六壬断案
邵彦和大六壬案例集(元集)・天時
大六壬典籍
まず起課と三伝を発する機械的な流れを確実にしてから、課体と神煞に入る。起課を飛ばして断語だけ読んでも、書中の例を自分で再現できない。
六壬斷案
弁言
邵彥和先生,宋人也。據其自占動靜一數而推之,生於英宗治平二年乙巳,歿於高宗紹興三年癸丑,似浙江之太末人。(按:斷語中有云,日後動於東北,近二百里,果辛亥年十月過婺州,自鄉里行一百八十里。然則在婺州之西南方也。婺州西南一百八十里,是為太末人。雲壬子年過嚴州,自鄉中東北過西北,然則在嚴州之東南方也。嚴州東南亦太末也。)
邵彦和先生は宋の人です。先生が自ら占った「動静」の一課から割り出した年数を遡って推すと、およそ宋の英宗治平二年乙巳(西暦1065年)に生まれ、高宗紹興三年癸丑(西暦1133年)に没したことになり、籍は浙江の太末(現在の龍游あたり)だったと思われます。(編者の程銓自注:斷案の中に「これから東北の方へ出向くことになり、道のりはほぼ二百里」という一条があり、後に果たして辛亥年十月に婺州を通り、郷里からちょうど百八十里を行きました。これで見ると、彼の家は婺州の西南にあるはずです。婺州の西南百八十里は、まさに太末です。また「壬子年に嚴州を通り、郷里の東北から西北へ向かった」という一条があります。これで見ると、家はまた嚴州の東南にあり、嚴州の東南もまた太末です。二条が互いに印証し合うので、彼が太末の人であると断定したのです。)
先生精於六壬,占無不中,且言忠教孝,規過勸善,各因人而施,是知為年高德劭之耆英,非徒以六壬見長也。所存斷案,蓋及門諸子所編,委曲詳明,以詔後之學者。奈歷年既久,率多散逸,緣後人各憑己見,互有去取於其間,於是原本渺不可得矣。嘗讀凌福之先生《畢法賦》序,知在理宗寶慶以前已有將先生之案分析措辭而興販利者。何況由南宋至今,歷六百七十餘年之久哉?
邵先生は大六壬に精通し、占断して中らぬことはありませんでした。しかも口を開けば必ず人に忠を尽くし孝を行うよう勧め、過ちを戒め善に努めさせ、相手によって言い方を変えました。ここから、彼が年齢高く徳の重い長老であり、単に六壬の術に長じただけの人ではないことが分かります。現存する断案は、おそらく門下の弟子たちが編集したもので、記事は委曲詳細、説理は明白で、後の学人を教えるためのものです。ただ年代があまりに古く大半は散逸し、後人がそれぞれ己の見解でその間に取捨増削を加えたため、原本はもはや渺として得られません。かつて凌福之先生の《畢法賦》序を読み、宋の理宗寶慶年間以前に、すでに邵先生の断案を切り分け言葉を換えて売りさばく者がいたことを知りました。まして南宋から今日まで六百七十余年も隔たっているのです。転々として真を失ったのも不思議ではありません。
餘自弱冠之前愛習,凡見先生斷案,便錄而珍藏之,三十年來,僅得五本。其一為前明萬曆年間夢醒頭陀所鈔,附於《捷要》一書中也;一則《口鑑》中之注也;一則《前知書》中所引者也;一則方仰松先生所購於武林者也。方仰松先生自記云:乾隆五十一年三月初二日,余遊武林,遍求六壬書,於市中無有可觀者,最後得此冊於肆中,缺其首尾不全,然其古者之官銜,元明以後所無,知為宋人之遺書也。其斷驗神妙,出吾家之上。真六壬中之秘本,書雖不全,然舉隅三反,所得為不少矣!
私は二十歳に満たない頃からこの術を愛好し、邵先生の断案を見るたびに書き写しては秘蔵してきましたが、三十年の間にわずか五つの写本を得たのみです。その一つは前朝・明の万暦年間に夢醒頭陀が写したもので、《捷要》という書に附されています。一つは《口鑑》中の注文です。一つは《前知書》に引用されているものです。もう一つは方仰松先生が武林(杭州)で購い求めたものです。方仰松先生自身の記録に曰く:乾隆五十一年三月初二日、私は杭州に遊び、あちこち六壬の書を探し求めたが、市中に見るべきものは一つもなく、最後に書肆でこの一冊を得た。首尾が欠けて完全ではないが、書中に記された古い官銜は元・明以降にはないもので、宋人の遺書と知れた。その占断の応验は神妙で、わが家の旧蔵を上回る。まさに六壬の中の秘本である。書は全きを欠くが、一隅を挙げて三隅を反れば、得るところ少なくない、と。
其一則宋人原書,僅有己酉年元旦起至六月十六日止一冊也。凡茲五本,多寡不齊,語句亦異,乃細心考訂,擇其理長者,分類編次之,共得二百一十六例。天時三,宅墓三十九,前程仕進五十八,終身一十六,流年二,婚姻三,胎產子息七,財產一十二,一課二事各斷式三,交易二,出行訪謁七,行人音信六,病症一十七,六畜九,亡盜一十四,官訟一十二,雜占六。以為六壬之鈐式。然先生享年將及古稀,詎止於此?此固據餘之所見者也,倘有同志君子,惠餘所未見者焉,行將補成全璧,是則餘之所厚望者矣!古歙槐塘程銓愛圅氏輯
最後の一冊は宋人の原書で、己酉年の正月初一から六月十六日までの一冊しか残っていません。この五本は条数の多少も揃わず、文句も互いに異なるので、私は心を込めて考訂し、理の通ったものを選んで分類編次し、あわせて二百十六例を得ました。内訳は:天時三例、宅墓三十九例、前程仕進五十八例、終身十六例、流年二例、婚姻三例、胎産子息七例、財産十二例、一課二事各断式三例、交易二例、出行訪謁七例、行人音信六例、病症十七例、六畜九例、亡盗十四例、官訟十二例、雑占六例です。これらを六壬を学ぶための法式の型としました。ただ邵先生は享年がほぼ七十に及んだのですから、一生の占断がこれだけの筈がありません。ここにあるのは私の目が及んで見たものに過ぎません。もし同好の君子がいて、私の見たことのない本を恵んでくださるなら、補い綴じて完璧な一部にできるでしょう。これこそ私が深く望むところです。古歙県槐塘の人・程銓(字は愛圅)謹んで輯録す。
邵彦和大六壬案例集(元集)・天時
01)韓太守占祈雪,建炎三年己酉歲十一月初四己卯日寅將酉時,(申酉空亡,丑寅落空),鑄印,乘軒,知一,勵德。 六陳 朱戌亥子丑龍 蛇酉 寅空 龍 貴 玄 陳 父 辛巳 玄 初 貴申 卯虎 丑 申 巳 子 兄 甲戌 朱 中(暗鬼) 后未午巳辰常 申 卯 子 己 鬼 己卯 虎 末 陰玄
第一例:韓太守が雪を祈るために占いました。時は南宋建炎三年己酉年十一月初四日、日辰は己卯で、寅の月将を酉の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉の二位に落ちます。天盤の丑・寅二支がちょうど空亡の宮位を押さえているので「丑寅落空」と言います。この課には四つの課名があります:「鑄印」(三伝が熔金して印を鋳るがごとく、謀事の成ること・名分の定まることを主る)、「乘軒」(貴人が車に乘る象で、昇進顕達を主る)、「知一」(複数の課に剋がある時、日干と同類のものを取って比用し、事に専一の主のあることを主る)、「勵德」(貴人が身に臨み、自ら省み德を修めて後に吉となることを主る)。天盤の布き方:貴人が申に乘り、その下は順に螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ並べます:第一課は日干の己の上に子を見て勾陳を乘じ、第二課は子の上に巳を見て玄武を乘じ、第三課は日支の卯の上に申を見て貴人を乘じ、第四課は申の上に丑を見て青竜を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の辛巳は父母爻で玄武を乘じ、中伝の甲戌は兄弟爻で朱雀を乘じ、暗にまた鬼爻となり、末伝の己卯は官鬼爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:數日來,天氣和暖,宛如三九月,州縣雖然祈雪,皆無響應,今得此課,明日天色必變,巳時風起轉寒,未時有雨,亥時作雪,厚有七寸。眾官皆嘆曰:今日晴暖,雪從何來?當日已晚,次早眾官在壇,待至巳時,果然風起。霎時雲合,未時微雨,眾官散後,北風大作,甚冷,二更後下雪,至次日未時方止,果積七寸。
邵先生は言いました。この数日は天候が暖かく、まるで三月や九月のようです。州県では壇を設けて雪を祈りましたが、少しの感応もありません。今この一課を占ったところ、明日は必ず天色が変わります。巳の刻(午前九時から十一時)に風が起こり冷え込み、未の刻(午後一時から三時)に雨が降り、亥の刻(夜九時から十一時)には雪に変わり、積雪は七寸の厚さになるでしょう。居合わせた役人たちは皆「今日これほど晴れて暖かいのに、雪がどこから来るものか」と感嘆して疑いました。当日はすでに夕方に近く、翌朝、役人たちは祈雪の壇に行って待ちました。巳の刻になると果たして風が起こり、瞬く間に雲が合わさり、未の刻に小雨が降り始めました。役人たちが散った後、北風が激しく吹いて一気に冷え込み、二更(夜九時すぎ)に雪が降り出し、翌日の未の刻まで降り続いて止みました。積雪は果たして七寸で、断った通り寸分違わぬものでした。
先生析曰;蓋此課,火伏於下,水升乎上,不拘占雪占雨,皆當日有。況申為夜貴,正是權柄。日上又見天河之水,騰運乎上,必流乎下。初傳巳火臨子被克,上見玄武,變成大風雪。蓋巳戌卯鑄印,春夏秋必雨,冬必雪。末傳卯作白虎,與申皆是白色,申乃空亡,正是空中降下,乃造化之所生也。夫火伏於下,水騰乎上,一雨也;申子為水,加臨日辰,二雨也;三傳順行,三雨也;卯為雷,雷過西方為虎所制,雖冬月無雷,豈深冬無雪乎?子作勾陳,占雨主連綿、主雪,主深厚。凡鑄印課,占天時必大雨雪。
邵先生が解釈して曰く。この課の格局は、火気が下に伏し水気が上に昇る形です。雪を占うにも雨を占うにも、その当日に即座にあることを主ります。まして申金は己日の夜間の貴人で、まさに事を主る権柄を表しています。日干の上にまた子水を見ています——子は天河の水で、すでに上へ騰り昇ったからには、必ず傾き流れ下りるのです。初伝の巳火が子水の上に加わって水に剋され、その上に玄武(水神・暗昧の神)を乘じているので、大風雪に化します。巳・戌・卯の三伝が「鑄印」の格を成すため、この課は春・夏・秋の三季に占えば必ず雨があり、冬に占えば必ず雪があります。末伝の卯木は白虎を乘じ、白虎と申金はともに白色に属します。しかも申はちょうど空亡に当たり、空亡は空中から降り下る象です——これがまさに造化が自然に生み出す雪です。さらに「雨兆」から数えます:火が下に伏し水が上に騰るのが第一重の雨象、申・子がともに水に属して日辰の上に加わるのが第二重の雨象、三伝が順に次いで行くのが第三重の雨象です。卯は雷ですが、雷が西方へ行けば白虎(金)に制されます。冬月にはもともと雷はないと言っても、深い冬に雪のないことがありましょうか。子水が勾陳を乘じているので、雨を占えば連綿と続くことを主り、雪を占えば深く積もることを主ります。おおよそ「鑄印」課は、天時を占うのに用いれば必ず大雨・大雪となります。
02)十二月戊申日子將申時,(寅卯空亡,午未落空),元首,潤下,勵德,六儀,占晴雨。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄 蛇 貴 陳 兄 甲辰 玄 初(暗鬼) 空未 寅后 辰 子 丑 酉 子 戊申 龍 中 虎午巳辰卯陰 子 申 酉 戊 財 壬子 蛇 末 常玄
第二例:ある年の十二月戊申日に晴雨を占い、子の月将を申の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ちます。天盤の午・未二支が空亡の宮位に落ちています。課名は四つ:「元首」(四課の中にただ一か所、上神が下神を剋するところがあり、それを取って発用とし、事体の正大・条理あることを主る)、「潤下」(三伝の申・子・辰が水局を合成し、水の下へ潤うように行くことを主る)、「勵德」、「六儀」(課中に旬首の儀を帯び、凶に逢っても解けることを主る)。天盤の布き方:貴人が丑に乘り、順に螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊の上に酉を見て勾陳を乘じ、第二課は酉の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の申の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に辰を見て玄武を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の甲辰は兄弟爻で玄武を乘じ、兼ねて暗鬼をなし、中伝の戊申は子孫爻で青竜を乘じ、末伝の壬子は妻財爻で螣蛇を乘じています。
邵先生曰:潤下課,元臨子作用,中傳龍又乘申,末又是夜青龍。若春占主水漲,今冬占必有大雪。果辛亥日雨,丙辰日大雪,戊午日晴而起風。
邵先生は言いました。これは「潤下」課で、初伝の辰が子水の上に加わって発用し、中伝はまた青竜が申金を乘じています(申は水の長生で、青竜はもともと雨師の神)。末伝の子水も依然として夜占青竜の一路の水気の中にあります。このような課は、春に占えば江河の増水を主ります。今は冬に占ったのですから、必ず大雪があるでしょう。後に果たして応验しました:辛亥日に雨が降り、丙辰日に大雪が降り、戊午日に晴れて風が起こり、前後が一つ一つ符合しました。
03)庚辰日浙江大旱,九月十五日癸丑日辰將辰時,(寅卯空亡,寅卯落空),伏吟,亂首,勵德,遊子,稼穡,州官占雨。斷語遺失。 后陰 貴巳午未申玄 蛇辰 酉常 陳 陳 陳 陳 鬼 癸丑 陳 初 朱卯 戌虎 丑 丑 丑 丑 鬼 庚戌 虎 中 六寅丑子亥空 丑 丑 丑 癸 鬼 丁未 陰 末(丁神) 陳龍
第三例:庚辰の年、浙江が大干ばつに見舞われ、九月十五日癸丑日に、州官が雨を求めて占いに来ました。辰の月将を辰の刻に加えて課を立てました。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の寅・卯二支もまた空亡宮を押さえています。月将と占時が同じ位にあるため、天盤と地盤が完全に重なり合うので「伏吟」課です(万事が伏して動かない)。また「乱首」(上下が相凌ぎ尊卑の序を失う)、「勵德」、「游子」(漂泊して他所へ行くことを主る)、「稼穡」(三伝が辰戌丑未の土局で、田土・稼穡の事を主る)を兼ねています。この条の断語は流伝の中ですでに散逸し、底本には課式だけが残って邵先生の判詞はありません。天盤の布き方:貴人が巳に乘り、順に螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は伏吟のため全て同一です:癸日の寄宮は丑にあり、日干上・日支上に得るものはいずれも丑で、四課とも丑が丑に加わり、一律に勾陳を乘じます。三伝は丑・戌・未:初伝の癸丑、中伝の庚戌、末伝の丁未はいずれも土で、癸水の日干に対して全て官鬼爻であり、それぞれ勾陳・白虎・太陰を乘じます。末伝の丁未はまた「丁神」(動揺・遷改を主る)です。
宅 墓
04)張九翁戊午生五十一歲,占宅。戊申年九月庚寅日辰將未時。(午未空亡,卯辰落空),元首,元胎。 朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 虎 陰 蛇 陳 鬼 癸巳 陳 初 后子 未空 申 亥 寅 巳 財 庚寅 蛇 中 陰亥戌酉申虎 亥 寅 巳 庚 子 丁亥 陰 末(丁神)(暗鬼) 玄常
第四例:張九翁は戊午年の生まれで五十一歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年九月庚寅日で、辰の月将を未の刻に加えて課を立てました。庚寅日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮に落ちています。課名は「元首」(一か所の上剋下で発用)、「元胎」(事が孕育・萌芽の中にあることを主る)。天盤の布き方:貴人が丑に乘り、順に螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚の上に巳を見て勾陳を乘じ、第二課は巳の上に寅を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の寅の上に亥を見て太陰を乘じ、第四課は亥の上に申を見て白虎を乘じます。三伝は巳・寅・亥:初伝の癸巳は官鬼爻で勾陳を乘じ、中伝の庚寅は妻財爻で螣蛇を乘じ、末伝の丁亥は子孫爻で太陰を乘じ、「丁神」であると同時に暗に鬼気を伏せています。
邵先生曰:干支皆受上神來生,利宅不利人。干上發用歸傳支,末傳亥脫今日之干而生今日之支,因充役費用,又與姓陳吏人不和,尊長末後為兒娶婦,所費盡壞家計;十一年間陰人守寡,是時家產四分矣。張九翁果先好,後因充役,大有所費;又為妻叔與陳姓吏人作鬼,因來動店內物,卻乃爭訟;後二年又與子娶婦,倍陪女家;後五年因弟有事,遂作四分分也。
邵先生は言いました。日干と日支の上神がいずれも日干・日支を生じに来ています。これは宅に利して人に利かざる格局です。発用は日干の上から起こり、三伝は日支(宅)に帰ります。末伝の亥水は今日の庚金の気を泄脱し、却って今日の寅木の日支を生じます。ゆえに官府のために差役を務めて財貨を破費することを主ります。また陳という姓の吏人と気が合わなくなるでしょう。家中の尊長は最後に息子のために嫁を娶り、その費用の大きさは家業を傾けるに足ります。十一年の間に婦人が寡を守ることになり、その時には家産はすでに四分に分かれています。後に張九翁は果たしてまず家道が順調でしたが、その後差役に充てられて破費が甚だしくなりました。また妻の叔父と陳姓の吏人が間で横やりを入れ、彼の店の貨物を動かしに来たため、官司になりました。さらに二年後に息子のために嫁を迎え、女家に賠う財礼は倍になりました。また五年後、弟の出事によって家産が四分に分かれ、すべて断った通りになりました。
先生析曰;蓋庚生於巳,寅生於亥,庚脫於亥,寅脫於巳,干支俱受生而互受脫,是先興旺而後衰敗也。亥數四、寅數七,乃十一年也。亥脫今日干,則耗洩我矣,故主費財。亥為支之長生,生宅脫我,豈不是為宅舊役累而費用乎?宅上亥乃脫神,從宅發出,為末傳,又來脫我,亥為婦人,故曰為子娶婦費壞也。上加太陰,為老陰人,故又主陰人守寡,中傳寅為吏人,上為蛇撓,又為今日絕神,且寅又為今日財神,陰人得亥為脫氣,故主因妻與吏人爭訟也。
邵先生が解釈して曰く。庚金は巳に長生し、寅木は亥に長生します。反対に、庚金は亥水に遇えば泄脱し、寅木も巳火に遇えば泄脱します。日干・日支がそれぞれ生を得ながら、互いに泄し合う——これがまさに先に興り後に衰える象です。亥の成数は四、寅の成数は七で、四と七を足せばちょうど十一になるので、十一年の上に定めたのです。亥水が我が庚金の気を泄すのは、我を耗損するということなので、財貨の破費を主ります。亥はまた日支(宅)の長生で、宅を生じて我を泄す——これこそ宅の上の旧差役に累を引かれて破費するのではありませんか。宅上の亥はもともと脱神で、宅位から発して末伝に落ち、回り回ってまた我を泄します。亥は人事の上で婦人を表すので、息子のために嫁を娶って家業を使い尽くすと言ったのです。亥の上に太陰を乘じ、太陰は年長の婦人なので、また婦人の守寡を主ります。中伝の寅木は吏人を表し、寅の上に螣蛇を乘じるので、纏わりつき乱すことを主ります。寅はまた庚金の絶地であり、同時に今日の財爻でもあります。妻財の一路の陰人が亥水に遇えば泄気となるので、妻家の縁故で吏人と争訟することを主るのです。
05)葉助教戊午生五十一歲占宅,戊申年正月辛卯日子將未時。(午未空亡,亥子落空),重審,勵德,不備,斫輪,贅婿。 龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 虎 朱 朱 玄 財 辛卯 玄 初 朱申 卯玄 丑 申 申 卯 兄 甲申 朱 中 蛇未午巳辰陰 申 卯 卯 辛 父 己丑 虎 末 貴後
第五例:葉助教は戊午年の生まれで五十一歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年正月辛卯日で、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮に落ちています。課名は五つ:「重審」(下神が上神を賊して発用し、事が内から起こり、重ねて審察すべきことを主る)、「勵德」、「不備」(四課が全からず三課のみ成り、事物の残欠して周ならざることを主る)、「斫輪」(《荘子》の輪扁斫輪の義を取り、老手でなければ事を成せないことを主る)、「赘婿」(日支が日干に就きに来て日干に制されるのは、入赘の婿のごとく、宅が人に就き外から依附することを主る)。天盤の布き方:貴人が午に乘り、順に螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛の上に卯を見て玄武を乘じ、第二課は卯の上に申を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の卯の上に申を見て朱雀を乘じ、第四課は申の上に丑を見て白虎を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の辛卯は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の甲申は兄弟爻で朱雀を乘じ、末伝の己丑は父母爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:此課支來就干為干所制,名曰贅婿。太歲入宅克宅,宅來就人又被人克,六年中家破屋拆,遂成墓地,必葬尊長在內。六年之前,四分五裂,門戶分張,主外姓或還俗僧人入撓,遂宅破矣。
邵先生は言いました。この課は日支が駆け寄って日干に就きながら、また日干に制伏されます。課名を「赘婿」と言います。その年の太歳が宅位に入って宅を剋し、宅はまた反って人に就き、人に就いた後もなお人に剋されます。このようでは六年以内に必ず家が破れ屋が壊れ、宅基はついに墳地に変わり、しかも必ず尊長がその中に葬られるでしょう。六年に満たないうちに、家中はすでに四分五裂して門戸が分かれて別々に暮らすようになります。また外姓の人あるいは還俗した僧が入り込んで攪乱し、宅はこうして敗壞します。
先生析曰;蓋末傳丑為辛日之墓神,臨太歲上,太歲為其所墓,遂來宅上而克宅,宅被克,走回日上,又為日所克,宅既不留,屋何存立?又自身上發傳入宅,又逢太歲來加,又太歲上見今日之墓神丑,丑土生申金,是申金之尊長,庚辛墓於丑,是尊長葬埋之處。卯數六,故不出六年。申為僧,辛與申同類,還俗僧也。或乙酉見辛卯,或辛酉見乙酉,皆係還俗僧。乙為沙門,辛為僧舍也。卯上見元武,故主門戶分張。後癸丑年其叔死,遂殯於內。叔有三子,一子為僧,還族歸分家產,助教不肯,經官斷定作諸子分家,與叔共五子,助教亦得一分,作六分分矣。戊申至癸丑乃六年,當年又死一男一女,乃太歲克宅故也。其經官者,亦太歲入宅克宅也。卯為沙門,申為僧之申與辛同類,今從外退回宅上,是僧還俗也。乙亦沙門,辛為僧舍,申,辛之兄也。
邵先生が解釈して曰く。末伝の丑土は辛金日干の墓神で、太歳の申の上に臨んでいますが、太歳が却ってそれに墓されます。この墓神はまた宅位に転じて宅を剋します。宅は剋されるや、日干位に走り戻るしかないのですが、また日干に剋されます——宅が留まることができないのに、房屋がどうして存立できましょうか。さらに発用が本身(日干)の上から起こって宅位に伝入するのを見ると、太歳の加臨に遭い、しかも太歳の上に偏いに今日の墓神である丑が見えます。丑土は申金を生ずることができる、すなわち申金の尊長です。庚・辛はともに丑に墓するので、ここはまさに尊長が安らかに葬られるところです。卯の数は六なので、六年を出ないと断じました。申は人事において僧を主り、辛と申は同じく金に属して同類です。合わせれば還俗した僧です。乙酉が辛卯を見るにせよ、辛酉が乙酉を見るにせよ、いずれも還俗僧を主ります——乙は沙門、辛は僧舎です。卯の上に玄武を乘じているので、門戸が分かれて各自別立することを主ります。後に癸丑年、彼の叔父が亡くなり、宅内に殯葬されました。叔父には三人の息子があり、その一人の子は出家して僧になっていたのが、還俗して宗に帰り家産を分けようとしました。葉助教が肯んじなかったので、官府の判定を経て、諸子に従って分家しました。叔父の家を合わせて全部で五人の息子がおり、助教自身も一分を得て、全部で六分に分かれました。戊申年から癸丑年まで数えてちょうど六年です。その年、家の中でまた男女一人ずつが死にましたが、まさに太歳が宅を剋した故です。官府にまでもつれたのも、太歳が宅に入って宅を剋したのに拠るのです。卯は沙門、申は僧で、申と辛は同類です。今、申が外から宅上に退き返ったのは、まさに僧が還俗する象です。乙もまた沙門を主り、辛は僧舎を主り、申は辛の兄輩です。幾重もの取象が皆同じ一事を指しています。
06)邵三翁癸亥生,四十六歲,占宅。戊申年八月辛巳日辰將亥時。(申酉空亡,丑寅落空),重審,斬關,勵德,不備,斫輪,亂首。 六朱 陳戌亥子丑蛇 龍酉 寅貴 后 陳 空 后 財 己卯 后 初 空申 卯后 卯 戌 申 卯 兄 空申 空 中(空亡) 虎未午巳辰陰 戌 巳 卯 辛 父 丁丑 蛇 末(落空)(丁神)(暗鬼) 常玄
第六例:邵三翁は癸亥年の生まれで四十六歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年八月辛巳日で、辰の月将を亥の刻に加えて課を立てました。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮に落ちています。課名は六つ:「重審」、「斬関」(関を越えて行き、遷動・出入に宜しいことを主る)、「勵德」、「不備」、「斫輪」、「乱首」(上下が相凌ぎ尊卑の序を失う)。天盤の布き方:貴人が寅に乘り、順に螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛の上に卯を見て天后を乘じ、第二課は卯の上に申を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に戌を見て勾陳を乘じ、第四課は戌の上に卯を見て天后を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の己卯は妻財爻で天后を乘じ、中伝の申は旬空に落ちて遁干を寄せることができず、天空を乘じ、末伝の丁丑は父母爻で螣蛇を乘じ、空地に落ちると同時に「丁神」であり、さらに暗に鬼気を蔵しています。
邵先生曰:此課乃妻為主,日去加辰,夫去脫妻,妻為長,夫反為少也。然汝之妻,本兄之妻,而汝得之,日後只得九年相守。第八年因作生地,與兄弟不足,生難得此地,而死不得葬也。目下主喪妻,緣是磨壓東門,所以有再娶之患也。
邵先生は言いました。この課は妻をもって事を主る神とします。日干が日支の上に走って行くのは、夫が却って妻を泄脱に行く形です。妻が尊長の位に居り、夫が却って幼小の方になります。しかもあなたの現在の妻は、もともとあなたの兄の妻で、後になってあなたに帰したものです。これから二人が守り合えるのは九年だけです。第八年には、生圹(生前に修める墓地)を営造することで兄弟と不和になります。生きている間はこの地を争い取ることができず、死んでからもそこに葬ることができません。目下のところ妻を失うことを主りますが、課中に磨石が東門を圧する象があるので、もう一度再娶する応验があります。
先生析曰;申為磨,中卯為壓東門也。辛以卯為妻,上見天后,妻為主。干又就支,反致勾留,上見勾陳故也。申加卯上作天空,申乃今日之同類,而加妻上,是兄之妻也。申同類為兄,加卯妻爻上,是為兄之妻。然不加申酉空亡,又作天空,必兄已亡過,遂有其妻,所以邵公敢開此口。若申不空,則不可亂斷。末丑,辛之墓;加於同類之上,並蛇丑八數,是以八年因開生地,與兄弟不和,丑土生申金,乃生地也。九年死者,戌加巳,上五下四,共九數也。
邵先生が解釈して曰く。申金は磨石を象り、中伝の卯木は東方にあるので、磨石が東門を圧する象です。辛金は卯木をもって妻財とし、卯の上に天后(女宿の神)を乘じているので、この課が妻を主とすると断じました。日干がまた日支に就きに行って却って牽絆されるのは、日支の上に勾陳(勾留の神)を乘じている故です。申金が卯木の上に加わって天空を乘じています:申は今日の辛金の同類であり、同類が妻爻の上に加わるのは、すなわち兄の妻です。同類は兄で、卯という妻爻の上に加わるのは、まさに「兄の妻」です。ただ、ちょうど申・酉がまた旬空に落ち、申の上にさらに天空(虚耗の神)を乘じているので、兄がすでに亡くなり、弟がその妻を受け継いだと分かります。邵先生はこの故に敢えて言い切ったのです。もし申が空に落ちなければ、このように断ずることはできません。末伝の丑は辛金の墓庫で、同類の申金の上に加わっています。さらに螣蛇と丑の数を合わせると、共に八を得るので、第八年に生圹を開鑿することで兄弟と不和になると断じました。丑土は申金を生ずることができる、まさに「生地」の象です。九年に妻が死ぬというのは、戌が巳の上に加わり、戌の数は五、巳の数は四で、上五下四を合わせて九の数を成すからです。
07)邵秀才癸丑年生五十七歲占宅及父母,己酉年二月乙巳日戌將亥時。(寅卯空亡,丑寅落空),邵秀才名百一,閏月十二日辰時生。 六朱 陳辰巳午未蛇 龍卯 申貴 龍 陳 空 龍 財 甲辰 陳 初 空寅 酉后 卯 辰 寅 卯 兄 空卯 龍 中(空亡) 虎丑子亥戌陰 辰 巳 卯 乙 兄 空寅 空 末(空亡)(落空) 常玄
第七例:邵秀才は癸丑年の生まれで五十七歳、住宅と父母のことで占いに来ました。時は己酉年二月乙巳日で、戌の月将を亥の刻に加えて課を立てました。乙巳日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮に落ちています。原注の補記:邵秀才の名は百一といい、閏月十二日の辰時に生まれました。天盤の布き方:貴人が申に乘り、順に螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙の上に卯を見て青竜を乘じ、第二課は卯の上に寅を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に辰を見て勾陳を乘じ、第四課は辰の上に卯を見て青竜を乘じます。三伝は辰・卯・寅:初伝の甲辰は妻財爻で勾陳を乘じ、中伝の卯は旬空に落ちて兄弟爻で青竜を乘じ、末伝の寅も旬空に落ち、また空地に居って同じく兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:凡傳用,若干支陰陽已先據其位,只以不備推測,不可重複取用。今第一課卯加辰,卯木辰內乙亦木不克,第二課寅加卯第三課辰加巳俱不克,第四課卯加辰,乙已為干先據,何得重傳?是支課不足用也,當以日遙克為用,卦名彈射,如此占之主應,術人多以第四課發用為元首,傳用已差,占何得應?皆由用術不精,反雲六壬不靈,豈不誣哉?
邵先生は言いました。およそ三伝の発用を取る時、もし日干・日支の陰神・陽神がすでに先に或る位置を占めていれば、ただ「不備」課に従って推測するほかなく、同じ位置を重ねて取って用いることはできません。目下のこの課では:第一課は卯が辰に加わり、卯は木で、辰の中に蔵する乙もまた木で、同類は互いに剋しません。第二課は寅が卯に加わり、第三課は辰が巳に加わり、いずれも剋を成しません。第四課はまた卯が辰に加わりますが、この位置は乙木の日干がとっくに先に占めてしまっています。どうしてまたこれを取って伝を発することができましょうか。ここから分かるように、支上の諸課はいずれも発用の資格が足りません。改めて「日遥剋」を取って用とすべきで、課名は「弹射」(弾丸が遠く射るがごとく、事が遠い所から応じて来ることを主る)と言います。この通りに占ってこそ応验するのです。ところが術家の多くは第四課を取って発用とし、「元首」課としてしまいます——発用の一歩がすでに誤っているのに、占断がどうして応ずることがありましょうか。これは皆、術を用いることが精でない故で、却って六壬が霊でないと言うのは、六壬を冤枉するではありませんか。
先生析曰;此課乙木克土,卯來害日,宅不容人。初傳辰,自宅上傳出,中仍歸卯位,此乃奪父之財祿,三傳不離支干,乙以卯為祿,寅為同類,必有兄弟出去了,後復歸來。辰為勾陳主爭訟,課中不見父母,止同類自相吞併,占者與父母各居十六七年,至五十九、六十,行年到亥子,上見父母,則有服矣。後分毫不爽。(此課必須仔細研讀,裡面有六壬要義)
邵先生が解釈して曰く。この課は乙木が土を剋するのに、卯木がまた来て日干を害するので、宅が人を容れられない象です。初伝の辰土は宅位から伝え出され、中伝はまた卯木の位に帰ります——これが父の財禄を奪い取るという意味です。三伝は終始、日干・日支の二か所を離れません:乙木は卯をもって禄神とし、寅をもって同類の兄弟とするので、必ず兄弟がまず家を離れて出て行き、後にまた戻って来ることになります。辰の上に勾陳を乘じるので争訟を主ります。しかも課中には終始、父母爻が見えず、同類が互いに呑併するだけです。そこで、占者は父母と別れて別居すること十六七年となり、五十九・六十歳の上、流年が亥・子に行き至ると、その時初めて上に父母爻が見え、喪服の事があるだろうと断じました。後に応验して分毫も違いませんでした。(編者附記:この課は必ず仔細に研読すべきで、中に六壬の緊要な義理を含んでいます。)
08)邵巡檢癸亥生,四十六歲,占宅。戊申年六月二十七庚辰日午將寅時,(申酉空亡,子丑落空)。元首,潤下,不備,勵德,閉口。 六陳 朱酉戌亥子龍 蛇申 丑空 龍 蛇 玄 龍 父 庚辰 玄 初 貴未 寅虎 子 申 辰 子 兄 空申 蛇 中(空亡) 后午巳辰卯常 申 辰 子 庚 子 丙子 龍 末(落空)(暗鬼) 陰玄
第八例:邵巡検は癸亥年の生まれで四十六歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年六月二十七日庚辰日で、午の月将を寅の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「元首」「潤下」(三伝の申子辰が水局)「不備」(四課が全からず)「勵德」「閉口」(貴人が亥に臨むか課体が壅塞し、言葉が口に出し難く事の分説し難いことを主る)。天盤は午将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚の上に子を見て青竜を乘じ、第二課は子の上に辰を見て玄武を乘じ、第三課は日支の辰の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に子を見て青竜を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の庚辰は父母爻で玄武を乘じ、中伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で螣蛇を乘じ、末伝の丙子は子孫爻で青竜を乘じ、空地に落ちると同時に暗に鬼気を伏せています。
邵先生曰:金日得水局,三傳日辰皆子孫,脫處見青龍,生年見元武,臨官上見螣蛇,一生被子息作吵,一個死了,一個又來,且生得好取盡父母氣力了方休,家計亦被子孫磨滅。此宅十二年後出怪,住不得,必別遷。初受任日,兵卒不合,末後卻吉。後任必得巡檢水陸之處,更後在水邊屯,三任六十三難過也。邵娶宗女為妻,得被恩澤,前後生八子,或三歲、二歲、一歲即死。及婢生三子,亦然,再納一妾,又生二男一女,前後委被子息壞盡精氣。先生初不與巡檢相識,便知其詳如此。及巡檢任滿,果授英州水陸巡檢,本州島駐箚。至紹興十五年乙丑四月初三作古,果年六十三矣。
邵先生は言いました。庚金の日干が申子辰の水局を得てしまい、三伝と日・辰の上神が全て子孫爻です。泄気のところに偏いに青竜が乘り、本命の年支の上にはまた玄武が見え、臨官の地にはまた螣蛇が見えます。このような格局は、一生、子女に攪乱されて安らかでないことを主ります:一人死ねばまた一人が来て、しかも生まれる子が良ければ良いほど、父母の気力を吸い尽くさなければ止もうとせず、家業も子孫に少しずつ磨り減らされます。この宅は十二年住むと怪異が出て住めなくなり、必ず別に移り住むことになります。初めて赴任した時には兵卒と不和になり、後になって吉に転じます。これからの任職では必ず水陸を管轄する巡検の役職を一つ得て、さらに後には水辺に駐屯します。三つの任を務め終え、六十三歳の関は過ごし難いでしょう。邵巡検は宗室の娘を妻に娶ったため朝廷の恩沢を受け、前後して八人の息子を生みましたが、あるものは三歳、あるものは二歳、あるものは一歳で夭折しました。婢女が生んだ三人の息子も同様でした。さらに妾を一人納めてまた二男一女を生みました。前後して確かに子息に精気を耗され尽くしました。邵先生はもともとこの巡検と知り合いではなかったのに、課を見るや否や彼の家の状況をこれほど詳しく言い当てました。巡検が任満になると、果たして英州の水陸巡検に授けられ、本州に駐屯しました。紹興十五年乙丑の四月初三日に亡くなり、果たして六十三歳でした。
先生析曰;蓋金日得潤下局,及干支上神各為脫氣,庚以子為真氣,子息乘青龍脫氣,又有元武螣蛇二凶,兼青龍三個皆水獸,只管盜其真氣,故一子死,一子又來。辰臨日作蛇,日申七數,辰五數,湊成十二年。螣蛇變龍,所以怪出擾害,遂遷寺中居住。六十三上死者,蓋子加申,子九數,申七數,七九共六十三也。
邵先生が解釈して曰く。庚金の日干が申子辰の潤下水局に遇し、日干の上神と日支の上神がまた共に我を泄す気です。庚金は子水をもって生ずる所の真気とするのに、今、子孫爻が青竜を乘じて泄しに来ます。さらに玄武・螣蛇という二つの凶将を加え、青竜と併せて全部で三つの水属の獣が、ただ彼の真気を盗み取ることばかりしています。だから一人の息子が死ねば、また一人が来るのです。日支の辰が日干の上に臨んで螣蛇を乘じています:申の数は七、辰の数は五で、七に五を足して十二を成すので、十二年に怪異が出ると断じました。螣蛇はもともと怪異を主り、また青竜の位に変入するので、怪異が生じて人家を擾害し、後にやむを得ず寺院に移り住みました。六十三歳に身が故するのは、子が申の上に加わるからです:子の数は九、申の数は七で、七に九を乗じて六十三を得ます。
09)任三翁庚午生三十九歲占宅,戊申年十一月壬寅日丑將申時,(辰巳空亡,酉戌落空),知一,退茹,斬關。 空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 虎 朱 陳 后 兄 庚子 虎 初 六申 卯陰 子 未 酉 辰 財 空巳 貴 中(空亡) 朱未午巳辰后 未 寅 辰 壬 鬼 戊戌 龍 末(落空)(暗鬼) 蛇貴
第九例:任三翁は庚午年の生まれで三十九歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年十一月壬寅日で、丑の月将を申の刻に加えて課を立てました。壬寅日は甲辰旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「知一」(比用して一つを取る)「退茹」(三伝が連位して後退し、茹草が牽連して退くがごとく、事が歩々倒縮することを主る)「斬関」(関を衝いて動くに宜しい)。天盤は丑将を申時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬の上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に酉を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の寅の上に未を見て朱雀を乘じ、第四課は未の上に子を見て白虎を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の庚子は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の巳は旬空に落ちて妻財爻で貴人を乘じ、末伝の戊戌は官鬼爻で青竜を乘じ、空地に落ち、また暗鬼です。
邵先生曰:此課占宅,而身宅居墓無氣,因婢妾相爭,遂出其婢,而後再歸,卻與宅又合。又常被子息及兄弟作擾,又門戶上口舌不足,只喜末空亡,又是絕鄉,下稍口舌擾亂俱絕無矣。何以知婢再歸?
邵先生は言いました。この課は宅を占ったものですが、人身と宅舎がともに墓地に落ちて少しの生気もありません。婢女と妾室が争い騒いだので、主人は婢女を追い出しましたが、後にこの婢女はまた戻って来て、しかも戻ってから宅と相い合います。また常に子女と兄弟に攪乱され、門戸にも口舌の不和があります。幸いに末伝が空亡に落ち、またちょうど絶地に当たるので、後に至って口舌と攪乱は皆消散に帰します。では、何をもって追い出された婢女がまた戻ると知るのでしょうか。
先生析曰;蓋天盤酉之陰神,卻乃寅加酉,又是宅也。兼酉加辰與辰合,天將勾陳夾住,勾陳為牙人,故主辰日其婢再還也。又辰為日上神故也。大凡隔七八局,三傳回環,只是發用與宅六害,故事多阻。巳既絕地,故至甲辰乙巳日自絕也。果一一如占。
邵先生が解釈して曰く。天盤の酉の陰神は、まさに寅が酉の上に加わるところで、寅はまた日支、すなわち宅位です。さらに酉が辰の上に加臨し、辰と酉はちょうど六合です。二か所がともに勾陳に挟まれており、勾陳は人事において牙人(間に立って説合する仲人)なので、辰の日にあの婢女が人の説合によって戻ると断じたのです。まして辰はまたちょうど日干の上神で、人と相親しみます。およそ天地盤が七・八の位を隔てて三伝の首尾が回環する課は、発用と宅位が六害を構成するため、事に多くの阻碍があります。巳は壬水の絶地なので、甲辰・乙巳の日に至れば、これらの擾攘は自然に絶えます。後に果たして一つ一つ占いの通りになりました。
10)邵伯達占宅基,己酉年十月十五庚寅日寅將酉時,(午未空亡,亥子落空),鑄印,知一,驀越。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 龍 貴 后 空 子 戊子 龍 初(落空) 蛇申 卯常 子 未 午 丑 官 癸巳 陰 中 貴未午巳辰玄 未 寅 丑 庚 父 丙戌 六 末(暗鬼) 后陰
第十例:邵伯達が宅基の購入を占いました。時は己酉年十月十五日庚寅日で、寅の月将を酉の刻に加えて課を立てました。庚寅日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「鑄印」「知一」「蓦越」(三伝が位を越えて跳躍し、事が意外に出て突如其来することを主る)。天盤は寅将を酉時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚の上に丑を見て天空を乘じ、第二課は丑の上に午を見て天后を乘じ、第三課は日支の寅の上に未を見て貴人を乘じ、第四課は未の上に子を見て青竜を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の戊子は子孫爻で青竜を乘じて空地に落ち、中伝の癸巳は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の丙戌は父母爻で六合を乘じ、暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:大凡占求宅基,以日為人,辰為宅,須看支辰,合支上空亡,是宅不可得而圖也。本身近基且近宅,何以得移?初傳脫氣,雖得青龍,又在空地,亦是暫住,尚未有定論也。中傳巳,巳為店業,太陰為婦人。巳加子作太陰,庚生於巳,是買得老婦人店業,便是宅基,其婦人幹辦,是本人親族,事皆由他。伯達以兄弟眾多,伯叔共住,欲謀遷外居,累求未許,其婦人店屋,是伊房叔母,因無生計與彼當門戶,卻要設計買得店屋,遂與彼私增價買之,至丁巳年方才造此宅也。
邵先生は言いました。およそ宅基の謀求を占うには、日干をもって人を表し、日支をもって宅を表し、必ずまず日支を見なければなりません。もし日支の上神が空亡に落ちていれば、それは宅基が求められず図謀が成らないことです。今、問卜する人の身はこの基地にも現住の宅にも近いのですから、どうして遷移と言えましょう。初伝は我を泄す気で、青竜を乘じてはいるもののまた空地に落ちているので、たとえ住んでも仮住まいに過ぎず、まだ定局ではありません。中伝は巳で、巳は店鋪の産業を表し、太陰は婦人を表します。巳が子の上に加わって太陰を乘じ、庚金はまた巳に長生するので、年長の婦人の店屋を買い取り、その店屋が彼の欲する宅基になると断じたのです。そして手続きを取り仕切るその婦人は彼の本家の親族で、事はすべて彼女が主裁しました。邵伯達は兄弟が多く、伯父・叔父と一つの宅に同住していたため、外へ出て別に住むことを謀りたかったのですが、度々請うても許されませんでした。あの婦人の店屋は、まさに彼と同じ房の叔母の所有でした。叔母は生計がなかったため彼の家と共に門戸を守っており、彼はこの店屋を買い取る方法を設け、こっそり価を上乗せして買い成し、丁巳年に至ってやっとこの地に宅を建てました。
先生析曰;夫宅要看支,支上空,是未有宅基也。卻見中傳長生,便就長生上言,況求新宅,看何方生旺即是。巳為店,加子為北方,太陰為婦人,未戌屬土,生今日之庚,乃是尊長作干人。戌又為僕,乃干僕也。六合則成就也。
邵先生が解釈して曰く。宅を占うには日支を見るのです。日支の上神が空に落ちていれば、まだ宅基がないことです。しかし中伝に長生の神が見えるなら、長生から立論するのです。まして新宅を求め置くのは、もともとどちらの方が生旺するかを見て、どちらの方に着落があるかを定めるものです。巳は店鋪を表し、子の上に加わり、子は北方に属するので、宅基は北面にあります。太陰は婦人を表すので、婦人の産業です。未・戌はともに土に属して今日の庚金を生ずることができるので、尊長の輩が経手人となります。戌はまた奴僕を主るので、合わせれば人のために事務を幹弁する人です。末伝は六合を乘じ、六合は成合の神なので、この売買はついに談じ成すことができます。
11)童保儀丁巳生五十二歲占宅,戊申年六月初七丁巳日未將酉時(子丑空亡,戌亥落空),重審,不備,間傳,極陰,寡宿,贅婿。 虎常 空卯辰巳午玄 龍寅 未陳 陰 空 空 常 子 空丑 陳 初(空亡) 陳丑 申丑 丑 卯 卯 巳 鬼 癸亥 朱 中(落空)(暗鬼) 六子亥戌酉貴 卯 巳 巳 丁 財 辛酉 貴 末 朱蛇
第十一例:童保儀は丁巳年の生まれで五十二歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年六月初七日丁巳日で、未の月将を酉の刻に加えて課を立てました。丁巳日は甲申旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は六つ:「重審」「不備」「間伝」(三伝が位を隔てて伝わる)「極陰」(三伝が皆陰支に臨み、陰気が極に至る)「寡宿」(孤単で偶が少ないことを主る)「赘婿」。天盤は未将を酉時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります(底本の盤図で未・申二位に標された天将および第四課の天将にはいずれも訛字があり、今は原文をそのまま写して改めない。読者は天将の次第と三伝の注に依って自ら訂正してほしい)。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に巳を見て太常を乘じ、第二課は巳の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に卯を見て天空を乘じ、第四課は卯の上に丑を見て勾陳を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の丑は旬空に落ちて子孫爻で勾陳を乘じ、中伝の癸亥は官鬼爻で朱雀を乘じ、空地に落ち、また暗鬼、末伝の辛酉は妻財爻で貴人を乘じます。
邵先生曰:此課六陰相繼,更無陽神,更六月建未,又是陰月,丁巳又是陰,命從此衰敗不振;兼婢不測,殞命於廁;丁巳二火,自旺方遞歸死絕之地,宅前有大樹枯朽,若不去之,閒事相擾;主有一子患腹氣,又不合將後閣為豬圈,豬盛克人;四年敗,六年敗盡也。
邵先生は言いました。この課は六つの陰神が連なり下るばかりで、陽神が一つもありません。まして六月の月建は未にあり、もともと陰月で、日辰の丁巳もまた陰に属します。命運はここから衰えて振るわなくなります。さらに婢女が思いがけない災いに遭い、便所の中で死ぬことがあります。丁と巳はともに火で、火の旺方から一路伝わり行き、最後に死絶の地に帰します。宅の前に一本の枯れ朽ちた大樹があり、もし伐らなければ、閑事が絶えず攪しに来ます。また一人の息子が腹中の気疾を患うことを主ります。また後閣を豚圈に改作してはなりません。豚が旺えれば旺えるほど、家人を剋し傷つけます。四年目に衰敗し始め、六年目に敗れ尽くします。
童保儀因地方寇發,遂得名目,自後成家興旺;及先生與占,卻雲四年敗,六年敗盡也,彼不深信。本年十月一婢上廁,不覺墜死廁中。宅前有二百年大楓樹,已枯朽大半,繫族人祖墳。閱此更妙,卯陰上得丑為墓,日治得朱,暮治得勾,且又發用,是以主閒事相擾。十二月外鄉一人來樹下自縊。其第二子常患疝氣,其家屋寬,兄弟分出,去後無人居住,遂以後閣養豬。第四年拆四邊屋賣,六年果敗盡。僅存五口,移出店屋居住。
童保儀は当初、地方に盗寇が起こったとき功名を立てて役職を得たことから、家を成し栄えました。邵先生が彼のために課を占った時、「四年で衰敗し六年で敗尽する」と言ったのを、彼は深く信じませんでした。まさにその年の十月、一人の婢女が便所に行き、誤って厠の中に転落して溺死しました。宅前の二百年の大楓樹は大半がすでに枯れ朽ちており、樹下はまさに一族の祖墳でした。課象に照らし合わせて見ると一層神妙です:卯の陰神の上に丑を得て墓庫となり、昼の占には朱雀、夜の占には勾陳を用いますが、それが偏いにまた発用しているので、閑事が纏まり絶えないことを主ります。十二月に、外郷の人が一人駆けて来てこの樹下で首を縊りました。彼の二男は常に疝気を患いました。彼の家は房屋が広く、兄弟が分家して出て行った後は住む人がいなかったので、後閣を豚を飼うのに用いました。第四年に四周の房屋を壊して売り、第六年に果たして敗れ尽くし、家中に残ったのはわずか五口で、店屋に移って住みました。
先生析曰;大凡丑亥酉卯此四支,先生皆以極陰;丁巳日又傳歸陰方絕地,宅上卯,末傳酉,俱六數,故主六年敗盡。此斷家宅,故取宅上神,酉為歸計門,是以取此二處決之也。加於巳亥上,亦四年之數。甲寅旬乙卯為真木一作卯加巳為真木,故有大樹在門。天空主朽;丑為閣,亥加丑上,故養豬;酉加亥為今日死神,酉為婢,亥為廁,故主婢死於廁也,丑為墳墓,卯為門樹,亥是樓閣。
邵先生が解釈して曰く。およそ丑・亥・酉・卯の四つの地支は、邵先生は皆、極陰の神と算えます。丁巳日の三伝はまた陰方の絶地に帰ります。宅上は卯で、末伝は酉で、両者の数はともに六なので、六年に敗尽すると断じました。この課は家宅を断ずるので、宅上の神を取って論じます。酉はまた「帰計」の門(収束して帰結するところ)なので、宅上と末伝のこの二か所を取って決断したのです。それらはそれぞれ巳・亥の上に加わり、また四年の数を合成します。甲寅旬中の乙卯は真木(一説には卯が巳に加わるのを真木とする)なので、門前に大樹があります。天空の神は朽壊を主り、まさに樹がすでに枯れ朽ちたことに応じます。丑は楼閣を表し、亥が丑の上に加わるので、後閣を豚圈に改作した事があります。酉が亥の上に加わるのは今日の死神です。酉は婢女を表し、亥は便所を表すので、婢女が厠中で死ぬことを主ります。このほか丑はまた墳墓を表し、卯は門前の樹を表し、亥は楼閣を表し、取象が層々と合致します。
12)鄭宣義占宅,八月癸丑日巳將丑時,(寅卯空亡,午未落空)渉害,從革。 虎常 空酉戌亥子玄 龍申 丑陰 空 朱 空 朱 父 己酉 空 初(暗鬼) 陳未 寅后 酉 巳 酉 巳 鬼 癸丑 陰 中 六午巳辰卯貴 巳 丑 巳 癸 財 乙巳 朱 末 朱蛇
第十二例:鄭宣義が住宅を占いに来ました。時はある年の八月癸丑日で、巳の月将を丑の刻に加えて課を立てました。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「渉害」(数か所が互いに剋し、渉害の最も深い者を取って発用とし、事が艱難を歴て後に定まることを主る)「従革」(三伝の巳酉丑が金局を合成し、金の従革できる義を取る)。天盤は巳将を丑時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に巳を見て朱雀を乘じ、第二課は巳の上に酉を見て天空を乘じ、第三課は日支の丑の上に巳を見て朱雀を乘じ、第四課は巳の上に酉を見て天空を乘じます。三伝は酉・丑・巳:初伝の己酉は父母爻で天空を乘じ、暗に鬼を帯び、中伝の癸丑は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の乙巳は妻財爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課人盛宅狹,人與宅替;不出四年,必主修造酒房,廚下一婢酒中死;不要買叔婆之產,必有退悔;又主有三所店,先開二所見財,後開一所主敗;宅前不合置淘鍋,主八年內淘鍋屋下必停喪,是時其家四分矣。鄭兄弟十人,共四十餘口,未曾分;至辛亥年,公果造酒房;十二月婢盜酒飲,醉死。己酉年與叔婆交易,叔婆有子二人,年幼不曾預名,後果退悔。又丙辰戊午二年兩店興旺,己丑又開淘鍋,正對門前,至乙卯二月弟婦死,殯於內。
邵先生は言いました。この課は人丁が盛んで宅舍が狭小で、人と宅が互いに替代消長します。四年を出ずに必ず酒坊を修造します。厨房では一人の婢女が酒で死にます。叔婆の産業を買ってはなりません。買えば必ず翻悔して返還します。また家に三か所の店鋪があることを主ります:先に開いた二か所は財を得ますが、後に開いた一か所は亏敗します。宅前に淘鍋(穀物を淘洗する作業場)を安置してはなりません。八年以内に、淘鍋屋の下に必ず霊柩を停放することを主り、その時には家産はすでに四分に分かれています。鄭家の兄弟は十人で、合わせて四十余口、ずっと分家していませんでした。辛亥年に至り、鄭公は果たして酒坊を造りました。その年の十二月、一人の婢女が酒を盗んで飲み、酔って死にました。己酉年に叔婆と産業の取引をし、叔婆には二人の息子がいて年がまだ幼く、あらかじめ名分を議定していなかったため、後に果たして翻悔して返しました。丙辰・戊午の二年に二か所の店鋪が興隆しました。己丑年にまた淘鍋作場を開き、ちょうど大門に向かい合いました。乙卯年二月に至り、弟嫁が亡くなり、そこに霊を停めました。
先生析曰;蓋謂人盛者,癸日遇巳酉丑,八月旺金來生也。宅狹宅替者,丑為宅,值金局而脫氣也。丑為八月死氣,加於酉婢之上,丑上見巳,巳為廚灶,癸水見酉,乃酒也,故主婢死於酒房廚下。三店者,日上、支上、傳上見三個巳,巳為店業。一所敗者,癸水絕於巳故也。又為巳為鍋,值癸水乃淘鍋也。八年者,雙巳四數也。
邵先生が解釈して曰く。「人盛」と言うのは、癸水の日干が巳酉丑の金局に遇い、しかも八月はちょうど金気が旺に当たり、旺金が来て日干を生ずるからです。「宅狭宅替」と言うのは、丑が宅を表し、今、丑が金局の中に裹み込まれ、土気が金に泄されて衰えるからです。丑は八月においてちょうど死気に当たり、また婢女を表す酉の上に加わります。丑の上に巳が見え、巳は厨灶です。癸水と酉金が相遇するのは、酒の象を取ります。だから婢女が酒坊の厨下で死ぬと断じました。三か所の店鋪というのは、日干上・日支上・三伝上に合わせて三つの巳が見え、巳は店鋪の産業を表すからです。そのうち一か所が敗れるのは、癸水の絶地がちょうど巳にあるからです。巳はまた鍋の象を取ることができ、癸水を配すれば淘鍋の作場となります。八年の数は、二つの巳がそれぞれ四の数を作して相合するのから来ています。
先生附論:支上巳,末傳巳,皆為日財,故二所見財。日上巳獨不以財爻論,乃絕神加日也,故主敗,丑為宅,上加巳,是必宅前置淘鍋也。又一人論曰:癸絕於巳,似矣。然予猶有說焉,丑生於申,寧不絕於巳乎?則絕巳云云者,非其至也。其或癸水克巳,巳為店受克,則自敗。庶幾近是。愛圅曰,此二論不知何人之筆,附錄於此,以便對考。要知先開二所見財,似指干支上二巳而言也。後開一所主敗,似指末傳上巳而言也。末傳為歸計,不宜逢絕之意歟?
別に附論があって曰く。日支上の巳と末伝の巳は、癸日にとっていずれも財爻なので、あの二か所の店鋪は財を見ることができます。ただ日干上の巳のみが財爻と論じられません。それは絶神が日干に加臨しているからで、だから亏敗を主ります。丑は宅で、丑の上に巳が加わるので、宅前に必ず淘鍋が安っていることが分かります。また一人の論ずるに:癸水が巳に絶すると言うのは一理あるようだ。しかしなお言うべきことがある——丑土は申に長生するが、巳に絶しないことがあろうか。然らばただ「巳に絶す」と講ずるだけでは、まだ根本に至っていない。あるいは、癸水が巳火を剋し、巳はすでに店鋪を表しながら剋を受けるので、店鋪が自然に亏敗する、と言うべきか。これが比較的妥当である。編者の程愛圅が曰く:この二段の議論はどなたの手筆に出たものか知らないが、ここに附録して読者が対照して参考にするに供する。要するに「先に開いた二か所で財を見る」は、日干上・日支上のあの二つの巳を指すらしい。「後に開いた一か所が敗を主る」は、末伝上の巳を指すらしい。末伝は一課の帰結するところであり、おそらく「帰計の地は絶に遇うべからず」の意を取ったのであろうか。
13)王德卿辛酉生四十八歲占宅,戊申年十月壬子日卯時卯將,(寅卯空亡,寅卯落空),伏吟,勵德,三奇,杜傳。 后陰 貴巳午未申玄 蛇辰 酉常 龍 龍 空 空 兄 辛亥 空 初 朱卯 戌虎 子 子 亥 亥 兄 壬子 龍 中 六寅丑子亥空 子 子 亥 壬 子 空卯 朱 末(空亡) 陳龍
第十三例:王德卿は辛酉年の生まれで四十八歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年十月壬子日、占時は卯の刻で、月将も卯です。将と時が同じ位にあり、天盤と地盤が完全に重合します。壬子日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の寅・卯二支もまた空亡宮を押さえています。課名は四つ:「伏吟」(万事が伏して動かず)「勵德」「三奇」(課中に三奇の神を帯び、険に逢っても濟うことを主る)「杜伝」(三伝が壅塞して通ぜず、事が詰まることを主る)。天盤の布き方:貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は伏吟のため二つ二つ同じです:壬水の寄宮は亥にあり、第一課は亥が壬に加わり、第二課は亥が亥に加わり、いずれも天空を乘じ、第三課は日支の子が子に加わり、第四課は子が子に加わり、いずれも青竜を乘じます。三伝は亥・子・卯:初伝の辛亥は兄弟爻で天空を乘じ、中伝の壬子は兄弟爻で青竜を乘じ、末伝の卯は旬空に落ちて子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課財祿極穩,但自有膀胱氣及陰腫水氣之擾。宅上帝旺,財物興隆。今年進子又添孫,中傳及支子也。子邊作亥,乃孫字也。末傳卯乘朱雀,主門戶不寧,戶役事擾。堂上不合安符,主家中無一時安靜,家資得地,池塘之利,必然大發。尚有二十六年壽,主水腫而亡。王乃士人,善治家,只是受膀胱病累,本年三月生子,十二月又添孫,常為戶役聒吵。堂上掛一天師,自此夢寐不安,怪異影響,遂去之,果無事。其家池塘最盛,一年有數萬魚利,越十六年果死。
邵先生は言いました。この課は財と禄がともに極めて穏当ですが、本人に膀胱の疾と下部が浮腫み水気が化しない持病があります。宅位はちょうど帝旺に当たるので、財物は興隆します。今年は息子も添えれば孫も添えます——中伝は子で、日支上も子で、二重の子象です。そして「子」の傍らに「亥」を配すれば、合わせてちょうど一つの「孫」の字です。末伝の卯木が朱雀を乘じているので、門戸が安寧を得られず、官府の差役の事で煩扰を受けます。厅堂に符籙を供安してはなりません。安てれば家中が一刻も清静を得ないことを主ります。家産は地を得て、池塘の養魚の利が必ず大いに発します。この人はなお二十六年の陽寿があり、最後に水腫によって亡くなります。王德卿は読書人で、よく家を治めましたが、ただ膀胱病に累を引かれました。この年の三月に息子を生み、十二月にまた孫を添えました。また常に戸役の事で争い騒ぎが絶えませんでした。彼の厅堂には一張の天師符が掛かっていました。これ以来、睡夢が安らかでなく、怪異の事に影があり響きがありました。符を除いた後は果たして何事もありませんでした。彼の家の池塘の経営は最も良く、一年に数万銭の魚利がありました。十六年を過ぎて、果たして亡くなりました。
先生析曰;蓋壬子日十月亥子水旺,又壬祿居亥,而旺於子,亥四數,課中四個亥,四四一十六年也。此非先生意,乃及門諸子增入之辭也。何則?課傳止二亥,亥為旺氣,當倍進,即曰伏吟,斷少則二亥八年,又不可云十六年矣。且亥乃日祿,何反之決死?是此說之謬可知矣。按邵公之意,或用越十六年而行年在辰,辰為壬日之墓,流年太歲在亥,太歲乘空臨身,所謂當頭立也。太歲即臨身而行年又入墓地,故主十六年而亡耳。邵公之意,毋乃在此乎?
旧本の解析に曰く。壬子日は十月で、亥・子の水がちょうど旺に当たります。壬水の禄は亥にあり、旺は子にあります。亥の数は四で、課中に四つの亥があり、四に四を乗じて十六年を得ます。——この一段は邵先生の本意ではなく、門下の弟子が後になって添えた言葉です。どうしてそう言うか? 課と伝の中には実際には二つの亥しかありません。亥は旺気ですが、伏吟の課は倍数をもって推進するとして、多くても二亥を合わせて八年で、どうしても十六年は得られません。まして亥は日干の禄神です。どうして却ってそれを取って死期を断ずることができましょうか。この説の謬りであることが分かります。邵先生の原意に按ずるに、おそらく:十六年を過ぎた時、行年がちょうど辰に行き至り、辰は壬日の墓庫です。そしてその年の太歳は亥にあり、太歳が空亡を乘じて本身に臨むのは、いわゆる「当頭立」です。太歳がすでに身に臨み、行年がまた墓地に入るので、十六年に亡くなると断じたのです。邵先生の意は、おそらくここにあったのでしょうか。
14)童得松丁巳生五十三歲占宅,己酉年六月壬戌日未將丑時。(子丑空亡,午未落空),反吟,元胎,勵德,斬關。 六朱 陳亥子丑寅蛇 龍戌 卯貴 龍 后 陳 陰 財 丁巳 陰 初(丁神) 空酉 辰后 戌 辰 亥 巳 兄 癸亥 陳 中 虎申未午巳陰 辰 戌 巳 壬 財 丁巳 陰 末(丁神) 常玄
第十四例:童得松は丁巳年の生まれで五十三歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年六月壬戌日で、未の月将を丑の刻に加えて課を立てました。将と時が相い沖するので「反吟」を成します(天地盤が互いに沖し、動蕩・反復を主る)。壬戌日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「元胎」「勵德」「斬関」。天盤の布き方:貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に巳を見て太陰を乘じ、第二課は巳の上に亥を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の戌の上に辰を見て天后を乘じ、第四課は辰の上に戌を見て青竜を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の丁巳は妻財爻で太陰を乘じ、「丁神」です。中伝の癸亥は兄弟爻で勾陳を乘じ、末伝はまた丁巳で、依然として妻財爻・依然として太陰を乘じ・依然として丁神です。首尾が往返し、まさに反吟の象に合します。
邵先生曰:此課德喪神消,人亡家破。何以言之?
邵先生は言いました。この課の格局は、德がすでに喪われ神がすでに消えたもので、人口の傷亡・家業の破敗を主ります。何をもってこう言うのでしょうか。以下に一つずつ解説します。
先生析曰;蓋壬德在亥,亥為閉口,無德可言,是謂德喪。愛圅竊謂亥德臨絕地為德喪。身命臨亥,火被水克,是謂神消。生氣受克而死氣為主,是謂人亡。辰來破宅,又為干支之墓,是謂家破。一為宅水不通,二為灶廁不便。巳為灶,亥為廁,巳亥相加為不便。我去彼絕,彼來此絕,墓來剋日,是為凶課。童聞先生之方,遂遷店居住,其戶遂寧,而禍亦解。
邵先生が解釈して曰く。壬水の德神は亥にあるのに、亥がこの課ではちょうど閉口の位に落ちて、德を施すところがありません。これを「德喪」と言います。(編者の程愛圅は私の考えでは、亥德が絶地に臨むのを德喪と言うべきだと思います。)本命と身位がともに亥の上に落ちて、火が反って水に剋されます。これを「神消」と言います。生気が剋を受けて、死気が却って事を主る者となりました。これを「人亡」と言います。辰が来て宅位を破壞し、辰はまた日干・日支に共通の墓庫です。これを「家破」と言います。具体的な宅象に至っては:一つは宅中の水道が通じず、二つは灶と厠の位置が不便です——巳は灶を表し、亥は厠を表し、巳と亥が相い加わるのは、まさに灶厳の相冲・格局の不便です。我が彼の処に往けば絶し、彼が我の処に来ても絶し、墓神がまた反って日干を剋します。ゆえにこれは一課の凶象です。童得松は邵先生の指し示した方法を聴き、店屋に移って住み、門戸はここから安寧となり、災禍もまた化解しました。
15)徐八公甲寅生五十五歲占宅,戊申年六月初十癸亥日未將酉時。(子丑空亡,戌亥落空),遙克,蒿矢,間傳,不備。 蛇貴 朱卯辰巳午后 六寅 未陰 陰 常 常 空 鬼 己未 陰 初(暗鬼) 陳丑 申玄 未 酉 酉 亥 財 丁巳 貴 中(丁神) 龍子亥戌酉常 酉 亥 亥 癸 子 乙卯 雀 末 空虎
第十五例:徐八公は甲寅年の生まれで五十五歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年六月初十日癸亥日で、未の月将を酉の刻に加えて課を立てました。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「遥剋」(四課に剋がなく、日干と神が遥かに相剋する者を取って発用とする)「蒿矢」(神が遥かに日を剋するのは蒿草の矢のごとく、事が遠方から来て力が軽いことを主る)「間伝」「不備」。天盤は未将を酉時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に亥を見て天空を乘じ、第二課は亥の上に酉を見て太常を乘じ、第三課は日支の亥の上に酉を見て太常を乘じ、第四課は酉の上に未を見て太陰を乘じます。三伝は未・巳・卯:初伝の己未は官鬼爻で太陰を乘じ、また暗鬼、中伝の丁巳は妻財爻で貴人を乘じ、「丁神」、末伝の乙卯は子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:癸亥是六甲極日,陰長陽消,而此課又為六陰相繼,宅勢到此極矣。然物極必變,今宅中現在六分共居,而甲寅人多是從門側出入。本命寅,天上寅,卻作合,為私門。又在卯側,故主從門側出入。來年有陰人死,各自東西南北去,必升進,頗勝於前。時有陰貴人,乃守缺貴人,後時必做成家計也。其子又好,必晚年亨福,壽又高,得貴家陰人力,做成家業也。徐八公弟兄六分共居,果是窄狹,常從便路出入到店,多是後邊過。次年太孺人故,八公即出外去住。
邵先生は言いました。癸亥は六甲の一巡の尽きる日で、陰気が漸く長じ陽気が漸く消えます。この課はまた六つの陰神が連なり下るので、宅の気勢はここで極に至りました。しかし物極まれば必ず反します。目下、宅中には六房の人が合わせ住んでおり、甲寅年生のこの人は平素、多く便門から出入しています——彼の本命は寅で、天盤上の寅がまたそれと相合し、「私門」の象を成しました。私門がまた卯(正門)の傍らに緊く接しているので、門の側から出入することを主ります。明年、家中に一人の女性の尊長が亡くなり、衆人はここから各自東西南北に奔り、却って必ずそれぞれ升進があり、先よりもなお良くなります。目下乘じているのは陰貴人で、「守缺貴人」(残欠を守って時を待つ)に属し、後日必ず一つの家業を成すことができます。彼の息子もまた良く、晚年は必ず福を享け、寿数も高く、また貴家の女眷の力を得て家業を成就します。徐八公は兄弟六房が合わせ住み、果たして狭窄で、平素店鋪への出入は常に便道を通り、多くは後ろから通りました。第二年、老太夫人が亡くなり、八公は外に移って住みました。
先生析曰;蓋癸亥是極日,亥來加癸,又極。卻自北復轉至西,自西投東南,見卯,自半夜亥至黃昏酉,自酉至未,自未至巳接卯,謂之迎陽課。中末傳見貴人,用並太陰,故徐公續娶,得某先待制之妾,帶二千貫財物嫁來。蓋癸以巳為妻財,而太陰作貴人之側室,故有龐人嫁他。其子又乘夜貴臨日貴人財上,卯子息爻,乘夜貴加巳妻財之上,則上子為待制妾所生可知。徐公委其管干,自此發跡,終身享福,八十四壽終。言六分者,酉為破碎入宅,而敗癸水,酉乃六數也。
邵先生が解釈して曰く。癸亥はもともと一巡の極の日で、今、亥がまた癸の上に加臨し、陰が極に至りました。しかし気機は北方(亥)から西方(酉)に転じ、さらに西方から東南に投じて卯を見ます。夜半の亥から黄昏の酉へ走り、酉から未へ、未から巳へ走りて卯に接する——こうして一路、陰から陽に返るので、「迎陽課」と言います。中伝・末伝の上に貴人を見て、発用がまた太陰を併せているので、徐公は後妻を娶り、ある前の待制官の妾室を得、二千貫の財物を携えて嫁いで来ました。癸水は巳をもって妻財とし、太陰はまさに貴人の身辺の側室の象なので、このような寵妾が彼に嫁いだのです。彼の息子はまた夜貴を乘じて日貴人の財爻の上に臨んでいます:卯は子息爻で、夜貴を乘じて巳の妻財の上に加わるので、この息子はまさにあの待制の妾の生んだ子です。徐公は家業を彼女に委ねて掌管させ、ここから発跡し、終身福を享けて八十四歳で善終しました。「六房」と言うのは、酉が破碎の神で宅位に入って癸水を敗壞し、酉の数がちょうど六だからです。
16)劉將仕庚午生四十歲占宅,己酉年五月戊申日未將卯時。(寅卯空亡,午未落空),元首,潤下,勵德,六儀,戊申乃六月朔,因未交小暑,故言五月也。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄 蛇 貴 陳 兄 甲辰 玄 初(暗鬼) 空未 寅后 辰 子 丑 酉 子 戊申 龍 中 虎午巳辰卯陰 子 申 酉 戊 財 壬子 蛇 末 常玄
第十六例:劉将仕は庚午年の生まれで四十歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年五月戊申日で、未の月将を卯の刻に加えて課を立てました(編者注:戊申は実は六月初一だが、まだ小暑の節に交わっていないので、なお五月として論じる)。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「元首」「潤下」「勵德」「六儀」。天盤は未将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊の上に酉を見て勾陳を乘じ、第二課は酉の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の申の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に辰を見て玄武を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の甲辰は兄弟爻で玄武を乘じ、また暗鬼、中伝の戊申は子孫爻で青竜を乘じ、末伝の壬子は妻財爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:即戀一舊妾,又討一新妾,精氣衰耗,漸不支持。三傳皆財為家賊所偷,宅上子作螣蛇,主子外橫,乃宅中水不合被長生耗去,故多招是非,常不安妥。今年太歲值水敗尚可,明年不利;本身有臟毒,終為所苦,溝渠為土淤塞,子作溝渠,上加辰作武,故主土注淤塞,坤申方有澗水來克,子必不肖,而婢為宅主也。
邵先生は言いました。この主人は一人の旧妾に恋着しながら、また新たに一人の妾を娶り、精気が日々衰耗して、だんだん支えきれなくなっています。三伝は全て財爻ですが、その財は家中の窃賊に盗まれてしまいます。宅位上は子が螣蛇を乘じており、子女が外に横生する枝節を主ります。これは宅中の水気が長生の神に耗泄されてはならないのにされているので、多く是非を招き、家宅が常に安穏でなくなります。今年の太歳は水の敗地に遇ってまだ過ごせますが、明年は利がありません。本人は臓毒(下部の癰疽の疾)を患っており、ついにそれに苦しめられます。溝渠は泥土に淤塞します——子は溝渠を表し、子の上に辰が加わってまた玄武を乘じるので、泥沙が灌注して淤塞することを主ります。西南の坤申の方に山澗の水が沖して来て相剋し、息子は必ず成器せず、却って婢女がこの宅の主人となります。
先生析曰;劉將仕果有新舊二龐,蓋因酉作勾陳加行年又在日上,是有兩婢也。破碎來勾,主舊事擾攘。戊日局局,財氣太盛,自庫傳出,又傳出去。只因庫中有鬼賊,辰比劫財,又元盜神故也。所以偷去。子作蛇加申,主子息非理廢用。至丁巳年退至八分,庚申年退盡。巳上見酉為破碎,故丁巳退八分。申上見子作蛇撓之,故退盡。辛酉年四月臟毒死矣。蓋酉為臟毒,臨巳為四月,又遇酉年,破碎重見故也。
邵先生が解釈して曰く。劉将仕には果たして新旧二人の寵妾がありました。これは酉が勾陳を乘じて、また行年と日干の上に加わるので、二名の婢妾があるのです。破碎の神が来て勾陳に会するので、旧事が纏まって解れないことを主ります。戊土日干の局中は財気があまりに盛んで、財は庫の中から伝え出され、また一路に伝え出されてしまいます。ただ庫の中に鬼賊が蔵しているが故に——辰は比劫奪財の神であり、また元盗の神です——だから財が盗まれます。子が螣蛇を乘じて申の上に加わるので、子女が胡乱に花費し端なく敗用することを主ります。丁巳年に至って家産は八成退去し、庚申年に退尽します:巳の上に酉を見るのは破碎なので丁巳年に八分退し、申の上に子を見てまた螣蛇に攪扰されるので庚申年に至って退尽します。辛酉年四月、主人は臓毒によって死にました——酉はまさに臓毒を主り、巳に臨むのは四月で、また酉年に逢い、破碎の神が重ねて現れたので、この時に応じました。
17)何丞務丁巳生五十三歲占宅,己酉年二月戊子日戌將巳時。(午未空亡,亥子落空),重審,鑄印,斬關,愛圅得古本作丁未生六十二歲,蓋未交生日故也。 朱蛇 六戌亥子丑貴 陳酉 寅后 六 常 陰 六 父 癸巳 常 初 龍申 卯陰 戌 巳 卯 戌 兄 丙戌 六 中 空未午巳辰玄 巳 子 戌 戊 鬼 辛卯 陰 末 虎常
第十七例:何丞務は丁巳年の生まれで五十三歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年二月戊子日で、戌の月将を巳の刻に加えて課を立てました(編者の程愛圅が得た古本は「丁未生・六十二歳」と作り、おそらくまだ誕生日に至っていなかった故であろう)。戊子日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「鑄印」「斬関」。天盤は戌将を巳時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に戌を見て六合を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て太陰を乘じ、第三課は日支の子の上に巳を見て太常を乘じ、第四課は巳の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の癸巳は父母爻で太常を乘じ、中伝の丙戌は兄弟爻で六合を乘じ、末伝の辛卯は官鬼爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:此課日往加辰,是人廣而宅狹也。宅上發用,傳出日上,是宅居不得許多人而後出也。末傳歸第二課,又見宅不納人。然非宅克人,是人多欲自出也。若移出各人自為活計,將因太陰擾動而興詞訟,太陰乘卯為今日鬼,故就卯上論之,在末傳,故至十三年後。十三年後見之後,人財亦興旺。
邵先生は言いました。この課は日干が日支の上に走って行き、人が多く宅が狭小な象です。発用は宅位から起こり、また日干の上に伝わる——まさに宅がこれほど多くの人を容れきれず、人が外に遷出する形です。末伝が第二課に帰るのは、再び宅が人を納れないという意味を現しています。しかしこれは宅が人を剋するのではなく、人口が多すぎて自分から出て行こうとするのです。もし各人が出て行って自ら生計を謀れば、将来は太陰の一路の攪動によって詞訟が興ります。太陰は卯を乘じ、卯は今日の官鬼なので、卯に就いて立論します。卯は末伝に落ちているので、十三年後に応じます。十三年後にこの官司が過ぎれば、人丁と財物もそれに従って興ります。
先生析曰;何居祖宅,狹仄人眾,此是日來加宅相逼,又作破碎也。本年十一月移出店房居住,自做經營,亦應初傳巳為店業,妙!妙!前原是兄嫂家掌家,後十三年,歲在甲子,果因家財爭訟,是以加子,人宅相剋也。巳四子九,併成十三年也。其壬戌年有卯制,故不動。癸亥年天罡壓之,亦不動。甲子年人宅相逼,所以至此方爭也。訟起於甲子之春,至乙丑四月方止,宅上見祿神,尚自興旺,人財尚可旺發也。
邵先生が解釈して曰く。何家が住むのは祖宅で、房屋は狭窄で人口は衆多です。これはまさに日干が宅上に加わって相い逼り、また破碎の神を帯びた象です。その年の十一月、彼は店房に移って住み、自ら営生を経営しました。これもまたちょうど初伝の巳が店鋪産業を表すのに応じたので、実に巧妙です。従来、家務はもともと兄嫁が掌管していました。十三年後、歳次が甲子になると、果たして家財をめぐって官司になりました——巳が子の上に加わり、人と宅が相剋するからです。巳の数は四、子の数は九で、四に九を足して十三年を成します。その間、壬戌年には卯が来て制伏したので発作せず、癸亥年には天罡(辰)に圧えられたのでこれも発作しませんでした。甲子年に至って人と宅が正面から相い逼り、やっと争い騒ぎ始めました。官司は甲子年の春に起こり、乙丑年の四月にやっと了結しました。幸いに宅位上に禄神が見えたので、家業は依然として興隆し、人丁財物もなお引き続き発達できました。
18)任太公甲午生七十五歲占宅,戊申年正月丙戌日子將辰時。(午未空亡,寅卯落空),彈射,從革。 六陳 朱丑寅卯辰龍 蛇子 巳空 六 虎 陰 朱 財 乙酉 陰 初 貴亥 午虎 寅 午 酉 丑 兄 癸巳 空 中(暗鬼) 后戌酉申未常 午 戌 丑 丙 子 己丑 朱 末 陰玄
第十八例:任太公は甲午年の生まれで七十五歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年正月丙戌日で、子の月将を辰の刻に加えて課を立てました。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「弹射」(四課に剋がなく、日に遥かに剋する神を取って発用とする。弾丸が遠く射るがごとし)「従革」(三伝の巳酉丑が金局)。天盤は子将を辰時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に丑を見て朱雀を乘じ、第二課は丑の上に酉を見て太陰を乘じ、第三課は日支の戌の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に寅を見て六合を乘じます。三伝は酉・巳・丑:初伝の乙酉は妻財爻で太陰を乘じ、中伝の癸巳は兄弟爻で天空を乘じ、また暗鬼、末伝の己丑は子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課干支六害,一主牛馬自傷,戌以丑為刑神,作朱雀,是害牛也。何不言田而言牛?春丙火相氣相生,主息,牛乃生息之物也。午為屋、為馬,言馬不言屋也,因午空亡,乃不實之物,且正月天馬在午故也。作空亡而入墓乘虎,是害馬也。
邵先生は言いました。この課は日干と日支が互いに六害を成すので、これに拠って五つの事を断ずることができます。第一は、牛馬が自ら傷を受けることを主ります。戌は丑をもって刑神とし、丑の上にまた朱雀を乘じています。これは牛を傷つける象です。なぜ田と言わずに牛と言うのでしょうか。春には丙火が相気を得て生扶され、生息・繁衍を主り、牛はまさに生息に用いられる牲口だからです。午は房屋をも表し、馬をも表しますが、ここで馬と言い屋と言わないのは、午が空亡に落ちて、屋が不实の物だからです。まして正月の天馬はちょうど午位にあります。午は空に落ち、また墓に入り、さらに白虎を乘じています。これは馬を傷つける象です。
二主婦人失明,蓋午為婦人,午乃離,為目,入墓是失明也。 三主自身有淫婢,而婢從淫僭。蓋以巳加酉,巳即丙,午為丙身,以申為妻,酉以酉為婢。巳加酉是寵婢也。天空為奴,從而加之,是僕僭亂有*也。 四主老婦血疾成癆,蓋初傳太陰與酉一體。太陰為老婦,從革體也。
第二は、家中の婦人の眼が失明することを主ります。午は婦人を表し、午は卦において離に属し、離は目です。今、午が墓庫に入るので、失明の象です。第三は、本人に淫乱な婢女があり、しかも婢女がこれに従って放纵・僭越することを主ります。これは巳が酉の上に加わるからです:巳はすなわち丙(丙は巳宮に寄せられる)、午は丙の身位、申は妻室を表し、酉は婢女を表します。巳が酉の上に加わるのは、まさに婢女を寵幸する象です。天空の神は奴僕を表し、従って加わって来れば、僕役が僭越して乱を作すことです(底本のここに一字が漫漶して弁ずべからず、そのまま写して補わない)。第四は、家中の年長の婦人が血疾を患って労病となることを主ります。これは初伝が太陰を乘じるからです。太陰と酉はもともと一体で、太陰は老年の婦人を表し、三伝が従革の金局を成すので、金は血疾の象を主ります。
五主山地有爭,乃末傳丑是也。春占巳上見丑,是相氣,火生丑土,丑遇生氣本牛也。然至末傳則是秋冬,非丙火旺可以生丑土言也。故曰山地,朱雀主爭,子主池塘,行年上見子加辰,又乘蛇,主爭必失理也。
第五は、山地をめぐって争いが起こることを主り、末伝の丑の上に応じます。春に占う課で、巳の上に丑を見れば、丑は相気を得ます。丙火は丑土を生ずることができ、丑が生気に遇えばもともと牛の象を取ります。しかし末伝まで推すと時節はすでに秋冬に入っており、丙火が旺盛で丑土を生ずることができるという立論はもう取れません。ゆえに山地と言い改めるのです(丑はもともと田土・山園を主る)。朱雀は争訟を主り、子は池塘を主ります。行年の上に子が辰の上に加わるのを見て、また螣蛇を乘じているので、この争いは必ず理が屈して負けると断じました。
19)王解元辛未生三十九歲占宅,己酉年三月癸巳日戌將未時。(午未空亡,酉戌落空),重審,元胎,六儀,斬關。 陳龍 六申酉戌亥空 朱未 子虎 空 六 朱 后 父 甲申 六 初 蛇午 丑常 亥 申 未 辰 兄 丁亥 空 中(丁神) 貴巳辰卯寅玄 申 巳 辰 癸 子 庚寅 玄 末 后陰
第十九例:王解元は辛未年の生まれで三十九歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年三月癸巳日で、戌の月将を未の刻に加えて課を立てました。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「元胎」「六儀」「斬関」。天盤は戌将を未時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に未を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の巳の上に申を見て六合を乘じ、第四課は申の上に亥を見て天空を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は父母爻で六合を乘じ、また本旬の旬首の儀神、中伝の丁亥は兄弟爻で天空を乘じ、「丁神」、末伝の庚寅は子孫爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:此課利宅不利人,若占病訟,真閉口卦也。日上墓作天后,主遲滯,時運未通。蓋天后滯神,更見墓,愈見遲滯也。幸得宅之六儀長生而引進,又與宅合,主進人口,婦人懷胎;然終不安,幸長生可以保全。亥作天空乘丁,主移動缸甕。末傳子息,因溼感風,西南西北二角,不可修動。田遭水患,行年在申,主內事訟。得一道士解和。王自發解後,皆不利,疑其宅生災,故占之。身乘墓作天后,辰雖月建,主興訟,旺卻是墓神滯神,目下如何發得?
