Libo

金刚般若波罗蜜经

后秦 · 鸠摩罗什译

法会因由分第一『説法の会聚、ここに由る起因』

仏家典籍

短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。

金剛般若波羅蜜経

*鳩摩羅什譯·後秦弘始年間(公元402-413年)*

*鳩摩羅什訳・後秦弘始年間(402〜413年)*

法会因由分第一『説法の会聚、ここに由る起因』

如是我聞。

わたしはこのように仏の説かれるのを聞いた。

一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園,與大比丘眾千二百五十人俱。

ある時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園にお住まいで、千二百五十人の大比丘とともにおられた。

爾時,世尊食時,著衣持缽,入舍衛大城乞食。

その時、食の時に至り、世尊は袈裟を著け鉢盂を執りて、舎衛大城に入りて乞食された。

於其城中,次第乞已,還至本處。

城中において挨門挨戸、次々に乞い終えて、もとの住処に帰られた。

飯食訖,收衣缽,洗足已,敷座而坐。

食を終えて、袈裟と鉢盂を収め、足を洗い、座位を敷いて坐られた。

善現啓請分第二『善現長老、仏の訓を啓請す』

時,長老須菩提,在大眾中,即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬。而白佛言:

この時、長老須菩提は大衆の中より座より起ち、袈裟を偏に披き右肩を露にし、右膝を地につけ、恭しく合掌して仏に言った。

「希有世尊!如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。

「希有難得の世尊よ!如来は善く諸々の菩薩を護念し、また善く諸々の菩薩に重任を付嘱されます。

世尊!善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,應云何住?云何降伏其心?」

世尊!善男子・善女人が阿耨多羅三藐三菩提心(「無上正等正覚」の心、すなわち成仏を志すあの心)を発したのち、この心はどこに安住すべきでしょうか。またどのようにそれを降伏すべきでしょうか。」

佛言:「善哉,善哉。須菩提!

仏は言われた。「問うこと善し、問うこと善し。須菩提!

如汝所說:如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。

まさに汝の言うごとく、如来は善く諸々の菩薩を護念し、また善く諸々の菩薩に重任を付嘱する。

汝今諦聽,當為汝說:善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,應如是住,如是降伏其心。」

汝いま諦かに聞け。わたしが汝のために説こう。善男子・善女人が無上正等正覚の心を発したなら、まさに下に説くところのごとく安住し、下に説くところのごとく自らの心を降伏すべきである。」

「唯然,世尊!願樂欲聞。」

須菩提は言った。「はい、世尊!わたしは喜んで聞かせていただきます。」

大乗正宗分第三『最大の乗、最正の宗』

佛告須菩提:「諸菩薩摩訶薩,應如是降伏其心:

仏は須菩提に告げた。「諸々の大菩薩は、このように自らの心を降伏すべきである:

所有一切眾生之類,若卵生、若胎生、若溼生、若化生;

一切衆生は、卵生のもの、胎生のもの、湿気の中より生ずるもの、あるいは変化して生ずるもの、

若有色、若無色;若有想、若無想、若非有想非無想,

形色あるもの、形色なきもの、思想あるもの、思想なきもの、あるいは思想あるともなきともいえないもの——

我皆令入無餘涅槃而滅度之。如是滅度無量無數無邊眾生,實無眾生得滅度者。

わたしは皆彼らを無余涅槃に入らせて度脱せしめる。このように度脱して無量無数無辺の衆生を度しながら、実際には度脱された衆生はひとりもいない。

何以故?須菩提!若菩薩有我相、人相、眾生相、壽者相,即非菩薩。」

なぜか。須菩提!もし菩薩の心にまだ我相・人相・衆生相・寿者相——すなわち「我あり、他人あり、衆生あり、一段の寿命あり」と分別執着するなら——それは菩薩ではない。」

妙行無住分第四『奥妙の行、もとより住著なし』

「復次,須菩提!

「次に、須菩提!

