Libo

维摩诘所说经

姚秦 · 鸠摩罗什译

維摩詰所説経(一名『不可思議解脱』 上巻)

仏家典籍

短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。

維摩詰所説経(一名『不可思議解脱』 上巻)

姚秦三藏鳩摩羅什譯

後秦(姚秦)の三蔵法師・鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した。

佛國品第一

仏国品 第一

如是我聞:

私はこのように仏の説かれるのを聞いた。

一時,佛在毘耶離菴羅樹園,與大比丘眾八千人俱,菩薩三萬二千——眾所知識,大智本行,皆悉成就;諸佛威神之所建立,為護法城,受持正法;能師子吼,名聞十方;眾人不請,友而安之;紹隆三寶,能使不絕;降伏魔怨,制諸外道,悉已清淨,永離蓋纏;心常安住,無礙解脫;念、定、總持、辯才不斷;佈施、持戒、忍辱、精進、禪定、智慧及方便力,無不具足;逮無所得不起法忍;已能隨順,轉不退輪;善解法相,知眾生根;蓋諸大眾得無所畏、功德智慧,以修其心;相好嚴身,色像第一,捨諸世間所有飾好;名稱高遠,踰於須彌;深信堅固,猶若金剛;法寶普照,而雨甘露;於眾言音,微妙第一;深入緣起,斷諸邪見,有無二邊,無復餘習;演法無畏,猶師子吼,其所講說,乃如雷震,無有量,已過量;集眾法寶,如海導師,了達諸法深妙之義;善知眾生往來所趣及心所行;近無等等佛自在慧、十力、無畏、十八不共;關閉一切諸惡趣門,而生五道以現其身;為大醫王,善療眾病,應病與藥,令得服行;無量功德皆成就,無量佛土皆嚴淨;其見聞者,無不蒙益,諸有所作,亦不唐捐:如是一切功德,皆悉具足——

ある時、仏は毘耶離(びやり)の菴羅樹園(あんらじゅおん)におられ、大比丘衆(出家した男性の僧)八千人とともにいた。また菩薩が三万二千——いずれも衆生に知られ敬われる者で、大智慧の本行をすべて成就し、諸仏の威神によって建立され、正法を護る城となって正法を受持し、師子吼(ししく、堂々たる説法)をなして名を十方に聞こえさせていた。人々が請わなくても友のように彼らを安んじ、三宝(仏・法・僧)を継承し隆盛させて絶やさず、魔の怨敵を降伏し諸外道を制伏して、ことごとく清浄で、永く蓋纏(煩悩の覆いと束縛)を離れ、心は常に無礙解脱に安住し、念・定・総持(陀羅尼、善を持して失わない力)・弁才が断えることがなかった。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧および方便力を具えないものはなく、無所得・不起法忍を得、すでに随順して不退の法輪を転じ、法相をよく解して衆生の根機を知り、諸の大衆を覆い、無所畏を得て功徳智慧をもって自らの心を修し、相好(仏の三十二相・八十種好)で身を荘厳して色像第一とされ、世間の一切の飾りを捨て、名称は高く遠く須弥山を越え、深信は金剛のように堅固であった。法宝は遍く照らして甘露を雨らし、衆中での言音は微妙第一であり、深く縁起に入って諸の邪見を断じ、有・無の二辺にも余習を残さず、法を演ぶるに畏れなく師子吼のごとく、その講説は雷の震えるがごとく量なく、すでに量を超えていた。衆の法宝を集めて海の導師のごとく、諸法の深妙の義を了達し、衆生の往来する所趣と心の行くところを善く知り、無等等(比べるものなき)仏の自在慧・十力・無畏・十八不共法に近づき、一切の悪趣の門を閉じながら五道に生まれて身を現し、大医王としてよく衆病を療し、病に応じて薬を与えて服行させた。無量の功徳をすべて成就し、無量の仏土をすべて荘厳清浄とし、見聞する者は益を蒙らないことがなく、なすところも空しく費えることはなかった——このような一切の功徳をことごとく具足していた——

其名曰:等觀菩薩、不等觀菩薩、等不等觀菩薩、定自在王菩薩、法自在王菩薩、法相菩薩、光相菩薩、光嚴菩薩、大嚴菩薩、寶積菩薩、辯積菩薩、寶手菩薩、寶印手菩薩、常舉手菩薩、常下手菩薩、常慘菩薩、喜根菩薩、喜王菩薩、辯音菩薩、虛空藏菩薩、執寶炬菩薩、寶勇菩薩、寶見菩薩、帝網菩薩、明網菩薩、無緣觀菩薩、慧積菩薩、寶勝菩薩、天王菩薩、壞魔菩薩、電德菩薩、自在王菩薩、功德相嚴菩薩、師子吼菩薩、雷音菩薩、山相擊音菩薩、香象菩薩、白香象菩薩、常精進菩薩、不休息菩薩、妙生菩薩、華嚴菩薩、觀世音菩薩、得大勢菩薩、梵網菩薩、寶杖菩薩、無勝菩薩、嚴土菩薩、金髻菩薩、珠髻菩薩、彌勒菩薩、文殊師利法王子菩薩,如是等三萬二千人。

その名は、等観菩薩(菩薩は菩提薩埵ぼだいさったの略で、みずから覚りを求めつつ衆生をも度す者)、不等観菩薩、等不等観菩薩、定自在王菩薩、法自在王菩薩、法相菩薩、光相菩薩、光厳菩薩、大厳菩薩、宝積菩薩、弁積菩薩、宝手菩薩、宝印手菩薩、常挙手菩薩、常下手菩薩、常惨菩薩、喜根菩薩、喜王菩薩、弁音菩薩、虚空蔵菩薩、執宝炬菩薩、宝勇菩薩、宝見菩薩、帝網菩薩、明網菩薩、無縁観菩薩、慧積菩薩、宝勝菩薩、天王菩薩、壊魔菩薩、電徳菩薩、自在王菩薩、功徳相厳菩薩、師子吼菩薩、雷音菩薩、山相撃音菩薩、香象菩薩、白香象菩薩、常精進菩薩、不休息菩薩、妙生菩薩、華厳菩薩、観世音菩薩、得大勢菩薩、梵網菩薩、宝杖菩薩、無勝菩薩、厳土菩薩、金髻菩薩、珠髻菩薩、弥勒菩薩、文殊師利法王子菩薩、このような者など三万二千人であった。

復有萬梵天王屍棄等,從餘四天下來詣佛所而聽法;復有萬二千天帝,亦從餘四天下來在會坐;並餘大威力諸天、龍神、夜叉、乾闥婆、阿脩羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽等,悉來會坐;諸比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,俱來會坐。彼時佛與無量百千之眾,恭敬圍繞而為說法,譬如須彌山王顯於大海,安處眾寶師子之座,蔽於一切諸來大眾。

また万の梵天王・尸棄(しき)らが、余の四天下から来て仏のもとに詣でて法を聴いた。また万二千の天帝も、余の四天下から来て会座し、ならびに余の大威力の諸天・龍神・夜叉・乾闥婆(けんだつば、香を食う音楽神)・阿修羅・迦楼羅(かるら、金翅鳥)・緊那羅(きんなら、歌神)・摩睺羅伽(まごらが、大蛇神)らが、ことごとく来て会座した。諸の比丘(出家男衆)・比丘尼(出家女衆)・優婆塞(在家の男性信者)・優婆夷(在家の女性信者)も、ともに来て会座した。その時、仏は無量百千の衆に恭敬して囲まれて説法なされた。たとえば須弥山王が大海の中に顕れ、衆宝の師子の座に安らかに処して、来集した一切の大衆を蔽い尽くすがごとくであった。

爾時毘耶離城有長者子,名曰寶積,與五百長者子,俱持七寶蓋來詣佛所,頭面禮足,各以其蓋共供養佛。佛之威神,令諸寶蓋合成一蓋,遍覆三千大千世界,而此世界廣長之相悉於中現;又此三千大千世界諸須彌山、雪山、目真隣陀山、摩訶目真隣陀山、香山、寶山、金山、黑山、鐵圍山、大鐵圍山,大海江河,川流泉源及日月星辰、天宮、龍宮、諸尊神宮,悉現於寶蓋中;又十方諸佛、諸佛說法,亦現於寶蓋中。爾時一切大眾,覩佛神力,歎未曾有!合掌禮佛,瞻仰尊顏,目不暫捨。於是長者子寶積即於佛前,以偈頌曰:

その時、毘耶離城に長者子(長者の子息)がいて、名を宝積といい、五百の長者子とともに皆七宝玉の蓋(ほうがい、供養の傘蓋)を持って仏のもとに来て、頭面礼足(頭を仏の足に接して敬礼する最敬礼)して、それぞれその蓋をもってともに仏を供養した。仏の威神は諸の宝蓋をして一つの蓋に合成させ、遍く三千大千世界を覆わしめ、この世界の広長の相がすべてその中に現れた。またこの三千大千世界の諸の須弥山・雪山・目真隣陀山・摩訶目真隣陀山・香山・宝山・金山・黒山・鉄囲山・大鉄囲山、大海・江河、川流・泉源および日月星辰・天宮・龍宮・諸尊神宮が、すべて宝蓋の中に現れた。また十方の諸仏、諸仏の説法も宝蓋の中に現れた。その時一切の大衆は仏の神力を見て未曾有と歎き、合掌して仏を礼し、尊顔を瞻仰して目を片時も離さなかった。ここにおいて長者子宝積はすなわち仏前にて偈を以て頌して曰く——

「目淨脩廣如青蓮,心淨已度諸禪定,

「眼目は清浄にして脩長(すらりと長く)、青蓮のごとく、心は清浄にしてすでに諸の禅定を超えたり。

久積淨業稱無量,導眾以寂故稽首。

久しく浄業を積みて名称無量なり、寂静を以て大衆を導くゆえに稽首す。

既見大聖以神變,普現十方無量土,

すでに大聖の神変を見奉れば、十方無量の国土に遍く顕現し、

其中諸佛演說法,於是一切悉見聞。

その中に諸仏の仏法を演説せられ、ここに一切見ること聞くことを得たり。

法王法力超群生,常以法財施一切,

法王の法力は群生を超越し、常に法財を以て一切に布施し給い、

能善分別諸法相,於第一義而不動,

よく諸法の相を分別して、第一義に於て動かざることを得たり。

已於諸法得自在,是故稽首此法王。

すでに諸法に於て自在を得たり、ゆえに稽首すこの法王に。

說法不有亦不無,以因緣故諸法生,

説法は有にあらず無にもあらず、因縁の故を以て諸法は生じ、

無我無造無受者,善惡之業亦不亡。

我無く作る者無く受ける者無くして、善悪の業もまた亡びず。

始在佛樹力降魔,得甘露滅覺道成,

初めに仏樹の下にて力を以て魔を降し、甘露の滅を得て覚道成就し、

已無心意無受行,而悉摧伏諸外道。

すでに心意無く受行無くして、ことごとく諸外道を摧伏したり。

三轉法輪於大千,其輪本來常清淨,

大千世界に於て法輪を三転し給う、その法輪は本来常に清浄にして、

天人得道此為證,三寶於是現世間。

天人の道を得たるがすなわち証明なり、三宝ここに世間に出現せり。

以斯妙法濟群生,一受不退常寂然,

この妙法を以て群生を救済し、一たび受ければ退転せず常に寂然たり。

度老病死大醫王,當禮法海德無邊。

老病死を度す大医王にして、まさに礼敬すべし法海の徳の辺なきを。

毀譽不動如須彌,於善不善等以慈,

毀誉に動かざること須弥のごとく、善と不善に同じく慈を以てし、

心行平等如虛空,孰聞人寶不敬承?

心行平等なること虚空のごとし、誰か人中之宝を聞きて敬承せざらん。

今奉世尊此微蓋,於中現我三千界,

いま世尊に奉献するこの微小の蓋、その中に現ず我らの三千界、

諸天龍神所居宮,乾闥婆等及夜叉。

諸天・龍神の居る宮、乾闥婆等および夜叉。

悉見世間諸所有,十力哀現是化變,

ことごとく見たり世間所有の、十力の哀愍はこの化変を顕現し給い、

眾覩希有皆歎佛,今我稽首三界尊。

大衆は希有を見てことごとく仏を讃歎す、いま我は稽首す三界の尊に。

大聖法王眾所歸,淨心觀佛靡不欣,

大聖法王は衆の帰する所にして、浄心を以て仏を観れば欣ばざるなし。

各見世尊在其前,斯則神力不共法;

各々世尊を見て己が前に在りとす、これすなわち神力不共の法なり。

佛以一音演說法,眾生隨類各得解,

仏は一種の音声を以て仏法を演説せられ、衆生は其の類に随いて各々解ることを得、

皆謂世尊同其語,斯則神力不共法;

皆世尊は己が語を説き給うと為す、これすなわち神力不共の法なり。

佛以一音演說法,眾生各各隨所解,

仏は一種の音声を以て仏法を演説せられ、衆生は各々其の解る所に随いて、

普得受行獲其利,斯則神力不共法;

遍く受行して利益を獲ることを得たり、これすなわち神力不共の法なり。

佛以一音演說法,或有恐畏或歡喜,

仏は一種の音声を以て仏法を演説せられ、或いは恐懼あり或いは歓喜あり、

或生厭離或斷疑,斯則神力不共法。

或いは厭離を生じ或いは疑惑を断ず、これすなわち神力不共の法なり。

稽首十力大精進,稽首已得無所畏,

稽首す十力の大精進に、稽首すすでに無所畏を得たるに、

稽首住於不共法,稽首一切大導師,

稽首す不共法に住せるに、稽首す一切の大導師に、

稽首能斷眾結縛,稽首已到於彼岸,

稽首す能く衆の結縛を断ずるに、稽首すすでに彼岸に至れるに、

稽首能度諸世間,稽首永離生死道。

稽首す能く諸の世間を度すに、稽首す永く生死の道を離れたるに。

悉知眾生來去相,善於諸法得解脫,

ことごとく衆生の来去の相を知りて、諸法に於て解脱を得るを善くし、

不著世間如蓮華,常善入於空寂行,

世間に著せられず蓮華のごとく、常に善く空寂の行に入り、

達諸法相無罣礙,稽首如空無所依。」

諸法の相に達し達して罣礙無し、稽首す虚空のごとく依る所無きに。」

爾時長者子寶積說此偈已,白佛言:「世尊!是五百長者子,皆已發阿耨多羅三藐三菩提心,願聞得佛國土清淨,唯願世尊說諸菩薩淨土之行!」

その時、長者子宝積はこの偈を説き終えて、仏に言う——「世尊!この五百の長者子は皆すでに阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん、「無上正等正覚」の意、仏が証する円満の覚り)を発しました。どうすれば仏国土の清浄を得られるのか聞かせ給わらんことを願い、ただ願わくは世尊、諸菩薩の浄土の行を説き給え!」

佛言:「善哉!寶積!乃能為諸菩薩,問於如來淨土之行。諦聽,諦聽!善思念之,當為汝說!」於是寶積及五百長者子受教而聽。

仏は言われた——「善いかな、宝積!よく諸の菩薩のために如来の浄土の行を問うたな。諦に聴け、諦に聴け!善く思念せよ、まさに汝のために説かん!」ここに宝積および五百の長者子は教えを受けて聴いた。

佛言:「寶積!眾生之類是菩薩佛土。所以者何?菩薩隨所化眾生而取佛土,隨所調伏眾生而取佛土,隨諸眾生應以何國入佛智慧而取佛土,隨諸眾生應以何國起菩薩根而取佛土。所以者何?菩薩取於淨國,皆為饒益諸眾生故。譬如有人,欲於空地造立宮室,隨意無礙;若於虛空,終不能成!菩薩如是,為成就眾生故,願取佛國,願取佛國者,非於空也。

仏は言われた——「宝積!衆生という類こそ、これ菩薩の仏土なり。なぜなら、菩薩は教化する所の衆生に随って仏土を取り、調伏する所の衆生に随って仏土を取り、諸の衆生がいかなる国を以てか仏智慧に入るべきかに随って仏土を取り、諸の衆生がいかなる国を以てか菩薩根を生ずべきかに随って仏土を取るが故なり。なぜなら、菩薩が清浄の国土を取るは、みな諸の衆生を饒益せんがための故なり。たとえば人がありて空地に宮室を建てんと欲せば、随意にして障礙なし;もし虚空においては、ついに建て成ること能わざらん!菩薩もまたこのごとく、衆生を成就せんがための故に仏国を取らんと願い、仏国を取らんと願うは空中にあらず。」

「寶積!當知:直心是菩薩淨土——菩薩成佛時,不諂眾生來生其國;深心是菩薩淨土——菩薩成佛時,具足功德眾生來生其國;菩提心是菩薩淨土——菩薩成佛時,大乘眾生來生其國;佈施是菩薩淨土——菩薩成佛時,一切能捨眾生來生其國;持戒是菩薩淨土——菩薩成佛時,行十善道滿願眾生來生其國;忍辱是菩薩淨土——菩薩成佛時,三十二相莊嚴眾生來生其國;精進是菩薩淨土——菩薩成佛時,勤修一切功德眾生來生其國;禪定是菩薩淨土——菩薩成佛時,攝心不亂眾生來生其國;智慧是菩薩淨土——菩薩成佛時,正定眾生來生其國;四無量心是菩薩淨土——菩薩成佛時,成就慈、悲、喜、捨眾生來生其國;四攝法是菩薩淨土——菩薩成佛時,解脫所攝眾生來生其國;方便是菩薩淨土——菩薩成佛時,於一切法方便無礙眾生來生其國;三十七道品是菩薩淨土——菩薩成佛時,念處、正勤、神足、根、力、覺、道眾生來生其國;迴向心是菩薩淨土——菩薩成佛時,得一切具足功德國土;說除八難是菩薩淨土——菩薩成佛時,國土無有三惡、八難;自守戒行、不譏彼闕是菩薩淨土——菩薩成佛時,國土無有犯禁之名;十善是菩薩淨土——菩薩成佛時,命不中夭、大富、梵行、所言誠諦、常以軟語、眷屬不離善和諍訟、言必饒益、不嫉、不恚、正見眾生來生其國。

(仏は続けて言われた——)「宝積!まさに知るべし:直心はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、諂曲(てんきょく、媚びへつらい曲がった心)なき衆生が来たりてその国に生まれん;深心はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、功徳具足の衆生が来たりてその国に生まれん;菩提心はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、大乗の衆生が来たりてその国に生まれん;布施はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、一切よく捨てる衆生が来たりてその国に生まれん;持戒はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、十善道を行じて願を満てる衆生が来たりてその国に生まれん;忍辱はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、三十二相に荘厳せられたる衆生が来たりてその国に生まれん;精進はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、勤めて一切の功徳を修する衆生が来たりてその国に生まれん;禅定はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、心を摂して乱れざる衆生が来たりてその国に生まれん;智慧はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、正定の衆生が来たりてその国に生まれん;四無量心はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、慈・悲・喜・捨を成就せる衆生が来たりてその国に生まれん;四摂法はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、解脱の所摂なる衆生が来たりてその国に生まれん;方便はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、一切法に於て方便無碍の衆生が来たりてその国に生まれん;三十七道品はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、念処・正勤・神足・根・力・覚・道の衆生が来たりてその国に生まれん;回向心はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、一切具足の功徳ある国土を得ん;八難を除くと説くはこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、国土に三悪・八難なからん;自ら戒行を守りて他の欠失を譏らざるはこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、国土に犯禁の名なからん;十善はこれ菩薩の浄土なり——菩薩が仏に成る時、命の中途に夭せず、大富・梵行・言う所誠実・常に軟語を用い・眷属離れず・善く諍訟を和し・言えば必ず饒益・嫉まず・瞋らず・正見なる衆生が来たりてその国に生まれん。」

「如是,寶積!菩薩隨其直心,則能發行;隨其發行,則得深心;隨其深心,則意調伏;隨意調伏,則如說行;隨如說行,則能迴向;隨其迴向,則有方便;隨其方便,則成就眾生;隨成就眾生,則佛土淨;隨佛土淨,則說法淨;隨說法淨,則智慧淨;隨智慧淨,則其心淨;隨其心淨,則一切功德淨。是故,寶積!若菩薩欲得淨土,當淨其心;隨其心淨,則佛土淨。」

(仏は続けて言われた——)「このごとく、宝積!菩薩はその直心に随ってすなわち能く発行し、発行に随ってすなわち深心を得、深心に随ってすなわち意調伏し、意調伏に随ってすなわち説く所のごとく行じ、説く所のごとく行ずるに随ってすなわち能く回向し、その回向に随ってすなわち方便あり、その方便に随ってすなわち衆生を成就し、衆生を成就するに随ってすなわち仏土清浄なり、仏土清浄に随ってすなわち説法清浄なり、説法清浄に随ってすなわち智慧清浄なり、智慧清浄に随ってすなわちその心清浄なり、その心清浄に随ってすなわち一切の功徳清浄なり。この故に、宝積!もし菩薩浄土を得んと欲せば、まさにその心を清浄にすべし;その心清浄なるに随ってすなわち仏土清浄なり。」

爾時舍利弗承佛威神作是念:「若菩薩心淨,則佛土淨者,我世尊本為菩薩時,意豈不淨,而是佛土不淨若此?」

その時、舎利弗(しゃりほつ)は仏の威神を承けてこのように念じた——「もし菩薩の心が清浄なれば仏土清浄ならば、我が世尊は昔菩薩たりし時、心意は清浄ならざりしか、それでこの仏土はかくのごとく不浄なるか?」

佛知其念,即告之言:「於意云何?日月豈不淨耶,而盲者不見?」

仏はその念を知りて、すなわち彼に告げて言われた——「汝の意にはいかん?日月は清浄ならざるか、されど盲人は見えざるを?」

對曰:「不也,世尊!是盲者過,非日月咎。」

答えて言う——「然らず、世尊!これは盲人の過ちにして、日月の咎にあらず。」

「舍利弗!眾生罪故,不見如來佛土嚴淨,非如來咎;舍利弗!我此土淨,而汝不見。」

(仏は続けて言われた——)「舎利弗!衆生に罪あるが故に、如来の仏土の厳浄を見ること能わず、如来の咎にあらず;舎利弗!我がこの土は浄なり、しかして汝は見えざるなり。」

爾時螺髻梵王語舍利弗:「勿作是意,謂此佛土以為不淨。所以者何?我見釋迦牟尼佛土清淨,譬如自在天宮。」

その時、螺髻梵王(らけいぼんのう、髻を螺のごとく結う梵天の王)は舎利弗に言う——「この念を起こすことなかれ、この仏土を以て不浄なりと為すを。なぜなら、我は見たり釈迦牟尼仏土の清浄なること、たとえば自在天宮のごとし。」

舍利弗言:「我見此土丘陵坑坎、荊蕀沙礫、土石諸山、穢惡充滿。」

舎利弗言う——「我は見る、この土の丘陵・坑坎・荆棘・沙礫・土石の諸山、穢悪の充満せるを。」

螺髻梵王言:「仁者心有高下,不依佛慧,故見此土為不淨耳!舍利弗!菩薩於一切眾生悉皆平等,深心清淨,依佛智慧,則能見此佛土清淨。」

螺髻梵王言う——「仁者の心に高下あり、仏慧に依らざれば、故にこの土を見て不浄と為すのみ!舎利弗!菩薩は一切衆生に於てことごとく平等にして、深心清浄にして、仏智慧に依れば、すなわち能くこの仏土の清浄を見ん。」

於是佛以足指按地,即時三千大千世界,若干百千珍寶嚴飾,譬如寶莊嚴佛無量功德寶莊嚴土,一切大眾歎未曾有,而皆自見坐寶蓮華。佛告舍利弗:「汝且觀是佛土嚴淨?」

ここに仏は足指を以て地を按じ給えば、即時に三千大千世界は若干百千の珍宝にて厳飾せられ、たとえば宝荘厳仏の無量功徳宝荘厳土のごとし。一切の大衆は未曾有と歎じ、かつ皆みずから宝蓮華の上に坐すを見たり。仏は舎利弗に告げて言われた——「汝しばらく観よ、この仏土の厳浄なるを?」

舍利弗言:「唯然,世尊!本所不見,本所不聞,今佛國土嚴淨悉現。」

舎利弗言う——「然り、世尊!本より見たることなく、本より聞くことなかりしに、いま仏国土の厳浄ことごとく顕現せり。」

佛語舍利弗:「我佛國土常淨若此,為欲度斯下劣人故,示是眾惡不淨土耳!譬如諸天,共寶器食,隨其福德,飯色有異。如是,舍利弗!若人心淨,便見此土功德莊嚴。」

仏は舎利弗に言われた——「我が仏国土は常に清浄にしてこのごとし、これら下劣の人を度せんと欲するが故に、すなわちこれら衆悪不浄の土を示現するのみ!たとえば諸天がともに宝器にて食を供するに、各人の福徳に随って飯色に異あり。このごとく、舎利弗!もし人心清浄なれば、すなわちこの土の功徳荘厳を見ん。」

當佛現此國土嚴淨之時,寶積所將五百長者子皆得無生法忍,八萬四千人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。佛攝神足,於是世界還復如故;求聲聞乘三萬二千天及人,知有為法皆悉無常,遠塵離垢,得法眼淨;八千比丘,不受諸法,漏盡意解。

仏がこの国土の厳浄を顕現せし時、宝積が率いる五百の長者子は皆無生法忍を得、八万四千の人は皆無上正等正覚心を発したり。仏は神足を収摂し給えば、ここに世界は還りて故のごとし;声聞乗を求むる三万二千の天および人は、有為の法はことごとく無常なるを知りて、塵を遠し垢を離れて法眼浄を得;八千の比丘は、諸法に於て受くる所なく、漏尽きて意解脱せり。

維摩詰所說經方便品第二

維摩詰所説経 方便品第二

爾時毘耶離大城中有長者,名維摩詰,已曾供養無量諸佛,深植善本,得無生忍;辯才無礙,遊戲神通,逮諸總持;獲無所畏,降魔勞怨;入深法門,善於智度,通達方便,大願成就;明瞭眾生心之所趣,又能分別諸根利鈍,久於佛道,心已純淑,決定大乘;諸有所作,能善思量;住佛威儀,心大如海,諸佛諮嗟,弟子、釋、梵、世主所敬。欲度人故,以善方便居毘耶離;資財無量,攝諸貧民;奉戒清淨,攝諸毀禁;以忍調行,攝諸恚怒;以大精進,攝諸懈怠;一心禪寂,攝諸亂意;以決定慧,攝諸無智;雖為白衣,奉持沙門清淨律行;雖處居家,不著三界;示有妻子,常修梵行;現有眷屬,常樂遠離;雖服寶飾,而以相好嚴身;雖復飲食,而以禪悅為味;若至博弈戲處,輒以度人;受諸異道,不毀正信;雖明世典,常樂佛法;一切見敬,為供養中最;執持正法,攝諸長幼;一切治生諧偶,雖獲俗利,不以喜悅;遊諸四衢,饒益眾生;入治政法,救護一切;入講論處,導以大乘;入諸學堂,誘開童蒙;入諸婬舍,示欲之過;入諸酒肆,能立其志;若在長者,長者中尊,為說勝法;若在居士,居士中尊,斷其貪著;若在剎利,剎利中尊,教以忍辱;若在婆羅門,婆羅門中尊,除其我慢;若在大臣,大臣中尊,教以正法;若在王子,王子中尊,示以忠孝;若在內官,內官中尊,化政宮女;若在庶民,庶民中尊,令興福力;若在梵天,梵天中尊,誨以勝慧;若在帝釋,帝釋中尊,示現無常;若在護世,護世中尊,護諸眾生:長者維摩詰,以如是等無量方便饒益眾生。

その時、毘耶離の大城に一人の長者があって、名を維摩詰(ゆいまきつ)といい、すでに無量の諸仏を供養し、深く善本を植えて無生忍を得、弁才無碍にして神通に遊戯し、諸の総持を証得し、無所畏を獲得して魔の労怨を降伏し、深い法門に入って智度(般若、はんにゃ)に善く、方便に通達して大願成就し、衆生の心の趣く所を明了に知り、またよく諸根の利鈍を分別し、久しく仏道にあって心すでに純淑にして大乗に決定し、なす所あれば能く善く思量し、仏の威儀に住して心は海のごとく大きく、諸仏の咨嗟(感嘆)する所にして、弟子・帝釈・梵王・世主の敬う所であった。人を度せんがための故に、善き方便を以て毘耶離に住した;資財無量にして諸の貧民を摂受し、戒を奉じて清浄にして諸の禁を毀る人を摂受し、忍を以て行を調えて諸の恚怒(怒り瞋る者)を摂受し、大精進を以て諸の懈怠を摂受し、一心に禅寂して諸の乱意を摂受し、決定慧を以て諸の無智を摂受した;白衣(在家者)なりといえども沙門の清浄なる律行を奉持し、居家に処すといえども三界に著せず、妻子有るを示すも常に梵行を修し、眷属有るを現ずも常に遠離を楽い、宝飾を著るといえども相好を以てその身を荘厳し、飲食するも禅悦を以て味と為した;もし博弈戯の処に至れば、即ち以て人を度し、諸の異道を受け入るも正信を毀らず、世典に暁通すれども常に仏法を楽い、一切の見る所は皆敬われ、供養の中に於て最も第一となり、正法を執持して諸の長幼を摂受し、一切の経営・生計は利順なるも、俗利を獲るも以て喜悦せず;諸の四衢に遊びて衆生を饒益し、治政の法度に入りて一切を救護し、講論の処に入りて大乗を以て導引し、諸の学堂に入りて童蒙を誘導開啓し、諸の淫舎に入りて貪欲の過失を開示し、諸の酒肆に入りて能く彼らの立志を立たしめた;もし長者の中に在れば、長者の中の尊となりて、彼らのために殊勝の法を説き;もし居士の中に在れば、居士の中の尊となりて、その貪著を断ち;もし刹利(クシャトリヤ、王侯武人)の中に在れば、刹利の中の尊となりて忍辱を以て教え;もし婆羅門(バラモン)の中に在れば、婆羅門の中の尊となりてその我慢を除き;もし大臣の中に在れば、大臣の中の尊となりて正法を以て教え;もし王子の中に在れば、王子の中の尊となりて忠孝を開示し;もし内官の中に在れば、内官の中の尊となりて宮女を教化し;もし庶民の中に在れば、庶民の中の尊となりて福力を興さしめ;もし梵天の中に在れば、梵天の中の尊となりて勝れたる智慧を教誨し;もし帝釈の中に在れば、帝釈の中の尊となりて無常を示現し;もし護世(護世四天王)の中に在れば、護世の中の尊となりて諸の衆生を護った——長者維摩詰は、かくのごとき等の無量の方便を以て衆生を饒益した。