邵先生は言いました。この課は宅に利して人に利しません。もし疾病や官司を占うのに用いれば、まさに一課が閉口して通じない卦です。日干上に墓神を見てまた天后を乘じているので、事が遅滞し時運が通じないことを主ります——天后はもともと滞澁の神で、さらに墓庫を加えれば、なお一層遅滞します。幸いに宅位上の旬首の儀神がちょうど長生に当たり、生気を引き入れることができ、また宅と相合するので、家中に人口が添えられ婦人が懐胎することを主ります。ただし終始して十分な安穏は得られませんが、長生の気があるので保全できるのが幸いです。亥が天空を乘じてまた丁神を帯びているので、缸甕の類の器物を動かすことを主ります。末伝は子孫爻で、小児が潮湿を受けて風寒に感ずることを主ります。西南・西北の二つの隅は土を動かし修造してはなりません。田地は水患に遭います。行年が申の上に落ちるので、家内の事が争訟を引き起こし、後に一人の道士が出面して調停し和息させました。王解元は解元に中ってから事事不利になり、宅に災いが生じたのではと疑って占いに来ました。身位が墓を乘じてまた天后をなしています:辰は当月の月建であるとはいえ、訟事の興起を主るだけで、一見旺相のようですが、実は墓神・滞神です。目下どうして発達できましょうか。
先生析曰;宅上見本旬儀神,引出長生、旬首加旬尾,乃周而復始格。六合發用,故主退人口血財;中亥乘丁,加旬首上,屬西南西北不可興工。辰加丑為破,不可開田,必被水沖。後其田辛丑年開,盡被水沖作汙沙。又除夜移水甕,妻胎幾墮而得全。蓋寅並元武主墮胎。幸申作六合引長生,能制之,故保全也。其長子十二歲,自學舍歸而澡浴,因溼而感風,後卻無事。家族爭訟,得族人為道士者勸和。蓋寅加長生之地為道士也。經曰:寅作長生道士身。
邵先生が解釈して曰く。宅位上に本旬の儀神を見て、長生の気を引き出しており、しかも旬首が旬尾の上に加わっている——これは周が終わってまた始まる格局です。六合が発用するので、人口と血財(牲畜)の退折を主ります。中伝の亥が丁神を乘じて旬首の上に加わるので、属する西南・西北の二方は工を動かし興造してはなりません。辰が丑の上に加わって破を成すので、田地を開墾することができません。墾すれば必ず水に冲されます。後に彼の家の田は辛丑年に開墾され、果たして全部が水に冲されて汚沙となりました。また除夕の夜に水甕を動かし、妻の胎がほとんど落ちそうになってやっと保たれました——寅が玄武を併せればもともと堕胎を主るのですが、幸いに申が六合を乘じて長生の気を引き出してそれを制伏できるので保全されました。彼の長男は十二歳の時、学堂から帰って風呂に入り、湿気を受けて風寒に感じましたが、後にはむしろ大事には至りませんでした。家族の間の争訟は、族中の道士をしている一人が出面して説き和いだのです——寅が長生の地に加われば道士の象を取り、古経に曰く:「寅は長生を作して道士の身。」
20)何宣義丁丑年三十三歲,占宅己酉年三月癸巳日戌將酉時。(午未空亡,未申落空),遙克,蒿矢,連茹,一作辛丑生,愛圅曰:古本作辛丑生,六十九歲二月二十四日卯時生。 陳龍 六午未申酉空 朱巳 戌虎 陳 六 貴 后 鬼 空未 陳 初(空亡) 蛇辰 亥常 未 午 卯 寅 父 甲申 龍 中(落空) 貴卯寅丑子玄 午 巳 寅 癸 父 乙酉 空 末 后陰
第二十例:何宣義は丁丑年の生まれで三十三歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年三月癸巳日で、戌の月将を酉の刻に加えて課を立てました(一本は辛丑年生と作る。編者の程愛圅曰く:古本は辛丑生・六十九歳と作り、二月二十四日卯時生)。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「遥剋」「蒿矢」「連茹」(三伝の未申酉が順に連なり、茅を抜けば茹が連なるがごとし)。天盤は戌将を酉時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に寅を見て天后を乘じ、第二課は寅の上に卯を見て貴人を乘じ、第三課は日支の巳の上に午を見て六合を乘じ、第四課は午の上に未を見て勾陳を乘じます。三伝は未・申・酉:初伝の未は旬空に落ちて官鬼爻で勾陳を乘じ、中伝の甲申は父母爻で青竜を乘じ、空地に落ち、末伝の乙酉は父母爻で天空を乘じます。
邵先生曰:本身貪色,心高志大。三傳與宅並在南方。一生難為眷屬,未為眷屬空亡故也。勞心費力積得財物。末傳至酉,晚年愈貪色,卻有一妾為主,反欺眾人,終死於此妾之手;家計異日比今日增數倍,只是後來被此妾盜去財物。行年支破作太常,主外服。又主兒婦因病退產。只在三月盡四月初見之。何果高傲好勝,勞心費力,營 運積財。庚子暫停,以庚子與身居於下也。宅上財與三傳皆在南方,所以此人運貨至南方,獲利成家。只是不合過寵一妾,被他盜去財也。當年五月有丈母之服,三月長媳小產,七月次媳因感風發熱亦小產。
邵先生は言いました。この人はもとより女色を貪り好み、しかも心気が高く志向が大きいです。三伝と宅位がともに南方に落ちています。彼は一生、親眷の助けを得難いです。眷属を表す未が空亡に落ちるからです。彼は心を労し力を費やしてやっと財物を蓄積できます。末伝が酉に行き着くので、晚年はますます色を貪ることを主り、家中に一人の妾が家を当て主となって、反って衆人を欺圧し、彼は最後にこの妾の手に死にます。彼の家業は後日、現在より数倍に増長しますが、ただ後にこの妾に財物を盗まれてしまいます。行年は支破に逢い太常を乘じるので、外家の喪服があることを主ります。また息子嫁が病によって小産することを主り、三月底・四月初めに応じます。何宣義は果たして高慢で勝を好み、心を労し力を費やして経営し財を積みました。庚子年に至って商売は一時停止しました。庚子が彼の身位と同居して下位にあったからです。宅位上の財爻と三伝がいずれも南方にあるので、彼は貨物を南方に運んで行き、利を獲て家を成しました。ただ一人の妾を過分に寵愛すべきではなかったのが、ついに彼女に財物を盗まれました。まさにその年の五月に岳母の喪服があり、三月に長い息子嫁が小産し、七月に次の息子嫁が風に感じ発熱してこれも小産しました。
先生析曰;蓋日上天后乘寅木脫神,而寅木又脫於巳午,故主三四月婦人不產,寅以酉為破碎加申,故七月亦然。寅以亥為長生,上作太常,故主孝服。亥卯未三合,五月月建上得未,故五月有服。其晚年愈貪色者,酉作天空加癸水長生之上也。
邵先生が解釈して曰く。日干上に天后を乘じ、しかも天后が乘じる寅木は泄脱の神です。寅木はまた巳・午の火に泄気するので、三・四月に婦人が胎を保てないことを主ります。寅は酉をもって破碎とし、酉はまた申の上に加わるので、七月も同様です。寅は亥をもって長生とし、亥の上に太常を乘じ、太常は衣服・祭祀を主るので、孝服があることを主ります。亥卯未が三合して局を成し、五月の月建の上にちょうど未を得るので、五月に喪服の事があります。晚年にますます色を貪るというのは、酉が天空を乘じて癸水の長生の位の上に加わるからです。
21)林丞務丙辰生五十四歲占宅,己酉年六月辛卯日午將辰時。(午未空亡,申酉落空),蒿矢,龍戰,間傳,變盈,佚女。 朱六 蛇未申酉戌陳 貴午 亥龍 蛇 后 常 空 官 癸巳 后 初 后巳 子空 未 巳 寅 子 父 空未 蛇 中(空亡) 陰辰卯寅丑虎 巳 卯 子 辛 兄 乙酉 陳 末(落空) 玄常
第二十一例:林丞務は丙辰年の生まれで五十四歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年六月辛卯日で、午の月将を辰の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「蒿矢」「竜戦」(卯酉の位で陰陽が交争する)「間伝」「変盈」(盈満がまさに変じ、盛から衰に転ずることを主る)「佚女」(また泆女と作り、女子の淫逸を主る)。天盤は午将を辰時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に子を見て天空を乘じ、第二課は子の上に寅を見て太常を乘じ、第三課は日支の卯の上に巳を見て天后を乘じ、第四課は巳の上に未を見て螣蛇を乘じます。三伝は巳・未・酉:初伝の癸巳は官鬼爻で天后を乘じ、中伝の未は旬空に落ちて父母爻で螣蛇を乘じ、末伝の乙酉は兄弟爻で勾陳を乘じ、また空地に落ちます。
邵先生曰:日上子為盜氣,又見天空,主下部遺洩,兼子息不美。支上破碎,又兼發用、中傳空亡,末傳又加空亡之上,作今日祿神,祿神即空,前程不永。宅犯破碎,子作盜氣,是諸子耗盜財物,各抽入己,於我則空。除非另爨,可以少延。否則家破財散矣。林丞務有四子,二妻所出,家道不齊,堂前之物,子盡盜之,為之一空。本身常有淋疾。家計漸覺退敗。
邵先生は言いました。日干上の子は我を泄す気で、また天空を乘じているので、下部の滑泄の疾を主り、しかも子女が成器しません。日支上は破碎を犯しています。さらに三伝を見ると:発用と中伝がともに空亡に落ち、末伝はまた空亡の上に加わり、しかも末伝の酉はまさに今日の辛金の禄神です——禄神が一たび空に落ちれば、前程は長く続きません。宅位はすでに破碎を犯し、子はまた盗泄の気です。これはまさに数人の息子が家中の財物を耗盗し、それぞれ自分に抽げ取り、我の手に落ちるところは全て空になる象です。分かれて別に炉竈を立てない限り、あるいはしばらく引き延ばすことができるかもしれませんが、そうでなければついに家が破れ財が散じます。林丞務には四人の息子があり、二人の妻の生んだ子で、家道はもともと斉しくありませんでした。厅堂の前の物は息子たちに盗まれて皆無でした。彼自身は常に淋疾を患い、家業もまただんだん退敗していきました。
先生析曰;蓋辛見了盜氣,宅上又見破碎,子為一陽之始,巳為六陽之終,始於身、終於宅也,故始主自身下部遺洩,而卒於破家。子為子息,所以敗家由子也。初傳宅上,中末俱空,號曰不行,故只以干支二處分斷,中末皆空,初仍宅上,等之無傳矣,故只就干支分斷。若初傳不從宅與日上起,則又當細審,不得概為不行也。然初傳更加一重破碎,子為脫空,六陽至此極處;又見破碎作初傳,上見天后,數又名泆女卦,其妻最淫蕩,第四子最蠢者是其所生,更有兩子尤作手腳。若占病必死之課,占前程脫精而亡。
邵先生が解釈して曰く。辛金が盗泄の気に遇い、宅位上にまた破碎を見ます。子は一陽が初生する処、巳は六陽の終極の処で、一端は本身に起こり、一端は宅舎に終わるので、初めは自身の下部滑泄に応じ、終わりは家業の破敗に応じます。子はまた子息を表すので、家を敗くのはまさに息子です。さらに三伝を見ると:初伝は宅上から起こり、中伝・末伝はともに空亡に落ちます。これを「不行」と言い、ゆえに日干・日支の二か所に就いて分かれて断ずるほかありません——中末がともに空で、初伝がまたなお宅上にあれば、三伝の推すべきものがないに等しいので、干支に就いてのみ立論するのです。もし初伝が宅位や日干上から発したのではなければ、別に細かく審察しなければならず、一概に「不行」と断ずることはできません。ただこの課の初伝の上にはさらに一重の破碎が加わり、子はまた脱空の神で、六陽はここに至ってすでに極です。破碎が初伝を作し、その上にまた天后を見るので、数理に按ずればこれをまた「泆女」卦と言い、彼の妻が最も淫蕩であることを主ります。四人目の息子の最も愚鈍な者はまさに彼女の生んだ子で、ほかに二人の息子が特に細工を好みます。このような課を病を占うのに用いれば必ず死症であり、前程を占うのに用いれば精気が泄尽して亡ぶことを主ります。
22)馮修職己卯生三十歲占宅,戊申年五月乙酉日申將卯時。(午未空亡,亥子落空),知一,不備,亂首,驀越。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 龍 陰 陰 六 財 空未 龍 初(空亡) 陳申 卯玄 未 寅 寅 酉 父 戊子 貴 中(落空) 龍未午巳辰常 寅 酉 酉 乙 子 癸巳 虎 末 空虎
第二十二例:馮修職は己卯年の生まれで三十歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年五月乙酉日で、申の月将を卯の刻に加えて課を立てました。乙酉日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「知一」「不備」「乱首」「蓦越」。天盤は申将を卯時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に寅を見て太陰を乘じ、第三課は日支の酉の上に寅を見て太陰を乘じ、第四課は寅の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は未・子・巳:初伝の未は旬空に落ちて妻財爻で青竜を乘じ、中伝の戊子は父母爻で貴人を乘じ、空地に落ち、末伝の癸巳は子孫爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此課支來加干,名上門亂首;又用神當囚死,斗罡繫日本加寅,名天獄,不有大服,必有大禍。支神犯日,酉為婢妾,恐婢妾死亡為累。初中傳六害,貴人行年又加其上;甲乙以子為父母,主先遭橫擾,次值凶喪。又防失火,此凶課也。時馮為主簿,五月初二日占課,六月十七(一作七月)日,婢子爭寵,因責之,遂自縊,縣尉與主簿不足,依法看驗,申州被拘,在能仁寺將及一月;母亡,遂得丁憂而去。
邵先生は言いました。この課は日支が走って来て日干の上に加わるので「上門乱首」(外人が門に上りて尊卑の序を失う)と言います。発用の神がまたちょうど囚死の地に当たり、天罡が日と係わり合って寅の上に加臨するので、課名は「天獄」です。このような課は、大喪が出ないまでも必ず大禍があります。日支の神が日干を冲犯し、酉は人事において婢妾なので、婢妾が死亡して主人に累及するのを恐れます。初伝と中伝が六害を構成し、貴人と行年がまたいずれもその上に加わっています。甲・乙木日は子水をもって父母爻とするので、まず横生する攪扰に遭い、続いて凶喪に遇うことを主ります。このほか火災にも防備しなければなりません——これは一課の凶象です。当時、馮某は主簿に任じており、五月初二日に占いに来ました。六月十七日に至り(一本は七月と作る)、家中の婢女が寵を争って責め打たれ、首を縊って自ら尽きました。県尉は平素、主簿と不和だったので、法に依りて来て屍を検験し、案件を州に申報し、馮某は能仁寺に拘押されることほぼ一か月になりました。ちょうど母が亡くなったため、彼はこれによって丁憂して職を離れました。
先生析曰;蓋支辰犯日,乃下犯上也。酉為婢,六合為人口。五月火鬼在酉,故婢橫死;酉金克乙木,故為所累。貴人六害,所以被拘。又未為眷屬,本宮上見子為父母,母受土克,又受未害,行年加之,重克重害,所以母亡。五月以巳為月病符,行入末傳,乘虎加母之本宮,歸喪於家也。又兩月母之妹又沒,此為馮之姨母,供養在家者也;未葬而廚下火發,延燒將及堂前而滅。大凡火鬼克人,不是一個可當。六合為棺木,卯神亦是。
邵先生が解釈して曰く。日支の神が日干を冲犯するのは、下が上を犯すことです。酉は婢女を表し、六合は家中の人口を表します。五月の火鬼がちょうど酉位にあるので、婢女が横死しました。酉金は乙木を剋することができるので、主人が彼女に累されました。貴人が六害と相い并んだので、拘押される事がありました。未は眷属を表し、未の本宮の上に子水を見るのは父母爻です。母親はすでに土に剋され、また未に害され、行年がまた加わって、重々に剋害されるので、母が亡くなりました。五月は巳をもって月の病符とし、巳が末伝に行き、白虎を乘じて母親の本宮の上に加わるので、まさに喪事が家中に帰る象です。さらに二か月を過ぎて、母の妹もまた亡くなりました——これは馮某の姨母で、ずっと彼の家で奉養されていました。霊柩がまだ安らかに葬られないうちに、厨房に火が起こり、火勢が蔓延して堂前に焼き及ぼうとしてやっと熄みました。およそ火鬼が来て人を剋するのは、一人の力で防ぎ得るものではありません。六合は棺木の象を取ることができ、卯神も同じく棺木を主ります。
23)葉油餅店店主庚戌生五十九歲占宅,戊申年六月戊辰日未將酉時。(戌亥空亡,申酉落空),重審,間傳,極陰,龍德。 六朱 陳卯辰巳午蛇 龍寅 未貴 虎 龍 空 陳 兄 乙丑 空 初(暗鬼) 空丑 申后 子 寅 丑 卯 財 空亥 常 中(空亡) 虎子亥戌酉陰 寅 辰 卯 戊 子 癸酉 陰 末(落空) 常玄
第二十三例:油餅店を営む葉店主は庚戌年の生まれで五十九歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年六月戊辰日で、未の月将を酉の刻に加えて課を立てました。戊辰日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「間伝」「極陰」「竜德」(青竜が德神を帯び、解救の力があることを主る)。天盤は未将を酉時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に卯を見て勾陳を乘じ、第二課は卯の上に丑を見て天空を乘じ、第三課は日支の辰の上に寅を見て青竜を乘じ、第四課は寅の上に子を見て白虎を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の乙丑は兄弟爻で天空を乘じ、また暗鬼、中伝の亥は旬空に落ちて妻財爻で太常を乘じ、末伝の癸酉は子孫爻で太陰を乘じ、また空地に落ちます。
邵先生曰:丑亥酉為極陰課,幸甲子旬中末皆空,故雖有災危,不至不測。只是子孫多門戶事擾,遂消折財本,晚年不得意而死。不合土塞東門,其外又不合堆木板,太陰乘酉加亥,敗處乘空,母主酒病死,家道衰矣。葉宅東邊有門,果有泥土,乃戊辰干支加土,丑土又加卯門之上發用,故主土塞東門。二木來克干支二土,故知壁外有木板。
邵先生は言いました。丑・亥・酉の三伝は「極陰」の課ですが、幸いに甲子旬の中にあって中伝・末伝がともに空亡に落ちるので、災危はあっても意外の禍には至りません。ただ子孫が多く、門戸の上の事が絶えず攪扰し、元の資本を少しずつ消磨し、主人は晚年に鬱々として意を得ずに死にます。また泥土で東門を塞いではならず、門外にまた木板を堆積してはなりません。太陰が酉を乘じて亥の上に加わるのは、ちょうど敗地に当たってまた空亡を乘じるので、母が酒の病によって死に、家道がここから衰落することを主ります。葉家の宅の東には門があり、果たして泥土が堆積していました——これは戊辰日の干支がともに土に属し、丑土がまた門を表す卯の上に加わって発用するので、土が東門を塞ぐことを主ります。二重の木が日干・日支の二重の土を剋するので、牆外に木板が堆積していることが分かります。
先生析曰;課得極陰,主災變,最喜空亡可解。今中末空,不入亥地陰極之處,故不於火災。然畢竟陰耗財物也。子孫繁多者,戊辰一帶皆是東方丑寅卯之旺氣也。甲子旬中乙丑丙寅丁卯乃真三奇,所以無災。不合退歸亥酉西北,土敗於酉,三奇亦暗,日月星傾於西北,自然消折也。母酒病、至辛亥年死者,太陰老婦肖母,酉乘亥為酒也;死於辛亥者,太歲填實亥,仍入極陰不空也。男女七人婚姻所費,家業消矣。
邵先生が解釈して曰く。課が極陰を得るのはもともと災変を主りますが、最も良いのは空亡があって化解できることです。今、中伝・末伝がともに空で、亥という陰気の極まる処に落ち込まないので、火災には至りません。ただし終には暗に財物を耗損します。子孫が繁多だと言うのは、戊辰のこの一路がすべて東方の丑・寅・卯の旺気だからです。甲子旬中の乙丑・丙寅・丁卯はまさに真の三奇なので、大災を免れることができます。宜しくないのは三伝が一路退いて亥・酉の西北方に帰することです:土は酉に敗れ、三奇の光もこれに随って暗淡となり、日月星辰が皆西北に傾き、家業は自然に消磨します。母が酒の病で死んだのは、太陰が老婦を表してまさに母親の象に肖く、酉が亥を乘じれば酒の象を取るからです。辛亥年に死んだのは、その年の太歳が亥位を填実して、依然として極陰に落ち込み、もはや空に落ちなくなった故です。また七人の児女の婚嫁の費用もまた家業を耗し尽くしました。
24)童秀才庚辰生二十九歲占宅,戊申年三月十一日乙未日戌將丑時。(辰巳空亡,丑寅落空),重審,稼穡,勵德,遊子。 虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 龍 常 朱 龍 財 辛丑 龍 初(暗鬼)(落空) 陳子 未后 丑 辰 戌 丑 財 戊戌 朱 中 六亥戌酉申貴 辰 未 丑 乙 財 乙未 后 末 朱蛇
第二十四例:童秀才は庚辰年の生まれで二十九歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年三月十一日乙未日で、戌の月将を丑の刻に加えて課を立てました。乙未日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「稼穡」(三伝の丑戌未が皆土で、田土稼穡の義を取る)「勵德」「游子」。天盤は戌将を丑時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に丑を見て青竜を乘じ、第二課は丑の上に戌を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の未の上に辰を見て太常を乘じ、第四課は辰の上に丑を見て青竜を乘じます。三伝は丑・戌・未:初伝の辛丑は妻財爻で青竜を乘じ、暗鬼であると同時に空地に落ち、中伝の戊戌は妻財爻で朱雀を乘じ、末伝の乙未は妻財爻で天后を乘じます。乙木は土をもって財とし、三伝が全て財で、まさに稼穡の象に合します。
邵先生曰:此課人來就宅,正是求新宅之課。夫宅不可無土,今四土俱備,是前後左右皆有山也。主山太高來逼宅,山有新墳欲開闢,定與墳主爭競。宅左青龍帶破碎,此云宅左青龍是以支陰論,不以天盤論。惟斷墳墓方用天盤看坐山朝山等。家宅則止就四課言。邵公諸案皆然也。須用土填,將來必富,青龍加丑雖云破碎,卻又不備,故左必不完,宜用土填也。但無清秀之士。初傳青龍,妻為之主,末財作天后,主婦人守寡;未財作後,何以便曰婦人守寡?
邵先生は言いました。この課は人が宅に就きに来るもので、まさに新しい宅を謀求する課です。宅は土なくしてはありえず、今、四重の土がすべて備わっています。すなわち前後左右に山があるということです。主山があまりに高く、宅に逼り近づいています。山上に新しい墳を開こうとして、必ず墳主と争い起こります。宅の左は青竜でありながら破碎の神を帯びています——(原注:ここで「宅左青竜」と言うのは、日支の陰神に拠って論じるのであって、天盤に拠って論じるのではない。墳墓を断ずる時にのみ天盤を用いて坐山・朝山の類を見るのであり、家宅を断ずるのには四課に就いて立論するだけだ。邵公の各案は皆この法である。)だから左は必ず土をもって填補しなければならず、将来きっと富足します。青竜が丑の上に加わるのは破碎を帯びると言っても、この課はまた「不備」の体なので、左は必ず残欠して完整せず、土をもって填実すべきです。ただ家中に清秀な読書人が出ません。初伝が青竜を乘じるのは、妻が家を当て主となることです。末伝の財爻が天后を乘じるのは、婦人が寡を守ることを主ります。——末伝の未は財でもありまた天后を乘じているのに、何をもって婦人の守寡と断ずるのでしょうか。
先生析曰;蓋財妻也,後女也,未婦人也。未又今日乙未之墓,卻來刑日上之丑,刑則克,故主婦人皆寡。受圅竊謂:未為年之寡宿殺,故邵公敢如此斷。又主家西北界未修,主與人爭界,西北當作東北,愛圅見數本皆作西北,玩味爭界二字,似指戌乘朱雀而言,戌為西北,雀主爭也。奈何都無水出,主出人重濁。乙以土為財,又臨旺地,天將更無凶神,故主其家大發。又緣初財爻,兼得青龍財星也。造宅二十年,應未八戌五,五八相乘得四十,春木旺土死,當折半,故二十年而應也。
邵先生が解釈して曰く。財はすなわち妻で、天后はすなわち女で、未もまた婦人を表します。未はまた今日の乙未の墓庫でありながら、却って回りて日干上の丑を刑します。刑はすなわち剋なので、婦人は皆寡を守ることを主ります。(編者の程愛圅は私の考えでは:未はまさに本年の寡宿煞なので、邵公が敢えてこのように断じたのだと思います。)また彼の家の西北一帯の地界が修整されておらず、人と地界を争うことを主ります。——(編者注:「西北」は「東北」と作るべきだ。ただ私が見た数本は皆西北と作る。「争界」の二字を細かく玩味すると、戌が朱雀を乘じることを指すらしい:戌は西北に属し、朱雀は争を主る。)惜しいことに四方に流出する水がないので、家中に出る人は質が重濁であることを主ります。乙木は土をもって財とし、土がまた旺地に臨み、乘じる天将の中に凶神もないので、彼の家が大いに発することを主ります。まして初伝がすなわち財爻で、また青竜という財星を兼ね得ています。造宅の後二十年に応验するというのは、未の数が八、戌の数が五で、五八を乗じて四十を得ます。しかも春は木旺土死なので半分に折るべきで、ゆえに二十年に応じました。
25)何七秀才壬申生三十七歲占宅,戊申年二月甲子日亥將午時。(戌亥空亡,卯辰落空) 朱蛇 六戌亥子丑貴 陳酉 寅后 六 常 蛇 空 父 甲子 蛇 初 龍申 卯陰 戌 巳 子 未 子 己巳 常 中 空未午巳辰玄 巳 子 未 甲 財 空戌 六 末(空亡) 虎常
第二十五例:何七秀才は壬申年の生まれで三十七歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年二月甲子日で、亥の月将を午の刻に加えて課を立てました。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。天盤は亥将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に未を見て天空を乘じ、第二課は未の上に子を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の子の上に巳を見て太常を乘じ、第四課は巳の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の甲子は父母爻で螣蛇を乘じ、中伝の己巳は子孫爻で太常を乘じ、末伝の戌は旬空に落ちて妻財爻で六合を乘じます。
邵先生曰:歲內眷屬人來,必成大獄。天罡加日本,名天獄故也。《指掌賦》云:太常乘破碎為孝服,加天獄螣蛇生災致訟破碎作太常入宅,主有喪服人歸來分撓,被他爭產。以行年與身作一處,愛圅曰:蓋未交生,行年尚在丑,丑加申命,故曰行年與身作一處。只是今年事。末後須添一口,又見分灶也。蓋未加甲乃墓神,未為眷屬,天空為平地起堆之象。初傳子為父母,未為眷屬,作六害害人也,螣蛇擾人也。傳歸入宅,卻是兩重破碎,巳為廚灶,必主分灶不寧也。何秀才兄弟五人,最小者與姊為子,父母在日家產分作四分了。當年四月其姊夫死,姊亦先亡,家務已退,六月小弟歸家,兄弟皆不容,遂興訟,州縣斷理撥財產與之,著依舊歸姊夫家,他乃不服,直至大理與拘法遂有歸條。自戊申六月興訟,至壬子年十二月方止。
邵先生は言いました。今年の内に親眷の人が門に上って来て、必ず大きな官司に騒ぎ立てられます。天罡が日干の本位の上に加わるので、課名は「天獄」です。《指掌賦》に曰く:太常が破碎を乘じれば孝服を主り、天獄・螣蛇に加臨すれば災を生じ訟を致す。今、破碎が太常を乘じて宅位に入るので、孝服を着た身の人が帰って来て家事を分かち攪し、彼が来て産業を争うことを主ります。行年と身位が一か所に并んでいます——(編者の程愛圅注:まだ誕生日に至っていないので、行年は依然として丑の上にあり、丑が申という本命の上に加わるので、行年と身が一か所にあると言う。)これはただ今年の内の事であることを説明しています。後に至って家中に一口の人が添えられ、また灶を分かち別に炊く象が見えます:未が甲の上に加わるのは墓神で、未はまた眷属を表し、天空は平地に忽然と堆み起こる象です。初伝の子は父母爻で、未は眷属で、両者が相害するのはすなわち人を害することで、螣蛇は攪扰を主ります。三伝が宅位に帰するのに、偏いにまた二重の破碎で、巳は厨灶を表すので、必ず灶を分かちて住み安らかでないことになります。何秀才は兄弟五人で、最も小さい者は姉に出過して息子としました。父母が在世の時、家産はすでに四分に分かれていました。その年の四月、姉の夫が亡くなり、姉も先にすでに亡くなっており、そちらの家業は衰敗していました。六月に弟が帰宅し、衆兄弟は皆収容しようとせず、ここにおいて官司になりました。州・県の判決では一分の家産を彼に撥し、依然として姉夫の家に帰すと判じました。彼は服せず、大理寺にまで告げて、法条に依ってやっと帰属の定案がありました。戊申年六月に訟を興し、壬子年十二月までやっと了結しました。
先生析曰;甲以巳為子息,末傳戌刑未,故動而有事。所謂不沖不發,不刑不動也。戌乘六合,卯與戌合,主進人口,主此子歸來之兆。當年六月興訟,未加申蛇撓之。初子與未相害,故興訟。壬子年十一月又子水克火,制破碎,故寧貼。
邵先生が解釈して曰く。甲木は巳火をもって子息とし、末伝の戌が来て未を刑するので、事が動いて枝節を生じます。これがいわゆる「沖せざれば発せず、刑せざれば動かず」です。戌が六合を乘じ、卯がまた戌と相合するので、家中に人口が添えられることを主り、まさにこの過継して出た息子が帰って来る兆です。その年の六月に訟を興したのは、未が申の上に加わってまた螣蛇に攪扰されたからです。初伝の子が未と相害するので官司になりました。壬子年十一月に至り、また子水が来て火を剋して破碎の神を制したので、事がやっと安定しました。
26)某占家宅,戊申年九月甲申日辰將亥時。(午未空亡,亥子落空),比用,鑄印。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后 空 龍 貴 父 戊子 龍 初(落空) 蛇申 卯常 午 丑 子 未 子 癸巳 陰 中 貴未午巳辰玄 丑 申 未 甲 財 丙戌 六 末 后陰
第二十六例:ある人が家宅を占いに来ました。時は戊申年九月甲申日で、辰の月将を亥の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「比用」(数か所が相剋し、日干と比和する者を取って発用とする)「鑄印」。天盤は辰将を亥時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に未を見て貴人を乘じ、第二課は未の上に子を見て青竜を乘じ、第三課は日支の申の上に丑を見て天空を乘じ、第四課は丑の上に午を見て天后を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の戊子は父母爻で青竜を乘じて空地に落ち、中伝の癸巳は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丙戌は妻財爻で六合を乘じます。
邵先生曰:此宅原是空墳,今墓神作梗,宅內常有聲。見一人裹帽而行,乃六十老人墓於內,尚有遊尸,所以出來作怪。每主克子,因灶下皆墳,若移灶則無聲,更第三間閣下是此裹帽老人葬處,掘下五尺便見矣。果然,因丑為裹帽老人也。(言怪異之事,細心觀研)
邵先生は言いました。この宅はもともと一面の廃棄された墳地で、今、墓神が中間で塞ぎ阻んでいるので、宅内に常に響き動く音があり、また頭巾を裹んだ人が歩き回るのを見る者がいます。それは一人の六十歳の老人がその中に葬られており、屍骨が化しないまま游尸となったため、出て来て怪を作すのです。この宅はしばしば息子を剋傷することを主ります。灶臺の下が全て墳だからです。もし灶を移せば、響き動きはなくなります。さらに第三間の屋子の楼閣の下が、まさにこの頭巾老人の埋葬したところで、下へ五尺掘れば見えるでしょう。後に果たしてその通りでした——課中の丑がまさに頭巾を裹んだ老人の象を取るからです。(編者附記:この一則は怪異の事を述べたもので、読者は細心に体察し研究すべきです。)
27)鬱氏女乙酉生五十一歲占宅,丙辰年五月初八日丁亥日申將戌時。(午未空亡,辰巳落空),彈射,間傳。 虎常 空卯辰巳午玄 龍寅 未陰 陰 貴 空 常 財 乙酉 貴 初 陳丑 申后 未 酉 卯 巳 子 空未 陰 中(空亡) 六子亥戌酉貴 酉 亥 巳 丁 兄 癸巳 常 末(落空) 朱蛇
第二十七例:郁家の女子は乙酉年の生まれで五十一歳、住宅を占いに来ました。時は丙辰年五月初八日丁亥日で、申の月将を戌の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「弹射」「間伝」。天盤は申将を戌時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に巳を見て太常を乘じ、第二課は巳の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の亥の上に酉を見て貴人を乘じ、第四課は酉の上に未を見て太陰を乘じます。三伝は酉・未・巳:初伝の乙酉は妻財爻で貴人を乘じ、中伝の未は旬空に落ちて子孫爻で太陰を乘じ、末伝の癸巳は兄弟爻で太常を乘じ、また空地に落ちます。
邵先生曰:彈射格,一主婦人患血氣;二主門戶不寧;三主婢妾出去;四主家主患口舌之疾。此課可改門戶,否則口舌立至矣。五月十五日皆應。
邵先生は言いました。これは「弹射」の格で、四つの事を断ずることができます:第一に、家中の婦人が血気の病を患うことを主ります。第二に、門戸が安寧を得られないことを主ります。第三に、婢妾が去って行くことを主ります。第四に、家主が口舌の疾(口や歯の瘡腫の類)を患うことを主ります。この課の補救の法は、門戸の方位を改動することです。さもなければ口舌の患は即座に至ります。以上の諸事はいずれも五月十五日に応じます。
28)邵三公壬申生三十八歲占宅,己酉年正月壬午日子將子時。(申酉空亡,申酉落空),伏吟,自任,杜傳。 六陳 朱巳午未申龍 蛇辰 酉空 六 六 常 常 兄 乙亥 常 初 貴卯 戌虎 午 午 亥 亥 財 壬午 六 中 后寅丑子亥常 午 午 亥 壬 兄 丙子 玄 末 陰玄
第二十八例:邵三公は壬申年の生まれで三十八歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年正月壬午日、占時は子の刻で、月将も子です。将と時が同位で天地盤が重合するので「伏吟」を成します。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の申・酉二支もまた空亡宮を押さえています。ほかに課名は「自任」(陽日の伏吟で、日干の上神を取って発用とし、己の力を自恃することを主る)「杜伝」。天盤の布き方:貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は伏吟のため二つ二つ同じです:壬水の寄宮は亥にあり、第一課は亥が壬に加わり、第二課は亥が亥に加わり、いずれも太常を乘じ、第三課は日支の午が午に加わり、第四課は午が午に加わり、いずれも六合を乘じます。三伝は亥・午・子:初伝の乙亥は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の壬午は妻財爻で六合を乘じ、末伝の丙子は兄弟爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:此課本身自然祿,又有持服相助,一生守己,衣食自如,難為六親並子女妻妾。干本自身,自刑自若得殘疾壓之方吉。宅上主添造,造了卻進人口。蓋乘天馬故也。後被子孫出來使錢。初因豬上發,後因豬上敗。妻能起家生子,午乃妻財,故起家,乘六合故多子。又多九年癆病,午九數。連克子孫矣。邵公十七歲喪父 ,自起家,一生守己,養豬成家,妻有才幹,男女十二人,死七人,存三男二女。本身有偏僻,後娶婦造屋。壬子年娶第二新婦,乃宦家女。日費數倍。又因豬瘟死,食其肉,舉家遂病,其妻即成癆,至癸亥止存一女,又喪四人。
邵先生は言いました。この課は自身に天然の禄気を帯びており、また太常(服飾の神)の助けがあるので、一生安く本分を守り衣食に愁いがありません。ただ六親の力を得難く、子女・妻妾の面でも多くの波折があります。日干は自身を表し、自刑の象は身上に少しの残疾を帯びることで圧制すれば、却って吉に転じます。宅位上では主に房屋の添造を主り、造り成した後には人口が添えられます——宅上に天馬を乘じているからです。しかし後には子孫が出て来て財銭を花消します。この人は先に豚を飼って家を発し、後にもまた豚によって敗落しました。妻は家業を支えて子女を生育できました:午は妻財なので家を起こすことができ、午は六合を乘じるので子女が衆多です。また九年の労病の厄があることを主ります——午の数は九です——しかも連帯して子孫を剋傷します。邵三公は十七歳の時に父を亡くし、白手で家を起こし、一生安く分を守り己を守って、豚を養うことで家を成しました。妻はとても才幹があり、子女十二人を生み、七人が死に、残ったのは三男二女です。彼自身には多少の偏枯の疾がありました。後に息子のために嫁を娶り、新しい屋を建てました。壬子年に二番目の嫁を娶りましたが、官宦の家の娘で、日常の花費は数倍に増えました。また豚が疫病で死に、家人が豚肉を食べて全家が病に倒れ、妻はこれによって労病になりました。癸亥年に至り、残ったのは一人の娘だけで、また四口が死にました。
先生析曰;日上自刑,乃人刑人也。宅上自刑,宅不居人也。末子作玄武,子者子息也,玄武為費用神,本是本身之亥,我去刑他,玄武便走在子息上,故主子息使錢。己巳年家退盡。
邵先生が解釈して曰く。日干上の自刑は、人が自ら自己の人を刑傷することです。宅位上の自刑は、宅が人を留められないことです。末伝の子は玄武を乘じています:子は子息を表し、玄武は耗费を主る神です。もともと自刑は自身の亥から起こるもので、我が往ってそれを刑すれば、玄武はすなわち子息の位に挪って行きます。だから子女が家財を花消することを主るのです。己巳年に至って、家業は退尽しました。
29)江文老占家宅七月十五丁酉日午將辰時。(辰巳空亡,午未落空),重審,間傳,不備。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰 貴 貴 朱 財 丁酉 朱 初(丁神) 空巳 子后 丑 亥 亥 酉 官 己亥 貴 中 虎辰卯寅丑陰 亥 酉 酉 丁 子 辛丑 陰 末 常玄
第二十九例:江文老が家宅を占いに来ました。時はある年の七月十五日丁酉日で、午の月将を辰の刻に加えて課を立てました。丁酉日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「間伝」「不備」。天盤は午将を辰時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に酉を見て朱雀を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の酉の上に亥を見て貴人を乘じ、第四課は亥の上に丑を見て太陰を乘じます。三伝は酉・亥・丑:初伝の丁酉は妻財爻で朱雀を乘じ、また「丁神」、中伝の己亥は官鬼爻で貴人を乘じ、末伝の辛丑は子孫爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:汝家中所奉之神非正,乃邪也。是獨足五通之類。與正神相反,獨足亦是自為禍,侵淫了少女,又壞你一缸醬,兼蛇入宅也。是時江氏供一五通神,損折一足,只一足在。
邵先生は言いました。あなたの家で供奉している神は正神ではなく、邪神で、独脚五通の類に属します。それは正神と相反するもので、独脚ということ自体が禍を作す象です。それは家中の少女を侵犯し、またあなたの一甕の醤を壊し、さらに蛇を招いて屋に入れました。当時、江家は果たして一尊の五通神像を供えており、塑像は一本の脚が折れて壊れ、ただ一本の脚だけが残っていました。
先生析曰;蓋酉為五通,丁只一足,雀乃午也。七月尚是午將,將下見酉,乃醬也。丁主怪異壞物,課中有酉丑會起巳,巳臨門,故主蛇入宅。酉又為兌,兌少女也。故主侵淫少女。丁以酉為妻,丁主獨足,故主妻生獨足兒。
邵先生が解釈して曰く。酉はまさに五通神の象を取り、丁という字の字形は一本の脚しかなく、朱雀が主るのは午です。七月もなお午将を用い、将の下に酉を見れば、象を取れば醤です。丁神は怪異を主り器物の毀壊を主ります。課中に酉・丑が会合して巳を引き起こし、巳がまた門位に臨むので、蛇が屋に入ることを主ります。酉は卦において兌に属し、兌は少女なので、少女を侵犯することを主ります。丁火は酉をもって妻とし、丁はまた独脚を主るので、さらに妻が独脚の子を生むことを主ります。
30)徐大夫乙丑生占家宅,戊申年正月丙戌日子將未時。(午未空亡,亥子落空),不備。 貴后 蛇戌亥子丑陰 朱酉 寅玄 六 常 常 蛇 財 甲申 六 初 六申 卯常 申 卯 卯 戌 子 己丑 陰 中 陳未午巳辰虎 卯 戌 戌 丙 兄 空午 龍 末(空亡) 龍空
第三十例:徐大夫は乙丑年の生まれで、家宅を占いに来ました。時は戊申年正月丙戌日で、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は「不備」。天盤は子将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の戌の上に卯を見て太常を乘じ、第四課は卯の上に申を見て六合を乘じます。三伝は申・丑・午:初伝の甲申は妻財爻で六合を乘じ、中伝の己丑は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の午は旬空に落ちて兄弟爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:支來加日墓日,上又螣蛇夾住,主人如處雲霧中,進退不得。且天地轉殺加宅克宅,太常為服,丙以卯為母,母當六月亡。妻加天地轉殺上,六合夾之,妻不宜孕,孕主亡。申妻也。上作合,兒也。卯即申金之胎,故以孕斷,妙絕!本命上午作末傳,雖空卻是帝旺。先防妻母。子年己身不善終矣。徐五月丁服,庚戌授監司。辛亥赴任,壬子十一月贓敗自刎。
邵先生は言いました。日支が走って来て日干の上に加わって墓を成し、日干の上はまた螣蛇に挟まれているので、この人は雲霧の中に身を置くがごとく、進退両難であることを主ります。まして天地転煞が宅位に加臨して宅を剋します。太常は孝服を主り、丙火は卯木をもって母とするので、母は六月に亡くなるべきです。妻爻が天地転煞の上に加わり、また六合に挟まれているので、妻は懐孕に宜しからず、懐けば性命の危があることを主ります——申は妻で、申の上に六合を乘じればそれは息子で、卯はまさに申金の胎位です。ゆえに懐孕の上から断を立てたので、妙と言うべきです。本命上の午が末伝を作し、空に落ちてはいるもののちょうど帝旺に当たります。目下まず妻と母の出事を防がなければならず、子年に至れば彼自身も善終できません。後に徐大夫は五月に丁憂して守制し、庚戌年に監司の職を授けられ、辛亥年に赴任し、壬子年十一月に貪贓が敗露して自刎しました。
先生析曰;蓋一者支加干墓,干又被蛇夾,是真墓不可脫;墓本身上見卯,乃天地轉殺,乘旺克宅而太歲又加轉煞上,本命又加太歲上,墓壓太歲,太歲逼殺,殺遂入宅克宅,遞互相逼,遂成凶咎。
邵先生が解釈して曰く。第一に、日支が日干に加臨して墓を成し、日干がまた螣蛇に挟まれているのは、これは真墓で、身を脱することができません。墓神の本身の上にまた卯が見え、卯はまさに天地転煞で、旺を乘じて宅を剋します。太歳がまた転煞の上に加わり、本命がまた太歳の上に加わります。このようでは、墓が太歳を圧し、太歳がまた煞神を逼り、煞神はすなわち宅位に入って宅を剋し、一層一層と遞相逼迫して、ここにおいて凶咎を釀成したのです。
先生解曰:此課十二位上下帶殺,五月六月是今日鬼月,子丑年是丙火絕地,本命加太歲,歲逼殺入宅,一凶也;本命加歲墓歲,二凶也;空亡陽刃加本命反克歲,三凶也;子丑年丙之同類不得地,四凶也。壬子年太歲在子,行年在丑,不法死也。愛圅曰:午為陽刃死氣加命害命,子年沖動大凶。況行年又見陽刃,午為自刑,是以自戕而死也。金墓於丑,支墓命即五行墓,蓋丑為申金之墓。丑加申是太歲被本墓所壓也。
邵先生がまた解説して曰く。この課は十二の宮位が上下ともに煞気を帯びています。五月・六月は今日の鬼月で、子年・丑年は丙火の絶地です。本命が太歳に加わり、太歳が煞神を逼って宅位に入る——これが第一の凶です。本命が太歳に加臨して太歳を墓住する——これが第二の凶です。落空の陽刃が本命に加わって反転して太歳を剋する——これが第三の凶です。子・丑の両年に丙火の同類が皆地を得ない——これが第四の凶です。壬子年は太歳が子にあり、行年が丑にあるので、非法に死したのです。輯者程愛圅が曰く:午は陽刃でありまた死気であり、本命に加わって本命を害します。子年に至り一冲すれば大凶です。まして行年上にまた陽刃を見、午はさらに自刑するので、自戕して死したのです。金墓は丑にあり、日支が本命を墓住すれば五行の入墓に等しい——丑はまさに申金の墓庫です。丑が申に加われば、それは太歳が自己の墓庫に圧せられているのです。
31)郭德占家宅,壬申生三十八歲,己酉年六月甲寅日未將午時。(子丑空亡,丑寅落空),重審,進茹,升階。 空虎 龍午未申酉常 勾巳 戌玄 六 朱 六 朱 財 丙辰 六 初 六辰 亥陰 辰 卯 辰 卯 子 丁巳 陳 中(丁神) 朱卯寅丑子后 卯 寅 卯 甲 子 戊午 龍 末 蛇貴
第三十一例:郭德は壬申年の生まれで三十八歳、家宅を占いに来ました。時は己酉年六月甲寅日で、未の月将を午の刻に加えて課を立てました。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「進茹」(三伝の辰巳午が順次進んで行く)「升階」(歩々高く升る象)。天盤は未将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に卯を見て朱雀を乘じ、第二課は卯の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の寅の上に卯を見て朱雀を乘じ、第四課は卯の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の丙辰は妻財爻で六合を乘じ、中伝の丁巳は子孫爻で勾陳を乘じ、これは「丁神」、末伝の戊午は子孫爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:人宅皆逢旺神,今六月占非本姓之旺,乃守東方之旺,只宜守分,不宜運用。若安分則自享福,一運用便有艱辛。辰加卯六害,六合又鎖之,巳加辰作勾地網,又逢勾陳鎖之,迤邐傳出子息,火為子息,破費錢物,因此衰敗。子又個個多病,費盡卻死,是取債之子,來年後年行年到處,子愈取債也。
邵先生は言いました。人と宅とが共に旺神に遇っています。ただ六月に課を占うのに、この旺気は本姓(日干の甲木)自身の旺ではなく、東方の寅卯の旺気を守っているだけなので、ただ本分を安く守るに宜しく、出て経営運作するに宜しくありません。安分守己すれば自ずから福を享けることができますが、一たび経営運作すれば苦頭を喫します。辰が卯に加わって六害を成し、また六合に鎖せられ、巳が辰に加わって勾陳地網を成し、再び勾陳に鎖せられます。このように一路迤邐と伝え出るのは子息爻です——火はすなわち子息です——財銭を破費して家道がこれによって衰敗することを主ります。息子たちはまた各々多く病み、銭を使い尽くして人はなお死ぬので、これは債を討ちに来る息子です。明年・後年、行年がこれらの位置に走到すれば、息子の討債はさらに凶くなります。
32)葉助教丙辰年四月初九日寅時生,五十四歲占家宅,己酉年二月初四癸丑日亥將午時。(寅卯空亡,未申落空),重審。愛圅以曆法推之尚是正月節,此與姜伯達占前程之數同,然彼是未將寅時,說見姜伯達課內。 空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 空 蛇 空 蛇 財 丙午 蛇 初 六申 卯陰 亥 午 亥 午 兄 辛亥 空 中 朱未午巳辰后 午 丑 午 癸 鬼 甲辰 后 末 蛇貴
第三十二例:葉助教は丙辰年四月初九日寅時の生まれで五十四歳、家宅を占いに来ました。時は己酉年二月初四日癸丑日で、亥の月将を午の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅が暦法により推算すると、この時なお正月の節気内に属します。この課の干支は姜伯達が前程を占った課と同じで、ただ彼方は未将を寅時に加えました。姜伯達の課内の説を見よ)。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は「重審」。天盤は亥将を午時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に午を見て螣蛇を乘じ、第二課は午の上に亥を見て天空を乘じ、第三課は日支の丑の上に午を見て螣蛇を乘じ、第四課は午の上に亥を見て天空を乘じます。三伝は午・亥・辰:初伝の丙午は妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の辛亥は兄弟爻で天空を乘じ、末伝の甲辰は官鬼爻で天后を乘じます。
邵先生曰:主宅後東廁水溝不通,一主人患眼疾,二主人常有腸風瀉痢之疾,三主婦人血脈不通,四主人浮腫而死,只因西北水路閉塞,所以如此。若不開通,定主婦人癲狂重病也。葉家果有人常患眼,兼婦人有病。蓋因西北水溝為人所塞,凡雨後東廁及後屋常為水浸,助教自有腸風疾,妻妾每患吐瀉。
邵先生は言いました。この課は宅の後の東辺の廁所の水溝が通じないことを主り、これによって四件の応験があります:第一に、家人が眼疾を患います。第二に、家人に常に腸風瀉痢の症があります。第三に、婦人の血脈が通じません。第四に、浮腫により死する者がいます。これらは皆、西北方向の水路が堵塞されているためです。もし開通させなければ、必ず婦人が癲狂の重病を得るでしょう。葉家は果たして常に眼病を患う者があり、婦人にも病がありました。もともと西北方の水溝が人に堵められていて、雨後のたびに東辺の廁所と後屋が常に水に浸されました。助教本人は腸風の毛病があり、妻妾も時々吐瀉しました。
先生析曰;蓋三傳辰土塞亥水,亥克午火,午卻逃臨身宅,身雖制得他,宅卻為他所害,故宅被害而反害人也。干屬水,支屬土,土來克水,中傳又是水,末傳天罡截住,壅塞亥水,故水不通,血脈不行,致生諸病。至戊午年婦人產後遂患癲病,蓋為螣蛇所撓耳。午為心,血脈不通而克心,故有是病。
邵先生が解釈して曰く。三伝中の辰土が亥水を堵め、亥水がまた午火を剋し、午火はすなわち身位と宅位の上に逃げて来ます。本身はなおそれを制伏できますが、宅はそれに害せられます。だから宅が先に害を受け、反転してまた人を害するのです。日干の癸は水に属し、日支の丑は土に属し、土が来て水を剋します。中伝はまた水で、末伝の天罡辰がそれを截って、亥水を壅塞させました。だから水道が通ぜず血脈が行われず、これによって種々の疾病を生じます。戊午年に至り、家中の婦人が産後すなわち癲病を患いました。これは螣蛇に攪擾されたためです。午は人身において心を主り、血脈が通ぜずして心臓を剋傷するので、この病があるのです。
33)童三十四公丙申生七十四歲,占家宅。己酉年戊申日巳將卯時。(寅卯空亡,辰巳落空),重審,間傳,向三陽,佚女。 虎常 空未申酉戌玄 龍午 亥陰 后 玄 常 空 財 壬子 后 初 陳巳 子后 子 戌 酉 未 鬼 空寅 蛇 中(空亡) 六辰卯寅丑貴 戌 申 未 戊 兄 甲辰 六 末(落空)(暗鬼) 朱蛇
第三十三例:童三十四公は丙申年の生まれで七十四歳、家宅を占いに来ました。時は己酉年戊申日で、巳の月将を卯の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「間伝」「向三陽」(三伝の子寅辰が皆陽支で順に陽方に向かう)「佚女」。天盤は巳将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に未を見て天空を乘じ、第二課は未の上に酉を見て太常を乘じ、第三課は日支の申の上に戌を見て玄武を乘じ、第四課は戌の上に子を見て天后を乘じます。三伝は子・寅・辰:初伝の壬子は妻財爻で天后を乘じ、中伝の寅は旬空に落ちて官鬼爻で螣蛇を乘じ、末伝の甲辰は兄弟爻で六合を乘じ、空地に落ちた上に暗に鬼気を帯びています。
邵先生曰:此課老反送幼,良為不利。初子亦為子息,天后為少女,既有初而無中末,是家務不進也。身上見眷屬,行年上引出破敗,宅上戌作元武,主諸子分居,財各入己。其第三子最不肖。四課內發用更傳出玄之陰,是子孫是賊也。當年喪第三媳,又嫁少女,次年爭訟。二子死,壬子年喪長子,甲寅年喪四子,財物悉盡。音公有五子,至此僅存其二矣。
邵先生は言いました。この課は年老いた者が反転して年幼い者を送葬することになり、実に不利です。初伝の子もまた子息を表し、天后は少女を表します。初伝はあるのに中伝・末伝が皆空に落ちるのは、家務が進展できないということです。身位上に眷属爻を見、行年上に破敗の気を引出します。宅位上の戌は玄武を乘じ、幾人もの息子が家を分かれて別に住み、各人が財物を自らに攬り帰することを主ります。その中で第三の息子が最も成器しません。四課の中から発用し、また玄武の陰神を伝え出したので、子孫がすなわち家賊であることが見えます。その年に第三の嫁が死に、また一人の小娘を嫁がせました。第二年に官司を打ち、二人の息子が死にました。壬子年に長子が死に、甲寅年に第四子が死に、財物もまた全て蕩尽しました。童公はもともと五人の息子がありましたが、この時に至りただ二人が残っただけです。
先生析曰;蓋日上未為眷屬,陰上見酉,酉屬兌,兌為少女。初傳見子,子是子息也。皆是己下之人,而無老陰老陽之輩。且行年上巳為老陽,卻臨卯上自敗,亥為老陰,卻在酉上自敗,中寅日德而空亡,辰為財庫,庫既空,財亦空矣。
邵先生が解釈して曰く。日干上の未は眷属を表し、未の陰神の上に酉が見え、酉は卦において兌に属し、兌は少女です。初伝に子が見え、子は子息です。これらは皆自分より輩分の低い人で、課中には老陰・老陽の類の尊長の神がありません。しかも行年上の巳は本は老陽なのに卯上に臨んで自敗し、亥は本は老陰なのに酉上に落ちて自敗します。中伝の寅は日干の徳なのに偏えに空に落ち、辰は財庫で、庫がすでに空に落ちれば財も自然に空なのです。
34)汪四六公癸丑生五十七歲占家宅,己酉年壬午日辰將申時。(申酉空亡,辰巳落空),重審,六儀,炎上,勵德。 六朱 陳丑寅卯辰蛇 龍子 巳貴 虎 六 朱 陰 鬼 甲戌 虎 初 空亥 午后 戌 寅 卯 未 財 壬午 后 中 虎戌酉申未陰 寅 午 未 壬 子 戊寅 六 末(暗鬼) 常玄
第三十四例:汪四六公は癸丑年の生まれで五十七歳、家宅を占いに来ました。時は己酉年壬午日で、辰の月将を申の刻に加えて課を立てました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「六儀」「炎上」(三伝の寅午戌が火局を合成する)「励徳」。天盤は辰将を申時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に未を見て太陰を乘じ、第二課は未の上に卯を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の午の上に寅を見て六合を乘じ、第四課は寅の上に戌を見て白虎を乘じます。三伝は戌・午・寅:初伝の甲戌は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の壬午は妻財爻で天后を乘じ、末伝の戊寅は子孫爻で六合を乘じ、暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:水日火局,人皆曰財,不知反生日上未土,土反克水,見財化為鬼矣。然皆是眷屬未了,或男未娶,或女未嫁,使用太過。宅上子息不齊,堂屋林木,先不是蛇居木,即雷嗔木,累出作怪;否則是廟宇中木,主雷嗔驚人,更十年在訟中死。汪家事悉為扳高親費盡,甲寅年屋被雷嗔,戊午年訟死。
邵先生は言いました。壬水の日干が寅午戌の火局を得て、人人は皆これを大財だと言いますが、この火が反転して日干上の未土を生じ、未土がまた頭を回して水を剋し、ここにおいて財を見て鬼に化成したことを知りません。しかもこれらの花費は皆、眷属身上の未了の事に出るのです:あるいは息子がまだ娶っておらず、あるいは娘がまだ嫁がず、用度が頭を過ごしました。宅位上の子息は参差不斉です。堂屋に用いた木料は、先には蛇が盤居したことのある樹か、さもなくば雷撃に遭った樹で、屢々出て来て怪を作しました。さもなくば廟宇から取り壊して来た木頭で、なお雷撃されて人を驚かすことを主ります。さらに十年を過ごせば、この人は官司の中に死するでしょう。汪家の家産は果たして皆、高門の親事を攀結するために使い尽くされました。甲寅年に屋が雷に撃たれ、戊午年に官司により死しました。
先生析曰;蓋八月雷殺在戌,戌加寅,更見虎,自是雷嗔;寅加午在高處也。故當是棟木,自己酉數十年,太歲在午,甲木死於午,故此年死。
邵先生が解釈して曰く。八月の雷煞は戌にあり、戌が寅に加わりまた白虎を乘じれば、自然に雷撃の象です。寅が午に加わり、午は南方の高所に居るので、撃たれたのはまさに屋上の棟梁の木だと断じました。己酉年から數え起こして十年目に、その年は太歳が午にあり、甲木は午において死するので、この年に身が死するに応じたのです。
35)伊伯廷甲戌生三十六歲占宅,己酉年丙午日卯將申時。(寅卯空亡,酉戌落空),四絕。 朱六 蛇子丑寅卯陳 貴亥 辰龍 玄 朱 常 蛇 鬼 壬子 蛇 初(暗鬼) 后戌 巳空 申 丑 未 子 子 丁未 常 中(丁神) 陰酉申未午虎 丑 午 子 丙 父 空寅 六 末(空亡) 玄常
第三十五例:伊伯廷は甲戌年の生まれで三十六歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年丙午日で、卯の月将を申の刻に加えて課を立てました。丙午日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は「四絶」(四課が皆絶地に臨み、気息の断絶を主る)。天盤は卯将を申時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に子を見て螣蛇を乘じ、第二課は子の上に未を見て太常を乘じ、第三課は日支の午の上に丑を見て朱雀を乘じ、第四課は丑の上に申を見て玄武を乘じます。三伝は子・未・寅:初伝の壬子は官鬼爻で螣蛇を乘じまた暗鬼、中伝の丁未は子孫爻で太常を乘じこれは「丁神」、末伝の寅は旬空に落ちて父母爻で六合を乘じます。
邵先生曰:子與丑合,末又長生,雖子克丙,得丑寅引鬼為生,初中雖六害,可望先凶後吉。奈何寅是空亡,所以不能引進,見生不生,反成凶咎。甲寅必有大災。子丑年多事,急移可免。伊為人狂妄自高,甲寅年與大辟人過財,干人命入獄百餘日,幾死。子丑多事,己未妻母皆喪;庚申喪子,後移居始免災。
邵先生は言いました。子と丑とは相合し、末伝の寅はまた丙火の長生の地です。子水は丙火を剋するものの、丑・寅があって鬼気を引き化して生気となし、初伝と中伝は六害を成すものの、本来なら先凶後吉を望むことができました。ところが寅がちょうど空亡に落ちているため、生気を引き入れることができず、生を見ながら生ずることができず、反転して凶咎を成しました。甲寅年には必ず大灾があり、子年・丑年は事多し。急いで家を移せばなお免れることができます。伊伯廷は人として狂妄自大で、甲寅年に一人の死罪を判された人のために銭財を転手し、人命案に牽連して、百余日牢に坐り、ほとんど命を喪いました。子・丑の両年は家中事多く、己未年に妻と母が共に亡くなり、庚申年に息子が死にました。後に家を移してようやく灾禍を免れました。
先生析曰;大凡干支見合,須有副則為好課。今甲辰旬卻入見寅,進則空亡,退又子克,所以災起子丑之年,死亡於甲寅之歲也。夫以旬末而又引入空亡,故即以其年分言之。
邵先生が解釈して曰く。大凡、日干・日支が相合しても、なお補佐・相副があってこそ好課と算します。いま甲辰旬の中に寅位に伝え入りました:前へ進めば空亡で、後へ退けばまた子水に剋されます。だから灾禍は子・丑の年に起こり、死亡は甲寅の歳に応じます。末伝がすでに旬の尾に至り、また空亡の地に引き入るので、すなわちその年をもって応期を断ずるのです。
36)某占家宅,正月丁卯日子將卯時。(戌亥空亡,未申落空),遙克,二煩,天網,三交。 陳龍 六寅卯辰巳空 朱丑 午虎 陰 蛇 朱 龍 鬼 甲子 蛇 初 蛇子 未常 酉 子 丑 辰 財 癸酉 陰 中(暗鬼) 貴亥戌酉申玄 子 卯 辰 丁 兄 庚午 虎 末 后陰
第三十六例:ある人が家宅を占いに来ました。時はある年の正月丁卯日で、子の月将を卯の刻に加えて課を立てました。丁卯日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「遥剋」「二煩」(昼夜の貴人がともに位を得ず、煩擾を主る)「天網」(網羅が籠め罩し、身を脱し難いことを主る)「三交」(天地人の三者が交錯し、事に牽纏多きことを主る)。天盤は子将を卯時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に辰を見て青竜を乘じ、第二課は辰の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の卯の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に酉を見て太陰を乘じます。三伝は子・酉・午:初伝の甲子は官鬼爻で螣蛇を乘じ、中伝の癸酉は妻財爻で太陰を乘じまた暗鬼、末伝の庚午は兄弟爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:主門戶幽暗,有重喪。又陰小有災,子作蛇入宅為用,虎乘午在酉上作末,是蛇虎加二八門也,故主重喪。又子加卯相刑也。當年其人自死,又孫死。囚虎乘死氣在末傳,又子午為道路神,而乘蛇虎加門戶,上乘死煞,故爾如此。
邵先生は言いました。この課は門戸が昏暗として明らかでなく、家中に重喪(相次ぐ二回の喪事)があることを主ります。このほか婦女・幼小にも灾があります。子が螣蛇を乘じて宅位に入って発用し、白虎が午を乘じて酉上に落ちて末伝を作す——これはすなわち螣蛇・白虎という二つの凶将が二月・八月の門戸の位に加臨するので、重喪を主ります。まして子が卯に加わってまた相刑を成します。その年にその人自身が死に、孫も死にました。囚死の地の白虎が死気を乘じて末伝に落ちます。子・午はもともと道路の神ですが、いま螣蛇・白虎を乘じて門戸の上に加わり、その上にまた死煞を乘じているので、このように応験したのです。
37)時生己酉年四十三歲二月朔占。(寅卯空亡)(辰巳落空) 虎常 空未申酉戌玄 龍午 亥陰 蛇 后 后 玄 子 壬子 后 初 陳巳 子后 寅 子 子 戌 財 空寅 蛇 中(空亡) 六辰卯寅丑貴 子 戌 戌 庚 父 甲辰 六 末(落空) 朱蛇
第三十七例:時氏のある人(底本ではここで占者の名字が残缺不全)、己酉年に四十三歳、二月初一日に占いに来ました。日辰は庚戌で甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。天盤の布き方:貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚の上に戌を見て玄武を乘じ、第二課は戌の上に子を見て天后を乘じ、第三課は日支の戌の上に子を見て天后を乘じ、第四課は子の上に寅を見て螣蛇を乘じます。三伝は子・寅・辰:初伝の壬子は子孫爻で天后を乘じ、中伝の寅は旬空に落ちて妻財爻で螣蛇を乘じ、末伝の甲辰は父母爻で六合を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:宅後逼山,宅前逼水,水雖東流過宅,反直去。若為宅基,主女多男少,子為吏人,孫為軍卒僕從,財退人散。蓋四陽雖臨東南,無關格拘檢,日後主水壞宅。因身役而盡敗也。此宅基乃庚兌山行龍,坎山為主,蓋緣逼迫,遂欲鑿山為之。果是後逼山,前近水,次年建造,不過十年,連產四女。男作縣吏,自後諸孫為屠兒,又為僕從,又有投軍者。此宅因為公人押網,折破敗壞。後卒為水沖基也。
邵先生は言いました。この宅地は後に山が逼り、前に水が逼っています。水は自東して宅前を流れてはいるものの、直去して情がありません。もしこれを宅基とすれば、女を多く生み男を少なく生むことを主ります。息子は県衙の小吏にしかなれず、孫は軍卒か僕役を為し、財物は退散し人丁は離析します。四つの陽神が東南に臨んではいるものの、關格して拘束収斂するものがないので、日後必ず大水が宅を冲壊することを主り、また官府の差役を充当することで家業を敗尽します。この宅基は庚兌方からの来竜で、坎山を主とします。ただ地勢が逼仄なので、主人は山を鑿って屋を造ろうとしました。果たして後は山に逼り前は水に近かったです。第二年に工を興して建造し、十年とたたぬうちに相次いで四人の娘を生みました。息子は県吏となり、その後幾人かの孫は屠戸を為す者あり、僕役を為す者あり、また軍に投ずる者ありました。この宅は後に主人が公差として網戸を押解したことで折損敗壊し、最後にはついに水が宅基を冲し潰しました。
先生析曰;蓋為宅來加申,戌為山崗,是後逼山也。宅上子作天后,是前逼水也。水橫過,寅為直去,東南兩處風路,為螣蛇所撓,故主吏人。又主失陷財物,兼木敗壞在子故也。末傳辰為軍卒僕從,六合加之故也。
邵先生が解釈して曰く。宅位の神が申に加わり、戌は山岡を表すので、後に山が逼るのです。宅位上の子が天后を乘じ、水神が当前にあるので、前に水が逼るのです。水は本なら横に環抱すべきなのに、寅は直去して回らないことを主ります。東南の両か所は皆風路で、また螣蛇に攪擾されるので、子孫が衙門の胥吏に淪落することを主り、また財物の失陥を主ります——これは木気が子位において敗壊するためです。末伝の辰は軍卒・僕役を表し、これに六合を乘じているので、孫輩が兵に当たり僕を作すと断じたのです。
38)某占宅癸酉日巳將申時。(戌亥空亡,未申落空),渉害,軒蓋,三交,二煩,明夷卦像,高蓋乘軒之格。 朱蛇 六寅卯辰巳貴 陳丑 午后 朱 后 陰 虎 財 庚午 后 初 龍子 未陰 卯 午 未 戌 子 丁卯 朱 中(丁神) 空亥戌酉申玄 午 酉 戌 癸 兄 甲子 龍 末 虎常
第三十八例:ある人が住宅を占いに来ました。日辰は癸酉で、巳の月将を申の刻に加えて課を立てました。癸酉日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は幾つか:「渉害」「軒蓋」(高車に華蓋のあるがごとき象)「三交」「二煩」。易卦に比附すれば《明夷》の象で、格局を「高蓋乘軒」と呼びます。天盤は巳将を申時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に戌を見て白虎を乘じ、第二課は戌の上に未を見て太陰を乘じ、第三課は日支の酉の上に午を見て天后を乘じ、第四課は午の上に卯を見て朱雀を乘じます。三伝は午・卯・子:初伝の庚午は妻財爻で天后を乘じ、中伝の丁卯は子孫爻で朱雀を乘じこれは「丁神」、末伝の甲子は兄弟爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:凡四正相加,非死即敗。今午加酉作後發用,午火至酉而無光。天后水又敗在酉,即用死敗神,則主男女淫奔。今加宅,主宅中有淫亂不明事也。後因媳 婦歸家,公淫之。
邵先生は言いました。大凡、子・午・卯・酉の四正の位が互いに加臨すれば、死亡を主るか敗落を主るかです。いま午が酉に加わり、天后を乘じて発用しています。午火が酉地に行けばすでに光焰を失い、天后は水に属してまた酉において正しく敗れます。用神がすでに死敗の神であれば、男女の淫奔苟合を主ります。しかもそれが偏えに宅位に加臨するので、宅中に淫乱で曖昧、言い明かせない事があることを主ります。後に果たして、児嫁が娘家に帰って住んだ際、舅が彼女と私通しました。
先生析曰;蓋子作龍加卯,為無禮刑。又酉乃酒色淫敗,龍乘水則腳浮。戌加日上主動,故應此也。
邵先生が解釈して曰く。子が青竜を乘じて卯に加わり、「無礼之刑」(子が卯を刑し、倫常に違背することを主る)を構成します。酉はもともと酒色淫敗を主ります。青竜は木に属して水を乘じれば、木が水に浮くこと、すなわち根脚が実でなく行止が正しくない象です。これに加えて戌が日干の上に加わって動揺発作を主るので、この一件の醜事に応じたのです。
39)某占家宅,正月己巳日子將酉時。(戌亥空亡,丑寅落空),重審,元胎,斬關,勵德。 六朱 陳申酉戌亥蛇 龍未 子貴 蛇 陳 后 朱 子 壬申 陳 初 空午 丑后 亥 申 丑 戌 財 空亥 蛇 中(空亡) 虎巳辰卯寅陰 申 巳 戌 己 官 丙寅 陰 末(落空) 常玄
第三十九例:ある人が家宅を占いに来ました。時はある年の正月己巳日で、子の月将を酉の刻に加えて課を立てました。己巳日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「元胎」「斬關」「励徳」。天盤は子将を酉時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に戌を見て朱雀を乘じ、第二課は戌の上に丑を見て天后を乘じ、第三課は日支の巳の上に申を見て勾陳を乘じ、第四課は申の上に亥を見て螣蛇を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の壬申は子孫爻で勾陳を乘じ、中伝の亥は旬空に落ちて妻財爻で螣蛇を乘じ、末伝の丙寅は官鬼爻で太陰を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:家中有婦人,損一牙齒。近來又因新修廚灶,你家地上須用新磚結砌。蓋用申作勾加巳,巳為雙女為口,申為骨牙,勾主損折,傳破故主此。更巳為爐灶,乘旺相主新修,果其人有姐妹缺口齒,而灶新修。
邵先生は言いました。あなたの家中に一人の婦人がいて、歯を一本缺いています。近頃また厨灶を新修したので、あなたの家の地面はなお新磚で砌り直す必要があります。これは発用の申が勾陳を乘じて巳に加わるためです:巳は双女の象を取りまた口を主り、申は骨と牙の象を取り、勾陳は折損を主り、三伝がまた破に逢うので、歯を缺くことを断じました。さらに巳は炉竈を表し、いま旺相の気を乘じているので、新修を主ります。後に果たして、この人の姉妹が口歯を缺いていて、灶もまたまさに新修中でした。
40)鄭三公辛亥年四月一日未時生,五十九歲占墳地,己酉年正月二十三壬寅日子將寅時。(辰巳空亡,寅卯落空),元首,間傳,驀越。 后陰 貴卯辰巳午玄 蛇寅 未常 龍 六 常 空 鬼 戊戌 龍 初(暗鬼) 朱丑 申虎 戌 子 未 酉 父 丙申 虎 中 六子亥戌酉空 子 寅 酉 壬 財 甲午 玄 末 陳龍
第四十例:鄭三公は辛亥年四月初一日未時の生まれで五十九歳、墳地のために占いに来ました。時は己酉年正月二十三日壬寅日で、子の月将を寅の刻に加えて課を立てました。壬寅日は甲辰旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「元首」「間伝」「驀越」。天盤は子将を寅時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に酉を見て天空を乘じ、第二課は酉の上に未を見て太常を乘じ、第三課は日支の寅の上に子を見て六合を乘じ、第四課は子の上に戌を見て青竜を乘じます。三伝は戌・申・午:初伝の戊戌は官鬼爻で青竜を乘じまた暗鬼、中伝の丙申は父母爻で白虎を乘じ、末伝の甲午は妻財爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:此課艮山行龍,坎山落穴,不是正龍,左邊無山,右有兩重白虎,第三重為案,主子孫貪淫好酒,後為酒家傭,婦人不正,隨人淫奔,且墓內棺中有泥,白蟻食尸,右邊有水,末主人為道童,自身為酒所敗,老無妻,以他人之妾為妻,六年患酒病,更三年終矣。鄭三公乍富,教子讀書,指望及第,故請先生占之,其地果艮山來,坎山落穴,無正山,以過山為主,右兩重白虎,案山亦從右邊來,似乎三重。三公日夜飲酒,後二年妻死,娶徐知府之妾為妻,又行事不正,三公死後,次子伴徐氏賣酒,妻與媳被外人領走,子孫不成器,一向非為。三公六十四有酒病,六十七上終。皆如先生之言也。
邵先生は言いました。この地は艮方からの来竜で坎方に落穴し、正干の竜脈ではありません。左に青竜の砂山がなく、右には二重の白虎砂があり、第三重が案山を充当しています。このような地は子孫が貪淫嗜酒することを主り、後代は酒家に傭工を為しに行きます。婦人の行為が正しくなく、人と私奔します。しかも墓穴の内の棺に泥が入り、白蟻が尸骨を蛀食し、右に水があります。末にはまた道童を為す人が出ます。占者本人に至っては、酒に敗れ、老いて妻なく、他人の妾を娶って妻とするしかなく、六年の間に酒病を患い、さらに三年を過ごして寿終します。鄭三公は驟然と家を発し、息子に読書を教えて科挙に中ることを望んだので、邵先生にこの地を占看してもらいました。その地は果たして艮方の来竜で坎方に落穴し、正主の山はなく、ただ過路の山を主としていました。右には二重の白虎があり、案山もまた右から過って来て、見るに三重があるようでした。三公は日夜酒を飲み、二年後に妻が死に、徐知府の一人の妾を続けて娶り妻としましたが、行事もまた端正ではありませんでした。三公が死した後、次の息子は徐氏に随いて酒を売りました。妻と嫁は皆外人に領って行かれ、子孫は成器せず、ひたすら胡作非為でした。三公は六十四歳の時に酒病を得て、六十七歳で去世し、すべて邵先生の言葉に応じました。
先生析曰;左邊無者,傳不行也。申作白虎,午加申上,又是虎,故兩重來為案山,子午作玄合,故主子孫邪淫。壬日酉作天空,故主酒敗,子孫為酒家傭,亦主婦人為淫,酉六數,故主六年酒敗,更三年死,酉增一半也。
邵先生が解釈して曰く。左に砂なしと言ったのは、三伝が左側で通行できないためです。申が白虎を乘じ、午がまた申に加わり、午の上もまた白虎の気なので、二重の白虎砂があって案山を充当するのです。子と午は一路にあり玄武を乘じて相合するので、子孫の邪淫を主ります。壬水の日干は酉をもって天空の乘るところとするので、酒に敗れ、子孫が酒家の傭工に淪落することを主り、また婦人の淫乱を主ります。酉の数は六なので、六年目に酒により病を致し、さらに三年を加えて死するのは、酉の数を半分増やした(六加三)ことから得たものです。
41)徐承務丁未生六十三歲占墳地,己酉年九月癸卯日辰將卯時。(辰巳空亡,巳午落空),重審,進茹,龍戰,斬關,寡宿。 陳龍 六午未申酉空 朱巳 戌虎 朱 蛇 貴 后 鬼 空辰 蛇 初(空亡) 蛇辰 亥常 巳 辰 卯 寅 財 空巳 朱 中(空亡) 貴卯寅丑子玄 辰 卯 寅 癸 子 甲午 六 末(落空) 后陰
第四十一例:徐承務は丁未年の生まれで六十三歳、墳地のために占いに来ました。時は己酉年九月癸卯日で、辰の月将を卯の刻に加えて課を立てました。癸卯日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の巳・午二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「重審」「進茹」「竜戦」「斬關」「寡宿」。天盤は辰将を卯時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に寅を見て天后を乘じ、第二課は寅の上に卯を見て貴人を乘じ、第三課は日支の卯の上に辰を見て螣蛇を乘じ、第四課は辰の上に巳を見て朱雀を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の辰は旬空に落ちて官鬼爻で螣蛇を乘じ、中伝の巳は旬空に落ちて妻財爻で朱雀を乘じ、末伝の甲午は子孫爻で六合を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:此地甚好,但恐此時不可得而葬。徐曰:如何?先生曰:前後左右皆有空穴,山側又有一陰人墳,如何葬得?須於中陪錢去之,然後可葬,必出貴人,最好是水合星辰,山川清秀,文筆雙峰,必是卯龍入首,作乙山辛向也。
邵先生は言いました。この地はとても良いのですが、ただ目下はまだ葬ることができないのが惜しい。徐承務が問いました:どうしてですか?邵先生は言いました。この地の前後左右には皆空穴があり、山の傍にはまた一座の婦人の墳があります。どうして葬り下すことができましょうか?必ずその中から銭を賠い出してそれらを遷してから、ようやく安葬できます。葬り下せば必ず貴人が出ます。この地の最も良いところは、水法が星辰の位に合い、山川が清秀で、前に一対の文筆峰があることです。それは必ず卯竜が入首して、乙山辛向を立てるべきです。
夫辰為墳地,作空亡而發用,故主有空穴,戌亦是墓,加酉,酉作天空,亦是虛墳,以初傳為主山穴,對前戌墓也。卯為子孫作貴人,不為脫氣也。徐宅問汪家買山,汪兄弟三分其二分,將來買長兄一分,故將空棺自埋其內。先前亦有三四個虛穴,皆不葬。徐丈齎錢問汪長兄買之。庚戌年九月葬妻,以後子孫皆中舉及第,皆此地發也。
辰は墳地を表し、いま空亡に落ちて発用するので、地中に空穴があることを主ります。戌もまた墓庫で、戌が酉に加わり酉が天空を乘じれば、同じく虚墳の象です。初伝を取って主山の穴位とし、前の戌位の墓に対させます。卯は子孫爻で貴人を乘じるので、泄気として見ることはできません。後に徐家は汪家に向かってこの山を買いました。汪家は兄弟三人ですでに二份を売り出しており、長兄の那一份を買おうとした時、長兄は先に一口の空棺を埋めて入れました。それ以前にも地中にはもともと三四個の虚穴があり、いずれも真に人を葬っていませんでした。徐老先生は銭を携えて汪家の長兄と交渉して買い取りました。庚戌年九月に亡妻を安葬し、それ以後子孫が相次いで挙に中り第に登りました。皆この地が発したのです。
先生析曰;巳加辰作貴,巳主雙,故有雙峰,號為文筆星。宅又得貴人,癸見卯不可為脫氣,乃子孫貴人也。申酉為今日水母,故水來去皆合星辰,巳為雙女,故出雙貴人也。
邵先生が解釈して曰く。巳が辰に加わって貴気を乘じ、巳の取象は成双を主るので、山前に一対の山峰があり、これを文筆星と呼びます。宅位上にまた貴人を得て、癸水が卯を見るのは泄気ですが、ここでは泄気として見るべきではなく、子孫の中に貴人が出ると見るべきです。申・酉は今日の癸水の水源の母なので、水の来去が皆星辰の吉位に合します。巳はまた双女の象を取るので、将来一対の貴人が出るでしょう。
42)劉秘教占宅,四十一歲己巳命己酉年六月初一戊申日未將酉時。(寅卯空亡,子丑落空),重審,極陰,勵德。 六朱 陳卯辰巳午蛇 龍寅 未貴 六 蛇 空 陳 兄 癸丑 空 初(落空) 空丑 申后 辰 午 丑 卯 財 辛亥 常 中 虎子亥戌酉陰 午 申 卯 戊 子 己酉 陰 末 常玄
第四十二例:劉秘教が住宅を占いに来ました。四十一歳で己巳年の生まれです。時は己酉年六月初一日戊申日で、未の月将を酉の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「極陰」「励徳」。天盤は未将を酉時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に卯を見て勾陳を乘じ、第二課は卯の上に丑を見て天空を乘じ、第三課は日支の申の上に午を見て螣蛇を乘じ、第四課は午の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の癸丑は兄弟爻で天空を乘じて空地に落ち、中伝の辛亥は妻財爻で太常を乘じ、末伝の己酉は子孫爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:家勢退矣。日上空亡剋日,又作勾陳,舊事百般,盡牽在己,宅上午上,螣蛇帶羊刃主家人爭產,四散分飛。初傳丑作天空在卯,主泥土塞門戶,婦人婢腹常疼痛,又有白帶。自身主脾洩,末傳盡去彼被來年難過,主太陰少婦管家,乙卯年果將住宅拆毀,各人四散分居矣。
邵先生は言いました。この一家の気勢は退落して行きます。日干上に空亡が落ちてまた日干を剋し、しかも勾陳を乘じているので、種々の旧事が全て自己の身上に纏わりつくことを主ります。宅位上は午で、螣蛇がまた羊刃を帯びているので、家の人が産業を争奪して四散分離することを主ります。初伝の丑は天空を乘じて卯位の上に落ちているので、泥土が門戸を堵塞し、家中の婦人と婢女に常に腹痛の患いがあり、また白帯の疾があり、主人自身は脾虚泄瀉があります——これらを主ります。末伝は生気を皆連れ去ってしまうので、明年のこの関は過ごし難い。後に家事は一人の太陰一路の年若い婦人が掌ることになります。乙卯年に至り、果たして住宅を拆毀し、各人が四散して分居しました。
43)郭仲起辛未生三十九歲占宅,己酉年六月甲寅日未將寅時。(子丑空亡,巳午落空),知一,度厄,鑄印,孤辰。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 龍 貴 龍 貴 父 空子 龍 初(空亡) 蛇申 卯常 子 未 子 未 子 丁巳 陰 中(落空)(丁神) 貴未午巳辰玄 未 寅 未 甲 財 壬戌 六 末 后陰
第四十三例:郭仲起は辛未年の生まれで三十九歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年六月甲寅日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の巳・午二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「知一」「度厄」(険を渉り厄を度る象)「鑄印」「孤辰」(孤单無偶を主る)。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に未を見て貴人を乘じ、第二課は未の上に子を見て青竜を乘じ、第三課は日支の寅の上に未を見て貴人を乘じ、第四課は未の上に子を見て青竜を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の子は旬空に落ちて父母爻で青竜を乘じ、中伝の丁巳は子孫爻で太陰を乘じ空地に落ちまた「丁神」、末伝の壬戌は妻財爻で六合を乘じます。
邵先生曰:本命自來墓身,謂之天網自裹。又來本命上發用,又見空亡,中傳又臨空處,乃子息上又見子息,主克子退子,定是星運不利。雖登仕路,亦無寸進。末又見妻財,必是再娶,未年始有萌芽之意。
邵先生は言いました。本命の神が自ら走って来て身位を墓住する——これを「天網自裹」と呼び、自分で自分を罩めるに等しいです。それはまた本命上から発用していますが、発用の神は空亡に落ちています。中伝もまた空地に臨んでいます。子息位上にまた重ねて子息を見るので、兒子を剋傷し退折することを主り、星運が不利であることが見えます。この人は仕途に踏み入ってはいますが、寸進もないでしょう。末伝にまた妻財爻を見るので、必ずもう一度娶ります。未年に至ってようやく少し起色の兆しがあります。
先生析曰;蓋宅有井,井未克人。若不肯遷移,必主十二年而死。未乃八數,兩個八年是十六年也。先個八年全用,後用一半,故十二年也。次年郭丈即遷居,料想其凶可免。
邵先生が解釈して曰く。この宅子には一口の井があり、井は今のところまだ人を剋してはいません。しかしもし搬遷を肯んじなければ、必ず十二年目に命を送るでしょう。未の数は八で、二つの未を合わせれば十六年です。前の八年は整数として計算し、後の一つはただ半分を取るので、十二年です。第二年に郭老先生は家を移り、あの凶禍は避けられると料想されます。
邵彥和大六壬案例集(亨集)·前程仕進
44)應貢元丁卯生四十二歲占前程,戊申年六月丁丑日午將未時。(申酉空亡,未申落空),退茹,重審。 空虎 龍辰巳午未常 陳卯 申玄 貴 蛇 空 虎 鬼 丙子 蛇 初 六寅 酉陰 亥 子 巳 午 鬼 乙亥 貴 中 朱丑子亥戌后 子 丑 午 丁 子 甲戌 后 末 蛇貴
第四十四例:応貢元は丁卯年の生まれで四十二歳、前程功名を占いに来ました。時は戊申年六月丁丑日で、午の月将を未の刻に加えて課を立てました。丁丑日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「退茹」(三伝の子亥戌が位を逐って後退する)「重審」。天盤は午将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に午を見て白虎を乘じ、第二課は午の上に巳を見て天空を乘じ、第三課は日支の丑の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に亥を見て貴人を乘じます。三伝は子・亥・戌:初伝の丙子は官鬼爻で螣蛇を乘じ、中伝の乙亥は官鬼爻で貴人を乘じ、末伝の甲戌は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:此課雖魁杜天門,不作阻隔論,乃六儀扶護,三奇拱秀,小則郎官,大則侍從,未易量也。因有活人之功,上天降福,北斗拱身,三光拱照,祿神催逼,即日食祿矣。人見此課,將謂退連茹,殊不知甲戌旬,戌為六儀,戌加干謂之朝天,亥子丑為三奇拱照,午乃丁祿臨干,日祿扶身,行年並逼白虎,為催官符使,貴人在三奇之中,而前後拱之,此蛇為吉將,名前一先鋒,高甲無疑矣。
邵先生は言いました。この課には「魁杜天門」(河魁の戌が天門の亥を塞ぐ)の象があるものの、阻隔として断ずることはできません。それは実は六儀が扶護し、三奇が拱衛しているのです。前程は小ならば郎官に至り、大ならば侍従の臣に位列し、前途は限り量ることができません。占者に活人命を救った功徳があって、上天が福を降したからです:北斗がその身を拱護し、日月星の三光が交り照臨し、禄神がまた後ろから催逼して、眼の前にすぐ俸禄を食むことになるのを見ています。傍の人がこの課を見れば、ただ「退連茹」(歩々後退)と言うだけでしょう。しかしこれは甲戌旬で、戌はすなわち本旬の六儀であり、戌が日干に加わるのを「朝天」と呼びます。亥・子・丑の三位はまさに三奇が拱照し、午は丁火の禄神で日干に臨み、日禄が本身を扶助し、行年がまた白虎を并せて逼って来ます。白虎はここでは官を催す符使です。貴人は三奇の中に居り、前後に神将の環拱があり、ここの螣蛇もまた吉将に転じ、名を「前一先鋒」と呼びます。このように観れば、甲科に高く中ることは疑いありません。
丁德在亥,戌亥子俱屬陰,故知陰德洪大,神明福佑也。亥為上帝,子為紫微,丑為北斗,是以得上天之降福也。考之貢元三十八歲北虜犯邊,伊在京挾友三十餘輩,庇護李家宅眷七十餘口,兼不識姓名者三十七人;又以所乘舟及朋友舟載渡諸人,自率友沿岸西走,此所以先生見課,即知陰德扶持也。後貢元官至禮部,貴壽兩全。
丁日の徳神は亥にあり、戌・亥・子の三位は皆陰に属するので、この人の陰徳が深く厚く、神明の保佑を得ていることが分かります。亥位は上帝で、子位は紫微で、丑位は北斗です。だから上天の降福を得たと言うのです。考査するに:応貢元が三十八歳の年、北方の胡騎が辺を犯した時、彼は京城で三十余人の友人と連絡し、李家の家眷七十余口を庇護し、また平生見知らぬ三十七人がいました。さらに自分の船と友人の船でこれらの人を河を渡らせ、自身は友人を帯びて岸に沿って西へ往きました。これがすなわち邵先生がこの課を一見して、陰徳の扶持があることを知ったゆえんです。後に応貢元は官を礼部に至らせ、富貴と寿数の二つをともに全うしました。
45)何秀才己未生五十一歲占應試,己酉年正月庚辰日子將酉時。(申酉空亡,亥子落空),彈射,元胎。愛圅曰:古本作何省干,己未閏月十三日丑時生。 朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 六 貴 虎 陳 財 戊寅 虎 初 后午 丑空 戌 未 寅 亥 鬼 辛巳 陰 中 陰巳辰卯寅虎 未 辰 亥 庚 兄 空申 蛇 末(空亡) 玄常
第四十五例:何秀才は己未年の生まれで五十一歳、応試のために占いに来ました。時は己酉年正月庚辰日で、子の月将を酉の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅曰く:古本は「何省干、己未年閏月十三日丑時生」と作る)。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「弹射」「元胎」。天盤は子将を酉時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に亥を見て勾陳を乘じ、第二課は亥の上に寅を見て白虎を乘じ、第三課は日支の辰の上に未を見て貴人を乘じ、第四課は未の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は寅・巳・申:初伝の戊寅は妻財爻で白虎を乘じ、中伝の辛巳は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:何丈已兩次赴試,今年雖占試卻不中。惟令郎二十八名。何曰:我子讀書少,安得中?先生曰:此課暮秋雖有喜,又有悲,十月防有炊血之夢。何丈當時望中甚切,臨場病阻,其子入場,全不得意,及放榜,果中二十八名。先生曰:何丈不入場,正使令郎中也。若入場必不教子作此等文字,不下第必矣。吾丈五旬後得官,一二年當壽阻,不能度甲子一周矣。
邵先生は言いました。何老先生はすでに二度考試に赴き、今年は試を占いに来ましたが、やはり中ることができません。そうではなくて、令郎が第二十八名に中れるでしょう。何某は言いました:うちの息子は読書が多くないのに、どうして中れることができましょうか?邵先生は言いました。この課は深秋に至って喜びの事があるものの、悲しみの事もあり、十月のうちに妻を喪う痛みを防ぐべきです。何某は当時中挙したい心が切でしたが、場期に臨んで病に倒れて応試することができませんでした。彼の息子が場に入り、自分ではとても意に称しないと感じましたが、放榜を待つと、果たして第二十八名に中っていました。邵先生は言いました:ちょうど何老先生が場に入らなかったからこそ、令郎を中らせたのです。もし彼が場に入ったなら、必ず息子にあのような文章を書かせなかったでしょう。それならきっと落第したでしょう。また言いました:老先生は五十歳以後に一つの官を得ることができ、さらに一二年を過ごせば寿数が尽き、一甲子の花甲に満たずに活きることはありません。
先生析曰;蓋日上亥是庚之子孫,來奪庚之氣,庚去生水,又得勾陳,不落第矣,所以子得中式。亥四申七,四七二十八也。亥為水道,勾乃滯神,加日上,故本身痢疾。庚以寅為妻,加盜氣上,臨於十月,白虎又加,所以喪妻。寅財加亥,雖脫氣,卻六合而長生,不知乃是脫上逢脫,故邵公方敢下此口。然非白虎乘之,其又不可此斷也。
邵先生が解釈して曰く。日干上の亥は庚金の子孫爻で、それが来て庚金の気を奪います。庚金が往って水を生じ、また勾陳の羈絆に遇えば、本人は自然に第を得ることができず、反転して息子の身上に中式に応じます。亥の数は四で、申の数は七で、四乘七で二十八を得ます。まさに名次です。亥はまた水道を表し、勾陳は滞塞の神で、日干上に加わるので、本人は痢疾を患います。庚金は寅木をもって妻とし、寅は泄気の上に加わり、また十月に臨み、白虎がまた上に加わるので、妻を喪うことを主ります。寅という財爻は亥に加わって泄気ですが、それは亥と六合し、また長生の地です。知るべきはこれが実は「脱上逢脱」なので、邵公があえて言葉を死にまで言い切ったのです。しかし白虎が乘臨しなければ、またこのように断ずることもできません。
愛圅竊以為干支乘喪門弔客,行年上又見弔客,主孝服。寅財乘虎,而加喪門之上,且行年上未又為寅財之墓,財乃妻,故此喪妻斷也。夜貴在宅乘未閉口,又是本命,故將來雖得官,不久即死。未雖夜貴加宅,然其子既中,則兆於先矣。而邵公後云何君自中,何也?蓋未繫何公本命,故云耳。不可不知。
輯者程愛圅は私に考えます:日干・日支が喪門・弔客の二煞を乘じ、行年上にまた弔客を見るので、孝服があることを主ります。寅という財爻が白虎を乘じて喪門の上に加わり、まして行年上の未がまたちょうど寅財の墓庫です。財はすなわち妻なので、ここから妻を喪うと断じました。夜の貴人が宅位に落ちて未を乘じ、閉口の象を成し、未はまたちょうど彼の本命なので、将来一つの官を得ることができるものの、まもなく身が死するでしょう。未は夜貴が宅位に加臨するものの、彼の息子がすでに中った以上、兆しは先に息子の身上に応じます。さて邵公は後にまた何君自身が中れると言いましたが、これはどういうことですか?未がまさに何公の本命だからです。だからこの一説があるのです。この一層は知らなければなりません。
子孫生長生地,脫日,奪庚日之神,是子孫得第之兆也。寅在亥地,寅為書籍,寅生巳火,巳生申。十月建亥,寅十死神。妻財發用,無成。日德被三刑沖剋。
別に補注があります:子孫爻が長生の地に生まれ、日干を泄脱して庚日の気を奪う——これはまさに子孫が考中する兆しです。寅が亥の位置に落ち、寅は書籍を表し、寅は巳火を生じ、巳火はまた回りて申金を生じます。十月は月建が亥にあり、寅はまさに十月の死神です。妻財をもって発用して功名を求めるのは、もとより成就し難い。まして日干の徳がまた三刑に冲剋されています。
