戟不長於縫緝,錐鑽不可以擊斷,牛馬不能吠守,雞犬不任駕乘。役其所長,則事無廢功;避其所短,則世無棄材矣。

衆力は合并すれば、萬鈞も亦た擧起するに足らず。群智は用いられれば、各種の業績も亦た安康するに足らず。ゆえに脚多きは死しても敗壞せず、士多きは亂れても滅亡せず。然れども劍戟は縫緝に長ぜず、錐鑽は以て擊斷するに用う可からず、牛馬は吠守する能わず、雞犬は駕乘に勝任せず。それの長ずる所を役使すれば、事情に廢棄の功なし。それの短ずる所を避開すれば、世上に抛棄せらるる材なし。

貴賢卷第十一

貴賢巻第十一

抱朴子曰:舍輕艘而涉無涯者,不見其必濟也;無良輔而羨隆平者,未聞其有成也。鴻鸞之凌虛者,六翮之力也;淵虯之天飛者,雲霧之偕也。故招賢用者,人主之要務也;立功立事者,髦俊之所思也。若乃樂治定而忽智士者,何異欲致遠途而棄騏騄哉!

抱朴子曰く、輕船を舍棄して徒步して無涯を涉過するは、彼の一定に渡るを見えず。良輔なくして隆平を羨慕するは、彼の成就所有るを聞かず。鴻鸞の虛空を凌越するは、六翮の力氣なり。淵虯の天に飛向するは、雲霧の偕同なり。ゆえに賢を招致し任用するは、人主の要務なり。功を立て事を立つるは、髦俊の思念する所なり。治定を樂しみて智士を忽略する人に至りては、遠途に到達せんと想到して却って騏驥を抛棄するに什麼の分別有らん、と。

夫拔丘園之否滯,舉遺漏之幽人,職盡其才,祿稱其功者,君所以待賢者也;勤夙夜之在公,竭心力於百揆,進善退惡,知無不為者,臣所以報知己也。世有隱逸之民,而無獨立之主者,士可以喜遁而無憂,君不可以無臣而致治。是以傅說呂尚不汲汲於聞達者,道德備則輕王公也。而殷高周文乃夢想乎得賢者,建洪勳必須良佐也。

丘園裡に滯留する人を拔出し、遺漏の幽人を擧起し、職事はその才を用盡し、俸祿はその功と相稱するは、君主の以て賢人に對待する所なり。早より夜に至るまで公家に勤勉し、心力を百揆の上に竭盡し、善を進め惡を退け、知るや做らざるなきは、臣の以て知己に報答する所なり。世上に隱逸の民有りて、然れども獨立の主なし、士は逃遁を喜歡して憂無き可く、君は臣なくして治理に達する可からず。ゆえに傅説・呂尚の聞達に急急せざるは、道德具備すれば便ち王公を看輕せばなり。殷高宗・周文王の却って賢人を得るを夢想するは、洪勳を建立するは必ず良佐を須要せばなり。

患於生乎深宮之中,長乎婦人之手,不識稼穡之艱難,不知憂懼之何理,承家繼體,蔽乎崇替。所急在乎侈靡,至務在乎遊晏,般於畋獵,湎於酣樂,聞淫聲則驚聽,見豔色則改視。役聰用明,止此二事。鑑澄人物,不以經神,唯識玩弄可以悅心志,不知奇士可以安社稷。犀象珠玉,無足而至自萬里之外;定傾之器,能行而淪乎四境之內。二豎之疾既據而募良醫,棟橈之禍已集而思謀夫,何乎火起乃穿井,覺飢而占田哉!夫庸隸猶不可以不拊循而卒盡其力,安可以無素而暴得其用哉

毛病は深宮の中に生まれ、婦人の手に長ち、稼穡の艱難を認識せず、憂懼は什麼の道理を知らず、家業を承繼し正體を繼嗣して、興廢に遮蔽せられたるに在り。急ぐ所は侈靡に在り、最要緊の事務は游宴に在り、畋獵に盤桓し、酣樂に沈湎し、淫聲を聞けば便ち聽覺を驚動し、艷色を見れば便ち視線を改變す。聰明を役使するに、ただ這兩件の事の上に停留す。人物を鑑察澄清するに、取りて精神を經過せしめず、ただ玩弄の心志を喜悅す可きを認識して、奇士の社稷を安定す可きを知らず。犀象珠玉は、脚なくして萬里之外より到來す。能く傾覆を安定する器能は、能く走るも四境の內に沈淪す。二豎の疾病已に占據して乃ち良醫を招募し、棟梁摧折の禍已に聚集して乃ち謀夫を思念するは、火起こりて乃ち井を鑿り、饑を覺えて乃ち田を看ると、什麼の分別有らん。庸隸なお撫循せずして突然にその力氣を用盡す可からず、怎ぞ可に素來の積累なくして突然にその用處を得んや。

任能卷第十二

任能巻第十二

或曰:“尾大於身者,不可掉;臣賢於君者,不可任。故口不容而強吞之者必哽,才非匹而安仗之者見輕。”

或る人曰く、尾巴は身子より大なれば、便ち擺動する可からず。臣は君より賢なれば、便ち任用する可からず。ゆえに口は容納し下さずして強吞する人は一定に哽住し、才能は不匹配して安然として依仗する人は看輕せらる、と。

抱朴子曰:“詭哉,言乎!昔者荊子總角而攝相事,實賴二十五老,臻乎惠康。子賤起家而治大邦,實由勝己者多,而招其弘益。齊桓殺兄而立,鳥獸其行,被髮彝酒,婦閭三百,委政仲父,遂為霸宗;夷吾既終,禍亂亟起。魯用季子二十餘年,內無秕政,外無侵削;人之亡沒,殄瘁響集。豈非才所不逮,其功如彼;自任其事,其禍如此乎!”

抱朴子曰く、這話は詭詐なり。從前荆子は還に總角にして相事を攝理す、實は二十五位の老者に靠着して、惠康に達せり。子賤は剛く家を起こして便ち大邦を治理す、實は自己に勝過する人の多きに由り、弘大の益處を招來せり。齊桓公は兄を殺して自ら立ち、行爲は鳥獸の如く、頭髮を披散し彝酒に沈湎し、婦人の里巷三百にして、政事を仲父に委托し、是に霸主の宗と成れり。管仲一死せば、禍亂立刻興起す。魯は季子を任用する二十多年、內に秕政なく、外に侵削なし。あの人一死せば、殄瘁は回響の如く聚集す。豈に才能の趕不上らざるに非ず、功勞あの如く、自己あの事を擔任すれば、禍はこの如し、と。

“漢高決策於玄幃,定勝乎千里,則不如良平;治兵多而益善,所向無敵,則不如信布;兼而用之,帝業克成。故疾步累趨,未若托乘乎逸足;尋飛逐走,未若假伎乎鷹犬。夫勁弩難彀,而可以摧堅逮遠;大舟難乘,而可以致重濟深;猛將難御,而可以折沖拓境;高賢難臨,而可以攸敘彝倫。

(抱朴子が続けて言うには、)「漢高は帷幄の中に決策し、千里の外に勝負を決定するは、便ち張良・陳平に如かず。兵を帶びること愈多ければ愈好く、向かう所敵なきは、便ち韓信・英布に如かず。兼ねて彼らを任用せば、帝業は乃ち能く成就す。ゆえに急步して屢次趨走するは、逸足の上に托乘するに如かず。飛翔を尋找し走獸を追逐するは、鷹犬に伎能を借るに如かず。勁弩は張開し難し、然れども堅固を摧折し遠處に達する可し。大舟は乘坐し難し、然れども重物を送達し深處を渡る可し。猛將は駕馭し難し、然れども折衝して邊境を開拓する可し。高賢は臨視し難し、然れども彝倫を叙次する可し」と。

“昔魯哀庸主也,而仲尼上聖,不敢不盡其節;齊景下才也,而晏嬰大賢,不敢不竭其誠。豈有人臣當與其君校智力之多少,計局量之優劣,必須堯舜乃為之役哉!何事非君何使非民恥令其君不及唐虞,此亦達者之用心也。”

(抱朴子が続けて言うには、)「從前魯哀は庸主、仲尼は上聖、敢えてその節を盡くさざるなし。齊景は下才、晏嬰は大賢、敢えてその誠を竭さざるなし。何處に人臣は當に自己の君と智力の多少を校量し、局量の優劣を計算し、必ず是れ堯舜にして乃ち彼の爲に役使せられんとする者有らんや。什麼事か君に非ざる、什麼役使か民に非ざる。自己の君をして唐虞に趕不上らしめざるを恥とす、這も亦た通達の人の用心なり」と。

欽士卷第十三

欽士巻第十三

抱朴子曰:由余在戎,而秦穆惟憂。楚殺得臣,而晉文乃喜。樂毅出而燕壞,種蠡入而越霸。破國亡家,失士者也。豈徒有之者重,無之者輕而已哉!柳惠之墓,猶挫元寇之銳,況於坐之於朝廷乎幹木之隱,猶退踐境之攻,況於置之於端右乎郅都之象,使勁虜振懾。孔明之屍,猶令大國寢鋒。以此禦侮,則地必不侵矣;以此率師,則主必不辱矣。

抱朴子曰く、由余は戎に在りて、秦穆はただ憂慮せり。楚は得臣を殺して、晋文は乃ち喜悅せり。樂毅は一ち燕を出でて便ち壞れ、文種・范蠡は一ち越に入りて便ち稱霸す。國を破り家を亡ぼすは、士を失掉する人なり。何處かただ彼有れば重く彼無ければ輕きのみならんや。柳下惠の墓は、なお元寇の銳氣を挫傷す、況んや彼をして朝廷上に坐せしめんをや。段干木は隱居して、なお邊境を踐踏するの進攻を退去せしむ、況んや彼を端右に安置せんをや。郅都の畫像は、強勁の虜人を震懾せしむ。孔明の尸は、なお大國をして鋒刃を收起せしむ。這を以て侵侮を抵御すれば、地は便ち一定に侵せられず。這を以て軍隊を統率すれば、主は便ち一定に辱を受けず、と。

是以明主旅束帛於窮巷,揚滯羽於瘁林,飛翹車於河梁,闢四門而不倦,不吝金璧,不遠千里,不憚屈己,不恥卑辭,而以致賢為首務,得士為重寶。舉之者受上賞,蔽之者為竊位。

ゆえに明主は束帛を窮巷に送到し、滯留の羽毛を瘁林より揚起し、翹車をして河梁に飛向せしめ、四門を開闢して倦まず、金璧を吝嗇せず、千里を以て遠と爲さず、自己を委屈するを怕れず、言辭卑下を以て恥と爲さず、而も賢を致すを以て第一要務と爲し、士を得るを以て重寶と爲す。擧薦する人は上賞を受け、遮蔽する人は便ち位を竊るなり。

故公旦執贄於白屋,秦邵拜昌於張生。鄒子涉境,而燕君擁彗;莊周未食,而趙惠竦立。晉平接亥唐,腳痺而坐不敢正;齊任之造稷丘,雖頻繁而不辭其勞。楚王受笞於保申,□簡去甲於公廬,彼雖降高抑滿,以貴下賤,終亦並目以遠其明,假耳以廣其聰。龍騰虎踞,宜其然也。

ゆえに周公旦は白屋之士に向かって贄を執り、秦昭は張生に向かって昌言を拜求せり。鄒衍は國境に踏進せば、燕君は便ち掃帚を拿着せり。莊周は未だ喫わざるに、趙惠は便ち竦立せり。晋平公は亥唐を接待し、脚痹れて坐りても敢えて端正せず。齊任は稷丘に到るに、卽使頻繁なるも勞を辭せず。楚王は保申より鞭笞を接受し、〔底本此字殘缺〕簡は公廬より甲を去掉せり、彼らは高を降低し滿を抑制し、貴を以て賤に下ると雖も、終竟も亦た眼睛を合并して以て自己の明を更に遠くせしめ、別人の耳朵を借りて以て自己の聰を更に廣くせり。龍は騰り虎は踞る、本來應にこの如し。

用刑卷第十四

用刑巻第十四

抱朴子曰:莫不貴仁,而無能純仁以致治也;莫不賤刑,而無能廢刑以整民也。或云:“明後御世,風向草偃。道洽化醇,安所用刑”餘乃論之曰:“夫德教者,黼黻之祭服也;刑罰者,捍刃之甲冑也。若德教治狡暴,猶以黼黻御剡鋒也;以刑罰施平世,是以甲升廟堂也。故仁者養物之器,刑者懲非之具,我欲利之,而彼欲害之,加仁無悛,非刑不止。刑為仁佐,於是可知也。

抱朴子曰く、仁を貴ばざるなく、然れども純粹に仁を以て治理に達する能くするなし。刑を賤しまざるなく、然れども刑を廢除して以て百姓を整飭する能くするなし。或る人曰く、明君は天下を駕馭す、風一吹けば草は便ち偃伏す。道洽合し教化醇厚なれば、何處か刑を用いんや、と。我是に論説して曰く、德教は、黼黻の祭服なり。刑罰は、兵刃を抵御するの甲胄なり。若し德教を拿りて狡暴を治理せんとすれば、黼黻を以て鋒刃を抵擋するが如し。刑罰を拿りて平世に施行するは、便ち甲を穿着して廟堂に走上するなり。ゆえに仁は物を養うの器、刑は過錯を懲治するの用具、我は彼に利有らんと欲するも、彼は却って害を加えんと欲し、仁を加うるも改めず、刑に非ざれば便ち止む能わず。刑は仁の輔佐なり、此より知る可し、と。

譬存玄胎息,呼吸吐納,含景內視,熊經鳥伸者,長生之術也。然艱而且遲,為者鮮成,能得之者,萬而一焉。病篤痛甚,身困命危,則不得不攻之以針石,治之以毒烈。若廢和鵲之方,而慕松喬之道,則死者眾矣。仁之為政,非為不美也。然黎庶巧偽,趨利忘義。若不齊之以威,糾之以刑,遠羨羲農之風,則亂不可振,其禍深大。以殺止殺,豈樂之哉!

(抱朴子が続けて言うには、)玄を存し胎息し、呼吸吐納し、日景を含みて內に向かって視るに比し、熊の如く懸挂し鳥の如く伸展するは、長生の方法なり。然れども艱難且つ遲緩にして、做る人は少なく成功し、得る能くするは、萬人の中に乃ち一個有り。病重く痛み厲しく、身體困頓し性命危險なれば、便ち針石を拿りて攻治し、猛烈の藥を拿りて治療せざるを得ず。若し醫和・扁鵲の方を廢棄して、却って赤松・王喬の道を羨慕せば、死する人は多からん。仁を以て政と爲すは、不美に非ず。然れども黎庶は巧僞にして、利に趨向し義を忘掉す。若し威を以て齊一せず、刑を以て糾察せず、遙かに伏羲・神農の風を羨慕せば、亂は振救する可からず、禍は深く且つ大なり。殺を以て殺を止むるは、何處か樂しんでこの如く爲さんや、と。

“八卦之作,窮理盡性,明罰用獄,著於《噬嗑》;系以徽纆,存乎《習坎》。然用刑其來尚矣。逮於軒轅,聖德尤高,而躬親征伐,至於百戰,殭屍涿鹿,流血阪泉,猶不能使時無叛逆,載戢干戈。亦安能使百姓皆良,民不犯罪而不治者,未之有也。唐虞之盛,象天用刑,竄殛放流,天下乃服。漢文玄默,比隆成康,猶斷四百,鞭死者多。夫匠石不捨繩墨,故無不直之木。明主不廢戮罰,故無陵遲之政也。

(抱朴子が続けて言うには、)「八卦の制作は、理を窮盡し性を盡くし、刑罰を顯明にし獄訟を使用するは、《噬嗑》の裡に寫在せり。徽纆を以て繫住するは、《習坎》の裡に保存せり。見る可く用刑の由來已に久し。軒轅に到りて、聖德尤も高きも、然れども親しく征伐し、百戰に到りて、僵尸は涿鹿に在り、流血は阪泉に在り、還に當時をして叛逆なく、干戈を收藏せしむる能わず。又怎ぞ能く百姓をして皆良善に、民は罪を犯さずして治理を加えざるは、之れ無し。唐虞の隆盛は、天を取法して以て刑を用い、竄殛放流して、天下は乃ち服從せり。漢文帝は玄默にして、隆盛は成康に比得すとも、還に四百を判決し、鞭打して死する人多し。匠石は繩墨を舍棄せず、ゆえに直ならざる木頭なし。明主は戮罰を廢除せず、ゆえに陵夷遲緩の政なし」と。

“蓋天地之道,不能純仁,故青陽闡陶育之和,素秋厲肅殺之威,融風扇則枯瘁攄藻,白露凝則繁英凋零。是以品物阜焉,歲功成焉。溫而無寒,則蠕動不蟄,根植冬榮。寬而無嚴,則奸宄並作,利器長守。故明賞以存正,必罰以閒邪。勸沮之器,莫此之要。觀民設教,濟其寬猛,使懦不可狎,剛不傷恩。五刑之罪,至於三千,是繩不可曲也;司寇行刑,君為不舉,是法不可廢也。繩曲,則奸回萌矣;法廢,則禍亂滋矣。

(抱朴子が続けて言うには、)「天地の道は、純粹是れ仁なる能わず、ゆえに青陽は陶育の和を闡發し、素秋は肅殺の威を嚴厲し、融風扇動すれば則ち枯瘁も亦た文藻を舒展し、白露凝結すれば則ち繁盛の花は凋零す。ゆえに品物豐阜し、歲功成就す。ただ温有りて寒なければ、蠕動するは便ち蟄伏せず、根植するは冬天も亦た榮なり。ただ寬有りて嚴なければ、奸宄は便ち一倂に興起し、利器は便ち長久に守着せられん。ゆえに賞を顯明にして以て正を保存し、罰を一定にして以て邪を防止す。勸勉と阻攔の器は、這個より更に緊要なるなし。民を觀察して以て教を設置し、寬と猛とを濟助し、懦は狎昵せらる可からず、剛は恩を傷害せざらしむ。五刑の罪は、三千に到れり、這是繩は彎曲する可からざるなり。司寇は刑罰を執行し、君主は此の爲に樂を擧げず、這是法は廢除する可からざるなり。繩一彎曲すれば、奸回は便ち萌芽せり。法一廢除すれば、禍亂は便ち滋長せり」と。

“亡國非無令也,患於令煩而不行;敗軍非無禁也,患於禁設而不止。故眾慝彌蔓,而下黷其上。夫賞貴當功而不必重,罰貴得得罪而不必酷也。鞭樸廢於家,則僮僕怠惰;征伐息於國,則群下不虔。愛待敬而不敗,故制禮以崇之;德須威而久立,故作刑以肅之。班倕不委規矩,故方圓不戾於物;明君不釋法度,故機詐不肆其巧。唐虞其仁如天,而不原四罪;姬公友於兄弟,而不赦二叔。仲尼之誅正卯,漢武之殺外甥,垂淚惜法,蓋不獲已也。

(抱朴子が続けて言うには、)「亡國は令無きに非ず、毛病は令煩瑣にして實行せざるに在り。敗軍は禁無きに非ず、毛病は禁設立して止まる能わざるに在り。ゆえに衆惡蔓延して、下邊は上邊を褻瀆す。賞は功と相當するに貴くして必ずしも重ならず、罰は其の所を罰するに貴くして必ずしも酷ならず。家裡鞭朴を廢除すれば、僮僕は便ち怠惰す。國裡征伐を止息すれば、群下は便ち虔敬せず。愛は敬を等待して乃ち敗れず、ゆえに禮を制定して以てそれを推崇す。德は必ず威有りて乃ち長久立住す、ゆえに刑を制作して以てそれを整肅す。班倕は規矩を委棄せず、ゆえに方圓は物に違背せず。明君は法度を放开せず、ゆえに機詐はその巧を放肆せず。唐虞は仁すること天の如くして、然れども四罪を原諒せず。周公は兄弟に友愛して、然れども管蔡二叔を赦免せず。仲尼は少正卯を誅殺し、漢武帝は外甥を殺死せり、淚を垂れて法を愛惜す、大概不得已なり」と。

,。故誅一以振萬,損少以成多,方之櫛發,則所利者眾;比於割疽,則所全者大。是以灸刺慘痛而不可止者,以痊病也;刑法兇醜而不可罷者,以救弊也。六軍如林,未必皆勇。排鋒陷火,人情所憚。然恬顏以勸之,則投命者鮮;斷斬以威之,則莫不奮擊。故役歡笑者,不及叱吒之速;用誘悅者,未若刑戮之齊。

ゆえに一個を誅して以て萬個を振起し、少を減損して以て多を成就す、梳頭に比方すれば、則ち利を得る人衆し。疽を割るに比すれば、則ち保全するは大なり。ゆえに灸刺は慘痛なるも然れども停止する可からず、是れ病を治好せんと欲するが爲なり。刑法は凶醜なるも然れども罷除する可からず、是れ弊を救わんと欲するが爲なり。六軍は樹林の如し、未必皆勇ならず。鋒刃を排開し火の裡に陷入するは、人情の怕れる所なり。然れども恬靜の面容を以て勸めれば、命を投ずる人は便ち少なし。斷斬を以て威を立てれば、奮擊せざるなし。ゆえに歡笑を役使するは、叱咤の迅速に趕及ばず。誘引喜悅を以てするは、刑戮の齊一に如かず。

是以安於感深谷而嚴其法,衛子疾棄灰而峻其闢。夫以其所畏,禁其所玩,峻而不犯,全民之術也。明治病之術者,杜未生之疾;達治亂之要者,遏將來之患。若乃以輕刑禁重罪,以薄法衛厚利,陳之滋章,而犯者彌多,有似穿阱以當路,非仁人之用懷也。

ゆえに董安于は深谷に感じて以て法を加嚴し、衛鞅は灰を棄つるを疾恨して以て刑辟を加峻せり。彼らの畏懼する所を拿りて、彼らの玩忽する所を禁止す、峻嚴にして然れども觸犯せざるは、民を保全するの方法なり。病を治するの方法を明白する人は、未だ發生せざる疾病を杜絶す。亂を治するの要領を通達する人は、將來の禍患を遏止す。輕刑を拿りて以て重罪を禁止し、薄法を拿りて以て厚利を護衛するに至りては、陳列する愈加彰明なれば、觸犯する人却って愈多し、當路に陷阱を挖るが如く、仁人の用心に非ず。

“善為政者,必先端此以率彼,治親以整疏,不曲法以行意,必有罪而無赦。若石石昔之割愛以滅親,晉文之忍情以斬頡。故仁者,為政之脂粉;刑者,御世之轡策;脂粉非體中之至急,而轡策須臾不可無也。肅恭少怠,則慢惰已至;威嚴暫馳,則群邪生心。當怒不怒,奸臣為虎;當殺不殺,大賊乃發。水久壞河,山起咫尺。尋木千丈,始於毫末;鑽燧之火,勺水可滅;鵠卵未孚,指掌可縻。及其乘沖飈而燎鉅野,奮六羽以凌朝霞,則雖智勇不能制也。

(抱朴子が続けて言うには、)「政を爲すに善き人は、一定に先ず此を端正して以て彼を統率し、親を治理して以て疏を整飭し、法を彎曲して以て私意を實行せず、一定に罪有れば便ち赦免せず。石碏の親愛を割捨して以て親を滅するが如く(底本は「石石昔」と作る、當に「石碏」と爲すべし)、晋文公は情を忍びて以て顛頡を斬せり。ゆえに仁は、政を爲すの脂粉なり。刑は、天下を駕馭するの轡策なり。脂粉は身體の中の最急に非ず、轡策は却って片刻も無かる可からず。肅恭稍稍怠惰すれば、慢惰已に到來せり。威嚴暫時鬆弛すれば、群邪便ち心を生出す。怒る可きに怒らざれば、奸臣は便ち虎と成り。殺す可きに殺さざれば、大賊は乃ち發作す。水長久なれば便ち河を毀壞し、山は咫尺より堆起す。尋木千丈は、毫末より開始し、燧を鑽るの火は、一勺の水は以て滅する可し。鵠卵未だ孵化せざれば、指掌は以て捏碎する可し。それの衝飆に乘りて巨野を燒き、六羽を奮起して朝霞を凌越するに等及びては、卽使智勇も亦た制服する能わず」と。

故明君治難於其易,去惡於其微,不伐善以長亂,不操柯而猶豫焉。然則刑之為物,國之神器,君所自執,不可假人,猶長劍不可倒捉,巨魚不可脫淵也。乃崇替之所由,安危之源本也。田常之奪齊,六卿之分晉,趙高之弒秦,王莽之篡漢,履霜逮冰,由來漸矣。或永嘆於海濱,或拊心乎望夷,禍延宗祧,作戒將來者,由乎慕虛名於住古,忘實禍於當己也。”

ゆえに明君は容易の時に難を治理し、微細の時に惡を去掉し、善を誇伐して以て亂を助長せず、斧柯を操るも然れども猶豫せず。この如く、刑は一種の事物と爲して、國の神器、君主は自ら執掌し、以て別人に借與す可からず、長劍は倒着捉え可からず、巨魚は深淵を離開する可からざるが如し。這是興廢の經由する所・安危の本源なり。田常は齊を奪取し、六卿は晋を瓜分し、趙高は秦を弑し、王莽は漢を篡せり、霜を踏着して便ち冰に到る、由來は漸漸なり。或いは海濱に永遠に歎息し、或いは望夷宮に心を捶る、禍は宗廟に延及し、將來に鑑戒を作成するは、往古に虛名を羨慕し、自己身上に實禍を忘掉するに由るなり。

或人曰:“刑辟之興,蓋存叔世。立人之道,唯仁與義。我清靜而民自正,我無慾而民自樸,烹鮮之戒,不欲其煩。寬以愛人則得眾,悅以使人則下附。故孟子以體仁為安,揚子云謂申韓為屠宰。夫繁策急轡,非造父之御;嚴刑峻罰,非三五之道。故有虞手不指揮,口不煩言,恭己南面,而治化雍熙矣。宓生政以率俗,彈琴詠詩,身不下堂,而漁者宵肅矣。

或る人曰く、刑辟の興起は、大概衰世に存在す。人を立つるの道は、ただ仁と義のみ。我は清静にして民は自ずから正しく、我に欲望なくして民は自ずから朴なり、鮮を烹るの警戒は、煩瑣を想わざるなり。寬を以て人を愛すれば便ち衆を得、喜悅を以て人を役使すれば則ち下邊親附す。ゆえに孟子は體仁を以て安と爲し、揚雄は申韓を屠宰と説く。馬鞭繁く轡頭急きは、造父の駕馭に非ず。嚴刑峻罰は、三皇五帝の道に非ず。ゆえに有虞は手は指揮せず、口は煩言せず、恭己南面して、治化は便ち雍熙せり。宓子賤は政を以て流俗を統率し、琴を彈き詩を詠じ、身子は堂を下らずして、魚を打つ人は夜裡も肅然たりき、と。

必能厚惠薄斂,救乏擢滯,舉賢任才,勸穡省用,招攜以禮,懷遠以德,陶之以成均,治之以庠序。化上而興善者,必若靡草之逐驚風;洗心而革面者,必若清波之滌輕塵。朝有德讓之群后,野無犯禮之軌躅。圜土可以虛蕪,楚革可以永格,何必賞罰可以為國乎!”

(或る人が続けて言うには、)一定能く恩惠を厚施し賦斂を薄收し、匱乏を救濟し滯留を提拔し、賢を擧げ才を任じ、稼穡を勸勉し用度を減省し、禮を以て攜貳を招徠し、德を以て遠方を懷柔し、成均を以て陶冶し、庠序を以て治理せば。上に化せられて善を興起する人は、一定に細草の驚風を追逐するが如し。心を洗い面貌を改變する人は、一定に清波の輕塵を洗濯するが如し。朝廷に德讓の群后有り、郊野に禮を觸犯するの車轍なし。監獄は以て虛空荒蕪す可く、荆楚は以て永遠に擱置す可し、何必賞罰して乃ち國を治むる能くせんや、と。

抱朴子答曰:“《易》稱“明罰敕法”,《書》有“哀矜折獄”。爵人於朝,刑人於市,有自來矣,豈從叔世!多仁則法不立,威寡則下侵上。夫法不立,則庶事汩矣;下侵上,則逆節明矣。至醇既澆於三代,大樸又散於秦漢,道衰於疇昔,俗薄乎當今,而欲結繩以整奸欺,不言以化狡猾,委轡策而乘奔馬於險途,舍柁櫓而泛虛舟以凌波,盤旋以逐走盜,揖讓以救災火,斬晁錯以卻七國,舞干戈以平赤眉,未見其可也!

抱朴子回答して曰く、《周易》は「明罰敕法」と稱し、《尚書》に「哀矜折獄」有り。朝廷上に人に爵を給い、市上に人に刑を給うは、來由有るなり、何處か衰世より乃ち開始するをや。仁多ければ法は立住せず、威少なければ下は上を侵す。法立住せざれば、庶事は便ち紊亂す。下は上を侵せば、逆節は便ち顯明す。至醇は已に三代に澆薄し、大朴は又秦漢に散開し、道は往昔に衰微し、俗は當今に澆薄す、然れども結繩を以て奸欺を整飭し、言語を用いずして狡猾を教化し、轡策を丢開して却って險途の上に奔馬に乘り、舵櫓を舍棄して却って空船をして波浪を凌越せしめ、盤旋して以て奔跑する盜を追逐し、揖讓して以て災火を救い、晁錯を斬りて以て七國を退却せしめ、干戈を舞いて以て赤眉を平定せんと欲するは、這の如く爲す可きを見ざるなり、と。

“蓋三皇步而五常驟,霸王以來,載馳載騖。當其弊也,吏欺民巧,寇盜公行,髡鉗不足以懲無恥,族誅不能以禁覬覦。重目以廣視,累耳以遠聽,抗燭以理滯事,焦心以息奸源,而猶市朝有呼嗟之音,邊鄙有不聞之枉。

(抱朴子が続けて言うには、)「三皇は步を緩めて五帝は馳驟し、霸王以來は、一邊奔馳し一邊急走す。正に弊壞の時に當りて、吏は欺瞞し民は巧詐し、寇盜は公然橫行し、髡鉗は無恥を懲治するに足らず、族誅は覬覦を禁止する能わず。眼睛を重疊して以て視力を更に廣くし、耳朵を累積して以て聽力を更に遠くし、蠟燭を擧起して以て滯留の事を治理し、心を焦灼して以て奸の源頭を止息するも、然れども還に市朝に呼嗟の聲音有り、邊鄙に聽見せられざる冤枉有り」と。

作威作福者,或發乎瞻視之下;兇家害國者,或構乎蕭牆之內。而欲以太昊之道,治偷薄之俗;以畫一之歌,救鼎湧之亂,非識因革之隨時,明損益之變通也。所謂刻舟以摸遺劍,叄天而射五步,摜犀兕之甲,以涉不測之淵;扲卻寒之裘,以御鬱隆之暑,踵之解除,頤之搔背,其為憒憒,莫此之劇矣!

(抱朴子が続けて言うには、)威を作り福を作る人は、或いは瞻視の下より發出す。家を凶し國を害する人は、或いは蕭牆の內に構成す。然れども太昊の道を拿りて、以て偷薄の風俗を治理せんと欲し、畫一の歌を拿りて、以て鼎涌の亂を救わんと欲するは、因革は時に隨うを認識せず、損益は變通するを明白せざるなり。所謂船を刻して以て遺落の劍を摸し、天に對して却って五步を射る、犀兕の甲を穿着して、以て測り可からざる深淵を徒步して涉過し、寒を御するの裘を挾んで、以て郁隆の暑を抵擋し、別人に跟隨して以て解除し、下巴を以て背を搔く、憒亂は這個より更に厲害なるなし、と。

“但當先令而後誅,得情而勿喜,使伯氏無怨於失邑,虞芮知恥而無訟耳。若強暴掩容,操繩而不憚,誘於含垢,莫蔓而不除,恃藏疾之大言,忘膏肓之近急,何異焦喉之渴切身,而遙指滄海於萬里之外,滔天之水已及,而方造舟於長洲之林,安得免夸父之禍,脫淪水之害哉!

(抱朴子が続けて言うには、)「ただ應に先ず令を下して後に誅殺し、實情を得て然れども喜悅せず、伯氏をして封邑を失去するも怨なからしめ、虞芮をして恥を知りて訟なからしむべきのみ。若し強暴は容貌を遮掩して、繩墨を拿着しても怕れず、含垢に誘引せられ、蔓草は除去せず、疾を藏するが如き大話を依恃して、膏肓近前の急を忘掉すれば、喉焦の渴已に身に切りて、却って遙かに萬里之外の滄海を指着し、滔天の水已に到來して、却って乃ち長洲の林裡に往きて船を造ると、什麼の分別有らん。怎ぞ能く夸父の禍を免れ、水に沉淪するの害を逃脫せんや」と。

世人薄申韓之實事,嘉老莊之誕談。然而為政莫能錯刑,殺人者原其死,傷人者赦其罪,所謂土木半瓦胾,無救朝飢者也。道家之言,高則高矣,用之則弊,遼落迂闊,譬猶干將不可以縫線,巨象不可使鼠,金舟不能凌陽侯之波,玉馬不任騁千里之跡也。

(抱朴子が続けて言うには、)世人は申韓の實事を看薄し、老莊の誕漫の談を嘉許す。然れども政を爲すに刑を放下する能くするなし、人を殺す人は彼の死を原諒し、人を傷つる人は彼の罪を赦免す、所謂土木と半片瓦の上の肉は、早晨の饑を救う能わず。道家の言論は、高は高し、然れども用いれば便ち弊有り、遼落迂闊にして、干將は以て線を縫う可からず、巨象は以て鼠を捕る可からず、金船は陽侯の波浪を凌越する能わず、玉馬は千里の足迹を馳騁するに勝任せざるが如し、と。

若行其言,則當燔桎梏,墮囹圄,罷有司,滅刑書,鑄干戈,平城池,散府庫,毀符節,撤關梁,掊衡量。膠離朱之目,塞子野之耳。泛然不繫,反乎天牧;不訓不營,相忘江湖。朝廷闃而若無人,民則至死不往來。可得而論,難得而行也。

(抱朴子が続けて言うには、)若し彼らの話を實行せば、便ち應に桎梏を燒掉し、囹圄を拆毁し、有司を罷去し、刑書を滅掉し、干戈を熔鑄し、城池を填平し、府庫を散開し、符節を毁掉し、關梁を撤去し、衡量を打破すべし。膠を離朱の眼睛の上に粘着し、子野の耳朵を塞住す。泛然として繫絆なく、天の牧養に返回し、訓導せず經營せず、江湖の上に互相忘掉す。朝廷は寂静して人無きが如く、民は則ち死に到るまで往來せず。以て談論す可く、以て實行するは難得なり、と。

“俗儒徒聞周以仁興,秦以嚴亡,而未覺周所以得之不純仁,而秦所以失之不獨嚴也。

(抱朴子が続けて言うには、)「俗儒はただ周は仁に因りて興り、秦は嚴に因りて亡びたるを聞くも、然れども周の天下を得たる所以は並び純粹仁に非ず、秦の天下を失いたる所以は並びただ嚴のみならざるを發覺せず」と。

昔周用肉刑,刖足劓鼻。盟津之令,後至者斬,畢力賞罰,誓有孥戮。考其所為,未盡仁也。及其叔世,罔法玩文,人主苛虐,號令不出宇宙,禮樂征伐,不復由己。群下力競,還為長蛇。伐本塞源,毀冠裂冕。或沈之於漢,或流之一彘。失柄之敗,由於不嚴也。

(抱朴子が続けて言うには、)從前周は肉刑を使用し、脚を砍り鼻を割りき。盟津の令は、後に到るは斬る、賞罰の力氣を用盡し、誓辭の裡に妻子兒女をも殺戮する有り。彼らの做したる所を考察すれば、並び仁を用盡せざらざりき。衰世に等到りて、法網と文書を玩弄し、人主は苛虐にして、號令は宇宙に出でず、禮樂征伐は、不再自己に由らず。群下は力を用いて競争し、却って長蛇と成れり。根本を砍伐し源頭を堵塞し、冠を毀壞し冕を撕裂す。或いは彼を漢水に沉め、或いは彼を彘に流放せり。權柄を失去するの敗は、嚴ならざるに由るなり、と。

秦之初興,官人得才。衛鞅由余之徒,式法於內;白起王翦之倫,攻取於外。兼弱攻昧,取威定霸,吞噬四鄰,咀嚼群雄,拓地攘戎,龍變龍視,實賴明賞必罰,以基帝業。降及杪季,驕於得意,窮奢極泰。加之以威虐,築城萬里,離宮千餘,鍾鼓女樂,不徒而具。驪山之役,太半之賦,閭左之戍,坑儒之酷,北擊獫狁,南征百越,暴兵百萬,動數十年。天下有生離之哀,家戶懷怨曠之嘆。白骨成山,虛祭布野。徐福出而重號口兆之讎,趙高入而屯豺狼之黨。天下欲反,十室九空。其所以亡,豈由嚴刑此為秦以嚴得之,非以嚴失之也。

(抱朴子が続けて言うには、)秦剛く興起するの時は、官員を任用して才を得たり。衛鞅・由余の一類人は、內に取法せり。白起・王翦の一類人は、外に攻取せり。弱を兼倂し昧を攻打し、威を取得し霸を確定し、四鄰を吞噬し、群雄を咀嚼し、土地を開拓し戎を攘除し、龍の如く變化し龍の如く注視す、實は賞罰必行に靠着して、帝業に基礎を打下せり。末世に降りて、得意に因りて驕り、奢を窮め泰を極む。加上威虐して、城を萬里築き、離宮一千多座、鐘鼓女樂は、遷徙せずして具備す。驪山の役使は、大半の賦、閭左の戍は、儒を坑すの酷、北に猃狁を攻擊し、南に百越を征伐し、暴兵百萬、動輒數十年す。天下に生離の哀有り、家戸は怨曠の歎を懷く。白骨は山を成し、虛空の祭は郊野に布滿す。徐福一ち出でて便ち號咷の仇を加重し、趙高一ち入りて便ち豺狼の黨を屯聚す。天下は反せんと欲し、十室九空す。それの亡ぶ所以は、何處か嚴刑に由らん。這是秦は嚴を靠りて得たる、嚴に因りて失いたるに非ず、と。

“且刑由刃也,巧人以自成,拙者以自傷,為治國有道而助之以刑者,能令慝偽不作,兇邪改志。若綱絕網紊,得罪於天,用刑失理,其危必速。亦猶水火者所以活人,亦所以殺人,存乎能用之與不能用。

(抱朴子が続けて言うには、)「況んや刑は刃の如く、巧の人はそれを以て自己を成就し、拙の人はそれを以て自己を傷害す、國を治むるに道有りて又刑を以て輔助する人は、慝僞を發生せしめず、凶邪をして志向を改變せしむる能くす。若し綱斷え網紊亂し、天に得罪し、刑を用いて道理を失わば、危險は一定に迅速なり。亦ち水火の以て人を養う所、亦た以て人を殺す所、能く用いると能く用いざるとに在るが如し」と。

“夫症瘕不除,而不修越人之術者,難圖老彭之壽也。奸黨實繁,而不嚴彈違之制者,未見其長世之福也。但當簡於張之徒,任以法理世;選趙陳之屬,季以案劾。明主留神於上,忠良盡誠於下,見不善則若鷹鸇之搏鳥雀,睹亂萌則若草雉田之芟蕪穢。慶賞不謬加,而誅戮不失罪,則太平之軌不足迪。令而不犯,可庶幾廢刑致治,未敢謂然也。”

(抱朴子が続けて言うには、)「症瘕は除去せずして、然れども越人の醫術を修習せざる人は、老彭の壽を圖謀する難し。奸黨實に繁多にして、然れども違失を彈劾するの制度を加嚴せざる人は、彼の長世の福を見ざるなり。ただ應に張湯の一類人を簡選して、法理世事を彼らに委任し、趙禹・陳の一類人を選拔して、案劾を彼らに交すべし。明主は上に留神し、忠良は下に誠を盡くし、不善を見れば便ち鷹鸇の鳥雀を搏擊するが如く、亂の萌芽を見れば便ち農夫の蕪穢を除去するが如し。慶賞は錯誤せず施加し、誅戮は罪を錯えず罰せば、則ち太平の軌道は開闢し往くに足らず。令出でて觸犯せざれば、差不多以て指望す可し。刑を廢除して治理に達するは、我は敢えてこの如しと説かず」と。

或曰:“然則刑罰果所以助教興善,式曷軌忒也。若夫古之肉刑,亦可復與”

或る人曰く、然らば刑罰は果たして以て教化を輔助し善を興起し、何を取法して以て過錯を規範する所を用うるか。古代の肉刑に至りては、も亦た恢復す可きか、と。

抱朴子曰:“曷為而不可哉!昔周用肉刑,積祀七百。漢氏廢之,年代不如。至於改以鞭笞,大多死者。外有輕刑之名,內有殺人之實也。及於犯罪,上不足以至死,則其下唯有徒謫鞭杖,或遇赦令,則身無損;且髡其更生之發,撾其方愈之創,殊不足以懲次死之罪。今除肉刑,則死罪之下無復中刑在其間,而次死罪不得不止於徒謫鞭杖,是輕重不得適也。又犯罪者希而時有耳,至於殺之則恨重,而鞭之則恨輕,犯此者為多。今不用肉刑,是次死之罪,常不見治也。

抱朴子曰く、何を以て不可とせん。從前周は肉刑を使用して、祭祀を累積すること七百年。漢氏はそれを廢除して、年代は比及せず。鞭笞に改成するに至りては、大多是れ死する人なり。外に輕刑の名有りて、內裡に人を殺すの實有り。罪を犯すに等及びて、上は死に至るに足らず、則ち下邊はただ徒謫鞭杖有るのみ、或いは赦令に遇上すれば、身子は便ち損傷なし。況んや重新生長するの發を剃掉し、剛剛癒合するの創を鞭打するは、實に死に次ぐの罪を懲治するに足らず。如今肉刑を除去せば、則ち死罪の下に再び中間の刑をその間に有らずして、而も死に次ぐの罪は徒謫鞭杖に停止せざるを得ず、這是輕重はその當を得ざるなり。又、犯罪する人は稀少にしてただ時時有るのみ、人を殺せば恨み重く、人を鞭れば恨み輕く、這類を犯す人は多し。如今肉刑を用いざれば、是れ死に次ぐの罪は、常常に治理せらるるを見ず、と。

“今若自非謀反大逆,惡於君親,及軍臨敵犯軍法者,及手殺人者,以肉刑代其死,則亦足以懲示兇人。而刑者猶任坐役,能有所為,又不絕其生類之道,而終身殘毀,百姓見之,莫不寒心,亦足使未犯者肅栗,以彰示將來,乃過於殺人。殺人,非不重也。然辜之三日,行埋棄之,不知者眾,不見者多也。若夫肉刑者之為摽戒也多。

(抱朴子が続けて言うには、)「如今若し謀反大逆に非ず、君親に對して惡を爲し、及び軍隊敵に臨みて軍法を觸犯する人、及び親しく人を殺す人は、肉刑を以て彼らの死を代替すれば、も亦た足りて凶人を懲戒公示す。刑を受くる人は還に坐りて服役する能く、作爲有る能くし、又彼らの生育の一類の路を絕たず、然れども終身殘毀して、百姓これを見れば、寒心せざるなし、亦た足りて未だ觸犯せざる人をして肅栗せしめ、以て將來に彰示す、竟に人を殺すに超過す。人を殺すは、不重ならざるに非ず。然れども尸を陳すること三日して、擡げて埋棄し往けば、知らざる人衆く、見えざる人多し。肉刑を以て標戒と爲すの多きに至るなり」と。

昔魏世數議此事,諸碩儒達學,洽通殷理者,鹹謂宜復肉刑,而意異者駁之,皆不合也。魏武帝亦以為然。直以二陲未賓,遠人不能統至理者,卒聞中國刖人肢體,割人耳鼻,便當望風謂為酷虐,故且權停,以須四方之並耳。通人揚子云亦以為肉刑宜復也。但廢之來久矣,坐而論道者,未以為急耳。”

(抱朴子が続けて言うには、)從前魏世は屢次這件の事を議論し、諸位の碩儒達學・洽通深理の人は、皆應に肉刑を恢復すべしと説くも、而も意見同じからざる人は駁斥して、皆合適せず。魏武帝も亦たこの如しと認爲せり。ただ兩邊陲の未だ賓服せざるに因りて、遠方の人は至理に統貫する能わず、突然に中國の人の肢體を砍り、人の耳鼻を割るを聞けば、便ち風を望みて酷虐と稱せん、ゆえに權且停止して、以て四方の合并を等待するのみ。通人揚雄も亦た肉刑は應に恢復すべしと認爲せり。ただそれを廢除すること已に久しく、坐りて道を論ずる人は、還にそれを急務と當てざるのみ、と。

審舉卷第十五

審擧巻第十五

抱朴子曰:華霍所以能崇極天之峻者,由乎其下之厚也;唐虞所以能臻巍巍之功者,實賴股肱之良也。雖有孫陽之手,而無騏驥之足,則不得致千里矣。雖有稽古之才,而無宣力之佐,則莫緣凝庶績矣。人君雖明並日月,神鑑未兆,然萬機不可以獨統,曲碎不可以親總,必假目以遐覽,借耳以廣聽,誠須有司,是康是贊。

抱朴子曰く、華山・霍山の能く極天の峻に崇る所以は、それらの下邊厚きに由るなり。唐虞の能く巍巍の功勞に達する所以は、實に股肱の良に靠着せばなり。卽使孫陽の手有るも、然れども騏驥の足なければ、便ち千里に到達する能わず。卽使古代を考核するの才有るも、然れども力氣を宣揚するの輔佐なければ、便ち各種の業績を凝定せしむる無し。人君は卽使明は日月と並列し、神は能く未だ兆を成さざる事を鑑察すとも、然れども萬機は獨自統領する可からず、瑣碎は親自總攬する可からず、一定に眼睛を借りて以て遠く覽觀し、耳朵を借りて以て廣く聽き、實に必ず有司を須要して、以て安康し以て贊助せんことを、と。

故聖君莫不根心招賢,以舉才為首務,施玉帛於丘園,馳翹車於巖藪,勞於求人,逸於用能,上自槐棘,降逮皂隸,論道經國,莫不任職。恭己無為,而治平刑措;而化洽無外,萬邦咸寧。設官分職,其猶構室,一物不堪,則崩橈之由也。然夫貢舉之士,格以四科,三事九列,是之自出,必簡標穎拔萃之俊,而漢之末葉,桓靈之世,柄去帝室,政在奸臣,網漏防潰,風頹教沮,抑清德而揚諂媚,退履道而進多財。力競成俗,苟得無恥,或輸自售之寶,或賣要人之書,或父兄貴顯,望門而辟命;或低頭屈膝,積習而見收。

ゆえに聖君は心裡より賢を招かざるなく、才を擧ぐるを以て第一要務と爲し、玉帛を丘園に送到し、翹車をして巖藪に馳向せしめ、人を求むる上に勞苦し、能を用うる上に安逸し、上は槐棘より、下は皂隸に到るまで、道を論じ國家を經營するに、任職せざるなし。恭己無爲にして、治平にして刑罰擱置せられ、教化は外面なきに洽合し、萬邦皆安寧す。官を設け職を分くるは、房屋を構るが如く、一物擔當し得ざれば、便ち崩折の緣由なり。然れども貢擧の士は、四科を以て衡量し、三事九列は、此より出來し、一定に標穎拔萃の俊傑を簡選すべく、然れども漢の末葉・桓靈の世は、權柄は帝室を離開し、政は奸臣に在り、網は漏れ防は潰れ、風は頹壞し教は沮喪し、清德を壓抑して諂媚を揚起し、道を履行するを斥退して多財を進用せり。力を用いて競争するは風俗と成り、苟且して求得して恥を知らず、或いは自己を出售するの寶を輸送し、或いは要人の書を出賣し、或いは父兄貴顯にして、門を望見れば便ち辟命せられ、或いは頭を低下し膝を屈して、積習すれば便ち收錄せらる。

夫銓衡不平,則輕重錯謬;鬥斛不正,則少多混亂;繩墨不陳,則曲直不分,準格傾側,則滓雜實繁。以之治人,則虐暴而豺貪,受取聚斂,以補買官之費;立之朝廷,則亂劇於棼絲。引用駑庸,以為黨援,而望風向草偃,庶事之康,何異懸瓦礫而責夜光,弦不調而索清音哉!何可不澄濁飛沉,沙汰臧否,嚴試對之法,峻貪夫之防哉!殄瘁攸階,可勿畏乎

銓衡平ならざれば、輕重は便ち錯謬す。斗斛正しからざれば、多少は便ち混亂す。繩墨陳列せざれば、曲直は便ち分辨する能わず。準格傾側すれば、滓雜は便ち實に繁多なり。這を拿りて以て人を治むれば、便ち虐暴にして豺の如く貪く、受取聚斂して、以て官を買うの費用を補う。彼を朝廷に立てれば、亂は亂絲より更に劇烈なり。駑庸を引用して、黨援と當て、然れども風一吹けば草は便ち偃伏し庶事安康せんを指望するは、瓦礫を懸挂して却って夜光を責求し、弦調らずして却って清音を索取するに、什麼の分別有らん。怎ぞ可に濁を澄清せず沈を飛起せしめ、臧否を沙汰し、對策考試の法を加嚴し、貪夫の防備を加峻せざらんや。殄瘁の經由する階梯は、畏懼せざる可けんや。

古者諸侯貢士,適者謂之有功,有功者增班進爵;貢士不適者謂之有過,有過者黜位削地。猶復不能令詩人謐大車素餐之刺,山林無伐檀罝兔之賢。況舉之無非才之罪,受之無負乘之患。衡量一失其格,多少安可復損乎夫孤立之翹秀,藏器以待賈;瑣碌之輕薄,人事以邀速。夫唯待價,故頓淪於窮瘁矣;夫唯邀速,故佻竅而騰躍矣。

古時候諸侯は士を貢ぐるに、合適するは功有りと稱し、功有るは班次を增加し爵位を進升せり。士を貢ぐるに合適せざるは過有りと稱し、過有るは位子を貶黜し土地を削減せり。還に詩人をして大車素餐の諷刺を止息せしめ、山林に檀を伐り兔を置くの賢人なからしむる能わず。況んや擧薦するに才に非ざるの罪なく、接受するに負乘の禍患なからんや。衡量一旦格を失えば、多少は怎ぞ可に再び減損せん。孤立の翹秀は、器を藏して買を等待す。瑣碌の輕薄は、人事に靠りて迅速を邀取す。ただ價を待つに因りて、ゆえに頓挫沈淪して窮瘁の裡に在り。ただ迅速を邀取するに因りて、ゆえに佻巧して騰躍せり(底本は「竅」と作る、疑らくは「巧」の訛)。

蓋鳥鴟屯飛,則鴛鳳幽集;豺狼當路,則麒麟遐遁。舉善而教,則不仁者遠矣;奸偽榮顯,則英傑潛逝。高概恥與闒茸為伍,清節羞入饕餮之貫。舉任並謬,則群賢括囊;群賢括囊,則兇邪相引;兇邪相引,則小人道長;小人道長,則檮杌比肩。頌聲所以不作,怨嗟所以嗷嗷也。

大概鴟鳥は群を成して飛べば、鴛鳳は便ち幽靜に聚集す。豺狼は路を擋えば、麒麟は便ち遙かに逃遁す。善を擧げて以て教えれば、不仁の人は便ち遠離す。奸僞榮顯すれば、英傑は便ち潛藏逝去す。高概は闒茸と伍を爲すを恥とし、清節は饕餮の行列に進入するを羞とす。擧任一倂謬誤すれば、群賢は便ち括嚢して顯さず。群賢括嚢すれば、凶邪は便ち互相援引す。凶邪互相援引すれば、小人道は便ち伸長す。小人道伸長すれば、檮杌は便ち肩を並べん。頌聲の興起せざる所以・怨嗟の嗷嗷たる所以なり。

高幹長材,恃能勝己,屈伸默語,聽天任命,窮通得失,委之自然,亦焉得不墮多黨者之後,而居有力者之下乎逸倫之士,非禮不動,山峙淵渟,知之者希,馳逐之徒,蔽而毀之,故思賢之君,終不知奇才之所在,懷道之人,願效力而莫從。雖抱稷卨之器,資邈世之量,遂沈滯詣死,不得登敘也。而有黨有力者,紛然鱗萃,人乏官曠,致者又美,亦安得不拾掇而用之乎

高幹長材は、才能の自己に勝過するを依恃し、屈伸沈默あるいは說話は、天に聽き命に任じ、窮通得失は、自然に委托す、又怎ぞ能く多黨の人の後面に墮ち、有力の人の下邊に居らざらんや。逸倫の士は、禮に非ざれば動かず、山の如く峙ち淵の如く渟し、彼を知る人は稀少にして、馳逐の徒は遮蔽して彼を毁謗す、ゆえに賢を思う君は、終竟奇才の何在するを知らず、道を懷く人は、效力せんと願うも無し。卽使稷・契の器能を抱き、邈世の度量を資すとも、是に沈滯して死に到り、叙用に登上する能わず。而も黨有り力有る人は、紛然として鱗の如く萃集し、人缺乏し官空缺し、送來の人は又美しく説かる、又怎ぞ能く拾掇して彼らを任用せざらんや。

靈獻之世,閹官用事,群奸秉權,危害忠良。臺閣失選用於上,州郡輕貢舉於下。夫選用失於上,則牧守非其人矣;貢舉輕於下,則秀孝不得賢矣。故時人語曰:“舉秀才,不知書;察孝廉,父別居。寒素清白濁如泥,高第良將怯如雞。”又云:“古人慾達勤誦經,今世圖官免治生。”蓋疾之甚也。

靈帝・獻帝の世は、宦官は事を用い、群奸は權柄を把持し、忠良を危害せり。臺閣は上に選用を失去し、州郡は下に貢擧を看輕せり。選用は上に失去せば、牧守は便ち合適の人に非ず。貢擧は下に看輕せられれば、秀才孝廉は便ち賢を得ず。ゆえに當時の人の話は曰く、秀才を擧ぐるに、書を知らず。孝廉を察するに、父は分開住す。寒素清白は濁ること泥の如く、高第良將は怯ること雞の如し、と。又曰く、古人は顯達せんと欲すれば便ち經を勤誦し、今世は官を謀れば便ち生計を治理するを免去す、と。大概疾恨する甚だし。

於時懸爵而賣之,猶列肆也;爭津者買之,猶市人也。有直者無分而徑進,空拳者望途而收跡。其貨多者其官貴,其財少者其職卑。故東園積賣官之錢,崔烈有銅臭之嗤。上為下效,君行臣甚。故阿佞幸,獨談親容。桑梓議主,中正吏部,併為魁儈,各責其估。清貧之士,何理有望哉!是既然矣。又邪正不同,譬猶冰炭;惡直之人,憎於非黨。刀尺顛到者,則恐人之議己也;達不由道者,則患言論之不美也。乃共構合虛誣,中傷清德,瑕累橫生,莫敢救拔。

當時爵を懸挂して賣るは、陳列の店鋪の如し。津渡を争奪する人は買い往くは、市人の如し。價値有る人は名分なくして徑直進入し、空拳の人は路を望見して便ち足迹を收住す。貨多き人は官便ち貴く、財少なき人は職便ち卑し。ゆえに東園は官を賣るの錢を堆積し、崔烈は銅臭の嗤笑有り。上は做り下は效し、君は實行し臣は更甚なり。ゆえに阿諛佞幸は、ただ親信の容身を談論す。桑梓の議主・中正・吏部は、一倂に魁儈を做り、各々彼らの估價を責求す。清貧の士は、什麼の道理有りて指望有らん。已に這是の如し。又邪正同じからず、冰と炭の如し。正直を厭惡する人は、同黨に非ざるを憎惡す。刀尺顛倒する人は、便ち人の自己を議論するを怕る。顯達は道に由らざる人は、便ち言論の美ならざるを患う。是に共同に虛誣を構成し、清德を中傷し、瑕累橫生して、救拔する敢えてするなし。

於是曾閔獲商臣之謗,孔墨蒙盜跖之垢。懷正居貞者,填笮乎泥濘之中,而狡猾巧偽者,軒翥乎虹霓之際矣。而凡夫淺識,不辯邪正,謂守道者為陸沈,以履徑者為知變。俗之隨風而動,逐波而流者,安能復身於德行,苦思於學問哉!是莫不棄檢括之勞,而赴用賂之速矣。斯誠有漢之所以傾,來代之所宜深鑑也。

是に曾參・閔子騫は商臣の如き謗を獲得し、孔子・墨子は盜跖の如き垢を蒙受せり。正を懷き貞を居守する人は、泥濘の中に填塞し、而も狡猾巧僞の人は、却って虹霓の際に軒翥せり。凡夫淺識は、邪正を辨別せず、道を守るを陸沈と稱し、小路を走るを以て變を知ると當てす。流俗は風に隨りて動き波浪を追逐して流るる人は、怎ぞ能く再び身を德行の上に放ち、學問の上に苦苦と思索せんや。是に檢括の勞苦を抛棄して、賄賂を用うるの迅速に奔赴せざるなし。這實に漢代の傾覆する所以・來代の應に深く鑑戒すべき所なり。

或曰:“吾子論漢末貢舉之事,誠得其病也。今必欲戒既往之失,避傾車之路,改有代之弦調,防法玩之或變,令濮上《巴人》,反安樂之正音,腠理之疾,無退走之滯患者,豈有方乎士有風姿豐偉,雅望有餘,而懷空抱虛,幹植不足,以貌取之,則不必得賢,徐徐先試,則不可倉卒。將如之何”

或る人曰く、您は漢末の貢擧の事を論ず、實にその病を得たり。如今一定に既往の過失を警戒し、車を傾けるの路を避開し、有代の弦調を改換し、法を玩弄するの或變を防止し、濮上《巴人》をして、安樂の正音に返回せしめ、腠理の疾病は、退走の滯患なからしめんと欲す、豈に方法有らん。士は風姿豐偉にして、雅望餘裕有りて、然れども空を懷き虛を抱き、骨干不足する有り、外貌を憑りて彼を取れば、便ち必ずしも賢を得ず、慢慢に先ず試すれば、又倉卒する可からず。將に怎麼辦せんとする、と。

抱朴子答曰:“知人則哲,上聖所難。今使牧守皆能審良才於未用,保性履之始終,誠未易也。但共遣其私情,竭其聰明,不為利慾動,不為屬託屈。所欲舉者,必澄思以察之,博訪以詳之,修其名而考其行,校同異以備虛飾。令親族稱其孝友,邦閭歸其信義。嘗小仕者,有忠清之效,治事之幹,則寸錦足以知巧,刺鼠足以觀勇也。

抱朴子回答して曰く、人を知るは即ち哲なり、是れ上聖も亦た難しと覺う所なり。如今牧守をして皆未だ任用せざるに審察して良才を得しめ、性履の終始を保全せんは、實に容易ならず。ただ共同に私情を遣開し、聰明を竭盡し、利欲に打動せられず、嘱托に屈撓せられざらん。想い擧薦する所の人は、一定に思慮を澄清して以て彼を察し、廣く訪求して以て彼を詳細にし、彼の名を修治して以て彼の行を考核し、同異を校核して以て虛飾に防備す。親族をして彼を孝友と稱せしめ、邦閭をして彼の信義に歸向せしむ。曾て小官を做りたるは、忠清の效驗有り、事を治するの才幹有れば、則ち一寸の錦は便ち足りて巧を知り、鼠を刺殺すれば便ち足りて勇を觀察す、と。

“又,秀孝皆宜如舊試經答策,防其罪對之奸,當令必絕其不中者勿署,吏加罰禁錮。其所舉書不中者,刺史太守免官,不中左遷。中者多不中者少,後轉不得過故。若受賕而舉所不當,發覺有驗者除名,禁錮終身,不以赦令原,所舉與舉者同罪。今試用此法,治一二歲之間,秀孝必多不行者,亦足以知天下貢舉不精之久矣。過此,則必多修德而勤學者矣。

(抱朴子が続けて言うには、)「又、秀才孝廉は皆應に舊時の如く經を試し策を答え、彼らの罪有りて對策するの奸を防止し、應に一定に中らざる人は署任せず、官吏は罰と禁錮を加うべし。彼の擧薦する文書の中らざるは、刺史太守は官を免ぜられ、中らざれば便ち左遷す。中る多く中らざる少なきは、後來遷轉して舊位を超過するを得ず。若し賄賂を受けて擧す可からざるを擧薦したるは、發覺して驗證有るは除名し、終身禁錮して、赦令に因りて原諒せず、擧げられたると擧げたる人は同罪なり。如今這個の法を試用せば、治理する一二年の間に、秀才孝廉は一定に多く應に往かざる有らん、も亦た足りて天下の貢擧の精ならざる已に久しきを知る。這個を過ぎれば、便ち一定に德を修して學を勤める人多からん」と。

“又,諸居職,其犯公坐者,以法律從事;其以貪濁贓汙為罪,不足死者,刑竟及遇赦,皆宜禁錮終身,輕者二十年。如此,不廉之吏,必將化為夷齊矣。若臨官受取,金錢山積,發覺則自恤得了,免退則旬日複用者,曾史亦將變為盜跖矣。如此,則雖貢士皆中,不辭於官長之不良。”

(抱朴子が続けて言うには、)「又、諸位職に居る人は、公家連坐を犯したるは、法律に按じて從事す。貪濁贓污を以て罪と爲り死するに足らざるに因りては、刑滿及び赦に遇上するは、皆應に終身禁錮し、輕きは二十年。這の如くなれば、廉ならざる吏は、必ず將に伯夷・叔齊に化せん。若し官に臨みて受取し、金錢山の如く堆積し、發覺すれば便ち自己體恤して了結し、免退すれば則ち十來日にして又任用せらるるは、曾參・史魚も亦た將に盜跖と變成せん。這の如くなれば、卽使貢士皆中るとも、官長の良ならざるを辭せざるなり」と。

或曰:“能言不必能行,今試經對策雖過,豈必有政事之才乎”

或る人曰く、能く説くは必ずしも能く行わず、如今經を試し對策するは通過するも、豈に一定に政事の才有らんや、と。

抱朴子答曰:“古者猶以射擇人,況經術乎如其舍旃,則未見餘法之賢乎此也。夫豐草不秀瘠土,巨魚不生小水,格言不吐庸人之口,高文不墮頑夫之筆。故披《洪範》而知箕子有經世之器,覽九術而見範生懷治國之略,省夷吾之書,而明其有撥亂之幹,視不害之文,而見其精霸王之道也。今孝廉必試經無脫謬,而秀才必對策無失指,則亦不得暗蔽也。良將高第取其膽武,猶複試之以對策,況文士乎假令不能必盡得賢能,要必愈於了不試也。

抱朴子回答して曰く、古時候は還に射を以て人を選擇せり、況んや經術をや。若し這個を舍棄せば、便ち其餘の法の這個より賢なるを見ず。豐草は瘠土の上に秀出せず、巨魚は小水の裡に生ぜず、格言は庸人の口裡より吐出せず、高文は頑夫の筆下に落ちず。ゆえに《洪範》を披閱すれば便ち箕子の經世の器有るを知り、九術を覽觀すれば便ち范蠡の治國の略を懷くを見、管仲の書を省視すれば、便ち彼の亂を撥くの才干有るを明白し、申不害の文章を看れば、便ち彼の霸王の道に精通するを見る。如今孝廉は一定に經を試して脫謬なく、秀才は一定に對策して旨意を失去せざれば、も亦た暗蔽する能わず。良將高第は彼の膽武を取るも、還に再び對策を以て彼を試さん、況んや文士をや。假如一定に賢能を盡得する能わずとも、總之一定に完全不試するに勝る、と。

今且令天下諸當在貢舉之流者,莫敢不勤學。但此一條,其為長益風教,亦不細矣。若使海內畏妄舉之失,凡人息僥倖之求,背競逐之末,歸學問之本,儒道將大興,而私貨必漸絕,奇才可得而役,庶官可以不曠矣。”

(抱朴子が続けて言うには、)如今姑く天下の應に貢擧一流に當る人をして、勤學せざるを敢えてせざるなからしめん。ただ這一條、それの風教に對する長益は、も亦た細小ならず。若し海內をして胡亂に擧薦するの過失を畏懼せしめ、凡人は僥倖の求取を止息し、競逐の末に背對して、學問の本に回到せば、儒道は將に大大に興起し、私貨は一定に漸漸斷絶し、奇才は得て役使す可く、庶官は空缺せざる可からん、と。

或曰:“先生欲急貢舉之法,但禁錮之罪,苛而且重,懼者甚眾。夫急轡繁策,伯樂所不為;密防峻法,德政之所恥。”

或る人曰く、先生は貢擧の法を加急せんと想う、ただ禁錮の罪は、苛く且つ重く、懼怕する人甚だ衆し。轡頭急く馬鞭繁きは、伯樂の做らざる所なり。防備密く法峻嚴なるは、德政の恥とする所なり、と。

抱朴子曰:“夫骨填肉補之藥,長於養體益壽,而不可以救日曷溺之急也。務寬含垢之政,可以蒞敦御樸,而不可以拯衰弊之變也。虎狼見逼,不揮戈奮劍,而彈琴詠詩,吾未見其身可保也。燎火及室,不奔走灌注,而揖讓盤旋,吾未見其焚之自息也。今與知欲賣策者論此,是與蹠議捕盜也。”

抱朴子曰く、骨を填め肉を補うの藥は、體を養い壽を益するに長ず、然れども日に暍れ水に溺るるの急を救う可からず(底本は「日曷」と作る、疑らくは「暍」)。寬を務求し垢を含むの政は、敦厚に臨莅し朴を駕馭す可く、然れども衰弊の變を拯救する可からず。虎狼逼近するに、戈を揮い劍を奮わずして、却って琴を彈き詩を詠ずれば、我は彼の身の保全す可きを見ず。燎火は屋子に燒到るに、奔走灌注せずして、却って揖讓盤旋すれば、我は火の自ずから熄滅するを見ず。如今對策を賣らんと想うを知る人と這を論ずるは、盜跖と盜を捕るを議論するなり、と。

抱朴子曰:“今普天一統,九垓同風,王制政令,誠宜齊一。夫衡量小器,猶不可使往往有異,況人士之格,而可叄差而無檢乎江表雖遠,密邇海隅,然染道化,率禮教,亦既千餘載矣。往雖暫隔,不盈百年,而儒學之事,亦不偏廢也。惟以其土宇褊於中州,故人士之數,不得鈞其多少耳。及其德行才學之高者,子游仲任之徒,亦未謝上國也。

抱朴子曰く、如今普天一統にして、九垓同風し、王制政令は、實に應に齊一すべし。衡量は小器なるも、なお處處差異有らしむ可からず、況んや人士の格は、却って參差して檢核なき可けんや。江表は遠しと雖も、海隅に密近す、然れども道化に染み、禮教を遵循すること、も亦た已に一千多年なり。以往は暫時隔開せられたると雖も、百年に滿たず、儒學の事も、亦た偏廢せず。ただその疆土の中州より褊狹なるを以て、ゆえに人士の數目は、多少と相均する能わざるのみ。德行才學高きに至りては、子游・王充の一類人も、亦た上國に遜らず、と。

昔吳土初附,其貢士見偃以不試。今太平已近四十年矣,猶復不試,所以使東南儒業衰於在昔也。此乃見同於左衽之類,非所以別之也。且夫君子猶愛人以禮,況為其愷悌之父母邪!法有招患,令有損化,其此之謂也。今貢士無複試者,則必皆修飾馳逐,以競虛名,誰肯復開卷受書哉所謂饒之適足以敗之者也。

(抱朴子が続けて言うには、)從前吳土は剛剛歸附して、その貢士は試せざるに因りて壓制せられり。如今太平は已に近四十年なるも、還に試せず、ゆえに東南の儒業をして往昔より衰微せしむ。這是彼らを左衽の一類と相同と看なす、以て彼らを區別するに非ず。況んや君子はなお禮を以て人を愛す、況んや彼らの愷悌の父母を做るをや。法は禍患を招來する有り、令は教化を損傷する有り、説くは即ち這個なり。如今貢士は再び考試有るを更せず、便ち一定に皆修飾馳逐して、以て虛名を競争し、誰か還に肯じて再び卷を開き書を受けんや。所謂彼を饒すは恰好足りて彼を敗るなり、と。

“自有天性好古,心悅藝文。學不為祿,味道忘貧,若法高卿周生烈者。學精不仕(疑有脫文)徇乎榮利者,萬之一耳。至於甯越倪寬黃霸之徒,所以強自篤勵於典籍者,非天性也,皆由患苦困瘁,欲以經術自拔耳。向使非漢武之世,則朱買臣嚴助之屬,亦未必讀書也。今若取富貴之道,幸有易於學者,而復素無自然之好,豈肯復空自勤苦,執灑埽為諸生,遠行尋師問道者乎

(抱朴子が続けて言うには、)「自ずから天性は古を好み、心裡は藝文を喜悅する有り。學習は俸祿の爲にせず、道を體味して貧を忘掉するは、法真・周生烈の如き人なり。學精なるも出仕せず〔底本此處疑して脫文有り〕、榮利の爲に徇る人は、萬人の中に乃ち一個有るのみ。寧越・倪寬・黃霸の一類人に至りては、自己を強迫して典籍の上に篤勵する所以は、天性に非ず、皆患苦困瘁に由りて、經術を以て自己を拔出せんと欲するのみ。假使漢武帝の世に非ざれば、朱買臣・嚴助の一類人も、亦た未必書を讀まざらん。如今若し富貴を取るの路、幸に學習より容易なる有りて、而又素來自然の喜好なければ、豈に肯じて再び憑空に自己勤苦し、灑掃を執りて諸生を做り、遠行して師を尋ね道を問わんや」と。

兵興之世,武貴文寢,俗人視儒士如僕虜,見經誥如芥壤者,何哉由於聲名背乎此也。夫不用譬猶售章甫於夷越,徇髯蛇於華夏矣。今若遐邇一例,明考課試,則必多負笈千里,以尋師友,轉其禮賂之費,以買記籍者,不俟終日矣。”

(抱朴子が続けて言うには、)兵興の時世は、武は貴く文は止息し、俗人は儒士を僕虜と看なし、經誥を芥壤と看なす、何を爲すか。聲名は這個に背離するに由るなり。用いられざれば、便ち夷越に禮帽を出售し、華夏に髯蛇を求取するが如し。如今若し遠近一個の例子として、考課考試を明確にせば、便ち一定に書箱を背負いて千里を走り、師友を尋找し、禮賂の費用を轉過して以て記籍を買う人多かるを、一日の終了に等たず、と。

抱朴子曰:才學之士堪秀孝者,已不可多得矣。就令其人若桓靈之世,舉吏不先以財貨,便安臺閣主者,則雖諸經兼本解,於問無不對,猶見誣枉,使不得過矣。常追恨於時執事,不重為之防。

抱朴子曰く、才學の士の能く秀才孝廉を充當するは、已に多得る可からず。卽使あの人は桓靈の世の如く、吏を擧ぐるに先ず財貨を以て臺閣主事の人に便宜せず、則ち卽使諸經兼通し本文皆解して、問う所に對えざるなきも、還に誣枉せられて、彼をして通過を得ざらしむ。常常に當時執事の人を追恨して、再び這件の事の爲に設防せざるを、と。

餘意謂新年當試貢舉者,今年便可使儒官才士,豫作諸策,計足周用。集上禁其留草殿中,封閉之;臨試之時,亟賦之。人事因緣於是絕。當答策者,皆可會著一處,高選臺省之官親監察之。又嚴禁其交關出入,畢事乃遣。違犯有罪無赦。如此,屬託之翼窒矣。夫明君恃己之不可欺,不恃人之不欺己也。亦何恥於峻為斯制乎若試經法立,則天下可以不立學官,而人自勤樂矣。

我の意は、新年應に貢擧する人を考試するに、今年は便ち儒官才士をして、豫先に各種の策問を作らしめ、計算して周遍使用するに足らしめん。集中して交上し、草稿を殿中に留むるを禁止し、封閉す。試に臨むの時、立刻分發す。人事因緣は此より斷絶す。應に策を答うべき人は、皆可に會集して一處に安置し、高く臺省の官を選拔して親自監察せしめん。又嚴禁して彼らの交關出入せしめず、事務完畢して乃ち遣回す。違犯すれば便ち罪有りて赦免せず。這の如くなれば、嘱托の翅膀は便ち窒塞せん。明君は自己の欺かる可からざるを依恃して、別人の自己を欺かざるを依恃せず。又河を必ずしも這種の制度を加峻するを以て恥と爲さんや。若し經を試するの法立住せば、天下は便ち學官を設立せずして、而も人は自ずから勤勉快樂す可し。

案四科亦有明解法令之狀,今在職之人,官無大小,悉不知法令。或有微言難曉,而小吏多頑,而使之決獄,無以死生委之,以輕百姓之命,付無知之人也。作官長不知法,為下吏所欺而不知,又決其口筆者,憤憤不能知食法,與不食不問,不以付主者。或以意斷事,蹉跌不慎法令,亦可令廉良之吏,皆取明律令者試之如試經,高者隨才品敘用。如此,天下必少弄法之吏,失理之獄矣。

四科に按じても亦た法令を明白了解するの狀有り、如今在職の人は、官は大小を論ずとも、全く法令を知らず。或いは微言曉喻し難き有りて、而も小吏は多半頑劣にして、然れども彼らをして獄訟を判決せしむ、死生を彼らに委托する無し、這是百姓の命を看輕して、無知の人に交付するなり。官長を做るは法を知らず、下吏に欺瞞せられて知らず、又あの口を動かし筆を動かす人に由りて、昏昏然として吃法を知る能わず、喫らず問わざると、それを主事の人に交付せざると。或いは私意を憑りて事情を決斷し、蹉跌して法令を謹愼せず、も亦た廉良の吏をして、皆明白律令の人を取りて經を試するが如く考試せしめ、高きは才に隨りて品叙用す可し。這の如くなれば、天下は一定に法を玩弄する吏・道理を失去する獄少なからん。

交際卷第十六

交際巻第十六

抱朴子曰:餘以朋友之交,不宜浮雜。面而不心,揚雄攸譏。故雖位顯名美,門齊年敵,而趨舍異規,業尚乖互者,未嘗結焉。或有矜其先達,步高視遠,或遺忽陵遲之舊好,或簡棄後門之類味,或取人以官而不論德,其不遭知己,零淪丘園者,雖才深智遠,操清節高者,不可也;其進趨偶合,位顯官通者,雖面牆庸瑣,必及也。如此之徒,雖能令壤蟲雲飛,斥鴳戾天,手捉刀尺,口為禍福,得之則排冰吐華,失之則當春凋悴,餘代其口止叔口止脊,恥與共世。

抱朴子曰く、我は以て朋友の交往は、浮雜なる可からずと爲す。面有りて心なきは、揚雄の譏刺する所なり。ゆえに卽使位子顯れ名字美しく、門第齊しく年紀相當すとも、而も趨向取舍規矩同じからず行業崇尚乖互の人は、未曾だ結交せず。或る人は自己の先に顯達したるを誇矜し、步子高く視線遠く、或いは遺棄忽略して陵夷遲緩の舊好をし、或いは簡慢抛棄して後門の一類の趣味をし、或いは人を取るに官を憑りて德を論ぜず、あの知己に遇わず丘園に零落沈淪する人は、卻使才深く智遠く操守清く節操高くとも、亦た不可なり。あの進趨偶然相合し位子顯れ官通達する人は、卽使面牆庸瑣なるも、一定に顧及す。這の如き一類人は、卽使壤蟲をして雲の如く飛ばしめ、斥鴳をして天空に冲上せしめ、手裡に刀尺を捉え、口裡に禍福を決定し、彼を得れば便ち冰を排除し花を吐出し、彼を失えば便ち正に春に當りて凋悴する能くするも、我は彼らに替りて〔底本「口止叔口止脊」は文字訛脫嚴重にして通讀する能わず〕、彼らと共に一世に處するを恥とす。

窮之與達,不能求也。然而輕薄之人,無分之子,曾無疾非俄然之節,星言宵征,守其門廷,翕然諂笑,卑辭悅色,提壺執贄,時行索媚;勤苦積久,猶見嫌拒,乃行因托長者以構合之。其見受也,則踴悅過於幽系之遇赦;其不合也,則懊悴劇於喪病之逮己也。通塞有命,道貴正直,否泰付之自然,津途何足多諮。嗟乎細人,豈不鄙哉!人情不同,一何遠邪每為慨然,助彼羞之。

窮と達とは、強求する能わず。然れども輕薄の人・名分なき一類は、竟に疾惡非議・俄然の節操なく、星夜話を言い夜に路を趕り、彼の門庭を守りて、翕然として諂笑し、言辭卑下し面色喜悅し、壺を提げ贄を拿着し、時時に往きて媚を求む。勤苦積得久しくして、還に嫌棄拒絶せられ、是に往きて長者を憑藉して以て構合す。彼に接受せられれば、踊躍喜悅して幽囚の人の赦に遇うに超過す。彼に相合せざれば、懊惱悴傷して喪病の自己に臨むより劇烈なり。通塞は命有り、道は正直に貴し、否泰は自然に交付す、津途は何處か多く咨嗟するに値せん。嗟乎細人、豈に鄙陋ならざらんや。人情は同じからず、何ぞその遙遠なる。每々此の爲に慨然として、彼を幇して羞愧す。

昔莊周見惠子從車之多,而棄其餘魚。餘感俗士(或脫“無”)不汲汲於攀及至也。瞻彼云云,馳騁風塵者,不懋建德業,務本求己,而偏徇高交,以結朋黨,謂人理莫比之要,當世莫此之急也。以嶽峙獨立者,為澀吝疏拙;以奴顏婢睞者,為曉解當世。風成俗習,莫不逐末,流遁遂往,可慨者也。

從前莊周は惠子の從車の多きを見て、便ち其餘の魚を抛棄せり。我は俗士〔底本或いは「無」の字を脫す〕の攀附に極まらざるを急急せざるに感ず。あの紛紛紜紜・風塵の中に馳騁する人を看るに、德業を勉力建立せず、根本を務求し之を己に求めずして、却って偏に高交に徇って、以て朋黨を結成し、人理は這個より更に緊要なるなく、當世は這個より更に急なるなしと説く。岳峙の如く獨立する人を、澀吝疏拙と當て、奴顏婢睞の人を、曉解當世と當てす。風成り俗習と成りて、末を逐わざるなし、流遁是に於て前往す、是れ慨歎す可きなり。

或有德薄位高,器盈志溢,聞財利則驚掉,見奇士則坐睡。襤縷杖策,被褐負笈者,雖文豔相雄,學優融玄,同之埃芥,不加接引。若夫程鄭王孫羅裒之徒,乘肥衣輕,懷金挾玉者,雖筆不集札,菽麥不分辯,為之倒屣,吐食握髮。

或いは德薄く位高く、器盈ち志溢れて、財利を聞けば便ち驚掉し、奇士を見れば便ち坐りて睡着す。襤縷して杖を拄き、褐を披着し書箱を背負う人は、卽使文采艷麗にして揚雄と並列す可く、學問馬融・鄭玄より優れるも、亦た埃芥に等同して、接引を加えず。程鄭・卓王孫・羅裒の一類人に至りては、肥馬に乘り輕裘を穿着し、金を懷き玉を挾むるは、卽使筆札に集まらず、菽麥を分辨せざるも、亦た彼の爲に屣を倒し、口裡の食を吐出し頭髮を握る。

餘徒恨不在其位,有斧無柯,無以為國家流穢濁於四裔,投畀於有北。彼雖赫奕,刀尺決乎(有脫文)勢力足以移山拔海,吹呼能令泥象登云,造其門庭,我則未暇也。而多有下意怡顏,匍匐膝進,求交於若人,以圖其益。悲夫!生民用心之不鈞,何其遼邈之不肖也哉!餘所以同生聖世而抱困賤,本後顧而不見者,今皆追瞻而不及,豈不有以乎!然性苟不堪,各從所好,以此存亡,予不能易也。

我はただあの位子に在らざるを恨み、斧有りて柯なく、國家の爲に穢濁を四裔に流放し、北極に投與する無し。彼らは卽使赫奕にして、刀尺は〔底本此處疑して脫文有り〕に決斷し、勢力足りて山を移し海を拔き、吹呼して能く泥象を雲に登らしむと雖も、彼らの門庭に到るに、我は却って閑暇なし。然れども多く心意を低下し和顏悅色して、匍匐して膝を以て進み、あの種の人に向かって交を求めて、以て自己の益處を圖謀す。悲夫、生民の用心の均ならざるは、何ぞその遼邈にして不肖なる。我の彼らと同じく聖世に生れて困賤を抱く所以・本來回頭すれば見る能わざる人は、如今皆追い瞻望するも趕及ばざるは、豈に緣故なからんや。然れども性情もし擔當し得ざれば、各々好む所に從い、這を以て存亡を決定す、我は改換する能わず。

或又難曰:“時移世變,古今別務,行立乎己,名成乎人。金玉經於不測者,托於輕舟也;靈烏萃於玄霄者,扶搖之力也;芳蘭之芬烈者,清風之功也;屈士起於丘園者,知己之助也。今先生所交必清澄其行業,所厚必沙汰其心性,孑然只口止寺,失棄名輩,結讎一世,招怨流俗,豈合和光以籠物,同法之高義乎若比智而交,則白屋不降公旦之貴;若鈞才而遊,則尼父必無入室之客矣。”

又或る人が責難して曰く、時は移り世は變わり、古今の事務は別有り、德行は自己に立ち、名字は別人に成る。金玉は測り可からざる處を經過するは、輕舟に托付するなり。靈烏が玄霄に萃集するは、扶搖の力氣なり。芳蘭が芬烈するは、清風の功勞なり。屈士が丘園の中より起きるは、知己の幇助なり。如今先生の交わる所は一定に彼の行業を澄清し、厚くする所は一定に彼の心性を沙汰し、孑然として獨立し(底本「只口止寺」は疑らくは當に「只峙」と作るべし)、名輩に失棄せられ、一世と仇を結び、流俗の怨を招來す、豈に和光を以て物を籠罩し塵に同じうするの高義に合乎や。若し智才に比して結交すれば、白屋は周公旦の貴を降下せざらん。若し才を均しくして交游すれば、尼父は一定に入室の客なからん、と。

抱朴子曰:“吾聞詳交者不失人,而泛結者多後悔。故曩哲先擇而後交,不先交而後擇也。子之所論,出人之計也;吾之所守,退士之志也。子云玉浮鳥高,皆有所因,誠復別理一家之說也。吾以為寧作不載之寶,不飛之鵬,不颺之蘭,無黨之士,亦(何)損於夜光之質,垂天之大,含芳之卉,不朽之蘭乎且夫名多其實,位過其才,處之者猶鮮免於禍辱,交之者何足以為榮福哉!