其以方便,現身有疾。以其疾故,國王、大臣、長者、居士、婆羅門等,及諸王子並餘官屬,無數千人,皆往問疾。其往者,維摩詰因以身疾廣為說法:「諸仁者!是身無常、無強、無力、無堅、速朽之法,不可信也!為苦、為惱,眾病所集。諸仁者!如此身,明智者所不怙;是身如聚沫,不可撮摩;是身如泡,不得久立;是身如炎,從渴愛生;是身如芭蕉,中無有堅;是身如幻,從顛倒起;是身如夢,為虛妄見;是身如影,從業緣現;是身如響,屬諸因緣;是身如浮云,須臾變滅;是身如電,念念不住;是身無主,為如地;是身無我,為如火;是身無壽,為如風;是身無人,為如水;是身不實,四大為家;是身為空,離我、我所;是身無知,如草木瓦礫;是身無作,風力所轉;是身不淨,穢惡充滿;是身為虛偽,雖假以澡浴衣食,必歸磨滅;是身為災,百一病惱;是身如丘井,為老所逼;是身無定,為要當死;是身如毒蛇、如怨賊、如空聚,陰、界、諸入所共合成。

彼は方便を以て、病ある身を現した。彼の病あるが故に、国王・大臣・長者・居士・婆羅門等、および諸の王子ならびに余の官属、無數千人、皆往きて病を問うた。前に来た人々に、維摩詰はすなわち身の病に託して広く彼らのために法を説いた——「諸の仁者!この身は無常にして、強からず、力なく、堅からず、速やかに朽ちる法にして、信頼すべからず!苦を為し、悩を為し、衆病の集まる所なり。諸の仁者!かくのごとき身は、明智の人の倚り怙む所にあらず;この身は聚沫のごとく、撮み摩るべからず;この身は水泡のごとく、久しく立つことを得ず;この身は陽炎のごとく、渇愛より生ず;この身は芭蕉のごとく、中に堅実あらず;この身は幻のごとく、顛倒より起こる;この身は夢のごとく、虚妄の見なり;この身は影のごとく、業縁より顕現す;この身は響きのごとく、諸の因縁に属す;この身は浮雲のごとく、須臾に変滅す;この身は電のごとく、念念に住せず;この身は主なくして地のごとく;この身は我なくして火のごとく;この身は寿なくして風のごとく;この身は人なくして水のごとく;この身は実あらず、四大を以て家と為す;この身は空にして、我と我所を離る;この身は知なくして、草木瓦礫のごとし;この身は作なくして、風力の転ずる所なり;この身は不浄にして、穢悪充満せり;この身は虚偽を為し、澡浴・衣食を假借すといえども、必ず磨滅に帰せん;この身は災を為して、百一の病悩なり;この身は丘井のごとく、老の逼る所なり;この身は一定なく、ついにはまさに死せん;この身は毒蛇のごとく、怨賊のごとく、空聚のごとく、陰・界・諸入の共に合成する所なり。」

「諸仁者!此可患厭,當樂佛身。所以者何?佛身者即法身也!從無量功德智慧生,從戒、定、慧、解脫、解脫知見生,從慈、悲、喜、捨生,從佈施、持戒、忍辱、柔和、勤行精進、禪定、解脫、三昧、多聞、智慧諸波羅蜜生,從方便生,從六通生,從三明生,從三十七道品生,從止觀生,從十力、四無所畏、十八不共法生,從斷一切不善法、集一切善法生,從真實生,從不放逸生:從如是無量清淨法生如來身。諸仁者!欲得佛身、斷一切眾生病者,當發阿耨多羅三藐三菩提心。」

(維摩詰は続けて言った——)「諸の仁者!これこそ患い厭うべきものにして、まさに仏身を楽求すべし。なぜなら、仏身とはすなわち法身(ほっしん、法そのものを身とする真の仏体)なり!無量の功徳智慧より生じ、戒・定・慧・解脱・解脱知見より生じ、慈・悲・喜・捨より生じ、布施・持戒・忍辱・柔和・勤行精進・禅定・解脱・三昧(さんまい、心を専らにして散ぜざる定境)・多聞・智慧の諸波羅蜜(「彼岸に到る」の意、生死の此岸より解脱の彼岸に渡ること)より生じ、方便より生じ、六通より生じ、三明より生じ、三十七道品より生じ、止観より生じ、十力・四無所畏・十八不共法より生じ、一切の不善法を断じ一切の善法を集むるより生じ、真実より生じ、不放逸より生ず——かくのごとき無量の清浄法より如来の身は生ずるなり。諸の仁者!仏身を得んと欲し、一切衆生の病を断ぜんと欲せば、まさに無上正等正覚心を発すべし。」

如是,長者維摩詰為諸問疾者,如應說法,令無數千人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。

かくのごとく長者維摩詰は、諸の病を問う人のために応に随って法を説きて、無數千人をしてことごとく無上正等正覚心を発せしめたり。

維摩詰所說經弟子品第三

維摩詰所説経 弟子品第三

爾時長者維摩詰,自念:「寢疾於床,世尊大慈,寧不垂愍?」

その時、長者維摩詰は自らこのように念じた——「床に臥して病む我を、世尊大慈にして、哀愍を垂れ給わざるか?」

佛知其意,即告舍利弗:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏はその意を知りて、すなわち舎利弗に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

舍利弗白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔,曾於林中宴坐樹下,時維摩詰來謂我言:『唯,舍利弗!不必是坐,為宴坐也。夫宴坐者,不於三界現身、意,是為宴坐;不起滅定而現諸威儀,是為宴坐;不捨道法而現凡夫事,是為宴坐;心不住內亦不在外,是為宴坐;於諸見不動,而修行三十七品,是為宴坐;不斷煩惱而入涅槃,是為宴坐。若能如是坐者,佛所印可。』時我——世尊!——聞說是語,默然而止,不能加報,故我不任詣彼問疾。」

舎利弗は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔林の中に於て樹下に宴坐せし時、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、舎利弗!必ずしもかく坐すをもって宴坐と為さざるなり。宴坐とは、三界の中に身・意を現ぜざるが、これ宴坐なり;滅尽定を起たずして諸の威儀を現ずるが、これ宴坐なり;道法を捨てずして凡夫の事を現ずるが、これ宴坐なり;心の内に住せずまた外に在らざるが、これ宴坐なり;諸見に於て不動にして三十七品を修行するが、これ宴坐なり;煩悩を断ぜずして涅槃(煩悩の止まり、生死を転ずることなき境地)に入るが、これ宴坐なり。もし能くかくのごとく坐せば、これすなわち仏の印可する所なり。』その時我は——世尊!——この語を聞きて、黙然として止まり、能く再び答えず。これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告大目犍連:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は大目犍連に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

目連白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔入毘耶離大城,於里巷中為諸居士說法。時維摩詰來謂我言:『唯,大目連!為白衣居士說法,不當如仁者所說。夫說法者,當如法說。法無眾生,離眾生垢故;法無有我,離我垢故;法無壽命,離生死故;法無有人,前後際斷故;法常寂然,滅諸相故;法離於相,無所緣故;法無名字,言語斷故;法無有說,離覺觀故;法無形相,如虛空故;法無戲論,畢竟空故;法無我所,離我所故;法無分別,離諸識故;法無有比,無相待故;法不屬因,不在緣故;法同法性,入諸法故;法隨於如,無所隨故;法住實際,諸邊不動故;法無動搖,不依六塵故;法無去來,常不住故;法順空,隨無相,應無作;法離好醜,法無增損,法無生滅,法無所歸;法過眼、耳、鼻、舌、身、心;法無高下,法常住不動,法離一切觀行。唯,大目連!法相如是,豈可說乎?夫說法者,無說無示;其聽法者,無聞無得,譬如幻士,為幻人說法,當建是意,而為說法。當了眾生根有利鈍,善於知見無所罣礙,以大悲心讚於大乘,念報佛恩不斷三寶,然後說法。』維摩詰說是法時,八百居士發阿耨多羅三藐三菩提心。我無此辯,是故不任詣彼問疾。」

目連は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔毘耶離大城に入りて、里巷の中にて諸の居士のために法を説きし時、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、大目連!白衣の居士のために法を説かんに、まさに仁者の説くがごとくすべからざるなり。法を説くとは、まさに法のごとく説くべきなり。法は衆生なく、衆生の垢を離るるが故に;法は我なく、我の垢を離るるが故に;法は寿命なく、生死を離るるが故に;法は人なく、前後際の断ずるが故に;法は常に寂然、諸の相を滅するが故に;法は相を離る、縁する所なきが故に;法は名字なく、言語の断ぜられるが故に;法は説なく、覚観を離るるが故に;法は形相なく、虚空のごときが故に;法は戯論なく、畢竟空なるが故に;法は我所なく、我所を離るるが故に;法は分別なく、諸識を離るるが故に;法は比配なく、相待することなきが故に;法は因に属せず、縁の中に在らず;法は法性に同じ、諸法に入るが故に;法は如に随う、随う所なきが故に;法は実際に住す、諸辺の動かざるが故に;法は動揺なく、六塵に依らざるが故に;法は去来なく、常に住せざるが故に;法は空に順随し、無相に随い、無作に応ず;法は好醜を離れ、法は増損なく、法は生滅なく、法は帰する所なし;法は眼・耳・鼻・舌・身・心を超過す;法は高下なく、法は常住して動かず、法は一切の観行を離る。ああ、大目連!法の相はかくのごとし、あに説くべけんや?法を説く者とは、説なく示すことなく;法を聴く者とは、聞くことなく得ることなし。たとえば幻術士が幻人のために法を説くがごとく、まさにこの意を建立して後に法を説くべし。まさに衆生の根に利鈍あるを了知し、善く知見して罣礙なく、大悲心を以て大乗を讃し、仏の恩を報ぜんことを念じて三宝を断ぜずして、然る後に法を説くべし。』維摩詰この法を説く時、八百の居士は無上正等正覚心を発したり。我にかくのごとき弁才なければ、能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告大迦葉:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は大迦葉に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

迦葉白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔於貧裡而行乞,時維摩詰來謂我言:『唯,大迦葉!有慈悲心而不能普,捨豪富從貧乞。迦葉!住平等法,應次行乞食。為不食故,應行乞食,為壞和合相故,應取揣食,為不受故,應受彼食;以空聚想,入於聚落,所見色與盲等,所聞聲與響等,所嗅香與風等,所食味不分別,受諸觸如智證,知諸法如幻相,無自性,無他性,本自不然,今則無滅。迦葉!若能不捨八邪,入八解脫,以邪相入正法,以一食施一切,供養諸佛及眾賢聖,然後可食;如是食者,非有煩惱,非離煩惱,非入定意,非起定意,非住世間,非住涅槃;其有施者,無大福,無小福,不為益,不為損,是為正入佛道,不依聲聞:迦葉!若如是食,為不空食人之施也。』時我——世尊!——聞說是語,得未曾有,即於一切菩薩深起敬心,復作是念:『斯有家名,辯才智慧乃能如是!其誰聞此不發阿耨多羅三藐三菩提心?』我從是來,不復勸人以聲聞、辟支佛行。是故不任詣彼問疾。」

迦葉は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔貧窮の里巷に於て乞食せし時、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、大迦葉!慈悲心あるも能く普遍せず、豪富を捨てて貧窮に就きて乞えり。迦葉!平等の法に住せば、まさに次第に乞食を行ずべし。食せんがためならざるの故を以て、まさに乞食を行ずべし;和合の相を壊せんがための故を以て、まさに摶食(団らせる食)を取るべし;受けざらんがための故を以て、まさにその食を受くべし;空聚の想を以て聚落に入り、見る所の色は盲に等しく、聞く所の声は響きに等しく、嗅ぐ所の香は風に等しく、食する所の味は分別せず、諸の触を受くるは智証のごとく、諸法を知るは幻相のごとく、自性なく、他性なく、本より生起せざりしかば、いまもまた滅あらず。迦葉!もし能く八邪を捨てずして八解脱に入り、邪相を以て正法に入り、一食を以て一切に施し、諸仏および衆の賢聖を供養して、然る後に食すべし;かく食する者は、煩悩あるにあらず、煩悩を離るるにあらず、定意に入るにあらず、定意を出づるにあらず、世間に住するにあらず、涅槃に住するにあらず;その布施する者も、大福なく、小福なく、益を為さず、損を為さず——これを正に仏道に入ると為し、声聞に依らず——迦葉!もしこのごとく食せば、はじめて他の布施を空受せざると謂うべし。』その時我は——世尊!——この語を聞きて、未曾有を得、即ち一切の菩薩に於て深く敬心を起こし、またこのように念じた——『この方は家の名を有すれども、弁才智慧能くかくのごとし!誰かこれを聞きて無上正等正覚心を発せざらん?』我これより已来、復た人を勧めて声聞・辟支仏の行を為さしめず。能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告須菩提:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は須菩提に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

須菩提白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔,入其舍從乞食,時維摩詰取我缽盛滿飯,謂我言:『唯,須菩提!若能於食等者,諸法亦等,諸法等者,於食亦等;如是行乞,乃可取食。若須菩提不斷婬、怒、痴,亦不與俱;不壞於身,而隨一相;不滅痴愛,起於明脫;以五逆相而得解脫,亦不解不縛;不見四諦,非不見諦;非得果,非不得果;非凡夫,非離凡夫法;非聖人,非不聖人;雖成就一切法,而離諸法相,乃可取食。若須菩提不見佛,不聞法,彼外道六師——富蘭那迦葉、末伽梨拘賒梨子、刪闍夜毘羅胝子、阿耆多翅舍欽婆羅、迦羅鳩馱迦旃延、尼犍陀若提子等——是汝之師,因其出家,彼師所墮,汝亦隨墮,乃可取食。若須菩提入諸邪見,不到彼岸;住於八難,不得無難;同於煩惱,離清淨法;汝得無諍三昧,一切眾生亦得是定——其施汝者,不名福田;供養汝者,墮三惡道——為與眾魔共一手作諸勞侶——汝與眾魔及諸塵勞,等無有異——於一切眾生而有怨心,謗諸佛,毀於法,不入眾數,終不得滅度。汝若如是,乃可取食。』時我——世尊!——聞此語茫然,不識是何言?不知以何答?便置缽欲出其舍。維摩詰言:『唯,須菩提!取缽勿懼。於意云何?如來所作化人,若以是事詰,寧有懼不?』我言:『不也!』維摩詰言:『一切諸法如幻化相,汝今不應有所懼也。所以者何?一切言說不離是相,至於智者,不著文字故無所懼。何以故?文字性離,無有文字,是則解脫;解脫相者,則諸法也。』維摩詰說是法時,二百天子得法眼淨,故我不任詣彼問疾。」

須菩提は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔その家に入りて食を乞いし時、時に維摩詰は我が鉢を取りて飯を盛り満てて、我に謂いて言く——『ああ、須菩提!もし能く食に於て平等なれば、諸法もまた平等なり;諸法平等なれば、食に於ても平等なり;このごとく行乞すれば、はじめて食を取るべし。もし須菩提、淫・怒・癡を断ぜずして、またそれらと共に住せず;身を壊らずして一相に随い;癡愛を滅せずして明脱に起こり;五逆の相を以て解脱を得て、解するもなく縛するもなく;四諦を見ずして、また諦を見ざるにあらず;果を得るにあらず、また果を得ざるにあらず;凡夫にあらず、また凡夫の法を離るるにあらず;聖人にあらず、また聖人ならざるにもあらず;一切の法を成就すれども諸法の相を離れば、はじめて食を取るべし。もし須菩提、仏を見ず、法を聞かずして、あの外道の六師——富蘭那迦葉・末伽梨拘賖梨子・刪闍夜毘羅胝子・阿耆多翅舎欽婆羅・迦羅鳩馱迦旃延・尼犍陀若提子等——が汝が師と為り、彼らに因りて出家し、彼の師の堕する所、汝もまた随い堕ぬれば、はじめて食を取るべし。もし須菩提、諸の邪見に入りて彼岸に至らず;八難に住して無難を得ず;煩悩に同じうして清浄法を離れ;汝は無諍三昧を得たり、一切衆生もまたこの定を得たり——汝に布施する者は福田と名づけらるべからず;汝を供養する者は三悪道に堕せん——汝は衆魔と共に一手を成して諸の労侶を作し——汝は衆魔および諸の塵労と等しく異なることなし——一切衆生に於て怨心あり、諸仏を謗り、法を毀り、衆数に入らず、ついに滅度を得ず。汝もしこのごとくあらば、はじめて食を取るべし。』その時我は——世尊!——この語を聞きて茫然とし、これ何の言ぞやを識らず、何を以てか答えんを知らず、便ち鉢を置きてその舎を出でんと欲したり。維摩詰言う——『ああ、須菩提!鉢を取りて惧るるなかれ。汝の意にはいかん?如来の作る所の化人、もしこの事を以て詰問せられば、あに懼れんや?』我が言う——『懼れず!』維摩詰言う——『一切の諸法は幻化の相のごとし、汝いままさに懼るべき所あらざるなり。なぜなら、一切の言説はこの相を離れず、智者に至りては、文字に著せざれば故に懼る所なし。なぜなら、文字は性離なり、文字なく、これすなわち解脱なり;解脱の相は、すなわちこれ諸法なり。』維摩詰この法を説く時、二百の天子は法眼浄を得たり、これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告富樓那彌多羅尼子:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は富楼那弥多羅尼子に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

富樓那白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔於大林中,在一樹下為諸新學比丘說法。時維摩詰來謂我言:『唯,富樓那!先當入定,觀此人心然後說法。無以穢食置於寶器,當知是比丘心之所念,無以琉璃同彼水精。汝不能知眾生根源,無得發起以小乘法。彼自無瘡,勿傷之也;欲行大道,莫示小徑;無以大海,內於牛跡;無以日光,等彼螢火。富樓那!此比丘久發大乘心,中忘此意,如何以小乘法而教導之?我觀小乘智慧微淺,猶如盲人,不能分別一切眾生根之利鈍。』時維摩詰即入三昧,令此比丘自識宿命:曾於五百佛所植眾德本,迴向阿耨多羅三藐三菩提。即時豁然,還得本心,於是諸比丘稽首禮維摩詰足。時維摩詰因為說法,於阿耨多羅三藐三菩提不復退轉。我念聲聞不觀人根,不應說法,是故不任詣彼問疾。」

富楼那は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔大林の中に於て、一の樹下にて諸の新学の比丘のために法を説きし時、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、富楼那!先ずまさに定に入りて、これらの人の心を観察して後に法を説くべし。穢食を宝器の中に置くことなかれ、まさにこれらの比丘の心の念ずる所を知るべし、琉璃を以て水精と為すことなかれ。汝は衆生の根源を知る能わざれば、小乗の法を以て彼らを発起することを得ず。彼らは自ら瘡なくんば、往きて彼らを傷することなかれ;大道を行かんと欲すれば、小径を指示することなかれ;大海を牛蹄の跡に納むることなかれ;日光を以て萤火に等しうすることなかれ。富楼那!これらの比丘は久しく大乗心を発して、中間にこの意を忘れたり、なんぞ小乗の法を以て彼らを教導せんや?我が観るに小乗の智慧は微浅にして、盲人のごとく、一切衆生の根の利鈍を分別する能わず。』時に維摩詰すなわち三昧に入りて、これらの比丘をして自ら宿命を識らしめたり——嘗て五百の仏所に於て衆の徳本を植えて、無上正等正覚に回向せりと。即時に豁然として、還りて本心を得たり。ここに諸の比丘は稽首して維摩詰の足を礼したり。時に維摩詰は因りて彼らのために法を説きて、無上正等正覚に於て再び退転せざらしめたり。我は念うに、声聞は人の根機を観察せずんば、まさに法を説くべからず——能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告摩訶迦旃延:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は摩訶迦旃延に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

迦旃延白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念昔者,佛為諸比丘略說法要,我即於後,敷演其義,謂無常義、苦義、空義、無我義、寂滅義。時維摩詰來謂我言:『唯,迦旃延!無以生滅心行說實相法。迦旃延!諸法畢竟不生不滅,是無常義;五受陰洞達空無所起,是苦義;諸法究竟無所有,是空義;於我、無我而不二,是無我義;法本不然,今則無滅,是寂滅義。』說是法時,彼諸比丘心得解脫。故我不任詣彼問疾。」

迦旃延は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す昔、仏の諸の比丘のために略して法の要を説き給いし時、我すなわち後に於てその義を敷演して、無常の義・苦の義・空の義・無我の義・寂滅の義を説きしに、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、迦旃延!生滅の心行を以て実相の法を説くことなかれ。迦旃延!諸法は畢竟不生不滅なり、これすなわち無常の義なり;五受陰は洞達して空にして起こる所なし、これすなわち苦の義なり;諸法は究竟に所有なく、これすなわち空の義なり;我と無我とに於て不二なり、これすなわち無我の義なり;法は本より生起せざりしかば、いまもまた滅あらず、これすなわち寂滅の義なり。』この法を説く時、あの比丘らは心解脱を得たり。これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告阿那律:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は阿那律に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

阿那律白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔於一處經行,時有梵王,名曰嚴淨,與萬梵俱,放淨光明,來詣我所,稽首作禮問我言:『幾何阿那律天眼所見?』我即答言:『仁者!吾見此釋迦牟尼佛土三千大千世界,如觀掌中菴摩勒果。』時維摩詰來謂我言:『唯,阿那律!天眼所見,為作相耶,無作相耶?假使作相,則與外道五通等;若無作相,即是無為,不應有見。』世尊!我時默然。彼諸梵聞其言,得未曾有,即為作禮而問曰:『世孰有真天眼者?』維摩詰言:『有。佛、世尊得真天眼,常在三昧,悉見諸佛國,不以二相。』於是嚴淨梵王及其眷屬五百梵天,皆發阿耨多羅三藐三菩提心,禮維摩詰足已,忽然不現。故我不任詣彼問疾。」

阿那律は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔一処に於て経行せし時、時に梵王あり名を厳浄といい、万の梵と倶に、浄光を放ちて来たりて我が所に詣で、稽首して礼を作して我に問うて言く——『阿那律の天眼の見る所、幾何ぞ?』我すなわち答えて言く——『仁者!我はこの釈迦牟尼仏土三千大千世界を見ること、掌中の菴摩勒果を観るがごとし。』時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、阿那律!天眼の見る所は、作相か、無作相か?仮に作相ならば、外道の五通と相等しからん;もし無作相ならば、すなわち無為にして、まさに見あるべからざるなり。』世尊!我その時黙然とせり。あの梵らはその言を聞きて、未曾有を得、即ち礼を作して問うて言く——『世に誰か真の天眼有る?』維摩詰言う——『有り。仏・世尊は真の天眼を得給い、常に三昧に在りて、ことごとく諸仏国を見給う、二相を以てせず。』ここに厳浄梵王およびその眷属五百の梵天は、皆無上正等正覚心を発し、維摩詰の足を礼し已りて、忽然として現れざりき。これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告優波離:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は優波離に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

優波離白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念昔者,有二比丘犯律行,以為恥不敢問佛,來問我言:『唯,優波離!我等犯律,誠以為恥,不敢問佛,願解疑悔,得免斯咎。』我即為其如法解說。時維摩詰來謂我言:『唯,優波離!無重增此二比丘罪!當直除滅,勿擾其心。所以者何?彼罪性不在內、不在外、不在中間,如佛所說,心垢故眾生垢,心淨故眾生淨。心亦不在內、不在外、不在中間,如其心然,罪垢亦然,諸法亦然,不出於如如。優波離!以心相得解脫時,寧有垢不?』我言:『不也!』維摩詰言:『一切眾生心相無垢,亦復如是。唯,優波離!妄想是垢,無妄想是淨;顛倒是垢,無顛倒是淨;取我是垢,不取我是淨。優波離!一切法生滅不住,如幻如電,諸法不相待,乃至一念不住;諸法皆妄見,如夢、如炎、如水中月、如鏡中像,以妄想生。其知此者,是名奉律;其知此者,是名善解。』於是二比丘言:『上智哉!是優波離所不能及,持律之上而不能說。』我即答言:『自捨如來,未有聲聞及菩薩,能制其樂說之辯,其智慧明達為若此也!』時二比丘疑悔即除,發阿耨多羅三藐三菩提心,作是願言:『令一切眾生皆得是辯。』故我不任詣彼問疾。」

優波離は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す昔、二の比丘ありて律行を犯し、恥と為して敢えて仏に問えず、来たりて我に問うて言く——『ああ、優波離!我らは律を犯して実に恥と為し、敢えて仏に問わず、願わくは疑悔を解してこの咎を免れんことを。』我すなわち彼らのために法のごとく解説せしに、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、優波離!再びこの二比丘の罪を重ねることなかれ!まさに直ちに除滅して、彼らの心を擾動することなかれ。なぜなら、その罪性は内に在らず、外に在らず、中間に在らず。仏の説き給うがごとく、心垢あれば故に衆生垢あり、心浄なれば故に衆生浄なり。心もまた内に在らず、外に在らず、中間に在らず、その心のごとく、罪垢もまたしかく、諸法もまたしかく、如如に出でず。優波離!心の相を以て解脱を得る時、あにまた垢あらんや?』我が言う——『なし!』維摩詰言う——『一切衆生の心相は無垢なり、もまたこのごとし。ああ、優波離!妄想はこれ垢なり、妄想なきはこれ浄なり;顛倒是これ垢なり、顛倒なきはこれ浄なり;我を取るはこれ垢なり、我を取らざるはこれ浄なり。優波離!一切の法は生滅して住せず、幻のごとく電のごとく、諸法は相待せず、乃至一念も住せず;諸法は皆これ妄見なり、夢のごとく、炎のごとく、水中の月のごとく、鏡の中の像のごとく、妄想に因りて生ず。これを知るを、名づけて律を奉ずると為し;これを知るを、名づけて善解と為す。』ここに二比丘言う——『上なる智慧なり!これは優波離の及ぶ所にあらず、律を持する上にして能くかくのごとく説かず。』我すなわち答えて言く——『如来を除きては、声聞および菩薩も能く彼の楽説の弁才を制するなく、その智慧の明達なることかくのごとし!』その時二比丘は疑悔すなわち除かれ、無上正等正覚心を発して、願を発して言く——『一切衆生をして皆この弁才を得しめんことを。』これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告羅睺羅:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は羅睺羅に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

羅睺羅白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念昔時,毘耶離諸長者子來詣我所,稽首作禮,問我言:『唯,羅睺羅!汝佛之子,捨轉輪王位,出家為道。其出家者,有何等利?』我即如法為說出家功德之利。時維摩詰來謂我言:『唯,羅睺羅!不應說出家功德之利。所以者何?無利、無功德,是為出家;有為法者,可說有利、有功德。夫出家者,為無為法,無為法中,無利、無功德。羅睺羅!出家者,無彼無此,亦無中間;離六十二見,處於涅槃;智者所受,聖所行處;降伏眾魔,度五道,淨五眼,得五力,立五根;不惱於彼,離眾雜惡;摧諸外道,超越假名;出淤泥,無繫著;無我所,無所受;無擾亂,內懷喜;護彼意,隨禪定,離眾過;若能如是,是真出家。』於是維摩詰語諸長者子:『汝等於正法中,宜共出家。所以者何?佛世難值!』諸長者子言:『居士!我聞佛言,父母不聽,不得出家。』維摩詰言:『然!汝等便發阿耨多羅三藐三菩提心,是即出家,是即具足。』爾時三十二長者子皆發阿耨多羅三藐三菩提心,故我不任詣彼問疾。」

羅睺羅は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す昔、毘耶離の諸の長者子来たりて我が所に詣で、稽首して礼を作して我に問うて言く——『ああ、羅睺羅!汝は仏の子にして、転輪王位を捨てて出家して道を為せり。さて出家する者は、何の利益ある?』我すなわち法のごとく彼らのために出家の功徳の利を説きしに、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、羅睺羅!出家の功徳の利を説くべからず。なぜなら、利なく功徳なきが、これすなわち出家なり;有為の法こそ利あり功徳ありと説くべきなり。出家とは、これ無為の法を為るがためなり、無為法の中には利なく功徳なし。羅睺羅!出家の人は、彼なく此なく、また中間もなし;六十二見を離れて、涅槃に処す;智者の受くる所、聖人の行く処なり;衆魔を降伏し、五道を度し、五眼を浄め、五力を得、五根を立つ;彼を悩まさず、衆の雑悪を離る;諸の外道を摧し、假名を超越し;淤泥を出でて繋著なく;我所なく、受くる所なく;擾乱なく、内に喜を懐く;彼の意を護り、禅定に随い、衆の過を離る;もし能くかくのごとくあらば、これ真の出家なり。』ここに維摩詰は諸の長者子に言う——『汝ら正法の中に於て、まさに共に出家すべし。なぜなら、仏世は遇うこと難し!』諸の長者子言う——『居士!我ら聞く、仏の説き給う、父母聴許せざれば、出家を得ずと。』維摩詰言う——『しかり!汝ら便ち無上正等正覚心を発せ、これすなわち出家、これすなわち具足なり。』その時三十二の長者子は皆無上正等正覚心を発したり。これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告阿難:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は阿難に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

阿難白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念昔時,世尊身小有疾,當用牛乳,我即持缽,詣大婆羅門家門下立。時維摩詰來謂我言:『唯,阿難!何為晨朝持缽住此?』我言:『居士!世尊身小有疾,當用牛乳,故來至此。』維摩詰言:『止,止!阿難!莫作是語!如來身者,金剛之體,諸惡已斷,眾善普會,當有何疾?當有何惱?默往!阿難!勿謗如來,莫使異人聞此麁言;無令大威德諸天,及他方淨土諸來菩薩得聞斯語。阿難!轉輪聖王以少福故,尚得無病,豈況如來無量福會普勝者哉?行矣,阿難!勿使我等受斯恥也。外道、梵志若聞此語,當作是念:「何名為師?自疾不能救,而能救諸疾人?」可密速去,勿使人聞。當知——阿難!——諸如來身,即是法身,非思欲身。佛為世尊,過於三界;佛身無漏,諸漏已盡;佛身無為,不墮諸數。如此之身,當有何疾?當有何惱?』時我——世尊!——實懷慚愧,得無近佛而謬聽耶?即聞空中聲曰:『阿難!如居士言。但為佛出五濁惡世,現行斯法,度脫眾生。行矣,阿難!取乳勿慚。』世尊!維摩詰智慧辯才,為若此也!是故不任詣彼問疾。」

阿難は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す昔、世尊の身上やや疾病ありて、まさに牛乳を用いんとし、我すなわち鉢を持ちて大婆羅門の家の門下に立ちたり。時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『ああ、阿難!なんの故にか清晨に鉢を持ちてここに住する?』我が言く——『居士!世尊の身上やや疾病ありて、まさに牛乳を用いんとす、この故にここに来たり。』維摩詰言く——『止せ止せ、阿難!かくのごときの言を作すことなかれ!如来の身は金剛の体にして、諸の悪すでに断じ、衆の善普く会す、まさに何の病かあらん?まさに何の悩かあらん?黙然として往き去れ!阿難!如来を謗ることなかれ、また外人をしてこの粗言を聞かしむることなかれ;大威徳の諸天、および他方浄土より来たれる諸の菩薩をしてこの言を得聞せしむることなかれ。阿難!転輪聖王は少福なるが故を以て尚ほ無病を得、況んや如来の無量福会の最も殊勝なるをや?行け、阿難!我らをしてこの辱を受けしむることなかれ。外道・梵志もしこの言を聞かば、まさにこの思いを作さん——「なにを以て師と称す?自らの病も救う能わずして、能く諸の病人を救わんや?」と。密かに速やかに去るべし、人をして聞かしむることなかれ。まさに知るべし——阿難!——諸如来の身はすなわち法身なり、思欲の身にあらず。仏は世尊にして三界を超過し;仏身は無漏にして諸の漏すでに尽き;仏身は無為にして諸の数に堕せず。かくのごときの身、まさに何の病かあらん?まさに何の悩かあらん?』その時我は——世尊!——実に慚愧を懐き、親しく仏に近づきて聴き誤れるにあらざるか?すなわち空中の声を聞くに曰く——『阿難!居士の説くがごとし。ただ仏の五濁悪世に出現して、このごときの法を示現して衆生を度脱するのみ。行け、阿難!乳を取りて慚愧することなかれ。』世尊!維摩詰の智慧弁才はかくのごとし!これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