46)應秀才占前程,亦得此課。愛圅曰:應秀才雖同得此課,而月將必不同,故所斷亦異。古本己酉正月並無應秀才課也。 朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 六 貴 虎 陳 財 戊寅 虎 初 后午 丑空 戌 未 寅 亥 鬼 辛巳 陰 中 陰巳辰卯寅虎 未 辰 亥 庚 兄 空申 陳 末(空亡) 玄常
第四十六例:応秀才が前程を占いに来ました。得たのもまたこの課式です(輯者程愛圅曰く:応秀才は同じ課を得たものの、月将は必ず前例と異なるので、断法もまた同じではありません。古本には己酉年正月に応秀才のこの課はありません)。課式はなお:貴人が未に乘り、螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に亥を見て勾陳を乘じ、第二課は亥の上に寅を見て白虎を乘じ、第三課は日支の辰の上に未を見て貴人を乘じ、第四課は未の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は寅・巳・申:初伝の戊寅は妻財爻で白虎を乘じ、中伝の辛巳は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で、ここでは勾陳を乘じます。
邵先生曰:此課先失後得,先虛後實,耗廢盡了,卻得妻財起來助起家。因水利中得財,不可不知。若求問功名,不可得也。雖是敗盡再發,兄弟並星散,所可喜者,妻與子成家,末年享福有壽,就店房居住,宅舍無氣也。
邵先生は言いました。この課は先に失い後に得る、先に虚しきも後に実る——家業は先に耗光し、それから妻の財力に頼って家を起こします。財は水上の生業から得るもので、この点は知らなければなりません。もし功名を問うのに用いるなら、それは求めても得られません。敗尽した後に再び発することはできると言うものの、兄弟は皆星のごとく散じて離析します。喜ぶべきは妻と兒子が成家立業し、晚年に福を享けてまた寿あることです。ただ店房に住むのであって、本宅は生気がありません。
先生析曰;蓋日上見亥,金生水而脫氣,自然受脫不能發也。又在脫上發用,脫上逢脫,必詩書荒廢,家道空虛,初見妻宮,引歸中傳長生,中又引歸末傳,卻見本身,是破敗後方得妻子起家,因之有福。應果得妻家做酒生理,子皆好,遂享福而終。蓋日上初傳俱脫,卻得妻爻引歸生路;寅上巳乃庚長生也。末傳申加巳,是得生路在末傳。故主晚年亨福也。末申乃是祿神,故晚年享福。
邵先生が解釈して曰く。日干上に亥を見て、庚金が亥水を生ずればすなわち泄気で、自然に泄されて振作し起きられません。発用がまた泄気の上に落ち、「脱上逢脱」なので、必ず詩書が荒廃し家道が空虚になります。初伝に妻財の宮を見て中伝の長生の地に引き、中伝がまた末伝に引き、末伝は却って本身に回るので、破敗した後に妻に頼って家を起こし、ここから福を得ることが見えます。応秀才は後に果たして妻家に頼って酒の商売をし、幾人もの息子が皆良く、こうして福を享けて終わりました。これは日干上と初伝が皆泄気で、幸いに妻爻が気を引いて生路に回したためです——寅上の巳はまさに庚金の長生です。末伝の申が巳に加われば、生路が末伝に落ちたに等しいので、晚年に福を亨ることを主ります。まして末伝の申はなお庚金の禄神なので、晚年に福を享けるのです。
愛圅析曰:巳為店業,祿加之,故因做酒生理而起家,但應秀才不知是何年命。查閱各書皆不載,蓋在當時已逸之也。大凡占前程,祿重於財,邵公諸案皆然,可考而知。
輯者程愛圅が解釈して曰く。巳は店鋪産業を表し、禄神がまたその上に加臨するので、店を開いて酒の商売をすることで家を起こしたのです。ただ応秀才が究竟どの年の生辰本命であったかは、もはや査考することができません——私は各種の本を翻檢しましたがいずれも記載がなく、おそらく当時にすでに散失していたのでしょう。大凡、前程を占問すれば、禄神が財爻よりもさらに要です。邵公の各個の案例は皆このようで、対照考察して知ることができます。
47)徐將仕辛卯生十八歲占前程,戊申年六月戊辰日未將巳時。(戌亥空亡,子丑落空),重審,間傳,失女,渉三淵,徐將仕生於辛卯年三月三十日巳時。 虎常 空未申酉戌玄 龍午 亥陰 虎 龍 常 空 子 壬申 虎 初 陳巳 子后 申 午 酉 未 兄 空戌 玄 中(空亡) 六辰卯寅丑貴 午 辰 未 戊 財 甲子 后 末(落空)(暗鬼) 朱蛇
第四十七例:徐将仕は辛卯年の生まれで十八歳、前程を占いに来ました。時は戊申年六月戊辰日で、未の月将を巳の刻に加えて課を立てました(徐将仕は辛卯年三月三十日巳時の生まれ)。戊辰日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「間伝」「失女」「渉三淵」(三伝が歩々三重の深淵を跨ぎ越え、跋涉艱険を主る)。天盤は未将を巳時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に未を見て天空を乘じ、第二課は未の上に酉を見て太常を乘じ、第三課は日支の辰の上に午を見て青竜を乘じ、第四課は午の上に申を見て白虎を乘じます。三伝は申・戌・子:初伝の壬申は子孫爻で白虎を乘じ、中伝の戌は旬空に落ちて兄弟爻で玄武を乘じ、末伝の甲子は妻財爻で天后を乘じ、空地に落ちた上に暗に鬼気を帯びています。
邵先生曰:涉三淵數主勞,跋涉奔波,勞力無成,干支上午與未合,出身甚妙,歷事三授,兩丁上服,申為子孫,居午火上,難為子息,日後以弟為子,妻又因產而亡,所授之差,一任遠,一任勞,終死於外州矣。四十五六行年到子丑,為過三淵之外,然雖過得此年,亦不濟事也。
邵先生は言いました。「渉三淵」というこの課は労碌を主り、一生跋涉奔波して労して成すことなし。日干・日支の上で午と未が相合するので、出身は却ってとても良く、仕途の上で三度の授職、二回の丁憂守制があります。申は子孫爻なのに午火の上に坐しているので、子息が艱難で、日後に弟を過継して息子とします。妻はまた生産により亡くなります。授けられる差事は、一任は遠い地、一任は労苦の職で、最後に外州で死にます。四十五六歳の頃、行年が子・丑に走到し、三重の深淵の外を越えたと算します。しかしたといその年を熬え過ごしても、やはりなんの益もありません。
先生析曰;蓋涉三淵,一傳遠一傳,又入空亡上去,況初傳子息居陽刃鬼上,故難得子,中傳同類為兄弟,加子息上,當以弟為子,末妻爻坐空,天后穢神,加之不吉,故因產而亡。戊辰干支皆東南神,辛卯命又是東方,三傳反流入西方,那更涉三淵,順行陷於西北,故死於外州。傳既不回,故子亦不歸也。
邵先生が解釈して曰く。いわゆる「渉三淵」とは、三伝が一歩より一歩遠くへ行き、最後にまた空亡の中に走り入ることです。まして初伝の子孫爻が陽刃と鬼気の上に坐しているので、兒子を得難し。中伝は同類で兄弟を表し、子息の位に加わるので、弟を取って息子とします。末伝の妻財爻は空に坐し、また天后という穢污の神を乘じ、加臨して吉ならず。ゆえに妻が生産により亡くなります。戊辰の干支は皆東南の神に属し、辛卯の本命もまた東方にありますが、三伝は反転して一路西方に流入します。これに「渉三淵」を加え、順行して西北に陥るので、外州で死にます。三伝がすでに一往して回らないので、過継の息子も後に郷に帰りませんでした。
徐二十五上銓試中,當年授嶽州尉,二十七丁父憂,二十九授渾州尉,三十丁母憂,三十三授 州司戶,當年冬赴任,三十四妻因產亡,有四女,遂以小弟為子,任滿再授廣西提學干官,又授廣州東莞縣,年四十五遂亡於彼,繼子遂家於彼而不歸。
後の応験:徐将仕は二十五歳で銓試に通過し、その年に岳州の県尉を授けられました。二十七歳で父が去世して丁憂。二十九歳で渾州の県尉を授けられました。三十歳で母が去世して丁憂。三十三歳で某州の司戸参軍を授けられ、その年の冬に赴任しました。三十四歳で妻が生産により去世し、ただ四人の娘を残したので、小さい弟を過継して子としました。任が満ちた後、また広西の提学干官を授けられ、さらに広州東莞県の職を授けられ、四十五歳の時にそこで死にました。過継の息子はすなわち当地に家を安め、再び帰って来ませんでした。
戊胎在子為月破,生死神坐空亡,又喪車戌哭神故因產死。
別に補注があります:戊土の胎位は子にあり、子はちょうど月破に逢います。生育を主る神と死亡を主る神の二つが皆空亡の上に坐しています。これに加えて戌は喪車でありまた哭神なので、妻が生産により死したのです。
48)徐教授戊子生二十一歲占前程戊申年甲寅月丙寅日亥將申時。(戌亥空亡,丑寅落空),重審,進退,不備。 朱蛇 六申酉戌亥貴 陳未 子后 六 空 貴 六 財 壬申 六 初(暗鬼) 龍午 丑陰 申 巳 亥 申 鬼 空亥 貴 中(空亡) 空巳辰卯寅玄 巳 寅 申 丙 父 丙寅 玄 末(落空) 虎常
第四十八例:徐教授は戊子年の生まれで二十一歳、前程を占いに来ました。時は戊申年甲寅月丙寅日で、亥の月将を申の刻に加えて課を立てました。丙寅日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「進退」(進退両難の象)「不備」。天盤は亥将を申時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に申を見て六合を乘じ、第二課は申の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の寅の上に巳を見て天空を乘じ、第四課は巳の上に申を見て六合を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の壬申は妻財爻で六合を乘じ暗に鬼を帯び、中伝の亥は旬空に落ちて官鬼爻で貴人を乘じ、末伝の丙寅は父母爻で玄武を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:申本時臨日,為日所克,又丙為夫,申為妻,初傳又臨其上,空亡又臨妻宮,目下主克妻,亥四主克四妻,仲冬子息亦克,以六合不得地也。申為西北之金,到巳之爐冶上,必有聲名於西北也。申乘今日之馬,四維皆是,年高歷任,至老不倦也。宅上丙火受寅而生,不可以外內言也。
邵先生は言いました。申はもともと占時の神で日干に臨み、日干に剋されました。丙火は丈夫を表し、申金は妻子を表し、初伝がまたそれを上に圧し、空亡もまた妻宮に臨むので、目下に妻を剋することを主ります。亥の数は四で、前後に四位の妻子を剋去することを主ります。仲冬の時節には子息にも剋が及びます。六合が地を得ないためです。申は西北方の金で、巳という炉冶の上に落ちて鍛錬を受けるので、彼は必ず西北一帯で声名を成就します。申はまた今日の驛馬を乘じ、四隅の位は皆馬の郷で、年は高くとも歴任が輟まず、老いても倦むことを知らないことを主ります。宅位上の丙火は寅木の生を受けるので、これは内外親疏をもって分けて説くことはできません。
將四旬必遇曹姓人而顯身,又坐本命之馬而長生,所以至老不倦也。終於六曹,中傳亥乃月將,不論空亡,但時少遲。月將貴乘臨時上,又臨身作傳,四年之後,便顯自絳帳,從此達於天庭。
四十歳に近くなれば、必ず一人の曹姓の人に遇って挙薦されて顕達します。また本命の驛馬の上に坐して長生を得るので、老いてもなお奔走して倦まず、ついに六曹(尚書省の諸曹)の任上で終局します。中伝の亥はまさに当月の月将で、凡そ月将は空亡を論じず、ただ応期が少し遅れるだけです。月将が貴気を帯びて占時の上に乘臨し、また身位に臨んで三伝に入るので、四年の後、彼はすなわち讲学の絳帳(教授の職)の上から顕達し、ここから一路朝廷に通じます。
又寅來生身,十一月天馬天寅臨天門,玄歸本家,為黑煞,中傳既有天門,末又在天門上以見天,天必出疆見諸侯,然後入奉天子,處六曹中帶刑職者,黑殺之故也。四維主代天子而守四方,必四任也。
さらに寅木が来て日干の本身を生じます:十一月の天馬・天寅が皆天門の亥位に臨み、玄武が自己の本家に回って化して黑煞となります。中伝がすでに天門を占め住み、末伝がまた天門の上に落ちて天を見ることを得たので、彼は必ず先に境外に出使して諸侯を見、それから後に朝に入って天子に侍奉します。将来、六曹の中で刑獄の職務を兼帯します。これはまさに黑煞のゆえんです。四隅の位は天子に代って四方を鎮守することを主るので、彼は必ず四か所の外任を歴任します。
徐君當年服滿從吉,得江州德化縣令,次任二月,次任五月,喪妻楊氏,庚戌再娶李氏,辛亥年宣撫使劉大中保舉,得諸王府教授,李氏又亡,又娶毛氏,此應中傳之亥,自絳帳而入絳帳,從此達於內庭,果然四年自諸王教授,出作饒州通判,丁母憂,再得宣州通判,是時曹泳知州,乃奉大涉上客,曹赴京因薦之,徐隨赴,趙氏死,再娶江氏,轉知江陰州軍,召為監察御史,七月除吏部侍郎,出作奉使兼樞密院承旨,八十六,至老不倦。
後の応験:徐君はその年に服が満ちて喪を除き、江州徳化県令を得ました。次の任は二月に上任し、さらに次の任は五月に上任し、その間に妻の楊氏が去世しました。庚戌年に李氏を続けて娶りました。辛亥年に宣撫使劉大中の保挙を得て、諸王府教授を為しましたが、李氏がまた去世し、再び毛氏を娶りました——これはまさに中伝の亥に応じ、絳帳(教書)から絳帳(王府の講席)に転じて、ここから内廷に通じたのです。果たして四年の後、彼は諸王教授から外に放たれて饒州通判を為し、母が去世して丁憂し、再び起こされて宣州通判を為しました。当時曹泳が知州を為しており、顕要な座上の賓でした。曹泳が京に赴く時に彼を挙薦し、徐君はこれに随って進京しました。この後趙氏が亡故し、また江氏を娶りました。江陰州軍を知るに転任し、監察御史に召され、七月に吏部侍郎を除授され、また外に派されて奉使兼樞密院承旨を為しました。八十六歳まで活き、老いてもなお倦みませんでした。
先生析曰;申為妻,上乘六合,是妻入棺。正時申故,斷目下克妻。十月死氣在卯,加命,六合加申,卯木絕申,故言克子。申為日馬,傳送故有聲名,言西北者自申傳亥也。亥臨申生本命之馬,六合為友得貴,因薦本身得官。貴上寅是功曹,乘玄武為武人本家,為黑煞,故主六曹中刑部,亦是曹姓舉薦。寅臨天門,寅玄加亥也。申是西北金方,巳火到彼煅申成器。又巳為爐,雖作天空,然巳在寅受生,不為空爐矣。
邵先生が解釈して曰く。申は妻を表し、申の上に六合を乘じ、六合は棺木を主るので、これは妻が棺に入る象です。そして占時はまさに申時なので、目下に妻を剋すると断じました。十月の死気は卯にあり、卯が本命に加臨し、六合がまた申に加わり、卯木は申位において絶なので、子女を剋傷すると言ったのです。申は日干の驛馬で、また名を伝送の神というので、声名を得ることができます。声名が西北にあると言うのは、申から一路伝わって亥に至るためです。亥が申に臨んで、まさに本命の驛馬を生起します。六合は朋友を表し、朋友が貴人に遇うので、人の挙薦により官を得たのです。貴人の上の寅は功曹の神で、玄武を乘じれば武人の本家、すなわち黑煞です。だから彼が六曹の中で刑部の事を管すると断じ、しかもなお曹姓の人が挙薦したのです。寅が天門に臨むとは、寅が玄武を帯びて亥に加わることです。申は西北金方に属し、巳火がそこに至ればちょうど申金を鍛錬して器を成します。巳はまた熔炉で、天空を乘じてはいるものの、巳は寅位において生を受けるので、空炉とは算しません。
49)楊秀才辛未生三十九歲占前程,己酉年二月庚戌日亥將辰時。(寅卯空亡,酉戌落空),比用,蕪淫。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 蛇 常 六 陰 父 庚戌 六 初(落空) 六戌 巳常 子 巳 戌 卯 鬼 乙巳 常 中 陳酉申未午虎 巳 戌 卯 庚 子 壬子 蛇 末 龍空
第四十九例:楊秀才は辛未年の生まれで三十九歳、前程を占いに来ました。時は己酉年二月庚戌日で、亥の月将を辰の刻に加えて課を立てました。庚戌日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「比用」「蕪淫」(荒蕪淫溢で、事の散漫して収まらぬことを主る)。天盤は亥将を辰時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の戌の上に巳を見て太常を乘じ、第四課は巳の上に子を見て螣蛇を乘じます。三伝は戌・巳・子:初伝の庚戌は父母爻で六合を乘じて空地に落ち、中伝の乙巳は官鬼爻で太常を乘じ、末伝の壬子は子孫爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:到老奔波,只是士人書會而已。庚上見卯空,已是朽木,不堪琢雕。徒有斫輪虛名,戌為模範,亦落空地,雖是巳之爐火,卻無模範鑄,末傳盜氣,主子孫不讀書,宜改業臨於店業之上,四年後得店屋為宅,家計雖不寬,亦不飢寒,子孫以水磨水碓為生計頗好。蓋斫輪不成,正可作水碓之論,磨舂之範而已。雖不富貴,卻有壽。金長生在巳,巳四,二巳得八,巳上見子得九,八九七十二也。
邵先生は言いました。この人は老いるまで奔波し、終にただ読書人の書会の中の人に過ぎません。庚金の上に卯を見て卯がまた空に落ちたので、それはすでに朽木で、雕琢に堪えません。空しく「斫輪」の虚名があるだけです。戌はもともと器を鑄る模範ですが、偏えにまた空地に落ちました。巳という一炉の火があるものの、鋳るべき模がありません。末伝は我の気を泄すので、子孫が読書を肯んじず、業を改めるべきことを主ります。三伝がまた店鋪産業の上に臨むので、四年後に一所の店屋を得て住宅とします。家計は裕かではないものの、飢え凍えるに至ることもありません。子孫は水磨・水碓に頼って生を維持し、却って悪くありません。「斫輪」がすでに成器しないので、ちょうど水碓の上に落ちて講ずるに至ります——ただ米を舂き麺を磨く模範に過ぎません。この人は富貴ではないものの寿があります:金は巳に長生し、巳の数は四で、二つの巳を合すれば八です。巳の上に子を見て九を得、八乘九は七十二です。
楊讀書淹博,累試不中,後徐侍郎知州,令權教授,人稱楊教授,果是虛名。四十二分得店屋居住,其子作水碓生理,果如先生之言。
後の応験:楊秀才の読書は淵博でしたが、屢々応試して皆中りませんでした。後に徐侍郎が知州を為し、彼に教授の職を代理させ、人々はすなわち彼を楊教授と称しましたが、果たしてただ虚名に過ぎませんでした。四十二歳で一所の店屋を分け得て居住し、彼の息子は水碓で米を舂く商売を起こし、すべて邵先生の言葉に応じました。
50)應秀才本命酉占前程己卯日午將丑時。(申酉空亡,丑寅落空),知一,鑄印,乘軒 。 六陳 朱戌亥子丑龍 蛇酉 寅空 龍 貴 玄 陳 父 辛巳 玄 初 貴申 卯虎 丑 申 巳 子 兄 甲戌 朱 中(暗鬼) 后未午巳辰常 申 卯 子 己 鬼 己卯 虎 末 陰玄
第五十例:応秀才の本命は酉に属し、前程を占いに来ました。日辰は己卯で、午の月将を丑の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「知一」「鑄印」「乘軒」。天盤は午将を丑時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己の上に子を見て勾陳を乘じ、第二課は子の上に巳を見て玄武を乘じ、第三課は日支の卯の上に申を見て貴人を乘じ、第四課は申の上に丑を見て青竜を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の辛巳は父母爻で玄武を乘じ、中伝の甲戌は兄弟爻で朱雀を乘じまた暗鬼、末伝の己卯は官鬼爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:課主吾兄心術多,且又毒,以鼠忌羊頭上,雞驚犬吠喉。凡行皆是妒忌之心,好聞是非,好談人短,所以滅前程也。大凡七殺元辰,若占前程,多妒忌,常占多主事體切害。初破乘武,又是驛馬,面東指西,走南奔北,多圖多覓之人。
邵先生は言いました。この課は老兄の心思が多すぎ、しかも用心が刻毒であることを顕しています:譬えば老鼠が羊の頭に上に圧されることを忌み、鶏が驚いて犬がその喉に吠えるがごとく——至るところ猜忌して相い残す象です。あなたの一挙一動は皆妒忌の心から出て、是非を聞くことを好み、人の短所を言うことを好みます。だから自己の前程を皆毀してしまいました。大凡、課中に七殺・元辰を帯びて、もって前程を占えば、多くはこの人が善く妒むことを主ります。平常の占問でも、多くは事が身に切って害を受けることを主ります。初伝が破に逢って玄武を乘じ、またちょうど驛馬なので、この人は面を東にして指を西に指し、南を走りまた北に奔る、多方に図謀し四処に鑽営する人です。
身宅皆有貴人,而子作勾陳,申作空亡,謂之指空話空,己以巳為父母,加妻宮,為妻所制,又乘馬與破碎,是不在侍傍,蹤跡不定,一不足也。子息倚身,為身所克,子息難得,二不足也。申犯空亡,作夜貴加宅,是神像不安,三不足也。妻臨身宮,上下夾克,若非不和,便多疾病,四不足也。鑄印乘軒之課,巳作玄武加子,上火下水,玄武為賊,謂之走範。卯作白虎加戌,謂之破模。虎傷卯,又為墜軒,故主功名不成。且防覆墜之患也。
身位と宅位の上に皆貴人があるものの、子が勾陳を乘じ、申がまた空亡に落ちる——これを「指空話空」と呼び、指し言うところが皆実処に落ちません。己土は巳火をもって父母としますが、巳は却って妻宮に加わり、妻に制せられ、また驛馬と破碎を乘じます。だから父母が身辺におらず侍養できず、行蹤が定まらない——これが第一件の缺憾です。子息の神は本身に依るものの、本身に剋されるので、子女が得難い——これが第二件の缺憾です。申はすでに空亡を犯し、また夜貴が宅位に加臨するので、家中に供する神像の安放が妥でないことを主る——これが第三件の缺憾です。妻爻が身宮に臨んで上下に夾剋を受けるので、夫妻不和でなければ妻子が多病です——これが第四件の缺憾です。さらに「鑄印乘軒」というこの課を見ます:巳が玄武を乘じて子に加わり、上は火で下は水で、玄武はまた盗賊です。これを「走範」(模範が形を走った)と呼びます。卯が白虎を乘じて戌に加わる——これを「破模」(模子が破れた)と呼びます。白虎が卯を傷る——また「墜軒」(車から墜ち落ちる)と呼びます。だから功名が成らないことを主り、しかも車が転し墜地する禍を防ぐべきです。
後至壬戌二月因爭役乘轎入城,墜而折足,血氣上攻而死。蓋卯為車轎驢騾,己土死於卯,支神最緊,若非己卯日,不可言死。
後に壬戌年二月に至り、彼は差役の事を争うために轎に乗って城に入り、轎の上から墜ち落ちて腿を跌断し、血気が上に冲して死しました。これは卯が車轎・驢騾を表し、己土がまさに卯において死するためです。日支の神の関係が最も緊なので、もし己卯という日辰でなければ、言葉を「死」にまで言い切ることはできません。
51)葉助教四十五歲占前程,戊寅日申將未時。(申酉空亡,酉戌落空),重審,進茹。 空虎 龍午未申酉常 陳巳 戌玄 六 朱 空 龍 兄 庚辰 六 初 六辰 亥陰 辰 卯 未 午 父 辛巳 陳 中 朱卯寅丑子后 卯 寅 午 戊 父 壬午 龍 末 蛇貴
第五十一例:葉助教は四十五歳、前程を占いに来ました。日辰は戊寅で、申の月将を未の刻に加えて課を立てました。戊寅日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「重審」「進茹」。天盤は申将を未時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に未を見て天空を乘じ、第三課は日支の寅の上に卯を見て朱雀を乘じ、第四課は卯の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の庚辰は兄弟爻で六合を乘じ、中伝の辛巳は父母爻で勾陳を乘じ、末伝の壬午は父母爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:干支皆天羅羊刃,四課發傳歸於日上,主目下赴任,但值羅刃,來年寅行到地盤亥上見子,即湊今日之地網。來年必阻父喪。四十九歲到寅上見卯,即是今日支神,卯六數,初辰五數,中巳四數,共十五年。合作監司之職,十六七年必降官閒住;再八年,連前十五年共二十三年而壽阻。
邵先生は言いました。日干・日支の上には皆天羅と羊刃を帯びており、四課が発した三伝はまた日干の上に帰ります。目下に赴任できることを主ります。ただ天羅・羊刃に遇い、明年寅が地盤の亥位に行って子を見れば、ちょうど今日の地網を湊成するので、明年必ず父の喪に阻まれるでしょう。四十九歳に至り、行年が寅上に走到して卯を見れば、卯はまさに今日の日支です:卯の数は六で、初伝の辰の数は五で、中伝の巳の数は四で、合すれば十五年です。その時、監司の職に至るべきです。十六七年目には必ず降官されて閑居し、さらに八年を過ごせば、前の十五年と併せて共に二十三年で、寿数が尽きます。
先生析曰;戊日以午為父又乘青龍;年上子沖午羊刃克父。卯乃戊之官,卯上見 辰,辰為監司,在初傳故有是官。三年由巳到到午,墓絕之地,又午破卯。
邵先生が解釈して曰く。戊土日は午火をもって父母爻とし、午はまた青竜を乘じています。行年上の子が来て午という羊刃を冲するので、父を剋傷します。卯は戊土の官星で、卯の上に辰を見、辰は監司の職を主り、それが初伝に落ちているので、監司を為す機会があります。三年の間に巳から午に走るのは、墓絶の地であり、まして午がまた来て卯(官星)を破るので、降官されるのです。
52)伊秀才戊辰生四十一歲占科試,戊申年癸亥日未將巳時。(子丑空亡,寅卯落空),渉害,不備,間傳,勵德,出戶。 六陳 朱未申酉戌龍 蛇午 亥空 陰 常 貴 陰 鬼 空丑 常 初(空亡) 貴巳 子虎 卯 丑 巳 卯 子 乙卯 陰 中(落空) 后辰卯寅丑常 丑 亥 卯 癸 財 丁巳 貴 末(丁神) 陰玄
第五十二例:伊秀才は戊辰年の生まれで四十一歳、科挙考試のために占いに来ました。時は戊申年癸亥日で、未の月将を巳の刻に加えて課を立てました。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「渉害」「不備」「間伝」「励徳」「出戸」(門戸を走出し、内より外へ、困より通に転ずることを主る)。天盤は未将を巳時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に巳を見て貴人を乘じ、第三課は日支の亥の上に丑を見て太常を乘じ、第四課は丑の上に卯を見て太陰を乘じます。三伝は丑・卯・巳:初伝の丑は旬空に落ちて官鬼爻で太常を乘じ、中伝の乙卯は子孫爻で太陰を乘じて空地に落ち、末伝の丁巳は妻財爻で貴人を乘じまた「丁神」です。
邵先生曰:課名出戶,占試則吉。太陰乘卯作幕貴,加日干,又日貴在末傳,先晦後明,準擬登科也。明年五甲無疑矣。
邵先生は言いました。この課の名は「出戸」で、考試を占うに用いれば吉です。太陰が卯を乘じて幕後の貴を充当し、日干の上に加臨しています。昼日の貴人はまた末伝に落ちています。これは先に暗く後に明るい象で、登科すべきことを断ずることができます。明年に五甲に中ることは疑いありません。
先生析曰;蓋癸亥乃六甲極日,日去就支,主終身如斯而已。喜得舊蒙晦窒,斯道發輝而出。幕貴傳出又出而向日貴,日貴在夜貴之上,故先晦後明。且行年午上乘申,為干支長生,繫文星學堂,合起日貴,寅上辰為本年,晝夜貴人拱之,故必及第也。
邵先生が解釈して曰く。癸亥は六甲一輪の尽頭の日で、日干が往って日支に就くのは、本なら一生がこれだけと主ります。喜ぶべきは、旧日の蒙昧壅塞が、いまこの路が光輝を発し出そうとしていることです。幕後の貴が一路伝え出され、また昼貴に転じます。しかも昼貴がまた夜貴の上にあるので、先に暗く後に明るいのです。まして行年の午の上に申を乘せ、申は干支の長生の地で、また文星学堂の位に繋がり、昼貴と合起することができます。寅上の辰はまさに本年で、昼夜の両貴人が前後に環拱するので、必ず第に登ります。
伊乃伊知縣之弟,屢試不中,今先生許其中,渠甚不信,及試果得第,次年中五甲矣。
伊秀才は伊知県の弟で、屢々応試して皆中りませんでした。いま邵先生が彼に必ず中ると許したので、彼はとても信じませんでした。応試するに及んで、果たして中りました。第二年にまた五甲に考中しました。
53)應寺簿甲戌生三十六歲占前程,己酉年七月丁丑日午將辰時。(申酉空亡,戌亥落空),重審,間傳,凝陰,孤寡。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 空 常 貴 朱 財 空酉 朱 初(空亡) 空巳 子后 巳 卯 亥 酉 鬼 乙亥 貴 中(落空) 虎辰卯寅丑陰 卯 丑 酉 丁 子 丁丑 陰 末(丁神) 常玄
第五十三例:応寺簿は甲戌年の生まれで三十六歳、前程を占いに来ました。時は己酉年七月丁丑日で、午の月将を辰の刻に加えて課を立てました。丁丑日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「間伝」「凝陰」(陰気が凝結して散ぜず)「孤寡」(孤辰と寡宿が併せ見る)。天盤は午将を辰時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に酉を見て朱雀を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の丑の上に卯を見て太常を乘じ、第四課は卯の上に巳を見て天空を乘じます。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉は旬空に落ちて妻財爻で朱雀を乘じ、中伝の乙亥は官鬼爻で貴人を乘じて空地に落ち、末伝の丁丑は子孫爻で太陰を乘じまた「丁神」です。
邵先生曰:寺簿中年,水作官星,宜作朝郎,可為難及。奈何滿局皆貴人,是多謀也。身與初中皆空,慕十不得一,是徒費心也。日上發用加亥官星,末傳支又加亥上,是日支投絕,支來迎絕,兼支上得卯木,丁火敗於卯,丑土死於卯,此非酒色事。蓋日上太歲作雀,是欲上書言事,為此何益?徒貶竄耳。然寺簿所虧有二,斷至如此,其一寵妾而賤妻,其二不孝母,故滅前程,且壽不永。若能改過,尚可延年也。
邵先生は言いました。寺簿はちょうど中年に当たり、水が丁火の日干において官星を為すので、本なら朝官郎署に至るべきで、それは他人の企て及ばないところです。ところが満盤が皆貴人で、貴が多いと却って貴ならず、ただ機謀が多すぎることを顕します。身位と初伝・中伝がまた皆空に落ちるので、想望十件も一件を得ず、心の力を白く費やします。日干上から発用して亥という官星に加臨し、末伝の日支がまた亥に加わります:これは日干が絶地に投向し、日支もまた来て絶地に迎えるものです。これに加えて日支上に卯木を得、丁火は卯において敗れ、丑土は卯において死します——これは酒色一路の事ではありません。日干上は太歳が朱雀を乘じており、彼が上書して時政を議論しようとしていることを説明します。しかしこれに何の益がありましょうか?白く貶謫流放を招くだけです。ただ寺簿には虧欠が二か所あって、こそこのような田地に断じ至ったのです:一は妾室を寵愛して正妻を軽んじたこと、二は母に対して不孝であったことです。これによって前程を毀し、寿数もまた長くありません。倘し改過することができれば、なお年を延すことができます。
應嘿嘿而去,果作書十條呈上,內四條言張廂劉四廂等,或死或竄,實無辜。此時秦檜正嫌此說,若非指明,必招竄貶也。
応寺簿は黙々として言葉なく去りました。後に果たして十条の奏議を書いて呈上し、その中の四条は張厢・劉四厢らのために申し弁じ、彼らが或いは死し或いは流されたのは実に無辜だとしました。当時、秦檜はまさにこの種の言論を忌んでいました。幸いに奏議の中に名を指して挙げなかったので、さもなければ必ず流放貶謫の禍を招いたでしょう。
先生析曰;蓋日上太歲作雀,是欲上書也。日貴作鬼,加歲剋日,是上書必竄也。三傳及日上俱貴人,貴多不貴,慕十不得一也。丁日申為妻,酉為妾,酉加日上,夫又作貴人加之,反克申,申又窗戶發,是寵妾而賤妻也。丁以卯為母,而酉制之,是寵妾而不敬母也。母本宮見巳,會起酉丑,是與母隔而不同居也。丁自敗卯、死酉、絕亥,虧倫傷本,造物不容,何問前程耶?若能克己修德則可,否則禍不旋踵矣。
邵先生が解釈して曰く。日干上は太歳が朱雀を乘じ、朱雀は文書言語を主るので、上書しようとするのです。昼貴が化して鬼となり、太歳に加臨して日干を剋するので、上書すれば必ず流放に遭います。三伝と日干上を連ねて全て貴人で、貴が多すぎて却って貴ならず。だから想望十件も一件を得ません。丁火日は申をもって妻とし酉をもって妾とするのに、いま酉が日干の上に加わり、丈夫の側にはまた貴人の加臨があって反転して申を剋し、しかも申は窓戸の位から発出する——これがすなわち妾を寵して妻を軽んずることです。丁火は卯をもって母とするのに、酉金が却って来て卯木を制伏する——これがすなわち妾を寵して母を敬わないことです。母親の本宮上に巳を見て、巳が酉・丑を会合して局を成すので、母と隔たって一か所に住まないのです。丁火自身は卯において敗れ、酉において死し、亥において絶します——人倫を虧損し根本を傷えば、造化が容れません。なにの前程を問いましょうか。倘し自己を剋制して徳を修め養えばなお救いがあり、さもなければ禍事は転眼のうちに至ります。
酉,丁妾也;辛,丁妻也。妾加日上,寵妾也。辛入亥中,丙日絕。卯,丁母也,酉克之,寵妾制母,使母與妻俱在宅上,而獨與妾居。酉丑,從革課。
別に補注があります:酉は丁火の妾で、辛は丁火の妻です。妾が日干の上に加わるのは、すなわち妾を寵することです。辛金は亥中に入り、まさに丙火の絶地です。卯は丁火の母親で、酉金が来てそれを剋するのは、妾を寵して母を圧制することです。その結果、母と妻は皆宅位の上に留まり、彼は単独で妾と同居します。課中に酉と丑が局を成し、従革の課に属します。
54)馬知丞一作宋馮丞戊辰生四十二歲,占升遷。己酉年十月丙子日卯將丑時。(申酉空亡,戌亥落空),重審,間傳,勵德,登三天。 蛇貴 朱未申酉戌后 六午 亥陰 龍 虎 貴 朱 子 庚辰 龍 初 陳巳 子玄 辰 寅 酉 未 兄 壬午 六 中(暗鬼) 龍辰卯寅丑常 寅 子 未 丙 財 空申 蛇 末(空亡) 空虎
第五十四例:馬知丞(一本は宋馮丞と作る)は戊辰年の生まれで四十二歳、升遷のために占いに来ました。時は己酉年十月丙子日で、卯の月将を丑の刻に加えて課を立てました。丙子日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「間伝」「励徳」「登三天」(三伝が節節上に登り、升遷の象を主る)。天盤は卯将を丑時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に未を見て朱雀を乘じ、第二課は未の上に酉を見て貴人を乘じ、第三課は日支の子の上に寅を見て白虎を乘じ、第四課は寅の上に辰を見て青竜を乘じます。三伝は辰・午・申:初伝の庚辰は子孫爻で青竜を乘じ、中伝の壬午は兄弟爻で六合を乘じまた暗鬼、末伝の申は旬空に落ちて妻財爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:登三天本主升遷之象,但登不過關。關者,子日也。斷不過關,難以升遷。若跳過則又進銳退速,目下必有阻,堂上孺人定難久遠。白虎入宅,父母乘之,主父母棺內白蟻蝕壞,遂成災咎,不利子孫。
邵先生は言いました。「登三天」はもともと升遷を主る象ですが、惜しいのは登っても関口を過ることができないことです。ここの関口とは、すなわち子の日(日支)です。すでに関を過ることができないと断じた以上、升遷は難しい。たとい勉強して跳び越えても、進むは急で退くは速いです。目下必ず阻礙があり、家中の老太太は恐らく世に在っても久しくありません。白虎が宅位に入り、父母爻がまたそれを乘じているので、父母の棺木の中が白蟻に蛀壊され、これによって灾を成し咎を成し、子孫に不利です。
先生析曰;蓋辰為命,為丙火子孫,自子升起登三天,卻及身而止午撞巳而止,故曰及身,末傳雖透過身去,又是空亡,所以子孫不利也。
邵先生が解釈して曰く。辰は本命でありまた丙火の子孫爻です。三伝は子位から起步して上へ三重の天を攀登しますが、本身のところに升って来ると止まってしまいます——午が巳(丙の寄宮)に撞き当たってさらに前に進めないので、「及身而止」と言います。末伝は身位を透り過ごして前に一歩行きはしたものの、偏えにまた空亡に落ちるので、子孫に不利なのです。
55)趙將仕丁巳生一十二歲占武試,戊申年十二月庚辰日子將子時。(申酉空亡,申酉落空),伏吟,自任,元胎,趙生於丁巳年六月七日亥時。 蛇貴 朱巳午未申后 六辰 酉陰 六 六 后 后 兄 空申 后 初 勾卯 戌玄 辰 辰 申 申 財 戊寅 龍 中 龍寅丑子亥常 辰 辰 申 庚 鬼 辛巳 雀 末 空虎
第五十五例:趙将仕は丁巳年の生まれで十二歳、武挙考試のために占いに来ました。時は戊申年十二月庚辰日、占時は子の刻で、月将もまた子です。将時が同位で「伏吟」を成しました(趙将仕は丁巳年六月初七日亥時の生まれ)。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の申・酉二支もまた空亡宮を正しく押さえています。ほかに課名は「自任」「元胎」。天盤の布き方:貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は伏吟のため二つ二つ同じです:庚金の寄宮は申にあり、第一課は申が庚に加わり、第二課は申が申に加わり、いずれも天后を乘じ、第三課は日支の辰が辰に加わり、第四課は辰が辰に加わり、いずれも六合を乘じます。三伝は申・寅・巳:初伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で天后を乘じ、中伝の戊寅は妻財爻で青竜を乘じ、末伝の辛巳は官鬼爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:將仕之祿,乃虛祿也。夫武職兵權,惟要金盛,無金何武?此課無武有文,今任必不赴,改岳廟之職,就彼處宜讀書取科第也。己酉中舉,庚戌登科,二甲二十一名。
邵先生は言いました。趙将仕のこの禄は虚禄です。凡そ武職・兵権は、金気が旺盛であることを要します。金気が足りなければ、何をもって武官を為しましょうか。この課は武象がなく文象があるので、目下のこの差使はきっと赴くことができず、岳廟の閑職に改授されるでしょう。そこに至ってちょうど読書して科挙を考試します。己酉年に挙に中り、庚戌年に科に登り、二甲の第二十一名に名列しました。
先生析曰;蓋庚祿在申,祿空,太常又不入傳,故不可為武。寅上青龍入廟,天后為恩澤神,故宜習文。末巳作朱雀,一為長生,又為官星學堂,故主科甲。日干天地盤皆空,祿空,故武不成。宜岳廟者,宅上見辰,辰為山崗,寅為廟,故宜就岳廟讀書而取功名也。
邵先生が解釈して曰く。庚金の禄は申にあり、いま禄は空亡に落ち、太常(俸禄の神)もまた三伝に入りません。だから武官を為すことができません。寅上で青竜が地を得て廟に入り、天后はまた恩沢を主る神なので、読書して文を習うに適します。末伝の巳は朱雀を乘じ、巳はすなわち庚金の長生であり、また官星と学堂の位なので、中科甲を主ります。日干は天盤・地盤の上で共に空に逢い、禄までも空なので、武途は成りません。岳廟に就くに宜しいと言うのは、宅位上に辰を見、辰は山岡を主り、寅は廟宇を主るので、岳廟の中に往って読書して功名を求取すべきだからです。
趙不信,後果不能赴廣南任,遂授潭州岳廟,因邀數人同讀書,己酉投國子監中舉,庚戌及第。末傳命上巳乘朱雀為文章,又日之長生學堂官星,庚德在申與巳合,應得文官。
趙将仕は当時信じませんでした。後に果たして広南の任に赴くことができず、潭州岳廟の閑職に改授されました。彼はすなわち幾人かを邀えて共に読書し、己酉年に国子監に投考して挙に中り、庚戌年に第に登りました。これはまさに末伝に応じたのです:本命の上の巳が朱雀を乘じて文章を主り、巳はまた日干の長生・学堂と官星の在るところです。庚金の徳神は申にあり、申は巳と相合するので、文官を得るべきです。
56)鄒大官人庚辰生三十歲占比試弓馬取功名,己酉年四月初一戊申日酉將申時。(寅卯空亡,卯辰落空),昂星,轉蓬。 空虎 龍午未申酉常 陳巳 戌玄 玄 常 空 龍 兄 庚戌 玄 初 六辰 亥陰 戌 酉 未 午 子 己酉 常 中 朱卯寅丑子后 酉 申 午 戊 父 丙午 龍 末 蛇貴
第五十六例:鄒大官人は庚辰年の生まれで三十歳、弓馬を比試して武功名を博取するために占いに来ました。時は己酉年四月初一日戊申日で、酉の月将を申の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「昴星」(またの名を虎視、四課に剋なくして昴星を取って発用とする)「転蓬」(飛蓬が風に随いて転徙するがごとく、漂泊して定まらぬことを主る)。天盤は酉将を申時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に未を見て天空を乘じ、第三課は日支の申の上に酉を見て太常を乘じ、第四課は酉の上に戌を見て玄武を乘じます。三伝は戌・酉・午:初伝の庚戌は兄弟爻で玄武を乘じ、中伝の己酉は子孫爻で太常を乘じ、末伝の丙午は父母爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:課得昴星,名虎視,身上有馬而無弓,馬帶陽刃,若見焦黃馬,決不可騎,為他所害。況所走之地,有汙穢,不可令新衣人在傍,如要去,須先解禳。
邵先生は言いました。課に「昴星」を得、別名「虎視」。あなたの身辺には馬があるものの弓がなく、しかも馬は陽刃を帯びています。もし焦黄色の馬に逢ったら、決して騎ってはなりません。騎ればそれに傷つけられます。ましてあなたが往くそのところには汚穢の気があり、新衣を著た人を傍に置いてはなりません。もし行かざるを得なければ、まず一場の解禳を為すのが良いです。
蓋干支上各自刑,賓主不投;行年上申,申是箭,卻不得地。干見酉,支見午,名四勝殺,主各逞其能。陽刃午作青龍,僅得兵部垂顧,初戌作玄武,又六害,如何比得中?鄒後果屢試不中,得趙侍郎權兵部,乃與他一虛官銜。
これは日干・日支の上が各々刑を成し、主賓が相投合しないためです。行年上は申で、申は箭の象を取りますが、偏えに地を得ません。日干上に酉を見、日支上に午を見る——これを「四勝煞」と呼び、各方が皆強を逞し勝を鬬うことを主ります。陽刃の午は青竜を乘じるので、ただ兵部の一点の照顧を得るのみです。初伝の戌は玄武を乘じ、また六害を成します。これでどうして比試に中ることができましょうか。鄒大官人は後に果たして屢試して中らず、ただ趙侍郎が兵部の事務を代理した時、彼に一つの虚銜を与えただけでした。
先生析曰;蓋巳為弓,申為箭,今有馬有箭,而無弓,所以事終不成也。
邵先生が解釈して曰く。巳は弓の象を取り、申は箭の象を取ります。いま課中には馬があり箭があるのに、偏えに弓がありません。だからこの事は終に成すことができないのです。
57)龔縣尉辛巳生十二九歲,占前程。己酉年十月壬午日寅將寅時,(申酉空亡,申酉落空),伏吟,自任,杜傳。 六陳 朱巳午未申龍 蛇辰 酉空 六 六 常 常 兄 乙亥 常 初 貴卯 戌虎 午 午 亥 亥 財 壬午 六 中 后寅丑子亥常 午 午 亥 壬 兄 丙子 玄 末 陰玄
第五十七例:龔県尉は辛巳年の生まれ(底本は「十二九歳」と作るが、年数に訛字あり、照録して改めず)、前程を占いに来ました。時は己酉年十月壬午日、占時は寅の刻で、月将もまた寅です。将時が同位で「伏吟」を成しました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の申・酉二支もまた空亡宮を正しく押さえています。ほかに課名は「自任」「杜伝」。天盤の布き方:貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は二つ二つ同じです:壬水の寄宮は亥にあり、第一課は亥が壬に加わり、第二課は亥が亥に加わり、いずれも太常を乘じ、第三課は日支の午が午に加わり、第四課は午が午に加わり、いずれも六合を乘じます。三伝は亥・午・子:初伝の乙亥は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の壬午は妻財爻で六合を乘じ、末伝の丙子は兄弟爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:此課本身,現在戴祿,又兼太常,必有兼職之事,俸祿亦增。若論升轉則未。蓋干支自刑,日後因後其寵,遂做不廉之事,又因納一寵妾,貪色尋醫而治,欲解任不能,幸遇一外路監司懇告,遂得解任。伏吟時下未發,只等替時自見耳。
邵先生は言いました。この課は本身が正しく禄神を戴いており、また太常(俸禄の神)を兼ねているので、必ず別の職を兼攝する事があり、俸禄もまたこれに随って増えます。ただ升遷・転官と言えば、なお及びません。日干・日支が互いに自刑を成すので、日後に上司の寵信を受けたために清廉でない事を為します。また一人の寵妾を納れて、女色を貪恋したために医を尋ねて調治するに至ります。その時に辞職し卸任しようとしても辞すことができませんが、幸いに一人の外路の監司に遇い、彼に懇切に陳説して、ようやく卸任を得ました。伏吟の課は目下発動しません。ただ交替換任の時を待つと、自ずから分曉が見えます。
先生析曰;蓋干支自刑,主自滿月建前一辰,子上是玄武,乃為天醫,沖起行年上午之六合,晝貴又乘後,為干之偏財,乃妾也。上見武合後,故主貪色不正,子又為天醫,故主尋醫之兆。子午乃官員往來之所,道路神也。月建前神是外監司,必外除方解。
邵先生が解釈して曰く。日干・日支が自刑するのは、この人が自満自大であることを主ります。月建の前一位の子の上は玄武で、玄武はここで天医の神を充当し、それが行年上の午の六合を冲起します。昼貴はまた天后を乘じ、天后は日干の偏財、すなわち妾です。子上の玄武が天后と相合するので、色を貪り行為が正しくないことを主ります。子はまた天医なので、医を尋ね治を求める兆しがあります。子・午は官員の往来する所で、道路の神に属します。月建の前一位の神は外路の監司を表すので、必ず外任の官員が面に出てこそ職を解くことができます。
龔尉因主簿壞去,遂權其職,得太守寵,遂傍若無人,乃干支自刑,故自滿也。又納一妾,下稍元合,多不正,正餘言皆驗。亥祿重並,是兼職。
後の応験:龔県尉は主簿が事を犯して職を去ったため、すなわち主簿の職務を代理し、また太守の寵信を得て、ここにおいて旁若無人となりました——これはまさに日干日支が自刑して自満する応験です。彼はまた一人の妾を納れ、後に至り玄武と六合が相い并び、行事に多く正しからざることがあり、その余に断じたところもまた一々応験しました。亥という禄神が重畳して併せ見えたのは、ちょうど両職を兼攝したことに応じます。
58)郭巡轄本命寅,行年酉,占赴任,己酉年戊申日酉將子時。(寅卯空亡,亥子落空),元胎,比用,不備。郭生戊寅年六月十三日子時,三十二歲四月初一占。 陳六 龍寅卯辰巳朱 空丑 午蛇 龍 朱 常 龍 鬼 空寅 龍 初(空亡) 虎子 未貴 寅 巳 亥 寅 財 辛亥 常 中(落空) 常亥戌酉申后 巳 申 寅 戊 子 戊申 后 末 玄陰
第五十八例:郭巡轄は本命が寅に属し、行年は酉にあり、赴任のために占いに来ました。時は己酉年戊申日で、酉の月将を子の刻に加えて課を立てました(郭某は戊寅年六月十三日子時の生まれで三十二歳、四月初一日に占いに来ました)。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「元胎」「比用」「不備」。天盤は酉将を子時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に寅を見て青竜を乘じ、第二課は寅の上に亥を見て太常を乘じ、第三課は日支の申の上に巳を見て朱雀を乘じ、第四課は巳の上に寅を見て青竜を乘じます。三伝は寅・亥・申:初伝の寅は旬空に落ちて官鬼爻で青竜を乘じ、中伝の辛亥は妻財爻で太常を乘じて空地に落ち、末伝の戊申は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:大凡占官要見官,今寅值龍作官,奈何寅空,必不得也。卻就支宅上去作朱雀,乃戊祿臨支也,宅神申又加亥為末傳,此仕莫非虛度。蓋寅是官星,巳是祿位,寅乘龍不空,即當赴任,即空反作鬼論,鬼來逼日,去日加支,克支之神,主權攝不正。又戊祿在巳,巳與申合,祿在支,故正任不可望,卻乃食祿。內主陳姓久不足,且當西南上避嫌,待陳姓退去,方得正任。行年上午乘蛇臨行時主婦人纏繞也。
邵先生は言いました。大凡、官職を占うには最も官星を見ることを要します。いま寅木が青竜を乘じて官星を充当していますが、寅がちょうど空亡に落ちているので、この官は必ず得られません。官星が反転して日支の宅位の上に走って朱雀を乘じているのは、戊土の禄神が日支に臨んでいるからです。宅神の申がまた亥に加わって末伝を作すので、この一任の官はただ光陰を虚度するに過ぎないことが見えます。寅は本は官星で、巳は本は禄位です。寅がもし竜を乘じて空に落ちなければ、正式に赴任すべきでした。いま空に落ちた以上、反転して鬼として論じなければなりません:鬼が来て日干を逼り、日干がまた往って日支に加臨して、日支を剋する神を成したので、ただ他人の職事を代理して名分が正しくないことを主ります。また戊土の禄は巳にあり、巳は申と相合し、禄が日支の上に落ちるので、正式の任命は望めず、ただ一份の俸禄を食むことができるだけです。内に主なのは、ある陳姓の人が長期にわたり彼と合わないことで、目下西南の方へ往って回避すべきです。陳姓の者が退き去るのを待って、ようやく正式に補任を得ます。行年上の午は螣蛇を乘じて出行の時に臨むので、なお婦人の糾纏があることを主ります。
鄧果於當年十一月上任,因陳提刑與伊尊人有仇隙,故行至半途,遂不敢往,經過鄂州,素與太守有舊,遂令權公使及酒稅。至次年八月陳替去,鄧始得到任。
後の応験(底本はここで記す姓氏を「鄧」と作り、上文の「郭巡轄」と合わないが、照録して改めず):彼はその年の十一月に身を動かして任に赴きましたが、陳提刑が彼の父と旧怨があったため、半路に走ると敢えて前に進みませんでした。鄂州を路過した時、もともと鄂州太守と交情があったため、留められて公使庫と酒税の事を代理しました。第二年八月に至り、陳提刑が任満して調され去り、彼はようやく正式に到任を得ました。
59)徐學士戊辰年正月初四日寅時生,行年四十一歲,占前程。戊申年二月甲子日亥將巳時。(戌亥空亡,寅卯落空),反吟,元胎,渉害。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 蛇 虎 后 龍 兄 丙寅 后 初(落空) 陳酉 辰玄 子 午 寅 申 鬼 壬申 龍 中 龍申未午巳常 午 子 申 甲 兄 丙寅 后 末(落空) 空虎
第五十九例:徐学士は戊辰年正月初四日寅時の生まれで、行年は四十一歳、前程を占いに来ました。時は戊申年二月甲子日で、亥の月将を巳の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「元胎」「渉害」。天盤の布き方:貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の子の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に子を見て螣蛇を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の丙寅は兄弟爻で天后を乘じて空地に落ち、中伝の壬申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝はまた丙寅で、依然として兄弟爻・依然として天后を乘じ・依然として空地に落ち、首尾が往返して、まさに反吟に合します。
邵先生曰:此課庚戌年徐充解及第,其子治春秋亦及第,在五甲;本身及第,唱名在第三甲,其子則曰亦霑恩及第,在第五甲;銓試不中,六月授潭州司戶,七月病死。蓋日上見申,讀書人見之為無後,又是太歲來克身,當年可見不寧。何直至庚戌年及第方死耶?
邵先生は言いました。この課に照らして見れば、庚戌年に徐学士は充解の資格をもって第に登り、彼の息子は《春秋》を治めてまた第に登れるでしょう。五甲に名列します。本人は登第して唱名が第三甲にあり、息子は恩沢に沾って及第し、第五甲に列します。その後銓試に中らず、六月に潭州司戸を授けられ、七月に病死しました。これは日干上に申を見、読書人が申を見れば後嗣がないことを主るためです。申はまた太歳が来て本身を剋するので、その年に安寧でないことが見えます。さて、どうして偏えに庚戌年に登第してから後に死するのを待つのでしょうか?
先生析曰;蓋行年上子水生甲木,宅上午火制申金,且是催官使者,須見官而後死。及至庚戌年,行年在申,甲木絕於申,故死。初末寅作天后,兩重兩露恩神,在官星之上,官星加寅甲與寅皆承其恩澤。甲乃尊也,父也;寅乃卑也,子也。故俱霑恩。庚戌年身死,甲寅年子死,乃刑沖之故。又行年神克第三課,死神乘白虎入宅,為水所克,又甲木以午為子息,故子必受殃也。
邵先生が解釈して曰く。行年上の子水は甲木を生ずることができ、宅位上の午火はまた申金を制伏することができます。しかも午はなお官を催す使者なので、必ずまず官職を見てから後に死します。庚戌年に至ると、行年は申に走到し、甲木は申において絶するので、身が死します。初伝と末伝の寅は皆天后を乘じ、二重の恩沢の神が官星の上に圧します。官星がまた寅位に加臨するので、甲と寅とが皆この恩沢を承受します。甲は尊長であり父であり、寅は卑幼であり子なので、父子二人が共に恩に沾って登第します。庚戌年に本人が身死し、甲寅年に息子が死ぬのは、皆刑冲の致すところです。さらに行年の神が第三課を剋し、死神が白虎を乘じて宅位に入り、また水に剋されます。甲木は午をもって子息とするので、息子は必ず殃に遭います。
60)謝省元乙丑生四十五歲歲占赴省試,己酉年九月甲子日卯將寅時。(戌亥空亡,亥子落空),重審,進茹。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 龍 空 六 陳 財 戊辰 六 初 六辰 亥常 寅 丑 辰 卯 子 己巳 朱 中 陳卯寅丑子虎 丑 子 卯 甲 子 庚午 蛇 末(暗鬼) 龍空
第六十例:謝省元は乙丑年の生まれで四十五歳、省試に赴くために占いに来ました。時は己酉年九月甲子日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「重審」「進茹」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に卯を見て勾陳を乘じ、第二課は卯の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の子の上に丑を見て天空を乘じ、第四課は丑の上に寅を見て青竜を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の戊辰は妻財爻で六合を乘じ、中伝の己巳は子孫爻で朱雀を乘じ、末伝の庚午は子孫爻で螣蛇を乘じ、暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:謝省元三次到場,今次定不得,更五次不遂,不免受文學中心病而死,煩董兄與他說知之,異日亦要課驗,餘不敢面說也。蓋甲日迤邐生去,更不回顧,以此言之,無文學尚可,有則不利。蓋因亥加戌,亥乃甲之長生學堂,甲子旬亥戌空亡,學堂加空,而宅上日貴又乘天空,故虛名文學耳。中末傳巳午脫去,不意午之心病,見蛇病必死。謝果省試不中,後為文學不遂,遂納賄,又是五甲,甚不如意,歸來遂成心病,辛酉年十一月卒。
邵先生は言いました。謝省元はすでに三度考場に進みましたが、この次もまたきっと中ることはできません。さらに後へ五度も皆心愿に遂わず、ついに文学上で郁結して心病を成すことで死するを免れません。煩わしいですが董兄、私に代ってこの言葉を彼に転告してください——日後はいずれ課験に験すことになり、私自身は面と向かって言うことを敢えてしません。これは甲木の日干が一路順に生泄して往き、頭を回らないためです。このように講ずれば、この人は文才がない方が却って良く、文才があれば反転して不利です。原因は亥が戌に加わることに在ります:亥は本は甲木の長生と学堂の位なのに、甲子旬中では亥・戌がまさに空亡で、学堂が空地に加臨しています。宅位上の昼貴はまた天空を乘じているので、文学はただ虚名に過ぎません。中伝・末伝の巳・午は皆泄気して去ります。思いがけず午はまさに心病を主り、午はまた螣蛇を見るので、病を得れば必ず死します。謝省元は果たして省試に中らず、後に文学上で志を得ず、行賄して進を求めに行きましたが、結果はなお五甲で、とても意に称しませんでした。家に帰って後に心病を成し、辛酉年十一月に去世しました。
先生析曰;蓋甲木生巳午蛇雀諸火,木又隨火上火,又去南奔,本主便死。因背後有行年見亥,亥加戌,尚有虛名而未死耳。造化前定,所以不由人也。
邵先生が解釈して曰く。甲木が往って巳・午と螣蛇・朱雀という一路の火神を生じ、木がまた火気に随いて上へ升騰し、ひたすら南方へ奔って往くので、本来すぐに死すべきところです。ただ背後に行年が亥を見て、亥がまた戌に加わるので、なお一つの虚名を挂けて、しばらく死なずにいるだけです。造化はすでに早くから注定していて、人に由ることではありません。
61)趙公占子國子監試,其子戊子年正月十三日酉時生二十二歲,己酉年辛巳日子將亥時。(申酉空亡,酉戌落空),遙克,蒿矢,進茹。 龍空 陳午未申酉虎 六巳 戌常 龍 陳 陰 玄 鬼 壬午 陳 初 朱辰 亥玄 未 午 子 亥 父 癸未 龍 中 蛇卯寅丑子陰 午 巳 亥 辛 兄 空申 空 末(空亡) 貴後
第六十一例:趙公が息子のために国子監の考試を占いました。彼の息子は戊子年正月十三日酉時の生まれで二十二歳。時は己酉年辛巳日で、子の月将を亥の刻に加えて課を立てました。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「遥剋」「蒿矢」「進茹」。天盤は子将を亥時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に亥を見て玄武を乘じ、第二課は亥の上に子を見て太陰を乘じ、第三課は日支の巳の上に午を見て勾陳を乘じ、第四課は午の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は午・未・申:初伝の壬午は官鬼爻で勾陳を乘じ、中伝の癸未は父母爻で青竜を乘じ、末伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:此課主洩精,否則小便腳手痠痛,四肢無力,二三月皆是病月,四月方安,官星臨廚,必入天廚。今年必高中,官星作幕貴也,癸丑及第寅貴加丑上之故,只是不享,終三十五歲矣。趙生自十九歲每患遺精,公因其病,以婢與之為伴,恐其未有房室也。當年發舉,癸丑及第,為司戶,三月丁巳再授司理,己未丁憂,癸亥三十五歲愛圅按此句當是己丑年生十月十二日死。
邵先生は言いました。この課は遺精の疾を主り、さもなくば小便不利・手脚痠痛・四肢無力です。二月・三月は皆病月で、四月に至ってようやく安です。官星が厨灶の位に臨むので、将来必ず天厨(膳食を掌る官署)に入ることができます。今年は必ず高く中ります。官星が幕後の貴を充当するからです。癸丑年に第に登るのは、寅位の貴人が丑の上に加わるためです。ただ福分が厚からず、寿数は三十五歳に止まります。趙家のこの公子は十九歳から常に遺精を患い、趙公は彼に病があるため、彼に一人の婢女を与えて伴を為させました。彼がまだ房室の事がなかったからです。その年に彼は挙に中り、癸丑年に第に登り、司戸を為しました。三月丁巳に司理を再授され、己未年に丁憂、癸亥年に三十五歳で去世しました(輯者程愛圅按:この句は己丑年の生まれ・十月十二日に死と作るべきです)。
先生析曰;蓋十月辛上見亥作元武,一金生二水,水主腎,自然遺洩,不合末又入空,空上又見天空,是得官徒空也。申七未八,空亡減半,平生為亥所苦,故又見癸亥年而死。
邵先生が解釈して曰く。十月のうち辛金の上に亥を見て玄武を乘じれば、一重の金が往って二重の水を生じます。水は人身において腎を主るので、自然に遺泄の疾があります。あいにく末伝がまた空亡の中に落ち込み、空亡の上にまた天空を見るので、官を得てもまた一場の空です。申の数は七で、未の数は八で、空亡に逢ったため半分に減じて計算します。彼の一生は亥水に苦しめられたので、また癸亥というこの年に身死に応じました。
62)邵二十一公占孫前程,同此數。邵公繫癸巳年四月十二日丑時生,七十六歲,其孫二十二歲愛圅按邵公之年歲當是戊申年占,其孫乃丁亥命也 龍空 陳午未申酉虎 六巳 戌常 龍 陳 陰 玄 官 壬午 陳 初 朱辰 亥玄 未 午 子 亥 父 癸未 龍 中 蛇卯寅丑子陰 午 巳 亥 辛 兄 空申 空 末(空亡) 貴後
第六十二例:邵二十一公が孫子のために前程を占い、得た課式は上一例と同じです。邵公は癸巳年四月十二日丑時の生まれで七十六歳、彼の孫は二十二歳(輯者程愛圅按:邵公の年歳から推算すれば、これは戊申年に占ったはずで、彼の孫は丁亥年の生まれのはずです)。課式はなお:貴人が寅に乘り、螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に亥を見て玄武を乘じ、第二課は亥の上に子を見て太陰を乘じ、第三課は日支の巳の上に午を見て勾陳を乘じ、第四課は午の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は午・未・申:初伝の壬午は官星で勾陳を乘じ、中伝の癸未は父母爻で青竜を乘じ、末伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:課主虛洩,宅上火生土,土又生金,不獨前程不顯,尚有天喪之患。蓋連茹喜進不喜空亡,更四年腎病而死。邵公之孫果清瘦患遺洩,至壬子年十二月身死。夫辛金生二水,初鬼作勾,若女占即吉,男子未娶是克也。己酉娶妻後,成癆而卒。末傳同類空,諸孫皆前後喪。
邵先生は言いました。この課は虚損滑泄を主ります。宅位上で火が土を生じ土がまた金を生じるので、前程が顕達しないのみならず、夭折の憂いがあります。「連茹」の課は歩々前進するを喜び、最も空亡に落ちることを忌むからです。さらに四年を過ごせば、腎病により死するでしょう。邵公の孫は果たして清痩して遺泄の症を患い、壬子年十二月に身故しました。辛金が往って二重の水を生じ、初伝の鬼爻が勾陳を乘じています:もし女子が占いに来たなら、これは却って吉です。男子でまだ妻を娶っていなければ、身を剋する象です。彼は己酉年に妻を娶った後、すなわち癆病を成して死しました。末伝の同類の兄弟爻が空に落ちるので、幾人もの孫が前後して皆夭亡しました。
先生析曰;蓋亥加辛乃面前脫氣,午勾是日貴作鬼入宅,支干上皆自刑,自支上一陰至亥乃六陰也,一味行陰道,如何得久?更何問功名?愛圅曰,課同斷異因亥為本命而脫干,故其凶較甚。
邵先生が解釈して曰く。亥が辛に加わるのは、当面の泄気です。午が勾陳を乘じるのは、昼貴が化して鬼となって宅位に入るものです。日干・日支の上はまた皆自刑です。日支上の一重の陰気から一直に亥まで數えれば、共に六重の陰です。ひとえに陰道を走るので、どうして長久できましょうか。功名を問うまでもありません。輯者程愛圅が曰く:この課は上一例と課式が同じで断語が異なるのは、亥がまさに彼の孫の本命であり、亥がまた日干の気を泄すため、凶象が格別に重いのです。
63)何知丞丙寅二月三日酉時生,四十三歲,占赴任,戊申年十二月癸丑日丑將未時。(寅卯空亡,申酉落空),反吟,稼穡,勵德,遊子。 虎常 空亥子丑寅玄 龍戌 卯陰 常 朱 常 朱 鬼 丁未 朱 初(丁神) 陳酉 辰后 丑 未 丑 未 鬼 癸丑 常 中 六申未午巳貴 未 丑 未 癸 鬼 丁未 朱 末(丁神) 朱蛇
第六十三例:何知丞は丙寅年二月初三日酉時の生まれで四十三歳、赴任のために占いに来ました。時は戊申年十二月癸丑日で、丑の月将を未の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「稼穡」(三伝の丑未が皆土)「励徳」「游子」。天盤の布き方:貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に未を見て朱雀を乘じ、第二課は未の上に丑を見て太常を乘じ、第三課は日支の丑の上に未を見て朱雀を乘じ、第四課は未の上に丑を見て太常を乘じます。三伝は未・丑・未:初伝の丁未は官鬼爻で朱雀を乘じ「丁神」です。中伝の癸丑は官鬼爻で太常を乘じ、末伝はまた丁未で、依然として官鬼・依然として朱雀を乘じ・依然として丁神です。
邵先生曰:此課舊政上又見舊政,不知已有幾年。何曰:有三年。先生曰:以此觀之,第六年方得赴任。何以為不然。蓋何欲歸安縣,被吏部差一考,果六年至任。先生曰:知丞終此任矣。果六年至任,八年喪歸。
邵先生は言いました。この課は旧任の上にまた旧任を見るもので、あなたはすでに何年候いているのですか?何知丞は言いました:三年あります。邵先生は言いました。このように見れば、第六年に至ってようやく赴任できます。何知丞は然りとしませんでした。もともと彼は帰安県に上任しようと思っていましたが、吏部にまた一層の考核を加えられ、果たして第六年まで引き延ばされてから到任しました。邵先生はまた言いました:知丞のこの一任がすなわち最後の一任です。後に果たして第六年に到任し、第八年に身死して霊柩が郷に帰りました。
先生析曰;蓋戊申年未為舊政,初末日辰皆見,又十二月月建丑,又加於舊上,來往皆是舊人,故不能速。未八是八年,滿盤是鬼,丑為墓田,未與常加之故然。
邵先生が解釈して曰く。戊申というこの年、未はまさに旧任を表します。初伝・末伝と日・辰の上を連ねて至るところにそれを見ます。まして十二月の月建は丑で、丑がまた旧任の上に加わり、来来往往は皆旧人なので、事は快くなりようがありません。未の数は八なので、八年の数に応じます。満盤は皆鬼爻で、丑はまた墓田で、これに未が太常と相い臨むのを加えるので、彼がこの任に終わると断じたのです。
64)陳學諭辛未十二月二十八日生三十八歲,占前程,戊申年九月甲申日辰將亥時。(午未空亡,亥子落空),比用,鑄印。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后 空 龍 貴 父 戊子 龍 初(落空) 蛇申 卯常 午 丑 子 未 子 癸巳 陰 中 貴未午巳辰玄 丑 申 未 甲 財 丙戌 六 末 后陰
第六十四例:陳学諭は辛未年十二月二十八日の生まれで三十八歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月甲申日で、辰の月将を亥の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「比用」「鑄印」。天盤は辰将を亥時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に未を見て貴人を乘じ、第二課は未の上に子を見て青竜を乘じ、第三課は日支の申の上に丑を見て天空を乘じ、第四課は丑の上に午を見て天后を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の戊子は父母爻で青竜を乘じて空地に落ち、中伝の癸巳は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丙戌は妻財爻で六合を乘じます。
邵先生曰:干支皆墓,主前程遲滯,凡事不通。今喜甲申旬未乃空亡,本身之墓既空,漸次脫去,次第亨通。初傳遇貴人六害,不利考試,偏堂太陰亦不利,旬末終為病擾妻宮,加子主無子,今年防被醫人所誤,行年上申為醫而為蛇鬼故耳,本命是木,墓在本身上,貴人又來空,乃是虛貴,宅上又帶墓,宅既不顯,人亦不興,三十發解便不濟,如處雲霧中,妻亦不利。
邵先生は言いました。日干・日支が共に墓に坐するので、前程が遅滞し諸事が通じないことを主ります。いま喜ぶべきは、甲申旬中に未がまさに空亡に落ちることです。本身の墓庫がすでに空に落ちれば、漸々脱け出て、一歩一歩亨通に転じます。ただ初伝が貴人の六害に遇うので考試に不利で、偏堂の太陰もまた利ありません。旬尾に至ってついに疾病に擾され妻宮に妨げがあります。子位に加臨すれば無子を主ります。今年は医師に誤治されることを防ぐべきです——行年上の申がすでに医師を主り、また化して螣蛇の鬼となったためです。彼の本命は木に属し、墓庫がすなわち本身の上に圧しています。貴人がまた空亡の中に落ちるのは虚貴です。宅位上にも墓を帯び、宅がすでに顕達できなければ、人もまた興旺できません。三十歳で郷薦に中っても事を済ません、至るところ雲霧の中に身を置くがごとくです。妻子の事もまた順利ではありません。
其人果受乳母之氣,得心痛疾,九年而卒,妻血病五年卒。本年患痢,醫人誤為熱症,幾死,庚申年亡。未為木墓。
後の応験:この人は果たして乳母の気を受け、心痛病を得て、九年後に去世しました。妻は血症を患い、五年後に去世しました。その年彼は痢疾を患い、医師が誤って熱症として治したので、ほとんど命を喪いました。庚申年に至り身亡しました。これは未がまさに木の墓庫だからです。
65)施主簿乙亥年七月初二日亥時生,三十四歲,占前程。戊申年九月十五丙申日辰將丑時。(辰巳空亡,未申落空),重審,元胎,不備,贅婿。 貴后 蛇申酉戌亥陰 朱未 子玄 虎 陰 陰 蛇 財 丙申 蛇 初(落空) 六午 丑常 寅 亥 亥 申 鬼 己亥 陰 中 陳巳辰卯寅虎 亥 申 申 丙 父 壬寅 虎 末(暗鬼) 龍空
第六十五例:施主簿は乙亥年七月初二日亥時の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月十五日丙申日で、辰の月将を丑の刻に加えて課を立てました。丙申日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「元胎」「不備」「贅婿」。天盤は辰将を丑時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に申を見て螣蛇を乘じ、第二課は申の上に亥を見て太陰を乘じ、第三課は日支の申の上に亥を見て太陰を乘じ、第四課は亥の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の丙申は妻財爻で螣蛇を乘じて空地に落ち、中伝の己亥は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の壬寅は父母爻で白虎を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:支來就干,為干所克,其人無正宅,多在寺觀及外處居住,或在妻家。蓋課名贅婿,所以無正居也。傳見蛇虎必多喪服,將來終於曹職。末傳寅作虎,終於水邊作州府職官而已。其後果丁父母四喪,果於甲子年授江陰軍知錄,己巳有事矣。
邵先生は言いました。日支が走って日干に就き、また日干に剋されるので、この人は自己の正宅がなく、多分は寺観か外地に住み、さもなくば妻家に住みます——課名が「贅婿」と呼ばれるのは、まさに正式の居所がないためです。三伝中に螣蛇・白虎を見るので、必ず喪服が多い。将来曹属の職上で終局します。末伝の寅は白虎を乘じるので、ただ水に臨んだ州府で一つの職官を為すに過ぎません。後に彼は果たして相次いで父母など四場の喪事に遭い、甲子年に江陰軍の知録を授けられ、己巳年に至って事が出ました。
先生析曰;蓋宅加日受克,宅上見亥,金反去生亥,安得正宅?末寅生於亥,丙生於寅,為水邊州府也。寅為曹職,今知錄亦然。大凡占官,寅申為遷轉之神,既為蛇虎所撓,故止於知錄。
邵先生が解釈して曰く。宅が日干に加臨して日干に剋され、宅位上にまた亥を見、申金が反転して往って亥水を生ずる——このようではどうして正式の宅第があり得ましょうか。末伝の寅は亥において長生し、丙火はまた寅において長生するので、水に臨んだ州府の任です。寅は曹属の職を表し、知録一職もまたまさにこれに属します。大凡、官職を占えば、寅・申は遷転を主る神です。いまそれらはすでに螣蛇・白虎に攪擾されているので、官位はただ知録に止まるのみです。
66)邵梓材戊寅三月初一辰時生,三十一歲,占前程。戊申年九月二十一壬寅日辰將酉時。(辰巳空亡,亥子落空),重審,六儀,四絕。 朱蛇 六子丑寅卯貴 陳亥 辰后 后 空 朱 玄 財 甲午 玄 初 龍戌 巳陰 辰 酉 丑 午 鬼 辛丑 朱 中 空酉申未午玄 酉 寅 午 壬 父 丙申 虎 末 虎常
第六十六例:邵梓材は戊寅年三月初一日辰時の生まれで三十一歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月二十一日壬寅日で、辰の月将を酉の刻に加えて課を立てました。壬寅日は甲辰旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「六儀」「四絶」。天盤は辰将を酉時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に午を見て玄武を乘じ、第二課は午の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の寅の上に酉を見て天空を乘じ、第四課は酉の上に辰を見て天后を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の甲午は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の辛丑は官鬼爻で朱雀を乘じ、末伝の丙申は父母爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此課名四絕,且干支自刑,又名六害,其不利者有三:一者居偏室無正位,二者妻宮不利,三者眼不明,因他父墳不利,皆是白蟻,左畔已虛空矣,前程非惟不遠,又且壽夭,九年將屋基作田園,家破碎,貴賤皆因酒而敗也。
邵先生は言いました。この課の名は「四絶」で、日干・日支はまた自刑し、さらに六害を構成しています。それが不利なところは三か所あります:第一に、偏屋に住むのみで正房がありません。第二に、妻宮が不利です。第三に、眼が見えません。これらは皆、彼の父の墳地が良くないためで、棺の中は皆白蟻で、左辺がすでに空虚塌陷しています。前程はただ遠くに往けないのみならず、寿数もまた短いです。九年の後に屋基を田園に改め、家業が破碎します。貴賤を問わず、皆酒によって敗落します。
邵解元聞先生言,欲啟父墳,因兄弟眾多不肯行,妻不生子,常有血氣,至辛亥年病眼武壬皆亥,夾克午,故主亥年而應,男女皆因酒而敗,乙卯年眾拆屋一半作田,一半作園。邵氏居於店屋水死於卯,又卯上得戌作鬼,故卯年應,戊午身喪,己未啟父墳,果骨為蟻食矣。
邵解元は邵先生の言葉を聴いて、もともと父墳を開啓して遷改しようと思いましたが、兄弟が众多で肯んじて同意しなかったため作しませんでした。彼の妻は男子を生まず、常に血気の病がありました。辛亥年に至り眼目の疾を患いました——玄武と壬水は皆亥に属し、両下で午火を夾剋し(午は目を主る)、だから亥年に応じました。家中の男女は皆酒によって敗落しました。乙卯年に衆人は房屋を拆し、半分を田に改め半分を園に改め、邵家はすなわち店屋に住みに往きました——壬水は卯において死し、卯上にまた戌を得て化して鬼を成すので、卯年に応じました。戊午年に彼本人が身死し、己未年に父墳を開啓すると、棺中の骨殖は果たして白蟻に蛀食されていました。
先生析曰;蓋壬以申為父,父在墓守白虎,主白蟻。日上午為目為妻,火絕於亥,故不利。丑加午六害,丑為田園,午為層,水克午而屋壞,土克水而以屋成田園,宅上見酉,壬敗於酉,故為所敗,又是破碎,主男婦皆因酒敗也。
邵先生が解釈して曰く。壬水は申金をもって父母爻とし、父母爻が墓の中に坐して白虎に守られています。白虎は白蟻を主ります。日干上の午はすでに眼目を表しまた妻子を表し、しかも火は亥において絶するので、両樣が皆不利です。丑が午に加わって六害を成します:丑は田園を表し、午は房屋層舎を表します。水が来て午を剋すれば房屋が損壊し、土が来て水を剋すれば房屋が田園に変じます。宅位上に酉を見、壬水は酉において敗するので、それに敗壊されました。酉はまた破碎の神なので、家中の男女が皆酒によって敗することを主ります。
67)鄧省干癸未年十月初七申時生二十六歲,戊申年九月二十一壬寅日辰將未時(辰巳空亡,丑寅落空),元首,元胎,不備,寡宿。占前程。 朱蛇 六寅卯辰巳貴 陳丑 午后 玄 空 貴 玄 財 空巳 貴 初(空亡) 龍子 未陰 申 亥 巳 申 子 壬寅 六 中(落空) 空亥戌酉申玄 亥 寅 申 壬 兄 己亥 空 末(暗鬼) 虎常
第六十七例:鄧省干は癸未年十月初七日申時の生まれで二十六歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月二十一日壬寅日で、辰の月将を未の刻に加えて課を立てました。壬寅日は甲辰旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「元首」「元胎」「不備」「寡宿」。天盤は辰将を未時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に申を見て玄武を乘じ、第二課は申の上に巳を見て貴人を乘じ、第三課は日支の寅の上に亥を見て天空を乘じ、第四課は亥の上に申を見て玄武を乘じます。三伝は巳・寅・亥:初伝の巳は旬空に落ち妻財爻で貴人を乘じ、中伝の壬寅は子孫爻で六合を乘じて空地に落ち、末伝の己亥は兄弟爻で天空を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:此課與前課大不同,干支皆受上生,日上得申長生,卻即去生寅,初巳貴人作財,日上長生學堂,盡可取功名。但嫌貴空,又為玄所滯,只運司解發而不能及第。初任管銅鐵,次任管坑冶,三任水船官而止。鄧果初任鑄錢有功,再任坑冶司檢踏官,次得明州船塢,歸家而死。
邵先生は言いました。この課は前のあの課と大いに相同じません:日干・日支は皆上神の生を受け、日干上は申という長生の神を得、申はまた転じて寅を生じます。初伝の巳は貴人を乘じて財爻を充当し、日干上はまた長生と学堂の位で、全く功名を求取できます。ただ惜しいのは貴人が空に落ち、また玄武に滞らされたことで、だからただ転運司に由って送考・発解されるのみで、進士には中りません。彼の第一任は銅鐵を管し、第二任は坑冶を管し、第三任に水上の船務の官を為せばすなわち到頭です。鄧省干は後に果たして初任に鑄錢して功あり、再任に坑冶司の檢踏官を為し、続いて明州の船塢の職を得、家に帰って後に去世しました。
先生析曰;蓋申來生壬為長生學堂,故壬子年發解,初巳作貴為德神加學堂上,寅又加巳生貴生德,故終得前程。銅鐵者,申金也;坑冶司者,巳加申也,水船場者,江湖臨於寅上也。寅木未成船,而卯已成船,故主舡場修造也。
邵先生が解釈して曰く。申が来て壬水を生ずるのは、まさに長生と学堂の位なので、壬子年に発解を得られました。初伝の巳は貴人を乘じて徳神を作し、学堂の上に加わります。寅はまた巳に加わり、すでに貴人を生じまた徳神を生ずるので、終じて一份の前程を得られます。銅鐵を管すると言うのは、申が金に属するためです。坑冶司と言うのは、巳(爐冶の火)が申(金)の上に加わるためです。水上の船場と言うのは、江湖の水気が寅上に臨むためです——寅木はまだ船を作り成さず、卯に至ればすなわち船を成すので、船場のうちで修造を管することを主ります。
68)江司戶辛未年十二月廿一日午時生,三十八歲,戊申年十月戊午日卯將寅時,(子丑空亡,寅丑落空),別責,不備,六儀,占官職。 空虎 龍午未申酉常 陳巳 戌玄 虎 空 空 龍 官 甲寅 蛇 初(落空)(暗鬼) 六辰 亥陰 申 未 未 午 父 戊午 龍 中 朱卯寅丑子后 未 午 午 戊 父 戊午 龍 末 蛇貴
第六十八例:江司戸は辛未年十二月二十一日午時の生まれで三十八歳、官職のため占いに来ました。時は戊申年十月戊午日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。戊午日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「別責」(四課が全からず、別に干合か支の三合を取って発用する)「不備」「六儀」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に未を見て天空を乘じ、第三課は日支の午の上に未を見て天空を乘じ、第四課は未の上に申を見て白虎を乘じます。三伝は寅・午・午:初伝の甲寅は官鬼爻で螣蛇を乘じ空地に落ちまた暗鬼、中伝の戊午は父母爻で青竜を乘じ、末伝は依然として戊午で父母爻が青竜を乘じます。
邵先生曰:司戶今無正位,必主上司責罰,而別有遷改,卯寅乃今日鬼,鬼生午火,午乃日陽刃殺,且是天鬼,在於中末傳,支上未與午合,亦憂宅眷人口有死者。後果病死三人,又為米倉事發,遂罷去也。
邵先生は言いました。司戸はいま正式の職位がなく、必ず上司の責罰を受け、別に遷調して改任します。卯・寅は今日の鬼爻で、鬼はまた去って午火を生じます。午はすでに日干の陽刃の煞であり、また天鬼で、それが中伝・末伝の上に落ちています。日支上の未は午と相合するので、さらに家眷のうちに死亡あることを憂えねばなりません。後に果たして三人が病死し、また米倉の事が敗露したため、すなわち罷免されました。
先生析曰;蓋寅乃日鬼,生三個午,十月建亥,合寅來生宅,犯丁神以未中有丁,非旬丁也,丁主動,天空主空屋,宅亦主空,是月困患時氣遂死三人。十月間米因提學檢踏常平倉敗事露,遂致敗斥。
邵先生が解釈して曰く。寅は日干の鬼爻で、それは去って三重の午火を生じます。十月の月建は亥で、亥は寅と相合して来て宅位を生じ、また丁神を犯しています——ここの丁は未の中に蔵する丁で、旬中の丁神ではありません。丁は動揺を主り、天空は空屋を主り、宅位もまた空虚を主るので、その月に家の中で時疫に染まり、相次いで三人が死しました。十月の間にまた提学が常平仓の存米を檢査して、事が敗露し、ここにおいて罷黜されました。
69)馮機宜丁亥生二十三歲占前程,己酉年十一月丙子日卯將戌時,(申酉空亡,丑寅落空),重審,鑄印,不備。愛圅曰:當是寅將酉時,不然即非十一月也。 朱六 蛇戌亥子丑陳 貴酉 寅龍 蛇 常 空 蛇 兄 辛巳 常 初 后申 卯空 戌 巳 卯 戌 子 甲戌 蛇 中 陰未午巳辰虎 巳 子 戌 丙 父 己卯 空 末 玄常
第六十九例:馮機宜は丁亥年の生まれで二十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年十一月丙子日で、卯の月将を戌の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅が言う:ここは寅将を酉時に加えるべきで、さもなければ十一月の月将ではありません)。丙子日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「鑄印」「不備」。天盤の布き方:貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の子の上に巳を見て太常を乘じ、第四課は巳の上に戌を見て螣蛇を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の辛巳は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の甲戌は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の己卯は父母爻で天空を乘じます。
邵先生曰:主此人必見迴避,前程未通,卯來克戌,戌去墓丙,丙與巳遂走入宅,為宅所克,定是阻服,服滿得差。又合迴避所惱,尚有九年端坐,方得出頭,數已盡矣。此亂首自下犯上,照管堂上孺人,既有大災難治,皆自己命滯,所以如此。
邵先生は言いました。この人は必ず「回避」(親属が同官のため例によって職を避ける)に遇い、前程は一時通じません。卯木が来て戌土を剋し、戌土は去って丙火を墓し、丙と巳はすなわち宅位に逃れ入り、反転して宅に剋される——それは必ず喪服に阻まれたものです。服が満ちて後にようやく差遣を得ます。その後また回避の例に困まり、さらに端坐して閑居すること九年、ようやく出頭できますが、その時には寿数もまたすでに盡きます。この課は「乱首」で、下をもって上に犯すので、堂上の老太太に留意しなければなりません:すでに大灾あれば、医治し難いのです。これらは皆、彼自身の命運が滞塞しているため、かくのごとくなのです。
先生析曰;蓋丙火敗於卯,墓於戌,敗神逼克戌墓,戌墓遂來墓日,日遂奔入宅被克,去住不容。宅上巳四,日上戌五,共九年,故主九年。九年後卯主事敗,而加丙墓上,即是敗木,乃棺槨入墓,自然死也。然卯為今日之母,母先入墓,次及我身矣。
邵先生が解釈して曰く。丙火は卯において敗し戌において墓します。敗神が戌という墓庫を逼剋すれば、戌墓はすなわち頭を回らせて日干を墓します。日干はただ宅位に奔り入るしかなく、また宅に剋され、走るも可ならず留まるも可ならずです。宅位上の巳の数は四、日干上の戌の数は五、合わせて九なので、九年と断じました。九年の後、卯は事の敗壊を主り、しかもそれは丙火の墓庫の上に加わっている——それはすなわち敗朽の木です。敗木が墓に入るのは、まさに棺槨が土に入る象で、自ずから死します。ただ卯はまた今日の母親爻なので、母親が先に墓に入り、その後にようやく自身に輪が回るのです。
馮乃待制之子,授江州安撫,十二月母死阻服,癸丑年再授洪州,因妹丈除江西運使,遂迴避,得台州崇道觀,二十個月得病,戊午年死。
後の応験:馮機宜はある待制の息子で、江州安撫の職を授けられました。十二月に母親が去世し、喪服に阻まれました。癸丑年にまた洪州を授けられましたが、妹夫が江西転運使に任命されたため、例によって回避し、改めて台州崇道観の祠禄閑職を得ました。任上二十箇月で病を得、戊午年に去世しました。
70)劉運干丁卯生四十二歲占前程,戊申年十月乙卯日卯將未時。(子丑空亡,申酉落空),元首,曲直,佚女。 朱六 蛇丑寅卯辰陳 貴子 巳龍 虎 后 常 貴 財 己未 虎 初 后亥 午空 未 亥 申 子 兄 乙卯 六 中(祿神) 陰戌酉申未虎 亥 卯 子 乙 父 癸亥 后 末 玄常
第七十例:劉運干は丁卯年の生まれで四十二歳、前程を占いに来ました。時は戊申年十月乙卯日で、卯の月将を未の刻に加えて課を立てました。乙卯日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「元首」「曲直」(三伝の亥卯未が木局を合成し、木の曲直の義を取る)「佚女」。天盤は卯将を未時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に子を見て貴人を乘じ、第二課は子の上に申を見て太常を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て天后を乘じ、第四課は亥の上に未を見て白虎を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の己未は妻財爻で白虎を乘じ、中伝の乙卯は兄弟爻で六合を乘じまた禄神、末伝の癸亥は父母爻で天后を乘じます。
邵先生曰:此課身坐貴人,又來生日,三傳又是木局,乙木生亥、旺卯、庫未,自墓傳旺,自旺傳出亥,必由窮途漸至榮顯至侍從。先喪妻害眷屬,而先納兄弟一子,後一小妻大有財物,壽近九十矣。錢此時為朝議郎,辛亥喪妻,乙卯喪子,繼兄子為子,庚申又娶妻,其時年五十四,妻三十九,有數萬貫錢來嫁,後直至吏部侍郎,八十七而終。
邵先生は言いました。この課は身位が貴人に坐り、貴人がまた来て日干を生じます。三伝はさらに木局を合成します:乙木は亥において長生し、卯において帝旺し、未において庫に入ります。いま墓庫から帝旺に伝わり、また帝旺から伝え出して長生の亥に至るので、必ず困頓の境より漸々榮顕に走向し、ずっと侍従の臣にまで至ります。ただ先に妻を喪い眷属に損あり、先に兄弟の一人の息子を過継します。後に娶る小妻はとても財物があります。寿数は九十に近いです。後の応験(底本はここで記す姓氏を「錢」と作り、上文の「劉運干」と合わないが、照録して改めず):彼は当時朝議郎でした。辛亥年に妻を喪い、乙卯年に子を喪い、兄の息子を過継して嗣と為しました。庚申年に再娶し、その時彼は五十四歳、妻は三十九歳で、幾万貫の銭を帯びて嫁いで来ました。後にずっと吏部侍郎に至り、八十七歳で去世しました。
先生析曰;蓋乙卯皆本亥子並生,曲直又助,自墓傳生,一則有壽,二則自微至顯。末亥為天門,木局為持臺,故主侍郎也。此課本主父子同類作六合,是納兄弟之子,妻財空墓乘虎,主先喪偶,卯祿加未,末傳天后長生,歸於祿地,後妻乃未卯祿加之,是後妻財物旺也。又曰:天后是妻,歸卯地也。
邵先生が解釈して曰く。乙と卯は皆亥・子の水に由って一幷に生起され、曲直の木局がまた来て相助けます。三伝は墓庫から長生に向かって伝わり、一来すれば寿あるを主り、二来すれば微賤より顕達に至るを主ります。末伝の亥は天門で、木局はまた憲台省を持つの象を象るので、侍郎を為すに至るを主ります。この課は本来父子が同類で六合を乘じるので、兄弟の息子を過継するのです。妻財が空墓に落ちまた白虎を乘じるので、先に配偶を喪います。卯という禄神が未に加わり、末伝の天后はまた長生で、禄神の地に帰ります。後娶の妻はまさに未と卯禄の加臨の象なので、後妻の財物が豊厚です。また一説あり:天后はすなわち妻で、いま卯の地に帰りました。
愛圅析曰:未財為前妻,乘白虎,陰神卯木克之,故喪也。天后為後妻,為長生而臨日祿,故後妻財物旺也。
輯者程愛圅が解釈して曰く。未という財爻は前妻を表し、それは白虎を乘じ、陰神の卯木がまた来てそれを剋するので、前妻が亡故しました。天后は後娶の妻を表し、それは長生に坐して日干の禄神の位に臨むので、後妻の財物が豊厚です。
71)鄭子云乙亥生三十四歲,占前程。戊申年十月乙卯日卯將辰時。(子丑空亡,亥子落空),重審,退茹,三奇。 龍空 陳辰巳午未虎 六卯 申常 蛇 朱 朱 六 財 空丑 蛇 初(空亡) 朱寅 酉玄 丑 寅 寅 卯 父 空子 貴 中(空亡) 蛇丑子亥戌陰 寅 卯 卯 乙 父 癸亥 后 末(落空) 貴後
第七十一例:鄭子雲は乙亥年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年十月乙卯日で、卯の月将を辰の刻に加えて課を立てました。乙卯日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「退茹」「三奇」。天盤は卯将を辰時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に卯を見て六合を乘じ、第二課は卯の上に寅を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の卯の上に寅を見て朱雀を乘じ、第四課は寅の上に丑を見て螣蛇を乘じます。三伝は丑・子・亥:初伝の丑は旬空に落ち妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の子もまた旬空に落ち父母爻で貴人を乘じ、末伝の癸亥は父母爻で天后を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:此課主來年再舉,亥年及第高甲,迤邐在朝,更不外任,直至八座位了,卻貶降終不得地,無正宅而居。鄭子云二十九歲發解,三十五又發解,三十七登第,初任臨安教授,歷太學秘書郎司業、工刑二部,皆京官,因與秦檜一言不合而罷。
邵先生は言いました。この課は明年に再度応挙し、亥年に登第してしかも名を高甲に列することを主ります。これより後は一路朝において官を為し、再び外放せず、直に八座(尚書省の高位)にまで至ります。ただ最後に贬降に遭い、終じて安身の地を得ず、また一所の正式の宅第に住むこともありません。鄭子雲は二十九歳に発解し、三十五歳にまた発解し、三十七歳に登第しました。初任は臨安教授で、歴任して太学秘書郎・国子司業および工部・刑部の両部に至り、全て京官でした。後に秦檜と一つの言葉が合わなかったため罷免されました。
先生析曰;蓋乙祿在卯,迤邐歸亥長生之地,自亥至卯,一帶生旺,地支相連,祿神作太陽,朱雀作儀神,中末若不空,則五府之課,今既迤邐入近天門,故在朝八座也。子為紫微宮,亥為遠穹宮,亦主八座,退入空亡,主晚年謫降矣。
邵先生が解釈して曰く。乙木の禄は卯にあり、三伝は一路退いて帰り亥という長生の地に至ります。亥から卯までのこの一段は、全て生旺の気で、地支はまた彼此相い連なります。禄神は太陽を充当し、朱雀は儀神を充当します。中伝・末伝がもし空に落ちなければ、それは五府に位列する大課です。いま三伝は空に落ちたものの、一路退いて天門(亥)に近づく処に至るので、朝中に八座に位列することができます。子は紫微宮で、亥は遠穹宮で、皆八座の位を主ります。ただ最後に退いて空亡に入るので、晚年に贬降に遭うことを主ります。