菩薩於法,應無所住,行於佈施。所謂不住色佈施,不住聲、香、味、觸、法佈施。

菩薩は一切の事物について執着して停留すべきではなく、そのまま布施を行ずべきである。すなわち色に執着せず布施し、声・香・味・触・法に執着せず布施する。

須菩提!菩薩應如是佈施,不住於相。

須菩提!菩薩はこのように布施し、いかなる相にも執着すべきではない。

何以故?若菩薩不住相佈施。其福德不可思量。」

なぜか。もし菩薩が相に執着せず布施すれば、その福徳は測量し得ないほど大きいからである。」

「須菩提!於意云何?東方虛空,可思量不?」

「須菩提!汝はどう思うか。東方の虚空は測量できるか。」

「不也,世尊!」

「できません、世尊!」

「須菩提!南、西、北方,四維上下虛空,可思量不?」

「須菩提!南方・西方・北方、四隅および上方下方の虚空は、測量できるか。」

「不也,世尊!」

「できません、世尊!」

「須菩提!菩薩無住相佈施,福德亦復如是不可思量。須菩提!菩薩但應如所教住。」

「須菩提!菩薩が相に執着せず布施すれば、福徳もまた虚空のように測量できない。須菩提!菩薩はただわたしの教えるごとく心を安住すべきである。」

如理実見分第五『如理の理、すなわち真実を見る』

「須菩提。於意云何?可以身相見如來不?」

「須菩提!汝はどう思うか。外在の身形相貌をもって如来を見ることができるか。」

「不也,世尊,不可以身相得見如來。何以故?如來所說身相,即非身相。」

「できません、世尊。身形相貌をもって如来を見ることはできません。なぜか。如来の説く身相は、真実不変の身相ではないからです。」

佛告須菩提:「凡所有相,皆是虛妄。若見諸相非相,即見如來。」

仏は須菩提に告げた。「およそ形相あるものは、みな虚妄で実でない。もし種々の相が真実の相でないと見るならば、すなわち如来を見るのである。」

正信希有分第六『正信を生ずる、最も希有』

須菩提白佛言:「世尊!頗有眾生,得聞如是言說章句,生實信不?」

須菩提は仏に言った。「世尊!衆生がこのような言説章句を聞いて真実の信心を生ずることがあるでしょうか。」

佛告須菩提:「莫作是說。如來滅後,後五百歲,有持戒修福者,於此章句能生信心,

仏は須菩提に告げた。「そのように言うな。如来が滅度したのち、後の五百年に至っても、なお戒を持し福を修する人がいて、これらの章句について信心を生ずることができ、

以此為實,當知是人不於一佛、二佛、三四五佛而種善根,已於無量千萬佛所種諸善根,

それを真実とする。そのような人は一仏・二仏・三四五仏のもとにのみ善根を種したのではなく、すでに無量千万の仏のもとに種々の善根を種したのであると知るべきである。

聞是章句,乃至一念生淨信者,須菩提!如來悉知悉見,是諸眾生得如是無量福德。

これらの章句を聞いて、たとえ一念の清浄な信心を生ずるだけでも、須菩提!如来は皆悉く知り悉く見る。これらの衆生はこのような無量の福徳を得るであろう。

何以故?是諸眾生無復我相、人相、眾生相、壽者相。」

なぜか。これらの衆生はすでに我相・人相・衆生相・寿者相がないからである。」

「無法相,亦無非法相。

「彼らは「法」の相に執着せず、「非法」の相にも執着しない。

何以故?是諸眾生若心取相,則為著我、人、眾生、壽者。」

なぜか。これらの衆生がもし心にいかなる相をも執取すれば、すなわち我あり・人あり・衆生あり・寿者ありと執着するに等しいからである。」

「若取法相,即著我、人、眾生、壽者。何以故?

「もし「法」の相を執取すれば、すなわち我あり・人あり・衆生あり・寿者ありと執着するのである。なぜか。

若取非法相,即著我、人、眾生、壽者。

もし「非法」の相を執取しても、同じく我あり・人あり・衆生あり・寿者ありと執着するのである。

是故不應取法,不應取非法。以是義故,如來常說:

ゆえに「法」を執取すべきではなく、「非法」をも執取すべきではない。まさにこの道理ゆえに、如来はつねに説く——

汝等比丘,知我說法,如筏喻者,法尚應舍,何況非法。」

汝ら比丘は知るべきである。わたしの説く法は、河を渡る木筏のようである——河を渡れば筏は放下すべきである。法ですら捨て去るべきなのだから、まして非法においてをや。」

無得無説分第七『空なれば得なく、寂なれば説なし』

「須菩提!於意云何?如來得阿耨多羅三藐三菩提耶?如來有所說法耶?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来は無上正等正覚を証得したか。如来に説く法があったか。」

須菩提言:「如我解佛所說義,無有定法,名『阿耨多羅三藐三菩提』,

須菩提は言った。「わたしが仏の説かれる意を解するに、『阿耨多羅三藐三菩提』という固定したものはありません。

亦無有定法,如來可說。

また如来が説き出し得る固定した法もありません。

何以故?如來所說法。皆不可取、不可說;非法,非非法。

なぜか。如来の説く法は、皆執取し得ず、言説し得ず、それは「法」でもなく「非法」でもないからです。

所以者何?一切賢聖,皆以無為法而有差別。」

これはどういう故か。一切の賢者・聖者は、皆無為法(造作せず、生滅なき法)に依って修証の深浅の差別があるからです。」

依法出生分第八『諸仏の法、これに依りて生ず』

「須菩提!於意云何?若人滿三千大千世界七寶以用佈施,是人所得福德,寧為多不?」

「須菩提!汝はどう思うか。もし人が三千大千世界を満たす七宝をもって布施するなら、この人の得る福徳は多いか。」

須菩提言:「甚多,世尊!何以故?是福德即非福德性,是故如來說福德多。」

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!なぜか。この福徳は福徳の本性ではなく、ただ有為の果報であるがゆえに、如来はそれを「多い」と説かれるのです。」

「若復有人,於此經中受持,乃至四句偈等,為他人說,其福勝彼。何以故?

「もしまた人がこの経を受持し、たとえその中の四句偈だけでも、また他人のために講説するなら、その福報は前の人に勝れます。なぜか。

須菩提!一切諸佛,及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法,皆從此經出。

須菩提!一切の諸仏、および諸仏の証した無上正等正覚の法は、皆この経より出るからです。

須菩提!所謂佛法者,即非佛法,是名佛法。」

須菩提!いわゆる「仏法」は、執取し得る実体ではなく、ただ仮に仏法と名づけるだけです。」

一相無相分第九『ただ此一相、もとより形なし』

「須菩提!於意云何?須陀洹能作是念:『我得須陀洹果』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。須陀洹(初果の聖者)はこのような念を起こし得るか——『わたしは須陀洹果を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?須陀洹名為入流,而無所入;

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。須陀洹は「入流」の意、すなわち初めて聖者の流れに入るのであり、実際には入るべきところのどこかがあるわけではありません。

不入色、聲、香、味、觸、法,是名須陀洹。」

彼は色・声・香・味・触・法に堕ちることがない。ゆえに須陀洹というのです。」

「須菩提!於意云何?斯陀含能作是念:『我得斯陀含果』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。斯陀含(二果の聖者)はこのような念を起こし得るか——『わたしは斯陀含果を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?斯陀含名一往來,而實無往來,是名斯陀含。」

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。斯陀含は「一往來」の意、すなわちあと一度天上・人間に往反するだけですが、実際には往來というべきものがありません。ゆえに斯陀含というのです。」

「須菩提!於意云何?阿那含能作是念:『我得阿那含果』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。阿那含(三果の聖者)はこのような念を起こし得るか——『わたしは阿那含果を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?阿那含名為不來,而實無不來,是故名阿那含。」

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。阿那含は「不來」の意、すなわち再び欲界に受生しないということですが、実際には「不來」というべきものがありません。ゆえに阿那含というのです。」

「須菩提!於意云何?阿羅漢能作是念:『我得阿羅漢道』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。阿羅漢はこのような念を起こし得るか——『わたしは阿羅漢道を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?實無有法名阿羅漢。