如是五百大弟子各各向佛說其本緣,稱述維摩詰所言,皆曰不任詣彼問疾。

かくのごとく五百の大弟子は各々仏に向かって自らの本縁を説きて、維摩詰の説く所の言を称述し、皆能く彼の所に詣でて病を問うに堪えずと言えり。

維摩詰所說經菩薩品第四

維摩詰所説経 菩薩品第四

於是佛告彌勒菩薩:「汝行詣維摩詰問疾。」

ここに仏は弥勒菩薩に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

彌勒白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔為兜率天王及其眷屬,說不退轉地之行。時維摩詰來謂我言:『彌勒!世尊授仁者記,一生當得阿耨多羅三藐三菩提。為用何生得受記乎?過去耶?未來耶?現在耶?若過去生,過去生已滅;若未來生,未來生未至;若現在生,現在生無住。如佛所說:「比丘!汝今即時亦生亦老亦滅。」若以無生得受記者,無生即是正位;於正位中,亦無受記,亦無得阿耨多羅三藐三菩提。云何彌勒受一生記乎?為從如生得受記耶?為從如滅得受記耶?若以如生得受記者,如無有生;若以如滅得受記者,如無有滅。一切眾生皆如也,一切法亦如也,眾聖賢亦如也,至於彌勒亦如也。若彌勒得受記者,一切眾生亦應受記。所以者何?夫如者不二不異,若彌勒得阿耨多羅三藐三菩提者,一切眾生皆亦應得。所以者何?一切眾生即菩提相。若彌勒得滅度者,一切眾生亦應滅度。所以者何?諸佛知一切眾生畢竟寂滅,即涅槃相,不復更滅。是故,彌勒!無以此法誘諸天子,實無發阿耨多羅三藐三菩提心者,亦無退者。彌勒!當令此諸天子,捨於分別菩提之見。所以者何?菩提者不可以身得,不可以心得;寂滅是菩提,滅諸相故;不觀是菩提,離諸緣故;不行是菩提,無憶念故;斷是菩提,捨諸見故;離是菩提,離諸妄想故;障是菩提,障諸願故;不入是菩提,無貪著故;順是菩提,順於如故;住是菩提,住法性故;至是菩提,至實際故;不二是菩提,離意法故;等是菩提,等虛空故;無為是菩提,無生住滅故;知是菩提,了眾生心行故;不會是菩提,諸入不會故;不合是菩提,離煩惱習故;無處是菩提,無形色故;假名是菩提,名字空故;如化是菩提,無取捨故;無亂是菩提,常自靜故;善寂是菩提,性清淨故;無取是菩提,離攀緣故;無異是菩提,諸法等故;

弥勒は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔兜率天王およびその眷属のために不退転地の行を説きし時、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『弥勒!世尊は仁者に記を授け給い、一生にまさに無上正等正覚を得べしと。いずれの生を以てか受記を得る?過去か?未来か?現在か?もし過去生ならば、過去生はすでに滅せり;もし未来生ならば、未来生は未だ至らず;もし現在生ならば、現在生は住せず。仏の説き給うがごとく——「比丘!汝いま即時にも生じも老いも滅す。」と。もし無生を以て受記を得ば、無生はすなわち正位なり;正位の中に於ても、また受記なく、また無上正等正覚を得ることなし。弥勒なんぞ一生記を受くるや?如生より受記を得るか?それとも如滅より受記を得るか?もし如生を以て受記を得ば、如に生なく;もし如滅を以て受記を得ば、如に滅なし。一切衆生は皆如なり、一切法もまた如なり、衆の聖賢もまた如なり、弥勒に至るもまた如なり。もし弥勒受記を得ば、一切衆生もまたまさに受記すべし。なぜなら、如とは不二にして異ならざればなり。もし弥勒無上正等正覚を得ば、一切衆生もまた皆まさに得べし。なぜなら、一切衆生はすなわち菩提の相なればなり。もし弥勒滅度を得ば、一切衆生もまたまさに滅度すべし。なぜなら、諸仏は一切衆生は畢竟寂滅にしてすなわち涅槃の相なりと知り給えば、復た更に滅するあらず。この故に、弥勒!この法を以て諸の天子を誘導することなかれ、実に無上正等正覚心を発する者なく、また退する者なし。弥勒!まさにこれらの天子をして菩提を分別するの見を捨てしむべし。なぜなら、菩提は身を以て得べからず、心を以て得べからず;寂滅是これ菩提なり、諸相を滅するが故に;不観是これ菩提なり、諸縁を離るるが故に;不行是これ菩提なり、憶念なきが故に;断是これ菩提なり、諸見を捨つるが故に;離是これ菩提なり、諸の妄想を離るるが故に;障是これ菩提なり、諸願を障するが故に;不入是これ菩提なり、貪著なきが故に;順是これ菩提なり、如に順ずるが故に;住是これ菩提なり、法性に住するが故に;至是これ菩提なり、実際に至るが故に;不二是これ菩提なり、意法を離るるが故に;等是これ菩提なり、虚空に等しきが故に;無為是これ菩提なり、生住滅なきが故に;知是これ菩提なり、衆生の心行を了するが故に;不会是これ菩提なり、諸入会せざるが故に;不合是これ菩提なり、煩悩習を離るるが故に;無処是これ菩提なり、形色なきが故に;假名是これ菩提なり、名字空なるが故に;如化是これ菩提なり、取捨なきが故に;無乱是これ菩提なり、常に自ら静なるが故に;善寂是これ菩提なり、性清浄なるが故に;無取是これ菩提なり、攀縁を離るるが故に;無異是これ菩提なり、諸法平等なるが故に;』

無比是菩提,無可喻故;微妙是菩提,諸法難知故。』世尊!維摩詰說是法時,二百天子得無生法忍。故我不任詣彼問疾。」

(維摩詰は続けて言った——)「無比是これ菩提なり、譬喩すべきなきが故に;微妙是これ菩提なり、諸法知り難きが故に。』世尊!維摩詰この法を説く時、二百の天子は無生法忍を得たり。これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告光嚴童子:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は光厳童子に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

光嚴白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔出毘耶離大城,時維摩詰方入城,我即為作禮而問言:『居士從何所來?』答我言:『吾從道場來。』我問:『道場者何所是?』答曰:『直心是道場,無虛假故;發行是道場,能辦事故;深心是道場,增益功德故;菩提心是道場,無錯謬故;佈施是道場,不望報故;持戒是道場,得願具故;忍辱是道場,於諸眾生心無礙故;精進是道場,不懈退故;禪定是道場,心調柔故;智慧是道場,現見諸法故;慈是道場,等眾生故;悲是道場,忍疲苦故;喜是道場,悅樂法故;捨是道場,憎愛斷故;神通是道場,成就六通故;解脫是道場,能背捨故;方便是道場,教化眾生故;四攝是道場,攝眾生故;多聞是道場,如聞行故;伏心是道場,正觀諸法故;三十七品是道場,捨有為法故;諦是道場,不誑世間故;緣起是道場,無明乃至老死皆無盡故;諸煩惱是道場,知如實故;眾生是道場,知無我故;一切法是道場,知諸法空故;降魔是道場,不傾動故;三界是道場,無所趣故;師子吼是道場,無所畏故;力、無畏、不共法是道場,無諸過故;三明是道場,無餘礙故;一念知一切法是道場,成就一切智故。如是,善男子!菩薩若應諸波羅蜜教化眾生,諸有所作,舉足下足,當知皆從道場來,住於佛法矣!』說是法時,五百天、人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。故我不任詣彼問疾。」

光厳は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔毘耶離大城を出でし時、時に維摩詰まさに城に入らんとす、我すなわち礼を作して問うて言く——『居士は何の処よりか来たる?』彼答えて我に言く——『我は道場より来たり。』我が問う——『道場とは何処ぞ?』答えて言く——『直心是これ道場なり、虚仮なきが故に;発行是これ道場なり、能く事を弁ずるが故に;深心是これ道場なり、功徳を増益するが故に;菩提心是これ道場なり、錯謬なきが故に;布施是これ道場なり、報を望まざるが故に;持戒是これ道場なり、願具足を得るが故に;忍辱是これ道場なり、諸衆生に於て心无碍なるが故に;精進是これ道場なり、懈退せざるが故に;禅定是これ道場なり、心調柔なるが故に;智慧是これ道場なり、諸法を現見するが故に;慈是これ道場なり、衆生を平等するが故に;悲是これ道場なり、疲苦に堪忍するが故に;喜是これ道場なり、法を悦楽するが故に;捨是これ道場なり、憎愛断ぜらるるが故に;神通是これ道場なり、六通を成就するが故に;解脱是これ道場なり、能く背捨するが故に;方便是これ道場なり、衆生を教化するが故に;四摂是これ道場なり、衆生を摂するが故に;多聞是これ道場なり、聞く所のごとく行ずるが故に;伏心是これ道場なり、諸法を正観するが故に;三十七品是これ道場なり、有為の法を捨てるが故に;諦是これ道場なり、世間を誑かざるが故に;縁起是これ道場なり、無明乃至老死も皆尽きざるが故に;諸煩悩是これ道場なり、如実を知るが故に;衆生是これ道場なり、無我を知るが故に;一切法是これ道場なり、諸法の空を知るが故に;降魔是これ道場なり、傾動せざるが故に;三界是これ道場なり、趣く所なきが故に;師子吼是これ道場なり、畏るる所なきが故に;力・無畏・不共法是これ道場なり、諸の過なきが故に;三明是これ道場なり、余礙なきが故に;一念に一切法を知る是これ道場なり、一切智を成就するが故に。このごとく、善男子!菩薩もし諸の波羅蜜に応じて衆生を教化せば、なす所あらば、足を挙げ足を下すも、まさに知るべし皆道場より来たりて、仏法に住することを!』この法を説く時、五百の天・人は皆無上正等正覚心を発したり。これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告持世菩薩:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は持世菩薩に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

持世白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔,住於靜室,時魔波旬,從萬二千天女,狀如帝釋,鼓樂絃歌,來詣我所。與其眷屬,稽首我足,合掌恭敬,於一面立。我意謂是帝釋,而語之言:『善來憍屍迦!雖福應有,不當自恣。當觀五欲無常,以求善本,於身命財而修堅法。』即語我言:『正士!受是萬二千天女,可備掃灑。』我言:『憍屍迦!無以此非法之物要我沙門釋子,此非我宜。』所言未訖,時維摩詰來謂我言:『非帝釋也,是為魔來嬈固汝耳!』即語魔言:『是諸女等,可以與我,如我應受。』魔即驚懼,念:『維摩詰將無惱我?』欲隱形去,而不能隱;盡其神力,亦不得去。即聞空中聲曰:『波旬!以女與之,乃可得去。』魔以畏故,俛仰而與。

持世は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔静室に住せし時、時に魔・波旬(はじゅん、悪魔の王)は万二千の天女を引率し、形状は帝釈のごとく、鼓楽・弦歌を奏でて、来たりて我が所に詣で、その眷属と倶に我が足に稽首し、合掌恭敬して一面に立てり。我はこれを帝釈と為して彼に謂いて言く——『善く来たり、憍尸迦(こうしか、帝釈の名)!福報はまさに有るべきといえども、自ら恣にすべからず。まさに五欲の無常を観じて、善本を求めて、身・命・財に於て堅法を修すべし。』彼すなわち我に謂いて言く——『正士!この万二千の天女を受けよ、以て洒掃に備うべし。』我が言く——『憍尸迦!このごとき非法の物を以て我、沙門の釈子を要約することなかれ、これは我が宜しき所にあらず。』話なほ畢らざるに、時に維摩詰来たりて我に謂いて言く——『これは帝釈にあらず、是れ魔の来たりて汝を嬈乱するのみ!』即ち魔に謂いて言く——『これらの女子は以て我に与うべし、我のまさに受くべきがごとく。』魔すなわち驚懼して念う——『維摩詰まさか我を悩まさんとするか?』形を隠して去らんと欲するも、能く隠るることなく;神力を盡くすも、また去ることを得ず。即ち空中の声を聞くに曰く——『波旬!女を以て彼に与えよ、乃ち以て去ることを得べし。』魔は畏懼の故を以て、勉めて与えたり。

「爾時維摩詰語諸女言:『魔以汝等與我,今汝皆當發阿耨多羅三藐三菩提心。』即隨所應而為說法,令發道意。復言:『汝等已發道意,有法樂可以自娛,不應復樂五欲樂也。』天女即問:『何謂法樂?』答言:『樂常信佛,樂欲聽法,樂供養眾,樂離五欲;樂觀五陰如怨賊,樂觀四大如毒蛇,樂觀內入如空聚;樂隨護道意,樂饒益眾生,樂敬養師;樂廣行施,樂堅持戒,樂忍辱柔和,樂勤集善根,樂禪定不亂,樂離垢明慧;樂廣菩提心,樂降伏眾魔,樂斷諸煩惱,樂淨佛國土,樂成就相好故,修諸功德;樂嚴道場;樂聞深法不畏;樂三脫門,不樂非時;樂近同學,樂於非同學中,心無恚礙;樂將護惡知識,樂親近善知識;樂心喜清淨,樂修無量道品之法。是為菩薩法樂。』

(持世は続けて言った——)「その時維摩詰は諸の女に言う——『魔は汝らを以て我に与えたり、いま汝らは皆まさに無上正等正覚心を発すべし。』即ち応ずる所に随って彼女らのために法を説きて、道意を発せしめたり。また言う——『汝らすでに道意を発せり、法楽有りて以て自ら娯ましむべし、まさに再び五欲の楽を楽うべからず。』天女すなわち問う——『何をか法楽と謂う?』答えて言く——『常に仏を信ずるを楽しとし、法を聞かんと欲するを楽しとし、衆を供養するを楽しとし、五欲を離るるを楽しとす;五陰を観ずること怨賊のごとくを楽しとし、四大を観ずること毒蛇のごとくを楽しとし、内入を観ずること空聚のごとくを楽しとす;随い護る道意を楽しとし、衆生を饒益するを楽しとし、師を敬養するを楽しとす;広く施を行ずるを楽しとし、戒を堅持するを楽しとし、忍辱柔和を楽しとし、勤めて善根を集むるを楽しとし、禅定乱れざるを楽しとし、垢を離れて明慧なるを楽しとす;広く菩提心を発するを楽しとし、衆魔を降伏するを楽しとし、諸の煩悩を断ずるを楽しとし、仏国土を浄めるを楽しとし、相好を成就せんがための故に諸の功徳を修するを楽しとす;道場を厳飾するを楽しとし;深法を聞くに畏れざるを楽しとし;三脱門を楽しとし、非時を楽しまず;同学に親近するを楽しとし、非同学の中に於て心に恚礙なきを楽しとす;悪知識を将護するを楽しとし、善知識に親近するを楽しとす;心に清浄を喜ぶを楽しとし、無量の道品の法を修するを楽しとす。これすなわち菩薩の法楽なり。』

「於是波旬告諸女言:『我欲與汝俱還天宮。』諸女言:『以我等與此居士,有法樂我等甚樂,不復樂五欲樂也。』魔言:『居士可捨此女?一切所有施於彼者,是為菩薩。』維摩詰言:『我已捨矣!汝便將去,令一切眾生得法願具足。』於是諸女問維摩詰:『我等云何止於魔宮?』維摩詰言:『諸姊!有法門名無盡燈,汝等當學。無盡燈者,譬如一燈,燃百千燈,冥者皆明,明終不盡。如是,諸姊!夫一菩薩開導百千眾生,令發阿耨多羅三藐三菩提心,於其道意亦不滅盡,隨所說法而自增益一切善法,是名無盡燈也。汝等雖住魔宮,以是無盡燈,令無數天子天女發阿耨多羅三藐三菩提心者,為報佛恩,亦大饒益一切眾生。』爾時天女頭面禮維摩詰足,隨魔還宮,忽然不現。世尊!維摩詰有如是自在神力、智慧辯才,故我不任詣彼問疾。」

(持世は続けて言った——)「ここに波旬は諸の女に告げて言う——『我は汝らと倶に天宮に還らんと欲す。』諸の女言う——『我らを以てこの居士に与えたり、法楽有りて我らは甚だこれを楽う、復た五欲の楽を楽しまず。』魔言う——『居士はこれらの女を捨つべきか?一切所有を彼に施すは、これすなわち菩薩なり。』維摩詰言う——『我すでに捨てたり!汝便ち将て去れ、一切衆生をして法の願具足を得しめよ。』ここに諸の女は維摩詰に問う——『我らはいかんせん魔宮に住せん?』維摩詰言う——『諸の姉妹!法門あり名づけて無尽燈と曰う、汝らまさに学ぶべし。無尽燈とは、たとえば一の燈が百千の燈を燃すがごとく、冥き所は皆明るくなりて、明はついに尽きず。このごとく、諸の姉妹!一の菩薩が百千の衆生を開導して、無上正等正覚心を発せしめ、その道意もまた滅尽せず、説く所の法に随いて自ら一切の善法を増益す、これを名づけて無尽燈と為す。汝ら魔宮に住すといえども、この無尽燈を以て無數の天子・天女をして無上正等正覚心を発せしむれば、すなわちこれ仏恩を報じ、また大いに一切衆生を饒益するなり。』その時天女らは頭面にて維摩詰の足を礼し、魔に随いて宮に還り、忽然として現れざりき。世尊!維摩詰にかくのごとき自在の神力・智慧弁才有り、これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

佛告長者子善德:「汝行詣維摩詰問疾。」

仏は長者子善徳に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

善德白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔自於父舍設大施會,供養一切沙門、婆羅門,及諸外道、貧窮、下賤、孤獨、乞人。期滿七日,時維摩詰來入會中,謂我言:『長者子!夫大施會不當如汝所設,當為法施之會,何用是財施會為?』我言:『居士!何謂法施之會?』答曰:『法施會者,無前無後,一時供養一切眾生,是名法施之會。』曰:『何謂也?』『謂以菩提,起於慈心;以救眾生,起大悲心;以持正法,起於喜心;以攝智慧,行於捨心;以攝慳貪,起檀波羅蜜;以化犯戒,起屍羅波羅蜜;以無我法,起羼提波羅蜜;以離身心相,起毘梨耶波羅蜜;以菩提相,起禪波羅蜜;以一切智,起般若波羅蜜。教化眾生,而起於空;不捨有為法,而起無相;示現受生,而起無作;護持正法,起方便力;以度眾生,起四攝法;以敬事一切,起除慢法;於身命財,起三堅法;於六念中,起思念法;於六和敬,起質直心;正行善法,起於淨命;心淨歡喜,起近賢聖;不憎惡人,起調伏心;以出家法,起於深心;以如說行,起於多聞;以無諍法,起空閑處;趣向佛慧,起於宴坐;解眾生縛,起修行地;以具相好,及淨佛土,起福德業;知一切眾生心念,如應說法,起於智業;知一切法不取不捨,入一相門,起於慧業;斷一切煩惱、一切障礙、一切不善法,起一切善業;以得一切智慧、一切善法,起於一切助佛道法。如是,善男子!是為法施之會。若菩薩住是法施會者,為大施主,亦為一切世間福田。』

善徳は仏に言う——「世尊!我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。なぜなら、憶念す我、昔自ら父の舎に於て大施会を設けて、一切の沙門・婆羅門、および諸の外道・貧窮・下賤・孤独・乞人を供養せしに、期を七七日に満てし時、時に維摩詰来たりて会中に入りて、我に謂いて言く——『長者子!大施会とはまさに汝の設けたるがごとくすべからざるなり、まさに法施の会を作すべし、なんぞこの財施の会を用いんや?』我が言く——『居士!何をか法施の会と謂う?』答えて言く——『法施会とは、前なく後なく、一時に一切衆生を供養する、これを名づけて法施の会と為す。』問う——『これは何の意味ぞ?』『これは菩提を以て慈心を起こし;衆生を救うを以て大悲心を起こし;正法を持するを以て喜心を起こし;智慧を摂するを以て捨心を行ず;慳貪を摂するを以て檀波羅蜜(布施の到彼岸)を起こし;犯戒を化するを以て尸羅波羅蜜(持戒)を起こし;無我の法を以て羼提波羅蜜(忍辱)を起こし;身心の相を離るるを以て毘梨耶波羅蜜(精進)を起こし;菩提の相を以て禅波羅蜜(禅定)を起こし;一切智を以て般若波羅蜜(智慧)を起こす。衆生を教化して空に起こり;有為の法を捨てずして無相に起こり;受生を示現して無作に起こり;正法を護持して方便力を起こし;衆生を度するを以て四摂法を起こし;一切を敬事するを以て慢を除く法を起こし;身・命・財に於て三堅法を起こし;六念の中に於て思念の法を起こし;六和敬に於て質直心を起こし;正しく善法を行じて浄命を起こし;心浄く歓喜して賢聖に近づくを起こし;悪人を憎まずして調伏心を起こし;出家の法を以て深心を起こし;説くがごとく行ずるを以て多聞を起こし;無諍の法を以て空閑の処を起こし;仏慧に趣向して宴坐を起こし;衆生の縛を解して修行の地を起こし;相好を具えて仏土を浄めんがためのを以て福徳の業を起こし;一切衆生の心念を知りて応のごとく法を説くを以て智の業を起こし;一切法を知りて取らず捨てず、一相の門に入るを以て慧の業を起こし;一切の煩悩・一切の障礙・一切の不善法を断じて一切の善業を起こし;一切の智慧・一切の善法を得んがためのを以て一切の仏道を助くる法を起こす。このごとく、善男子!これすなわち法施の会なり。もし菩薩この法施会に住せば、大施主と為り、また一切世間の福田なり。』

「世尊!維摩詰說是法時,婆羅門眾中二百人,皆發阿耨多羅三藐三菩提心。我時心得清淨,歎未曾有!稽首禮維摩詰足,即解瓔珞價直百千以上之,不肯取。我言:『居士!願必納受,隨意所與。』維摩詰乃受瓔珞,分作二分,持一分施此會中一最下乞人,持一分奉彼難勝如來。一切眾會皆見光明國土難勝如來,又見珠瓔在彼佛上變成四柱寶臺,四面嚴飾,不相障蔽。時維摩詰現神變已,作是言:『若施主等心施一最下乞人,猶如如來福田之相,無所分別,等於大悲,不求果報,是則名曰具足法施。』城中一最下乞人,見是神力,聞其所說,皆發阿耨多羅三藐三菩提心,故我不任詣彼問疾。」

(善徳は続けて言った——)「世尊!維摩詰この法を説く時、婆羅門の衆の中に二百人は皆無上正等正覚心を発したり。我その時心清浄を得て、未曾有と歎じ、稽首して維摩詰の足を礼し、即ち価百千の瓔珞を解きて奉るも、彼取らざりき。我が言く——『居士!願わくは必ず納受し、意に随い転じて施さんことを。』維摩詰乃ち瓔珞を受けて、二分と為して、一分を将てこの会中の一の最下の乞人に施し、一分を将てあの難勝如来に奉りたり。一切の衆会は皆光明国土の難勝如来を見、また珠瓔のあの仏の上に於て四柱の宝台と変じて、四面厳飾して相障蔽せざるを見たり。時に維摩詰は神変を現じ畢りて、このように言う——『もし施主平等心を以て一の最下の乞人に施すこと、如来の福田の相のごとく、分別あることなく、大悲に等しく、果報を求めざれば、これすなわち名づけて具足法施と為す。』城中の一の最下の乞人、この神力を見て、その説く所を聞きて、皆無上正等正覚心を発したり、これを以て我は能く彼の所に詣でて病を問うに堪えず。」

如是諸菩薩各各向佛說其本緣,稱述維摩詰所言,皆曰不任詣彼問疾。

かくのごとく諸の菩薩は各々仏に向かって自らの本縁を説きて、維摩詰の説く所の言を称述し、皆能く彼の所に詣でて病を問うに堪えずと言えり。

維摩詰經捲上

維摩詰経 巻上

維摩詰所説経 巻中

姚秦三藏鳩摩羅什譯

後秦(姚秦)の三蔵法師・鳩摩羅什が漢訳した。

文殊師利問疾品第五

文殊師利問疾品 第五

爾時佛告文殊師利:「汝行詣維摩詰問疾。」

その時仏は文殊師利に告げて言われた——「汝は往きて維摩詰が許に詣でて病を問え。」

文殊師利白佛言:「世尊!彼上人者,難為詶對。深達實相,善說法要,辯才無滯,智慧無礙;一切菩薩法式悉知,諸佛秘藏無不得入;降伏眾魔,遊戲神通,其慧方便,皆已得度。雖然,當承佛聖旨,詣彼問疾。」

文殊師利は仏に言う——「世尊!あの上人は酬対し難し。深く実相に達し、善く法の要を説き、弁才滞りなく、智慧礙なく;一切菩薩の法式は皆知りて、諸仏の秘蔵は入らざるなく;衆魔を降伏し、神通に遊戯し、その慧と方便とはすでに得度せり。然りといえども、まさに仏の聖旨を承けて、彼の所に詣でて病を問わん。」

於是眾中諸菩薩、大弟子、釋、梵、四天王等,鹹作是念:「今二大士文殊師利、維摩詰共談,必說妙法!」即時八千菩薩、五百聲聞、百千天人皆欲隨從。

ここに衆中の諸の菩薩・大弟子・帝釈・梵王・四天王等は、皆このように念じた——「いま二の大士・文殊師利と維摩詰とがともに談ずれば、必ず妙法を説かん!」即時に八千の菩薩・五百の声聞・百千の天人は皆随い従わんと欲したり。

於是文殊師利與諸菩薩、大弟子眾及諸天人,恭敬圍繞,入毘耶離大城。

ここに文殊師利は諸の菩薩・大弟子衆および諸の天人と、恭敬して囲繞し、毘耶離大城に入れり。

爾時長者維摩詰心念:「今文殊師利與大眾俱來!」即以神力空其室內,除去所有及諸侍者;唯置一床,以疾而臥。

その時、長者維摩詰は心に念じた——「いま文殊師利は大衆と倶に来たれり!」即ち神力を以てその室の内を空にして、所有および諸の侍者を除き去り;ただ一つの牀を置きて、病を以て臥せり。

文殊師利既入其舍,見其室空,無諸所有,獨寢一床。時維摩詰言:「善來文殊師利!不來相而來,不見相而見。」

文殊師利すでにその舎に入りて、その室の空にして諸の所有なきを見、独り一の牀上に臥せるを見たり。時に維摩詰言う——「善く来たり文殊師利!「来る」の相を以て来らず、「見る」の相を以て見ず。」

文殊師利言:「如是!居士!若來已,更不來;若去已,更不去。所以者何?來者無所從來,去者無所至,所可見者,更不可見。且置是事,居士!是疾寧可忍不?療治有損,不至增乎?世尊慇懃致問無量。居士!是疾何所因起?其生久如?當云何滅?」

文殊師利言う——「しかり、居士!もし来たれば、更に来らず;もし去らば、更に去らず。なぜなら、来る者は来る所なく、去る者は至る所なく、見るべき所は更に見るべからざればなり。且くこの事を置かん、居士!この病はなほ忍耐するに堪えたるか?療治に減損ありて、増重に至らざるか?世尊は殷勤に致問すること無量なり。居士!この病は何に因りて起こる?起こりて已来久しかるか?まさにいかにして滅すべき?」

維摩詰言:「從痴、有愛,則我病生。以一切眾生病,是故我病;若一切眾生病滅,則我病滅。所以者何?菩薩為眾生故入生死,有生死則有病;若眾生得離病者,則菩薩無復病。譬如長者唯有一子。其子得病,父母亦病;若子病癒,父母亦愈。菩薩如是,於諸眾生愛之若子。眾生病,則菩薩病;眾生病癒,菩薩亦愈。又言『是疾何所因起?』菩薩病者,以大悲起。」

維摩詰言う——「癡より愛ありて、則ち我が病は生ず。一切衆生の病あるが故に、故に我は病む;もし一切衆生の病滅せば、則ち我が病も滅せん。なぜなら、菩薩は衆生のための故に生死に入り、生死あれば則ち病あり;もし衆生病を離るるを得ば、則ち菩薩は復た病あらず。たとえば長者に唯だ一の子ありて、その子病を得れば、父母もまた病む;もし子の病愈えば、父母もまた愈ゆ。菩薩もまたこのごとく、諸の衆生に於て愛すること子のごとし。衆生病めば則ち菩薩病み、衆生の病愈えば菩薩もまた愈ゆ。また説く『この病は何に因りて起こる?』と——菩薩の病は大悲を以て起こるなり。」

文殊師利言:「居士!此室何以空無侍者?」

文殊師利言う——「居士!この室はなんの故に空にして侍者なき?」

維摩詰言:「諸佛國土亦復皆空。」

維摩詰言う——「諸仏の国土もまた皆空なり。」

又問:「以何為空?」

また問う——「何を以てか空と為す?」

答曰:「以空空。」

答えて言う——「空を以て空なり。」

又問:「空何用空?」

また問う——「空は何ぞ必ず空を用いん?」

答曰:「以無分別空故空。」

答えて言う——「無分別なる空の故を以て空なり。」

又問:「空可分別耶?」

また問う——「空は分別すべきか?」

答曰:「分別亦空。」

答えて言う——「分別もまた空なり。」

又問:「空當於何求?」

また問う——「空はまさに何処に於て求むべき?」

答曰:「當於六十二見中求。」

答えて言う——「まさに六十二見の中に於て求むべし。」

又問:「六十二見當於何求?」

また問う——「六十二見はまさに何処に於て求むべき?」

答曰:「當於諸佛解脫中求。」

答えて言う——「まさに諸仏の解脱の中に於て求むべし。」

又問:「諸佛解脫當於何求?」

また問う——「諸仏の解脱はまさに何処に於て求むべき?」

答曰:「當於一切眾生心行中求。又仁所問:『何無侍者?』一切眾魔及諸外道,皆吾侍也。所以者何?眾魔者樂生死,菩薩於生死而不捨;外道者樂諸見,菩薩於諸見而不動。」

答えて言う——「まさに一切衆生の心行の中に於て求むべし。また仁者の問う所『何の故に侍者なき?』——一切の衆魔および諸の外道は皆我が侍者なり。なぜなら、衆魔は生死を楽しめば、菩薩は生死に於て捨てず;外道は諸見を楽しめば、菩薩は諸見に於て動かざるなり。」