72)何上舍乙巳年八月二十日午時生,四十歲,占前程,戊申年十月辛酉日卯將未時。(子丑空亡,申酉落空),知一,從革。 陳六 龍丑寅卯辰朱 空子 巳蛇 龍 蛇 陳 龍 官 丁巳 蛇 初(丁神)(暗鬼) 虎亥 午貴 丑 巳 寅 午 父 空丑 龍 中(空亡) 常戌酉申未后 己 酉 午 辛 兄 辛酉 玄 末(落空) 玄陰
第七十二例:何上舎は乙巳年八月二十日午時の生まれで四十歳、前程を占いに来ました。時は戊申年十月辛酉日で、卯の月将を未の刻に加えて課を立てました。辛酉日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「知一」「従革」(三伝の巳酉丑が金局を合成する)。天盤は卯将を未時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に午を見て貴人を乘じます(底本はここで天将を誤って青竜と標す);第二課は午の上に寅を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の酉の上に巳を見て螣蛇を乘じ、第四課は巳の上に丑を見て青竜を乘じます(底本は第四課の下神の「巳」を「己」と訛るが、照録して改めず)。三伝は巳・丑・酉:初伝の丁巳は官鬼爻で螣蛇を乘じ、すでに「丁神」でありまた暗鬼です。中伝の丑は旬空に落ち父母爻で青竜を乘じ、末伝の辛酉は兄弟爻で玄武を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:官星臨日,初傳應之,謂之催官符,官星又作貴人,辛藏於戌,主庚戌年及第,及第後便丁父母服,服滿赴任,見祿而終酉加空亡故也。止於五十四矣。兄弟相害,因分爭而大生不足,又不得子息力,其旬丁作蛇,不云怪者,辛以巳為德神。子不得力者,空亡也。辛見午為官,巳又助之,名催官符。
邵先生は言いました。官星が日干の上に臨み、初伝がまたそれと相い応ずる——これを「催官符」と呼びます。官星は同時に貴人を充当します。辛金は戌の中に蔵れるので、庚戌年に登第することを主ります。登第した後すなわち父母のために服喪し、服満して赴任し、俸禄を見ればすなわち到頭です——これは酉が空亡に加臨するためで、寿数は五十四歳に止まります。兄弟の間は彼此相い害し、分家して産を争うことによって大いに和気を傷ります。子息の上でも助力を得られません。三伝中の旬丁が螣蛇を乘じれば、本は怪異を主るべきですが、ここで怪異を説かないのは、辛金が巳をもって徳神とするためです。子息が力を得られないと言うのは、空亡に落ちるためです。辛金は午を見て官星と為し、巳がまた来てそれを幇扶するので、「催官符」と名づけます。
果庚戌及第,壬子丁母憂,乙卯丁父憂,庚申赴利州推官,五十三歲卒。先是戊午年兄弟爭分四次,入官估札以死,子三人皆再娶生,巳為生方作旬丁,又作蛇,是丙丁也。
後の応験:庚戌年に果たして登第しました。壬子年に母親が去世して丁憂し、乙卯年に父親が去世して丁憂しました。庚申年に赴任して利州推官を為し、五十三歳で去世しました。これより前の戊午年に、兄弟は分家のため四回争い、官府に鬧ぎて估価して契を立ててからようやく罷み、彼の死に至るまで続きました。三人の息子は皆續娶の妻の生んだところです——巳は生方の位で旬丁を帯び、また螣蛇を乘じるので、まさに丙丁の火気の象です。
金日金局是兄弟爭也。三傳無子爻,故子不得力,五十三者,乃午九酉六,六九五十四也。
別に補注ありて曰く。金日にまた金局に逢い、同類が多すぎるのは、まさに兄弟相い争う象です。三伝のうちに子孫爻がないので、息子は力を得られません。五十三、四の歳に至っては、午の数は九・酉の数は六で、六に九を乘じて五十四を得るからです。
73)童七秀才壬申生三十七歲,占前程,戊申年六月丁巳日未將未時。(子丑空亡,子丑落空),伏吟,元胎,勵德。 虎常 空巳午未申玄 龍辰 酉陰 空 空 常 常 兄 丁巳 空 初(丁神) 陳卯 戌后 巳 巳 未 未 財 庚申 玄 中 六寅丑子亥貴 巳 巳 未 丁 父 甲寅 六 末 朱蛇
第七十三例:童七秀才は壬申年の生まれで三十七歳、前程を占いに来ました。時は戊申年六月丁巳日で、占時は未時、月将もまた未で、将と時が同位となって「伏吟」を成します。丁巳日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の子・丑二支もまた空亡宮を正しく押さえています。ほかに課名は「元胎」「励徳」。天盤の布き方:貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は伏吟のため両々相同じ:丁火は未宮に寄せられ、第一課は未が丁に加わり、第二課は未が未に加わり、皆太常を乘じ、第三課は日支の巳が巳に加わり、第四課は巳が巳に加わり、皆天空を乘じます。三伝は巳・申・寅:初伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じまた「丁神」、中伝の庚申は妻財爻で玄武を乘じ、末伝の甲寅は父母爻で六合を乘じます。
邵先生曰:此課主來年發解,行年到寅,寅卯同收,只是不及第,又妻為猿猴所迷,四年後移居妻家,因妻家子死,併為一家住。又合主科第,授推官將滿,喪妻,再授財賦,再至任七月而終於奴婢之手,不見子息,一邊動哀,一邊子息喜事至。
邵先生は言いました。この課は明年に発解することを主ります——行年が寅に走到し、寅・卯が一同に気を収めるので、ただまだ進士には中れません。また妻子が猿猴に迷惑されることを主ります。四年の後に妻家に搬りて住みます。妻家の息子が死したため、両家がすなわち一家に合成して同住するからです。後になお中科第し、推官の職を授けられ、任期が満ちんとする時に妻を喪い、さらに財賦を掌る官を授けられ、任に到って七箇月で奴婢の手中に死し、臨終に息子が側にいるのを見ません。その時、一辺ではまさに哀を挙げ、一辺では息子の喜信が伝わって来ました。
童果次年得解,至今赴省,其家近山,妻為猿猴所迷,終日歌咲不已,鄰人記得先生言治之而愈,四年遂移妻家居七年,妻父母止一子,亡,遂與童共居。戊辰科及第,授南安州司李,任滿妻葉氏亡,再授臨安樓務官,到任七月,二子歸秋試,童死。只有五六奴婢措置後事,及子息來扶喪,次子得第七名解矣。
後の応験:童七秀才は第二年に果たして解を得、続いて省城に赴いて応試しました。彼の家は山に近く、妻子が猿猴に迷惑され、終日歌を歌い傻笑して止みませんでした。隣居の人は邵先生が説いた言葉を記憶し、照りて治療してようやく痊癒しました。四年後に妻家に搬りて七年住みました——妻の父母はただ一人の息子がいて、息子が死したので、すなわち童家と合して住みました。戊辰科に登第し、南安州司理を授けられました。任満の時に妻の葉氏が去世し、さらに臨安楼務官を授けられ、任に到って七箇月の時に、二人の息子は郷に帰って秋試に参加していて、童七秀才はすなわち死し、ただ五六人の奴婢が彼のために後事を料理しました。息子たちが趕いて来て喪を扶けるを待ち、ようやく次子が解試第七名に中ったことを知りました。
先生析曰;蓋丁以末傳寅為學堂,末寅行年卯扶,故次年發解舉。又曰上常為職,初傳臨官天空,主聲譽也,充解。中傳妻宮,元武乘之,並光怪殺,申為猿,武為賊,主猿迷;歸妻家者,日止一丁,巳有兩丁,支上初傳也,皆生於寅。宅為妻,故主入妻家,丁生於寅,故同居,充解及第,皆末傳寅也。死不見子干,傳中無子爻也。
邵先生が解釈して曰く。丁火は末伝の寅をもって学堂とし、末伝の寅にはまた行年の卯が来て扶助するので、第二年に発解して挙に中りました。また言います:日干上の太常は職任を主り、初伝の臨官の位がまた天空を乘じて声名を主るので、解額を充つることができます。中伝は妻宮で、玄武が乘臨し、光怪の煞を幷せています——申は猿猴の象を取り、玄武は盗賊なので、猿猴が人を迷わすことを主ります。妻家に帰入すると言うのは:日干はただ一つの丁なのに、巳位の上には却って両重の丁(日支上と初伝)があり、皆寅において長生します。日支はすなわち妻なので、妻家に入贅することを主ります。丁はまた寅に長生するので、両家が同居します。充解と登第に至っては、皆末伝の寅に応じます。臨死に息子を見ないのは、三伝のうちに子孫爻がないためです。
74)陳主簿戊寅生三十二歲占官任吉凶,及問遷擢,己酉年十月庚辰日寅將辰時。(申酉空亡,午未落空),渉害,見機,間傳,顧祖。 六陳 朱卯辰巳午龍 蛇寅 未空 后 蛇 六 龍 官 壬午 龍 初(落空) 貴丑 申虎 子 寅 辰 午 父 庚辰 六 中 后子亥戌酉常 寅 辰 午 庚 財 戊寅 蛇 末 陰玄
第七十四例:陳主簿は戊寅年の生まれで三十二歳、任上の吉凶を占いに来て、併せて升遷を問いました。時は己酉年十月庚辰日で、寅の月将を辰の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「渉害」「見機」(渉害課の中で四孟の上神を取って発用するは、機を見て作すことを主る)「間伝」「顧祖」(三伝が頭を回らせて本根を顧る)。天盤は寅将を辰時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の辰の上に寅を見て螣蛇を乘じ、第四課は寅の上に子を見て天后を乘じます。三伝は午・辰・寅:初伝の壬午は官鬼爻で青竜を乘じて空地に落ち、中伝の庚辰は父母爻で六合を乘じ、末伝の戊寅は妻財爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:日上發傳,退入支上,又是顧祖,末又見本命入宅,須是差出,經過鄉里而有是非寅為驛馬,故主經過,又是本命,所以主自蒙差出,而後經鄉里也。不然須是有甚不到處,不合日上退歸本命入宅,為蛇所擾,又是共屋人之事。蓋主簿大族,被諸房分多,遂告臺部爭分,十一月文書下,令知州差人押歸,分折了去赴任。陳押歸,分未半,因房產又入狀監司,奏罷下獄,始分成。
邵先生は言いました。三伝が日干の上より発出して、却って日支の上に退け帰る——これは「顧祖」です。末伝にまた本命が宅位に入るのを見ます。このようにすれば必ず差遣されて出て事を辦し、家郷を路過して是非を生出します——寅は驛馬なので路過を主り、寅はまた本命なので、自ら差遣を奉じて後に郷里を経過したのです。さもなくば、何かの処で交代が明らかでないのです。日干上の気が本命に退け帰って宅位に入り、また螣蛇に攪擾されるべからず——それはなお同じ屋に住む人の事に渉ります。もともと陳主簿は大族の出で、各房に分家して多くを分け去られ、ここにおいて台部に告げて分を争いました。十一月に公文が下り、知州に人を遣わして彼を押送して郷に帰らせ、家産を分割し清くしてから赴任せよと命じました。陳主簿は押し帰され、家産がまだ半分も分かれないうちに、また房産の事で監司に状を遞したため、結果として奏請されて官を罷め獄に下され、これでようやく家産が分かれ盡きました。
先生析曰;蓋日上午為堂屋,又為官鬼乘龍加申為退鱗,歡中生悲,退財損身之兆。初午已是不好,奈中辰不歸午,末寅又生午火,只管克庚,命又戊寅,是我又去生火,畢竟自己不是,致令如此,況在任只要升轉,今初傳是上降下,又自外回家,豈不倒退?又名顧祖,夫復何疑?況庚以寅為財,是爭財也,本命作財,我與彼爭也,蛇在寅,我被撓也。行年乘夜貴,晝作天空閉口,是官未可告也。夜貴廢職也,未為眷屬,天空主爭,是因眷屬而爭也。
邵先生が解釈して曰く。日干上の午はすでに堂屋を表し、また官鬼です。それは青竜を乘じて申に加わり、「退鱗」の象を成します(竜鱗が倒退する)。歓喜のうちに悲事を生ずるを主り、退財して身を損する兆しです。初伝の午は本はすでに好くないのに、中伝の辰が午の上に帰ることができず、末伝の寅がまた反転して午火を生じ、ひたすら庚金を剋することを顧るのみです。彼の本命はまた戊寅で、自分もまた往って火を生ずるに等しい——帰根すれば結局自己が正しくなかったため、ようやくこの地步に落ちました。まして任上にあってただ升遷転官を求めるのに、いま初伝は却って上より降り下り、また外より家の中に退いて帰る——豈に倒退ならずや?課名はまた「顧祖」と呼ぶ、何の疑いがあらんや。さらに言えば、庚金は寅木をもって財と為す——これはすなわち財を争う。本命は恰もまた財爻なので、我が他人と争うのです。螣蛇が寅の上に落ちるので、我は人に糾纏されます。行年は夜貴を乘じ、昼に占えば化して天空を成して閉口の象を成すので、この官司は告げられません。夜貴は廃職を主り、未は眷属を表し、天空は争執を主るので、眷属によって争端を起こしたのです。
貴人閉口,無用也。
総括して一言:貴人はすでに閉口したので、派せて用場に遣うことができません。
75)徐通判戊午生五十一歲占赴任及前程,戊申年十二月壬辰日丑將午時。(午未空亡,丑寅落空),知一,不備,孤辰。 陳六 龍子丑寅卯朱 空亥 辰蛇 后 空 陳 后 財 空午 后 初(空亡) 虎戌 巳貴 午 亥 丑 午 鬼 己丑 陳 中(落空)(暗鬼) 常酉申未午后 亥 辰 午 壬 父 甲申 玄 末 玄陰
第七十五例:徐通判は戊午年の生まれで五十一歳、赴任と前程を占いに来ました。時は戊申年十二月壬辰日で、丑の月将を午の刻に加えて課を立てました。壬辰日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「知一」「不備」「孤辰」。天盤は丑将を午時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に午を見て天后を乘じ、第二課は午の上に丑を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の辰の上に亥を見て天空を乘じ、第四課は亥の上に午を見て天后を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の午は旬空に落ち妻財爻で天后を乘じ、中伝の己丑は官鬼爻で勾陳を乘じ空地に落ちまた暗鬼、末伝の甲申は父母爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:課名亂首,日後因到官中取財,為僕所持,妻被僕姦淫,本身則死於僕手。其父墓玄武不垂頭,拒尸之故。若速移此墳,可保佑性命,否則戊午年必見凶也。
邵先生は言いました。この課の名は「乱首」で、下をもって上に犯します。日後あなたは任上にあって財物を収受したため、僕人に把柄を摑まれて挾制されます。妻子はまた僕人に奸淫され、あなた自身は最終に僕人の手のうちに死します。これはあなたの父の墳地の玄武(後山)が肯んじて頭を垂れて俯就せず、「拒屍」の凶格を形成したためです。もし急いでこの墳を遷し去れば、なお性命を保つことができます。さもなければ戊午年に必ず凶禍を見るでしょう。
徐辛亥赴任,權州事,有一婦人打死一婢,徐得二千貫,從輕發落,後新知州怪其用度過多,遂與不足,而徐有僕童吉,常持二十千以挾其主,遂奸其妻,夫知竟不敢明責。乙卯升池州,不帶此僕去,僕每恨之,戊午僕來池州,僕持刃刺徐於門。
後の応験:徐通判は辛亥年に赴任し、州事を代理しました。一人の婦人が一人の婢女を打ち死なせ、徐通判は二千貫の銭を収め、軽くして発落しました。後に新任の知州は彼の用度が過多なのを嫌い、両人はすなわち嫌隙を生じました。徐家に童吉という一人の僕人があり、常にこの二万銭の事をもって主人を挾制し、進んで主母を奸淫しました。徐通判はこれを知っても竟に公然と責問することを敢えてしませんでした。乙卯年に彼は池州に升り、この僕人を帯同せず、僕人はずっと恨を懐きました。戊午年に僕人は池州に趕い到り、刀を持って門口で徐通判を刺し死させました。
先生析曰;蓋其父墓坎山,元武七十餘丈,葬在六十丈,前面又有十餘丈,果不垂頭。亥加辰,乃自取亂首。天空僕犯主也。午為財,丑為鬼,丑鬼加午財上,故在任受財,午到亥,六陰終始,僕*其妻,壬乘午之故也。天后在上,主淫亂,壬以申為父,加丑是父墓,玄武長生而不垂頭為拒尸。午亥俱自刑,故僕傷,下犯上,亂首也。
邵先生が解釈して曰く。彼の父の墳は坎山に坐し、後の玄武山は七十余丈あるのに、墳は六十丈の処に葬り、前にはなお十余丈が残る——果たして玄武が頭を垂れません。亥が辰に加わるのは、自ら「乱首」の禍を取るものです。天空は僕役を主る——まさに僕人が主人を冒犯するのです。午は財爻で、丑は鬼爻で、丑鬼が午財の上に加わるので、任上で銭財を収受しました。午は亥に行って、六重の陰気が首尾相い接するので、僕人が主母を奸汚しました(底本はここに一字が漫漶するが、照録して補わず)。これもまた壬水が午を乘じる故です。天后が上位に居れば、淫乱を主ります。壬水は申をもって父母爻とし、申は丑に加臨して丑は父の墓庫です。玄武は長生の地に居りながら頭を垂れず——まさに「拒屍」です。午と亥は皆自刑するので、僕人に傷られました——下をもって上に犯す、まさに「乱首」です。
76)錢通判丁巳生五十三歲占前程,己酉年正月庚辰日子將巳時,(申酉空亡,卯辰落空),渉害,絕嗣,驀越。古本作十一月二十一日丑時生 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 虎 朱 六 陰 官 壬午 虎 初 六戌 巳常 午 亥 戌 卯 父 丁丑 貴 中(丁神)(暗鬼) 陳酉申未午虎 亥 辰 卯 庚 兄 空申 龍 末(空亡) 龍空
第七十六例:錢通判は丁巳年の生まれで五十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年正月庚辰日で、子の月将を巳の刻に加えて課を立てました(古本は彼が十一月二十一日丑時に生まれたと記す)。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「渉害」「絶嗣」(後がないを主る)「蓦越」。天盤は子将を巳時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の辰の上に亥を見て朱雀を乘じ、第四課は亥の上に午を見て白虎を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の壬午は官星で白虎を乘じ、中伝の丁丑は父母爻で貴人を乘じすでに「丁神」でありまた暗鬼、末伝の申は旬空に落ち兄弟爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:無祿課,雖受通判,必不能食祿。兼父母年高先亡,母后亡,父下來又有別差,將及瓜而止。末又是祿,乘空亡入墓,亡在乙丑年六十九上。又蔭不得子也。
邵先生は言いました。これは一課の「無禄」の課で、通判の職を授けられたものの、終じてこの一份の俸禄を食い得ません。これに父母の年事がすでに高いのを加え、母親が先に亡び、随いて父親もまた亡びます。これより後、別に別の差遣があり、任期が満ちんとする時にすなわち到頭です。末伝は禄神ではあるものの、空亡を乘じてまた墓に入るので、身亡は乙丑年・六十九歳の上にあります。しかも彼の官蔭はまた息子の身上に伝わりません。
錢乃奉議郎,受臨江軍通判,庚戌至任,至三月三日作寒食會,母醉死,壬子冬又差南康通判,甲寅又丁父憂,丁巳受江南安撫,己未避嫌,得台州崇道觀,壬戌再轉嶽州通判,乙丑五月喪本身矣。
後の応験:錢通判はもともと奉議郎で、臨江軍通判を受任し、庚戌年に到任しました。三月初三に至り寒食節の宴会を辦し、母親が酔後に去世しました。壬子年の冬にまた南康通判に差され、甲寅年に父親が去世して丁憂し、丁巳年に江南安撫の職を受け、己未年に回避によって改めて台州崇道観の祠禄閑職を得、壬戌年にまた岳州通判に転じ、乙丑年五月に本人が去世しました。
先生析曰;乙丑者死,乙祿在卯,卯絕在申,而天盤申去入墓在丑又空亡,且申乃今日之庚,便是我身,身上有卯,卯中有乙,申乃今日之庚墓丑,故乙丑年死,相次轉朝奉郎,止爭二日,不得萌子。
邵先生が解釈して曰く。乙丑年に死したのは、乙木の禄が卯にあり、卯は申において絶するためです。しかも天盤の申はまた丑において墓に入り、同時にまた空亡に落ちます。申はまさに今日の庚金、すなわち我が身です。身の上に卯があり、卯の中に乙を蔵します。申という庚金はまた丑の上に墓するので、乙丑年の身死に応じました。彼は続いて朝奉郎に転ずべきところ、ただ二日の差で及ばず、官蔭もまた息子に延び及ぶことを得ませんでした。
77)時監院庚午生四十歲占謀動遷轉,己酉年正月辛巳日子將酉時。(申酉空亡,亥子落空), 虎常 空申酉戌亥玄 龍未 子陰 玄 空 朱 后 兄 空申 空 初(空亡) 陳午 丑后 亥 申 辰 丑 子 乙亥 玄 中(落空) 六巳辰卯寅貴 申 巳 丑 辛 財 戊寅 貴 末 朱蛇
第七十七例:時監院は庚午年の生まれで四十歳、調動升遷を謀求するため占いに来ました。時は己酉年正月辛巳日で、子の月将を酉の刻に加えて課を立てました。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。天盤は子将を酉時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に丑を見て天后を乘じ、第二課は丑の上に辰を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の巳の上に申を見て天空を乘じ、第四課は申の上に亥を見て玄武を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の申は旬空に落ち兄弟爻で天空を乘じ、中伝の乙亥は子孫爻で玄武を乘じて空地に落ち、末伝の戊寅は妻財爻で貴人を乘じます。
邵先生曰:此課守妻家,卒未能動身。今喜日墓帶丁,遂有變動之意。臨廟滿後,必得京局,監多是藥院之類。末傳寅在前引動墓,人遂得出去。又是夜貴人,乃久困之貴人,今得用於朝,因此可以遷之。若見廚灶煮麵,僕子為湯所傷,即是喜事到。又主小兒落佛堂外水坑亦應也。
邵先生は言いました。この課は妻家に守りて住し、一時は身を動かせないことを主ります。いま喜ぶべきは日干の墓神が丁神を帯びて、ここにおいて変動の意を有したことです。祠廟の差遣の任が満ちた以後、必ず京城の官局を得ることができ、監管する所は多分薬院の類です。末伝の寅が前にあって墓神を引動すれば、人はすなわち出て行くことを得ます。末伝はまた夜貴人で、それは久しく困った貴人で、いま朝廷に用いられるを得、これによって遷調できます。時に至って、もし廚房の裏で麺を煮るのを見、僕人が湯に燙傷されれば、それはすなわち喜信が到ったのです。また小児が佛堂の外の水坑に掉ち入ることを主り、これもまた応験です。
時自二十三上就舍妻家,是年欲謀動,占得此課,庚戌七月嶽祠滿,討得監和劑局,因他丈人徐侍郎在九宮觀,遂得差遣。所云夜貴久困是也。辛亥其女生日,廚下煮麵,僕子托面出,被人沖在身,而被湯傷。又家宴更深,親戚小兒戲佛堂外一小池中,次日早晨來催赴任。
後の応験:時監院は二十三歳よりすなわち妻家に住み、この年調動を謀求しようと思い、この課を占い得ました。庚戌年七月に岳廟の祠禄任が満ち、監和剤局の差事を討え得ました——彼の岳父の徐侍郎が九宮観に在職していたため、ようやくこの差遣を得たので、まさに「夜貴が久困して用を得」の言に応じました。辛亥年に彼の女児の生日に、廚房の裏で麺を煮て、僕人が麺を端にして出て来て、人に身上に撞かれ、湯に燙傷されました。その日家宴が深夜に及び、親戚の家の小児が佛堂の外の一つの小池で玩耍して水に落ちました。第二天の一早、すなわち人が来て彼に赴任を催しました。
先生析曰;丑加辛作墓神,天后又是滯神,丑中有旬丁為動,換申為醫藥加巳,巳為廚灶,申又為面,天空為僕,亥加申為元武,武乃水神為池,武又為墮水,辛以亥為水息,孩童墮此池中。末卻見貴人乘天門,便是赴任。
邵先生が解釈して曰く。丑が辛に加わるのは墓神で、天后はまた滞塞の神なので、まず動くことができません。しかも丑の中に旬丁を蔵し、丁は動を主るので、ここにおいて変動がありました。申は医薬を表し、それが巳に加わる——巳は厨灶で、申はまた麺食の象を取ることができ、天空はすなわち僕人を表します。合わせてまさに厨下で麺を煮て僕人が傷ついたのです。亥が申に加わって玄武を乘じています:玄武は水神で、水池の象を取ることができ、また落水を主ります。辛金は亥をもって子孫とし(水の中に生ずる所)、だから孩童がこの池に掉ち入ったのです。末伝に貴人が天門の位に乘臨するを見る——それは赴任の信号です。
78)陳上舍戊辰生四十二歲占科舉,己酉年正月己亥日子將未時,(辰巳空亡,酉戌落空),知一,鑄印,斬關,勵德。四月十六巳時生。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 六 常 虎 貴 父 空巳 虎 初(空亡) 陳申 卯玄 酉 辰 巳 子 兄 戊戌 朱 中(落空) 龍未午巳辰常 辰 亥 子 己 鬼 癸卯 玄 末 空虎
第七十八例:陳上舎は戊辰年の生まれで四十二歳、科挙のため占いに来ました(四月十六日巳時の生まれ)。時は己酉年正月己亥日で、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。己亥日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「知一」「鑄印」「斬關」「励徳」。天盤は子将を未時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に子を見て貴人を乘じ、第二課は子の上に巳を見て白虎を乘じ、第三課は日支の亥の上に辰を見て太常を乘じ、第四課は辰の上に酉を見て六合を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳は旬空に落ち父母爻で白虎を乘じ、中伝の戊戌は兄弟爻で朱雀を乘じて空地に落ち、末伝の癸卯は官鬼爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:初末夾定日墓,又名引從,引既不起,從亦不動,前程只如此。巳戌卯鑄印格,乃貴人課;又貴人臨日,可謂吉矣;見壬子年方脫墓神之滯,終見及第,便持兩服;服滿得任,又不終矣。有坎山墳,白蟻遍食,所以前程不通。陳生當年不中,壬子得解及第,持母服;乙卯又持父服。丁巳年授浦江簿,庚申九月身亡。後開坎山墳,果得蟻食者矣。
邵先生は言いました。初伝と末伝が日干の墓神を中間に夾めている——これを「引従」と呼びます。ただ引の一頭はすでに起き得ず、従の一頭もまた動き得ず、前程はまたこれをもって止まります。巳・戌・卯は「鑄印」の格で、本は貴人の課に属します。まして貴人がまた日干に臨むので、吉と算えられます。壬子年に至るを待ってようやく墓神の滞塞を脱け得て、終じて登第できます。ただ随いてすなわち相次いで二度の喪を守り、服満して官任を得ても、また善終することができません。彼の家に一座の坎方に坐する墳があり、棺木は白蟻に蛀め遍されていたので、前程が通じませんでした。陳上舎はその年果たして中らず、壬子年に解を得て併せて登第し、随いて母親のために喪を守り、乙卯年にまた父親のために喪を守りました。丁巳年に浦江県主簿を授けられ、庚申年九月に身亡しました。後にあの坎山の墳を開掘すると、果たして白蟻に蛀食されていました。
先生析曰;夫引從之格,己見巳為絕,辰為墓,墓辰死卯,日上水子亦墓辰、絕巳、死卯,今反引出死墓絕及白虎元武夾定支干之墓,墓加宅,所以引起孝服。庚申年死者,行年又臨巳宮,乃是絕地。巳與申合,合起墓絕,所以死也。
邵先生が解釈して曰く。「引従」の格を講ずれば:己土は巳を見て絶と為し、辰を見て墓と為し、卯を見て死と為します。日干上の子水も同じく辰において墓し、巳において絶し、卯において死します。いま三伝は反転して死・墓・絶の三樣を一斉に引き出し、さらに白虎・玄武の二つの凶将が日干と日支の墓庫を夾み、墓神がまた宅位に加臨するので、孝服の事を引き出しました。庚申年に身死するに至っては、あの年の行年が巳宮に臨み、まさに絶地であるためです。巳と申が相合し、墓と絶を一同に合動させたので、死しました。
79)歐陽秘教戊寅生三十三歲占秋試,己酉年六月己卯日午將戌時。(申酉空亡,辰巳落空),渉害,曲直,佚女,不備,魄化,飛魂。 空虎 龍丑寅卯辰常 陳子 巳玄 后 六 六 虎 兄 癸未 后 初 六亥 午陰 未 亥 亥 卯 鬼 己卯 虎 中 朱戌酉申未后 亥 卯 卯 己 財 乙亥 六 末(暗鬼) 蛇貴
第七十九例:欧陽秘教は戊寅年の生まれで三十三歳、秋試のため占いに来ました。時は己酉年六月己卯日で、午の月将を戌の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は六つ:「渉害」「曲直」(三伝の亥卯未の木局)「佚女」「不備」「魄化」「飛魂」(後の二者は皆魂魄が寧まらず心神が摇動することを主る)。天盤は午将を戌時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に卯を見て白虎を乘じ、第二課は卯の上に亥を見て六合を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て六合を乘じ、第四課は亥の上に未を見て天后を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の癸未は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の己卯は官鬼爻で白虎を乘じ、末伝の乙亥は妻財爻で六合を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:上門亂首,不利有三:一者防犯諱字及時禁忌,二防場屋中有鬥爭,三防與尊長不足。第二場兼防汙塗(鬼在中傳也。)。己日得木局,且支克干,專主用傷,今年不是功名之年。若免得是非也,是幸事矣。後入試聚眾相爭喧鬧場屋,試官申學降罷。
邵先生は言いました。これは「上門乱首」の課で、三か所の不利があります:第一に、廟諱の字樣と当時の禁忌に触犯することを防ぐべきこと。第二に、考場の裏で鬭殴が発生することを防ぐべきこと。第三に、尊長と和しないことを防ぐべきこと。第二場の考試にはなお巻面の汚損を防ぐべきです(鬼爻が中伝に落ちるため)。己土の日干は木局を得、しかも日支が日干を剋するので、専ら用神が傷つくことを主り、今年は功名を取る年ではありません。もし是非を免れることができれば、万幸と算えます。後に彼は入場して応試し、果たして衆を聚めて争鬧し、考場を攪じて大乱と為し、主考官は学政に申報し、彼を降黜して罷考させました。
先生析曰;大凡上門亂首,不是犯家中尊長,自是占尊長不足。今行年上見馬,馬主動在外,而破碎元武,又是不正神,已是不利,不合本命又來刑了行年上巳,是刑了馬與破碎,扛起玄合,故生起是非犯上,況己日卯加巳,是克己,兼木局又從而助之,是聚眾來傷,勢不可遏也。更天后六合又乘三合,自然群眾,且白虎主斗,天后主朋友相識乎?然非年上駟馬引出,主內亂,不可專言外也。
邵先生が解釈して曰く。大凡「上門乱首」の課は、家中の尊長を冒犯するか、さもなくば占う所の事が尊長と和しないかです。いま行年上に驛馬を見、馬は外で走動することを主ります。さらに破碎・玄武のこれら不正の神があり、すでに不利です。不巧にも本命がまた来て行年上の巳を刑し、驛馬と破碎を一斉に刑動し、玄武と六合を皆擡げ起こしたに等しいので、是非を生出し尊上を冒犯しました。まして己土日に卯が巳に加わるに遇えば、まさに来て己身を剋し、木局はまた旁より勢を助ける——それはすなわち衆を聚めて来て我を傷り、その勢は挡えられません。さらに天后・六合がまた三合の局を乘じるので、自ずから一群人を聚成します。白虎は争鬥を主り、天后はまた朋友相識を主ります。ただ、もし行年上の駟馬が気を引き出さなければ、この課は本は内乱を主るので、ひとえに外事のみを説いてはなりません。
80)徐秀才丙子生三十四歲占秋試,己酉年壬戌日亥將申時。(子丑空亡,辰卯落空),遙克,蒿矢,稼穡,勵德,蕪淫。古本作十一月十六日寅時生。 陳龍 六申酉戌亥空 朱未 子虎 后 常 貴 玄 鬼 丙辰 后 初(落空) 蛇午 丑常 辰 丑 巳 寅 鬼 己未 朱 中(暗鬼) 貴巳辰卯寅玄 丑 戌 寅 壬 鬼 壬戌 龍 末 后陰
第八十例:徐秀才は丙子年の生まれで三十四歳、秋試のため占いに来ました(古本は彼が十一月十六日寅時に生まれたと記す)。時は己酉年壬戌日で、亥の月将を申の刻に加えて課を立てました。壬戌日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「遥剋」「蒿矢」「稼穡」(三伝の辰未戌が皆土)「励徳」「蕪淫」。天盤は亥将を申時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に寅を見て玄武を乘じ、第二課は寅の上に巳を見て貴人を乘じ、第三課は日支の戌の上に丑を見て太常を乘じ、第四課は丑の上に辰を見て天后を乘じます。三伝は辰・未・戌:初伝の丙辰は官鬼爻で天后を乘じて空地に落ち、中伝の己未は官鬼爻で朱雀を乘じまた暗鬼、末伝の壬戌は官鬼爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:此課不可問試,防今年有風疾,似乎竣瘓之類;兼破碎位太常乘鬼入宅,若無疾則有服,碎臨空主外服,初墓加破上,雖空亦主婦人有血氣疾。甲寅旬寅加亥真閉口,三傳並宅四土塞之,氣血不行,榮衛不通,能早疏決,不致臃滯,可免癱瘓。當年三月因食菱成風,四肢不遂,狀如癱瘓,後雖無事,卻行履不得;六月喪妻母,九月又喪生母。
邵先生は言いました。この課はもって考試を問うべきではなく、却って今年に風疾を患うことを防ぐべきで、癱瘓の類の病のごとし。これに破碎の位に太常が鬼爻を乘じて宅の中に進入するのを加え、もし病を生ぜざれば喪服があります。破碎が空亡に臨むのは、外家の喪服を主ります。初伝の墓神が破碎の上に加わり、空亡に落ちたとはいえ、また家中の婦人に血気の疾あることを主ります。この課は甲寅旬に在り、寅が亥に加わるのは真の「閉口」です。三伝と宅位を連ねて共に四重の土が気を堵め死なせ、血気が運行できず、営衛が通じません。もし及早に疏通宣泄すれば、壅滞を致さず、なお癱瘓を免れることができます。後にその年三月、彼は菱角を食べたために中風し、四肢が行動できず、容子は癱瘓のごとくでした。後に大いに碍げはなかったものの、歩行は利索ではなくなりました。六月に岳母を喪い、九月にまた生母を喪いました。
先生析曰;蓋甲寅加癸亥真閉口,元又乘之,又是一重閉口,寅主風,元亦主風,寅與亥合,故主癱瘓。辰戌丑未重重臃塞,又兼閉口,便是血氣不調,所以主此病,要好決坤申水,通艮寅風,便可免此災,否則更甚,其人當年果不得試。(重點研讀此課例)樸記!
邵先生が解釈して曰く。甲寅が癸亥の上に加わるのは真の「閉口」です。玄武がまたその上に乘臨し、さらに一重の閉口を添えます。寅は風を主り、玄武もまた風を主り、寅と亥はまた相合するので、癱瘓を主ります。辰・戌・丑・未が重々に壅塞し、これに閉口を加えれば、すなわち血気が調わないので、この病を生じ出します。治し好くせんと思えば、西南坤申方の水を疏決し、東北艮寅方の風を通開すべきで、すなわちこの灾を免れることができます。さもなければ病勢はなお加重します。この人はその年果たして考試に参加できませんでした。(輯者附記:この課例は重ねて研読するに価します。朴記。)
81)何知錄丁丑生三十一歲占前程,戊申年五月丙戌日申將未時。(午未空亡,未申落空),進茹,重審,三奇。 陳六 龍午未申酉朱 空巳 戌蛇 后 貴 陳 龍 鬼 丁亥 貴 初(丁神) 虎辰 亥貴 子 亥 未 午 鬼 戊子 后 中 常卯寅丑子后 亥 戌 午 丙 子 己丑 陰 末 玄陰
第八十一例:何知録は丁丑年の生まれで三十一歳、前程を占いに来ました。時は戊申年五月丙戌日で、申の月将を未の刻に加えて課を立てました。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「進茹」「重審」「三奇」。天盤は申将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に未を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の戌の上に亥を見て貴人を乘じ、第四課は亥の上に子を見て天后を乘じます。三伝は亥・子・丑:初伝の丁亥は官鬼爻で貴人を乘じまた「丁神」、中伝の戊子は官鬼爻で天后を乘じ、末伝の己丑は子孫爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:吾兄今雖授台州知錄,然此任不能赴,必有阻也。將來食祿在江西,有刑法二字,次任湖南北,三任江東,四任近京為安撫司,恐此後雖授州郡之名,不得赴任也。當年乳母死,丁心喪不赴此任,後任江西湖南北,得提刑司簡,任滿又近京為安撫司,後除饒州,不赴任而死。
邵先生は言いました。老兄はいま台州知録を授けられたものの、こ の一任は却って往くことができず、必ず阻礙があります。将来俸禄を食むのは江西においてで、職務上に「刑法」の二字を帯びます。第二任は湖南・湖北に在り、第三任は江東に在り、第四任は京城に近づいて安撫司を為します。恐らくこれより後、州郡の職の名義はあっても、任に到ることができません。後の応験:その年彼の乳母が去世し、彼は乳母のために心喪を服して、この一任に赴くことができませんでした。この後果たして江西・湖南湖北を歴任し、提刑司の差遣を得ました。任満してまた京に近い地に到って安撫司を為し、最後に饒州を除授されましたが、まだ赴任しないうちに去世しました。
先生析曰;蓋日上午作龍乘刃為之退鱗,又是空亡也。午為心,所以不得赴任,而遭心喪。次任江西者,亥加戌,水受土制則為江,臨西故言江西。刑法二字,支干皆自刑,更法字從水從去,亥子丑順流而去,故為法字。子為江湖,又在此方,初中皆官相連,故江西與湖南北相連也。
邵先生が解釈して曰く。日干上の午は青竜を乘じてまた羊刃を帯び、「退鱗」の象を成し、しかも空亡に落ちています。午は人身において心を主るので、すでに任に赴くことができず、また乳母のために心喪を服するのです。第二任は江西に在ると言うのは、亥が戌に加わるためです:水が土に制約されればすなわち江を成し、しかも戌は西方に臨むので、江西と言います。職銜が「刑法」の二字を帯びると言うのは、日干・日支が皆自刑するためです。さらに「法」の字は水に従い去に従い、亥・子・丑が順に流れて往くのは、まさに一つの「法」の字に合します。子は江湖を表し、またまさにこの一方に在ります。初伝と中伝は皆官鬼が相い連なるので、江西と湖南湖北の両任もまた相い連接します。
又四任近京者,丁生人丙日占,丙丁皆寅為生地,父母之邦,故言京也。但與日遠,故不言都下,而言京西。末傳本命見太陰加子,丑土也,土為守土為太守,加在江湖地,依舊饒州也。授而不赴,太陰不顯也。既不顯安得赴?丙子年死,不出亥子丑也。丑是本命,乘陰不顯,便是死也。
第四任が京城に近いと言うに至っては、占者の生年が丁に属し占日が丙であるためで、丙・丁は皆寅をもって長生の地とし、寅は父母の邦なので、「京」と言います。ただそれは日干より離れて遠いので、京城の内と言わず、京西と言います。末伝は彼の本命で、太陰が子に加わるのを見、本命は丑土に属します。土は土を守る職を主り、すなわち太守で、それが江湖の地に加臨するので、依然として饒州です。官を授けられても赴き成らないのは、太陰が隠晦して顕れないことを主るためです。すでに顕れなければ、どうして赴任できましょうか。丙子年に死したのもまた、亥・子・丑のこの一路を脱しません——丑はまさに彼の本命で、太陰を乘じて顕揚を得ないのは、すなわち死んだのです。
秩九析曰:丑是本命,為午龍六害。又作官星制神,既害品制,官焉乎得顯?不顯自死矣。丑獨加子,故不出壬子年。
もう一人、秩九と名のる者の解釈が曰く。丑は彼の本命で、午上の青竜と六害を構成します。丑はまた官星を制伏する神を充当します。品級はすでに害され官星はまた制される——この官はどうして顕達できましょうか。顕達できなければ、自ずから死します。丑は単独で子に加わるので、応期は壬子年を出ません。
又曰:午得龍為官品,既空則此任虛慶矣。然脫此則就支上官星貴人,況更發用,三傳皆是,烏得不顯?故便從官貴上斷之。
また一説あり:午が青竜を乘じるのは官品を表し、すでに空に落ちたので、この一任は一場の空しい歓喜です。ただこの一層を脱ければ、なお日支上の官星と貴人の取るべきがあります。ましてそれはまたまさに発用の神で、三伝の上上下下は皆官貴——どうして顕達しないことがあろうか。だから官貴のこの一路より断じたのです。
82)童七占前程乙未日戌將巳時,(辰巳空亡,酉戌落空),知一,鑄印,度厄,勵德。愛圅曰:古本作己酉年三月十七日童學生占生於戊寅年正月丑日丑時二十六歲。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 虎 貴 陰 六 子 空巳 虎 初(空亡) 陳申 卯玄 巳 子 寅 酉 財 戊戌 朱 中(落空) 龍未午巳辰常 子 未 酉 乙 兄 癸卯 玄 末 空虎
第八十二例:童七が前程を占いに来ました。日辰は乙未で、戌の月将を巳の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅が言う:古本は己酉年三月十七日に童学生の占ったものと作り、戊寅年正月丑日丑時の生まれで二十六歳)。乙未日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「知一」「鑄印」「度厄」「励徳」。天盤は戌将を巳時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に寅を見て太陰を乘じ、第三課は日支の未の上に子を見て貴人を乘じ、第四課は子の上に巳を見て白虎を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳は旬空に落ち子孫爻で白虎を乘じ、中伝の戊戌は妻財爻で朱雀を乘じて空地に落ち、末伝の癸卯は兄弟爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:酉作六合,主生蓮花痔,因色中躁怒而得。色中何?酉為色也。何言躁也?酉克乙未木,木肝,肝主怒,非色中躁怒而何?正妻無子,必主偏生,三下賊上,前程未能興發。
邵先生は言いました。酉が六合を乘じるのは、蓮花痔(痔核が外翻して蓮の瓣のごとき一種の痔瘡)を生ずるを主り、房室の事のうちに躁怒の気を動かして得たものです。どうして女色に関わると見えますか?酉は本は色を主るからです。どうして躁怒と見えますか?酉金が乙・未の木を剋し、木は人身において肝に属し、肝は怒気を主ります——房事の中に怒を動かしたのでなくて何ですか?彼の正妻は男子を生まず、将来必ず庶出の子女です。四課の中に三か所で下神が上神を賊するので、前程は一時に興発できません。
初巳作虎,子息防水厄。初巳子爻,加於子水之上,作虎,虎凶將,又遭下克,先是以主乎水厄。中戌,戌陽乙陰,正妻也,加子爻空巳上,烏能生子?奈又作子爻之墓何?戌作雀,防妻有湯傷火厄。末卯作玄,防出入騎乘有傷手足,文書在盜氣上,前程難顯。宅上貴人六害,末財祿又入盜氣,更三十不意而死。
初伝の巳は白虎を乘じ、子女は水厄を防ぐべきです——巳は子孫爻で、子水の上に加わり、また白虎という凶将を乘じ、さらに下神に剋されるので、先に水厄と断じました。中伝の戌:戌は陽に属し乙は陰に属し、陰陽が相配すればすなわち正妻です。それが空に落ちた巳(子孫爻)の上に加わるのに、どうして息子を生出せましょうか。まして戌はまたまさに子孫爻の墓庫です。戌はまた朱雀を乘じるので、妻子が湯火に燙傷されることを防ぐべきです。末伝の卯は玄武を乘じるので、出入りに騎乘する時に手脚を傷つけることを防ぐべきです。文書の神が泄気の処に落ちるので、前程は顕達し難い。宅位上の貴人はまた六害に逢い、末伝の財と禄もまた泄気の中に落ち込んだので、さらに三十年を過ごせば意外に身故します。
先生析曰;日上酉作合,酉為血,合為蓮花來克身,故主蓮花痔。以巳為子息,巳乃旬空,又作虎,中妻又臨空,無子又妨妻,後辛亥年大水,子墮水幾死,丁巳妻醉後腳燒,乙卯騎馬入城,撲折左足,其言皆應也。六十二因侄分去產,不得意而死。
邵先生が解釈して曰く。日干上の酉が六合を乘じ——酉は血を主り、六合は蓮花の象を取り、それが来て身を剋するので、蓮花痔を生ずるを主ります。乙木は巳をもって子息とし、巳はすでに旬空に落ち、また白虎を乘じます。中伝の妻爻もまた空に臨むので、すでに子なくまた妻を妨げます。後に辛亥年に大水が発し、彼の息子は水に落ちほとんど溺死しました。丁巳年に妻は酒に酔い後に脚を燙傷しました。乙卯年に彼は馬に騎って城に入り、左脚を摔断しました——説いた言葉は全て応験しました。六十二歳に至り、姪に家産を分け去られたため、郁郁として意を得ずに死しました。
蓋乙以戌為財乘空,末又被元引將去,反失財也。卯六戌五,五六三十,故更三十死看驗處著著俱妙,邵先生亦未之反也。亥辛年,亥巳相沖,子動也。妻戌加巳,巳火戌足,足加火上,非燒足而燒何?巳上故巳年應之,卯驢本日祿,不可言凶。乘玄乃凶耳。驢馬類也。克戌是折足,陽左陰右。故折左足。
さらに一層を補します:乙木は戌をもって財とするのに、財は却って空亡を乘じ、末伝はまた玄武に引帯されて往くので、反転して財を失います。卯の数は六、戌の数は五、五に六を乘じて三十を得るので、さらに三十年を過ごして死すると言ったのです——一々験して見れば、至るところ精妙で、邵先生自身もまたこれを推翻するに由がありません。辛亥年に子女の厄に応じたのは、亥と巳が相冲し、子孫爻を冲動したためです。妻爻の戌が巳に加わります:巳は火に属し、戌は足の象を取ることができ、足が火の上に加われば、脚を焼傷したのでなくて何ですか?巳位に落ちたので、巳年に応じました。卯は本は乙日の禄神で、驢馬車乘を表し、本は凶と断ずべきではありませんが、ただ玄武を乘じたために凶を成しました。卯が来て戌を剋するのはすなわち足を折ることです。陽は左を主り陰は右を主るので、左脚を折断したと断じました。
愛圅析曰:卯乘元武,又受酉沖,故主騎乘而攫折。若無酉沖,或不至此。大抵卯為舟車戶輿騾驢,一遇酉沖,便主翻覆跌撲,予嘗得驗也。
輯者程愛圅が解釈して曰く。卯が玄武を乘じ、また酉の冲撃を受けるので、騎乘の際に肢体を摔断することを主ります。倘若酉が来て冲しなければ、或いはこのようには至らなかったでしょう。大抵、卯は舟車・門戸・轎輿・騾驢の類を表し、ひとたび酉の冲に遇えば、すなわち翻覆跌扑を主ります——私自身もまたかつて多く験しました。
83)蓋判院辛未生三十九歲,占前程。己酉年五月壬子日未將子時。(寅卯空亡,酉戌落空),重審,四絕,佚女。 朱蛇 六子丑寅卯貴 陳亥 辰后 蛇 常 朱 玄 財 丙午 玄 初 龍戌 巳陰 寅 未 丑 午 鬼 癸丑 朱 中 空酉申未午玄 未 子 午 壬 父 戊申 虎 末(暗鬼) 虎常
第八十三例:蓋判院は辛未年の生まれで三十九歳、前程を占いに来ました。時は己酉年五月壬子日で、未の月将を子の刻に加えて課を立てました。壬子日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「四絶」「佚女」。天盤は未将を子時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に午を見て玄武を乘じ、第二課は午の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の子の上に未を見て太常を乘じ、第四課は未の上に寅を見て螣蛇を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の丙午は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の癸丑は官鬼爻で朱雀を乘じ、末伝の戊申は父母爻で白虎を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:此課動涉中皆有利害,又名四絕,偃蹇不通,身與初傳玄武入廟,中雀又害,末申作虎入墓,宅未作常六害,又兼四絕體,前程如此,主妻不足妻死,又主親戚入宅亦死。只因損掘艮方父母墳,所以前程不通也。蓋與妻果不和,辛亥妻死卻令姨母來家住,又死。因開墳,果如先生言。壬以申為父母,申墓於丑,是父母墳也。白虎主損壞,以致家敗身不榮也。
邵先生は言いました。この課は一挙一動のうちに皆利害を夾み、課名はまた「四絶」と呼ばれ、至るところ困頓して通じません。身位と初伝は玄武が廟に入り、中伝の朱雀はまた相害を構成し、末伝の申は白虎を乘じて墓に入り、宅位上の未は太常を乘じてまた六害を成し、これに「四絶」の課体を加えます——前程はすなわちこのような容子です。それはまた妻と和せず妻の亡に至るを主り、また親戚が門に入り居住してもまた死することを主ります。これら一切はただ東北艮方の父母の墳を損壊して挖動したために、前程が通じません。後に彼は妻と果たして和せず、辛亥年に妻が死しました。続いて姨母を家に来て同住させたところ、姨母もまた死しました。ここにおいて墳を開いて査看すると、果たして邵先生の説いたごとくでした。壬水は申金をもって父母爻とし、申は丑において墓する——まさに父母の墳地です。白虎は損壊を主るので、家道は敗落し本身もまた顕栄しません。
84)應解元辛未生三十八歲占前程,戊申年戊寅日子將午時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,無依,元胎,度厄。 龍空 陳亥子丑寅虎 六戌 卯常 虎 蛇 陰 陳 官 戊寅 虎 初(落空) 朱酉 辰玄 寅 申 巳 亥 子 空申 蛇 中(空亡) 蛇申未午巳陰 申 寅 亥 戊 官 戊寅 虎 末(落空) 貴後
第八十四例:應解元は辛未年の生まれで三十八歳、前程を占いに来ました。時は戊申年戊寅日で、子の月将を午の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。戊寅日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「無依」(依託する所なし)「元胎」「度厄」。天盤の布き方:貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に亥を見て勾陳を乘じ、第二課は亥の上に巳を見て太陰を乘じ、第三課は日支の寅の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の戊寅は官星で白虎を乘じて空地に落ち、中伝の申は旬空に落ち子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝はまた戊寅で、依然として官星・依然として白虎を乘じ・依然として空地に落ちます。
邵先生曰:此課主人脫空亂語,侮弄神道,絕德喪身,命將不久。汝急禱神修身,前程未料,不則喪無日矣。應疏狂,貪酒好色,家中姬妾最多,常攜妾於廟宇行淫,故先生止之,應見說,遂修身齋戒改過,後應死入冥中,冥以其修省放還。
邵先生は言いました。この課はこの人が話すに虚浮して実ならず、また神明を軽慢し戲侮することを顕します。このようでは自己の徳行を断絶し自己の性命を断送し、寿数は長くありません。あなたは急いで神明に禱告し、自身を修養すべきです。前程は何如かなお説き難いですが、さもなければ死期は眼前にあります。應解元は素より疏狂して放縦し、酒を貪り色を好み、家中の姫妾が最も多く、常に妾室を帯びて廟宇の裏に到り淫を行いました。だから邵先生は言を出して彼を制止しました。應解元はこの一番の言葉を聴いて、すなわち斎戒して身を修め、過を改め自ら新たにしました。後に彼は一たび気絶し、魂が冥間に入り、冥司は彼が確かに修省の実あるため、また彼を放して帰しました。
先生析曰:蓋戊德在巳,巳加絕,又受克,宅又受申克,申上又克寅,今何以言神道也?寅申為寺觀,申乃空亡,是空中神道來克我也。我去又遭彼克,是死無日矣。日上亥,亥乃天門,乘勾是勾追也,故主多凶。
邵先生が解釈して曰く。戊土の徳神は巳にあり、巳は却って絶地に加臨し、また剋制を受けます。宅位もまた申に剋され、申上はまた転じて寅を剋します。さて、何をもって神明の事を説くのですか?寅・申は皆寺観の象を取るためで、申はまさに空亡に落ちる——これはすなわち空中の神霊が来て我を剋するのです。我が彼の処に到ってまた反転してそれに剋されるので、死期が遠くないことが見えます。日干上は亥で、亥は天門で、上に勾陳を乘せています。勾陳は勾攝追捕を主るので、凶険が重々なるを主ります。
85)方縣尉己卯生占前程,庚戌年戊寅日申將辰時。(申酉空亡,子丑落空),昂星,虎視,三光,轉蓬,勵德。愛圅見古本作己酉年五月初一日辰時占。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 六 虎 貴 陳 兄 丁丑 貴 初(落空)(丁神) 空未 寅后 戌 午 丑 酉 父 壬午 虎 中 虎午巳辰卯陰 午 寅 酉 戊 子 空酉 陳 末(空亡) 常玄
第八十五例:方県尉は己卯年の生まれで、前程を占いに来ました。時は庚戌年戊寅日で、申の月将を辰の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅の見た古本は己酉年五月初一日辰時に占ったと作る)。戊寅日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「昴星」「虎視」「三光」「転蓬」「励徳」。天盤は申将を辰時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に酉を見て勾陳を乘じ、第二課は酉の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の寅の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は丑・午・酉:初伝の丁丑は兄弟爻で貴人を乘じ空地に落ちまた「丁神」、中伝の壬午は父母爻で白虎を乘じ、末伝の酉は旬空に落ち子孫爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:日上空亡,到好處不中事。勾陳乘子息 ,乃是虛勾,時下有八年,且赴一任半,要特達須待五十四歲,方可言升遷。只做刑部官,長子中子俱不得蔭澤,下稍第三子受也。五十四上再十四年,得邊上太守,帶武職而終。方後果授溫州尉,任滿授饒州,十四月丁母憂歸。恰好八年矣。後五十三上,得台州黃岩縣,得奉朝請。長次子俱不得受恩,第三子受恩。
邵先生は言いました。日干上に空亡が落ちるので、好い処に走到しても事を辦し成せません。勾陳が子孫爻を乘じるのは、虚しく勾めた一場です。眼下はなお八年の数あり、ただ一任半の官を為すのみです。人頭を出て地に出ようと思えば、五十四歳に至るを待ってようやく升遷を談じ得て、しかもただ刑部の一路の官を為すのみです。長子・次子は皆官蔭の恩沢を得られず、末に至っては第三个の息子が蔭を受けます。五十四歳にさらに十四年を過ごせば、辺地の太守の職を得て、武官の銜を帯びて終局します。後に方県尉は果たして温州県尉を授けられ、任満して饒州職を授けられ、任に到って十四箇月で母喪に遇い郷に帰り、前後してちょうど八年でした。この後五十三歳に至り、台州黄岩県の差事を得、また奉朝請の銜を得ました。長子・次子は皆恩蔭を受けられず、ただ第三个の息子が受けました。
先生析曰;蓋行年在酉,從酉數至辰八位,故八年。又五十四上顯者,上酉六,辰上午九,六九五十四,在空亡內也。十四年又遷者,丑加酉,丑八酉六,得十四也。丑作貴加酉,虎視課,主邊郡兼武也。第三子受恩者,丑作貴人,季乃三也。從年數至辰,八位為八年。
邵先生が解釈して曰く。行年は酉にあり、酉から辰まで數えて共に八位なので、八年です。五十四歳に顕達すると言うのは、上の酉の数は六、辰上の午の数は九で、六に九を乘じて五十四を得、しかもこれらはまた皆空亡の中に在るためです。さらに十四年を過ごしてまた遷転を得ると言うのは、丑が酉に加わるためです:丑の数は八、酉の数は六、合して十四を為します。丑は貴人を乘じて酉に加わり、また「虎視」の課なので、辺郡の職を得て併せて武銜を帯びるを主ります。第三个の息子が恩を受けると言うのは、丑が貴人を乘じ、丑は四季のうち季(末)の位に属し、末はすなわち第三だからです。さらに行年から辰まで數えて共に八位なので、八年と定めました。
古本授黃岩縣後,又得提刑司干官,任滿得大理,因青龍在辰故也。寺正出知和州,兼淮上兵馬路鈐、朝請郎致仕。
古本はここにさらに一段の記載があります:方県尉は黄岩県職を授けられた後、また提刑司幹官を得、任満して大理寺の職を得ました——これは青竜が辰位に落ちる故です。後に大理寺正より外放して和州知州を為し、兼任して淮上兵馬路鈐轄を為り、最後に朝請郎の官銜をもって致仕しました。
86)儀上舍占前程,辛巳日申將寅時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,無依。 朱蛇 六亥子丑寅貴 陳戌 卯后 玄 六 陳 陰 鬼 辛巳 玄 初 龍酉 辰陰 巳 亥 戌 辰 子 乙亥 六 中 空申未午巳玄 亥 巳 辰 辛 鬼 辛巳 玄 末 虎常
第八十六例:儀上舎が前程を占いに来ました。日辰は辛巳で、申の月将を寅の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「無依」。天盤の布き方:貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に辰を見て太陰を乘じ、第二課は辰の上に戌を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の巳の上に亥を見て六合を乘じ、第四課は亥の上に巳を見て玄武を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の辛巳は官鬼爻で玄武を乘じ、中伝の乙亥は子孫爻で六合を乘じ、末伝はまた辛巳で、依然として官鬼・依然として玄武を乘じ、首尾が往返し、まさに反吟に合します。
邵先生曰:此課日上見辰,乃濁氣所生,非秀麗也。長生陷入鬼地帶絕,此不是及第課,主三番讀書,四番廢業,少學無成,頭不應尾,五年後做東不成,又去做西,喪妻娶妻,十六年內家計蕩盡,妻嫁武官,子無頭尾。儀上舍發舉了,妻家以一莊贈,果己酉至乙卯如意,乙卯後不濟,試皆不利,喪妻飲酒無度,家計蕩盡,子留外家,後妻嫁一武進士。
邵先生は言いました。この課は日干上に辰を見、辰は濁気の生ずる所で、清秀の象ではありません。長生の神がまた鬼地に陷ち込んで絶気を帯びる——これは登第の課ではありません。この人が三番書を讀み四番荒廃し、少年の時学を求めて成せず、首尾が相い応じないことを主ります。五年の後、東へ往って事を為して成せず、また転じて西辺に往って為します。その間に妻を喪い再娶します。十六年の内に家業は蕩盡し、妻子は改嫁して武官に嫁ぎ、息子もまた落ち着き所がありません。後に儀上舎は挙に中り、妻家は彼に一座の荘園を送りました。己酉年から乙卯年に至るまで果たして事事意のごとくでしたが、乙卯年以後は濟まなくなり、歴次応試して皆利あらずでした。妻を喪った後、飲酒して度がなく、家業は蕩盡し、息子は外家に留まり、後妻は改嫁して一人の武進士に嫁ぎました。
先生析曰;大凡巳亥巳,惟壬日陽得便宜,他來我處絕,又是財。丙戊日我去克處逢絕,凡事不利。若辛巳日,辛生於巳,巳絕於亥,初臨尚可,末臨絕,長生尚自憂克絕,何望生乎我?即不可望生,卻就辰之生,為失十得一,豈不費力耶?
邵先生が解釈して曰く。大凡、三伝が巳・亥・巳のような往返の局を作すには、ただ壬のような陽日のみが占便宜を占めます——对方が来て我が此所に至り、ちょうど絶地に逢い、しかもそれはまた我の財です。もし丙日・戊日なら、それは我が往ってそれを剋する処に却って絶に遇い、凡事不利です。辛巳日に至っては:辛金は巳において長生するが、巳はまた亥において絶します。初伝が巳に臨むはなお可なりとするも、末伝は却って絶を受ける地に臨みます。長生の神は自身なお且つ剋され絶されることを憂えているのに、なおそれが来て我を生ずることを指望しましょうか。すでに指望し上げられなければ、ただ退いて辰土の生を取るしかなく、それは十分を失い一分のみを捞り帰るに過ぎず——豈に気力を白費ならずや。
87)毛主薄乙亥生三十四歲占前程,戊申年五月初四丁亥日申將午時。(午未空亡,申酉落空),重審,間傳,極陰。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 常 陰 貴 朱 財 乙酉 朱 初(落空) 空巳 子后 卯 丑 亥 酉 官 丁亥 貴 中(丁神) 虎辰卯寅丑陰 丑 亥 酉 丁 子 己丑 陰 末 常玄
第八十七例:毛主簿は乙亥年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年五月初四日丁亥日で、申の月将を午の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「間伝」「極陰」。天盤は申将を午時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に酉を見て朱雀を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の亥の上に丑を見て太陰を乘じ、第四課は丑の上に卯を見て太常を乘じます。三伝は酉・亥・丑:初伝の乙酉は妻財爻で朱雀を乘じて空地に落ち、中伝の丁亥は官星で貴人を乘じまた「丁神」、末伝の己丑は子孫爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:日上酉為妻,雀乃文書,妻之恩澤也。日上破碎,大段破財。中官星又加破碎上,三傳遍地貴人,主薄在任須多差使,兼權攝。且九丑在宅,主淫亂,本命上丑見太陰,主貪色而死。末又見丑,加官星上,主在任死。毛鉅富,受妻恩澤,緣此結納四方,乃得此任。任中盡將家財用去,在任差使,更不得停,其家果淫亂,又好色,暱於婢妾,乙卯年死。
邵先生は言いました。日干上の酉は妻を表し、朱雀は文書を主るので、この一份の差事は妻家の恩沢が帯びて来たものです。ただ日干上はまた破碎を犯すので、大いにその財を破することを主ります。中伝の官星もまた破碎の上に加わります。三伝の満盤は皆貴人なので、主簿は任上にあって必ず差使が繁多し、さらに別の職務を兼攝します。これに九丑の煞が宅位に落ちるのを加え、家中の淫乱を主ります。本命上の丑がまた太陰を見るので、色を貪ることによって死することを主ります。末伝にまた丑を見て官星の上に加わるので、任上に死することを主ります。毛主簿はもともと巨富で、妻家の恩沢を受け、これを憑って四方と結交し、ようやくこの一任を得ました。任に到って後、家財を皆費やし盡し、任上で差使が絶えず、一刻も停まることを得ませんでした。彼の家は果たして淫乱で、彼自身もまた色を好み、婢妾を昵愛し、乙卯年に去世しました。
先生析曰;蓋乙卯年上有巳,卻會起巳酉丑,合起破碎九丑,日上死神兼與中亥相沖,沖起絕神,死與絕會,是以死也。邵先生每畏遍地貴人,又怕年上會起殺神,丁亥日有酉丑欠巳,至卯上見巳,不怕不死。
邵先生が解釈して曰く。乙卯のこの一年の年上に巳があるので、ここにおいて巳・酉・丑の三合金局を会合起こし、破碎と九丑の二つの凶煞を皆合動させました。日干上の死神はまた中伝の亥と相冲し、絶神を冲動しました。死神と絶神が一か所に会したので、身死しました。邵先生は向來最も満盤の貴人を怕れ、また流年上に煞神を会合起こすことを怕れます:丁亥のこの日はすでに酉・丑があるのに独り巳を缺き、卯年上に至って巳を見れば、彼が死なざるを怕れません。
88)王法司乙亥生三十四歲占前程,戊申年六月甲寅日未將戌時。(子丑空亡,酉戌落空),八專,寡宿,閉口。 陳六 龍寅卯辰巳朱 空丑 午蛇 后 常 后 常 財 空丑 空 初(空亡) 虎子 未貴 申 亥 申 亥 父 癸亥 常 中 常亥戌酉申后 亥 寅 亥 甲 父 癸亥 常 末 玄陰
第八十八例:王法司は乙亥年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年六月甲寅日で、未の月将を戌の刻に加えて課を立てました。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「八専」(日干と日支が同じく一宮に居り、四課がただ両課を成すのみ)「寡宿」「閉口」。天盤は未将を戌時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に亥を見て太常を乘じ、第二課は亥の上に申を見て天后を乘じ、第三課は日支の寅の上に亥を見て太常を乘じ、第四課は亥の上に申を見て天后を乘じます。三伝は丑・亥・亥:初伝の丑は旬空に落ち妻財爻で天空を乘じ、中伝の癸亥は父母爻で太常を乘じ、末伝は依然として癸亥で父母爻が太常を乘じます。
邵先生曰:亥是本命,加支干相生極好。只不合是旬末為閉口,主父母閉口,兼行年又在其上,而父母上見公婆,是父母見公婆也。空丑又乘天空作初傳,虛墓已動。更加辰為鍬鋤殺,當主十月亡母,次年正月亡父。本人須入學館,歷臺諫侍從,只不守土,至戊子年七十四或七十八死矣。王當年十月丁母憂,次年正月丁父憂,三十七得溫州法司,三十九得太常學錄,又遷司業正言,不曾守土。七十八卒。
邵先生は言いました。亥は彼の本命で、日干・日支に加臨して彼此相い生ずるので、本来極めて好いです。ただそれがまさに旬末に当たって「閉口」を成したのが宜しからず、父母のあの一頭が口を閉じて通ぜざるを主ります。まして行年もまたその上に圧し、しかも父母爻の上にまた公婆の輩の神を見る——それはすなわち父母が公婆(先人)を見に往くのです。空に落ちた丑がまた天空を乘じて初伝を作し、虚墓はすでに発動しました。これに辰が鍬鋤の煞であるのを加えるので、十月の裏に母親が亡故し、第二年正月に父親が亡故すると断じました。彼本人は将来学館に進んで任職し、歴任して台諫と侍従の官を為り、ただ地方の守土の官を為ることはありません。戊子年に至り、七十四歳あるいは七十八歳の上で去世します。王法司はその年十月に果たして母のために丁憂し、第二年正月に父のために丁憂しました。三十七歳に温州法司を得、三十九歳に太常学録を得、また国子司業・正言に遷り、ずっと地方の守令を為さず、七十八歳で去世しました。
先生析曰;此課旬末加旬首,父母加主父母亡,自身閉口,仕途不通。然既言七十四,又言七十八,何也?亥加寅,亥四寅七,乃七十四也。亥有四個,又添四數,七十八也。況甲與寅上兩個亥,故云。又云,亥乃父母爻,作真閉口,作太常,陰神又見申金乘後,而與亥六害,無惑乎父母之亡也。初丑,土也;空上乘空,故終身不能守土。亥乃天門,又是長生學堂,中末都是,所以入學館也。
邵先生が解釈して曰く。この課は旬末が旬首の上に加わり、父母爻が重畳して加臨するので、父母の亡故を主ります。本身はまた閉口に逢うので、仕途が通暢しません。さて、どうしてすでに七十四と言い、また七十八と言うのですか?亥が寅に加わります:亥の数は四、寅の数は七、合して七十四を成します。しかも課中に亥が四つあり、さらに四の数を添えれば、すなわち七十八です。まして甲の寄宮の寅の上下に共に二つの亥があるので、このように説きます。また言います:亥は父母爻で、真の閉口を成し、また太常を乘じます。その陰神の上に申金が天后を乘じるのを見、しかも申と亥はまさに六害を成す——父母が双亡したも無理ありません。初伝の丑は土に属すものの、それは空の上にまた天空を乘じるので、終身守土の官を為り成しません。亥は天門で、また長生と学堂の位で、中伝・末伝は皆亥なので、学館に進んで任職することができます。
89)趙監務丁丑生三十二歲占赴任,戊申年辛巳日子將辰時。(申酉空亡,辰巳落空),元首,炎上,愛圅曰:己酉正月初二日占,未交春,仍作戊申年。趙生於丁丑年九月十日丑時。 陳六 龍丑寅卯辰朱 空子 巳蛇 玄 龍 陳 貴 官 壬午 貴 初 虎亥 午貴 酉 丑 寅 午 財 戊寅 陳 中 常戌酉申未后 丑 巳 午 辛 父 甲戌 常 末 玄陰
第八十九例:趙監務は丁丑年の生まれで三十二歳、赴任のため占いに来ました。時は戊申年辛巳日で、子の月将を辰の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅が言う:実際は己酉年正月初二日に占ったもので、まだ立春を交えていないため、依然として戊申年と算す。趙某は丁丑年九月初十日丑時の生まれ)。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「元首」「炎上」(三伝の寅午戌が火局を合成する)。天盤は子将を辰時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に午を見て貴人を乘じ、第二課は午の上に寅を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の巳の上に丑を見て青竜を乘じ、第四課は丑の上に酉を見て玄武を乘じます。三伝は午・寅・戌:初伝の壬午は官星で貴人を乘じ、中伝の戊寅は妻財爻で勾陳を乘じ、末伝の甲戌は父母爻で太常を乘じます。
邵先生曰:主今年二月上任,日上官星作貴,會火局,金被火逼,行年又來趕,必然動身。須防尊長病酒幾死,即應矣。宅上丁神已動了,臨交代之時,必有阻節,得十六個月遭父喪而回。趙因前任填補,遂於二月催赴任,二月二日父大醉幾死,六七日而文字來。八月交割,前任官要趙認欠,方得交代,次年十一月丁父憂歸。共十六個月也。
邵先生は言いました。今年二月にすなわち上任します。日干上の官星は貴人を乘じ、また火局を会成し、辛金は火に逼られ、行年はまた後ろにあって催赶するので、必ず身を動かします。ただ家中の尊長が酒によって病を致しほとんど命を喪うことを防ぐべし——これがすなわち眼前の応験です。宅位上の丁神はすでに発動し、職務を交接する時に至れば、必ず阻礙があります。任に到って十六箇月の上に父喪に遇い回ります。趙監務は前任の缺を填補するため、二月の裏にすなわち赴任を催されました。二月初二のあの日に彼の父親は大いに酔ってほとんど死に、六七日を過ごして公文がようやく到りました。八月の裏に交割を辦し、前任の官は趙監務に虧欠を承認させてからでなければ交接しませんでした。第二年十一月に父のために丁憂して郷に帰り、前後してちょうど十六箇月でした。
先生析曰;蓋平人怕官鬼來克,主有官事喪禍。官人赴任,須要官星旺,即赴任也。辛長生於巳,巳為父,巳加酉上見蛇,酉為酒,蛇撓之,所以為酒傷。巳午相連,巳應了午便應也。
邵先生が解釈して曰く。平民百姓は官鬼の来て剋するを怕れ、それは官司と喪禍を主ります。官を為る人が赴任するには、却って正に官星の旺なるを要し、官星が一たび旺すればすなわち赴任できます。辛金は巳において長生し、巳はここで父親を表します。巳が酉に加わってまた螣蛇を見ます:酉は酒の象を取り、螣蛇が来て攪擾するので、父親が酒に傷られるを主ります。巳と午は相い連なり、巳が先に応験し、午は随いてまた応じました。
90)趙知縣丁巳生五十二歲在任占前程,戊申年十一月乙未日寅將未時。(辰巳空亡) 后陰 貴子丑寅卯玄 蛇亥 辰常 六 陰 空 蛇 子 甲午 空 初 朱戌 巳虎 酉 寅 午 亥 財 辛丑 后 中(暗鬼) 六酉申未午空 寅 未 亥 乙 官 丙申 陳 末 陳龍
第九十例:趙知県は丁巳年の生まれで五十二歳、任上において前程を占いに来ました。時は戊申年十一月乙未日で、寅の月将を未の刻に加えて課を立てました。乙未日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ちます。天盤は寅将を未時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に亥を見て螣蛇を乘じ、第二課は亥の上に午を見て天空を乘じ、第三課は日支の未の上に寅を見て太陰を乘じ、第四課は寅の上に酉を見て六合を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の甲午は子孫爻で天空を乘じ、中伝の辛丑は妻財爻で天后を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の丙申は官星で勾陳を乘じます。
邵先生曰:甜處遭苦,樂里生憂,此課是也。亥來生乙,蛇來撓之。宅上寅作太陰,寅與亥合,因州中曹職吏人,暗讒而成不是。初是死地,午為心,見天空,主心間恍惚,又主子息暴病,妻宮產難幾死。蓋大閣壓中堂,任滿下稍難脫,有七日曹職之權,後得盧姓人而解任矣。趙果與判官不足,遂被何孔目間諜,因屢讒於太守,亦與趙不足,下心遂恍惚暴燥,子病幾死,妻次年產幾不得生;任滿權官,不能解任,值盧運使經過,與太守解絕,遂得歸。
邵先生は言いました。甜い処に偏って苦しみに遭い、楽しみの中に反転して憂いを生ず——この課はまさにこのごとしです。亥水は本は乙木を生ずるのに、螣蛇に攪擾されました。宅位上の寅は太陰を乘じ、寅はまた亥と相合するので、州裏の曹属の吏人が背後で讒を進めたために是非に落ちます。初伝は死地に落ち、午は人身において心を主り、また天空を乘じるので、心神が恍惚とするを主ります。さらに子女が暴病し、妻子が難産してほとんど命を喪うを主ります。このほか大いなる閣が中堂を壓する象があり、任満の後は一時に脱身し難いです。中間に七日間曹職を代攝する機会があり、最後に一人の姓盧の人に頼ってようやく卸任できました。趙知県は果たして判官と和せず、何孔目が中より挑撥し、屡々太守に讒を進め、太守もまた彼と嫌隙を生じました。彼は心の裏ここにおいて恍惚として暴躁しました。息子は病してほとんど死に、妻は第二年に生産してまたほとんど保てませんでした。任満の後、官職を代理し、一時に任を解くことができず、ちょうど盧運使が路過して、彼のために太守に調解してやり、ようやく郷に帰ることを得ました。
先生析曰;蓋乙本生於亥,亥不合蛇來撓,寅作太陰,寅為曹職吏人,午為子,子加父母上,自然不安也。乙以丑為妻,丑為產神,加今日六害上,故主產厄。末神七,申乃日鬼,入於深墓中,故能讒而不能脫。子作貴加巳,子為漕,巳為爐,主姓盧運使解紛也。
邵先生が解釈して曰く。乙木は本は亥において長生するのに、亥上に螣蛇が来て攪擾するのを奈何としません。寅は太陰を乘じ、寅は曹属の吏人の象を取ります。午は子孫爻で、子孫が父母爻の上に加われば、家中は自ずから安寧を得ません。乙木は丑をもって妻とし、丑はまた生産を主る神で、いま今日の六害の上に加わるので、産厄を主ります。末伝の神の数は七で、申はまた日干の鬼爻で、しかも深く墓の中に陷っているので、他人は讒を進めることができるのに彼は一時に身を脱することができません。子は貴人を乘じて巳に加わります:子は漕運を表し、巳は爐(盧)の象を取るので、姓盧の運使が出て来て争いを調解したと断じました。
91)韓省干乙亥生,三十四歲,占赴任及歲中事。己酉元旦庚辰日子將亥時。(申酉空亡,酉戌落空),蒿矢,進茹,麗明。己酉元旦尚未交春,仍作戊申年占。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 蛇 朱 玄 陰 官 壬午 蛇 初 六辰 亥常 午 巳 戌 酉 父 癸未 貴 中 陳卯寅丑子虎 巳 辰 酉 庚 兄 空申 后 末(空亡) 龍空
第九十一例:韓省干は乙亥年の生まれで三十四歳、赴任とこの一年中の事を占いに来ました。時は己酉年元旦庚辰日で、子の月将を亥の刻に加えて課を立てました(元旦はまだ立春を交えていないので、依然として戊申年の占いと算す)。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「蒿矢」「進茹」「麗明」(光明に附麗する象)。天盤は子将を亥時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に酉を見て太陰を乘じ、第二課は酉の上に戌を見て玄武を乘じ、第三課は日支の辰の上に巳を見て朱雀を乘じ、第四課は巳の上に午を見て螣蛇を乘じます。三伝は午・未・申:初伝の壬午は官星で螣蛇を乘じ、中伝の癸未は父母爻で貴人を乘じ、末伝の申は旬空に落ち兄弟爻で天后を乘じます。
邵先生曰:支干夾定三傳,更三四課及初傳俱是鬼,有官人慾赴任,為催官符,上任必在三月盡四月初。奈何末祿卻空亡,上任不久,必主尊堂服動,子又病。蓋日辰夾定,凡事皆緊,只不合夾鬼與空亡耳。韓乃運使之子,授得鹽倉,果於三月文字來催,四月赴任,韓記先生言不去,六月十七丁母憂,二月子大病。
邵先生は言いました。日干と日支が三伝を中間に夾み、しかも第三課・第四課に初伝を連ねて全て鬼爻です。官を為る人が赴任せんとするのに、これを「催官符」と呼び、上任は必ず三月の底四月の初めです。奈何せん末伝の禄神が空亡に落ちたので、上任して久しからず、必ず堂上の老母の喪服が発動し、息子もまた病することを要します。日・辰が三伝を夾むのは本来凡事が緊要にして力あるのに、ただ夾んだ所が偏に鬼爻と空亡であるのが宜しからず。韓省干は運使の息子で、塩倉の差事を授けられました。三月の裏に果たして公文が来て催し、四月に赴任しました。韓省干は邵先生の言葉を記えて往きませんでした。六月十七日にすなわち母のために丁憂し、二月の裏に息子もまた一場の大病をしました。
先生析曰;《玉成歌》曰“日鬼加臨辰兩位,門中官病兩相侵”,占赴任人,卻名催官符,只不合日辰夾住,又空亡臨身,太陰乘之,所以喪母。干支乘天羅地網,主丁憂。庚以子為子息,又加子息亥上,為虎所逼,幸不刑傷,所以不死只病也。大凡日辰夾定有鬼,鬼應有空,空應雙,有則俱應矣。
邵先生が解釈して曰く。《玉成歌》は講じて「日鬼が辰の両位に加臨すれば、門中に官と病とが両相い侵す」と曰く。もし赴任する人のために占えば、これを「催官符」と呼びます。ただ日・辰がそれを夾んだのが宜しからず、さらに空亡が身位に臨みて太陰が乘臨するので、母を喪いました。日干・日支が天羅地網を乘じるのは、丁憂して制を守るを主ります。庚金は子水をもって子息とし、子息はまた亥に加わり、白虎に逼られました。所幸は刑傷がなかったので、ただ病するのみで死には至りませんでした。大凡、日・辰が夾んでその中に鬼があれば、鬼はすなわち応験すべく、夾んだ所がもし空亡なら、空亡もまた応験すべく、両樣ともにあれば、すなわち両樣ともに応じます。
92)伊知縣丙寅生四十四歲占赴任及前程,己酉年六月癸亥日未將亥時。(子丑空亡,申酉落空),渉害,曲直,勵德。六月十六日占。 蛇貴 朱丑寅卯辰后 六子 巳陰 貴 常 陰 空 鬼 己未 常 初(暗鬼) 陳亥 午玄 卯 未 巳 酉 子 乙卯 貴 中 龍戌酉申未常 未 亥 酉 癸 兄 癸亥 陳 末 空虎
第九十二例:伊知県は丙寅年の生まれで四十四歳、赴任と前程を占いに来ました。時は己酉年六月十六日癸亥日で、未の月将を亥の刻に加えて課を立てました。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「渉害」(上下に多重の相克があり、害の渉る深き者を取って用と為す)「曲直」(三伝の亥卯未が木局を合成する)「励徳」。天盤は未将を亥時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に酉を見て天空を乘じ、第二課は酉の上に巳を見て太陰を乘じ、第三課は日支の亥の上に未を見て太常を乘じ、第四課は未の上に卯を見て貴人を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の己未は官鬼爻で太常を乘じ暗中之鬼であり、中伝の乙卯は子孫爻で貴人を乘じ、末伝の癸亥は兄弟爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:公既貪女色,又貪男色,若能調攝,可以赴任。若不節慾,必入泉鄉。近日飲酒不得,漸欲嘔吐,伊曰:果然。先生曰:此乃醉飽之後,鬱氣積聚,五臟走作,故嘔逆也。子息加太陽,公子清貴過於公。伊曰:得子強我尤妙,但我壽若何?先生曰:壽盡於今年八月,因公避妻並母,在灶後與婢行淫,灶君申奏於天,遂折公壽矣。伊大驚泣曰:為之奈何?何以懺悔否?先生曰:須是露天謝罪,如此七夜方可少延也。伊遂每夜拜天謝過,不入寢室,八月初一夢神告知曰:汝知過修德,增壽一紀。伊後竟不仕,至庚申年八月十六日而歿。有三子,長早喪,次子戊辰科及第,少子甲戌科及第。
邵先生は言いました。あなたはすでに女色を貪恋し、また男色を貪恋します。もし節制して調養できれば、なお往って赴任できますが、もし欲を節さなければ、必ず黄泉に下るでしょう。近来あなたはすでに酒を飲み下すことができず、漸く嘔吐せんとしています。伊知県は言いました:果たしてそのごとし。先生は言いました:これは酔飽の後に鬱結の気が積聚し、五臓が錯乱するので、ここにおいて反胃して嘔逆するのです。子孫爻が太陽に加臨するので、令郎の将来の清貴はなおあなたに勝るでしょう。伊知県は言いました:息子が私に勝るのはなお妙ですが、ただ私の寿数は何如ですか?先生は言いました:寿数は今年八月に盡きます。あなたが妻子と母親を避けて、灶台の後ろで婢女と淫を行ったため、灶君がこの事を天に奏報し、ここにおいてあなたの寿命を折損しました。伊知県は大いに驚き、泣いて言いました:これをどうしましょうか。なお懴悔できましょうか。先生は言いました:必ず天に露せて罪を謝し、七夜を連ねて行わなければ、ようやく僅かに寿を延ぶることができます。伊知県はここにおいて毎夜天を拜して過を謝し、再び卧室に進みませんでした。八月初一の夜、神人が彼に告げる夢を見ました:あなたは過を知り徳を修めたので、寿を一紀を増す。伊知県は後に終じて出仕せず、庚申年八月十六日に去世しました。彼には三つの息子があり:長子は早く亡び、次子は戊辰科に中第し、幼子は甲戌科に中第しました。
先生析曰;蓋癸上見酉作天空,干支皆敗於酉,陰陽俱敗,故主女色男色。酉為色故也。癸見酉為酒,天空主吐逆,故漸不納酒。此課六陰俱備,且癸亥為六甲極日,癸亥俱敗於酉,死於卯,那更水日又得木局。陰中逢脫,自然暗消。內既空虛,外徒形體。巳為丁神而臨行年,又作太陰,巳為灶,太陰為陰私,酉為婢,是於灶間行淫,以致酉來敗損。況又是破碎,破碎者,色與酒病俱發也。水日木局,故主子位,太陽發傳,又子爻加太陽之上,故顯。 愛圅析曰:巳為日德,故改過修德,而可延年也。
邵先生が解釈して曰く。日干癸の上神は酉で天空を乘じ、日干と日支は皆酉において敗を受け、陰陽両面が一斉に敗壊するので、女色・男色の両樣を皆貪るを主ります——酉は本は色の象を取るからです。癸が酉を見てまた酒の象を取り、天空は吐逆を主るので、漸く酒を飲み下せなくなります。この課は六陰が俱に具わり、まして癸亥は六十甲子の中の最末の一日で、癸と亥は皆酉において敗し卯において死します。これに水日にして木局を得たのを加え、陰気の中にまた脱泄に逢うので、元気は自ずから暗に消耗します。裏面はすでに空虚し、外面に残るはただ一副の躯殻のみです。巳は「丁神」にして正に行年に臨み、また太陰を乘じています:巳は灶の象を取り、太陰は陰私を主り、酉は婢女の象を取り、合わせてすなわち灶間において淫を行い、酉が来てその身を敗損するに至ったのです。まして酉はまた「破碎」の煞を帯びています——破碎が一たび動けば、酒病と色病が一斉に発作します。水日にして木局を得たので、子孫の位を主ります。太陽が発用して伝出し、子孫爻がまた太陽の上に加わるので、息子は顕貴です。 程愛圅が解釈して曰く:巳はまた癸日の日徳なので、彼が過を改め徳を修め、年を延ぶることができました。
93)童巡檢丁卯生四十三歲占前程,己酉年八月丁未日午將子時。(寅卯空亡,申酉落空),反吟,八專,井欄射,勵德。 六陳 朱亥子丑寅龍 蛇戌 卯空 陰 陳 陰 陳 兄 乙巳 常 初 貴酉 辰虎 未 丑 未 丑 子 癸丑 陳 中(暗鬼) 后申未午巳常 丑 未 丑 丁 子 癸丑 陳 末(暗鬼) 陰玄
第九十三例:童巡検は丁卯年の生まれで四十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年八月丁未日で、午の月将を子の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。丁未日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「八専」(日干の丁は未に寄宮し、日支の未と同じく一处に居り、四課がただ両課を成すのみ)「井欄射」「励徳」。天盤は午将を子時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に丑を見て勾陳を乘じ、第二課は丑の上に未を見て太陰を乘じ、第三課は日支の未の上に丑を見て勾陳を乘じ、第四課は丑の上に未を見て太陰を乘じます。三伝は巳・丑・丑:初伝の乙巳は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の癸丑は子孫爻で勾陳を乘じ暗に鬼を帯び、末伝は依然として癸丑で子孫爻が勾陳を乘じ同じく暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:一火生四土,行年雖有木,又不得地,如何救我?次第須有舊事牽絆。初驛馬動,便見起程,不是六十里,即一百二十里,後來降官壞任之憂,不是一件,定是二件。若止一件,必有大災,只願壽永也。是大幸不可別圖遷擢也。重重丑土作勾,豈是一件可了?童十月起程,過信州,果一百餘里,驀見追回,究前任不了事,遂不赴任,被拘四個月,得赦回家,方欲再去,被差保正。及分析了,又被侄兒爭分,留連半年,竟失此任。又過母墳,被山人誑開穴犯地道,次年六月遂死。 蓋火生四土四勾,豈不脫氣?丑為舊事,又為今日子孫勾,主後必被諸事脫耗財物也。
邵先生は言いました。一点の丁火が四重の土を生ぜんとし、行年上には木があるものの、また地利を得ず、どうして我を救い得ましょうか。次序に照らして見れば、まず旧日の公案が来て牽絆することを得ます。初伝の驛馬が発動し、眼の前にすなわち起程し、路程は六十里でなければ一百二十里です。これより後、降官して任を壊する憂患があり、しかも一件に止まらず、必ず二件です。もし一件のみなら、それは却って必ず大きな灾があって、ただ性命の長久を保つことを求めるのみです。能くこのようであればすでに大きな幸いで、再び別に升遷を図るべきではありません。丑土は重々として皆勾陳を乘じるのに、どうして一件の事で了結できましょうか。童巡検は十月に起程し、信州を過ぎ、果たして一百余里を走り、忽然として追い返され、前任の未了結の公事を追究され、ここにおいて赴任することができず、四箇月拘押され、赦に遇い家に帰りました。剛し再び往こうとして、また保正に差充され、この一桩の分派が終わるを待って、また姪児に家産を争分され、半年遷延し、終じてこの官職を失いました。彼はまた母親の墳地を経過し、術士に誘騙されて穴を開き、地道に冲犯し、第二年六月にすなわち死しました。 一点の火が四重の土・四重の勾陳を生ぜんとするに、豈に元気を脱泄せざるを得んや。丑は旧事を表し、また今日の子孫爻が勾陳を乘じるので、この後必ず種種の事情に財銭を脱耗することを主ります。
94)應汝言癸巳生二十九歲占前程,己酉年丁未日卯將寅時。(寅卯空亡,卯辰落空),重審,進茹。 朱蛇 六午未申酉貴 陳巳 戌后 貴 蛇 貴 蛇 財 丙申 蛇 初 龍辰 亥陰 酉 申 酉 申 財 丁酉 貴 中(丁神) 空卯寅丑子玄 申 未 申 丁 子 戊戌 后 末 虎常
第九十四例:應汝言は癸巳年の生まれで二十九歳、前程を占いに来ました。時は己酉年丁未日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丁未日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「重審」(下が上を賊して取用する)「進茹」(三伝の申酉戌が順に進み相い連なる)。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に申を見て螣蛇を乘じ、第二課は申の上に酉を見て貴人を乘じ、第三課は日支の未の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に酉を見て貴人を乘じます。三伝は申・酉・戌:初伝の丙申は妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の丁酉もまた妻財爻で貴人を乘じまた「丁神」、末伝の戊戌は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:若問功名難許,問財即富家矣。身宅初傳皆財,中傳上下皆財,財多宜以財營運,必因妻財起家。須把穩不可狂圖,下稍主婢僕上耗費。蓋末傳是火庫,非財庫,丁以金為財,若是金庫財收住。今見火庫反熔壞財矣。蛇主非橫,所以自婢僕生出事來。因此破財,不意而死。 汝言此時尚未有妻,次年成親,頗有嫁資,遂得此營運,十餘年成富翁,四十二典錢,四十七八愈厚,五十一歲癸酉年因婢僕通姦,汝言責之,僕縊死,被告首,入官費用,財產一空,得罰贖而歸,甲戌年死。
邵先生は言いました。もし功名を問うなら、彼に許し難いです。もし銭財を問うなら、それは富家を成すでしょう。身位・宅位と初伝は皆財で、中伝の上下もまた皆財です。財多ければすなわち銭を持って経営運作すべきで、必ず妻家の銭財に憑って家を起こします。ただ把穩するを要し、狂妄に図謀してはなりません。晩景に至れば、婢僕の身上において耗費して財を破ることを主ります。末伝の戌は火庫であって財庫ではないためです:丁火は金をもって財とし、もし金庫なら、財は収め得ます。いま見る所は火庫で、反転して財を熔壞しました。螣蛇は意外の横禍を主るので、事は婢僕のあそこより生出し、これによって財を破し、また人の意表に出でて命を送りました。 應汝言はこの時まだ妻を娶らず、第二年に成親し、妻家の陪嫁は甚だ豊かで、ここにおいて本銭を有して経営し、十余年にして富翁を成しました。四十二歳の上に当舗を開き債を放し、四十七八歳に家業はさらに厚くなりました。五十一歳のあの年は癸酉年で、婢女が僕人と通奸したため、應汝言は彼らを責罰し、僕人は上弔して死に、家の中は人に告発され、官司を打って花費が甚だ多く、財産は一空し、最後に罰金を交して罪を贖い家に帰り、甲戌年に去世しました。
95)姜子安壬申年三十八歲己酉年己酉日卯將子時。(寅卯空亡,巳午落空),蒿矢,斬關。 后陰 貴申酉戌亥玄 蛇未 子常 龍 常 虎 陰 官 空卯 龍 初(空亡) 朱午 丑虎 卯 子 丑 戌 父 丙午 朱 中(落空) 六巳辰卯寅空 子 酉 戌 己 子 己酉 后 末 陳龍
第九十五例:姜子安は壬申年の生まれで三十八歳。時は己酉年己酉日で、卯の月将を子の刻に加えて課を立てました。己酉日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の巳・午二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「蒿矢」(遥剋して取用し、剋力が蒿草の矢のごとく虚しくして実ならず)「斬關」。天盤は卯将を子時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に戌を見て太陰を乘じ、第二課は戌の上に丑を見て白虎を乘じ、第三課は日支の酉の上に子を見て太常を乘じ、第四課は子の上に卯を見て青竜を乘じます。三伝は卯・午・酉:初伝の卯は旬空に落ち官星で青竜を乘じ、中伝の丙午は父母爻で朱雀を乘じまた空地に落ち、末伝の己酉は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:吾丈闇昧,亦不永遠。惟令郎好,與老陰人可享此。今則福謝災生,身宮不明,何望顯達?須管一有福之子,喪則君不祿矣。況初中空亡,惟末撞在日之後,作敗神,主酒色傷身夭壽,三年半期,恐難過也。姜子安好奇異,聞言哂而不信。至壬子年一子果死,其子溫厚。姜氏悲愴,日夜追思,相繼而亡。果三年半也。
邵先生は言いました。あなたのこの課は暗昧にして明らかならず、寿数もまた長遠ではありません。却って令郎が好く、彼は家中の年長の女眷とこの一份の福気を享受できます。いまは福気が謝盡し灾殃が叢生し、身宮は明らかでなく、なお何の顕達を指望しましょうか。眼下必ず一人の福ある子を折損し、あの子が一たびなくなれば、あなたはすなわち禄しません。まして初伝・中伝は皆空亡に落ち、ただ末伝が日干の後に撞ち当たり、また敗神を作すので、酒色によって身を傷り寿を折るを主り、三年半の期限は恐らく熬え過ごし難いです。姜子安は一向に奇を好み異を好み、この言葉を聴いてただ冷笑するのみで、併せて信じませんでした。壬子年に至り、果たして一人の息子が死にました——あの子は性情が温厚でした。姜家の上下は悲痛し、姜子安は日夜追念し、随いてまた去世し、前後して果たして三年半でした。
先生析曰;蓋己酉日見支前之太陰,是闇昧也。宅上子作常,己以子為財,財來此敗,太常己未土,亦隨此敗。初上見卯,土死於卯,卯又空亡,是空亡死也。初中即空,只在末酉,又在日後。 愛圅析曰:日干之後也。己日在未,申為前,而午為後,酉加午,故曰在日後也。夫太常到酉上敗,是進敗也。酉在日後,是退敗也。太陰即酉,又來日上敗我,進亦敗,退亦敗,現在亦敗,豈得不死?壬子年子上卯宅自子引入本宮,己土至彼敗且死,人寧不亡歟?