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。実際には阿羅漢という固定したものがないからです。

世尊!若阿羅漢作是念:『我得阿羅漢道』即為著我、人、眾生、壽者。

世尊!もし阿羅漢が『わたしは阿羅漢道を証得した』という念を起こせば、それは我あり・人あり・衆生あり・寿者ありを執着するのです。

世尊!佛說我得無諍三昧,人中最為第一,是第一離欲阿羅漢。

世尊!仏はわたしが無諍三昧(心が人と争わず、対立を起こさない定境)を証得し、人中最も第一であり、第一等の離欲の阿羅漢であると説かれました。

世尊!我不作是念:『我是離欲阿羅漢。』

世尊!しかしわたしはこのような念を起こしません——『わたしは離欲の阿羅漢である』と。

世尊!我若作是念:『我得阿羅漢道。』世尊則不說須菩提是樂阿蘭那行者。

世尊!わたしがもし『わたしは阿羅漢道を証得した』という念を起こせば、世尊は須菩提が阿蘭那行(寂静無諍の修行)を好む人であるとは言わなかったでしょう。

以須菩提實無所行,而名須菩提,是樂阿蘭那行。」

まさに須菩提は実際に「わたしは何らかの行を修している」という念がないがゆえに、阿蘭那行を好む須菩提と呼ばれるのです。」

荘厳浄土分第十『荘厳を成就し、心地を浄明に』

佛告須菩提:「於意云何?如來昔在燃燈佛所,於法有所得不?」

仏は須菩提に告げた。「汝はどう思うか。如来は昔燃灯仏のところにあって、法について得るところがあったか。」

「不也,世尊!如來在燃燈佛所,於法實無所得。」

「ありません、世尊!如来は燃灯仏のところにあって、法について実際に得るところは何もありません。」

「須菩提!於意云何?菩薩莊嚴佛土不?」

「須菩提!汝はどう思うか。菩薩は仏土を荘厳しているか。」

「不也,世尊!何以故?莊嚴佛土者,即非莊嚴,是名莊嚴。」

「していません、世尊!なぜか。いわゆる荘厳仏土は、真実に執取し得る荘厳があるのではなく、ただ仮に荘厳と名づけるだけです。」

「是故,須菩提!諸菩薩摩訶薩,應如是生清淨心,

「ゆえに、須菩提!諸々の大菩薩はこのように清浄心を生起すべきである:

不應住色生心,不應住聲、香、味、觸、法生心,應無所住而生其心。」

色に執着して心を生ずべきではなく、声・香・味・触・法にも執着して心を生ずべきではなく、執着する所なくしてその心を生起すべきである。」

「須菩提!譬如有人,身如須彌山王,於意云何?是身為大不?」

「須菩提!譬えば人があって身が須弥山王のように高大だとする。汝はどう思うか。この身は大と言えるか。」

須菩提言:「甚大,世尊!何以故?佛說非身,是名大身。」

須菩提は言った。「甚だ大きいです、世尊!しかしなぜこう言うか。仏はそれが真実に執取し得る身ではなく、ただ仮に大身と名づけるだけと説かれるからです。」

無為福勝分第十一『無為の福を修すれば、布施に勝る』

「須菩提!如恆河中所有沙數,如是沙等恆河,於意云何?是諸恆河沙,寧為多不?」

「須菩提!恒河の中の沙粒ほど多くの恒河があるとする。汝はどう思うか。これらの恒河の中の沙粒は多いか。」

須菩提言:「甚多,世尊!但諸恆河,尚多無數,何況其沙。」

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!ただそれらの恒河だけでも数え尽くせないほど多いのに、ましてその中の沙粒においてをや。」

「須菩提!我今實言告汝:若有善男子、善女人,

「須菩提!わたしはいま実語で汝に告げる。もし善男子・善女人があって、

以七寶滿爾所恆河沙數三千大千世界,以用佈施,得福多不?」

七宝をもってそのように恒河沙数の三千大千世界を満たして布施するなら、得る福は多いか。」

須菩提言:「甚多,世尊!」

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!」

佛告須菩提:「若善男子、善女人,

仏は須菩提に告げた。「もし善男子・善女人が

於此經中,乃至受持四句偈等,為他人說,而此福德,勝前福德。」

この経について、たとえその中の四句偈だけでも受持し、また他人のために講説するなら、この福徳は前の福徳に勝れる。」

尊重正教分第十二『正教を受持すれば、天人尊重す』

「復次,須菩提!隨說是經,乃至四句偈等,

「次に、須菩提!随に処を問わずこの経を講説し、たとえその中の四句偈だけでも、

當知此處,一切世間,天、人、阿修羅,皆應供養,如佛塔廟。何況有人,盡能受持讀誦。

知るべきである——このところは、一切世間の天神・人・阿修羅が皆供養に来るべきで、仏の塔廟を供養するがごとし。まして人がこの経全体を尽く受持読誦できるにおいてをや。

須菩提!當知是人成就最上第一希有之法,若是經典所在之處,即為有佛,若尊重弟子。」

須菩提!知るべきである。このような人は最上・第一・希有の法を成就する。およそこの経典のあるところは、すなわち仏のあるに等しく、また仏の尊重する弟子のあるに等しい。」

如法受持分第十三『この法のごとく、受け持ち奉持せよ』

爾時,須菩提白佛言:「世尊!當何名此經?我等云何奉持?」

その時須菩提は仏に言った。「世尊!この経は何と名づけるべきですか。われらはどのように奉行受持すべきですか。」

佛告須菩提:「是經名為金剛般若波羅蜜,以是名字,汝當奉持。所以者何?

仏は須菩提に告げた。「この経は《金剛般若波羅蜜》という。汝らはこの名をもって奉行受持せよ。これはどういう故か。

須菩提!佛說般若波羅蜜,即非般若波羅蜜。是名般若波羅蜜。

須菩提!仏の説く般若波羅蜜(般若はボレーと読み、実相を見抜く智慧を指し、世間の聡明とは異なる。波羅蜜は「彼岸に到る」の意)は、執取し得る実体ではなく、ただ仮に般若波羅蜜と名づけるだけである。

須菩提!於意云何?如來有所說法不?」

須菩提!汝はどう思うか。如来に説く法があったか。」

須菩提白佛言:「世尊!如來無所說。」

須菩提は仏に言った。「世尊!如来は何も説きませんでした。」

「須菩提!於意云何?三千大千世界所有微塵,是為多不?」

「須菩提!汝はどう思うか。三千大千世界の中のすべての微塵は多いか。」

須菩提言:「甚多,世尊!」

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!」

「須菩提!諸微塵,如來說非微塵,是名微塵。如來說:世界,非世界,是名世界。

「須菩提!これらの微塵は、如来はそれらが真実に執取し得る微塵ではなく、ただ仮に微塵と名づけると説く。如来の説く世界も、真実に執取し得る世界ではなく、ただ仮に世界と名づける。

須菩提!於意云何?可以三十二相見如來不?」

須菩提!汝はどう思うか。三十二種の相好をもって如来を見ることができるか。」

「不也,世尊!不可以三十二相得見如來。何以故?

