壬占汇选
七月甲子日午将申時に来意を占う(『一字玉連環』)
大六壬典籍
まず起課と三伝を発する機械的な流れを確実にしてから、課体と神煞に入る。起課を飛ばして断語だけ読んでも、書中の例を自分で再現できない。
壬占匯選
巻之一・甲子日
七月甲子日午将申時に来意を占う(『一字玉連環』)
七月甲子日午將申時占來意。《一字玉連環》
七月甲子日、午将を取り申時に加えて課を起こし、「来意」を占う——来人は何事を聞きに来たのか言わず、占者は課象だけをもってその心中の問いを推しはかる。この例は『一字玉連環』から採った。
朱合勾龍 卯辰巳午 虎玄玄后 財 戌 玄 ◎ 螣寅 未空 申戌戌子 官 壬申 虎 ⊙ 貴丑 申虎 戌子子甲 子 庚午 龍 子亥戌酉 后陰玄常
これは数行に圧縮された六壬課盤で、全部で三つの部分からなる。外囲いの四角い枠が「天地盤」:地盤十二支の位置は固定して動かず、上段は左から右へ巳・午・未・申、右側は上から下へ酉・戌、下段は左から右へ寅・丑・子・亥、左側は上から下へ辰・卯。枠内に書かれているのは地盤の上に重なる天盤の支で、枠外に書かれているのはそれぞれが乗ずる天将である。本課は午将を申時に加えるため、天盤は地盤より二位退する——卯が巳に加わり、辰が午に、巳が未に、午が申に、未が酉に、申が戌に、酉が亥に、戌が子に、亥が丑に、子が寅に、丑が卯に、寅が辰に加わる。十二天将は「貴人」が丑に乗るところ(丑はこの時地盤の卯位に臨む)から順行する:螣蛇は寅に乗り、朱雀は卯に、六合は辰に、勾陳は巳に、青竜は午に、天空は未に、白虎は申に、太常は酉に、玄武は戌に、太陰は亥に、天后は子に乗る。中間の三行は「四課」で、右から左へ読む:第一課、日干の甲は寄宮が寅にあり、寅の上に子を見、天后が乗る。第二課、子の上に戌を見、玄武が乗る。第三課、日支の子の上に戌を見、玄武が乗る。第四課、戌の上に申を見、白虎が乗る。右側の三行は「三伝」:初伝は戌で、日干甲にとって財爻、玄武が乗り、戌は甲子旬中で空亡するため遁干の欄は空きで「◎」が標される。中伝は申で、甲の官鬼、遁干は壬を得、白虎が乗り、そばの「⊙」は原書のもう一種の圈記である。末伝は午で、甲の子孫、遁干は庚を得、青竜が乗る。
徐次賓曰:來意因西南上,緊速追捕一盜,墜馬折傷右足,感風七日而殞。蓋時為日刑是破,與日馬並,主外動。發用天魁,為日干之財,上得元武為盜賊,故知西南上緊追一盜也。先鋒門傳送為白虎,作中傳,帶日馬克日,又與刑殺並,故主墜馬也。愚按:《管子神書》,馬加辰戌為跌撲殺。戌為足,在日辰之右,是傷右足也。白虎為風神,七月申為風殺,故感風也。甲木秋死而被旺金所克,申數七,至第七日庚午,又並起白虎,故知七日殞也。末傳勝光不論救神者,蓋秋火休囚也。
徐次賓が断じて言う:来人の心事は西南の方にあり、急いで一名の盗賊を追捕しており、途中で馬から落ちて右足を折り、また風邪を感じ、七日後に死んだ。彼はこのように推した:占時の申は、日干甲の刑破の神であり、また日馬と相並ぶので、外に動作があることを主す。発用(初伝)は「天魁」、すなわち河魁の戌で、日干甲にとって財爻であり、その上に「玄武」が乗る。玄武はまさに盗賊の神なので、西南の方で一名の盗賊を緊追していると断じたのである。先鋒門の「伝送」申は白虎に乗り、中伝に落ち、日馬を帯びて日干を克し、また刑殺と相並ぶので、墜馬を主す。程樹勳按:『管子神書』に、天馬が辰・戌に加臨するのは「跌扑殺」であるという。戌は人の身では足に応じ、また日辰の右側に居るので、傷は右足にある。白虎は風の神で、七月の申金はまた風殺に値するので、風邪を感じた。甲木は秋に至り死地に処し、また当令の旺金に克される。申の数は七で、第七日の庚午日に至ってまた白虎を並起するので、七日で亡くなると知ったのである。末伝「勝光」の午火は本来救神となり得たが、ここで救神として論じないのは、秋に火気が休囚し、回救する力がないからである。
正月甲子日子将寅時に来意を占う(『玉連環』)
正月甲子日子將寅時占來意。《玉連環》
正月甲子日、子将を取り寅時に加えて課を起こし、「来意」を占い、来人の心中の問いを推しはかる。この例は『玉連環』から採った。
朱合勾龍 卯辰巳午 虎玄玄后 財 戌 玄 ◎ 螣寅 未空 申戌戌子 官 壬申 虎 ⊙ 貴丑 申虎 戌子子甲 子 庚午 龍 子亥戌酉 后陰玄常
課盤は前の例とまったく同じである:正月子将を寅時に加え、天盤は同じく地盤より二位退するので、布局は変わらない。外囲いの天地盤では、天盤の卯が地盤の巳に加わり、辰が午に、巳が未に、午が申に、未が酉に、申が戌に、酉が亥に、戌が子に、亥が丑に、子が寅に、丑が卯に、寅が辰に加わる。十二天将は貴人が丑に乗るところから順行し、順に螣蛇は寅に乗り、朱雀は卯に、六合は辰に、勾陳は巳に、青竜は午に、天空は未に、白虎は申に、太常は酉に、玄武は戌に、太陰は亥に、天后は子に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課は甲(寄宮寅)の上に子を見て天后が乗り、第二課は子の上に戌を見て玄武が乗り、第三課は日支の子の上に戌を見て玄武が乗り、第四課は戌の上に申を見て白虎が乗る。右側の三行は三伝:初伝は戌で財爻、玄武が乗り、戌は旬空に値するので「◎」が標される。中伝は申で官鬼、遁干は壬、白虎が乗る。末伝は午で子孫、遁干は庚、青竜が乗る。
徐次賓曰:來意因失陷官錢,勾喚入官,而得驚恐,以致患脾虛下臟之疾。見祟持刃相驚,可移病人於南方,設緋幕,至第九日,南方有屬馬巫醫,艾薩克火為姓名,下赤藥、艾灸、書朱符,其祟自除也。
徐次賓が断じて言う:来人の心事は、官府の銭款を亏空して勾牒で官に呼び出され、驚吓を受け、そのために脾虚・下焦臓腑の病に罹ったことであった。彼はまた邪祟が刀を持って相吓するのを見たため、病人を南方に移して住ませ、大紅の帷幕を掛けるよう勧めた。第九日に至ると、南方から馬に属する巫医が来る——姓名は「火」に関わる(「艾薩克火為姓名」の一句は底本の文字が訛誤して通じ難く、大意は火を姓名に取る人ということ)——その人が赤色の薬を下し、艾灸を施し、朱砂の符を書けば、作祟するものは自ずから消退する。
何以知失陷官錢而驚恐?蓋發用天魁為財,上得元武,為失財之象。時為日德日祿,主動,官上見螣蛇主驚恐。何以知脾虛下臟之疾?蓋發用天魁,主脾,春土無氣,又為甲木所克,故主脾虛;上得元武水與天魁內戰,故知下臟病。又言有祟者,《經》云:“傳見天魁為有祟”。又中傳申金為鬼,上得白虎,為刀兵,故言見祟持刃相驚。
どうして官銭を亏空して驚を受けたと分かるのか。発用の「天魁」戌は日干の財爻で、その上に玄武が乗る——まさに失財の象である。占時はまた日干の徳神・禄神で、動作があることを主す。官鬼の上に螣蛇を見る——螣蛇は惊恐を主す。どうして脾虚・下焦臓腑の病と分かるのか。発用の天魁戌は土に属し、人の身では脾を主す。春は土気が力なく、また甲木に克されるので、脾虚を主す。戌の上に乗る玄武は水に属し、水土が同じ位で内戦するので、病が下焦にあると知ったのである。邪祟があるというのは、『経』に「三伝中に天魁を見れば祟あり」と説くからである。中伝の申金は日干の鬼で、その上に白虎が乗り、白虎は刀兵を主すので、邪祟が刀を持って相吓すると言ったのである。
移於南方設緋幕者,南方及緋幕,皆火象,火能制金祟矣。末傳勝光為救神,勝光九數。故云九日。勝光為馬、為灸、為赤、為巫,故云巫醫也。《經》云:土丸,木散,水湯,火灸,金針,今申金為鬼,若針則病加,灸則病減也。金為日鬼,火為救神,故宜書朱符以鎮之。春月木旺火相,金無氣矣,救神秉相氣,病當瘥也。
病人を南方に移し紅い帷幕を掛けさせるのは、南方と紅色がともに火象に属し、火はその作祟する金気を制し得るからである。末伝「勝光」の午火は本課の救神で、勝光の数は九なので、第九日に効を見ると言った。勝光は類神の上で馬を主り、艾灸を主り、赤色を主り、巫者を主るので、馬に属する巫医に遇うと言ったのである。『経』に説く:土は丸薬を主り、木は散剤を主り、水は湯薬を主り、火は艾灸を主り、金は針刺を主る。此の課の申金はまさに害を為す鬼であり、もし針刺を用いれば病はかえって重くなり、艾灸を用いれば病は軽減し得る。金は日干の鬼で、火は救神なので、朱砂の符を書いてそれを鎮圧するのが宜しい。春は木気がまさに旺し、火気は相を得、金気は力なく、救神はまた相気を秉るので、病は必ず癒える。
七月甲子日巳将未時に来意を占う(『指帰靈文論』)
七月甲子日巳將未時占來意。《指歸靈文論》
七月甲子日、巳将を取り未時に加えて課を起こし、「来意」を占う。この例は『指帰靈文論』から採った。
朱合勾龍 卯辰巳午 虎玄玄后 財 戌 玄 ◎ 螣寅 未空 申戌戌子 官 壬申 虎 ⊙ 貴丑 申虎 戌子子甲 子 庚午 龍 子亥戌酉 后陰玄常
巳将を未時に加えると、天盤は同じく地盤より二位退するので、課盤は前二例と同じである。外囲いの天地盤:天盤の卯が地盤の巳を圧し、辰が午を圧し、巳が未を、午が申を、未が酉を、申が戌を、酉が亥を、戌が子を、亥が丑を、子が寅を、丑が卯を、寅が辰を圧す。天将は貴人が丑に乗るところから順行し、螣蛇は寅に乗り、朱雀は卯に、六合は辰に、勾陳は巳に、青竜は午に、天空は未に、白虎は申に、太常は酉に、玄武は戌に、太陰は亥に、天后は子に乗る。中間は四課で、右から左へ:甲(寄宮寅)の上は子に天后が乗り、子の上は戌に玄武、日支の子の上は戌に玄武、戌の上は申に白虎が乗る。右側は三伝:初伝は戌で財爻、玄武が乗り旬空。中伝は申で官鬼、遁干は壬、白虎が乗る。末伝は午で子孫、遁干は庚、青竜が乗る。貴人の丑は天乙の位置にあり、下文の断語に言う「初伝は天乙の後、末伝は天乙の前」とは、初伝の戌と末伝の午の貴人丑に対する前後関係を指す。
斷曰:來意主奴僕奸謀道路出行之狀。又主一外任武官不滿任而回者。何以知之?戌為用,主奴僕,元武主奸謀。初傳在天乙後,末傳在天乙前,名傳陰出陽,主在家者遠出,況申與白虎俱是道路之神,而午又為天馬也。又申並白虎為武官,以申主刀兵,且為日之官星也,奈末傳勝光克之,故云不滿任而回也。余按:四課不全亦為不滿任也。
断語に言う:来人が問うたのは奴僕の奸謀と道路出行の類の事である。また外地で任職している武官が、任期が満たぬうちに帰ってくることも主す。どうして分かるのか。初伝の戌が発用し、戌は奴僕を主り、その上に玄武が乗り、玄武は奸謀を主る。初伝は天乙貴人の後にあり、末伝は天乙貴人の前にある——これを「伝陰出陽」と言い、家に居る人が遠行することを主す。いわんや申と白虎はともに道路の神で、午はまた天馬である。さらに申が白虎に並ぶのは武官の象で、申は刀兵を主り、しかも日干甲の官星である。ただ末伝「勝光」の午火が申金を克制するので、任期が満たぬうちに帰ると言ったのである。私(占者)がさらに按ずるに:四課が全からず(本課は三課しか成らない)も、また任期不満の象である。
六月甲子日午将申時に病を占う(『張本占案』)
六月甲子日午將申時占病,《張本占案》。此課出於《通神集》,然非邵案。
六月甲子日、午将を取り申時に加えて課を起こし、疾病を占う。この例は『張本占案』に見える。編者が注記する:この課は『通神集』から出たもので、邵彦和の占案ではない。
朱合勾龍 卯辰巳午 虎玄玄后 財 戌 玄 ◎ 螣寅 未空 申戌戌子 官 壬申 虎 ⊙ 貴丑 申虎 戌子子甲 子 庚午 龍 子亥戌酉 后陰玄常
やはり午将を申時に加えたあの盤である。外囲いの天地盤では天盤が地盤より二位退する:卯が巳に加わり、辰が午に、巳が未に、午が申に、未が酉に、申が戌に、酉が亥に、戌が子に、亥が丑に、子が寅に、丑が卯に、寅が辰に加わる。十二天将は貴人が丑に乗るところから順行して天后が子に乗るに至る。中間の四課は右から左へ順に:日干甲(寄宮寅)の上に子を見て天后が乗り、子の上に戌を見て玄武が乗り、日支の子の上に戌を見て玄武が乗り、戌の上に申を見て白虎が乗る——四課のうち二課が重複し、三課しか成らないので、下文に「四課不足」と言う。右側の三伝:初伝は戌で財爻、玄武が乗り旬空。中伝は申で官鬼、遁干は壬、白虎が乗る。末伝は午で子孫、遁干は庚、青竜が乗る。病を占うときは、官鬼がすなわち病神、子孫がすなわち解救の神である。
邵彥和曰:四課不足,脈息短小。發用戌土,祟元武,主脾病瀉痢;中傳申鬼並白虎,主沉重。然得末傳午火作青龍,剋制虎鬼,久而自安。藥宜辛溫及?陽耳。
邵彦和が断じて言う:四課が全からざるは、人の身に映じて脉息が短小で力がないことを表す。発用の戌土の上に玄武が乗るのは邪祟あるの象で、脾臓の病・瀉痢の類を主す。中伝の申金は日干の鬼で、また白虎に並び、病情が沈重であることを主す。幸い末伝の午火が青竜に乗り、白虎の乗ずる申金の鬼を克制し得るので、病は長引くが、終には自ずから平复する。薬を用いるには辛味で温性の薬、および陽気を扶助する品を取るのが宜しい(「及?陽」の「?」は底本の缺字で、臆して補うことを敢てしない)。
三月甲子日酉将酉時に范蠡が呉王の病を占う(『直指』が『呉越春秋』を引く)
三月甲子日酉將酉時,范蠡占吳王病。《直指》引《吳越春秋》。
三月甲子日、酉将を取り酉時に加えて課を起こす——月将と占時が同じで、これは「伏吟」の課である。范蠡が呉王のために病を占ったもの。この例は『六壬直指』が『呉越春秋』から引いたものである。
朱蛇貴后 巳午未申 虎虎龍龍 兄 丙寅 龍 合辰酉陰 子子寅寅 子 己巳 朱 勾卯戌玄 子子寅甲 官 壬申 后 寅丑子亥 青空虎常
課盤。月将の酉が占時の酉に加わり、天盤と地盤は完全に重なり合い、十二支はそれぞれ本位に帰る——これが「伏吟」である。ゆえに枠内の巳午未申・辰・卯・寅丑子亥・酉・戌は地盤と一々同じである。十二天将は貴人が未に乗るところ(未はこの時地盤の未位にあり、巳から戌までの陰位に属す)から逆行する:螣蛇は午に乗り、朱雀は巳に、六合は辰に、勾陳は卯に、青竜は寅に、天空は丑に、白虎は子に、太常は亥に、玄武は戌に、太陰は酉に、天后は申に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅にあり、寅の上に依然として寅を見、青竜が乗る。第二課、寅の上に寅を見、青竜が乗る。第三課、日支の子の上に子を見、白虎が乗る。第四課、子の上に子を見、白虎が乗る。右側の三行は三伝:初伝は寅で、甲にとって兄弟爻、遁干は丙、青竜が乗る。中伝は巳で子孫、遁干は己、朱雀が乗る。末伝は申で官鬼、遁干は壬、天后が乗る。伏吟課は四課が二二相同じなので、刑冲を取って発用し、ゆえに三伝は寅・巳・申となる。
范蠡曰:德祿在寅,病在巳,絕在申。春木旺,金囚無傷也。己巳日有瘳,壬申日痊癒。愚按:白虎生日,主病癒。子屬水,故斷壬也。然查《吳越春秋》,無日時,不知《直指》何所據。
范蠡が断じて言う:初伝の寅は日干甲の徳神と禄神、中伝の巳は十二長生の上で甲の病位、末伝の申は甲の絶位——病・絶は凶なれど、春は木気がまさに旺しく金気は囚廃し、甲木を傷つけることができない。ゆえに己巳日に至れば病は軽減し、壬申日に至れば痊愈する。程樹勳按:本課は白虎が子水に乗り、子水は甲木の日干を生じ得るので、病が癒えることを主す。子は水に属し、水は天干では壬なので、壬の日に痊愈すると断じたのである。ただし『呉越春秋』の原書を査するに、今回の占問の日と時を記載しておらず、『六壬直指』の引くところが何に拠るのか分からない。
建炎己酉年九月甲子日に謝省元が赴省試を占う(『口鑑』・『方本占案』)
建炎己酉年九月甲子日卯將寅時,謝省元乙丑生四十五歲占赴省試。《口鑑》《方本占案》。
南宋建炎己酉年九月甲子日、卯将を取り寅時に加えて課を起こす。占を求めたのは謝省元で、乙丑年の生まれ、四十五歳、今回省城に赴き応試する結果を問うた。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。
蛇貴后陰 午未申酉 青空合勾 財 戊辰 合 朱巳 戌玄 寅丑辰卯 子 己巳 朱 合辰 亥常 丑子卯甲 子 庚午 蛇 卯寅丑子 勾青空虎
課盤。九月の卯将を寅時に加えると、天盤は地盤より一位進む:午が地盤の巳に加わり、未が午に、申が未に、酉が申に、戌が酉に、亥が戌に、子が亥に、丑が子に、寅が丑に、卯が寅に、辰が卯に、巳が辰に加わる。十二天将は貴人が未に乗るところ(未は地盤の午位に臨み、陰に属すので逆行)から起こる:螣蛇は午に乗り、朱雀は巳に、六合は辰に、勾陳は卯に、青竜は寅に、天空は丑に、白虎は子に、太常は亥に、玄武は戌に、太陰は酉に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に卯を見、勾陳が乗る。第二課、卯の上に辰を見、六合が乗る。第三課、日支の子の上に丑を見、天空が乗る。第四課、丑の上に寅を見、青竜が乗る。右側の三伝:初伝は辰で、甲にとって財爻、遁干は戊、六合が乗る。中伝は巳で子孫、遁干は己、朱雀が乗る。末伝は午で、これも子孫、遁干は庚、螣蛇が乗る。三伝は辰・巳・午と順次に進み、一路生じ去って再び回顧しない——これが下文に言う「迤邐生去、更不回顧」である。
邵彥和曰:謝省元三次到場屋,今次定不得,更五次不遂,不免受文學中心病而死。蓋甲日迤邐生去,更不回顧,以此言之,無文學尚可,有則不利。行年上亥加戌,亥乃甲之長生學堂,惜乎空而加空,而宅上日貴又作天空,不過虛名文學耳。中末傳巳午脫干,午火心病見蛇必死。謝果省試不中,後為文學不遂,遂納賄,又是五甲,大不如意,回家遂成心病,辛酉年十一月卒。蓋甲木生巳午蛇雀諸火,木隨火而上炎,木向南奔,本主便死。因背後有行年見亥,亥為甲木長生學堂,故尚有虛名而未死耳。造化前定,所以不由人也。
邵彦和が断じて言う:謝省元はすでに三度試場に入っており、今回もきっと及第せず、のちに五度試してもなお遂げず、最後は読書功名上の失意によって心病を得て死ぬであろう。なぜか。甲木の日干は三伝の中で一路生じ出ていき(辰が巳を生じ、巳が午を生ず)、生じてしまえば回頭しない。この象に照らせば、この人に文才がないならまだしも、文才があればかえって不利である。彼の行年の上は亥が戌に加わり、亥は甲木の長生の地で学堂功名を主るが、惜しいことに亥自体が空亡し、また同じく空亡する戌の上に加わっている。宅位の上の日貴もまた天空に乗られ、功名はただ虚名に過ぎないことが見える。中伝の巳・末伝の午はいずれも日干の気を泄脱しており、午は火に属して心を主り、また螣蛇を見るので、心病で必ず死ぬことを主す。その後謝省元は果たして省試に落第し、以後功名の上でずっと順調でなく、賄賂を行うにまで至ったが、なお五度登甲せず、大いに望を失い、家に帰ってすぐ心病を得て、辛酉年十一月に世を去った。これは甲木が巳・午を生じ、また螣蛇・朱雀などの火神に逢い、木が火勢に随って上炎し、ひたすら南へ奔泄するので、本来なら即座に死すべきところ、ただ背後の行年に亥を見、亥は甲木の長生学堂なので、一つの虚名を留めて驟亡を免れたのである。造化は早くから定まっており、人力で改められるものではない。
大観己丑年十二月甲子日に建寧の李大夫が憂銀網の事を占う(『方本占案』・『一針見血』)
大觀己丑年十二月甲子日子將戌時,建寧李大夫占憂銀網事,鞏罷官。《方本占案》《一針見血》。
北宋大観己丑年十二月甲子日、子将を取り戌時に加えて課を起こす。建寧の李大夫は「銀網」の一件を憂え、これによって罷官されることを恐れ、ゆえに占いに来た。この例は『方本占案』と『一針見血』に見える。
貴后陰玄 未申酉戌 合青蛇合 財 戊辰 合 蛇午 亥常 辰寅午辰 子 庚午 蛇 朱巳 子虎 寅子辰甲 官 壬申 后 辰卯寅丑 合勾青空
課盤。子将を戌時に加えると、天盤は地盤より二位進む:未が地盤の巳に加わり、申が午に、酉が未に、戌が申に、亥が酉に、子が戌に、丑が亥に、寅が子に、卯が丑に、辰が寅に、巳が卯に、午が辰に加わる。十二天将は貴人が未に乗るところ(未は地盤の巳位に臨み、陰に属すので逆行)から起こる:螣蛇は午に乗り、朱雀は巳に、六合は辰に、勾陳は卯に、青竜は寅に、天空は丑に、白虎は子に、太常は亥に、玄武は戌に、太陰は酉に、天后は申に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に辰を見、六合が乗る。第二課、辰の上に午を見、螣蛇が乗る。第三課、日支の子の上に寅を見、青竜が乗る。第四課、寅の上に辰を見、六合が乗る。右側の三行は三伝:初伝は辰で、甲にとって財爻、遁干は戊、六合が乗る。中伝は午で子孫、遁干は庚、螣蛇が乗る。末伝は申で官鬼、遁干は壬、天后が乗る。三伝は辰・午・申と三陽が递進する——これが「登三天」の課である。
邵彥和曰:登三天主有撓,中午作螣蛇,五月末沖替可知。末申作後,六月初有赦。寅作龍入宅,明年三月必轉官。果然庚寅年正月朝廷差兩浙提刑,三月轉大夫,五月沖替,六月赦。蓋明年者,歲上發用也。五月替者,蛇入中傳也。六月赦者,申加午作天后恩澤之神也。寅天吏作龍入宅,故必遷轉。
邵彦和が断じて言う:登三天課は事に紛擾あることを主す。中伝の午の上に螣蛇が乗るので、五月末に人に冲替されると知れる。末伝の申の上に天后が乗るので、六月初めに赦令があるべきである。宅上の寅は青竜に乗るので、明年三月に必ず官职が升転する。その後果たして:庚寅年正月に朝廷は彼を両浙提刑に派し、三月に大夫に升り、五月に冲替され、六月に赦に遇った。「明年」と言うのは、発用がまさに太歳の上の神だからである。五月に替わると言うのは、螣蛇が中伝に落ちるからである。六月に赦に遇うと言うのは、申が午の上に加わりまた天后に乗り、天后は恩沢を主る神だからである。宅上の寅は天吏の神で青竜に乗るので、必ず遷転を得るのである。
嘉祐七年三月甲子日に苗公達が仁宗のために射覆を占う(『苗公達断経』)
嘉佑七年,太歲壬寅,三月十七日甲子日,上宣苗公達賜當日午時占課,問射覆。《苗公達斷經》。射覆當作來意。
北宋嘉祐七年、太歳は壬寅、三月十七日甲子日、皇帝は苗公達を宣召して入内させ、当日の午時に就いて課を起こさせ、「射覆」——すなわち隠された物を当てることを問わせた。この例は『苗公達断経』から出る。編者附注:ここでの「射覆」は「来意」と作るべきで、すなわち皇帝の心中の問いを推しはかることである。
龍勾合朱 申酉戌亥 虎陰龍常 官 壬申 龍 空未 子螣 午卯申巳 父 亥 朱 ◎ 虎午 丑貴 卯子巳甲 兄 丙寅 后 ⊙ 巳辰卯寅 常玄陰后
課盤。三月の月将は酉で、占時の午の上に加わり、天盤は地盤より三位進む:申が地盤の巳に加わり、酉が午に、戌が未に、亥が申に、子が酉に、丑が戌に、寅が亥に、卯が子に、辰が丑に、巳が寅に、午が卯に、未が辰に加わる。十二天将は貴人が丑に乗るところから起こる——丑はこの刻に地盤の戌位に臨み、陰位に属すので逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に巳を見、太常が乗る。第二課、巳の上に申を見、青竜が乗る。第三課、日支の子の上に卯を見、太陰が乗る。第四課、卯の上に午を見、白虎が乗る。右側の三行は三伝:初伝は申で日干甲の官鬼、遁干は壬、青竜が乗る。中伝は亥で父母爻、朱雀が乗り、亥は甲子旬中で空亡するので遁干は空缺し「◎」を標す。末伝は寅で兄弟爻、遁干は丙、天后が乗る。
苗公達奏曰:“臣聞古經云,凡傳課,剛日先看日上神,柔日先看辰上神,次分天乙順逆,及看三傳,並太歲行年,只取勝者為事類。據來意,主貴人將婦人使用銅鐵尖長之物,欲傷小蟲之命;其蟲必生於穢雜不潔之處,人所不喜;今蟲卻未傷死而飛去,而銅鐵尖長之物,反在木上傷折,不堪用矣。”
苗公達が上奏して言う:臣は古経に、凡そ課を断ずるには、陽日はまず日干の上の神を見、陰日はまず日支の上の神を見、次に天乙貴人が順行か逆行かを弁じ、次に三伝を見、太歳と行年を参合し、その中で気勢の最も盛んな一項を取って事類に定める、と聞いている。この法に照らして来人の心事を推すと:一人の貴人が婦人に銅鉄の質で尖って長い物を持たせ、一匹の小さな虫の性命を傷つけようとした。この虫は必ず汚穢不潔で人の厭う所に生まれたもの。いま虫は打ち殺されず、かえって飛び去り、あの銅鉄の尖長の物は木の上で折れ、再び用いることができない。
上宣問曰:“何以知之?”公達奏曰:“上巳作太常,卦名重審,亦名天網天乙逆行,故取故取太歲是寅,並天后勝事言也。故云:‘主有貴人慾有害心也’;將婦人銅鐵尖長之物者,為發用得申金,春占又是甲日,申金囚死,更加巳上受克,故為銅鐵尖長之物也;婦人使用者,初傳沖末傳,見天后寅木,此乃旺相,又在所生之處也。在木上傷折者,為木受生旺,金受囚死,又在巳火之上,所謂重重無氣也。
皇帝が問うた:なぜ分かるのか。苗公達が回奏した:日干の上の巳は太常に乗り、課名は「重審」で、また「天網」とも言い、天乙貴人は逆行する。ゆえに太歳の寅を取り、天后と配合して最も勢を得た一項として事を言う。それで「貴人が加害の心を懐く」と言った。婦人に銅鉄の尖長の物を持たせたと言うのは、発用が申金を得、春に占いまた甲日に逢い、申金は囚死の地に処し、また巳火の上に加わり克を受ける——まさに銅鉄の尖長の器の象だからである。婦人が手を動かしたと言うのは、初伝と末伝が相冲し、末伝の寅木の上に天后を見(天后は婦人を主る)、寅木はこの時旺相で、また我を生ずる所に落ちるからである。その物が木の上で折れたと言うのは、木はまさに生旺に当たるのに金は囚死し、また巳火の上に圧され、層々気なしと言うべきだからである。
小飛蟲生於穢雜不潔之處者,為發用是月厭,為汙穢,將得青龍,中傳將得朱雀,皆有飛象;金為蟲,雖然無氣,又申亥相害,然末傳見生氣加亥,其生氣春以日旺,又在生鄉,故主欲害飛蟲,究竟未傷死而飛去也。臣出於短拙,有犯聖皇,合當萬死。”上曰:“為適來有蠅子,在殿柱之上,朕戲以針刺之,而蠅飛去,其針在柱上傷折,故應課也。”
小さな飛虫が汚穢雑乱の所に生まれたと言うのは、発用の神がまさに月厭に当たり、月厭は汚穢を主るからである。発用の上に青竜が乗り、中伝の上に朱雀が乗る——竜と雀はともに飛騰の象がある。金は類神の上で虫となり得、気なしとはいえ、また亥と相害する。しかし末伝の生気が亥の上に加わり、春の生気は日に随って旺しく、また長生の郷に落ちるので、飛虫を傷つけようとしたが、虫は打ち殺されず飛び去ったと断じたのである。臣は才識短浅にして聖上を冒犯し、罪万死に当たる。皇帝が言った:さきほど一匹の蠅が殿柱に止まり、朕が戯れに針をもってそれを刺したところ、蠅は飛び去り、針は柱の上で折れた——まさに汝のこの一課に応えた。
正月甲子日亥将申時に来意を占う(『指帰靈文論』)
正月甲子日亥將申時占來意。《指歸靈文論》
正月甲子日、亥将を取り申時に加えて課を起こし、「来意」を占う。この例は『指帰靈文論』から採った。
龍勾合朱 申酉戌亥 虎陰龍常 官 壬申 龍 空未 子螣 午卯申巳 父 亥 朱 ◎ 虎午 丑貴 卯子巳甲 兄 丙寅 后 ⊙ 巳辰卯寅 常玄陰后
亥将を申時に加えると、天盤は同じく地盤より三位進むので、課盤は前の例と同じ:申が地盤の巳に加わり、酉が午に、戌が未に、亥が申に、子が酉に、丑が戌に、寅が亥に、卯が子に、辰が丑に、巳が寅に、午が卯に、未が辰に加わる。天将は貴人が丑に乗るところ(地盤の戌位に臨む)から逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。四課は右から左へ:甲(寄宮寅)の上は巳に太常が乗り、巳の上は申に青竜、日支の子の上は卯に太陰、卯の上は午に白虎。三伝:初伝は申で官鬼、遁干は壬、青竜が乗る。中伝は亥で父母、旬空、朱雀が乗る。末伝は寅で兄弟、遁干は丙、天后が乗る。初伝の申は貴人の丑の前にあり、末伝の寅は貴人の丑の後にあるので、下文はこれを「伝陽入陰」と称する。
斷曰:來意主望道路行人,其人路遇奸賊,欲相謀害,幸而奸賊自受其難,謀害不成,但主道路上遲延,終平安而歸也。又主有文字,兩重一明一暗,藏在樓閣中,其樓柱繫用物墊著。何以知之?蓋初傳在天乙前,末傳在天乙後,名傳陽入陰,主在家不出,遠人歸家,外來之信立至。況申主道路,又主行人,奈為日鬼,又在巳上被刑害,故遇奸賊。申鬼受旺火克,故云賊人受難,干為占者上得巳火為救,故謀害不成,但主遲歸耳。朱雀乘亥主明文字,天后乘寅主暗文字,寅加於亥上,故藏在樓閣,亥是旬空,其柱必有損而用物墊之也。
断語に言う:来人が問うたのは路上の行人を待ち望むことであった。その人は途中で奸賊に遇い、賊は彼に加害しようとしたが、幸い奸賊自身がかえってその殃を受け、謀害は遂げられず、ただ路上で耽搁遅延しただけで、最終的に平安に帰ってくる。また文書二件、一つは明に一つは暗に、楼閣の中に藏されていることを主す。その楼の柱は物で墊げられている。どうして分かるか。初伝は天乙貴人の前にあり、末伝は天乙貴人の後にある——これを「伝陽入陰」と言い、家に居る人は外出せず、遠行の人は家に帰り、外来の音信はすぐに届くことを主す。いわんや申は道路を主りまた行人を主るが、あいにく日間の鬼であり、また巳の上に加わり刑害を受けるので、途中で奸賊に遇った。申の鬼は当旺の火に克されるので、賊人が自ら難を受けると言ったのである。日干は占問する人を代表し、その上に巳火を得て救神となるので、謀害は成らず、ただ帰期が遅れるだけである。朱雀が亥に乗るのは明処の文書を主り、天后が寅に乗るのは暗処の文書を主り、寅はまた亥の上に加わるので、文書が楼閣に藏されていると言った。亥がちょうど旬空に値するので、その柱は必ず損壊があり、物で墊げられていると見える。
十月甲子日に乙卯生まれの人が子命の行人を占う(『行人類証』)
十月甲子日卯將子時,乙卯人占子命行人。《行人類證》
十月甲子日、卯将を取り子時に加えて課を起こす。乙卯年生まれの人が、本命が子に属する息子のために行人(旅に出ている人がいつ帰るか)を占った。この例は『行人類証』から採った。
蛇朱合勾 申酉戌亥 后常蛇陰 官 壬申 蛇 貴未 子龍 午卯申巳 父 亥 勾 ◎ 后午 丑空 卯子巳甲 兄 丙寅 虎 ⊙ 巳辰卯寅 陰玄常虎
課盤。卯将を子時に加えると、天盤は地盤より三位進み、天地盤の排布は前二例と同じ:申が地盤の巳に加わり、酉が午に、戌が未に、亥が申に、子が酉に、丑が戌に、寅が亥に、卯が子に、辰が丑に、巳が寅に、午が卯に、未が辰に加わる。異なるのはこの課が夜貴を用いることで、天将は貴人が未に乗るところから起こる(未は地盤の辰位に臨み、陽位に属すので順行):螣蛇は申に乗り、朱雀は酉に、六合は戌に、勾陳は亥に、青竜は子に、天空は丑に、白虎は寅に、太常は卯に、玄武は辰に、太陰は巳に、天后は午に乗る。四課は右から左へ:第一課は甲(寄宮寅)の上に巳を見、太陰が乗る。第二課は巳の上に申を見、螣蛇が乗る。第三課は日支の子の上に卯を見、太常が乗る。第四課は卯の上に午を見、天后が乗る。三伝:初伝は申で官鬼、遁干は壬、螣蛇が乗る。中伝は亥で父母、旬空、勾陳が乗る。末伝は寅で兄弟、遁干は丙、白虎が乗る。行人を占うには玄武と末伝を見る。この課では玄武がちょうど辰に乗り丑の上に加わる。
雪心曰:占行人責元武及末傳,今元武在辰加丑。末傳寅為馬,當主來,果於十一月十四癸巳日大雪歸。
雪心が断じて言う:行人を占うには、玄武と末伝の二ヶ所に責成して見るべきである。この課は玄武が辰に乗り丑の上に加わり、末伝の寅はちょうど駅馬なので、行人は帰るべきと断じた。その後果たして十一月十四日癸巳の大雪の日に家に着いた。
天聖戊辰年正月甲子日に七十四歳の老人が逃亡を占う(『一針見血』)
天聖戊辰年正月甲子日,亥將未時,七十四歲老人占逃亡。《一針見血》
北宋天聖戊辰年正月甲子日、亥将を取り未時に加えて課を起こす。一人の七十四歳の老人が家の逃走した人を占問した。この例は『一針見血』から採った。
愚按:甲木克元武辰土,干上午火,克元武陰神申金,故易獲。
程樹勳按:日干の甲木は玄武の乗ずる辰土を克し得、日干上の午火はまた玄武の陰神の申金を克し得る——逃亡の神が両頭で制されるので、捉え易い。
勾合朱蛇 酉戌亥子 龍玄合虎 財 戊辰 玄 龍申 丑貴 申辰戌午 官 壬申 龍 空未 寅后 辰子午甲 父 甲子 蛇 午巳辰卯 虎常玄陰
課盤。亥将を未時に加えると、天盤は地盤より四位進む:酉が地盤の巳に加わり、戌が午に、亥が未に、子が申に、丑が酉に、寅が戌に、卯が亥に、辰が子に、巳が丑に、午が寅に、未が卯に、申が辰に加わる。十二天将は貴人が丑に乗るところから起こる——丑は地盤の酉位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。中間の四課は右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に午を見、白虎が乗る。第二課、午の上に戌を見、六合が乗る。第三課、日支の子の上に辰を見、玄武が乗る。第四課、辰の上に申を見、青竜が乗る。右側の三伝:初伝は辰で、甲にとって財爻、遁干は戊、玄武が乗る。中伝は申で官鬼、遁干は壬、青竜が乗る。末伝は子で父母爻、遁干は甲、螣蛇が乗る。逃亡を占うには玄武に専ら責める。この課は玄武がちょうど辰に乗り日支の子の上に加わるので、支上から発用した。
苗公達曰:主昨夜三更門戶不閉,婢逃失財,網羅水際辰為羅網,往正北所至人家藏匿。其錢藏水中,速尋可得。愚按:“門戶不閉”句,似從斬關課取義也;失財者,元武臨財也。
苗公達が断じて言う:この一課は昨夜三更の時分に門戸が閉じられず、婢女が逃走して銭財を持ち去ったことを主す。網羅は水に近い所に設けられ(辰は類神の上で羅網)、彼女は正北の方へ行き、人の家に身を寄せて藏れた。持ち去った銭は水の中に藏され、急いで探せばまだ見つかる。程樹勳按:「門戸不閉」の一句は、「斬関」課から義を取ったようである。失財と言うのは、玄武がちょうど財爻に乗っているからである。
《精華摘錦》云:元陰見青龍乘申為損鱗,故主失財。果於當日申時獲之。論曰:貴人臨酉,門戶驚恐。天罡加子將得元武,子為三更,在支上發用,是急應之兆。行年立卯上,天空乘未,屬陰為婢,被旺木所制,故逃竄。元武陰上見申金,金生水,故錢藏水中。
『精華摘錦』に言う:玄武の陰神の上に青竜が申に乗るのを見るのは「損鱗」の象で、失財を主す。その後果たして当日の申時に人を捕まえた。書中に論じて言う:貴人が酉位に臨むのは門戸の間に惊恐あることを主す。天罡の辰が子の上に加わり玄武に乗り、子はちょうど三更に当たり、また日支の上から発用するのは、応験が甚だ速い兆である。行年は卯の上に落ち、天空は未に乗り、未は陰に属し類神の上で婢女であり、当旺の木気に制されるので、彼女は逃げ出した。玄武の陰神の上に申金を見、金は水を生じ得るので、銭は水の中に藏された。
言逃往北者,謂陽作元武,婢走求陽也。法以初覺逃時只就元武立處求之,今在子,逃亡未經旬,只看元武立處。愚按:元武從不臨東南,豈逃亡未經旬者,從不往東南方乎?故云正北。本人行年在卯,卯刑子,是元武遭刑可獲。當日申時者,甲日屬木,克元武所乘辰土,又末傳臨申,是元武三傳之終也。
彼女が北へ逃げたと言うのは、陽神の上に玄武が乗り、婢女の出走は男子に身を寄せに行くものだからである。捕逃の法則:人が逃げたと発覚したばかりの時は、玄武の立つ位置に就いてのみ尋ねる。いま玄武は子位に立ち、逃走はまだ十天に満たないので、玄武の立つ所だけを見ればよい。程樹勳按:玄武はいまだかつて東南の方に臨んだことがないが、逃走十天に満たない人は皆東南へ行かないとでも言うのか(この説は疑わしい)。書中はそれゆえ正北のみを言った。失主本人の行年は卯にあり、卯は子を刑し、玄武は刑を遭うので、人は捉えられる。当日の申時に断ったのは、甲日が木に属し、玄武の乗ずる辰土を克し得、また末伝が申に臨み、申はちょうど玄武の三伝中の終点だからである。
建炎戊申年二月甲子日に何七秀才が流年を占う(『口鑑』)
建炎戊申年二月甲子日亥將午時,何七秀才壬申生三十七歲占流年。《口鑑》。方本作占家宅。
南宋建炎戊申年二月甲子日、亥将を取り午時に加えて課を起こす。何七秀才は壬申年生まれで三十七歳、この年の流年の吉凶を占った。この例は『口鑑』に見える。『方本占案』はこれを家宅の占いとして記している。
合朱蛇貴 戌亥子丑 合常蛇空 父 甲子 蛇 勾酉 寅后 戌巳子未 子 己巳 常 青申 卯陰 巳子未甲 財 戌 合 ◎ 未午巳辰 空虎常玄
課盤。亥将を午時に加えると、天盤は地盤より五位進む:戌が地盤の巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。十二天将は貴人が丑に乗るところから起こる——丑はこの時地盤の申位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。中間の四課は右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に未を見、天空が乗る。第二課、未の上に子を見、螣蛇が乗る。第三課、日支の子の上に巳を見、太常が乗る。第四課、巳の上に戌を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は子で父母爻、遁干は甲、螣蛇が乗る。中伝は巳で子孫、遁干は己、太常が乗る。末伝は戌で財爻、六合が乗り、戌は旬空に値するので「◎」を標す。日干上の未はちょうど甲木の墓庫で、下文にいう「墓干」「天獄」は皆ここから説き起こす。
邵彥曰:歲內眷屬人來,必成大獄。天罡加日本,名天獄故也。鄭體功先生曰:占流年以行年為主,行年上未來墓干,故主一年之事皆不橫亨通。其事為何?體用:體是天獄課,用是子與未六害,故以官訟等事斷之。訟起六月者,未為六月建也。
邵彦和が断じて言う:この一年の内に親眷が門を訪れ、必ず一場の大きな官司にまでなる。天罡の辰が日辰の本位に加わり、課名は「天獄」となるからである。鄭体功先生が言う:流年を占うには行年を主とする。この人の行年の上に「未」を見、未はちょうど日干甲の墓庫で、来て日干に墓住するので、この年諸事が皆通暢しないことを主す。では何事か。体と用を合わせて見るべきである:課体は天獄課で、発用は子、子は未と六害を成すので、官司訴訟の類の事と断じた。官司が六月に起こると断ったのは、「未」がちょうど六月の月建だからである。
愚按:《指掌賦》云:太常乘破碎為孝服,加天獄螣蛇生災致訟,法本於此。破碎作太常入宅,主有喪服人歸來分撓,被他爭屋。以行年與身作一處,蓋未交生,行年尚在丑,丑加申命,故曰行年與身作一處。只是今年事。末後須添一口,又見分灶也。蓋未加甲乃墓神,未為眷屬,天空為平地起堆之象。初傳子為父母,未為眷屬而作六害害人也,螣蛇擾人也。傳歸入宅,卻是兩重破碎,巳為廚灶,必主分灶不寧也。
程樹勳按:『指掌賦』に「太常が破碎の神に乗れば孝服を主り、さらに天獄・螣蛇を加えれば災を生じて訟を招く」とあり、鄭先生の断法はまさにこれに本づく。破碎の神が太常に乗って宅位に入るのは、孝服を着た人が帰って来て攪擾し、さらに彼と家を争うことを主す。いわゆる「行年と本命が一処に並ぶ」とは、この人の生日がまだ至らず、行年はなお丑の上にあり、丑がちょうど本命の申の位置に加わるので、行年と身が一処に合するという——これはただ今年の内の事に限る。最後に家に一口の人を添え、また竈を分け別炊する象を見る:未が甲の上に加われば墓神であり、未は類神の上でまた眷属を主り、天空は平地に土堆を起こす象である。初伝の子は父母爻で、未は眷属でありながら子と六害を成すのは人を害する象、螣蛇は人を攪擾する象である。三伝は最後に宅位に帰入し、また二重の破碎で、巳は類神の上で厨竈を主るので、必ず竈を分かち家中が安寧でない。
何秀才兄弟五人,最小者與姊為子,父母在日家產已作四股均分,當年四月其姑丈死,姑已先亡,家務又已久退,故小弟於六月歸家,諸兄皆不容,遂興訟,州縣斷理撥財產與之,著依舊歸姑家過活,小弟仍不服,直上控至大理寺,始有歸條。自戊申六月興訟,至壬子年十二月方止。
事の経緯はこうである:何秀才は兄弟五人で、最小の一人は姑母に過継されてその子となった。父母が在世の時、家産はすでに四股に分かれ均分されていた。この年の四月に姑丈が逝去し、姑母は先に亡くなっており、姑の家の産業もとうに敗落していたので、小弟は六月に本家に帰って来たが、幾人かの兄たちは皆収留しようとせず、そこで官司を打った。州県は判決して財産の一份を彼に撥し、依然として姑の家に帰って暮らさせた。小弟は服せず、ずっと大理寺まで上控して、やっと結末の条文を得た。戊申年六月に訟を興してから、壬子年十二月まで闘い続けてようやく了結した。
甲以巳為子息,末傳戌刑未,故動而有爭。所謂不沖不發,不刑不動也。戌乘六合,卯與戌合,主進人口,是此子歸來之兆。當年六月興訟,未加甲,蛇撓之。初子與未相害,故興訟。壬子年十一月又見子水克火,制破碎,故寧貼。
日干甲は巳をもって子孫とし、末伝の戌はまた未を刑するので、事が動けばすなわち争端を起こす——これが「冲せずんば発せず、刑せずんば動かず」の道理である。戌の上に六合が乗り、卯と戌は相合し、家に人口を添え入れることを主す——まさにこの過継された兄弟が帰って来る兆である。当年六月に訟を興したのは、未が甲の上に加わり、また螣蛇が攪擾したからである。初伝の子は未と六害を成すので、官司を打った。壬子年十一月に至って、また子水が火を克し、破碎の神を制し得たので、事はやっと安定した。
愚按:此小注惟方本有之,蓋後人所增也。愚按:邵諸課皆以六合為合,此注是也;《直指》以戌刑未字火為填小口,大謬。
程樹勳按:以上のこの段の小注は『方本占案』にのみあり、おそらく後人が添え入れたものである。又按:邵彦和の諸課は皆「六合」を相合の神として用いており、この注釈はまさにその法に合する。『六壬直指』は戌が未を刑する一節を「填小口」と説き、大いに誤っている。
建炎戊申年二月甲子日に徐学士が前程を占う(『方本占案』・『口鑑』)
建炎戊申年二月甲子日亥將巳時。徐學士戊辰生四十一歲,占前程。《方本占案》《口鑑》。
南宋建炎戊申年二月甲子日、亥将を取り巳時に加えて課を起こす。徐学士は戊辰年生まれで四十一歳、自らの功名前程を占問した。この例は『方本占案』と『口鑑』に見える。
朱蛇貴后 亥子丑寅 蛇虎後青 兄 丙寅 后 合戌 卯陰 子午寅申 官 壬申 青 勾酉 辰玄 午子申甲 兄 丙寅 后 申未午巳 青空虎常
課盤。亥将を巳時に加えると、月将と占時がちょうど相冲し、天盤は地盤より六位進み、十二支は二二対冲する——これが「返吟」の課である:亥が地盤の巳に加わり、子が午に、丑が未に、寅が申に、卯が酉に、辰が戌に、巳が亥に、午が子に、未が丑に、申が寅に、酉が卯に、戌が辰に加わる。天将は貴人が丑に乗るところから起こる——丑は地盤の未位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。中間の四課は右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に申を見、青竜が乗る。第二課、申の上に寅を見、天后が乗る。第三課、日支の子の上に午を見、白虎が乗る。第四課、午の上に子を見、螣蛇が乗る。右側の三伝:初伝は寅で兄弟爻、遁干は丙、天后が乗る。中伝は申で官鬼、遁干は壬、青竜が乗る。末伝はまた寅で、依然として兄弟、遁干は丙で天后が乗る。寅は甲の禄神と徳神で、三伝に二度出現するので、下文は反復して「徳禄」の上から功名を取る。
愚按:寅為德祿,馬作天后為恩澤,寅與戌為三合,故戌年及第,寅既有兩重又生支上午火子孫,故子亦霑恩,但返吟事不悠久,雖有德祿諸吉及第後而即亡也,祿臨絕地,豈能食祿乎。程聖一日此課全在德祿馬上看出功名。鄭體功先生曰兩重祿馬日德官星,當有兩重功名,一重繫占人不待言矣,仍一重看支上是何六親,今支上午為子息故父子同及第。
程樹勳按:寅は日干甲の徳神兼禄神で、駅馬はまた天后に乗り、天后は恩沢を主る神である。寅と戌は三合を成すので、戌年に及第すると断じた。寅は三伝の中に二重に出現し、また日支上の午火の子孫を生じ得るので、息子もともに恩沢を蒙った。ただ返吟課は事が長久しないことを主し、徳・禄の種々の吉象があっても、及第の後すぐに身が亡くなった——禄神が絶地に落ち、どうして長く禄位を享けられようか。程聖一が言う:この一課は全て徳・禄・駅馬の上から功名を見出した。鄭体功先生が言う:二重の禄馬・日徳・官星が俱全するので、二重の功名があるべきである。一重は占問する本人に属し、多言を要さず、もう一重は日支上のどの六親かを見ればよい——いま支上の午は子孫なので、父子が同榜で及第したのである。
邵彥和曰:本主身庚戌年及第,唱名當在第三甲。令郎當亦霑恩。至庚戌年,徐果中,在第三甲,其子習春秋,中在第五甲。徐銓試不中,六月授潭州司戶,七月病死。甲寅年其子亦死。蓋因日上見申,讀書人見之為無後,又是太歲來克干,當年即應不寧。何直至庚戌年中後方死耶?蓋因行年上子水生甲木,宅上午火制申金,且是催官使者,須見官而後死。及至庚戌年,行年在申,甲木臨申金而絕,故死。
邵彦和が断じて言う:主人自身は庚戌年に及第すべく、唱名の名次は第三甲に在るべきである。令郎もともに恩に浴するであろう。庚戌年に至って、徐学士は果たして考中し、まさに第三甲に在り、その息子は『春秋』を攻習して第五甲に中った。その後徐学士は銓試に考中せず、六月に潭州司戸に授けられ、七月に病で故した。甲寅年に至ってその息子も死んだ。これは日干上に申を見るからである——読書人の課に申を見るのは後嗣がないことを主し、いわんや申はまた太歳として来て日干を克するので、当年に不寧の事が応じるべきであった。ではなぜわざわざ庚戌年の考中の後まで延びて死んだのか。行年上の子水が甲木を生じ得、宅位上の午火が申金を制し得、また申は催官の使者で、必ず先ず官职を得て然る後に死ぬからである。庚戌年に至り、行年が申の上に走到し、甲木は申に臨んで即ち絶地に入り、ゆえに死んだ。
初末寅作天后,兩重兩露恩神,在官星之上,甲與寅皆承其恩澤。甲尊也,父也;寅卑也,子也。故俱霑恩。庚戌年身死,甲寅年子死,乃刑沖之故。又行年神克第三課,死神乘白虎入宅,為水所克,又甲木以午為子息,故子必受殃也。
初伝と末伝の寅はいずれも天后に乗り、二重に二度顕露する恩沢の神であり、また官星の上に圧するので、甲と寅はともにその恩沢を承けた。甲は尊であり父であり、寅は卑であり子である。ゆえに父子がともに恩に沾った。庚戌年に本人が身を死し、甲寅年に息子が身を死したのは、刑冲の致すところである。さらに行年の神が第三課を克し、死神が白虎に乗って宅位に入り、また水に克される。甲木は午をもって子孫とするので、息子は必ず殃を受ける。
愚按:此課邵公先未斷出,事後乃推測言之。
程樹勳按:この一課は邵彦和が事前に全部の結果を断出したのではなく、事後に推測を作して補説したものである。
己酉年九月甲子日に樊郎中が項秀才の病を占う(『口鑑』・『方本占案』)
己酉年九月甲子日卯將申時,樊郎中占項秀才病,項丁丑生三十三歲。《口鑑》《方本占案》。
己酉年九月甲子日、卯将を取り申時に加えて課を起こす。樊郎中が項秀才のために病を占い、項某は丁丑年生まれで三十三歳。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。
愚按:寅中有甲,未中有己,甲己相合是以相通,況陰神見酉為色慾也。
程樹勳按:寅の中に甲木を藏し、未の中に己土を藏し、甲と己は相合するので、両下で暗中に相通ずる。いわんや陰神の上に酉を見、酉は類神の上で色欲を主る。
蛇貴后陰 子丑寅卯 后空玄勾 兄 丙寅 后 朱亥 辰玄 寅未辰酉 官 癸酉 勾 合戌 巳常 未子酉甲 財 戊辰 玄 酉申未午 勾青空虎
課盤。九月の卯将を申時に加えると、天盤は地盤より七位進む:子が地盤の巳に加わり、丑が午に、寅が未に、卯が申に、辰が酉に、巳が戌に、午が亥に、未が子に、申が丑に、酉が寅に、戌が卯に、亥が辰に加わる。天将は貴人が丑に乗るところから起こる——丑は地盤の午位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。中間の四課は右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に酉を見、勾陳が乗る。第二課、酉の上に辰を見、玄武が乗る。第三課、日支の子の上に未を見、天空が乗る。第四課、未の上に寅を見、天后が乗る。右側の三伝:初伝は寅で兄弟爻、遁干は丙、天后が乗る。中伝は酉で日干の官鬼、遁干は癸、勾陳が乗る。末伝は辰で財爻、遁干は戊、玄武が乗る。
邵彥和曰:此病因往妻家有私情,暗中相約,又失去情人所贈之物,遂思慮而得病,久而不治,必成癆怯。丑事固難言然必說明而病乃安矣。當時樊亦庸醫,因聞此斷,假託診脈為名,言其病症,人皆驚異以為神醫。蓋項先與舅嫂通,被妻舅知覺,項遂歸。舅嫂以手帕贈之,後為妻?去,項不敢問,思之成病,肌膚消瘦。妻聞樊言,以帕還之且深戒利害,兼服藥而愈。
邵彦和が断じて言う:この病は妻の娘家に行って人と私情を結び、暗中で相約し、その後情人の贈った物を失い、憂思が病と成ったものである。長く引いて治らず、必ず労瘵虚損に転ずる。醜事は本来啓歯し難いが、言い破らねば病は癒えない。当時樊郎中はもともと医術が平常だったが、この断語を聞き、診脉を仮託して名と為し、病人の病症を言い出したので、衆人は皆驚異し、彼を神医と為した。もともと項秀才は先に妻兄の妻と私通し、妻兄に察覚され、項某は帰って来た。舅嫂はかつて彼に一方の手帕を贈り、後に妻に取り去られた(「為妻?去」の「?」は底本の缺字)。項某は問うことを敢てせず、思うほどに病と成り、人も消瘦した。彼の妻は樊郎中の言を聞き、手帕を彼に返し、かつ鄭重にその中の利害を告戒し、湯薬を配したので、病は癒えた。
蓋此課日干投入四課發用,傳復歸於日之二課,主循環不斷,支為宅,支上未為妻,四課者,宅內也,是妻家矣。今寅投入四課,加妻財上作天后,是與妻家婦人通矣。日上酉為色作勾陳,為思慮,今為日鬼,陰神又見辰,辰為脾,為肌膚,加酉敗氣上是思慮已傷脾,肌膚消瘦。辰作元武兼主走洩,酉為閉口,丑事難言。行年在戌,戌上巳,作太常,常主絲棉,是手帕也。己與酉三合,故主情人之物也。太常加空,故遺失。明說而安者,行年上巳火能制酉金之鬼也。
このように断ずる道理は:本課は日干の神が四課に投入して発用し、三伝はまた日干の第二課に回るので、循環して絶えないことを主す。日支は宅を為し、支上の未はここでは妻であり、第四課は宅内の事に属す——まさに妻家である。いま寅が第四課に投入し、妻財の上に加わりまた天后に乗るのは、妻家の婦人と私通する象である。日干上の酉は色欲を主り、勾陳に乗るのは憂思を主り、この刻それはまた日干の鬼である。陰神にさらに辰を見、辰は人の身で脾を主り肌肤を主り、酉という敗気の上に加わる——憂思がすでに脾胃を傷り、ゆえに肌肤が消瘦する。辰は玄武に乗り、兼ねて走泄を主る。酉の類象は口を閉じるで、この桩の醜事は口に出し難い。行年は戌にあり、戌の上は巳で太常に乗る——太常は絲綿織物を主り、まさに手帕である。巳と酉は三合を成すので、情人の物と断じた。太常が空亡に加臨するので、物は失われた。言い破れば病が安まるのは、行年上の巳火が酉金の鬼を制し得るからである。
乾隆乙卯年子月甲子日に辛亥生まれの女の病を占う(『牧夫占験』)
乾隆乙卯年子月甲子日丑將巳時,某占辛亥女病,二十九歲。《牧夫占驗》
乾隆乙卯年子月(十一月)甲子日、丑将を取り巳時に加えて課を起こす。ある人が辛亥年生まれの二十九歳の婦人のために病を占った。この例は王牧夫の『牧夫占験』から採った。
貴后陰玄 丑寅卯辰 玄龍虎合 財 戌 合 ◎ 蛇子 巳常 辰申午戌 子 庚午 虎 ⊙ 朱亥 午虎 申子戌甲 兄 丙寅 后 戌酉申未 合勾龍空
課盤。丑将を巳時に加えると、天盤は地盤より八位進む:丑が地盤の巳に加わり、寅が午に、卯が未に、辰が申に、巳が酉に、午が戌に、未が亥に、申が子に、酉が丑に、戌が寅に、亥が卯に、子が辰に加わる。天将は貴人が丑に乗るところから起こる——丑は地盤の巳位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。中間の四課は右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に戌を見、六合が乗る。第二課、戌の上に午を見、白虎が乗る。第三課、日支の子の上に申を見、青竜が乗る。第四課、申の上に辰を見、玄武が乗る。右側の三伝:初伝は戌で財爻、六合が乗り旬空で「◎」を標す。中伝は午で子孫、遁干は庚、白虎が乗る。末伝は寅で兄弟、遁干は丙、天后が乗る。三伝は寅・午・戌が三合して火局を成す——下文にいう「炎上」の局である。
王牧夫曰:占病得寅午戌炎上之局。天后在下,上生午火,戌墓蓋之,火不能出,炎上為狂蕩,病由高興太過所致,無礙久而自痊,此數細看,支上申作青龍為夫星,而天后即乘寅,本命上未作天空。申陰神又作華蓋,此與僧人有私,狂蕩太過,有所傷而致病耳。不然何故局得炎上,支得申子相生,子乃婦人,行年上與申會合,種種可疑。後有人道其事,始知數不妄發耳。
王牧夫が断じて言う:病を占うに寅午戌の三合火局を得るは、すなわち「炎上」の象である。天后は下にあり午火を生起し、上にはまた戌の墓が蓋い、火気は出られない。炎上は放縦狂蕩を主り、この病は興頭が過ぎた所致で、妨げはなく、日が久しくなれば自ずから痊愈する。この一課を細かく見ればまた名堂がある:日支上の申は青竜に乗り、丈夫の星であるのに、天后は偏に寅の上に乗る。本命の亥上に「未」を見、未は天空に乗る。申の陰神はまたちょうど「華蓋」に当たる——華蓋は星名で、類神の上で僧道に関聯する。合わせて見れば、僧人と私情があり、縦欲が過ぎて身を傷り病を得たのである。さもなければ、なぜ課局が炎上を成し、日支がまた申子相生を得たか。子は類神の上で婦人であり、行年もまた申と会合し、種々皆疑うべきである。後に人が内情を言い出して、課数は乱発するものでないと初めて知った。
愚按:此課正是蕪淫,所以有姦淫之事也。
程樹勳按:この一課の課象はちょうど「蕪淫」の類に属し、それで奸淫の事があったのである。
十一月甲子日丑将巳時に行人を占う(雪心『行人類証』)
十一月甲子日丑將巳時占行人。雪心《行人類證》
十一月甲子日、丑将を取り巳時に加えて課を起こし、外に出ている人がいつ帰るかを占った。この例は雪心の『行人類証』から採った。
貴后陰玄 丑寅卯辰 玄龍虎合 財 戌 合 ◎ 蛇子 巳常 辰申午戌 子 庚午 虎 ⊙ 朱亥 午虎 申子戌甲 兄 丙寅 后 戌酉申未 合勾龍空
課盤は前の例と同じ:丑将を巳時に加え、天盤は地盤より八位進む——丑が地盤の巳に加わり、寅が午に、卯が未に、辰が申に、巳が酉に、午が戌に、未が亥に、申が子に、酉が丑に、戌が寅に、亥が卯に、子が辰に加わる。天将は貴人が丑に乗るところ(地盤の巳位に臨む)から逆行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は亥に、六合は戌に、勾陳は酉に、青竜は申に、天空は未に、白虎は午に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。四課は右から左へ:日干甲(寄宮寅)の上に戌を見て六合が乗り、戌の上に午を見て白虎、日支の子の上に申を見て青竜、申の上に辰を見て玄武が乗る。三伝:初伝は戌で財爻、六合が乗り旬空。中伝は午で子孫、遁干は庚、白虎が乗る。末伝は寅で兄弟、遁干は丙、天后が乗る。行人を占うには初伝の加わる位と駅馬を重く見る。甲子日の駅馬はちょうど寅にあり、初伝の戌は恰も寅の上に加わる。
雪心曰:三傳日同初。辰得申加子,占行人,是要來方動。蓋初傳戌加驛馬上也,十二月節至。
雪心が断じて言う:三伝は日干とともに初伝から起こる。日支上は申を得て子の上に加わり、行人を占うに、これはまさに身を動かして帰ろうとする象である。初伝の戌がちょうど駅馬の寅の上に加わるので、行人は十二月の節気の前後に家に着くと断じた。
甲子日に苗叔芳が印宗師の背疽を占う(『一針見血』)
杭州芝寺住持印宗師一日害背病疽甚重,臭至見骨,往求苗叔芳卜醫生,甲子日三傳午卯子。《一針見血》
杭州芝寺の住持・印宗師はある日背疽を生じ、病勢は重く、腐臭して骨が露出するほどであったので、苗叔芳に課を起こすよう請い、どの医者を頼むべきかを問うた。占ったのは甲子日で、三伝は午・卯・子である。この例は『一針見血』から採った。
蛇朱合勾 寅卯辰巳 龍常虎陰 子 庚午 龍 貴丑 午龍 午酉申亥 兄 丁卯 朱 后子 未空 酉子亥甲 父 甲子 后 亥戌酉申 陰玄常虎
課盤。この課は原書に月将と占時を記さず、盤の上から見れば、天盤は地盤より九位進む:寅が地盤の巳に加わり、卯が午に、辰が未に、巳が申に、午が酉に、未が戌に、申が亥に、酉が子に、戌が丑に、亥が寅に、子が卯に、丑が辰に加わる。天将は貴人が丑に乗るところから起こる——丑は地盤の辰位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は寅に乗り、朱雀は卯に、六合は辰に、勾陳は巳に、青竜は午に、天空は未に、白虎は申に、太常は酉に、玄武は戌に、太陰は亥に、天后は子に乗る。中間の四課は右から左へ:第一課、日干甲の寄宮は寅で、寅の上に亥を見、太陰が乗る。第二課、亥の上に申を見、白虎が乗る。第三課、日支の子の上に酉を見、太常が乗る。第四課、酉の上に午を見、青竜が乗る。右側の三伝:初伝は午で子孫、遁干は庚、青竜が乗る。中伝は卯で兄弟、遁干は丁、朱雀が乗る。末伝は子で父母、遁干は甲、天后が乗る——まさに文中にいう三伝の午卯子である。
苗叔芳曰:無妨,可救,宜向南方求醫。初傳青龍勝光須用火。針一開即愈,後果得南方醫者,用針一開之後卻不潰膿,乃子卯相刑之故。再加一針,膿方出盡。用涼藥敷貼,旬日全愈。此是天醫之驗,加於三傳,病必可治。愚按:此課不載月將正時,若處午,為天醫制鬼而吉,則七月占或十一月占也。
苗叔芳が断じて言う:大事ない、救い得る。南の方へ往いて医を求めるべきである。初伝に青竜を乗せた「勝光」の午火は、火攻の法を用いなければならない。針を下して瘡口を一開すれば癒える。その後果たして南方の医者を請い、針を下して口を開いたが膿が出なかった——これは子と卯が相刑する故である。さらに一針を加えてようやく膿が排尽し、涼性の薬を敷けば十数日で痊愈した。これは「天医」が応験した例である——天医が三伝の上に落ちれば、病は必ず治し得る。程樹勳按:この課は月将と実際の占時を記さない。もし天医がちょうど午の上にあって病鬼を制して吉となすなら、七月か十一月に占ったものであろう。
若三月占則不用晝貴矣,天醫有兩種,一是正月起子順行四仲,一是正月起辰順行十二支。
もし三月に占ったものなら、昼貴人を用いるべきでない。天医の起法には二種ある:一つは正月から子に起こり、ただ子・午・卯・酉の四仲位の上で順行するもの。一つは正月から辰に起こり、十二支に順って挨次に行くものである。
乙丑日
七月乙丑日に某が生産を占う(『方本占案』)
七月乙丑日午將卯申時某占生產。《方本占案》
七月乙丑日、午将を用いて課を起こす。占時は底本の一箇所に「卯申時」と作るが、課盤に推せば申時に当たるべきである。某が産婦の分娩の事を占った。この例は『方本占案』に見える。
合勾青空 卯辰巳午 玄后貴朱 父 亥 后 ◎ 朱寅 未虎 酉亥子寅 官 癸酉 玄 ⊙ 蛇丑 申常 亥丑寅乙 財 辛未 虎 子亥戌酉 貴后陰玄
課盤。午将を申時に加えると、天盤は地盤より二位退する:卯が地盤の巳に加わり、辰が午に、巳が未に、午が申に、未が酉に、申が戌に、酉が亥に、戌が子に、亥が丑に、子が寅に、丑が卯に、寅が辰に加わる。天将は貴人が子に乗るところから起こる——子は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は丑に乗り、朱雀は寅に、六合は卯に、勾陳は辰に、青竜は巳に、天空は午に、白虎は未に、太常は申に、玄武は酉に、太陰は戌に、天后は亥に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰にあり、第一課、辰の上に寅を見、朱雀が乗る。第二課、寅の上に子を見、貴人が乗る。第三課、日支の丑の上に亥を見、天后が乗る。第四課、亥の上に酉を見、玄武が乗る。右側の三伝:初伝は亥で、乙にとって父母爻、天后が乗り、旬空で「◎」を標す。中伝は酉で日干の官鬼、遁干は癸、玄武が乗る。末伝は未で財爻、遁干は辛、白虎が乗る——未はまたちょうど乙木の墓庫である。
邵彥和曰:此課主母死子存。書云:支是母兮干是兒,今天后被支所克,發傳,中末又歸凶將,白虎乘墓入酉之內門,內門者,產門也,故主母死。愚按:白虎在末傳克天后,亦主母凶。子存者,乙干是兒,乘寅為少陽,朱雀火又臨其上,乙日木旺火相,日干得旺相氣,故主兒存也。
邵彦和が断じて言う:この一課は母が死に嬰児が存活することを主す。書上に「日支は母、日干は児」と言う。いま天后(婦人を主る)が日支に克され、またここから発用する。中伝・末伝は玄武・白虎の二つの凶将に帰る。白虎は乙木の墓神の未に乗り、酉という「内門」に入る——内門とはすなわち産門である。ゆえに産婦の身亡を主す。程樹勳按:白虎が末伝にあって天后を克するも、同じく母に凶あるを主す。嬰児が活き得ると言うのは、日干乙がすなわち児で、寅の上に乗り少陽の気に属し、朱雀の火がまたその上に臨むからである。乙日は七月に木は退気するが、火は相気を得、日干は終に旺相の気を承けるので、嬰児の存活を主す。
乾隆辛巳年七月乙丑日に某が索捕を占う(『牧夫占験』)
乾隆辛巳年七月乙丑日巳將未時某占索捕。《牧夫占驗》
乾隆辛巳年七月乙丑日、巳将を取り未時に加えて課を起こす。某が債の索討・債務者の追捕の事を占った。この例は『牧夫占験』から採った。
合勾青空 卯辰巳午 玄后貴朱 父 亥 后 ◎ 朱寅 未虎 酉亥子寅 官 癸酉 玄 ⊙ 蛇丑 申常 亥丑寅乙 財 辛未 虎 子亥戌酉 貴后陰玄
巳将を未時に加えると、天盤は同じく地盤より二位退するので、課盤は前の例と全く同じ:卯が巳に加わり、辰が午に、巳が未に、午が申に、未が酉に、申が戌に、酉が亥に、戌が子に、亥が丑に、子が寅に、丑が卯に、寅が辰に加わる。天将は貴人が子に乗るところ(地盤の寅位に臨む)から順行する:螣蛇は丑に乗り、朱雀は寅に、六合は卯に、勾陳は辰に、青竜は巳に、天空は午に、白虎は未に、太常は申に、玄武は酉に、太陰は戌に、天后は亥に乗る。四課は右から左へ:乙(寄宮辰)の上に寅を見て朱雀が乗り、寅の上に子を見て貴人、日支の丑の上に亥を見て天后、亥の上に酉を見て玄武が乗る。三伝:初伝は亥で父母、天后が乗り旬空。中伝は酉で官鬼、遁干は癸、玄武が乗る。末伝は未で財爻、遁干は辛、白虎が乗り、未はまた乙木の墓である。債務の索討を占うに、日支上の亥水が日干を生ずるのは、相手に銭を返す心があること。しかし酉の鬼が玄武に乗って亥の上に圧するのは、家を敗き財を散ずる関口である。
王牧夫曰:此債非其人有心不還,實因好睹好飲,日就衰敗,將來居屋都要賣,賣屋始能得其財,然亦不能全其數矣。問之果然,蓋支上亥水生干是有心要還也,奈陰神酉加亥上,酉乃乙日之鬼,乘元武,酉加亥為酒,元武為嬉戲之神,走?之殺,未乘白虎為賭博呼?而散財也。三傳自生傳鬼,自鬼傳墓,安得不敗壞乎。賣屋者,支為宅,末傳未乘虎沖之也,屋賣而末傳見財,為干之財庫,故尚有也。不全者,白虎臨於其上耳。
王牧夫が断じて言う:この債は債者が心を蓄えて返さないのではなく、実に彼が賭を好み酒を好み、家道が日一日と敗落しているのである。将来は住む屋まで売り、屋を売って初めて銭を返し出し、しかも数に足りない。問うて果たしてその通りであった。道理は:日支上の亥水が日干を生じ得るのは、まさに相手に返す心があること。あいにく陰神の酉が亥の上に加わり、酉は乙日の鬼で、また玄武に乗る——酉が亥に加わるは酒を主り、玄武は嬉遊の神であり、また走失耗散の殺でもある(原文「走?之殺」の「?」は底本の缺字)。末伝の未は白虎に乗って賭博呼盧を主り(「呼?」の処も一字缺く)、銭財を散尽する。三伝は長生から官鬼に伝わり、官鬼からまた墓庫に伝入する。どうして敗落せずにいられようか。屋を売ると言うのは、日支が宅であり、末伝の未が白虎に乗って来てそれを冲するからである。屋を売却して末伝にまた財爻を見、未はちょうど日干の財庫なので、銭は終に若干ある。数に足りないと言うのは、白虎がちょうどこの財庫の上に圧するからである。
六月乙丑日午将未時に来意を占う(『一字玉連環』)
六月乙丑日午將未時占來意。《一字玉連環》
六月乙丑日、午将を取り未時に加えて課を起こし、「来意」を占い、来人の心中の問いを推しはかる。この例は『一字玉連環』から採った。
勾龍空虎 辰巳午未 后貴朱合 父 甲子 貴 合卯 申常 亥子寅卯 父 亥 后 ◎ 朱寅 酉玄 子丑卯乙 財 戌 陰 ◎⊙ 丑子亥戌 蛇貴后陰
課盤。午将を未時に加えると、天盤は地盤より一位退する:辰が地盤の巳に加わり、巳が午に、午が未に、未が申に、申が酉に、酉が戌に、戌が亥に、亥が子に、子が丑に、丑が寅に、寅が卯に、卯が辰に加わる。天将は貴人が子に乗るところから起こる——子は地盤の丑位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は丑に乗り、朱雀は寅に、六合は卯に、勾陳は辰に、青竜は巳に、天空は午に、白虎は未に、太常は申に、玄武は酉に、太陰は戌に、天后は亥に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に卯を見、六合が乗る。第二課、卯の上に寅を見、朱雀が乗る。第三課、日支の丑の上に子を見、貴人が乗る。第四課、子の上に亥を見、天后が乗る。右側の三伝:初伝は子で父母爻、遁干は甲、貴人が乗る。中伝は亥で、これも父母、天后が乗り旬空。末伝は戌で財爻、太陰が乗り、同じく旬空。「天魁」とはすなわち戌、「神后」とはすなわち子で、下文の断語が用いるのはまさにこの二つの六壬神名である。
徐次賓曰:來意事干西北方承繼姓王人財產也。相托一屬鼠有官人。九月內定見成就,又目下西南方虛望外財,道路有所畏隔,不敢往也。蓋末傳天魁為日干之財,天魁臨亥主王宇,發用神后為日干三合,上見天乙為貴人,又子屬鼠,故知承繼姓王人財產而得屬貴人力也。九月成就者,歸計戌為九月建也。又言西南虛望外財者,末時為日干之財,陰神見天空主虛詐,又值事門上見白虎主道路,白虎金也,為日之鬼,故知畏而不敢往也。
徐次賓が断じて言う:来人の心事は、西北の方で姓王の人に過継され、その財産を承受することである。この事は鼠に属する官职ある人に托して办らせ、九月の内に必ず成る。また目下は西南の方に一筆の外財を指望しているが、ただ道路上に畏懼阻隔があり、敢て前に往かない。道理は:末伝の「天魁」戌は日干の財爻で、天魁は亥の上に臨み、亥の字形は「王」の字と相関するので姓王を主す。発用の「神后」子は日干と三合を成し、上にまた天乙貴人を見、子は生肖の上で鼠に属するので、姓王の人の財産を承継し、しかも鼠に属する貴人の力を借りると断じたのである。九月に成ると言うのは、帰計門上の戌がちょうど九月の月建だからである。西南の方に一筆の外財を空しく指望するというのは、末位の神が日干の財でありながら、その陰神の上に天空を見、天空は虚詐を主るからである。さらに値事門上に白虎を見、白虎は道路を主り、白虎は金に属しまた日干乙の鬼なので、来人が畏懼を存して敢て往かないと知ったのである。
乾隆戊辰年閏七月乙丑日に風水を占う(『牧夫占験』)
乾隆戊辰年閏七月乙丑日巳將巳時占風水。《牧夫占驗》
乾隆戊辰年閏七月乙丑日、巳将を取り巳時に加えて課を起こす——月将と占時が同じで「伏吟」の課である。占ったのは墳地の風水。この例は『牧夫占験』から採った。
龍空虎常 巳午未申 蛇蛇勾勾 財 戊辰 勾 勾辰 酉玄 丑丑辰辰 財 乙丑 蛇 合卯 戌陰 丑丑辰乙 財 戌 陰 ◎⊙ 寅丑子亥 朱蛇貴後
課盤。巳将を巳時に加えると、天盤と地盤は完全に重合し、十二支は各々本位に帰る——「伏吟」の課である。天将は貴人が子に乗るところから起こる——子はちょうど地盤の子位にあり、陽に属すので順行する:螣蛇は丑に乗り、朱雀は寅に、六合は卯に、勾陳は辰に、青竜は巳に、天空は午に、白虎は未に、太常は申に、玄武は酉に、太陰は戌に、天后は亥に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に依然として辰を見、勾陳が乗る。第二課、辰の上に辰を見、勾陳が乗る。第三課、日支の丑の上に丑を見、螣蛇が乗る。第四課、丑の上に丑を見、螣蛇が乗る。右側の三伝:初伝は辰で財爻、遁干は戊、勾陳が乗る。中伝は丑で財爻、遁干は乙、螣蛇が乗る。末伝は戌で財爻、太陰が乗り旬空。風水を占うには勾陳をもって山と為し、螣蛇をもって地脉の起伏と為す。太陰が末伝にあってまた日干を冲し日支を刑する——この数ヶ所が下文の断語の着眼点である。
王牧夫曰:庸實七兄為以寧侄子容溪隱汰看風水,已定向封固命,餘占是何向。以占數字精粗,餘以前人看來龍山向法,用干支上神合者斷之曰,祖龍從西南坤上來,落脈在巽上,立乙山辛向加卯酉。以寧侄拆封閱之,果符所?。七兄曰龍脈山向如見,此地可扦葬否。余曰勾陳居辰,為山。山高峻穴卻在中平處,以蛇居中傳丑為平土故也。此課雖伏吟靜象卻不可葬。以太陰在末沖干刑支戌中又懷暗鬼耳。穴乘丁,雖有情活潑,惟此處亦曾葬,有人來不然丑乃鬼墓壘壘,在支上何故。以寧侄曰此地名程家墳,一一果符所占,遂共歎服。
王牧夫が記して言う:庸実七兄が以寧の甥に替わって子容溪の隠汰で風水を見、すでに坐向を定めてそれを封じ、私に課を起こして何の向きか占わせ、課数の精粗を試そうとした。私は前人の来龍を見・山向を定める法に依り、日干上神と日支上神の相合する者をもって断じ、言うには:祖龍は西南の坤方から来り、落脉は巽方にあり、立てたのは乙山辛向に卯酉を兼ねるものである、と。以寧の甥が封条を拆いて見れば、果たして私の断じた所に符合した(「所?」の処は底本に一字缺く)。七兄が言う:龍脉山向をまるで親しく見たようだ。ではこの地は葬り下すことができるか。私が言う:勾陳は辰に居り、辰は山を為す。山は高峻なれど、穴は半山の平緩な処にある——螣蛇が中伝の丑に居り、丑は平土だからである。この課は伏吟の静象なれど、葬るべからず。太陰が末伝にあり、日干を冲しまた日支を刑し、戌の中にはまた暗鬼を懐くからである。穴上は丁神に乗り、情あって活溌なれど、ここは従前にも人を葬った所である。さもなければ、丑は鬼墓で、墳塚が累々として日支の上に圧するのは、また何の故か。以寧の甥が言う:この地は程家墳と呼ばれる。占った所が一々符合し、衆人はここに嘆服した。
乾隆己巳年三月乙丑日に某が風水を占う(『牧夫占験』)
乾隆己巳年三月乙丑日酉將午時某占風水。《牧夫占驗》
乾隆己巳年三月乙丑日、酉将を取り午時に加えて課を起こす。某が一か所の墳地の風水の善悪を占った。この例は『牧夫占験』から採った。
貴后陰玄 申酉戌亥 蛇勾陰蛇 財 辛未 蛇 蛇未 子常 未辰戌未 財 戌 陰 ◎ 朱午 丑虎 辰丑未乙 財 乙丑 虎 ⊙ 巳辰卯寅 合勾龍空
課盤。酉将を午時に加えると、天盤は地盤より三位進む:申が地盤の巳に加わり、酉が午に、戌が未に、亥が申に、子が酉に、丑が戌に、寅が亥に、卯が子に、辰が丑に、巳が寅に、午が卯に、未が辰に加わる。天将は貴人が申に乗るところから起こる——申は地盤の巳位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は未に乗り、朱雀は午に、六合は巳に、勾陳は辰に、青竜は卯に、天空は寅に、白虎は丑に、太常は子に、玄武は亥に、太陰は戌に、天后は酉に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に未を見、螣蛇が乗る。第二課、未の上に戌を見、太陰が乗る。第三課、日支の丑の上に辰を見、勾陳が乗る。第四課、辰の上に未を見、螣蛇が乗る。右側の三伝:初伝は未で財爻、遁干は辛、螣蛇が乗る。中伝は戌で財爻、太陰が乗り旬空。末伝は丑で財爻、遁干は乙、白虎が乗る。未は乙木の墓で、丑はまた日支である。日干と日支の上にともに墓神を戴く——まさにこれが下文の断語の着眼処である。
王牧夫曰:此地無風水,純是粗石,不可買也。凡占風水以支辰為主,今支上戴墓。干上又戴墓,是前此已有墳墓,皆在平田處,因氣不足。今皆衰替,此占乃未葬而占風水,已有穴處,故以蛇而論之。未乘蛇坐辰上。辰為惡山,辰戌重見,為石,未又不務,何能求全。若必扦葬,人亦衰敗,安可買耶。後其人不信買之,開穴數處皆石,始棄也。
王牧夫が断じて言う:この地は風水と言うべきものがなく、一面粗石で、買うべからず。凡そ風水を占うには日支を主とする。いま日支の上に墓神を戴き、日干の上にも墓神を戴く——これ以前にここにすでに墳墓があったことが見え、しかも皆平田の処にあり、地気が足りないので、いま皆衰敗している。今回はまだ葬り下さず先に風水を占い、穴位はすでに選定されているので、螣蛇をもって地脉を論ずる:「未」の上に螣蛇が乗り、辰の上に坐す。辰は悪山で、辰・戌が両見すれば石となる。未はまた力を得ず、どうして周全を求め得ようか。もし必ず葬り下さんとすれば、人もまたこれに随って衰敗する。どうして買うことができようか。その後その人は信ぜず、やはり買い、幾ヶ所かの穴を開いたが皆石であったので、これにて罷んだ。
建炎己酉年九月乙丑日に沈保正が脱役を占う(『方本占案』・『口鑑』)
建炎己酉年九月乙丑日卯將戌時沈保正壬戌生四十八歲占脫役事。《方本占案》《口鑑》
南宋建炎己酉年九月乙丑日、卯将を取り戌時に加えて課を起こす。沈保正は壬戌年生まれで四十八歳、自分が保正という差役を卸し得るかを占った。この例は『方本占案』と『口鑑』に見える。
朱合勾龍 戌亥子丑 合陰空蛇 兄 丙寅 空 蛇酉 寅空 亥午寅酉 財 辛未 后 貴申 卯虎 午丑酉乙 父 甲子 勾 未午巳辰 后陰玄常
課盤。卯将を戌時に加えると、天盤は地盤より五位進む:戌が地盤の巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。天将は貴人が申に乗るところから起こる——申は地盤の卯位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は酉に乗り、朱雀は戌に、六合は亥に、勾陳は子に、青竜は丑に、天空は寅に、白虎は卯に、太常は辰に、玄武は巳に、太陰は午に、天后は未に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に酉を見、螣蛇が乗る。第二課、酉の上に寅を見、天空が乗る。第三課、日支の丑の上に午を見、太陰が乗る。第四課、午の上に亥を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は寅で兄弟爻、遁干は丙、天空が乗る。中伝は未で財爻、遁干は辛、天后が乗る。末伝は子で父母爻、遁干は甲、勾陳が乗る。寅は六壬の中で「功曹」と名づき吏胥を主る。酉は乙日の官鬼で、この刻ちょうど日干の上に加わる。
邵彥和曰:保正不能脫手,於道理上合當做此役也。酉加乙作蛇官鬼自纏其身,初傳功曹身已在公了,鄭云功曹為胥吏,保正亦胥吏之屬,為保正之後平安無此子事,汝若不認此役,須被監禁必待認了方釋。
邵彦和が断じて言う:この保正の差役は卸し得ない。情理に按ずれば彼が当たるべきものでもある。酉が日干乙の上に加わり螣蛇に乗る——官鬼が蛇のように自らその身を纏う。初伝は「功曹」の寅で、人はすでに公門の中に陥っている——鄭体功が言うに、功曹は吏胥を主り、保正も吏胥の類に属す。保正を為した後はかえって平安で、これらの是非はない。もしこの差役を肯んじて認めなければ、関所に入れられ、必ず認めて初めて放される。
又行年與宅上午作太陰,有一人與爾家陰人是親眷,來為爾打關節,陰也又探爾口氣,午為言語。卻去報他為內鬼也,午遁庚為暗鬼,加支為內,蓋乙見酉為官,所制蛇是被監勒,初寅作天空,為官吏若不認,必入獄,辰加日本為天獄,中傳天后認了全賴寅制之,寅為吏,天空為役,故充了保正之後便不入獄卻無慮,末傳子未相穿,又作勾陳,斷然難脫,脫後又重做也。沈公之事果皆如其言,自後既脫,九年又做一次。
さらに行年と宅位の上の午が太陰に乗るのを見れば:一人の人があなたの家の女眷と親戚で、来てあなたのために関節を打ち通す——太陰は陰私を主り、同時にまたあなたの口風を探る。午は類神の上で言語を主る。ところが彼はかえってあなたを告発しに行き、内鬼と成った——午の遁干は庚で、まさに暗鬼、日支の上に加わればすなわち「内」である。乙が酉を見て官を為し、螣蛇に制されれば、監禁拘管を遭う。初伝の寅が天空に乗り、天空は官吏差役を主る。もしこの役を認めなければ、必ず獄に下される——辰が日辰の本位に加わればすなわち「天獄」である。中伝の天后はこの事を認めることを主り、全く寅に頼ってこれを制する。寅は吏を為し天空は役を為すので、保正を充てれば獄に入らず、慮るべきことがない。末伝の子は未と相穿し、また勾陳に乗る。この差役は断じて脱し得ず、たとえ脱しても後にまた一度当たらねばならない。沈保正のその後の遭遇は果たして全て断じた通りで、卸任の後九年を過ぎ、また一度当たった。
乾隆己巳年五月乙丑日に揚州の商人が監院の返任を占う(『牧夫占験』)
乾隆己巳年五月乙丑日未將丑時揚州商人占監院反任否。《牧夫占驗》
乾隆己巳年五月乙丑日、未将を取り丑時に加えて課を起こす。揚州の商人が来て占い、元任の監院官が帰って復任するかを問うた。この例は『牧夫占験』から採った。
合勾龍空 亥子丑寅 龍后常朱 財 戌 朱 ◎ 朱戌 卯虎 丑未辰戌 財 戊辰 常 ⊙ 蛇酉 辰常 未丑戌乙 財 戌 朱 ◎ 申未午巳 貴后陰玄
課盤。未将を丑時に加えると、月将と占時が相冲し、天盤は地盤より六位進み、「返吟」の課である:亥が地盤の巳に加わり、子が午に、丑が未に、寅が申に、卯が酉に、辰が戌に、巳が亥に、午が子に、未が丑に、申が寅に、酉が卯に、戌が辰に加わる。天将は貴人が申に乗るところから起こる——申は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は酉に乗り、朱雀は戌に、六合は亥に、勾陳は子に、青竜は丑に、天空は寅に、白虎は卯に、太常は辰に、玄武は巳に、太陰は午に、天后は未に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に戌を見、朱雀が乗る。第二課、戌の上に辰を見、太常が乗る。第三課、日支の丑の上に未を見、天后が乗る。第四課、未の上に丑を見、青竜が乗る。右側の三伝:初伝は戌で財爻、朱雀が乗り旬空。中伝は辰で財爻、遁干は戊、太常が乗る。末伝はまた戌で、依然として朱雀に乗り旬空。戌は火墓で旧を主り、辰は天罡で新を主る——一新一旧が対冲し、まさにこの課が新旧官員の去留を断ずる鍵である。
王牧夫曰:占此數新舊皆官,何以核實。因思數不妄傳。今戌辰,辰為新,戌為舊,今戌居始末實舊復蒞任也,夏占火墓發用,雖空然得時之旺氣,況反覆仍歸干上,干為外,故仍蒞外任也。貴居申上為刑慮,為往來又是日德,丑為揚州,未為太陽,丑見青龍,龍陽相遇亦無禍患,況丁神作日祿與馬作合。將來戌旺辰衰,則舊官至矣,來期其在夏秋之交乎,果於六月末旬,立秋前一日到。
王牧夫が断じて言う:この一課は新官も旧官も官である。どうしてどちらかを核定するか。思うに課数は乱れて伝わることはない:いま三伝は戌・辰・戌で、辰は新を主り戌は旧を主る。戌が首尾の両頭を占めるのは、実に旧官が帰って任に赴くことである。夏に占い、火墓の戌が発用し、空亡なれど時令の旺気を得る。いわんや反復往来して依然として日干の上に帰り、日干は外を主るので、彼は依然として外任の上に来る。貴人は申の上に居り、刑獄の慮を主り、また往来を主り、同時にまた日徳である。丑は揚州に対応し、未は太陽を為し、丑の上に青竜を見、竜と陽が相遇するも禍患なし。いわんや丁神が日干の禄を作し、また駅馬と相合する。将来戌の気が転じて旺しく辰の気が転じて衰えるとき、旧官が到る。その来る日はほぼ夏秋の交わりであろう。その後果たして六月末旬、立秋の前一日に任に到着した。
凡占官以官星為主,馬附之,干為外任,支為內任,以新舊論,生氣為新,死氣為舊,天罡旺氣為新,河魁休囚為舊,長生為新,死墓為舊,推而廣之,干上為新,支上為舊,以職守而論,申為兵,亥子為?法。以貴而論,則晝貴晝占為現任,夜貴夜占為退休。以動而言,則斷關為動,返吟為動,馬作長生為動,貴臨傳送為動。
ここに付けて官を占う通則を言う:凡そ官职を占うには官星を主とし、駅馬を輔とする。日干は外任を代表し、日支は内任を代表する。新旧を分かつには:生気を新と為し、死気を旧と為す。天罡の辰が当旺なのを新と為し、河魁の戌が休囚なのを旧と為す。長生を新と為し、死墓を旧と為す。推し広めれば、日干上を新と為し、日支上を旧と為す。職守で分かつには:申は兵事を主り、亥・子は刑法の類を主る(「亥子為?法」の「?」は底本の缺字)。貴人で分かつには:昼貴人で昼に占えば現任を主り、夜貴人で夜に占えば退休を主る。動静で分かつには:斬関課は動を主り、返吟課は動を主り、駅馬が長生に乗れば動を主り、貴人が伝送の申に臨むも動を主る。
欽差則以馬為主祿次之以此類推無有不驗。
もし占うのが欽差なら、駅馬をもって主と為し、禄神をこれに次ぐ。この筋に照らして類推すれば、応験せざるなし。
丙寅日
天聖六年五月丙寅日に丁卯生まれの人が訟を占う(『一針見血』・『玉連環』末巻)
天聖六年戊辰五月丙寅日申將丑時丁卯人六十二歲占訟。《一針見血》《玉連環末卷》
北宋天聖六年、歳は戊辰、五月丙寅日、申将を取り丑時に加えて課を起こす。一人の丁卯年生まれ・六十二歳の人が官司を占った。この例は『一針見血』と『玉連環』末巻に見える。
合勾龍空 子丑寅卯 虎貴陰合 官 甲子 合 朱亥 辰虎 辰酉未子 子 辛未 陰 蛇戌 巳常 酉寅子丙 父 丙寅 龍 酉申未午 貴后陰玄
課盤。申将を丑時に加えると、天盤は地盤より七位進む:子が地盤の巳に加わり、丑が午に、寅が未に、卯が申に、辰が酉に、巳が戌に、午が亥に、未が子に、申が丑に、酉が寅に、戌が卯に、亥が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳にあり、第一課、巳の上に子を見、六合が乗る。第二課、子の上に未を見、太陰が乗る。第三課、日支の寅の上に酉を見、貴人が乗る。第四課、酉の上に辰を見、白虎が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干丙の官鬼、遁干は甲、六合が乗る。中伝は未で子孫、遁干は辛、太陰が乗る。末伝は寅で父母、遁干は丙、青竜が乗る。河魁の戌は螣蛇に乗って地盤の卯位に立ち、天罡の辰は白虎に乗って地盤の酉位に立つ——卯酉はちょうど門戸の位で、下文はすなわちこれより門戸不寧を断ずる。
苗公達曰:主門戶不寧,卑幼為尊長所欺,反有詞訟,須坐獄,兩旬必有貴人釋罪。來日丁卯便見官入獄也。果是兄訟其弟得大尹勸和。
苗公達が断じて言う:この一課は門戸が安寧でなく、晩輩幼者が尊長に欺圧され、かえって詞訟を鬧し出し、さらに牢に坐することを主す。ただし二十日の内に必ず貴人が彼のために罪名を開脱する。明日の丁卯日に官に会い獄に下るであろう。その後果たして兄が弟を告げ、最後に府尹が出て勧め和して事を了した。
論曰:魁罡乘蛇虎立卯酉,故知門戶不寧,三上克下,為幼度厄,故主尊凌卑,神后加水為用,水在五月為囚氣,丙火正旺不受上神所制,則反起爭訟,年上見戌,戌為日墓,故主坐獄,發用神后為甲子旬首,年上河魁為甲戌旬首,應以兩旬為期,傳中合陰龍俱是吉神,又是比用課故主和允。酉作貴人臨日支,順行與用神金水相生,故得貴人釋罪,卯上見戌,戌為火墓,故在丁卯日見官入獄也。
その論断の理路は:河魁の戌と天罡の辰がそれぞれ螣蛇・白虎に乗り、卯・酉の二つの門戸の位に立つので、門戸が寧まらないと知った。四課の中に三課が上神が下神を克するのは、幼者が厄を受ける象で、ゆえに尊長が卑幼を欺凌することを主す。「神后」の子水が発用し、水は五月にちょうど囚気に当たり、丙火は却って当旺で、上神の制伏を受けようとせず、そこでかえって訟を争い起こした。行年の上に戌を見、戌は丙日の墓なので、牢に坐することを主す。発用の神后子は甲子旬の旬首で、行年上の河魁戌は甲戌旬の旬首なので、応期は両旬二十日に定まる。三伝の中の六合・太陰・青竜は皆吉将で、課体もまた比用課なので、和解允当を主す。酉が貴人に乗って日支上に臨み、貴人は順行し、用神と金水相生するので、貴人に罪名を開脱してもらい得る。卯の上に戌を見、戌は火の墓庫なので、丁卯日に官に会い獄に下ると断じた。
乾隆甲戌年六月丙寅日に楊商が散輪を占う(『牧夫占験』)
楊商占散輪否,乾隆甲戌年六月丙寅日午將酉時。《牧夫占驗》
楊姓の塩商が「散輪」を占った——すなわち淮南塩務において各旗が次序に従って輪番で塩を売る班次が打ち散らされるかどうか。時は乾隆甲戌年六月丙寅日、午将を取り酉時に加えて課を起こした。この例は『牧夫占験』から採った。
合勾龍空 寅卯辰巳 玄貴貴合 官 亥 貴 ◎ 朱丑 午虎 申亥亥寅 財 壬申 玄 ⊙ 蛇子 未常 亥寅寅丙 兄 己巳 空 亥戌酉申 貴后陰玄
課盤。午将を酉時に加えると、天盤は地盤より九位進む:寅が地盤の巳に加わり、卯が午に、辰が未に、巳が申に、午が酉に、未が戌に、申が亥に、酉が子に、戌が丑に、亥が寅に、子が卯に、丑が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に寅を見、六合が乗る。第二課、寅の上に亥を見、貴人が乗る。第三課、日支の寅の上に亥を見、貴人が乗る。第四課、亥の上に申を見、玄武が乗る。右側の三伝:初伝は亥で日干の官鬼、貴人が乗り旬空で「◎」を標す。中伝は申で財爻、遁干は壬、玄武が乗り、申はまた本日の駅馬である。末伝は巳で兄弟爻、遁干は己、天空が乗る。初伝の亥と末伝の巳が相冲する——これがこの課で「終に必ず散ず」と断ずる根拠である。
王牧夫曰:此占惟淮南鹽務中有之,古之所無,故無成斷模楷。夫輪之為象,循序動而不息,中傳傳送,乃其象也,申又乘馬,其象更的,貴人乘亥發用貴為官,亥為監鹽官司,之首先發用用不務是鹽不足也,而貴為之,躊躇也,申在中末巳合之,金火相合,有疑而未決之象,然初末相沖終必散也,散而不久,又必合也。其散期在秋後,果驗。口岸之鹽各旗挨次輪賣,散輪則有人越次而。
王牧夫が言う:この類の占問は淮南塩務の中にのみあり、古書にはなく、したがって循うべき既成の断法がない。「輪」の象は順に転じて循環し息まないことで、中伝の「伝送」申はちょうどこの象に合する。申の上にまた駅馬が乗れば、象はいっそう貼切になる。貴人が亥に乗って発用し、貴人は官を為し、亥は塩を管する官署を主る。それが最も前に排して発用するのに用神が力を得ないのは、塩貨が足りず、それによって官府が迟疑不決するためである。申が中伝に落ち、末伝の巳がそれと合し、金火相合するのは、心に疑虑を存し懸けて未だ決せざる様子である。しかし初伝と末伝は相冲し、最終的に必ず散ず。散じても久しくはなく、日後にまた再び合する。散ずる時期は秋の後である。その後果たして応験した。淮南各口岸の塩は、各旗が次序を挨拶して輪番で売るのであり、いわゆる「散輪」とは、人が次を越えて競い売ることである(この句は底本がここで中断し、下文が脱落している)。
九月丙寅日卯将卯時に行人を占う(『玉連環』末巻)
九月丙寅日卯將卯時占行人。《玉連環末卷》
九月丙寅日、卯将を取り卯時に加えて課を起こす——月将と占時が同じで「伏吟」の課である。占ったのは外に出ている人が到るかどうか。この例は『玉連環』末巻から採った。
空虎常玄 巳午未申 合合空空 兄 己巳 空 龍辰 酉陰 寅寅巳巳 財 壬申 玄 勾卯 戌后 寅寅巳丙 父 丙寅 合 寅丑子亥 合朱蛇貴
課盤。卯将を卯時に加えると、天盤と地盤は完全に重合し、十二支は各々本位に帰る——伏吟課である。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥はちょうど地盤の亥位にあり、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳にあり、第一課、巳の上に依然として巳を見、天空が乗る。第二課、巳の上に巳を見、天空が乗る。第三課、日支の寅の上に寅を見、六合が乗る。第四課、寅の上に寅を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は巳で兄弟爻、遁干は己、天空が乗る。中伝は申で財爻、遁干は壬、玄武が乗る。末伝は寅で父母爻、遁干は丙、六合が乗る。伏吟課は四課が二二相同じなので、刑を取って発用し、ゆえに三伝は巳・申・寅と成る——ちょうど寅申巳亥の四孟の地である。
劉日新曰:此乃貴人占從人到否,須責天空,其人已動在路,巳乃地足,為用,更在日辰上,主亥日當到,末寅作六合,乃船車動也。又寅申巳亥乃傳終也。凡天?二馬加日辰發用,定主行人至,更傳盡處定歸,或傳送在日辰之後,陰神在日辰之後,未到也。
劉日新が断じて言う:これは貴人が随従の人が到るかを占ったもので、専ら天空の一将に責めるべきである。その人はすでに身を動かして路上にいる:巳は「地足」で、また発用であり、さらに日干の上に落ちるので、亥日に当たり到ると断じた。末伝の寅が六合に乗るのはちょうど船車が行動する象である。いわんや寅・申・巳・亥は三伝の終点である。凡そ天馬・駅馬の二馬が日辰上に加わって発用すれば、必ず行人が到ることを主す。さらに三伝の終点の処を見て帰期を定める。もし伝送の申が日辰の後に落ち、陰神もまた日辰の後にあれば、それは人がまだ到っていないことである(「天?二馬」の「?」は底本の缺字)。
建炎戊申年六月丙寅日に徐経幹が赴任を占う(『口鑑』)
徐經干辛酉生三月二十日巳時生四十八占赴任,建炎戊申年六月丙寅日巳時未將。《口鑑》
徐経幹は辛酉年三月二十日巳時の生まれで四十八歳、外地に赴任するのが可行かどうかを占った。時は南宋建炎戊申年六月丙寅日、未将を取り巳時に加えて課を起こした。この例は『口鑑』に見える。
勾合朱蛇 未申酉戌 龍虎朱勾 子 戊辰 虎 龍午 亥貴 午辰酉未 兄 庚午 龍 空巳 子后 辰寅未丙 財 壬申 合 辰卯寅丑 虎常玄陰
課盤。未将を巳時に加えると、天盤は地盤より二位進む:未が地盤の巳に加わり、申が午に、酉が未に、戌が申に、亥が酉に、子が戌に、丑が亥に、寅が子に、卯が丑に、辰が寅に、巳が卯に、午が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の酉位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は酉に、六合は申に、勾陳は未に、青竜は午に、天空は巳に、白虎は辰に、太常は卯に、玄武は寅に、太陰は丑に、天后は子に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に未を見、勾陳が乗る。第二課、未の上に酉を見、朱雀が乗る。第三課、日支の寅の上に辰を見、白虎が乗る。第四課、辰の上に午を見、青竜が乗る。右側の三伝:初伝は辰で子孫、遁干は戊、白虎が乗る。中伝は午で兄弟、遁干は庚、青竜が乗る。末伝は申で財爻、遁干は壬、六合が乗る。三伝は辰・午・申と一路高く登る——すなわち「登三天」の課である。
邵彥和曰:辰午申登三天課,因前高峻而至危險。占行人不歸,占疾病不起,今經干占赴任得此,萬不可往,恐有去無回來。年行年到寅正是登三天,尤不可往也。經干不信於己酉年七月動身赴任,八月到京西,庚戌年五月病死,自後子孫家眷俱不得歸,以飛廉作白虎故也。
邵彦和が断じて言う:辰・午・申は「登三天」の課で、一路前へ攀り高め、終に危険に至る。この種の課で行人を占えば帰らないことを主り、疾病を占えば起きないことを主る。いま徐経幹が赴任を占ってこの課を得た——千万行くべからず、ただ行って帰らざることを恐れる。彼の行年はちょうど寅の上に走到し、恰も登三天の位置にあり、殊に往くべからず。徐経幹は信ぜず、己酉年七月に身を発して赴任し、八月に京西に到り、庚戌年五月に病で死んだ。その後子孫家眷は皆帰って来られなかった——これは飛廉の神が白虎に乗った故である。
《口鑑》。愚按:六月飛廉在卯,不在辰。
以上は『口鑑』から出る。程樹勳按:六月の飛廉は卯位にあり、辰位にあらず。原書のここの説法は飛廉の起例と合わない。
建炎戊申年二月丙寅日に徐教授が前程を占う(『口鑑』)
建炎戊申年二月丙寅日亥將申時徐教授丙子命三十三歲十一月二十一日丑時生占前程。《口鑑》
南宋建炎戊申年二月丙寅日、亥将を取り申時に加えて課を起こす。徐教授は丙子年十一月二十一日丑時の生まれ、本命は子に属し、三十三歳、功名前程を占問した。この例は『口鑑』に見える。
合朱蛇貴 申酉戌亥 合空貴合 財 壬申 合 勾未 子后 申巳亥申 官 亥 貴 ◎ 青午 丑陰 巳寅申丙 父 丙寅 玄 ⊙ 巳辰卯寅 空虎常玄
課盤。亥将を申時に加えると、天盤は地盤より三位進む:申が地盤の巳に加わり、酉が午に、戌が未に、亥が申に、子が酉に、丑が戌に、寅が亥に、卯が子に、辰が丑に、巳が寅に、午が卯に、未が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の申位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は酉に、六合は申に、勾陳は未に、青竜は午に、天空は巳に、白虎は辰に、太常は卯に、玄武は寅に、太陰は丑に、天后は子に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に申を見、六合が乗る。第二課、申の上に亥を見、貴人が乗る。第三課、日支の寅の上に巳を見、天空が乗る。第四課、巳の上に申を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は申で財爻、遁干は壬、六合が乗る。中伝は亥で日干の官鬼、貴人が乗り旬空で「◎」を標す。末伝は寅で父母爻、遁干は丙、玄武が乗る。亥は既に二月の月将であり、また天門の位である——下文の断語は反復してここから象を取る。
邵彥和曰:申本時臨日,為日所克,丙為夫,申為妻。既從日上發用,空亡又臨妻宮,必主克妻,亥數四主克四妻,中年子息亦克,以六合不得地也。申為西南之金,到巳之爐冶上,必有聲名於西北也。申乘今日之馬,干又坐本命之馬而得長生,主為官至老不倦也。宅上丙火受寅而生,不可以外內言也。年將四旬必遇曹姓人而顯官亦終於六曹,亥為月將不論空亡,但時少遲耳。
邵彦和が断じて言う:申は本来占時の神でありながら日干の上に臨み、日干に克される。丙は夫を為し、申は妻を為す。日干上から発用し、空亡がまた妻宮に落ちる——必ず妻を克することを主す。亥の数は四で、四人の妻を克することを主す。中年の時、子嗣にも損傷あり——六合が所を得ずに落ちるからである。申は西南の方の金で、巳という炉冶の上に落ちて鍛錬を受ける。将来必ず西北一帯に声名がある。申はまた本日の駅馬に乗り、日干はまた本命の駅馬の上に坐して長生を得る——官を為して老いて倦まないことを主す。宅位上の丙火は寅木の相生を受ける。この一層は内外をもって分かち説くことはできない。年近く四十にして必ず一人の姓曹の人に遇いて顕達し、官职も最終的に六曹の内にある。亥は当月の月将で、空亡を論ぜず、ただ応期がやや遅いだけである。
月將貴人入傳四年之後,便顯自絳帳,從此達於天庭。又寅來生身,十一月天馬在寅,寅臨天門,元武歸本家,為黑煞,黑煞為刑職,中傳既有天門,寅又在天門上,以天見天,必出疆見諸侯,然後入奉天子,處六曹中帶刑職者。寅申巳亥為四維,主代天子而守四方,必四任也。
月将と貴人が三伝に入れば、四年の後に顕達する。まず書を教える講席から家を起こし、これにより朝廷に上達する。さらに寅が来て日干を生助するのを見れば、十一月の天馬はちょうど寅にあり、寅はまた天門の亥位に臨む。玄武は本家に回って黒煞と成り、黒煞は刑名の職を主る。中伝はすなわち天門の亥で、寅はまた天門の上に圧する。天をもって天に見ゆ——この人は必ずまず外郡に出使して諸侯に見え、然る後に朝に入り天子に侍奉し、六曹の中で刑名を帯びた職務に就く。寅・申・巳・亥は四維の位で、天子に代わって四方を鎮守することを主るので、彼は必ず四任の外官を歴る。
徐君當年服滿得江州德化縣令,次年二月赴任,五月喪妻楊氏,庚戌正月再娶李氏,辛亥年宣撫使劉大中保舉,得諸王府教授,李氏又亡,又娶毛氏,此應中傳之亥,自絳帳而入絳帳,從此達於天庭也,果然四年自諸王教授,出為饒州通判,丁母憂服,再得宣州通判,是時知州曹泳,乃秦太師上客,曹赴京因薦之,徐隨赴召,毛氏又卒,再娶江氏,轉知江陰州軍,召為監察御史,又除殿中侍御史,七月除吏部侍郎,出作奉使兼樞密院承旨,八十六矣。
後の事実はこうである:徐教授は当年に守喪期が満ち、江州徳化県令の授けを得、第二年二月に赴任し、五月に妻の楊氏が逝去した。庚戌年正月に李氏を続娶した。辛亥年に宣撫使劉大中の保挙により諸王府教授の任を得、李氏もまた逝去し、再び毛氏を娶った——これはちょうど中伝の亥に応じ、講席から入りて講席に入り、これより朝廷に上達したのである。果たして四年の後、諸王府教授から外に放たれて饒州通判となり、母の喪に遭い守制し、服が満ちて再び宣州通判を得た。当時の知州曹泳は秦檜の座上客で、曹泳が京に入る時に彼を推薦し、徐教授はすなわち応召し、毛氏もまた亡くなり、再び江氏を娶った。江陰州軍知州に転任し、監察御史に召され、また殿中侍御史に拜し、七月に吏部侍郎を除し、外に放たれて奉使兼枢密院承旨となり、八十六歳を享けた。
愚按:內有十一月天馬在寅之句,今繫二月,豈用其生用乎。
程樹勳按:断語の中に「十一月天馬在寅」の一句があるが、この課は二月に占ったもので、どうして十一月の天馬をもって用神と為し得ようか。ここは起例に合わない。
戊申年六月丙寅日に何三公が身位を占う(『口鑑』・『方本占案』)
何三公丙午生六十三歲占身位,戊申年六月丙寅日未將寅時。《口鑑》《方本占案》
何三公は丙午年生まれで六十三歳、自身の安危を占った。時は戊申年六月丙寅日、未将を取り寅時に加えて課を起こした。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。
蛇朱合勾 戌亥子丑 合陰空蛇 官 甲子 合 貴酉 寅青 子未卯戌 兄 己巳 常 后申 卯空 未寅戌丙 子 戌 蛇 ◎ 未午巳辰 陰玄常虎
課盤。未将を寅時に加えると、天盤は地盤より五位進む:戌が地盤の巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の辰位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に戌を見、螣蛇が乗る。第二課、戌の上に卯を見、天空が乗る。第三課、日支の寅の上に未を見、太陰が乗る。第四課、未の上に子を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干の官鬼、遁干は甲、六合が乗る。中伝は巳で兄弟、遁干は己、太常が乗る。末伝は戌で子孫、螣蛇が乗り旬空で「◎」を標す。日干と日支の上はともに墓神を帯び、第四課の子鬼が発動して三伝がまた日干に帰る——これが下文で伏屍の祟を断ずる根拠である。
邵彥和曰:干支帶墓,第四課見子鬼發動,卻又傳歸日上,六月死神在戌作蛇,主有伏尸,帶迷惑煞,殃及於人,因宅中皆是舊墓,前後俱有尸骸,鬼入四課,在內之鬼也。傳出日上,漸次侵害於人也。主不出八年,癆病相纏,當死五人,中傳雖有生氣,受克化而為鬼,是以不利。戌年戌月難以救也。考何三公宅內原是舊冢,聞此言,乃掘之,共掘得十四穴,皆無主之墓。庚戌年九月未日,何公不祿,七年之中,果喪五人。
邵彦和が断じて言う:日干・日支ともに墓神を帯び、第四課上の子鬼が発動し、また伝わって日干の上に回る。六月の死神は戌にあり螣蛇に乗る——宅下に埋まる屍骨があり、また迷惑煞を帯び、活人に殃及することを主す。原因は宅の下に全て旧墳があり、前後に屍骸があることである。鬼が四課に入るのは屋内の鬼、伝出して日干の上に至るのは次第に人身を侵害することである。八年を出ずして家中に労病が纏身し、死すべきは五口と主す。中伝は生気を帯びるが、克を受けて化して鬼と為るので不利である。戌年戌月に至ればなお救い難い。考査すれば、何三公の宅はもともと旧墳地であった。これを聞いて挖掘に往き、全部で十四個の穴を掘り出し、皆無主の墳であった。庚戌年九月の未日に何三公は逝去し、七年の中に果たして五口が死んだ。
畢法賦云,兩蛇夾墓凶難免,此課凶矣,再()其山之所自( )發用見子水()為鬼出迤邐歸()干上未為天()殺加宅主有()尸侵害人也。
『畢法賦』に「両蛇が墓を夾めば、凶事免れ難し」と言う——この一課はまさに凶象である。以下の一段は底本が残缺し、括弧の処は皆脱字で、強いて読める大意は:さらにその山勢の来処を推すに、発用に子水を見て鬼を為し、鬼気は一路蔓延して日干の上に帰り、未は天殺を為し、宅位の上に加わるので、屍骨が活人を侵害することを主す。缺文の処は臆して補うことを敢てせず、謹んで原様のまま保留する。
丁卯年未月丙寅日に某が宅内の鬼哭を占う(『牧夫占験』)
某占宅內鬼哭丁卯年未月丙寅日未將寅時。《牧夫占驗》
ある人が家中の夜中に鬼の哭く声があるのは何の故かを占った。時は丁卯年未月(六月)丙寅日、未将を取り寅時に加えて課を起こした。この例は『牧夫占験』から採った。
蛇貴后陰 戌亥子丑 后勾常蛇 官 甲子 后 朱酉 寅玄 子未卯戌 兄 己巳 空 合申 卯常 未寅戌丙 子 戌 蛇 ◎ 未午巳辰 勾龍空虎
課盤。未将を寅時に加えると、天地盤は前の例と同じで、天盤は地盤より五位進む:戌が巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。異なるのはこの課が夜貴を用いることで、天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の午位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は酉に、六合は申に、勾陳は未に、青竜は午に、天空は巳に、白虎は辰に、太常は卯に、玄武は寅に、太陰は丑に、天后は子に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に戌を見、螣蛇が乗る。第二課、戌の上に卯を見、太常が乗る。第三課、日支の寅の上に未を見、勾陳が乗る。第四課、未の上に子を見、天后が乗る。右側の三伝:初伝は子で官鬼、遁干は甲、天后が乗る。中伝は巳で兄弟、遁干は己、天空が乗る。末伝は戌で子孫、螣蛇が乗り旬空。天后は哭泣を主り婦人を主り、子はまた半夜に当たるので、夜半の女鬼の啼哭と断じた。
王牧夫曰:鬼由四課發用,乃宅內之鬼,天后主哭泣,子屬半夜,後為女鬼,儀神為尊長,當自東北而依西北哭去,主家中有月厭氣事。此來警覺耳。於人無傷也,中傳作天空,天空乃奏事之神,又為月厭煞,又是生氣,家中恐有糊塗不明事,不然何自宅內傳歸戌地,乃是日墓又歸干上,以墓丙火支辰又乘墓。人宅招晦,不得分明當慎之也。夫事見理明尚義體仁關照大局,棄小遇內外整則可讓而禍自可遠矣。
王牧夫が断じて言う:鬼が四課の内から発用する——屋の中の鬼であることが見える。天后は哭泣を主り、子は半夜に当たり、天后はまた女鬼の象である。儀神は尊長を主る。この鬼は東北の方から来て、西北の方に依って哭き過ぎ去ったのであろう。家中に月厭の気の事があることを主し、それが来るのはただ示警するのであって、人に対して傷害はない。中伝は天空に乗り、天空は奏事の神であり、また月厭煞であり、同時にまた生気である。ゆえに家の中におそらく糊塗して明白でない事がある。さもなければ、なぜ三伝が宅内から戌の地に伝わるのか——戌は既に丙日の墓であり、また日干の上に帰り、墓が丙火を圧し、日支上にも墓が乗る。人と宅とともに晦気を招き、事が説き分明せず、謹慎すべきである。凡そ事に遇うには、ただ理を見ること明白に、道義を崇び、仁厚を存心し、大局を顧全し、小処を舎てて内外を整粛することを肯んじ、一歩譲ることができれば、禍患は自ずから遠のく。
六月丙寅日午将未時に来意を占う(『一字玉連環』)
六月丙寅日午將未時占來意。《一字玉連環》
六月丙寅日、午将を取り未時に加えて課を起こし、「来意」を占い、来人の心中の問いを推しはかる。この例は『一字玉連環』から採った。
龍空虎常 辰巳午未 蛇朱勾龍 官 甲子 蛇 勾卯 申玄 子丑卯辰 官 亥 貴 ◎ 合寅 酉陰 丑寅辰丙 子 戌 后 ◎⊙ 丑子亥戌 朱蛇貴後