邵先生が解釈して曰く。己酉のこの日、日支の前の位置上に太陰を見る——これはすなわち暗昧の象です。宅位上の子は太常を乘じています:己土は子水をもって財とし、財がここに来て正に敗地に逢います。太常は本身己未の土に属し、随いて一緒に敗します。初伝の上神は卯で、土は卯において死し、卯はまた空亡に逢う——これはすなわち既に空にしてまた死です。初伝・中伝はすでに皆空なので、倚仗すべきはただ末伝の酉を残すのみなのに、偏に酉がまた日干の後に落ちます。 程愛圅が解釈して曰く:謂う所の「日後」は、日干に就いて言います。己日は未に寄宮し、申を前とし午を後とします。酉は午上に加臨するので、それが日の後に在ると言います。太常が酉に行って敗を受けるのは「進敗」で、酉がまた日の後に落ちるのは「退敗」です。太陰はすなわち酉で、それはなお日干の頭上に来て我を敗します:進むもまた敗、退くもまた敗、眼下もまた敗——どうして死なざるを得ましょうか。壬子年に至り、宅上の卯が子位より本宮に引き入れられ、己土は彼の処に到って既に敗し且つ死す——人はどうして亡びざるを得ましょうか。
96)童知丞乙亥生三十五歲占在任吉凶,己酉年十一月己卯日寅將丑時。(申酉空亡,酉戌落空),重審,進茹,斬關。 蛇貴 朱午未申酉后 六巳 戌陰 六 陳 后 貴 兄 庚辰 陳 初 陳辰 亥玄 巳 辰 酉 申 父 辛巳 六 中 龍卯寅丑子常 辰 卯 申 己 父 壬午 朱 末 空虎
第九十六例:童知丞は乙亥年の生まれで三十五歳、任上にあって吉凶を占いました。時は己酉年十一月己卯日で、寅の月将を丑の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「進茹」(三伝の辰巳午が順に進む)「斬關」。天盤は寅将を丑時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に申を見て貴人を乘じ——申はまさに己土の長生の地、第二課は申の上に酉を見て天后を乘じ、第三課は日支の卯の上に辰を見て勾陳を乘じ、第四課は辰の上に巳を見て六合を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の庚辰は兄弟爻で勾陳を乘じ、中伝の辛巳は父母爻で六合を乘じ、末伝の壬午もまた父母爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課因禍成福,本路除一監司,合主迴避,迴避中卻有好處,終久此貴人不歷此任,而我已加除了。童曰:何等貴人?曰:必提刑與知丞是親,來此得請職,因得周旋文字改官。初六害,勾亦辰,所以滯許多時;中驛馬乘龍,飛騰豹變;末祿在馬上,主坑冶干官之屬也。巳午為爐,六合為模範,乘馬不定,往來東南。次日妻父除提刑,遂迴避,得提點坑冶司鑄錢,即受職而提刑罷官而去。庚戌年又差諸路鹽司,辛亥改官。
邵先生は言いました。この課は禍によって福を成すです。本路に新任の一人の監司が要され、例に拠ればあなたは回避すべきです。ただ回避の中に却って好い処があり、到頭すればあの貴人はこの一任を為し満さず、しかもあなたはすでに別に除授がありました。童知丞が問いました:どのような貴人ですか?先生は言いました:来るのは必ず提刑で、しかも知丞のあなたと親戚です。あなたは彼の処に到って職事を請託すれば、すなわち一紙の公文に憑って官を改めることができます。初伝は六害を犯し、勾陳もまた辰に落ちるので、滞留して久しいです。中伝は驛馬にして竜を乘じ、飛騰変化して豹の毛を改むるがごときを主ります。末伝の禄神が驛馬の上に落ちるので、坑冶司幹官の類の差事を得るを主ります。巳・午は爐の象を取り、六合は模範の象を取り、また驛馬を乘じて動蕩して定まらないので、東南の一帯を往来します。第二天に彼の岳父は果たして提刑を除授され、童知丞はここにおいて回避し、提点坑冶司鑄銭の差事を得ました。剛し職を受けたところ、あの提刑は官を罷め去りました。庚戌年にまた諸路塩司に差せられ、辛亥年に官を改めました。
先生析曰;蓋日上貴人長生,乃尊長屬。乘空亡是前妻父也。不久罷去,亦空亡也。行年丑作虎,丑乃丁神,虎乘丁是極動。又虎為道路神,宅見辰作勾六害,是久滯也。中馬巳,丑合起,其勢必動。午祿神,又臨馬上,其職不停。巳為爐冶,午為雀並之,故文書職事在爐冶中。日上貴人長生,故得此周旋文字改官,必竟空亡脫氣,所以此任合當迴避。
邵先生が解釈して曰く。日干上は貴人を乘じてまた長生の地なので、尊長の輩の親属の身上に応じました。この位置はまた空亡に逢う——指す所は前妻の父です。彼は久しからずしてすなわち官を罷め去りましたが、また正に空に落ちたためです。行年は丑に在りて白虎を乘じ、丑はまた「丁神」で、白虎が丁神を乘じるのは、動くことの極に至るです。白虎はまた道路の神です。宅位上は辰を見て勾陳を乘じて六害を帯びるので、久しく滞って行き難いです。中伝の巳は驛馬で、丑に合動させられ、その勢い必ず動きます。午は禄神で、また驛馬の上に臨むので、職事が一刻も停まりません。巳は爐冶の象を取り、午上にまた朱雀が併せて臨むので、文書職事は皆爐冶鑄銭のこの一路に落ちました。日干上の貴人が長生に居るので、請託の公文に憑って官を改めることができ、ただ終じて空亡して気を脱するので、この一任は理当回避すべきでした。
97)趙主簿丙子生三十四歲占前程,己酉年辛亥日卯將巳時。(寅卯空亡,子丑落空),元首,間傳,顧祖。 朱蛇 六卯辰巳午貴 陳寅 未后 后 玄 貴 陰 鬼 丙午 貴 初(暗鬼) 龍丑 申陰 未 酉 午 申 父 甲辰 朱 中 空子亥戌酉玄 酉 亥 申 辛 財 空寅 陳 末(空亡) 虎常
第九十七例:趙主簿は丙子年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は己酉年辛亥日で、卯の月将を巳の刻に加えて課を立てました。辛亥日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「元首」(上が下を剋して取用し、吉課の首と為す)「間伝」(三伝の午辰寅が位を隔てて退く)「顧祖」。天盤は卯将を巳時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に申を見て太陰を乘じ、第二課は申の上に午を見て貴人を乘じ、第三課は日支の亥の上に酉を見て玄武を乘じ、第四課は酉の上に未を見て天后を乘じます。三伝は午・辰・寅:初伝の丙午は官鬼爻で貴人を乘じ暗中之鬼、中伝の甲辰は父母爻で朱雀を乘じ、末伝の寅は旬空に落ち妻財爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:主簿美差不能赴,自是岳廟,兩次二任岳廟,後雖授美差,不得赴而丁憂,服滿更授差遣,下稍喪妻,以妾為主,貪酒中風而死。庚戌年當赴任,因新任運使是姑丈,遂迴避就岳廟,二任既滿,受烏江丞,丁父母憂,服滿授壽昌令,諸賓作賀,醉後不幸中風而死。
邵先生は言いました。主簿は美差を得たものの赴き成らず、ただ岳廟の祠官を為るのみ、しかも一連して両任ともに岳廟です。後に美差を授けられたものの、まだ赴任しないうちに喪事に遭い制を守り、服満して後に再び差遣を授けられます。晩景に至り妻を喪い、妾室が家を当ります。酒を貪ったために中風して死します。庚戌年は本は赴任すべきでしたが、新任の運使が彼の姑丈であるため、例に拠り回避し、ここにおいて岳廟の差事に就きました。両任が期満し、烏江県丞を受け、随いて父母のために丁憂し、服満して後に寿昌県令を授けられました。賓客たちは皆来て道賀し、彼は酔後不幸にも中風して去世しました。
先生析曰;蓋初傳日貴,傳歸夜貴,自治事終反不治事。日上申作太陰,申為神佛,太陰管陰私,寅為廟,艮為山嶽,自日歸夜,自然監廟,又是顧祖,何能赴任?自宅上一帶引去,直至東南而止潭州岳廟,正在東南上也。一味投絕,又自日傳夜,所以如此。
邵先生が解釈して曰く。初伝が乘じるは昼貴人で、伝えて末に至っては却って夜貴人に帰す——本は事を治める官なのに、終じて反転して事を治めない閑職を為りました。日干上の申は太陰を乘じています:申は神仏の象を取り、太陰は専ら陰私の事を管します。寅は廟の象を取り、艮卦はまた山岳を主ります。昼より夜に帰すれば、自ずから祠廟を監管しに往きます。まして課名はまた「顧祖」で、三伝は頭を回して祖気を顧戀する——どうしてなお赴任できましょうか。宅位上より一路牽引して出て、一直に東南方に走到してようやく停まりました——彼が監した潭州の岳廟は、まさに東南の方向に在りました。三伝はひとえに絶地に投向し、また昼貴より夜貴に伝え入るので、結局はこのごとくでした。
98)陳殿院占謫官衢州甲申秋壬辰日巳將子時。(午未空亡,亥子落空),重審,亂首。 陳六 龍戌亥子丑朱 空酉 寅蛇 蛇 空 空 后 子 庚寅 蛇 初 虎申 卯貴 寅 酉 酉 辰 鬼 空未 常 中(空亡) 常未午巳辰后 酉 辰 辰 壬 兄 戊子 六 末(落空)(暗鬼) 玄陰
第九十八例:陳殿院は官を貶めて衢州の一事のため占いに来ました。時は甲申年の秋の壬辰日で、巳の月将を子の刻に加えて課を立てました。壬辰日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「重審」「乱首」(下が上を剋して尊卑が序を失う)。天盤は巳将を子時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に酉を見て天空を乘じ、第三課は日支の辰の上に酉を見て天空を乘じ、第四課は酉の上に寅を見て螣蛇を乘じます。三伝は寅・未・子:初伝の庚寅は子孫爻で螣蛇を乘じ、中伝の未は旬空に落ち官鬼爻で太常を乘じ、末伝の戊子は兄弟爻で六合を乘じすでに空地に落ちまた暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:寅作蛇加酉為用,蛇入雞穴而破腸,未加寅為中傳,是鬼宿入鬼門,子加未作末傳乘六合,是勢害也。那又辰加壬作天后,刑勝德,此課三不吉。內有天后乘喜為恩神,雖帶恩動而過多,加官不起,後謫官編官柳州而死。經曰:魁罡若向日辰遊,貶出天涯地角頭,此之謂也。
邵先生は言いました。寅が螣蛇を乘じて酉に加わり取って発用と為す——これは螣蛇が鶏の巣に钻り入って肚腸を啄み破られたのです。未が寅に加わって中伝を作す——これは鬼宿が鬼門に闯入したのです。子が未に加わって末伝を作して六合を乘じる——これは形勢が相い害するのです。まして辰が壬に加臨して天后を乘じ、刑剋が徳気を壓し過ぎました——この課には三か所の不吉があります。課中には天后が喜神を乘じて恩神を成すがあるものの、帯びて来る恩気は動きて過盛で、反転して官職を托し上げられません。後に彼は果たして貶謫され、柳州に編管されて死しました。経文に曰く「魁罡若し日辰に游ばば、天涯地角の頭に貶出せん」——講ずる所はまさにこの種の情形です。
99)李大夫占憂銀網事,鞏罷官,己丑年十二月甲子日子將戌時。(戌亥空亡,子丑落空),重審,不備,斬關,狡童,登三天。 后陰 貴未申酉戌玄 蛇午 亥常 六 龍 蛇 六 財 戊辰 六 初 朱巳 子虎 辰 寅 午 辰 子 庚午 蛇 中 六辰卯寅丑空 寅 子 辰 甲 癸 壬申 后 末 勾龍
第九十九例:李大夫は銀網一案・鞏某が官を罷めたことの事を憂慮して占いに来ました。時は己丑年十二月甲子日で、子の月将を戌の刻に加えて課を立てました。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「重審」「不備」(四課が全からず)「斬關」「狡童」「登三天」。天盤は子将を戌時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に辰を見て六合を乘じ、第二課は辰の上に午を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の子の上に寅を見て青竜を乘じ、第四課は寅の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は辰・午・申:初伝の戊辰は妻財爻で六合を乘じ、中伝の庚午は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の壬申は天后を乘じ、六親の欄は原文「癸」と作るが、当に「鬼」の字の訛——甲木が申金を見るはまさに官鬼です。
邵先生曰:登三天主有撓,中午作蛇,五月末沖替可知。末申作後,六月初有赦。寅作龍入宅,明年三月必轉官。果然寅年正月朝廷差兩浙提刑,三月轉官,五月末沖替,六月赦。蓋明年者,歲上發用也。五月替者,蛇入中傳也。六月赦者,太陽交午,申為午作天后也。寅作龍入宅,寅為天吏,故主升轉。 愛圅析曰:以上兩課恐非邵公斷案,存考。
邵先生は言いました。「登三天」の課は攪擾あるを主ります。中伝の午は螣蛇を乘じ、五月末に人に冲替されることが知れます。末伝の申は天后を乘じ、六月初めに当に赦令あるべし。寅は青竜を乘じて宅位に進入し、明年三月に必ず転官します。後に果たして:寅年正月に朝廷は彼を差して両浙提刑に任じ、三月に転官し、五月末に冲替され、六月に赦に遇いました。謂う所の「明年」は、発用の神がまさに太岁の上に在るためです。五月に冲替すると言うのは、螣蛇が中伝に落ちるためです。六月に赦あると言うのは、太陽が行て午位に交り、しかも申は午の天后であるためです。寅は青竜を乘じて宅に入り、寅はまた天吏の神なので、升遷転官を主ります。 程愛圅が解釈して曰く:以上の両課は恐らく邵公の断案ではなく、姑く疑いを存して考を待ちます。
100)姜伯達丁卯生四十三歲占前程,己酉年六月初六日癸丑日未將寅時。(寅卯空亡,未申落空),重審課,此課與葉助教占宅課相同,然彼是亥將午時,故邵公之斷語不同。今將宋本改正,程氏愛圅識。 陳六 龍戌亥子丑朱 空酉 寅蛇 陳 玄 陳 玄 財 丙午 玄 初 虎申 卯貴 亥 午 亥 午 兄 辛亥 陳 中 常未午巳辰后 午 丑 午 癸 官 甲辰 后 末 玄陰
第一百例:姜伯達は丁卯年の生まれで四十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年六月初六日癸丑日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は「重審」。輯者程愛圅はここに注を明らかにします:この課は前面の葉助教が宅を占った課式と相同ですが、あの課は亥将午時なので、邵公の断語は一樣でなく、いま宋本に依って改正します。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に午を見て玄武を乘じ、第二課は午の上に亥を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の丑の上に午を見て玄武を乘じ、第四課は午の上に亥を見て勾陳を乘じます。三伝は午・亥・辰:初伝の丙午は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の辛亥は兄弟爻で勾陳を乘じ、末伝の甲辰は官星で天后を乘じます。
邵先生曰:吾子平生有三苦:一為屋苦,二為妻苦,三為心所苦。初午被癸克,婦人常患心血不寧;中亥為同類,臨屋上,主官訟爭產;愛圅析曰:勾陳主爭也。此惟夜貴則乘勾,若作亥將午時,則用晝貴,亥乃乘天空,何從而斷其官訟爭屋乎?末墓作天后,主女人血氣之災。自身隨傳入墓,必是公姑干亥山之墳內,有泥水侵棺,走獸入內為穴,所以前程不通。九年心病,又四年遭同族爭產,又五年死。若不動移,必然喪身也。
邵先生は言いました。あなたのこの一生に三樣の苦あり:一は房屋の苦、二は妻子の苦、三は心病の苦。初伝の午は癸水に剋され、家中の婦人が常に心血寧まらざるを患うを主ります。中伝の亥は日干と同類で、また屋宅の上に臨むので、官司して産を争うを主ります。(程愛圅が解釈して曰く:勾陳は正に争訟を主る。これはただ夜貴人を用いる時にのみ亥が勾陳を乘じる。もし亥将午時に照らして課を立てれば、用いるは昼貴人で、亥上に乘じるは天空を成す——またどこより官司して屋を争うと断出せましょうか。)末伝は墓に入って天后を乘じ、女人の血気の類の灾病を主ります。本身が三伝に随いて一同に墓に入る——それは必ず公婆が乾亥の方位の墳の裏に葬られ、棺中に泥水が浸入し、さらに野獣が钻り入って窩を為したため、前程が通じません。頭の九年は心病、さらに四年で同族と産を争い遭い、さらに五年で身死します。もしあの墳を遷動しなければ、必ず命を喪います。
伯達乃士人,占課之時,殊不為意,其後宅宇摧損,拆而再造畢,遂心氣發作,日夜呻吟,財物耗散,妻亦心血不安,此九年午所管也。第十年兄弟日夜爭吵,或塞東廁,或開西庫,又爭三處店房,遂致興訟,此四年亥所管也。末辰卻管五年,二年女人血病死,三年自身大病,遂移公婆之墳,啟攢視之,泥土淤塞,除泥改喪,後乃安寧。 先生析曰;蓋午受癸克,走回本家,又受亥克,雖虎賁之勇,亦不能當,所以見諸般不利。午為目、為屋、為妻,故皆不安也。
姜伯達は一人の讀書人で、課を占う時は全く意に介しませんでした。後に房屋が損壊し、拆いて重ねて造りました。造り終わるとすなわち心気の病を犯し、日夜呻吟し、銭財は耗散し、妻子もまた心血寧まらず——これは初伝の午が管する九年です。第十年の上に兄弟の間で日夜争吵し、一時に東辺の厠所を堵め、一時にまた西辺の庫房を開き、さらに三か所の店房を争奪し、終じて官司を打つに鬧り至りました——これは中伝の亥が管する四年です。末伝の辰は最後の五年を管します:第二年に家中の女人が血病によって去世し、第三年に彼自身は一場の大病をし、ここにおいて公婆の墳を遷移し、攅厝を開いて見ると、果たして泥土が淤塞していました。積泥を清除し重ねて安葬して、此の後ようやく安寧を得ました。 邵先生が解釈して曰く。午は癸水の剋を受け、本家に退け帰り、また亥水に来て剋されます。縱に虎賁の士の勇力があるといえども扛げ耐えられないので、諸事不利です。午はこの課の中においてすでに眼目を主り、また房屋を主り、さらに妻子を主るので、この三樣が皆安寧を得ません。
101)馮幹辦丁卯年八月十七日辰時生,占前程,民政局酉年正月甲午日子將午時。(辰巳空亡,戌亥落空),反吟,無依,渉害,元胎。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎 蛇 后 龍 兄 壬寅 后 初 陳酉 辰玄 午 子 寅 申 鬼 丙申 龍 中 龍申未午巳常 子 午 申 甲 兄 壬寅 后 末 空虎
第一百零一例:馮幹辦は丁卯年八月十七日辰時の生まれで、前程を占いに来ました。時は己酉年正月甲午日で(原文の「民政局酉年」は「己酉年」の訛字)、子の月将を午の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「無依」「渉害」「元胎」。天盤は子将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の午の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に午を見て白虎を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝は依然として壬寅で兄弟爻が天后を乘じ、首尾が往返し、まさに反吟の象に合します。
邵先生曰:此課德絕祿喪,婦人主家,干支盡傷,病符臨身,不久主癱瘓風疾之憂,生氣作蛇入宅,主生男子,見此子後,其病便生,須是珍重,不可貪色也。甲寅年尤甚,其宅十八年變為溪溝也。馮受轉運司幹辦公事,有三年缺,上任一歲中風,自後癱瘓更不動,止因壬子得子,賀喜過飲,遂成風疾,解任歸日,食自費兩千餘,雖臥病不起,其食自倍。至甲子歲大水,宅為水所沖損壞,果作溪溝矣。
邵先生は言いました。この課は徳神が断絶し禄神が喪失し、家事は婦人によって主に為さるべきです。日干・日支は皆傷を受け、病符はまた身位に臨むので、久しからずしてすなわち癱瘓の風疾の憂いがあります。生気が螣蛇を乘じて宅位に進入し、男の子を生ずるを主ります。この息子を見て後、病もまた随いて来るので、必ず自ら珍重して、色を貪るべからず。甲寅年には病勢が尤其として重く、あの一軒の宅子は十八年後に一条の溪溝に変じます。馮幹辦は転運司幹辦公事の差遣を受け、任期は三年でした。上任して一年にすなわち中風し、此より癱瘓して動くことができませんでした。起因はまさに壬子年に息子を得、賀喜するに飲酒が量に過ぎ、ここにおいて風疾を成しました。任を解き家に帰るあの日、飲食の一项のみで二千余を費やしました。病に卧して起き得ないものの、飯量は却って倍加しました。甲子年に至り大水が発し、宅子は水に冲壊され、果たして溪溝に変じました。
102)鄧十八官人乙酉年二月十二日亥時生,占漕試,己酉年四月初一戊申日酉將丑時。(寅卯空亡,戌亥落空),潤下,斬關。 虎常 空丑寅卯辰玄 龍子 巳陰 龍 玄 朱 空 財 壬子 龍 初 陳亥 午后 子 辰 酉 丑 子 戊申 蛇 中 六戌酉申未貴 辰 申 丑 戊 兄 甲辰 玄 末(暗鬼) 朱蛇
第一百零二例:鄧十八官人は乙酉年二月十二日亥時の生まれで、漕試のため占いに来ました。時は己酉年四月初一戊申日で、酉の月将を丑の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「潤下」(三伝の申子辰が水局を合成する)「斬關」。天盤は酉将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に丑を見て天空を乘じ、第二課は丑の上に酉を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の申の上に辰を見て玄武を乘じ、第四課は辰の上に子を見て青竜を乘じます。三伝は子・申・辰:初伝の壬子は妻財爻で青竜を乘じ、中伝の戊申は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の甲辰は兄弟爻で玄武を乘じ暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:土日得財局,須是用財為之卻吉。漕司正是申子辰水局也。既以漕司為財,須費己財為佳。身上是晝貴作天空,主簾幕貴人,馳聲於我,我遂得功名也。宅作元武,是本局作賊,須三換名字,及換卷子,並令人代之,此所以不正中也。甲辰旬十日,皆是魁星,此乃為魁首也。但不知何以有,即日東方江邊魚鹽之職也。鄧宅雖是積世武官,大有錢穀,申子辰正是漕司之局。戊用水為財,所費不可言。知有關節,又聞有易卷之說,不知何如也。末傳歸宅是辰,卻是甲辰旬之魁首也。作本經魁,次年雖省試不中,卻試了弓馬。得明州象山縣稅務。 先生析曰;蓋戊土以辰為庫。辰土生於申,乃真庫也。凡墓與庫二名而同體,何以分別?蓋生處為庫,殆囚為墓。今辰生於辰,實真庫,天罡為魚鹽之物,故鹽務兼煎鹽,故實大驗也。
邵先生は言いました。土日にして財局を得たので、必ず銭を舎てて打点才ればすなわち吉です。漕司のこの一路は正に申子辰の水局に応じます:すでに漕司をもって財と為す以上、自分の銭を舎てて花うべきです。身位上は昼貴人にして天空を乘じ、考場の簾幕の内の貴人が我のために名声を張揚し、我はこれによって功名を得たを主ります。宅位上に玄武を乘せたのは、あの本局の中に盗賊が出たので、三回名字を更換し卷子を更換し、さらに人を請いて代考せしめるべし——これが謂う所の正道に由らないです。甲辰のこの一旬の十日は皆魁星に属するので、魁首を得ることができます。ただ何を憑って有り得るかを知らず、眼下まず東方の江辺に一份の魚鹽の差事があります。鄧家はすでに幾代の武官で、銭粮は甚だ多く、申子辰はまた正に漕司の局です。戊土は水をもって財とし、花費の多さは言い難いほどです。彼に関節の通ずべきありと聴き、また換卷の事ありと聴きますが、究竟何如は知ることを得ません。末伝が宅位に帰するは辰で、まさに甲辰一旬の魁首なので、本経の経魁を為りました。第二年の省試は中らなかったものの、弓馬は考え過ぎ、明州象山県税務の差事を得ました。 邵先生が解釈して曰く。戊土は辰をもって庫とし、辰土は申において長生する——これこそ真の庫です。大凡「墓」と「庫」は二つの名目にして同一の实体で、どうして分別しましょうか。生旺の処を庫と呼び、衰囚の処を墓と呼びます。いま辰は辰において長生し、確かに真の庫です。辰はまた天罡と名づき、魚鹽の物を主るので、得た所は鹽務を兼ねた煎鹽の差事で、応験の極めて准なりでした。
103)劉干運丙寅生四十四歲占前程,己酉年六月戊申日未將寅時。(寅卯空亡,未申落空),元首,斬關。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后 空 常 六 鬼 空卯 常 初(空亡) 蛇申 卯常 午 丑 卯 戌 子 戊申 蛇 中(落空) 貴未午巳辰玄 丑 申 戌 戊 兄 癸丑 空 末 后陰
第一百零三例:劉幹運は丙寅年の生まれで四十四歳、前程を占いに来ました。時は己酉年六月戊申日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「元首」「斬關」。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に戌を見て六合を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の申の上に丑を見て天空を乘じ、第四課は丑の上に午を見て天后を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の卯は旬空に落ち官鬼爻で太常を乘じ、中伝の戊申は子孫爻で螣蛇を乘じまた空地に落ち、末伝の癸丑は兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:此課無造化,戊以卯為官星,甲辰旬空亡也。戊以申為長生學堂,入在空亡,只有末傳是丑,丑又來刑日上戌,且作天空,晝貴人空耗,是貴而無位也。晚年孤獨,只與奴婢過殘生,俱不見妻子續。後果然。
邵先生は言いました。この課には造化の言うべきがありません。戊土は卯をもって官星とするのに、偏に卯は甲辰旬の中にまさに空亡です。戊土はまた申をもって長生と学堂の位とするのに、申もまた空亡の裏に落ち込みました。残るはただ末伝の丑のみですが、丑は却って来て日干上の戌を刑し、しかも天空を乘じ、昼貴人は白々しく耗散する——これが謂う所の貴気あって実位なしです。だから晩年は孤独で、ただ奴婢と一緒に残生を打発するのみで、妻子児女は皆指望し上げられません。後に果たしてそのごとくでした。
邵彥和大六壬案例集(利集)·終 身
104)何三公丙午生六十三歲占終身,戊申年六月丙寅日未將寅時。(戌亥空亡,卯辰落空),比用,乘軒,鑄印,察微。 朱六 蛇戌亥子丑陳 貴酉 寅龍 六 陰 空 蛇 鬼 甲子 六 初 后申 卯空 子 未 卯 戌 兄 己巳 常 中 陰未午巳辰虎 未 寅 戌 丙 子 空戌 蛇 末(空亡) 玄常
第一百零四例:何三公は丙午年の生まれで六十三歳、終身を占いに来ました。時は戊申年六月丙寅日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丙寅日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「比用」(両課が俱に剋し、日干と比和する者を取って用と為す)「乘軒」「鑄印」「察微」。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の寅の上に未を見て太陰を乘じ、第四課は未の上に子を見て六合を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の甲子は官鬼爻で六合を乘じ、中伝の己巳は兄弟爻で太常を乘じ、末伝の戌は旬空に落ち子孫爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:干支帶墓,第四課見子鬼發動,卻又傳歸日上,六月死神在戌作蛇,主有伏尸,帶迷惑殺,殃及於人,因宅中皆是舊墓,前後俱有尸骸,鬼入四課,在內之鬼也。傳出日上,漸次侵害於人也。主不出八年,癆病來纏,當死五人,中傳雖有生氣,受克化為鬼,是以不利。戌年戌月難以救也。何三公宅內原是舊冢,聞先生之言,乃掘之,共掘得十四穴,皆無主之墓。庚戌年九月未日,何公不祿,七年之中,果喪五人。
邵先生は言いました。日干と日支は皆墓気を帯び、第四課の上に子水の鬼爻が発動するのを見、また伝え帰って日干の頭上に至ります。六月の死神は戌に在りて螣蛇を乘じ、宅中に伏蔵する尸骨があって、また迷惑の煞を帯び、活人に殃を及ぼすを主ります。これは宅子の底が皆旧墳で、前前後後に皆尸骸を埋めているためです。鬼爻が四課に進入するのは屋内の鬼で、また伝出して日干の上に至れば、すなわち一歩一歩家人を侵害せんとします。八年を出でず、癆病が身に纏わり、五口の人が死するを断じます。中伝に生気はあるものの、剋を受けたために化して鬼を成したので、不利です。戌年戌月に至れば救い難いです。何三公の宅子の裏はもともと旧墳で、先生の言葉を聴いてすなわち往って挖掘し、一共に十四座の穴を挖出し、皆主なき墓でした。庚戌年九月の未日に何公は去世し、七年の中に果たして五口の人が死しました。
105)袁知鎮癸酉命三十六歲占終身,戊申年十一月戊戌日丑將卯時。(辰巳空亡,寅卯落空),重審,勵德,極陰。 六陳 朱卯辰巳午龍 蛇寅 未空 龍 虎 貴 雀 兄 辛丑 貴 初 貴丑 申虎 午 申 丑 卯 財 己亥 陰 中 后子亥戌酉常 申 戌 卯 戊 子 丁酉 常 末(丁神) 陰玄
第一百零五例:袁知鎮は癸酉年が本命で三十六歳、終身を占いに来ました。時は戊申年十一月戊戌日で、丑の月将を卯の刻に加えて課を立てました。戊戌日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「励徳」「極陰」(三伝の丑亥酉が逆行して極陰の地に入る)。天盤は丑将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に卯を見て朱雀を乘じ、第二課は卯の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の戌の上に申を見て白虎を乘じ、第四課は申の上に午を見て青竜を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の辛丑は兄弟爻で貴人を乘じ、中伝の己亥は妻財爻で太陰を乘じ、末伝の丁酉は子孫爻で太常を乘じまた「丁神」。
邵先生曰:此極陰課,戊土死於卯,敗於酉,初傳貴人,享父之福;中傳臨官加丑,亦秉父之財。丑為父母類神,貴人加之更的,故曰享父之福。末傳酉為日敗,又是本命,而加於亥,主自身自敗壞矣。中水末酉,必因酒色也。又乘陰常,丑土歸西北而傾,必因酒色而成癆病。亥四酉六,主四十六歲亡。後又因有服尊長為主,凡事盡決於他。蓋以宅上見申,戊土生於申,故為有服尊長也。後俱應。 先生析曰;占身命及醫與病,丑將卯時以本命上下斷死數。
邵先生は言いました。これは一課の極陰の局です。戊土は卯において死し酉において敗します。初伝は貴人を乘じ、父輩の福蔭を享くるを主ります。中伝は臨官の位にして丑に加わり、また父輩の銭財を承受するです。丑は本は父母の類の類神で、さらに貴人が加臨すればさらに確鑿なので、父の福を享くると説きます。末伝の酉は日干の敗地で、またまさに彼の本命で、さらに亥に加わるので、自身が自ら敗壊することを主ります。中伝は水に属し末伝は酉で、それは必ず酒色によるものです。また太陰・太常を乘じ、丑土は西北に傾向するので、必ず酒色によって癆病を成します。亥の数は四、酉の数は六なので、四十六歳の上に亡故することを主ります。これより後、また一人の服内の尊長が家を当り、凡事は皆彼によって決断されます——これは宅位上に申を見、戊土は申において長生するので、服ある尊長の身上に応じました。後に一一応験しました。 邵先生が解釈して曰く。凡そ身命および医薬疾病を占するには、丑将を卯時に加えて課を立てれば、すなわち本命の上下の神を見て死期の数を断じます。
106)王解元辛丑年九月二十八日辰時生,六十八歲戊申年正月丁亥日子將寅時,(午未空亡,辰巳落空),彈射,間傳,占終身。 虎常 空卯辰巳午玄 龍寅 未陰 陰 貴 空 常 財 乙酉 貴 初 陳丑 申后 未 酉 卯 巳 子 空未 陰 中(空亡) 六子亥戌酉貴 酉 亥 巳 丁 兄 癸巳 常 末(落空)(暗鬼) 朱蛇
第一百零六例:王解元は辛丑年九月二十八日辰時の生まれで六十八歳、終身を占いに来ました。時は戊申年正月丁亥日で、子の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「弾射」「間伝」(三伝の酉未巳が位を隔てて退く)。天盤は子将を寅時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に巳を見て太常を乘じ、第二課は巳の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の亥の上に酉を見て貴人を乘じ——亥は天門、これはまさに「貴人登天門」、第四課は酉の上に未を見て太陰を乘じます。三伝は酉・未・巳:初伝の乙酉は妻財爻で貴人を乘じ、中伝の未は旬空に落ち子孫爻で太陰を乘じ、末伝の癸巳は兄弟爻で太常を乘じすでに空地に落ちまた暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:主外人有服入分,覆蓋被他所撓,我入不明之地,而受太陰之抑,酉作貴登天門,乃夜貴用事。又是不明。酉即太陰,太陰即酉,互相掩蔽,終於失理。行年上太陰門戶亦主分破,況身宅三傳行年皆在陰上,正是不利之年。七十歲必死也。
邵先生は言いました。この課は外姓にして服ある人が差し入って来て家産を分け、家事が彼に遮盖して攪擾されるを主ります。我自己は不明の地に落ち込み、また太陰の圧抑を受けます。酉は貴人を乘じて天門に登臨し、用事するは夜貴人——これもまた不明の象です。酉はすなわち太陰の本位で、太陰はまた正に酉の上に落ち、彼此遮掩して、到頭すれば道理を皆失いました。行年上に太陰に遇い、門戸もまた分裂破損を主ります。まして身位・宅位・三伝と行年は全て陰神の上に落ち——まさに不利の年份です。七十歳の上に必ず死します。
先生析曰;何以見外人有服入?宅主破碎,作事乘馬故也。太常己未土入本家,乃家人也。丁,我也。丁被巳乘馬逼身,而未遂加酉,托於今日陰貴人用事,陰貴人入宅,卻又作破碎,反為他破,未作太陰入酉,是為他所蔽,陰翳不明也。托用事貴人,卻臨陽貴人上,為今日鬼又不明也。又自陽貴人上發傳,終歷陰貴人,末又歸我身上,依舊支破,當主爐灶敗壞。巳之本家,又見卯作天空,主門戶分破。王有一弟少年與人了,次年父死,乘服未滿歸宗。六月入狀爭分,托鄉中徐通判料理,盡為徐所用。然後復分與他,門戶中門折斷,作兩處廚灶皆壞。此事戊申何故不發,至己酉四月方發耶?蓋戊申陽年雖六陰全而不能舉,己酉陰年故發也。
邵先生が解釈して曰く。何をもって外姓にして服を帯びた人が差し入って来ると見えますか?宅位の主が破碎の煞を犯し、事を為すにまた驛馬を乘じるためです。太常は本は己未の土に属し、本家に進入すれば、それはすなわち家の中の人です。丁は、すなわち課を問う我自己です。丁は巳に驛馬を乘じられて身の上に逼られ、しかも未は随いてすなわち酉の上に加臨し、今日用事する夜貴人に托庇しました。夜貴人が宅位に進み、偏にまた破碎を犯し、反転して彼に破られました。未は太陰を乘じて酉の裏に落ち込み——すなわち彼に遮蔽され、陰影は重々として明らかならずです。托した所の用事貴人はまた昼貴人の上に臨み、今日の鬼を成し、同じく不明です。三伝はまた昼貴人の上より発出し、中間は夜貴人を歴経し、末伝は再び我自身に回帰し、依然として日支が破られるので、爐灶が敗壊することを主ります。巳の本家位の上にまた卯が天空を乘じるのを見、門戸の分裂を主ります。王解元に一人の弟があり、少年の時に他人に過継されました。第二年に父親が去世し、弟は喪を服し満たずしてすなわち本宗に帰り、六月の裏に状子を遞して家産を争分し、郷里の徐通判に托して料理せしめましたが、結果として全て徐通判に便宜を占められ、此の後依然として弟に一份を分けました。家中の中門は折断し、両か所の厨房灶台もまた皆毀壊しました。この事は戊申年にどうして発作せず、己酉年四月に至ってようやく発したか?戊申は陽年で、六陰が俱に具わるものの挙発して動かせませんでした。己酉は陰年なので、ようやく発しました。
107)邵木匠乙丑年六月六日未時生,四十四歲占本身。戊申十一月一日壬子日卯將丑時。(寅卯空亡,辰巳落空),重審,勵德,間傳,六儀,佚女,登三天。 龍空 陳未申酉戌虎 六午 亥常 蛇 后 貴 陰 鬼 甲辰 蛇 初(落空) 朱巳 子玄 辰 寅 卯 丑 財 丙午 六 中 蛇辰卯寅丑陰 寅 子 丑 壬 父 戊申 龍 末(暗鬼) 貴後
第一百零七例:邵木匠は乙丑年六月初六日未時の生まれで四十四歳、自身を占いに来ました。時は戊申年十一月初一壬子日で、卯の月将を丑の刻に加えて課を立てました。壬子日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は六つ:「重審」「励徳」「間伝」(三伝の辰午申が位を隔てて順に行く)「六儀」「佚女」「登三天」。天盤は卯将を丑時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に丑を見て太陰を乘じ、第二課は丑の上に卯を見て貴人を乘じ、第三課は日支の子の上に寅を見て天后を乘じ、第四課は寅の上に辰を見て螣蛇を乘じます。三伝は辰・午・申:初伝の甲辰は官鬼爻で螣蛇を乘じて空地に落ち、中伝の丙午は妻財爻で六合を乘じ、末伝の戊申は父母爻で青竜を乘じ暗に鬼を帯び——申はまたまさに壬水の長生の位です。
邵先生曰:登三天本是至高至危之象,今細微中出入人,卻能顯煥又富貴也。蓋身宅皆居西北極地,迤邐出東南來,將來必做富人。中傳見財,末長生,有財有壽,長生入財位,子先死,孫送終矣。長生能害子孫故也。邵仁占課時,四十四歲正窘,與人工作,後七年與城山寺造殿,從此興旺。六十左右,家典錢,連喪三子。丙寅喪一子,辛未癸酉又喪二字,是時六十九矣。後七孫送終,壽七十七,充保正,至甲午年死。 先生析曰;蓋壬子皆西北方,至幽至陰之地,轉出東南旺方,宅上有寅,寅為子息空初亡,辰為鬼,又臨寅地,中午為財,末申為長生,故有財有壽,而難為子息也。邵公蓋取中午為孫。
邵先生は言いました。「登三天」は本は至髙にしてまた至危の象です。いまこの人は出身が微賤で、却って顕耀して発達して富貴を致すことができます。彼の身位と宅位が皆西北の極陰の地に居り、一路迤邐として東南に転じて来るので、将来必ず富人を為ります。中伝に財を見、末伝は長生なので、財あり寿ありです。ただ長生が財位に落ち込んだので、息子は先に死し、最後に孫子が終を送ります——長生の神は本はすなわち子孫を害し得るのです。邵木匠(名は仁)は課を占う時四十四歳で、まさに窘迫に当たり、人に替わって工を為していました。此の後第七年に城山寺のために大殿を造り、此より興旺しました。六十歳のころ家の裏に当舗を開き債を放ちましたが、却って相次いで三つの息子を死なせました:丙寅年に一人死し、辛未・癸酉年にまた二人死し、あの時彼はすでに六十九歳でした。後に孫子が終を送り、享年は七十七、さらに保正を充てて、甲午年に至って去世しました。 邵先生が解釈して曰く。壬と子は皆西北に属し、最も幽にして最も陰の地で、いま転出して東南の旺方に至りました。宅位上に寅があり、寅は子息の神なのに空に落ちて初めに亡びました。辰は鬼で、また寅の地に臨みます。中伝の午は財、末伝の申は長生なので、財あり寿ありにして、難は子息に在り。邵公は大概中伝の午を取って孫の輩として看たのでしょう。
108)傅清卿壬申年三十八歲占平生,己酉年丁亥日辰將丑時。(午未空亡,酉戌落空),昂星,斬關,炎上。 貴后 蛇申酉戌亥陰 朱未 子玄 陳 虎 常 后 兄 空午 六 初(空亡) 六午 丑常 巳 寅 丑 戌 子 丙戌 后 中(落空) 陳巳辰卯寅虎 寅 亥 戌 丁 父 庚寅 虎 末 龍空 邵先生曰:自有隨身庫,何必求財?傅曰:隨身庫所主何也?曰:只利書會,此隨身庫,餘不利。蓋父母在鬼鄉,又作虎,才討生涯,便生不足。初祿加卯又空,不獨不利,終身亦只書會為活耳。
第一百零八例:傅清卿は壬申年の生まれで三十八歳、平生を占いに来ました。時は己酉年丁亥日で、辰の月将を丑の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「昂星」「斬關」「炎上」(三伝の寅午戌が火局を合成する)。天盤は辰将を丑時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に戌を見て天后を乘じ、第二課は戌の上に丑を見て太常を乘じ、第三課は日支の亥の上に寅を見て白虎を乘じ、第四課は寅の上に巳を見て勾陳を乘じます。三伝は午・戌・寅:初伝の午は旬空に落ち兄弟爻で六合を乘じ、中伝の丙戌は子孫爻で天后を乘じまた空地に落ち、末伝の庚寅は父母爻で白虎を乘じます。邵先生は言いました:あなた自身は随身の庫を帯びているのに、どうしてさらに財を求めましょうか。傅清卿が問いました:随身庫は何を主るのですか?先生は言いました:ただ書会の裏において生計を謀るに利あり——これが謂う所の随身庫で、そのほかは皆利あらず。父母爻が鬼郷に落ちまた白虎を乘じるので、ようやく手を動かして営生を為せばすなわち不足が出ます。初伝の禄神は卯に加わってまた空亡に逢うので、ただ眼下に利なきのみならず、終身もただ書会に憑って過活するのみです。
109)葉七秀才丁卯生四十二歲占平生,戊申年十二月辛卯日丑將寅時。(午未空亡,巳午落空),重審,天獄,勵德。 六陳 朱辰巳午未龍 蛇卯 申空 后 貴 空 虎 父 己丑 后 初 貴寅 酉虎 丑 寅 申 酉 子 戊子 陰 中 后丑子亥戌常 寅 卯 酉 辛 子 丁亥 武 末(丁神)(暗鬼) 陰玄
第一百零九例:葉七秀才は丁卯年の生まれで四十二歳、平生を占いに来ました。時は戊申年十二月辛卯日で、丑の月将を寅の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の巳・午二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「天獄」「励徳」。天盤は丑将を寅時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に酉を見て白虎を乘じ、第二課は酉の上に申を見て天空を乘じ、第三課は日支の卯の上に寅を見て貴人を乘じ、第四課は寅の上に丑を見て天后を乘じます。三伝は丑・子・亥:初伝の己丑は父母爻で天后を乘じ、中伝の戊子は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丁亥もまた子孫爻で玄武を乘じまた「丁神」にして暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:你堂上所葬,乃丑加寅,艮山地也。水便陡瀉自西北上出去,庚上有一石山,其形甚丑,必主人要錢而死。你因妻起家妻財作貴之故,不是六年是七年喪妻,自此退耗。一則男女債,二乃子不成器,三有水壞田,九年大退,十三年當患氣而卒。葉母艮山坤向丑上乘天后,故主乎母,水從脅下流去西北,庚上有一山,生來皆是怪石。壬子年妻弟來家相訪因要錢入城,中途腹痛而死。甲寅年喪妻,年內賣產嫁女,長子賭錢好色,卯年大水,溪邊田盡壞。丙辰十一月疝氣而亡。
邵先生は言いました。あなたの堂上の尊長の葬られた墳は、丑が寅の上に加臨し、艮山の地脈に属します。水は西北方より陡然として瀉き出て行き、庚方の上に一座の石山があり、形状は甚だ醜悪で、必ず人が銭を討えて死するを主るべし。あなたは妻子に憑って家を起こした——これは妻財爻が貴人を乘じる故です。六年でなければ七年の上に妻を喪い、此より家道は退敗します。一は男女の債累あり、二は息子が器を成さず、三は水に田を冲壊されるあり。九年の上に大いに退き、十三年の上に気疾を患うて死します。葉秀才の母親の墳はまさに艮山坤向で、丑上は天后を乘じるので、母親の身上に応じました。水は墳側より西北に流向し、庚方の上に一座の山があり、天生に皆怪石です。壬子年に彼の妻弟が家に来て探訪し、銭を討えんがため城に入り、半路の上に腹痛して死しました。甲寅年に妻を喪い、あの一年の内に産業を売り女児を嫁がせました。長子は銭を賭けまた色を好みました。卯年に大水が発し、溪辺の田は全て冲壊されました。丙辰年十一月、彼は疝気によって去世しました。
先生析曰;蓋丑土生辛金,故為母。辛以寅為妻,故因妻起家。寅艮方,丑加之,故艮山墳地。金絕於寅,故主妻死。傳見子亥,金水相生,傳見退脫,是以退也。辛以子為子,亥為女,太陰男不明,元武女多賠耗,亥四子九,四九三十六,亥為腎,元武主疝氣,金死於子,故十三年疝氣而亡。沈曰:丑為辛墓,又是父母,是以主堂上墳。然不發用,不可亂斷。水便陡瀉,自西北上出去者,子亥逆入西北,是以言陡瀉也。
邵先生が解釈して曰く。丑土は辛金を生じ得るので、母親の象を取ります。辛金は寅木をもって財とするので、妻に因って家を起こしたと説きます。寅は艮方に在り、丑はまたその上に加臨するので、艮山の墳地です。金は寅において絶するので、妻子の死亡を主ります。三伝に子と亥を見、金水が相い生じ、一路は退行脱泄の象なので、家道は退敗します。辛は子をもって兒子とし、亥をもって女児とします。太陰は男を主るも明らかならず、玄武は女を主るも多く耗費します。亥の数は四、子の数は九、四九三十六です。亥は人身において腎を主り、玄武は疝気を主り、金はまた子において死するので、十三年の上に疝気によって亡しました。沈氏が曰く:丑は辛金の墓で、また父母爻なので、堂上の尊長の墳を主ります。ただそれは発用していないので、乱れて断ずべからず。謂う所の水が陡然として瀉き出て西北方より出て行くは、子・亥が逆行して西北に入るため、「陡瀉」と言います。
110)傅大祿己巳生四十歲,占平生。己酉年正月十五甲午日子將卯時。(辰巳空亡,丑寅落空),遙克,蒿矢,元胎,傅生於十一月初三日午時。 朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后 朱 虎 陰 鬼 丙申 虎 初 后子 未空 子 卯 申 亥 子 空巳 陳 中(空亡) 陰亥戌酉申虎 卯 午 亥 甲 兄 壬寅 蛇 末(落空) 玄常
第一百一十例:傅大禄は己巳年の生まれで四十歳、平生を占いに来ました(彼は十一月初三日午時の生まれ)。時は己酉年正月十五日甲午日で、子の月将を卯の刻に加えて課を立てました。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「遥剋」「蒿矢」「元胎」。天盤は子将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に亥を見て太陰を乘じ、第二課は亥の上に申を見て白虎を乘じ、第三課は日支の午の上に卯を見て朱雀を乘じ——卯はまさに甲木の羊刃、第四課は卯の上に子を見て天后を乘じます。三伝は申・巳・寅:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の巳は旬空に落ち子孫爻で勾陳を乘じ、末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:此課亥來生日,是官星垂顧,太陰神佑之象,但羊刃作雀入宅,乃本家之朱雀,恐目下本家有事起,初虎作鬼,亡祟暗害,是家中人所為,從此遂自生事,末寅加巳,遠則四年,近則四月,被事牽纏。若見金司年入訟,其身不便無疑。傅後與弟不足,挾恨告其子違法事,巳乃子也,第四年八月配英州死。 先生析曰;蓋第四年太歲在子,子上得酉,乃己酉太歲得助,故為禍百端,八月者復助酉也。同日同時,又有何子重一數,前增入王知縣數後。
邵先生は言いました。この課は亥水が来て日干を生ずる——官星が垂顧し太陰神明が保佑する象です。ただ羊刃が朱雀を乘じて宅位に進入する——これは自家の朱雀で、恐らく眼下本家にすなわち事端を生出せん。初伝は白虎を乘じて鬼爻を作す——亡魂が祟を為して暗に加害し、家裏の人の手より出ます。此より便ち自ら事を惹き出します。末伝の寅は巳に加わり、遠くは四年・近くは四月に、官司に牽纏されます。もし金に属する年份に逢って訟に入れば、彼自身は必ず不便——これは疑いなしです。傅大禄は後に弟と和を失い、弟は恨を懐き、彼の息子の違法の事を告発しました——巳はまさに子孫爻です。第四年八月、彼は英州に発配されて死しました。 邵先生が解釈して曰く。第四年の太岁は子に在り、子上は酉を得、まさに己酉の太岁が助力を得たので、禍端は百出しました。八月に発作したのは、八月が再び一度酉を助け起こしたためです。同日同時に起した課は、別に何子重の一例があり、前にすでに王知県のあの一例の後に増補しました。
111)王知縣己未生五十歲占身位,戊申年四月甲申日申將丑時。(午未空亡,丑寅落空),知一,羅網,鑄印。 空虎 龍子丑寅卯常 陳亥 辰玄 六 常 玄 朱 財 丙戌 六 初 六戌 巳陰 戌 卯 辰 酉 子 癸巳 陰 中 朱酉申未午后 卯 申 酉 甲 父 戊子 龍 末 蛇貴
第一百一十一例:王知県は己未年の生まれで五十歳、身位を占いに来ました。時は戊申年四月甲申日で、申の月将を丑の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「知一」「羅網」(日干日支が天羅地網を乘じる)「鑄印」。天盤は申将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に酉を見て朱雀を乘じ、第二課は酉の上に辰を見て玄武を乘じ、第三課は日支の申の上に卯を見て太常を乘じ、第四課は卯の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は戌・巳・子:初伝の丙戌は妻財爻で六合を乘じ、中伝の癸巳は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の戊子は父母爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:日上乘破碎,作鬼克身,主與陰人興訟,官位不明。來年或八月事起,必相擾。干支羅網,不可愛財,定被事貶謫。更老陰人因一子不成器,用度不足,心中怏怏,但難開口,四月十一日必進人口,來年己酉太歲防謫為曹屬也。庚戌則大數莫逃矣。王知縣次年受鄉中徐知府長子錢五百緡,知府恭人所揭,王被責劾。蓋徐長子乃義子,與次子爭分,次子乃親子也。王受賄判與長子,故至此。庚戌在任,不意而終。
邵先生は言いました。日干上は破碎の煞を乘せ、また鬼爻を作して身を剋し——女眷の一方と訟事を興起し、官位もまた含糊にして明らかならざるを主ります。明年あるいは八月の裏に事情が発作し、必ず相い擾します。日干日支は天羅地網の中に落ち、銭財を貪愛すべからず——さもなくば必ず事によって貶謫されます。このほか家中にまた一人の年長の女眷がおり、一人の息子が器を成さず用度が足りないために心の裏に怏怏として樂しまざるも、また口を開き難いです。四月十一日に必ず人口を添進すべく、明年の己酉太岁の上に、曹属の類の属吏に貶められることを防ぐべし。庚戌年に至れば、大限はすなわち躲れられません。王知県は第二年に郷里の徐知府の長子の五百緡銭を収め、知府夫人に揭发され、彈劾問責に遭いました。もともと徐家の長子は義子で、次子と家産を争分し、しかも次子こそ親生でした。王知県は賄を受けて家産を長子に判したので、このごとき地步に落ちました。庚戌年に彼はなお任上に在りましたが、人の意表に出でて去世しました。
先生析曰:蓋陽日陰官作雀,故本身有訟,官位不明。酉為兌,兌為澤,故恩澤受財。初傳在日之前,甲克戌為財,卯與戌合,又得六合,是暗受財。被追擾者,干支羅網,不可脫也。己酉遭責,是酉克甲也。酉加寅上,故曰曹屬。庚戌年死者,巳加戌,乃甲申旬末,故閉口不能言也。庚戌行年在巳之本宮,為子所克,反加戌又入墓,又是極末,故閉口而死也。 又云,一老陰人因不子息不足,中心怏怏者,王知縣有弟不才而窘,母深惜之,不王垂顧,嘗怏怏不足。蓋巳為閉口,乘太陰故怏怏不言也。巳下人者,甲以巳為子弟也。
邵先生が解釈して曰く。甲は陽日で、官星は却って陰金にして朱雀を乘じるので、本身に訟事があり、官位もまた明らかならずです。酉は兌卦に属し、兌は沢と為し、沢はすなわち恩沢なので、恩沢を借りて財を受けたのです。初伝は日干の前に落ち、甲木が戌土を剋して財と為し、卯はまた戌と相合し、さらに六合が乘臨するを得——これはすなわち暗中に賄を受けたのです。追究攪擾されたのは、日干日支が天羅地網の中に落ちて、身を脱することを得なかったためです。己酉年に責罰に遭ったのは、酉金が甲木を剋したためです。酉はまた寅の上に加わるので、曹属に貶められたと説きます。庚戌年に身死したのは、巳が戌の上に加わり、ちょうど甲申一旬の末に当たるので、口を閉じて言い出すことができませんでした。庚戌年の行年は正に巳の本宮に在り、子水に剋され、反転して戌の上に加わってまた墓に入り、しかも三伝の最末なので、口を閉じて死しました。 また言います:謂う所の一人の年長の女眷が子息の不濟によって心中怏怏たるは、王知県に一人の弟があり成材せずして窘迫し、母親が深く彼を怜惜するも、また王知県に向かって口を開くを肯んぜず、常に郁郁として足らなかったを指します。巳は閉口を主り、また太陰を乘じるので、ただ怏怏として声を出さざるのみです。巳が下輩の人と言うに至っては、甲木が巳をもって子弟とするためです。
112)何子重辛酉生四十八歲占平生,己酉年正月十五日甲午子將卯時。(辰巳空亡,丑寅落空),遙克,蒿矢,元胎。 朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后 朱 虎 陰 鬼 丙申 虎 初 后子 未空 子 卯 申 亥 子 空巳 陳 中(空亡) 陰亥戌酉申虎 卯 午 亥 甲 兄 壬寅 蛇 末(落空) 玄常
第一百一十二例:何子重は辛酉年の生まれで四十八歳、平生を占いに来ました。時は己酉年正月十五日甲午日で、子の月将を卯の刻に加えて課を立てました——上の一例の傅大禄と同日同時なので、課式は完全に一樣です。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「遥剋」「蒿矢」「元胎」。天盤は子将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に亥を見て太陰を乘じ、第二課は亥の上に申を見て白虎を乘じ、第三課は日支の午の上に卯を見て朱雀を乘じ、第四課は卯の上に子を見て天后を乘じます。三伝は申・巳・寅:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の巳は旬空に落ち子孫爻で勾陳を乘じ、末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:來年行年到寅,因人喪亡,水邊得物,十有一年之寬餘,往後依舊不足,犯刑,刑後做爐匠,被姓陳人壞了。次年果有一僧過水而死,身邊有銀四錠,被何子重拾得,作小買賣,果有十一年寬餘。第十二年又在此溪邊,卻因傷人受刑,後作坑冶匠人,未足四年,被陳生人告搶踏作賊,配池州。巳四加亥七,乃十一年也。 先生析曰;巳四加亥七有誤。當是申七加亥四。
邵先生は言いました。明年、行年が寅に走到し、他人の喪亡によって水辺で財物を拾い得、此より十一年の寛裕な日子があります。往後は依然として足らず、また刑を犯すべし。刑を受けた後、爐匠を為し、最終に一人の姓陳の人に敗壊されます。第二年に果たして一人の僧人が水を渡り淹死し、身上に四錠の銀子を帯び、何子重に拾い得られ、持って小売買を為し、果たして十一年の寛裕な日子を過ごしました。第十二年に彼はまたこの溪辺に在りましたが、却って人を傷つけたために刑を受けました。後に坑冶の匠人を為り、四年に満たずして、一人の姓陳の書生に強盗として賊を為したと告発され、池州に発配されました。この十一年の数は、巳の数四に亥の数七を加えて得たものです。 邵先生が解釈して曰く。「巳四に亥七を加う」と言うは誤りで、当に申の数七に亥の数四を加うべきです。
113)姜子庚午生四十歲占向後如何,己酉年己酉日卯將丑時。(寅卯空亡,辰巳落空),元首,不備,間傳,閉口,出戶。 貴后 蛇未申酉戌陰 朱午 亥玄 虎 玄 玄 后 兄 癸丑 虎 初 六巳 子常 丑 亥 亥 酉 鬼 空卯 龍 中(空亡) 陳辰卯寅丑虎 亥 酉 酉 己 父 乙巳 六 末(落空)(暗鬼) 龍空
第一百一十三例:姜子は庚午年の生まれで四十歳、今後如何を占いに来ました。時は己酉年己酉日で、卯の月将を丑の刻に加えて課を立てました。己酉日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「元首」「不備」「間伝」(三伝の丑卯巳が位を隔てて順に行く)「閉口」「出戸」。天盤は卯将を丑時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に酉を見て天后を乘じ——酉はまさに己土の敗地、第二課は酉の上に亥を見て玄武を乘じ、第三課は日支の酉の上に亥を見て玄武を乘じ、第四課は亥の上に丑を見て白虎を乘じます。三伝は丑・卯・巳:初伝の癸丑は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の卯は旬空に落ち官鬼爻で青竜を乘じ、末伝の乙巳は父母爻で六合を乘じすでに空地に落ちまた暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:支來加干敗,又作天后,一主不能讀書,二不得妻子力,三宅氣衰敗,走失財物,四墳中滿棺是水,又有泥並白蟻。吾丈又貪色,夫妻一味嬌態,不管家務,今六陰皆備,不即日為泉下人矣。若改干亥山向,決宅水東流,戒酒色,猶可延,否則死無日矣。姜好酒色,後月餘吐紅,遂成反胃,小腸刺痛,大腸結,十月死矣。
邵先生は言いました。日支が日干の頭上に加わって正に敗地に当たり、また天后を乘じています:一に書を讀んで上進できないを主り、二に妻子の力を得られないを主り、三に宅気が衰敗し財物を走失するを主り、四に墳中の満棺が皆水で、また淤泥と白蟻あるを主ります。あなたはまた女色を貪恋し、夫妻はひとえに嬌縦して態を作し、家務を理しません。いま六陰が俱に具わり、眼の前にすなわち泉下の人を為さんとしています。もし乾亥の山向に改め、宅子の水を東流に疏導し、さらに酒色を戒めば、なお延べ延べることができます。さもなければ死期はすなわち旦夕に在り。姜子は酒色を好み、一箇月余の後に血を吐き、ここにおいて反胃の症を成し、小腸は刺痛し大腸は燥結し、十月の裏にすなわち去世しました。
先生析曰;大凡六陰,自是不利,自夜傳出日尚可,日傳入夜,其陰愈甚。今干生支酉,酉金生亥水,更行年上未,六陰俱全,本命又見脫盜,且迄邐傳出寅卯,自敗傳死,自死傳絕,行年又加絕上,即是巳祿本身與行年,相繼投絕,安得不喪?日上酉為血,天后厭穢,自內傳出,是吐血也。武亥加血上,亥本宮被丑克,故反胃。丑作虎,故小腸痛,大腸結也。巳作六合,絕處入廟鎖定,兼六陰相繼,所以不通,傳絕而死。
邵先生が解釈して曰く。大凡、六陰の局は本は不利です:もし夜神より昼神に伝向するはなお可なりとするも、もし昼神より夜神に伝入すれば、陰気はさらに重し。いま日干は日支の酉を生じ、酉金はまた亥水を生じ、これに行年が未に在るのを加え、六陰は斉備しました。本命の上にまた脱耗盗泄を見、しかも三伝は一路迤邐として寅・卯に伝向し、敗地より死地に伝え、再び死地より絶地に伝え、行年はまた絶地の上に加わる——これはすなわち巳中の禄神・本身と行年が接続して絶郷に投入するので、どうして亡びざるを得ましょうか。日干上の酉は人身において血を主り、天后はまた汚穢を主り、内より伝出するので、血を吐くです。玄武の乘じた亥は血神の上に加わり、亥の本宮はまた丑に剋されるので、反胃を成しました。丑は白虎を乘じるので、小腸は刺痛し大腸は燥結しました。巳は六合を乘じ、絶の処にまた廟に入って鎖定され、これに六陰が接続して相い逼るのを加えるので、気機は通ぜず、絶地に伝えて死しました。
114)顏孔目甲子生四十六歲占平生,己酉年己未日卯將寅時。(子丑空亡,丑寅落空),八專,帷簿。 蛇貴 朱午未申酉后 六巳 戌陰 后 貴 后 貴 兄 己未 蛇 初 陳辰 亥玄 酉 申 酉 申 子 庚申 貴 中 龍卯寅丑子常 申 未 申 己 子 庚申 貴 末 空虎
第一百一十四例:顔孔目は甲子年の生まれで四十六歳、平生を占いに来ました。時は己酉年己未日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。己未日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「八専」(日干の己は未に寄宮し、日支の未と同じく一处に居り、四課がただ両課を成すのみ)「帷簿」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に申を見て貴人を乘じ、第二課は申の上に酉を見て天后を乘じ、第三課は日支の未の上に申を見て貴人を乘じ、第四課は申の上に酉を見て天后を乘じます。三伝は未・申・申:初伝の己未は兄弟爻で螣蛇を乘じ、中伝の庚申は子孫爻で貴人を乘じ、末伝は依然として庚申で子孫爻が貴人を乘じ——申はまさに己土の長生の地です。
邵先生曰:己去就祿,便就上作初傳,若貴人相委財賦,須是仔細,不得走作財物,及非理飲酒,與親戚婦人交往,交主杖責,杖責了卻得垂顧帶去,終有名目相呼,此長生貴人垂顧之力也。顧緣初太守委提點財賦,後用官錢失檢,杖八十,月餘又與婦人在酒店飲酒,被仇人翁中達理論,太守勘無贓,杖一百,又二月鄭仕郎上任,顧甚得龐,遂成家計,得本州島參軍,後隨鄭去五年,大得意歸。
邵先生は言いました。己土は前に往って禄に就き、禄神の在る所はすなわち直ちに取って初伝と為します。もし貴人が彼に委派して財賦を掌管せしめば、必ず格外仔細にして、財物を挪動走失してはならず、また節制なく飲酒し親戚の家の婦人と往来してはなりません——一旦往来すれば、すなわち杖責を挨けねばなりません。ただ杖責を挨け過ぎた後、反転して貴人の垂顧提携を得、終じて一名目ありて相称せらる——これは長生の貴人が垂顧する力です。顧孔目(原文ここは「顧」と作り、篇首の「顔孔目」と姓氏が一ならず)は起先太守に委派されて財賦を提点し、後に官銭を動用して檢点を失い、八十を杖られました。一箇月余の後、また婦人と酒店において飲酒し、仇家の翁中達に官に告げられて理論せられ、太守は査験して併せて贓物なく、依然として一百を杖しました。また二箇月を過ごし、鄭仕郎が上任し、顧孔目は甚だ彼の寵信を得、ここにおいて家業を置き起こし、本州参軍の職を得ました。後に鄭仕郎に跟随して五年を去り、十分に意を得て帰りました。
先生析曰;蓋己祿在午,刃在未作蛇,主非橫得罪,未為眷屬酒漿,蛇主棒,故見之,且不合在初傳也。中末皆長生貴人,可以立身。鄭貪賄,顧與他經畫,因得意。蓋土生金,申又作貴,為日長生,中末皆是故以此終。
邵先生が解釈して曰く。己土の禄は午に在り、羊刃は未に在りて螣蛇を乘じるので、意外の横事によって罪を獲るを主ります。未はまた親眷と酒浆の象を取り、螣蛇は杖棒を主るので、両樣ともに遭いました。ましてそれは偏にまた初伝に落ちました。中伝・末伝は皆長生の上に貴人を乘じ、これを憑って立身できます。鄭仕郎は財を貪り賄を受け、顧孔目は彼のために経営籌劃したので、意を得ました。これは土が金を生じ得、申はまた貴人を乘じてまさに日干の長生の地で、中伝・末伝は皆この申なので、結局はこのごとくでした。
115)宣和三年十二月二十七丁巳日子將申時,(子丑空亡,辰巳落空),重審,從革。丁丑人二十五歲占終身。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 陰 朱 常 貴 財 辛酉 朱 初 陳未 寅玄 丑 酉 卯 亥 子 空丑 陰 中(空亡) 龍午巳辰卯常 酉 巳 亥 丁 兄 丁巳 空 末(落空)(丁神) 空虎
第一百一十五例:宣和三年十二月二十七日丁巳日、子の月将を申の刻に加えて課を立てました。丁巳日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「従革」(三伝の酉・丑・巳が金局を合成する)。占いに来た人は丁丑年の生まれで二十五歳、終身を占問しました。天盤は子将を申時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に亥を見て貴人を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の巳の上に酉を見て朱雀を乘じ、第四課は酉の上に丑を見て太陰を乘じます。三伝は酉・丑・巳:初伝の辛酉は妻財爻で朱雀を乘じ、中伝の丑は旬空に落ち子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じすでに空地に落ちまた「丁神」です。
邵先生曰:丁日見亥,是鬼貴人,切不可近,當為貴人所害。丁火絕在亥也。支為宅,見破碎,又作陰貴人,乘朱雀。丁巳二火,皆以酉為財,財即破碎,又是陰貴人,切忌與貴人交財,日後宅子及財物皆為人所有,當主為陰人所壞。中傳丑作太陰加酉上,丑是空亡,中間家資必喪盡。有老陰人守寡,田地皆盡。末傳巳即宅神,臨丑下,是空亡,田園安能存留也?三十歲其不免乎?後果一一不爽。人問其故,先生曰:予與此人占時,乃宣和三年十二月二十七日,十二月十十一日立春,則作壬寅歲占也愛圅以曆法推之,果不錯誤,蓋知非後人之託名也。
邵先生は言いました。丁日が亥を見る——これは鬼位の上に坐する貴人で、切に親近すべからず、日後必ず貴人に害されます——丁火が正に亥において絶するためです。日支は宅で、宅上に「破碎」の煞を見、また陰貴人と朱雀を乘じます。丁と巳は同じく火に属し、皆酉金をもって財とするのに、この財はまさに破碎の在る所で、また陰貴人の臨む所なので、最も貴人と財物を往来することを忌みます。日後、宅子と財物は皆他人の手裏に帰し、しかも女眷の一方に敗壊されます。中伝の丑は太陰を乘じて酉に加わり、丑はまた空亡に逢うので、中途に家産は必ず喪盡し、一人の年長の婦人が寡を守り、田地もまた皆蕩盡します。末伝の巳はすなわち宅神で、丑の下に臨んで空に落ちる——田園はどうしてなお保ち得ましょうか。三十歳の上に至れば、ただ一死を免れざるのみです。後に一桩一桩果たして分毫も差わず。人に其中の緣故を問われ、邵先生は言いました:我がこの人のために課を起した時は、宣和三年十二月二十七日で、しかも十二月某十一日にすでに立春していたので、壬寅年を按じて断ずべきです(底本はここの紀日を「十十一日」と作るが、当に脱訛の字あるべく、いま照録して補わず)。愛圅は暦法を按じて推算し、果たして錯ならず、これによってこれは後人の假托の作ではないことが知れます。
先生析曰;占人二十五歲,行年在寅見午,午為日之祿神,並干支旺相,故無恙。至二十八歲,其人為本土徐參議兜盡家財田宅,兜羅卷盡也。三十歲其人身亡。乃靖康元年也。愛圅以靖康元年,歲在丙午,從丙午逆計之,則三十歲乃係丁丑年生也。他書作戊寅生者誤也。今愛圅改正。其母守寡,其屋零落,不久必賣,何也?丁為日干見亥是日干絕氣也。支上見酉,又是支干之死神,故主此人不長。況三十歲行年在未,又見亥水,是身與年俱絕,所以死也。大凡占人不見死墓絕,未可言死,既見休囚死墓絕行年又臨此地,鮮有能外者矣。
邵先生が解釈して曰く。占者は二十五歳、行年は寅に在り、寅上に午を見、午はまさに丁日の禄神で、日干日支はまた皆旺相の気を得るので、眼下は恙なしです。二十八歳に至り、この人は本地の徐参議に家財田宅を全数兜盡されました——謂う所の「兜羅」は、すなわち搜し卷て一空にするの意です。三十歳の上に彼はすなわち身亡し、あの年はまさに靖康元年でした。愛圅が言います:靖康元年は歳丙午に在り、丙午より往前に逆推して三十年すれば、すなわち占者は当に丁丑年の生まれです。別の本子が戊寅年の生まれと写すは錯で、いま愛圅によって改正しました。彼の母親が寡を守り、房屋が零落し、久しからずして必ず売却するのは、何の道理ですか?丁は日干で、亥を見ればすなわち日干の絶気です。日支上に酉を見るは、また日干日支の死神なので、この人の寿数が長からざるを主ります。まして三十歳の行年は未に在り、未上にまた亥水を見るは、本身と行年が一斉に絶地に投入するので、死するを要します。大凡、人を占してもし死・墓・絶を見ざれば、なお死を断ずべからず。すでに休囚死墓絶を見、行年がまたこれらの処に臨めば、例外あり得るは稀です。
受圅析曰:邵公斷案,建炎年間多,宣和年間少,今得此案,不異隨珠卞璧也。
受圅が解釈して曰く:邵彦和先生の断案は、建炎年間に属するが多く、宣和年間に属するは少ない。いまこの一案を得たは、随侯の珠・卞和の璧のごとき珍宝を得るに亞がらず。
116)某占終身戊申年正月初一丙戌日子將未時,知一,斬關,不備。乙亥生三十四歲。 貴后 蛇戌亥子丑陰 朱酉 寅玄 六 常 常 蛇 財 甲申 六 初 六申 卯常 申 卯 卯 戌 子 己丑 陰 中 陳未午巳辰虎 卯 戌 戌 丙 兄 空午 龍 末 龍空
第一百一十六例:ある人が終身を占いに来ました。時は戊申年正月初一丙戌日で、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。課名は三つ:「知一」「斬關」「不備」。占者は乙亥年の生まれで三十四歳。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ちます。天盤は子将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の戌の上に卯を見て同じく太常を乘じ——両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は卯の上に申を見て六合を乘じます。三伝は申・丑・午:初伝の甲申は妻財爻で六合を乘じ、中伝の己丑は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の午は旬空に落ち兄弟爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:日上見戌作蛇,是支來墓干也。巳本蛇屬,與蛇夾一墓在中間,其人腹必有疾病,戌土主塊積。答曰:腹中果有一塊。
邵先生は言いました。日干上に戌を見て螣蛇を乘じる——これは日支が過ぎて来て日干を墓したのです。丙は巳に寄宮し、巳は十二属相の中に本は蛇で、天将の「螣蛇」と一前一後に一人の墓神を中に夾む——この人の腹内に必ず病あり。戌は土に属し、結塊積聚を主ります。その人が答えて言いました:腹中に果たして一塊の硬結あり。
先生析曰:原因感風起,因入喪家,遇食不化,遂成痞塊,不醫命必不久。問:何故?曰:初傳卯上見申作六合,合亦是卯,兩卯夾一申,卯為風,申為肺,風傳入肺臟也。卯為申金所克,遂奔戌上,戌上有太常為喪吊家,卯為風,亦為食,因傷素食久傷脾胃也。戌既為卯所克,走來墓於干上,二巳又夾一墓,墓乃堅牢。此病不能脫矣。是年占人年三十四歲,行年在亥,三十五歲遭官災,大有破費。蓋丙即巳,行年到子,巳受官鬼克,兼作天空,必主虛詐財物。丙祿在巳,祿即財,子水為地盤之鬼,天空克耗之故也。此年行年又遇巳,八月隨喪盡。八月火死土旺,前面便是戌,戌是墓,九月建戌,所以不過也。
邵先生が解釈して曰く。病根は風邪を感受したことに起り、また喪家に進んで物を食べて消化せず、ここにおいて痞塊を結成しました。医治しなければ性命は必ず長からず。人が問いました:どうして見出したのですか?答えます:初伝の卯上に申を見て六合を乘じ、六合は本身もまた卯に属し、二つの卯が一人の申を夾む——卯は風を主り、申は肺を主り、まさに風邪が肺脏に伝え入ったのです。卯は申金に剋され、ここにおいて戌の上に奔り、戌上に太常有り、太常は喪吊の家を主ります。卯はすでに風を主りまた飲食を主る——喪家において素食を傷い、日久してすなわち脾胃を傷いました。戌はすでに卯に剋されたので、奔って来て日干を墓し、二つの巳がまた一人の墓を中間に夾む——墓は最も堅牢なので、この病は脱げ得ません。この年、占者は三十四歳で、行年は亥に在り。三十五歳の上に官灾を遭い、大いに破費します。丙の寄宮はすなわち巳で、行年が子に走到し、巳は官鬼に剋され、また天空を乘じるので、必ず人に虚言して欺詐され財を失うを主ります。丙の禄は巳に在り、禄はすなわち財で、子水は地盤上の鬼で、さらに天空は剋耗を主るので、この応あり。この年、行年はまた巳に遇い、八月の裏にすなわち随いて喪盡します——八月は火が死して土が旺し、往前一步すればすなわち戌で、戌は墓で、九月の月建は正に戌に在るので、過ごすことができません。
117)或占平生,二月壬午日亥將酉時。(申酉空亡,戌亥落空),重審,間傳,勵德,九丑。 六陳 朱未申酉戌龍 蛇午 亥空 龍 六 陰 常 父 空申 六 初(空亡) 貴巳 子虎 戌 申 卯 丑 鬼 甲戌 龍 中(落空) 后辰卯寅丑常 申 午 丑 壬 兄 丙子 虎 末 陰玄
第一百一十七例:ある人が平生を占いに来ました。時は二月壬午日で、亥の月将を酉の刻に加えて課を立てました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」(三伝の申・戌・子が位を隔てて順に行く)「励徳」「九丑」。天盤は亥将を酉時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に丑を見て太常を乘じ、第二課は丑の上に卯を見て太陰を乘じ、第三課は日支の午の上に申を見て六合を乘じ、第四課は申の上に戌を見て青竜を乘じます。三伝は申・戌・子:初伝の申は旬空に落ち父母爻で六合を乘じ、中伝の甲戌は官鬼爻で青竜を乘じまた空地に落ち、末伝の丙子は兄弟爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:申作合加宅發用,主遷宅改宅。六年內稱屋,造新宅。午為宅也。主二娶妻,戌加申乘龍主兒得解。子加戌作虎,明年主死小口二人,三年下狀爭田得勝,為丑加壬作常,丑田也。此課日上見類神,故得田也。
邵先生は言いました。申が六合を乘じて宅位の上に加臨し取って初伝と為す——住宅を搬遷改造することを主ります:六年の内に屋宇を添置し別に新宅を造ります——ここの午はすなわち宅です。また二回妻子を娶るを主ります。戌が申に加わって青竜を乘じるのは、息子が解送して挙に応ずるを得るを主ります。子が戌に加わって白虎を乘じるのは、明年に二つの小口を折損するを主ります。三年の上に状を遞して田を争って勝を得ることができ、丑が壬に加わって太常を乘じ、丑はまさに田地の象であるためです。この課は日干上にすなわち田の類神を見るので、田を得ることができます。
118)徐成局辛亥正月初一日子時生,占向後如何。己酉初一己卯日戌將寅時,(申酉空亡,辰巳落空),渉害,曲直,佚女,不備,魄化,飛魂。三十九歲。 空虎 龍丑寅卯辰常 陳子 巳玄 后 六 六 虎 兄 癸未 后 初 六亥 午陰 未 亥 亥 卯 鬼 己卯 虎 中 朱戌酉申未后 亥 卯 卯 己 財 乙亥 六 末(暗鬼) 蛇貴
第一百一十八例:徐成局は辛亥年正月初一日子時の生まれで、今後如何を占いに来ました。時は己酉年正月初一己卯日で、戌の月将を寅の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は六つ:「渉害」「曲直」(三伝の亥・卯・未が木局を合成する)「佚女」「不備」「魄化」「飛魂」。占者は三十九歳。天盤は戌将を寅時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に卯を見て白虎を乘じ、第二課は卯の上に亥を見て六合を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て同じく六合を乘じ、両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は亥の上に未を見て天后を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の癸未は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の己卯は官鬼爻で白虎を乘じ、末伝の乙亥は妻財爻で六合を乘じ暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:承局服侍通判,豈可得犯上之課?此課支加干克干名上門亂首,傳得曲直,又名失友,主日後因犯官長,斷勒歸家。又與長上爭分,於爭分中又不合強淫尊輩,遂犯重罪,減等充軍於東海,與妻死在配所也。當年六月果因犯上責而遣歸,與叔爭分家產,而烝其叔母,叔知之,借他事告發,配在明州,娶後妻同死於配所。
邵先生は言いました。承局は通判に服侍する人で、どうして上を犯する課を起出し得ましょうか。この課は日支が日干の頭上に加わってまた日干を剋し、「上門乱首」と名づきます。三伝は「曲直」を成し、また「失友」と呼ばれ、日後に長官を冒犯したために、判決され勒令されて家に帰るを主ります。また尊長と家産を争分し、争分の中においてまた強行して尊輩を淫汚すべからざるを為し、ここにおいて重罪を犯し、等を減じて東海に充軍し、最後に妻子と一同に流しの地に死します。その年六月、彼は果たして上を犯して責を受けて遣送され家に帰りました。叔父と家産を争分し、また叔母と私通し、叔父はこれを知って、別の事を借りて彼を告発し、明州に発配されました。彼が續娶した後妻もまた彼と一同に配所に死しました。
先生析曰;大凡上門亂首,多是下犯上,春占木鬼貪旺而不發,至夏木休,其事將發,到秋木囚,則事乖張,便主爭競,冬有生氣,但存諸心,恐未形之口。經曰:旺相相生災未發,死囚刑剋便災臨是也。同日時有一行者,占得此課,先亂了禪堂及諸房後歸家,又擾兄弟,其身終無所歸,卻與一不正婦人苟合,中風而死。
邵先生が解釈して曰く。大凡「上門乱首」は、多くは下位の者が上位の者を冒犯します。春に占い得れば、木鬼は正に旺気を貪って発作しません。夏に至れば木気は休し、事は将に発作せんとします。秋に至れば木気は囚し、事はすなわち乖戾して張揚し、ここにおいて争鬥を起すを主ります。冬は木に生気あり、ただ心の裏に存するのみで、恐らくなお口に出していません。《経》に曰く「旺相相生すれば灾未だ発せず、死囚刑克すれば便ち灾臨む」——まさにこの意です。同日同じ時辰に、別に一人の行脚僧がこの課を占い得ました:彼は先に禅堂と各所の僧房を攪乱し、後に俗家に回帰し、また兄弟を攪擾し、自身は終じて安頓する処なく、却って一人の正派ならぬ婦人と苟合し、最後に中風して死しました。
119)韓監倉修職癸酉生三十七歲占平生,己酉年六月十五壬戌日未將巳時。(子丑空亡,寅卯落空),重審,間傳,勵德,向三陽。 六陳 朱未申酉戌龍 蛇午 亥空 玄 虎 陰 常 兄 空子 虎 初(空亡) 貴巳 子虎 寅 子 卯 丑 子 甲寅 玄 中(落空) 后辰卯寅丑常 子 戌 丑 壬 鬼 丙辰 蛇 末 陰玄
第一百一十九例:韓監倉は官階が修職郎で、癸酉年の生まれ、三十七歳、平生を占いに来ました。時は己酉年六月十五日壬戌日で、未の月将を巳の刻に加えて課を立てました。壬戌日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」「励徳」「向三陽」(三伝の子・寅・辰が位を隔てて順に行き、一路陽位に趨向する)。天盤は未将を巳時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に丑を見て太常を乘じ、第二課は丑の上に卯を見て太陰を乘じ、第三課は日支の戌の上に子を見て白虎を乘じ、第四課は子の上に寅を見て玄武を乘じます。三伝は子・寅・辰:初伝の子は旬空に落ち兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の甲寅は子孫爻で玄武を乘じ空地に落ち、末伝の丙辰は官鬼爻で、底本は螣蛇を乘じると標すが、しかし盤中の辰上は実に天后を乘じるに拠り、ここに訛字あるを疑い、いま照録して改めず。
邵先生曰:此課雖曰向三陽,奈初中空亡,依舊不見陽光。四課間隔,事多阻滯,支內干外,支刑日上神,主孝服。
邵先生は言いました。この課は「向三陽」と呼ばれるものの、奈何せん初伝・中伝は皆空亡に逢い、依然として陽光を見ることができません。四課は彼此間隔して連ならないので、事事多く阻滞があります。日支は内に在りて日干は外に在り、日支はまた日干上神を刑剋するので、孝服の事あるを主ります。
愛圅析曰:太常破碎加干,亦主服。雖是空亡不死,人亦多是此句有訛錯。為何起棺而未葬,致亡者不安?傳進而子息落空,才生一子便死,非是過去空亡,庶不害現在子息也。現在子息臨宅,加於犬地而見虎,若見鼠咬衣服,小兒必有大災,宅內不合蓄水,若不開導,監倉自損,身亦難保矣。
愛圅が解釈して曰く。太常が「破碎」を帯びて日干の上に加わるも、また孝服を主ります。空亡に逢うて死に至らないものの、人は多く……(この句は底本の文字に訛脱あり、愛圅が自ら注して「この句は訛錯あり」と曰く、いま照録して補わず)。どうして棺木はすでに起出したのに遅遅として安葬せず、亡者を不安に致すのですか?三伝が前進して子息爻が空に落ちるので、ようやく一人の息子を生めばすなわち夭折します。ただそれは過去の空亡で、或いはいまの子息を傷るに至らないかもしれません。いまの子息は宅位の上に臨み、戌という犬地に加わってまた白虎を見るので、もし老鼠が衣服を咬破するを見れば、小児に必ず大きな灾あり。宅子の裏は水を蓄えるべからず、もし疏導して開かなければ、韓監倉は自身損を受け、性命もまた保ち難いです。
愛圅析曰:此斷多失誤,始錄在此,俟得善本改正。
愛圅がまた解釈して曰く:この一条の断語は多く失誤あり、姑くまずここに録し、好本を得てから再び改正を作すのを待つ。
流 年
120)劉監倉庚午生四十歲占年內事,己酉年正月庚辰日子將寅時。(申酉空亡,午未落空), 六朱 陳卯辰巳午蛇 龍寅 未貴 虎 龍 六 蛇 財 壬寅 龍 初 空丑 申后 子 寅 辰 午 父 庚辰 六 中 虎子亥戌酉陰 寅 辰 午 庚 鬼 戊午 蛇 末(落空) 常玄
第一百二十例:劉監倉は庚午年の生まれで四十歳、一年の内の事を占いに来ました。時は己酉年正月庚辰日で、子の月将を寅の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の午・未二支が正に空亡の宮位に壓します(底本はここに課名を標さず)。天盤は子将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に午を見て螣蛇を乘じ、第二課は午の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の辰の上に寅を見て青竜を乘じ、第四課は寅の上に子を見て白虎を乘じます。三伝は寅・辰・午:初伝の壬寅は妻財爻で青竜を乘じ、中伝の庚辰は父母爻で六合を乘じ、末伝の戊午は官鬼爻で螣蛇を乘じ空地に落ちます。
邵先生曰:日鬼傳歸宅上,宅上卻又生鬼,一防倉庫有火,二防當值人走或非理死,三防妻有暴亂之疾;正月小子防有飛災退失,二月因省墓起山林之擾,三月妻擾,四月官長追迫,五月當直人有失,六七月防火,八月因閒擾,九月進橫財,財中有失,十月婢妾陰私上有失,十一月僕走,十二月媳婦有服。
邵先生は言いました。日干の官鬼が宅位の上に伝え帰り、宅位は反転してまたこの鬼を生ず:一に倉庫の失火を防ぐべく、二に当直の人が逃走し或いは非命に死するを防ぐべく、三に妻子が暴急の疾を得るを防ぐべし。月を分かちて見れば:正月は小児に飛来の灾と退失あるを防ぎ、二月は墓を掃することによって山林上の糾擾を生出し、三月は妻子に擾あり、四月は長官に追迫されるを受け、五月は当直の人が事を出し、六月・七月は火を防ぎ、八月は閑事によって擾を受け、九月は一筆の横財を進めるも財の中に損失を帯び、十月は婢妾の陰私において損失あり、十一月は僕人が逃走し、十二月は媳婦の一房に孝服あり。
果本年七月倉鄰火發,竟燒倉。經曰:火鬼春歸午,夏月逐雞飛,三秋尋鼠穴,冬至免相期。今本身值火星,又傳從火上起,支上與末傳寅又生火也。五月一當值人差去捉人,暗中墮深坑死。三月妻偶中風遂成重疾。其餘十二月分,禍福悉應。蓋午為倉庫火鬼,來乘克身,故應。九月妻兄弟爭分,劉在官上請假半月,與分得財物二十餘緡,遣人往買米,為賊所掇,始信數有前定如此。
結果、この年七月、倉庫の隣舎が失火し、終じて倉まで焼き及びました。《経》に曰く:「火鬼は春は午に帰り、夏月は鶏を逐い飛び、三秋は鼠穴を尋ね、冬至は相い期するを免れん。」いま占者は本身が正に火星に当たり、三伝はまた火の上より起り、日支上と末伝の寅もまた来て火を生じます。五月の裏に一人の当直の人が人を捉えに差遣され、黒暗の中に深坑に墜入して死しました。三月の裏に妻子は偶然中風し、すなわち重病を成しました。その余の各月の禍福もまた一一皆応験しました。これは午がまさに倉庫上の火鬼で、前に来て乘臨して身を剋したため、応験しました。九月の裏に妻子の兄弟が家産を争分し、劉監倉は官署において半箇月の假を請いて帰り、財物二十余緡を分け得、人を遣わして米を買わせましたが、却って賊人に搶去されました——この時に至って彼はようやく信じ、命数は竟にこのように早已定まっていたことを。
121)唐丞務占一年事,戊申年庚辰日子將子時。(申酉空亡,申酉落空),伏吟,自任。 蛇貴 朱巳午未申后 六辰 酉陰 六 六 后 后 兄 空申 后 初(空亡)(落空) 陳卯 戌玄 辰 辰 申 申 財 戊寅 龍 中 龍寅丑子亥常 辰 辰 申 庚 鬼 辛巳 朱 末 空虎
第一百二十一例:唐丞務が一年の事を占いに来ました。時は戊申年庚辰日で、子の月将を子の刻に加えて課を立てました——月将と時辰が相同なので、天盤と地盤が完全に重合し、これで「伏吟」、日干の上神を取って発用し、また「自任」と呼びます。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ちます。伏吟の下に天地が相合し、天盤の申・酉もまた正に空亡宮位に壓します。天盤は子将を子時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に申を見て天后を乘じ、第二課は申の上に申を見て天后を乘じ、第三課は日支の辰の上に辰を見て六合を乘じ、第四課は辰の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は申・寅・巳:初伝の申は兄弟爻で天后を乘じすでに旬空に逢いまた空地に落ち、中伝の戊寅は妻財爻で青竜を乘じ、末伝の辛巳は官鬼爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:主喪妻又得妻,妻有財,後爭店事起訟,有四人遭刑;又主與尊長爭廚屋地基。其人當年三月喪妻,十一月再娶,乃客人之妻,甚有財產,遂以財開店,與原債人相打官司,四人杖二十,次年七月與叔爭廚屋地,卻得理。
邵先生は言いました。まず妻を喪い後にまた妻を得るを主り、新妻は銭財を帯びています。日後、店舗を争奪したことによって訟事を興起し、四人の人が刑を受けます。また尊長と厨屋の地基を争うを主ります。この人はその年三月に果たして妻を喪い、十一月に再娶し、娶ったは一人の客商の妻子で、甚だ財産があり、ここにおいてこの銭を用いて店舗を開き、もとの債主と官司を打ち起こし、四人の人が各々二十を杖責されました。第二年七月に叔父と厨屋の地基を争い、反転して理を占めました。
婚 姻
122)祝省元占婚,男戊辰生四十二歲,女己丑生二十一歲,己酉年二月己卯日戌將辰時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,無依,三交,九丑。 愛圅按:斷語中有血支在卯一言,則當是三月占,蓋血支正月在丑,順行十二支也。 貴后 蛇亥子丑寅陰 朱戌 卯玄 玄 六 龍 后 鬼 己卯 玄 初(落空) 六酉 辰常 卯 酉 未 丑 子 空酉 六 中(空亡) 陳申未午巳虎 酉 卯 丑 己 鬼 己卯 玄 末(落空) 龍空
第一百二十二例:祝省元が婚事を占いに来ました。男方は戊辰年の生まれで四十二歳、女方は己丑年の生まれで二十一歳。時は己酉年二月己卯日で、戌の月将を辰の刻に加えて課を立てました。愛圅の按語が曰く:断語の裏に「血支は卯に在り」の一句ある以上、当に三月に占ったべきで、血支は正月に丑より起り、此の後十二支に順い往いて下行するためです。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「反吟」(月将と時辰が相冲し、天地二盤の各支が互いに冲す)「無依」「三交」「九丑」。天盤は戌将を辰時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に丑を見て天后を乘じ、第二課は丑の上に未を見て青竜を乘じ、第三課は日支の卯の上に酉を見て六合を乘じ、第四課は酉の上に卯を見て玄武を乘じます。三伝は卯・酉・卯:初伝の己卯は官鬼爻で玄武を乘じ空地に落ち、中伝の酉は旬空に逢い子孫爻で六合を乘じ、末伝は依然として己卯で官鬼が玄武を乘じ同じく空に落ちます。
邵先生曰:此課占婚,何必有媒?私情久已通矣。其家房合廣闊,東西皆有小門,因婢子為腳,遂與人通。今所議之人,亦與姦淫,血支在卯,必非女身,主暗有退子。且男以克干為嗣,女以干生為子。
邵先生は言いました。この課を用いて婚を占うに、どうしてなお媒人を要しましょうか。男女の私情は早已通じています。女家の房舎は寛闊で、東西両辺に皆小門を開き、一人の婢女に憑って脚力と為し伝え遞し、ここにおいて人と私通しました。いま親を議するこの対象もまた彼女と奸情あり。血支は卯上に落ち、必ず処女の身でないことが見え、しかも暗にすでに胎を堕したことがあります。さらに言えば、男方は日干を剋する爻をもって後嗣と為し、女方は日干の生ずる所の爻をもって子女と為します。
愛圅析曰:此二句乃祿命家之言,今亦用之,何也?一土生二金,是退子也。女命上見日干青龍,是女先有其夫也。男年並日上見天后,是男先有其女也。女命乘男,男年乘女,婚姻豈有不成之理?酉乃婢,六合加之,為和合。又加玄武姦淫之神,更加酉上,婢子為引無疑。且門來加戶,戶又加門,是主門戶重迭,卯為宅,上見酉,故云小門在宅也。凡占婚,遇此等課,必然之應。卯酉為私門,六合天后元武皆淫佚之神,故斷私通。
愛圅が解釈して曰く。上の「男は剋干をもって嗣と為し、女は干生をもって子と為す」のこの両句は、本は禄命家の説法で、いま壬課の裏にまた持って来て用いるのは、何の道理ですか。一つの土が二つの金を生出すは、すなわち退子の象です。女方の本命上に日干と青竜を見るは、この女子が先にすでに彼女の男人あるです。男方の行年に日干上を連ねて天后を見るは、この男子が先にすでに彼の女人あるです。女方の命上に男象を乘せ、男方の行年上に女象を乘せたのは、この門の婚事に成らざる道理あらんや。酉は婢女を主り、六合がその上に加臨すれば、すなわち和合撮合です。さらに玄武という奸淫を主る天将を加え、また酉の上に壓すれば、婢女が中より牽引するは疑いなしです。まして門が戸に加わり、戸はまた門に加わるのは、門戸が重畳することを主ります。卯は宅で、宅上に酉を見るので、宅子上に別に小門を開くと説きます。凡そ婚を占してこの類の課体に遇えば、皆必然の応験です。卯と酉は私門で、六合・天后・玄武はまた皆淫佚の神なので、私通と断じました。
123)孔七公戊午生五十二歲占婚,己酉年十月癸巳日寅將亥時。(午未空亡,酉戌落空),重審,元胎,六儀,斬關。 空虎 龍申酉戌亥常 陳未 子玄 常 龍 陳 蛇 父 甲申 龍 初 六午 丑陰 亥 申 未 辰 兄 丁亥 常 中(丁神) 朱巳辰卯寅后 申 巳 辰 癸 子 庚寅 后 末 蛇貴
第一百二十三例:孔七公は戊午年の生まれで五十二歳、婚事を占いに来ました。時は己酉年十月癸巳日で、寅の月将を亥の刻に加えて課を立てました。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「元胎」「六儀」「斬關」。天盤は寅将を亥時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に辰を見て螣蛇を乘じ、第二課は辰の上に未を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の巳の上に申を見て青竜を乘じ、第四課は申の上に亥を見て太常を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は父母爻で青竜を乘じ、中伝の丁亥は兄弟爻で太常を乘じまた「丁神」、末伝の庚寅は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:孔丈五十二歲,又做新郎,今日上方出墓尋生,其親必成也。此女清白輕盈,知書算,善治家,即生二子享福,但恐不久尊堂服動。孔咲曰:何以知之?
邵先生は言いました。孔丈は五十二歳の上にまた新郎を為さんとしています。いま日干上は正に墓の中より脱出して去り長生を尋ね往く——この門の親事は必ず成り得ます。この位の女子は清白にして軽盈で、文墨算数に通暁し、家を治めるに善し。門を過ぎればすなわち二つの息子を生み、福を享くることができます。ただ久しからずして尊堂の一房に孝服あるを怕れるのみ。孔七公は笑って言いました:あなたはどうして知ったのですか?