「できません、世尊!三十二相をもって如来を見ることはできません。なぜか。

如來說:三十二相,即是非相,是名三十二相。」

如来の説く三十二相は、真実不変の相ではなく、ただ仮に三十二相と名づけるだけだからです。」

「須菩提!若有善男子、善女人,以恆河沙等身命佈施;

「須菩提!もし善男子・善女人があって、恒河沙のように多い身体性命をもって布施するなら。

若復有人,於此經中,乃至受持四句偈等,為他人說,其福甚多!」

また人があってこの経について、たとえその中の四句偈だけでも受持し、また他人のために講説するなら、その福報ははるかに多いのです!」

離相寂滅分第十四『諸の形相を離れ、自ずから寂滅を得る』

爾時,須菩提聞說是經,深解義趣,涕淚悲泣,而白佛言:

その時須菩提は仏がこの経を説くのを聞き、深くその中の義理旨趣を領解し、感動して涙を流し悲泣して、仏に言った。

「希有世尊!佛說如是甚深經典,我從昔來所得慧眼,未曾得聞如是之經。

「希有難得の世尊よ!仏がこのように甚深の経典を宣説されることは、わたしが昔得た慧眼をもってしても、かつてこのような経を聞いたことがありません。

世尊!若復有人,得聞是經,信心清淨,則生實相,當知是人,成就第一希有功德。

世尊!もし人がこの経を聞いて信心が清浄にして雑なく、それにより実相(諸法の真実の本来の面目)を生ずるならば、この人は第一等の希有の功徳を成就したと知るべきです。

世尊!是實相者,則是非相,是故如來說名實相。

世尊!いわゆる実相は、実は執取し得る相ではなく、まさにこのゆえに如来はそれに実相という名を取られたのです。

世尊!我今得聞如是經典,信解受持,不足為難;

世尊!わたしがいまこのような経典を聞き、信受理解し、奉持して忘れないことは、まだ難とは言えません。

若當來世,後五百歲,其有眾生,得聞是經,信解受持,是人則為第一希有。

もし将来の世代、仏滅後の第五の五百年に至って、なお衆生があってこの経を聞いて信解受持するならば、この人こそ真に第一等の希有です。

何以故?此人無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。所以者何?

なぜか。この人には我相なく、人相なく、衆生相なく、寿者相がないからです。これはどういう故か。

我相,即是非相;人相、眾生相、壽者相,即是非相。何以故?

いわゆる我相はもとより真実の相ではなく、人相・衆生相・寿者相もまた真実の相ではないからです。なぜか。

離一切諸相,則名諸佛。」

一切相を離れるを、すなわち仏というからです。」

佛告須菩提:「如是,如是!

仏は須菩提に告げた。「そのとおり、まさにそのとおり!

若復有人,得聞是經,不驚、不怖、不畏,當知是人,甚為希有。何以故?

もし人がこの経を聞いて驚かず、恐慌せず、畏懼しなければ、この人は極めて希有であると知るべきである。なぜか。

須菩提!如來說:第一波羅蜜,即非第一波羅蜜,是名第一波羅蜜。

須菩提!如来の説く第一波羅蜜は、執取し得る第一波羅蜜ではなく、ただ仮に第一波羅蜜と名づけるだけである。

須菩提!忍辱波羅蜜,如來說非忍辱波羅蜜。是名忍辱波羅密。

須菩提!いわゆる忍辱波羅蜜も、如来はそれが執取し得る忍辱波羅蜜ではなく、ただ仮に忍辱波羅蜜と名づけると説く。(底本の末二字は「波羅密」で、「密」は「蜜」の訛である。)

何以故?須菩提!如我昔為歌利王割截身體,我於爾時,無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。

なぜか。須菩提!わたしが昔歌利王に一塊一塊身体を割截されたとき、わたしはその時我相なく、人相なく、衆生相なく、寿者相がなかった。

何以故?我於往昔,節節支解時,若有我相、人相、眾生相、壽者相,應生瞋恨。

なぜこう言うか。わたしが過去に一節一節肢解されたとき、もし我相・人相・衆生相・寿者相があったなら、瞋恨を生じたはずだからである。

須菩提!又念過去,於五百世,作忍辱仙人,於爾所世,無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。

須菩提!わたしはまた過去を回想するに、五百世の中で忍辱仙人であったことがあり、それらの世でも同じく我相なく、人相なく、衆生相なく、寿者相がなかった。

是故須菩提!菩薩應離一切相,發阿耨多羅三藐三菩提心。

ゆえに須菩提!菩薩は一切相を離れて、無上正等正覚の心を発すべきである。

不應住色生心,不應住聲、香、味、觸、法生心,應生無所住心。若心有住,則為非住。」

色に執着して心を生ずべきではなく、声・香・味・触・法にも執着して心を生ずべきではなく、執着する所なき心を生起すべきである。心に執着して停留する所あれば、それはかえって真の安住ではない。」

「是故佛說:菩薩心不應住色佈施。須菩提!菩薩為利益一切眾生故,應如是佈施。

「ゆえに仏は説く——菩薩の心は色に執着して布施を行ずべきではない。須菩提!菩薩は一切衆生を利益するために、このように布施すべきである。

如來說:一切諸相,即是非相。又說:一切眾生,即非眾生。

如来は説く——一切相は皆真実の相ではない。また説く——一切衆生もまた執取し得る衆生ではない。

須菩提!如來是真語者、實語者、如語者、不誑語者、不異語者。」

須菩提!如来は真語を語る者、実語を語る者、如実に語る者、誑語を語らない者、前後に二つの言を語らない者である。」

「須菩提!如來所得法,此法無實無虛。

「須菩提!如来が証得した法は、この法は実有でもなく、虚無でもない。

須菩提!若菩薩心住於法而行佈施,如人入暗,則無所見;

須菩提!もし菩薩の心が法に執着して布施を行ずれば、人が暗闇に入って何も見えないのと同じである。

若菩薩心不住法而行佈施,如人有目,日光明照,見種種色。」

もし菩薩の心が法に執着せず布施を行ずれば、人に眼があり、また日光が照らして、さまざまな形色を見ることができるのと同じである。」

「須菩提!當來之世,若有善男子、善女人,能於此經,受持讀誦,則為如來,以佛智慧,

「須菩提!将来の世代に、もし善男子・善女人があってこの経を受持読誦し得れば、如来は仏の智慧をもって、

悉知是人,悉見是人,皆得成就無量無邊功德。」

この人を悉く知り、悉く見る。彼らは皆無量無辺の功徳を成就できる。」

持経功徳分第十五『この経を受持すれば、功徳無量』

「須菩提!若有善男子、善女人,

「須菩提!もし善男子・善女人があって、

初日分以恆河沙等身佈施,

一日の最初の段階に、恒河沙のように多い身体をもって布施し、

中日分復以恆河沙等身佈施,

中間の段階に、また恒河沙のように多い身体をもって布施し、

後日分亦以恆河沙等身佈施,

最後の段階に、同じく恒河沙のように多い身体をもって布施し、

如是無量百千萬億劫,以身佈施;