課盤。午将を未時に加えると、天盤は地盤より一位退する:辰が地盤の巳に加わり、巳が午に、午が未に、未が申に、申が酉に、酉が戌に、戌が亥に、亥が子に、子が丑に、丑が寅に、寅が卯に、卯が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の子位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳にあり、第一課、巳の上に辰を見、青竜が乗る。第二課、辰の上に卯を見、勾陳が乗る。第三課、日支の寅の上に丑を見、朱雀が乗る。第四課、丑の上に子を見、螣蛇が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干の官鬼、遁干は甲、螣蛇が乗る。中伝は亥で、これも官鬼、貴人が乗り旬空。末伝は戌で子孫、天后が乗り、同じく旬空。六壬では子の名は「神后」、亥の名は「登明」、戌の名は「天魁」、辰の名は「天罡」で、下文の断語は皆これらの神名を用いる。
徐次賓曰:來意主北面近水酒莚,間與額尖眼小之人相爭,又一貴人與彼相助照,乃息怒而欲見官,卻得一姓王人勸合無事也。蓋值事門上見太常主酒食,發用亥子為北面又臨亥為近水,神后為日之鬼,見蛇為眼小額尖之人,中傳登明亦為日鬼,上見貴人,穩中有降與彼相助照緣。日上見天罡土能制亥子水,又主怒惡,故知息怒,惡而欲見官,卦體比且主和,合末傳天魁亥主王字,故云姓王人勸合也。
徐次賓が断じて言う:来人の心事は、北面の水に倚る所で酒席に赴き、席間に一人の額が尖り目の小さい人と争い起こしたことである。また一人の貴人が相手を助け、そこで彼は怒気を圧して官に見えて告げようと思い、後に一人の姓王の人がその中から勧め和し、ようやく事には至らなかった。道理は:値事門上に太常を見、太常は酒食を主る。発用の亥・子は方位の上で北面に属し、また亥に臨んで水に近い。「神后」の子は日干丙の鬼で、上に螣蛇が乗る——まさに目が小さく額の尖った人の象である。中伝「登明」の亥もまた日干の鬼で、上に貴人を見るので、貴人が相手を助けると言った。日干上に「天罡」の辰を見、辰土は亥子の水を制し得、また憤怒を主るので、彼が怒気を圧し留めたと断じた。怒り極まって官に見えようと思ったが、課体は比用課で和解を主る。末伝「天魁」の戌は亥の上に臨み、亥の字形は「王」の字に関聯するので、姓王の人が出面して勧め和したと言ったのである。
康煕二十四年五月丙寅日に呉公望が終身を問う(残篇)
吳公望問終身,即以生年月日時演課斷之,康熙二十四年乙丑歲五月初七丙寅日申將酉時。殘篇
呉公望が来て一生の命運を問い、占者はすなわち彼の出生の年月日時を用いて課を排して断じた。時は康煕二十四年、歳次乙丑、五月初七丙寅日、申将を取り酉時に加えて課を起こした。この例は一部の残篇から出る。
龍勾合朱 辰巳午未 玄常空龍 官 甲子 玄 空卯 申蛇 子丑卯辰 官 亥 陰 ◎ 虎寅 酉貴 丑寅辰丙 子 戌 后 ◎⊙ 丑子亥戌 常玄陰后
課盤。申将を酉時に加えると、天盤は地盤より一位退し、天地盤の排布は前の例と同じ:辰が巳に加わり、巳が午に、午が未に、未が申に、申が酉に、酉が戌に、戌が亥に、亥が子に、子が丑に、丑が寅に、寅が卯に、卯が辰に加わる。異なるのはこの課が夜貴を用いることで、天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の戌位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は申に乗り、朱雀は未に、六合は午に、勾陳は巳に、青竜は辰に、天空は卯に、白虎は寅に、太常は丑に、玄武は子に、太陰は亥に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に辰を見、青竜が乗る。第二課、辰の上に卯を見、天空が乗る。第三課、日支の寅の上に丑を見、太常が乗る。第四課、丑の上に子を見、玄武が乗る。右側の三伝:初伝は子で官鬼、遁干は甲、玄武が乗る。中伝は亥で、これも官鬼、太陰が乗り旬空。末伝は戌で子孫、天后が乗り旬空。日干上の辰・日支上の丑は皆水の墓庫で、官星が墓に入る——これがこの課で功名を論ずる鍵である。
黃斷曰:初傳旬儀,二十歲以前自在愉活之場,有無邊之樂事,干支上神雖係龍常各載鬼墓,鬼亦官也,官星入墓,功名有不蹭蹬者乎。宜其十赴?而悲於不遇到耳,況甲科最要廉幕貴人得力,中傳亥幕貴也,兼是官星,乃又旬空,空則無力也。欲填實除是有亥年之恩科則填補而可望,又或有巳年之恩科沖實亦可望,否則不能矣。末傳子息又空乃是天將后加後妻也,空而尚能育子乎,故須覓一肖夫之妾以填補之,鄧攸之哭,吾知其可免矣。
黄某が断じて言う:初伝は「旬儀」で、二十歳以前に身が安逸快活の地にあり、言い尽くせぬ楽事があることを主す。日干・日支上の神は青竜・太常の二つの吉将を分乗するが、各自鬼墓を載せている。鬼はすなわち官であり、官星が墓庫に入れば、功名がどうして坎坷でないことがあろうか。彼が十度赴考して(「十赴?」の「?」は底本の缺字)、いずれも遇わずに傷心したのも無怪である。いわんや甲科に考中するには「廉幕貴人」の得力が最も緊要で、中伝の亥はちょうど幕貴であり、同時にまた官星であるが、偏に旬空の中に落ち、空なれば力を使えない。この空を填実せんと欲すれば、亥年に恩科を開くに遇わなければ補実を望めず、あるいは巳年に恩科を開くに遇い、巳をもって亥を冲してこれを填実せしめるも、なお指望がある。さもなければ成らない。末伝は子孫爻で、また空亡に逢い、しかも天将は天后が天后に加わり、続娶の妻を主る。既に空に落ちて、まだ息子を生むことができようか。ゆえに必ず生肖が夫と同じ妾を一人求めてこの一つの空を填補せねばならない。こうすれば、晋の人鄧攸が子なくて痛哭した憾事は、見るに免れ得るであろう。
丁卯日
丁卯日に某が麦面を失ったことを占う(『方本占案』)
某占失麥面,丁卯日卯將戌時。
ある人の家で麦面を失い、丁卯日に卯将を取り戌時に加えて課を起こし、誰が偷んだかを占った。
蛇朱合勾 戌亥子丑 勾后常合 兄 己巳 常 貴酉 寅青 丑申巳子 子 戌 蛇 ◎ 后申 卯空 申卯子丁 父 丁卯 空 ⊙ 未午巳辰 陰玄常虎
課盤。卯将を戌時に加えると、天盤は地盤より五位進む:戌が地盤の巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の辰位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丁の寄宮は未にあり、第一課、未の上に子を見、六合が乗る。第二課、子の上に巳を見、太常が乗る。第三課、日支の卯の上に申を見、天后が乗る。第四課、申の上に丑を見、勾陳が乗る。右側の三伝:初伝は巳で兄弟爻、遁干は己、太常が乗る。中伝は戌で子孫、螣蛇が乗り旬空。末伝は卯で父母爻、遁干は丁、天空が乗る。失物を占うには例に照らして玄武に責成するが、この課は玄武を用いず初伝から賊を取る——下文に称して古法に合すると言う処である。
邵彥和曰:據此課象是人力勾引來偷去,後知果是人力與對門面店博士合偷。蓋巳為爐灶,又鑄印課,太常為博士,亦主酒食,中傳戌為人力,末傳天空,亦是人力,是兩人力合偷也。申為麥面,陰神丑土墓之,而作勾陳,故主勾引也。《方本》。愚按:此課不用元武斷賊而以初傳斷賊,兼以中末?之,最合古法。
邵彦和が断じて言う:この課象に照らして見れば、自家の雇工が外人を勾引して偷み去ったのである。後に查明すると、果たして雇工が対門の麺店の夥計と合夥して偷んだのであった。道理は:巳は類神の上で炉竈を為し、課体もまた「鋳印」課である。太常は夥計を主り、また酒食を主る。中伝の戌は雇工を主り、末伝の天空もまた雇工なので、二人の雇工が合夥して偷んだのである。申は類神の上で麦面を為し、その陰神の丑土がこれを墓住し、丑はまた勾陳に乗り、勾陳は牽引勾連を主るので、勾引来して偷んだと言ったのである。この条は『方本占案』から出る。程樹勳按:この課は玄武を用いずに賊を断じ、初伝から賊を断じ、さらに中伝・末伝を合わせて参証した(「兼以中末?之」の「?」は底本の缺字)——最も古法に合する。
己巳年五月丁卯日に某が訟を占う(『牧夫占験』)
某占訟己巳年五月丁卯日未將丑時乙酉生四十五歲。《牧夫占驗》
某が官司を占い、時は己巳年五月丁卯日、未将を取り丑時に加えて課を起こした。占を求めた人は乙酉年生まれで四十五歳。この例は『牧夫占験』から採った。
朱合勾龍 亥子丑寅 空貴陰勾 父 丁卯 空 蛇戌 卯空 卯酉未丑 財 癸酉 貴 貴酉 辰虎 酉卯丑丁 父 丁卯 空 申未午巳 后陰玄常
課盤。未将を丑時に加えると、月将と占時が相冲し、天盤は地盤より六位進み、「返吟」の課である:亥が地盤の巳に加わり、子が午に、丑が未に、寅が申に、卯が酉に、辰が戌に、巳が亥に、午が子に、未が丑に、申が寅に、酉が卯に、戌が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の卯位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丁の寄宮は未にあり、第一課、未の上に丑を見、勾陳が乗る。第二課、丑の上に未を見、太陰が乗る。第三課、日支の卯の上に酉を見、貴人が乗る。第四課、酉の上に卯を見、天空が乗る。右側の三伝:初伝は卯で父母爻、遁干は丁、天空が乗る。中伝は酉で財爻、遁干は癸、貴人が乗る。末伝はまた卯で、依然として遁干は丁で天空が乗る。卯と酉が往来して相冲する——まさに下文にいう「反復して止まらない」の象である。
王牧夫曰:此訟乃見貴而起罪重落獄遣戌也。蓋發用天空,天傳反覆是卯酉。卯酉乃私門也,貴人坐此一官未了,又換一官,反覆不止一次。喜太歲上神亥克丁,乃是今日德神,年上辰戌為牢獄,乘白虎,故主落獄,陰神戌與命作合,罪止遣戌而已,且貴臨卯酉,占訟多牽他人,後果一一如占。
王牧夫が断じて言う:この官司は官に見えることによって起こったもので、罪名は軽くなく、獄に下されさらに発配される。発用は天空に乗り、三伝は往复してただ卯・酉の間にあるのみ。卯酉は私門の位で、貴人がここに坐する——一人の官員がまだ審結せぬうちに、また一人を換えて審し、反復して一回に止まらない。幸い太歳上の神の亥は日干の丁を克し得、亥はちょうど本日の徳神である。行年上の辰・戌は牢獄を主り、また白虎に乗るので、獄に下ることを主す。戌という陰神は本命と相合するので、罪名は発配までに止まる。さらに貴人が卯酉の私門に臨むので、凡そ訟を占うには多く他人に牽連する。その後果たして一々占った通りであった。
正月丁卯日に某が家宅を占う(『方本占案』)
某占家宅正月丁卯日子將卯時。《方本占案》
某が家宅の吉凶を占い、時は正月丁卯日、子将を取り卯時に加えて課を起こした。この例は『方本占案』に見える。
合勾龍空 寅卯辰巳 陰蛇朱龍 官 甲子 蛇 朱丑 午虎 酉子丑辰 財 癸酉 陰 蛇子 未常 子卯辰丁 兄 庚午 虎 亥戌酉申 貴后陰玄
課盤。子将を卯時に加えると、天盤は地盤より九位進む:寅が地盤の巳に加わり、卯が午に、辰が未に、巳が申に、午が酉に、未が戌に、申が亥に、酉が子に、戌が丑に、亥が寅に、子が卯に、丑が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丁の寄宮は未、第一課、未の上に辰を見、青竜が乗る。第二課、辰の上に丑を見、朱雀が乗る。第三課、日支の卯の上に子を見、螣蛇が乗る。第四課、子の上に酉を見、太陰が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干の官鬼、遁干は甲、螣蛇が乗る。中伝は酉で財爻、遁干は癸、太陰が乗る。末伝は午で兄弟爻、遁干は庚、白虎が乗る。子が日支の卯の上に加わり、午はまた酉の上に落ちる——螣蛇・白虎の二つの凶将がちょうど卯・酉の門戸の位に圧する。
愚按:鄭本雲正月占不宜出路,似此方於子午道路之神句有著落,鄭云子酉午皆屬婦人,子午為道路,酉為天鬼,恐是婦人在道路中染了疫氣至家,以致滿門受傷也。愚按邵公最嫌天鬼,鄭君補出此層甚是。
程樹勳按:鄭体功の本に言うには、正月にこの課を占い得ては外に出ておるべきでない。こうであってこそ、邵彦和の「子午は道路の神」という言葉が落着を得る。鄭氏はまた言う、子・酉・午はいずれも婦人を主り得、子午は道路を主り、酉は天鬼である。おそらく家中の婦人が路上で疫気を染めて家に持ち帰り、満門が害を受けたのであろう。我再び按ずる:邵彦和は最も天鬼を忌み、鄭君がこの一層を補出したのは説いて正しい。
邵彥和曰:此課占宅,主門戶幽暗,有重喪。又陰小有災,蓋子作蛇入宅為用,午作虎在酉上為末。以子午道路之神而作蛇虎臨卯酉之上,是蛇虎加二八門也,故主重喪。又子加卯相刑也,午作虎死氣也,安得不凶乎,當年其人果死,其孫又亡。
邵彦和が断じて言う:この一課で宅を占えば、門戸が幽暗で、家中有重喪、婦女幼小にもまた災あることを主す。子が螣蛇に乗って宅位に入り発用し、午が白虎に乗って酉の上に落ちて末伝を作すからである。子・午は本来道路の神で、いま螣蛇・白虎に乗って卯・酉の上に臨む——すなわち蛇虎が二月・八月の門戸の位に加臨するので、連続する喪事を主す。さらに子が卯に加わるは相刑であり、午が白虎に乗るはまた死気である。どうして凶でないことがあろうか。当年その人は果たして死に、その孫も後に亡くなった。
丁卯日に盧雅雨が遷官を占う(『牧夫占験』)
乾隆丙子年九月丁卯日辰將丑時,都轉盧雅雨先生辛未生,六十六歲,占遷官否。牧夫占驗。
清の乾隆二十一年丙子(一七五六年)九月、丁卯日に逢い、辰を月将とし丑時に課を起こした。占を求めたのは両淮都転塩運使・盧雅雨先生——「都転」は「都転運塩使司運使」の略称、すなわち塩運使である。彼は辛未年生まれで、この年六十六歳。問うたのは自分が升遷し得るかどうかである。本案は王牧夫の占験記録から録した。
蛇貴后陰 申酉戌亥 貴合常后 財 癸酉 貴 朱未 子玄 酉午丑戌 官 甲子 玄 合午 丑常 午卯戌丁 父 丁卯 空 巳辰卯寅 勾龍空虎
この一行は課盤を平らに展開した後の文字である。天地盤は辰将を丑時に加えて起こり、天盤の各神はいずれも地盤の各支より三位進む:地盤の巳上に天盤の申を得、午上に酉を得、未上に戌を得、申上に亥を得、酉上に子を得、戌上に丑を得、亥上に寅を得、子上に卯を得、丑上に辰を得、寅上に巳を得、卯上に午を得、辰上に未を得る。十二天将は順に:螣蛇は申に乗り、貴人は酉に、天后は戌に、太陰は亥に、玄武は子に、太常は丑に、白虎は寅に、天空は卯に、青竜は辰に、勾陳は巳に、六合は午に、朱雀は未に乗る。貴人が酉の上に落ちて逆行するのは、丁日の夜貴である。四課は右から左へ見る:第一課、日干丁の寄宮は未にあり、未上に戌を得、戌は天后に乗る。第二課、戌上に丑を得、丑は太常に乗る。第三課、日支の卯上に午を得、午は六合に乗る。第四課、午上に酉を得、酉は貴人に乗る。三伝は初伝酉・中伝子・末伝卯:初伝の酉の遁干は癸で、丁火日には妻財、貴人に乗る。中伝の子の遁干は甲で官鬼、玄武に乗る。末伝の卯の遁干は丁で父母、天空に乗る。酉金が子水を生じ、子水が卯木を生じ、卯木がまた頭を回らして日干の丁火を生ず——三伝が一路相生するのが、いわゆる「逓生」である。
王牧夫曰:憲臺不能升遷,安榮此任甚久。公曰:三傳遞生人舉薦,何故不能?曰:遞生雖屬舉薦,但是閉口不能顯薦,況公年命皆空,不能著實。三傳是大概之象,年命方切於己耳。且丁神心動身動,實有所望,奈自乘墓,又與支神作合,所以安榮此任不能?遷者也。後果不能升遷,壬午冬告休而回。
王牧夫が言う:憲台大人は升遷せず、現任の上で安穏として久しく留まるであろう。盧公が問う:三伝が一路相生するのはまさに人の挙薦ある象なのに、なぜかえって升れないのか。王牧夫が答える:逓生は固より挙薦の象だが、生気が口を閉じて通ぜず、ただ暗中に提挈し得るのみで、公開して保薦することはできない。いわんやあなたの本命と行年はともに空亡の上に落ちる——本命は辛未で、六十六歳の行年もちょうど未に走到し、未上に乗ずるのは戌で、戌は恰も甲子旬の旬空。虚にして実ならず、実処に落ちない。三伝は事の大きな輪郭に過ぎず、本命・行年こそ占者本人に真に貼り付くものである。さらに言えば、日干丁が遁ずる「丁神」は心も動き身も動き、あなたの心には確かに指望が存する。あいにく日干自身は墓神に乗る——丁火の墓はまさに干上神の戌にあり、戌はまた日支の卯と六合を結び、合われて動かせない。ゆえにただこの任を安享し得るのみで、遷転して出られない(「不能」の下に底本は一字缺く)。その後果たして升遷せず、乾隆二十七年壬午(一七六二年)の冬に老を告げて退休し郷に帰った。
丁卯日に督院の文書批发を占う(『牧夫占験』)
乾隆乙亥年八月丁卯日辰將子時,占督院文書批發何如。牧夫占驗。
清の乾隆二十年乙亥(一七五五年)八月、丁卯日に逢い、辰を月将とし子時に課を起こした。占ったのは総督衙門(「督院」はすなわち総督)が呈上した文書を批復して発下した結果がどのようになるかである。本案は王牧夫の占験記録から録した。
貴后陰玄 酉戌亥子 陰朱空陰 官 亥 陰 ◎ 蛇申 丑常 亥未卯亥 父 丁卯 空 ⊙ 朱未 寅虎 未卯亥丁 子 辛未 朱 午巳辰卯 合勾龍空
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は辰将を子時に加えて起こり、天盤は地盤より四位進む:地盤の巳上に酉を得、午上に戌を得、未上に亥を得、申上に子を得、酉上に丑を得、戌上に寅を得、亥上に卯を得、子上に辰を得、丑上に巳を得、寅上に午を得、卯上に未を得、辰上に申を得る。十二天将は:貴人は酉に乗り、天后は戌に、太陰は亥に、玄武は子に、太常は丑に、白虎は寅に、天空は卯に、青竜は辰に、勾陳は巳に、六合は午に、朱雀は未に、螣蛇は申に乗る。子時は夜に属し、丁日の夜貴は酉にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、日干丁の寄宮は未にあり、未上に亥を得、亥は太陰に乗る。第二課、亥上に卯を得、卯は天空に乗る。第三課、日支の卯上に未を得、未は朱雀に乗る。第四課、未上に亥を得、亥は太陰に乗る。三伝は亥・卯・未で、ちょうど亥卯未の三合木局を凑える:初伝の亥は官鬼で、甲子旬の旬空の中に落ちるので遁干を帯びず、そばに「◎」で空亡を標出し、太陰に乗る。中伝の卯の遁干は丁で父母、天空に乗り、そばに「⊙」を標す。末伝の未の遁干は辛で子孫、朱雀に乗る。
王牧夫曰:省中文字不能如意,鹽窩當大退。丙丁之日批成,戊巳之日到。果於丁日批,巳日到。批語與生意甚無益也,連日大退數錢,甚驗。凡占??大位,俱以歲破為用。歲破之上生酉,正沖木局,故不能如意也。正時與朱雀六害,與卯相刑,何能有望,??是以必退耳。朱雀為批辭,遁辛克支,為??受墓受克,安得有好語乎。丙丁之日批者,未即丁,又辛與丙合,以丙丁而為期。戊己之日到者,馬帶巳又合戊也。
王牧夫が言う:省のこの公文は意に称せず、塩場の商いは大きく落ち込む。丙日・丁日に批され出て、戊日・己日に送られて来る。その後果たして丁日に批下され巳日に送達し、批語は商いに少しも益なく、連日値段が大きく数銭落ち、応験が極めて准であった。凡そ占うに(底本ここに二字缺く)大位の類の事は、皆「歳破」を取って用神と為す:乙亥年の歳破は巳にあり、地盤の巳上はちょうど天盤の酉で、酉金が三合木局の中神卯を冲克し、木局が冲散させられるので、事が意の如くにならない。占時の子と朱雀の乗ずる未は六害を構成し、子はまた日支の卯と相刑する——どこに指望があろうか(底本ここに二字缺く)。ゆえに商いは必ず退く。朱雀は文書の批語を主り、末伝の未の遁干は辛で、辛金は日支の卯木を克す。未はまた木の墓庫で(底本ここに二字缺く)、墓困を受けまた克制を受け、どうして好言があろうか。丙丁の日に批下すると言うのは、日干丁の寄宮が未にあり、未がすなわち丁を代表し、末伝の遁干辛がまた丙と相合するので、丙・丁を取って応期と為したのである。戊己の日に送到すると言うのは、駅馬が巳にあり、巳の中に戊を蔵し、また戊と相合するからである。
丁卯日に阮帝臣が委買の事を占う(残編)
雍正乙卯年五月丁卯日未將卯時,阮帝臣老占求孔公司委買之事允否。殘編。
清の雍正十三年乙卯(一七三五年)五月、丁卯日に逢い、未を月将とし卯時に課を起こした。阮帝臣老先生が占ったのは:孔公に主管の委派采買という差事を求め、獲准し得るかどうかである。本条は一部の残編から採った。
朱蛇貴后 酉戌亥子 貴勾常貴 官 亥 貴 ◎ 合申 丑陰 亥未卯亥 父 丁卯 常 ⊙ 勾未 寅玄 未卯亥丁 子 辛未 勾 午巳辰卯 龍空虎常
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は未将を卯時に加えて起こり、天盤は同じく地盤より四位進み、前の案の天地盤と完全に同じ:地盤の巳上に酉を得、午上に戌、未上に亥、申上に子、酉上に丑、戌上に寅、亥上に卯、子上に辰、丑上に巳、寅上に午、卯上に未、辰上に申を得る。天将の排布は前の案と異なる:朱雀は酉に乗り、螣蛇は戌に、貴人は亥に、天后は子に、太陰は丑に、玄武は寅に、太常は卯に、白虎は辰に、天空は巳に、青竜は午に、勾陳は未に、六合は申に乗る。卯時は昼に属し、丁日の昼貴は亥にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、丁の寄宮は未にあり、未上に亥を得、亥は貴人に乗る。第二課、亥上に卯を得、卯は太常に乗る。第三課、日支の卯上に未を得、未は勾陳に乗る。第四課、未上に亥を得、亥は貴人に乗る。三伝は亥・卯・未で木局を合成す:初伝の亥は官鬼で旬空に落ち、「◎」を標し、貴人に乗る。中伝の卯の遁干は丁で父母、太常に乗り、「⊙」を標す。末伝の未の遁干は辛で子孫、勾陳に乗る。官を求め貴を謀るには本来貴人を見るべきなのに、貴人は偏に空亡の亥の上に乗る。
黃斷曰:求貴不宜貴空,空則無力。且夏令得木局,乃休氣。休氣者,廢也,不成之象。果於七月另委他人矣。
黄氏が断じて言う:貴人の提挈を謀るには、最も貴人が空に落ちることを忌む。貴人が一空すれば力を使えない——この課の初伝の亥はちょうど旬空に当たり、貴人は恰恰その上に乗る。さらに五月はちょうど夏令で火気が権を当るのに、三合が凑え成したのは木局である。木は火を生じ、我を生ずる者は「休」で、木は夏天に休気に属す。休気はすなわち廃気で、事を办成し得ない象である。その後果たして七月に至り、この差事は別に他人に委派された。
戊辰日
戊辰日に揚州某氏の子が父柩の所在を占う(『王氏占験』)
揚州某氏子求占父柩在何處,己巳年巳月戊辰日酉將丑時。
揚州某家の息子が来て占を求めた:父の霊柩はどこに停放されているか。時は己巳年巳月の戊辰日、酉を月将とし丑時に課を起こした。
空虎常玄 丑寅卯辰 蛇龍朱空 財 甲子 龍 龍子 巳陰 申子酉丑 子 壬申 蛇 勾亥 午后 子辰丑戊 兄 戊辰 玄 戌酉申未 合朱蛇貴
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は酉将を丑時に加えて起こり、天盤は地盤より八位進む:地盤の巳上に丑を得、午上に寅を得、未上に卯を得、申上に辰を得、酉上に巳を得、戌上に午を得、亥上に未を得、子上に申を得、丑上に酉を得、寅上に戌を得、卯上に亥を得、辰上に子を得る。十二天将は:天空は丑に乗り、白虎は寅に、太常は卯に、玄武は辰に、太陰は巳に、天后は午に、貴人は未に、螣蛇は申に、朱雀は酉に、六合は戌に、勾陳は亥に、青竜は子に乗る。丑時は夜に属し、戊日の夜貴は未にあり、貴人は順行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に丑を得、丑は天空に乗る。第二課、丑上に酉を得、酉は朱雀に乗る。第三課、日支の辰上に子を得、子は青竜に乗る。第四課、子上に申を得、申は螣蛇に乗る。三伝は初伝子・中伝申・末伝辰:初伝の子の遁干は甲で、戊土日には妻財、青竜に乗る。中伝の申の遁干は壬で子孫、螣蛇に乗る。末伝の辰の遁干は戊で兄弟、玄武に乗る。子・申・辰の三字はちょうど申子辰の三合水局である。
王牧夫曰:尊人之柩在北門寺庵中,庵前有河一條,詢之僧人便知。此占因柩失,非問墓也,不可以墓論。發用青龍子水在申,申乃死氣,而蛇居之。子由辰上發用,子為北,辰為關,故曰北門外。龍丑辰上,主寺觀。申與僧同音,故曰詢之僧人。前有河一條者,申子辰合成水局也。
王牧夫が言う:令尊の霊柩は北門外の一ヶ所の寺庵の中にある。庵の前に一条の河が横たわり、庵の中の僧人に問えばすなわち知れる。この一占は霊柩の行方が明らかでないためで、墳墓を問うのではない。ゆえに墓を占う法に按じて論ずることはできない。発用(初伝)は青竜の乗ずる子水で、子上は申を得る。申は水の死気の地で、また螣蛇が申の上に居る。子は地盤の辰上から発用し、子は方位で北に属し、辰は関隘門戸を主るので、北門の外と言ったのである。青竜が丑・辰と連なる一路の象は皆寺廟庵観を主る。「申」と「僧」は同音なので、僧人に問うべきと言った。庵の前に一条の河があると言うのは、申・子・辰の三字が合して水局を成したからである。
占者父亡,時只數歲,後隨姐遷於他處。及長,因母亡,欲逄柩合葬,其父柩在北門外庵中,只一姐夫知之,而庵中柩累累。詢之僧人,乃得其父柩,即逄合殯。占者得此數甚異之。王氏占驗。愚按:王公不責白虎而論三傳,極?邵公之法合。
占卜した人は父が逝した時まだ数歳で、後に姉に随って別の所に遷った。長じて後に母もまた亡くなり、父の霊柩を起こし出して合葬しようと欲した。父柩はもともと北門外の庵の中にあり、ただ一人の姉夫のみが知っていた。しかし庵の中に停放する棺柩は一具一具に接して並び、弁認する術がなかった。王牧夫の言に依って僧人に問うと、果たして父の霊柩を見つけ、すなわち柩を起こして合殯した。占者はこの課を手にして、その准確さに大いに驚異した。この条は王氏の占験から出る。編者按:王公は白虎を責問せず(喪事を占う慣例はまず白虎を見る)、却って三伝から立論した——極めて邵彦和先生の法門と相合する(「極」の下に底本は一字缺く)。
戊辰日に葉某が宅を占う(『口鑑』)
葉某庚戌生,五十九歲,占宅。建炎戊申年六月戊辰日未將酉時。口鑑。
葉某は庚戌年生まれ、時年五十九歳で、自家の宅第を占いに来た。時は南宋高宗建炎二年戊申(一一二八年)六月の戊辰日、未を月将とし酉時に課を起こした。本案は邵彦和の『口鑑』から出る。
勾合朱蛇 卯辰巳午 虎青空勾 兄 乙丑 空 青寅 未貴 子寅丑卯 財 亥 常 ◎ 空丑 申后 寅辰卯戊 子 癸酉 陰 ⊙ 子亥戌酉 虎常玄陰
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は未将を酉時に加えて起こり、天盤は地盤より二位退する:地盤の巳上に卯を得、午上に辰を得、未上に巳を得、申上に午を得、酉上に未を得、戌上に申を得、亥上に酉を得、子上に戌を得、丑上に亥を得、寅上に子を得、卯上に丑を得、辰上に寅を得る。十二天将は:勾陳は卯に乗り、六合は辰に、朱雀は巳に、螣蛇は午に、貴人は未に、天后は申に、太陰は酉に、玄武は戌に、太常は亥に、白虎は子に、天空は丑に、青竜は寅に乗る。酉時は夜に属し、戊日の夜貴は未にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に卯を得、卯は勾陳に乗る。第二課、卯上に丑を得、丑は天空に乗る。第三課、日支の辰上に寅を得、寅は青竜に乗る。第四課、寅上に子を得、子は白虎に乗る。三伝は初伝丑・中伝亥・末伝酉:初伝の丑の遁干は乙で、戊土日には兄弟、天空に乗る。中伝の亥は甲子旬の旬空の中に落ちるので遁干がなく「◎」を標し、妻財で太常に乗る。末伝の酉の遁干は癸で子孫、太陰に乗り「⊙」を標す。丑・亥・酉と一路逆退し、尽く西北の陰地に入る——下文にいう「極陰課」である。
邵彥和曰:丑亥酉為極陰課,幸中末旬空,故雖有災危,尚不至不測。只是子孫多門戶事擾,遂消折財本,晚年主不得意而死。不合土塞東門,壁外又不合堆木板;太陰乘酉加亥,敗處乘空,母患酒病死,家業衰矣。
邵彦和が言う:丑・亥・酉の三伝は「極陰課」と呼ぶ。幸い中伝・末伝ともに旬空を帯びるので、災危あれど、不測の禍を出すには至らない。ただ子孫が多く門戸が雑で、家事の紛擾が絶えず、それによって本銭を耗折し、晩年は鬱鬱として意を得ず終わる。偏にまた泥土が東門を堵し、墙壁の外に偏に木板を堆している。太陰が酉に乗り亥の上に加わり、土は酉に敗れ、酉はまた空亡の亥の上に坐す——母親が酒病を害して死に、家業がこれより衰敗することを主す。
葉宅東邊有門,果有泥土,乃戊辰干支皆土,丑土又加卯門之上發用,故主土塞東門。二木克干支二土,故知壁外有木板。課得極陰,主災變,最喜空亡可解。今中末空,不入亥地陰極之處,故不至大災。然畢竟陰耗財物也。
葉家の宅は東の方に確かに門があり、門口に果たして泥土が堆んでいた:これは本日の干支戊・辰がともに土に属し、初伝の丑もまた土で、また地盤の卯という東方の門の上に加わって発用するので、泥土が東門を堵すと断じたのである。四課の中の寅・卯二つの木神が日干支の二つの土神を克しているので、墙壁の外に木板が堆んでいると知った。課体が極陰を成したのは本なら災変を主り、最も空亡の来て化解することを喜ぶ。いま中伝・末伝ともに空を帯び(中伝の亥は自体が旬空、末伝の酉はまた旬空の亥の上に加わる)、亥地という陰極の処に沈み込まないので、大災を醸すには至らなかったが、終に暗中に財物を耗損する。
子孫眾多者,戊辰一帶皆是東方,丑寅卯之旺氣也。甲子旬中乙丑丙寅丁卯乃真三奇,所以無災。不合退歸亥酉西北方,土敗於酉,三奇亦暗,夫日月星辰傾於西北,自然消折也。母患酒病,死於辛亥年者,太陰老婦象母,酉乘亥為酒,太歲填實,亥仍入極陰不空也。男女七人婚嫁所費,家業消缺乏矣。
子孫が衆多だと言うのは、戊辰のこの一帯の地支が皆東方に属し、ちょうど丑・寅・卯の旺気に当たるからである。甲子旬中の乙丑・丙寅・丁卯は真正の三奇で、三奇の護持があるので大災がない。偏に三伝が亥・酉という西北一路に退回し、土は酉に敗れ、三奇の光もこれに随って暗淡となる。古人がいう天が西北に傾き日月星辰が皆西北に移るが如く、家業は自ずから折損する。母親が辛亥年に酒病を害して死んだのは、太陰は本来老婦の象で、もって母親に取り得るからである。酉が亥の上に乗り、亥は酒を為す。辛亥年に至って太歳がこの空亡を填実し、亥はもはや空ならず、依然として極陰の地に落ちるので、その年に応じたのである。七人の児女の婚嫁の花費もまた家業を耗し尽くした。
戊辰日に程桐江が月建の休咎を占う(『牧夫占験』)
乾隆戊辰年九月戊辰日卯將寅時,程桐江甲申命,四十五歲,占月建休咎。牧夫占驗。
清の乾隆十三年戊辰(一七四八年)九月、戊辰日に逢い、卯を月将とし寅時に課を起こした。占を求めたのは程桐江で、甲申年生まれ、時年四十五歳、本月の吉凶禍福を問うた。本案は王牧夫の占験記録から録した。
蛇貴后陰 午未申酉 蛇朱貴蛇 官 丙寅 龍 朱巳 戌玄 午巳未午 父 庚午 蛇 合辰 亥常 巳辰午戊 父 庚午 蛇 卯寅丑子 勾龍空虎
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は卯将を寅時に加えて起こり、天盤はただ地盤より一位進むのみ:地盤の巳上に午を得、午上に未を得、未上に申を得、申上に酉を得、酉上に戌を得、戌上に亥を得、亥上に子を得、子上に丑を得、丑上に寅を得、寅上に卯を得、卯上に辰を得、辰上に巳を得る。十二天将は:螣蛇は午に乗り、貴人は未に、天后は申に、太陰は酉に、玄武は戌に、太常は亥に、勾陳は卯に、青竜は寅に、天空は丑に、白虎は子に、朱雀は巳に、六合は辰に乗る。寅時は夜に属し、戊日の夜貴は未にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に午を得、午は螣蛇に乗る。第二課、午上に未を得、未は貴人に乗る。第三課、日支の辰上に巳を得、巳は朱雀に乗る。第四課、巳上に午を得、午は螣蛇に乗る。第一課と第四課はともに午が巳に加わり、四課は実際に三課しか成らないので、「別責」の法を用いて伝を発する:陽日は日干の合神の寄る宮の上神を取って初伝と為す——戊は癸と相合し、癸は丑に寄り、地盤の丑上に寅を得るので、初伝は寅である。中伝・末伝はいずれも日干上神の午を用いる。初伝の寅の遁干は丙で、戊土日には官鬼、青竜に乗る。中・末の両伝の午の遁干はいずれも庚で父母、螣蛇に乗る。
王牧夫曰:此課平看,不過鬼克不利而已,然關係甚大。何以見之?今茲九月火潛之時,安得有此一派炎炎之氣?午為陽刃羅網纏身,疊見必有大纏繞事來累身。彼雲目下無甚事,那得至此。曰:本月內要見,然終無礙,先凶後吉。彼雲禍應主何人。曰:發用別責,青龍作鬼,乃由別事而起;青龍為官位,木為舟車之官,必因此而起事也。
王牧夫が言う:この課を平々に見れば、官鬼が身を克してやや不利があるだけのようだが、実際には関係が極めて大きい。どう見出したか。いまは九月で、ちょうど火気が潜蔵する時節に当たる。どこにこのような一片の炎炎たる火勢があるべきか——四課三伝の中に巳・午が群を成して畳み出ている。午は戊日の陽刃で、日支の辰はまた地網である。刃と羅網が日身を纏い、火神が再三重ねて見える——必ず一桩の大きな糾纏の事が本人に牽累する。程桐江は目下何の事もないのに、どうしてこの地步に至るかと言った。王牧夫が言う:本月の内に分晓を見る。ただ終に碍なく、先に凶で後に吉である。程桐江がまた禍事は誰の身に応ずべきかと問うた。王牧夫が言う:発用に取ったのは「別責」で、青竜はまた官鬼を充当する——禍は別の事から牽引して出たことが見える。青竜は官位を主り、木はまた舟車の類の職務を主る——必ずこの一路の事によって惹かれ出す。
不數日,果為借河晌事波累及身,數月因審實無事。次年春月復占月建,獨未吉,囑慎防。後復為漕替所奏,幾付部讞,仲賴恩旨半路赦回。此課事關重大者,以太歲干支為日辰故也。火雖炎上,而火虛誕,中末相併不足,又兼生干,故有始無終,不須慮耳。凡螣蛇太旺則主驚疑,此以陽刃羅網為利害也。
数日を経ずして、程桐江は果たして河工銀両を挪借した事に牽連して身に及び、数ヶ月後に審明して属実でなく無事となった。第二年春、彼はまた来て本月の吉凶を占い、あの一月だけが不吉で、王牧夫は彼に小心して提防するよう嘱した。後に果たしてまた漕運の方面に参奏され、ほとんど部に交して審議し罪を定めるところとなったが、全く恩旨が半路で彼を赦免し召回して頼みとなった。この課の関係が重大な所以は、太歳の干支が恰も日辰と同じ(乾隆戊辰年が戊辰日に遇う)で、事が太歳の頭上に応じて行ったからである。火は炎上で勢い盛んなれど、虚火である:中伝末伝が並びて同じ一つの午を成すので力が足りない。いわんや午火はまた頭を回らして日干の戊土を生ず——ゆえに始めあって終わりなく、慮り過ぎるに及ばない。大凡そ螣蛇が旺き過ぎれば人の驚疑不安を主る。この一課の利害は陽刃と羅網の上に落ちたのである。
戊辰日に徐将仕が前程を占う(『口鑑』)
建炎戊申年六月戊辰日未將巳時,徐將仕辛卯命,三月三十日巳時生,一十八歲,占前程。口鑑。
南宋建炎二年戊申(一一二八年)六月の戊辰日、未を月将とし巳時に課を起こした。占を求めたのは徐将仕(「将仕」はすなわち将仕郎、文散官の階名)で、辛卯年三月三十日巳時生まれ、時年十八歳。一生の仕途の前程を占問した。本案は邵彦和の『口鑑』から出る。
空虎常玄 未申酉戌 虎青常空 子 壬申 虎 青午 亥陰 申午酉未 兄 戌 玄 ◎ 勾巳 子后 午辰未戊 財 甲子 后 ⊙ 辰卯寅丑 合朱蛇貴
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は未将を巳時に加えて起こり、天盤は地盤より二位進む:地盤の巳上に未を得、午上に申を得、未上に酉を得、申上に戌を得、酉上に亥を得、戌上に子を得、亥上に丑を得、子上に寅を得、丑上に卯を得、寅上に辰を得、卯上に巳を得、辰上に午を得る。十二天将は:天空は未に乗り、白虎は申に、太常は酉に、玄武は戌に、青竜は午に、勾陳は巳に、太陰は亥に、天后は子に、六合は辰に、朱雀は卯に、螣蛇は寅に、貴人は丑に乗る。巳時は昼に属し、戊日の昼貴は丑にあり、貴人は順行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に未を得、未は天空に乗る。第二課、未上に酉を得、酉は太常に乗る。第三課、日支の辰上に午を得、午は青竜に乗る。第四課、午上に申を得、申は白虎に乗る。三伝は初伝申・中伝戌・末伝子:初伝の申の遁干は壬で、戊土日には子孫、白虎に乗る。中伝の戌は甲子旬の旬空の中に落ち、遁干がなく「◎」を標し、兄弟で玄武に乗る。末伝の子の遁干は甲で妻財、天后に乗り「⊙」を標す。申・戌・子が一路順に西北へ推して行く——下文にいう「渉三淵」である。
邵彥和曰:涉三淵課,主跋涉奔波,勞力無成。干支上午與未合,出身甚妙,歷事三授,兩丁上服。申為子孫,居午火陽刃上,而受下克,且乘白虎,主難為子息。中傳同類為兄弟,加子息上,日後當以弟為子。末傳妻爻坐空,天后?神加之,妻因產而亡。
邵彦和が言う:これは「渉三淵」の課で、一生跋涉奔波し、力を出して成らないことを主す。日干上神の未と日支上神の午とが相六合して、出身はとてもよく、一生に三次の授官を歴任し、二度父母の喪によって丁憂服制する。申は子孫爻だが、午火陽刃の上に居り、下の火から克を受け、また白虎に乗る——子嗣が艱難であることを主す。中伝の戌は日干の戊と同じく土に属して兄弟爻で、子孫の申の上に加わる——後日弟を以て過継して兒子と為す。末伝の子は妻財爻で、空亡の戌地に坐し、天后がまたその上に乗る(「天后」の下に底本は一字缺く)——妻子が難産によって亡くなることを主す。
涉三淵數一傳遂一傳,又入空亡上去,主所授之差,一任遠,一任勞。戊辰年干支皆東南神,辛卯命又是東方,三傳反流入西方,那更涉三淵陷於西北,必主死於外州。傳既不回,即子亦不能歸也。四十五六歲行年到子丑,為過三淵之外,然而落空,雖過得此年,亦不濟事也。
いわゆる「渉三淵」は、一伝が一伝に接して下へ渉り、また一路空亡の中へ渉り入る——彼の受ける差事が、一任は遠方にあり、一任は極めて労苦することを主す。戊辰という日の干支——戊の寄宮は巳にあり、日支は辰——はいずれも東南の神で、本命辛卯もまた東方に属すが、三伝はかえって西方に流れ入り、加うるに「渉三淵」が西北に陥落する——必ず外州に客死することを主す。三伝はすでに一去して回らず、息子もまた帰って来られない。四十五、六歳の時、行年が子・丑に走到して、三淵の外を過ぎたと算えられるが、しかしまた空亡の中に落ちる——たとえこの年を熬え抜いても、終に事に済むことはない。
徐二十五歲銓試中,當年授嶽州尉;二十七丁父憂,二十九授渾州尉,三十歲丁母憂,三十三授?州司戶,當年冬赴任;三十四妻因產亡,止有四女,而以小弟為子;任滿再授廣西提學干官,又授廣州東莞縣令,四十五歲終於任,繼子遂家於彼而不歸。
その後、徐某は二十五歳で銓選の考試に通り、当年岳州尉に授けられた。二十七歳で父が去世し丁憂し、二十九歳で渾州尉に授けられ、三十歳で母が去世し丁憂し、三十三歳で某州(州名は底本に一字缺く)司戸に授けられ、当年の冬に赴任した。三十四歳で妻子が難産で去世し、四人の女児を残すのみで、そこで末弟を過継して兒子と為した。任が満ちた後また広西提学の幹官に授けられ、再び広州東莞県令に授けられ、四十五歳で任上で死んだ。過継した息子はすなわち当地に家を安めて、郷に帰らなかった。
戊辰日に姚昌祚が任所を占う(『郭氏占案』)
山西姚君昌祚於崇正丁丑年五月戊辰日未將辰時,占任所。
山西人の姚昌祚は、明の崇禎十年丁丑(一六三七年、「崇正」は崇禎の避諱の書き方)五月の戊辰日に、未を月将とし辰時に課を起こし、自分がどこへ派されて官を為すかを占問した。
龍勾合朱 申酉戌亥 合空朱龍 財 亥 朱 ◎ 空未 子蛇 戌未亥申 官 丙寅 后 ⊙ 虎午 丑貴 未辰申戊 父 己巳 常 巳辰卯寅 常玄陰后
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は未将を辰時に加えて起こり、天盤は地盤より三位進む:地盤の巳上に申を得、午上に酉を得、未上に戌を得、申上に亥を得、酉上に子を得、戌上に丑を得、亥上に寅を得、子上に卯を得、丑上に辰を得、寅上に巳を得、卯上に午を得、辰上に未を得る。十二天将は:青竜は申に乗り、勾陳は酉に、六合は戌に、朱雀は亥に、天空は未に、白虎は午に、螣蛇は子に、貴人は丑に、太常は巳に、玄武は辰に、太陰は卯に、天后は寅に乗る。辰時は昼に属し、戊日の昼貴は丑にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に申を得、申は青竜に乗る。第二課、申上に亥を得、亥は朱雀に乗る。第三課、日支の辰上に未を得、未は天空に乗る。第四課、未上に戌を得、戌は六合に乗る。三伝は初伝亥・中伝寅・末伝巳:初伝の亥は甲子旬の旬空の中に落ち、遁干がなく「◎」を標し、戊土日には妻財、朱雀に乗る。中伝の寅の遁干は丙で官鬼、天后に乗り「⊙」を標す。末伝の巳の遁干は己で父母、太常に乗る。亥が寅を生じ、寅が巳を生じ、巳がまた日干の戊土を生ず——三伝逓生である。戊辰日の駅馬はちょうど寅にあり、官鬼と同じ一位に処る。
郭御青曰:此課天上行年加申,為山西分野,豈有選本省之理。官馬加臨衛,初臨燕,余初斷非衛即燕。後選新野周分,傳課全無影響。餘後詳課情數日夜,乃得之:蓋四課暗拱地盤周地也。此斷在官祿馬行年之外。餘後占劉夢巖任所,日干上見癸亥,法從此出。課體隱現無窮,執一便謬,後遇占任所又不必盡照此法也。
郭御青が言う:この課の中で天盤上の姚君の行年は申の上に加わる。申は晋に属し、ちょうど山西の分野である。どうして本省に選授される理があろうか。官鬼を兼ね駅馬でもある寅が亥の上に加臨する——亥は衛の地に属し、寅自体はまた燕の地に属す。ゆえに私は始めは衛の地でなければ燕の地であろうと断定した。結果、彼が選んだのは新野で、周の分野に属し、三伝四課は竟に全く対応がなかった。私は事後に課情を反復推詳して数日数夜、ようやく想い通じた:もともと四課の上神が暗に拱夾して地盤上の周に属する那一位を出していたのだ。この一断法は官星・禄神・駅馬・行年のこれら常規の取象の外にある。私が後に劉夢岩の任所を占った時、日干の上に癸亥を見た——用いた法はまさにここから生じ出たものである。課体の隠顕変化は無窮で、一つの法を死守すればすなわち錯誤を出す。日後再び任所を占うに遇っても、必ずしも全てこの法に照らす必要はない。
愚按:占任所或占官職,以支上測之多驗。然取初交未將,非新乎?合之非新野乎?如此取象,難乎不難乎。
編者按:任所あるいは官职を占うには、日支上神を以て推測すれば多くは応験する。ただ郭氏はここで取ったのは剛交の未将である——剛交は「新」、未は田野を主りて「野」。合わせて岂に「新野」ならざらんや。このように字を拆して象を取れば、難いと言うに難くない。
戊辰日に来意を占う(『一字玉連環』)
十月戊辰日寅將亥時,占來意。一字玉連環。
十月の戊辰日、寅を月将とし亥時に課を起こし、来た人が何事のために来たかを占った。本条は『一字玉連環』から出る。
蛇朱合勾 申酉戌亥 合貴勾蛇 財 亥 勾 ◎ 貴未 子龍 戌未亥申 官 丙寅 虎 ⊙ 后午 丑空 未辰申戊 父 己巳 陰 巳辰卯寅 陰玄常虎
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は寅将を亥時に加えて起こり、天盤は地盤より三位進み、前の案の天地盤と完全に同じ:地盤の巳上に申を得、午上に酉、未上に戌、申上に亥、酉上に子、戌上に丑、亥上に寅、子上に卯、丑上に辰、寅上に巳、卯上に午、辰上に未を得る。天将は異なる:螣蛇は申に乗り、朱雀は酉に、六合は戌に、勾陳は亥に、貴人は未に、天后は午に、青竜は子に、天空は丑に、太陰は巳に、玄武は辰に、太常は卯に、白虎は寅に乗る。亥時は夜に属し、戊日の夜貴は未にあり、貴人は順行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に申を得、申は螣蛇に乗る。第二課、申上に亥を得、亥は勾陳に乗る。第三課、日支の辰上に未を得、未は貴人に乗る。第四課、未上に戌を得、戌は六合に乗る。三伝は依然として亥・寅・巳:初伝の亥は旬空で「◎」を標し、妻財で勾陳に乗る。中伝の寅の遁干は丙で官鬼、白虎に乗り「⊙」を標す。末伝の巳の遁干は己で父母、太陰に乗る。亥の将名は「登明」、寅の将名は「功曹」——下の断語はまさにこの二つの将名を以て象を取ったものである。
徐次賓曰:來意主西北上出入干財,有李姓人無髮鬢者暗為鬼賊,其事自解,其財不得而空,主回也。何以知西北上出入干財?先鋒與發用皆亥,亥主西北,又為日財,日為也。
徐次賓が言う:来た人の来意は、西北方向の上で出入して財を求めることに主る。李という姓で、鬢髪のない一人の人が暗中に作祟して害を為すが、この事は自ずから化解する。その筆の財は求め得ず、空であり、ただ空手で回るのみである。どうして西北方で出入して財を求めると知ったか。占の時辰と発用(初伝)がともに亥の上に落ち、亥の方位は西北に属し、またちょうど戊日の妻財である(末の三字「日為也」は、底本は似て脱讹があるようだ)。
何以知李姓人無髮鬢者為鬼賊?蓋中傳功曹為木,下臨壬水,配合為李字也。白虎主無髮鬢人,為日下之鬼,故知此人為害也。言自解者,經云鬼自受制,憂將自救。寅木為日之鬼,上得白虎金剛制之,故曰自解也。其財不得而主空回者,蓋發用登明為空亡,雖為日下之財,而進亦空亡,豈不是空回也。
どうしてあの李という姓で鬢髪のない人が作祟する鬼贼だと知ったか。中伝の寅の将名は「功曹」で、五行は木に属す。下に地盤の亥に臨み、亥はすなわち壬水。木が上にあり水が下に配されて、ちょうど一个の「李」字を凑える。白虎は鬢髪のない人を主り、寅はまた日干戊土の官鬼——ゆえにこの人が来て加害する者だと知った。事が自ずから化解すると言うのは、経文に「鬼自ら制を受け、憂は将に自ら救われん」と講じるからである:寅木は日干の鬼で、寅の上にはちょうど金に属する白虎が乗る。金剛は木を克し得——ゆえに自解と言う。財が求め得ず、ただ空手で回ると言うのは、発用の亥の将名は「登明」で、亥はちょうど旬空に落ちる。それは日幹の財爻なれど、空亡の中に陥る——豈に空手で回るならざらんや。
己巳日
乾隆丁丑年亥月己巳日日卯將辰時,占走失十二歲。
清の乾隆二十二年丁丑(一七五七年)亥月の己巳日(底本は「日」の字が一つ重出する)、卯を月将とし辰時に課を起こし、十二歳の兒童が走失した下落を占った。
勾龍空虎 辰巳午未 合勾龍空 官 丁卯 合
これは課盤を平らに展開した後に残存する前半で、末伝と下半盤の文字は本段の内にない。天地盤は卯将を辰時に加えて起こり、天盤は地盤より一位退する:地盤の辰上に卯を得、巳上に辰を得、午上に巳を得、未上に午を得、申上に未を得、酉上に申を得る。すでに列出された天将は勾陳が辰に乗り、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に乗るまでで、其余の天将は下半盤に見える。四課はここでは上排の四つの上神・卯・辰・巳・午とその乗ずる六合・勾陳・青竜・天空のみを見、四課の下排の一行はこの段にない。三伝は初伝の卯のみ見え、遁干は丁で、己土日には官鬼に属し、六合に乗る。地盤の下半と四課の下排は、課盤を平らに展開した後に截断された部分に属し、敢えて臆断して補全しない。
己巳日・乾隆丁丑年に走失を占う(課盤前に接ぐ)
合卯 申常 卯辰巳午 官 丙寅 朱 朱寅 酉玄 辰巳午己 兄 乙丑 蛇 丑子亥戌 蛇貴后陰
これは前の例「乾隆丁丑年亥月己巳日卯将辰時に走失を占う」課盤の後半段で、前半段はすでに上文に見えた。左欄:地盤の辰位上に天盤「卯」が落ち、「六合」に乗る。地盤の卯位上に天盤「寅」が落ち、「朱雀」に乗る。右欄:地盤の酉位上に天盤「申」が落ち、「太常」に乗る。地盤の戌位上に天盤「酉」が落ち、「玄武」に乗る。下方の二行は地盤寅・丑・子・亥の四位で、その上の天盤は順に「丑」「子」「亥」「戌」、乗ずる天将は順に「螣蛇」「天乙貴人」「天后」「太陰」。中間の二行は四課の上神と下神で、右から左へ読まなければならない:第一課は日干己(寄宮は未)の上に「午」を見、第二課は午上に「巳」を見、第三課は日支巳上に「辰」を見、第四課は辰上に「卯」を見る。右側の一列は三伝で、ここに存するのは中伝と末伝:中伝「寅」は六親が官鬼に属し、遁干に「丙寅」を得、朱雀に乗る。末伝「丑」は六親が兄弟に属し、遁干に「乙丑」を得、螣蛇に乗る。上文に記した初伝「卯」が六合に乗ると合わせて、三伝はすなわち卯・寅・丑と位を逐うて後退し——まさに下文の断語にいう「連茹」の退行の課である。
王牧夫曰:連茹之課,當數人同行,今已退歸,不能遠去。干上午屬姤卦,姤者遇也,午陰得日支青龍,少刻即是。驗甚。近事爭遂,看天罡,天罡臨宅,加孟亦不礙,當即見也。
王牧夫が言う:これは三伝が位を逐うて後退する「連茹」の課で、走失した人は本来数人が伴を結び同行したもので、いまはすでに折り返して頭を回し、あまり遠くには走らない。日干己の上神は「午」で、午と下神とが配して『姤』卦を成す——『姤』の卦義はすなわち相遇である。「午」の陰神(すなわち天盤の午のある地盤の位の上に再び見える神)はちょうど日支「巳」で、また吉将「青竜」に乗る。ゆえに多くの時を経ずして遭遇し得る。この断は後に極めて応験した。凡そ眼前の事が争い得るか否か、順遂か否かを占うには、「天罡」(すなわち辰)がどこに落ちるかを見る:本課の天盤の「辰」はちょうど地盤の巳上に落ち、巳はすなわち日支の宅位——これを天罡が宅に臨むと為す。辰は寅・申・巳・亥という「四孟」の位に加わるが、妨げを構成しない——人は目下に尋ね見ることができる。
己巳日・邵提刑が朱科院の社壇廃址に宅を起こす吉凶を占う
六合朱科院在西南社壇廢址白站起宅第,斯人富豪權勢,竟往縣中請佃,蓋欲陰當。彼處有人妒其所為者,往邵提刑卜課,問其起宅吉凶。
六合県の朱科院は西南方の社壇の一片の廃址を見て取り、白く占め取って住宅を営造した。この人は富んでいてかつ権勢があり、竟にまた県衙に走って申請してこの地を佃し取らせようとした——その用意は暗中にこれを己の有と為さんと欲したものである。当地の人ある者が彼のこのような行事を嫉恨し、すなわち邵提刑(すなわち宋代の六壬名家邵彦和)を尋ねて課を起こし、ここに宅を造るのは吉か凶かを問うた。
空虎常玄 午未申酉 虎空玄常 子 壬申 常 龍巳 戌陰 未午酉申 子 壬申 常 勾辰 亥后 午巳申己 父 庚午 空 卯寅丑子 合朱蛇貴
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。この課は天盤が地盤より一位進む。地盤の巳・午・未・申の四位が上にあり、その上の天盤は順に「午」「未」「申」「酉」、乗ずる天将は順に「天空」「白虎」「太常」「玄武」。地盤の寅・丑・子・亥の四位が下にあり、その上の天盤は順に「卯」「寅」「丑」「子」、乗ずる天将は順に「六合」「朱雀」「螣蛇」「天乙貴人」。左欄の地盤辰上の天盤は「巳」で青竜に乗り、地盤卯上の天盤は「辰」で勾陳に乗る。右欄の地盤酉上の天盤は「戌」で太陰に乗り、地盤戌上の天盤は「亥」で天后に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ読まなければならない:第一課、日干己(寄宮は未)の上に「申」を見、太常に乗る。第二課、申上に「酉」を見、玄武に乗る。第三課、日支巳上に「午」を見、天空に乗る。第四課、午上に「未」を見、白虎に乗る。右側の一列は三伝:初伝「申」は六親が子孫、遁干に壬申を得、太常に乗る。中伝は依然として「申」で、同じく子孫・壬申・太常。末伝「午」は六親が父母、遁干に庚午を得、天空に乗る。四課上下に相克がなく、己巳はまた陰日なので、「昴星」の課式に按って用を取り、三伝を申・申・午と作す。
邵提刑曰:課得昴星,三傳申申午,犯重?金神白虎,舊址上神祗往來之處,又值火旺。本人辛亥生,火克金,犯初傳,又犯本命,又犯歲君。然西南方有佛地,亦被他害,屋宇未十分完備,不及一年傷害宅母並中子。本人因南首有火發,飛火近燎於本宅,新屋片瓦不存。本人驚後得患,半月後亦死矣。
邵提刑が言う:この一課に取ったのは「昴星」の課式で、三伝は申・申・午と作し、重々に?(ここに底本は一字缺く)金神と白虎を冲犯する。選んだ旧跡はもと社壇で、もともと地方神祇が往来して祭を受ける処である。いままたちょうど火気が旺に当る時令に碰り当たった。占主は辛亥年生まれで火に属す。火は金を克し得——すでに金に属する初伝を冲犯し、また本命を冲犯し、さらに当年の太歳を冲犯した。西南方に別に一塊の佛寺の地界があって依托し得ると言うも、同じくこの股の凶気に傷られた:房屋は完全に造り好せず、一年に満たずして先後して宅中の主婦と排行の中に居る息子を傷いた。その後宅の南面が失火し、火星が飛び越えて、近くに延焼してこの所の宅に及び、新造の房屋は一片の瓦も残さなかった。占主は驚きを受けた後病を得て、半月後にも死んだ。
一針見血。愚按:此課不載月將正時,未可執一。
この例は『一針見血』に見える。程樹勳按:この一課は用いた月将と占時を記さなかったので、一种の定式を以て死套することはできない。
己巳日・邵提刑が揚州の銭陰陽の囹圄の厄を占う
揚州錢陰陽一日與堂叔爭分家私,因毆死其叔,受陷於囹圄已及二載。一日鄰人攜其子往邵提刑占問六壬,犯罪者甲辰生。
揚州に姓が銭の陰陽先生がいて、ある日堂叔と家産を争い分け、手を動かして叔叔を打ち殺し、これによって獄に下り、すでに二年関えられた。ある日隣人が彼の息子を帶びて邵提刑を尋ねて六壬課を起こして占問した——この犯罪した人は甲辰年生まれである。
空虎常玄 午未申酉 虎空玄常 子 壬申 常 龍巳 戌陰 未午酉申 子 壬申 常 勾辰 亥后 午巳申己 父 庚午 空 卯寅丑子 合朱蛇貴
課盤を平らに展開して行を成せば上の通りで、前の一例と完全に同じ。地盤巳・午・未・申上の天盤は「午」「未」「申」「酉」で天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は「卯」「寅」「丑」「子」で六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤辰上の天盤「巳」は青竜に乗り、地盤卯上の天盤「辰」は勾陳に乗り、地盤酉上の天盤「戌」は太陰に乗り、地盤戌上の天盤「亥」は天后に乗る。四課は右から左へ:第一課、日干己(寄宮は未)の上に「申」を見て太常に乗る。第二課、申上に「酉」を見て玄武に乗る。第三課、日支巳上に「午」を見て天空に乗る。第四課、午上に「未」を見て白虎に乗る。三伝は初伝「申」(子孫・壬申・太常)、中伝「申」(上に同じ)、末伝「午」(父母・庚午・天空)——依然として陰日の「昴星」課である。
邵公曰:己巳日得申申午,昴星雲虎視眈眈,此課險惡。且喜天乙乘天馬,合起皇恩,天將又吉。然末傳火,反克用神之金。火生人旺於午,合寅午戌,寅上日德朱雀,末又救神值天后(愚按:此句有訛),他日朝廷必有恩赦,至期人恐被喝,而出獄無罪。半月後果有赦至,乃高宇宴駕,孝宗登極,此赦書輕重罪囚釋放得脫。
邵公が言う:己巳日に申・申・午の三伝を得たのは「昴星」課で、課経はこれを「虎視耽耽」と形容し、本は凶険の課である。幸い天乙貴人が天馬に乗り、牽合して「皇恩」の神を引動し、乗ずる天将もまた皆吉将である。ただ末伝が火に属し、かえって用神と為す申金を克制する。この人は火命の人で、火は午に旺え、また寅・午・戌と会して火局を成す。寅上は日徳で朱雀に乗り、末伝はまた救神に逢って天后に値する(程樹勳按:この句の文字に訛誤あり)。ゆえに後日朝廷は必ず恩赦を頒下し、その時人は一場の呵斥驚嚇を挨うれど、終に罪なくして出獄し得ると断じた。半月後に赦令が果たして到った——もとは高宗が宴駕し孝宗が即位し、この赦書が軽重の罪囚を一概に釈放し、この人はこれによって身を脱し得た。
一針見血。愚按:此課亦不載月將正時,然玩此斷語,當是紹興壬午年四月申將未時占。
この例は『一針見血』に見える。程樹勳按:この一課も月将と占時を記さなかったが、細かくこの断語を玩すると、応に紹興壬午年四月・申将を用い・占時は未時に占ったものである。
己巳日・正月に宅中の景象を占う
正月己巳日子將酉時占宅中景象。方本占案
正月の己巳日、「子」を以て月将とし、占時は酉にあり、家宅の中の情形を占問した。この例は『方本占案』から採った。
勾合朱蛇 申酉戌亥 蛇勾后朱 子 壬申 勾 龍未 子貴 亥申丑戌 財 亥 蛇 ◎ 空午 丑后 申巳戌己 官 丙寅 陰 ⊙ 巳辰卯寅 虎常玄陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。子将を酉時に加え、天盤は地盤より三位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「申」「酉」「戌」「亥」で勾陳・六合・朱雀・螣蛇に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「巳」「辰」「卯」「寅」で白虎・太常・玄武・太陰に乗る。地盤辰上の天盤「未」は青竜に乗り、地盤卯上の天盤「午」は天空に乗り、地盤酉上の天盤「子」は天乙貴人に乗り、地盤戌上の天盤「丑」は天后に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干己(寄宮は未)の上に「戌」を見、朱雀に乗る。第二課、戌上に「丑」を見、天后に乗る。第三課、日支巳上に「申」を見、勾陳に乗る。第四課、申上に「亥」を見、螣蛇に乗る。右側の三伝:初伝「申」は六親が子孫、遁干は壬申、勾陳に乗る。中伝「亥」は六親が妻財、己巳日は甲子旬に属し旬空は戌亥にあり、故に亥はちょうど空亡に落ち(「◎」はすなわち空亡の標記)、螣蛇に乗る。末伝「寅」は六親が官鬼、遁干は丙寅、太陰に乗る。
斷曰:主家中有婦人損了牙齒,近又新修廚灶,地上用新磚鋪砌。蓋申加巳作勾發用,巳為雙女,申為骨牙,乘勾陳主損折,且又傳破也。巳為爐灶,乘旺相主新修。果其人有乃妹缺口齒,而灶新修。
断語に言う:家の中に婦人が歯牙を損壊し、近頃また新たに厨房の鍋竈を修造し、地面は新磚で重ねて鋪き換えたことを主す。これは「申」が「巳」の上に加わり、勾陳に乗って発用を成すからである:巳は双女の象に属して女子を主り、申は骨格歯牙を主る。勾陳に乗るは折損を主り、しかも三伝の間にまた冲破がある。「巳」は同時にまた炉竈の象で、旺相の気に乗りて、新近の修造を主る。その後果たしてこの人の妹が門牙を缺き、家中の鍋竈もまた新たに修ったものであった。
己巳日・六月に来意を占う
六月己巳日午將酉時占來意。指歸靈文論
六月の己巳日、「午」を以て月将とし、占時は酉にあり、来た人の此行の用意を占問した。この例は『指帰靈文論』から採った。
朱合勾龍 寅卯辰巳 后朱蛇勾 官 丙寅 朱 蛇丑 午空 亥寅丑辰 財 亥 后 ◎ 貴子 未虎 寅巳辰己 子 壬申 常 ⊙ 亥戌酉申 后陰玄常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。午将を酉時に加え、天盤は地盤より三位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「寅」「卯」「辰」「巳」で朱雀・六合・勾陳・青竜に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「亥」「戌」「酉」「申」で天后・太陰・玄武・太常に乗る。地盤辰上の天盤「丑」は螣蛇に乗り、地盤卯上の天盤「子」は天乙貴人に乗り、地盤酉上の天盤「午」は天空に乗り、地盤戌上の天盤「未」は白虎に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干己(寄宮は未)の上に「辰」を見、勾陳に乗る。第二課、辰上に「丑」を見、螣蛇に乗る。第三課、日支巳上に「寅」を見、朱雀に乗る。第四課、寅上に「亥」を見、天后に乗る。右側の三伝:初伝「寅」は六親が官鬼、遁干は丙寅、朱雀に乗る。中伝「亥」は六親が妻財でちょうど旬空に落ち、天后に乗る。末伝「申」は六親が子孫、遁干は壬申、太常に乗る。
斷曰:發用在天乙前,中末在天乙後,此名傳陽入陰。申主道路,又為足神,末傳為足,發用朱雀,主先見外來遠信,遠處官員遣人送書至,亦主官員罷職之信至也。
断語に言う:発用(初伝)が天乙貴人の前に落ち、中伝・末伝が天乙貴人の後に落ちる——これを「伝陽入陰」と呼ぶ。「申」は道路を主り、また足を主る神であり、末伝はもともと脚足を主る位置である。発用は朱雀に乗り、外地から送られた遠方の書信を先に見ることを主す——遠くの官員が人を派して信を送って来ることがあり、同時にまた某官員が罷職されたという消息を伝えることを主る。
己巳日・康熙乙巳年に王周士が代わりに友人を占う
康熙乙巳年二月十二己巳日戌將申時高郵王周士都司不說某事代占友人壬子生四十四歲。捷錄
康熙乙巳年二月十二日・己巳日、「戌」を以て月将とし、占時は申にあった。高郵の都司・王周士は問う所の事を明かそうとせず、朋友に代わって代占した。この朋友は壬子年生まれで四十四歳。この例は『捷録』から採った。
龍勾合朱 未申酉戌 合龍蛇合 財 亥 蛇 ◎ 空午 亥蛇 酉未亥酉 兄 乙丑 后 ⊙ 虎巳 子貴 未巳酉己 官 丁卯 玄 辰卯寅丑 常玄陰后
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。戌将を申時に加え、天盤は地盤より二位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「未」「申」「酉」「戌」で、青竜・勾陳・六合・朱雀に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「辰」「卯」「寅」「丑」で、太常・玄武・太陰・天后に乗る。地盤辰上の天盤「午」は天空に乗り、地盤卯上の天盤「巳」は白虎に乗り、地盤酉上の天盤「亥」は螣蛇に乗り、地盤戌上の天盤「子」は天乙貴人に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干己(寄宮は未)の上に「酉」を見、六合に乗る。第二課、酉上に「亥」を見、螣蛇に乗る。第三課、日支巳上に「未」を見、青竜に乗る。第四課、未上に「酉」を見、六合に乗る。右側の三伝:初伝「亥」は六親が妻財で、ちょうど旬空に落ち、しかも乙巳年の太歳は巳にあり亥は恰も歳破、螣蛇に乗る。中伝「丑」は六親が兄弟、遁干は乙丑、天后に乗る。末伝「卯」は六親が官鬼、遁干は丁卯、玄武に乗る。
斷曰:日上乘官符,支上亦是官符,是占此人之訟也。訟因奸詭蔽匿,事干朝廷,鬼乘元武,巳入宅也。當破家蕩產,死中復生。蓋四下生上,為源消根斷,且破敗臨身,歲破發用,支神死氣,用起返魂也。訟累多官,三傳初中遁乙,末又鬼也,必須坐獄。
断語に言う:日干の上に「官符」を乗せ、日支の上にも「官符」がある——占ったのはまさにこの人の官司だと知れる。この訟事は奸詐隠匿の情から起こり、事が朝廷に牽連する。官鬼は玄武に乗り、「巳」はすでに宅位に入っている。ゆえに彼が家を破り産を蕩すが、必死の中に重新して活き転じることを断じた。これは四課が皆下が上を生ず、いわゆる「源消根断」。加うるに「破敗」の神が身に臨み、歳破の「亥」が発用を作り、日支上の神がまた死気の地に居る——用神は一たび起こればすなわち「返魂」の象となる。この官司は多くの衙門に牽連する。三伝の中で初伝・中伝は乙木を遁得し、末伝はまた官鬼——ゆえに彼は必ず牢に坐する。
法司械?。初旬空,中關神,命又乘寅鬼,奸吏為禍,故李撫臣起訟端。然始凶終救,必是恩赦,宥死發配,蓋酉加巳為配,且日上年上乘皇恩,命上見月德也。後方知賈象因李撫臣詐贓事,因盜窩以致朝廷罪譴。況午加辰為朱雀入勾陳,午加病符是舊事復發。
官府の刑具はすでに身に加えられたか?(ここに底本は一字缺く)。初伝は旬空に落ち、中伝は関隔の神、本命上にはまた「寅」という官鬼が乗る——奸猾な胥吏が風を興し浪を作すことを主す。ゆえに李撫臣がこの訟端を挑み起こしたのであろう。ただしこの課は起頭は凶険なれど末後に救いあり、必ず恩赦に碰上して、死罪を減じて発配と為す——なぜなら「酉」が「巳」の上に加わるはまさに発配の象で、しかも日干上・行年上に「皇恩」が乗り、本命上にまた「月徳」を見るからである。後に知って、賈象は李撫臣が賊銭を詐取した一案に、また賊を窝蔵したことに牽扯し、これによって朝廷の問罪を招いたことが分かった。いわんや「午」が「辰」の上に加わるは、ちょうど朱雀が勾陳の位置に落ちる象。「午」はまた「病符」を加えて、旧事が重ねて翻発する象である。
庚午日
庚午日・孫履安が姉に代わり休咎を占う
孫履安代姐占休咎。姐癸亥生,六十五歲。乾隆庚午年二月庚午日亥將卯時。
孫履安が姉に代わって吉凶禍福を占問した。姉は癸亥年生まれで六十五歳。時は乾隆庚午年二月の庚午日、「亥」を以て月将とし、占時は卯にあった。
貴后陰玄 丑寅卯辰 合後蛇玄 子 甲子 蛇 蛇子 巳常 戌寅子辰 兄 壬申 龍 朱亥 午虎 寅午辰庚 父 戊辰 玄 戌酉申未 合勾龍空
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。亥将を卯時に加え、天盤は地盤より四位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「丑」「寅」「卯」「辰」で、天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「戌」「酉」「申」「未」で、六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤辰上の天盤「子」は螣蛇に乗り、地盤卯上の天盤「亥」は朱雀に乗り、地盤酉上の天盤「巳」は太常に乗り、地盤戌上の天盤「午」は白虎に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干庚(寄宮は申)の上に「辰」を見、玄武に乗る。第二課、辰上に「子」を見、螣蛇に乗る。第三課、日支午上に「寅」を見、天后に乗る。第四課、寅上に「戌」を見、六合に乗る。右側の三伝:初伝「子」は六親が子孫、遁干は甲子、螣蛇に乗る。中伝「申」は六親が兄弟、遁干は壬申、青竜に乗る。末伝「辰」は六親が父母、遁干は戊辰、玄武に乗る。三伝の申・子・辰は会して水局を成す。
王牧夫曰:弟占姐,用起支上,得相氣之財,又居支,天后臨於其上,其家必富厚也。但嫌本合空亡,官星入墓,主早年守寡,然女利幽貞,不宜火局旺相。干支交互相剋,家庭中必主官非口舌,皆由無和氣而參商耳。末傳見天后,卻得好歸結。
王牧夫が言う:弟が姉に代わって占う——発用は日支の上から起こり、得たのは当令の相気の財神で、財はまた日支の上に坐り、天后がまたその頭上に臨む——この一家が必ず富足殷実であると知れる。嫌う所は本命の合神が空亡に落ち、官星(女命は官鬼を以て夫と為す)がまた墓庫に入る——彼女が早年に寡を守ることを主す。ただ女子は本来幽静に貞を守るを利と為すので、火局の当旺を見るは宜しくない。日干と日支が交々相克する——家中に必ず官司口舌があり、皆家人の和睦せざるによる。参星と商星のように此れ出で彼れ没して彼此相容れざる所致である。幸い末伝に天后を見る——終に好い収場を得られる。
庚午日・某が訟事を占う
某占訟事。庚午日午將未時。
某が訴訟の事を占問した。庚午日、「午」を以て月将とし、占時は未にあった。
合勾龍空 辰巳午未 合勾龍空 官 庚午 龍 朱卯 申虎 辰巳午未 官 己巳 勾 蛇寅 酉常 巳午未庚 父 戊辰 合 丑子亥戌 貴后陰玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。午将を未時に加え、天盤は地盤より一位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「辰」「巳」「午」「未」で、六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「丑」「子」「亥」「戌」で、天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤辰上の天盤「卯」は朱雀に乗り、地盤卯上の天盤「寅」は螣蛇に乗り、地盤酉上の天盤「申」は白虎に乗り、地盤戌上の天盤「酉」は太常に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干庚(寄宮は申)の上に「未」を見、天空に乗る。第二課、未上に「午」を見、青竜に乗る。第三課、日支午上に「巳」を見、勾陳に乗る。第四課、巳上に「辰」を見、六合に乗る。右側の三伝:初伝「午」は六親が官鬼、遁干は庚午、青竜に乗る。中伝「巳」は六親が官鬼、遁干は己巳、勾陳に乗る。末伝「辰」は六親が父母、遁干は戊辰、六合に乗る。三伝の午・巳・辰は位を逐うて後退し、退茹の象である。
斷曰:午作青龍,吉合在合,奈午是今日支辰,又是今日之刑,而德神遭刑之克。中傳巳加午又刑申,下又見午刑也。末傳辰加巳,又刑也。此之謂助刑伐德,事難小而必大,三者來攻。天上德又臨在酉,作白虎,以此占訟深為不利,即家國平安亦防寇盜也。
断語に言う:初伝「午」は青竜に乗り、吉将がまた六合と相配する——本はよい。あいにく「午」はちょうど今日の日支で、同時にまた今日の犯す刑神である——ここに至り日徳の神はかえって刑克を遭う。中伝「巳」は「午」の上に加わり、巳はまた日干寄宮「申」を刑し、しかも下にまた「午」の自刑を見る。末伝「辰」は「巳」の上に加わり、辰辰はまた自刑。これを「助刑伐徳」と呼ぶ——刑の力が一路に助長され、徳の力が一路に砍伐される。事は本は大きくないが、必ず大きくなって騒ぐ——初・中・末の三伝が一斉に来て攻めるからである。天盤の日徳はまた「酉」の上に落ちて白虎に乗る。このような課を以て官司を占うは実に大いに不利で、たとえ家国が太平無事でも、盗賊を提防すべきである。
庚午日・某が失銀を占う
某占失銀,庚午日子將丑時。
某が失くした銀子を占問した。時は庚午日、「子」を以て月将とし、占時は丑にあった。
合朱蛇貴 辰巳午未 合朱蛇貴 官 庚午 蛇 勾卯 申后 辰巳午未 官 己巳 朱 青寅 酉陰 巳午未庚 父 戊辰 合 丑子亥戌 空虎常玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。子将を丑時に加え、天盤は地盤より一位退し、天地盤の排布は前の一例と同じ、ただ乗ずる天将が異なるのみ。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「辰」「巳」「午」「未」で、六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「丑」「子」「亥」「戌」で、天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤辰上の天盤「卯」は勾陳に乗り、地盤卯上の天盤「寅」は青竜に乗り、地盤酉上の天盤「申」は天后に乗り、地盤戌上の天盤「酉」は太陰に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干庚(寄宮は申)の上に「未」を見、天乙貴人に乗る。第二課、未上に「午」を見、螣蛇に乗る。第三課、日支午上に「巳」を見、朱雀に乗る。第四課、巳上に「辰」を見、六合に乗る。右側の三伝:初伝「午」は官鬼、遁干は庚午、螣蛇に乗る。中伝「巳」は官鬼、遁干は己巳、朱雀に乗る。末伝「辰」は父母、遁干は戊辰、六合に乗る。
邵彥和曰:其物在南方,爐灶近水邊,溼泥土中藏之,或落水缸畔中,有楊樹枝及有水果處尋之。蓋南方爐灶者,發用午巳蛇雀也;近水溼泥者,乃午未上遁得壬癸也。類神酉臨火墓作太陰,是以銀不出去也。吳稼云曰:午發用南方也,傳入巳故在灶下也,末見辰作六合,乃水缸也。方本占案
邵彦和が言う:この件の物は南の辺にあり、炉竈に近く水辺に挨り、潮湿した泥土の中に蔵されているか、あるいは水缸の辺に掉落している。楊樹の枝条と果物を置く所へ行って尋ねよ。南方炉竈と断ずる所以は、発用が「午」で中伝が「巳」——いずれも火に属して位は南方に居り、また螣蛇・朱雀の二つの火将に乗るからである。水に挨りて泥が湿ると断ずる所以は、午・未の二位の上に壬・癸という二つの水干を遁出したからである。銀子の類神「酉」はちょうど火の墓庫の上に落ちて太陰に乗る——太陰は隠蔵を主るので、銀子は門の外へ持ち出されてはいない。呉稼雲が言う:「午」が発用するので南方と断じ、伝して「巳」に入るので竈の下に在ると断じ、末伝に「辰」が六合に乗るを見ればそれは水缸である。この例は『方本占案』から採った。
庚午日・銀を尋ねて見えず再占
某尋銀未見再占。庚午日子將酉時。
某があの一錠の銀子を尋ねて見つからず、そこで再び一課を占った。時は庚午日、「子」を以て月将とし、占時は酉にあった。
龍勾合朱 申酉戌亥 蛇勾后朱 兄 癸酉 勾 空未 子蛇 子酉寅亥 子 甲子 蛇 虎午 丑貴 酉午亥庚 財 丁卯 陰 巳辰卯寅 常玄陰后
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。子将を酉時に加え、天盤は地盤より三位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「申」「酉」「戌」「亥」で、青竜・勾陳・六合・朱雀に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「巳」「辰」「卯」「寅」で、太常・玄武・太陰・天后に乗る。地盤辰上の天盤「未」は天空に乗り、地盤卯上の天盤「午」は白虎に乗り、地盤酉上の天盤「子」は螣蛇に乗り、地盤戌上の天盤「丑」は天乙貴人に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干庚(寄宮は申)の上に「亥」を見、朱雀に乗る。第二課、亥上に「寅」を見、天后に乗る。第三課、日支午上に「酉」を見、勾陳に乗る。第四課、酉上に「子」を見、螣蛇に乗る。右側の三伝:初伝「酉」は六親が兄弟、遁干は癸酉、勾陳に乗る。中伝「子」は六親が子孫、遁干は甲子、螣蛇に乗る。末伝「卯」は六親が妻財、遁干は丁卯、太陰に乗る。
邵彥和曰:銀在南方爐灶前水溼處尋之,乃自家人盜耳。蓋辰作元武,當主僕輩;酉作類神,作勾加午;末傳更見太陰臨水,太陰亦類神也,故主在水溼處尋之。果然。
邵彦和が言う:銀子は南辺の炉竈の前、潮湿して水のある処に行って尋ねよ——しかも自家の裡の人が偸んだのである。これは「辰」が玄武に乗り、玄武は盗竊を主り、辰はまた奴僕の輩に当る。「酉」は銀両の類神で、勾陳に乗りて「午」の上に加わる——午は南方の炉竈に属す。末伝にまた太陰が水位に臨むを見る——太陰もまた銀両の類神。ゆえに潮湿して水のある処に尋ねよと断じた。その後果たしてその通りであった。
凡占失物須看類神,類神在傳或加日辰?見傳日不出日,傳時不出時,宜秘之。方本。吳稼云曰:大抵類神並見者,則合而斷之,此秘訣也,今乃悟之矣。愚按:類神未見,則以初傳為方向類神;已見,則以類神所臨處為方向。
凡そ失物を占うには必ず類神を見なければならない。類神がもし三伝の中に落ちるか、あるいは日辰に加臨するか?(ここに底本は一字缺く)——伝中に日辰を見れば、物は当日を出でずして尋ね見ることができる。伝中に占時を見れば、当時を出でずして尋ね見ることができる。この訣竅はまさに秘すべきである。以上は『方本占案』に見える。呉稼雲が言う:大体類神が同時に幾つも出現すれば、それらを併せて一起に断ず——これが秘訣で、私は今日に至ってやっと領悟した。程樹勳按:類神がもし出現しなければ、初伝を取って方向を定める類神と為す。類神がもしすでに出現すれば、類神の臨む処を取って方向を定める。
庚午日・壬寅年に徐次賓が自記した占訟
壬寅年六月庚午日午將午時占訟。一字玉連環
壬寅年六月の庚午日、「午」を以て月将とし、占時もまた午にあり、訴訟を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
勾龍空虎 巳午未申 龍龍虎虎 兄 壬申 虎 合辰 酉常 午午申申 財 丙寅 蛇 朱卯 戌玄 午午申庚 官 己巳 勾 寅丑子亥 蛇貴后陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。月将と占時がともに「午」で、天盤と地盤が完全に重合する——「伏吟」の課である。地盤巳・午・未・申上の天盤は依然として「巳」「午」「未」「申」で、勾陳・青竜・天空・白虎に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は依然として「寅」「丑」「子」「亥」で、螣蛇・天乙貴人・天后・太陰に乗る。地盤辰上の天盤「辰」は六合に乗り、地盤卯上の天盤「卯」は朱雀に乗り、地盤酉上の天盤「酉」は太常に乗り、地盤戌上の天盤「戌」は玄武に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干庚(寄宮は申)の上に「申」を見、白虎に乗る。第二課、申上に「申」を見、白虎に乗る。第三課、日支午上に「午」を見、青竜に乗る。第四課、午上に「午」を見、青竜に乗る。右側の三伝:初伝「申」は六親が兄弟、遁干は壬申、白虎に乗る。中伝「寅」は六親が妻財、遁干は丙寅、螣蛇に乗る。末伝「巳」は六親が官鬼、遁干は己巳、勾陳に乗る。三伝の申・寅・巳はちょうど寅巳申の三刑である。
徐次賓曰:六庚日伏吟者,古法以申寅巳為三傳,一書以申寅申為三傳,餘當謂刑始於寅,終於申。甲戊丙日當盡三刑,庚日先刑而後沖也。壬寅秋七月,餘以隴西公事匿村落中,父即求課於元公,得庚午日午將午時,三傳申寅申,將虎蛇虎。至壬申日,勾喚餘妻到官,以中傳寅為妻爻為用,申所克也,餘於是日避難赴官出頭。
徐次賓が言う:六つの庚日の伏吟課は、古法は申・寅・巳を以て三伝と為し、別に一書は申・寅・申を以て三伝と為す。私は刑が「寅」に起こりて「申」に終わると以為する:甲・戊・丙の日は寅巳申の三刑を走完すべきであり、庚の日は先に刑して後に冲する。壬寅年秋七月、私は隴西の公事のために村の裡に躲れ、父はすなわち元公に課を求めに行き、庚午日午将午時を得、三伝は申・寅・申、乗ずる天将は白虎・螣蛇・白虎であった。壬申日に至り、官府が私の妻子を勾伝して官に至らしめた——中伝「寅」が妻爻で用神を作し、ちょうど「申」に克されるからである。私はすなわちこの日に避難を結び、官府に出面した。
蓋傳送白虎俱為道路,故壬申日動也。此日餘妻回家,餘仍下村去,至戊寅日喚餘至州,蓋應中傳寅字為庚日之天馬也。至己卯日聞隴西公承服,餘復下村去。至壬午日斷訖,蓋庚日課中正是畏其螣蛇也,至壬午日制之矣。又發用申與白虎俱是七數,二七一十四數,彼以己巳日入州,壬午日事畢,恰是十四日也。戊申日餘始歸,蓋末傳申為歸計,申乃庚之本位也,故申日至家矣。
これは「伝送」(申の別名)と白虎がともに道路を主るので、壬申日に発動した。この日、私の妻子は家に帰り、私は依然として村の裡に下った。戊寅日に至り、官府がまた私を伝して州衙に至らしめた——これは中伝の「寅」の字に応じたもので、寅はちょうど庚日の天馬である。己卯日に至り、隴西公がすでに服罪したと聞き、私はまた村の裡に帰った。壬午日に至り、案が判結した——庚日の課の中で最も怕れるのはあの螣蛇で、壬午日に至れば火が旺えて螣蛇は制される。さらに言えば、発用の「申」と白虎はともに七数に属し、二つの七を相加すれば十四——相手は己巳日に州に進み、壬午日に事が办完して、ちょうど十四日である。戊申日に至り私はやっと家に帰った——末伝の「申」は家に帰る計で、申はまた庚金の本位である。ゆえに申日に家に到った。
先鋒門為日破,主破財,又中傳寅為財爻,被初末二申制之也。傳送主姓張人,先鋒門午亦姓張人,案吏姓張,住正南勝光也。占親人請客亦姓張,往西南傳送也。破財二七之數,同前數也。餘父經兩個月對問,應餘命上大吉為父母爻,見天乙,主動官也。所居村去州七里,連高阜,蓋中傳寅為東北,為七里,建得戊字,寅配艮為山,得戊寅即阜也。村名黃村,戊土黃也。申數亦七,而止言七里者,伏吟主近故也。
「先鋒門」(すなわち占時の神)はちょうど日破で、財を破ることを主り、加うるに中伝「寅」が財爻で、また初伝・末伝の二つの「申」に克制される。「伝送」(申)は姓が張の人を主り、先鋒門の「午」もまた姓が張の人を主る——この案を経弁した書吏は果たして姓が張で、正南の「勝光」(午)の位に住んでいた。占の中に見えた客を請うあの親戚もまた姓が張で、西南の「伝送」(申)の位へ向かったのである。財を破った数目は二七十四で、前に推した数と同じ。私の父は二ヶ月の対質審問を経受した——私の本命上の「大吉」(丑)に応じて父母爻を為し、また天乙貴人を見る——官府を驚動することを主す。私の住んだ村は州城から七里を離れ、一片の高丘に緊く連なる——中伝「寅」が東北方を主り、その数は七で、遁干に「戊」の字を得るからである。寅は八卦中の艮に配し、艮は山を為す——戊寅が合わさればすなわち土丘の象である。村の名は黄村という——まさに戊は土に属し土の色は黄だからである。「申」の数もまた七——ただ七里と言って十四里と言わない所以は、伏吟課が近を主りて遠を主らないからである。
辛未日
辛未日・六月に来意を占う
六月辛未日午將寅時占來意。玉連環
六月の辛未日、「午」を以て月将とし、占時は寅にあり、来た人の用意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
合勾龍空 酉戌亥子 玄龍貴常 子 亥 龍 ◎ 朱申 丑虎 卯亥午寅 財 丁卯 玄 ⊙ 蛇未 寅常 亥未寅辛 父 辛未 蛇 午巳辰卯 貴后陰玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。午将を寅時に加え、天盤は地盤より四位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「酉」「戌」「亥」「子」で、六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「午」「巳」「辰」「卯」で、天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤辰上の天盤「申」は朱雀に乗り、地盤卯上の天盤「未」は螣蛇に乗り、地盤酉上の天盤「丑」は白虎に乗り、地盤戌上の天盤「寅」は太常に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干辛(寄宮は戌)の上に「寅」を見、太常に乗る。第二課、寅上に「午」を見、天乙貴人に乗る。第三課、日支未上に「亥」を見、青竜に乗る。第四課、亥上に「卯」を見、玄武に乗る。右側の三伝:初伝「亥」は六親が子孫、辛未日は甲子旬に属し旬空は戌亥にあり、故に亥はちょうど空亡に落ち、青竜に乗る。中伝「卯」は六親が妻財、遁干は丁卯、玄武に乗る。末伝「未」は六親が父母、遁干は辛未、螣蛇に乗る。三伝の亥・卯・未は会して木局を成す——すなわち「曲直」の課である。
徐次賓曰:來意主酒宴間有姓劉人做媒說親,一席便成其新婦,必是亥生也。蓋時上見太常主宴會,值事門見六合為和合,又為日干子孫,酉為酒,發用子孫上見六合,豈不是酒宴上與子孫說親也。發用從魁,為今日等輩,酉為金刀,故言姓劉。上見青龍吉將,主婚姻禮儀之慶。時為日劫煞,主緊急,又中傳天罡為天馬,故言一席便成其新婦。亥生者,以末傳登明為子孫,故知為亥生也。
徐次賓が言う:来た人の用意は、酒席の間に姓が劉の人がいて媒を為して親を説くことを主り、一席の酒でこの門の親事を説成し、新娘子は必ず亥年生まれである。これは占時の上に太常を見る——太常は宴飲聚会を主る。値事の門に六合を見る——六合は和合を主り、また日干辛の子孫爻である。「酉」は酒を主る。発用の子孫の上にまた六合を見る——これ岂に酒席の上で子弟に親を説くならざらんや。発用は「従魁」(酉の別名)で、今日と輩を同じくする人を代表し、酉はまた金刀の象——金の旁に刀を加えればちょうど一つの「劉」字に合する。ゆえに姓は劉と断じた。その上にまた青竜のような吉将が乗る——婚姻礼儀の喜慶を主す。占時はちょうど日干の劫煞で、事の来たるが急迫なることを主す。中伝はまた「天罡」(辰の別名)で、辰はここに天馬を為す——ゆえに一席の間にすなわちこの新婦を定めたと言う。新娘が亥年生まれと言うのは、末伝「登明」(亥の別名)が子孫爻を為す——これによって彼女が亥年に生まれたを知る。
辛未日・崇寧丙戌年に蔡太師が此後の功名を占う
長星見於西方,蔡太師免為中太乙宮使,占以後功名。崇寧丙戌年四月辛未日酉將寅時。方本占案。一針見血
長星(彗星)が西方に出現し、蔡太師は原職を免ぜられ、改めて中太乙宮使に任ぜられ、それによって此後の功名を占問した。時は崇寧丙戌年四月の辛未日、「酉」を以て月将とし、占時は寅にあった。この例は『方本占案』から採り、また『一針見血』にも見える。
朱蛇貴后 子丑寅卯 青貴朱玄 兄 癸酉 青 合亥 辰陰 酉寅子巳 父 戊辰 陰 勾戌 巳玄 寅未巳辛 子 亥 合 ◎ 酉申未午 青空虎常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。酉将を寅時に加え、天盤は地盤より七位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「子」「丑」「寅」「卯」で、朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「酉」「申」「未」「午」で、青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤辰上の天盤「亥」は六合に乗り、地盤卯上の天盤「戌」は勾陳に乗り、地盤酉上の天盤「辰」は太陰に乗り、地盤戌上の天盤「巳」は玄武に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干辛(寄宮は戌)の上に「巳」を見、玄武に乗る。第二課、巳上に「子」を見、朱雀に乗る。第三課、日支未上に「寅」を見、天乙貴人に乗る。第四課、寅上に「酉」を見、青竜に乗る。右側の三伝:初伝「酉」は六親が兄弟、遁干は癸酉、青竜に乗る。中伝「辰」は六親が父母、遁干は戊辰、太陰に乗る。末伝「亥」は六親が子孫で、ちょうど旬空に落ち、六合に乗る。
邵彥和曰:酉作龍為用,酉於辛為上元真祿,寅乃地下真官,又是天吏,中末自刑而生合。相公目下雖有撓,全罪有赦,將來朝廷必大用,權威震上矣。愚按:月將乘青龍,主入相,相何故未之言,此必轉抄者遺之也。
邵彦和が言う:「酉」が青竜に乗りて発用を作す——酉は辛金にとってちょうど上元の真禄である。「寅」は地下の真官で、また天吏の位である。中伝・末伝は自刑あるも、また相生相合する。相公は眼下一部の阻撓を受けるも、全部の罪名は終に赦免を得て、将来朝廷は必ず重用し、権威は朝廷の上を震動し得る。程樹勳按:月将が青竜に乗るは本なら入相拜相を主る。しかるに断語の裡にどうして偏に「入相」のこの一層を講じなかったか——想うに伝写した人がこの句を漏らしたのであろう。
後庚寅年出居杭州,壬辰年果再入朝大用。愚按綱?丙戌二月免為中太乙官使,丁亥正月為尚書左僕射兼門下侍郎,戊子正月初太師,己丑六月免,十一月詔以太師,庚寅五月彗星出奎,再貶為太子少保,出居杭州,壬辰二月復太師。
その後庚寅年に彼は外に放たれて杭州に住み、壬辰年に果たして再度入朝して重用を受けた。程樹勳按:『通鑑綱目』?(ここに底本は一字缺く)の載する所を査すれば——丙戌年二月、彼は免職し中太乙宮使に改任。丁亥年正月、尚書左僕射兼門下侍郎に任ず。戊子年正月、初めて太師に拜す。己丑年六月に免ぜられ、十一月にまた詔を下して依然として太師の銜を以て起用。庚寅年五月、彗星が奎宿に出現し、彼は再度太子少保に貶せられ、外に放たれて杭州に住む。壬辰年二月、重ねて太師の位を恢復した。
夫應辰年者,月將青龍日祿之六合也。大凡四上克下,名無祿,天動於上為純陽,主動。若久困在下者遇之而發,居家者出。
辰年に応じた所以は、月将と青竜の乗ずる「酉」が日禄で、辰はちょうど酉の六合の神だからである。大凡そ四課が皆上が下を克するを「無禄」と呼ぶ——天盤の神が上位で動くは純陽の象で、動を主りて静を主らない。この種の課は、久しく下位に困る人がこれに遇えば発達し、家に閑居する人がこれに遇えば出仕する。
辛未日・丙寅年に呉畹春が姪の行方不明を占う
丙寅年十月辛未日辛未日卯將午時吳畹春占侄在中不知何往,並問吉凶。牧夫占驗
丙寅年十月の辛未日(底本はここに「辛未日」を重出する)、「卯」を以て月将とし、占時は午にあった。呉畹春は姪児が外出して別の処にあり、どこへ行ったか分からないのを占問し、併せて吉凶を問うた。この例は『牧夫占験』から採った。
勾合朱蛇 寅卯辰巳 龍朱朱后 子 亥 虎 ◎ 龍丑 午貴 丑辰辰未 父 辛未 后 ⊙ 空子 未后 辰未未辛 父 辛未 后 ⊙ 亥戌酉申 虎常玄陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。卯将を午時に加え、天盤は地盤より三位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「寅」「卯」「辰」「巳」で、勾陳・六合・朱雀・螣蛇に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「亥」「戌」「酉」「申」で、白虎・太常・玄武・太陰に乗る。地盤辰上の天盤「丑」は青竜に乗り、地盤卯上の天盤「子」は天空に乗り、地盤酉上の天盤「午」は天乙貴人に乗り、地盤戌上の天盤「未」は天后に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干辛(寄宮は戌)の上に「未」を見、天后に乗る。第二課、未上に「辰」を見、朱雀に乗る。第三課、日支未上に「辰」を見、朱雀に乗る。第四課、辰上に「丑」を見、青竜に乗る。第二課と第三課は重複し、実際に三課しか成らないので、「別責」課に按って用を取る:辛未は陰日で、日支未の三合前神「亥」を取って初伝と為し、中伝・末伝はともに日干上神「未」を取る。右側の三伝:初伝「亥」は六親が子孫で空亡に落ち、白虎に乗る。中伝・末伝は皆「未」で六親は父母、遁干は辛未、天后に乗る。
王牧夫曰:目今在西南方,有楊姓人牽引而去,十二月必得信。彼曰:去已一年,吉凶若何。曰:馬作長生,土神生日,何必慮乎。至十二月果接信云,因楊姓結伴往河南固姓縣去買糧食。諸人歎服。蓋巳馬居西南,又支來加干,未屬羊,羊楊同音,故擬姓楊人也。
王牧夫が言う:この子は眼下西南の方にあり、一人の姓が楊の人に帶び行かれた。十二月に必ず消息がある。呉畹春が言う:彼が去ってすでに一年、究竟吉凶はどうか。王牧夫が言う:駅馬は長生の地に落ち、土神はまた日干を生ず——何ぞ憂うることがあらん。十二月に至って果たして信を接した——彼は姓が楊の者と伴を結んで河南固始の一帯へ糧を買いに行ったという。衆人はみな嘆服した。これは辛未日の駅馬が「巳」にあり、天盤の巳がちょうど西南方位に落ちているからである。また日支が来て日干の上に加わる。「未」は生肖で羊に属し、羊と楊は同音——ゆえに姓が楊の人と推断した。
辛未日・乾隆己巳年に某が兒子の病症を占う
乾隆己巳年未月辛未日未將午時,某占子病。牧夫占驗
乾隆己巳年未月(すなわち六月)の辛未日、「未」を以て月将とし、占時は午にあり、某が兒子の病を占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
勾龍空虎 午未申酉 虎空陰玄 兄 壬申 空 合巳 戌常 酉申子亥 子 亥 玄 ◎⊙ 朱辰 亥玄 申未亥辛 兄 壬申 空 卯寅丑子 蛇貴后陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。未将を午時に加え、天盤は地盤より一位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「午」「未」「申」「酉」で、勾陳・青竜・天空・白虎に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「卯」「寅」「丑」「子」で、螣蛇・天乙貴人・天后・太陰に乗る。地盤辰上の天盤「巳」は六合に乗り、地盤卯上の天盤「辰」は朱雀に乗り、地盤酉上の天盤「戌」は太常に乗り、地盤戌上の天盤「亥」は玄武に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干辛の上に「亥」を見、玄武に乗る。第二課、亥上に「子」を見、太陰に乗る。第三課、日支未上に「申」を見、天空に乗る。第四課、申上に「酉」を見、白虎に乗る。四課上下いずれも相克せず、辛未はまた陰日——ゆえに「昴星」課式を取る、すなわち「冬蛇掩目」:初伝は天盤酉の臨む地盤「申」を取り、中伝は日干上神「亥」を取り、末伝は日支上神「申」を取る。右側の三伝:初伝「申」は六親が兄弟、遁干は壬申、天空に乗る。中伝「亥」は六親が子孫で空亡に落ち、玄武に乗る。末伝「申」は六親が兄弟、遁干は壬申、天空に乗る。
王牧夫曰:主腹中有冷病,或上或下,乃癎症也。曰:然,可得愈否。曰:此病嬰之於身,終難愈矣。夫以一辛金而生二水,亥上乘元,脫盡辛干之氣,支上申酉金堅固不化,金寒水冷,何能望愈。用申乘天空,元武居中,申為傳送,空無所阻,而痰得以上下往來,中見亥為痰母,故時好時發,醫無益也,逢金之歲命難保矣。後果驗。
王牧夫が言う:腹中に寒冷の病あるを主り、病気が忽上忽下し、癲癇の類の症候である。占者が言う:まさにその通り、治り得るか。王牧夫が言う:この病はすでに身に纏い、終に痊愈し難い。一つの辛金が二重の水を生ぜねばならず、「亥」の上にまた玄武が乗る——辛金日干の元気を洩らし尽くして乾淨とする。日支上は申・酉の二重金が堅固にして化せず、金寒水冷——どうして病の好えるを指望できよう。発用「申」は天空に乗り、玄武は中伝に居る:申の別名は「伝送」で、天空は空闊にして阻めなし——ここにおいて痰気はもって上下往来し得る。中伝に「亥」を見る——亥水はちょうど痰を生ずる源。ゆえに時に好く時に発し、薬を吃してもまた用なし。一旦金に属する年に碰上すれば、性命は保ち難い。その後果たして応験した。
辛未日・乾隆己卯年に代わりに己酉命の人の官訟を占う
乾隆己卯年巳月辛未日酉將申時占己酉命人官訟,三十一歲。牧夫占驗
乾隆己卯年巳月(すなわち四月)の辛未日、「酉」を以て月将とし、占時は申にあり、一位の己酉年生まれ・三十一歳の人に代わり官の訟を占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
勾龍空虎 午未申酉 虎空陰玄 兄 壬申 空 合巳 戌常 酉申子亥 子 亥 玄 ◎⊙ 朱辰 亥玄 申未亥辛 兄 壬申 空 卯寅丑子 蛇貴后陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通りで、前の一例と完全に同じ:酉将を申時に加え、天盤も同じく地盤より一位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は「午」「未」「申」「酉」で、勾陳・青竜・天空・白虎に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は「卯」「寅」「丑」「子」で、螣蛇・天乙貴人・天后・太陰に乗る。地盤辰上「巳」は六合に乗り、地盤卯上「辰」は朱雀に乗り、地盤酉上「戌」は太常に乗り、地盤戌上「亥」は玄武に乗る。四課は右から左へ:日干辛上に「亥」を見て玄武に乗り、亥上に「子」を見て太陰に乗り、日支未上に「申」を見て天空に乗り、申上に「酉」を見て白虎に乗る。四課に克なし。陰日は昴星を取る、すなわち「冬蛇掩目」、三伝を申・亥・申と作す:初伝は兄弟の壬申で天空に乗り、中伝は子孫「亥」が空亡に落ちて玄武に乗り、末伝は兄弟の壬申で天空に乗る。
王牧夫曰:此代占也。其友人之母已經改嫁,常來取索,一日先服毒藥而來其家,恰門閉未開,坐移時吐黑水而死,友人代占其吉凶。余曰:冬蛇掩目,有凶事。上申下申,中見自刑之水,主毒在中,或上或下,其象如此。其友人命在酉,上見戌而空,而年立歲破(原作歲,訛),幸不至受刑落獄也。貴人坐丑沖支,其事可釋。後果驗。
王牧夫が言う:これは人に代わって占ったものである。彼のあの朋友の生母は早くに改嫁したが、常に門に上って財物を索要していた。ある日彼女は先に毒薬を服してからこの家に来て、ちょうど門が閉じてまだ開かず、彼女は好いしばらく坐って、黒水を吐いて死んだ——朋友はすなわち彼に代わって吉凶を占いに来た。私が言う:これは「冬蛇掩目」の課で、凶事あるを主す。上も「申」下も「申」で、中間に自刑の「亥」水を挾む——毒物が腹中にあり、忽上忽下するを主す。卦象はまさにこの如し。この朋友の本命は「酉」にあり、酉上に「戌」を見るが戌は空亡に落ち、行年はまた歳破の位に立つ(底本は原作「歳」、これは訛字)——幸い刑を受け獄に下るには至らない。天乙貴人は「丑」の上に坐す——丑は日支を冲す。この案は了結し得る。その後果たして応験した。
然事有權宜,生母非他人可比,千求萬乞不宜拒絕,當顧養身,始為合理。今年立申酉,頑金堅固之鄉,而戌酉又在不明之地,亦為子者不善處耳,致有此不幸之事也。嗚呼,能如范文正公者有幾人耶。
ただし事は總て通融変宜の処がある:生身の母は外人に比ぶべからず。たとえ彼女が千求万討しても、一口に回絶すべきでなく、總て彼女の身体を奉養するを顧るべきで、やっと情理に合う。この人の今年の行年は申・酉の位に立つ——頑金堅硬にして化せざるの地である。しかも戌・酉はまた昏暗不明の地に落ちる。説き尽くせば、兒子としての処置が好くなくて、この不幸の事を招来したのである。嗟乎、范文正公(范仲淹)のように改嫁の母を厚く待つ者が、世の中にまた幾人かあらん。
壬申日
壬申日・四月に癸酉命の人が来意を占う(失牛)
四月壬申日申將未時癸酉命人占來意。玉連環
四月の壬申日、「申」を以て月将とし、占時は未にあり、一位の癸酉年生まれの人が来意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
蛇朱合勾 午未申酉 龍勾常虎 官 乙丑 常 貴巳 戌龍 戌酉丑子 子 丙寅 玄 后辰 亥空 酉申子壬 子 丁卯 陰 卯寅丑子 陰玄常虎
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を未時に加え、天盤は地盤より一位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「午」「未」「申」「酉」で、螣蛇・朱雀・六合・勾陳に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「卯」「寅」「丑」「子」で、太陰・玄武・太常・白虎に乗る。地盤辰上の天盤「巳」は天乙貴人に乗り、地盤卯上の天盤「辰」は天后に乗り、地盤酉上の天盤「戌」は青竜に乗り、地盤戌上の天盤「亥」は天空に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干壬(寄宮は亥)の上に「子」を見、白虎に乗る。第二課、子上に「丑」を見、太常に乗る。第三課、日支申上に「酉」を見、勾陳に乗る。第四課、酉上に「戌」を見、青竜に乗る。右側の三伝:初伝「丑」は六親が官鬼、遁干は乙丑、太常に乗る。中伝「寅」は六親が子孫、遁干は丙寅、玄武に乗る。末伝「卯」は六親が子孫、遁干は丁卯、太陰に乗る。三伝の丑・寅・卯は位を逐うて順進す——「進茹」の象である。
徐次賓曰:來意主在外因姓王人失了水牛一隻,為眼疾老男子老陰人相逐,牽牛往東北去,其牛終不得見也。何知在外失牛,蓋時與日干三合,故言在處,不言和合而言失物者,未時為日鬼故也。何知姓王人失牛,發用大吉為日鬼,下臨子水,水數一,配土為王字。大吉為牛,中傳功曹乘元武,克大吉,為賊,豈不是失牛也。
徐次賓が言う:来た人の用意は、外にあって一頭の水牛を姓が王の人のために失い、一人の眼病を患う老年男子と一位の老年婦人に追趕されて、牛を東北方へ牽いて行かれた——この牛は終に尋ね返らない。どうして外で牛を失ったと知ったか。占時と日干が三合を成すので、外の処に在ると断じた。三合は本来和合を主るが、ここでは和合を言わずに失物を言う——占時の「未」がちょうど日干壬の官鬼だからである。どうして姓が王の人が牛を失ったと知ったか。発用の「大吉」(丑の別名)は日干の官鬼で、下に「子」水に臨む——水の成数は一で、一の横に「土」の字を配せば、ちょうど一つの「王」字を拼す。「大吉」(丑)は類象上すなわち牛。中伝「功曹」(寅の別名)は玄武に乗りて来て大吉を克す——玄武は盗賊を主る。これ岂に牛を失う象ならざらんや。
言水牛者,月建得壬字,故言水也。何知患目老男子並老陰人。蓋寅為老翁,元武為眼疾人,卯上見太陰,主老陰人,寅卯相連,故言逐也。言東北者,下臨丑也。何以知不得見,以占時發用,本命上神俱為日鬼,又日干落空亡故言終不得見也。
水牛と言う所以は、月建の上に「壬」の字を遁出し、壬は水に属す——ゆえに水牛と断じた。どうして眼病を患う老年男子と老年婦人だと知ったか。「寅」は老翁を象し、玄武は眼疾の人を主る。「卯」の上に太陰を見る——太陰は年老いた婦人を主る。寅と卯は首尾相連なる——ゆえに追趕と言う。東北へ往くと言うのは、寅の下に「丑」に臨み、丑はちょうど東北方位にある。どうして牛が尋ね返らないと知ったか。占時・発用および本命上の神が、すべて日干の官鬼で、日干壬はまた空亡の上に落ちる——ゆえに終に見えざると断じた。
壬申日・四月に来意を占う(出外して財を干す)
四月壬申日申將午時占來意。玉連環
四月の壬申日、「申」を以て月将とし、占時は午にあり、来た人の用意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
朱合勾龍 未申酉戌 虎龍陰常 兄 甲子 虎 ⊙ 蛇午 亥空 子戌卯丑 子 丙寅 玄 貴巳 子虎 戌申丑壬 官 戊辰 后 辰卯寅丑 后陰玄常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を午時に加え、天盤は地盤より二位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「未」「申」「酉」「戌」で、朱雀・六合・勾陳・青竜に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「辰」「卯」「寅」「丑」で、天后・太陰・玄武・太常に乗る。地盤辰上の天盤「午」は螣蛇に乗り、地盤卯上の天盤「巳」は天乙貴人に乗り、地盤酉上の天盤「亥」は天空に乗り、地盤戌上の天盤「子」は白虎に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干壬(寄宮は亥)の上に「丑」を見、太常に乗る。第二課、丑上に「卯」を見、太陰に乗る。第三課、日支申上に「戌」を見、青竜に乗る。第四課、戌上に「子」を見、白虎に乗る。右側の三伝:初伝「子」は六親が兄弟、遁干は甲子、白虎に乗る。中伝「寅」は六親が子孫、遁干は丙寅、玄武に乗る。末伝「辰」は六親が官鬼、遁干は戊辰、天后に乗る。三伝の子・寅・辰は一位を隔てて順行す——順間伝の象である。
徐次賓曰:來意主人出外,東南上干財,因姓崔人成合交易,此人內懷欺詐,終不敢發。又有一屬犬人姓王欲相侵害,終而自解。何知出之?發用神后,將得白虎,主道路,又天魁臨支為斬關,故言出外。午時為日干之財,乘螣蛇,下臨辰,故言東南干財。末傳天罡為山,加寅配艮為疊土,艮數八,似為人旁,以山配疊土,又有人傍,是崔也。
徐次賓が言う:来た人の用意は、門を出て外地へ行き、東南方で銭財を謀り、一人の姓が崔の人を経由して取引を撮合成するであろう。この崔某は心裡に欺詐の意を懐くが、終に発作するを敢えてしない。別にまた一人の狗に属し姓が王の人が彼を加害しようと思い、最後にもまた自ずから化解する。どうして出外だと知ったか(ここに底本は一字缺く)。発用は「神後」(子の別名)で、乗ずるは白虎——白虎は道路を主る。また「天魁」(戌の別名)が日支の上に臨みて「斬関」の象を成す——ゆえに出外と断じた。占時の「午」は日干壬の財で、螣蛇に乗りて下に「辰」に臨む——辰は東南に在り、ゆえに東南で財を謀ると断じた。末伝「天罡」(辰の別名)は山を象し、「寅」の上に加わる——寅は八卦中の艮に配し、艮は山を為しまた重畳の土を為す。艮の数は八で、「八」は形が単人旁に似る。山を以て畳土に配し、旁にまた人旁を添えれば、合わせてちょうど一つの「崔」字である。
然天罡為日鬼,何以姓崔人成合交易?緣天罡臨寅,自受其制,又為中傳功曹制之,故不能為鬼,反為我照應,但懷欺詐而不能害也。天罡為虛詐之神,剋日,故主欺詐也。支上天魁為屬犬人,日上大吉為姓王人,皆為今日之鬼。而侵害自解者,日既落空,彼我不見,孰為爭也?