邵先生曰:課中自見,恨今人不習耳。蓋癸日見初傳申長生,主輕盈;金主清白,長生為學堂,主知書算,善治家。但亥乘丁臨長生之上,又乘常,故主服動。末寅為子孫,同天后加木之長生丁亥上,所以成親即有子息。巳與申合,寅與亥合,所以無不成就。四課三傳無空亡,所以終身享福也。
邵先生は言いました。これらの課の裏には本は皆見えるのに、ただ惜しむは今人が肯んじて工夫を下して研習しないのみです。癸日が初伝の申を見、申は癸水の長生なので、体态の軽盈を主ります。申は金に属し、金は清白を主ります。長生の位はまた学堂なので、文墨算数に通暁し家を治めるに善なるを主ります。ただ亥が「丁神」を乘じて長生の上に臨み、また太常を乘じるので、孝服が動くを主ります。末伝の寅は子孫爻で、天后を連ねて共に丁亥という木の長生の上に加わるので、一成親すればすなわち子息あり。巳と申は相合し、寅と亥は相合するので、樣樣皆成就できます。四課三伝は皆空亡に逢わないので、終身福を享くることができます。
孔公前妻李氏亡,續妻童氏,次年果即生子,五十八又生一子,而此婦於前夫處,亦有收拾,且能書算,家務全仗其照料,娶來未十四個月而母亡矣。
孔七公の前妻李氏はすでに過世し、續娶したのは童氏です。第二年に果たしてすなわち息子を生み、五十八歳の上にまた一人の息子を生みました。この婦人は前夫の彼方でも若干の積蓄を帯びて来て、しかも能く写し能く算し、家務は全て彼女に頼って照料しました。ただ娶りて門を過ぎて十四箇月に満たずして、孔家の老母親はすなわち去世しました。
124)李二伯乙酉生二十五歲占成親,己酉年十月庚子日寅將未時。(辰巳空亡,亥子落空),知一,比用。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后 空 六 陰 父 戊戌 六 初 六戌 巳常 寅 未 戌 卯 官 空巳 常 中(空亡) 陳酉申未午虎 未 子 卯 庚 子 庚子 蛇 末(落空) 龍空
第一百二十四例:李二伯は乙酉年の生まれで二十五歳、成親を占いに来ました。時は己酉年十月庚子日で、寅の月将を未の刻に加えて課を立てました。庚子日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の亥・子二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「知一」「比用」。天盤は寅将を未時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の子の上に未を見て天空を乘じ、第四課は未の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は戌・巳・子:初伝の戊戌は父母爻で六合を乘じ、中伝の巳は旬空に逢い官鬼爻で太常を乘じ、末伝の庚子は子孫爻で螣蛇を乘じ空地に落ちます。
邵先生曰:此課必成,恐成後再歸去生小口舌,兼難得子。蓋日上便見妻宮,妻宮上作天羅地網,兜牢不欲開去。子作蛇,名退子,縱生子不育。又主妻宮血風,從此成廢疾矣。蓋酉作勾故也。
邵先生は言いました。この門の親事は必ず成ることを能く、ただ成親の後に新婦が一趟娘家に回ればすなわち小小の口舌を生出し、しかも子息を得難いを怕れます。日干上にすなわち妻宮を見、妻宮上はまた天羅地網の中に落ち、兜縛して牢牢として放開を肯んぜないためです。子孫爻は螣蛇を乘じ、「退子」と名づき、便ち子を生下しても養い活かせません。また妻宮に血風の疾ありて、此より廃疾を成すを主ります——これは酉上に勾陳を乘せる故です。
胎産子息
125)白生占產婦,四十三歲,妻二十三歲,己酉年九月庚申日卯將寅時。(子丑空亡,丑寅落空),八專,帷簿,三奇。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 玄 陰 玄 陰 子 癸亥 常 初 六辰 亥常 戌 酉 戌 酉 兄 辛酉 陰 中 勾卯寅丑子虎 酉 申 酉 庚 兄 辛酉 陰 末 龍空
第一百二十五例:白生が臨産の妻子を占いに来ました。彼は四十三歳、妻子は二十三歳。時は己酉年九月庚申日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。庚申日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の丑・寅二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「八専」(庚は申に寄宮し、日支の申と同じく一处に居り、四課がただ両課を成すのみ)「帷簿」「三奇」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に酉を見て太陰を乘じ、第二課は酉の上に戌を見て玄武を乘じ、第三課は日支の申の上に酉を見て太陰を乘じ、第四課は酉の上に戌を見て玄武を乘じます。三伝は亥・酉・酉:初伝の癸亥は子孫爻で太常を乘じ、中伝の辛酉は兄弟爻で太陰を乘じ、末伝は依然として辛酉で兄弟が太陰を乘じます。
邵先生曰:干支不分,人宅不辨,故不可曉。且庚為子,申為母,見酉為陰刃,乃面前陽刃也。太陰兼之尤甚。申母以酉為破碎,乃面前破碎也。夫行年兼之,是與妻子皆受破碎,女行年亥上見子乘虎,又洩氣,作大福方可保。夫干支中末,俱見陽刃破碎,又是自刑自害,必不利於子母也。白妾連生子皆不育,至壬戌生子,其子倒生,用刀破身方出,母幾不保。
邵先生は言いました。この課は日干と日支が一か所に合して分かれ開かず、人と宅もまた辨い清かでなく、だから旁人が見て明らかに白くできません。庚はここに取って子供と為し、申は取って母親と為し、酉を見ればすなわち陰刃、すなわち当面直ちに冲する羊刃です。これに太陰が同乘するのを加え、凶険はさらに重し。申という母親は酉をもって破碎とし、まさに当面の破碎です。丈夫の行年はまた併せてその上に在り、ここにおいて妻と子は皆破碎に傷られます。産婦の行年は亥に在り、亥上に子を見て白虎を乘じ、また泄気——福徳を大修しなければ保ち得ません。丈夫のこちらは日干日支と中伝末伝、至るところ皆羊刃と破碎を見、また自刑自害で、母子に必ず不利です。白生の妾は相次いで子を生むも皆養い活かせず、壬戌年に至って一人を生みましたが、子は倒れて出て来て、刀を用いて身体を剖き開いてようやく取出し、母親はほとんど保てませんでした。
先生析曰:公前後生子不育,皆此子作祟耳。今雖得兒,若不戒欲,必為他害。蓋干支見酉,皆陽刃破碎自刑,故先害身卻來害母耳。於是白生與妾分居,乃得免。
邵先生が解釈して曰く。あなたの前前後後に生んだ子供は皆養い活かせなかったのは、皆この一人の子が祟を為していたのです。いまこの息子を得たものの、もし房事を戒絶しなければ、必ずなお彼に害されます。日干日支上に皆酉を見て、全て羊刃・破碎・自刑なので、まず本身を害し、再び頭を回して母親を害します。ここにおいて白生は妾と房を分かちて居住し、これでようやく禍を免れました。
126)翁秀才占子息,二月丙申日戌將亥時。(辰巳空亡,卯辰落空),元首,退茹,斬關。 陳六 龍辰巳午未朱 空卯 申蛇 六 朱 空 龍 父 癸卯 空 初(落空)(暗鬼) 虎寅 酉貴 午 未 卯 辰 父 壬寅 虎 中 常丑子亥戌后 未 申 辰 丙 子 辛丑 常 末 玄陰
第一百二十六例:翁秀才が子息を占いに来ました。時は二月丙申日で、戌の月将を亥の刻に加えて課を立てました。丙申日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の卯・辰二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「元首」「退茹」(三伝の卯・寅・丑が逆行して相い連なる)「斬關」。天盤は戌将を亥時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に辰を見て青竜を乘じ、第二課は辰の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の申の上に未を見て朱雀を乘じ、第四課は未の上に午を見て六合を乘じます。三伝は卯・寅・丑:初伝の癸卯は父母爻で天空を乘じ空地に落ちまた暗に鬼を帯び、中伝の壬寅もまた父母爻で白虎を乘じ、末伝の辛丑は子孫爻で太常を乘じます。
邵先生曰:此課干支皆子息,而初中父母反克之,是上人墳墓不招也。況身上子孫並龍作空亡,是子息無分也。末傳子孫受下克,又不招也。宅上未並雀,子息可招。又被末傳丑來沖破,雖屢得子息,皆花而不實。若要得子,須移了艮山墳墓,使丑寅不來沖剋宅上之未,未臨申上,乃是長生,可招一子。
邵先生は言いました。この課は日干日支上が皆子息の神ですが、初伝・中伝の父母爻が反転してそれを剋する——これは祖上の墳墓が子嗣を招き来れないのです。まして本身上の子孫爻は青竜を連ねて一緒に空亡に落ち——すなわち子息と縁なしです。末伝の子孫爻はまた下神に剋され、これもまた招き来れません。宅位上の未は朱雀に連なり、本は子息はなお招き得られるのに、また末伝の丑が来て冲破するので、屡々子を得るものの、皆花を開いて果を結ばずです。もし兒子を要せば、必ず艮山上の墳墓を遷し去り、丑・寅をして再び宅上の未を冲剋せしめず——未が申に臨むはまさに長生の地で、このようにすればなお一人の息子を招き得られます。
先生析曰;蓋日上辰作青龍值空,夫宮自是孤虛,不得子息。惟宅上未作朱雀,妻宮可招子也。日為夫,支為妻,妻宮雖有子帶生,奈何被末傳丑來沖破,丑為墳墓,坐在丙日所生之神上,生日者,寅卯也,不合反來克子息,妻雖得子而不存也。除非移了艮山墳墓,不克妻宮,庶幾丙火生未土,土長生於申,子息所以存住也。
邵先生が解釈して曰く。日干上の辰は青竜を乘じ、青竜は本は嗣を求むる吉将なのに、偏に辰はまた正に空亡に逢い、吉将が空に落ち、夫位の本身は孤虚して実ならず、子息を得られません。所幸は宅位上の未が朱雀を乘じ、妻位のこちら辺はなお子を招き得ます。子息を占するは日干をもって夫とし日支をもって妻とします。妻位に子息の神あってしかも生気を帯びるものの、奈何せん末伝の丑が過ぎて来て冲破——丑と未は正に相冲します。丑は墳墓の象で、また丙日を生ずる神の上頭に坐します(丙火を生じ得るはまさに寅・卯の二つの木神)。本は反転して子息を剋しに往くべからざるなのに、いまそれは却ってこのように為したので、妻子は子を生出し得るものの存え留められません。艮方(丑寅の位)山上の墳墓を遷し去り、丑・寅をして再び妻位を冲剋せしめざるに非ざれば、すなわち丙火は便ち順順當當として未土を生じ往き、未土は申に臨んでまたまさに長生の地で、子息はこれでようやく留まり得ます。
127)何解元癸酉生三十六歲占子嗣,戊申年己未日巳將卯時。(子丑空亡,寅卯落空), 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 蛇 六 蛇 六 子 辛酉 六 初 虎巳 子貴 亥 酉 亥 酉 子 辛酉 六 中 常辰卯寅丑后 酉 未 酉 己 子 辛酉 六 末 玄陰
第一百二十七例:何解元は癸酉年の生まれで三十六歳、子嗣を占いに来ました。時は戊申年己未日で、巳の月将を卯の刻に加えて課を立てました。己未日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します(底本はここに課名を標さず、下文の断語はこれを「独足」の課と称す)。天盤は巳将を卯時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の未の上に酉を見て六合を乘じ、第四課は酉の上に亥を見て螣蛇を乘じます。三伝は酉・酉・酉:三伝は皆辛酉の子孫爻で、皆六合を乘じ、一支が底に到る——だから「独足」と呼びます。
邵先生曰:課名獨足,若傳飛散,便不應也。何兄此占,當有五女,若要得子,除非過房。行年在丑,酉為六合,而沖卯之玄武,畢竟男胎不成也。本身有腸風痔病,乃好色得之,不利成名,成名則不過四十八矣。
邵先生は言いました。この課の名は「独足」。倘若三伝が飛散して聚まらなければ、このようには応験しません。何兄のこの一占は、当に五つの女児あるべし。もし兒子を要せば、他人のを過継するに非ざればなりません。行年は丑に在り、酉上は六合を乘じ、また往って卯上の玄武を冲するので、終じて男胎を結成し得ません。あなた本身は腸風の痔疾あり——色を好んで得たものです。この課は功名に利あらず、真に名を成すとも、寿数は四十八歳を過ぎられません。
先生析曰;蓋身宅三傳俱是酉,酉為兌,兌為少女,六合乘酉,亦是女,三傳日辰俱見酉,故主五女也。行年上見卯,為震,為長男,酉來合丑,而卯相沖,上見玄武盜耗,所以不成胎也。酉金為大腸,又酉為血,故為腸風臟毒也。酉為脫氣,又為色慾,六合為女,故主好色也。酉六未八,乃六八四十八也。
邵先生が解釈して曰く。本身・宅位と三伝は全て酉です。酉は兌卦に属し、兌は少女と為します。六合が酉の上に乘るもまた女の象を取ります。三伝と日干日支に至るところ皆酉を見るので、五つの女児を生ずるを主ります。行年上に卯を見、卯は震卦に属し、長男です。酉が来て丑と相合するも、また卯と相冲し、卯上にまた玄武が盗耗を主るを見るので、男胎は結成し得ません。酉金は人身において大腸を主り、酉はまた血を主るので、腸風臓毒の病です。酉は脱泄の気を主り、また色欲を主り、六合はまた女象なので、色を好むを主ります。酉の数は六、未の数は八、六八相乗して正に四十八です。
同日張姓占遠行,亦得此課。以酉為兌澤,六合為船隻,利舟行,無足不利陸行,若行船獲利十倍。
同じ日に一人の姓張の人が遠行を占いに来て、またこの課を起し得ました。彼のこちら辺では、酉は兌卦の沢を取り作し、六合は船只を取り作すので、水路を走るに利あり。三伝は独足にして行くべき足なし——陸路を走るに利あらず。もし船を行けば、十倍の利を獲ることができます。
128)季官人己卯生三十一歲,占過房子息。己酉年九月十六辛酉日卯將午時。(子丑空亡,酉戌落空),元首,高蓋,勵德,三交。 六朱 陳寅卯辰巳蛇 龍丑 午貴 六 貴 朱 后 鬼 戊午 貴 初 空子 未后 卯 午 辰 未 財 乙卯 六 中 虎亥戌酉申陰 午 酉 未 辛 子 空子 空 末(空亡) 常玄
第一百二十八例:季官人は己卯年の生まれで三十一歳、過継子息の事を占いに来ました。時は己酉年九月十六日辛酉日で、卯の月将を午の刻に加えて課を立てました。辛酉日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「元首」「髙蓋」「励徳」「三交」。天盤は卯将を午時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に未を見て天后を乘じ、第二課は未の上に辰を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の酉の上に午を見て貴人を乘じ、第四課は午の上に卯を見て六合を乘じます。三伝は午・卯・子:初伝の戊午は官鬼爻で貴人を乘じ、中伝の乙卯は妻財爻で六合を乘じ、末伝の子は旬空に逢い子孫爻で天空を乘じます。
邵先生曰:此乃天網課,若討子,便是一個冤家入門,自後生出無限事。支干上午與未合,合起天網,妻卯加鬼上,必無親子,末子爻加妻爻上作天空,天空本家戌,即今日之辛,是己與妻皆空,何能有子?子本空,卻陰上酉作玄武,主妾生子,又非己出。因私成也。季子見先生不允過子,遂買一妾,兩年不生,因有季子妹夫鄭元益,時常往來,妾遂與私而得孕,季頗知,但記先生言不較,至乙居年生兒,實甲子年有孕。因酉加子,故子年乘玄武是偷合。先生析曰:將來妾子亦是取債人也。
邵先生は言いました。これは一つの天網課です。もし兒子を討養せんとすれば、それはすなわち一人の冤家を領いて門に入るに等しく、此より無窮の事端を生出します。日支と日干上の午と未が相合して、天網を合わせ起こしました。妻財爻の卯が官鬼の上に加わるので、必ず親生の息子がありません。末伝の子孫爻が妻財爻の上に加わって天空を乘じ、天空の本家は戌に在り、戌はまさに今日の辛金の寄宮——自己と妻子の両辺が皆空に落ちることが見え、どうして息子を生出し得ましょうか。子孫爻は本はすでに空に落ち、しかも太陰の臨む所の酉上にまた玄武を乘じ、妾室が子を生むも且つ自分の骨血に非ず、私通によって成ったを主ります。季官人は邵先生が過継を賛成しないを見て、すなわち一人の妾を買いましたが、二年生育せず。季家に一人の妹夫の鄭元益があり時々往来したため、妾は便ち彼と私通して孕を懐きました。季官人は多少知るところあり、ただ邵先生の言葉を記えて計較せず。乙丑のあの年に至り子供を生下しましたが、実は甲子年に懐き上げたもの——酉が子に加わるので、子年に応じ、玄武を乘じるはすなわち偷合の象です。邵先生が解釈して曰く:将来この妾の生んだ息子もまた、来て債を討つ者です。
129)郭彥和壬午生二十八歲占討一歲子過房,己酉年十月二十二丁酉日寅將子時。(辰巳空亡,午未落空),重審,間傳,不備,贅婿。 蛇貴 朱未申酉戌后 六午 亥陰 常 陰 陰 龍 財 丁酉 貴 初(丁神) 陳巳 子玄 丑 亥 亥 酉 鬼 己亥 陰 中 龍辰卯寅丑常 亥 酉 酉 丁 子 辛丑 常 末 空虎
第一百二十九例:郭彦和は壬午年の生まれで二十八歳、一人の一歳の子を討えて過継せんと占いに来ました。時は己酉年十月二十二日丁酉日で、寅の月将を子の刻に加えて課を立てました。丁酉日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の午・未二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」「不備」「贅婿」。天盤は寅将を子時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に酉を見て貴人を乘じ(底本はここに誤って青竜を標すが、盤中の酉上は貴人を乘じるに拠り、三伝の初伝もまた酉が貴人を乘じると標す);第二課は酉の上に亥を見て太陰を乘じ、第三課は日支の酉の上に亥を見て同じく太陰を乘じ、両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は亥の上に丑を見て太常を乘じます。三伝は酉・亥・丑:初伝の丁酉は妻財爻で貴人を乘じまた「丁神」、中伝の己亥は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の辛丑は子孫爻で太常を乘じます。
邵先生曰:三傳干支,皆是貴人,此子恐日後必不服,而心有回家之意。酉作貴人,內中有丁,終主動。宅上又作中傳,丁絕於亥,丑權住腳,似乎尊閫不看顧他,惟有老陰人撫卹,終老陰人之世,他必去也。然此子不貴,吾兄年三十二上,自有子,三傳貴人太多,所以貴多不貴,兩頭不得也。子就父作貴人,支投干作貴人,可見此子不合留。丁以酉為妻,妻後自有子,故不看管他。彼乃去也酉乃丁之妻,亥乃酉之子,亥加酉上,故曰妻有子,三十二歲行年到酉乃應也。
邵先生は言いました。三伝と日干日支上に至るところ皆貴人——この子はただ日後に必ず帰服するを肯んぜず、心の裏に総じて自己の家に回り往こうと想うを怕れます。酉上に貴人を乘せ、その中にまた「丁神」を夾むので、終じて動摇を主ります。宅位上の神はまた取って中伝と為し、丁火は亥において絶し、ただ一人の丑に頼って権且駐脚するのみ——主母は併せて彼を照看せず、ただ一人の年長の女眷が彼を撫恤するのが見えます。この年長の女眷が一たび過世すれば、彼は必ず走り去ります。ただこの子は将来併せて顕貴ではありません:あなたは三十二歳の上に自ずから親生の息子があります。三伝の裏に貴人が多すぎるので、貴多ければ反転して貴ならず、両頭ともに落ち着かずです。子は父に就着して貴人を乘じ、日支は日干に投向してまた貴人を乘じ——この子は留め置くべからざるが見えます。丁は酉をもって妻とし、妻子は日後に自ずから親生の息子があるので、すなわち再びこの養子を看管せず、彼もまた走り去ります。酉は丁の妻で、亥は酉の生ずる所の子で、亥が酉に加わるので、妻子は息子があると説きます。三十二歳に行年が酉に走到するは、まさに応期です。
然宅中有上穹像,不合觸穢,所以缺子。又兼主山不合造豬圈,辱主氣,故不得子也。果有干亥山來近相沖,正是右脅下,主婦人墮胎,故無子。蓋酉為貴人,一則支來就干,主子顯父母,二則遍地乃貴人,今亥為元穹,主觸穢;三乃鬼入宅,是主山來處不合豬圈汙穢,乃太陰為鬼也。丑為墓,加亥及干,丑乃丁之子孫,作土犯亥,故墓不利。若移了豬圈,及供上聖,自然有子矣。
さらに言えば、宅中には上天の神像を供え、汚穢に触犯あるべからず——これもまた子を缺くの一つの縁由です。これに主山の方位上に猪圏を蓋うべからざるを加え、それは主山の気脈を辱没するので、兒子を得られません。後に査看すれば、果たして乾亥方の山の近処に相い冲するあり、正に宅子の右脇の下に対し、婦人が胎を堕することを主るので、子嗣がありませんでした。ここに酉は貴人です:一来は日支が日干に就着して、息子が父母を顕耀し得るを主り。二来は満盤が皆貴人なのに、いま亥は上天を主るも、却って汚穢を犯し。三是鬼爻が宅に入る——すなわち主山の来脈する所に猪圏の汚穢あるべからず——これは太陰が化して鬼神を為したのです。丑は墓で、亥と日干の上に加わり、丑は本は丁の子孫爻で、土をもって亥を侵犯するので、墳墓上に不利です。もし肯んじて猪圏を遷し去り、再び上天神像を好く供奉すれば、自ずから息子あり。
130)某丁亥生,占產。七月丙辰日午將午時。(子丑空亡,子丑落空),伏吟,斬關,勵德。 虎常 空巳午未申玄 龍辰 酉陰 龍 龍 空 空 兄 丁巳 空 初(丁神) 陳卯 戌后 辰 辰 巳 巳 財 庚申 玄 中 六寅丑子亥貴 辰 辰 巳 丙 父 甲寅 六 末 朱蛇
第一百三十例:一人の丁亥年の生まれの人あり、生産を占いに来ました。時は七月丙辰日で、午の月将を午の刻に加えて課を立てました——月将と時辰が相同なので、天盤地盤が完全に重合し、これで「伏吟」。丙辰日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ちます。伏吟の下に天地が相い疊なり、天盤の子・丑もまた正に空亡宮位に壓します。課名は三つ:「伏吟」「斬關」「励徳」。天盤は午将を午時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に巳を見て天空を乘じ、第二課は巳の上に巳を見て天空を乘じ、第三課は日支の辰の上に辰を見て青竜を乘じ、第四課は辰の上に辰を見て青竜を乘じます。三伝は巳・申・寅:初伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じまた「丁神」、中伝の庚申は妻財爻で玄武を乘じ、末伝の甲寅は父母爻で六合を乘じます。
邵先生曰:產必生女,子母無事,謂丙以巳為德神,又秋以辰為天喜,作龍入廟,中申為水土長生,日辰有德與長生,是厚德載物也。故生女。
邵先生は言いました。この胎は必ず女児を生み、母子は皆平安です。丙日は巳をもって徳神とし、秋季はまた辰をもって天喜とし、辰上は青竜を乘じて廟に入ります。中伝の申は水と土の長生の地です。日干日支はすでに徳神ありまた長生あり——まさに厚徳が物を載する象なので、女を生みます。
131)某占產七月乙丑日午將申時。(戌亥空亡,申酉落空),重審,間傳,時遁。 勾龍 六卯辰巳午空 朱寅 未虎 玄 后 貴 朱 父 空亥 后 初 蛇丑 申常 酉 亥 子 寅 鬼 癸酉 玄 中 貴子亥戌酉玄 亥 丑 寅 乙 財 辛未 虎 末 后陰
第一百三十一例:ある人が生産を占いに来ました。時は七月乙丑日で、午の月将を申の刻に加えて課を立てました。乙丑日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「重審」「間伝」「時遁」。天盤は午将を申時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に寅を見て朱雀を乘じ、第二課は寅の上に子を見て貴人を乘じ、第三課は日支の丑の上に亥を見て天后を乘じ、第四課は亥の上に酉を見て玄武を乘じます。三伝は亥・酉・未:初伝の亥は旬空に逢い父母爻で天后を乘じ、中伝の癸酉は官鬼爻で玄武を乘じ、末伝の辛未は妻財爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:主母死子存,母死者,后被丑克,傳元虎入內門,酉為內門,卯為前門。經曰:支是母兮干是兒,今丑克后,母發用,傳歸凶將,虎乘墓入內門,故母死。子存者,干是兒,乘寅為少陽作雀,乙日木旺火相,日干得旺相之氣,故兒存也。
邵先生は言いました。この課は母親が死して子は存活することを主ります。母親が死すると言うのは、天后が丑に剋され、三伝がまた玄武より白虎に伝じて内門に進入するためです——酉は内門、卯は前門です。《経》に曰く:「支はこれ母なり、干はこれ兒なり。」いま丑が天后を剋し、母親というこの神が発用して初伝を為し、末に至っては却って凶将に伝え帰り、白虎が墓神を乘じて内門に進入するので、母親は死するを要します。子が存活し得ると言うのは、日干が子供を表し、日干上は寅を乘じ、寅は少陽にして朱雀を乘じるためです。乙日は夏秋の交に木はなお気あり火は相を得、日干は旺相の気を承うので、子は存活します。
財 產
132)章監稅庚午生三十九歲占財產,戊申年三月十一乙未日戌時丑將。(辰巳空亡,丑寅落空),重審,稼穡,勵德,遊子。 虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 龍 常 朱 龍 財 辛丑 龍 初(落空)(暗鬼) 陳子 未后 丑 辰 戌 丑 財 戊戌 朱 中 六亥戌酉申貴 辰 未 丑 乙 財 乙未 后 末 朱蛇
第一百三十二例:章監税は庚午年の生まれで三十九歳、財産を占いに来ました。時は戊申年三月十一日乙未日。底本は「戌時丑将」と記するも、しかし盤中の天盤の戌が正に地盤の丑の上に加わるを按ずれば、実は戌将を丑時に加えて課を立てたものです。乙未日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「稼穡」(三伝の丑・戌・未が全て土)「励徳」「游子」。天盤は戌将を丑時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に丑を見て青竜を乘じ、第二課は丑の上に戌を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の未の上に辰を見て太常を乘じ、第四課は辰の上に丑を見て青竜を乘じます。三伝は丑・戌・未:初伝の辛丑は妻財爻で青竜を乘じ空地に落ちまた暗に鬼を帯び、中伝の戊戌もまた妻財爻で朱雀を乘じ、末伝の乙未は依然として妻財爻で天后を乘じます。
邵先生曰:此課日上見財,主進田莊,不用錢買,中間一人爭競,又後還他,後卻得眾財,乃是服滿人家得來。六月防家中鬥毆,不然卻門前有尊長新墳,與之爭訟。所得之財,悉化為鬼矣。是年童監稅與妻家主張分產,遂得田二十畝及財物,有第三房舅嫂守寡,得產不中意,要告官悔,眾分不欲破開,因將童氏眾人地與寡婦,眾人遂陪卻童氏財物。
邵先生は言いました。この課は日干上に財爻を見、主に一份の田荘を進め、しかも銭を花して買うを用いません。中間に一人の人が来て争奪し、後にまた彼に還し、随いて却って衆人の財物を得——一家の服喪期満した人家の彼方より得たのです。六月の裏に家中に鬭殴の発生を防ぐべく、さもなければすなわち門前に尊長の新たに葬った墳あり、これのために人と争訟します。得た所のこれらの財は、到頭すれば皆化して鬼を成します。この年、章監税は妻家において家産を分けるを主持し、ここにおいて二十畝の田と若干の財物を分け得ました。妻家の第三房の舅嫂は寡を守り、分け得た産業は意に称さず、官に告げて翻悔せんとしました。衆人はすでに分けた産業を再び拆き開くことを願わず、すなわち大家の名下の地を寡婦に撥し、衆人はここにおいて各々章家の財物を賠補しました。
先生析曰;蓋乙木以辰戌丑未為財,又以丑未為妻,故財自妻家而得。何以見彼之分產?乙未日破碎殺在丑,丑為田,田上有青龍,故得之不費錢買。末傳未作天后,是又彼人之產復還也。既還產又得眾財,乃辰加未,便是乙加未敢,卻克宅;宅者,彼也,故彼為財,辰為眾,故得眾人之財也。當年九月有一尊長葬於童氏門前墳地上,侵童監稅地界,遂與鬥爭訟於官,所得之財,果然悉化為鬼矣。蓋日為尊長,日為前,支為後,日加支,故宅前,辰為日墓,故曰新墓。經曰:三傳全財化為鬼,若非春占,乙木旺於春,財不可得,則反損己財也。
邵先生が解釈して曰く。乙木は辰・戌・丑・未の四土をもって財とし、また丑・未をもって妻とするので、この財は妻家より得たのです。どうして妻家の分産と見えますか?乙未日の破碎殺は丑に落ち、丑は田地を主り、田上にまた青竜あるので、田を得るに銭を花して買う必要なし。末伝の未は天后を乘じ、すなわちあの一方の産業がまた還り帰ったのです。すでに産業を還しまた衆人の財を得たのは、辰が未に加わるため——すなわち乙の寄宮の辰が未に加わり、反転して宅を剋します。宅は指して对方と言い、だから对方が自己の財と成り、辰はまた衆多を主るので、衆人の財を得ることができました。その年九月、一人の尊長が章家の門前の墳地に葬られ、章監税の地界を侵占したので、争鬥を起こして官に打ち至り、得た所の財は果たして全て化して鬼を成しました。これは日干が尊長を表し、日干は前と為し日支は後と為し、日が支の上に加わるので、宅前に応じたのです。辰はまた日干の墓なので、新墳と呼ばれます。《経》に曰く:三伝全て財なれば、反転して化して鬼を成す。もし春に占うに非ざれば——乙木は春において旺する——財は得られず、反転して自己の財を損することを要す。
133)鄒七丞務戊寅生三十二歲占求財,己酉年癸巳日寅將丑時。(午未空亡),遙克,連茹。 陳龍 六午未申酉空 朱巳 戌虎 陳 六 貴 后 鬼 空未 陳 初(空亡)(落空) 蛇辰 亥常 未 午 卯 寅 父 甲申 龍 中(落空) 貴卯寅丑子玄 午 巳 寅 癸 父 乙酉 空 末 后陰
第一百三十三例:鄒七丞務は戊寅年の生まれで三十二歳、財を求めるを占いに来ました。時は己酉年癸巳日で、寅の月将を丑の刻に加えて課を立てました。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ちます。課名は二つ:「遥剋」「連茹」(三伝の未・申・酉が順次相い連なる)。天盤は寅将を丑時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に寅を見て天后を乘じ、第二課は寅の上に卯を見て貴人を乘じ、第三課は日支の巳の上に午を見て六合を乘じ、第四課は午の上に未を見て勾陳を乘じます。三伝は未・申・酉:初伝の未は旬空に逢い官鬼爻で勾陳を乘じまた正に空亡宮に壓し、中伝の甲申は父母爻で青竜を乘じまた空地に落ち、末伝の乙酉は依然として父母爻で天空を乘じます。
邵先生曰:汝欲妻家去取財,未得又欲問令岳父借之,占人笑曰:果是。
邵先生は言いました。あなたは本は妻家に到って一筆の銭を取らんと想いましたが、取り得ず、また打ち算えて岳父に向かって口を開き借りんとしました。占いに来た人は笑って言いました:果たしてそのごとし。
先生析曰;蓋癸以午為財,又為妻,旬空,故未得。日上寅為子孫,生起午火,故云又借。中傳為日長生,為尊長,又乘龍為財類神,再借必得也。後必主婢女所費,且受責,酉為婢,天空淫,陰上戌作鬼故也。
邵先生が解釈して曰く。癸水は午火をもって財とし、午は同時にまた妻を表します。いま午は旬空に逢うので、取り得ません。日干上の寅は子孫爻で、午火を生起し得るので、なお再び借りに往くと説きます。中伝の申は癸水の長生で、尊長の象を取り、また青竜という財の類神を乘じるので、再び借りに往けば必ず借り得られます。日後はなお婢女のために破費し、併せてこれによって責罰を受けるを主ります——酉は婢女を主り、天空は淫佚を主り、太陰の臨む所の上の戌はまた化して鬼を為すので、このような応験あり。
邵丞務光岳丈許田未與,後經多年生子,欲往取之,岳丈與之三百千 。邵有人力宜童,婢榮奴,奴偷錢與人力,被邵見了,乃行吊打,當夜宜童持刀要殺榮奴及主,榮奴被刀不死,邵幸走脫,遂解入官,依法治童,邵以不稅田受責。
この丞務の岳父は早くより田を給うを答えれども一直に給わず(篇首は「鄒七丞務」と作り、ここおよび下文は皆「邵」と作る——底本の姓氏は両歧し、いま照録す)。後に多年を過ごして息子を生み、彼は往って索取せんと想い、岳父は彼に三百千銭を給いました。彼の家に一人の僕役の宜童あり、婢女の榮奴あり。榮奴は銭を偷えて僕役に給し、主人に撞見られ、すなわち吊るして打ちました。当日の夜、宜童は刀を持ち榮奴と主人を殺さんとし、榮奴は刀に中るも死せず、主人は僥幸にも逃げ脱れ、ここにおいて宜童を官に送り、法に依って懲治しました。主人自身もまた田ありて税を納めざることによって責罰を受けました。
134)林子成占平生養息,三月乙亥日戌將午時。(申酉空亡,子丑落空),重審,曲直。 朱蛇 六酉戌亥子貴 陳申 丑后 龍 玄 貴 陳 財 癸未 龍 初 龍未 寅陰 未 卯 子 申 父 乙亥 蛇 中 空午巳辰卯玄 卯 亥 申 乙 兄 己卯 玄 末 虎常
第一百三十四例:林子成が平生の生計経営を占いに来ました。時は三月乙亥日で、戌の月将を午の刻に加えて課を立てました。乙亥日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の子・丑二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「曲直」(三伝の未・亥・卯が木局を合成する)。天盤は戌将を午時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に申を見て勾陳を乘じ、第二課は申の上に子を見て貴人を乘じ、第三課は日支の亥の上に卯を見て玄武を乘じ、第四課は卯の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は未・亥・卯:初伝の癸未は妻財爻で青竜を乘じ、中伝の乙亥は父母爻で螣蛇を乘じ、末伝の己卯は兄弟爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:凡占課見傳送空亡剋日,不可者四:一者養鵝不得,二者不得為醫,三者不得買碓,四者不宜為道士。林曰:我自二十七歲亡父,二十九歲買得一水碓及磨坊,日與爭訟,今十七年矣,累得累失,是我命不招乎?先生曰:汝命不得碓磨力,莫妄用心。因傳送空亡,四者終非己有也。支上幸有卯在長生上,一為驢騾,二為竹木,三為術士沙門,三者皆汝前程,必遂所得也。林遂棄碓磨養孳畜,多種竹木,有牝驢二頭,七年生五驢,竹木又大盛。先生過其門,林再三拜謝。先生又謂之曰:卯可舟車,何不興販?又從之,數年大發,鄉人叩問曰:曏者指彼數事,今皆大遂,可見吾丈神術有準。先生曰:大不然,是此人造化所該耳。
邵先生は言いました。凡そ課を起して「伝送」(申)が空亡に逢いまた日干を剋するを見れば、四件の事は為り得ません:一は鵝を養い成せず、二は医を為ること能わず、三は水碓を置買し得ず、四は道士を為るに宜しからず。林子成は言いました:私は二十七歳の上に父親が過世し、二十九歳に一座の水碓と磨坊を買い下し、天天それのために官司を打ち、今日に至り十七年、屡々手に得て屡々失います——我が命の裏に招き住めないのですか?邵先生は言いました:あなたの命の裏は碓磨の力を得られない、白く心思を費すなかれ——伝送が空亡に逢うので、この四樣は終じて自己のものではありません。所幸は日支上に卯あり、正に長生の位に坐す:一は驢騾を主り、二は竹木を主り、三は術士僧道を主り、この三樣は皆あなたの前程で、一定に願いのごとく手に得られます。林子成はここにおいて碓磨を丟開して牲口を畜養し、多く竹木を種えました。彼に両頭の母驢あり、七年に五頭の小驢を生み、竹木もまた極めて茂盛に長りました。邵先生が彼の家門口を路過し、林子成は再三して拜謝しました。邵先生はまた彼に言いました:卯はなお舟車の象を作すことができる、どうして販運の売買を為さないのですか?彼はまた照らして為し、幾年を下りて大大に発達しました。郷里の人が打聴して問いました:先前に彼を指点したあの幾件の事、いま全て大大に順遂——あなたの神術は真に准頭あることが見えます。邵先生は言いました:大いに然らず、これはこの人の命裏の造化が本はこのごとくなるべきのみ。
先生析曰;蓋乙日木局,全旺在卯,生於亥,故卯全有氣也。元武入廟,又就本家生旺,此所以大全美也。且曲直木局,生於亥,旺於卯,末傳逢祿逢旺,諸事遂意,盡在末也。初限卯六未八,乘之得四十八,折半得二十四。又加卯地盤三數,共二十七數一雲初傳未八青龍七,地盤卯六,未之本數土五,並之得二十六,故初限二十六年,正在父母庇廕之下享福,十六娶妻財又大盛,至二十六歲限足,二十七歲交中限,父母便死,何以其父先死,因中傳亥加未上,亥為干為父,亥又為乙木之父,正被未克,上見蛇凶將,所以先喪父也。
邵先生が解釈して曰く。乙日は木局を成し、木は全て卯において旺し、亥において長生するので、卯上に木気が最も足ります。玄武は廟に入り、また自己の本家に落ちて生旺を得——これが全盤の大いに美満たる縁由です。まして「曲直」の木局は亥に生じ卯に旺し、末伝はすでに禄に逢いまた旺に逢うので、事事心に称い、好処は全て末伝の上に在ります。初限を推すに:卯の数は六、未の数は八、相乗して四十八を得、半に折って二十四を得、さらに卯の地盤の数三を加えて共に二十七——もう一つの説は初伝の未の数は八、青竜の数は七、地盤の卯の数は六、未の本数は土に属して五を為し、合わせて二十六を得る。だから初限は二十六年、正に父母の庇蔭の下に在りて福を享け、十六歳に妻を娶り、家財もまた大いに興盛しました。二十六歳に至り初限が満屆し、二十七歳に中限に交わり、父母は皆過世しました。どうして父親が先に死したか?中伝の亥が未の上に加わるためで、亥は日干の一辺に属して父親を表し、亥はまた乙木の父で、いま正に未土に剋され、上頭にさらに螣蛇という凶将を見るので、先に父を喪いました。
二十九歲買水碓磨坊,爭十七年猶不已者,是申加辰,申七辰五,五七三十五,空亡減半,得十七年。申空加日上,是平生所不利,故因碓磨而費十七年之財。若申不是鬼,猶不至於訟。後予相見時,林年已四十八歲,遂令息爭改業,而向驢騾船隻竹木營生,今己酉年已五十四歲,現在末限,末傳卯加亥,卯六亥四,相乘得二十四,折半為一十二,加亥地盤四數,共十六數,五十六歲交末限一雲五十歲交末限,尚有十六年財利。此限遇亥與元琥水,併力生卯祿旺,是以諸事如意。
二十九歳に水碓磨坊を買い下し、争訟して十七年もなお停歇しないのは、申が辰に加わるためです:申の数は七、辰の数は五、五七三十五、また空亡に逢いて半を減じ、整を取ってすなわち十七年を得ます。申は「伝送」の神で、すでに空亡に落ちまた日干の上に加わるは、まさに彼の平生の不利とする所なので、この副の碓磨のために白く十七年の銭財を耗えました。倘若この申が彼を剋する鬼爻でなければ、なお官司を打ち至るに及ばず。後に我が彼と相見した時、林子成はすでに四十八歳で、我はすなわち彼をして争訟を息め業を改換せしめ、転じて驢騾・船只と竹木を経営せしめました。今年己酉に至り、彼はすでに五十四歳で、正に末限を走っています:末伝の卯が亥に加わり、卯の数は六、亥の数は四、相乗して二十四を得、半に折って十二と為し、さらに亥の地盤の数四を加えて共に十六——もう一つの説は五十歳の上に末限に交わる——なお十六年の財利あり。この限は亥と玄武の水が力を合わせて卯を生じ往くに遇い、卯はまた禄旺の地なので、事事意のごとしです。
三傳三限也,大凡日上所見者生我即利,脫我即為彼所苦。我克者為財,克我者,文武職人則為官,常人則為鬼。同類加干則是兄弟,助我也。或又問曰:中限父亡之後,累累官司何也。先生曰:是蛇相擾,又申亥六害,害者害我也。或又問曰:初傳未亦可以養羊賣酒,中傳亥亦可以養豬,何獨取卯乎?先生曰:曲直全在卯,乙祿到卯,長生於亥,故取其全盛之地營之。且未加卯,亥加未,皆受下克,故受生為利,受克為害也。
三伝はすなわち初・中・末の三限です。大凡、日干上に見る所の神は、我を生ずればすなわち利あり、我を泄すればすなわちそれに拖累されるべし。我の剋する所は財で、我を剋するは、もし文武の職官なればすなわち官星を作し、もし平常人なればすなわち鬼を作します。同類が日干上に加わればすなわち兄弟で、来て我を幇く者です。ある人がまた問いました:中限に父親が亡故した後、接続して絶えない官司は何事ですか?邵先生は言いました:あれは螣蛇が来て相い擾し、さらに申と亥の相い六害を加え、謂う所の「害」はすなわち我を害するです。ある人がまた問いました:初伝の未もまた羊を養い酒を売ることができ、中伝の亥もまた猪を養うことができるのに、どうして単に卯を取ったのですか?邵先生は言いました:「曲直」の精気は全て卯上に在り、乙の禄は卯に到り、長生は亥に在るので、それの最も全盛なる処を揀って経営するを要します。まして未は卯に加わり、亥は未に加わり、皆下神に剋されるを受けます。生を受ければ便ち利を得、剋を受ければ便ち害を受けます。
135)張公癸卯十月初四亥時生,六十六歲,占店業。戊申年九月初九日庚寅日辰將丑時。(午未空亡,酉戌落空),重審,元胎,六儀。 朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇 陰 虎 陳 兄 甲申 蛇 初 后午 丑空 申 巳 寅 亥 子 丁亥 六 中(丁神)(暗鬼) 陰巳辰卯寅虎 巳 寅 亥 庚 財 庚寅 虎 末 玄常
第一百三十五例:張公は癸卯年十月初四日亥時の生まれで六十六歳、店業を占いに来ました。時は戊申年九月初九日庚寅日で、辰の月将を丑の刻に加えて課を立てました。庚寅日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「重審」「元胎」「六儀」。天盤は辰将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に亥を見て勾陳を乘じ、第二課は亥の上に寅を見て白虎を乘じ、第三課は日支の寅の上に巳を見て太陰を乘じ、第四課は巳の上に申を見て螣蛇を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は兄弟爻で螣蛇を乘じ、中伝の丁亥は子孫爻で、底本は六合を乘じると標すが盤中の亥上は実に勾陳を乘じるに拠りここに訛字あるを疑い、それはまた「丁神」にして暗に鬼を帯び、末伝の庚寅は妻財爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:干支上皆盜氣,其家世店業,十退五六矣。初申加巳,庚祿在申,祿來加蛇上,又蛇擾,是少人錢物;中亥加日上,脫氣太重;末財在脫上,又遭虎克,到此十分去盡矣。
邵先生は言いました。日干日支上は皆盗泄の気——彼の家の世代経営する店業は、十成の裏にすでに五六成を退去しました。初伝の申は巳に加わり、庚の禄は正に申に在るのに、禄神は却って螣蛇の上に加わり、また螣蛇に攪擾される——これは他人の銭物を欠いています。中伝の亥は日干上に加わり、脱泄の気が重すぎます。末伝の財爻はまた脱泄の地に落ち、さらに白虎に剋伐されるを遭う——この歩に至れば、十成はすなわち干干净净に去ります。
先生析曰;主四十八年中去一半,七年中全退。又妻生病死,占時家甚費力,至辛亥年兩店皆歇。亥為庚脫,且巳為店,亥又克之,故重會亥而歇業。甲寅欠債狼狽,為人所訟寅爻為店,既為巳脫,故至寅而廢也,妻病浮腫而死也。
邵先生が解釈して曰く。四十八年の内に半を去るを主り、再び七年を過ごせば全部退き光ります。また妻子が病を患って死するを主ります。課を起した時、彼の家はすでに甚だ喫力していました。辛亥年に至り両か所の店舗は全て歇業しました。亥は庚金の脱気で、しかも巳は店、亥はまた来て巳を剋するので、再び亥の年份に遇うと歇業します。甲寅年に彼は債を欠いて狼狽し、人に官に告げられました——寅爻もまた店で、すでに巳の脱泄の神なので、寅年に至れば店はすなわち廃します。妻子もまたこの時に浮腫の病を患い去世しました。
136)曹八秀才戊辰生四十二歲,占開店。己酉年十月己亥日寅將酉時。(辰巳空亡,酉戌落空),知一,鑄印,斬關,勵德。 六陳 朱戌亥子丑龍 蛇酉 寅空 蛇 常 玄 陳 父 空巳 玄 初(空亡) 貴申 卯虎 酉 辰 巳 子 兄 戊戌 朱 中(落空) 后未午巳辰常 辰 亥 子 己 鬼 癸卯 虎 末 陰玄
第一百三十六例:曹八秀才は戊辰年の生まれで四十二歳、店を開くを占いに来ました。時は己酉年十月己亥日で、寅の月将を酉の刻に加えて課を立てました。己亥日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「知一」「鑄印」「斬關」「励徳」。天盤は寅将を酉時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に子を見て勾陳を乘じ、第二課は子の上に巳を見て玄武を乘じ、第三課は日支の亥の上に辰を見て太常を乘じ、第四課は辰の上に酉を見て螣蛇を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳は旬空に逢い父母爻で玄武を乘じ、中伝の戊戌は兄弟爻で朱雀を乘じ空地に落ち、末伝の癸卯は官鬼爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:日上見貴財,支上見財庫,日上財神又歸財庫,此大利。初又為店,但修葺有費耳。蓋元武為費用倍常也。中又為店之庫,重重皆是財利奮發,但末傳被人取店,須用爭競。曹曰:莫賃,買之如何?曰:買亦爭競。以九年為期。曹曰:九年再問。乃問汪七娘賃房,大費修葺,入店三年大發,積百萬,第六年汪七娘以店賣與之。第七年汪七秀才因分取贖不肯,具告陳論與他。果如先生言。
邵先生は言いました。日干上に貴重の財爻を見、日支上に財庫を見、日干上の財神はまた財庫に入り帰る——これは大吉大利です。初伝の巳もまた店で、ただ修葺に一筆の銭を花すを要します——玄武を乘じるので、費用は倍を加うべし。中伝の戌はまた店の庫で、層層皆財利の奮発する象です。ただ末伝の上に人が来て店面を收回する——少なからず一場の争執を要します。曹八秀才が問いました:賃せずして、直ちに買い下すは如何?邵先生は言いました:買っても一樣に争うを要し、九年をもって期限と為します。曹は言いました:九年の後に我は再び来て問わん。彼はここにおいて汪七娘に向かって房子を賃し下し、修葺の花費は甚だ大なり。店を開いて三年にすなわち大大に発達し、百万の家資を積み下しました。第六年に汪七娘は店を彼に売り、第七年に汪家の七秀才は家を分けたために、取り贖えて回らんと要し、彼は肯んぜず、双方は状を遞して陳訴して彼と争訟しました。果たして一たび邵先生の言う所のごとし。
137)張克用商人占遠方買賣,己未日酉將亥時。(子丑空亡,寅卯落空),八專,獨足。 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 蛇 六 蛇 六 子 辛酉 六 初 虎巳 子貴 亥 酉 亥 酉 子 辛酉 六 中 常辰卯寅丑后 酉 未 酉 己 子 辛酉 六 末 玄陰
第一百三十七例:商人の張克用が遠方へ往って売買を為すを占いに来ました。時は己未日で、底本は「酉将亥時」と作るも、しかし盤式は前の第一百二十七例(巳将を卯時に加う)と完全に相同で、天盤の酉は正に地盤の未の上に加わる——二者の間に当に一处の訛字あるべし。己未日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「八専」(己は未に寄宮し、日支の未と同じく一处に居る)「独足」。盤上は貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の未の上に酉を見て六合を乘じ、第四課は酉の上に亥を見て螣蛇を乘じます。三伝は皆辛酉の子孫爻で、皆六合を乘じ、一支が底に到ります。
邵先生曰:酉為兌,兌為澤,六合為舡,只利舡行,獨足無足,不利陸行,若舡行加倍得利,果應。
邵先生は言いました。酉は兌卦に属し、兌は沢水と為し、六合は船の象を取るので、ただ水路を走るに利あり。三伝は独足にして行くべき足なし——陸路を走るに利あらず。もし船を行けば、倍を加えて利を獲ることができます。後に果たして応験しました。
138)曹八秀才癸酉生三十七歲占進屋,己酉年十月二十五庚子日寅將未時。(辰巳空亡,亥子落空),知一,比用。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后 空 六 陰 父 戊戌 六 初 六戌 巳常 寅 未 戌 卯 官 空巳 常 中(空亡) 陳酉申未午虎 未 子 卯 庚 子 庚子 蛇 末(落空) 龍空
第一百三十八例:曹八秀才は癸酉年の生まれで三十七歳、房屋を買い進むるを占いに来ました。時は己酉年十月二十五日庚子日で、寅の月将を未の刻に加えて課を立てました——課式は前の第一百二十四例の李二伯が成親を占ったと完全に相同です。庚子日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の亥・子二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「知一」「比用」。天盤は寅将を未時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の子の上に未を見て天空を乘じ、第四課は未の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は戌・巳・子:初伝の戊戌は父母爻で六合を乘じ、中伝の巳は旬空に逢い官鬼爻で太常を乘じ、末伝の庚子は子孫爻で螣蛇を乘じ空地に落ちます。
邵先生曰:斫輪課,須仔細,後必爭競。支受干制之課,犯者畜產不生,宅上天空作害,主有幼小干上,互換羅網,必有小擾大之事。太陰宅母不明,兼行年湊成羅網,定是不足。末蛇乘子絕了又生,生了又絕,切不可居。庚以酉為天羅,卯為地網。
邵先生は言いました。これは「斫輪」の課で、必ず格外仔細ならざるべからず——日後に必ず争執あり。凡そ日支が日干に制伏される課は、それを犯した人の牲畜は養い活かせません。宅位上にまた天空が害を為し、家中の小輩が長輩の頭上に欺くを主ります。日干日支は互いに換えて羅網を成し、必ず小をもって大を擾する事あり。太陰は宅中の主母を主り、いま晦喑にして明らかならず、これに行年もまた湊して羅網を成すを加え、家裏は一定に寛裕ならず。末伝の螣蛇は子水を乘じ、絶してまた生じ生じてまた絶す——この房子は切に住むべからず。庚金は酉をもって天羅とし、卯をもって地網とします。
139)水四哥占求財,己酉年十月壬寅日寅將申時。(辰巳空亡,戌亥落空),反吟,元胎。 虎常 空亥子丑寅玄 龍戌 卯陰 玄 六 空 貴 子 壬寅 玄 初 勾酉 辰后 寅 申 亥 巳 父 丙申 六 中 六申未午巳貴 申 寅 巳 壬 子 壬寅 玄 末 朱蛇
第一百三十九例:水四哥が財を求めるを占いに来ました。時は己酉年十月壬寅日で、寅の月将を申の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。壬寅日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「反吟」「元胎」。天盤は寅将を申時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に巳を見て貴人を乘じ、第二課は巳の上に亥を見て天空を乘じ、第三課は日支の寅の上に申を見て六合を乘じ、第四課は申の上に寅を見て玄武を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の壬寅は子孫爻で玄武を乘じ、中伝の丙申は父母爻で六合を乘じ、末伝は依然として壬寅の子孫爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:主先討他還本,今再重討利。是如此否?水曰:然。先生曰:壬水絕於巳,巳財絕了。又見申長生,是還本後重討也。但討得此財,下稍必被他擾害,實成不足。四年外必見是非。後癸丑年果爭息錢下獄,得赦免罪。丑年者,惹動丑上朱雀鬼故也。
邵先生は言いました。あなたは先に对方に本銭を還せられて討え得、いま再び往って利銭を重ねて討たんとするのではありませんか?水四哥は言いました:是です。邵先生は言いました:壬水は巳において絶し、巳というこの財はすでに絶しました。また申を見れば壬の長生なので、本を還した後に再び往って重ねて討つのです。ただこの筆の財は手に討えても、末に至り必ず对方に攪擾陷害され、実に寛裕とは算えません。四年の外に必ず是非を見ます。後に癸丑年、彼は果たして利銭を争ったために獄に下り、赦に遇ってようやく罪を免れました。丑年に応じたのは、丑上の朱雀の化した鬼を惹き動かしたためです。
140)劉五官己巳生四十七歲占店,乙卯年十月戊寅日寅將丑時。(申酉空亡,酉戌落空),重審,進茹。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 六 陳 貴 蛇 兄 庚辰 六 初 六辰 亥常 辰 卯 未 午 父 辛巳 朱 中 陳卯寅丑子虎 卯 寅 午 戊 父 壬午 蛇 末 龍空
第一百四十例:劉五官は己巳年の生まれで四十七歳、店舗を占いに来ました。時は乙卯年十月戊寅日で、寅の月将を丑の刻に加えて課を立てました。戊寅日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「進茹」(三伝の辰・巳・午が順次相い連なる)。天盤は寅将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に午を見て螣蛇を乘じ、第二課は午の上に未を見て貴人を乘じ、第三課は日支の寅の上に卯を見て勾陳を乘じ、第四課は卯の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の庚辰は兄弟爻で六合を乘じ、中伝の辛巳は父母爻で朱雀を乘じ、末伝の壬午もまた父母爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:此課三傳被日辰夾定,占店終久得之。亥卯未生人方成,其店被人買斷,三年後其主必定來贖此店,卻發目不至丙年四五六年方見頭尾斷贖,再求方得。謂日辰拋離後再贖,恐後有司事發不一,此屋死人多,無氣故也。
邵先生は言いました。この課は三伝が日干日支に夾まり定められており、占った店舗は終じて手に得られますが、亥・卯・未年の生まれの人が出面してようやく成り立ちます。この店はすでに人に買い断されており、三年の後に原主が必ず来て贖い回さんとします。事は却って拖延して了結せず、丙年の上の第四・第五・第六年に至るまで首尾を見ず、贖い回るの議を断じて、再び往って求めてようやく手に得られます。謂う所の日干日支が抛離した後に始めて再び贖う可し。ただ日後に官府の彼方にまた別の枝節を生出すを怕れます。この房子の裏は死した人が多く、地気はすでに衰えているので、このようです。
141)甲申生人三十三歲占求財,丙辰年五月十八日丁酉日申將未時。(辰巳空亡,巳午落空),知一,進茹,斬關。 常玄 虎午未申酉陰 空巳 戌后 貴 蛇 朱 六 鬼 己亥 貴 初 龍辰 亥貴 亥 戌 酉 申 鬼 庚子 后 中 陳卯寅丑子蛇 戌 酉 申 丁 子 辛丑 陰 末 六朱
第一百四十一例:甲申年の生まれの人、三十三歳、財を求めるを占いに来ました。時は丙辰年五月十八日丁酉日で、申の月将を未の刻に加えて課を立てました。丁酉日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の巳・午二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「知一」「進茹」(三伝の亥・子・丑が順次相い連なる)「斬關」。貴人は亥に乘り、貴人の臨む所の地盤は戌に在りて陰位に属するが故に、天将は逆行します:螣蛇は戌に、朱雀は酉に、六合は申に、勾陳は未に、青竜は午に、天空は巳に、白虎は辰に、太常は卯に、玄武は寅に、太陰は丑に、天后は子に乘ります(底本の盤図の天将の排布は四課三伝の標す所と恰好相反する——いま四課三伝に依って逆行と定む)。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に申を見て六合を乘じ、第二課は申の上に酉を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の酉の上に戌を見て螣蛇を乘じ、第四課は戌の上に亥を見て貴人を乘じます。三伝は亥・子・丑:初伝の己亥は官鬼爻で貴人を乘じ、中伝の庚子もまた官鬼爻で天后を乘じ、末伝の辛丑は子孫爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:進連茹三傳皆鬼,只喜日上人財,而辰上作六害。日上申加丁作六合,支上戌加酉作蛇,六合乃卯,蛇乃巳,此是卯與戌合,巳與申合,又末見財之庫,三傳雖鬼,只是少阻無妨,此是來往故事,再三方得。本命行年俱在傳課,又本命作財,必主喜兆非鬼兆也。
邵先生は言いました。三伝は順に連なって下り、一路皆鬼爻です。所幸は日干上に人有り財あり、ただ日支上に六害を結成するのみ。日干上の申は丁の寄宮の上に加わって六合を乘じ、日支上の戌は酉に加わって螣蛇を乘じます。六合は本は卯に属し、螣蛇は本は巳に属し、まさに卯と戌が相合し巳と申が相合す。末伝にまた財の庫を見ます。三伝は皆鬼であるものの、すなわち畧しく阻碍あるも大妨なく——これは一件の往来して拉锯する旧事で、三番両次してようやく成り立ちます。本命と行年は皆三伝四課の中に落ち、本命はまた化して財を為すので、必ず喜兆にして鬼兆に非ず。
141)己巳生人四十八歲占求財,丙辰年六月甲寅日巳將亥時。(子丑空亡,午未落空),反吟,元胎,六儀。 龍空 陳亥子丑寅虎 六戌 卯常 虎 蛇 虎 蛇 兄 甲寅 虎 初 朱酉 辰玄 寅 申 寅 申 鬼 庚申 蛇 中(暗鬼) 蛇申未午巳陰 申 寅 申 甲 兄 甲寅 虎 末 貴後
この一例は底本になお「一百四十一」と標し、上の一例と編号が重複す——いま照録す:己巳年の生まれの人、四十八歳、財を求めるを占いに来ました。時は丙辰年六月甲寅日で、巳の月将を亥の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の午・未二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「反吟」「元胎」「六儀」。天盤は巳将を亥時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て螣蛇を乘じ、第二課は申の上に寅を見て白虎を乘じ、第三課は日支の寅の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の甲寅は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の庚申は官鬼爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、末伝は依然として甲寅の兄弟爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此乃反覆爭奪之財,甚薄。應在戊寅日得之。據課體本無財,蓋此人己巳乃是寅作德,又蛇制申金,行年財臨甲戌日得之也。此課又是論化氣,甲日己年,甲己化土也。
邵先生は言いました。これは一筆の反反復復として争い奪い来たる財で、数目は甚だ薄く、戊寅日に応じてようやく手に到ります。単に課体を看れば本は財なし——ただこの人は己巳年の生まれで、寅はまさに彼の徳神です。また螣蛇が申金を制住し、行年上の財は甲戌日に臨むあるので、得ることを能くします。この課はなお兼ねて化気を看るを要す:甲日に己年の生まれ人に遇い、甲己は相い合して化して土を為します。
142)錢三郎甲戌生三十六歲占開店,己酉年丙戌日辰將寅時。(午未空亡,申酉落空),重審,間傳。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 玄 后 朱 陳 鬼 戊子 后 初 空巳 子后 寅 子 酉 未 父 庚寅 玄 中 虎辰卯寅丑陰 子 戌 未 丙 子 壬辰 虎 末(暗鬼) 常玄
第一百四十二例:銭三郎は甲戌年の生まれで三十六歳、店を開くを占いに来ました。時は己酉年丙戌日で、辰の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「間伝」(三伝の子・寅・辰が位を隔てて順に行く)。天盤は辰将を寅時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に未を見て勾陳を乘じ、第二課は未の上に酉を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の戌の上に子を見て天后を乘じ、第四課は子の上に寅を見て玄武を乘じます。三伝は子・寅・辰:初伝の戊子は官鬼爻で天后を乘じ、中伝の庚寅は父母爻で玄武を乘じ、末伝の壬辰は子孫爻で白虎を乘じ暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:此課開店來,當有他事相擾,主方開店便有人來美虛賬本,主無人,此必是隔皮親人,及去報他,遂來相攻,不能為害,其店終嘈雜不甚興。令郎長大,因淘汰錢物,使用動眾,一一撓其店遂止。此向三陽,乃向高之意,終不可止也。
邵先生は言いました。この課を拿って店を開くを占えば、日後に当に別の事情ありて来て攪擾せん。まず張を開けばすなわち人ありて虚偽の帳本を拿って門に上りて討え来るを主り、主家のこちら辺は应付する人なく、あの来る人は必ず親に沾り故を帯びた隔房の親戚です。往って彼に回報せば、彼は便ち反転して攻訐し、害を成さないものの、この店は終じて嘈雑にして甚だ興旺せず。令郎が長大するを待ち、銭物を淘換し人手を使喚したことによって衆人を驚動し、一桩一桩攪擾して下れば、この店もまた開き続けることができません。ただ此の課は「向三陽」で、向上して髙く走るの意を取るので、終じてここに歩を止めはしません。
錢氏重陽日開店,有邵一郎,與他是姨夫,因前數次向錢氏假貸不允,今因開店,邵令彼主母入狀索前簽過帳內錢七十貫,官中令追還,依舊開店。果不興發。至壬子年,其子斗黃禽與兩邊收錢不明,遂相打經官,因此歇店。先生析曰;蓋日上未作勾陳空亡,空撓也。支子作天后,厭翳無興發也。中寅作元武,子偷錢物也。末辰作白虎,動眾相打也。
銭三郎は重陽の日に店を開きました。一人の邵一郎あり、彼の姨夫で、先前に幾次も銭家に向かって借貸するも皆借り得ませんでした。いま彼が店を開くを見、邵一郎は便ち自家の主母を叫んで状を遞させ、従前に籤押したことある帳内の銭七十貫を索取し、官府は追い還すべしと判じました。追還の後、店は照舊として開いていたものの、果たして興旺を見ず。壬子年に至り、彼の息子は黄雀を鬭わせて銭を賭け、両辺が銭を収め帳目は清からず、ここにおいて架を打ち起こして官に鬧ぎ至り、店舗はこれによって歇業しました。邵先生が解釈して曰く:日干上の未は勾陳を乘じまた空亡に逢うは、空しく攪擾するなり。日支上の子は天后を乘じ、晦暗して遮蔽し興発するに由なし。中伝の寅は玄武を乘じるは、息子が銭物を偷取するなり。末伝の辰は白虎を乘じるは、衆人を驚動して相い打たしむるなり。
一課二事多斷式
143)王縣丞丙寅生四十三歲占官職,戊申年五月初一甲申日申將巳時。(午未空亡,酉戌落空),重審,元胎。 空虎 龍申酉戌亥常 陳未 子玄 后 朱 龍 常 官 甲申 龍 初 六午 丑陰 寅 亥 申 巳 父 丁亥 朱 中(丁神) 朱巳辰卯寅后 亥 申 巳 甲 兄 庚寅 后 末(暗鬼) 蛇貴
第一百四十三例:王県丞は丙寅年の生まれで四十三歳、官職を占いに来ました。時は戊申年五月初一日甲申日で、申の月将を巳の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「元胎」。甲日巳時は昼貴を用い、貴人は丑に乘り、貴人の臨む所の地盤は戌に在りて陰位に属するが故に、天将は逆行します:螣蛇は子に、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乘ります(底本の盤図の天将の左右の次序は四課三伝の標す所と恰好相い顛倒する——いま四課三伝に依って厘正す)。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に巳を見て太常を乘じ、第二課は巳の上に申を見て青竜を乘じ、第三課は日支の申の上に亥を見て朱雀を乘じ、第四課は亥の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は官星で青竜を乘じ、中伝の丁亥は父母爻で朱雀を乘じまた「丁神」、末伝の庚寅は兄弟爻で天后を乘じ暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:日上見巳作太常,主兼職而費力。初傳官主兼職,中傳臨宅上,主上人垂顧,兼職而加俸,末傳寅臨亥,名字必達到庭,是費力中得便宜,勞苦中得遷轉。任滿朝廷面君,有內絳帳之榮。後王縣丞因知縣恩澤,受財事發,遂擢縣印,兩項職事,悉皆了辦,見知上司列薦,得旨任滿日引見,遂得諸王宮教授。
邵先生は言いました。日干上に巳を見て太常を乘じるは、身が両職を兼ねて格外喫力するを主ります。初伝は官星で、また兼職を主ります。中伝は宅位の上に臨み、上級に看顧提携されるを主り、すでに職を兼ねまた俸禄を加えられます。末伝の寅は亥の上に臨み、姓名は必ず朝廷に上達します。これは喫力の中に便宜を占め、労苦の中に昇遷を得たのです。任が満ちた後、朝廷に到って天子に面見することができ、将に宮中において講学して徒を授けるの栄あり。後に王県丞は知県の恩沢によって財を受けた案子に牽連して発作するも、反転して提起されて県印を執掌しました。両桩の職事は皆妥当に弁じ、上司に知られ併せて名を列して保薦され、旨を奉じて任の満ちる日に天子に引見され、ここにおいて諸王宮教授の職位を得ました。
先生析曰;緣日上見巳,是甲木生巳火,故費力也。太常為職,巳為雙女,故曰兼職。初傳申官臨於雙女上之,亦是兼職。青龍主喜慶,中傳亥與行年上亥,皆是官長之屬。亥為天庭,朱雀為舉薦,末傳寅為己身,上臨於長生之地,又登天門,上乘天后恩澤之神,同生甲與寅木。甲以亥為長生學堂,故主絳帳之職。在天門則為內絳帳也。甲木生巳火,雖云費力,卻得天后水及亥水之生,申金官星居巳火之上,又得青龍,所以費力中而加升也。
邵先生が解釈して曰く。日干上に巳を見るは、甲木が往って巳火を生ずるなので、喫力します。太常は職任を主り、巳は西法の星象において「雙女」を主るので、兼職と説きます。初伝の申は官星で、またこの雙女の上に臨むも、また兼職の象です。青竜は喜慶を主ります。中伝の亥と行年上の亥は、皆官長の一類に属します。亥は天庭で、朱雀は挙薦を主ります。末伝の寅は自身を代表し、上に長生の地を臨み、また天門に登り、上頭に天后という恩沢の神を乘じ、甲木・寅木と同じ気にして相い生じます。甲は亥をもって長生とし、長生はすなわち学堂なので、講学して徒を授ける職位を主ります。またそれが天門の上に在るので、宮廷の内の講席です。甲木は巳火を生じ、喫力と雖も、却って天后の水と亥水に生ぜられるを得、申金の官星はまた巳火の上に居りて、さらに青竜を得るので、喫力の中において昇遷を得ることを能くしました。
144)汪五公丁未生六十一歲占買賣同得此課。(午未空亡,酉戌落空),重審,元胎。 空虎 龍申酉戌亥常 陳未 子玄 后 朱 龍 常 官 甲申 龍 初 六午 丑陰 寅 亥 申 巳 父 丁亥 朱 中(丁神) 朱巳辰卯寅后 亥 申 巳 甲 兄 庚寅 后 末(暗鬼) 蛇貴
第一百四十四例:汪五公は丁未年の生まれで六十一歳、売買を占いに来て、恰好上の一例の王県丞と完全に相同なる課を起し得ました。旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「元胎」。盤中は貴人が丑に乘り、天将は逆行します:螣蛇は子に、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に巳を見て太常を乘じ、第二課は巳の上に申を見て青竜を乘じ、第三課は日支の申の上に亥を見て朱雀を乘じ、第四課は亥の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は官星で青竜を乘じ、中伝の丁亥は父母爻で朱雀を乘じまた「丁神」、末伝の庚寅は兄弟爻で天后を乘じ暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:如何染得許多紅紫?今已發變斑點,都是染皂用耳。汪公尚不覺,及開包裹看之,果然紅紫皆退,又發斑點。汪大驚,曰:大端懷此絹帛,奈何?先生曰:不妨,十月染皂不折本,但滯得半年耳。
邵先生は言いました。どうしてこのように多くの紅紫の色に染まりましたか?いまや色は褪せて斑点を発し、ただ拿って黒に染めて用いるのみ。汪五公はまだ察覚せず、打開して包裹を看れば、紅紫は果たして皆色を退け、また斑点を生出していました。汪五公は大いに驚きて言いました:我は全副の本銭を皆これらの絹帛に押えた——どうすればよい?邵先生は言いました:緊要せず、十月の裏に黒色に染めて売れば、本を虧きません、ただ半年積圧するを要するのみ。
先生析曰;蓋日上見巳蝕甲,寅去亥上受生,未甚費力。今又添行年丙,便是兩個巳而蝕一甲,雖寅受生於亥,費有餘而得不足也。太常為綿絲衣帛,在日上與行年上皆赤,便是紅紫之類。寅作天后為改色,寅為虎,主斑點。初傳官鬼破身傷財,又立於耗盜之上,中傳亥來生甲,只宜染暗青黑綠,以北方主黑,亥加申白而生黑。州人仿他鋪染暗青黑綠都不好,八九月亦不翻騰 。汪公至十月染皂,鋪中有買賣,果不折本
邵先生が解釈して曰く。日干上に巳を見て甲木を蝕耗せしむるに来たり、寅は亥上に到ればなお生を受け得る——本は甚だ喫力と算えず。いままた行年が丙に在るのを添えて、すなわち二つの巳が一人の甲を蝕むを成し、寅は亥上において生を受けるものの、終じて耗費は有余にして所得は足らずです。太常は綿絲衣帛を主り、日干上と行年上に落ちてまた皆赤色に属す——まさに紅紫の一類です。寅は天后を乘じ、顔色を改換することを主ります。寅は十二属相の中に虎なので、斑点を生ずるを主ります。初伝の官鬼はすでに身を破りまた財を傷い、さらに耗泄盗損の上に立ちます。中伝の亥は来て甲木を生ずるので、ただ暗青・黒・緑に染めるに宜し——北方は黒を主り、亥は申という白色の上に加わって黒色を生出するためです。当時、州の裏に人ありて彼の鋪子に仿らって暗青黒緑に染めんとするも、皆染め能わず、八九月の裏にもまた貨を翻し動かせず。汪五公は十月の裏に至って黒に染め、鋪中にすなわち売買あり、果たして本を虧きませんでした。
先生析曰;。蓋末傳有寅生於亥上,中傳亥卻為旬丁,主變動之神。末傳天后水為皂色,以此婦人俱重此色衣服,亥為十月,信知造物亦有時也。可見占驗之神,與造物無間耳。
邵先生がまた解釈して曰く:末伝の寅は亥上に生じ、中伝の亥は却って旬中の「丁神」——変動を主る神です。末伝上の天后は水に属し、まさに黒色なので、あの時婦人は皆この色の衣料を看重しました。亥はまた十月に対応します。これによって造化の万物を生成するに自ずからそれの時あり、また占卜の応験する理と造化とは並んで二致ならざるが見えます。
或問:王縣丞與汪五公同月將日時,同得此課,何以王縣丞許其升遷,汪五公卻說彩帛變色?先生答曰:縣丞本命寅下臨長生得恩澤之神。行年添一官星,在任者宜占之,必然升遷。汪公命本未,下臨魁罡,上得虛誕之神,行年上添一盜氣,經紀者忌見之,必然敗壞。幸得汪公寅加亥上,中傳亥又來生身,為不折本耳。
ある人が問いました:王県丞と汪五公は同じ月将・同じ日辰時辰を用い、同じ課を起し得たのに、どうして王県丞には彼に昇遷を許し、汪五公には彩帛が色を変ずると説いたのですか?邵先生が答えて言いました:県丞の本命は寅に在り、寅の下は長生の地に臨み、また天后という恩沢の神を得ました。行年上にさらに一人の官星を添える——職任に在る人が占い得れば、必ず昇遷します。汪五公の本命は未に在り、未の下は魁罡に臨み、上頭に得たは虚誕にして実ならざる神です。行年上にまた一重の盗泄の気を添える——売買を為す人が最も忌み見る所で、必ず敗壊します。所幸は汪五公のこちら辺は寅が亥に加わり、中伝の亥はまた来て身を生ずるので、ようやく本を虧くに至らずです。
145)劉判官己未生五十歲占前程,戊申年七月初一癸未日午將卯時。(申酉空亡,亥子落空),元首,斬關,稼穡。 陳龍 六申酉戌亥空 朱未 子虎 常 龍 朱 后 鬼 庚辰 后 初 蛇午 丑常 丑 戌 未 辰 鬼 癸未 朱 中 貴巳辰卯寅玄 戌 未 辰 癸 鬼 甲戌 龍 末 后陰
第一百四十五例:劉判官は己未年の生まれで五十歳、前程を占いに来ました。時は戊申年七月初一日癸未日で、午の月将を卯の刻に加えて課を立てました。癸未日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の亥・子二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「元首」「斬關」「稼穡」(三伝の辰・未・戌が全て土)。天盤は午将を卯時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に未を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の未の上に戌を見て青竜を乘じ、第四課は戌の上に丑を見て太常を乘じます。三伝は辰・未・戌:初伝の庚辰は官鬼爻で天后を乘じ、中伝の癸未もまた官鬼爻で朱雀を乘じ、末伝の甲戌は依然として官鬼爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:日上見墓神,天后又是滯神,今方自墓中脫去。中傳未是旬末,末傳歸家,卻見旬首,旬首加旬尾,做官方始起,卻早歸家,如何得改官遷轉?不如治生,何以見之?本命上中傳,甲戌旬末是癸未,未土癸水為三傳全鬼,卻變成財,若要求官仍復為鬼,所以治生,必然興發,為甚佳也。
邵先生は言いました。日干上に墓神を見、天后はまた一つの停滞の神——いまようやく墓の中より身を脱じ出しました。中伝の未はこの一旬の末位で、末伝は本家に帰ってまた旬首を見——旬首が旬尾の上に壓す。官を為してようやく起步するも、すでに早く家に帰らんと要し、どうしてなお改官昇遷を談ずるに及ばん。むしろ回って生計を経営するに如かず。どうして見出したか?本命が正に中伝上に落ちる:甲戌の一旬の末位はすなわち癸未で、未土と癸水が湊って三伝全鬼を成すも、反転して却って財と変成しました。もし必ず往って官を求めれば、それは依然として元に還って鬼を成します。だから家に帰って生を治めれば必ず興発し、しかも好し極まりなし。
劉判官三十八上及第,到五十方受第一任,緣丁了三服,乃是庶出,兼有喪服,後做判官任滿,不得改官,任中文字又多,遂思先生之言,歸家治生,開雜賣鋪見利,為之靡所不至,自初歸時,止有三千餘貫,後十二年共發至三十五萬貫,造屋買田,如法做起,信知先生之言不妄也。閉口主不能升。
劉判官は三十八歳の上に進士に考中し、五十歳に至ってようやく第一任の差遣を領しました——相次いで三度喪を服し、彼は庶出にしてまた喪服が身に在りしたためです。後に判官を為り任が満ちるも、改官昇遷すること能わず、任内の公文案牍もまた多く、ここにおいて邵先生の言葉を想起し、家に帰って生計を経営し、一間の雑貨鋪を開いて利頭を見、凡そ為し得るは為さざるなく。剛に家に帰った時、ただ三千余貫あり、此の後十二年に共に三十五万貫に積み至り、屋を造り田を買い、樣樣規矩に按じて辦じ起こしました——これによって邵先生の言葉は虚言でないことが知れます。課中に「閉口」の象あるので、昇遷し得ないを主りました。
146)劉一翁代一人占身位亦同此課,其人丙辰生五十三歲。(申酉空亡,亥子落空),元首,斬關,稼穡。 陳龍 六申酉戌亥空 朱未 子虎 常 龍 朱 后 官 庚辰 后 初 蛇午 丑常 丑 戌 未 辰 鬼 癸未 朱 中 貴巳辰卯寅玄 戌 未 辰 癸 官 甲戌 龍 末 后陰
第一百四十六例:劉一翁がもう一人の人に替わって身位を占いに来て、また上の例と完全に相同なる課を起し得ました。その人は丙辰年の生まれで五十三歳。旬空は申・酉に落ち、天盤の亥・子二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「元首」「斬關」「稼穡」。盤中は貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に未を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の未の上に戌を見て青竜を乘じ、第四課は戌の上に丑を見て太常を乘じます。三伝は辰・未・戌:初伝の庚辰は官爻と標し天后を乘じ、中伝の癸未は鬼爻で朱雀を乘じ、末伝の甲戌もまた官爻と標し青竜を乘じます。
邵先生曰:此人不長久,目下如雲霧中行耳。明年五十四歲,行年在未,上見戌為閉口,戌為九月,其人九月間患積塊疼痛,氣塞脹蠱而終。
邵先生は言いました。この人は活くること長からず、眼下はすなわち雲霧の裏を行走するがごとく茫然たり。明年は五十四歳、行年は未に走到し、未上に戌を見るは「閉口」の象で、戌はまた九月に対応する——この人は九月の間に結塊の疼痛を患い、気機は壅塞し腹は脹れて蠱を成して死します。
或問:此人與劉判官同月將日時,同得此課,何故前言治生,此言就死? 邵先生曰:前是己未生,中傳得本命,自墓引生來,末傳見旬首,周而復始,三傳全鬼,卻化為財,所以治生發旺也。此是丙辰生,他的本命自來墓身,既來添墓,如何去得? 旬首甲克未,戌克癸,所以化財。
ある人が問いました:この人と劉判官は同じ月将・同じ日辰時辰を用い、同じ課を起し得たのに、どうして前は家に帰って生を治めると説き、ここではすなわち死せんと説くのですか?邵先生は言いました:前の一位は己未年の生まれで、中伝は正に彼の本命を得、墓の中より生気を引出し、末伝はまた旬首を見て周り復り始まる——三伝は全鬼であるものの、転化して財を成したので、家に帰って経営すれば必ず興旺します。この一位は丙辰年の生まれで、彼の本命の辰は本身が来てその身を墓す——すでにまた一重の墓を添えたは、どうして脱け開くことを得んや。三伝の全鬼が何をもって財に化するかは、旬首の甲が未を剋し得戌が癸を剋し得るためなので、財に化成しました。
147)何秀才丁亥生二十二歲占膠程,戊申年五月丁酉日申將辰時。(辰巳空亡,申酉落空),元首,曲直。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 空 陰 常 貴 鬼 己亥 貴 初 陳未 寅玄 巳 丑 卯 亥 父 癸卯 常 中(暗鬼) 龍午巳辰卯常 丑 酉 亥 丁 子 乙未 陳 末 空虎
第一百四十七例:何秀才は丁亥年の生まれで二十二歳、科考の前程を占いに来ました。時は戊申年五月丁酉日で、申の月将を辰の刻に加えて課を立てました。丁酉日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「元首」「曲直」(三伝の亥・卯・未が木局を合成する)。天盤は申将を辰時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に亥を見て貴人を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の酉の上に丑を見て太陰を乘じ、第四課は丑の上に巳を見て天空を乘じます。三伝は亥・卯・未:初伝の己亥は官鬼爻で貴人を乘じ、中伝の癸卯は父母爻で太常を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の乙未は子孫爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:本命在日上作初傳,既是官星,上見貴人,貴人帶官來,三十歲定主及第,及第後須見大病,病後卻吉。迤邐至守土官。宅上丑作太陰,終身居於舊宅,一生不能建造,但有守土之名,無守土之實。殘病在身,不能卦美任矣。何二十九中舉,三十及第。第六任授台州太守,為風癱不能赴任。
邵先生は言いました。本命は日干上に落ち取って初伝と為し、それはすでに官星にして、上頭にまた貴人を見る——これは貴人が官職を帯びて前に来るで、三十歳の上に必ず進士に考中します。進士に中った後に一場の大病を得、病が過ぎた後に反転して吉なり——一路迤邐として守土の地方官に致るまで。宅位上の丑は太陰を乘じ、一輩子旧宅に住すを主り、終身新屋を蓋い成し得ません。守土の官の名分あるも、守土の官の実際なし。身の上に残病を帯び、あの美差に赴くことができません。何秀才は二十九歳に挙に中り、三十歳に進士に中りました。第六任の上に台州太守に授けられましたが、中風して癱瘓したために赴任することができませんでした。
先生析曰;蓋亥水克丁為官,本命又是官,是自家官星相催也。三十乃丙辰年分,辰上見申,申金生亥水,官星有氣,故及第。及第後大病四十餘日方安者,先論官,次論克也。病得不死者,亥卯未木局,木能生火故了。卯乃生丁之神,卯數六,故六任。末傳未是本身,加日祿卯上,為勾陳所拘,本能生風,死敗之氣,乃虛風也。勾陳留滯之神,故終為之纏也。未即今日之丁,未死於卯,丁敗於卯,未為守土之任,既死敗不能赴也。
邵先生が解釈して曰く。亥水は丁火を剋して官星を成し、本命はまた正にこの官星なので、自家の官星が自己を催逼しているのです。三十歳のあの年は丙辰年で、辰上に申を見、申金は亥水を生じ、官星は気ある——だから進士に中りました。中った後、四十余日の大病してようやく全愈したのは、先に官を論じ後に剋を論じたためです。病して死せざるは、亥卯未が木局を合成し、木は火を生じ得るためです。卯は丁火を生ずる神で、卯の数は六なので、第六任に致りました。末伝の未は本身を代表し、日干の禄神卯の上に加わり、勾陳に拘られます。卯は本は風を生じ得、また死敗の気なので、虚風の症です。勾陳は留滞を主る神なので、終身それに纏まれます。未はすなわち今日の丁:未は卯において死し、丁は卯において敗す。未はまた守土の任を主る——すでに死敗せば、自然と赴任し得ません。
148)何學錄庚申生四十九歲占身位及家宅同得此課。(辰巳空亡,申酉落空),元首,曲直。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 空 陰 常 貴 鬼 己亥 貴 初 陳未 寅玄 巳 丑 卯 亥 父 癸卯 常 中(暗鬼) 龍午巳辰卯常 丑 酉 亥 丁 子 乙未 陳 末 空虎
第一百四十八例:何学録は庚申年の生まれで四十九歳、身位と家宅を占いに来て、また上の例と完全に相同なる課を起し得ました。旬空は辰・巳に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「元首」「曲直」。盤中は貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に亥を見て貴人を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の酉の上に丑を見て太陰を乘じ、第四課は丑の上に巳を見て天空を乘じます。三伝は亥・卯・未:初伝の己亥は官鬼爻で貴人を乘じ、中伝の癸卯は父母爻で太常を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の乙未は子孫爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:前課二十二歲,官星未過,是取官之年,今乃四十九,官星已過,乃是絕神克身,末又受克,不能制水,是數不永。辛亥必死矣。況卯乃截路空亡,未加於上,亦以空言。所以不得力。更宅前左手,不合被人遷墳,掘斷龍脈葬老陰人,因此生事,家計悉破也。何三十二上中舉,已滿官星之數,四十外已無力,故不及第,為學錄。至辛亥年死。
邵先生は言いました。前の課のあの人は二十二歳で、官星の数はまだ用い盡さず、まさに功名を取る年紀でした。いまこの位はすでに四十九歳で、官星の数は早已過ぎ、亥水はすなわち絶神を成して身を剋するに至りました。末伝はまた下神に剋され、水を制し得ず——寿数は長からざるが見え、辛亥年に至れば必ず死します。まして卯はまさに截路空亡で、未はまたその上頭に加わり、また空をもって論ずるを要するので、力を使い上げることができません。さらに宅子の前面左手の一帯は、人に墳墓を遷されて来られるべからず——龍脈を掘り断して去り一人の年長の女眷を安葬し、これによって事端を生出し、家業は全て敗れ光りました。何学録は三十二歳の上に挙に中り、官星の数はすでに用い満たしました。四十を過ぎればすなわち力なき——だから進士に中ることができず、ただ学録に致るまでで、辛亥年に至って去世しました。
先生析曰;蓋亥克丁為官,亥四未八,四八三十二,故四十外即不得力,既不為官,即是鬼,鬼來克身,又是丁之絕神,至亥年鬼旺,身不可逃,故死。又酉日丑加酉為墓神,丑在前,西方看北方,是左手也。太陰老陰人也。五十二死者,命上子水,變殺破祿也。夫同此一課,而命添一水,便乃迥異如此。
邵先生が解釈して曰く。亥は丁を剋して官星を成し、亥の数は四、未の数は八、四八三十二なので、四十を過ぎればすなわち力を使い上げられません。すでに官星を作すことができなければ、それはすなわち鬼。鬼が来て身を剋し、それはまた丁火の絶神で、亥年に至れば鬼気が正に旺し、身子は躲け過ごすことができないので、死します。さらに酉日の裏に丑が酉に加わればすなわち墓神で、丑は前方に在ります。西方より北方に向かって看て過ごせば、まさに左手の一辺です。太陰は年長の女眷を代表します。五十二歳の上に身死したは、本命上に子水あり、官星を変じて殺を成しまた禄を冲破したためです。同じこの課にして、ただ本命上に一重の水を添えたがために、結局はこのように遠く相差るが見えます。
交易謀為
149)周氏占與羅氏交易,建火五年正月乙巳日亥將巳時。(寅卯空亡,申酉落空),反吟,無依,元胎。 貴后 蛇亥子丑寅陰 朱戌 卯玄 虎 蛇 常 朱 子 乙巳 虎 初 六酉 辰常 巳 亥 辰 戌 父 辛亥 蛇 中(暗鬼) 陳申未午巳虎 亥 巳 戌 乙 子 乙巳 虎 末 龍空
第一百四十九例:周氏が羅氏と交易を為すを占いに来ました。時は「建火」五年正月乙巳日(底本の紀年は「建火」と作るが、「建炎」の訛を疑い、いま照録して改めず)で、亥の月将を巳の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。乙巳日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「反吟」「無依」「元胎」。天盤は亥将を巳時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に戌を見て朱雀を乘じ、第二課は戌の上に辰を見て太常を乘じ、第三課は日支の巳の上に亥を見て螣蛇を乘じ、第四課は亥の上に巳を見て白虎を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の乙巳は子孫爻で白虎を乘じ、中伝の辛亥は父母爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、末伝は依然として乙巳の子孫爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:反吟體見凶將,必難成。又日上見財乘雀,必見爭鬧而後成。只是兩家俱有孝服,後來周姓果喪母,羅姓亦喪妻。又至後有三人來作鬧,丁丑日事成。其鬧者乃過房子也。蓋乙以巳為兒,巳中丙戌,二姓主過房子來爭也。
邵先生は言いました。反吟の課体にまた凶将を見——この桩の交易は必ず成り難し。日干上に財爻を見て朱雀を乘じるは、必ず一場吵闹してようやく談じ攏まることを要す。ただ両家ともに孝服あるを要す。後に周家は果たして母親が死し、羅家もまた妻子が死しました。さらに往後に三人の人ありて来て吵闹し、丁丑日に至って事情がようやく談じ成りました。来て吵闹したはまさに過継の息子——乙は巳をもって兒とし、巳の中には丙・戊を蔵すので、両家ともに過継の息子が出て来て相い争うを主りました。
150)曹將仕丙午生六十四歲占謀干,己酉年癸卯日寅將辰時。(辰巳空亡,寅卯落空)。渉害,極陰,間傳,循環。 蛇貴 朱卯辰巳午后 六寅 未陰 空 陳 常 空 官 辛丑 陳 初 陳丑 申玄 亥 丑 酉 亥 兄 己亥 空 中(暗鬼) 龍子亥戌酉常 丑 卯 亥 癸 父 丁酉 常 末(丁神) 空虎
第一百五十例:曹将仕は丙午年の生まれで六十四歳、事を謀り干求するを占いに来ました。時は己酉年癸卯日で、寅の月将を辰の刻に加えて課を立てました。癸卯日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「渉害」「極陰」「間伝」「循環」。天盤は寅将を辰時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に亥を見て天空を乘じ、第二課は亥の上に酉を見て太常を乘じ、第三課は日支の卯の上に丑を見て勾陳を乘じ、第四課は丑の上に亥を見て天空を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の辛丑は官星で勾陳を乘じ、中伝の己亥は兄弟爻で天空を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の丁酉は父母爻で太常を乘じまた「丁神」です。
邵先生曰:支上丑作勾陳,自宜用舊,未利謀新。況三傳四課皆陰,豈宜進干?若陽則宜進干,豈不聞《心鏡》曰:大吉臨干為死舊,天罡加日是生新。 《心鏡》全以陰陽二字,分別陽宜動,為生、為新、為德;陰宜靜,為殺、為舊、為刑也。
邵先生は言いました。日支上の丑は勾陳を乘じ、本は旧の路数を沿用すべく、別に新挙を謀るに利あらず。まして三伝四課は全て陰に属す——どうして身を進め干求するに適えんや。もし陽に属せば、当に往って身を進め干求すべし。豈に《心鏡》の上に説くを聞かざりしや:「大吉は干に臨めばすなわち死旧を為し、天罡は日に加わればすなわち生新を為す」(大吉はすなわち丑、天罡はすなわち辰)。《心鏡》の一書は通篇皆陰陽の二字を用いて分別す:陽に属するは動に宜しく、生を主り新を主り徳を主る。陰に属するは静に宜しく、殺を主り旧を主り刑を主る。
出行訪謁
151應秀才三十四歲占出行,己酉年九月癸亥日卯將酉時。(子丑空亡,午未落空),反吟,元胎,勵德。 六朱 陳亥子丑寅蛇 龍戌 卯貴 陳 陰 朱 常 財 丁巳 陰 初(丁神) 空酉 辰后 亥 巳 丑 未 兄 癸亥 陳 中 虎申未午巳陰 巳 亥 未 癸 財 丁巳 陰 末(丁神) 常玄
第一百五十一例:応秀才は三十四歳、出行を占いに来ました。時は己酉年九月癸亥日で、卯の月将を酉の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の午・未二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「反吟」「元胎」「励徳」。天盤は卯将を酉時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に未を見て太常を乘じ、第二課は未の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の亥の上に巳を見て太陰を乘じ、第四課は巳の上に亥を見て勾陳を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の丁巳は妻財爻で太陰を乘じまた「丁神」、中伝の癸亥は兄弟爻で勾陳を乘じ、末伝は依然として丁巳の妻財爻で太陰を乘じまた「丁神」です。
邵先生曰:此課出行,當主半路歸家。何也?蓋自支發出,少間復回,末又歸支,當主一骨肉有喪,遂遣人邀歸。應曰:何故?先生曰:初以巳發用,中傳復回,末傳又見巳,如何去得?應恐家中有事,先生曰:非也。應遂行,欲往袁州岳丈任中,次至撫州,卻有一親戚,乃伊親姐,在信州玉山縣,赴任病重,遂遣人趕應回,親姐死,應遂不得袁州。
邵先生は言いました。この課を拿って出行を占えば、半路に走るに至ってすなわち家に帰るを要すを主ります。どうして?初伝は日支上より発出したのに、多く久しからずしてまた転じ回りて来て、末伝は依然として日支に帰するので、一人の骨肉の親人が亡故し、家の裏が人を派して来て彼を請い帰らしむるを主るためです。応秀才が問いました:どう講じます?邵先生は言いました:初伝は巳をもって発用し、中伝はまた折り返して回り来り、末伝は再び巳を見——このようではどうして走り成すことを得んや。応秀才は家の裏に事出づるを擔心し、邵先生は言いました:家の裏に非ず。応秀才はここにおいて身を動かし、本は袁州の岳父の任所に往かんと想いました。撫州に走り至り、恰好一人の親戚あり——まさに彼の親姉——信州玉山県に赴任する途中において病が重し、ここにおいて人を派して駆け来りて彼を叫び帰らしめました。姉は死し、応秀才は終じて袁州に去り成ることができませんでした。
先生析曰;蓋宅上見巳,初末皆巳,巳乃癸之絕神,雖為絕神,卻是三層驛馬,又以旬丁,所以主動。但中即傳宅陰,所以半路歸也。日上未鬼作太常,主親戚眷屬之服。日主外故主外服,發用太陰,主陰人喪,所乘之巳為妻,是妻之祖也。巳火亥水去了又來,互換相沖,不得不動,既動彼此俱絕,所以止也。
邵先生が解釈して曰く。宅位上に巳を見、初伝末伝もまた皆巳です。巳は癸水の絶神で、絶神と為すも、却って三重の驛馬を疊ね、また旬中の「丁神」に逢うので、走動を主ります。しかるに中伝は随してすなわち再び宅上の陰神に伝え回るので、半路上にすなわち折り返して回りました。日干上の未は鬼爻にして太常を乘じ、親戚眷属の一方に孝服あるを主ります。日干は外を主るので、外姓の喪服です。初伝は太陰において発用し、女眷の亡故を主ります。太陰の乘じた巳はまた妻を代表し、あれは妻族のこちら辺の長輩です。巳火と亥水は去ってまた来り、互いに換えて相冲し、動かざる能わず。一たび動き起こせば却って彼此皆絶地に投入するので、半路に到ればすなわち止まりました。
152)李秀才占往元真觀訪紫衣張道士,十月庚辰日寅將午時。(申酉空亡,辰巳落空),重審,潤下,斬關,不備。 后陰 貴丑寅卯辰玄 蛇子 巳常 龍 蛇 蛇 玄 子 丙子 蛇 初(暗鬼) 朱亥 午虎 申 子 子 辰 父 空申 龍 中(空亡) 六戌酉申未空 子 辰 辰 庚 兄 庚辰 玄 末(落空) 陳龍
第一百五十二例:李秀才が元真観に往って紫衣張道士を拜訪するを占いに来ました。時は十月庚辰日で、寅の月将を午の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「潤下」(三伝の申・子・辰が水局を合成する)「斬關」「不備」。天盤は寅将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に辰を見て玄武を乘じ、第二課は辰の上に子を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の辰の上に子を見て同じく螣蛇を乘じ、両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は子の上に申を見て青竜を乘じます。三伝は子・申・辰:初伝の丙子は子孫爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、中伝の申は旬空に逢い父母爻で青竜を乘じ、末伝の庚辰は兄弟爻で玄武を乘じ空地に落ちます。
邵先生曰:此課占訪人,其人在本處水火之傍,造墨或為細務。因事未畢,必然不出見也。
邵先生は言いました。この課を拿って人を訪るを占えば、その人は正に自己の住處の水火の辺に在り、墨を造る一類の細致なる活計に忙しく、事情がまだ做えり終わらざるがために、一定に出て来て相見しません。
先生析曰;蓋子發用,雖與日辰三合,奈辰課不足,必主事務未畢也。且今日庚金,子水發用,庚落空亡,不能生子,子反畏日上天罡,所以主不出見。罡加孟,為在內,故言在家。言為生計者,庚為水之源,而生神后,神后加辰,神后北方也黑色,交合辰土,生計是造墨也。潤下卦,有蛇火神為用,故曰近水火之傍也。 李果訪之不見,後詢之,果因造墨未畢也。