このように無量百千万億劫を経て、つねに身をもって布施しても。

若復有人,聞此經典,信心不逆,其福勝彼,何況書寫、受持、讀誦、為人解說。」

また人があってこの経典を聞いて、信心が生じて違逆しないなら、その福報は前の人に勝れる。まして書写し、受持し、読誦し、人のために解説するにおいてをや。」

「須菩提!以要言之,是經有不可思議、不可稱量、無邊功德。

「須菩提!要略して言えば、この経は不可思議・称量し得ず、辺際なき功徳がある。

如來為發大乘者說,為發最上乘者說。

如来は大乗の心を発する人のために説き、最上乘の心を発する人のために説いたのである。

若有人能受持讀誦,廣為人說,如來悉知是人,悉見是人,

もし人が受持読誦し得て、広く人のために講説するなら、如来はこの人を悉く知り悉く見る。

皆得成就不可量、不可稱、無有邊、不可思議功德。」

彼らは皆計量し得ず、称説し得ず、辺際なく、不可思議の功徳を成就できる。」

「如是人等,則為荷擔如來阿耨多羅三藐三菩提。

「このような人は、すなわち如来の無上正等正覚を自らの肩に担いだのである。

何以故?須菩提!若樂小法者,著我見、人見、眾生見、壽者見,

なぜか。須菩提!もし小乗の法を楽しむ人であれば、我見・人見・衆生見・寿者見を執着して、

則於此經不能聽受、讀誦,為人解說。」

この経について聴受・読誦もできず、人のために解説することもできない。」

「須菩提!在在處處,若有此經,一切世間,天、人、阿修羅,所應供養;

「須菩提!いかなるところであれ、この経があるならば、一切世間の天神・人・阿修羅は皆供養に来るべきである。

當知此處,則為是塔,皆應恭敬,作禮圍遶,以諸華香而散其處。」

このところはすなわち仏塔の一つに等しいと知るべきで、皆恭恭敬礼して右繞環繞し、種々の香華をもってこのところに散ずべきである。」

能浄業障分第十六『もし清浄を得ば、業障尽きて消えん』

「復次,須菩提!善男子、善女人,受持讀誦此經,

「次に、須菩提!善男子・善女人がこの経を受持読誦して、

若為人輕賤,是人先世罪業,應墮惡道,

もし反って人に軽視・鄙賎されるならば、それはこの人の前世の罪業が本来悪道に堕すべきものであったのに、

以今世人輕賤故,先世罪業則為消滅,當得阿耨多羅三藐三菩提。」

今世に人に軽賎されるによって、前世の罪業はすなわち消滅し、将来必ず無上正等正覚を証得するからである。」

「須菩提!我念過去無量阿僧祇劫,於燃燈佛前,

「須菩提!わたしは過去無量阿僧祇劫を回想するに、燃灯仏に遇う以前に、

得值八百四千萬億那由他諸佛,悉皆供養承事,無空過者;

八百四千万億那由他(極めて大きな数目の単位)ほどの仏に遇い、皆供養奉侍して一仏も空しく過ごしたことはなかった。

若復有人,於後末世,能受持讀誦此經,所得功德,

もし人が後の末法時代にこの経を受持読誦し得れば、その得るところの功徳は、

於我所供養諸佛功德,百分不及一,千萬億分、乃至算數譬喻所不能及。」

わたしがそのように多くの仏を供養した功徳に比べて、わたしのは彼の百分の一、千万億分の一にも及ばず、さらに算数・譬喩をもってしても及ぶべくもない。」

「須菩提!若善男子,善女人,於後末世,有受持讀誦此經,

「須菩提!もし善男子・善女人が後の末法時代にこの経を受持読誦すれば、

所得功德,我若具說者,或有人聞,心則狂亂,狐疑不信。

その得るところの功徳を、わたしがもし詳しく説き尽くせば、あるいは人が聞いて心神狂乱し、狐疑満腹して信じようとしないかもしれない。

須菩提!當知是經義不可思議,果報亦不可思議!」

須菩提!知るべきである。この経の義理は不可思議であり、その果報もまた不可思議である!」

究竟無我分第十七『成仏の究竟、もとより我相なし』

爾時,須菩提白佛言:「世尊!善男子、善女人,

その時須菩提は仏に言った。「世尊!善男子・善女人が

發阿耨多羅三藐三菩提心,云何應住?云何降伏其心?」

無上正等正覚の心を発したとき、この心をどこに安住すべきでしょうか。またどのようにそれを降伏すべきでしょうか。」

佛告須菩提:「善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心者,

仏は須菩提に告げた。「無上正等正覚の心を発した善男子・善女人は、

當生如是心:我應滅度一切眾生。滅度一切眾生已,而無有一眾生實滅度者。何以故?

このような心を生起すべきである——わたしは一切衆生を度脱すべし。しかし一切衆生を度脱したのちに、真に度脱された衆生はひとりもいない。なぜか。

須菩提!若菩薩有我相、人相、眾生相、壽者相,則非菩薩。所以者何?

須菩提!もし菩薩にまだ我相・人相・衆生相・寿者相があれば、それは菩薩ではない。これはどういう故か。

須菩提!實無有法,發阿耨多羅三藐三菩提心者。」

須菩提!実際には「無上正等正覚の心を発する人」という固定したものがないからである。」

「須菩提!於意云何?如來於燃燈佛所,有法得阿耨多羅三藐三菩提不?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来は燃灯仏のところにあって、それによって無上正等正覚を証得し得る法があったか。」

「不也,世尊!如我解佛所說義,佛於燃燈佛所,無有法得阿耨多羅三藐三菩提。」

「ありません、世尊!わたしが仏の説かれる意を解するに、仏は燃灯仏のところにあって、それによって無上正等正覚を証得し得る法はありませんでした。」

佛言:「如是,如是!須菩提!實無有法,如來得阿耨多羅三藐三菩提。

仏は言った。「そのとおり、まさにそのとおり!須菩提!実際には如来に無上正等正覚を証得せしめる法はない。

須菩提!若有法,如來得阿耨多羅三藐三菩提者,燃燈佛則不與我授記:

須菩提!もし真に如来に無上正等正覚を証得せしめる法があれば、燃灯仏はわたしのために授記して『汝は来世に成仏して釈迦牟尼と号すべし』とは言わなかったであろう。

『汝於來世,當得作佛,號釋迦牟尼。』以實無有法得阿耨多羅三藐三菩提,

『汝は来世に成仏して釈迦牟尼と号すべし。』まさに実際には無上正等正覚を証得するに拠る法がないがゆえに、

是故燃燈佛與我授記,作是言:『汝於來世,當得作佛,號釋迦牟尼。』

燃灯仏はわたしのために授記して、このように言ったのである——『汝は来世に成仏して釈迦牟尼と号すべし。』

何以故?如來者,即諸法如義。」

なぜか。「如来」の義は、一切事物が本来そのままであるという「如」だからである。」

「若有人言:如來得阿耨多羅三藐三菩提。

「もし人が言わば——如来は無上正等正覚を証得した、と。

須菩提!實無有法,佛得阿耨多羅三藐三菩提。

須菩提!実際には仏に無上正等正覚を証得せしめる法はない。

須菩提!如來所得阿耨多羅三藐三菩提,於是中無實無虛。

須菩提!如来の証得した無上正等正覚は、その中において実有でもなく、虚無でもない。

是故如來說:一切法皆是佛法。

ゆえに如来は説く——一切法は皆仏法である、と。

須菩提!所言一切法者,即非一切法,是故名一切法。」

須菩提!いわゆる「一切法」は、執取し得る一切法ではなく、まさにこのゆえに一切法というのである。」

「須菩提!譬如人身長大。」

「須菩提!譬えば人があって身が高大だと言うとする。」

須菩提言:「世尊!如來說:人身長大,則為非大身,是名大身。」

須菩提は言った。「世尊!如来の説く人身の高大は、真実に執取し得る大身ではなく、ただ仮に大身と名づけるだけです。」

「須菩提!菩薩亦如是。若作是言:我當滅度無量眾生,則不名菩薩。何以故?

「須菩提!菩薩もまた同様である。もし彼が言わば——わたしは無量の衆生を度脱すべし、と言えば、それは菩薩と呼べない。なぜか。

須菩提!實無有法名為菩薩。是故佛說一切法,無我、無人、無眾生、無壽者。」

須菩提!実際には菩薩という固定したものがないからである。ゆえに仏は一切法には我なく・人なく・衆生なく・寿者なしと説く。」

「須菩提!若菩薩作是言:『我當莊嚴佛土』,是不名菩薩。何以故?

「須菩提!もし菩薩が『わたしは仏土を荘厳すべし』と言えば、それは菩薩と呼べない。なぜか。

如來說:莊嚴佛土者,即非莊嚴,是名莊嚴。」

如来は説く——いわゆる荘厳仏土は、執取し得る荘厳ではなく、ただ仮に荘厳と名づけるだけである、と。」

「須菩提!若菩薩通達無我、法者,如來說名真是菩薩。」

「須菩提!もし菩薩が「無我」と「無法」の道理に通達すれば、如来こそそれを真に菩薩というと説く。」

一体同観分第十八『万法は一に帰し、更に異観なし』

「須菩提!於意云何?如來有肉眼不?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来に肉眼はあるか。」

「如是,世尊!如來有肉眼。」

「はい、世尊!如来に肉眼はあります。」

「須菩提!於意云何?如來有天眼不?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来に天眼はあるか。」

「如是,世尊!如來有天眼。」

「はい、世尊!如来に天眼はあります。」

「須菩提!於意云何?如來有慧眼不?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来に慧眼はあるか。」

「如是,世尊!如來有慧眼。」

「はい、世尊!如来に慧眼はあります。」

「須菩提!於意云何?如來有法眼不?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来に法眼はあるか。」

「如是,世尊!如來有法眼。」

「はい、世尊!如来に法眼はあります。」

「須菩提!於意云何?如來有佛眼不?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来に仏眼はあるか。」

「如是,世尊!如來有佛眼。」

「はい、世尊!如来に仏眼はあります。」

「須菩提!於意云何?如恆河中所有沙,佛說是沙不?」

「須菩提!汝はどう思うか。恒河の中のそれらの沙を、仏は沙であると説いたか。」

「如是,世尊!如來說是沙。」

「はい、世尊!如来はそれらが沙であると説きました。」

「須菩提!於意云何?如一恆河中所有沙,有如是沙等恆河,是諸恆河所有沙數,佛世界如是,寧為多不?」

「須菩提!汝はどう思うか。一条の恒河の中の全部の沙粒、そのように多い条の恒河があり、これらの恒河の中のすべての沙粒の数ほど、またそれだけ多くの仏世界がある——これは多いか。」

「甚多,世尊。」

「甚だ多いです、世尊。」

佛告須菩提:「爾所國土中,所有眾生,若干種心,如來悉知。何以故?

仏は須菩提に告げた。「そのように多い国土の中の、すべての衆生の種々の心念を、如来は悉く知る。なぜか。

如來說:諸心皆為非心,是名為心。所以者何?

如来は説く——種々の心は皆真実に執取し得る心ではなく、ただ仮に心と名づけるだけである、と。これはどういう故か。

須菩提!過去心不可得,現在心不可得,未來心不可得。」

須菩提!過去の心はすでに過ぎて把捉し得ず、現在の心は刹那にも住せず把捉し得ず、未来の心はいまだ到来せず、同じく把捉し得ないからである。」

法界通化分第十九『法身は界に遍し、通化して辺なし』

「須菩提!於意云何?若有人滿三千大千世界七寶,以用佈施,是人以是因緣,得福多不?」

「須菩提!汝はどう思うか。もし人が三千大千世界を満たす七宝をもって布施するなら、この人はこの因縁によって得る福は多いか。」

「如是,世尊!此人以是因緣,得福甚多。」

「はい、世尊!この人はこの因縁によって得る福は甚だ多いです。」

「須菩提!若福德有實,如來不說得福德多;以福德無故,如來說得福德多。」

「須菩提!もし福徳が実有のものならば、如来は彼が得る福徳が多いとは言わなかったであろう。まさに福徳そのものが実有でないがゆえに、如来は彼が得る福徳が多いと説くのである。」

離色離相分第二十『色相は皆妄、妄を離れて性を見る』

「須菩提!於意云何?佛可以具足色身見不?」

「須菩提!汝はどう思うか。円満具足の色身をもって仏を見ることができるか。」

「不也,世尊!如來不應以具足色身見。何以故?