しかし「天罡」(辰)は日干の官鬼——どうしてかえって姓が崔の人が取引を促成すると言うか。天罡が「寅」の上に臨み、自体すでに寅木の克制を受け、また中伝の「功曹」(寅)に制せられる——ゆえにそれは官鬼を成して人を害することができず、かえって我を照応する力を成す。ただ心に欺詐を懐くも人を傷ることができぬのみ。天罡はもともと虚偽詐偽の神で、また来て日干を克す——ゆえに相手の欺詐を主す。日支上の「天魁」(戌)は狗に属する人を代表し、日干上の「大吉」(丑)は姓が王の人を代表する——両者とも今日の官鬼。侵害が自ずから化解すると言うに至っては、日干がすでに空亡に落ち、彼此面を照らし合わない——まだ誰と誰が争おう。
壬申日・乾隆己巳年に某が産を売るを占う
乾隆己巳年未月壬申日未將辰時某占棄產。牧夫占驗
乾隆己巳年未月(すなわち六月)の壬申日、「未」を以て月将とし、占時は辰にあり、某が産業を売る事を占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
龍空虎常 申酉戌亥 后常朱后 財 己巳 朱 勾未 子玄 寅亥巳寅 父 壬申 龍 合午 丑陰 亥申寅壬 兄 亥 常 ◎ 巳辰卯寅 朱蛇貴後
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。未将を辰時に加え、天盤は地盤より三位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「申」「酉」「戌」「亥」で、青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「巳」「辰」「卯」「寅」で、朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤辰上の天盤「未」は勾陳に乗り、地盤卯上の天盤「午」は六合に乗り、地盤酉上の天盤「子」は玄武に乗り、地盤戌上の天盤「丑」は太陰に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干壬(寄宮は亥)の上に「寅」を見、天后に乗る。第二課、寅上に「巳」を見、朱雀に乗る。第三課、日支申上に「亥」を見、太常に乗る。第四課、亥上に「寅」を見、天后に乗る。右側の三伝:初伝「巳」は六親が妻財、遁干は己巳、朱雀に乗る。中伝「申」は六親が父母、遁干は壬申、青竜に乗る。末伝「亥」は六親が兄弟で、ちょうど旬空に落ち、太常に乗る。
王牧夫曰:此屋有兩房人居住,甚安。若賣此屋,外人不得買,日後歸本家。蓋日去加支,受生得太常眷屬之神,加於寅上,寅主雙,故主有兩房人居住也。外人不得典買者,課上之寅入於宅內作合,成了不備,寅上後,與寅同氣,若要買必有本家之人作阻,此宅不得為外人有也。申乃日之長生,亦即寅之長生,壬帶沖絕,則寅與壬同氣而踞其上矣。後果末得賣,至今尚是兩家同居。
王牧夫が言う:この所の房子は両房の人が住んで、住まいは甚だ安穏である。もし売ろうとすれば、外人は買い成せず、日後依然として本家の有に帰る。これは日干が去って日支に加臨し、また日支の生を受け、太常という眷属家人を主る吉将を得——太常は「寅」の上に加わり、寅は成双の義あるゆえ、両房の人が同住することを主す。外人が典買し成せざると言うのは、課上の「寅」が宅位の内に進んで之と合を作し、四課不備の象を成すからである。寅上にまた天后が乗る——天后と寅は同一の気類。ゆえにもし人あるが買おうとすれば、必ず本家の人が出て来て阻拦し、この宅は外人の手に落ちない。さらに「申」は日干壬の長生であると同時に「寅」の長生でもあり、壬はまた冲絶の気を帶びる——すれば寅と壬は同気相連してその上に占する。その後果たして売れ成さず、今日に至るも依然として両家が同住している。
壬申日・四月に来意を占う(夫妻不和)
四月壬申日申將辰時占來意。玉連環
四月の壬申日、「申」を以て月将とし、占時は辰にあり、来た人の用意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
空虎常玄 酉戌亥子 蛇玄勾貴 官 辛未 勾 龍申 丑陰 辰子未卯 兄 亥 常 ◎ 勾未 寅后 子申卯壬 子 丁卯 貴 ⊙ 午巳辰卯 合朱蛇貴
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を辰時に加え、天盤は地盤より四位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「酉」「戌」「亥」「子」で、天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「午」「巳」「辰」「卯」で、六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤辰上の天盤「申」は青竜に乗り、地盤卯上の天盤「未」は勾陳に乗り、地盤酉上の天盤「丑」は太陰に乗り、地盤戌上の天盤「寅」は天后に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干壬(寄宮は亥)の上に「卯」を見、天乙貴人に乗る。第二課、卯上に「未」を見、勾陳に乗る。第三課、日支申上に「子」を見、玄武に乗る。第四課、子上に「辰」を見、螣蛇に乗る。右側の三伝:初伝「未」は六親が官鬼、遁干は辛未、勾陳に乗る。中伝「亥」は六親が兄弟で、ちょうど旬空に落ち、太常に乗る。末伝「卯」は六親が子孫、遁干は丁卯、天乙貴人に乗る。三伝の亥・卯・未は会して木局を成す——ゆえに下文の断語は「卦は曲直を得た」と言う。
徐次賓曰:來意主家中不和,其妻姓王,性甚剛暴,常口舌爭?。因此休棄,後因生子而復還合也。何知內事不和,蓋日辰三合帶鬼。天后為妻,乘天罡,下臨子,故知姓王。天罡主欺詐凶惡,故知性暴。
徐次賓が言う:来た人の用意は、家中の和睦せざることである。彼の妻子は姓が王で、性情は極めて剛烈暴躁、常に口舌相争(ここに底本は一字缺く)——これによって彼女を休したが、後にまた兒子を生んだによって重ねて好きに帰した。どうして家内の事の不和だと知ったか。日干と日支が三合を成して官鬼を帶びるからである。天后は妻子を代表し、「天罡」(辰の別名)に乗り、下に「子」に臨む——一の横に土を配しさらに水の字を合すれば、故に彼女の姓が王と知れる。天罡はもともと欺詐凶悪を主る——ゆえに彼女の性情が暴烈と断じた。
因口舌相爭休棄者,以卯酉為門戶,朱雀從卯上發用,主口舌。占時用傳皆剋日,日既落空亡,不能相爭故也。卦得曲直,為子孫爻,占時與日支合,用傳與日干合,內外俱合之象。向之所謂占時用傳俱鬼,今得子孫制之,是因生子而復返還合也。
口舌相争によって妻を休したと言うのは、卯・酉が門戸を主り、朱雀が「卯」の上から発用する——朱雀はちょうど口舌是非を主る。占時と三伝はともに来て日干を克し、しかも日干がすでに空亡に落ちれば、双方もまた争い起こせない。この課の三伝は合して「曲直」の木局を成し、木は壬水の子孫爻。占時と日支は相合し、三伝はまた日干と相合する——内外ともに相合する気象である。先に言う所の占時と三伝が皆官鬼であったのに、いま子孫爻が来て官鬼を制伏する——ちょうど「兒子を生んだによって重ねて和好する」この一層に応ずる。
癸酉日
癸酉日・六月に生産を占う
六月癸酉日午將卯時占生產。一針見血
六月の癸酉日、「午」を以て月将とし、占時は卯にあり、分娩の事を占問した。この例は『一針見血』から採った。
合勾龍空 申酉戌亥 陰虎朱后 官 戊辰 后 朱未 子虎 卯子未辰 官 辛未 朱 蛇午 丑常 子酉辰癸 官 戌 龍 ◎ 巳辰卯寅 貴后陰玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。午将を卯時に加え、天盤は地盤より三位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「申」「酉」「戌」「亥」で、六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「巳」「辰」「卯」「寅」で、天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤辰上の天盤「未」は朱雀に乗り、地盤卯上の天盤「午」は螣蛇に乗り、地盤酉上の天盤「子」は白虎に乗り、地盤戌上の天盤「丑」は太常に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干癸(寄宮は丑)の上に「辰」を見、天后に乗る。第二課、辰上に「未」を見、朱雀に乗る。第三課、日支酉上に「子」を見、白虎に乗る。第四課、子上に「卯」を見、太陰に乗る。右側の三伝:初伝「辰」は六親が官鬼、遁干は戊辰、天后に乗る。中伝「未」は六親が官鬼、遁干は辛未、朱雀に乗る。末伝「戌」は六親が官鬼、癸酉日は甲子旬に属し旬空は戌亥にあり、故に戌は空亡に落ち、青竜に乗る。三伝の辰・未・戌は全て土に属し、尽く身を克する官鬼である。
斷曰:腹中必有雙兒,然恐於母當日死。因天罡為鬼,為墓覆干,魁罡又是刑禍,三傳皆土克干,又傷破支上神。經曰:罡作天后臨日上,主傷胎。子作白虎臨宅,又是母位有破,日辰盡傷故也。
断語に言う:腹中は必ず双生児。ただ母親が当日にすなわち死ぬことを恐る。「天罡」(辰の別名)は日干癸の官鬼で、辰はまた水の墓庫——反覆して日干の頭上に圧する。「河魁」(戌)と「天罡」(辰)が相配するはまた刑傷禍患の象。三伝の辰・未・戌は皆土に属し、一斉に日干を克し、さらに日支上の神を傷破する。経文に言う:天罡が天后に乗りて日干の上に臨むは、胎を傷るを主す。「子」が白虎に乗りて宅位の上に臨むは、また母親の位置が破損を受けたもの。日干と日支の両頭がともに傷られ尽くす——ゆえにこのように重く断じた。
癸酉日・崇正癸酉年に郭御青が三人の同行を占う
崇正癸酉年十二月癸酉日丑將申時占出行。郭氏占案
崇正癸酉年十二月の癸酉日、「丑」を以て月将とし、占時は申にあり、門を出て遠く行くを占問した。この例は『郭氏占案』から採った。
龍空虎常 戌亥子丑 朱玄空蛇 官 辛未 朱 勾酉 寅玄 未寅亥午 兄 甲子 虎 合申 卯陰 寅酉午癸 財 己巳 貴 未午巳辰 朱蛇貴後
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。丑将を申時に加え、天盤は地盤より五位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「戌」「亥」「子」「丑」で、青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「未」「午」「巳」「辰」で、朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤辰上の天盤「酉」は勾陳に乗り、地盤卯上の天盤「申」は六合に乗り、地盤酉上の天盤「寅」は玄武に乗り、地盤戌上の天盤「卯」は太陰に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干癸(寄宮は丑)の上に「午」を見、螣蛇に乗る。第二課、午上に「亥」を見、天空に乗る。第三課、日支酉上に「寅」を見、玄武に乗る。第四課、寅上に「未」を見、朱雀に乗る。右側の三伝:初伝「未」は六親が官鬼、遁干は辛未、朱雀に乗る。中伝「子」は六親が兄弟、遁干は甲子、白虎に乗る。末伝「巳」は六親が妻財、遁干は己巳、天乙貴人に乗る。初伝の未は日干上神「午」の前にあり、末伝の巳は午の後にある——一前に一後に日干を挾む。まさに「引従」の格である。
郭御青曰:癸酉年冬,餘與同胞內弟張君公函、王君肇與,約春正公車同行,得此課。初末引從日干,必不能同行,一在餘先,一在餘後也。果張公函於正月初三庚寅日先行,餘於初八乙未日行,乃發用也。
郭御青が言う:癸酉年の冬、私は同胞の内弟・張公函、王肇与と来年の正月に一同して京に赴き試に応ずることを約し、この一課を起こした。初伝と末伝が一前に一後に日干を夾輔し、「引従」の象を成す——三人は必ず同じ路を走ることができないことが知れる:一人は我の前に、一人は我の後ろに。結果、張公函は正月初三の庚寅日に先に走り、私は初八の乙未日に動身した——乙未の「未」はちょうど本課の発用である。
王君尚卜行期。餘密示余弟季升:王君必於子日行,今且勿言,言則有意先就矣。王君果於正月二十五壬子日行。蓋張行於初傳之地盤,王行於末傳之地盤,干為餘,居中真引從也。人一動一履,莫非前定,奇哉。
王肇与はその時まだ動身の日を占卜していた。私は私に弟の季升に告げた:王君は必ず子日に出発する。眼下まだ説破するな——説破すれば彼は心を存してこの日に凑合しようとする。王肇与は果たして正月二十五の壬子日に動身した。もとは張公函が走ったのは初伝「未」の臨む地盤の位「寅」で、王肇与が走ったのは末伝「巳」の臨む地盤の位「子」であり、日干は我自身を代表して、中に居りて両頭の引従を受ける——これこそ真の引従の格である。人の一動一步、早くから定まらざるはなし——誠に奇妙である。
癸酉日・辛卯年正月に宅を占う(私財の争奪)
辛卯年正月癸酉日寅將巳時占宅。一針見血
辛卯年正月の癸酉日、「寅」を以て月将とし、占時は巳にあり、家宅を占問した。この例は『一針見血』から採った。
合朱蛇貴 寅卯辰巳 朱后陰虎 財 庚午 后 勾丑 午后 卯午未戌 子 丁卯 朱 龍子 未陰 午酉戌癸 兄 甲子 龍 亥戌酉申 空虎常玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。寅将を巳時に加え、天盤は地盤より三位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「寅」「卯」「辰」「巳」で、六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「亥」「戌」「酉」「申」で、天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤辰上の天盤「丑」は勾陳に乗り、地盤卯上の天盤「子」は青竜に乗り、地盤酉上の天盤「午」は天后に乗り、地盤戌上の天盤「未」は太陰に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干癸(寄宮は丑)の上に「戌」を見、白虎に乗る。第二課、戌上に「未」を見、太陰に乗る。第三課、日支酉上に「午」を見、天后に乗る。第四課、午上に「卯」を見、朱雀に乗る。右側の三伝:初伝「午」は六親が妻財、遁干は庚午、天后に乗る。中伝「卯」は六親が子孫、遁干は丁卯、朱雀に乗る。末伝「子」は六親が兄弟、遁干は甲子、青竜に乗る。
斷曰:課得返吟,主門戶內有私財,外人慾來爭奪。蓋酉是宅,為門,太陰為私財,則水日逢丁,兼下克上,亦為財也。勾陳主爭,卯私門入太陰,主私暗隱之財。未作雀加癸為官鬼,未是兄弟,丑年曾爭論,今年再論,丑刑未故也。小刑大,為逆亂之刑也。
断語に言う:この一課は返吟の象で、門戸の内に私房の銭財を蔵し、外人が来て争奪しようとすることを主す。「酉」は宅位で、また門戸を主る。太陰は私蔵の財を主る。加うるに水日が「丁」に遇い、また下が上を克す——同じく財を成す象である。勾陳は争鬥を主る。「卯」という私門が太陰の位に入る——暗中に隠蔵した銭財を主す。「未」が朱雀に乗りて日干癸の上に加わる——未土はちょうど癸水の官鬼で、未はここにまた兄弟を代表す。ゆえに丑年にかつてこのために論争したことがあり、今年また再び争う——これは丑が未を刑する故である。小を以て大を刑するは、悖逆作乱の刑である。
癸酉日・建炎己酉年に邵彦和が宅を占う
建炎己酉年八月癸酉日巳將申時占宅。方本占案
建炎己酉年八月の癸酉日、「巳」を以て月将とし、占時は申にあり、家宅を占問した。この例は『方本占案』から採った。
合朱蛇貴 寅卯辰巳 朱后陰虎 財 庚午 后 勾丑 午后 卯午未戌 子 丁卯 朱 青子 未陰 午酉戌癸 兄 甲子 青 亥戌酉申 空虎常玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通りで、前の一例の排布と同じ:巳将を申時に加え、天盤も同じく地盤より三位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は「寅」「卯」「辰」「巳」で、六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は「亥」「戌」「酉」「申」で、天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤辰上「丑」は勾陳に乗り、地盤卯上「子」は青竜に乗り、地盤酉上「午」は天后に乗り、地盤戌上「未」は太陰に乗る。四課は右から左へ:日干癸(寄宮は丑)の上に「戌」を見て白虎に乗り、戌上に「未」を見て太陰に乗り、日支酉上に「午」を見て天后に乗り、午上に「卯」を見て朱雀に乗る。三伝:初伝は妻財「午」(庚午)で天后に乗り、中伝は子孫「卯」(丁卯)で朱雀に乗り、末伝は兄弟「子」(甲子)で青竜に乗る。第三課は午が酉に加わり、第四課は卯が午に加わる——いずれも子午卯酉の四正の神が彼此相加する、すなわち下文にいう「三交」の課体である。
邵彥和曰:凡四正相加,非死即敗。今午加酉作後發用,午火至酉而無光。鄭云三交課體已主闇昧不明之事,邵公每出新意,而日午火到酉而光沒,則宅之昏暗更的。天后水又敗在酉,即用死敗神,則主男女淫奔。
邵彦和が言う:凡そ子午卯酉の四正の神が彼此相加すれば、死を主るか敗を主るかだ。いま「午」が「酉」の上に加わり、天后に乗りて発用を作す——午は火に属し、酉に至れば黯淡として光なし。鄭氏が言う:三交の課体はもともと晦暗不明の事を主る。邵公は毎々新意を翻出し得、午火が酉に到って光芒尽く没すと言う——すればこの宅の昏暗不明はさらに確鑿である。天后は水に属し、水の沐浴敗地はちょうど酉にある。いま用神は偏偏この種の死敗の神——ゆえに男女の私奔淫乱を主す。
如何用死敗神便主淫奔,蓋敗者敗門風也。干尊支卑,午作天后加支陰神,再見子孫,是子之妻也,奈何發用而與干上戌三合乎。水日逢丁則妻財動,奈何與干上戌又六合乎,豈非新臺之事乎。
どうして死敗の神を用いれば淫奔を主るか。いわゆる「敗」は、敗れるはまさに門風である。日干は尊を為し日支は卑を為す——「午」が天后に乗りて日支の陰神の上に加わり、また子孫爻を見る——これはすなわち兒子の妻子。あいにくこの午は偏偏発用を作し、また日干上の「戌」と会して三合を成す。水日が「丁」に遇えば、妻財の発動を主る。あいにくそれが日干上の「戌」とまた六合を結ぶ——これ岂に『詩経』の『新台』が譏刺する公公と児媳の醜事ならざらんや。
今加於宅,主宅中有淫亂不明之事,大不可居。占者不聽,竟居之,後果公淫其媳,家丑外揚。蓋子作龍加卯,為無禮刑;龍乘水則腳浮;戌加日上主動,故應此也。
いまこれらの象は皆宅位の上に加わる——宅中に淫乱不清白の事あるを主し、万々住むべからず。占った人は聴かず、依然として住み入った。後に果たして公公と児媳が私通し、家醜が外に伝揚した。これは「子」が青竜に乗りて「卯」の上に加わり、子卯の相刑はちょうど「無礼之刑」。青竜が水に乗れば根脚は虚浮にして正ならず。「戌」が日干の上に加わるは発動を主す——ゆえにこのような事に応じたのである。
癸酉日・三月に来意を占う
三月癸酉日酉將未時占來意。指歸靈文論
三月の癸酉日、「酉」を以て月将とし、占時は未にあり、来た人の用意を占問した。この例は『指帰靈文論』から採った。
朱合勾龍 未申酉戌 常空貴陰 官 乙丑 常 ⊙ 蛇午 亥空 丑亥巳卯 子 丁卯 陰 貴巳 子虎 亥酉卯癸 財 己巳 貴 辰卯寅丑 后陰玄常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。酉将を未時に加え、天盤は地盤より二位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「未」「申」「酉」「戌」で、朱雀・六合・勾陳・青竜に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「辰」「卯」「寅」「丑」で、天后・太陰・玄武・太常に乗る。地盤辰上の天盤「午」は螣蛇に乗り、地盤卯上の天盤「巳」は天乙貴人に乗り、地盤酉上の天盤「亥」は天空に乗り、地盤戌上の天盤「子」は白虎に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干癸(寄宮は丑)の上に「卯」を見、太陰に乗る。第二課、卯上に「巳」を見、天乙貴人に乗る。第三課、日支酉上に「亥」を見、天空に乗る。第四課、亥上に「丑」を見、太常に乗る。右側の三伝:初伝「丑」は六親が官鬼、遁干は乙丑、太常に乗る。中伝「卯」は六親が子孫、遁干は丁卯、太陰に乗る。末伝「巳」は六親が妻財、遁干は己巳、天乙貴人に乗る。三伝の丑・卯・巳は一位を隔てて順行す。
斷曰:來意主行人進發復有盤桓,往還三日而再發立至。蓋大吉是陽局之神,退而臨寅,寅為陰局之用神,退在陰局,凡春冬占得者,主發動而復還。以月建而言,丑是十二月建,亥是十月建,丑至寅三位,即三日也。癸日為占者身,發用丑,此人必動。末傳巳作貴人加卯,凡末傳為足,卯酉為門戶,貴人臨此,為人身與足俱動矣,故云立至也。
断語に言う:来意は行人の動向を問うことである——あの人はすでに出発したが、中途また逗留盤桓し、来て回って三日後に再び起程し、間もなく到る。「大吉」(丑の別名)は陽局の神に属すが、いま退して寅位に臨み、寅は陰局の用神——陽が退して陰に入る。凡そ春・冬の两季にこの象を占い得れば、皆すでに動身してまた折り返すを主す。月建に按じて推せば:丑は十二月の建、亥は十月の建。丑から寅に数えて共に三位——すなわち三天である。癸日は占問者本人を代表し、発用は「丑」——この人が必ず動くことを知れる。末伝「巳」は天乙貴人に乗りて「卯」の上に加わる:凡そ末伝は脚足を主り、卯・酉は門戸を主る。貴人がここに臨めば、すなわち人身と脚足が一斉に発動する——ゆえに間もなく到ると言う。
巻之二・甲戌日
甲戌日・崇正九年に郭御青が自ら吉凶を占う
崇正九年丙子歲三月甲戌日酉將酉時自占吉凶。郭氏占案
崇正九年・丙子歳三月の甲戌日、「酉」を以て月将とし、占時もまた酉にあり、自ら吉凶を占問した。この例は『郭氏占案』から採った。
勾龍空虎 巳午未申 玄玄蛇蛇 兄 戊寅 蛇 合辰 酉常 戌戌寅寅 子 辛巳 勾 朱卯 戌玄 戌戌寅甲 官 申 虎 ◎⊙ 寅丑子亥 蛇貴后陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。月将と占時がともに「酉」で、天盤と地盤が完全に重合する——「伏吟」の課である。地盤巳・午・未・申上の天盤は依然として「巳」「午」「未」「申」で、勾陳・青竜・天空・白虎に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は依然として「寅」「丑」「子」「亥」で、螣蛇・天乙貴人・天后・太陰に乗る。地盤辰上「辰」は六合に乗り、地盤卯上「卯」は朱雀に乗り、地盤酉上「酉」は太常に乗り、地盤戌上「戌」は玄武に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「寅」を見、螣蛇に乗る。第二課、寅上に「寅」を見、螣蛇に乗る。第三課、日支戌上に「戌」を見、玄武に乗る。第四課、戌上に「戌」を見、玄武に乗る。右側の三伝:初伝「寅」は六親が兄弟、遁干は戊寅、螣蛇に乗る。中伝「巳」は六親が子孫、遁干は辛巳、勾陳に乗る。末伝「申」は六親が官鬼、甲戌日は甲戌旬に属し旬空は申酉にあり、故に申は空亡に落ち、白虎に乗る。三伝の寅・巳・申はちょうど伏吟の取る三刑である。
郭御青曰:末傳馬載虎鬼,課傳天將皆惡,猶幸申空,到七月月建填實可畏。四月辛巳日,又占得亥辛一課,三傳午未申,蒿矢帶金射中傷身,進茹主事體瓜蔓相纏,又幸申空,亦慮七月填實,兩課一意。
郭御青が言う:末伝は駅馬が白虎官鬼を驮ぐ——課体・三伝と乗ずる天将に一つも好いものがない。幸い「申」が空亡に落ちたが、ただ七月に至って月建が申位に走到し、空亡を填実すれば、それは畏るべきである。四月の辛巳日、私はまた一課の「亥加辛」を占い得た——三伝は午・未・申で、「蒿矢」の課に属し、金気を帶びて射て来て身を傷る。三伝が位を逐うて順進する「進茹」の象は、事が瓜藤のように牽牽連連することを主す。幸い「申」も同じく空に落ち、同じく七月の填実を提防せねばならない——前後の両課は同じ一件の事を説いている。
余每對親友言,知避居鄉村,至七月二十八忽有不相干事被人纏繞,餘欣然順受不與較,數日而紛定。人皆服予之量,餘安命而已。凡遇凶課守正可免,不則凶如分數而止,愈橫命愈決裂,於天何尤,人自作孽也。
私は常にこの話を親友に対して講じ、郷下に躲れて住むべきことを知った。七月二十八日に至り、忽然として一件の本は相干ならざる事が人に牽扯され、私は坦然として承受し、人と計較せず、数日の工夫で紛擾が平息した。旁人は皆私の度量に佩服したが、実は私はただ天命に安んじたに過ぎない。凡そ凶課に遇えば、正道を守ればもって禍を免れ得る。そうでなければ、凶事もまたただ注定の分数に按じて此処に至るまでである——あなたが愈え蛮横であればあるほど、命は愈え崩壊する。これを老天の何に怪せん、人が自ら造った孽である。
愚按:前課申鬼應在月建,後課五鬼應在日辰,七月二十八實庚午日也。申鬼空亡,五鬼蒿矢,皆為無力,故數日而紛定,況加以逆來順受乎。
程樹勳按:前一課の申金官鬼は月建の上に応じ、後一課の五鬼は日辰の上に応じた——七月二十八日はちょうど庚午日であった。申金官鬼は空亡に落ち、五鬼はまたただ「蒿矢」という無力の課——いずれも大害を成せず、ゆえに数日で平息した。いわんや彼はまた逆来順受し得たのである。
甲戌日・乾隆辛巳年に乙未命の人が八月の運程を占う
乾隆辛巳年八月甲戌日巳將辰時乙未命人四十七歲占月建。牧夫占驗
乾隆辛巳年八月の甲戌日、「巳」を以て月将とし、占時は辰にあり、一位の乙未年生まれ・四十七歳の人が本月の流月運程を占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
龍空虎常 午未申酉 后陰合朱 財 庚辰 合 勾巳 戌玄 子亥辰卯 子 辛巳 勾 合辰 亥陰 亥戌卯甲 子 壬午 龍 卯寅丑子 朱蛇貴後
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。巳将を辰時に加え、天盤は地盤より一位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「午」「未」「申」「酉」で、青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「卯」「寅」「丑」「子」で、朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤辰上の天盤「巳」は勾陳に乗り、地盤卯上の天盤「辰」は六合に乗り、地盤酉上の天盤「戌」は玄武に乗り、地盤戌上の天盤「亥」は太陰に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「卯」を見、朱雀に乗る。第二課、卯上に「辰」を見、六合に乗る。第三課、日支戌上に「亥」を見、太陰に乗る。第四課、亥上に「子」を見、天后に乗る。右側の三伝:初伝「辰」は六親が妻財、遁干は庚辰、六合に乗る。中伝「巳」は六親が子孫、遁干は辛巳、勾陳に乗る。末伝「午」は六親が子孫、遁干は壬午、青竜に乗る。三伝の辰・巳・午は位を逐うて順進す——「進茹」の象である。
王牧夫曰:干上卯木乘朱雀,與支之戌交車合,正時發用沖破支辰,主因尊長之財而破財事,雖有始無終,然要費口舌破財,八月甚平常耳。蓋支儀為尊長,卯乘朱雀與之合,是因尊長口舌也。支為財,初傳與正時為財,是因財而破財也。
王牧夫が言う:日干上の「卯」木は朱雀に乗り、日支「戌」と交車相合する。占時はまた発用を作し、日支を冲破する——長輩の銭財によって財を破ることを主す。事は頭あれど尾なきも、一番の口舌を費し一筆の財を破るを免れず——この八月はただ平平常常に過ぎるのみ。日支という一儀は長輩を代表し、卯が朱雀に乗りまた之と相合する——長輩の口舌から引き起こされたと知れる。日支は財に属し、初伝と占時もまた皆財——ゆえに財によって財を破る。
年上丑貴人又與支相刑,戌支又坐酉月上,故主重重破財,若不忍耐順受,恐致官非。喜三傳辰巳午皆火,有始無終耳。果真人本月內因其父昔日借有銀兩來索,不婉轉而使氣,債主欲到官也。驗甚。
行年上の「丑」は天乙貴人に乗り、また日支と相刑する。日支「戌」はまた酉月の上に坐す——ゆえに一层また一层に財を破ることを主す。もし忍耐して逆来順受できなければ、官司に惹き込まれることを恐れる。幸い三伝の辰・巳・午は気が火に帰す——事は頭あれど尾なしに過ぎない。その後果たして、この人はこの月の内に彼の父が従前人に銀両を借りたことがあるために、債主が門に上って索討した。彼は話して婉転せず、賭気して性を使い、債主は便ち官を扬言して告げようとした。この一断は極めて応験した。
甲戌日・己巳年に失脱を占う(人参)
己巳年酉月甲戌日巳將辰時占失脫。牧夫占驗
己巳年酉月(すなわち八月)の甲戌日、「巳」を以て月将とし、占時は辰にあり、失竊の事を占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
龍空虎常 午未申酉 后陰合朱 財 庚辰 合 勾巳 戌玄 子亥辰卯 子 辛巳 勾 合辰 亥陰 亥戌卯甲 子 壬午 龍 卯寅丑子 朱蛇貴後
課盤を平らに展開して行を成せば上の通りで、前の一例と完全に同じ:巳将を辰時に加え、天盤は地盤より一位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は「午」「未」「申」「酉」で、青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は「卯」「寅」「丑」「子」で、朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤辰上「巳」は勾陳に乗り、地盤卯上「辰」は六合に乗り、地盤酉上「戌」は玄武に乗り、地盤戌上「亥」は太陰に乗る。四課は右から左へ:日干甲(寄宮は寅)の上に「卯」を見て朱雀に乗り、卯上に「辰」を見て六合に乗り、日支戌上に「亥」を見て太陰に乗り、亥上に「子」を見て天后に乗る。三伝は妻財「辰」(庚辰)が六合に乗り、子孫「巳」(辛巳)が勾陳に乗り、子孫「午」(壬午)が青竜に乗る。
王牧夫曰:有友在寓所失去人參二兩,來占。餘細詳之:今早有二人至,一人穿土黃衣,一人穿栗色衣,物之失也在此。友云:今早來者所穿衣不差,彼坐吾床邊不語,即去,並無他人至。數甚奇妙。蓋凡脫氣皆為失物,發用即賊之身,六合乃朋友之象,辰之姓又可知也。其衣黃者,辰土;栗色,青林臨土也。發用為財作六合,乃有手足之物。巳午旺氣生天醫,非人參而何。
王牧夫が言う:ある朋友が寓所で二両の人参を失い、来て占問した。私は細かに推詳した後に言う:今日の早朝に二人が来た——一人は土黄色の衣裳を穿き、一人は栗殻色の衣裳を穿く。物はまさに彼らの手の中に失われた。朋友が言う:今朝来た人の穿く衣裳は一点も差し違わない。あの人は私の床の辺に坐って一言も発さず、すなわち去った。これ以外に再び別の人が来たことはない。この数術は真に奇妙である。凡そ日干の気を泄脱する者は皆失物を主り、発用はすなわち賊人本身、六合は朋友の象——「辰」の対応する姓氏もまたこれによって推知し得る。衣の色が黄と言うのは、辰が土に属することを取る。栗殻色と言うのは、青翠の林木の気が土の上に臨むことである。発用は財爻で六合に乗る——枝あり杈あり、鬚を帶び足を帶びる物と知れる。中・末伝の巳・午は当旺の気でまた天医の神を生扶する——人参でなくて何であろう。
甲戌日・甲戌年に応試して上舎を占う
甲戌年十二月甲戌日子將戌時占試上舍。一針見血
甲戌年十二月の甲戌日、「子」を以て月将とし、占時は戌にあり、上舎の考試に参加して中選し得るかを占問した。この例は『一針見血』から採った。
貴后陰玄 未申酉戌 龍虎蛇合 財 庚辰 合 蛇午 亥常 寅子午辰 子 壬午 蛇 朱巳 子虎 子戌辰甲 官 申 后 ◎ 辰卯寅丑 合勾龍空
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。子将を戌時に加え、天盤は地盤より二位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「未」「申」「酉」「戌」で、天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「辰」「卯」「寅」「丑」で、六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤辰上の天盤「午」は螣蛇に乗り、地盤卯上の天盤「巳」は朱雀に乗り、地盤酉上の天盤「亥」は太常に乗り、地盤戌上の天盤「子」は白虎に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「辰」を見、六合に乗る。第二課、辰上に「午」を見、螣蛇に乗る。第三課、日支戌上に「子」を見、白虎に乗る。第四課、子上に「寅」を見、青竜に乗る。右側の三伝:初伝「辰」は六親が妻財、遁干は庚辰、六合に乗る。中伝「午」は六親が子孫、遁干は壬午、螣蛇に乗る。末伝「申」は六親が官鬼で旬空に落ち、天后に乗る。
邵彥和曰:是登三天之課。天罡為天關,功曹為天梁,六合為天門,三天俱動,必主身動,動則有擾,不能中也。末傳旬空乘天后而敗干,午主二妻;子乘白虎加宅,宅近水而子防水厄。果考試不中,其子在秋間墜水幾死,賴人救之。
邵彦和が言う:これは「登三天」の課。「天罡」(辰)は天関、「功曹」(寅)は天梁、六合は天門——三重の天門が一斉に発動し、必ず本人が奔走走動することを主す。一走動すればすなわち扰攘を生じ、考試もまた中らない。末伝は旬空に落ちまた天后に乗りて日干を敗壊し、「午」は两位の妻室あるを主る。「子」が白虎に乗りて宅位に加臨するは、宅が水辺に近いを主り、兒子は水厄を防ぐべきである。その後果たして考試は中らず、彼の兒子は秋に水に落ちてほとんど淹死し、幸い人あるが救い起こした。
甲戌日・己巳年に三義閣で夜に巨响を聞く
己巳年丑月甲戌日丑將戌時在三義閣夜坐忽聞響聲如雷,友人占主何應候。牧夫占驗
己巳年丑月(すなわち十二月)の甲戌日、「丑」を以て月将とし、占時は戌にあった。夜に三義閣の中に坐して、忽然として雷を打つが如き响声を聞いた。朋友は便ち課を起こしてこれが何の征兆かを占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
蛇朱合勾 申酉戌亥 玄空蛇陰 官 申 蛇 ◎ 貴未 子龍 辰丑申巳 父 乙亥 勾 ⊙ 后午 丑空 丑戌巳甲 兄 戊寅 虎 巳辰卯寅 陰玄常虎
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。丑将を戌時に加え、天盤は地盤より三位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「申」「酉」「戌」「亥」で、螣蛇・朱雀・六合・勾陳に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「巳」「辰」「卯」「寅」で、太陰・玄武・太常・白虎に乗る。地盤辰上の天盤「未」は天乙貴人に乗り、地盤卯上の天盤「午」は天后に乗り、地盤酉上の天盤「子」は青竜に乗り、地盤戌上の天盤「丑」は天空に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「巳」を見、太陰に乗る。第二課、巳上に「申」を見、螣蛇に乗る。第三課、日支戌上に「丑」を見、天空に乗る。第四課、丑上に「辰」を見、玄武に乗る。右側の三伝:初伝「申」は六親が官鬼で旬空に落ち、螣蛇に乗る。中伝「亥」は六親が父母、遁干は乙亥、勾陳に乗る。末伝「寅」は六親が兄弟、遁干は戊寅、白虎に乗る。
王牧夫曰:丑為太陽乘丁,戌是大墓與丑相刑,日支又加閉口,恐有火物傷人之事。從支,非天上,不是雷聲;三傳遞生,白虎克支,皆主地上。次日知是南門外走了火藥,傷死扒灰者數人。
王牧夫が言う:「丑」は太陽の臨む位で、また「丁」火を遁得し、「戌」は火の大墓で、丑と相刑し、日支の上にはまた閉口の神が加わる——おそらく火性の物が人を傷る事あらん。この象は日支の上から起こり、天盤の上から来たのではない——ゆえに雷声ではない。三伝は輾転相生し、白虎はまた日支を克す——皆事が地面上にあるを主す。第二日にやっと知った——南門外で火薬が火を走らせ爆発し、そこで灰渣を扒挖していた幾人かを炸死炸傷させたのである。
甲戌日・五月に婦人が再嫁の親事を占う
五月甲戌日未將得卯時三十五歲婦人占親事。王連環末卷。一針見血
五月の甲戌日、「未」を以て月将とし、占時は卯にあり、一位の三十五歳の婦人が婚事を占問した。この例は『玉連環』末巻に見え(底本は「王連環」と作る)、また『一針見血』に採入されている。
勾合朱蛇 酉戌亥子 虎后合虎 兄 戊寅 后 龍申 丑貴 午寅戌午 子 壬午 虎 空未 寅后 寅戌午甲 財 甲戌 合 午巳辰卯 虎常玄陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。未将を卯時に加え、天盤は地盤より四位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「酉」「戌」「亥」「子」で、勾陳・六合・朱雀・螣蛇に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「午」「巳」「辰」「卯」で、白虎・太常・玄武・太陰に乗る。地盤辰上の天盤「申」は青竜に乗り、地盤卯上の天盤「未」は天空に乗り、地盤酉上の天盤「丑」は天乙貴人に乗り、地盤戌上の天盤「寅」は天后に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「午」を見、白虎に乗る。第二課、午上に「戌」を見、六合に乗る。第三課、日支戌上に「寅」を見、天后に乗る。第四課、寅上に「午」を見、白虎に乗る。右側の三伝:初伝「寅」は六親が兄弟、遁干は戊寅、天后に乗る。中伝「午」は六親が子孫、遁干は壬午、白虎に乗る。末伝「戌」は六親が妻財、遁干は甲戌、六合に乗る。三伝の寅・午・戌は会して火局を成す——すなわち下文にいう「炎上」の課である。
苗公達曰:爾有二夫,正夫不告而去,偏夫巳入?賊,中音信不通。爾今年求別嫁,有鄰家一僕作媒,必有新喜,但請成之。議曰:陰不備是婦人不貞之兆。法以青龍為夫,乘申金剋日又屬空亡,主逃竄,是不告而去也。青龍之陰神為偏夫,見子水乘蛇,主陰私隱匿;再傳子上是辰,乘元武,是入賊黨。
苗公達が言う:あなたには二つの丈夫がある——正夫は挨拶せずに去り、偏夫はすでに伙に入りて?(ここに底本は一字缺く)盗賊を作り、中間の音信は通じない。あなたは今年別に人家に嫁ごうと思う——隣家の一人の僕人が来て媒を為すであろう。必ず新たな喜事がある。ただ答应してこれを办成せよ。推断の道理は:四課の陰課が全からず——本は婦人の不貞の征兆。法に按じて青竜を以て丈夫と為し、青竜は「申」金に乗りて来て日干を克し、申はまた空亡に落ちる——逃亡竄匿を主り、ちょうど「告げずして去る」に応ずる。青竜の陰神は偏夫を代表し、「子」水が螣蛇に乗るを見る——暗中私匿を主る。さらに下へ推せば、子上は「辰」で玄武に乗る——すなわち賊伙に入ったのである。
課得炎上,夏旺則為新,三合六合則為喜,法以納音為媒人。甲戌是陽火,以午為媒位,午上見河魁為奴僕。今日支干在傳,為鄰近,故云鄰僕。婦人行年在戌,上見功曹,夏寅木休囚,課傳屬火,夏為正旺,故有再嫁之說。初傳天后與日辰相生而氣和,必成之理也。果然。
三伝は合して「炎上」の火局を成し、夏天は火が旺に当り、旺ければすなわち新を主る。三合はまた六合を帶び、合すればすなわち喜を主る。法に按じて日の納音を以て媒人を定める:甲戌の納音は山頭火で、陽火に属す。ゆえに「午」を取って媒人の位と為す。午上に「河魁」(戌の別名)を見る——河魁は奴僕を主る。いま日干・日支ともに三伝の中にあり——近傍に在るを主す。ゆえに隣家の僕人と言う。この婦人の行年は「戌」にあり、戌上に「功曹」(寅)を見る——寅木は夏天にすでに休囚。しかも課体三伝は皆火に属し、火は夏天にちょうど旺相に当る——ゆえに改嫁の説がある。初伝は天后に乗り、日辰と相生して気息和順——この門の親事は理に按じて必ず成る。その後果たしてその通りであった。
甲戌日・辛巳年に李仁夫が塩船の何日に泰州に到るかを占う
辛巳年八月甲戌日巳將丑時李仁夫占鹽船何日到泰州。牧夫占驗
辛巳年八月の甲戌日、「巳」を以て月将とし、占時は丑にあり、李仁夫が塩を運ぶ船がいつの日に泰州に到り得るかを占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
朱合勾龍 酉戌亥子 后虎合後 兄 戊寅 虎 蛇申 丑空 午寅戌午 子 壬午 后 貴未 寅虎 寅戌午甲 財 甲戌 合 午巳辰卯 后陰玄常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。巳将を丑時に加え、天盤は地盤より四位進む。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「酉」「戌」「亥」「子」で、朱雀・六合・勾陳・青竜に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「午」「巳」「辰」「卯」で、天后・太陰・玄武・太常に乗る。地盤辰上の天盤「申」は螣蛇に乗り、地盤卯上の天盤「未」は天乙貴人に乗り、地盤酉上の天盤「丑」は天空に乗り、地盤戌上の天盤「寅」は白虎に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「午」を見、天后に乗る。第二課、午上に「戌」を見、六合に乗る。第三課、日支戌上に「寅」を見、白虎に乗る。第四課、寅上に「午」を見、天后に乗る。右側の三伝:初伝「寅」は六親が兄弟、遁干は戊寅、白虎に乗る。中伝「午」は六親が子孫、遁干は壬午、天后に乗る。末伝「戌」は六親が妻財、遁干は甲戌、六合に乗る。三伝の寅・午・戌は合して火局を成す——「炎上」の課である。
王牧夫曰:此以類神並傳上決之。卯為舟車,卯坐亥上受生,無險失阻滯。傳出炎上炎局,火最迅速;戌為儀神,支辰為卯之合神,何阻之有。戌為僕,乃遣去探信之人;六合即卯,為舟臨於其上;午為姤卦,姤者遇也。僕到,船己到,今日即抵泰州矣。戌坐午上,故有此應。此翁占二數,非丑即未,乃貴為財,主由貴處見財也。時為目前,故應日內。
王牧夫が言う:この一課は類神と三伝とを合わせて判断するを要す。「卯」は舟船車両の類神で、卯は「亥」の上に坐して水の生を受ける——一路危険なく、耽搁もないと知れる。三伝は合して炎上の火局を出す——火性は最も迅疾。「戌」は日干の儀神で、日支はまた卯の六合の神——まだ何の阻滞かあらん。「戌」はまた僕人を主り——すなわち派出して消息を打探するあの人。六合はすなわち卯で、船を代表し、ちょうど戌の上に臨む。「午」は『姤』卦に配し、『姤』の卦義はすなわち相遇。ゆえに僕人が一到すれば、船もまた到る——今日泰州に抵达し得る。「戌」が「午」の上に坐するので、このような応期がある。この老翁が占問したのは両筆の数目で、丑に在らざれば未に在る——しかも天乙貴人がちょうど財爻を作す。この筆の財は貴人の処から得たを主す。占時は眼下を代表する——ゆえに幾日の内に応ずる。
甲戌日・三月に某秀才が省試の得失を占う
三月甲戌日酉將卯時某秀才占省試回家望得失之信。方本占案
三月の甲戌日、「酉」を以て月将とし、占時は卯にあり、某位の秀才が省試に参加して後家に帰り、榜上の得失の消息を占問した。この例は『方本占案』から採った。
朱蛇貴后 亥子丑寅 合玄后青 兄 戊寅 后 ⊙ 合戌 卯陰 戌辰寅申 官 申 青 ◎ 勾酉 辰玄 辰戌申甲 兄 戊寅 后 ⊙ 申未午巳 青空虎常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。酉将を卯時に加え、天盤は地盤よりちょうど六位錯開す——「返吟」の課である。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「亥」「子」「丑」「寅」で、朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「申」「未」「午」「巳」で、青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤辰上の天盤「戌」は六合に乗り、地盤卯上の天盤「酉」は勾陳に乗り、地盤酉上の天盤「卯」は太陰に乗り、地盤戌上の天盤「辰」は玄武に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「申」を見、青竜に乗る。第二課、申上に「寅」を見、天后に乗る。第三課、日支戌上に「辰」を見、玄武に乗る。第四課、辰上に「戌」を見、六合に乗る。第二課は申金が上神の寅木を克し、下が上を賊る——故に重審課に按って「寅」を取って初伝と為し、往復して再び取り、三伝を寅・申・寅と作す:初伝と末伝はともに兄弟の戊寅で天后に乗り、中伝は官鬼「申」で青竜に乗る——申はちょうど旬空に当る。
邵彥和曰:占求官、望文字,榜即至矣,恐在四十九名中式耳。果當日報至,中四十九名。蓋課傳俱馬,又乘青龍,作官星,祿又得後,故主得官。天罡加支,望事立至,用事嚴緊,故速來。吳稼云曰:三傳俱空,何以竟置之不問。愚按:三月辰建,辰土生申,又三課四課俱能生申,故雖空而亦中也,然三傳空亡,恐居官不久耳。
邵彦和が言う:官を求め榜文を盼ぐを占えば、榜は間もなく到る。ただ名次が第四十九名の上に落ちることを恐る。結果、当日に喜報が送達し、果たして第四十九名に中った。これは四課と三伝に皆駅馬「申」を見、申はまた青竜に乗り官星を作し、日禄はまた天后の照応を得——ゆえに官を得るを主す。「天罡」(辰)が日支に加臨するは、盼ぐ事が直ちに到るを主る。用事の神が緊凑厳密——ゆえに来るが速い。呉稼雲が言う:三伝は皆空亡に落ちるのに、どうして竟に擱して問わない。程樹勳按:三月の月建は辰で、辰土は申金を生じ得、第三課・第四課もまた皆申を生じ得——ゆえに申は空亡に落ちながら依然として中り得る。ただ三伝が空亡——官を為すこと久しくないことを恐れるのみ。
甲戌日・二月に走失の人を占う
二月甲戌日亥將卯時占失人。直指
二月の甲戌日、「亥」を以て月将とし、占時は卯にあり、走失した人を占問した。この例は『六壬直指』から採った。
貴后陰玄 丑寅卯辰 后虎虎合 財 甲戌 合 蛇子 巳常 寅午午戌 子 壬午 虎 朱亥 午虎 午戌戌甲 兄 戊寅 后 戌酉申未 合勾龍空
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。亥将を卯時に加え、天盤は地盤より四位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「丑」「寅」「卯」「辰」で、天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「戌」「酉」「申」「未」で、六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤辰上の天盤「子」は螣蛇に乗り、地盤卯上の天盤「亥」は朱雀に乗り、地盤酉上の天盤「巳」は太常に乗り、地盤戌上の天盤「午」は白虎に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「戌」を見、六合に乗る。第二課、戌上に「午」を見、白虎に乗る。第三課、日支戌上に「午」を見、白虎に乗る。第四課、午上に「寅」を見、天后に乗る。第一課は甲木が上神の戌土を克し、下が上を賊る——故に「戌」を取って初伝と為し、順次に三伝戌・午・寅を得:初伝は妻財の甲戌で六合に乗り、中伝は子孫の壬午で白虎に乗り、末伝は兄弟の戊寅で天后に乗る。
邵曰:支戌刑未,未臨於亥,當於西北亥言尋獲。未八亥四,四八三十二里。亥為水,亦為樓臺,未為酒食,藏於近水酒館中。案驗。愚按:此斷不用課傳,與邵公之斷法不類,然載於直指,姑錄之以備致。
邵公が言う:日支「戌」は「未」を刑し、未はまた「亥」の上に臨む——西北方の亥位の一帯に行って尋ねるべし。未の数は八、亥の数は四——四八相乗じて三十二、すなわち三十二里。亥は水に属し、また楼台を象す。未は酒食を主る——すれば人は水に靠る酒館の裡に蔵れている。この案は後に驗証して属実であった。程樹勳按:この一段の断語は課体三伝を用いず、邵公の一貫の断法に似ない。ただそれが『六壬直指』に載るので、姑く録して参考に備える。
甲戌日・戊戌年八月に来意を占う(訟事の徒を擬す)
戊戌年八月甲戌日辰將未時占來意。一字玉連環
戊戌年八月の甲戌日、「辰」を以て月将とし、占時は未にあり、来た人の用意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
龍勾合朱 寅卯辰巳 合貴后常 官 申 后 ◎ 空丑 午蛇 辰未申亥 子 辛巳 朱 ⊙ 虎子 未貴 未戌亥甲 兄 戊寅 龍 亥戌酉申 常玄陰后
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。辰将を未時に加え、天盤は地盤より三位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は順に「寅」「卯」「辰」「巳」で、青竜・勾陳・六合・朱雀に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は順に「亥」「戌」「酉」「申」で、太常・玄武・太陰・天后に乗る。地盤辰上の天盤「丑」は天空に乗り、地盤卯上の天盤「子」は白虎に乗り、地盤酉上の天盤「午」は螣蛇に乗り、地盤戌上の天盤「未」は天乙貴人に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ:第一課、日干甲(寄宮は寅)の上に「亥」を見、太常に乗る。第二課、亥上に「申」を見、天后に乗る。第三課、日支戌上に「未」を見、天乙貴人に乗る。第四課、未上に「辰」を見、六合に乗る。右側の三伝:初伝「申」は六親が官鬼で旬空に落ち、天后に乗る。中伝「巳」は六親が子孫、遁干は辛巳、朱雀に乗る。末伝「寅」は六親が兄弟、遁干は戊寅、青竜に乗る。
徐次賓曰:來意主七月中勸和公事到官,以所得財盡數搜檢,法擬斷徒罪。申上,至來年正月文字來,只得杖罪,以寄居作日月相折,無事而出。
徐次賓が言う:来た人の用意は、七月の裡に一桩のもと私に調解せんと欲した公事が官府に閙いで、彼の得た銭財を全部査抄され、法に按じて徒刑を擬判されたことである。案が上級に申報された後、来年の正月に批文が下りて、ただ杖刑を判し、また彼を羈押寄居した日を刑期に折抵し、最後に事なく釈放された。
何以知七月公事勸和到官,蓋法用傳送,為七月建,以正時為日干財,上得六合,又為日貴,又主勸和公事到官。以所取財數檢法定徒罪,而申上者何也,蓋時為日干之財,並日貴,又發用申為日鬼,上帶白虎,又為日刑;中傳太乙上得勾陳,與日為刑害;末傳得螣蛇。此課始末俱凶,主重刑,而只言擬定徒罪者,蓋值事門得天空,又發用空亡,中傳臨空亡故也。而不言解散而言擬定申上者,蓋時猶未解也,緣白虎乘秋正旺而又為刑害,故言擬定徒罪也。
どうして七月の裡に公事がもと調解しようと欲したのに官府に閙いだと知ったか。課法は「伝送」(申の別名)を取る——申はちょうど七月の月建。占時は日干の財爻で、その上にまた六合に乗り、また日の貴神——ゆえにもと私和せんと欲した公事が終に官府に入ったを主す。財物を査抄し、法に依って徒刑を擬定し、さらに上級に申報すると言うに至っては、これはどう見出したか。占時はすでに日干の財で、また日貴と併し、しかも発用の「申」は日干の官鬼で、上に白虎を帶び、また日干の刑神。中伝「太乙」(巳の別名)の上は勾陳に乗り、日干と刑害を構成す。末伝はまた螣蛇を得。――この一課は自始自終皆凶で、本は重刑を主る。ただ徒を擬判すると言う所以は、値事の門が天空を得、発用はまた空亡に落ち、中伝もまた空亡に臨む故である。當場に了結すると言わず、罪を擬して上級に申報すると言う所以は、その時案がまだ化解せざるからである。白虎は秋令に乗りてちょうど旺相に当り、また刑害を構成す——ゆえに徒を擬判すと言う。
何知至正月文字來,只得杖罪,以寄居作日月相折無爭事而出者。蓋七月白虎鬼旺,至十二月支干並無制白虎者,至來年己亥歲正月建丙寅能制虎,且白虎傳送金至寅而絕,又為旺火所制,又太乙螣蛇二火至此俱旺,共為救神,又初中申巳俱空亡,故知正月無事得出也。
またどうして正月に批文が下りて、ただ杖刑を判し、さらに羈押した日月を取って刑期に折抵し、事なく出獄すると知ったか。七月の裡は白虎官鬼がちょうど旺で、十二月に至るまで、日干日支ともに白虎を制する力がない。来年己亥年の正月に至れば、月建は丙寅——寅木は便ち白虎を制し得る。いわんや白虎の乗ずる「伝送」(申)は金に属し、金は寅位に至れば気を絶し、また当旺の火に克制される。「太乙」(巳)と螣蛇のこの二重の火気はここに至って皆当旺で、一同に救神を充当する。加うるに初伝「申」・中伝「巳」がともに空亡に落ちる——ゆえに正月の裡に平安無事に出来ると断じた。
甲戌日・癸酉年に辛卯命の人が流年を占う
癸酉年正月甲戌日亥將寅時辛卯命人四十三歲占流年。牧夫占驗
癸酉年正月の甲戌日、「亥」を以て月将とし、占時は寅にあり、一位の辛卯年生まれ・四十三歳の人が一年の流年運勢を占問した。この例は『牧夫占験』から採った。
龍勾合朱 寅卯辰巳 合貴后常 官 申 后 ◎ 空丑 午蛇 辰未申亥 子 辛巳 朱 ⊙ 虎子 未貴 未戌亥甲 兄 戊寅 龍 亥戌酉申 常玄陰后
課盤を平らに展開して行を成せば上の通りで、前の一例と同じ:亥将を寅時に加え、天盤も同じく地盤より三位退する。地盤巳・午・未・申上の天盤は「寅」「卯」「辰」「巳」で、青竜・勾陳・六合・朱雀に乗る。地盤寅・丑・子・亥上の天盤は「亥」「戌」「酉」「申」で、太常・玄武・太陰・天后に乗る。地盤辰上「丑」は天空に乗り、地盤卯上「子」は白虎に乗り、地盤酉上「午」は螣蛇に乗り、地盤戌上「未」は天乙貴人に乗る。四課は右から左へ:日干甲(寄宮は寅)の上に「亥」を見て太常に乗り、亥上に「申」を見て天后に乗り、日支戌上に「未」を見て天乙貴人に乗り、未上に「辰」を見て六合に乗る。三伝は官鬼「申」が空に落ちて天后に乗り、子孫「巳」(辛巳)が朱雀に乗り、兄弟「寅」(戊寅)が青竜に乗る。
王牧夫曰:此數宜出外不利家居,宅多蔽塞,不利妻妾,多主喪亡也。蓋干人支宅,干動支靜,干男支女,干外支內,此兩儀之定體也。今年乘旺而衰否,是人吉宅凶,利動不利靜,宜男不宜女,宜外不宜內,故曰宜出外不利家居也。且馬乘天后相生,動之順者也;干見太陽長生,末見青龍德祿,由動得吉者如此。
王牧夫が言う:この命数は出外するに宜しく、家に守るに宜しくない。宅第は多く閉塞不通の処あり、妻妾に対して利ならず、多く喪亡の事あるを主す。日干は人を代表し日支は宅を代表す——日干は動を主り日支は静を主り、日干は男に属し日支は女に属し、日干は外を主り日支は内を主る。これは両儀の各々定位ある通則である。いま行年は旺気に乗るが宅位は衰败閉塞――人は吉にして宅は凶、走動に利ありて安居に利なし、男に宜しくて女に宜しからず、外に宜しくて内に宜しからず――ゆえに出外に宜しく家居に利ならずと言う。いわんや駅馬は天后に乗りて彼此相生するは、発動して順遂の象。日干上に太陽が長生の位に落ちるを見、末伝にまた青竜が徳神と禄神を帶びるを見る——走動によって吉を得るはすなわちこの理である。
宅逢純土,未貴墓干,又朱戌為閉口,妻位當之,卑幼之位當之,豈不兆喪亡者乎。況年命俱逢刑,久戀於家必受其害。後出外果清吉,家中妻死子亡,口舌頻頻,妾自縊,家破人宅分離,其驗如此。愚按:未貴墓干,未戌為閉口,何致如此之凶,蓋干支全逢喪吊,而三四課純土克盡干上亥水長生也。
宅位の上に碰するは全て土で、「未」は天乙貴人に乗り、未はちょうど甲木の墓庫。朱雀はまた「戌」と相配して「閉口」の象を成す。しかもこれらは偏偏妻室の位に落ち、また子女卑幼の位の上に落ちる――これ岂に喪亡の先兆ならざらんや。いわんや行年と本命は皆刑に逢う――久しく家に恋すれば必ずその害を受ける。その後彼は出外し、果たして平安清吉であったが、家の裡は妻子が死に、兒子もまた死に、口舌是非が絶えず、小妾は縊りて自ら尽き、家破人散――人と宅とが両々分離した。応験この地步に至る。程樹勳按:単に「未」が貴人に乗りて甲木の墓を為し、未と戌とが閉口を成すのみで、どうして凶がこの地步に至るか。それは日干日支の上に喪門・弔客が倶に備わり、しかも第三課・第四課が純に土気で、日干上の「亥」水という長生の源を克し尽くして乾淨としたからである。
乙亥日
乙亥日に行人を望むを占う(『郭本占案』)
戊寅年七月乙亥日午將戌時占望行人。郭本占案
戊寅年七月の乙亥日、「午」を以て月将とし、占時は戌にあり、門を出て外に在る人が幾時か帰り得るかを占問した。この例は『郭本占案』から採った。
龍空虎常 丑寅卯辰 虎后貴勾 財 癸未 后 勾子 巳玄 卯未申子 兄 己卯 虎 合亥 午陰 未亥子乙 父 乙亥 合 戌酉申未 朱蛇貴後
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。冒頭の「龍空虎常」は干支ではなく、青竜・天空・白虎・太常の四位の天将を連排したもので、配するはまさに次の一行の丑・寅・卯・辰である。午将を戌時に加え、天盤は地盤より四位退する:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の丑・寅・卯・辰があり、それぞれ青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の戌・酉・申・未があり、それぞれ朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤辰上は「子」で勾陳に乗り、地盤卯上は「亥」で六合に乗り、地盤酉上は「巳」で玄武に乗り、地盤戌上は「午」で太陰に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干乙(寄宮は辰)の上に「子」を見て勾陳に乗る。第二課、子上に「申」を見て天乙貴人に乗る。第三課、日支亥上に「未」を見て天后に乗る。第四課、未上に「卯」を見て白虎に乗る。第三課は未土が亥水を克し、第四課は卯木が未土を克す――両重の上が下を克して陰陽もまた皆日干と同じ。比用は決し得ず、そこで渉害の深浅に按って「未」を取りて発用す。右側の三伝:初伝「未」は妻財、遁干は癸未、天后に乗る。中伝「卯」は兄弟、遁干は己卯、白虎に乗る。末伝「亥」は父母、遁干は乙亥、六合に乗る。亥・卯・未は三合法して木局を成す。
郭御青曰:占行人,驛馬類神不入傳課極難琢磨,墓從宅上發用宅上發用,當於此日起身,奴僕青天空乘寅臨午,又千里看太歲所臨,當於壬午日至或者癸未日,乃發用墓神上乘太沖白虎,只此二日可望。果於壬午日離府四十里為雨阻,癸未日至,為雨阻者,涉害故也,果是乙亥日動身。
郭御青が言う:外に在る人の帰期を占問するに、駅馬という一類神は三伝に入らず――このような課は本来極めて捉摸し難い。幸い乙木の墓神「未」は日支亥、すなわち「宅」の位置から発用した(原文は「宅上発用」の四字を重出す)。これに拠りてあの人がちょうど占卜のこの日に動身すべきを断じ得る。奴僕の類神は天空で、天空は「寅」に乗りて地盤の午位に臨む(「奴僕青天空」の「青」の字は疑わしく衍文)。千里の遠行を問うには、さらに太歳がどの宮に落ちるかを見ねばならない――戊寅年の太歳はちょうど寅で、またちょうど午の上に臨む。ゆえに彼は壬午日に到達すべき、あるいは癸未日に延ずべきと断じた:発用の墓神「未」のその地盤の上に「太冲」(卯)と白虎が乗るため、この両日のみ指望し得る。結果、あの人は壬午日に府城を離れること四十里の処に走到して大雨に阻まれ、癸未日にやっと到った。中途雨に遇い阻まれた所以は、この一課は渉害発用を取り、渉害はもともと牽絆留滞の義を含むからである。しかも彼の動身した日は、果たして課を占った乙亥日であった。
乙亥日に訟を占う(『中黄経』)
十一月乙亥日丑將巳時壬子命人占訟。中黃經
十一月の乙亥日、「丑」を以て月将とし、占時は巳にあり、一位の壬子年生まれの人が一場の官司を占問した。この例は『中黄経』から採った。
蛇朱合勾 丑寅卯辰 合虎常貴 財 癸未 虎 貴子 巳龍 卯未申子 兄 己卯 合 后亥 午空 未亥子乙 父 乙亥 后 戌酉申未 陰玄常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。丑将を巳時に加え、天盤も同じく地盤より四位退する。ゆえに十二支の落つる宮位は前の一課と完全に同じで、ただ一副の天将を換えたのみ:地盤巳・午・未・申上は天盤の丑・寅・卯・辰で、順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳に乗る。地盤辰上は「子」で天乙貴人に乗り、地盤卯上は「亥」で天后に乗り、地盤酉上は「巳」で青竜に乗り、地盤戌上は「午」で天空に乗る。地盤寅・丑・子・亥上は天盤の戌・酉・申・未で、しかも末の一行は「陰玄常」の三将のみ印した――戌は太陰に乗り、酉は玄武に乗り、申は太常に乗る。「未」の下に缺くあの一将は、天将順行の次序に按じても、また右欄の三伝の注す所に按じても、応に白虎である――底本はここに一字を脱す。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干乙(寄宮は辰)の上に「子」を見て貴人に乗る。第二課、子上に「申」を見て太常に乗る。第三課、日支亥上に「未」を見て白虎に乗る。第四課、未上に「卯」を見て六合に乗る。右側の三伝:初伝「未」は妻財、遁干は癸未、白虎に乗る。中伝「卯」は兄弟、遁干は己卯、六合に乗る。末伝「亥」は父母、遁干は乙亥、天后に乗る。乙亥日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉の两位に落ちる。
斷曰:未乘白虎,本宜有凶,幸遁得癸水生干,自是救解,且貴人遁得丙子,來日上生日,更為救神,末傳又喜亥為長生,是以來往有喜,縱白虎初傳白虎落壬亦免責矣。
断語に言う:初伝「未」は白虎に乗る――本なら凶険あるべし。幸いそれが本旬中の遁干は癸で、癸水は日干の乙木を生じ得――凶中自ずから解救あり。さらに天乙貴人は「子」に乗り、子の遁干は丙子で、またちょうど日干の上に落ちて来て日干を生ず――さらに一重の救神。末伝「亥」は乙木の長生の地で、尤も喜ぶべし。ゆえにこの官司は来往してかえって喜事を転出す。たとえ初伝が白虎に乗るとも、白虎はまた水性の遁干の上に落ち――終に責罰を免れ得る。(原文は「白虎」の二字を重出し、「落壬」の「壬」は応に「癸」の字の訛である。)
愚按中黃經用遁干自成一家之言,?後銀河棹宗之,張星源金竹江咸用之重之注之。朱氏恆則謂斷來情當用遁干變化參論。若斷休咎不必用變求奇,此誠碓論,即如是課貴作恩星,初墓末生即無責罰不必盡因癸丙兩干也。
程樹勳按:『中黄経』は旬中の遁干を以て課を断じ、自ら一家の説を成す。これ以後『銀河棹』はこの一路数を宗奉し、張星源・金竹江もまたこれを沿用し、これを看重して注を為す(句中の「?」は底本の缺字で、原書はすでに弁識できない)。朱恒は則ち主張す:来た人の来意を推断するには遁干の変化を参用し得。もし吉凶禍福を判断するには、必ずしも遁干変化に靠って新奇を求めるに及ばない――これ確かに中肯の論である。すなわちこの一課を以て論ずれば、天乙貴人は恩星を作し、初伝は墓神で末伝は長生に坐す――本来責罰を受けるに至らず。功を全部癸・丙の二つの遁干に記するに及ばない。
乙亥日に生産を占う(『一針見血』)
乙亥日將時占生產。一針見血
乙亥日、月将と占時とが同じ一位に在り(原文はただ「将時」と写して、具体的にどの将どの時かを標出していない)、生産を占問した。この例は『一針見血』から採った。
龍空虎常 巳午未申 后后勾勾 財 庚辰 勾 勾辰 酉玄 亥亥辰辰 父 乙亥 后 合卯 戌陰 亥亥辰乙 子 辛巳 龍 寅丑子亥 朱蛇貴後
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。これは伏吟課:月将と占時が同位で、天盤の十二支は原封動かず地盤の同名の宮に圧す――地盤巳・午・未・申上は依然として巳・午・未・申で、それぞれ青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤寅・丑・子・亥上は依然として寅・丑・子・亥で、それぞれ朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤辰上は「辰」で勾陳に乗り、地盤卯上は「卯」で六合に乗り、地盤酉上は「酉」で玄武に乗り、地盤戌上は「戌」で太陰に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干乙(寄宮は辰)の上に「辰」を見て勾陳に乗る。第二課、辰上にまた「辰」を見て勾陳に乗る。第三課、日支亥上に「亥」を見て天后に乗る。第四課、亥上にまた「亥」を見て天后に乗る。伏吟課は四課に克なし。「自任」の法に按って日干上神を取りて発用す。右側の三伝:初伝「辰」は妻財、遁干は庚辰、勾陳に乗る。辰辰は自刑——転じて日支上神を取りて中伝「亥」と為し、父母で遁干は乙亥、天后に乗る。亥亥はまた自刑――再びその冲神を取りて末伝「巳」と為し、子孫で遁干は辛巳、青竜に乗る。
斷曰:占產凶,生不下。子母俱死,蓋伏吟課陰陽各伏,其家萬物未萌,滯而不通,故生不下,且日辰相刑,刑又發用乘勾陳土,其凶可見,即龍后不能救助也。
断語に言う:この一胎は凶険で、子供は生み下せず、母子二人とも保てない。伏吟課は天盤と地盤が完全に重合し、陰陽二気は各自潜伏して動かず――この一家の上下は万物がまだ萌発せざるが如く、処処凝滞して通ぜず。ゆえに胎儿は娩出し難い。いわんや日干寄宮の辰上に辰を見、日支亥上に亥を見――日と辰は各自自刑を成し、しかも自刑の神が恰好発用し、さらに土に属する勾陳に乗る――勾陳は牢固纏繞を主り、土はまた水路を堵し得――凶象はすでに明らかに在り。たとえ三伝の裡にまだ青竜・天后のこの両位の吉将あるも、救い及ばない。
乙亥日に来意を占う(『一字玉連環』)
四月乙亥日申將未時占來意。一字玉連環
四月の乙亥日、「申」を以て月将とし、占時は未にあり、来た人の此行の用意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
空虎常玄 午未申酉 蛇貴空龍 財 丁丑 蛇 龍巳 戌陰 丑子午巳 兄 戊寅 朱 勾辰 亥后 子亥巳乙 兄 己卯 合 卯寅丑子 合朱蛇貴
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を未時に加え、天盤は地盤より一位進む:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の午・未・申・酉があり、それぞれ天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の卯・寅・丑・子があり、それぞれ六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤辰上は「巳」で青竜に乗り、地盤卯上は「辰」で勾陳に乗り、地盤酉上は「戌」で太陰に乗り、地盤戌上は「亥」で天后に乗る。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干乙(寄宮は辰)の上に「巳」を見て青竜に乗る。第二課、巳上に「午」を見て天空に乗る。第三課、日支亥上に「子」を見て貴人に乗る。第四課、子上に「丑」を見て螣蛇に乗る。全盤に第四課の丑土が子水を克する一処の上が下を克するのみ。元首課に依って「丑」を取りて発用す。右側の三伝:初伝「丑」は妻財、遁干は丁丑、螣蛇に乗る。中伝「寅」は兄弟、遁干は戊寅、朱雀に乗る。末伝「卯」は兄弟、遁干は己卯、六合に乗る。丑・寅・卯は順次逓進す――「進茹」の課である。
徐次賓曰:來意主人外出取索舊財兩重,繫丑年交易,其錢三百二十貫,至六月得錢五十六貫,至十二月再索,此錢主口舌相爭,卻賴姓董人和勸,而得也。
徐次賓が言う:来た人の用意は、門を出て両筆の旧賬を討ちに行くことである。この両筆の賬は丑年に交易して欠いたもので、共に計って三百二十貫。六月の裡に先に五十六貫を收回し、十二月に至って再び討ちに行く――討つ時にこの筆の銭のために口角争執を起こし、後に全く一位の姓が董の人が中から勧和して、やっと銭を要して帰れた。
何以知索舊財,緣時為日干財,值事門見白虎,主道路。又發用大吉,亦為日財,大吉土無氣,故言出入取索舊財兩重。繫丑年交易者,發端門是丑也。三百二十貫者,蓋大吉財八數,螣蛇四數,相乘得三百二十貫也。六月中得財五十六貫,何也,蓋時為日干財,小吉八數,白虎七數,相乘得五十六也。緣白虎無氣,又未為六月建,故於六月中先得五十六貫也。
どうして旧賬を討ちに行くと知ったか。占時「未」は日干乙木の克する財爻で、しかも「値事門」――すなわち占時の支が天盤上に乗ずる天将――は白虎を見、白虎は道路奔走を主る。発用の「大吉」(丑の別名)もまた日干の財で、丑土は四月の裡に気がなく、旧にして衰の財――ゆえに門を出て両筆の陳年旧賬を討ちに行くと言う。この賬が丑年の交易から来たと言うのは、「発端門」――すなわち初伝――がちょうど丑だからである。共に三百二十貫と言うのは、大吉(丑)のこの重財の数は八で、螣蛇の数は四――相乗じて三十二を得、進めて三百二十貫と為す。どうして六月の裡に五十六貫を得るか。占時は日干の財で、「小吉」(未の別名)の数は八、白虎の数は七――八七相乗じて五十六を得る。白虎はここに気なく、地支の「未」はまたちょうど六月の月建――ゆえに先に六月の裡にこの五十六貫を得た。
至十二月再索有口舌相爭,得姓董人勸和,盡得之,何也。蓋發用大吉為財,為十二月建。中傳功曹為子輩,上得朱雀,主口舌爭競;末傳卯主千里,六合為草頭,配成董字;又六合為和合之象也。
どうして十二月に至って再び討要すれば口角を起こし、最後に一位の姓が董の人に頼って勧和してやっと全数を收回したと言うか。発用の大吉(丑)はすでに財爻で、丑はまたちょうど十二月の月建である。中伝「功曹」(寅の別名)は子侄の輩の人を代表し、その上に朱雀が乗る――朱雀は口舌争競を主る。末伝「卯」は千里を主り、「千里」の二字は合して「重」を成し、六合はまた草字頭――草頭に重を加えれば、ちょうど一つの「董」字に配成する。しかも六合自体はまた和合調解の象――ゆえに姓が董の人が出面して説和したと断じた。
乙亥日に為す所有りて占う(『郭氏占案』)
戊寅年七月乙亥日巳將辰時有所為而占。郭氏占案
戊寅年七月の乙亥日、「巳」を以て月将とし、占時は辰にあり、心中に一件の弁ずべき事があって課を起こして占問した。この例は『郭氏占案』から採った。
空虎常玄 午未申酉 蛇貴空龍 財 丁丑 蛇 龍巳 戌陰 丑子午巳 兄 戊寅 朱 勾辰 亥后 子亥巳乙 兄 己卯 合 卯寅丑子 合朱蛇貴
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。巳将を辰時に加え、天盤もまた地盤より一位進む。ゆえに盤面全体は前の一課と完全に同じ:地盤巳・午・未・申上は天盤の午・未・申・酉で、天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤寅・丑・子・亥上は天盤の卯・寅・丑・子で、六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤辰上は「巳」で青竜に乗り、地盤卯上は「辰」で勾陳に乗り、地盤酉上は「戌」で太陰に乗り、地盤戌上は「亥」で天后に乗る。四課は右から左へ:日干乙(寄宮は辰)の上に「巳」を見て青竜に乗り、巳上に「午」を見て天空に乗り、日支亥上に「子」を見て貴人に乗り、子上に「丑」を見て螣蛇に乗る。三伝は依然として妻財「丑」(丁丑)が螣蛇に乗り、兄弟「寅」(戊寅)が朱雀に乗り、兄弟「卯」(己卯)が六合に乗る――丑寅卯は連茹して進む。この行の天将「空虎常玄」の前に、底本は別の処のようには一格空けていない。
郭御青曰:進茹主事尚不了,末傳歸祿作六合,將吉丑乘螣蛇,因舊年事驚疑進,而寅卯比日更奇者,夾定虛一所欠者財,然行年在辰為補欠,奇妙奇妙。
郭御青が言う:三伝の丑・寅・卯は進茹の象――問う所の事が眼下まだ了結しないを主す。末伝「卯」は乙木の禄神で「帰禄」、また六合に乗る――終に帰して成あるを主す。初伝の大吉(丑)は螣蛇に乗る(原文は「将吉」と作る――応に「大吉」の訛)。丑は戊寅年の前一年の年支で、螣蛇は驚懼疑慮を主る――此事が旧年の一桩の事のために心に疑懼を存し、これを推し動かして起きたと見える。さらに奇なるは、中・末の両伝の寅・卯がともに乙日と同類で比劫助身を為すこと。しかも丑寅卯は連茹して卯に到れば止まり、次の一位「辰」は空いて到らない――虚缺するこの一位「辰」は、恰恰乙木の財で、またちょうど欠いたあの筆の銭である。偏偏占者の行年がちょうど辰の上に落ち、この缺口を補い斉えた――真に奇妙である。
乙亥日に朝廷の文字を占う(『方本占案』)
戊戌年六月乙亥日未將巳時汀州府戴公諱儀占風聞朝廷有文字的否。方本占案 一針見血
戊戌年六月の乙亥日、「未」を以て月将とし、占時は巳にあり、汀州府の戴公・名は儀、外間に朝廷が将に公文を下さんとすと風伝することの真偽を占問した。この例は『方本占案』から採った。『一針見血』にも載る。
青勾合朱 未申酉戌 玄后勾空 官 申 勾 ◎ 空午 亥蛇 卯丑申午 財 甲戌 朱 ⊙ 虎巳 子貴 丑亥午乙 父 丙子 貴 辰卯寅丑 常玄陰后
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。未将を巳時に加え、天盤は地盤より二位進む:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の未・申・酉・戌があり、それぞれ青竜・勾陳・六合・朱雀に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の辰・卯・寅・丑があり、それぞれ太常・玄武・太陰・天后に乗る。地盤辰上は「午」で天空に乗り、地盤卯上は「巳」で白虎に乗り、地盤酉上は「亥」で螣蛇に乗り、地盤戌上は「子」で天乙貴人に乗る。占時の巳は昼に属し、乙日の昼貴人は子にあり、貴人は地盤の戌位に落ちる――故に十二天将は逆行に排布する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干乙(寄宮は辰)の上に「午」を見て天空に乗る。第二課、午上に「申」を見て勾陳に乗る。第三課、日支亥上に「丑」を見て天后に乗る。第四課、丑上に「卯」を見て玄武に乗る。右側の三伝:初伝「申」は官鬼で勾陳に乗り、旁に「◎」を注す――乙亥日は甲戌旬に属し、旬空はちょうど申・酉にあり、ゆえに申の下に遁干を列せず空亡を標出す。中伝「戌」は妻財、遁干は甲戌、朱雀に乗る。末伝「子」は父母、遁干は丙子、天乙貴人に乗る。中伝の旁に別に一つの「⊙」記号あり――原書はその含義を交代していないので、ここには臆断を作さない。
邵彥和曰:七月內必有朝廷文章來,被蒿惱不意而動。蓋初傳見勾陳乘歲馬作鬼,中傳雀乘太歲,末傳貴人,月建前一辰為用,故應七月,申為傳送,又為道路,帶鬼剋日,故來速也。果於七月癸巳日文字來,充替河州。
邵彦和が言う:七月の内に必ず朝廷の公文が下りて来て、それに搅扰されて心が煩い、意料の外に出でて動身することになる。初伝「申」は勾陳に乗り、勾陳は糾纏煩扰を主り、しかも申はちょうど戊戌年の歳の駅馬、申金はまた乙木を克して官鬼を為す。中伝は朱雀に乗り、朱雀はもともと文書を主り、乗ずる「戌」はまたちょうど本年の太歳。末伝は天乙貴人に乗り、事が朝廷に出ずるを主す。発用の神は六月月建「未」の前の一位――ゆえに七月に応ずる。申の別名は「伝送」、また道路奔走を主り、それが官鬼を帶びて来て日干を克す――ゆえに公文の来るが甚だ速い。結果、七月癸巳日に公文は果たして送達し、彼を調して河州の職任を頂替せしめた。
乙亥日に平生の養息を占う(『口鑑』)
宣和癸卯年三月乙亥日戌將午時林子成丙辰生四十八歲占平生養息。口鑑 捷要 青錢秘訣
宣和癸卯年三月の乙亥日、「戌」を以て月将とし、占時は午にあり、林子成――丙辰年生まれ、時年四十八歳――が自分の一生は何に靠って営生し家を養い日を度るべきかを占問した。この例は『口鑑』から採った。『捷要』『青銭秘訣』にも載る。
合朱蛇貴 酉戌亥子 青玄貴勾 財 癸未 青 勾申 丑后 未卯子申 父 乙亥 蛇 青未 寅陰 卯亥申乙 兄 己卯 玄 午巳辰卯 空虎常玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。戌将を午時に加え、天盤は地盤より四位進む:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の酉・戌・亥・子があり、それぞれ六合・朱雀・螣蛇・天乙貴人に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の午・巳・辰・卯があり、それぞれ天空・白虎・太常・玄武に乗る。地盤辰上は「申」で勾陳に乗り、地盤卯上は「未」で青竜に乗り、地盤酉上は「丑」で天后に乗り、地盤戌上は「寅」で太陰に乗る。占時の午は昼に属し、乙日の昼貴人は子にあり、貴人は地盤の申位に落ちる――ゆえに十二天将は逆行に排列する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干乙(寄宮は辰)の上に「申」を見て勾陳に乗る。第二課、申上に「子」を見て貴人に乗る。第三課、日支亥上に「卯」を見て玄武に乗る。第四課、卯上に「未」を見て青竜に乗る。第四課は卯木が未土を克し、下が上を賊る――重審課に依って「未」を取りて発用す。右側の三伝:初伝「未」は妻財、遁干は癸未、青竜に乗る。中伝「亥」は父母、遁干は乙亥、螣蛇に乗る。末伝「卯」は兄弟、遁干は己卯、玄武に乗る。亥・卯・未は三合して曲直木局を成す。乙亥日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉にあり、第一課の干上の「申」はちょうど空亡に落ちる。
邵彥和曰:凡占課見傳送空亡剋日,不可者四:一者養鵝不得,二者不得為醫,三者不得買碓,四者不宜為道士。
邵彦和が言う:凡そ課を起こして「伝送」(申の別名)が空亡に落ちてまた来て日干を克するを見れば、四様の営生は為し得ない:一には鵝を養うも養い活かさず、二には医を行うこと能わず、三には水碓を買うべからず、四には道士を為すに宜しくない。この四様は皆申金の一類の物象である。原書は逐条に取象の由来を説明していない。
林曰:我自二十七歲亡父,二十九歲買得一水碓及磨坊,日與人爭訟,今十七年矣,累得累失,是我命不招乎?先生曰:汝命不得碓磨力,莫妄用心。支上幸有卯在長生上,一為驢騾,二為竹木,三為術士沙門,三者皆汝前程,必遂所得也。林遂棄碓磨養孳畜,多種竹木,有牝驢二頭,七年生五驢,竹木又盛茂。先生過其門,林再三拜謝。
林子成が言う:私は二十七歳の上に父が死に、二十九歳で一座の水碓と磨坊を買い下し、天天それのために人と官司を打ち、いまに至ってすでに十七年――屡々得る所有りまた屡々失う所有り。岂に我が命の裡にこの份の家業を招来しないや。先生が言う:あなたの命は碓磨の利を得ない――さあ白く心思を費やすな。幸い日支の上に一つの「卯」があり長生の位に落ちる。卯の物象は三つあり:一には驢騾、二には竹木、三には術士と出家の人――この三条は皆あなたの前程の在る所で、行けば必ず願の如くなる。林子成はそこで碓磨を丢開し、改めて牲畜を養い竹木を広く種えた。家に両頭の母驢があり、七年の間に五頭の小驢を生み、竹木もまた甚だ茂盛に長った。その後先生が彼の家の門口を過ぎた時、林子成は再三下拜して謝を稱えた。
邵公占驗多係門弟所編,故稱先生。先生又謂之曰:卯可舟車,何不興販?林又從之,數年大發,鄉人叩問曰:曏者指彼數事,全皆大遂,可見吾丈神術有準。先生曰:大不然,是此人造化所該耳。蓋乙日木局,全旺在卯,卯生於亥,故卯全有氣也。元武入廟,又就本家生旺,此所以大全美也。且曲直木局,生於亥,旺於卯,末傳逢祿逢旺,諸事遂意,盡在末也。
邵公の占験は多くは門下の弟子の編録したもので、ゆえに書中は彼を「先生」と称す。先生はまた林子成に対して言う:「卯」はさらに舟船車両を作り得――あなたはどうして販運の売買を去做しないのか。林子成はまたそれに依って行い、数年下来りて大いに財を発した。郷里の人が門に上って追問した:「先前先生が彼に指したあの幾件の事は、件件皆大いに順遂した。見ればあなた老の神術は真に準頭がある」。先生が言う:「完全にそんなことではない。これはただこの人の命の裡に応にある造化に過ぎない」。もとは乙日の三伝が合して木局を成し、木気は全く卯に旺え、卯はまた亥に長生す――ゆえに卯が最も気ある。末伝は玄武に乗り、玄武は水に属し、地を得て入廟を為し、加わる「亥」はまたちょうど水の本家・木の長生――水木ともに生旺の地に就く。これこそ十全の十美の故である。いわんや曲直木局は長生は亥にあり帝旺は卯にあり、末伝はすでに日禄に逢いまた帝旺に逢う――諸事心に称い、好処は全て末伝の上に落ちる。
初限未八卯六,相乘得四十八,折半得二十四。又加卯木三數,共二十七年,正在父母庇廕之下享福,十六娶妻財又大盛,至二十六歲限足,二十七歲交中限,父母便死,何以知其父先死,因中傳亥加未上,亥屬干,干為父,亥又為乙木之父,下被未克,上見螣蛇凶將,所以先喪父也。
初限の算法は:未の数は八、卯の数は六、八六相乗じて四十八を得、折半して二十四――さらに卯木の三数を加えて、共に二十七年。この二十七年はちょうど父母の庇廕の下に福を享くる日で、十六歳に妻を娶り、財運はまた大いに興盛し、二十六歳に至って初限は期満し、二十七歳に中限に交入す――父母は便ち去世した。どうして父が先に死んだと知ったか。中伝「亥」が「未」の上に加わるからである:亥は方位上は乾宮に属し、『周易・説卦』は乾を以て父と為す。亥水はまた乙木の父母爻。それは下に未土に克され、上にまた螣蛇という凶将に乗る――ゆえに先に父を喪う。
二十九歲買水碓磨坊,爭訟十七年猶不已者,是申加辰,申七辰五,五七三十五,空亡減半,得十七年。申空加日上,是平生所不利,故因碓磨而費十七年之財。若申不是鬼,猶不至於訟。
二十九歳の上に水碓磨坊を買い下し、官司を十七年打ってまだ完せないのは、「申」が「辰」の上に加わるからである:申の数は七、辰の数は五――五七三十五。申はすでに空亡に落ち、数は半分に減ず――ちょうど十七年を得る。申が空亡に落ちまた日干寄宮の辰の上に加わるは、これが彼の一生中の最も不利なる一処。ゆえに碓磨のために白く十七年の銭財を耗掉した。もし申が日干の官鬼でなければ、まだ官司を打つ地步に閙ぐに至らない。
予相見時,林年已四十八歲,遂令息爭改業,而向驢騾船隻竹木營生,今己酉年已五十四歲,現在末限,末傳卯加亥,卯六亥四,相乘得二十四,折半為一十二,加亥地盤四數,共十六數,五十六歲交末限,尚有十六年財利。此限亥與元武水,併力生卯祿旺,是以諸事如意。
私が彼に見た時、林子成はすでに四十八歳で、そこで彼に訟を息め行を改め、転じて驢騾・船只と竹木を経営するよう勧めた。今年己酉年に至り彼はすでに五十四歳――ちょうど末限の裡を走っている。末伝「卯」は「亥」の上に加わる:卯の数は六、亥の数は四――相乗じて二十四を得、折半して十二、さらに地盤亥の四数を加えて、共に十六。五十六歳に末限に交入し、往後さらに十六年の財利がある。この一限の中、地盤の亥水と末伝の乗ずる玄武の水とが力を合わせて卯木を生ず――卯はすでに乙木の禄神でありまた帝旺に当る。ゆえに諸事意の如くである。
三傳三限也,大凡日上所見者生我即利,脫我即為彼所苦。我克者為財,克我者,文武職人則為官,常人則為鬼。同類加干則是兄弟,助我也。
三伝はすなわち人の一生の三つの大限である。大凡そ日干の上に見る神は、我を生ずれば便ち利あり、我を泄し我を耗すれば便ちそれに苦められる。我の克するは財。我を克するは、占者が文武の職ある人なれば官星を作し、平常の百姓なれば鬼祟を作す。我と同類にして日干の上に加わるは、すなわち兄弟――来て我を幇扶する者である。
或又問曰:中限父亡之後,累累官司何也。先生曰:是蛇相擾,又申亥六害,害者害我也。或又問曰:初傳未亦可以養羊賣酒,中傳亥亦可以養豬,何獨取卯乎。先生曰:曲直全在卯,乙祿到卯,長生於亥,故取其全盛之地營之。且未加卯,亥加未,皆受下克,故受生為利,受克為害也。愚按此課及丁巳日干上亥課斷語最為詳細,宜熟玩之。
また人あるが問う:中限の裡に父が亡故した後、官司が接続して絶えないのは、これは何の故か。先生が言う:中伝が螣蛇に乗りて来て搅扰し、加うるに申と亥とが相六害す――いわゆる害は、すなわち来て我を害するである。また人あるが問う:初伝の「未」はまた羊を養い酒を売ることができ、中伝の「亥」はまた猪を養うことができる――どうして偏偏ただ「卯」を取るか。先生が言う:曲直木局の精華は全く卯の上にあり、乙木の禄は卯に到り、木の長生は亥にあり――ゆえにこの最も全盛の処を挑んで経営する。いわんや天盤の「未」は地盤の卯上に加わり、天盤の「亥」は地盤の未上に加わる――いずれも下の地盤の神に克される。生を受けるはすなわち利あり、克を受けるは便ち害を成す。程樹勳按:この一課および丁巳日の干上に亥を見るあの一課は、断語が最も詳尽――応に反復して玩味すべし。
丙子日
丙子日に辺事を占う(『一針見血』)
十月丙子日卯將申時上宣諭占邊事。一針見血
十月の丙子日、「卯」を以て月将とし、占時は申にあり、皇上が宣諭して垂問し、人に命じて課を起こして辺防の軍情を占問させた。この例は『一針見血』から採った。
蛇朱合勾 子丑寅卯 合常常蛇 官 丙子 蛇 貴亥 辰龍 寅未未子 子 癸未 常 后戌 巳空 未子子丙 父 戊寅 合 酉申未午 陰玄常虎
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。卯将を申時に加え、天盤は地盤より五位退する:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の子・丑・寅・卯があり、それぞれ螣蛇・朱雀・六合・勾陳に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の酉・申・未・午があり、それぞれ太陰・玄武・太常・白虎に乗る。地盤辰上は「亥」で天乙貴人に乗り、地盤卯上は「戌」で天后に乗り、地盤酉上は「辰」で青竜に乗り、地盤戌上は「巳」で天空に乗る。占時の申は昼に属し、丙日の昼貴人は亥にあり、貴人は地盤の辰位に落ちる――ゆえに十二天将は順行に排列する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「子」を見て螣蛇に乗る。第二課、子上に「未」を見て太常に乗る。第三課、日支子上に「未」を見て太常に乗る。第四課、未上に「寅」を見て六合に乗る。日支は恰好日干上神と同じく「子」で、第二課と第三課は重出す――ゆえに四課は残缺して備わらない。右側の三伝:初伝「子」は官鬼、遁干は丙子、螣蛇に乗る。中伝「未」は子孫、遁干は癸未、太常に乗る。末伝「寅」は父母、遁干は戊寅、六合に乗る。
祝泌奏曰:臣詳此課,三上克下,日陰不備,日之支來就日之干,而有客來傷主,主乃藏伏,謂騰蛇在巳,為入穴故也。此課宜固守,若論四課不備,又皆克下,勢在再,惟勾陳是卯,與日干上子,不相傷,而元武屬金,反來克勾陳,又游都在日後,主?添兵未巳,卒戰未利,若固守二三日,無有解圍之期,臣曾占此事,皆見白虎,臨月建。
祝泌が奏を上して言う:臣は細かにこの一課を推すに、四課の中に三課は上神が下神を克し、日陰の一課は残缺して全からず、日支「子」は日干の頭上に跑って来る――第一課の丙火が寄宮する巳位の上に見るはちょうど日支の子――これは客が来て主を傷る象で、しかも主の一方はただ蔵伏するのみ。いわゆる螣蛇が巳に在りとは、すなわち螣蛇が子に乗りて丙の寄宮の巳の上に落ち、蛇は本穴に帰る――蛰伏して出ざるを主す。この一課は堅守するに宜しい。もし四課不備にしてまた皆上が下を克すると論ずれば、形勢はさらに反復あらん。幸い勾陳の乗ずるは「卯」で、日干上の「子」と水木相生して、並びに相傷せず。しかも玄武は金に属し、かえって勾陳の木を克住し得る。また「游都」は日の後位に落ち、敵方が兵を増し止まざるを主す(原文「未巳」の「巳」は応に「已」の字の訛、「?」は底本の缺字)――倉卒に接戦すれば利を得難い。もしただ二三日堅守すれば、まだ解囲の日を見えない。臣は従前この事を占って、皆白虎が月建の上に臨むを見た。
月建者,城邑也,即安豐之境土也。白虎為戎兵動擾,其所乘屬火。今日丙上見子,足以制之,雖錐危而安,惟固守勿輕出戰,遇此三四日,自可保全。若輕動則招憂也。
いわゆる月建は、城邑を指す――すなわち安豊の一帯の疆土。白虎は兵戎騒動を主り、それが乗ずる神は火に属す。いま丙の日干上に「子」を見る――子水はこの重火気を制するに足る。ゆえに処境は危殆なれど終に安に転ず(「錐」の字は疑わしく訛衍)。ただ堅守して軽易に出戦するなかれ――この三四天を挨え過ごせば、自然に保全し得る。もし軽挙妄動すれば、すなわち禍患を招来する。
愚按祝泌字子涇,善六壬,著有六壬大占,進呈。此課只雲祝氏占安知非祝泌也,故書其名焉。
程樹勳按:祝泌は字を子涇と言い、六壬に精通し、『六壬大占』一書を著わして朝廷に進呈した。この一課は原書はただ「祝氏」の占と言う――どう見てもすなわち祝泌ではないか。ゆえにここに径に彼の名字を写し出した。
丙子日に来意を占う(『一字玉連環』)
四月丙子日申將丑時占來意。一字玉連環
四月の丙子日、「申」を以て月将とし、占時は丑にあり、来た人の用意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
合勾龍空 子丑寅卯 龍陰陰合 官 丙子 合 朱亥 辰虎 寅未未子 子 癸未 陰 蛇戌 巳常 未子子丙 父 戊寅 龍 酉申未午 貴后陰玄
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を丑時に加え、天盤も同じく地盤より五位退する。ゆえに十二支の落つる宮位は前の一課と同じで、ただ一副の天将を換えたのみ:地盤巳・午・未・申上は天盤の子・丑・寅・卯で、順に六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤寅・丑・子・亥上は天盤の酉・申・未・午で、順に天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤辰上は「亥」で朱雀に乗り、地盤卯上は「戌」で螣蛇に乗り、地盤酉上は「辰」で白虎に乗り、地盤戌上は「巳」で太常に乗る。占時の丑は夜に属し、丙日の夜貴人は酉にあり、貴人は地盤の寅位に落ちる――ゆえに天将は順行する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「子」を見て六合に乗る。第二課、子上に「未」を見て太陰に乗る。第三課、日支子上に「未」を見て太陰に乗る。第四課、未上に「寅」を見て青竜に乗る。右側の三伝:初伝「子」は官鬼、遁干は丙子、六合に乗る。中伝「未」は子孫、遁干は癸未、太陰に乗る。末伝「寅」は父母、遁干は戊寅、青竜に乗る。
徐次賓曰:來意主內外和合之事,又主添妾媵之喜。蓋丑時與日干三合,與日支六合,故言內外和合事也。日上神后水,時上天后水,不言鬼者,緣先鋒門得大吉土,值事門得勾陳土,為今日之子孫爻,以剋死絕之水,水豈能為鬼也。太陰主妾媵,六合主和合婚姻,青龍主喜慶,此課始末俱吉,豈不是和合添妾媵之象也。
徐次賓が言う:来た人の用意は、一桩の内外和合の事で、また侍妾を添置する喜慶を主す。占時「丑」は日干丙の寄宮する巳と合して巳酉丑の三合を成し、丑は日支子とまた子丑の六合――ゆえに内外和合の事と言う。日干上は「神後」(子の別名)で水に属し、占時の丑位の上には申が加わりて天后に乗り、天后もまた水に属す。水はもともと丙火の官鬼だが、ここでは鬼として看ない――「先鋒門」すなわち占時自体の得るは大吉(丑)の土で、「値事門」すなわち占時の支が天盤上に乗ずる天将の得るは勾陳の土。土はちょうど丙火の今日の子孫爻で、よくこのすでに死絶無気の水を克制し得る。水はすでに制せられ――どうしてなお鬼を作し得よう。太陰は侍妾を主り、六合は和合婚姻を主り、青竜は喜慶を主る――この一課は頭から尾まで皆吉。岂に内外和合・侍妾添置の象ならざらんや。
丙子日に癸巳命の人が来意を占う(『一字玉連環』)
四月丙子日申將酉時癸巳命人占來意。一字玉連環
四月の丙子日、「申」を以て月将とし、占時は酉にあり、一位の癸巳年生まれの人が来意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。
龍勾合朱 辰巳午未 后陰空龍 子 甲戌 后 空卯 申蛇 戌亥卯辰 財 酉 貴 ◎ 虎寅 酉貴 亥子辰丙 財 申 蛇 ◎⊙ 丑子亥戌 常玄陰后
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を酉時に加え、天盤は地盤より一位退する:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の辰・巳・午・未があり、それぞれ青竜・勾陳・六合・朱雀に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の丑・子・亥・戌があり、それぞれ太常・玄武・太陰・天后に乗る。地盤辰上は「卯」で天空に乗り、地盤卯上は「寅」で白虎に乗り、地盤酉上は「申」で螣蛇に乗り、地盤戌上は「酉」で天乙貴人に乗る。占時の酉は夜に属し、丙日の夜貴人はちょうど酉にあり、貴人は地盤の戌位に落ちる――ゆえに十二天将は逆行に排列する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「辰」を見て青竜に乗る。第二課、辰上に「卯」を見て天空に乗る。第三課、日支子上に「亥」を見て太陰に乗る。第四課、亥上に「戌」を見て天后に乗る。第二課は卯木が辰土を克し、第四課は戌土が亥水を克す――両重の上が下を克す。日干と同じく陽に属する「戌」を取りて発用す――これは比用課である。右側の三伝:初伝「戌」は子孫、遁干は甲戌、天后に乗る。中伝「酉」は妻財、天乙貴人に乗る。末伝「申」は妻財、螣蛇に乗る。丙子日は甲戌旬に属し、旬空はちょうど申・酉にあり、ゆえにこの两位の下はいずれも遁干を列せず旁に「◎」を標す。末伝の旁に別に一つの「⊙」記号あり――原書はその含義を説明していない。戌・酉・申は順次後退す――「退茹」の課である。
徐次賓曰:來意本人於家西耕荒地,種麥,至麥熟時,有帶官人來割麥,曰:“是我之地。”相爭到官,勸和,得麥一半,歸其地。
徐次賓が言う:来た人の用意はこういう一桩の事である――彼は自家の西辺に荒地を開墾して麦を種えたが、麦の熟する時に至り、人あるが官府の人を帶びて来て麦を割り、言うには「これは我の地である」。両下相争して官府に閙いだが、人を経て中から勧和し、麦は半分を分け得て、あの塊の地は依然として彼に帰した。
何以知之,緣酉時與日干三合,故言外。酉為西方,故言家西耕荒地也,酉為日下之財,不言金玉,而言麥者。若婦人占酉財為金玉首飾之類,今老農來占,酉主小麥,既為日下之財,故言麥也。值事門及中傳,上見天乙,故為帶官人。
これらはどう見出したか。占時「酉」は日干丙の寄宮する巳と合して巳酉丑の三合を成し、三合は外を主る――ゆえに事が門外に在ると断じた。酉は西方に属す――ゆえに自家の西辺で荒を開くと言う。酉は日干の下に臨む財爻で、それを金玉と言わず麦と言う道理はこれである:もし婦人が来て占えば、酉財は便ち金銀首飾の類を作す。いま来て占うは一位の老農で、酉はすなわち小麦を主る。それはすでに日の下の財――ゆえに麦と断じた。「値事門」――占時の支が天盤上に乗ずる天将――および中伝には、上に皆天乙貴人を見る――ゆえに来て麦を割る人は官府の人を帶びて来たと言う。
何知相爭到官,蓋日上見天罡,為自己怒惡。時為日貴,中傳又得天乙為動官之象。何知勸和得麥一半,蓋時與日合,卦又得比用,故主勸合。申酉為財而空亡,故主得一半矣。
どうして相争して官府に閙ぐと知ったか。日干の上に「天罡」(辰の別名)を見――自ら怒気を動かすを主す。占時はまたちょうど丙日の貴人の在る所で、中伝もまた天乙貴人を得――皆官司を驚動する象である。またどうして人を経て勧和してただ半分の麦を得たと知ったか。占時と日干とが相合し、課体はまた比用を取る――ゆえに人あるが中から説和するを主す。申・酉の两位はすでに財爻なれどまた皆空亡に落ち――空なればすなわち半分に減ず。ゆえにただ半分を得た。
丙子日に升遷を占う(『口鑑』)
己酉年十月丙子日卯將丑時馮知丞戊辰生四十二歲占升遷。口鑑 方本占案
己酉年十月の丙子日、「卯」を以て月将とし、占時は丑にあり、馮知丞――戊辰年生まれ、時年四十二歳――が升遷を占問した。この例は『口鑑』と『方本占案』から採った。
朱蛇貴后 未申酉戌 青虎貴朱 子 庚辰 青 合午 亥陰 辰寅酉未 兄 壬午 合 勾巳 子玄 寅子未丙 財 申 蛇 ◎ 辰卯寅丑 青空虎常
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。卯将を丑時に加え、天盤は地盤より二位進む:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の未・申・酉・戌があり、それぞれ朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の辰・卯・寅・丑があり、それぞれ青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤辰上は「午」で六合に乗り、地盤卯上は「巳」で勾陳に乗り、地盤酉上は「亥」で太陰に乗り、地盤戌上は「子」で玄武に乗る。占時の丑は夜に属し、丙日の夜貴人は酉にあり、貴人は地盤の未位に落ちる――ゆえに十二天将は逆行に排列する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「未」を見て朱雀に乗る。第二課、未上に「酉」を見て天乙貴人に乗る。第三課、日支子上に「寅」を見て白虎に乗る。第四課、寅上に「辰」を見て青竜に乗る。第四課は寅木が辰土を克し、下が上を賊る――重審課に依って「辰」を取りて発用す。右側の三伝:初伝「辰」は子孫、遁干は庚辰、青竜に乗る。中伝「午」は兄弟、遁干は壬午、六合に乗る。末伝「申」は妻財、螣蛇に乗る。申は旬空に落ち、故に遁干を列せず旁に「◎」を標す。辰・午・申は一位を隔てて順次に進む――ちょうど断語にいう「登三天」である。
邵彥和曰:登三天,本主升遷之象,但嫌登不過關。關者,日干是也。既不過關,難以升遷。若跳過,則又進銳退速。白虎入宅臨父母,目下必因丁艱而阻。愚按六害主阻隔,課得交車害白虎為喪服之神加於父母之上,故云因丁艱而阻也,況干上又是弔客。且主父母棺內白蟻食壞,以致不利子孫,遂成災咎。服滿之後,雖得一任差遣,恐不能終任矣。
邵彦和が言う:三伝の辰・午・申は位を隔てて逓進し、名づけて「登三天」――本は升遷の象だが、惜しいことにそれが「関」を登り過ごせない。いわゆる関は、すなわち日干を指す(丙は巳に寄宮する)。すでにこの一関を過ぎ得なければ、升遷し難い。たとえ勉强に跳び越えても、進むは速く退くも速い。白虎が寅に乗りて日支の宅位に入り、また父母爻の上に臨む――眼下必ず父母の喪に居るによって阻まれる。程樹勳按:六害は阻隔を主る。この一課は日干上神の未と日支の子とが相害し、日支上神の寅と日干寄宮の巳とが相害して「交車相害」を成す。白虎はまた喪服の神で、ちょうど父母爻の上に加わる――ゆえに丁憂によって阻まれると言う。いわんや日干上の「未」はさらに己酉年の弔客である。しかも父母の棺木の内が白蟻に蛀壊されて子孫に不利となり、終に災咎を醸成することを主す。服喪が期満した後、なお一任の差遣を得ることは能くも、任満を為すには到らないを恐れる。
乎服滿得一任者,青龍發用也,不能終任者,中傳得陽刃,末傳即空亡也知丞乃機宜之弟,課象主服不利,彼此相同,機宜課見丙子日干上戌果因阻服未升遷。及舉母棺,欲與父合葬,因起父墳視之,盡為泥水白蟻傷壞,遂不敢葬。續有堪輿人,言此地本吉,因葬高露風不利,若葬低便發。知丞又來占,極斷其不可,而知丞不聽,竟合葬焉。及服滿,授黃州推官,赴任數月,因病假歸,十二月卒。
服満してなお一任の差遣を得ると言うに至っては、青竜が発用するからである。任満を為す能わざると言うのは、中伝が陽刃を得、末伝がまたちょうど空亡に落ちるからである(句首の「乎」は応に「夫」の字の訛)。この知丞は馮機宜の弟で、両人の課象はともに居喪不利を主り、彼此相同じ――機宜のあの一課は丙子日の干上に戌を見るもので、後に果たして喪を守るに阻まれて升遷し得なかった。母親の棺木を起こし出し、父と合葬しようと欲して、それによって父墳を掘り開いて一見すると、棺木は全て泥水と白蟻に毀壊されていた。そこで敢えて下葬しなかった。随後また堪輿先生あるが言うには:この地は本は吉地で、ただ葬るが高過ぎて風に当り外露したために不利なので、もし低く葬れば便ち発達する。知丞はまた来て占問し、私は力を極めて不可と断じたが、知丞は聴かず、終に合葬した。服満に及び、黄州推官に授けられ、赴任してまだ数ヶ月で、病によって假を請い家に帰り、十二月の裡に去世した。
夫日干是丙,即身也。辰、午登天,至撞巳而止;末傳雖透過已去,卻是空亡,所謂登不過關,及身而止也。行年未上見酉,再作空亡,逢空則止,運亦盡矣。
日干は丙――代表するはすなわち本人自身である。三伝の辰・午は一路天に登って上り、撞いて「巳」――丙の寄宮――に着けば便ち停住した。末伝は巳位を透過して去るも、偏偏空亡の上に落ちる:これがすなわちいわゆる関を登り過ごせず、自身に至って止まるである。彼の行年は未にあり、未上に酉を見、酉はまた空亡に落ちる――空に逢えば便ち止まり、運数もまたこれに至って頭に尽きる。
鄭云正時太常遁丁主孝服,正時主目下,上見卯為丙之母,故知其母孺人難久遠也。白虎主喪,寅為丙之父,加子子神后,斷母亦碓究竟寅為父儀墓覆其上,白虎乘之。白虎主白蟻,是父墳內有白蟻滿蝕,不利子孫者,子又為子息,子水病在寅,帶白虎加之故也。
鄭氏が言う:正時(占時の丑)は太常に乗り、丑の本旬中の遁干は丁――丁は孝服を主る。正時の主するは眼前当下である。丑位の上に見るは「卯」――卯木は陰に属して丙火を生ず――丙の母親である。ゆえに彼の母親という孺人は世に在ること久しくないと知る。白虎は喪事を主る。寅木は陽に属し、丙の父親である。寅は「子」の上に加わり、子はすなわち「神後」。此の下の「断母亦碓究竟寅為父儀墓覆其上」の一句は底本が訛脱して通じ難いが、大意は依然として寅はすでに父親を代表し、その上にまた墓神が覆い圧し、白虎はちょうどこの位置に乗ると言う。白虎はまた白蟻を主る――ゆえに父親の墳中に満ちるは白蟻の蛀蝕と断じた。子孫に利ならざると言うのは、「子」が同時にまた子息を代表し、しかも子水の病地はちょうど寅にあり、寅の上には偏偏白虎を帶びて加臨する故である。
丙子日に失賊を占う(『玉連環』末巻)
五月丙子日申將午時二十六歲人占失賊。玉連環末卷
五月の丙子日、「申」を以て月将とし、占時は午にあり、一位の二十六歳の人が賊に遭い失竊した事を占問した。この例は『玉連環』末巻から採った。
勾合朱蛇 未申酉戌 虎玄朱勾 子 庚辰 虎 龍午 亥貴 辰寅酉未 兄 壬午 龍 空巳 子后 寅子未丙 財 申 合 ◎ 辰卯寅丑 虎常玄陰
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を午時に加え、天盤もまた地盤より二位進む。ゆえに十二支の落つる宮位は前の一課と同じで、ただ一副の天将を換えたのみ:地盤巳・午・未・申上は天盤の未・申・酉・戌で、順に勾陳・六合・朱雀・螣蛇に乗る。地盤寅・丑・子・亥上は天盤の辰・卯・寅・丑で、順に白虎・太常・玄武・太陰に乗る。地盤辰上は「午」で青竜に乗り、地盤卯上は「巳」で天空に乗り、地盤酉上は「亥」で天乙貴人に乗り、地盤戌上は「子」で天后に乗る。占時の午は昼に属し、丙日の昼貴人は亥にあり、貴人は地盤の酉位に落ちる――ゆえに天将は逆行する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「未」を見て勾陳に乗る。第二課、未上に「酉」を見て朱雀に乗る。第三課、日支子上に「寅」を見て玄武に乗る。第四課、寅上に「辰」を見て白虎に乗る。右側の三伝:初伝「辰」は子孫、遁干は庚辰、白虎に乗る。中伝「午」は兄弟、遁干は壬午、青竜に乗る。末伝「申」は妻財、六合に乗る。申は旬空に落ち、故に遁干を列せず旁に「◎」を標す。
苗公達曰:主爾父及兄弟度關而遭賊失財,兄被賊傷左目,其賊不能捕也。
苗公達が言う:あなたの父親と兄弟が関口を過ぐる時に賊に遭い銭財を失い、兄長はまた賊人に左眼を傷られたことを主す――しかもこの伙の賊は捉え得ない。
議曰天乙臨酉門戶不寧,丙以寅為日本,白虎加之,是長上驚危,寅為天梁,卯為天關,惡人在上自然?關,而財遭賊劫,丙以巳為兄,午為弟,日上勾陳為?敵?月作四月節。大殺月厭俱在未。未臨巳主損左目,法以四孟為頭目,寅巳為左,申亥為右,元武上下不戰,又青龍六合飛騰萬里,主賊有庇佑,必難獲也。
議論に言う:天乙貴人は亥に乗りて地盤の酉位に臨む――酉は門戸を主る。ゆえに門戸が寧ならず。丙は「寅」を以て立日の本と為し、白虎が辰に乗りてその上に加臨す――これは尊長が驚を受け険に渉る象である。寅の名は「天梁」、卯の名は「天関」――悪人は応に関梁の上に当るべく、自然に関口の上で事を生ず(ここに底本は一字缺く)――銭財はすなわち関を過ぐる時に賊劫に遭う。丙は「巳」を以て兄と為し「午」を以て弟と為す。日干上の勾陳は対敵の象を作す(原文の両処の「?」は皆底本の缺字)。この一課は五月に占うも、節気はなお四月の節内に算する:四月の大殺と月厭はともに「未」にあり、しかも天盤の未はまたちょうど地盤の巳上に臨む――ゆえに左眼を傷損するを主す。その法は寅・巳・申・亥の四孟の位を以て人の頭面眼目に配し、寅・巳は左に属し、申・亥は右に属す。玄武の乗ずる神とその下の地盤の神とは上下相生して相戦せず、青竜・六合はまた万里を飛騰す――賊人は別に人あるに庇護されるを主す。ゆえに必ず擒獲し難い。
丙子日に前程を占う(『口鑑』)
己酉年十一月丙子日卯將戌時馮機宜丁亥生二十三歲占前程。口鑑 方本占案 當是寅將酉時,不然即非十一月也。
己酉年十一月の丙子日、「卯」を以て月将とし、占時は戌にあり、馮機宜――丁亥年生まれ、時年二十三歳――が自分の前程を占問した。この例は『口鑑』と『方本占案』から採った。程樹勳原注:ここは応に寅将を酉時に加えるべし――さもなくば十一月の月将に合わない。
蛇朱合勾 戌亥子丑 蛇常空蛇 兄 辛巳 常 貴酉 寅青 戌巳卯戌 子 甲戌 蛇 后申 卯空 巳子戌丙 父 己卯 空 未午巳辰 陰玄常虎
課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。卯将を戌時に加え、天盤は地盤より五位進む:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の戌・亥・子・丑があり、それぞれ螣蛇・朱雀・六合・勾陳に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の未・午・巳・辰があり、それぞれ太陰・玄武・太常・白虎に乗る。地盤辰上は「酉」で天乙貴人に乗り、地盤卯上は「申」で天后に乗り、地盤酉上は「寅」で青竜に乗り、地盤戌上は「卯」で天空に乗る。占時の戌は夜に属し、丙日の夜貴人は酉にあり、貴人は地盤の辰位に落ちる――ゆえに天将は順行する。程樹勳のいう所の「応に寅将酉時」とは、寅を酉に加えるも卯を戌に加えるも同じく五位を進み、天盤の排布はこれによって改変しない。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「戌」を見て螣蛇に乗る。第二課、戌上に「卯」を見て天空に乗る。第三課、日支子上に「巳」を見て太常に乗る。第四課、巳上に「戌」を見て螣蛇に乗る。第三課は子水が巳火を克し、下が上を賊る――重審課に依って「巳」を取りて発用す。右側の三伝:初伝「巳」は兄弟、遁干は辛巳、太常に乗る。中伝「戌」は子孫、遁干は甲戌、螣蛇に乗る。末伝「卯」は父母、遁干は己卯、天空に乗る。丙の禄はちょうど巳にあり、しかも巳は日支の子の上に臨む――すなわち断語にいう「禄臨支」である。
邵彥和曰:此課前程未通愚按支為任,太常破碎加之故云阻服,鄭云陰神見戌,戌是正時,主目下即見喪服,是任必見迴避,定是阻服,服滿後得差,尚有九年端坐,方得出頭,數已盡矣愚按巳為德祿。太常與丑三合,故癸丑年州添差通判,無如仰丘俯仇,故又迴避。
邵彦和が言う:この一課は前程が通ぜない。程樹勳按:日支は任ずる官职を代表し、太常はまた破碎煞を帶びてその上に加臨す――ゆえに喪によって阻まれると言う。鄭氏が言う:陰神に「戌」を見――戌はちょうど占時――眼下立刻に喪服に碰上することを主す。この職任は必ず回避せねばならず、喪によって阻まれると断ず。服満の後一つの差遣を得る能くも、此の後さらに九年枯坐してやっと出頭し得、しかも寿数もまたここに至って止まる。程樹勳按:「巳」はすでに丙の日徳でありまた丙の日禄である。太常は巳に乗り、巳は丑と三合を成す――ゆえに癸丑年に州は彼を添差して通判と為さしめた。あいにく「仰丘俯仇」――上下ともに須回避すべき干渉あり――ゆえにまたただ回避するのみ。
鄭云初傳是兄弟同官一處,例當迴避,正應畢法所講,權攝不正祿臨支也。蓋卯來克戌,戌去墓丙,丙即巳遂走入宅,為宅所克,此亂首自下犯上,照管堂上孺人,既有大災難治,皆自己命滯,所以如此。
鄭氏が言う:初伝は兄弟爻――兄弟が同一処に在りて官を為すは、例に按じて応に回避すべし。これちょうど『畢法賦』の講じる所の「権攝不正、禄臨支」の一条に応ずる。もとは卯木が来て戌土を克し、戌土は又去りて丙火を墓住せしめ、丙は巳に寄宮し、そこで日支の宅位に走り入り、かえって宅に克される。これは禍乱の首が下から上を犯し、さらに堂上の老夫人の身に牽連した。すでに大災難あって救治し得ず、皆彼自身の命数が滞塞するがため、やっとこの如くに落ちたのである。
夫丙火敗於卯,墓於戌,敗神逼克戌墓,戌墓遂來墓日,日遂奔入宅被克,去住不容。日上戌五,宅上巳四,共九數,故主九年。九年後卯主事,卯敗丙,加丙墓上,即是敗木,乃棺槨入墓,自然死也。然卯為今日之母,母先入墓,次及我身矣。
丙火は卯位において沐浴敗地で、戌位において墓庫である。敗神の卯が逼り上って戌墓を克すれば、戌墓は便ち頭を回らして日干を墓住せしめ、日干は宅位に奔入せざるを得ず、宅に入ってまた宅に克される――走るもそう、留まるもそうではない。日干上の「戌」の数は五、宅上の「巳」の数は四――合わせて九。ゆえに九年を主す。九年の後は卯が当事する――卯は丙の敗神で、また丙の墓神の上に加われば、すなわち敗木を成す。敗木が墓に入るは、ちょうど棺椁が土に下る象――自然に死すべし。しかも卯はまた本日の母親爻――ゆえに母親が先に墓に入り、それから後に自身に輪が到る。
馮乃待制之子,授江州安撫,十二月母死阻服,癸丑年再授洪州差通判,因妹丈除江西運使,遂迴避,得台州崇道觀,二十個月得病,戊午年卒。
馮機宜は待制の兒子で、江州安撫に授職し、十二月の裡に母親が去世し、居喪によって職を去った。癸丑年に再び洪州添差通判に授けられたが、また妹夫が江西転運使に出任するによって、ただ例に依って回避し、改めて台州崇道観の祠禄の閑職を得、二十ヶ月後に病を患い、戊午年に至り去世した。
丁丑日
丁丑日
丁丑日に王得俊が前程を占う(『口鑑』)
建炎己酉年閏八月丁丑日,己將酉時,王得俊,辛巳生,二十九歲,占前程。(口鑑)/勾龍空虎/丑寅卯辰 常貴朱空 兄辛巳常⊙/合子 巳常 巳酉亥卯 子丁丑勾/朱亥 午玄 酉丑卯丁 財酉貴◎/戌酉申未/蛇貴后陰
南宋建炎己酉年閏八月の丁丑日、月将を以て占時に加えて課を起こした(原書は「己将」と写す――応に「巳将」の訛)、酉時の上に加え、王得俊(辛巳年生まれ、二十九歳)が来て自分の仕途前程を占った。この例は『口鑑』から出る。以下は展平して排印した課盤:巳将を酉に加え、天盤は地盤より四位退する――地盤巳上は天盤の丑で「勾陳」に乗る。午上は寅で「青竜」。未上は卯で「天空」。申上は辰で「白虎」。酉上は巳で「太常」。戌上は午で「玄武」。亥上は未で「太陰」。子上は申で「天后」。丑上は酉で「貴人」。寅上は戌で「螣蛇」。卯上は亥で「朱雀」。辰上は子で「六合」。丁日の寄宮は未にあり、未上に卯を得――ゆえに第一課は卯が丁に加わりて「天空」に乗る。第二課は卯上に亥を得て「朱雀」に乗る。第三課は日支丑上に酉を得て「貴人」に乗る。第四課は酉上に巳を得て「太常」に乗る。三伝は:初伝巳(遁干は辛、兄弟爻、「太常」に乗る)、中伝丑(遁干は丁、子孫爻、「勾陳」に乗る)、末伝酉(妻財爻、「貴人」に乗る)――巳酉丑はちょうど合して金局を成す。丁丑日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉にあり、ゆえに末伝の酉財は恰好空亡に落ちる――原書は旁に「◎」を打って標記と為す。
邵彥和曰:卯木生丁火,而不知火敗於卯,又天空乘之,是虛生也,虛生不足,而實脫有餘。此下稍功名,不就之象也。卯木不足生丁火,而丁火卻克巳酉丑金為財。初不知巳火兄弟占,酉為財發用則非丁所得也。中傳雖是財庫,無奈酉財在末傳而空,是庫中無財也。末見酉作貴人加宅上,只是下稍買一武官,作名目耳。
邵彦和が言う:表面上見れば卯木が丁火を生ず――しかし人は知らない、丁火は卯の位置でちょうど「敗」地に落ちる。いわんや卯の上にまた「天空」に乗る――これは名あれど実なき虚生である。虚生の力量は足らず、しかも実実在在の脱泄がかえって余あり――これちょうど一生の功名が末に到っても成り得ない象である。卯木はすでに丁火を生じ起こすに足らず、丁火はかえって去りて巳酉丑の三合の金を克し、この金を以て自己の財と為す。始め旁人は明白ならず:初伝の巳火は兄弟爻――兄弟は劫奪分財を主る。末伝の酉金は妻財で発用するも、丁日主の得る所能ならず。中伝の丑は金庫なれど、本なら財を蔵住し得べきも、あいにく酉財は末伝に落ちまたちょうど空亡を犯す――庫房の裡に根本に財ないに等しい。末伝の酉はまた「貴人」に乗りて日支の宅位の上に加わる――説き尽くせば、ただ晚年に銭を花して一つの武職を捐し、名目を挂するに過ぎぬ。
王得俊家富而好學,人頗推重佃,惟以功名是望。及聞此斷,伊不信,曰我自有抝命文章,誰知後過三五舉並無寸進。始覺此課有驗,遂罄帑庫之財,買一副尉,欲圖試,又不中。徐侍郎在?州與他權監洄縣後,因呼為有干,終於此而己。大幾卯木加丁,是真生也,卯木卻有敗火之意,是木太旺,火不能勝,反被木壓滅也。如木敗子,子乃太盛之水反將木泛起,泛則根浮,又何生之有。酉財是空亡,是竭財而買小武官也,但貴在宅,是不仕之官也。
王得俊は家境富裕にしてまた書を読むに肯じ、郷里は彼に対して甚だ推重し、彼自身もまた一心にただ功名を指望した。この番の断語を聴いて、彼は信じ肯んぜず、我は自ら人に過ぐる文章あると言った。誰が知らん、此の後連々三五科を考えるも、一点の長進もなかった。これに至ってやっとこの一課が確かに応験すると覚え、そこで家中の積蓄を傾け尽くして、一個の副尉の武階を捐買し、それに憑りて一つの出身を謀ろうとしたが、銓試に参加してまた中らなかった。その後徐侍郎が某州(源文ここに一字缺く、「?州」と作る)で彼に洄県を代管させ、彼の事を弁ずるに幹才あるを称許し――彼の一生の仕途もまたここに至って止まった。一般人は皆卯木が丁の上に加わるは真の相生と言う――実は卯木はかえって丁火を敗壊する意ある:木は旺盛に過ぎ、火は承受し得ず、かえって木に圧滅せられる。譬えば木が子位に落ちれば「敗」を為す――子は極盛の水で、かえって木を漂浮せしめ、木根は一たび浮べば、まだ何の生扶を談ぜん。酉財が空亡に落ちるは、ちょうど彼が家財を耗尽してやっと一つの小武官を換え得たに応ずる。貴人が宅の上に落ちるは、これがただ真には出仕せざる虚銜なるを説明す。
丁丑日に応貢元が前程を占う
應貢元,丁卯生,四十二歲,占前程,戊申年六月丁丑日午將未時。/青空虎常/辰巳午未 貴蛇空虎 官丙子蛇/勾卯 申玄 亥子巳午 官乙亥貴/合寅 酉陰 子丑午丁 子甲戌後/丑子亥戌/朱蛇貴後
応貢元(丁卯年生まれ、四十二歳)が来て仕途前程を占った。時は戊申年六月の丁丑日、午将を用い未時に加えて課を起こした。天盤は地盤より一位退する:地盤巳上は天盤の辰で「青竜」に乗る。午上は巳で「天空」。未上は午で「白虎」。申上は未で「太常」。酉上は申で「玄武」。戌上は酉で「太陰」。亥上は戌で「天后」。子上は亥で「貴人」。丑上は子で「螣蛇」。寅上は丑で「朱雀」。卯上は寅で「六合」。辰上は卯で「勾陳」。丁日の寄宮は未にあり、未上に午を得――ゆえに第一課は午が丁に加わりて「白虎」に乗る。第二課は午上に巳を得て「天空」に乗る。第三課は日支丑上に子を得て「螣蛇」に乗る。第四課は子上に亥を得て「貴人」に乗る。三伝は:初伝子(遁干は丙、官鬼爻、「螣蛇」に乗る)、中伝亥(遁干は乙、官鬼爻、「貴人」に乗る)、末伝戌(遁干は甲、子孫爻、「天后」に乗る)。子・亥・戌は一路逆退し――「退連茹」の格局である。丁丑日は甲戌旬に属し、戌はちょうど本旬の「六儀」で、それが亥の上に加わる――すなわち下文にいう河魁が天門に加わるである。
邵彥和曰:令弟年久而得朝郎,奈後不永,吾文雖未第而前程未易量也。此實陰德所至,日後必然位至郎官。應曰何以言之。邵曰此課雖魁杜天門,不作阻隔論,乃六儀扶護,三奇拱秀,小則郎官,大則侍從。因有活人之功,故上天降福,北斗扶身,三光拱照,祿神催逼,即日食祿矣。人見此課,捋謂退連茹不利,殊不知甲戌旬,戌為六儀,戌加亥謂之朝天,亥屬干,干為天,謂之六儀朝天。亥子丑遁得乙丙丁,謂之三奇拱照,午乃丁祿臨干,謂之日祿扶身,且行年並逼白虎,為催官符使,貴人在三奇之中,而前後拱之,此蛇為吉將,名前一先鋒,高甲無疑矣。丁德在亥,戌亥子俱屬陰,故知陰德洪大,神明福佑也。亥為上帝,子為紫微,丑為北斗,是以得上天之降福也。
邵彦和が言う:あなたの弟弟は久しく熬えてやっと朝郎の官职を得たが、惜しいことに後に寿数長からず。あなた自身はまだ登第せぬも、前程は未だ限量すべからず。これ実に陰徳を積んだ結果で、日後必ず郎官まで為し得る。応貢元が問う:何に凭ってこのように言うか。邵彦和が言う:この一課は「魁罡が天門に加わる」の堵塞の象を出現するも、阻隔に按じて断ずべからず――それは同時に「六儀」の護衛と「三奇」の拱抱あるが故。小さく言えば郎官、大きく言えば侍従の臣を為し得る。あなたには人命を救い活かした功徳あり――ゆえに上天が福を降し、北斗星があなたの本身を扶助し、日月星の三光が環拱し、禄神がまた後ろに在りて催逼す――眼見てすなわち禄を食まんとする。旁人はこの一課を看て、皆「退連茹」は不利と言う。知らずや本日は甲戌旬に属し、戌は本旬の「六儀」――戌が亥の上に加わるを「朝天」と呼ぶ。亥は乾に属し、乾はすなわち天――ゆえに「六儀朝天」と呼ぶ。亥・子・丑の三位は乙・丙・丁を遁出し――ちょうど「三奇」の拱照である。午は丁日の禄神で、恰好日干の上に臨む――これを「日禄扶身」と呼ぶ。加うるに行年が緊く白虎に逼る――白虎はここに催官の符使を充当す。貴人はまた三奇の当中に坐し、前後三奇に拱護せられる。ここの螣蛇もまた転じて吉将と為り、名づけて「前一先鋒」。この如く看れば、甲科に高中するは疑問なし。丁の天徳は亥にあり、戌・亥・子の三位は皆陰に属す――ゆえに彼の陰徳が深厚で、神明の保佑を得たと知る。亥は上帝を為し、子は紫微を為し、丑は北斗を為す――ゆえに彼は上天の降福を得と言う。
考之貢元三十八歲時為徽宗宣和七年乙巳北虜犯邊,伊在東京挾友三十餘人,庇護李家宅眷七十餘口,兼不識姓名者三十七人;又以所乘舟及朋友舟載渡諸人,自率友沿岸西走,此所以感動上天,現之於課象也。後貢元庚戌科及弟,授吳縣尉,辛酉除左司郎官,樹禮部郎官。郊祀庚午年五月卒於官,享年六十三歲。
査考すれば:応貢元三十八歳のあの年はちょうど宋徽宗宣和七年乙巳で、北方の金兵が境を犯し、彼は東京で三十余位の朋友を聯合し、李家の宅内の七十多口の人を保護し、また別に三十七人の姓名をも知らぬ人を護った。さらに自己の乗る船と朋友の船を以てこれらの人を一一渡し去らせ、自己は朋友を帶びて岸に沿って西へ走った。まさにこのような天を感動する作為あるがゆえに、課象の上に福報を顕出した。その後応貢元は庚戌科に登第し、呉県尉に授けられた。辛酉年に左司郎官に除授し、また礼部郎官に転じた。郊祀を挙行する庚午年五月に至り、任上で死した。享年六十三歳。
丁丑日に応寺簿が前程を占う(『口鑑』・『方本占案』)
建炎己酉年六月丁丑日午將辰時,應寺簿甲戌生三十六歲占前程。(口鑑 方本占案)/勾合朱蛇/未申酉戌 空常貴朱 財酉朱◎/青午 亥貴 巳卯亥酉 官乙亥貴⊙/空巳 子后 卯丑酉丁 子丁丑陰/辰卯寅丑/虎常玄陰
建炎己酉年六月の丁丑日、午将を用い辰時に加えて課を起こし、応寺簿(甲戌年生まれ、三十六歳)が来て前程を占った。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。午将を辰に加え、天盤は地盤より二位進む:地盤巳上は天盤の未で「勾陳」に乗る。午上は申で「六合」。未上は酉で「朱雀」。申上は戌で「螣蛇」。酉上は亥で「貴人」。戌上は子で「天后」。亥上は丑で「太陰」。子上は寅で「玄武」。丑上は卯で「太常」。寅上は辰で「白虎」。卯上は巳で「天空」。辰上は午で「青竜」。丁日の寄宮は未にあり、未上に酉を得――第一課は酉が丁に加わりて「朱雀」に乗る。第二課は酉上に亥を得て「貴人」に乗る。第三課は日支丑上に卯を得て「太常」に乗る。第四課は卯上に巳を得て「天空」に乗る。三伝は:初伝酉(妻財爻、「朱雀」に乗り、空亡に落ち、原書は「◎」を打つ)、中伝亥(遁干は乙、官鬼爻、「貴人」に乗る)、末伝丑(遁干は丁、子孫爻、「太陰」に乗る)。丁丑日は甲戌旬に属し、旬空は申酉にあり、ゆえに初伝の酉財は空である。
邵彥和曰:寺簿中年,水作官星,宜為朝郎,人所難及。奈何滿局皆貴人,貴多不貴。而且身與初中貴人皆空,是慕十不得一,徒費心力也。日上發用歸亥官星,末傳丑支為宅神又加亥上,是日去投絕,支來迎絕,兼支上得卯木,丁火敗於卯,丑土死於卯,此非酒色之故。只緣日上太歲作雀,是欲上書言事,然日貴作鬼加歲剋日,上書何益,徒貶竄耳。
邵彦和が言う:寺簿はちょうど中年に当る。課中は水を以て官星と為し――本なら朝郎の一類の京官を為すべく、他人の比ぶ所ではない。あいにく満盤みな貴人――貴神は一たび多ければかえって貴ならず。しかも日主自身と初伝・中伝の貴人が全て空に落ち――十件を盼望してただ一件を得るに等しく、心力を白費す。日干上の酉が発用し、一路亥の官星の上に帰す。末伝の丑は日支、すなわち宅神で、また亥の上に加わる――これは日干が自ら去りて絶地に投じ、日支がまた絶地を迎えて来るである。加うるに日支上に卯木を得:丁火は卯において「敗」、丑土は卯において「死」――この一層はしかし酒色の成す所ではない。ただ日干上の太歳が「朱雀」に乗るがため――彼が上書して時政を議論せんと欲するを主す。しかしながら日上の貴人は官鬼と化し、また太歳に加臨して日を克す――上書して何の用かあらん、白く貶謫流放を招来するのみ。
寺簿驚曰現修書十條欲上,非因此乎。曰獻上即海外客也。寺簿曰某不上此書,其它有何禍福。曰寺簿生平其所虧有二,故滅前程,其一不孝母與母各居,其二寵妾而賤妻,若能改過,則吉,否則壽不永矣。應嘿嘿而去,蓋其所上書中內有一條言內張相劉四相等,或死或竄,實無辜。此時黃太師正忌此言,若上此書竄貶不免矣。夫丁日以卯為母,而酉制之,是不孝母也,本宮見巳,會起酉丑,是與母隔而不同居也。丁日申為妻,臨於午火受制之地,酉為妾反加日發用,而作貴人,是寵妾而賤妻也。丁自敗卯、死酉、絕亥,虧倫傷本,造物不容,何問前程耶。愚按應寺簿想是應貢元之弟,蓋寺薄先占而貢元后占也。
寺簿は驚きて言う:私はいまちょうど十条の奏議を擬し上せんと欲す――岂に説くはこの事ならんや。邵彦和が言う:奏し上げればすなわち海外の流放客を為さん。寺簿が言う:私はこの道の書を上せざらん――別の方面にまた何の禍福かある。邵彦和が言う:寺簿は平生両件の欠き負う所あり――まさにこれによって前程を毀す:一には母に孝順せず、母と分かれて別に住む。二には妾室を寵愛して正妻を軽賤す。もし改過すればすなわち吉、さもなくば寿数もまた長からざらん。応寺簿は黙然として去った。もとは彼の上す奏書の中に一条ありて、張相・劉四相らの或は死し或は流放するは実に冤枉なるを説いた。当時黄太師が最もこの種の話を忌諱した――この道の書は一たび上れば、貶謫流放は免れぬ。課理に就いて言えば:丁日は卯を以て母と為し、しかも酉が来て卯を克制す――これすなわち母に孝ならず。本宮に巳を見――巳は酉・丑を会合して局を成す――母と隔てて同住せざるである。丁日は申を以て妻と為し、申は午火に臨みて制せらるる所に在り。酉は妾――かえって日干の上に加わりて発用し、さらに貴人に乗る――これすなわち妾を寵みて妻を賤しむ。丁火は自ら卯において「敗」、酉において「死」、亥において「絶」――人倫を欠き根本を傷り、天地も容れず、まだ何の前程を問わんや。(程樹勳按:この応寺簿は思うに応貢元の弟ならん――寺簿が先に占い貢元が後に占うが故に。)
丁丑日に王子進が宅を占う(『一針見血』)
己酉年閏八月丁丑日巳將卯時王子進庚午生四十歲占宅。(一針見血)/勾合朱蛇/未申酉戌 空常貴朱 財酉朱◎/青午 亥貴 巳卯亥酉 官乙亥貴⊙/空巳 子后 卯丑酉丁 子丁丑陰/辰卯寅丑/虎常玄陰
己酉年閏八月の丁丑日、巳将を用い卯時に加えて課を起こし、王子進(庚午年生まれ、四十歳)が来て住宅を占った。この例は『一針見血』から出る。巳将を卯に加えるも同じく天盤は二位進む――ゆえに天地盤は上の一課と完全に同じ:地盤巳上に天盤の未は「勾陳」に乗り、午上の申は「六合」、未上の酉は「朱雀」、申上の戌は「螣蛇」、酉上の亥は「貴人」、戌上の子は「天后」、亥上の丑は「太陰」、子上の寅は「玄武」、丑上の卯は「太常」、寅上の辰は「白虎」、卯上の巳は「天空」、辰上の午は「青竜」。四課は:第一課、酉が丁に加わりて「朱雀」に乗る。第二課、酉上の亥は「貴人」に乗る。第三課、日支丑上の卯は「太常」に乗る。第四課、卯上の巳は「天空」に乗る。三伝は初伝酉(妻財、「朱雀」に乗り、空亡)、中伝亥(官鬼、「貴人」に乗る)、末伝丑(子孫、「太陰」に乗る)。以下の断語はちょうど四課の両両相冲と初中両伝の空亡のこの二点から手を入れる。
邵彥和曰:第一課與第三課沖,第二課與第四課沖,一課作初傳,二課作中傳,三課作宅,四課作行年。初中又是空亡,主所居之宅,乃五露無環抱之處,前後有路,沖射又有新喪之門在前,東主漏風,西主水直去,多招公事破財,風聲是非,男子先喪,婦人在家,主眾讀書不成,何不急就西方近陰人墳,靠山而居,不然則一紀之內,屋敗絕,人星散矣。
邵彦和が言う:第一課と第三課と相冲し、第二課と第四課と相冲す。第一課は取って初伝と為し、第二課は取って中伝と為し、第三課は住宅を看、第四課は行年を看る。初伝・中伝はまた皆空亡に落ち――住む所の宅子が四面遮なく毫も環抱なき地に処るを説明す。屋前屋後ともに道路が直ちに冲し、しかも前面にさらに一家の新たに喪事を辦した門戸あり。東辺は風が漏り、西辺は水流が笔直に泻走す。これを以て常に官司を招惹し銭財を破耗し、風言風語と是非とを閙出す。男主人は先に亡故し、ただ婦人が家を守るのみ。一家子は書を読むも皆名堂を読み出せず。どうして速やかに西辺に搬って亡者の墳地に靠り背後に山あって依る可きの処に往きて住まざるか。さもなくば、十二年の内に房屋は敗壊し家人は星散せん。
王是秀才,其宅果在田坡中,一大路自南直下,渠乃騎路?宅。果是前後相剋,東邊曠蕩,更無收束。風不可當,西邊裡辛水,迢迢直去,自入此屋,只是破財,六畜不留,奴婢長走,婦人且有不良之名。占後見斷語切當,遂移過北方,近母墳而居。蓋四課相剋,相沖,更無一行不然此名空沖,主在五露之間居止。卯酉加在南北出入,主沖,行年上巳為風門,中傳亥為水路,末傳在西北角,丑為墳墓,惟此可居,前新喪之門,乃太常加卯也,因乳母死,將丑艮方開門出。一雲丑為墳墓,加亥,丁干見壬德合,故西北言近陰人之墓可居。鄭云丑帶丁,亥沖有壬,丁壬化木,生丁干,又壬為丁之德,故此處可選。愚按此課惟卯丑二支不空,但卯為敗神,不可居,惟丑為日支,支為宅加亥上,故西北可居。
王子進は秀才で、彼の家の宅子は果たして田坡の当中にあり、一条の大路が南面から直ちに冲り下り、房子はちょうど路の上に騎る(源文ここに一字缺く)。四面は確かに前後相克し、東辺は空曠遼闊で、一点の収束遮拦もなく、風は大きくて挡不住。西辺の辛方の水は遥かに笔直に流れ走る。自らこの所の房子に搬り入ってより、ただ財を破するのみ――六畜は養い活かさず、奴婢は総じて逃走し、婦人はさらに好からぬ名声を落下した。占い過ぎた後、彼は断語が句句切中するを見て、北面に搬りて母親の墳地に靠る処に往きて住んだ。もとは四課がすでに相克しまた相冲し、一行としてこの如くならざるなし――これを「空冲」と呼ぶ。主人が四面遮なき処に住むを主す。卯・酉は分かれて南北の出入の処に加わり、冲射を主す。行年上の巳は風門、中伝の亥は水路。末伝は西北角に落ち、丑はまた墳墓――ただこの方位のみ居住し得べし。いわゆる前面に新喪の門あるは、「太常」が卯の上に加わるが故――彼の家の乳母が去世し、丑・艮の方から門を開きて抬し出したが故。もう一つの説は:丑は墳墓を為し、亥の上に加わる――丁干は壬に遇えば天徳相合す。ゆえに西北に亡者の墳墓に靠る処に住み得べしと言う。鄭氏が言う:丑の中に丁を帶び、亥冲の中に壬あり――丁壬は木に化して帰り来て丁干を生ず。加うるに壬は丁の天徳――ゆえにこの方位は選び得べし。(程樹勳按:この一課はただ卯・丑の両支のみ空ならず。しかし卯は敗神――居住すべからず。ただ丑は日支――日支はすなわち宅――それが亥の上に加わる。ゆえに西北方に住み得べし。)
丁丑日に某が失馬を占う(『方本占案』)
正月丁丑日亥將申時某占失馬。(方本占案)/合朱蛇貴/申酉戌亥 勾虎陰蛇 兄壬午青/勾未 子后 未辰丑戌 子甲戌蛇/青午 丑陰 辰丑戌丁 子庚辰虎/巳辰卯寅/空虎常玄
正月の裡の丁丑日、亥将を用い申時に加えて課を起こし、某人が来て失くした馬を占った。この例は『方本占案』から出る。亥将を申に加え、天盤は地盤より三位進む:地盤巳上は天盤の申で「六合」に乗る。午上は酉で「朱雀」。未上は戌で「螣蛇」。申上は亥で「貴人」。酉上は子で「天后」。戌上は丑で「太陰」。亥上は寅で「玄武」。子上は卯で「太常」。丑上は辰で「白虎」。寅上は巳で「天空」。卯上は午で「青竜」。辰上は未で「勾陳」。丁日の寄宮は未にあり、未上に戌を得――第一課は戌が丁に加わりて「螣蛇」に乗る。第二課は戌上に丑を得て「太陰」に乗る。第三課は日支丑上に辰を得て「白虎」に乗る。第四課は辰上に未を得て「勾陳」に乗る。三伝は:初伝午(遁干は壬、兄弟爻、「青竜」に乗る)、中伝戌(遁干は甲、子孫爻、「螣蛇」に乗る)、末伝辰(遁干は庚、子孫爻、「白虎」に乗る)。馬を占うに午はちょうど馬の類神で、また発用して初伝と為る――これが断語の立論の根子である。
邵彥和曰:馬在東方寺院圍牆內不能出,須從一破門入去尋見,在己卯日也。果於二十五日己卯日,於東方寺院從輪藏前破門入牆內尋見。蓋午屬馬,作龍為用,類神在傳,故可尋見。破門者,午破卯,卯為門也。牆垣者,四土周圍也。
邵彦和が言う:馬は東方の一所の寺院の囲墻の裡にあって出られない――一道の破損した門から入ってやっと尋ね得る。日は己卯日に応ずべし。その後果たして二十五日己卯のこの日、東辺の寺院の裡にあって、転輪蔵の前の一道の破門から墻内に入って馬を尋ね得た。これは:午は十二支の中で馬に属し、午はまた「青竜」に乗りて発用して初伝と為る――馬の類神はすでに三伝に入る。ゆえに尋ね帰り得る。いわゆる「破門」は、午が卯を破り、しかも卯はちょうど門戸を代表す。いわゆる「墻垣」は、四課の中の辰・戌・丑・未の四土が環繞して囲を成す。
戊寅日
戊寅日に官訟を占う(『一針見血』)
戊寅日 將 時占官訟。(一針見血)/龍空虎常/子丑寅卯 玄朱貴龍 財丙子龍/勾亥 辰玄 辰酉未子 兄癸未貴/合戌 巳陰 酉寅子戊 官戊寅虎/酉申未午/朱蛇貴後
戊寅日に官司訴訟を占う――原書は月将と占時の両処とも空いて填めず――『一針見血』から出る。課盤から倒推すれば天盤は地盤より五位退する:地盤巳上は天盤の子で「青竜」に乗る。午上は丑で「天空」。未上は寅で「白虎」。申上は卯で「太常」。酉上は辰で「玄武」。戌上は巳で「太陰」。亥上は午で「天后」。子上は未で「貴人」。丑上は申で「螣蛇」。寅上は酉で「朱雀」。卯上は戌で「六合」。辰上は亥で「勾陳」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に子を得――ゆえに第一課は子が戊に加わりて「青竜」に乗る。第二課は子上に未を得て「貴人」に乗る。第三課は日支寅上に酉を得て「朱雀」に乗る。第四課は酉上に辰を得て「玄武」に乗る。三伝は:初伝子(遁干は丙、妻財爻、「青竜」に乗る)、中伝未(遁干は癸、兄弟爻、「貴人」に乗る)、末伝寅(遁干は戊、官鬼爻、「白虎」に乗る)。子と未とは相害し、初伝の子と末伝の寅とが一頭一尾――ちょうど以下の断語の着眼処である。
斷曰:子加戊為用子作青龍,未作貴人,乃子未六害為貴人怒而加罪。戊日所畏者,寅木雖云白虎金能解,殊不知是鼠頭虎尾,況青龍雖吉,見未則入墓反以青龍為害也,此課因遺漏事占之,後果斷徒。
断語に言う:子は戊の上に加わりて発用し初伝と為る――子は「青竜」に乗る。中伝の未は「貴人」に乗る。子と未とは六害を構成す――これすなわち貴人が怒を動かしてそれによって罪を加える象。戊日の怕るる所は寅木の官鬼――末伝の寅上に乗ずる「白虎」は金に属し金は能く木を制して解救し得べしと説くも、知らずや三伝の首尾は子鼠・寅虎――まさにいわゆる「鼠頭虎尾」――一頭一尾皆凶。いわんや青竜は本は吉将――一たび未を見れば便ち木墓に入り、かえって青竜をも変じて禍害と為す。この一課は一桩の失火走水の案子のために来て占うもので、後に果たして徒刑を判せられた。
戊寅日に援兵の何日に到るか・賊の何日に退くかを占う(『課経集』)
崇正壬午年正月初八戊寅日子將辰時占援兵何日到,賊何日退。(課經集)/空虎常玄/丑寅卯辰 后合朱空 兄甲戌合/龍子 巳陰 午戌酉丑 父壬午後/勾亥 午后 戌寅丑戊 官戊寅虎/戌酉申未/合朱蛇貴
崇禎壬午年正月初八の戊寅日、子将を用い辰時に加えて課を起こし、援軍はどの日に到り賊兵はどの日に退くかを占った。この例は『課経集』から出る。子将を辰に加え、天盤は地盤より四位退する:地盤巳上は天盤の丑で「天空」に乗る。午上は寅で「白虎」。未上は卯で「太常」。申上は辰で「玄武」。酉上は巳で「太陰」。戌上は午で「天后」。亥上は未で「貴人」。子上は申で「螣蛇」。丑上は酉で「朱雀」。寅上は戌で「六合」。卯上は亥で「勾陳」。辰上は子で「青竜」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に丑を得――第一課は丑が戊に加わりて「天空」に乗る。第二課は丑上に酉を得て「朱雀」に乗る。第三課は日支寅上に戌を得て「六合」に乗る。第四課は戌上に午を得て「天后」に乗る。三伝は:初伝戌(遁干は甲、兄弟爻、「六合」に乗る)、中伝午(遁干は壬、父母爻、「天后」に乗る)、末伝寅(遁干は戊、官鬼爻、「白虎」に乗る)――戌午寅はちょうど合して火局を成す。
郭御青曰:此課乃丁督師長公,在汴城頭上所占督臺命予斷,予斷三傳喜火局生身,但嫌干上丑為合中犯煞到十三癸未日,沖雲丑字,則援兵到而賊退矣。果干十三日左兵有信,十五日賊移營去。愚按此課之所以賊退者,實因未克初傳也,觀十五是乙酉日非明微乎。
郭御青が言う:この一課は丁督師の長公子が開封城頭の上で占ったもので、督台が私を叫んで断えさせた。私は三伝が合して火局を成して来て日主の戊土を生ずを断じ――この一点は喜ぶべし。ただ日干上の丑が合局の中に在りながらまた煞を犯すを嫌む。十三日癸未に至れば、未が来てこの丑の字を冲開し、援兵はすなわち到り賊兵はすなわち退かん。結果十三日のあの日に左良玉の部に消息あり、十五日に賊軍はすなわち営を拔いて離去した。(程樹勳按:この一課の賊兵が退走する所以は、実際は未が来て初伝を克制するがため。請う応期が十五日乙酉に落つるを看よ――これ明白なる証拠にあらずや。)
戊寅日に婚姻を占う(『直指』)
十月戊寅日寅將巳時占婚姻。(直指)/龍勾合朱/寅卯辰巳 后常常龍 官戊寅龍/空丑 午蛇 申亥亥寅 財乙亥常/虎子 未貴 亥寅寅戊 子申後◎/亥戌酉申/常玄陰后
十月の裡の戊寅日、寅将を用い巳時に加えて課を起こし、婚姻を占問した。この例は『直指』から出る。寅将を巳に加え、天盤は地盤より三位退する:地盤巳上は天盤の寅で「青竜」に乗る。午上は卯で「勾陳」。未上は辰で「六合」。申上は巳で「朱雀」。酉上は午で「螣蛇」。戌上は未で「貴人」。亥上は申で「天后」。子上は酉で「太陰」。丑上は戌で「玄武」。寅上は亥で「太常」。卯上は子で「白虎」。辰上は丑で「天空」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に寅を得――第一課は寅が戊に加わりて「青竜」に乗る。第二課は寅上に亥を得て「太常」に乗る。第三課は日支もまた寅で、上に亥を得て「太常」に乗る。第四課は亥上に申を得て「天后」に乗る。三伝は:初伝寅(遁干は戊、官鬼爻、「青竜」に乗る)、中伝亥(遁干は乙、妻財爻、「太常」に乗る)、末伝申(子孫爻、「天后」に乗る)。戊寅日は甲戌旬に属し、旬空は申酉にあり、ゆえに末伝の申は空亡に落ち――原書は「◎」を打ちて記と為す。
斷曰:四課雖是互合,卻不喜末傳之申作天后來剋日上寅,寅為官,夫星也。青龍亦為夫,受天后之克,夫妻必不睦,且陰不務,必然剋夫。
断語に言う:四課の間は互いに和合するも、末伝の申が「天后」に乗りてかえって来て日干上の寅を克するを喜ばない。寅は官鬼――婚姻を占う時官鬼はすなわち丈夫を代表す。寅上に乗ずる「青竜」も同じく丈夫を代表す。いま丈夫の両重の象は皆「天后」に克せられ――「天后」は婚姻課の裡で女方を代表す――夫妻は必ず不和睦なりと見える。しかも女方の陰気は安分せず、最終に必ず夫を克せん。
戊寅日に来意を占う(『一字玉連環』)
四月戊寅日申將酉時占來意。(一字玉連環)/合朱蛇貴/辰巳午未 虎空勾合 財丙子虎/勾卯 申后 子丑卯辰 財乙亥常/龍寅 酉陰 丑寅辰戊 兄甲戌玄/丑子亥戌/空虎常玄
四月の戊寅日、申将を用い酉時に加えて課を起こし、来た人の来意を占った。この例は『一字玉連環』から出る。申将を酉に加え、天盤は地盤より一位退する:地盤巳上は天盤の辰で「六合」に乗る。午上は巳で「朱雀」。未上は午で「螣蛇」。申上は未で「貴人」。酉上は申で「天后」。戌上は酉で「太陰」。亥上は戌で「玄武」。子上は亥で「太常」。丑上は子で「白虎」。寅上は丑で「天空」。卯上は寅で「青竜」。辰上は卯で「勾陳」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に辰を得――第一課は辰が戊に加わりて「六合」に乗る。第二課は辰上に卯を得て「勾陳」に乗る。第三課は日支寅上に丑を得て「天空」に乗る。第四課は丑上に子を得て「白虎」に乗る。三伝は:初伝子(遁干は丙、妻財爻、「白虎」に乗る)、中伝亥(遁干は乙、妻財爻、「太常」に乗る)、末伝戌(遁干は甲、兄弟爻、「玄武」に乗る)――子亥戌は一路逆退す。以下の徐次賓の断語は十二月将の別名を用いる:子は「神後」、亥は「登明」、戌は「天魁」、辰は「天罡」と呼ぶ。
徐次賓曰:來意主外望北面陰暗之財,為姓王人所把其人怒惡,兩分其財也。蓋時為日干三合,與空亡並之,又為夜時癸用,亥子為北面,值事門上見太陰,主蒙蔽神后登明俱為日下之財,又亥子皆為陰私故知北面陰暗之財也,何知姓王人所把,緣末傳見天魁屬土,下臨亥屬水,水數一,一加土為王字,天魁為奴,上見元武,天魁亦取亥子為財,故為王姓所把。其本人怒惡者,日上見天罡,主怒惡也。戊與戌俱取二水為財物也。言兩分其財者。