文殊師利言:「居士所疾為何等相?」

文殊師利言う——「居士の患う所の病は何の相ぞ?」

維摩詰言:「我病無形不可見。」

維摩詰言う——「我が病は形なく、見るべからず。」

又問:「此病身合耶?心合耶?」

また問う——「この病は身と合するか?心と合するか?」

答曰:「非身合,身相離故;亦非心合,心如幻故。」

答えて言う——「身と合するにあらず、身相離るるが故に;また心と合するにもあらず、心は幻のごときが故に。」

又問:「地大、水大、火大、風大,於此四大,何大之病?」

また問う——「地大・水大・火大・風大、この四大の中に於て、いずれの大の病ぞ?」

答曰:「是病非地大,亦不離地大;水、火、風大,亦復如是。而眾生病從四大起,以其有病,是故我病。」

答えて言う——「この病は地大にあらず、また地大を離るるにもあらず;水・火・風大もまたこのごとし。しかして衆生の病は四大より起こる、彼らに病あるが故に、故に我は病む。」

爾時文殊師利問維摩詰言:「菩薩應云何慰喻有疾菩薩?」

その時文殊師利は維摩詰に問うて言う——「菩薩はまさにいかにして病ある菩薩を慰喻すべき?」

維摩詰言:「說身無常,不說厭離於身;說身有苦,不說樂於涅槃;說身無我,而說教導眾生;說身空寂,不說畢竟寂滅;說悔先罪,而不說入於過去;以己之疾,愍於彼疾;當識宿世無數劫苦,當念饒益一切眾生;憶所修福,念於淨命,勿生憂惱,常起精進;當作醫王,療治眾病:菩薩應如是慰喻有疾菩薩,令其歡喜。」

維摩詰言う——「身の無常を説いて、身を厭離するを説かず;身に苦あるを説いて、涅槃を楽うを説かず;身に我なきを説いて、衆生を教導するを説く;身の空寂を説いて、畢竟寂滅を説かず;先罪を悔いるを説いて、過去に入るを説かず;己が病を以て、他の病を愍れむ;まさに宿世の無數劫の苦を識り、まさに一切衆生を饒益せんことを念じ;修する所の福を憶い、浄命に念じて、憂悩を生ずることなかれ、常に精進を起こせ;まさに医王を作して衆病を療治すべし:菩薩はまさにかくのごとく病ある菩薩を慰喻して、歓喜せしむべし。」

文殊師利言:「居士!有疾菩薩云何調伏其心?」

文殊師利言う——「居士!病ある菩薩はいかにしてその心を調伏せん?」

維摩詰言:「有疾菩薩應作是念:『今我此病,皆從前世妄想顛倒、諸煩惱生,無有實法,誰受病者?所以者何?四大合故,假名為身;四大無主,身亦無我。又此病起,皆由著我,是故於我不應生著。』既知病本,即除我想及眾生想。當起法想,應作是念:『但以眾法合成此身;起唯法起,滅唯法滅;又此法者各不相知,起時不言我起,滅時不言我滅。』彼有疾菩薩為滅法想,當作是念:『此法想者,亦是顛倒,顛倒者是即大患,我應離之。』云何為離?離我、我所。云何離我、我所?謂離二法。云何離二法?謂不念內外,諸法行於平等。云何平等?謂我等、涅槃等。所以者何?我及涅槃,此二皆空。以何為空?但以名字故空。如此二法,無決定性,得是平等,無有餘病,唯有空病;空病亦空。是有疾菩薩以無所受而受諸受,未具佛法,亦不滅受而取證也。

維摩詰言う——「病ある菩薩はまさにこのように念ずべし——『いま我がこの病は、皆前世の妄想・顛倒・諸の煩悩より生じ、実法なく、誰か是れ病を受くる者ぞ?なぜなら、四大和合の故に假名して身と為す;四大に主なくんば身もまた我なし。またこの病の起こるは皆我を執着するに由る、故に我に於てまさに執着を生ずべからず。』すでに病の本を知れば、即ち我の想および衆生の想を除かん。まさに法の想を起こすべし、まさにこのように念ずべし——『ただ衆法の合成してこの身と為すのみ;起こるはただ法の起こるのみ、滅するはただ法の滅するのみ;またこれらの法は各々相知らず、起こる時は我起こると説かず、滅する時は我滅すと説かず。』あの病ある菩薩は法想を滅せんがため、まさにこのように念ずべし——『この法想もまた是れ顛倒なり、顛倒はすなわち大患なり、我まさにそれを離るべし。』いかにしてか離れん?我・我所を離る。いかにしてか我・我所を離るん?すなわち二法を離る。いかにしてか二法を離るん?すなわち内外を念ぜず、諸法は平等に行ず。いかにしてか平等?すなわち我と等しく、涅槃と等しきなり。なぜなら、我および涅槃、この二は皆空なり。何を以てか空と為す?ただ名字あるを以ての故に空なり。このごとき二法、決定性なく、この平等を得れば、余の病なく、ただ空の病ありのみ;空の病もまた空なり。この病ある菩薩は受くる所なきを以て諸の受を受け、未だ仏法を具足せずとも、また受を滅して証を取らざるなり。

「設身有苦,念惡趣眾生,起大悲心。我既調伏,亦當調伏一切眾生;但除其病,而不除法,為斷病本而教導之。何謂病本?謂有攀緣,從有攀緣,則為病本。何所攀緣?謂之三界。云何斷攀緣?以無所得,若無所得,則無攀緣。何謂無所得?謂離二見——何謂二見?謂內見、外見——是無所得。文殊師利!是為有疾菩薩調伏其心,為斷老病死苦,是菩薩菩提。若不如是,己所修治,為無慧利。譬如勝怨,乃可為勇。如是兼除老病死者,菩薩之謂也。

(維摩詰は続けて言った——)「假如身に苦あれば、悪趣の衆生を念じて大悲心を起こせ。我すでに調伏せば、まさに一切衆生をも調伏すべし;ただその病を除いて、法を除かず、病本を断ずるがために彼らを教導せよ。何をか病本と謂う?すなわち攀縁有るなり、攀縁有るより則ちこれ病本なり。何を攀縁する?すなわち三界なり。いかにして攀縁を断ずる?無所得を以てし、もし無所得ならば則ち攀縁なし。何をか無所得と謂う?すなわち二見を離る——何をか二見と謂う?すなわち内見・外見——これ無所得なり。文殊師利!これすなわち病ある菩薩のその心を調伏するなり、老病死苦を断ずるがためなり、これ菩薩の菩提なり。もしこのごとくならずんば、己が修治する所は慧利なきが為なり。たとえば仇怨を戦勝せば、乃ち勇と称すべきがごとし。このごとく兼ねて老病死を除くを、名づけて菩薩と曰うなり。

「彼有疾菩薩應復作是念:『如我此病,非真非有,眾生病亦非真非有。』作是觀時,於諸眾生若起愛見大悲,即應捨離。所以者何?菩薩斷除客塵煩惱而起大悲,愛見悲者,則於生死有疲厭心;若能離此,無有疲厭,在在所生,不為愛見之所覆也。所生無縛,能為眾生說法解縛,如佛所說:『若自有縛能解彼縛,無有是處;若自無縛能解彼縛,斯有是處。』是故菩薩不應起縛。何謂縛?何謂解?貪著禪味,是菩薩縛;以方便生,是菩薩解。又無方便慧縛,有方便慧解;無慧方便縛,有慧方便解。何謂無方便慧縛?謂菩薩以愛見心莊嚴佛土、成就眾生;於空、無相、無作法中,而自調伏,是名無方便慧縛。何謂有方便慧解?謂不以愛見心莊嚴佛土、成就眾生,於空、無相、無作法中,以自調伏而不疲厭,是名有方便慧解。何謂無慧方便縛?謂菩薩住貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,而植眾德本,是名無慧方便縛。何謂有慧方便解?謂離諸貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,而植眾德本,迴向阿耨多羅三藐三菩提,是名有慧方便解。文殊師利!彼有疾菩薩,應如是觀諸法。又復觀身無常、苦、空、非我,是名為慧,雖身有疾,常在生死,饒益一切,而不厭倦,是名方便;又復觀身,身不離病,病不離身,是病是身,非新非故,是名為慧,設身有疾,而不永滅,是名方便。

(維摩詰は続けて言った——)「あの病ある菩薩はまさに復たこのように念ずべし——『我がこの病のごとく真にあらず有にあらざれば、衆生の病もまた真にあらず有にあらざるなり。』この観を作す時、諸の衆生に於てもし愛見の大悲を起こせば、即ちまさに捨離すべし。なぜなら、菩薩は客塵の煩悩を断除して大悲を起こす;愛見の悲は則ち生死に疲厭の心有らん;もし能くこれを離れば、疲厭なく、在在に生ずる所、愛見の覆う所と為らず。生ずる所に縛なくんば、能く衆生のために法を説きて縛を解かん。仏の説き給うがごとく——『もし自ら縛有りて能く彼の縛を解かば、是の理有ることなし;もし自ら縛なくして能く彼の縛を解かば、これ乃ち是の理有り。』と。故に菩薩はまさに縛を起こすべからず。何をか縛と謂う?何をか解と謂う?禅味に貪著するは、是れ菩薩の縛なり;方便を以て生ずるは、是れ菩薩の解なり。また方便なきの慧は縛、方便有るの慧は解;慧なきの方便は縛、慧有るの方便は解。何をか無方便慧の縛と謂う?是れ菩薩が愛見心を以て仏土を荘厳し衆生を成就して、空・無相・無作の法の中に於て自ら調伏するを説く、これを名づけて無方便慧の縛と為す。何をか有方便慧の解と謂う?是れ愛見心を以てせずして仏土を荘厳し衆生を成就して、空・無相・無作の法の中に於て自ら調伏して疲厭せざるを説く、これを名づけて有方便慧の解と為す。何をか無慧方便の縛と謂う?是れ菩薩が貪欲・瞋恚・邪見等の諸煩悩に住して衆の徳本を植うるを説く、これを名づけて無慧方便の縛と為す。何をか有慧方便の解と謂う?是れ諸の貪欲・瞋恚・邪見等の諸煩悩を離れて衆の徳本を植え、無上正等正覚に回向するを説く、これを名づけて有慧方便の解と為す。文殊師利!あの病ある菩薩はまさにかくのごとく諸法を観ずべし。また復た身を観ずるに無常・苦・空・非我なり、これを名づけて慧と為す;身に病あれども常に生死に在りて、一切を饒益して厭倦せざるを、これを名づけて方便と為す;また復た身を観ずるに、身は病を離れず、病は身を離れず、この病はすなわちこれ身にして、新にあらず故にあらず、これを名づけて慧と為す;假如身に病ありて永滅せざるを、これを名づけて方便と為す。

「文殊師利!有疾菩薩應如是調伏其心,不住其中,亦復不住不調伏心。所以者何?若住不調伏心,是愚人法;若住調伏心,是聲聞法。是故菩薩不當住於調伏、不調伏心,離此二法,是菩薩行。在於生死,不為汙行;住於涅槃,不永滅度,是菩薩行;非凡夫行,非賢聖行,是菩薩行;非垢行,非淨行,是菩薩行;雖過魔行,而現降眾魔,是菩薩行;求一切智,無非時求,是菩薩行;雖觀諸法不生,而不入正位,是菩薩行;雖觀十二緣起,而入諸邪見,是菩薩行;雖攝一切眾生,而不愛著,是菩薩行;雖樂遠離,而不依身心盡,是菩薩行;雖行三界,而不壞法性,是菩薩行;雖行於空,而植眾德本,是菩薩行;雖行無相,而度眾生,是菩薩行;雖行無作,而現受身,是菩薩行;雖行無起,而起一切善行,是菩薩行;雖行六波羅蜜,而遍知眾生心、心數法,是菩薩行;雖行六通,而不盡漏,是菩薩行;雖行四無量心,而不貪著生於梵世,是菩薩行;雖行禪定解脫三昧,而不隨禪生,是菩薩行;雖行四念處,而不永離身、受、心、法,是菩薩行;雖行四正勤,而不捨身心精進,是菩薩行;雖行四如意足,而得自在神通,是菩薩行;雖行五根,而分別眾生諸根利鈍,是菩薩行;雖行五力,而樂求佛十力,是菩薩行;雖行七覺分,而分別佛之智慧,是菩薩行;雖行八聖道,而樂行無量佛道,是菩薩行;雖行止觀助道之法,而不畢竟墮於寂滅,是菩薩行;雖行諸法不生不滅,而以相好莊嚴其身,是菩薩行;雖現聲聞、辟支佛威儀,而不捨佛法,是菩薩行;雖隨諸法究竟淨相,而隨所應為現其身,是菩薩行;雖觀諸佛國土永寂如空,而現種種清淨佛土,是菩薩行;雖得佛道轉於法輪、入於涅槃,而不捨於菩薩之道,是菩薩行。」

(維摩詰は続けて言った——)「文殊師利!病ある菩薩はまさにかくのごとくその心を調伏して、その中に住せず、また不調伏心にも住せざるべし。なぜなら、もし不調伏心に住せば是れ愚人の法なり;もし調伏心に住せば是れ声聞の法なり。故に菩薩はまさに調伏・不調伏心に住すべからず、此の二法を離るるが是れ菩薩の行なり。生死に在りて汚行を為さず;涅槃に住して永く滅度せざるが是れ菩薩の行なり;凡夫の行にあらず、賢聖の行にあらざるが是れ菩薩の行なり;垢行にあらず、浄行にあらざるが是れ菩薩の行なり;魔行を超過すれども衆魔を降伏するを示現するが是れ菩薩の行なり;一切智を求むれども時に非ざるを求めざるが是れ菩薩の行なり;諸法の不生を観ずれども正位に入らざるが是れ菩薩の行なり;十二縁起を観ずれども諸の邪見に入るが是れ菩薩の行なり;一切衆生を摂すれども愛著せざるが是れ菩薩の行なり;遠離を楽しめども身心の尽きるに依らざるが是れ菩薩の行なり;三界に行ずれども法性を壊らざるが是れ菩薩の行なり;空に行ずれども衆の徳本を植うるが是れ菩薩の行なり;無相に行ずれども衆生を度するが是れ菩薩の行なり;無作に行ずれども身を受くるを現ずるが是れ菩薩の行なり;無起に行ずれども一切の善行を起こすが是れ菩薩の行なり;六波羅蜜に行ずれども衆生の心・心所法を遍く知るが是れ菩薩の行なり;六通に行ずれども漏を盡さざるが是れ菩薩の行なり;四無量心に行ずれども梵世に生ずるを貪著せざるが是れ菩薩の行なり;禅定・解脱・三昧に行ずれども禅に随いて生ぜざるが是れ菩薩の行なり;四念処に行ずれども身・受・心・法を永く離れざるが是れ菩薩の行なり;四正勤に行ずれども身心の精進を捨てざるが是れ菩薩の行なり;四如意足に行ずれども自在の神通を得るが是れ菩薩の行なり;五根に行ずれども衆生の諸根の利鈍を分別するが是れ菩薩の行なり;五力に行ずれども仏の十力を楽求するが是れ菩薩の行なり;七覚分に行ずれども仏の智慧を分別するが是れ菩薩の行なり;八聖道に行ずれども無量の仏道を楽行するが是れ菩薩の行なり;止観の助道の法に行ずれども畢竟に寂滅に堕せざるが是れ菩薩の行なり;諸法不生不滅に行ずれども相好を以てその身を荘厳するが是れ菩薩の行なり;声聞・辟支仏の威儀を現ずれども仏法を捨てざるが是れ菩薩の行なり;諸法の究竟浄相に随えども応ずる所に随いてその身を現ずるが是れ菩薩の行なり;諸仏の国土の永く寂として空のごときを観ずれども種種の清浄の仏土を現ずるが是れ菩薩の行なり;仏道を得て法輪を転じ涅槃に入るれども菩薩の道を捨てざるが是れ菩薩の行なり。」

說是語時,文殊師利所將大眾其中八千天子,皆發阿耨多羅三藐三菩提心。

この語を説く時、文殊師利の率いる大衆の中の八千の天子は、皆無上正等正覚心を発したり。

維摩詰所說經不思議品第六

維摩詰所説経 不思議品第六

爾時舍利弗見此室中無有床座,作是念:「斯諸菩薩、大弟子眾,當於何坐?」

その時舎利弗はこの室の中に牀座なきを見て、このように念じた——「これらの菩薩・大弟子衆は、まさに何処に坐せん?」

長者維摩詰知其意,語舍利弗言:「云何仁者?為法來耶?求床座耶?」

長者維摩詰はその意を知りて、舎利弗に謂いて言う——「仁者の意にはいかん?法のために来たるか?それとも牀座を求めてか?」

舍利弗言:「我為法來,非為床座。」

舎利弗言う——「我は法のために来たれり、牀座のためにはあらず。」

維摩詰言:「唯,舍利弗!夫求法者,不貪軀命,何況床座?夫求法者,非有色、受、想、行、識之求,非有界、入之求,非有欲、色、無色之求。唯,舍利弗!夫求法者,不著佛求,不著法求,不著眾求;夫求法者,無見苦求,無斷集求,無造盡證、修道之求。所以者何?法無戲論,若言我當見苦、斷集、證滅、修道,是則戲論,非求法也。唯,舍利弗!法名寂滅,若行生滅,是求生滅,非求法也;法名無染,若染於法乃至涅槃,是則染著,非求法也;法無行處,若行於法,是則行處,非求法也;法無取捨,若取捨法,是則取捨,非求法也;法無處所,若著處所,是則著處,非求法也;法名無相,若隨相識,是則求相,非求法也;法不可住,若住於法,是則住法,非求法也;法不可見、聞、覺、知,若行見、聞、覺、知,是則見、聞、覺、知,非求法也;法名無為,若行有為,是求有為,非求法也:是故,舍利弗!若求法者,於一切法,應無所求。」

維摩詰言う——「ああ、舎利弗!法を求むる者とは、躯命を貪らず、況んや牀座をや?法を求むる者とは、色・受・想・行・識の求有るにあらず、界・入の求有るにあらず、欲・色・無色の求有るにあらず。ああ、舎利弗!法を求むる者とは、仏に著して求めず、法に著して求めず、衆に著して求めず;法を求むる者とは、苦を見るの求なく、集を断ずるの求なく、尽を造り証し道を修するの求なし。なぜなら、法に戯論なく、もし我まさに苦を見、集を断じ、滅を証し、道を修せんと言わば、これすなわち戯論にして求法にあらず。ああ、舎利弗!法は名づけて寂滅と曰う、もし生滅を行ぜば、是れ生滅を求むるにして求法にあらず;法は名づけて無染と曰う、もし法に染する乃至涅槃、これすなわち染着にして求法にあらず;法に行処なく、もし法に行ぜば、これすなわち行処にして求法にあらず;法に取捨なく、もし法を取捨せば、これすなわち取捨にして求法にあらず;法に処所なく、もし処所に著せば、これすなわち着処にして求法にあらず;法は名づけて無相と曰う、もし相に随いて識れば、これすなわち相を求むるにして求法にあらず;法は住すべからず、もし法に住せば、これすなわち法に住するにして求法にあらず;法は見・聞・覚・知すべからず、もし見・聞・覚・知を行ぜば、これすなわち見・聞・覚・知にして求法にあらず;法は名づけて無為と曰う、もし有為を行ぜば、是れ有為を求むるにして求法にあらず:この故に、舎利弗!もし法を求むる者は、一切法に於て、まさに求むる所なかるべし。」

說是語時,五百天子於諸法中得法眼淨。

この語を説く時、五百の天子は諸法の中に於て法眼浄を得たり。

爾時,長者維摩詰問文殊師利:「仁者遊於無量千萬億阿僧祇國,何等佛土有好上妙功德成就師子之座?」

その時、長者維摩詰は文殊師利に問う——「仁者は無量千万億の阿僧祇国に遊びたり、いずれか等なる仏土に好上妙なる功徳成就の師子の座あらん?」

文殊師利言:「居士!東方度三十六恆河沙國,有世界名須彌相,其佛號須彌燈王,今現在。彼佛身長八萬四千由旬,其師子座高八萬四千由旬,嚴飾第一。」

文殊師利言う——「居士!東方三十六の恒河沙国を過ぎて、世界あり名を須弥相と曰い、その仏は号して須弥燈王といい、いま現在に住したまう。あの仏の身の長さは八万四千由旬(ゆじゅん、距離の単位)にして、その師子座は高さ八万四千由旬にして、厳飾第一なり。」

於是長者維摩詰現神通力,即時彼佛遣三萬二千師子座,高廣嚴淨,來入維摩詰室,諸菩薩、大弟子、釋、梵、四天王等,昔所未見。其室廣博,悉皆包容三萬二千師子座,無所妨礙。於毘耶離城及閻浮提、四天下,亦不迫迮,悉見如故。

ここに長者維摩詰は神通力を現じて、即時にあの仏は三万二千の師子座を遣わし、高広にして厳浄なり、来たりて維摩詰の室に入る、諸の菩薩・大弟子・帝釈・梵王・四天王等の往昔見たる所にあらざりき。その室は広博にして、ことごとく三万二千の師子座を包容して妨げる所有り;毘耶離城および閻浮提・四天下に於ても、また迫窄にあらず、皆見ること故のごとし。

爾時維摩詰語文殊師利:「就師子座!與諸菩薩上人俱坐,當自立身如彼座像。」其得神通菩薩,即自變形為四萬二千由旬,坐師子座,諸新發意菩薩及大弟子皆不能昇。

その時維摩詰は文殊師利に言う——「師子座に就け!諸の菩薩上人と倶に坐せんに、まさに自ら身を立ててあの座のごとき様とすべし。」あの神通を得たる菩薩らは、即ち自ら形を変じて四万二千由旬と為して師子座に坐す、諸の新たに意を発せる菩薩および大弟子は皆升ること能わず。

爾時維摩詰語舍利弗:「就師子座!」舍利弗言:「居士!此座高廣,吾不能昇。」

その時維摩詰は舎利弗に言う——「師子座に就け!」舎利弗言う——「居士!この座は高広にして、我は升ること能わず。」

維摩詰言:「唯,舍利弗!為須彌燈王如來作禮,乃可得坐。」於是新發意菩薩及大弟子即為須彌燈王如來作禮,便得坐師子座。

維摩詰言う——「ああ、舎利弗!須弥燈王如来のために礼を作せば、乃ち坐すべきを得ん。」ここに新たに意を発せる菩薩および大弟子は即ち須弥燈王如来のために礼を作して、便ち師子座に坐することを得たり。

舍利弗言:「居士!未曾有也!如是小室,乃容受此高廣之座,於毘耶離城無所妨礙,又於閻浮提聚落、城邑,及四天下諸天、龍王、鬼神宮殿,亦不迫迮。」

舎利弗言う——「居士!未曾有なり!かくのごとき小さき室、乃ちかくのごとき高広の座を容受して、毘耶離城に於て妨げる所なく、また閻浮提の聚落・城邑および四天下の諸天・龍王・鬼神の宮殿に於ても、また迫窄ならず。」

維摩詰言:「唯,舍利弗!諸佛菩薩,有解脫名不可思議。若菩薩住是解脫者,以須彌之高廣內芥子中無所增減,須彌山王本相如故,而四天王、忉利諸天不覺不知己之所入,唯應度者乃見須彌入芥子中,是名住不思議解脫法門。又以四大海水入一毛孔,不嬈魚、鼈、黿、鼉水性之屬,而彼大海本相如故,諸龍、鬼神、阿修羅等不覺不知己之所入,於此眾生亦無所嬈。又,舍利弗!住不可思議解脫菩薩,斷取三千大千世界,如陶家輪,著右掌中,擲過恆河沙世界之外,其中眾生不覺不知己之所往;又復還置本處,都不使人有往來想,而此世界本相如故。又,舍利弗!或有眾生樂久住世而可度者,菩薩即延七日以為一劫,令彼眾生謂之一劫;或有眾生不樂久住而可度者,菩薩即促一劫以為七日,令彼眾生謂之七日。又,舍利弗!住不可思議解脫菩薩,以一切佛土嚴飾之事集在一國,示於眾生。又菩薩以一佛土眾生置之右掌,飛到十方遍示一切,而不動本處。又,舍利弗!十方眾生供養諸佛之具,菩薩於一毛孔皆令得見;又十方國土所有日、月、星宿,於一毛孔普使見之。又,舍利弗!十方世界所有諸風,菩薩悉能吸著口中,而身無損,外諸樹木亦不摧折;又十方世界劫盡燒時,以一切火內於腹中,火事如故而不為害。又於下方過恆河沙等諸佛世界,取一佛土舉著上方,過恆河沙無數世界,如持針鋒舉一棗葉,而無所嬈。又,舍利弗!住不可思議解脫菩薩,能以神通現作佛身,或現辟支佛身,或現聲聞身,或現帝釋身,或現梵王身,或現世主身,或現轉輪王身。又十方世界所有眾聲上、中、下音,皆能變之令作佛聲,演出無常、苦、空、無我之音,及十方諸佛所說種種之法,皆於其中普令得聞。舍利弗!我今略說菩薩不可思議解脫之力,若廣說者,窮劫不盡。」

維摩詰言う——「ああ、舎利弗!諸仏・菩薩に解脱あり名づけて不可思議と曰う。もし菩薩この解脱に住せば、須弥の高広を芥子の中に納めて増減する所なく、須弥山王は本相故のごとくにして、四天王・忉利の諸天は覚らず知らず自らの入る所を、ただ度すべきの人のみ須弥の芥子の中に入るを見る、これを名づけて不可思議解脱法門に住すと為す。また四大海の水を一毛孔に納めて、魚・鳖・黿・鼉の水性の類を擾わさず、しかしてあの大海は本相故のごとくにして、諸の龍・鬼神・阿修羅等は覚らず知らず自らの入る所を、この衆生に於ても擾わる所なし。また、舎利弗!不可思議解脱に住する菩薩は、三千大千世界を断取して、陶家の輪のごとく右掌の中に置きて、恒河沙世界の外に擲ち過ごす、その中の衆生は覚らず知らず自らの往く所を;また復た本処に放ち置きて、皆人をして往来の想有らしめず、しかしてこの世界は本相故のごとし。また、舎利弗!或る衆生は久しく世に住することを楽いて度すべき者は、菩薩は即ち七日を延らせて以て一劫と為し、あの衆生をして之を一劫と称せしむ;或る衆生は久しく住することを楽わずして度すべき者は、菩薩は即ち一劫を促して以て七日と為し、あの衆生をして之を七日と称せしむ。また、舎利弗!不可思議解脱に住する菩薩は、一切仏土の厳飾の事を集めて一国に在らしめて、衆生に示す。また菩薩は一の仏土の衆生を右掌に置きて、十方に飛びて遍く一切に示して、本処を動かさず。また、舎利弗!十方の衆生が諸仏を供養するの具を、菩薩は一毛孔に於て皆見しむ;また十方国土の所有の日・月・星宿を、一毛孔に於て普く見せしむ。また、舎利弗!十方世界の所有の諸風を、菩薩は皆能く口中に吸い入れて、身は損傷なく、外の諸の樹木もまた摧折せず;また十方世界の劫尽きて焼く時に、一切の火を腹中に納めて、火事は故のごとくにして害を為さず。また下方の恒河沙等の諸仏世界を過ぎて、一の仏土を取りて上方に挙げて、恒河沙の無數世界を過ぐること、針鋒を以て一の棗葉を挙げるがごとくにして、擾わる所なし。また、舎利弗!不可思議解脱に住する菩薩は、能く神通を以て仏身を現じ、或いは辟支仏身を現じ、或いは声聞身を現じ、或いは帝釈身を現じ、或いは梵王身を現じ、或いは世主身を現じ、或いは転輪王身を現ず。また十方世界の所有の衆声・上・中・下の音を、皆能く之を変じて仏声と作らしめ、無常・苦・空・無我の音を演出し、および十方の諸仏の説く所の種種の法を、皆その中に於て普く聞かしむ。舎利弗!我いま略して菩薩の不可思議解脱の力を説く、もし広く説かば、劫を窮めても説き尽くすべからず。」

是時大迦葉聞說菩薩不可思議解脫法門,歎未曾有,謂舍利弗:「譬如有人,於盲者前現眾色像,非彼所見;一切聲聞聞是不可思議解脫法門,不能解了,為若此也!智者聞是,其誰不發阿耨多羅三藐三菩提心?我等何為永絕其根,於此大乘已如敗種!一切聲聞聞是不可思議解脫法門,皆應號泣,聲震三千大千世界;一切菩薩應大欣慶,頂受此法。若有菩薩信解不可思議解脫法門者,一切魔眾無如之何。」大迦葉說是語時,三萬二千天子皆發阿耨多羅三藐三菩提心。

この時大迦葉は菩薩の不可思議解脱法門を説くを聞きて、未曾有と歎じ、舎利弗に謂いて言う——「たとえば人ありて盲人の前に衆の色像を顕現するも、彼の見る能く所にあらざるがごとし;一切の声聞この不可思議解脱法門を聞きて解了する能わざるは、すなわちこのごとし!智者これを聞きて、誰か無上正等正覚心を発せざらん?我らはなんの故にか永くその根を絶ちて、此の大乗に於てすでに敗種のごとくならん!一切の声聞この不可思議解脱法門を聞かば、皆まさに号泣して声を三千大千世界に震わすべし;一切の菩薩はまさに大いに欣慶してこの法を頂受すべし。もし菩薩ありて不可思議解脱法門を信解せば、一切の魔衆は彼に対して為す術なかるべし。」大迦葉この話を説く時、三万二千の天子は皆無上正等正覚心を発したり。

爾時維摩詰語大迦葉:「仁者!十方無量阿僧祇世界中作魔王者,多是住不可思議解脫菩薩。以方便力教化眾生,現作魔王。又,迦葉!十方無量菩薩,或有人從乞手足耳鼻、頭目髓腦、血肉皮骨、聚落城邑、妻子奴婢、象馬車乘、金銀琉璃、車磲馬碯、珊瑚琥珀、真珠珂貝、衣服飲食,如此乞者,多是住不可思議解脫菩薩,以方便力而往試之,令其堅固。所以者何?住不可思議解脫菩薩,有威德力,故現行逼迫,示諸眾生如是難事;凡夫下劣,無有力勢,不能如是逼迫菩薩。譬如龍象蹴踏,非驢所堪。是名住不可思議解脫菩薩智慧方便之門。」

その時維摩詰は大迦葉に言う——「仁者!十方の無量阿僧祇世界に於て魔王を作る者は、多くは不可思議解脱に住する菩薩にして、方便力を以て衆生を教化し、魔王と現作するなり。また、迦葉!十方の無量の菩薩に、或る人彼に向かって手足・耳鼻・頭目・髄脳・血肉・皮骨・聚落・城邑・妻子・奴婢・象馬・車乗・金銀・琉璃・砗磲・瑪瑙・珊瑚・琥珀・真珠・珂貝・衣服・飲食を乞う、このごとく乞う者は、多くは不可思議解脱に住する菩薩にして、方便力を以て往きて試験して、彼らをして堅固ならしむなり。なぜなら、不可思議解脱に住する菩薩は威徳力有れば、故に逼迫を示現して、諸の衆生にこのごとき難事を示す;凡夫下劣にして、力勢なく、能くこのごとく菩薩を逼迫するあらず。たとえば龍象の蹴踏するは、驢の堪え得る所にあらざるがごとし。これを名づけて不可思議解脱菩薩の智慧方便の門に住すと為す。」