邵先生が解釈して曰く。子が発用し、日辰と湊って三合を成すものの、奈何せん四課は残缺して備わらず——必ず事情がまだ做えり終わらざるを主ります。まして今日は庚金日で、子水が発用し、庚金は自ら空亡に落ち、子水を生じ動かせず。子水は反転して日干上の天罡(辰)を懼るので、肯んじて出て来て相見しないを主ります。天罡が孟位の上に加わるは内に在るなので、彼は家に在りと説きます。彼の生計に説き至れば:庚は水の源頭で、神后(子)を生じ得ます。神后は辰上に加わり、神后は北方に属して黒色を主り、辰土と交合す——生計はすなわち墨を造ることが見えます。これは潤下の卦なのに、却って螣蛇という火神をもって初伝の乘する所と為すので、彼は水火の辺に在りと説きます。李秀才は果たして往って彼を訪るも見るを得ず、後に打聴すれば、果たして墨がまだ造り完わらざるがためでした。
153)管學正辛酉占往宜興謁縣尹楊公,己酉年十月甲午日寅將戌時。(辰巳空亡,申酉落空),元首,炎上,佚女,勵德。 六陳 朱酉戌亥子龍 蛇申 丑空 虎 六 六 后 兄 壬寅 虎 初 貴未 寅虎 寅 戌 戌 午 子 甲午 后 中 后午巳辰卯常 戌 午 午 甲 財 戊戌 六 末 陰玄
第一百五十三例:管学正は辛酉年の生まれで、往って宜興に県尹楊公を謁見するを占いに来ました。時は己酉年十月甲午日で、寅の月将を戌の刻に加えて課を立てました。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「元首」「炎上」(三伝の寅・午・戌が火局を合成する)「佚女」「励徳」。天盤は寅将を戌時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に午を見て天后を乘じ、第二課は午の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の午の上に戌を見て同じく六合を乘じ、第四課は戌の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は寅・午・戌:初伝の壬寅は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の甲午は子孫爻で天后を乘じ、末伝の戊戌は妻財爻で六合を乘じます。
邵先生曰:詳課意,吾兄若欲行正道,則不必見之。若行邪道,見之不妨。愛圅曰:此四句當有訛錯。蓋寅午戌相習而為狂黨,天后六合不正之神,又為失友,主下稍埋怨不足,互相冤抑。夫甲日火局,十二分盜氣,支又來耗我,大有所費。吾兄縱有所得,左手得錢,右手便送娼家,被官知覺,亦輕視不肯惠矣。管笑曰:楊尹有書來,安得無利:遂往,楊尹大喜,所贈甚厚,管竟入娼家,楊察知之,曰:吾多方照顧,欲爾收拾養家,如此胡為,枉做人情矣。遂不想信,僅與盤纏而歸。
邵先生は言いました。細かくこの課の意思を看れば、あなたもし正路を走らんと要せば、すなわち彼に見えに往く必要なし。もし歪路を走らんと要せば、見えに往っても却って妨げなし(愛圅按:この四句は当に訛錯あるべし)。寅・午・戌が彼此串習して狂放の党羽を結成し、天后と六合はまた皆不正の神、此の課はまた「失友」と呼ばれ、末に到りて彼此埋怨して満たず、互いに怨懟するを主るためです。甲日は火局を結成し、これは十二分の盗泄の気で、日支はまた来て我を耗す——必ず大いに破費あり。あなたは縦しく得る所あるも、左手に銭を拿得すれば、右手はすなわち娼家に送り進れます。あの位の官長に察覚されれば、もはやあなたを看軽し、肯んじて再び恩惠を施しません。管学正は笑って言いました:楊県尹は書信ありて来て請う——どうして好処なからんや。ここにおいてすなわち去りました。楊県尹は見て大いに喜び、贈送は甚だ豊厚。管学正は却って径に娼家に進み入り、楊県尹は察覚した後に言いました:我が多方照顧するは、あなたに銭を積んで家を養わしめんと想う——このように胡来すれば、我がこの人情は白く做したと算うべし。此より再び彼を信任せず、ただ若干の盤纏を給して彼を打ち発って帰らしめました。
先生析曰;蓋炎上課,甲日自是不利,又午來蝕甲,天后六合皆不正之神,主酒色蠱惑,四課不足,雖厚本亦主消折,況赤手空拳乎:
邵先生が解釈して曰く。「炎上」の課は甲日において本はすでに不利で、また午火ありて来て甲木を蝕耗し、天后と六合は皆不正の神——酒色に迷惑せらるるを主ります。四課は残缺して備わらず、たとい厚い本銭を帯びるもまた蝕折するを要す。まして赤手空拳にして往けるをや。
154)史某占訪僧見否,乙酉日酉將辰時。(午未空亡,亥子落空),知一,不備,亂首,驀越。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 龍 陰 陰 六 子 空未 龍 初(空亡) 陳申 卯玄 未 寅 寅 酉 父 戊子 貴 中(落空) 龍未午巳辰常 寅 酉 酉 乙 子 癸巳 虎 末 空虎
第一百五十四例:史某が往って一人の僧人を訪れ見るを得るや得ざるやを占いに来ました。時は乙酉日で、酉の月将を辰の刻に加えて課を立てました。乙酉日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「知一」「不備」「乱首」「蓦越」。天盤は酉将を辰時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に寅を見て太陰を乘じ、第三課は日支の酉の上に寅を見て同じく太陰を乘じ、第四課は寅の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は未・子・巳:初伝の未は旬空に逢い子孫爻で青竜を乘じ、中伝の戊子は父母爻で貴人を乘じ空地に落ち、末伝の癸巳もまた子孫爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:和尚出門撞見,要回寺。又有一貴人來訪,僧高宴款待。吾兄不得豫也。史果至寺門相見,待欲留茶,俄有侍御來見,設席果不預宴。
邵先生は言いました。あの和尚は正に門を出んとして、門口において撞え当たる——随して寺裏に回り往かんと要す。また一人の貴人ありて来訪し、和尚は盛宴を設けて款待了せんと要す——あなたは席に入ることを得られません。史某は果たして寺門口において彼と相見し、和尚は正に彼を留めて茶を喫せしめんとするも、忽然として一人の侍御史ありて来訪し、酒席を擺し下し、史某は果たして席に入ることができませんでした。
先生析曰;蓋發用空傳,又貴為日之三合,故主一貴人來。未為酒食,原為此貴設也。酉來合乙得六合,故主寺門相見,酉為酒剋日,故雖有酒不宴我也。一云,史公不預宴者,貴人乘子,加未空亡上也。
邵先生が解釈して曰く。初伝は空亡において発用し、中伝の貴人はまた日干と湊って三合を成すので、一人の貴人の到来を主ります。未は酒食を主り、あの席の酒は本はこの貴人のために擺したのです。酉は来て乙と相合して六合を乘じるので、寺門口において相見するを主ります。酉はまた酒を主りて来て日干を剋するので、酒あるも席に入るに我に輪せず。もう一つの説は:史某が席に入ることができなかったは、貴人が子を乘じて空亡の未の上に加わったためです。
155)十月丙辰日卯將子時。(子丑空亡,卯辰落空),重審,元胎。用旦貴何也? 朱蛇 六申酉戌亥貴 陳未 子后 蛇 陳 貴 六 財 庚申 六 初 龍午 丑陰 戌 未 亥 申 官 癸亥 貴 中(暗鬼) 空巳辰卯寅玄 未 辰 申 丙 父 甲寅 玄 末 虎常
第一百五十五例:十月丙辰日、卯の月将を子の刻に加えて課を立てました。丙辰日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の卯・辰二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「元胎」。子時は本は夜貴を用うべきなのに、此の課は却って旦貴(昼貴)を用いた——底本は自ら一問を設く:これは何の道理か?盤中は貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に申を見て六合を乘じ、第二課は申の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の辰の上に未を見て勾陳を乘じ、第四課は未の上に戌を見て螣蛇を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の庚申は妻財爻で六合を乘じ、中伝の癸亥は官星で貴人を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の甲寅は父母爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:我欲占動靜,今申生於巳,亥生於申,寅生於亥,巳生於寅,宅上又是勾陳入廟,至辛亥年十月方得身動。日往當往東北,近二百里。又轉西北晚處,終於東北之上,年六十九矣。果辛亥十月十七辛巳起行,過婺州,自鄉里行一百八十里,壬子年過嚴州,自鄉中從東北過西北,癸丑又到婺州,終於衙中。
邵先生は言いました。我が占うと要するは動と静です。いま申は巳に生じ、亥は申に生じ、寅は亥に生じ、巳はまた寅に生じ、環環相い生ず。宅位上はまた勾陳が廟に入る——辛亥年十月に至るまで、人は動き得られる。此の去るに当に東北方に往くべく、将に二百里に近し。後にまた西北方に転じて身を安め、最終には依然として東北方に死す——享年は六十九歳。後に果たして辛亥年十月十七日辛巳に程を起こし、婺州を経過し、郷里より算えて起れば一百八十里を走りました。壬子年に厳州を経過し、郷中より往いて東北にさらに西北に転じました。癸丑年にまた婺州に到り、衙署の中に死しました。
先生析曰;蓋丙以申為妻,巳與申合,又作六合,更未作勾陳,在本家所以戀家,卒難脫解。至辛亥年巳亥相沖,而寅申又沖,十月又是亥月,三個亥沖巳,又寅馬加亥,得沖而動,所以能行動於東北者,乃寅馬合亥,雖脫得沖則行也。癸丑死者,老人五行投生方也。一曰,未加辰宅,辰加丑上,辰為歲之墓也。
邵先生が解釈して曰く。丙は申をもって妻とし、巳と申は相合し、申上にまた六合を乘じ、これに未が勾陳を乘じて本家に坐するを加う——だから彼は家に恋いて舎て難く、一時に身を脱け開くことができません。辛亥年に至り、巳と亥は相冲し、寅と申はまた相冲し、十月はまた亥月——三重の亥が来て巳を冲す。さらに寅は驛馬にして亥上に加臨し、冲激を得ればすなわち走動せんと要す。だから東北方に往って走動し得るは、寅の馬が亥と相合し、脱泄されるも冲激に遇えば依然として行くを要するためです。癸丑年に身死したは、老人の五行が生方に投向した縁故です。もう一つの説は:未が辰という宅位の上に加わり、辰はまた丑上に加わり、辰はまさに太岁の墓です。
156)某人丁巳生五十歲占出行,己酉年正月十五甲午日子將午時。(辰巳空亡,戌亥落空),反吟,渉害,無依,元胎。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎 蛇 后 龍 兄 壬寅 后 初 陳酉 辰玄 午 子 寅 申 鬼 丙申 龍 中 龍申未午巳常 子 午 申 甲 兄 壬寅 后 末 空虎
第一百五十六例:ある人は丁巳年の生まれで五十歳、出行を占いに来ました。時は己酉年正月十五日甲午日で、子の月将を午の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「反吟」「渉害」「無依」「元胎」。天盤は子将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の午の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に午を見て白虎を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝は依然として壬寅の兄弟爻で天后を乘じます。
邵先生曰:主有三千里之動,七年八年方歸也。七月果隨一官員到廣,二千三百里,至八年方歸。蓋日上驛馬交馳,寅申各七數,故有七年之測。行年亥加巳,天門地足,主動必遠也。
邵先生は言いました。三千里の遠行あるを主り、七八年を要してようやく回り来れます。この年七月、あの人は果たして一人の官員に跟随して広南に到り、路程は二千三百里で、第八年に至ってようやく回って来ました。これは日干上に驛馬が往来して交馳し、寅と申の数は各々七を為すので、七年の期を推し得たのです。行年の亥は巳上に加わり、一頭は天門・一頭は地戸——動きを主れば必ず走ること遠し。
157)邵先生自占一人相訪去吉凶,戊辰日子將酉時。(戌亥空亡,丑寅落空),彈射,孤寡。 朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 六 貴 陳 蛇 財 空亥 陳 初(空亡) 后午 丑空 戌 未 亥 申 鬼 丙寅 虎 中(落空) 陰巳辰卯寅虎 未 辰 申 戊 父 己巳 陰 末 玄常
第一百五十七例:邵先生が自ら課を起し、一人の前に来て相訪する人の此行の吉凶を占いました。時は戊辰日で、子の月将を酉の刻に加えて課を立てました。戊辰日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の丑・寅二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「弾射」「孤寡」。天盤は子将を酉時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に申を見て螣蛇を乘じ、第二課は申の上に亥を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の辰の上に未を見て貴人を乘じ、第四課は未の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は亥・寅・巳:初伝の亥は旬空に逢い妻財爻で勾陳を乘じ、中伝の丙寅は官鬼爻で白虎を乘じ空地に落ち、末伝の己巳は父母爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:其人是孤恤一身,蓋亥加申為用乃六害空亡,是真正孤辰寡宿課,故知其人單獨一人而已。
邵先生は言いました。この人は孤零零とした一人です。亥が申上に加わって取って初伝と為し、すでに六害にしてまた空亡に逢う——これは真の孤辰寡宿の課なので、彼はただ形単影只なるのみなりを知りました。
邵彦和大六壬案例集(貞集)
行人書信
158)黃秀才占行人,庚午生三十九歲,戊申年正月丁巳日亥將未時。(子丑空亡,辰巳落空),重審,從革。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 陰 朱 常 貴 財 辛酉 朱 初 陳未 寅玄 丑 酉 卯 亥 子 空丑 陰 中(空亡) 龍午巳辰卯常 酉 巳 亥 己 兄 丁巳 空 末(落空)(丁神) 空虎
第一百五十八例:黄秀才が行人の消息を占いに来ました。彼は庚午年の生まれで三十九歳。時は戊申年正月丁巳日で、亥の月将を未の刻に加えて課を立てました。丁巳日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「従革」(三伝の酉・丑・巳が金局を合成する)。天盤は亥将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ(底本はここに日干を誤って「己」と書す——丁・己は同じく未宮に寄せられ、課式は影響を受けず)、上に亥を見て貴人を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の巳の上に酉を見て朱雀を乘じ、第四課は酉の上に丑を見て太陰を乘じます。三伝は酉・丑・巳:初伝の辛酉は妻財爻で朱雀を乘じ、中伝の丑は旬空に逢い子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じすでに空地に落ちまた「丁神」です。
邵先生曰:此課亥作貴人加丁,是絕神。亥又來克我,本主行人來,奈緣所幹事未遂,兼以宅上財作文書乘破碎,文書次第未備,尚有更改之意。行年在辰,辰上見申,亥水又生在申,絕神帶生,目下未歸,在三月子日至也。
邵先生は言いました。この課は亥が貴人を乘じて丁の寄宮の上に加わり、亥は丁火の絶神です。亥はまた過ぎて来て我を剋する——本は行人が回り来るを主るべし。奈何せん彼は外頭において弁ずると要する事がまだ弁じ成らず。さらに宅位上の財爻が文書に化して破碎の煞を乘ずるを加え——文書の頭緒がまだ斉備せず、眼下にまた改動の打算あり。占者の行年は辰に在り、辰上に申を見、亥水はまた申において長生する——絶神の裏に生気を帯びるので、眼下は回り来れず、三月の裏に子に逢う日に至ってようやく到ります。
黃占友人過浙幹事,行人是庚午命,午加寅,是行人腳下生氣,蹤跡不定,又過東北幹事也。亥為絕神臨日剋日,主必歸。行年上見申又來生,故不歸。又不合初傳自宅上發用出來,又歸今日支神,在東北上作末傳,宅神反出在彼,是二不歸。日上亥水,病於東北,巳乃水絕,支去彼絕,其人在彼,是三不歸也。後果於三月初九戊子至。 同是占行人,又是一樣論應期,乃是論三合在行年上下。
黄秀才が占ったは一人の朋友が浙中に到って事を弁じたです。この位の行人は庚午年の生まれの命で、午は寅に加わり、行人の脚底下に生気あり、行踪は定まらず、なお往って東北方に事を弁ぜんと要します。亥は絶神で、日干上に臨みまた日干を剋し、本は彼が必ず回り来るを主る。しかし行年上に申を見てまた来て亥を生ずるので、一時に帰らず。さらに初伝は偏に宅位上より発出したのに、末にはまた今日の日支の神に帰り、東北方の上に落ちて末伝を作す——宅神が反転して外方に出たは、これは第二重の不帰。日干上の亥水は東北において病し、巳はまさに水の絶地、日支があの辺に跑って往って絶に投ずれば、人もまたあの辺に在る——これは第三重の不帰。後に彼は果たして三月初九戊子日に家に到りました。同じく行人を占うに、ここに応期を推すはまた一種の法子——すなわち三合の関係が行年の上下に落ちるを看るです。
先生析曰;亥作貴,又作絕,加未即是加丁,是亥絕來克我。本主克干則行人來就我,奈緣所事未遂者,丁干為我,巳支為後,支亦為他,人則所干,為他人之事。巳臨丑位入陷,主事未成,兼以宅上加酉字,乘雀為文書。孟月酉為破碎,則文書不備。酉為干陰之卯所沖,尚有改意。行年在辰,辰上見申生亥水,絕神變生,現尚未歸,而申辰三合,只少子字,故此定辰月子日歸也。以申為太歲,主年內三合全逢即驗。
邵先生が解釈して曰く。亥はすでに貴人を乘じ、また絶神——未上に加わればすなわち丁の寄宮上に加わるに等しく、絶神が来て我を剋するです。凡そ日干を剋するは、本は行人が前来して我に就くを主ります。奈何せん彼の弁ずると要する事はまだ弁じ成らず——丁は日干にして我を代表し、巳は日支にして後方を代表し、日支はまた他人を代表す。だから彼が外において弁ずるはすなわち別人の事。巳は丑位上に臨みて陥地に入り、事情は弁じ成らざるを主ります。さらに宅位上に酉を加え、酉は朱雀を乘じて文書を為し、孟月の裏に酉はまた破碎——文書の残缺して備わらざるが見えます。酉はまた日干の陰神の卯に冲されるので、なお改動の意あり。行年は辰に在り、辰上に申を見て来て亥水を生じ、絶神は転じて生気を成し、眼下は仍お回り来らず。しかも申と辰は三合を湊めて、ただ一人の子を缺く——だから辰月に子に逢う日に帰来すると断じました。ここは申をもって太岁と為し、一年の内に三合が斉全すればすなわち応験するを主ります。
159)王知縣占新宰幾時至,己丑年十一月甲申日子將申時。(午未空亡,戌亥落空),元首,潤下,勵德,閉口,驀越。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄 蛇 六 虎 財 壬辰 玄 初 空未 寅后 辰 子 戌 午 鬼 甲申 龍 中 虎午巳辰卯陰 子 申 午 甲 父 戊子 蛇 末 常玄
第一百五十九例:王知県が新任の県宰が何時に到るかを占いに来ました。時は己丑年十一月甲申日で、子の月将を申の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は五つ:「元首」「潤下」(三伝の辰・申・子が水局を合成する)「励徳」「閉口」「蓦越」。天盤は子将を申時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に午を見て白虎を乘じ、第二課は午の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の申の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に辰を見て玄武を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の壬辰は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の甲申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝の戊子は父母爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:冬占潤下課,正及時也。新官今已至潤州,值水淺來遲耳。三日得信,雲已到潤州,水淺不能前。蓋發用辰加子作元,子江也。上得辰土克之,故淺。十二月至任者,甲日子加申,子乃十二月太陰,今在申,故主十二月。
邵先生は言いました。冬に「潤下」の課を占い得たは、まさに時に応じ令を得たり。新官はいまやすでに潤州に到り、ただ水浅きがために来ること遅し。三天の後に消息を得て、彼がすでに潤州に到り、水浅くして前に行くこと能わざると曰う。これは初伝が辰において発用し子に加わって玄武を乘じ、子はすなわち江河で、上頭に辰土が壓えて来てそれを剋するので、水浅し。十二月に任に到ると説くは、甲日に子が申に加わり、子はまさに十二月の太陰の神で、いま申に落ちるので、十二月を主るためです。
160)汀州府戴公諱儀占風聞朝廷有文字的否,戊戌年六月乙亥日未將巳時。(申酉空亡,戌亥落空),重審,間傳,寡宿,渉三淵。 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 玄 后 陳 空 官 空申 陳 初(空亡) 虎巳 子貴 卯 丑 申 午 財 甲戌 朱 中(落空) 常辰卯寅丑后 丑 亥 午 乙 父 丙子 貴 末 玄陰
第一百六十例:汀州府の戴公、名は儀、朝廷に文書の下り来るあると風声を聴いて、確実なるや否やを占問しました。時は戊戌年六月乙亥日で、未の月将を巳の刻に加えて課を立てました。乙亥日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」「寡宿」「渉三淵」。天盤は未将を巳時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に午を見て天空を乘じ、第二課は午の上に申を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の亥の上に丑を見て天后を乘じ、第四課は丑の上に卯を見て玄武を乘じます。三伝は申・戌・子:初伝の申は旬空に逢い官星で勾陳を乘じ、中伝の甲戌は妻財爻で朱雀を乘じ空地に落ち、末伝の丙子は父母爻で貴人を乘じます。
邵先生曰:七月內必有朝廷文字來,被蒿惱不意而動。果於七月癸巳日文字來,充替河州。蓋傳見勾陳乘歲馬作鬼,又雀太歲,末見貴人,月建前一辰為用。應七月,申是歲馬,帶鬼剋日,申為傳送,又為道路,鬼害故來速也。
邵先生は言いました。七月の内に必ず朝廷の文書が下り来て、それに攪擾されて意外に奔波せられます。七月癸巳日に至り、文書は果たして来り、彼を調して往って河州の差事を接替せしめました。これは三伝中に勾陳が太岁の驛馬を乘じて化して鬼を為すを見、朱雀はまた太岁上に落ち、末伝に貴人を見、月建の前一位の神を取って発用したためです。七月に応じたは、申がまさに太岁の驛馬で、鬼を帯びて来て日干を剋し、申はまた「伝送」にしてさらに道路を主り、鬼が来て相い害するので、来ること速やかです。
161)某秀才占赴省試,望得失之信,甲戌日酉將卯時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,斬關,元胎。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 六 玄 后 龍 兄 戊寅 后 初(落空) 陳酉 辰玄 戌 辰 寅 申 官 空申 龍 中(空亡) 龍申未午巳常 辰 戌 申 甲 兄 戊寅 后 末(落空) 空虎
第一百六十一例:ある位の秀才が省城に赴いて試に応じ、得失の消息を盼って来て占いました。時は甲戌日で、酉の月将を卯の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。甲戌日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「反吟」「斬關」「元胎」。天盤は酉将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の戌の上に辰を見て玄武を乘じ、第四課は辰の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の戊寅は兄弟爻で天后を乘じ空地に落ち、中伝の申は旬空に逢い官星で青竜を乘じ、末伝は依然として戊寅の兄弟爻で天后を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:占求官、望文字,榜即至矣,恐在四十九名及第耳。果當日榜至,中四十九名。 先生析曰;蓋課傳俱馬,又乘青龍,作官星,祿又得後,故主得官。天罡加支,望事立至,用事嚴緊,故速來。
邵先生は言いました。この課を拿って官を求め文書を盼ぐを占えば、榜文はすなわち馬上到り、ただ名次は第四十九名の上に落ちるを怕れるのみ。果たして当日に榜文はすなわち到り、彼は第四十九名に中りました。邵先生が解釈して曰く:四課三伝は全て驛馬で、また青竜を乘じて化して官星を為し、禄神はさらに天后を得——だから官を得るを主ります。天罡(辰)は日支上に加わり、盼ぐ所の事は立刻に到り。用事の神は緊湊して厳密なので、来ること速やかです。
162)寺僧某占舉請長老,望州中文字到否,辛亥日申將巳時。(寅卯空亡,巳午落空),蒿矢,元胎,勵德。 六陳 朱申酉戌亥龍 蛇未 子空 后 常 陰 虎 鬼 乙巳 后 初(落空) 貴午 丑虎 巳 寅 辰 丑 兄 戊申 朱 中 后巳辰卯寅常 寅 亥 丑 辛 子 辛亥 龍 末 陰玄
第一百六十二例:某寺の僧人が挙薦して長老を延請する一事のために来て占い、州府の文書が到るか到らぬかを盼ぎました。時は辛亥日で、申の月将を巳の刻に加えて課を立てました。辛亥日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の巳・午二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「蒿矢」「元胎」「励徳」。天盤は申将を巳時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に丑を見て白虎を乘じ、第二課は丑の上に辰を見て太陰を乘じ、第三課は日支の亥の上に寅を見て太常を乘じ、第四課は寅の上に巳を見て天后を乘じます。三伝は巳・申・亥:初伝の乙巳は官鬼爻で天后を乘じ空地に落ち、中伝の戊申は兄弟爻で朱雀を乘じ、末伝の辛亥は子孫爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:定得文字,目下便至。蓋初傳日馬乘後,為恩澤神。又月建主州府文字。巳時為用,故不出時見之也。只是長老得了,自卻有災,宜保重。乃虎乘墓加身也。果當日文字至,長老交割了,卻謝州府,中路門轅拱柱顛下,手廢而成疾矣。
邵先生は言いました。文書は一定に拿得でき、眼下すなわち送り来らんとしています。初伝は日干の驛馬にして天后を乘じ、天后は恩沢の神、巳はまた月建にして州府の公文を主るためです。占時は正に巳時に当たり、取り用いた所はすなわちこの巳なので、この時辰を出でずして見ることを得ます。ただ長老は請じ得られたものの、他本人には灾あり——当に多く保重を加うべし。これは白虎が墓神を乘じて身上に加わったためです。果たして当日に文書はすなわち到り、長老は交割を弁じ完え、州府に去って道を謝し、半路上に門楼の拱柱の上より跌き下りて、手は残廃し、此より痼疾を成しました。
163)張一公占州中相論文字,二月辛卯日亥將寅時。(午未空亡,卯辰落空),昂星,龍戰,勵德。 后陰 貴寅卯辰巳玄 蛇丑 午常 龍 朱 陰 虎 子 戊子 朱 初 朱子 未虎 酉 子 辰 未 父 空未 虎 中(空亡) 六亥戌酉申空 子 卯 未 辛 子 戊子 朱 末 陳龍
第一百六十三例:張一公が州府の裏の公文を商議する一事のために来て占いました。時は二月辛卯日で、亥の月将を寅の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の卯・辰二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「昂星」「竜戦」「励徳」。天盤は亥将を寅時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に未を見て白虎を乘じ、第二課は未の上に辰を見て太陰を乘じ、第三課は日支の卯の上に子を見て朱雀を乘じ、第四課は子の上に酉を見て青竜を乘じます。三伝は子・未・子:初伝の戊子は子孫爻で朱雀を乘じ、中伝の未は旬空に逢い父母爻で白虎を乘じ、末伝は依然として戊子の子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:文字今日必來,果應。蓋昴星課,卯日子加卯,朱雀臨門,主文字立至。又子卯相刑,主其來緊速也。又三傳俱在日辰之上,自主日下必然到也。
邵先生は言いました。文書は今日必ず送り到ります。後に果たして応験しました。これは「昴星」の課で、卯日の裏に子が卯に加わり、朱雀は正に門戸に臨み、文書は立刻に到るを主ります。子と卯はまた相い刑し、それの来ること急促なるを主ります。さらに三伝は皆日干日支の上に落ち、本は当日に必ず到達するを主ります。
疾 病
164)孟承務占幼童,己酉年二月壬午日戌將丑時。(申酉空亡,巳午落空),元首,元胎。 貴后 蛇寅卯辰巳陰 朱丑 午玄 六 貴 陰 虎 財 辛巳 陰 初(落空) 六子 未常 子 卯 巳 申 子 戊寅 蛇 中(暗鬼) 陳亥戌酉申虎 卯 午 申 壬 兄 乙亥 陳 末 龍空
第一百六十四例:孟承務が一人の幼童のために来て病を占いました。時は己酉年二月壬午日で、戌の月将を丑の刻に加えて課を立てました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の巳・午二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「元首」「元胎」。天盤は戌将を丑時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に申を見て白虎を乘じ、第二課は申の上に巳を見て太陰を乘じ、第三課は日支の午の上に卯を見て貴人を乘じ、第四課は卯の上に子を見て六合を乘じます。三伝は巳・寅・亥:初伝の辛巳は妻財爻で太陰を乘じ空地に落ち、中伝の戊寅は子孫爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の乙亥は兄弟爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:此課主病上熱下冷,上膈雖熱不渴,中間風氣相擊,下部不通,因食冷咸物損肺,遂上喘下痞,今宜補肺通腸。蓋曾寄出家,未曾還願之故。今若寄出家,可以免災,終是衰弱,二十一歲後狀如老人,皮消膚瘦,若癆病狀;二十八歲,不能過也。其子病症,果是上熱下冷,因食冷鯗魚湯與麻參,遂得此症。當初舍在淨安寺,繼而贖歸,遂不安,常若癆怯狀;寄在外祖家養育,瘦弱益甚,不曾娶妻,至紹興十六年四月三日病故,果二十八歲也。
邵先生は言いました。この課は病を主るは上熱下冷:上膈は発熱するも口渇せず、中間は風気ありて相い搏し、下部は通ぜず——起こりは冷たい鹹物を喫して肺を傷い、ここにおいて上頭は气喘し下頭は痞塞します。眼下は当に肺を補い腸を通ずべし。この子は従前かつて名を寄せて出家したるも、願を還さず——だから此に致しました。いまもし再び名を寄せて出家せば、灾を免れ得られます。ただ彼の体質は終じて衰弱し、二十一歳以降はすなわち老人のごとく、皮肉は消瘦し形は痨病に同じくなり、二十八歳の上に至ればすなわち過ぎ去ることができません。この子の病症は、果たして上熱下冷で、冷たい鮝魚湯と麻参を喫したために得ました。当初彼を净安寺に舎ておき、後にまた贖い回した——此よりすなわち安寧せず、常に痨怯の様子のごとく。外祖父の家に寄養され、瘦弱はさらに厳しくなり、妻を娶ることなく、紹興十六年四月初三日に至って病故し、果たして二十八歳でした。
先生析曰;夫日上長生是空亡,申為寺院,虛生是寄舍也。壬受申之虎生,卻去生寅木,木生巳火,巳火克申金,申金受克,走來壬上避之,非本意來生也,故終身瘦弱。申數七,亥數四,四七二十八也。初巳火主上熱,末亥水主下冷,上膈在熱而不渴,中間緣寅木,主風氣相擊,下部不通。又巳火傷申金,肺臟上喘必矣。 初傳論上部,中傳論中間,末傳論下部。就初傳論受子女耶?是就日干上下論耶:
邵先生が解釈して曰く。日干上の長生は正に空亡に逢い、申はまた寺院を主る——虚にして実ならざる長生はすなわち寄名して身を舎てるです。壬水は申上の白虎に生ぜられ、却って転じて去りて寅木を生じ、寅木はまた巳火を生じ、巳火は反転して来て申金を剋す。申金は剋を受け、壬のこちらに跑って来て躲避したので、本の心にて相い生じたに非ず——だから彼は終身瘦弱します。申の数は七、亥の数は四、四七二十八——まさに彼の寿数です。初伝の巳火は上部の発熱を主り、末伝の亥水は下部の発冷を主るので、上膈は熱するも渇せず。中間は寅木あるがために風気相い搏して下部は通ぜずを主り、巳火はまた申金を傷い、肺臓上の气喘は必然です。このほかに一説を附す:初伝は上部を論じ、中伝は中間を論じ、末伝は下部を論ず。初伝上に就いて子女を論ずるか、それとも日干の上下神に就いて論ずるか——この一層はなお推詳を待つ。
165)王縣丞甲戌生三十五歲占病,戊申年六月甲寅日未將卯時。(子丑空亡,辰巳落空),八專,帷簿,勵德。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 六 虎 六 虎 鬼 庚申 龍 初(暗鬼) 空未 寅后 戌 午 戌 午 子 戊午 虎 中 虎午巳辰卯陰 午 寅 午 甲 子 戊午 虎 末 常玄
第一百六十五例:王県丞は甲戌年の生まれで三十五歳、病を占いに来ました。時は戊申年六月甲寅日で、未の月将を卯の刻に加えて課を立てました。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「八専」(甲は寅に寄宮し、日支の寅と同じく一处に居る)「帷簿」「励徳」。天盤は未将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に午を見て白虎を乘じ、第二課は午の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の寅の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は申・午・午:初伝の庚申は官鬼爻で青竜を乘じ暗に鬼を帯び、中伝の戊午は子孫爻で白虎を乘じ、末伝は依然として戊午の子孫爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此課日辰皆見午,甲寅二木,皆死於午,那堪中末又是午,初傳又是絕神,六月午為月病符,旺火蝕休木,本宮又克父母,既無父母,亦難為子息,及自身。幸行年在子上燒不盡,三十七行年到寅,鞏難。三十九行年到辰見申,尤難過矣。須先克了子,便乃心病,且作廢人也。王縣丞授邵武軍,是年遭喪男女四人,果成心病不赴任,恣狂而走,至三十七癲痴不知人事,亦不飲食,幾兩月方瘥。三十九上,又復如此,卻不死,四十歲上,太歲到寅死。
邵先生は言いました。この課は日干日支上に皆午を見、甲と寅の二つの木は皆午において死す。まして中伝末伝はまた皆午で、初伝の申はなお甲木の絶神。六月の裏に午は月病符で、旺火が来て休囚の木を蝕し、本宮はまた父母を剋す——すでに父母を傷えば、子息と自身を保ち難し。所幸は行年が子上に在り、まだ焼き盡されず。三十七歳に行年が寅に到るは、過ぎ難きを恐る。三十九歳に行年が辰に到りて申を見れば、さらに過ぎ難し。必ず先に兒女を剋し盡し、随して自ら心病を得、しかも一人の廃人を成すことを要す。王県丞は邵武軍の差遣を授けられ、この年果たして四人の兒女を折り、また果たして心病を得て赴任せず、狂を発して到る處乱走しました。三十七歳の上に癫癡して人事を省らず、ものを食さず、将に両箇月にしてようやく好し。三十九歳の上にまた一度発作するも、却って死せず。四十歳の上に太岁が寅に走り至り、死しました。
先生析曰;蓋上午、辰上午、中傳午、末傳午,共四午來蝕甲寅,是四個月病符、四個天鬼。天鬼常傳四仲神,建寅居酉逆相巡,行年日上如遭著,災禍刑傷病擾人。四個天地轉殺春卯夏午秋酉冬子、四個白虎,所以喪四子,午為心,遇虎故主顛狂。木死於午,故為廢人。天鬼多生於疫病,故死者非二四即五六也。
邵先生が解釈して曰く。日干の上に一つの午、日支の上に一つの午、中伝に一つの午、末伝に一つの午、都合四つの午が甲と寅を蝕耗する——すなわち四つの月病符、四つの天鬼です。天鬼の口訣に曰く:「天鬼常に四仲神を伝え、建寅は酉に居りて逆に相い巡る;行年・日上に遭えば、災禍刑傷に病が人を擾す。」四つの午はまた四つの天地転殺(春は卯に在り、夏は午に在り、秋は酉に在り、冬は子に在り)であり、さらに四つの白虎です。だから四人の児女を折りました。午は人身において心を主り、白虎に遇うので癲狂を主ります。木は午において死するので、廃人となりました。天鬼は多く疫病に応ずるので、死する人数は二四でなければ五六です。
用五月祿說神煞用六月以得節論。此處論生死,太歲到寅,上見午,為日之死神。 四午字,為死神、天鬼、病神、白虎加之,為脫耗日干甲木之休氣。午為心作昏迷煞,白虎為道路神,故狂而走。
別に推法を附します:禄を起こすには五月を用い、神煞を説くには六月を用い、いずれもすでに交った節気によって論じます。ここで生死を論ずるには、太歳が寅に走到して寅上に午を見、午はまさに日干の死神です。あの四つの午の字は、兼ねて死神・天鬼・病神を作し、また白虎の加臨があり、日干甲木のもともと休囚の気を脱耗し尽くしました。午は人身において心を主り、化して昏迷の煞を成します。白虎はまた道路を主る神なので、狂を発して外へ乱走しました。
166)徐孺人己卯生三十歲占病,戊申年五月癸巳日申將卯時。(午未空亡,亥子落空),重審,斬關,孤辰。 空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 陰 龍 空 蛇 財 空午 蛇 初(空亡) 六申 卯陰 卯 戌 亥 午 兄 丁亥 空 中(落空)(丁神) 朱未午巳辰后 戌 巳 午 癸 鬼 壬辰 后 末 蛇貴
第一百六十六例:徐孺人は己卯年の生まれで三十歳、病を占いに来ました。時は戊申年五月癸巳日で、申の月将を卯の刻に加えて課を立てました。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「重審」「斬關」「孤辰」。天盤は申将を卯時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に午を見て螣蛇を乘じ、第二課は午の上に亥を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に戌を見て青竜を乘じ、第四課は戌の上に卯を見て太陰を乘じます。三伝は午・亥・辰:初伝の午は旬空に逢い妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の丁亥は兄弟爻で天空を乘じ空地に落ちまた「丁神」、末伝の壬辰は官鬼爻で天后を乘じます。
邵先生曰:日上午作蛇見空亡,為偏空。陰人所苦,遂至心下不足,遇飢則氣攻心胸,眼目昏暗,生子多但不實,內一子足多一趾。中年血海敗,五十左右則成血癭,不宜破,破則死矣。在五十四五之間。平生不宜養蠶,恐因蠶得病也。徐孺人之父有妾,即孺人乳母。父死隨孺人在徐司理家,常與司理不合,故孺人得病,以乳母故也。生子十一胎,存三人,內一子多趾。四十一血敗,三年成癭 ,五十四因養蠶夜出胃冷致疾,癭破出血數升而死。
邵先生は言いました。日干上の午が螣蛇を乘じて空亡に逢うのは「偏空」です。一人の女人に苦しめられ、心の下が足らず、ひとたび餓えれば気が心胸に攻して眼目が昏花することを主ります。生んだ子は多いのに養い留められず、その中に一人の息子は脚に一つの趾を多く生じました。中年に血海が敗壊し、五十歳頃に血癭を成し、弄破してはなりません。破れば死し、五十四五歳の間に応じます。一生蚕を養うに宜しからず、ただ蚕を養うことにより病を得ることを恐れます。徐孺人の父に一人の妾があり、すなわち孺人の乳母でした。父が死した後、孺人に随いて徐司理の家に住み、常に司理と合いませんでした。だから孺人が病を得たのは、まさにこの乳母のためです。彼女は都合十一胎を生み、三人が存活しました。その中の一人の息子は趾が一つ多かったです。四十一歳に血が敗れ、三年後に癭を成しました。五十四歳に蚕を養うため夜に外出し、胃裏に寒を受けて病を得て、癭が破れて血を数升流して死しました。
先生析曰;蓋日上見午為心,癸水滅午火又空亡,是心受制而不足,午為陰人,空則無位為妾,蛇在午上擾,故知為此陰人所苦。又午為目,蛇擾水制,又空亡,自然昏暗。飢痛者,己卯生人,祿在午,空則亂也。蛇擾故痛。戌土上見青龍,故主多趾。又戌為足也。血敗者,亥坐空亡,又乘天空故也。血癭者,辰加亥為天后,辰堅土,加血上,故為血癭。天后主厭穢,癸水入辰墓,故癭破而死也。
邵先生が解釈して曰く。日干上に午を見、午は人身において心を主ります。癸水が午火を滅し、午がまた空亡に逢うのは、心が制を受けて血気が不足するということです。午はまた女人を表し、空に逢えば名分のないもの、ゆえに妾です。螣蛇がまた午上で攪擾するので、彼女がこの女人に苦しめられていることが分かります。午はさらに眼目を主り、螣蛇に攪擾され水に制され、これに空亡を加えれば、眼目は自ずから昏花します。餓えれば痛むについては、彼女が己卯年の生まれで禄神が午にあり、午が空すれば禄が乱れ、螣蛇が攪擾するので痛むのです。戌土の上に青竜を見るので、趾が一つ多く生じることを主ります——戌は人身においても脚を主ります。血敗は、亥が空亡の上に坐してまた天空を乘じるためです。血癭は、辰が亥に加わって天后を乘じるものです:辰は堅実の土で、血神の上に加わるので、結んで血癭を成します。天后は汚穢を主り、癸水はまた辰の墓に入るので、癭が破れて血を流して死したのです。
167)伊秀才占父病,父丙辰生六十四歲,己酉年十月丙申日寅將寅時。(辰巳空亡,辰巳落空),伏吟,元胎,勵德,寡宿。 六朱 陳巳午未申蛇 龍辰 酉貴 蛇 蛇 陳 陳 兄 空巳 陳 初(空亡) 空卯 戌后 申 申 巳 巳 財 丙申 蛇 中 虎寅丑子亥陰 申 申 巳 丙 父 壬寅 虎 末(暗鬼) 常玄
第一百六十七例:伊秀才が父の病を占いに来ました。父は丙辰年の生まれで六十四歳。時は己酉年十月丙申日で、寅の月将を寅の刻に加えて課を立てました——月将と時辰が同じなので「伏吟」で、天盤と地盤が完全に重合しています。丙申日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ちます。伏吟の下、天地が相い疊なり、辰・巳もまた空亡宮を正しく押さえています。課名は四つ:「伏吟」「元胎」「励徳」「寡宿」。盤中は貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に巳を見て勾陳を乘じ、第二課は巳の上に巳を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の申の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に申を見て螣蛇を乘じます。三伝は巳・申・寅:初伝の巳は旬空に逢い兄弟爻で勾陳を乘じ、中伝の丙申は妻財爻で螣蛇を乘じ、末伝の壬寅は父母爻で白虎を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:此課自本身傳歸妻宮,妻宮又傳歸父母,六旬向上人,占病不宜見父母。蓋父母既故,故是下世重見父母也。行年與本身並,愛圅曰:六十四歲行年在巳,巳既丙,丙為本身,故云行年與本身並。然則的是六十四歲。因財上及舊事不足,酉年以申財為病符,病符主舊事,的是己酉年占,其本命定丙午年。愛圅又識。以致傷心。中間又是財爻入課,必是財切,兼與妻不足,遂激成病。末傳生氣,此課本主未死,緣父母宮艮山墳,左邊地風吹骨轉,右邊白蟻又入棺,若急移墳,可以延年。否則歸冥矣。
邵先生は言いました。この課は本身から妻宮に伝わり、妻宮からまた父母に伝え帰ります。六十歳以上の人が病を占うには、最も父母爻を見ることを忌みます——父母はすでに亡故し、父母を見れば陰間に往って父母と重逢するに等しいからです。行年と本身が一か所に并んでいます(愛圅按:六十四歳は行年がちょうど巳にあり、巳はすなわち丙の寄宮で、丙は本身を表すので、行年と本身が并んだと言います。これによって確かに六十四歳であることが知れます)。病の由は銭財と旧事の上で心に称わないことです(愛圅また按:酉年は申をもって財とし、申はすなわち病符で、病符は旧事を主る。確かに己酉年に占ったことが知れ、彼の本命は丙午年のはずです)。これによって心を傷めました。中にまた財爻が課に入るので、必ず銭財の上で逼り迫られ、これに妻と不和なのを加えて、ここにおいて激して病を成しました。末伝は生気を帯び、この課は本来死を主りません。ただ父母の墳が艮山にあり、左辺に地風が骸骨を吹き転がし、右辺にまた白蟻が棺木に鑽入したからです。もし急いで墳を遷せば、なお年を延すことができます。さもなければ陰に帰ります。
伊父之病,因為子娶婦囊空,不順意、煩心,遂心熱致渴成病,日漸狼狽,兼子又無書舍,愈增煩悶。先生令其移墳,渠及移利方,移意遂決。及開棺視之,則地風吹棺中骸骨顛倒,白蟻滿棺,泥土淤塞,於是易棺移葬,病日漸退,從此安好。次年其子又得一好書舍,雍容而過,安樂八十歲方卒。
伊父の病は、起因すれば息子に嫁を娶ったために銭嚢を空にし、事事が順わず心の裏が煩躁し、ここにおいて心中が燥熱し渇して病を成し、日一日と狼狽して来ました。これに息子にまた読書の屋舎がないことを加えて、さらに煩悶を添えました。邵先生は彼に墳を遷せと言い、彼は吉い方位に遷ぼうとして、遷の意はここにおいて決まりました。棺を開けて見るを待てば、果たして地風が棺裏の骸骨を吹いて顛倒錯乱させ、白蟻が棺に満ち、泥土が淤塞していました。ここにおいて棺木を換えて改葬すると、病は日一日と退き去り、これによって好くなりました。第二年に彼の息子はまた一か所の良い書舎を得て、日子は従容寛裕となり、老人は安楽して八十歳まで存えて去世しました。
先生析曰;蓋丙日寅為父母爻,上見白虎,定是父母墳不安。六旬人見父爻,本不利。然寅為丙之長生,故得不死,而以父母墳斷也。白蟻之凶,乘白虎也。此伏吟上下皆父母,非他占可單用也。余按寅木主風,故云風吹骨轉。 因占病又占出墳墓不吉之論,論得病源由。說出墳墓之災。
邵先生が解釈して曰く。丙日は寅をもって父母爻とし、寅上にまた白虎を見れば、必ず父母の墳が安でないのです。六十歳以上の人が父母爻を見るのは、もともと不利です。ただ寅はまさに丙火の長生なので、まだ死に至りません。ここにおいて転じて父母の墳の上から断じました。白蟻というこの一層の凶象は、乘じる白虎の上から見出したのです。これは伏吟の課で、上上下下が皆父母爻なので、別の占例を単独で套用するものではありません。また按ずるに:寅木は風を主るので、地風が骸骨を吹き転がしたと言います。この例はもともと病を占ったのに、墳墓が不吉だという一番の議論を占い出し、中から病を得た根由を論じ、また墳墓の上の灾患を説き破ったのです。
168)張逸士庚戌生五十九歲占病,戊申年九月庚寅日辰將丑時。(午未空亡,酉戌落空), 朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇 陰 虎 陳 兄 甲申 蛇 初 后午 丑空 申 巳 寅 亥 子 丁亥 陳 中(丁神)(暗鬼) 陰巳辰卯寅虎 巳 寅 亥 庚 財 庚寅 虎 末 玄常
第一百六十八例:張逸士は庚戌年の生まれで五十九歳、病を占いに来ました。時は戊申年九月庚寅日で、辰の月将を丑の刻に加えて課を立てました。課式は前の第一百三十五例の張公が店業を占ったものと完全に同じです。庚寅日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡の宮位を正しく押さえています(底本はここに課名を標さず)。天盤は辰将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に亥を見て勾陳を乘じ、第二課は亥の上に寅を見て白虎を乘じ、第三課は日支の寅の上に巳を見て太陰を乘じ、第四課は巳の上に申を見て螣蛇を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は兄弟爻で螣蛇を乘じ、中伝の丁亥は子孫爻で勾陳を乘じまた「丁神」で暗に鬼を帯び、末伝の庚寅は妻財爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此課大凶,上下俱脫,其病恐是洩瀉上得之,自後寒熱往來,必成五癆七傷。又兼翻胃吐食,況日上生水,金去生水,多主冷涎,支上見巳,木生虛火,必心下不寧,遂至此病。兼之白濁,死在二十八日,不然再歷二十八日,難過矣。此課始終見凶神,上下皆盜氣,巳亥俱四數,申數七,四七二十八,兩處皆見,五十六日也。日干為上部,支辰為下部。
邵先生は言いました。この課は大凶で、上上下下が皆脱泄の気です。彼の病は恐らく泄瀉の上から得たもので、これから後は寒熱が往来し、必ず五労七傷を成し、さらに翻胃吐食を兼ねます。まして日干上の神が去って水を生じ、金がひとえに水を生ずれば、多くは寒冷の痰涎を主ります。日支上に巳を見、木が虚火を生ずれば、心の下に必ず安寧を得ず、ここにおいてこの場の病を釀成しました。これに加えて小便が白濁すれば、死期はすなわち二十八日の上にあります。もしそうでなければ、さらに一つの二十八日を過ごしても、また挨え過ごし難いです。この課は始めから終わりまで皆凶神を見、上下がまた皆盗泄の気です。巳と亥の数は各々四を為し、申の数は七を為し、四七で二十八、両か所に見え、合わせて五十六日です。日干は上部を表し、日支は下部を表します。
生死日を論ず
169)葉八即行醫求占生意,戊申年十二月辛卯日丑將巳時。(午未空亡,寅卯落空),比用,曲直,佚女,寡宿,知一。 陳六 龍丑寅卯辰朱 空子 巳蛇 后 虎 陳 貴 父 空未 后 初(空亡) 虎亥 午貴 未 亥 寅 午 財 辛卯 六 中(落空) 常戌酉申未后 亥 卯 午 辛 子 丁亥 虎 末(丁神) 玄陰
第一百六十九例:葉八は行医を業として、生意を占いに来ました。時は戊申年十二月辛卯日で、丑の月将を巳の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は五つ:「比用」「曲直」(三伝の未・卯・亥が木局を合成する)「佚女」「寡宿」「知一」。天盤は丑将を巳時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に午を見て貴人を乘じ、第二課は午の上に寅を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て白虎を乘じ、第四課は亥の上に未を見て天后を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の未は旬空に逢い父母爻で天后を乘じ、中伝の辛卯は妻財爻で六合を乘じ空地に落ち、末伝の丁亥は子孫爻で白虎を乘じまた「丁神」です。
邵先生曰:金日得木,滿盤皆財,不合午來化許多敗氣,木又死於午,作貴人偏不利醫貴人,卻有天醫在中傳,地醫在末傳,能制午火,貴人管事,是臨危之病,方來相請。有一婦人害反胃者,醫肝不醫胃;有一小兒中風氣者,通水臟不得治風,依此行人,可以取效也。汝屋上不合著一獸頭東立,人家亦有一獸頭相觸百達人,故財不入耳。葉八郎醫道不甚興,治小兒有效,才治大家便不效,其先人因對面有破山頭,遂以獸頭屋上鎮之,西北之家亦然。在葉氏屋前對沖。
邵先生は言いました。辛金日に満盤の木を得、至るところが皆財です。ところが午火が過って来て多くの敗気を化出し、木がまた午において死します。午の上に貴人を乘じるので、偏えに貴人に看病するが不利です。ただ中伝に天医があり、末伝に地医があり、皆午火を制し得ます。貴人が権を当て事を管るので、病が危い時になってようやく人があなたを請いに来ることが見えます。将来一人の婦人で反胃を患う者があり、あなたは肝を医し胃を医してはなりません。一人の小児で風気に中った者があり、水臟を通利させて風を治してはなりません。このように行医すれば、すなわち効を見ることができます。また、あなたの屋上に東へ向けて一つの獣頭を立てるべきではありません。対面の人の家にも一つの獣頭があってまさに冲しており、両下が相撞して行人を冲犯するので、財が入って来ません。葉八郎の医道はもともとあまり興旺ではなく、小児を治すにはなお効験があり、大戸の人家を一治すれば霊りません。もともと彼の先人は対面に一か所の破損した山頭があるため、屋上に獣頭を安してこれを鎮めました。西北のあの一家もまたこのようで、ちょうど葉家の屋前を正対して相冲していました。
先生析曰;蓋以白虎立亥在卯之上,是本家屋上之獸頭也。亥本宮上見未,有夜之白虎,是西北鄰家之獸頭也。葉因先生之言,而去之,次年正月初七日,楊七小娘子患翻胃,前請數十醫,經年不效,是日請葉治之,葉思先生之言,遂調治肝經即效,得錢二十餘緡。至三月十八日,徐參議之孫六歲,中風四五日瞑目不動,來請。葉又思先生之言,遂以瀉藥利其水臟,六七日能行,脫然無虞。又獲錢三百餘緡 ,自此醫道大行,遂緣天后在未來加亥,卯來克未,未遂克亥,故主反胃,先因卯克之,卯屬肝經,所以當治肝也。
邵先生が解釈して曰く。白虎が亥の上に立ち亥がまた卯の上に圧する——白虎はまさに獣頭の象で、これは自家の屋上のあの一つです。亥の本宮の上に未を見、未の上には別に一重の夜将の白虎があり、亥は方位において西北に属するので、それは西北の隣家の獣頭です。葉八は邵先生の言葉を聴いて、自家の屋上の獣頭を拆しました。第二年正月初七に、楊七小娘子が反胃を患い、先に数十位の医師を請いましたが一年余り皆効を見ず、この日葉八を請いて治させました。葉八は邵先生の言葉を想起し、すなわち肝経を調治し、立刻に効を見て、銭二十余緡を得ました。三月十八日に至り、徐参議の六歳の孫が中風し、四五日眼を閉じて動かず、彼を請いに来ました。葉八はまた邵先生の言葉を想起し、瀉薬を用いて水臟を通利させ、六七日にして子どもは歩くことができ、安然として恙なく、また銭三百余緡を得ました。これより彼の医道は大行しました。反胃を主る所以は、天后が未にあり亥に加わり、卯が来て未を剋し、未がまた転じて亥を剋するためです。先に卯が来てそれを剋し、卯は肝経に属するので、肝を治すべきです。
亥為幼子,亥水生木不成局,則生風。叵導水使行,則風自息矣。未為亥胃覆生在下,故翻胃。一作覆在卯下,故主反胃。愛圅按:未加亥並非受生,則覆在卯下為是。三傳木局,木克土,故治肝木而不治胃土。辛日亥為幼子,加卯六數,是六歲。亥水生木,木主風,故理水臟而不治風木也。白虎在亥,通之為佳,故宜瀉也。
亥は幼小の子どもを表します。亥水が木を生じても局を結成しなければ、風を生ずるでしょう。ただ水を導引して通行させれば、風は自ずから止息します。未は亥の胃で、倒扣して下に生ずるので翻胃です。別の本は「卯下に倒扣する」と作るので、反胃を主ります。愛圅按:未が亥に加わるのは生を受けることではないので、「卯下に倒扣する」と作るのが正しい。三伝が木局を結成し、木は土を剋ることができるので、肝木を治して胃土を治しません。辛日は亥をもって幼子とし、卯に加わり、卯の数は六で、まさに六歳です。亥水が木を生じ、木はまた風を主るので、水臟を調理して風木を治しに行かないのです。白虎が亥に落ちているので、それを通すのが良い。だから瀉法を用いるに宜しいのです。
年月日時俱以前二辰為天醫,對沖為地醫。日地醫從子起順行十二辰。 午剋日,故寅卯為日財,午耗之,亥乘虎自刑又傷午貴。未乘天后為婦人,未又為胃,卯克之,制倒木局,故翻胃。卯為肝,治肝不克胃,六合為小兒。
別に推法を附します:年・月・日・時は皆本位の前二辰をもって天医とし、天医と相冲するものを地医とします。日上の地医は子から起り、十二辰を順に數えて往きます。午が来て日干を剋し、寅卯は本は日干の財ですが、午に耗されました。亥は白虎を乘じて自刑し、また午上の貴人を傷つけます。未は天后を乘じて婦人を表し、未はまた胃を主り、卯に剋されて木局を反圧し下すので、翻胃の症を成します。卯は肝を主り、肝を治すれば胃を傷るに至りません。六合はすなわち小児を表します。
170)樊郎中往治項秀才病,來占。項丁丑生三十三歲,己酉年九月甲子日卯將申時。(戌亥空亡。巳午落空),知一,長幼,度厄。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后 空 玄 陳 兄 丙寅 后 初 六戌 巳常 寅 未 辰 酉 鬼 癸酉 陳 中 陳酉申未午虎 未 子 酉 甲 財 戊辰 玄 末 龍空
第一百七十例:樊郎中が項秀才に病を治しに往こうとして、先に来て課を起こしました。項秀才は丁丑年の生まれで三十三歳。時は己酉年九月甲子日で、卯の月将を申の刻に加えて課を立てました。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の巳・午二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「知一」「長幼」「度厄」。天盤は卯将を申時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に酉を見て勾陳を乘じ、第二課は酉の上に辰を見て玄武を乘じ、第三課は日支の子の上に未を見て天空を乘じ、第四課は未の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は寅・酉・辰:初伝の丙寅は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の癸酉は官鬼爻で勾陳を乘じ、末伝の戊辰は妻財爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:此病人往妻家有私情,因暗中相約,又失去情人所贈之物,遂思慮而得病,久而不治,必成癆怯。日上見酉作勾陳,思慮已傷肌膚,酉為閉口,此事難言也。當時樊亦庸醫,因先生之斷,假託診脈為名,言其病症,人皆驚異以為神醫。
邵先生は言いました。この病人は妻家に往って一段の私情があって、両人が暗に相い約し、後にまた情人の贈った物を亡くし、ここにおいて思慮して病を成しました。久しく拖びて治さなければ、必ず癆怯の症を成します。日干上に酉を見て勾陳を乘じれば、思慮はすでに肌肤に傷を及ぼしました。酉はまた閉口を主り、この事は彼が啓歯し難いものです。樊郎中は当時もともと平庸の医で、邵先生のこの一番の断語を頼り、仮に脈を診るを名として、病人の症候を一々説き出し、人人は皆驚異し、彼を神医としました。
蓋項因妻母死,往妻家與舅嫂通,被妻舅知覺,遂歸。舅嫂以手帕贈之,項歸而失去,被妻拾得收藏,項不敢問,思之成病,肌膚消瘦,項既不言,妻亦不解;及聞樊郎中之言,妻乃出帕還之;樊深戒利害,服藥而愈。
もともと項秀才は岳母が去世したため、妻家に奔喪に往き、舅嫂と私通し、妻舅に察覚されて、すなわち帰って来ました。舅嫂は彼に一方の手帕を贈りましたが、彼は家に帰ってから失くし、妻に拾われて収められました。項秀才は敢えて問わず、思いに思いねんして病を成し、肌肤は消瘦しました。彼がすでに肯んじて言わず、妻もまた点破しませんでした。樊郎中の一番の話を聴くを待って、妻はようやく手帕を取り出して彼に還しました。樊郎中はまたその中の利害を鄭重に戒め諭し、彼は薬を服してすなわち痊癒しました。
先生析曰;蓋此課日投入四課發用,復傳歸日,循環不斷,支為宅,支上未為妻,四課者,宅內也,是妻家矣。今寅投入四課,加妻爻上作天后,是與妻家婦人通矣。日上酉作勾陳,酉為色,勾為思慮,今得日鬼,思慮已傷肌膚,安得不病?然甲子旬酉為閉口,此事難言。辰為皮,為肌膚,加酉敗氣上,乘元武為走洩,故主消瘦。行年在戌,戌上巳,作太常,常主絲棉,是手帕也。己酉與三合,故主情人之物也。愛圅曰:太常加空,故遺失。明說而安者,行年上巳火能制酉金也。
邵先生が解釈して曰く。この課は日干が四課の中に投入して発用し、また伝え回って日干に帰り、循環して断えません。日支は宅を為し、日支上の未は妻を表します。四課はすなわち宅内の事で、妻家であることが見えます。いま寅が四課に投入し、妻爻の上に加わって天后を乘じれば、すなわち妻家の婦人と私通したのです。日干上の酉が勾陳を乘じています:酉は女色を主り、勾陳は思慮を主ります。いまそれはまた日干の鬼で、思慮がすでに肌肤に傷を及ぼしたので、どうして病まざるを得ましょうか。甲子のこの旬のうち酉はまさに閉口の神なので、この事は口に出し難いのです。辰は皮肤・肌肉を主り、酉という敗気の上に加わり、また玄武を乘じて走泄を主るので、消瘦を主ります。行年は戌にあり、戌の上は巳で、巳は太常を乘じ、太常は絲綿織物を主る——まさにあの方の手帕です。巳と己酉はまた三合を湊成するので、情人の物です。愛圅按:太常が空亡の上に加わるので、物が遺失するのです。話を点破した後に病が好けたのは、行年上の巳火が酉金を制し得るためです。
171)某占病戊申年二月初四戊午日亥將戌時。(子丑空亡,丑寅落空),別責,不備,六儀。天鬼;正月在酉,二月在午,三月在卯,巳月在子,五月在酉,依此反覆。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 后 貴 貴 蛇 鬼 甲寅 龍 初(暗鬼)(落空) 六辰 亥常 申 未 未 午 父 戊午 蛇 中 陳卯寅丑子虎 未 午 午 戊 父 戊午 蛇 末 龍空
第一百七十一例:ある人が病を占いに来ました。時は戊申年二月初四日戊午日で、亥の月将を戌の刻に加えて課を立てました。戊午日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「別責」「不備」「六儀」。天鬼の推法を附します:正月は酉に在り、二月は午に在り、三月は卯に在り、四月は子に在り、五月はまた酉に回り、このように循環往复します(底本は「四月」の処を「巳月」と作るが、いま照録します)。天盤は亥将を戌時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に午を見て螣蛇を乘じ、第二課は午の上に未を見て貴人を乘じ、第三課は日支の午の上に未を見て同じく貴人を乘じ、第四課は未の上に申を見て天后を乘じます。三伝は寅・午・午:初伝の甲寅は官鬼爻で青竜を乘じ、暗に鬼を帯びてまた空地に落ち、中伝の戊午は父母爻で螣蛇を乘じ、末伝は依然として戊午の父母爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:天鬼午,受病鬼之生,犯了東嶽城隍香火神,乃疫氣入宅,主合宅病。蓋寅正春旺之鬼,鬼有氣不止一人,其家七口,病死三人,急告東嶽,餘人遂得免。蓋中末日上三個羊刃殺,所以喪三人。龍到巳午皆名命神,最不利。愛圅按:此句似用晝貴,其故何也?
邵先生は言いました。天鬼が午に落ち、また病鬼の神の生を受けるのは、東岳と城隍の香火神明を冲犯し、疫気が宅に進入したので、全家が皆病に倒れることを主ります。寅はまさに春天に当旺の鬼で、鬼に気あれば一人を害するに止まりません。この家は七口で、病死したのが三人でした。後に急いで東岳廟に往って禱告し、その余の人がようやく免れ得ました。中伝・末伝と日干上を連ねて都合三つの羊刃の煞なので、三口を折りました。青竜が巳・午に走到すれば皆「命神」と呼ばれ、最も不利です(愛圅按:この句は昼貴で推したようだが、何の故か知りません)。
172)尹邦達庚申生五十歲占妻病,妻同庚。己酉年丁亥日辰將亥時。(午未空亡,亥子落空),重審,鑄印,斬關。 朱六 蛇戌亥子丑陳 貴酉 寅龍 貴 虎 常 六 兄 癸巳 常 初(暗鬼) 后申 卯空 酉 辰 巳 子 子 丙戌 蛇 中 陰未午巳辰虎 辰 亥 子 丁 父 辛卯 空 末 玄常
第一百七十二例:尹邦達は庚申年の生まれで五十歳、妻の病を占いに来ました。妻は彼と同年です。時は己酉年丁亥日で、辰の月将を亥の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「重審」「鑄印」「斬關」。天盤は辰将を亥時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に子を見て六合を乘じ、第二課は子の上に巳を見て太常を乘じ、第三課は日支の亥の上に辰を見て白虎を乘じ、第四課は辰の上に酉を見て貴人を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の癸巳は兄弟爻で太常を乘じ暗に鬼を帯び、中伝の丙戌は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の辛卯は父母爻で天空を乘じます。
邵先生曰:丁日會起水局,日上子作六合,主孕,恐是鬼胎。眾笑曰:五十何能有胎?先生曰:受氣於秋,何以決?婦在子兮夫立申,今正秋占,及時之課,故主懷孕。只不合丁日會水局,故主鬼胎。空中必有影響,來年二月必見鬼形。尹妻數日後漸安,腹漸大,果是孕。次年二月三日生,乃鬼胎也。生了時時或瓦落,或物響,更不令安居。
邵先生は言いました。丁日の課は会して水局を成し、日干上の子がまた六合を乘じるので、懐孕を主ります。ただし鬼胎であることを恐れます。衆人は笑って言いました:五十歳の人がどうしてなお懐胎しましょうか?邵先生は言いました:気を受けたのは秋に在り、何をもってこのように断ずるか?口訣に「婦は子に在りて夫は申に立つ」と言います。いまちょうど秋に当たって占いに来たのは、応時の課なので、懐孕を主ります。ただ丁日に会して水局を成すべからず、ゆえに鬼胎を主ります。空中に必ずや些かの響動があり、明年二月に必ず鬼形を見るでしょう。尹家の妻子は数日を過ごして漸々安好し、肚子は日一日と大きくなり、果たして孕有りでした。第二年二月初三に生み下し、果たして鬼胎でした。生下の後、時時あるいは屋瓦が掉落し、あるいは器物が響き作し、人をして安居を得しめませんでした。
先生析曰;蓋丁日火生於寅,胎在子,子又為子息,更作六合臨日,正應《心鏡》之論,然會起水局為鬼,故曰鬼胎。末見卯與子刑,故次年二月見鬼形也。若他人占行年,不併不見鬼,不可云鬼胎,若不會起申子辰,卻是官星,必生貴子,非鬼胎也。
邵先生が解釈して曰く。丁は火に属し、火は寅に長生し、胎は子にあります。子は同時にまた子息爻で、なお六合を乘じて日干上に臨むので、まさに《心鏡》の説に応じます。ただこの課は会して水局を成し化して鬼となるので、鬼胎と呼びます。末伝の卯は子と相刑するので、第二年二月に鬼形を見ました。もし別人に換えて占わせれば、行年がそれと并ばずまた鬼を見なければ、鬼胎とは言うことができません。もし申子辰の水局を会成しなければ、子は反転して官星で、必ず貴子を生み、鬼胎ではありません。
173)葉解元丁丑生三十四歲占病,庚戌年六月壬辰日午將巳時。(午未空亡,)元首,進茹。 朱六 蛇午未申酉陳 貴巳 戌龍 蛇 貴 常 虎 鬼 己丑 常 初 后辰 亥空 午 巳 丑 子 子 庚寅 玄 中 陰卯寅丑子虎 巳 辰 子 壬 子 辛卯 陰 末 玄常
第一百七十三例:葉解元は丁丑年の生まれで三十四歳、病を占いに来ました。時は庚戌年六月壬辰日で、午の月将を巳の刻に加えて課を立てました。壬辰日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ちます(底本はここで「落空」の一項が留空で未填)。課名は二つ:「元首」「進茹」(三伝の丑・寅・卯が順次相い連なる)。天盤は午将を巳時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に子を見て白虎を乘じ、第二課は子の上に丑を見て太常を乘じ、第三課は日支の辰の上に巳を見て貴人を乘じ、第四課は巳の上に午を見て螣蛇を乘じます。三伝は丑・寅・卯:初伝の己丑は官鬼爻で太常を乘じ、中伝の庚寅は子孫爻で玄武を乘じ、末伝の辛卯もまた子孫爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:此課本身雖堅固,不合傳進迤邐脫氣,子與丑合作常,因與人相會飲酒食,而喜樂太過,遂惑風邪。今已七八分了,以行年退一步而就祿,壬水又旺,玄又同途,水既太盛,雖生木不為害,但只補元氣,其風自退。宅上見絕神,三傳丑寅卯,若非行年退卻一步,定見進脫,不可療矣。
邵先生は言いました。この課は彼の本身は固いものの、三伝が一路順進して層層脱泄するのは如何ともし難い。子と丑が相合して太常を乘じるのは、人と聚会して酒を飲み食を食い、歓喜が頭を過ごしたために、風邪を感受したのです。いまはすでに七八分好くなりました:彼の行年は一歩退いてちょうど禄位に就き、壬水はまた当旺し、玄武もまた水と同道です。水がすでに太盛なので、往って木を生じても害を為さず、ただ元気を補養すれば、風邪は自ずから退去します。宅位上に絶神を見、三伝は丑・寅・卯と一路順進します。もし行年がこの一歩を退かなければ、必ず進んで脱泄の勢を成し、それなら治しようがありません。
先生析曰;大凡壬日行丑寅卯,迄邐進脫,支上又見絕神,必不可治,不問老少皆以死論。惟此課行年在後一位,引退就祿。雖然進其實就退,只不合初傳本命來與子合,太常為燕樂神,過餘遂使風邪入內,以致生病。然喜時令在秋,壬癸水秋生,得亥子相併旺相,必不至死。主今冬得子。若是來年正月節生必貴子。內有暗貴人故也。目下主服,初丑破碎作常是以主之。
邵先生が解釈して曰く。大凡、壬日に三伝が丑・寅・卯を走り、一路順進して脱泄し、日支上にまた絶神を見れば、必ず治すことができず、老少を論せず皆死として断じます。ただこの課は行年が後一位に落ち、身を引き退いて禄に就くものです。表面上は進で、実際は退です。ただ初伝の本命が過って来て子と相合するべからず——太常は宴飲歓楽の神で、歓楽が度を過ごせば風邪を体内に侵入させ、これによって病を生じました。幸いに時令は秋に在り、壬癸水は秋において長生の気を得、また亥・子が相い并んで旺相するので、必ず死に至らず、なお今年の冬に子を得ることを主ります。もし明年正月の節裏に生まれるなら、必ず貴子です。課中に暗貴人を含んでいるからです。目下は孝服があることを主ります。これは初伝の丑が破碎を帯びてまた太常を乘じるところが主るのです。
174)韓省干戊寅生三十三歲占子病,子五歲,丙午生,庚戌年七月己亥日午將未時。(辰巳空亡,卯辰落空),元首,退茹,斬關,勵德。 龍空 陳辰巳午未虎 六卯 申常 玄 陰 龍 空 兄 戊戌 陰 初 朱寅 酉玄 酉 戌 巳 午 子 丁酉 玄 中(丁神) 蛇丑子亥戌陰 戌 亥 午 己 子 丙申 常 末 貴後
第一百七十四例:韓省干は戊寅年の生まれで三十三歳、息子の病を占いに来ました。息子は五歳で丙午年の生まれです。時は庚戌年七月己亥日で、午の月将を未の刻に加えて課を立てました。己亥日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は四つ:「元首」「退茹」(三伝の戌・酉・申が逆次相い連なる)「斬關」「励徳」。天盤は午将を未時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に午を見て天空を乘じ、第二課は午の上に巳を見て青竜を乘じ、第三課は日支の亥の上に戌を見て太陰を乘じ、第四課は戌の上に酉を見て玄武を乘じます。三伝は戌・酉・申:初伝の戊戌は兄弟爻で太陰を乘じ、中伝の丁酉は子孫爻で玄武を乘じまた「丁神」、末伝の丙申もまた子孫爻で太常を乘じます。
邵先生曰:此病至危,宅中謝神請醫,費盡千萬錢,而不知病在目前。今主至困而又發吊,手足拳束,口眼歪邪,還是風症否?曰:然。若作風病,其病必死。其病因親王價領出,與冷粽子吃,及歸又吃冷淘面,二物積中,遂發熱,積緊腸塞,致令手足拳束耳。可依此治即安也。韓丈之子,因七月十五僕家裹粽燒紙,遂與食之,歸又吃令淘面,晚遂得病,困重求重請醫,費千萬錢不效,聞先生言,醫遂以陳皮、青皮、烏藥湯治之,便覺身輕,下黑糞三五塊而全愈。
邵先生は言いました。この病はすでにとても危険です。家の中ではまた神に謝しまた医を請い、銭を千万にも費やしましたが、病根が目の前にあることを知りません。いま子どもが困頓の極みに至ってなお抽搐し、手脚が蜷縮し、口眼が歪斜するのを主ります——風症として治しているのではありませんか?答えて曰く:然り。もし風病に照らして治すなら、この子は必ず死します。彼の病は、親随の僕人に領れて出て行き、冷たい粽子を与えられて食べ、帰って来てまた水を過ごした冷麺を食べ、両樣の物が腹中に積もり、ここにおいて熱を発しました。積滞が壅緊して腸道が閉塞したため、手脚が蜷縮するに至ったのです。この路子に照らして治せばすなわち好くなります。韓丈の息子は、まさに七月十五に僕人の家で粽子を裹み紙を燒き、粽子を取って彼に食わせ、帰って来てまた冷淘麺を食べ、その晩にすなわち病に倒れました。病勢は沈重で、屢々医を請い、千万の銭を費やしても皆効を見ませんでした。邵先生の言葉を聴いて、医師はすなわち陳皮・青皮・烏薬を煎じて湯として彼に治し、子どもは立刻に身上が軽快するのを覚え、黒い糞を三五塊瀉下して、すなわち痊癒しました。
蓋己日見戌為同宗,日上見午,火中之物也。巳乃未形似米,以來配宗字,象粽子,加亥水故曰冷粽。太陰老婦,乃僕人之母與之也。酉麥申面,故曰面,玄武主過水,是以為冷淘也。
ここの道理は:己日に戌を見るのは同宗の象です。日干上に午を見るのは、火の裏から出た物です。巳はまだ形を成さず形状は米粒のごとく、「宗」の字に配せばすなわち粽子の象を成します。それはまた亥水の上に加わるので、冷粽と言います。太陰は年長の婦人を表すので、僕人の母が彼に食わせたことが見えます。酉は麦を主り、申は麺を主るので、麺と言います。玄武は水を過ごすことを主るので、水を過ごした冷淘麺です。
175)蔣六公乙巳生六十五歲占自身不安,己酉年辛酉日巳將寅時。(子丑空亡,卯辰落空),遙克,彈射,勵德,三交,寡宿。 虎常 空申酉戌亥玄 龍未 子陰 蛇 陰 朱 后 財 乙卯 蛇 初(落空) 陳午 丑后 卯 子 辰 丑 鬼 戊午 陳 中 六巳辰卯寅貴 子 酉 丑 辛 兄 辛酉 虎 末 朱蛇
第一百七十五例:蒋六公は乙巳年の生まれで六十五歳、自身の不安を占いに来ました。時は己酉年辛酉日で、巳の月将を寅の刻に加えて課を立てました。辛酉日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は五つ:「遥剋」「弹射」「励徳」「三交」「寡宿」。天盤は巳将を寅時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に丑を見て天后を乘じ、第二課は丑の上に辰を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の酉の上に子を見て太陰を乘じ、第四課は子の上に卯を見て螣蛇を乘じます。三伝は卯・午・酉:初伝の乙卯は妻財爻で螣蛇を乘じ空地に落ち、中伝の戊午は官鬼爻で勾陳を乘じ、末伝の辛酉は兄弟爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:吾丈年高,尚有此病,何也?凡三交中有空亡六合者,皆不正之合,其患有三:一主吾丈思前妻,二主戀一少婦不在眼前,多方煩燥,遂致下部流利不實;三主長子非橫因成病。今行年在末傳,帶祿居火上,為鬼所弄,不免貪食生冷酸鹹之物。若能如願,尚可活七八年,否則情死定死矣。蔣公欲取一意中人,諸子不肯,心遂躁怒,又大郎一奶子,又生煩躁,遂得下部病。只好酸鹹物吃。後先生勸彼乃郎,取此意中人與之,其病漸減。
邵先生は言いました。御老人は年紀がこのように大きいのに、なおこのような病を害するのは、何の故ですか?凡そ「三交」の課の裏に空亡と六合を帯びるものは、皆不正の合で、その禍患は三つあります:一にあなたが前妻を思念することを主り、二にあなたが一人の少婦を恋いてしかも眼前にいないため、百般に煩躁し、これによって下部が滑泄して実ならざることを主り、三に長子に意外の横事あることを主り、これによって病を致します。いま行年はちょうど末伝に落ち、禄神を帯びながら火上に居り、鬼に摆弄され、貪って生冷酸咸の物を食するを免れません。もし心に称い意に如うことができれば、なお七八年生きることができます。さもなければ情のために死する——死は定まりです。蒋六公は一人の中意の人を娶ろうと思い、幾人もの息子が肯んじせず、彼の心の裏は煩躁して惱怒しました。これに長子の一人の乳母がまた彼を怒らせたのを加え、ここにおいて下部の病を得て、ただ酸咸の物を食することを愛しました。後に邵先生は彼の息子を勧め、あの中意の人を娶り来らせて彼に与えたので、彼の病はすなわち漸々減軽しました。
先生析曰;蓋果至丙辰年死。蓋支上子丑合,而乘太陰,又是夜神,是淫亂合也,卻又空亡,乃虛想其合,而無實效。四課遙克為傳,事主在內。長子非橫,乃卯為長子,作蛇故主非橫。主事初傳空亡,便不行傳,喜得末上行年相接,所以用之,日上丑土得中午生,土遂生金,丑八,故八年也。
邵先生が解釈して曰く。彼は果たして丙辰年に至って死しました。日支上で子が丑と相合して太陰を乘じ、また皆夜間の神——これは淫乱の合です。偏偏としてまた空亡に逢うので、ただ空しくこの段の情縁を想うのみで実際の結果がありません。四課は遥剋を取って発伝するので、事が内より起ることを主ります。長子に横事ありと言うのは、卯が長子を表し、卯上に螣蛇を乘じるので、意外の禍を主ります。事を主る初伝が空亡に逢い、本来伝って往くことができませんが、幸いに末伝の上に行年が接いで住するので、なお取用できました。日干上の丑土は中伝の午火の生を得、土がまた往って金を生じます。丑の数は八なので、八年と断じました。
176)蔣七婆戊申生六十二歲占子病,子辛未生三十九歲,己酉年辛酉日巳將申時。 六朱 陳寅卯辰巳蛇 龍丑 午貴 六 貴 朱 后 鬼 戊午 貴 初 空子 未后 卯 午 辰 未 財 乙卯 六 中 虎亥戌酉申陰 午 酉 未 辛 子 空子 空 末(空亡) 常玄
第一百七十六例:蒋七婆は戊申年の生まれで六十二歳、息子の病を占いに来ました。息子は辛未年の生まれで三十九歳。時は己酉年辛酉日で、巳の月将を申の刻に加えて課を立てました(底本はここに空亡と課名を標さず)。辛酉日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課式は前の第一百二十八例の季官人が房子息を占ったものと完全に同じです。天盤は巳将を申時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に未を見て天后を乘じ、第二課は未の上に辰を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の酉の上に午を見て貴人を乘じ、第四課は午の上に卯を見て六合を乘じます。三伝は午・卯・子:初伝の戊午は官鬼爻で貴人を乘じ、中伝の乙卯は妻財爻で六合を乘じ、末伝の子は旬空に逢い子孫爻で天空を乘じます。
邵先生曰:病因情人或眷屬不足,致得此病,此情人乃官作使女之類,欲見不能,思戀極矣,故生心病。若要病好,須是釋思,更婦人臨別,贈有手跡,他嘗留身畔,須燒了與他另娶方可,否則日漸成癆矣。
邵先生は言いました。彼の病は情人か眷属の方に心に称わぬ事があることに起ります。この情人は官府に発落されて使女の類の人に為られた者で、見たくともまた見ることを得ず、思念が極に至り、だから心病を生じました。病を好くせんと思えば、必ず彼にこの一份の念想を放下せしめなければなりません。別にあの女子が臨別の時に彼に送った手ずから作った物があり、彼はずっと身辺に帯びています——これを燒き盡くさなければならず、さらに別に彼に一房を娶らせてこそ、ようやく好きます。さもなければ日一日としてすなわち癆を成します。
蔣七婆之子因喪妻,遂與鄰婦通姦,他丈夫得知,卻典僱與何判院,此人苦思成病,又婦人行時,繡一香囊與之,其子時常觀玩,睹物思人,其病更甚。七婆聞先生之言,遂與彼燒絕,又為彼娶一婦,病果自愈。
蒋七婆の息子は妻が死したため、すなわち隣家の婦人と通奸しました。その婦人の丈夫がこれを知り、彼女を何判院に典雇しました。この人は苦しいほど思念してこれによって病を成しました。あの婦人は臨んで往く時に一つの香囊を繍って彼に与え、彼は時々取り出して把玩し、物を睹て人を思い、病はさらに重くなりました。七婆は邵先生の言葉を聴いて、香囊を燒き去り、また息子に一房の妻を娶り、病は果たして自ずから好くなりました。
先生析曰;蓋未作後生日,支上午與未合,乃鬼合,便是不正之交,傳退與婦人相離也。三交交易之象,宅上貴人是合入宅去也。末傳是子,行年上丑,子又與丑合,更日辰上實合,末又見空亡合,即是思望懸切,欲合不合,傳退既值空亡,只得在此思想,所以成癆。午未合,子丑合,子午沖,丑未沖,合處相傷,反成不足。子丑又空,是去彼不得見矣。
邵先生が解釈して曰く。未上に天后を乘じて来て日干を生じ、日支上の午は未と相合し、午は鬼——これはすなわち鬼合で、すなわち正当でない交往です。三伝が逆退するのは、あの婦人と分離することを主ります。「三交」は本は交易更換の象で、宅位上に貴人あるは、彼女を別人の家に合わせて往かせたのです。末伝は子で、行年は丑にあり、子はまた丑と相合し、日干日支の上にはさらに実在の相合があるのに、末伝は却って空亡の合——これはすなわち思念が懸切で、合せんと想えども合することが成らざるです。三伝がすでに逆退しまた空亡に逢えば、彼はただここに困って空想するのみ、だから癆を成します。午と未は合し、子と丑は合しますが、子午は相冲し丑未は相冲し、相合する処が偏偏と彼此相い傷り、反転して缺憾を成します。子・丑はまた皆空に落ち、あちらに往ってもまた見ることを得ないのです。
178)某占病,二月庚辰日亥將辰時。(申酉空亡,卯辰落空),渉害,絕嗣,驀越。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 虎 朱 六 陰 鬼 壬午 虎 初 六戌 巳常 午 亥 戌 卯 父 丁丑 貴 中(丁神)(暗鬼) 陳酉申未午虎 亥 辰 卯 庚 兄 空申 龍 末(空亡) 龍空
第一百七十八例(底本は第一百七十六例から径く第一百七十八例に接し、第一百七十七例を缺く。いま照録します):ある人が病を占いに来ました。時は二月庚辰日で、亥の月将を辰の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「渉害」「絶嗣」「蓦越」。天盤は亥将を辰時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の辰の上に亥を見て朱雀を乘じ、第四課は亥の上に午を見て白虎を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の壬午は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の丁丑は父母爻で貴人を乘じまた「丁神」で暗に鬼を帯び、末伝の申は旬空に逢い兄弟爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:四課俱下賊,絕陰之象。白虎乘午作鬼,男病主三日內死也。何則?無陽氣也。不合灸,又不宜服藥,此是血病。蓋午主心,心主血也。宅中有陰人,死得不明,作鬼為禍。要陰鬼退,須門前社廟作福,午是陰人,乘虎作鬼故也。又午是天之真火剋日,主灸神,乘虎故不宜灸。又是天醫,故不宜服藥。涉害深為用,主久病。若是陰人則死尚可緩。且火加水,主寒熱往來剋日,主癆血。
邵先生は言いました。四課は全て下が上を賊する——陰気断絶の象です。白虎が午を乘じて化して鬼を成し、もし男子の病なら、三日の内に死することを主ります——何をもってか?陽気がないためです。この病は艾灸を用いるべからず、また薬を服するに宜しからず。それは血分の病です:午は人身において心を主り、心はまた血を主ります。宅中に一人の女子が明からず白からずに死し、化して鬼を成して作祟に来ています。この陰鬼を退去せしめんと欲すれば、門前の社廟に到って一場の法事を作して福を求めなければなりません——午は女子を表し、また白虎を乘じて化して鬼を成すからです。さらに午は天上の真火で来て日干を剋し、灸法を主管する神ですが、いま白虎を乘じるので、灸を施すに宜しからず。それは同時にまた天医なので、また服薬するに宜しからず。渉害最深の神を取って発用すれば、久病を主ります。倘若病む者が女子なら、死期はなお緩めることができます。まして火が水の上に加われば、寒熱往来を主り、また来て日を剋すれば、癆瘵・失血を主ります。
179)某占病,丁巳日未將寅時。(子丑空亡,巳午落空),重審,鑄印,斬關。 朱六 蛇戌亥子丑陳 貴酉 寅龍 空 蛇 常 六 兄 丁巳 常 初(落空)(丁神) 后申 卯空 卯 戌 巳 子 子 壬戌 蛇 中(暗鬼) 陰未午巳辰虎 戌 巳 子 丁 父 乙卯 空 末 玄常
第一百七十九例:ある人が病を占いに来ました。時は丁巳日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丁巳日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の巳・午二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「重審」「鑄印」「斬關」。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に子を見て六合を乘じ、第二課は子の上に巳を見て太常を乘じ、第三課は日支の巳の上に戌を見て螣蛇を乘じ、第四課は戌の上に卯を見て天空を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の丁巳は兄弟爻で太常を乘じ空地に落ちまた「丁神」、中伝の壬戌は子孫爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の乙卯は父母爻で天空を乘じます。
邵先生曰:主病人狂言發喘而死,巳作常為用,主言語。丁日巳用皆火,中又蛇乘戌加巳,是火加旺地,故主發狂。火墓戌,陰氣盡也。凡人以內陰氣為主,陰日養陽,今已絕,則陽氣上攻,而不能生陰,陰絕陽弱,更主發喘,果狂言發喘而死。
邵先生は言いました。この病人が胡話を說し気が喘して死することを主ります。巳が太常を乘じて発用し、太常は言語を主ります。丁日と巳は同属の火で、中伝はまた螣蛇が戌を乘じて巳の上に加わる——これは火が旺地に加わったものなので、発狂を主ります。戌は火の墓で、墓に到れば陰気が盡きます。凡そ人身は内在の陰気をもって根本と為し、陰気は日々陽気を涵養します。いま陰気がすでに絶したので、陽気はすなわち上へ攻して陰を生じ出すことができません。陰絶して陽弱ければ、さらに喘を発します。後に果たして胡話を說し気が喘して死しました。
180)某占病十二月丙午日子將亥時。(寅卯空亡,卯辰落空),彈射,進茹,不備。 朱蛇 六午未申酉貴 陳巳 戌后 蛇 朱 朱 六 財 戊申 蛇 初 龍辰 亥陰 申 未 未 午 財 己酉 貴 中 空卯寅丑子玄 未 午 午 丙 子 庚戌 后 末 虎常
第一百八十例:ある人が病を占いに来ました。時は十二月丙午日で、子の月将を亥の刻に加えて課を立てました。丙午日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「弹射」「進茹」(三伝の申・酉・戌が順次相い連なる)「不備」。天盤は子将を亥時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に午を見て六合を乘じ、第二課は午の上に未を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の午の上に未を見て同じく朱雀を乘じ、第四課は未の上に申を見て螣蛇を乘じます。三伝は申・酉・戌:初伝の戊申は妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の己酉もまた妻財爻で貴人を乘じ、末伝の庚戌は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:定是咳嗽狂言,見鬼見神之狀。蓋三傳金,主肺主嗽,而午火又加丙,午火盛發,心神散亂,故主發躁狂言。鬼神之狀者,申加未,未臨宅,未主鬼神之狀。其人死者,傳歸死墓也。未中有鬼宿。
邵先生は言いました。これは必ず咳嗽し、胡話を說し、さらに神を見鬼を見る容子です。三伝は皆金に属し、金は肺を主り咳嗽を主ります。しかも午火がまた丙に加わり、午火が旺盛に発作すれば、心神はすなわち散乱するので、煩躁して胡話を說することを主ります。所謂、神を見鬼を見るは、申が未に加わり、未がまた宅位に臨み、未はまさに鬼神の象を主るからです。この人は終じて死します。三伝が死墓に帰するためです——未のこの一宮のうちに鬼宿があるのです。
181)某占兒病,己丑日丑將辰時。(午未空亡,卯辰落空),昂星,掩目,天煩。 虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 后 朱 龍 常 財 戊子 陳 初 陳子 未后 未 戌 丑 辰 兄 壬辰 常 中(落空) 六亥戌酉申貴 戌 丑 辰 己 兄 丙戌 朱 末 朱蛇
第一百八十一例:ある人が小児の病を占いに来ました。時は己丑日で、丑の月将を辰の刻に加えて課を立てました。己丑日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「昴星」「掩目」「天煩」。天盤は丑将を辰時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に辰を見て太常を乘じ、第二課は辰の上に丑を見て青竜を乘じ、第三課は日支の丑の上に戌を見て朱雀を乘じ、第四課は戌の上に未を見て天后を乘じます。三伝は子・辰・戌:初伝の戊子は妻財爻で勾陳を乘じ、中伝の壬辰は兄弟爻で太常を乘じ空地に落ち、末伝の丙戌もまた兄弟爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:昴星課,純陽之象,陰掩其陽,是無陽氣也。辰作常覆日,陰上丑破,末戌加丑,陰氣將盡於戌,陽氣將盡於辰,陰陽氣絕,絕者促也,病人當氣促而短。陽氣將盡,外應虛熱煩躁,又主熱渴。其人果先熱渴,而後喘死。
邵先生は言いました。「昴星」の課は本は純陽の象です。いま陰が来て陽を遮掩したので、陽気がないのです。辰が太常を乘じて反覆して日干の上にあり、陰神の在る所の丑はまた冲破されました。末伝の戌が丑の上に加わり——陰気は戌において盡きんとし、陽気は辰において盡きんとし、陰陽二気が皆断絶せんとします。「絶」とはすなわち急促で、だから病人は気息が急促して短浅であるべきです。陽気が盡きんとすれば、外においては虚熱して煩躁するに応じ、また発熱して渇することを主ります。この子どもは果たして先に発熱して渇し、後に喘いで気を上げることができずに死しました。
六畜の走失(附)
182)吳四公六十四歲占進畜,己酉年九月癸亥日卯將辰時。(子丑空亡,亥子落空),元首,退茹,斬關。 貴后 蛇辰巳午未陰 朱卯 申玄 常 虎 空 龍 鬼 壬戌 虎 初 六寅 酉常 酉 戌 亥 子 父 辛酉 常 中 陳丑子亥戌虎 戌 亥 子 癸 父 庚申 玄 末 龍空
第百八十二例:呉四公が六十四歳で、家畜の買い増しを占いに来ました。時は己酉年九月の癸亥日、卯の月将を辰の刻に加えて課を立てました。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の亥・子の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「元首」「退茹」(三伝の戌・酉・申が逆に連なる)「斬関」です。天盤は卯将を辰刻に加えて布定され、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられて上に子を見て青竜を乘じ、第二課は子の上に亥を見て天空を乘じ、第三課は日支の亥の上に戌を見て白虎を乘じ、第四課は戌の上に酉を見て太常を乘じます。三伝は戌・酉・申:初伝の壬戌は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の辛酉は父母爻で太常を乘じ、末伝の庚申も父母爻で玄武を乘じています。
邵先生曰:欲進六畜,而豬牛欄皆不得其所。戌加亥作白虎,大豬入欄反小,只如犬大,兼且多病死傷。牛臨寅地,自是畏鄉,豈能長久?要好移欄到長生西南之地,牛羊豬皆可養之。宅基皆不利畜,牛羊豬雞皆無位,至於犬反要咬豬,貓亦不能捕鼠。
邵先生は言いました。あなたは六畜を増やしたいのですが、豚の囲いも牛の柵も適した場所に置かれていません。戌が亥に加わって白虎を乘じているので、大きな豚は囲いに入っても却って育たず、犬ほどの大きさにしかならず、しかも病気や死傷が多いのです。牛が寅の方地に臨んでいるのは、もともと牛が畏れる方位ですから、どうして長く育てられましょうか。良くしようと思えば、柵・囲いを西南の長生の方位へ移さねばなりません。そうすれば牛・羊・豚はいずれも育てられます。この宅地そのものが家畜に利しません。牛・羊・豚・鶏はいずれも落ち着く位置がなく、犬に至っては却って豚を咬み、猫も鼠を捕らえられません。
蓋緣天目在宅,宅中有伏尸,所以不榮。五年之內,伏尸必傷人矣。吳宅自造屋十三四年來,諸畜皆養不得,故占之。當先宅前一半是田,一半是山,其山有古冢骸骨,不知姓名,吳盡撤去造屋,是以不利。後至甲寅三月,宅中屢現火光,怪異並作。吳記先生斷課之語,遂遷別宅居住。大凡占宅,天目加支,多主伏尸。秋以戌為天目,戌數五,故主五年必現影響也。
これは天目が宅位に落ちていて、宅の中に伏尸があるためで、だから家畜が栄えません。五年のうちにこの伏尸は必ず人を傷つけます。呉家はこの屋敷を建てて以来十三四年、あらゆる家畜が育たなかったので占いに来たのです。もともと宅前は半分が田、半分が山で、その山には誰のものか分からない古墳の骸骨がありました。呉家はそれをことごとく取り除いて家を建てたので、利がありません。後に甲寅年の三月になると、宅の中にしばしば火光が現れ、あらゆる怪異が一度に起こりました。呉四公は邵先生が課を断じた言葉を覚えていて、別の宅に移って住みました。およそ宅を占うとき、天目が日支に加われば、多くは伏尸があることを主ります。秋は戌を天目とし、戌の数は五なので、五年のうちに必ず動静が現れると主るのです。
183)王寺丞占出兵往饒州取馬何故未回,丁亥日戌將卯時。(午未空亡,辰巳落空),重審,四絕。 朱六 蛇子丑寅卯陳 貴亥 辰龍 朱 虎 陰 六 兄 空午 虎 初(空亡) 后戌 巳空 丑 午 酉 寅 子 己丑 朱 中 陰酉申未午虎 午 亥 寅 丁 財 甲申 玄 末 玄常
第百八十三例:王寺丞が饒州へ馬を取りに行かせた兵がまだ帰らないわけを占いました。時は丁亥日、戌の月将を卯の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ちます(底本にはさらに「辰巳落空」と標しますが、本課の天盤では丑・寅の二支が空亡宮に乗っているので、ここは誤字の疑いがあります。今はそのまま写します)。課名は二つ、「重審」「四絶」です。天盤は戌将を卯刻に加えて布定され、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられて上に寅を見て六合を乘じ、第二課は寅の上に酉を見て太陰を乘じ、第三課は日支の亥の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に丑を見て朱雀を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の午は旬空に逢い、兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の己丑は子孫爻で朱雀を乘じ、末伝の甲申は妻財爻で玄武を乘じています。