抱朴子曰く、我聞く、結交を審愼する人は人を失掉せず、而も浮泛に結交する人は多く后悔す。ゆえに往昔の哲人は先ず選擇して後に結交し、先ず結交して後に選擇せず。你の論ずる所は、仕に出づる人の計なり。我の守る所は、退士の志向なり。你は玉浮・鳥高を説き、皆憑藉する所有り、實に又另一の家の説法なり。我は以て寧ろ裝載せられざる寶、飛ばざる鵬、揚起せられざる蘭、黨なき士と爲るも、又何の夜光の質地・天を垂るの大・芳を含む卉・不朽の蘭に損あらん。況んや名は實より多く、位子は才能を超過し、あの位子に處る人はなお禍辱を免るる少き、彼らと結交する人は何處か足りて榮福と當てんや。

“由茲論之,則交彼而遇者,雖得達不足貴;芘之而誤者,譬如蔭朽樹之被笮也。彼尚不能自止其顛蹶,亦安能救我之碎首哉!吾聞大丈夫之自得而外物者,其於庸人也,蓋逼迫不獲已而與之形接,雖以千計,猶蚤蝨之積乎衣,而贅疣之攢乎體也。失之雖以萬數,猶飛塵之去嵩岱,鄧林之墮朽條耳。豈以有之為益,無之覺損乎

(抱朴子が続けて言うには、)「此より説けば、彼を結交して遇う人は、卽使顯達を得るも貴ぶに値せず。彼を庇蔭して却って事を誤る人は、朽樹を蔭して壓笮せらるるが如し。彼はなお自ら顛蹶を止住する能わず、又怎ぞ能く我の頭碎を救わん。我聞く、大丈夫は自得して外物を外に放つ人は、庸人に對しては、大概逼迫して不得已に乃ち彼らと形體を接觸し、卽使數を以て千計するも、還に衣上に積る蚤虱・身上に攅る贅疣の如し。彼らを失掉するは卽使數を以て萬計するも、還に飛塵の嵩岱を離れ、鄧林の朽枝を墮下するのみ。何處か彼ら有るに因りて益有り、彼ら無きに因りて損と覺えんや」と。

“且夫朋友也者,必取乎直諒多聞,拾遺斥謬,生無請言,死無託辭,終始一契,寒暑不渝者。然而此人良未易得,而或默語殊途,或憎愛異心,或盛合衰離,或見利忘信。其處今也,璧猶禽魚之結侶,冰炭之同器,欲其久合,安可得哉!夫父子天性,好惡宜鈞,而子政子駿,平論異隔;南山伯奇,辯訟有無。面別心殊,其來尚矣。總而混之,不亦難哉!

(抱朴子が続けて言うには、)「況んや朋友は、一定にあの直諒多聞を取り、遺を拾い謬を斥け、活くるに請托の話なく、死するに嘱托の辭なく、終始一個の契、寒暑改變せざる人を取る。然れどもこの如き人は實に得る容易ならず、或いは沈默說話して道路同じからず、或いは憎愛の心思同じからず、或いは盛時相合し衰時離開し、或いは利を見て信を忘掉す。今日に處すれば、便ち禽魚の伴侶を結成し、冰炭の一個の器裡に同在するが如く、彼らの長久相合せんを欲するは、怎麼して得る可けん。父子は天性にして、好惡應に均同なるべく、然れども子政・子駿は、平論隔離して同じからず。南山・伯奇は、辯訟して有無す。面に別有り心同じからざるは、由來已に久し。總じて混じて一にするは、不亦難きか」と。

“世俗之人,交不論志,逐名趨勢,熱來冷去;見過不改,視迷不救;有利則獨專而不相分,有害則苟免而不相恤;或事便則先取而不讓,值機會則賣彼以安此。凡如是,則有不如無也。

(抱朴子が続けて言うには、)「世俗の人は、結交に志向を論ぜず、名を追逐し勢に趨向し、熱ければ便ち來り冷たければ便ち去る。過錯を見て改めず、迷惑を見て救わず。利有れば便ち獨自專有して互相分かたず、害有れば便ち苟且に免れを求めて互相體恤せず。或いは事情便利なれば便ち先に取りて讓らず、機會に碰上れば便ち彼を出賣して以て此を安定す。凡是この如し、有るは無きに如かず」と。

“天下不為盡不中交也,率於為益者寡而生累者眾。知人之明,上聖所難。而欲力厲近才,短於鑑物者,務廣其交,又欲使悉得,可與經夷險而不易情,歷危苦而相負荷者,吾未見其可多得也。雖搜琬琰於培螻之上,索鸞鳳乎鷦鷯之巢,未為難也。吾亦豈敢謂藍田之陽,丹穴之中,為無此物哉!亦直言其稀已矣。

(抱朴子が続けて言うには、)「天下は並び皆完全に結交に適合せざるに非ず、大抵益處と成る能くするは少なくして牽累を產生するは衆し。人を知るの明は、上聖も亦た難しと覺う。然れども近才を磨砺し物を鑑るに短なる人を力めて、務めて交游を擴大せんと欲し、又想いて彼らをして全て得しめ、自己と經歷して平夷險阻に情を改めず、危苦を經歷して互相擔負する人を得んとするは、我はこの如き人の多得る可きを見ず。卽使培螻の上に琬琰を搜尋し、鷦鷯の巢裡に鸞鳳を索求するも、亦た難と算えず。我又何處か敢えて藍田の南面・丹穴の中に、這種の物なしと言わんや。も亦たただ直にそれの稀少なるを説くのみ」と。

“夫操尚不同,猶金沈羽浮也。志好之乖次,猶火升而水降也。苟不可同,雖造化之靈,大塊之匠,不可使同也,何可強乎!餘所稟訥馬矣,加之以天挺篤懶,諸戲弄之事,彈棋博弈,皆所惡見;及飛輕走迅,遊獵傲覽,鹹所不為,殊不喜嘲褻。凡此數者,皆時世所好,莫不耽之,而餘悉闕焉,故親交所以尤遼也。加以挾直,好吐忠藎,藥石所集,甘心者鮮。又欲勉之以學問,諫之以馳競,止其樗蒲,節其沈湎,此又常人所不能悅也。

(抱朴子が続けて言うには、)「操守の崇尚は同じからず、金沉し羽浮くが如し。志向喜好の乖離は、火升り水降るが如し。若し同じくする可からざれば、卽使造化の靈・大塊の匠も、彼らをして同じくせしむる能わず、怎麼して強いる可けん。我の稟受する所は木訥(底本は「馬」と作る、「馬」は「焉」の訛)、再加上天生極めて懶く、各種の戲弄の事・彈棋博弈は、皆我の厭惡して見る所なり。輕きを飛ばし迅きを跑らせ、游獵傲覽するに至りては、皆我の爲さざる所にして、尤も嘲謔褻狎を喜歡せず。這幾件の事は、皆時世の喜好する所にして、沈溺せざるなきに、而も我は全て缺けり、ゆえに親交は此に因りて尤も遼遠なり。再加上正直を挾み、忠藎を吐出するを喜び、藥石の集中する處は、甘心する人少なし。又想いて學問を以て彼らを勉勵し、馳競を以て彼らを勸諫し、彼らの樗拍を止住し、彼らの沈湎を節制せんとす、這又常人の喜悅する能くする所に非ず」と。

“毀方瓦合,違情偶俗,人之愛力,甚所不堪,而欲好日新,安可得哉!知其如此而不辯改之,可不謂之暗於當世,拙於用大乎夫交而不卒,合而又離,則兩受不弘之名,俱失克終之美。夫厚則親愛生焉,薄則嫌隙結焉,自然之理也,可不詳擇乎!為可臨觴者拊背,執手須臾,欲多其數而必其全,吾所懼也。”

(抱朴子が続けて言うには、)「方正を毀掉して以て瓦合し、情に違背して以て流俗に偶合するは、人の力氣を愛惜するは、我の甚だ擔當し得起こさざる所にして、然れども交好日々更新せんと想うは、怎麼して得る可けん。這の如くを知りて辨改せざれば、當世に暗昧・大を用うるに拙しと稱する可からざらんか。結交して終了せず、相合して又離開すれば、則ち兩方皆弘ならざる名を承受し、一齊に克終の美を失去す。厚ければ則ち親愛生出し、薄ければ則ち嫌隙結起す、是れ自然の道理にして、詳細に選擇せざる可けんや。酒杯に臨み背を拍ち手を執りて片刻す可きを爲して、數目多くして一定に全を求めんと欲するは、我の懼怕する所なり」と。

或曰:“然則都可以無交乎”

或る人曰く、然らば皆交游無くする可きか、と。

抱朴子答曰:“何其然哉!夫畏水者何必廢舟楫,忌傷者何必棄父斤交之為道,其來尚矣。天地不交則不泰,上下不交即乖志。夫不泰則二氣隔並矣,志乖則天下無國矣。然始之甚易,終之竟難。患乎所結非其人,敗於爭小以忘大也。《易》美多蘭,《詩》詠百朋,雖有兄弟,不如友生。切思三益,大聖所嘉,門人所以增親,惡言所以不至;管仲所以免誅戮而立霸功,子元所以去亭長而驅朱軒者,交之力也。

抱朴子回答して曰く、怎麼してこの如くならんや。水を怕る人は何必舟楫を廢除せん、傷を受くるを忌惮する人は何必斧斤を抛棄せん(底本は「父」と作る、「父」は「斧」の訛)。結交を道と爲すは、由來已に久し。天地交わらざれば便ち泰ならず、上下交わらざれば便ち志向乖離す。泰ならざれば則ち二氣は隔開兼并し、志向乖離すれば則ち天下に國なし。然れども開始は甚だ容易く、終結は竟に難し。毛病は結交する所のあの種の人に非ざるに在り、敗は小を争い大を忘掉するに在り。《周易》は多蘭を贊美し、《詩經》は百朋を詠歎し、卽使兄弟有るも、友生に如かず。切偲三益は、大聖の嘉許する所にして、門人は此に因りて更加親しく、惡言は此に因りて到らず。管仲の誅戮を免れて霸功を立下したる所以・子元の亭長を離開して朱軒を驅りたる所以は、皆交の力なり、と。

“單絃不能發《韶》《夏》之和音,孑色不能成兗龍之瑋燁,一味不能合伊鼎之甘,獨木不能致鄧林之茂。玄圃極天,蓋由眾石之積。南溟浩漾,實須群流之赴。明鏡舉則傾冠見矣,羲和照則曲影覺矣,檃括修則枉刺之疾消矣,良友結則輔仁之道弘矣。

(抱朴子が続けて言うには、)「單弦は《韶》《夏》の和音を發出する能わず、一種の顏色は袞龍の瑋燁を成就する能わず、一味は伊尹鼎中の甘を合成する能わず、獨木は鄧林を茂盛ならしむる能わず。玄圃の極天に高きは、大概衆石の堆積に由る。南溟浩漾たるは、實に必ず群流の奔赴を須要す。明鏡擧起すれば則ち傾斜の冠は便ち見え、羲和一照すれば則ち彎曲の影は便ち發覺し、檃括修治すれば則ち枉刺の疾病は便ち消除し、良友結交すれば則ち輔仁の道は便ち弘大す」と。

達者知其然也,所企及則必簡乎勝己,所降結則必料乎同志。其處也則講道進德,其出也則齊心比翼。否則鈞魚釣之業,泰則協經世之務。安則有以精義,危則有以相恤。恥令譚肯專面地之篤,不使王貢擅彈冠之美。夫然,故交道可貴也。

(抱朴子が続けて言うには、)通達の人はこの如くを知り、企及する所は便ち一定に自己に勝過するを簡選し、心を降し結交する所は便ち一定に同志と料想す。閑處すれば便ち道を講じ德を進め、仕に出づれば便ち心を齊し翼を比す。否なれば則ち漁釣の行業を均同し、泰なれば則ち經世の事務を協助す。安ければ則ち以て義を精研する有り、危なければ則ち以て互相體恤する有り。譚・肯をして面地の篤厚を專有せしめざるを恥とし、王陽・貢禹をして冠を彈くの美を獨占せしめず。這の如く、乃ち交道の貴ぶ可きなり。

“然實未易知,勢利生去就,積毀壞刎頸之契,漸漬釋膠漆之堅。於是有忘素情之惆嘆,或睚眥而不思,遂令元伯巨卿之好,獨著於昔;張耳陳餘之變,屢構於今。推往尋來,良可嘆也。夫梧禽不與鴟梟同枝,麟虞不與豺狼連群,清源不與濁潦混流,仁明不與兇暗同處。何者漸染積而移直道,暴迫則生害也。”

(抱朴子が続けて言うには、)「然れども實に知る容易ならず、勢利は去る或いは就くを生出し、積毁は刎頸の契を壞掉し、漸漸漬染して膠漆の堅を解開す。是に素情を忘掉する惆歎有り、或いは睚眦して然れども思念せず、是に元伯・巨卿の好をして、往昔に獨自顯著せしめ、張耳・陳餘の變を、今日に屢次構成せしむ。往を推し來を尋ぬれば、實に歎す可し。梧禽は鴟梟と同枝せず、麟虞は豺狼と連群せず、清源は濁潦と混流せず、仁明は凶暗と同處せず。何を爲すか。漸染積累すれば便ち直道を移易し、暴迫すれば便ち害を產生せん」と。

或人曰:“敢問全交之道可得聞乎”

或る人曰く、敢えて問う、交游を保全するの道は、我をして聽かしめん可きか、と。

抱朴子答曰:“君子交絕猶無惡言,豈肯向所異辭乎殺身猶以許友,豈名位之足競乎善交狎而不慢,和而不同,見彼有失,則正色而諫之;告我以過,則速改而憚。不以忤彼心而不言,不以逆我耳而不納,不以巧辯飾其非,不以華辭文其失,不形同而神乖,不若情而口合,不面從而背憎,不疾人之勝己,護其短而引其長,隱其失而宣其得,外無計數之諍,內遺心競之累。夫然後《鹿鳴》之好全,而《伐木》之刺息。若乃輕合而不重離,易厚而不難薄,始如形影,終為叄辰,至歡變為篤恨,接援化成讎敵,不詳之悔,亦無以(原有脫文)。

抱朴子回答して曰く、君子は交絶するも還に惡言なく、豈に肯じて同じからざる所に向かって言辭を改變せんや。身を殺すもなお以て朋友に許す、名位は何處か競争するに値せん。結交に善き人は親しみて然れども怠慢せず、和して然れども同ぜず、對方に過失有るを見れば、便ち正色して勸諫す。過錯を我に告ぐれば、便ち迅速に改めて畏憚す。對方の心に忤逆するに因りて説かざることなく、我の耳に逆らうに因りて接納せざることなく、巧辯を拿りて自己の非を文飾せず、華辭を拿りて自己の失を掩飾せず、外形は同じくして神乖離せず、情投の如くして口相合せず、面に當りて順從して背後に憎惡せず、別人の自己に勝過するを疾恨せず、彼の短を護りて彼の長を引き、彼の失を隱藏して彼の得を宣揚し、外に計數の諍なく、內に心裡競争の牽累を遺棄す。然後《鹿鳴》の好は保全され、《伐木》の刺は止息す。輕易に相合して然れども離開を看重せず、容易く厚く變りて然れども薄くするを難とせず、開始は形影の如く、終了は參辰の如く、至歡は深恨と變成し、接援は仇敵と化成し、審愼せざるの悔は、も亦た從無し(底本原脫文有り)に至りては、と。

往者漢季陵遲,皇轡不振,在公之義替,紛競之俗成。以違時為清高,以救世為辱身。尊卑禮壞,大倫遂亂。在位之人,不務盡節,委本趨末,背實尋聲。王事廢者其譽美,奸過積者其功多。莫不飛輪兼策,星言假寐,冒寒觸暑,以走權門,市虛華之名於秉勢之口,買非分之位於賣官之家。或爭所欲,還相屠滅。

(抱朴子が続けて言うには、)往昔漢季は陵夷遲緩にして、皇家の轡は振起せず、公に在るの義は廢替し、紛競の風俗は形成せり。時に違背するを以て清高と當て、世を救うを以て身を辱むと當てす。尊卑の禮は壞れ、大倫は是に亂れたり。位に在る人は、節を盡くすを務求せず、本を委棄し末に趨向し、實に背對し聲を尋找す。王事廢棄する人は聲譽美しく、奸過積累する人は功勞多し。輪を飛ばし鞭を兼ね、星夜話を言い衣を和して打盹し、寒を冒し暑に觸れて、以て權門に奔走し、勢を把持するの口に向かって虛華の名を買い、官を賣るの家に向かって分に非ざる位を買うせざるなし。或いは欲する所を争奪して、轉じて互相屠滅す、と。

於是公叔偉長疾其若彼,力不能正,不忍見之,爾乃發憤著論,杜門絕交,斯誠感激有為而然。蓋矯枉而過正,非經常之永訓也。徒當遠非類之黨,慎諂黷之源。何必裸袒以詭彼己,斷粒以刺玉食哉!夫交之為非,重諫而不止,遂至大亂。故禮義之所棄,可以絕矣。

(抱朴子が続けて言うには、)是に公叔・偉長はあの如くを疾恨し、力氣は糾正する能わず、見るに忍びず、這乃ち發憤して論を著し、門を杜じ交を絶つ、這實に感激して作爲有るを以て乃ちこの如し。大概枉を矯めて正に過ぐるは、經常の永久訓誡に非ず。ただ應に非類の黨を遠離し、諂瀆の源頭を謹愼すべし。何必裸袒して以て彼己を詭譎し、糧を斷ちて以て玉食を諷刺せんや。結交は非と成り、重ねて勸諫するも然れども止まず、是に大亂に到れり。ゆえに禮義の抛棄する所は、以て絶す可し、と。

備闕卷第十七

備闕巻第十七

抱朴子曰:騕褭能奮蘭筋以絕景,而不能履冰以乘深;猛虎能似雷霆以博噬,而不能踴雲霧以凌虛。鴻鵾不能振翅於籠罩之中,輕鷂不能電擊於几筵之下。物既然矣,人亦如之。故能調和陰陽者,未必能兼百行修簡書也;能敷五邁九者,不必能全小潔經曲碎也。

抱朴子曰く、駿馬は能く蘭筋を奮起して以て光影を超過するも、然れども冰を踏着して以て深に乘る能わず。猛虎は能く雷霆の如く搏噬するも、然れども雲霧に踊上して以て虛空を凌越する能わず。鴻鵾は籠罩の中に翅を振る能わず、輕鷂は几筵の下に電撃の如くする能わず。物已にこの如く、人も亦たこの如し。ゆえに能く陰陽を調和する人は、未必能く百行を兼備し簡書を修治せず。能く五を敷陳し九を邁過する人は、不必能く小潔を保全し瑣碎を經理せず、と。

惠子,上相之標也,而不能役舟楫以凌陽侯;漢高,神武之傑也,而不能治產業端檢括;淮陰,良將之元也,而不能修農商免飢寒;周勃,社稷之鯁也,而不能答錢穀責獄辭。若以所短棄所長,則逸儕拔萃之才不用矣;責具體而論細禮,則匠世濟民之勳不著矣。

惠子は、上相の標準にして、然れども舟楫を役使して以て陽侯を凌越する能わず。漢高は、神武の傑にして、然れども產業を治理し檢括を端正する能わず。淮陰は、良將の元首にして、然れども農商を修治して飢寒を免るる能わず。周勃は、社稷の鯁直にして、然れども錢穀を回答し獄辭を責問する能わず。若し短ずる所に因りて長ずる所を抛棄せば、逸儕拔萃の才は便ち用いられず。具體を責求して細禮を論ぜば、世を匠し民を濟うの勳勞は便ち顯著ならず。

天不能平其西北,地不能隆其東南,日月不能摛光於曲穴,沖風湧揚波於井底。扌適齒則松檟不及一寸之筵,挑耳則棟梁不如鷦鷯之羽,彈鳥則千金不及丸泥之用,縫緝則長劍不及數寸之針。何必伏巨象而捕鼠,制大鵬以司晨乎故姜牙賣煦(疑作“漿’)無所售,而見師於文武;蔣生憒慢於百里,而獨步三槐。

天はその西北を平ならしむる能わず、地はその東南を隆起せしむる能わず、日月は曲穴の裡に光を舒展する能わず、衝風は井底に波を涌起揚する能わず。牙齒を剔れば則ち松檟は一寸の筵に趕及ばず(底本「扌适」は「扌」は偏旁の殘留)、耳朵を挑れば則ち棟梁は鷦鷯の羽毛に如かず、鳥を彈けば則ち千金は丸泥の用處に趕及ばず、縫緝すれば則ち長劍は數寸の針に趕及ばず。何必巨象を降伏して以て鼠を捕え、大鵬を制服して以て晨を司らんや。ゆえに姜牙は漿を賣るも售る處なし(底本「煦」は疑らくは當に「漿」と作るべし)、然れども文王・武王に師事せられり。蔣生は百里に對して昏憒怠慢なるも、然れども三槐の中に獨步せり。

擢才卷第十八

擢才巻第十八

抱朴子曰:華章藻蔚,非矇瞍所玩;英逸之才,非淺短所識。夫瞻視不能接物,則兗龍與素褐同價矣;聰鑑不足相涉,則俊民與庸夫一概矣。眼不見,則美不入神焉;莫之與,則傷之者至焉。且夫愛憎好惡,古今不均,時移俗易,物同價異。譬之夏後之璜,曩直連城,鬻之於今,賤於銅鐵。故昔以隱居求志為高士,今以山林之儒為不肖。故聖世之良幹,乃暗俗之罪人也;往者之介潔,乃末葉之羸劣也。

抱朴子曰く、華章藻蔚たるは、蒙瞍の玩賞する所に非ず。英逸の才は、淺短の認識する所に非ず。瞻視は物に接觸する能わざれば、袞龍と素褐は便ち同一の價錢なり。聰鑑は足りて互相涉及せざれば、俊民と庸夫は便ち一個の概なり。眼睛は見る能わざれば、美は便ち神に進入せず。人の給與する無ければ、彼を傷害する人は便ち到來す。況んや愛憎好惡は、古今均ならず、時移り俗易りて、物は同じく價錢は同じからず。夏后の璜に比方すれば、從前價値連城にして、今日に賣れば、銅鐵より還に賤し。ゆえに從前は隱居して志を求むるを以て高士と爲し、如今は山林の儒を以て不肖と爲す。ゆえに聖世の良幹は、乃ち暗俗の罪人なり。往昔の介潔は、乃ち末葉の羸劣なり、と。

弘偉之士,履道之生,其崇信匪徒重仞之牆,其淵澤不唯呂梁之深也,故短近不能賞,而淺促不能測焉。因以異乎己而薄之矣,以不求我而疾之矣,不貴不用,何足言乎乃有播埃塵於白珪,生瘡疒有於玉肌,訕疵雷同,攻伐獨立,曾叄蒙劫剽之垢,巢許獲穿窬之謗。自匪明並懸象,玄鑑表微者,焉能披泥抽淪玉,澄川掇沈珠哉!夫珪璋居肆而不售,矧乃翳於盤璞乎奇士扣角而見遏,況乃潛於四羊藪乎

弘偉の士・道を履行する書生は、彼らの崇信はただ幾仞の牆のみならず、彼らの淵澤はただ呂梁の深のみならず、ゆえに短近は賞識する能わず、淺促は測度する能わず。是に自己と同じからざるに因りて彼を看薄し、我を求めざるに因りて彼を疾恨し、貴ばず用いず、何處か説くに値せん。竟に人ありて埃塵を白珪の上に播き、玉肌の上に瘡痏を生出し(底本「疒有」は當に「痏」と爲す)、訕疵雷同して、獨立を攻伐すれば、曾參は劫剽の垢を蒙受し、巢父・許由は穿窬の謗を獲得せん。若し明は懸象と並列し玄鑑は能く微細を表彰する人に非ざれば、怎ぞ能く泥を披開して沈淪の玉を抽出し、川を澄清して下沉の珠を掇取せんや。珪璋は肆上に放りて還に售出せず、況んや盤璞の裡に翳蔽するをや。奇士は角を叩くも還に遏止せられ、況んや藪澤の裡に潛藏するをや(底本「四羊薮」は「四羊」は疑らくは衍文)。

孫臏思騁其秘略,而司馬刖之;韓非願建治績,而李斯殺之;賈誼慷慨,懷經國之術,而武夫排之;子政忠良,有匡危之具,而恭顯陷之。和氏所以抱璞而泣血,禽息所以發憤而碎首也。夫玉石易別於賢愚,愛寶情篤於好士,以易別之寶,合篤好之物,猶獲罪截趾,歷世受誣。況乎難知之賢,非意所急,讒人畫蛇足於無形,奸臣畏忠貞之害己,體曲者忌繩墨之容,夜裸者憎明燭之來。是以高譽美行,抑而不揚,虛構之謗,先形生影。又無楚人號哭之薦,萬無一遇,固其宜矣。

孫臏はその秘略を馳騁せんと想うも、司馬は却って彼を刖せり。韓非は治績を建立せんと願うも、李斯は却って彼を殺せり。賈誼は慷慨にして、經國の術を懷くも、武夫は却って彼を排擠せり。子政は忠良にして、危を匡する器具有るも、弘恭・石顯は却って彼を陷害せり。這即ち和氏の璞を抱きて血を泣いたる所以・禽息の發憤して頭を撞碎したる所以の緣故なり。玉と石は賢愚に比して分別し易く、寶を愛する情は士を好むに比して篤厚く、分別し易き寶を拿りて、篤好する物に配合するも、還に罪を獲て趾を截られ、歷代誣を受く。況んや知り難き賢・心意の急ぐ所に非ざるをや。讒人は無形の上に蛇足を畫き、奸臣は忠貞の自己を害するを怕り、體曲する人は繩墨の容を忌惮し、夜裡裸たる人は明燭の到來を憎惡す。ゆえに高譽美行は、壓抑せられて揚起せられず、虛構の謗は、形に先んじて便ち影を生出す。又楚人の號哭するが如き薦擧なく、萬人の中に一個に遇わざるは、本來應然なり。

夫以玉為石者,亦將以石為玉矣;以賢為愚者,亦將以愚為賢者矣。以石為玉,未有傷也;以愚為賢者,亡之診也。蓋診亡者雖存而必亡,猶脈死者雖生而必死也。可勿慎乎!於戲,悲夫!莫之思者也。昔仲尼上聖也,東受累於齊人,南見塞於子西。文種大賢也,初不齒於荊俗,末雍遊於鈞如。競年立功,不亦難乎夫結綠玄黎,非陶猗不能市也;千鈞之重,非賁獲不能抱也。《白雪》之弦,非靈素不能徽也;邁倫之才,非明主不能用也。

玉を以て石と當てる人は、亦た將に石を以て玉と當てん。賢を以て愚と當てる人は、亦た將に愚を以て賢と當てん。石を以て玉と當つるは、傷害なし。愚を以て賢と當つるは、滅亡の診兆なり。將に亡びんと診する人は卽使還に在るも一定に亡び、脈象は死の人は卽使活くるも一定に死するが如し。謹愼せざる可けんや。于戲、悲夫。このを思索する人なし。從前仲尼は上聖にして、東邊に齊人に牽累せられ、南邊に子西に堵塞せられり。文種は大賢にして、起初荆俗に齒及せられず、末了に乃ち雍容として鈞如に交游せり。年歲を競争して以て功を立つるは、不亦難きか。結綠・玄黎は、陶朱・猗頓に非ざれば買う能わず。千鈞の重は、賁・獲に非ざれば抱く能わず。《白雪》の弦は、靈素に非ざれば徽を彈く能わず。倫類を邁過するの才は、明主に非ざれば用う能わず。

然耀靈光夜之珍,不為莫求而虧其質,以苟且於賤賈;洪鍾周鼎(或有脫文),不為委淪而輕其體,取見舉於侏儒;嶧陽雲和,不為不御而息唱,以競顯於淫哇;冠群之德,不以沈抑而履徑,而剸節於流俗。是以和璧變為滯貨,柔木廢於勿用,赤刀之礦,不得經歐冶之爐;元凱之疇,終不值四門之闢也。

然れども耀靈の夜を照らすの珍は、人の求むる無きに因りてその質を虧損せず、賤價の上に苟且せり來らず。洪鍾周鼎〔底本或いは脫文有り〕は、委棄沈淪するに因りてその體を看輕せず、侏儒に擧用せられ往かず。嶧陽・雲和は、御用せられざるに因りて唱を止息せず、淫哇と顯揚を競争せり來らず。群に冠たる德は、沈抑せらるるに因りて小路を走らず、流俗に向かって節操を專斷せり來らず。ゆえに和氏璧は滯貨と變成し、柔木は勿用に廢し、赤刀の礦は、歐冶の爐を經過する能わず。元凱の一類人は、終竟四門の開闢に遇わず。

任命卷第十九

任命巻第十九

抱朴子曰:餘之友人有居泠先生者,恬愉靜素,形神相忘,外不飾驚愚之容,內不寄有容之心,遊精墳誥,樂以忘憂。晝競羲和之末景,夕照望舒之餘耀,道靡遠而不究,言無微而不研。然車跡不軔權右之國,尺牘不經貴勢之庭。是以名不出蓬戶,身不離畎畝。

抱朴子曰く、我の友人に居泠先生の位居す有り、恬愉靜素にして、形と神は互相忘掉し、外は愚人を驚動する容貌を修飾せず、內は容る所有るの心を寄托せず、精神をして墳誥に游ばしめ、樂しみて憂を忘掉す。晝日は羲和末了の光影を競逐し、夜裡は望舒其餘の光耀を照らし、道は遠き窮盡せざるなく、言は微き研求せざるなし。然れども車迹は權右の都邑の裡に轫を停めず、尺牘は貴勢の庭を經過せず。ゆえに名は蓬戶を出でず、身は畎畝を離開せず、と。

於是翼亮大夫候而難之曰:“餘聞淵蟠起則玄雲赴,道化雨沾則逸才奮。故康衢有角歌之音,鼎俎發凌風之跡。沽之則收不貲之賈,踴之則超在天之舉。耀逸景於暘谷,播大明乎九垓。勳蔭當世,聲揚罔極。故尋仞之途甚近而弗往者,雖追風之腳不能到也;楹梲之下至卑而不動者,雖鴻鵾之翅未之及也。況乎寢足於大荒之表,斂羽於幽梧之枝,安得效迅以尋景,振輕乎蒼霄哉

是に翼亮大夫は等候して以て彼を責難して曰く、我聞く、淵中に蟠曲するは一動すれば則ち玄雲赴來し、道化の雨は一沾れば則ち逸才奮起す。ゆえに康衢に角を叩き歌うの聲音有り、鼎俎は凌風の足迹を發出す。それを沽れば則ち計量す可からざる價を收回し、それに踊れば則ち天に在るの擧動を超出す。暘谷に逸景を閃耀し、大明を九垓に播く。勳は當世を蔭し、聲名は極なきに揚ぐ。ゆえに尋仞の路は近きも然れども往かざる人は、卽使風を追うの足も亦た到る能わず。楹梲の下は至卑にして然れども動かざる人は、卽使鴻鵾の翅膀も亦た趕及ばず。況んや足を大荒の外に停歇し、羽毛を幽梧の枝上に收斂するをや、怎ぞ能く迅疾を效法して以て光影を尋ね、蒼霄の中に輕を振起せんや、と。

年期奄冉而不久,托世飄迅而不再,智者履霜則知堅冰之必至,處始則悟生物之有終。六龍促軌於大渾,華顛倏忽而告暮,古人所以映順流而顧嘆,眄過隙而興悲矣。

(翼亮大夫が続けて言うには、)年期は奄冉として久長ならず、人世に寄托して飄迅として再び來らず、智者は霜を踏着して便ち堅冰の一定に到來するを知り、開始に處して便ち生物に終結有るを覺悟す。六龍は大渾の上に軌道を催促し、華髮は倏忽として便ち日暮を告知す、這即ち古人の順流に映りて回顧歎息し、隙を過ぐるを眄めて悲傷を興起したる所以の緣故なり。

先生資命世之逸量,含英偉以邈俗,銳翰汪濊以波湧,六奇抑鬱而淵蓄;然不能凌扶搖以高竦,揚清耀於九玄,器不陳於瑚簋之末,體不免於負薪之勞,猶奏和音於聾俗之地,鬻章甫於被髮之域。徒忘寤於翰林,銳意以窮神,崇琬琰於懷抱之內,吐琳琅於毛墨之端,躬困屢空之儉,神勞堅高之間,譬若埋尺璧於重壤之下,封文錦於沓匱之中,終無交易之富,孰賞堙翳之珍哉

(翼亮大夫が続けて言うには、)先生は命世の逸量を資し、英偉を包含して以て流俗を遠離し、銳利の筆翰は汪濊として波涌の如く、六出奇計は抑郁として淵の如く蓄えるも、然れども扶搖を凌越して以て高竦し、九玄に清耀を揚起する能わず、器は瑚簋の末位に陳列せられず、身體は薪を負うの勞苦を免れず、聾俗の地に和音を奏し、髮を披く域裡に禮帽を賣るが如し。徒然に翰林に醒寤を忘掉し、意を銳にして神を窮盡し、懷抱の內に琬琰を推崇し、毛墨の端に琳琅を吐出し、自身は屢空の儉に困り、精神は堅高の間に勞し、尺璧を重壤の下に埋め、文錦を層層の匱中に封ずるが如く、終竟交易の富なく、誰か來りて堙翳せられたる珍を賞識せんや、と。

“夫龍驥維縶,則無以別乎蹇驢;赤刀韜鋒,則曷用異於鉛刃。鱣鮪不居牛跡,大鵬不滯蒿林。願先生委龍蛇之穴,升利見之途,釋戶庭之獨潔,覽二鼠而遠寤,越窮谷以登高,襲丹藻以改素,競驚飈於清晨,不盤旋以錯度,收名器於崇高,響鍾鼎之慶祚。柏成一介之夫,辨薇可足多慕乎”

(翼亮大夫が続けて言うには、)「龍驥は繫絆せられれば、便ち蹇驢と分別する無し。赤刀は鋒刃を韜藏すれば、又河處か以て鉛刃と同じからざるを用いん。鱣鮪は牛蹄印の裡に住まず、大鵬は蒿林に滯留せず。願わくは先生は龍蛇の穴を離開し、利見の路に升上し、戶庭獨自の潔を放下し、二鼠を看て遙かに醒寤し、窮谷を越えて以て高に登り、丹藻を襲上して以て素を改變し、清晨に驚飆を競逐し、盤旋せずして度數を錯過せず、崇高に名器を收取し、鍾鼎の慶祚に回響せん。柏成はただ一介の夫のみ、薇菜を辨認するは何處か多く羨慕するに値せんや」と。

居泠先生應曰:“蓋聞靈機冥緬,混芒眇昧,禍福交錯乎倚伏之間,興亡纏綿乎盈虛之會;迅遊者不能脫逐身之景,樂成者不能免理致之敗;匡流末者,未若挺治乎無兆之中;整已然者,不逮反本乎玄樸之外。是以覺蠖者,甘屈以保伸;識通塞者,不慘悅於否泰。

居泠先生回答して曰く、聞く、靈機冥緬にして、混芒眇昧にして、禍福は倚伏の間に交錯し、興亡は盈虛の會合の上に纏綿す。迅游する人は自身を追逐する影を脫掉する能わず、成功を樂しむ人は事理の致す所の敗を免るる能わず。流末を匡正する人は、兆無きの中間に挺身治理するに如かず。已にこの如くを整飭する人は、玄朴の外に根本を返回するに趕及ばず。ゆえに尺蠖を覺悟する人は、屈曲して以て伸を保全するに甘心す。通塞を認識する人は、否泰の上に慘戚あるいは喜悅せず、と。

且夫洪陶範物,大象流形,躁靜異尚,翔沈舛情。金寶其重,羽矜其輕。篤隘者執束於滓涅達妙者逍遙於玄清。潢洿納行潦而潘溢,渤澥吞百川而不盈。鮋蝦踴悅於泥濘,赤螭凌厲乎高冥。嚼香餌者,快嗜慾而赴死;味虛淡者,含天和而趨生;識機神者,瞻無兆而弗惑;暗休咎者,觸強弩而不驚。各附攸好,安肯改營

(居泠先生が続けて言うには、)況んや洪陶は模子を以て物を鑄り、大象は流轉して形を成し、躁靜の崇尚は同じからず、飛翔或いは下沉して情意舛錯す。金寶はその重を貴重し、羽毛はその輕を矜夸す。隘に篤き人は滓涅に執束せられ、妙に通達する人は玄清の中に逍遙す。潢洿は行潦を接納すれば便ち溢出し、渤澥は百川を吞下するも然れども滿ちず。鮋蝦は泥濘の中に踊躍喜悅し、赤螭は高冥に凌厲す。香餌を嚼る人は、快意嗜欲して以て死に奔赴す。虛淡を品味する人は、天和を含みて以て生に趨向す。機神を認識する人は、兆無きを瞻望して惑わず。休咎に暗昧する人は、強弩に觸れて然れども驚かず。各々好む所に依附して、怎ぞ肯じて經營を改換せんや、と。

“吾聞五玉不能自剖於嵩岫,騰蛇不能無霧而電徵,龍淵不能勿操而斷犀兕,景鍾不能莫扣而揚洪聲。金芝須商風而激耀,倉庚俟煙火日皿而修鳴,騏騄不苟馳以赴險,君子不詭遇以毀名。運屯則沈淪於勿用,時行則高竦乎天庭。士以自炫為不高,女以自媒為不貞。何必委洗耳之峻標,效負俎之幹榮哉

(居泠先生が続けて言うには、)「我聞く、五玉は自ずから嵩岫より剖出する能わず、騰蛇は霧なくして電の如く征行する能わず、龍淵は人の操持なくして犀兕を砍斷する能わず、景鍾は人の叩くなくして洪聲を揚起する能わず。金芝は必ず商風あって乃ち激耀し、倉庚は〔底本「烟火日皿」疑して訛字有り〕を等待して乃ち長鳴し、騏驥は苟且馳騁して以て險に赴かず、君子は詭遇を用いて以て名を毁せず。運數屯なれば則ち勿用に沈淪し、時該行なれば則ち天庭に高竦す。士は自己炫示を以て高ならずと爲し、女は自己媒を做るを以て貞ならずと爲す。何必洗耳の峻標を委棄して、俎を背負いて榮を求取するを效法せんや」と。

夫其窮也,則有虞婆娑而陶釣,尚父見逐於愚嫗,範生來辱於溺簣,弘式匿奇於耕牧;及其達也,則淮陰投竿而稱孤,文種解屍彳喬而紆青,傅說釋築而論道,管子脫桎為上卿。蓋君子藏器以有待也,蓄德以有為也,非其時不見也,非其君不事也,窮達任所值,出處無所繫。其靜也,則為逸民之宗;其動也,則為元凱之表。或運思於立言,或銘勳乎國器。殊途同歸,其致一焉。

(居泠先生が続けて言うには、)窮の時は、有虞は婆娑として陶釣し、尚父は愚嫗に驅逐せられ、范雎は溺せられたる箕に辱を受け、弘式は耕牧の中に奇を藏匿せり。達に等到れば、淮陰は釣竿を投下して孤を稱し、文種は〔底本「尸彳乔」疑らくは當に「屣」と作るべし〕を解開して青綬を紆上し、傅説は筑を放下して道を論じ、管子は桎梏を脫掉して上卿を做れり。大概君子は器を藏して以て等待する所有り、德を蓄えて以て作爲する所有り、其の時に非ざれば便ち出現せず、其の君に非ざれば便ち事奉せず、窮達は遇う所に聽任し、出仕或いは隱居は繫絆なし。彼靜なれば、便ち逸民の宗と成り。彼動けば、便ち元凱の表と成る。或いは思慮を立言の上に運轉し、或いは勳勞を國器の上に銘刻す。殊途同歸して、旨趣は一個なり、と。

“士能為可貴之行,而不能使俗必貴之也;能為可用之才,而不能使世必用之也。被褐茹草罝兔,則心歡意得,如將終身,服冕乘軺,兼朱重紫,則若固有之。常如布衣,此至人之用懷也。

(居泠先生が続けて言うには、)「士は能く貴ぶ可き德行を做出するも、然れども流俗をして一定に彼を貴ばしむる能わず。能く用う可き才と成るも、然れども時世をして一定に彼を用いしむる能わず。褐を披着し草を喫い兔を網るは、便ち心歡意得して、將に終身この如くせんとするが如く、冕を穿着し輕車に乘り、朱紅を兼ね紫綬を重疊するは、便ち本來有るが如くす。常常に布衣の如く、這是至人の用心なり」と。

若席上之珍不積,環堵之操不粹者,予之罪也。知之者希,名位不臻,以玉為石,謂鳳曰鴳者,非餘罪也。夫汲汲於見知,悒悒於否滯者,裳民之情也;浩然而養氣,淡爾而靡欲者,無悶之志也。時至道行,器大者不悅;天地之間,知命者不憂。若乃徇萬金之貨,以索百十之售,多失骨幹毛,我則未暇矣。”

(居泠先生が続けて言うには、)若し席上の珍は積累せず、環堵の操守は純粹ならざれば、是れ我の罪なり。我を知る人稀少にして、名位は到達せず、玉を以て石と當て、鳳を叫作して鴳と爲すは、我の罪に非ず。知られんを急急として、滯留に悒悒たるは、常民の情なり(底本は「裳」と作る、「裳」は「常」の訛)。浩然として氣を養い、淡然として欲望なきは、煩悶なきの志向なり。時到れば道は便ち實行し、器大なる人は喜悅せず。天地の間は、命を知る人は憂えず。萬金の貨に徇って、以て百十の售出を索取するに至りては、多半骨干と毛を失掉す、我は却って閑暇なし、と。

名實卷第二十

名實巻第二十

門人問曰:“聞漢末之世,靈獻之時,品藻乖濫,英逸窮滯,饕餮得志,名不準實,賈不本物,以其通者為賢,寒者為愚。其故何哉”

門人問い道く、聞く、漢末の世・靈帝獻帝の時は、品藻乖濫にして、英逸窮滯し、饕餮は志を得て、名は實に比准せず、價錢は本物と相當せず、あの通達するを以て賢と當て、寒微するを以て愚と當つ。緣故は什麼なるか、と。

抱朴子答曰:“夫雷霆車訇磕,而或不聞焉;七曜經天,而或不見焉。豈唯形器有聾瞽哉!心神所蔽,亦又如之。是以聞格言而不識者,非無耳也;見英異而不知者,非無目也;由乎聰不經妙,而明不逮奇也。夫智大量遠者,盤桓以山峙;器小志近者,蓬飛而萍浮。夫唯山峙,故莫之能動焉;夫唯萍浮,故流而不滯焉。

抱朴子回答して曰く、雷霆は車然として磕響するも、然れども或る人は聽見せず。七曜は天を經過するも、然れども或る人は看見せず。何處かただ形器に聾瞽有るのみならんや。心神の遮蔽する所も、も亦たこの如し。ゆえに格言を聽見して然れども認識せざる人は、耳朵なきに非ず。英異を看見して然れども知らざる人は、眼睛なきに非ず。是れ聰は妙を經過せず、明は奇に到達せざるに由るなり。智大く量遠き人は、盤桓して山峙の如し。器小さく志近き人は、蓬飛の如く萍浮の如し。ただ山峙に因りて、ゆえに彼を動かす能くするなし。ただ萍浮に因りて、ゆえに流れて滯らず、と。

方之貨也,則緘連以待賈者,唯至珍而難售;鳴鼓以徇之者,雖凡蔽而易盡。比之材也,則結根於嵩岱者,雖竦蓋千仞,垂蔭萬畝,而莫之知也;插株途要者,雖鉤曲戾細而速朽,而猶見用也。故廟堂有枯楊之瑚簋,窮谷多不伐之梓橡也。

(抱朴子が続けて言うには、)貨に比方すれば、緘封して連ねて以て買を待つは、ただ至珍にして售出し難し。鼓を敲きて以て徇示するは、卽使凡蔽なるも亦た賣盡し易し。材に比方すれば、根を嵩岱に結ぶは、卽使竦起して樹蓋千仞・蔭を垂下して萬畝するも、然れども知る人なし。株を路要に插すは、卽使鉤曲細くして迅速朽壞するも、還に用いらる。ゆえに廟堂に枯楊を以て做る瑚簋有り、窮谷に砍伐せられざる梓橡多し、と。

是以竊華名者,螻蜥騰於雲霄;失實賈者,翠虯淪乎九泉。於是斥鴳凌風以高奮,靈鳳卷翮以幽戢,鉛鋒充太阿之寶,犬羊佻虎狼之資矣。夫佞者鼓珍賂為勁羽,則無高而不到矣;乘朋黨為舟楫,則無遠而不濟矣。

(抱朴子が続けて言うには、)ゆえに華名を竊取する人は、螻蜥雲霄に騰上す。實價を失去する人は、翠虯九泉に沈淪す。是に斥鴳は風を凌りて高く奮起し、靈鳳は翮を卷きて幽靜に收藏し、鉛鋒は太阿の寶を充當し、犬羊は虎狼の資質を佻取す。佞人は珍賂を以て勁羽に鼓成せば、便ち高き到らざるなし。朋黨を乘じて舟楫と當てれば、便ち遠き渡らざるなし、と。

持之以夙興側立,加之以先意承指,其利口諛辭也似辯,其道聽途說也似學,其心險貌柔也似仁,其行汙言潔也似廉,其好說人短也似忠,其不知忌諱也似直,故多通焉。且亦奉望我者,欲我益之,不求我者,我不能愛,自然之理也。

(抱朴子が続けて言うには、)夙興側立を拿着して以て持守し、加上意旨に先意迎合するは、彼の利口諛辭は辯の如く、彼の道聽塗說は學の如く、彼の心險貌柔は仁の如く、彼の行污言潔は廉の如く、彼の人の短を説くを喜ぶは忠の如く、彼の忌諱を知らざるは直の如し、ゆえに多半通達す。況んや我を奉望する人は、我をして彼を益せしめんと欲し、我を求めざる人は、我は愛する能わず、是れ自然の道理なり、と。

“夫賢常少而愚常多,多則比周而匿瑕,少則孤弱而無援,佞人相汲引而柴正路,俊哲處下位而不見知,拔茅之義圯,而負乘之群興,亢龍高墜,泣血漣如。故子西逐大聖之仲尼,臧倉毀命世之孟軻。二生不免斯患,降茲亦何足言!斯禍蓋與開闢並生,苦之匪唯一世也。歷覽振古,多同此疾。

(抱朴子が続けて言うには、)「賢は常常に少なくして愚は常常に多し、多ければ便ち比周して瑕疵を藏起し、少なければ便ち孤弱して援助なし、佞人は互相汲引して正路を堵塞し、俊哲は下位に處して知られず、茅を拔くの義は毁壞し、乘を負うの群は興起し、亢龍は高處より墜落し、血を泣き漣如たり。ゆえに子西は大聖仲尼を驅逐し、臧倉は命世の孟軻を毁謗せり。這兩位も亦た這種の患を免れず、這以下に降りて又河處か説くに値せん。這種の禍は大概天を開き地を闢くと一倂に產生し、それを苦しむは一個の世代のみならず。往古を歷覽すれば、多半同じく這種の疾病なり」と。

至於駑蹇矯首於王周輦,駥驥委牧乎林垧,彼己尸祿,邦國殄瘁,下凌上替,實此之由。或蟲流而莫斂,或逆竄於申亥,或擢筋於廟梁,或絕命於望夷,蓋所拔之非真,而忠能之不用也。

(抱朴子が続けて言うには、)駑蹇が王の周輦の上に頭を擡げ、駿馬が委棄せられて林坰に牧放せられ、彼己は位に尸り祿を食み、邦國殄瘁し、下は上を陵り替はるに至りては、實に這個に由る。或いは尸體は蟲を生じ汁を流すも然れども收斂する人なく、或いは逆向に申亥に逃竄し、或いは廟梁の上に筋を抽かれ、或いは望夷に命を斷たるは、大概是れ提拔する所の真に非ずして、而も忠能は用いられざるなり、と。

“故明君勤於招賢,而汲汲於擢奇,導達凝滯,而嚴防壅蔽。才誠足委,不拘於屠釣;言審可施,抽之於戎戍。或舉於牛口之下,而加之於群僚之上;或拔於桎梏之中,而任以社稷之重。故能勳業隆濟,拓境服遠,取威定功,垂統長世也。

(抱朴子が続けて言うには、)「ゆえに明君は賢を招くに勤く、奇才を擢拔するに急急とし、凝滯を疏導し、壅蔽を嚴防す。才能實に足りて委托す可ければ、便ち屠釣に拘泥せず。話審察して施行す可ければ、便ち戎戍の中より抽取す。或いは牛口の下より擧起し、群僚の上に加え、或いは桎梏の中より拔出し、社稷の重任を彼に委任す。ゆえに能く勳業隆盛に濟成し、邊境を開拓し遠方を服從せしめ、威を取得し功を確定し、統を垂れて世を長くす」と。

“夫直繩者,枉木之所憎也;清公者,奸慝之所讎也。人主不能運玄鑑以索隱,而必須當途之所舉。然每觀前代專權之徒,率其所舉皆在乎附己者也,所薦者先乎利己者也。毀所畏而進所愛,所畏則至公者也,所愛則同私者也。至公用則奸黨破,眾私立則主威奪矣;奸黨破則升泰之所由也,主威奪則危亡之端漸矣。毀所畏則恐辭之不痛,雖刖劓之,猶未弇意焉,故必除之而後快也;彼進所愛則苦談之不美,雖位超之,猶未逞心焉,故必危彼以安此也。是故抱枉而死,無愆而黜者,有自來矣。

(抱朴子が続けて言うには、)「直の繩は、枉木の憎惡する所なり。清公は、奸慝の仇視する所なり。人主は能く玄鑑を運轉して以て隱微を求索する能わずして、而も必ず當途の人の擧薦する所を須要す。然れども每々前代の權を專にする徒を觀看すれば、大抵彼らの擧ぐる所は皆自己に依附する人に在り、彼らの薦する所は先ず自己に利有る人なり。畏懼する所を毁謗して所愛を進用するは、畏懼する所は便ち至公の人、所愛は便ち同私の人なり。至公は用いられれば則ち奸黨破れ、衆私は立住すれば則ち主の威は奪はる。奸黨破れれば則ち升泰の經由する路出現し、主威奪はれれば則ち危亡の端緒漸漸來る。畏懼する所を毁謗すれば便ち言辭の痛からざるを怕り、卽使彼を刖劓するも、還に意を滿足する能わず、ゆえに一定に彼を除掉して然後痛快す。所愛を進用すれば便ち談ずるの美ならざるを苦しみ、卽使位子彼を超過するも、還に心を逞しう能わず、ゆえに一定に彼を危害して以て此を安定す。ゆえに枉を抱きて死し、愆なくして貶黜せらるる人は、來由有るなり」と。

“所以體道合真,嶷然特立,才遠量逸,懷霜履冰,思綿天地,器兼元凱,執經衡門,淵渟嶽立。寧潔身以守滯,恥脅肩以苟合。樂飢陋巷,以勵高尚之節;藏器全真,以待天年之盡。非時不出,非禮不動。結褐嚼蔬,而不悒悒也;黃髮終否,而不悢悢也。安肯蹙太山之峻,以適鑿枘之中;斂垂天之羽,為戒旦之役編於仕類,而抑鬱庸兒之下。舍鸞鳳之林,適枳棘之藪,競腐鼠於踞鴟,而枉尺以直尋哉!

(抱朴子が続けて言うには、)「ゆえに道を體認し真に合し、嶷然として特立し、才遠く量逸れ、霜を懷き冰を踏着し、思慮は天地に綿延し、器能は元凱を兼備し、衡門に經を執りて、淵渟岳立す。寧ろ身を潔くして以て滯留を守着し、肩を聳して苟合するを恥とす。陋巷に飢えるを樂しみて、以て高尚の節を激勵し。器を藏し真を保全して、以て天年の盡くるを待つ。其の時に非ざれば便ち出去せず、禮に非ざれば便ち動かず。褐を結び蔬を嚼るも、然れども悒悒たらず。黃髮終始否塞するも、然れども悢悢たらず。怎ぞ肯じて太山の峻を蹙縮して、以て鑿枘の中に適合し、天を垂るの羽毛を收斂して、以て曉を報ずるの役使を做り、仕類に編進して、却って庸兒の下に抑郁せんや。鸞鳳の林を舍棄して、枳棘の藪に到り、踞る鴟と腐鼠を競争して、却って一尺を枉げて以て一尋の直を求めんや」と。

“且大賢之狀也至拙,其為味也甚淡,蕭然自足,泊爾無知,知之者稀而不戚,時不能用而不悶。雖並日無藜藿之糝,不以易不義之太牢也;雖縕袍無卒歲之服,不肯樂無道之狐白也。獨可散發高枕,守其所有已,絕不曲躬低眉,求其所未須也。

(抱朴子が続けて言うには、)「況んや大賢の狀貌は至爲笨拙にして、彼の爲す味道は甚だ淡く、蕭然として自足し、泊然として知無きが如く、彼を知る人は稀少にして然れども戚とせず、時は用いる能わずとも然れども悶えず。卽使兩日藜藿の糝なくとも、も亦た以て不義の太牢と換えず。卽使縕袍一年を過ぐるの衣なくとも、も肯んじて無道の狐白を以て樂と爲さず。ただ可に髮を散らし高枕して、自己已に有るを守着し、絶に身を彎曲し眉を低くして、以て自己未だ須要せざるを求めず」と。

德薄位厚,弗交也;名與實違,弗親也;榮華馳逐,弗務也;豪俠奸權,弗接也;俗說細辨,不答也;脅肩所赴,弗隨也。貌愚而志遠,面垢而行潔。確乎若嵩岱,銓衡所不能測也;浩乎若滄海,鬥斛所不能校也。峻其重仞之高,隱其百官之富。觀彼佻竊,若草莽也。邈世之操,眇焉冠秋雲之表;遺俗之神,緬焉棲九玄之端。雖窮賤,而不可脅以威;雖危苦,而不可動以利。

(抱朴子が続けて言うには、)德薄く位厚きは、結交せず。名と實は違背するは、親近せず。榮華馳逐するは、從事せず。豪俠奸權は、接觸せず。俗說細辯は、回答せず。肩を聳するの奔赴する所は、跟隨せず。貌は愚の如くして志向遠く、面に垢有りて行潔し。確然として嵩岱の如く、銓衡は測度する能わず。浩然として滄海の如く、斗斛は校核する能わず。重仞の高を加峻し、百官の富を隱藏す。あの佻竊を觀看するは、草莽の如し。邈世の操守は、眇然として秋雲の外に冠たり。流俗を遺落するの神は、緬然として九玄の端に栖む。卽使窮賤なるも、も亦た以て威を脅迫す可からず。卽使危苦なるも、も亦た以て利を打動す可からず、と。

“其所業尚,可聞而不可盡也;其所執守,可見而不可論也。故疾之者,齊聲而側目;愛之者,寡弱而無益。亦猶撮壤不能填決河,升水不能殄原火。於是鼖鼓戢雷霆之音,鼗鞞恣喋鼛之響。芳蕙芟夷,臭鮑佩御。玄鬯傾棄而不羞,醨酪專灌於圓丘。汗血驅放而垂耳,跛蹇馳騁於鑾軒。此古人之所以懷沙負石,赴流魚葬,而不堪與之同世也。已矣!悲夫!

(抱朴子が続けて言うには、)「彼の從業崇尚する所は、以て聽見す可くして然れども窮盡す可からず。彼の執守する所は、以て看見す可くして然れども論ず可からず。ゆえに彼を疾恨する人は、聲を齊し目を側く。彼を愛する人は、寡弱して然れども益處なし。も亦た一撮の土は决口の河を填める能わず、一升の水は原野の火を滅する能わざるが如し。是に大鼓は雷霆の聲を收起し、鼗鞞は喋喋の鼛響を放任す。芳蕙は芟夷せられ、臭鮑は佩戴御用せらる。玄鬯は傾棄して進獻せられず、薄酒濁酪は專ら以て圓丘を灌る。汗血は驅放せられて耳を垂れ、跛蹇は鑾軒の上に馳騁す。這即ち古人の沙を懷き石を負いて、流に赴き魚に葬られて、而も彼らと同世するに堪えざりし所以の緣故なり。已矣。悲夫」と。

“然捐玄黎於洿濘,非夜光之不真也,由莫識焉;投彤盧而不彎,非繁弱之不勁也,坐莫賞焉。故瓊瑤俟荊和而顯連城之價,烏號須逢門而著陷堅之功,飛菟待子豫而飈騰,俊民值知己而宣力。若夫美玉不出重岫,良弓不鑿百札,驥騄不服朱軒,命世不履爵勢,則孰知其能攄符彩之耀曄,頓雲禽於千仞,騁逸跡以追風,康庶績於百揆乎

(抱朴子が続けて言うには、)「然れども玄黎を污濘の裡に丟棄するは、夜光の真ならざるに非ず、是れ人の認識する無きに由る。彤盧を投下して然れども彎らざるは、繁弱の勁ならざるに非ず、是れ人の賞識する無きに因る。ゆえに瓊瑤は荆和を等待して乃ち連城の價を顯し、烏號は必ず逢門に遇うて乃ち堅を陷すの功を顯著にし、飛菟は子豫を等待して乃ち飆の如く騰し、俊民は知己に遇上して乃ち力氣を宣揚す。美玉は重岫より出來せず、良弓は百札を鑿穿せず、騏驥は朱軒に服せず、命世は爵勢に踏上せざるに至りては、則ち誰か彼の能く符彩の耀曄を舒展し、千仞に雲禽を頓住し、逸迹を馳騁して以て風を追い、百揆の上に各種の業績を安康するを知らんや」と。

夫其不遇,亦得不雜糅於瓦石,鈞賤於朽木,列鑣於下乘,等望於凡瑣哉!嗟乎!弓廣棘矢而望高手於渠廣,策疲駑而求繼軌於周穆,放斧斤而欲雙巧於班墨,忽良才而欲彝倫之攸敘,不亦難乎名實雖漏於一世,德音可邀乎將來。樂天知命,何慮何憂安時處順,何怨何憂哉!

(抱朴子が続けて言うには、)彼遇わざるも、も亦た以て瓦石と雜糅せず、朽木と均同に低賤せず、劣馬と並列に鑣せず、凡瑣と同等に聲望せざるを得ずや。嗟乎。棘矢を張りて然れども渠廣に向かって高手を指望し、疲駑を鞭策して然れども周穆の處に軌道を接續せんと求め、斧斤を放下して然れども公輸班・墨翟と巧を雙にせんと想い、良才を忽略して然れども彝倫に叙次有らんと欲するは、不亦難きか。名實は卽使一世に遺漏するも、德音は以て將來に向かって邀取す可し。天を樂しみ命を知れば、什麼の顧慮有りて什麼の憂有らん。時に安んじ順に處すれば、什麼の怨有りて什麼の憂有らんや、と。

清鑑卷第二十一

清鑑巻第二十一

抱朴子曰;鹹謂勇力絕倫者,則上將之器;洽聞治亂者,則三九之才也。然張飛關羽萬人之敵,而皆喪元辱主,授首非所;孔融邊讓文學邈俗,而並不達治務,所在敗績。鄧禹馬援田間諸生,而善於用兵;蕭何曹叄不涉經誥,而優於宰輔。爾則知人果未易也。欲試可乃已,則恐成折足覆食束;欲聽言察貌,則或似是而非,真偽混錯。然而世人甚以為易,經耳過目,謂可精盡。餘甚猜焉,未敢許也。

抱朴子曰く、皆曰く勇力絶倫の人は、即ち上將の器なり。洽博見聞し亂を治理する人は、即ち三九の才なりと。然れども張飛・關羽は萬人の敵にして、然れども皆頭顱を喪失し主上を辱没し、頭を授く可からざる處に授與せり。孔融・邊讓は文學流俗を遠離するも、然れども皆治務を通達せず、在る所の處は敗績せり。鄧禹・馬援は田間の諸生にして、然れども兵を用うるに善し。蕭何・曹參は經誥に涉獵せず(底本は「叁」に作る、「叁」は「參」の訛)、然れども宰輔に優れり。這の如く看れば人を知るは果たして容易ならず。試驗して可き才に止まらんと想えば、便ち足を折り𫗧を覆すと成らんを怕る。言を聽き貌を察せんと想えば、便ち或いは是に似て而も非、真僞混錯す。然れども世人は甚だ以て容易と爲して、耳朵を經過し眼睛を過ぐれば、便ち精盡す可しと説く。我甚だ猜疑して、敢えて許可せず、と。

區別臧否,瞻形得神,存乎其人,不可力為。自非明並日月,聽聞無音者,願加清澄,以漸進用,不可頓任。輕假利器,收還之既甚難,所損者亦已多矣。無以一事暗保其餘,同乎己者,未必可用;異於我者,未必可忽也。

臧否を區別し、形を瞻望して神を得るは、あの人に在りて、以て力を做成する可からず。若し明は日月と並列し聽見聲音無き人に非ざれば、清澄を加上して、以て漸漸進用せんことを希望す、突然委任する可からず。輕易に利器を借出すれば、收回已に甚だ難く、損する所も亦た已に多し。一事暗昧するに因りて其餘を保全することなく、自己と相同するは、未必用う可からず。我と同じからざるは、未必忽略す可からず。

或難曰:“夫在天者垂象,在地者有形,故望山度水,則高深可推;風起雲飛,則吉凶可步。智者睹木不瘁,則悟美玉之在山;覿岸不枯,則覺明珠之沈淵。彗星出,則知鱣魚之方死;日月蝕,則識騏驎之共鬥。華霍不須稱,而無限之重可知矣;江河不待量,而不測之數已定矣。鴻鵠之翼,騄騏之足,雖未飛走,輕迅可必也。豪曹之劍,徐氏匕首,雖未奮擊,其立斷無疑也。

或る人が責難して曰く、天の上に在るは象を垂下し、地の上に在るは形有り、ゆえに山を望み水を測度すれば、高深は以て推す可し。風起こり雲飛べば、吉凶は以て推步す可し。智者は樹木の瘁せざるを見れば、便ち美玉の山裡に在るを覺悟す。岸の枯せざるを見れば、便ち明珠の淵裡に沈むを發覺す。彗星出來すれば、便ち鱣魚の將に死せんを知る。日月蝕すれば、便ち騏麟の共に鬥うを認識す。華霍は稱を須要せず、無限の重は便ち以て知る可し。江河は量を等たず、測り可からざる數は已に定まりき。鴻鵠の翼・騏驥の足は、卽使未だ飛走せざるも、輕迅は以て必ず期す可し。豪曹の劍・徐氏の匕首は、卽使未だ奮擊せざるも、立刻砍斷するに疑問なし、と。

駁子有吞牛之容,鶚鷧有凌鷙之貌。卉茂者土必沃,魚大者水必廣。虎尾不附狸身,象牙不出鼠口。叔魚無饜之心,見於初生之狀;食我滅宗之徵,著乎開胞之始。申童覺竊妻之巫臣,張負知將貴之陳平。範子所以絕跡於五湖者,以句踐蜂目而鳥喙也。趙人所以息意於爭鋒者,以白起首銳而視直也。文王之接呂尚,桑陰未移,而知其足師矣。玄德之見孔明,晷景未改,而腹心已委矣。

(或る人が続けて言うには、)駁子は牛を吞むの容有り、鶚鷧は鷙を凌ぐの貌有り。卉茂る土は一定に肥沃し、魚大なる水は一定に廣し。虎尾は狸身に附着せず、象牙は鼠口より出來せず。叔魚は餍足の心なく、初生の狀の上に顯現せり。食我が宗を滅すの徵兆は、胞を開くの開始に顯著せり。申童は妻を竊る巫臣を發覺し、張負は將に貴ならんとする陳平を知れり。范蠡の五湖に跡を絶つ所以は、句踐の蜂目鳥喙に因るなり。趙人の爭鋒の上に意を止息せし所以は、白起の頭銳くして視直なるに因るなり。文王は呂尚を接待して、桑陰未だ移らざるに、便ち彼の足りて師事するを知れり。玄德は孔明を見て、日影未だ改まらざるに、腹心已に委托せり、と。

郭泰中才,猶能知人,故入潁川則友李元禮,到陳留則結符偉明,入外黃則親韓子助,至蒲亨則師仇季知,止學舍則收魏德公,觀耕者則拔茅季偉,奇孟敏於擔負,戒元艾之必敗。終如其言,一無差錯。必能簡精鈍於符表,詳舒急乎聲氣,料明暗於舉厝,察清濁於財色,觀取與於宜適,謂虛實於言行,考操業於閨閫,校始終於信效,善否之驗,不其易乎”

(或る人が続けて言うには、)郭泰はただ中才のみ、還に能く人を知る、ゆえに潁川に進入すれば便ち李元禮と朋友を做り、陳留に到れば便ち符偉明と結交し、外黃に進入すれば便ち韓子助に親近し、蒲亭に到れば便ち仇季知に師事し、學舍に停まれば便ち魏德公を收錄し、耕する者を觀看すれば便ち茅季偉を提拔し、擔負の中に孟敏を以て奇と爲し、元艾を警戒して一定に敗れんとす。終に彼の言うが如く、一點の差錯も亦た無し。一定能く符表より精鈍を簡選し、聲氣より舒緩或いは急を詳細にし、擧止より明暗を料想し、財色より清濁を察し、取與より是否適宜を觀看し、言行より虛實を評論し、閨閫より操業を考核し、信效より終始を校核し、善否の驗證は、不亦容易ならんか、と。

抱朴子答曰:“餘非謂人物了不可知,知人挺無形理也。徒以斯術存乎大明,非夫當人自許。然而世士各謂能之,是以有云,以警付任耳。夫貌望豐偉者不必賢,而形器尪瘁者不必愚,咆哮者不必勇,淳淡者不必怯。或外候同而用意異,或氣性殊而所務合。非若天地有常候,山川有定止也。

抱朴子回答して曰く、我は人物完全に知る可からず・人を知る完全に形理無しと説くに非ず。ただ這種の方法は大明に存在して、當世人の自己許可する所に非ざるに因るなり。然れども世士は各々能くこの如くと説き、ゆえに這種の説法有りて、以て付任を警戒するのみ。貌望豐偉なるは不必賢、形器尪瘁なるは不必愚、咆哮するは不必勇、淳淡なるは不必怯なり。或いは外候相同して然れども用意同じからず、或いは氣性殊異して然れども從事する所相合す。天地の經常の候有り・山川の固定の止有るが如くならず、と。

物亦故有遠而易知,近而難料,譬猶眼能察天衢,而不能周項領之間;耳能聞雷霆,而不能識蟲豈蝨之音也。唐呂樊許善於相人狀,唯知壽夭貧富官秩尊卑,而不能審情性之寬克,志行之洿隆。惟帝難之,況庸人乎!而吾子舉論形之例,詰精神之談,未修其本,殆失指矣。

(抱朴子が続けて言うには、)物も亦た本來遠くして知り易く、近くして料想し難き有り、眼睛は能く天衢を察看するも、然れども項領の間を周遍する能わざるが如し。耳朵は能く雷霆を聽見するも、然れども蟣虱の聲を識別する能わず(底本「虫豈虱」は「虫」旁の殘留)。唐擧・呂公・樊・許は人を相するの狀に善く、ただ壽夭貧富官秩尊卑を知るも、然れども情性の寬克・志行の污隆を審察する能わず。帝を連ねても亦た難しと覺う、況んや庸人をや。而も您は形を論ずるの例子を擧出して、精神の談を詰問す、根本を修治せず、大概旨意を失去せり、と。

“夫亡射之箭,皆破秋毫。然準的恆不得為工。叔向之母,申氏之子,非不一得,然不能常也。陶唐稽古而失任,姬公欽明而謬授。尼父遠得崇替於未兆,近失澹臺於形骸。延州審清濁於千載之外,而蔽奇士於咫尺之內。知人之難,如此其甚。郭泰所論,皆為此人過上聖乎但其所得者,顯而易識;其所失者,人不能紀。

(抱朴子が続けて言うには、)「亡射の箭は、皆秋毫を射破る。然れども準的恒定なるは以て工と算へる能わず。叔向の母親・申氏の兒子は、一次に非ざれば得ざるなきに非ず、然れども能く經常ならず。陶唐は古代を考核して然れども任を失し、周公は欽明して然れども錯を授けり。尼父は遠處に未だ兆を成さざるより興廢を得て、近處に形骸の上より澹臺を看失せり。延州は千載の外に清濁を審察して、然れども咫尺の內に奇士を遮蔽せり。人を知るの難は、這の如く嚴重なり。郭泰の論ずる所は、皆這些の人は上聖を超過するに因るか。ただ彼の得たる所は、淺顯にして識り易く、彼の失いたる所は、人の記載する能くするに非ず」と。

“且夫所貴,貴乎見俊才於無名之中,料逸足乎吳坂之間,掇懷珠之蚌於九淵之底,指含光之珍於積石之中。若伯喈識絕音之器於煙燼之餘,平子剔逸響之竹於未用之前。六軍之聚,市人之會,暫觀一睹,無所眩惑,探其潛生之心計,定其始終之事行,乃為獨見不傳之妙耳。若如未論(原文有脫文),必俟考其操蹈之全毀,觀其云為之好醜,此為絲線既銓衡,布帛已歷於丈尺,徐乃說其斤兩之輕重,端匹之修短,人皆能之,何煩於明哲哉!”

(抱朴子が続けて言うには、)「況んや貴重する所は、無名の中より俊才を見、吳坂の間より逸足を料想し、九淵の底より珠を懷く蚌を掇取し、積石の中より光を含む珍を指出するに貴し。伯喈の煙燼の餘より絶音の器を認識し、平子の未だ用いざるの前に逸響の竹を剔出するが如し。六軍聚集し、市人會合し、暫く觀て一眼に、眩惑する所なく、彼の潛藏して生ずるの心計を探出し、彼の終始の事行を確定するは、乃是れ獨見不傳の妙のみ。若し後面の論ずるが如く〔原文脫文有り〕、一定に彼の操蹈の全毁を考核するを等待し、彼の言爲の好醜を觀看するは、這是絲線已に銓衡を經過し、布帛已に丈尺を經過して、乃ち慢慢にそれの斤兩の輕重・端匹の長短を説くは、人人皆能くす、何必明哲を煩勞せんや」と。

行品卷第二十二

行品巻第二十二

抱朴子曰:擬玄黃之覆載,揚明並以表微;文彪日丙而備體,獨澄見以入神者,聖人也。稟高亮之純粹,抗峻標以邈俗,虛靈機以如愚,不貳過而諂黷者,賢人也。居寂寞之無為,蹈修直而執平者,道人也。盡烝嘗於存亡,保發膚以揚名者,孝人也。垂惻隱於有生,恆恕己以接物者,仁人也。端身命以徇國,經險難而一節者,忠人也。覿微理於難覺,料倚伏於將來者,明人也。量理亂以卷舒,審去就以保身者,智人也。順通塞而一情,任性命而不滯者,達人也。不枉尺以直尋,不降辱以苟合者,雅人也。據體度以動靜,每清詳而無悔者,重人也。體冰霜之粹素,不染潔於勢利者,清人也。篤始終於寒暑,雖危亡而不猜者,義人也。守一言於久要,歷衰而不渝者,信人也。摛銳藻以立言,辭炳蔚而清允者,文人也。奮果毅之壯烈,騁干戈以靜難者,武人也。甄《墳》《索》之淵奧,該前言以窮理者,儒人也。銳乃心於精義,吝寸陰以進德者,益人也。識多藏之厚亡,臨祿利而如遺者,廉人也。不改操於得失,不傾志於可欲者,貞人也。恤急難而忘勞,以憂人為己任者,篤人也。潔皎分以守終,不遜避而苟免者,節人也。飛清機之英麗,言約暢而判滯者,辯人也。每居卑而推功,雖處泰而滋恭者,謙人也。崇敦睦於九族,必居正以赴理者,順人也。臨凝結而能斷,操繩墨而無私者,幹人也。拔朱紫於中構,剖猶豫以允當者,理人也。步七曜之盈縮,推興亡之道度者,術人也。赴白刃而忘生,格兕虎於林谷者,勇人也。整威容以肅眾,仗法度而無二者,嚴人也。創機巧以濟用,總音數而並精者,藝人也。凌強御而無憚,雖險逼而不沮者,黠人也。執匪懈於夙夜,忘勞瘁於深峻者,勤人也。蒙謗讀言而晏如,不懾懼於可畏者,勁人也。聞榮譽而不歡,遭憂難而不變者,審人也。

抱朴子曰く、玄黃の覆載を比擬し、明倂を揚起して以て微細を表彰す。文采彪炳して體完備し、獨自澄見して神に進入するは、是れ聖人なり。高亮の純粹を稟受し、峻標を抗起して以て流俗を遠離し、靈機を空虛にして愚の如く、第二次同じ過錯を犯さず諂瀆せざるは、是れ賢人なり。寂寞の無爲に處し、修直を踏着して平を執守するは、是れ道人なり。存亡に烝嘗を盡くし、髮膚を保全して以て名を揚ぐるは、是れ孝人なり。惻隱を有生に垂給し、常常に己を推して以て物に接觸するは、是れ仁人なり。身命を端正して以て國に徇り、險難を經歷して節操如一なるは、是れ忠人なり。察覺し難き處に微理を看見し、將來に倚伏を料想するは、是れ明人なり。理亂を量度して以て卷舒し、去就を審察して以て自身を保全するは、是れ智人なり。通塞に順從して情意如一に、性命に聽任して然れども滯留せざるは、是れ達人なり。一尺を枉げて以て一尋の直を求めず、降辱して以て苟合せざるは、是れ雅人なり。體度に依據して以て動靜し、每々清詳して然れども悔なきは、是れ重人なり。冰霜の粹素を體認し、勢利に染潔せられざるは、是れ清人なり。寒暑の上に終始を篤厚に做して、卽使危亡なるも猜疑せざるは、是れ義人なり。長久約定の上に一句話を守着し、衰を經歷するも亦た改變せざるは、是れ信人なり。銳利の辭藻を舒展して以て言を立て、文辭炳蔚して清允なるは、是れ文人なり。果毅の壯烈を奮起し、干戈を馳騁して以て難を平定するは、是れ武人なり。《三墳》《八索》の淵奧を甄別し、前言を該備して以て理を窮盡するは、是れ儒人なり。心を精義の上に銳利に用い、寸陰を吝惜して以て德を進むるは、是れ益人なり。多藏すれば便ち厚亡するを認識し、祿利に臨みて遺棄の如くするは、是れ廉人なり。得失の上に操守を改めず、可欲の上に志向を傾覆せざるは、是れ貞人なり。急難を體恤して勞を忘掉し、人を憂えるを以て自己の任務と當てるは、是れ篤人なり。皎然の本分を潔治して以て終を守り、遜避して以て苟且免れを求めざるは、是れ節人なり。清機の英麗を飛起し、言辭簡約暢達して滯留を判決するは、是れ辯人なり。每々卑下に處して功勞を推讓し、卽使泰に處するも還に更加恭なるは、是れ謙人なり。九族の上に敦睦を推崇し、一定に正に居りて理に奔赴するは、是れ順人なり。凝結に面臨して能く決斷し、繩墨を操りて然れども私なきは、是れ幹人なり。構裡の中より朱紫を拔出し、猶豫を剖開して允當するは、是れ理人なり。七曜の盈縮を推步し、興亡の道度を推求するは、是れ術人なり。白刃に奔赴して生を忘掉し、林谷に兕虎を格殺するは、是れ勇人なり。威容を整飭して以て衆人を肅靜し、法度に依仗して然れども兩樣なきは、是れ嚴人なり。機巧を創立して以て器用を濟助し、音數を總攬して一倂精通するは、是れ藝人なり。強御に凌越して然れども忌憚なく、卽使險逼なるも亦た沮喪せざるは、是れ黠人なり。早より夜に至るまで執守懈まず、深峻の上に勞瘁を忘掉するは、是れ勤人なり。謗と瀆言を蒙受して然れども安然として、可畏の上に懾懼せざるは、是れ勁人なり。榮譽を聽見して然れども歡ばず、憂難に遭遇して然れども改變せざるは、是れ審人なり、と。

知事可而必行,不猶豫於群疑者,果人也。循繩墨以進止,不乾沒於僥倖者,謹人也。奉禮度以戰兢,及親屬而無尤者,良人也。履道素而無慾,時雖移而不變者,樸人也。凡此諸行,了無一然,而不躋善人之跡者,下人也。

事の可きを知れば便ち一定に實行し、群疑の上に猶豫せざるは、是れ果人なり。繩墨に遵循して以て進止し、僥倖求利の上に沈没せざるは、是れ謹人なり。禮度を奉守して戰戰兢兢とし、親屬に涉及して然れども尤怨なきは、是れ良人なり。道素を履行して然れども欲望なく、時は移ると雖も然れども改變せざるは、是れ朴人なり。以上這些の德行は、完全に一樣も這の如くなく、然れども善人の足迹に踏上せざるは、是れ下人なり。

門人請曰:“善人之行,既聞其目矣;惡者之事,可以戒俗者,願文垂誥焉。”

門人請求して曰く、善人の德行は、已に條目を聽聞せり。惡者の事・以て流俗を警戒す可きは、您の誥告を垂下せんを希望す、と。

抱朴子曰:“不致養於所生,損道而危身者,悖人也。懷邪偽以偷榮,豫利己而忘生者,逆人也。背仁義之正途,苟危人以自安者,兇人也。好爭奪而無厭,專醜正而害直者,惡人也。出繩墨以傷刻,心好殺而安忍者,虐人也。飾邪說以浸潤,構謗累於忠貞者,讒人也。雖言巧而行違,實履濁而假清者,佞人也。不原本於枉直,苟好勝而肆怒者,暴人也。措細善以取信,陰挾毒而無親者,奸人也。承風指以苟容,揆主意而扶非者,諂人也。言不計於反覆,好輕諾而無實者,虛人也。睹利地而忘義,棄廉恥以苟得者,貪人也。睹豔逸而心蕩,飾絝綺而思邪者,淫人也。見成事而疑惑,動失計而多悔者,暗人也。背訓典而自任,恥請問於勝己者,損人也。知善事而不逮,雖多為而無成者,劣人也。委德行而不修,奉權勢以取媚者,弊人也。履蹊徑以僥速,推貨賄以爭津者,邪人也。既傲很以無禮,好凌辱乎勝己者,悍人也。被抑枉則自誣,事無苦而振懾者,怯人也。治細辯於稠眾,非其人而盡言者,淺人也。暗事宜之可否,雖企慕而不及者,頑人也。知事非而不改,聞良規而增劇者,惑人也。無濟恤之仁心,輕告絕於親舊者,薄人也。既疾其所不逮,喜他人之有災者,妒人也。專財谷而輕義,觀困匱而不振者,吝人也。冒至危以僥倖,植禍敗而不悔者,愚人也。情局碎而偏黨,志唯務於盈利者,小人也。騁鷹犬於原獸,好博戲而無已者,迷人也。忘等威之異數,快飾玩之夸麗者,奢人也。耽聲色於飲宴,廢慶弔於人理者,荒人也。既無心於修尚,又怠惰於家業者,懶人也。無抑斷之威儀,每脫易而不思者,輕人也。觀道義而如醉,聞貨殖而波擾者,穢人也。杖淺短而多謬,暗趨舍之臧否者,笨人也。憎賢者而不貴,聞高言而如聾者,囂人也。睹朱紫而不分,雖提耳而不悟者,蔽人也。

抱朴子曰く、生む所の人の身上に奉養を盡くさず、道を損傷して自身を危害するは、是れ悖人なり。邪僞を懷きて以て榮を偷取し、豫先に自己に利有りて生を忘掉するは、是れ逆人なり。仁義の正途を背離し、苟且別人を危害して以て自己を安定するは、是れ凶人なり。爭奪を喜歡して然れども餍足なく、專門に正を醜化して直を傷害するは、是れ惡人なり。繩墨を越出して以て苛刻を傷害し、心裡殺を喜歡して殘忍に安んずるは、是れ虐人なり。邪說を文飾浸潤し、謗累を忠貞の身上に構成するは、是れ讒人なり。話は巧なると雖も行は却って違背し、實際濁を踏着して然れども清を假借するは、是れ佞人なり。枉直の根本を推原せず、苟且好勝して放肆發怒するは、是れ暴人なり。細善を安排して以て信を取り、暗中毒を挾みて然れども親なきは、是れ奸人なり。風旨を承受して以て苟且容を取り、主上の意を揆度して以て非を扶持するは、是れ諂人なり。說話は算えず反覆し、輕易許諾を喜歡して然れども實なきは、是れ虛人なり。利有るの地を見れば便ち義を忘掉し、廉恥を抛棄して以て苟且得を求むるは、是れ貪人なり。艷逸を見れば心裡便ち蕩み、絝綺を文飾して邪を思念するは、是れ淫人なり。成事を見て然れども疑惑し、一動すれば便ち計を失して悔多きは、是れ暗人なり。訓典に背離して自己放任し、自己に勝過する人に請問するを恥とするは、是れ損人なり。善事を知るも然れども趕及ばず、卽使做る多くとも然れども成就なきは、是れ劣人なり。德行を委棄して然れども修せず、權勢に奉事して以て媚を取るは、是れ弊人なり。小路を踏着して以て僥倖速を求め、貨賄を推送して以て津渡を爭奪するは、是れ邪人なり。既に傲很して然れども禮なく、自己に勝過する人を凌辱するを喜歡するは、是れ悍人なり。壓抑冤枉せられれば便ち自己を誣陷し、事情苦なく然れども震懾するは、是れ怯人なり。稠衆の中に細辯を治理し、あの種の人に非ずして然れども話を説盡するは、是れ淺人なり。事宜の可否に暗昧して、卽使企慕するも亦た趕及ばざるは、是れ頑人なり。事の非を知るも然れども改めず、良規を聽見するも然れども更加劇烈なるは、是れ惑人なり。濟恤の仁心なく、輕易に親舊に向かって絶交を宣告するは、是れ薄人なり。既に自己の趕及ばざるを疾恨し、又別人に災有るを喜歡するは、是れ妒人なり。財穀を專有して然れども義を看輕し、困匱を看見して然れども賑濟せざるは、是れ吝人なり。至危を冒して以て僥倖し、禍敗を種下して然れども悔なきは、是れ愚人なり。情意局碎して偏黨し、志向ただ盈利に從事するは、是れ小人なり。原野の獸の上に鷹犬を馳騁し、博戲を喜歡して然れども停止なきは、是れ迷人なり。等威の同じからざる度數を忘掉し、飾玩の夸麗に快意するは、是れ奢人なり。飮宴の上に聲色に沈溺し、人理の上に慶弔を廢棄するは、是れ荒人なり。既に修尚するの心なく、又家業に怠惰するは、是れ懶人なり。抑斷の威儀なく、每々脫略輕易して然れども思索せざるは、是れ輕人なり。道義を觀看すること醉の如く、貨殖を聽見すれば便ち波擾するは、是れ穢人なり。淺短を拄きて然れども謬誤多く、趨舍の好壞に暗昧するは、是れ笨人なり。賢者を憎惡して然れども貴ばず、高言を聽見すること聾の如くするは、是れ囂人なり。朱紫を看見して然れども分かたず、卽使耳朵を提着するも亦た覺悟せざるは、是れ蔽人なり、と。

違道義以趑趄,冒禮刑而罔顧者,亂人也。每動作而受嗤,言發口而違理者,拙人也。事酋豪如僕虜,值衰微而背惠者,慝人也。捐貧賤之故舊,輕人士而踞傲者,驕人也。棄衰色而廣欲,非宦學而遠遊者,蕩人也。無忠信之純固,背恩養而趨利者,叛人也。當交顏而面從,至析離而背毀者,偽人也。習強梁而專己,距忠告而不納者,刺人也。”

道義に違背して然れども趑趄し、禮刑に冒犯して然れども顧みざるは、是れ亂人なり。每々動作すれば便ち嗤笑せられ、話口より發出すれば便ち理に違背するは、是れ拙人なり。酋豪に事奉すること僕虜の如く、衰微に碰上れば便ち恩惠を背棄するは、是れ慝人なり。貧賤の故舊を捐棄し、人士を看輕して踞傲するは、是れ驕人なり。衰色を抛棄して慾望を擴大し、宦學の爲に非ずして然れども遠游するは、是れ蕩人なり。忠信の純固なく、恩養を背棄して利に趨向するは、是れ叛人なり。交顏に當れば便ち面に順從し、分離に到れば便ち背後に毁謗するは、是れ僞人なり。強梁に習慣して己を專にし、忠告を拒絶して然れども接納せざるは、是れ刺人なり。

抱朴子曰:人技未易知,真偽或相似。士有顏貌修麗,風表閒雅,望之溢目,接之適意,威儀如龍虎,盤旋成規矩。然心蔽神否,才無所堪,心中所有,盡附皮膚。口不能吐片奇,筆不能屬半句;入不能宰民,出不能用兵;治事則事廢,銜命則命辱。動靜無宜,出處莫可。蓋難分之一也。

抱朴子曰く、人の技藝は知り易からず、真僞或いは相像す。士に顏貌修麗にして、風表閑雅にして、望むや眼睛に充滿し、接觸するや意に適い、威儀は龍虎の如く、盤旋して規矩と成る者有り。然れども心は蔽はれ神は否塞し、才能は擔當する所なく、心裡の有る所は、全部皮膚に附着す。口は半片の奇を吐出する能わず、筆は半句を連屬する能わず。入朝すれば民を主宰する能わず、外出すれば兵を用うる能わず。事情を治理すれば則ち事情廢し、命令を銜えば則ち命令辱を受く。動靜適宜なく、出處可なし。這是分辨し難き第一種なり、と。

士有貌望樸悴,容觀矬陋,聲氣雌弱,進止質澀。然而含英懷寶,經明行高,幹過元凱,文蔚春林。官則庶績康用,武則克全獨勝。蓋難分之二也。

士に貌望朴悴にして、容觀矮陋にして、聲氣雌弱にして、進止質澀なる者有り。然れども英を包含し寶を懷き、經明く行高く、才干は元凱を超過し、文采は春林より蔚なり。官を做れば則ち各種の業績安康に用いられ、武を用いれば則ち能く獨自勝を保全す。這是分辨し難き第二種なり。

士有謀猷淵邃,術略入神,智周成敗,思洞幽玄,才兼能事,神器無宜;而口不傳心,筆不盡意,造次之接,不異凡庸。蓋難分之三也。

士に謀猷淵邃にして、術略神に入り、智は成敗に周遍し、思慮は幽玄を洞穿し、才能は能事を兼備し、神器宜しからざるなき者有り。然れども口は心を傳達せず、筆は意を盡到せず、倉卒の接觸は、凡庸と分別なし。這是分辨し難き第三種なり。

士有機變清銳,巧言綺粲,攬引譬喻,淵湧風厲;然而口之所談,身不能行;長於識古,短於理今,為政政亂,牧民民怨。蓋難分之四也。

士に機變清銳にして、巧言綺粲として、譬喻を攬引して、淵涌の如く風厲の如くする者有り。然れども口の談ずる所は、自身は實行する能わず。古を認識するに長く、今を治理するに短し。政を爲すれば則ち政亂れ、民を牧すれば則ち民怨んず。這是分辨し難き第四種なり。

士有外形足恭,容虔言恪,而神疏心慢,中懷散放,受任不憂,居局不治,蓋難分之五也。

士に外形足りて恭敬し、容貌虔・言語恪として、而も神疏く心慢く、中懷散放し、任命を接受して憂慮せず、居守局守して治理せざる者有り。這是分辨し難き第五種なり。

士有控弦命中,空拳入白,倒乘立騎,五兵畢習;而體輕慮淺,手剿心怯,虛試無對,而實用無驗。望塵奔北,聞敵失魄。蓋難分之六也。

士に弦を控えて命中し、拳を空しくして白刃に進入し、倒して乘り立ちて騎し、五兵全部習熟する者有り。而も身體輕く思慮淺く、手快く心怯え、空虛試驗對手なく、實際使用すれば則ち效驗なし。塵土を望見すれば便ち奔逃敗北し、敵を聽見すれば便ち魂魄を失掉す。這是分辨し難き第六種なり。

士有梗概簡緩,言希貌樸,細行闕漏,不為小勇,口止局口止脊拘檢,犯而不校,握爪垂翅,名為弱願。然而膽勁心方,不畏強禦,義正所在,視死猶歸,支解寸斷,不易所守。蓋難分之七也。

士に梗概簡緩にして、話稀く貌朴く、細行缺漏し、小勇を做さず、〔底本「口止局口止脊」文字訛脫〕拘檢せず、冒犯せられて然れども計較せず、爪子を握住し翅膀を垂下し、名は弱願と曰う者有り。然れども膽勁く心方く、強御を畏懼せず、義正の在る所は、死を以て歸と看なし、肢體分解寸斷せらるるも、も亦た守る所を改めず。這是分辨し難き第七種なり。

士有孝友溫淑,恂恂平雅,履信思順,非禮不蹈,安困潔志,操清冰霜;而疏遲迂闊,不達事要,見機不作,所為無成,居己梁倡,受任不舉。蓋難分之八也。

士に孝友溫淑にして、恂恂平雅にして、誠信を履行し和順を思念し、禮に非ざれば便ち踏まず、困に安んじ志を潔治し、操守清くすること冰霜の如くする者有り。而も疏遲迂闊にして、事要を通達せず、機宜を看見して然れども動作せず、做する所成就なく、自己に對待するに踉蹌し、任命を接受して然れども辦起せず。這是分辨し難き第八種なり。

士有行己高簡,風格峻峭,嘯傲偃蹇,凌儕慢俗,不肅檢括,不護小失,適情率意,旁若無人,朋黨排譴,談者同敗,士友不附,品藻所遺。而立朝正色,知無不為,忠於奉上,明以攝下。蓋難分之九也。

士に自己に對待するに高簡にして、風格峻峭にして、嘯傲偃蹇として、儕類に凌越し流俗を怠慢し、檢括を嚴肅にせず、小失を護りせず、情に適い意に率い、旁に人無きが如く、朋黨排譴し、談論する人一同敗壞し、士友親附せず、品藻の遺漏する所なる者有り。然れども立朝正色して、知るや爲さざるなく、上に奉るに忠く、明を以て下を統攝す。這是分辨し難き第九種なり。

士有含弘曠濟,虛己受物,藏疾匿瑕,溫恭廉潔,勞謙沖退,救危全信,寄命不疑,託孤可保;而純良暗權,仁而不斷,善不能賞,惡不忍罰,忠貞有餘,而幹用不足,操柯猶豫,廢法效非,枉直混錯,終於負敗。蓋難分之十也。

士に含弘曠濟にして、自己を空虛にして以て物を接受し、疾を藏し瑕を匿し、溫恭廉潔にして、勞謙沖退し、危を救い信を保全し、性命を寄托して懷疑せず、孤を托す可くして保全す可き者有り。而も純良にして然れども權に暗昧し、仁にして然れども果斷せず、善は賞する能わず、惡は罰するに忍びず、忠貞餘裕有りて、而も才干器用不足し、斧柯を操りて猶豫し、法を廢棄して非を效法し、枉直混錯して、終に負敗す。這是分辨し難き第十種なり。

夫物有似而實非,若然而不然。料之無惑,望形得神,聖者其將病諸,況乎常人故用才取士,推暱結友,不可以不精擇,不可以不詳試也。若乃性行之惑變,始正而終邪,若王莽初則美於伊霍,晚則劇於趙高,又非中才所能逆盡也。

物に相像して然れども實に是れに非ざる有り、這の如くして然れども這の如くならず。それを料想して惑なきは、形を望みて神を得るは、聖人も亦た將に此を以て病と爲す、況んや常人をや。ゆえに才を以て士を取り、親近を推擧し朋友を結交するは、精選せざる可からず、詳細試驗せざる可からず。性行の惑變・始正して終邪するに至りては、王莽の起初は伊尹・霍光より美しく、晚了は趙高より劇烈なるが如く、又中才の豫先窮盡する能くする所に非ず。

若令士之易別,如鷦鷯之與鴻鵠,狐兔之與龍麟者,則四凶不得官於堯朝,管蔡不得幾危宗周,仲尼無澹臺之失,延陵無捐金之恨,伊尹無七十之勞,項羽無嫌範之悔矣。所患於其如石武石夫之亂瑾瑜,鷦螟之似鳳皇,凝冰之類水精,煙燻之疑雲氣,故令不謬者鮮也。惟帝難之,矧乎近人哉!