徐次賓が言う:来た人の意図は、外に在りて北方の一笔の光を見得ざる銭財を指望する――この筆の財は一人の姓が王の人に把持せられ、あの人は性情暴躁にして凶悪、財を両份に分かたんと欲す。理由は:占時と日干とは三合を構成し、また空亡と併びて一処に在り、加うるに夜に属して占い癸を用いる。亥・子は方位上は北方に属す。値事の門の上に「太陰」を見――蒙蔽遮掩せらるるを主す。「神後」子と「登明」亥は皆日干の克する財爻で、しかも亥・子はまた皆隠私陰暗を主る――ゆえに北方の陰暗の処の財と知る。どうして姓が王の人に把持せらると知ったか。末伝に「天魁」戌を見――戌は土に属し、下に亥に臨み、亥は水に属し、水の成数は一――「一」字を「土」字の上に加えればちょうど一つの「王」字。「天魁」は人事の上で僕役を代表し、上にまた「玄武」に乗りて盗を主る。しかも「天魁」は同じく亥・子を以て財と為す――ゆえに姓が王の人に把持せらると断ず。あの人が性情暴躁凶悪と言うは、日干上に「天罡」辰を見――辰は暴怒凶悪を主るが故。戊土と戌土とは皆両重の水を以て財物と為す――ゆえにこの筆の財を分かちて両份と為すと言う。(源文はこの一句ただ「言両分其財者」と写して便ち断え、下文に脱漏あり。)
戊寅日に訟を占う(『牧夫占験』)
乾隆辛巳年酉月戊寅日巳將巳時占訟。(牧夫占驗)/勾龍空虎/巳午未申 蛇蛇勾勾 父辛巳勾/合辰 酉常 寅寅巳巳 子申虎◎⊙/朱卯 戌玄 寅寅巳戊 官戊寅蛇/寅丑子亥/蛇貴后陰
乾隆辛巳年酉月の戊寅日、巳将を用い巳時に加えて課を起こし、一桩の官司を占った。この例は『牧夫占験』から出る。月将と占時とは相同じ――天盤と地盤とは完全に重合し、「伏吟課」である:地盤巳上は依然として天盤の巳で「勾陳」に乗る。午上は午で「青竜」。未上は未で「天空」。申上は申で「白虎」。酉上は酉で「太常」。戌上は戌で「玄武」。亥上は亥で「太陰」。子上は子で「天后」。丑上は丑で「貴人」。寅上は寅で「螣蛇」。卯上は卯で「朱雀」。辰上は辰で「六合」。戊日の寄宮は巳にあり、第一課は巳が戊に加わり、第二課は巳が巳に加わる――ともに「勾陳」に乗る。日支寅は下に在り、第三課・第四課はともに寅が寅に加わりて「螣蛇」に乗る。三伝は:初伝巳(遁干は辛、父母爻、「勾陳」に乗る)、中伝申(子孫爻、「白虎」に乗り、空亡に落ち)、末伝寅(遁干は戊、官鬼爻、「螣蛇」に乗る)。寅は巳を刑し、巳は申を刑し、申は寅を刑して本なら三刑を構成し得べし――しかし中伝の申は空いて、三刑は搭わり攏まらない。これが断語の関鍵である。
王牧夫曰:此官司受累己久沉摞,反無事,若挑動???利囿。反改壓氣,託人亦無益。文書不可遁久自消釋????事。動為??????蛇。官鬼比吏,?也。寅合亥,乃日財,事情??????,寅能制干如此。安有不呻吟者乎。喜中傳空不能成三刑,寅雖刑巳,無申可渡,故宜沉擱,不宜挑動,伏吟主靜,亦其禮也。且巳乃太歲生日。太歲作德祿為勾陳。勾陳主留滯,留滯久自得恩星化釋也。餘言其象,占者歎服。
王牧夫が言う:この桩の官司は拖累すでに久しく、それをこの如く擱置せしめれば、かえって事を出さない。もしそれを挑動しに行けば(源文ここに三字缺く)、かえって圧制の気を招来し、人に託して情を説くも用なし。案巻文書は躲避しに行くに及ばず――拖えば久しくして自然に消解す(ここに四字缺く)。挙動する所有れば(六字缺く)螣蛇。官鬼は人事の上で胥吏に比作す(一字缺く)。寅は亥と相合し、亥はちょうど日干の財爻――事情(六字缺く)、寅は能くこの如く日干を制住せば、人に苦しみを叫ばしめざるの理あらんや。喜ぶべきは中伝が空に落ちて三刑を凑わせ成さざること:寅は巳を刑するも、中間に申あって接渡するなし――ゆえに此案は擱置するに宜しく、挑動するに宜しくない。伏吟課はもともと静止不動を主る――これもまたその常理である。いわんや巳は太歳の生ずる日――太歳は徳禄と化して「勾陳」に乗り、「勾陳」は留滞を主る。滞留すれば久しくして自ずから恩星あるが来て化解せん。私はただ課象に就いて直に説くのみ――占問する人は聴いて十分に歎服した。(この段の断語は原書の残缺の処甚だ多く、「?」を以て標出す。)
程桐江が文書の事を占う(『牧夫占験』・日時はすでに失す)
餘記昔年寓缺口白衣?,程桐江姐文寓東隱?相隔一街,午後至余寓談敘。偶占文書事,因臨淮口岸,鹽價為本縣所詳。督批運司朱公,桐兄請引例,致朱公回詳,受督駁既而朱公忽墜貴州巡道。代受繫滿州舒公到即交印桐兄悶極無印。那能行文書。余曰,數象如此。尚有證,若驗即依我行之如何。桐兄問何證。余曰今日有人送魚與汝食,如數不驗,不必打。桐兄拉餘同回。以證此驗,繞至巷門家出回稟載南老爺,送?魚,桐兄大笑,即依數將原稿?求朱公,朱公雲是我手內事,印雖交,餘用墨詳去,督批?縣結案此數惜失日時,尚能記其大概。蓋彼行年上,舊太陽作恩星,今日始換將,舊太陽未遂故曰舊官結案,送魚者,支上見亥乘六合也,亥為魚存此以見數理之不妄也。
私が記えるに早年缺口の白衣の某処に寄住し(源文一字缺く)、程桐江は東隠の某処に寓居し(一字缺く)、両処はただ一条街を隔つるのみ。ある日の下午、彼は我が寓所に到りて閑談し、便りに一件の公文の事を占った。事情はこうである:臨淮口岸の鹽価は本県が上報し、総督は批して運司の朱公に交えて辦理せしめた。桐兄は旧例を援引することを請求したが、結果朱公の回文は総督に駁し帰られた。まもなく朱公は忽然貴州巡道に降調せられ、接任するは満洲人の舒公――一たび到任すればすなわち印を交えんと欲す。桐兄は悶えて办法なし:印は皆交え出した――まだどうして行文せん。私が言う:課象はすなわちこの如し――さらに一つの憑証あり。もし応験すれば、私の説く所に照らして行かんは如何。桐兄は何の憑証かと問う。私が言う:今日人あるが魚を送りてあなたに食わしめん。もしこの数が応験せざれば、あなたもまた我を怪しむなかれ。桐兄は私を拉して一同に帰りて印証せんとし、巷門口に繞り到れば、家裡の人が出で来て回稟して言うには南老爺が魚を送り来た(一字缺く)。桐兄は大笑し、すなわち私の説く所に照らして元の稿子(一字缺く)を朱公に呈した。朱公が言う:これは本は我が手裡の経辦した事――印は交えたといえど、我はなお墨筆を用いて批し出さん。総督は批し下り(一字缺く)県に由りて結案せん。この一課は惜しいことに日時を丢失した――ただ大概を記すのみ。もとは彼の行年上は旧の太陽が恩星を作す――当の日にやっと月将を換え、旧の太陽はまだ交替して過ぎず――ゆえに旧官に由りて結案すと言う。人あるが魚を送ると言うは、日支上に亥の「六合」に乗るを見――亥は類神の上でちょうど魚。この一例を記し留めるは、数理の虚妄ならざるを見る可きなり。
戊寅日に葉助教が前程を占う(『口鑑』・『宋本邵案』・『方本占案』・『直指』)
建炎己酉年五月戊寅日申將未時,葉助教戊寅生三十二歲占前程。(口鑑 宋本 邵案 方本占案 直指)/青空虎常/午未申酉 合朱空青 兄庚辰合/勾巳 戌玄 辰卯未午 父辛巳勾/合辰 亥陰 卯寅午戊 父壬午青/卯寅丑子/朱蛇貴後
建炎己酉年五月の戊寅日、申将を用い未時に加えて課を起こし、葉助教(戊寅年生まれ、三十二歳)が来て前程を占った。この例は『口鑑』『宋本邵案』『方本占案』および『直指』に見える。申将を未に加え、天盤は地盤より一位進む:地盤巳上は天盤の午で「青竜」に乗る。午上は未で「天空」。未上は申で「白虎」。申上は酉で「太常」。酉上は戌で「玄武」。戌上は亥で「太陰」。亥上は子で「天后」。子上は丑で「貴人」。丑上は寅で「螣蛇」。寅上は卯で「朱雀」。卯上は辰で「六合」。辰上は巳で「勾陳」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に午を得――第一課は午が戊に加わりて「青竜」に乗る。第二課は午上に未を得て「天空」に乗る。第三課は日支寅上に卯を得て「朱雀」に乗る。第四課は卯上に辰を得て「六合」に乗る。三伝は:初伝辰(遁干は庚、兄弟爻、「六合」に乗る)、中伝巳(遁干は辛、父母爻、「勾陳」に乗る)、末伝午(遁干は壬、父母爻、「青竜」に乗る)――辰巳午は順次相連なり――「進連茹」である。戊の陽刃は午にあり、午はまたちょうど日干の上に圧す――これが全課の病根である。
邵彥和曰:干支皆天羅羊刃,四課發傳歸於日上,主目下赴任,但值羅刃,主不終任,來歲行年到地盤亥上見子,即湊今日之地網,必阻父服。三十七歲到寅上見卯,即是今日支辰愚按卯加支上為官星故,從此行年算起,卯六數,初辰五數,中巳四數,共十五數。自三十七歲後迤邐赴任,綿綿不斷一氣鄭云午而監司在末傳終於此職,合作監司之職,愚按午作青龍不但為天羅陽刃,且克太歲必主降官也。十五年後入午天羅陽刃,必降官閒住;再八年,連前十五年共二十三年而壽阻。愚按來歲是庚戌行年三十三歲在戌不在亥。
邵彦和が言う:日干と日支の上に皆天羅・羊刃を帶び、四課の発する三伝は最後にまた日干上に帰す――眼下すなわち赴任するを主す。ただ羅網と陽刃に碰上するを――この一任は底を為し得ないを主す。明年行年は地盤の亥上に走り到り、亥上に子を見――ちょうど今日課裡の地網を凑成す――必ず父喪によって中断せん。三十七歳に行年は寅上に到り、寅上に卯を見――卯はすなわち今日の日支上の神(程樹勳按:卯が日支上に加わるは官星――ゆえにこのように言う)。この行年から下に算す:卯数は六、初伝の辰数は五、中伝の巳数は四――合わせて十五。三十七歳以降は便ち接続して赴任し、一路断えず(鄭氏が言う:午は末伝にあり、監司のこの職を為してすなわち頭に到る――ちょうど監司の職に当るを合す。程樹勳按:午は「青竜」に乗る――ただ天羅・陽刃のみならず、しかも太歳を克す――必ず降官を主す)。十五年の後行年は午に入り、また天羅・陽刃に碰上す――必ず降職して閑住せん。さらに八年を過ぎ、前の十五年と連ねて共に二十三年――寿数はすなわち頭に到る。(程樹勳按:明年は庚戌――行年三十三歳は応に戌に在り、亥に在らず。)
葉氏助教二甲二名高中授撫州教官,己酉年八月上任,庚戌年四月丁父憂,三十七歲得國學錄三十八歲名試館職高中得除國子監丞,四十一歲除太常寺丞,四十四歲遷工部待郎,四十六歲遷尚書都官朗中。四十九歲除司農少卿,五十一歲,淮西總領兼少卿。當年又兼淮西運使,五十二歲上,支軍糧交爭降三級,鄭云陽刃主兵凶,午為倉庫,故因支軍糧交爭而罷官。
葉助教は二甲第二名に高中し、撫州教官に授けられ、己酉年八月に上任し、庚戌年四月に父喪に遭った。三十七歳に国学録を得、三十八歳に館職の考試に応じてまた高中し、国子監丞に授けられた。四十一歳に太常寺丞を除し、四十四歳に工部侍郎に升り、四十六歳に尚書都官郎中に升り、四十九歳に司農少卿を除し、五十一歳に淮西総領兼少卿に任じ、当年また淮西運使を兼ねた。五十二歳の上に至り、支放軍糧のために争執を起こし、三級降せられた。鄭氏が言う:陽刃は刀兵の凶を主り、午はまた倉庫の象――ゆえにちょうど支放軍糧のために争執して官を罷むに応じた。
愚按五十二歲行年在己再見午火陽刃。停見任自此間,居八年死。
(程樹勳按:五十二歳のあの年は行年は巳にあり、又一次午火の陽刃に遇う。現任の官职はこれより停住し、此の後閑居八年にして死す。)
戊寅日に劉五官が店を占う(『口鑑』・『方本占案』)
乙卯年十月戊寅日寅將丑時劉五官己巳生四十七歲占店。(口鑑 方本占案)/蛇貴后陰/午未申酉 合勾貴蛇 兄庚辰合/朱巳 戌玄 辰卯未午 父辛巳朱/合辰 亥常 卯寅午戊 父壬午蛇/卯寅丑子/勾青空虎
乙卯年十月の戊寅日、寅将を用い丑時に加えて課を起こし、劉五官(己巳年生まれ、四十七歳)が来て一処の店舗を占った。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。寅将を丑に加えるも同じく天盤は一位進む――ゆえに天地盤は上の一課と同じ。ただ丑時は夜占に属し、夜貴を用いる――十二天将の排布はこれに随いて改変す:地盤巳上に天盤の午は「螣蛇」に乗り、午上の未は「貴人」、未上の申は「天后」、申上の酉は「太陰」、酉上の戌は「玄武」、戌上の亥は「太常」、亥上の子は「白虎」、子上の丑は「天空」、丑上の寅は「青竜」、寅上の卯は「勾陳」、卯上の辰は「六合」、辰上の巳は「朱雀」。四課は:第一課、午が戊に加わりて「螣蛇」に乗る。第二課、午上の未は「貴人」に乗る。第三課、日支寅上の卯は「勾陳」に乗る。第四課、卯上の辰は「六合」に乗る。三伝は依然として辰・巳・午:初伝辰(兄弟爻、「六合」に乗る)、中伝巳(父母爻、「朱雀」に乗る)、末伝午(父母爻、「螣蛇」に乗る)。
邵彥和曰:此課三傳被日辰夾定,占店終久得之。得亥卯未生人方成,目下雖然杜賣,三年後賣主一定來贖此店,卻發嗣後,四五六年,方得頭尾清楚,然必再求方得。謂日辰拋離後再贖故也,恐後有司事業不一,此屋死人多,無氣故也。死氣加宅為日鬼故死人多。
邵彦和が言う:この一課の三伝は日干と日支に両頭から挟まる――店舗を占えば終に手に到る。ただ亥・卯・未年生まれの人あるが中から撮合せばやっと成り得る。眼下は絶売断契なれど、三年の後売主は必ず帰り来てこの間の店を贖わん。此の後また四五六年を過ぎて、やっと首尾を料理し清める能く、しかも必ず再び彼を求めに往かねば真に手に得ること能わず――これは日干と日支とが先に分かれ、後にまた頭を回らして相贖う故である。ただ日後に経営する行当は一种に止まらざるを恐れる。この所の房子の裡は死んだ人が多い――それは生気なきが故。死気が宅位に加臨し、また化して日干の官鬼を作す――ゆえに死人が多い。
戊寅日に方県尉が前程を占う
己酉年五月戊寅日申將辰時方縣尉己卯生三十一歲占前程。/勾合朱蛇/酉戌亥子 合虎貴勾 兄丁丑貴⊙/青申 丑貴 戌午丑酉 父壬午虎/空未 寅后 午寅酉戊 子酉勾◎/午巳辰卯/虎常玄陰
己酉年五月の戊寅日、申将を用い辰時に加えて課を起こし、方県尉(己卯年生まれ、三十一歳)が来て前程を占った。申将を辰に加え、天盤は地盤より四位進む:地盤巳上は天盤の酉で「勾陳」に乗る。午上は戌で「六合」。未上は亥で「朱雀」。申上は子で「螣蛇」。酉上は丑で「貴人」。戌上は寅で「天后」。亥上は卯で「太陰」。子上は辰で「玄武」。丑上は巳で「太常」。寅上は午で「白虎」。卯上は未で「天空」。辰上は申で「青竜」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に酉を得――第一課は酉が戊に加わりて「勾陳」に乗る。第二課は酉上に丑を得て「貴人」に乗る。第三課は日支寅上に午を得て「白虎」に乗る。第四課は午上に戌を得て「六合」に乗る。三伝は:初伝丑(遁干は丁、兄弟爻、「貴人」に乗る)、中伝午(遁干は壬、父母爻、「白虎」に乗る)、末伝酉(子孫爻、「勾陳」に乗る)。戊寅日は甲戌旬に属し、空亡は申酉にあり、ゆえに日干上の酉と末伝の酉は皆空に落ち――断語の「日上空亡破碎」とはすなわちここを指す。
邵彥和曰:日上空亡破碎,到好處,又被不中事奪了。勾陳乘子息,時下有八年,且赴一任半,要特達須待五十四歲,方可言升遷。只做刑部官,長子中子俱不得受陰,下稍第三子受之。五十四後再十四年,得邊上太守,帶武職而終。方後果授溫州樂清尉,任滿調饒州,任滿又調宣州南凌軍到任十四月丁母服歸。恰好八年也。嗣後丁父服,又丁生母服直至五十三上,得台州黃岩縣,又得提刑司干官,任滿遷大理寺正出知和州,兼淮上兵馬路鈐朝請郎致仕。長次子俱不得受恩,第三子受恩。
邵彦和が言う:日干上の神はすでに空亡に落ちまた破碎に値う――好処に到らんとする毎に、便ちいささかの相干ならざる事情に奪い去られる。「勾陳」は子孫爻の上に乗る――眼前さらに八年の光景あり、一任半の官に赴き得る。顕達出頭せんと欲すれば、須く五十四歳を待つべし――あの時やっと升遷を談じ得る。一生ただ刑部の一路の官を為すのみ。長子・次子は皆蔭封を得ず、末に至って第三の兒子に由りて蔭を受く。五十四歳の後さらに十四年を過ぎれば、辺地の太守を為し得、武職を帶びて終老せん。方県尉は後に果たして温州楽清県尉に授けられ、任満して饒州に調し、任満してまた宣州南陵軍に調した。到任十四ヶ月の上に母喪に遭い家に帰り――前後恰好八年。此の後また父喪に遭い、再生母の喪に遭い、直に五十三歳の上に拖至して、やっと台州黄巖県を得、また提刑司干官を得た。任満して大理寺正に升り、出でて和州を知り、淮上兵馬路鈐を兼ね、朝請郎を以て致仕した。長子・次子は皆恩蔭を得ず、ただ第三の兒子のみ恩蔭を受けた。
蓋行年在酉,青龍在辰,從酉數至辰,八年也愚按行年何嘗在酉,此門人錯疏也,想邵公以丑為八年,丑作貴人故耳。又五十四上顯者,日上酉六,辰上午九,六九五十四也愚按此亦門人錯疏何也,酉為空亡破碎敗神,午為陽刃白虎,何得取此斷顯達之年,想邵公之意?以午為天羅主孝服況並白虎凶神,午九加寅七,共十六年,三十一起八年共十六年,是五十四歲也。十四年又遷者,丑加酉,丑八酉六,相併得十四也。丑作貴加酉,虎視課,主邊郡武職也。第三子受恩者,丑作貴人,季乃三也。
(門人の疏解に言う:)行年は酉にあり、青竜は辰にあり――酉から辰に数えてちょうど八年(程樹勳按:行年は何ぞ嘗て酉に在らんや。これは門人の抄し誤れるなり。私は想うに邵公は丑を以て八年を定めた――丑上に貴人が乗るが故)。また五十四歳の上に顕達すと言うは、日干上の酉数は六、日支上の午数は九――六九五十四(程樹勳按:これもまた門人の抄し誤れるなり。どうしてこのように言うか。酉は空亡・破碎・敗神、午は陽刃・白虎――どうしてこの両個を以て顕達の年を断じ得んや。私は想うに邵公の本意は、恐らく午を以て天羅として孝服を主ると為し、いわんやまた白虎の凶神に併ぶ――午数九に寅数七を加えて共に十六年、三十一歳から起り、先に八年、再び合して共に十六年――ちょうど五十四歳)。いわゆる十四年の後また升遷すとは、丑が酉の上に加わり、丑数は八、酉数は六――相加えて十四を得。丑は貴人に乗りて酉の上に加わり、虎視の課を成す――ゆえに辺郡の武職を主す。第三の兒子が恩蔭を受くるは、丑が貴人に乗り、しかも丑は四季の中に在りて末季に属す――季はすなわち排行第三。(源文この段の中に一処の缺字あり、「?」と作す。)
戊寅日に応解元が前程を占う
戊申年戊寅日午將子時應解元辛未生三十八歲占前程。/勾龍空虎/亥子丑寅 虎蛇陰勾 官戊寅虎⊙/合戌 卯常 寅申巳亥 子申蛇◎/朱酉 辰玄 申寅亥戊 官戊寅虎⊙/申未午巳/蛇貴后陰
戊申年の戊寅日、午将を用い子時に加えて課を起こし、応解元(辛未年生まれ、三十八歳)が来て前程を占った。午将を子に加え、天盤と地盤とちょうど六位相隔つ――「返吟課」である:地盤巳上は天盤の亥で「勾陳」に乗る。午上は子で「青竜」。未上は丑で「天空」。申上は寅で「白虎」。酉上は卯で「太常」。戌上は辰で「玄武」。亥上は巳で「太陰」。子上は午で「天后」。丑上は未で「貴人」。寅上は申で「螣蛇」。卯上は酉で「朱雀」。辰上は戌で「六合」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に亥を得――第一課は亥が戊に加わりて「勾陳」に乗る。第二課は亥上に巳を得て「太陰」に乗る。第三課は日支寅上に申を得て「螣蛇」に乗る。第四課は申上に寅を得て「白虎」に乗る。三伝は:初伝寅(遁干は戊、官鬼爻、「白虎」に乗る)、中伝申(子孫爻、「螣蛇」に乗り、空亡に落ち)、末伝はまた寅(官鬼爻、「白虎」に乗る)――首尾は皆身を克する官鬼で、中間に一つの空亡を挟む――全く依拠なし。
邵彥和曰:此課主人脫空亂語,侮弄神祗,絕德喪身,命將不久。宜速禱神修德,前程未料,否則喪無日矣。蓋戊德在巳,巳絕在亥,且又受克,宅受申克,申又上克宅寅,申為寺觀,申乃空亡,是空中神祗來克我也。我去又遭彼克,是喪無日矣。亥乃天門,作勾陳,是天欲勾追也,故主多凶。應字仲敏,為人輕狂,貪酒色,家中姬妾最多,常攜妓於祠廟中飲宴又侵數象人造寺院之財,以為酒色之樂。故先生戒之,應遂修身齋戒改過,盡將田產變賣,修造寺院,後至庚戌年十二月二十九夜死,冥君以其修省放還陽間,應嘗自述於人不諱。
邵彦和が言う:この一課はこの人が話を虚浮荒誕にし、神明を軽慢戯弄し、徳行は断絶し身命は将に喪せんとす――性命は長久ならざるを主す。応に速やかに神を禱し徳を修むべし。前程如何はなお談ずるに及ばず――さもなくば喪期すなわち眼前に在らん。原因は:戊の天徳は巳にあり、しかも巳は亥に到れば便ち絶地――いわんやまた克せられ。宅位は申の克を受け、申はまたかえって上に宅位の寅を克す。申は類神の上では寺観――いま申はちょうど空亡に落ち――これすなわち空門の裡の神明が来て我を克す。我は去りて人家を侵犯し、人家はまた頭を回らして来て我を克す――ゆえに喪期は眼前に在りと言う。亥は天門――上に「勾陳」に乗る――上天の来て勾攝追捕せんとするに等しい。これを以て多凶と断ず。応解元は字を仲敏、人となり軽狂、酒色を貪戀し、家中の姫妾は極めて多く、常に妓女を帶びて祠廟の裡に飲宴し、また幾家かの人が施造する寺院の銭財を侵占し、拿去して自己の酒色の楽しみを供えた。ゆえに邵先生は彼を告誡した。応仲敏はそこで身を修め斎戒し、痛く前非を改め、田産を全部変売し、用いて寺院を修造した。後に庚戌年十二月二十九日の夜に死し、陰間の冥君は彼が能く悔過修省するにより、彼を放し帰して陽間せしめた。この事は応仲敏が自ら常に人に向かって講述し、並びに忌諱しなかった。
戊寅日に張貞明のために会場を占う(『郭氏占案』)
崇正丁丑科二月初八日戊寅日京邸為張貞明姻親占會場亥將巳時。(郭氏占案)/朱蛇貴後/亥子丑寅 后龍常朱 官戊寅後⊙/合戌 卯陰 寅申巳亥 子申龍◎/勾酉 辰玄 申寅亥戊 官戊寅後⊙/申未午巳/龍空虎常
崇禎丁丑科二月初八日・戊寅日、京城の寓所の裡にて姻親の張貞明のために会試の場事を占い、亥将を用い巳時に加えて課を起こした。この例は『郭氏占案』から出る。亥将を巳に加え、天盤と地盤とは六位相隔つ――依然として「返吟課」:地盤巳上は天盤の亥で「朱雀」に乗る。午上は子で「螣蛇」。未上は丑で「貴人」。申上は寅で「天后」。酉上は卯で「太陰」。戌上は辰で「玄武」。亥上は巳で「太常」。子上は午で「白虎」。丑上は未で「天空」。寅上は申で「青竜」。卯上は酉で「勾陳」。辰上は戌で「六合」。戊日の寄宮は巳にあり、巳上に亥を得――第一課は亥が戊に加わりて「朱雀」に乗る。第二課は亥上に巳を得て「太常」に乗る。第三課は日支寅上に申を得て「青竜」に乗る。第四課は申上に寅を得て「天后」に乗る。三伝は:初伝寅(遁干は戊、官鬼爻、「天后」に乗る)、中伝申(子孫爻、「青竜」に乗り、空亡に落ち)、末伝は依然として寅(官鬼爻、「天后」に乗る)。日干上の亥は戊の妻財爻で、恰好音信文書を主る「朱雀」に乗る。寅午戌日の駅馬はちょうど申にあり、すなわち中伝に在り――この両点が断語の落脚の処である。
郭御青曰:餘嫌反吟不美,時以課中財爻朱雀加干,驛馬在中傳,一、二日內必家中送盤費人來也。初九日,果家中人至,送銀一封。張君尚未知數,至初十出場。張君過余寓云:家信果至,銀錢幾何?余曰:發用七數,干上四數,必七兩四錢也;張君大笑。餘於此課亦偶中耳,定數最壬課之難者。
郭御青が言う:私はこれが返吟課なるを嫌い、象は好からず。しかし当時課中の妻財爻が「朱雀」に乗りて日干の上に加わるを見、駅馬はまた中伝に落ち――すなわち一二日の内に必ず家裡の人の盤纏を送り来るあるを断じた。初九日、家裡の人は果たして到り、一封の銀子を送り来た。張君は当時まだ我が数目を断じたを知らず、初十に至ってやっと考場を出た。彼は我が寓所に到りて来て言うには:家信は果たして到った――あなたの説く銭銭は多少あるか。我が言う:発用の寅数は七、日干上の亥数は四――必ず七両四銭ならん。張君は大笑した(分毫差なきが故)。我はこの一課の上でも過ぐるは偶然説き中れたのみ。具体の数目を断定するは、六壬課の裡の最も難き一件事である。
己卯日
己卯日に韓太守が祈雪を占う(『口鑑』・『方本占案』・『捷要』)
建炎三年己酉歲十一月初四己卯日寅將酉時韓太守占祈雪。(口鑑 方本占案 捷要)/朱合勾青/戌亥子丑 青貴玄勾 父辛巳玄/蛇酉 寅空 丑申巳子 兄甲戌朱/貴申 卯虎 申卯子己 官己卯虎/未午巳辰/後陰玄常
建炎三年己酉歳十一月初四の己卯日、寅将を用い酉時に加えて課を起こし、韓太守が祈雪のために来て占った。この例は『口鑑』『方本占案』『捷要』に見える。寅将を酉に加え、天盤は地盤より五位進む:地盤巳上は天盤の戌で「朱雀」に乗る。午上は亥で「六合」。未上は子で「勾陳」。申上は丑で「青竜」。酉上は寅で「天空」。戌上は卯で「白虎」。亥上は辰で「太常」。子上は巳で「玄武」。丑上は午で「太陰」。寅上は未で「天后」。卯上は申で「貴人」。辰上は酉で「螣蛇」。己日の寄宮は未にあり、未上に子を得――第一課は子が己に加わりて「勾陳」に乗る。第二課は子上に巳を得て「玄武」に乗る。第三課は日支卯上に申を得て「貴人」に乗る。第四課は申上に丑を得て「青竜」に乗る。三伝は:初伝巳(遁干は辛、父母爻、「玄武」に乗る)、中伝戌(遁干は甲、兄弟爻、「朱雀」に乗る)、末伝卯(遁干は己、官鬼爻、「白虎」に乗る)。巳・戌・卯は毎に五位を隔てて逓進す――ちょうど六壬中の「鋳印課」である。己卯日は甲戌旬に属し、空亡は申酉にあり、ゆえに日支上に貴人に乗る申は空である。
邵彥和曰:數日來,天氣和暖,宛如三九月,州縣祈雪,皆無響應,今得此課,今日天色必變,巳時風起轉寒觀此句是早晨占,而得酉時也,未時有雨,亥時作雪,厚有七寸。眾官皆笑曰:今日晴暖,雪從何來?待至巳時,果然風起。霎時雲合,未時微雨,眾官散後,北風大作,甚冷,二更後下雪,至次日未時止,果積七寸。
邵彦和が言う:この幾日天気は暖和で、简直に三月・九月の如し――各州县の祈雪は皆感応なし。今日この一課を得――当日天色は必ず変せん:巳時に風起きて冷に転じ(程樹勳按:この句を看れば清早に占いしを知る可し――しかるに酉時の課を起こしたり)、未時に雨を下し、亥時に雪を下し始め、七寸の厚さに積る能きべし。在座の衆官は皆笑うて言う:今日この如く晴暖に――雪は何処より来たらん。巳時に及び、果たして風起き、頃刻の間に雲層合攏す。未時に小雨を下す。衆官散じ去りて後、北風大作り、天気極めて冷。二更の後雪を下し始め、直に次日の未時に下り到ってやっと停まる――積雪は果たして七寸。
蓋此課,火伏於下,水升於上,不拘占雨占雪,皆當日有。況申為夜貴,正是權柄。日上又見天河之水,騰運乎上,必流乎下。初傳巳火臨子被克,上見元武水夾克,變成大風雪。況巳戌卯鑄印,春夏秋必雨,冬必雪。末傳卯作白虎,與申皆是白色,申乃空亡,正空中降下之象。夫火伏於下,水升於上,一雨也;申子為水,加臨日辰,二雨也;三傳順行,三雨也;卯為雷,雷過西方為虎所制,雖冬月無雷,豈無雪乎?子作勾陳,占雨主連綿、主雪,主深厚。又凡鑄印課占吉少成,占凶多就,占病無空亡解,占天時必大雨雪。
この一課を推究す:火は下に潜伏し、水は上に上昇す――雨を占うと論ぜず雪を占うと論ぜず、当日に皆あらん。いわんや申は夜間の貴人で、ちょうど権柄を握る。日干上にまた子を見――子は天河の水――水はすでに上に腾挙せられ――必ず流泻し下らん。初伝の巳火は子の上に臨みて克せられ、上にまた「玄武」のこの水神ありて挟みてこれを克す――そこで化して大風雪を成す。加うるに巳・戌・卯は「鋳印課」を組成す――この種の課は春夏秋の三季は必ず雨を下し、冬は必ず雪を下す。末伝の卯は「白虎」に乗る――白虎と申とは皆白色を取り、しかも申はまたちょうど空亡に落ち――恰恰空中より白物の降り来る象である。さらに層を分かちて看る:火は下に伏し水は上に升る――これは第一重の雨象。申と子とは皆水に属し、また日干日支の上に加臨す――これは第二重の雨象。三伝は順行して逆せず――これは第三重の雨象。卯は類神の上では雷――雷は西方に行きて白虎に制せらる。冬月に雷なしと説くも、雪と化さざる能わざらんや。子上は「勾陳」に乗る――雨を占えば連綿不断を主り、雪を占えば則ち積ること深厚を主る。また凡そ鋳印課は、吉事を占えば成る少なく、凶事を占えば多く真を成し、疾病を占えば空亡を連ねるも解し得ず、天時を占えば則ち必ず大雨大雪あらん。
己卯日に応秀才が前程を占う(『口鑑』・『方本占案』)
己酉年六月己卯日午將丑時應秀才癸酉生三十七歲占前程。(口鑑 方本占案)/朱合勾青/戌亥子丑 青貴玄勾 父辛巳玄/蛇酉 寅空 丑申巳子 兄甲戌朱/貴申 卯虎 申卯子己 官己卯虎/未午巳辰/後陰玄常
己酉年六月の己卯日、午将を用い丑時に加えて課を起こし、応秀才(癸酉年生まれ、三十七歳)が来て前程を占った。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。午将を丑に加えるも同じく天盤は五位進む――ゆえに天地盤は前の一課の祈雪のと完全に同じ:地盤巳上の戌は「朱雀」に乗り、午上の亥は「六合」、未上の子は「勾陳」、申上の丑は「青竜」、酉上の寅は「天空」、戌上の卯は「白虎」、亥上の辰は「太常」、子上の巳は「玄武」、丑上の午は「太陰」、寅上の未は「天后」、卯上の申は「貴人」、辰上の酉は「螣蛇」。四課は:第一課、子が己に加わりて「勾陳」に乗る。第二課、子上の巳は「玄武」に乗る。第三課、日支卯上の申は「貴人」に乗る。第四課、申上の丑は「青竜」に乗る。三伝は依然として巳・戌・卯の鋳印格:初伝巳(父母爻、「玄武」に乗り、また本課の駅馬と破碎)、中伝戌(兄弟爻、「朱雀」に乗る)、末伝卯(官鬼爻、「白虎」に乗る)。日干上と日支上とは皆貴人を見るも、申は空亡に落ち――これすなわち下にいう所の「指空話空」を成す。
邵彥和曰:吾兄心術多,且又毒,以鼠忌羊頭上,雞驚犬吠喉。愚按:此二句邵公蓋引古書殆即所謂元辰也凡所行皆為妒忌之心,好管是非,好談人短,所以滅前程也。大凡七殺元辰,若占前程,多主妒忌,常占多主事體切害。初傳破碎乘元武,又是驛馬,主面東指西,走南奔北,多圖多覓之人。身宅雖皆有貴人,而子作勾陳,申作空亡,謂之指空話空,己以巳為父母,加妻宮,為妻所制,又乘馬與破碎,蹤跡不定,是不在父母之旁,一不足也。子息倚身,為身所克,子息難得,二不足也。申犯空亡,作夜貴加宅,是神像破損香火不安,三不足也。妻臨身宮,上下夾克,若非不和,便多疾病,四不足也。
邵彦和が言う:老兄は心機多すぎ、しかも狠毒に過ぐ――ちょうど「鼠忌羊頭上、鶏驚犬吠喉」の両句に応ず(程樹勳按:この両句は邵公の引く古書――説く所は大概命家のいわゆる「元辰」)。凡そ挙動あるは皆妒忌の心に出で、閑是非を管するを好み、他人の短処を議論するを好む――ゆえに前程を毀すに到った。大凡そ七殺と元辰とは、前程を占えば多く妒忌を主り、平常の占問は多く事情が傷人に緊要を主る。初伝は破碎の上に落ちまた「玄武」に乗り、同時にまた駅馬――この人は面は東に朝えど西を指し、一會兒南に往き一會兒北に奔る――貪ること多く鑽営すること多き人を主す。日干自身と宅位上とは皆貴人あるも、子上に乗ずるは「勾陳」で、申はまた空亡に落ち――これを「指空話空」と呼ぶ。己は巳を以て父母と為すも、巳はかえって妻宮に加わりて妻に制せられ、また駅馬と破碎とに乗る――行蹤定まらず。父母の身辺に在りて奉養せざるを説明す――これは第一件の欠き負う所。子孫爻は日主に依傍すれども、また日主に克せらる――子息は得難し――これは第二件の欠き負う所。申はすでに空亡を犯し、また夜貴にして宅の上に加わる――家中の神像は破損し香火は安んぜざるを主す――これは第三件の欠き負う所。妻星は日主の宫位に臨み、上下夹克を受く――夫妻の不和ならざれば、すなわち妻子の多病――これは第四件の欠き負う所。
鑄印乘軒之課,巳作元武加子,上火下水,武為賊,謂之走驢。卯作白虎加戌,謂之破模。虎傷卯,又為墜軒,故主功名不成。且防覆墜騎乘之患也。後至壬戌年二月因爭役乘轎入城,追而折足,血氣上攻而死。蓋卯為車轎驢騾,己土死於卯,支神最緊,若非己卯日,不可言死。愚按元辰煞陽男陰女在本命沖前一位支辰,陰男陽女在本命沖後一位支辰,見於命書,壬家鮮有用者,惟徐氏心鏡用之,即毛頭殺也,命書云生旺則落魄,大度不別是非,不兮良善,顛倒鶻突,死絕則寒酸,薄劣,形貌猥下,語言渾濁,不識羞恥,破敗坷貪,飲好色,甘習下流,亦可知此煞不善矣。
これは「鋳印乗軒」の課体である。巳は「玄武」に乗りて子の上に加わり、上は火で下は水――玄武はまた盗賊を主る――これを「走驢」と呼ぶ。卯は「白虎」に乗りて戌の上に加わる――これを「破模」と呼ぶ。印模は一たび破れば、印はすなわち鋳成らざる。白虎はまた卯を傷り、さらに「墜軒」を構成す――ゆえに功名成らざるを主り、しかも車馬轎乗の翻覆墜落の禍を隄防するを要す。その後壬戌年二月に至り、彼は差役の事を争うために轎に乗りて城に入り、追趕せらる時に腿を摔断し、血気上攻して死した。これは卯が類神の上でちょうど車轎驢騾なるが故。己土は卯において「死」――しかも日支の神は事に応ずること最も緊し。もし己卯のこの一日ならざれば、なお死の上に断じ得ざるなり。(程樹勳按:元辰煞の取法は、陽男陰女は本命の冲する支の前の一位を取り、陰男陽女は本命の冲する支の後の一位を取る――これは命書に見える。六壬家はそれを用いること尠し――ただ徐氏の『心鏡』が用う――すなわちいわゆる毛頭殺。命書に言う:元辰は生旺すればすなわち人落魄し、気量は大なれど是非を弁せず、善類を親しまず、顛三倒四にして糊裡糊塗。元辰は死絶すればすなわち人寒酸卑劣、相貌猥褻、言語含混、羞恥を知らず、破敗貪婪、酒を好み色を好み、堕落に甘心す。見ればこの煞は確かに好き物にあらざるなり。)
己卯日に祝省元が婚を占う(『宋本邵案』・『口鑑』)
己酉年三月己卯日戌將辰時祝省元占婚,男戊辰生四十二歲,女己丑生二十一歲。(宋本邵案 口鑑)/蛇貴后陰/亥子丑寅 玄合青後 官己卯玄⊙/朱戌 卯玄 卯酉未丑 子酉合◎/合酉 辰常 酉卯丑己 官己卯玄⊙/申未午巳/勾青空虎
己酉年三月の己卯日、戌将を用い辰時に加えて課を起こし、祝省元が来て一桩の婚事を占った:男方は戊辰年生まれ、四十二歳。女方は己丑年生まれ、二十一歳。この例は『宋本邵案』と『口鑑』に見える。戌将を辰に加え、天地盤は六位相隔つ――返吟課である:地盤巳上は天盤の亥で「螣蛇」に乗る。午上は子で「貴人」。未上は丑で「天后」。申上は寅で「太陰」。酉上は卯で「玄武」。戌上は辰で「太常」。亥上は巳で「白虎」。子上は午で「天空」。丑上は未で「青竜」。寅上は申で「勾陳」。卯上は酉で「六合」。辰上は戌で「朱雀」。己日の寄宮は未にあり、未上に丑を得――第一課は丑が己に加わりて「天后」に乗る。第二課は丑上に未を得て「青竜」に乗る。第三課は日支卯上に酉を得て「六合」に乗る。第四課は酉上に卯を得て「玄武」に乗る。三伝は:初伝卯(遁干は己、官鬼爻、「玄武」に乗る)、中伝酉(子孫爻、「六合」に乗り、空亡に落ち)、末伝は依然として卯(官鬼爻、「玄武」に乗る)。女方の本命は丑――丑上にちょうど己日寄宮の未を得てまた「青竜」に乗る。男方の年上は則ち「天后」を見る――この両処が断語の関鍵である。
邵彥和曰:此課占婚姻,何必用媒,私情久已通矣。其家宅合廣闊,東西皆有小門,因婢子為腳,遂與人通。今所議之人,亦與姦淫,血支在卯乘元武,必非女身,一土生二金,主暗有退子。愚按酉乘六合內戰,臨元武主遺失,當是奸生子而棄之也。夫女命上見日干青龍,是女先有其夫也。男年並日上見天后,是男先有其妻也。女年乘男,男年乘女,婚姻豈有不成之理。酉乃婢,六合加之,為和合。又並元武姦淫之神,婢妾為引無疑。且門來加戶,戶又加門,是門戶重迭,而卯實為今日之支,支為宅,宅上見酉,故云東西皆有小門也。占者嘿然而去。
邵彦和が言う:この一課は婚姻を占う――何ぞ必ずしも媒人を再用せん。両人の私情は早已に通ず。女家の宅子は応に寛闊なるべし――東西両辺ともに小門を開き、一つの婢女に靠りて線を牽き腿を跑らせば、すなわち人と私通したり。眼下議婚するこの男子も、また早く彼女と姦情を有せり。血支は卯の上に落ちまた「玄武」に乗る――女方はすでに処子にあらざるを説明す。一重の土は両重の金を生ず――暗中曽て胎を堕したるあるを主す(程樹勳按:酉は「六合」に乗りて内戦し、また「玄武」に臨む――遺棄失落を主る。応に私に子を生みてまた彼を丢き去れるべし)。再び看る:女方の本命上に日干寄宮を見また「青竜」に乗るは、女方は先にすでに彼女の丈夫を有せり。男方の年上並びに日干上に「天后」を見るは、男方は先にすでに彼の妻室を有せり。女方の年上に乗ずるは男象、男方の年上に乗ずるは女象――この門の婚事に成らざるの理あらんや。酉は人事の上では婢女――「六合」はその上に加わればすなわち和合――また姦淫を主る「玄武」に併ぶ――婢妾の中から牽引するは疑問なし。しかも門は戸の上に加わり戸はまた門の上に加わる――門戸は重重相疊す。卯はちょうど今日の日支――日支はすなわち宅――宅上にまた酉を見――ゆえに東西両辺ともに小門ありと言う。占問する人は黙然として去った。
己卯日に欧陽秘教が秋試を占う(『口鑑』・『方本占案』)
己酉年六月己卯日午將戌時歐陽秘教戊寅生三十三歲占秋試。(口鑑 方本占案)/青空虎常/丑寅卯辰 后合合虎 兄癸未後/勾子 巳玄 未亥亥卯 官己卯虎/合亥 午陰 亥卯卯己 財乙亥合/戌酉申未/朱蛇貴後
己酉年六月の己卯日、午将を用い戌時に加えて課を起こし、欧陽秘教(戊寅年生まれ、三十三歳)が来て秋闈の考試を占った。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。午将を戌に加え、天盤は地盤より四位退する:地盤巳上は天盤の丑で「青竜」に乗る。午上は寅で「天空」。未上は卯で「白虎」。申上は辰で「太常」。酉上は巳で「玄武」。戌上は午で「太陰」。亥上は未で「天后」。子上は申で「貴人」。丑上は酉で「螣蛇」。寅上は戌で「朱雀」。卯上は亥で「六合」。辰上は子で「勾陳」。己日の寄宮は未にあり、未上に卯を得――第一課は卯が己に加わりて「白虎」に乗る。第二課は卯上に亥を得て「六合」に乗る。第三課は日支もまた卯で、上に亥を得て「六合」に乗る。第四課は亥上に未を得て「天后」に乗る。日支の神が日干上に加わりてまた来て日干を克す――これすなわち「上門亂首」である。三伝は:初伝未(遁干は癸、兄弟爻、「天后」に乗る)、中伝卯(遁干は己、官鬼爻、「白虎」に乗る)、末伝亥(遁干は乙、妻財爻、「六合」に乗る)――亥卯未は合して木局を成し、木はちょうど己土の官鬼である。
邵彥和曰:上門亂首,不利有三:一者防犯諱字及時禁忌愚按此意從下犯上而生出誠為妙斷,二防場屋中有鬥爭,三防與尊長不足。第二場兼防汙塗(鬼在中傳也)。己日得木局,助支克干,專主凶傷,今科不是取功名之年。若免得是非,既是幸事矣。後入試聚眾相爭喧鬧場屋,試官申學罷斥。大凡上門亂首,不是犯家中尊長,便是占尊長不足。今行年上見馬,馬生動,在外,而破碎元武,是不正神,已是不利,不合木局,又從而克干是聚眾來傷,勢不可遏也,更天后六合皆不正之神,並於傳中而與白虎共作三合,白虎主爭鬧,六合又為朋友相識,自然聚眾喧鬧,合局克干,主試官申學罷斥,若非行年驛馬引出或主內亂,不可專言外也。
邵彦和が言う:これは「上門亂首」の課で、三樣の不利あり:第一には試巻の裡に廟諱と当時の禁忌とを冲犯することを防ぐを要す(程樹勳按:この層の意思は「以下犯上」から引申し出したもので、実に妙断)。第二には考場の裡に争鬥を発生することを防ぐを要す。第三には尊長と不睦なるを防ぐを要す。第二場はさらに巻面の污損塗改を防ぐを要す(官鬼が中伝に落つるが故)。己日は木局を得――木局は日支を幇して来て日干を克す――専ら凶傷を主る。今科は功名を取る年份にあらず。是非を免れ得れば、すなわち万幸と算うべし。その後彼は場に進みて試に応じ、果たして衆を聚めて争吵し、考場を閙がせ起こした――主考官は上報して学政が彼を革除した。大凡そ「上門亂首」の課は、家中の尊長を冲犯するにあらざれば、すなわち尊長の占うの不是である。いま行年上に駅馬を見――馬は走動を主り在外を主る。しかもそれは破碎の上に落ちて「玄武」に乗る――不正の神で、本身すでに不利。偏偏また木局を凑成して頭を回らして日干を克す――これすなわち衆を聚めて来て傷る――その勢いは挡不住。さらに加うるに「天后」と「六合」とは皆不正の神で、一斉に三伝中に併び、「白虎」と共同して三合を結成す:白虎は争鬧を主り、六合はまた朋友相識を代表す――自然に衆を聚め喧嘩せん。合局は日干を克し、主考官は上報して革斥す。もし行年上の駅馬が事情を外面に引き出さざれば、この一課は或いは家内の禍亂と断ずべき――一味にただ外事を説くべからず。
己卯日に徐承局が向后如何を占う(『宋本邵案』・『口鑑』)
己酉初一己卯日戌將寅時徐承局辛亥生正月初一日子時生,三十九歲占向後如何。(宋本邵案 口鑑)/青空虎常/丑寅卯辰 后合合虎 兄癸未後/勾子 巳玄 未亥亥卯 官己卯虎/合亥 午陰 亥卯卯己 財乙亥合/戌酉申未/朱蛇貴後
己酉年三月初一の己卯日、戌将を用い寅時に加えて課を起こし、徐承局(辛亥年正月初一日の子時生まれ、三十九歳)が来て今後の境遇を占った。この例は『宋本邵案』と『口鑑』に見える。戌将を寅に加えるも同じく天盤は四位退する――ゆえに課盤は上の一例の欧陽秘教が秋試を占うと完全に同じ:地盤巳上の丑は「青竜」に乗り、午上の寅は「天空」、未上の卯は「白虎」、申上の辰は「太常」、酉上の巳は「玄武」、戌上の午は「太陰」、亥上の未は「天后」、子上の申は「貴人」、丑上の酉は「螣蛇」、寅上の戌は「朱雀」、卯上の亥は「六合」、辰上の子は「勾陳」。四課は:第一課、卯が己に加わりて「白虎」に乗る。第二課、卯上の亥は「六合」に乗る。第三課、日支卯上の亥は「六合」に乗る。第四課、亥上の未は「天后」に乗る。三伝は未(兄弟、「天后」に乗る)、卯(官鬼、「白虎」に乗る)、亥(妻財、「六合」に乗る)――亥卯未は合して木局を成し、同じく「上門亂首」にして三伝は「曲直」を得。
邵彥和曰:承局服事通判,豈可得犯上之課。此課支加干克干名上門亂首,傳得曲直,又名失友,主日後因犯官長,斷勒歸家。又與長上爭財,於爭財中又不合強淫尊輩,遂犯重罪,減等充軍於東海,與妻死在配所也。當年六月果因犯上責而遣歸,與叔爭分家產,而淫其嬸,乃叔知之,借他事告發,配在明州,娶後妻同死於配所。大凡上門亂首,多是下犯上,春占木鬼貪旺而不發,至夏木休,其事將發,到秋木囚死,則事乖張,便主爭競,冬木有生氣,但存諸心,未形之口。經曰:旺相相生災未發,死囚刑剋便災臨是也。
邵彦和が言う:承局は通判に伺候する属吏――どうして一つの以下犯上の課を占得せん。この一課は日支の神が日干上に加わりてまた日干を克す――「上門亂首」と呼ぶ。三伝は合して木局を成して「曲直」を得――また「失友」と呼ぶ。日後長官を冒犯するによって判決して勒令して家に帰さるるを主す。また長輩と銭財を争奪し、争財の中にさらに長輩の婦人を強姦する事を為し下し、そこで重罪を犯し、等を減じて東海に発配し、最後に妻子とともに流放地に死すを主す。当年六月、彼は果たして上司を冒犯するによって責罰を挨り遣送されて家に帰った。続いて叔父と家産を争分し、また嬸母を姦污した。叔父は之を知り、別の事を借りて彼を告発し、明州に発配せしめた。彼はかそこに娶る後妻もまた彼と一同に配所に死した。大凡そ「上門亂首」の課は、多くは下が上を犯す。春天に占えば、木鬼はちょうど旺相に当り、かえって旺を貪りて動かず――事情は発し出ない。夏天に至り木気は「休」に転ず――事情はすなわち発作せん。秋天に至り木は「囚死」に入る――事情は乖違し、便ち争鬥を起こすを主す。冬天は木に生気あり――則ちただ心裡に存在し、まだ説き出さざるのみ。経書の上に「旺相相生の時は災禍はまだ発作せず、死囚刑克の時は災禍すなわち頭に臨む」と言うは、ちょうどこの意である。
愚按:斷勒歸家音干入第四課也,爭分家產者,亂首課支上見財也,強淫尊輩者,淫泆卦而卯支加未,未作天后為尊輩之婦也,與妻死在配所者,天后為妻乘死氣也,三月初一尚是二月節,死氣在未支也。
(程樹勳按:いわゆる判決して勒令して家に帰さるとは、日干の音が第四課に帰入するが故。いわゆる家産を争分すとは、「亂首」課の日支上に財爻を見るが故。いわゆる長輩の婦人を強姦すとは、本課は淫泆の象に属し、しかも日支の卯は未の上に加わり、未はまた「天后」に乗り、「天后」はちょうど長輩の婦人を代表するが故。いわゆる妻と同じく配所に死すとは、「天后」が妻子を代表してしかも死気に乗るが故――三月初一はなお二月の節気の内に在り、この時死気はちょうど未支の上に落つ。)
己卯日に一行者が同課を占得す(『宋本邵案』・『口鑑』)
同日時有一行者,占得此課。(宋本邵案 口鑑)/青空虎常/丑寅卯辰 后合合虎 兄癸未後/勾子 巳玄 未亥亥卯 官己卯虎/合亥 午陰 亥卯卯己 財乙亥合/戌酉申未/朱蛇貴後
同じ日同じ時辰に、別に一位の行脚僧人ありて来て占い、得たるもまたこの一課。この例は『宋本邵案』と『口鑑』に見える。課盤は前の両例と完全に同じ:地盤巳上の丑は「青竜」に乗り、午上の寅は「天空」、未上の卯は「白虎」、申上の辰は「太常」、酉上の巳は「玄武」、戌上の午は「太陰」、亥上の未は「天后」、子上の申は「貴人」、丑上の酉は「螣蛇」、寅上の戌は「朱雀」、卯上の亥は「六合」、辰上の子は「勾陳」。四課は卯が己に加わりて「白虎」に乗り、卯上の亥は「六合」、日支卯上の亥は「六合」、亥上の未は「天后」。三伝は未・卯・亥で、合して木局を成す。同課にして人を異にし、断ずる所の事は却って各人の身份に随って同じからず――これちょうど六壬の「一課両断」の例である。
邵彥和曰:此行者先為雞姦先亂了禪堂及諸房後歸家,又擾兄弟,其身終無所歸,卻與一不正婦人苟合,中風而死。
邵彦和が言う:この位の行脚僧は先に男風の事を犯し、禅堂と各房とを皆攪亂し、それから後俗家に帰り、又去りて兄弟を攪扰し、自己を弄って終に身を安んずる処なからしめた。最後に一つの行為不端の婦人と私下に結合し、中風を患いて死した。
己卯日に胎産を占う(『牧夫占験』)
戊辰年閏七月己卯日巳將酉時占胎產。(牧夫占驗)
戊辰年閏七月の己卯日、月将巳を以て占時酉の上に加えて課を起こし、胎産を占問した。この例は王牧夫の占験記録から出る。いわゆる「胎産を占う」とは、孕婦の臨盆の吉凶を問うこと:母子は平安なるや否や、生産は順利なるや否や、生ずる所は男か女か。
青空虎常/丑寅卯辰 后合合虎 兄癸未後/勾子 巳玄 未亥亥卯 官己卯虎/合亥 午陰 亥卯卯己 財乙亥合/戌酉申未/朱蛇貴後
これは展平排印の課盤で、三塊に分かつ。第一塊は天地盤:巳将を酉に加え、天盤は地盤より四位退する――地盤巳上に天盤の丑を得て「青竜」に乗る。午上は寅で「天空」。未上は卯で「白虎」。申上は辰で「太常」。酉上は巳で「玄武」。戌上は午で「太陰」。亥上は未で「天后」。子上は申で「貴人」。丑上は酉で「螣蛇」。寅上は戌で「朱雀」。卯上は亥で「六合」。辰上は子で「勾陳」。己日の夜貴人は申にあり、酉時は夜に属す――ゆえに「貴人」は天盤申上に落ちる。申は地盤の子位に坐し、順行に属す――十二天将は順に布き下来りて盤面と完全に相合す。第二塊は四課で、右から左へ読む:己土日干の寄宮は未にあり、未上に卯を得――第一課は卯が己に加わりて「白虎」に乗る。第二課は亥が卯に加わりて「六合」に乗る。第三課は日支卯上に亥を得、もまた「六合」に乗る。第四課は未が亥に加わりて「天后」に乗る。第三塊は三伝:初伝未、遁干は癸未、己日において兄弟爻、「天后」に乗る。中伝卯、遁干は己卯、官鬼爻を為し、「白虎」に乗る。末伝亥、遁干は乙亥、妻財爻を為し、「六合」に乗る。亥卯未は三合して木局を成す――「曲直」課である。胎産を占うは「天后」を以て孕婦と為し、「六合」を以て胎儿と為し、「白虎」を以て産厄血光と為し、「螣蛇」を以て驚怖と為す。本課は「天后」が発用して「白虎」は中に居る――ちょうど母子の安危を断ずる着眼処である。
王牧夫曰:占產雖易,但生難存,母卻無礙。蓋此課秋占木局為鬼干日,此凶微也。己日未乃其身,由身傳鬼自克,故先產後凶。母能保者,傳比日支也,支辰又乘亥水長生,故母無恙,產亦易也。後為初傳,又屬厭翳,木衰而朽,主女,而不吉也。
王牧夫が言う:この一課は生産を占う――分娩自体は容易なれど、子供は生まれ下るも存活し難く、母親は却って妨げなし。本課は秋天に占いしが故――三伝の亥卯未は合して木局を成し、木は来て己土を克す――ちょうど日干の官鬼。ただ秋天は木気すでに囚死に入る――ゆえにこの份の凶はただ輕微と算す。己日の寄宮は未にあり、未はすなわち孕婦自身を代表す。「身」(未)から「鬼」(卯)に伝わるは、自身が克伐を招来するに等し――ゆえに先に能く順利に生産し、産後にやっと凶険を現ず。母親の保全し得る所以は、初伝の未土が日干己土と同類――比肩の神が来て身を助くるが故。日支卯上にまた亥水に乗ず――亥はちょうど木の長生の地――生気絶えず。ゆえに母親は恙なく、生産もまた容易なり。生ずる所の男女に至っては:「天后」は陰神――産を占う時は婦人を代表す。いま「天后」は初伝未の上に乗り、未はまた陰晦遮蔽の象に属し、加うるに未は木の墓庫――木はここに至りてすでに衰朽して庫に入る。ゆえに女を生ずと断じ、しかもこの一胎は不吉なり。
附:牧夫の産験案二則(課はすでに遺失)
儀徵吳兄占產,其母年帶死氣白虎,生後當不保,果厄於產。
儀徵の呉兄が来て生産を占う。彼の家の産婦の行年上は死気を帶び、また「白虎」に乗る――「白虎」は産占の中では血光産厄を主り、死気は則ち生機断絶を主る。両者併び見る――我は産後母親は保てざらんと断じた。その後果たして難産に死した。
程秀田兄夫人當產期,腹痛己有欲下意,來占。余曰:尚未旬日,後方是產期。初不信,至夜痛止,果隔旬日而生,日時俱不差。其課遺失,秀兄每嘆其異驗也。
程秀田兄の夫人はすでに産期に到り、腹痛発作し、様子を看れば胎儿はすなわち生まれ下らんとす。程兄は前来りて占問す。我が言う:まだ十天差す――あの以後こそ真の産期ならん。彼は起初信ぜざりしが、夜に到って腹痛は却って止住し、果たして十天隔たりて生産し――日子と時辰とを連ねて差なし。この一課の課盤はすでに遺失した。秀田兄は常にそれが験するの离奇なるを感歎す。
附:朱礼山が側室の何時孕あるかを占う(『牧夫占験』・課はすでに遺失)
儀徵朱禮山兄,浯村人,其先乃族後,故亦以宗緒相稱。曾於揚州取側室七年不孕,欲遣之,問數於餘。餘為占之曰:此數來年二月必懷孕,去此不過三個月耳,如數不驗,再遣何如。禮曰:吾己帶來揚矣。余謂之曰:七年可待,三個月反不能待耶。禮笑而允之。至次年二月果懷孕,十一月生男。臘月至余寓謝,謂余曰:君何數神如此。其課遺失,附記於此。
儀徵の朱礼山兄は浯村の人で、彼の先世は本是我ら同族の後裔――ゆえに両家もまた宗亲を以て相称す。彼は曽て揚州で一房の側室を娶り、七年生育なし――人を遣散せんと打算し、先来りて我に卦数を問う。我は彼のために課を起こして言う:この課数に照らせば、明年二月必ず懐孕す――現在を離るること不過三ヶ月のみ。もし応験せざれば、あの時再び遣散しても遅からず。礼山が言う:私はすでに人を揚州に帶び来たり。我は彼に対して言う:七年は皆等ち得たるに、三ヶ月はかえって等ち得ざるか。礼山は笑うて応答した。第二年二月に至り、あの側室は果たして懐孕し、十一月に男孩を生み下した。臘月の裡に彼は我が寓所に到りて謝を道し、我に対して言う:あなたの卦数はどうしてこのように神なのか。この一課の課盤はすでに遺失した――姑く事情をここに附記す。
己卯日に童知丞が赴任の吉凶を占う(『口鑑』・『方本占案』)
己酉年十月初四己卯日寅將丑時,童知丞乙亥生,三十五歲,占赴任吉凶。(口鑑 方本占案)
己酉年十月初四のこの天は己卯日、月将寅を以て占時丑の上に加えて課を起こし、童知丞(乙亥年生まれ、時年三十五歳)が来て赴任の吉凶を占った。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。「知丞」は州县の佐貳官――彼はこの時すでに除授を得、問う所はこの趟の到任が順利なるや否やである。
朱蛇貴後/午未申酉 合勾后貴 兄庚辰勾/合巳 戌陰 巳辰酉申 父辛巳合/勾辰 亥玄 辰卯申己 父壬午朱/卯寅丑子/青空虎常
展平の課盤。天地盤の一塊:寅将を丑に加え、天盤は地盤より一位進む――地盤巳上に天盤の午を得て「朱雀」に乗る。午上は未で「螣蛇」。未上は申で「貴人」。申上は酉で「天后」。酉上は戌で「太陰」。戌上は亥で「玄武」。亥上は子で「太常」。子上は丑で「白虎」。丑上は寅で「天空」。寅上は卯で「青竜」。卯上は辰で「勾陳」。辰上は巳で「六合」。己日の夜貴は申にあり、丑時は夜に属し、「貴人」は天盤申に落ちる。申は地盤未に坐し、逆行に属す――十二将は逆に布きて盤面と相合す。四課の一塊、右から左へ:己の寄宮は未、未上に申を得――第一課、申が己に加わりて「貴人」に乗る。第二課、酉が申に加わりて「天后」に乗る。第三課、日支卯上に辰を得て「勾陳」に乗る。第四課、巳が辰に加わりて「六合」に乗る。三伝の一塊:初伝辰、遁干は庚辰、己日において兄弟爻、「勾陳」に乗る。中伝巳、遁干は辛巳、父母爻を為し、「六合」に乗る。末伝午、遁干は壬午、父母爻を為し、「朱雀」に乗る。辰巳午は順次逓進す――「進茹」の象である。
邵彥和曰:此課因禍成福。本路除一監司,合主迴避,迴避中卻有好處,終久此貴人不歷此任,而我已別除了。童曰:何等貴人。曰:必提刑與知丞是親,乘此得請職,因得周旋文字改官。初傳辰卯六害,勾亦辰,主遲滯,所以先主迴避;中傳驛馬乘龍,飛騰豹變,行年上白虎乘丁,其勢必動;末傳午祿在馬上,其職不停。巳為爐冶,六合為模範,主坑冶干官之屬。午與朱雀並,主文書職事在爐冶中也。
邵彦和が言う:この一課は禍に因りて福を得る象である。本路は将に一位の監司大員を除授せんとす――官制に按じてあなたは回避して改任するを得べし。しかし回避の中にかえって好処あり――到頭来この位の貴人は並びに本路に到任せず、しかもあなたはすでに別に差遣を得たり。童知丞が問う:どのような貴人か。邵彦和が言う:必ず新任の提刑官があなたと親あるべし――あなたはちょうどこの層の関係を借りて改職を陳請し得、これによって文書往還の間に在りて転官し得べし。初伝の辰は日支卯の上に加わり、辰卯は相害し、辰上はまた遅滞を主る「勾陳」に乗る――ゆえに先に拖延回避を主す。中伝の巳は日支卯の属する亥卯未木局の駅馬――駅馬は発動して豹変腾躍の如し。行年は子位に落ち、子上に丑を得て「白虎」に乗る――丑はまたちょうど本旬の丁神――白虎と丁神とは皆動を主る――その勢いは必然に動かん。末伝の午は己日の禄神――午は十二属相の中でもともと馬――禄は馬上に坐すれば官职は停滞しない。巳は五行は火に属し、炉冶熔鋳を主り、巳上に乗ずる「六合」は模型范鋳を主る――ゆえに坑冶を掌管する干辦官の一類の差事と断ず。末伝の午はまた「朱雀」と同位――「朱雀」は文書を主る――ゆえに炉冶衙門の裡に在りて文書の職事を為す。(按:断語は中伝の駅馬を「乗竜」と称すも、盤上の巳の乗ずる所は「六合」――下文は自ら「六合を模范と為す」と言う――両処合わず。「乗竜」の二字は疑わしく訛字あり。)
此課初四日占,二十二日妻父許郎中除提刑,童遂迴避,改都城提點坑冶司鑄錢。此缺人人所喜,所謂因禍成福也。童即受職,而提刑遭章參劾罷官以去。庚戌年又差諸路鹽司,辛亥改官。蓋日上貴人長生,乃尊長父母之屬,作空亡是前妻父也。申金為刑官,是提刑也,不久罷去,亦空亡也。一雲日上貴人長生,故得此周旋文字改官,必竟空亡脫氣,所以此任合主迴避。吳稼云曰:此課不用青龍官星,全以三傳支干作斷,最合規矩,惜乎後人不知取法也。
この一課は十月初四に占い、二十二日に至り、童知丞の岳父の許郎中は果たして提刑に除授せられた。童知丞はそこで回避し、改めて都城提点坑冶司の鋳銭官に任じた。この缺は人人の意に楽う所――ちょうど「禍に因りて福を成す」の四字に応ず。童知丞は即ち職に到り、しかもあの位の提刑はまもなく章疏の弾劾を受けて官を罷め去った。庚戌年に彼はまた諸路鹽司に差遣せられ、辛亥年に再度官を改めた。このように断じ得る所以は、日干上神の申が「貴人」に乗り、申はまた長生の地――「貴人」は六親の上で尊長父母の一類に属し、ちょうど岳父を指す。申は旬空に落ち――ゆえにこれは前一任の岳丈と言う(その位は久しからず)。申は五行は金に属し、金は刑殺を主る――ゆえに刑を掌る提刑官を代表す。提刑はまもなく職を罷め官を去るも、またちょうど申が空亡なるが故。別に一説あり:日干上神の「貴人」は長生に坐す――ゆえに文書往還を借りて官を改め得。しかし畢竟空亡にしてまた気を泄す――ゆえにこの一任は依然として回避改調するを要す。呉稼雲が言う:この一課は「青竜」と官星とを用いて立論せず、全く三伝と日干日支とに凭りて断を作す――最も六壬の法度に合す。惜しいことに後人は取法を懂得しない。
己卯日に来意を占う(『一字玉連環』)
四月己卯日申將午時,丁丑人占來意。(一字玉連環)
四月の裡の己卯日、月将申を以て占時午の上に加えて課を起こし、一位の丁丑年生まれの人が来て「来意」を占った。いわゆる来意を占うとは、来た人は為す所の何事を説かず、占者は単に課体に凭りて彼の心裡に問わんと欲するは何ぞを推出す。この例は徐次賓の『一字玉連環』から出る。
龍勾合朱/未申酉戌 龍虎蛇合 財乙亥蛇⊙/空午 亥蛇 未巳亥酉 兄丁丑後/虎巳 子貴 巳卯酉己 官己卯玄/辰卯寅丑/常玄陰后
展平の課盤。天地盤:申将を午に加え、天盤は地盤より二位進む――地盤巳上に天盤の未を得て「青竜」に乗る。午上は申で「勾陳」。未上は酉で「六合」。申上は戌で「朱雀」。酉上は亥で「螣蛇」。戌上は子で「貴人」。亥上は丑で「天后」。子上は寅で「太陰」。丑上は卯で「玄武」。寅上は辰で「太常」。卯上は巳で「白虎」。辰上は午で「天空」。己日の昼貴は子にあり、午時は昼に属し、「貴人」は天盤子に落ちる。子は地盤戌に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:己の寄宮は未、未上に酉を得――第一課、酉が己に加わりて「六合」に乗る。第二課、亥が酉に加わりて「螣蛇」に乗る。第三課、日支卯上に巳を得て「白虎」に乗る。第四課、未が巳に加わりて「青竜」に乗る。三伝:初伝亥、遁干は乙亥、己日において妻財爻、「螣蛇」に乗る。中伝丑、遁干は丁丑、兄弟爻を為し、「天后」に乗る。末伝卯、遁干は己卯、官鬼爻を為し、「玄武」に乗る。初伝の旁の「⊙」は原書課盤上の一种の標記――全書は凡例を交代せず、ここに照録して臆解を作さず。後文に別に「◎」あり――凡そこの記を見るは皆旬空に落つる伝――庚辰・己卯等の日は同じく甲戌旬に属し、旬空は申酉に在り。
徐次賓曰:來意主人外和合,中虛詐不實,所論必邪僻之事;又主財上驚恐之象,財卻為姓牛人、衣青衣者所取,並有驢一頭,亦被姓牛人所有;意欲遠行,緣心有所畏,緊速而歸也。蓋時為日干六合,主外和合;值事門上見天空,主虛詐不實也。日上從魁即三交,為隱匿不明,上得六合,主私門,故言邪僻之事。發用登明,為日干之財,上見螣蛇主驚恐。中傳大吉為牛,上見卯為青衣。大吉取登明為財,故財為姓牛人所取。何知連驢亦為姓牛人所取。蓋命上見太沖,為驢,上見元武,為賊神,卯又為大吉之陰神也。先鋒門勝光主道路,用神立酉,中傳大吉為丁神,主動,與日刑並故,意欲遠行。末傳為?太沖為日之鬼,上見元武為賊人,故心有所畏,欲速而歸也。
徐次賓が言う:来た人の意思は、外表は和睦相合するも、内裡は却って虚詐不実――商議せんと欲する所は必ず不正当の事。また銭財の上に驚恐あるを主り、しかもこの筆の財は一人の姓が牛・青衣を穿く人に取り去られ、連帯してさらに一頭の驢ありて、もまたあの姓が牛の人の手裡に落つ。来た人は本は遠門に出でんと欲したれど、ただ心裡に畏懼ある所あるに因りて、やっと急急に趕り帰った。このように断ずる根拠は:占時の午は日干己の寄宮する未と六合を構成す――ゆえに外表和合を主す。三門中の「値事門」の上に「天空」を見――「天空」は虚詐不実を主る。日干上神は酉――酉はすなわち「従魁」、書中はまた「三交」と称す――隠匿不明を主る。酉上は「六合」に乗り、「六合」は私門暗昧を主る――ゆえに邪僻の事と言う。発用の亥は「登明」と呼ぶ――亥水は己土の妻財――亥上は「螣蛇」に乗り、「螣蛇」は驚恐を主る――ゆえに財上に驚あり。中伝の丑は「大吉」と呼ぶ――丑は生肖において牛――故に姓が牛の人を指す。丑位の上に卯を得――卯は木に属し色は青――ゆえに青衣を穿く。丑土は能く亥水を克す――すなわち「大吉」が「登明」を取りて財と為す――ゆえにこの筆の財は姓が牛の人に取り去ると断ず。どうして驢までも姓が牛の人に帰したと知ったか。来た人の本命丑上に卯を見――卯は「太冲」――六壬は卯を以て驢と為す。卯はまた「玄武」に乗る――「玄武」は盗賊の神。しかも卯はちょうど「大吉」丑の陰神――牛と驢とは同一処に在り――故に一併に取られた。三門中の「先鋒門」は占時の午――午は「勝光」と呼び、道路を主る。発用の亥は地盤酉の上に立ち、中伝の丑はまた本旬の丁神――丁神は動を主り、丑と己日寄宮の未とはまた相刑す――ゆえに彼が本は遠行せんと欲したと断ず。末伝(ここに底本は一字缺く、「?」を以て疑を存す)の卯は「太冲」――卯木は己土を克し、日干の官鬼。卯上にまた「玄武」を見るは賊人――ゆえに彼の心裡に畏懼ある所有り、急ぎて趕り帰らんと欲した。
己卯日に失羊を占う(『方本占案』)
正月己卯日亥將未時,某占失羊。(方本占案)
正月の裡の己卯日、月将亥を以て占時未の上に加えて課を起こし、人あるが来て丢失した羊を占った。正月の月将は登明亥――ゆえに亥将を用いる。この例は『方本占案』から出る。
合朱蛇貴/酉戌亥子 蛇青玄蛇 兄癸未青/勾申 丑后 亥未卯亥 財乙亥蛇/青未 寅陰 未卯亥己 官己卯玄/午巳辰卯/空虎常玄
展平の課盤。天地盤:亥将を未に加え、天盤は地盤より四位進む――地盤巳上に天盤の酉を得て「六合」に乗る。午上は戌で「朱雀」。未上は亥で「螣蛇」。申上は子で「貴人」。酉上は丑で「天后」。戌上は寅で「太陰」。亥上は卯で「玄武」。子上は辰で「太常」。丑上は巳で「白虎」。寅上は午で「天空」。卯上は未で「青竜」。辰上は申で「勾陳」。己日の昼貴は子にあり、未時は昼に属し、「貴人」は天盤子に落ちる。子は地盤申に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:己の寄宮は未、未上に亥を得――第一課、亥が己に加わりて「螣蛇」に乗る。第二課、卯が亥に加わりて「玄武」に乗る。第三課、日支卯上に未を得て「青竜」に乗る。第四課、亥が未に加わりて「螣蛇」に乗る。三伝:初伝未、遁干は癸未、兄弟爻を為し、「青竜」に乗る。中伝亥、遁干は乙亥、妻財爻を為し、「螣蛇」に乗る。末伝卯、遁干は己卯、官鬼爻を為し、「玄武」に乗る。亥卯未は三合の木局――正月は木旺――得時の「曲直」課である。
邵彥和曰:春占曲直課,未加卯作龍為用,其羊不失,乃走入他人羊群中,往東方尋之必見。果於東方園內羊群中尋見。蓋初傳是類神,作青龍而加支辰,故不失。
邵彦和が言う:これは春天に占得した「曲直」の課で、木局は令に当る。初伝の未は日支卯の上に加わり、未はまた「青竜」に乗りて発用す――羊は並びに丢さず、ただ人家の羊群の裡に走り入ったと断じ得――東方に往きて尋ねれば必ず見ゆべし。その後果たして東辺の一座の園子の羊群の中に尋ね得た。このように断ずる所以は、初伝の未は六壬類神の裡にちょうど羊――本身就是所失の物の象。それが乗ずる「青竜」は吉神で、また日支の上に加臨す――日支はすなわち「家」――物象は家位に帰す。ゆえに丢失せざると断ず。東方に指すは、日支の卯が東方木位に属するが故。
庚辰日
庚辰日に綱窩価の長落を占う(『牧夫占験』)
乾隆辛未年閏五月庚辰日未將卯時,占壬申綱窩價長否。(牧夫占驗)
乾隆辛未年閏五月の庚辰日、月将未を以て占時卯の上に加えて課を起こし、壬申のこの一綱の「窩価」が上漲するか否かを占問した。清代の鹽法は綱鹽の制を行じ、商人は須く官府の頒給する「窩本」(引窩)を持してやっと鹽を行じ得。「綱」は冊に按りて分派する鹽引の批次、「窩価」はすなわちこの份の行鹽権が市面の上で転譲する価銭である。この例は王牧夫の占験記録から出る。
勾合朱蛇/酉戌亥子 蛇龍玄蛇 父庚辰玄/龍申 丑貴 子申辰子 兄 申龍◎/空未 寅后 申辰子庚 子丙子蛇⊙/午巳辰卯/虎常玄陰
展平の課盤。天地盤:未将を卯に加え、天盤は地盤より四位進む――地盤巳上に天盤の酉を得て「勾陳」に乗る。午上は戌で「六合」。未上は亥で「朱雀」。申上は子で「螣蛇」。酉上は丑で「貴人」。戌上は寅で「天后」。亥上は卯で「太陰」。子上は辰で「玄武」。丑上は巳で「太常」。寅上は午で「白虎」。卯上は未で「天空」。辰上は申で「青竜」。庚日の昼貴は丑にあり、卯時は昼に属し、「貴人」は天盤丑に落ちる。丑は地盤酉に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申にあり、申上に子を得――第一課、子が庚に加わりて「螣蛇」に乗る。第二課、辰が子に加わりて「玄武」に乗る。第三課、日支辰上に申を得て「青竜」に乗る。第四課、子が申に加わりて「螣蛇」に乗る。三伝:初伝辰、遁干は庚辰、庚日において父母爻、「玄武」に乗る。中伝申――庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申酉にあり、申はすでに空に落ちれば便ち遁干なし――ゆえにここに空して、旁に「◎」を注すはちょうど旬空を表示す。申は兄弟爻、「青竜」に乗る。末伝子、遁干は丙子、子孫爻を為し、「螣蛇」に乗る。申子辰は三合の水局――「潤下」課――庚金は水を生じ、全局は皆日干の気を泄する格局である。
王牧夫曰:此占古之所無,以利之權不操於商也。古之鹽法,商人支鹽,其窩在官,商無所利,故前人亦無成斷章楷,致使後學無可執憑。然財利之占,古多成法,未始不可通變而詳之也。窩價長落之占,財關鉅大,身家所繫,何可漫言。且財乃國用之流通,得失關乎命運,未可視為輕忽,得與不得有數存焉。
王牧夫が言う:この一類の占法は古書の裡になし――古時は利を獲る権柄は並びに商人の手裡に掌握せられざりきが故。古代の鹽法は、商人は官倉に到りて鹽貨を支領し、行鹽の「窩本」は官府に握られ、商人はその中から何の利をも得ず――ゆえに前人もまた現成の断法と体例とを留下せず(この句の文字は似かよって訛脱あり)、後学をして依憑する所なからしめた。しかし財利を占問するは、古人はもともと許多の成法あり――未だ嘗て変通推衍し細かに参詳する可からざるにあらず。窩価の長落のこの類の占問は、牽渉する銭財の数目は極めて大で、一家の身命は皆その上頭に係る――どうして口に随い乱説せんや。いわんや財は国家財用の流通の在所――得失は人の命运に関連す――軽忽に看るべからず――得る能くや否やは、自から定数その中に在り。
今妄言一課,以證高明。以干支論,則庚金而生潤下之水,脫氣也,生財之源也。將得元武青龍,水將也,樂育也。干支為財矣,安有不長者乎。潤下舒緩之象,由漸而長也。脫盡干長亦大也,數不過八,以庚數八,脫盡庚身而止矣。甲子旬必有更變,以子乘蛇坐末故耳。後果由數分長至八錢,甲子旬為官司所禁而止。然窩之長落最疾,不可以月計也;而課之休象又繁,不可以一途視也。諺云:富則為金穴,失則為禍胎。此釋窩字之義最妙,而所關又在呼吸之間。存此一課,以見數理之難,正不易占也。
いま我は姑くこの一課を断じ、高明の士に請うて印証せん。日干日支の上から言えば:庚金は申子辰の「潤下」水局を生出す――これは泄気で、しかも泄し去る所はちょうど財を生ずる源頭。天将上に「玄武」と「青竜」とを得――「玄武」は水に属し水神、「青竜」は生発化育を主る。日干の泄する所・日支の克する所がすでに皆財なれば――価銭に漲らざるの理あらんや。「潤下」は水流舒緩の象――ゆえに価銭は慢慢に往かって漲る。日干を泄し尽くせば、漲幅もまた頂に到る――数目は八を超過しない――六壬の用数は庚を八と為すが故――泄して庚身を泄し尽くすに至れば便ち停住す。甲子のこの一旬に到れば必ず変故あり――末伝の子は甲子旬の旬首で、子上にまた変異を主る「螣蛇」に乗るが故。その後果たして幾分から一路八銭に漲り、甲子旬の裡に至って官府に査禁せられてやっと停まった。ただ窩価の長落は最も迅疾――月を按じて計るべからず。しかも一課の中の吉凶諸象はまた極めて繁複――またただ一条路から看るべからず。諺語に言う:得着すればすなわち金穴、失去すればすなわち禍胎。この句は「窩」の字の意味を解するに最も妙――しかも得失の間はただ呼吸轉瞬に在り。この一課を留下するは、数理の難きを見んと欲し――それを占うは実に容易ならず。
愚按:以支所克者為財,古原有此法。行商看干克之財,坐賈看支克之財。固窩與坐賈同,自當看支所克者。三傳脫干而斷其價長,以脫盡庚身而止,斷其數不過八,此則牧夫先生之心得者耶。
程樹勳按:日支の克する爻を以て財と為すは、古法もとより之あり。走動販運の行商は、日干の克する財を看る。店に坐して経営する坐賈は、日支の克する財を看る。窩を持ち鹽を行ずるはすでに坐賈と同類――自然応に日支の克する水を看るべし。牧夫先生は三伝が日干の気を泄するより価銭の漲らんことを断出し、また泄し尽くして庚身を以て止境と為し数目は八を過ぎざるを断出した――これ大概ちょうど彼自身の参悟して得たる心得ならん。
庚辰日に邵巡検が家宅を占う
建炎戊申年六月二十七庚辰日午將寅時,邵巡檢癸亥生,九月初九子日酉時生,四十六歲,占家宅。
南宋建炎戊申年六月二十七日は庚辰日、月将午を以て占時寅の上に加えて課を起こし、邵巡検(癸亥年生まれ、九月初九日酉時生まれ、時年四十六歳;原文の「初九子日」の四字は文義に属せず、応に訛字あるべし)が来て家宅を占った。家宅を占うは一処の住宅の安危・人口子息と遷居去留とを問う。
朱合勾青/酉戌亥子 青蛇玄青 父庚辰玄/蛇申 丑空 子申辰子 兄 申蛇◎/貴未 寅虎 申辰子庚 子丙子青⊙/午巳辰卯/後陰玄常
展平の課盤。天地盤:午将を寅に加え、天盤は地盤より四位進む――地盤巳上に天盤の酉を得て「朱雀」に乗る。午上は戌で「六合」。未上は亥で「勾陳」。申上は子で「青竜」。酉上は丑で「天空」。戌上は寅で「白虎」。亥上は卯で「太常」。子上は辰で「玄武」。丑上は巳で「太陰」。寅上は午で「天后」。卯上は未で「貴人」。辰上は申で「螣蛇」。庚日の夜貴は未にあり、寅時は夜に属し、「貴人」は天盤未に落ちる。未は地盤卯に坐し、順行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に子を得――第一課、子が庚に加わりて「青竜」に乗る。第二課、辰が子に加わりて「玄武」に乗る。第三課、日支辰上に申を得て「螣蛇」に乗る。第四課、子が申に加わりて「青竜」に乗る。三伝:初伝辰、遁干は庚辰、父母爻を為し、「玄武」に乗る。中伝申、旬空に落ち故に遁干なし、旁に「◎」を注すはすなわち旬空を表す――兄弟爻を為し、「螣蛇」に乗る。末伝子、遁干は丙子、子孫爻を為し、「青竜」に乗る。申子辰はまた「潤下」水局を成し、上の一課と干支相同じくして天将各々異なり。
邵彥和曰:金日得水局,三傳日辰皆子孫爻,脫處見青龍,生處見元武,祿上見螣蛇。一生彼子息作吵,一個死了,一個又生,取盡父母氣力了方休,家計亦被子孫磨滅。此宅十二年後出怪,住不得,必別遷。初受任日,兵卒不合,未後卻吉。後任必在水陸之處,更後在水邊屯,三任六十三難過也。
邵彦和が言う:庚金の日にして却って申子辰の水局を得――三伝は日干日支上神と連ねて皆子孫爻。泄気の子水上に「青竜」を見、生金の辰土上に「玄武」を見、日禄申の位置上にまた「螣蛇」を見。この一生は子女に折腾せられん:一つ死に、一つまた生まれ下り、父母の精力を全部耗尽するに至ってやっと罢休せん。家業もまた子女に消磨せられん。この処の宅子は十二年の後怪異を出さん――住むべからず、必ず另行遷居せん。初めて任を受くる時、営中の兵卒と相処して合わず、後に到りてやっと吉に転ず。以後の任所は必ず水陸交会の処に在り、さらに往けば後は水辺の屯所に駐せん。総じて三任を為し満ち、六十三歳のこの道の関口に至りて過ごし難し。
邵娶宗女為妻,得被恩澤,前後生八子,或三歲、二歲、一歲即死;及妾生三子,亦然;再納一婢,又生二男一女,前後果被子息壞盡心血。及巡檢任滿,果授英州水陸巡檢,本州島駐箚。至紹興十五年乙丑四月初三作古,果年六十三矣。
邵巡検は宗室の女を娶りて妻と為し、これによって朝廷の恩沢に沾るを得た。彼は前後して八人の兒子を生み、或は三歳、或は両歳、或は一歳にして夭折した。その後妾はまた三人の兒子を生み、も同じくこの如くの下場。さらに一名の婢女を納れ、また二男一女を生み下した。前前後後果たして子女に心血を耗尽せられた。巡検のこの一任が期満するに及び、果たして英州水陸巡検に授けられ、すなわち本州に駐扎した。紹興十五年乙丑四月初三に至りて去世し、果たして六十三歳。
蓋金日得潤下局,及干支上神各為脫氣。庚以子為真氣,子息乘青龍脫氣,又有元武螣蛇二凶,與青龍三個皆水獸,只管盜其真氣,故一子死,一子又來。日臨辰非蛇,日申七數,辰五數,併成十二年。螣蛇主變異,所以出怪擾害,遂遷寺中居住。六十三上死者,蓋子加申,子九數,申七數,七九共六十三也。
このように断じ得る所以:庚金の日は「潤下」水局を得、日干上神と日支上神とはまた皆泄気の神。庚金は子水を以てそれが生ずる真気と為し、子孫爻は「青竜」に乗りてかそこに泄気す。加うるに「玄武」「螣蛇」の両個の凶将――「青竜」「玄武」「螣蛇」のこの三者は六壬の裡に皆水族の獣に属し、一味に日干の真気を盗泄す――ゆえにやっと一つ死すればまた一つ来る。日干寄宮の申は日支辰の上に臨む(辰上の申はちょうど「螣蛇」に乗る――原文の「非蛇」は応に「乗蛇」の訛)。六壬の用数は申を七と為し辰を五と為す――七に五を加えて合して十二を成す。ゆえに十二年と断ず。「螣蛇」は変異怪誕を主る――ゆえに宅中は怪を出して扰を作し、後に彼は寺の裡に搬到して住んだ。彼が六十三歳の上に亡故すると断ずるは、子が申の上に加わり、子数は九、申数は七――七九相乗じてちょうど六十三。
庚辰日に筵会の失銀を占う(『方本占案』)
三月庚辰日酉將辰時,某因親友筵會失銀?占之。(方本占案)
三月の裡の庚辰日、月将酉を以て占時辰の上に加えて課を起こし、人あるが亲友の宴席の上で銀子を丢したによって来て占問した(原文ここに一字缺く、「?」を以て疑を存す)。三月の月将は従魁酉――ゆえに酉将を用いる。この例は『方本占案』から出る。
合朱蛇貴/戌亥子丑 后勾虎貴 財戊寅後⊙/勾酉 寅后 寅酉午丑 父癸未空/青申 卯陰 酉辰丑庚 子丙子蛇/未午巳辰/空虎常玄
展平の課盤。天地盤:酉将を辰に加え、天盤は地盤より五位進む――地盤巳上に天盤の戌を得て「六合」に乗る。午上は亥で「朱雀」。未上は子で「螣蛇」。申上は丑で「貴人」。酉上は寅で「天后」。戌上は卯で「太陰」。亥上は辰で「玄武」。子上は巳で「太常」。丑上は午で「白虎」。寅上は未で「天空」。卯上は申で「青竜」。辰上は酉で「勾陳」。庚日の昼貴は丑にあり、辰時は昼に属し、「貴人」は天盤丑に落ちる。丑は地盤申に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に丑を得――第一課、丑が庚に加わりて「貴人」に乗る。第二課、午が丑に加わりて「白虎」に乗る。第三課、日支辰上に酉を得て「勾陳」に乗る。第四課、寅が酉に加わりて「天后」に乗る。三伝:初伝寅、遁干は戊寅、庚日において妻財爻、「天后」に乗る。中伝未、遁干は癸未、父母爻を為し、「天空」に乗る。末伝子、遁干は丙子、子孫爻を為し、「螣蛇」に乗る。失う所は白銀――銀は金に属す。本課は地盤辰上の酉を以て失物の類神と為す。
邵彥和曰:寅作后加酉,后為隱蔽;酉為類神加支上,日上有丑墓之。寅為用神,未又作墓覆其上,凡見墓則為收藏,有類神則物不失。墓作天空,主汙穢。辰作元武,酉作勾陳太陽而加元武之上,又為元武之敗神,故主尋之必得。
邵彦和が言う:寅は「天后」に乗りて酉の上に加わる――「天后」は幽隠遮蔽の神――東西は掩蔵せられたを説明す。酉は白銀の類神――いま日支辰の上に加わる――日支はすなわち家宅。日干上神はまた丑――丑はちょうど金の墓庫――この酉を収蔵住した。初伝の寅は用神、中伝の未土はまた木の墓庫――寅の上頭に覆蓋す。凡そ墓を見れば、皆収蔵して散ぜざるを主る――すでに類神は現れてまた収蔵せられ――あの件の東西は丢さない。墓上に乗ずるは「天空」――「天空」は穢污を主る――ゆえに東西は乾淨ならざる処に蔵れたり。地盤亥上の辰は「玄武」に乗る――「玄武」は盗神。しかも酉は「勾陳」に乗り、酉はまた本月の月将――月将はすなわち太陽の在所――いまこの酉は辰位の上に圧し――太陽が「玄武」を照住せるに等しい。いわんや水は酉において沐浴敗地――酉はちょうど「玄武」の敗神。盗神はすでに制せられ――ゆえに一たび尋ねれば便ち尋ね得と断ず。
庚辰日に再び銀を尋ぬるを占う(『方本占案』)
尋銀未見,其子再占。三月庚辰日酉將午時。(方本占案)
銀子は一遍尋ねて尋ね着かず、失主の兒子が再来て一度占う。依然として三月の庚辰日、今回は月将酉を以て占時午の上に加えて課を起こした。この例は『方本占案』から出る。
青勾合朱/申酉戌亥 合空后朱 財戊寅後/空未 子蛇 戌未寅亥 官辛巳常/虎午 丑貴 未辰亥庚 兄 申青◎/巳辰卯寅/常玄陰后
展平の課盤。天地盤:酉将を午に加え、天盤は地盤より三位進む――地盤巳上に天盤の申を得て「青竜」に乗る。午上は酉で「勾陳」。未上は戌で「六合」。申上は亥で「朱雀」。酉上は子で「螣蛇」。戌上は丑で「貴人」。亥上は寅で「天后」。子上は卯で「太陰」。丑上は辰で「玄武」。寅上は巳で「太常」。卯上は午で「白虎」。辰上は未で「天空」。庚日の昼貴は丑にあり、午時は昼に属し、「貴人」は天盤丑に落ちる。丑は地盤戌に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に亥を得――第一課、亥が庚に加わりて「朱雀」に乗る。第二課、寅が亥に加わりて「天后」に乗る。第三課、日支辰上に未を得て「天空」に乗る。第四課、戌が未に加わりて「六合」に乗る。三伝:初伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「天后」に乗る。中伝巳、遁干は辛巳、官鬼爻を為し、「太常」に乗る。末伝申、旬空に落ち故に遁干なし、旁に「◎」を注すはすなわち旬空を表す――兄弟爻を為し、「青竜」に乗る。前の一課と比すれば、初伝は同じく「天后」に乗る寅――ゆえに両課の断法もまた大体一致す。
邵彥和曰:其物在廁屋左右。蓋寅加亥為用,亦乘天后隱蔽之將;末傳申是類神,加於巳長生之上,其物不失。辰作元武加金墓上,見天空,主汙穢處藏匿,故在廁屋左右。果申牌後於廁坑左右尋得,與前課不殊。
邵彦和が言う:あの件の東西はすなわち茅廁の近旁に在り。初伝は寅が亥の上に加わりて発用し、寅は同じく幽隠遮蔽の「天后」に乗るが故。末伝の申は金に属し、ちょうど白銀の類神――それは地盤巳位の上に加わり、巳は金の長生の地――類神は生を得て絶えず。ゆえに東西は丢さない。地盤丑上の辰は「玄武」に乗る――丑は金の墓庫――「玄武」は金墓の上に圧す。しかも日支辰位の上にまた「天空」を見――「天空」は穢污を主る――合わせればすなわち骯髒の処に蔵れたり。ゆえに茅廁の左右に在ると断ず。その後果たして申時報牌の後に、厕坑の旁辺にて尋ね得――前の一課の断ずる所と両様ならず。
庚辰日に銭通判が前程を占う(『宋本邵案』・『口鑑』・『方本占案』)
己酉年正月初一庚辰日子將巳時,錢通判丁巳生,十一月二十一日午時生,五十三歲,占前程。(宋本邵案 口鑑 方本占案)愚按:正月初一未交春,尚是戊申太歲。
己酉年正月初一は庚辰日、月将子を以て占時巳の上に加えて課を起こし、銭通判(丁巳年十一月二十一日午時生まれ、時年五十三歳)が来て仕途前程を占った。この例は『宋本邵案』『口鑑』と『方本占案』に見える。程樹勳按:正月初一のこの天はまだ立春に交えず――太歳の算法に按じて依然として上一年の戊申太歳に属す――年命行年を推する時は応にこのに照るべし。
蛇貴后陰/子丑寅卯 虎朱合陰 官壬午虎/朱亥 辰玄 午亥戌卯 父丁丑貴/合戌 巳常 亥辰卯庚 兄 申青◎/酉申未午/勾青空虎
展平の課盤。天地盤:子将を巳に加え、天盤は地盤より五位退する――地盤巳上に天盤の子を得て「螣蛇」に乗る。午上は丑で「貴人」。未上は寅で「天后」。申上は卯で「太陰」。酉上は辰で「玄武」。戌上は巳で「太常」。亥上は午で「白虎」。子上は未で「天空」。丑上は申で「青竜」。寅上は酉で「勾陳」。卯上は戌で「六合」。辰上は亥で「朱雀」。庚日の昼貴は丑にあり、巳時は昼に属し、「貴人」は天盤丑に落ちる。丑は地盤午に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に卯を得――第一課、卯が庚に加わりて「太陰」に乗る。第二課、戌が卯に加わりて「六合」に乗る。第三課、日支辰上に亥を得て「朱雀」に乗る。第四課、午が亥に加わりて「白虎」に乗る。三伝:初伝午、遁干は壬午、庚日において官鬼爻、「白虎」に乗る。中伝丑、遁干は丁丑、父母爻を為し、「貴人」に乗る。末伝申、旬空に落ち遁干なし、「◎」を注して旬空を表し、兄弟爻を為し、「青竜」に乗る。庚の禄は申にあり、末伝は偏偏この落空の申――ゆえに「無禄」の課である。
邵彥和曰:無祿課,雖受通判,必不能食祿。兼父母年高,先亡母,後亡父,下來又有別差遣,將及瓜而止。末傳又是祿作空亡入墓,亡在乙丑年六十九上,又蔭不得子也。錢乃奉議郎,受臨江軍通判,庚戌春至任,至三月三日作寒食會,母醉死;壬子冬又差南康通判;甲寅又丁父憂;丁巳受江南安撫司;己未避嫌,得主管台州崇道觀;壬戌再轉嶽州通判;乙丑五月本身喪矣。乙丑喪者,乙祿在卯,卯絕在申,而天盤申卻又入墓在丑,且是空亡。申是今日之庚,便是我身,身上有卯,卯中有乙,而庚金恰墓於丑,故乙丑年死。相次轉朝奉郎,止爭二日,不得萌子。可見無祿課中有許多事也。
邵彦和が言う:これは「無禄」課――通判の差遣を受くといえど、終にこの份の俸禄を食べ着けず。加うるに父母は年事すでに高く、先に母親が死し後に父親が死せん。此の後さらに別に差遣あらんも、任期将満に到れば便ち停住せん。末伝はすでに日禄にして、また空亡に落ちて墓庫に入る――本人は乙丑年六十九歳の上に去世し、しかも蔭補子孫の恩典を得ざるを主す。銭通判の本官は奉議郎――臨江軍通判に受任し、庚戌年春天に到任した。三月三日に至り寒食宴会を辦し、母親は醉後に身亡した。壬子年冬天また南康通判に差えられ、甲寅年に父喪に遭い丁憂し、丁巳年に江南安撫司の差事を受け、己未年に親嫌によって回避して台州崇道観を主管する祠禄を得、壬戌年に再び岳州通判に転じ、乙丑年五月に本人は去世した。乙丑年に亡故すと断ずる理由は:乙木の禄は卯にあり、卯木は申において絶し、しかも天盤の申はまた丑の上に坐して金墓に入る――いわんやこの申はさらに空亡。申は庚日の寄宮――すなわち本身を代表す。本身の上頭は卯――卯中に蔵するはちょうど乙木――しかも庚金は恰恰丑において墓す――乙と丑とは両頭皆応じ上った。ゆえに乙丑年に死すと断ず。彼は本なら続けて朝奉郎に転ずべかりしが、ただ両日差して趕き着かず、すなわち兒子のために蔭補を請う能わざりき。見る可し一つの「無禄課」の裡に能くこの許多の事を包含することを。
庚辰日に男人の病を占う(『方本占案』)
二月庚辰日亥將辰時,某占男人病。(方本占案)
二月の裡の庚辰日、月将亥を以て占時辰の上に加えて課を起こし、人あるが来て一位の男子の病を占った。亥将を辰に加うると上の一課の子将を巳に加うるとは同じく五位退す――ゆえに両課の天地盤は完全に同じ。この例は『方本占案』から出る。
蛇貴后陰/子丑寅卯 虎朱合陰 官壬午虎/朱亥 辰玄 午亥戌卯 父丁丑貴/合戌 巳常 亥辰卯庚 兄 申青◎/酉申未午/勾青空虎
展平の課盤は銭通判のあの一課と完全に同じ:地盤巳上の子は「螣蛇」に乗り、午上の丑は「貴人」、未上の寅は「天后」、申上の卯は「太陰」、酉上の辰は「玄武」、戌上の巳は「太常」、亥上の午は「白虎」、子上の未は「天空」、丑上の申は「青竜」、寅上の酉は「勾陳」、卯上の戌は「六合」、辰上の亥は「朱雀」。四課は卯が庚に加わりて「太陰」に乗り、戌が卯に加わりて「六合」、日支辰上の亥は「朱雀」、午が亥に加わりて「白虎」。三伝は午(官鬼、「白虎」に乗る)、丑(父母、「貴人」に乗る)、申(兄弟、「青竜」に乗る、旬空)。病を占うと前程を占うとは看る所の着眼点同じからず:病を占うは須く鬼爻と「白虎」とを看るべし。本課の初伝の午火は庚金を克してちょうど鬼――午上にまた喪亡血光を主る「白虎」に乗る。ゆえに下文は専らこの一点に就いて立断す。
邵彥和曰:四課俱下賊上,絕陰之象。白虎乘午作鬼,男病至三日內死。何也,無陽氣也。既不合灸,又不宜服藥,此是血病。蓋午主心,心主血也。宅中有陰人死得不明(稼云曰:午加亥之故也),作鬼為禍。若要陰鬼退,須門前社廟作福(稼云曰:用支上亥制午鬼,午是陰人,乘虎作鬼故也)。又午是天之真火,主灸神,乘虎克日,故不宜灸;又是天醫,故不宜服藥。涉害深者為用,主久病。且火加水上,主寒熱往來剋日,主癆血也。
邵彦和が言う:四課は皆下神が上神を克す――陽気断絶の象である。「白虎」は午火に乗りて来て鬼を作す――午火は庚金を克す、ちょうど日干の官鬼――ゆえにこの男子の病は三日の内にすなわち死せん。どうしてか、課裡に陽気なきが故。灸法を用いるに適せず、また服薬するに宜しくもあらず――これは血分の病。午は人身において心を主り、心はまた血を主る――ゆえに血病と断ず。宅中に一つの婦人ありて死するや明白ならず(呉稼雲が言う:これは午が亥の上に加わる故である)、彼女は化して陰鬼と為りて来て作祟す。もし陰鬼を退去せしめんと欲すれば、須く門前の社廟に到りて法事を為して祈福すべし(呉稼雲が言う:これは日支上の亥水を取りて去りて午鬼を制伏する――午はあの婦人――午上は「白虎」に乗りて鬼と為る――ゆえに禳解するを要す)。さらに午は天上の真火――灸法を主管する神――いまそれは「白虎」に乗りて来て日干を克す――ゆえに灸を施すに宜しからず。午はまた「天医」の在所――天医は虎鬼に拠せられ――ゆえにまた服薬するに宜しからず。本課の四課は俱に下の上を賊る――渉害法に按じて受克最も深きを取りて初伝と為す――渉害発用は病の拖れること久しきを主す。いわんや午火は亥水の上に加わり、水火は交戦す――寒熱往来して日干を克傷するを主る――労瘵吐血の一類の重症である。
庚辰日に李秀才が張道士を訪うを占う(『方本占案』)
十月庚辰日寅將午時,李秀才占往元真觀訪紫衣張道士。(方本占案)
十月の裡の庚辰日、月将寅を以て占時午の上に加えて課を起こし、李秀才が自分の元真観に到りてあの紫衣を穿く張道士を拜訪せんとするに、見着け得るや否やを占った。この例は『方本占案』から出る。
貴后陰玄/丑寅卯辰 青蛇蛇玄 子丙子蛇/蛇子 巳常 申子子辰 兄 申青◎/朱亥 午虎 子辰辰庚 父庚辰玄⊙/戌酉申未/合勾青空
展平の課盤。天地盤:寅将を午に加え、天盤は地盤より四位退する――地盤巳上に天盤の丑を得て「貴人」に乗る。午上は寅で「天后」。未上は卯で「太陰」。申上は辰で「玄武」。酉上は巳で「太常」。戌上は午で「白虎」。亥上は未で「天空」。子上は申で「青竜」。丑上は酉で「勾陳」。寅上は戌で「六合」。卯上は亥で「朱雀」。辰上は子で「螣蛇」。庚日の昼貴は丑にあり、午時は昼に属し、「貴人」は天盤丑に落ちる。丑は地盤巳に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に辰を得――第一課、辰が庚に加わりて「玄武」に乗る。第二課、子が辰に加わりて「螣蛇」に乗る。第三課、日支辰上にもまた子を得て「螣蛇」に乗る。第四課、申が子に加わりて「青竜」に乗る。第二・三の両課は上下神相同じ――四課は実際にはただ三課を成すのみ――故に下文は「辰課不足」と言う。三伝:初伝子、遁干は丙子、子孫爻を為し、「螣蛇」に乗る。中伝申、旬空に落ち遁干なし、「◎」を注して旬空を表し、兄弟爻を為し、「青竜」に乗る。末伝辰、遁干は庚辰、父母爻を為し、「玄武」に乗る。申子辰はまた「潤下」水局である。
邵彥和曰:此課占訪人,其人在本處水火之傍,造墨為生計,事未畢,必然不出見也。蓋子發用,雖與日辰三合,奈辰課不足,必主事務未畢也。且今日庚金,子水發用,庚落空亡,不能生子,子反畏日上天罡,所以主不出見。罡加孟為在內,故主在家。言為生計者,庚為水之源而生神后,神后加辰,神后北方也,黑色,交合辰土,生計是造墨也。潤下卦有螣蛇火神為用,故曰近水火之傍也。李果訪之不見,後詢之,果因造墨未畢也。
邵彦和が言う:この一課の占うは人を訪う――あの人はすなわち本地の一処の水に近く火に近い所在にあり、墨を造るに靠りて生を謀り、手裡の活はまだ做完せず――必ず出でて相見しない。初伝は子水が発用し、日干寄宮の申・日支の辰と三合して局を成すも、あいにく四課の当中に両課の重复ありて四課を成さず――ゆえに事情が辦了せざるを主す。いわんや今日の日干は庚金で、発用するは子水。庚は申に寄宮ししかも申は旬空に落ち――生じて子水を動かせず。子水はかえってまた日干上神の辰を怕る――辰は「天罡」と呼び、辰土は子水を克す――ゆえに彼が出でて相見せざると断ず。「天罡」辰は地盤申の上に加わり、申は四孟の一――罡は孟位に加われば人は内に在りて出ざるを主す。ゆえに彼は家裡に在りと言う。彼が墨を造るを以て生と為すと言うは、庚金は水の源頭にして「神後」子水を生出し、子水はまた辰土の上に加わるが故。「神後」は北方に属し、その色は黒――黒色と辰土とが相交合するは、ちょうど烟煤と膠とを搗きて墨を成す象である。全課は「潤下」の水卦で、発用の子上には火に属する「螣蛇」に乗る――ゆえに彼は水に近く火に近い処に在りと言う。李秀才は果たして往きて訪うも見着せず、その後一たび問えば、果たして墨がまだ造り完せざるが故であった。
庚辰日に陳主簿が官任の吉凶を占う(『口鑑』・『方本占案』)
己酉年十月庚辰日寅將辰時,陳主簿戊寅生,三十二歲,占官任吉凶,及問升遷。(口鑑 方本占案)
己酉年十月の庚辰日、月将寅を以て占時辰の上に加えて課を起こし、陳主簿(戊寅年生まれ、時年三十二歳)が来て現任官职の吉凶を占い、併せて升転し得るや否やを問うた。「主簿」は県衙の文書簿籍を掌る属官。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。
朱合勾青/卯辰巳午 后蛇合青 官壬午青⊙/蛇寅 未空 子寅辰午 父庚辰合/貴丑 申虎 寅辰午庚 財戊寅蛇/子亥戌酉/後陰玄常
展平の課盤。天地盤:寅将を辰に加え、天盤は地盤より二位退する――地盤巳上に天盤の卯を得て「朱雀」に乗る。午上は辰で「六合」。未上は巳で「勾陳」。申上は午で「青竜」。酉上は未で「天空」。戌上は申で「白虎」。亥上は酉で「太常」。子上は戌で「玄武」。丑上は亥で「太陰」。寅上は子で「天后」。卯上は丑で「貴人」。辰上は寅で「螣蛇」。庚日の昼貴は丑にあり、辰時は昼に属し、「貴人」は天盤丑に落ちる。丑は地盤卯に坐し、順行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に午を得――第一課、午が庚に加わりて「青竜」に乗る。第二課、辰が午に加わりて「六合」に乗る。第三課、日支辰上に寅を得て「螣蛇」に乗る。第四課、子が寅に加わりて「天后」に乗る。三伝:初伝午、遁干は壬午、官鬼爻を為し、「青竜」に乗る。中伝辰、遁干は庚辰、父母爻を為し、「六合」に乗る。末伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「螣蛇」に乗る。午辰寅は逐位倒退す――「退茹」――六壬はまた「顧祖」と呼ぶ。升遷を占うは最もこの種の一路後ろに縮む伝法を忌む。
邵彥和曰:日上發傳,退入支上,又是顧祖,末又見本命入宅,須是差出,經過鄉里而有是非(寅為支馬,故主經過;又是本命,所以主自蒙差出,而後經鄉里也)。不然須是有甚不到處,不合日上退歸本命入宅,為蛇所擾,又是共屋人之事也。蓋主簿族大房多,因爭分家產財,遂告臺部。十一月文書下,令知州差人押歸,分折後再赴任。陳被押歸,分未及半,因占房產又入狀監司,奏罷管押,始分成。
邵彦和が言う:初伝は日干上神から発出し、中伝は日支の上に退回する――これは「顧祖」。末伝にまた本人の本命寅が宅位に落ち入るを見――これすなわち必ず差遣せられて外出し、途中家郷を経過して是非を生出す(寅は日支辰の属する申子辰水局の駅馬――駅馬は行動を主る。ゆえに途経と言う。寅はまた本命――ゆえに彼本人が差え出され、それから郷里を路過す)。さもなくば、も必ず何か辦じて周到ならざる処あらん。日干上神が一路退帰し、本命はまた宅位に落ち入り、さらに「螣蛇」に纏扰せらるるは応にあらざれば、すなわち同屋に居住する人の惹き出す事である。もとはこの位の主簿は家族龐大にして房分衆多――家産銭財を争分するために、竟に台部に告ぐるに至った。十一月に公文下り、知州に命じて人を派して彼を押送して郷に帰らしめ、分割清楚して後再び任に回らしめんとす。陳主簿は押送せられて帰り、家産は半分に到らずして分かれ、また房産を争う事によって再び監司に状を遞し、奏請して押送を免ずるに至って、やっと家産を分かち成した。
蓋日上午為堂屋,又為官鬼,乘龍加申為退鱗,主歡中生悲,退財損身之兆。初午已是不好,末寅又生午火,只管克庚;命又戊寅,是我反去生火,畢竟自己不是,致令如此。青龍為官品,午乃官星,宜乎極利,不知午入空亡,不能作官;寅本助官,今作地帶馬克宅,及宜斷不吉,不宜作助官斷也。況在任只要升轉,今初傳自上降下,中末又自外回家,豈不倒退?又名顧祖,夫復何疑?況庚以寅為財,是爭財也;本命作財,我與彼爭也;蛇在寅,我被撓也。行年乘夜貴,晝作天空閉口,是官未可告也。夜貴廢職也;未為眷屬,天空主爭,是因眷屬而爭也;貴人閉口,告貴無用也。
日干上神の午は宅象の上では正堂屋で、六親の上ではまた官鬼。午は「青竜」に乗りて地盤申位に加わる――竜は西方に行きて鱗甲に逆らう――これを「退鱗」と呼ぶ――歓喜の中に悲事を生出すを主り、財を退し身を損する兆頭である。初伝は午にしてすでに好からず、末伝の寅木はまた来て午火を生じ、只管庚金を克しに往く。いわんや彼の本命はすなわち戊寅――我自己がかえって去りてあの我を克する火を生ずるに等しい――説き尽くせば自己の不対、やっとこの如くの局面を招致した。「青竜」は官品の神で、午はまた官星――理に照らせば応に大いに利あるべし。知らずや午は申の上に加わり、申はちょうど本旬の空亡――官星は空に坐すれば官を做り成さず。寅はもともと官星を生助し得べしも、いまそれは地盤の上に落ちて駅馬を帶びて来て宅を克す――応に不吉と断ずべく、生助官星に按じて断ずべからず。いわんや任に在る人はただ升転を求む――いま初伝は日上から支上に降り、中末両伝はまた外頭から家裡に回る――岂に倒退ならざらんや。これを「顧祖」と呼ぶ――さらに何の疑う可きかあらん。さらに言えば庚は寅を以て妻財と為す――いま争う所はちょうど財。本命はすなわち財爻を作した――我が人と争うを説明す。「螣蛇」は寅の上に乗る――我が人に糾纏せらるるを説明す。彼の行年は酉に落ち、酉上に未を得――未は庚日の夜貴人。しかし白天に課を占うに、未上に乗ずるは却って「天空」――「貴人閉口」を成した。ゆえにこの場の官司はなお告げ得べからず。夜貴人は職任を失した。未は六親の上で眷属を主り、「天空」は争奪を主る――合わせればちょうど眷属のために争端を起こす。「貴人閉口」は、すなわち貴人の処に告げても用なし。
庚辰日に劉監倉が年内の事を占う(『宋本邵案』・『口鑑』)
己酉年正月初一庚辰日子將寅時,劉監倉庚午生,三十九歲,生於庚午年四月二十九日。(本邵案 口鑑)愚按:正月初一未交己酉年春,故作三十九歲占年內事。
己酉年正月初一は庚辰日、月将子を以て占時寅の上に加えて課を起こし、劉監倉(庚午年四月二十九日生まれ、時年三十九歳)が来て占った。「監倉」は倉廩を掌管する監当官。この例は『宋本邵案』と『口鑑』に見える。程樹勳按:正月初一のこの天はまだ己酉年の立春に交えず――ゆえに年歳は依然として上一年に按じて三十九歳と算す。占う所は本年の内の事。
勾合朱蛇/卯辰巳午 虎青合蛇 官壬午蛇⊙/青寅 未貴 子寅辰午 父庚辰合/空丑 申后 寅辰午庚 財戊寅青/子亥戌酉/虎常玄陰
展平の課盤。天地盤:子将を寅に加え、天盤は地盤より二位退する――十二支の排布は上の一課の陳主簿のあの一課と完全に同じ。ただ占時が昼から夜に転じ、天将は一套を換えた――地盤巳上に天盤の卯を得て「勾陳」に乗る。午上は辰で「六合」。未上は巳で「朱雀」。申上は午で「螣蛇」。酉上は未で「貴人」。戌上は申で「天后」。亥上は酉で「太陰」。子上は戌で「玄武」。丑上は亥で「太常」。寅上は子で「白虎」。卯上は丑で「天空」。辰上は寅で「青竜」。庚日の夜貴は未にあり、寅時は夜に属し、「貴人」は天盤未に落ちる。未は地盤酉に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:午が庚に加わりて「螣蛇」に乗り、辰が午に加わりて「六合」、日支辰上の寅は「青竜」、子が寅に加わりて「白虎」。三伝:初伝午、遁干は壬午、官鬼爻を為し、「螣蛇」に乗る。中伝辰、遁干は庚辰、父母爻を為し、「六合」に乗る。末伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「青竜」に乗る。三伝は依然として午辰寅の「退茹顧祖」――しかも初伝の鬼は中伝の宅上に落ち、末伝の寅木はまた頭を回らして鬼を生ず――これが本課の立断の関鍵である。
邵彥和曰:日鬼傳歸宅上,宅上卻又生鬼。一防倉庫有火,二防當直人走或非理死,三防妻有暴風之疾。正月小子防有飛災退失,二月因省墓起山林之擾,三月妻擾,四月官長追迫,五月當直人有失,六七月防火,八月因閒聞貴內擾,九月進橫財,財中有失,十月婢妾陰私酒色上有失,十一月僕走,十二月媳婦有服。
邵彦和が言う:日干の官鬼は宅位の上に伝わり、宅位上の末伝の寅木は却ってまた頭を回らしてこの鬼を生ず。これに拠りて三件の防ぐべきあり:一には倉庫の失火を防ぎ、二には当値の差役が逃走し或は非命に死するを防ぎ、三には妻子が暴発の中風の疾を得るを防ぐ。さらに月に按じて分かちて言う:正月上旬は小心して飛来の災禍と破財とあり、二月は掃墓によって山林上の紛扰を惹起し、三月は妻子に事を出し、四月は上司に催逼せられ、五月は当値の差役が岔子を出し、六月七月は須く火を防ぐべし、八月は閑話が貴人の耳中に伝わるによって内扰を生じ、九月は一笔の横財を進めて財裡にまた損失あり、十月は婢妾の私情と酒色との上に損失あり、十一月は僕人が逃走し、十二月は児媳に喪服の事あり。
果本年七月二十三日倉鄰失火,竟焚倉。經曰:火鬼春歸午,夏月逐雞飛,三秋尋鼠穴,冬月免相期。今本身值火星(愚按:未交立春,何故以午為火星),又傳從火上起,支上與末傳寅又生火也。五月十四夜一當直人差去捉人,暗中墮深坑死。三月初七日妻偶中風,遂成重疾。其餘十二月分,禍福悉應。蓋午為倉庫火鬼,來乘克身,故應。九月妻之兄弟爭分家財,劉在官處請假半月,為伊調停,分得田產財物二千餘緡,遣人往行內買米,為賊所劫,始信數有前定如此。
その後果たして本年七月二十三日に、倉庫の隣家が失火し、倉をも焼いた。経書の上に言う:火鬼は春天は午位に帰し、夏天は鶏(酉)に随いて飛び、秋三月は須く鼠(子)の穴裡に到りて尋ぬ、冬天は則ち兔(卯)と相約す。いま彼の本身はちょうど火星に値う(程樹勳按:正月初一はまだ立春に交えず、どうして便ち午を用いて火星と為すや――ここに疑を存す)、三伝はまた火の上から発起し、日支上神と末伝の寅木とはさらに皆来て火を生ず。五月十四日の夜、一名の当値差役は派せられて人を抓りに往き、黑暗中に深坑に掉ち入りて摔死した。三月初七日、妻子は偶然中風し、これに就いて重症を成した。その余の各月の禍福もまた一一応験した。このように応ずる所以は、午はちょうど倉庫の火鬼で、来て凌克して日干本身を傷るが故。九月の裡に妻子の兄弟は家産を争分し、劉監倉は衙門に半月の假を請い、彼らに替わりて中から調停し、これによって田産財物両千余緡を分け得た。彼は人を派して牙行に到りて米を買わしめ、半路にて賊に劫し去られた。この時に至りてやっと命数は真に早已に定められしと相信した。
庚辰日に趙将仕が武職前程を占う(『口鑑』・『朱本邵案』)
己酉年正月初一庚辰日子將子時,趙將仕丁巳命,生於六月初七日亥時,五十二歲,占武職前程。(口鑑 朱本邵案)
己酉年正月初一の庚辰日、月将子を以て占時子の上に加えて課を起こし、趙将仕(丁巳年六月初七日亥時生まれ、時年五十二歳)が来て武職の前程を占った。「将仕」はすなわち将仕郎――文散官の最低一階。月将と占時とは同位――天盤と地盤とは重疊して動かず――これを「伏吟」課と呼ぶ。この例は『口鑑』と『朱本邵案』に見える。
朱蛇貴後/巳午未申 合合後后 兄 申後◎⊙/合辰 酉陰 辰辰申申 財戊寅青/勾卯 戌玄 辰辰申庚 官辛巳朱/寅丑子亥/青空虎常
展平の課盤。子将を子に加え、天盤の各支は皆地盤の同名の支の上に圧す――「伏吟」である:地盤巳上は巳で「朱雀」に乗る。午上は午で「螣蛇」。未上は未で「貴人」。申上は申で「天后」。酉上は酉で「太陰」。戌上は戌で「玄武」。亥上は亥で「太常」。子上は子で「白虎」。丑上は丑で「天空」。寅上は寅で「青竜」。卯上は卯で「勾陳」。辰上は辰で「六合」。庚日の夜貴は未にあり、子時は夜に属し、「貴人」は未上に落ちる。未は地盤未に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に依然として申を得――第一課、申が庚に加わりて「天后」に乗る。第二課、申が申に加わりて「天后」に乗る。第三課、日支辰上に辰を得て「六合」に乗る。第四課、辰が辰に加わりて「六合」に乗る。三伝:初伝申、旬空に落ちゆえに遁干なし、旁注の「◎」は旬空を表す――兄弟爻を為し、「天后」に乗る。中伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「青竜」に乗る。末伝巳、遁干は辛巳、官鬼爻を為し、「朱雀」に乗る。申寅巳は互いに三刑を成す――伏吟課が刑を取りて発用する常法である。庚の禄は申にあり、如今の天盤地盤の両個の申は皆空亡に落ち――この一点は下に武職成らざるを断ずる根拠である。
邵彥和曰:將仕之祿,乃虛祿也。夫武職兵權,惟要金盛,無金何武?此課無武有文,今任必不赴,必改岳廟之職,就彼處宜讀書取科第,本年中舉,來年庚戌及第,二甲二十一名。蓋武職主兵,金旺為宜,今天地盤之申俱空,是武職無位也,而申祿又虛,太常又不入傳,故不可為武。寅上青龍入廟,天后為恩澤之神,故宜習文。末傳巳作朱雀為長生,學堂又為官星,故主科甲。宜岳廟者,宅上見辰,辰為山崗,寅為廟,故宜就岳廟讀書而取功名也。趙不信,後果不能赴廣南任,遂授潭州岳廟,因邀數人同讀書,本年投國子監中舉,庚戌年登科。
邵彦和が言う:将仕郎のこの份の禄位は虚なり。大凡そ武職は兵権を掌る――ただ金気旺盛なるを要す。金気なければどうして武を談じ得んや。この一課は文あれど武なし――眼下この任所は必ず去り成さず、必ず岳廟の祠禄閑職に改授せん。かそこに到れば正に宜しく書を読み挙に応ずべし――本年に挙人に中り、第二年庚戌年に及第し、二甲第二十一名に名列せん。このように断ずる所以:武職は兵戈を主り、宜しく金旺ならんと欲す。如今の天盤地盤の両個の申は皆空亡に落ち――武職は便ち立足の位なし。日禄の申はまた虚――印綬爵禄を主る「太常」もまた三伝に進入せず。ゆえに武官を做り得べからず。寅上は「青竜」に乗りて青竜は木に属し、寅は木の本位――これを入廟と呼ぶ。初伝はまた「天后」に乗る――「天后」は恩沢の神――ゆえに文を習うに宜しい。末伝の巳上は「朱雀」に乗る――「朱雀」は文章を主り、巳はまた庚金の長生と学堂――同時にまた官星――ゆえに科甲を得るを主す。彼が岳廟に往くべしと断ずるは、宅位上に辰を見――辰は山崗を為し、寅は廟宇を為す――山中に廟あり。ゆえに岳廟に到りて書を読み功名を求むるに宜しい。趙将仕は当時信時信ぜざりしが、後に果たして広南の任に赴く能わず、そこで潭州岳廟の祠禄に改授せられ、これによって幾人かを邀えて一同に書を読み、本年に国子監に由りて挙に応じて中式し、庚戌年に登科した。
庚辰日に唐丞務が一年の事を占う(『口鑑』・『宋本邵案』)
同年月日時唐丞務占一年事,亦得此課。(口鑑,宋本邵案)
同年同月同日同時に、唐丞務が来て一年の内の事を占い、起こし出したるもまたこの一課。「丞務」はすなわち承務郎――もまた文散官。同課にして人を異にし断ずる所同じからず――ちょうど六壬が人事に随いて象を取る例である。この例は『口鑑』と『宋本邵案』に見える。
朱蛇貴後/巳午未申 合合後后 兄 申後◎⊙/合辰 酉陰 辰辰申申 財戊寅青/勾卯 戌玄 辰辰申庚 官辛巳朱/寅丑子亥/青空虎常
課盤は趙将仕のあの一課と一字差なからず:伏吟盤上は巳は「朱雀」に乗り、午は「螣蛇」、未は「貴人」、申は「天后」、酉は「太陰」、戌は「玄武」、亥は「太常」、子は「白虎」、丑は「天空」、寅は「青竜」、卯は「勾陳」、辰は「六合」に乗る。四課は申が庚に加わりて「天后」に乗り、申が申に加わりて「天后」、日支辰上の辰は「六合」、辰が辰に加わりて「六合」。三伝は申(兄弟、「天后」に乗る、旬空に落ち)、寅(妻財、「青竜」に乗る)、巳(官鬼、「朱雀」に乗る)。上の一課の問うは武職前程――ゆえに着眼は申禄の空亡に在り。この一課の問うは一年内の家事――着眼は便ち発用の「天后」の上に転ず――「天后」は妻室を主り、それは空亡に落ち――妻位は便ち先に動く。
邵彥和曰:天后發用而空亡,主喪妻;中傳得妻財爻,主又娶妻;妻財作青龍,後妻必有財也。末傳巳為店,作朱雀為爭,官鬼爻為訟,主爭店事而起訟,有四人遭刑,以巳之數四,三傳成三刑也。巳為長生,又為尊長,巳又為廚屋,主與尊長爭廚屋地基,亦以巳作朱雀故也。唐於三月果喪妻,十一月再娶,乃客人之妻,甚有財,遂以財開店,與原欠債人相打官司,四人杖二十,次年七月與叔爭廚屋地,卻得理。
邵彦和が言う:「天后」は妻室を主る。いま「天后」は発用して空亡に落ち――妻を喪うを主す。中伝に得るは妻財爻――さらに一房を再娶するを主す。妻財は「青竜」に乗る――「青竜」は財帛を主る――後に娶る妻子は必ず銭あると見える。末伝の巳は類神の上では店舗――巳上に「朱雀」に乗るは口舌争執を主り、巳はまた官鬼爻にして官鬼は官訟を主る――合わせればすなわち店舗の事のために官司を打つ。四人の刑を受くる者あらん――六壬の用数は巳を四と為し、しかも申寅巳の三伝は恰好互いに三刑を成すが故。巳はすでに庚金の長生にしてまた尊長を主り、巳はさらに厨屋を代表す――ゆえにまた長輩と厨屋の地基を争うを主す――これは依然として巳上に「朱雀」に乗るが故。唐丞務は果たして三月の裡に妻子が死し、十一月に再娶し、娶るは一位の客商の遺孀で、甚だ銭財あり――そこでこの筆の銭を拿りて店を開いた。その後もとの欠債する人と官司を打起し、四人は各々杖責二十を被った。第二年七月に叔父と厨屋の地基を争い、却って打ち贏った。
庚辰日に韓省干が赴任および歳中の事を占う(『宋本邵案』・『口鑑』)
己酉年正月初一庚辰日子將亥時,韓省干乙亥生,三十四歲,占赴任及歲中事。(宋本邵案 口鑑)
己酉年正月初一の庚辰日、月将子を以て占時亥の上に加えて課を起こし、韓省干(乙亥年生まれ、時年三十四歳)が来て赴任の事および本年の内の吉凶を占った。「省干」は尚書省諸司の干辦公事の職。この例は『宋本邵案』と『口鑑』に見える。
蛇貴后陰/午未申酉 蛇朱玄陰 官壬午蛇/朱巳 戌玄 午巳戌酉 父癸未貴/合辰 亥常 巳辰酉庚 兄 申後◎/卯寅丑子/勾青空虎
展平の課盤。天地盤:子将を亥に加え、天盤は地盤より一位進む――地盤巳上に天盤の午を得て「螣蛇」に乗る。午上は未で「貴人」。未上は申で「天后」。申上は酉で「太陰」。酉上は戌で「玄武」。戌上は亥で「太常」。亥上は子で「白虎」。子上は丑で「天空」。丑上は寅で「青竜」。寅上は卯で「勾陳」。卯上は辰で「六合」。辰上は巳で「朱雀」。庚日の夜貴は未にあり、亥時は夜に属し、「貴人」は天盤未に落ちる。未は地盤午に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に酉を得――第一課、酉が庚に加わりて「太陰」に乗る。第二課、戌が酉に加わりて「玄武」に乗る。第三課、日支辰上に巳を得て「朱雀」に乗る。第四課、午が巳に加わりて「螣蛇」に乗る。三伝:初伝午、遁干は壬午、官鬼爻を為し、「螣蛇」に乗る。中伝未、遁干は癸未、父母爻を為し、「貴人」に乗る。末伝申、旬空に落ち遁干なし、「◎」を注して旬空を表し、兄弟爻を為し、「天后」に乗る。日支は辰・日干寄宮は申――三伝の午未申は恰好この一支一干の間に挟まる――これすなわち下文にいう所の「支干夾定三伝」である。
邵彥和曰:支干夾定三傳,更三四課及初傳俱是鬼,有官人慾赴任,為催官符,上任必在三月盡四月初。奈何末祿卻空亡,上任不久,必主尊堂服動,子又病。蓋日辰夾定,凡事皆緊,只不合夾鬼與空亡耳。韓乃運使之子,授得鹽倉官,果於三月文字來催,四月赴任,韓信先生言不去,六月十七日丁母憂,二月子大病。《玉成歌》曰“日鬼加臨辰兩位,門中官病兩相侵”,占赴任人卻名催官符,只不合日辰夾住,又空亡臨身,太陰乘之,所以喪母。愚按:干支乘羅網,有官人占之亦主丁艱。庚以子為子息,為虎所逼,又加子息亥上,故主只病,幸不刑傷,所以不死(愚按:子不入課傳,何得斷及之,邵公蓋因其加命故耳)。大凡日辰夾定有鬼,鬼應有空,空應俱有則俱應矣。
邵彦和が言う:日支と日干とが三伝を中間に挟み、加うるに第三課・第四課と初伝とは皆官鬼――官职を身に在る人が来て占えば、これを「催官符」と呼ぶ――上任は必ず三月末四月初に在らん。あいにく末伝の日禄はまた空亡に落ち――上任して久しからざるに、必ず母親の喪事あり、兒子はさらに病を生ぜん。日支日辰の夾定するが故――凡事は皆緊迫して放さず。ただ惜しむべくは挟み住するは鬼と空亡なるのみ。韓省干は運使の兒子――鹽倉官に授けられ、果たして三月の裡に任を催す公文は来り、四月に赴任した――韓省干は邵先生の話を信服した(原文の「不去」の二字は文義に属せず、疑わしく訛脱あり)――六月十七日に母喪に遭い丁憂し、二月の裡に兒子は一大病した。『玉成歌』に言う「日鬼は辰の両位に加臨し、門中は官と病と両相侵む」――赴任を占う人はこれを得てかえって「催官符」と呼ぶ。ただ惜しいことに日干日支に挟まれ、また空亡が自身に臨み、空亡の上はさらに「太陰」に乗る――ゆえに母を喪うを主す。程樹勳按:日干日支上は天羅地網の神に乗る――官职ある人が占得すればもまた丁憂守制を主す。庚金は子水を以て子息と為し、子上は「白虎」に乗りて逼迫を受く。子はまた同じく水に属する亥の上に加わる――亥はちょうど韓省干の本命――ゆえにただ病を生ずるを主るのみ。幸いに刑傷なく、これを以て死に至らず(程樹勳また按:子は並びに四課三伝に進入せず、何に凭りてそれに断ずるや――想うに邵公はそれが本命に加臨する故によるらん)。大凡そ日干日支の夾定の中に鬼あれば、鬼はすなわち応ぜん。空亡あれば、空亡はすなわち応ぜん。両樣ともにあれば、すなわち両樣皆応ぜん。
庚辰日に何省干が応試を占う(『宋本邵案』・『方本占案』・『口鑑』・『捷要』)
何省干己未生,生於閏月十三日丑時,五十一歲,於建炎己酉年正月庚辰日占應試,子將酉時。(宋本邵案 方本占案 口鑑 捷要)
何省干(己未年閏月十三日丑時生まれ、時年五十一歳)が南宋建炎己酉年正月の庚辰日に科挙に応考せんとするを占問し、月将子を用い占時酉の上に加えて課を起こした。この例は四書に併載し、『宋本邵案』『方本占案』『口鑑』と『捷要』に見える。
蛇朱合勾/申酉戌亥 合貴虎勾 財戊寅虎/貴未 子青 戌未寅亥 官辛巳陰/後午 丑空 未辰亥庚 兄 申蛇◎/巳辰卯寅/陰玄常虎
展平の課盤。天地盤:子将を酉に加え、天盤は地盤より三位進む――地盤巳上に天盤の申を得て「螣蛇」に乗る。午上は酉で「朱雀」。未上は戌で「六合」。申上は亥で「勾陳」。酉上は子で「青竜」。戌上は丑で「天空」。亥上は寅で「白虎」。子上は卯で「太常」。丑上は辰で「玄武」。寅上は巳で「太陰」。卯上は午で「天后」。辰上は未で「貴人」。庚日の夜貴は未にあり、酉時は夜に属し、「貴人」は天盤未に落ちる。未は地盤辰に坐し、順行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に亥を得――第一課、亥が庚に加わりて「勾陳」に乗る。第二課、寅が亥に加わりて「白虎」に乗る。第三課、日支辰上に未を得て「貴人」に乗る。第四課、戌が未に加わりて「六合」に乗る。三伝:初伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「白虎」に乗る。中伝巳、遁干は辛巳、官鬼爻を為し、「太陰」に乗る。末伝申、旬空に落ち遁干なし、「◎」を注して旬空を表し、兄弟爻を為し、「螣蛇」に乗る。応試を占うは須く文章を主る爻神と日干の気とを看るべし。本課の日干上神は庚金の気を泄する亥水で、また遅滞を主る「勾陳」に乗る――これが本人は中らざるを断ずる着眼処である。
邵彥和曰:何丈已兩次赴試,今次卻又不中,惟令郎中二十八名。吾丈暮秋雖有喜,又有悲,十月防有炊血之夢,及至五十七歲後方能得官,然過一二年便當壽阻,不能度甲子一周矣。何當時望中甚切,臨場病阻;其子入場,將舊文雜湊而成,全不得意,及放榜,果中二十八名。蓋日上亥是庚之子孫,來奪庚之氣,又作勾陳,不落第矣,所以子得中式。亥四申七,四七二十八也。亥為水道,勾乃滯神,加日上,故本身痢病。庚以寅為妻,加盜氣上,臨於十月,又作白虎,所以喪妻。寅財加亥,雖脫氣,卻六合而長生,不合作白虎,故邵公開此口。
邵彦和が言う:何丈はあなたはすでに両次試に赴いた――この一次も依然として考え中らず、ただ令郎のみ能く第二十八名に中らん。あなたは深秋に喜事あるも、同時にまた悲事あり。十月の裡に血を見るの凶夢を為すを防ぐを要す。須く五十七歳以後に到ってやっと官を得べく、しかしさらに一両年過ぎれば寿数はすなわち阻を受け、一個の甲子六十年に満たずして活きざらん。何省干は当時功名への期望は極めて切なるも、誰が知らん場に臨みて却って病によって阻まれた。彼の兒子は場に入りて試に応じ、従前の旧文章を拼凑して篇を成し、自己は全く満意せざりしが、榜を放するに及び、果たして第二十八名に中った。このように断ずる道理は:日干上神の亥水は庚金の子孫爻で、来て庚金の気を奪泄し、亥上にまた遅滞を主る「勾陳」に乗る――本人は落第を免れず(原文は「不落第矣」と作る――文義の上では応に「岂不落第」の意)。しかも子孫爻はすでに現れて得力――ゆえに兒子はかえって中式した。名次は亥数四・申数七を取り、四七相乗じてちょうど二十八。亥は水道、「勾陳」は滞塞の神で、日干の上に加わる――ゆえに彼本人の患うるは痢疾。庚は寅木を以て妻と為し、寅は泄気の亥の上に加わり、また十月亥月に臨み、寅上はさらに「白虎」に乗る――ゆえに妻を喪うを主す。ただ寅財が亥に加わるは、泄気と説くも、寅亥は却って六合で、亥はまた木の長生の地――本は応に白虎の凶と断ずべからず――ちょうど寅上に確実に白虎に乗るがため、邵公はやっとこの口を開き敢えてした。
愚按:庚辰日己酉年元旦尚未立春,仍是戊申太歲,己未生人止作得五十歲,行年在卯,上得午為弔客;本命未上得戌為喪門,喪吊全逢,主孝服。寅作妻財,乘虎,弔客上又作天后,故即以喪妻斷之。夜貴在宅乘未閉口,恰是本命,故將來雖得官,不久即死。愚按:申祿空,雖有官而不能享祿。後何公五十七歲登科,五十九歲死矣。未雖夜貴加宅,然其子既中則宅於先矣,而邵公復云何君自中,何也,蓋未繫何公本命故耳,不可不知。
程樹勳按:この庚辰日は己酉年の元旦で、まだ立春に交えず――太歳は依然として戊申と算し、己未年生まれの人はただ五十歳と算するのみ。五十歳の男子の行年は卯に在り、卯上に午を得――午は戊申太歳に対して言えばちょうど「弔客」。彼の本命未上に戌を得――戌はちょうど「喪門」――喪門弔客は全て碰上す――孝服の事あるを主す。寅は妻財で「白虎」に乗り、しかも弔客の午上にまた「天后」に乗る――「天后」は妻室を主る。ゆえに徑直に妻を喪うと断ず。庚日の夜貴人は未――未は日支辰(宅)の上に加わりて「貴人閉口」の象を成す――この未はまた恰恰彼の本命。ゆえに彼が将来官を得るといえど、まもなく死せんと断ず。程樹勳また按:日禄の申は空亡に落ち――ゆえに官职あれど俸禄を享けず。その後何公は果たして五十七歳に登科し、五十九歳に去世した。未は夜貴人たりといえど宅上に加臨するに至っては、しかも彼の兒子はすでに考え中ったれば、あの份の宅上の貴は便ち先に兒子の身上に応じた。邵公は却ってまた何君は自己もまた中り得と言う――これは何か、ただ未はちょうど何公の本命なるのみ――この一層は知らざるべからず。
庚辰日に應秀才が前程を占う(『一針見血』)
己酉年七月初四庚辰日午將卯時,應秀才乙亥生三十五歲占前程。(一針見血)
己酉年七月初四は庚辰日、月将午を以て占時卯の上に加えて課を起こし、應秀才(乙亥年生まれ、時年三十五歳)が来て前程を占った。この例は『一針見血』の一書から出る。この一課の年月と課時とは、別本の記載は互いに出入あり――下文の程樹勳の案語は専ら考訂を作した。
庚辰日・應秀才が前程を占う(程樹勳の課時を考正する按語)
此課《口鑑》《捷要》俱有而錯,作己酉元旦。餘向喜疑之。今丙子年?日,借得揚州張繼唐先生《一針見血》書,始知是己酉年午將卯時,占乙亥命三十五歲,心始渙然。謹誌之不忘所自。程樹勳識。
これは編者程樹勳の案語である。上面のこの一課は、『六壬口鑑』と『六壬捷要』の両書ともに収めたれど、時間を記錯して、己酉年元旦(正月初一)に占いしと寫した。我は一向にこの記載を懷疑した。丙子年の某日に至り(源文ここに一字缺く、「?」を以て疑を存す)、揚州張繼唐先生の藏する『一針見血』の一書を借り得て、やっと実は己酉年、午将を以て卯時に加えて課を起こし、占う所は乙亥年生まれ・時年三十五歳のあの人なるを知り、心裡の疑團はこれにやっと渙然氷釋した。我は謹んでこの事を記し、それが來歷を忘れず。程樹勳記。
蛇朱合勾 申酉戌亥 六空后朱 財 戊寅 后 貴未 子青 戌未寅亥 官 辛巳 常 后午 丑空 未辰亥庚 兄 申 青 ◎ 巳辰卯寅 陰玄常虎
これは展平して一行を成す課盤で、三塊に分かつ。第一塊は天地盤で、十二天将を天盤十二支の上に安ず:未上は「貴人」、申上は「螣蛇」、酉上は「朱雀」、戌上は「六合」、亥上は「勾陳」、子上は「青竜」、丑上は「天空」、寅上は「白虎」、卯上は「太常」、辰上は「玄武」、巳上は「太陰」、午上は「天后」――これは貴人を未に起こし十二将を順行して排出した一套である。第二塊は四課で、右から左へ読む:第一課、亥が庚に加わる(庚日の寄宮は申にあり、申位上に亥を得)。第二課、寅が亥に加わる。第三課、未が辰に加わる(辰は日支)。第四課、戌が未に加わる。四課上神の乗ずる所の天将は依次は戌上の六合・未上の天空・寅上の天后・亥上の朱雀。第三塊は三伝:初伝寅、遁干は戊寅、庚日において妻財、天后に乗る。中伝巳、遁干は辛巳、官鬼を為し、太常に乗る。末伝申、兄弟を為し、青竜に乗り、旁に「◎」を注してそれが旬空に落つるを表示す(庚辰日は甲戌旬に属し、空亡は申酉に在り)。注意すべきは:四課三伝の注する所の天将は、貴人を丑上に起こして逆行に排したもので、前面の天地盤のあの一套(貴人は未に在りて順行)と並び相合せず。下文の邵彦和の断語の依拠する所は四課三伝のこの一套――前面天地盤の天将は応に訛誤あるべし。
邵彥和曰:先失後得,先虛後實,耗廢盡了,卻得妻財來助起家。因水利中得財,不可不知。若求功名,不可得也。須是敗盡再發,兄弟並星散,所可喜者,妻與子成家,末年享福有壽,就店房居住,宅舍無氣也。蓋日上見亥,金生水而脫氣,自身受脫不能發也。
邵彦和が言う:この一課の格局は先に失し後に得、先に虚し後に實――先に家業を耗散し乾淨にして、それから後妻子の帶び來る財物に靠りて幇けられ重ねて家を起こす。この份の財は水と関わりある営生の裡から得來した――この一点は留意せざるべからず。もし功名を問えば、則ち求め得られず。必ず徹底して敗光するに至って待ちてやっと再び発起せん。兄弟は星散して各々東西に奔り、喜ぶ可きは妻と子とが能く家を成し業を立つること。晩年は福ありて壽あり――人は街に臨む店房の裡に住み、正宅はかえって生氣なし。この如くなる所以は、日干庚金の上神は亥水――金は水を生じ、日干の氣は泄し走られ、本身は泄を受く――自己は便ち発起し得ないが故。
愚按:朱雀乘脫氣,故不能得名。又寅財在脫上發用,脫上逢脫,必詩書荒廢,家道空虛。初見妻宮,引歸中傳長生,中又引歸末傳,卻見本身,是破敗後方得妻子起家,因之有福。應一心只思及第,自後讀書不成,家計敗盡,方得妻家做酒生意,果然諧子皆好,日漸豐足,遂享福而壽終。
程樹勳案:文名を主る朱雀は泄氣の亥水の上に乗る――ゆえに功名を求め得られず。さらに初伝の寅木妻財はまた泄氣の處から發用した――泄の上に再び泄に逢う――必然に詩書は荒廢し家道は空虚なり。三傳の次第は:先に妻財の宮を見(初傳寅)、引きて中傳巳火に至る――巳は庚金の長生――中傳はまた引きて末傳申金に至る――申はちょうど日干庚金の本身。これすなわち先に破敗を經て、それから後やっと妻子兒女に靠りて家を起こして福を得るを説明す。この人は當初は一心にただ科舉及第を想うのみ――後に書は讀み成さず、家業は敗し盡くし、やっと妻家の酒を做す生意に靠り、果たして妻と子とは皆好く、家道は一天天豐足し、終に福を享けて壽終した。
蓋日上初傳俱脫,卻得妻爻引歸生路;寅上巳乃庚金長生也。末傳申加巳,是得生路在末傳,故主晚年亨福也。愚按:巳為店,作太常為酒食,既為長生又有日祿加其上,故因做酒生意而起家,因之享福。申祿不論空者,以得未建之生也。
日干上神と初傳とは皆泄氣の地なれど、却って妻財の一爻に靠りて氣を引きて生路に回らす:寅木の上はすなわち巳火――巳はちょうど庚金の長生。末傳の申金は巳の上に加わる――生路は末傳に落つるに等し。ゆえに晩年に福を享くるを主す。程樹勳案:巳は店鋪を主り、巳上に太常に乗るはまた酒食を主る。巳はすでに庚金の長生にして、また日祿(庚の祿は申に在り)がその上に加臨す――ゆえに此人はやっと酒を做す生意に靠りて家を起こし、これによって福を享く。末傳の申は雖も日祿なれど空亡に落ちて依然として照日祿に論ずるは、それが未月月建の土を得て來て生ずるが故(此の課は午將を用い、ちょうど六月に當り、月建は未に在り)。
庚辰日・未年四月に來意を占う(苗公達が飛禽を斷ず)
未年四月庚辰日申將酉時占來意。苗公達斷經。
未年四月、庚辰日、申將を用い酉時に加えて課を起こし、來人の心裡に問う所の何事を占う(「未」は太歲の地支、「申」は四月の用いる所の月將)。此の例は『苗公達斷經』から出る。
合勾龍空 辰巳午未 蛇朱龍空 財 己卯 朱 朱卯 申虎 寅卯午未 財 戊寅 蛇 蛇寅 酉常 卯辰未庚 父 丁丑 貴 丑子亥戌 貴后陰玄
天地盤の部分:貴人は丑に起き、十二天將は順行す――丑上「貴人」、寅上「螣蛇」、卯上「朱雀」、辰上「六合」、巳上「勾陳」、午上「青龍」、未上「天空」、申上「白虎」、酉上「太常」、戌上「玄武」、亥上「太陰」、子上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、未が庚に加わる(庚の寄宮は申に在り、申位上に未を得)。第二課、午が未に加わる。第三課、卯が辰に加わる(辰は日支)。第四課、寅が卯に加わる。四課上神の天將は依次は寅上の螣蛇・卯上の朱雀・午上の青龍・未上の天空。三傳:初傳卯、遁干は己卯、妻財を為し、朱雀に乘る。中傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、螣蛇に乘る。末傳丑、遁干は丁丑、父母を為し、貴人に乘る。三傳の卯・寅・丑は逐位後退してまた彼此相連なり――「連茹」にして退する樣子。この一課の天地盤と四課三傳の注する天將とは完全に吻合す。
苗公達斷曰:據來意必有飛禽受不足之憂,目下已飛了,其飛卻不去,只在東南樹間住。本時有貴人將同一飛禽往來此處,二禽相見飛下相鬥捉得;其禽亦是好鬥之禽。何以言之?蓋發用見朱雀,又所居辰與生氣併,故知飛活之物。
苗公達が斷じて言う:來人の心中に問う所に按れば、必定に一隻の飛禽ありて差錯を出した――眼下鳥は已に飛掉したれど、飛びて遠からず、ただ東南方の樹林の間に停まる。すなわち本占時に、一位の貴人ありて同類の飛禽を帶びて此の處に往來し、兩隻の鳥は一たび照面すれば便ち飛び下りて相鬥し、勢いに乘じて便ち捉へ得べし。この隻の鳥は本身もまた好鬥の禽なり。何に憑りて此の如く言うや。發用(初傳卯)の上に朱雀に乘るが故――朱雀は飛鳥の象、しかも卯の臨む所の地支はまた「生氣」と相併するが故――斷じて問う所は能く飛ぶ活物と爲す。
其禽受不足之憂者,以卦名天獄也;今飛了,為正時得鈅神也;其禽卻不去者,為日上見太歲,又年上見天地獄神也;更在朱雀之方,故不能去也。在東南樹間者住,蓋生氣之下是寅卯樹木之鄉也。有一貴人至本時,將同類物從此過者,二飛禽卻相爭飛去致斗,卻捉得此禽者,為日上見月厭,又為相生,又沖末傳,得貴人帶天殺也。斗本時者,發用辰上,更三傳連併,皆主疾速往來之象也。
此の隻の鳥に缺失の憂あるを言うは、課名が「天獄」と呼ばれ、牢籠拘禁の義あるが故。それが眼下已に飛走したと言うは、正時上に「鑰神」を得――鑰は能く鎖を開くが故。それが飛びて去らざるを言うは、日干上に太歲の未を見、年命上にまた天獄・地獄の兩個の凶神を見、しかも它の停まる處はまたちょうど朱雀の在る所の方位に在り――ゆえに逃脫し得ず。それが東南の樹林の間に停まるを言うは、生氣の下はちょうど寅卯の木鄉――木はすなわち樹。本占時に一位の貴人ありて同類の鳥を帶びてここより經過し、兩鳥相爭飛して相鬥に致り、終に人に捉へらるるを言うは、日干上神の未はちょうど四月の「月厭」――未土はまた庚金と相生し、しかも能く末傳の丑を衝動し、しかも末傳丑上に乘る貴人はまた「天殺」を帶ぶが故。すなわち本占時に相鬥すと言うは、發用の卯はちょうど地盤辰の上に加わり、加以三傳は逐位相連なりて、皆往來急速の象なるが故。
辛巳日
辛巳日・元豐乙丑に李明が省試を占う
東京有僧仲褒,精通六壬。元豐八十年乙丑二月十七辛巳日,太學同人李明癸未生,四十三歲,求占,得申時亥將。一針見血。
東京汴梁に一位の僧人ありて仲褒と叫び、六壬に精通す。元豐乙丑年(元豐八年、公元一〇八五年;源文の「八十年」は應に「八年」の訛)二月十七日の辛巳、太學の同學の李明、癸未年生まれ、四十三歲、來て占を求め、課を起こして申時亥將を得(亥將を以て申時に加う)。此の例は『一針見血』から出る。
愚按:元豐為神宗年號,是知仲褒在邵彥和先生之前也。
程樹勳案:元豐は宋神宗の年號――これに由りて僧人仲褒の年代は邵彦和の前に在るを知るべし。
朱合勾龍 申酉戌亥 龍朱陰虎 兄 申 朱 ◎ 蛇未 子空 亥申辰丑 子 乙亥 龍 ⊙ 貴午 丑虎 申巳丑辛 財 戊寅 常 巳辰卯寅 后陰玄常
天地盤の部分:貴人は午に起き、十二天將は順行す――午上「貴人」、未上「螣蛇」、申上「朱雀」、酉上「六合」、戌上「勾陳」、亥上「青龍」、子上「天空」、丑上「白虎」、寅上「太常」、卯上「玄武」、辰上「太陰」、巳上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、丑が辛に加わる(辛日の寄宮は戌に在り、戌位上に丑を得)。第二課、辰が丑に加わる。第三課、申が巳に加わる(巳は日支)。第四課、亥が申に加わる。四課上神の天將は依次は亥上の青龍・申上の朱雀・辰上の太陰・丑上の白虎。三傳:初傳申、兄弟を為し、朱雀に乘り、「◎」を注して旬空に落つるを表示す(辛巳日は甲戌旬に屬し、空亡は申酉に在り)。中傳亥、遁干は乙亥、子孫を為し、青龍に乘る。末傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、太常に乘る。此の課の天地盤と四課三傳の注する天將とは完全に相合す。
仲褒曰:若占省試必主高中,只是不承恩命。省榜了,當殿試為犯御諱,遂不及第。李君再謂褒曰:春前之數己驗,不知異日如何?褒曰:且待別占。議曰:發用朱雀,傳入龍常,三傳皆臨長生,行年又得青龍,傳入太常,正屬省府。所乘功曹,本是青龍,春占為旺氣,與月建上神三合,貴人順冶發用在前,故主省試高發。以太歲為殿試,太歲不入傳,青龍正臨空亡,天罡加太歲,太歲加日上,作白虎,為墓庫,來刑日,故不承恩命也。
仲褒が言う:もし禮部省試を問はば、必定に高中す――ただ朝廷の恩命を承受し得ざるのみ――省榜發出して後、殿試に到りて皇帝の名諱を觸犯するに因りて、終に及第せず。李明はその後また仲褒に對して言う:春天以前あなたの言うは皆應驗した――往後は如何なるか知らず。仲褒が言う:それは須く別に一課を起こすべし。彼の推斷は:發用の申金は朱雀に乘り、中傳・末傳は青龍と太常とに轉入し、三傳は皆長生の地に臨み、行年上にまた青龍を得、再び傳入して太常――太常はちょうど省府の一類の職任を管す。乘ずる所の功曹寅木は、もともと青龍の本位(青龍の五行は木に屬す)――二月に占するはちょうど木の旺氣に當り、また月建卯の上神の午と寅午戌の三合を結成し、加以貴人は順行してしかも發用はまた貴人の前に在り――ゆえに省試高發を主す。殿試に至っては、則ち太歲を以て憑と爲す:本年太歲の丑は竝びに三傳に入らず、青龍はまた恰好空亡の地に臨み、天罡辰は太歲丑の上に加わり、太歲丑はまた日干辛の上に加はり、上は白虎に乘る――丑は金の墓庫にして、しかも丑は辛金の寄る所の戌宮を刑す――ゆえに恩命を承受し得ず。
辛巳日・辛卯年に曹丙道が再び來年の省試を占う
辛卯年正月辛巳日亥將申時,曹丙道再占來年省試。一針見血。
辛卯年正月、辛巳日、亥將を用い申時に加えて課を起こし、曹丙道が再一次來年の省試を占う。此の例は『一針見血』から出る。
愚按:辛卯當是徽宗政和元年,稱再占者,是日卯時己占過來年釋褐課也。
程樹勳案:此の辛卯年は應に宋徽宗政和元年(公元一一一一年)ならん。「再占」と稱する所以は、同じ日の卯時に已に一課の來年の「釋褐」(布衣を脫去し登第授官する)の事を占過ぐるが故――すなわち本書下文の載する所の「曹丙道が在京の來年釋褐を占う」のあの一課である。
朱合勾龍 申酉戌亥 龍朱陰虎 兄 申 朱 ◎ 蛇未 子空 亥申辰丑 子 乙亥 龍 ⊙ 貴午 丑虎 申巳丑辛 財 戊寅 常 巳辰卯寅 后陰玄常
此の一課は前面の李明が省試を占う一課と月將・占時・日干支全く同じ――ゆえに課盤は一模一樣:貴人は午に起きて順行し、午貴人・未螣蛇・申朱雀・酉六合・戌勾陳・亥青龍・子天空・丑白虎・寅太常・卯玄武・辰太陰・巳天后。四課は右から左へは丑が辛に加わり、辰が丑に加わり、申が巳に加わり、亥が申に加わる。四課上神の天將は依次は亥上青龍・申上朱雀・辰上太陰・丑上白虎。三傳は申(兄弟、朱雀に乘り、旬空に落ち)、亥(乙亥、子孫、青龍に乘る)、寅(戊寅、妻財、太常に乘る)。
邵彥和曰:三傳始末見天城天吏,作朱雀、太常,又是驛四馬,又朱雀火克身,本傳俱在長生學堂之上,定然得官。果次年壬辰三月榜出高甲及第。
邵彦和が言う:三傳の首尾に「天城」「天吏」の兩神を見――分別に朱雀と太常とに乘り、中間にまた驛馬を帶び(辛巳日の驛馬は亥に在り、ちょうど中傳)、朱雀は火に屬し能く辛金の身を克す――文名が身に逼る象。三傳はまた皆長生・學堂の此の類の吉位上に落つ――ゆえに必定に官を得べし。その後果たして第二年壬辰(政和二年)三月に榜を放する時、甲科に高列して及第した。
辛巳日・己酉年に時監院が動遷轉を謀るを占う
己酉年正月辛巳日子將酉時,時監院庚午生,四十歲,占謀動遷轉。宋本邵案。口鑑。
己酉年正月、辛巳日、子將を用い酉時に加えて課を起こす。占を求むるは時監院――庚午年生まれ、四十歲――調動升遷を謀求することを占う。此の例は宋本『邵彦和占案』と『六壬口鑑』に見える。
空虎常玄 申酉戌亥 玄空朱后 兄 申 空 ◎ 青未 子陰 亥申辰丑 子 乙亥 玄 ⊙ 勾午 丑后 申巳丑辛 財 戊寅 貴 巳辰卯寅 合朱蛇貴
天地盤の部分:貴人は寅に起き(辛日の夜貴人)、十二天將は順行す――寅上「貴人」、卯上「螣蛇」、辰上「朱雀」、巳上「六合」、午上「勾陳」、未上「青龍」、申上「天空」、酉上「白虎」、戌上「太常」、亥上「玄武」、子上「太陰」、丑上「天后」。天盤の排布は前一課と相同じ(皆天盤は地盤より三位進む)――ただ夜貴人を用いしに因り、天將は之に隨いて全く換はる。四課は右から左へ:第一課、丑が辛に加わる。第二課、辰が丑に加わる。第三課、申が巳に加わる。第四課、亥が申に加わる。四課上神の天將は依次は亥上玄武・申上天空・辰上朱雀・丑上天后。三傳:初傳申、兄弟を為し、天空に乘り、旬空に落ち。中傳亥、遁干は乙亥、子孫を為し、玄武に乘る。末傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、貴人に乘る。
邵彥和曰:此課守妻家,卒未能動身。今喜日墓帶丁,遂有變動之意。臨廟滿後,必得京局監當差遣,多是藥院之類。末傳寅在前引動墓,遂得出去。又是夜貴人,乃久困之貴人,今得起用於朝,因此可以引之。若見廚灶煮麵,僕子為湯所傷,即是喜事到之期。又主小兒落佛堂外水坑亦應也。
邵彦和が言う:此の一課は此人が一直に妻子の娘家に守り、終に身を動かし得ざるを主す。眼下喜ぶ可きは日墓丑中が旬遁の丁神を帶び、そこで變動の意思あるに至りし。今の此の祠廟の差事の任滿して後を等てば、必定に京城局務監當の一類の差遣を得べし――多くは藥院の類ならん。末傳寅木は前面に在りて墓神を引動す――ゆえに走り出で得べし。本課の用いる所はまた夜貴人――それは久困して用ゐられざる貴人――如今は朝廷に起用せらるるを得――これに因りて彼の力を借りて引拔する可し。將來もし厨の房の麵を煮、僕人が熱湯に燙傷せらるるを見ば、すなわち喜事が門に臨むの日子なり。また別に小孩が佛堂外の水坑に掉ち入るを主す――これもまた同時に應驗する事なり。
時自二十三上就寄居妻家,是年欲謀動,占得此課。庚戌七月嶽祠滿,討得監和劑局,因乃嶽徐侍郎在九宮觀,遂得台州差遣。所云夜貴久困,即此人也。辛亥其女生日,廚下煮麵,其僕子托面出,被人沖在身,而被湯所傷。又宴客更深,親戚小兒戲於佛堂外,失足墜小池中,次日早文字來催赴任。
此の位の時監院は二十三歲より起こりて便ち妻子の娘家に寄居し、此の年に調動を謀求せんと想ひ、此の一課を占得した。庚戌年七月、彼の領する所の岳祠差遣は任滿し、監和劑局の職務を謀得し、また岳父徐侍郎が九宮觀に任職するに因りて、そこで台州の差遣を得た。前面の言う所の「夜貴人久困」とは、指すは此の位の徐侍郎である。辛亥年に彼女兒の生日のあの天、厨下は麵を煮、僕人は麵を端し出づるや、人に身上に撞つけられ、熱湯に燙傷せられた。また一回客を宴して深夜に至り、親戚の家の小孩は佛堂外に玩耍し、失足して小池塘の裡に掉ち入った。第二天の一早、彼の赴任を催す公文は便ち到着した。
蓋丑加辛作墓神,天后又是滯神,丑中有旬丁為搖動移換,申為醫藥加巳,巳為廚灶,申又為面,天空為僕,亥加申為元武,武乃水神為池,元武又為墮水,辛以亥為子息,主孩童墮此池中。末卻見貴人乘天門,便是赴任之期也。
その中の道理は:丑は日干辛の上に加わりて墓神を作し、丑上にまた天后に乘る――天后は滯留の神――ゆえに困守して動かず。丑中には旬內の丁神を藏し――丁は搖動遷換を主る――ゆえにまた變動あり。申は醫藥を主り、巳の上に加わる――巳は厨灶――申はまた麵食を主る――ゆえに藥局と煮麵とに應ず。天空は僕人を爲す――ゆえに僕人が傷を受くるなり。亥は申の上に加わりて玄武に乘る――玄武は水神――池塘を主り、また墜水を主る。辛日は亥を以て子息と爲す――ゆえに孩童が此の水池に掉ち入るを主す。末傳寅上に却って貴人を見――しかも寅はちょうど地盤亥(天門)の上に加わる――それはすなわち赴任の日期なり。
辛巳日・戊申年に邵三翁が宅を占う
戊申年十一月辛巳日寅將酉時,邵三翁癸亥生,邵三翁生於九月初四日亥時,四十六歲,占宅。口鑑。方本占案。
戊申年十一月、辛巳日、寅將を用い酉時に加えて課を起こす。占を求むるは邵三翁――癸亥年生まれ、九月初四日亥時に生まれ、四十六歲――住宅を占う。此の例は『六壬口鑑』と方本『占案』に見える。
勾合朱蛇 戌亥子丑 后勾空后 財 己卯 后 青酉 寅貴 卯戌申卯 兄 申 空 ◎ 空申 卯后 戌巳卯辛 父 丁丑 蛇 ⊙ 未午巳辰 虎常玄陰
天地盤の部分:貴人は寅に起き(辛日の夜貴人)、十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、卯が辛に加わる(辛は戌に寄宮し、戌位上に卯を得)。第二課、申が卯に加わる。第三課、戌が巳に加わる(巳は日支)。第四課、卯が戌に加わる。四課上神の天將は依次は卯上天后・戌上勾陳・申上天空・卯上天后。三傳:初傳卯、遁干は己卯、妻財を為し、天后に乘る。中傳申、兄弟を為し、天空に乘り、「◎」を注して旬空に落つるを表示す(辛巳日は甲戌旬に屬し、空亡は申酉に在り)。末傳丑、遁干は丁丑、父母を為し、螣蛇に乘る――丑中の藏するはちょうど本旬の丁神。
邵彥和曰:此課財作天后,加干發用,乃妻為主。日去加辰,夫往就妻,妻為長,夫反為少也。然汝之妻,本兄之妻,而汝得之,日後只得九年相守。第八年因結生地,與兄弟不足生,雖得此地,而死不得葬也。目下主喪妻,緣是磨塞東門,所以有再娶之患。蓋申為磨,加卯為塞東門也。
邵彦和が言う:此の一課は妻財卯木上に天后に乘り、また日干の上に加わりて發用を作す――ゆえに妻子を以て主と爲す。日干は反ぎて去りて日支上に加わる――丈夫は去りて妻子に就く――妻は長に居りて丈夫は反つて少に居る。しかるにあなたの此の位の妻子は、本是あなたの兄長の妻子――後來あなたに歸した――今後ただ九年相守する能くのみ。第八年に到りて、一塊の墓地を經營する事に因りて兄弟と失和せん――此の塊の地を得たりと雖も、人は死して葬り入れ得ず。眼下は則ち妻を喪ふを主す――緣由は「磨」が東門を堵住するが故――ゆえに再娶の憂あり。申は石磨を爲し、申は卯の上に加わる――すなわち東門を堵塞する象(卯は正東に在り)。
辛以卯為妻。干又就支,反致勾留,上見勾陳故也。申加卯上作天空,申乃今日之同類,而加妻上,是兄之妻也。申同類為兄,加卯妻財上,是為兄之妻。然不加申本空亡,又作天空,必兄已亡過,遂有其妻,所以邵公敢開此口。若申不空,則不可亂斷。
辛金は卯木を以て妻財と爲す。日干は又去りて日支に就く――反つて牽絆拖延を招致す――日支戌上に勾陳を見るが故。申は卯の上に加わりてまた天空に乘る:申は辛日と同じく金に屬し、日干の同類――同類は妻財の上に加わるは、すなわち兄長の妻。申はすでに兄弟を爲し、卯の此の妻財の上に加わる――ちょうど「兄の妻」の象。加以申は本身空亡に落ち、上面にまた天空に乘る――兄長は必ず已に亡故し、弟弟は此れ纔かに彼の妻子を得たるを見べし。ゆえに邵彦和は敢へて話を此の如く直白に説いた。假如申は空亡に落ちざらば、便ち此の如く亂斷する可からず。
只得九年相守者,戌加巳,上五下四,共九數也。末丑為辛金之墓;丑土加申金長生上,故為生地。申為兄弟,而丑墓作蛇加之,故與兄弟不足。丑八數,故云八年也。直指雲丑為卯財故得此地,內遁丁鬼,主得此地而死。
ただ九年相守するのみと言うは、第三課の戌が巳の上に加わり、戌數は五、巳數は四――上五下四は合して九數を成すが故。末傳の丑は辛金の墓庫。丑土は申金の長生の位の上に加わる――ゆえに「生地」――すなわち墳地と作し得べし。申はまた兄弟を主り、しかも丑の此の墓庫は螣蛇に乘りてその上に加臨す――ゆえに兄弟と失和す。丑數は八――ゆえに第八年と言う。『六壬直指』は則ち言う:丑は能く卯の此の妻財を生ず――ゆえに此の塊の地を得べし。但し丑中に遁得するは丁鬼――ゆえに此の塊の地を得て人は已に死去するを主す。
辛巳日・己酉年に何上舍が前程を占う
何上舍丁丑生三十三歲,於己酉年五月辛巳日申將寅時占前程。口鑑。方本占案。
何上舍(太學上舍生)、丁丑年生まれ、三十三歲、己酉年五月の辛巳日に、申將を用い寅時に加えて課を起こし、自己の功名前程を占った。此の例は『六壬口鑑』と方本『占案』に見える。
合朱蛇貴 亥子丑寅 玄合勾陰 官 辛巳 玄 勾戌 卯后 巳亥戌辰 子 乙亥 合 青酉 辰陰 亥巳辰辛 官 辛巳 玄 申未午巳 空虎常玄
天地盤の部分:貴人は寅に起き、十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。天盤は地盤より六位進む――「返吟」の格局。四課は右から左へ讀む:第一課、辰が辛に加わる(辛は戌に寄り、戌位上に辰を得)。第二課、戌が辰に加わる。第三課、亥が巳に加わる(巳は日支)。第四課、巳が亥に加わる。四課上神の天將は依次は巳上玄武・亥上六合・戌上勾陳・辰上太陰。三傳:初傳巳、遁干は辛巳、官鬼を為し、玄武に乘る。中傳亥、遁干は乙亥、子孫を為し、六合に乘る。末傳はまた巳、遁干は辛巳、官鬼を為し、玄武に乘る。三傳の巳亥巳は往返不定――ちょうど返吟課の樣子。
邵彥和曰:此課日上見辰,乃濁氣所生,非秀麗也。長生學堂陷入鬼地,來去皆絕,此不是及第課。主三番讀書,四番廢業,少學無成,頭不應尾。五年後做東不成,又去做西,喪妻娶妻,十六年內家計蕩盡,妻嫁武官,子無頭尾。
邵彦和が言う:此の一課の日干上神は辰土――辰は濁氣の生ずる所の地――清秀の象にあらず。文を主る長生・學堂はまた官鬼の地に陷落し、去來の兩頭は皆絕に逢う――これは能く擧に中り第に及ぶ課にあらず。此人が三番書を讀み四番業を廢し、年少にして學を求めて學に成す所なく、事を爲すに頭有りて尾無きを主す。五年の後、東に往きて經營して成らず、また轉じて去りて西に往き、先に妻を喪いて再び妻を娶り、十六年の內に家業は蕩盡し、妻子は武官に改嫁し、兒子もまた頭有りて尾無し。
何上舍發解後,妻家以一莊贈之。己酉年至乙卯年尚如意,乙卯後便不濟,考試皆不利。癸亥年喪妻飲酒無度,家計蕩盡,子留外家,再娶一妻,第十六年上舍死。後妻嫁一武進士。
その後の事實は:何上舍は鄕試發解の後、妻家が彼に一處の莊園を送った。己酉年から乙卯年に至るまでは還算順遂なれど、乙卯年以後は便ち行かず、歷次の考試は皆利ならず。癸亥年に妻子は去世し、彼は飲酒無度し、家業は蕩盡し、兒子は外祖の家に留め、自己は別に一妻を娶った。第十六年の上に至り、何上舍は去世した。彼の後妻は一位の武進士に改嫁した。
大凡巳亥巳,惟壬日最得便宜,他來我處絕,又是財,只不利占病。丙戌日我往克處逢絕,凡事不利,若占病亦死,行人不來,謀事不遂。若辛巳日,辛生於巳,巳絕於亥,初絕尚可,末又臨絕,長生尚自受克絕,我何望生乎?即不可望生,卻就辰之生,為失十得一,豈不費力耶?