邵先生曰:其馬必被虎傷死矣。五日後兵士報曰:放馬山上吃草,被虎所食。蓋午為馬,乘虎加亥為用,自刑加自刑,上午被亥克,故然。
邵先生は言いました。その馬は必ず虎に咬み殺されています。五日後、兵士が報告しました。馬を山に放して草を食ませていたところ、虎に食われたというのです。これは午が六畜の中で馬を主り、その午が白虎を乘じて亥に加わり発用したからです。午は自刑であり、しかも亥という自刑の支に加わり、上の午はさらに亥水に剋されているので、この応えがあったのです。
184)遂安官人占失馬,十一月壬午日丑將卯時。(申酉空亡。午未落空),元首,間傳。 蛇貴 朱卯辰巳午后 六寅 未陰 六 蛇 陰 常 子 戊寅 六 初(暗鬼) 陳丑 申玄 寅 辰 未 酉 兄 丙子 龍 中 龍子亥戌酉常 辰 午 酉 壬 官 甲戌 虎 末 空虎
第百八十四例:遂安の官人が失った馬を占いに来ました。時は十一月の壬午日、丑の月将を卯の刻に加えて課を立てました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の午・未の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「元首」「間伝」(三伝の寅・子・戌が一つ置きに逆行する)です。天盤は丑将を卯刻に加えて布定され、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられて上に酉を見て太常を乘じ、第二課は酉の上に未を見て太陰を乘じ、第三課は日支の午の上に辰を見て螣蛇を乘じ、第四課は辰の上に寅を見て六合を乘じます。三伝は寅・子・戌:初伝の戊寅は子孫爻で六合を乘じ、暗に鬼を帯び、中伝の丙子は兄弟爻で青竜を乘じ、末伝の甲戌は官星で白虎を乘じています。
邵先生曰:此馬不見矣。午為馬加申道路之上,正行也。被人騎去矣。果然。
邵先生は言いました。この馬は取り戻せません。午は六畜の中で馬を主りますが、今は申という道路の上に加わって、まさに行いの途中です。すでに人に騎られて行ってしまいました。後に果たしてそのとおりでした。
185)某占失馬丁丑日亥將申時。(申酉空亡,亥子落空),昂星,掩目,虎視。 朱蛇 六申酉戌亥貴 陳未 子后 陳 虎 陰 蛇 兄 壬午 龍 初(暗鬼) 龍午 丑陰 未 辰 丑 戌 子 甲戌 蛇 中 空巳辰卯寅玄 辰 丑 戌 丁 子 庚辰 虎 末 虎常
第百八十五例:ある人が失った馬を占いに来ました。時は丁丑日、亥の月将を申の刻に加えて課を立てました。丁丑日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の亥・子の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「昴星」「掩目」「虎視」です。天盤は亥将を申刻に加えて布定され、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられて上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に丑を見て太陰を乘じ、第三課は日支の丑の上に辰を見て白虎を乘じ、第四課は辰の上に未を見て勾陳を乘じます。三伝は午・戌・辰:初伝の壬午は兄弟爻で青竜を乘じ、暗に鬼を帯び、中伝の甲戌は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の庚辰も子孫爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:馬在東方寺院圍牆內不能出,須從一破門入去,尋見在己卯日也。果於二十五日,於東方寺院從輪藏前破門入牆內尋見。蓋馬屬午,作龍為用,類神在傳也。破門者,午破卯,卯為門也。牆垣者,四土周圍也。
邵先生は言いました。馬は東方の寺院の囲い塀の中にいて出られません。破れた門から入って探しなさい。見つかる日は己卯日です。後に果たして二十五日に、東方の寺院で輪蔵の前の破れた門から入り、塀の中で見つけました。これは馬が午に属し、その午が青竜を乘じて発用し、まさに類神が三伝に落ちていたからです。破门というのは、午が卯を破るからで、卯は門戸を主ります。塀・牆というのは、四方が土支に囲まれていたからです。
186)某占失羊,戊子日酉將寅時。(午未空亡,丑寅落空),重審,循環,贅婿,不備。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后 空 空 蛇 財 戊子 蛇 初 六戌 巳常 寅 未 未 子 兄 空未 空 中 陳酉申未午虎 未 子 子 戊 鬼 庚寅 后 末 龍空
第百八十六例:ある人が失った羊を占いに来ました。時は戊子日、酉の月将を寅の刻に加えて課を立てました。戊子日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の丑・寅の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「重審」「循環」「贅婿」「不備」です。天盤は酉将を寅刻に加えて布定され、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられて上に子を見て螣蛇を乘じ、第二課は子の上に未を見て天空を乘じ、第三課は日支の子の上に未を見て同じく天空を乘じ、第四課は未の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は子・未・寅:初伝の戊子は妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の未は旬空に逢い、兄弟爻で天空を乘じ、末伝の庚寅は官鬼爻で天后を乘じています。
邵先生曰:子作蛇臨日為用,主非橫事。中末加子作天空,未羊也,加子為六害,羊非水物,不宜臨子,況上又作天空是戊戌土,戌刑未,戌為犬,犬傷羊,子水也。此羊被犬趕入水中,為人宰了,以甕器盛之,藏在廁中,天空無氣為器物,又為汙穢。寅加未,虎又啖食之獸,所以傷羊。不出今日須敗,果當日捉獲。
邵先生は言いました。子が螣蛇を乘じて日干に臨んで発用したので、意外な横事を主ります。中伝の未が子に加わって天空を乘じていますが、未は六畜の中では羊であり、子に加われば六害となります。羊は水中の物ではなく、子に臨むべきではありません。しかもその上に乘る天空の本家は戊戌の土で、戌は未を刑し、戌は十二属では犬です。犬が羊を傷つけ、子は水です。だからこの羊は犬に追われて水の中に入り、人に殺されて甕に盛られ、厠の中に隠されたのです。天空は気がなければ器物の象を取り、また汚穢を主ります。寅が未に加わり、寅は十二属では虎で、虎は羊を食う猛獣なので、羊が傷つけられることを主ります。この事は今日のうちに必ず露見します。果たして当日にその人を捕らえました。
187)某占失羊,丁未日未將未時。(寅卯空亡,寅卯落空),伏吟,稼穡。 虎常 空巳午未申玄 龍辰 酉陰 常 常 常 常 子 丁未 常 初(丁神) 勾卯 戌后 未 未 未 未 子 癸丑 朱 中(暗鬼) 六寅丑子亥貴 未 未 未 丁 子 庚戌 后 末 朱蛇
第百八十七例:ある人が失った羊を占いに来ました。時は丁未日、未の月将を未の刻に加えて課を立てました——月将と時刻が同じなので、天盤と地盤が完全に重なり合い、「伏吟」となります。丁未日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、伏吟の下では天地が重なり合い、寅・卯もまた空亡宮に乗っています。課名は二つ、「伏吟」「稼穡」(三伝の未・丑・戌がすべて土)です。盤中は貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:四課とも未の上に未を見て太常を乘じます。三伝は未・丑・戌:初伝の丁未は子孫爻で太常を乘じ、また「丁神」でもあり、中伝の癸丑も子孫爻で朱雀を乘じて暗に鬼を帯び、末伝の庚戌もやはり子孫爻で天后を乘じています。
邵先生曰:伏吟課,其羊定在西南兄弟姐妹親眷家尋之,今日申時可見。果申時在西南方妻姐家尋見。蓋未為羊,上作太陽月將,丁未日又未發用,故在西南。親眷者,未為眷屬者也。伏吟在本位不旺,未乃月將,五月當相氣,故不失。
邵先生は言いました。これは伏吟の課です。その羊は必ず西南方の兄弟姉妹・親眷の家にいます。今日の申時に見つかります。果たして申時に西南の妻の姉の家で見つけました。これは未が六畜の中で羊を主り、その未の上がまさに太陽のある月将で、丁未日もまた未をもって発用し、未は方位では西南に属するので、西南にあったのです。親眷の家と言ったのは、未がもともと眷属の象を取るからです。伏吟の課では各神がみな本位に伏して当旺しませんが、未はまさに月将であり、五月には相気に当たっているので、羊は失われません。
188)某占失羊,己卯日亥將未時。(申酉空亡,子丑落空),渉害,比用,曲直,亂首,不備。 朱蛇 六酉戌亥子貴 陳申 丑后 蛇 龍 玄 蛇 兄 癸未 龍 初 龍未 寅陰 亥 未 卯 亥 財 乙亥 蛇 中(暗鬼) 空午巳辰卯玄 未 卯 亥 己 鬼 己卯 玄 末 虎常
第百八十八例:ある人が失った羊を占いに来ました。時は己卯日、亥の月将を未の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の子・丑の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は五つ、「渉害」「比用」「曲直」(三伝の未・亥・卯が木局を合成する)「乱首」「不備」です。天盤は亥将を未刻に加えて布定され、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられて上に亥を見て螣蛇を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て玄武を乘じ、第三課は日支の卯の上に未を見て青竜を乘じ、第四課は未の上に亥を見て螣蛇を乘じます。三伝は未・亥・卯:初伝の癸未は兄弟爻で青竜を乘じ、中伝の乙亥は妻財爻で螣蛇を乘じて暗に鬼を帯び、末伝の己卯は官鬼爻で玄武を乘じています。
邵先生曰:春占曲直課,未加卯作龍為用,其羊不失。乃走入他人羊群中,信東方尋之必見。果於東方園內羊群中尋見。 先生析曰;蓋初傳是類神,作龍入傳,加日辰,故不失。
邵先生は言いました。春に「曲直」の課を得て、未が卯に加わって青竜を乘じて発用したので、この羊は失われません。他家の羊の群れの中に走り込んだのです。ひたすら東方に探しに行けば必ず見つかります。後に果たして東方のある園の羊の群れの中で見つけました。邵先生は解析して言いました。初伝がまさに羊の類神で、また青竜を乘じて三伝に入り、さらに日干・日支に加臨しているので、失われないのです。
189)某占失狗,甲辰日戌將寅時。(寅卯空亡,戌亥落空),渉害,炎上,狡童,斬關。 虎常 空丑寅卯辰玄 龍子 巳陰 蛇 龍 后 六 財 庚戌 六 初(落空)(暗鬼) 陳亥 午后 申 子 午 戌 子 丙午 后 中 六戌酉申未貴 子 辰 戌 甲 兄 空寅 虎 末(空亡) 朱蛇
第百八十九例:ある人が失った犬を占いに来ました。時は甲辰日、戌の月将を寅の刻に加えて課を立てました。甲辰日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の戌・亥の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「渉害」「炎上」(三伝の戌・午・寅が火局を合成する)「狡童」「斬関」です。天盤は戌将を寅刻に加えて布定され、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられて上に戌を見て六合を乘じ、第二課は戌の上に午を見て天后を乘じ、第三課は日支の辰の上に子を見て青竜を乘じ、第四課は子の上に申を見て螣蛇を乘じます。三伝は戌・午・寅:初伝の庚戌は妻財爻で六合を乘じ、空の地に落ちて暗に鬼を帯び、中伝の丙午は子孫爻で天后を乘じ、末伝の寅は旬空に逢い、兄弟爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:白狗尋不見矣。蓋戌為類神,加日雖主自歸,奈何戌與寅雖作三合,又作六合,而寅反作虎在未傳克戌,故尋不得,定被殺了。後知被木排上人殺了。寅作虎克戌,寅木也。遂應木排上人,奇妙至此。蓋卯為排,夾克戌土故也。
邵先生は言いました。この白犬は取り戻せません。戌は犬の類神で、日干に加われば本来は自ら帰ることを主ります。しかし戌と寅は三合を成し、また六合を乘じてはいますが、寅が末伝で白虎を乘じてかえって戌を剋するので、見つからず、きっと人に殺されました。後に木排を編む人に殺されたと分かりました。寅が白虎を乘じて戌を剋し、寅はまた木に属するので、木排の上の人に応じたのです——推断はここまで精妙です。ここで卯は木排の象を取り、寅とともに戌土を夾剋するからです。
190)某占失雞,辛亥日子將丑時。(寅卯空亡,丑寅落空),元首,退茹,不備,斬關。 六陳 朱辰巳午未龍 蛇卯 申空 虎 常 空 虎 父 庚戌 常 初 貴寅 酉虎 酉 戌 申 酉 兄 己酉 虎 中 后丑子亥戌常 戌 亥 酉 辛 兄 戊申 空 末 陰玄
第百九十例:ある人が失った鶏を占いに来ました。時は辛亥日、子の月将を丑の刻に加えて課を立てました。辛亥日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の丑・寅の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「元首」「退茹」(三伝の戌・酉・申が逆に連なる)「不備」「斬関」です。天盤は子将を丑刻に加えて布定され、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に酉を見て白虎を乘じ、第二課は酉の上に申を見て天空を乘じ、第三課は日支の亥の上に戌を見て太常を乘じ、第四課は戌の上に酉を見て白虎を乘じます。三伝は戌・酉・申:初伝の庚戌は父母爻で太常を乘じ、中伝の己酉は兄弟爻で白虎を乘じ、末伝の戊申も兄弟爻で天空を乘じています。
邵先生曰:雞尋不見矣。被犬沖入鄰家,一奴便捉去,殺而食之矣。 先生析曰;蓋戌為用,奴偷也。鄰近人家者,酉為刃作虎,申亦是虎加酉,酉與戌鄰故也。酉為雞,雖類神入傳,加日主自歸,奈何加戌,陽刃殺上作虎,如何得活。
邵先生は言いました。この鶏は取り戻せません。犬に追い込まれて隣家に入り、一人の奴僕に捕らえられ、殺されて食われました。邵先生は解析して言いました。初伝は戌をもって発用し、戌は奴僕が盗み取る象を取ります。隣り合う人家と言ったのは、酉が羊刃で白虎を乘じ、申の上もまた白虎が酉に加わり、酉と戌が隣り合うからです。酉は六畜の中で鶏を主ります。類神は三伝に入り、また日干に加われば本来は自ら帰ることを主るはずですが、戌に加わってしまい、羊刃の煞の上に白虎を乘じているのですから、どうして生き延びられましょうか。
亡盗
191)某占捕逃有罪人,己酉年十月癸卯日寅將辰時。(辰巳空亡,寅卯落空),渉害,極陰。 蛇貴 朱卯辰巳午后 六寅 未陰 空 陳 常 空 鬼 辛丑 陳 初 陳丑 申玄 亥 丑 酉 亥 兄 己亥 空 中(暗鬼) 龍子亥戌酉常 丑 卯 亥 癸 父 丁酉 常 末(丁神) 空虎
第百九十一例:ある人が逃亡中の罪人の追捕を占いに来ました。時は己酉年十月の癸卯日、寅の月将を辰の刻に加えて課を立てました。課式は前の第百五十例の曹将仕が謀事を占ったものとまったく同じです。癸卯日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の寅・卯の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「渉害」「極陰」です。天盤は寅将を辰刻に加えて布定され、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられて上に亥を見て天空を乘じ、第二課は亥の上に酉を見て太常を乘じ、第三課は日支の卯の上に丑を見て勾陳を乘じ、第四課は丑の上に亥を見て天空を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の辛丑は官鬼爻で勾陳を乘じ、中伝の己亥は兄弟爻で天空を乘じて暗に鬼を帯び、末伝の丁酉は父母爻で太常を乘じ、また「丁神」でもあります。
邵先生曰:此課干來加支,即發用,退歸西北,其人逃往買賣人汪家後空豬圈內藏匿,亥四丑八,去此三十二里,有婢在宅前著孝衣洗酒器,不在可問之,在崩敗東廁內,可往擒之。水日見亥,亥內有壬,壬加水,汪姓也。酉加亥為酒器,酉又為婢,作破碎,乘太常為喪服。
邵先生は言いました。この課は日干が日支に加わってそのまま初伝となり、一路西北へ退いています。その人は商人の汪家に逃げ込み、奥の空いた豚の囲いに隠れています。亥の数は四、丑の数は八、合わせて三十二で、ここから三十二里先です。そこには婢女が宅の前で孝衣を着て酒器を洗っています。彼が豚の囲いにいなければ彼女に尋ねなさい。人は東の崩れかかった厠の中にいるので、行って捕らえることができます。ここで水の日に亥を見るのは、亥の中に壬を蔵し、壬の旁に水を添えれば「汪」の字となるので、汪姓と断じました。酉が亥に加わるのは酒器の象を取り、酉はまた婢女を表し、破碎の煞を帯び、太常を乘じれば喪服となるのです。
192)李四官占失盜,十月辛卯日寅將巳時。(午未空亡,卯辰落空),昂星,勵德,龍戰。 六朱 陳寅卯辰巳蛇 龍丑 午貴 玄 空 朱 后 子 戊子 空 初 空子 未后 酉 子 辰 未 父 空未 后 中(空亡) 虎亥戌酉申陰 子 卯 未 辛 子 戊子 空 末 常玄
第百九十二例:李四官が盗難を占いに来ました。時は十月の辛卯日、寅の月将を巳の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の卯・辰の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「昴星」「励徳」「竜戦」です。天盤は寅将を巳刻に加えて布定され、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に未を見て天后を乘じ、第二課は未の上に辰を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の卯の上に子を見て天空を乘じ、第四課は子の上に酉を見て玄武を乘じます。三伝は子・未・子:初伝の戊子は子孫爻で天空を乘じ、中伝の未は旬空に逢い、父母爻で天后を乘じ、末伝はやはり戊子の子孫爻で天空を乘じています。
邵先生曰:辛卯日,三傳不行,單只在支干上,初傳是支上之子,中傳是干上之未,末傳又歸支上子。子未相害,雖喜未能制子,無奈未乃旬空,不能剋制,徒作干上空亡,自合失脫也。未空不能生辛金,而辛金反能生支上子水,為之脫氣,故捉賊不得,但初傳自宅發用,末傳又歸宅上,是賊不出門也。當主本家眷屬為腳耳。後卻知是大兄二兄之子,偷回房中,三日後方攜出使用。李四官失錢穀二物。
邵先生は言いました。辛卯のこの日、三伝は外に出て行かず、ただ日干・日支の上を巡るだけです。初伝は日支の上の子、中伝は日干の上の未、末伝はまた日支の上の子に帰ります。子と未は相害します。喜ぶべきは未が子を制し得ることですが、あいにく未はちょうど旬空に当たり、制し動かせず、空しく日干の上の一つの空亡となっただけです。だから物は自ずと失脱します。未が空なら辛金を生じられず、辛金はかえって日支の上の子水を生じて脱泄の気となるので、賊は捕らえられません。ただし初伝は宅位から発し、末伝もまた宅位に帰るので、賊は門を出ていないと見え、身内の眷属が内で為したものとすべきです。後に判明したところ、長兄・次兄の息子が盗んで自室に隠し、三日たってから持ち出して使いました。李四官が失ったのは銭と穀の二つです。
先生析曰;大凡占賊,日傳歸日,辰傳歸辰,皆不是外人,況辛卯日,三傳皆在干支上耶。若末傳出去,庶可向外尋耳。占人行年又在卯上,乃家賊無疑耳。
邵先生は解析して言いました。およそ賊を占うに、日に発して日に帰り、辰に発して辰に帰るのは、いずれも外の人ではありません。まして辛卯日では三伝がことごとく干支の上にあるのです。もし末伝が外に出ていれば、まず外へ探しに行くべきですが。占者の行年もまた卯の上にあるので、家の賊に疑いありません。
193)官人寓寺中失婢而占,甲寅日卯將丑時。(子丑空亡,寅卯落空),重審,間傳,斬關,登三天。 后陰 貴未申酉戌玄 蛇午 亥常 蛇 六 蛇 六 財 丙辰 六 初 朱巳 子虎 午 辰 午 辰 子 戊午 蛇 中 六辰卯寅丑空 辰 寅 辰 甲 鬼 庚申 后 末(暗鬼) 陳龍
第百九十三例:ある官人が寺に寄寓していて、婢女を失ったので占いに来ました。時は甲寅日、卯の月将を丑の刻に加えて課を立てました。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「重審」「間伝」「斬関」「登三天」です。天盤は卯将を丑刻に加えて布定され、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられて上に辰を見て六合を乘じ、第二課は辰の上に午を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の寅の上に辰を見て六合を乘じ、第四課は辰の上に午を見て螣蛇を乘じます。三伝は辰・午・申:初伝の丙辰は妻財爻で六合を乘じ、中伝の戊午は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の庚申は官鬼爻で天后を乘じて暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:此婢走不遠,被一兇徒藏在西南閣子上,只在今日敗矣。辰加寅作六合,甲寅日納音屬水,水墓辰,人皆言斬關課。辰上見魁罡,必主動。近者遠去。殊不知甲寅水墓辰,辰初為傳午為陰婦人,在辰上曰阻關,所以不進。末申作後,是女鬼,加午道路路上,被鬼阻不行。天后主厭翳藏匿。又勾在卯,午乘戌。戌為樓閣,故藏高處閣上,主敗者,內戰也。 果次日於寺西南人家閣上擒之。
邵先生は言いました。この婢女は遠くへは行けず、一人の凶徒に西南の楼閣の上に隠されています。今日のうちに必ず露見します。辰が寅に加わって六合を乘じ、甲寅日の納音は水に属し、水の墓は辰にあります。だから人はみなこれを斬関の課と言い、辰の上にまた魁罡を見れば必ず動くことを主り、近い者も遠くへ行きます。しかし知らないのです。甲寅の水の墓は辰にあり、辰が初伝となって午が女子であり、辰の上に落ちて「阻関」と呼ばれるので、出て行けないのです。末伝の申は天后を乘じて女鬼の象で、午という道路に加わり、鬼に阻まれて動けません。天后はまた遮蔽・藏匿を主ります。さらに勾陳が卯にあり、午は戌を乘じます——戌は楼閣を主るので、高い所の楼の上に隠れています。今日露見すると言うのは、課の中に内戦の象が成るからです。翌日果たして寺の西南の人家の楼の上でその人を捕らえました。
194)某占失婢,己酉日酉將未時。(寅卯空亡,辰巳落空),元首,不備,閉口,出戶。 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 后 蛇 蛇 六 兄 癸丑 后 初 虎巳 子貴 丑 亥 亥 酉 鬼 空卯 玄 中(空亡) 常辰卯寅丑后 亥 酉 酉 己 父 乙巳 虎 末(落空)(暗鬼) 玄陰
第百九十四例:ある人が走失した婢女を占いに来ました。時は己酉日、酉の月将を未の刻に加えて課を立てました。己酉日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の辰・巳の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「元首」「不備」「閉口」「出戸」です。天盤は酉将を未刻に加えて布定され、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられて上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の酉の上に亥を見て同じく螣蛇を乘じ、第四課は亥の上に丑を見て天后を乘じます。三伝は丑・卯・巳:初伝の癸丑は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の卯は旬空に逢い、官鬼爻で玄武を乘じ、末伝の乙巳は父母爻で白虎を乘じ、空の地に落ちて暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:此婢不失,但往來處尋之,六里內必見也。日辰三傳俱在陰位,陰主伏匿,巳作虎臨門戶上,其人入門去便止也。蓋己日為尊,酉辰為婢,今加日上,是婢來就尊,日辰相加,所以不走。酉六故不出六里必見。 果往東方六里內尋見,乃失路不能歸也。
邵先生は言いました。この婢女は失われません。日ごろ行き来する所を探しなさい。六里のうちに必ず見つかります。日干・日支と三伝はすべて陰の位に落ちており、陰は伏匿を主ります。巳が白虎を乘じて門戸の上に臨むので、彼女は人の門に入ればそのまま留まるのです。己の日は尊長を表し、酉と辰は婢女を表します。今それが日干の上に加わるのは、婢女が尊きに就くことです。日干と日支が互いに加わり合うので、走り去れません。酉の数は六なので、六里を出ずに必ず見つかります。後に果たして東方六里の内で見つけました。道に迷って帰れなかったのです。
195)某占婢走失,己未日子將戌時。(子丑空亡,巳午落空),八專,獨足。 貴后 蛇未申酉戌陰 朱午 亥玄 玄 后 玄 后 子 辛酉 后 初 六巳 子常 亥 酉 亥 酉 子 辛酉 后 中 陳辰卯寅丑虎 酉 未 酉 己 子 辛酉 后 末 龍空
第百九十五例:ある人が走失した婢女を占いに来ました。時は己未日、子の月将を戌の刻に加えて課を立てました。己未日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ちます(底本にはさらに「巳午落空」と標しますが、本課の盤式と合いません。今はそのまま写します)。課名は二つ、「八専」(己の寄宮は未にあり、日支の未と同じ所に居する)「独足」です。天盤は子将を戌刻に加えて布定され、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられて上に酉を見て天后を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て玄武を乘じ、第三課は日支の未の上に酉を見て天后を乘じ、第四課は酉の上に亥を見て玄武を乘じます。三伝はいずれも辛酉の子孫爻で、いずれも天后を乘じ、一支で最後まで貫きます。
邵先生曰:獨足課,酉為婢加未,不離身宅矣。兼獨足體,一足焉能動焉,不須尋,當日歸矣。
邵先生は言いました。これは「独足」の課です。酉は婢女を表し、未に加わっているので、本身と宅を離れていません。しかも課体が独足です。一本の足だけでどうして動けましょうか。探しに行く必要はありません。その日のうちに自分で帰ってきます。
196)某因親事筵會失銀而求占,庚辰日酉將辰時。(申酉空亡,丑寅落空),重審,驀越,引從。 朱蛇 六戌亥子丑貴 陳酉 寅后 后 陳 虎 貴 財 戊寅 后 初 龍申 卯陰 寅 酉 午 丑 父 癸未 空 中 空未午巳辰玄 酉 辰 丑 庚 子 丙子 蛇 末(暗鬼) 虎常
第百九十六例:ある人が祝い事の酒宴を設けた際に銀を失ったので占いを求めに来ました。時は庚辰日、酉の月将を辰の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の丑・寅の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「重審」「驀越」「引従」です。天盤は酉将を辰刻に加えて布定され、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられて上に丑を見て貴人を乘じ、第二課は丑の上に午を見て白虎を乘じ、第三課は日支の辰の上に酉を見て勾陳を乘じ、第四課は酉の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は寅・未・子:初伝の戊寅は妻財爻で天后を乘じ、中伝の癸未は父母爻で天空を乘じ、末伝の丙子は子孫爻で螣蛇を乘じて暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:寅作后加酉,為隱蔽,酉金類神也,合加支上,日上有丑墓,寅作用,中又未,作墓覆其上,凡見墓則為藏物,有類神,主其物不失,中未墓作天空,主汙穢,那更神作玄武,傳入勾陳,勾陳在酉而敗元武,故主尋之必得。果於廁坑之側尋見。
邵先生は言いました。寅が天后を乘じて酉に加わるのは隠蔽の象です。酉金はまさに銀の類神であり、また日支の上に合加しています。日干の上には丑という墓があり、寅が初伝に取られ、中伝の未もまた一つの墓としてその上に重なっています。およそ墓を見れば物が隠されているのです。類神がまだあれば、物は失われないことを主ります。中伝の未という墓の上は天空を乘じ、汚穢の所を主ります。しかも玄武の臨む神は勾陳に伝入し、勾陳が酉の上で玄武を制敗するので、探せば必ず見つかることを主ります。後に果たして厠の坑のそばで見つけました。
197)同日酉將午時尋之未見,其子再占。(申酉空亡,亥子落空), 陳六 龍申酉戌亥朱 空未 子蛇 六 空 后 朱 財 戊寅 后 初 虎午 丑貴 戌 未 寅 亥 鬼 辛巳 常 中 常巳辰卯寅后 未 辰 亥 庚 兄 空申 龍 末(空亡) 玄陰
第百九十七例:やはりこの日、酉将を午刻に加えた頃になっても物はまだ見つからず、その息子がもう一度課を起こしました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の亥・子の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています(底本はここに課名を標しません)。天盤は酉将を午刻に加えて布定され、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられて上に亥を見て朱雀を乘じ、第二課は亥の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の辰の上に未を見て天空を乘じ、第四課は未の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は寅・巳・申:初伝の戊寅は妻財爻で天后を乘じ、中伝の辛巳は官鬼爻で太常を乘じ、末伝の申は旬空に逢い、兄弟爻で青竜を乘じています。
邵先生曰:其物在廁屋左右。蓋寅加亥為用,末申繫類神,辰作玄武加丑金墓,辰上見天空,主汙穢處藏匿,尋之必見。果於申牌後於廁坑左右尋得,與前課不異。
邵先生は言いました。物は厠の屋の左右にあります。寅が亥に加わって初伝に取られ、末伝の申はまさに銀の類神です。辰が玄武を乘じて丑という金の墓に加わり、辰の上にまた天空を見るので、汚穢の所に隠されていることを主り、探せば必ず見つかります。後に果たして申牌の後、厠の坑の左右で見つけ、前の課の断と寸分違いませんでした。
198)某婦占失金耳環,十一月己丑日寅將戌時。(午未空亡,戌亥落空),渉害,從革。 朱六 蛇酉戌亥子陳 貴申 丑龍 蛇 玄 虎 六 子 乙酉 蛇 初(暗鬼) 后未 寅空 酉 巳 卯 亥 兄 己丑 龍 中 陰午巳辰卯虎 巳 丑 亥 己 父 癸巳 玄 末 玄常
第百九十八例:ある婦人が失った金の耳環を占いに来ました。時は十一月の己丑日、寅の月将を戌の刻に加えて課を立てました。己丑日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の戌・亥の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「渉害」「従革」(三伝の酉・丑・巳が金局を合成する)です。天盤は寅将を戌刻に加えて布定され、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられて上に亥を見て六合を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て白虎を乘じ、第三課は日支の丑の上に巳を見て玄武を乘じ、第四課は巳の上に酉を見て螣蛇を乘じます。三伝は酉・丑・巳:初伝の乙酉は子孫爻で螣蛇を乘じて暗に鬼を帯び、中伝の己丑は兄弟爻で青竜を乘じ、末伝の癸巳は父母爻で玄武を乘じています。
邵先生曰:金環以酉為類神,初傳即加巳上,乃長生之地,不落空亡,又是三合金局,此物乃自己遺失,見在必得。巳為爐灶,酉加之,得蛇亦巳火,當失爐灶灰中。火至冬而死,故云灰中。尋之果於爐下尋見。
邵先生は言いました。金の耳環は酉を類神とします。初伝の酉は巳に加わり、巳はまさに金の長生の地で、空亡にも当たらず、さらに三合の金局を成しています。だからこの物は自分で落としたのであり、今も残っていて、必ず取り戻せます。巳は炉灶の象を取り、酉がその上に加わり、乘じている螣蛇そのものも巳火に属するので、炉灶の灰の中に落ちたはずです。火は冬に至れば死するので、灰の中と言ったのです。探しに行くと、果たして炉の下で見つけました。
199)僧占失度牒,辛卯日酉將辰時。(午未空亡,亥子落空),重審,勵德,贅婿,不備。 龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 虎 朱 朱 玄 財 辛卯 玄 初 朱申 卯玄 丑 申 申 卯 兄 甲申 朱 中 蛇未午巳辰陰 申 卯 卯 辛 父 己丑 虎 末 貴後
第百九十九例:一人の僧が失った度牒を占いに来ました。時は辛卯日、酉の月将を辰の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「重審」「励徳」「贅婿」「不備」です。天盤は酉将を辰刻に加えて布定され、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に卯を見て玄武を乘じ、第二課は卯の上に申を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の卯の上に申を見て同じく朱雀を乘じ、第四課は申の上に丑を見て白虎を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の辛卯は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の甲申は兄弟爻で朱雀を乘じ、末伝の己丑は父母爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:被親偷去,火焚了,其人腳跛,手指缺。蓋度牒以朱雀為類神,申為僧人,而元武乘卯合辛,故為親人,辛克卯,故卯遂偷去。知乃是外弟偷去,手足有疾不謬。
邵先生は言いました。度牒は親戚に盗まれて焼き捨てられました。その人は足を引きずり、指に欠損のある人です。度牒は朱雀を類神とし、申は僧人を表します。玄武が卯を乘じて辛と合するので、親しい者です。辛はまた卯を剋するので、卯はそれを盗み去ったのです。後に判明したところ、彼の従弟が盗んだのであり、その人の手足は果たして障害があって、少しも違いませんでした。
200)知縣宴同僚反失去銀物衣物而占,九月癸丑日卯將卯時。(寅卯空亡,寅卯落空),伏吟,亂首,勵德,遊子,稼穡。 后陰 貴巳午未申玄 蛇辰 酉常 陳 陳 陳 陳 鬼 癸丑 陳 初 朱卯 戌虎 丑 丑 丑 丑 官 庚戌 虎 中 六寅丑子亥空 丑 丑 丑 癸 鬼 丁未 陰 末(丁神) 勾龍
第二百例:ある知県が同僚を宴したところ、かえって銀両と衣物を失ったので占いに来ました。時は九月の癸丑日、卯の月将を卯の刻に加えて課を立てました——月将と時刻が同じなので「伏吟」であり、天盤と地盤が完全に重なり合います。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、伏吟の下では天地が重なり合い、寅・卯もまた空亡宮に乗っています。課名は五つ、「伏吟」「乱首」「励徳」「遊子」「稼穡」(三伝の丑・戌・未がすべて土)です。盤中は貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:四課とも丑の上に丑を見て勾陳を乘じます。三伝は丑・戌・未:初伝の癸丑は官鬼爻で勾陳を乘じ、中伝の庚戌は官星で白虎を乘じ、末伝の丁未は官鬼爻で太陰を乘じ、また「丁神」でもあります。
邵先生曰:其人須在高處,下來作竊,其物必藏在神廟中,未出衙門,今日午時二姓徐王人敗。丁己在未,故主二姓人。癸為日主刑戌,戌為人力,又為高樓宿處,伏吟不離本家也。未為木墓,內有鬼宿乘太陰,主神廟。太陰主隱匿也。人在高處者,元武在申,申為高處也。
邵先生は言いました。この賊はもともと高い所にいて、上から降りて窃盗を働きました。物は必ず神を祀る廟の中に隠され、まだ衙門を出ていません。今日の午時、徐・王の二姓の者が露見します。未の中には丁・己の二干が蔵されているので、二つの姓を主ります。癸日の日干は戌を刑し、戌は僕役を表し、また高楼の宿る所です。伏吟の課は本家を離れません。未は木の墓で、その中に鬼宿があり、また太陰を乘じるので神廟を主ります——太陰はもともと隠匿を主ります。人が高い所にいると言ったのは、玄武が申に落ちているからで、申はまさに高い所です。
後果於本衙中神廟龕下尋見,乃是樓上打更人偷,丑為官星,勾作刑,故獲。
後に果たして本衙の中の神廟の神龕の下で見つけました。楼上で更を打つ人が盗んだのでした。丑は官星であり、勾陳はまた刑拘を主るので、賊を捕らえることができたのです。
201)某占失銀子,庚午日子將丑時。(子丑空亡,亥子落空),遙克,逆茹,蒿矢。 朱蛇 六辰巳午未貴 陳卯 申后 六 朱 蛇 貴 鬼 庚午 蛇 初 龍寅 酉陰 辰 巳 午 未 鬼 己巳 朱 中 空丑子亥戌玄 巳 午 未 庚 父 戊辰 六 末 虎常
第二百一例:ある人が失った銀を占いに来ました。時は庚午日、子の月将を丑の刻に加えて課を立てました。底本は旬空を子・丑に標し、天盤の亥・子の二支がこの二つの空亡宮に乗っています(按:庚午日は甲子旬に属し、旬空は本来戌・亥にあるべきですが、底本は子・丑とします。次の例も同じ。今はそのまま写します)。課名は三つ、「遥剋」「逆茹」(三伝の午・巳・辰が逆に連なる)「蒿矢」です。天盤は子将を丑刻に加えて布定され、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられて上に未を見て貴人を乘じ、第二課は未の上に午を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の午の上に巳を見て朱雀を乘じ、第四課は巳の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は午・巳・辰:初伝の庚午は官鬼爻で螣蛇を乘じ、中伝の己巳も官鬼爻で朱雀を乘じ、末伝の戊辰は父母爻で六合を乘じています。
邵先生曰:其物在南方爐灶近水邊,溼泥中土藏之,若落水缸畔中,有楊樹傍,乃有木果處尋。後於灶邊水缸下尋見。蓋缸邊者,發用巳午蛇雀。近水泥溼者,乃午未上遁得壬癸水也。類神酉臨火墓作太陰,是以賊不出去也。
邵先生は言いました。物は南方の炉灶の近くの水辺にあり、湿った泥の中に埋められています。あるいは水瓮のそばに落ちています。楊柳のある、果木のある所で探しなさい。後に果たして竈のそばの水瓮の下で見つけました。瓮のそばと言ったのは、初伝が巳・午に発用して螣蛇と朱雀を乘じるからです。水に近く泥が湿ると言ったのは、午・未の上に壬・癸の水が遁しているからです。銀の類神の酉は火の墓に臨んで太陰を乘じるので、賊は物を持ち出していないのです。
202)尋物未見,再占。庚午日子將酉時。(子丑空亡,卯辰落空),重審,高蓋,三交,伏殃,二煩。 陳六 龍申酉戌亥朱 空未 子蛇 蛇 陳 后 朱 兄 癸酉 陳 初 虎午 丑貴 子 酉 寅 亥 子 空子 蛇 中(空亡) 常巳辰卯寅后 酉 午 亥 庚 財 丁卯 陰 末(暗鬼)(丁神) 玄陰
第二百二例:物がまだ見つからないので、もう一度課を起こしました。やはり庚午日、子の月将を酉の刻に加えて課を立てました。底本は旬空を子・丑に標し、天盤の卯・辰の二支がこの二つの空亡宮に乗っています。課名は五つ、「重審」「高蓋」「三交」「伏殃」「二煩」です。天盤は子将を酉刻に加えて布定され、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられて上に亥を見て朱雀を乘じ、第二課は亥の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の午の上に酉を見て勾陳を乘じ、第四課は酉の上に子を見て螣蛇を乘じます。三伝は酉・子・卯:初伝の癸酉は兄弟爻で勾陳を乘じ、中伝の子は旬空に逢い、子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の丁卯は妻財爻で太陰を乘じ、暗に鬼を帯び、また「丁神」でもあります。
邵先生曰:物在南方爐灶前,水溼處尋之,乃自家人盜耳。 先生析曰;蓋辰作元武,主僕輩。酉為類神,作勾臨午,更太陰臨水,故主溼處。後果然。凡失物須看類神在傳,或加日辰定見。傳日不出日,傳時不出時,宜秘之。
邵先生は言いました。物は南方の炉灶の前の湿った所にあります。そこに探しに行きなさい。盗んだのは自宅の者です。邵先生は解析して言いました。辰が玄武を乘じるのは僕役の輩を主ります。酉は銀の類神で、勾陳を乘じて午に臨みます。太陰はまた水の上に臨むので、湿った所を主ります。後に果たしてそのとおりでした。およそ失物は、必ず類神が三伝に落ちているか、あるいは日干・日支に加臨しているかを見なければなりません。そうであれば必ず見つかります。三伝が日に落ちれば当日に見え、時に落ちればその時に見えます——この一条の訣要は、守って軽々しく伝えてはなりません。
203)某占失舡,十一月朔壬午日丑將卯時。(申酉空亡,午未落空),元首,斬關,間傳。此與遂安官人占失馬同式,見六畜內。 蛇貴 朱卯辰巳午后 六寅 未陰 六 蛇 陰 常 子 戊寅 六 初(暗鬼) 陳丑 申玄 寅 辰 未 酉 兄 丙子 龍 中 龍子亥戌酉常 辰 午 酉 壬 鬼 甲戌 虎 末 空虎
第二百三例:ある人が失った船を占いに来ました。時は十一月朔の壬午日、丑の月将を卯の刻に加えて課を立てました。この課は前の遂安の官人が失馬を占った課式とまったく同じです。六畜の門を見てください。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の午・未の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「元首」「斬関」「間伝」です。天盤は丑将を卯刻に加えて布定され、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられて上に酉を見て太常を乘じ、第二課は酉の上に未を見て太陰を乘じ、第三課は日支の午の上に辰を見て螣蛇を乘じ、第四課は辰の上に寅を見て六合を乘じます。三伝は寅・子・戌:初伝の戊寅は子孫爻で六合を乘じて暗に鬼を帯び、中伝の丙子は兄弟爻で青竜を乘じ、末伝の甲戌は官鬼爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:船往南方尋之,初八日內見,舡在旱地上,所以不進。寅作合加辰為用,舡在地之象。寅木也,乘合卯乃舡。且今日卯為神類加巳,是在地戶東南上也。寅卯木三數,戌五數,共八,故八日內也。果初八日於東南上尋見。
邵先生は言いました。船は南方へ探しに行きなさい。初八の内に見つかります。船は陸地に乗り上げているので進めません。寅が六合を乘じて辰に加わり発用したのは、まさに船が地上に乗り上げた象です。寅は木に属し、乘じている六合はもともと卯に属し、卯はすなわち船です。しかも今日、卯という類神が巳に加わり、巳は地戸で方位は東南です。寅・卯は木に属してその数は三、戌の数は五、合わせて八なので、八日の内と断じました。後に果たして初八の日に東南の方で見つけました。
204)某占失麥面,丁卯日卯將戌時。(戌亥空亡,卯辰落空),重審,鑄印,乘軒。 朱六 蛇戌亥子丑勾 貴酉 寅龍 勾 后 常 六 兄 己巳 常 初 后申 卯空 丑 申 巳 子 子 空戌 蛇 中 陰未午巳辰虎 申 卯 子 丁 父 丁卯 空 末 玄常
第二百四例:ある人が失った麦の粉を占いに来ました。時は丁卯日、卯の月将を戌の刻に加えて課を立てました。丁卯日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の卯・辰の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「重審」「鋳印」「乘軒」です。天盤は卯将を戌刻に加えて布定され、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられて上に子を見て六合を乘じ、第二課は子の上に巳を見て太常を乘じ、第三課は日支の卯の上に申を見て天后を乘じ、第四課は申の上に丑を見て勾陳を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の己巳は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の戌は旬空に逢い、子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の丁卯は父母爻で天空を乘じています。
邵先生曰:據此數是人力勾引來合偷了。後知是人力與對門面店博士合偷了。 先生析曰;蓋巳為爐灶,又鑄印體,太常為博士,亦主酒食,戌為人力,天空亦是兩人力合偷也。申為麥面,故云。
邵先生は言いました。この課の数から見れば、僕役が外の人を誘い込んで合い図って盗んだのです。後に分かったところ、果たして家の僕役と向かいの麺店の店員が合い図って盗んだのでした。邵先生は解析して言いました。巳は炉灶の象を取り、課体もまた「鋳印」です。太常は店の店員を表し、また酒食を主ります。戌は僕役を表し、天空もまた僕役の象です——僕役の類の二人が合い図って盗んだのです。申は麦の粉を主るので、麦の粉を失ったと断じたのです。
官訟
205)童秀才壬戌生四十七歲占訟,戊申年丁酉日午將辰時。(辰巳空亡,午未落空),重審,不備,間傳,贅婿。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰 貴 貴 朱 財 丁酉 朱 初(丁神) 空巳 子后 丑 亥 亥 酉 官 己亥 貴 中 虎辰卯寅丑陰 亥 酉 酉 丁 子 辛丑 陰 末 常玄
第二百五例:童秀才は壬戌年生まれで四十七歳、訴訟を占いに来ました。時は戊申年の丁酉日、午の月将を辰の刻に加えて課を立てました。丁酉日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の午・未の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「重審」「不備」「間伝」「贅婿」です。天盤は午将を辰刻に加えて布定され、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられて上に酉を見て朱雀を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の酉の上に亥を見て同じく貴人を乘じ、第四課は亥の上に丑を見て太陰を乘じます。三伝は酉・亥・丑:初伝の丁酉は妻財爻で朱雀を乘じ、また「丁神」でもあり、中伝の己亥は官星で貴人を乘じ、末伝の辛丑は子孫爻で太陰を乘じています。
邵先生曰:晝貴在夜,夜貴在晝,謂之貴人失位,不宜訟,必主斷理不明。今貴人差迭,主以財結托,及暗通貴人關節。酉作雀,徒然結托,必主又換衙門。行年寅,又為今日父母,主吏人及尊長為鬼。蓋不合寅反加鬼鄉故也。官斷不明,末傳太陰故也。以後彼必葬老陰人於內,太陰作丑為墓故也。
邵先生は言いました。昼の貴人が夜の位に落ち、夜の貴人が昼の位に落ちるのを「貴人失位」と言い、訴訟には適しません。必ず断がはっきりしません。今、二重の貴人が錯綜して重なり合うので、主に金を出して請託し、陰で貴人の関節を通すことになります。しかし酉の上に朱雀を乘じるので、人に頼むのは徒労となり、必ず別の衙門に換えて重審します。行年は寅にあり、寅はまた今日の父母爻であり、吏人と尊長が鬼となったことを主ります——これは寅があえて鬼郷に加わるからです。官府の断が明らかでないのは、末伝が太陰を乘じるからです。この後、相手方は必ず一人の老いた婦人をその地の内に葬ります。太陰が丑に落ち、丑はまさに墓だからです。
童有房賣田並山,其兄應分取贖,弟反增高價,遂訟於官,買主繫童秀才之姑,自戊申至辛亥六月姑死,彼家果扛姑葬於內,而贖不得。
童家の一房が田と山を売りました。兄は例によって取り戻す権利を分かち得るはずでしたが、弟はかえって値段を釣り上げ、ついに官に訴えました。買主はまさに童秀才の姑母でした。戊申年から辛亥年の六月まで引き延ばされ、姑母が亡くなると、その家は果たして姑母を担いでこの地の内に葬り、田は取り戻せなくなりました。
206)汪淑儀壬戌生占訟,辛丑日戌將巳時,(辰巳空亡,酉戌落空),重審,勵德,蕪淫。戊申年占。 龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 龍 貴 朱 玄 財 癸卯 玄 初 朱申 卯玄 亥 午 申 卯 兄 丙申 朱 中(暗鬼) 蛇未午巳辰陰 午 丑 卯 辛 父 辛丑 虎 末 貴後
第二百六例:汪淑儀は壬戌年生まれで、訴訟を占いに来ました。戊申年に占ったものです。時は辛丑日、戌の月将を巳の刻に加えて課を立てました。辛丑日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「重審」「励徳」「蕪淫」です。天盤は戌将を巳刻に加えて布定され、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に卯を見て玄武を乘じ、第二課は卯の上に申を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の丑の上に午を見て貴人を乘じ、第四課は午の上に亥を見て青竜を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の癸卯は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の丙申は兄弟爻で朱雀を乘じて暗に鬼を帯び、末伝の辛丑は父母爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:干上旬尾,支上旬首,為一旬周遍格。又名周而復始格。來了又去,去了又來。日上我也,支上彼也,我見卯旬尾,是事了畢。彼見午旬首,其事又起。末傳丑與支上午六害,卯財又乘玄武,到了翻論,才輸財,又被人誆賺。辛墓於丑,丑墓於申,主在外州入獄而羈絆也。他是午火,反生他州獄神,我是卯木,能克獄神。翻至二次,卻能勝也。
邵先生は言いました。日干の上は一旬の末位、日支の上は一旬の首位です。これを「一旬周遍格」、また「周而復始格」と言い、事が来ては去り、去ってはまた来ます。日干は我を表し、日支は相手を表します。我が方で見る卯は旬の尾なので、事はすでに終わりました。相手の方で見る午は旬の首なので、事はまた新たに起きます。末伝の丑と日支の上の午は六害し、卯という財爻はまた玄武を乘じるので、翻案して重審する頃には、財を破ったばかりで、また人に騙されます。辛の金は丑に墓し、丑はまた申に墓します。主として外州に入って獄に繋がれます。相手は午の火で、かえって他州の獄神を生じます。我は卯の木で、獄神を剋し得ます——だから二回目に繰り返しても、やはり勝てるのです。
汪與張氏爭山起訟,汪氏初入狀果勝,張氏翻論至州,汪又上司入狀,送隨州。張又上司翻,告送嚴州司理獄,又入州縣獄,方得了絕。
汪家は張家と山を争って訴訟しました。汪家は最初に状を出して果たして勝ちました。張家は翻案して州まで訴え、汪家はまた上司に状を出し、案は随州に送られました。張家はさらに上司に翻案し、厳州の司理獄に訴え、汪家はまた州・県の二か所の獄に入り、案はやっと終結しました。
先生析曰;蓋午作貴人,作日鬼臨支,卻是六害,故彼自然失理也。汪氏被人啜了銀一百兩,乃卯作元武臨干也。卯乃閉口,說不得,又不敢問。凡人不識課名,此為一旬周遍格,若辛未日卯加未,午加辛亦然。謀諸事作吉成凶,作凶成吉,惟訟要散,不要關鎖也。
邵先生は解析して言いました。午の上に貴人を乘じ、また日干の鬼として日支に臨みますが、日支と六害を成すので、相手は自ずと理に負けます。汪家が人に百両の銀を騙し取られたのは、卯が玄武を乘じて日干に臨むからです。卯はまた閉口を主り、言い出せず、追及も敢えてしません。普通の人はこの課名を知りません。これを「一旬周遍格」と言います。例えば辛未日に卯が未に加わり、午が辛に加わっても、同じ格です。およそこれで事を謀れば、本来吉なのにかえって凶となり、本来凶なのにかえって吉となります。ただ訴訟だけは散らかることを要し、関鎖されてはいけません。
207)陸孔目癸亥生四十七歲占訟,己酉年九月庚申日卯將巳時。(子丑空亡,戌亥落空),元首,勵德,顧祖,間傳。 六陳 朱卯辰巳午龍 蛇寅 未空 六 龍 六 龍 鬼 戊午 龍 初 貴丑 申虎 辰 午 辰 午 父 丙辰 六 中(暗鬼) 后子亥戌酉常 午 申 午 庚 財 甲寅 蛇 末 陰玄
第二百七例:陸孔目は癸亥年生まれで四十七歳、訴訟を占いに来ました。時は己酉年九月の庚申日、卯の月将を巳の刻に加えて課を立てました。庚申日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の戌・亥の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は四つ、「元首」「励徳」「顧祖」「間伝」です。天盤は卯将を巳刻に加えて布定され、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられて上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の申の上に午を見て青竜を乘じ、第四課は午の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は午・辰・寅:初伝の戊午は官鬼爻で青竜を乘じ、中伝の丙辰は父母爻で六合を乘じて暗に鬼を帯び、末伝の甲寅は妻財爻で螣蛇を乘じています。
邵先生曰:此課訟有源頭,今乃再發,非驀地生起也。蓋顧祖課,主原有訟根耳。且金日得巳時,又午發用,為天網,此事已不及止,更與人多不足。始終被他害。末寅只管生午火,遂來克身,又是自取其災也。兼為事太過當,故至此。何以知之?行年自會起火局,所以招致。用火自去燒身,甲寅旬見寅,乃第一位公人害你。午為夥計,配一千八百里也。
邵先生は言いました。この訴訟はもともと由来があり、今は旧案が再び発したのであって、平白に生じたのではありません——「顧祖」の課であるからで、もとから訴訟の根があることを主ります。しかも金の日に巳時に逢い、さらに午をもって発用して天網となったので、この事はもう止められません。あなたは人と多く不和があり、始めから終わりまで人に害されてきました。末伝の寅はひたすら午の火を生じ、火は転じて身を剋します。これは自ら禍を取るのです。加えて行いがあまりに過ぎるので、ここに至りました。どうして分かるか?あなたの行年が自ずから火局を成すので、この災いを招いたのです——火をもって自らを焼くのです。甲寅のこの旬の中に寅を見るのは、第一番の差役があなたを害することです。午は仲間の人を表します。ついに千八百里に配流されることになります。
陸初與徐都院不足,被害窘拾不服,遂至彼來有短事,再被窘拾,遂送至院,眾人又來首。初時陸氏不合強罵眾人,因被從僭。所謂會成火局,乃是他自湊起。又是天網,亦自取也。因彼之身與宅,先見克,則末寅乘勢而生火。若不自招,如何得見此事?事了配鄂州,一千八百里。因午又見午,二九一十八,是其數也。午加申,乃西南方,陽刃破碎加本命,真針也。其青龍加申為退鱗,所以笞背。行年見盛開,則為配軍也。
陸孔目はもともと徐都院と不和で、人に構陥されて難儀し、心の中で服しませんでした。後に相手が彼の一点の短所を掴んで再度難儀し、彼を院に送り、衆人もまた出首して告発しました。当初、陸孔目は衆人を強く罵るべきではありませんでした。そのため人とともに連累されました。いわゆる火局を成すとは、まさに彼自身が寄せ集めたのです。また天網の中に落ちたのも、自ら招いたのです。彼の本身と宅位が先に剋を受けたので、末伝の寅は勢いに乘じて火を生じました。自ら招かなければ、どうしてこのような事に遭いましょうか。案は終結し、鄂州に配流され、まさに千八百里です——午の上にまた午を見るので、二九一十八、これがその数です。午が申に加わるので方位は西南です。羊刃と破碎が本命に加わるのは、真の懸針の象です。青竜が申に加わるのを「退鱗」と言うので、笞背の刑を受けます。行年の上に盛開の象を見るので、軍に充てられたのです。
208)林文丙辰生五十三歲占訟,戊申年辛卯日戌將午時。(午未空亡,寅卯落空),比用,曲直,佚女,寡宿,知一。 貴后 蛇丑寅卯辰陰 朱子 巳玄 陳 六 貴 常 父 空未 虎 初(空亡) 六亥 午常 未 亥 寅 午 財 辛卯 后 中(落空) 陳戌酉申未虎 亥 卯 午 辛 子 丁亥 六 末(暗鬼)(丁神) 龍空
第二百八例:林文は丙辰年生まれで五十三歳、訴訟を占いに来ました。時は戊申年の辛卯日。底本は「戌将午時」と作しますが、盤中では天盤の戌がちょうど地盤の寅に加わっているので、実は戌将を寅刻に加えたものです。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の寅・卯の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は五つ、「比用」「曲直」(三伝の未・卯・亥が木局を合成する)「佚女」「寡宿」「知一」です。盤中は貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に午を見て太常を乘じ、第二課は午の上に寅を見て貴人を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て六合を乘じ、第四課は亥の上に未を見て勾陳を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の未は旬空に逢い、父母爻で白虎を乘じ、中伝の辛卯は妻財爻で天后を乘じて空の地に落ち、末伝の丁亥は子孫爻で六合を乘じて暗に鬼を帯び、また「丁神」でもあります。
邵先生曰:主有服人爭訟,挾起卑幼,遂乃動眾。夜貴加在日貴,宜暗計囑託,庶可。傳財太盛反化鬼,若要此事了,須至貼幼小財物自止。徒爾有眾,不能成事也。林兄弟三人,又叔伯兄弟四人,分產時,諸弟皆小,所分不均,後兄死,嫂與小弟論他不當,叔伯兄弟從之。
邵先生は言いました。この課は服を着た人が争訟することを主り、また卑幼の小口を挟んで連れてきて、ついに衆を動かします。夜の貴人が昼の貴人の位に加わるので、暗に計策をもって人に情けを頼むとよく、事はあるいは成るかもしれません。三伝の財があまりに盛んで、かえって鬼に化しました。この事を終わらせようとすれば、幼小の輩に財物を貼り足さなければなりません。そうすれば事は自ずと止みます。空しく大勢がいるだけでは、事を成せません。林文は兄弟三人、また叔伯兄弟が四人います。もともと家産を分けた時、弟たちはみな幼く、分け方が公平でなかったため、後に長兄が亡くなり、嫂と末の弟が分け方が不当だと論じ、叔伯兄弟もみなこれに従いました。
先生析曰;蓋木局生干上午火,火來剋日,行年上又見寅,日貴午雖是關切,又是鬼。寅木又生鬼,故有事。貼幼子即止者,因宅見亥為幼子,亥水能制午火。然諸木又生於亥,故住與不住,皆由於亥,故必貼幼小方得止也。後果貼幼弟物,諸人皆散。
邵先生は解析して言いました。木局は日干の上の午火を生じに行き、火はかえって日干を剋します。行年の上にまた寅を見ます。日干の上の午は貴人が関切する所ではありますが、同時に鬼です。寅の木がまたこの鬼を生じるので、事端が生まれました。幼小の輩に貼り足せば止まると言ったのは、宅位の上に亥を見るからです。亥は幼い子を表し、亥水は午火を制し得ます。そして各所の木はまたみな亥に長生するので、事が止まるか止まらないかはすべてこの亥にあり、必ず幼小の輩に貼り足さなければ終わりません。後に果たして末の弟に財物を貼り足し、衆人はみな散りました。
又論曰:日上太常,是服也。午則婦人,故因嫂而動也。三傳生鬼,動眾之兆。寅加午上,貴人差迭,宜告貴人矣。挾起卑幼,亥水又作六合也。午空無刃,故不必貼婦人。亥能制午,是以貼幼子耳。
また論じて言いました。日干の上に太常を乘じるのは、すなわち孝服です。午はまた婦人を表すので、事は嫂から起こされたのです。三伝が鬼を生じに行くのは、衆を驚かす兆です。寅が午の上に加わり、二重の貴人が交錯して位を失うので、貴人に訴えるのがよいのです。卑幼の小口を挟むと言ったのは、亥水がまた六合を乘じているからです。午は空亡に逢って羊刃がないので、その婦人に貼り足す必要はありません。亥は午を制し得るので、幼小の輩に貼り足せばよいのです。
209)祝秀才壬申生三十八歲占訟,己酉年乙酉日辰將卯時,重審,進茹,龍潛。 虎常 空午未申酉玄 龍巳 戌陰 后 陰 空 龍 父 丁亥 后 初(丁神) 陳辰 亥后 亥 戌 午 巳 父 戊子 貴 中 六卯寅丑子貴 戌 酉 巳 乙 財 己丑 蛇 末 朱蛇
第二百九例:祝秀才は壬申年生まれで三十八歳、訴訟を占いに来ました。時は己酉年の乙酉日、辰の月将を卯の刻に加えて課を立てました(底本はここに空亡を標しません)。乙酉日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ちます。課名は三つ、「重審」「進茹」「竜潜」です。天盤は辰将を卯刻に加えて布定され、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられて上に巳を見て青竜を乘じ、第二課は巳の上に午を見て天空を乘じ、第三課は日支の酉の上に戌を見て太陰を乘じ、第四課は戌の上に亥を見て天后を乘じます。三伝は亥・子・丑:初伝の丁亥は父母爻で天后を乘じ、また「丁神」でもあり、中伝の戊子も父母爻で貴人を乘じ、末伝の己丑は妻財爻で螣蛇を乘じています。
邵先生曰:主子賣物,出外賣之,迤邐閒氣成訟,陰人乘勢爭財,少婦從而應之。進茹課遂連綿起事,卻幸我行年自前截住,終為我遏。蓋自酉上見戌,亥子丑年在卯,加寅截住,此名挫鋒,眾議俱解,但前進則勝,畏怕則被攻不止矣。
邵先生は言いました。この課は息子が物を外に持ち出して売り、途中で閑気が訴訟を招くことを主ります。女眷が勢いに乘じて財を争い、若い嫁がまた傍らから応えます。「進茹」の課は、事が連綿と絶えず生じます。幸いにもあなたの行年が前からこれを截っているので、ついに我に遏止されます。酉の上に戌を見ることから、亥・子・丑が一路入って来て、行年が卯にあって寅に加わってこれを截断するので、これを「挫鋒」と言い、衆人の議論はみな解けます。ただし必ず前に進まなければ勝てません。畏れを心に抱けば、人に攻め訴えられて止みません。
祝有子將眾物偷賣,其嫂弟之女說知,遂經官訟。祝秀才挽陳公人調停,其事遂止。
祝秀才の息子が衆人共有の物を盗んで売り払い、嫂と弟の娘に言い破られ、ついに官府に沙汰されて訴訟となりました。祝秀才は陳姓の差役に頼んで間に調停してもらい、この事はやっと鎮まりました。
210)陸孔目己巳生四十一歲占官事,己酉年己未日卯將丑時。(子丑空亡,寅卯落空),八專,獨足。 貴后 蛇未申酉戌陰 朱午 亥玄 玄 后 玄 后 子 辛酉 后 初 六巳 子常 亥 酉 亥 酉 子 辛酉 后 中 陳辰卯寅丑虎 酉 未 酉 己 子 辛酉 后 末 龍空
第二百十例:陸孔目は己巳年生まれで四十一歳、官司を占いに来ました。時は己酉年の己未日、卯の月将を丑の刻に加えて課を立てました。己未日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「八専」(己の寄宮は未にあり、日支の未と同じ所に居する)「独足」です。天盤は卯将を丑刻に加えて布定され、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられて上に酉を見て天后を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て玄武を乘じ、第三課は日支の未の上に酉を見て天后を乘じ、第四課は酉の上に亥を見て玄武を乘じます。三伝はいずれも辛酉の子孫爻で、いずれも天后を乘じ、一支で最後まで貫きます。
邵先生曰:己巳生人,見酉乃破碎。今日又是巳日,未即是己,支干又皆敗於酉,酉合巳,象配字,行年便作背後懸針殺,一因奸事,二防官錢,三防酒,必配本州島。蓋獨足不行也。配後當再配西北牢城方止耳。陸漫應之,月餘太守差沽酒,渠夾帶劉宅私酒,又與二夫娘何盼盼憑照,因太守轎出,見他在麵店,太守即搜尋他事蹟,互用官錢五十多貫,及招認奸事,配本州島牢城,後即在通判廳,累與他作鬧,再與何盼盼往來,通判大怒,稟過太守,斷配潤州。
邵先生は言いました。己巳年生まれの人は、酉を見れば破碎です。今日はまた巳の日で、未はすなわち己の寄宮であり、日干・日支はともに酉に敗れます。酉と巳は合して「配」の字の象を成し、行年の上はまた背後に懸針の煞を結びます。一には姦事のため、二には官銭の流用を防ぎ、三には酒を防ぐべきで、必ず本州に配流されます——「独足」の課は遠くへ行けないからです。配流の後、さらに西北の牢城に再配流して事はやっと終わります。陸孔目はその場ではただ漫然と応えていました。一か月余りたって、太守が彼に酒を買いに行かせると、彼は劉家の私酒を挟み込み、また再嫁の婦人何盼盼に憑照を発行しました。ちょうど太守が轎に乗って出かけ、彼が麺店にいるのを見て、太守は彼の素行を調べさせ、官銭五十余貫の流用を洗い出し、また姦事を自白させたので、本州の牢城に配流しました。後に彼は通判庁で勤め、しばしば人と争い、また何盼盼と往来したので、通判は大いに怒り、太守に禀して、彼を潤州に配流するよう断じました。
先生析曰;蓋獨足課,故在本州島,本年行年加日辰上,卻成飛散之法,既飛散,必再出外方。酉亥丑傳歸西北,乃江海,必潤州矣。況並眾即散,來年行年並聚,遂即飛散。有二巳子,豈一番可了?不合是己巳生末傳飛開,丑加亥是西北海角,亥為點水,酉為門,丑似玉字,點水邊作門,門內有玉,乃潤字也。
邵先生は解析して言いました。これは「独足」の課なので、初回は本州に配されるだけでした。当年の行年は日干・日支に加わりますが、かえって飛散の法を成しました。飛散すれば必ずまた外地へ行きます。酉・亥・丑は西北に伝わり、そこは江海の郷で、必ず潤州です。しかも衆多の所に併せ集まれば散らばるもので、明年行年が併せ集まれば、すぐに飛び散ります。課の中に巳・子に関する象が二つあり、どうして一回で終わりましょうか。しかも彼は己巳年生まれで、末伝はまた飛び去りました。丑が亥に加わるのは西北の海角です。亥は三点水の象を取り、酉は門の象を取り、丑の字形は「玉」に似ています。三点水の旁に門があり、門の中に玉があるのは、まさに「潤」の字です。
211)某占訟,七月庚午日午將未時。(戌亥空亡,酉戌落空),遙克,逆茹,蒿矢。 陳龍 六辰巳午未空 朱卯 申虎 六 陳 龍 空 鬼 庚午 龍 初 蛇寅 酉常 辰 巳 午 未 鬼 己巳 陳 中 貴丑子亥戌玄 巳 午 未 庚 父 戊辰 六 末 后陰
第二百十一例:ある人が訴訟を占いに来ました。時は七月の庚午日、午の月将を未の刻に加えて課を立てました。庚午日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の酉・戌の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「遥剋」「逆茹」(三伝の午・巳・辰が逆に連なる)「蒿矢」です。天盤は午将を未刻に加えて布定され、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられて上に未を見て天空を乘じ、第二課は未の上に午を見て青竜を乘じ、第三課は日支の午の上に巳を見て勾陳を乘じ、第四課は巳の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は午・巳・辰:初伝の庚午は官鬼爻で青竜を乘じ、中伝の己巳も官鬼爻で勾陳を乘じ、末伝の戊辰は父母爻で六合を乘じています。
邵先生曰:凡占官訟勝負,先以刑德言之,今庚午日,午作龍為用,午火刑勝德,中巳火又助午伐德,末又罡加日本,凶課也,主事未了,又一事發,必吃棒也。果然。
邵先生は言いました。およそ官司の勝負を占うには、まず刑と徳を論じなければなりません。今、庚午日は午が青竜を乘じて発用し、午の火は刑であって徳に勝ります。中伝の巳の火がまた午を助けてともに徳を伐り、末伝の天罡(辰)がまた日干の本位に加わります——これは凶課で、一つの事がまだ終わらないうちにまた一つの事が発し、必ず棒に当たります。後に果たしてそのとおりでした。
212)某占訟,五月乙未日未將卯時。(辰巳空亡,申酉落空),重審,曲直,狡童。 朱蛇 六酉戌亥子貴 陳申 丑后 玄 蛇 貴 陳 父 己亥 蛇 初 龍未 寅陰 卯 亥 子 申 兄 癸卯 玄 中 空午巳辰卯玄 亥 未 申 乙 財 乙未 龍 末 虎常
第二百十二例:ある人が訴訟を占いに来ました。時は五月の乙未日、未の月将を卯の刻に加えて課を立てました。乙未日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の申・酉の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「重審」「曲直」(三伝の亥・卯・未が木局を合成する)「狡童」です。天盤は未将を卯刻に加えて布定され、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられて上に申を見て勾陳を乘じ、第二課は申の上に子を見て貴人を乘じ、第三課は日支の未の上に亥を見て螣蛇を乘じ、第四課は亥の上に卯を見て玄武を乘じます。三伝は亥・卯・未:初伝の己亥は父母爻で螣蛇を乘じ、中伝の癸卯は兄弟爻で玄武を乘じ、末伝の乙未は妻財爻で青竜を乘じています。
邵先生曰:一出頭,便被枷錮,後卻無事。蓋申作勾加身為鬼,所以枷錮,卻是日德合,末有龍,故無事。果丙申日被枷,後即疏放。三傳曲直,應先曲後直也。
邵先生は言いました。一度頭を出せばすぐに枷を掛けられますが、その後は事ありません。申が勾陳を乘じて本身に加わって鬼となるので、枷に繋がれます。しかしそれは同時に日干の徳神と合し、末伝にはまた青竜があるので、ついに事ありません。後に果たして丙申日に枷を掛けられ、すぐに釈放されました。三伝が「曲直」を成すのは、まさに先に曲がり後に直る意味に応じたのです。
213)某占因人力打死欠米錢人解官,辛丑日子將未時。(辰巳空亡,酉戌落空),重審,勵德,蕪淫。 龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 龍 貴 朱 玄 財 癸卯 玄 初 朱申 卯玄 亥 午 申 卯 兄 丙申 朱 中(暗鬼) 蛇未午巳辰陰 午 丑 卯 辛 父 辛丑 虎 末 貴後
第二百十三例:ある人が家の僕役が米銭を負っている人を打ち殺して官府に解送されたので占いに来ました。時は辛丑日、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。課式は前の第二百六例の汪淑儀が訴訟を占ったものとまったく同じです。辛丑日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「重審」「励徳」「蕪淫」です。天盤は子将を未刻に加えて布定され、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に卯を見て玄武を乘じ、第二課は卯の上に申を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の丑の上に午を見て貴人を乘じ、第四課は午の上に亥を見て青竜を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の癸卯は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の丙申は兄弟爻で朱雀を乘じて暗に鬼を帯び、末伝の辛丑は父母爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:此課凶,然今次卻免難。六年後俱惡死矣。宅上有寡母,乃天空加宅也。又須有一女損目,午為目,被亥克也。天后為用,後遇恩赦免矣。果蒙恩赦而免死編管。六年上二人復打死人,一人自縊,一人刑死,蓋申金入墓也。
邵先生は言いました。この課は本来凶ですが、今回はまだ難を免れます。六年の後にはみな非命に死にます。宅の上には寡居の母がおり、天空が宅位に加わったものです。家にまた一人の娘がいて目を損じるはずです。午は人の身では眼目を主るのに、今亥水に剋されているからです。天后を取って用神とすれば、後日恩赦に遇って罪を免れます。後に果たして恩赦を蒙って死罪を免れ、編管に改判されました。第六年に至って、その二人はまた人を打ち殺し、一人は自ら縊れ、一人は刑に処せられました——これは申の金が墓に入った応えです。
214)或占殺死二人如何決斷,壬辰日酉將寅時。(午未空亡,丑寅落空),知一,不備。 朱蛇 六子丑寅卯貴 陳亥 辰后 玄 陳 朱 玄 財 空午 玄 初(空亡) 龍戌 巳陰 午 亥 丑 午 鬼 己丑 朱 中(落空)(暗鬼) 空酉申未午玄 亥 辰 午 壬 父 甲申 虎 末 虎常
第二百十四例:ある人が二人を殺した案がどう裁決されるかを占いました。時は壬辰日、酉の月将を寅の刻に加えて課を立てました。壬辰日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の丑・寅の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「知一」「不備」です。天盤は酉将を寅刻に加えて布定され、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられて上に午を見て玄武を乘じ、第二課は午の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の辰の上に亥を見て勾陳を乘じ、第四課は亥の上に午を見て玄武を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の午は旬空に逢い、妻財爻で玄武を乘じ、中伝の己丑は官鬼爻で朱雀を乘じ、空の地に落ちて暗に鬼を帯び、末伝の甲申は父母爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:此課大凶,蓋自取亂首也。日加辰作勾,上下夾克,午作元為用,日辰上下皆是自刑,宅上勾陳俱是天罡,罡是鬼,又是死奇,又是日墓,末申又作虎入墓,其凶不可言,恐死不完尸也。後果處決。
邵先生は言いました。この課は大凶で、自ら招いた「乱首」の禍です。日干が日支に加わって勾陳を乘じ、上下が互いに夾剋します。午が玄武を乘じて発用し、日干・日支の上下はまたすべて自刑です。宅位の上の勾陳の臨む所はまさに天罡(辰)です。天罡は鬼であり、また死奇であり、さらに日干の墓でもあります。末伝の申はまた白虎を乘じて墓に入ります——凶であることは言い尽くせず、死後に全尸を保てないかもしれません。後にその人は果たして処決されました。
215)張大郎占官事,丙戌年十二月辛酉日丑將丑時。(子丑空亡,子丑落空), 陳龍 六巳午未申空 朱辰 酉虎 虎 虎 常 常 兄 辛酉 虎 初 蛇卯 戌常 酉 酉 戌 戌 父 壬戌 常 中 貴寅丑子亥玄 酉 酉 戌 辛 父 己未 龍 末 后陰
第二百十五例:張大郎が官司を占いに来ました。時は丙戌年十二月の辛酉日、丑の月将を丑の刻に加えて課を立てました——月将と時刻が同じなので伏吟であり、天盤と地盤が完全に重なり合います。辛酉日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、伏吟の下では天地が重なり合い、子・丑もまた空亡宮に乗っています(底本はここに課名を標しません)。盤中は貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に戌を見て太常を乘じ、第二課は戌の上に戌を見て太常を乘じ、第三課は日支の酉の上に酉を見て白虎を乘じ、第四課は酉の上に酉を見て白虎を乘じます。三伝は酉・戌・未:初伝の辛酉は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の壬戌は父母爻で太常を乘じ、末伝の己未も父母爻で青竜を乘じています。
邵先生曰:本主徒罪,因發用自刑,乘虎臨門戶也。喜得中戌作常,末天喜乘龍作解神,必有恩赦相救,先凶而後吉也。果然。
邵先生は言いました。この課は本来徒刑に判すべきです。初伝に発用した酉は自刑であり、また白虎を乘じて門戸に臨むからです。幸い中伝の戌は太常を乘じ、末伝は天喜の神で青竜を乘じて解神と化するので、必ず恩赦が来て救います。先に凶、後に吉の象です。後に果たしてそのとおりでした。
雑占
216)沈保正壬戌生四十八歲占役事,己酉年九月乙丑日卯將戌時。(戌亥空亡,卯辰落空),重審,勵德,天獄。 六陳 朱戌亥子丑龍 蛇酉 寅空 六 陰 空 蛇 兄 丙寅 空 初 貴申 卯虎 亥 午 寅 酉 財 辛未 后 中(暗鬼) 后未午巳辰常 午 丑 酉 乙 父 甲子 陳 末 陰玄
第二百十六例:沈保正は壬戌年生まれで四十八歳、差役の事を占いに来ました。時は己酉年九月の乙丑日、卯の月将を戌の刻に加えて課を立てました。乙丑日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の卯・辰の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「重審」「励徳」「天獄」です。天盤は卯将を戌刻に加えて布定され、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられて上に酉を見て螣蛇を乘じ、第二課は酉の上に寅を見て天空を乘じ、第三課は日支の丑の上に午を見て太陰を乘じ、第四課は午の上に亥を見て六合を乘じます。三伝は寅・未・子:初伝の丙寅は兄弟爻で天空を乘じ、中伝の辛未は妻財爻で天后を乘じて暗に鬼を帯び、末伝の甲子は父母爻で勾陳を乘じています。
邵先生曰:保正不能脫手,於道理合當做此役也。酉加乙作蛇官鬼自纏身也。初傳功曹,身已在公了,為保正之後,平安無些子事。你若不認此役,須是監繫,必待認了方釋。又行年與宅上午作太陰,有一人與你陰人是親眷,來與你打關節,反探你口氣,卻去報他,為內鬼也。
邵先生は言いました。保正というこの差役はあなたが手放せません。道理ではもともとあなたが当たるべきものです。酉が乙に加わって螣蛇を乘じるのは、官鬼が自ら身に纏いつくことです。初伝は功曹(寅)で、あなたがすでに公門の身にあると見えます。保正に当たった後は、かえって平々安々として少しの事もありません。もしこの差役を認めなければ、監押されてしまい、認めるまで放されません。それから行年と宅位の上の午は太陰を乘じており、ある人があなたの家の女眷の親戚で、あなたのために関節を通すと言いますが、実はかえってあなたの口風を探り、相手に報告しに行くのです——これは内鬼です。
先生析曰;蓋乙見酉為官所制,蛇是被監勒,初傳寅作天空為官吏,若不認,必入獄,中傳是認了卻無慮,末子作勾陳,是晚而復做也。 沈公之事,皆如其言,自後既脫,九年又做一次。
邵先生は解析して言いました。乙木が酉を見るのは、官に制されることです。螣蛇は監押されて勒逼されることです。初伝の寅が天空を乘じるのは官吏を表します。この差役を認めなければ必ず牢獄に入ります。中伝の未は認めた後は憂いがないことを表し、末伝の子が勾陳を乘じるのは、晩年にまた一度当たることです。沈保正の事は、件々すべて彼の言うとおりでした。後にこの差役を脱し、九年たってまた一度当たりました。
217)沈四公庚戌四月十八日辰時生,五十九歲,於戊申年七月二十三日乙巳日午將亥時,(寅卯空亡,酉戌落空),重審,四絕。因爭保正而占。 龍空 陳子丑寅卯虎 六亥 辰常 后 陳 陰 六 子 丙午 陰 初 朱戌 巳玄 未 子 午 亥 財 癸丑 龍 中 蛇酉申未午陰 子 巳 亥 乙 鬼 戊申 貴 末 貴後
第二百十七例:沈四公は庚戌年四月十八日の辰時生まれで五十九歳、戊申年七月二十三日の乙巳日に占いに来て、午の月将を亥の刻に加えて課を立てました。人と保正の職を争うためです。乙巳日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の酉・戌の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「重審」「四絶」です。天盤は午将を亥刻に加えて布定され、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられて上に亥を見て六合を乘じ、第二課は亥の上に午を見て太陰を乘じ、第三課は日支の巳の上に子を見て勾陳を乘じ、第四課は子の上に未を見て天后を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の丙午は子孫爻で太陰を乘じ、中伝の癸丑は妻財爻で青竜を乘じ、末伝の戊申は官鬼爻で貴人を乘じています。
邵先生曰:課名重審,末本絕神,不合亥子又來生日,絕中又起,奈何你母勸你休爭,你女又勸,俱不聽,下稍自做,雖得財不善可惡,後有悔。所得之物,可以移翁棺葬此內,必陋貴子,為大和尚。汝葬祖側也。
邵先生は言いました。課名は「重審」です。末伝は本来絶神ですが、亥・子がまた日干を生じに来るので、絶地の中にまた機が生まれます。惜しいことに、あなたの母は争うなと勧め、あなたの娘も勧めましたが、あなたはいずれも聞かず、終わりには自らそれを為しました。銭財を得はしたものの、その来た道は正しくなく、人に憎まれ、後日悔いることになります。得たこの産業には、あなたの岳父の棺を移してその中に葬ることができ、後日必ず一人の貴い子が出て大和尚となります。あなた自身は祖墳のそばに葬られます。
沈母乃童氏,其女亦嫁童家。童家服滿,沈公欲爭保正,母與又勸不聽,乃自做了,後童分家,請沈公作主,沈卻於公共內,取一生墳安葬。四年生一兒,為大和尚於廣教寺。
沈四公の母は童家の出で、その娘もまた童家に嫁ぎました。童家の服喪が満了し、沈四公は保正を争おうとしましたが、母も娘も勧めたのを聞かず、自らそれを為しました。後に童家が家を分けるにあたり沈四公に主裁を請い、沈四公はかえって公共の産業の中に一区画を出して生墳として安葬しました。四年たって一人の息子が生まれ、後に広教寺で大和尚となりました。
先生析曰;蓋乙以子為母,午為女,亥為父,申為翁,丑為墓,申加之,是為翁墓也。本命庚戌,庚金墓丑,是自亦墓此矣。申為僧,丑為賢,上見貴,是大和尚也。
邵先生は解析して言いました。乙木は子をもって母とし、午をもって女とし、亥をもって父とし、申をもって岳父とし、丑をもって墓とします。申が丑に加わるのは、すなわち岳父の墳墓です。彼の本命は庚戌で、庚の金は丑に墓します。彼自身もまたここに葬られると見えます。申は僧人の象を取り、丑は賢徳の象を取り、その上にまた貴人を見るので、大和尚となるのです。
219)潘道士乙亥生,占住持。戊戌日戌將寅時。(辰巳空亡,子丑落空),遙克,炎上。 虎常 空丑寅卯辰玄 龍子 巳陰 虎 后 蛇 空 鬼 壬寅 虎 初 陳亥 午后 寅 午 申 丑 兄 戊戌 六 中 六戌酉申未貴 午 戌 丑 戊 父 甲午 后 末 朱蛇
第二百十九例(底本は第二百十七例から直接第二百十九例に続き、第二百十八例を欠きます。今はそのまま写します):潘道士は乙亥年生まれで、住持になれるかどうかを占いに来ました。時は戊戌日、戌の月将を寅の刻に加えて課を立てました。戊戌日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の子・丑の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「遥剋」「炎上」(三伝の寅・戌・午が火局を合成する)です。天盤は戌将を寅刻に加えて布定され、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられて上に丑を見て天空を乘じ、第二課は丑の上に申を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の戌の上に午を見て天后を乘じ、第四課は午の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は寅・戌・午:初伝の壬寅は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の戊戌は兄弟爻で六合を乘じ、末伝の甲午は父母爻で天后を乘じています。
邵先生曰:大凡僧道占住持,以日為我,支為住持。春得炎上局,卻喜旺相,只是不合陽刃乘后加支,主住持九月與朱姓人交通,遂受刑而出。初傳是鬼,臨婦人上,雖三傳化火生干,然火旺不久便暗,而寅木獨為戌鬼,身上丑作空,正是傳法之空門,目下即成,後因同牒人反來做造,因奸而壞也。潘謀住持,丑作天空,是薦賢空門之象。丑為僧,僧與道同,此住持必成。果五月受貼,六月至觀。宮畔有朱百戶妻,遂與往來,自六月至次年二月共九月,被原與同牒人汪三,使人告發,至官被刑而出。
邵先生は言いました。およそ僧道が住持の位を占うには、日干をもって自らとし、日支をもって住持という職とします。春に「炎上」の火局を得るのは、旺相の気に当たるのが喜ばしいのですが、ただ羊刃が天后を乘じて日支に加わるべきではありません。住持となって九か月の後、朱姓の人と私通して刑を受け逐出されることを主ります。初伝は鬼であり、婦人を表す神の上に臨みます。三伝は火に化して日干を生じますが、火は旺して久しくなく暗転し、寅木がひとり戌の鬼となります。本身の上の丑は天空を乘じ、まさに伝法の空門の象で、今すぐ事が成ります。後日は同じ度牒にあった人がかえって構陥し、私情によって敗れます。潘道士がこの住持を謀るに、丑が天空を乘じるのは賢者を挙げ空門に伝法する象であり、丑はまた僧人を主り、僧と道は同類なので、この住持は必ず成ります。後に果たして五月に貼を受け、六月に道観に至りました。観のそばに朱百戸の妻が住んでおり、彼は彼女と往来しました。六月から第二年の二月までちょうど九か月で、もと同じ度牒にいた汪三が人をして告発させ、官に至って刑を受けて逐出されました。
先生析曰;大凡炎上局,自是有頭無尾,如火之炎,暫時便止,那更合後,遂為失友。午作天后,是婦人,午未字像朱姓,戊日陽刃在午,故主刑,自第四課傳出,故出觀。暗貴作空,故可至觀。既至自然被害也。
邵先生は解析して言いました。およそ「炎上」の局は、もともと頭があって尾がなく、火の炎のようにしばらく燃えてすぐ止みます。しかもそれはまた天后と合するので、ついに「失友」となります。午の上に天后を乘じるのはすなわち婦人です。午・未の二字の形がまた「朱」の字に似るので、朱姓です。戊日の羊刃は午にあるので、刑を受けることを主ります。初伝は第四課から伝出するので、道観を逐出されます。暗い貴人が天空を乘じるので、道観には至れます。そこに至れば自ずと害を受けます。
一訂云,午乃離朱雀,故姓朱。午未字像朱說非。又曰,後乃婦人,午亦婦也。加支為日之刃,故因婦人受責。在支上是以主得住持而始蒙責。
別に一つの訂正の説があります。午は離卦に属し、また朱雀の位でもあるので、朱姓と断じます。午・未の二字の形が「朱」の字に似ると言うのは誤りです。また言います。天后は婦人を表し、午そのものも婦人を表します。それが日支に加わってまさに日干の羊刃となるので、婦人によって責罰を受けます。日支の上に落ちるので、まず住持となって、それから責罰を招くことを主ります。
220)長老常占,己丑年二月癸丑日酉將戌時。(寅卯空亡,丑寅落空),重審,退茹。 朱六 蛇辰巳午未陳 貴卯 申龍 常 玄 常 玄 兄 壬子 玄 初 后寅 酉空 亥 子 亥 子 兄 辛亥 常 中 陰丑子亥戌虎 子 丑 子 癸 鬼 庚戌 虎 末 玄常
第二百二十例:名を常という長老が占いに来ました。時は己丑年二月の癸丑日、酉の月将を戌の刻に加えて課を立てました。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の丑・寅の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は二つ、「重審」「退茹」(三伝の子・亥・戌が逆に連なる)です。天盤は酉将を戌刻に加えて布定され、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられて上に子を見て玄武を乘じ、第二課は子の上に亥を見て太常を乘じ、第三課は日支の丑の上に子を見て玄武を乘じ、第四課は子の上に亥を見て太常を乘じます。三伝は子・亥・戌:初伝の壬子は兄弟爻で玄武を乘じ、中伝の辛亥も兄弟爻で太常を乘じ、末伝の庚戌は官鬼爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:子作元武加日相合,即作傳,加丑為陽刃大吉,又是僧寺,中傳亥加子作常,亥即元類,作常加子,又是勢害,末虎克日,此課凶矣。必旬日內盜欲入方丈不得,乃入庫下偷三人物,後來干三人命。蓋連茹體也。且損水姓人。
邵先生は言いました。子が玄武を乘じて日干に加わりこれと合するので、そのまま初伝に取られます。それは丑に加わり、丑は羊刃でありまた大吉の神であり、同時に僧寺をも表します。中伝の亥は子に加わって太常を乘じます——亥はもともと玄武の類で、今太常を乘じてまた子に加わり、勢いに乘じて害する形となります。末伝の白虎は日干を剋しに来ます。この課は凶です。十日の内に必ず盗賊が方丈に入ろうとして入れず、転じて庫房の下に入って三人の物を盗み、後に三条の人命にまで連累します——課体が連茹で相い接するからです。しかも姓に水を帯びる一人を損ないます。
果第七日賊入庫,偷監寺副典庫三人物,既覺行者尋蹤往,他客汪家捉獲。將汪氏一鐵椎擊死,因解行者至官獄死。三僧吃棒,一僧患杖死,皆因連茹在不明,末虎作鬼故也。 庫中者,丑為庫也。
果たして七日目に賊が庫房に入り、監寺・副寺・典庫の三人の物を盗み去りました。発覚した後、行者は跡を辿って追い、外来の客商の汪家で賊を捕らえました。賊は一柄の鉄椎で汪某を打ち殺し、行者はこのため官府に解送され、獄で死にました。三人の僧は棒に当たり、そのうち一人は杖の傷で死にました——これはみな連茹の体が事を連累して明らかにせず、末伝がまた白虎で鬼と化したからです。庫房の中と言ったのは、丑が庫の象を取るからです。
221)或占求酒,壬子日申將亥時。(寅卯空亡,亥子落空),比用,三交,高蓋。 貴后 蛇寅卯辰巳陰 朱丑 午玄 玄 空 陰 虎 財 戊午 玄 初(暗鬼) 六子 未常 午 酉 巳 申 子 空卯 貴 中(空亡) 陳亥戌酉申虎 酉 子 申 壬 兄 壬子 六 末(落空) 龍空
第二百二十一例:ある人が酒を求めることを占いました。時は壬子日、申の月将を亥の刻に加えて課を立てました。壬子日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の亥・子の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています。課名は三つ、「比用」「三交」「高蓋」です。天盤は申将を亥刻に加えて布定され、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられて上に申を見て白虎を乘じ、第二課は申の上に巳を見て太陰を乘じ、第三課は日支の子の上に酉を見て天空を乘じ、第四課は酉の上に午を見て玄武を乘じます。三伝は午・卯・子:初伝の戊午は妻財爻で玄武を乘じて暗に鬼を帯び、中伝の卯は旬空に逢い、子孫爻で貴人を乘じ、末伝の壬子は兄弟爻で六合を乘じて空の地に落ちています。
邵先生曰:酉加子作天空,支為酒,其酒必敗,器必破,必無酒也。酉為酒加子,酉破子,乃破器也。子水敗於酉,酉金死於子,乘空為虛詐,又傳入空亡,是以無酒。
邵先生は言いました。酉が子に加わって天空を乘じ、日支は酒を表します。だからこの酒は必ず敗れ、酒を盛る器も必ず破れ、酒は求められません。酉は酒を主りながら子に加わり、酉がまた子を破るのは、まさに器皿が破損する象です。子水は酉に敗れ、酉金は子に死します。天空はまた虚言・誆騙を主り、三伝はさらに空亡に伝入するので、酒は求められません。
222)長星見於西方,蔡相公京占應於本身有何吉凶,四月辛未日酉將寅時。(戌亥空亡)(巳午落空) 蛇貴 朱子丑寅卯后 六亥 辰陰 龍 貴 朱 玄 兄 癸酉 龍 初 陳戌 巳玄 酉 寅 子 巳 父 戊辰 陰 中 龍酉申未午常 寅 未 巳 辛 子 空亥 六 末(空亡) 空虎
第二百二十二例:長星(彗星)が西方に現れ、宰相の蔡京が自分の身にどのような吉凶が応ずるかを占いました。時は四月の辛未日、酉の月将を寅の刻に加えて課を立てました。辛未日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の巳・午の二支がちょうど空亡の宮位に乗っています(底本はここに課名を標しません)。天盤は酉将を寅刻に加えて布定され、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられて上に巳を見て玄武を乘じ、第二課は巳の上に子を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の未の上に寅を見て貴人を乘じ、第四課は寅の上に酉を見て青竜を乘じます。三伝は酉・辰・亥:初伝の癸酉は兄弟爻で青竜を乘じ、中伝の戊辰は父母爻で太陰を乘じ、末伝の亥は旬空に逢い、子孫爻で六合を乘じています。
邵先生曰:酉作龍為用,酉於辛為上元真祿。寅乃地下真官,又是天吏,中末又俱自刑,相公目下雖有撓,全罪有赦,將來朝廷必大用,威權震上矣。後庚寅果再入朝大用。
邵先生は言いました。酉が青竜を乘じて発用し、酉は辛の金にとってまさに上元の真禄です。寅は地下の真官であり、また天吏です。中伝・末伝はいずれも自刑を帯びますが、相公は今少しの攪乱はあっても、罪責はみな赦免を得ます。将来朝廷は必ず大いに任用し、威権は天子の左右を震わせるほどです。後に庚寅年に至って、蔡京は果たして再び入朝して重用されました。
大凡四上克下,名無祿,天動於上為純陽,主動。若久困在下者遇之而發,居家者出。
およそ四課がすべて上の神が下の神を剋するのは「無禄」と言い、天の気が上に動いて純陽の象を成すので、動くことを主ります。長く下位に困っている人がこれに遇えば発跡し、家に閑居している人がこれに遇えば出仕します。
按崇寧五年丙戌春正月慧星出西方,長竟天二月蔡京有罪免為中太乙宮便。大觀元年丁亥春正月以蔡京為門下侍郎,二月戊子加蔡京太師,三月己丑。
史書の記すところを按じます:崇寧五年丙戌の春正月、彗星が西方に現れ、長く天を横ぎりました。二月に蔡京は罪を得て免職となり、中太乙宮使に改任しました。大観元年丁亥の春正月に至り、また蔡京を起用して門下侍郎とし、二月の戊子日に蔡京を加えて太師とし、三月己丑(これより下、底本の文字は未完です。今はそのまま写して補いません)。
《大六壬斷案》元、亨、利、貞四集全
《大六壬斷案》の書は元・亨・利・貞の四集に分かれ、ここに四集がすべて揃いました。