若し士をして分別し易からしめば、鷦鷯と鴻鵠・狐兔と龍麟の如く、則ち四凶は堯朝に官を做る能わず、管蔡は幾乎宗周を危害する能わず、仲尼は澹臺の過失なく、延陵は金を捐るの恨なく、伊尹は七十次の勞苦なく、項羽は范增を嫌うの悔なからん。患う所は碔砆の瑾瑜を擾亂するに在り(底本「石武石夫」は當に「碔砆」と爲す)、鷦螟は鳳皇の如く、凝冰は水精に類似し、煙薰は雲氣と疑はれ、ゆえに謬誤せざる人をして少なからしむ。帝を連ねても亦た難しと覺う、況んや近人をや。

夫惟大明,玄鑑幽微,靈銓揣物,思灼沈昧,瞻山識璞,臨川知珠。士於難分之中,而無取捨之恨者,使臧否區分,抑揚鹹允。武丁姬文不獨治,而傅說呂尚不永棄,高莽宰嚭不得成其惡,弘恭石顯無所容其偽矣。其蓋取士之較略,選擇之大都耳。精微以求,存乎其人,固非毫翰之所備縷也。

ただ大明のみ、玄鑑幽微にして、靈銓物を揣度し、思慮沈昧を灼照し、山を瞻望して璞を認識し、川に面臨して珠を知る。士は分辨し難きの中に在りて、而も取舍の恨なき人は、臧否を區分せしめ、抑揚皆允當ならしむ。武丁・姬文は獨自治理せず、傅説・呂尚は永遠に抛棄せられず、王莽・宰嚭は彼らの惡を成就する能わず、弘恭・石顯は彼らの僞を容納する處なからん。這大概是れ士を取るの較略・選擇の大要のみ。精微に求むるは、あの人に在りて、本來毫翰の完備縷述する能くする所に非ず。

弭訟卷第二十三

弭訟巻第二十三

姑子劉君士由之論曰:“人綱始於夫婦,判合擬乎二儀。是故大婚之禮,古人所重,將合二姓之好,以承祖宗之基。主人拜迎於門,聽命於廟,玄纁贄幣,親御授綏,婿有三年之喪,致命女氏,女氏許諾而不敢改。大喪既沒,請命於婿,婿有辭焉,然後乃嫁。所以崇敬讓也。豈有先訟後婿之謂乎

姑子劉君士由の議論曰く、人の綱紀は夫婦に開始し、判合は二儀に比擬す。ゆえに大婚の禮は、古人の看重する所にして、將に二姓の好を合成して、以て祖宗の基業を承繼せんとす。主人は門前に拜迎し、廟裡に命を聽き、玄纁贄幣して、親自駕車して綏を授給し、婿は三年の喪有れば、女氏に致命し、女氏は許諾して然れども敢えて改めず。大喪已に結束すれば、婿に命を請い、婿は辭有りて、然後乃ち嫁す。ゆえに敬讓を推崇す。何處に先に訴訟して後に婿を成すの説法有らんや、と。

而末世輕慢,傷化敗俗,舉不修義,許而弗與,訟鬩穢辱,煩塞官曹。今可使諸爭婚者,未及同牢,皆聽義絕,而倍還酒禮,歸其幣帛。其嘗已再離者,一倍裨娉。其三絕者,再倍裨娉。如此,離者不生訟心,貪吝者無利重受,乃王治要術,不易之永法也。”

(劉君が続けて言うには、)然れども末世輕慢にして、教化を傷害し風俗を敗壞し、擧動は義を修めず、許して然れども給與せず、訟鬩穢辱して、官曹を煩擾堵塞す。如今可に諸位婚を爭する人をして、未だ同牢に到らざれば、皆義絶を聽任して、而も酒禮を加倍歸還し、彼らの幣帛を歸還せしめん。あの曾て已に兩次離れたるは、一倍聘禮を補助す。三次絶れたるは、再び倍して聘禮を補助す。這の如くなれば、離れる人は訴訟の心を生出せず、貪吝の人は重受するの利なく、這乃ち王治の要術・改易す可からざる永久法なり、と。

抱朴子答曰:“劉君憫德讓之凌替,疾民爭之損化,雖速我訟,室家不足,用和之貴,將遂淪胥。創讜言以拾世遺,建嘉謀以拯流遁,紛譁之俗,將以此而易,無恥之風,將由此而移。彌綸情偽,固難間矣。誠經國之永法,至益之篤論也。

抱朴子回答して曰く、劉君は德讓の陵夷廢替を憫傷し、民爭の教化を損傷するを疾恨し、卽使我をして迅速に訴訟に陷入せしむるとも、室家は還に足らず、和を用うるの可貴は、將に是に淪胥せんとす。正直の話を創立して以て當世の遺漏を拾取し、嘉謀を建立して以て流遁を拯救し、紛嘩の風俗は、將に此に因りて改易せんとし、無恥の風は、將に此に由りて移せんとす。情僞を彌綸するは、本來離間し難し。實に國家を經營するの永久法・至益の篤論なり、と。

洪以不敏,不識至理,造次承問,竊有疑焉。夫婚媾之結,義無逼迫,彼則簡擇而求,此則可意乃許,輕諾後悔,罪在女氏,食言棄信,與奪任情,嚴防峻制,未之能弭。今猥恣之,唯責裨娉倍貧者所憚也,豐於財者,則適其願矣。後所許者,或能富殖,助其裨娉,必所甘心。然則先家拱默,不得有言,原情論之,能無怨嘆乎

(抱朴子が続けて言うには、)我洪は不敏を以て、至理を認識せず、倉卒詢問を承受し、私下疑惑有り。婚媾の結は、義逼迫なく、彼は則ち簡選して求め、此は則ち意に合して乃ち許す、輕易許諾して後悔するは、罪は女氏に在り、言を食して信を棄て、給與或いは剝奪は情に聽任し、嚴防峻制するも、還に能く止息せず。如今隨便放任して、ただ聘禮を補助するを加倍せしむるを責求するは、是れ貧者の怕れる所にして、財豐の人は、便ち正好其の願望に適合せり。後來許す所の人は、或いは能く富殖して、彼を幇助して聘禮を補助せしめ、一定に甘心する所なり。則ち先頭あの家は拱手沉默して、話有る能わず、情を推原して論ずれば、能く怨歎なからんか、と。

夫不伏之人,視死猶歸,血刃之禍,於是將起。今苟惜其辭訟之小丑,而構其難忍之大恨,所謂愛其僦覽之煩,忘其凋殞之酷也。夫買物於市者,或加價而奪之,則鮮忍而不忿然矣,況乎見奪待告之妻哉!此法遂用者,將使結婚者,雖納敬親迎,猶抱有見奪之慮。何者劉君之論,以同牢為斷,固也。

(抱朴子が続けて言うには、)伏せざる人は、死を以て歸と看なし、血刃の禍は、將に此より興起せん。如今苟且に辭訟のあの如き小醜を愛惜して、却って忍び難きの大恨を構成す、所謂彼の賃覽の煩を愛し、彼の凋殞の酷を忘掉するなり。市上に物を買う人は、或いは價を加えて奪走すれば、便ち少なく能く忍住して忿然せざる、況んや待ち迎娶する妻の奪はるるを看見するをや。這個の法若し用いられれば、將に結婚する人をして、卽使敬を納れ親迎するも、還に將に奪はれんの憂慮を抱かしめん。何を爲すか。劉君の論は、同牢を以て斷と爲す、本來便是れこの如し、と。

爾則女氏雖受幣積年,恆挾在意之威,恃可數奪,必惰於擇婿,婿小不得意,便得改悔,結讎帶禍,莫此之甚矣。曩人畫法,慮關終始,杜漸防萌,思之良精,而不關恣奪之路,斷以報板之制者,殆有決乎

(抱朴子が続けて言うには、)然らば則ち女氏は卽使幣を受けて年を積むとも、常常に隨意の威を挾み、屢次奪う可きを依恃して、一定に婿を擇ぶに怠惰し、婿稍稍意を得ざれば、便ち能く改悔し、仇を結び禍を帶ぶるは、這個より更甚なるなし。往昔の人は法を畫するに、關涉終始を顧慮し、漸を杜じ萌を防ぎ、想い得る實に精しく、然れども放任爭奪の路を打開せず、報板の制度を以て決斷するは、大概是れ決斷有るか、と。

儻令女有國色,傾城絕倫,而值豪右權臣之徒,目玩冶容,心忘禮度,資累千金,情無所吝。十倍還娉,猶所不憚,況但一乎華氏不難於殺孔父而取其妻,楚人為子迎婦,以其美而自納之。以此論之,豈惜傾竭居產以助女氏還前家之直哉!小人輕薄,睚眥成怨,又喜委衰逐盛,蹋冷趨熱,此法之行,則必多奪貧賤而與富貴者矣。不審吾君,何方以防弊乎!

(抱朴子が続けて言うには、)倘若女子をして國色有りて、傾城絶倫にして、然れども豪右權臣の一類人に碰上りて、眼睛は冶容を玩賞し、心裡は禮度を忘掉し、資財千金を累積し、情は吝嗇する所なからしめば。十倍聘禮を歸還するも、なお怕れる所なし、況んやただ一倍のみをや。華氏は孔父を殺死して其の妻を奪取するに難しとせず、楚人は子に婦を迎えて、其の美なるに因りて自ら納れり。此より説けば、豈に家産を傾竭して以て女氏を幇助し前一の家の價錢を歸還するを吝惜せんや。小人輕薄にして、睚眦すれば便ち怨を結成し、又衰を委棄し盛を追逐するを喜歡し、冷を踏着し熱に趨向し、這個の法一實行すれば、便ち一定に多半貧賤を奪取して富貴に給與する人ならん。您の什麼の方法を以て弊を防止するを知らずや、と。

或曰:可使女氏受娉無豐約,皆以即日報板,後皆使時人署姓名於別板,必十人已上,必備遠行及死亡。又令女之父兄若伯叔,答婿家書,必手書一紙,若有變悔而證據明者,女氏父母兄弟,皆加刑罪。如此,庶於無訟者乎!

或る人曰く、可に女氏をして聘を受くるに豊約を論ぜず、皆當日に板を報せしめ、後來皆當時の人をして別の板の上に姓名を署せしめ、一定に十人以上として、必ず遠行及び死亡を防備せしめん。又女の父兄或いは伯叔をして、婿家の書に答覆せしめ、一定に親手一紙を寫せしめ、若し變悔有りて證據明白なる有らば、女氏父母兄弟は、皆刑罪を加えん。這の如くなれば、差不多可に訴訟の人なからしめんか、と。

酒誡卷第二十四

酒誡巻第二十四

抱朴子曰:目之所好,不可從也;耳之所樂,不可順也;鼻之所喜,不可任也;口之所嗜,不可隨也;心之所欲,不可恣也。故惑目者,必逸容鮮藻也;惑耳者,必妍音淫聲也;惑鼻者,必草臣蕙芬也;惑口者,必珍羞嘉旨也;惑心者,必勢利功名也。五者畢惑,則或承之禍為身患者,不亦信哉!

抱朴子曰く、眼睛の喜好する所は、以て聽從す可からず。耳朵の快樂する所は、以て順從す可からず。鼻子の喜悅する所は、以て放任す可からず。口の嗜好する所は、以て跟隨す可からず。心の欲する所は、以て放恣す可からず。ゆえに眼睛を迷惑するは、一定に是れ逸容鮮藻なり。耳朵を迷惑するは、一定に是れ妍音淫聲なり。鼻子を迷惑するは、一定に是れ香蕙の芬芳なり(底本は「草臣蕙」と作る、當に香草の名と爲す)。口を迷惑するは、一定に是れ珍羞嘉旨なり。心を迷惑するは、一定に是れ勢利功名なり。五者全部迷惑せられれば、則ち或いは接いで禍を承受して自身の患と成る、不も亦た實然ならんか、と。

是以智者嚴檃括於性理,不肆神以逐物,檢之以恬愉,增之以長算。其抑情也,劇乎堤防之備決;其御性也,過乎腐轡之乘奔。故能內保永年,外免釁累也。蓋飢寒難堪者也,而清節者不納不義之谷帛焉;困賤難居者也,而高尚者不處危亂之榮貴焉。蓋計得則能忍之心全矣,道勝則害性之事棄矣。

ゆえに智者は性理の上に檃括を加嚴し、精神を放肆して物を追逐せしめず、恬愉を以て檢束し、長遠の算を以て增加す。彼の情を抑制するは、堤防の决口を防備するより劇烈なり。彼の性を駕馭するは、腐轡を以て奔に乘るに超過す。ゆえに能く內に永年を保全し、外に釁累を免る。飢寒は擔當し難きなれども、而も清節の人は不義の穀帛を接納せず。困賤は居り難きなれども、而も高尚の人は危亂の榮貴に處せず。大概計は當を得れば則ち忍の心は便ち保全せられ、道勝れば則ち性を害するの事は便ち抛棄せらる、と。

夫酒醴之近味,生病之毒物,無毫分之細益,有丘山之巨損,君子以之敗德,小人以之速罪,耽之惑之,鮮不及禍。世之士人,亦知其然,既莫能絕,又不肯節,縱心口之近欲,輕召災之根源,似熱渴之恣冷,雖適己而身危也。小大亂喪,亦罔非酒。

酒醴は近前の味道にして、病を生ずるの毒物にして、毫分の細益なく、丘山の巨大損有り、君子はそれに因りて德を敗り、小人はそれに因りて罪を加速し、それに沈溺しそれに迷惑せられて、禍に達せざる少なし。世上の士人も、も亦たこの如くを知るも、既に能く斷絶せず、又不肯じて節制せず、心口近前の慾望を放縱し、災を召するの根源を看輕し、熱渴の時に冷に放恣するが如く、卽使自己に適うとも然れども身子危し。小大の亂喪も、も亦た酒に非ざるなきなり。

然而俗人是酣是湎,其初筵也,抑抑濟濟,言希容整,詠《湛露》之“厭厭”,歌“在鎬”之“愷樂”,舉“萬壽”之觴,育“溫克”之義。日未移晷,體輕耳熱。夫琉璃海螺之器並用,滿酌罰餘之令遂急。醉而不止,拔轄投井。

然れども俗人はただ酣のみただ湎のみ、剛く筵を開くの時は、抑抑濟濟として、話稀く容貌整齊にして、《湛露》の「厭厭」を詠じ、「在鎬」の「愷樂」を唱え、「萬壽」の觴を擧起し、「溫克」の義を養う。日影未だ移らざるに、身體輕く耳朵熱し。琉璃海螺の器は一倂使用し、滿酌・罰餘の令は是に急なり。醉て然れども止まず、車轄を拔掉して井裡に投進す。

於是口湧鼻溢,濡首及亂。屢舞躚躚,舍其坐遷;載號載呶,如沸如羹。或爭辭尚勝,或啞啞獨笑,或無對而談,或嘔吐几筵,或值厥足良倡,或冠脫帶解。

是に口涌き鼻溢れて、頭を沾濕して亂に至る。屢次舞うこと跹跹として、座位を舍棄して遷走す。一邊號し一邊呶して、沸の如く羹の如し。或いは言辭を爭いて勝を崇尚し、或いは啞啞として獨自笑い、或いは對象なくして然れども談じ、或いは几筵の上に嘔吐し、或いは正好厥足踉蹌し、或いは冠脫落し帶解開す。

貞良者流華督之顧眄,怯懦者效慶忌之蕃捷,遲重者蓬轉而波擾,整肅者鹿踴而魚躍。口訥於寒暑者,皆搖掌而譜聲,謙卑而不競者,悉裨瞻以高交。廉恥之儀毀,而荒錯之疾發;闒茸之性露,而傲佷之態出。

貞良の人は華督のあの如き顧盼を流出し、怯懦の人は慶忌の蕃捷を效法し、遲重の人は蓬轉の如く波擾の如く、整肅の人は鹿踊の如く魚躍の如し。口は寒暑の上に木訥する人は、皆掌を搖い譜して聲音を出し、謙卑して然れども競争せざる人は、全都膽量を增加して高交に往く。廉恥の儀は毁され、荒錯の疾病は發作し。闒茸の性は顯露し、傲很の態は出來す。

精濁神亂,臧否顛倒。或奔車走馬,赴坑谷而不憚,以九折之阪為蟲豈封;或登危蹋頹,雖墮墜而不覺,以呂梁之淵為牛跡也。或肆仇於器物,或酗醟於妻子;加枉酷於臣僕,用剡鋒乎六畜;熾火烈於室廬,掊寶玩於淵流;遷威怒於路人,加暴害於士友。褻嚴主以夷戮者,有矣;犯兇人而受困者,有矣。

精濁り神亂れて、臧否顛倒す。或いは車を奔らせ馬を走らせて、坑谷に赴向して然れども怕れず、九折の阪を以て蟻封と當てす(底本「虫豈封」は「虫」旁の殘留)。或いは危に登り頹を踏着して、卽使墮墜するも亦た覺えず、呂梁の淵を以て牛蹄印と當てす。或いは器物の上に仇を放肆し、或いは妻子に對して酗蒏す。枉酷を臣僕に加え、鋒刃を六畜の上に用い。室廬に熾火を點燃し、寶玩を淵流に掊進す。威怒を路人に遷し、暴害を士友に加え。嚴主を褻慢して夷戮せらるるは、之れ有り。凶人に觸犯して困を受くるは、之れ有り。

言雖尚辭,煩而叛理;拜伏徒多,勞悲非敬。臣子失禮於君親之前,幼賤悖慢於耆宿之坐。謂清談為詆詈,以忠告為侵己。於是白刃抽而忘思難之慮,棒杖奮而罔顧乎前後。構漉血之讎,招大辟之禍。

話は文辭を崇尚するも、煩瑣して然れども理に背叛す。拜伏徒然に多く、勞苦悲傷して然れども敬に非ず。臣子は君親の前に禮を失い、幼賤は耆宿の座席の上に悖慢す。清談を以て詛詈と稱し、忠告を以て自己を侵犯すると當てす。是に白刃抽出して然れども難を思うの顧慮を忘掉し、棒杖奮起して然れども前後を顧みず。漉血の仇を構成し、大辟の禍を招來す。

以少凌長,則鄉黨加重責矣;辱人父兄,則子弟將推刃矣;發人所諱,則壯士不能堪矣;計數深克,則醒者不能恕矣。起眾患於須臾,結百疒阿於膏肓。奔駟不能追既往之悔,思改而無自反之蹊。蓋智者所深防,而愚人所不免也。其為禍敗,不可勝載。

少を以て長を凌駕すれば、則ち鄉黨は責を加重せん。別人の父兄を侮辱すれば、則ち子弟は將に刃を推せん。人の忌諱する所を揭發すれば、則ち壯士は堪える能わず。計數深くして刻薄なれば、則ち醒たる人は寬恕する能わず。須臾に衆患を興起し、膏肓に百病を結下す(底本「疒阿」は當に「疴」と爲す)。奔馳の駟馬は既往の悔を追回する能わず、改めんと想うも然れども自己返回するの蹊徑なし。這是智者の深深防備する所にして、而も愚人の免れざる所なり。それの造成する禍敗は、記載完き能わず。

然而歡集,莫之或釋,舉白盈耳,不論於能否。計瀝雨留於小余,以稽遲為輕己。傾匡注於所敬,殷勤變而成薄。勸之不持,督之不盡,怨色醜音所由而發也。

然れども歡集するは、放下する者或いはなし、白を擧ぐるの聲音は耳朵に充滿し、能否を論ぜず。瀝下の酒を計算して小餘に留め、稽遲を以て自己を看輕するを當てす。匡を傾けて以て敬する所の人に注給し、殷勤は薄と變成す。彼を勸むるも然れども持せず、彼を督促するも然れども盡くさず、怨色醜音は此より發出す。

夫風經府藏,使人惚怳,及其劇者,自傷自虞。或遇斯疾,莫不憂懼,吞苦忍痛,欲其速愈。至於醉之病性,何異於茲。而獨居密以逃風,不能割情以節酒。若畏酒如畏風,憎醉如憎病,則荒沈之咎塞,而流連之失止矣。夫風之為疾,猶展攻治,酒之為變,在乎呼吸。及其悶亂,若存若亡,視泰山如彈丸,見滄海如盤盂,仰嚾天墮,俯呼地陷,臥待虎狼,投井赴火,而不謂惡也。夫用身之如此,亦安能惜敬恭之禮,護喜怒之失哉!

(抱朴子が続けて言うには、)風は府藏を經過して、人をして惚怳せしめ、劇烈の時に等到れば、自己を傷害し自己を憂虞す。或いは這種の病に遇上すれば、憂懼せざるなし、苦を吞み痛を忍んで、それの迅速全癒せんを欲す。醉が性を損壞するに至りては、這個と什麼の分別有らん。然れどもただ密居して以て風を逃避し、情を割舍して以て酒を節制する能わず。若し酒を怕ること風を怕るが如く、醉を憎惡すること病を憎惡するが如くせば、荒沈の咎は便ち堵塞せられ、流連の過失は便ち停止せん。風は疾病と爲して、還に攻治を施展す可く、酒は變亂と爲して、ただ呼吸の間に在り。悶亂に等到れば、在るが如く在らざるが如く、泰山を看れば彈丸の如く、滄海を看見れば盤盂の如く、頭を仰ぎて呼叫して天は將に墮せんとし、頭を低くして呼叫して地は將に陷せんとし、臥して虎狼を等待し、井に投じ火に赴くも、然れども這是惡と説かず。這の如く身子を使用すれば、又怎ぞ能く敬恭の禮を愛惜し、喜怒の過失を護住せんや、と。

昔儀狄既疏,大禹以興。糟丘酒池,辛癸以亡。豐侯得罪,以戴尊銜懷。景升荒壞,以三雅之爵。劉松爛腸,以逃暑之飲。郭珍發狂,以無日不醉。信陵之兇短,襄子之亂政,趙武之失眾,子反之誅戮,漢惠之伐命,灌夫之滅族,陳遵之遇害,季布之疏斥,子建之免退,徐邈之禁言,皆是物也。世人好之樂之者甚多,而戒之畏之者至少,彼眾我寡,良箴安施且願君節之而已。

(抱朴子が続けて言うには、)從前儀狄は疏遠せられ、大禹は此に因りて興起せり。糟丘酒池は、辛癸此に因りて滅亡せり。豐侯は罪を得たり、酒尊を戴着し酒杯を銜えたるに因る。劉表は荒壞せり、三雅の爵に因る。劉松は腸を爛し、暑を避くるの飲に因る。郭珍は狂を發し、一日も醉わざるなきに因る。信陵の凶短・襄子の亂政・趙武の衆を失う・子反の誅戮せられ・漢惠の性命を損傷し・灌夫の族を滅ばし・陳遵の害に遇い・季布の疏斥せられ・子建の免退せられ・徐邈の言を禁ぜられしは、皆是れ這個の東西なり。世人それを喜好しそれを以て樂と爲す人は甚だ多く、而もそれを警戒しそれを畏懼する人は至少し。彼衆く我寡く、良箴怎麼して施行せん。ただ願わくは您のそれを節制するのみ、と。

曩既年荒谷貴,人有醉者相殺,牧伯因此輒有酒禁,嚴令重申,官司搜索,收執榜徇者相辱,制鞭而死者太半。防之彌峻,犯者至多。至乃穴地而釀,油囊懷酒。民之好此,可謂篤矣。餘以匹夫之賤,托此空言之書,未如之何矣。

(抱朴子が続けて言うには、)從前既に年荒く穀貴く、人に醉て互相殺す者有り、牧伯此に因りて往往酒禁有り、嚴令重新申明し、官司搜索し、收執して榜徇する人は互相辱められ、制鞭に被りて死する人は太半なり。防備越加峻嚴なれば、觸犯する人越多し。甚至り地を挖りて以て釀し、油囊に酒を懷く。百姓は這個を喜好す、以て篤厚と説く可し。我は匹夫の低賤を以て、這空言の書裡に托付し、それを拿りて辦法なし、と。

又臨民者雖設其法,而不能自斷斯物,緩己急人,雖令不從,弗躬弗親,庶民弗信。以此而教,教安得行;以此而禁,禁安得止哉沽賣之家,廢業則困,遂修飾賂遺,依憑權右,所屬吏不敢問。無力者獨止,而有勢者擅市。張爐專利,乃更倍售,從其酤買,公行靡憚,法輕利重,安能免乎哉

(抱朴子が続けて言うには、)又民に臨む人は雖も法を設立するも、然れども能く自己に這種の物を斷絶せず、自己に對しては寬く別人に對しては急にして、卽使令を下すも亦た聽從せず、自己は躬親せざれば、庶民は便ち信ぜず。這個を拿りて以て教えば、教は怎麼して實行せん。這個を拿りて以て禁ずれば、禁は怎麼して止住せんや。沽賣の人家は、行業を廢棄すれば便ち困頓し、是に賄賂饋贈を修飾し、權右に依憑し、所屬の吏は問う敢えせず。力なき人は獨自停止し、勢有る人は獨占市場す。爐を張開して其の利を專擅し、竟に更加倍して出售し、彼らに跟って酒を買い、公然橫行して忌憚なく、法輕く利重ければ、怎麼して免れんや、と。

或人難曰:“夫夏桀殷紂之亡,信陵漢惠之殘,聲色之過,豈唯酒乎!以其生患於古,而斷之於今,所謂以褒姒喪周,而欲人君廢六宮,以阿房之危秦,而使王者結草菴也。蓋聞昊天表酒旗之宿,坤靈挺空桑之化,燎祡員丘,瘞薶圻澤,祼鬯儀彝,置降神祇,酒為禮也。

或る人が責難して曰く、夏桀殷纣の滅亡・信陵漢惠の殘敗は、聲色の過錯にして、何處かただ酒のみならんや。それが古代に患を產生したるに因りて、便ち今天にそれを斷絶するは、所謂褒姒に因りて周を喪えば、便ち人君をして六宮を廢除せしめんと想い、阿房に因りて秦を危害せば、便ち王者をして草庵を結ばんとするなり。聞く、昊天は酒旗の星宿を表彰し、坤靈は空桑の造化を挺出し、柴を圓丘に燎し、瘗を圻澤に埋め、祼鬯の儀彝は、設置して以て神祇を降下す、酒は是れ禮なり、と。

千鍾百觚,堯舜之飲也。唯酒無量,仲尼之能也。姬旦酒餚不撤,故能制禮作樂。漢高婆娑巨醉,故能斬蛇鞠旅。於公引滿一斛,而斷獄益明。管輅傾仰三鬥,而清辯綺粲。揚雲酒不離口,而《太玄》乃就。子圉醉無所識,而霸功以舉。一瓶之醪傾,而三軍之眾悅。解毒之觴行,而盜馬之屬感。消憂成禮,策勳飲至,降神合人,非此莫以也。內速諸父,外將嘉賓,如淮如澠,《春秋》所貴。由斯言之,安可誡乎”

(或る人が続けて言うには、)千鍾百觚は、是れ堯舜の飲なり。ただ酒のみ限量なく、是れ仲尼の能耐なり。姬旦は酒肴撤下せず、ゆえに能く禮を制し樂を作せり。漢高は婆娑大醉し、ゆえに能く蛇を斬り師を誓えり。于公は一斛を斟滿し、獄を斷ずる更加明白なり。管輅は三斗を傾仰し、清辯綺粲たり。揚雄は酒口を離れず、而も《太玄》乃ち寫成せり。子圉は醉て識る所なく、霸功此に因りて擧起せり。一瓶の醪傾倒すれば、三軍の衆喜悅す。毒を解するの觴通行すれば、馬を盜むの一類人は感化せられり。憂を消し禮を成し、勳を策し至に飲み、神を降し人を合すは、這個に非ざれば便ち從無し。內に諸父を招請し、外に嘉賓を送行し、淮の如く澠の如くするは、是れ《春秋》の貴ぶ所なり。此より説けば、怎麼して以て誡めんや、と。

抱朴子答曰:“酒旗之宿,則有之矣。譬猶懸象著明,莫大乎日月;水火之原,於是在焉。然節而宣之,則以養生立功;用之失適,則焚溺而死。豈可恃懸象之在天,而謂水火不殺人哉宜生之具,莫先於食;食之過多,實結症瘕。況於酒醴之毒物乎!

抱朴子回答して曰く、酒旗の星宿は、是れ有るなり。便ち懸象顯著光明は、日月より大なるなきが如し。水火の原は、便ちあそこに在り。然れども節制してそれを宣泄すれば、便ち以て生を養い功を立て、それを用いて宜を失えば、便ち焚かれ溺れて死す。豈に以て懸象の天上に在るを依恃して、便ち水火は人を殺さずと説かんや。生を養うの用具は、食より先なるなし。食は得る過多なれば、實に症瘕を結成す。況んや酒醴這種の毒物をや、と。

夫使彼夏桀殷紂信陵漢惠荒流於亡國之淫聲,沈溺於傾城之亂色,皆由乎酒燻其性,醉成其勢,所以致極情之失,忘修飾之術者也。我論其本,子識其末,謂非酒禍,禍其安出是獨知猛雨之沾衣,而不知雲氣之所作;唯患飛埃之糝目,而不覺飈風之所為也。

(抱朴子が続けて言うには、)あの夏桀殷纣・信陵漢惠をして亡國の淫聲の裡に荒流し、傾城の亂色の裡に沈溺せしめしは、皆酒が彼らの性を熏染し、醉があの勢を成就したるに由りて、ゆえに情を極處に用うの過失を致し、修飾の方法を忘掉せり。我は其の本を論じ、您は其の末を認識し、酒の禍に非ずと説くは、禍は何處より出來るか。這是ただ猛雨の衣を沾すを知りて、然れども雲氣の造成する所を知らず。ただ飛埃の目に糁るを患えて、然れども飆風の做す所を覺えざるなり、と。

“千鍾百斛,不經之言,不然之事,明者不信矣。夫聖人之異自才智,至於形骸非能兼人,有七尺三丈之長,萬倍之大也。一日之飲,安能至是仲尼則畏性之變,不敢及亂。周公則終日百拜,餚乾酒澄。上聖戰戰,猶且若斯,況乎庸人,能無悔乎

(抱朴子が続けて言うには、)「千鍾百斛は、是れ經ならざるの話にして、是れこの如きの事に非ず、明白の人は信ぜず。聖人の同じからざるは才智に在りて、形骸に至りては並び人に兼倍する能わず、七尺三丈の長・萬倍の大有らんや。一日の飲は、怎ぞ能く這個の程度に到らん。仲尼は則ち性の變を怕り、敢えて亂に到らず。周公は則ち終日百拜して、肴干く酒澄む。上聖戰戰兢兢として、なおこの如し、況んや庸人をや、能く悔なからんや」と。

漢高應天,承運革命,向雖不醉,猶當斬蛇。於公聰達,明於聽斷,小大以情,不失枉直。是以刑不濫加,世無怨民。但其健飲,不即廢事。若論大醉,亦俱無知。決疑之才,何賴於酒未聞皋繇甫侯子產釋之,醉乃折獄也。

(抱朴子が続けて言うには、)漢高は天に應え、運數を承受して革命し、先前卽使醉わざるとも、も亦た該當蛇を斬るべし。于公は聰達にして、聽斷明白にして、小大實情に按じ、枉直を失わず。ゆえに刑は濫りに加えられず、世上に怨民なし。ただ彼健く飲む、立刻事情を廢棄せず。若し大醉に論ずるに至れば、も皆無知なり。疑を決するの才は、何必酒に依賴せん。皋陶・甫侯・子產・釋之の、醉て乃ち獄を折るを聞かず、と。

管輅年少,希當劇談,故假酒勢以助膽氣。若過其量,亦必迷錯。及其刺毫釐於爻卦,索鬼神之變化,占氣色以決盛衰,聆鳴鳥以知方來,候風雲而克吉凶,觀碑柏而識禍福,豈復須酒,然後審之

(抱朴子が続けて言うには、)管輅は年少にして、劇談を擔當する少く、ゆえに酒勢を借りて以て膽氣を幇助す。若し彼の量を超過せば、も亦た一定に迷錯せん。彼の爻卦の上に毫釐を刺入し、鬼神の變化を求索し、氣色を觀察して以て盛衰を決斷し、鳴鳥を聽いて以て將來を知り、風雲を候いて而も吉凶を確定し、碑柏を觀看して而も禍福を認識するに等到れば、豈に還に酒を須要して、然後乃ち審察せんや、と。

揚雲通人,才高思遠,英瞻之富,稟之自天,豈藉外物,以助著述及其數飲,由於偶好;亦或有疾,以宜藥勢耳。子圉肆志,蓋已素定。雖復不醉,亦於終果。瓶醪悅眾,寓言之喻。誠能賞罰允當,威恩得所,長算縱橫,應機無方,則士思果毅,人樂奮命。其不然也,雖流酒淵,何補勝負繆公飲盜,造次之權,舍法長惡,何足多稱哉!豈如慎之邪

(抱朴子が続けて言うには、)揚雄は是れ通人にして、才高く思遠く、英瞻の富は、天より稟受し、何處か外物を借助して以て著述を幇助せん。彼の屢次飲むに等到れば、偶然の喜好に由る。も亦た或いは病有りて、藥勢に宜しきのみ。子圉は志向を放任す、大概已に素に確定せり。卽使再び醉わざるとも、も亦た終局の上に果然なり。瓶醪の衆を喜悅せしむるは、是れ寓言の比喻なり。若し真能く賞罰允當にして、威恩其の所を得て、長算縱橫にして、機宜に應じて定方なければ、則ち士は果毅を思念し、人は命を奮うを樂しむ。若し是れこの如くならざれば、卽使酒を流して淵と成すも、勝負に對して什麼の補益有らん。繆公は盜賊に酒を飲ましむるは、是れ倉卒の權宜にして、法を舍棄し惡を助長す、何處か多く稱道するに値せん。何處か謹愼に比するを得んや、と。

疾謬卷第二十五

疾謬巻第二十五

抱朴子曰:世故繼有,禮教漸頹。敬讓莫崇,傲慢成俗。儔類飲會,或蹲或踞。暑夏之月,露首袒體。盛務唯在摴草捕彈棋,所論極於聲色之間,舉足不離綺繻紈袴之側,遊步不去勢利酒客之門。不聞清談講道之言,專以醜辭嘲弄為先。以如此者為高遠,以不爾者為呆野。

抱朴子曰く、世故は接いで發生し、禮教は漸漸頹壞す。敬讓は推崇する人なく、傲慢は風俗と成れり。同類飲會し、或いは蹲り或いは踞す。暑夏の月份は、頭を露出し身を袒露す。盛務はただ樗蒱彈棋に在り(底本は「摴草捕」と作る、疑らくは當に「摴蒱」と作るべし)、談論する所は聲色の間に極まり、足を擧げて綺繡紈袴の側を離れず、游步は勢利酒客の門を離れず。清談講道の話を聽見せず、專門に醜辭嘲弄を先に放つ。是れこの如き人を以て高遠と當て、是れこの如きならざる人を以て呆野と當てす、と。

於是馳逐之庸民,偶俗之近人,慕之者猶宵蟲之赴明燭,學之者猶輕毛之應飈風。嘲戲之談,或上及祖考,或下逮婦女。往者務其必深焉,報者恐其不重焉。倡之者不慮見答之後患,和之者恥於言輕之不塞。周禾之芟,溫麥之刈,實由報恨,不能已也。利口者扶強而黨勢,辯給者借鍒以刺瞂。以不應者為拙劣,以先止者為負敗。如此,交惡之辭,焉能默哉!

是に馳逐の庸民・流俗に偶合する近人は、羨慕する人は夜裡の蟲の明燭に奔赴するが如く、學習する人は輕毛の飆風に應和するが如し。嘲戲の談は、或いは上は祖考に及び、或いは下は婦女に到る。先に口を開くは務めて深を求め、回報する人は自己の重からざるを怕る。倡導する人は答えられし後の後患を顧慮せず、應和する人は話の輕く填塞せられざるを恥とす。周禾は芟られ、溫麥は刈られ、實に恨を報ずるに由りて、能く停止せず。利口の人は強きを扶持し勢に結黨し、辯給する人は鋒利を借着して以て盾を刺す。應答せざるを以て拙劣と當て、先に停止するを以て負敗と當てす。這の如く、惡を交うるの辭は、怎ぞ能く沈默せんや。

其有才思者之為之也,猶善於依因機會,準擬體例,引古喻今,言微理舉,雅而可笑,中而不傷,不棖人之所諱,不犯人之所惜。若夫拙者之為之也,則枉曲直湊,使人愕愕然,妍之與媸,其於宜絕,豈唯無益而已哉!

あの才思有る人は這件事を做れば、還に善く機會を依憑し、體例を比准し、古を引き今を喻え、話微にして理擧起し、雅にして可笑く、中して然れども傷つけず、人の忌諱する所を枨觸せず、人の愛惜する所を觸犯せず。拙の人の這件事を做するに至りては、便ち枉曲直湊して、人をして愕愕然たらしめ、妍と媸とは、それらは應に斷絶すべく、何處かただ益處なきのみならんや。

乃有使酒之客,及於難侵之性,不能堪之,拂衣拔棘,而手足相及,醜言相加於所尊,歡心變而成讎,絕交壞身,構隙致禍,以杯螺相擲者有矣,以陰私相訐者有矣。昔陳靈之被矢,灌氏之泯族,匪降自天,口實為之。樞機之發,榮辱之主,二緘之戒,豈欺我哉!

竟に酒を使うの客・及び侵擾し難きの性情有りて、堪える能わず、衣を拂い棘を拔出して、而も手脚互相够り、醜言を以て尊する所の人に加え、歡心は仇と變成し、交を絶ち身を壞し、嫌隙を構成して禍を招致し、杯螺を拿りて互相投擲する者之れ有り、陰私を拿りて互相攻訐する者之れ有り。從前陳靈は箭に射中せられ、灌氏は族を滅ばされ、是れ天より降下するに非ず、口實在りて這些を造成せり。樞機一發すれば、是れ榮辱の主宰にして、二緘の警戒は、豈に我を欺騙せんや。

激雷不能追既往之失辭,班輪不能磨斯言之既玷。雖不能三思而吐清談,猶可息謔調以防禍萌也。尊其辭令,敬其威儀,使言無口過,體無倨容,可法可觀,可畏可愛,蓋遠辱之良術,全交之要道也。

激雷は能く既往の失當の辭を追回する能わず、公輸班は能く這話已に玷污の處を磨掉する能わず。卽使能く三思して然れども清談を吐出する能わざるも、還に可に謔調を止息して以て禍の萌芽を防止せん。彼の辭令を看重し、彼の威儀を敬重し、話に口過なく、身體に倨傲の容なく、以て效法す可く以て觀看す可く、以て畏す可く以て愛す可きは、大概是れ辱を遠離する的好方法・交游を保全するの要道なり。

且夫慢人者,不愛其親者也;輕鬥者,不重遺體者也。皆陷不孝,可不詳乎!然而迷謬者無自見之明;觸情者諱逆耳之規。疾美而無直亮之針艾,群惑而無指南以自反。諂媚小人,歡笑以贊善;面從之徒,拊節以稱功。益使惑者不覺其非,自謂有端晏之捷過人之辯,而不悟斯乃招患之旌召害之符傳非之驛傾身之車也。豈徒減其方策之令聞,虧其沒世之德音而已哉!

況んや人を慢待する者は、是れ彼の親を愛せざる人なり。輕易爭鬪する者は、是れ父母の留下したる身體を看重せざる人なり。皆不孝に陷入す、以て審愼せざる可けんや。然れども迷謬の人は自己を見る自己の明なく、情に觸れる人は耳に逆らうの規勸を忌諱す。美を疾恨して然れども直亮の鍼艾なく、群惑して然れども指南なくして以て自己返回せず。諂媚小人は、歡笑して以て贊美す。面に當りて順從の徒は、節を拊して以て功を稱す。更加迷惑する人をして自己の非を覺えしめず、自己以て端木賜・晏嬰の敏捷・人に過ぐるの辯有りと爲して、然れども這乃是れ患を招くの旌・害を召するの符・非を傳えるの驛・身子を傾覆するの車なるを覺悟せず。何處かただ彼の方策の上の美名を減損し、彼の沒世の德音を虧損するのみならんや。

蓋雖有偕老之慎,不能救一朝之過,雖有陶朱之富,不能贖片言之謬。故毫釐之失,有千里之差;傷人之語,有劍戟之痛。積微致著,累淺成深,鴻羽所以沈龍舟,群輕所以折勁軸,寸飈所以燔百尋之室,蠹蠍所以僕連抱之木也。古賢何獨口止局口止脊恂恂之如彼,今人何其憒慢傲放之如此乎!

卽使偕老の謹愼有るも、も亦た能く一朝の過錯を救う能わず。卽使陶朱の富有るも、も亦た能く片言の謬誤を贖回する能わず。ゆえに毫釐の失は、千里の差有り。人を傷るの話は、劍戟の痛有り。微を積みて以て顯著を致し、淺を累ねて深と成る、這即ち鴻羽の龍舟を沉掉したる所以・群輕の勁軸を折斷したる所以・寸飆の百尋の屋子を燔燒したる所以・蠹蝎の抱を連ぬるの木頭を仆倒したる所以の緣故なり。古賢は何を爲すか獨獨跼蹐恂恂としてあの如く(底本「口止局口止脊」は當に「跼蹐」と讀作すべく、「口止」は偏旁の殘留)、今人は何を爲すか這樣憒慢傲放なるや。

是以高世之士,望塵而旋跡;輕薄之徒,響赴而影集。謀事無智者之助,居危無切磋之益。良史懸筆,無可書之善;談者含音,無足傳之美。令聞不著,醜聲宣流,沒有餘敗,貽譏將來,始無可法,終無可紀,斯亦志士之恥也。

ゆえに世俗に高出するの士は、塵土を望見すれば便ち足迹を旋轉す。輕薄の徒は、回響の赴來するが如く影子の聚集するが如し。事を謀るに智者の幇助なく、危に處るに切磋の益處なし。良史は筆を懸げて、寫す可きの善なし。談論する人は音を含みて、傳えるに値するの美なし。美名顯著せず、醜聲宣揚流布し、死後還に其餘の敗有りて、譏評を以て將來に留遺し、開始效法す可きなく、終了記載す可きなし、這も亦た志士の恥なり。

安忍為之!過而不改,斯誠委夷路而陷叢棘,舍嘉旨而咽鉤吻者也,豈所謂以小善為無益而不為,以小惡為無損而不止,以至惡積而不可掩,罪大而不可解者邪!餘願世人改其無檢之行,除其驕吝之失,遣其誇矜尚人之疾,絕息嘲刑不典之言,則趙勝之門無去客,黃祖之棓無所用矣。

怎ぞ能く殘忍に安んじて這些を做らんや。過有りて然れども改めず、這實に平夷の路を委棄して叢棘に陷入し、嘉旨を舍棄して鈎吻を咽下す、何處か是れ所謂小善を以て益處なきと當てて便ち做さず、小惡を以て損なきと當てて便ち停止せず、以て惡積みて然れども掩う可からず、罪大きくして然れども解く可からざるに至るをや。我願わくは世人のあの檢束なきの德行を改正し、驕吝の過失を除去し、夸矜・人に勝過するを以て尚と爲すの病を遣開し、嘲戲・典ならざるの話を斷絶せば、則ち趙勝の門は便ち離開の客なく、黃祖の棒は便ち使用する處なからん。

抱朴子曰:或有不治清德以取敬,而仗氣力以求畏。其入眾也,則亭立不坐,爭處端上,作色諧聲,逐人自安,其不得意,恚懟不退。其行出也,則逼狹之地,恥於作途,振策長驅,推人於險,有不即避,更加攄頓。鳴呼,非哉!此雲古之卑而不可逾,推蔭讓路,勞謙下士,無競於物,立若不勝衣,行若不容身者,何其緬然之不肖哉!

抱朴子曰く、或いは人有りて清德を修治して以て敬を取得せずして、却って氣力を仗りて以て人の怕を求む。彼衆人の裡に進入すれば、便ち亭立して坐せず、端上に處るを爭い、色を作し聲を諧し、別人を追逐して以て自己を安定し、彼意を得ざれば、恚懟して退かず。彼出行すれば、便ち逼狹の處に、路を讓るを恥とし、馬鞭を振起して長驅し、人を險處に推到し、立刻避開せざる有らば、更加攄頓す。嗚呼、對ならざるか。這と古時候の卑下して然れども逾越す可からず、蔭を推讓し路を讓り、勞謙して士を下し、物と競争せず、立てば衣を撑不起するが如く、行けば身を容下するが如き人とは、何其邈遠にして不肖なるや、と。

夫德盛操清,則雖深自挹降,而人猶貴之。若履蹈不高,則雖行凌暴,而人猶不敬。假令外服人體,內失人心,所謂見憎惡,非為見尊重也。昔莊生未食,趙王側立;騶衍入疆,燕君擁彗;康成之裡,逆虜望拜;林宗之庭,莫不卑肅。非力之所服也。

德盛んに操清ければ、則ち卽使深深自己挹降するも、人は還に彼を貴ぶ。若し履蹈高からざれば、則ち卽使行爲凌暴なるも、人は還に敬せず。假如外は人をして體服せしめ、內裡は人心を失去するは、所謂見られて憎惡せられ、見られて尊重せられに非ず。從前莊生は未だ食せざるに、趙王側立せり。騶衍は疆界に進入すれば、燕君は帚を拿着せり。康成の里巷は、逆虜望いて下拜せり。林宗の庭は、卑肅せざるなし。是れ力氣の制服する所に非ず。

夫以抄盜致財,雖鉅富不足嘉,凶德脅人,雖見憚不足榮也,然而庸民為之不惡。故聞其言者,猶鴟梟之來鳴也;睹其面者,若鬼魅之見形也。其所至詣,則如妖怪之集也;其在道途,則甚逢虎之群也。愚夫行之,自矜為豪;小人徵之,以為橫階。亂靡有定,實此之由也。

抄盜を靠りて以て財を取得するは、卽使巨富なるも亦た嘉許するに値せず。凶德を用いて以て人を脅迫するは、卽使人の忌惮せらるるも亦た榮に値せず、然れども庸民は這些を做して然れども厭惡せず。ゆえに彼の話を聽見する人は、還に鴟梟の來り鳴くが如し。彼の面を看見する人は、鬼魅の形を現すが如し。彼の到る所は、便ち妖怪の聚集するが如し。彼の道路に在るは、虎群に逢上するより甚し。愚夫はそれを實行して、自己矜夸して以て豪と當てす。小人はそれを徵引して、以て橫出の階梯と當てす。亂に安定なきは、實に這個に由る、と。

然敢為此者,非必篤頑也。率多冠蓋之後,勢援之門,素頗力行善事,以竊虛名,名既粗立,本情便放。或假財色以交權豪,或因時運以佻榮位,或以婚姻而連貴戚,或弄譭譽以合威柄。器盈志溢,態發病出,黨成交廣,道通步高。清論所不能複製,繩墨所不能復彈,遂成鷹頭之繩,廟垣之鼠。

然れども敢えて這個を做する人は、不必是れ篤頑なり。大抵多く是れ冠蓋の後人・勢援の門第にして、素來頗る善事を做るに用力して、以て虛名を竊取し、名既に粗略立住せば、本來の情は便ち放縱す。或いは財色を假借して以て權豪を結交し、或いは時運を憑借して以て榮位を佻取し、或いは婚姻を用いて以て貴戚を連結し、或いは毁譽を玩弄して以て威柄を合上す。器盈ち志溢れて、態發し病出で、黨成り交廣く、路通じ步高し。清論は能く再び制約せず、繩墨は能く再び彈劾せず、是に鷹頭の繩・廟垣の老鼠と成る、と。

所未及者,則低眉埽地以奉望之。居其下者,作威作福以控御之。故勝己者則不得聞,聞亦陽不知也;減己者則不敢言,言亦不能禁也。夫災蟲害谷,至降霜則殄矣。佞雄亂群,值嚴時則敗矣。獨善其身者,唯可以不肯事之,不行效之而已耳。有斧無柯,其如之何哉!

尚未够到する所の人は、便ち眉を低くし地を掃いて以て奉望す。彼の下に處する人は、威を作し福を作して以て控御す。ゆえに自己に勝過する人は便ち彼をして聽見せしむる能わず、聽見するも亦た知らずと假裝す。自己に減する人は便ち敢えて説かず、説くも亦た能く禁止せず。災蟲は穀を害して、霜の降るに到れば便ち殄滅す。佞雄は群を擾亂して、嚴の時世に碰上れば便ち敗る。獨自其身を善くする人は、ただ可に肯じて彼を事奉せず、彼を實行效法せざるのみ。斧有りて柯なければ、又能くそれを拿りて怎樣せんや。

抱朴子曰:《詩》美睢鳩,貴其有別。在禮,男女無行媒,不相見,不雜坐,不通問,不同衣物,不得親授,姊妹出適而反,兄弟不共席而坐,外言不入,內言不出,婦人送迎不出門,行必擁蔽其面,道路男由左,女由右,此聖人重別杜漸之明制也。

抱朴子曰く、《詩經》は雎鳩を贊美して、其の分別有るを貴重す。禮の裡に、男女は行媒なく、相見えず、雜坐せず、問を通ぜず、衣物を共用せず、親自授受するを得ず、姊妹嫁いで返回すれば、兄弟は席を共にして坐せず、外言は入らず、內言は出でず、婦人送迎は門を出でず、行走は一定に面を擁蔽し、道路上は男は左より從い女は右より從う、這是聖人の分別を看重し漸を杜するの明制なり、と。

且夫婦之間,可謂暱矣,而猶男子非疾病不晝居於內,將終不死婦人之手,況於他乎!昔魯女不幽居深處,以致他扈犖之變;孔妻不密潛戶庭,以起華督之禍;史激無防,有汗種之悔;王孫不嚴,有杜門之辱。而今俗婦女,休其蠶織之業,廢其玄紞之務,不績其麻,市也婆娑。舍中饋之事,修周施之好。更相從詣之適親戚,承星舉火,不已於行,多將侍從,瑋曄盈路,婢使吏卒,錯雜如市,尋道褻謔,可憎可惡。

況んや夫婦の間は、以て親暱と説く可くして、而も男子は還に非疾病なれば晝日內室に住せず、將終なれば婦人の手裡に死せず、況んや別人に對してをや。從前魯女は幽居深處せず、以て彼扈犖の變故を招來に致れり。孔妻は戶庭を密潛せず、以て華督の禍を興起に致れり。史激は防閑なく、種姓を玷污するの悔有り。王孫は嚴ならず、門を杜するの辱有り。而も如今世俗婦女は、蠶織の業を停下し、玄𬘘の務を廢棄し、其の麻を績せず、市上に婆娑す。中饋の事を舍棄して、周旋施與の交好を修めに往く。更互相跟從して以て親戚を探訪し、星を披き火を擧げて、行路停まず、多く侍從を帶びて、瑋曄路に盈ち、婢使吏卒は、錯雜して市集の如く、沿路褻謔して、可憎可惡なり、と。

或宿於他門,或冒夜而反,遊戲佛寺,觀視漁畋,登高臨水,出境慶弔,開車褰幃,周章城邑。杯觴路酌,絃歌行奏,轉相高尚,習非成俗。生致因緣,無所不肯。誨淫之源,不急之甚,刑於寡妻,家邦乃正。願諸君子,少可禁絕。婦無外事,所以防微矣。

或いは別人の家裡に住宿し、或いは夜色を冒して返回し、佛寺を游戲し、漁獵を觀看し、高に登り水に臨み、境を出でて慶弔し、車を開き帷帳を揭起し、城邑を周章す。杯觴は路上に酌み、弦歌は一邊走り一邊奏で、轉相崇尚して、非を習い俗と成す。憑空に因緣を生出して、肯んぜざるなし。淫を誨するの源頭・急ならざるの務は極に到れり。寡妻に刑すれば、家邦乃ち正し。願わくは諸位君子、稍稍以て禁絶を加えん。婦人は外事なく、正是れ以て微を防ぐなり。

抱朴子曰:輕薄之人,跡廁高深,交成財贍,名位粗會,便背禮判教,托雲率任,才不逸倫,強為放達,以傲兀無檢者為大度,以惜護節操者為澀少。於是臘鼓垂無賴之子,白醉耳熱之後,結黨合群,遊不擇類,奇士碩儒,或隔籬而不授,妄行所在,雖遠而必至,攜手連袂,以遨以集,入他堂室,觀人婦女,指玷修短,評論美醜,不解此等何為者哉

抱朴子曰く、輕薄の人は、形迹高深に廁身し、交游成り財用贍足し、名位粗略會合せば、便ち禮に背き教に叛き、率任を假稱し、才は並び同倫を逸出せずして、然れども強いて放達を作り、傲兀檢束なき人を以て大度と當て、節操を愛惜護持する人を以て澀少と當てす。是に臘鼓あの無賴の子を垂下し、白醉耳熱の後は、黨を結び群を合し、交游は類を擇ばず、奇士碩儒は、或いは籬笆を隔てるも亦た授接せず、妄行の在所は、卽使遠くとも亦た一定に到り、手を攜え袂を連ねて、以て遨游し以て聚集し、別人の堂室に進入し、人家の婦女を觀看し、瑕玷を指點し修短を評し、美醜を評論す、這等の人は是れ什麼を做るを懂せざるか、と。

或有不通主人,便共突前,嚴飾未辦,不復窺聽,犯門折關,逾垝穿隙,有似抄劫之至也。其或妾媵藏避不及,至搜索隱僻,就而引曳,亦怪事也。夫君子之居室,猶不掩家人之不備,故入門則揚聲,升堂則下視,而唐突他家,將何理乎

或いは主人に通報せずして有りて、便ち一齊に突前し、嚴飾未だ辦好せざるに、再び窺聽せず、門を犯し關を折り、牆を翻り隙を穿ち、抄劫の到來するが如し。其の中或いは妾媵藏避に及ばずして、以て隱僻を搜索し、就いて拖曳するに至るも、も亦た怪事なり。君子は家裡に住むも、還に人家の人の備ならざるの時を掩わず、ゆえに門に入れば便ち聲を揚げ、堂に升れば便ち視を垂る、然れども人家を唐突するは、將に什麼の道理有らんや。

然落拓之子,無骨鯁而好隨俗者,以通此者為親密,距此者為不恭,誠為當世不可以不爾。於是要呼憒雜,入室視妻,促膝之狹坐,交杯觴於咫尺,絃歌淫冶之音曲,以言兆文君之動心,載號載呶,謔戲醜褻,窮鄙極黷,爾乃笑亂男女之大節,蹈《相鼠》之無儀。

然れども落拓の子・骨鯁なくして然れども俗に隨うを好む人は、這個を准許するを以て親密と當て、這個を拒絶するを以て不恭と當て、誠然以て當世は以て這樣せざる可からずと爲す。是に邀呼憤雜して、室に入り人の妻を看、促膝の狹坐にして、杯觴を咫尺に交え、弦歌淫冶の音曲して、話を以て文君のあの如き心を挑動し(底本は「言兆」と作る、「兆」は「挑」の訛)、又號し又呶き、謔戲醜褻して、鄙陋を窮盡し垢黷を極盡し、這乃ち笑い攪亂して男女の大節・《相鼠》の無儀を蹈む、と。

夫桀傾紂覆,周滅陳亡,鹹由無禮,況匹庶乎!蓋信不由中,則屢盟無益,意得神至,則形器可忘。君子之交也,以道義合,以志契親,故淡而成焉。小人之接也,以勢利結,以狎慢密,故甘而敗焉。何必房集內宴,爾乃款誠,著妻妾飲會,然後分好暱哉!

桀傾き紂覆り、周滅び陳亡ぶるは、皆無禮に由る、況んや匹庶をや。信は中より由らざれば、則ち屢次盟誓するも亦た益處なし。意得て神至れば、則ち形器は以て忘掉す可し。君子の交は、道義を以て相合し、志契を以て相親し、ゆえに淡くして然れども能く成る。小人の接は、勢利を以て相結び、狎慢を以て加密し、ゆえに甘くして然れども敗る。何必房中集會・內宴して、這乃ち款誠と算え、妻妾をして妝を着け飮會せしめて、然後乃ち好を分かち親暱せんや。

古人鑑淫敗之曲防,杜傾邪之端漸,可謂至矣。修之者為君子,背之者為罪人。然禁疏則上宮有穿窬之男,網漏則桑中有奔隨之女。縱而肆之,其猶烈猛火於雲夢,開積水乎萬仞,其可撲以帚彗,過以撮壤哉!然而俗習行慣,皆曰:此乃京城上國,公子王孫貴人所共為也。

古人は淫敗を鑑戒して、曲に堤防を爲して、傾邪の端漸を杜住す、以て極に到れりと説く可し。それを修するは是れ君子にして、それに背くは是れ罪人なり。然れども禁疏なれば則ち上宮に穿窬の男子有り、網漏れれば則ち桑中に奔隨の女子有り。放縱して肆意なれば、便ち猛火を雲夢に烈しくし、積水を萬仞に開くが如く、豈に以て帚箒を以て撲滅し、一撮の土を以て堵住せんや。然れども俗習行慣して、皆曰く、這乃是れ京城上國・公子王孫貴人の共同做する所なり、と。

餘每折之曰:夫中州,禮之所自出也。禮豈然乎!蓋衰亂之所興,非治世之舊風也。夫老聃,清虛之至者也,猶不敢見乎所欲,以防心亂,若使柳下惠潔(疑脫一字)高行,屢接褻宴,將不能不使情生於中,而色形於表,況乎情淡者萬未一,而抑情者難多得。如斯之事,何足長乎

我每々彼を折って曰く、中州は、是れ禮の從出する所の處なり。禮豈に是れ這樣ならんや。這大概是れ衰亂の興起する所にして、治世の舊風に非ず。老聃は、是れ清虛極に到る人にして、還に敢えて自己の欲する所を見ずして、以て心亂れを防ぐ。若し柳下惠をして潔〔底本此處疑して脫文有り〕高行せしめば、屢次褻宴に接して、將に情を中より生ぜしめ、而も色を外表に形さざる能わざらん、況んや情淡の人は萬個の裡に還に一個に到らずして、而も能く情を抑する人は多得る難し。這樣の事は、何處か助長するに値せんや、と。

窮士雖知此風俗不足引進,而名勢並乏,何以整之!每以為慨,故常獲憎於斯黨,而見謂為野樸之人,不能隨時之宜,餘期於信己而已,亦安以我之不可,從人之可乎!可嘆非一,率如此也。已矣夫,吾未如之何也!彼之染入邪俗,淪胥以敗者,曷肯納逆耳之讜言,而反其東走之遠跡哉!

窮士は雖も這種の風俗は引進するに値せざるを知るも、而も名と勢皆缺乏して、什麼を拿りて以てそれを整飭せん。每々此の爲に感慨して、ゆえに常常に這黨人に憎を獲られて、而も野朴の人と説成せられて、時の宜に隨う能わずとす。我ただ自己を信ずるを期望するのみ、又怎ぞ能く我の不可を拿りて、以て別人の可に跟從せんや。歎す可きは一件に止まらず、大抵皆這樣の如し。算了吧、我それを拿りて辦法なし。あの邪俗に染入り淪胥して以て敗に至る人は、何處か肯じて耳に逆らうの讜言を接納して、而も彼の東に向かって奔走するの遠迹を收回せんや、と。

抱朴子曰:俗間有戲婦之法,於稠眾之中,親屬之前,問以醜言,責以慢對,其為鄙黷,不可忍論。或蹙以楚撻,或系腳倒懸。酒客酗醟,不知限齊,至使有傷於流血,口止委折支體者,可嘆者也。古人感離別而不滅燭,悲代親而不舉樂禮,論禮,娶者羞而不賀。今既不能動蹈舊典,至於德為鄉閭之所敬,言為人士之所信,誠宜正色矯而呵之,何謂同其波流,長此弊俗哉!然民間行之日久,莫覺其非,或清談所不能禁,非峻刑不能止也。遂詘周而疵孔,謂傲放為邈世矣。

抱朴子曰く、俗間に新婦を戲弄するの法子有りて、稠衆の中・親屬の前に、醜言を以て以て問い、慢對を以て以て責む、あの鄙黷は、以て論ずるを忍ぶ可からず。或いは楚撻を蹙り、或いは脚を繫ぎて倒懸す。酒客酗蒏して、限齊を知らず、以て傷いて流血し肢體を委折する有るに至りては(底本「口止委折支體」は「口止」は偏旁の殘留)、可歎なり。古人は離別を感じて然れども燭を滅せず、親に代わるを悲しみて然れども樂を擧げず。禮、禮を論ずれば、娶る者は羞じて然れども賀せず。如今既に能く舊典を動蹈する能わず、德は鄉閭の敬する所・言は人士の信ずる所なる人に至りては、誠宜しく正色して矯正して而もそれを呵斥すべく、怎麼して以て其の波流に同じくして、這弊俗を助長せんと説かんや。然れども民間それを實行する日子久しく、其の非を覺える人なく、或いは清談の禁ずる能くする所に非ず、峻刑に非ざれば能く止まず。是に周を屈して孔を疵り、傲放を叫作して邈世と爲す、と。

或因變故,佻竊榮貴,或賴高援,翻飛拔萃,於是便驕矜誇驁,氣凌雲物,步高視遠,眇然自足,顧瞻否滯失群之士,雖實英異,忽焉若草。或傾枕而延賓,或稱疾以距客,欲令人士立門以成林,軍騎填噎於閭巷,呼謂尊貴,不可不爾。

或いは變故に因りて、榮貴を佻竊し、或いは高援を靠着して、翻飛拔萃し、于是便に驕矜夸驁して、氣は雲物を凌り、步高く視遠く、眇然として自足し、あの否滯失群の士を顧瞻するは、卽使實に英異なるも、亦た忽然として以て草の如く看なす。或いは枕を傾けて賓を延ぎ、或いは疾を稱して客を拒み、人士をして門前に立って林と成らしめ、軍騎を閭巷に填噎せしめんと想い、尊貴と呼謂して、以て這樣せざる可からずと爲す、と。

夫以勢位言之,則周公勤於吐握;以聞望校之,則仲尼恂恂善誘。鹹以勞謙為務,不以驕慢為高。漢之末世,則異於茲。蓬髮亂鬢,橫挾不帶。或褻衣以接,或裸袒而箕踞。朋友之集,類味之遊,莫切切進德,門言門言修業,攻過弼違,講道精義。

勢位を以て言えば、則ち周公は吐握に勤し。聞望を以て校すれば、則ち仲尼は恂恂として善く誘う。皆勞謙を以て務と爲して、驕慢を以て高と爲さず。漢の末世は、便ち這と同じからず。蓬髮亂鬢して、帶を横挾せず。或いは褻衣を以て接待し、或いは裸袒して箕踞す。朋友の集會・同類の交游は、切切として德を進め・訚訚として業を修め(底本「門言門言修業」は「門言」は「訚」の訛)、過を攻め違を弼し、道を講じ義を精せず、と。

其相見也,不復敘離闊,問安否。賓則入門而呼奴,主則望客而喚狗。其或不爾,不成親至,而棄之不與為黨,及好會,則狐蹲牛飲,爭食競割。掣撥淼折,無復廉恥,以同此者為泰,以不爾者為劣。終日無及義之言,徹夜無箴規之益。誣引老莊,貴於率任,大行不顧細禮,至人不拘檢括,嘯傲縱逸,謂之體道。嗚呼,惜乎,豈不哀哉!

彼ら相見えれば、再び離闊を叙せず、安否を問わず。賓は一門に入れば便ち奴を呼び、主は一客を望見すれば便ち狗を喚く。其の中或いは這樣せざる有れば、便ち親至と算えずして、而も彼を抛棄し彼と結黨せず。好會に等到れば、便ち狐蹲牛飲して、食を爭い割を競う。掣撥拗折して、再び廉恥なく、這と同じくするを以て泰と當て、這樣せざるを以て劣と當てす。終日義に及ぶの話なく、徹夜箴規の益處なし。老莊を誣引して、率任に貴く、大行は細禮を顧みず、至人は檢括に拘わらず、嘯傲縱逸して、叫作して體道と爲す。嗚呼、可惜なり、豈に悲哀ならざらんや、と。

於是嘲族以敘歡交,極黷以結情款。以傾倚申腳者為妖妍標秀,以風格端嚴者為田舍樸馬矣;以蚩鎮抗指者為巢力令鮮倚,以出言有章者為折答猝突。凡彼輕薄之徒,雖便辟偶俗,廣結伴流,更相推揚,取達速易,然率皆皮膚狡澤,而懷空抱虛。有似蜀人瓠壺之喻,胸中無一紙之誦,所識不過酒炙之事。所謂傲很明德,即聾從昧,冒於貨財,貪於飲食,左生所載,不才之子也。

是に嘲族を以て以て歡交を叙し、黷を極めて以て情款を結ぶ。傾倚して脚を伸する人を以て妖妍標秀と當て、風格端嚴なる人を以て田舍焉と當て(底本は「朴馬矣」と作る、「朴馬」は「焉」の訛)。蚩鎭抗指する人を以て〔底本「巢力令鮮倚」文字訛脫、未能唯一判定〕と當て、言を出すに章有る人を以て折答猝突と當てす。凡あの輕薄の徒は、卽使便辟偶俗して、廣く伴流を結伴し、更相推揚して、達を取る迅速容易なるも、然れども大抵皆皮膚狡澤にして、而も空を懷き虛を抱く。蜀人瓠壺の比喻の如く、胸中は一紙の誦讀なく、識る所は酒炙の事に過ぎず。所謂傲很明德・即聾從昧・貨財に冒し・飮食に貪るは、左丘明の記載する所の不才の子なり、と。

若問以《墳》《索》之微言,鬼神之情狀,萬物之變化,殊方之奇怪,朝廷宗廟之大禮,郊祀禘祫之儀品,三正四始之原本,陰陽律歷之道度,軍國社稷之殿式,古今因革之異同,則怳悸自失,喑鳴俯仰,濛濛焉,莫莫焉。雖心覺面牆之困,而外護其短乏之病,不肯謐己,強張大談,曰:雜碎故事,蓋是窮巷諸生章句之士,吟詠而向枯簡,匍匐以守黃卷者所宜識,不足以問吾徒也。

若し《墳》《索》の微言・鬼神の情狀・萬物の變化・殊方の奇怪・朝廷宗廟の大禮・郊祀禘祫の儀品・三正四始の原本・陰陽律曆の道度・軍國社稷の殿式・古今因革の異同を拿りて以て問えば、便ち怳悸自失して、喑鳴俯仰し、蒙蒙然・莫莫然たり。卽使心裡に面牆の困を覺えるも、然れども外は短乏の病を護りて、肯じて自己靜謐せず、強いて大談を張して、曰く、雜碎故事は、大概是れ窮巷諸生・章句之士、吟詠して枯簡に對し匍匐して以て黃卷を守る人の該當識る所にして、以て我ら這一類人を問うに足らず、と。

誠知不學之弊,碩儒之貴,所祖習之非,所輕易之謬,然終於迷而不返者,由乎放誕者無損於進趨故也。若高人以格言彈而呵之,有不畏大人而長惡不悛者,下其名品,則宜必懼然冰泮而革面,旋而東走之跡矣。

誠然學ばざるの弊・碩儒の貴・祖習する所の非・輕易する所の謬を知るも、然れども終に迷いて然れども返らざるの緣故は、是れ放誕の人は進趨に損無きに由るなり。若し高人は格言を以て彈じて而もそれを呵すれば、大人を畏れずして惡を長として悛めざる有れば、其の名品を下せば、便ち一定に懼然として冰泮の如く革面して、東に向かって奔走するの踪迹を收回せん、と。

譏惑卷第二十六

譏惑巻第二十六

抱朴子曰:澄濁剖判,庶物化生,習族或能應對焉,毛宗或有知言焉。於玃識往,歸終知來,玄禽解陰陽,蟲也蟲豈遠泉流,蓍龜無以過焉,甘石不能勝焉。夫唯無禮,不廁貴性,厥初邃古,民無階級,上帝悼混然之甚陋,憫巢穴之可鄙,故構棟宇以去鳥獸之群,制禮數以異等威之品。教以盤旋,訓以揖讓,立則磬折,拱則抱鼓,趨步升降之節,瞻視接對之容,至於三千。蓋檢溢之堤防,人理之所急也。故儼若冠於曲禮,望貌首於五事,出門有見賓之肅,閒居有敬獨之戒,顏生整儀於宵浴,仲由臨命而結纓,恭容暫廢,惰慢已及,安上治民,非此莫以。

抱朴子曰く、清濁剖判して、庶物化生し、羽族或いは能く應對し(底本は「習族」と作る、「習」は「羽」の訛)、毛宗或いは知言有り。于玃は往を識り、歸終は來を知り、玄禽は陰陽を解し、〔底本「虫也虫豈遠泉流」文字訛脫、所指當に遠泉を知る能くするの蟲鳥、正字未能唯一判定〕、蓍龜は辦法なくして彼らを超過せず、甘石は能く彼らに勝過せず。ただ無禮に因りて、便ち貴性に廁身せず。太初邃古は、民に階級なく、上帝は混然の太陋を哀憐し、巢穴の可鄙を憫み、ゆえに棟宇を構起して以て鳥獸の群を離れ、禮數を制定して以て等威の品級を分別す。盤旋を以て教え、揖讓を以て訓え、立てば則ち磬折し、拱手すれば便ち鼓を抱くが如く、趨步升降の節・瞻視接對の容は、三千に至る。這是滿溢を檢束するの堤防・人理の急ぐ所なり。ゆえに儼若として《曲禮》に冠たり、貌を望んで五事の首と爲し、門を出でて賓を見るの肅有り、閑居に獨を敬するの戒有り、顏生は夜浴の時に儀を整え、仲由は命に臨みて而も纓を結ぶ。恭容暫く廢すれば、惰慢已に到來す。上を安んじ民を治むるは、此に非ざれば可ならず、と。

蓋人之有禮,猶魚之有水矣。魚之失水,雖暫假息,然枯糜可必待也。人之棄禮,雖猶面見然,而禍敗之階也。魯秉周禮,暴兵不加,魏式幹木,銳冠旋旆。大楚帶甲百萬,而有振槁之月色;強秦餚函襲嶮,而無折柳之固。豈非棄三本而喪根柢之攸召哉!矧乎安逸觸情,喪亂日久,風禿頁教沮,抑斷之儀廢,簡脫之俗成,近人值政化之蚩役,庸民遭道網之絕紊,猶網魚之去水罟,圍獸之出陸羅也。

人は禮有れば、便ち魚の水有るが如し。魚は水を失えば、卽使暫く息を假るも、枯糜は却って一定に等待す。人は禮を棄てば、卽使表面上還に過去するを見るを得るも、然れども是れ禍敗の階梯なり。魯は周禮を秉持して、暴兵加えられず。魏式は段干木を敬して、銳卒は旌旆を回旋せり。大楚は甲を帶びて百萬なるも、然れども槁を振るが如き容易有り(底本は「月色」と作る、「月色」は「易也」の訛)。強秦は肴函險を襲するも、然れども柳を折るの堅固なし。豈に是れ三本を棄てて根柢を喪うの召來する所に非ざらんや。況んや安逸觸情して、喪亂日久しく、風頹き教沮がれ(底本は「風禿頁教沮」と作る、「禿頁」は「頹」の訛)、抑斷の儀は廢し、簡脫の俗は成り、近人は政化の蚩役に碰上り、庸民は道網の絶紊に遭到す、網裡の魚の水罟を離れ、圍裡の獸の陸上の羅を走出するが如し、と。

喪亂以來,事物屢變,冠履衣服,袖袂財制,日月改易,無復一定。乍長乍短,一廣一狹,忽高忽卑,或粗或細,所飾無常,以同為快。其好事者,朝夕放效,所謂“京輦貴大眉,遠方皆半額”也。

喪亂以來、事物屢次改變し、冠履衣服・袖袂の裁制は、日月改易して、再び一定有らず。乍長く乍短く、一寬く一窄く、忽高く忽低く、或いは粗く或いは細く、飾る所常規なく、相同を以て快と爲す。あの好事の人は、朝夕仿效す、所謂「京輦は大眉を貴び、遠方は皆半額」なり、と。

餘實凡夫,拙於隨俗,其服物變不勝,故不變,無所損者,餘未曾易也。雖見指笑,餘亦不理也。豈苟欲違眾哉,誠以為不急耳。上國眾事,所以勝江表者多,然亦有可否者,君子行禮,不求變俗,謂違本邦之他國,不改其桑梓之法也。況其在於父母之鄉,亦何為當事棄舊而強更學乎!吳之善書,則有皇象劉纂岑伯然朱季平,皆一代之絕手,如中州有鍾元常胡孔明張芝索靖,各一邦之妙,並用古體,俱足周事。

我實に是れ凡夫にして、俗に隨うに拙し、服物變りて人をして應付し來らせざる、ゆえに變せず。損する什麼なきは、我未だ曾て改過せず。卽使人に指笑せらるるも、我も亦た理せず。何處か是れ苟且に衆に違うを要せんや、實に急ならずと覺えるのみ。上國衆事は、江表に勝過する所以多し、然れども亦た可に不可有る有り。君子は禮を行いて、俗を變するを求めず、是れ本邦を違離して他國に到りて、桑梓の法度を改めずと説くなり。況んや還に父母の鄉に在るをや、又什麼を爲すか事に當れば便ち舊を棄てて強いて改學せんや。吳地の書に善きは、皇象・劉纂・岑伯然・朱季平有りて、皆一代の絶手にして、正如中州に鍾元常・胡孔明・張芝・索靖有りて、各々是れ一邦の妙にして、皆古體を用いて、皆足りて事を周す、と。

餘謂廢已習之法,更勤苦以學中國之書,尚可不須也,況於乃有轉易其聲音,以效北語,既不能便良,似可恥可笑,所謂不得邯鄲之步,而有匍匐之嗤者。此猶其小者耳,乃有遭喪者,而學中國哭者,令忽然無復念之情。昔鍾儀莊舄,不忘本聲,古人韙之。

我曰く、已に習熟したるの法を廢掉して、再び勤苦して以て中國の書を學ぶは、なお必ずしもせず、況んや竟に自己の聲音を轉易して、以て北語を仿效し、既に能く就便に學好せず、樣子も亦た可恥可笑なるをや、所謂邯鄲の步を得ずして、然れども匍匐の嗤笑有るなり。這還に是れ小なり。竟に喪に遭う人ありて、然れども中國の哭法を學び、忽然として再び哀念の情なからしむ。從前鍾儀・莊舄は、本來の聲音を忘掉せず、古人は以て對と爲せり、と。

孔子云:喪親者,若嬰兒之失母。其號豈常聲之有!寧令哀有餘而禮不足,哭以洩哀,妍拙何在而乃治飾其音,非痛切之謂也。又聞貴人在大哀,或有疾病,服石散以數食宣藥勢,以飲酒為性命,疾患危篤,不堪風冷,幃帳茵褥,任其所安,於是凡瑣小人之有財力者,了不復居於喪位,常在別房,高床重褥,美食大飲,或與密客,引滿投空,至於沈醉。曰:‘此京洛之法也。”不亦惜哉!