大凡そ三傳が巳・亥・巳のこの一格は、ただ壬日に占えば最も便宜を占む:來て我を克するものが我が処に到りてちょうど絕に逢ひ、しかも巳はさらに壬日の妻財――ただ病を占ふは宜しくならざるのみ。丙戌日に占えば則ち我が去りて人を克する處が反つて絕に逢ふ――凡事不利、病を占ふもまた死を主り、行人は來らず、事を謀るも成らず。辛巳日に至っては:辛金の長生は巳に在り、しかも巳はまた亥において絕す。初傳が絕に逢ふは還算可なれど、末傳にまた絕地に落つ――長生の地の本身までも克を受け絕に逢ふに至つては、我はさらに何の生機を指望せんや。すでに長生を指望し得ざれば、便ち去りて辰土の生に就くよりほかなし――あれは十分を失して一分を撈り回すのみ、豈に費力ならざらんや。
愚按:家計蕩盡者,亥水加支克支絕支也。子無頭尾者,六合臨沖地也。十六年內者,亥四巳四,四四一十六也。惟喪取妻嫁武官不知何故。
程樹勳案:家業蕩盡と言うは、亥水が日支巳の上に加わり、日支を克すると同時に日支をして絕に逢はしむるが故。兒子は頭有りて尾無しと言うは、子孫を主る六合が相冲の地に落つるが故。十六年の内と言うは、亥數は四、巳數は四――四に四を乘じて十六を得るが故。ただ妻を喪ひし後に妻子が武官に改嫁するの此の一條のみ、邵彦和が何に根據して斷出したかを知らず。
辛巳日・天聖九年に李都尉の家が盜に遇ひ賊を占ふ
天聖九年辛未歲閏九月初間,李都尉家被賊從後花園入堂內,偷去金銀財物,辛巳日請元軫占之,卯時未將。玉連環末卷。說約。
宋仁宗天聖九年・干支は辛未のあの年(「未」は太歲の地支)の閏九月初、李都尉の家に賊が進み、賊人は後花園より堂內に潛入し、金銀財物を偸み去った。辛巳日に元軫を請ひて課を起こして占問せしめ、用ゐるは卯將・未時(源文は「卯時未將」と作る――下の課盤に按じて天盤は地盤より八位進むと推算すれば、ちょうど卯將を未時に加ふるに合し、閏九月の用ゐる所の月將もまたちょうど卯――「時」「將」の二字は傳寫互に倒れたるを知るべし)。此の例は『一字玉連環』の末卷と『六壬說約』とから出る。
龍勾合朱 丑寅卯辰 玄龍勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 父 甲戌 常 戌酉申未 常玄陰后
天地盤の部分:貴人は午に起き(辛日の晝貴人)、十二天將は逆行す――午上「貴人」、巳上「螣蛇」、辰上「朱雀」、卯上「六合」、寅上「勾陳」、丑上「青龍」、子上「天空」、亥上「白虎」、戌上「太常」、酉上「玄武」、申上「太陰」、未上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、午が辛に加はる(辛は戌に寄り、戌位上に午を得)。第二課、寅が午に加はる。第三課、丑が巳に加はる(巳は日支)。第四課、酉が丑に加はる。四課上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳:初傳午、遁干は壬午、官鬼を為し、貴人に乘る。中傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、勾陳に乘る。末傳戌、遁干は甲戌、父母を為し、太常に乘る。三傳の午・寅・戌は合して寅午戌火局を成す――「炎上」課である。
元軫斷曰:賊有五人,當是年及五旬婦人,原是婢女出身,一目有疾,在郊外東北方五十里墳墓間居住。依此捕之無。後李又索占,元軫曰:不必再占,只能前課推之可。於丙丁日令捕人出東門,轉北伺之,有兩婦人,穿緋衣,負薪而來者詢之,必得賊蹤。
元軫が斷じて言う:賊は共に五人――首を為すは應に一人の年近五十の婦人――本是婢女の出身、一隻の眼睛に毛病あり、城郊の東北方五十里の外の墳地の間に住す。李家は此の話に照らして去りて捕ふも、捉へ得ず。その後李都尉はまた別に一課を占ふを要求し、元軫が言う:再び占ふに及ばず、ただ前面の此の一課を用ゐれば便ち推し出し得べし。彼は捕役をして丙日或は丁日に東門を出で、再び折れて北方に向ひて守候せしめ、もし兩個の紅衣を穿き柴を負ひて走來る婦人を見ば、一たび問へば便ち賊の蹤迹を問ひ出し得べしと命じた。
如言於丁巳日,捕人伺至午間,果有兩婦人穿紅裙負薪而至。捕人近前,婦人惶遽欲逃,拿住搜其身,上藏有金銀釵釧。切究之,雲伊之鄰婦本是李都尉家舊婢,近因貧困,同其夫與子共五人至李家作賊,二婦知覺,被二婦知覺故分給釵釧。捕人遂押二婦至東北五十里蘇相公墳後,拘獲正賊真贓。其婦果患目也。
彼の話に照らして辦じ、丁巳の此の天に捕役は午時まで守り、果たして兩個の紅裙を穿き柴を背負ふ婦人が走來した。捕役は上前して、婦人は驚慌して逃げんと想ふも、拿住せられて搜身すれば、身上に金に金銀の釵釧を藏したり。嚴かに追問すれば、彼女らが言う:鄰家のあの婦人は本是李都尉の家の舊婢で、近來窮困し、丈夫と兒子とを伙同して一共に五人李の家に到りて行竊し、彼女ら兩人に察覺せられ、彼女らに察覺せられたに因りて、そこで彼女らに釵釧を分け與へて口を封口した。捕役はそこで兩個の婦人を押して東北五十里の蘇相公の墳の後面に到り、正賊と贜物とを一併に拿獲した。あの首を為す婦人は果たして眼睛に病あり。
議曰:經旬只於元武臨處責之,今元武臨丑,故言東北。武之陰神酉,從丑至酉為五辰,故云五人。三傳逆治,其賊不遠。江村張鋐云:武乘酉,酉陰見巳,巳陰見丑,丑陰又見酉,不能遠遁。酉丑相乘四八之數,故不出五十里。酉金臨丑墓,故云伏墳所。
推論は下の如し:賊を捕ふの法は、歷來ただ玄武の臨む所の處において追究す。此の課は玄武は酉に乘りて地盤丑の上に落つ――丑は東北に在り――ゆえに賊は東北に在りと言う。玄武の陰神は酉――丑より酉に數ふれば共に五辰――ゆえに賊は五人と言う。三傳は逆行して推治す――賊は藏れて遠からざるを説明す。江村の人張鋐が言う:玄武は酉に乘り、酉の陰神は巳を見、巳の陰神は丑を見、丑の陰神はまた酉に回る――三者は輾轉相繞り、賊は逃げて遠からず。酉數は四、丑數は八、四八相乘の數――ゆえに五十里を出でず。酉金は丑の此の金墓の上に落つ――ゆえに賊は墳地の裡に伏すと言う。
愚按:酉為婢,陰見螣蛇巳火,故是婢而有目疾。酉六,丑八,四十八歲,故云年近五旬耳。炎上火局剋制元武,而元武又被陰神巳火所克,故丙丁日必敗露。巳為雙女,乘蛇,故云兩婦穿緋衣。火本無體,因木而發,故因負薪人而敗。
程樹勳案:酉は婢女を主り、酉の陰神は螣蛇巳火を見――火は目を傷る――ゆえに婢女の出身にしてしかも眼病を患ふと斷ず。酉數は六、丑數は八、六八四十八――ゆえに彼女は年を五旬に近しと言う。三傳の寅午戌炎上火局は能く玄武を克制し、しかも玄武の陰神の巳火はまた反つてそれを克す――ゆえに丙日・丁日に必ず敗露すと斷定す。巳は星象の上で「雙女」に屬し、また螣蛇に乘る――蛇の色は赤――ゆえに兩個の婦人が紅衣を穿くと言う。火は本身に形體なく、木を靠りてやっと燃へ起る――ゆえに此の案子は背柴する人に因りて破るべしと斷定す。
愚按:張江村說約云,巳乘蛇,蛇性易驚,故兩婦一見捕人即欲逃也。巳陰見龍,龍屬木,木見火為薪,故皆負薪。巳酉丑三合,輾轉不能相離,故於東北伺之而獲也。其於丁巳日午時者,酉陰見巳、用神午俱克元武也。此解明晰,故備錄之。
程樹勳また案:張江村の『六壬說約』は講ること更に細し――巳上は螣蛇に乘る、蛇の性は驚き易し――ゆえに兩個の婦人は一たび捕役を見れば便ち逃げんと想ふ。巳の陰神は青龍を見――青龍は木に屬し、木は火に遇へば便ち柴薪を成す――ゆえに兩人とも柴を背負ふ。巳・酉・丑は三合成局、彼此輾轉して糾纏して分かれ開かず――ゆえに東北方に守候すれば便ち一網に拿獲し得べし。丁巳日の午時に應ずるに至っては、酉の陰神は巳、發用の神は午――巳と午とは皆能く玄武を克するが故。此の一段の解釋は最も明白――ゆえに我はそれを全くここに錄す。
辛巳日・己酉年に趙監務が赴任を占ふ
己酉年正月辛巳日子將辰時,仍是戊申太歲。趙監務丁丑生,生於九月十日丑時,三十二歲,占赴任。宋本邵案。口鑑。
己酉年正月、辛巳日、子將を用ゐ辰時に加へて課を起こす。此の時はまだ立春せず――ゆえに當令するは依然として戊申年の太歲。占を求むるは趙監務――丁丑年生まれ、九月十日丑時に生まれ、三十二歲――赴任の事を占ふ。此の例は宋本『邵彦和占案』と『六壬口鑑』に見える。
龍勾合朱 丑寅卯辰 玄龍勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 父 甲戌 常 戌酉申未 常玄陰后
此の一課の課盤は前面の李都尉が賊を占ふ一課と完全に同じ:貴人は午に起きて逆行し、午貴人・巳螣蛇・辰朱雀・卯六合・寅勾陳・丑青龍・子天空・亥白虎・戌太常・酉玄武・申太陰・未天后。四課は右から左へは午が辛に加はり、寅が午に加はり、丑が巳に加はり、酉が丑に加はる。四課上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳は午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、戌(甲戌、父母、太常に乘る)――寅午戌は合して火局を成し、炎上課である。
邵彥和曰:主今年二月上任。蓋日上官星作貴人,會火局,金被火官逼,行年又來添一層官星來趕,必然動身。須見尊長病酒幾死,即應矣。宅上丁神已動,臨交代之時,必有所阻,得十六個月遭父喪而回。
邵彦和が言う:彼が今年二月に上任するを主す。日干上神の午は官星にして、また貴人に乘り、しかも合して火局を成す――辛金は火官に逼迫せられ、行年上にさらに一層の官星を添へて來て催趕す――ゆえに必定に身を動かす。尊長が醉酒に因りて幾ほども命を喪はんとする事を見るに及んで、すなわち應期が到る。住宅上の丁神は已に發動し、任務を交接する時に到れば必定に阻碍あり。上任して十六箇月滿して後に父喪に遭ひて鄉に返らん。
趙因前任填補,遂於二月催赴任。二月二日父大醉幾死,越七日而文字果至。八月方交割,以前任官要趙認虧空,方得交代,是以遲至八月也。次年十一月丁父憂歸,共十六個月也。大凡平人怕官鬼劈頭來克,主有官事喪禍;惟仕官赴任,須要官星旺,即赴任也。辛長生於巳,巳為父,巳加酉上見蛇,酉為酒,蛇撓之,所以為病酒。巳午相連,巳應了午便應也。
その後趙監務は前任の缺を補するに因りて、二月の裡に便ち催されて赴任した。二月初二に彼の父親は大醉して幾ほども死せんとし、七天を過ぎて、赴任を催す公文は果たして到着した。八月に至りてやっと交接を辦じた――前任官が趙監務に虧空を認め下させてやっと交割せむと欲したに因りて、そこで八月に拖き延ばした。第二年十一月に父喪に因りて鄉に回り、前後ちょうど十六箇月。大凡そ平常の人は最も官鬼が頭に當りて來て克するを怕る――それは官司と喪禍とあるを主す。ただ官を做る人が赴任するは、ちょうど官星の旺相を須とす――官星は一たび旺なれば便ち身を動かすを得。辛金の長生は巳に在り、巳はまた父親を主る。巳は酉の上に加はりて螣蛇を見――酉は酒を主り、螣蛇はそれを攪扰す――ゆえに父親が酒に醉ひて病を得るなり。巳と午とは相連なり――巳は一たび應驗すれば、午は跟んじて就きて應ず。
愚按:遭父喪而回者,因喪吊全入三傳,末為歸計門,作太常,為孝服也。惟十六月字不可解,且何以知為十六個月而非十六年乎。
程樹勳案:彼が父喪に遭ひて回ると斷ずるは、喪門・弔客の兩神が全て三傳に進み、末傳はまた「歸計門」にして上は太常に乘る――太常は孝服を主るが故。ただ「十六箇月」の此の數目は講じ通らず、しかも何に憑りて十六箇月にして十六年にあらざるを知るや。此の一點は邵彦和は竝びに交代せず。
辛巳日・辛卯年に曹丙道が來年の釋褐を占ふ
辛卯年正月辛巳日亥將卯時,曹丙道占在京來年釋褐。一針見血。
辛卯年正月、辛巳日、亥將を用ゐ卯時に加へて課を起こし、曹丙道が自己在京城に來年「釋褐」し得るや否やを占ふ――すなわち布衣を脫去して登第授官する。此の例は『一針見血』から出る。
龍勾合朱 丑寅卯辰 玄龍勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 父 甲戌 常 戌酉申未 常玄陰后
課盤は前面の兩課と相同じ:貴人は午に起きて十二天將は逆行す――午上「貴人」、巳上「螣蛇」、辰上「朱雀」、卯上「六合」、寅上「勾陳」、丑上「青龍」、子上「天空」、亥上「白虎」、戌上「太常」、酉上「玄武」、申上「太陰」、未上「天后」。四課は右から左へは午が辛に加はり、寅が午に加はり、丑が巳に加はり、酉が丑に加はる。上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳は午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、戌(甲戌、父母、太常に乘る)――寅午戌は合して火局を成し、炎上課である。
邵彥和曰:炎上主文明,貴人乘相氣為用。吾丈是午生人,今午作貴人為用。末見太常乘天魁為印綬,又是天喜神六儀吉將在辰上。行年得天后恩神,炎上三傳相氣。想只是中傳勾陳乘寅加本命上,主遲慢,來年定及第矣。果驗。
邵彦和が言う:三傳は合して炎上火局を成す――火は文采光明を主る。貴人はまた相氣に乘りて發用を作す。あなたは午年生まれの人――如今午はちょうど貴人を作して發用と爲す。末傳に太常が天魁(戌)に乘るを見――戌は印綬の神、天喜・六儀の此の類の吉將もまた皆あの一辰の上に落つ。行年上に天后の此の恩神を得、炎上の三傳はまた皆相氣に當る。想ふに欠く所はただ中傳の勾陳が寅に乘りて本命の上に加はる――延遲緩慢を主るのみ。來年に到れば必ず能く及第せん。その後果たして應驗した。
辛巳日・崇禎丙子年に陸金吾が陳東明の出師を占ふ
崇正丙子年二月辛巳日辛卯時,湖州陸金吾占總鎮陳東明奉命出師江東。指南。
崇正(すなわち明の崇禎)丙子年二月、辛巳日辛卯時、湖州の陸金吾が總鎮陳東明が命を奉じて兵を出して江東に往く一事を占った。此の例は『六壬指南』から出る。
勾六 青丑寅卯辰朱 玄青勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 印 甲戌 常 常戌酉申未后 玄陰
此の一幅の課盤の寫法は前の幾幅と稍異なり、天將は分注して天盤の各支の兩側と上下とに在り、讀み出せば依然として:丑上「青龍」、寅上「勾陳」、卯上「六合」、辰上「朱雀」、巳上「螣蛇」、午上「貴人」、未上「天后」、申上「太陰」、酉上「玄武」、戌上「太常」、亥上「白虎」、子上「天空」――依然として貴人は午に起きて十二將は逆行す。四課は右から左へ:第一課、午が辛に加はる。第二課、寅が午に加はる。第三課、丑が巳に加はる。第四課、酉が丑に加はる。上神の天將は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳:初傳午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、中傳寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、末傳戌(甲戌、此の本は印綬と標し、太常に乘る)。寅午戌は合して火局を成し、炎上課である。
斷曰:春得炎上進氣,又合元首三奇,高爵宰官不復言矣。但干敗支墓且乘火鬼,天魁合中犯煞,《易》旅九三「旅焚其次,喪其童僕,貞厲」,不惟興師無濟,且有他虞。即官至卯年亦不見利,由卯上乘白虎驛馬,名為回馬,雖是剝官之煞,幸結貴木局生起初傳官星,故僅撤回討賊。庚辰太歲受克,子水司令制傷火局退位俱驗。
斷じて言う:春天に炎上課を占得すれば、火局はちょうど進氣に當り、また「元首」の課體と三奇の吉とに合す――高官顯爵は説くに及ばず。但し日干辛金は二月にちょうど敗地に當り、日支巳はまた金の墓鄕にして、しかも上は火鬼に乘る。天魁戌は合局の中に在りてまた凶煞を犯す。これはちょうど『周易・旅卦』の九三爻辭の言ふ所の「旅人は自己の客舍を燒き、童僕を失掉し、正を守るも危厲」に合す――ただ出兵功なきのみならず、さらに別に別の憂患あり。卽ち官を做して卯年に做り到るも、好處を見ざらん:卯上は白虎驛馬に乘るが故――これを「回馬」と名づく――本是官職を剝奪する凶煞。幸に卯は亥・未と木局を結成し、能く初傳の官星を生起す――ゆえにただ兵を撤して回り、賊を討つは中止するに落ち着くのみ。庚辰年に到りて太歲は克を受け、子水は當令して火局を制傷してそれを退位せしむるも、此れらもまた一一應驗した。
辛巳日・順治己丑年に大同姜總兵の亂を占ふ
順治己丑年正月辛巳日辛卯時,榆林王總兵諱樸者,其子金吾官在揚,聞大同姜總兵亂。指南。
順治己丑年(順治六年)正月、辛巳日辛卯時。楡林の王總兵の名は朴、彼の兒子は金吾の職に任じ、人は揚州に在り、大同の姜總兵が亂を作すと聞き、これに因りて課を起こして吉凶を占問した。此の例は『六壬指南』から出る。
勾六 青丑寅卯辰朱 玄青勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 印 甲戌 常 常戌酉申未后 玄陰
課盤は上の一條と完全に同じ:丑上青龍・寅上勾陳・卯上六合・辰上朱雀・巳上螣蛇・午上貴人・未上天后・申上太陰・酉上玄武・戌上太常・亥上白虎・子上天空――貴人は午に起きて十二將は逆行す。四課は右から左へは午が辛に加はり、寅が午に加はり、丑が巳に加はり、酉が丑に加はる。上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳は午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、戌(甲戌、印綬、太常に乘る)――寅午戌は火局を成し、炎上課である。
斷曰:游都居支前,賊符侵酉地,且貴人克干發用,又合中犯煞,西北兵動,據城無疑。初傳旺相生合末傳,定主內外奸人勾連;中傳月建克末傳,必然破城殺將。又旬遁丁神臨辰陽入辰陰,更有當地邊界盜賊蜂起,後來終於歸降,蓋因游都臨合處也。但火局旺相於春夏,死於秋冬,又大吉日墓臨支,是主受客愚而墜客計,交秋事敗歸降矣。
斷じて言う:兵を主る「游都」は日支の前の一位に落ち、「賊符」は酉の此の西方の地に侵入し、加以貴人は日干を克して發用を作し、合局の中にまた凶煞を犯す――西北方に將に兵を動かさむとし、賊人が城に據るは疑ひなしと斷じ得べし。初傳は旺相にして末傳を生合す――必ず内外の奸人が互相勾結するならん。中傳は月建にして末傳を克す――必然に城を破り將を殺さん。また旬中に遁出する丁神は陽辰より陰辰に臨み入る――當地の邊界の一帶はさらに盜賊の蜂起することを知るべし、しかも後來は終に歸降せん――これは游都が合局の處に落つるが故。但し火局は春夏は旺相にして秋冬に到れば便ち死絕し、加以大吉丑は日干辛金の墓神にして日支上に臨む――客方の愚弄を受け、客方の算計に落ち入るを主す――ゆえに一たび秋に交はれば事情は便ち敗れ、降するよりほかなし。
辛巳日・戊申年に邵三翁が宅を占ふ(別本)
戊申年十一月辛巳日寅將酉時,邵三翁癸亥生,四十六歲,占宅。口鑑。
戊申年十一月、辛巳日、寅將を用ゐ酉時に加へて課を起こす。邵三翁、癸亥年生まれ、四十六歲、住宅を占ふ。此の例は『六壬口鑑』から出る。此の一條は前面に收めたる「戊申年十一月辛巳日寅將酉時邵三翁が宅を占ふ」と本是同一の課――ただ據る所の本子が同じからざるのみで、文字は互に出入あり――程樹勳は兩存して對校に便す。
六朱 陳戌亥子丑蛇 龍酉 寅貴 後陳空后 財 己卯 后 初 空申 卯后 卯戌申卯 兄 空申 空 中 虎未午巳辰陰 戌巳卯辛 父 丁丑 蛇 末 常玄
此の一幅の課盤は前の一本の寫法と同じからざれど内容は相同じ:「陳」はすなわち勾陳、「龍」はすなわち青龍、三傳の旁には直接に初・中・末を標出し、中傳は「空申」と寫す――すなわち申は旬空に落つ。天地盤:貴人は寅に起きて十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。四課は右から左へ:第一課、卯が辛に加はる。第二課、申が卯に加はる。第三課、戌が巳に加はる。第四課、卯が戌に加はる。上神の天將は依次は卯上天后・戌上勾陳・申上天空・卯上天后。三傳:初傳卯(己卯、妻財、天后に乘る)、中傳申(空亡に落ち、兄弟、天空に乘る)、末傳丑(丁丑、父母、螣蛇に乘る)。
邵彥和曰:此課乃妻為主,日去加辰,夫去脫妻,妻為長,夫反為少也。然汝之妻,本兄之妻,而汝得之,日後只得九年相守。第八年因作生地,與兄弟不足,生難得此地,而死不得葬也。目下主喪妻,緣是磨壓東門,所以有再娶之患也。
邵彦和が言う:此の一課は妻を以て主と爲す。日干は去りて日支に加はる――丈夫は去りて妻子を脫耗す。妻は長に居りて丈夫は反つて少に居る。しかるにあなたの此の位の妻子は本是兄長の妻子――後來あなたに歸した――今後ただ九年相守するを得のみ。第八年に到りて、墓地を營治する事に因りて兄弟と失和し、生きては勉强して此の塊の地を得たりと雖も、死して後は葬り入れ得ず。眼下は妻を喪ふを主す――緣由は石磨が東門を壓住す――ゆえに再娶の憂あり。(此の本は「夫は去りて妻を脫す」「磨は東門を壓す」と作り、前の一本は「夫は往きて妻に就く」「磨は東門を塞ぐ」と作る――兩本の用字は互に異なる。)
申為磨,中卯為壓東門也。辛以卯為妻,上見天后,妻為主。干又就支,反致勾留,上見勾陳故也。申加卯上作天空,申乃今日之同類,而加妻上,是兄之妻也。申同類為兄,加卯妻爻上,是為兄之妻。
申は石磨――卯の上に壓すれば便ち東門を壓住するを成す(卯は正東に居る)。辛日は卯木を以て妻財と爲し、卯上にまた天后を見――ゆえに妻を以て主と爲す。日干は又去りて日支に就く――反つて牽絆拖延を招き來る――日支上に勾陳を見るが故。申は卯の上に加はりて天空に乘る:申は本日と同じく金に屬し、日干の同類――同類は妻財の上に加はるは、すなわち兄長の妻。申はすでに兄弟を爲し、卯の此の妻爻の上に加はる――ちょうど「兄の妻」の象。
然不加申酉空亡,又作天空,必兄已亡過,遂有其妻,所以邵公敢開此口。若申不空,則不可亂斷。末丑,辛之墓;加於同類之上,並蛇丑八數,是以八年因開生地,與兄弟不和,丑土生申金,乃生地也。九年死者,戌加巳,上五下四,共九數也。
加以申・酉はちょうど空亡に落ち、申上にまた天空に乘る――兄長は必ず已に亡故し、弟弟は此れ纔かに彼の妻子を得たるを見べし。ゆえに邵彦和は敢へて話を此の地步に説き到った。假如申は空に落ちざらば、便ち亂斷する可からず。末傳の丑は辛金の墓庫――同類の申金の上に加はり、また螣蛇を帶び、丑數は八――ゆえに第八年に墳地を開闢するに因りて兄弟と不和す――丑土は能く申金を生ず――ゆえに「生地」と呼ぶ。九年の上に死すと言うは、第三課の戌が巳の上に加はり、上五下四は合して九數を成すが故。(此の本は「丑土は申金を生ず、乃ち生地なり」と作り、前の一本は「丑土は申金の長生上に加はる故に生地と爲す」と作る――説法は小異あり。)
辛巳日・四月に越王が范蠡を召して鄭妃の六甲を占はしむ
四月辛巳日越王召范蠡占鄭妃六甲。心鏡注引越覆經。
四月の辛巳日、越王は范蠡を召して課を起こし、鄭妃に孕あるや否やを占はしめた(「六甲」はすなわち懷胎)。此の例は『六壬心鏡』の注文の引く所の『越覆經』に見える。
蛇貴后陰 丑寅卯辰 龍蛇貴常 鬼 壬午 常 朱子 巳玄 酉丑寅午 財 戊寅 貴 合亥 午常 丑巳午辛 父 甲戌 勾 戌酉申未 勾龍空虎
天地盤:貴人は寅に起きて十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。天盤の排布(天盤は地盤より八位進む)は前面の李都尉が賊を占ふ一課と相同じく、四月の用ゐる所の月將は申――此の盤と相合するはちょうど申將を子時に加ふる。子時は夜に屬す――ゆえにここに用ゐるは夜貴人の寅にして、しかもあの一あの一課は晝貴人の午を用ゐたり――故に天將は全然同じからず。四課は右から左へ:第一課、午が辛に加はる。第二課、寅が午に加はる。第三課、丑が巳に加はる。第四課、酉が丑に加はる。上神の天將は依次は酉上青龍・丑上螣蛇・寅上貴人・午上太常。三傳:初傳午(壬午、此の本は官鬼と標し、太常に乘る)、中傳寅(戊寅、妻財、貴人に乘る)、末傳戌(甲戌、父母、勾陳に乘る)。
范蠡對曰:今課上勝光克下,產男矣。後鄭妃果產男也。
范蠡が回答して言う:如今此の一課は上神の勝光(午火)が下神を克す――上強く下弱し――男を生ずる象なり。その後鄭妃は果たして男孩を生んだ。
愚按:越覆經久已遺失,今課經集載丁丑日酉將子時,巳加酉為用,上是旺火克下死金,上強下弱,故決生男。如秋占,火囚氣,課皆陰,則未然也。予不知御青先生所集出於何書。至袖中經所引,日辰、月將、正時與心鏡注同,至以巳加酉為用,則又錯也,餘不敢以之為據,而附塔式之於此。
程樹勳案:『越覆經』は早已に亡佚した。如今『課經集』の載する所は丁丑日・酉將子時で、巳を以て酉に加へて發用と爲し、上神は旺火・下神は死金――上強く下弱し――ゆえに男を生ずと斷定す。倘くし秋天に占はば、火は囚氣に處り、四課はまた皆陰に屬す――すなわち此の如く斷ずべからず。我は郭御青先生の輯したる此の一條は究竟どの部の書より出づるかを知らず。『袖中經』の引く所に至っては、日辰・月將・正時は皆『心鏡』の注文と相同じなれど、それは巳を以て酉に加へて發用と爲す――それはまた錯れり。我は敢へてそれを拿りて依據と爲さず、姑く此の課式をここに附錄す。
辛巳日・順治庚寅年の日食の占應
順治庚寅十月辛巳朔甲午時,日有食之,莊公遠占當主何應。指南。
順治庚寅年(順治七年)十月、辛巳日はちょうど初一の朔日に當り、甲午時に日食を發生し、莊公遠は課を起こして此の次の日食は何の應驗を主るかを占った。此の例は『六壬指南』から出る。
六朱 勾寅卯辰巳蛇 白勾朱后 財寅勾 龍丑 午貴 亥寅辰未 子亥虎 空子 未后 寅巳未辛 兄申陰 白亥戌酉申陰 常玄
此の一幅の課盤は天將を分注して天盤の各支の兩旁に在り、讀み出せば:寅上「勾陳」、卯上「六合」、辰上「朱雀」、巳上「螣蛇」、午上「貴人」、未上「天后」、申上「太陰」、酉上「玄武」、戌上「太常」、亥上「白虎」(「白」はすなわち白虎)、子上「天空」、丑上「青龍」――貴人は午に起きて十二將は逆行す。天盤は地盤より九位進む。四課は右から左へ:第一課、未が辛に加はる(辛は戌に寄り、戌位上に未を得)。第二課、辰が未に加はる。第三課、寅が巳に加はる(巳は日支)。第四課、亥が寅に加はる。四課上神の天將は依次は亥上白虎・寅上勾陳・辰上朱雀・未上天后。三傳はただ六親と天將とを標して遁干を注せず:初傳寅は妻財を爲し、勾陳に乘る。中傳亥は子孫を爲し、白虎に乘る。末傳申は兄弟を爲し、太陰に乘る。
莊公遠曰:太歲做游都(丙辛只向功曹上,故寅為游都)臨翼軫(巳地)發用,且乘勾陳,披刑帶煞,楚地當有戰爭之象。彈射有丸,憂驚必重。中傳虎馬居支,陰沖剋日支,末傳太陰刀乘歲破沖剋太歲,然是旬空,陰謀必敗。
莊公遠が言う:本年太歲の寅はちょうど兵占中の「游都」を充當す(丙日・辛日の游都はただ功曹寅の上に落つ――ゆえに寅はすなわち游都)、それは翼・軫の二宿の主る所の巳地に臨みて發用を作し、また勾陳に乘る――身は刑罰を披き凶煞を帶ぶ――楚地の一帶に將に戰事あらむと斷じ得べし。弓弩彈丸の傷は免くる所なきに在り、憂驚は必定に深重ならん。中傳の亥上は白虎に乘りてまた驛馬を帶びて支位に居り、その陰神はまた日支を冲克す。末傳の申上は太陰の刀に乘る――申はちょうど庚寅年の歲破――頭を回らして太歲寅を冲克す。幸に申は旬空に落ち――ゆえにあの一番の陰謀は終に失敗せん。
又河覆井、玄武入穴、虎出林、乘年(辰加未為河覆井,武乘酉臨子為入穴,虎乘亥臨寅為出林,虎臨寅歲上為乘年),定主風多澇患。奈何雷公雷煞並見,以作病胎,氣不收斂,民生多病之征也。次日,雷電大作,次年水澇為災。餘占亦驗。
さらに課中の「河覆井」「玄武入穴」「白虎出林」「白虎乘年」の四象は俱に備はる(天盤の辰が地盤未の上に加はるを河覆井と呼び、玄武が酉に乘りて地盤子に臨むを入穴と呼び、白虎が亥に乘りて地盤寅に臨むを出林と呼び、白虎の臨む所の寅はちょうど太歲――乘年と呼ぶ)――必定に多風・多水澇の患を主す。あいにく雷公と雷煞とがまた同時に出現して「病胎」を結成し、天地の氣は收斂し能はず――これは百姓に多く疾病あるの兆である。第二天に果たして雷電は大作し、第二年に水澇は災を成した。我が別に占いし幾課もまた皆應驗した。
辛巳日・九月に家中の事を占ふ
九月辛巳日卯將午時占家中事。郭氏占驗。
九月の辛巳日、卯將を用ゐ午時に加へて課を起こし、家中の事を占った。此の例は郭氏『占験』から出る。
龍勾合朱 丑寅卯辰 玄龍勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 父 甲戌 常 戌酉申未 常玄陰后
課盤は前面の李都尉が賊を占ふ一課と相同じ:貴人は午に起きて十二天將は逆行す――午上「貴人」、巳上「螣蛇」、辰上「朱雀」、卯上「六合」、寅上「勾陳」、丑上「青龍」、子上「天空」、亥上「白虎」、戌上「太常」、酉上「玄武」、申上「太陰」、未上「天后」。四課は右から左へは午が辛に加はり、寅が午に加はり、丑が巳に加はり、酉が丑に加はる。上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳は午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、戌(甲戌、父母、太常に乘る)――寅午戌は合して火局を成し、炎上課である。
郭御青曰:餘州人王再振者,從張貞明孝廉來京,客久思家,託余占家中事。時吳於老斷曰:此課死氣臨宅發用,又作月厭,家下有死亡事。餘服其斷,不二日,王家信至,兩幼子俱傷。
郭御青が言う:我らの州裡に一位の王再振あり、張貞明孝廉に跟隨して京城に來り、客居すること日久く、家中を思念し、我に托して家裡の事を占はしむ。當時吳于老が斷じて言う:此の一課は死氣が宅爻の上に臨みて發用を作し、また月厭に値ふ――家中に死亡の事あり。我は甚だ彼の此の斷語を佩服した。兩天に到らずして、王家の書信は便ち到着した――彼の兩個の幼子は皆夭折した。
辛巳日・十月に財を求むるを占ふ
十月辛巳日寅將巳時占求財。指歸靈文論。
十月の辛巳日、寅將を用ゐ巳時に加へて課を起こし、求財を占った。此の例は『指歸靈文論』から出る。
勾合朱蛇 寅卯辰巳 虎勾朱后 財 戊寅 勾 龍丑 午貴 亥寅辰未 子 乙亥 虎 空子 未后 寅巳未辛 兄 申 陰 ◎ 亥戌酉申 虎常玄陰
天地盤:貴人は午に起きて十二天將は逆行す――午上「貴人」、巳上「螣蛇」、辰上「朱雀」、卯上「六合」、寅上「勾陳」、丑上「青龍」、子上「天空」、亥上「白虎」、戌上「太常」、酉上「玄武」、申上「太陰」、未上「天后」。天盤は地盤より九位進む――ちょうど寅將を巳時に加ふるに合す。四課は右から左へ:第一課、未が辛に加はる。第二課、辰が未に加はる。第三課、寅が巳に加はる。第四課、亥が寅に加はる。上神の天將は依次は亥上白虎・寅上勾陳・辰上朱雀・未上天后。三傳:初傳寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、中傳亥(乙亥、子孫、白虎に乘る)、末傳申(兄弟、太陰に乘る、「◎」を注して旬空に落つるを表示す)。
斷曰:寅乃日之財神,加巳發用,寅與巳為刑害,而巳火又克辛金,主道路遙遠,涉害艱辛,有所畏而不能得也。
斷じて言う:寅は辛日の財神――それは巳の上に加はりて發用を作す。寅と巳とは相刑相害し、しかも巳火はまた頭を回らして辛金を克す――ゆえに求財の道路は遙遠にして、一路渉害して受阻し、艱辛を備嘗し、心裡に畏懼を存して終に得ざるを主す。
辛巳日・乾隆己巳年に王州尊が前程を占ふ
乾隆己巳年十二月辛巳日丑將寅時,泰州王州尊占前程。牧夫占驗。
乾隆己巳年十二月、辛巳日、丑將を用ゐ寅時に加へて課を起こし、泰州の王州尊が自己の前程を占った。此の例は王牧夫『占験』から出る。
朱蛇貴后 辰巳午未 合朱陰玄 財 己卯 合 合卯 申陰 卯辰申酉 財 戊寅 勾 勾寅 酉玄 辰巳酉辛 父 丁丑 龍 丑子亥戌 龍空虎常
天地盤:貴人は午に起きて十二天將は逆行す――午上「貴人」、巳上「螣蛇」、辰上「朱雀」、卯上「六合」、寅上「勾陳」、丑上「青龍」、子上「天空」、亥上「白虎」、戌上「太常」、酉上「玄武」、申上「太陰」、未上「天后」。天盤は地盤より一位退す――ちょうど丑將を寅時に加ふるに合す。四課は右から左へ:第一課、酉が辛に加はる(辛は戌に寄り、戌位上に酉を得)。第二課、申が酉に加はる。第三課、辰が巳に加はる(巳は日支)。第四課、卯が辰に加はる。上神の天將は依次は卯上六合・辰上朱雀・申上太陰・酉上玄武。三傳:初傳卯(己卯、妻財、六合に乘る)、中傳寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、末傳丑(丁丑、父母、青龍に乘る)。卯・寅・丑は逐位後退す――「退茹」の課である。
王牧夫曰:當身之祿,不宜逢空,況冬月金寒,不復起矣。傳見退茹,末歸墓地,獨幸青龍贅墜,未得無事了結。墓者,止也,丑揚州之分野也,其止於是乎?後數月,竟卒於揚寓。
王牧夫が言う:日干本身の祿神(辛金の祿は酉に在り、ちょうど日干の上に在る)は最も空亡に落つるを忌む。いわんや十二月は金氣寒凝し、祿氣は再び振作して起き得ず。三傳はまた退茹――一路後退す。末傳は墓庫に歸入し、ただ青龍のみ白白と墜陷してその中に在り――終に平安に收場すること能はず。墓の意思はすなわち「止」――しかも丑はちょうど揚州の分野――彼は大概すなわち揚州に止步せんか。幾箇月の後、此の位の王州尊は竟に揚州の寓所に死した。
辛巳日・戊辰年に弟が兄の來るや否やを占ふ
戊辰年亥月辛巳日卯將辰時,兩人弟占兄來否。牧夫占驗。
戊辰年亥月、辛巳日、卯將を用ゐ辰時に加へて課を起こし、兩人ありて做弟弟に替はりて兄長の來るか來ざるかを占った。此の例は王牧夫『占験』から出る。
朱蛇貴后 辰巳午未 合朱陰玄 財 己卯 合 合卯 申陰 卯辰申酉 財 戊寅 勾 勾寅 酉玄 辰巳酉辛 父 丁丑 龍 丑子亥戌 龍空虎常
課盤は上の一條と相同じ:午上貴人・巳上螣蛇・辰上朱雀・卯上六合・寅上勾陳・丑上青龍・子上天空・亥上白虎・戌上太常・酉上玄武・申上太陰・未上天后――貴人は午に起きて十二將は逆行す。四課は右から左へは酉が辛に加はり、申が酉に加はり、辰が巳に加はり、卯が辰に加はる。上神の天將は依次は卯上六合・辰上朱雀・申上太陰・酉上玄武。三傳は卯(己卯、妻財、六合に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、丑(丁丑、父母、青龍に乘る)――退茹の課である。
王牧夫曰:行人不復至矣,宜自為歸詐。夫弟占兄,干上酉,乃辛金同氣,即其類也。酉作旺祿,帶元武走減之殺,又居金錢比固不動,難望其至。雖支上之文書朱雀,未可憑也。丑為揚州,自卯退入金之墓鄉,金畏墓,亦不至也。卯乘六合為弟兄,一步步退歸墓地。墓主遲滯,安能即至?況中末寅丑,皆在艮方,艮者,止也。末為行人足,既墓且止,不易來矣。其人不信。餘占後,待至兩年,尚獨未至,數理之可憑如此。
王牧夫が言う:盼む所の行人は再び來ざらん――やはり自己が別に打算を作すを好しと爲す。弟弟は兄長を占ふ――日干上神は酉――酉は辛金と同氣――ちょうど兄弟の此の一類。酉は雖も旺祿なれど、卻って玄武の此の種の走失耗減の凶煞を帶び、また錢財の位の上に坐して安固として動かず――彼が身を動かすを指望し難し。日支上神の辰は雖も朱雀に乘りて音書文報を主るも、也同じく靠り住み得ず。丑は揚州の分野――三傳は卯より一步步退り入りて金の墓鄕に至る――金は最も墓に入るを怕る――ゆえにも來ざらん。卯上は六合に乘る――六合はちょうど兄弟を主る――如今一步步退歸して墓地に入る。墓は遲滯を主る――怎んぞ立刻に就到する可能あらんや。いわんや中傳寅・末傳丑は皆艮方に在り――艮の意思はすなわち「止」。末傳はまた行人の脚――すでに墓に入り、また止步を主る――就きて更に容易に來らず。あの兩人は我が話を信ぜず。我は占ふこと過ぎて後、一直に兩年まで等つも、彼の兄長は始終來らず――數理の憑る可きは、便ち此の地步に到る。
辛巳日・己酉年に趙公が兒子の國子監試を占ふ
己酉年正月辛巳日子將亥時,未交酉春,趙公占乃郎國子監試。戊子生二十二歲,生正月十三日酉時。宋本邵案。口鑑。方本占案。
己酉年正月、辛巳日、子將を用ゐ亥時に加へて課を起こす。その時はまだ立春に交えず(源文は「未交酉春」と作る――「酉」の字は疑はしく衍文)。趙公が彼の兒子の國子監の考試を占ふ。此の位の公子は戊子年生まれ、二十二歲、正月十三日酉時に生まれた。此の例は宋本『邵彦和占案』『六壬口鑑』と方本『占案』とに見える。
勾青空虎 午未申酉 青勾陰玄 官 壬午 勾 合巳 戌常 未午子亥 父 癸未 青 朱辰 亥玄 午巳亥辛 兄 申 空 ◎ 卯寅丑子 蛇貴后陰
天地盤:貴人は寅に起き(辛日の夜貴人)十二天將は順行す――寅上「貴人」、卯上「螣蛇」、辰上「朱雀」、巳上「六合」、午上「勾陳」、未上「青龍」、申上「天空」、酉上「白虎」、戌上「太常」、亥上「玄武」、子上「太陰」、丑上「天后」。天盤は地盤より一位進む――ちょうど子將を亥時に加ふるに合す。四課は右から左へ:第一課、亥が辛に加はる(辛は戌に寄り、戌位上に亥を得)。第二課、子が亥に加はる。第三課、午が巳に加はる(巳は日支)。第四課、未が午に加はる。上神の天將は依次は未上青龍・午上勾陳・子上太陰・亥上玄武。三傳:初傳午(壬午、官鬼、勾陳に乘る)、中傳未(癸未、父母、青龍に乘る)、末傳申(兄弟、天空に乘る、「◎」を注して旬空に落つるを表示す)。午・未・申は逐位前進す――「連茹」進行の課である。
邵彥和曰:此課主洩精,否則小便頻數,手足痠痛,四肢無力。二三月皆是病月,四月方安。官星臨廚,必入天廚。今年必高中,官星作幕貴故也;癸丑科及第,寅貴加丑上之故。只恐不享,其福終三十五歲矣。
邵彦和が言う:此の一課は此人に滑泄遺精の症あるを主す、さもなくばも小便頻數・手足痠痛・四肢無力ならん。二月・三月は皆彼の病を害する月份――四月に到りてやっと平復せん。官星は厨灶の位に臨む――將來必定に天厨に進入して食祿を享有せん。今年は必ず高中す――官星はちょうど幕貴(夜貴人)に値ふが故。將に癸丑のあの一科に及第せん――貴人の乘ずる所の寅はちょうど地盤丑の上に加はるが故。ただ彼が此の福を享け得ざるを怕る――壽數は三十五歲の上に到りて便ち完了せん。
趙生自十九歲每患遺精,公因其病,以婢與之為伴,恐其未有房室也。當年果發解,癸丑年及第,授和州司戶,丁巳年再授邵武司理,己未丁父憂,服闋授信州司戶,癸亥年十月十二日死。蓋亥年亥月,加辛上,作元武,一金生二水,水主腎,自然遺洩。不合末又入空,空上又見天空,是得官徒空也。申七未八,空亡減半,平生為亥所苦,故又見癸亥年亥月而卒也。
趙家の此の位の公子は十九歲より起こりて便ち常に遺精を患へ、趙公は彼が病あるに因りて、彼に一個の婢女を配して伴と爲さしめ――怕るは彼がまだ房室の事なきが故。當年に彼は果たして鄉試發解し、癸丑年に及第し、和州司戶に授けられ、丁巳年にまた邵武司理に授けられ、己未年に父喪に遭ひ、服滿して後信州司戶に授けられ、癸亥年十月十二日に去世した。その所以を推すに:亥年亥月、亥は日干辛の上に加はりてまた玄武に乘る――一個の金は去りて兩重の水を生ず――水は腎を主る――自然に滑泄せん。偏偏末傳はまた空亡に落ち、空亡の上にさらに天空を見――ゆえに官を得たりと雖もも一場の空なり。申數は七、未數は八、空亡に落つれば則ち半を減じて計算す。彼の一生は亥水に苦しまるる所――ゆえに終に癸亥年の亥月に去世した。
辛巳日・戊申年に邵念一公が孫の讀書前程を占ふ
戊申年十一月辛巳日寅將丑時,邵念一公癸巳生,占乃孫讀書前程。其孫丁亥生二十二歲。方本占案。口鑑不載年月時。
戊申年十一月、辛巳日、寅將を用ゐ丑時に加へて課を起こす。邵念一公、癸巳年生まれ、彼の孫子の讀書の前程を占ふ。此の個の孫子は丁亥年生まれ、二十二歲。此の例は方本『占案』に見え、『六壬口鑑』の收むる所は則ち年月日時を記載せず。
勾青空虎 午未申酉 青勾陰玄 官 壬午 勾 合巳 戌常 未午子亥 父 癸未 青 朱辰 亥玄 午巳亥辛 兄 申 空 ◎ 卯寅丑子 蛇貴后陰
課盤は前面の趙公が子を占ふ一課と相同じ(寅將を丑時に加ふると子將を亥時に加ふるとは同じく天盤一位進む):貴人は寅に起きて十二天將は順行す――寅上「貴人」、卯上「螣蛇」、辰上「朱雀」、巳上「六合」、午上「勾陳」、未上「青龍」、申上「天空」、酉上「白虎」、戌上「太常」、亥上「玄武」、子上「太陰」、丑上「天后」。四課は右から左へ:第一課、亥が辛に加はる。第二課、子が亥に加はる。第三課、午が巳に加はる。第四課、未が午に加はる。上神の天將は依次は未上青龍・午上勾陳・子上太陰・亥上玄武。三傳:初傳午(壬午、官鬼、勾陳に乘る)、中傳未(癸未、父母、青龍に乘る)、末傳申(兄弟、天空に乘る、旬空に落ち)。三傳の午未申は歩歩前進す――連茹課である。
邵彥和曰:此課干上盜氣作元武,主虛洩。三傳自宅上火生土,土生金,空亡,不獨前程不顯,尚有夭喪之患。蓋連茹喜進不喜空亡,主不出四年,腎病而死。邵公之孫果清瘦患遺洩,至壬子年十二月而亡。
邵彦和が言う:此の一課の日干上神は盜泄の氣、また玄武に乘る――虚耗滑泄を主す。三傳は宅位の上より起こり、火は土を生じ土は金を生ず――最後に卻って空亡に落ち入る――ただ前程の顯達ならざるのみならず、さらに夭折の患あり。連茹の課は歩歩前進を喜びて最も落空を忌む――ゆえに彼が四年を出でずして、腎病に因りて死せんと斷ず。邵公の此の位の孫子は果たして形容清瘦にして遺泄の症を患へ、壬子年十二月に至りて去世した。
夫辛金生亥水,又生元武水。初鬼作勾,原屬可制,奈脫氣太甚。愚按:年命上皆是脫氣,而亥又是本命,身不能任,故己酉年娶妻後,成癆而卒。末傳同類空,故諸孫前後喪。
辛金はすでに亥水を生ずるを要し、また玄武の主る所の水を生ずるを要す――泄氣は重重なり。初傳の官鬼は雖も勾陳に乘り本来還ら制し得べしも、あいにく泄氣太甚なり――それを制し住む能はず。程樹勳案:彼の行年と本命の上とは皆泄氣の地――しかも亥はまたちょうど本命(その孫は丁亥に生まれ)――身體は承受し得ず。ゆえに己酉年に妻を娶りて後便ち癆病を成して死した。末傳は同類兄弟にしてまた空亡に落つ――ゆえに邵家の諸孫は前後相繼いで夭亡した。
蓋亥加辛乃面前脫氣,午勾是日貴,作鬼入宅,支干上皆自刑,自支上一陰至干上六陰,愚按:午為一陰,亥為六陰,一味行陰道,如何得長久,更何問功名。愚按:此課傳與趙公占子之課同,因亥為本命而脫干,故其凶較甚耳。
亥は辛の上に加はるは、當面に就きて便ち泄氣を受く。午上は勾陳に乘る――午は本是日の貴神にして卻って官鬼を作して宅位に進入す。日支と日干の上神とはさらに皆自刑を犯す。支上の一陰より一直に干上の六陰に數ふるに至る――程樹勳案:午は一陰を爲し、亥は六陰を爲す――一味にただ陰道の上に走る――怎んぞ能く長久せんや。さらに何の功名を問はんや。程樹勳また案:此の一課の三傳は前面の趙公が兒子を占ふあの一課と完全に同じ――ただここの亥はちょうど本命にしてまた日干の氣を泄するに因るのみ――ゆえに凶險はあの一課より更に重し。
辛巳日・甲戌年に胎産を占ふ
甲戌年九月辛巳日辰將卯時占胎產。牧夫占驗。
甲戌年九月、辛巳日、辰將を用ゐ卯時に加へて課を起こし、胎産の事を占った。此の例は王牧夫『占験』から出る。
勾青空虎 午未申酉 青勾陰玄 官 壬午 勾 合巳 戌常 未午子亥 父 癸未 青 朱辰 亥玄 午巳亥辛 兄 申 空 ◎ 卯寅丑子 蛇貴后陰
課盤は前の兩條と相同じ(辰將を卯時に加ふるもまた天盤一位進む):寅上貴人・卯上螣蛇・辰上朱雀・巳上六合・午上勾陳・未上青龍・申上天空・酉上白虎・戌上太常・亥上玄武・子上太陰・丑上天后――貴人は寅に起きて十二將は順行す。四課は右から左へは亥が辛に加はり、子が亥に加はり、午が巳に加はり、未が午に加はる。上神の天將は依次は未上青龍・午上勾陳・子上太陰・亥上玄武。三傳は午(壬午、官鬼、勾陳に乘る)、未(癸未、父母、青龍に乘る)、申(兄弟、天空に乘る、旬空に落ち)――連茹進行の課である。
王牧夫曰:此數合當產過,喜信在途,巳日可到。此父占子息之胎,干上仰首見子孫之神,而子邊亥已成孩也。初傳午火克辛金,支乃母位,午與亥絕,乃胎已出腹之象,皆兆已產。
王牧夫が言う:此の課數は已に生産し過ぎた――喜を報ずる信は正に路上に在り、巳日に到着し得べし。これは父を做る者が子息の胎を占ふ:日干上に頭を擡げれば便ち子孫の神に見ゆ――しかも「子」の旁に「亥」を配してちょうど一個の「孩」の字を合成す。初傳の午火は來て辛金を克し、日支は母親の位置――午と亥とは相絕す――ちょうど胎儿の已に腹を出づる象――此れらは皆已に生産せりを預示す。
三傳午為馬,末為青龍,皆主文書,申為傳送,天空亦主音信,申為道路,故主音信在路也。巳日到者,末傳甲申,遁合當在巳丑日耳。數是連茹,不止一信,當是女,喜兩陽夾陰,又支干不比也。
三傳中の午は驛馬、後面にまた青龍に乘る――皆文書を主る。申は「傳送」と叫び、天空もまた音信を主り、申はさらに道路を主る――ゆえに音信は正に路上に在りと斷定す。巳日に到り得ると言うは、末傳は甲申を作り、遁干は相合して巳日或は丑日に應ずるが故。課數は連茹――來る信は一封に止まらず。生ずるは應に女孩――喜ぶ可きは兩陽が一陰を挾み、しかも日干と日支とは竝び和せず。
此數又主本身有遺精,白濁之疾,兼吐血也。蓋一金而生二水,亥乘元武,是以應之。午為鬼,比旺克午,兼子亥水洩氣,故亦有吐血之症也。凡占病,用蛇司內,虎司外,在於干支者現於肢體。此論不視白虎,非正見,乃旁通附見耳。
此の課數はさらに占者の本身に遺精・白濁の毛病あり、兼ねて吐血あるを主す。一重の金は須く兩重の水を生じ、亥上にまた玄武に乘るが故――ゆえに此の上頭に應ず。午は官鬼――比劫は旺相にして午を克し、加以子・亥の兩重の水は泄氣す――ゆえに亦吐血の症あらん。大凡そ病を占ふは、發用と螣蛇とは內證を主管し、白虎は外證を主管し、日干・日支の上に落つれば便ち肢體に顯現す。此の一段の議論は白虎を去看せず――正例と算せず、ただ旁通して附帶して説き及ぶのみ。
壬午日
壬午日・二月に或る人が平生を占ふ
二月壬午日亥將酉時,或占平生。方本占案。
二月の壬午日、亥將を用ゐ酉時に加へて課を起こし、人ありて自己の一生の禍福を占った。此の例は方本『占案』から出る。
勾青空虎 未申酉戌 青六陰常 父 申 六 ◎ 合午 亥常 戌申卯丑 官 甲戌 青 ⊙ 朱巳 子玄 申午丑壬 兄 丙子 白 辰卯寅丑 蛇貴后陰
課盤の左邊の天地盤の注する所の天將は:未上勾陳・申上青龍・酉上天空・戌上白虎・亥上太常・子上玄武・丑上太陰・寅上天后・卯上貴人・辰上螣蛇・巳上朱雀・午上六合――これは貴人を卯に起こす(晝貴人)順行の一套。四課は右から左へ:第一課、丑が壬に加はる(壬日の寄宮は亥に在り、亥位上に丑を得)。第二課、卯が丑に加はる。第三課、申が午に加はる(午は日支)。第四課、戌が申に加はる。但し四課の注する所の上神天將は戌上青龍・申上六合・卯上太陰・丑上太常、三傳の注する所もまた申は六合に乘り戌は青龍に乘り子は白虎に乘る――此の一套は貴人を巳に起こす(夜貴人)順行に排したるもの――左邊天地盤のあの一套と竝び相合せず。酉時は夜に屬し、本應に夜貴人を用ゐべし――下の斷語の依據する所もまたちょうど四課三傳の此の一套――左邊天地盤の天將に訛あるを見るべし。三傳:初傳申(父母、六合に乘る、「◎」を注して旬空に落つるを表示す――壬午日は甲戌旬に屬し、空亡は申酉に在り)、中傳戌(甲戌、官鬼、青龍に乘る)、末傳子(丙子、兄弟、白虎に乘る)。
邵彥和曰:申作六合加宅發用,主遷宅改宅。六年之內,主造新宅,蓋午為屋,恰好作支也。申為馬,主遷居也。但主兩娶妻。戌加申乘龍,主兒得解。子加戌作虎,明年主死小口二人。三年下狀爭田,得勝,為丑作常加壬,丑為田,日上見類神,故得田也。
邵彦和が言う:申上は六合に乘りて宅位に加はりて發用を作す――搬遷或は住宅を改建するを主す。六年の內に新房子を蓋ふべし――午は屋宇を主り、恰好また日支なるが故。申は驛馬――ゆえに遷居を主す。但しもまた兩次妻を娶るを主す。戌は申の上に加はりて青龍に乘る――兒子が能く鄉試中式するを主す。子は戌上に加はり白虎に乘る――明年に兩個の小口死ぬを主す。三年の後は狀紙を遞して田産を爭ひ、しかも能く打ち贏たん――丑上は太常に乘りて日干壬の上に加はるが故――丑は田地を主り、日干の上にちょうど田産の類神を見――ゆえに此の塊の田を得べし。
吳稼云曰:丑既克干,何以斷得乎?愚按:丑雖克干,在旬遁是丁,水日財動,又丁壬合,故得田也,克干故爭也。
呉稼雲が問ふ:丑はすでに日干を克すれば、何に憑りて彼が田産を得るを斷ずるや。程樹勳案:丑は雖も日干を克すれど、旬遁の中に於いてそれは丁――壬水日は丁に遇へば便ち財爻發動し、しかも丁と壬とは相合す――ゆえに田を得べし。それが日干を克するに至っては、ゆえに先に一場の爭訟を經過するを要す。
壬午日・乾隆己卯年に貴を謁して得見するや否やを占ふ
乾隆己卯年十月壬午日寅將戌時,甲申命人五十六歲,占謁貴見否。牧夫占驗。
乾隆己卯年十月、壬午日、寅將を用ゐ戌時に加へて課を起こす。占を求むるは甲申年生まれ・五十六歲の人――貴人を拜謁しに往きて見るを得るか否かを占ふ。此の例は王牧夫『占験』から出る。
勾龍空虎 酉戌亥子 玄龍朱陰 官 癸未 朱 合申 丑常 寅戌未卯 兄 乙亥 空 朱未 寅玄 戌午卯壬 子 己卯 陰 午巳辰卯 蛇貴后陰
天地盤:貴人は巳に起き(壬日の夜貴人)十二天將は順行す――巳上「貴人」、午上「螣蛇」、未上「朱雀」、申上「六合」、酉上「勾陳」、戌上「青龍」、亥上「天空」、子上「白虎」、丑上「太常」、寅上「玄武」、卯上「太陰」、辰上「天后」。天盤は地盤より四位進む――ちょうど寅將を戌時に加ふるに合す。四課は右から左へ:第一課、卯が壬に加はる(壬は亥に寄り、亥位上に卯を得)。第二課、未が卯に加はる。第三課、戌が午に加はる(午は日支)。第四課、寅が戌に加はる。上神の天將は依次は寅上玄武・戌上青龍・未上朱雀・卯上太陰。三傳:初傳未(癸未、官鬼、朱雀に乘る)、中傳亥(乙亥、兄弟、天空に乘る)、末傳卯(己卯、子孫、太陰に乘る)。亥・卯・未の三支は合して木局を成す。
王牧夫曰:明日必見,見必有言語,不致動氣,從此後水乳也。其人到轅三次稟見,俱未見。次日往稟,果傳見,見有責備言語,卻未曾動氣,驗甚。蓋本命行年逢空,故前此未見。今干支上卯與戌合,又年之陰見貴。來日,未發傳,木局生貴,故必見也。有言語者,未為朱雀;不動氣者,乃未中藏丁,與干壬水作合也。三傳木乃脫氣,則氣有所消,故應之耳。
王牧夫が言う:明天は必ず見るを得べし、面を見れば必ず一番の話あらん、但し氣を動かすに至らず、此より後便ち相處して水乳交融せん。此の人は官署に到りて三次求見すれど、皆見着せず。第二天に再び稟報せば、果たして傳見せられ、見る時に幾句の責備を挨るも、卻って確實に氣を動かさず――應驗すること甚だ準なり。この如くなる所以:彼の本命と行年とは皆空亡に逢ふ――ゆえに先前見着せず。如今日干・日支上の卯と戌とは相合し、行年の陰神はまた貴人を見る。明天に到れば、ちょうど未の此の一傳が發用す――亥卯未は合して木局を成して來て貴人を生ず――ゆえに必定に見るを得べし。面を見れば話あると言うは、未上に朱雀に乘るが故。氣を動かすに至らずと言うは、未中に丁を藏し、丁は日干壬水と恰好相合するが故。三傳は木に屬し、壬水に對しては脫氣――氣は消耗する所有り――ゆえに此れらの細節の上に應ず。
壬午日・七月に來意を占ふ(驢を失ふ)
七月壬午日巳將戌時占來意。一字玉連環。
七月の壬午日、巳將を用ゐ戌時に加へて課を起こし、來人の心中に問ふ所の何事を占った。此の例は『一字玉連環』から出る。
合朱蛇貴 子丑寅卯 虎朱朱玄 財 壬午 玄 勾亥 辰后 申丑丑午 官 丁丑 朱 龍戌 巳陰 丑午午壬 父 申 虎 ◎ 酉申未午 空虎常玄
天地盤:貴人は卯に起きて十二天將は逆行す――卯上「貴人」、寅上「螣蛇」、丑上「朱雀」、子上「六合」、亥上「勾陳」、戌上「青龍」、酉上「天空」、申上「白虎」、未上「太常」、午上「玄武」、巳上「太陰」、辰上「天后」。天盤は地盤より七位進む――ちょうど巳將を戌時に加ふるに合す。四課は右から左へ:第一課、午が壬に加はる(壬は亥に寄り、亥位上に午を得)。第二課、丑が午に加はる。第三課、丑が午に加はる(午は日支)。第四課、申が丑に加はる。上神の天將は依次は申上白虎・丑上朱雀・丑上朱雀・午上玄武。三傳:初傳午(壬午、妻財、玄武に乘る)、中傳丑(丁丑、官鬼、朱雀に乘る)、末傳申(父母、白虎に乘る、「◎」を注して旬空に落つるを表示す)。此の課の天地盤と四課三傳の注する天將とは完全に相合す。
徐次賓曰:來意主失驢一隻,其驢在西北方十三里外,被一姓賈人牧得,至甲午日往牛市得信,自往姓賈處牽回。至甲午日果然。蓋時為日破,時克干為日破,主走失。上得青龍,發用勝光,為日下之財,元武臨之,本合失馬,以勝光無氣,故言失驢。不言盜而言失者,以財在日上手上,故不能盜也。勝光數九,元武數四,相併得十三里也。
徐次賓が言う:來人の問ふ所は一頭の驢を丢したこと。此の頭の驢は西北方十三里以外に在り、一個の姓が賈の人に牧養せられて居る。甲午日に到りて、彼は牛市上に去りて消息を得べし、自己が前往して姓が賈のかそこに就きて驢を牽き回らん。甲午日に到りて、果たして此の如し。このように斷ずる所以:占時の戌は日破――時が日干を克すれば便ち日破と叫ぶ――走失を主す。上面にまた青龍を得、發用は勝光(午火)――午はちょうど日干の下の妻財――玄武はまたその上に臨む――本應に馬を丢すと斷ずべし。ただ勝光に氣なきに因るのみ――ゆえに丢するは驢と言う。盗まると言はずして走失と言ふは、財は便ち日干の上・自己の手邊に在りて、別人は偸み去り得ざるが故。勝光の數は九、玄武の數は四、兩數は相併せて十三を得――ゆえに十三里と言う。
何知姓賈人牧得?末傳為歸計門,白虎加申,主西字,又主貝字,配成賈字。何知牛市得驢信?蓋申旬,勝光空亡,至甲午旬填實,又午為日財,故甲午日復見而喜矣。壬與申相生,故自往牽回也。
怎にして姓が賈の人が牧養すると知るや。末傳は「歸計門」――白虎は申の上に加はるが故:白虎は西方を主り、一個の「西」の字を得、申はまた貝を主り、一個の「貝」の字を得――「西」「貝」は相配してちょうど一個の「賈」の字を合成す。怎にして牛市上に在りて驢の消息を得ると知るや。甲申の一旬の裡に勝光の午はちょうど空亡に落ち、甲午旬に到りてやっと塡實し、しかも午はまた日干の妻財――ゆえに甲午の此の天に失して復た見、憂を轉じて喜と爲す。壬水と申金とは相生す――ゆえに彼は自己前往して驢を牽き回る。
壬午日に汪四公が家宅を占ふ
建炎己酉年閏八月壬午日,辰將申時,汪四公癸丑生,五十七歲,占家宅。(口鑑、方本占案)
南宋高宗建炎年號の下の己酉年(建炎三年)閏八月、壬午日に逢ひ、辰を以て月將と爲し申時に課を起こし、汪家四公が前に來りて家宅の吉凶を占問した。此の人は癸丑年に生まれ、占課の時五十七歲。本案は『口鑑』に見え、方本『占案』の中にもまた同じ一條を收む。
勾合朱蛇 丑寅卯辰 虎合朱陰 官 甲戌 虎 青子 巳貴 戌寅卯未 財 壬午 后 空亥 午后 寅午未壬 子 戊寅 合 戌酉申未 虎常玄陰
此の一行は六壬課盤を展平して抄錄した結果で、左・中・右の三部分に分かつ。左邊の一圈は十二地支の各自乘ずる所の天將:丑上「勾陳」、寅上「六合」、卯上「朱雀」、辰上「螣蛇」、巳上「貴人」、午上「天后」、未上「太陰」、申上「玄武」、酉上「太常」、戌上「白虎」、亥上「天空」、子上「青龍」――天將は貴人の巳に臨むより起こりて逆行して布列す。中間は四課で、例に依りて右から左へ讀む:第一課、日干壬の寄宮は亥に在り、亥上に未を見、太陰に乘る。第二課、未上に卯を見、朱雀に乘る。第三課、日支午上に寅を見、六合に乘る。第四課、寅上に戌を見、白虎に乘る。右邊は三傳:初傳戌、遁干は甲を爲し、六親は「官鬼」に屬し、白虎に乘る。中傳午、遁干は壬を爲し、六親は「妻財」に屬し、天后に乘る。末傳寅、遁干は戊を爲し、六親は「子孫」に屬し、六合に乘る。
邵彥和曰:水日火局,人皆曰財,不知反生日上未土,土反克水,是財化為鬼矣。然皆是眷屬未了,或男未娶,或女未嫁,使用太過。宅上子息不齊,堂屋棟樑,若不是蛇居木,即雷驚木,屢出作怪;否則是廟宇中木,主雷擊驚人,更十年,因訟而死。
宋代の六壬名家邵彦和が斷じて言う:日干壬は水に屬し、三傳寅午戌はまた結成して火局――一般人は火を見て水の財と爲し、皆これは發財の課と言ふ。知らずや此の火局は竝びに原處に停まらず、卻って頭を回らして去りて日干上神の未土を生じ、未土はさらに反つて壬水を克制す――そこで財は便ち轉化して身を克する「官鬼」を成した。ゆえに此の一家は必ず眷屬の大事まだ了斷せざるあらん――兒子のまだ親を娶らざるにあらざれば、すなわち女兒のまだ出嫁せざるならん――此れのために開銷花費が頭を過ぎた。宅第上に子嗣は參差不齊。堂屋の用ゐる所の棟梁の木は來歷不正――螣蛇の盤踞し過ぎた樹木にあらざれば、すなわち雷撃に遭ひて驚動せられた木料――屢屢妖を興し怪を作さん。さらに然らざれば便ち廟宇の中より拆み下した舊木――雷撃して人を驚かす事あるを主す。さらに十年を過ぎて、此人は將に一場の官司に因りて命を喪はんとす。
汪公家計,悉為扳高親費盡,甲寅年屋被雷震,戊午年因訟得病而死。蓋八月雷殺在戌(愚按:雷殺正月起卯,順十二辰),戌加寅,更見虎,自是雷驚;寅加午在高處也。故當是棟樑,自己酉至戊午恰是十年,甲木死於午,故此年死。愚按:甲木死於午,似指寅加午而言,然非日干之死地,何故以之斷死?愚窺邵公之意,蓋因戌為虎鬼,戌五數,兩戌則十年矣。況歲干得戊,與戌同類,戌為牢獄,財又生鬼,故斷其十年因訟而死。其甲木死於午句,殆及門之疏錯耶。
その後汪公の一家の産業は、全て高門に攀附して親を結ぶために耗光し、甲寅年に房屋は雷に撃たれて震壞し、戊午年に果たして訴訟に因りて病を得て身亡した。邵彦和の能く此の如く斷ずる所以は、八月の「雷殺」が戌位に落ち(編者程樹勳按:雷殺の神は正月より卯に起こり、十二辰に依りて順行して推排す)、天盤の戌は地盤寅木の上に加臨し、また白虎ありてそれに乘る――自然に木料を雷驚する事を主す。しかも寅は午の上に加はる――午は南方高明の處――ゆえに應じて堂屋高處の棟梁の上に在ると斷定す。課を起こしし己酉年より戊午年に數ふれば、ちょうど十年滿す。「甲木は午に於いて死す」に至っては、ゆえに應じて此の一年に死す。程樹勳また按:「甲木は午に於いて死す」の此の句話は、似かよって寅木の午上に加はるに就いて言ふらん。但し午は竝びに本課日干壬水の死地にあらず――どうしてそれを拿りて死期を斷ずるや。我は邵彦和の本意を揣摩すれば、大概は戌は白虎の乘ずる所の官鬼で、戌の數は五――兩個の戌は合してちょうど十年。いわんや此の一年の歲干は戊を得――戊と戌とは同じく土類に屬し、戌はまた牢獄を主り、財星は再去りて官鬼を生助す――ゆえに彼が十年の後訟に因りて死すと斷ず。あの句の「甲木は午に於いて死す」は、恐らくは及門弟子の傳錄する時の疏漏差錯ならん。
壬午日に孟承務が子の病を占ふ
己酉年三月壬午日,戌將丑時,孟承務占子病,己亥生,十一歲。(宋本邵案、方本占案、口鑑、一針見血)諸本皆遺去年命,今從《一針見血》書中補入。
己酉年三月の壬午日、戌を以て月將と爲し丑時に課を起こし、孟承務が兒子に替はりて疾病を占問した。此の子は己亥年に生まれ、占課の時十一歲。本案は宋本『邵案』・方本『占案』・『口鑑』・『一針見血』に皆收録あり。各種の本子は皆「年命」の此の一項を漏掉したり――いま『一針見血』の一書に依據して補入す。
蛇貴后陰 寅卯辰巳 合貴陰虎 財 辛巳 陰 ⊙ 朱丑 午玄 子卯巳申 子 戊寅 蛇 合子 未常 卯午申壬 兄 乙亥 勾 亥戌酉申 勾青空虎
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の卯に臨むより起こりて逆行して排布す:寅上螣蛇・卯上貴人・辰上天后・巳上太陰・午上玄武・未上太常・申上白虎・酉上天空・戌上青龍・亥上勾陳・子上六合・丑上朱雀。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に申を見、白虎に乘る。第二課、申上に巳を見、太陰に乘る。第三課、日支午上に卯を見、貴人に乘る。第四課、卯上に子を見、六合に乘る。三傳:初傳巳、遁干は辛、「妻財」に屬し、太陰に乘る――原文は旁に別に一つの「⊙」記號を加ふ――その體例は書中に交代を作さず、ここに照錄して臆解せず。中傳寅、遁干は戊、「子孫」に屬し、螣蛇に乘る。末傳亥、遁干は乙、「兄弟」に屬し、勾陳に乘る。
邵彥和曰:此課主病,上熱下冷,上膈雖熱而不渴,中間風氣相擊,下部不通,因食冷咸物損肺,遂下痞上滿,今宜補肺通腸。蓋曾寄出家,未曾還願之故。今若寄出家,可以免災,終是柔弱,二十一歲後,狀如老人,皮膚消瘦,若癆病狀;二十八歲,不能過也。
邵彦和が斷じて言う:此の一課の主る所の病情は上身は熱を發し下身は冷を發す。上膈は熱象あれど竝びに口渴せず、中焦に風氣ありて衝撞相撃し、下部は壅塞して通ぜず。病因は生冷鹹腥の物を喫して肺を傷り、そこで下は痞結し上は脹滿す――眼下應に肺を補ひ腸を通ずるの法子を用ゐて醫治すべし。此の子は從前曾て願を許して名を寄せて出家すと言ひ、卻って一直に願を還さず――纔かに此の場の病を招き來たり。如今もし真に彼を名を寄せて出家せしめば、眼前の災を免れ得べし。但し彼の體質は終に柔弱――二十一歲以後は便ち形容は老人の如く、皮膚は乾瘦し、一副の癆病模樣ならん。二十八歲の上に到れば、此の一關は過ぎ去り得ざらん。
其子病症,果是上熱下冷,因食冷鯗魚湯與麻參,遂得此病。昔日舍在淨安寺,繼又贖歸,遂不安,常若癆怯狀;寄在外祖家養育,瘦弱益甚,不曾娶妻,至紹興十六年丙寅四月三日,病故,果二十八歲也。
此の子の病症は、果たして上身は熱・下身は冷――起因は冷を放ちた鯗魚の湯と麻參とを喫し、そこで此の病を得た。彼は早年に曾て身を捨て淨安寺に寄養せられ、後來家はまた彼を贖ひ回り、此より身子は一直に安寧ならず、常常癆怯虚損の樣子を顯す。後來外祖父の家中に寄放して撫養せしめ、人は反つて更加に瘦弱し、一輩子に妻を娶らず。南宋高宗紹興十六年丙寅四月初三日に到りて病故し、一算すれば果たして二十八歲。
夫日上長生是空亡,申為寺院,虛生是寄舍也。壬受申之虛生,卻去生寅木,木生巳火,克申金,申金受克,走來壬上避之,非本意來生也,故終身瘦弱。申數七,亥數四,四七二十八也。初巳火主上熱,末亥水主下冷,初傳巳火上下皆金,故雖上膈在熱而不渴,中間寅木,主風氣相擊,末傳水作勾陳,故下部不通。又巳火傷申金,肺喘必矣。
細かに説くその中の道理:日干上神は申――申は壬水の長生の地。偏偏申はまた空亡に落ち――長生は虚生を成した。申は類象の上で寺院を代表す――虚假の長生はちょうど名を寄せ身を捨てて寺院する象。壬水は申金の此の一層の虚生の氣を承受すれど、卻って頭を轉じて去りて寅木を生じ、寅木はまた巳火を生じ、巳火は反つて申金を克す。申金は克制を受け、逃げて日干壬水の此の邊に來りて躲避するよりほかなし――竝びにそれが本心より來て壬を生ずるにあらず。ゆえに此人は一生瘦弱す。さらに數を看れば:申數は七、亥數は四、四に七を乘じて二十八を得――ちょうど彼の壽數に合す。病位に就きて言へば、初傳の巳火は上身の發熱を主り、末傳の亥水は下身の發冷を主る。初傳の巳火の上下は皆金氣に包夾せられ――ゆえに上膈は雖も熱なれど口渴せず。中傳の寅木は風に屬し、風氣が中焦に在りて衝撞相撃するを主る。末傳の亥水はまた勾陳に乘る――勾陳は壅滯を主る――ゆえに下部は通ぜず。加以巳火は申金を克傷し、申金は肺に屬し、肺は火に傷られ――氣喘咳嗽は免れざるなり。
壬午日に遂安の宮人が失馬を占ふ
十一月壬午日,丑將卯時,遂安宮人占失馬。(方本占案)
十一月の壬午日、丑を以て月將と爲し卯時に課を起こし、遂安縣の宮人が走失した馬を占問した。本案は方本『占案』に見える。
朱蛇貴后 卯辰巳午 合蛇陰常 子 戊寅 合 合寅 未陰 寅辰未酉 兄 丙子 青 勾丑 申玄 辰午酉壬 官 甲戌 虎 子亥戌酉 青空虎常
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の巳に臨むより起こりて逆行して布列す:卯上朱雀・辰上螣蛇・巳上貴人・午上天后・未上太陰・申上玄武・酉上太常・戌上白虎・亥上天空・子上青龍・丑上勾陳・寅上六合。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に酉を見、太常に乘る。第二課、酉上に未を見、太陰に乘る。第三課、日支午上に辰を見、螣蛇に乘る。第四課、辰上に寅を見、六合に乘る。三傳:初傳寅、遁干は戊、「子孫」に屬し、六合に乘る。中傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、青龍に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、白虎に乘る。四課の上神は寅・辰・未・酉、三傳は寅・子・戌――馬を代表する午はただ日支の下神位置に出現するのみで、竝びに課傳に進入せず。
邵彥和曰:午為馬,不入課傳,此馬不見矣。午加申道路之上,正行也,被人騎去矣。果然不見。吳稼云曰:寅為天馬,傳入青龍萬里之翼,故被人騎去也。
邵彦和が斷じて言う:午は六壬の裡に馬を代表す。此の一課の四課上神と三傳の中とに皆午の出現なく――此の匹の馬は尋ね回り得べからずと見べし。天盤の午は地盤申の上に加臨す――申は道路を主る――ちょうど馬が路上を行走する象――已に人に騎し去られた。その後果たして找回し得ず。呉稼雲が補充して言う:寅は「天馬」――本課の寅は三傳に入り、また青龍に乘る。青龍は奔行萬里の翼あり――一馬一龍は皆動象の上に在り――ゆえに此の馬は人に騎し去られたと斷定す。
壬午日に或る人が失船を占ふ
同月丑時,或占失船。愚按:斷語中有「初八日內見」之句,壬午當是月朔也。(方本占案)
同じ一箇月の丑時、別に人ありて來りて走失した船を占問した。編者程樹勳按:斷語の裡に「八天の內に見る可し」の此の句あり――これに由りて此の壬午日は應にすなわち當月の初一ならんと推知す。本案は方本『占案』に見える。
朱蛇貴后 卯辰巳午 合蛇陰常 子 戊寅 合 合寅 未陰 寅辰未酉 兄 丙子 青 勾丑 申玄 辰午酉壬 官 甲戌 虎 子亥戌酉 青空虎常
此の一課は上の一條の失馬を占ふ者と完全に同じ――課盤を展平して後は依然として:地支の乘ずる天將は貴人の巳に臨むより逆行す――卯上朱雀・辰上螣蛇・巳上貴人・午上天后・未上太陰・申上玄武・酉上太常・戌上白虎・亥上天空・子上青龍・丑上勾陳・寅上六合。四課は右から左へ:日干壬の寄宮は亥、亥上に酉を見て太常に乘る。酉上に未を見て太陰に乘る。日支午上に辰を見て螣蛇に乘る。辰上に寅を見て六合に乘る。三傳は:初傳寅、遁干は戊、「子孫」に屬し、六合に乘る。中傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、青龍に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、白虎に乘る。
邵彥和曰:此船往東南方尋之,初八日內即見,船在旱地上,所以不進耳。蓋六合為船,來寅發用,而加於辰上,船在旱地之象。辰為東南方也,寅木三數,辰土五數,故初八日內果然。
邵彦和が斷じて言う:此の條の船は須く東南方向に往きて尋ぬべし――八天の內に便ち見るを得べし。船は旱地の上に擱ぎ――ゆえに一直に開き走らざりき。推斷の依據は:六合は類象の上で舟船を主る――本課の寅は六合に乘りて發用して初傳と爲し、しかも寅はまた辰土の上に加臨す――ちょうど船が旱地の上に擱淺する象。辰位は東南方に在り――ゆえに東南に往きて尋ぬべしと指明す。さらに數を看れば:寅は木に屬しその數は三、辰は土に屬しその數は五、三に五を加へて八を得――ゆえに八天の內に消息を得べしと斷定す。後來果たして應驗した。
壬午日に邵三公が終身を占ふ
己酉年正月壬午日,子將子時,邵三公壬申生,三十八歲,占終身。(宋本邵案、口鑑)
己酉年正月の壬午日、子を以て月將と爲し子時に課を起こし、邵三公が一生の命運を占問した。此の人は壬申年に生まれ、占課の時三十八歲。本案は宋本『邵案』と『口鑑』とに見える。
朱合勾青 巳午未申 合合常常 兄 乙亥 常 蛇辰 酉空 午午亥亥 財 壬午 合 貴卯 戌虎 午午亥壬 兄 丙子 玄 寅丑子亥 后陰玄常
月將と時辰とは同じく子――天盤と地盤とは重疊して動かず――「伏吟」課である。課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の卯に臨むより起こりて逆行して布列す:巳上朱雀・午上六合・未上勾陳・申上青龍・酉上天空・戌上白虎・亥上太常・子上玄武・丑上太陰・寅上天后・卯上貴人・辰上螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に依然として亥を見、太常に乘る。第二課、亥上にまた亥を見、太常に乘る。第三課、日支午上に依然として午を見、六合に乘る。第四課、午上にまた午を見、六合に乘る。亥と亥と・午と午とは皆本支自見――「自刑」の象を構成す。三傳:初傳亥、遁干は乙、「兄弟」に屬し、太常に乘る。中傳午、遁干は壬、「妻財」に屬し、六合に乘る。末傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、玄武に乘る。
邵彥和曰:此課本身有自然祿,又有持服人相助,一生守己,衣食自如,但雖為六親,並妻妾子女。干支上本身自刑。自身若得殘疾壓之,方吉。宅上主添造,造後卻進人口。蓋乘六合故也。後被子孫出來使錢。初因豬上發,後因豬上敗。妻能起家,生子又多,午乃妻財,故起家,兼作六合故多子。愚按起家生多子者,午臨旺地也。但刑傷太多,恐九年之上,患癆病,連克子孫矣。
邵彦和が斷じて言う:此の一課は占者本身は自から天然の祿氣あり、また守喪服孝する人の幫襯を得――一生安分守己し、衣食は愁へず。ただ此の份の福氣は雖も六親の上に落つるも、も妻妾子女に連牽して一併に累を受けしむ。日干と日支の上とは皆本支自見――「自刑」を構成す――占者本身は須く些かの残疾ありて此の股の刑氣を壓制してやっと吉利と算すべし。宅第上は房屋を添造する事あるを主す――造り好て後また人口を添進せん――支上に六合に乘り六合は增益を主るが故。往後は則ち子孫に拿げ出されて銭を花せられん。彼は起初は猪に靠りて家を發し、後來もまた猪に因りて家を敗す。妻子は能く家を興し業を立て、生む子はまた多し――午は妻財――ゆえに能く妻に靠りて家を起こす。午はまた六合に乘る――六合は生育繁衍を主る――ゆえに子女衆多なり。編者程樹勳按:能く家を起こしてまた子女を多生するは、午火が自己の旺地に臨むに因る。ただ此の課中は刑傷太重し――恐らく九年の後に癆病を患上し、さらに連累して子孫を克傷せん。
邵三公十七歲喪父,自起家,一生守己,養豬成家,妻有才幹,生男女十二人,存三男二女。本身有偏僻疾,因娶婦造屋。壬子年娶次媳,乃宦家女,費月數倍。又因豬瘟死,食其肉,舉家病,妻成癆,至癸亥年僅存一女而己。蓋日上自刑,乃人刑人也。宅上自刑,宅不居人也。末傳子作元武,子者子息也,元武為費用之神,元武便是本身之亥,我去刑他,元武便走在子息上,故主子息使錢也。己巳年家退盡。
後來果たして應驗した:邵三公は十七歲の上に父親が死し、白手して家を起こし、一生安分守己し、猪を養ふに靠りて家業を立てた。妻子は甚だ才幹あり、前後して男女十二人を生み下し、養活して下来しは三男二女。彼は自己身上に偏枯の類の痼疾あり。兒子のために媳婦を娶るに因りて新房を蓋ひ、壬子年に第二房の兒媳を娶るは、官宦の人家の女兒――花費は原先より幾倍を多出した。その後家裡の猪は瘟疫を染めて死し、全家は病猪の肉を喫して、一家の人は皆病み倒れ、妻子は轉じて癆病を成し、癸亥年に到りてただ一個の女兒を餘るのみ。此れらの應驗の道理は:日干上神の自刑は、人が人を刑する――家裡人の自相損傷を主る。日支宅上の自刑は、宅が宅を刑する――房子が人を留め得ざるを主る。末傳の子は玄武に乘る――子は六親の上で子息を代表し、玄武は耗費を主る神。邵彦和はまた指出して言う、此の玄武は便ち占者自身の在る所の亥水と等同し、我は此の一邊に在りて去りてそれを刑克すれば、玄武は便ち轉じて子息位の上に到る――ゆえに子孫が銭を拿げ出して花用するを主す。己巳年に到りて、家業は便ち敗盡した。
壬午日に龔縣尉が前程を占ふ
己酉年十月壬午日,寅將寅時,龔縣尉辛巳生二十九歲,占前程。(方本占案、口鑑)
己酉年十月の壬午日、寅を以て月將と爲し寅時に課を起こし、龔縣尉が自己の仕途前程を占問した。此の人は辛巳年に生まれ、占課の時二十九歲。本案は方本『占案』と『口鑑』とに見える。
朱合勾青 巳午未申 合合常常 兄 乙亥 常 蛇辰 酉空 午午亥亥 財 壬午 合 貴卯 戌虎 午午亥壬 兄 丙子 玄 寅丑子亥 后陰玄常
月將と時辰とは同じく寅――天盤は地盤の上に壓して動かず――依然として「伏吟」課。課式は前面の邵三公が終身を占ふあの一課と相同じ。課盤の展平は下の如し:十二地支の乘ずる天將は、「貴人」の卯に臨むより起こりて逆行して布列す――巳上朱雀・午上六合・未上勾陳・申上青龍・酉上天空・戌上白虎・亥上太常・子上玄武・丑上太陰・寅上天后・卯上貴人・辰上螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に依然として亥を見、太常に乘る。第二課、亥上にまた亥を見、太常に乘る。第三課、日支午上に依然として午を見、六合に乘る。第四課、午上にまた午を見、六合に乘る――干支の上下は皆本支自見――「自刑」の象を成す。三傳:初傳亥、遁干は乙、「兄弟」に屬し、太常に乘る。中傳午、遁干は壬、「妻財」に屬し、六合に乘る。末傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、玄武に乘る。
邵彥和曰:此課本身,現在戴祿,又作太常,必有兼職之事,俸祿亦增。若論升轉則未。蓋支干自刑,日後因得寵,遂做不廉之事,又因納一美妾,貪色尋醫而治,欲解任不能,幸遇一外路監司經過,為公懇告,遂得解任。但伏吟時下未發,只等替時自見耳。
邵彦和が斷じて言う:此の一課は占者自身はちょうど祿氣を戴き、祿上にまた太常に乘る――太常は職掌を主る――ゆえに必定に別職を兼攝する事あらん、俸祿もまた之に隨いて增加せん。但しもし升遷調轉を問はば、すなわち還ら談ずるに及ばず。日干と日支とは皆自刑するが故――往後彼は上司の寵信を受くるに因りて不廉潔の事を做出せん。また一房の美妾を納れ、女色を貪戀して病に致りて醫を求めん。任を卸き差を交はらんと欲するも身を脫し得ず――幸に一位の外路の監司が路過するに碰上して、彼に替はりて懇切に情を説き、やっと解任し得るを以てす。ただ眼下此の課は伏吟――氣機は伏して發せず――ただ任滿して人を換ふる時を等つ――此れらの事は自然に一一顯現せん。
蓋干支自刑,主自滿,月建前一辰,子上是元武,為天醫(愚按:月建前二辰為天醫,今以前一辰為天醫何也),沖起行年上午之六合,晝貴又乘天后,為干之偏財,乃妾也。元武六合皆不正之神,故貪色而淫泆過度,致得病而求醫。子午為官員往來之所,道路神也。月建前神是外監司,必外除方解。
細かに講るその中の道理:日干と日支とは皆自刑す――自刑は自滿驕矜を主る。十月の月建は亥に在り、月建より前に一辰を數ふれば子――子上は玄武に乘る――取りて「天醫」と爲さる(編者程樹勳按:通例に照らせば月建より前に兩辰を數ふるは纔かに天醫――ここに何を以てか前一辰を以て天醫と爲すや――疑を存す)。子は來て行年上の午位の六合を衝動す――白晝に課を起こして晝貴人を取り、また兼ねて天后の象――天后と六合とは皆女子を主る――午火はちょうど日干壬水の「偏財」――偏財は人事の上ではすなわち妾室。玄武と六合とは皆不正の神に屬す――ゆえに彼が女色を貪戀し淫佚過度して、病に致りて醫を求むるを主す。子と午とは官員往來の地――皆道路の神に屬す。月建前一位の神は外路の監司を代表す――ゆえに必ず外任の差遣の下来るを待ちてやっと、眼前の困局は纔かに解け得べしと斷定す。
龔尉因主簿壞去,遂權署其印,得太守寵,遂傍若無人,又納一妾,頗多淫樂,其後龔尉滿替。因前看騐事受賄,被人論告,欲去不能。州縣又不與批結,遂求湖北運司胡某。胡向與龔父交好,又與天守是往日同寅官。因經過見太守。為龔力肯,遂準放行,乃得歸也。
後來果たして應驗した:主簿は過に因りて免ぜられ、龔縣尉は便ち代理して主簿の印信を兼掌し、甚だ太守の寵信を得――そこで驕橫して旁に人なきが若し。また一房の妾を納れ、情を縱して樂を享した。龔尉が任滿して應に人の接替ある時に及んで、先前に案件を勘驗して賄賂を收受したに因りて、人に告發せられ、走らんと想ふも走り成らず。州縣衙門はまた彼に結案の批文を出具するに肯んぜず。彼は湖北轉運司の胡某を求むるよりほかなし――胡某は從前龔尉の父親と交好し、また太守と當年の同僚。胡某は公務に因りて路過し、去りて太守に見へ、龔尉に替はりて極力して懇求し、太守は此れ纔かに放行を准許し、龔尉は終に身を脫して家に回るを得た。
癸未日
癸未日に來意を占ふ
四月癸未日,申將午時,占來意。(指歸靈文論)
四月の癸未日、申を以て月將と爲し午時に課を起こし、來人の問ふ所の何事を射測した。本案は『指歸』『靈文論』から出る。
朱合勾龍 未申酉戌 空勾貴陰 財 辛巳 貴 蛇午 亥空 亥酉巳卯 官 癸未 朱 貴巳 子虎 酉未卯癸 父 酉 勾 ◎ 辰卯寅丑 后陰玄常
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の巳に臨むより起こりて順行して布列す:未上朱雀・申上六合・酉上勾陳・戌上青龍・亥上天空・子上白虎・丑上太常・寅上玄武・卯上太陰・辰上天后・巳上貴人・午上螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干癸の寄宮は丑に在り、丑上に卯を見、太陰に乘る。第二課、卯上に巳を見、貴人に乘る。第三課、日支未上に酉を見、勾陳に乘る。第四課、酉上に亥を見、天空に乘る。三傳:初傳巳、遁干は辛、「妻財」に屬し、貴人に乘る。中傳未、遁干は癸、「官鬼」に屬し、朱雀に乘る。末傳酉、「父母」に屬し、勾陳に乘る――旁に「◎」を注して旬空を表示す――癸未日は甲戌旬に屬し、申酉の兩支は空亡に落ち、酉はすでに空亡なれば便ち配る可き遁干なし――ゆえに遁干の一欄は空す。
斷曰:來意事起官員出行,道路必遠,行至中途,逢改差。權監酒稅文字,又主本家二婦人,蒙蔽不睦。婢落井內死。因此不滿任而回。
斷語が言う:來人の問ふ所の事は官員の出行より起こり、路途は必定に甚だ遠し。半途に走り至りて改派差遣に遇上し、改めて往きて酒税の文書事務を代理監管せん。また彼の家中有二個の婦人ありて互相蒙蔽し彼此不和睦なるを主す。家中の婢女は井の裡に掉ち入りて淹死せん。亦此れらの緣故に因りて、彼は此の一任を做り滿さずして便要回らん。
何以見之,蓋天乙為官員,乘巳加卯,主門戶,又傳陰出陰,主出行赴外任。卦名遙克,主道路。中傳未乘朱雀,主改差,下臨巳月建上,主權。末為酒,朱雀主文字,故云,權監酒稅文字。日上卯作太陰,主婦人。末傳酉亦為婦人,故云二婦人,太陰為妾,又為蒙蔽。酉為婢,作勾陳,主口舌爭訟。酉臨未,未有井宿。甲戌旬,酉為空亡,四月酉為死氣,故云落井而死。初傳克末傳又空,故不滿任而回也。
何に憑りて此の如く斷ずるや。天乙貴人は官員を代表す――それは巳の上に乘りて巳はまた卯位に加臨す――卯は門戶を主る――官員が門を出づる象。三傳は陰支より陰支に傳はる――外に出づて任に赴くを主す。此の課の課體の名は「遙克」――遙克は道路遠行を主る。中傳の未は朱雀に乘る――朱雀は文書號令を主る――ゆえに改派差遣と斷ず。未はまた下に四月月建の巳の上に臨む――月建に臨めば則ち代理して權を掌るを主す。末傳の酉は類象の上で酒に屬し、朱雀は文書を主る――兩者を合看すれば、ちょうど酒税文書を代理監管する職。日干上神の卯は太陰に乘る――太陰は婦人を主る。末傳の酉もまた婦人を代表す――ゆえに家中有二個の婦人と言う。太陰はすでに妾室を主り、また遮蔽隱瞞を主る――故に二婦は蒙蔽して不和と斷ず。酉はまた婢女を代表す――それは勾陳に乘る――勾陳は口舌爭訟を主る。酉は未の上に臨み、未の此の一宮の分野は「井宿」あり。癸未日は甲戌旬に屬し、酉はちょうど空亡に落ち、しかも四月の裡に酉金は死氣の地に處る――ゆえに婢女が井に落ちて死すと斷定す。初傳の巳火は末傳の酉金を克し、末傳はまた空亡に逢ふ――ゆえに彼は此の一任を做り滿さずして便ち回る要あらんと斷ず。
癸未日に劉判官が前程を占ふ
戊申年七月初一癸未日,午將卯時,劉判官己未生五十歲,占前程。(捷要、口鑑)
戊申年七月初一、ちょうど癸未日に逢ひ、午を以て月將と爲し卯時に課を起こし、劉判官が仕途前程を占問した。此の人は己未年に生まれ、占課の時五十歲。本案は『捷要』と『口鑑』とに見える。
合勾青空 申酉戌亥 常青朱后 官 庚辰 后 朱未 子虎 丑戌未辰 官 癸未 朱 蛇午 丑常 戌未辰癸 官 甲戌 青 巳辰卯寅 貴后陰玄
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の巳に臨むより起こりて順行して布列す:申上六合・酉上勾陳・戌上青龍・亥上天空・子上白虎・丑上太常・寅上玄武・卯上太陰・辰上天后・巳上貴人・午上螣蛇・未上朱雀。四課は右から左へ:第一課、日干癸の寄宮は丑、丑上に辰を見、天后に乘る。第二課、辰上に未を見、朱雀に乘る。第三課、日支未上に戌を見、青龍に乘る。第四課、戌上に丑を見、太常に乘る。三傳:初傳辰、遁干は庚、「官鬼」に屬し、天后に乘る。中傳未、遁干は癸、「官鬼」に屬し、朱雀に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、青龍に乘る。辰・未・戌は皆土――土は水日を克す――ゆえに三傳は純に官鬼のみ。
邵彥和曰:日上見墓神,天后又是滯神,今方自墓中脫去。中傳未是旬末,末傳歸家,卻見旬首,旬首加旬尾,做官方做起,卻又早歸家,如何得改官遷轉?不如治生,何以見之?本命在中傳,甲戌旬末是癸未,未土癸水,為三傳全鬼,卻變成財,若要求官仍復為鬼,所以治生,必然興發,為甚佳也。
邵彦和が斷じて言う:日干上神の辰は水の墓庫の神――辰上にまた天后に乘る――天后は停滯を主る神――如今此の股の氣は纔かに剛く墓中より脫身して出づ。中傳の未は甲戌の一旬の末位――末傳の戌は本家に回るも、卻ってちょうど此の一旬の旬首――旬首は旬尾の上に壓す――意思は官は剛く做り起こせど、人は早早家に回る――此の如くにて怎んぞ能く官を改め遷升せんや。回りて生計を經營するに如かず。何に憑りて此の如く斷ずるや。彼の本命の未は中傳の上に落つ。甲戌旬の末位はちょうど癸未――未は土に屬し癸は水に屬し、三傳の辰未戌は全て身を克する官鬼。しかし買賣を做る人に對しては、官鬼は反つて轉化して財と爲る。もし一心に官を求めに往かば、それは就きて依然として鬼の凶相を現ず。ゆえに彼に勸めて改行して生計を經營せしめば、必定に興旺發達し――それは纔かに最も好き路子ならん。
劉判官三十八上及第,到五十歲,方受第一任,緣是庶出,丁了三服,服闋,方做判官。任滿,不得改官,任中文字又多不足,遂思先生之言,歸家治生,開雜賣鋪,販賤鬻貴,資財日旺,初開店時,止有三千餘貫,後十二年,共發主三十五萬貫,造屋買田,如法做起,信知先生之言不妄也。
その後果たして應驗した:劉判官は三十八歲に進士に考え中り、五十歲に到るまでやっと第一個の實缺を領した。彼は庶出なるが故、相繼いで三次の喪服を守り、服喪期滿を等ちて、やっと判官を做り上げた。任滿して後は官を改め升轉を得ず、任中に經手した文書はまた多く合格せざる處あり。彼は此れ纔かに邵彦和先生の話を想起し、家に回りて生意を做し起こし、一家の雜賣鋪を開き、賤く進め貴く鬻ぎ、資財は一天一天旺んなり。剛く店を開く時は不過三千余貫の本銭――此の後十二年の間、前後共に三十五萬貫を賺り、房屋を起造し田産を購置し、一樣一樣規矩に照らして置辦した。これに由りて先生の斷語は虚言にあらざるを知るべし。
癸未日に劉一翁が代はりて身位を占ふ
同年月日時,劉一翁代丙辰生人,五十三歲,占身位,同此數。
同じ年・同じ月・同じ日・同じ時辰に、劉一翁が一位の丙辰年生まれ・五十三歲の人に替はりて自身の境遇を占問し、起こし出した課は上の一條と完全に同じ。
合勾青空 申酉戌亥 常青朱后 官 庚辰 后 朱未 子虎 丑戌未辰 官 癸未 朱 蛇午 丑常 戌未辰癸 官 甲戌 青 巳辰卯寅 貴后陰玄
課盤は上の一條の劉判官の占ふ所と一字差なからず:十二地支の乘ずる天將は「貴人」の巳に臨むより順行す――申上六合・酉上勾陳・戌上青龍・亥上天空・子上白虎・丑上太常・寅上玄武・卯上太陰・辰上天后・巳上貴人・午上螣蛇・未上朱雀。四課は右から左へ:日干癸の寄宮は丑、丑上に辰を見て天后に乘る。辰上に未を見て朱雀に乘る。日支未上に戌を見て青龍に乘る。戌上に丑を見て太常に乘る。三傳:初傳辰、遁干は庚、「官鬼」に屬し、天后に乘る。中傳未、遁干は癸、「官鬼」に屬し、朱雀に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、青龍に乘る。差別はただ事を問ふ人の年命の同じからざるに在るのみ――上の一位は己未に生まれ、本命の未は中傳に在り。此の一位は丙辰に生まれ、本命の辰は初傳に落つ。
邵彥和曰:此人不長久,目下如雲霧中行耳。明年五十四歲,行年在未,見戌加之為閉口,戌為九月,其人九月間,患積塊疼痛,氣塞脹蠱而終。
邵彦和が斷じて言う:此の人は活きること長久ならず――眼下の處境は好比ば雲霧の裡に行くが如く、前路は一片迷茫なり。明年に到りて彼は五十四歲――行年は未の上に落ち、未上にまた戌の來て加臨するを見――戌は未に加はるは「閉口」の象――氣機の閉塞不通を主る。戌はまた九月を代表す。ゆえに此人は九月の間に腹中結塊して痛を作すの病を患上し、氣機壅塞し腹は脹れて蠱の如くして死すると斷定す。
或問:此人與劉判官,同月將日時,同得此課,何故前言治生,此言就死?邵彥和曰:前是己未生,中傳得本命,自墓引生來,末傳見旬首,周而復始,三傳全鬼,卻化為財,所以治生發旺也。此是丙辰生,他的本命自來墓身,既來添墓,如何去得?