「できません、世尊!円満具足の色身をもって如来を見るべきではありません。なぜか。

如來說:具足色身,即非具足色身,是名具足色身。」

如来は説く——いわゆる円満具足の色身は、執取し得る具足色身ではなく、ただ仮に具足色身と名づけるだけです、と。」

「須菩提!於意云何?如來可以具足諸相見不?」

「須菩提!汝はどう思うか。円満具足の種々の相をもって如来を見ることができるか。」

「不也,世尊!如來不應以具足諸相見。何以故?

「できません、世尊!円満具足の種々の相をもって如来を見るべきではありません。なぜか。

如來說:諸相具足,即非具足。是名諸相具足。」

如来は説く——いわゆる種々の相の円満具足は、執取し得る具足ではなく、ただ仮に諸相具足と名づけるだけです、と。」

非説所説分第二十一『法は説くべくもなく、説く所は法にあらず』

「須菩提!汝勿謂如來作是念:『我當有所說法。』莫作是念。何以故?

「須菩提!汝は如来がこのような念を起こすと思うな——『わたしは何らかの法を説くべし』と。そのように思うな。なぜか。

若人言:如來有所說法,即為謗佛,不能解我所說故。

もし人が如来に説く法ありと言えば、それは仏を毀謗するのであって、彼はわたしの説く意を解しないからである。

須菩提!說法者,無法可說,是名說法。」

須菩提!いわゆる説法は、実際に説くべき法はなく、ただ仮に説法と名づけるだけである。」

爾時,慧命須菩提白佛言:「世尊!頗有眾生,於未來世,聞說是法,生信心不?」

その時、慧命須菩提は仏に言った。「世尊!未来世において、衆生がこの法の宣説を聞いて信心を生ずることがあるでしょうか。」

佛言:「須菩提!彼非眾生,非不眾生。何以故?

仏は言った。「須菩提!彼らは執取し得る衆生ではなく、しかし衆生がないのでもない。なぜか。

須菩提!眾生眾生者,如來說非眾生,是名眾生。」

須菩提!いわゆる一つ一つの衆生は、如来は彼らが実有の衆生ではなく、ただ仮に衆生と名づけるだけだと説くのである。」

無法可得分第二十二『性空を悟るがゆえに、得べき法なし』

須菩提白佛言:「世尊!佛得阿耨多羅三藐三菩提。為無所得耶?」

須菩提は仏に言った。「世尊!仏が無上正等正覚を証得したことは、実には無所得なのですか。」

佛言:「如是,如是。須菩提!我於阿耨多羅三藐三菩提乃至無有少法可得,

仏は言った。「そのとおり、まさにそのとおり。須菩提!わたしは無上正等正覚において、少しの法さえ得たことがない。

是名阿耨多羅三藐三菩提。」

まさにこのゆえに、無上正等正観というのである。」

浄心行善分第二十三『清浄心をもって、諸の善法を行ず』

「復次,須菩提!是法平等,無有高下,是名『阿耨多羅三藐三菩提』;

「次に、須菩提!この法そのものは平等で、高下の分別がない。ゆえに『阿耨多羅三藐三菩提』という。

以無我、無人、無眾生、無壽者,修一切善法,則得阿耨多羅三藐三菩提。

我なく・人なく・衆生なく・寿者なき心をもって一切の善法を修すれば、無上正等正覚を証得できる。

須菩提!所言善法者,如來說即非善法,是名善法。」

須菩提!いわゆる善法は、如来はそれが執取し得る善法ではなく、ただ仮に善法と名づけるだけだと説く。」

福智無比分第二十四『福智は甚だ大、比ぶる物なし』

「須菩提!若三千大千世界中,所有諸須彌山王,如是等七寶聚,有人持用佈施;

「須菩提!假使三千大千世界の中に、すべて須弥山王のように大きな七宝を堆積して、人がそれをもって布施するなら。

若人以此《般若波羅蜜經》,乃至四句偈等,受持讀誦,為他人說,

また人があってこの《般若波羅蜜経》に依って、たとえその中の四句偈だけでも受持読誦し、また他人のために講説するなら、

於前福德百分不及一,百千萬億分、乃至算數譬喻所不能及。」

前の福徳は後の者の百分の一、百千万億分の一にも及ばず、さらに算数・譬喩をもってしても及ぶべくもない。」

化無所化分第二十五『聖凡は同性、化するに化す所なし』

「須菩提!於意云何?汝等勿謂如來作是念:『我當度眾生。』須菩提!莫作是念。

「須菩提!汝はどう思うか。汝らは如来がこのような念を起こすと思うな——『わたしは衆生を度すべし』と。須菩提!そのように思うな。

何以故?實無有眾生如來度者。若有眾生如來度者,如來則有我、人、眾生、壽者。

なぜか。実際には如来に度される衆生はいないからである。もし真に如来に度される衆生があれば、如来には我・人・衆生・寿者の執着があることになる。

須菩提!如來說:『有我者,則非有我,而凡夫之人以為有我。』

須菩提!如来は説く——『いわゆる我有りは、実に真の我があるのではなく、凡夫が自ら我ありと思うだけである』と。

須菩提!凡夫者,如來說則非凡夫,是名凡夫。」

須菩提!いわゆる凡夫は、如来は彼らも実有の凡夫ではなく、ただ仮に凡夫と名づけるだけだと説く。」

法身非相分第二十六『清浄の法身、相貌に属せず』

「須菩提!於意云何?可以三十二相觀如來不?」

「須菩提!汝はどう思うか。三十二相をもって如来を観見できるか。」

須菩提言:「如是!如是!以三十二相觀如來。」

須菩提は言った。「はい!はい!三十二相をもって如来を観見できます。」

佛言:「須菩提!若以三十二相觀如來者,轉輪聖王則是如來。」

仏は言った。「須菩提!もし三十二相をもって如来を観見できるならば、同じく三十二相を具足する転輪聖王もまた如来ではないか。」

須菩提白佛言:「世尊!如我解佛所說義。不應以三十二相觀如來。」

須菩提は仏に言った。「世尊!わたしが仏の説かれる意を解するに、三十二相をもって如来を観見すべきではありません。」

爾時,世尊而說偈言:

その時、世尊は一首の偈を説かれた。

「若以色見我,以音聲求我,是人行邪道,不能見如來。」

もし形色をもってわたしを見、声をもってわたしを求めんとするならば、この人は邪道を行くのであって、如来を見ることができない。

無断無滅分第二十七『法に依りて修持し、断滅すべからず』

「須菩提!汝若作是念:『如來不以具足相故,得阿耨多羅三藐三菩提。』

「須菩提!汝はもしこのような念を起こさば——『如来は相好の円満具足によって無上正等正覚を証得したのではない』と。

須菩提!莫作是念:『如來不以具足相故,得阿耨多羅三藐三菩提。』」

須菩提!このような念を起こすな——『如来は相好の円満具足によって無上正等正覚を証得したのではない』という念を。」

「須菩提!汝若作是念,發阿耨多羅三藐三菩提心者,說諸法斷滅。莫作是念!何以故?