孔子曰く、親を喪う人は、嬰兒の母を失去するが如し。其の號哭は何處か還に平常の聲音有らんや。寧ろ哀有餘にして然れども禮不足ならしめん。哭は是れ以て哀を泄るなり、妍拙何處に在らん、然れども聲音を整治修飾しに往くは、痛切の説法に非ず。又聞く、貴人は大哀の中に、或いは疾病有りて、石散を服し多次進食を靠りて以て藥勢を宣發し、飮酒を以て性命と當て、疾患危篤にして、風冷に堪えず、帷帳茵褥は、安んずる所に聽任し、是に凡瑣小人財力有る者は、完全に再び喪位に居せず、常常に別房に在り、高牀重褥して、美食大飲し、或いは密客と滿を引き空を投じて、沈醉に至る。曰く、『這是京洛の法なり』と。不も亦た可惜ならんか、と。

餘之鄉里,先德君子,其居重難,或並在衰老,於禮唯應衰麻在身,不成喪致毀者,皆過哀啜粥,口不經甘。時人雖不肖者,莫不企及自勉,而今人乃自取如此,何其相去之遼緬乎!又凡人不解,呼謂中國之人居喪者多皆奢溢,殊不然也。吾聞晉之宣景文武四帝,居親喪皆毀瘠逾制,又不用王氏二十五月之禮,皆行七月服,於時天下之在重哀者,鹹以四帝為法,世人何獨不聞此,而虛誣高人,不亦惑乎!

我の鄉里は、先德君子は、彼ら重喪に居るに、或いは年紀已に衰老して、禮に按じてただ該當衰麻身に在りて、居喪毁瘠に至らざるは、皆哀を過して粥を啜り、口は甘を經ず。當時卽使不肖の人も、企及して自勉せざるなし、而も今人は却って自ら這樣を取る、相去何其遼遠なるや。又凡人明白せず、呼謂して中國人は居喪大多皆奢溢とす、完全に是れ這樣に非ず。我聞く、晉の宣・景・文・武四帝は、親喪に居る皆毁瘠制度を超過し、又王氏二十五個月の禮を用いず、皆七月服を行い、當時天下重哀に在る人は、皆四帝を以て法と爲せり。世人は什麼を爲すか獨獨這個を聽聞せずして、然れども高人を虛誣す、不も亦た迷惑ならんか、と。

刺驕卷第二十七

刺驕巻第二十七

抱朴子曰:生乎世貴之門,居乎熱烈之勢,率多不與驕期而驕自來矣。非夫超群之器,不辯於免盈溢之過也。蓋勞謙虛己,則附之者眾;驕慢倨傲,則去之者多;附之者眾,則安之徽也;去之者多,則危之診也。

抱朴子曰く、世貴の門第に生まれ、熱烈の勢位に處するは、大抵多く驕と相約せずして然れども驕は自己來る。超群の器量に非ざれば、便ち能く盈溢の過失を免れず。勞謙虛己すれば、則ち附從する人は便ち多し。驕慢倨傲すれば、則ち離開する人は便ち多し。附從する人は多きは、是れ安の徵兆なり。離開する人は多きは、是れ危の診候なり、と。

存亡之機,於是乎在。輕而為之,不亦蔽哉!亦有出自卑碎,由微而著,徒以翕肩斂跡,偓伊側立,低眉屈膝,奉附權豪,因緣運會,超越不次,毛成翼長,蟬蛻泉壤,便自軒昂,目不步足,器滿意得,視人猶芥。或曲晏密集,管絃嘈雜,後賓填門,不復接引。或於同造之中,偏有所見,復未必全得也。直以求之,差勤以數接其情,苞苴繼到,壺榼不曠者耳。

存亡の機は、便ち這裡に在り。輕易に以て做するは、不も亦た蔽塞ならんか。も亦た卑碎より出自して、微より顯に由りて、ただ翕肩斂迹・偓伊側立・低眉屈膝を憑りて、權豪に奉附し、運會に因緣して、次第に按らずして超越し、毛成り翼長けば、泉壤より蟬蛻して、便ち自己軒昂して、眼睛は脚下を看ず、器滿ち意得て、人を看れば草芥の如し。或いは曲宴密集して、管絃嘈雜し、後到の賓客門を填めば、再び接引せず。或いは同來の人の裡に在りて、偏に見る所有りて、又未必全く對ならず。只不過彼を求むる比較勤く・多次接過を以て情を用い・苞苴接いで送到し壺榼空ならざる人のみ、と。

孟軻所謂愛而不敬,豕畜之也。而多有行諸,雲是自尊重之道。自尊重之道,乃在乎以貴下賤,卑以自牧,非此之謂也。乃衰薄之弊俗,膏肓之廢疾,安共為之,可悲者也。若夫偉人巨器,量逸韻遠,高蹈獨往,蕭然自得,身寄波流之間,神躋九玄之表,道足於內,遺物於外,冠摧履決,藍縷帶索,何肯與俗人競幹佐之便僻,修佞幸之媚容,效上林喋喋之嗇夫,為春蜩夏繩之聒耳!

孟軻所謂愛して然れども敬せざるは、是れ猪を養うが如く彼を畜するなり。而も多く這個を實行する有りて、這を自己尊重の道と説く。自己尊重の道は、乃ち貴を以て賤に下り、卑を以て自牧するに在りて、是れ這個の意思に非ず。這乃是れ衰薄の弊俗・膏肓の廢疾にして、怎麼して一起に這個を做する、可悲なり。偉人巨器・量逸れ韻遠く、高蹈獨往して、蕭然として自得し、身子は波流の間に寄り、神は九玄の外に升り、道は內裡に充足し、物を以て外に遺し、冠摧れ履裂け、藍縷帶索するに至りては、何處か肯じて俗人と干佐の便僻を競求し、佞幸の媚容を修め、上林喋喋の嗇夫を效法し、春蜩夏蠅のあの如き耳を聒すの事を做らんや(底本は「夏繩」と作る、「繩」は「蠅」の訛)、と。

求之以貌,責之以妍,俗人徒睹其外形之粗簡,不能察其精神之淵邈,務在皮膚,不料心志,雖懷英抱異,絕倫邁世,事動可以悟舉世之術,言發足以解古今之惑,含章括囊,非法不談,而茅蓬不能動萬鈞之鏗鏘,侏儒不能看重仞之弘麗,因而蚩之,謂為凡憒。夫非漢濱之人,不能料明珠於泥淪之蟲奉;非泣血之民,不能識夜光於重崖之裡。蟲焦螟之屯蚊眉之中,而笑彌天之大鵬;寸鮒遊牛跡之水,不貴橫海之巨鱗。故道業不足以相涉,聰明不足以相逮。理自不合,無所多怪。所以疾之而不能默者,願夫在位君子,無以貌取人,勉勖謙損,以永天秩耳。

貌を以て以て求め、妍を以て以て責むれば、俗人ただ外形の粗簡を看見して、能く精神の淵邈を察せず、務は皮膚に在りて、心志を料せず、卽使英を懷き異を抱き、倫を絶ち世を邁すとも、事動けば能く以て擧世の術を覺悟せしめ、話發出すれば足りて以て古今の惑を解開するも、章を含み囊を括りて、法に非ざれば談ぜずして、而も茅蓬は能く萬鈞の鏗鏘を打動せず、侏儒は能く重仞の弘麗を看見せず、因りて以て彼を嗤笑して、凡憒と説く。漢濱の人に非ざれば、能く泥淪の中に明珠を料出せず(底本「泥淪之虫奉」は「虫奉」文字訛脫)。泣血の民に非ざれば、能く重崖裡に夜光を識出せず。焦螟は蚊眉の中に屯して、然れども彌天の大鵬を笑う。寸鮒は牛迹の水裡に游び、橫海の巨鱗を看重せず。ゆえに道業は足りて互相涉及せず、聰明は足りて互相趕上せず。理自ら合せず、什麼の多怪す可きなきなり。ゆえに這個を疾恨して然れども能く沈默せざるの緣故は、是れ位に在るの君子が、貌を以て人を取ることなく、謙損を勉勵して、以て天秩を長久保有天せんを願うのみ、と。

抱朴子曰:世人聞戴叔鸞阮嗣宗傲俗自放,見謂大度,而不量其材力非傲生之匹,而慕學之。或亂項科頭,或裸袒蹲夷,或濯腳於稠眾,或溲便於人前,或停客而獨食,或行酒而止所親,此蓋左衽之所為,非諸夏之快事也。夫以戴阮之才學,猶以耽踔自病,得失財不相補,向使二生敬蹈檢括,恂恂以接物,競競以御用,其至到何適但爾哉!況不及之遠者,而遵修其業,其速禍危身,將不移陰,何徒不以清德見待而已乎!

抱朴子曰く、世人は戴叔鸞・阮嗣宗の俗に傲りて自放し、大度と稱せらるるを聽聞して、然れども自己の材力は並び傲世者の匹敵に非ざるを衡量せずして、而も彼らを羨慕學習す。或いは項を亂し頭を科く、或いは裸袒蹲夷し、或いは稠衆の裡に脚を洗い、或いは人前に溲便し、或いは客を停下して獨自喫し、或いは酒を行いて然れどもただ親する所の人に給す、這大概是れ左衽の做する所にして、諸夏の快事に非ず。戴・阮の才學を以てするも、還に放縱に因りて自己病を得て、得失乃ち相補せず、假如二生は檢括を敬守し、恂恂として以て物に接し、兢兢として以て御用せば(底本は「競競」と作る、「競」は「兢」の訛)、彼らの至到は何止僅僅這樣のみならんや。況んや彼らに及ばざる甚だ遠き人をや、然れども彼らの業を遵修して、禍を速め身を危くするは、將に一頓飯の工夫を用いらん、何處かただ清德を以て對待せられざるのみならんや、と。

昔者西施痛而臥於道側,姿顏妖麗,蘭麝芬馥,見者鹹美其容而念其疾,莫不躊躇焉。於是鄰女慕之,因偽疾伏於路間,形狀既醜,加之酷臭,行人皆憎其貌而惡其氣,莫不睨面掩鼻,疾趨而過焉。今世人無戴阮之自然,而效其倨慢,亦是醜女暗於自量之類也。帝者猶執子弟之禮於三老五更者,率人以敬也。人而無禮,其刺深矣。夫慢人必不敬其親也,

從前西施は痛みて道側に臥すも、姿顏妖麗にして、蘭麝芬馥として、見る人は皆其の容を美しくして其の疾を念い、躊躇せざるなし。是に鄰女は彼を羨慕して、便ち病有るを假裝して路間に伏すも、形狀既に醜く、加上酷臭して、行人は皆其の貌を憎み其の氣を惡み、睨面掩鼻・疾趨して過ぐるなきなし。如今世人は戴・阮の自然なく、然れども彼らの倨慢を效すは、も亦た醜女の自量に暗き一類なり。帝者は三老五更に還に子弟の禮を執るは、是れ人を率いて敬を用いるなり。人に而も禮なければ、あの譏刺は便ち深し。人を慢待する人は一定に其の親を敬せず、と。

蓋欲人之敬之,必見自敬焉。不修善事,則為惡人,無事於大,則為小人。紂為無道,見稱獨夫;仲尼陪臣,謂為素王。則君子不在乎富貴矣。今為犯禮之行,而不喜聞遄死之譏,是負豕而憎說其臭,投泥而諱人言其汙也。

大概別人をして彼を敬せしめんと欲するは、一定に先ず自己見えて自敬するを出さん。善事を修せざれば、便ち是れ惡人なり。大に事なければ、便ち是れ小人なり。紂は無道を爲して、獨夫と稱せられり。仲尼は陪臣にして、然れども素王と稱せられり。然らば則ち君子は富貴に在らず。如今禮を犯すの行爲を做して、然れども遄死の譏刺を聽見するを喜歡せざるは、是れ猪を背着して然れども別人の臭と説くを憎惡し、泥裡に投進して然れども別人の污と説くを諱むなり、と。

昔辛有見被髮而祭者,知戎之將熾。餘觀懷憫之世,俗尚驕褻,夷虜自遇,其後羌胡猾夏,侵掠上京,及悟斯事,乃先著之妖怪也。今天下向平,中興有徵,何可不共改既往之失,修濟濟之美乎!夫入虎狼之群,後知賁育之壯勇;處禮廢之俗,乃知雅人之不渝。道化凌遲,流遁遂往,賢士儒者,所宜共惜,法當扣心同慨,矯而正之。若力之不能,未如之何,且當竹柏其行,使歲寒而無改也。何有便當崩騰競逐其醟茸之徒,以取容於若曹邪!去道彌遠,可謂為痛嘆者也。

從前辛有は髮を披いて祭る人を看見して、戎の將に熾盛ならんを知れり。我は懷愍の世を看るに、俗は驕褻を尚び、夷虜を以て自處し、後來羌胡は夏を猾き、上京を侵掠し、這件事を覺悟するに等到れば、乃是れ先已に顯出したる妖怪なり。如今天下漸漸平定して、中興徵有り、怎麼して以て既往の失を一起改正し、濟濟の美を修めざる可けんや。虎狼の群に進入して、然後乃ち賁・育の壯勇を知る。禮廢の俗に處して、乃ち雅人の渝らざるを知る。道化凌遲して、流遁遂往す、賢士儒者は、共同珍惜す可き所にして、法當に心を扣き同く慨して、矯正して而もそれを端正すべし。若し力能わざる有りて、それを拿りて辦法なければ、且く該當德行をして竹柏の如くせしめ、歲寒にして然れども改無からしめん。何處に便ち該當崩騰してあの酗蒏卑瑣の徒を競逐して、以てあの一伙に容を取らんや。道を離れる更加遠く、以て痛歎と説く可し、と。

其或峨然守正,確爾不移,不蓬轉以隨眾,不改雅以入鄭者,人莫能憎而知其善,而斯以不同於己者,便共仇讎而不數之。嗟乎,衰弊乃可爾邪,君子能使以亢亮方楞,無黨於俗,揚清波以激濁流,執勁矢以厲群枉,不過當不見容與,不得富貴耳。天爵苟存於吾體者,以此獨立不達,亦何苦何恨乎而便當伐本瓦合,食甫糟握泥,剸足適履,毀方入圓,不亦劇乎!

其の中或いは峨然として正を守り、確爾として移らず、蓬轉の如くして以て衆に隨わず、雅樂を改めて以て鄭に入る人なくして、人は彼を憎む能わざるなくして然れども彼の善を知り、而も這一黨は自己と同じからざるに因りて、便ち一起に仇讐して而も彼を理せず。嗟乎、衰弊竟に以て這樣す可けんか。君子は能く亢亮方正を以て、俗に黨を結ばず、清波を揚げて以て濁流を激し、勁矢を執りて以て群枉を厲す、不過該當容與せられず、富貴を得ざるのみ。天爵若し還に我身上に在れば、此に因りて獨立達せざるも、又什麼の苦・什麼の恨有らん、然れども便ち該當本を伐り瓦合し、糟を食い泥を握りて(底本は「食甫糟」と作る、「甫」は疑らくは衍)、足を削りて履に適え、方を毁りて圓に入るは、不も亦た太過分ならんか、と。

夫節士不能使人敬之而志不可奪也,不能使人不憎之而道不可屈也,不能令人不辱之而榮猶在我也,不能令人不擯之而操不可改也。故分定計決,勸沮不能幹,樂天知命,憂懼不能入,困瘁而益堅,窮否而不悔,誠能用心如此者,亦安肯草靡薄浮,以索鑿枘,效乎禮之所棄者之所為哉!

節士は能く人をして彼を敬せしむる能わずして然れども志は奪う可からず、能く人をして彼を憎ましめざる能わずして然れども道は屈す可からず、能く人をして彼を辱めしめざる能わずして然れども榮は還に我に在り、能く人をして彼を擯せしめざる能わずして然れども操は改む可からず。ゆえに分定まり計決まりて、勸沮は能く干擾せず、天を樂しみ命を知りて、憂懼は能く進入せず、困瘁して然れども更加堅定し、窮否して然れども悔いず。誠に能く心を這樣の如く用いれば、又怎ぞ肯じて草の如く披靡し・輕薄浮夸して、圓鑿を拿りて以て方枘を套し、禮の抛棄する所の人の做する所を效法せんや、と。

抱朴子曰:聞之漢末諸無行,自相品藻次第,群驕慢傲,不入道檢者,為都魁雄伯,四通八達,皆背叛禮教而從肆邪僻,訕毀真正,中傷非黨,口習醜言,身行弊事,凡所云為,使人不忍論也。夫古人所謂通達者,謂通於道德,達於仁義耳。豈謂通乎褻黷而達於淫邪哉!

抱朴子曰く、聞く、漢末あの行なき人は、自己互相品藻次第して、一群驕慢倨傲・道檢に入らざる人は、都魁雄伯を做り、四通八達にして、皆禮教に背叛して而も邪僻を放肆し、真正を訕毁し、同黨に非ざる人を中傷し、口は醜言を習い、身は弊事を行い、凡所爲作は、人をして論ずるを忍ばしめず。古人の所謂通達は、是れ道德に通じ仁義に達すと説くのみ。何處か是れ褻黷に通じ淫邪に達すと説かんや、と。

有似盜跖,自謂有聖人之道五者也。此俗之傷破人倫,劇於寇賊之來,不能經久,豈所損壞一服而已!若夫貴門子孫,及在位之士,不惜典刑,而皆科頭袒體,踞見賓客,既辱天官,又移染庸民,後生晚出,見彼或已經清資,或佻竊虛名,而躬自為之,則凡夫便謂立身當世,莫此之為美也。夫守禮防者苦且難,而其人多窮賤焉;恣驕放者樂且易,而為者皆速達焉。於是俗人莫不委此而就彼矣。

盜跖の如く、自稱して聖人の道五條有りとす。這種の風俗は人倫を傷破するは、寇賊の到來より劇烈にして、能く經久せず、何處かただ一件衣服を損壞するのみならんや。貴門子孫・及び位に在るの士に至りては、典刑を惜しまずして、然れども皆頭を科き體を袒き、踞りて以て賓客を見、既に天官を辱め、又這習氣を以て庸民に移染し、後生晚出は、あの人あるいは已に清資を經歷し、或いは虛名を佻竊するを看見して、而も親自這樣做すれば、則ち凡夫は便ち以て當世に立身するは、這個より美しきなしと爲す。禮防を守る人は苦しみ且つ難く、而もあの種の人は多く窮賤なり。恣驕放する人は樂しみ且つ易く、而も做する人は皆迅速顯達す。是に俗人は這個を委棄してあの個に就かざるなし、と。

世間或有少無清白之操業,長以買官而富貴,或亦其所知足以自飾也,其黨與足以相引也,而無行之子,便指以為證,曰:彼縱情恣欲而不妨其赫奕矣,此敕身履道而不免於貧賤矣。而不知榮顯者有幸,而頓淪者不遇,皆不由其行也。然所謂四通八達者,愛助附己為之,履不及納,帶不暇結,攜手升堂,連袂入室,出則接膝,請會則直致,所惠則得多,屬託則常聽,所欲則必副,言論則見饒,有患則見救,所論薦則蹇驢蒙龍駿之價,所中傷則孝己受商臣之談。故小人之赴也,若決積水於萬仞之高堤,而放烈火乎雲夢之枯草焉。慾望蕭雍濟濟,後生有式,是猶炙冰使燥,積灰令熾矣。

世間或いは年少して然れども淸白の操業なく、長大して官を買うを靠りて而も富貴し、或いはも亦た彼の知る所足りて以て自己文飾し、其の黨與足りて以て互相援引するを恃みて、而も無行の子は便ち以て證と指して、曰く、あの人は情を縱り慾を恣にして然れども彼の赫奕を妨礙せず、這人は身を敕し道を履むも然れども貧賤を免れず、と。然れども榮顯の人は幸有りて、而も頓淪の人は遇わず、皆其の行に由らざるを知らず。然れども所謂四通八達の人は、附從する自己を愛助して、履來不及穿上し、帶來不及結好し、手を攜えて堂に升り、袂を連ねて室に入り、門を出でれば便ち膝を接し、會を請えば便ち直接招來し、惠する所は則ち得る多く、屬托すれば則ち常常聽かれ、欲する所は則ち一定滿足し、言論すれば則ち寬饒せられ、患有れば則ち救はれ、論薦する所は則ち蹇驢は龍駿の價錢を蒙上し、中傷する所は則ち孝己は商臣のあの如き惡名を受く。ゆえに小人は彼らに奔赴して、萬仞の高堤に積水を決し、雲夢の枯草に烈火を放つが如し。蕭雍濟濟・後生法式有らんを想望するは、這便ち冰を烤りて以て乾燥せしめ、灰を積みて以て熾盛せしむるなり、と。

百里卷第二十八

百里巻第二十八

抱朴子曰:三臺九列,坐而論道;州牧郡守,操綱舉領。其官益大,其事愈優,煩劇所鍾,其唯百里。眾役於是乎出,誅求之所叢赴,牧守雖賢而令長不堪,則國事不舉,萬機有闕,其損敗豈徒止乎一境而已哉!

抱朴子曰く、三台九列は、坐して道を論じ。州牧郡守は、綱を操り領を擧ぐ。官越大なれば、事越優閑にして、煩劇の集中する所は、ただ百里の縣に在り。衆役は這裡より出來し、誅求の叢集奔赴する處にして、牧守卽使賢なるも而も令長堪えざれば、則ち國事擧げられず、萬機缺有りて、あの損敗は何處かただ一境に止まるのみならんや、と。

令長尤宜得才,乃急於臺省之官也。用之不得其人,其故無他也,在乎至公之情不行,而任私之意不違也。或父兄貴重,而子弟以聞望見選;或高人屬託,而凡品以無能見敘;或是所宿念,或親戚匪他,知其不可而能用此等。亦時有快者,不為盡無所中也。要於不精者率多矣。其能自效立,勉修清約,夙夜在公,以求眾譽,懼風績之不美,恥知己之謬舉,鮮矣!庸猥之徒,器小志近,冒於貨賄,唯富是圖,肆情恣欲,無止無足。在所司官,知其有足,賴主人舉劾彈糾,終於當解,慮其結怨,反見中傷,不敢犯觸,而恣其貪殘矣。如此,黎庶亦安得不困毒而離判!離判者眾,則不得屯聚而為群盜矣。

令長は尤も該當人才を得るべく、臺省の官より還に急なり。其の人を得ずして用うるは、緣故別になく、至公の情能く行はれず、而も任私の意能く違えざるに在り。或いは父兄貴重して、而も子弟は聞望を靠りて被選せられ。或いは高人屬托して、而も凡品は無能を靠りて被叙用せられ。或いは是れ舊日の惦念する所、或いは親戚是れ外人に非ず、彼の可ならざるを知りて然れども還に能く這類人を用う。も亦た時に快意有りて、完全に中用作るなきに非ず。總じて精ならざる大抵多し。能く自己效力立身し、淸約を勉修し、夙夜公に在りて、以て衆譽を求め、風績の美ならざるを怕り、知己の謬擧を恥とするは、少なし。庸猥の徒は、器小さく志近く、貨賄に冒し、ただ富を圖り、情を肆め慾を恣にして、止みなく足らず。所在の司官は、彼の依仗する所有るを知りて、主人を靠りて擧劾彈糾し、終に該當解職し、又怨を結ぶを慮り、反って中傷せられ、敢えて犯觸せずして、而も彼の貪殘を聽任す。這の如く、黎庶又怎麼して能く困毒して離叛せざらんや。離叛の人は多ければ、便ち將に屯聚して以て群盜を做らん(底本は「不得」と作る、文に於て當に「將」或いは「不得不」と作るべく、未能唯一判定)、と。

夫百尋之室,焚於分寸之飈;千丈之陂,潰於一蟻之穴。何可不深防乎!何可不改張乎!而秉斤兩者,或舍銓衡而任情;掌柯斧者,或曲繩墨於附己。選之者既不為官擇人,而求之者又不自謂不任,於是蒞政而政荒,牧民而民散,或有穢濁驕奢而困百姓者矣,或有苛虐酷烈而多怨判者矣,或有暗塞退憒而庶事亂者矣,或有潦倒疏緩而致馳壞者矣,或有好興不急而疲人力者矣,或有藏養逋逃而行凌暴者矣,或有不曉法令而受欺弄者矣,或有以音聲酒色而致荒湎者矣,或有圍棋樗蒲而廢政務者矣,或有田獵遊飲而忘庶事者矣,或有不省辭訟而刑獄亂者矣。百姓不堪,起為寇賊,釁咎發聞,置於叢棘,虧君上之明,益刑書之煩,而民之荼毒,亦已深矣!

百尋の屋子は、分寸の飆風に焚かれ。千丈の陂は、一蟻の穴に潰る。怎麼して以て深深防範せざる可けんや。怎麼して以て改張せざる可けんや。而も斤兩を秉持する人は、或いは銓衡を舍棄して情に任せ。柯斧を掌る人は、或いは繩墨を彎曲して以て自己に附從す。選ぶ人は既に官の爲に人を擇ばずして、求むる人は又不自己を以て勝任せずと爲し、是に政に莅みて而も政荒れ、民を牧りて而も民散り、或いは穢濁驕奢して而も百姓を困る有り、或いは苛虐酷烈して而も怨叛多き有り、或いは暗塞昏憒して而も庶事亂るる有り、或いは潦倒疏緩して而も弛壞を致す有り、或いは不急の務を興すを好みて而も人力を疲す有り、或いは逋逃を藏養して而も凌暴を行う有り、或いは法令を曉らずして而も欺弄を受くる有り、或いは音聲酒色に因りて而も荒湎を致す有り、或いは圍棋樗蒲して而も政務を廢する有り、或いは田獵游飮して而も庶事を忘掉する有り、或いは辭訟を省らずして而も刑獄亂るる有り。百姓堪えず、起きて寇賊と爲り、釁咎發聞して、叢棘の裡に放たれ、君上の明を虧き、刑書の煩を增加し、而も民の荼毒は、も亦た已に深し、と。

夫用非其人,譬猶被木馬以繁纓,何由騁跡於追風以壤龍當雲雨,安能耀景於天衢哉若秉國之鈞,出納王命者,審良藥之顧眄,不令跛蹇廁騏騄,冒昧苟得,暗於自量者,慮中道之顛躓,不以駑薾服鸞衡,則何患庶績之不康,何憂四凶之不退,三皇豈足四,五帝難六哉!

非其の人を用うるは、便ち木馬に繁纓を披かしむるが如く、什麼を憑りて以て迹を騁して風を追わん。土龍を拿りて以て雲雨に承當せしむるは(底本は「以壤龍當雲雨」と作る)、怎ぞ能く天衢に光彩を閃耀せんや。若し國の鈞を秉り王命を出納する人は、良藥の如き顧盼を審察し、跛蹇をして騏驥の中に廁身せしめず、冒昧苟得・自量に暗き人は、中道顛躓を憂慮して、駑劣を拿りて以て鸞衡を駕せざれば、則ち何患ぞ庶績康ならざる・何憂ぞ四凶退かざる、三皇は何處か够得上並び四と稱し、五帝は難く並び六と稱せんや、と。

接疏卷第二十九

接疏巻第二十九

抱朴子曰:以英逸而遭大明,則桑蔭未移,而金蘭之協已固矣;以長才而遇深識,則不待歷試,而相知之情已審矣。飄乎猶起鴻之乘勁風,翩乎若勝鱗之躡驚雲也。若以沈抑而可忽乎,則姜公不用於周矣;若以疏賤而可距乎,則毛生不貴乎趙矣;若積素行乃托政,則甯戚不顯於齊矣;若貴宿名而委任,則陳韓不錄於漢矣。明者舉大略細,不忮不求,故能取威定功,成天平地,豈肯稱薪而爨,數粒乃炊,並瑕棄譬,披毛索厭黑哉!

抱朴子曰く、英逸を以て而も大明に碰上れば、則ち桑蔭還に未だ移らざるに、金蘭の協契已に固し。長才を以て而も深識に遇上すれば、則ち歷試を等待せずして、相知の情已に審し。飄然として起鴻の勁風に乘るが如く、翩然として勝鱗の驚雲を踏着するが如し。若し沈抑に因りて便ち以て忽略す可ければ、則ち姜公は周の用いる所と爲らざらん。若し疏賤に因りて便ち以て拒絶す可ければ、則ち毛生は趙に貴ばざらん。若し素行を積みて乃ち政事を以て托するを要せば、則ち寧戚は齊に顯れざらん。若し舊名を看重して乃ち委任せば、則ち陳・韓は漢の錄用せらるる所と爲らざらん。明者は大を擧げ細を略し、忌刻せず貪求せず、ゆえに能く威を取り功を定め、天を成し地を平ぐ、何處か肯じて薪を稱して乃ち炊ぎ、粒を數えて乃ち飯を煮、瑕と连同して美玉を棄掉し、毛を披着して以て瘢黑を搜索せんや(底本は「厭黑」と作る、疑らくは當に「瘢」と作るべし)、と。

鈞世卷第三十

鈞世巻第三十

或曰:“古之著書者,才大思深,故其文隱而難曉;今人意淺力近,故露而易見。以此易見,比彼難曉,猶溝澮之方江河,蟲豈垤之並嵩岱矣。故水不發山崑山,則不能揚洪流以東漸;書不出英俊,則不能備致遠之弘韻焉。”

或る人曰く、古時候書を著す人は、才大きく思深く、ゆえに文隱れて曉り難し。今人意淺く力近く、ゆえに直露して見え易し。這易く見えるを拿りて、あの曉り難きを比すれば、便ち溝澮を以て江河に比し、蟻垤を以て嵩岱に倂するが如し(底本は「虫豈垤」と作る、「虫豈」は「蟻」の訛)。ゆえに水は昆山より發出せざれば、便ち能く洪流を揚起して以て東漸せず。書は英俊より出でざれば、便ち能く遠を致するの弘韻を備具せず、と。

抱朴子答曰:“夫論管穴者,不可問以九陔之無外;習拘閡者,不可督以拔萃之獨見。蓋往古之士,匪鬼匪神,其形器雖冶鑠於疇曩,然其精神,布在乎方策。情見乎辭,指歸可得。且古書之多隱,未必昔人故欲難曉,或世異語變,或方言不同,經荒歷亂,埋藏積久,簡編朽絕,亡失者多,或雜續殘缺,或脫去章句,是以難知,似若至深耳。且夫《尚書》者,政事之集也,然未若近代之優文詔策軍書奏議之清富贍麗也;《毛詩》者,華彩之辭也,然不及《上林》《羽獵》《二京》《三都》之汪濊博富也。然則古之子書,能勝今之作者,何也然守株之徒,嘍嘍所玩,有耳無目,何肯謂爾。其於古人所作為神,今世所著為淺,貴遠賤近,有自來矣。

抱朴子回答して曰く、管穴を論ずる人は、可に九陔の無外を拿りて以て彼を問う可からず。拘阂を習慣する人は、可に拔萃の獨見を拿りて以て彼を督責す可からず。往古の士は、鬼に非ず神に非ず、彼らの形器は雖も往昔に冶鑠せられたるも、然れども彼らの精神は、方策の上に散布す。情は辭に見え、指歸は以て得る可し。況んや古書の多く隱るるは、未必是れ昔人の故意曉り難からしめんと欲するに非ず、或いは世異なり語變り、或いは方言同じからず、荒亂を經歷し、埋藏積久しく、簡編朽絶して、亡失する多く、或いは雜續殘缺し、或いは章句を脫去し、因此知り難し、極深の如くすのみ。況んや《尚書》は是れ政事の彙集にして、然れども近代の優文・詔策・軍書・奏議の清富贍麗に比せず。《毛詩》は是れ華彩の辭にして、然れども《上林》《羽獵》《二京》《三都》の汪濊博富に趕及ばず。然らば則ち古の子書は、能く今の作者に勝過するは、是れ何を爲すか。然れども株を守るの徒は、玩習する所に嘍嘍として、耳有りて目なく、何處か肯じて這樣を承認せんや。彼らは古人の作する所を以て神と當て、今世の著する所を以て淺と當て、遠を貴び近を賤むは、是れ由來已に久し、と。

“故新劍以詐刻加價,弊方以偽題見寶也。是以古書雖質樸,而俗儒謂之墮於天也;今文雖金玉,而常人同之於瓦礫也。古書者雖多,未必盡美,要當以為學者之山淵,使屬筆者,得辨伐漁獵其中。然而譬如東甌之木,長洲之林,梓豫雖多,而未可謂之為大廈之壯觀,華屋之弘麗也;雲夢之澤,孟諸之藪,魚肉之(有脫文)雖饒,而未可謂之為煎火*敖之盛膳,渝狄之嘉味也。今詩與古詩,俱有義理,而盈於差美。

(抱朴子が続けて言うには、)「ゆえに新劍は詐刻を靠りて價を加え、弊方は僞題を靠りて寶と看なさる。因此古書は雖も質樸なるも、俗儒は却ってそれを天より掉下したりと説く。今文は雖も金玉なるも、常人は却ってそれを瓦礫に等同す。古書は雖も多し、未必盡く美ならず、總じて該當學者の山淵と當てて、筆を動かす人をして、能く中より辨伐漁獵せしめん。然れども便ち東甌の木・長洲の林の如く、梓豫雖も多し、然れども能くあれは即ち大廈の壯觀・華屋の弘麗と説く能わず。雲夢の澤・孟諸の藪は、魚肉〔底本此處脫文有り〕雖も豐饒なるも、然れども能くあれは即ち煎熬の盛膳(底本「煎火*敖」は此字是れ生僻字にして、轉錄後失落、當に「熬」と讀作すべし)・俞狄の嘉味と説く能わず。今詩と古詩は、皆義理有りて、而も美に滿と差有り、と。

方之於士,並有德行,而一人偏長藝文,不可謂一例也;比之於女,俱體國色,而一人獨閒百伎,不可混為無異也。若夫俱論宮室,而奚斯路寢之頌,何如王生之賦靈光乎同說遊獵,而叔畋盧鈴之詩,何如相如之言上林乎並美祭祀,而清廟雲漢之辭,何臺郭氏南郊之豔乎等稱征伐,而出車六月之作,何如陳琳武軍之壯乎則舉條可以覺焉。近者夏侯湛潘安仁並作補亡詩,白華由庚南陔華黍之屬,諸碩儒高才之賞文者,鹹以古詩三百,未有足以偶二賢之所作也。

(抱朴子が続けて言うには、)士を拿りて以て比すれば、皆德行有りて、而も一人偏に藝文に長ず、以て是れ一例と説く可からず。女を拿りて以て比すれば、皆體は國色を具えて、而も一人獨り百伎に嫻り、混じて以て差異なきと作る可からず。皆宮室を論ずるに至りては、奚斯路寝の頌は、王生の靈光を賦するを比ぶれば怎樣なるか。同じく游獵を説けば、叔畋・盧鈴の詩は、相如の上林を講ずるを比ぶれば怎樣なるか。並び祭祀を美すれば、淸廟・雲漢の辭は、郭氏南郊の艷を比ぶれば怎樣なるか(底本は「何臺」と作る、「臺」は「如」の訛)。等しく征伐を稱すれば、出車・六月の作は、陳琳武軍の壯を比ぶれば怎樣なるか。條目を擧出すれば便ち以て覺悟す可し。近者夏侯湛・潘安仁は並び補亡詩を作り、白華・由庚・南陔・華黍の一類は、諸碩儒高才文を賞する人は、皆以て古詩三百は、二賢の作する所に匹配するに足るなしと爲す、と。

“且夫古者事事醇素,今則莫不雕飾,時移世改,理自然也。至於罽錦麗而且堅,未可謂之減於蓑衣;輜車並妍而又牢,未可謂之不及椎車也。書猶言也,若入談語,故為知有(音),胡越之接,終不相解,以此教戒,人豈知之哉!若言以易曉為辨,則書何故以難知為好哉若舟車之代步涉,文墨之改結繩,諸後作而善於前事,其功業相次千萬者,不可復縷舉也。世人皆知之,快於曩矣,何以獨文章不及古邪

(抱朴子が続けて言うには、)「況んや古時候事事醇素にして、如今は則ち雕飾せざるなし、時移り世改まるは、理是れ自然なり。罽錦麗にして且つ堅きに至りては、以て蓑衣に減ずと説く可からず。輜車並び妍にして又牢なるは、以て椎車に趕及ばずと説く可からず。書は便ち話の如し、若し人談話して、故意に知音を做成せば(底本は「知有」と作る、注音「音」)、胡越相接して、終竟互相懂せず、這個を拿りて以て教戒するは、人何處か會知せんや。若し話は易く曉喻するを以て明辨と爲せば、則ち書は什麼を爲すか難知を以て好と爲すか。便ち舟車は步行涉水に代え、文墨は結繩を改掉するが如く、諸後作して而も前事に善きは、功業相差千萬なるは、能く再び一一擧列せず。世人は皆這些は往昔より快なるを知る、什麼を爲すか獨獨文章は古に趕及ばずとせんや」と。

省煩卷第三十一

省煩巻第三十一

抱撲子曰:安上治民,莫善於禮,彌綸人理,誠為曲備。然冠婚飲射,何煩碎之甚邪!人倫雖以有禮為貴,但當令足以敘等威而表情敬,何在乎升降揖讓之繁重,拜起俯伏之無已邪!往者天下乂安,四方無事,好古官長,時或修之,至乃講試累月,督以楚撻,晝夜修習,廢寢與食。經時學之,一日試之,執卷從事,案文舉動,黜謫之罰,又在其間,猶有過誤,不得其意。而欲以為以此為生民之常事,至難行也。此墨子所謂累世不能盡其學,當年不能究其事者也。

抱朴子曰く(底本は「抱扑子」と作る、「扑」は「朴」の訛)、上を安んじ民を治むるは、禮より好きなし、人理を彌綸するは、實に周備なり。然れども冠婚飮射は、何其煩碎極に到れるや。人倫は雖も禮有るを以て貴と爲すも、ただ該當それをして足りて等威を叙し而も情敬を表するに足らしめんのみ、何處か升降揖讓の繁重・拜起俯伏の完なきに在らんや。往昔天下安定して、四方事なく、古を好む官長は、時或いは這些を修習して、以て講試月を累し、楚撻を用いて以て督し、晝夜修習して、寝と食を廢するに至る。時を經てそれを學び、一日それを試み、卷を拿着して從事し、條文に按じて擧動し、黜謫の罰又其の間に在りて、還に過誤有りて、其の意を得ず。然れども這個を拿りて以て生民の常事と當てんと想うは、是れ極めて行い難し。這即ち墨子の所謂累世しても能く其の學を盡くせず、當年しても能く其の事を究めざるなり、と。

古人詢於草芻蕘,博辨童謠,狂夫之言,猶在擇焉。至於墨子之論,不能非也。但其張刑網,開途徑,浹人事,備王道,不能曲述耳。至於譏葬厚,刺禮煩,未可棄也。

古人は芻蕘に向かって詢問し、童謠を博采し、狂夫の話は、還に選擇の列に在り。墨子の議論に至りては、能く非難せず。ただ彼の刑網を張設し途徑を開闢し人事を浹洽し王道を備具するは、能く曲折詳述せざるのみ。譏り厚葬・刺す禮煩に至りては、以て抛棄す可からず。

自建安之後,魏之武文,送終之制,務在儉薄,此則墨子之道,有可行矣。餘以為喪亂既平,朝野無為,王者所制,自君作古。可命精學洽聞之士,才任損益,免於拘愚者,使刪定三禮,割棄不要,次其源流,總合其事,類集以相從。其煩重遊說,辭異而義同者存之,不可常行除之。無所傷損,卒可斷約而舉之,勿令沈隱,復有凝滯。其吉凶器用之物,俎豆觚觶之屬,衣冠車服之制,旗章辨色之美,宮室尊卑之品,朝饗賓主之儀,祭奠殯葬之變,郊祀禘祫之法,社稷山川之禮,皆可減省,務令約儉。夫約則易從,儉則用少;易從則不煩,用少則費薄;不煩則蒞事者無過矣,費薄則調求者無苛矣。拜休揖讓之節,升降盤旋之容,使足敘事,無令小碎。條牒各別,令易案用。

建安の後より自り、魏の武帝・文帝は、終を送るの制度は、儉薄に務在り、這即ち墨子の道にして、以て行う可き有り。我以て喪亂既に平ぎ、朝野無爲として、王者の制する所は、君より始めて古を作す可し。可に精學洽聞の士・才足りて損益し拘愚を免るる人を命じて、彼らをして三禮を刪定し、要緊ならざるを割棄し、源流を排次し、其の事を總合し、類に按じて相從せしめん。あの煩重遊說・辭異なりて義同じきは之れを保存し、常に行う可からざるは之れを除去す。什麼の傷損なく、終に以て斷約して而も擧出し、それをして沉隱せしめず、再び凝滯有らしめず。吉凶器用の物・俎豆觚觶の一類・衣冠車服の制度・旗章辨色の美・宮室尊卑の品級・朝饗賓主の儀・祭奠殯葬の變・郊祀禘祫の法・社稷山川の禮は、皆以て減省す可く、務めて約儉せしめん。約なれば則ち容易く聽從し、儉なれば則ち用いる少なし。容易く聽從すれば則ち煩ならず、用いる少なければ則ち費薄し。煩ならざれば則ち事に莅む人は過なく、費薄ければ則ち調求する人は苛なし。拜揖讓の節・升降盤旋の容は、それをして足りて事を叙せしめ、細碎せしめず。條牒各別にして、人をして容易く按着して使用せしめん、と。

今五禮混撓,雜飾紛錯,枝分葉散,重出互見,更相貫涉。舊儒尋案,猶多所滯,駁難漸廣異同無已,殊理兼說,歲增月長,自非至精,莫不惑悶。躊躇岐路之衢,悉勞群疑之藪,煎神瀝思,考校判例,嘗有窮年,竟不豁了。治之勤苦,決嫌無地,呻吟尋析,憔悴決角,修之華首不立,妨費日月,廢棄他業,悉困後生,真未央矣。長致章句,多於本書。今若契合雜俗,次比種稷,刪削不急,抗其綱,校其令,炳若日月之著明,灼若五色之有定,息學者萬倍之役,弭諸儒爭訟之煩,將來達者觀之,當美於今之視周矣。此亦改燒石去血食之比,無所憚難,而恨恨於惜懷,推車遲於去巢居也。

如今五禮混撓して、雜飾紛錯し、枝分れ葉散り、重出互見して、更相貫涉す。舊儒尋案するも、還に多く滯礙有りて、駁難漸漸廣く異同完なく、殊理兼説して、歲增し月長く、至精に非ざれば、惑悶せざるなきなし。岐路の衢に躊躇し、群疑の藪に勞苦し、神を煎り思を瀝りて、判例を考校し、曾て窮年しても、竟に能く豁然了悟せず。それを治むる勤苦し、嫌を決するに處なく、呻吟して尋析し、憔悴して角を決し、華首に修して還に立住せず、日月を妨費し、他業を廢棄し、後生を困住す、真是れ未だ央盡有らず。長篇の章句は、本書より還に多し。如今若し雜俗に契合し、種稷のあの如く次比に按じ、急ならざるを刪削し、綱を擧起し、律令を校定して、炳然として日月の著明の如く、灼然として五色の定有るが如くせば、學者萬倍の役を停息し、諸儒爭訟の煩を消弭し、將來通達の人それを看れば、該當如今周を看るに美しからん。這も亦た燒石を改掉し血食を去るの比方の如く、什麼の怕難す可きなく、然れども還に恨恨として舊懷を愛惜して、推車の巢居を離るるに遲きが如し、と。

然守常之徒,而卒聞此義,必將愕然創見,謂之狂生矣。夫三王不相沿樂,五帝不相襲禮,而其移風易俗,安上治民一也。或革或因,損益懷善,何必當乘船以登山,策馬以涉川,被甲以升廟堂,重裘以當隆暑乎!若謂古事終不可變,則棺槨不當代薪埋,衣裳不宜改裸袒矣。

然れども常を守るの徒は、忽然として這個の義を聽見すれば、必ず將に愕然として以て創見と當て、我を狂生と説かん。三王は相沿樂せず、五帝は相襲禮せずして、而も彼らの風を移し俗を易え・上を安んじ民を治むるは是れ一樣なり。或いは革し或いは因りて、損益善を懷けば、何必一定に船を乘りて以て山に登り、馬を策めて以て川を涉り、甲を披いて以て廟堂に升り、重裘して以て隆暑に當てんや。若し古事終竟以て變す可からずと説かば、則ち棺槨は該當薪埋に代わるべからず、衣裳は該當裸袒を改掉すべからず、と。

尚博卷第三十二

尚博巻第三十二

抱朴子曰:正經為道義之淵海,子書為增深之川流。仰而比之,則景星之佐三辰也;俯而方之,則林薄之裨嵩嶽也。雖津途殊闢,而進德同歸;雖離於舉趾,而合於興化。故通人總原本以括流末,操綱領而得一致焉。古人嘆息於才難,故謂百世為隨踵,不以璞非崑山而棄耀夜之寶,不以書不出聖而廢助教之言。是以閭陌之拙詩,軍旅之鞫誓,或詞鄙喻陋,簡不盈十,猶見撰錄,亞次典誥,百家之言,與善一揆。譬操水者,器雖異而救火同焉;猶針炙者,術雖殊而攻疾均焉。

抱朴子曰く、正經は是れ道義の淵海にして、子書は是れ加深の川流なり。仰いで而もそれを比すれば、便ち景星の三辰を輔佐するが如し。俯して而もそれを方すれば、便ち林薄の嵩岳を裨補するが如し。雖も津途開闢同じからず、而も德を進むる同歸し。雖も趾を擧ぐる離有り、而も興化に合す。ゆえに通人は原本を總じて以て流末を括り、綱領を操りて而も一致を得る。古人は才難を歎息し、ゆえに百世乃ち踵に隨いて至ると説く。璞は昆山に非ざるに因りて能く夜を照らすの寶を抛棄せず、書は聖人より出づるに非ざるに因りて教を助くるの話を廢掉せず。因此閭陌の拙詩・軍旅の鞫誓は、或いは詞鄙く喻陋なるも、簡冊十を滿せず、還に撰錄せられ、典誥に亞次す、百家の話は、善と是れ一個の道理なり。便ち水を取る人の、器は雖も同じからず而も火を救う同じきが如し。便ち鍼灸の人の、術は雖も殊なり而も疾を攻むる均等なるが如し、と。

漢魏以來,群言彌繁,雖義深於玄淵,辭贍於波濤,施之可以臻徵祥於天上,發嘉瑞於后土,召環雉於大荒之外,安圜堵於函夏之內,近弭禍亂之階,遠垂長世之祉。然時無聖人,目其口藻,故不得騁驊騄之跡於千里之途,編近世之道於三墳之末也。拘繫之徒,桎梏淺隘之中,挈瓶訓詁之間,輕奇賤異,謂為不急。或雲小道不足觀,或雲廣博亂人思,而不識合錙銖可齊重於山陵,聚百十可以致數於億兆,群色會而袞藻麗,眾音雜而韶濩和也。或貴愛詩乘淺近之細文,忽薄深美富博之子書,以磋切之至言為呆拙,以虛華之小辯為妍巧,真偽顛倒,玉石混淆,同廣樂於桑間,鈞龍章於卉服。悠悠皆然,可嘆可慨也!

漢魏以來、群言更加繁多して、卽使義深く玄淵、辭贍く波涛に於ても、それを施行すれば可に天上に徵祥を臻致し、后土に嘉瑞を發し、大荒の外に環雉を召回し、函夏の內に圜堵を安定し、近處は禍亂の階梯を消弭し、遠處は長世の福を垂下す。然れども當時聖人なく、以て這些の口藻を品目せしめず、ゆえに能く驊騮の足迹を千里の途に騁せず、近世の道を三墳の末に編むる能わず。拘系の徒は、淺隘の中に桎梏せられ、訓詁の間に瓶を挈げ、奇を輕く異を賤みて、是れ急ならずと説く。或いは小道足りて觀るに足らずと説き、或いは廣博人の思を亂すと説きて、然れども錙銖を合起して以て山陵と齊重す可く、百十を聚起して以て億兆の數に達す可く、群色會合して而も袞藻麗しく、衆音夾雜して而も韶濩和するを識らず。或いは詩賦淺近の細文を貴愛し、深美富博の子書を忽薄し、磋切の至言を以て呆拙と當て、虛華の小辯を以て妍巧と當て、真僞顛倒して、玉石混淆し、廣樂を以て桑間に等同し、龍章を以て卉服に均しくす。悠悠皆這樣なり、可歎可慨なり、と。

或曰:“著述雖繁,適可以騁辭耀藻,無補救於得失,未若德行不言之訓。故顏閔為上而遊夏乃次。四科之格,學本而行末,然則綴文固為餘事,而吾子不褒崇其源,而獨貴其流,可乎”抱朴子答曰:“德行為有事,優劣易見。文章微妙,其體難識。夫易見者粗也,難識者精也。夫唯粗也,故銓衡有定焉;夫唯精也,故品藻難一焉。吾故舍易見之粗,而論難識之精,不亦可乎!”

或る人曰く、著述は雖も繁多なるも、ただ可に辭を騁し藻を耀すのみ、得失に對して補救なく、德行不言の訓に如かず。ゆえに顏・閔は上と爲し而も游・夏は才次に居る。四科の格は、學是れ本にして行是れ末なり、然らば則ち文を綴るは固然是れ餘事にして、而も您は其の源を褒崇せずして、然れども獨獨其の流を看重す、可ならんか、と。抱朴子回答して曰く、德行は是れ事有るにして、優劣見え易し。文章は微妙にして、其の體識り難し。易く見えるは是れ粗にして、識り難きは是れ精なり。ただ是れ粗なるに因りて、ゆえに銓衡定有り。ただ是れ精なるに因りて、ゆえに品藻一律に難し。我舍掉して易く見えるの粗して、而も識り難きの精を論ずる所以は、不も亦た可ならんか、と。

或曰:“德行者本也,文章者末也。故四科之序,文不居上。然則著紙者,糟粕之餘事;可傳者,祭畢之芻狗。卑高之格,是可識矣。文之體略,可得聞乎”

或る人曰く、德行は是れ本にして、文章是れ末なり。ゆえに四科の次序は、文は上に居らず。然らば則ち紙上に着するは、是れ糟粕の餘事にして、以て傳える可きは、是れ祭畢の芻狗なり。卑高の格は、這便ち以て識る可し。文の體略は、以て聽聞す可けんか、と。

抱朴子曰:“荃可以棄而魚未獲,則不得無荃;文可以廢而道未行,則不得無文。若夫翰跡韻略之宏促,屬辭比事之疏密,源流至到之修短,蘊藉汲引之深淺。其懸絕也,雖天外毫內,不足以喻其遼邈;其相傾也,雖三光熠耀,不足以方其鉅細。龍淵鉛鋌,未足譬其銳鈍;鴻羽積金,未足比其輕重。清濁叄差,所稟有主,朗昧不同科,強弱各殊氣,而俗士唯見能染毫畫紙者,便概之一例。斯伯牙所以永思鍾子,郢人所以格斤不運也。蓋刻削者比肩,而班狄擅絕手之稱;援琴者至眾,而夔襄專知音之難。廄馬千駟,而騏驥有邈群之價;美人萬計,而威施有超世之容。蓋有遠過眾者也。

抱朴子曰く、荃は以て抛棄す可くして而も魚還に未だ獲到せざれば、則ち能く荃なからざる可からず。文は以て廢掉す可くして而も道還に未だ行はれざれば、則ち能く文なからざる可からず。翰迹韻略の宏促・屬辭比事の疏密・源流至到の修短・蘊藉汲引の淺深に至りては、彼ら懸絶するは、卽使天外と毫內とも、も亦た足りて以てあの遼邈を比喻せず。彼ら相傾するは、卽使三光と熠耀とも、も亦た足りて以てあの巨細を比方せず。龍淵と鉛鋌とは、足りて以て彼らの銳鈍を譬えず。鴻羽と積金とは、足りて以て彼らの輕重を比せず。清濁參差して、稟する所主有り、朗昧同科ならず、強弱各々氣殊にして、而も俗士ただ能く毫を染め紙を畫く人を看見して、便ち一概として以て一例と當てす。這即ち伯牙の永遠に鍾子を思念したる所以・郢人の斧斤を停下して再び運ばざる所以の緣故なり。刻削の人は比肩すれど、而も班・狄は絶手の稱を擅す。琴を援ぐる人は極めて多く、而も夔・襄は專有知音の難し。廄馬千駟にして、而も騏驥は邈として群を出づるの價有り。美人萬計にして、而も威施は超世の容有り。大概有りて遠く衆人を超過す、と。

“且夫文章之與德行,猶十尺之與一丈,謂之餘事,未之前聞。夫上天之所以垂象,唐虞之所以為稱,大人虎炳,君子豹蔚,昌旦定聖諡於一字,仲尼從周之鬱,莫非文也。八卦生鷹隼之所被,六甲出靈龜之所負,文之所在,雖賤猶貴,犬羊之鞟,未得比焉。且夫本不必皆珍,末不必悉薄。譬若錦繡之因素地,珠玉之居蚌石,雲雨生於膚寸,江河始於咫尺爾。則文章雖為德行之弟,未可呼為餘事也。”

(抱朴子が続けて言うには、)「況んや文章と德行とは、便ち十尺と一丈の如く、それを是れ餘事と説くは、先前未だ聞過せず。上天の垂象する所以・唐虞の稱道せらるる所以・大人虎炳・君子豹蔚・昌・旦は一個の字を用いて以て聖諡を定下し・仲尼は周の郁郁に從うは、文に非ざるなきなり。八卦は鷹隼の披く所の文より生じ、六甲は靈龜の負う所の文より出づ、文の在る所は、卽使賤なるも還に貴し、犬羊の皮は、能くそれと比せず。況んや本は不必皆珍・末は不必皆薄ならんや。便ち錦繡は素地を以て因と爲し、珠玉は蚌石裡に住し、雲雨は膚寸より生じ、江河は咫尺より始まるが如し。然らば則ち文章は雖も德行の弟なりと雖も、以て餘事と叫作す可からず」と。

或曰:“今世所為,多不及古,文章著述,又亦如之。豈氣運衰殺,自然之理乎”

或る人曰く、今世の做する所は、多く古に趕及ばず、文章著述も、も亦た是れ這樣なり。豈に是れ氣運衰殺して、自然の道理なるか、と。

抱朴子答曰:“百家之言,雖有步起,皆出碩儒之思,成才士之手,方之古人,不必悉減也。或有汪濊玄曠,合契作者,內闢不測之深源,外播不匱之遠流,其所祖宗也高,其所紬繹也妙,變化不繫滯於規矩之方圓,旁通不凝閡於一途之逼促,是以偏嗜酸鹹者,莫能知其味,用思有限者,不能得其神也。夫應龍徐舉,顧眄凌云,汗血緩步,呼吸千里,而螻蟲豈怪其無階而高致,駑蹇患其過己之不漸也。若夫馳驟於詩論之中,周旋於傳記之間,而以常情覽巨異,以褊量測無涯,以至粗求至精,以甚淺揣甚深,雖始自髫齔,訖於振素,猶不得也。

抱朴子回答して曰く、百家の話は、雖も步有り起有るも、皆碩儒の思より出で、才士の手に成る、古人と比ぶれば、不必皆減色せず。或いは汪濊玄曠して、作者と合契し、內裡は測る可からざるの深源を開闢し、外面は匱ならざるの遠流を播散し、祖宗する所高く、䌷繹する所妙にして、變化は規矩の方圓の上に係滯せず、旁通は一途の逼促の上に凝閡せず、因此偏に酸鹹を嗜む人は、能く其の味を知らず、思を用うる有限の人は、能く其の神を得ず。應龍慢慢擧起して、顧盼すれば便ち雲を凌り、汗血緩步して、呼吸すれば便ち千里なりて、而も螻蟻はそれが階なくして然れども高致するを怪しみ(底本は「螻虫豈」と作る、「虫豈」は「蟻」の訛)、駑蹇はそれが自己を超過して漸漸より來るに非ざるを患う。詩論の中に馳驟し、傳記の間に周旋するに至りては、然れども常情を用いて以て巨異を看、褊量を用いて以て無涯を測り、至粗を用いて以て至精を求め、甚淺を用いて以て甚深を揣すれば、卽使髫齔より開始して、白髮素を振るに到るも、還に得る能わず、と。

夫賞快者必譽之以好,而不得曉者,必毀之以惡,自然之理也。於是以其所不解者為虛誕,慺誠以為爾,未必違情以傷物也。又世俗率神貴古昔而黷賤同時:雖有追風之駿,猶謂之不及造父之所御也;雖有連城之珍,猶謂之不及楚人之所泣也;雖有疑斷之劍,猶謂之不及歐冶之所鑄也;雖有起死之藥,猶謂之不及和鵲之所合也;雖有超群之人,猶謂之不及竹帛之所載也;雖有益世之書,猶謂之不及前代之遺文也。是以仲尼不見重於當時,大玄見蚩薄於比肩也。俗士多云,今山不及古山之高,今海不及古海之廣,今日不及古日之熱,今月不及古月之朗,何肯許今之才士,不減古之枯骨!重所聞,輕所見,非一世之所患矣。昔之破琴剿弦者,諒有以而然乎!

(抱朴子が続けて言うには、)賞快する人は一定に好を用いて以て稱譽し、而も曉を得ざる人は、一定に惡を用いて以て毁る、這是自然の道理なり。是に彼の懂せざる所を以て虛誕と當て、誠心以て是れ這樣と爲して、未必是れ情に違いて以て物を傷るに非ず。又世俗大抵古昔を神貴して而も同時を黷賤す。卽使追風の駿有るも、還に造父の駕する所に趕及ばずと説く。卽使連城の珍有るも、還に楚人の泣く所に趕及ばずと説く。卽使疑能斷の劍有るも、還に歐冶の鑄する所に趕及ばずと説く。卽使死を起すの藥有るも、還に和・鵲の合する所に趕及ばずと説く。卽使群を超する人有るも、還に竹帛の載する所に趕及ばずと説く。卽使世に益する書有るも、還に前代の遺文に趕及ばずと説く。因此仲尼は當時に看重せられず、《太玄》は並世の人に蚩薄せられり。俗士多く説く、今山は古山の高に及ばず、今海は古海の廣に及ばず、今日は古日の熱に及ばず、今月は古月の明に及ばずと、何處か肯じて今の才士が、古の枯骨に減せざるを許さんや。聞く所を重くし、見る所を輕くすは、是れ一世の患する所に非ず。從前琴を破り弦を剿する人は、諒來是れ緣故有りて乃ち這樣せり、と。

漢過卷第三十三

漢過巻第三十三

抱朴子曰:歷覽前載,逮乎近代,道微俗弊,莫劇漢末也。當途端右閹官之徒,操弄神器,秉國之鈞,廢正興邪,殘仁害義,蹲踏背憎,即聾從昧,同惡成群,汲引奸黨。吞財多藏,不知紀極,而不能散錙銖之薄物,施振清廉之窮儉焉。進官則非多財者不達也,獄訟則非厚貨者不直也,官高勢重,力足拔才,而不能發毫釐之片言,進益時之翹俊也。其所用也,不越於妻妾之戚屬;其惠澤也,不出乎近習之庸瑣。莫戒臧文竊位之譏,靡追解狐忘私之義,分祿以擬王林,致事以由方回。故列子比屋,而門無鄭陽之恤;高概成群,而不遭暴生之薦。抑挫獨立,推進附己,此樊姬所以掩口,馮唐所以永慨也。

抱朴子曰く、前代記載を歷覽して、近代に到れば、道微く俗弊るる、漢末より劇烈なるなし。當途の端右・閹官の徒は、神器を操弄し、國の鈞を秉り、正を廢し邪を興し、仁を殘し義を害し、蹲踏背憎して、即聾從昧し、惡を同じくして群を成し、奸黨を汲引す。財を吞し多藏して、紀極を知らずして、然れども能く錙銖薄物を散出して、淸廉の窮儉を施賑せず。官を進むれば則ち多財の人に非ざれば達せず、獄訟すれば則ち厚貨の人に非ざれば直ならず、官高く勢重く、力量足りて以て才を拔くも、然れども能く毫釐の片言を發出して、時を益するの翹俊を進用せず。用うる所の人は、妻妾の戚屬を超過せず。惠澤は、近習の庸瑣を出でず。臧文仲位を竊るの譏を戒めず、解狐私を忘掉するの義を追わず、祿を分かちて王林に比擬せんと想い、事を致して方回を經由せんと想う。ゆえに列子は屋を比して居るも、門下は然れども鄭陽の體恤なし。高概群を成すも、然れども暴生の薦擧に遇上せず。獨立の人を抑挫し、附從する自己を推進す、這即ち樊姬の口を掩いたる所以・馮唐の永慨したる所以の緣故なり、と。

干時率皆素餐俞容,掩德蔽賢,忌有功而危之,疾清白而排之,諱忠讜而陷之,惡特立而擯之,柔媚者受崇飾之佑,方稜者蒙訕棄之患。養豺狼而殲驎虞,殖枳棘而翦椒桂。於是傲兀不檢丸轉萍流者謂之弘偉大量;苛碎峭嶮懷螫挾毒者,謂之公方正直;令色警慧有貌無心者,謂之機神朗徹;利口小辯希指巧言者,謂之標領清妍;猝突萍鷽驕矜輕侻者,謂之巍峨瑰傑;嗜酒好色闒茸無疑者,謂之率任不矯;求取不廉好奪無足者,謂之淹曠遠節;蓬髮褻服遊集非類者,謂之通美泛愛;反經詭聖順非而博者,謂之莊老之客;嘲弄嗤妍凌尚侮慢者,謂之蕭豁雅韻;毀方投圓面從響應者,謂之絕倫之秀;憑倚權豪推貨履徑者,謂之知變炎奇;懶看文書望空下名者,謂之業大志高;仰賴強親位過其才者,謂之四豪之匹;輸貨勢門以市名爵者,謂之輕財貴義;結黨合譽行與口違者,謂之以文會友;左道邪術假託鬼怪者,謂之通靈神人;卜占小數誑飾禍福者,謂之知來之妙,(般馬)弄槊一夫之勇者,謂之上將之元;合離道聽偶俗而言者,謂之英才碩儒。

當時大抵皆是れ素餐偷容して、德を掩き賢を蔽い、功有るを忌して而も彼を危害し、淸白を疾して而も彼を排斥し、忠讜を諱して而も彼を陷害し、特立を惡みて而も彼を擯棄す。柔媚の人は崇飾の佑を受け、方棱の人は訕棄の患を蒙る。豺狼を養いて而も騶虞を殲し、枳棘を殖して而も椒桂を翦す。是に傲兀不檢・丸轉萍流の人を叫作して弘偉大量と爲し。苛碎峭險・螫を懷き毒を挾む人を、叫作して公方正直と爲し。令色警慧・貌有りて心なき人を、叫作して機神朗徹と爲し。利口小辯・指を希い言巧みなる人を、叫作して標領淸妍と爲し。猝突輕佻・驕矜輕侻の人を、叫作して巍峨瑰傑と爲し。酒を嗜み色を好み・闒茸檢束なき人を、叫作して率任不矯と爲し。求取廉ならず・奪を好みて足なき人を、叫作して淹曠遠節と爲し。蓬髮褻服・游集非類の人を、叫作して通美泛愛と爲し。經に反き聖に詭き・非に順いて而も博なる人を、叫作して莊老の客と爲し。嘲弄嗤妍・凌尚侮慢の人を、叫作して蕭豁雅韻と爲し。方を毁り圓に投じ・面從響應の人を、叫作して絶倫の秀と爲し。權豪に憑倚し・貨を推し徑を走る人を、叫作して知變炎奇と爲し。文書を看るを懶み・空を望みて署名する人を、叫作して業大志高と爲し。強親を仰賴し・位其の才を過ぐる人を、叫作して四豪の匹と爲し。貨を勢門に輸し・以て名爵を買來する人を、叫作して輕財貴義と爲し。黨を結び譽を合し・行は口と違う人を、叫作して以文會友と爲し。左道邪術・鬼怪に假托する人を、叫作して通靈神人と爲し。占卜小數・禍福を誑飾する人を、叫作して知來の妙と爲し。馬を盤し槊を弄し・ただ一夫の勇のみ有る人を(底本は「(般馬)弄槊」と作る)、叫作して上將の元と爲し。道聽を合離し・俗に偶りて言う人を、叫作して英才碩儒と爲す、と。

若夫體亮行高,神清量遠,不諂笑以取悅,不曲言以負心,含霜履雪,義不苟合,據道推方,嶷然不群,風雖疾而枝不撓,身雖困而操不改,進則切辭正論,攻過箴闕,退則端誠杜私,知無不為者,謂之門音呆徒苦。夙興夜寐,退食自公,憂勞損益,畢力為政者,謂之小器俗吏。於是明哲色斯而幽遁,高俊括囊而佯愚,疏賤者奮飛以擇木,縶制者曲從而朝隱,知者不肯吐其秘算,勇者不為致其果毅,忠謇離退,姦凶得志,邪流溢而不可遏也,偽途闢而不可杜也。以臻乎凌上替下,盜賊多有,宦者奪人主之威,三九死庸豎之手。忠賢望士,謂之黨人,囚捕誅鋤,天下嗟嗷,無罪無辜,閉門遇禍。微煙起於蕭牆,而飈焚遍於宇宙;淺隙發於膚寸,而波濤漂乎四極。金城屠於庶寇,湯池航於一葦,勁銳望塵而冰泮,徵人倒戈而奔北,飛鋒薦於戶衣闥,左衽掠於禁省,禾黍生於廟堂,榛莠秀乎玉階,雲觀變為狐兔之藪,象魏化為虎豹之蹊,東序煙燼於委灰,生民火焦淪於淵火,兇家害國,得罪竹帛,良史無褒言,金石無德音。夫何哉夫人故也。

體亮行高・神淸量遠く・笑を諂げて以て悅を取らず・言を曲げて以て心を負かず・霜を含み雪を履み・義苟合せず・道に據り方を推し・嶷然として群れず・風卽使疾くとも而も枝は撓せず・身卽使困るとも而も操は改まらず・進めば則ち辭を切り論を正しくして過を攻め闕を箴し・退けば則ち誠を端にし私を杜じ・知れば爲さざるなき人に至りては、叫作されて〔底本「門音呆徒苦」文字訛脫、未能唯一判定〕と爲す。夙興夜寐・退食自公・損益を憂勞し・力を畢めて政を爲す人は、叫作されて小器俗吏と爲す。是に明哲は色善からざるを見れば便ち幽遁し、高俊は囊を括りて而も愚を佯り、疏賤の人は奮飛して木を擇び、縶制せらるる人は曲從して而も朝隱し、知る者は肯じて秘算を吐出せず、勇ある者は爲に其の果毅を致さず、忠謇離退して、奸凶志を得て、邪流溢れて而も遏す可からず、僞途開きて而も杜ず可からず。上を凌り下を替えるに至りては、盜賊多く有り、宦者は人主の威を奪い、三公九卿は庸豎の手裡に死す。忠賢望士は、叫作されて黨人と爲し、囚捕誅鋤せられ、天下嗟嗷し、罪なく辜なく、門を閉じて禍に遇う。微煙は蕭墻より升起し、而も飆風は宇宙を焚遍す。淺隙は膚寸より發出し、而も波涛は四極に漂到す。金城は庶寇に屠掉せられ、湯池は一葦を以て航過せられ、勁銳は塵を望んで而も冰泮し、征人は戈を倒して奔北し、飛鋒は宮闥に薦し(底本は「戶衣闥」と作る、疑して訛字有り)、左衽は禁省に掠し、禾黍は廟堂に生じ、榛莠は玉階に秀で、雲觀は狐兔の藪と變成し、象魏は虎豹の蹊と化成し、東序は委灰の裡に煙燼し、生民は焦爛して淵火に淪す。凶は家を害し國を害し、竹帛に罪を得て、良史褒言なく、金石德音なし。這是什麼を爲すか。是れ人の緣故なり、と。

吳失卷第三十四

吳失巻第三十四

抱朴子曰:吳之杪季,殊代同疾,知前疾之失於彼,不能改弦於此。鑑亂亡之未遠,而躡傾車之前軌,睹枳首之爭草母,而忘同身之禍,笑蟣蝨之宴安,不覺事異而患等。見競濟之舟沈,而不知殊途而溺均也。餘生於晉世所不見,餘師鄭君,具所親悉,每誨之云:吳之晚世,尤劇之病,賢者不用,滓穢棄序,紀綱馳紊,吞舟多漏。貢舉以厚貨者在前,官人以黨強者為右,匪富匪勢,窮年無冀。德清行高者,懷英逸而抑淪;有才有力者,躡雲物以官躋。主昏於上,臣欺於下,不黨不得,不競不進,背公之俗彌劇,正直之道遂壞。於是斥鴳因驚風以凌霄,朽舟托迅波而電邁,鴛鳳卷六翮於叢棘,鷁首滯潢汙而不擢矣。秉維之佐,牧民之吏,非母后之親,則阿諂之人也。進無補過拾遺之忠,退無聽訟之幹,虛談則口吐冰霜,行己則濁於泥潦。莫愧尸祿之刺,莫畏致戎之禍,以譭譽為蠶織,以威福代稼穡。車服則光可以鑑,豐屋則群鳥爰止。叱吒疾於雷霆,禍福速於鬼神,勢利傾於邦君,儲積富乎公室。出飾翟黃之衛從,入遊玉根之藻梲。僮僕成軍,閉門為市,牛羊掩原隰,田池布千里。有魚滄濯裘之儉,以竊趙宣平仲之名。內崇陶侃文信之訾,實有安昌董鄧之汙。雖造賓不沐嘉旨之俟,飢士不蒙升合之救,而金玉滿堂,妓妾溢房,商販千艘,腐谷萬庾,園囿擬上林,館第僭太極,梁肉餘於犬馬,積珍陷於帑藏。

抱朴子曰く、吳の末季は、世代を同じくせずして而も疾病を同じくし、前代の疾失はあの邊に在るを知りて、能く這邊に改弦せず。亂亡を鑑戒する還に遠からずして、然れども傾覆車子の前軌を踏着し、枳首の草莽を爭うを看見して(底本は「草母」と作る、疑らくは當に「草莽」と作るべし)、然れども同身の禍を忘掉し、蟣虱の宴安を笑い、事異なりて而も患相等しきを覺えず。河を渡るを爭う舟の沉むを看見して、然れども殊途にして而も溺るは是れ一樣なるを知らず。我生まれて晉世の看見せざる所の時、我の師鄭君は、皆親身熟悉して、每々敎誨して曰く、吳の晚世は、病尤も劇烈にして、賢者は用いられず、滓穢は秩序を棄掉し、紀綱弛紊して、舟を吞む多く漏る。貢擧は厚貨の人を前に放ち、官人は黨強の人を右に放ち、富に非ず勢に非ざれば、窮年冀望なし。德淸行高の人は、英逸を懷きて而も抑淪せられ。才有り力有る人は、雲物を踏着して官を做り上に躋る。主は上に昏く、臣は下に欺き、黨を結ばざれば便ち得ず、競争せざれば便ち進まず、公を背くの俗更加劇烈にして、正直の道是に壞れたり。是に斥鷃は驚風を借着して以て霄を凌り、朽舟は迅波を托して而も電邁し、鴛鳳は六翮を叢棘の裡に卷り、鷁首は潢污の中に滯して而も擢出する能わず。維を秉るの輔佐・民を牧るの吏は、母后の親に非ざれば、便ち阿諂の人なり。進めば過を補い遺を拾うの忠なく、退けば訟を聽くの才干なく、虛談すれば則ち口冰霜を吐出し、己を行えば則ち泥潦より濁し。祿に尸るの刺を愧れず、戎を致すの禍を畏れず、毁譽を以て蠶織と當て、威福を以て稼穡に代替す。車服すれば則ち光以て人を照らす可く、豐屋すれば則ち群鳥來り止まる。叱咤は雷霆より疾く、禍福は鬼神より速く、勢利は邦君より傾き、儲積は公室より富し。門を出でれば翟黃のあの如き衛從を裝飾し、內に入れば玉根の藻梲に游ぶ。僮僕軍を成し、門を閉じて市と爲り、牛羊原隰を掩住し、田池千里を布滿す。魚飧濯裘の儉有りて、以て趙宣・平仲の名を竊取す。內裡は陶侃・文信の資財を崇め、實際は安昌・董・鄧の污有り。雖も造訪の賓客は嘉旨に等到せず、飢士は升合の濟を蒙らずとも、然れども金玉堂を滿し、妓妾房に溢れ、商販千艘・腐穀萬庾して、園囿は上林に比擬し、館第は太極を僭越し、粱肉は犬馬に餘給し、積珍は帑藏の裡に陷る、と。

其接士也,無葭莩之薄;其自奉也,有盡理之厚。或有不開律令之篇卷,而竊大理之位;不識几案之所置,而處機要之職;不知五經之名目,而饗儒官之祿;不閒尺紙之寒暑,而坐著作之地。筆不狂簡,而受駁議之榮;低眉垂翼,而充奏劾之選;不辯人物之精粗,而委以品藻之政;不知三才之軍勢,而軒昂節蓋之下;屢為奔北之辱將,而不失前鋒之顯號;不別菠麥之同異,而忝叨顧問之近任。夫魚質龍文,似是而非,遭水而喜,見獺即悲,雖臨之以斧鋮之威,誘之以傾城之寶,猶不能奪鉛鋒於犀兕,聘駑蹇以追風,非不忌重誅也,非不悅美賞也,體不可力,無自奈何,而欲與之輯熙百揆,弘濟大務,猶托萬鈞於尺舟之上,求千鍾於升合之中,紲芻狗而責盧鵲之效,構雞駑而崇鷹揚之功,其不可用,亦較然矣!

彼らの士を接待するは、葭莩のあの如き薄の情分なく。彼らの自己を奉養するは、却って理を盡くすの厚有り。或いは律令の篇卷を打開せざる有りて、然れども大理の位を竊居す。几案該當何處に放つべきを識らずして、然れども機要の職に處す。五經の名目を知らずして、然れども儒官の祿を享す。尺紙の寒暑を熟せずして、然れども著作の地に坐す。筆狂簡せずして、然れども駁議の榮を受く。眉を低く翼を垂れて、然れども奏劾の選を充す。人物の精粗を分辨せずして、然れども品藻の政を彼に委托す。三才の軍勢を知らずして、然れども節蓋の下に軒昂す。屢次奔北の辱將を做るも、然れども前鋒の顯號を失わず。菽麥の同異を分別せずして(底本は「菠麥」と作る、「菠」は「菽」の訛)、然れども顧問の近任を忝叨す。魚質龍文して、是に似て而も非、水に碰上れば便ち喜び、獺を看見すれば便ち悲しみ、卽使斧鉞の威を拿りて以て臨み、傾城の寶を拿りて以て誘うとも、還に能く鉛鋒を以て犀兕と當て、駑蹇をして風を追わしむる能わず、是れ重誅を忌れざるに非ず、是れ美賞を悅ばざるに非ず、是れ形體は以て力を改變す可からず、自己奈何なく、然れども彼らと百揆を輯熙し、大務を弘濟せんと想うは、便ち萬鈞を尺舟の上に托し、升合の中に千鍾を求め、芻狗を拴着して然れども盧鵲の效を責求し、雞駑を構起して然れども鷹揚の功を崇尚するが如く、彼らの用い可からざるも、も亦た較として顯然なり、と。

吳主不此之思,不加夕惕,佞諂凡庸,委以重任,危機急於弓廣弩,亡徵著於日月,而自謂安於峙嶽,唐虞可仰也。目力疲於綺粲,而不以覽庶事之得失;耳聰盡於淫音,而不以證獻言之邪正;谷帛靡於不爭,而不以賑戰士之凍餒;心神悅於愛媚,而不以念存亡之弘理。蓋輕乎崇替之源,而忽乎宗廟之重者也。

吳主は這些を思わず、夕惕を加えず、佞諂凡庸を以て重任に委し、危機は彍弩より急にして(底本は「弓廣弩」と作る、「弓廣」は「彍」の訛)、亡徵は日月に顯れて、然れども自己以て峙岳に安んじ、唐虞は以て仰望す可しと爲す。目力は綺粲に疲れて、然れども以て庶事の得失を覽るに用いず。耳聰は淫音に盡きて、然れども以て獻言の邪正を證るに用いず。穀帛は不急に靡費して(底本は「不爭」と作る、疑らくは當に「不急」と作るべし)、然れども以て戰士の凍餒を賑るに用いず。心神は愛媚に悅して、然れども以て存亡の弘理を念うに用いず。這是崇替の源頭を看輕して、而も宗廟の重を忽略する人なり、と。

鄭君又稱,其師左先生隱居天柱,出不營祿利,不友諸侯,然心願太平,竊憂桑梓,乃慨然永嘆於蓬屋之下,告其門生曰:“漢必被耀,黃精載起,纘樞紐於太微,回紫蓋於鶉首。聯天理物,光宅東夏,惠風被於區外,玄澤洽乎宇內。重譯接武,貢楛盈庭,蕩蕩巍巍,格於上下,承平守文,因循甚易,而五絃謐響,南風不詠,上不獲恭己之逸,下不聞康哉之歌。飛龍翔而不集,淵虯蟠而不躍,騶虞翳於冥昧,朱華牙而未秀,陰陽相沴,寒燠繆節,七政告兇,陵谷易所,殷雷車訇磕。於龍潛之月,凝霜肅殺乎朱明之運。玉燭不照,沈醴不湧,郊聲多壘,嘉生不遂夫豈他哉誠由四凶不去,元凱不舉,用者不賢,賢者不用也。

鄭君又稱して、其の師左先生は天柱に隱居し、山を出でて祿利を營せず、諸侯と交友せず、然れども心裡は太平を願い、私下桑梓を憂慮し、是に蓬屋の裡に慨然長歎して、門生に告げて曰く、漢は一定に掩耀せられ、黃精將に興起して、太微に樞紐を纘續し、既而東吳に紫蓋を回轉せん。天を聯き物を理し、東夏に光宅し、惠風は區外に被り、玄澤は宇內に洽す。重譯接武して、楛を貢ぎ庭に盈ち、蕩蕩巍巍として、上下に格し、承平守文して、因循甚だ易く、而も五弦は響を謐かにし、南風は詠えられず、上は恭己の逸を獲ず、下は康哉の歌を聞かず。飛龍翔けれど然れども集まらず、淵虬蟠れど然れども躍らず、騶虞は冥昧の裡に翳り、朱華萌牙して然れども未だ秀でず、陰陽相沴して、寒暖節を錯え、七政凶を告げ、陵谷所を改め、殷雷車訇磕す。龍潛の月份に在りて、凝霜は朱明の運に肅殺す。玉燭照らさず、沈醴涌がず、郊坰多く壘し(底本は「郊聲」と作る、疑らくは當に「郊坰」と作るべし)、嘉生遂らず。這豈に是れ別の緣故ならんか。實に四凶去らず、元凱擧げられず、用いる人は賢ならず、賢の人は用いられざるに由る、と。

“然高概遠量,被褐懷玉,守靜潔志,無慾於物,藏路淵洿,得意遺世,非禮不動,非時不見,困而無悶,窮而不悔,樂天任命,混一榮辱,進無悅色,退無戚容者,固有伏死乎雍瓦牖,安肯沽炫以進趨,揭其不貲之寶,以競燕石之售哉!孔墨之道,昔曾不行,孟軻揚雄,亦居困否,有德無時,有自來耳。世無離朱,皂白混焉。時乏管青,騏蹇糅焉。礫積於金匱,瑾瑤委乎溝洫,匠石緬而遐淪,梓豫忽而莫識,已矣,悲夫!我生不辰,弗先弗後,將見吳土之化為晉哉,南民之變成北隸也。”言猶在耳,而孫氏輿櫬。

(左先生が続けて言うには、)「然れども高概遠量・褐を被き玉を懷き・靜を守り志を潔くし・物に對して慾なく・路を淵洿に藏し・意を得て世を遺し・禮に非ざれば動かず・時に非ざれば見えず・困して而も悶なく・窮して而も悔なき人は、固然甕牖に伏死する有り(底本は「雍瓦牖」と作る、「雍瓦」は「甕」の訛)、怎ぞ肯じて沽炫して以て進趨し、あの貲量す可からざるの寶を揭出して、以て燕石を競賣せんや。孔墨の道は、從前曾て行はれず、孟軻・揚雄も、も亦た困否に處せり、德有りて時なきは、是れ由來已に久し。世に離朱なければ、皂白は便ち混る。時に管青缺乏すれば、騏驥と駑蹇は便ち糅る。礫は金匱の裡に積み、瑾瑤は溝洫の中に委り、匠石緬然として遐淪し、梓豫忽然として識る人なし、算了、悲哀なり。我生まれて時に逢わず、先ならず後ならずして、將に吳土の晉と化し、南民の北隸と變成するを見ん」と。話還に耳に在りて、孫氏便ち已に輿櫬せり、と。

抱朴子聞之曰:二君之言,可為來戒。故錄於篇,欲後代知有吳失國,匪降自天也。若苟諱國惡,纖芥不貶,則董狐無貴於直筆,賈誼將受譏於過秦乎!