人ありて問ふて曰く:此の人と劉判官とは同じ一個の月將・同一日同一時辰を用ゐ、起こし出した課も一模一樣――何を以てか前面は劉判官の改行經商して家を發すと斷じ、ここに卻って此の人は便ち死せんと斷ずるや。邵彦和が回答して曰く:前の一位は己未年に生まれ、本命の未は中傳に落ち、氣は墓庫の裡より引き生じ出され、末傳にまた旬首の戌を見――一周の後重ねて開始す――三傳は雖も全て官鬼なれど、經商する人に對しては轉化して財と成る――ゆえに彼の生計を經營すれば能く興旺せんと斷ず。此の一位は丙辰年に生まれ、彼の本命の辰は本身就是水の墓庫――如今また主動して跑り來りて自身の上に加はる――墓の上にさらに墓を添ふ――人は怎んぞ身を脫し得んや。
邵彥和先生嘗謂門人曰,古次客之法,因數人同時來占,乃用前五後三,換將不換時之例,試之每不驗。蓋燭照禍福,全賴太陽之光明,故以正將正時為最,其次則換時不換將耳。今餘以各人年命為主,課雖同而理則異。區別懸殊,十不失一。愚按邵公此論誠為正理。故從張繼唐先生本內,而摘錄之,於此。至於出自何書,則未之也。近見張星源所注河棹,以一時而演五十七課,以為出於中黃經,為次客之秘法。支離穿?誠堪捧腹,況中黃經內,並無此條。殆張星源之杜撰,欲未可知也。
邵彦和先生は曾て門下の弟子に對して言う:舊傳は「次客」(同一の時辰に接續して幾人か來て占ふ)を處理する辦法に、幾人か同時に來て問ふに遇へば、便ち前に五辰を推し後に三辰を退げ、ただ月將を換へて時辰を換へざるの成例を用ゐる。我は試すこと多次なれど、往往靈驗せず。占卜の能く禍福を照見する所以は、全く太陽の光に靠る――月將はすなわち太陽の在所――ゆえに本時の正將正時を以て最上と爲し、一步退ぐもただ時辰を換へて月將を換へざるのみ。如今我は改めて各人の年命を以て主と爲す――課式は雖も相同じく、推斷の道理は卻って各々相同じからず、區別は十分懸殊なり。用ゐるに十次も難く一次錯らず。編者程樹勳按:邵先生の此の一番の議論は實在に正理――ゆえに張繼唐先生の本子の裡よりそれを摘錄してここに至る。本來どの部の書より出づるかに至っては、便ち査考するに由なし。近來張星源の注する所の『河棹』を見るに、竟に一個の時辰を用ゐて五十七課を演出し、『中黃經』より出づと説し、次客を處理する祕法と爲す。あの説法は支離附會して、實に人をして捧腹せしむ。いわんや『中黃經』の裡に根本此の一條なきや――多くは張星源の自己杜撰し出したる――亦た知るべからず。
癸未日、楚衍が年成の豊歉を占う
慶曆八年戊子,楚衍因到雍邱,知縣張邴邀衍至廳。正月十四日,占今年豐歉。是日癸未,得申時。(一針見血)
北宋の仁宗・慶暦八年、歳は戊子。天文暦算家の楚衍が用事で雍邱県に赴き、知県の張邴が彼を県庁に招いて会見した。正月十四日に、本年の年成の豊歉について課を起こした。この日はちょうど癸未日で、申時を取って課を起こした。本例は『一針見血』に見える。
勾龍空虎 酉戌亥子 陰空勾貴 父 酉 勾 ◎ 合申 丑常 卯亥酉巳 官 丁丑 常 ⊙ 朱未 寅玄 亥未巳癸 財 辛巳 貴 午巳辰卯 蛇貴后陰
課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が巳に臨むところから順に布列する:酉に勾陳、戌に青竜、亥に天空、子に白虎、丑に太常、寅に玄武、卯に太陰、辰に天后、巳に貴人、午に螣蛇、未に朱雀、申に六合。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑、丑の上に巳を見、貴人を乗ずる。第二課、巳の上に酉を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の未の上に亥を見、天空を乗ずる。第四課、亥の上に卯を見、太陰を乗ずる。三伝:初伝は酉で「父母」に属し、勾陳を乗せ、傍注の「◎」は旬空を示す。癸未日は甲戌旬に属し、申・酉が空に落ちるので遁干はない。中伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、太常を乗せ、傍に「⊙」の記号を加える。その体例は原書に説明がなく、ここではそのまま写す。末伝は巳、遁干は辛で「妻財」に属し、貴人を乗ずる。
楚衍曰:今日申初二刻,立春,卻得申時,以月將神后加申。三下賊上俱比,以涉害從魁加巳為用,將得勾陳,中傳大吉加酉,太常。終傳太乙加丑,貴人。太歲上得天罡,乘天后。此年宜麥宜麻之稔。其餘?米不豐。西南半熟,東北全荒。米?湧貴金銀銅錢,物賤,人民饑荒。仍有疾疫,及盜賊驚恐,其年一一應驗。
楚衍が言うには:今日は申の初二刻に立春を迎え、課を起こすのもちょうど申時を得たので、正月の月将「神后」(子)を申の位に加えて盤を排した。本課には下神が上神を克する箇所が三ヶ所あり、しかもいずれも日干と比和(陰陽が同じ)なので、例に従って「渉害」で用を定め、「従魁」(酉)が巳の上に加わったものを初伝とし、勾陳を乗せる。中伝は「大吉」(丑)が酉の上に加わり、太常。末伝は「太乙」(巳)が丑の上に加わり、貴人。太歳の子位の上には「天罡」(辰)を得て、辰は天后を乗ずる。これによって今年は麦と麻を植えるのに適し、麦と麻は豊作が望めると断じる。その他の(一字欠く)米穀は豊かではない。西南は半熟、東北は全く荒れる。米価は(一字欠く)急騰して高騰し、金銀銅銭などの物はかえって安くなり、人民は飢饉に遭う。さらに疫病の流行と、盗賊の驚擾の事がある。その年は果たして一つ残らず応験した。
議曰,太歲上神,與初傳從魁為合,是金土相生,所以宜麻麥金銀銅錢物賤,太歲臨空,又天罡加臨歲上,故主人民饑荒、盜賊、疾疫。西南方有亥子水神加之,與立春日干無傷,為吉將,得天空白虎凶神,故得半熟。東北方位,有巳午未火神加之,與立春日干克戰為凶,又將得蛇雀凶神,故主全荒也。
評議して言う:太歳の子位の上の神は辰で、辰は初伝「従魁」の酉と合し、辰土と酉金は相生するので、麻・麦が得宜となり、金銀銅銭の類の物価はかえって低くなることを主す。太歳の子が加臨する地盤は申で、申はちょうど旬空の位に落ち、天罡の辰がまた歳の上に加臨するので、人民の飢饉・盗賊・疾疫を主す。西南の方角には亥・子の水神が加わり、水は立春日の日干の癸水と同気で傷つくところがなく、吉将となる。しかし天空・白虎という二つの凶神を得たので、吉凶相まじり、半分しか熟さない。東北の方位には巳・午・未の火神が加わり、火は立春日の日干の癸水と互いに克戦して凶となり、乗ずるのもまた螣蛇・朱雀という凶神なので、東北全域が荒れると断じたのである。
癸未日、方五解元が子の病を占う
己酉年閏八月癸未日,辰將子時,方五解元己未生五十一歲,占子病,其子壬辰生十八歲。(一針見血)
己酉年閏八月の癸未日、辰を月将として子時に課を起こした。方家の五解元が息子に代わって疾病を占問した。方解元は己未年生まれで、占課の時五十一歳。この息子は壬辰年生まれで、当時十八歳である。本例は『一針見血』に見える。
空虎常武 酉戌亥子 貴常空朱 父 酉 空 ◎ 龍申 丑陰 卯亥酉巳 官 丁丑 陰 ⊙ 陳未 寅后 亥未巳癸 財 辛巳 朱 午巳辰卯 合朱蛇貴
課盤を平らに展開すると次のようになる。ここで「武」は玄武の略称、「陳」は勾陳の略称、「竜」は青竜の略称である。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が卯に臨むところから順に布列する:酉に天空、戌に白虎、亥に太常、子に玄武、丑に太陰、寅に天后、卯に貴人、辰に螣蛇、巳に朱雀、午に六合、未に勾陳、申に青竜。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑にあり、丑の上に巳を見、朱雀を乗ずる。第二課、巳の上に酉を見、天空を乗ずる。第三課、日支の未の上に亥を見、太常を乗ずる。第四課、亥の上に卯を見、貴人を乗ずる。三伝:初伝は酉で「父母」に属し、天空を乗せ、傍注の「◎」は旬空に落ちることを示す——癸未日は甲戌旬に属し、申・酉が空亡で、空亡の支は遁干を配することができないので、遁干の欄は空欄である。中伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、太陰を乗せ、傍に「⊙」の記号を加える。原書はこの記号の体例を説明していないので、ここではそのまま写して憶測の解釈を加えない。末伝は巳、遁干は辛で「妻財」に属し、朱雀を乗ずる。
邵彥和曰:日上見巳,巳者嗣也。宅上見亥,亥者孩也。孩與嗣自是相同。奈癸水絕在巳,是嗣自絕也。日上既見絕,而初中空亡。末傳仍歸於此,且帶驛馬,主死後再來,來了又死。故令政不宜懷孕,若懷孕,是此子託生也。此時若出繼與人,即非他絕,或可不死。
邵彦和が断じて言う:日干の上神に巳を見る。巳は「嗣」と同音で、子嗣を表す。日支の宅の上に亥を見る。亥は「孩」と同音で、孩児を表す。孩と嗣はもともと同じことである。惜しいことに癸水の十二長生はちょうど巳に絶する。これが子嗣自身が断絶する象である。日干の上にすでに「絶」を見、初伝はまた空亡に落ち(中間の一層も空に牵连する)、末伝はなおもこの巳の位に帰り、しかも駅馬を帯びている。駅馬は奔走往来を主る。合わせて見れば、この子は死んだ後また投生しに来て、来てはまた死ぬ。だから令夫人は懐妊すべきではない。もし懐妊すれば、まさにこの子が胎を借りて托生するのである。この時もし彼を他家に出継させれば、自家のこの一脈が絶えるのではないので、あるいは死なずに済むかもしれない。
愚按即非他絕四字,殊不可解。蓋出繼與人,以應己與嗣絕之意雲而。方解元之次子名寄哥,往年一病,死而復生,今又病,故來占,解元之妻鍾愛,不肯繼與弟家。八日外果死,半日又甦。至十一月二十三日,再病而死。其時方妻已懷孕十月。當日未時即差一男,揣其事蹤,似乎寄哥之託也。
編者の程樹勲が按ずる:原文の「即非他絶」という四字はとても説きにくい。おそらくは、子を他家に出継して、これをもって自家がこの子嗣と断絶するという意に応えさせるだけの意味であろう。方解元の次男は幼名を寄哥といい、先年大病をして、一度死んでまた生き返ったことがある。今回また病に罹ったので課を占いに来た。解元の妻はこの子を可愛がって、弟の家に出継させることを肯んじなかった。八日後に果たして息絶えたが、半日過ぎてまた蘇生した。十一月二十三日に至って、再び発病して死んだ。その時方解元の妻はすでに十月を懐妊していて、ちょうどこの日の未時(午後一時から三時)に男子を産んだ。この事の来龍去脈を推し究めると、まさに寄哥が転生して托生したようである。
夫初傳空亡是先來空也,遇日二課為傳是去空也,末傳又來干上是復來投胎也,不合日上見巳為嗣,支上又見亥為孩,是重來為嬰孩也。
課理をもう一層透徹して言う:初伝が空亡に落ちるのは、前の一度が来てまた空しく去ったことである。中間に日干の二課の神を取って伝に入れるのは、その空の状態を送り出すことである。末伝がまた日干の頭上に帰るのは、まさに再び投胎しに来る象である。折あしく日干の上神に巳を見、巳は「嗣」に諧音して子嗣を主り、日支の上にまた亥を見、亥は「孩」に諧音して孩児を主る——二つが相合して、死んだあの子が再び帰って来て嬰孩となるのである。
癸未日、葉秀才が交易を占う
庚戌年八月癸未日,辰將戌時,葉秀才乙亥生三十六歲,占交易。(一針見血)
庚戌年八月の癸未日、辰を月将として戌時に課を起こし、葉秀才が一件の交易が成就するかどうかを占問した。この人は乙亥年生まれで、占課の時三十六歳。本例は『一針見血』に見える。
空虎常玄 亥子丑寅 朱常常朱 官 癸未 朱 龍戌 卯陰 未丑丑未 官 丁丑 常 勾酉 辰后 丑未未癸 官 癸未 朱 申未午巳 合朱蛇貴
月将の辰を戌時に加えると、天盤と地盤はちょうど六位で相冲し、「返吟」課である。課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が巳に臨むところから順に布列する:亥に天空、子に白虎、丑に太常、寅に玄武、卯に太陰、辰に天后、巳に貴人、午に螣蛇、未に朱雀、申に六合、酉に勾陳、戌に青竜。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑、丑の上に未を見、朱雀を乗ずる。第二課、未の上に丑を見、太常を乗ずる。第三課、日支の未の上に丑を見、太常を乗ずる。第四課、丑の上に未を見、朱雀を乗ずる。未と丑は互いに对冲して往復して加臨し、まさに返吟の往返の象である。三伝:初伝は未、遁干は癸で「官鬼」に属し、朱雀を乗ずる。中伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、太常を乗ずる。末伝は未、遁干は癸で「官鬼」に属し、朱雀を乗ずる。三伝はすべて身を克する官鬼である。
邵彥和曰:辰來就日,日去就辰,來來往往,三傳行年又在此上,但以多者為議事之處。末傳更歸行年,又在日上。初間文書自我處發去不遂了,卻又發來。我今又從整頓去,今取入手。雖然成就,畢竟內有弊病,不合又作太常。鬼並在此,又防有反覆,然必竟無害。
邵彦和が断じて言う:これは返吟課で、日支の神が来て日干に就き、日干の神がまた去って日支に就き、両方が往来する。三伝と占者の行年もみなこれらの字の上に落ちている。およそこのような情形に遇えば、出現回数の多いその字をもって議事の所とする。末伝はまた行年に帰り、同時にすなわち日干の上神の位置でもある。だから断じる:初めは契約文書は我が方から発出され、事は成らず、相手方はまた文書を返して来た。今我が方が再び整え直して送れば、これで事を手に入れる。交易は成し遂げられるとはいえ、結局のところ中に瑕疵が隠れている——折あしくあの字の上にまた太常が乗り、太常は契券財帛を主り、官鬼もまたここに並ぶので、途中に反復があることをなお防がなければならない。ただし帰根すれば実質的な損害はない。
葉十七秀才,與李宅對換交易。葉宅先印契,李家退悔。葉宅又將別項田產賠,再做契據。前印契不用,卻印後來換者,所謂辰來就日,日去就辰。雖然反覆,畢竟事有濟也。
後に果たして応験した:葉家の排行十七のこの秀才は、李家と田産を交換する交易をした。葉家が先に契約に官印を用いたが、李家は反悔して認めなかった。葉家はやむなく別に一項の田産を出して補い、改めて契据を立てた。先に印を用いたあの契約は作廃して用いず、後で換えたこの一部を用いた。この一来一往は、まさに「支神が来て日干に就き、日干が去って支神に就く」という返吟の象に応えた。事は一再反復したが、最後には結局成し遂げられた。
丁丑、庚寅、甲申、癸未返吟,皆是辰來加日,日去就辰。惟此課皆是初末在日,偶然行年又並在日,一起有四事。他只有二件從我者是也。我遂終得此物,若其餘日辰及八專之類。從所乘者斷之,此又名上門亂首。大不利占病,初末並太常剋日,若占尊長病,是宅中已掛孝矣。不可救無疑。占訟乃彼來值我,若我是卑下,卻好攻之,不利尊長先起也。
付帯して返吟の類の課体の通例を説明する:丁丑・庚寅・甲申・癸未のこれらの日に返吟課を起こすのは、みな日支の神が日干の上に加わり、日干の神がまた去って日支に就く。ただ本課の特殊な点は、初伝と末伝がいずれも日干の頭上に落ち、また行年もたまたまいっしょに日干の上に落ちて、一ヶ所に四つの事が揃ったことである。他人が来て占えば、往々にして二件だけが我が方に順うのである。まさにこのため、我が方は最終的に争うこの物を得ることができる。その他の日辰や「八専」といった課体に至っては、その乗ずる天将を見て吉凶を断ずる。この種の課はまた「上門乱首」ともいい、病を占うには最も不利である:初伝・末伝が太常とともに日干を克すれば、もし尊長の病を占うなら、それは宅中にすでに孝布が掛かったのに等しく、疑いなく救い戻せない。もし官司を占うに用いれば、相手方が門を尋ねて来て我に撞見する。もし我が方の身分が卑下していれば、かえって主動して進攻するのに宜しいが、ただ尊長の一方が先に発難するには利しない。
癸未日、揚州の商人が部への赴きの吉凶を占う
乾隆己巳年巳月癸日,申將戌時,揚商因借河餉事赴部,戊子命人占吉凶。(牧夫占驗)
清乾隆の己巳年(乾隆十四年)巳月の癸日——本巻の体例に照らせばすなわち癸未日で、原文は一「未」字を脱している——申を月将として戌時に課を起こした。揚州の商人が河工の餉銀を借用した件で部に伝えられて対質することになり、戊子年生まれの人が彼のためにこの行の吉凶を占問した。本例は王牧夫の占験記録に出る。
朱蛇貴后 卯辰巳午 朱貴常空 財 辛巳 貴 合寅 未陰 卯巳酉亥 子 己卯 朱 勾丑 申玄 巳未亥癸 官 丁丑 勾 子亥戌酉 龍空虎常
課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が巳に臨むところから逆に布列する:卯に朱雀、辰に螣蛇、巳に貴人、午に天后、未に太陰、申に玄武、酉に太常、戌に白虎、亥に天空、子に青竜、丑に勾陳、寅に六合。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑にあり、丑の上に亥を見、天空を乗ずる。第二課、亥の上に酉を見、太常を乗ずる。第三課、日支の未の上に巳を見、貴人を乗ずる。第四課、巳の上に卯を見、朱雀を乗ずる。三伝:初伝は巳、遁干は辛で「妻財」に属し、貴人を乗ずる。中伝は卯、遁干は己で「子孫」に属し、朱雀を乗ずる。末伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、勾陳を乗ずる。
王牧夫曰:上明下暗,半路必回,天上好音?去吉來後果至半路得恩旨釋回。蓋癸為旬盡,亥為支盡,二盡相交,主災晦,癸即丑,丑乘勾陳,主身被留滯,喜太歲作德神發傳,占訟得此最美。
王牧夫が断じて言う:この課は上が明るく下が晦い。この人は半道まで行って必ず引き返し、天上から伝わる吉報がある(ここで底本は一字欠く)。行く時は凶険で帰りは平安である。後に果たして半道まで行って恩旨を受けて釈放されて帰った。このように断じたのは、癸は十干の最後の一位、亥は十二支の最後の一位で、二つの「尽きる」端が交わり、災厄晦気を主るからである。癸の寄宮はすなわち丑で、丑の上に勾陳を乗せ、勾陳は牽纏拘係を主るので、身が拘留されて滞ることを主る。喜ぶべきは太歳が化して徳神となって伝に入り発用したことで、官司を占ってこの種の格局に遇うのは最上である。
自己傳丑,乃自明傳夜,故曰上明下暗,丑卯巳為出戶,今自巳傳丑乃入戶之象。故主半路必回,太歲貴人作德神,故曰天上好音,又卯為朱雀作子孫救神也。其後果然,推而言之。癸未乃旬盡之日。明日甲申又即申將管事,時上見之申為儀神救解百事,況發用與之作合乎。四月巳為皇詔,又為德神,年上見之,吉無疑矣。
さらに細かく言う:三伝は巳から丑に伝わる(原文「自己伝丑」の「己」は「巳」の誤りであろう)。巳は白昼の位に属し、丑は夜半の位に属し、明から暗に入るので「上明下暗」と言う。丑・卯・巳が順に進むのは出門の象だが、今は反対に巳から丑に伝わるので、家に帰って門に入る象となる。だから半道で必ず引き返すと断じた。太歳と貴人が化して徳神となり、徳神は天から降るので「天上好音」と言う。中伝の卯にまた朱雀が乗り、朱雀は音信文書を主り、卯は癸日にとって子孫で、子孫は厄を解く救神である。後に果たしてその通りになった。さらに推し広める:癸未は一旬の最後の日で、翌日はすなわち甲申であり、申はまたまさに当令して事を主る月将である。時辰の上に見る申は「儀神」で、百事を救解できる。まして初伝の巳と申はまた巳申の合を結んでいる。四月の巳は類象の上で皇帝の詔書を主り、同時にまた徳神である。年の上にこれを見れば、吉利は疑いない。
巻之三・甲申日
甲申日、婚を占う
乾隆丙子年十月,甲申日寅將辰時,占婚。因路遇疑即此女,故占之。(牧夫占驗)
清乾隆の丙子年十月の甲申日、寅を月将として辰時に課を起こし、婚事を占問した。起因は占者が路上で一人の女子に遇い、彼女が家で議定したあの新婦ではないかと疑ったので、課を起こして測った。本例は王牧夫の占験記録に出る。
朱合勾龍 卯辰巳午 合龍玄后 子 ◎午 龍 蛇寅 未空 辰午戌子 財 壬辰 合 貴丑 申虎 午申子甲 兄 庚寅 蛇 子亥戌酉 后陰玄常
課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后、丑に貴人、寅に螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に子を見、天后を乗ずる。第二課、子の上に戌を見、玄武を乗ずる。第三課、日支の申の上に午を見、青竜を乗ずる。第四課、午の上に辰を見、六合を乗ずる。三伝:初伝は午で「子孫」に属し、青竜を乗せ、傍注の「◎」は旬空に落ちることを示す——甲申日は甲申旬に属し、午・未の二支が空亡で、空亡には遁干を配することができないので遁干の欄は空いている。中伝は辰、遁干は壬で「妻財」に属し、六合を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、螣蛇を乗ずる。
王牧夫斷曰:所遇之人在道路上,以子午辰戌干支並見也。書云:子午為道路,辰戌為倉卒,急遽之見也。午乘青龍,其女身長膚融赤而整齊,誠美婦耳,彼有夫,乃歸母家。所遇非是所定之女,然所定之女亦美而賢。以冬占,天后加子水色白而旺,故美;生干,故賢。
王牧夫が断じて言う:遇ったこの人は道路上で遇ったものである。課中の干支の上に子・午・辰・戌の四字がいっぺんに現れたからである。壬書に言う:子と午は道路を主り、辰と戌は倉促を主る。合わせればまさに匆促の間の一面の遇である。午の上に青竜が乗り、青竜は形貌端正を主るので、この女子は背が高く、肤色は紅潤で光があり、体態は整っていて、確かに美しい婦人である。しかし彼女にはすでに夫があり、この行は実家に帰るところである。こう見れば、路上で遇ったのは家で議定したあの女子ではない。ただ議定したあの一人も同じく美しくかつ賢い。冬月に課を起こすので論ずれば、天后が子水に加臨し、子は冬令に当たって旺し、水は白色を主り、色白くして気旺なので、彼女が美しく生まれたと断じる。子水はまた日干の甲木を生ずることができ、我を生ずる者は賢を主るので、彼女が賢恵だと断じる。
後娶歸,果非所遇者。何以知所遇之女有夫?午坐官鬼上耳。何以知其回母家?課得顧主,自內傳外。甲之寅,即干之身也。干支互乘三合,故因遇此婦。而後成婚,此婦乃引入桃源之仙客也。支上午為遇,申為道路,午加申為疑惑,以支神測之,亦如是也。
後に娶り入れたのは、果たして路上で遇ったあの一人ではなかった。何によって路上のあの女子にすでに夫があると知ったか。彼女を代表する午が官鬼の上に坐しているからで、官鬼は女命においてすなわち夫星である。何によって彼女が実家に帰ると知ったか。この課は「顧祖」の体を取り、気機が内から外へ伝わるのではなく本源に帰る象だからである。甲木の寄宮は寅にあり、寅はすなわち日干自身である。干と支が互いに三合の気を乗じているので、この路遇があった。そしてこの婚事はまさにこの婦に遇って後に成ったのであり、これでこの婦人は彼を桃源の仙境に導き入れる引路の仙客であったと分かる。さらに日支の上からもう一度験すれば:支の上の午は相遇を主り、申は道路を主り、午が申の上に加わればすなわち疑惑の象である——彼はまさに路上のこの女子が未婚妻かどうかを疑って課を起こしに来たのである——支神で測っても、得た結論は同じである。
甲申日、袖中の物を射覆する
順治庚寅年五月甲申日,未將酉時,司化南問袖中何物?射之。(指南)
清順治の庚寅年五月の甲申日、未を月将として酉時に課を起こした。司化南が物を袖の中に蔵し、袖の中に何を入れているかを問い、人に射覆の法で測らせた。本例は『指南』に見える。
朱合勾龍 卯辰巳午 合龍玄后 子 ◎午 龍 蛇寅 未空 辰午戌子 財 壬辰 合 貴丑 申虎 午申子甲 兄 庚寅 蛇 子亥戌酉 后陰玄常
未を酉に加えるのは前の課の寅を辰に加えるのと同じく天盤が地盤より二位退くので、課式は前条の婚を占った者とまったく同じである。課盤を平らに展開すると次のようになる:十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する——卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后、丑に貴人、寅に螣蛇。四課は右から左へ:日干の甲の寄宮は寅、寅の上に子を見て天后を乗ずる。子の上に戌を見て玄武を乗ずる。日支の申の上に午を見て青竜を乗ずる。午の上に辰を見て六合を乗ずる。三伝:初伝は午で「子孫」に属し、青竜を乗せ、傍注の「◎」は旬空の記である。中伝は辰、遁干は壬で「妻財」に属し、六合を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、螣蛇を乗ずる。
斷曰:此必文書之類。化南云:何以知之是文書,乞講一理。予曰:用東方朔射覆斷本課。三傳純陽,取遁申丁卯仰視丑字,陰神是亥,故取亥為初傳,三傳亥酉未,亥主圖書,又甲日文書爻。果透易書一冊。予曰:八十四頁。果然。袁天罡本課法斷:亦當以易書斷,青龍主文書,子又為文書,子午為易氣,即易書也。東方朔射覆之法,其書名為無移集,恐是後人託名耳。
断語に言う:袖の中に蔵したのは必ず文書の類の物である。司化南が問う:何によって文書と断定するのか、道理を一つ言ってほしい。私が答えて言う:ここで用いたのは東方朔に托名した射覆の断法である。本課の三伝・午・辰・寅は純粋に陽支なので、射覆の法に従って別に遁干と陰神を取って伝を起こす——遁により申・丁・卯を得、仰視して丑の字を得、丑の陰神は亥なので、改めて亥を取って初伝とし、射覆の三伝はすなわち亥・酉・未となる。亥は類象において図書典籍を主り、甲日はまた亥をもって文書の爻とする。後に開いて見ると、果たして一冊の『易』の書を抽き出した。私はまた言った:この書は八十四頁である。数えると果たして違わなかった。もし袁天罡の本課の断法に従って推しても、同じく『易』の書と断ずべきである:青竜は文書を主り、子もまた文書を主り、子と午が合して「易」の気機となる。まさに『易』の書である。東方朔の射覆の法について言えば、その書の名は『無移集』といい、おそらく後人が彼の名を仮託して書いたものであろう。
甲申日、官訟を占う
甲申日□將□時,占官訟。(一針見血)
ある甲申日に官司を占問した。原書のこの条は月将と時辰の二ヶ所がいずれも空白を留め、記していない。課盤から推算すると、天盤は地盤より二位進んで排布されている。本例は『一針見血』に見える。
空虎常玄 未申酉戌 后玄龍合 財 壬辰 合 龍午 亥陰 子戌午辰 子 ◎午 龍 勾巳 子后 戌申辰甲 鬼 甲申 虎 辰卯寅丑 合朱蛇貴
課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后、丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に辰を見、六合を乗ずる。第二課、辰の上に午を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に戌を見、玄武を乗ずる。第四課、戌の上に子を見、天后を乗ずる。三伝:初伝は辰、遁干は壬で「妻財」に属し、六合を乗ずる。中伝は午で「子孫」に属し、青竜を乗せ、傍注の「◎」は旬空を示す。甲申旬に午・未が空亡なので遁干はない。末伝は申、遁干は甲で「官鬼」に属し、白虎を乗ずる。
斷曰:此課因爭產致訟,今又和而不解也。謂辰為日之財,上見六合夾克,必是同類爭競,又傳見午火青龍以制末傳申金白虎之日鬼,其事雖可了,奈申上戌作玄武,為午火所畏,而白虎後旺,其事必又發矣,戌乃寅之親,主親戚為害,寅加子,課傳有寅午戌,申子辰,一火一水爭鬥不已。其實合非全,故不能解也。
断語に言う:この官司は産業を争奪したために起こったので、目下は講和するとは言うものの、実はまだ真に了結していない。理由は:辰は日干の甲木の妻財で、辰の上にまた六合が来て夾克する。六合は我と同類で、必ず同宗同輩の人が財産を争奪しているのである。三伝の中に午火があって青竜を乗せ、午火は末伝の申金の白虎を克制することができる——申金はまさに日干の官鬼で、訟事の神である——だからこの案件は表面上は了結できるのである。奈何せん申の上にまた戌を見て玄武を乗せ、玄武は水に属し、まさに午火の畏れるところである。そして白虎の気は後ろで転じて旺となるので、この事は必ずまた再び発作する。戌は寅の親属の支で、親戚が中で横槍を入れて害を為すことを主る。寅はまた子の上に加わり、課伝の中に寅午戌の火局をも湊り出し、また申子辰の水局をも湊り出し、一火一水が互いに争闘して休まない。しかもこの二つの三合局は実はいずれも完全ではなく、合して全ならないので、事は結局解きほぐせない。
甲申日、王県丞が官職を占う
建炎戊申年五月初一甲申日,申將巳時,王縣丞丙寅生四十三歲,占官職。(口鑑、方本占案、捷要)
南宋高宗の建炎年号の下の戊申年(建炎二年)五月初一、ちょうど甲申日に当たり、申を月将として巳時に課を起こし、王県丞が自分の官職の前程を占問した。この人は丙寅年生まれで、占課の時四十三歳。本例は『口鑑』、方本『占案』と『捷要』に見える。
勾六 青申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼 甲申 龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父 丁亥 朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄 庚寅 后 常巳辰卯寅后 玄陰
課盤を平らに展開すると次のようになる。ここで「六」は六合の略称、「青」「竜」はいずれも青竜を指す。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:申に青竜、酉に勾陳、戌に六合、亥に朱雀、子に螣蛇、丑に貴人、寅に天后、卯に太陰、辰に玄武、巳に太常、午に白虎、未に天空。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に巳を見、太常を乗ずる。第二課、巳の上に申を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に亥を見、朱雀を乗ずる。第四課、亥の上に寅を見、天后を乗ずる。三伝:初伝は申、遁干は甲で「官鬼」に属し、青竜を乗ずる。中伝は亥、遁干は丁で「父母」に属し、朱雀を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、天后を乗ずる。
邵彥和曰:日上見巳作太常主兼職而費力。初傳官星主官職,中傳長生臨宅上,主上人垂顧而加俸,末傳寅臨亥名聲必達天庭,是費力而得便宜,勞苦中得遷轉,任滿入朝面君有內絳帳之榮矣。
宋代の六壬の名家・邵彦和が断じて言う:日干の甲木の上神は巳で、巳の上に太常を乗ずる。太常は職掌俸禄を主り、しかも甲木が巳火を生ずるのは、我が去ってそれを生ずるので、彼が別の差事を兼摂するとともに、このために気力を多く費やすと断じる。続いて三伝に従って層ごとに推断する:初伝は申で、申金が甲木を克するのはまさに日干の官星であり、官星は官爵職位を主るので、彼が必ず実缺の職任を得ると断じる。中伝は亥で、亥は甲木の長生の地であり、また日支の宅位の上に臨む。長生の気が宅に臨むので、上司が目をかけて庇護し、さらに俸禄を加えて発給することを主る。末伝は寅で、寅はすなわち甲木自身であり、それは亥位の上に臨む。亥はまた天門と称し、自身が天門に登るので、彼の名声が必ず朝廷に上達すると断じる。三伝を合わせて見れば、気力を尽くして費やして終に便宜を得て、労苦の中で遷転を得る。任が満ちた後に朝に入って天子に面見し、さらに宮禁の内で講学授徒して高く「絳帳」を設ける栄誉がある。
後王縣丞因知縣緣恩澤受財事發,遂得縣印,兩項職事悉皆了辦。見知上司,列薦奉旨。任滿日引之,遂得諸王官教授。
後に果たして応験した:王県丞のいる県の知県は、朝廷の恩沢の名目を借りて金銭を収受した事が露発して罷められ、王県丞はそこで県印を接管し、県丞と知県の二つの荷担をいずれも彼一人でちゃんと勤め上げた。彼はこのため上司に賞識され、名を列ねて保挙され、皇帝の旨意の嘉許を得た。任満の日に引見されて朝に入り、即座に諸王府の官学教授に任命された。
緣日上見巳,是甲木生巳火,故費力也,太常為職,巳為雙女,故曰兼職。申官臨於雙女之上,亦為兼職。青龍主喜慶,中傳亥與行年上亥,緣是長官之屬,亥為天庭,朱雀為舉薦,末傳寅為己身,下臨於長生之地,又登天門上,乘天后恩澤之神,同生甲與寅木,甲以亥為學堂,故為絳帳之職,在天門則為內絳帳也。甲木生巳火雖云費力,卻引出天后水及亥水之生,申官居巳長生上,又作青龍,所以費力中而內升也。
逐句その所以然を説明する:日干の上神が巳で、甲木が巳火を生じに行くのは我の気を泄すので、費力と言う。太常は職任を主り、巳は星次において「双女」宮に属し、一宮に双数を含むので、兼職と言う。初伝の申という官星はまたちょうど双女の巳の上に臨み、同じく兼職の象である。申の上に青竜を乗せ、青竜は喜慶陞遷を主る。中伝の亥は彼の行年の上の亥と同じで、亥は長官の類に属し、亥はまた天庭であり、亥の上に朱雀を乗せ、朱雀は章奏挙薦を主るので、上司の保薦があると断じる。末伝の寅は彼自身を代表し、下は亥という長生の地に臨み、また天門に登るので、寅の上に天后を乗せ、天后は恩沢を主る神で、甲木・寅木と同気相生する。甲木は亥をもって「学堂」とし、学堂は講授の職を主るので、「絳帳」の任と断じる。絳帳が天門の上に設けられれば、すなわち宮禁の内の絳帳となり、諸王府の教授の職である。甲木が巳火を生ずるのは費力とは言うものの、これによって天后の水と亥水を牽引し出して来て日干を回生し、官星の申はまた巳という自身の長生位に坐し、しかも青竜を乗ずるので、彼が費力の中で内擢陞遷を得ると断じたのである。
甲申日、汪五公が売買を占う
汪五公丁未生(生於七月初八日子時)六十二歲,占買賣,同得是課。(六壬斷案)
汪家の五公は丁未年生まれ(生辰は七月初八日の子時)、当時六十二歳で、売買の商いを占問し、起き出たのはちょうど前条の王県丞と同じこの課であった。本例は『六壬断案』に見える。
勾六 青申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼 甲申 龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父 丁亥 朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄 庚寅 后 常巳辰卯寅后 玄陰
課盤は前条の王県丞が占ったものと一字も違わない。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:申に青竜、酉に勾陳、戌に六合、亥に朱雀、子に螣蛇、丑に貴人、寅に天后、卯に太陰、辰に玄武、巳に太常、午に白虎、未に天空。四課は右から左へ:日干の甲の寄宮は寅、寅の上に巳を見て太常を乗ずる。巳の上に申を見て青竜を乗ずる。日支の申の上に亥を見て朱雀を乗ずる。亥の上に寅を見て天后を乗ずる。三伝:初伝は申、遁干は甲で「官鬼」に属し、青竜を乗ずる。中伝は亥、遁干は丁で「父母」に属し、朱雀を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、天后を乗ずる。両案で異なるのはただ年命だけである:王県丞は丙寅生まれで、本命の寅は末伝の長生の地に落ちる。汪五公は丁未生まれで、本命の未は空亡の天空位に落ち、行年はまた別に一重の耗気を添える。
邵彥和曰:如休染得許多紅紫,今已發變斑點,只好染皂青耳。汪公尚不覺,及開包裹看之,果然紅紫皆變色。汪公大驚曰:為之奈何?邵曰:不妨,十月染皂不折本,但滯得半年耳。
邵彦和が断じて言う:あなたが染め出したこれだけ多くの紅紫色の布帛(「如休」の二字は底本に誤りがあるらしい)は、今すでに斑点が泛き出て色が変わり、黒青系の皂色に染め直すほかない。汪公は初めはまだ異変を感じなかったが、包みを解いて見ると、果たして紅紫の品が全部変わっていた。汪公は大いに驚いて言った:これはどうしたらよいか。邵彦和が言うには:差し支えない、十月に皂色に染め直せば元を割ることはなく、ただ品が半年滞留するだけである。
日上見巳蝕甲,寅往亥上受生,未甚費力。今又添得行年上午火,便是兩火蝕一甲木,雖寅受生於亥,費有餘而得不足也。太常為繡綵衣帛,乘巳火為赤色,便是紅紫之類,太常乘巳加於寅,寅為虎,主斑點,作天后為改色。初傳官鬼破身傷財又立於耗盜之上,好在中傳亥來生甲,只宜染皂。以北方主黑,亥加申上,白而生黑,故為皂色。
道理を細かく言う:日干の上神に巳を見る。巳火は甲木の気を盗泄する、火が来て木を蝕むのである。末伝の寅は亥の上に至って生を受け、もともとそれほど費力ではない。今また彼の行年のある午火を添えれば、二重の火が一株の甲木を蝕むことになる。寅は亥から生を得てはいるが、終に花費が余って収穫が足りない。太常は類象において刺繍彩帛の衣料を主り、それは巳火を乗せ、巳火は赤色で、まさに紅紫の類の染め物である。太常が巳を乗せて寅の上に加臨し、寅は虎に属し、虎皮には紋があり斑点を主る。寅の上にまた天后を乗せ、天后は変改を主る。だから彩帛に斑点が起きて色が変わると断じた。初伝の申は官鬼で、身を破り財を傷つけ、しかも耗盗の神の位に立つ。幸いに中伝の亥水が帰って来て甲木を生ずるので、ただ皂色に染め直すのがよい——亥は北方に属し、北方は黒色を主る。亥はまた申の上に加わり、申は白である。白から黒を転じて生じるのはまさに皂色である。
州人仿他鋪,染暗青黑綠都不好,八九月亦不翻騰,汪公至十月染皂,市中頗有行情,果不折本。蓋末傳有寅生於亥上,中傳亥卻為旬丁主變動之神,末傳天后亦為皂色,又為婦人,以此,女人俱重此色衣服。亥為十月,信知造物亦有時也!可見六壬點驗之神與造物無間矣。
後に州の別の店が彼を真似て、暗青・黒・緑の幾色に染め替えたが、販路はいずれも良くなかった。八九月の間も市場にはずっと起色が見えなかった。汪公は十月まで待って皂を染め始め、市にはちょうど相場ができて、果たして元を割らなかった。その中の道理は:末伝の寅は亥の上で生じ、中伝の亥はまた本旬の「旬丁」で、旬丁は変動を主る神である。末伝の乗ずる天后も同じく黒皂の色を主り、天后はまた婦人を代表する。このため婦女たちはみなこの色の衣料を重視した。亥は月份の上でまさに十月である。天時造化にはおのずからその定期があることが分かる。これによっても、六壬の占験の神妙は造化の運行と毫も隔たりがないことが見える。
或問王縣丞與汪五公同月將日時,同得此課,何以王縣丞許其升遷,汪五公卻說絲帛變色?先生答曰:縣丞本命寅下臨長生,得恩澤之神,行年即是官星,在任者宜見之,必然升遷。汪公本命下臨魁罡,上得虛誕之神,行年添一盜氣,經濟者忌見之,必然敗壞,幸得寅加亥上,中傳亥又來生身,為不折本耳。
人が問うた:王県丞と汪五公は同じ月将・同じ日時を用い、起き出た課も全く同じなのに、なぜ王県丞には昇官と断じ、汪五公には絲帛の変色と断じたのか。邵彦和先生が答えて言う:王県丞は本命が寅にあり、寅は亥という長生の地に下臨し、また天后という恩沢を主る神を得ている。彼の行年はちょうど官星のあるところである。在任の官員がこの種の格局を見るのは最も相応しく、必ず陞遷する。汪五公の本命の未は魁罡の位に下臨し、上には天空という虚妄不実を主る神を得て、行年にまた一重の盗泄の気を添える。売買をする人が最も忌むのがこの種の格局を見ることで、必ず敗壊する。幸いに寅はなお亥の上に加わり、中伝の亥はまた帰って来て日干自身を生扶するので、到底元を割ることはないだけである。
甲申日・汪五公が売買を占う(前の課盤を承ける)
常巳辰卯寅后 玄陰
この二行は前の課盤を平らに展開した後に残った末尾で、天盤の上半と四課・三伝はいずれもこの段の前にある。地盤の寅・丑・子・亥の四位の上には順に天盤の巳・辰・卯・寅があり、巳の上に「太常」を乗せ、寅の上に「天后」を乗せる。末の一行の「玄」「陰」は辰・卯の二字の下に圧しており、すなわち辰の上に「玄武」を乗せ、卯の上に「太陰」を乗せる。この課は甲申日で、天盤は地盤より順に三位進む:四課は甲(寄宮は寅)の上に巳を見て太常を乗せ、巳の上に申を見て青竜を乗せ、日支の申の上に亥を見て朱雀を乗せ、亥の上に寅を見て天后を乗せる。三伝は申—亥—寅で、初伝の申は甲を遁して官鬼で青竜を乗せ、中伝の亥は丁を遁して父母で朱雀を乗せ、末伝の寅は庚を遁して兄弟で天后を乗せる。汪五公が六十二歳のこの年に売買を占って得たのはまさにこの課である。
邵彥和曰:如休染得許多紅紫,今已發變斑點,只好染皂青耳。汪公尚不覺,及開包裹看之,果然紅紫皆變色。汪公大驚曰:為之奈何?邵曰:不妨,十月染皂不折本,但滯得半年耳。日上見巳蝕甲,寅往亥上受生,未甚費力。今又添得行年上午火,便是兩火蝕一甲木,雖寅受生於亥,費有餘而得不足也。
邵彦和が言う:あなたはこれ以上あのような紅紫色の綢帛を染めてはいけない。今すでに斑点が起きて変色し、皂青に染め直すほかない。汪五公は初めは気づかなかったが、包みを開いて見ると、紅紫の生地は果たして全部色が変わっていた。汪公は大いに驚いて問うた:これはどうしたらよいか。邵彦和が言うには:差し支えない、十月に皂色に染め直せば損はせず、ただ半年品を滞留させるだけである。このように断じたのは:日干の上に巳火を見、巳は甲木の生ずるところで、反って甲木を泄耗する。末伝の寅木は中伝の亥水に至って生を受け、もともとそれほど費力ではない。しかし占者の行年の上にまた一重の午火を添え、二重の火が一株の甲木を消耗することになった。寅木は亥水の上で生を得てはいるが、終に花費が余って収得が足りない。
太常為繡綵衣帛,乘巳火為赤色,便是紅紫之類,太常乘巳加於寅,寅為虎,主斑點,作天后為改色。初傳官鬼破身傷財又立於耗盜之上,好在中傳亥來生甲,只宜染皂。以北方主黑,亥加申上,白而生黑,故為皂色。
「太常」という天将はもともと繍彩・衣帛を主り、それが巳火を乗せればすなわち赤色で、まさに紅紫の類の色に対応する。太常が巳を乗せて寅位に加わり、寅は虎に属し、虎紋は斑点を主り、寅の上にまた「天后」を乗せ、天后は水に属して来て火色を染めるので、変色を主る。初伝の申金は甲日の官鬼で、身を破り財を傷つけ、しかも耗盗の神の位に立つ。幸いに中伝の亥水が頭を回して来て甲木を生ずるので、ただ皂色に染め直すのがよい。皂色は北方の黒に属し、亥水が申金の上に加わり、金は白く水を生じて黒となるので、皂色と定めた。
甲申日・両父師が代わって陞遷を占う
辛未三月甲申日辛未時,萊陽運芝萊、吉安王旋官兩父師代占升遷,重審、玄胎,午未空、酉戌落空。 指南
辛未年三月の甲申日辛未時、莱陽の運芝莱と吉安の王旋官という両先生が人に代わって陞遷を占った。課体は「重審」に「玄胎」を兼ねる。甲申旬には午・未が旬空で、占時の酉・戌の两位も空に落ちる。この例は陳公献の『六壬指南』に出る。
勾六 青申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼 甲申 龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父 丁亥 朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄 庚寅 后 常巳辰卯寅后 玄陰
この段は課盤を平らに展開した後の残留である:もともと円形の天地盤が、四課・三伝の三ブロックとともに一行に圧されて書かれている。天盤は地盤より順に三位進む——地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上には順に天盤の申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未があり、乗ずる天将は順に青竜・勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空である。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に巳を見、太常を乗ずる。第二課、巳の上に申を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に亥を見、朱雀を乗ずる。第四課、亥の上に寅を見、天后を乗ずる。三伝は申—亥—寅:初伝の申は遁干が甲で、甲日には「官鬼」で青竜を乗ずる。中伝の亥は遁干が丁で「父母」、朱雀を乗ずる。末伝の寅は遁干が庚で「兄弟」、天后を乗ずる。
陳公獻曰:此課大吉,推升官爵必的。何以言之?課中龍常並見,城吏全逢,初傳青龍內戰,必有奇遇趨遷。中傳朱雀生日,公卿交譽。末傳驛馬德祿俱入天門,居官定然顯赫。寅為天吏,天后為恩澤,非天官而可?後屢旨另推七次,終點閔總憲為冢宰。然式中貴履地網,龍神下賊,主自欲退位,次年果請旨歸田。
陳公献が言う:この課は大吉で、彼が昇官進爵するのは必ず応験すると断じる。何によってこのように言うか。課中に青竜・太常が並んで現れ、「城」「吏」の両象が備わっている。初伝の申金は青竜を乗せて日干と内で相戦し、意外な機遇があって遷転を得ることを主る。中伝の亥水は日干の甲木を生扶し、公卿が口を揃えて称誉することを主る。末伝の寅木は駅馬であるとともに徳神・禄神を帯び、いっしょに亥位の天門に入る。官を為す者は必ず顕赫である。寅は「天吏」で、天后は恩沢の神である。これは朝廷の除授の官職でなくて何であろう。後に朝廷はたびたび旨を下して別に推挙させ、前後七回、最終的に総憲の閔某を点じて冢宰とした。しかし課式の中で貴人は地盤の戌位「地網」の上を踏み、青竜の乗ずる申金はまた下の巳火に克賊され、本人が自ら退位を望むことを主る。第二年に彼は果たして疏を上して旨を請い、老を告げて郷に帰った。
甲申日・景兄が府院試に入泮できるかを占う
庚寅七月甲申日丙寅時,宜陵景兄占府院試可入泮否?指南
庚寅年七月の甲申日丙寅時、宜陵の景兄が府試・院試に考取して進学できるか(入泮、すなわち生員に取られること)を占いに来た。『六壬指南』に出る。
勾六 龍申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼甲申龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父丁亥朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄庚寅后 常巳辰卯寅后 玄陰
課盤は前の案と全く同じで、ただ青竜を「竜」と書く。天盤は地盤より順に三位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未を承け、乗ずる天将は順に青竜・勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空。四課:甲(寄宮は寅)の上に巳を見て太常を乗せ、巳の上に申を見て青竜を乗せ、日支の申の上に亥を見て朱雀を乗せ、亥の上に寅を見て天后を乗せる。三伝は申—亥—寅:初伝の申は官鬼で青竜を乗せ、中伝の亥は父母で朱雀を乗せ、末伝の寅は兄弟で天后を乗せる。
陳公獻曰:不但府試高取,院考定然首薦。蓋因月建旬首發用。龍朱乘旺相(龍乘申月建旺,朱乘亥相),現於初中,末傳德祿驛馬,又干支交車生合,傳將進引,斗罡天喜加行年(秋三月天喜在辰,加行年丑上),朱雀乘丁神進氣,文字必貼主司之意。且格合天心(年寅、月申、日申、時寅皆在四課之內),主非常喜慶,掀天揭地也,是以首薦無疑。又問:該就府送考,該就司送考?予曰:六合加於辰未酉籍穩妥,後果首進。
陳公献が言う:府試に取れるだけでなく高等に取れ、院試も必ず首薦に名を列ねる。なぜか。発用する申金は月建であるとともに甲申旬の旬首だからである。青竜・朱雀はいずれも旺相の気を乗せ(青竜は申を乗せ、申は七月の月建で当旺;朱雀は亥を乗せ、水は秋に相気)、それぞれ初伝・中伝に現れる。末伝の寅木は徳神・禄神と駅馬を兼ね、日干日支はまた交車して相生相合し、三伝と天将は節々に進み引き上げる。斗罡(辰)と天喜が行年の上に加わり(秋三月の天喜は辰にあり、行年の丑の上に加わる)、朱雀はまた丁神を乗せて進気に当たり、作る文章は必ず主考の心意に合う。加えて格局は「天心」に合する——太歳の寅・月建の申・日支の申・占時の寅がいずれも四課の内に現れる——非常の喜慶があって、声勢は天を掀き地を揭げるので、首薦は疑いない。彼はまた問うた:府から送考すべきか、それとも司から送考すべきか。私は言った:六合は辰・未・酉の一路に加わっているので、府学の名籍を行くのが穏当である。後に果たして第一名で進学した。
甲申日・元旦に雪があるかを占う
甲申十二月甲申日癸酉時,予往淮陰時,鳳陽施指揮使相召守歲,見天氣昏沉,占元旦有雪否,午未空、酉戌落空。 指南
甲申年十二月の甲申日癸酉時、私(陳公献)はちょうど淮陰へ行こうとしていたが、鳳陽の施指揮使が私を招いてともに守歳した。天色が陰っているのを見て、元旦の日に雪が降るかどうかを占った。旬空は午・未にあり、占時の酉・戌の两位は空に落ちる。『六壬指南』に出る。
朱六 蛇申酉戌亥勾 虎勾蛇陰 鬼 甲申 蛇 貴未 子青 寅亥申巳 父 丁亥 勾 后午 丑空 亥申巳甲 兄 庚寅 虎 陰巳辰卯寅虎 玄常
天盤は地盤より順に三位進み、前の二案の天盤と同じであるが、貴人が位置を変えたので諸将が異なる:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人。貴人は天盤の未(地盤の辰)に落ち、順に布将する。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に巳を見、太陰を乗ずる。第二課、巳の上に申を見、螣蛇を乗ずる。第三課、日支の申の上に亥を見、勾陳を乗ずる。第四課、亥の上に寅を見、白虎を乗ずる。三伝は申—亥—寅:初伝の申は官鬼で螣蛇を乗せ、中伝の亥は父母で勾陳を乗せ、末伝の寅は兄弟で白虎を乗せる。
陳公獻曰:不但元旦有雪,今晚亦雪。因斗罡加丑陰象也。況申為水母發用,生中傳亥水,又乘蛇,乃雙雪頭彎曲之形,是以斷今晚、明日有雪。果然。
陳公献が言う:元旦に雪があるだけでなく、今晩にも降る。斗罡(辰)が丑位に加わっているのは、純陰の象だからである。まして発用する申金は水の母で、中伝の亥水を生ずることができ、申の上にまた螣蛇を乗せ、蛇の形は曲がりくねり、まさに雪片が両頭に蜷曲する状に似る。だから今晩と明日に雪があると断じた。後に果たしてその通りであった。
甲申日・王知県が新しい県令の着任時期を占う
己丑年十二月甲申日子將申時王知縣占新宰何時至 方本占案
己丑年十二月の甲申日、子将を申時に加え、王知県が新任の県令がいつ着任するかを占った。方氏本『占案』に出る。
六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇六虎 財 壬辰 玄 空未 寅后 辰子戌午 鬼 甲申 龍 虎午巳辰卯陰 子申午甲 父 戊子 蛇 常玄
天盤は地盤より順に四位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申を承け、乗ずる天将は順に勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に午を見、白虎を乗ずる。第二課、午の上に戌を見、六合を乗ずる。第三課、日支の申の上に子を見、螣蛇を乗ずる。第四課、子の上に辰を見、玄武を乗ずる。三伝は辰—申—子:初伝の辰は壬を遁して妻財、玄武を乗せ、中伝の申は甲を遁して官鬼、青竜を乗せ、末伝の子は戊を遁して父母、螣蛇を乗せる。申子辰の三合で水局を成すので「潤下課」である。
邵彥和曰:冬占得潤下課,正及時也。新官今已至潤州,值水淺來遲耳。果第三日得信云,已至潤州,水淺不能前。蓋發用辰加子,作玄武。子江也,上得辰土克之,故淺。甲日子加申,子乃十二月太陽,加支為臨任所,月內必到也。果應。
邵彦和が言う:冬に事を占って「潤下」の水課を得るのは、ちょうど時令に合う。新しい県令は今すでに潤州に到着しているが、ただ水が浅いために遅れて来るのである。三日目に果たして知らせを得て、彼がすでに潤州に到り、水が浅く船が前に進めないと言った。このように断じた道理は:発用する辰土が子水の上に加わって玄武を乗せている。子は江河で、上を辰土に克されるので水が浅い。甲申日に子が日支の申の上に加わり、子は十二月の太陽(月将)で、日支に加臨すればすなわち任所に到るので、今月内に必ず到着すると断じた。後に果たして応験した。
甲申日・趙景皋が会試を占う
崇正丁丑年二月十四日甲申日亥將未時,趙景皋兄占會試 占案
崇禎丁丑年二月十四日甲申日、亥将を未時に加え、趙景皋兄が会試を占った。『占案』に出る。
六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇六虎 財 壬辰 玄 空未 寅后 辰子戌午 鬼 甲申 龍 虎午巳辰卯陰 子申午甲 父 戊子 蛇 常玄
課盤は前の案と全く同じで、同じ甲申日・天盤が順に四位進む盤である。地盤の巳から辰までの十二位に順に天盤の酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申を承け、乗ずる天将は順に勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜。四課:甲の上に午を見て白虎を乗せ、午の上に戌を見て六合を乗せ、日支の申の上に子を見て螣蛇を乗せ、子の上に辰を見て玄武を乗せる。三伝は辰(妻財、玄武)—申(官鬼、青竜)—子(父母、螣蛇)で、申子辰で水局を合成する。
郭御青曰:干支各自乘死氣,又各脫耗,不利場屋明矣。且四課天將不正,三傳水局,天將又皆水,雖能生日,不敵自受脫耗。凡水局見武蛇,主夢幻鬼魅,安能中乎?放榜果不中。
郭御青が言う:日干と日支はそれぞれ死気を乗せ、またそれぞれ脱泄耗散されており、科場に利がないのは明らかである。しかも四課の上の天将はいずれも端正ではなく、三伝は水局を合成して乗ずる天将もみな水に属する。水は甲木の日干を生ずることができるが、日干自身が脱耗されるのに敵わない。およそ水局の上に玄武・螣蛇を見るのは、夢幻鬼魅の事を主る。どうして試験に及第できようか。放榜の後、果たして中らなかった。
甲申日・陳学諭が前程を占う
建炎戊申年九月甲申日辰將亥時陳學諭辛未生三十八歲(生於十二月二十八日)占前程。 方本占案
南宋建炎戊申年九月の甲申日、辰将を亥時に加え、陳学諭(辛未年生まれ、三十八歳、十二月二十八日に生まれる)が自分の前程を占った。方氏本『占案』に出る。
陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空龍貴 父 戊子 龍 蛇申 卯常 午丑子未 子 癸巳 陰 貴未午巳辰玄 丑申未甲 財 丙戌 六 后陰
天盤は地盤より順に五位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、乗ずる天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に未を見、貴人を乗ずる。第二課、未の上に子を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に丑を見、天空を乗ずる。第四課、丑の上に午を見、天后を乗ずる。三伝は子—巳—戌:初伝の子は戊を遁して父母、青竜を乗せ、中伝の巳は癸を遁して子孫、太陰を乗せ、末伝の戌は丙を遁して妻財、六合を乗せる。
邵彥和曰:干支皆墓主前程遲滯,凡事不通。今喜甲申旬,未乃空亡。本身之墓既空,漸次脫去,次第亨通。初傳與貴人云害,不利考試,巳作太陰為閉口,主偏堂不利,終為疾擾。妻宮加閉口子孫上,主無子,今年防被醫人所誤。
邵彦和が言う:日干と日支はいずれも墓に入り、前程が遅滞して事事通じないことを主る。幸いにこの日は甲申旬の中にあり、未はちょうど旬空に当たる。自身の墓はすでに空に落ちたので、次第に脱け出して、後日に順に亨通することが望める。初伝は貴人と相害し、試験に利がない。巳は太陰を乗せて「閉口」の神で、偏房に利がなく、終に疾病に纏扰されることを主る。妻財の宮は閉口の子孫の上に加わり、息子がいないことを主り、今年はまた医者に誤治されることを防がねばならない。
本命是木墓,本身上貴人又空亡,乃是虛貴,宅上又帶墓,宅既不顯,人亦不興。三十發解便不濟,如處雲霧中。妻亦不利,其人果受乳母氣,得心病,九年而卒。妻血病五年,本年又患痢。醫人誤作熱症治之,幾死。庚申年亡。
彼の本命は木に属して墓に入り、本命の上に乗ずる貴人はまた空亡に落ちて虚貴である。宅の上にまた墓神を帯び、宅は顕達せず人も興旺しない。三十歳で郷試に中式して以後は振るわず、雲霧の中に身を置くようである。妻子も利がない。この人は後に果たして乳母の気を受けて心病を得て、九年後に世を去った。妻は血病を患うこと五年、この年にまた痢疾を患い、医者が誤って熱症として治してほとんど命を失い、庚申年に世を去った。
甲申日・某が家宅を占う(墳が宅の下にあり)
戊申年九月甲申日辰將亥時某占家宅 方本占案 口鑑
戊申年九月の甲申日、辰将を亥時に加え、ある人が家宅を占った。方氏本『占案』と『六壬口鑑』に出る。
陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空龍貴 父 戊子 龍 蛇申 卯常 午丑子未 子 癸巳 陰 貴未午巳辰玄 丑申未甲 財 丙戌 六 后陰
課盤は前の案と同じである。天盤は順に五位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は甲の上に未を見て貴人を乗せ、未の上に子を見て青竜を乗せ、日支の申の上に丑を見て天空を乗せ、丑の上に午を見て天后を乗せる。三伝は子(父母、青竜)—巳(子孫、太陰)—戌(妻財、六合)。
邵彥和曰:此宅原是墳,因墓神作梗,宅內常有聲,見一人裹帽而行,乃六十老人葬於內,沿有遊尸,所以出來作怪。每主克子,因灶下墳更多,移灶則無聲。更第三間閣下,是此裹帽老人葬處,掘下五尺便見,遷去即安矣。試之果然,因丑為裹帽老人也。
邵彦和が言う:この宅はもともと墳地であった。墓神が邪魔をするので、宅内にはいつも響き動く音があり、また頭巾を裹んだ一人の人が歩き回るのが見えた。それは六十歳の老人が中に葬られているのに加え、さらに流散の尸骨があるので、出て来て怪を為すのである。この宅は常に子嗣を克傷することを主る。灶の下の墳がとりわけ多いので、灶を移せばもう音響はしない。さらに第三間の屋子の楼の板の下は、まさにこの帽を裹んだ老人の埋骨のところで、下へ五尺掘れば見える。遷した後は平穏になった。彼の言う通りに掘ると、果たしてその通りであった。このように断じたのは、丑(第三課の上神)が裹頭巾の老人の象を取るからである。
甲申日・張鋐が甥を迎えて署に赴き館を得ることを占う
乙卯年閏二月初二甲申日亥將午時占館 說約
乙卯年閏二月初二の甲申日、亥将を午時に加え、教館を謀る事を占った。『壬学説約』に出る。
陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空龍貴 父 戊子 龍 蛇申 卯常 午丑子未 子 癸巳 陰 貴未午巳辰玄 丑申未甲 財 丙戌 六 后陰
課盤はなお前の二案と同じ:天盤は順に五位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は甲の上に未(貴人)、未の上に子(青竜)、日支の申の上に丑(天空)、丑の上に午(天后)。三伝は子—巳—戌で、それぞれ青竜・太陰・六合を乗せ、六親は順に父母・子孫・妻財である。
江村張鋐曰:六壬占一事而相因之事牽連出現者,此時時有之。特人多忽而不經意耳。乙卯春間,舍弟在山東平州署館況頗佳,因占何時來接舍侄赴署,得甲申日干上未,三傳子巳戌。餘看課傳全無來接之象,此本事也。又干上雖逢未貴,但干視未為財,為墓。貴視干為鬼,為寇讐,賓主豈能相安?兼子為敗氣發用而與貴人六害,似已分手。寅加酉主酉日到家也,果於次日乙酉舍弟回家。
江村の張鋐が言う:六壬で一事を占うと、それに連なる別の事をいっしょに牽き出してしまう。この種の情形は常にあるが、ただ人は多くは忽略して留意しないだけである。乙卯年の春、舎弟は山東の平州の衙署で館に坐り、境況はかなり良かった。そこで彼がいつ舎甥を迎えに来て署中に連れて行くかを占ったところ、甲申日・日干の上神が未・三伝が子—巳—戌の課を得た。私は課体の三伝に全く迎えに来る気配がないのを見た——これは問うた本事である。さらに日干の上は未の上の貴人に逢うが、日干から見れば未は妻財でありまた墓神である。貴人から日干を見れば官鬼であり寇仇である。賓主がどうして相安できようか。加えて子水は敗気で発用し、また貴人と六害するのは、すでに別れ分かれた象のようである。寅が酉の上に加わるのは酉日に家に到ることを主る。果たして翌日の乙酉日に舎弟は帰って来た。
回後一月舍弟索卜何時得館?餘即以前課推之,命在未上見子水生干,主有人作薦。子與丑夜貴作合,主有官相延,俟子丑月可以得館。後至十一月,由沈湘葵薦就江蘇布臬臺之招。蓋丑貴臨申,申主刑釘,故為臬司,然丑遭太歲剋制,亦不能久於此任。(此課一課與二課相害,三課與四課相害,此賓主不投之象也何況末傳之戌與一課之未,三課之丑共作三刑,為得不分手乎?但一課與四課合,二課與三課合,恰好二課之子發用,與三課支上之丑相合,是失於此者而得於彼也。)
家に帰って一ヶ月後、舎弟はまた私にいつ館席を得られるかを卜させた。私はすなわち前のあの課を用いて推した:彼の本命は未にあり、未の上に子水が日を生ずるのを見、人の擧薦があることを主る。子はまた丑の上の夜貴人と相合し、官員が来て延請することを主り、子月・丑月を待てば館を得ることができる。後に十一月に至って、沈湘葵の推薦により、江蘇の布政・按察の両司の聘に応じた。これは丑の上の貴人が申位に臨み、申は刑獄钉械を主るので、按察司となったのである。しかし丑は太歳に克制され、この館席も長くは続かない。(原注:この課は第一課と第二課が相害し、第三課と第四課が相害し、まさに賓主が投じない象である。まして末伝の戌と第一課の未・第三課の丑が三刑を合成するのでは、どうして別れ分かれずにいられようか。ただ第一課と第四課は相合し、第二課と第三課は相合し、ちょうど第二課の子が発用し、また第三課の日支の上の丑と相合する。これがここに失い彼に得る所以である。)
甲申日・馬氏兄弟の会試を占う
崇正丁丑年二月十四日亥將巳時占馬氏兄弟會試中否? 郭氏占案
崇禎丁丑年二月十四日、亥将を巳時に加え、馬氏兄弟が会試に中るかどうかを占った。郭御青『占案』に出る。
朱蛇貴后 亥子丑寅 龍后后龍 兄 庚寅 后 合戌 卯陰 申寅寅申 鬼 甲申 龍 勾酉 辰玄 寅申申甲 兄 庚寅 后 申未午巳 龍空虎常
この盤は「返吟」で、天盤は地盤より順に六位進み、各支が両々相冲する:地盤の巳・午・未・申の上は天盤の亥・子・丑・寅。地盤の酉・戌の上は卯・辰。地盤の亥・子・丑・寅の上は巳・午・未・申。地盤の卯・辰の上は酉・戌。乗ずる天将:亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せ、丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅)の上に申を見、青竜を乗ずる。第二課、申の上に寅を見、天后を乗ずる。第三課、日支の申の上に寅を見、天后を乗ずる。第四課、寅の上に申を見、青竜を乗ずる。三伝は寅—申—寅:初伝と末伝の寅は庚を遁して兄弟で天后を乗せ、中伝の申は甲を遁して官鬼で青竜を乗せる。
郭御青曰:餘為陳留馬君惕中諱孔健占會場,初嫌其返吟,德祿受克,未敢深許。其胞弟本命在未,行年在申,貴人驛馬並值似勝於惕中。及榜放,獨惕中及第。後詳課情三傳,俱孟吉,應長者何須簾幕貴人也?
郭御青が言う:私は陳留の馬惕中(名は孔健)のために会試を占った。初めはこの課が返吟であり、徳神・禄神がまた克を受けることを嫌って、彼に必ず中るとは請け合えなかった。彼の実弟は本命が未にあり、行年が申にあり、貴人と駅馬がいっしょに値したので、見たところ惕中に勝るようであった。放榜に至ると、ただ惕中だけが考中した。事後に課情を細かく見れば、三伝の寅・申・寅はいずれも四孟の位に居て吉に属し、もともと年長の一人に応ずべきものであった。どうして必ず帘幕貴人がなければならなかったか。
愚按:登科者,祿馬扶會。此課祿馬如此,且乘天后恩澤之神,青龍吉將相併,安得不中?獨無奈其相沖也,凡相沖者必須合。惕君之命在午,午與寅三合;午上見子,子與申三合。是以中也。若其弟命上見丑,行年上見寅,皆不會合,雖為貴人驛馬,何益之有?郭君以惕中命上子為本日福星,作騰蛇而臨午,為飛空進用卦爻應題,不必多求,此郭君事後之言,似是而非。餘故刪之。又吾郡吳稼雲先生曰:此返吟課幫年命吉者而不中,而中者反作年命不吉者也。此論太奇,附之。
程樹勲が按ずる:登科の課は、いつも禄神・駅馬が会合扶助することを要する。この課の禄馬はまさにそうであり、また天后という恩沢の神を乗せ、青竜という吉将が並び列する。どうして中らないことがあろうか。惜しまれるのはただ寅申の相冲だけである。およそ相冲するものは、必ず別に相合があって解く。惕中の本命は午にあり、午は寅と三合する。午の上に子を見、子はまた申と三合するので、彼が中ったのである。彼の弟に至っては、本命の上に丑を見、行年の上に寅を見て、いずれも会合を成さない。貴人・駅馬があるとしても、また何の用があろうか。郭君はまた惕中の本命の上の子が本日の福星で、螣蛇を乗せて午に臨むのは「飛空進用」で、卦爻が題に応じるので、多くを求める必要はないと言う——これは郭君の事後の附会の詞で、似て是ならずなので、私はそれを删めた。また、わが郡の呉稼雲先生が言うには:この返吟課は、年命が吉なのにかえって中らず、中ったのはかえって年命が不吉な者である。この論はあまりに奇なので、姑くここに附記する。
甲申日・王知県が身位を占う
戊申年五月甲申日申將丑時王知縣己未生(生於二月九日午時)五十歲占身位 方本占案
戊申年五月の甲申日、申将を丑時に加え、王知県(己未年生まれ、二月初九日午時に生まれる、五十歳)が自分の身位官運を占った。方氏本『占案』に出る。
空虎 龍子丑寅卯常 陳亥 辰玄 六常玄朱 財 丙戌 六 六戌 巳陰 戌卯辰酉 子 癸巳 陰 朱酉申未午后 卯申酉甲 父 戊子 龍 蛇貴
天盤は地盤より順に七位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を承け、乗ずる天将は順に青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に酉を見、朱雀を乗ずる。第二課、酉の上に辰を見、玄武を乗ずる。第三課、日支の申の上に卯を見、太常を乗ずる。第四課、卯の上に戌を見、六合を乗ずる。三伝は戌—巳—子:初伝の戌は丙を遁して妻財、六合を乗せ、中伝の巳は癸を遁して子孫、太陰を乗せ、末伝の子は戊を遁して父母、青竜を乗せる。
邵彥和曰:日上破碎作鬼克身,主與陰人具訟,官但不明。來年八月,事起必相擾。干支羅網,不可受財,定被貶謫。更老陰人,因有一子不成器。用度不足,心常怏怏,但難開口。四月十一日,必進人口。來年己酉太歲,防謫為曹屬也。庚戌則大數莫逃矣。
邵彦和が言う:日干の上神は「破碎」を帯びて官鬼を作して身を克する。婦人と官司をすることと、官位も含糊として明らかでないことを主る。明年の八月に至って事が発作し、必ず牽擾を受ける。日干・日支はいずれも天羅地網の中に陥っており、財物を収受してはならない。さもなければ必ず貶謫される。また別に年老いた婦人がいて、成器しない一人の息子のために用度が足りず、心の中は常に怏怏として楽しまず、しかも口に出しがたい。四月十一日に、家中に必ず人口を添える。明年の己酉太歳には、曹司の属官に貶められることを防がねばならない。庚戌年に至っては、すなわち大限で逃れられない。
王知縣次年受鄉紳徐知府長子錢五百緡,被知府恭人所揭,王被責勘。蓋徐長子為義子,與次子爭分家財。次子,徐親生子也。王受賄,判與長子,故至此。庚戌在任,不得意而終。
王知県は第二年に郷紳の徐知府の長男の五百緡の銭を収受し、徐知府の夫人に告発され、これによって追究訊問された。もともと徐家の長男は養子で、次男と家財を分け争い、次男こそ徐知府の実子であった。王知県は賄を受けて家財を長男に判じ与えたので、この地歩に落ちた。庚戌年に至って彼はなお任にあり、鬱鬱として志を得ずして死んだ。
蓋陽曰:酉為陰官作雀,故本身有訟,官位不明。酉為兌,兌為澤,故因恩澤受財。初傳在日之前,甲克戌為財,卯與之合,又得六合,是暗受財。被追擾者,干支羅網不可脫也。己酉遭謫,是酉克甲也。酉加寅上,故曰曹屬。庚戌年死者,己加戌,用申未旬末,故閉口不能言也。庚戌行年在巳,本宮為子所克,巳又加戌入墓,故閉口而銕也。
蓋陽が解説して言う:酉は陰金の官で朱雀を乗せ、朱雀は口舌文書を主るので、本人に官司があり、官位が明らかでない。酉は八卦において兌に属し、兌は沢である。だから「恩沢」によって金銭を収受したのである。初伝の戌は日辰の前にあり、甲木が戌を克して財とし、卯は戌と相合し、また六合を乗せるのは、まさに暗に財を受ける象である。追究纏擾されたのは、日干・日支が羅網の中に陥って脱け出せないからである。己酉年に貶謫に遭ったのは、酉金が甲木を克するからである。酉が寅(甲の寄宮)の上に加わるので、曹司の属官に貶めると言った。庚戌年に死んだのは、己土が戌の上に加わり、用神が申・未の旬末の空亡の地に落ちたので、閉口してものが言えなくなったからである。庚戌年に彼の行年は巳にあり、本宮は子水に克され、巳はまた戌の上に加わって墓に入ったので、閉口して亡くなった(底本は「銕」作、当に「斃」の字の訛であろう)。
又云:一老陰人,因子用度不足,心中常怏怏者,用王知縣有弟不才而窘,母深憐惜,王不垂顧,母常怏怏。蓋巳為閉口乘太陰,故老陰人怏怏不言也。巳下人者,甲以巳為子弟也。
また言う:いわゆる「一人の老婦人が息子の用度不足のために心中怏怏」とは、王知県に成材せず窘迫した弟があり、母が彼をいたく憐れんだが、王知県は肯んじて照顧せず、母がこれによって常に怏怏として楽しまなかったことに応ずる。これは巳が「閉口」の神で太陰を乗せ、太陰は老年の婦人を主るので、老婦人が怏怏として声を出さないことに応ずる。巳の下の主する人は、甲木がその生ずる巳をもって子弟の義と取るのである。
乙酉日
乙酉日・馮爾忠が六甲を占う
崇正丁丑年四月乙酉日乙酉時,嘉興馮爾忠占六甲,重審、斬關、伏吟,午未空、午未落空。指南
崇禎丁丑年四月の乙酉日乙酉時、嘉興の馮爾忠が「六甲」、すなわち懐孕生産の事を占った。課体は重審・斬関・伏吟である。甲申旬には午・未が旬空で、占時の午・未の两位も空に落ちる。『六壬指南』に出る。
朱蛇 六巳午未申貴 后后勾勾 財 壬辰 勾 勾辰 酉后 酉酉辰辰 鬼 乙酉 后 青卯 戌陰 酉酉辰乙 兄 辛卯 青 空寅丑子亥玄 虎常
この盤は天盤と地盤が同位で、「伏吟」課である:地盤の巳の上は依然天盤の巳、午の上は午、未の上は未、申の上は申で、以下十二位は一つも移動しない。乗ずる天将:巳は六合を乗せ、午は朱雀を乗せ、未は螣蛇を乗せ、申は貴人を乗せ、酉は天后を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は玄武を乗せ、子は太常を乗せ、丑は白虎を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は青竜を乗せ、辰は勾陳を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰)の上に辰を見、勾陳を乗ずる。第二課、辰の上に辰を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の酉の上に酉を見、天后を乗ずる。第四課、酉の上に酉を見、天后を乗ずる。三伝は辰—酉—卯:初伝の辰は壬を遁して妻財、勾陳を乗せ、中伝の酉は乙を遁して官鬼、天后を乗せ、末伝の卯は辛を遁して兄弟、青竜を乗せる。
陳公獻曰:產必雙胎,一男一女,然男必生,女必死。何也?酉為日之胎鬼死氣,偏房婢室之孕不言矣。但末傳卯作支之胎神生氣,中傳酉兌為少陰,末傳卯震為長男;其男子生者,胎財生氣也;女子死者,作死氣日鬼也。
陳公献が言う:この胎は必ず双生で、一男一女である。ただ男の児は養いおさめられるが、女の児は夭折する。なぜか。酉は乙日の胎神で、また官鬼であり、また死気に属し、偏房婢妾の懐孕の象である。この層は多くを言う必要はない。末伝の卯は日支の胎神で生気に属する。中伝の酉は八卦において兌で少女、末伝の卯は八卦において震で長男である。男の児が生まれて来られるのは、末伝の胎神が生気を乗せるからである。女の児が夭死するのは、中伝が死気に日鬼を兼ねるからである。
乙酉日・祝秀才が訟を占う
建炎己酉年閏八月乙酉日辰將卯時祝秀才壬辰生三十八歲占訟 方本占案 張本占案
建炎己酉年閏八月の乙酉日、辰将を卯時に加え、祝秀才(壬辰年生まれ、三十八歳)が官司を占った。方氏本『占案』と張氏本『占案』に出る。
虎常 空午未申酉玄 龍巳 戌陰 后陰空龍 父 丁亥 后 陳辰 亥后 亥戌午巳 父 戊子 貴 六卯寅丑子貴 戌酉巳乙 財 己丑 蛇 朱蛇
天盤は地盤より順に一位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳を承け、乗ずる天将は順に天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜。四課は右から左へ:第一課、乙(寄宮は辰)の上に巳を見、青竜を乗ずる。第二課、巳の上に午を見、天空を乗ずる。第三課、日支の酉の上に戌を見、太陰を乗ずる。第四課、戌の上に亥を見、天后を乗ずる。三伝は亥—子—丑:初伝の亥は丁を遁して父母、天后を乗せ、中伝の子は戊を遁して父母、貴人を乗せ、末伝の丑は己を遁して妻財、螣蛇を乗せる。亥・子・丑が魚貫して相連なるのは「連茹課」である。
邵彥和曰:主子偷物,出外賣之,陰人乘勢爭財,少女從而應之,迤裡閒氣成訟。蓋因連茹課,故遂連綿起事,卻幸我之行年自前截住,終為我所遏。何也?自酉支上見戌,連接戌亥子丑,卯為行年,加寅截住,此名挫鋒,眾議俱解,但前進俱解,畏怕則被攻不止矣。祝有子將公眾之物偷賣,其嫂與其弟之女說之,遂經官具訟。祝秀才凂公人陳姓者調停,其事遂息。
邵彦和が言う:家中の息子が物を盗んで外に持ち出して売り、婦人が勢に乗じて来てこの財を争い、また少女が傍から附和して、牽牽連連と閑気を鬧らせて官司となったことを主る。「連茹」課なので、事が一件また一件と接する。幸いに占者の行年が前でそれを截き留め、終に我が方が遏止する。何によってこのように言うか。日支の酉の上に戌を見ることから起って、戌・亥・子・丑と一路に相接する。行年の卯が寅の上に加わり、ちょうど截断するのを「挫鋒」といい、衆人が一議論すればみな化解する。ただ前へ一歩出て始めて解ける。もし畏怯の心を存すれば、攻訐されて已まない。後に祝秀才は果たして一人の息子が公衆の物を盗んで売り、彼の嫂と弟の娘が中でせん動し、そこで官府に告げた。祝秀才は陳姓の一人の公差に頼んで間に立って調停させ、事はやっと平息した。
乙酉日・出師を占う(南都の帰順)
順治乙酉年五月乙酉日申將辰時占出師 指南
順治乙酉年五月の乙酉日、申将を辰時に加え、出師用兵を占った。『六壬指南』に出る。
朱蛇 六酉戌亥子貴 虎后貴勾 官 甲申 勾 勾申 丑后 巳丑子申 父 戊子 貴 龍未 寅陰 丑酉申乙 財 壬辰 常 空午巳辰卯玄 虎常
天盤は地盤より順に四位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申を承け、乗ずる天将は順に六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳。四課は右から左へ:第一課、乙(寄宮は辰)の上に申を見、勾陳を乗ずる。第二課、申の上に子を見、貴人を乗ずる。第三課、日支の酉の上に丑を見、天后を乗ずる。第四課、丑の上に巳を見、白虎を乗ずる。三伝は申—子—辰:初伝の申は甲を遁して官鬼、勾陳を乗せ、中伝の子は戊を遁して父母、貴人を乗せ、末伝の辰は壬を遁して妻財、太常を乗せる。申子辰の三合水局、すなわちいわゆる「潤下」である。
陳公獻曰:乙酉五月初四日,予避難福緣庵同盟副帥予避難於福終庵,同盟副師楊九苞督舟師隨徵時,修書差官相召同事,予因幼兒隨身固辭,乃占一課寄之,元首、九丑、潤下,午未空、戌亥落空。南都定然歸順,放心前行,但防東南有兵變之虞。蓋因末傳旺相,財爻生合初傳官貴,且結水局生日,又合中無煞,是為主者必歸順而貢降也。且干支休囚,則旺氣在內,其城不可拔,亦無屠戮之慘,辰陰見太乙白虎建旺合克酉支,因而提防東南兵變也。後果如所占。
陳公献が言う:乙酉年五月初四日、私は福縁庵に難を避けていた(底本はこの句を重出し、また「予避難于福終庵」と作す。伝写の重複である)。同盟の副帥・楊九苞が水師を統率して軍に従って出征し、信を書して官員を派して招き、私に同行して事を共にせよと言った。私は身辺に幼児を帯びているため、固く辞して行かず、一課を占って彼に寄せた。課体は元首・九丑・潤下で、旬空は午・未にあり、占時の戌・亥は空に落ちる。断語に言う:南京は必ず帰順する。放心して前行するがよい。ただ東南に兵変の憂いがあることを防げ。このように断じたのは、末伝の辰が旺相に当たり、財爻が初伝の官鬼貴神を生合し、三伝はまた水局を結んで日干を生じ、会合の中に凶煞がないので、事を主る一方が必ず帰順納降するからである。さらに日干・日支はいずれも休囚で、旺気はかえって城内にあり、その城は強攻すべきでないが、屠戮の惨事もない。辰の上の陰神に太乙・白虎を見て建旺し日支の酉を合克するので、東南方の兵変を防がねばならない。後に果たして占の通りであった。
乙酉日・逃げた子が何方にいるかを占う
庚寅四月乙酉辛巳時,彎子街二人來占子逃看何方找尋、何日得見,元首、九丑、潤下。指南
庚寅年四月乙酉日辛巳時、弯子街の二人の人が来て、息子が逃げ去ったので、どの方向に尋ねに行けばよいか、いつの日に見えるかを占った。課体は元首・九丑・潤下である。『六壬指南』に出る。
朱蛇 六酉戌亥子貴 虎后貴勾 官 甲申 勾 勾申 丑后 巳丑子申 父 戊子 貴 龍未 寅陰 丑酉申乙 財 壬辰 常 空午巳辰卯玄 虎常
課盤は前の案と同じ:天盤は順に四位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申を承け、天将は順に六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳。四課は乙の上に申(勾陳)、申の上に子(貴人)、日支の酉の上に丑(天后)、丑の上に巳(白虎)。三伝は申(官鬼、勾陳)—子(父母、貴人)—辰(妻財、太常)で、申子辰の水局を合成する。
陳公獻曰:此子逃於西南四十八里親戚之家,其家近水樓房,門前有羊二隻,柳數株,爾子與金山僧往來,尋之丙丁日可見。蓋申為金,加辰為山又水局圍繞,豈非金山乎?玄卯居亥即近水樓房,亥支居未,上下相乘,即西南四十八里;玄陰未加卯,門內有鬼柳二宿,故言門前有羊有柳。後四日,其子方自金山回,於所云處見之。
陳公献が言う:この子は西南方の四十八里外の親戚の家に逃げた。その家は水に臨み、一座の楼房で、門前に二匹の羊と数株の柳の木がある。あなたの息子は金山寺の和尚と往来がある。丙日・丁日に尋ねに行けば見ることができる。このように断じた道理は:申は金に属し、辰の上に加わり、辰は山で、また水局に囲まれている。これが「金山」でなくて何であろう。玄武は卯を乗せて亥位に居り、亥は水なので、水に臨む楼房である。亥の本支は未の上に落ち、上下が相乗し、未は西南にあり、その数は四十八に合するので、西南四十八里と言った。玄武・太陰のいる未は卯に加わり、二十八宿の中に鬼宿(羊を主る)と柳宿があるので、門前に羊と柳があると言った。四日後に、彼の息子はやっと金山から帰り、まさに言ったあの場所で彼を見つけた。
乙酉日・馮修職が家宅を占う(婢が死に連喪)
建炎戊申年五月乙酉日申將卯時馮修職己卯生(八月十八日辰時)占家宅 方本占案
建炎戊申年五月の乙酉日、申将を卯時に加え、馮修職(己卯年生まれ、八月十八日辰時に生まれる)が家宅を占った。方氏本『占案』に出る。
蛇貴 朱戌亥子丑后 青陰陰六 財 乙未 龍 六酉 寅陰 未寅寅酉 印 戊子 貴 勾申 卯玄 寅酉酉乙 子 癸巳 虎 龍未午巳辰常 空虎
天盤は地盤より順に五位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、乗ずる天将は順に朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合。四課は右から左へ:第一課、乙(寄宮は辰)の上に酉を見、六合を乗ずる。第二課、酉の上に寅を見、太陰を乗ずる。第三課、日支の酉の上に寅を見、太陰を乗ずる。第四課、寅の上に未を見、青竜を乗ずる。三伝は未—子—巳:初伝の未は乙を遁して妻財、青竜を乗せ、中伝の子は戊を遁して印綬(すなわち父母)、貴人を乗せ、末伝の巳は癸を遁して子孫、白虎を乗せる。
邵彥和曰:此課支來加干,名上門亂首,又用神當囚死,斗罡擊日,本課名天獄,不有大服則有大禍。支神犯日,酉為婢妾,恐婢妾死亡為累,初中兩傳,貴人六害,行年又在其上,乙日以子為父母,主先遷橫擾,次值凶喪,又防失火。
邵彦和が言う:この課は日支が日干の上に加わるのを「上門乱首」といい、用神はまた囚死の地に当たり、斗罡(辰)が日辰を衝撃し、課の名は「天獄」である。重喪でなければ大禍である。日支の神が日干を衝犯し、酉はまた婢妾を主る。おそらく婢妾の死亡によって累を受けるであろう。初伝・中伝の上は貴人とそれが六害し、行年はまたちょうどその上に落ちる。乙日は子水をもって父母とするので、まず横から来る騒擾があり、続いて凶喪に遇い、さらに火災を防がねばならない。
時為主簿,五月初二日占課,六月十七日婢子爭寵,因責之,遂自縊。縣尉與主簿不足,依法看驗申州,被拘在能仁寺;將近一月,母亡,遂得丁憂而去;又兩月,母之妹又歿,此乃媽之姨母,供養在家者也,未葬而廚下火發,延燒將及堂而滅。蓋支辰犯日,乃下犯上也。酉為婢,六合為人口。五月火鬼在酉,故婢橫死。酉金克乙木,故為所累。貴人六害,所以被拘。又未為眷屬,上見子為父母,即受土克又受未害,行年加之重克重害,所以母亡。五月以巳為月病符,作末傳乘虎加母之本宮歸喪於家也。大凡火鬼克人,不是一個可當,六合為棺木,卯神亦是,所以一年之內連見三人歿也。
馮修職は当時主簿を任じており、五月初二日に課を占った。六月十七日に至って、婢女が寵を争って責打され、そこで縊りて死んだ。県尉と主簿はもとより不睦で、法に依って検尸して州に申報し、馮は能仁寺に拘えられた。ほぼ一ヶ月、母が世を去り、そこで丁憂して任を離れた。また二ヶ月過ぎて、母の妹も死んだ——それは彼の母の姨母で、いつも家中に供養していた。まだ葬らないうちに、厨房が火を失い、火勢が蔓延し、まさに正堂に燒き及ばんとして熄んだ。このように断じた所以は:日支が日干を衝犯するのは、下が上を犯すことである。酉は婢女を主り、六合は人口を主る。五月の火鬼は酉の上に落ちるので、婢女が横死した。酉金が乙木を克するので、牽累を受けた。貴人とそれが六害するので、拘押された。さらに未は眷属で、未の上に子を見て父母とする。子はすでに土に克され、また未に害され、行年が加臨するのは、重克重害なので、母が亡故した。五月は巳をもって月病符とし、巳は末伝を作して白虎を乗せ、母の本宮の上に加わるので、喪事は家に帰った。およそ火鬼は人を克すれば一つのみを克さない。六合は棺木で、卯神もまた棺木の象なので、一年の内に続けて三人の人が死んだのである。
乙酉日・史某が僧を謁して見えるかを占う
五月乙酉日酉將辰時史某占謁僧見否。 方本占案
五月の乙酉日、酉将を辰時に加え、史某が一人の僧を訪ねて見えるかどうかを占った。方氏本『占案』に出る。
蛇貴 朱戌亥子丑后 青陰陰六 財 乙未 龍 六酉 寅陰 未寅寅酉 印 戊子 貴 勾申 卯玄 寅酉酉乙 子 癸巳 虎 龍未午巳辰常 空虎
課盤は前の案と同じ:天盤は順に五位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、天将は順に朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合。四課は乙(寄宮は辰)の上に酉を見て六合を乗せ、酉の上に寅を見て太陰を乗せ、日支の酉の上に寅を見て太陰を乗せ、寅の上に未を見て青竜を乗せる。三伝は未(妻財、青竜)—子(印綬、貴人)—巳(子孫、白虎)。
邵彥和曰:和尚出門撞見,要回寺,又有一貴人來訪,僧設款待。吾兄不得豫也。史某至寺門相見,待欲留茶,俄有侍□來,僧便設席,史不豫宴而回。蓋發用空亡,傳入貴人,為日三合,故有貴人來。未為酒食,原為此貴設也。酉來合乙,得合,故主寺門相見。酉為酒,剋日,未為酒、龍為宴,又作空亡,雖有酒宴,我不得豫也。
邵彦和が言う:あの和尚は出門する時に撞見し、まさに寺に帰るところである。また一人の貴人が来訪し、僧は席を設けて款宴しようとするが、あなた老兄は入席に輪が来ない。後に史某は寺門に至ってちょうど僧に遇い、僧は彼を留めて茶を飲ませようとしたが、忽然と一人の侍□(底本はここで一字欠く)が到着し、僧はすなわち酒席を設えた。史某は入席できないまま帰った。このように断じた道理は:発用する未は空亡に落ち、三伝の中にまた貴人があり、日干と三合するので、貴人が来る。未は酒食を主り、もともとこの貴人のために設けるのである。酉は来て乙と相合し、すでに相合を得たので、寺門で相見えることを主る。酉は酒で日干を克し、未は酒食・青竜は宴会で、偏にまた空亡に落ちるので、酒宴はあるが、私は席に与らないのである。
乙酉日・程翔雲が雪中で感じて年成を占う
辛巳正月乙酉癸未時,程翔雲在新安,見雪寒極甚,途中凍餒甚多,因有感而占。指南
辛巳年正月乙酉日癸未時、程翔雲は新安におり、天が寒く大雪で、路上に凍餓する人が多いのを見て、これに感じて一課を起こした。『六壬指南』に出る。
蛇貴 朱戌亥子丑后 青陰陰六 財 乙未 龍 六酉 寅陰 未寅寅酉 印 戊子 貴 勾申 卯玄 寅酉酉乙 子 癸巳 虎 龍未午巳辰常 空虎
課盤は前の二案と同じ。天盤は地盤より順に五位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子、丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午、未・申・酉を承け、乗ずる天将は順に朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合。四課:乙(寄宮は辰)の上に酉を見て六合を乗せ、酉の上に寅を見て太陰を乗せ、日支の酉の上に寅を見て太陰を乗せ、寅の上に未を見て青竜を乗せる。三伝は未(妻財、青竜)—子(印綬、貴人)—巳(子孫、白虎)。
陳公獻曰:今歲天氣亢旱,風大雨少,田禾欠熟,且有疫癘死亡之患。蓋因初中風伯會箕,神后空陷,末傳虎乘遁鬼。又因未為田園,自四課發用,即田莊交界,子屬稻穀亦空,故知田禾欠熟,又天鬼支來克干,此為上門亂首,種種凶象,而況劫煞入辰,三傳遞克,全無和氣,凶荒之征也。後果如占。
陳公献が言う:今年は天気が亢旱で、風は大きく雨は少なく、庄稼の収成は良くなく、さらに瘟疫死亡の患がある。初伝・中伝の上に風伯の神と風を主る箕宿が相会し、神后(子)はまた空陥に落ち、末伝は白虎を乗せて遁により鬼爻を得るからである。さらに未は田園を主り、第四課から発用するのは、まさに田庄の交界の象である。子は稲穀に属して空亡に落ちるので、田禾が欠收であることを知る。加えて天鬼が日支から来て日干を克するのは「上門乱首」である。種種の凶象、まして劫煞が辰位に入り、三伝は層層相克して、全く和気がない。これはまさに凶年飢饉の兆である。後に果たして占の通りであった。
乙酉日・呉振纓が獄に繋がれて赦を占う
丙子二月乙酉日辛巳時,淮陽巡撫諱振纓浙湖吳公祖,因賊焚鳳靈被逮,刑部已定重闢索占,涉害、天獄,午未空、亥子落空。 指南
丙子年二月乙酉日辛巳時、淮陽巡撫・浙江湖州の人・呉振纓公が、流寇が鳳陽の皇陵を焚毁したことで逮問され、刑部はすでに死罪を定めたので、人を託して占を求めた。課体は渉害・天獄で、旬空は午・未にあり、占時の亥・子は空に落ちる。『六壬指南』に出る。
蛇貴 朱戌亥子丑后 青陰陰六 財 乙未 龍 六酉 寅陰 未寅寅酉 印 戊子 貴 勾申 卯玄 寅酉酉乙 子 癸巳 虎 龍未午巳辰常 空虎
課盤はなお前の案と同じ:天盤は順に五位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午、未、申、酉を承け、天将は順に朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合。四課は乙の上に酉を見て六合を乗せ、酉の上に寅を見て太陰を乗せ、日支の酉の上に寅を見て太陰を乗せ、寅の上に未を見て青竜を乗せる。三伝は未(妻財、青竜)—子(印綬、貴人)—巳(子孫、白虎)。
陳公獻曰:目今必遇赦,在六月便有出獄之徵。蓋因皇恩臨干,天赦居支,又中傳太歲作貴人生日,罪雖至重,亦能轉凶為吉。但嫌戌臨孟位,又為本命,謫戍未能免。後曹大司禮奉命熱審,開豁謫戍。
陳公献が言う:目下必ず赦に遇い、六月に至れば出獄の兆がある。皇恩の神が日干の上に臨み、天赦の神が日支に居るからである。中伝の子はまた当年の太歳で、貴人を乗せて来て日干を生ずる。罪名は重いとしても、凶を転じて吉とすることができる。嫌われるのは戌が孟位に臨み、戌はまたちょうど彼の本命であることで、充軍戍辺のこの層は免れられない。後に曹大司礼が命を奉じて熱審を主持し、彼を開釈減等して、謫戍に改めた。
乙酉日・劉二兄が風水の吉凶を占う
庚寅五月乙酉日戊寅時,庠友劉二兄占風水吉凶,亂首涉害、不備,午未空、亥子落空。指南
庚寅年五月乙酉日戊寅時、同窓の劉二兄が墳地風水の吉凶を占った。課体は乱首・渉害・不備で、旬空は午・未にあり、占時の亥・子は空に落ちる。『六壬指南』に出る。
蛇貴 朱戌亥子丑后 青陰陰六 財 乙未 龍 六酉 寅陰 未寅寅酉 印 戊子 貴 勾申 卯玄 寅酉酉乙 子 癸巳 虎 龍未午巳辰常 空虎
課盤は前の案と同じ:天盤は順に五位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、天将は順に朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合。四課は乙の上に酉(六合)、酉の上に寅(太陰)、日支の酉の上に寅(太陰)、寅の上に未(青竜)。三伝は未(妻財、青竜)—子(印綬、貴人)—巳(子孫、白虎)。このあと風水を断ずるのは、すなわちこの盤の神将の上に象を取るのである。
斷曰:此風水在西山,無真龍正穴。然不備之中亦有好處。何以論之?玄武為風水,臨卯加戌是西北山崗也。未為夾龍,雖空乘進氣。蛇為穴,加亥落空,喜乘旬丁長生,主穴活潑有情。然美中不足,亦有可取:喜貴人左旋,逆水之局。四課下寅之對沖為對案、是申,理合艮山坤向,兼丑未分金也。勾陳主明堂,陰陽二將見財官幕貴;朱雀河魁建丙臨巳,是對案山出文明富貴,利於中房也。
断語に言う:この風水は西山にあり、真竜正穴はない。ただ「不備」の中にもおのずから良いところがある。何によってこのように言うか。玄武は風水を主り、玄武は卯に臨んで戌の上に加わるのは、西北方の山岡である。未は夾竜の神で、空亡に落ちるけれども進気を乗せている。螣蛇は穴で、亥の上に加わって空に落ちるが、本旬に遁により得た丁神を乗せてまた長生に居るのが良く、穴場が活潑で情があることを主る。美中不足とはいえ、なお取るべきところがある:喜ぶべきは貴人が左旋して、逆水の局を成すことである。第四課の下神は寅、その対沖は申で、まさに艮山坤向・丑未分金を兼ねることに合う。勾陳は明堂を主り、陰神・陽神の両将の上に財爻・官爻と帘幕貴人を見る。朱雀の乗ずる河魁(戌)は丙干を遁して巳位に臨むのは、向かいの案山の上に文明富貴を出して、中房に利がある。
但嫌子爻空戰,定艱於子息。酉為日之胎神,陰見寅木生巳火子爻,辰年十一月酉日主婢妾有妊,連生兩兒。因巳為雙義故也。但玄武(卯)建辛,主墳邊小路克比肩,與兄弟宮有礙;況龍虎空戰,長季房分人財不旺。後陰為水口,蛇作羅城,喜與緊關包固,但初中兩傳財貴逢空,一二代虛利虛名。末傳子爻為支之長生學堂,陰神河魁乃文明之宿,三代中房長房子孫,必出青衿科甲之貴。又兼武權之職,存此一案,以俟後學依而斷之。
嫌われるのは子爻が空亡して克を受けることで、子嗣の上に必ず艱難がある。酉は乙日の胎神で、その陰神は寅木が巳火の子孫爻を生ずるのを見るので、辰年十一月の酉日には婢妾の懐孕を主り、続けて二人の息子を生む——巳には成双の義があるからである。ただし玄武(卯位にあり)は辛干を遁し、墳の辺に小路があって比肩を克傷し、兄弟の宮に妨げがあることを主る。まして青竜・白虎はいずれも空に落ちて克を受け、長房・幼房の人丁財帛はいずれも旺でない。天后・太陰の位は水口で、螣蛇が羅城を作し、その関拦包裹が緊固なのを喜ぶ。ただ初伝・中伝の財爻と貴神がいずれも空に逢い、頭の一二代は虚利虚名に過ぎない。末伝の子爻は日支の長生で、また学堂である。その陰神の河魁(戌)は文明を主る星宿なので、第三代の中に中房・長房の子孫は必ず秀才ならびに科甲の貴を出し、さらに武職の権柄を兼ねる。この案を留めて、後学がこれに照らして推し断するのを待つ。
丙戌日
丙戌日・陸庠友が試験を占いあわせて三事を問う
壬子五月丙戌日己丑時,予住淮安都府前,有江陰六壬袁友,為宿遷陸庠友諱奪翼者占考試。 指南
壬子年五月丙戌日己丑時、私は淮安都督府の前に住んでおり、江陰の六壬に精しい袁姓の一人の友人がいて、宿遷の陸庠友(名は奪翼)のために試験を占った。『六壬指南』に出る。
朱六 蛇子丑寅卯勾 蛇空常蛇 鬼 戊子 蛇 貴亥 辰龍 子巳未子 兄 乙未 常 后戌 巳空 巳戌子丙 父 庚寅 六 陰酉申未午虎 玄常
天盤は地盤より順に七位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人。四課は右から左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳)の上に子を見、螣蛇を乗ずる。第二課、子の上に未を見、太常を乗ずる。第三課、日支の戌の上に巳を見、天空を乗ずる。第四課、巳の上に子を見、螣蛇を乗ずる。三伝は子—未—寅:初伝の子は戊を遁して官鬼、螣蛇を乗せ、中伝の未は太常を乗せ、底本の六親は「兄」と標すが、按ずるに丙日は未土をもって子孫とし、しかも未は甲申旬の中にもともと旬空に属し、遁干「乙」も出るところがない。末伝の寅は庚を遁して父母、六合を乗せる。
斷曰:院試必取,科舉省試未能遂志。問曰:史撫臺已升鳳督去否?余曰:必不能去。蓋因驛馬坐墓(寅為馬臨未),干神歸支(不惟歸支,且為支所墓,為在家不動之象),靜象也。
断語に言う:院試は必ず録取される。郷試・会試のこの層に至ってはまだ心に称わない。その人はまた問うた:史撫台はすでに鳳陽総督に昇任して行ったか。私は言った:必ず行けない。駅馬が墓の上に坐しているからである(寅は駅馬だが、未の上に臨んでいる)。日干の神はまた日支に帰る(支に帰るだけでなく、日支に墓せられ、まさに家に居て動かない象)。これは安静で移らない象である。
又問女病,余曰:胎鬼發用,血忌加支(血忌者,正月丑二未三寅四申五卯六酉,五月應在卯;血支者正月自丑順行,五月在巳,此血忌乃血支之誤也。),又四課不備,病主脈息虛弱,心胸不利,以致失血,必因胎產所致,冬月不保。
また一人の女子の病を問うた。私は言った:胎神と官鬼がいっしょに発用し、血忌の神が日支の上に加わる(原注:血忌は、正月は丑・二月は未・三月は寅・四月は申・五月は卯・六月は酉にあり、五月は当に卯にあるべき。血支はすなわち正月から丑に起り順行し、五月は巳にある。ここで言う血忌は実は血支の誤りである)。加えて四課不備で、病象は脈息が虚弱で心胸が暢やかでなく、ついには失血し、必ず懐孕生産によって引き起こされたもので、冬月に至っては保たない。
又問:宿遷邊合戰,安堵否?余曰:賊符加干支,冬月必有兵警,然日之陰陽自戰,中傳制初,來兵敗怯而退。干神生支,居守保固,無破城之患(此又不以日祿臨支徒妄作論)。後四事皆驗。
また問うた:宿遷一帯に兵が交わり、地方は安寧であることができるか。私は言った:賊符が日干・日支の上に加わり、冬月に必ず兵警がある。ただ日干の陰神・陽神がおのずから相交戦し、中伝はまた初伝を制伏するので、来犯の兵は畏怯して敗退する。日干の神は日支を生じ、拠守が穏固で城破の患はないことを主る(ここでもまた日禄が支に臨むというだけで妄りに断語を下さない)。後にこの四つの事はいずれも応験した。
丙戌日・姚昌祚の叔姪が会試を占う
崇正丁丑年二月十六再三日亥將辰時臨晉姚君昌祚暨□姪在朝占會試。郭氏占案
崇禎丁丑年二月十六日(底本は「二月十六再三日」と作し、文に訛脱がある)、亥将を辰時に加え、臨晋の姚昌祚君と彼の甥(底本はここで一字欠く。姪の名は「在朝」)がともに会試を占った。郭御青『占案』に出る。
朱六 蛇子丑寅卯勾 蛇空常蛇 鬼 戊子 蛇 貴亥 辰龍 子巳未子 兄 乙未 常 后戌 巳空 巳戌子丙 父 庚寅 六 陰酉申未午虎 玄常
課盤は前の案と同じ:天盤は順に七位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未、申、酉、戌、亥を承け、天将は順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人。四課は丙(寄宮は巳)の上に子を見て螣蛇を乗せ、子の上に未を見て太常を乗せ、日支の戌の上に巳を見て天空を乗せ、巳の上に子を見て螣蛇を乗せる。三伝は子(官鬼、螣蛇)—未(底本は「兄」と標すが、按ずるに丙日は実に子孫で、太常を乗せ、しかも旬空に落ちる)—寅(父母、六合)。
郭御青曰:此課兩人占,中末空為兩空矣。末克中,中克初,初克干又乘騰蛇,課名殃咎。大姚君命上乘貴人,入墓克雀不美。行年乘白虎作刃。小姚君命在未,但學堂入墓,皆不敢許。放榜果不中。
郭御青が言う:この課は二人が合わせて占ったので、中伝・末伝がいずれも空に落ち、すなわち両重の空となる。末伝は中伝を克し、中伝は初伝を克し、初伝はまた日干を克して螣蛇を乗せる。課の名は「殃咎」である。大姚君の本命の上は貴人を乗せるが、墓に入りまた朱雀を克し、好い象ではない。行年の上は白虎を乗せて羊刃を作る。小姚君の本命は未にあり、学堂はまた墓に入る。二人とも敢えて中ると請け合えなかった。放榜の後、果たしていずれも考中しなかった。
丙戌日・王四官が差遣を占う
建炎己酉年閏八月丙戌日辰將酉時王四官戊寅年生三十歲占差遣。 一針見血
建炎己酉年閏八月の丙戌日、辰将を酉時に加え、王四官(戊寅年生まれ、三十歳)が差遣を求め謀ることを占った。『六壬一針見血』に出る。
合勾龍空 子丑寅卯 合常陰合 鬼 戊子 合 朱亥 辰虎 子巳未子 子 ◎未 陰 蛇戌 巳常 巳戌子丙 父 庚寅 龍 酉申未午 貴后陰玄
天盤は地盤より順に七位進み、天盤は前の二案と同じで、ただ天将が異なる:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の子・丑・寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥を承け、乗ずる天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に子を見、六合を乗ずる。第二課、子の上に未を見、太陰を乗ずる。第三課、日支の戌の上に巳を見、太常を乗ずる。第四課、巳の上に子を見、六合を乗ずる。三伝は子—未—寅:初伝の子は戊を遁して官鬼、六合を乗せ、中伝の未は甲申旬の中で空に落ちるので「◎未」と記し、子孫で太陰を乗せ、末伝の寅は庚を遁して父母、青竜を乗せる。
邵彥和曰:日來加辰,人向入宅,豈能快利?但日上子作六合,主得子之喜。中傳又有六害,喜而又害,是虛喜也。此課緣無頭不下在,遂有阻滯。祿隨身入宅,且宜食祿。中末入空亡,乃父母入空,父母者,恩人□主也。食祿之地更空亡,其事休矣。如要功名需再修學。尚有高中之理。王丈只欲甚時討差遣。先生只以可得子,不可望差遣之說告之。王丈笑而不信。
邵彦和が言う:日干の神が日支の上に加わると、人は宅の里に走り、どうして順利であろうか。ただ日干の上の子は六合を乗せ、子を得る喜びがあることを主る。中伝にまた六害があり、喜びの中に害を帯び、空しく喜ぶこととなる。この課は「無頭不下」なので、阻滯がある。禄神は身に随って宅中に入るので、ただ現成の俸禄を安享するのがよい。中伝・末伝がいずれも空亡に落ちれば、すなわち父母爻が空に落ちる——父母は、まさに自分を提携する恩人□(底本は一字欠く)の主である。食禄の地はまた空亡に落ち、この事はこれで終わりである。もし功名を求めようとすれば、さらに読書進学しなければならず、なお高中の道理がある。王丈はただいつ差遣を討てるかを知りたいだけで、先生はただ「子を得ることはできても、差遣は望めない」という言葉を彼に告げ、王丈は笑って信じなかった。
及到行在,元文字並寄書鋪處,並無片紙可驗,方始大驚。既無出生文字,如何參部?遂氣憤歸家,用功讀書。壬子年運司請□。癸卯年及第,授得棘主簿,去任不祿。蓋日來加辰為支所墓,勢不能脫出又本家有子水剋制,退又不得。中空亡不進,末空亡更不得進,既兩傳不進,只得守株待兔耳。官星作合在日,如再求官,可矣。守現再進者不可也。
彼が行在に到ってから、元来の文書も書鋪に寄存した物も、一紙として査験できるものがなく、これに始めて大いに驚いた。すでに出身の文凭がないのでは、どうして吏部に参選に行けよう。そこで気に腐して家に帰り、発憤して読書した。壬子年に運司が来て彼を招聘した□(底本は一字欠く)。癸卯年に考中し、棘寺の主簿を授かったが、任に到らないうちに死んだ。このように断じた所以は:日干が日支の上に加わり、日支に墓せられるので、勢い脱け出すことができない。本家にまた子水があって克制するので、退こうとしても退くことができない。中伝が空亡で進むことができず、末伝が空亡でさらに進むことができない。両伝とも進まなければ、守株して兎を待つほかない。官星が日上にあってそれと相合するので、もし改めて官を求めに行けば、なおできる。現成の位置を守ってさらに進取を図るのは、できないのである。
丙戌日・任太公が家宅を占う
戊申年正月丙戌日子將辰時任太公甲午生七十五歲占家宅。 方本占案 一針見血 口鑑
戊申年正月の丙戌日、子将を辰時に加え、任太公(甲午年生まれ、七十五歳)が家宅を占った。方氏本『占案』『六壬一針見血』『六壬口鑑』に出る。
六陳 朱丑寅卯辰龍 蛇子 巳空 六虎陰朱 財 乙酉 陰 貴亥 午虎 寅午酉丑 兄 癸巳 空 后戌酉申未常 午戌丑丙 子 己丑 朱 陰玄
天盤は地盤より順に八位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の丑・寅・卯・辰・巳・午・未、申、酉、戌、亥、子を承け、乗ずる天将は順に朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に丑を見、朱雀を乗ずる。第二課、丑の上に酉を見、太陰を乗ずる。第三課、日支の戌の上に午を見、白虎を乗ずる。第四課、午の上に寅を見、六合を乗ずる。三伝は酉—巳—丑:初伝の酉は乙を遁して妻財、太陰を乗せ、中伝の巳は癸を遁して兄弟、天空を乗せ、末伝の丑は己を遁して子孫、朱雀を乗せる。
邵彥和曰:此課干支六害,一主牛馬自傷。戌以丑作刑神,作朱雀,是害牛也。何不言田而言牛?春丙火相氣,相主處息,牛乃生息之物也。(愚按:正月丑為天牛煞。一云,朱雀丙午火與丑午六害,是以丑作雀乃害牛也,不細參此,何以見雀便害牛也?)午為屋為馬,言馬不言屋者,因午空亡用不定之物。且正月天馬在午,故也。入墓乘虎是害馬也。
邵彦和が言う:この課は日干と日支が六害し、第一件は牛馬が自ら傷つくことを主る。日支の戌は丑をもって刑神とし、丑の上にまた朱雀を乗せ、これがすなわち牛を害することである。なぜ田と言わずに牛と言うか。春に丙火は相気に処り、相気は生息を主り、牛はまさに生息の物だからである。(程樹勲が按ずる:正月に丑は天牛煞である。もう一説に、朱雀は丙午火に属し、丑と午丑の六害を成すので、丑が朱雀を乗せればすなわち牛を害することである。この層を細かく参ずればこそ、どうして朱雀を一見すれば牛を害すると言えようか。)午はすでに房屋を主りまた馬を主るが、ここでは馬と言って屋と言わないのは、午が空亡に落ち、不定の物を取るからであり、しかも正月に天馬がまさに午の上にあるからである。午は墓に入りまた白虎を乗せるので、馬を害することとなる。
二主婦人失明。蓋午為婦人,午乃離為目,自入墓是失明也。三主自身有淫婢而僕從淫僭。蓋以巳加酉,巳即日干,為本身。以身為妻,晬酉為婢,巳加酉是寵婢也。天空為媽,從而加之,是僕從僭亂,有奸也。四主老婦血疾癆。蓋初傳太陰,與酉一體,太陰為老婦,酉為血,加丑上為墓所埋,是血不行也。丑帶破碎而成癆,從革又主癆也。
第二件は婦人の失明を主る。午は婦人を主り、午は八卦において離で、離は目である。午は自ら墓に入るので、眼の失明である。第三件は本人が婢女を寵幸し、しかも僕従もつづいて淫乱僭越することを主る。巳が酉の上に加わり、巳はすなわち日干の丙の寄宮で、本身を代表する。本身から妻室について言えば、酉は婢女で、巳が酉に加わるのはまさに婢女を寵愛する象である。天空の一将は奴僕を主り、つづいて加臨すれば、すなわち僕従が僭乱して私通の事がある。第四件は老年婦人が血病・癆病を患うことを主る。初伝は太陰を乗せ、酉ともともと一体である。太陰は老婦で、酉は血で、酉が丑の上に加わって墓に埋まるのは、血脉が行わないことである。丑はまた破碎の煞を帯びて癆を成し、酉金の従革の性もまた癆疾を主る。
五主山地有爭,乃末傳丑是也。春占巳上見丑是相氣。火生丑土,丑遇生氣,本牛也。然至末傳是秋冬,非丙火之旺可以生丑土,言也。故曰山地。朱雀主爭,子主池塘,行年上見子加辰又乘騰蛇,主爭必失理也。
第五件は山地のために争執が起きることを主り、末伝の丑の上に応ずる。春に課を占い、巳の上に丑を見、丑は相気に処る。火は丑土を生じ、丑は生気を得るので、もともと牛の象を取った。しかし末伝に至ってはすでに秋冬に属し、もはや丙火が旺相で丑土を生ずる時ではないので、山地の象に改めて取る。朱雀は争訟を主り、子は池塘を主る。行年の上に子が辰の上に加わりまた螣蛇を乗ずるのを見るのは、この争執が必ず理屈することを主る。
丙戌日・徐次賓が癸酉命の人の来意を断ずる
五月丙戌日未將亥時癸酉命人占來意。 一字訣玉連環
五月の丙戌日、未将を亥時に加え、一人の癸酉本命の人が来て占い、占者に先ず彼の来意を言わせよと求めた。『一字訣玉連環』に出る。
龍空 勾丑寅卯辰虎 龍玄貴勾 財 乙酉 貴 合子 巳常 寅午酉丑 兄 癸巳 常 朱亥 午玄 午戌丑丙 子 己丑 勾 蛇戌酉申未陰 貴後
天盤は地盤より順に八位進み、天盤は前の案と同じで天将が異なる:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の丑・寅・卯・辰・巳・午・未、申、酉、戌、亥、子を承け、乗ずる天将は順に勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に丑を見、勾陳を乗ずる。第二課、丑の上に酉を見、貴人を乗ずる。第三課、日支の戌の上に午を見、玄武を乗ずる。第四課、午の上に寅を見、青竜を乗ずる。三伝は酉—巳—丑:初伝の酉は乙を遁して妻財、貴人を乗せ、中伝の巳は癸を遁して兄弟、太常を乗せ、末伝の丑は己を遁して子孫、勾陳を乗せる。
徐次賓曰:來意事主西北上遠行理會,自己差遣文字,並無難阻,得差遣必是近任,八月內丁酉日還家,當月得俸。本州太守決是一剛毅正直之人,以劉為姓,主太守美愛而有聚財之慶。何知西北遠行?蓋時為日下之驛馬,與天馬並,登明為西北下為遠行。登明為日貴,上乘朱雀,主文字貴人,乘馬有文字之象,豈不是自己差遣文字也?
徐次賓が言う:あなたの来意は、西北方への遠行の事で打ち点し、自分の差遣文書のために奔走することである。この行には阻難はなく、求得る差遣は必ず近いところの職任で、八月内の丁酉日に家に帰り、当月に俸禄を領く。本州の太守は必ず剛毅正直の人で、姓は劉である。太守があなたを賞識愛護し、かつ聚財の喜びがあることを主る。どうして西北への遠行と知ったか。占時の支はまさに日下の駅馬で、また天馬と並び臨む。登明(亥)は西北方にあり、下に加臨すればすなわち遠行を主る。登明はまた本日の貴神で、上に朱雀を乗せ、文書貴人を主る。駅馬が文書の象を乗せれば、これが自分の差遣文書のために奔走するのでなくて何であろう。
何知一路並無難阻?式中無關格故也。何知近任?命上見天恩,日上見官爵,又用傳俱是三合,故知近任。何知八月丁酉日還家?從起從魁,末傳大吉為歸計門,下臨酉,上丁字,故知丁酉日也。眾魁為日之財,故主八月得俸。
どうして一路に阻難がないと知ったか。課式の中に関格の神がないからである。どうして近いところの職任と知ったか。本命の上に天恩を見、日干の上に官爵を見、用神と三伝はまたいずれも三合を成すので、近任と断じる。どうして八月の丁酉日に家に帰ると知ったか。この課は「従魁」(酉)から伝を起こし、末伝の大吉(丑)は帰計の門で、下は酉位に臨み、上は丁の字を遁るので、丁酉日と定めた。従魁(酉)はまた日干の財爻なので、八月里に俸禄を領くことを主る。
何知太守為剛毅正人?緣癸酉太乙乘酉屬金,主義,故知剛正,酉為金刀,故姓劉。何知太守美受?蓋天乙與日三合。何知有聚財之慶?謂卦體屬金,為日之財也。
どうして太守が剛毅正直の人と知ったか。来る人は癸酉本命で、太乙貴神が酉を乗せ、酉は金に属し、金は義を主るので、彼が剛正だと断じた。酉はまた金刀で、刀が傍にあって「劉」の字を成すので、姓は劉である。どうして太守が賞識愛重すると知ったか。天乙貴人が日干と三合するからである。どうして聚財の喜びがあると知ったか。卦体が金に属し、金はまさに丙日の財爻だからである。
丙戌日・魏君沖の会試を占う
丁丑二月十六丙戌日亥將寅時為魏君沖占會試酉命。 郭氏占案
丁丑年二月十六日丙戌日、亥将を寅時に加え、魏君沖に代わって会試を占った。彼は酉年の本命である。郭御青『占案』に出る。
龍空虎常 寅卯辰巳 虎陰朱龍 鬼 丁亥朱 勾丑 午玄 辰未亥寅 財 甲申后 合子 未陰 未戌寅丙 兄 癸巳常 亥戌酉申 朱蛇貴後
天盤は地盤より順に九位進む:地盤の巳・午・未・申、酉、戌、亥、子、丑、寅、卯、辰の上に順に天盤の寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑を承け、乗ずる天将は順に青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に寅を見、青竜を乗ずる。第二課、寅の上に亥を見、朱雀を乗ずる。第三課、日支の戌の上に未を見、太陰を乗ずる。第四課、未の上に辰を見、白虎を乗ずる。三伝は亥—申—巳:初伝の亥は丁を遁して官鬼、朱雀を乗せ、中伝の申は甲を遁して妻財、天后を乗せ、末伝の巳は癸を遁して兄弟、太常を乗せる。
郭御青曰:干上學堂青龍,發用簾幕朱雀,七馬俱全,十分吉課。但嫌簾幕克干,朱雀又遁丁神,命上神作刃,乘玄武,辰上神墓日上神,主場屋不利,有此數端,以致壞局而不中。(愚按:命上乘空亦非所宜。)
郭御青が言う:日干の上は学堂の神でまた青竜を乗せ、発用するのは帘幕の神で朱雀を乗せ、七重の駅馬が揃い、もともと十分に吉利な課である。嫌われるのは帘幕の神が日干を克し、朱雀はまた丁神を遁して動揺を主ること。本命の上の神は羊刃を作して玄武を乗せ、辰の上の神はまた日干の上の神を墓する。科場に利がないことを主る。これらの幾ヶ所の瑕あって、終に格局を壊して考中しなかった。(程樹勲が按ずる:本命の上に天空を乗せるのも相応しくない。)
丙戌日・張貞明が秋闈を占う
崇正癸酉年八月二十七丙戌日辰時未將張貞明兄占秋闈 郭氏占案
崇禎癸酉年八月二十七日丙戌日、辰将を未時に加え(底本は「辰時未将」と作すが、課盤に按して推せば当に辰将を未時に加えたものであろう)、張貞明兄が秋闈の郷試を占った。郭御青『占案』に出る。
合勾龍空 寅卯辰巳 龍常貴合 鬼 丁亥 貴 朱丑 午虎 辰未亥寅 財 甲申 玄 蛇子 未常 未戌寅丙 兄 癸巳 空 亥戌酉申 貴后陰玄
天盤は前の案と同じ(地盤より順に九位進む)、天将が異なる:地盤の巳・午・未・申、酉、戌、亥、子、丑、寅、卯、辰の上に順に天盤の寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑を承け、乗ずる天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に寅を見、六合を乗ずる。第二課、寅の上に亥を見、貴人を乗ずる。第三課、日支の戌の上に未を見、太常を乗ずる。第四課、未の上に辰を見、青竜を乗ずる。三伝は亥—申—巳:初伝の亥は丁を遁して官鬼、貴人を乗せ、中伝の申は甲を遁して妻財、玄武を乗せ、末伝の巳は癸を遁して兄弟、天空を乗せる。
郭御青曰:是日揭曉,占得此課,貴人作官星,相氣,又來劫煞,主極迅速。干上長生,天德命馬;初傳歲時馬;中傳日馬,天馬;末傳行年馬;七馬聚會,目下即捷音至矣,果酉時而報至。
郭御青が言う:この日はまさに榜を掲げようとしており、この課を占って得た:貴人が官星を乗せ、また相気に当たり、さらに劫煞を帯同する。事が極めて速く来ることを主る。日干の上は長生の地で、天徳と本命の馬を帯びる。初伝は太歳馬・占時馬、中伝は日馬・天馬、末伝は行年馬——七重の駅馬が聚会し、目下捷報がすぐ到る。果たして酉時に至って喜びを報じる人が来た。
丙戌日・万弢が張君曠の会試を代占する
丁丑年二月丙戌日亥將丑時萬弢占常熟張君曠會試本命亥。 郭氏占案
丁丑年二月の丙戌日、亥将を丑時に加え、万弢が常熟の張君曠に代わって会試を占った。張の本命は亥にある。郭御青『占案』に出る。
空虎常玄 卯辰巳午 玄后勾空 子 己丑勾 龍寅 未陰 午申丑卯 鬼 丁亥朱 勾丑 申后 申戌卯丙 財 乙酉貴 子亥戌酉 合朱蛇貴
天盤は地盤より順に十位進む:地盤の巳・午・未・申、酉、戌、亥、子、丑、寅、卯、辰の上に順に天盤の卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅を承け、乗ずる天将は順に天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に卯を見、天空を乗ずる。第二課、卯の上に丑を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の戌の上に申を見、天后を乗ずる。第四課、申の上に午を見、玄武を乗ずる。三伝は丑—亥—酉:初伝の丑は己を遁して子孫、勾陳を乗せ、中伝の亥は丁を遁して官鬼、朱雀を乗せ、末伝の酉は乙を遁して妻財、貴人を乗せる。
郭御青曰:本命乘酉恰是貴登天門,行年乘寅,而為學堂年馬(愚按年馬是行年之驛馬)。丑作青龍吉將,又太歲作初傳,朱雀作中傳,貴人作末傳,而登天門之上,必中無疑矣。果然。
郭御青が言う:張君曠の本命は亥にあり、亥の上に酉を乗せ酉の上にちょうど貴人があるのは、まさに「貴人登天門」である。行年の上は寅を乗せ、寅は学堂で、また行年の駅馬である(程樹勲が按ずる:いわゆる年馬とは、すなわち行年の上の駅馬である)。丑の上はまた吉将で、加えて太歳が初伝を作り、朱雀が中伝を作り、貴人が末伝を作して天門の上に登る。必ず中ること疑いなし。後に果たして考中した。
丙戌日・和主簿が前程を占う
建炎己酉年七月丙戌日午將未時和主簿戊寅生三十二歲占前程。 一針見血
建炎己酉年七月の丙戌日、午将を未時に加え、和主簿(戊寅年生まれ、三十二歳)が前程を占った。『六壬一針見血』に出る。
龍空虎常 辰巳午未 玄陰勾龍 父 辛卯 勾 勾卯 申玄 申酉卯辰 父 庚寅 合 合寅 酉陰 酉戌辰丙 子 己丑 朱 丑子亥戌 朱蛇貴後
天盤は地盤より順に十一位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯を承け、乗ずる天将は順に青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に辰を見、青竜を乗ずる。第二課、辰の上に卯を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の戌の上に酉を見、太陰を乗ずる。第四課、酉の上に申を見、玄武を乗ずる。三伝は卯—寅—丑:初伝の卯は辛を遁して父母、勾陳を乗せ、中伝の寅は庚を遁してこれも父母、六合を乗せ、末伝の丑は己を遁して子孫、朱雀を乗せる。
邵彥和曰:辰為龍也,又見青龍,又名朝陽。三傳又再見父母,自是好課,但臨赴任為母服所阻。宅上酉作太陰,是陰貴人。丙火死於酉而見太陰,來年必有母服,服闕後赴數任,皆得上憲提攜(愚按:此父母長生之故也)。先任海邊船場,次任赴曹屬官,迤邐至於太常,壽得其中矣。
邵彦和が言う:辰はもともと竜で、日干の上にまた青竜を見る。この格はまた「朝陽」と呼ぶ。三伝の中に両重の父母爻があり、もとは好い課だが、ただ赴任に臨んで母の喪服に阻まれることとなる。宅上(日支上)の酉は太陰を乗せ、太陰は陰貴人である。丙火は酉地に死してまた太陰を見るので、来年必ず母の喪がある。服満の後、連れて数任に赴き、いずれも上司の提携を得る(程樹勲が按ずる:これは父母爻が長生に居るためである)。第一任は海辺の船場、第二任は曹司の属官に転じ、一路太常に至り、寿数もその中平を得る。
程丈現授饒州德具主簿,當年赴任,次年丁母憂,服滿得明州船場;任滿,再授戶部架閣;任滿,又得文思院;任滿,得太常簿一年零四個月,除太常丞,至癸亥年冬郊祀權太常寺卿,甲子年三月卒。
この程丈(案主。前文は和主簿と称し、底本の人名は二ヶ所で一つでない)は当時新たに饒州徳興県の主簿を授かり、その年に赴任し、第二年に母のために丁憂した。服満の後、明州船場の職を得、任満して戸部架閣に改授され、任満してまた文思院の差使を得、任満して太常寺主簿を一年四ヶ月務め、太常丞に昇り、癸亥年の冬に郊祀の時に太常寺卿を代理し、甲子年の三月に去世した。
丙戌日・何知録が前程を占う
戊申年五月丙戌日申將未時何知錄丁丑生(生於四月十一日丑時)年三十二歲占前程。方本占案
戊申年五月の丙戌日、申将を未時に加え、何知録(丁丑年生まれ、四月十一日丑時生まれ、三十二歳)が前程を占った。方氏本『占案』に出る。
陳六 龍午未申酉朱 空巳 戌蛇 后貴陳龍 鬼 丁亥 貴 虎辰 亥貴 子亥未午 鬼 戊子 后 常卯寅丑子后 亥戌午丙 子 己丑 陰 玄陰
天盤は地盤より順に一位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳を承け、乗ずる天将は順に青竜・勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に午を見、青竜を乗ずる。第二課、午の上に未を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の戌の上に亥を見、貴人を乗ずる。第四課、亥の上に子を見、天后を乗ずる。三伝は亥—子—丑:初伝の亥は丁を遁して官鬼、貴人を乗せ、中伝の子は戊を遁してこれも官鬼、天后を乗せ、末伝の丑は己を遁して子孫、太陰を乗せる。丑はまたまさに占者の本命である。
邵彥和曰:吾兄雖授台州知錄,然此任不能赴,必有阻也。將來食祿在江西,有刑法二字,改任湖南北。三任赴廣東作倅。四任近京,為安撫司。恐其後雖有授州郡之名,不得赴任也。
邵彦和が言う:老兄は台州知録を授かったけれども、この任には赴けず、必ず阻碍がある。将来食禄は江西にあり、その中に「刑法」の二字がある。さらに湖南・湖北に改任し、第三任は広東に至って通判を為し、第四任は京城に近く、安撫司で供職する。ただし後に州郡授任の名義があっても、任に到れないのを恐れる。
何當年乳母死,本心喪,不赴此任。後任江西崇仁縣令;又調湖南北提刑司檢法,因追究劫盜有功,升廣東某州通判;任滿,又為江西安撫司參議,此任與京相近也;後升饒州府太守,未赴任而卒。
何知録はその年に乳母が去世し、彼は心喪を守制して台州の任に赴かなかった。後に江西崇仁県の令を為し、また湖南・湖北提刑司の検法官に転じ、劫盗を追捕した功により、広東某州の通判に昇り、任満してまた江西安撫司の参議を為し、この任は京城に近かった。後に饒州府の太守に昇ったが、まだ赴任しないうちに去世した。
蓋日上午作青龍,乘刃為退鱗,又是空亡,午為心,所以遭心喪而不得赴任。次任江西者,亥加戌,水受土制,則為江,臨西方,故言江西。刑法二字者,干支皆自刑,更法字從水從去,亥子丑順流而去,故為法字。子為江湖,又在此方,初中皆官相連,是江西與湖南北相連也。又四任近亦者,本生人丙日占,丙丁皆以寅為生地,父母之邦,故言京也(愚按:亥子丑下即寅,寅加本命上故辰寅上斷之)。但與日遠故不言都下而言近京。
このように断じた所以は:日干上の午は青竜を乗せ、午はまた丙の羊刃で、青竜が刃を乗ずることを「退鱗」と呼び、午はまた空亡に落ちている。午は心を主るので、心喪に遭遇して赴任できない。第二任が江西なのは、亥が戌の上に加わり、水が土に制されて江を成し、亥はまた西方に臨むので、江西と言う。いわゆる「刑法」の二字は:日干・日支がともに自刑し、「法」の字は水に従い去に従う。亥・子・丑が一路順に流れ去り、まさに一つの法の字に合う。子は江湖を主り、またこの方位にある。初伝・中伝がともに官爻で相連なるので、江西と湖南・湖北が相連接する。第四任が京に近いのは(底本は「近亦」は当に「近京」と作るべき)、彼が丙日に課を占い、丙・丁はともに寅をもって長生の地・父母の邦とするので、京城と言う(程樹勲が按ずる:亥子丑の下がすなわち寅で、寅が本命の上に加わるので、辰・寅の上から取り断ずる)。ただ寅は日干と相遠いので、京城の内と言わず、ただ京城に近いと言う。
末傳本命見太陰加子丑土也,土為守土為太守。加在江湖地,依舊江西饒州也。授而不赴,太陰不顯也,既不顯,安得赴?丙子年卒不出亥子丑也。丑是本命乘陰不顯,便是死也。秩九曰丑是本命,為午龍六害,又作官星制神,既害官品,又制官星,嗚呼得顯?不顯自死矣。丑獨加子,故不出丙子年。又曰午得龍為官品,既空,則此任虛度矣。然脫此則就支上官星貴人,發用三傳皆是,烏得不顯?故便從官貴上斷之。
末伝は彼の本命で、太陰を見て子の上に加わる。丑は土に属し、土は土を守ることを主るので、太守の象を取る。江湖の地に加わるので、依然として江西饒州である。官を授かっても赴きえないのは、太陰が晦冥で顕れないことを主るからである。すでに顕れないのに、どうして任に到れよう。丙子年に去世したのも、亥・子・丑のこの三つの字を出ない。丑は本命で太陰を乗せ、晦んで顕れないのがすなわち死の象である。秩九が言う:丑は本命で、午上の青竜と六害し、また官星の制神を作す。すでに官品を傷つけ、また官星を制すれば、なお何の顕達を言おう。顕れなければ自ずから死する。丑が単に子の上に加わるので、死期は丙子年を出ない。また言う:午が青竜を得るのはもともと官品で、すでに空に落ちたので、この任は空しく虚しく度られる。しかしこの一頭を脱け開けば、すなわち日支上の官星貴人に落ち、発用と三伝がいずれも官貴なので、どうして顕達しないことがあろう。だから官貴の上から彼の一生の歴官を断じたのである。
丙戌日・銭三郎が開店を占う
己酉年閏八月丙戌日辰將寅時錢三郎甲戌生三十六歲占開店 方本占案
己酉年閏八月の丙戌日、辰将を寅時に加え、銭三郎(甲戌年生まれ、三十六歳)が開店を占った。方氏本『占案』に出る。
六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 玄后朱陳 鬼 戊子 后 空巳 子后 寅子酉未 父 庚寅 玄 虎辰卯寅丑陰 子戌未丙 子 壬辰 虎 常玄
天盤は地盤より順に二位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午を承け、乗ずる天将は順に勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に未を見、勾陳を乗ずる。第二課、未の上に酉を見、朱雀を乗ずる。第三課、日支の戌の上に子を見、天后を乗ずる。第四課、子の上に寅を見、玄武を乗ずる。三伝は子—寅—辰:初伝の子は戊を遁して官鬼、天后を乗せ、中伝の寅は庚を遁して父母、玄武を乗せ、末伝の辰は壬を遁して子孫、白虎を乗せる。
邵彥和曰:此課開店來,當有他事相擾,主方開店便有人來筭虛賬,主人本無此心,此必是隔皮親人,及去報他,遂來相攻,不能為害,其店終嘈雜不甚興。令郎長大,因淘汰錢物,使用動眾,一一撓其店遂止。此向三陽,乃向高之意,終不可止也。
邵彦和が言う:開店のために占いに来たので、別の事が来て攪扰する。ちょうど開張するとすぐに人が来て子虚の旧帳を算じる。店主はもともとこの心がないが、帳を算じに来る者は必ず隔ての皮一重の親戚で、人が行って彼に告げれば、彼は来て攻訐する。大きな害を成すことはできないが、この店はついに嘈雑してあまり興旺しない。令郎が長じるに及んで、銭物を淘換し衆人を動かし、一件件攪扰するので、この店は開いていられなくなる。ただしこの課は三伝が三陽に向かって行くので、高いところへ向かう意味で、ついにこのまま留まることはない。
錢氏重陽日開店,有邵一郎,與他是姨夫,因前數次向錢氏假貸不允,今因開店,邵令彼主母入狀索前簽過帳內錢七十貫,官中令追還,依舊開店。果不興發。至壬子年,其子斗黃禽與兩邊收錢不明,遂相打經官,因此歇店。先生析曰:蓋日上未作勾陳空亡,空撓也。支子作天后,厭翳無興發也。中寅作元武,子偷錢物也。末辰作白虎,動眾相打也。
銭三郎は重陽の日に店を開いた。邵一郎という者がいて、彼の姨夫で、先に幾度か銭家に借貸を求めたがいずれも借りられなかった。このたび彼の開店に乗じて、邵一郎は自家の主母に状子を出させ、先に帳を签っていた七十貫銭を索取した。官府は追還するよう判じた。店はなお照らし旧のまま開いていたが、果たして興旺が見えなかった。壬子年に至り、彼の息子が黄雀を闘わせ、両頭で銭を取って不清不楚となり、相打って官に告ぐまでに至り、このため店を歇めた。邵先生が分析して言う:日干上の未は勾陳を乗せて空亡に落ち、空しく来て攪扰する。日支上の子は天后を乗せ、晦暗に遮蔽されて興発できない。中伝の寅は玄武を乗せ、息子が銭物を偷取することを主る。末伝の辰は白虎を乗せ、衆を動かし相打することを主る。
丙戌日・前程を占う(財を以て官を納む)
四月丙戌日申將巳時占前程 精蘊
四月の丙戌日、申将を巳時に加え、前程を占った。『六壬精蘊』に出る。
合朱蛇貴 申酉戌亥 虎陰貴合 財 甲申 合 勾未 子后 辰丑亥申 鬼 丁亥 貴 龍午 丑陰 丑戌申丙 父 庚寅 玄 巳辰卯寅 空虎常玄
天盤は地盤より順に三位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未を承け、乗ずる天将は順に六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に申を見、六合を乗ずる。第二課、申の上に亥を見、貴人を乗ずる。第三課、日支の戌の上に丑を見、太陰を乗ずる。第四課、丑の上に辰を見、白虎を乗ずる。三伝は申—亥—寅:初伝の申は甲を遁して妻財、六合を乗せ、中伝の亥は丁を遁して官鬼、貴人を乗せ、末伝の寅は庚を遁して父母、玄武を乗せる。
斷曰:申為相氣,財乘六合為用,中傳官鬼,登於天門,主以財納官。考授京職,末傳父母乘玄武,發財發身。三傳遞生,必有上人提挈,為子求官,亦不免用財取貴。支上丑為天喜,主要懷孕也。
断語に言う:申は相気に当たり、財爻が六合を乗せて発用し、中伝は官鬼でまた天門(亥)の上に登る。銭財を用いて捐納して官を得、考選して京職を授かることを主る。末伝の父母は玄武を乗せ、財を発し身を発することを主る。三伝が節々に相生するので、必ず上司の提携がある。もし息子に代わって官を求めるなら、銭財を用いて功名を換えるを免れない。日支上の丑は天喜の神で、家中に身孕があるだろうことを主る。
丙戌日・徐大夫が前程を占う
戊申年正月初一丙戌日子將未時徐大夫乙丑生(生於初六日辰時)四十四歲占前程。方本占案
戊申年正月初一丙戌日、子将を未時に加え、徐大夫(乙丑年生まれ、初六日辰時生まれ、四十四歳)が前程を占った。方氏本『占案』に出る。
貴后 蛇戌亥子丑陰 朱酉 寅玄 六常常蛇 財 甲申 六 六申 卯常 申卯卯戌 子 己丑 陰 陳未午巳辰虎 卯戌戌丙 兄 空午 龍 龍空
天盤は地盤より順に五位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯、辰の上に順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合・朱雀。四課は右から左へ:第一課、丙(寄宮は巳)の上に戌を見、螣蛇を乗ずる。第二課、戌の上に卯を見、太常を乗ずる。第三課、日支の戌の上に卯を見、太常を乗ずる。第四課、卯の上に申を見、六合を乗ずる。三伝は申—丑—午:初伝の申は甲を遁して妻財、六合を乗せ、中伝の丑は己を遁して子孫、太陰を乗せ、末伝の午は旬空に落ち(故に「空午」と記す)、兄弟で青竜を乗せる。
邵彥和曰:支來加日墓,上又騰蛇夾信,主人如處雲霧中,進退不得,且天地轉殺,加宅克宅,上作太常為服,丙以卯為母,母當六月亡。妻加天地轉殺上,六合殃之,妻不宜孕,孕主亡(財,妻也。六合,兒也。卯木即申金之胎,幫以孕斷,妙絕)。本命上午,作末傳,雖空亡,卻是帝旺陽刃,先防妻與母。子年,己身不善終矣。
邵彦和が言う:日支が日干の墓の上に加わり、上にまた螣蛇があって消息を夾み、主人は雲霧の中に身を処するが如く、進退ができない。加えて卯は天地転殺で、宅上に加臨してまた宅を克しに来る。卯上に太常を乗せるのは孝服を主る。丙火は卯木をもって母とするので、母は当に六月に去世すべき。妻財が天地転殺の上に加わり、六合がまた来て殃を作すので、妻は懐孕に宜しくない。懐孕すればすなわち死亡を主る(原注:財はすなわち妻、六合はすなわち児。卯木はまさに申金の胎神なので、懐孕の上から断ずる、極めて妙である)。本命上の午が末伝を作し、空亡に落ちるけれども、帝旺・陽刃である。先ず妻と母を防がなければならない。子年に至っては、彼自身も善終を得ない。
徐現授湖廣臨司,當年五月母亡,丁艱。六月妻亡。庚戌年八月,從吉授監司,辛亥年赴任,壬子年十一月,贓敗自刎。
徐大夫は当時新たに湖広憲司の職を授かっていた。この年五月に母が去世し、丁憂守制し、六月に妻がまた亡くなった。庚戌年八月に服満起復して監司を授かり、辛亥年に赴任し、壬子年十一月に貪贓の敗露により、自刎して死んだ。
蓋此課十二位,上下皆帶殺,支加干墓,干又補騰蛇夾信,是真墓不可脫。墓上見卯,乃天地轉殺。乘旺克宅而太歲又加轉殺上,本命又加太歲,主是本命為墓壓太歲,太歲遂來逼殺,殺遂入宅克宅,宅遂加干墓,干遞互相逼遂成凶咎,況空亡陽刃加本命,反克太歲,若不是申作太歲,丑作本命,未可如此說。
このように断じた所以は:この課は十二位の上下がことごとく凶く凶殺を帯びる。日支が日干の墓の上に加わり、日干はまた螣蛇に消息を夾まれ、真墓で脱け開くことができない。墓上に卯を見、卯は天地転殺で、旺気を乗じて宅を克しに来る。太歳はまた転殺の上に加わり、本命はまた太歳の上に加わる。ここにおいて本命は墓に圧されてかえって太歳を反圧し、太歳は転じて来て殺を逼し、殺気は宅に入り宅を克し、宅はまた日干の墓の上に加わる。層々に相逼して、ついに凶咎を成す。まして空亡の陽刃が本命の上に加わり、かえって太歳を克する。もし申が太歳・丑が本命でなければ、なおこのように言うことができない。
五月喪母,六月喪妻者,是今日之鬼所加處也。壬子年十一月自刎者,行年在丑,丑再見陽刃之午,又被太歲沖動,午為自刑,故不法而死也。注:末兩行俱有脫漏,餘稍作潤色之,以俟後之君子參酌。
五月に母を喪し、六月に妻を喪したのは、今日官鬼の加臨する位置に応じた。壬子年十一月に自刎したのは、行年が丑にあり、丑上にまた陽刃の午を見、午はまた太歳に冲動され、午はまた自刑するので、善終を得ずして死んだ。原注:末尾の二行はいずれも脱漏があり、私は略々潤色を加え、後の君子の参酌に留めて待つ。
丙戌日・ある乙亥生が終身を占う(腹中の痞塊)
同年月日時某乙亥生三十四歲占終身 方本占案
同年・同月・同日・同時に、別に一人の乙亥年生まれ・三十四歳の人が終身を占った。方氏本『占案』に出る。
貴后 蛇戌亥子丑陰 朱酉 寅玄 六常常蛇 財 甲申 六 六申 卯常 申卯卯戌 子 己丑 陰 陳未午巳辰虎 卯戌戌丙 兄 空午 龍 龍空
課盤は前の案と全く同じで、もとは同一日同一時に起したものである。天盤は順に五位進む:地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、天将は順に螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合・朱雀。四課は丙(寄宮は巳)上に戌を見て螣蛇を乗せ、戌上に卯を見て太常を乗せ、日支の戌上に卯を見て太常を乗せ、卯上に申を見て六合を乗せる。三伝は申(妻財、六合)—丑(子孫、太陰)—午(兄弟、青竜、旬空に落ちる)。
邵彥和曰:日上見戌作蛇,支來墓干,巳本屬蛇,與騰蛇夾墓在中間,腹中必有疾病。戌墓主積塊。答曰:腹中果有一塊。曰:此因感風起,後入喪家,傷素食而不化,遂成痞塊,若不來求醫,命必不久。
邵彦和が言う:日干上に戌を見て螣蛇を乗せ、日支はまた来て日干を墓する。巳はもともと蛇に属し、螣蛇と一前に一後に墓を中に夾んでいるので、腹内に必ず病がある。戌は墓で、積聚して塊を成すことを主る。その人が答えて言う:腹中に果たして一つの硬い塊がある。邵が言う:この塊は先に風に受けて起こった頭で、後に喪家に至って、素食に傷されて消化できず、ここにおいて痞塊を結したのである。もし医を求めに来なければ、性命は長くない。
蓋初傳卯上見申作六合,六合亦是卯,兩卯夾一申。卯為風,申為肺,是風傳入肺臟起也。卯為申金所克遂奪居戌上而克。戌作太常,為喪吊家,太常為又為食,戌為脾胃,是食素食傷於脾胃也。戌既為卯所克,便走來墓干,而被兩蛇夾住,益主堅牢,是此病不以脫矣。
このように断じた根拠は:初伝の卯上に申を見て六合を乗せ、六合はもともとも卯に属し、二つの卯が一つの申を夾むこととなる。卯は風を主り、申は肺を主るので、風邪が肺臓に伝入して病を起こしたのである。卯は申金に克され、ここにおいて転じて戌の上に至り戌を克する。戌は太常を乗せ、太常は喪吊の家を主り、また飲食を主る。戌は脾胃に属するので、喪家で素食を食べて脾胃を傷つけたのである。戌はすでに卯に克され、走って来て日干を墓し、また二条の蛇に夾まれ、いよいよ堅固で散じ難く、この病は脱し切れない。
是年占人三十四歲,行年在亥,三十五歲遭官災,大有破耗。八月卒,蓋丙即巳,巳加子,受子水官鬼克,作天空主虛詐,又巳為日祿,祿即財。子水克之,天空耗之,三十五歲行年到此,所以如是。八月卒者,八月火死土敗,而前面便是戌,九月建戌,所以遇不得也。
この年占者は三十四歳で、行年は亥にあった。三十五歳に至って官司の災いに遭い、大いに財を破り、八月に去世した。丙の寄宮はすなわち巳で、巳が子の上に加わり、子水の官鬼に克され、巳上にまた天空を乗せて虚詐を主る。巳はまた日禄で、禄はすなわち財である。子水がそれを克し、天空がそれを耗し、三十五歳の行年がまさにここに行き着くので、このようになった。八月に死んだのは、八月は火が死に土が敗れ、さらに前はすなわち戌で、九月は戌を建てるので、過ぎ越すことができないからである。
愚按,此斷與徐大夫之斷大異豈以辰作白虎,在亥年命上,故數以痢疾乎?然辰可沖戌墓同,而邵公不言及者,豈以支來墓干,又被兩蛇夾住而辰不能沖乎?予友吳稼雲先生,以此案為邵公最得意之筆,熟玩乃見其精。異未將徐大夫之所斷拿之也。
程樹勲が按ずる:この断は徐大夫のあの断とは大いに同じでない。もしかして辰上に白虎を乗せ、亥年本命の上に落ちるので、多く痢疾の類の病に断ずるのであろうか。しかし「辰は戌墓を冲開し得る」の一点は両課ともに同じなのに、邵公が提しないのは、もしかして日支が来て日干を墓し、また二条の螣蛇に夾まれ、辰が冲して動かせないからであろうか。我が友呉稼云先生はこの案を邵公の最も得意の手筆と認め、反覆して玩味してこそその精微を見、徐大夫のあの案の断法を持って硬く套してはならないと言う。
丁亥日
丁亥日・張奉初が弟観初のため病を占う
崇正辛巳九月丁亥辛丑時,庠友張奉初為乃弟觀初占病,予袖傳一課答之,重審、鑄印。指南
崇禎辛巳年九月丁亥日辛丑時、同窓の張奉初が彼の弟観初のため病を占い、私は袖の中で黙って一課を起して彼に答えた。課体は重審・鋳印。『六壬指南』に出る。
貴后 蛇戌亥子丑陰 朱白空后 比 癸巳 空 朱酉 寅玄 酉辰巳子 子 丙戌 蛇 六申 卯常 辰亥子丁 印 辛卯 常 勾未午巳辰虎 龍空
天盤は地盤より順に五位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰、巳、午、未、申、酉を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳・六合・朱雀。四課は右から左へ:第一課、日干の丁(寄宮は未)の上に子を見、天后を乗ずる。第二課、子の上に巳を見、天空を乗ずる。第三課、日支の亥の上に辰を見、白虎を乗ずる(課上の「白」はすなわち白虎)。第四課、辰の上に酉を見、朱雀を乗ずる。三伝は巳—戌—卯:初伝の巳は癸を遁して比肩、天空を乗せて旬空に落ち、中伝の戌は丙を遁して子孫、螣蛇を乗せ、末伝の卯は辛を遁して印綬すなわち父母、太常を乗せる。
斷曰:課得鑄印,占病不吉,三日必死,張友不言而去。頃焉,一人至,占得未亥卯三傳,白虎發用,喪吊全逢,用木空則折,病主風寒,三日內死者。曰:適家伯先已來占矣,因不吉,故復占之。張友又請仙,呂純陽下降,判曰:數合於數。吾無問言,果三日死。
断語に言う:得たのは「鋳印」課で、病を占うに不吉、三日の内に必ず死す。張友は一言も発せずに去った。しばらくしてまた一人が来て、未—亥—卯の三伝を占って得、白虎が発用し、喪車・弔客の両煞が斉しく逢した。用神は木に属して空に落ち、木は空すれば折れ、病象は風寒で、これも三日の内に死するものである。その人が言う:先ほど我家の伯父がすでに先に来て占いました。不吉なので、もう一度占いに来ました。張家はまた乩仙を請い、呂純陽が壇に降りて、判語に「数は数に合う」と言ったので、私は言うべき言葉がなかった。後に果たして三日で死んだ。
丁亥日・尹邦達が妻の病を占う(鬼胎と断ずる)
建炎己酉年閏八月丁亥日辰將亥時尹邦達良申生占妻病,妻同庚。 方本占案 口鑑
建炎己酉年閏八月の丁亥日、辰将を亥時に加え、尹邦達(庚申年生まれ。底本は「良申」と作し当に「庚申」の訛であろう)が妻の病を占った。妻は彼と同歳である。方氏本『占案』と『六壬口鑑』に出る。
朱六 蛇戌亥子丑陳 貴酉 寅龍 貴虎常六 兄 癸巳 常 后申 卯空 酉辰巳子 子 丙戌 蛇 陰未午巳辰虎 辰亥子丁 父 辛卯 空 玄常
天盤は前の案と同じ(地盤より順に五位進む)、天将が異なる:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯、辰、巳、午、未、申、酉を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜。四課は右から左へ:第一課、丁(寄宮は未)の上に子を見、六合を乗ずる。第二課、子の上に巳を見、太常を乗ずる。第三課、日支の亥の上に辰を見、白虎を乗ずる。第四課、辰の上に酉を見、貴人を乗ずる。三伝は巳—戌—卯:初伝の巳は癸を遁して兄弟、太常を乗せ、中伝の戌は丙を遁して子孫、螣蛇を乗せ、末伝の卯は辛を遁して父母、天空を乗せる。
邵彥和曰:丁日會起水局(愚按:干上子,支上辰,本命申,故曰會起水局。吳稼云曰:必取此者,以非交不孕也,此邵氏至精密之處,宜詳玩之),日上子作六合,主孕,恐是鬼胎,眾人大笑曰:五十歲何能有胎?先生曰:心鏡云,受氣於秋何以決?婦在子兮夫立申。今正秋占,及時之課,故主懷孕,中償合,水局走丁日之鬼,故是鬼胎,空中必有響動。來年二月,定見鬼形矣。
邵彦和が言う:丁日にして課中に水局を会成する(程樹勲が按ずる:日干上は子、日支上は辰、本命は申で、申子辰が水局を会成する。呉稼云が言う:必ずこの点を取るのは、交合しなければ懐孕しないからで、これが邵氏の最も精密なところであり、細かく玩味すべきである)。日干上の子は六合を乗せ、懐孕を主るが、ただ鬼胎であるのを恐れる。衆人が大笑して言う:五十歳の人がどうしてまた胎に懐けよう。先生が言う:『心鏡』に「秋に気を受けて何を以て決せんか。婦は子に在りて夫は申に立つ」と講じている。今まさに秋に課を占い、ちょうど時令に合うので、懐孕を主る。中伝が相合し、水局はまた丁日の官鬼なので、鬼胎である。屋裏に必ず響動があり、明年二月に至って、必ず鬼形を見る。
尹妻數月後漸安,腹漸大,果是孕。次年二月三日生,乃鬼胎也,生後時時或瓦落或物響,更不令安寧。蓋丁火生於寅,胎在子,子又為子息,更作六合臨日,正應心鏡之論。然會起水局為鬼,故曰鬼胎。末見卯與子刑,故交件見鬼形也。若他人占行年不見鬼,不可云鬼胎。若不會起申子辰,卻是官星,必生貴子,非鬼胎也。
尹邦達の妻は数月後に病が漸々好くなったが、腹は漸々大きくなり、果たして孕があった。第二年二月初三に生産し、生んだのはまさに鬼胎であった。生後、時々瓦片が掉落したり器物が響いたりして、家の中が安寧を得なかった。これは丁火が寅に長生し子に胎養し、子はまた子息を主り、子上にさらに六合を乗せて日干に臨むのが、まさに『心鏡』の説に応じるからである。しかし会成する水局は丁日の官鬼なので、鬼胎と呼ぶ。末伝の卯は子と相刑するので、交割の時に鬼形を見た。もし別の人が占いに来て、行年上に鬼爻を見なければ、鬼胎と言うべきでない。もし申子辰の水局を会成しなければ、子水はただ官星であり、それは必ず貴子を生むのであって、鬼胎ではない。
丁亥日・丁科長が紅本を失して回奏することを占う
崇正丁丑十一月丁亥戊申時,東省戶垣諱三傑孫科長代同鄉丁科長占守科失紅本回奏。指南
崇禎丁丑年十一月丁亥日戊申時、山東籍の戸科給事中孫三傑科長が、同郷の丁科長に代わって、科に値する時に紅本を失落し疏を上げて回奏する事を占った。『六壬指南』に出る。
後陰 貴亥子丑寅玄 貴空勾陰 比 癸巳 空 蛇戌 卯常 亥巳未丑 鬼 丁亥 貴 朱酉 辰虎 巳亥丑丁 比 癸巳 空 六申未午巳空 勾龍
これは「返吟」盤で、天盤は地盤より順に六位進み、各支が両両相沖する:地盤の巳・午・未・申の上は天盤の亥・子・丑・寅、地盤の酉・戌の上は卯・辰、地盤の亥・子・丑・寅の上は巳・午・未・申、地盤の卯・辰の上は酉・戌。乗ずる天将:亥は貴人を乗せ、子は天后、丑は太陰、寅は玄武、卯は太常、辰は白虎、巳は天空、午は青竜、未は勾陳、申は六合、酉は朱雀、戌は螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干の丁(寄宮は未)の上に丑を見、太陰を乗ずる。第二課、丑の上に未を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の亥の上に巳を見、天空を乗ずる。第四課、巳の上に亥を見、貴人を乗ずる。三伝は巳—亥—巳:初伝と末伝の巳は癸を遁して比肩、天空を乗せて旬空に落ち、中伝の亥は丁を遁して官鬼、貴人を乗せる。
斷:官必降罰,職必更改。曰:目今朝廷責之,已過當矣,矧又重其責乎?曰:龍神克戰,課將返吟,居官定難滿任,況巳為驛馬,上乘皇詔,主一任未了,二任又臨。曰:比更職無疑。及以降三級回首,不准;降五級,又不准;擬降別衙門,然後依擬。
断語に言う:この官員は必ず降級の処分を受け、職務は必ず更動する。ある人が言う:目下朝廷の彼への責罰はすでに過重だが、なお加重するというのか。答えて言う:青竜の神が克を受け交戦し、課体はまた返吟なので、官を為す者は必ずこの任を満たすことが難しい。まして巳は駅馬で、上に皇詔の神を乗せ、頭一任が了わぬうちに第二任がまた来ることを主る。だから職務の更動は疑いがない。後に議處して:三級降して回話、許されず。五級降して、また許されず。改めて別の衙門への調を擬し、これにやっと擬のまま准行された。
丁亥日・王牧夫が田地の訴訟を占う
乾隆丁卯年辰月丁亥日戌將辰時占訟。 牧夫占驗
乾隆丁卯年辰月(三月)の丁亥日、戌将を辰時に加え、官司を占った。王牧夫『占験』に出る。
後陰 貴亥子丑寅玄 貴空勾陰 比 癸巳 空 蛇戌 卯常 亥巳未丑 鬼 丁亥 貴 朱酉 辰虎 巳亥丑丁 比 癸巳 空 六申未午巳空 勾龍
課盤は前の案と同じで、なお返吟である:天盤は地盤より順に六位進み、地盤各位の上の天盤の支はそれと相沖する。天将は亥に貴人、子に天后、丑に太陰、寅に玄武、卯に太常、辰に白虎、巳に天空、午に青竜、未に勾陳、申に六合、酉に朱雀、戌に螣蛇を乗せる。四課は丁(寄宮は未)上に丑を見て太陰を乗せ、丑上に未を見て勾陳を乗せ、日支の亥上に巳を見て天空を乗せ、巳上に亥を見て貴人を乗せる。三伝は巳(比肩、天空、旬空に落ちる)—亥(官鬼、貴人)—巳(比肩、天空、旬空に落ちる)。
王牧夫曰:訟田地乎?曰:然,何以知之?曰:丁動逢丑未,是以知之。以丑未為田園,故也。其訟有四年矣,以巳亥反覆,皆四數也。曰:四月其歸結之月科?始於巳而終於巳也。何以知其歸結?鬼臨旬尾,官災不起,是以知之。果結於四月。
王牧夫が問う:あなたが打っているのは田地の官司ですね。来る人が言う:その通りです、どうして知ったのですか。答えて言う:丁日が動いて丑・未の両土に逢うので知ったのです。丑・未はともに田園を主るからです。この官司はすでに四年打たれました。巳・亥が反覆して往来し、いずれも四の数に合するからです。牧夫がまた言う:四月がおよそ了結の月でしょう。この課は巳から起こり、また巳に至って終わるからです。何を以て了結できると知ったか。官鬼が旬尾の位に臨み、官災が再び興らないので、これによって知ったのです。後に果たして四月に了結した。
丁亥日・荊庭実が会試を占う
崇正丁丑年二月十七丁亥日亥將巳時金壇荊君諱庭實占會試。 郭氏占驗
崇禎丁丑年二月十七日丁亥日、亥将を巳時に加え、金壇の荊庭実君が会試を占った。郭御青『占験』に出る。
後陰 貴亥子丑寅玄 貴空勾陰 比 癸巳 空 蛇戌 卯常 亥巳未丑 鬼 丁亥 貴 朱酉 辰虎 巳亥丑丁 比 癸巳 空 六申未午巳空 勾龍
課盤はなお前の二案と同じで、返吟盤である:天盤は順に六位進み、地盤の各支と相沖する。天将は亥に貴人、子に天后、丑に太陰、寅に玄武、卯に太常、辰に白虎、巳に天空、午に青竜、未に勾陳、申に六合、酉に朱雀、戌に螣蛇を乗せる。四課は丁上に丑(太陰)、丑上に未(勾陳)、日支の亥上に巳(天空)、巳上に亥(貴人)。三伝は巳—亥—巳で、初伝・末伝ともに旬空に落ちる。
郭御青曰:凡得返吟即主反覆。馬動而臨絕地,年上乘墓,戌作騰蛇,主有驚礙事,課傳又無簾幕,未敢許中也,果然。
郭御青が言う:およそ返吟課を得ればすなわち事が反覆することを主る。駅馬は動くけれども絶地に臨み、行年上は墓神を乗せ、戌はまた螣蛇を乗せ、驚恐阻碍の事があることを主る。課と三伝の中にも帘幕貴人がないので、敢えて彼の考中を請け合えない。後に果たして中らなかった。
丁亥日・王寺丞が馬を取りに行って帰らないのを占う
二月丁亥日戌將卯時王寺丞占兵士往饒州取馬何故未回? 方本占案
二月の丁亥日、戌将を卯時に加え、王寺丞が饒州に派遣して馬を取らせた兵士がどうしてまだ帰らないかを占った。方氏本『占案』に出る。
朱六 蛇子丑寅卯陳 貴亥 辰龍 朱虎陰六 兄 空午 虎 后戌 巳空 丑午酉寅 子 己丑 朱 陰酉申未午虎 午亥寅丁 財 甲申 玄 玄常
天盤は地盤より順に七位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人。四課は右から左へ:第一課、丁(寄宮は未)の上に寅を見、六合を乗ずる。第二課、寅の上に酉を見、太陰を乗ずる。第三課、日支の亥の上に午を見、白虎を乗ずる。第四課、午の上に丑を見、朱雀を乗ずる。三伝は午—丑—申:初伝の午は旬空に落ち(「空午」と記す)、兄弟で白虎を乗せ、中伝の丑は己を遁して子孫、朱雀を乗せ、末伝の申は甲を遁して妻財、玄武を乗せる。
邵彥和曰:其馬必遭虎傷而死。蓋午為馬,乘虎加亥發用。以午自刑而加自刑,上又被亥克故也。後五日,兵士果來報曰:前日,馬上山食草,被虎所噬。
邵彦和が言う:その馬は必ず虎に咬まれ傷ついて死んだ。午は馬を主り、午が白虎を乗せて亥の上に加わり発用するからである。午はもともと自刑の支で、また同じく自刑の亥の上に加わり、上にまた亥水に克された。五日の後、兵士が果たして来て報じた:先日馬が山に上って草を食べ、虎に咬まれて死んだ。
丁亥日・産期を占う
癸酉年十月丁亥日寅將未時占產期。 郭氏占案
癸酉年十月の丁亥日、寅将を未時に加え、分娩の日期を占った。郭御青『占案』に出る。
蛇朱合勾 子丑寅卯 朱虎陰合 兄 ◎午 虎 貴亥 辰龍 丑午酉寅 子 己丑 朱 后戌 巳空 午亥寅丁 財 甲申 玄 酉申未午 陰玄常虎
課盤は前の案(王寺丞が馬を占う)と同一格局である:天盤は地盤より順に七位進み、地盤の巳から辰の上に順に天盤の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申、酉、戌、亥を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人。四課は右から左へ:第一課、丁(寄宮は未)の上に寅を見、六合を乗ずる。第二課、寅の上に酉を見、太陰を乗ずる。第三課、日支の亥の上に午を見、白虎を乗ずる。第四課、午の上に丑を見、朱雀を乗ずる。三伝は午—丑—申:初伝の午は旬空に落ち(「◎午」と記す)、兄弟で白虎を乗せ、中伝の丑は子孫で朱雀を乗せ、末伝の申は妻財で玄武を乗せる。
郭御青曰:干上寅,支上午,必戌日生。寅為干之長生,六合生兒之象,後果於戌日申時生子,就末傳之申字也。
郭御青が言う:日干上は寅、日支上は午で、寅午戌の三合は独り戌の一つを欠く。だから必ず戌日に生産する。寅は丁日の長生の地で、寅上にまた六合を乗せるのは、まさに児を生ずる象である。後に果たして戌日申時に一人の男児を生み、生む時辰は末伝の申の字に応じた。
丁亥日・宗成弢が周簡臣の会試を占う
丁丑年二月丁亥日亥將卯時宗成弢占周簡臣諱銓會試中否。 郭氏占案
丁丑年二月の丁亥日、亥将を卯時に加え、宗成弢が周簡臣(名は銓)の会試が中るかどうかを占った。郭御青『占案』に出る。
朱合勾龍 丑寅卯辰 勾常貴勾 子 ◎未 常 蛇子 巳空 卯未亥卯 父 辛卯 勾 貴亥 午虎 未亥卯丁 鬼 丁亥 貴 戌酉申未 后陰玄常
天盤は地盤より順に八位進む:地盤の巳・午・未・申、酉、戌、亥、子、丑、寅、卯、辰の上に順に天盤の丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子を承け、乗ずる天将は順に朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇。四課は右から左へ:第一課、丁(寄宮は未)の上に卯を見、勾陳を乗ずる。第二課、卯の上に亥を見、貴人を乗ずる。第三課、日支の亥の上に未を見、太常を乗ずる。第四課、未の上に卯を見、勾陳を乗ずる。三伝は未—卯—亥:初伝の未は旬空に落ち(「◎未」と記す)、子孫で太常を乗せ、中伝の卯は辛を遁して父母、勾陳を乗せ、末伝の亥は丁を遁して官鬼、貴人を乗せる。亥・卯・未の三合で木局を成す。
郭御青曰:余初斷此課發用旬空不成木局生日,無簾幕驛馬,未敢深許。及中後,細詳課情,未臨本命可以填空(愚按:此說非也,若未是本命或可填空,今木臨本命安可填空耶),卯為月建亦可填空,會成木局,則能生日,行年乘子為丁日福星,騰蛇臨辰象龍,此中之大端也,餘於此進一識也。
郭御青が言う:私は初めこの課を断じるに、発用の未が旬空に落ち、木局を合成して日干を生ずることができず、また帘幕貴人と駅馬がないので、敢えて深く請け合わなかった。彼が考中して後、改めて課情を細かく見るに:未が本命の上に臨んで空亡を填実し得(程樹勲が按ずる:この説は当たらない。もし未がすなわち本命ならば、あるいは空を填め得よう。今は木が本命の上に臨んでいるのに、どうして空を填めえよう)、卯はまた月建で、これも空を填め得る。空が一たび填実すれば、木局を会成して日干を生ずる。行年上は子を乗せ、子は丁日の福星である。螣蛇が辰に臨んで竜の象を取る。これらはその中の大関節で、私はここにおいてまた一層の見識を長じた。
吳稼云曰:此劉上支傳課,無不相會,且成木局值時,是即會試成進士之確應也,郭君所評,甚為迂謬。愚按:此課木局生日,妙在得時,初傳空亡,妙在末傳不空,且作貴人日德、歲德,何故郭君未之言及也?此案似不應入選,因郭君直書而不諱,故登之以表其直焉。且見此等課象皆必中之兆也,若秋令得此鞏未必然。又按:年月日時及三傳四課皆會三合,更值春季卯木正旺之時,安得不中乎?