維摩詰所說經觀眾生品第七

維摩詰所説経 観衆生品第七

爾時文殊師利問維摩詰言:「菩薩云何觀於眾生?」

その時文殊師利は維摩詰に問うて言う——「菩薩はいかにして衆生を観ずる?」

維摩詰言:「譬如幻師,見所幻人,菩薩觀眾生為若此。如智者見水中月,如鏡中見其面像,如熱時焰,如呼聲響,如空中云,如水聚沫,如水上泡,如芭蕉堅,如電久住,如第五大,如第六陰,如第七情,如十三入,如十九界,菩薩觀眾生為若此。如無色界色,如焦穀牙,如須陀洹身見,如阿那含入胎,如阿羅漢三毒,如得忍菩薩貪恚毀禁,如佛煩惱習,如盲者見色,如入滅盡定出入息,如空中鳥跡,如石女兒,如化人起煩惱,如夢所見已寤,如滅度者受身,如無因之火,菩薩觀眾生為若此。」

維摩詰言う——「たとえば幻師の幻じたる所の人を見るがごとく、菩薩の衆生を観ずるはこのごとし。智者の水中の月を見るがごとく、鏡の中にその面像を見るがごとく、熱時の焔のごとく、呼ぶ声の響きのごとく、空中の雲のごとく、水の聚沫のごとく、水上の泡のごとく、芭蕉の堅実のごとく、電の久住のごとく、第五大のごとく、第六陰のごとく、第七情のごとく、第十三入のごとく、第十九界のごとく、菩薩の衆生を観ずるはこのごとし。無色界の色のごとく、焦げたる穀種の芽を発するがごとく、須陀洹の身見のごとく、阿那含の入胎のごとく、阿羅漢(煩悩を断尽して受生せざる聖者)の三毒のごとく、忍を得たる菩薩の貪恚・毀禁のごとく、仏の煩悩習のごとく、盲者の色を見るがごとく、滅尽定に入りたるの出入息のごとく、空中の鳥の跡のごとく、石女の児のごとく、化人の煩悩を起こすがごとく、夢の中の見し已に覚めたるのごとく、滅度の者の再び身を受くるがごとく、因なき火のごとく、菩薩の衆生を観ずるはこのごとし。」

文殊師利言:「若菩薩作是觀者,云何行慈?」

文殊師利言う——「もし菩薩このごときの観を作さば、いかにして慈を行ぜん?」

維摩詰言:「菩薩作是觀已,自念:『我當為眾生說如斯法。』是即真實慈也。行寂滅慈,無所生故;行不熱慈,無煩惱故;行等之慈,等三世故;行無諍慈,無所起故;行不二慈,內外不合故;行不壞慈,畢竟盡故;行堅固慈,心無毀故;行清淨慈,諸法性淨故;行無邊慈,如虛空故;行阿羅漢慈,破結賊故;行菩薩慈,安眾生故;行如來慈,得如相故;行佛之慈,覺眾生故;行自然慈,無因得故;行菩提慈,等一味故;行無等慈,斷諸愛故;行大悲慈,導以大乘故;行無厭慈,觀空無我故;行法施慈,無遺惜故;行持戒慈,化毀禁故;行忍辱慈,護彼我故;行精進慈,荷負眾生故;行禪定慈,不受味故;行智慧慈,無不知時故;行方便慈,一切示現故;行無隱慈,直心清淨故;行深心慈,無雜行故;行無誑慈,不虛假故;行安樂慈,令得佛樂故。菩薩之慈,為若此也。」

維摩詰言う——「菩薩このごときの観を作し已りて後、自ら念じて言く——『我まさに衆生のためにかくのごときの法を説くべし。』これすなわち真実の慈なり。寂滅の慈を行ず、生ずる所なきが故に;熱なき慈を行ず、煩悩なきが故に;平等の慈を行ず、三世に等しきが故に;無諍の慈を行ず、起こる所なきが故に;不二の慈を行ず、内外合せざるが故に;不壊の慈を行ず、畢竟に尽きるが故に;堅固の慈を行ず、心に毀ることなきが故に;清浄の慈を行ず、諸法の性浄なるが故に;無辺の慈を行ず、虚空のごときが故に;阿羅漢の慈を行ず、結賊を破るが故に;菩薩の慈を行ず、衆生を安んずるが故に;如来の慈を行ず、如相を得るが故に;仏の慈を行ず、衆生を覚するが故に;自然の慈を行ず、因なく得るが故に;菩提の慈を行ず、一味に等しきが故に;無等の慈を行ず、諸の愛を断ずるが故に;大悲の慈を行ず、大乗を以て導引するが故に;無厭の慈を行ず、空・無我を観ずるが故に;法施の慈を行ず、遺惜なきが故に;持戒の慈を行ず、毀禁を教化するが故に;忍辱の慈を行ず、彼我を護るが故に;精進の慈を行ず、衆生を荷負するが故に;禅定の慈を行ず、味を受けざるが故に;智慧の慈を行ず、時を知らざるなきが故に;方便の慈を行ず、一切を示現するが故に;無隠の慈を行ず、直心清浄なるが故に;深心の慈を行ず、雑行なきが故に;無誑の慈を行ず、虚仮なきが故に;安楽の慈を行ず、仏の楽を得しむるが故に。菩薩の慈は、かくのごとし。」

文殊師利又問:「何謂為悲?」

文殊師利また問う——「何をか悲と謂う?」

答曰:「菩薩所作功德,皆與一切眾生共之。」

答えて言う——「菩薩の作す所の功徳は、皆一切衆生と共にす。」

「何謂為喜?」

(文殊師利また問う——)「何をか喜と謂う?」

答曰:「有所饒益,歡喜無悔。」

答えて言う——「饒益する所有れば、歓喜して悔いなし。」

「何謂為捨?」

(文殊師利また問う——)「何をか捨と謂う?」

答曰:「所作福祐,無所悕望。」

答えて言う——「作す所の福祐、希望する所なし。」

文殊師利又問:「生死有畏,菩薩當何所依?」

文殊師利また問う——「生死に畏あらば、菩薩はまさに何に依怙すべき?」

維摩詰言:「菩薩於生死畏中,當依如來功德之力。」

維摩詰言う——「菩薩は生死の畏の中に於て、まさに如来の功徳の力に依怙すべし。」

文殊師利又問:「菩薩欲依如來功德之力,當於何住?」

文殊師利また問う——「菩薩如来の功徳の力に依怙せんと欲せば、まさに何処に住すべき?」

答曰:「菩薩欲依如來功德力者,當住度脫一切眾生。」

答えて言う——「菩薩如来の功徳力に依怙せんと欲する者は、まさに一切衆生を度脱するに住すべし。」

又問:「欲度眾生,當何所除?」

また問う——「衆生を度せんと欲せば、まさに何を除くべき?」

答曰:「欲度眾生,除其煩惱。」

答えて言う——「衆生を度せんと欲せば、彼らの煩悩を除くべし。」

又問:「欲除煩惱,當何所行?」

また問う——「煩悩を除かんと欲せば、まさに何を行ずべき?」

答曰:「當行正念。」

答えて言う——「まさに正念を行ずべし。」

又問:「云何行於正念?」

また問う——「いかにして正念を行ず?」

答曰:「當行不生不滅。」

答えて言う——「まさに不生不滅を行ずべし。」

又問:「何法不生?何法不滅?」

また問う——「何の法が生ぜず?何の法が滅せず?」

答曰:「不善不生,善法不滅。」

答えて言う——「不善は生ぜず、善法は滅せず。」

又問:「善、不善孰為本?」

また問う——「善・不善は何を以て本と為す?」

答曰:「身為本。」

答えて言う——「身を以て本と為す。」

又問:「身孰為本?」

また問う——「身は何を以て本と為す?」

答曰:「欲貪為本。」

答えて言う——「欲貪を以て本と為す。」

又問:「欲貪孰為本?」

また問う——「欲貪は何を以て本と為す?」

答曰:「虛妄分別為本。」

答えて言う——「虚妄分別を以て本と為す。」

又問:「虛妄分別孰為本?」

また問う——「虚妄分別は何を以て本と為す?」

答曰:「顛倒想為本。」

答えて言う——「顛倒想を以て本と為す。」

又問:「顛倒想孰為本?」

また問う——「顛倒想は何を以て本と為す?」

答曰:「無住為本。」

答えて言う——「無住を以て本と為す。」

又問:「無住孰為本?」

また問う——「無住は何を以て本と為す?」

答曰:「無住則無本。文殊師利!從無住本,立一切法。」

答えて言う——「無住は則ち本なし。文殊師利!無住の本より、一切法を建立す。」

時維摩詰室有一天女,見諸大人聞所說法,便現其身,即以天華散諸菩薩、大弟子上。華至諸菩薩,即皆墮落,至大弟子,便著不墮。一切弟子神力去華,不能令去。爾時天女問舍利弗:「何故去華?」

時に維摩詰の室に一の天女あって、諸の大人の説かるる法を聴くを見て、便ちその身を現し、即ち天華を以て諸の菩薩・大弟子の上に散じたり。華は諸の菩薩に至れば、即ち皆堕落し;大弟子に至れば、便ち身に著いて堕せず。一切の弟子は神力を以て華を去らしめんとするも、能く去らしむることならず。その時天女は舎利弗に問う——「なんの故に華を去らんとする?」

答曰:「此華不如法,是以去之。」

答えて言う——「この華は法に如かず、故に之を去らんとす。」

天曰:「勿謂此華為不如法。所以者何?是華無所分別,仁者自生分別想耳!若於佛法出家,有所分別,為不如法;若無所分別,是則如法。觀諸菩薩華不著者,已斷一切分別想故。譬如人畏時,非人得其便;如是弟子畏生死故,色、聲、香、味、觸得其便也。已離畏者,一切五欲無能為也;結習未盡,華著身耳!結習盡者,華不著也。」

天女言う——「この華は法に如かずと思うなかれ。なぜなら、この華に分別する所なし、是れ仁者が自ら分別想を生ずるのみ!もし仏法に於て出家して分別する所有れば、是を法に如かずと為す;もし分別なければ、これすなわち法に如たり。諸の菩薩の華の身に著かざるを見るは、已に一切の分別想を断じたるが故なり。たとえば人の畏るる時、非人その便を得るがごとし;このごとく、弟子は生死を畏れるが故に、色・声・香・味・触がその便を得る。已に畏を離れたる者には、一切の五欲も彼をいかんともせず;結習未だ尽きざれば、華乃ち身に著くのみ!結習尽きたれば、華著かず。」

舍利弗言:「天止此室,其已久如?」

舎利弗言う——「天女この室に住して、已に久しきこと幾何ぞ?」

答曰:「我止此室,如耆年解脫。」

答えて言う——「我この室に住すること、耆年の解脱のごとし。」

舍利弗言:「止此久耶?」

舎利弗言う——「此に住して久しきか?」

天曰:「耆年解脫,亦何如久?」

天女言う——「耆年の解脱、またなんぞ久しきを算えん?」

舍利弗默然不答。天曰:「如何耆舊大智而默?」

舎利弗黙然として答えず。天女言う——「なんの故に耆旧大智にして黙する?」

答曰:「解脫者無所言說,故吾於是不知所云。」

答えて言う——「解脱の者は言説する所なし、故に我此に於て何をか言うべきを知らず。」

天曰:「言說文字,皆解脫相。所以者何?解脫者,不內不外,不在兩間;文字亦不內不外,不在兩間。是故,舍利弗!無離文字說解脫也。所以者何?一切諸法是解脫相。」

天女言う——「言说文字は、皆解脱相なり。なぜなら、解脱は内にあらず外にあらず、両間に在らず;文字もまた内にあらず外にあらず、両間に在らず。この故に、舎利弗!文字を離れて解脱を説くなかれ。なぜなら、一切の諸法はすなわち解脱相なればなり。」

舍利弗言:「不復以離婬、怒、痴為解脫乎?」

舎利弗言う——「復た淫・怒・痴を離るるを以て解脱と為さざるか?」

天曰:「佛為增上慢人說離婬、怒、痴為解脫耳;若無增上慢者,佛說婬、怒、痴性,即是解脫。」

天女言う——「仏は増上慢の人のために淫・怒・痴を離るるを解脱と説きたまうのみ;もし増上慢なき者には、仏は淫・怒・痴の性すなわち解脱と説きたまう。」

舍利弗言:「善哉,善哉!天女!汝何所得?以何為證?辯乃如是!」

舎利弗言う——「善きかな、善きかな!天女!汝は何を得たる?何を以て証と為す?弁才乃ちこのごとしとは!」

天曰:「我無得無證,故辯如是。所以者何?若有得有證者,即於佛法為增上慢。」

天女言う——「我は得なく証なし、この故に弁才このごとし。なぜなら、もし得あり証あらば、即ち仏法に於て増上慢と為らん。」

舍利弗問天:「汝於三乘為何志求?」

舎利弗天女に問う——「汝は三乗に於ていずれを志求する?」

天曰:「以聲聞法化眾生故,我為聲聞;以因緣法化眾生故,我為辟支佛;以大悲法化眾生故,我為大乘。舍利弗!如人入瞻蔔林,唯嗅瞻蔔,不嗅餘香。如是,若入此室,但聞佛功德之香,不樂聞聲聞、辟支佛功德香也。舍利弗!其有釋、梵、四天王,諸天、龍、鬼神等,入此室者,聞斯上人講說正法,皆樂佛功德之香,發心而出。舍利弗!吾止此室十有二年,初不聞說聲聞、辟支佛法,但聞菩薩大慈大悲、不可思議諸佛之法。舍利弗!此室常現八未曾有難得之法。何等為八?此室常以金色光照,晝夜無異,不以日月所照為明,是為一未曾有難得之法;此室入者,不為諸垢之所惱也,是為二未曾有難得之法;此室常有釋、梵、四天王、他方菩薩來會不絕,是為三未曾有難得之法;此室常說六波羅蜜不退轉法,是為四未曾有難得之法;此室常作天人第一之樂,絃出無量法化之聲,是為五未曾有難得之法;此室有四大藏,眾寶積滿,賙窮濟乏,求得無盡,是為六未曾有難得之法;此室釋迦牟尼佛、阿彌陀佛、阿閦佛、寶德、寶炎、寶月、寶嚴、難勝、師子響一切利成,如是等十方無量諸佛,是上人念時即皆為來,廣說諸佛秘要法藏,說已還去,是為七未曾有難得之法;此室一切諸天嚴飾宮殿、諸佛淨土,皆於中現,是為八未曾有難得之法。舍利弗!此室常現八未曾有難得之法,誰有見斯不思議事,而復樂於聲聞法乎?」

天女言う——「声聞法を以て衆生を教化するが故に、我は声聞と為り;因縁法を以て衆生を教化するが故に、我は辟支仏と為り;大悲法を以て衆生を教化するが故に、我は大乗と為る。舎利弗!たとえば人の瞻卜林(栴檀林)に入れば、ただ瞻卜を嗅ぐのみ、余の香を嗅がざるがごとし。このごとく、もしこの室に入らば、ただ仏の功徳の香を聞き、声聞・辟支仏の功徳の香を聞くを楽わず。舎利弗!もし帝釈・梵王・四天王、諸天・龍・鬼神等この室に入る者あらば、こちの上人の正法を講説するを聞きて、皆仏の功徳の香を楽いて、心を発して出づ。舎利弗!我この室に住すること十有二年、初めより声聞・辟支仏の法を説くを聞かず、ただ菩薩の大慈大悲・不可思議なる諸仏の法を聞くのみ。舎利弗!この室は常に八種の未曾有難得の法を現ず。いずれの八種ぞ。この室は常に金色の光を以て照し、昼夜異なりなく、日月の照るを以て明と為さず、これ第一の未曾有難得の法なり;この室に入る者、諸の垢に悩わされず、これ第二なり;この室は常に帝釈・梵王・四天王・他方の菩薩の来会絶えず、これ第三なり;この室は常に六波羅蜜の不退転法を説く、これ第四なり;この室は常に天人第一の楽を作し、絃は無量の法化の声を出す、これ第五なり;この室に四大蔵ありて、衆宝積み満ち、窮乏を周済して求めて尽きず、これ第六なり;この室に釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・阿閦仏・宝徳・宝炎・宝月・宝厳・難勝・師子響・一切利成、このごとき等の十方無量の諸仏は、こちの上人が憶念する時即ち皆来たりて、広く諸仏の秘要法蔵を説きて、説き已りて帰る、これ第七なり;この室に一切諸天の厳飾せる宮殿・諸仏の浄土、皆その中に顕現す、これ第八なり。舎利弗!この室は常に八種の未曾有難得の法を現ず、誰かかくのごとき不可思議の事を見て、復た声聞法を楽わん?」

舍利弗言:「汝何以不轉女身?」

舎利弗言う——「汝なんの故に女身を転ぜざる?」

天曰:「我從十二年來,求女人相了不可得,當何所轉?譬如幻師化作幻女,若有人問:『何以不轉女身?』是人為正問不?」

天女言う——「我十二年以来、女人の相を求めて了に得ず、まさに何を転ぜん?たとえば幻師の化作する幻女に、もし人問わん——『なんの故に女身を転ぜざる?』——この人の問いは正しきか?」

舍利弗言:「不也!幻無定相,當何所轉?」

舎利弗言う——「然らず!幻は定相なし、まさに何を転ぜん?」

天曰:「一切諸法亦復如是,無有定相,云何乃問不轉女身?」

天女言う——「一切の諸法もまたこのごとく、定相あらず、なんぞ復た女身を転ぜずと問う?」

即時天女以神通力,變舍利弗令如天女,天自化身如舍利弗,而問言:「何以不轉女身?」

即時天女は神通力を以て、舎利弗を変じて天女のごとくせしめ、天女は自ら身を化して舎利弗のごとくして、問うて言う——「なんの故に女身を転ぜざる?」

舍利弗以天女像而答言:「我今不知何轉而變為女身?」

舎利弗天女の像を以て答えて言う——「我いま何を以て転じて女身と変ぜられしを知らず?」

天曰:「舍利弗!若能轉此女身,則一切女人亦當能轉。如舍利弗非女而現女身,一切女人亦復如是,雖現女身,而非女也。是故佛說一切諸法非男、非女。」

天女言う——「舎利弗!もし能くこの女身を転ずれば、則ち一切の女人もまたまさに能く転ずべし。舎利弗の女にあらずして女身を現ずるがごとく、一切の女人もまたこのごとく、女身を現ずと雖も、是れ女にあらず。この故に仏は一切の諸法は男に非ず女に非ずと説きたまう。」

即時天女還攝神力,舍利弗身還復如故。天問舍利弗:「女身色相今何所在?」

即時天女は還りて神力を摂して、舎利弗の身は還りて故のごとく復す。天女舎利弗に問う——「女身の色相はいま何処に在る?」

舍利弗言:「女身色相,無在無不在。」

舎利弗言う——「女身の色相は、在なく不在なし。」

天曰:「一切諸法,亦復如是,無在無不在。夫無在無不在者,佛所說也。」

天女言う——「一切の諸法もまたこのごとく、在なく不在なし。いわゆる在なく不在なしは、是れ仏の説かるる所なり。」

舍利弗問天:「汝於此沒,當生何所?」

舎利弗天女に問う——「汝此に没して、まさに何処に生ぜん?」

天曰:「佛化所生,吾如彼生。」

天女言う——「仏の化して生ずる所、我彼の生のごとし。」

曰:「佛化所生,非沒生也。」

(舎利弗)言う——「仏の化して生ずる所は、没して生ずるにあらず。」

天曰:「眾生猶然,無沒生也。」

天女言う——「衆生もまたこのごとく、没して生ずることなし。」

舍利弗問天:「汝久如當得阿耨多羅三藐三菩提?」

舎利弗天女に問う——「汝幾久しきに当に無上正等正覚を得べき?」

天曰:「如舍利弗還為凡夫,我乃當成阿耨多羅三藐三菩提。」

天女言う——「舎利弗の還りて凡夫と為るがごとくにして、我乃ちまさに無上正等正覚と為るべし。」

舍利弗言:「我作凡夫,無有是處。」

舎利弗言う——「我凡夫と作るは、是の理あらず。」

天曰:「我得阿耨多羅三藐三菩提,亦無是處。所以者何?菩提無住處,是故無有得者。」

天女言う——「我の無上正等正覚を得るも、また是の理あらず。なぜなら、菩提に住処なければ、得る者なきが故に。」

舍利弗言:「今諸佛得阿耨多羅三藐三菩提,已得、當得如恆河沙,皆謂何乎?」

舎利弗言う——「いま諸仏の無上正等正覚を得たる、已に得たり当に得べしとて恒河沙のごとくなるは、皆何を説く所ぞ?」

天曰:「皆以世俗文字數故,說有三世,非謂菩提有去、來、今。」

天女言う——「皆世俗の文字計数の故を以て、三世ありと説くのみ、菩提に去・来・今ありと説くにあらず。」

天曰:「舍利弗!汝得阿羅漢道耶?」

天女言う——「舎利弗!汝阿羅漢道を得たりや?」

曰:「無所得故而得。」

(舎利弗)言う——「得る所なきが故を以て得たり。」

天曰:「諸佛、菩薩亦復如是,無所得故而得。」

天女言う——「諸仏・菩薩もまたこのごとく、得る所なきが故を以て得たり。」

爾時維摩詰語舍利弗:「是天女已曾供養九十二億佛,已能遊戲菩薩神通,所願具足,得無生忍,住不退轉;以本願故,隨意能現,教化眾生。」

その時維摩詰は舎利弗に謂いて言う——「この天女は已に九十二億の仏を供養し、已に能く菩薩の神通に遊戯し、願する所具足し、無生忍を得て、不退転に住す;本願の故を以て、意に随ひて能く現じて、衆生を教化す。」

維摩詰所說經佛道品第八

維摩詰所説経 仏道品第八

爾時文殊師利問維摩詰言:「菩薩云何通達佛道?」

その時文殊師利は維摩詰に問うて言う——「菩薩はいかにして仏道に通達する?」

維摩詰言:「若菩薩行於非道,是為通達佛道。」

維摩詰言う——「もし菩薩非道に行ずれば、これすなわち仏道に通達す。」

又問:「云何菩薩行於非道?」

また問う——「菩薩はいかにして非道に行ず?」

答曰:「若菩薩行五無間,而無惱恚;至於地獄,無諸罪垢;至於畜生,無有無明、憍慢等過;至於餓鬼,而具足功德;行色、無色界道,不以為勝。示行貪欲,離諸染著;示行瞋恚,於諸眾生無有恚閡;示行愚痴,而以智慧調伏其心;示行慳貪,而捨內外所有,不惜身命;示行毀禁,而安住淨戒,乃至小罪猶懷大懼;示行瞋恚,而常慈忍;示行懈怠,而懃修功德;示行亂意,而常念定;示行愚痴,而通達世間、出世間慧;示行諂偽,而善方便隨諸經義;示行憍慢,而於眾生猶如橋梁;示行諸煩惱,而心常清淨;示入於魔,而順佛智慧,不隨他教;示入聲聞,而為眾生說未聞法;示入辟支佛,而成就大悲,教化眾生;示入貧窮,而有寶手,功德無盡;示入形殘,而具諸相好,以自莊嚴;示入下賤,而生佛種姓中,具諸功德;示入羸劣醜陋,而得那羅延身,一切眾生之所樂見;示入老病,而永斷病根,超越死畏;示有資生,而恆觀無常,實無所貪;示有妻妾采女,而常遠離五欲淤泥;現於訥鈍,而成就辯才,總持無失;示入邪濟,而以正濟度諸眾生;現遍入諸道,而斷其因緣;現於涅槃,而不斷生死。文殊師利!菩薩能如是行於非道,是為通達佛道。」

答えて言う——「もし菩薩五無間に行ずるに、悩恚なく;地獄に至るに、諸の罪垢なく;畜生に至るに、無明・驕慢等の過なく;餓鬼に至るに、功徳具足せり;色・無色界の道に行ずるに、以て勝りと為さず。貪欲を行ずと示すに、諸の染着を離れ;瞋恚を行ずと示すに、諸の衆生に恚礙なく;愚痴を行ずと示すに、智慧を以てその心を調伏す;慳貪を行ずと示すに、内外の所有を捨てて、身命を惜しまず;毀禁を行ずと示すに、浄戒に安住して、乃至小罪にも還りて大懼を懐く;瞋恚を行ずと示すに、常に慈忍し;懈怠を行ずと示すに、勤めて功徳を修し;乱意を行ずと示すに、常に定を念じ;愚痴を行ずと示すに、世間・出世間の慧に通達し;諂偽を行ずと示すに、善き方便を以て諸の経義に随い;驕慢を行ずと示すに、衆生に於て猶お橋梁のごとし;諸の煩悩を行ずと示すに、心は常に清浄なり;魔に入るを示すに、仏の智慧に順いて、他の教に随わず;声聞に入るを示すに、衆生のために未だ聞かざるの法を説き;辟支仏に入るを示すに、大悲を成就して衆生を教化し;貧窮に入るを示すに、宝手ありて功徳無尽なり;形残に入るを示すに、諸の相好を具えて自ら荘厳す;下賎に入るを示すに、仏種姓の中に生まれて諸の功徳を具え;羸劣醜陋に入るを示すに、那羅延(金剛の力士)の身を得て、一切衆生の見るを楽わしむ;老病に入るを示すに、永く病根を断じて死の畏を超越す;資生有るを示すに、恒に無常を観じて実に貪る所なし;妻妾・采女有るを示すに、常に五欲の淤泥を遠離す;訥鈍に現ずるに、弁才を成就して総持失わず;邪済に入るを示すに、正済を以て諸の衆生を度し;遍く諸道に入るを現ずるに、その因縁を断じ;涅槃に現ずるに、生死を断たず。文殊師利!菩薩能くこのごとく非道に行ずれば、これすなわち仏道に通達す。」

於是維摩詰問文殊師利:「何等為如來種?」

ここに維摩詰は文殊師利に問う——「何をか如来種と為す?」

文殊師利言:「有身為種,無明有愛為種,貪恚痴為種,四顛倒為種,五蓋為種,六入為種,七識處為種,八邪法為種,九惱處為種,十不善道為種:以要言之,六十二見及一切煩惱,皆是佛種。」

文殊師利言う——「身有りを種と為し、無明・愛有りを種と為し、貪・恚・痴を種と為し、四顛倒を種と為し、五蓋を種と為し、六入を種と為し、七識処を種と為し、八邪法を種と為し、九悩処を種と為し、十不善道を種と為す:要して之を言えば、六十二見および一切の煩悩は、皆是れ仏種なり。」

曰:「何謂也?」

(維摩詰)言う——「是れ何の意ぞ?」

答曰:「若見無為入正位者,不能復發阿耨多羅三藐三菩提心。譬如高原陸地不生蓮華,卑濕淤泥乃生此華;如是見無為法入正位者,終不復能生於佛法,煩惱泥中,乃有眾生起佛法耳!又如殖種於空,終不得生,糞壤之地,乃能滋茂;如是入無為正位者,不生佛法,起於我見如須彌山,猶能發於阿耨多羅三藐三菩提心,生佛法矣!是故,當知一切煩惱為如來種。譬如不下巨海,不能得無價寶珠;如是不入煩惱大海,則不能得一切智寶。」

答えて言う——「もし無為を見て正位に入る者は、復た無上正等正覚心を発すること能わず。たとえば高原陸地には蓮花生ぜず、卑湿の淤泥にして乃ちこの花を生ずるがごとし;このごとく、無為法を見て正位に入る者は、終に能く復た仏法に生生ぜざるに、煩悩泥の中にして、乃ち衆生ありて仏法を起こすのみ!また種を空中に殖うるがごとくは、終に生ずることを得ず、糞壌の地にして乃ち滋茂すること能うがごとし;このごとく無為正位に入る者は、仏法を生ぜず;たとえ我見の須弥山のごときにしても、なお能く無上正等正覚心を発して仏法を生ぜん!この故に、まさに知るべし一切の煩悩を如来種と為すと。たとえば巨海に下らざれば、能く無価の宝珠を得るあらざるがごとし;このごとく煩悩の大海に入らざれば、則ち能く一切智の宝を得るあらず。」

爾時大迦葉歎言:「善哉,善哉!文殊師利!快說此語。誠如所言,塵勞之疇為如來種;我等今者,不復堪任發阿耨多羅三藐三菩提心,乃至五無間罪,猶能發意生於佛法,而今我等永不能發。譬如根敗之士,其於五欲不能復利;如是聲聞諸結斷者,於佛法中無所復益,永不志願。是故,文殊師利!凡夫於佛法有返復,而聲聞無也。所以者何?凡夫聞佛法,能起無上道心,不斷三寶;正使聲聞終身聞佛法、力、無畏等,永不能發無上道意。」

その時大迦葉は讃歎して言う——「善きかな、善きかな!文殊師利!痛快にこの話を説く。誠に言うがごとく、塵労の儔を如来種と為す;我らはいま復た無上正等正覚心を発するに堪えず、乃至五無間の罪にもなお能く意を発して仏法に生ずべきに、しかして今や我らは永く発する能わず。たとえば根の敗れたる士は、五欲に於て復た利を得ること能わざるがごとし;このごとく声聞の諸結已に断じたるは、仏法の中に於て再び益する所なく、永く志願せず。この故に、文殊師利!凡夫は仏法に反覆ありて、しかして声聞には是れなし。なぜなら、凡夫は仏法を聞きて、能く無上道心を起こし、三宝を断たざれば;たとえ声聞は身終るまで仏法・力・無畏等を聞くとも、永く無上道意を発する能わざるが故に。」

爾時會中有菩薩,名普現色身,問維摩詰言:「居士!父母妻子、親戚眷屬、吏民知識,悉為是誰?奴婢僮僕、象馬車乘,皆何所在?」

その時会の中に菩薩ありて、名を普現色身と曰い、維摩詰に問うて言う——「居士!父母・妻子・親戚・眷属・吏民・知識は、皆誰ぞや?奴婢・僮僕・象馬・車乗は、皆何処に在る?」

於是維摩詰以偈答曰:

ここに維摩詰は偈を以て答えて言う——

「智度菩薩母,方便以為父,

「般若は菩薩の母と為し、方便を以て父と為し、

一切眾導師,無不由是生。

一切の衆の導師は、此に由らずして生ずることなし。

法喜以為妻,慈悲心為女,

法喜を以て妻と為し、慈悲の心を女と為し、

善心誠實男,畢竟空寂舍。

善心誠実を男と為し、畢竟空寂を舎と為す。

弟子眾塵勞,隨意之所轉,

弟子は是れ衆の塵労、意に随ふ所の転ずるところ、

道品善知識,由是成正覺。

道品は是れ善知識、此に由りて正覚を成す。

諸度法等侶,四攝為伎女,

諸度の法を等侣と為し、四摂を伎女と為し、

歌詠誦法言,以此為音樂。

歌詠し法言を誦するを、此を以て音楽と為す。

總持之園苑,無漏法林樹,

総持を園苑と為し、無漏法を林樹と為し、

覺意淨妙華,解脫智慧果。

覚意を浄妙の華と為し、解脱智慧を果と為す。

八解之浴池,定水湛然滿,

八解脱を浴池と為し、定水は湛然として満ち、

布以七淨華,浴此無垢人。

布きて七浄の華と為し、此の無垢の人を浴せしむ。

象馬五通馳,大乘以為車,

象馬は五通を以て馳せ、大乗を以て車と為し、

調御以一心,遊於八正路。

調御するに一心を以て、八正路に遊ぶ。

相具以嚴容,眾好飾其姿,

相具して以て容を厳とし、衆好その姿を飾り、

慚愧之上服,深心為華鬘。

慚愧を上服と為し、深心を華鬘と為す。

富有七財寶,教授以滋息,

七財の宝に富み、教授を以て滋息と為し、

如所說修行,迴向為大利。

説くがごとく修行し、回向して大利益と為す。

四禪為床座,從於淨命生,

四禅を牀座と為し、浄命に従りて生じ、

多聞增智慧,以為自覺音。

多聞に智慧を増し、以て自覚の音と為す。

甘露法之食,解脫味為漿,

甘露法を食と為し、解脱の味を漿と為し、

淨心以澡浴,戒品為塗香。

浄心を以て澡浴し、戒品を塗香と為す。

摧滅煩惱賊,勇健無能踰,

煩悩の賊を摧滅し、勇健にして踰ゆる能くするなし、

降伏四種魔,勝幡建道場。

四種の魔を降伏し、勝幡を道場に建つ。

雖知無起滅,示彼故有生,

起滅なきを知ると雖も、彼を示すが故に生有り、

悉現諸國土,如日無不見。

諸の国土を全部顕現するに、日の見えざるなきがごとし。

供養於十方,無量億如來,

十方の無量億の如来を供養す、

諸佛及己身,無有分別想。

諸仏および己の身に、分別想あることなし。

雖知諸佛國,及與眾生空,

諸仏の国および衆生の空なるを知ると雖も、

而常修淨土,教化於群生。

常に浄土を修して、群生を教化す。

諸有眾生類,形聲及威儀,

諸の有する衆生の類、形声および威儀を、

無畏力菩薩,一時能盡現。

無畏力の菩薩は、一時に能く尽く現ず。

覺知眾魔事,而示隨其行,

衆の魔事を覚知して、随ひてその行を示現し、

以善方便智,隨意皆能現。

善き方便の智を以て、意に随ひて皆能く現ず。

或示老病死,成就諸群生,

或いは老病死を示して、諸の群生を成就し、

了知如幻化,通達無有礙;

幻化のごとく了知して、通達して障碍なし;

或現劫盡燒,天地皆洞然,

或いは劫尽きて焼けるを現じ、天地皆洞然として、

眾人有常想,照令知無常。

衆人に常の想有るを、照らして無常を知らしむ。

無數億眾生,俱來請菩薩,

無数億の衆生、斉しく来たりて菩薩を請い、

一時到其舍,化令向佛道。

一時にその舎に到りて、教化して仏道に向わしむ。

經書禁呪術,工巧諸伎藝,

経書・禁呪の術、工巧の諸の伎芸を、

盡現行此事,饒益諸群生。

全部現じて此の事を行い、諸の群生を饒益す。

世間眾道法,悉於中出家,

世間の衆の道法に、皆その中に於て出家し、

因以解人惑,而不墮邪見。

因りて人の惑を解きて、邪見に堕せず。

或作日月天,梵王世界主,

或いは日月天を作り、梵王・世界の主と為り、

或時作地水,或復作風火。

或いは時に地水を作り、或いはまた風火を作す。

劫中有疾疫,現作諸藥草,

劫の中に疾疫あれば、諸の薬草と現作し、

若有服之者,除病消眾毒;

もし服飲する有る者は、病を除き衆毒を消す;

劫中有飢饉,現身作飲食,

劫の中に飢饉あれば、身を現じて飲食を作り、

先救彼飢渴,卻以法語人;

まず彼の飢渇を救いて、復た法を以て人に語る;

劫中有刀兵,為之起慈悲,

劫の中に刀兵あれば、之のために慈悲を起こし、

化彼諸眾生,令住無諍地。

あの衆生を教化して、無諍の地に住せしむ。

若有大戰陣,立之以等力,

もし大いなる戦陣あれば、等力を以て之を立て、

菩薩現威勢,降伏使和安。

菩薩威勢を現じて、降伏して和安せしむ。

一切國土中,諸有地獄處,

一切の国土の中、諸の地獄の処あるを、

輒往到於彼,勉濟其苦惱;

乃ち往きて彼処に至りて、勉力してその苦悩を救済す;

一切國土中,畜生相食噉,

一切の国土の中、畜生の相食啖するを、

皆現生於彼,為之作利益。

皆彼処に生ずると現じて、彼らのために利益を作す。

示受於五欲,亦復現行禪,

五欲を受けるを示し、また復た禅を現行し、

令魔心憒亂,不能得其便。

魔をして心を愦乱せしめ、其の便を得しめず。

火中生蓮華,是可謂希有,

火の中に蓮花を生ずるは、これを希有と称すべし、

在欲而行禪,希有亦如是。

欲に在りて禅を行ずるも、希有はまたこのごとし。

或現作婬女,引諸好色者,

或いは淫女を現作して、諸の好色の人を引き、

先以欲鉤牽,後令入佛智;

まず欲鉤を以て牽きて、然る後に仏智に入らしむ;

或為邑中主,或作商人導,

或いは城邑中の主事を作り、或いは商人の向導を作り、

國師及大臣,以祐利眾生。

国師および大臣を作し、以て衆生を祐利す。

諸有貧窮者,現作無盡藏,

およそ貧窮の人有るには、乃ち无尽の宝蔵と現作し、

因以勸導之,令發菩提心。

因りて彼らを勧導して、菩提心を発せしむ。

我心憍慢者,為現大力士,

内に驕慢ある人には、彼らのために大力士を現作し、

消伏諸貢高,令住無上道。

諸種の貢高を消伏して、無上道に住せしむ。

其有恐懼眾,居前而慰安,

あの恐懼の大衆には、乃ち前に立ちて慰安し、

先施以無畏,後令發道心。

まず彼らに無畏を施して、然る後に道心を発せしむ。

或現離婬欲,為五通仙人,

或いは淫欲を出離して、五通の仙人を現作し、

開導諸群生,令住戒忍慈。

諸の群生を開導して、戒・忍・慈に住せしむ。

見須供事者,現為作僮僕,

供事を須つる人を見れば、乃ち身を現じて僮僕を作し、

既悅可其意,乃發以道心,

既にその意を悦可せしめ、乃ち道心を以て啓発す、

隨彼之所須,得入於佛道,

彼の須つる所に随ひて、仏道に進入することを得、

以善方便力,皆能給足之。

善き方便の力を以て、皆能く彼らに給足す。

如是道無量,所行無有涯,

かくのごときの道は無量にして、行ふ所辺際なく、

智慧無邊際,度脫無數眾。

智慧辺際なくして、無数の衆生を度脱す。

假令一切佛,於無量億劫,

仮令一切の仏が、無量億劫の中に於て、

讚歎其功德,猶尚不能盡。

彼の功徳を讃歎するも、尚お窮尽すること能わず。

誰聞如是法,不發菩提心?

誰かかくのごときの法を聞きて、菩提心を発せざらん?

除彼不肖人,痴冥無智者。」

ただあの不肖の人、痴冥にして智慧なきを除いては。」

維摩詰所說經入不二法門品第九

維摩詰所説経 不二法門品第九

爾時維摩詰謂眾菩薩言:「諸仁者!云何菩薩入不二法門?各隨所樂說之。」

その時維摩詰は衆の菩薩に謂いて言う——「諸の仁者!菩薩はいかにして不二法門に入る?各々楽む所に随ひて説け。」

會中有菩薩名法自在,說言:「諸仁者!生滅為二。法本不生,今則無滅,得此無生法忍,是為入不二法門。」

会中に一の菩薩あり名を法自在と曰いて言う——「諸の仁者!生と滅とは是れ二なり。法は本より生ぜず、いま則ち滅もなし、この無生法忍を得れば、これすなわち不二法門に入るなり。」

德守菩薩曰:「我、我所為二。因有我故,便有我所;若無有我,則無我所,是為入不二法門。」

徳守菩薩言う——「我と我所とは是れ二なり。我有るに因りて、便ち我所有り;若し我なければ、則ち我所なし、これすなわち不二法門に入るなり。」

不眴菩薩曰:「受、不受為二。若法不受,則不可得;以不可得故,無取無捨、無作無行,是為入不二法門。」

不眴菩薩言う——「受と不受とは是れ二なり。もし法を受けざれば、則ち得るべからず;得るべからざるが故に、取なく捨なく、作なく行なし、これすなわち不二法門に入るなり。」

德頂菩薩曰:「垢、淨為二。見垢實性,則無淨相,順於滅相,是為入不二法門。」

徳頂菩薩言う——「垢と浄とは是れ二なり。垢の実性を見れば、則ち浄相なし、滅相に随順すれば、これすなわち不二法門に入るなり。」

善宿菩薩曰:「是動、是念為二。不動則無念,無念則無分別,通達此者,是為入不二法門。」

善宿菩薩言う——「こちの動とこちの念とは是れ二なり。動かざれば則ち念なく、念なければ則ち分別なし、これを通達する者は、これすなわち不二法門に入るなり。」

善眼菩薩曰:「一相、無相為二。若知一相即是無相,亦不取無相,入於平等,是為入不二法門。」

善眼菩薩言う——「一相と无相とは是れ二なり。もし一相はすなわち无相なるを知るも、また无相を取らずして、平等に入るは、これすなわち不二法門に入るなり。」

妙臂菩薩曰:「菩薩心、聲聞心為二。觀心相空如幻化者,無菩薩心、無聲聞心,是為入不二法門。」

妙臂菩薩言う——「菩薩心と声聞心とは是れ二なり。心相の空にして幻化のごときを観ずれば、菩薩心なく声聞心なし、これすなわち不二法門に入るなり。」

弗沙菩薩曰:「善、不善為二。若不起善、不善,入無相際而通達者,是為入不二法門。」

弗沙菩薩言う——「善と不善とは是れ二なり。もし善と不善を起こさずして、无相の際に入りて通達するは、これすなわち不二法門に入るなり。」

師子菩薩曰:「罪、福為二。若達罪性,則與福無異,以金剛慧決了此相,無縛無解者,是為入不二法門。」

師子菩薩言う——「罪と福とは是れ二なり。もし罪性を通達すれば、則ち福と差異なし、金剛慧を以てこの相を決了して、縛なく解なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」

師子意菩薩曰:「有漏、無漏為二。若得諸法等,則不起漏、不漏想,不著於相,亦不住無相,是為入不二法門。」

師子意菩薩言う——「有漏と無漏とは是れ二なり。もし諸法の平等を得れば、則ち漏と不漏との想を起こさず、相に著せず、また无相にも住せず、これすなわち不二法門に入るなり。」

淨解菩薩曰:「有為、無為為二。若離一切數,則心如虛空,以清淨慧無所礙者,是為入不二法門。」

浄解菩薩言う——「有為と無為とは是れ二なり。もし一切の数量を離れれば、心は虚空のごとく、清浄の慧を以て障碍なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」

那羅延菩薩曰:「世間、出世間為二。世間性空,即是出世間,於其中不入、不出、不溢、不散,是為入不二法門。」

那羅延菩薩言う——「世間と出世間とは是れ二なり。世間の性は空なれば、すなわち是れ出世間、その中に於て入らず出でず、溢れず散ぜず、これすなわち不二法門に入るなり。」

善意菩薩曰:「生死、涅槃為二。若見生死性,則無生死,無縛無解,不然不滅,如是解者,是為入不二法門。」

善意菩薩言う——「生死と涅槃とは是れ二なり。もし生死の性を見れば、則ち生死なく、縛なく解なく、燃えず滅せず、かくのごとく解する者は、これすなわち不二法門に入るなり。」

現見菩薩曰:「盡、不盡為二。法若究竟盡、若不盡,皆是無盡相;無盡相即是空,空則無有盡、不盡相。如是入者,是為入不二法門。」

現見菩薩言う——「尽と不尽とは是れ二なり。法は若し究竟に尽き、若し尽きざるとも、皆无尽相なり;无尽相はすなわち是れ空、空なれば則ち尽と不尽の相なし。かくのごとく入るは、これすなわち不二法門に入るなり。」

普守菩薩曰:「我、無我為二。我尚不可得,非我何可得?見我實性者,不復起二,是為入不二法門。」

普守菩薩言う——「我と無我とは是れ二なり。我は尚お得るべからず、非我はまたなんぞ得るべけん?我の実性を見る者は、復た二を起こさず、これすなわち不二法門に入るなり。」

電天菩薩曰:「明、無明為二。無明實性即是明,明亦不可取,離一切數,於其中平等無二者,是為入不二法門。」

電天菩薩言う——「明と無明とは是れ二なり。無明の実性はすなわち是れ明、明もまた取るべからず、一切の数量を離れ、その中に於て平等にして二なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」

喜見菩薩曰:「色、色空為二。色即是空,非色滅空,色性自空;如是,受、想、行、識、識空為二,識即是空,非識滅空,識性自空,於其中而通達者,是為入不二法門。」

喜見菩薩言う——「色と色空とは是れ二なり。色はすなわち是れ空、色滅して乃ち空なりにあらず、色性自ら空なり;同じく、受・想・行・識と識空とは是れ二なり、識はすなわち是れ空、識滅して乃ち空なりにあらず、識性自ら空なり、その中に於て通達するは、これすなわち不二法門に入るなり。」

明相菩薩曰:「四種異、空種異為二。四種性即是空種性,如前際、後際空故,中際亦空。若能如是知諸種性者,是為入不二法門。」

明相菩薩言う——「四大種の各異と空種の各異とは是れ二なり。四大種の性はすなわち是れ空種の性、前際・後際空なれば、中際もまた空なるが故に。もし能くかくのごとく諸の種性を知れば、これすなわち不二法門に入るなり。」

妙意菩薩曰:「眼、色為二。若知眼性,於色不貪、不恚、不痴,是名寂滅;如是,耳、聲,鼻、香,舌、味,身、觸,意、法為二,若知意性,於法不貪、不恚、不痴,是名寂滅,安住其中,是為入不二法門。」

妙意菩薩言う——「眼と色とは是れ二なり。もし眼性を知れば、色に於て貪らず恚らず痴れず、これを名づけて寂滅と曰う;同じく、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法とは是れ二なり、もし意性を知れば、法に於て貪らず恚らず痴れず、これを名づけて寂滅と曰う、その中に安住するは、これすなわち不二法門に入るなり。」

無盡意菩薩曰:「佈施、迴向一切智為二。佈施性即是迴向一切智性,如是,持戒、忍辱、精進、禪定、智慧、迴向一切智為二,智慧性即是迴向一切智性,於其中入一相者,是為入不二法門。」

無尽意菩薩言う——「布施と一切智への回向とは是れ二なり。布施の性はすなわち是れ一切智への回向の性;同じく、持戒・忍辱・精進・禅定・智慧と一切智への回向とは是れ二なり、智慧の性はすなわち是れ一切智への回向の性、その中に於て一相に入るは、これすなわち不二法門に入るなり。」

深慧菩薩曰:「是空、是無相、是無作為二。空即無相,無相即無作;若空、無相、無作,則無心、意、識,於一解脫門即是三解脫門者,是為入不二法門。」

深慧菩薩言う——「こちの空・こちの無相・こちの無作は是れ二なり。空はすなわち是れ無相、無相はすなわち是れ無作;若し空・無相・無作なれば、則ち心・意・識なく、一門解脱するはすなわち是れ三解脱門なり、これすなわち不二法門に入るなり。」

寂根菩薩曰:「佛、法、眾為二。佛即是法,法即是眾,是三寶皆無為相,與虛空等,一切法亦爾。能隨此行者,是為入不二法門。」

寂根菩薩言う——「仏・法・衆は是れ二なり。仏はすなわち是れ法、法はすなわち是れ衆、この三宝は皆無為相にして、虚空と相等しく、一切法もまたこのごとし。能く此に随順して行ずるは、これすなわち不二法門に入るなり。」

心無礙菩薩曰:「身、身滅為二。身即是身滅。所以者何?見身實相者,不起見身及見滅身,身與滅身無二無分別,於其中不驚、不懼者,是為入不二法門。」

心無碍菩薩言う——「身と身滅とは是れ二なり。身はすなわち是れ身滅。なぜなら、身の実相を見る者は、身を見るおよび滅身を見るを起こさず、身と滅身とに二なく分別なし、その中に於て驚かず懼れずは、これすなわち不二法門に入るなり。」

上善菩薩曰:「身、口、意業為二。是三業皆無作相,身無作相,即口無作相;口無作相,即意無作相;是三業無作相,即一切法無作相。能如是隨無作慧者,是為入不二法門。」

上善菩薩言う——「身・口・意の業は是れ二なり。この三業は皆無作相にして、身の無作相はすなわち是れ口の無作相;口の無作相はすなわち是れ意の無作相;この三業の無作相はすなわち是れ一切法の無作相なり。能くかくのごとく無作慧に随順するは、これすなわち不二法門に入るなり。」

福田菩薩曰:「福行、罪行、不動行為二。三行實性即是空,空則無福行、無罪行、無不動行。於此三行而不起者,是為入不二法門。」

福田菩薩言う——「福行・罪行・不動行は是れ二なり。三行の実性はすなわち是れ空、空なれば則ち福行なく罪行なく不動行なし。此の三行に於て起こさざるは、これすなわち不二法門に入るなり。」

華嚴菩薩曰:「從我起二為二。見我實相者,不起二法;若不住二法,則無有識;無所識者,是為入不二法門。」

華厳菩薩言う——「我より二を起こすは是れ二なり。我の実相を見る者は、二法を起こさず;もし二法に住せざれば、則ち識なし;識する所なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」

德藏菩薩曰:「有所得相為二。若無所得,則無取捨;無取捨者,是為入不二法門。」

徳蔵菩薩言う——「所得有るの相は是れ二なり。もし所得なければ、則ち取捨なし;取捨なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」

月上菩薩曰:「闇與明為二。無闇、無明,則無有二。所以者何?如入滅受想定,無闇、無明,一切法相亦復如是,於其中平等入者,是為入不二法門。」

月上菩薩言う——「闇と明とは是れ二なり。闇なく明なければ、則ち二なし。なぜなら、たとえば滅受想定に入るに、闇なく明なきがごとく、一切法相もまたこのごとし、その中に於て平等に入るは、これすなわち不二法門に入るなり。」

寶印手菩薩曰:「樂涅槃、不樂世間為二。若不樂涅槃、不厭世間,則無有二。所以者何?若有縛,則有解;若本無縛,其誰求解?無縛無解,則無樂、厭,是為入不二法門。」

宝印手菩薩言う——「涅槃を楽い、世間を楽わざるは是れ二なり。もし涅槃を楽わず世間を厭わざれば、則ち二なし。なぜなら、もし縛あらば、則ち解あり;もし本より縛なければ、誰か復た解を求めん?縛なく解なければ、則ち楽なく厭なし、これすなわち不二法門に入るなり。」

珠頂王菩薩曰:「正道、邪道為二。住正道者,則不分別是邪是正,離此二者,是為入不二法門。」

珠頂王菩薩言う——「正道と邪道とは是れ二なり。正道に住する者は、則ち是れ邪是れ正と分別せず、この二者を離るれば、これすなわち不二法門に入るなり。」

樂實菩薩曰:「實、不實為二。實見者尚不見實,何況非實?所以者何?非肉眼所見,慧眼乃能見,而此慧眼,無見無不見,是為入不二法門。」

楽実菩薩言う——「実と不実とは是れ二なり。実を見る人は尚お実を見ず、況んや非実をや?なぜなら、是れ肉眼の見る所にあらずして、慧眼にして乃ち見る能く、しかしてこの慧眼は、見なく見えざるなく、これすなわち不二法門に入るなり。」

如是諸菩薩各各說已,問文殊師利:「何等是菩薩入不二法門?」

諸の菩薩は各々説き畢わりて、文殊師利に問う——「何をか菩薩の不二法門に入ると為す?」

文殊師利曰:「如我意者,於一切法無言無說,無示無識,離諸問答,是為入不二法門。」

文殊師利言う——「我が意のごとくは、一切法に於て言なく説なく、示なく識なく、諸の問答を離るれば、これすなわち不二法門に入るなり。」

於是文殊師利問維摩詰:「我等各自說已,仁者當說何等是菩薩入不二法門?」

ここに文殊師利は維摩詰に問う——「我らは各々説き畢われり、仁者まさに何をか菩薩の不二法門に入ると説くべき?」

時維摩詰默然無言。

時に維摩詰は黙然として言無し。

文殊師利歎曰:「善哉,善哉!乃至無有文字、語言,是真入不二法門。」

文殊師利は讃歎して言う——「善きかな、善きかな!乃至文字・語言なきに、これ真に不二法門に入るなり。」

說是入不二法門品時,於此眾中五千菩薩,皆入不二法門,得無生法忍。

此の不二法門に入る品を説く時、此の衆の中に五千の菩薩は皆不二法門に入りて、無生法忍を得たり。

維摩詰所説経 巻中

維摩詰所説経 巻下

姚秦三藏鳩摩羅什譯

後秦(姚秦)の三藏法師鳩摩羅什の訳。

香積佛品第十

香積仏品第十

於是舍利弗心念:「日時欲至,此諸菩薩當於何食?」

ここに舎利弗は心の中に思う——「時は近からんとす、これらの菩薩はまさに何処に於て食すべき?」

時維摩詰知其意而語言:「佛說八解脫,仁者受行,豈雜欲食而聞法乎?若欲食者,且待須臾,當令汝得未曾有食。」

時に維摩詰はその意を知りて、彼に謂いて言う——「仏は八解脱を説きたまう、仁者は受けて修行す、豈に食欲を雑えて法を聴くや?もし食せんと欲せば、且くしばらく待て、まさに汝をして未曾有の食を得せしめん。」

時維摩詰即入三昧,以神通力示諸大眾上方界分,過四十二恆河沙佛土,有國名眾香,佛號香積,今現在。其國香氣,比於十方諸佛世界人、天之香,最為第一。彼土無有聲聞、辟支佛名,唯有清淨大菩薩眾,佛為說法。其界一切皆以香作樓閣,經行香地,苑園皆香。其食香氣,周流十方無量世界。時彼佛與諸菩薩方共坐食,有諸天子皆號香嚴,悉發阿耨多羅三藐三菩提心,供養彼佛及諸菩薩,此諸大眾莫不目見。

時に維摩詰は即ち三昧に入りて、神通力を以て諸の大衆に上方の界分を見せしむ、四十二恒河沙ばかりの仏土を過ぎて、国あり名を衆香と曰い、仏の号は香積にして、いま正在す。その国の香気は、十方の諸仏世界の人・天の香に比べて、最も第一なり。彼の土に声聞・辟支仏の名号なく、ただ清浄の大菩薩衆ありて、仏は彼らのために法を説きたまう。あの世界は一切香を以て楼閣を作し、経行の地は香なり、苑園皆香なり。あの食物の香気は、十方の無量世界に周流す。時に彼の仏は諸の菩薩と倶に坐して食せんとす、諸の天子ありて皆号して香厳と曰い、皆無上正等正覚心を発して、彼の仏および諸の菩薩を供養す、此の諸の大衆は親しく見ないものなかりき。

時維摩詰問眾菩薩言:「諸仁者!誰能致彼佛飯?」以文殊師利威神力故,鹹皆默然。維摩詰言:「仁此大眾,無乃可恥?」

時に維摩詰は衆の菩薩に問うて言う——「諸の仁者!誰か能く彼の仏の飯を取り来たらん?」文殊師利の威神力の故を以て、皆黙然せり。維摩詰言う——「仁者、こちの一大衆は、未だ免れざるべからず恥ずべきか?」

文殊師利曰:「如佛所言,勿輕未學。」

文殊師利言う——「仏の説きたまうがごとく、未だ学成らざるを軽視するなかれ。」

於是維摩詰不起於座,居眾會前化作菩薩——相好光明,威德殊勝,蔽於眾會——而告之曰:「汝往上方界分,度如四十二恆河沙佛土,有國名眾香,佛號香積,與諸菩薩方共坐食。汝往到彼,如我辭曰:『維摩詰稽首世尊足下!致敬無量,問訊起居,少病少惱,氣力安不?願得世尊所食之餘,當於娑婆世界施作佛事,令此樂小法者得弘大道,亦使如來名聲普聞。』」

ここに維摩詰は座より起たずして、衆会の前に一の菩薩を化作す——相好光明、威徳殊勝にして、衆会に蓋過せり——而して彼に告げて言う——「汝上方の界分に往き、四十二恒河沙ばかりの仏土を度り過ぎて、国あり名を衆香と曰い、仏の号は香積にして、諸の菩薩と倶に坐して食せんとす。汝彼処に至りて、我が言のごとくに曰え——『維摩詰世尊の足下に稽首す!致敬無量にして、起居を問訊す、病少なく悩少なく、気力安やかならんや?願わくは世尊の食する所の余を得て、娑婆世界に於て仏事を施作して、これらの小法を楽う人をして大道を弘め得せしめ、また如来の名声をして普く聞えしめんと欲す。』」

時化菩薩即於會前,昇於上方。舉眾皆見其去,到眾香界,禮彼佛足,又聞其言:「維摩詰稽首世尊足下!致敬無量,問訊起居,少病少惱,氣力安不?願得世尊所食之餘,欲於娑婆世界施作佛事,使此樂小法者得弘大道,亦使如來名聲普聞。」

時に化菩薩は即ち会の前に於て上方に升れり。衆を挙げて皆その往くを見て、衆香界に到り、彼の仏の足を礼して、また彼の言うを聞けり——「維摩詰世尊の足下に稽首す!致敬無量にして、起居を問訊す、病少なく悩少なく、気力安やかならんや?願わくは世尊の食する所の余を得て、娑婆世界に於て仏事を施作せんことを思い、これらの小法を楽う人をして大道を弘め得せしめ、また如来の名声をして普く聞えしめん。」

彼諸大士見化菩薩,歎未曾有:「今此上人從何所來?娑婆世界為在何許?云何名為樂小法者?」即以問佛。佛告之曰:「下方度如四十二恆河沙佛土,有世界名娑婆,佛號釋迦牟尼,今現在。於五濁惡世,為樂小法眾生敷演道教。彼有菩薩名維摩詰,住不可思議解脫,為諸菩薩說法,故遣化來,稱揚我名,並讚此土,令彼菩薩增益功德。」

彼の土の諸の大士は化菩薩を見て、未曾有と歎じて言う——「いまこちの上人は何処より来たる?娑婆世界は何の処に在る?何をか小法を楽う人と謂う?」即ち持ちて仏に問う。仏彼らに告げて言う——「下方に四十二恒河沙ばかりの仏土を度り過ぎて、世界あり名を娑婆と曰い、仏の号は釈迦牟尼にして、いま正在す。五濁悪世に於て、小法を楽う衆生のために道教を敷演す。彼処に菩薩あり名を維摩詰と曰い、不可思議解脱に住して、諸の菩薩のために法を説く、故に化身を遣わして来たらしめ、我が名号を称揚して、併せて此の土を讃歎し、彼の菩薩をして功徳を増益せしむ。」

彼菩薩言:「其人何如,乃作是化?德力無畏,神足若斯!」佛言:「甚大!一切十方皆遣化往,施作佛事饒益眾生。」

彼の土の菩薩言う——「あの人はいかにして、乃ち能くかくのごときの化を作す?徳力無畏にして、神足乃ち此に至るとは!」仏言う——「甚だ大なり!一切の十方に皆化身を派遣して往かしめて、仏事を施作し衆生を饒益す。」

於是香積如來以眾香缽盛滿香飯,與化菩薩。時彼九百萬菩薩俱發聲言:「我欲詣娑婆世界供養釋迦牟尼佛,並欲見維摩詰等諸菩薩眾。」佛言:「可往。攝汝身香,無令彼諸眾生起惑著心;又當捨汝本形,勿使彼國求菩薩者,而自鄙恥;又汝於彼莫懷輕賤,而作礙想。所以者何?十方國土,皆如虛空,又諸佛為欲化諸樂小法者,不盡現其清淨土耳!」時化菩薩既受缽飯,與彼九百萬菩薩俱,承佛威神及維摩詰力,於彼世界忽然不現,須臾之間至維摩詰舍。

ここに香積如来は衆香の鉢を以て香飯を盛り満たして、化菩薩に与う。時に彼の土の九百万の菩薩は斉しく声を発して言う——「我娑婆世界に往きて釈迦牟尼仏を供養し、併せて維摩詰等の諸の菩薩衆を見んと欲す。」仏言う——「往くべし。汝らの身の香を収めて、彼の土の諸の衆生をして惑著の心を起こさしむるなかれ;またまさに汝らの本の形相を捨てて、彼の国の菩薩を求むる人をして自ら鄙恥せしむるなかれ;また汝ら彼処に於て軽賎を懐くなかれ、障碍の想を生ぜしめんがため。なぜなら、十方の国土は皆虚空のごとく、また諸仏は諸の小法を楽う人を教化せんと欲するがために、清浄の土を尽く顕現せざるのみ!」時に化菩薩は既に鉢飯を受け已りて、あの九百万の菩薩と倶に、仏の威神および維摩詰の力を承けて、彼の世界に於て忽然として現れず、片刻の間に維摩詰の房舎に到れり。

時維摩詰即化作九百萬師子之座,嚴好如前,諸菩薩皆坐其上。是化菩薩以滿缽香飯與維摩詰,飯香普燻毘耶離城及三千大千世界。時毘耶離婆羅門、居士等,聞是香氣,身意快然,歎未曾有!於是長者主月蓋從八萬四千人,來入維摩詰舍。見其室中菩薩甚多,諸師子座高廣嚴好,皆大歡喜,禮眾菩薩及大弟子,卻住一面。諸地神、虛空神及欲、色界諸天,聞此香氣,亦皆來入維摩詰舍。

時に維摩詰は即ち九百万の師子の座を化作し、厳好なること前のごとく、諸の菩薩皆その上に坐せり。こちの化菩薩は満鉢の香飯を維摩詰に与う、飯香は毘耶離城および三千大千世界に普く薫ず。時に毘耶離の婆羅門・居士等はこの香気を聞きて、身意暢快にして、未曾有と歎す!ここに長者主の月蓋は八万四千の人を引領して、維摩詰の房舎に入る。室中の菩薩多く、諸の師子座は高広にして厳好なるを見て、皆大いに歓喜し、衆の菩薩および大弟子を礼して、退きて一面に住す。諸の地神・虚空神および欲界・色界の諸天は、この香気を聞到りて、皆維摩詰の房舎に入れり。