抱朴子這些を聽聞して、曰く、二君の話は、以て後來の戒と爲す可し。ゆえに篇裡に錄して、後代をして吳の國を失うは、天より降下するに非ざるを知らしめんと想う。若し苟且に國惡を諱み、纖芥も亦た貶せざれば、則ち董狐は直筆に對して貴ぶ可きなく、賈誼は將に秦を過るに因りて譏を受けんとす、と。

守塉卷第三十五

守塉巻第三十五

抱朴子曰:餘友人有潛居先生者,慕寢丘之莫爭,簡塉土以葺宇,銳精藝文,意忽學稼,屢失有年,飢色在顏。或人難曰:“天知禮在廩實,施博由乎貨豐,高出於有餘,儉生乎不足。故十千美於詩人,食貨首乎八政。躬稼基克配之業,耦耕有不改之樂。奇士之居也,進則侶鴻鸞以振翮,退則叄陶白之理生,仕必霸王,居必千金,是以昔人必科膏壤以分利,勤四體以稼穡,播原菽之與與,茂嘉蔬之翼翼,收麰秬之千倉,積我庾之惟億,出連騎以遊畋,入侯服而玉食。而先王之宅此也,亢陽則出谷颺塵,重陰則滔天凌丘,陸無含秀之苗,水無吐穗之株,稗糲曠於圌廩,薪爨廢於庖廚。怡爾執待兔之志,坦然無去就之謨。吾恐首陽之事,必見於今;丹山之困,可立而須。人為子寒心,子何晏然而弗憂也夫睹機而不作,不可以言明,安土而不移,眾庶之常事,豈玩鮑者忘蘭,而大迷者易性乎!何先生未寤之久也鄙人惑焉,不識所謂。夫兗冕非御鋒鏑之服,典誥非救飢寒之具也。胡不視沃衍於四郊,躬田畯之良業,舍六藝之迂闊,收萬箱以賑乏乎”

抱朴子曰く、我が友に潜居先生あり、寝丘の争う人なきを羨み、塉土を択びて屋を葺き、藝文に精を鋭くして、心意は學稼を忽略し、屢屢収成の年を失い、饑色は顏に在り。或る人が責難して曰く、知るべし、禮は廩實に在り、施博は貨豐に由る、高きは有餘より出で、儉は不足より生ず。ゆえに十千の美は詩人に見え、食貨は八政の首と爲す。躬稼は克配の業の根基にして、耦耕は改まらざる樂しみ有り。奇士の居處は、進めば則ち鴻鸞の伴侣來り振翮し、退けば則ち陶朱・白圭の理生に參し、仕は一定に霸王を輔成し、居は一定に千金有り、因此昔人は一定に膏壤を択びて以て利を分かち、四體を勤めて以て稼穑し、原菽の與與を播き、嘉蔬の翼翼を茂し、大麥秬黍の千倉を収め、我が庾の惟億を積み、出でれば則ち騎を連ねて游畋し、入れば則ち侯服玉食す。而も先生は此に宅して(底本は「先王」と作る、「王」は「生」の訛)、亢陽れば則ち谷を出で塵を揚げ、重陰れば則ち天を滔て丘を凌ぎ、陸には秀を含む苗なく、水には穗を吐く株なく、稗糲は倉廩に空しく、薪爨は庖厨に廢す。怡然として兎を待つの志を執り、坦然として去就の謀なし。我怕るらく首陽の事は、一定に今に見えんと。丹山の困は、立ちて以て待つ可し。人は君が爲に心寒く、君は何を爲すか晏然として憂えざるや。機を見て作らざるは、以て明と叫作す可からず、土に安んじて移らざるは、是れ衆庶の常事なり、豈に鮑を玩ぶ者は蘭を忘れ、大いに迷う者は性を變えたるか。何を爲すか先生は未だ寤ざること這般に久しきや。鄙人は迷惑して、所謂を識らず。袞冕は是れ鋒鏑を禦ぐの服に非ず、典誥は是れ饑寒を救うの器に非ず。何を爲すか四郊の沃衍を看ず、親自田畯の良業を做し、六藝の迂闊を舍掉し、萬箱を収めて以て乏を賑せざるや、と。

潛居先生曰:“夫聵者不可督之以分雅鄭,瞽者不可責之以別丹漆,井蛙不可語以滄海,庸俗不可說以經術。吾子苟知老農之小功,未喻面牆之巨拙,何異拾瑣沙而捐隋和,向炯燭而背白日也。夫好尚不可以一概杚,趨舍不可以彼我易也。夫欲隮閬風陟嵩華者,必不留行於丘垤;意在乎遊南溟,泛滄滄海者,豈暇逍遙於潢洿。是以注清聽於九韶者,巴人之聲不能悅其耳;烹大牢饗方丈者,荼蓼之味不能甘其口。鵾鵬戾赤霄以高翔,鶺鴒傲蓬林以鼓翼,洿隆殊途,亦飛之極。晦朔甚促,朝菌不識。蜉蝣忽忽於寸陰,野馬六月而後息,鰷鮒氾濫以暴鱗,靈虯勿用乎不測,行業乖舛,意何可得。餘雖草梨餐之不充,而足於鼎食矣。

潜居先生曰く、耳聵き人は可に以て彼を督して雅鄭を分別せしめず、眼瞽き人は可に以て彼を責めて丹漆を分別せしめず、井蛙は可に彼に滄海を講ず可からず、庸俗は可に彼に經術を講ず可からず。您はただ老農の小功を知りて、未だ面牆の巨拙を喻えず、瑣沙を拾起して隋侯・和氏を丢掉し、炯燭に對着して白日を背對するは、什麼の異同有らん。好尚は可に一個の標準を以て刮平す可からず、趨舍は可に彼我を以て對換す可からず。閬風に躋り嵩華に陟らんと想う人は、一定に丘垤の上に行を留めず。意は南溟に游び滄海に泛かんと在らば、何處か潢洿の裡に逍遙するの閑暇有らん。因此清聽を九韶の上に注ぐ人は、巴人の聲は能く其の耳を悅ばせず。大牢を烹り方丈を饗する人は、荼蓼の味は能く其の口を甘ならしめず。鵾鵬は赤霄に戾りて以て高く翔り、脊令は蓬林の裡に傲然として翼を鼓す、洿隆は殊途にして、も亦た皆是れ飛の極なり。晦朔は甚だ促くして、朝菌は識らず。蜉蝣は寸陰に忽々として、野馬は六月にして後に息ぎ、鰷鮒は氾濫して鳞を暴き、靈虬は勿用して不測に在り、行業は乖舛して、意は怎麼して得る可けんや。我は雖も藜餐充たざるも(底本は「草梨餐」と作る、「草梨」は「藜」の訛)、然れども鼎食に對して已に滿足せり。

故列子不以其乏,而貪鄭陽之祿,曾叄不以其貧,而易晉楚之富。“夫收微言於將墜者,周孔之遐武也,情孳孳以為利者,孟叟之罪人也。造遠者莫能兼通於岐路,有為者莫能並舉於耕學,體瘁而神豫,亦何病於居約且又處塉則勞,勞則不學清而清至矣。居沃則逸,逸則不學奢而奢來矣。清者,福之所集也;奢者,禍之所赴也。福集,則雖微可著,雖衰可興焉;禍赴,則雖強可弱,雖存可亡焉。此不期而必會,不招而自來者也。故君子欲正其末,必端其本;欲輟其流,則遏其源。故道德之功建,而侈靡之門閉矣。姜望至德而佃不復種,重華大聖而漁不償網,然後玉璜表營丘之祚,大功有二十之高,何必譏之以惰懶,而察才以相士乎!夫二人分財,取少為廉,餘今讓天下之豐沃,處茲邦之偏埆,舍安昌之膏腴,取北郭之無慾,誠萬物之可細,亦何往而不足哉!北辰以不改為眾星之尊,五嶽以不遷為群望之宗。蟋蟀屢移而不貴,禽魚饜深則逢患。方將墾九典之蕪草歲,播六德之嘉穀,厥田邈於上士之科,其收盈乎天地之間。何必耕耘為務哉!昔被衣以棄財止盜,庚氏以推譬厲貪,琉廣散金以除子孫之禍,叔敖取塉以弭可欲之憂,牛缺以載珍致寇,陶谷以多藏召殃。得失較然,可無鑑乎!”

(潜居先生が続けて言うには、)ゆえに列子は其の乏するに因らずして、鄭陽の祿を貪らず。曾參は其の貧するに因らずして(底本は「曾叁」と作る、「叁」は「参」の訛)、晉楚の富に換えず。「將に墜ちんとする微言を収むる人は、是れ周・孔の遠き武なり。情孳孳として以て利を爲す人は、是れ孟叟の罪人なり。遠を造る人は能く岐路の上に兼通せず、爲す有る人は能く耕と學とを並び擧げず、體瘁れて而も神豫すれば、居約に對して又什麼の病有らん。況んや塉に處れば則ち勞し、勞すれば則ち學ばずして淸に至る。沃に居れば則ち逸し、逸すれば則ち學ばずして奢に來る。淸は、是れ福の集まる所の處なり。奢は、是れ禍の赴く所の處なり。福集まれば、則ち卽使微とも可に顯れ、卽使衰とも可に興らん。禍赴かば、則ち卽使強とも可に弱し、卽使存とも可に亡せん。這是れ期せずして必會し、招かずして自來る。ゆえに君子は其の末を正さんと想えば、一定に其の本を端にし。其の流を輟めんと想えば、便ち其の源を遏む。ゆえに道德の功は建立して、而も侈靡の門は則ち關る。姜望は至德にして佃作は再び種せず、重華は大聖にして漁は網を補償せずして、然後玉璜は營丘の祚を表示し、大功は二十の高有り、何必惰懶を用いて以て彼を譏り、相士を用いて以て才を察せんや。二人は財を分けて、少なきを取るを廉と爲す、我如今天下の豐沃を讓掉して、這邦の偏埆に處り、安昌の膏腴を舍掉して、北郭の無欲を取る、誠に以て萬物は看細す可しと覺え、又何往か足らざる有らん。北辰は不改を以て衆星の尊と作り、五岳は不遷を以て群望の宗と作る。蟋蟀は屢屢遷移して而も貴ならず、禽魚は深に饜いて則ち患に碰上る。正に九典の荒草を墾き、六德の嘉穀を播かんとす、那田は上士の科に比ぶれば還に邈遠にして、収成は天地之間に盈滿す。何必耕耘を以て務と爲さんや。從前被衣は財を棄つを靠りて盜を止め、庚氏は璧を推すを靠りて貪を厲し(底本は「推譬」と作る、「譬」は「璧」の訛)、疏廣は金を散じて以て子孫の禍を除去し(底本は「琉廣」と作る、「琉」は「疏」の訛)、叔敖は塉を取りて以て可欲の憂を消弭し、牛缺は珍を載するに因りて寇を招き、陶朱は多藏に因りて殃を召來す(底本は「陶谷」と作る、疑らくは當に「陶朱」と作るべし)。得失は比較して顯然なり、以て鑑戒せざる可けんか」。

於是問者抑然,良久口張而不能嗑,首俯而不能仰。慨而嗟乎,始悟立不朽之言者,不以產業汨和,追下帷之績者,不以窺園涓目。子以臭雛之甘呼鴛鳳,擗蟹之計要猛虎,豈不陋乎!鄙哉,子之不夙知也!

是に問う人は抑然として、良久口は張きて能く合せず、頭は俯きて能く仰がず。慨然として歎息して、始めて覺悟す。不朽の言を立つる人は、產業を拿りて以て和を汩亂せず。下帷の績を追う人は、窺園を拿りて以て目を涓損せず。你は臭雛の甘を拿りて以て鴛鳳を呼び、擘蟹の計を拿りて以て猛虎を要約せんとす、豈に陋ならざるや。鄙なるかな、你不早く知れり。

安貧卷第三十六

安貧巻第三十六

抱朴子曰:昔漢火寢耀,龍戰虎爭,九有幅裂,三家鼎據。有樂天先生者,避地蓬轉,播流岷益,始處暱於文休,末見知於孔明。而言高行方,獨立不群,時人憚焉,莫之或與。時二公之力,不能違眾,遂令斯生沈抑衡蓽,齒漸桑榆,而韋布不改。而時主思賢,不聞不知;當途之士,莫舉莫貢。潛側武之陋巷,竄繩樞之蓬屋,進廢經世之務,退忘治生之車,草梨餐屢空,朝不謀夕。

抱朴子曰く、從前漢火は耀を寝め、龍戰し虎爭い、九州は幅裂し、三家は鼎に據れり。樂天先生と説く人有りて、地を避くるは蓬轉の如く、播流して岷益に至り、初め文休と親近し、末は孔明に知遇せられり。而も言高く行方く、獨立して群れず、時人は彼を怕れ、彼と相與する人なし。當時二公の力量は、能く衆に違えず、是に這位先生を衡門蓽戶に沈抑せしめ、年紀は漸漸桑榆に到りて、而も韋布は改まらず。而も時主は賢を思うも、聞かず知らず。當途の士は、擧げず貢がず。顏・原のあの如き陋巷に潛藏し、繩樞の蓬屋に竄り、進めば經世の務を廢し、退けば治生の車を忘れ、藜餐は屢屢空しく(底本は「草梨餐」と作る、「草梨」は「藜」の訛)、朝に夕を謀らず。

於是偶俗公子造而詰之,曰:’蓋聞有伊呂之才者,不久滯於窮賤;懷猗頓之術者,不長處於飢寒。達者貴其知變,智士驗乎不匱。故範生出則滅吳霸越,為命世之佐;入則貨殖營生,累萬金之貲。天貧在六極,富在五福,《詩》美加可矣,

是に偶俗公子は門に上りて彼に詰問して曰く、聞く、伊・呂の才ある人は、久しく窮賤に滯らず。猗頓の術を懷く人は、長く饑寒に處らず。達者は其の變を知るを貴び、智士は不匱に驗す。ゆえに范生は出でれば則ち吳を滅し越を霸し、命世の輔佐を做り。入れば則ち貨殖營生して、萬金の資を累積す。天は貧を六極に放ち、富を五福に放ち、《詩》は加餐を贊美し、

《易》貴聚人,垂餌香則鱔鮪來,懸賞厚則果毅奮,長卿所以解犢鼻而擁朱旄,曲逆所以下席扉而享茅土,不韋所以食十萬之邑,張侯所以拔囹圄之困也。故下鄉儉而獲悔咎之辰,漂嫗豐而蒙千金之報。先生無少伯之奇略,專銳思乎六經,忽絕米長之實禍,慕不朽之虛名,恥詭遇以干祿,羞炫沽以要榮,冀西伯之畋,俟黃河之將清。甘列子之菜色,邈全神而遺形,何異圖畫騏驥,以代徒行之勞;遙指海水,以解口焦之渴;張魚網於峻極之巔;施鈞緡於修木之末;雖自以為得所,猶未免乎迂闊也。事無身後之功,物無違時之盛。今海內瓜分,英雄力競,象恭滔天,猾夏放命,駑蹇星馳以兼路,豺狼奮口而交爭。當途投袂以訟屈,素士蒙塵以履徑,純儒釋皇道而治五霸之術,碩生棄四科而恤月旦之評。筐篚實者,進於草萊;乏資地者,退於朝廷;握黃白者,排金門而陟玉堂,誦方策者,結世讎而委泥濘;贄幣濃者,瓦石成珪璋;請託薄者,龍駿棄林垧;黨援多者,偕驚飈以凌雲;交結狹者,侶踴鱉以沈泳。

(偶俗公子が続けて言うには、)《易》は聚人を看重す、垂下の餌香なれば則ち鱔鮪來り、懸賞厚ければ則ち果毅奮起し、長卿は犢鼻を解きて朱旄を擁する所以、曲逆は席扉を走下して茅土を享くる所以、不韋は十萬の邑を食する所以、張侯は囹圄の困を拔出する所以なり。ゆえに下郷は儉にして悔咎の時を獲、漂母は豐にして千金の報を蒙る。先生は少伯の奇略なく、專ら六經に思を銳くして、絶糧の實禍を忽略し、不朽の虛名を羨慕し、詭遇して以て祿を求むるを恥とし、炫沽して以て榮を邀るを羞とし、西伯の畋獵を冀望し、黄河の將に淸まらんを等待す。列子の菜色に甘んじ、邈然として神を全うして形を遺す、畫くる騏驥を拿りて以て步行の勞に代替し、遙かに海水を指して以て口焦の渴を解き、峻極の巔に魚網を張り、修木の末に釣緡を施すは、什麼の異同有らん。卽使自以て所を得たりと雖も、還に未だ迂闊を免れず。事は身後の功なく、物は時に違うの盛なし。如今海內は瓜分して、英雄は力競い、恭を象いて天に滔り、夏を猾き命を放ち、駑蹇は星馳して以て路を兼ね、豺狼は口を奮いて以て交爭す。當途は袂を投げて以て屈を訟え、素士は塵を蒙りて以て徑を走り、純儒は皇道を放下して五霸の術を治め、碩生は四科を棄掉して月旦の評を憂う。筐篚充實する人は、草萊より進用せられ。資地を缺乏する人は、朝廷より退下す。金銀を握る人は、金門を排開して玉堂に登り、方策を誦する人は、世仇を結下して泥濘に委り。贄幣濃き人は、瓦石は珪璋と變成し。請托薄き人は、龍駿は林垧に棄てられ。黨援多き人は、驚飆に偕いて以て雲を凌ぎ。交結狹き人は、踊鱉に伴侣して以て泳に沈む。

夫丸泥已不能遏彭蠡之沸騰,獨賢亦焉能反流遁之失正今先生入無儋石之儲,出無束脩之調。徒含章如龍鳳,被文如虎豹,吐之如波濤,陳之如錦繡,而凍餓於環堵,何計疏之可吊奚不泛輕舟以托迅,御飛帆以遠之。交瑰貨於朔南,收金碧於九疑。迪崔烈之遐武,縻好爵於清時徒疲勞於述作,豈蟬蛻之有期也獨苦身以為名,乃黃老之所蚩也!”

(偶俗公子が続けて言うには、)「丸泥は已に能く彭蠡の沸騰を遏住せず、獨賢は又怎麼して能く流遁の失正を挽回せん。如今先生は入れば儋石の儲なく、出でれば束修の調なし。空しく章を含みて龍鳳の如く、文を披いて虎豹の如く、吐くは波涛の如く、陳列は錦繡の如く、然れども環堵の裡に凍餓して、計謀は何其疏闊・可弔なり。何を爲すか輕舟を泛して以て迅に托し、飛帆を御して以て遠く去り、朔南に瑰貨を交易し、九疑に金碧を収めざるや。崔烈の遠武を追い、淸時に好爵を羈らん。ただ述作の上に疲勞して、蟬蛻は何處の期有らん。獨り身を苦しめて以て名を求むるは、乃是れ黄老の嗤う所なり」。

樂天先生答曰:“六藝備研,八索必該。斯則富矣,振翰摛藻,德音無窮,斯則貴矣。求仁仁至,舍旃焉如。夫棲重淵以頤靈,外萬物而自得,遺紛埃於險途,澄精神於玄默。不窺牖以遐覽,判微言而靡惑。雖復設之以臺鼎,猶確爾而弗革也。曷肯憂貧而與賈豎爭利,戚窮而與凡瑣競達哉!吾子苟知商販可以崇寶,耕也可以免飢,不識逐麋者不顧兔,道遠者其到遲也。且夫尚父之鼓刀,素首乃吐奇也;萬鈞之為重,沖飈不能移;簫韶未九成,靈鳥紆儀也。是以俟扶搖而登蒼霄者,不棄詘於蓬蒿之杪;騁蘭筋以陟六萬者,不爭途乎蹇驢之群。大孝必畏辱親之險,故子春戰悸於下堂;上智不貴難得之財,故唐虞捐金而抵譬。明哲消禍於未來,知士聞利則慮害,而吾子言凡僕以泛舟,孳孳於潤屋,勸隋珠之彈雀,控虎口以奪肉,輕遺體於不測,觸重險以遠至,忘髮膚之明戒,尋乾沒於難冀。若夫焚輸傾巖,木拔石飛,陽侯山峙,洪濤山罪巍,輕艘塵漂,力與心違,從嗟泣而罔逮,乃悟達者之見微也。

樂天先生回答して曰く、六藝は備加して研習し、八索は一定に該備す。這便ち富なり。翰を振り藻を摛ばば、德音は窮なからず、這便ち貴なり。仁を求めれば仁は便ち到り、此を舍てば還に能く何處に到らん。重淵に棲して以て靈を頤養し、萬物を外面に放ちて自得し、險途の上に紛埃を遺棄し、玄默の中に精神を澄む。牖を窺わずして以て遠覽し、微言を判別して惑なし。卽使再び臺鼎を拿りて以て設くるとも、還に確然として改まらず。怎ぞ肯んじて貧を憂えて賈豎と利を爭い、窮を戚えて凡瑣と達を競わんや。您はただ商販は以て寶を崇む可きを知り、耕も亦た以て饑を免る可きを知りて、逐麋の人は兎を顧みず、路遠き人は到る遲きを識らず。況んや尚父は刀を鼓して、白首に到りて乃ち奇を吐き。萬鈞は是れ重にして、衝飆は能く移さず。簫韶は還に未だ九成ならざれば、靈鳥は紆回して來儀す。因此扶揺を等待して蒼霄に登る人は、蓬蒿の杪の屈曲に因りて自棄せず。蘭筋を騁して六合に陟る人は、蹇驢の群と途を爭わず。大孝は一定に親を辱めるの險を怕れ、ゆえに子春は下堂の時に戰悸す。上智は得難きの財を看重せず、ゆえに唐虞は金を捐して璧を扔掉す(底本は「抵譬」と作る、「譬」は「璧」の訛)。明哲は未來に禍を消し、知士は利を聞けば便ち害を慮る、而も您は我に泛舟を教え、潤屋に孳孳し、我に隋珠を用いて以て雀を彈き、虎口を探りて以て肉を奪えと勸め、父母の留する所の身體を不測に輕抛し、重險に觸れて以て遠く至り、髮膚の明戒を忘掉し、冀い難きの事の上に僥幸を求む。焚輪の岩を傾け、木は拔け石は飛び、陽侯は山峙立の如く、洪濤は崔巍にして(底本は「山罪巍」と作る、文字訛脫)、輕艘は塵漂の如く、力と心とは相違い、從い嗟泣して却って及ばず、乃ち覺悟す、通達の人は微を見る能くすと。

“昔回憲以清苦稱高,陳平以無金免危,廣漢以好利喪身,牛缺以載寶灰糜。匹夫枉死於懷璧,豐狐召災於美皮。今吾子督餘以誨盜之業,敦餘以召賊之策,進鴆酒以獻酬,慧養壽之忠益。夫士以三墳為金玉,五典為琴箏,講肄為鍾鼓,百家為笙簧,使味道者以辭飽,酣德者以義醒,超流俗以高蹈,軼億代以揚聲,方長驅以獨往,何貨賄之穢情。夫藏多者亡厚,好謙者忌盈,含夜光者速剖,循覆車者必傾,過載者沈其舟,欲勝者殺其生。蓋下士所用心,上德所未營也。”於是問者蕩然自失,請備門生之末編,永寶長生之良方焉。

(樂天先生が続けて言うには、)「從前顏回・原憲は淸苦を以て高と稱し、陳平は金なきに因りて危を免れ、廣漢は利を好むに因りて身を喪い、牛缺は寶を載するに因りて灰糜す。匹夫は璧を懷くに因りて枉死し、豐狐は美皮に因りて災を召す。如今您は我に誨盜の業を做らんを督し、我に召賊の策を用いらんを敦促し、鴆酒を進めて以て獻酬して、然れども以て壽を養うの忠益と爲す(底本は「慧養壽」と作る、「慧」は「惠」の訛)。士は三墳を以て金玉と當て、五典を以て琴筝と當て、講肄を以て鐘鼓と當て、百家を以て笙簧と當て、味を道う人をして辭を用いて飽かせしめ、德に酣る人をして義を用いて醒めさしめ、流俗を超えて以て高蹈し、億代を軼りて以て聲を揚げ、正要長驅獨往す、貨賄の穢情は什麼ぞや。藏る多き人は亡ぶ厚く、謙を好む人は盈を忌れ、夜光を含む人は速やかに剖られ、覆車に循る人は必ず傾き、載を過ぐる人は其の舟を沉め、欲勝る人は其の生を殺す。這大概是れ下士の用うる所の心にして、上德の未曾營する所なり」。是に問う人は蕩然として自失して、門生の末編に列することを請い、永遠に這長生の良方を寶愛せんとす。

仁明卷第三十七

仁明巻第三十七

抱朴子曰:門人共論仁明之先後,各據所見,乃以諮餘。餘告之曰:“三光華象者乾也,厚載無窮者坤也,乾有仁而兼明,坤有仁而無明。卑高之數,不以邈乎!夫唯聖人,與天合德。故唐堯以欽明冠典,仲尼以明義首篇。明明在上,元首之尊稱也。明哲保身,大雅之絕蹤也。蟲口月飛蠕動,亦能有仁。故其意愛弘於長育,哀傷著於啁噍。然赴坑阱而無猜,入罻羅而不覺。有仁無明,故並趨禍而攸失熾,潛景以易咀生,結棟宇以免巢穴,選禾稼以代毒烈,製衣裳以改裸飾。後舟楫以濟不通,服牛馬以息負步,序等威以鎮禍亂,造器械以戒不虞,創書契以治百官,制禮律以肅風教,皆大明之所為,非偏人之所能辯也。

抱朴子曰く、門人は一起に仁と明の先後を論じ、各々其の見る所に據りて、是に我に來り問う。我は彼らに告げて曰く、三光は華象するは乾にして、厚く載する無窮は坤なり、乾は仁有りて而も明を兼ね、坤は仁有りて而も明なし。卑高の數は、甚だ邈遠ならざるか。ただ聖人のみ、天と德を合す。ゆえに唐堯は欽明を以て典に冠り、仲尼は明義を以て首篇と作る。明明として上に在るは、是れ元首の尊稱なり。明哲は身を保つは、是れ大雅の絶蹤なり。蝡飛蠕動(底本は「虫口月飛蠕動」と作る、「口月」は偏旁の殘留、當に「蝡」と讀作すべし)、も亦た能く仁有らん。ゆえに彼らの意愛は長育に弘く、哀傷は啁噍に顯る。然れども坑阱に赴いて猜疑なく、罻羅に入りて覺えず。仁有りて明なし、ゆえに一起に禍に趨る。〔底本「攸失熾、潜景以易咀生」一段の文字訛脫、謹んで錄して校を待つ〕棟宇を結して以て巢穴を免去し、禾稼を選して以て毒烈に代替し、衣裳を制して以て裸飾を改掉す。後來舟楫して以て通通ぜざるを濟し、牛馬を服して以て負步を止息し、等威を序して以て禍亂を鎮め、器械を造して以て不虞を戒め、書契を創して以て百官を治め、禮律を制して以て風教を肅す、皆是れ大明の做する所にして、偏人の能く辦する所に非ず。

“夫心不違仁而明不經國,危亡之禍,無以杜遏,亦可知矣。夫料盛衰於未兆,探機事於無形,指倚伏於理外,距浸潤於根生者,明之功也。垂惻隱於昆蟲,雖見犯而不校,睹觳觫而改牲,避行葦而不蹈者,仁之事也。爾則明者才也,行者行也。殺身成仁之行可力為,而至鑑玄測幽之明難亡假。精粗之分,居然殊矣。夫體不忍之仁,無臧否之明,則心惑偽真,神亂朱紫,思算不分,邪正不識。不遠安危,則一身之不保,何暇立以濟物乎!昔姬公非無友於之愛,而涕泣以滅親;石石昔非無天性之慈,而割私以奉公。蓋明見事體,不溺近情,遂為純臣。以義斷恩,舍仁用明,以計抑仁,仁可時廢而明不可無也。湯武逆取順守,誠不仁也。應天革命,以其明也。徐偃修仁以朝同班,外墜城池之險,內無戈甲之備,亡國破家,不明之禍也。”

(抱朴子が続けて言うには、)「心は仁に違わずして明は能く國を經せずば、危亡の禍は、杜遏する由無く、も亦た以て知る可し。未兆に盛衰を料り、無形に機事を探り、理外に倚伏を指出し、根生の處に浸潤を拒掉するは、是れ明の功なり。昆蟲に惻隱を垂れ、卽使犯されても計較せず、觳觫を看見して牲を改め、行葦を避開して而も踏まざるは、是れ仁の事なり。然らば則ち明は是れ才にして、行は是れ行なり。身を殺して仁を成すの行は以て力を用いて做す可く、至鑑にして玄く幽を測るの明は假借し難し。精粗の分は、顯然として同じからず。體は不忍の仁を具えて、臧否の明なければ、則ち心は僞真を迷惑し、神は朱紫を攪亂し、思算は分たれず、邪正は識らず。安危を遠く看ざれば、則ち一身も亦た能く保たず、何處か閑暇有りて立起して物を濟わんや。從前姬公は友于の愛なきに非ずして、然れども涕泣して以て親を滅し。石碏は天性の慈なきに非ずして(底本は「石石昔」と作る、「石昔」は「碏」の訛)、然れども私を割きて以て公を奉ず。大概是れ明は事體を見て、近情に溺らず、是に以て純臣と成る。義を以て恩を斷ぢ、仁を舍てて明を用い、計を以て仁を抑すれば、仁は可に一時廢す可くして而も明は可になからざる可からず。湯武は逆に取り順に守る、誠に不仁なり。天に應え革命するは、是れ其の明を用いるなり。徐偃は仁を修めて以て同列を朝し、外は城池の險を失い、內は戈甲の備なく、國を亡し家を破るは、是れ不明の禍なり」。

門人曰:“仲尼嘆仁為任重而道遠,又云,人而不仁如禮何若聖與仁,則吾豈敢!

門人曰く、仲尼は歎じて、仁は是れ任重くして道遠しとす、又曰く、人にして仁ならざれば、禮を怎麼せん。聖と仁とに至りては、那我怎ぞ敢えて當たらん、と。

孟子曰,仁,宅也;義,路也。人無惻隱之心,非仁也。三代得天下以仁,失天下以不仁。此皆聖賢之格言,竹素之顯證也。而先生貴明,未見典據。小子蔽暗,竊所惑焉。”

(門人が続けて言うには、)孟子曰く、仁は是れ宅にして、義は是れ路なり。人は惻隱の心なくば、便ち仁に非ず。三代は天下を得るは仁を靠り、天下を失うは不仁に因ると。這些は皆是れ聖賢の格言にして、竹素の上の明顯の證據なり。而も先生は明を看重して、典據を看見せず。小子は蔽暗にして、私下迷惑せり、と。

抱朴子答曰:“古人云,好仁不好學,其蔽也愚。子近之矣。曩六國相吞,豺虎力競,高權詐而下道德,尚殺伐而廢退讓,孟生方欲抑頓貪殘,褒隆仁義,安得不勤勤諄諄,獨稱仁邪然未有片言,雲仁勝明也。譬猶疫癘之時,醫巫為貴,異口同辭,唯論藥石,豈可便謂針艾之伎,過於長生久視之道乎且吾以為仁明之事,布於方策,直欲切理示,大較精神,舉一隅耳。而子猶日用而不知,雲明事之無據乎!乾稱大明終始,六位時成。是立天以明,無不包也。坤雲至哉萬物資生,是地德仁,承順而已。先後之理,不亦炳然!《詩》云,明明上天,照臨下土。明明天子,令問不已。’《易》曰,王明並受其福。幽贊神明,神而明之。此則明之與神合體,誠非純仁,所能企擬也。孔子曰‘聰明神武’,不雲‘聰仁’,又曰‘昔者明王之治天下’,不曰‘仁王’。《春秋傳》曰:‘明德惟磬’,不雲‘仁德’。《書》雲‘元首明哉’,不曰‘仁哉’。老子嘆上士,則曰‘明白四達’,其說衰薄,則曰‘失道而後德,失德而後仁’。《易》曰‘王者南面嚮明’,不雲‘向仁’也。我欲仁,斯仁至矣。又曰‘為仁由己’,斯則人人可為之也。至於聰明,何可督哉!故孟子云,凡見赤子將入井,莫不趨而救之。以此觀之,則莫不有仁心,但厚薄之間,而聰明之分時而有耳。昔崔杼不殺晏嬰,晏嬰謂杼為大不仁,而有小仁。然則奸臣賊子,猶能有仁矣。”

抱朴子回答して曰く、古人曰く、仁を好みて學を好まざれば、其の蔽は是れ愚なり。你は這個に接近せり。從前六國は相吞み、豺虎は力競して、權詐を看重して而も道德を下に放ち、殺伐を崇尚して而も退讓を廢す、孟生は正要貪殘を抑頓し、仁義を褒隆せんとす、怎ぞ能く勤勤諄諄にして、獨獨仁を稱せざるや。然れども片言無くして、仁は明に勝過すと説かず。便ち疫癘の時の如く、醫巫は貴と爲り、口を異にして辭を同じくし、ただ藥石を論ずるのみ、豈に便ち以て鍼艾の伎は、長生久視の道を超過すと説く可けんや。況んや我以て仁明の事は、方策の上に散布して、ただ切近事理を欲して以て顯示し、大略の精神、一隅を擧げるのみ。而も你は還に日用して然れども知らず、明の事は根據なきと説かんや。乾は稱す、大明終始して、六位は時に按じて成ると。這是れ天を立てて明を以てし、包まざるなし。坤は説く、至るかな萬物は資生すと、這是れ地德の仁にして、承順するのみ。先後の理は、不も亦た炳然ならんか。《詩》は説く、明明たる上天、下土を照臨す。明明たる天子、令聞已まずと。《易》は説く、王明なれば、並び其の福を受くと。幽かに神明を贊し、神にして之れを明くすと。這便ち明と神と合體して、實に純仁の能く企及比擬する所に非ず。孔子は説く、『聰明神武』と、『聰仁』と説かず、又曰く、『昔者明王の治天下』と、『仁王』と説かず。《春秋傳》は説く、『明德惟馨』(底本は「惟磬」と作る、「磬」は「馨」の訛)、『仁德』と説かず。《書》は説く、『元首明哉』と、『仁哉』と説かず。老子は上士を歎じて、則ち説く、『明白四達』と、衰薄を説到れば、則ち説く、『道を失いて而も後德、德を失いて而も後仁』と。《易》は説く、『王者は南面して明に向かう』と、『仁に向かう』と説かず。我は仁を欲すれば、這仁は便ち到る。又曰く、『仁を爲すは己に由る』と、這便ち人人是れ以て做す可し。聰明に至りては、怎麼して以て督責して成らしめんや。ゆえに孟子曰く、凡そ赤子の將に井に入らんとするを看れば、趨きて而も救わざるなしと。這個より看れば、則ち仁心なき人なく、ただ厚薄の間に在りて、而も聰明の分は、時に乃ち有るのみ。從前崔杼は晏嬰を殺さず、晏嬰は説く、杼は大不仁にして、而も小仁有りと。然らば則ち奸臣賊子は、還に能く仁有らん」。

門人又曰:“《易》稱立人之道,曰仁與義,然則人莫大於仁也。”抱朴子答曰:“所以云爾者,以為仁在於行,行可力為,而明入於神,必須天授之才,非所以訓故也。

門人又曰く、《易》は稱して、人を立つるの道は、仁と義とを叫作すと、然らば則ち人は仁より大なるなし。抱朴子回答して曰く、這樣説く所以は、是れ以て仁は行に在り、行は以て力を用いて做す可くして、而も明は神に入りて、必ず天授の才なり、以て訓誨するに用いざるの緣故なり。

博喻卷第三十八

博喻巻第三十八

抱朴子曰:盈乎萬鈞,必起於錙銖;竦秀凌霄,必始於分毫。是以行潦集而南溟就無涯之曠,尋常積而玄圃致極天之高。

抱朴子曰く、萬鈞に盈滿するは、一定に錙銖より興起し。凌霄に竦秀するは、一定に分毫より開始す。因此行潦は匯集して而も南溟は無涯の曠を成就し、尋常は積起して而も玄圃は極天の高に達す。

抱朴子曰:騁逸策迅策迅者,雖遺景而不勞,因風凌波者,雖濟危而不傾。是以元凱分職,而則天之勳就;伊呂去世任,而革命之功就。

抱朴子曰く、逸を騁し迅を策する人は、卽使影子を後面に抛るとも勞せず。風に因りて波を凌ぐ人は、卽使危を濟すとも傾かず。因此元凱は職を分けば、則ち天を法るの勳は成り。伊・呂は去世して職に任じて(底本「策迅」二字は誤りて重複)、而も革命の功は成れり。

抱朴子曰:瓊艘瑤緝,無涉川之用;金弧玉弦,無激乖之能。是以介潔而無政事者,非撥亂之器,儒雅而乏治略者,非翼亮之才。

抱朴子曰く、瓊艘瑶楫は、川を涉るの用なし。金弧玉弦は、矢を激するの能なし。因此介潔にして而も政事なき人は、是れ亂を撥くの器に非ず。儒雅にして而も治略を缺乏する人は、是れ翼亮の才に非ず。

抱朴子曰:閬風玄圃,不借高於丘垤;懸黎結綠,不假觀於瓊珉。是以英偉不群,而幽蕙之芬駭;峻概獨立,而眾禽之響振。

抱朴子曰く、閬風・玄圃は、丘垤に高を借らず。懸黎・結綠は、瓊珉に觀を借らず。因此英偉は群れずして、而も幽蕙の芬は人を駭かし、峻概は獨立して、而も衆禽の響は振起す。

抱朴子曰:冰炭不炫能於冷熱,瑾瑜不證珍而體著。是以君子恭己,不恤乎莫與,至人屍居,心遺乎譭譽。

抱朴子曰く、冰炭は冷熱の上に能を炫わず、瑾瑜は珍を證明せずして而も本體自ら顯る。因此君子は己を恭しくして、人の從うなきを憂慮せず、至人は尸居して、心は毁譽を忘掉す。

抱朴子曰:沖飈傾山,而不能效力於拔毫;火爍金石,而不能耀烈以起溼。是以淮陰善戰守,而拙理治之策;絳侯安社稷,而乏承對之給。

抱朴子曰く、衝飆は能く山を傾くも、然れども能く毫を拔くの爲に效力せず。火は能く金石を爍くも、然れども能く烈耀を濕を起すの上に用いず。因此淮陰は戰守に善くして、而も理治の策に拙し。絳侯は社稷を安定して、而も應對の給を缺乏す。

抱朴子曰:徇名者不以授命為難,重身者不以近欲累情。是以紀信甘灰糜而不恨,楊朱同一毛於連城。

抱朴子曰く、名に徇る人は命を授けるを以て難と爲さず、身を重んずる人は欲に近づくを以て情を累さず。因此紀信は灰糜に甘んじて恨まず、楊朱は一根の毛を連城と一樣に看る。

抱朴子曰:小鮮不解靈虯之遠規,鳧鷖不知鴻鵠之非匹。是以耦耕者笑陳勝之投耒,淺識者嗤孔明之抱膝。

抱朴子曰く、小魚は靈虬の遠規を懂せず、鳧鷖は鴻鵠の匹偶に非ざるを知らず。因此耦耕の人は陳勝の耒を投ぐるを笑い、淺識の人は孔明の膝を抱くを嗤う。

抱朴子曰:淳鈞之鋒,驗於犀兕;宣慈之良,效於明試。是以同否則元凱與斗筲無殊,並任則騄騏與駑駘不異。

抱朴子曰く、淳鈞の鋒は、犀兕の上に驗證せられ。宣慈の良は、明試の上に效を見る。因此時運同じく否ければ則ち元凱と斗筲とは分別なく、一併任用すれば則ち騏驥と駑駘とは差異なし。

抱朴子曰:器非瑚簋,必進銳而退速;量擬伊呂,雖發晚而到早。是以鷦鷯倦翮,猶不越乎蓬杪,鴛雛徐起,顧眄而戾蒼昊。

抱朴子曰く、器は瑚簋に非ざれば、一定に進む銳く・退く速し。量は伊・呂に比擬すれば、卽使發す遲くとも到る早し。因此鷦鷯は翅膀倦れて、還に蓬杪を超過せず。鴛雛は慢慢飛起して、顧盼すれば便ち蒼昊に到る。

抱朴子曰:否終則承之以泰,晦極則清輝晨耀。是以垂耳吳阪者,騁千里之逸軌;縈鱗九淵者,凌虹霓以高蹈。

抱朴子曰く、否終れば則ち接下するは泰にして、晦極まれば則ち淸輝は晨間に閃耀す。因此吳阪に耳を垂るるは、千里の逸軌を騁出し。九淵に鱗を縈るるは、虹霓を凌りて以て高蹈す。

抱朴子曰:九斷四屬者,蘊藻所以表靈;摧柯碎葉者,茝蕙所以增芬。是以夷吾桎檻,而建匡合之績;應侯困辱,而著入秦之勳。

抱朴子曰く、多次折斷し・四肢分開するは、是れ蘊藻の以て靈を表する所以の緣故なり。枝柯を摧折し・葉子を碎了するは、是れ香蕙の以て芬を增す所以の緣故なり。因此夷吾は桎檻の裡にして、然れども匡合の績を建成す。應侯は困辱して、然れども秦に入るの勳を成就す。

抱朴子曰:聽競者細,則利同而讎結;善否殊途,則事異而結生。是以嫫母宿瘤,惡見西施之豔容;商臣小白,曾聞延州之退耕。

抱朴子曰く、競爭を聽る人は細れば、則ち利同じくして而も仇結ばる。善と否とは殊途なれば、則ち事異なりて而も怨生ず。因此嫫母・宿瘤は、西施の艶容を看見するを厭惡す。商臣・小白は、曾て延州の退耕を聽聞せり。

抱朴子曰:精純舛跡,則凌遲者愧恨;壯弱異科,則扛鼎者見忌。是以淮陰顯擢,而庸隸悒懊以疾其超;武安功高,而範睢飾談以破其事。

抱朴子曰く、精と純とは軌迹同じからざれば、則ち凌遲の人は愧恨す。壯と弱とは科別同じからざれば、則ち鼎を扛ぐ人は忌るを被る。因此淮陰は顯擢して、而も庸隸は悒懊して以て其の超を疾恨す。武安は功高くして、而も范睢は言談を修飾して以て其の事を破壞す。

抱朴子曰:必死之病,不下苦口之藥;朽爛之材,不受雕鏤之飾。是以比干匪躬,而剖心於精忠;田豐見微,而夷戮於言直。

抱朴子曰く、必死の病は、苦口の藥を下さず。朽爛の材は、雕鏤の飾を接受せず。因此比干は自身を顧みずして、精忠に因りて心を剖られ。田豊は微を見る能くして、言直きに因りて夷戮せられり。

抱朴子曰:嶧陽孤桐,不能無弦而激哀響;大夏孤竹,不能莫吹而吐清聲。是官卑者稷離不能康庶績,權薄者伊周不能臻昇平。

抱朴子曰く、嶧陽の孤桐は、能く弦なきに就きて哀響を激出せず。大夏の孤竹は、能く吹なきに就きて淸聲を吐出せず。因此官卑き人は、稷・契も亦た能く庶績を康濟せず(底本は「是官卑者」と作る、疑らくは「以」を脱す)。權薄き人は、伊・周も亦た能く升平に臻らず。

抱朴子曰:登峻者戒在於窮高,濟深者禍生於舟重。是以西秦有思上蔡之李斯,東越有悔盈亢之文種。

抱朴子曰く、峻に登る人は、戒は窮高に在り。深を濟る人は、禍は舟重に生ず。因此西秦は上蔡を思念するの李斯有り、東越は盈亢を後悔するの文種有り。

抱朴子曰:剛柔有不易之質,貞橈有天然之性。是以百鍊而南金不虧其真,危困而烈士不失其正。

抱朴子曰く、剛柔は可に改易す可からざるの質有り、貞橈は天然の性有り。因此百煉して而も南金は其の真を虧かず、危困して而も烈士は其の正を失わず。

抱朴子曰:不以其道,則富貴不足居;違仁舍義,雖期頤不足吝。是以卞隨負石以投淵,仲由甘心以赴刃。

抱朴子曰く、其の道に按じざれば、則ち富貴は居るに値せず。仁に違い義を舍てば、卽使期頤に活くるとも吝惜するに値せず。因此卞隨は石を負いて淵に投げ、仲由は甘くして刃に赴く。

抱朴子曰:卑高不可以一概齊,餐廩不可以勸沮化。是以惠施患從車之苦少,莊周憂得魚之方多。

抱朴子曰く、卑と高とは可に一個の標準を以て齊しくす可からず、餐廩は可に勸沮を以て化す可からず。因此惠施は從車の苦少なきを患え、莊周は魚を得るの方法多きを憂う。

抱朴子曰:出處有冰炭之殊,躁靜有飛沈之異。是以墨翟以重繭趼怡顏,箕叟以遺世得意。

抱朴子曰く、出と處とは冰炭の殊有り、躁と靜とは飛沉の異有り。因此墨翟は重繭の脚繭に因りて怡顏し、箕叟は世を遺すに因りて意を得たり。

抱朴子曰:適心者交淺而愛深,忤神者接久而彌乖。是以聲同則傾蓋而居暱,道異而白首而無愛。

抱朴子曰く、心意に適合する人は交淺くして而も愛深し、精神に忤逆する人は接久しくして却って更加乖り。因此聲同じければ則ち蓋を傾けて便ち親暱し、道異なれば則ち白首しても愛なし。

抱朴子曰:艅艎鷁首,涉川之良器也,棹之以北狄,則沈漂於波流焉。蒲梢汗血,迅趨之駿足也,御非造父,則傾僨於嶮途焉。青萍豪曹,剡鋒之精絕也,操者非羽越,則有自傷之患焉。勁兵銳卒,撥亂之神物也,用者非明哲,則速自焚之禍焉。

抱朴子曰く、艅艎鷁首は、是れ川を涉るの良器なり、北狄を用いて以て之れを棹せば、便ち波流の裡に沉漂せん。蒲梢汗血は、是れ迅趨の駿足なり、駕馭する人は造父に非ざれば、便ち險途の上に傾覆せん。青萍・豪曹は、是れ鋒を剡するの精絶なり、操持する人は羽・越に非ざれば、便ち自傷の患有り。勁兵銳卒は、是れ亂を撥くの神物なり、用うる人は明哲に非ざれば、便ち自焚の禍を加速せん。

抱朴子曰:天秩有不遷之常尊,無禮犯遄死之重刺。是以玄洲之禽獸,惟能言而不得廁貴牲;蛩蛩之負厥足,雖寄命而不得為仁義。

抱朴子曰く、天秩は可に遷す可からざるの常尊有り、禮なきに觸犯すれば便ち遄死の重刺有り。因此玄洲の禽獸は、ただ能く話を説くも而も能く貴性に廁身せず(底本は「貴牲」と作る、「牲」は「性」の訛)。蛩蛩は蹶鼠を背上に負いて、卽使命を寄するとも能く仁義と算作せず。

抱朴子曰:謗讀言不可以巧言弭,實恨不可以虛事釋。釋之非其道,弭之不由理,猶懷冰以遣冷,重爐以卻暑,逐光以逃影,穿舟以止漏矣。

抱朴子曰く、謗讟は可に巧言を以て消弭す可からず(底本は「謗讀言」と作る、「讀」は「讟」の訛)、實恨は可に虛事を以て解釋す可からず。解釋は其の道に按じざれば、消弭は其の理に由らず、便ち冰を懷きて以て冷を遣り、爐を加重して以て暑を却け、光を追逐して以て影を逃れ、破船を穿りて以て漏を止むるが如し。

抱朴子曰:明主官人,不令出其器;忠臣居位,不敢過其量。非其才而妄授,非所堪而虛任,猶冰碗之盛沸湯,葭莩之包烈火,綴萬鈞於腐索,加倍載於扁舟。

抱朴子曰く、明主は人を管して、彼をして其の器を超出せしめず。忠臣は位に居りて、敢えて其の量を超過せず。那才に非ざるに然れども妄授し、所能堪に非ざるに然れども虛任すれば、便ち冰碗は沸湯を盛り、葭莩は烈火を包み、萬鈞を腐索の上に綴り、加倍の載を扁舟の上に加うるが如し。

抱朴子曰:豹笏之裘,不為負薪施;九成六變,不為聾夫設;高唱遠和,不為庸愚吐;忘身致果,不為薄德作。

抱朴子曰く、豹・狐の裘は、薪を負うの爲に施さず。九成六變は、聾夫の爲に設けず。高唱遠和は、庸愚の爲に吐かず。身を忘れて果を致すは、薄德の爲に作らず。

抱朴子曰:民財匱夫而求不已,下力竭矣,而役不休,欲怨嘆之不生,規其寧之惟永,斷根以續枝,割背以裨腹,刻目以廣明,剜耳以開聰也。

抱朴子曰く、民財は匱乏了して(底本は「匱夫」と作る、「夫」は「矣」の訛)然れども求は還に停まらず、下力は竭きて而も役は還に休まず、怨歎を生ぜずして、安寧長久を謀らんと想うは、是れ根を斬斷して以て枝を續け、背を割きて以て腹を補い、目を刻きて以て明を增廣し、耳を剜きて以て聰を開くが如し。

抱朴子曰:法無一定,而慕權宜之隨時,功不倍前,而好屢變以偶俗,猶剸高馬以適卑車,削附踝以就偏履,斷長劍以赴短鞞,割尺璧以納促匣也。

抱朴子曰く、法は一定なくして、然れども權宜を羨みて以て時に隨い、功は從前に比べて加倍せずして、然れども屢次改變を好みて以て俗に偶るは、便ち高馬を削りて以て矮車に適合し、附踝を削りて以て偏履に就き、長劍を斷ぢて以て短鞞に赴き、尺璧を割きて以て促匣に納入するが如し。

抱朴子曰:止波之修鱗,不出窮谷之隘;鸞棲之峻木,不秀培螻之卑,九疇之格言,不吐庸猥之口,金版之高算,不出恆民之懷,睹百抱之支,則足以知其本之不細,睹汪濊之文,則足以覺其人之淵邃。

抱朴子曰く、能く波を止むるの修鱗は、窮谷の隘より出でず。鸞の棲するの峻木は、培𪣻の卑に秀でず(底本は「培螻」と作る、「螻」は「𪣻」の訛)。九疇の格言は、庸猥の口より吐出せず。金版の高算は、常民の懷抱より出でず。百抱の枝を看見すれば、便ち足りて以て其の本の細ならざるを知る。汪濊の文を看見すれば、便ち足りて以て那人の淵邃を覺る。

抱朴子曰:桑林鬱藹,無補柏木之悽冽;膏壤帶郭,無解黔敖之蒙袂。然繭纊綈紈,引之自出,千倉萬箱,於是乎生。故識遠者貴本,見近者務末。

抱朴子曰く、桑林は郁藹として、松柏の凄冽に補なし。膏壤は郭を帶びて、黔敖の蒙袂を解釋する能わず。然れども繭纊綈紈は、這裡より引出され、千倉萬箱は、這裡より生出す。ゆえに遠を識る人は本を貴び、近を見る人は末を務む。

抱朴子曰:體粗者系形,知精者得神,原始見終者,有可推之緒,得之未朕者,無假物之因。是以晝見天地,未足稱明,夜察分毫,乃為絕倫。

抱朴子曰く、體粗の人は形に係り、知精の人は神に得、原始見終の人は、以て推す可きの端緒有り、未だ朕兆有らざる時に便ち得る人は、外物を假借するの因なし。因此白天は天地を看見して、足りて明と稱せず、夜裡は分毫を察して、乃ち是れ絶倫なり。

抱朴子曰:鐓藻春耀,不能離柯以久鮮;吞舟之魚,不能捨水而攝生。是以名美而實不副者,必無沒節之風;位高而器不稱者,不免致寇之敗。

抱朴子曰く、藻を綴るは春花の閃耀の如く、能く柯を離れて而も長久鮮ならず。舟を吞むの魚は、能く水を舍てて而も生を攝せず。因此名美にして實副ならざる人は、一定に沒世節を守るの風なし。位高くして器稱わざる人は、寇を招來するの敗を免れず。

抱朴子曰:忍痛苦之藥石者,所以除伐命之疾;嬰甲冑之重冷者,所以捍鋒鏑之集;潔操履之拘苦者,所以全拔萃之業;納拂心之至言者,所以無易方之惑也。

抱朴子曰く、痛苦の藥石を忍受するは、是れ以て命を伐るの疾を除去するに用いるなり。甲胄の重冷を承受するは、是れ以て鋒鏑の集を捍ぐるに用いるなり。操履の拘苦を潔守するは、是れ以て拔萃の業を保全するに用いるなり。心に拂うの至言を接納するは、是れ以て方向を改易するの惑なきに用いるなり。

抱朴子曰:鸞鳳競粒於庭場,則受褻於雞鶩;龍麟雜廁於芻豢,則見覿於六牲。是以商老棲峻以播邈世之操,卞隨赴深以全遺物之聲。

抱朴子曰く、鸞鳳は庭場に粒を競えば、便ち雞鶩に褻慢せられ。龍麟は芻豢の裡に雜廁せば、便ち以て六牲と看なさる。因此商山四老は峻處に棲して以て邈世の操を播き、卞隨は深に赴いて以て物を遺すの聲を保全す。

抱朴子曰:浚井不渫則泥濘滋積,嘉穀不耘則荑莠彌蔓。學而不思則閡實繁,講而不精則長惑喪功。

抱朴子曰く、浚井は淘渫せざれば則ち泥濘は滋積し、嘉穀は耘せざれば則ち荑莠は彌蔓す。學びて而も思わざれば則ち滯阂は實に繁多く、講じて而も精ならざれば則ち迷惑を增長し・功勞を喪失す。

抱朴子曰:積萬金於篋匱,雖儉乏而不用,則未知其有異於貧窶。懷逸藻於胸心,不寄意於翰素,則未知其有別於庸猥。

抱朴子曰く、萬金を篋匱の裡に積みて、卽使儉乏とも用いざれば、則ちそれと貧窶と什麼の異有るかを知らず。懷裡に逸藻を藏して、翰素の上に意を寄せざれば、則ちそれと庸猥と什麼の別有るかを知らず。

抱朴子曰:南威青琴,姣冶之極,而必俟盛飾以增麗,回賜遊夏,雖天才雋朗,而實須《墳》《誥》以廣智。

抱朴子曰く、南威・青琴は、姣冶は極に到れり、而も一定に盛飾を待ちて以て麗を增す。顏回・端木賜・子游・子夏は、卽使天才隽朗とも、而も實に《墳》《誥》を須いりて以て智を廣ぐ。

抱朴子曰:丹幃接網,組帳重蔭,則醜姿翳矣;朱漆飾致,錯塗炫耀,則枯木隱矣。是以六藝備則卑鄙化為君子,眾譽集則孤陋邈乎貴遊。

抱朴子曰く、丹帷は網を接し、組帳は蔭を重ぬれば、則ち醜姿は遮蔽せられり。朱漆は文飾し、錯塗は炫耀せば、則ち枯木は隱藏せられり。因此六藝は備具せば則ち卑鄙は君子と化成し、衆譽は匯集せば則ち孤陋は邈然として貴游の如し。

抱朴子曰:繁林翳薈,則羽族雲萃;玄淵浩汗,則鱗群兢赴。德盛業廣,則宅心者眾,舍瑕錄用,即遠懷近集。

抱朴子曰く、繁林は翳薈せば、則ち羽族は雲の如く萃集す。玄淵は浩汗せば、則ち鱗群は爭いて赴く。德盛んにして業廣ければ、則ち心を宅する人多く、瑕を舍てて錄用すれば、便ち遠は懷き近は集る。

抱朴子曰:尋飛絕景之足,而不能騁逸放於呂梁;凌波泳淵之屬,而不能陟峻而攀危。故離朱剖秋毫於百步,而不能辯八音之雅俗;子野合通靈之絕響,而不能指白黑於咫尺。

抱朴子曰く、能く飛び絶景を尋くの足は、然れども能く呂梁に逸放を騁せず。波を凌ぎ淵に泳ぐの一類は、然れども能く峻に陟りて而も危を攀せず。ゆえに離朱は百步の外に秋毫を剖くも、然れども能く八音の雅俗を辨えず。子野は能く通靈の絶響を合すも、然れども能く咫尺に白黑を指せず。

抱朴子曰:四聰廣闢,則羲和納景;萬仞虛己,則行潦交赴。故博辨之道弘,則異聞畢集;庭燎之耀輝,則奇士叩角;誹謗之木設,則有過必知;敢諫之鼓懸,則直言必獻。

抱朴子曰く、四聰は大開せば、則ち羲和は光景を納入す。萬仞は己を虛くせば、則ち行潦は交い赴く。ゆえに博辨の道は弘大なれば、則ち異聞は皆集まり來り。庭燎は耀輝せば、則ち奇士は角を叩く。誹謗の木は設立せば、則ち過有れば一定に知る。敢諫の鼓は懸掛せば、則ち直言は一定に獻上す。

抱朴子曰:能言莫不褒堯,而堯政不必皆得也;舉世莫不貶桀,而桀事不必盡失也。故一條之枯,不損繁林之蓊藹;蒿麥冬生,無解畢發之肅殺。西施有所惡而不能減其美者,美多也;嫫母有所美而不能救其醜者,醜篤也。

抱朴子曰く、能く話を説く人は堯を褒せざるなく、而も堯の政は不必皆得たらず。世を擧げて桀を貶せざるなく、而も桀の事は不必盡く失ならず。ゆえに一條枯れたるも、繁林の蓊藹を損せず。蒿麥は冬天生ずるも、霜發の肅殺を解釋する能わず。西施は惡む所有るも而も能く其の美を減ぜず、是れ美多きなり。嫫母は美しき所有るも而も能く其の醜を救わず、是れ醜深きなり。

抱朴子曰:身與名,難兩濟;功與神,鮮並全。支離其德者,苦而必安;用以適世,者樂而多危。故鷙禽以奮擊拘縶,言鳥以智慧見寵,瓊瑤以符辨剖判,三金以琦玩治鑠,蘭茝以芬馨剪刈,文梓以含音受伐。是以翠蚪睹化益而登玄云,靈鳳值孟戲而反丹穴,子永嘆天倫之偉,漆園悲被繡之犧。

抱朴子曰く、身と名とは、兩濟し難し。功と神とは、並び全うする能くす少なし。德を支離に弄する人は、苦しけれども一定に安んず。以て世に適う人は、樂しけれども危多し(底本「用以適世、者樂」は疑らくは「者」の字錯位)。ゆえに鷙禽は奮擊に因りて拘絷せられ、言鳥は智慧に因りて寵せられ、瓊瑶は符采に因りて剖判せられ、三金は琦玩に因りて冶鑠せられ、蘭芷は芬馨に因りて剪刈せられ、文梓は音を含むに因りて伐を受く。因此翠虬は化益を看見して而も玄雲に登上し、靈鳳は孟戲に碰上して而も丹穴に返回し、子永は天倫の偉を歎じ、漆園は繡を被るの犧を悲しむ。

抱朴子曰:萬麋傾角,猛虎為之含牙;千禽鱗萃,鷙鳥為之握爪。是以四國流言,公旦不能遏;謗者盈路,而子產無以塞。

抱朴子曰く、萬頭の麋は一起に角を傾けば、猛虎は因此牙を含む。千禽は鱗の如く萃集せば、鷙鳥は因此爪を握る。因此四國は流言して、公旦は能く遏めず。謗する人は路に盈ちて、而も子產は堵塞する由なし。

抱朴子曰:威施之豔,粉黛無以加,二至之氣,吹噓不能增。是以懷英逸之量者,不務風格以示異;體邈俗之器者,不恤小譽以徇通。

抱朴子曰く、西施の艶は、粉黛は再び加うる由なし。二至の氣は、吹噓は再び增す能わず。因此英逸の量を懷く人は、風格を務求して以て特異を顯示せず。邈俗の器を體具する人は、小譽を憂慮して以て通に徇わず。

抱朴子曰:鱗止鳳儀,所患在少;狐鳴梟呼,世忌其多。是以俊乂盈朝,而求賢者未倦;讒佞作威,而忠貞者切齒。

抱朴子曰く、麟止し鳳儀するは、患は少きに在り。狐鳴し梟呼するは、世は其の多きを忌る。因此俊乂は朝に盈ちて、而も賢を求むる人は還に未だ倦まず。讒佞は威を作して、而も忠貞の人は齒を切る。

抱朴子曰:多力何必孟賁烏獲,逸容凱唯鄭旦毛嬙,飈迅非徒驊騮驌驦,立斷未獨沈閭干將。是以能立素王之業者,不必東魯之丘;能洽掩枯之仁者,不必西鄰之昌。

抱朴子曰く、多力は何必孟賁・烏獲ならんや、逸容は豈にただ鄭旦・毛嬙ならんや(底本は「凱唯」と作る、「凱」は「豈」の訛)、飆迅はただ驊騮・驌驦のみならず、立斷は獨り沈閭・干將のみならず。因此能く素王の業を立つる人は、不必是れ東魯の丘ならず。能く枯を掩うの仁を洽する人は、不必是れ西鄰の昌ならず。

抱朴子曰:靈鳳振響於朝陽,未有惠物之益,而莫不澄聽於下風焉。鴟梟宵集於垣宇,未有分釐之損,而莫不掩耳而注鏑焉。故善言之往,無遠不悅;惡言之來,靡近不忤。猶日月無謝於貞明,枉矢見忘於暫出。

抱朴子曰く、靈鳳は朝陽に響を振るは、物を惠するの益なく、而も下風に聽を澄めざるなし。鴟梟は夜裡垣宇に集るは、分釐の損なく、而も耳を掩いて而も鏑を注視せざるなし。ゆえに善言は往けば、遠くして悅ばざるなし。惡言は來れば、近くして忤わざるなし。便ち日月は貞明に因りて謝せず、枉矢は暫出に因りて忘掉せらるるが如し。

抱朴子曰:影無違形之狀,名無離實之文。故背源之水,必不能揚長流以東漸;非時之華,必不能稽輝藻於冰霜。

抱朴子曰く、影は形の狀に違背するなし、名は實の文を離るるなし。ゆえに源頭を背離するの水は、一定に能く長流を揚起して以て東漸せず。時候に非ざるの花は、一定に能く輝藻を冰霜の上に稽留せず。

抱朴子曰:鋸牙之獸,雖低伏而見憚;揮斧之蟲,雖口止全形而不威。故君子被褐,窮而不可輕;小人軒冕,達而不足重。

抱朴子曰く、鋸牙の獸は、卽使低伏するとも忌惮せられ。斧を揮するの蟲は、卽使形體を保全するとも威ならず(底本「口止全形」、「口止」は偏旁の殘留)。ゆえに君子は褐を被きて、窮して而も輕んず可からず。小人は軒冕して、達して而も重んずに足らず。

抱朴子曰:逸麟逍遙大荒之表,故無機阱之禍;靈鶬振翅玄圃之峰,以違罩羅之患。何必曲穴而永懷怵惕。何必銜蘆而慘慘畏容。故充乎宰割之用者,必愛乎芻豢者也。給乎煎熬之膳者,必安乎庭立者也。

抱朴子曰く、逸麟は大荒の外に逍遙すれば、ゆえに機阱の禍なし。靈鶬は玄圃の峰に翅を振るい、以て罩羅の患を避開す。何必曲穴して而も永遠に怵惕を懷き、何必蘆を銜えて而も慘慘として容身を畏懼せんや。ゆえに宰割の用に充當するは、一定是れ芻豢を愛するなり。煎熬の膳を供給するは、一定是れ庭立に安んずるなり。

抱朴子曰:聰者貴於理遺音於千載之外,而得興亡之跡。明者珍於鑑逸群於寒瘁之中,而抽匡世之器。若夫聆繁會之響,而顧問於庸工,非延州之清聽也。枉英遠之才,而諮之於常人,非獨見之奇識也。故與不賞物者而論用凌儕之器,是使瞽者指五色也;與妒勝己者而謀舉疾惡之賢,是與狐議治裘也。

抱朴子曰く、聰の人は貴くは能く千載の外より遺音を理出して、而も興亡の迹を得るに在り。明の人は珍くは能く寒瘁の中より逸群を鑑出して、而も匡世の器を抽出するに在り。繁會の響を聽くに至りては、然れども庸工に向かって顧問するは、是れ延州の淸聽に非ず。英遠の才を枉屈して、然れども常人に向かって咨問するは、是れ獨見の奇識に非ず。ゆえに物を賞識せざる人と儕類を超出するの器の用を論ずるは、是れ瞽者をして五色を指せしむるなり。自己に勝過するを妒嫉する人と惡を疾むの賢を擧薦するを謀劃するは、是れ狐狸と裘を治むるを商議するなり。

抱朴子曰:鸗駁危苦於嶮峻之端,不樂口弗守之役,吉光飢渴於冰霜之野,不願犧牲之鮑,孤竹不以絕粒易鹿臺之富,子廉不以困匱貿銅山之豐。

抱朴子曰く、駁馬は險峻の端の上に危苦して、〔底本「口弗守之役」文字訛脫〕を樂まず。吉光は冰霜の野の裡に饑渴して、犧牲の飽食を做るを願わず。孤竹は絶粒を拿りて以て鹿臺の富に換えず、子廉は困匱を拿りて以て銅山の豐に貿えず。

抱朴子曰:志合者不以山海為遠,道乖者不以咫尺為近。故有跋涉而遊集,亦或密邇而不接。

抱朴子曰く、志合う人は山海を以て遠と爲さず、道乖れる人は咫尺を以て近と爲さず。ゆえに跋涉して而も來り游集する有り、も亦た或いは密邇して而も相接せざる有り。

抱朴子曰:華袞粲爛,非只色之功;嵩岱之峻,非一簣之積。故九子任而康凝之績熙,四七授而佐命之勳著。

抱朴子曰く、華袞は粲爛として、一種の顏色の功に非ず。嵩岱の峻は、一簣の積に非ず。ゆえに九子は職に任じて而も康濟の績は光明し、四七は命を授けて而も佐命の勳は顯著す。

抱朴子曰:翠虯無翅而天飛;螣蛇無足而電鶩,鱉無耳而關頭善聞,蚓無口而揚聲。故皋繇喑而與辯者同功,晉野瞽而與離朱齊明。

抱朴子曰く、翠虬は翅なくして而も天飛し、騰蛇は足なくして而も電騖し、鱉は耳なくして而も聞に善く、蚓は口なくして而も聲を揚ぐ。ゆえに皋陶は口啞にして而も辨する人と功を同じくし、晉野は眼瞽にして而も離朱と明を齊しくす。

抱朴子曰:官達者才未必當其位,譽美者實未必副其名。故鋸齒不能咀嚼,箕舌不能別味,壺耳不能理音,屍彳喬鼻不能識氣,釜目不能扌盧望舒之景,床足不能有尋常之逝。

抱朴子曰く、官達の人は、才は未必其の位に當たらず。譽美の人は、實は未必其の名に副わず。ゆえに鋸齒は能く咀嚼せず、箕舌は能く味を別えず、壺耳は能く音を理せず、〔底本「尸彳喬鼻」文字訛脫〕は能く氣を識らず、釜目は能く望舒の光景を睹せず(底本「扌盧」は「睹」の訛)、床足は能く尋常の行走有らず。

抱朴子曰:路人不能挽勁命中而識養由之射,顏子不能控轡振策而知東野之敗。故有不能下棋而經目識勝負,不能徽弦而過耳解鄭雅者。

抱朴子曰く、路人は能く強を挽き中に命中せずして然れども能く養由の射を識る、顏子は能く轡を控え策を振せずして然れども東野の敗を知る。ゆえに能く棋を下さずして而も目を過ぎて能く勝負を識る有り、能く弦を調せずして而も耳を過ぎて能く鄭・雅を分辨する有り。

抱朴子曰:垂蔭萬畝者,必出峻極之嶺;滔天襄陵者,必發板桐之源。邈世之勳,必由絕倫之器;定傾之算,必吐冠俗之懷。是以蟲焦螟之巢,無乘風之羽;溝澮之中,無宵朗之琦。

抱朴子曰く、蔭を垂るる萬畝のは、一定に峻極の嶺より出づ。天を滔て陵を襄ぐるのは、一定に板桐の源より發す。邈世の勳は、一定に絶倫の器に由る。傾を定むるの算は、一定に冠俗の懷抱より吐出す。因此焦螟の巢は(底本は「虫焦螟」と作る、「虫」は偏旁の殘留)、風に乘るの羽なし。溝澮の中は、夜亮の琦なし。

抱朴子曰:沖飈焚輪,原火所以增熾也,而螢燭值之而反滅;甘雨膏澤,嘉生所以繁榮也,而枯木得之以速朽;朱輪華轂,俊民之大寶也,而負乘竊之而召禍;鼎食萬鍾,宣力之弘報也,而近才授之以覆食束。

抱朴子曰く、衝飆焚輪は、是れ原野の火の以て熾を增す所以の緣故にして、而も螢燭はそれに碰上れば反って滅す。甘雨膏澤は、是れ嘉生の以て繁榮する所以の緣故にして、而も枯木はそれを得て却って速朽す。朱輪華轂は、是れ俊民の大寶にして、而も乘を負う人はそれを竊りて却って禍を召す。鼎食萬鍾は、是れ力を宣うの弘報にして、而も近才はそれを授けられて却って𫗧を覆す(底本は「覆食束」と作る、「食束」は「𫗧」の訛)。

抱朴子曰:屠犀為甲,給乎專征之服,裂翠為華,集乎后妃之首,雖出幽谷,遷於喬木,然為二物之計,未若棲竄於林薄,攝生乎榛藪也。故靈龜寧曳尾於塗中,而不願巾笥之寶;澤雉樂十步之啄,以違雞鶩之禍。

抱朴子曰く、犀を屠りて甲を做り、專征の服を供給し、翠を裂きて華を做り、后妃の頭上に集る、雖も幽谷より出でて、喬木に遷るとも、然れども這二物の爲に打算すれば、林薄に棲竄し、榛藪に生を攝するに如かず。ゆえに靈龜は寧ろ塗中に尾を曳かんことを、而も巾笥の裡の寶を做るを願わず。澤雉は十步に一啄を樂しみ、以て雞鶩の禍を避開す。

抱朴子曰:偏才不足以經周用,只長不足以濟眾短。是以雞知將旦,不能究陰陽之歷數;鵠識夜半,不能極晷景之道度;山鳩知晴雨於將來,不能明天文;蛇蟲豈知潛泉之所居,不能達地理。

抱朴子曰く、偏才は足りて以て周用を經せず、ただ一種に長ずるは足りて以て衆短を濟せず。因此雞は將旦を知るも、能く陰陽の曆數を究めず。鵠は夜半を識るも、能く晷景の道度を極めず。山鳩は將來の晴雨を知るも、能く天文を明かさず。蛇蟻は潜泉の居る所の處を知るも(底本は「蛇虫豈」と作る、「虫豈」は「蟻」の訛)、能く地理に達せず。

抱朴子曰:禁令不明,而嚴刑以靜亂;廟算不精,而窮兵以侵鄰。猶釤禾以討蝗蟲,伐木以殺蠹蠍,食毒以中蚤蝨,徹舍以逐雀鼠也。

抱朴子曰く、禁令は明ならずして、然れども嚴刑を用いて以て亂を靜め。廟算は精ならずして、然れども兵を窮めて以て鄰を侵す。便ち禾を釤して以て蝗蟲を討ち、木を伐りて以て蠹蝎を殺し、毒を食いて以て蚤虱に中り、屋子を拆掉して以て雀鼠を逐うが如し。

抱朴子曰:銳鋒產乎鈍石,明火熾乎暗木,貴珠出乎賤蚌,美玉出乎醜璞。是以不可以父母限重華,不可以祖禰量衛霍也。

抱朴子曰く、銳鋒は鈍石の裡より產し、明火は暗木の裡より熾し、貴珠は賤蚌の裡より出で、美玉は醜璞の裡より出づ。因此可に父母を以て重華を限定す可からず、可に祖禰を以て衛・霍を衡量す可からず。

抱朴子曰:志得則顏怡,意失則容戚。本朽則末枯,源淺則流促。有諸中者必形乎表,發乎邇者必著乎遠。

抱朴子曰く、志得れば則ち顏怡しく、意失えば則ち容戚たり。本朽れば則ち末梢枯れ、源淺ければ則ち流促し。裡面に在る有れば一定に外表に形い、近處より發すれば一定に遠處に顯る。

抱朴子曰:妍姿媚貌,形色不齊,而悅情可均;絲竹金石,五聲詭韻,而快耳不異;繳飛鉤沈,罾舉罝抑,而有獲同功;樹勳立言,出處殊途,而所貴一致。

抱朴子曰く、妍姿媚貌は、形色は齊しからずして、而も情を悅ばしむるは以て均しくす可し。絲竹金石は、五聲の韻は同じからずして、而も耳を快くするは異なし。飛を繳り沉を鉤り、網を領起し・罝を按下して、而も獲有りて功を同じくす。勳を樹て言を立つるは、出處は殊途にして、而も貴ぶ所は一致す。

抱朴子曰:利豐者害厚,質美者召災。是以南禽殲於藻羽,穴豹死於文皮,鱣鯉積而玄淵涸,麋鹿聚而繁林焚,金玉崇而寇盜至,名位高而憂責集。

抱朴子曰く、利豐の人は害厚く、質美の人は災を召す。因此南禽は藻羽に因りて殲せられ、穴豹は文皮に因りて死し、鱣鯉は積みて而も玄淵は乾涸し、麋鹿は聚りて而も繁林は焚かれ、金玉は崇まりて而も寇盜到り、名位は高くして而も憂責集る。

抱朴子曰:商風宵肅則絺扇廢,登危陟峻則輕舟棄,干戈雲擾則文儒退,喪亂既平則武夫黜。

抱朴子曰く、商風は夜裡肅殺せば則ち𫄨扇は廢し、危に登り峻に陟れば則ち輕舟は棄て、干戈は雲の如く擾せば則ち文儒は退き、喪亂は既に平げば則ち武夫は黜る。

抱朴子曰:價直萬金者,不待見其物而好惡可別矣;條枝連抱者,不俟圍其木而鉅細可論矣。故望洪濤之滔天,則知其不起乎潢汙之中矣;觀翰草之汪濊,則知其不出乎章句之徒矣。

抱朴子曰く、價值萬金のは、其の物を看見するを待たずして而も好惡は以て分別す可し。枝條は抱を連ねるのは、其の木を圍量するを待たずして而も巨細は以て論ず可し。ゆえに洪濤滔天を望見すれば、便ちそれは潢污の中より起るに非ざるを知る。翰墨の汪濊を看れば、便ちそれは章句の徒の出ずる所に非ざるを知る。

抱朴子曰:丹華綠草,不拘於曲瘁之株;紫芝芳秀,不限於斥鹵之壤。是以受玄珪以告成者,生於四罪之門;承歷數於文祖者,出於頑囂之家。

抱朴子曰く、丹華綠草は、曲瘁の株に拘らず。紫芝は芳秀して、斥鹵の壤に限らず。因此玄珪を受けて以て成を告ぐる人は、四罪の門に生れり。文祖に歷數を承受する人は、頑囂の家より出づ。

抱朴子曰:善言居室,則靡遠不應;枉直不中,則無近不離。是以宋野有退舍之熒惑;殷朝有外奔之暱屬。四環至自少廣之表,鹿馬變於蕭牆之裡。

抱朴子曰く、善言は居室より出づれば、則ち遠くして應ぜざるなし。枉直は中らざれば、則ち近くして離れざるなし。因此宋野は退舍の熒惑有り。殷朝は外奔の昵屬有り。四環は少廣の外より到來し、鹿馬は蕭墻の裡に變す。

抱朴子曰:荊卿朱亥,不示勇於怯弱之間;孟賁馮婦,不奮戈戟於俚俠之群。英儒碩生,不飾細辯於淺近之徒;達人偉士,不變日交察於流俗之中。

抱朴子曰く、荊卿・朱亥は、怯弱の間に勇を顯示せず。孟賁・馮婦は、俚俠の群の裡に戈戟を奮わず。英儒碩生は、淺近の徒の前に細辯を修飾せず。達人偉士は、流俗の中に日日の觀察を變易せず。

抱朴子曰:盤旋揖讓,非禦寇之容;摜甲纓胄,非廟堂之飾。垂紳振佩,不可以揮刃爭鋒;規行矩步,不可以救火拯溺。

抱朴子曰く、盤旋揖讓は、是れ寇を御ぐの容に非ず。甲を貫き胄を纓けるは、是れ廟堂の飾に非ず。紳を垂れ佩を振るは、可に刃を揮い鋒を爭う可からず。規行矩步は、可に火を救い溺を拯う可からず。

抱朴子曰:乾坤陶育,而庶物不識其惠者,由乎其益無方也;大人神化,而群細不覺其施者,由乎治之於未有也。故可知者小也,易料者少也。

抱朴子曰く、乾坤は陶育して、而も庶物は其の惠を識らず、是れ其の益の定方なきに由る。大人は神化して、而も群細は其の施を覺えず、是れ未だ有らざる時に就きて治めたるに由る。ゆえに以て知る可きは是れ小にして、料る易きは是れ少なり。

抱朴子曰:娥英任姒,不以蠶織為首稱,湯武漢高,不以細行招近譽。故澄視於三辰者,不遑紆鑑於井谷;清聽於韶濩者,豈暇垂耳於桑間。

抱朴子曰く、娥皇・女英・太任・太姒は、蠶織を以て首先に稱せらるるなし。湯武・漢高は、細行を以て近處の譽を招かず。ゆえに三辰に視を澄める人は、井谷に向かって鑑照を紆回する及ばず。韶濩に聽を淸くする人は、何處か閑暇有りて桑間に向かって耳を垂れんや。

抱朴子曰:膚表或不可以論中,望貌或不可以核能。仲尼似喪家之狗,公旦類樸斫之材,咎繇面如蒙倛,伊尹形若槁骸,及龍陽宋朝,猶土偶之冠夜光,藉孺董鄧,猶錦紈之裹塵埃也。

抱朴子曰く、膚表は時有りて可に以て裡面を論ず可からず、貌を望むは時有りて可に以て才能を核す可からず。仲尼は喪家の狗の如く、公旦は樸斫の材の如く、皋陶は面は蒙倛の如く、伊尹は形は槁骸の如し。龍陽・宋朝に至りては、便ち土偶は夜光を戴けるが如し。藉孺・董・鄧は、便ち錦紈は塵埃を裹めるが如し。

抱朴子曰:勳華不能化下愚,故教不行於子弟;辛癸不能改上智,故惡不染於三仁。

抱朴子曰く、勳・華は能く下愚を化せず、ゆえに教は能く子弟に行はれず。辛・癸は能く上智を改めず、ゆえに惡は能く三仁に染まず。

抱朴子曰:至大有所不能變,極細有所不能奪。故冰霜肅殺,不能凋菽麥之茂;熾暑鬱陰,不能消雪山之凍;飈風蕩海,不能使潛泉揚波;春澤榮物,不能使枯卉發華。抱朴子曰:泣血之寶,仰石監石諸以摛景,沈閭孟勞,須楚砥以斂鋒,騮馬日待王孫而致遠,令質俟檃括而成德。

抱朴子曰く、至大は能く變變ぜざる所有り、極細は能く奪はれざる所有り。ゆえに冰霜は肅殺するも、能く菽麥の茂を凋ませず。熾暑は鬱陰するも、能く雪山の凍を消せず。飆風は海を蕩すも、能く潜泉をして波を揚げしめず。春澤は物を榮すも、能く枯卉をして花を開かしめず。抱朴子曰く、泣血の寶は、礜諸を仰仗して以て光景を舒展す(底本は「石監石諸」と作る、當に「礜諸」と讀作すべし)。沈閭・孟勞は、楚砥を須要して以て鋒を收斂し、驊騮は王孫を等待して而も遠を致し、美質は檃括を等待して而も德を成す。