「須菩提!汝はもしこのような念を起こし、無上正等正覚の心を発する人が一切法は皆断絶滅尽に帰ると主張すると思うならば、それは誤りである。そのように思うな!なぜか。

發阿耨多羅三藐三菩提心者。於法不說斷滅相。」

無上正等正覚の心を発する人は、一切法について断滅の相を主張しないからである。」

不受不貪分第二十八『一塵も染まず、何を貪り何を受けん』

「須菩提!若菩薩以滿恆河沙等世界七寶持用佈施;

「須菩提!もし菩薩が恒河沙のように多い世界を満たす七宝をもって布施するなら。

若復有人,知一切法無我,得成於忍,此菩薩勝前菩薩所得功德。何以故?

また人があって一切法には我なしと了知して、安忍を成就したなら、この菩薩の得る功徳は前の菩薩に勝れる。なぜか。

須菩提!以諸菩薩不受福德故。」

須菩提!諸々の菩薩は福徳を領受しないからである。」

須菩提白佛言:「世尊!云何菩薩不受福德?」

須菩提は仏に言った。「世尊!なぜ菩薩は福徳を領受しないと言うのですか。」

「須菩提!菩薩所作福德,不應貪著。是故說不受福德。」

「須菩提!菩薩が作した福徳は、貪恋執着すべきではない。ゆえに彼は福徳を領受しないというのである。」

威儀寂静分第二十九『真性は寂静、威儀を仮らず』

「須菩提!若有人言:如來若來若去,若坐若臥,是人不解我所說義。

「須菩提!もし人が如来に来あり去あり、坐あり臥ありと言うならば、この人はわたしの説く意を解しない。

何以故?如來者,無所從來,亦無所去,故名如來。」

なぜか。「如来」という名号の義は、来る所なく、また去る所なし。ゆえに如来というのである。」

一合理相分第三十『一合の理、実に相なし』

「須菩提!若善男子、善女人,以三千大千世界碎為微塵,於意云何?是微塵眾寧為多不?」

「須菩提!もし善男子・善女人が三千大千世界を碾碎して微塵とするならば、汝はどう思うか。これらの微塵は多いか。」

須菩提言「甚多,世尊!何以故?若是微塵眾實有者,佛則不說是微塵眾。所以者何?

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!なぜか。假使これらの微塵が実有ならば、仏はそれらを微塵衆とは説かなかったでしょう。これはどういう故か。

佛說微塵眾,則非微塵眾,是名微塵眾。」

仏の説く微塵衆は、実有の微塵衆ではなく、ただ仮に微塵衆と名づけるだけだからです。」

「世尊!如來所說三千大千世界,則非世界,是名世界。何以故?

「世尊!如来の説く三千大千世界も、実有の世界ではなく、ただ仮に世界と名づけるだけです。なぜか。

若世界實有者,則是一合相。如來說一合相,則非一合相,是名一合相。」

假使世界が実有ならば、それは渾然と凑合して成った一体の相となります。如来の説くこの一合相は、実有の一合相ではなく、ただ仮に一合相と名づけるだけです。」

「須菩提!一合相者,則是不可說;但凡夫之人貪著其事。」

「須菩提!いわゆる一合相は、本来説き出し得ないものである。ただ凡夫がこの事に貪恋執着するだけである。」

知見不生分第三十一『この知見のごとく、法相生ぜず』

「須菩提!若人言:佛說我見、人見、眾生見、壽者見。

「須菩提!もし人が言わば——仏は我見・人見・衆生見・寿者見を説いた、と。

須菩提!於意云何?是人解我所說義不?」

須菩提!汝はどう思うか。この人はわたしの説く意を解するか。」

「不也,世尊!是人不解如來所說義。何以故?

「解しません、世尊!この人は如来の説く意を解しません。なぜか。

世尊說我見、人見、眾生見、壽者見,即非我見、人見、眾生見、壽者見,

世尊の説く我見・人見・衆生見・寿者見は、実有の我見・人見・衆生見・寿者見ではなく、

是名我見、人見、眾生見、壽者見。」

ただ仮に我見・人見・衆生見・寿者見と名づけるだけだからです。」

「須菩提!發阿耨多羅三藐三菩提心者,

「須菩提!無上正等正覚の心を発した人は、

於一切法,應如是知,如是見,如是信解,不生法相。

一切法についてこのように知り、このように見、このように信解して、「法」への執相を生起しない。

須菩提!所言法相者,如來說即非法相,是名法相。」

須菩提!いわゆる法相は、如来はそれが実有の法相ではなく、ただ仮に法相と名づけるだけだと説く。」

応化非真分第三十二『応現し化を設くるも、また真実にあらず』

「須菩提!若有人以滿無量阿僧祇世界七寶,持用佈施;若有善男子、善女人,

「須菩提!もし人が無量阿僧祇の世界を満たす七宝をもって布施するなら。また善男子・善女人があって、

發菩提心者,持於此經,乃至四句偈等,受持讀誦,為人演說,其福勝彼。

菩提心を発し、この経を執持して、たとえその中の四句偈だけでも受持読誦し、人のために演説するなら、その福報は前者に勝れる。

云何為人演說,不取於相,如如不動。何以故?」

ではどのように人のために演説すべきか。いかなる相も執取せず、如如として動かないこと。なぜか。」

「一切有為法,如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀。」

一切の因縁によって造作された現象は、皆夢のよう、幻象のよう、水泡のよう、影のよう、清晨の露のよう、また一道の電光のようである。かくのごとくそれらを見るべきである。

佛說是經已,長老須菩提及諸比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、

仏がこの経を説き終えられると、長老須菩提および衆の比丘・比丘尼・優婆塞(在家の男居士)・優婆夷(在家の女居士)、

一切世間天、人、阿修羅,聞佛所說,皆大歡喜,信受奉行。

また一切世間の天神・人・阿修羅は、仏の説かれたを聞いて、皆大いに歓喜し、信受して奉行した。

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