時維摩詰語舍利弗等諸大聲聞:「仁者可食。如來甘露味飯,大悲所燻,無以限意食之,使不消也。」有異聲聞念:「是飯少,而此大眾人人當食。」化菩薩曰:「勿以聲聞小德小智稱量如來無量福慧!四海有竭,此飯無盡!使一切人食,揣若須彌,乃至一劫,猶不能盡。所以者何?無盡戒、定、智慧、解脫、解脫知見功德具足者所食之餘,終不可盡。」於是缽飯悉飽眾會,猶故不𣩠。其諸菩薩、聲聞、天、人,食此飯者,身安快樂,譬如一切樂莊嚴國諸菩薩也;又諸毛孔皆出妙香,亦如眾香國土諸樹之香。

時に維摩詰は舎利弗等の諸の大声聞に謂いて言う——「仁者食すべし。如来の甘露味の飯は、大悲に薫ぜらるる所なり、有限の心意を以て食して、消化し能わざるに至るなかれ。」別の声聞ありて心想う——「この飯は少なくして、しかして此の大衆は人人皆食すべし。」化菩薩言う——「声聞の小徳小智を以て如来の無量の福慧を称量するなかれ!四海に乾竭の時有るとも、此の飯に窮尽なし!たとえ一切の人来たりて食し、摶ねて須弥のごとき大と為すとも、乃至一劫に、猶お食し尽くす能わず。なぜなら、無尽の戒・定・智慧・解脱・解脱知見の功徳具足せる者の食する所の余は、終に尽くすべからざればなり。」ここに鉢中の飯は衆会をして皆飽き足らしめて、猶お食し尽くさず——底本この字は生僻字にして、まさに「尽」と読むべし。諸の菩薩・声聞・天・人この飯を食する者は、身安楽にして、たとえば一切楽荘厳国の諸の菩薩のごとし;また諸の毛孔は皆妙香を出すこと、また衆香国土の諸樹の香のごとし。

爾時維摩詰問眾香菩薩:「香積如來以何說法?」

その時維摩詰は衆香の菩薩に問う——「香積如来は何を以て法を説く?」

彼菩薩曰:「我土如來無文字說,但以眾香令諸天、人得入律行。菩薩各各坐香樹下,聞斯妙香,即獲一切德藏三昧。得是三昧者,菩薩所有功德皆悉具足。」

彼の菩薩言う——「我が土の如来は文字の説なく、ただ衆香を以て諸の天・人をして律行に入らしむ。菩薩は各々香樹の下に坐して、この妙香を聞けば、即ち一切徳蔵三昧を獲る。この三昧を得る者は、菩薩の所有の功徳は皆全部具足す。」

彼諸菩薩問維摩詰:「今世尊釋迦牟尼以何說法?」

彼の諸の菩薩は維摩詰に問う——「いま世尊釈迦牟尼は何を以て法を説く?」

維摩詰言:「此土眾生剛強難化,故佛為說剛強之語以調伏之。言是地獄、是畜生、是餓鬼,是諸難處,是愚人生處;是身邪行,是身邪行報;是口邪行,是口邪行報;是意邪行,是意邪行報;是殺生,是殺生報;是不與取,是不與取報;是邪婬,是邪婬報;是妄語,是妄語報;是兩舌,是兩舌報;是惡口,是惡口報;是無義語,是無義語報;是貪嫉,是貪嫉報;是瞋惱,是瞋惱報;是邪見,是邪見報;是慳悋,是慳悋報;是毀戒,是毀戒報;是瞋恚,是瞋恚報;是懈怠,是懈怠報;是亂意,是亂意報;是愚痴,是愚痴報;是結戒,是持戒,是犯戒;是應作,是不應作;是障礙,是不障礙;是得罪,是離罪;是淨,是垢;是有漏,是無漏;是邪道,是正道;是有為,是無為;是世間,是涅槃。以難化之人心如猨猴,故以若干種法制御其心,乃可調伏,譬如象馬,𢤱悷不調,加諸楚毒乃至徹骨,然後調伏。如是剛強難化眾生,故以一切苦切之言,乃可入律。」

維摩詰言う——「此の土の衆生は剛強にして化し難し、故に仏は彼らのために剛強の言を説きて以て調伏す。之を是れ地獄・是れ畜生・是れ餓鬼と曰い、是れ諸の難処、是れ愚人の生る処なり;是れ身の邪行、是れ身の邪行の報なり;是れ口の邪行、是れ口の邪行の報なり;是れ意の邪行、是れ意の邪行の報なり;是れ殺生、是れ殺生の報なり;是れ不與取、是れ不與取の報なり;是れ邪淫、是れ邪淫の報なり;是れ妄語、是れ妄語の報なり;是れ両舌、是れ両舌の報なり;是れ悪口、是れ悪口の報なり;是れ無義語、是れ無義語の報なり;是れ貪嫉、是れ貪嫉の報なり;是れ瞋悩、是れ瞋悩の報なり;是れ邪見、是れ邪見の報なり;是れ慳吝、是れ慳吝の報なり;是れ毀戒、是れ毀戒の報なり;是れ瞋恚、是れ瞋恚の報なり;是れ懈怠、是れ懈怠の報なり;是れ乱意、是れ乱意の報なり;是れ愚痴、是れ愚痴の報なり;是れ結戒、是れ持戒、是れ犯戒なり;是れ応作、是れ不応作なり;是れ障碍、是れ不障碍なり;是れ得罪、是れ離罪なり;是れ浄、是れ垢なり;是れ有漏、是れ無漏なり;是れ邪道、是れ正道なり;是れ有為、是れ無為なり;是れ世間、是れ涅槃なり。化し難き人は心猿猴のごときが故に、若干の種の法を以てその心を制御して、乃ち調伏すべし、たとえば象馬の倔強にして馴え難き——底本「𢤱悷」は生僻字にして、まさに倔強にして馴え難しと読むべし——諸種の楚毒乃至徹骨を加えて、然る後に乃ち調伏すべきがごとし。このごとき剛強にして化し難き衆生は、故に一切の苦切の言を以てして、乃ち律に入るべし。」

彼諸菩薩聞說是已,皆曰:「未曾有也!如世尊釋迦牟尼佛,隱其無量自在之力,乃以貧所樂法度脫眾生;斯諸菩薩亦能勞謙,以無量大悲生是佛土。」

彼の諸の菩薩はこれらの話を聞きて、皆言う——「未曾有なり!世尊釋迦牟尼のごとくは、その無量自在の力を隠し起こして、乃ち貧者の楽む所の法を以て衆生を度脱し;これらの菩薩もまた能く労謙して、無量の大悲を以て此の仏土に生ず。」

維摩詰言:「此土菩薩於諸眾生大悲堅固,誠如所言。然其一世饒益眾生,多於彼國百千劫行。所以者何?此娑婆世界有十事善法,諸餘淨土之所無有。何等為十?以佈施攝貧窮,以淨戒攝毀禁,以忍辱攝瞋恚,以精進攝懈怠,以禪定攝亂意,以智慧攝愚痴,說除難法度八難者,以大乘法度樂小乘者,以諸善根濟無德者,常以四攝成就眾生,是為十。」

維摩詰言う——「此の土の菩薩は諸の衆生に於て大悲堅固なること、誠に言うがごとし。しかして彼らは一世に衆生を饒益すること、彼の国の百千劫の修行に多し。なぜなら、此の娑婆世界に十事の善法あり、余の諸の浄土の無き所なり。いずれの十事ぞ。布施を以て貧窮を摂し、浄戒を以て毀禁を摂し、忍辱を以て瞋恚を摂し、精進を以て懈怠を摂し、禅定を以て乱意を摂し、智慧を以て愚痴を摂し、難を除く法を説きて八難の人を度し、大乗法を以て小乗を楽う人を度し、諸の善根を以て徳なき人を救済し、常に四摂を以て衆生を成就す、是を十と為す。」

彼菩薩曰:「菩薩成就幾法?於此世界行無瘡疣,生於淨土。」

彼の菩薩言う——「菩薩は幾つの法を成就して、乃ち能く此の世界に於て事を行じて瘡疣なく、浄土に生ぜん?」

維摩詰言:「菩薩成就八法,於此世界行無瘡疣,生於淨土。何等為八?饒益眾生,而不望報;代一切眾生受諸苦惱,所作功德盡以施之;等心眾生,謙下無礙;於諸菩薩視之如佛;所未聞經,聞之不疑;不與聲聞而相違背;不嫉彼供,不高己利,而於其中調伏其心;常省己過,不訟彼短,恆以一心求諸功德,是為八法。」

維摩詰言う——「菩薩は八法を成就して、此の世界に於て事を行じて瘡疣なく、浄土に生ず。いずれの八法ぞ。衆生を饒益して報を望まず;一切衆生に代わりて諸の苦悩を受け、作す所の功徳を尽く以て彼らに施す;等心を以て衆生に対して、謙下して碍なし;諸の菩薩に於て之を視ること仏のごとし;未だ聞かざるの経は、聞きて疑わず;声聞と相違背せず;他の得る所の供養を嫉妬せず、己の利を抬高せずして、その中に於て自らの心を調伏す;常に己の過を省察して、他の短を訟説せず、恒に一心を以て諸の功徳を求む、是を八法と為す。」

維摩詰、文殊師利於大眾中說是法時,百千天、人皆發阿耨多羅三藐三菩提心,十千菩薩得無生法忍。

維摩詰・文殊師利は大衆の中に於てこの法を説く時、百千の天・人は皆無上正等正覚心を発し、十千の菩薩は無生法忍を得たり。

維摩詰所說經菩薩行品第十一

維摩詰所説経 菩薩行品第十一

是時佛說法於菴羅樹園,其地忽然廣博嚴事,一切眾會皆作金色。阿難白佛言:「世尊!以何因緣,有此瑞應?是處忽然廣博嚴事,一切眾會皆作金色。」

この時仏は菴羅樹園に於て法を説きたまうに、あの地は忽然として広博厳飾して、一切の衆会は皆金色と変じたり。阿難は仏に謂いて言う——「世尊!何の因縁を以てか此の瑞応ある?此處忽然として広博厳飾して、一切の衆会皆金色と変ぜり。」

佛告阿難:「是維摩詰、文殊師利,與諸大眾恭敬圍繞,發意欲來,故先為此瑞應。」

仏は阿難に告げたまう——「是れ維摩詰・文殊師利、諸の大衆と恭敬して囲繞し、意を発して来らんとすれば、故に先ずこの瑞応を現ず。」

於是維摩詰語文殊師利:「可共見佛,與諸菩薩禮事供養。」

ここに維摩詰は文殊師利に謂いて言う——「倶に仏に見ゆべし、諸の菩薩と礼事供養せん。」

文殊師利言:「善哉!行矣!今正是時。」

文殊師利言う——「善きかな!往かん!いま正にその時なり。」

維摩詰即以神力持諸大眾並師子座,置於右掌,往詣佛所。到已著地,稽首佛足,右遶七匝,一心合掌,在一面立;其諸菩薩即皆避座,稽首佛足,亦繞七匝,於一面立;諸大弟子、釋、梵、四天王等,亦皆避座,稽首佛足,在一面立。

維摩詰は即ち神力を以て諸の大衆および師子座を連ねて右掌の上に置きて、仏の所に詣る。到りて地に置きて、仏足に稽首し、右繞七匝して、一心に合掌して一面に立つ;諸の菩薩は皆座を離れ、仏足に稽首し、亦七匝を繞りて一面に立つ;諸の大弟子・帝釈・梵王・四天王等も皆座を離れて、仏足に稽首し、一面に立つ。

於是世尊如法慰問諸菩薩已,各令復坐,即皆受教。眾坐已定,佛語舍利弗:「汝見菩薩大士自在神力之所為乎?」

ここに世尊は法のごとく諸の菩薩を慰問し畢わりて、各々復た坐せしめ、皆教を受く。衆の坐已に定まりて、仏は舎利弗に謂いて言う——「汝は菩薩大士の自在神力の為す所を見たりや?」

「唯然,已見!」

(舎利弗言う——)「唯、已に見たり!」

「於汝意云何?」「世尊!我覩其為不可思議,非意所圖,非度所測。」

(仏問う——)「汝はいかに思う?」(舎利弗言う——)「世尊!我が見るに彼の為す所は不可思議にして、心意の図謀する能く所にあらず、度量の測知する能く所にあらず。」

爾時阿難白佛言:「世尊!今所聞香,自昔未有,是為何香?」

その時阿難は仏に謂いて言う——「世尊!いま聞く所の香は、従来有らざりしなり、是れ何の香ぞ?」

佛告阿難:「是彼菩薩毛孔之香。」

仏は阿難に告げたまう——「是れあの菩薩の毛孔の香なり。」

於是舍利弗語阿難言:「我等毛孔亦出是香。」

ここに舎利弗は阿難に謂いて言う——「我らの毛孔もまた此の香を出す。」

阿難言:「此所從來?」

阿難言う——「この香は何処より来たる?」

曰:「是長者維摩詰從眾香國取佛餘飯,於舍食者,一切毛孔皆香若此。」

(舎利弗つづけて言う——)「是れ長者維摩詰が衆香国より仏の余の飯を取り来たりて、房舎の中に於て之を食したる人は、一切の毛孔皆香りて此のごとくなれり。」

阿難問維摩詰:「是香氣住當久如?」

阿難は維摩詰に問う——「この香気は能く幾久しきに住する?」

維摩詰言:「至此飯消。」

維摩詰言う——「此の飯の消化するに至るまで。」

曰:「此飯久如當消?」

(阿難)言う——「この飯は幾久しきにして乃ち消す?」

曰:「此飯勢力至於七日,然後乃消。又,阿難!若聲聞人未入正位,食此飯者,得入正位,然後乃消;已入正位,食此飯者,得心解脫,然後乃消;若未發大乘意,食此飯者,至發意乃消;已發意,食此飯者,得無生忍,然後乃消;已得無生忍,食此飯者,至一生補處,然後乃消。譬如有藥,名曰上味,其有服者,身諸毒滅,然後乃消;此飯如是,滅除一切諸煩惱毒,然後乃消。」

(維摩詰つづけて言う——)「此の飯の勢力は第七日に至りて、然る後に乃ち消ゆ。また、阿難!もし声聞人未だ正位に入らざるに、此の飯を食するは、正位に入ることを得て、然る後に乃ち消ゆ;已に正位に入りて、此の飯を食するは、心の解脱を得て、然る後に乃ち消ゆ;もし未だ大乗の意を発さざるに、此の飯を食するは、意を発するに到りて乃ち消ゆ;已に意を発して、此の飯を食するは、無生忍を得て、然る後に乃ち消ゆ;已に無生忍を得て、此の飯を食するは、一生補処に到りて、然る後に乃ち消ゆ。たとえば薬あり名を上味と曰い、服する者有れば、身上の諸の毒滅尽して、然る後に乃ち消ゆるがごとし;此の飯もまたこのごとく、一切の諸の煩悩の毒を滅除して、然る後に乃ち消ゆ。」

阿難白佛言:「未曾有也!世尊!如此香飯能作佛事。」

阿難は仏に謂いて言う——「未曾有なり!世尊!かくのごとき香飯は能く仏事を作す。」

佛言:「如是,如是!阿難!或有佛土以佛光明而作佛事,有以諸菩薩而作佛事,有以佛所化人而作佛事,有以菩提樹而作佛事,有以佛衣服、臥具而作佛事,有以飯食而作佛事,有以園林臺觀而作佛事,有以三十二相、八十隨形好而作佛事,有以佛身而作佛事,有以虛空而作佛事;眾生應以此緣得入律行。有以夢、幻、影、響、鏡中像、水中月、熱時炎如是等喻,而作佛事;有以音聲、語言、文字而作佛事;或有清淨佛土,寂寞無言、無說、無示、無識、無作、無為,而作佛事。如是,阿難!諸佛威儀進止,諸所施為,無非佛事。

仏言う——「然り、然り!阿難!或る仏土は仏の光明を以て仏事を作し、或るは諸の菩薩を以て仏事を作し、或るは仏の化したる人を以て仏事を作し、或るは菩提樹を以て仏事を作し、或るは仏の衣服・臥具を以て仏事を作し、或るは飯食を以て仏事を作し、或るは園林台観を以て仏事を作し、或るは三十二相・八十随好を以て仏事を作し、或るは仏身を以て仏事を作し、或るは虚空を以て仏事を作す;衆生は此の因縁を以て律行に入るを得るなり。或るは夢・幻・影・響・鏡中の像・水中の月・熱時の焔、このごとき等の譬喩を以て仏事を作し;或るは音声・語言・文字を以て仏事を作し;或るは清浄の仏土にして、寂寞として言なく説なく示なく識なく作なく為なくして、仏事を作す。このごとく、阿難!諸仏の威儀進止、諸の施為は、非ざる仏事なし。

「阿難!有此四魔、八萬四千諸煩惱門,而諸眾生為之疲勞,諸佛即以此法而作佛事,是名入一切諸佛法門。菩薩入此門者,若見一切淨好佛土,不以為喜,不貪不高;若見一切不淨佛土,不以為憂,不礙不沒;但於諸佛生清淨心,歡喜恭敬,未曾有也!諸佛如來功德平等,為化眾生故,而現佛土不同。阿難!汝見諸佛國土,地有若干,而虛空無若干也;如是見諸佛色身有若干耳,其無礙慧無若干也。

(仏つづけて言う——)「阿難!此の四魔・八万四千の諸の煩悩門有りて、しかして諸の衆生は之がために疲労す、諸仏は即ち此の法を以て仏事を作す、これを名づけて一切の諸仏法門に入ると曰う。菩薩此の門に入る者は、もし一切の浄好の仏土を見ても、以て喜と為さず、貪らず高まらず;もし一切の不浄の仏土を見ても、以て憂と為さず、礙せず没せず;ただ諸仏に於て清浄の心を生じ、歓喜恭敬す、未曾有なり!諸仏如来の功徳は平等にして、衆生を教化するが故に、仏土の不同を現ず。阿難!汝諸仏の国土を見るに、地は若干の差別有れども、しかして虚空には若干なし;同じく、諸仏の色身を見るに若干の差別あるのみ、その無礙慧には若干なし。

「阿難!諸佛色身、威相、種性,戒、定、智慧、解脫、解脫知見,力、無所畏、不共之法,大慈、大悲,威儀所行及其壽命,說法教化,成就眾生,淨佛國土,具諸佛法,悉皆同等,是故名為三藐三佛陀,名為多陀阿伽度,名為佛陀。阿難!若我廣說此三句義,汝以劫壽不能盡受;正使三千大千世界滿中眾生,皆如阿難多聞第一,得念總持,此諸人等以劫之壽亦不能受。如是,阿難!諸佛阿耨多羅三藐三菩提無有限量,智慧辯才不可思議。」

(仏つづけて言う——)「阿難!諸仏の色身・威相・種性、戒・定・智慧・解脱・解脱知見、力・無所畏・不共の法、大慈・大悲、威儀所行およびその寿命、説法教化、衆生を成就し、仏国土を浄め、諸の仏法を具えること、全部同等なり、故に名づけて三藐三佛陀(さんみゃくさんぶだ、正等正覚)と曰い、名づけて多陀阿伽度(ただあがど、如来)と曰い、名づけて佛陀と曰う。阿難!もし我広く此の三句の義を説かば、汝は一劫の寿命を以ても尽く受ける能わず;たとえ三千大千世界に満つる衆生皆阿難のごとく多聞第一にして、念の総持を得たりとするも、この人らは一劫の寿命を以ても受ける能わず。このごとく、阿難!諸仏の無上正等正覚に限量なく、智慧弁才は不可思議なり。」

阿難白佛言:「我從今已往,不敢自謂以為多聞。」

阿難は仏に謂いて言う——「我今より後、敢えて自ら多聞と称するを以てせず。」

佛告阿難:「勿起退意!所以者何?我說汝於聲聞中為最多聞,非謂菩薩。且止,阿難!其有智者不應限度諸菩薩也;一切海淵尚可測量,菩薩禪定、智慧、總持、辯才一切功德不可量也。阿難!汝等捨置菩薩所行,是維摩詰一時所現神通之力,一切聲聞、辟支佛於百千劫,盡力變化所不能作。」

仏は阿難に告げたまう——「退意を起こすなかれ!なぜなら、我は汝を声聞の中に於て最も多聞と説く、菩薩を説くにあらず。且く止まれ、阿難!智慧ある者はまさに限量を以て諸の菩薩を測度すべからず;一切の海淵は尚お測量すべし、菩薩の禅定・智慧・総持・弁才の一切功徳は量るべからず。阿難!汝らは菩薩の行を放ち置きて談ぜず、ただ維摩詰の一時に現じたる神通の力のみも、一切の声聞・辟支仏が百千劫の中に於て力を尽くして変化するも能く作るあらず。」

爾時眾香世界菩薩來者,合掌白佛言:「世尊!我等初見此土生下劣想,今自悔責,捨離是心。所以者何?諸佛方便不可思議,為度眾生故,隨其所應,現佛國異。唯然世尊!願賜少法,還於彼土當念如來。」

その時衆香世界より来たりし菩薩は合掌して仏に謂いて言う——「世尊!我らは初め此の土を見て下劣の想を生ぜり、いま自ら悔い責めて此の心を捨離す。なぜなら、諸仏の方便は不可思議にして、衆生を度せんがための故に、其の応ずる所に随ひて、仏国の不同を現ずればなり。然り、世尊!願わくは少許の法を賜りて、彼の土に帰りて当に如来を念ぜん。」

佛告諸菩薩:「有盡無盡解脫法門,汝等當學。何謂為盡?謂有為法。何謂無盡?謂無為法。如菩薩者,不盡有為,不住無為。

仏は諸の菩薩に告げたまう——「尽・無尽の解脱法門有り、汝らまさに学ぶべし。何をか尽と謂う?是れ有為の法を説く。何をか無尽と謂う?是れ無為の法を説く。菩薩と作る者は、有為を窮尽せず、また無為に住せず。

「何謂不盡有為?謂不離大慈,不捨大悲;深發一切智心,而不忽忘;教化眾生,終不厭倦,於四攝法,常念順行;護持正法,不惜軀命,種諸善根,無有疲厭;志常安住,方便迴向,求法不懈,說法無悋;勤供諸佛;故入生死而無所畏,於諸榮辱,心無憂喜;不輕未學,敬學如佛,墮煩惱者,令發正念,於遠離樂,不以為貴,不著己樂,慶於彼樂;在諸禪定,如地獄想,於生死中,如園觀想;見來求者,為善師想,捨諸所有,具一切智想;見毀戒人,起救護想;諸波羅蜜,為父母想,道品之法,為眷屬想;發行善根,無有齊限,以諸淨國嚴飾之事,成己佛土;行無限施,具足相好,除一切惡,淨身、口、意;生死無數劫,意而有勇,聞佛無量德,志而不倦;以智慧劍,破煩惱賊,出陰、界、入,荷負眾生,永使解脫;以大精進,摧伏魔軍,常求無念實相智慧行;於世間法少欲知足,於出世間求之無厭,而不捨世間法,不壞威儀法而能隨俗;起神通慧,引導眾生,得念總持,所聞不忘;善別諸根,斷眾生疑,以樂說辯,演法無礙;淨十善道,受天、人福;修四無量,開梵天道;勸請說法,隨喜讚善,得佛音聲;身、口、意善,得佛威儀;深修善法,所行轉勝,以大乘教,成菩薩僧;心無放逸,不失眾善:行如此法,是名菩薩不盡有為。

(仏つづけて言う——)「何をか有為を窮尽せずと謂う?是れ大慈を離れず、大悲を捨てざるを謂う;深く一切智心を発して忽忘せず;衆生を教化して終に厭倦せず、四摂法に於て常に念じて順行す;正法を護持して躯命を惜しまず、諸の善根を種えて疲厭なし;志は常に安住して、方便にして回向し、法を求めて懈らず、法を説きて吝惜なし;勤めて諸仏を供養す;是の故に生死に入りて畏る所なく、諸の荣辱に於て心に憂喜なし;未だ学成らざるを軽視せず、仏のごとく敬学す;煩悩の中に堕ちたる者をして正念を発せしむ;遠離の楽に於て以て貴しと為さず、己の楽に著せず、彼の楽を慶ぶ;諸の禅定の中に於て地獄の想のごとく、生死の中に於て園観の想のごとし;来たりて求むる者を見て善師の想を作し、諸の所有を捨てて一切智を具うるの想を作す;毀戒の人を見て救護の想を起こし;諸の波羅蜜は父母の想を作し、道品の法は眷属の想を作す;善根を発行して斉限なく、諸の浄国の厳飾の事を以て己の仏土を成就す;無限の布施を行じて、相好を具足し、一切の悪を除きて、身・口・意を浄めん;生死の无数劫に、意にして勇あり;仏の無量の徳を聞きて、志にして倦まず;智慧の剣を以て煩悩の賊を破りて、陰・界・入を出离し、衆生を荷負して、永く解脱せしむ;大精進を以て魔軍を摧伏し、常に無念の実相智慧の行を求む;世間の法に於て少欲知足にして、出世間に於て求めて厭わず、しかして世間の法を捨てず、威儀の法を壊らずして能く俗に随順す;神通の慧を起こして衆生を引導し、念の総持を得て、聞く所忘れず;善く諸の根を別ち、衆生の疑を断ち、楽説の弁を以て法を演じて礙なし;十善の道を浄めて、天・人の福を受く;四無量を修して、梵天道を開く;説法を勧請し、随喜し善を讃じて、仏の音声を得;身・口・意の善にして、仏の威儀を得;深く善法を修して、行ふ所転々勝れ、大乗の教を以て菩薩僧を成就す;心放逸なくして、衆の善を失わず:かくのごときの法を行ずれば、これを名づけて菩薩の有為を窮尽せずと曰う。

「何謂菩薩不住無為?謂修學空,不以空為證;修學無相、無作,不以無相、無作為證;修學無起,不以無起為證;觀於無常,而不厭善本;觀世間苦,而不惡生死;觀於無我,而誨人不倦;觀於寂滅,而不永滅;觀於遠離,而身心修善;觀無所歸,而歸趣善法;觀於無生,而以生法荷負一切;觀於無漏,而不斷諸漏;觀無所行,而以行法教化眾生;觀於空無,而不捨大悲;觀正法位,而不隨小乘;觀諸法虛妄,無牢無人、無主無相,本願未滿,而不虛福德、禪定、智慧:修如此法,是名菩薩不住無為。

(仏つづけて言う——)「何をか菩薩の無為に住せざると謂う?是れ空を修学するも、空を以て証と為さず;無相・無作を修学するも、無相・無為を以て証と為さず;無起を修学するも、無起を以て証と為さず;無常を観ずるも、善本を厭わず;世間の苦を観ずるも、生死を厭悪せず;無我を観ずるも、人を誨えて倦まず;寂滅を観ずるも、永滅せず;遠離を観ずるも、身心に善を修す;帰する所なきを観ずるも、善法に帰趣す;無生を観ずるも、生の法を以て一切を荷負す;無漏を観ずるも、諸の漏を断たず;行ふ所なきを観ずるも、行の法を以て衆生を教化す;空無を観ずるも、大悲を捨てず;正法の位を観ずるも、小乗に随わず;諸法の虚妄にして牢なく人なく主なく相なきを観じ、本願未だ満たざるに、しかして福徳・禅定・智慧を空虚ならしめず:かくのごときの法を修すれば、これを名づけて菩薩の無為に住せざると曰う。

「又具福德故,不住無為;具智慧故,不盡有為。大慈悲故,不住無為;滿本願故,不盡有為。集法藥故,不住無為;隨授藥故,不盡有為。知眾生病故,不住無為;滅眾生病故,不盡有為。諸正士菩薩以修此法,不盡有為、不住無為,是名盡無盡解脫法門,汝等當學。」

(仏つづけて言う——)「また福徳を具うるが故を以て無為に住せず;智慧を具うるが故を以て有為を窮尽せず。大慈悲の故を以て無為に住せず;本願を満たすが故を以て有為を窮尽せず。法薬を集むるが故を以て無為に住せず;随ひて薬を授くるが故を以て有為を窮尽せず。衆生の病を知るが故を以て無為に住せず;衆生の病を滅するが故を以て有為を窮尽せず。諸の正士・菩薩は此の法を修するを以て、有為を窮尽せず無為に住せず、これを名づけて尽・無尽の解脱法門と曰う、汝らまさに学ぶべし。」

爾時彼諸菩薩聞說是法,皆大歡喜,以眾妙華、若干種色、若干種香,散遍三千大千世界,供養於佛及此經法並諸菩薩已,稽首佛足,歎未曾有,言:「釋迦牟尼佛乃能於此善行方便。」言已,忽然不現,還到彼國。

その時彼の諸の菩薩はこの法を説くを聞きて、皆大いに歓喜し、衆の妙華・若干種の色・若干種の香を以て、三千大千世界に散遍して、仏および此の経法ならびに諸の菩薩に供養し畢わりて、仏足に稽首し、未曾有と歎じて言う——「釋迦牟尼仏は乃ち能く此に於て善く方便を行ず。」説き已りて、忽然として現れず、彼の国に還る。

維摩詰所說經見阿閦佛品第十二

維摩詰所説経 阿閦仏品第十二

爾時世尊問維摩詰:「汝欲見如來,為以何等觀如來乎?」

その時世尊は維摩詰に問うたまう——「汝如来を見んと欲すは、いかなるを以て如来を観ずるや?」

維摩詰言:「如自觀身實相,觀佛亦然。我觀如來前際不來,後際不去,今則不住;不觀色,不觀色如,不觀色性,不觀受、想、行、識,不觀識如,不觀識性,非四大起,同於虛空;六入無積,眼、耳、鼻、舌、身、心已過;不在三界,三垢已離,順三脫門,具足三明,與無明等;不一相、不異相,不自相、不他相,非無相、非取相;不此岸,不彼岸,不中流而化眾生;觀於寂滅,亦不永滅;不此不彼,不以此,不以彼;不可以智知,不可以識識;無晦無明,無名無相,無強無弱,非淨非穢;不在方,不離方,非有為,非無為,無示無說;不施不慳,不戒不犯,不忍不恚,不進不怠,不定不亂,不智不愚,不誠不欺,不來不去,不出不入,一切言語道斷;非福田,非不福田,非應供養,非不應供養;非取非捨,非有相,非無相;同真際,等法性,不可稱,不可量,過諸稱量;非大非小,非見非聞,非覺非知,離眾結縛;等諸智,同眾生,於諸法無分別;一切無失,無濁無惱,無作無起,無生無滅;無畏無憂,無喜無厭無著;無已有,無當有,無今有;不可以一切言說分別顯示:世尊!如來身為若此,作如是觀,以斯觀者,名為正觀;若他觀者,名為邪觀。」