抱朴子曰:棲鸞戢鸑,雖飢渴而不願籠委於庖人之室;乘黃天鹿,雖幽飢而不樂草芻秣於濯龍之廄。是以掇蜩之叟,忘萬物於芳林,垂綸之生,忽執珪於南楚。

抱朴子曰く、鸞に棲き𬸚を斂むるは、卽使饑渴するとも庖人の室に籠委せられんを願わず。乘黃・天鹿は、卽使幽饑するとも濯龍の廄に芻秣を食うを樂まず。因此蜩を掇るの叟は、芳林に萬物を忘掉し、綸を垂るの生は、南楚に執珪を忽略す。

抱朴子曰:方圓舛狀,逝止異歸。故渾象尊於行健,坤後貴於安貞。七政四氣,以周流成功;五嶽六柱,以峙靜作鎮。是以宋墨楚申,以載馳存國,幹木胡明,以無為折沖。

抱朴子曰く、方と圓とは形狀同じからず、逝と止とは歸向同じからず。ゆえに渾象は行健に尊く、坤后は安貞に貴し。七政四氣は、周流を靠りて功を成し、五岳六柱は、峙靜を靠りて鎮と作る。因此宋國の墨翟・楚國の申包胥は、載馳を靠りて國を存し、段干木・胡昭は、無爲を靠りて衝を折る。

抱朴子曰:得意於丘園者,身否而神泰;役己以恤物者,形逸而心勞。故抱甕灌園者,歡於臺宰;嘔餐茹薇者,美乎鼎食;仗策去豳者,形如月居臘;夜以待旦者,勤憂損命。

抱朴子曰く、丘園に意を得る人は、身否くして而も神泰し。自己を役使して以て物を恤る人は、形逸くして而も心勞す。ゆえに甕を抱きて園を灌ぐ人は、臺宰に比べて還に歡し。餐を嘔き薇を茹む人は、鼎食に比べて還に美し。策を仗きて豳を離る人は、形は〔底本「月居臘」文字訛脫〕の如し。夜を以て旦を待つ人は、勤憂して命を損す。

抱朴子曰:仁忍有天淵之絕,善否猶有無之覺。騶虞側足以蹈虛,豺狼掩群以害生。虞卿捐相印以濟窮,華公讓三事以推賢。李斯疾勝己而殺韓非,龐涓患不如而刑孫臏。

抱朴子曰く、仁と忍とは天淵の絶有り、善と否とは便ち有と無との覺察の如し。騶虞は足を側きて以て虛を蹈り、豺狼は群を掩いて以て生を害す。虞卿は相印を捐掉して以て窮を濟し、華公は三事を讓掉して以て賢を推す。李斯は自己に勝過するを疾恨して而も韓非を殺し、龐涓は自己の如かざるを患えて而も孫臏を刑す。

抱朴子曰:用得其長,則才無或棄;偏詰其短,則觸物無可。故輕羅霧縠,治服之麗也,而不可以御流鏑;沈閭巨闕,斷斬之良也,而不可以挑腳刺。

抱朴子曰く、其の長を得るを用いれば、則ち才は棄てられざるなし。偏りて其の短を詰れば、則ち物に觸れて取る可きなし。ゆえに輕羅霧縠は、是れ服を治むの麗にして、然れども可に以て飛鏑を抵禦す可からず。沈閭・巨闕は、是れ斷斬の良にして、然れども可に以て脚刺を挑む可からず。

抱朴子曰:小疵不足以損大器,短疒火不足以累長才。日月挾蟲鳥之瑕,不妨麗天之景,黃河合泥滓之濁,不害凌山之流。樹塞不可以棄夷吾,奪田不可以薄蕭何,竊妻不可以廢相如,受金不可以斥陳平。

抱朴子曰く、小疵は足りて以て大器を損せず、短疾は足りて以て長才を累さず(底本は「短疒火」と作る、「疒火」は「疢」の訛)。日月は蟲鳥の瑕を挾けて、麗天の景を妨礙せず。黄河は泥滓の濁を合して、山を凌ぐの流を害せず。塞を樹つるは以て夷吾を棄つ可からず、田を奪うは以て蕭何を薄む可からず、妻を竊るは以て相如を廢す可からず、金を受くるは以て陳平を斥く可からず。

抱朴子曰:虎豹不能搏噬於波濤之中,螣蛇不能登凌於不霧之日,摯雉兔則鸞鳳不及鷹鷂,引耕犁則龍麟不逮雙峙。故武夫勇士,無用乎晏如之世;碩生逸才,不貴乎力競之運。

抱朴子曰く、虎豹は能く波涛の中に搏噬せず、騰蛇は能く霧なきの日に登凌せず、雉兎を捉うれば則ち鸞鳳は鷹鷂に及ばず、耕犁を拉ばば則ち龍麟は雙峙の牛に趕及ばず。ゆえに武夫勇士は、晏如の世に用なし。碩生逸才は、力競の運に看重せられず。

抱朴子曰:兩絆而項領,則騏騄與蹇驢同矣;失林而居檻,則猿狖與獾貉等矣;韜鋒而不擊,則龍泉與鉛刀均矣;才遠任近,則英俊與庸王肖比矣。若乃求千里之跡於縶維之駿,責匠世之勳於劇碎之賢,謂之不惑,吾不信也。

抱朴子曰く、兩頭を絆されて而も項領は受制せば、則ち騏驥と蹇驢とは相同じ。林を失いて而も檻の裡に住せば、則ち猿狖と獾貉とは相等し。鋒を韜起して而も擊たざれば、則ち龍泉と鉛刀とは均し。才遠くして任近ければ、則ち英俊と庸瑣とは相比す(底本は「庸王肖」と作る、「王肖」は「瑣」の訛)。絷維せらるるの駿に向かって千里の迹を求め、劇碎の賢に向かって匠世の勳を責求すに至りては、這不惑なりと説くは、我信ぜず。

抱朴子曰:捐荼茹蒿者,必無識甘之口;棄瓊拾礫者,必無甄珍之明。薄九成而悅北鄙者,吾知其不能格靈祇而儀翔鳳矣。舍英秀而杖常民者,吾知其不能敘彝倫而臻昇平矣。

抱朴子曰く、荼を捐掉して蒿を食う人は、一定に甘を識るの口なし。瓊を棄掉して礫を拾う人は、一定に珍を甄するの明なし。九成を薄めて北鄙を悅ぶ人は、我は彼の能く靈祇を格して翔鳳をして來儀せしめざるを知る。英秀を舍てて常民を仗る人は、我は彼の能く彝倫を叙して而も升平に臻らざるを知る。

抱朴子曰:達乎通塞之至理者,不悁悒於窮否;審乎自然之有命者,不逸豫於道行。故縈抑淵洿,則遺慍悶之心;振耀宸戶衣,而無得意之色。三仕三已,則其人也。

抱朴子曰く、通塞の至理に達する人は、窮否の裡に悁悒せず。自然命有るを審らかにする人は、道行の上に逸豫せず。ゆえに淵洿に縈抑せらるれば、便ち慍悶の心を忘掉し。宸屏に振耀するに(底本は「宸戶衣」と作る、「戶衣」は「扆」の訛)、得意の色なし。三仕三已す、便ち是れ這樣の人なり。

抱朴子曰:否泰系乎運,窮達不足以論士;得失在乎適,營辱不可以量才。時命不可以力求,遭遇不可以智違。故尚父者,老婦之棄夫;韓信者,乞食之餓子;蕭公者,斗筲之吏;黥布者,刑黜之亡隸。當其行龍姿於虺蜥之中,卷鳳翅乎斥鴳之群,則彼龍後,謂為其倫。

抱朴子曰く、否泰は過程運に係り、窮達は足りて以て士を論ぜず。得失は適に在り、榮辱は可に以て才を量る可からず(底本は「營辱」と作る、「營」は「榮」の訛)。時命は可に力を以て求め可からず、遭遇は可に智を以て違え可からず。ゆえに尚父は、是れ老婦の棄夫なり。韓信は、是れ食を乞うの餓子なり。蕭公は、是れ斗筲の吏なり。黥布は、是れ刑黜の亡隸なり。彼らが虺蜥の中に龍姿を行い、斥鷃の群に鳳翅を卷くに當たれば、則ちあの龍后は、彼らを説いて同類と爲す。

抱朴子曰:四靈翳逸,而為隆平之符;幽人嘉遁,而為有國之寶。何必司晨而銜鑣,羈紲於憂責哉有用人之用也,無用我之用也,徇身者不以名汨和,修生者不以物累己。

抱朴子曰く、四靈は翳逸するも、然れども是れ隆平の符なり。幽人は嘉遁するも、然れども是れ國有るの寶なり。何必晨を司りて而も鑣を銜え、憂責の裡に羈絏せられんや。用有るは是れ別人の用にして、用なきは是れ我が用なり。身に徇る人は名を拿りて以て和を汩亂せず、生を修する人は物を拿りて以て自己を累さず。

抱朴子曰:量才而授者,不求功於器外;揆能而受者,不負責於力盡。故滅熒燭者不煩滄海,扛斤兩者不事烏獲。運薪輦鹽,不宜枉騏驥之腳;碎職琑任,安足屈獨行之俊矣

抱朴子曰く、才を量りて而も授ける人は、器の外に功を求めず。能を揆して而も受くる人は、力盡きたる後に責を負わず。ゆえに熒燭を滅する人は滄海を煩わせず、斤兩を扛ぐ人は烏獲を煩わせず。薪を運び鹽を輦すは、該當騏驥の脚を枉費すべからず。碎職瑣任は(底本は「琑任」と作る、「琑」は「瑣」の訛)、何處か足りて以て獨行の俊を屈せんや。

抱朴子曰:田川澮之流,不能運大白之艘;升合之器,不能容千鍾之物。熠耀不能並表微之景,常才不能別逸倫之器。蓋造化所假,聰明有本根也。

抱朴子曰く、畎澮の流は(底本は「田川澮」と作る、「田」は疑らくは衍)、能く大白の艘を運ばず。升合の器は、能く千鍾の物を容れず。熠耀は能く微を表するの景と並び比せず、常才は能く逸倫の器を分別せず。大概是れ造化の假借する所にして、聰明は本根有り。

抱朴子曰:郢人美下里之淫蛙,而薄六莖之和音;庸夫好悅耳之華譽,而惡利行之良規。故宋玉舍其延靈之精聲,智士招其獨見之遠謀。

抱朴子曰く、郢人は下里の淫蛙の聲音を美として、而も六莖の和音を薄む。庸夫は耳を悅ますの華譽を好みて、而も行を利するの良規を惡む。ゆえに宋玉は其の靈を延くの精聲を舍掉し、智士は其の獨見の遠謀を收起す。

抱朴子曰:瓊珉山積,不能無挾瑕之器;鄧林千里,不能無偏枯之木。論珍則不可以細疵棄巨美;語大則不可以少累廢其多故。叛主者,良平也,而吐六奇以安上;群盜者彭越也,而建弘勳於佐命。

抱朴子曰く、瓊珉は山の如く堆積するも、能く瑕を挾むの器なからざる可からず。鄧林は千里にして、能く偏枯の木なからざる可からず。珍を論ずれば則ち可に細疵に因りて巨美を棄掉す可からず。大を語れば則ち可に少累に因りて其の多を廢掉す可からず。ゆえに主を叛くる人は、是れ張良・陳平にして、然れども六奇を吐出して以て上を安んじ。群盜する人は是れ彭越にして、然れども佐命の上に弘勳を建成す。

抱朴子曰:五嶽巍峨,不以藏疾傷其極天之高;滄海滉漾,不以含垢累其無涯之廣。故九德尚寬以得眾,宣尼泛愛而與進。

抱朴子曰く、五岳は巍峨として、疾を藏するに因りて其の天に極まるの高を損傷せず。滄海は滉漾として、垢を含むに因りて其の涯なきの廣を連累せず。ゆえに九德は寬を尚びて以て衆を得、宣尼は泛愛して而も人と進を爲す。

廣譬卷第三十九

廣譬巻第三十九

抱朴子曰:立德踐言,行全操清,斯則富矣,何必玉帛之崇乎高尚其志,不降不辱,斯則貴矣,何必青紫之兼拖也俗民不能識其度量,庸夫不得揣其銓衡,是則高矣,何必凌雲而蹈霓乎問者莫或測其淵流,求者未有覺其短乏,是則深矣,何必洞河而淪海乎四海苟備,雖室有懸磬之窶,可以無羨乎鑄山而煮海矣。身處鳥獸之群,可以不渴乎朱輪而華轂矣。

抱朴子曰く、德を立て言を踐えば、行全うして操淸し、這便ち富なり、何必玉帛の崇盛せんや。其の志を高尚して、降らず辱められず、這便ち貴なり、何必青紫を兼拖せんや。俗民は能く其の度量を識らず、庸夫は能く其の銓衡を揣らず、這便ち高なり、何必雲を凌りて而も霓を蹈らんや。問う人は能く其の淵流を測るなし、求むる人は其の短乏を覺るなし、這便ち深なり、何必河を洞りて而も海に淪せんや。四海若し備具せば、卽使室に懸磬の貧窶有るとも、可に鑄山煮海を羨慕せず。身は鳥獸の群に處して、可に朱輪華轂を渴慕せず。

抱朴子曰:潛靈俟慶雲以騰竦,棲鴻階勁風以凌虛,素鱗須姬發而躍,白雉待公旦而來,姜老值西伯而投石番溪之綸,韓英遭漢高乃騁撥亂之才。

抱朴子曰く、潜靈は慶雲を待ちて以て騰竦し、棲鴻は勁風を借着して以て虛を凌ぎ、素鱗は姬發を須要して乃ち躍り、白雉は公旦を待ちて乃ち來り、姜老は西伯に碰上して乃ち磻溪の綸を投げ、韓・英は漢高に遭遇して乃ち亂を撥くの才を騁す。

抱朴子曰:澄精神於玄一者,則形器可忘;邈高節以外物者,則富貴可遺。故支離之□,偉造化而怡顏;北人箕叟,棲嵩岫而得意焉。

抱朴子曰く、精神を玄一の上に澄むる人は、則ち形器は以て忘掉す可し。高節を外物の外に放つ人は、則ち富貴は以て遺棄す可し。ゆえに支離の〔底本此字殘缺〕は、造化を以て偉として而も顏を怡しくし。北人・箕叟は、嵩岫に棲して而も意を得たり。

抱朴子曰:粗理不可浹全,能事不可舉兼。故懸象明而可蔽,山川滯而或移,金玉剛而可柔,堅冰密而可離。公旦不能與伯氏跟絓於馮雲之峻,仲尼不能與呂梁較伎於百仞之溪。

抱朴子曰く、粗理は可に以て浹洽して全を求め可からず、能事は可に以て擧げて兼ぬ可からず。ゆえに懸象は明なれども蔽う可く、山川は滯るれども或いは移す可く、金玉は剛なれども柔す可く、堅冰は密なれども離す可し。公旦は能く伯氏と馮雲の峻の上に跟挂を比せず、仲尼は能く呂梁と百仞の溪の裡に伎を較べず。

抱朴子曰:震雷不能細其音,以協金石之和;日月不能私其耀,以變曲照之惠;大川不能促其涯,以適速濟之情;五嶽不能削其峻,以副陟者之慾。故廣車不能脅其轍以苟通於狹路,高士不能撙其節以同塵於隘俗。抱朴子曰:陰陽以廣陶濟物,三光以普照著明,嵩華以藏疾為曠,北溟以含垢稱大,碩儒以與進弘道,遠數以博愛容眾。

抱朴子曰く、震雷は能く其の音を細にして、以て金石の和に協えず。日月は能く耀を私藏して、以て照を曲げるの惠を變えず。大川は能く其の涯を促短して、以て濟を速くするの情に適えず。五岳は能く其の峻を削りて、以て登陟する人の欲に副えず。ゆえに廣車は能く其の轍を脇せて以て苟且狹路に通ず可からず、高士は能く其の節を撙えて以て隘俗と塵を同じくす可からず。抱朴子曰く、陰陽は廣陶を以て物を濟し、三光は普照を以て明を顯し、嵩華は疾を藏するを以て曠と爲し、北溟は垢を含むを以て大と稱し、碩儒は進を與するを以て道を弘げ、遠數は博愛を以て衆を容る。

抱朴子曰:靈龜之甲,不必為戰施;麟角鳳爪,不必為鬥設。故雋生不釋劍於平世,擊柝不輟備於思危。

抱朴子曰く、靈龜の甲は、不必戰の爲に施さず。麟角鳳爪は、不必鬥の爲に設けず。ゆえに隽生は平世に劍を解下せず、柝を擊つは危を思うに因りて備を停めず。

抱朴子曰:南金不為處幽而自輕,瑾瑤不以居深而止潔。志道者不以否滯而改圖,守正者不以莫賞而苟合。

抱朴子曰く、南金は幽に處るに因りて自己を看輕せず、瑾瑶は深に居るに因りて潔を停止せず。道に志す人は否滯に因りて圖を改めず、正を守る人は賞する人なきに因りて苟合せず。

抱朴子曰:登玄圃者,悟丘阜之卑;浮溟海者,識池沼之褊。披九典乃覺牆面之篤蔽,聞至道乃知拘俗之多迷。

抱朴子曰く、玄圃に登る人は、乃ち丘阜の卑を悟る。溟海に浮ぶ人は、乃ち池沼の褊を識る。九典を披閱して乃ち面牆の深蔽を覺え、至道を聞いて乃ち拘俗の多迷を知る。

抱朴子曰:渾沌之原,無皎澄之流;毫釐之根,無連抱之枝;分寸之燼,無炎遠之熱;隙穴

抱朴子曰く、渾沌の源は、皎澄の流なし。毫釐の根は、抱を連ねるの枝なし。分寸の燼は、炎遠の熱なし。隙穴

之中,無炳蔚之群;鉤曲之形,無繩直之影;叄差之上,無整齊之下。

(抱朴子が続けて言うには、)の中は、炳蔚の群なし。鉤曲の形は、繩直の影なし。參差の上は、整齊の下なし。

抱朴子曰:不睹瓊琨之熠爍,則不覺瓦礫之可賤;不覿虎豹之彧蔚,則不知犬羊之質漫。聆白雪之九成,然後悟巴人之極鄙;識儒雅之汪濊,爾乃悲不學之固陋。

抱朴子曰く、瓊琨の熠爍を看見せざれば、便ち瓦礫の賤しき可きを覺えず。虎豹の彧蔚を看見せざれば、便ち犬羊の質漫を知らず。白雪の九成を聆聽して、然後乃ち巴人の極鄙を悟る。儒雅の汪濊を識りて、這に不學の固陋を悲しむ。

抱朴子曰:無當之玉碗,不如全用之埏埴;寸裂之錦黻,未若堅完之韋布。故夏姬之無禮,不如孤逐之皎潔;富貴之多罪,不如貧賤之履道。

抱朴子曰く、底なきの玉碗は、能く全用するの陶埴に如かず。寸寸裂開するの錦黻は、堅完の韋布に如かず。ゆえに夏姬の無禮は、孤逐の皎潔に如かず。富貴の多罪は、貧賤の道を履むに如かず。

抱朴子曰:猛獸不奮搏於度外,鷹鷂不揮翮以妄擊。若廟算既內不揆德,進取又外不量力,猶輕羽之沒洪爐,飛雪之委沸鑊,朝菌之試干將,羔犢之犯武虎虎也。

抱朴子曰く、猛獸は法度の外に搏を奮わず、鷹鷂は翮を揮りて以て妄擊せず。若し廟算は內に在りて既に德を揆せず、進取は外に在りて又力を量らざれば、便ち輕羽は洪爐に沒進し、飛雪は沸鑊に委り、朝菌は干將を試みに往き、羔犢は猛虎を犯しに往くが如し。

抱朴子曰:三辰蔽於天,則清景暗於地;根草亥蹶於此,則柯條瘁於彼;道失於近,則禍及於遠;政繆於上,而民困於下。

抱朴子曰く、三辰は天に蔽われれば、則ち淸景は地に就きて暗し。根荄は這裡に蹶れば(底本は「根草亥」と作る、「草亥」は「荄」の訛)、則ち柯條は那裡に瘁ゆ。道は近處に失えば、則ち禍は遠處に及ぶ。政は上に繆えば、而も民は下に困む。

抱朴子曰:務於遠者或失於近,治其外者或患生乎內。覆頭者不必能令足不濡,蔽腹者不必能令背不傷。故秦始築城遏胡而禍發幃幄,漢武懸旌萬里而變起蕭牆。

抱朴子曰く、遠に務むる人は、或いは近處に失有り。其の外面を治むる人は、或いは患は內裡より生ず。頭を蓋う人は、不必能く脚をして濡れざらしめず。腹を蔽う人は、不必能く背をして傷つかざらしめず。ゆえに秦始皇は城を築きて胡を遏むるも而も禍は帷幄より發し、漢武帝は旌を萬里に懸けて而も變は蕭墻より起れり。

抱朴子曰:人才無定珍,器用無常道,直趨者以適世為奇,役御者以合時為妙。故玄冰結則五明捐,隆暑熾則裘爐退,高鳥聚則良弓發,狡兔多則盧鵲走,干戈興則武夫奮,韶夏作則文儒起。

抱朴子曰く、人才は固定の珍なく、器用は常道なし。直趨の人は世に適うを以て奇と爲し、役御の人は時に合うを以て妙と爲す。ゆえに玄冰結べば則ち五明扇は捐棄し、隆暑熾れば則ち裘爐は退き、高鳥聚れば則ち良弓發し、狡兎多ければ則ち盧鵲走り、干戈興れば則ち武夫奮い、韶夏作れば則ち文儒起つ。

抱朴子曰:激修流揚朝宗者,不可以背五城而跨積石;舒翠葉吐丹葩者,不可以舍洪草亥而去繁柯。敗源失本,鮮不枯汔,叛聖違經,理不弘濟。

抱朴子曰く、修流を激起して朝宗に揚去するは、可に五城を背對して而も積石を跨過す可からず。翠葉を舒び丹葩を吐くは、可に洪荄を舍掉して而も繁柯を離る可からず(底本は「洪草亥」と作る、「草亥」は「荄」の訛)。源を敗り本を失えば、枯渴せざる少なし。聖を叛き經に違えば、理は能く弘濟せず。

抱朴子曰:四瀆辯源,五河分流,赴卑注海,殊途同歸。色不均而皆豔,音不同而鹹悲,香非一而並芳,味不等而悉美。

抱朴子曰く、四瀆は源を辨え、五河は流を分かち、卑に赴き海に注ぎ、殊途同歸す。色は均しからずして而も皆艶、音は同じからずして而も皆悲、香は一種に非ずして而も並び芳し、味は等しからずして而も皆美なり。

抱朴子曰:物貴濟事而飾其末,化俗以德而言非其本,故綿布可以禦寒,不必貂狐;淳素可以匠物,不在文辯。抱朴子曰:沖飈謐氣則轉蓬山峙,修綱既舒則萬目齊理。故未有上好謙而下慢,主賤寶而俗貧。

抱朴子曰く、物は事を濟するを貴びて而も文飾は是れ其の末なり、俗を化するは德を靠りて而も言は是れ其の本に非ず、ゆえに綿布は以て寒を禦ぐ可くして、不必貂狐ならず。淳素は以て物を匠る可くして、文辯に在らず。抱朴子曰く、衝飆は止息せば則ち轉蓬は山峙立の如し、修綱は既に舒べば則ち萬目は齊しく理る。ゆえに上は謙を好みて而も下は慢せざるなし、主は寶を賤みて而も俗は貧ならざるなし。

抱朴子曰:事有緣微而成著,物有治近而致遠。故修步武之池,而引沈鱗於江海;豐朝陽之林,而延靈禽於丹穴;設象於盤盂,而翠虯降於玄霄;委灰於尺水,而望舒變於太極。是以晉文回輪於勇蟲,而壯士雲赴;句踐曲躬於怒蛙,而戎卒輕死。九九顯而扣角之俊至,枯骨掩而叄分之仁洽。

抱朴子曰く、事は微緣より起りて而も顯著と爲る有り、物は近を治めて而も遠を致す有り。ゆえに步武のあの如き池を修めて、而も江海より沉鱗を引來す。朝陽の林を豐かにして、而も丹穴より靈禽を延來す。盤盂の上に象を設けて、而も翠虬は玄霄より降下す。灰を尺水に委りて、而も望舒は太極に變す。因此晉文は勇蟲に對して輪を回し、而も壯士は雲の如く赴く。句踐は怒蛙に對して躬を曲げ、而も戎卒は死を輕くす。九九の術は顯れて而も角を扣くの俊は到來し、枯骨は掩われて而も三分の仁は洽す。

抱朴子曰:膏壤在草亥,而枯葉含榮;率俗以身,則不言而化。故有唐以鹿裘臻太平;齊桓以捐紫止奢競。章華構而豐屋之過成,露臺輟而玄默之風行。

抱朴子曰く、膏壤は根荄に在りて(底本は「在草亥」と作る、「草亥」は「荄」の訛)、而も枯葉は榮を含む。自身を用いて以て俗を率いれば、則ち言わずして而も化す。ゆえに有唐は鹿裘を穿着して太平に臻り、齊桓は紫を捐掉して以て奢競を止む。章華は一構して而も豐屋の過は成り、露臺は停輟して而も玄默の風は行はれり。

抱朴子曰:聰者,料興亡於遺音之絕響;明者,覿機理於玄微之未形。故越人見齊桓不振之徵於未覺之疾;箕子識殷人鹿臺之禍於象箸之初。

抱朴子曰く、聰の人は、遺音の絶響の裡より興亡を料出す。明の人は、玄微の還に未だ形ならざる時に機理を看見す。ゆえに越人は未覺の疾の裡に齊桓の不振の徵を看見し、箕子は象箸の初に殷人の鹿臺の禍を識出す。

抱朴子曰:二儀不能廢春秋以成歲,明主不能捨刑德以致治。故誅貴所以立威,賞賤所以勸善。罰上達,則奸萌破而非懦弱所能用也;惠下逮,則遠人懷而非儉吝所能辦也。

抱朴子曰く、二儀は能く春秋を廢掉して以て歲を成せず、明主は能く刑德を舍掉して以て治を致せず。ゆえに貴を誅するは以て威を立つるに用い、賤を賞するは以て善を勸むるに用いる。罰は能く上達せば、則ち奸萌は破れて而も懦弱の能く用うる所に非ず。惠は能く下逮せば、則ち遠人は懷きて而も儉吝の能く辦する所に非ず。

抱朴子曰:浮海滄者,必精占於風氣,故保利涉之福。善蒞政者,必戰戰於得失,故享惟永之慶。故暗君之所輕,蓋明主之所重也。亡國之所棄,則治世之所行也。

抱朴子曰く、滄海に浮ぶ人は、一定に風氣に對して精加して察看す、ゆえに利涉の福を保有す。政に莅むに善き人は、一定に得失に對して戰戰す、ゆえに長久の慶を享有す。ゆえに暗君の看輕する所は、大概是れ明主の看重する所なり。亡國の抛棄する所は、則ち是れ治世の實行する所なり。

抱朴子曰:毫釐蹉於機,則尋常達於的;與奪失於此,則善否亂於彼。邪正混侔,則彝倫攸斁;功過不料,則庶績以崩。故明君賞猶春雨而無霖淫之失,罰擬秋霜而無詭時之嚴。

抱朴子曰く、毫釐は機の上に蹉えば、則ち尋常は的の上に偏離す。與奪は這裡に失えば、則ち善否は那裡に亂る。邪正は混侔せば、則ち彝倫は敗壞す。功過は料らざれば、則ち庶績は因此崩る。ゆえに明君は賞は春雨の如くして而も霖淫の失なく、罰は秋霜に比して而も時に詭るの嚴なし。

抱朴子曰:明銓衡者,所重不可得誣也;仗法度者,所愛不可得私也。故得人者,先得之於己者也;失人者,先失之於己者也。未有得己而失人,失己而得人者也。

抱朴子曰く、銓衡に明き人は、重んずる所の人は可に誣せられ可からず。法度を仗る人は、愛する所の人は可に私せられ可からず。ゆえに人を得る人は、是れ先ず之れを自己に得るなり。人を失う人は、是れ先ず之れを自己に失うなり。己を得て而も人を失い・己を失いて而も人を得るのなし。

抱朴子曰:明主躬操威恩,不假人以利器;暗主倒執干戈,雖名尊而勢去。故制慶賞而得眾者,田常所以奪齊也;擅威福而專朝者,王莽所以篡漢也。

抱朴子曰く、明主は親自威恩を操持して、利器を別人に借せず。暗主は干戈を倒執して、卽使名尊しとも而も勢は已に去れり。ゆえに能く慶賞を制して而も衆を得るは、是れ田常の以て齊を奪う所以の緣故なり。能く威福を擅にして而も朝を專にするは、是れ王莽の以て漢を篡する所以の緣故なり。

抱朴子曰:常制不可以待變化,一途不可以應無方,刻船不可以索遺劍,膠柱不可以諧清音。故翠蓋不設於晴朗,朱輪不施於涉川,味淡則加之以鹽,沸溢則增水而減火。

抱朴子曰く、常制は可に以て變化に對待す可からず、一條の途徑は可に以て無方に應ず可からず、船を刻すは可に以て遺劍を索め可からず、柱を膠するは可に以て淸音を諧す可からず。ゆえに翠蓋は晴朗に設けず、朱輪は川を涉るに施さず、味淡ければ便ち鹽を加え、沸溢すれば便ち水を增し而も火を減ず。

抱朴子曰:丹書鐵券,刺牲歃血,不能救違約之弊,則難以結繩檢矣。五刑九伐,赤族之威,不足以止覬覦之奸,則不可以舞幹化矣。是以《書》有世重之文,《易》有隨時之宜。

抱朴子曰く、丹書鐵券・牲を刺して血を歃むるも、能く約を違うの弊を救わざれば、便ち難く結繩を以て檢す可からず。五刑九伐・族を赤くするの威も、足りて以て覬覦の奸を止めざれば、便ち可に干を舞うを以て化す可からず。因此《書》は世重きの文有り、《易》は時に隨うの宜有り。

抱朴子曰:人有識真之明者,不可欺以偽也,有揣深之智者,不可誑以淺也。不然,以虺蛇為應龍,狐鴟為麟鳳矣。

抱朴子曰く、人は真を識るの明有れば、可に僞を以て欺く可からず。深を揣るの智有れば、可に淺を以て誑く可からず。然らざれば、便ち虺蛇を以て應龍と當て、狐鴟を以て麟鳳と當てん。

抱朴子曰:世有雷同之譽而未必賢也;俗有讙譁之毀而未必惡也。是以迎而許之者,未若鑑其事而試其用;逆而距之者,未若聽其言而課其實。則佞媚不以虛談進,良能不以孤弱退,駑蹇輟望於大輅,戎虯揚鑣而電騁。則功胡大而不可建,道胡遠而不可到

抱朴子曰く、世上は雷同の譽有りて而も未必賢ならず。俗は喧嘩の毁有りて而も未必惡ならず。因此迎えて便ち許可するは、其の事を鑑りて其の用を試みるに如かず。逆えて便ち拒絶するは、其の話を聽きて其の實を課するに如かず。則ち佞媚は虛談を靠らずして進用せられ、良能は孤弱に因りて退下せず、駑蹇は大輅に對して望を停め、戎虬は鑣を揚げて而も電騁す。則ち功は何大しか不可建とせんや、道は何遠しか不可到とせんや。

抱朴子曰:潛朽之木,不能當傾山之風,含隙之崖,難以值滔天之濤。故七百之祚,三十之世,非徒牧野之功;倒戈之敗,鹿臺之敗,不始甲子之朝。其強久矣,其亡尚矣。

抱朴子曰く、潜朽の木は、能く傾山の風に當たらず。隙を含むの崖は、難く滔天の濤に碰上らず。ゆえに七百の祚・三十の世は、ただ牧野の功のみならず。戈を倒すの敗・鹿臺の敗は、甲子の那日の早上より始まらず。其の強は是れ久しきなり、其の亡は是れ早有り。

抱朴子曰:貴遠而賤近者,常人之用情也;信耳而疑目者,古今之所患也。是以秦王嘆息於韓非之書而想其為人,漢武慷慨於相如之文而情不同世;及既得之,終不能拔。或納讒而誅之,或放之乎冗散,此蓋葉公之好偽形,見真龍而失色也。

抱朴子曰く、遠を貴びて近を賤むは、是れ常人の情を用うるなり。耳を信じて目を疑うは、是れ古今の患う所なり。因此秦王は韓非の書に對して歎息して而も其の爲人を想い、漢武は相如の文に對して慷慨して而も情は世を同じくせず。已に得るに等到れば、終竟能く拔用せず。或いは讒を納れて而も彼を誅し、或いは彼を冗散に放つ、這大概是れ葉公の僞形を好みて、真龍を看見して而も色を失うなり。

抱朴子曰:摩尼不宵朗,則無別於磧礫;化鯤不凌霄,則靡殊於桃蟲。綿駒吞聲,則與喑人為群;逸才沈抑,則與凡庸為伍。故(魚旦)鰍褻絳虯於淵洿,駑蹇黷駿騄於垧野者,不識彼物靜與之同,動與之異。

抱朴子曰く、摩尼は夜裡亮せざれば、則ち磧礫と分別なし。化鯤は霄を凌がざれば、則ち桃蟲と殊なし。綿駒は聲を吞めば、則ち啞人と群を成し、逸才は沉抑せば、則ち凡庸と伍を爲す。ゆえに泥鰌は深池の裡に絳虬を褻慢し(底本は「(魚旦)鰍」と作る、「魚旦」は偏旁の殘留)、駑蹇は垧野に駿驥を垢黷す、是れ那物の靜時にそれと同じく・動時にそれと異なるを識らざるなり。

抱朴子曰:棄金璧於途路,則行人止足;委錦紈於泥濘,則見者驚咄。若夫放高世之士於庸滷之伍,捐經國之器於困滯之地,而談者不訟其屈,達者不拯其窮,或貴其文而忽其身,或用其策而忘其功。斯之為病,由來久矣。

抱朴子曰く、金璧を途路に棄てば、則ち行人は足を止む。錦紈を泥濘に委れば、則ち見る人は驚咄す。高世の士を庸鹵の隊伍の裡に放ち、經國の器を困滯の處に捐ぐるに至りては、而も談ずる人は其の屈を訟えず、達する人は其の窮を拯わず、或いは其の文を看重して而も其の身を忽略し、或いは其の策を用いて而も其の功を忘掉す。這の病は、由來久し。

抱朴子曰:開源不億仞,則無懷山之流;崇峻不凌霄,則無彌天之雲。財不豐,則其惠也不博;才不遠,則其辭也不贍。故睹盈丈之牙,則知其不出徑寸之口;則百尋之枝,則知其不附毫末之木。

抱朴子曰く、源を開くは億仞に到らざれば、則ち山を懷くの流なし。峻を崇むるは霄を凌がざれば、則ち天を彌るの雲なし。財豐ならざれば、則ち其の惠も亦た博ならず。才遠からざれば、則ち其の辭も亦た贍ならず。ゆえに丈に盈つるの牙を看見すれば、便ちそれは寸を徑るの口より出でざるを知る。百尋の枝を看見すれば、便ちそれは毫末の木に附せざるを知る。

抱朴子曰:靈鳳所以晨起丹穴,夕萃軒丘,日未移晷,周章九陔,凌風蹈云,不掇不閡者,以其六翮之輕勁也。夫才大器,亦有國之六翮也。

抱朴子曰く、靈鳳の晨起して丹穴を離れ・夕萃して軒丘に・日還に未だ晷を移さずして・便ち九陔を周章し・風を凌り雲を蹈りて・掇せず阂せざる所以は、是れ其の六翮の輕勁に因る。才大の器は、も亦た是れ國有るの六翮なり。

抱朴子曰:淇衛忘歸,不能無弦而遠激;振塵之音,不能無器而興哀。超俗拔萃之德,不能立功於未至之時。

抱朴子曰く、淇衛・忘歸は、能く弦なきに就きて遠激せず。塵を振るの音は、能く器なきに就きて哀を興さず。俗を超え萃を拔くの德は、能く未至の時に功を立てず。

抱朴子曰:朱綠之藻,不秀於枯柯;傾山之流,不發乎涸源。熠耀之宵焰,不能使萬品呈形;志盡勢利,不能使芳風邈世。

抱朴子曰く、朱綠の藻は、枯柯の上に秀でず。山を傾ぐるの流は、涸源より發出せず。熠耀は夜裡の焰は、能く萬品をして形を呈せしめず。志は勢利に盡くれば、能く芳風をして世を邈ならしめず。

抱朴子曰:重淵不洞地,則不能含螭龍,吐吞舟;峻山不極天,則不能韜琳琅,播雲雨;立德不絕俗,則不能收美聲,著厚實;執志不絕群,則不能臻成功,銘弘勳。而凡夫朝為蜩翼之善,夕望丘陵之益,猶立植黍稷,坐索於豐收也。

抱朴子曰く、重淵は地を洞穿せざれば、便ち能く螭龍を含み・舟を吐吞せず。峻山は天に極まらざれば、便ち能く琳琅を韜め・雲雨を播さず。德を立つるは俗を絶たざれば、便ち能く美聲を収め・厚實を顯せず。志を執るは群を絶たざれば、便ち能く功を成し・弘勳を銘せず。而も凡夫は早上蜩翼のあの如き善を做して、晚上便ち丘陵のあの如き益を望むは、便ち剛く立ちて黍稷を種下して、坐して便ち豐收を索要するが如し。

抱朴子曰:行無邈俗之標,而索高世之稱;體無道藝之本,而營朋黨之末。欲以收清貴於當世,播德音於將來,猶褰裳以越滄海,企佇而躍九玄。

抱朴子曰く、行は邈俗の標なくして、然れども高世の稱を索め。體は道藝の本なくして、然れども朋黨の末を營す。這個を憑りて以て當世に淸貴を収め、將來に向かって德音を播かんと想うは、便ち衣裳を提起して以て滄海を越え、脚を踮りて以て九玄に躍上せんとするが如し。

抱朴子曰:泥龍雖藻繪炳蔚,而不堪慶雲之招;撩禽雖雕琢玄黃,而不任凌風之舉;芻狗雖飾以金翠,而不能躡景以頓逸;近才雖豐其寵祿,而不能令天清而地平。

抱朴子曰く、泥龍は卽使藻繪炳蔚とも、慶雲の招に當たる能わず。木雕の禽は卽使玄黄を雕琢するとも、能く風を凌ぐの擧に任ぜず。芻狗は卽使金翠を用いて以て飾るとも、能く景を蹑みて以て逸を頓せず。近才は卽使其の寵祿を加豐するとも、能く天をして淸にして而も地を平げしめず。

抱朴子曰:毒弱既陳,則旁有爛腸之鼠;明燎宵舉,則下有聚死之蟲。芻豢之豐,則鼎俎承之;才小任大,則泣血漣如。桑霍為戒厚矣,範疏之鑑明矣。

抱朴子曰く、毒弩は既に陳列せられば、則ち旁邊に腸を爛かすの鼠有り。明燎は夜裡擧起せられば、則ち下面に死を聚むるの蟲有り。芻豢は豐盛なれば、則ち鼎俎は接して來る。才小さく任大なれば、則ち血を泣き漣如たり。桑・霍は戒を做る已に厚く、范・疏の鑑は已に明なり。

抱朴子曰:滄海揚萬里之濤,不能斂山峰之塵;驚風摧千仞之木,不能拔弱草之草亥。豸區虎武虎闞,不能威蚊虻;冠世之才,不能合流俗。

抱朴子曰く、滄海は萬里の濤を揚ぐるも、能く山峰の塵を斂めず。驚風は千仞の木を摧折するも、能く弱草の根荄を拔かず(底本は「草之草亥」と作る、「草亥」は「荄」の訛)。虓虎は怒阚するも(底本は「豸區虎武虎阚」と作る、文字訛脫、當に「虓虎阚」と讀作すべし)、能く蚊虻を威嚇せず。世に冠たるの才は、能く流俗に合せず。

抱朴子曰:堅志者,功名之主也;不惰者,眾善之師也。登山不以艱險而止,則必臻乎峻嶺矣;積善不以窮否而怨,則必永其令問矣。

抱朴子曰く、堅志は、是れ功名の主なり。惰ならざるは、是れ衆善の師なり。山に登るは險艱に因りて止まざれば、便ち一定に峻嶺に臻る。善を積むは窮否に因りて怨ぜざれば、便ち一定に其の令聞をして長久ならしむ。

抱朴子曰:和鵲雖不長生,而針石不可謂非濟命之器也;儒者雖多貧賤,而墳典不可謂非進德之具也。播種有不收者矣,而稼穡不可廢;仁義有遇禍者矣,而行業不可惰。

抱朴子曰く、和・鵲は雖も能く長生せざるも、然れども鍼石は可に以て是れ命を濟するの器に非ずと説く可からず。儒者は雖も多く貧賤なるも、然れども墳典は可に以て是れ德を進むるの具に非ずと説く可からず。播種は収めざるの了有るも、然れども稼穑は可に廢す可からず。仁義は禍に遇うの了有るも、然れども行業は可に惰る可からず。

抱朴子曰:重載不止,所以沈我舟也;昧進忘退,所以危我身也。聚蠍攻本,雖權安然,必傾之徵也。

抱朴子曰く、重載は停まらざるは、是れ我が舟を沉める所以の緣故なり。昧進して退を忘るるは、是れ我が身を危くする所以の緣故なり。蝎を聚めて本を攻むれば、卽使暫時安然とも、も亦た是れ必傾の徵兆なり。

抱朴子曰:玄雲為龍興,非虺蜓所能招也;飈風為虎發,非狐貉之能致也。是以大人受命,則逸倫之士集;玉帛幽求,則丘園之俊起。

抱朴子曰く、玄雲は龍の爲に興るは、虺蜓の能く招く所に非ず。飆風は虎の爲に發するは、狐貉の能く致す所に非ず。因此大人は命を受けば、則ち逸倫の士は集り。玉帛を用いて幽に求めれば、則ち丘園の俊は起つ。

抱朴子曰:金以剛折,水以柔全,山以高陊,谷以卑安。是以執雌節者無爭雄之禍,多尚人者有召怨之患。

抱朴子曰く、金は剛に因りて折れ、水は柔に因りて全うし、山は高に因りて崩堕し、谷は卑に因りて安んず。因此雌節を執る人は雄を爭うの禍なく、人を尚ぶ多き人は怨を召すの患有り。

抱朴子曰:淮陰隱勇於跨下,不損其龍躍而虎視;應侯韜奇於溺簣,不妨其鸞翔而鳳起也。或南面稱孤,或宰總檯鼎。故一抑一揚者,輕鴻所以凌虛也;乍屈乍伸者,良才所以俟時也。

抱朴子曰く、淮陰は胯下に勇を隱すも、其の龍躍して虎視するを損せず。應侯は溺簣の裡に奇を韜めるも、其の鸞翔して鳳起つを防礙せず。或いは南面して孤と稱し、或いは臺鼎を宰總す。ゆえに一抑一揚は、是れ輕鴻の以て虛を凌ぐ所以の緣故なり。乍屈乍伸は、是れ良才の以て時を俟ぐ所以の緣故なり。

抱朴子曰:焦螟之卑棲,不肯為銜鼠之唳天;玄蟬之潔飢,不願為蜣螂之穢飽。是以禦寇不納鄭陽之惠,曾叄不美晉楚之寶。

抱朴子曰く、焦螟は卑栖して、肯んじて鼠を銜えて以て天に唳るの事を做らず。玄蟬は潔饑して、願わず蜣螂の穢飽の事を做らず。因此御寇は鄭陽の惠を接納せず、曾參は晉楚の寶を美とせず(底本は「曾叁」と作る、「叁」は「参」の訛)。

抱朴子曰:微飆不能揚大海之波;毫芒不能動萬鈞之鍾。是以漆園思惠,有捐斤之嘆;伯氏哀期,有剿弦之憤。短唱不足以致弘麗之和,勢力不足以移淡泊之心。

抱朴子曰く、微飆は能く大海の波を揚起せず。毫芒は能く萬鈞の鐘を打動せず。因此漆園は惠を思いて、斤を捐ぐるの歎有り。伯氏は期を哀して、弦を剿するの憤有り。短唱は足りて以て弘麗の和を招致せず、勢力は足りて以て淡泊の心を移易せず。

抱朴子曰:熊羆不校捷於狐狸,金鶚不兢擊於小鷂。是以張耳掩壯於抱關,朱亥竄勇於鼓刀。

抱朴子曰く、熊羆は狐狸と捷を較べず、金鶚は小鷂と擊を競わず。因此張耳は關を抱きて壯を掩住し、朱亥は刀を鼓するに勇を竄藏す。

抱朴子曰:懸魚惑於芳餌,檻虎死於籠狐。不可以釣緡致者,必虯螭也;不可以機阱誘者,必麟虞也。

抱朴子曰く、懸くるの魚は芳餌に惑わされ、檻裡の虎は籠中の狐に死す。可に釣緡を以て招致す可からざるは、一定是れ虬螭なり。可に機阱を以て引誘す可からざるは、一定是れ麟虞なり。

抱朴子曰:夫雲翔者,不知泥居之洿;處貴者,鮮恕群下之勞。然根朽者,尋木不能保其千日之茂也;民怨者,堯舜不能恃其長世之慶也。

抱朴子曰く、雲の中に翔る人は、泥居の污を知らず。貴に處る人は、群下の勞を體諒する少なし。然れども根朽るるは、喬木は能く其の千日の茂を保たず。民怨むるは、堯舜は能く彼らの長世の慶を恃まず。

抱朴子曰:凡木結根於靈山,而匠石為之寢斤斧;小鮮寓身於龍池,而漁父為之息綱罟。蚊集鷹首,則鳸鵦不敢啄;鼠住虎側,則狸犬不敢睨。

抱朴子曰く、凡木は根を靈山に結びて、而も匠石は此の爲に斤斧を停めたり。小魚は身を龍池に寄せて、而も漁父は此の爲に綱罟を息めたり。蚊は鷹首に集れば、則ち鳸鳥は敢えて啄まず。鼠は虎側に住せば、則ち狸犬は敢えて睨まず。

抱朴子曰:靈蔡默然,而吉凶昭晰於無形;春蛙長譁,而醜音見患於聒耳。故聲希者響必巨,辭寡者信必著。

抱朴子曰く、靈蔡は默然として、而も吉凶は無形の中に昭晰す。春蛙は長く嘩きて、而も醜音は耳を聒くに因りて患えられり。ゆえに聲稀の人は響一定に巨く、辭寡の人は信一定に顯る。

抱朴子曰:箕踞之俗,惡盤旋之容;被髮之域,憎章甫之飾。故忠正者排於讒勝之世,雅人不容乎惡直之俗。

抱朴子曰く、箕踞の俗は、盤旋の容を厭惡す。被髮の域は、章甫の飾を憎惡す。ゆえに忠正の人は讒勝の世に排せられ、雅人は直を惡むの俗に容せられず。

抱朴子曰:升水不能救藪之燔草熱,撮壤不能遏砥柱之騰沸,寸刃不能刊長洲之林,獨是不能止朋黨之非。

抱朴子曰く、升水は能く大澤の裡の燔燒の熱を救わず(底本は「燔草熱」と作る、「草」は疑らくは衍)、撮壤は能く砥柱の騰沸を遏めず、寸刃は能く長洲の林を刊せず、獨自正確は能く朋黨の非を止めず。

抱朴子曰:千羊不能捍獨虎,萬雀不能抵一鷹。庭燎攢舉,不及羲和之末景;百鼓並伐,未若震霆之餘聲。是以庸夫盈明,不能使彝倫攸敘;英俊孤任,足以令庶事根長。

抱朴子曰く、千羊は能く一隻の獨虎を抵禦せず、萬雀は能く一隻の鷹を抵當せず。庭燎は攢りて擧起するも、羲和の末景に趕及ばず。百鼓は一併敲伐するも、震霆の餘聲に如かず。因此庸夫は朝廷に充滿するも、能く彝倫をして攸叙せしめず。英俊は孤任するも、足りて以て庶事をして根長せしむ。

抱朴子曰:非分之達,猶林卉之冬華也;守道之窮,猶竹柏之履霜也。故識否泰於獨見者,雖劫以鋒銳,猶不失正而改途焉,安肯諂笑以偶俗乎體方貞以居直者,雖誘以封國,猶不違情以趨時焉,安肯躐徑以取容乎

抱朴子曰く、分に非ざるの達は、便ち林卉の冬花の如し。道を守るの窮は、便ち竹柏の霜を履むの如し。ゆえに獨見の裡に否泰を識る人は、卽使鋒銳を拿りて以て劫すとも、還に正を失わずして而も途を改めず、怎ぞ肯んじて諂笑して以て俗に偶らんや。方貞を體して以て直に居る人は、卽使封國を拿りて以て誘うとも、還に情に違わずして以て時に趨らず、怎ぞ肯んじて捷徑を踩りて以て容を取らんや。

抱朴子曰:震雷車訇車盍,而不能致音乎聾聵之耳,重光麗天,而不能曲景於幽岫之中;凝冰慘慄,而不能凋款冬之華;朱飆鑠石,而不能靡蕭丘之木。故至德有所不能移也。

抱朴子曰く、震雷は訇磕すれど(底本は「車訇車盍」と作る、當に「訇磕」と讀作すべし)、而も能く音を聾聵の耳の裡に送到せず。重光は天に麗すれど、而も能く影を幽岫の中に曲照せず。凝冰は慘栗すれど、而も能く款冬の花を凋ませず。朱飆は石を鑠くれど、而も能く蕭丘の木を摧毀せず。ゆえに至德は能く移せざる所有り。

抱朴子曰:弓廣弩危機,嚴鏃銜弦,至可忌也,而勇雉觸之而不猜;暗政亂邦,惡直妒能,甚難測也,而貪人競而不避。故飛鋒暴集而不覺,禍敗奄及而不振。是以愚夫之所悅,乃達者之所悲也;凡才之所趨,乃大智之所去也。

抱朴子曰く、彍弩は危機にして(底本は「弓廣弩」と作る、「弓廣」は「彍」の訛)、嚴鏃は弦を銜えるは、是れ極めて忌る可きにして、而も勇雉は往きて觸れて然れども猜せず。暗政亂邦・直を惡み能を妒むは、是れ測り難きにして、而も貪人は競趨して然れども避けず。ゆえに飛鋒は暴集して而も覺えず、禍敗は忽然として到來して而も振わず。因此愚夫の悅ぶ所は、乃是れ達者の悲しむ所なり。凡才の趨る所は、乃ち是れ大智の去る所なり。

抱朴子曰:風不輟則扇不用,日不入則燭不明,華不墮則實不結,岸不虧則谷不盈。九有乂安,則韓白之功不著;長君繼軌,則伊霍之勳不成。故病困乃重良醫,世亂而貴忠貞。

抱朴子曰く、風停まらざれば則ち扇は用いられず、日入らざれば則ち燭は明ならず、花墮ちざれば則ち實は結ばず、岸虧けざれば則ち谷は盈たず。九有は安定せば、則ち韓・白の功は顯れず。長君は軌を繼げば、則ち伊・霍の勳は成らず。ゆえに病困して乃ち良醫を看重し、世亂れて乃ち忠貞を貴ぶ。

抱朴子曰:好榮故樂譽之慾多,畏辱則憎毀之情急。若夫通精元一,命契造化,混盈虛以同條,齊得失於一指者,愛惡未始有所繫,窮通不足以滑和。

抱朴子曰く、榮を好むはゆえに譽を樂しむの欲多く、辱を畏るれば則ち毁を憎むの情急し。玄一に精を通じ、命と造化と合契して、盈虛を一條に混成し、得失を一指に齊しくする人に至りては、愛惡は未だ曾て係る所有らず、窮通は足りて以て和を滑亂せず。

抱朴子曰:與奪不汨其神者,至粹者也;利害不染其和者,極醇者也。浩浩乎非瓢觶所校矣,茫茫乎非跬步所尋矣。聲希所以為大音,和寡所以崇我貴,玄黃遼邈而不與□其曠,死生大矣,而不以改其守,常分細碎,將胡恤焉

抱朴子曰く、與奪は其の神を汩亂せざる人は、是れ至粹の人なり。利害は其の和に染まざる人は、是れ極醇の人なり。浩浩乎として瓢觶の能く校する所に非ず、茫茫乎として跬步の能く尋くる所に非ず。聲稀なるはゆえに大音と成り、和寡なるはゆえに我が貴を崇む、玄黄は遼邈として而も〔底本此字殘缺〕と其の曠を比せず、死生は是れ大なるにして、而も此に因りて其の守を改めず、常分は細碎にして、又何須憂恤せんや。

抱朴子曰:林繁則匠入矣,珠美則蟲奉裂矣。石含金者焚鑠,草任藥者剪掘,刃利則先缺,弦哀則速絕。用以適己,真人之寶也;才合世求,有伎之災也。

抱朴子曰く、林繁ければ則ち匠人は進入し、珠美なれば則ち蚌は裂けられ(底本は「虫奉裂」と作る、「虫奉」は「蚌」の訛)。石は金を含むは焚鑠せられ、草は藥に任ずるは剪掘せられ、刃利なれば則ち先ず缺け、弦哀すれば則ち速やかに絶ゆ。以て己に適うに用いるは、是れ真人の寶なり。才は世の求に合うは、是れ伎有るの災なり。

抱朴子曰:準的陳則流鏑赴焉;美名起則謗讀言攻焉。瑰貨多藏則不招怨而怨至矣,器盈志驕則不召禍而禍來矣。

抱朴子曰く、準的一旦陳列せば則ち流鏑は之れに赴向し、美名一旦興起せば則ち謗讟は之れに攻向す(底本は「謗讀言」と作る、「讀」は「讟」の訛)。瑰貨は多藏すれば則ち怨を招かずして而も怨到り、器盈ち志驕れば則ち禍を召せずして而も禍來る。

抱朴子曰:連城之寶,非貧寒所能市也;高世之器,非淺俗所能識也。然盈尺之珍,不以莫知而暗其質;逸倫之士,不以否塞而薄其節。樂天任命,何怨何尤!

抱朴子曰く、連城の寶は、是れ貧寒の能く買う所に非ず。高世の器は、是れ淺俗の能く識る所に非ず。然れども尺に盈つるの珍は、知る人なきに因りて其の質を暗くせず。逸倫の士は、否塞に因りて其の節を薄くせず。天を樂しみ命に任すれば、什麼の怨・什麼の尤有らん。

抱朴子曰:大鵬無戒旦之用,巨象無馳逐之才。故蔣琬敗績於百里,而為三臺之標;陳平困瘁於治家,而懷六奇之略。

抱朴子曰く、大鵬は旦を戒むるの用處なく、巨象は馳逐の才なし。ゆえに蔣琬は百里に敗績するも、然れども三臺の標を做り。陳平は家を治むるに困瘁するも、然れども六奇の略を懷けり。

抱朴子曰:明暗者,才也,自然而不可飾焉;窮達者,時也,有會而不可力焉。呂尚非早蔽而晚智,然振素而僅遇;韓信非初怯而末勇,然危困而後達。

抱朴子曰く、明暗は是れ才にして、自然にして而も可に文飾す可からず。窮達は是れ時にして、際會有りて而も可に力強す可からず。呂尚は是れ早蔽して而も晚智なるに非ず、然れども白髮に到りて乃ち僅僅遇上せり。韓信は是れ初怯して而も後來勇なるに非ず、然れども危困して而も後達せり。

抱朴子曰:奔驥不能及既住之失,千金不能救斯言之玷。故博其施者,未若防其微;勤其求者,不如寡其辭。

抱朴子曰く、奔驥は已に過去するの失に趕及ばず、千金は這話の已に玷污するの處を救わず。ゆえに施博を大にするは、其の微を防ぐに如かず。求を加勤するは、其の辭を寡くするに如かず。

抱朴子曰:烈士之愛國也如家,奉君也如親,則不忠之事,不為其罪矣。仁人之視人也如己,待疏也猶密,則不恕之怨,不為其責矣。

抱朴子曰く、烈士は國を愛するは家の如く、君を奉ずるは親の如くせば、則ち忠ならざるの事は、其の罪と爲らず。仁人は人を看るは自己の如く、疏の人を待つは還に密の如くせば、則ち恕ならざるの怨は、其の責と爲らず。

抱朴子曰:玄冰未結,白雪不積,則青松之茂不顯;俗化不弊,風教不頹,則皎潔之操不別。在危國而沈賤,故莊萊抗遺榮之高;居亂邦而飢寒,故曾列播忘富之稱。

抱朴子曰く、玄冰は還に未だ結ばず、白雪は還に積らざれば、則ち青松の茂は顯れず。俗化は弊れず、風教は頹れざれば、則ち皎潔の操は分別せず。危國に在りて而も沉賤すれば、ゆえに莊・萊は榮を遺すの高を抗起せり。亂邦に居りて而も饑寒すれば、ゆえに曾・列は富を忘るるの稱を播下せり。

抱朴子曰:天居高而鑑卑,故其網雖疏而不漏;神聰明而正直,故其道賞真而伐偽。是以惠和暢於九區,則七耀得於玄昊;殘害著於品物,則二氣謬於四八。

抱朴子曰く、天は高に居りて而も卑を鑑る、ゆえに其の網は雖も疏なるも而も漏らず。神は聰明にして正直、ゆえに其の道は真を賞して而も僞を伐つ。因此惠は九區に和暢せば、則ち七耀は玄昊に得ん。殘害は品物に顯れれば、則ち二氣は四時八節の上に繆えん。

抱朴子曰:天秩有罔極之尊,人爵無違德之貴。故仲尼雖匹夫而饗祀於百代,辛癸為帝王而僕豎不願以見比,商老身愈賤而名愈貴,幽厲位彌重而罪彌著。故齊王之生,不及柳惠之墓;秦王之宮,未若康成之閭。

抱朴子曰く、天秩は極なきの尊有り、人爵は德に違うの貴なし。ゆえに仲尼は雖も是れ匹夫なるも而も百代は祀を饗き、辛・癸は帝王を做るも而も僕豎は以て比ぶるを願わず、商山四老は身は越えて賤く而も名は越えて貴く、幽・厲は位は越えて重く而も罪は越えて顯る。ゆえに齊王は生きて、柳下惠の墓に趕及ばず。秦王の宮は、康成の里巷に如かず。

抱朴子曰:影響不能無形聲以著,餘慶不可以無德而招。故唐堯為政七十餘載,然後景星摛耀;羊公積行,黃髮不倦,而乃墜金雨集。途遠者其至必遲,施後者其報常晚。

抱朴子曰く、影響は能く形聲なきに就きて顯れず、餘慶は可に無德を以て招く可からず。ゆえに唐堯は政を爲すこと七十余年にして、然後景星は耀を舒ぶ。羊公は行を積み、黃髮は倦まずして、而も後墜金は雨の如く集る。路遠き人は到る一定に遲く、施在後の人は報常常に晚し。

抱朴子曰:理盡者不可責有餘,一至者不可求兼濟。故洪濤之末,不能蕩浮萍;沖風之後,不能颺輕塵;勁弩之餘力,不能洞霧縠;西頹之落暉,不能照山東。

抱朴子曰く、理盡くる人は可に責求して有餘す可からず、一至の人は可に求めて兼濟す可からず。ゆえに洪濤の末は、能く浮萍を蕩せず。衝風の後は、能く輕塵を揚げず。勁弩の餘力は、能く霧縠を洞穿せず。西に頹るるの落暉は、能く山東を照らさず。

抱朴子曰:懸象雖薄蝕,不可以比螢燭之貞耀;黃河雖混渾,不可以方沼沚之清澄。山雖崩,猶峻於丘垤;虎雖瘠,猶猛於豺狼。

抱朴子曰く、懸象は卽使薄蝕するとも、可に螢燭の貞耀に比す可からず。黄河は卽使混渾するとも、可に沼沚の淸澄に比す可からず。山は卽使崩るとも、還に丘垤に比べて峻し。虎は卽使瘠れるとも、還に豺狼に比べて猛し。

抱朴子曰:神農不九疾,則四經之道不垂;大禹不胼胝,則玄珪之慶不集。故久憂為厚樂之本,暫勞為永逸之始。

抱朴子曰く、神農は九次の疾を經過せざれば、則ち四經の道は垂れず。大禹は胼胝せざれば、則ち玄珪の慶は集らず。ゆえに久憂は是れ厚樂の本にして、暫勞は是れ永逸の始なり。

抱朴子曰:金鉤桂餌雖珍,而不能制九淵之沈鱗;顯寵豐祿雖貴,而不能致無慾之幽人。故呂梁有鵠立之夫,河湄繁伐檀之民。玉帛徒集於子陵之巷,蒲輪虛反於徐生之門。

抱朴子曰く、金鉤桂餌は雖も珍なるも、而も能く九淵の沉鱗を制服せず。顯寵豐祿は雖も貴なるも、而も能く無欲の幽人を招致せず。ゆえに呂梁は鵠立の人有り、河湄は檀を伐るの民多し。玉帛は空しく子陵の巷に集り、蒲輪は空しく徐生の門より返回す。

抱朴子曰:觀聽殊好,愛憎難同。鳥睹西施而驚逝,魚鱉聞九韶而深沈。故兗藻之粲煥,不能悅裸鄉之目;辨菱之清音,不能快楚隸之耳。古公之仁,不能喻欲地之狄;端木之辯,不能釋繫馬之庸。

抱朴子曰く、觀聽は喜好同じからず、愛憎は同じくする難し。鳥は西施を看れば驚逝し、魚鱉は九韶を聽けば深沉す。ゆえに袞藻の粲煥は、能く裸鄉の目を悅ばせず。淸辨の菱歌は、能く楚隸の耳を快くせず。古公の仁は、能く地を欲するの狄を曉喻せず。端木の辯は、能く馬を係るの庸を解開せず。

抱朴子曰:般旋之儀,見憎於裸踞之鄉;繩墨之匠,獲忌於曲木之肆。貪婪饕餮者,疾素絲之皎潔;比周實繁者,讎高操之孤立。猶賈豎之惡同利,醜女之害國色。

抱朴子曰く、盤旋の儀は、裸踞の鄉に憎せられ。繩墨の匠は、曲木の肆に忌を獲る。貪婪饕餮の人は、素絲の皎潔を疾む。比周實繁の人は、高操の孤立を仇とす。便ち賈豎は利を同じくする人を厭惡し、醜女は國色を妨害するが如し。

抱朴子曰:君子之升騰也,則推賢而散祿;庸人之得志也,則矜貴而忽士。施惠隆於佞幸,用財出乎小惠。不與智者aw其安,而望有危而見救;不與奇士同其歡,而欲有戚之見恤;猶災火張天,方請雨於名山;洪水凌空,而伐舟於東閭;不亦晚乎

抱朴子曰く、君子は升騰せば、則ち賢を推して而も祿を散ず。庸人は志を得れば、則ち貴を矜りて而も士を忽略す。惠を施すは佞幸に隆くして、財を用うるは小惠より出づ。智ある人と其の安を共にせずして(底本「aw」は抓取の殘留、當に「共」と讀作すべし)、然れども危有りて救はれんを望み、奇士と其の歡を同じくせずして、然れども戚有りて恤はれんを想うは、便ち災火は天を張きて、乃ち名山に向かって雨を請い、洪水は空を凌ぎて、乃ち東閭に到りて舟を伐るが如く、不も亦た晚しきかな。

辭義卷第四十

辭義巻第四十

或曰:“乾坤方圓,非規定之功,三辰摛景,非瑩磨之力;春華粲煥,非漸染之辨;茝蕙芬馥,非容氣所假。知夫至真,貴乎天然也。義以罕覿為異,辭以不常為美,而歷觀古今屬文之家,鮮能挺逸麗於毫端,多斟酌於前言。何也”

或る人曰く、天地の方圓は、是れ規矩量畫の功勞に非ず。日月星辰は光影を鋪開するは、是れ瑩磨の力氣に非ず。春花は粲煥するは、是れ漸漸染上するの彩色に非ず。茝蕙は芬馥たるは、是れ容氣の能く假借する所に非ず。此より知る、至真の物は、貴くは天然に在り。義理は罕見を以て奇異と爲し、文辭は不尋常を以て美と爲す、然れども歷觀古今文を屬する人は、能く逸麗を筆端に挺立する少なく、大多は前人の話の裡に斟酌す。爲什麼なりや、と。

抱朴子曰:“清音貴於雅韻克諧,著作珍乎判微析理。故八音形器異而鍾律同,黼黻文物殊而五色均。徒閒澀有主賓,妍媸有步驟。是則總章無常曲,大庖無定味。夫梓豫山積,非班匠不能成機巧;眾書無限,非英才不能收膏腴。何必尋木千里,乃構大廈;鬼神之言,乃著篇章乎!”

抱朴子曰く、淸音は貴くは雅韻の能く諧和するに在り、著作は珍くは能く精微を剖判し・義理を分析するに在り。ゆえに八音の形器は同じからずして而も鐘律は相同じ、黼黻文物は別有りて而も五色は均勻す。ただ是れ生熟は主賓有り、妍媸は步驟有るのみ。這樣説來れば、總章は固定の曲子なく、大庖は固定の滋味なし。梓木豫章は山の如く堆積すれど、公輸班のあの如き匠人に非ざれば便ち能く機巧を做成せず。衆書は無限にして、英才に非ざれば便ち能く膏腴を收取せず。何必千里の外の木材に尋到して、乃ち大廈を構建せんや。何必鬼神の言語、乃ち篇章を寫成せんや。

抱朴子曰:夫才有清濁,思有修短,雖並屬文,叄差萬品,或浩漾而不淵渾,或事情而辭鈍,違物理而文工,蓋偏長之一致,非兼通之才也。暗於自料,強欲兼之,違才易務,故不免嗤也。

抱朴子曰く、才は淸濁有り、思は長短有り、雖も同じく文を屬するも、參差萬品なり(底本は「叁差」と作る、即ち「參差」)、或いは浩蕩として而も淵渾ならず、或いは事は質實して而も辭鈍く、或いは物理に違背して而も文は却って工巧なり、這些は皆是れ偏長の一種の路數にして、是れ兼通の才に非ず。自己を估量するに暗くして、硬に兼備せんと要り、自己の才に違背して別の事務を改做すれば、ゆえに嗤笑せらるるを免れず。

抱朴子曰:五味舛而並甘,眾色乖而皆麗。近人之情,愛同憎異,貴乎合己,賤於殊途。夫文章之體,尤難詳賞,苟以入耳為佳,適心為快,鮮知忘味之九成,雅頌之風流也。所謂考鹽梅之鹹酸,不知大羹之不致,明飄搖之細巧,蔽於沈深之弘邃也。其英異宏逸者,則網羅乎玄黃之表;其拘束齷齪者,則羈紲於籠罩之內。振翅有利鈍,則翔集有高卑;騁跡有遲迅,則進趨有遠近。駑銳(疑下有脫文)不可膠柱調也。文貴豐贍,何必稱善如一口乎!不能拯風俗之流遁,世途之凌夷,通疑者之路,賑貧者之乏,何異春華不為餚糧之用,茝蕙不救冰寒之急。古詩刺過失,故有益而貴;今詩純虛譽,故有損而賤也。

抱朴子曰く、五味は錯雜して然れども皆甘美、衆色は乖異して然れども皆美麗。近人の性情は、同じきを愛し・同じからざるを憎み、自己に合うを貴び・殊途を走るを賤視す。文章の體は、尤も詳細に鑒賞し難し、假如耳に入るを以て佳と爲し・心に適うを以て快と爲せば、便ちあの人をして味を忘れしむるの九成韶樂・雅頌の風流を知る少なし。所謂鹽梅の鹹酸を考較して、然れども大羹は五味を調せざるを知らず。飄搖の細巧を明察して、然れども沉深の弘邃に遮蔽せられり。あの英異宏逸のは、便ち玄黄の外に網羅せられ。あの拘束齷齪のは、便ち籠罩の內に羈絆せられ。翅を振るは利鈍有れば、飛翔棲止は便ち高卑有り。馳騁足迹は遲速有れば、進趨は便ち遠近有り。駑鈍と銳利とは(底本は疑らくは下に脱文有り)可に膠柱して而も瑟を鼓す可からず。文章は貴くは豐贍に在り、何必善を稱するは同一張の嘴の如くせんや。能く風俗の流遁・世途の陵夷を拯救せず、疑惑する人の路を疏通し、貧乏する人の缺を賑濟せずば、春花は能く肴糧に當てて用う可からず・茝蕙は能く冰寒の急を救う可からざるは、什麼の異同有らん。古詩は過失を譏刺す、ゆえに益有りて而も貴し。今詩は純粹に虛譽、ゆえに損有りて而も賤し。

抱朴子曰:屬筆之家,亦各有病,其深者則患乎譬煩言冗,申誡廣喻,欲棄而惜,不覺成煩也。其淺者則患乎妍而無據,證援不給,皮膚鮮澤而骨鯁迥弱也。繁華日韋曄,則並七曜以高麗;沈微淪妙,則儕玄淵之無測。人事靡細而不浹,王道無微而不憊,故能身賤而言貴,千載彌彰焉。

抱朴子曰く、筆を動かす人は、も亦た各々毛病有り。深のは便ち患は譬喻煩・言語冗・申誡廣・比喻多に在りて、丢掉せんと想うも又舍て得ず、不知不覺に煩と成れり。淺のは便ち患は妍麗して然れども根據なく・引證足らず・皮膚は鮮澤して然れども骨鯁は却って弱し。繁華𬀩曄は(底本は「日韋曄」と作る、日+韋は「𬀩」)、便ち七曜と一併高麗せん。沉微淪妙は、便ち玄淵の測る可からざると同等せん。人事は細小なくして周浹せざるなし、王道は微細なくして完備せざるなし(底本は「憊」と作る、上句「浹」と對擧、當に「備」と讀作すべし)、ゆえに能く身賤くして而も言貴く、千載は更加彰顯す。

循本卷第四十一

循本巻第四十一

抱朴子曰:玄寂虛靜者,神明之本也;陰陽柔剛者,二儀之本也;巍峨巖岫者,山嶽之本也;德行文學者,君子之本也。莫或無本而能立焉。是以欲致其高,必豐其基,欲茂其末,必深其根。鄉黨之友不洽,而勤遠方之求,蒞官之稱不著,而索不次之顯。是以雖佻虛譽,猶狂華幹霜以吐曜,不崇朝而零瘁矣。雖竊大寶於不料,冒惟塵以負乘,猶鮮介附騰波以高凌,顧眄已枯株於危陸矣。聖賢孜孜,勉之若彼,淺近口止喬口止喬,忽之如此。積習則忘鮑肆之臭,裸鄉不覺呈形之醜,自非遁世而無悶,齊物於通塞者,安能棄近易而尋迂闊哉!將救斯弊,其術無他,徒擢民於巖岫,任才而不計也。

抱朴子曰く、玄寂虛靜は、是れ神明の根本なり。陰陽柔剛は、是れ二儀の根本なり。巍峨岩岫は、是れ山岳の根本なり。德行文學は、是れ君子の根本なり。本なきして能く立住するなし。ゆえに那高に達せんと想えば、必ず其の根基を豐厚せしめん。末梢を茂盛せしめんと想えば、必ず其の根を加深せしめん。鄉黨の友人は和洽せずして、然れども遠方に向かって求を勤む。官を做るの名聲は顯著ならずして、然れども次第に按らざるの顯達を索求す。ゆえに卽使虛譽を佻取するも、も亦た狂花は霜に衝いて光耀を吐くが如く、一個の早晨に到らずして便ち零落憔悴す。卽使料想せざる處に大寶を竊得し、塵污を冒して以て乘を負うも、も亦た鮮活の介蟲は騰波に附着して以て高凌するが如く、一轉眼已に危陸の上に枯株と變成せり。聖賢は孜孜として、あの樣に勉力す。淺近の人は驕驕として(底本「口止喬口止喬」、口止+喬は左旁を缺くの「驕」)、然れども這樣に忽略す。習を積めば便ち鮑肆の臭を忘れ、裸鄉は形體を呈露するの醜を覺えず、若し世を遁れて而も悶なく・通達と困塞とを看て齊一と爲すの人に非ざれば、怎能く近くして易きを抛棄して・迂闊を尋去せんや。這の弊を救うは、方法は別なく、ただ岩岫の裡より百姓を擢拔し、才能を任用して而も其他を計較せざるのみ。

應嘲卷第四十二

應嘲巻第四十二

抱朴子曰:客嘲餘云:“先生載營抱一,韜景靈淵,背俗獨住,邈爾蕭然。計決而猶豫,不棲於心術;分定而世累,無系於胸間。伯陽以道德為首,莊周以逍遙冠篇,用能標峻格於九霄,宣芳烈於罔極也。今先生高尚勿用,身不服事,而著君道臣節之書;不交於世,而作譏俗救生之論;甚愛骨幹毛,而綴用兵戰守之法;不營進趨,而有審舉窮達之篇;蒙竊惑焉。”

抱朴子曰く、客は我を嘲りて曰く、先生は營魄を載せ・一を抱守して、光影を靈淵に韜藏し、流俗を背着して獨自住り、邈遠として蕭然たり。計策は已に決して而も猶豫は心術の上に棲止せず。名分は已に定まりて而も世累は胸間に繫がず。伯陽は道德を以て首篇と爲し、莊周は逍遙を以て全書に冠し、因此能く峻格を九霄に標擧し、芳烈を終極なきに宣揚す。如今先生は高尚して而も任用せられず、自身服事せずして、然れども君道・臣節の書を著作し、世俗と交わらずして、然れども俗を譏り生を救うの論を作り、骨幹毛髮を甚だ愛惜して、然れども兵を用い戰を守るの法を連綴し、進趨を經營せずして、然れども審擧・窮達の篇有り、我私に甚だ困惑す、と。

抱朴子曰:“君臣之大,次於天地,思樂有道,出處一情,隱顯任時,言亦何系。大人君子,與事變通。老子無為者也,鬼谷終隱者也,而著其書,鹹論世務。何必身居其位,然後乃言其事乎夫器非瓊瑤,楚和不泣,質非潛虯,風雲不集。餘才短德薄,幹不適治,出處同歸,行止一致,豈必達官,乃可議政事君,否則不可論治亂乎常恨莊生言行自伐,桎梏世業,身居漆園而多誕談,好畫鬼魅,憎圖狗馬,狹細忠貞,貶毀仁義。可謂雕虎畫龍,難以徵風雲;空板億萬,不能救無錢。孺子之竹馬,不免於腳剝;士柈之盈案,無益於腹虛也。”

抱朴子曰く、君臣の大義は、天地に次ぐ。道有るを思慕すれば、出仕と隱居とは是れ同一種の心情にして、隱顯は時代に隨い、言論は又什麼の繫累有らん。大人君子は、事變に隨りて通ず。老子は是れ無爲の人、鬼谷は是れ終隱の人にして、然れども其の書を著述して、皆世務を談論す。何必身那の位に居りて、然後乃ち那の事を説かんや。器物は瓊瑶に非ざれば、楚人の和氏は便ち哭泣せざりき。質地は潜虬に非ざれば、風雲は便ち聚集せざりき。我が才短く德薄く、才幹は世を治するに適せず、出仕と隱居とは歸を同じくし、行動と停止とは一致す、豈に必ず達官を做さば、乃ち可に政事を議論し・君主に事奉す可くして、然らざれば便ち可に治亂を談論す可からざらんや。我常に莊子の言與行と自ら相伐り・世業を以て桎梏と當て・身は漆園に居りて而も誕妄の談多く・鬼魅を畫くを好み・狗馬を畫くを憎惡し・狹隘に細小の忠貞を看輕し・仁義を貶毁するを恨む。可に説く是れ虎を雕り龍を畫きて、風雲を徵驗し難し。空木の板の上に億萬を寫るも、能く錢なきを救わず。兒童の竹馬は、脚の破れんことを免れず。土盤は一案に裝滿するも、肚の空虛に益なし、と。

或人又曰:“然吾子所著,彈斷風俗,言苦辭直,吾恐適足取憎在位,招擯於時,非所以揚聲發譽,見貴之道也。”

又或る人曰く、然れども您の著作する所は、風俗を彈劾して裁斷し、話苦く辭直し、我怕らくは恰好足りて以て位在る人に憎まれ、當時の摈棄を招來し、是れ以て聲を揚げ譽を發して・看重せらるるの路を用いるに非ず、と。

抱朴子曰:“夫制器者珍於周急,而不以辨飾外形為善;立言者貴於助教,而不以偶俗集譽為高。若徒阿順諂諛,虛美隱惡,豈所匡失弼違,醒迷補過者乎慮寡和而廢白雪之音,嫌難售而賤連城之價,餘無取焉。非不能屬華豔以取悅,非不知抗直言之多吝,然不忍違情曲筆,錯濫真偽,欲令心口相契,顧不愧景,冀知音之在後也。否泰有命,通塞聽天,何必書行言用,榮及當年乎夫君子之開口動筆,必戒悟蔽,式整雷同之傾邪,磋礱流遁之暗穢,而著書者徒飾弄華藻,張磔迂闊,屬難驗無益之辭,治靡麗虛言之美,有似堅白厲修之書,公孫刑名之論,雖曠籠天地之外,微入無間之內,立解連環,離同合異,鳥影不動,雞卵有足,犬可為羊,大龜長蛇之言,適足示巧表奇以誑俗,何異乎畫敖倉以救飢,仰天漢以解渴。說崑山之多玉,不能賑原憲之貧;觀藥藏之簿領,不能治危急之疾;墨子刻木雞以厲天,不如三寸之車金害;管青鑄騏驥於金象,不如駑馬之周用。言高秋天而不可施者,丘不與易也。”

抱朴子曰く、器物を製作する人は能く急を救うを珍視して、而も形を辨别して飾るを以て善と爲さず。言を立つる人は貴くは教化を助益するに在りて、而も世俗に迎合し・聲譽を聚集するを以て高と爲さず。若し只是阿順諂諛・虛美して惡を隱すは、何處か是れ過失を匡正し・違失を輔弼し・迷惑を喚醒し・過錯を補救するの做法ならんや。唱和する人の少なきを顧慮して便ち白雪の音を廢掉し、賣り難きを嫌いて便ち連城の價を看輕するは、我は這個を取法せざる所なり。能く華艷を連綴して以て悅に取らざるに非ず、抗直の話は忌恨を招くこと多きを知らざるに非ず、然れども實情に違背して曲筆し・眞僞を錯亂するを忍びず、心と口と相契合せしめ・回頭して自己の影子を看て慚愧せず・知音は後來に在らんを希望せんと想うなり。否泰は命有り、通塞は天に聽く、何必書は推行せられ・言は采用せられば、榮光は乃ち當年に到らんや。君子は口を開き筆を動かすに、必ず戒めて悟らしめ・蒙蔽を除去し、雷同の傾邪を整飭し、流遁の暗穢を磋磨す。然れども書を著する人は只是華藻を飾弄し・迂闊を張磔し・驗證し難き・益なきの辭を連綴し・靡麗虛言の美を修治するのみ、便ち堅白・厲修の書・公孫龍の刑名の論の如く、卽使空曠に天地の外を籠罩し・微細に間隙なきの內に進入し・卽刻連環を解開し・同のを拆き開き・異のを合上げ・鳥影は動かず・雞卵は足有り・犬は以て羊と爲す可し・大龜長蛇の類の話を説くとも、恰好足りて以て機巧を顯示し・奇特を表出して以て世俗を誑騙するのみ、一個の敖倉を畫きて以て饑餓を救い・天漢を仰望して以て渴を解くと什麼の異同有らん。崑崙山の玉多しと説くも、能く原憲の貧を賑濟せず。藥藏の簿領を看るも、能く危急の病を治せず。墨子は木鳶を刻して以て天を厲ふも(底本は「木雞」と作る、墨翟が木を削りて鳶と爲すの故事は當に「鳶」と讀作すべし)、三寸の車轄に如かず(底本は「車金害」と作る、金+害は「轄」)。管青は金象を用いて騏驥を鑄るも、駑馬の周遍して日用するに如かず。話は秋天より比べて高く然れども可に施行す可からざるは、孔子も亦た能く之れを拿りて以て交換せざらん、と。

喻蔽卷第四十三

喻蔽巻第四十三

抱朴子曰:餘雅謂王仲任作《論衡》八十餘篇,為冠倫大才。

抱朴子曰く、我一向以て王仲任の《論衡》八十余篇を作るは、是れ同倫に冠絶するの大才なり。

有同門魯生難餘曰:“夫瓊瑤以寡為奇,磧礫以多為賤,故庖犧卦不盈十而彌綸二儀,老氏言不滿萬而道德備舉。王充著書,兼箱累帙,而乍出乍入,或儒或墨,屬詞比義,又不盡美,所謂陂原之蒿莠,未若步武之黍稷也。”

同門の魯生有りて我を詰難して曰く、瓊瑶は少なきを以て奇と爲し、磧礫は多きを以て賤と爲す、ゆえに庖犧の卦は十に滿たずして而も二儀を彌綸し、老氏の話は萬に滿たずして而も道德は完備に擧出せり。王充は書を著して、箱は一卷一卷堆積すれど、然れども乍出乍入・或いは儒或いは墨・詞を屬して義を比ぶるも、又盡く美ならず、所謂陂原の上の蒿莠は、脚步の間の黍稷に如かず、と。

抱朴子答曰:“且夫作者之謂聖,述者之謂賢,徒見述作之品,未聞多少之限也。吾子所謂竄巢穴之沈昧,不知八紘之無外;守燈燭之宵曜,不識三光之晃朗;遊潢洿之淺狹,水覺南溟之浩汗;滯丘垤之位埤,不寤嵩岱之峻極也。兩儀所以稱大者,以其函括八荒,緬邈無表也;山海所以為富者,以其包籠曠闊,含受雜錯也。若如雅論,貴少賤多,則穹隆無取乎宏燾,而旁泊不貴於厚載也。夫跡水之中,無吞舟之鱗;寸枝之上,無垂天之翼;蟻垤之巔,無扶桑之林;潢潦之源,無襄陵之流。巨鰲首冠瀛洲,飛波凌乎方丈;洪桃盤於度陵,建木竦於都廣;沈鯤橫於天池,雲鵬戾乎玄象。且夫雷霆之駭,不能細其響;黃河之激,不能局其流;騏騄追風,不能近其跡;鴻鵠奮翅,不能卑其飛。雲厚者雨必猛,弓勁者箭必遠。王生學博才大,又安省乎!