呉稼云が言う:この課は日・支と三伝が会せないものがなく、また木局を結成してその時に当たる。これがすなわち会試で進士を成す確応である。郭君の評断は甚だ迂繆である。程樹勲が按ずる:この課は木局が日を生じ、妙は時を得るにあり。初伝は空亡に落ちるけれども、妙は末伝が空でなく、しかも貴人を乗せ、また日徳と歳徳であることにある。郭君はなぜこの層を提しないのか。この案はもともと選入すべきでないが、ただ郭君が実のままに書き来って毫も諱飾しないので、収録して、彼の直率を表彰するのである。しかもこの類の課象はいずれも必中の兆であることが見える。もし秋令にこのような課を得れば、おそらく必ずしも中らないであろう(底本は「鞏」は当に「恐」と作るべき)。また按ずる:年・月・日・時ならびに三伝・四課がことごとく三合を会成し、またまさに春季卯木が旺に当たる時に逢う。どうして中らぬことがあろう。
丁亥日・傅清欽が外に出て貴人を謁するを占う
己酉年八月丁亥日辰將未時傅清欽乙亥生三十五歲占出外謁貴。 一針見血
己酉年八月の丁亥日、辰将を未時に加え、傅清欽(乙亥年生まれ、三十五歳)が門を出て貴人を拝謁することを占った。『六壬一針見血』に出る。
勾青 六寅卯辰巳空 空玄朱龍 比 癸巳 空 朱丑 午虎 巳申丑辰 父 庚寅 六 蛇子 未常 申亥辰丁 鬼 丁亥 貴 貴亥戌酉申玄 后陰
天盤は地盤より順に九位進む:地盤の巳・午・未・申、酉、戌、亥、子、丑、寅、卯、辰の上に順に天盤の寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑を承け、乗ずる天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は右から左へ:第一課、丁(寄宮は未)の上に辰を見、青竜を乗ずる。第二課、辰の上に丑を見、朱雀を乗ずる。第三課、日支の亥の上に申を見、玄武を乗ずる。第四課、申の上に巳を見、天空を乗ずる。三伝は巳—寅—亥:初伝の巳は癸を遁して比肩、天空を乗せて旬空に落ち、中伝の寅は庚を遁して父母、六合を乗せ、末伝の亥は丁を遁して官鬼、貴人を乗せる。
邵彥和曰:天罡作青龍,真斬關卦,必至出行。但求遠在近,求久在邇,徒然千里之外,只在目睫之間。傅云:我往道州見太守,乃姑丈。曰:爾即往見彼,而思人在近側耳。求遠得近,但看造物何如耳?傅往道州,姑丈卻與一書,薦在本州汪通判處就館。得二百貫錢。蓋天罡青龍,千里無蹤,故主遠出。時上發用,傳歸父母,卻在近宅,末又歸在父母,皆歸本鄉也。
邵彦和が言う:天罡(辰)の上は青竜を乗せ、真の「斬關」課で、必ず門を出て遠行する。ただ求める遠き事はかえって近きところに応じ、求める久遠の事もまた眼前にある。もともと千里之外に奔ろうと思うも、実はただ目睫の間にあり。傅清欽が言う:私は道州に行って太守に見えたい。あれは私の姑丈である。邵が言う:存分に彼に見えよ。ただあのあなたを成全する人が近傍にいると思え。遠きを求めてかえって近きを得。造化がいかに按排するかを見よう。後に傅清欽は道州に到り、姑丈はかえって彼に一封の書を与え、彼を本州の汪通判の家に薦めて坐館させ、二百貫銭を得た。このように断じた所以は:天罡が青竜を乗せ、千里に蹤なし、だから遠出を主る。占時から発用し、三伝は父母爻に帰るも、近宅にあり、末伝はまた父母に帰る。いずれも本郷に帰る意である。
丁亥日・丙午命の人が功名を占う(銭大鶴)
崇正十五年九月丁亥日丁未時,予住埂子街,一僧人偕十餘人相顧,丙午命人索占。 指南
崇禎十五年九月丁亥日丁未時、私は埂子街に住んでおり、一人の僧が十数人を連れて私に見えに来た。その中に一人の丙午本命の人が占いを求めた。『六壬指南』に出る。
勾青 六寅卯辰巳空 空玄朱龍 比 癸巳 空 朱丑 午虎 巳申丑辰 父 庚寅 六 蛇子 未常 申亥辰丁 鬼 丁亥 貴 貴亥戌酉申玄 后陰
課盤は前の案と同じ:天盤は順に九位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の寅・卯・辰・巳・午・未・申、酉、戌、亥、子、丑を承け、乗ずる天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は丁(寄宮は未)上に辰を見て青竜を乗せ、辰上に丑を見て朱雀を乗せ、日支の亥上に申を見て玄武を乗せ、申上に巳を見て天空を乗せる。三伝は巳(比肩、天空、旬空に落ちる)—寅(父母、六合)—亥(官鬼、貴人)。
陳公獻曰:來意必為功名,公乃未年甲榜。曰然。蓋因貴德官星臨年,月將青龍居丁,且羊角相加,故應未年高第。曰:該做京官做外官。曰:歲居干後,日生青龍,理宜先京城而後外任;嫌身祿不得地。此去身不安而祿不養,況歲君臨嗔怒之所,此番當為國家起見耳。後知為吳門錢大鶴先生也。李賊破京遂歸。
陳公献が言う:あなたの来意は必ず功名のためで、あなたは未年に進士を考中したのでしょう。その人が言う:その通りです。このように断じたのは、貴人・徳神と官星がいずれも本命年の上に臨み、月将はまた青竜を乗せて丁の寄宮に居り、加えて「羊角相加」の象があるので、未年の高中に応ずべきとしたのである。その人がまた問うた:京官を為すべきか、それとも外任か。答えて言う:太歳は日干の後に居り、日干はまた青竜を生ずる。理を按ずれば当に先ず京城に在りて後に外任すべき。嫌われるのは身と禄がともに地を得ないことで、この行きは身が安んぜず禄が養わない。まして太歳が嗔怒の位に臨むので、このたびは当に国家の大事のために行くべき。後に彼がすなわち呉門の銭大鶴先生であることを知った。李自成が京城を攻め破ると、彼は郷に帰った。
來意占功名者,以時起三傳,陰神辰為月將青龍,干生龍,主人追求官階。羊角相加者,辰未相加也,《類纂》云“辰未加臨解首逢”,以羊角合為解字故也。未年上見月將青龍,《指掌賦》曰“月將青龍,片言入相”,陰神又見朱雀,文學之象,故主未年高第。凡占功名,干支空大為不利。今丁寄宮未空。又不宜祿空,今午祿又空。故曰“嫌身祿不得地”以空,兼之午虎祿臨酉死地,日未臨戌入地網,此皆不利之徵。
彼の来意が功名を占うと断じた根拠は:この課は占時から三伝を起こし、陰神の辰は月将でまた青竜を乗せ、日干が青竜を生ずる。人が官階を追求することを主る。いわゆる「羊角相加」とは、すなわち辰と未が相加することで、『類纂』に「辰未加臨して解首に逢う」と言う。「羊」「角」の二字が合して一つの「解」の字を成すからである(解元・解首の解)。未年の上に月将の青竜を見るのは、『指掌賦』に「月将青竜、片言入相」と言い、陰神の上にまた朱雀を見るのは文学の象で、だから未年の高中を主る。およそ功名を占うに、日干・日支が空に落ちるが最も不利である。今、丁の寄宮の未がまさに空亡に落ちる。また禄神が空に落ちるを宜しくしないが、今、午禄もまた空である。だから「嫌う身禄地を得ず」と言うのは、まさにこの空の字のためである。加えて午上に白虎を乗せ、禄が酉のこの死地に臨み、日干の寄宮の未がまた戌に臨んで地網に入る。これらはいずれも不利の兆である。
丁亥日・張公亮が会試を占う(七馬聚会)
崇正丁丑年二月十七丁亥日亥將寅時金壇張君公亮占會試。 郭氏占案
崇禎丁丑年二月十七日丁亥日、亥将を寅時に加え、金壇の張公亮君が会試を占った。郭御青『占案』に出る。
勾青 六寅卯辰巳空 空玄朱龍 比 癸巳 空 朱丑 午虎 巳申丑辰 父 庚寅 六 蛇子 未常 申亥辰丁 鬼 丁亥 貴 貴亥戌酉申玄 后陰
課盤は前の二案と同じ(天盤は地盤より順に九位進む):地盤の巳から辰までに順に天盤の寅・卯・辰・巳・午、未、申、酉、戌、亥、子、丑を承け、天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は丁上に辰を見て青竜を乗せ、辰上に丑を見て朱雀を乗せ、日支の亥上に申を見て玄武を乗せ、申上に巳を見て天空を乗せる。三伝は巳(比肩、天空を乗せ、旬空に落ちる)—寅(父母、六合)—亥(官鬼、貴人)。
郭御青曰:初傳巳,為本日、行年、月建三馬。中傳寅為命馬,支上申為時馬、天馬,末傳亥為贈馬。真七馬聚會,又三傳自下遞生,干上青龍,末傳上貴人,初天空旺相,天空見貴人為奏書之神,但無簾幕,即斷為十名以外之魁,定在瀛洲之內。餘占東南名公數十人,獨許張君高列,已而果然。
郭御青が言う:初伝の巳は本日の馬・行年の馬・月建の馬で、一身に三馬である。中伝の寅は本命の馬。日支上の申は占時の馬・天馬。末伝の亥は贈馬——まさに七馬の聚会である。三伝はまた下から上へ節々に相生し、日干上は青竜を乗せ、末伝上は貴人を乗せ、初伝の天空は旺相の気に当たる。天空が貴人に遇うは「奏書」の神である。ただ帘幕貴人がないので、彼の名次は前十名の外にありて一榜の魁となると断じ、総じて瀛洲の内に穏かに在る(必ず進士に登る)。私は東南の数十位の名士に会試を占って、ただ張君の名を高等に列することを許し、後に果たしてそのようになった。
丁亥日・王解元が終身を占う(家財を争う)
戊申年正月丁亥日,子將寅時,王解元辛丑生(生於九月二十作日辰時),六十八歲,占終身。方本占案。
戊申年正月の丁亥日、子将を寅時に加え、王解元(辛丑年生まれ、九月二十某日辰時生まれ。底本は「二十作日」と作し当に訛字あろう。六十八歳)が終身を占った。方氏本『占案』に出る。
虎常 空卯辰巳午玄 龍寅 未陰 陰貴空常 財 乙酉 貴 陳丑 申后 未酉卯巳 子 空未 陰 六子亥戌酉貴 酉亥巳丁 兄 癸巳 常 朱蛇
天盤は地盤より順に十位進む:地盤の巳・午・未・申、酉、戌、亥、子、丑、寅、卯、辰の上に順に天盤の卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅を承け、乗ずる天将は順に天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜。四課は右から左へ:第一課、丁(寄宮は未)の上に巳を見、太常を乗ずる。第二課、巳の上に卯を見、天空を乗ずる。第三課、日支の亥の上に酉を見、貴人を乗ずる。第四課、酉の上に未を見、太陰を乗ずる。三伝は酉—未—巳:初伝の酉は乙を遁して妻財、貴人を乗せ、中伝の未は旬空に落ち(「空未」と記す)、子孫で太陰を乗せ、末伝の巳は癸を遁して兄弟、太常を乗せる。
邵彥和曰:主外人有服者,來爭家財,我終被他所擾,而入不明之地,且受太陰之抑。蓋酉作貴登天門,乃夜貴用事,是不明也。酉即太陰,太了酉互相掩蔽,終於失理,行年上太陰門戶亦主分破,況身宅三傳行年皆在陰上,正是不利之年,七十歲必死矣。
邵彦和が言う:外姓にしてまさに服喪中の人が来て家財を争うことを主る。我が方はついに彼に攪扰され、曖昧不明の境地に落ち、さらに太陰の圧抑を受ける。酉は貴人が天門に登るので、夜貴が事に当たり、だから晦暗で明らかでない。酉自身はまた太陰に属し、太陰と酉(底本は「太了」と作し、当に「太陰」の訛であろう)とが互いに遮掩し、ついに理を失う。行年上は太陰門戸で、また門戸の分割破損を主る。まして自身・宅舍・三伝・行年がいずれも陰位の上に落ちる。まさに不利の年で、七十歳に至って必ず死す。
何以見外人有服者入宅爭財?蓋巳作太常乘馬加干故也。太常巳未土入本家,乃家人也。丁,我也。丁被巳乘馬逼身而來,丁遂加酉上托於今日陰貴人用事,誰知陰貴人入宅卻是破碎,宅反為他所破。且太陰乘未加酉,未即丁身,是我為他所蔽,陰翳不明。陰貴加陽貴上,陽貴為今日之鬼,又是不明,又自陽貴上發傳,終歷陰貴而末傳仍歸我身上,依舊作支破(沖支為破)。當主爐灶敗壞。巳之本家,又見卯作天空,必至門戶分破也。
どうして外姓で孝服のある人が宅に進んで財を争うと見たか。巳が太常を乗せまた駅馬を乗せて日干に加臨するからである。太常は土に属し、巳・未もまた土で、本家に進入するのは、もともと家裏人の象である。丁はすなわち我自身である。丁は巳の乗ずる馬に逼られて身上に至り、丁はここにおいて酉の上に加わり、今日事に当たる陰貴人に托庇する。誰が知ろう、陰貴人が宅に進んで却って破碎の煞を帯び、宅はかえって彼に破られる。さらに太陰が未を乗せて酉の上に加わり、未はすなわち丁の自身で、我が彼に遮蔽されて陰翳不明となる。陰貴が陽貴の上に加わり、陽貴はまた今日の官鬼で、これも不明である。また陽貴の上から伝を発し、中間に陰貴を経過し、末伝はなお旧に帰って我が自身に至り、依然として日支の破を作す(日支を冲すればすなわち破)。だから竈の敗壊を主る。巳の本家位の上にまた卯が天空を乗ずるのを見るので、必ず門戸の分割破損に弄り至る。
王有一弟,少年與人為子,己酉年其父死,弟乘服未滿歸宗,六月入狀,爭分家財。王托鄉紳徐通判料理,竟為徐所騙用,仍舊分給與弟,將中門拆斷作兩處。廚灶皆壞。此事戊申年何故不發?至己酉年四月方發耶。蓋戊申陽年雖六陰全而不能舉,己酉年故發也。己酉年十月分定,仍是徐通判調停,酉貴作破碎加亥故也。
王解元に一人の弟がいて、少年の時に他人に過継がれて子と為った。己酉年に彼らの父が去世し、弟は服喪が満たないのに乗じて宗に帰り、六月裏に状子を出し、家産を分け争おうとした。王解元は郷紳の徐通判に托して料理させたが、かえって徐通判に騙され使用され、家財はなお旧に弟に分けられ、中門を拆断して二ヶ所に隔て、厨房の鍋竈もみな毀壊された。この事はなぜ戊申年に発作せず、己酉年四月に至って発したか。戊申は陽年で、六陰が俱に具わっても発動しえず、己酉年に至って発したのである。己酉年十月に家産が分け定まったが、なお旧に徐通判が中から調停したのは、酉上の貴人が破碎の煞を帯びて亥の上に加わるからである。
丁亥日・邵氏が家宅を占う(王解元と同時同盤)
同年月日時,邵氏丁巳生,五十二歲,占家宅,同得此課。(口鑑)
なお前の例の王解元が終身を占ったあの戊申年正月丁亥日子将寅時——年・月・日・時辰が少しも変わらない。こんど占いに来たのは邵氏で、丁巳年生まれ、五十二歳、問うたのは家宅である。課を起して得たのはまさに同一副の課盤であった。人が換わり、問う事も換われば、取用の神もこれに随って改まるので、同一副の盤から断り出す言葉は前の例と全然異なる。前の例で断じたのは外姓の服ある人が来て家財を争うことで、こんどの例で断じたのは却って婦人の疾病・門戸・婢妾と口舌である。本例は『口鑑』に出る。
虎常 空卯辰巳午玄 龍寅 未陰 陰貴空常 財乙酉貴 陳丑 申后 未酉卯巳 子空未陰 六子亥戌酉貴 酉亥巳丁 兄癸巳常 朱蛇
この盤は子月将を寅時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位退く。天盤十二支の乗ずる天将は順に:子は六合を乗せ、丑は勾陳(盤中は「陳」と書く)、寅は青竜、卯は天空、辰は白虎、巳は太常、午は玄武、未は太陰、申は天后、酉は貴人、戌は螣蛇、亥は朱雀。四課は右から左へ排す:第一課、日干の丁は寄宮が未にあり、未上に巳を得、巳は太常を乗せる。第二課、巳上に卯を得、卯は天空を乗せる。第三課、日支の亥上に酉を得、酉は貴人を乗せる。第四課、酉上に未を得、未は太陰を乗せる。三伝は初伝の酉で、遁干は乙酉、貴人を乗せ、丁火の日干において妻財である。中伝は未で、まさに甲申旬の旬空に当たり、太陰を乗せ、子孫である。末伝は巳で、遁干は癸巳、太常を乗せ、兄弟である。三伝の酉・未・巳は位を逐って後退し各々一支を隔て、間伝の中の退行の格に属する。
邵彥和曰:此課名彈射,一主婦人患血氣,二主門戶不寧,三主婢妾出走,四主家主患口齒之疾,此課可改門戶,不然則口舌立至矣。至五月十五日,己丑皆應。
邵彦和が言う:この課の課体の名は「弾射」という。これに拠って四つの事を断じ得る。第一に、家中の婦人が血気の疾を患う。第二に、門戸が安寧を得ない。第三に、婢女・侍妾が出走する。第四に、家主が口歯の病に害される。補救の法は門戸を改動することで、さもなければ口舌の是非がすぐに訪れて来る。五月十五日己丑の日に至り、四条がことごとく応験した。盤面に就いてその然る所以を推すに:卯はもともと門戸の神だが、今は天空を乗せ、天空は虚耗を主るので、門戸が寧まらない。太陰は一向に婢妾を主り、今は未を乗せて未はまた旬空に落ち、人が空に落ちれば去るので、婢妾の出走と断じた。朱雀は口舌・文書を主り、ちょうど日支の亥を乗ずるので、口歯の患と口舌の争いがある。いわゆる門戸を改めるとは、天空の臨む卯の位を避けて別に門を開くことである。
丁亥日・二月に生産を占う
二月丁亥日戌將亥時占生產。(直指引古鑑)
二月の丁亥日、戌月将を亥時の上に加えて課を起こし、生産を占った。この例は『六壬直指』に見え、『直指』はまた旧本『古鑑』から転引したものである。
龍勾合朱 辰巳午未 貴后勾合 子丙戌后 空卯 申蛇 酉戌巳午 財乙酉貴 虎寅 酉貴 戌亥午丁 財甲申蛇 丑子亥戌 常玄陰后
この盤は戌月将を亥時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位退く。天盤十二支の乗ずる天将は:子は玄武、丑は太常、寅は白虎、卯は天空、辰は青竜、巳は勾陳、午は六合、未は朱雀、申は螣蛇、酉は貴人、戌は天后、亥は太陰を乗せる。亥時は夜に属するので、丁日の夜貴である酉を用いる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に午を得、午は六合を乗せる。第二課、午上に巳を得、巳は勾陳を乗せる。第三課、日支の亥上に戌を得、戌は天后を乗せる。第四課、戌上に酉を得、酉は貴人を乗せる。三伝は初伝の戌で、遁干は丙戌、天后を乗せ、子孫である。中伝は酉で、遁干は乙酉、貴人を乗せ、妻財である。末伝は申で、遁干は甲申、螣蛇を乗せ、これも妻財である。戌・酉・申が一歩ずつ退くのは、退茹の格である。
邵彥和曰:占時與日比,用神克下,當生男。亥為頭,戌為足,鞏有倒生之象。末傳蛇對沖寅,寅作白虎為血忌(血忌當作血支)加卯上,卯日當生矣,果驗。
邵彦和が言う:課を起こした亥時は日支の亥と比和し、初伝の戌は亥の上に加わる。これは上神が下神を克するので、陽剛の象に属し、当に男子を生ずべき。亥は人身において頭であり、戌は人身において足である。今、足がかえって頭の上に圧するので(底本はここで「鞏」と作し、当に「恐」の字の訛であろう)、おそらく倒生、すなわち胎児が足を先に出す跡がある。末伝の申は螣蛇を乗せ、申は寅とまさに相沖し、寅上は白虎を乗せ、白虎は血忌の神である(原書の夾注:血忌は当に血支と作るべき)。そして寅はまた卯位の上に加わるので、卯日に当に生産すべしと断じた。後に果たして応験した。
丁亥日・七月に来意を占う(同一課盤で三人三断)
七月丁亥日巳將午時占來意。(一字訣玉連環)
七月の丁亥日、巳月将を午時の上に加えて課を起こし、「来意」を占う——すなわち来る人が口を開くを待たず、先に課の上から彼が何のために来たかを言い当てる。この例は『一字訣玉連環』に出る。以下、続けざまに三人が占いに来るが、用いたのは同一副の課盤である。年命が異なり、問う所の事が異なるので、取用の神も各々同じでなく、断り出すことは全く相干らない三つの事となった。
空虎 龍辰巳午未常 陰后空虎 子丙戌后 勾卯 申玄 酉戌巳午 財乙酉陰 合寅 酉陰 戌亥午丁 財甲申玄 朱丑子亥戌后 蛇貴
この盤は巳月将を午時の上に加えて起出し、天盤も地盤より一位退く。午時は昼に属し、丁日の昼貴である亥を用い、貴人は地盤の子位に臨んで順行する。故に天盤十二支の乗ずる天将は:亥は貴人、子は螣蛇、丑は朱雀、寅は六合、卯は勾陳、辰は青竜、巳は天空、午は白虎、未は太常、申は玄武、酉は太陰、戌は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に午を得、午は白虎を乗せる。第二課、午上に巳を得、巳は天空を乗せる。第三課、日支の亥上に戌を得、戌は天后を乗せる。第四課、戌上に酉を得、酉は太陰を乗せる。三伝は初伝の戌で、遁干は丙戌、天后を乗せ、子孫である。中伝は酉で、遁干は乙酉、太陰を乗せ、妻財である。末伝は申で、遁干は甲申、玄武を乗せ、これも妻財である。この課の四課・三伝は前の例の二月に生産を占ったものと寸分違わないが、ただあの課は亥時に起こして夜貴を用い、この課は午時に起こして昼貴を用いたので、一盤の天将がすっかり入れ換わった。昼夜の分が六壬において関係する所が極めて重いことが見える。
徐次賓曰:先一人五十四歲戊申生男子占來意,因其子在外飲酒過多,胃有宿食,冷氣得病。蓋時為日干六合,支上發用,本命上俱得子孫爻,乘休氣,故為子孫病,命上小吉太常為飲食,併發用,戌為脾胃,上得天后水為冷飲,又值事門得白虎為道路,故云因子孫在外飲食,傷脾胃得病,來占。
徐次賓が言う:先に来たこの方は五十四歳・戊申年生まれの男子で、来意を占った。断語は:彼の息子が外で飲酒が過ぎ、胃裏に宿食を積み、また冷気を受けて、因って病を得た。推断の筋道はこのようである:課を起こした午時は日干の丁の寄宮の未とまさに六合をなすので、問う所が自身の骨肉に関わると知れる。日支の亥上の戌が発用して初伝となる。この人の本命は申にあり、申上に未を得る——支上の戌と命上の未はいずれも丁火の生ずる所で、同じく子孫爻に属し、しかも七月は土気がちょうど休して力がないので、病むのは子孫の輩と断じた。命上の未はすなわち六壬十二神の「小吉」で、その上は太常を乗せ、太常は酒食・飲饌を主り、未はまた初伝と并見する。戌は人身において脾胃で、戌上は天后を乗せ、天后は水に属するので、冷飲が中を傷つけたのである。さらに値事門上に白虎を見る。白虎は道路を主り、外に在って奔走することを主る。合わせて言えば:息子が外で飲食が脾胃を傷つけて病を得たので、父が来て占ったのである。
一人三十五歲丁卯生男子占來意,因在外與二卑下婦人來往,得氣痞嗽血之病。蓋命上見六合為私門,天后主厭翳,中傳見太陰主伏匿,天魁從魁主奴婢,上得天后、太陰,故曰與二卑下婦人往來,天后剋日、末傳玄武又剋日,戌酉申俱是日干死墓之鄉,丁主心血,故得病嗽血也。
第二位は三十五歳・丁卯年生まれの男子で、同じく来意を占った。断語は:彼が外で二人の身分の卑下な婦人と往来して、因って気痞と咳血の病を得た。依拠は:彼の本命は卯にあり、卯上に六合を見る。六合は私門・暗昧の事を主る。天后は遮掩・蔽翳を主る。中伝にまた太陰を見、太陰は潜伏・隠匿を主る。戌は「天魁」と呼び、酉は「従魁」と呼び、二者はともに奴婢の一流の人物を主る。戌上は天后を乗せ、酉上は太陰を乗せ、二つの陰神が各々一支に拠るので、二人の卑下な婦人と往来するという。天后は水に属し、丁火の日干を克し、末伝の申は玄武を乗せ、玄武もまた水に属し、また来て日を克す。そして戌・酉・申の三支はまさに丁火の死地と墓地である。丁は人身において心と血を主り、日干はすでに水気の重ね重ねの克を受けるので、病は咳血を成す。
一人八十一歲來占辛巳生來,占來意,因家中走失奴婢兩口,得一姓馬人往西南追捕捉獲。蓋發用天魁主奴,從魁主婢,末得元武臨門,為窺戶,又值事門上見白虎主道路,卦得斬關主逃亡,今年老有官者來占,豈不是奴婢逃亡也。先鋒門勝光為今日等輩,又主姓馬人克玄武,故捉獲,言往西南追捕者,蓋元武陰神所居也。
第三位は八十一歳・辛巳年生まれの人で、来意を占いに来た。断語は:彼の家の中から二名の奴婢が走失し、まさに一人の馬姓の人に靠って西南方に追捕し、捉えて帰ることができる。依拠は:初伝の戌は「天魁」で奴僕を主り、中伝の酉は「従魁」で婢女を主り、末伝の申は玄武を乗せ、玄武が門に臨めばすなわち門戸を窺伺し盗み逃げする象である。値事門上にまた白虎を見、白虎は道路を主る。課体は「斬關」で、斬關はまさに逃亡を主る。今、占いに来たのは年高く官職ある人なので、家中で失われたのは自然自分の出走ではなく、まさに奴婢の逃亡である。先鋒門上は「勝光」の午火で、午は馬である。丁火の今日の同類の神であるとともに、また一人の馬姓の人を指す。午火は申金の玄武を克し得るので、捉えて帰れると断じた。西南方に追うと言ったのは、玄武の乗ずる申の陰神が未の上に落ち、未位がまさに西南にあるからである。
丁亥日・銭是奄が陳南洲の逮問を占う
崇正丁丑七月丁亥日甲辰時,太倉中翰錢是奄占常熟陳南洲逮問事。(指南)
崇禎丁丑年(原書は「崇正」と作す)七月丁亥日甲辰時、太倉籍の中書舎人銭是奄が、常熟人の陳南洲が逮捕され罪に問われる事について課を起した。本例は陳公献『六壬指南』に出る。
勾六 龍午未申酉朱 空巳 戌蛇 陰后朱六 財甲申六 虎辰 亥貴 丑子酉申 財乙酉朱 常卯寅丑子后 子亥申丁 子丙戌蛇 陰后
この盤は七月に巳月将を用いて辰時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位進む。辰時は昼に属し、丁日の昼貴である亥を用い、貴人は地盤の戌位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:亥は貴人、子は天后、丑は太陰、寅は玄武、卯は太常、辰は白虎、巳は天空、午は青竜、未は勾陳、申は六合、酉は朱雀、戌は螣蛇を乗せる。(底本の盤底の一行は「陰后」の二字のみを印し、位置が一位错落している。四課中の「丑上に太陰を乗ずる」および貴人逆行の序に拠れば、寅は当に玄武を乗せ、丑は当に太陰を乗せるべきで、今は四課に従う。)四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に申を得、申は六合を乗せる。第二課、申上に酉を得、酉は朱雀を乗せる。第三課、日支の亥上に子を得、子は天后を乗せる。第四課、子上に丑を得、丑は太陰を乗せる。三伝は初伝の申で、遁干は甲申、六合を乗せ、妻財である。中伝は酉で、遁干は乙酉、朱雀を乗せ、これも妻財である。末伝は戌で、遁干は丙戌、螣蛇を乗せ、子孫である。申・酉・戌が順次に進むのは、進茹の格である。
陳公獻曰:占訟最凶,全無救解。蓋因發用皇詔坐空,又蛇虎二墓加臨卯酉,此為冢墓門開,必主重重死喪也。又傳將純劫殺,丁火病死墓絕俱見,原何有救?且年上勾刃帶木,是用刑人執杖,定遭凶死。其後果奉旨廷杖,枷死二人。
陳公献が言う:この課で詞訟を占うは最も凶で、全く解救の路がない。原因は:初伝の申は「皇詔」の神で天子の旨意を主るが、偏に旬空の未位の上に坐し、恩命が空に落ちる。螣蛇は戌を乗せ、白虎は辰を乗せ、戌と辰はともに墓神で、また分かれて卯位・酉位の上に加わる——卯酉はもともと門戸で、二つの墓神が二扇の門を圧するのは、まさに墳墓の門が大きく開く様子で、必ず接続して断えない死喪を主る。三伝と天将が通りて体として劫殺を帯び、丁火の病・死・墓・絶の地が課伝の中に一斉に出現する。どうして救いがあろう。加えて行年の上は勾陳が木を帯び、勾陳は刑獄・杖責を主り、まさに刑を行う人が手に棍杖を執る形象で、このため必ず凶死に遭うと断じた。後に果たして旨を奉じて廷杖され、二人が枷号されて死に至った。
愚按:此課行年在午,則是酉生命,蛇墓加命,所以尤凶。年上勾刃帶木句,帶木二字不可解。以旬遁而言,則勾陳乘未,是空亡;以五子元遁而言,則未支遁得丁干,非乙干也。何以言其帶木耶?豈以未中藏有乙木,故耶?
我が按ずる:この課の当事人の行年は午にあり、行年より推し戻せば、本命は当に酉にあるべき。螣蛇の乗ずる戌墓はまさに本命の酉の上に加わるので、格別に凶険である。「年上に勾刃が木を帯びる」という一句について、「帯木」の二字は実に講じ通せない。もし旬遁に按して算えば、丁亥日は甲申旬に属し、行年の午上は未で、未は勾陳を乗せてちょうど旬空の裏に落ちる。もし五子元遁に按して算えば、丁日は庚子時から遁を起こし、未支の遁し出すのは丁干で、乙干ではない。何を以て木を帯びると言えよう。もしかして未の中に乙木を蔵するためであろうか。
丁亥日・毛主簿が前程を占う
戊申年五月丁亥日申將午時毛主簿乙亥生三十四歲占前程。(方本占案)
戊申年五月丁亥日、申月将を午時の上に加えて課を起した。占いに来たのは毛主簿で、乙亥年生まれ、三十四歳、問うたのは自分の今後の前程・官運である。本例は『方本占案』に出る。
勾合朱蛇 未申酉戌 常陰貴朱 財乙酉朱 龍午 亥貴 卯丑亥酉 鬼丁亥貴 空巳 子后 丑亥酉丁 子己丑陰 辰卯寅丑 虎常玄陰
この盤は申月将を午時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位進む。午時は昼に属し、丁日の昼貴である亥を用い、貴人は地盤の酉位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:亥は貴人、子は天后、丑は太陰、寅は玄武、卯は太常、辰は白虎、巳は天空、午は青竜、未は勾陳、申は六合、酉は朱雀、戌は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に酉を得、酉は朱雀を乗せる。第二課、酉上に亥を得、亥は貴人を乗せる。第三課、日支の亥上に丑を得、丑は太陰を乗せる。第四課、丑上に卯を得、卯は太常を乗せる。三伝は初伝の酉で、遁干は乙酉、朱雀を乗せ、妻財である。中伝は亥で、遁干は丁亥、貴人を乗せ、亥水は丁火を克するので官鬼である。末伝は丑で、遁干は己丑、太陰を乗せ、子孫である。酉・亥・丑が各々一位を隔てて順に進むのは、順間伝の格である。
邵彥和曰:日上破碎發用,中傳官星,即加其上,必因破財得官。三傳日辰,遍地貴人,主簿在任,須多差使,兼之權攝。但九丑在宅,主淫亂,在本命主貪色,末傳又見丑作太陰加官星上。太陰者,陰晦也,主在任因色而死。
邵彦和が言う:日干上の酉はまさに破碎煞で、しかもそれが発用して初伝を作した。中伝の亥は官星で、ちょうどこの破碎煞の上頭に加わる——先ず財を破り、後に官を得る。この官は金銭を使って換えて来たものである。三伝と日辰の上に貴人が処処に見えるので、主簿は任に到って後必ず差遣が繁多し、また別の職務を兼摂する。ただ九丑の神が宅位に落ちれば家中の淫乱を主り、本命の上に落ちればその人の好色を主る。末伝にまた丑が太陰を乗ずるを見、中伝の官星の上に圧する。太陰なるものは陰暗晦昧の神で、これに拠って彼が任上で女色に因って死すると断じた。
毛,鉅富,因此結納四方,乃得此任。任中盡將家財夤緣,故在任差使,更不曾停。家中果淫亂,毛最貪色,暱於婢妾,乙卯年死。蓋卯上有巳,會起酉丑合起破碎。九丑日上死神兼與中傳相沖,名沖起絕神。死與絕會,是以死也。大凡傳課,最畏遍地貴人,又畏行年上會起殺神。今丁亥日,有酉丑而欠巳,卯上見巳,所謂會起殺神也,故不能逃也。
毛某はもともと巨富で、銭財に靠って四方と交結し、ようやくこの職位を謀り得た。任に到って後はまた家産をことごとく持ち出して鑚営・請託に用いたので、任上で差使が一刻も停まなかった。家中は果たして淫乱し、毛某は最も女色を貪り、婢妾を寵溺し、乙卯年に至って身が死した。課理を追窮するに:乙卯年の卯上は巳があり、巳は課中の酉・丑と会して三合金局を成し、まさに破碎煞を会して起した。九丑はすでに日上の死神であり、また中伝と相沖する。これを「絶神を冲して起す」と呼ぶ。死神と絶神が一ヶ所に会したので、人はついに死した。およそ課伝を見るに、最も貴人が全局に遍布するを恐れ、また行年の上が殺神を会合するを恐れる。丁亥のこの日は、課中にもともと酉あり・丑あり、ただ巳の一つを欠くのみであったが、偏に乙卯年の卯上に巳が見えて三合を補斉した。これがすなわちいわゆる「殺神を会して起す」で、このため逃れ切れなかった。
丁亥日・戴洋が毛宝の叛兵の武昌攻めを占う
晉元帝五年十月丁亥日寅將子時,聞毛寶叛兵,當來攻武昌城,戴洋占之。(晉書戴洋傳)戴洋字國流,吳興長城人,為晉相,解占侯術數、風角,不但知六壬而已。
晋元帝五年十月丁亥日、寅月将を子時に加えて課を起した。当時、毛宝の叛兵がまさに武昌城を攻めに来ると聞え、戴洋がこのため一課を占った。この例は『晋書・戴洋伝』から採る。戴洋は字を国流、呉興長城の人、官は晋朝の宰輔に至り、占候・術数と風角の学に精通し、長じる所は六壬の一門に止まらない。(按するに史書では、邾城の役は晋成帝咸康五年にあり、ここの紀年は当に出入があろう。)
蛇貴 朱未申酉戌后 空常陰貴 財乙酉貴 六午 亥陰 卯丑亥酉 鬼丁亥陰 勾巳 子玄 丑亥酉丁 子己丑常 青辰卯寅丑常 空虎
この盤は寅月将を子時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位進む。子時は夜に属し、丁日の夜貴である酉を用い、貴人は地盤の未位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:酉は貴人、戌は天后、亥は太陰、子は玄武、丑は太常、寅は白虎、卯は天空、辰は青竜、巳は勾陳、午は六合、未は朱雀、申は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に酉を得、酉は貴人を乗せる。第二課、酉上に亥を得、亥は太陰を乗せる。第三課、日支の亥上に丑を得、丑は太常を乗せる。第四課、丑上に卯を得、卯は天空を乗せる。三伝は初伝の酉で、遁干は乙酉、貴人を乗せ、妻財である。中伝は亥で、遁干は丁亥、太陰を乗せ、亥水は丁火を克するので官鬼である。末伝は丑で、遁干は己丑、太常を乗せ、子孫である。この課の四課・三伝は前の毛主簿が前程を占った一課と全く同じ——いずれも丁亥日、天盤が二位進む——ただあの課は午時に起こして昼貴を用い、この課は子時に起こして夜貴を用いたので、満盤の天将は別に一採に換わり、断り出す事も一は官運・一は兵事となった。
戴洋曰:十月丁亥夜半時得賊問。干為君,支為臣。干為征西府,亥為邾城,功曹為賊神,加子時,十月水旺木相。旺相氣合,賊必來。寅數七,子數九,賊高可九千人,下可七千人。從魁為貴人加丁,下克上有空亡之事,不敢進武昌也。賊果陷邾城而去。
戴洋が言う:十月丁亥日の夜半に賊兵の消息を得た。課中、日干は君上を代表し、日支は臣属を代表する。具体的に目下に即せば、日干は征西将軍府で、日支の亥はすなわち邾城である。寅は「功曹」で、ここでは賊神として看る。今、寅将が子時の上に加わる。十月は水が旺で木が相の時節で、賊神はすでに旺相の気を得また時辰と相合するので、賊兵は必ず来る。寅の数は七、子の数は九なので、賊の衆は多ければ九千人、少なければ七千人。酉は「従魁」で、貴人を乗せて丁の寄宮の上に加わり、下神が上神を克し、また旬空の事に牽連するので、賊兵は敢えて武昌に進逼しないことが見える。後に賊兵は果たしてただ邾城を攻め陥れただけで退き去った。
陳公獻曰:賊自西南而來,城必無虞。曰:游都離日辰甚遠,何以知賊之必來?曰:酉貴臨干發用,故知其來而自西南也。曰:有眾幾何?曰:游都臨日辰遠,干上貴又空,惟以正時上下合斷,約有七九六千三百。曰:城無虞者何?蓋貴臨干受克,故知賊不攻城而退也。
陳公献がこの課を評論して言う:賊兵は西南方から来るが、武昌城は必ず恙がない。ある人が問う:寇盗を代表する「游都」は日と辰からともに遠いのに、何を以て賊兵が必ず来ると知ったか。答えて言う:酉が貴人を乗せて日干の上に臨んで発用して初伝をなし、酉位は西方に偏して南にあるので、賊兵が来ること、しかも西南方から来ることを知った。又问う:賊はどれほどいるか。答えて言う:游都は日辰から遠すぎ、日干上の貴人はまた空に落ちる。ただ課の正時の上下神を取り起して合算するほかなく、およそ七千から九千の間にあり、その中数を取れば六千三百上下である。また問う:なぜ城に恙がないと言うか。答えて言う:貴人が日干の上に臨んでかえって克制を受け、来勢が逞しゅうできないので、賊兵が城を攻めずして退き去ると知った。
此課乃晉元帝時因毛寶叛兵屯邾城,命宰相戴洋占後載之於史。予初不知,不意斷法竟與古事相合,然純陰之課,子之陰神魯都剋日,主賊有埋伏,又支為城,上神克之,而上神又被陰神所克,主居守不仁且欲自相攻擊。又末傳生合初貴,主內有暗降之人,此數事皆前人未盡之秘,予不惜筆之於書,以授後之學者。
この課はもともと晋元帝の時に毛宝の叛兵が邾城に屯駐したため、朝廷が宰輔の戴洋に命じて占問し、後に史册に載ったものである。私は初めこの段の史事があることを知らなかったが、意外にも自分の断法が古人の占った旧事と一々に符合した。さらに幾層か補う:この課は通体が純陰の局で、子の陰神の上は「魯都」を乗せて日干を克し、賊兵が埋伏を設けることを主る。日支は城池を代表し、支上の神がそれを克し、しかもこの上神がまた反って自分の陰神に克される。城を守る人が信義を講ぜず、かつ内部が自ずから相攻撃することを主る。末伝はまた初伝の貴人を生合し、城中に暗地に投降する人がいることを主る。この幾層はいずれも前人の言い透さなかった秘訣で、私は惜しまずに書の中に写し、後の学者に留める。
丁亥日・傅清卿が平生を占う
己酉年八月丁亥日辰將丑時傅清卿壬申生三十八歲占平生。(方本占案)
己酉年八月丁亥日、辰月将を丑時の上に加えて課を起した。占いに来たのは傅清卿で、壬申年生まれ、三十八歳、問うたのは平生の総体的な際遇である。本例は『方本占案』に出る。
後陰 貴申酉戌亥玄 勾虎常后 兄甲午六 蛇未 子常 巳寅丑戌 子丙戌后 朱午 丑虎 寅亥戌丁 印庚寅虎 六巳辰卯寅空 勾青
この盤は辰月将を丑時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位進む。丑時は夜に属し、丁日の夜貴である酉を用い、貴人は地盤の午位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:酉は貴人、戌は天后、亥は太陰、子は玄武、丑は太常、寅は白虎、卯は天空、辰は青竜、巳は勾陳、午は六合、未は朱雀、申は螣蛇を乗せる。(底本の方図中の天将の一圈は刻み誤って一位ずれている。今は四課・三伝に標する天将を以て准とする。)四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に戌を得、戌は天后を乗せる。第二課、戌上に丑を得、丑は太常を乗せる。第三課、日支の亥上に寅を得、寅は白虎を乗せる。第四課、寅上に巳を得、巳は勾陳を乗せる。四課の上下に克なく、日干と上神とにもまた遙克がないので、「昴星」の法を用いる。丁は陰日なので、天盤の酉の臨む地盤の位である午を取って初伝とし、中伝は日干の上神の戌を取り、末伝は日支の上神の寅を取る。だから初伝の午は六合を乗せ、兄弟である(底本の遁干は「甲午」と作すが、しかし午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、次の課の程翔云がすなわち明らかに「午未空」と言うので、ここは当に空亡を以て論ずべき)。中伝は戌で、遁干は丙戌、天后を乗せ、子孫である。末伝は寅で、遁干は庚寅、白虎を乗せ、印綬である。寅・午・戌の三支は合して火局を成し、これを「炎上」と為す。
邵彥和曰:自有隨身庫,何必求財?傅曰:隨身庫,主何也?曰:只利書會,此是隨身庫,餘不利。蓋父母在鬼鄉,又作虎,才討生涯,便生不足。初祿加卯,又是空亡,故只好書會為活計耳。
邵彦和が言う:あなた自身の上に一座の庫を帯びているのに、どうしてさらに外に向かって財を求めるのか。傅清卿が問う:いわゆる随身庫とは、何を主るのか。答えて言う:ただ文墨・筆札に靠って生を謀るに利あるのみ。これがすなわちあなたの随身庫で、この外はいずれも利がない。末伝の父母・印綬が官鬼の郷に落ち、また白虎を乗せ、白虎は驚扰・阻碍を主るので、あなたがちょうど一門の生計を張り羅しようとすれば、不足と阻滞を生ずる。さらに日干の丁の禄神は午にあり、初伝の午はちょうど卯位の上に加わり、しかも午はまたちょうど旬空である——禄はすでに空に落ちれば、大財を発し得ない。ただ書写・講授の類の文墨の行業を以て日を過ごすほかない。
丁亥日・程翔云が甲申歳内の吉凶を占う
甲申正月丁亥己酉時,程翔雲居廣陵,聞兵警,占歲內吉凶。昴星、炎上,午未空,酉戌落空。
甲申年正月丁亥日己酉時、程翔云が広陵に住んでいて、兵乱の警報を聞き、この一年の内の吉凶について一課を起した。正月は立春の後もなお子月将を用い、子将を酉時に加え、天盤は地盤より三位進み、得た所は前の例の傅清卿が平生を占ったのと全くの同一副の盤である。課体は「昴星」で、三伝の寅・午・戌は合して火局を成し、「炎上」と呼ぶ。午・未の二支はまさに甲申旬の旬空に当たり、しかも天盤の酉・戌がまたちょうど地盤の午・未のこの二つの空位の上に落ちるので、「酉戌落空」と言う。
後陰 貴申酉戌亥玄 勾虎常后 兄甲午六 蛇未 子常 巳寅丑戌 子丙戌后 朱午 丑虎 寅亥戌丁 印庚寅虎 六巳辰卯寅空 勾青
課盤は前の例と全く同じ:天盤各支の乗ずる天将は酉に貴人、戌に天后、亥に太陰、子に玄武、丑に太常、寅に白虎、卯に天空、辰に青竜、巳に勾陳、午に六合、未に朱雀、申に螣蛇。四課は右から左へ戌が丁に加わり(丁は未に寄す)、丑が戌に加わり、寅が亥に加わり、巳が寅に加わる。天将は順に天后・太常・白虎・勾陳。三伝は初伝の午は六合を乗せ(旬空)、中伝の戌は天后を乗せ、末伝の寅は白虎を乗せ、寅午戌が火局を成す。前の例の傅清卿はこの盤を以て一生の窮通を問い、看たのは禄神の落空・印綬の虎を乗ずること。こんどの例の程翔云は同じ盤を以て一年の兵禍を問い、看たのは却って墓神の日を覆うこと・喪吊の伝に入ること・游都の歳を刑すること——問う所が異なれば、取る神と論ずる事とが判然として二途に分かれる。
程翔云曰:墓神覆日,虎符朝支,又喪吊入傳,末見歲刑白虎,定有兵喪不測事。勾陳游都入辰陰幽燕之地,又見死神陰煞,是以兵戈難免,且干支乘脫,內外空虛,支陰游都刑剋太歲,於君不利,日陰克辰,西北有兵變急進之虞,支又克辰陰,城東邊將兵民必生離異。其後賊果犯燕京,城中內變,而有三月十九日之事。
程翔云が言う:墓神が日干の上に圧し、白虎の帯びる虎符がまた日支に向かい、喪門・吊客が一ならびに三伝に入り、末伝はさらに太歳の刑と白虎とが同じ一支に処る。この一年に必ず兵乱・喪亡の意外の事があると断じた。勾陳と「游都」が日支の陰神の位に落ち、その一位はまさに幽燕の地に応じ、その上にまた死神と陰煞を見るので、兵戈は避け難い。加えて日干・日支がともに脱気の神を乗せ、朝廷の内外は一片に空虚である。日支の陰神と游都はまた太歳を刑克し、これは君王に不利である。日干の陰神は日支を克し、西北方向に兵変が急進する憂いがあることを主る。日支はかえって日支の陰神を克し、城東一一帯の辺将と兵民が必ず離心を生ずることを主る。後に賊兵は果たして燕京に進犯し、城中に内変が発し、ここにおいて三月十九日のあの事があった——甲申年三月十九日は、まさに崇禎帝が国に殉じ京城が陥落した日である。
戊子日
戊子日・三月に失せた羊を占う
三月戊子日酉將寅時占失羊。(方本占案)
三月の戊子日、酉月将を寅時の上に加えて課を起し、失われた羊がどこにあるかを占った。本例は『方本占案』に出る。
貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后空空蛇 財戊子蛇初 六戌 巳常 寅未未子 兄空未空中 陳酉申未午虎 未子子戊 鬼庚寅後末 龍空
この盤は酉月将を寅時の上に加えて起出し、天盤は地盤より七位進む。本課は戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の午位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は天后、卯は太陰、辰は玄武、巳は太常、午は白虎、未は天空、申は青竜、酉は勾陳(盤中は「陳」と書く)、戌は六合、亥は朱雀、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳にあり、巳上に子を得、子は螣蛇を乗せる。第二課、子上に未を得、未は天空を乗せる。第三課、日支の子上に未を得、未は天空を乗せる。第四課、未上に寅を得、寅は天后を乗せる。三伝は初伝の子で、遁干は戊子、螣蛇を乗せ、子水は戊土の日干において妻財である。中伝は未で、まさに甲申旬の旬空に当たり、天空を乗せ、兄弟である。末伝は寅で、遁干は庚寅、天后を乗せ、寅木は戊土を克するので官鬼である。盤中の三伝の傍の「初」「中」「末」はすなわちその次序を標明する。
邵彥和曰:子作騰蛇,加日為用,主非橫之事,中傳未加子,未羊也,加子為六害。羊非水中物,不宜臨子,況作天空,天空是戌,戌刑未,戌是犬,子為水,此羊被犬趕入水中,而被人烹宰,盛於甕器中而去,藏於廁屋中。蓋天空無氣為器物又為汙穢,故為甕器、為廁屋。末傳寅即白虎,加未故主傷羊,不出今日當捉獲,果然。
邵彦和が言う:子が螣蛇を乗せ、日干の上に加わって発用する。螣蛇は驚怪を主るので、問う所が一椿の意外に横生した事と知れる。中伝の未は子の上に加わり、未は十二属相の中ではすなわち羊で、子と未とは相害し、まさに羊に傷損あるに応ずる。羊はもともと水中の物でなく、子水の位に臨むを宜しくしない。まして未上に乗ずるは天空で、天空のこの天将の本家は戌にあり、戌はまた未を刑し、そして戌は属相の中では犬で、子は五行の中では水である——合わせて看れば、すなわちこの羊が犬に追われて水の中に進み、随って人に宰殺・烹煮され、瓮器に盛って持ち去られ、厕屋の中に蔵せられたのである。天空は気無く、象を取れば器皿で、また汚穢の処を主るので、瓮器と断じ・厕屋と断じた。末伝の寅は属相の中で即ち虎で、虎が羊の上に加わるので、羊が傷害を受けることを主る。今日を出ずして追査し得ると断じたが、後に果たしてそのようになった。
戊子日・甲戌年元日に陰人の病を占う
甲戌年元旦戊子日子將卯時占陰人病。(郭氏占案)
甲戌年正月初一、戊子日、子月将を卯時の上に加えて課を起し、一人の女子の病情を占った。「陰人」はすなわち婦人である。本例は郭御青『郭氏占案』に出る。
蛇朱合勾 寅卯辰巳 龍常陰蛇 鬼庚寅蛇 貴丑 午龍 午酉亥寅 財丁亥陰 后子 未空 酉子寅戊 子甲申虎 亥戌酉申 陰玄常虎
この盤は子月将を卯時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位退く。卯時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の辰位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は螣蛇、卯は朱雀、辰は六合、巳は勾陳、午は青竜、未は天空、申は白虎、酉は太常、戌は玄武、亥は太陰、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に寅を得、寅は螣蛇を乗せる。第二課、寅上に亥を得、亥は太陰を乗せる。第三課、日支の子上に酉を得、酉は太常を乗せる。第四課、酉上に午を得、午は青竜を乗せる。三伝は初伝の寅で、遁干は庚寅、螣蛇を乗せ、寅木は戊土を克するので官鬼である。中伝は亥で、遁干は丁亥、太陰を乗せ、妻財である。末伝は申で、遁干は甲申、白虎を乗せ、子孫である。三伝の寅・亥・申は歩ごとに三位後退する。
郭御青曰:餘況占陰人病。此病已至危急無望。今課得干上寅鬼,三傳自下遞生克干,支上酉乃旬乙,末傳申乃旬甲,純木克土,誠為難當,然病危不死。畢法云:“鬼賊當時無畏忌。”至初八立春,木旺貪榮,上生枝葉,下不克土,漸有生意。果至初八日漸愈。凡占列愚囚鬼反可畏,若鬼得時反不傷人,不足畏矣。雖然,惟木則如此,凡木性克土,全在秋冬,若金水火土旺愈傷人,不可以一例而論。
郭御青が言う:私は一人の婦人のために病を占った。病情はすでに危急で望みなき地步に至っていた。この課は日干の上は寅木の官鬼で、三伝はまた下から上へ層層に相生してさらに来て日干を克す。日支上の酉は甲申旬の中で乙干を遁し、末伝の申は甲干を遁し、甲乙は皆木で、純一に木気が来て戊土を克する。実に当たり難い。しかし病は危いけれども死なない。『畢法賦』に言う:「鬼賊は時に当たれば畏忌なし」——官鬼がまさに時令に当たって勢いを得る時は、かえって畏れるに足りない。正月初八に立春に至ると、木気は転じて旺となって向栄に貪り、気力はみな上に向かって枝葉を生発するに用いられ、もはや下の土を克しない。ここにおいて漸々に生機があった。果たして初八日に至って病情は逐日に好転した。およそ病を占うに、官鬼が衰弱して囚徒の如きはかえって畏るべく、官鬼が令に当たり時を得れば、かえって人を傷らず畏るるに足らない。ただ話を返せば、木性のみがこのようである。木が土を克する最も狠い時は全て秋冬の木気が勢いを得ぬ際にある。もし金・水・火・土に換えれば、すなわち愈々旺なれば愈々人を傷る。一概に論じてはならない。
愚按:此課之所以病癒者,實賴申酉二金,克寅木之鬼也。初八日後,申酉二金值日,自當漸愈。予不知郭公何故不引“制鬼之位乃良醫”之句耶?
我が按ずる:この課の病が能く好けた所以は、実は申・酉の二つの金神が反って寅木の官鬼を克制したことに靠る。初八日より後は申酉金が日に値って権を当たり、病は自然に一日一日軽減した。私は郭公がなぜ『畢法賦』の「鬼を制する位はすなわち良医」のあの一句を引いて解釈しないのか分からない。
戊子日・十一月に安豊の敵寇を卜う
十一月戊子日寅將卯時卜安豐敵寇。(一針見血)
十一月の戊子日、寅月将を卯時の上に加えて課を起し、安豊一帯の敵寇の動静を卜問した。安豊はすなわち宋代の安豊軍で、当時北方の兵馬に抵禦する前線であった。本例は『一針見血』に出る。
合勾龍空 辰巳午未 玄陰朱合 兄丙戌玄 朱卯 申虎 戌亥卯辰 子乙酉常 蛇寅 酉常 亥子辰戊 子甲申虎 丑子亥戌 貴后陰玄
この盤は寅月将を卯時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位退く。卯時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の寅位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は螣蛇、卯は朱雀、辰は六合、巳は勾陳、午は青竜、未は天空、申は白虎、酉は太常、戌は玄武、亥は太陰、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に辰を得、辰は六合を乗せる。第二課、辰上に卯を得、卯は朱雀を乗せる。第三課、日支の子上に亥を得、亥は太陰を乗せる。第四課、亥上に戌を得、戌は玄武を乗せる。三伝は初伝の戌で、遁干は丙戌、玄武を乗せ、兄弟である。中伝は酉で、遁干は乙酉、太常を乗せ、子孫である。末伝は申で、遁干は甲申、白虎を乗せ、これも子孫である。戌・酉・申が一歩ずつ退くのは、退茹の格である。
祝泌奏曰:三傳戌酉申,連續而退,乃寇漸退之象。所占安豐,彼地受敵日多,今臣敢忘國家之憂,即以自占,亦到宥府卜之,得數課,皆是臨日辰月建,月建乃侯伯之權,即所卜安豐之郡也。游都為寇,即棲其位,是虜寇迫城之象。今之所占,游都在日干前四位,在日支後三位,占法云:二三依次須防禦,若臨前四不侵圍。則可知,虜寇已退矣。第末去,蓋游都猶在日支第三位也,初傳天魁,未免失利。又占戌亥,日間動為信喜,兩三日內音信當至矣。
祝泌が上奏して言う:三伝の戌・酉・申が一路後退するのは、まさに寇兵が漸々退き去る象である。占う所の安豊は、あの地が敵を受けてすでに多日である。臣はあえて国家の憂いを忘れず、身を以て一課を起し、また枢密院に至って卜し、数課を得て、いずれも日辰と月建に臨んだ。月建は侯伯の権を代表し、指す所はまさに卜う安豊のこの一郡である。「游都」のこの神は寇盗を代表し、今まさにあの位置に栖むは、虜寇が城に逼る様子である。目下のこの課に就いて看れば、游都は日干の前の第四位・日支の後の第三位に落ちる。占法に言う:「二三は依次に須らく防御し、若し前四に臨めば侵囲せず」——前の四位に落ちれば合囲しないので、これによって虜寇がすでに退いたと知れる。ただまだ退き浄まらない。游都がなお日支の第三位にあるからであり、初伝はまた天魁の戌なので、幾らかの折損を免れない。さらに占って到った戌・亥の二支を看れば、白日に発動するのは音信の喜びを主り、二三日の内に消息が到るべきである。
戊子日・庚寅年に一吏が事を犯して自ら占う
庚寅年十一月戊子日丑將寅時一吏犯事占此。(一針見血)
庚寅年十一月戊子日、丑月将を寅時の上に加えて課を起した。占者は一名の事を犯した吏員で、自分の官司のためにこの一課を起した。本例は『一針見血』に出る。丑将の寅に加わるは前の課の寅将の卯に加わると、天盤が同じく地盤より一位退くので、二課の盤は全く同じで、ただ問う所が軍情から刑獄に換わっただけである。
合勾龍空 辰巳午未 玄陰朱合 兄丙戌玄 朱卯 申虎 戌亥卯辰 子乙酉常 蛇寅 酉常 亥子辰戊 子甲申虎 丑子亥戌 貴后陰玄
課盤は前の例と同じ:天盤は丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后を乗せる。四課は右から左へ辰が戊に加わり(戊は巳に寄す)、卯が辰に加わり、亥が子に加わり、戌が亥に加わる。天将は順に六合・朱雀・太陰・玄武。三伝は初伝の戌は玄武を乗せて兄弟、中伝の酉は太常を乗せて子孫、末伝の申は白虎を乗せてこれも子孫で、通体退茹である。前の課で看たのは退茹が寇の退を主ることで、こんどの課で看るのは却って申酉金が刑傷・獄死を主ること——同一副の退茹の盤で、兵を問えば吉、獄を問えば凶である。
斷曰:此事帶眾難了,出一獄,入一獄。初傳戌加亥,戌是天空,戊子日納音屬火,戌是火墓。中傳酉作太常,加戌六害。未臨申作白虎,加酉旺地,邊茹傳陰,陰主殺。申酉臨金,主傷、主獄死。以戊子火克申酉金,故出一獄,入一獄,帶眾難了。況又見辰戌兩墓乎後主壬辰年正月配在本州。
断語に言う:この事は牽連する人が多く、了結し難く、一重の牢獄を出て、また一重の牢獄に進む。初伝の戌は亥の上に加わり、戌はもともと天空のこの天将の本家である。戊子の一日の納音は霹靂火に属し、戌はまさに火の墓庫である。中伝の酉は太常を乗せ、戌の上に加わり、酉と戌は相害する。末伝(底本は「未」と作し、当に「末」の字の訛であろう)の申は白虎を乗せ、酉のこの金気がちょうど旺する地に加わる。連茹の伝は陰位に帰し、陰は肅殺を主る。申・酉はともに金に属し、刑傷を主り、獄中に死することを主る。戊子の納音の火を以て申酉の金を克すれば、一獄を出てまた一獄に入り、牽連が衆多で断ち了え難い。まして課中にまた辰・戌の両重の墓庫を并見する。後にこの人は壬辰年正月に流配に判せられ、本州に配された。
戊子日・江西の五家魁が会試を占う
崇正丁丑年二月十八戊子日亥將子時江西五家魁孝廉占會試。(郭氏占案)
崇禎丁丑年(原書は「崇正」と作す)二月十八日戊子、亥月将を子時の上に加えて課を起した。占いに来たのは江西の挙人五家魁で、会試が中式し得るかを問うた。本例は『郭氏占案』に出る。亥将の子に加わるもなお天盤が地盤より一位退くので、この課は前の二課と同盤である。
合勾龍空 辰巳午未 玄陰朱合 兄丙戌玄 朱卯 申虎 戌亥卯辰 子乙酉常 蛇寅 酉常 亥子辰戊 子甲申虎 丑子亥戌 貴后陰玄
課盤は一に前の二例の如し:天盤は丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后を乗せる。四課は右から左へ辰が戊に加わり、卯が辰に加わり、亥が子に加わり、戌が亥に加わる。三伝は初の戌は玄武を乗せ、中の酉は太常を乗せ、末の申は白虎を乗せる。同じこの盤で、敵寇を卜れば三伝の退茹と游都の位を取り、刑獄を問えば申酉の金気を取り、科名を占えば専ら日干上の辰墓と行年・本命を看る——取用の神は問う所に随って転ずる。これが六壬の同課異断の根本である。
郭御青曰:此課墓祿覆日,雖初傳有戌沖之,奈年上又乘墓神?命上乘酉,合住辰墓,則戌墓不能沖開矣。大端不美,餘可不論。吳稼云曰:墓庫加干乃埋沒不得出頭之象。
郭御青が言う:この課は墓神が日禄と日干を圧し伏せた——戊土の寄宮は巳にあり、巳はすでに戊の禄位であるのに、その上に偏に辰のこの墓神が圧している。初伝の戌が辰墓を冲開し得るけれども、行年の上にまた墓神を乗せるのを如何ともし難い。本命上は酉を乗せ、酉は辰と相合し、辰墓を牢牢に合住させ、戌墓はもはや冲開できない。大体すでに佳くないので、其余の細節は論ずるに及ばない。呉稼云が言う:墓庫が日干の頭上に加われば、すなわち埋没されて出頭し得ない象である。
戊子日・高公のため功名を占う
崇正戊寅年正月二十四戊子日亥瘵酉時為高公占功名。(郭氏占案)
崇禎戊寅年(原書は「崇正」と作す)正月二十四日戊子、亥月将を酉時の上に加えて課を起し(底本は「将」の字を「瘵」に訛す)、高公のため功名を占った。本例は『郭氏占案』に出る。
貴后陰玄 未申酉戌 合龍陰貴 兄壬辰合 蛇午 亥常 辰寅酉未 父◎午蛇 朱巳 子虎 寅子未戊 子甲申后 辰卯寅丑 合勾龍空
この盤は亥月将を酉時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位進む。酉時は夜に属し、戊日の夜貴である未を用い、貴人は地盤の巳位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:未は貴人、申は天后、酉は太陰、戌は玄武、亥は太常、子は白虎、丑は天空、寅は青竜、卯は勾陳、辰は六合、巳は朱雀、午は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に未を得、未は貴人を乗せる。第二課、未上に酉を得、酉は太陰を乗せる。第三課、日支の子上に寅を得、寅は青竜を乗せる。第四課、寅上に辰を得、辰は六合を乗せる。三伝は初伝の辰で、遁干は壬辰、六合を乗せ、兄弟である。中伝は午で、螣蛇を乗せ、午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、盤上に「◎」を以て標し出す。午火は戊土を生ずるので父母である。末伝は申で、遁干は甲申、天后を乗せ、子孫である。辰・午・申が各々一位を隔てて順に進むのは、順間伝である。
郭御青曰:課名登三天,嫌中末空陷,祿傳墓神。乃正月,目下諸事不爽,未幾,果然有言,須屬犬之人沖之,到四五月方美。行年見白虎,必是臺中,但恐考不能待,孰知其果至期也乃五月中字填實,三天方可登,此番曠興乃真登三天也。與張坦之課俱奇中。(見辛卯日干上巳)
郭御青が言う:この課の課体の名は「登三天」で、ただ中伝・末伝がともに空陥の地に落ち、日禄がまた墓神に伝入したのを嫌う。当時は正月で、目下の諸事は誤りなく見えた。程なくして、果たして話の端があった:須らく一人の狗に属する人を得てそれを冲開させ、四五月の間に至って転じて好くなる。行年上に白虎を見るので、将来必ず御史台の一路にあり。ただ考選がその時まで待てないのを恐れる。誰が知ろう、竟に真にあの日まで待ち得たのを——五月に至り、午の字が填実し(底本は「中」と作し、当に「午」の訛であろう)、三天に登り得た。このたびの破格の起用こそ、真の「登三天」というべきである。この課は張坦公のあの課とともに断って奇准である(張坦公の一課は辛卯日「干上巳」の条に見る)。
戊子日・姚博が家の訟を占う
己酉年閏八月戊子日辰將子時姚博戊辰生四十二歲占家訟。(方本占案)
己酉年閏八月戊子日、辰月将を子時の上に加えて課を起した。占いに来たのは姚博で、戊辰年生まれ、四十二歳、問うたは一場の家財に因って起きた官司である。本例は『方本占案』に出る。
朱合勾龍 酉戌亥子 蛇玄空朱 兄壬辰玄 蛇申 丑空 申辰丑酉 子甲申蛇 貴未 寅虎 辰子酉戊 財戊子龍 午巳辰卯 后陰玄常
この盤は辰月将を子時の上に加えて起出し、天盤は地盤より四位進む。子時は夜に属し、戊日の夜貴である未を用い、貴人は地盤の卯位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:未は貴人、申は螣蛇、酉は朱雀、戌は六合、亥は勾陳、子は青竜、丑は天空、寅は白虎、卯は太常、辰は玄武、巳は太陰、午は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に酉を得、酉は朱雀を乗せる。第二課、酉上に丑を得、丑は天空を乗せる。第三課、日支の子上に辰を得、辰は玄武を乗せる。第四課、辰上に申を得、申は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の辰で、遁干は壬辰、玄武を乗せ、兄弟である。中伝は申で、遁干は甲申、螣蛇を乗せ、子孫である。末伝は子で、遁干は戊子、青竜を乗せ、子水は戊土において妻財である。申・子・辰が合して水局を成すのは、まさに財局である。
邵彥和曰:訟因後一項財,卻爭先一項財起。喜得有舊文書為證。姚曰:果是收得伊父筆據,候到宣先將出。曰:今日有一人,面黑有痣,狀貌魁肥,來控爾口中言語,爾可設酒款待,卻將此筆據出看,訟可便止。蓋三傳無官鬼財,在今日之長生上,所以不失財,故與此人說即止也。
邵彦和が言う:この官司は名義上は後の一筆の銭のためだが、実際は先の一筆の銭を争ったことから引き起こされた。幸いなことに手裏に旧文書があって憑証と為し得る。姚博が言う:果たして彼の父親が親筆で書いた字拠を収めている。官府に到ったら先に取り出そう。邵彦和が言う:今日一人の人が来る。面色が黒く、顔に痣があり、身材が魁梧にして肥壯で、来てあなたが口の中で言った言葉を当面質問する。あなたはただ酒を備えて彼を款待し、さらにこの字拠を取り出して彼に見せれば、官司は即刻止められる。三伝の中に官鬼が財を克しに来ることがなく、しかも財爻が今日の長生の位の上に落ちるので、銭財は失われない。まさにこのため、この人と言い開きさえすれば、事が停まるのである。
姚博昔與何知鎮干財,知鎮赴任時,姚博將帳簿來呈知鎮於簿內,批判請訖二字。其子名於九者,卻不知及知鎮卒後二年,姚博再向何宅借錢三百貫,何宅將與之,而宅前有沈姓者開店,其人身肥,面黑有痣,卻與何宅說知鎮在日姚博欠錢未還,其子遂欲進狀來追。姚博因來占課,及占後回家,沈姓果來相探,姚博遂置酒相待,將知鎮批據與看,沈乃向何宅言之,遂止。
事の原委は:姚博はその年に何知鎮に代わって銭財を経営管理し、何知鎮が赴任する時、姚博は帳簿を呈上し、何知鎮は簿の中に「請訖」の二字を批して、すでに結清したことを表した。しかし彼の于九という名の息子は情を知らなかった。何知鎮が死して二年の後、姚博はまた何家に三百貫銭を借りに向かい、何家はもともと許諾した。何家の門の前に沈という姓の店が開いてあり、この人は身材が肥壯し、面が黒く痣があるが、何家に対して言った:何知鎮が在世の時に姚博が欠けた銭は還っていない。何家の息子はここにおいて状子を出して追討しようとした。姚博はこれに因って前来り課を占った。占い終わって家に帰ると、沈姓は果たして門に上って探問に来た。姚博はすなわち酒を擺して相待ち、何知鎮の当年の批拠を取り出して彼に見せた。沈某は振り返って何家に説明し、この事はこれに就いて了結した。
蓋酉作朱雀,為舊文字,陽主新,陰主舊也。辰加子作玄武臨財,是財上之庫也,庫鬼即沈也。申臨庫地,所以便了,財臨生地,所以不失財也。
課理を細かく究めるに:日干上の酉は朱雀を乗せ、朱雀は文書を主る。酉は陰に属し、陽は新を主り陰は旧を主るので、一件の旧文書と断じた。初伝の辰は子の上に加わって玄武を乗せ、玄武は財爻に臨み、辰はまさに水庫で、まさに財の上に圧する庫である。この庫中の鬼とは、指す所は沈姓のあの人である。中伝の申は庫地の上に臨むので、事が即刻に了し得る。末伝の財爻の子は長生の地に落ちるので、銭財はついに失われない。
戊子日・何承務が家宅を占う
己酉年三月戊子日戌將巳時何承務丁巳生五十三歲占家宅。(一針見血、方本占案、口鑑)
己酉年三月戊子日、戌月将を巳時の上に加えて課を起した。占いに来たのは何承務で、丁巳年生まれ、五十三歳、問うたは家宅である。この例は『一針見血』『方本占案』『口鑑』の三書にいずれも収録されている。
朱蛇 六戌亥子丑貴 六常陰六 父癸巳常 勾酉 寅后 戌巳卯戌 比丙戌六 龍申 卯陰 巳子戌戊 官辛卯陰 空未午巳辰玄 虎常
この盤は戌月将を巳時の上に加えて起出し、天盤は地盤より五位進む。巳時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の申位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は天后、卯は太陰、辰は玄武、巳は太常、午は白虎、未は天空、申は青竜、酉は勾陳、戌は六合、亥は朱雀、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に戌を得、戌は六合を乗せる。第二課、戌上に卯を得、卯は太陰を乗せる。第三課、日支の子上に巳を得、巳は太常を乗せる。第四課、巳上に戌を得、戌は六合を乗せる。三伝は初伝の巳で、遁干は癸巳、太常を乗せ、巳火は戊土を生ずるので父母である。中伝は戌で、遁干は丙戌、六合を乗せ、比肩である。末伝は卯で、遁干は辛卯、太陰を乗せ、卯木は戊土を克するので官鬼である。
邵先生曰:此課日往加辰,是人廣而宅狹也。宅上發用,傳出日上,是宅居不得許多人而後出也。末傳歸第二課,又見宅不納人。然非宅克人,是人多欲自出也(若丙子日,人來就宅,為宅所克,是宅不容人,居必生災也)。若移出各人自為活計,將因太陰擾動而興詞訟,太陰乘卯為今日鬼,故就卯上論之,在末傳,故至十三年後。十三年後見之後,人財亦興旺。
邵先生が言う:この課は日干の寄宮の巳が日支の子の頭上に走って行ったので、人が多く宅が小さい象である。宅位の上の巳が発用して初伝を作し、中伝はまた日干の上神の戌に伝わる。これは宅裏にこんな多くの人が住めず、ついに人が出て引っ越すことになる。末伝は第二課の卯に帰り、また宅が人を容れ切れない意である。ただ宅が来て人を克するのではなく、人が多くて自分から外に走るのである(もし丙子日に換えれば、すなわち人が宅に就いてかえって宅に克され、あれこそ宅が人を容れず、住んで行けば必ず災禍を生ずる)。もし各々出て行って自ら生計を謀れば、将来太陰の一系の事の扰動に因って詞訟を興起する。太陰は卯を乗せ、卯はまさに今日の官鬼なので、卯に就いて推算する。卯は末伝にあるので、十三年後に至って発する。十三年後にこの官司が過ぎても、人丁と財運はなお興旺である。
先生愚按:何居祖宅,狹仄人眾,此是日來加宅相逼,又作破碎也。本年十一月移出店房居住,自做經營,亦應初傳巳為店業,妙!妙!前原是兄嫂家掌家,後十三年,歲在甲子,果因家財爭訟,是以加子,人宅相剋也。巳四子九,併成十三年也。其壬戌年有卯制,故不動。癸亥年天罡壓之,亦不動。甲子年人宅相逼,所以至此方爭也。訟起於甲子之春,至乙丑四月方止,宅上見祿神,尚自興旺,人財尚可旺發也。
先生が自ら按ずる:何承務が住んでいたのは祖上の老宅で、房子は窄く人口は多かった。これはまさに日干の神が来て宅位の上に加圧する相逼の象で、しかも巳はなお破碎煞を帯びていた。当年十一月に彼は出て来て店房に住み、自分から売買を始めた。これもまた初伝の巳が店業を主る象に応じ、妙の極みである。従前は家裏でもともと兄嫂が家を当たっていた。此の後第十三年、歳が甲子に次ぎ、果たして家産のために官司を打った。これがすなわち巳が子の上に加わり、人と宅とが相克することに応じた。巳の数は四、子の数は九で、合わせてまさに十三年である。壬戌のあの年は卯が来て制約したので動かなかった。癸亥年は天罡の辰がそれを圧して、これも動かなかった。甲子年に至って人と宅とが正面から相逼したので、ここに引き延ばして争い起こった。官司は甲子年の春に起こり、乙丑年四月に至ってやっと停まった。宅位の上に禄神を見るので、家道は依然として興旺し、人丁・財物はなお発し得る。
戊子日・胡・尹二兄が淮揚巡按の差を占う
順治辛卯年二月戊子日亥將午時胡尹二兄占淮揚巡按差可復,吏書缺可照舊否?(指南)
順治辛卯年二月戊子日、亥月将を午時の上に加えて課を起した。胡・尹の両位が占いに来た:淮揚巡按のこの差使は回復し得るか。吏書の員缺は旧のまま設置し得るか。本例は『六壬指南』に出る。亥将の午に加わると前の課の戌将の巳に加わると、天盤が同じく地盤より五位進むので、二課の盤は寸分違わない。
朱蛇 六戌亥子丑貴 六常陰六 父癸巳常 勾酉 寅后 戌巳卯戌 比丙戌六 龍申 卯陰 巳子戌戊 官辛卯陰 空未午巳辰玄 虎常
課盤は前の例と同じ:天盤は丑に貴人、寅に天后、卯に太陰、辰に玄武、巳に太常、午に白虎、未に天空、申に青竜、酉に勾陳、戌に六合、亥に朱雀、子に螣蛇を乗せる。四課は右から左へ戌が戊に加わり(戊は巳に寄す)、卯が戌に加わり、巳が子に加わり、戌が巳に加わる。天将は順に六合・太陰・太常・六合。三伝は初伝の巳は太常を乗せて父母、中伝の戌は六合を乗せて比肩、末伝の卯は太陰を乗せて官鬼。前の例の何承務は家宅を問い、看たのは人宅の相逼・末伝の官鬼が訟を主ること。こんどの例は官差の存廃を問い、看るのは初伝の日禄の支に臨むこと・末伝の卯がまさに辛卯年の太歳で官星を作すこと——問う所すでに殊なれば、取る神もまた異なる。
斷曰:巡方官可復,吏缺未能如舊也。何也?蓋因鑄印乘軒,主遷官轉職而啟奏事。喜日祿臨支發用,末傳太歲作官,定有差遣,代天子巡狩之官也,且官居奎婁,是鳳廬有官之兆。又格合迴環,四墓加生,去而復來、已廢復興之象,未幾工科上疏題復。不復吏書者,以課不全,故占二得一也。
断語に言う:巡方御史のこの差使は回復し得るが、吏書の員缺は旧のままにできない。なぜか。課体は「鋳印乘軒」で、官职の遷転ならびに上奏の事があることを主るからである。喜ばしいのは日干の禄が日支の上に臨んで発用して初伝を作すこと。末伝の卯はまさに辛卯年の太歳で、また官星である。必ず差遣があり、しかも天子に代わって四方を巡狩する官と断じた。加えて官星の居る所がまさに奎・婁の二宿の次に当たる。これは鳳陽・廬州一帯に官ある徴である。課格はまた回環に相合し、四つの墓神がことごとく長生の上に加わる。まさに去ってまた来り、すでに廃れてまた興る象である。程なくして、工科は果たして疏を上げて回復を題請した。吏書が回復できないのは、この課が周全でないからで、二つの事がただ一件に応じただけである。
戊子日・傅鼎臣が会試を占う
丁丑年二月戊子日亥將巳時江西傅鼎臣孝廉占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月戊子日、亥月将を巳時の上に加えて課を起した。占いに来たのは江西の挙人傅鼎臣で、会試が中式し得るかを問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
朱蛇貴后 亥子丑寅 蛇虎常朱 父◎午虎 合戌 卯陰 子午巳亥 財戊子蛇 勾酉 辰玄 午子亥戊 父◎午虎 申未午巳 龍空虎常
この盤は亥月将を巳時の上に加えて起出し、月将と時辰はまさに相沖し、天盤は地盤より六位進む。「返吟」の局である。巳時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の未位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は天后、卯は太陰、辰は玄武、巳は太常、午は白虎、未は天空、申は青竜、酉は勾陳、戌は六合、亥は朱雀、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に亥を得、亥は朱雀を乗せる。第二課、亥上に巳を得、巳は太常を乗せる。第三課、日支の子上に午を得、午は白虎を乗せる。第四課、午上に子を得、子は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の午・中伝の子・末伝はまた午で、初末の両伝の午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、盤上に「◎」を以て標し出す。午火は戊土を生ずるので父母、子水は妻財である。初伝の午は白虎を乗せ、中伝の子は螣蛇を乗せ、末伝の午はなお白虎を乗せる。子午が往復して相沖するは、まさに返吟で定まらない象である。
郭御青曰:三傳俱空,天將皆凶,日克朱雀,大不美課。凡諸同袍求占者,餘皆含糊應之,獨此課餘面直千,傅君變色。餘心不安,後果不中。
郭御青が言う:三伝はことごとく空に落ち、天将もまた全て凶将で、日干はさらに文書を主る朱雀を克している。実に一副の大いに好くない課である。およそ同輩の友が占いを求めに来れば、私は一向に含含糊糊に応じ誤摩化して来たが、ただこの課だけは私が当面に直に言った(底本は「余面直千」、「千」の字は当に「言」あるいは「告」の訛であろう)。傅君は聞いて顔色を変えた。私は心の中で甚だ不安であった。後に彼は果たして考中しなかった。
己丑日
己丑日・祝謙吉が会試を占う
崇正丁丑年二月十九己丑日亥將午時六安祝謙吉孝廉字尊光者占會試。(郭氏占案)
崇禎丁丑年(原書は「崇正」と作す)二月十九日己丑、亥月将を午時の上に加えて課を起した。占いに来たのは六安の挙人祝謙吉で、字は尊光、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
朱蛇貴后 戌亥子丑 蛇空虎貴 父癸巳虎 合酉 寅陰 亥午巳子 兄丙戌朱 勾申 卯玄 午丑子己 鬼辛卯玄 未午巳辰 龍空虎常
この盤は亥月将を午時の上に加えて起出し、天盤は地盤より五位進む。午時は昼に属し、己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の未位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は天后、寅は太陰、卯は玄武、辰は太常、巳は白虎、午は天空、未は青竜、申は勾陳、酉は六合、戌は朱雀、亥は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未にあり、未上に子を得、子は貴人を乗せる。第二課、子上に巳を得、巳は白虎を乗せる。第三課、日支の丑上に午を得、午は天空を乗せる。第四課、午上に亥を得、亥は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の巳で、遁干は癸巳、白虎を乗せ、巳火は己土を生ずるので父母である。中伝は戌で、遁干は丙戌、朱雀を乗せ、兄弟である。末伝は卯で、遁干は辛卯、玄武を乗せ、卯木は己土を克するので官鬼である。
郭御青曰:簾幕臨行年亦為吉,但申臨胎地,無力,況了午相沖而空陷,傳課全無馬。時即未敢深許。祝君精於五星,亦自知不第,後果落孫山。
郭御青が言う:帘幕貴人が行年の上に臨むはもともと吉と算えるが、申は胎養の類の気なき地に落ち、力量が足りない。まして子午が相沖し(底本の「了」の字は当に「子」の訛であろう)、午はまた旬空の裏に落ちる。課伝の中はさらに駅馬が一つもない。だから当時私は敢えて彼の高中を請け合わなかった。祝君は五星の学に精通し、自分でも考え中れないことを知り、後に果たして名が孫山に落ちた。
己丑日・朱西昆が入覲し考選に何の官かを占う
崇正庚午年十一月己丑日寅將未時富平朱西昆占入覲考選何官?(指南)
崇禎庚午年(原書は「崇正」と作す)十一月己丑日、寅月将を未時の上に加えて課を起した。富平人の朱西昆が京に入り朝見して、このたびの考選に将に何の官职を得るかを占った。本例は『六壬指南』に出る。
後陰 貴子丑寅卯玄 玄勾六陰 官辛卯六 蛇亥 辰常 卯申酉寅 兄丙戌朱 朱戌 巳虎 申丑寅己 父癸巳虎 六酉申未午空 勾龍
この盤は寅月将を未時の上に加えて起出し、天盤は地盤より七位進む。未時は昼に属し、己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の巳位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は天后、寅は太陰、卯は玄武、辰は太常、巳は白虎、午は天空、未は青竜、申は勾陳、酉は六合、戌は朱雀、亥は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に寅を得、寅は太陰を乗せる。第二課、寅上に酉を得、酉は六合を乗せる。第三課、日支の丑上に申を得、申は勾陳を乗せる。第四課、申上に卯を得、卯は玄武を乗せる。三伝は初伝の卯で、遁干は辛卯、卯木は己土を克するので官鬼である。中伝は戌で、遁干は丙戌、朱雀を乗せ、兄弟である。末伝は巳で、遁干は癸巳、白虎を乗せ、父母である。(底本の三伝の首行の天将は「六」と刻するが、しかし四課に明らかに卯が玄武を乗ずると標し、下文の陳公献もまた「発用の卯は玄武を乗せて官と為る」と言うので、当に「玄」と作るべきと知れる。)
陳公獻曰:考選不得銓部詞林,定是風憲言官,且有貴子由科甲入翰院。蓋因日上天吏官德空墓,陰神又制之,必有明暗相攻不得銓部也。發用卯乘玄武為官,中傳朱雀,末見白虎,是以主黃門金瑣、風憲言官。果後考入垣中,歷轉山海巡撫,都御史。因支上子乘幕貴,貴人又作長生學堂,應子由科甲入翰院也。
陳公献が言う:このたびの考選は吏部と翰林院の職位を得られず、必ず御史・給事中の類の言官で、しかも彼には一つの好い息子があって科挙から翰林院に進む。日干上の「天吏」と官星の徳がすでに空に落ちまた墓に入り、その陰神がまた来て克制するので、必ず明の処・暗の処の攻訐があり、だから吏部に進めない。初伝の卯は玄武を乗せて官星を為し、中伝は朱雀、末伝に白虎を見るので、主る所は黄門の禁署・風憲言官の一路である。後に果たして言路に考進し、山海巡撫を歴任し、官は都御史に至った。日支上の子孫爻の申は帘幕貴人を乗せ、貴人はまた長生・学堂の位に坐するのは、まさに彼の息子が科甲から翰林院に進むに応じる。
銓部,吏部;詞林,翰林院;皆文職也。風憲,御史;言官,六科給事中,掌風紀糾察,屬秋官,有肅殺之威,以虎類之。可見德者,文官也。德主生而刑主殺,宜深思之。
ここで幾つかの名目を解釈する:「銓部」はすなわち吏部で、「詞林」はすなわち翰林院で、いずれも文職に属する。「風憲」は御史を指し、「言官」は六科給事中を指し、風紀の糾察を掌り、六官の中で秋官に属し、肅殺の威を帯びるので、白虎を以て象を取る。これによって見れば、「徳」のこの類の神は文官を代表する。徳は生養を主り刑は誅殺を主る。この一層の道理は深く思うに値する。
己丑日・陳名夏が会試を占う
丁丑年二月己丑日亥將炳時陳名夏孝廉字百史者占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月己丑日、亥月将を丙寅時の上に加えて課を起した(底本の「炳」の字は当に「丙」の訛であろう。課盤に由って推せばまさに寅時である)。占いに来たのは挙人の陳名夏で、字は百史、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
朱合勾龍 寅卯辰巳 虎陰蛇勾 財戊子貴 蛇丑 午空 未戌丑辰 兄壬辰勾 貴子 未虎 戌丑辰己 兄丙戌陰 亥戌酉申 后陰玄常
この盤は亥月将を寅時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位退く。己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の卯位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は螣蛇、寅は朱雀、卯は六合、辰は勾陳、巳は青竜、午は天空、未は白虎、申は太常、酉は玄武、戌は太陰、亥は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に辰を得、辰は勾陳を乗せる。第二課、辰上に丑を得、丑は螣蛇を乗せる。第三課、日支の丑上に戌を得、戌は太陰を乗せる。第四課、戌上に未を得、未は白虎を乗せる。四課の上下は俱に土神が比和して一つも相剋するものがないので、「昴星」の法を用いる。己は陰日なので、天盤の酉の臨む地盤の子を取って初伝とし、中伝は日干の上神の辰を取り、末伝は日支の上神の戌を取る。だから初伝の子は、遁干が戊子、貴人を乗せ、子水は己土において妻財である。中伝の辰は、遁干が壬辰、勾陳を乗せ、兄弟である。末伝の戌は、遁干が丙戌、太陰を乗せ、これも兄弟である。
郭御青曰:課得昴星已為不美,況發用貴人作財又為中傳所墓,干上辰墓,雖戌能沖之,奈辰作勾陳,是又一辰也,似非戌所能沖矣。課傳並無簾幕驛馬,命乘朱雀,嫌克太歲,安能中乎?陳君為海內名宿,後果抱屈。信乎人遇全有時。
郭御青が言う:得たのは昴星課で、本身すでに佳くない。まして発用の貴人はまた財爻を作し、かえって中伝の辰に墓せられる。日干上の辰は水墓で、末伝の戌がそれを冲開し得ると言うけれども、無奈この辰はまた勾陳を乗せ、勾陳の本位もまた辰にあるので、また一重の辰土を添えたに等しい。一つの戌はおそらく二つの辰を冲し動かせない。課伝の中には帘幕貴人もなく、また駅馬もなく、本命上は朱雀を乗せながらそれが太歳を克するのを嫌う。どうして中り得よう。陳君は海内に名高い宿学で、後に果たして屈せられて落第した。これによって人の際遇は果たして時数があることが見える。
吳稼云曰:命上朱雀、日德、月德是即名士之應。
呉稼云が言う:本命上に同時に朱雀と日徳・月徳が坐する。これはまさに彼が一名の名士であることに応ずる——朱雀は文章を主り、徳神は声望を主る。中式しなくても名声はおのずから存する。
己丑日・郭御青が自ら明年に子を得るかを占う
壬申年十月己丑日寅將巳時自占明年得子否?(郭氏占案)
壬申年十月己丑日、寅月将を巳時の上に加えて課を起し、郭御青が自分のために明年に息子を得ることができるかを占った。本例は『郭氏占案』に出る。寅将の巳に加わると前の課の亥将の寅に加わるとは、天盤が同じく地盤より三位退くので、二課は同盤である。前の課で看たのは昴星と墓神で、こんどの課で看るのは却って三伝の中に「子」の字があるかどうかである。
朱合勾龍 寅卯辰巳 虎陰蛇勾 財戊子貴 蛇丑 午空 未戌丑辰 兄壬辰勾 貴子 未虎 戌丑辰己 兄丙戌陰 亥戌酉申 后陰玄常
課盤は前の例と同じ:天盤は子に貴人、丑に螣蛇、寅に朱雀、卯に六合、辰に勾陳、巳に青竜、午に天空、未に白虎、申に太常、酉に玄武、戌に太陰、亥に天后を乗せる。四課は右から左へ辰が己に加わり(己は未に寄す)、丑が辰に加わり、戌が丑に加わり、未が戌に加わる。天将は順に勾陳・螣蛇・太陰・白虎。三伝は初伝の子は貴人を乗せて妻財、中伝の辰は勾陳を乗せて兄弟、末伝の戌は太陰を乗せてこれも兄弟。なお昴星の課である。
郭御青曰:壬申餘因傷子,偶動意占明年得子否,意中不論課體吉凶,但傳出子字,即取為子。果傳出子字,乘貴人且發用,三奇旺相,後果於癸酉年甲子月戊戌日庚申時生子不字。甲戊庚三奇與課同,何其神符也?
郭御青が言う:壬申年、私は息子を亡くしたため、偶然思い立って一課を占い、明年にまだ子を得ることができるかを問うた。当時、心の中では課体の吉凶を論じず、ただ三伝の中に一つの「子」の字が伝出すれば、それを取って息子と為そうと思った。結果、果たして子の字が伝出し、しかも貴人を乗せて発用し初伝を為し、甲・戊・庚の三奇の気はまさに旺相していた。後に果たして癸酉年甲子月戊戌日庚申時に息子を生んだが、養い止めることができなかった(「不字」はすなわち育たない)。あの生辰の中の甲・戊・庚の三奇は課中に見えたものと全く同じで、なんと神験なことか。
愚按:子貴發用,眾土克之,此應生而不育之象。觀丁丑年十月戊申日子時占夢一課,而知此子不育。郭君雖不論課體吉凶,但六壬神應,無微不到,吉凶何嘗虛報耶?
我が按ずる:初伝の子水は貴人を乗せて発用したけれども、課中の衆多の土神に囲まれてそれを克された。これはまさに「生みはしたが養い活かせない」の象に応ずる。さらに丁丑年十月戊申日子時のあの一課の夢を占ったのを看ればも、この子が養い大きくならないことを知り得た。郭君は自分で課体の吉凶を論じないと言うけれども、六壬の感応は微細に至らぬ所なく、吉凶がいつ虚しく報じたことがあろうか。
己丑日・十一月に児の病を占う
十一月己丑日丑將辰時某占兒病。(方本占案)
十一月己丑日、丑月将を辰時の上に加えて課を起し、ある人が息子の病を占った。本例は『方本占案』に出る。丑将の辰に加わるは、天盤がなお地盤より三位退き、四課・三伝は前の二課と全く同じ。ただあの二課は昼貴の子を用い、この課は夜貴の申を用いたので、満盤の天将は一套に換わり、断法もこれに随って全く変わった。
虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 后朱龍常 財戊子陳 陳子 未后 未戌丑辰 兄壬辰常 六亥戌酉申貴 戌丑辰己 兄丙戌朱 朱蛇
この盤は丑月将を辰時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位退く。本課は己日の夜貴である申を用い、貴人は地盤の亥位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:申は貴人、酉は螣蛇、戌は朱雀、亥は六合、子は勾陳(盤中は「陳」と書く)、丑は青竜、寅は天空、卯は白虎、辰は太常、巳は玄武、午は太陰、未は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に辰を得、辰は太常を乗せる。第二課、辰上に丑を得、丑は青竜を乗せる。第三課、日支の丑上に戌を得、戌は朱雀を乗せる。第四課、戌上に未を得、未は天后を乗せる。三伝はなお昴星の法に循る:初伝の子で、遁干は戊子、勾陳を乗せ、妻財である。中伝は辰で、遁干は壬辰、太常を乗せ、兄弟である。末伝は戌で、遁干は丙戌、朱雀を乗せ、これも兄弟である。
斷曰:昴星課陰掩其陽,是無陽氣也。辰作常覆日,陰神來破之,末傳戌加丑,被丑相刑,是陰氣陽氣將盡,病人當氣促而喘死。外應虛熱煩躁,又主熱渴,其人果先熱渴而後喘死。
断語に言う:昴星課は陰気が陽気を掩うので、人身にすでに陽気がないに等しい。日干上の辰は太常を乗せて日干を圧覆し、その陰神がまた来てそれを破る。末伝の戌は丑の上に加わり、丑に刑せられる——丑戌が相刑するは、まさに陰気・陽気がともに将に尽きようとする象で、病人は当に気促に喘ぎ急いで死すべき。外の証候はすなわち虚熱・煩躁で、また渇きて発熱することを主る。この子は果たして先に燥渇・発熱し、後に気喘して死んだ。
己丑日・虞大定が会試を占う
丁丑年二月己丑日亥將子時金壇虞大定孝廉占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月己丑日、亥月将を子時の上に加えて課を起した。占いに来たのは金壇の挙人虞大定で、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
勾龍空虎 辰巳午未 后貴龍空 財戊子貴 合卯 申常 亥子巳午 財丁亥后 朱寅 酉玄 子丑午己 兄丙戌陰 丑子亥戌 蛇貴后陰
この盤は亥月将を子時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位退く。己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の丑位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は螣蛇、寅は朱雀、卯は六合、辰は勾陳、巳は青竜、午は天空、未は白虎、申は太常、酉は玄武、戌は太陰、亥は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に午を得、午は天空を乗せる。第二課、午上に巳を得、巳は青竜を乗せる。第三課、日支の丑上に子を得、子は貴人を乗せる。第四課、子上に亥を得、亥は天后を乗せる。三伝は初伝の子で、遁干は戊子、貴人を乗せ、妻財である。中伝は亥で、遁干は丁亥、天后を乗せ、これも妻財である。末伝は戌で、遁干は丙戌、太陰を乗せ、兄弟である。子・亥・戌が一歩ずつ退くのは、退茹の格である。
郭御青曰:此課干上命上,祿作天空,無簾幕貴人。宅上雖貴人發用,上下夾克,為逼迫枃。貴人入廟,吉不為吉。天空雖在日相對,入廟則不見面,天空高惡矣。
郭御青が言う:この課は日干の上と本命の上で、禄神はともに天空を乗せ、しかも全課に帘幕貴人を見ない。宅位の上に貴人が発用して初伝を作すけれども、上下の両辺に夾まれて来てそれを克し、逼迫の格を成す。貴人は在るけれども、却って自分の廟宮に入り、吉神はかえって吉し得ない。天空は日干と正相対するけれども、廟に入って後は彼此照らし見え合わないので、この天空は格別に可悪に顕れる。
吳稼云曰:貴人入廟為陷而不出之象。
呉稼云が言う:貴人が廟に入るは、裏に陥って出て来られない象——貴人はもともと出て来て提携すべきところ、今は本宮に困守して、援手が目前に到らない。
己丑日・乾隆戊午に闈中の頭場四書題を占う
乾隆戊午年八月初九己丑日巳將午時闈中頭場四書目。(殘編)
乾隆戊午年八月初九己丑日、巳月将を午時の上に加えて課を起し、郷試の頭場の四書題の題目を占った。本例は一部の『残編』に出る。巳将の午に加わると前の課の亥将の子に加わるとは、天盤が同じく地盤より一位退くので、二課は同盤である。前の課は功名の成敗を問い、こんどの課は却って同一副の盤を持って考題の字句を推す。
勾龍空虎 辰巳午未 后貴龍空 財戊子貴 合卯 申常 亥子巳午 財丁亥后 朱寅 酉玄 子丑午己 兄丙戌陰 丑子亥戌 蛇貴后陰
課盤は前の例と同じ:天盤は子に貴人、丑に螣蛇、寅に朱雀、卯に六合、辰に勾陳、巳に青竜、午に天空、未に白虎、申に太常、酉に玄武、戌に太陰、亥に天后を乗せる。四課は右から左へ午が己に加わり(己は未に寄す)、巳が午に加わり、子が丑に加わり、亥が子に加わる。天将は順に天空・青竜・貴人・天后。三伝は初伝の子は貴人を乗せ、中伝の亥は天后を乗せ、末伝の戌は太陰を乗せ、通体退茹である。戊午年の太歳は午にあり、子はまさに歳破なので、下文は先に「歳破の発用」から立説する。
斷曰:此課余初斷歲破發用,應出臣子盡忠之命意。及頭牌出,方悟子為道路神,又為支之先,又陰神見丁馬,皆是行神,是先行其言句也。又亥為四數,故只四字。第二題,看中傳,天后冠帶,臨於陰寢,神位有元酒太羹,非享親達孝之命意乎?六字者,戌上見酉,六數也。
断語に言う:この課で私が初めに断じたのは歳破が発用して、当に臣子が忠を尽くす意を講ずる題目を出すべしと。頭一塊の題牌が挂け出されるに及んで、やっと恍然と明白した:子は道路の神で、また日支の前に居り、その陰神にまた丁馬を見る——これらはみな「行」の象で、もとは「その言を先に行う」のこの一句に応じたのであった。また亥の数は四なので、題目は四字しかなかった。第二題は中伝を看る:天后はまさに冠帯の位に当たって幽陰の寝室の上に臨み、神位の前に玄酒と太羹を陳ねる。これはまさに双亲を祭享し、孝道を達する意であろうか。それが六字と言うのは、戌上に酉を見、酉の数がまさに六だからである。
己丑日・七月に来意を占う
七月己丑日巳將辰時占來意。(一字訣玉連環)
七月己丑日、巳月将を辰時の上に加えて課を起し、来る人の来意を占った。本例は『一字訣玉連環』に出る。
虎常 空午未申酉玄 合朱玄常 官庚寅朱 龍巳 戌陰 卯寅酉申 官辛卯合 勾辰 亥后 寅丑申己 兄壬辰勾 合卯寅丑子貴 朱蛇
この盤は巳月将を辰時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位進む。辰時は昼に属し、己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の亥位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は螣蛇、寅は朱雀、卯は六合、辰は勾陳、巳は青竜、午は天空、未は白虎、申は太常、酉は玄武、戌は太陰、亥は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に申を得、申は太常を乗せる。第二課、申上に酉を得、酉は玄武を乗せる。第三課、日支の丑上に寅を得、寅は朱雀を乗せる。第四課、寅上に卯を得、卯は六合を乗せる。三伝は初伝の寅で、遁干は庚寅、朱雀を乗せ、寅木は己土を克するので官鬼である。中伝は卯で、遁干は辛卯、六合を乗せ、これも官鬼である。末伝は辰で、遁干は壬辰、勾陳を乗せ、兄弟である。寅・卯・辰が順次に相連なるは、進茹の格である。
徐次賓曰:來意主正月間與一姓杜人爭田土事。又有一姓藺人與姓杜人挾勢相助,卻得一姓張貴人力。只於七月間務了畢。蓋時為日墓,又直事門見勾陳,故言爭田土事。發用寅木與丑土為杜字,又寅木為日干之鬼,上得朱雀,主口舌文字。又寅為正月,故知正月與杜姓人相爭也。
徐次賓が言う:来る人の為す所の事は、正月の間に一人の杜姓と田地を争ったこと。別に一人の藺姓が勢いを倚りて杜姓を助け、そして彼自身は一人の張姓の貴人の相助を得た。事は七月の間に至ってやっと了結する。推断の依拠は:課を起こした辰時はまさに日干の墓で、値事門上にまた勾陳を見る。勾陳は田土の争闘を主るので、田地を争う事と断じた。発用の寅は木に属し、日支の丑は土に属し、木と土とを并せればまさに一つの「杜」の字。寅木はまた己土日干の官鬼で、その上は朱雀を乗せ、朱雀は口舌と文書を主る。寅は月建の上でまた正月を代表するので、正月裏に杜姓の人と相争ったと知れる。
又言藺姓人相助者,中傳卯為門,六合為草頭,臨寅住為隹字。卯寅為等輩,故相助也。日上得傳送為今日貴人,上得太常吉將,其寅卯二木相併剋日,日上傳送金,正旺於七月反制二木。傳送為弓長合之為張字,故言一姓張貴人力。傳送為七月建,故七月事務了畢也。
一人の藺姓が彼を助けると言うのは、このように拆して出した:中伝の卯は門戸で、その上は六合を乗せ、六合は草冠の頭と象を取り、さらに寅位の寄する「隹」に連なる。草頭に門を加え隹を加え、合わせてまさに一つの「藺」の字。卯と寅は同輩の支なので、同伙して相助けると断じた。さらに日干の上に得たのは「伝送」の申金で、申はまさに今日の貴人の寄する所で、その上にまた太常のこの吉将を乗せる。課中の寅卯の両重の木は并せて日干を克すけれども、日干上の伝送は金に属し、七月裏に金気はまさに旺するので、かえってこの二つの木を制し得る。「伝送」の申の字は拆けば弓と長で、合して一つの「張」の字を成すので、一人の張姓の貴人の力を得たと言う。申はまた七月の月建なので、七月裏に事が了結すると断じた。
己丑日・蒋畹仙が会試を占う
丁丑年二月己丑日亥將戌時常熟蔣畹仙孝廉名棻占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月己丑日、亥月将を戌時の上に加えて課を起した。占いに来たのは常熟の挙人蒋畹仙で、名は棻、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。亥将の戌に加わると前の課の七月に来意を占った巳将の辰に加わるとは、天盤が同じく地盤より一位進み、二課は同盤。前の課は寅卯を取って字を拆し人の姓氏を断じ、こんどの課は帘幕・駅馬を取って科名を断ずる。同盤にして取る所が全然異なることが見える。
虎常 空午未申酉玄 合朱玄常 官庚寅朱 龍巳 戌陰 卯寅酉申 官辛卯合 勾辰 亥后 寅丑申己 兄壬辰勾 合卯寅丑子貴 朱蛇
課盤は前の例と同じ:天盤は子に貴人、丑に螣蛇、寅に朱雀、卯に六合、辰に勾陳、巳に青竜、午に天空、未に白虎、申に太常、酉に玄武、戌に太陰、亥に天后を乗せる。四課は右から左へ申が己に加わり(己は未に寄す)、酉が申に加わり、寅が丑に加わり、卯が寅に加わる。天将は順に太常・玄武・朱雀・六合。三伝は初伝の寅は朱雀を乗せて官鬼、中伝の卯は六合を乗せてこれも官鬼、末伝の辰は勾陳を乗せて兄弟、寅卯辰が順連して進茹を成す。日干上の申はすなわち己日の帘幕貴人の寄する所で、また長生・学堂の位に坐する。蒋畹仙の本命は戌にあり、戌上は太陰で、年馬・歳馬・日馬が聚って戌の上に到る。この幾ヶ所がまさに下文で彼が必中すると断ずる根拠である。
郭御青曰:簾幕覆日作長生學堂為本房首薦,年馬、歲馬、日馬加於戌命之上而與初傳朱雀生合且得進連茹課,必中之兆,但馬少於公亮,名次不高(張公亮課,見丁亥日干上辰。六壬指南亦有占畹仙一課,見己巳日干上寅)。
郭御青が言う:帘幕貴人が日干の上に圧覆し、また長生・学堂の位に坐するは、これは本房考官が首先に推荐する象である。年馬・歳馬・日馬が一斉に彼の戌年本命の上に加わり、しかも初伝の朱雀と相生相合し、課体はまた進連茹を得る。これは必定中式の徴である。ただ彼の駅馬は張公亮より少ないので、名次は高くないであろう(張公亮のあの課は丁亥日「干上辰」の条に見る。『六壬指南』にもまた一課あって蒋畹仙を占うは、己巳日「干上寅」の条に見る)。
蔣君中後贈詩云:漢帝濘沱失道時,白衣老父指點之。嗣有通元隱中條,長生術得神仙師。繇來傳下傳多奇壬,讖緯星座能旁窺,景純少授青囊秘,五行翻駁參同契。介休獨上元禮船,戶屨時盈占一第。後先得失鏡於胸,餘亦從君考軒輊。君雲馬少幾被落,覆身猶喜存簾幕。撤聞發策券前知,鍛羽彈冠不一錯。君才繡虎兼雕龍,胡為九擯甘泡蠖。洩天應犯天公惱,困君之身識君老。吾聞場中鬼有權,目迷五色烘頭腦。八股不靈六壬靈,主司何如測數好。
蒋畹仙が考中して後、一首の詩を書して郭御青に贈った。大意は:当年漢光武帝が滹沱河の辺で道に迷い、一人の白衣の老父が彼に渡しを指し点した。後にまた通玄先生が中条山に隠居し、神仙の師から長生の術を得た。この一脈に伝わる六壬はことごとに奇験があり、讖緯・星象にもまた旁通して窺測し得る。郭璞は少年の時に青囊の秘訣を受け、反覆して五行の理を以て『参同契』を参証した。当年介休の郭林宗は独り李元礼と舟を同じくして渡りえ、門前の来客の履は常に積み満ちた——先生のごときもまたこのようで、一占すればすなわち一第に中る。誰が先で誰が後か、誰が得て誰が失うか、みな鏡のようにあなたの胸中に照らされ、私もあなたに随って軽重・高下を較量する。あなたは私の駅馬が少なすぎて、幾ど落榜しようとすると言った。幸いにも身上に覆うはなお帘幕貴人が存する。策問が一たび発せられればあなたは早くから把握があり、誰が翼を折り落第するか、誰が冠を弾いて出仕するか、一度として言い誤ったことがない。しかしあなた自身は才華が繍虎・彫竜なのに、なぜかえって屡々摈棄され、泡のように・屈した尺蠖のように甘んじているのか。思うに、天機を漏洩して天公の怒りに触れたので、あなたの身を困らせ、場屋の中に老いさせているのであろう。私は科場の中では鬼神さえも権柄を持つと聞く。主司は五色に眼を花やかし頭脳を昏らす。八股は霊でなく六壬がかえって霊なら、主司を揣摩するより、どうして命数を推算するに如かん。
己丑日・甲申五月に日暈を占う
甲申五月己丑日庚午時,占日暈。(指南)
甲申年五月己丑日庚午時、日暈のこの天象が何を主るかを占った。本例は『六壬指南』に出る。
勾六 青未申酉戌朱 白玄蛇六 鬼辛卯玄 空午 亥蛇 巳卯亥酉 父癸巳白 虎巳 子貴 卯丑酉己 兄乙未龍 常辰卯寅丑后 玄陰
この盤は申月将を用いて午時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位進む。午時は昼に属し、己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の戌位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は天后、寅は太陰、卯は玄武、辰は太常、巳は白虎(盤中は「白」と書く)、午は天空、未は青竜(盤中は「青」と書く)、申は勾陳、酉は六合、戌は朱雀、亥は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に酉を得、酉は六合を乗せる。第二課、酉上に亥を得、亥は螣蛇を乗せる。第三課、日支の丑上に卯を得、卯は玄武を乗せる。第四課、卯上に巳を得、巳は白虎を乗せる。三伝は初伝の卯で、遁干は辛卯、玄武を乗せ、卯木は己土を克するので官鬼である。中伝は巳で、遁干は癸巳、白虎を乗せ、父母である。末伝は未で、青竜を乗せ、兄弟である(未は甲申旬の中で本当は旬空であるのに、底本は却って遁干を「乙未」と標す。旬遁と合わないので、当に空亡を以て論ずべき)。卯・巳・未が各々一位を隔てて順に進むは、順間伝である。
陳公獻曰:偶見有大暈圍繞,眾皆曰此祥瑞之氣,應於福濟,予袖傳得此課,乃謂眾人曰:發用玄武賊符,克干克支,蓋干為天位而乘敗氣,支為社稷而見死神,且歲君臨滅沒之方,貴人又不得地,中州吳越必失封疆,君國敗亡之象。後福藩登位一載而失國,此其應也。
陳公献が言う:あの日、偶然に日輪の外に一圈の大きな暈が囲むを見、衆人はみなこれを祥瑞の気と言い、福王の済世の運に応ずべしとした。私は袖の中で掐算してこの一課を起し、すなわち衆人に対して言った:発用の卯は玄武を乗せて賊符を帯び、日干を克しまた日支を克する。日干は上天の位を代表するけれども敗絶の気を乗せ、日支は社稷を代表するけれども死神に遇う。太歳はまた滅没の方に臨み、貴人もまたその地を得ない。これは中原と呉越が必ず疆土を喪失し、君王と国家が敗亡する象である。後に福王が位に登って一年で江山を失ったのは、まさにこの課の応験である。
愚按:玄武賊符加丑,丑為吳越之分野。然日暈等物,斷不天下皆見,今既見於江南,則吉凶禍福只應於江南矣。即使玄武賊符臨於他處,亦不應於他處。
我が按ずる:玄武の帯びる賊符は丑の上に加わり、丑は分野の上でまさに呉越の地に属する。ただ日暈のこの類の天象は、断じて普天の下にみな見られるものではない。すでに江南で見たのだから、吉凶禍福もまた江南にのみ応ずる。たとい玄武・賊符が別の方位に臨んでも、別のところに応ずることはない。
按:福王以甲申年五月初一由淮安迎入南京十五日即位,乙酉年五月二十五日被俘。
また按ずる:福王は甲申年五月初一に淮安から迎えられて南京に入り、五月十五日に帝位に即き、乙酉年五月二十五日に至って俘せられた——前後ちょうど一年で、陳公献の断じた「位に登って一載にして国を失う」と毫も差がない。
己丑日・張錦鱗が会試を占う
丁丑年二月己丑日亥將申時丹陽張孝廉錦鱗午命占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月己丑日、亥月将を申時の上に加えて課を起した。占いに来たのは丹陽の挙人張錦鱗で、本命は午に属し、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
勾合朱蛇 申酉戌亥 龍常后朱 父◎午空 龍未 子貴 未辰丑戌 兄丙戌朱 空午 丑后 辰丑戌己 兄壬辰常 巳辰卯寅 虎常玄陰
この盤は亥月将を申時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位進む。申時は昼に属し、己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の酉位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は天后、寅は太陰、卯は玄武、辰は太常、巳は白虎、午は天空、未は青竜、申は勾陳、酉は六合、戌は朱雀、亥は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に戌を得、戌は朱雀を乗せる。第二課、戌上に丑を得、丑は天后を乗せる。第三課、日支の丑上に辰を得、辰は太常を乗せる。第四課、辰上に未を得、未は青竜を乗せる。四課はことごとく土神が比和して一つも相剋するものがないので、昴星の法を用いる:天盤の酉の臨む地盤の午を取って初伝とし、中伝は日干の上神の戌を取り、末伝は日支の上神の辰を取る。だから初伝の午は天空を乗せ、午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、盤上に「◎」を以て標し出す。午火は己土を生ずるので父母である。中伝は戌で、遁干は丙戌、朱雀を乗せ、兄弟である。末伝は辰で、遁干は壬辰、太常を乗せ、これも兄弟である。
郭御青曰:課得昴星,其名不佳。初傳空而乘空,雖本命可填實,奈中傳落空,為折腰,大體不美。況無簾幕、驛馬?朱雀乘戌,戌為火墓,未敢許也,果不中。
郭御青が言う:得たのは昴星課で、名目はもともと好くない。初伝の午はすでに旬空に落ち、また天空のこの空神を乗せる——空の上に空を加える。彼の本命が午に属するのでこの空位を填実し得ると言うけれども、無奈中伝の戌がまた旬空の未地の上に臨み、中を折腰する象を成して、大体上美しくない。まして全課に帘幕貴人もなく、また駅馬もない。朱雀は戌の上に乗ずり、戌は火の墓庫で、文章の神が墓に入る——だから私は敢えて彼の高中を請け合わなかった。後に果たして中らなかった。
愚按:魁罡利於占功名,其所以不中者,以土氣太多,克去行年上貴人也。
我が按ずる:魁・罡の二神はもともと功名を占うに利あるはずが、この課が中らなかった所以は、課中の土気が重すぎて、行年上の貴人を克して落としたからである——扶助の神が圧されて、功名は成らなかった。
己丑日・ある婦が失せた金耳環を占う
十一月己丑日寅將戌時某婦占失金耳環。(捷要)
十一月己丑日、寅月将を戌時の上に加えて課を起した。ある婦人が金耳環を落とし、前来り占いを問うた。本例は『捷要』に出る。
蛇朱合勾 酉戌亥子 蛇玄虎合 子乙酉蛇 貴申 丑龍 酉巳卯亥 兄己丑龍 后未 寅空 巳丑亥己 父癸巳玄 午巳辰卯 陰玄常虎
この盤は寅月将を戌時の上に加えて起出し、天盤は地盤より四位進む。戌時は夜に属し、己日の夜貴である申を用い、貴人は地盤の辰位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:申は貴人、酉は螣蛇、戌は朱雀、亥は六合、子は勾陳、丑は青竜、寅は天空、卯は白虎、辰は太常、巳は玄武、午は太陰、未は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に亥を得、亥は六合を乗せる。第二課、亥上に卯を得、卯は白虎を乗せる。第三課、日支の丑上に巳を得、巳は玄武を乗せる。第四課、巳上に酉を得、酉は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の酉で、遁干は乙酉、螣蛇を乗せ、酉金は己土において子孫である。中伝は丑で、遁干は己丑、青竜を乗せ、兄弟である。末伝は巳で、遁干は癸巳、玄武を乗せ、巳火は己土を生ずるので父母である。酉・丑・巳は正しく合して巳酉丑の金局を成す。
邵彥和曰:金環以酉為類神,初傳即加巳上,乃長生之地,不落空亡,又是三合金局,此物乃自己遺失,現在必得。巳為爐灶,酉加之,得蛇亦巳火,當失爐灶灰中。火至冬而死,故云灰中。尋之果於爐下灰中尋見。
邵彦和が言う:金耳環は酉金を以て類神とする。初伝の酉はまさに巳位の上に加わり、巳は金の長生の地であり、酉はまた空亡に落ちず、三伝はさらに合して巳酉丑の金局を成す——金気は完好無損で、この物が自分で失い、人に取られたのではないことが見え、今は必ず尋ね返ることができる。巳は類象において竈炉で、酉は巳の上に加わる。酉の乗ずる螣蛇はまた火に属し本家は巳にあるので、両重の火象であり、だから竈炉の灰裏に落ちたと断じた。火が冬に到ればすでに死絶して、ただ灰燼が残るのみなので、灰中と言う。それに照らして尋ねれば、果たして炉の下の灰裏で尋ね見た。
庚寅日
庚寅日・邵伯達が宅基を占う
建炎己酉年十月十五庚寅日寅將酉時,邵伯達占宅基。(方本占案、口鑑)
宋高宗の建炎己酉年十月十五日庚寅、寅月将を酉時の上に加えて課を起した。邵伯達が宅基を置き買う事を占った。この例は『方本占案』と『口鑑』にいずれも収録されている。
陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 龍貴后空 子戊子龍 蛇申 卯常 子未午丑 官癸巳陰 貴未午巳辰玄 未寅丑庚 父丙戌六 后陰
この盤は寅月将を酉時の上に加えて起出し、天盤は地盤より五位進む。酉時は夜に属し、庚日の夜貴である未を用い、貴人は地盤の寅位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:未は貴人、申は螣蛇、酉は朱雀、戌は六合、亥は勾陳(盤中は「陳」と書く)、子は青竜、丑は天空、寅は白虎、卯は太常、辰は玄武、巳は太陰、午は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の庚は寄宮が申にあり、申上に丑を得、丑は天空を乗せる。第二課、丑上に午を得、午は天后を乗せる。第三課、日支の寅上に未を得、未は貴人を乗せる。第四課、未上に子を得、子は青竜を乗せる。三伝は初伝の子で、遁干は戊子、青竜を乗せ、子水は庚金において子孫である。中伝は巳で、遁干は癸巳、太陰を乗せ、巳火は庚金を克するので官鬼である。末伝は戌で、遁干は丙戌、六合を乗せ、戌土は庚金を生ずるので父母である。庚寅日は甲申旬に属し、午・未の二支はまさに旬空に当たるので、日支上の未と初伝の臨む地盤の未はともに空地である。これが下文で「宅基未定」と断ずる要害である。
邵彥和曰:大凡占求宅基,以日為人,辰為宅,須看支辰,合支上空亡,是宅不可得而圖也。本身近基且近宅,何以得移?初傳脫氣,雖得青龍,又在空地,亦是暫住,尚未有定論也。中傳巳,巳為店業,太陰為婦人。巳加子作太陰,庚生於巳,是買得老婦人店業,便是宅基,其婦人幹辦,是本人親族,事皆由他。伯達以兄弟眾多,伯叔共住,欲謀遷外居,累求未許,其婦人店屋,是伊房叔母,因無生計與彼當門戶,卻要設計買得店屋,遂與彼私增價買之,至丁巳年方才造此宅也。
邵彦和が言う:およそ宅基を占い求めるは、日干を以て人を代表し、日支を以て宅を代表し、重きを日支を看るに置く。この課は日支上の未が正に空亡に落ちるので、この宅基は目下まだ謀って手に入らないことが見える。彼の本身はすでにこの地基に近く、また現住の宅に近いので、何を以て移り成ろう。初伝の子は庚金の脱気の神で、青竜を乗せてはいるけれども、それが臨む地盤の未もまた空地なので、せいぜい暫時住むだけで、まだ定局がない。中伝は巳で、巳の類象は店舗で、太陰の類象は婦人である。巳が子の上に加わり太陰を乗せ、庚金はまた巳に長生する——合わせて看れば、一人の老婦人の店舗を買い得て、あの店舗がすなわち将来の宅基である。この婦人が出面して経理し、また彼の本家の親族で、事はことごとく彼女が主を為した。邵伯達は兄弟が衆多で、伯叔が同じ所に住んでいたので、別に遷り住もうとし、幾度か求め告げても許可を得なかった。あの婦人の店屋は、まさに彼の同房の叔母の所有であった。叔母は生計がないので、彼の家と合夥して門戸を当たった。彼はすなわち工夫を設けてこの店屋を買い取ろうとし、ついに私に価を加えて買い成し、丁巳年に至ってそこに宅を造り起こした。
愚按:夫宅要看支,支上空,是未有宅基也。卻見中傳長生,便就長生上言,況求新宅,看何方生旺即是。巳為店,加子為北方,太陰為婦人,未戌屬土,生今日之庚,乃是尊長作干人。戌又為僕,乃干僕也。六合則成就也。
我が按ずる:大凡宅を看るには日支を看るべく、日支上に空に落ちれば、すなわちまだ宅基がない。しかし課中にまた中伝の巳が庚金の長生の地であるを見れば、すなわち長生の上から立論する:新宅を求めるは、どちらの方が生旺するかを看てその方に向かえばよい。巳の類象は店舗で、巳は子の上に加わり、子は北方に居るので、店舗は北辺にあると知れる。太陰の類象は婦人なので、婦人の店である。未と戌はともに土に属し、今日の庚金を生じ得るので、まさに尊長輩が出面して彼のために経理する。戌はまた取象して僕役と為し得るので、すなわち彼のために脚を使って事を弁じる人である。末伝の戌はまた六合を乗せ、六合は和合成就を主るので、この一棟の売買はついに弁じ成した。
庚寅日・虞敬が会試を占う
崇正丁丑年二月庚寅日金壇虞君諱敬占會試。(郭氏占案)
崇禎丁丑年(原書は「崇正」と作す)二月庚寅日、金壇の虞君で名は敬なる者が会試を占った。下文の記す所に由れば、課を起こしたのは二月二十日午時である。本例は『郭氏占案』に出る。
合朱蛇貴 戌亥子丑 蛇空虎貴 子戊子蛇 勾酉 寅后 子未午丑 鬼癸巳常 龍申 卯陰 未寅丑庚 父丙戌合 未午巳辰 空虎常玄
この盤は天盤が地盤より五位進む。午時は昼に属し、庚日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の申位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は天后、卯は太陰、辰は玄武、巳は太常、午は白虎、未は天空、申は青竜、酉は勾陳、戌は六合、亥は朱雀、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の庚は寄宮が申、申上に丑を得、丑は貴人を乗せる。第二課、丑上に午を得、午は白虎を乗せる。第三課、日支の寅上に未を得、未は天空を乗せる。第四課、未上に子を得、子は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の子で、遁干は戊子、螣蛇を乗せ、子孫である。中伝は巳で、遁干は癸巳、太常を乗せ、巳火は庚金を克するので官鬼である。末伝は戌で、遁干は丙戌、六合を乗せ、父母である。この課の四課・三伝は前の例の邵伯達が宅基を占うと全く同じで、ただあの課は酉時に起って夜貴の未を用い、この課は午時に起って昼貴の丑を用いたので、一盤の天将が全然両様になった。
郭御青曰:二月二十日午時,為虞君占得此劉,干支俱被墓覆,宅上乘幕貴,空亡無力,傳課又無馬,何敢許也?果不中。
郭御青が言う:二月二十日午時に虞君のためにこの一課を占い得た(底本の「劉」の字は当に「課」の訛であろう)。日干と日支の上はともに墓神に圧覆される。宅位上の未はまさに庚日の帘幕貴人の寄する神であるけれども、偏に旬空裏に落ち、虚にして力なし。課と伝の中にはまた一つの駅馬もない——私はどうして敢えて彼の中式を請け合えよう。後に果たして中らなかった。
庚寅日・宗尤弢が余先生のために会試を占う
丁丑年二月庚寅日亥將巳時宗尤弢占三日餘先生會試,夜占。(郭氏占案)
丁丑年二月庚寅日、亥月将を巳時の上に加えて課を起した。宗尤弢が余先生のために三場の会試を占い、夜に起した課である。本例は『郭氏占案』に出る。
勾龍空虎 亥子丑寅 虎蛇蛇虎 財庚寅虎 合戌 卯常 寅申申寅 兄甲申蛇 朱酉 辰玄 申寅寅庚 財庚寅虎 申未午巳 蛇貴后陰
この盤は亥月将を巳時の上に加えて起出し、月将と時辰は正に相沖し、天盤は地盤より六位進むは、「返吟」の局である。夜占なので、庚日の夜貴である未を用い、貴人は地盤の丑位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:未は貴人、申は螣蛇、酉は朱雀、戌は六合、亥は勾陳、子は青竜、丑は天空、寅は白虎、卯は太常、辰は玄武、巳は太陰、午は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の庚は寄宮が申、申上に寅を得、寅は白虎を乗せる。第二課、寅上に申を得、申は螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅上に申を得、申は螣蛇を乗せる。第四課、申上に寅を得、寅は白虎を乗せる。寅申が往復して相沖するので、三伝は初伝が寅、中伝が申、末伝はまた寅である。初末の両伝の寅は遁干が庚寅、白虎を乗せ、寅木は庚金において妻財である。中伝は申で、遁干は甲申、螣蛇を乗せ、兄弟である。
郭御青曰:發用與干上俱命馬,奪胩得支馬、天馬,行年乘太歲,天空為奏書之神,有六七分可望。後中副榜,亦天將蛇虎,無簾幕之過。
郭御青が言う:発用の初伝と日干の上神はともに本命の駅馬で、また日支の馬と天馬を奪い得た。行年上は太歳を乗せ、天空はここで奏書の神を作す——六七分の指望がある。後に彼は副榜に中ったが、成績は高くなく、これもまた天将がただ螣蛇・白虎のこの類の凶将しかなく、帘幕貴人がない所以である。
吳稼云曰:簾幕現臨行年,而曰無,可乎?愚按:此課雖是夜占,然即得巳時仍用五貴為是。
呉稼云が言う:帘幕貴人は明らかに行年の上に臨むのに、無いと言う。理に通じようか。我が按ずる:この課は夜に起したけれども、取ったのが巳時である以上、なお昼貴を用いるべきであろう(底本の「五貴」は当に「昼貴」の訛であろう)。もし昼貴の丑に改め用いれば、満盤の天将はみな重ねて排すべく、呉・郭の二説の分歧はまさにここにある。
庚寅日・未年五月に訟を占う
未年五月庚寅日占訟。(中黃經)
未年——すなわち太歳が未にあるあの年——の五月庚寅日に官司を占った。ここでの「未」は十二地支の一で、年份を指し、「まだ——ない」とは解しない。附された課盤に由って推せば、未月将を亥時の上に加えて起した課である。本例は『中黄経』に出る。
空虎常玄 丑寅卯辰 后合龍玄 父丙戌合 龍子 巳陰 午戌子辰 鬼◎午后 勾亥 午后 戌寅辰庚 財庚寅虎 戌酉申未 合朱蛇貴
この盤は天盤が地盤より八位進む。庚日の夜貴である未を用い、貴人は地盤の亥位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:未は貴人、申は螣蛇、酉は朱雀、戌は六合、亥は勾陳、子は青竜、丑は天空、寅は白虎、卯は太常、辰は玄武、巳は太陰、午は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の庚は寄宮が申、申上に辰を得、辰は玄武を乗せる。第二課、辰上に子を得、子は青竜を乗せる。第三課、日支の寅上に戌を得、戌は六合を乗せる。第四課、戌上に午を得、午は天后を乗せる。三伝は初伝の戌で、遁干は丙戌、六合を乗せ、戌土は庚金を生ずるので父母である。中伝は午で、天后を乗せ、午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、盤上に「◎」を以て標し出す。午火は庚金を克するので官鬼である。末伝は寅で、遁干は庚寅、白虎を乗せ、妻財である。戌・午・寅は正しく合して寅午戌の火局を成す。
斷曰:戌作初傳,遁得丙火,剋日最凶。上乘六合是因和合上起口舌。卻喜為五月,解神中傳午天后,末傳寅乘白虎主同類陰謀。已定死罪,幸三傳雖是火局,合來剋日,卻是遞生日干。又貴人未土生干,太歲未土亦生干,初傳戌土又生干,主減凶刑作配也。
断語に言う:戌が初伝を作し、旬遁で得たのは丙火で、火が来て庚金を克するは最も凶険である。戌上は六合を乗せ、六合は和合を主るので、この場の口舌はまさに和合往来の中から起きたことが見える。幸いなことに時は五月に当たり、解神あって解き得る。中伝の午は天后を乗せ、末伝の寅は白虎を乗せ、白虎は同輩の人が暗に算計することを主る。この人はもともとすでに死罪を定められていたが、幸いに三伝は火局を合成して合わせて日干を克すけれども、排開して看れば層層相生してついに日干を生扶するに帰す。加えるに貴人の未土が日干を生じ、太歳の未土もまた日干を生じ、初伝の戌土もまた日干を生ずる——三重の土が来て身を護るので、死罪を減じ得て、改めて流配に判せられると断じた。
庚寅日・張九翁が宅を占う
戊申年八月庚寅日辰將未時,張九翁戊午生五十一歲,占宅。(口鑑、捷要)
戊申年八月庚寅日、辰月将を未時の上に加えて課を起した。占いに来たのは張九翁で、戊午年生まれ、五十一歳、家宅を問うた。この例は『口鑑』と『捷要』にいずれも収録されている。
朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 虎陰蛇陳 鬼癸巳陳 后子 未空 申亥寅巳 財庚寅蛇 陰亥戌酉申虎 亥寅巳庚 子丁亥陰 玄常
この盤は辰月将を未時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位退く。未時は昼に属し、庚日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の辰位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は螣蛇、卯は朱雀、辰は六合、巳は勾陳(盤中は「陳」と書く)、午は青竜、未は天空、申は白虎、酉は太常、戌は玄武、亥は太陰、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の庚は寄宮が申、申上に巳を得、巳は勾陳を乗せる。第二課、巳上に寅を得、寅は螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅上に亥を得、亥は太陰を乗せる。第四課、亥上に申を得、申は白虎を乗せる。三伝は初伝の巳で、遁干は癸巳、勾陳を乗せ、巳火は庚金を克するので官鬼である。中伝は寅で、遁干は庚寅、螣蛇を乗せ、妻財である。末伝は亥で、遁干は丁亥、太陰を乗せ、子孫である。巳・寅・亥は各々三位退くは、退間伝である。庚金は巳に長生し、日支の寅は亥に長生するので、干支ともに上神の生を受ける。そして庚は亥に脱し、寅は巳に脱し、彼此はまた互いに盗泄する——この一生一脱が、まさに下文の断語の枢紐である。
邵彥和曰:干支皆受上神來生,利宅不利人。干上發用歸傳支,末傳亥脫今日之干而生今日之支,因充役費用,又與姓陳吏人不和,尊長末後為兒娶婦,所費盡壞家計;十一年間陰人守寡,是時家產四分矣。張九翁果先好,後因充役,大有所費;又為妻叔與陳姓吏人作鬼,因來動店內物,卻乃爭訟;後二年又與子娶婦,倍陪女家;後五年因弟有事,遂作四分分也。
邵彦和が言う:日干と日支はともに上神の生を受けるは、宅に利ありて人に利なし。日干上の巳は発用して初伝を作し、一路伝わって日支に帰る。末伝の亥は今日の日干を盗泄しながら却って今日の日支を生ずる——だから彼が差役を承け負うために破費し、また一人の陳姓の吏員と不和することになると断じた。家中の尊長は最後に息子のために嫁を娶り、花費の大きいこと家業をも引きずり潰した。十一年の内に家裏に婦人が寡を守り、その時家産はすでに四份に分かれた。後に張九翁は果たして先に好く後に悪かった:先ず差役を充当して大いに財を破り、また妻の叔父があの陳姓の吏員と合伙して手を回し、彼の店裏の貨物を搬動し、ここにおいて官司を打ち起こし、さらに二年を過ぎて息子のために娶親し、女家に賠したことは加倍し、また五年を過ぎて弟の出事に因り、家産はすなわち四份に分かれた。
愚按:蓋庚生於巳,寅生於亥,庚脫於亥,寅脫於巳,干支俱受生而互受脫,是先興旺而後衰敗也。亥數四、寅數七,乃十一年也。亥脫今日干,則耗洩我矣,故主費財。亥為支之長生,生宅脫我,豈不是為宅舊役累而費用乎?宅上亥乃脫神,從宅發出,為末傳,又來脫我,亥為婦人,故曰為子娶婦費壞也。上加太陰,為老陰人,故又主陰人守寡,中傳寅為吏人,上為蛇撓,又為今日絕神,且寅又為今日財神,陰人得亥為脫氣,故主因妻與吏人爭訟也。
我が按ずる:庚金は巳に長生し、日支の寅は亥に長生する。反して言えば、庚金はまた亥水に盗泄され、寅木はまた巳火に盗泄される——干と支とが生を得てまた彼此脱を受ける。これがすなわち先に興旺し後に衰敗する格局である。亥の数は四、寅の数は七で、合わせてまさに十一年。亥が来て今日の日干を盗泄するは、すなわち我を耗やすので、財銭の破費を主る。亥はまた日支の長生の神で、それは宅を生じて我を泄らすので、いずくんぞまさに宅子の旧差役に拖累されて破費するにあらざらんや。宅位上の亥はもともと脱神で、宅位から発して出て末伝を成し、また回頭して来て我を盗泄する。亥の類象は婦人なので、息子のために嫁を娶って家業を使い悪くしたと言う。亥上に太陰を加え、太陰は年長の婦人を主るので、また堂に寡婦あることを主る。中伝の寅は吏員の象で、その上は螣蛇を乗せて攪擾と為し、寅はまた今日の絶神で、同時にまた今日の財神である。あの婦人は亥を以て脱気とする——だから妻家と吏員とに因って官司を打ち起こすと断じた。
庚寅日・少宗伯の馬康荘が入相し得るかを占う
崇正戊辰十二月庚寅日庚辰時,徽州汪仙民、邵無奇在京,占少宗伯馬康莊能入相否,涉害、顧祖,午未空、寅卯落空。(指南)
崇禎戊辰年(原書は「崇正」と作す)十二月庚寅日庚辰時、徽州人の汪仙民・邵无奇がちょうど京城におり、礼部侍郎の馬康荘が閣に入り相を拝し得るかを占った。課体は「渉害」で「顧祖」を帯びる:四課の中に両重の上克下があり、渉害の深い午を取って初伝とす。これは渉害である。末伝の寅木は回頭して初伝の午火を生ずる。これは顧祖である。午・未の二支はまさに甲申旬の旬空に当たる。(原注にまた「寅卯落空」と云うが、附する課盤と対せないので、姑くその旧を存す。)本例は『六壬指南』に出る。
六勾 朱卯辰巳午青 玄后六龍 鬼甲午龍 蛇寅 未空 戌子辰午 印壬辰六 貴丑 申虎 子寅午庚 財庚寅蛇 后子亥戌酉常 陰玄
この盤は天盤が地盤より二位退く。辰時は昼に属し、庚日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の卯位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は螣蛇、卯は朱雀、辰は六合、巳は勾陳、午は青竜(盤中は「青」と書く)、未は天空、申は白虎、酉は太常、戌は玄武、亥は太陰、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の庚は寄宮が申、申上に午を得、午は青竜を乗せる。第二課、午上に辰を得、辰は六合を乗せる。第三課、日支の寅上に子を得、子は天后を乗せる。第四課、子上に戌を得、戌は玄武を乗せる。三伝は初伝の午で、青竜を乗せ、午火は庚金を克するので官鬼である(底本は遁干を「甲午」と作すが、しかし午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、本条の標題もまた明らかに「午未空」と言うので、当に空亡を以て論ずべき)。中伝は辰で、遁干は壬辰、六合を乗せ、辰土は庚金を生ずるので印綬である。末伝は寅で、遁干は庚寅、螣蛇を乗せ、妻財である。午・辰・寅が位を逐って後退し各々一支を隔てるは、退間伝である。
斷:不但不能入相,且不日歸鄉。凡在朝為官占得顧祖,多不滿仕。又初中空亡,龍化為蛇,只宜猛省退步,且龍神克下,倘欲強進,定遭不足。後果枚卜不就,次年察處歸里。未久棄人間事從赤松子遊矣。
断語に言う:入閣できないばかりでなく、また幾日もせずに郷に帰らなければならない。およそ朝に官を為す人が「顧祖」の課を占い得れば、多くは任期を満たさない。加えるに初伝は空に落ち、中伝もまた空地にあり、初伝の青竜は末伝に到って螣蛇に変ずる。竜が蛇に化するは気勢が下に墜ちる象で、ただ猛然と醒悟し、及び早く退步すべきである。まして青竜の神はかえって往きて下を克するので、もし一意に上進を強求すれば、必ず挫折を遭わん。後に果たして廷推して入閣せず、第二年に考察処分されて郷に帰った。ほどなくして人間世事を抛て、張良に学んで赤松子に従いに往った。
庚寅日・虞本忠が会試を占う
丁丑年二月庚寅日亥將丑時為金壇虞本忠孝廉占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月庚寅日、亥月将を丑時の上に加えて課を起し、金壇の挙人虞本忠のために会試を占った。本例は『郭氏占案』に出る。亥将の丑に加わるは、天盤が同じく地盤より二位退くので、前の課と同盤である。前の課は入閣拝相を問い、こんどの課は会試の中るか否かを問う。
六勾 朱卯辰巳午青 玄后六龍 鬼甲午龍 蛇寅 未空 戌子辰午 印壬辰六 貴丑 申虎 子寅午庚 財庚寅蛇 后子亥戌酉常 陰玄
課盤は前の例と同じ:天盤は丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后を乗せる。四課は右から左へ午が庚に加わり(庚は申に寄す)、辰が午に加わり、子が寅に加わり、戌が子に加わる。天将は順に青竜・六合・天后・玄武。三伝は初伝の午は青竜を乗せて官鬼でしかも旬空に落ち、中伝の辰は六合を乗せて印綬、末伝の寅は螣蛇を乗せて妻財。日干上の午は庚金の敗絶の地で、日支上の子は寅木の沐浴の郷で、干支ともに敗気を乗せる。これがすなわち下文で彼が中らないと断ずる根拠である。
郭御青曰:干支俱乘敗氣,課傳無馬、無簾幕。初中空陷,不中之象。其親荊君庭實問余數次,餘皆不放,後果不中。
郭御青が言う:日干と日支はともに敗絶の気を乗せ、課と伝の中には駅馬もなく、また帘幕貴人もない。初伝は空に落ち、中伝もまた空地に陥る——これは中らない象である。彼の親戚の荊君庭實が彼のために幾度も私に問うたが、私は一度も口を緩めなかった。後に果たして中らなかった。
吳稼云曰:日干支俱乘敗氣,即文職而敗之象,安能中?