維摩詰言う——「己の身の実相を観ずるがごとく、仏を観ずるもまたこのごとし。我如来を観ずるに、前際は来らず、後際は去らず、今は則ち住せず;色を観ぜず、色の如を観ぜず、色の性を観ぜず;受・想・行・識を観ぜず、識の如を観ぜず、識の性を観ぜず;四大の起こす所にあらず、虚空と同じ;六入に積聚なく、眼・耳・鼻・舌・身・心は已に超越せり;三界に在らず、三垢已に離れ、三解脱門に随順し、三明を具足して、無明と相等し;一相にあらず異相にあらず、自相にあらず他相にあらず、无相にあらず取相にあらず;此岸に在らず、彼岸に在らず、中流に在らずして衆生を教化す;寂滅を観ずるも、また永滅せず;此ならず彼ならず、此を以てせず、彼を以てせず;智を以て知るべからず、識を以て識るべからず;晦なく明なく、名なく相なく、強なく弱なく、浄に非ず穢に非ず;方に在らず、方を離れず、有為に非ず、無為に非ず、示なく説なし;施さず慳まず、戒めず犯さず、忍せず恚らず、進まず怠らず、定まらず乱れず、智せず愚れず、誠なく欺かず、来らず去らず、出でず入らず、一切の言語の道断ぜり;福田に非ず、不福田に非ず、応に供養せず、応に供養せざらずに非ず;取に非ず捨に非ず、有相に非ず、无相に非ず;真際に同じく、法性に等しく、称ふべからず、量るべからず、諸の称量を超過す;大に非ず小に非ず、見に非ず聞に非ず、覚に非ず知に非ず、衆の結縛を離れ;諸の智に等しく、衆生に同じく、諸法に於て分別なし;一切失なく、濁なく悩なく、作なく起なく、生なく滅なし;畏なく憂なく、喜なく厭なく著なし;已有なく、当有なく、今有なし;一切の言説を以て分別顕示すべからず:世尊!如来の身は是れこのごとし、このごとく観を作し、かくのごとく観ずるを以てのは、名づけて正観と曰う;もし他の観を作さば、名づけて邪観と曰う。」

爾時舍利弗問維摩詰:「汝於何沒而來生此?」

その時舎利弗は維摩詰に問う——「汝は何処より没して来たりて此に生ぜし?」

維摩詰言:「汝所得法有沒生乎?」

維摩詰言う——「汝の得たる所の法に没と生有りや?」

舍利弗言:「無沒生也。」

舎利弗言う——「没と生なし。」

「若諸法無沒生相,云何問言:『汝於何沒而來生此?』於意云何?譬如幻師,幻作男女,寧沒生耶?」

(維摩詰つづけて言う——)「もし諸法に没生の相なければ、なんぞ問うて言く——『汝は何処より没して来たりて此に生ぜし?』汝はいかに思う?たとえば幻師の幻作する男女に、豈に没と生有らんや?」

舍利弗言:「無沒生也。」

舎利弗言う——「没と生なし。」

「汝豈不聞佛說諸法如幻相乎?」

(維摩詰つづけて言う——)「汝豈に仏の諸法は幻相のごとしと説くを聞かざりしや?」

答曰:「如是!」

答えて言う——「是のごとし!」

「若一切法如幻相者,云何問言:『汝於何沒而來生此?』舍利弗!沒者為虛誑法,敗壞之相;生者為虛誑法,相續之相。菩薩雖沒,不盡善本;雖生,不長諸惡。」

(維摩詰つづけて言う——)「もし一切法は幻相のごとくあらば、なんぞ問うて言く——『汝は何処より没して来たりて此に生ぜし?』舎利弗!没は是れ虚誑の法、敗壊の相なり;生は是れ虚誑の法、相続の相なり。菩薩は没すと雖も、善本を窮尽せず;生ずと雖も、諸の悪を増長せず。」

是時佛告舍利弗:「有國名妙喜,佛號無動。是維摩詰於彼國沒,而來生此。」

この時仏は舎利弗に告げたまう——「国あり名を妙喜と曰い、仏の号は無動なり。こちの維摩詰は彼の国に没して、来たりて此に生ぜし。」

舍利弗言:「未曾有也!世尊!是人乃能捨清淨土,而來樂此多怒害處。」

舎利弗言う——「未曾有なり!世尊!この人は乃ち能く清浄の土を捨てて、来たりてこの多怒害の処を楽う。」

維摩詰語舍利弗:「於意云何?日光出時與冥合乎?」

維摩詰は舎利弗に謂いて言う——「汝はいかに思う?日光の出づる時、冥暗と相合するや?」

答曰:「不也!日光出時,即無眾冥。」

答えて言う——「否!日光出づる時は、則ち衆の冥なし。」

維摩詰言:「夫日何故行閻浮提?」

維摩詰言う——「あの日はなんの故に閻浮提を行く?」

答曰:「欲以明照,為之除冥。」

答えて言う——「光明を以て照曜して、之がために冥暗を除かんと欲す。」

維摩詰言:「菩薩如是!雖生不淨佛土,為化眾生故,不與愚闇而共合也,但滅眾生煩惱闇耳!」

維摩詰言う——「菩薩もまたこのごとし!不浄の仏土に生ずと雖も、衆生を教化するが故に、愚暗と相合せず、ただ衆生の煩惱の暗を滅するのみ!」

是時大眾渴仰,欲見妙喜世界無動如來,及其菩薩、聲聞之眾。佛知一切眾會所念,告維摩詰言:「善男子!為此眾會,現妙喜國無動如來,及諸菩薩、聲聞之眾,眾皆欲見。」

この時大衆は渇仰して、妙喜世界・無動如来およびその菩薩・声聞の衆を見んと欲す。仏は一切の衆会の念じたる所を知りて、維摩詰に告げて言う——「善男子!此の衆会のために、妙喜国の無動如来および諸の菩薩・声聞の衆を顕現せよ、衆人皆見んと欲す。」

於是維摩詰心念:「吾當不起於座,接妙喜國鐵圍山川、溪谷江河、大海泉源、須彌諸山及日月星宿、天龍鬼神、梵天等宮,並諸菩薩、聲聞之眾,城邑聚落、男女大小乃至無動如來,及菩提樹、諸妙蓮華,能於十方作佛事者——三道寶階從閻浮提至忉利天,以此寶階諸天來下,悉為禮敬無動如來,聽受經法;閻浮提人亦登其階,上昇忉利,見彼諸天:妙喜世界成就如是無量功德——上至阿迦膩吒天,下至水際,以右手斷取,如陶家輪,入此世界,猶持華鬘,示一切眾。」作是念已,入於三昧現神通力,以其右手斷取妙喜世界,置於此土。

ここに維摩詰は心の中に念う——「我まさに座より起たずして、妙喜国の鉄囲山川・溪谷江河・大海泉源・須弥の諸山および日月星宿・天龍鬼神・梵天等の宮、ならびに諸の菩薩・声聞の衆、城邑聚落・男女の大小乃至無動如来、および菩提樹・諸の妙蓮華、十方に於て仏事を作す能く者——三道の宝階を閻浮提より忉利天に至りて、諸天は此の宝階に由りて下りて、皆無動如来を礼敬して経法を聴受し;閻浮提の人もまた此の階に登りて、忉利に升りて彼の諸天を見る:妙喜世界はかくのごとき無量の功徳を成就せり——上は阿迦膩咤天より、下は水際に至るまで、右手を以て断取して、陶家の輪のごとく、此の世界に放ち入れて、花鬘を持するがごとく、一切の衆に見せしむべし。」此の念を作し已りて、三昧に入りて神通力を現じて、右手を以て妙喜世界を断取して、此の土に置けり。

彼得神通菩薩及聲聞眾,並餘天、人俱發聲言:「唯然,世尊!誰取我去,願見救護。」無動佛言:「非我所為,是維摩詰神力所作。」其餘未得神通者,不覺不知己之所往。妙喜世界,雖入此土而不增減,於是世界亦不迫隘,如本無異。

彼方の神通を得たる菩薩および声聞の衆、ならびに余の天・人は斉しく声を発して言う——「唯、世尊!誰か我らを取り去りし、願わくは救護を見ん。」無動仏言う——「我が為す所にあらず、是れ維摩詰の神力の作す所なり。」其余の未だ神通を得ざる者は、覚らず知らず自ら何処に往きしやを。妙喜世界は此の土に入ると雖も増せず減ぜず、此の世界に於ても迫隘ならず、本より差異なきがごとし。

爾時釋迦牟尼佛告諸大眾:「汝等且觀妙喜世界無動如來,其國嚴飾,菩薩行淨,弟子清白。」

その時釈迦牟尼仏は諸の大衆に告げたまう——「汝ら且く妙喜世界・無動如来を見よ、その国の厳飾、菩薩の行浄、弟子の清白を。」

皆曰:「唯然已見。」

皆言う——「唯、已に見たり。」

佛言:「若菩薩欲得如是清淨佛土,當學無動如來所行之道。」

仏言う——「もし菩薩かくのごとき清浄の仏土を得んと欲せば、まさに無動如来の行ずる所の道を学ぶべし。」

現此妙喜國時,娑婆世界十四那由他人,發阿耨多羅三藐三菩提心,皆願生於妙喜佛土。釋迦牟尼佛即記之曰:「當生彼國。」時妙喜世界於此國土所應饒益其事訖已,還復本處,舉眾皆見。

此の妙喜国を顕現する時、娑婆世界に十四那由他の人は無上正等正覚心を発して、皆妙喜仏土に生ぜんことを願う。釈迦牟尼仏は即ち授記して言う——「まさに彼の国に生ぜん。」時に妙喜世界は此の国土に於て饒益すべき所の事を畢わりて、還りて本処に復す、衆を挙げて皆見たり。

佛告舍利弗:「汝見此妙喜世界及無動佛不?」

仏は舎利弗に告げたまう——「汝は此の妙喜世界および無動仏を見たりや?」

「唯然已見,世尊!願使一切眾生得清淨土,如無動佛;獲神通力,如維摩詰。世尊!我等快得善利,得見是人,親近供養。其諸眾生,若今現在,若佛滅後,聞此經者,亦得善利;況復聞已信解、受持、讀誦、解說,如法修行?若有手得是經典者,便為已得法寶之藏;若有讀誦解釋其義,如說修行,即為諸佛之所護念;其有供養如是人者,當知即為供養於佛;其有書持此經卷者,當知其室即有如來;若聞是經能隨喜者,斯人即為取一切智;若能信解此經,乃至一四句偈,為他說者,當知此人即是受阿耨多羅三藐三菩提記。」

(舎利弗言う——)「唯、已に見たり、世尊!願はくは一切の衆生をして清浄の土を得せしめ、無動仏のごとくならしめん;神通力を獲て、維摩詰のごとくならしめん。世尊!我らは痛快に善利を得たり、此の人を見て親近供養することを得たればなり。諸の衆生、もし今現在の如く、もし仏滅後に、此の経を聞く者は、また善利を得ん;況んや聞き畢わりて信解・受持・読誦・解説し、法のごとく修行するをや?もし手に此の経典を得る者あらば、便ち是れ已に法宝の蔵を得たり;もし読誦してその義を解釈し、説のごとく修行せば、即ち諸仏の護念せらるる所と為る;もしかくのごときの人を供養する者有らば、まさに知るべし即ち是れ仏を供養するなり;もし書写して此の経巻を受持する者有らば、まさにその室は即ち如来有ると知るべし;もし此の経を聞きて能く随喜するは、此の人は即ち一切智を取ると為す;もし能く此の経を信解して、乃至一四句偈を他の人のために説かば、まさに知るべし此の人は即ち無上正等正覚の記を受くると。」

維摩詰所說經法供養品第十三

維摩詰所説経 法供養品第十三

爾時釋提桓因於大眾中白佛言:「世尊!我雖從佛及文殊師利聞百千經,未曾聞此不可思議、自在神通、決定實相經典。如我解佛所說義趣,若有眾生聞是經法,信解、受持、讀誦之者,必得是法不疑,何況如說修行?斯人即為閉眾惡趣開諸善門,常為諸佛之所護念;降伏外學,摧滅魔怨;修治菩提,安處道場;履踐如來所行之跡。世尊!若有受持讀誦、如說修行者,我當與諸眷屬供養給事;所在聚落城邑、山林曠野有是經處,我亦與諸眷屬聽受法故,共到其所;其未信者,當令生信,其已信者,當為作護。」

その時釋提桓因は大衆の中に於て仏に謂いて言う——「世尊!我は仏および文殊師利より百千の経を聞くと雖も、未だ此の不可思議・自在神通・決定実相の経典を聞かざりき。我が仏の説きたまう所の義趣を解するがごとくは、もし衆生ありて此の経法を聞きて、信解・受持・読誦せば、必ず此の法を得て疑わず、況んや説のごとく修行するをや?此の人は即ち衆の悪趣を閉じて、諸の善門を開きて、常に諸仏の護念せらるる所と為り;外学を降伏し、魔怨を摧滅し;菩提を修治して、道場に安処し;如来の行じたる所の足迹を履践す。世尊!もし受持・読誦して説のごとく修行する者有らば、我まさに諸の眷属と供養給事せん;所在の聚落城邑・山林曠野に此の経有るの処には、我もまた諸の眷属と法を聴受するが故を以て、倶にその所に到らん;未だ信ぜざる者は、まさに信を生ぜしめ、已に信ずる者は、まさに護を為さん。」

佛言:「善哉,善哉!天帝!如汝所說,吾助爾喜。此經廣說過去、未來、現在諸佛不可思議阿耨多羅三藐三菩提。是故,天帝!若善男子、善女人受持、讀誦、供養是經者,即為供養去、來、今佛。天帝!正使三千大千世界如來滿中,譬如甘蔗、竹𥯤、稻麻、叢林;若有善男子、善女人,或一劫、或減一劫,恭敬尊重,讚歎供養,奉諸所安,至諸佛滅後,以一一全身舍利起七寶塔——縱廣一四天下,高至梵天,表剎莊嚴——以一切華香、瓔珞、幢幡、伎樂微妙第一,若一劫、若減一劫,而供養之,於天帝意云何,其人植福寧為多不?」

仏言う——「善きかな、善きかな!天帝!汝の説くがごとく、我は汝を助けて歓喜す。此の経は広く過去・未来・現在の諸仏の不可思議の無上正等正覚を説く。この故に、天帝!もし善男子・善女人あって受持・読誦・供養して此の経をば、即ち過去・未来・現在の仏を供養するを為す。天帝!たとえ三千大千世界に如来満つること、たとえば甘蔗・竹葦・稲麻・丛林のごとし——底本「竹𥯤」は生僻字にして、まさに竹葦と読むべし;もし善男子・善女人ありて、或いは一劫、或いは一劫を減じて、恭敬尊重し、讃歎供養し、諸の安き所を奉りて、諸仏の滅後に到りて、一々の全身舎利を以て七宝塔を起こす——縦広一の四天下、高は梵天に至り、表刹荘厳にして——一切の華香・瓔珞・幢幡・伎楽の微妙第一を以て、もし一劫、もし一劫を減じて之を供養す、天帝の見る所に於ていかん、あの人の植福は豈に多からざるや?」

釋提桓因言:「多矣!世尊!彼之福德,若以百千億劫說不能盡。」

釋提桓因言う——「多し!世尊!彼の福徳は、もし百千億劫を以て説くとも能く尽くさじ。」

佛告天帝:「當知是善男子、善女人聞是不可思議解脫經典,信解受持,讀誦修行,福多於彼。所以者何?諸佛菩提皆從是生;菩提之相不可限量,以是因緣福不可量。」

仏は天帝に告げたまう——「まさに知るべし此の善男子・善女人此の不可思議解脱の経典を聞きて、信解受持して、読誦修行せば、福彼より多し。なぜなら、諸仏の菩提は皆此より生ずれば;菩提の相は限量すべからず、此の因縁を以て福は量るべからず。」

佛告天帝:「過去無量阿僧祇劫,時世有佛,號曰藥王如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。世界名大莊嚴,劫曰莊嚴,佛壽二十小劫。其聲聞僧三十六億那由他,菩薩僧有十二億。天帝!是時有轉輪聖王,名曰寶蓋,七寶具足,主四天下。王有千子,端正勇健,能伏怨敵。

仏は天帝に告げたまう——「過去の無量阿僧祇劫に、当時世に仏有りて、号して薬王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と曰う。世界は名を大荘厳と曰い、劫は名を荘厳と曰い、仏の寿は二十小劫なり。その声聞僧は三十六億那由他、菩薩僧は十二億有り。天帝!この時転輪聖王有りて、名を宝蓋と曰い、七宝具足して、四天下を主る。王に千の子有りて、端正勇健にして、能く怨敵を伏す。

「爾時寶蓋與其眷屬,供養藥王如來,施諸所安,至滿五劫。過五劫已,告其千子:『汝等亦當如我,以深心供養於佛。』於是千子受父王命,供養藥王如來,復滿五劫,一切施安。其王一子,名曰月蓋,獨坐思惟:『寧有供養殊過此者?』以佛神力,空中有天曰:『善男子!法之供養勝諸供養。』即問:『何謂法之供養?』天曰:『汝可往問藥王如來,當廣為汝說法之供養。』

(仏つづけて言う——)「その時宝蓋はその眷属と薬王如来を供養して、諸の安き所を施して、五劫に満つ。五劫を過ぎ已りて、その千子に告げて言く——『汝らもまたまさに我のごとく、深心を以て仏を供養すべし。』ここに千子は父王の命を受けて、薬王如来を供養して、また五劫に満ちて、一切施安せり。あの王に一子あり名を月蓋と曰い、独り坐して思惟す——『豈に供養ありて此を過ぎる者有らんや?』仏の神力を以て、空中に天ありて説いて言く——『善男子!法の供養は諸の供養に勝れたり。』即ち問う——『何をか法の供養と謂う?』天言う——『汝往きて薬王如来に問うべし、まさに広く汝のために法の供養を説かん。』

「即時月蓋王子行詣藥王如來,稽首佛足,卻住一面,白佛言:『世尊!諸供養中,法供養勝。云何為法供養?』佛言:『善男子!法供養者,諸佛所說深經,一切世間難信難受,微妙難見,清淨無染,非但分別思惟之所能得,菩薩法藏所攝,陀羅尼印印之;至不退轉,成就六度,善分別義,順菩提法,眾經之上;入大慈悲,離眾魔事及諸邪見;順因緣法,無我、無人、無眾生、無壽命,空、無相、無作、無起;能令眾生坐於道場而轉法輪,諸天、龍神、乾闥婆等所共歎譽;能令眾生入佛法藏,攝諸賢聖一切智慧;說眾菩薩所行之道;依於諸法實相之義,明宣無常、苦、空、無我、寂滅之法;能救一切毀禁眾生,諸魔外道及貪著者能使怖畏,諸佛賢聖所共稱歎;背生死苦,示涅槃樂,十方三世諸佛所說;若聞如是等經,信解、受持、讀誦,以方便力為諸眾生分別解說,顯示分明,守護法故,是名法之供養。又於諸法如說修行,隨順十二因緣,離諸邪見,得無生忍;決定無我無有眾生,而於因緣果報無違無諍,離諸我所;依於義不依語,依於智不依識,依了義經不依不了義經,依於法不依人;隨順法相,無所入,無所歸;無明畢竟滅故,諸行亦畢竟滅,乃至生畢竟滅故,老死亦畢竟滅:作如是觀十二因緣,無有盡相,不復起見,是名最上法之供養。』」

(仏つづけて言う——)「即時月蓋王子は薬王如来の所に往きて、仏足に稽首し、退きて一面に住して、仏に謂いて言く——『世尊!諸の供養の中に、法供養を勝と為す。何をか法供養と謂う?』仏言う——『善男子!法供養とは、是れ諸仏の説く所の深経にして、一切の世間の信じ難く受け難く、微妙にして見え難く、清浄にして染なく、單に分別思惟の能得る所にあらず、菩薩の法蔵の摂する所と為り、陀羅尼の印を以て之を印す;不退転に至りて、六度を成就し、善く義を分別し、菩提の法に随順して、衆経の上に在り;大慈悲に入りて、衆の魔事および諸の邪見を離れ;因縁の法に随順して、我なく人なく衆生なく寿命なく、空・无相・無作・無起なり;能く衆生をして道場に坐して法輪を転ぜしむ、諸の天・龍神・乾闥婆等の共に歎誉する所なり;能く衆生をして仏の法蔵に入らしめ、諸の賢聖の一切の智慧を摂す;衆の菩薩の行ふ所の道を説き;諸法の実相の義に依りて、明らかに無常・苦・空・無我・寂滅の法を宣べ;能く一切の毀禁の衆生を救い、諸の魔・外道および貪著の人をして怖畏せしむる能く、諸仏賢聖の共に称歎する所なり;生死の苦に背きて、涅槃の楽を示す、十方三世の諸仏の説く所なり;もしかくのごとき等の経を聞きて、信解・受持・読誦して、方便の力を以て諸の衆生のために分別して解説し、顕示して分明ならしめ、法を守護するが故を為すれば、これを名づけて法の供養と曰う。また諸法に於て説のごとく修行して、十二因縁(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)に随順して、諸の邪見を離れて、無生忍を得;決定に我なく衆生なくして、しかして因縁果報に於て違なく諍なく、諸の我所を離れ;義に依りて語に依らず、智に依りて識に依らず、了義経に依りて不了義経に依らず、法に依りて人に依らず;法相に随順して、入る所なく、帰する所なし;無明畢竟に滅するが故に、諸行もまた畢竟に滅す、乃至生畢竟に滅するが故に、老死もまた畢竟に滅す:かくのごとく十二因縁を観ずるに、尽相なく、復た見を起こさず、これを名づけて最上法の供養と曰う。』」

佛告天帝:「王子月蓋從藥王佛聞如是法,得柔順忍。即解寶衣嚴身之具,以供養佛,白佛言:『世尊!如來滅後,我當行法供養,守護正法。願以威神加哀建立,令我得降魔怨,修菩薩行。』佛知其深心所念,而記之曰:『汝於末後守護法城。』天帝!時王子月蓋,見法清淨,聞佛授記,以信出家,修集善法;精進不久,得五神通,逮菩薩道,得陀羅尼,無斷辯才。於佛滅後,以其所得神通、總持、辯才之力,滿十小劫,藥王如來所轉法輪隨而分佈。月蓋比丘以守護法,勤行精進,即於此身,化百萬億人於阿耨多羅三藐三菩提立不退轉;十四那由他人,深發聲聞、辟支佛心;無量眾生得生天上。天帝!時王寶蓋豈異人乎?今現得佛,號寶炎如來;其王千子,即賢劫中千佛是也——從迦羅鳩孫駄為始得佛,最後如來號曰樓至。月蓋比丘,即我身是。如是,天帝!當知此要:以法供養於諸供養為上為最,第一無比。是故,天帝!當以法之供養,供養於佛。」

仏は天帝に告げたまう——「王子月蓋は薬王仏よりかくのごときの法を聞きて、柔順忍を得たり。即ち宝衣・厳身の具を解きて以て仏を供養して、仏に謂いて言く——『世尊!如来の滅後、我まさに法供養を行じて正法を守護せん。願わくは威神を以て哀れに建立し加えて、我をして魔怨を降伏し菩薩の行を修するを得せしめん。』仏はその深心の念じたる所を知りて、授記して言う——『汝は末後に於て法城を守護せん。』天帝!当時王子月蓋は法の清浄なるを見、仏の授記を聞きて、信を以て出家して、善法を修集す;精進して久しからずして、五神通を得、菩薩道に逮し、陀羅尼を得て、無断の弁才を得たり。仏の滅後に於て、その得たる所の神通・総持・弁才の力を以て、十小劫に満ちて、薬王如来の転ぜし所の法輪に随ひて分布す。月蓋比丘は法を守護するを以て、勤めて精進を行じて、即ち此の身に於て、百万億の人を無上正等正覚に於て安立不退転せしめ;十四那由他の人は深く声聞・辟支仏の心を発し;無量の衆生は天上に生ずることを得たり。天帝!当時の宝蓋王は豈に別人ならんや?いま現に已に仏を得たり、号を宝炎如来と曰う;あの王の千子は、即ち賢劫の中の千仏——迦羅鳩孫駄を始めとして仏を得て、最後の如来は号して楼至と曰う。月蓋比丘は、即ち是れ我が身なり。このごとく、天帝!まさに此の要を知るべし:法の供養を以て諸の供養に於て上と為し最と為し、第一にして比ぶるなし。この故に、天帝!まさに法の供養を以て仏を供養すべし。」

維摩詰所說經囑累品第十四

維摩詰所説経 囑累品第十四

於是佛告彌勒菩薩言:「彌勒!我今以是無量億阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法,付囑於汝。如是輩經,於佛滅後末世之中,汝等當以神力廣宣流佈於閻浮提,無令斷絕。所以者何?未來世中,當有善男子、善女人及天、龍、鬼神、乾闥婆、羅剎等,發阿耨多羅三藐三菩提心,樂於大法;若使不聞如是等經,則失善利。如此輩人聞是等經,必多信樂,發希有心,當以頂受,隨諸眾生所應得利,而為廣說。

ここに仏は弥勒菩薩に告げたまう——「弥勒!我いま此の無量億阿僧祇劫に集めたる所の無上正等正覚の法を以て、汝に付嘱す。かくのごとき一類の経典は、仏の滅後の末世の中に於て、汝らまさに神力を以て閻浮提に広く流布を宣べて、之をして断絶せしむるなかれ。なぜなら、未来世の中に、まさに善男子・善女人および天・龍・鬼神・乾闥婆・羅刹等ありて、無上正等正覚心を発して、大法を楽わん;もし彼らをしてかくのごとき等の経を聞かしめざれば、則ち善利を失わん。かくのごとき一類の人はかくのごとき等の経を聞かば、必ず多く信楽して希有の心を発さん、まさに頂受して、諸の衆生の応に得べき所の利に随ひて之のために広く説くべし。

「彌勒!當知菩薩有二相。何謂為二?一者、好於雜句文飾之事;二者、不畏深義如實能入。若好雜句文飾事者,當知是為新學菩薩;若於如是無染無著,甚深經典無有恐畏,能入其中,聞已心淨,受持讀誦,如說修行,當知是為久修道行。

(仏つづけて言う——)「弥勒!まさに知るべし菩薩に二相有り。いずれの二相ぞ。一には雑句文飾の事を好み;二には深義を畏れずして実のごとく能く入る。もし雑句文飾の事を好む者は、まさに知るべし是れ新学の菩薩なり;もしかくのごとき染なく著なきの甚深の経典に於て恐畏なくして、その中に入ること能くし、聞き畢わりて心浄にして、受持・読誦して、説のごとく修行するは、まさに知るべし是れ久しく道行を修せるなり。

「彌勒!復有二法名新學者,不能決定於甚深法。何等為二?一者、所未聞深經,聞之驚怖生疑,不能隨順,毀謗不信,而作是言:『我初不聞,從何所來?』二者、若有護持、解說如是深經者,不肯親近、供養、恭敬,或時於中說其過惡。有此二法,當知是為新學菩薩,為自毀傷,不能於深法中調伏其心。

(仏つづけて言う——)「弥勒!また二法ありて名づけて新学の者と曰う、甚深の法に於て決定すること能わず。いずれの二法ぞ。一には未だ聞かざるの深経を、聞きて驚怖し疑を生じて、随順する能わず、毀謗して信ぜずして、かくのごとく言う——『我当初聞くことあらざりき、何処よりか来たる?』二にはもし護持してかくのごとき深経を解説する者有らば、肯んじて親近・供養・恭敬せずして、或いは時にその中に於てその過悪を説く。此の二法有れば、まさに知るべし是れ新学の菩薩、自らのために毀傷して、能く深法に於てその心を調伏するあらず。

「彌勒!復有二法,菩薩雖信解深法,猶自毀傷,而不能得無生法忍。何等為二?一者、輕慢新學菩薩,而不教誨;二者、雖解深法,而取相分別。是為二法。」

(仏つづけて言う——)「弥勒!また二法ありて、菩薩は深法を信解すと雖も、還りて自ら毀傷して、しかも無生法忍を得る能わず。いずれの二法ぞ。一には新学の菩薩を軽慢して誨えず;二には深法を解すと雖も、相を取りて分別す。是れを二法と為す。」

彌勒菩薩聞說是已,白佛言:「世尊!未曾有也!如佛所說,我當遠離如斯之惡,奉持如來無數阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法。若未來世善男子、善女人求大乘者,當令手得如是等經,與其念力,使受持讀誦、為他廣說。世尊!若後末世,有能受持讀誦、為他說者,當知皆是彌勒神力之所建立。」

弥勒菩薩はこれらの話を聞きて、仏に謂いて言う——「世尊!未曾有なり!仏の説きたまうがごとく、我まさにかくのごときの悪を遠離して、如来の无数阿僧祇劫に集めたる所の無上正等正覚の法を奉持せん。もし未来世の善男子・善女人の大乗を求める有らば、まさに手にかくのごとき等の経を得せしめ、念力を与えて、受持・読誦して他のために広く説かしめん。世尊!もし後の末世に能く受持・読誦して他のために説く者有らば、まさに知るべし皆是れ弥勒の神力の建立する所なり。」

佛言:「善哉,善哉!彌勒!如汝所說,佛助爾喜。」

仏言う——「善きかな、善きかな!弥勒!汝の説くがごとく、仏は汝を助けて歓喜す。」

於是一切菩薩合掌白佛:「我等亦於如來滅後,十方國土廣宣流佈阿耨多羅三藐三菩提法,復當開導諸說法者,令得是經。」

ここに一切の菩薩は合掌して仏に謂いて言う——「我らもまた如来の滅後に於て、十方の国土に於て無上正等正覚の法を広く流布を宣べ、還りてまさに諸の法を説く人を開導して、此の経を得せしめん。」

爾時四天王白佛言:「世尊!在在處處、城邑聚落、山林曠野,有是經卷、讀誦解說者,我當率諸官屬為聽法故,往詣其所,擁護其人,面百由旬,令無伺求得其便者。」

その時四天王は仏に謂いて言う——「世尊!在在処々・城邑聚落・山林曠野に、此の経巻有りて読誦解説する者あらば、我まさに諸の官属を率領して法を聴くが故を以て、其の所に往きて、其の人を擁護して、周囲百由旬、伺求して其の便を得る者なからしめん。」

是時佛告阿難:「受持是經,廣宣流佈。」

この時仏は阿難に告げたまう——「此の経を受持して、広く流布を宣べよ。」

阿難言:「唯然!我已受持要者。世尊!當何名斯經?」

阿難言う——「唯!我已に要義を受持せり。世尊!此の経はまさに何を名と謂うべき?」

佛言:「阿難!是經名為『維摩詰所說』,亦名『不可思議解脫法門』,如是受持。」

仏言う——「阿難!此の経は名を『維摩詰所説』と為し、また『不可思議解脱法門』と名づく、このごとく受持せよ。」

佛說是經已,長者維摩詰、文殊師利、舍利弗、阿難等,及諸天、人、阿修羅一切大眾,聞佛所說,皆大歡喜。

仏この経を説き畢わりたまうに、長者維摩詰・文殊師利・舎利弗・阿難等、および諸の天・人・阿修羅の一切の大衆は、仏の説きたまう所を聞きて、皆大いに歓喜せり。

維摩詰經卷下

維摩詰経 巻下

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