抱朴子回答して曰く、且つ作る人は聖と叫ばれ、述ぶる人は賢と叫ばる、ただ述作の品級を見過ぎて、多少の限額を聞くこと未だ曾て有らず。您の説く所は、是れ巢穴の沉昧の裡に竄れて、八紘の外沿なきを知らず。燈燭の夜裡の光を守りて、三光の晃朗を識らず。潢洿の淺狹の裡に游びて、南溟の浩汗を未だ覺えず(底本は「水覺」と作る、「水」は「未」の訛)。丘垤の卑位に滯留して(底本は「位埤」と作る、埤は即ち卑)、嵩岱の峻極に醒悟せず。兩儀の大と稱する所以は、是れ八荒を函括し・緬邈として外表なきに因る。山海の富と爲る所以は、是れ曠闊を包籠し・雜錯を含受するに因る。若し您の雅論の如く・少を貴び多を賤まば、那麼穹隆は便ち宏大の覆蓋を取法する從る無く、旁泊も亦た厚載に貴からず。足迹のあの如き淺き水の裡は、舟を吞むの鱗なし。寸枝の上は、天を垂るるの翼なし。蟻垤の巔は、扶桑の林なし。潢潦の源頭は、陵を襄るの流なし。巨鰲は頭頂に瀛洲を戴き、飛波は方丈を凌越し、洪桃は度朔に盤踞し(底本は「度陵」と作る、度朔山は桃樹の傳説の地)、建木は都廣に竦立し、沉鯤は天池に橫はり、雲鵬は玄象に到達す。況んや雷霆の人を駭かすは、能く其の響を細にす可からず。黄河の激蕩は、能く其の流を局限す可からず。騏驥は風を追うは、能く足迹を變じて近くせしめ可からず。鴻鵠は翅を奮うは、能く飛を變じて卑くせしめ可からず。雲厚きの雨は一定に猛く、弓勁きの箭は一定に遠し。王生は學博く才大なり、又那裡か減省し得んや、と。

“吾子云;‘玉以少貴,石以多賤。’夫玄圃之下,荊華之顛,九員之澤,折方之淵,琳琅積而成山,夜光煥而灼天,顧不善也。又引庖犧氏著作不多,若周公既繇大易,加之以禮樂,仲尼作《春秋》,而重之以十篇。過於庖犧,多於老氏,皆當貶也。言少則至理不備,辭寡既庶事不暢。是以必須篇累卷積,而綱領舉也。羲和升光以啟旦,望舒曜景以灼夜,五材並生而異用,百藥雜秀而殊治,四時會而歲功成,五色聚而錦繡麗,八音諧而簫韶美,群言合而道藝辨。積猗頓之材,而用之甚少,是何異於原憲也懷無銓之量,而著述約陋,亦何加別於瑣碌也音為知者珍,書為識者傳,瞽曠之調鍾,未必求解於同世;格言高文,豈患莫賞而減之哉!且夫江海之穢物,不可勝計,而不損其深也;五嶽之曲木,不可訾量,而無虧其峻也。夏後之璜,雖有分毫之瑕,暉曜符彩,足相補也。數千萬言,雖有不豔之辭,事義高遠,足相掩也。故曰:四瀆之濁,不方甕水之清;巨象之瘦,不同羔羊之肥矣。

(抱朴子が続けて言うには、)您曰く、玉は少なきに因りて貴し、石は多きに因りて賤しと。玄圃の下・荆山華山の巔・九原の澤(底本は「九員」と作る、「折方之淵」と對擧、澤名は當に「九原」と讀むべし)・折方の淵は、琳琅は山と成るに堆積し、夜光は煥發して天を灼く、豈に好ならずや。又庖犧氏の著作は多からざるを引くも、然れども周公は已に大易を推演し、又禮樂を加え、仲尼は《春秋》を作りて、又之れに十翼を重ねり。庖犧を超過し・老氏より多し、您の説法に按れば皆貶す可し。話少なければ則ち至理は完備せず、辭寡ければ則ち庶事は暢達せず。ゆえに必ず篇累卷積せば、綱領乃ち能く擧げられん。羲和は光を升起して以て早晨を開啓し、望舒は影を照耀して以て夜晚を灼亮し、五材は並び生じて而も用途は同じからず、百藥は雜秀して而も主治は同じからず、四時は會合して而も歲功は成り、五色は聚集して而も錦繡は麗く、八音は諧和して而も簫韶は美しく、群言は會合して而も道藝は辨明す。猗頓の財を積みて、然れども用うるは甚だ少なければ、這は原憲と什麼の異同有らん。從る無き銓衡の度量を懷きて、著述は却って簡約鄙陋なれば、又瑣碌の人より多き什麼有らん。音聲は知音に珍視せられ、書は識者に流傳せられ、瞽曠は鐘を調えて、未必同時に人の理解を求めず。格言高文は、何處か用いて賞識する人なきを擔心して而も之れを減損せんや。況んや江海の穢物は計りて勝ふ可からざれど、然れども其の深を減損せず。五岳の曲木は訾量す可からざれど、然れども其の峻を損ずる無し。夏后の璜は、卽使分毫の瑕有るとも、暉曜符彩も亦た足りて以て相補えり。數千萬言は、卽使艷ならざるの辭有るとも、事義は高遠にして亦た足りて以て相掩えり。ゆえに説く、四瀆の濁は、瓮水の淸と相比せず。巨象の瘦は、羔羊の肥と同じからざるなりと。

“子又譏云:‘乍入乍出,或儒或墨。’夫發口為言,著紙為書。書者所以代言,言者所以書事。若用筆不宜雜載,是論議當常守一物。昔諸侯訪政,弟子問仁,仲尼答之,人人異辭。蓋因事托規,隨時所急,譬猶治病之方千百,而針炙之處無常,卻寒以溫,除熱以冷,期於救死存身而已。豈可詣者逐一道如齊楚,而不改路乎陶朱白圭之財不一物者,豐也;雲夢孟諸所生萬殊者,曠也。故《淮南鴻烈》,始於《原道》《俶真》,而亦有《兵略》《主術》,莊周之書,以死生為一,亦有畏犧慕龜請粟救飢。若以所言不純而棄其文,是治珠翳而剜眼,療溼痺而刖足,患荑莠而刈谷,憎枯枝而伐樹也。

(抱朴子が続けて言うには、)您又譏刺して曰く、乍入乍出・或いは儒或いは墨と。口を開けば便ち是れ言、紙に着けば便ち是れ書。書は是れ以て言に代替するに用い、言は是れ以て事を書寫するに用いる。若し筆を用いるは該當雜載すべからざれば、那麼議論は便ち該當永遠に一件の事物を守るべし。從前諸侯は政を訪ね、弟子は仁を問えば、仲尼は彼らに回答して、人人言辭同じからざりき。那是れ事に因りて規を託し・時の所急に隨い、好比病を治するの方は千百有り・針灸の穴位は常規なく、然れども寒は溫を用い・熱を除くは冷を用い、ただ期するは死を救い身を存する而已。哪能く來訪する人をしてただ一條の道を走らしめ・齊に往き楚に往くが如くして、而も路を改めざらんや。陶朱・白圭の財は一種の物に非ず、以て豐なり。雲夢・孟諸の生ずる所は萬殊にして、以て曠なり。ゆえに《淮南鴻烈》は《原道》《俶真》より始まれど、然れどもも亦た《兵略》《主術》有り。莊周の書は死生を看成して一と爲すも、も亦た犧を畏れ・龜を慕い・粟を請いて饑を救う有り。若し所言之不純に因りて其の文を拋棄せば、那是れ目の翳を治するに然れども目を剜き・濕痹を療するに然れども脚を砍り・荑莠を患うるに然れども穀を割掉し・枯枝を憎むに然れども樹を伐るなり。

百家卷第四十四

百家巻第四十四

抱朴子曰:百家之言,雖不皆清翰銳藻,弘麗汪濊,然悉才士所寄,心一夫澄思也。正經為道義之淵海,子書為增深之川流。仰而比之,則景星之佐三辰;俯而方之,則林薄之裨嵩嶽。而學者專守一業,遊井忽海,遂掇躓於泥濘之中,而沈滯乎不移之困。子書披引玄曠,眇邈泓窈,總不測之源,揚無遺之流,變化不繫於規矩之方圓,旁通不淪於違正之邪徑,風格高嚴,重仞難盡。是偏嗜酸甜者,莫能賞其味也;用思有限者,不得辯其神也。先民嘆息於才難,故百世為隨踵,不以璞不生板桐之嶺,而捐曜夜之寶;不以書不出周孔之門,而廢助教之言。猶彼操水者,器雖異而救火同焉;譬若針灸者,術雖殊而攻疾均焉。狹見之徒,區區執一,去博辭精,思而不識,合錙銖而以齊重於山陵,聚百千可以致數億兆,惑詩賦瑣碎之文,而忽子論深美之言,真偽顛倒,玉石混淆,同廣樂於桑間,均龍章於素質,可悲可慨,豈一條哉!

抱朴子曰く、百家の言論は、雖も皆淸翰銳藻・弘麗汪濊ならざるも、然れども皆是れ才士の心志を寄托し・一人の澄思するの結果なり。正經は是れ道義の淵海にして、子書は是れ其の川流を加深するなり。仰ぎて而も比擬すれば、便ち景星の三辰を輔佐するが如し。俯りて而も比方すれば、便ち林薄の嵩岳を裨補するが如し。然れども學者は專ら一業を守りて、井に游びて而も海を忽略し、于是泥濘の中に絆倒し、可に移す可からざるの困境の裡に沉滯せり。子書は玄曠を披引し、眇邈泓窈として、測る可からざるの源を總匯し、遺漏なきの流を揚起し、變化は規矩の方圓に係らず、旁通は正に違うの邪徑に淪らず、風格は高嚴にして、重仞は窮盡し難し。這是れ酸甜を偏嗜する人の能く其の味を賞せず・思を用うる有る限りの人の能く其の神を辨えざるの緣故なり。先民は人才の得難きを歎息す、ゆえに百世乃ち一個を出して脚跟相隨るが如き稀なり、璞は板桐の嶺の上に生ぜざるに因りて、便ち夜光の寶を捐棄せず。書は周孔の門より出でざるに因りて、便ち助教の言を廢掉せず。便ちあの水を取る人の如く、器具は雖も同じからざるも、火を救うは然れども相同じ。針灸する人の好比なるが如く、術は雖も殊異なるも、疾を攻むるは然れども均勻なり。見識狹隘の人は、區區として一端を執着し、廣博を離れ・文辭精微の、思いて而も識らず。錙銖を合せば以て山陵と重さを比す可く、百千を聚積すれば以て數億兆に達する可し、然れども詩賦瑣碎の文に迷惑せられ、子論深美の言を忽略し、眞僞は顛倒し・玉石は混淆し、廣樂を以て桑間に等同し・龍章を以て素質に均成す、可悲可慨、何處か只是一條のみならんや。

文行卷第四十五

文行巻第四十五

或曰:“德行者,本也;文章者,末也。故四科之序,文不居上。然則著紙者,糟粕之餘事;可傳者,祭畢之芻狗。卑高之格,是可譏矣。”

或る人曰く、德行は是れ本にして、文章は是れ末なり。ゆえに四科の次序は、文は上に居らず。那麼紙に着くは便ち糟粕の餘事なり。可に傳わるは便ち祭畢の芻狗なり。卑高の格は、這是れ以て譏刺す可きなり、と。

抱朴子答曰:“荃可棄而魚未獲,則不得無荃;文可廢而道未行,則不得無文。若夫翰跡韻略之廣逼,屬辭比義之妍媸,源流至到之修短,韞藉汲引之深淺,其懸絕也,雖天外毫內,不足以喻其遼邈,雖三光熠耀,不足以方其鉅細。龍淵鉛鋌,未足以譬其銳鈍;鴻羽積金,未足以方其輕重。而俗士唯見能染毫畫紙,便概以一例,斯伯氏所以永思鍾子,郢人所以格斤不運也。夫斫削者比肩,而班狄擅絕手之名;援琴者至多,而夔襄專清聲之稱。廄馬千駟,而騏騮有邈群之價;美人萬計,而威施有超世之色者,蓋遠過眾也。且文章之與德行,猶十尺之與一丈,謂之餘事,未之聞也。八卦生乎鷹隼之飛,六甲出於靈龜之負,文之所在,雖且貴(疑有脫文)本不必便疏,末不必皆薄,譬錦繡之因素地,珠玉之託蟲奉石,雲雨生於膚寸,江河始於咫尺,理誠若茲,則雅論病矣。”

抱朴子回答して曰く、荃は可に拋棄す可くして然れども魚は還に未だ獲得せざれば、便ち能く荃なからしめず。文は可に廢掉す可くして然れども道は還に未だ施行せざれば、便ち能く文なからしめず。翰迹韻略の廣狹・屬辭比義の妍媸・源流至到の長短・蘊藉汲引の淺深に至りては、懸絶の大は、卽使天外と毫内とも、も亦た足りて以て那の遼邈を比喻せず。卽使三光熠耀するとも、も亦た足りて以て那の巨細を比方せず。龍淵と鉛鋌とは(鉛製の鋌刃、龍淵と對擧、指すは鈍劣の兵器、是れ丹藥に非ず)、足りて以て其の銳鈍を譬えず。鴻羽と積金とは、足りて以て其の輕重を方せず。然れども俗士は只是能く毫を染め紙を畫くを看見して、便ち一概に論ず、這便ち是れ伯牙の永遠に鍾子期を思念し・郢人は斧斤を放下して而も斤を運ぶを再びせざるの緣故なり。斫削する人は肩を比びて、然れども班・狄は絶手の名を擅にす。琴を援ぐる人は極めて多くして、然れども夔・襄は淸聲の稱を專にす。廐馬は千駟にして、然れども騏騮は群を超越するの價有り。美人は萬計にして、然れども威・施は世を超ゆるの色有り、以て遙遙に衆人を超過するに因る。況んや文章と德行とは、便ち十尺と一丈との如く、之れを餘事と説くは、聞くこと未だ曾て有らず。八卦は鷹隼の飛より生じ、六甲は靈龜の負より出で、文の在る所の處は、卽使暫く貴重すとも(底本疑らくは脱文有り)、本は不必便ち疏ならず、末は不必皆薄ならず、好比錦繡は素地に依托し・珠玉は拳石に寄托し(底本は「虫奉石」と作る、當に「拳石」と讀むべし)、雲雨は膚寸より生じ・江河は咫尺より始まる。道理は若し眞に是れ這樣ならば、您の雅論は便ち病有らん、と。

又曰:“應龍徐舉,顧眄而凌雲;汗血緩步,呼吸而千里。故螻蟻怪其無階而高致,駑蹇驚過己之不漸也。若夫馳驟詩論之中,周旋一經之內,以常情覽巨異,以褊量測無涯,始自髫齔,詣於振素,不能得也。又世俗率貴古昔而賤當今,敬所聞而黷所見。同時雖有追風絕景之駿,猶謂不及伯樂之所御也。雖有宵良兼城之璞,猶謂不及楚和之所泣也。雖有斷馬指雕之劍,猶謂不及歐冶之所鑄也。雖有生枯起朽之藥,猶謂不及和鵲之所合也。雖有冠群獨行之士,猶謂不及於古人也。”

抱朴子又曰く、應龍は慢慢に擧起して、顧盼すれば便ち雲を凌ぐ。汗血は緩步して、呼吸すれば便ち千里なり。ゆえに螻蟻は其の階梯なきして而も高處に達するを怪しみ、駑蹇は自己を超過するの並びに漸ならざるを驚訝す。詩論の中に馳驟し・一經の內に周旋し・常情を用いて巨大の差異を看・褊狹の量を用いて邊際なきを測るに至りては、髫齔より開始して、白髮に直到すとも、も亦た能く得ず。又世俗は大都古昔を貴びて而も當今を賤み、聞く所を敬して而も見る所を褻む。同時は卽使風を追い景を絶するの駿有るとも、還に説くは伯樂の駕する所に及ばずと。卽使夜光良玉は價は城を兼ねるの璞有るとも(底本は「宵良兼城」と作る、宵は即ち夜、兼城は指すは價は城を連ぬ)、還に説くは楚人の和氏の泣く所に及ばずと。卽使馬を斬り雕を指すの劍有るとも、還に説くは歐冶の鑄る所に及ばずと。卽使枯るるをして生じ朽るるをして起たしむるの藥有るとも、還に説くは醫和・扁鵲の合する所に及ばずと。卽使群に冠たり獨行するの士有るとも、還に説くは古人に及ばずと。

正郭卷第四十六

正郭巻第四十六

抱朴子曰:嵇生以太原郭林宗,竟不恭三公之命,學無不涉,名重於往代,加之以知人,知人則哲,蓋亞聖之器也。及在衰世,棲棲惶惶,席不暇溫,志在乎匡斷行道,與仲尼相似。

抱朴子曰く、嵇生は以て太原の郭林宗は、始終三公の任命を接受せず、學問は涉獵せざるなし、名聲は往代に重く、加うるに能く人を知るに、人を知れば則ち哲なり、大概是れ亞聖の器量なり。衰世に到りては、栖栖惶惶として、席は暖むるに暇あらず、志向は時局を匡正し・大道を推行するに在りて(底本は「匡斷」と作る、當に「匡時」と讀むべし)、仲尼と相似たりと。

餘答曰:“夫智與不智,存於一言,樞機之玷,亂乎白圭,愚謂亞聖之評,未易以輕有許也。夫所謂亞聖者,必具體而微,命世絕倫,與彼周孔其間無所復容之謂也。若人者亦何足登斯格哉!林宗拔萃翹特,鑑識朗徹,方之常人所議,固多引之上及,實復未足也。此人有機辯風姿,又巧自抗遇而善用,且好事者為之羽翼,延其聲譽於四方,故能挾之見推慕於亂世,而為過聽不核實者所推策,及其片言所褒,則重於千金,遊涉所經,則賢愚波盪,謂龍鳳之集,奇瑞之出也。吐聲則餘音見法,移足則遺蹟見擬,可謂善擊建鼓而揭日月者耳,非真隱也。蓋欲立朝則世已大亂,欲潛伏則悶而不堪,或躍則畏禍害,確爾則非所安。彰徨不守,載肥載月瞿,而世人逐其華而莫研其實,玩其形而不究其神,故遭雨巾壞,猶復見效,不覺其短,皆是類也。俗民追聲,一至於是。故其雖有缺隙,莫之敢指也。夫林宗學涉知人,非無分也。然而未能避過實之名,而暗於自料也。或勸之以出仕進者,林宗對曰:‘吾晝察人事,夜看乾象,天之所廢,不可支也。方今運在明夷之爻,值勿用之位,蓋盤桓潛居之時,非在天利見之會也。

我回答して曰く、智と不智とは、一句の話に存在し、樞機の污點は、白圭の瑕に比べて更に亂れたり。我以て亞聖の評語は、容易に輕く許可し難し。所謂亞聖は、一定是れ具體して而も微・命世して倫を絶し・那の周・孔の間は再也別人を容るる能わざるの那種なり。林宗の這樣の人の如きは、又何處か這の格に登るに够うらんや。林宗は拔萃して特出し、鑒識は朗徹して、常人の議論する所と相比すれば、固然多く往上に援引せらるれど、實際は還に够えず。這人は機辯風姿有りて、又自己を抗遇するに巧みにして而も利用するに善く、況んや事を好む人は彼の爲に羽翼を做りて、其の聲譽を四方に延くれば、ゆえに能く這些を挾みて以て亂世に推慕せられ、聽錯して而も核實せざる人に推擧せられり。其の片言の褒むる所に等到れば、便ち千金に重く、游歷の經る所は、賢愚は皆波涛の動蕩するが如く、説くは龍鳳の來集し・奇瑞の出現すと。聲を吐けば則ち餘音は人に效法せられ、足を移せば則ち遺迹は人に模擬せられ、可に説く是れ建鼓を擊ち・日月を揭ぐるに善き人而已にして、是れ眞隱に非ず。大概は朝に立たんと想えば則ち世已に大亂し、潜伏せんと想えば則ち郁悶に堪えず、躍起せんと想えば則ち禍害を怕れ、堅持して動かざれば又是れ安んずる能くする所に非ず。彷徨して能く守らずして(底本は「彰徨」と作る)、忽肥忽瘦し(底本は「載肥載月瞿」と作る、月+瞿は「臞」)、而も世人は其の華を追逐して而も其の實を研せず、其の形を玩びて而も其の神を究めず、ゆえに雨に遇えば巾壞れて、還に人に效仿せられ、那の短處なりと覺えず、皆是れ這類なり。俗民は聲を追う、竟に這の地步に到れり。ゆえに彼は卽使缺隙有るとも、敢えて指す人なし。林宗は學は涉りて人を知るは、是れ分寸なきに非ず。然れども能く實に過ぐるの名を避けずして、并且自己を估量するに暗し。或る人は彼に勸めて出仕して進取せしめんとすれば、林宗は回答して曰く、我は白天人事を觀察し・夜裡天象を看るに、天の廢せんと欲する所は、可に支撑す可からず。如今運は明夷の爻に在りて、正值勿用の位、是れ盤桓して潜居するの時にして、是れ天に在りて見るに利しきの際會に非ずと。

雖有原陸,猶恐滄海橫流。吾其魚也,況可冒沖風而乘奔波乎!未若巖岫頤神,娛心彭老,優哉遊哉,聊以卒歲。’按林宗之言,其知漢之不可救,非其才之所辦審矣。法當仰隮商洛,俯泛五湖,追巢父於峻嶺,尋漁父於滄浪,若不能結蹤山客,離群獨往,則當掩景淵洿,韜鱗括囊,而乃自西徂東,席不暇溫,欲慕孔墨棲棲之事。聖者憂世,周流四方,猶為退士,所見譏彈。林宗才非應期,器不絕倫,出不能安上治民,移風易俗,入不能揮毫屬筆,祖述六藝,行自炫耀,亦既過差,收名赫赫,受饒頗多。然卒進無補於治亂,退無跡於竹帛。觀傾視汨,冰泮草靡,未有異庸人也。無故沈浮於波濤之間,倒屣於埃塵之中,遨集京邑,交關貴遊,輪刓篋弊,匪遑啟處,遂使聲譽翕熠,秦胡景附,巷結朱輪之軌,堂列赤紱之客,軺車盈街,載奏連車,誠為遊俠之徒,未合逸隱之科也。有道之世而臻此者,猶不得復廁高潔之條貫焉,為秘丘之俊民,而修茲在於危亂之運,奚足多哉!孰不謂之暗於天人之否泰,蔽於自量之優劣乎!空背恬默之途,竟無有為之益,不值禍敗,蓋其幸耳。以此為憂世念國,希擬素王,有似蹇足之尋龍騏,斥鴳之逐鴻鵠,焦冥之方雲鵬,鼷鼬之比巨象也。

雖も原・陸のあの樣の人と雖も、還に滄海の橫流を怕る。我將に魚と爲らんとす、況んや可に衝風を冒して以て奔波に乘らんや。岩岫に在りて精神を頤養し・心を彭・老の中に娛悅せしめ・優哉游哉して・姑且這の年を過ごすに如かずと。林宗の話に按れば、彼は漢の可に救う可からざるを知りて、是れ其の才の能く辦する所に非ず、這是れ審確なり。理に按れば當に商洛を仰攀し・五湖を俯泛し・峻嶺に巢父を追い・滄浪に漁父を尋くべし。若し能く山客の中に迹を絶ち・群を離れて獨往せざれば、便ち當に光影を淵洿に掩藏し・鱗を韜め囊を括すべし。然れども彼は却って西より東に至りて、席は暖むるに暇あらず、孔・墨の栖栖の事を想慕す。聖者は世を憂え・四方を周流して、尚且退士に譏彈せられり。林宗は才は期に應ずるに非ず、器は倫を絶するに非ず、出でては能く上を安んじ民を治め・風を移し俗を易えず、入りては能く毫を揮い筆を屬し・六藝を祖述せず、行爲は自我を炫耀するは、も已に過分にして、名を收むるは赫赫として、受くるの好處は甚だ多し。然れども最終は進めば治亂に補なく、退けば痕迹を竹帛に留むるなし。傾覆沉没を看視して、冰泮して草靡し、庸人と異同なし。無故に波涛の間に沉浮し・埃塵の中に倒屣し・遨游して京邑に聚集し・貴游を交結して、車輪は磨損し・箱子は破敝し・安處するに暇なし、于是聲譽を翕熠せしめ・秦人胡人は皆影子の附着するが如く・巷里は朱輪の軌迹を結び・堂上は赤紱の客を列ね・軺車は街に滿ち・奏章を載せる車は相連なり、實在是れ游俠の徒にして、逸隱の科目に合せず。道有るの世は這個を做到するも、還に能く高潔の條貫の裡に列ねるを再びせず。秘丘の俊民と爲すにして、然れども危亂の運に這の一套を修すれば、什麼の稱多に値する有らんや。誰か彼の天人の否泰に暗く・自量の優劣に蔽わると説かざらんや。空しく恬默の路を背着して、竟に有爲の益處なく、禍敗に碰上せざるは、大概是れ其の僥倖なり。這を以て世を憂え國を念うと當てて、素王に比擬せんを希望するは、便ち跛脚にして以て龍騏を尋き・斥鴳にして以て鴻鵠を追い・焦冥にして以て雲鵬を比し・鼷鼬にして以て巨象を比するが如し。

“然則林宗可謂有耀俗之才,無固守之質,見無不了,庶幾大用,符辨外發,精神內虛,不勝煩躁,言行相伐,口稱靜退,心希榮利,未得□玄圃之棲禽,九淵之潛靈也。自炫自媒,士女之醜事也。知其不可而尤效尤師,亞聖之器,其安在乎雖雲知人,知人之明,乃唐虞之所難,尼父之所病。夫以前並日月,原始見終,且猶有失,不能常中,況於林宗螢燭之明,得失半解,已為不少矣。然則名稱重於當世,美談盛於既沒,故其所得者,則世共傳聞,而所失者,則莫之有識爾。雖頗甄無名之士於草萊,指未剖之璞於丘園,然未能進忠烈於朝廷,立御每於疆場,解亡徵於倒懸,折逆謀之競逐。若鮑子之推管生,平仲之達穰苴,林宗名振於朝廷,敬於一時,三九肉食,莫不欽重,力足以拔才,言足以起滯,而但養疾京輦,招合賓客,無所進致,以匡危蔽,徒能知人,不肯薦舉,何異知沃壤之任良田,議直木之中梁柱,而終不墾之以播嘉穀,伐之以構梁棟,奚解於不粒,何救於露居哉!其距貢舉者,誠高操也,其走不休者,亦其疾也。”

(私が続けて言うには、)那麼林宗は可に説く流俗を照耀するの才有りて、固守するの質地なく、看見するは明白ならざるなく、差不多大用す可し、符采辨才は外に向かって發し、精神は內に在りて然れども虛して、煩躁を受け堪えず、言行は互相に攻伐し、口は靜退を稱えて、心裡は榮利を希求す、玄圃の棲禽・九淵の潜靈に比べて及ばず(底本「未得」の下に一字を缺く)。自己を炫耀し・自己媒を做るは、是れ士女の醜事なり。不可を知りて而も還に往きて那の當に鑒戒と爲すべきを效仿すれば、亞聖の器は、在何處に在らんや。雖も人を知ると説くも、人を知るの明は、乃是れ唐虞も亦た難と感じ・尼父も亦た病と感ずる所なり。以前の聖人は並び明るく日月の如くして、原を始め終を見るも、尚且有りて失い・能く常に中たらず、況んや林宗の螢燭の明・得失は各々一半・已に少なからずや。那麼名稱は當世に重く・美談は既沒に盛んなれば、ゆえに其の得る所は、世上は共に傳聞して、而も失う所は、便ち識得する人なし。雖も頗く能く草萊の中に無名の士を甄拔し・丘園に未剖の璞を指出するとも、然れども能く忠烈を朝廷に推進せず・疆場に侮を御すを建立せず(底本は「御每」と作る、「每」は「侮」の訛)、亡徵を倒懸の中より解開し・逆謀の競逐を折斷せず。鮑叔の管生を推擧し・晏平仲の穰苴を顯達するが如きは、林宗は名は朝廷に振るい・一時に敬せられ・三公九卿の肉を食うは、欽重せざるなし、力は足りて以て才を拔き・言は足りて以て滯を起すに、然れども只是在京輦に病を養い・賓客を招合して、進致して以て危蔽を匡正する什麼なく、徒然に能く人を知るも、肯んじて薦擧せず、沃壤は良田に適するを知り・直木は梁柱に適するを議論するも、然れども始終之れを墾して以て嘉穀を播かず・之れを伐りて以て梁棟を構えざるは、什麼の異同有らん、糧なきに對して何の解救する所有らん・露居に對して何の拯救する所有らんや。彼の貢擧を拒絶するは、誠然是れ高操なり。彼の奔走して休まざるは、も亦た是れ其の病なり。

嵇生又曰:“林宗存為一世之所式,沒則遺芳永播。碩儒俊士,未或指點,而吾生獨評其短,無乃見嗤於將來乎!”抱朴子曰:“曷為其然哉苟吾言之允者,當付之於後,後之識者,何恤於寡和乎且前賢多亦譏之,獨皇生褒過耳。故太傅諸葛無遜亦曰:‘林宗隱不修遁,出不益時,實欲揚名養譽而已。街談巷議以為辯,訕上謗政以為高,時俗貴之,歙然猶郭解原涉,見趨於曩時也。後進慕聲者,未能考之於聖王之典,論之於先賢之行,徒惑華名,鹹競準的,學之者如不及,談之者則盈耳,中人猶不覺,童蒙安能知’故零陵太守殷府君伯緒,高才篤論之士也,亦曰:‘林宗入交將相,出遊方國,崇私議以動眾,關譭譽於朝廷。其所善則風騰雨驟,改價易姿;其所惡則摧頓陸沈,士人不齒。□其名賢,遭亂隱遁,含光匿景,未為遠矣。君子行道,以匡君也,以正俗也,於時君不可匡,俗不可正,林宗周旋,清談閭閻,無救於世道之陵遲,無解於夭民之憔悴也。’又故中書郎周生恭遠,英偉名儒也,亦曰:‘夫遇治而贊之,則謂之樂道;遭亂而救之,則謂之憂道;亂不可救而避之,則謂之守道。虞舜樂道者也,仲尼憂道者也,微子守道者也。漢世將傾,世務交遊,林宗法當慨然虛心,要同契君子,共矯而正之,而身棲棲為之雄伯,非救世之宜也。於時雖諸黃門,六畜自寓耳。其陳蕃竇武之徒,雖鼎司牧伯,皆貴重林宗,信其言論,臧否取定,於匡危易俗,不亦可冀乎而林宗既不能薦有為之士,立毫毛之益,而逋逃不仕者,則方之巢許;廢職待客者,則比之周公;養徒避役者,則擬之仲尼;棄親依豪者,則同之遊夏。是以世眩名實,而大亂滋甚也。若謂林宗不知,則無以稱聰明;若謂知之而不改,則無以言憂道。昔四豪似周公而不能為周公,今林宗似仲尼而不得為仲尼也。

嵇生又曰く、林宗は生きるは一世の法式にして、死せば則ち遺芳は永遠に播す。碩儒俊士は、指點したるなく、而も您獨獨其の短を評す、只怕らくは將來に嗤笑せられんや、と。抱朴子曰く、爲什麼這樣ならんや。假如我が話は是れ允當ならば、當に後人に交す可し、後來識得する人は、何必唱和する人の少なきを憂慮せんや。況んや前賢も亦た多く彼を譏諷して、ただ皇甫生のみ褒獎過分而已。ゆえに太傅諸葛無遜も亦た曰く、林宗は隱居して遁を修せず、出仕して時に益なし、其實只是想く名を揚げ譽を養う而已。街談巷議を以て辯と當てて、上を訕り政を謗るを以て高と當て、時俗は彼を看重して、翕然として郭解・原涉の如く、從前は人に趨附せられり。後進して聲を慕う人は、能く聖王の典を以て考え・先賢の行を以て論ぜず、只是華名に迷惑せられて、皆競りて以て準的と爲し、學ぶは恐れて及ばざるを、談ずるは則ち耳に滿つ、中人は尚且覺えず、童蒙は怎能く知らんや、と。ゆえに零陵太守の殷府君伯緒は、是れ高才篤論の士にして、も亦た曰く、林宗は入れば將相を交接し・出でれば方國に游び、私議を崇尚して以て衆人を打動し・毁譽を朝廷に關涉す。其の善とする所は便ち風騰雨驟して・價を改め姿を換え、其の惡む所は便ち摧頓陸沉して・士人は齒せず。況んや彼は名賢を以て(底本「其名賢」の上に一字を缺く)、亂に遭いて隱遁し・光を含み影を匿すは、還に算く遠ならず。君子は道を行うは、是れ君を匡する爲・俗を正す爲、當時君は可に匡す可からず・俗は可に正す可からず、林宗は周旋して・閭閻に淸談して、世道の陵遲に救なく・夭民の憔悴に解なし、と。又已故中書郎の周生恭遠は、是れ英偉名儒にして、も亦た曰く、治世に遇いて而も之れを贊すれば、便ち樂道と叫ばれ。亂世に遭いて而も之れを救えば、便ち憂道と叫ばれ。亂は可に救う可からざれば而も避くれば、便ち守道と叫ばる。虞舜は是れ樂道の人、仲尼は是れ憂道の人、微子是れ守道の人。漢世は將に傾かんとして、世務は交游に在り、林宗は理に按れば當に慨然として心を虛にし・同心の君子を要約し・共同に之れを矯正すべくして、然れども自身栖栖として雄伯を做るは、是れ世を救うの宜しきに非ず。當時は卽使あの黃門とも、不過是れ六畜の自ら寄せる而已。陳蕃・竇武の徒は、雖も是れ鼎司牧伯なるも、皆林宗を貴重し・其の言論を信じ・臧否は彼に取定せられ、匡危易俗に對しては、不も亦た可に期望す可からんや。而も林宗は既に能く薦...〔此處脱文〕

’”於是問者慨而嘆曰:“然則斯人乃避亂之徒,非全隱之高矣。”

と。于是問う人は感慨歎息して曰く、那麼這の人は乃是れ亂を避くるの徒にして、是れ完全に隱逸の高士に非ずと。

彈禰卷第四十七

彈禰巻第四十七

抱朴子曰:漢末有禰衡者,年二十有三,孔文舉齒過知命,身居九列,文學冠群,少長稱

抱朴子曰く、漢末に禰衡と云うの人有り、年二十三、孔文擧は年五十を過ぎて、身は九卿に居り、文學は群に冠たり、少長は皆彼を稱譽し

譽,名位殊絕,而友衡於布衣,又表薦之於漢朝,以為宜起家作臺郎。

、名位は懸殊して極點にして、然れども布衣の衡と交友し、又表を上して漢朝に向かって彼を薦め、以て當に家中より起用して臺郎を做らしむべしとす。

云:“惟嶽降神,異人並出。目所一見,輒誦於口。耳所瞥聞,不忘於心。性與道合,思若有神。’其嘆之如此。衡遊許下,自公卿國士以下,衡初不稱其官,皆名之雲阿某,或以姓呼之為某兒,呼孔融為大兒,呼楊修為小兒。荀彧猶強可與語,過此以住,皆木梗泥偶,似人而無人氣,皆酒甕飲囊耳。百官大會,衡時在坐,忽顰蹙悽愴,哀嘆忼慨,或譏之曰:“英豪樂集,非所嘆也。”衡眄歷視稠眾而答曰:“在此積屍列柩之間,仁人安能不悲乎”

表文に曰く、惟れ岳は神を降し、異人は並び出づ。目は一見すれば、便ち能く口裡に誦す。耳は瞥聞すれば、便ち心に忘れず。性は道と合し、思は若くも神有るが如し、と。彼の贊歎するは這の地步に到れり。衡は許下に游び、公卿國士以下より、衡は起初彼らの官を稱せず、皆彼らを阿某と叫び、或いは姓を用いて某兒と稱呼し、孔融を大兒と叫び、楊修を小兒と叫ぶ。荀彧は還に勉强彼と說話す可し、此を過ぎて以往すれば、皆是れ木梗泥偶にして、人に似て然れども人氣なく、皆是れ酒甕飯囊而已。百官は大會せば、衡は當時座に在り、忽然として顰蹙して淒愴し、哀歎して慷慨し、或る人は彼を譏諷して曰く、英豪は集會を樂しむは、是れ該當歎息するの場合に非ずと。衡は斜眼して稠密の衆人を遍視して回答して曰く、這の積屍列柩の間に在りて、仁人は怎能く悲痛せざらんや、と。

曹公嘗切齒欲殺之,然復無正有入法應殆之罪,又惜有殺儒生之名,乃謫作鼓吏,衡了無悔情恥色,乃縛角於柱,口就吹之,乃有異聲,並搖鼓兆擊鼓,聞者不知其一人也。而論更劇,無所顧忌,尋亡走投荊州牧劉表,表欲作書與孫權,討逆於時已全據江東,帶甲百萬,欲結輔車之援,與共距中國,使諸文士立草,盡思而不得表意。乃示衡。衡省之曰:“但欲使孫左右持刀兒視之者,此可用爾,儻令張子布見此,大辱人也。”即摧壞投地,表悵然有怪色,謂衡曰:“為了不中芸鋤乎惜之也。

曹公は曾て切齒して彼を殺さんと想いしも、然れども又眞に刑法に觸犯し・死罪に當たるの罪名なく、又殺儒生の名を擔うを可惜として、于是彼を貶めて鼓吏を做らしむ。衡は全く悔情恥色なく、角を柱子に綁きつけて、嘴を凑せて吹けば、竟に異常の聲音有りて、并且鼗を搖り鼓を擊てば、聞く人は是れ同一個の人なりと知らず。而も議論は更なり激烈にして、顧忌する無し。久しからずして逃亡して荆州牧の劉表に投奔す。表は孫權に信を寫らんと想い(討逆は當時已に全く江東を據え、甲を帶ぶるは百萬、輔車の援助を結びて、共同に中原を抗拒せんと想い)——文士らをして起草せしめ、心思を用盡すれど然れども表の意を得ず。于是衡に拿げて看せむ。衡は看過して曰く、只是想く孫氏の左右の刀を持つ人に看見せしめば、這は還に可に用う可し。倘若張子布に這個を看見せしめば、便ち大大に人を侮辱せん、と。卽刻摧毀して地上に扔げたり。表は悵然として怪の色有りて、衡に對して曰く、豈に完全不に中らず鋤耘せずや。可惜とす。

”衡索紙筆,便更書之,眾所作有十餘通,衡凡一歷視之而已,暗記書之,畢以還表。表以還主,或有錄所作之本也,以比校之,無一字錯,乃各大驚。表乃請衡更作,衡即作成,手不停輟,表甚以以為佳而施用焉。

衡は紙筆を索要して、便ち別に寫過し、衆人の作るは十余通有りて、衡は只各々一遍を看る而已、暗に記下して再び寫き、寫完して表に還す。表は原作者に還與し、或る人は作る所の底本を錄有りて、拿げて以て比較すれば、一個字の錯なく、于是各々大驚す。表は便ち衡に請いて再び作らしめば、衡は卽刻寫成して、手は停輟せず、表は甚だ以て佳として而も施用せり。

衡驕傲轉甚,一州人士,莫不憎恚,而表亦不復堪,欲殺之。或諫以為曹公名為嚴酷,猶能容忍,衡少有虛名,若一朝殺之,則天下游士,莫復擬足於荊楚者也。表遂遣之。衡走到夏口,依將軍黃祖,祖待以上賓。祖大兒黃射,與衡偕行,過人墓下,俱讀碑銘一過而去。

衡は驕傲は更なり厲害にして、一州の人士は憎恚せざるなし、表も亦た再び能く忍受せず、彼を殺さんと想う。或る人は勸諫して、以て曹公は名は嚴酷と爲すも、還に能く容忍せり、衡は少有虛名有りて、若し一朝彼を殺せば、天下の游士は便ち再び脚を荆楚に邁向するなからん、と。表は于是彼を遣送す。衡は走りて夏口に至りて、將軍黃祖に依附し、祖は彼を待つに上賓を以てす。祖の大兒黃射は、衡と同行して、人の墓下を經過して、一起に碑銘を一遍讀過して便ち離去す。

久之,射曰:“前所視碑文大佳,恨不寫也。”衡曰:“卿存其名目耳。我一覽尚記之。”即為暗書之,末有一字,石缺,乃不分明。衡與半字,曰:“疑此當作某字。恐不審也。”射省可(下有缺文)。雖言行輕人,寧願榮顯,是以高遊鳳林,不能幽翳蒿萊,然修己駁刺,迷而不覺,故開口見憎,舉足蹈禍。齎如此之伎倆,亦何理容於天下而得其死哉猶梟鳴狐嚾,從皆不喜,音響不改,易處何益。許下,人物之海也。文舉為之主任,荷之足以至到,於此不安,已可知矣。猶必死之病,俞附越人,所無如何。朽木鉛鋌,班輸歐冶所不能匠也。而復走投荊楚間,終陷極害,此乃衡懵蔽之效也。蓋欲之而不能得,非能得而弗用者矣。於戲才士,可勿戒哉!

久しきを過ぎて、射曰く、先前看るの碑文は甚だ好なり、可惜抄下せざりきと。衡曰く、您は只名目を記得する而已。我は一覽して還に記得す、と。便ち暗中に寫出す、末了に一個字有りて、石頭は缺けて、看て分明ならず。衡は半個字を給して曰く、這裡は當に某字と作るべしと懷疑す。怕れて不準確ならんと、と。射は省視して認可す(以下缺文有り)。雖も言行は人を輕慢するも、然れども寧ろ榮顯せらんとす、ゆえに高く鳳林に游びて、能く蒿萊の中に幽翳せず、然れども己を修むるは駁雜刺繆にして、迷いて而も覺えず、ゆえに口を開けば便ち憎まれ、足を擧げば便ち禍を踏む。這樣の伎倆を帶びて、又什麼の道理天下に容納せられて而も好死を得んや。便ち梟鳴き狐嗥ゆるが如く、大家は皆好まず、音響は改まらずして、處を換えば又什麼の益處有らん。許下は是れ人物の海なり。文擧は其の主人を做り、這個を承りて以て到達するに足りて、這裡に在りて還に安ならざれば、已に可に知るなり。便ち必死の病の如く、俞附・越人も亦た奈何する無し。朽木鉛鋌は、班輸・歐冶も亦た能く匠と當てて以て治めず。却又荆楚の間に走投して、終竟極刑に陷入す、這便ち是れ衡の懵蔽の效驗なり。大概是れ欲して而も能く得ざるにして、是れ能く得て而も用いざるに非ず。唉、才士は、能く警戒せざらんや。

嵇生曰:“吾所惑者,衡之虛名也;子所論者,衡之實病也。敢不寤寐於指南,投杖於折中乎!”

嵇生曰く、我が疑惑する所は、是れ衡の虛名なり。您の論述する所は、是れ衡の實病なり。敢えて指南の下に寤寐せず・杖を折中に投向せざらんや、と。

詰鮑卷第四十八

詰鮑巻第四十八

鮑生敬言,好老莊之書,治劇辯之言,以為古者無君,勝於今世,故其著論云:“儒者曰:‘天生烝民而樹之君。’豈其皇天諄諄然亦將欲之者為辭哉!夫強者凌弱,則弱者服之矣;智者詐愚,則愚者事之矣。服之,故君臣之道起焉;事之,故力寡之民制焉。然則隸屬役御,由乎爭強弱而校愚智。彼蒼天果無事也,夫混茫以無名為貴,群生以得意為歡。故剝桂刻漆,非木之願;拔鶡裂翠,非鳥所欲;促轡銜鑣,非馬之性;荷車兀運重,非牛之樂。詐巧之萌,任力違真,伐生之根,以飾無用,捕飛禽以供華玩,穿本完之鼻,絆天放之腳,蓋非萬物並生之意。伕役彼黎烝,養此在官,貴者祿厚而民亦困矣。夫死而得生,欣喜無量,則不如向無死也。

鮑生敬言は、老莊の書を喜好し、激烈辯難の言論を研治して、以て古代は君主なく、當今の世に勝ると爲し、ゆえに彼は論を著して曰く、儒者曰く、上天は衆民を降して而も彼らに君主を樹立すと。豈に眞に皇天は諄諄然としても亦た這樣せんと欲して、乃ち這の句話を用いて以て說辭を作らんや。強のは弱のを欺凌し、弱のは便ち彼に服從せり。智のは愚のを欺詐し、愚のは便ち彼に事奉せり。彼に服從するは、ゆえに君臣の道は興起せり。彼に事奉するは、ゆえに力少なきの民は制服せられり。那麼隸屬役使は、是れ強弱を爭い而も愚智を較量するに由る。那の蒼天は果然事を做るなし。混茫は名なきを以て貴と爲し、群生は意を得るを以て歡と爲す。ゆえに桂を剝き漆を刻するは、是れ樹木の愿望に非ず。鶡を拔き翠を裂くは、是れ鳥の欲する所に非ず。轡を催促し鑣を銜えるは、是れ馬の本性に非ず。軛を負い重を運ぶは(底本は「荷車兀運重」と作る、車兀は「軛」)、是れ牛の快樂に非ず。詐巧は萌生して、力を任用して而も眞に違背し、生の根を砍伐して、以て用なきを裝飾し、飛禽を捕捉して以て華麗玩賞に供し、本來完好の鼻を穿ち・天放の脚を絆くは、皆是れ萬物の並び生ずるの意に非ず。あの黎民を役使して、這の官在るを養活すれば、貴の祿厚くして而も民も亦た便ち困れり。死して而も復生を得れば、欣喜は量なく、然れども一向に便ち死なざるに如かず。

讓爵辭祿,以釣虛名,則不如本無讓也。天下逆亂焉而忠義顯矣,六親不和焉而孝慈彰矣。曩古之世,無君無臣,穿井而飲,耕田而食,日出而作,日入而息,泛然不繫,恢爾自得,不競不營,無榮無辱,山無蹊徑,澤無舟梁。川穀不通,則不相併兼;士眾不聚,則不相攻伐。是高巢不探,深淵不漉,鳳鸞棲息於庭宇,龍鱗群遊於園池,飢虎可履,虺蛇可執,涉澤而鷗鳥不入飛,入林而狐兔不驚。勢利不萌,禍亂不作,干戈不用,城池不設,萬物玄同,相忘於道,疫癘不流,民獲考終,純白在胸,機心不生,含食甫而熙,鼓腹而遊。其言不華,其行不飾,安得聚斂以奪民財,安得嚴刑以為坑阱!

爵を讓り祿を辭して、以て虛名を釣取せば、則ち本來便ち讓なきに如かず。天下は逆亂して、忠義乃ち顯著せり。六親は不和して、孝慈乃ち彰明せり。遠古の世は、君なく臣なく、井を穿りて而も飲み、田を耕して而も食い、日は出でて而も作し、日は入りて而も息み、泛然として繫る所なく、恢然として自得し、競爭せず經營せず、榮なく辱なく、山は蹊徑なく、澤は舟梁なし。川谷は通ぜざれば、便ち互相に吞並せず。士衆は聚集せざれば、便ち互相に攻伐せず。因此高巢は探らず、深淵は漉さず、鳳鸞は庭宇に棲息し、龍鱗は園池に群游し、饑餓の虎は以て踩踏す可く、虺蛇は以て執持す可く、沼澤を涉過して而も鷗鳥は飛走せず、樹林に進入して而も狐兎は驚慌せず。勢利は萌生せず、禍亂は發作せず、干戈は用いられず、城池は設けられず、萬物は玄同して、道の中に相忘れ、疫癘は流傳せず、民は好き終結を獲得し、純白は胸に在り、機心は生ぜず、食を含みて嬉戲し(底本は「含食甫」と作る、當に「含哺」と讀むべし)、肚を鼓きて游逛す。其の言は華麗ならず、其の行は修飾せず、何處か能く聚斂して以て民財を奪い・何處か能く嚴刑を用いて以て坑阱と當てんや。

“降及杪季,智用巧生,道德既衰,尊卑有序,繁升降損益之禮,飾紱冕玄黃之服,起土木於凌霄,構丹綠於棼撩,傾峻搜寶,泳淵辨珠。聚玉如林,不足以極其變;積金成山,不足以贍其費。澶漫於淫荒之域,而叛其大始之本,去宗日遠,背樸彌增,尚賢則民爭名,貴貨則盜賊起,見可欲則真正之心亂,勢利陳則劫奪之途開。造剡銳之器,長侵割之患,弩恐不勁,甲恐不堅,矛恐不利,盾恐不厚。若無凌暴,此皆可棄也。故曰:白玉不毀,孰為珪璋道德不廢,安取仁義使夫桀紂之徒,得燔人辜諫者,脯諸侯,菹方伯,剖人心,破人脛,窮驕淫之惡,用炮烙之虐。若令斯人併為匹夫,性雖兇奢,安得施之!使彼肆酷恣欲,屠割天下,由於為君,故得縱意也。君臣既立,眾慝日滋,而欲攘臂乎桎梏之間,悉勞於塗炭之中。

(鮑生は続けて言うには、)末世に降到して、智は使用せられ・巧は生出來し、道德は已に衰え、尊卑は次序有りて、繁瑣の升降損益の禮・紱冕玄黄の服を修飾し・土木を凌霄に建て・丹綠を棼撩に構造し・高峻を傾倒して寶を搜し・深淵を游過して珠を辨す。玉を聚むるは林の如くして、足りて以て那の變を窮盡せず。金を積むは山と成るも、足りて以て那の費を供給せず。淫荒の域に放縱して、而も太始の本に背叛し、宗を離るるは越えて遠く、朴に背離するは更加增加す。賢を崇尚すれば則ち民は名を爭い、貨を貴重すれば則ち盜賊は起り、可欲を看見すれば則ち眞正の心は亂れ、勢利は陳列せば則ち劫奪の路は開く。銳利の器具を製造して、侵割の患を助長し、弩は勁ならざるを怕れ、甲は堅ならざるを怕れ、矛は利ならざるを怕れ、盾は厚ならざるを怕れ。若し凌暴なければ、這些は皆可以拋棄す。ゆえに説く、白玉は毁壞せざれば、誰か珪璋を做らん。道德は廢棄せざれば、何處か仁義を取らん。あの桀・紂の徒をして、人を燔燒し・諫を進むるを懲處し・諸侯を以て肉脯を做り・方伯を以て菹醢を做り・人心を剖き・人脛を破り・驕淫の惡を窮盡し・炮烙の虐を使用せしめ得しむ。假如這些人をして同じく匹夫と爲さば、性は雖も凶奢なるも、何處か能く施行せんや。彼らをして放肆して酷虐し・欲望を放縱し・天下を屠割せしむるは、是れ君を做るに由りて、ゆえに能く意を縱にす。君臣は既に確立せば、衆惡は日益に滋生す、然れども桎梏の間に臂を攘り・塗炭の中に勞を盡さんと想う。

人主憂栗於廟堂之上,百姓煎擾乎困苦之中,閒之以禮度,整之以刑罰,是猶闢滔天之源,激不測之流,塞之以撮壤,障之以指掌也。”

人主は廟堂の上に憂栗し、百姓は困苦の中に煎擾し、禮度を用いて以て限制し・刑罰を用いて以て整治するは、這便ち滔天の源を打開し・測らざるの流を激起して、然れども一撮の土を用いて以て塞き・指掌を用いて以て擋ぐるが如し、と。

抱朴子難曰:“蓋聞沖昧既闢,降濁升清,穹隆仰燾,旁泊俯停。乾坤定位,上下以形,遠取諸物,則天尊地卑,以著人倫之體;近取諸身,則元首股肱,以表君臣之序,降殺之軌,有自來矣。若夫太極混沌,兩儀無質,則未若玄黃剖判,七耀垂象,陰陽陶冶,萬物群分也。由滋以言,亦知鳥聚獸散,巢棲穴竄,毛血是茹,結草斯服,入無六親之尊卑,出無階級之等威,未若庇體廣夏,粳梁嘉旨,黼黻綺紈,御冬當暑,明闢蒞物,良宰匠世,設官分職,宇宙穆如也。貴賤有章,則慕賞畏罰;勢齊力均,則爭奪靡憚。是以有聖人作,受命自天,或結罟以畋漁,或瞻辰而鑽燧,或嘗卉以選粒,或構宇以仰蔽。備物致用,去害興利,百姓欣戴,奉而尊之,君臣之道於是乎生,安有詐愚凌弱之理三五迭興,道教遂隆,辯章勸沮,德盛刑清,明良之歌作,蕩蕩之化成,太階既平,七政遵度,梧禽激響於朝陽,麟虞覿靈而來出,龜龍吐藻於河湄,景老摛耀於天路,皇風振於九域,兇器戢乎府庫,是以禮制則君安,樂作而刑厝也。若夫奢淫狂暴,由乎人己,豈必有君,便應爾乎而鮑生獨舉衰世之罪,不論至治之義,何也

抱朴子詰難して曰く、衝昧は已に開闢し・濁氣は下降し淸氣は上升し・穹隆は向上覆蓋し・旁泊は向下停駐すると聞く。乾坤は位を定め・上下は形を成し、遠は物に取法して、則ち天尊地卑として、以て人倫の體を顯著し、近は身に取法して、則ち元首股肱として、以て君臣の序を表示し、降殺の軌範は、是れ來由有り。太極混沌・兩儀は還に未だ質ならざるの時に至りては、便ち玄黄剖判・七曜は象を垂れ・陰陽は陶冶し・萬物は群分するに如かず。此より説くは、も亦た鳥聚獸散・巢栖穴竄・毛を茹み血を飲み・草を結びて服と爲し・入れば六親の尊卑なく・出でれば階級の等威なきを知りて、廣廈に體を庇い・粳粱嘉旨・黼黻綺紈・冬を御ぎ暑に當たり・明君は萬物に莅り・良宰は世代を匠成し・官を設け職を分かち・宇宙は穆然たるに如かず。貴賤は章程有れば、便ち賞を羨慕し・罰を畏懼す。勢齊く力均しければ、便ち爭奪は忌憚する無し。ゆえに聖人興起して、命を天より受け、或いは罟を結びて以て畋漁し、或いは星辰を看て而も燧を鑽り、或いは百卉を嘗めて以て穀粒を選び、或いは屋宇を構えて以て向上遮蔽す。物を備え用を致して、害を去り利を興し、百姓は欣戴して、奉りて而も之れを尊び、君臣の道は于是產生す、何處か愚者を欺詐し・弱者を欺凌するの道理有らん。三皇五帝は更迭興起して、道教は于是隆盛し、辨別彰明して勸勉阻止し、德盛り刑淸くして、明良の歌は作出さる・蕩蕩の化は功を成し・太階は已に平らぎ・七政は度數を遵循し・梧桐の上の禽は朝陽に激響し・麟虞は靈を顯して以て來出し・龜龍は河湄に藻を吐き・景星老壽は天路に耀を鋪き・皇風は九域に振るい・凶器は府庫に收藏せられ、ゆえに禮制すれば則ち君安く・樂作して而も刑措せり。奢淫狂暴に至りては、是れ人自己に由る、何處か一定有君あれば、便ち該當這樣ならんや。而も鮑生は只是衰世の罪を擧げて、至治の義を論ぜず、爲什麼なりや、と。

“且夫逮古質樸,蓋其未變,民尚童蒙,機心不動,譬夫嬰孩,智慧未萌,非為知而不為,欲而忍之也。若人與人爭草萊之利,家與家訟巢窟之地,上無治枉之官,下有重類之黨,則私鬥過於公戰,木石銳於干戈,交屍布野,流血絳路,久而無君,噍類盡矣。至於擾龍馴鳳,河圖洛書,或麟銜甲負,或黃魚波湧,或丹禽翔授,或迴風三集,皆在有君之世,不出無王之時也。夫祥瑞之徵,指發玄極,或以表革命之符,或以彰至治之盛,若令有君,不合天意,彼嘉應之來,孰使之哉子若以混冥為美乎則乾坤不宜分矣;若以無名為高乎則八卦不當畫矣。豈造化有謬,而太昊之暗哉雅論所尚,唯貴自然,請問夫識母忘父,群生之性也;拜伏之敬,世之末飾也。然性不可任,必尊父焉;飾不可廢,必有拜焉。任之廢之,子安乎

(抱朴子が続けて言うには、)況んや遠古は質樸にして、大概是れ還に未だ變ならず、民は還に童蒙に在り、機心は動かず、好比婴孩にして、智慧は未だ萌えず、是れ知りて而も爲さず・欲して而も之れを忍ぶに非ず。若し人と人とは草萊の利を爭い・家と家とは巢窟の地を訟えば、上は枉曲を治理するの官なく・下は黨同族類の黨有れば、那麼私鬥は公戰を超過し・木石は干戈に比べて還に銳く・屍を交え野に布き・流血は路を絳に染め・久しく君なければ、生くるの類は便ち盡きん。擾龍馴鳳・河圖洛書・或いは麟は甲を銜え負し・或いは黄魚は波涌し・或いは丹禽は飛翔して授予し・或いは回風は三次聚集するに至りては、皆君有るの世に在りて、王なきの時に出でず。祥瑞の徵兆は、玄極より指發して、或いは以て革命の符を表示し、或いは以て至治の盛を彰顯す、若し君有るは天意に合せざれば、あの嘉應の來臨は、誰か之れをして來らしむるならん。您は若し混冥を以て美と爲さば、那麼乾坤は該當分開すべからず。若し無名を以て高と爲さば、那麼八卦は該當畫くべからず。豈に是れ造化の謬有りて、而も太昊は暗昧ならんや。雅論の崇尚する所は、只自然を貴ぶ。請問す、母を認識し父を忘るるは、是れ群生の性なり。拜伏の敬は、是れ世の末節修飾なり。然れども性は可に放任す可からず、一定要父を尊び。飾は可に廢棄す可からず、一定要拜有らん。之れを放任し・之れを廢棄せば、您能く安んずらんや、と。

“古者生無棟宇,死無殯葬,川無舟楫之器,陸無車馬之用,吞啖毒烈,以至殞斃,疾無醫術,枉死無限。後世聖人,改而垂之,民到於今,賴其厚惠,機巧之利,未易敗矣。今使子居則反巢穴之陋,死則捐之中野,限水則泳之遊之,山行則徒步負戴,棄鼎鉉而為生臊之食,廢針石而任自然之病。裸以為飾,不用衣裳;逢女為偶,不假行媒。吾子亦將曰:‘不可也。’況於無君乎若令上世人如木石,玄冰結而不寒,資糧絕而不飢者,可也。衣食之情,苟在其心,則所爭豈必金玉,所競豈必榮位!橡草予可以生鬥訟,藜藿足用,致侵奪矣。夫有欲之性,萌於受氣之初,厚己之情,著於成形之日,賊殺併兼,起於自然,必也不亂,其理何居!夫明王在上,群后盡規,坐以待旦,昧朝旰食,延誹謗以攻過,責暱屬之補察,聽輿謠以屬省,鑑履尾而夕惕,颺清風以埽穢,厲秋威以肅物,制峻網密,有犯無赦,刑戮以懲小罪,九伐以討大憝,猶豺狼之當路,感彝倫之不敘,憂作威之兇家,恐奸宄之害國。故嚴司鷹揚以彈違,虎臣杖鋮於方岳,而狂狡之變,莫世乏之,而令放之,使無所憚,則盜跖將橫行以掠殺,而良善端拱以待禍,無主所訴,無強所憑,而冀家為夷齊,人皆柳惠,何異負豕而欲無臭,憑河而欲不濡,無轡篋而御奔馬,棄枻櫓而乘輕舟,未見其可也。”

(抱朴子が続けて言うには、)古代は生くるは棟宇なく、死するは殯葬なく、川は舟楫の器なく、陸は車馬の用なく、毒烈を吞啖して、以て殞斃に至り、病は醫術なく、枉死は無限なり。後世聖人は改めて而も垂示し、民は到今其の厚惠に依賴す、機巧の利は、容易に敗壞せず。如今您をして住せば便ち巢穴の陋に回り・死せば便ち野中に丟棄し・水に遇えば便ち游ぎて過ぎ・山行すれば便ち徒步負戴し・鼎鉉を拋棄して而も生臊の食を食い・鍼石を廢掉して而も自然の病を聽任す。裸を以て飾と爲して、衣裳を用いず。女に遇上せば便ち偶と爲して、行媒を借せず。您も亦た將に曰く、不可なりと。況んや君なきや。假如上世の人は木石の如くして、玄冰結ぶるも寒ならず・資糧絶ゆるも饑ならば、那は還に可なり。衣食の情は、假如心裡に在れば、那麼爭う所は何必一定に金玉ならん・競う所は何必一定に榮位ならん。橡草も亦た以て鬥訟を引起す可く、藜藿は足りて以て侵奪を導致す。欲有るの性は、氣を受くるの初に萌え。己を厚くするの情は、形を成すの日に顯る。賊殺兼併は、自然より起る。一定要亂れざれば、那の理は在何處に在らん。明王は上に在りて、群后は盡心して規劃し、坐して以て旦を待ち・昧爽して朝に上り・日晚して乃ち食し、誹謗を延請して以て自己の過を攻め・親近を責成して以て補察し・街巷の歌謠を聽きて以て省察し・虎の尾を踩るを鑒戒して而も夕惕し・淸風を揚げて以て穢を掃き・秋威を厲めて以て物を肅め・法制は峻嚴・羅網は密にして、犯有れば赦なく、刑戮を用いて小罪を懲し・九伐を用いて大惡を討ち、還に豺狼の路を擋ぐが如く、彝倫の順ならざるを感嘆し・威を作るは家に凶ならんを憂慮し・奸宄の國を害するを恐怕す。ゆえに嚴司は鷹の揚るが如く往きて違失を彈劾し・虎臣は方岳に鉞を執るも、而も狂狡の變は、哪の一世か缺乏せざらん。若し彼らを放任して、彼らをして忌憚する無からしめば、那麼盜跖は將に橫行して以て掠殺し・而も良善は拱手して禍を待ち・主に告ぐる無く・強に憑借するなし、然れども家家は伯夷・叔齊・人人は柳下惠ならんを希望するは、猪を背着して而も臭なからんと想い・徒步河を過ぎて而も濡れざらんと想い・轡策なきして以て奔馬を駕し・楫櫓を拋棄して以て輕舟に乘るは什麼の異同有らん、這樣以て可とするを見る未だ曾て有らず。

鮑生又難曰:“夫天地之位,二氣範物,樂陽則雲飛,好陰則川處。承柔剛以率性,隨四八而化生,各附所安,本無尊卑也。君臣既立,而變化遂滋,夫獺多則魚擾,鷹眾則鳥亂,有司設則百姓困,奉上厚則下民貧,壅崇寶貨,飾玩臺榭,食則方丈,衣則龍章,內聚曠女,外多鰥男,辨難得之寶,貴奇怪之物,造無益之器,恣不已之慾,非鬼非神,財力安出哉

鮑生又詰難して曰く、天地の位は、二氣は化して萬物を成し、陽を樂しむは便ち雲飛し、陰を好むは便ち川處す。柔剛を承接して以て性を率い、四時八節に隨いて而も化生し、各自安ずる所に附着す、本來尊卑なし。君臣は既に確立せば、變化は于是滋生す。獺多ければ則ち魚は擾せられ、鷹衆ければ則ち鳥は亂れ、有司は設置せば則ち百姓は困み、上を供奉する厚ければ則ち下民は貧す。寶貨を壅積し・臺榭を裝飾玩賞し・食すれば則ち方丈・衣れば則ち龍章・內は曠女を聚め・外は鰥男多く・難得の寶を辨求し・奇怪の物を貴重し・益なきの器を造り・止まらざるの欲を放縱す、是れ鬼に非ず神に非ず、財力は何處より出來せんや、と。

夫谷帛積則民有飢寒之儉,百官備則坐靡供奉之費,宿衛有徒食之眾,百姓養遊手之人,民乏衣食,自給已劇,況加賦斂,重以苦役,下不堪命,且凍且飢,冒法斯濫,於是乎在。王者憂勞於上,臺鼎顰戚頁於下,臨深履薄,懼禍之及。恐智勇之不用,故厚爵重祿以誘之;恐奸釁之不虞,故嚴城深池以備之。而不知祿厚則民匱而臣騎,城嚴則役重而攻巧。故散鹿臺之金,發鉅橋之粟,莫不歡然;況乎本不聚金,而不斂民粟乎休牛桃林,放馬華山,載戢干戈,載櫜弓矢,猶以為泰;況乎本無軍旅,而不戰不戍乎茅茨土階,棄織拔葵,雜囊為幃,濯裘布被,妾不衣帛,馬不秣粟,儉以率物,以為美談,所謂盜跖分財,取少為讓,陸處之魚,相煦以沫也。

穀帛は積聚せば則ち民は饑寒の匱乏有り、百官は齊備せば則ち坐して供奉の費を耗費し、宿衛は白喰の衆有り、百姓は游手の人を養活し、民は衣食に缺乏して、自給は已に艱難にして、況んや賦斂を加え・苦役を再加重せば、下は命に堪えず・又凍え又饑え・法令を冒犯すれば便ち泛濫して、于是便に這裡に在れり。王者は上に憂勞し、臺鼎は下に顰蹙し(底本は「顰戚頁」と作る、頁旁は當に「蹙」)、深に臨み薄を履みて、禍の到來を怕る。智勇は用いられざるを怕れて、ゆえに爵を厚く祿を重くして以て引誘す。奸釁は不意より出づるを怕れて、ゆえに城を嚴に池を深くして以て防備す。然れども祿厚ければ則ち民は匱乏して而も臣驕れるを知らず(底本は「臣騎」と作る、「騎」は「驕」の訛)、城嚴ければ則ち徭役は重くして而も城を攻むるの巧は生ず。ゆえに鹿臺の金を散發し・鉅橋の粟を打開せば、歡然たらざるなし。況んや本來金を聚めず・民粟を斂めざるや。桃林に牛を放ち・華山に馬を放ち・干戈を收藏し・弓矢を袋子に裝むは、還に以て過分と爲す。況んや本來軍旅なく・戰わず戍らざるや。茅茨土階・織機を扔掉し・葵菜を拔き・雜囊を用いて帷を做り・裘布被を洗い・妾は帛を穿たず・馬は粟を喂らず、儉を用いて以て萬物を表率して、美談と當てり、所謂盜跖は財を分かち・取る少なければ便ち讓と算り・陸上の魚は・唾沫を用いて互相に潤濕すなり。

“夫身無在公之役,家無輸調之費,安土樂業,順天分地,內足衣食之用,外無勢利之爭,操杖攻劫,非人情也。象刑之教,民莫之犯,法令滋彰,盜賊多有,豈彼無利性而此專貪殘,蓋我清靜則民自正,下疲怨則智巧生也。任之自然,猶慮凌暴,勞之不休,奪之無已,田蕪倉虛,杼柚之空,食不充口,衣不周身,欲令勿亂,其可得乎所以救禍而禍彌深,峻禁而禁不止也。關梁所以禁非,而猾吏因之以為非焉。衡量所以檢偽,而邪人因之以為偽焉。

(鮑生は続けて言うには、)身上は公の爲の役なく・家裡は輸調の費なく・土に安んじ業を樂しみ・天分に順いて地を分かち・內は衣食の用に足り・外は勢利の爭なく・杖を操りて往きて劫を攻むるは、是れ人情に非ず。象刑の教化は、民は往きて犯すなし。法令は越えて彰明せば、盜賊は越多し。豈にあの人は利に趨るの性なきして而も這裡は專有貪殘有らんや。大概是れ上に在るは淸靜なれば則ち民は自ら正しく・下邊は疲怨すれば則ち智巧は生ず。自然に聽任するは、還に凌暴を憂慮す。勞作は休まず・奪取は停止なく・田は蕪れ倉は虛く・杼柚は空虛にして・食は口に够えず・衣は身に够えず、彼らをして亂れざらしめんと想うは、豈に可に得らんや。ゆえに禍を救えば而も禍は更深く・禁令は峻嚴にして而も禁止し得ず。關梁は以て非法を禁止するに用いるも、而も猾吏は之れを借りて以て非法を做す。衡量は以て僞を檢驗するに用いるも、而も邪人は之れを借りて以て僞を做す、と。

大臣所以扶危,而奸臣恐主之不危。兵革所以靜難,而寇者盜之以為難。此皆有君之所致也。民有所利,則有爭心,富貴之家,所利重矣。且夫細民之爭,不過小小,匹夫校力,亦何所至,無疆土之可貪,無城郭之可利,無金寶之可欲,無權柄之可競,勢不能以合徒眾,威不足以驅異人,孰與王赫斯怒,陳師鞠旅,推無讎之民,攻無罪之國,殭屍則動以萬計,流血則漂櫓丹野。無道之君,無世不有,肆其虐亂,天下無邦,忠良見害於內,黎民暴骨於外,豈徒小小爭奪之患邪至於移父事君,廢孝為忠,申令無君,亦同有之耳。古之為屋,足以蔽風雨,而今則被以朱紫,飾以金玉;古之為衣,足以掩身形,而今則玄黃黼黻,綿綺紈;古之為樂,足以定人情,而今則煩乎淫聲,驚魂傷和;古之飲食,足以充飢虛,而今則焚林漉淵,宰割群生。(下有脫文。)

大臣は以て危難を扶持するに用いるも、而も奸臣は唯恐れ主危ならざるを。兵革は以て禍亂を平定するに用いるも、而も寇盜は之れを借りて以て亂を作す。這些は皆是れ君有るの導致する所なり。民は利する所有れば、便ち爭心有り、富貴の家は、利する所は更重し。況んや細民の爭は、不過小小・匹夫は力を較べて、又能く到何處か・疆土は貪る可くなく・城郭は利する可くなく・金寶は欲する可くなく・權柄は競う可くなく・勢は能く徒衆を合せず・威は足りて以て別人を驅使せず、王の赫然として怒り・師を陳ね衆を誓い・仇なきの民を推し出して・罪なきの國を攻め・僵屍は動輒萬を以て計り・流血は能く櫓を漂わせ・野を丹に染むるに比ぶれば、又怎麼樣ならん。道なきの君は、哪の一世かなきあらん・放肆して虐亂し・天下は邦なく・忠良は內に在りて害せられ・黎民は外に在りて骨を暴く、何處か只是小小の爭奪の患のみならんや。父に對するの孝を移開して以て君に事え・孝を廢して忠と爲し・令を申するは君なくとも、亦た同じく這些有り。古時は屋を做るは、足りて以て風雨を遮蔽せり。而今は然れども朱紫を披き・金玉を用いて裝飾す。古時は衣を做るは、足りて以て身形を掩ふせり。而今は然れども玄黄黼黻・錦綺紈なり。古時は樂を做るは、足りて以て人情を安定せり。而今は然れども淫聲に煩わし・魂を驚かし和を傷つく。古時は飮食は、足りて以て饑虛を充す。而今は然れども林を焚き淵を漉し・群生を宰割す。(以下脱文有り。)

(以下為抱朴子駁難之辭)“豈可以事之有過而都絕之乎若虞在上,稷卨贊事,卑宮薄賦,使民以時,崇節儉之清風,肅玉食之明禁。質素簡約者,貴而顯之;亂化侵民者,黜而戮之;則頌聲作而黎庶安矣。何必慮火災而壞屋室,畏風波而填大川乎”

(以下は抱朴子の駁難の話)豈に可に事は過有るに因りて而も全部之れを斷絶せんや。若し虞舜は上に在り・稷・契は政事を贊襄し・宮室は卑く賦稅は薄く・民力を使用して時に合い・節儉の淸風を崇め・玉食の明禁を肅くせば。質素簡約のは・貴びて而も彼を顯揚し。化を亂し民を侵するのは・黜して而も彼を殺戮せば。那麼頌聲は作して而も黎庶は安んぜん。何必火災を顧慮して而も屋室を毁壞し・風波を畏懼して而も大川を塡塞せんや、と。

抱朴子曰:“鮑生貴上古無君之論,餘既駁之矣。後所答餘,文多不能盡載,餘稍條其論而牒詰之雲。”

抱朴子曰く、鮑生は上古君なきの論を看重す、我已に駁し過ぎたり。後來彼の我に答うるは、文字は多く能く盡く載せず、我稍稍其の論を條列して而も逐條詰問して如下す。

鮑生曰:“人君辨難得之寶,聚奇怪之物,飾無益之用,厭無已之求。”

鮑生曰く、人君は難得の寶を辨求し・奇怪の物を聚集し・益なきの用を裝飾し・止境なきの求を滿足す、と。

抱朴子詰曰:“請問古今帝王,盡辨難得之寶,聚奇怪之物乎有不爾者也。餘聞唐堯之為君也,捐金於山;虞舜之禪也,捐璧於谷。疏食菲服,方之監門,其不汔淵剖珠,傾巖刊玉,鑿石鑠黃白之礦,越海裂翡翠之羽,網玳瑁於絕域,掘丹青於岷漢,亦可知矣。夫服章無殊,則威重不著,名位不同,則禮物異數,是以周公辨貴賤上下之異,式宮室居處,則有堵雉之限,冠蓋旌旗,則有文物之飾,車服器用,則有多少之制,庖廚供羞,則有法膳之品,年兇災眚,又減撤之。無已之慾,不在有道,子之所云,可以聲桀紂之罪,不足以定雅論之證也。

抱朴子詰問して曰く、請問古今の帝王は、皆難得の寶を辨求し・奇怪の物を聚集せんや。も亦た是れ這樣ならざる有り。我聞く、唐堯は君を做りて、金を山上に丟き。虞舜は禪讓して、璧を谷裡に丟き。疏食菲服して、門を看るに相比すれば、彼らは深淵に往きて珠を剖かず・山岩を傾倒して玉を刊せず・石を鑿りて黄白の鑛を熔煉せず・海を越えて翡翠の羽を撕裂せず・絶域に玳瑁を網せず・岷漢に丹青を掘らず、も亦た可に知るなり。服章は差異なければ、則ち威重は顯著せず。名位は同じからざれば、則ち禮物の數は同じからず。ゆえに周公は貴賤上下の異を辨別して、宮室居處を法式すれば、便ち堵雉の限有り。冠蓋旌旗には、便ち文物の飾有り。車服器用には、便ち多少の制有り。庖厨供羞には、便ち法膳の品有り。年凶災眚には、又之れを減撤す。止境なきの欲は、道有る人に在らず、您の説く所は、可に桀・紂の罪を聲討す可くして、足りて以て雅論の證據と定めず、と。

鮑生曰:“人君後宮三千,豈皆天意,谷帛積則民飢寒矣。”

鮑生曰く、人君は後宮三千は、豈に皆是れ天意ならんや。穀帛は積聚せば則ち民は饑寒せり、と。

抱朴子詰曰:“王者妃妾之數,聖人之所制也。聖人,與天地合其德者也。其德與天地合,豈徒異哉!夫豈徒欲以順情盈欲而已乎!乃所以佐六宮,理陰陽,教爾崇奉祖廟,祗承大祭,供玄紞之服,廣本支之路,且案周典九土之記,及漢氏地理之書,天下女數,多於男焉。王者所宗,豈足以逼當娶者哉姬公思之,似已審矣。帝王帥百僚以藉田,后妃將命婦以蠶織,下及黎庶,農課有限,力佃有賞,怠惰有罰,十一而稅,以奉公用。家有備兇之儲,國有九年之積,各得順天分地,不奪其時,調薄役希,民無飢寒,衣食既足,禮讓以興。昔文景之世,百姓務農,家給戶豐,官倉之米,至腐赤不可勝計。然而士庶猶侯服鼎食,牛馬蓋澤,由於賦斂有節,不足損下也。至於季世,官失佃課之制,私務浮末之業,生谷之道不廣,而遊食之徒滋多,故上下同之,而犯非者眾,鮑生乃歸咎有君。若夫譏辨擇之過限,刺農課之不實,責牛飲之三千,貶履畝與太半,但使後宮依周禮,租調不橫加,斯則可矣。必無君乎!夫一日晏起,則事有失所,即鹿無虞,維入於林中,安可終已。靡所宗統,則君子失所仰,兇人得其志,網疏猶漏,可都無網乎”

抱朴子詰問して曰く、王者の妃妾の數は、是れ聖人の制定する所なり。聖人は、是れ天地と其の德を合するの人なり。其の德は天地と合すれば、豈に只是奇異のみならんや。何處か只是想く以て情に順い・欲を盈滿す而已ならんや。乃是れ以て六宮を輔佐し・陰陽を治理し・彼女らに教えて祖廟を崇奉し・大祭を敬承し・玄𫄸の服を供し・本支の路を廣めんとす。況んや周典九州の記載に按り・以及び漢氏地理の書に、天下は女數は男に多し。王者の宗收する所は、何處か足りて以て當に妻を娶るべき人を逼迫せんや。姬公は思量過ぎて、似已に審確なり。帝王は百僚を率領して以て田を藉り、后妃は命婦を帶領して以て蠶織し、下黎庶に及びて、農課は限有り・力耕は賞有り・怠惰は罰有り・十一して而も稅し、以て公事の用を奉ず。家は凶年を防備するの儲有り・國は九年の積有りて、各自得て以て天分に順い地を分かち・農時を奪わず・調薄く役稀く・民は饑寒なく・衣食は既に足れば、禮讓は因此興起す。從前文・景の世は、百姓は農を務め・家は給し戸は豐かに・官倉の米は、腐紅に至りて計りて勝ふ可からざりき。然れども士庶は還に侯服鼎食し・牛馬は澤地を覆蓋せり、以て賦斂は節有りて、足りて以て下を損せざるに因る。季世に到りては、官府は佃課の制を失い・私人は浮末の業を務求し・穀を生ずるの道は廣からずして、而も食を游ぶの徒は更多し、ゆえに上下は一同に如此にして、而も法を犯す人は多し、鮑生は然れども罪を君有るに歸す。選擇は度を超過すと譏刺し・農課は核實せずと刺り・牛飮の三千人を責め・履畝稅と太半の賦を貶むるに至りては、只是後宮をして周禮に依照せしめ・租調は橫加せざれば、這便ち可なり。一定要君なからんや。一天晚起すれば、事は便ち失する所有り、便ち鹿に即くるに虞人なく・只有林中に進入するが如く、怎麼可に終結せんや。宗統する所なければ、則ち君子は仰ぐ所を失い・凶人は志を得て・網は疏にして還に漏るれば、可に全都網なからんや、と。

鮑生曰:“人之生也,衣食已劇,況又加之以斂賦,重之以力役,飢寒並至,下不堪命,冒法犯非,於是乎生。”

鮑生曰く、人は生きるは、衣食は已に艱難にして、況んや又賦斂を加え・力役を再加重せば、饑寒は並び至り・下は命に堪えず・法令を冒犯し・非爲に觸犯して、于是便に產生せり、と。

抱朴子詰曰:“蜘蛛張網,蚤蝨不餒,使人智巧,役用萬物,食口衣身,何足劇乎但患富者無知止之心,貴者有無限之用耳。豈可以一蹶之故,而終身不行,以桀紂之虐,思乎無主也。夫言主事彌張,賦斂之重於住古,民力之疲於末務,飢寒所緣,以譏之可也。而言有役有賦,使國亂者,請問唐虞昇平之世,三代有道之時,為無賦役以相供奉,元首股肱,躬耕以自給邪鮑生乃唯知飢寒並至,莫能固窮,獨不知衣食並足,而民知榮辱乎!”

抱朴子詰問して曰く、蜘蛛は網を張りて、蚤虱は餓えず、人をして智巧を用いて萬物を役使し・口を塡め身を衣せしめば、何處か算く艱難ならん。只怕富のは止るを知るの心なく・貴のは限なきの用有る而已。豈に可に一次跌倒するに因りて、便ち終身走らざり・桀・紂の虐に因りて、便ち主なからんと想わんや。若し説く主事は更加張大し・賦斂は往古に比べて更重く・民力は末務に疲れ・饑寒の緣由と成るは、這個を拿りて以て譏刺するは是可なり。而も役有り賦有るは國を亂れしむと説くは、請問唐虞の升平の世・三代の道有るの時は、是れ賦役なきして以て互相に供奉し・元首股肱は親自耕種して以て自給せんや。鮑生は只饑寒の並び至り・窮困を固守する能わざるを知るも、獨獨衣食の並び足りて而も民は榮辱を知るを知らざらんや、と。

鮑生曰:“王者臨深履尾,不足喻危,假寐待旦,日昃旰食,將何為懼禍及也”

鮑生曰く、王者は深淵に臨み・虎の尾を踩むも、還に足りて以て危を比喻せず、假寐して亮を待ち・日は西に偏るも還に晚食するは、將に是れ禍の到來を怕るに因らんか、と。

抱朴子難曰:“審能如此,乃聖主也。王者所病,在乎驕奢,賢者不用,用者不賢,夏癸指天日以自喻,秦始憂萬世之同諡,故致傾亡,取笑將來。若能懼危夕惕,廣納規諫,詢草芻堯以待聽,養黃髮以乞言,何憂機事之有違,何患百揆之不康。夫戰兢則彝倫敘,怠荒則奸宄作,況無君,能無亂乎”

抱朴子詰問して曰く、眞に能く這樣ならば、乃是れ聖主なり。王者の病む所は、驕奢に在り、賢のは用いられず・用いるは賢ならず、夏癸は天日を指して以て自ら比し・秦始皇は萬世は同一の諡號せんを憂慮し、ゆえに傾亡を導致し・將來に取笑せられり。若し能く危を懼れ夕惕し・規諫を廣納し・草を割り柴を打つ人に向かって詢訪して以て聽受を待ち・黃髮を奉養して以て言を求めば、何必機事の違有るを憂慮し・何必百揆の安ならざるを患えんや。戰兢すれば則ち彝倫は順叙し、怠荒すれば則ち奸宄は發作す、況んや君なきは、能く亂なからんや、と。

鮑生曰:“王者欽想奇瑞,引誘幽荒,欲以崇德邁威,厭耀未服,白雉玉環,何益齊民乎

鮑生曰く、王者は奇瑞を欽慕想望し・幽荒を引誘し・以て德を崇め威を邁ぎ・未服するを厭足して炫耀せんと想い、白雉玉環は、齊民に對して什麼の益處有らんや、と。

”抱朴子詰曰:“夫王者德及天則有天瑞,德及地則有地應。若乃景星摛光,以佐望舒之耀;冠日含辨,以表羲和之晷。靈禽嗈喈於阿閣,金象焜晃乎清沼,此豈卑辭所致,厚幣所誘哉!王莽奸猾,包藏禍心,文致太平,誑眩朝野,貺遺外域,使送瑞物,豈可以此謂古皆然乎夫見盈丈之尾,則知非咫尺之軀;睹尋仞之牙,則知非膚寸之口。故王母之遣使,明其玄化通靈,無遠不懷也;越裳之重譯,足知惠沾殊方,澤被無外也。夫絕域不可以力服,蠻貊不可以威攝,自非至治,焉能然哉!何者鮑生謂為不用夫周室非乏玉而須王母之環以為富也,非儉膳而渴越裳之雉以充庖也,所以貴之者,誠以斯物為太平。則上無苛虐之政,下無失所之人,蜎飛蠕動,鹹得其歡,有國之美,孰多於斯!而云不用,無益於齊民。源遠體大,固未易見,鮑生之言,不亦宜乎”

抱朴子詰問して曰く、王者は德は天に到れば則ち天瑞有り、德は地に到れば則ち地應有り。景星は光を鋪開して、以て望舒の耀を輔佐し・日旁は冠珥して(底本は「冠日含辨」と作る、辨は當に「珥」と讀むべし)、以て羲和の晷を表彰するに至りては。靈禽は阿閣に嗈喈し、金象は淸沼に焜晃す、這豈に是れ卑辭の致す所・厚幣の誘う所ならんや。王莽は奸猾にして、禍心を包藏し、文辭を用いて太平を做成し、朝野を誑騙眩惑し、外域を賜贈して、彼らをして瑞物を送らしむ、豈に可に這個を拿りて以て古代は皆這樣なりと説かんや。丈に盈つるの尾を看見すれば、便ち是れ咫尺の軀に非ずと知る。尋仞の牙を看見すれば、便ち是れ膚寸の口に非ずと知る。ゆえに王母は使者を派遣して、玄化は靈に通じて表明し・遠き無くして歸せざるなし。越裳は重譯を經過して、足りて以て惠は殊方に沾り・澤は外なきに被るを知る。絶域は可に力を以て服す可からず、蠻貊は可に威を以て攝す可からず、若し至治に非ざれば、哪能く這樣ならん。爲什麼鮑生は以て用なしと爲す。周室は是れ玉を缺きて而も王母の環を須要して以て富と當てず、是れ膳食儉にして而も越裳の雉を渴求して以て庖を充てず、ゆえに這些を貴重するは、實在是れ這些物は太平を標志するに因る。那麼上は苛虐の政なく・下は所を失う人なく・蜎飛蠕動は・皆歡を得・國有るの美は・誰か這個に比べて多からん。然れども用なし・齊民に益なしと説く。源頭は遠く・體量は大なれば、固然容易に看見し難し、鮑生の話は、不も亦た該當ならんや、と。

鮑生曰:“人君恐奸釁之不虞,故嚴城以備之也。”

鮑生曰く、人君は奸釁の不意より出づるを怕れて、ゆえに城を嚴にして以て防備す、と。

抱朴子詰曰:“侯王設險,大易所貴,不審嚴城,何譏焉爾。夫兩儀肇闢,萬物化生,則邪正存焉爾。夫聖人知兇醜之自然,下愚之難移,猶春陽之不能榮枯朽,炎景之不能鑠金石,冶容慢藏,誨淫召盜,故取法乎習坎,備豫於未萌。重門有擊柝之敬,治戎遏暴客之變,而欲除之,其理何居兕之角也,鳳之距也。天實假之,何必日用哉!蜂蠆挾毒以衛身,智禽銜蘆以捍網,獾曲其穴,以備徑至之鋒,水牛結陣,以卻虎豹之暴,而鮑生欲棄甲冑以遏利刃,墮城池以止沖鋒,若令甲冑既捐而利刃不住,城池既壞而沖鋒猶集,公輸、墨翟,猶不自全,不審吾生,計將安出乎”

抱朴子詰問して曰く、侯王は險を設くるは、大易の貴ぶ所にして、嚴城を明白せず、什麼の譏刺す可き有らん。兩儀は始めて開闢し・萬物は化生して、邪正は便ち存在せり。聖人は凶丑は是れ自然なり・下愚は難く改變す可からざるを知るは、便ち春陽は能く枯朽をして榮發せしめず・炎景は能く金石を熔化せず・冶容は藏を慢じ・人に淫を教え・盜を召來するが如く、ゆえに習坎に取法して、未萌の時に預備す。重門は柝を擊つの警戒有り・戎を治めて以て暴客の變を遏止するに、然れども這些を除掉せんと想えば、那の理は在何處に在らん。兕の角・鳳の距は、天は實際彼らに借給す、何必每日用之んや。蜂蠆は毒を挾みて以て身を衛り・智禽は蘆を銜えて以て網を捍ぐ・獾は穴を曲げて、以て直徑に到來するの鋒を防備し・水牛は陣を結びて、以て虎豹の暴を退却す、而も鮑生は甲冑を拋棄して以て利刃を遏止し・城池を毁壞して以て衝鋒を停止せんと想う、假如甲冑は已に捐棄して而も利刃は停まらず・城池は已に壞れて而も衝鋒は還に來集せば、公輸・墨翟は尚不能自全す、您を明白せず、計は將に何處より出でんや、と。

或曰:“苟夫可欲之物,雖無城池之固,敵亦不來者也。”

或る人曰く、假如可欲の物なければ、卽使城池の堅固なくとも、敵も亦た來らず、と。

抱朴子答曰:“夫可欲之物,何必金玉,錐刀之末,愚民競焉。越人之大戰,由乎蚺蛇之不鈞;吳楚之交兵,起乎一株之桑葉。饑荒之世,人人相食,素手裸跣(下有脫文)。遠則甫侯子羔,近則於公釋之,控情審罰,剖毫析芒。受戮者吞聲而歌德,則劓者沒齒無怨言,此皆非無君之時也。昔有鰥在下而四嶽不蔽,明揚仄陋而元凱畢舉,或投屠刀而排金門,或釋版築而躡玉堂,或委芻豢而登卿相,或自亡命而為上將,伯柳達讎人,解狐薦怨家,方回叩頭以致士,禽息碎首以推賢,敢問於時,有君否邪

抱朴子回答して曰く、可欲の物は、何必是れ金玉ならん、錐刀の末も、愚民も亦た競相爭奪す。越人の大戰は、蚺蛇の分は不均なりしに由り(底本は「不鈞」と作る、鈞は即ち均)。吳楚は兵を交ふるは、一株の桑葉より起れり。饑荒の世は、人人は相食い・空手赤脚す(以下脱文有り)。遠は則ち甫侯・子羔、近は則ち于公・張釋之、情を控え罰を審らかにし、毫芒を剖析す。戮を受くるは聲を吞みて而も德を歌い、劓を受くるは死に到るまで怨なし、這些は皆是れ君なきの時に非ず。從前鰥は下に有りて而も四岳は遮蔽せず・明揚側陋して而も八元八凱は全部擧出せられ・或いは屠刀を扔下して而も金門を排開し・或いは版築を放下して而も玉堂に踏上し・或いは芻豢を委棄して而も卿相に登り・或いは亡命より而も上將と爲り・伯柳は仇人に因りて顯達し・解狐は怨家を薦擧し・方回は頭を叩きて以て士を致し・禽息は首を碎りて以て賢を推す、敢えて問う當時は、君有りや無しや、と。

又云:“田蕪廩虛,皆由有君。”“夫君非塞田之蔓草,臣非耗倉之雀鼠也。其蕪其虛,卒由戶乙運,水旱疫癘,以臻凶荒,豈在賦稅,令其然乎至於八政之首食,謂之民天,后稷躬稼,有虞親耕,豐年多黍多稌,我庾惟億,民食其陳,白渠開而斥鹵膏壤,邵父起陽陵之陂而積穀為山,叔敖創期思而家有腐粟,趙過造三犁之巧而關右以豐,任延教九真之佃而黔庶殷飽,此豈無君之時乎!”

又曰く、田は蕪れ倉廩は空虛なるは、皆君有るに由ると。君は是れ田の蔓草を堵塞するに非ず、臣は是れ倉を耗するの雀鼠に非ず。那の蕪那の虛は、終究厄運に由りて(底本は「戶乙運」と作る、戶+乙は「厄」)、水旱疫癘して、以て凶荒に至るは、何處か賦稅に在りて、之れをして這樣せしむらん。八政の首は是れ食にして、民天と叫ばるるに至りては、后稷は親自稼ぎ・有虞は親自耕し・豐年は黍多く稌多く・我が倉庾は億を以て計り・民は陳糧を食い・白渠は開きて而も斥鹵は膏壤と變成し・召父は陽陵の陂を築きて而も積穀は山の如く・孫叔敖は期思を創りて而も家は腐粟有り・趙過は三犁の巧を造りて而も關右は因此豐に・任延は九真に耕佃を教えて而も黔庶は殷飽す、這豈に是れ君なきの時ならんや、と。

知止卷第四十九

知止巻第四十九

抱朴子曰:祝莫大於無足,福莫厚乎知止。抱盈居沖者,必全之算也;宴安盛滿者,難保之危也。若夫善卷巢許管胡之徒,鹹蹈雲物以高騖,依龍鳳以竦跡,覘韜鋒於香餌之中,寤覆車乎來軔之路,違險途以遐濟,故能免詹何之釣緡,可謂善料微景於形外,覿堅冰於未霜,徙薪曲突於方熾之火,纚舟弭楫於沖風之前,瞻九牛害而深沈,望密蔚而曾逝,不託巢於葦苕之末,不偃寢乎崩山之崖者也。斯皆器大量弘,審機識致,凌儕獨往,不牽常欲,神叄造化,心遺萬物,可欲不能蠆介其純粹,近理不能耗滑其清澄。苟無若人之自然,誠難企及乎絕軌也。徒令知功成者身退,處勞大者不賞,狡兔死則知獵犬之不用,高鳥盡則覺良弓之將棄。鑑彭韓之明鏡,而念抽簪之術;睹越種之暗機,則識金象之貴。若范公泛艘以絕景,薛生遜亂以全潔,二疏投印於方盈,田豫釋紱於漏盡,進脫亢悔之咎,退無濡尾之吝,清風足以揚千載之塵,德音足以祛將來之惑。方之陳寶,不亦邈乎!

抱朴子曰く、禍は足るを知らざるより大なるはなし(底本は「祝」と作る、下句「福」と對擧、當に「禍」と讀作すべし)、福は止るを知るより厚きはなし。盈滿を抱持して而も虛衝に處るは、是れ必ず能く保全するの籌算なり。盛滿に安んずるは、是れ保ち難きの危なり。善卷・巢父・許由・管寧・胡昭の徒に至りては、皆雲物を踏りて以て高く鶩き・龍鳳を依りて以て足迹を竦起し・香餌の中に韜藏の鋒を看見し・將來の車轍の路に翻車を醒悟し・險途を離れて以て遠渡せば、ゆえに能く詹何の釣緡を免る、可に説く是れ形の外に微影を料り・未霜の時に堅冰を看見し・火は正に熾るの時に薪を徙し突を曲げ・衝風の前に舟を繫ぎ楫を停め・深淵を看見すれば便ち深深に沉下し(底本は「九牛害」と作る、下句「密蔚」と對擧、沉潜義は當に深淵を指すべし、正字は未能唯一判定す)・密林を望見すれば便ち高高に飛逝し・巢を葦苕の末梢に托せず・崩山の崖の上に偃寢せず。這些は皆是れ器大きく量弘く・幾微を審察し・情致を認識し・同輩を超越して獨往し・尋常の欲望に牽かれず・神は造化と參合し・心は萬物を遺忘し・可欲は能く蠆の如く其の純粹に刺入せず・近理は能く其の淸澄を耗滑せず。假如這種の人の自然なければ、實在難く那の絶軌に企及す。只是人をして功は成れば當に身退すべきを知らしめ・勞大に處るは賞を得ざる・狡兎は死せば便ち獵犬は用いられざるを知り・高鳥は盡けば便ち良弓は將に棄てられんと覺えしむ。彭越・韓信の明鏡を鑒照して、而も簪を抽くの法術を想い。越國の文種の暗機を看見すれば、便ち金象の貴を識る。范公の舟を泛べて遠く絶景し・薛生は亂を避けて以て潔を保全し・二疏は方盈の時に印を投げ・田豫は漏盡の時に紱を解くが如く、進めば亢龍悔有りの咎を脱去し・退けば尾を濡らすの吝なく・淸風は足りて以て千載の塵を揚げ・德音は足りて以て將來の惑を祛除す。陳寶と相比すれば、不も亦た邈遠ならんや。

或智小敗於謀大,或轅弱折於載重,或獨是陷於眾非,或盡忠訐於兼會,或倡高算而受晁錯之禍,或竭心力而遭吳起之害。故有口止局高口止脊厚,猶不免焉。公旦之放,仲尼之行,賈生遜擯於下士,子長燻腎乎無辜,樂毅平齊,伍員破楚,白起以百勝拓疆,文子以九術霸越,韓信功蓋於天下,黥布滅家以佐命,榮不移晷,辱已及之。不避其禍,豈智者哉!為臣不易,豈將一途,要而言之,決在擇主。我不足賴,其驗如此。告退避賢,潔而且安,美名厚實,福莫大焉。能修此術,萬未有一。吉凶由人,可勿思乎!逆耳之言,樂之者希,獻納期榮,將速身禍,救誹謗其不暇,何信受之可必哉!

或いは智小さくして而も謀大に敗れ、或いは車轅弱くして而も載重に折れ、或いは獨自正確にして而も衆人の非議の裡に陷り、或いは忠を盡くして然れども夾雜の會合に攻訐せられ、或いは高明の籌算を倡議して而も晁錯の禍を遭受し、或いは心力を竭盡して而も吳起の害に遭到せり。ゆえに卽使官局は已に高く俸脊は已に厚くとも(底本「口止局高口止脊厚」、口止は缺旁の標記、「局高」「脊厚」に連なり、指すは位高く祿厚し)、還に不免れり。周公は放せられ、仲尼は奔走し、賈生は下土に貶摈せられ、子長は無辜に宮刑を受け(底本は「熏腎」と作る、指すは司馬遷の腐刑)、樂毅は齊を平げ、伍員は楚を破り、白起は百勝を以て疆土を開拓し、文子は九術を以て越を霸し、韓信は功は天下に蓋し、黥布は家を滅して以て命を佐け、榮光は還に未だ日影を移過せずして、恥辱は已に到來せり。那の禍を避けざれば、豈に是れ智者ならんや。臣を做るは容易ならず、何處か只是一條の路のみ、約を要して言えば、決定は主を擇ぶに在り。自己は足りて依賴せず、應驗は如此なり。退を告げ賢を避くるは、潔くして而も安んじ、美名厚實、福は這個より大なるはなし。能く這の術を修するは、萬人の裡に一個なし。吉凶は人に由る、能く想わざらんや。耳に逆らうの話は、聽き樂しむ少なし、獻納して榮耀を期望するは、將に自身の禍を加速せん、誹謗を挽救するも還に及ばず、何處か一定能く信受せられんや。

夫矢曾繳紛紜則鴛雛徊翮,坑阱充蹊則麟虞斂跡。情不可極,欲不可滿,達人以道制情,以計遣欲,為謀者猶宜使忠,況自為策而不詳哉!蓋知足者常足也,不知足者無足也。常足者,福之所赴也;無足者,禍之所鍾也。生生之厚,殺哉生矣,宋氏引苗,郢人張革,誠欲其快,而實速萎裂,知進忘退,斯之謂乎

矰繳は紛紜せば則ち鴛雛は翮を回し(底本は「矢曾繳」と作る、矢+曾は「矰」)、坑阱は蹊徑に布滿せば則ち麟虞は足迹を收起す。情は可に極點に到る可からず、欲は可に滿たす可からず、達人は道を用いて以て情を制約し・計を用いて以て欲を遣開す、別人の爲に謀劃するは尚且當に忠誠すべくして、況んや自己の爲に籌策して而も不詳盡ならんや。足るを知るのは常常に足り、足るを知らざるのは足る無し。常に足るは、是れ福の奔赴する所なり。足る無きは、是れ禍の匯聚する所なり。生を厚くするの厚は、反りて以て那の生を殺害す。宋人は苗を拔き、郢人は皮革を張る、實在は其の快を欲すれど、然れども實際は萎裂を加速す、進を知りて退を忘るるは、説くは便ち這個ならんか。

夫策奔而不止者,鮮不傾墜;凌波而無休者,希不沈溺;弄刃不息者,傷刺之由也;斫擊不輟者,缺毀之原也。盈則有損,自然之理,周廟之器,豈欺我哉故養由之射,行人識以馳弦,東野之御,顏子知其方敗,成功之下,未易久處也。夫飲酒者不必盡亂,而亂者多焉;富貴者豈其皆危,而危者有焉。智者料事於倚伏之表,伐木於毫末之初,吐高言不於累棋之際,議治裘不於群狐之中,古人佯狂為愚,豈所樂哉!時之宜然,不獲已也。亦有深逃而陸遭波濤,幽遁而水被焚燒,若龔勝之絕粒以殞命,李業煎蹙以吞鴆,由乎跡之有朕,景之不滅也。若使行如蹈冰,身如居陰,動無遺蹤可尋,靜與無為為一,豈有斯患乎!又況乎揭日月以隱形骸,擊建鼓以徇利器者哉!夫值明時則優於濟四海,遇險世則劣於保一身,為此永慨,非一士也。

鞭策して奔跑して而も停止せざるは、傾墜せざる少なし。波浪を凌越して而も休無きは、沉溺せざる少なし。刀刃を把玩して歇息せざるは、是れ傷刺の由來なり。斫擊して停止せざるは、是れ缺毁の源なり。盈滿すれば便ち損有るは、是れ自然の理なり、周廟の欹器は、豈に我を欺騙せんや。ゆえに養由基の射は、行人は一見弦を拉けば便ち知る。東野畢の駕馭は、顏子は其の將に敗れんを知る、成功の下は、容易に久處せず。酒を飮むは不必皆亂れず、而も亂るるの多し。富貴は何處か皆危ならん、而も危のも亦た有り。智者は倚伏の表面に就きて便ち事を料り、毫末の初に就きて便ち木を伐り、累棋の時に高言を吐かず、群狐の中に裘を治するを議論せず。古人は佯狂して愚と爲すは、何處か是れ樂しむ所ならんや。時勢は宜しく這樣、不得已なり。も亦た深く陸上に逃遁して然れども波涛に遭遇し、幽く水裡に遁れて然れども焚燒せられ、龔勝は粒を絶ちて而も命を殞し・李業は煎迫せられて而も鴆を吞むが如く、以て行迹は朕兆有り・影子は能く滅せざるに由る。假如行は冰を蹈るが如く・身は陰に居るが如く・動は遺踪を尋く可くなく・靜は無爲と合一せば、何處か這種の患有らん。又況んや日月を揭起して以て形骸を隱藏し・建鼓を敲擊して以て利器を巡示する人ならんや。明時に遇えば則ち四海を救濟するに優れ、險世に遇えば則ち一身を保住するに劣る、此の爲に永遠に感慨するは、只一個の士のみならず。

吾聞無熾不滅,靡溢不損,煥赫有委灰之兆,春草為秋瘁之端,日中則昃,月盈則蝕,四時之序,成功者退。遠取諸物,則構高崇峻之無限,則頹壞惟憂矣;近取諸身,則嘉膳旨酒之不節,則結疾傷性矣。況乎其高概雲霄而積之猶不止,其威震人主而加崇,又不息者乎!蚊虻墮山,適足翱翔;兕虎之墜,碎而為齏。此言大物,不可失所也。且夫正色彈違,直道而行,打撲幹紀,不慮讎隙,則怨深恨積。若舍法容非,屬託如響,吐剛茹柔,委曲繩墨,則忠□喪敗,居此地者,不變勞乎是以身名並全者甚希,而折足覆食束者不乏也。然而入則蘭房窈窕,朱帷組帳,文茵兼舒於華第,豔容粲爛於左右,輕體柔聲,清歌妙舞,宋蔡之巧,陽阿之妍,口吐辨菱延露之曲,足躡淥水七盤之節,知音悅耳,冶姿娛心,密宴繼集,醽醁不撤,仰登綺閣,俯映清淵,遊果林之丹翠,戲蕙囿之芬馥,文鱗瀺灂,朱習頡頏,飛繳墮雲鴻,沈綸引魴鯉,遠珍不索而交集,玩弄紛華而自至。出則朱輪耀路,高蓋接軫,丹旗雲蔚,麾節翕赫,金口嘈口獻,戈甲璀錯,得意托於後乘,嘉旨盈乎屬車,窮遊觀之娛,極畋漁之歡。聖明之譽,滿耳而入;諂悅之言,異口同辭。於時眇然,意蔑古人,謂伊呂管晏,不足算也。

我聞く、熾烈して滅せざるなし、盈溢して損せざるなし、煥赫は灰と變成するの兆有り、春草は秋瘁の端なり、日は中せば則ち昃し、月は盈てば則ち蝕し、四時の次序は、功を成せば便ち退く。遠は物に取法すれば、則ち構築は高峻して限度なく、頹壞せば便ち只憂に餘るのみ。近は身に取法すれば、則ち嘉膳旨酒は節制せざれば、便ち疾を結び性を傷つけん。況んや那の高は已に雲霄に概入して而も堆積は還に止まらず・威は已に人主を震懾して而も加崇は還に歇まざるをや。蚊虻は山上より堕落するは、恰好足りて以て翱翔す。兕虎は墜落せば、齏粉と碎成す。這是れ大物は可に所を失う可からずと説く。況んや正色して違失を彈劾し・道を直くして行い・紀綱を干犯するを打擊して・仇隙を考慮せざれば、則ち怨深く恨積れり。若し法度を舍棄し・非法を容納し・囑託は迴響のあの樣に應じ・剛のを吐出し・柔のを吞下入り・繩墨を委曲にせば、則ち忠は便ち喪敗せん(底本「忠」の下に一字を缺く)、這の地位に處るは、能く勞苦せざらんや。ゆえに身名は並び全うする少なくして、而も足を折り𫗧を覆すは缺乏せず。然れども入れば蘭房窈窕・朱帷組帳・文茵は華第に兼鋪し・艶容は左右に粲爛し・輕體柔聲・淸歌妙舞・宋・蔡の巧・陽阿の妍・口は淸辨の菱歌・延露の曲を吐き・足は淥水・七盤の節を踏み・音を知り耳を悅くし・冶姿は心を娛しくし・密宴は接して擧行し・醽醁は撤せず・仰ぎて綺閣に登り・俯りて淸淵に映じ・果林の丹翠に游び・蕙囿の芬馥に戲れ・文鱗は瀺灂し・朱翬は頡頏す(底本は「朱習」と作る、「文鱗」と對擧、當に是れ飛鳥)・繳を飛して雲鴻を射下し・綸を沉めて魴鯉を引出し・遠方の珍物は索めずして便ち交集し・玩弄は紛華して自己到來す。出でれば朱輪は路を照耀し・高蓋車軫は相接し・丹旗は雲の如く盛んに・麾節は翕赫・金口は嘈雜し(底本「嘈口獻」、當に嘈囋と讀むべし、指すは喧鬧)・戈甲は璀錯し・得意の人は後乘に托し・嘉旨は屬車に盛滿し・游觀の娛を窮盡し・畋漁の歡を極盡す。聖明の譽は、耳に滿ちて進入す。諂悅の言は、異口同辭なり。這の時候は眇然として、心裡は古人を蔑視して、以て伊・呂・管・晏は算に足らずと爲す。

豈覺崇替之相為首尾,哀樂之相為朝暮,肯謝貴盛,乞骸骨,背朱門而反丘園哉!若乃聖明在上,大賢贊事,百揆非我則不敘,兆民非我則不濟,高而不以危為憂,滿而不以溢為慮者,所不論也。

何處か覺えん興廢は互相に首尾を爲し・哀樂は互相に朝暮を爲すを、肯んじて貴盛を辭謝し・骸骨を乞求し・朱門を背離して而も丘園に返回せんや。聖明は上に在り・大賢は政事を贊襄し・百揆は我に非ざれば則ち能く叙せず・兆民は我に非ざれば則ち能く濟せず・高くして而も危を以て憂と爲さず・滿ちて而も溢を以て慮と爲さざるに至りては、討論の列に在らず。

窮達

窮達

或問:“一流之才,而或窮或達,其故何也俊逸縶滯,其有憾乎”

或る人問う、一流の才にして、然れども或いは窮或いは達す、緣故は是れ什麼ならん。俊逸は絆住せられ滞留して、彼らは遺憾有らんか、と。

抱朴子答曰:“夫器業不異,而有抑有揚者,無知己也。故否泰時也,通塞命也。審時者何怨於沈潛,知命者何恨於卑瘁乎!故沈閭渟鈞,精勁之良也,而不以擊,則朝菌不能斷焉;珧華黎綠,連城之寶也,委之泥濘,則瓦礫積其上焉。故可珍而不必見珍也,可用而不必見用也。庸俗之夫,暗於別物,不分朱紫,不辯菽麥,唯以達者為賢,而不知僥求者之所達也;唯以窮者為劣,而不詳守道者之所窮也。且夫懸象不麗天,則不能揚大明灼無外,嵩岱不託地,則不能竦峻極概雲霄。兔足因夷途以聘迅,龍艘泛激流以效速,離光非燧人不熾,楚金非歐冶不剡,豐華俟發春而表豔,棲鴻待沖飆而輕戾,四嶽不明揚,則有鰥不登庸,叔牙不推賢,則夷吾不式厚,穰苴賴平仲以超踔,淮陰因蕭公以鷹揚,雋生由勝之之談,曲逆緣無知之薦,元直起龍縈之孔明,公瑾貢虎臥之興霸,故能美名垂於帝籍,弘勳著於當世也。

抱朴子回答して曰く、器業は異同なくして、然れども或いは壓抑せられ或いは揚起せらるるは、是れ知己なきに因る。ゆえに否泰は是れ時にして、通塞は是れ命なり。時を審る人は何必沉潜を怨恨せんや、命を知る人は何必卑瘁を恨みんや。ゆえに沈閭・渟鈞は、是れ精勁の良劍にして、然れども擊つに用いられざれば、朝菌も亦た能く斬斷せず。珧華・黎綠は、是れ連城の寶にして、泥濘に委棄せば、則ち瓦礫は其の上に堆積す。ゆえに可珍は不必珍視せられず、可用は不必用いられず。庸俗の人は、物を辨別するに暗く・朱紫を分かたず・菽麥を辨えず、只是顯達するを以て賢と當てて、然れども僥倖に求取する人の顯達する所以を知らず。只是窮なるを以て劣と當てて、然れども道を守る人の窮なる所以を詳察せず。況んや懸象は天に附着せざれば、便ち能く大明を揚起して灼照して外なきに及ばず。嵩岱は地に托せざれば、便ち能く峻極を竦起して雲霄に概入せず。兎足は平坦の路を憑借して以て快を騁し、龍船は激流の上に浮びて以て速效を収め、離光は燧人なければ則ち熾せず、楚金は歐冶なければ則ち銳ならず、豐華は春を發するを待ちて乃ち艷を表し、棲鴻は衝飆を待ちて乃ち輕飛す。四岳は明揚せざれば、則ち鰥有るは能く登用せられず。鮑叔牙は賢を推せざれば、則ち夷吾は能く厚を受けず。穰苴は晏平仲を依賴して乃ち超卓し、淮陰は蕭公に因りて乃ち鷹揚し、隽不疑は隽勝之の談に由り、曲逆は魏無知の薦に緣り、徐元直は龍蟠の孔明を起用し、周公瑾は虎臥の孫策を貢上し、ゆえに能く美名は帝籍に垂れ・弘勳は當世に著せり、と。

“漢之末年,吳之季世,則不然焉。舉士也,必附己者為前;取人也,必多黨者為決;而附己者不必足進之器也,同乎我,故不能遺焉;而多黨者不必逸群之才也,信眾口,故謂其可焉。或信此之庸猥,而不能遣所念之近情;或識彼之英異,而不能平心於至公。於是釋銓衡,而以疏數為輕重矣;棄度量,而以綸集為多少矣。於時之所謂雅人高韻,秉國之鈞,黜陟決己,褒貶由口者,鮮哉免乎斯累也。又況於胸中率有憎獨立,疾非黨,忌勝己,忽寒素者乎悲夫!邈俗之士,不群之人,所以比肩不遇,不可勝計,或抑頓於藪澤,或立朝而斥退也。

(抱朴子が続けて言うには、)漢の末年・吳の季世は、便ち是れ這樣ならず。士を擧ぐるは一定に自己に附和するを前に放ち。人を取るは一定に黨羽多きを以て決斷と爲す。而も自己に附和するは不必進用するに足るの器有らず、以て我と同じくするに因りて、ゆえに能く遺棄せず。黨羽多きは不必群を逸するの才有らず、以て衆口を信ずるに因りて、ゆえに彼を以て可なりと認めり。或いは這人の庸猥を信じて、然れども能く念う所の近情を遣開せず。或いは那人の英異を識得して、然れども能く心を至公の上に平せず。于是銓衡を放下して、而も親疏多少を以て輕重と爲し。度量を拋棄して、而も聚散を以て多少と爲す。當時の所謂雅人高韻・國鈞を秉持し・黜陟は自己より決定し・褒貶は口に由るは、能く這種の牽累を免るる少なし。又況んや胸中は大都獨立を憎惡し・同黨に非ざるを疾害し・自己に勝るを忌妒し・寒素を忽略するをや。可悲しきかな。俗を超ゆるの士・群ならざるの人は、ゆえに肩を比びて而も遇わず、計りて勝ふ可からず、或いは藪澤に壓抑頓挫せられ、或いは朝に立ちて而も斥退せらる。

蓋修德而道不行,藏器而時不會,或俟河清而齒已沒,或竭忠勤而不見知,遠行不騁於一世,勳澤不加於生民。席上之珍,鬱於泥濘,濟物之才,終於無施,操築而不值武丁,抱竿而不遇西伯,自曩迄今,將有何限而獨悲之,不亦陋哉!瞻徑路之遠,而恥由之;知大道之否,而不改之。齊通塞於一途,付榮辱於自然者,豈懷悒悶於知希,興永嘆於川逝乎!疑其有憾,是未識至人之用心也。小年之不知大年,井蛙之不曉滄海,自有來矣。

德を修めて而も道は行はれず、器を藏めて而も時は會合せず、或いは河の淸まるを待ちて而も牙齒は已に沒し、或いは忠勤を竭盡して而も知られず、遠行は能く一世に騁馳せず、勳澤は生民に加えられず。席上の珍は、泥濘に郁積し、物を濟するの才は、終竟施す從る無し。筑を操りて而も武丁に碰らず、竿を抱きて而も西伯に遇わず、過去より到如今、將に多少有らん、然れども獨獨此の爲に悲傷するは、不も亦た陋ならんや。徑路は遠きを看見して、然れども之れを走るを恥とし。大道は否塞するを知りて、然れども改變せず。通塞を看成して一條の路と爲し・榮辱を自然に付する人は、何處か知音稀少の上に悁悶を懷き・川逝に對して永歎を興起せんや。彼らに遺憾有りと懷疑するは、是れ還に未だ至人の用心を識得せず。小年は大年を知らず、井蛙は滄海を曉らず、從來便ち是れ這樣なり。

重言

重言

抱朴子曰:餘友人玄泊先生者,齒在志學,固已窮覽六略,旁綜河洛,晝競羲和之末景,夕照望舒之餘輝,道靡遠而不究,言無微而不測,以儒墨為城池,以機神為干戈,故談者莫不望塵而銜璧,文士寅目而格筆。俄而寤智者之不言,覺寸一之無咎,意得則齊荃蹄之可棄,道乖則覺唱高而和寡,於是奉老氏多敗之戒,思金人三緘之義,括鋒穎而如訥韜,修翰於彤管,含金懷玉,抑謐華辯,終日彌夕,或無一言。

抱朴子曰く、我が友人玄泊先生は、年紀は還に志學に在りて、便ち已に六略を窮覽し・河洛を旁綜し・白天は羲和の末影を競逐し・晚上は望舒の餘輝を照り・道は遠き無くして探究せず・言は微き無くして測度せず・儒墨を以て城池と當てて・機神を以て干戈と當てれば、ゆえに談論する人は塵を望み璧を銜えざるなし、文士は目を瞋めて而も筆を放下す(底本は「寅目」と作る、當に「瞋目」と讀むべし)。久しからずして智者は言わざるを醒悟し、一を守るは咎なきと覺えて(底本は「寸一」と作る、當に「守一」と讀むべし)、意を得れば則ち荃蹄の可棄を看成して齊一と爲し・道乖ければ則ち高を唱うるは而も和寡なりと覺えて、于是老氏の多敗の戒を奉行し・金人の三緘の義を思念し・鋒穎を收起して而も木訥の如くし・修長の筆翰を彤管に韜藏し・金を含み玉を懷き・沉默華辯を抑制し・終日より夜裡に直到りて、有時一言無し。

門人進曰:“先生默然,小子胡述且與庸夫無殊焉。竊謂鍾不鳴,則不異於積銅;浮磬息音,則未別乎聚石也。”

門人は進入して曰く、先生は默然として、小子は如何に稱述せん、并且庸夫と異同なからん。我私に以て鐘は鳴らざれば、便ち積銅と異ならず。浮磬は音を停めば、便ち聚石と分別する法なし、と。

玄泊先生答曰:“吾特收遠名於萬代,求知己於將來,豈能競見知於今日,標格於一時乎陶甄以盛酒,雖美不見酣;身卑而言高,雖是不見信。徒捲舌而竭聲,將何救於流遁古人六十笑五十九,不遠迷復,乃覺有以也。夫玉之堅也,金之剛也,冰之冷也,火之熱也,豈須自言,然後明哉!且八音九奏,不能無長短之病,養由百發不能止,將有一失之疏,玩憑河者,數溺於水;好劇談者,多漏於口。伯牙謹於操弦,故終無煩手之累;儒者敬其辭令,故終無樞機之辱。淺近之徒,則不然焉。辯虛無之不急,爭細事以費言,論廣修堅白無用之說,誦諸子非聖過正之書,損教益惑,謂之深遠,委棄正經,競治邪學。或與暗見者較唇吻之勝負,為不識者吐清商之談對,非敵力之人,旁無賞解之客,何異奏雅樂於木梗之側,陳玄黃於土偶之前哉!徒口枯氣乏,椎杭抵掌,斤斧缺壞而盤節不破,勃然戰色而乖忤愈遠,致令恚容表顏,醜言自口,偷薄之變,生乎其間,既玷之謬,不可救磨。未若希聲不全大音,約說以俟識者矣。

玄泊先生回答して曰く、我は只是在萬代に遠名を收取し・將來に知己を求むるのみ、哪能く今日に知られ・一時に標格せんを競相せんや。陶甄は以て酒を盛るは、卽使美なるも酣暢を見ず。身は卑くして言高ければ、卽使對なるも信ぜられず。徒然に舌を卷きて聲を竭すは、將に流遁に對して什麼の救助有らん。古人は六十歲は五十九歲を笑い、迷途は遠からざれば便ち復歸し、乃ち道理有りと覺えり。玉の堅・金の剛・冰の冷・火の熱は、何處か須要自ら説いて、然後乃ち明白ならんや。況んや八音九奏は、能く長短の病なからざる可からず。養由基は百發して能く止まらざれば、將に一失の疏漏有らん。徒步河を過ぐるを玩習するは、數次水裡に溺る。激烈に談論するを喜好するは、多く口裡より泄漏す。伯牙は弦を操るに謹慎す、ゆえに終竟煩手の累なし。儒者は其の辭令を敬す、ゆえに終竟樞機の辱なし。淺近の人は便ち是れ這樣ならず。虛無の不急の事を辯し・細事を爭いて以て言を費し・廣修堅白の用なきの説を論じ・諸子の聖に非ず正に過ぐるの書を誦し・教を損ない惑を益して、深遠と叫ばれ・正經を委棄して・競相邪學を治す。或いは見識暗き人と脣吻の勝負を較量し・識らざる人の爲に淸商の談對を吐くは、是れ力量相當の人に非ず・旁邊に賞識理解の客なく・木梗の旁邊に雅樂を奏し・土偶の面前に玄黄を陳列するは什麼の異同有らん。徒然に口枯れ氣乏く・喉嚨を椎擊し・掌を抵り(底本は「椎杭」と作る、杭は當に「吭」と讀むべし)、斤斧は缺壞して而も盤節は破らず・勃然として色を變じて而も乖忤は更に遠く・以致怒容は顏面に表現し・醜言は口裡より出で・澆薄の變は・中より產生し・已に玷污するの謬誤は・可に救磨す可からず。希聲して乃ち大音を成全し・其の説を簡約して以て識者を待つに如かず、と。

自敘卷第五十

自敘巻第五十

抱朴子者,姓葛,名洪,字稚川。丹陽句容人也。其先葛天氏,蓋古之有天下者也。後降為列國,因以為姓焉。洪曩祖為荊州刺史,王莽之篡,君恥事國賊,棄官而歸,與東郡太守翟義共起兵。將以誅莽,為莽所敗,遇赦免禍,遂稱疾自絕於世。莽以君宗強,慮終有變,乃徙君於琅邪。君之子浦廬,起兵以佐光武,有大功。光武踐祚,以廬為車騎。又遷驃騎大將軍,封下邳僮縣侯,食邑五千戶。

抱朴子這個人は、姓は葛・名は洪・字は稚川。丹陽句容の人なり。其の先人は是れ葛天氏にして、大概是れ古代に天下有りしなり。後來列國に降りて、便ち因此以て姓と爲す。洪の遠祖は荆州刺史を做り、王莽は位を篡して、君は國賊に事奉するを恥として、官を棄てて而も歸り、東郡太守の翟義と共同に兵を起兵す。將に莽を誅せんとして、莽に敗られ、赦免に遇いて禍を免れ、于是病を稱えて世と隔絶す。莽は君の宗族は強盛なるを以て、終究變有らんを憂慮して、便ち君を琅邪に遷す。君の子浦廬は、兵を起して光武を輔佐し、大功有り。光武は位に卽きて、廬を以て車騎と爲す。又驃騎大將軍に遷り、下邳僮縣侯に封ぜられ、食邑は五千戸なり。

開國初,侯之弟文,隨侯征討,屢有大捷。侯比上書為文訟功,而官以文私從兄行,無軍名,遂不為論。侯曰:“弟與我同冒矢石,瘡痍周身,傷失右眼,不得尺寸之報。吾乃重金累紫,何心以安”乃自表選取轉封於弟。書上請報,漢朝欲成君高義,故特聽焉。文辭,不獲已。受爵即第,為驃騎營立宅舍於博望裡。於今基兆石礎存焉。又分割租秩以供奉吏士,給如二君焉。驃騎殷勤止之而不從。驃騎曰:“此更煩役國人,何以為讓”乃托他行,遂南渡江而家於句容。子弟躬耕,以典籍自娛。文累使奉迎驃騎,驃騎終不還。又令人守護博望宅舍,以冀驃騎之反,至於累世無居之者。

開國の初、侯の弟文は、侯に跟隨して征討し、屢々大捷有り。侯は屢々書を上して文の爲に功を爭い、而も官府は文は私自兄に從出行して、軍名なきを以て、于是功を論せず。侯曰く、弟は我と一同に箭石を冒して、瘡痍は身に滿ち、右眼を傷失して、尺寸の報答を得ず。我は然れども金を重ね紫を累ね、心裡怎麼安んずらん、と。于是自己表を上して封地を弟に轉給せんを請求す。書は上達して回報を請い、漢朝は君の高義を成全せんと想い、ゆえに特別に準許せり。文は推辭して、不得已なり。爵を受け第に就きて、驃騎營の爲に博望里に宅舍を立つ。至今基址石礎は還に在り。又租秩を分割して以て吏士を供奉し、給養は兩君の如くす。驃騎は殷勤に彼を阻止するも然れども聽從せず。驃騎曰く、這は更加國人を煩勞し、什麼を拿りて以て讓らん、と。于是他に出行すと託言して、便ち南渡江して而も句容に家す。子弟は親自耕種して、典籍を以て自娛す。文は屢々人を遣わして驃騎を奉迎せしむるも、驃騎は終竟回來せず。又人をして博望の宅舍を守護せしめ、驃騎の返回せんを希望す、累世に至りて居住する人なし。

洪祖父學無不涉,究測精微,文藝之高,一時莫倫。有經國之才,仁吳,歷宰海鹽。臨安。山陰三縣。入為吏部待郎,御史中丞,廬陵太守,吏部尚書,太子少傅,中書,大鴻臚,侍中,光祿勳,輔吳將軍,封吳壽縣侯。

洪の祖父は學問は涉獵せざるなし、精微を究測し、文藝の高は、一時は能く比ぶる人なし。國を經るの才有りて、吳に仕え(底本は「仁吳」と作る、「仁」は「仕」の訛)、歴任海鹽・臨安・山陰の三縣宰。朝に入りて吏部侍郎と爲り(底本は「待郎」と作る)、御史中丞・廬陵太守・吏部尚書・太子少傅・中書・大鴻臚・侍中・光祿勳・輔吳將軍・封吳壽縣侯。

洪父以孝友聞,行為士表,方冊所載,罔不窮覽。仕吳五官郎,中正,建城、南昌二縣令,中書郎,廷尉,平中護軍,會稽太守。未辭而晉軍順流,西境不守,博簡秉文經武之才,朝野之論,僉然推君。於是轉為五郡赴警。大都督給親兵五千,總統徵軍,戍遏疆場。天之所壞,人不能支,故主欽若,九有同賓,君以故官,赴除郎中。稍遷至大中大夫,歷位大中正,肥鄉令。縣戶二萬,舉州最治,德化尤異,恩洽刑清,野有頌聲,路無奸跡,不佃公田,越界如市。秋毫之贈,不入於門;紙筆之用,皆出於私財。刑厝而禁止,不言而化行。以疾去官,發詔見用為吳王郎中令。正色弼違,進可替不,舉善彈枉,軍國肅雍。遷邵陵太守,卒於官。

洪の父親は孝友を以て聞名し、行爲は是れ士の表率にして、方冊の載する所は、窮覽せざるなし。吳に在りて五官郎・中正・建城・南昌の二縣令・中書郎・廷尉平・中護軍・會稽太守を做る。還に未だ官を辭せずして而も晉軍は流れに順いて下り、西境は守られず、廣泛に能文能武の才を簡選して、朝野の議論は、皆君を推擧す。于是五郡に轉じて警に赴く。大都督は親兵五千を給して、征軍を總統し、疆場を戍守遏止す。天の壞せんと欲する所は、人は能く支撑せず、故主は敬順して、九州は一同に賓服し、君は故官を以て、任に赴きて除して郎中と爲る。漸漸太中大夫に遷りて、歴位大中正・肥鄉令。縣戸は二萬にして、全州は治理は最好し、德化は尤其特異にして、恩洽刑淸く、野は頌聲有り・路は奸迹なく・公田を佃種せず・界を越えて市の如し。秋毫の贈は、門に進入せず。紙筆の用は、皆私財より出づ。刑は措きて禁令は止み、言わずして而も教化は行はる。病に因りて官を去りて、詔を發して吴王郎中令に用いられり。正色して違失を輔弼し・進む可き・下る可からざるを替え・善を擧げ枉曲を彈劾し・軍國は肅雍たり。邵陵太守に遷りて、官任の上に死せり。

洪者,君之弟三子也。生晚,為二親所嬌饒,不早見督以書史。年十有三,而慈父見背。夙失庭訓,飢寒困瘁,躬執耕穡,承星履草,密勿疇襲。又累遭兵火,先人典籍蕩盡。農隙之暇無所讀,乃負笈徒步行借。又卒於一家,少得全部之書,益破功日伐薪以給紙筆,就營田園處,以柴火寫書。坐此之故,不得早涉藝文。常乏紙,每所寫,反覆有字,人鮮能讀也。

洪は是れ君の第三子なり。出生は晚くして、二親に嬌饒せられ、未だ早く書史を以て督責せず。年十有三にして、慈父は去世せり。早く庭訓を失いて、饑寒困瘁し、親自耕穡を執掌し、星を披き草を踏みて、田疇に勤勉す。又累々兵火に遭いて、先人の典籍は蕩盡せり。農隙の閒暇は讀む可き無し、便ち書箱を背着して步行して往きて借す。又終竟只一家に在りて、全部の書を得る少なく、更加工夫を花費して白日薪を伐りて以て紙筆を供給し、便ち田園を營る處に在りて、柴火を用いて照りて書を抄す。這個緣故を以て、能く早く藝文を涉獵せず。常常に紙を缺きて、每に寫る所は、正反は皆字有りて、人は能く讀む少なし。

年十六,始讀《教經》、《論語》、《詩》、《易》。貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不能通,但貪廣覽,於眾書乃無不闇誦精持。曾所披涉,自正經、諸史、百家之言,下至短雜文章,近萬卷。既性暗善忘,又少文,意志不專,所識者甚薄,亦不免惑,而著述時猶得有所引用,竟不成純儒,不中為傳授之師。其河洛圖緯,一視便止,不得留意也。不喜星書及算術九宮三棋太一飛符之屬,了不從焉。由其苦人而少氣味也。

年十六にして、乃ち《孝經》を讀み(底本は「教經」と作る)、《論語》・《詩》・《易》。貧乏して以て遠く師友を尋くる從る無く、孤陋寡聞にして、明淺く思短く、大義は多く能く通ぜざる有りて、只是廣覽を貪り、衆書に對して暗誦精持せざるなし。曾て披閱涉獵して、正經・諸史・百家の言より、下りて短雜文章に至るまで、近く萬卷なり。既に性暗くして善忘し、又文采少なく、意志は專ならず、識る所は甚だ薄く、も亦た疑惑を免れず、而も著述する時は還に能く引用する所有り、終竟純儒と成らず、傳授の師を做るに適合せず。あの河洛圖緯は、一看便ち止み、留意を得ず。星書および算術・九宮・三棋・太一・飛符の類を喜ばず、完全不に跟從せず。以てあの類は人を苦累して而も氣味少なきに因る。

晚學風角望氣三元遁甲,六壬太一之法,粗知其旨,又不研精。亦計此輩率是為人用之事,同出身情,無急以此自勞役,不如省子書之有益,遂又廢焉。案《別錄》《藝文志》,眾有萬三千二百九十九卷,而魏代以來,群文滋長,倍於往者,乃自知所未見之多也。江表書籍,通同不具,昔欲詣京師索奇異,而正值大亂,半道而還。每自嘆恨。今齒近不惑,素志衰頹,但念損之又損,為乎無為,偶耕藪澤,苟存性命耳。博涉之業,於是日沮矣。

晚く風角・望氣・三元遁甲・六壬太一の法を學びて、粗く其の旨を知るも、又不研精せず。も亦た這の類は大都是れ人に用いらるるの事にして、自身の情より出づると同じく、急ぎて這些を用いて以て自己を勞役するなく、省覽子書するは有益に如かずと考慮して、于是又廢掉せり。《別錄》《藝文志》に按れば、衆書は一萬三千二百九十九卷有りて、而も魏代以來、群文は滋長して、往昔に比べて加倍す、乃ち自己見ずる所の多きを自知せり。江表の書籍は、通常は不完備にして、從前往きて京師に奇異を索求せんと想いしも、然れども正值大亂して、半道にして而も還れり。每每自己歎恨す。如今年齡は不惑に近く、素志は衰頹して、只念る損し又損して・無爲に爲して・藪澤に偶耕して・苟且性命を保存する而已。博涉の業は、于是日益に沮喪せり。

洪之為人也,(有脫文)而呆野,性鈍口訥,形貌醜陋,而終不辯自矜飾也。冠履垢弊,衣或襤褸,而或不恥焉。俗之服用,俾而屢改,或忽廣領而大帶,或促身而修袖,或長裾曳地,或短不蔽腳。洪期於守常,不隨世變。言則率實,杜絕嘲戲,不得其人,終日默然。故邦人鹹稱之為抱朴之士。是以洪著書,因以自號焉。

洪の爲人は、(此處脱文有り)而も呆野にして、性は鈍く口は訥く、形貌は醜陋にして、而も終竟口舌を費して以て自我を矜飾せず。冠履は垢弊して、衣は或いは襤褸にして、然れども有時以て恥と爲さず。世俗の服用は、變じて而も屢改し(底本は「俾而屢改」と作る)、或いは忽然として領を廣く帶を大きくし、或いは身を緊くして而も袖を長くし、或いは裾を長くして地を拖り、或いは短くして脚を蔽わず。洪は常を守るを期望して、世變に隨わず。說話すれば則ち率實にして、嘲戲を杜絶し、其の人を得ざるに遇えば、終日默然たり。ゆえに邦人は皆彼を稱えて抱朴之士と爲す。因此洪は書を著して、便ち這個を用いて自號す。

洪稟性尪羸,兼之多疾,貧無車馬,不堪徒行,行亦性所不好。又患弊俗,捨本逐末,交遊過差,故遂撫筆閒居,守靜蓽門而無趨從之所,至於權豪之徒,雖在密跡,而莫或相識焉。衣不闢寒,室不免漏,食不充虛,名不出戶,不能憂也。貧無僮僕,籬落頓決,荊棘叢於庭宇,蓬莠塞乎階雨

洪は稟性は尪弱瘦羸にして、又加うるに多病し、貧して車馬なく、能く徒步して走らず、走るも亦た是れ性の好まざる所なり。又弊俗は本を舍て末を逐い・交游は過分なるを患えて、ゆえに便ち筆を撫して閒居し、蓽門に靜を守りて而も趨從するの處所なく、權豪の徒に至りては、卽使近密の處に在るとも、も亦た相識するなし。衣は能く寒を避けず、室は漏るを免れず、食は虛を充すに够えず、名は戸より出でず、能く此の爲に憂と爲さず。貧して僮僕なく、籬落は坍塌斷裂し、荆棘は庭宇に叢生し、蓬莠は階除に塞ぐ(底本は「階雨」と作る)。

留,披榛出門,排草入室,論者以為意遠忽近而不恕。其乏役也。不曉謁(有脫文)以故初不修見官長。至於吊大喪,省困疾,乃心欲自勉,強令無不必至,而居疾少健。恆復不周,每見譏責於論者。洪引咎而不恤也。意苟無餘,而病使心違,顧不愧己而已,亦何理於人之不見亮乎唯明鑑之士,乃恕其信抱朴,非以養高也。世人多慕豫親之好,推暗室之密,洪以為知人甚未易,上聖之所難。浮雜之交,口合神離,無益有損。雖不能如朱公叔一切絕之,且必須清澄詳悉,乃處意焉。又為此見憎者甚眾而不改也。馳逐苟達,側立勢門者,又共疾洪之異於己,而見疵毀,謂洪為傲物輕俗。而洪之為人,信心而行,譭譽皆置於不聞。

留めて、榛莽を披開して門を出で、草を排開して室に入る、論者は以て意は遠に而も近を忽れて而も寬恕せざると爲す。彼は僕役に缺乏す。謁見を曉らず(此處脱文有り)、因此起初は修習せずして以て官長に見る。大喪を吊い・困疾を探視するに至りては、乃ち心裡想く自勉して、強く令して不必到らざるなしとす、然れども疾に居りて健の時少なし。常常に又能く周到せず、每每論者に譏責せられり。洪は咎を引きて而も顧恤せず。意は假如餘なくして、而も病は心をして違背せしむ、只求る己に愧ずる無き而已、又什麼の道理人の諒解せざるに因らんや。只有明鑒の士は、乃ち彼の信守して朴を抱くを寬恕して、是れ以て高を養うに用いるに非ず。世人は多く豫先親熱の好を羨慕し、暗室の密を推行す、洪は以て人を知るは甚だ容易ならず、是れ上聖も亦た難と感ずる所なり。浮雜の交は、口は合して神は離れ、益なく損有り。雖も能く朱公叔の如く一切交を絶たざるも、も亦た必ず淸澄詳悉して、乃ち心意に處る。又因此憎まれる甚だ多くして然れども改めず。馳逐して苟且達を求め・勢門に側立する人は、又一起に洪の自己と同じからざるを疾恨して、而も疵毁を加え、洪は物を傲り俗を輕むと説く。而も洪の爲人は、心に信着して而も行い、毁譽は皆聞かざるに放つ。

至患近人,或恃其所長而輕人所短,洪忝為儒者之末,每與人言,常度其所知而論之,不強引之以造彼所不聞也。及與學士有所辯識,每舉綱領。若值惜短,難解心義,但粗說意之與向,使足以發寤而已,不致苦理,使彼率不得自還也。彼靜心者,存詳而思之,則多自覺而得之者焉。度不可與言者,雖或有問,常辭以不知,以免辭費之過也。洪性深不好乾煩官長,自少及長,曾救知己之抑者數人,不得已,有言於在位者,然其人皆不知洪之恤也。不忍見其陷於非理,密自營之耳。其餘雖親至者,在事秉勢,與洪無惜者,終不以片言半字,少累之也。至於糧用窮匱急,合湯藥則喚求朋類,或見濟,亦不讓也。受人之施,必皆久久漸有以報之,不令覺也。非類則不妄受其饋致焉。洪所食有旬日之儲,則分以濟人之乏;若殊自不足,亦不割己也。不為皎皎之細行,不治察察之小廉。村裡凡人之謂良守善者,用時,或齎酒餚候洪,雖非儔匹,亦不拒也。後有以答之,亦不登時也。洪嘗謂史雲不食於昆弟,華生治潔於暱客,蓋邀名之偽行,非廊廟之遠量也。

最も患うは近人の或いは自己の長する所を仗りて而も人の短する所を輕視す、洪は忝くも儒者の末流と爲して、每に人と說話して、常常に對方の知る所を度量して乃ち論じ、強く彼を其の還に未だ聞かざる所に引かず。學士と辯識する所有るに等到れば、每每綱領を擧ぐ。若し對方の短を愛惜し・心中の義を解き難きに碰上せば、只是意思と方向を粗説して、足りて以て啓發醒悟せしむ而已、苦々理を説きて、彼をして一概に自己を退回するを得せしめざるに至らず。あの靜心する人は、詳細に去想するを存して、便ち多く能く自己覺悟して而も得る。度量して可に與に言う可からざれば、卽使有時問有るとも、常常に不知を用いて推辭して、以て辭費の過を免る。洪は生性は深く官長を煩擾するを好まず、少より長に至りて、曾て知己の壓抑せらるる幾個人を救助して、不得已にして、位在るに對して話有るも、然れどもあの人は皆洪の彼らを恤するを知らず。彼らの非理に陷るを看見するを忍びず、秘密に自己營救する而已。其餘は卽使親到するも、事に在り勢を秉るは、洪と情分なければ、終竟片言半字を用いて、稍微彼らを牽累せず。糧用は窮匱緊急・湯藥を配合するに至りては便ち朋類に呼喚求告し、或いは接濟せられ、も亦た推讓せず。人の施を受ければ、一定に皆久久漸漸以て報答する有るに用い、對方をして察覺せしめず。是れ同類に非ざれば便ち妄に其の饋贈を受けず。洪の食する所は若し旬日の儲有れば、便ち分けて以て人の乏を濟し。若し自己は特別に不足せば、も亦た自己を割かず。皎皎の細行を做らず、察察の小廉を治めず。村裡凡人の所謂良善のは、有時酒肴を帶びて洪を問候すれば、卽使是れ儔匹に非ずとも、も亦た拒絶せず。後來以て答謝する有るも、も亦た當場せず。洪は曾て曰く、范史云は昆弟の處に食を進めず、華生は昵客に對して潔を治むは、大概是れ名を邀ぐるの僞行にして、是れ廊廟の遠量に非ずと。

洪尤疾無義之人,不勤農桑之本業,而慕非義之奸利。持鄉論者,則賣選舉以取謝;有威勢者,則解符疏以索財。或有罪人之賂,或枉有理之家。或為逋逃之藪,而饗亡命之人;或挾使民丁,以妨公役;或強收錢物,以求貴价;或占錮市肆,奪百姓之利;或割人田地,劫孤弱之業。惚恫官府之間,以窺掊克之益,內以誇妻妾,外以釣名位。其如此者,不與交焉。

洪は尤其義なきの人を疾恨して、農桑の本業を勤めずして、而も非義の奸利を慕う。鄉論を把持するは、便ち選擧を賣りて以て謝を取る。威勢有るは、便ち符疏を解して以て財を索す。或いは罪人の賄賂を收め、或いは理有るの家を冤枉す。或いは逋逃の藪を做りて、而も亡命の人を饗く。或いは民丁を挾使して、以て公役を妨礙す。或いは錢物を強收して、以て貴價を求む。或いは市肆を占錮して、百姓の利を奪う。或いは人の田地を割き、孤弱の業を劫す。官府の間に恫喝して、以て掊克の益を窺視し、內は以て妻妾に向かって誇り、外は以て名位を釣る。這樣の如きは、彼らと交往せず。

由是俗人憎洪疾己,自然疏絕,故巷無車馬之跡,堂無異志之賓,庭可設雀羅,而几筵積塵焉。

因此俗人は洪を憎み己を疾恨して、自然に疎遠絕交し、ゆえに巷は車馬の迹なく、堂は志向同じからざるの賓なく、庭は可に雀羅を設け、而も几筵は塵を積む。

洪自有識以逮將老,口不及人之非,不說人之私,乃自然也。雖僕豎有其所短,所羞之事,不以戲之也。未嘗論評人物之優劣,不喜訶譴人交之好惡。或為尊長所逼問,辭不獲已,其論人也,則獨舉彼體中之勝事而已。其論文也,則撮其所得之佳者,而不指摘其病累,故無譭譽之怨。貴人時或問官吏民,甲乙何如。其清高閒能者,洪指說其快事;其貪暴暗塞者,對以偶不識悉。洪由此頗見譏責,以顧護太多,不能明辯臧否,使皂白區分,而洪終不敢改也。每見世人有好論人物者,比方倫匹,未必當允,而褒貶與奪,或失準格。見譽者自謂己分,未必信德也;見侵者則恨之入骨,劇於血讎。洪益以為戒,遂不復言及士人矣。雖門宗子弟,其稱兩皆以付邦族,不為輕乎其價數也。

洪は識有りより老に將に至るまで、口は別人の非に涉及せず、別人の私を説かず、乃是れ自然なり。卽使僕豎は其の短する所・羞ずる所の事有るとも、も亦た拿りて以て戲弄せず。未だ曾て人物の優劣を論評せず、人の交往の好惡を訶責譴責するを喜ばず。或いは尊長に逼問せられ、推辭して不得已せば、人を論ずれば則ち只對方の體中の勝事を擧ぐ而已。文を論ずれば則ち其の得る所の佳處を撮取して、而も其の病累を指摘せず、ゆえに毁譽の怨なし。貴人は有時官吏民を問い、甲乙は怎麼樣と。あの淸高閒能のは、洪は其の快事を指説す。あの貪暴暗塞のは、對えて以て偶爾識悉せずと。洪は因此頗く譏責せられ、以て顧護太多・能く臧否を明辨せず・皁白を區分せしめずと爲すも、而も洪は終竟敢えて改めず。每に世人の人物を論ずるを好むを見れば、倫匹を比方して、未必允當ならず、而も褒貶與奪は、或いは準格を失う。譽せらるるは自ら以て本分と爲すも、未必眞に那の德有らず。侵せらるるは則ち之れを骨に恨みて、血仇に比べて還に劇し。洪は更加以て戒と爲して、于是便に再び士人に言及せず。卽使門宗子弟とも、稱揚は皆一併發付して邦族に給して、輕易に彼らの價數を定めず。

或以譏洪,洪答曰:“我身在我者也,法當易知。設令有人問我,使自比古人,及同時令我自求輩,則我實不能自知,可與誰為匹也。況非我,安可為取而評定之耶漢末俗弊,朋黨分部,許子將之徒,以口舌取戒。爭訟論議,門宗成讎。故汝南人士無復定價而有月旦之評。魏武帝深亦疾之,欲取其首,爾乃奔波亡走,殆至屠滅。前鑑不遠,可以得師矣。且人之未易知也,雖父兄不必儘子弟也,同乎我者遽是乎異於我者遽非乎或有始無卒,唐堯、公旦、仲尼、季札,皆有不全得之恨,無以近人信其嘍嘍管見熒燭之明,而輕評人物。是皆賣彼上聖大賢乎”

或る人は這個を拿りて洪を譏諷すれば、洪は回答して曰く、我が身は我自己に在りて、理に按れば當に容易に知るべし。假如或る人は我を問いて、我をして古人に自比せしめ、以及び同時に我をして自己に輩類を求めしめば、那我は實在能く自知せず、可に誰と匹と爲せんや。況んや是れ我に非ざれば、怎麼可に彼の爲に取りて而も評定せんや。漢末は俗弊れて、朋黨は分部し、許子將の徒は、口舌を用いて戒を取る。爭訟論議して、門宗は仇と成れり。ゆえに汝南の人士は再び定價なくして而も月旦の評有り。魏武帝も亦た甚だ這個を疾恨して、其の首を取らんと想い、于是奔波逃亡して、幾ほど屠滅に至らんとせり。前鑒は遠からず、可に師を得るなり。況んや人は容易に知らず、卽使父兄ともも亦た不必盡く子弟を知らず、我と同じくするは便ち一定是れ是ならんか。我と異なるは便ち一定是れ非ならんか。或いは始有りて終なく、唐堯・周公旦・仲尼・季札は、皆能く完全に得ざるの恨有りて、近人をして彼の嘍嘍管見・螢燭の明を信ぜしめ・而も輕く人物を評する從る無し。這些は皆不も在りて以て那の上聖大賢を出賣するならんか、と。

昔大安中,石冰作亂,六州之地,柯振葉靡,違正黨逆。義軍大都督邀洪為將兵都尉,累見敦迫,既桑梓恐虜,禍深憂大。古人有急疾之義,又畏軍法,不敢任志,遂募合數百人,與諸軍旅進。曾攻賊之別將,破之日,錢帛山積,珍玩蔽地,諸軍莫不放兵收拾財物,繼轂連擔。洪獨約令所領,不得妄離行陳。士有摭得眾者,洪即斬之以徇。於是無敢委杖,而果有伏賊數百,出傷諸軍。諸軍悉發,無部隊,皆人馬負重,無復戰心。遂致驚亂,死傷狼藉,殆欲不振。獨洪軍整齊轂張,無所損傷。以救諸軍之大崩,洪有力焉。後別戰斬賊小帥,多獲甲首,而獻捷幕府。於是大都督加洪伏波將軍,例給布百匹。諸將多封閉之,或送還家,而洪分賜將士,及施知故之貧者,餘之十匹,又徑以市肉酤酒,以饗將吏。於時竊擅一日之美談焉。

從前太安の中、石冰は亂を作し、六州の地は、樹枝の振動して葉の披靡するが如く、正に違背して而も逆に黨附せり。義軍大都督は洪を邀えて將兵都尉を做らしめ、累次敦迫して、既に是れ桑梓は虜せられんを怕れ、禍深く憂大なり。古人は急難に疾に赴くの義有りて、又軍法を畏れて、敢えて任性せず、于是數百人を募合して、諸軍旅と進む。曾て賊の別將を攻めて、攻破の日は、錢帛は山積し・珍玩は地を蔽い・諸軍は兵を放ちて財物を收拾し・車轂は相連なり擔子は相續かざるなし。洪は獨獨領する所を約束して、妄に行陣を離るるを得せず。士は拾得する多き有れば、洪は便ち斬りて以て衆に示す。于是敢えて杖を放下するなくして、而も果然伏賊數百有りて、出來して諸軍を傷害す。諸軍は全部出發して、部隊行列なく、皆人馬は重を負いて、再び戰心有らず。于是驚亂を導致して、死傷は狼藉として、幾ほど將に振作する能わざらんとせり。獨獨洪軍は整齊開張して、損傷する無し。以て諸軍の大崩を救うは、洪は是れ力有り。後來別一次戰鬪して賊の小帥を斬り、甲首を多獲して、而も幕府に向かって捷を獻す。于是大都督は洪に伏波將軍を加え、例に布百匹を給す。諸將は多く封閉起來し、或いは家に送還す、而も洪は將士に分賜して、并びに知故の中の貧なるに施給し、餘り十匹は、又徑直に拿りて往きて肉を買い酒を打ちて、以て將吏を饗す。當時私下に一日の美談を擅有せり。

事平,洪投戈釋甲,徑詣洛陽,欲廣尋異書,了不論戰功。竊慕魯連不受聊城之金,包胥不納存楚之賞,成功不處之義焉。正遇上國大亂,北道不通。而陳敏又反於江東,歸途隔塞。會有故人譙國嵇君道,見用為廣州刺史。乃表請洪為叄軍。雖非所樂,然利可避地於南,故黽勉就焉。見遣先行催兵,而君道於後遇害,遂停廣州。頻為節將見邀用,皆不就。永惟富貴可以漸得而不可頓合,其間屑屑,亦足以勞人。且榮位勢利,譬如寄客,既非常物,又其去不可得留也。隆隆者絕,赫赫者滅,有若春華,須臾凋落,得之不喜,失之安悲悔吝百端,憂懼兢戰,不可勝言。不可為也。且自度性篤懶而才至短,以篤懶而御短才,雖翕肩屈膝,趨走風塵,猶必不辦大致名位而免患累,況不能乎未若修松喬之道,在我而已,不由於人焉。將登名山,服食養性。非有廢也,事不兼濟,自非絕棄世務,則曷緣修習玄靜哉且知之誠難,亦不得惜問而與人議也。是以車馬之跡,不經貴勢之域;片字之書,不交在位之家。又士林之中,雖不可出,而見造之賓,意不能拒,妨人所作,不得專一,乃嘆曰:“山林之中無道也。而古之修道者,必入山林者,誠欲以違遠讙譁,使心不亂也。今將遂本志,委桑梓,適嵩嶽,以尋方平梁公之軌。”

事平の後、洪は戈を投げ甲を釋きて、徑直に洛陽に到りて、異書を廣尋せんと想い、完全不に戰功を論ぜず。私下に魯仲連の聊城の金を受けず・申包胥の楚を存するの賞を接納せず・功を成して居らざるの義を仰慕す。正に國大亂に遇上して、北道は通ぜず。而も陳敏は又江東に在りて反造して、歸途は隔塞せり。正に故人譙國の嵇君道有るに逢い、用いられて廣州刺史と爲る。于是表を上して洪を請いて參軍を做らしむ(底本は「叁軍」と作る)。雖も是れ樂しむ所に非ざるも、然れども南方に到りて地を避くるに利するに因りて、ゆえに黽勉して職に就く。先に行きて兵を催するを派遣せられて、而も君道は後面に在りて害に遇い、于是廣州に停在せり。頻頻節將に邀用せられて、皆就かず。深く富貴は可に漸漸得到して而も可に頓時聚合す可からず・那の中間は瑣碎にして、も亦た足りて以て人を勞すと思す。況んや榮位勢利は、好比寄居の客にして、既に是れ常物に非ず、其の去るは又不可留なり。隆隆は會絶し、赫赫は會滅し、春花の如く、須臾凋落す、之れを得るは喜ばず、之れを失うは何必悲傷せん、悔吝百端して、憂懼兢戰して、言に勝えず。可に做る可からず。況んや自己は性は極めて懶くして才は極めて短きを度量して、極懶を以て短才を駕馭すれば、卽使肩を縮め膝を屈して・風塵の中に趨走するとも、還に一定に大大に名位を求取して而も患累を免るるを辦せず、況んや能く那樣ならざるをや。松・喬の道を修して、在りて我自己而已・人に由らざるに如かず。將に名山に登りて、服食して性を養わんとす。是れ廢する所有るに非ず、事は能く兼濟せず、若し是れ世務を絶棄せざれば、又憑什麼以て玄靜を修習せんや。況んや之れを知るは誠に難くして、も亦た能く詢問を吝惜して而も人と議論せざらん。因此車馬の迹は、貴勢の域を經過せず。片字の書は、位在るの家に交わらず。又士林の中は、雖も可に出去す可からざるも、而も造訪の賓は、意上は能く拒絶せず、人の事を做るを妨礙して、專一を得ず、于是歎説して曰く、山林の中は並びに道なし。而も古の道を修するは一定に山林に入るは、實在是想く遙遙に喧嘩を避開して、心をして亂れざらしむ。如今將に本志を遂げんとして、桑梓を委棄して、嵩岳に去りて、以て方平・梁公の軌を尋かん、と。

先所作子書內、外篇,幸已用功夫,聊復撰次,以示將來云爾。洪年十五、六時,所作詩賦雜文,當時自謂可行於代,至於弱冠,更詳省之,殊多不稱意。天才未必為增也,直所覽差廣,而覺妍媸之別。於是大有所制,棄十不存一。今除所作子書,但雜尚餘百所卷,猶未盡損益之理,而多慘憤,不遑復料護之。他人文成,便呼快意,餘才鈍思遲,實不能爾。作文章每一更字,輒自轉勝,但患懶,又所作多不能數省之耳。洪年二十餘,乃計作細碎小文,妨棄功日,未若立一家之言,乃草創子書。會遇兵亂,流離播越,有所亡失,連在道路,不復投筆十餘年,至建武中,乃定凡著《內篇》二十卷,《外篇》五十卷,碑頌詩賦百卷,軍書檄移章表箋記三十卷,又撰俗所不列者,為《神仙傳》十卷,又撰高尚不仕者,為《隱逸傳》十卷又抄五經、七史、百家之言,兵事、方伎、短雜奇要三百一十卷,別有目錄。其《內篇》言神仙方藥、鬼怪變化、養生延年、禳邪卻禍之事,屬道家;《外篇》言人間得失,世事臧否,屬儒家。洪見魏文帝《典論》自敘,未及彈棋擊劍之事,有意於略說所知,而實不數少所便能,不可虛自稱揚。今將具言,所不閒焉。

先前作る所の子書內・外篇は、幸いに已に工夫を用過ぎて、姑且再び撰次して、以て將來に看せむ而已。洪は年十五六の時、作る所の詩賦雜文は、當時は自ら以て可に世代に行はると爲し、弱冠に到りて、再び詳細に省視すれば、很多稱意せず。天才は未必增加せず、只是覽る所は稍廣くして、而も妍媸の分別を覺えり。于是大有に删制して、十を棄てて一を存せず。如今作る所の子書を除きて、雜著は還に百來卷餘りて、還に未だ損益の理を盡くさず、而も多く慘憤して、暇あらず再び料檢護理す。他人は文成れば、便ち快意と叫ばれ、我は才鈍く思遲く、實在能く那樣せず。文章を作るは每に一個字を改めれば、便ち自己便ち更なり好く成る、只是懶を患え、又作る所は多く能く數次省視せざる而已。洪は年二十余にして、乃ち計較して細碎小文を作り、工夫時日を妨棄し、一家の言を立つるに如かずと爲し、于是子書を草創す。會遇兵亂して、流離播越し、亡失する所有り、連年道路に在りて、再び筆を投げざる十余年、建武の中に到りて、乃ち寫定し、凡そ《內篇》二十卷・《外篇》五十卷・碑頌詩賦百卷・軍書檄移章表箋記三十卷を著し、又世俗の列せざる所を撰して、《神仙傳》十卷と爲し、又高尚して仕せざるを撰して、《隱逸傳》十卷と爲し、又五經・七史・百家の言・兵事・方伎・短雜奇要を抄して三百一十卷、另に目錄有り。那の《內篇》は神仙方藥・鬼怪變化・養生延年・禳邪卻禍の事を講して、道家に屬す。《外篇》は人間得失・世事臧否を講して、儒家に屬す。洪は魏文帝の《典論》の自敘を見るに、還に未だ彈棋擊劍の事を談及せず、所知を略説するの意有りて、而も實在不少數自己少し便える所の能を數えず、可に虛しく自ら稱揚す可からず。如今將に具體に説かんとす、嫻熟せざる所。

洪體純性駑,寡所玩好,自總髮垂髫,(有脫文)又擲瓦手摶,不及兒童之群,未曾鬥雞鶩,走狗馬,見人博戲,了不目眄。或強牽引觀之,殊不入神,有若晝睡。是以至今不知棋局上有幾道樗蒲齒名。亦念此輩末伎,亂意思而妨日月,在位有損政事,儒者則廢講誦,凡民則忘稼穡,商人則失貨財。至於勝負未分,交爭都市,心熱於中,顏愁於外,名之為樂,而實煎悴,喪廉恥之操,興爭競之端,相取重貨,密結怨隙。昔宋閔公、吳太子致碎首之禍,生叛亂之變,覆滅七國,幾傾天朝。作戒百代,其鑑明矣。每觀戲者,漸恚交集,手足相及,醜詈相加,絕交壞友,往往有焉。怨不在大,亦不在小,多召悔吝,不足為也。仲尼雖有晝寢之戒,以洪較之,洪實未許其賢於晝寢。何則晝寢但無益而未有怨恨之憂,鬥訟之變,聖者猶韋編三絕,以勤經業,凡才近人,安得兼修,惟諸戲盡不如示一尺之書,故因本不喜而不為,蓋此俗人所親焉。

洪は體純く性駑く、少く玩好有り、總髮垂髫より、(此處脱文有り)又瓦を擲り手搏するは、兒童の群に及ばず、未だ曾て雞鴨を鬥わせ・狗馬を走らせず、人の博戲するを看見して、完全不に眼を斜めて看ず。或いは強く拉りて往きて觀看せしむるも、殊に神に入らず、白天睡覺するが如し。因此至今棋局の上に幾道有り・樗蒲齒の名を知らず。も亦た念う這の類の末技は、意思を擾亂して而も日月を妨害し、位在るは政事を損い、儒者は則ち講誦を廢し、凡民は則ち稼穡を忘れ、商人は則ち貨財を失うと。勝負は未だ分かたず・都市に交爭して・心裡熱を發し・顏面愁を發し・之れを樂と名づくるに至りては、而も實際は煎悴して、廉恥の操を喪失し・爭競の端を興起し・互相に重貨を取り・秘密に怨隙を結ぶ。從前宋閔公・吳太子は首を碎くの禍を導致し・叛亂の變を生出し・七國を覆滅し・幾ほど天朝を傾覆せんとせり。百代に戒を作るは、那の鑒戒は是れ明白なり。每に戲する人を觀看すれば、慚恚は交集し・手足は相加え・醜詈は相加え・交を絶ち友を壞す、往往有り。怨は大に在らず、も亦た小に在らず、多く悔吝を召す、足りて以て爲さず。仲尼は雖も晝寢の戒有るも、洪を拿りて以て比較すれば、洪は實在許可せず那の晝寢より比べて賢なりと。爲什麼なりや。晝寢は只是無益して而も怨恨の憂なく・鬥訟の變なし。聖者は尚且韋編三絶して、以て經業に勤む、凡才近人は、哪能く兼修せん、只是諸戲は皆一尺の書を出示するに如かず、ゆえに本來喜ばざるに因りて而も做らず、大概是れ俗人の親む所なり。

少嘗學射,但力少不能挽強,若顏高之弓耳。意為射既在六藝,又可以禦寇闢劫,及取鳥獸,是以習之。昔在軍旅,曾手射追騎,應弦而倒,殺二賊一馬,遂以得免死。又曾受刀盾及單刀雙戟,皆有口訣要術,以侍取人,乃有秘法,其巧入神。若以此道與不曉者對,便可以當全獨勝,所向無前矣。晚又學七尺杖術,可以入白刃,取大戟,然亦是不急之末學。知之譬如麟角鳳距,何必用之過此已往,未之或知。

少時曾て射を學びて、只是力少なく能く強弓を挽かず、顏高の弓のあの樣而已。心想く射は既に六藝に在りて、又可以寇を抵禦し・劫を避開し・以及び鳥獸を取るに、因此之れを習ふ。從前軍旅に在りて、曾て親自追來の騎を射て、弦に應じて而も倒れ、二賊一馬を殺して、于是以て死を免るを得たり。又曾て刀盾および單刀雙戟を受けて、皆口訣要術有りて、以て人を取るを待つは、乃ち祕法有りて、那の巧は神に入る。若し這の道を用いて曉らざる人と對すれば、便ち可以萬全に獨勝し、向く所は前なし。晚く又七尺杖術を學びて、可以白刃に進入し、大戟を取る、然れどもも亦た是れ急ならざるの末學なり。之れを知るは譬如麟角鳳距・何必之れを用いんや。這些を超過して以往すれば、或いは知る無し。

洪少有定志,決不出身,每覽巢許、子州、北人石戶、二姜、兩袁、法真、子龍之傳,嘗廢書前席,慕其為人。念精治五經,著一部子書,令後世知其為文儒而已。後州郡及車騎大將軍闢,皆不就。薦名琅邪王丞相府,昔起義兵,賊平之後,了不修名詣府,論功主者,永無賞報之冀。晉王應天順人,撥亂反正,結皇綱於垂絕,修宗廟之廢祀,念先朝之滯賞,並無報以勸來。洪隨例就彼,庚寅,詔書賜爵關中侯,食句容之邑二百戶。竊謂討賊以救桑梓,勞不足錄,金紫之命,非其始願。本欲遠慕魯連,近引田疇,上書固辭,以遂微志。適有大例,同不見許。昔仲由讓應受賜而沮為善,醜虜未夷,天下多事,國家方欲明賞必罰,以彰憲典,小子豈敢苟潔區區懦志,而距私通之大制故遂息意而恭承詔命焉。

洪は少く定志有りて、決して出仕せず、每に巢父・許由・子州支父・北人無擇・石戶之農・二姜・兩袁・法真・子龍の傳を覽れば、曾て書を廢して席を前し、彼らの爲人を慕ふ。念る精治五經して・一部の子書を著し・後世をして彼は是れ文儒なりを知らしむ而已。後來州郡および車騎大將軍は征辟するも、皆就かず。名を琅邪王丞相府に薦めて、從前義兵を起し、賊平の後、完全不に名を府に修せず、功を論ずる主者は、永遠に賞報の希望なし。晉王は天に應じ人に順いて、亂を撥き正に反して、將絶の時に皇綱を結び、宗廟の廢祀を修め、先朝の滯留するの賞を念い、并びに報答して以て後來を勸めざりき。洪は例に隨いて那裡に到れり。庚寅に、詔書は爵を關中侯に賜い、句容の邑二百戸を食む。私下に以て賊を討ちて以て桑梓を救うは、勞は錄に足らず、金紫の命は、是れ起始の愿望に非ず。本想く遠く魯仲連を慕い・近く田疇を引きて・書を上して固く辭して・以て微志を遂げんと。恰好大例有りて、一同に準許せられず。從前仲由は受くべきの賜を讓りて而も善を爲すを阻止し、丑虜は未だ平ならず、天下は多事にして、國家は正に賞を明にし罰を必ずして、以て憲典を彰顯せんと想う、小子は豈に敢えて苟且に區區懦志を潔くして、而も私通の大制に抗拒せんや、ゆえに便ち那の意を止息して而も詔命を恭承せり。

洪既著“自敘”之篇,或人難曰:“昔王充年在耳順,道窮望絕,懼身名之偕滅,故自紀終篇。先生以始立之盛,值乎有道之運,方將解申公之束帛,登穆生之蒲輪,耀藻九五,絕聲昆吾,何憾芬芳之不揚,而務老生之彼務”洪答曰:“夫二儀彌邈,而人居若寓,以朝菌之耀秀,不移晷而殄瘁,類春華之暫榮,未改旬而凋墜。雖飛飆之經霄,激電之乍照,未必速也。夫期賾猶奔星之騰煙,黃髮如激箭之過隙。況或未萌而殞籜,逆秋而霧瘁者哉故項子有含穗之嘆,揚烏有夙折之哀,歷覽遠古,逸倫之士,或以文藝而龍躍,或以武功而虎踞,高勳著於盟府,德音被乎管絃,形器雖沈,鑠於淵壤,美談飄飄而日載,故雖千百代,猶穆如也。餘以庸陋,沈抑婆婆,用不合時,行舛於世,發音則響與俗乖,抗足則跡與眾迕。內無金張之援,外乏彈冠之友。循途雖坦,而足無騏驎;六虛雖曠,而翼非大鵬。上不能鷹揚匡國,下無以顯親垂名。美不寄於良史,聲不附乎鍾鼎。故因著述之餘,而為自敘之篇,雖無補於窮達,亦賴將來之有述焉!

洪は已に「自敘」の篇を著して、或る人は詰難して曰く、從前王充は年は耳順に在り、道窮まり望絶えて、身名は一同に滅せんを怕れて、ゆえに自紀して以て終篇を作れり。先生は始立の盛年を以て、正值道有るの運にして、將に申公の束帛を解開し・穆生の蒲輪に登上し・九五に藻を耀し・昆吾に聲を絶たんとす、何必芬芳の揚がらざるを憾みて、而も那の老生の事務を務め去らんや、と。洪は回答して曰く、二儀は極めて邈遠にして、而も人居は寄寓の如く、朝菌の耀秀を以て、日影は移らずして便ち殄瘁し、春華の暫榮に類似して、旬日は未だ改らずして便ち凋墜す。卽使飛飆は霄漢を經過し・激電は乍然として照耀するも、も亦た未必這の快有らん。那の期頤は還に奔星騰煙の如く、黃髮は激箭の隙を過ぐるが如し。況んや或いは未萌して便ち籜に殞落し・秋に逆いて而も霧瘁するをや。ゆえに項橐は穗を含むの歎有り、揚烏は早折の哀有り。遠古を歷覽すれば、逸倫の士は、或いは文藝に因りて龍躍し、或いは武功に因りて虎踞し、高勳は盟府に著き、德音は管弦に被り、形器は雖も淵壤に沈銷するも、美談は飄飄として而も日日記載せられ、ゆえに卽使千百代とも、還に穆然として如在り。我は庸陋を以て、沈抑婆娑して(底本は「婆婆」と作る)、以て時に合せず、行は世と舛れ、音を發すれば則ち響は俗と乖け、足を擧げれば則ち迹は衆と迕る。內は金・張の援助なく、外は冠を彈くの友乏し。途を循るは雖も平坦なるも、而も足は是れ騏麟に非ず。六虛は雖も曠なるも、而も翼は是れ大鵬に非ず。上は能く鷹揚して國を匡せず、下は親を顯し名を垂るる從る無し。美は良史に寄せず、聲は鐘鼎に附せず。ゆえに著述の餘を借着して、而も自敘の篇を做る、雖も窮達に補なきも、も亦た將來に依賴して稱述する所有らんか、と。

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