呉稼云が言う:日干と日支がともに敗気を乗せる。これはまさに文職の運がまさに衰敗する象で、どうして中り得よう。
庚寅日子時に王猷のために会試を占う(郭氏占案)
同日子時為王君諱猷占會試,辰命。(郭氏占案)
この課は前の例と同じく丁丑年二月の庚寅日で、ただ子時に改めて課を起し、王猷先生のために会試が中式し得るかを占い、「辰」を取って彼の本命とした。会試は各省の挙人が京師に斉集し、礼部の主持する春闈の大比で、中式して後に初めて殿試に進み得るので、この占は功名の占に属する。「辰命」は彼の本命が辰にあると言うので、課を断ずる時は天盤上のどの支神・どの天将が地盤の辰位の上に加わるかを看て、これに憑って功名の成敗を定める。本条は『郭氏占案』より採る。
合勾龍空 辰巳午未 后貴龍空 子 戊子 后 朱卯 申虎 子丑午未 子 丁亥 陰 蛇寅 酉常 丑寅未庚 父 丙戌 玄 丑子亥戌 貴后陰玄
これは排定した課盤で、原書は天地盤・四課・三伝を数行に挤し込めているので、ここでは順に読み出す。冒頭の「合勾竜空」は「辰巳午未」に配し、天将を連ねて排して支に配する:六合が辰を乗せ、勾陳が巳を乗せ、青竜が午を乗せ、天空が未を乗せる——ここでの「未」は十二地支の未で、盤上の方位を指し、別解しない。左辺の「朱卯」「蛇寅」は朱雀が卯を乗せ、螣蛇が寅を乗せる。右辺の「申虎」「酉常」は白虎が申を乗せ、太常が酉を乗せる。下排の「丑子亥戌」は「貴后陰玄」に配し、貴人が丑を乗せ、天后が子を乗せ、太陰が亥を乗せ、玄武が戌を乗せる。貴人が丑の上に落ちて十二将が順行するは、昼貴を用いる。中間の一塊は四課で、右から左へ看る:日干の庚は寄宮が申にあり、申上に未を得るは第一課。未上に午を得るは第二課。日支の寅上に丑を得るは第三課。丑上に子を得るは第四課。故に「丑寅未庚」と書して「子丑午未」に配し、上排の「后貴竜空」はすなわちこの四つの上神の乗ずる将である。最も右の一列は三伝:初伝の戊子は子孫爻で、天后を乗せる。中伝の丁亥は子孫爻で、太陰を乗せる。末伝の丙戌は父母爻で、玄武を乗せる。庚寅日は甲申旬に属し、午・未の二支は空亡するので、日干上の未は旬空の神である。
郭御青曰:此課余初斷,簾幕覆日,旬空,馬少。是日同袍數十人,眾中雖皆面談,實未深許。王君中後,細詳課情:渡天門臨行年,玄武入廟不能為惡,月建作朱雀臨本命,太歲作生氣貴人臨宅,簾幕雖空,得支上太歲沖之,不空。天空如不見貴人,當作空論,今與支上太歲貴人對面則為奏書之神,其高中,宜也。遭一蹶,長一智,乃知妙理無窮也。
郭御青が言う:この課で私が初めに断じた時、ただ帘幕貴人の未位が日干の頭に圧してまた旬空に落ち、駅馬も少ないを見たのみで、だから看好しなかった。あの日同じく来て占いを求めた同輩は数十人あり、衆人の面前で私もまた一々談じたが、実は心の中では真に彼が中ると請け合わなかった。王君が中式した後、私はさらに課情を細かく看て、やっと別の道理を看出した:乗ずる神が天門の亥位を渡って、まさに彼の行年の上に加わる。玄武が亥に臨むは入廟で、廟に入る将は悪を為せない。二月の月建の卯は朱雀を作し、彼の本命の辰上に加臨する。朱雀は文書の神で、まさに考巻文章を主る。丁丑年の太歳の丑は生気を作し、また貴人を乗せ、日支の寅位に加臨する——日支は宅で、これがすなわち太歳貴人が宅に臨むのであり、貴人はまた主考の象である。帘幕は旬空に落ちたけれども、日支上の太歳の丑が未を冲するを得て、空を冲せばすなわち空として論じない。天空の一将は、もし貴人と相対しなければ、本当は空虚として断ずべきところ、今は日干上に天空を乗せた未と日支上に貴人を乗せた太歳の丑とが両々相対するので、転じて「奏書」の神と為り、文書を上呈し栄身顕達することを主る。このように看れば、彼が高中したのはもとより応当である。一転びして一智を長ず。初めて六壬の妙理が無窮無尽なるを知った。
愚按:此斷皆牽強。予以載之者,嘉郭君之直也。此課惟有朱雀旺而臨命,中傳生之,末傳合之,可望其中。然不能中處甚多,似未可以一端而許之也。殆郭君逢人便占是日占多而神不告與?抑另有妙義非淺學者所能窺測也?
程樹勲が按ずる:郭氏が事後に補い出したこの一串の解説はみな牽強の嫌いがある。私がなおそれを収め入れるのは、郭君が自分の看違えたを照実に言い出すことを肯んじたあの直爽を嘉むからである。この一課に就いて論ずれば、取るべきはただ朱雀の乗ずる卯木が二月に令を得て旺しく、また本命の辰上に加臨し、中伝の亥水が卯木を生じ、末伝の戌と卯とが相合するのこの一点で、なお彼が中式することを指望し得る。しかし課裏の中らざる所は実にあまりに多く、一端のみに憑って人に高中を許すべきでないらしい。あるいは郭君が人を見ればすなわち占い、あの日は占い得ることが多すぎて、神明が明らかに告げるを肯んじなかったのであろうか。それともまた精微の義理があって、学問の浅い人の窺測し得るところでないのであろうか。
庚寅日子将の丑時に胎産を占う(牧夫占験)
乾隆戊辰年丑建庚寅日子將丑時占胎產,母丁夫人二十二歲。(牧夫占驗)
乾隆戊辰年十二月(月建は丑にある)の庚寅日、子将を用いて丑時に加えて課を起し、胎産の吉凶を占った。産婦の丁夫人は二十二歳。十二月の用いる月将は神后の子で、これを占時の丑の上に加えれば、天地の二盤はこれに由って排定される。本条は『牧夫占験』より採り、王牧夫の占う所である。
合朱蛇貴 辰巳午未 虎空蛇貴 子 戊子 虎 勾卯 申后 子丑午未 子 丁亥 常 龍寅 酉陰 丑寅未庚 父 丙戌 玄 丑子亥戌 空虎常玄
この課は前の例と同日に起し、四課・三伝の支神は全く同じで、ただ乗ずる天将が一輪換わった。天盤の上排は「辰巳午未」に「合朱蛇貴」を配し、六合が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、貴人が未を乗せる。左辺は勾陳が卯を乗せ、青竜が寅を乗せる。右辺は天后が申を乗せ、太陰が酉を乗せる。下排は「丑子亥戌」に「空虎常玄」を配し、天空が丑を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が戌を乗せる。貴人が未の上に落ちて十二将が逆行するは、夜貴を用いる。四課はなお旧のまま日干の庚は寄宮が申で申上に未を得、未上に午を得、日支の寅上に丑を得、丑上に子を得る:第一課の庚上の未は貴人を乗せ、第二課の未上の午は螣蛇を乗せ、第三課の寅上の丑は天空を乗せ、第四課の丑上の子は白虎を乗せる。三伝は初伝の戊子は子孫爻で白虎を乗せ、中伝の丁亥は子孫爻で太常を乗せ、末伝の丙戌は父母爻で玄武を乗せる。
王牧夫曰:占胎產,主易生。母無恙,子難保也。凡占孕,與產不同。孕忌蛇虎,產喜蛇虎,以其為血神也。干位為子,支位為母,定體也。今干支俱乘墓,互相制,是懷此孕,即當有病。母子俱不安寧。產易生者,蛇虎在干支之陰,為其輔也。母無恙者,支寅木春占得旺氣也。子難保者,傳歸夜時而得遁出丙丁,皆克干之鬼也。生女者何?干支上神相比,皆陰,而正時又下克土上也。
王牧夫が言う:この課は胎産を占うに、生産が順利で、母は恙なく、子どもは保ち難いと主る。およそ懐孕を占うと分娩を占うとは同じでない:懐孕は螣蛇・白虎を見るを忌み、臨盆はかえって螣蛇・白虎を見るを喜ぶ。この両位はともに「血神」で血光を主り、産期にまさに分娩の象に合するからである。産を占うは日干の位を以て子どもとし、日支の位を以て母親とするは、固定した体例である。今、日干上は未を乗せ、日支上は丑を乗せ、両処とも墓神である——未は日支寅木の墓、丑は日干庚金の墓——彼此交互に制伏するので、この一胎を懐く時にすなわち病むべく、母子ともに安寧を得ないことが見える。生産が容易いと言うのは、螣蛇・白虎がそれぞれ日干・日支の陰神の上に落ちるからで、すなわち第二課の午は螣蛇を乗せ、第四課の子は白虎を乗せ、まさに傍らで輔助している。母が恙なしと言うのは、日支の寅は春木に属し、占時が旺気を得ているからである。子が保ち難いと言うのは、三伝が夜時の神に帰し、遁干で丙・丁を得て、丙丁火はいずれも日干の庚金を克する鬼だからである。何を以て生れるは女と断ずるか。日干上の未と日支上の丑とは同じく土に属して彼此相比し、両者はまたともに陰に属し、加えるに占時はまさに丑に当たり、地盤の丑土はかえってその上の天盤の子水を克する、下克上の象だからである。
推而言之,戌為蛇足,加於亥,亥為天頭,足上頭下,亦易產也。傳退,亦易生也。三奇,亦無恙也。干空,子不利也,母位之丑乃庚日之墓,又帶丁克干,子亦不利。干上之未,雖墓母位之支,然帶癸水生神,母亦無恙也。子午道路也,蛇虎血神也,故產一女而後不育也。後果一一俱驗。
さらに推し広げて言う:戌は螣蛇の足で、今は亥の上に加わり、亥は天門で頭である。足が上にして頭が下は、まさに胎位が頭下・足上の順産の象に合するので、だから易く生まれることをも主る。三伝の子・亥・戌は位を逐って後退するは、退茹の伝で、同じく生産が順当なることを主る。三伝はまた「三奇」の吉格に合するので、母子は総じて大害に至らない。ただ日干上の未は旬空に落ち、子どもに不利である。母位の臨む丑はもともと庚日の墓神で、また丁神を帯びて来て日干を克するので、子どもにも不利である。日干上の未は母位の日支寅木の墓神であるけれども、癸水のこの我を生ずる神を帯びるので、母親は依然として恙なし。子と午は道路の象で、螣蛇・白虎は血神なので、一女を生み而して後に養いえなかったと断じた。事後に果たして一一みな応験した。
庚寅日伏吟に官を求めるを占う(一針見血)
江府左府年二十五歲白身要求陰授,又無學術,一日往苗叔芳家卜課得庚寅日伏吟。(一針見血)
江府の左府は、年二十五歳、なお功名なき白身で、科挙の正途を行かない「陰授」の官职を一つ求めようとしたが、偏に自分には学問・才藝がなかった。ある日、彼は苗叔芳の家中に到って課を卜し、起して出たのは庚寅日の伏吟課であった。伏吟は月将と占時とが同位で、天盤が地盤の本位に圧して動かず、静守・遅滞・内事を主る。本条は『一針見血』より採る。
朱蛇貴后 巳午未申 龍龍后后 兄 甲申 后 合辰 酉陰 寅寅申申 財 庚寅 龍 勾卯 戌玄 寅寅申庚 鬼 癸巳 朱 寅丑子亥 龍空虎常
天盤の上排は「巳午未申」に「朱蛇貴后」を配し、朱雀が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、貴人が未を乗せ、天后が申を乗せる。左辺は六合が辰を乗せ、勾陳が卯を乗せる。右辺は太陰が酉を乗せ、玄武が戌を乗せる。下排は「寅丑子亥」に「竜空虎常」を配し、青竜が寅を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が亥を乗せる。貴人が未を乗せて十二将が逆行するは、夜貴を用いる。四課は右から左へ:日干の庚は寄宮が申にあり、申上になお申を得、申上にまた申。日支の寅上になお寅を得、寅上にまた寅——上下が同位で動かず、まさに伏吟の課である。四課の上神は順に天后・天后・青竜・青竜を乗せる。三伝は初伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、天后を乗せる。中伝の寅は妻財爻で、青竜を乗せる。末伝の巳は官鬼爻で、遁干で癸を得、朱雀を乗せる。申・寅・巳の三字は互いに刑害する、三刑の伝である。
苗叔芳曰:天后、朱雀、青龍三吉將,末又與初傳合,可以進身。且始終德合,天城、天吏入傳,維持必可成就。天后為用神,須得陰貴人之力,可求刑官,以三傳三刑之故,然不免艱辛耳。後果授泉州司學,乃刑官也,終得陰貴人之力而成。
苗叔芳が言う:この課は三伝がそれぞれ天后・青竜・朱雀の三つの吉将を乗せ、末伝の巳はまた初伝の申と相合する。進身して官を得られる象である。しかも首尾ともに徳神の相合があり、「天城」「天吏」の官職を主る二神はまた三伝に入る。それらの維持するがあれば、この事は必ず弁じ成ることができる。初伝は天后を乗せ、天后はすなわち用神で、天后は陰に属するので、陰貴人すなわち夜貴人の力を借りざるをえない。求むる官は刑名の一路に在るべきで、これは三伝の申・寅・巳が互いに成す三刑に因る。ただ三刑は奔波を主るので、事は一番の艱辛を少なからず。後に彼は果たして泉州司学に授けられ、苗氏の言う「刑官」はまさにこの職を指し、そしてこの事はついに陰貴人の力に靠って弁じ成された。
庚寅日戌将の申時に来意を占う(五要権衡)
丁巳年三月庚寅日戌將申時占來意。(五要權衡)
丁巳年三月の庚寅日、戌将を用いて申時に加えて課を起し、来る人の為す所の事を占った。「来意を占う」は六壬の中の一門の専功で、来客が自分から口を開くを待たず、単に課体に凭って彼が心裏に占う所が何事かを推断する。本条は『五要権衡』より採る。
空虎常玄 未申酉戌 龍合後玄 父 壬辰 合 龍午 亥陰 午辰子戌 鬼 ◎午 龍 勾巳 子后 辰寅戌庚 兄 甲申 虎 辰卯寅丑 合朱蛇貴
天盤の上排は「未申酉戌」に「空虎常玄」を配し、天空が未を乗せ、白虎が申を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が戌を乗せる。左辺は青竜が午を乗せ、勾陳が巳を乗せる。右辺は太陰が亥を乗せ、天后が子を乗せる。下排は「辰卯寅丑」に「合朱蛇貴」を配し、六合が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、螣蛇が寅を乗せ、貴人が丑を乗せる。貴人が丑を乗せて十二将が順行するは、昼貴を用いる。戌将の申時に加わるは、天盤が地盤より二位進む。四課は右から左へ:日干の庚は寄宮が申で申上に戌を得るは第一課。戌上に子を得るは第二課。日支の寅上に辰を得るは第三課。辰上に午を得るは第四課。四つの上神の戌・子・辰・午はそれぞれ玄武・天后・六合・青竜を乗せる。三伝は初伝の辰は父母爻で、遁干で壬を得、六合を乗せる。中伝の午は官鬼爻で、青竜を乗せ、午の字の上に加えた「◎」は旬空の記号——庚寅日は甲申旬に属し、午・未は空亡する。末伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、白虎を乗せる。
朱氏恆曰:來意失去鈔二百張。據經:行鋒門是內動又是馬,值事是白虎為驚憂。中傳見午作龍為財物,旬空未敢以賊盜言。雖玄武乘戌,是庚日之印,又未敢言賊。初建論之為丙戌為庚之鬼,復建論之,符甲戌是復建生初,初建鬼旺矣,況玄武是盜失。
朱氏恒が言う:来る人の心事は鈔票二百張を失ったこと。経書の講法に按ずるに:行鋒のこの一門は内動に属し、また駅馬に逢う。当値の一門は白虎を乗せ、白虎は驚憂を主るので、家内で物を失い心中驚懼することが見える。中伝に午が青竜を乗ずるを見、青竜は財物を主るけれども、ただ午は旬空に落ちるので、なお敢えて一口に賊盗と断じない。玄武は戌を乗せ、玄武はもともと盗神であるけれども、戌土は庚金を生じ得るので、庚日の印綬である。これによってまたなお敢えてすなわち賊と言わない。もし初建に按って論ずれば、戌の遁は丙を得て、丙火は庚金の鬼である。さらに復建に按って論ずれば、符上の甲は戌と相配し、復建が来て初建を生ずるは、初建の鬼気がすなわち旺する。まして玄武はもともと盗がして物を失うを主る。
若以戌為僕,太陽在戌又是晝日,為白日賊也。戌與酉交合,是同類之人,否則屋主之親。自西南而來,藏於正南,為何居於西北?相去甚近,戌至申相隔一辰耳。亥戌申,純陽,為男,臨孟,為少,自申至戌二辰,不過二人耳。後獲鈔一半。
もし戌を奴僕と看做せば、太陽はまさに戌位に行き到り、占時はまた白天にあるので、白日に室に入る賊である。戌と酉の两位は交々相会合するので、手を下したのは同類の身分の人で、さもなければ房主の親属である。賊は西南方より来り、贓物を正南に蔵めたのに、何がしか人は西北に住むか。彼此の相隔たるが甚だ近く、戌から申まではただ一辰を隔てるのみだからである。亥・戌・申の三字は純ら陽支で、男子を主る。また四孟の位に臨み、年紀が軽いを主る。申から戌までただ二辰なので、人数は二つを過ぎない。後に果たして鈔票の一半を追回した。
巳是得之,終是巳生干。中末空,盜者利。經纏以辰上見者為所失之物。今寅上見辰,乃月建,月建為貴物,以此知鈔是世之中現者。發用助日,我為有氣矣。由是觀之,生中有鬼,財中有克,皆在建於變化也。此凝神子郭璞所以妙出人表也。若取來情當以聚散鬼救論,若斷休咎,只用干為主,三傳生克正時論始終平安,不必用變求奇。古人有云:求奇及不奇也。
一半を追回し得たのは、関鍵は巳のこの一位にある:庚金は巳に長生し、巳はついに日干を生扶し得る。中伝・末伝は空に落ち、かえって盗者に対して利あるので、ただ一半を討い返したのみ。経書の纏度の法に按ずるに、日支上に見える神を以て失った物と為す。今、日支の寅上に辰を見、辰はまさに三月の月建で、月建は貴重の物を主る。これに由って失った鈔は当世に通行する現鈔と知れる。発用の神は来て日干を助けるので、我がこの一方はすなわち気あり。これに由って看れば、相生の中に鬼を蔵め、財爻の中に克を帯び、関節はことごとく月建の変化の上にある。これがまさに凝神子の郭璞の高妙にして人に過ぎた所以である。もしただ来人の情由を取れば、当に聚散・鬼救の法に按って論ずべき。もし吉凶・休咎を断ずれば、ただ日干を以て主と為し、三伝の生克と占時の正時とを看て、その終始の平安を論ずれば足りる。変を求め奇を弄するを須いない。古人が言った:奇を求める結果はかえって奇ならず。
庚寅日未将の巳時に家下行人を占う(郭氏占案)
戊寅年五月二十八庚寅日未將巳時傅太尊占家下行人。(郭氏占案)
戊寅年五月二十八日、庚寅日、未将を用いて巳時に加えて課を起し、傅太尊が自家の門を出て外にある人が幾時か帰るを占った。「太尊」は当時の知府に対する尊称で、「家下行人」は自家に外出して未帰の人を指す。本条は『郭氏占案』より採る。
空虎常玄 未申酉戌 龍合後玄 父 壬辰 合 龍午 亥陰 午辰子戌 鬼 ◎午 龍 勾巳 子后 辰寅戌庚 兄 甲申 虎 辰卯寅丑 合朱蛇貴
この課は前の一例と課体が全く同じ:天盤の上排は未・申・酉・戌が天空・白虎・太常・玄武を乗せ、左辺は青竜が午を乗せ勾陳が巳を乗せ、右辺は太陰が亥を乗せ天后が子を乗せ、下排は辰・卯・寅・丑が六合・朱雀・螣蛇・貴人を乗せる。未将の巳時に加わるは、天盤が同じく地盤より二位進むので、日干の庚は寄宮が申で申上に戌を得、第一課は戌の庚に加わると作す。四課の四つの上神の戌・子・辰・午は順に玄武・天后・六合・青竜を乗せる。三伝は初伝の辰は父母爻・遁壬・六合を乗せ、中伝の午は官鬼爻・青竜を乗せ・「◎」を帯びて旬空を表し、末伝の申は兄弟爻・遁甲・白虎を乗せる。この課の要緊なる処は:地盤の亥位は天門で、その上に正に貴人を乗せた丑を得る。すなわち下文の言う所の「貴登天門」である。
郭御青曰:課名斬關,又名登三天,貴登天門,自是行路程北走之象。初傳天馬不久即至,但中末空陷,須到甲午旬六月初三以後,可到,以午字填實,三天可登也。然甲午旬,辰字又空,天馬本行空之物,不怕空也。子孫爻劫煞臨酉,當在酉日到。課名涉害,路中有阻,果於六月初六丁酉日到,路中家人附騾數次,幾傷。
郭御青が言う:この課の名は「斬関」、また「登三天」と名づけ、加えるに貴人が亥に臨み、まさに「貴登天門」である。もとより路に上り程を趕り、北に向かって行く象である。初伝は天馬を帯び、行人が久しからずして便ち至ることを主る。ただ中伝・末伝はともに空陥に落ち、甲午旬に交進して、六月初三以後を須ち待って始めて到り得る。あの時午の字が填実して、初めて「三天」に登り得るからである。ただし一たび甲午旬に入れば、辰の字はまた空亡に変ずる。天馬はもとより空を行く物で、空に落ちるを怕れない。子孫爻上の劫煞は酉に臨むので、当に酉日に家に到るべき。この課はまた「渉害」と名づけ、路上に阻碍あることを主る。後に行人は果たして六月初六丁酉日に家に到り、路上であの家人は幾度も騾子の上で険を出し、ほぼ傷を受けんとした。
庚寅日辰将の丑時に繞九公が店業を占う(方本占案)
戊申年九月初九庚寅日辰將丑時繞九公癸卯生(生於十月初四日亥時)六十六歲占店業。(方本占案、口鑑)
戊申年九月初九日、庚寅日、辰将を用いて丑時に加えて課を起した。占を求めた繞九公は癸卯年生まれで、十月初四日亥時の生人、時年六十六歳、自家の店業の興衰を占いに来た。本条は『方本占案』と『口鑑』に同じく見える。
朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇陰虎陳 兄 甲申 蛇 后午 丑空 申巳寅亥 子 丁亥 六 陰巳辰卯寅虎 巳寅亥庚 財 庚寅 虎 玄常
この一組の課盤の排法は前の幾例と略や異なり、天将は徑りに天盤各支の傍らに書く。上排は「申酉戌亥」:螣蛇が申を乗せ、朱雀が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、勾陳が亥を乗せ、「朱六」の二字は酉戌の上に標し、「陳」の字は亥の傍に綴る。左辺は貴人が未を乗せ、天后が午を乗せ、太陰が巳を乗せる。右辺は青竜が子を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が寅を乗せる。下排の卯・辰の两位は太常・玄武を配す。貴人が未を乗せて十二将が順行し、丑時は夜に属し、夜貴を用いる。辰将の丑時に加わるは、天盤が地盤より三位進む。四課は右から左へ:日干の庚は寄宮が申で申上に亥を得るは第一課。亥上に寅を得るは第二課。日支の寅上に巳を得るは第三課。巳上に申を得るは第四課。四つの上神の亥・寅・巳・申は順に勾陳・白虎・太陰・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、螣蛇を乗せる。中伝の亥は子孫爻で、ここではそれが六合を乗せると記すが、四課のあそこでは亥が勾陳を乗せると記し、底本の両処の記す所は一ならず。末伝の寅は妻財爻で、白虎を乗せる。
邵彥和曰:干支上皆盜氣,其家世店業,十退五六矣。初申加巳,庚祿在申,祿來加蛇上,又蛇擾,是少人錢物;中亥加日上,脫氣太重;末財在脫上,又遭虎克,到此十分去盡矣。
邵彦和が言う:日干上に亥を得、日支上に巳を得る。庚金は亥水を生じ、寅木は巳火を生ず。両処とも我を泄らす気で、すなわちいわゆる「盗気」である。彼の家は世々代々店業を為し、如今すでに十分の五六を退けた。初伝の申は地盤の巳上に加わる。庚金の禄はもと申に在り、禄神は却って螣蛇の位の上に加わり、螣蛇はまた驚擾を主る。これは人に銭物を欠き、人に纏繞せられる象である。中伝の亥は日干の頭上に加わり、泄気が重すぎる。末伝の寅は財爻で、偏に脱気の位に落ち、また乗ずる所の白虎に来て克せられる。この一歩に到って、十分の家業はすなわち去って干々浄くなる。
主四十八年中去一半,七年中全退。又妻生病死,占時家甚費力,至辛亥年兩店皆歇。亥為庚脫,且巳為店,亥又克之,故重會亥而歇業。甲寅欠債狼狽,為人所訟。寅爻為店,既為巳脫,故至寅而廢也,妻病浮腫而死也。
四十八年の中に家業が先ず半分去り、さらに七年を過ぎて便ち全部退け尽くし、妻子はまた病んで亡故すると断じた。占った時、彼の家はすでに十分に吃力であったが、辛亥年に到って両処の店舗がみな歇業した。亥は庚金の脱気の神で、そして巳は店舗と為り、亥水はまた来て巳火を克するので、流年が重複して亥に会えば、店はすなわち歇する。甲寅年に到って債を欠き狼狽し、人に官府に告げられた。寅爻もまた店で、寅木はすでに巳火に脱せられたので、寅年に到って店業はすなわち廃れた。妻子はすなわち浮腫の病に害して死んだ。
庚寅日辰将の丑時に張逸士が病を占う(口鑑)
同年月日時張逸士庚戌生五十九歲占病,戊申年九月庚寅日辰將丑時。(口鑑、方本占案)
前の例と同年・同月・同日・同時——すなわち戊申年九月庚寅日、辰将の丑時に加わる——に張逸士が自分の病を占いに来た。彼は庚戌年生まれ、時年五十九歳。本条は『口鑑』と『方本占案』に同じく見える。
朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇陰虎陳 兄 甲申 蛇 后午 丑空 申巳寅亥 子 丁亥 陳 陰巳辰卯寅虎 巳寅亥庚 財 庚寅 虎 玄常
課盤は前の例と同じ:螣蛇が申を乗せ、朱雀が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、勾陳が亥を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が寅を乗せ、太常が卯を乗せ、玄武が辰を乗せ、太陰が巳を乗せ、天后が午を乗せ、貴人が未を乗せ、貴人は未にあって順行する。四課は日干の庚は寄宮が申で申上に亥を得、亥上に寅を得、日支の寅上に巳を得、巳上に申を得る。四つの上神は順に勾陳・白虎・太陰・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の申は兄弟爻で螣蛇を乗せ、中伝の亥は子孫爻で勾陳を乗せ、末伝の寅は妻財爻で白虎を乗せる。病を占うは日干を以て人身と為し、今、日干上に亥を得、日支上に巳を得、上下の両処とも泄気である。これがまさに下に病を断ずる着眼の所在である。
邵彥和曰:此課大凶,上下俱脫,其病恐是洩瀉上得之,自後寒熱往來,必成五癆七傷。又兼翻胃吐食,況日上生水,金去生水,多主冷涎,支上見巳,木生虛火,必心下不寧,遂至此病。兼之白濁,死在二十八日,不然再歷二十八日,難過矣。此課始終見凶神,上下皆盜氣,巳亥俱四數,申數七,四七二十八,兩處皆見,五十六日也。日干為上部,支辰為下部。
邵彦和が言う:この課は大凶で、上下ともに脱気である。病根はおそらく泄瀉の上より得たのであろう。此の後、寒熱が往来し、必ず五労七傷に拖り成り、さらに翻胃・吐食の毛病を添えよう。まして日干上に亥を得るは、庚金が往きて亥水を生じ、金気は水の上に泄らすので、多くは冷涎の上涌を主る。日支上に巳を見るは、寅木が巳火を生起するは虚火で、必ず心口以下が安寧を得ず、ここにおいてこの場の病を醸成した。加えるに白濁の症あり、二十八日の上に便ち死すべし。もし過ぎ去り得れば、さらに二十八日を挨えても過ぎ難かろう。この課は首尾ともに凶神を見、上下はまたともに盗気である。巳と亥の数はともに四で、申の数は七で、四七は二十八、両処ともに見えて、合わせて便ち五十六日。病を断ずる時は日干を以て上半身を管とし、日支を以て下半身を管とする。
庚寅日子将の酉時に雨雪を占う(牧夫占験)
戊寅年正月庚寅日子將酉時占何日雨雪。(牧夫占驗)
戊寅年正月の庚寅日、子将を用いて酉時に加えて課を起し、いずれの日に雨が降り雪が降るかを占った。天時を占うは六壬の常課で、重きを三伝の値する水・火・風・雪の諸神とそれらの乗ずる天将を看るに置く。本条は『牧夫占験』より採る。
朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇陰虎陳 兄 甲申 蛇 后午 丑空 申巳寅亥 子 丁亥 陳 陰巳辰卯寅虎 巳寅亥庚 財 庚寅 虎 玄常
課盤は前の両例と同じ。子将の酉時に加わるは、天盤が同じく地盤より三位進む:螣蛇が申を乗せ、朱雀が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、勾陳が亥を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が寅を乗せ、太常が卯を乗せ、玄武が辰を乗せ、太陰が巳を乗せ、天后が午を乗せ、貴人が未を乗せる。四課は庚が申に寄り、申上に亥を得、亥上に寅を得、日支の寅上に巳を得、巳上に申を得る。三伝は申・亥・寅:初伝の申は兄弟爻で螣蛇を乗せ、中伝の亥は子孫爻で勾陳を乗せ、末伝の寅は妻財爻で白虎を乗せる。雨雪を占う時、申は水の長生の地で、水母と称し、亥は水で、寅は風である。この三字がまさに本課に雪を断出し得る関目である。
王牧夫曰:水母發用,蛇乘干上,中見亥水,末見風神,用傳日支,今日當雪,來日當大雪。蓋蛇乃雪象,中見極陰之水,寅為東北,風從東北當有雪也。況三傳遞生乎,今日雪小者,寅與亥合也。來日雪大者,太陽與卯相刑,春夏主雷,冬主雪,各因時而論耳。
王牧夫が言う:初伝の申は水の長生の地、すなわちいわゆる「水母」で、それに由って発用する。螣蛇はまた日干の寄宮の申上に乗ずる。中伝に亥水を見、末伝の寅は風神で、そして寅はまさに本日の日支で、三伝は日支の上に帰して来る。これに拠って断ずる:当日は雪降るべく、第二天は大雪降るべし。螣蛇はもともと雪の象で、中伝にまた亥のこの極陰の水を見るからである。寅は東北方にあり、風は東北より来るので、当に雪あるべし。まして三伝の申は亥を生じ、亥は寅を生じ、一路に遞々相生する。当日は雪が小さいと言うのは、寅と亥とが相合し、合すればすなわち収斂するからである。次日は雪が大きいと言うのは、太陽の乗ずる月将の子が卯と相刑し、子卯が一たび刑すれば、春夏には雷を打つを主り、冬には雪を降るを主る——同じく一つの刑が、各々時令に按って分けて論ずるだけである。
辛卯日
辛卯日午将の辰時に林丞務が平生を占う(方本占案)
建炎己酉年七月辛卯日午將辰時,林丞務丙辰生五十四歲占平生。(方本占案、口鑑)
南宋の建炎己酉年七月の辛卯日、午将を用いて辰時に加えて課を起した。占を求めた人の林丞務は丙辰年生まれ、時年五十四歳、自分の一生の窮通・得失を占った。「丞務」は彼の官称である。本条は『方本占案』と『口鑑』に同じく見える。
朱六 蛇未申酉戌陳 貴午 亥龍 蛇后常空 官癸巳 后 后巳 子空 未巳寅子 父空未 蛇 陰辰卯寅丑虎 巳卯子辛 兄乙酉 陳 玄常
上排は「未申酉戌」:螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せ、勾陳が戌を乗せる。左辺は貴人が午を乗せ、天后が巳を乗せ、太陰が辰を乗せる。右辺は青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せる。下排の寅・卯の两位は太常・玄武を配す。貴人が午を乗せて十二将が順行し、辰時は昼に属し、昼貴を用いる。午将の辰時に加わるは、天盤が地盤より二位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に子を得るは第一課。子上に寅を得るは第二課。日支の卯上に巳を得るは第三課。巳上に未を得るは第四課。四つの上神の子・寅・巳・未は順に天空・太常・天后・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の巳は官鬼爻で、遁干で癸を得、天后を乗せる。中伝の未は父母爻で、螣蛇を乗せ、「父空未」の中の「空」の字は未の旬空に落つるを標明する——辛卯日は甲申旬に属し、午・未は空亡する。末伝の酉は兄弟爻で、遁干で乙を得、勾陳を乗せ、そして酉はまさに辛日の禄神の在る所である。
邵彥和曰:日上子為盜氣,又見天空,主下部遺洩,兼子息不美。支上破碎,又兼發用、中傳空亡,末傳又加空亡之上,作今日祿神,祿神即空,前程不永。宅犯破碎,子作盜氣,是諸子耗盜財物,各抽入己,於我則空。除非另爨,可以少延。否則家破財散矣。林丞務有四子,二妻所出,家道不齊,堂前之物,子盡盜之,為之一空。本身常有淋疾。家計漸覺退敗。
邵彦和が言う:日干上に子を見るは、辛金が子水を生ずるは我を泄らす盗気で、子上にまた天空を乗せるは、下身に遺泄の疾あることと、また子息が好くないことを主る。日支上は破碎煞を犯し、加えるに発用と中伝はともに空亡に逢い、末伝はまた空亡の位の上に加わり、そして末伝の酉はまさに本日の禄神である——禄神が空に落つれば、前程は便ち長久ならず。宅位は破碎を犯し、子孫爻はまた盗気を作す。これは幾人かの息子が家中の財物を耗散・偸取して、各自己の腰包に抽き入れ、我がここにおいてすなわち空となる。分家して別に竈を起こさなければ、なお少しく延引し得るけれども、さもなければ便ち家破・財散の局面である。林丞務は四人の息子があり、两位の妻子の生む所で、家道はもともと斉整でなかった。堂前の東西は、息子たちに盗まれて干々浄くなった。彼自身は常に淋病に患い、家業もまた日に日に敗落して往った。
蓋辛見了盜氣,宅上又見破碎,子為一陽之始,巳為六陽之終,始於身、終於宅也,故始主自身下部遺洩,而卒於破家。子為子息,所以敗家由子也。初傳宅上,中末俱空,號曰不行,故只以干支二處分斷,中末皆空,初仍宅上,等之無傳矣,故只就干支分斷。
もとより辛金は泄気の神を見、宅位上にまた破碎煞を見た。子は一陽の初生の始で、巳は六陽の窮尽の終である。一頭は自身に起り、一頭は家宅に落ちる。だから初めは自身の下部の遺泄に応じ、最後は破家の上に収まる。子はまた子息の神なので、家を敗すはまさに息子である。初伝は宅位上より発して出で、中伝・末伝は却ってともに空亡に落つ。これを「不行」と名づけ、ただ日干・日支の両処を取って分けて断ずるのみ。中末はすでにともに空で、初伝はまた依然として宅の上に落つる。これは三伝がないに等しいので、ただ干支の两位に就きて分断する。
若初傳不從宅與日上起,則又當細審,不得概為不行也。然初傳更加一重破碎,子為脫空,六陽至此極處;又見破碎作初傳,上見天后,數又名泆女卦,其妻最淫蕩,第四子最蠢者是其所生,更有兩子尤作手腳。若占病必死之課,占前程脫精而亡。
たとい初伝が宅位と日干上から起して出でたでなければ、すなわち別に作して細かく審るを要し、一概に「不行」と断じてはならない。しかしこの課の初伝上にはまた一重の破碎が加わり、子はすでに脱気でまた空に落ち、六陽はここに到ってすでに尽頭である。破碎はまた初伝を充作し、その上は天后を乗せ、数に按って算すればまた「泆女卦」と名づけ、彼の妻子が極めて淫蕩なることを主る。四つの息子の中の最も蠢い第四子はすなわち彼女の生む所で、別にまた二つの息子がことさら暗中に手を回すを会す。このようの課は、もし持ち来りて病を占えば、必死の課である。もし持ち来りて前程を占えば、精気が脱尽して亡ぶを主る。
辛卯日午将の寅時に宗開先が笠場の事を占う(指南)
崇正癸酉年七月辛卯日揚州明經宗開先同張向之來占笠場事,報寅時,以午將加寅。(指南)
崇禎癸酉年七月の辛卯日、揚州の明経の宗開先が張向之と同じくして前来り笠場の事を占った——下文の陳氏の断ずる所に由って知れば、問う所は実は科場に中式するや否やである。来人の報じたは寅時で、ここにおいて午将を寅の上に加えて課を起した。「明経」は貢生の別称で、「崇正」はすなわち明の崇禎の年号で、清人の刊本は諱を避けて字を改めた。本条は『六壬指南』より採り、陳公献の占う所である。
勾龍 六酉戌亥子空 龍蛇貴常 父乙未蛇 朱申 丑白 亥未午寅 子丁亥龍 蛇未 寅常 未卯寅辛 財辛卯玄 貴午巳辰卯玄 后陰
上排は「酉戌亥子」:六合が酉を乗せ、勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、「勾竜」の二字は戌亥の上に標す。左辺は朱雀が申を乗せ、螣蛇が未を乗せ、貴人が午を乗せる。右辺は白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せる。下排の巳・辰の两位は天后・太陰を配し、卯上は玄武を乗せる。貴人が午を乗せて十二将が順行する。午将の寅時に加わるは、天盤が地盤より四位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に寅を得るは第一課。寅上に午を得るは第二課。日支の卯上に未を得るは第三課。未上に亥を得るは第四課。四つの上神の寅・午・未・亥は順に太常・貴人・螣蛇・青竜を乗せる。三伝は初伝の未は父母爻で、遁干で乙を得、螣蛇を乗せ、未は辛卯日にまさに旬空に当たる。中伝の亥は子孫爻で、青竜を乗せる。末伝の卯は妻財爻で、玄武を乗せる。
陳公獻曰:即今中矣。曰:何以報一時即知其中。蓋因先鋒為幕貴(雖寅時,用晝貴,故寅時為幕貴),且臨日上。(寅加戌)月將官貴又加寅命(蓋命在寅,午為月將,乘貴神加之),是以必中無疑。然發用未作旬空,必俟未年太歲填實,方中甲榜。
陳公献が言う:この一科はすなわち中った。ある人が問う:どうして単に一つの時辰を報じ出すに凭って、彼が中ることを知れたのか。彼が言う:これは先鋒の一門が得たのは帘幕貴人だからである——報じたのは寅時であるけれども、この課は昼貴を取り、昼貴は午にあるので、寅はすなわち帘幕貴人の在る位となり——そしてそれはまた正に日干の頭上に臨む。すなわち寅は辛の寄する戌の上に加わる。さらに月将の午は貴神を乗せ、本命の寅上に加わる。すなわちこの人の本命は寅に在り、午は本課の用いる月将で、貴人を帯びてその上に加臨する。だから必ず中ること疑いなし。ただ発用の未の字は旬空に落ち、未年の太歳がそれを填実するを須ち待って、始めて甲榜に中り得る。
辛卯日寅時に角音の人が家宅を占う(一針見血)
元祐六年辛未九月辛卯日角音人戊子生四十四歲占家宅得寅時。(一針見血、玉連環末卷)
北宋の元祐六年辛未九月の辛卯日、一人の「角音」の人が家宅を占いに来り、報じたは寅時である。この人は戊子年生まれ、時年四十四歳。古人は納音の五音に按って姓氏を分配し、角は木に属するので、彼を「角音人」と称す。この類の人の宅神は卯位に落ち、下文で課を断ずるに便ちこの一条を用いた。本条は『一針見血』と『玉連環』の末巻に同じく見える。
龍勾合朱 酉戌亥子 合虎常貴 父 ◎未 虎 空申 丑蛇 亥未午寅 子 丁亥 合 虎未 寅貴 未卯寅辛 財 辛卯 后 午巳辰卯 常玄陰后
天盤の上排は「酉戌亥子」に「竜勾合朱」を配し、青竜が酉を乗せ、勾陳が戌を乗せ、六合が亥を乗せ、朱雀が子を乗せる。左辺は天空が申を乗せ、白虎が未を乗せる。右辺は螣蛇が丑を乗せ、貴人が寅を乗せる。下排は「午巳辰卯」に「常玄陰后」を配し、太常が午を乗せ、玄武が巳を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が卯を乗せる。貴人が寅を乗せて十二将が逆行するは、寅時は夜に属し、夜貴を用いる。四課は前の例と同じく「未卯寅辛」と作して「亥未午寅」に配す:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に寅を得、寅上に午を得、日支の卯上に未を得、未上に亥を得る。四つの上神の寅・午・未・亥は順に貴人・太常・白虎・六合を乗せる。三伝は初伝の未は父母爻で、白虎を乗せ、「◎」を加えてそれが旬空に落つるを標明す。中伝の亥は子孫爻で、六合を乗せる。末伝の卯は妻財爻で、天后を乗せる。三伝の亥・卯・未は三合して木局を成す、「曲直」の課である。
劉日新曰:君家修造宅舍,不依方所,誤用日時,不知禁忌,故怪異駢集,頻有喪服哭泣之事,留滯月日。占人曰:實有此災怪喪病久矣,願求禳治之法。劉曰:必犯六神黑道,今已日月滋久,不須禳謝,只是君家井而相近,又廁畔有桃樹,葉落廁中,幫有此災怪,君當去此桃樹,移廁遠井,則災怪自消矣。
劉日新が言う:あなたの家は房舍を修造するに、方位の宜する所に按らず、また日辰・時辰を誤用して、避忌を解さないので、怪異が接続して来り、屡々孝を穿ち哭くの丧事があり、しかも拖延して日久しく了結し得ない。占を求める人が言う:確かにこれらの災怪と丧病があり、すでに久しい。願わくば一つの禳解の法子を求めん。劉日新が言う:これは必ず六神の黒道を触犯したのである。今や日子はすでに久しく、さらに禳謝を作すを須いない。ただあなたの家の井と厠との相隔たるが近すぎる——此の句の底本に脱字あり——厠の傍にまた一株の桃樹があり、桃葉が厠の中に落ち込む。だからこれらの災怪を生出したのである。あなたはただこの桃樹を去り、厠所を移して井より遠くせよ。災怪は自然に消えよう。
議曰:未加卯為用,上得白虎,其卯是久居之宅。又卯為門戶,兼角音之宅神在卯。中傳有丁神,乘六合,加太歲之上,行年上又是丑乘騰蛇,故云宅中有怪異。末傳天后乘卯加亥,亥為雙魚宮,即為陰怪。九月飛魂喪魄,同居未上乘白虎,故有喪病哭泣之事。九月以寅為月厭,以戌為天目,寅臨戌上乃是月厭加於天目也,所以怪異留滯月日。法以亥為廁,未為井,今相加為近,寅為桃,卯為樹,課得曲直屬木,木至秋則葉落,又六合加井廁上,雲桃葉落在井廁之中也。
議論に言う:三伝は未を以て卯の上に加わりて発用し、未上は白虎を乗せ、あの卯はまさに彼が久しく住む宅である。卯はまた門戸を主り、加えるに角音の人の宅神はもともと卯に在る。中伝の亥は丁神で、六合を乗せ、太歳の未の上に加わる。彼の行年上はまた丑が螣蛇を乗せる。だから宅中に怪異ありと言う。末伝は天后が卯を乗せて亥の上に加わる。亥は双魚の宮で、陰に属し、まさに陰邪の怪である。九月の飛魂・丧魄の両煞は同じく未の上に落ち、未上はまた白虎を乗せる。だから丧病・哭泣の事あり。九月は寅を以て月厭と為し、戌を以て天目と為す。寅は戌の上に臨み、すなわち月厭の天目に加わるので、怪異は月日を拖延して散ぜず。法に按って亥を以て厠と為し、未を以て井と為す。今、未は亥の上に加わるは井厠の相近し。寅は桃と為し、卯は樹と為し、課は曲直の木局を成し、木は秋に到れば便ち葉を落とす。また六合は井厠の上に加わる。だから桃葉が井厠の中に落ちると言う。
辛卯日子将の未時に葉助教が家宅を占う(方本占案)
戊申年正月辛卯日子將未時葉助教戊午生(生於二月十三日寅時)五十一歲占家宅。(方本占案、捷要、口鑑)
戊申年正月の辛卯日、子将を用いて未時に加えて課を起した。占を求めた人の葉助教は戊午年生まれで、二月十三日寅時の生人、時年五十一歳、家宅を占いに来た。「助教」は国子監の中の学官である。本条は『方本占案』『捷要』『口鑑』の三書に同じく見える。
龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 虎朱朱玄 財辛卯玄 朱申 卯玄 丑申申卯 兄甲申朱 蛇未午巳辰陰 申卯卯辛 父己丑虎 貴後
上排は「戌亥子丑」:勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、「竜空」の二字は亥子の上に標す。左辺は六合が酉を乗せ、朱雀が申を乗せ、螣蛇が未を乗せる。右辺は太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せる。下排の午・巳の两位は貴人・天后を配し、辰上は太陰を乗せる。貴人が午を乗せて十二将が順行し、未時は昼に属し、昼貴を用いる。子将の未時に加わるは、天盤が地盤より五位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に卯を得るは第一課。卯上に申を得るは第二課。日支の卯上に申を得るは第三課。申上に丑を得るは第四課。四つの上神の卯・申・申・丑は順に玄武・朱雀・朱雀・白虎を乗せる。三伝は初伝の卯は妻財爻で、玄武を乗せる。中伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、朱雀を乗せる。末伝の丑は父母爻で、遁干で己を得、白虎を乗せ、そして丑はまさに辛日の墓神である。
邵彥和曰:此課支來就干為干所制,名曰贅婿。太歲入宅克宅,宅來就人又被人克,六年中家破屋拆,遂成墓地,必葬尊長在內。六年之前,四分五裂,門戶分張,主外姓或還俗僧人入撓,遂家破矣。
邵彦和が言う:この課は日支の神が走って来て日干に就き、かえって日干に制せられる。「贅婿」課と名づく。太歳は宅位の上に入って来て宅を克し、宅はまた走って来て人に就き、また人に克せられる。これに拠って断ずる:六年の内に家破・屋を拆き、あの土地はついに墓地に変じ、必ず尊長がその裏に葬られる。六年に至らずして、家中はすなわち四分五裂して門戸が分張し、また外姓の人あるいは還俗の僧侶が入って来て攪擾することを主り、ここにおいてこの一家は便ち破れる。
蓋末傳丑為辛日之墓神,臨太歲上,太歲為其所墓,遂來宅上而克宅,宅被克,走回日上,又為日所克,宅既不留,屋何存立?又自身上發傳入宅,又逢太歲來加,又太歲上見今日之墓神丑,丑土生申金,是申金之尊長,庚辛墓於丑,是尊長葬埋之處。卯數六,故不出六年。申為僧,辛與申同類,還俗僧也。或乙酉見辛卯,或辛酉見乙酉,皆係還俗僧。乙為沙門,辛為僧舍也。卯上見元武,故主門戶分張。
もとより末伝の丑は辛日の墓神で、それは太歳の申上に臨み、太歳はそれに墓せられ、ここにおいて転じて来て宅位上で宅を克する。宅は克を受けて、また走って日干上に帰り、再び日干に克せられる。宅はすでに留めえず、房屋はどうしてなお立ち得よう。さらに自身の上より三伝を発して出て宅に入り、宅上にさらに太歳の加臨に逢い、太歳上にまた本日の墓神の丑を見る。丑土は申金を生じ得るので、申金の尊長である。庚辛の金はまた正しく丑に墓す。これがすなわち尊長の葬埋する処所である。卯の数は六なので、六年を出ないと断じた。申は僧侶を主り、辛と申は同じく金類に属するので、すなわち還俗の僧侶である。あるいは乙酉が辛卯を見、あるいは辛酉が乙酉を見、みな還俗僧の象に属する。乙は沙門と為し、辛は僧舎と為す。卯上に玄武を見るので、門戸が分張することを主る。
後癸丑年其叔死,遂殯於內。叔有三子,一子為僧,還族歸分家產,助教不肯,經官斷定作諸子分家,與叔共五子,作六分分矣,助教止得一分。戊申至癸丑乃六年,若不是太歲入宅克宅,又不可如此斷。當年又死一男一女,乃太歲克宅故也。其經官者,亦太歲入宅克宅也。卯為沙門,申為僧之申與辛同類,今從外退回宅上,是僧還俗也。乙亦沙門,辛為僧舍,申,辛之兄也。
後に癸丑年に到り、彼の叔父が世を去り、すなわちこの地の裏に殯葬された。叔父に三人の息子があり、その中の一人は出家して僧侶と為ったが、如今は還俗して宗に帰り、帰り来て家産を分けようとする。葉助教は肯んじず、官府に鬧い、官が断じて諸子に按り家を分ける:叔父のこの一房を連ねて合わせて共に五人の息子があり、家産は六份に分かれ、葉助教はただ一份を得たのみ。戊申より癸丑に至るはまさに六年。もし太歳が宅に入り宅を克するのでなければ、こうは断じえなかった。あの年、家中にまた一男一女が死んだが、これもまた太歳が宅を克する所以である。官府に鬧ぐに至ったのも、同じく太歳が宅に入り宅を克するが致す所である。卯は沙門を主り、申は僧侶を主り、申と辛は同類である。今、外より退いて宅上に帰るは、まさに僧侶が還俗する象である。乙もまた沙門を主り、辛は僧舎と為し、申はすなわち辛の兄輩である。
辛卯日酉将の辰時に僧侶が失せた度牒を占う(方本占案)
三月辛卯日酉將辰時僧人占失度牒。(方本占案、張本占案)
三月の辛卯日、酉将を用いて辰時に加えて課を起し、一人の僧侶が失った度牒を占った。度牒は官府が僧道に発給する憑証で、それに憑って初めて剃度・出家し得て、賦役を免除される。一旦遺失すれば極めて要緊な事である。本条は『方本占案』と『張本占案』に同じく見える。
龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 虎朱朱玄 財辛卯玄 朱申 卯玄 丑申申卯 兄甲申朱 蛇未午巳辰陰 申卯卯辛 父己丑虎 貴後
課体は前の一例と同じ。酉将の辰時に加わるは、天盤が同じく地盤より五位進む:勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せる。四課は辛が戌に寄り、戌上に卯を得、卯上に申を得、日支の卯上に申を得、申上に丑を得る。三伝は初伝の卯は妻財爻で玄武を乗せ、中伝の申は兄弟爻で朱雀を乗せ、末伝の丑は父母爻で白虎を乗せる。失物を占う時、朱雀は文書憑証の類神で、玄武は盗を主る凶将である。この課は両者ともに見える。まさに下文の断語の着眼処である。
邵彥和曰:被親偷去,火焚了,其人腳跛,手指缺。蓋度牒以朱雀為類神,申為僧人,而元武乘卯合辛,故為親人,辛克卯,故卯遂偷去。知乃是外弟偷去,手足有疾不謬。
邵彦和が言う:度牒は親戚に偸去られ、すでに火を用いて焼き掉てられた。偸ったあの人は脚が跛み、手指はまた殘欠がある。度牒は朱雀を以て類神とし、申は僧侶を主る。すなわち失主の自分である。玄武は卯を乗せ、卯は辛日の寄する戌と相合するので、親人と断じた。辛金が卯木を克するので、卯はすなわち物を偸み去った。これに由って表弟が偸んだと知れ、彼の手脚に毛病あると言うも言い誤らなかった。
辛卯日亥将の辰時に張縉彦が功名を占う(郭氏占案)
崇正戊寅年卯建辛卯日亥將辰時新卿張坦公縉彥占功名。(郭氏占案)
崇禎戊寅年二月(月建は卯にある)の辛卯日、亥将を用いて辰時に加えて課を起した。新たに卿職に升任した張坦公——名は縉彦、坦公は彼の号——が功名を占いに来た。「崇正」はすなわち崇禎で、清人の刊本の避諱の写法である。本条は『郭氏占案』より採る。
空虎常玄 子丑寅卯 后勾空后 父 丙戌 勾 龍亥 辰陰 巳戌子巳 鬼 癸巳 后 勾戌 巳后 戌卯巳辛 子 戊子 空 酉申未午 合朱蛇貴
天盤の上排は「子丑寅卯」に「空虎常玄」を配し、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せる。左辺は青竜が亥を乗せ、勾陳が戌を乗せる。右辺は太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せる。下排は「酉申未午」に「合朱蛇貴」を配し、六合が酉を乗せ、朱雀が申を乗せ、螣蛇が未を乗せ、貴人が午を乗せる。貴人が午を乗せて十二将が順行し、辰時は昼に属し、昼貴を用いる。亥将の辰時に加わるは、天盤が地盤より七位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に巳を得るは第一課。巳上に子を得るは第二課。日支の卯上に戌を得るは第三課。戌上に巳を得るは第四課。四つの上神の巳・子・戌・巳は順に天后・天空・勾陳・天后を乗せる。三伝は初伝の戌は父母爻で、遁干で丙を得、勾陳を乗せる。中伝の巳は官鬼爻で、遁干で癸を得、天后を乗せる。末伝の子は子孫爻で、遁干で戊を得、天空を乗せる。辛卯日は午・未が空亡するので、貴人を乗せた午は旬空の神である。そして地盤の亥位は天門で、その上に正にこの貴人を乗せた午を得る。すなわち下文の言う所の「貴登天門」である。
郭御青曰:本命上貴登天門,行年上青龍乘月將,斷斷乎青華一席矣。張公謙讓不自信,後有民部之轉。餘細詳課體,只嫌貴午旬空,然年上月將作青龍上吉,極難得之課,豈終空乎?至四月,聞有通選之命。餘大喜曰:若至五月,午字填實,坦公翰院無疑。其後果應如響。
郭御青が言う:彼の本命上はまさに「貴登天門」——地盤の亥位は天門で、その上に貴人を乗せた午を得る。行年上はまた青竜が月将の亥を乗せる。この二条に凭って、彼が必ず翰苑の清華の一席を得ると断じた。張公は謙譲して、自分では信じなかったが、後に倒れ転じて戸部に到った。私は課体を細かく看て、嫌う所はただ貴人を乗せた午が旬空に落ちるのみ。しかし行年上に月将が青竜を作すは、上々の吉で、このように得難い課が、いずくんぞついに空に落ちよう。四月に到り、朝廷に通選の命令あるを聞いて、私は大いに歓喜して言った:五月に到りさえすれば、午の字が填実して、坦公が翰林院に進むは疑問なし。後に果たして応験すること響の如し。
奇哉,餘於壬數,習之已久,不意其神妙包藏至此。從來考選無此曠典。方為真貴登天門,必至五月而成者,午字填實方得天門有貴,不然其貴沿虛也。初傳戌作天喜,帶勾陳,即稽留遲滯之象,至五月與太歲寅字三合,乃成官星,余初斷亦不知此神妙也。
まことに奇なり。私が六壬を学んで久しいのに、それが神妙なること竟にここまで包蔵していると思わなかった。歴来の考選にかつてこのような曠世の恩典がなかった。これぞまさに真の「貴登天門」と算えられる。この事は必ず五月に至って初めて成るのは、午の字が填実するを待つべく、天門上の貴人が始めて実処に落ちるからで、さもなければあの貴人はただ虚しく懸かっているのみ。初伝の戌は天喜の神であるけれども、勾陳を帯びる。まさに稽留・遅滞の象である。五月に到って太歳の寅の字と会して三合を成し、始めて転じて官星と為る。私が当初課を断じた時も、なおこの一層の神妙を知らなかった。
愚按:三傳回環,官星臨干,亦吉,不但貴登天門,加命,月將乘青龍加年而已也。五月官星旺,故應。
程樹勲が按ずる:この課は三伝の首尾が回環し、官鬼星はまた日干の上に臨む。本身すでに吉象で、ただ「貴登天門」が本命に加臨し、月将が青竜を乗せて行年に加臨するのこの二条の好处のみではない。五月に到って火が旺しく、官星は令を得るので、あの時に応ずる。
辛卯日丑将の巳時に葉八郎が行医を占う(捷要)
戊申年十二月辛卯日丑將巳時葉八郎癸亥生四十六歲占行醫。(捷要、口鑑)
戊申年十二月の辛卯日、丑将を用いて巳時に加えて課を起した。占を求めた人の葉八郎は癸亥年生まれ、時年四十六歳、行医のこの一門の生計を占いに来た。本条は『捷要』と『口鑑』に同じく見え、課盤と断語は下に見る。
辛卯日葉八郎が行医を占う(捷要・口鑑)
陳六 龍丑寅卯辰朱 空子 巳蛇 后虎陳貴 父 空未 后 虎亥 午貴 未亥寅午 財 辛卯 六 常戌酉申未后 亥卯午辛 子 丁亥 虎 玄陰
これは円盤を展けて平らに書き成した課体図である。外圈は十二地支の各々の乗ずる天将:丑は青竜を乗せ、寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せる——貴人が午の上に落ち、十二天将はこれに由って逆行して排布す。中間の一欄は四課で、右から左へ数る:第一課、日干の辛(寄宮は戌にあり)上に午を見、午は貴人を乗せる。第二課、午上に寅を見、寅は勾陳を乗せる。第三課、日支の卯上に亥を見、亥は白虎を乗せる。第四課、亥上に未を見、未は天后を乗せる。右辺の一欄は三伝:初伝の未は父母爻で、天后を乗せ、「空」の字はそれが旬空に落つるを表す。中伝の辛卯は妻財爻で、六合を乗せる。末伝の丁亥は子孫爻で、白虎を乗せる。辛卯日は甲申旬に属し、旬空はまさに午・未の两位に在る。三伝の亥・卯・未は凑り合して三合の木局を成し、木は辛金の財なので、下文に「満盤ことごとく財」と言う。
邵彥和曰:金日得木,滿盤皆財,不合午來化許多敗氣,木又死於午,作貴人偏不利醫貴人,卻有天醫在中傳,地醫在末傳,能制午火,貴人管事,是臨危之病,方來相請。有一婦人害反胃者,醫肝不醫胃;有一小兒中風氣者,通水臟不得治風,依此行人,可以取效也。汝屋上不合著一獸頭東立,人家亦有一獸頭相觸百達人,故財不入耳。葉八郎醫道不甚興,治小兒有效,才治大家便不效,其先人因對面有破山頭,遂以獸頭屋上鎮之,西北之家亦然。在葉氏屋前對沖。
邵彦和が言う:辛金の日干は三伝の木局を得て、満盤はみな財爻であるのに、偏に巧まず午火が跑って来てこれらの財を化して一片の敗気と為した——木は十二長生の裏で正しく午に「死」する。午上にまた貴人を乗せるは、これはかえって彼が貴人の一流の人物のために病を看るに利あらざらしむ。好在、天医は中伝に落ち、地医は末伝に落ち、午火を制し得て、加えるに貴人が当値して主事するので、来て彼を請うはみな病が危急の関頭に到った人である。譬えばある婦人が反胃に患う(食べ下せばすなわち吐く)は、彼女の肝を治して胃を治しないことを要す。ある小児が風気に中るは、水臓を疏通し小便を通利せねばならず、風を治しに往ってはならない。この路数に照らして行医すれば、すなわち効を見ることができる。あなたの家の屋上に偏に一つの朝東の獣頭が立ち、対面の人家にもまた一つの獣頭があってそれと相冲・相対する(「相触百達人」の一句は文義が費解で、刻誤あるを疑う)。だから銭財が門に入れない。葉八郎の行医は一向に甚だ興旺せず、小児を治すにはなお効験があるが、一たび大戸人家を治せばすなわち霊でない。彼の先人は対面に一座の破碎の山頭あるに因り、すなわち屋上に獣頭を安じてそれを鎮め、西北のあの戸人家もまた同様の做法で、正しく葉家の屋前に対して相冲する。
蓋以白虎立亥在卯之上,是本家屋上之獸頭也。亥本宮上見未,有夜之白虎,是西北鄰家之獸頭也。葉因先生之言,而去之,次年正月初七日,楊七小娘子患翻胃,前請數十醫,經年不效,是日請葉治之,葉思先生之言,遂調治肝經即效,得錢二十餘緡。至三月十八日,徐參議之孫六歲,中風四五日瞑目不動,來請。葉又思先生之言,遂以瀉藥利其水臟,六七日能行,脫然無虞。
獣頭を断出した根拠は:白虎が亥を乗せて日支の卯の上に加わる(第三課)。これがすなわち彼の自家の屋上のあの獣頭である。そして亥の本宮の位上にまた未を見(第四課)、夜占の白虎はここに在り、これがすなわち西北の隣家の獣頭である。葉八郎は邵先生の話を聞いて、獣頭を拆掉した。第二年の正月初七、楊家の七小娘子が反胃に患い、先前に幾十位の大夫を請うても、一年効なく、この日葉を請じて看に往かせた。葉は先生の話を想起し、すなわち肝経に照らして調治し、立刻に効を見、診金二十余緡を得た。三月十八日に到り、徐参議の孫は六歳で、中風して四五日、眼を閉じて一動せず、来て葉を請うて往かせた。葉はまた先生の話を想起し、すなわち瀉薬を用いて彼の水臓を疏利し、六七日で子どもは便ち走動し得て、完全に険を脱した。
又獲錢三百餘緡,自此醫道大行,遂緣天后在未來加亥,卯來克未,未遂克亥,故主反胃,先因卯克之,卯屬肝經,所以當治肝也。亥為幼子,亥水生木不成局,則生風。叵導水使行,則風自息矣。未為亥胃覆生在下,故翻胃。一作覆在卯下,故主反胃。愛函按:未加亥並非受生,則覆在卯下為是。三傳木局,木克土,故治肝木而不治胃土。辛日亥為幼子,加卯六數,是六歲。亥水生木,木主風,故理水臟而不治風木也。白虎在亥,通之為佳,故宜瀉也。
この一回にまた三百余緡の銭を得て、これに従い彼の医道は大いに通行した。その中の道理は:天后が未を乗せて亥の上に加わり、卯はまた来て未を克し、未は転頭して来て亥を克する。だから反胃の症を主る。そして禍根は先に卯の克に在り、卯は肝経に属するので、当に肝を治すべし。亥は幼小の息子を代表し、亥水は木を生ずるけれども局を結び成さないので、すなわち風を生ぜんとする。ただ水気の流通を引き導けば、風は自然に平息する。未は亥の胃で、翻覆して下に生ずるので、翻胃と名づく——もう一つの説は卯の下に覆すと言い、だから反胃を主る。愛函が按ずる:未が亥の上に加わるは生を受けるではなく、これによって「卯下に覆す」の講法が初めて対であることが見える。三伝は木局を成し、木は土を克するので、肝木を治して胃土を治しない。辛日は亥を以て幼子と為し、亥は卯の上に加わり、卯の数は六なので、あの子が六歳と断じた。亥水は木を生じ、木は風を主るので、ただ水臓を調理して風木を治しに往かない。白虎は亥に在り、それを通暢せしめるを好しとするので、宜しく瀉法を用いるべし。
年月日時俱以前二辰為天醫,對沖為地醫。日地醫從子起順行十二辰。午剋日,故寅卯為日財,午耗之,亥乘虎自刑又傷午貴。未乘天后為婦人,未又為胃,卯克之,制倒木局,故翻胃。卯為肝,治肝不克胃,六合為小兒。
天医・地医の起法は:太歳・月建・日辰・占時はみなそれの前の第二位の地支を取って「天医」と為し、天医と相対沖するあの一位を「地医」と為す。日上の地医は、すなわち子位より起こり、順行して十二辰を数って往く。本課に就いて言えば:午火は辛金の日干を克し、寅・卯の木はもともと日干の財であるのに、却って午火に耗泄される。亥は白虎を乗せ、亥と亥とは自刑して、また午上の貴人を傷る。未は天后を乗せ、婦人を代表し、未は同時にまた胃を主り、卯が来て未を克し、木局を反覆して圧するので、反胃の病を主る。卯は肝で、肝を治せば胃を傷らずに至る。六合はすなわち小児を代表する。
辛卯日林丈が官訟を占う(口鑑・方本占案)
戊申年七月辛卯日午將戌時林丈丙辰生五十三歲占官訟。 口鑑、方本占案
戊申年七月の辛卯日、「午」(勝光)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起した。来て問うは林丈で、丙辰年生まれ、この年五十三歳、一棟の官司・訴訟を占った。この案は『口鑑』と方本の『占案』に見える。
貴后 蛇丑寅卯辰陰 朱子 巳玄 陳六貴常 父 空未 虎 六亥 午常 未亥寅午 財 辛卯 后 陳戌酉申未虎 亥卯午辛 子 丁亥 六 龍空
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は螣蛇を乗せ、寅は貴人を乗せ、卯は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太常を乗せ、未は白虎を乗せ、申は天空を乗せ、酉は青竜を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は六合を乗せ、子は朱雀を乗せる——貴人が寅の上に落ち、天将はこれに由って逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に午を見、午は太常を乗せる。第二課、午上に寅を見、寅は貴人を乗せる。第三課、日支の卯上に亥を見、亥は六合を乗せる。第四課、亥上に未を見(この一位の天将は原図に「陳」と書してすなわち勾陳で、外圈・三伝の標す白虎と合わないので、当に刻本の誤りであろう)。三伝:初伝の未は父母爻で白虎を乗せ、未は正に旬空に落つ。中伝の辛卯は妻財爻で天后を乗せる。末伝の丁亥は子孫爻で六合を乗せる。辛卯日は甲申旬に属し、午・未の两位はともに空なので、後文に「午空で刃なし」の説あり。三伝の亥・卯・未はなお三合の木局である。
邵彥和曰:主有服人爭訟,挾起卑幼,遂乃動眾。夜貴加在日貴,宜暗計囑託,庶可。傳財太盛反化鬼,若要此事了,須至貼幼小財物自止。徒爾有眾,不能成事也。林兄弟三人,又叔伯兄弟四人,分產時,諸弟皆小,所分不均,後兄死,嫂與小弟論他不當,叔伯兄弟從之。
邵彦和が言う:この場の官司は孝服を戴く人が出面して争訟することを主り、家中の卑幼の一輩を挾帯して、ここにおいて一大群の人を牽動する。夜貴人は日貴人の位の上に加わるので、私裏に設けて請託・関説するに宜しく、事が初めて転圜の余地あり。三伝の財爻は旺すぎて、かえって化して我を克する官鬼と為る。この事を了結しようと欲せば、幼小の一方に幾らかの財物を貼補せざるをえず、紛争が初めて自ら停下する。相手方は空しく人多く勢い衆しでも、事を成し得ない。後に果たしてこのようであった:林家の親兄弟は三人、別に叔伯の兄弟が四人あり、当年に家産を分けた時、幾人かの弟はみななお小さくて、分け得たが均ならず。後に兄が死に、嫂子が小さい弟と同じく出面して彼の分け得たが当でないと言い、叔伯の兄弟たちもまた附和した。
蓋木局生干上午火,火來剋日,行年上又見寅,日貴午雖是關切,又是鬼。寅木又生鬼,故有事。貼幼子即止者,因宅見亥為幼子,亥水能制午火。然諸木又生於亥,故住與不住,皆由於亥,故必貼幼小方得止也。後果貼幼弟物,諸人皆散。
推断の根拠は:三伝の木局は日干上の午火を生起し、午火は回頭して来て辛金の日干を克する。占を求めた人の行年上にまた寅木を見る。午は辛日の貴人で、本身と関係が密切であるけれども、同時にまた我を克する官鬼である。寅木がさらに往きてこの鬼を生ずるので、だから事端を惹き出した。貼補して幼小に与えればすなわち止められると言う所以は、宅上(日支の一辺)に亥を見て幼子と為し、亥水は午火を制し得るからで、そして三伝の諸木はまたことごとく亥に長生する。事が停まるか否かは、ことごとく亥のこの一位に係るので、必ず幼小の一方に貼補して初めて了結し得る。後に果たして小さい弟に財物を貼えば、衆人もまた散じた。
又論曰:日上太常,是服也。午則婦人,故因嫂而動也。三傳生鬼,動眾之兆。寅加午上,貴人差迭,宜告貴人矣。挾起卑幼,亥水又作六合也。午空無刃,故不必貼婦人。亥能制午,是以貼幼子耳。
さらに一層の議論があって言う:日干上は太常を乗せ、太常は孝服を主るので、孝を戴く人あると断じた。午はまた婦人を代表するので、この場の風波は嫂子に由って挑起された。三伝は官鬼を生出するは、衆人を驚動する徴である。寅は午の上に加わり、両重の貴人が交錯して相加わるので、往きて官長・貴人の処に告し訴えるに宜しい。彼が「卑幼を挾げ起こす」と言うのは、亥水がまた六合を乗せ、六合はまさに卑幼の一輩を主るからである。午は旬空に落ち、羊刃の凶勢がないので、婦人に貼補するを須いない。午を制し得るは亥なので、ただ幼子に貼補すれば便ち足りる。
辛卯日蘇孝廉が会試を占う(郭氏占案)
崇正丁丑年二月二十七辛卯日亥將卯時常熟蘇孝廉祖蔭占會試。 郭氏占案
崇正(すなわち崇禎、本書は諱を避けて改称す)丁丑年二月二十七日辛卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は常熟の挙人蘇祖蔭で、この一科の会試に考中し得るかを占った。この案は郭氏の『占案』に出る。
貴后 蛇丑寅卯辰陰 朱子 巳玄 陳六貴常 父 空未 虎 六亥 午常 未亥寅午 財 辛卯 后 陳戌酉申未虎 亥卯午辛 子 丁亥 六 龍空
刻する所の課体は前の一案と全く同じ。外圈:丑は螣蛇を乗せ、寅は貴人を乗せ、卯は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太常を乗せ、未は白虎を乗せ、申は天空を乗せ、酉は青竜を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は六合を乗せ、子は朱雀を乗せる。四課は右から左へ:日干の辛上に午を見て太常を乗せ、午上に寅を見て貴人を乗せ、日支の卯上に亥を見て六合を乗せ、亥上に未を見(この位の天将は原図に「陳」と作し、外圈および三伝の標す白虎と合わないので、当に刻誤に属す)。三伝:初伝の未は父母爻で白虎を乗せしかも旬空に値い、中伝の辛卯は妻財爻で天后を乗せ、末伝の丁亥は子孫爻で六合を乗せる。下文の郭御青の言う所の「命上太歳」は、丁丑年の太歳の丑を指し、丑上に正に螣蛇を乗せる。
郭御青曰:幕貴覆干並行年,本吉,嫌其剋日又是空亡,馬少,末傳丁神,命上太歲作騰蛇,極為不美。後果未中。
郭御青が言う:帘幕貴人は日干の上に覆壓し、また行年に并臨するは、もともと吉象である。惜しいかなそれはかえって我が日干を克し、しかも旬空に落ち、駅馬はまた少なく、末伝は丁神のこの動揺の神で、本命上の太歳はなお螣蛇を乗せる。種種みな甚だ好く見えない。後に果たして考中しなかった。
辛卯日李四官が失せた銭穀を占う(方本占案)
十月辛卯日寅將巳時李四官占失錢穀。 方本占案
十月裏の辛卯日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の李四官は、失った銭と穀子を占った。この案は方本の『占案』に出る。
六朱 陳寅卯辰巳蛇 龍丑 午貴 玄空朱后 子 戊子 空 空子 未后 酉子辰未 父 空未 后 虎亥戌酉申陰 子卯未辛 子 戊子 空 常玄
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せ、丑は青竜を乗せる——貴人が午の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に未を見、未は天后を乗せる。第二課、未上に辰を見、辰は朱雀を乗せる。第三課、日支の卯上に子を見、子は天空を乗せる。第四課、子上に酉を見、酉は玄武を乗せる。四課の上下に一処も相克なきは、「昴星課」に属す。三伝:初伝の戊子は子孫爻で天空を乗せ、中伝の未は父母爻で天后を乗せて旬空に値い、末伝はまた戊子の子孫爻で天空を乗せる。辛卯日は甲申旬に在り、旬空は午・未なので、未の字の上に一つの「空」を標す。
邵彥和曰:辛卯日,三傳不行,單只在支干上,初傳是支上之子,中傳是干上之未,末傳又歸支上子。子未相害,雖喜未能制子,無奈未乃旬空,不能剋制,徒作干上空亡,自合失脫也。未空不能生辛金,而辛金反能生支上子水,為之脫氣,故捉賊不得,但初傳自宅發用,末傳又歸宅上,是賊不出門也。當主本家眷屬為腳耳。後卻知是大兄二兄之子,偷回房中,三日後方攜出使用。李四官失錢穀二物。
邵彦和が言う:辛卯のこの一日は、三伝が外に走り往かず、ただ日干・日支の両処で転ずる——初伝は日支上の子、中伝は日干上の未、末伝はまた日支上の子に帰る。子と未は相害し、もともとなお未土が子水を制し得るを喜ぶべきところ、無奈未は旬空に落ち、制し動かせず、徒らに日干の上に一つの空亡を擺る。これは本身すでに失脱を主るべき。未はすでに空亡なので、辛金を生じ得ず、辛金はかえって往きて日支上の子水を生じて、脱気の象を成す。だから賊は捉えられない。ただ初伝は宅上より発用し、末伝はまた宅上に帰すので、賊は門を出ていないことを説明し、当に自家の眷属の為す内応であろう。後に果たして査り出したは大哥・二哥の息子が偸み去って房裏に蔵め、三日を過ぎてやっと取り出して花用した。李四官のこの回に失ったは銭と穀の両様の物であった。
大凡占賊,日傳歸日,辰傳歸辰,皆不是外人,況辛卯日,三傳皆在干支上耶。若末傳出去,庶可向外尋耳。占人行年又在卯上,乃家賊無疑耳。
大凡盗難を占うに、日干より発した三伝がまた日干に帰し、日支より発したがまた日支に帰すは、いずれも外人の為す所でない。まして辛卯のこの課は、三伝がことごとく日干と日支の两位の上に落つ。たとい末伝が走り出て行かばこそ、外面に向かって尋ね覓むべし。占者の行年はまた正に卯(日支)の上に落つるは、家賊であること疑いなし。
辛卯日張一公が公文がいずれの日に到るかを占う(方本占案)
二月辛卯日亥將寅時張一公占州中相論文字何日到? 方本占案
二月裏の辛卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の張一公は、州衙の裏で議定したあの公文がいずれの日に送り到えるかを問うた。この案は方本の『占案』に出る。
後陰 貴寅卯辰巳玄 蛇丑 午常 龍朱陰虎 子 戊子 朱 朱子 未虎 酉子辰未 父 空未 虎 六亥戌酉申空 子卯未辛 子 戊子 朱 陳龍
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:寅は貴人を乗せ、卯は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太常を乗せ、未は白虎を乗せ、申は天空を乗せ、酉は青竜を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は六合を乗せ、子は朱雀を乗せ、丑は螣蛇を乗せる——貴人が寅の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に未を見、未は白虎を乗せる。第二課、未上に辰を見、辰は太陰を乗せる。第三課、日支の卯上に子を見、子は朱雀を乗せる。第四課、子上に酉を見、酉は青竜を乗せる。四課の上下に克なきは、なお昴星課である。三伝:初伝の戊子は子孫爻で朱雀を乗せ、中伝の未は父母爻で白虎を乗せて旬空に値い、末伝はまた戊子の子孫爻で朱雀を乗せる。子上に朱雀を乗せてまた日支の卯に臨むは、まさに下文で「文書立ち至る」と断ずる根拠である。
邵彥和曰:文字今日必來,果應。蓋昴星課,卯日子加卯,朱雀臨門,主文字立至。又子卯相刑,主其來緊速也。又三傳俱在日辰之上,自主日下必然到也。果然。
邵彦和が言う:あの公文は今日必ず到る——後に果たして応験した。これは昴星課で、卯日にして子が卯の上に加わり、朱雀は正に門戸(日支)の位に臨む。文書が立刻に到るを主る。子と卯はまた相刑して、それが急速に来るを主る。さらに三伝はみな日干・日支の上に落つるので、自然に眼下に送り到るを主る。結果果たしてこのようであった。
辛卯日郎孝廉が会試を占う(郭氏占案)
丁丑年二月辛卯日亥將丑時郎孝廉名燈者占會試。 郭氏占案
丁丑年二月の辛卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「丑」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は名が郎灯の挙人で、この一科の会試を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。
合朱蛇貴 卯辰巳午 虎龍貴陰 父 己丑 龍 勾寅 未后 亥丑午申 子 丁亥 虎 龍丑 申陰 丑卯申辛 兄 乙酉 玄 子亥戌酉 空虎常玄
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は青竜を乗せ、寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せる——貴人が午の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(寄宮は戌にあり)上に申を見、申は太陰を乗せる。第二課、申上に午を見、午は貴人を乗せる。第三課、日支の卯上に丑を見、丑は青竜を乗せる。第四課、丑上に亥を見、亥は白虎を乗せる。三伝:初伝の己丑は父母爻で青竜を乗せ、中伝の丁亥は子孫爻で白虎を乗せ、末伝の乙酉は兄弟爻で玄武を乗せる。丁丑年の太歳はまさに丑で、丑はまた辛金の墓庫で、恰好初伝の上に落つる。三伝の丑・亥・酉は位を逐って逆退し、ことごとく陰支に属すので、下文に格の名は「極陰」と言う。
郭御青曰:命上乘日祿,行年上乘幕貴,本為好處,嫌課名九丑,格名極陰。太歲作墓神為龍夾克,不美。果不中。
郭御青が言う:本命上は日干の禄神を乗せ、行年上は帘幕貴人を乗せ、もともとみな好处である。惜しいかな課の名は「九丑」と作し、格局の名は「極陰」で、太歳はまた墓神を充当して青竜に夾まれて相剋する。甚だ吉利でない。後に果たして考中しなかった。
辛卯日帰孝廉が会試を占う(郭氏占案)
丁丑年二月辛卯日亥將子時歸孝廉名起光者占會試。 郭氏占案
丁丑年二月の辛卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「子」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は名が帰起光の挙人で、この一科の会試を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。
朱蛇貴后 辰巳午未 龍勾陰玄 父 己丑 龍 合卯 申陰 丑寅申酉 子 戊子 空 勾寅 酉玄 寅卯酉辛 子 丁亥 虎 丑子亥戌 龍空虎常
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せ、丑は青竜を乗せ、寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せる——貴人が午の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に酉を見、酉は玄武を乗せる。第二課、酉上に申を見、申は太陰を乗せる。第三課、日支の卯上に寅を見、寅は勾陳を乗せる。第四課、寅上に丑を見、丑は青竜を乗せる。三伝:初伝の己丑は父母爻で青竜を乗せ、中伝の戊子は子孫爻で天空を乗せ、末伝の丁亥は子孫爻で白虎を乗せる。辛金の禄神は酉に在り、この刻は正に玄武に日干の頭上に圧せられている。三伝の丑・子・亥は位を逐って後退し、一路に辛金の気を盗泄する。
郭御青曰:干上祿神為玄武所奪,遁得丁馬,為辛日之害,雖簾幕在宅,與日上年命俱無干,三傳盜氣,日辰夾住,欠一戌字,而為命上神補足,命上戌臨作闕隔斷,皆非吉象,後果抱屈。
郭御青が言う:日干上の禄神は玄武に奪われ去った。遁干で一つの丁を得、丁馬と成るは、まさに辛日の害神である。帘幕貴人は宅(日支)の上に落ちたけれども、却って日干の上神・行年・本命といずれも相干らない。三伝は一路に我が気を盗泄し、また日干・日支に夾まれ、中間はただ一つの戌の字を差すのみで、恰好本命の上神に由って補い足される。そして本命上の戌の臨位は、「闕」の隔断の象と成る。これらはみな吉兆でない。後に彼は果たして屈を含んで落榜した。
辛卯日葉七秀才が終身を占う(方本占案・口鑑)
戊申年十二月辛卯日丑將寅時葉七秀才丁卯生四十二歲占終身。 方本占案、口鑑
戊申年十二月の辛卯日、「丑」(大吉)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の葉七秀才は丁卯年生まれ、この年四十二歳、一生の休咎を占った。この案は方本の『占案』と『口鑑』に見える。
六陳 朱辰巳午未龍 蛇卯 申空 后貴空虎 父 己丑 后 貴寅 酉虎 丑寅申酉 子 戊子 陰 后丑子亥戌常 寅卯酉辛 子 丁亥 武 陰玄
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:辰は朱雀を乗せ、巳は六合を乗せ、午は勾陳を乗せ、未は青竜を乗せ、申は天空を乗せ、酉は白虎を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は玄武を乗せ、子は太陰を乗せ、丑は天后を乗せ、寅は貴人を乗せ、卯は螣蛇を乗せる——貴人が寅の上に落ち、天将は順行して排布し、前の幾課の逆布と異なる。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に酉を見、酉は白虎を乗せる。第二課、酉上に申を見、申は天空を乗せる。第三課、日支の卯上に寅を見、寅は貴人を乗せる。第四課、寅上に丑を見、丑は天后を乗せる。三伝:初伝の己丑は父母爻で天后を乗せ、中伝の戊子は子孫爻で太陰を乗せ、末伝の丁亥は子孫爻で玄武を乗せる(原図は「武」と作し、すなわち玄武の省称)。丑はすでに辛金の墓庫で、また父母爻でもあるので、下文で祖墳を断ずるはまさにこの一位から象を取る。
邵彥和曰:你堂上所葬,乃丑加寅,艮山地也。水便陡瀉自西北上出去,庚上有一石山,其形甚丑,必主人要錢而死。你因妻起家妻財作貴之故,不是六年是七年喪妻,自此退耗。一則男女債,二乃子不成器,三有水壞田,九年大退,十三年當患氣而卒。葉母艮山坤向丑上乘天后,故主乎母,水從脅下流去西北,庚上有一山,生來皆是怪石。壬子年妻弟來家相訪因要錢入城,中途腹痛而死。甲寅年喪妻,年內賣產嫁女,長子賭錢好色,卯年大水,溪邊田盡壞。丙辰十一月疝氣而亡。
邵彦和が言う:あなたの家の先人の葬る所の墳は、課上は丑が寅の上に加わる。あれは一塊の艮山の地である。水は墳の傍から陡直に瀉き下り、西北方に向かって流出する。庚位(正西にして偏南)の上に一座の石山があり、形状は甚だ醜悪で、必ず銭を討って死する人あるを主る。あなたは妻子に靠って家を起こした。妻財爻が正に貴人を乗せるからである。第六年でなければ第七年に妻を喪い、これに従い家道は便ち退敗して往く。一は男の婚・女の嫁に欠いた債、二は息子が器を成さぬ、三は水の発して田地を壊る。第九年に到って大いに退き、第十三年の上に気疾に患って死す。後に一一应験した:葉家の母親の墳はまさに艮山・坤向で、丑上は天后を乗せるので、母親を主る。水は山脇の下より西北に向かって流れ、庚位の上に確かに一座の山があり、天生じてことごとく怪石である。壬子年に妻の弟が家中に客と為り、銭を討って城に入り、半路に腹痛して死した。甲寅年に妻が亡故し、この一年内に産を売り女を嫁し、長子は銭を賭け色を好む。卯年に大水を発し、渓辺の田はことごとく毀れた。丙辰年十一月、葉七は疝気に因って世を去った。
蓋丑土生辛金,故為母。辛以寅為妻,故因妻起家。寅艮方,丑加之,故艮山墳地。金絕於寅,故主妻死。傳見子亥,金水相生,傳見退脫,是以退也。辛以子為子,亥為女,太陰男不明,元武女多賠耗,亥四子九,四九三十六,亥為腎,元武主疝氣,金死於子,故十三年疝氣而亡。沈曰:丑為辛墓,又是父母,是以主堂上墳。然不發用,不可亂斷。水便陡瀉,自西北上出去者,子亥逆入西北,是以言陡瀉也。
推断の根拠は:丑土は辛金を生ずるので、それを取って母親と作す。辛金は寅木を以て妻財とするので、彼が妻子に靠って家を起こすと断じた。寅は艮方に在り、丑はまた寅の上に加わるので、墳地は艮山と言う。金は寅に絶するので、妻子の亡故を主る。三伝の裏に子・亥を見るは、金水が相生して、一路は後退・脱泄の象なので、家業は退くを要す。辛金は子水を以て息子と為し、亥水を以て女児と為す。子上は太陰を乗せ、男児が顕達しないを主り、亥上は玄武を乗せ、女児が多く耗費するを主る。亥の数は四、子の数は九で、四九が相乗じて三十六を得、応期はこれに由って推算する。亥は腎を主り、玄武は疝気を主り、金はまた子に死するので、彼が第十三年の上に疝気に因って亡ぶと断じた。沈氏が言う:丑は辛金の墓で、同時にまた父母爻なので、堂上の先人の墳を主る。しかしそれは発用しないので、乱に断じてはならない。いわゆる「水が陡瀉して、西北より流出す」は、子・亥の两位が逆推して正に西北方に落つるに因るので、瀉くが陡急と言う。
辛卯日傅姓の者が六甲を占う(指南)
庚辰年三月辛卯日戌時傅姓者占六甲。 指南
庚辰年三月の辛卯日、戌時に課を起した。占を求めた人は傅姓で、懐孕・生産の事を占った——六壬は胎産の一門を「六甲」と名づく。この案は『六壬指南』に出る。課図を看れば、天盤と地盤が完全に重合し、当時の月将もまたまさに戌で、月将と占時とが同位なので、伏吟の局と成ったと知れる。
勾青 六巳午未申空 蛇蛇常常 財 辛卯 蛇 朱辰 酉虎 卯卯戌戌 子 戊子 陰 蛇卯 戌常 卯卯戌辛 財 辛卯 蛇 貴寅丑子亥玄 后陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は六合を乗せ、午は勾陳を乗せ、未は青竜を乗せ、申は天空を乗せ、酉は白虎を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は玄武を乗せ、子は太陰を乗せ、丑は天后を乗せ、寅は貴人を乗せ、卯は螣蛇を乗せ、辰は朱雀を乗せる——貴人が寅の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に戌を見、戌は太常を乗せる。第二課、戌上はなお戌で、なお太常を乗せる。第三課、日支の卯上に卯を見、卯は螣蛇を乗せる。第四課、卯上はなお卯で、なお螣蛇を乗せる。天盤・地盤が全然重合するは、伏吟課である。三伝:初伝の辛卯は妻財爻で螣蛇を乗せ、中伝の戊子は子孫爻で太陰を乗せ、末伝はまた辛卯の妻財爻で螣蛇を乗せる——伏吟の陰日は日支の上神を取って発用し、さらに相刑に依って中・末の両伝を取る。卯は子を刑し、子は卯を刑するので、三伝は卯・子・卯と作す。日干上の戌は河魁で、日支上の重畳する卯は胎神で、下文で双生の男胎を断ずるは全てここより出る。
陳公獻曰:此必雙胎,皆男子也,主八月戌日辰時生,母子清吉。何以知為雙胎?以月建重疊,作胎神乘旺氣故也(此必二月建,以金胎在卯故也)。何以知為兩男?卯屬震為長男,日上河魁,乾宮所屬,亦男也。何以知八月生,酉沖卯胎,戌日辰時者,戌為養神,俟辰來沖干上戌也。占男女,以干上之支所寄之卦之陰陽斷之,非以支之陰陽為斷也。
陳公献が言う:これは必ず双生児で、しかもみな男児で、八月の戌日辰時に生れるを主り、母子は平安である。何を以て双胎と知るか。月建が重畳して出現し、また胎神を充当して旺気を乗せるからである(これは必ず二月の月建で、金の胎位はまさに卯の上に在る)。何を以て二つの男児と知るか。卯は八卦に於いて震に属し、震は長男と為る。日干上の戌は河魁で、乾宮の管轄する所に属し、乾もまた男を主る。何を以て八月に生ると知るか。酉が卯のこの胎神を冲動し得るからである。何を以て戌日辰時と知るか。戌は養神で、辰の来て日干上の戌を冲動するを待って、胎気が始めて発動する。およそ男女を占うは、日干上のあの地支の寄する卦が陰か陽かを看て断ずるを要し、単に地支の本身の陰陽を看るのではない。
壬辰日
壬辰日葉解元が病を占う(方本占案)
建火庚戌年六月壬辰日午將巳時葉解元丁丑生三十四歲占病。 方本占案
建火(当に「建炎」の訛であろう)庚戌年六月の壬辰日、「午」(勝光)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は解元の葉某で、丁丑年生まれ、この年三十四歳、自分の病情を占った。この案は方本の『占案』に出る。
朱六 蛇午未申酉陳 貴巳 戌龍 蛇貴常虎 鬼 己丑 常 后辰 亥空 午巳丑子 子 庚寅 玄 陰卯寅丑子虎 巳辰子壬 子 辛卯 陰 玄常
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:午は螣蛇を乗せ、未は朱雀を乗せ、申は六合を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は太常を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は天后を乗せ、巳は貴人を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(寄宮は亥にあり)上に子を見、子は白虎を乗せる。第二課、子上に丑を見、丑は太常を乗せる。第三課、日支の辰上に巳を見、巳は貴人を乗せる。第四課、巳上に午を見、午は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の己丑は官鬼爻で太常を乗せ、中伝の庚寅は子孫爻で玄武を乗せ、末伝の辛卯は子孫爻で太陰を乗せる。壬辰日は甲申旬に属し、旬空は午・未の两位に在る。三伝の丑・寅・卯は一路に順進し、すなわち下文の言う所の「迤逦に進脱」である。
邵彥和曰:此課本身雖堅固,不合傳進迤邐脫氣,子與丑合作常,因與人相會飲酒食,而喜樂太過,遂惑風邪。今已七八分了,以行年退一步而就祿,壬水又旺,玄又同途,水既太盛,雖生木不為害,但只補元氣,其風自退。宅上見絕神,三傳丑寅卯,若非行年退卻一步,定見進脫,不可療矣。
邵彦和が言う:この課は本身の元気はなお堅固と算えるけれども、無奈三伝は一路に前へ遞進して、日干の気を層層に脱泄して出す。子と丑とが相合して丑上は太常を乗せ、太常は宴飲を主るので、病因は人と聚会して酒食を飲み食い、歓楽が度を過ぎ、これに因って風邪を招惹した。目下は病はすでに七八分好い。行年が退後の一位に正に禄位の上に踏むに因り、壬水はまたまさに旺し、玄武もまたそれと同途に在る。水がすでに盛んすぎるので、往きて木を生じても害と成さず、ただ元気を補養すれば、風邪は自然に退去する。宅(日支)上に絶神を見、三伝はまた丑・寅・卯の一路に進行するので、もし行年がこの一歩を退いていなければ、必ず「進脱」の局と成り、それは治しえない。
大凡壬日行丑寅卯,迄邐進脫,支上又見絕神,必不可治,不問老少皆以死論。惟此課行年在後一位,引退就祿。雖然進其實就退,只不合初傳本命來與子合,太常為燕樂神,過餘遂使風邪入內,以致生病。然喜時令在秋,壬癸水秋生,得亥子相併旺相,必不至死。主今冬得子。若是來年正月節生必貴子。內有暗貴人故也。目下主服,初丑破碎作常是以主之。
大凡壬日に三伝が丑・寅・卯に走るは、層層に遞進して脱気し、日支上にまた絶神を見れば、必定救治し得ず、老少を論わずみな死に按って論ず。ただこの課は、行年が後の一位に落ち、身を引きて退き、禄の上に退く。表面上は進だが、実際は退である。ただ巧まず初伝はまた正に本命で、来て子と相合し、そして太常は宴楽の神で、歓楽が頭を過ぎ、すなわち風邪を体内に侵入せしめ、これに因って病を生じた。幸いなことに時令は秋に在り、壬癸水は秋金の相生を得、また亥・子が并列して旺相の地に処するので、必定死に至らない。今年の冬に息子を得るを主る。もし来年の正月の節後に生れば、必ず貴子で、課中に暗貴人を含むからである。目下はなお孝服の事あるを主り、初伝の丑は破碎煞を帯びまた太常を乗せるので、こう断じた。
壬辰日逃亡を占う(精蘊)
十月壬辰日寅將戌時占逃亡。 精蘊
十月裏の壬辰日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起し、一つの逃亡して外にある人を占った。この案は『六壬精蘊』に出る。
勾龍空虎 酉戌亥子 虎合朱陰 鬼 ◎未 朱 合申 丑常 子申未卯 兄 丁亥 空 朱未 寅玄 申辰卯壬 子 辛卯 陰 午巳辰卯 蛇貴后陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は朱雀を乗せ、申は六合を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は太常を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(寄宮は亥にあり)上に卯を見、卯は太陰を乗せる。第二課、卯上に未を見、未は朱雀を乗せる。第三課、日支の辰上に申を見、申は六合を乗せる。第四課、申上に子を見、子は白虎を乗せる。三伝:初伝の未は官鬼爻で朱雀を乗せ、「◎」は旬空の記号。中伝の丁亥は兄弟爻で天空を乗せる。末伝の辛卯は子孫爻で太陰を乗せる。壬辰日は甲申旬に属し、午・未の两位は空に落ちるので、未上に空の標記を加えた。三伝の未・亥・卯は、まさに亥卯未の三合木局の逆序である。
斷曰:小吉加卯為用,主門戶動搖。將得朱雀,主為詞訟交加,文書口舌。中見登明,將得天空,必因欺詐而逃。甲申旬以午未為孤虛,逃亡終不可獲。末見太沖,得太陰,復臨日上,辰上見傳送,將得六合,為天門,冬日占,太陰臨生門,逃亡必遠去也。
断語に言う:小吉(未)は卯の上に加わりて発用し、門戸が動揺して寧ならざるを主る。その上の乗ずるは朱雀で、詞訟が交加し文書・口舌に纏まるを主る。中伝に登明(亥)を見、天空を乗せるので、この人は必ず行騙・欺詐に因って逃げ走ったと知れる。壬辰日は甲申旬に属し、午・未の两位は孤虚の地なので、この逃亡する人はついに捉い返されない。末伝に太沖(卯)を見、太陰を乗せ、また回頭して日干の上に臨む。日支の辰上に伝送(申)を見、六合を乗せ、天門の位である。また冬月に値いて占い来り、太陰は生門の上に臨むので、逃亡する人は必ず甚だ遠くに跑っている。
壬辰日王覚斯が孟津に帰るを占う(課経集)
崇正庚辰年十一月十五壬辰日申時占孟津。 課經集
崇正(すなわち崇禎)庚辰年十一月十五日、壬辰日、申時に課を起し、孟津の老家に帰る一事を占った。この案は『課経集』に出る。原文はただ占時を記して月将を標出しないが、十一月の月将は丑(大吉)で、丑を以て申時に加えて推排すれば、正に刻する所の課体と相合する。
龍空虎常 戌亥子丑 玄勾勾后 子 庚寅 玄 勾酉 寅玄 寅酉酉辰 鬼 ◎未 朱 合申 卯陰 酉辰辰壬 兄 戊子 虎 未午巳辰 朱蛇貴後
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は朱雀を乗せ、申は六合を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は太常を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(亥に寄す)上に辰を見、辰は天后を乗せる。第二課、辰上に酉を見、酉は勾陳を乗せる。第三課、日支の辰上に酉を見、酉は勾陳を乗せる。第四課、酉上に寅を見、寅は玄武を乗せる。日支の辰は直に日干の頭上に加わり、辰土は壬水を克し、辰はまた正に壬水の墓庫である。これがすなわち下文の言う所の「支が干に加わり、干を克し、干に墓す」である。三伝:初伝の庚寅は子孫爻で玄武を乗せ、中伝の未は官鬼爻で朱雀を乗せて旬空に値い、末伝の戊子は兄弟爻で白虎を乗せる。
郭御青曰:揆臺王公覺斯,北都至懷慶,擬次日渡河。回原籍孟津。餘占得此課,支加干,克干,墓干,卑凌尊,下犯上,為上門亂首,大凶之象,餘痛止之。王公云:二人在堂,急欲往省。餘勸以迎至河北,王公尚猶豫。次早,夫馬駢集署門,餘授書又止之,公始聽餘言不行,迎其椿萱至覃懷,不十數日,而遭內艱,又春正念一日,賊陷洛陽,危哉,設王公至家,即遇太夫人之變,將奈何也?
郭御青が言う:内閣の王覚斯先生(王鐸、孟津の人)は北京より懐慶に到り、第二天に黄河を渡って孟津の原籍に帰らんと打算した。私は彼のためにこの一課を占い得た:日支が日干の上に加わり、すでに日干を克し、また日干の墓でもある。これは卑なる者が尊なる者に凌駕し、下位が上位を冒犯するで、「上門乱首」と名づけ、大凶の象に属す。私は力を極めて彼を勧阻した。王公が言う:父母の二老はみな堂上に在り、急いで帰って省視せんと欲す。私は彼に二老を黄河の以北に接して来るを勧め、王公はなお猶予していた。第二天の早朝、車馬・僕従はすでに官署の門口に聚集し、私はまた一封の信を遞して再三勧止し、王公は初めて私の話を聴きて出発せず、父母を覃懐(懐慶)に接して来た。十数日に満たずして、彼は母丧に遭った。春正月二十一日に至り、流寇がまた洛陽を攻め陥れた。まことに危険である。たとい王公があの日に家に帰って到れば、正に老夫人の過世に撞上り、それはどうすべきか。
壬辰日陳殿元が謫官を占う(方本占案・一針見血)
甲申年秋壬辰日巳將子時陳殿元占謫官衢州。 方本占案、一針見血
甲申年秋天の壬辰日、「巳」(太乙)を以て月将と為し、「子」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は殿元の陳某で、衢州に貶して官を為すこの事を占った。この案は方本の『占案』と『一針見血』に見える。
陳六 龍戌亥子丑朱 空酉 寅蛇 蛇空空后 子 庚寅 蛇 虎申 卯貴 寅酉酉辰 鬼 空未 常 常未午巳辰后 酉辰辰壬 兄 戊子 六 玄陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:卯は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、丑は朱雀を乗せ、子は六合を乗せ、亥は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、酉は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる——貴人が卯の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(亥に寄す)上に辰を見、辰は天后を乗せる。第二課、辰上に酉を見、酉は天空を乗せる。第三課、日支の辰上に酉を見、酉は天空を乗せる。第四課、酉上に寅を見、寅は螣蛇を乗せる。四課の支神は前の一案と同じで、ただ乗ずる天将が異なるのみ。三伝:初伝の庚寅は子孫爻で螣蛇を乗せ、中伝の未は官鬼爻で太常を乗せて旬空に値い、末伝の戊子は兄弟爻で六合を乗せる。
邵彥和曰:寅作蛇加酉為用,蛇入雞穴而破腸,未加寅為中傳,是鬼宿入鬼門,子加未作末傳乘六合,是勢害也。那又辰加壬作天后,刑勝德,此課三不吉。內有天后乘喜為恩神,雖帶恩動而過多,加官不起,後謫官編官柳州而死。經曰:魁罡若向日辰遊,貶出天涯地角頭,此之謂也。陳殿元后果編官柳州而死。
邵彦和が言う:寅は螣蛇を乗せて酉の上に加わりて発用するは、これは「蛇が鶏穴に入りて腸を破る」。未は寅の上に加わりて中伝を作すは、鬼宿が鬼門に進んだ。子は未の上に加わりて末伝を作して六合を乗せるは、「勢害」の象である。加えるに辰は壬の上に加わりて天后を乗せるは、刑が徳を圧し過ぎた——この課に三処の不吉あり。その中には天后が喜神を乗せて恩神を充作するありけれども、恩はあるけれども動きが過ぎるので、官は加えて成らない。後に彼は果たして官を貶せられ、編管して柳州に到りて死した。経書の上に言う:魁罡はもし日辰に向かって游走すれば、すなわち天涯・地角に貶される。言う所はまさにこの種の情形である。陳殿元は後に果たして柳州に編管されて死した。
壬辰日徐通判が赴任・前程を占う(方本占案)
戊申年十一月壬辰日寅將未時徐通判戊午生(生於二月初二日未時)五十一歲占赴任及前程。 方本占案 口鑑作丑將午時錯
戊申年十一月の壬辰日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は徐通判で、戊午年生まれ(二月初二日未時の生人)、この年五十一歳、赴任と将来の前程を占った。この案は方本の『占案』に出る。『口鑑』に丑将の午時と記すは誤りである。
陳六 龍子丑寅卯朱 空亥 辰蛇 后空陳後 財 空午 后 虎戌 巳貴 午亥丑午 鬼 己丑 陳 常酉申未午后 亥辰午壬 父 甲申 玄 玄陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、寅は六合を乗せ、丑は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、戌は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、未は太陰を乗せ、午は天后を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(亥に寄す)上に午を見、午は天后を乗せる。第二課、午上に丑を見、丑は勾陳を乗せる。第三課、日支の辰上に亥を見、亥は天空を乗せる。第四課、亥上に午を見、午は天后を乗せる。三伝:初伝の午は妻財爻で天后を乗せて旬空に値い、中伝の己丑は官鬼爻で勾陳を乗せ、末伝の甲申は父母爻で玄武を乗せる。壬辰日は甲申旬に属し、午・未は空に落ちるので、午上に一つの「空」を標す。下文で僕人が主を害すと断ずるは、正に天空が宅に臨み、天后が淫乱を主り、丑鬼が午財の上に加わるのこの幾処を取る。
邵彥和曰:課名亂首,日後因到官中取財,為僕所持,妻被僕姦淫,本身則死於僕手。其父墓玄武不垂頭,拒尸之故。若速移此墳,可保佑性命,否則戊午年必見凶也。
邵彦和が言う:この課の名は「乱首」。日后あなたは任上に在りて財物を收受したに因り、僕人に把柄を抓住せられ、妻子は僕人に姦污せられ、あなたの本人はすなわち僕人の手裏に死す。禍根は令尊の墳上で玄武の臨むあの一段が垂頭するを肯んぜずして、「拒尸」の象と成ったに在る。もし急いでこの座の墳を遷して去ることができれば、なお性命を保ち得る。さもなければ戊午年に到って必ず凶を見ん。
徐辛亥赴任,權州事,有一婦人打死一婢,徐得二千貫,從輕發落,後新知州怪其用度過多,遂與不足,而徐有僕童吉,常持二十千以挾其主,遂奸其妻,夫知竟不敢明責。乙卯升池州,不帶此僕去,僕每恨之,戊午僕來池州,僕持刃刺徐於門。
後の事実は:徐は辛亥年に赴任し、州中の政務を代理した。一人の婦人が一名の婢女を打ち殺し、徐は二千貫の銭を収め、案を軽くして発落した。後に新任の知州は彼の用度が太過るを嫌い、すなわちさらに足額の開銷を給さなかった。徐家に童吉と名づく一人の僕人がおり、常にあの两万銭の事を持って主人を要挾し、進んで彼の妻子を姦污した。徐は知ったが竟に敢えて公開に責問せず。乙卯年に徐は池州に遷升し、この僕人を連れて同に往かなかったので、僕人は一向に恨みを懐いていた。戊午年に僕人は池州に追い到り、刀を持って門口で徐を刺し殺した。
蓋其父墓坎山,元武七十餘丈,葬在六十丈,前面又有十餘丈,果不垂頭。亥加辰,乃自取亂首。天空僕犯主也。午為財,丑為鬼,丑鬼加午財上,故在任受財,午到亥,六陰終始,僕*其妻,壬乘午之故也。天后在上,主淫亂,壬以申為父,加丑是父墓,玄武長生而不垂頭為拒尸。午亥俱自刑,故僕傷,下犯上,亂首也。
推断の根拠は:彼の父親の墳は坎山で、玄武のあの一段は七十余丈の長さがあり、墳は却って六十丈の処に葬って、前にはなお十余丈残る。果たして「垂頭せず」である。亥は辰の上に加わるは、自ら乱首を取る。天空が位に臨むは、僕人が家主を冒犯するを主る。午は妻財で、丑は官鬼で、丑鬼は午財の上に加わる。だから任上に在りて財物を收受するに因って事を出す。午より数って亥に至れば、六つの陰位が首尾相接する。僕人が彼の妻子を玷污したは(原文此の処に一字を欠き、符号を以て代えとす)、壬水が午を乗せる所以に因る。天后は上位に居るは、淫乱を主る。壬は申金を以て父母と為し、申は丑の上に加わり、丑は正に父母の墓庫である。玄武は長生の地に処して垂頭するを肯んぜざるは、すなわち「拒尸」である。午と午、亥と亥はみな自刑なので、僕人に傷せられるを主る。下位が上位を冒犯するは、まさに乱首の象である。
壬辰日某が闘毆して死を致し官に解くを占う(方本占案)
十二月壬辰日子將巳時某占因二人力打死一人,解官。 方本占案
十二月裏の壬辰日、「子」(神后)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起した。某人が二人が合力して一人を打ち殺し、すでに官府に解送されたこの事を占った。この案は方本の『占案』に出る。
陳六 龍子丑寅卯朱 空亥 辰蛇 后空陳後 財 空午 后 虎戌 巳貴 午亥丑午 鬼 己丑 陳 常酉申未午后 亥辰午壬 父 甲申 玄 玄陰
刻する所の課体は前の一案と全く同じ:寅将の未時と子将の巳時とは、天盤が同じく地盤より順に七位進むので、四課・三伝は一模一様である。外圈:巳は貴人を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、寅は六合を乗せ、丑は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、戌は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、未は太陰を乗せ、午は天后を乗せる。四課は右から左へ:日干の壬(亥に寄す)上に午を見て天后を乗せ、午上に丑を見て勾陳を乗せ、日支の辰上に亥を見て天空を乗せ、亥上に午を見て天后を乗せる。三伝:初伝の午は妻財爻で天后を乗せて旬空し、中伝の己丑は官鬼爻で勾陳を乗せ、末伝の甲申は父母爻で玄武を乗せる。天空は宅位上に加わるは、下文で家中有る寡母を断ずる根拠である。午は眼目を主るも亥に克せられるは、一女が目を損ずるを断ずる根拠である。
邵彥和曰:此課凶,然今次卻免難。六年後俱惡死矣。宅上有寡母,乃天空加宅也。又須有一女損目,午為目,被亥克也。天后為用,後遇恩赦免矣。果蒙恩赦而免死編管。六年上二人復打死人,一人自縊,一人刑死,蓋申金入墓也。
邵彦和が言う:この課は凶であるけれども、この回は却って難を免れ得る。六年の後に両人ともに非命に死せん。彼の家宅上に一人の寡を守る母が在る。天空が宅位上に加わるに因る。家中にまた当に一人の娘が眼を損傷したを有るべし。午は眼目を主り、正に亥水に克せられるに因る。天后が発用するは、後に皇恩の大赦に碰上って獲免せん。結果果たして恩赦して死罪を免れ、改めて編管に判せられた。第六年の上に到り、この両人はまた人を打ち殺し、一人は首を吊して自盡し、一人は処死せられた——まさに申金が墓に入るの応験である。
壬辰日二人を殺傷して赦に遇い得るかを占う(方本占案)
三月壬辰日酉將寅時占殺傷二人能遇赦否。 方本占案
三月裏の壬辰日、「酉」(従魁)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起し、二人を打ち殺し打ち傷して後に赦免に碰上り得るかを占った。この案は方本の『占案』に出る。
合朱蛇貴 子丑寅卯 玄勾朱玄 財 ◎午 玄 勾亥 辰后 午亥丑午 鬼 己丑 朱 龍戌 巳陰 亥辰午壬 父 甲申 虎 酉申未午 空虎常玄
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:卯は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、丑は朱雀を乗せ、子は六合を乗せ、亥は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、酉は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる——貴人が卯の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(亥に寄す)上に午を見、午は玄武を乗せる。第二課、午上に丑を見、丑は朱雀を乗せる。第三課、日支の辰上に亥を見、亥は勾陳を乗せる。第四課、亥上に午を見、午は玄武を乗せる。三伝:初伝の午は妻財爻で玄武を乗せ、「◎」はそれが旬空に落つるを表す。中伝の己丑は官鬼爻で朱雀を乗せ、末伝の甲申は父母爻で白虎を乗せる。日支の辰はすなわち天罡で、また壬水の墓庫である。末伝の申金はもともと壬水の長生の地であるのに、却って白虎を乗せて墓に入る。凶象はみなここより見出す。
邵彥和曰:此課大凶,蓋自取亂首也。日加辰作勾,上下交克。午作玄武為用,亦是交克,日辰上皆是自刑。宅上勾陳即是天罡。天罡是鬼,既是死奇又是日墓。末傳申是長生,又作虎入墓,其凶不可言,安能遇赦也?後果取決。
邵彦和が言う:この課は大凶で、自ら取って乱首の局である。日干(壬は寄宮が亥にあり)は日支の辰上に加わりて勾陳を乗せ、上下は交々相克伐する。午は玄武を乗せて発用するも、また交克である。日干・日支の両処の上神はまたともに自刑である。宅上に勾陳の臨むはまさに天罡の辰で、天罡は壬の官鬼で、すでに死奇に属し、また日干の墓庫である。末伝の申はもともと壬水の長生であるのに、却って白虎を乗せて墓に入る。凶なること言い難く、いずこに赦免に遇い得よう。後に果たして処決された。
壬辰日成合の事を占う(牧夫占験)
乾隆甲戌年七月壬辰日巳時申時占成合事。 牧夫占驗
乾隆甲戌年七月の壬辰日に課を起し、一棟の撮合の事が談じ成り得るかを占った。原文は「巳時申時」と作するが、刻する所の課体に按って推排すれば、当に「巳」(太乙)を以て月将と為して申時の上に加えたのであろう。この案は王牧夫の『占験』に出る。
蛇貴后陰 寅卯辰巳 龍朱陰虎 財 癸巳 陰 朱丑 午玄 戌丑巳申 子 庚寅 蛇 合子 未常 丑辰申壬 兄 丁亥 勾 亥戌酉申 勾龍空虎
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:卯は貴人を乗せ、辰は天后を乗せ、巳は太陰を乗せ、午は玄武を乗せ、未は太常を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は天空を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は螣蛇を乗せる——貴人が卯の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(寄宮は亥にあり)上に申を見、申は白虎を乗せる。第二課、申上に巳を見、巳は太陰を乗せる。第三課、日支の辰上に丑を見、丑は朱雀を乗せる。第四課、丑上に戌を見、戌は青竜を乗せる。三伝:初伝の癸巳は妻財爻で太陰を乗せ、中伝の庚寅は子孫爻で螣蛇を乗せ、末伝の丁亥は兄弟爻で勾陳を乗せる。三伝の巳・寅・亥は位を逐って後退す。妻財の巳はまた三刑の中に坐し、下文の言う所の「閉口」はまさにこの一位を指す。
王牧夫曰:占成合事,而財作閉口為用,雖三傳遞生,有人推薦,奈不能明言,況支辰純土,閉塞不通,多有阻隔,事無益矣。據餘看此數,今年宅中,尊長與妻宮,暨卑幼,皆有災咎,何也?干上長生,父母也。帶白虎凶殺,而支上又值歲刑,巳妻財又坐三刑中為閉口,閉口主凶兆。蛇為小兒,亦在刑內,支上為卑幼。種種不吉見於體用。況太歲在支陰刑沖而日支為墓鬼,家運如此,年境如此,豈能望事成合乎?尤防口舌爭競也。丑乘朱雀,為歲刑剋干,故主口舌,是年果見口舌死亡也。
王牧夫が言う:撮合成事を占うに、財爻は却って「閉口」を作して発用する。三伝は層層に遞生するは、人の中より推荐するありを表すけれども、無奈彼は話を講明し得ない。まして日支の一辺は純ら土で、閉塞して通ぜず、多く阻隔あり。この事は指望がない。私が看るにこの一年の命数:今年は家裏の尊長・妻室以至卑幼まで、みな災咎あり。何の故に。日干上は長生の神で、父母を代表するけれども、白虎の凶煞を帯びる。日支上はまた正に歳刑に値う。巳は妻財で、また三刑の中に坐して閉口を成す。閉口は本身すなわち凶兆を主る。螣蛇は小児を代表し、また刑の中に落ち、日支の一辺はもともと卑幼を主る。種種の不吉はみな課体と発用の上に顕現する。加えるに太歳は支の陰神の処で刑冲せられ、そして日支はまた日干の墓鬼である。家運はこのよう、流年はこのようで、いずこに事が談じ成るを指望できよう。ことさら口舌の争競を提防すべし。丑は朱雀を乗せ、すでに歳刑でまた来て日干を克するので、口舌を主る。この年は果たして口舌に因って人命を鬧い出した。
此課之凶,在於鬼臨三四,且並歲刑太歲也。夫太歲為家長,既遭丑刑,自是不利。若曰:長生帶白虎,主父母不利。彼指掌賦曰:時雖惡,生我則其喜終至。注云:虎勾生我,其力尤雄。此又何以稱耶?況諸家壬癸日,晝貴成用巳,獨牧夫先生晝貴則用卯。若依諸家用巳貴,則申又不乘白虎凶神矣。
この課の凶なる処は、官鬼が第三・第四の両課の上に臨み、しかも歳刑と太歳とに并ぐに在る。太歳は一家の長を代表し、すでに丑の来て刑するに遭えば、自然に利ならず。いわゆる「長生に白虎を帯び、父母に利ならざるを主る」——『指掌賦』は却って講じる:時神は兇悪なるといえども、それが我を生ずれば、喜慶はついに到る。注文はまた言う:白虎・勾陳が来て我を生ずるは、力量はことさら雄厚と。それではここはまたどう講じよう。まして各家の用法は、壬癸日の昼貴は巳を取るが、独り牧夫先生の昼貴は却って卯を取る。たとい各家に依って巳を以て貴人と為さば、すなわち申上にもまた白虎のこの凶神を乗せないであろう。
壬辰日苗叔芳が孫信卿のために宅を占う
淮西安豐軍霍邱孫池信卿仕於錢塘,久不得歸,一日往苗太監姪孫苗叔芳處問宅,壬辰日亥將丑時。
淮西の安豊軍霍邱の人の孫池、字は信卿、銭塘に在りて官を為し、久しく家郷に帰り得ない。ある日、彼は苗太監の姪孫の苗叔芳のあそこに到りて家宅の吉凶を問うた。時は壬辰日、「亥」(登明)を以て月将と為し、丑時の上に加えて課を起した。
貴后陰玄 卯辰巳午 合蛇常空 子 庚寅 蛇 蛇寅 未常 子寅未酉 兄 戊子 合 朱丑 申虎 寅辰酉壬 鬼 丙戌 龍 子亥戌酉 合勾龍空
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:卯は貴人を乗せ、辰は天后を乗せ、巳は太陰を乗せ、午は玄武を乗せ、未は太常を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は天空を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は螣蛇を乗せる——貴人が卯の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(亥に寄す)上に酉を見、酉は天空を乗せる。第二課、酉上に未を見、未は太常を乗せる。第三課、日支の辰上に寅を見、寅は螣蛇を乗せる。第四課、寅上に子を見、子は六合を乗せる。三伝:初伝の庚寅は子孫爻で螣蛇を乗せ、中伝の戊子は兄弟爻で六合を乗せ、末伝の丙戌は官鬼爻で青竜を乗せる。日干の壬はもともと水に属し、四課の中にまた子水を見るは、下文で宅の外に水が環繞するを断ずる根拠である。寅は火の長生の位で、螣蛇を乗せて宅上に加わるは、火患を断ずる根拠である。
苗叔芳曰:此宅團轉水繞,蓋壬辰水日,四課又見子水也。寅為火之長生,克宅為用。又乘騰蛇,主再三回火發於宅,幸得水多有救,但中末傳龍虎迴環艮方(愚按,此處又當是用巳貴),主有雷傷墳墓及驚損老者,宅眷卻無恙,旦夕必有信至,半月後果有一僕自安豐來,詰問仔細,竟如叔芳所言。
苗叔芳が言う:この宅子は四囲に水の環繞あり。壬辰は水日で、四課の中にまた子水を見るに因る。寅は火の長生の位で、宅を克して発用し、また螣蛇を乗せる。宅上に再三火を起こすを主る。幸いなるに水が多く、なお救あり。ただ中伝・末伝の青竜・白虎は艮方に回環す(愚かに按ずる:此の処もまた当に巳を用いて貴人と為したであろう)。雷撃が墳墓を傷り、并せて家中の老人を驚嚇・損傷するを主る。宅裏の家眷は却って恙なし。早晩に必ず消息が到来する。半月の後、果たして一名の僕人が安豊より趕って来り、細かく問えば、竟に苗叔芳の言う所と一様であった。
龍虎迴環艮方,何以主雷?況龍虎實不迴環艮方乎?鄙見必是寅為雷公殺,乘騰蛇加宅克宅,陰神又見六合故主雷驚。辰為日之墓庫,凡四季土,皆為老人,故曰:雷傷墓及驚損老者也。
「青竜・白虎が艮方に回環す」と言う。何を以て雷あるを断じたか。まして青竜・白虎は実には艮方に回環していない。私の浅見は:必ず寅は雷公煞で、螣蛇を乗せて宅上に加わりまた来て宅を克し、その陰神にまた六合を見るに因り、だから雷驚を主る。辰は日干の墓庫で、およそ辰戌丑未の四季の土はみな老人を代表する。だから「雷撃が墳墓を傷り、驚嚇が老者を損ずる」と言う。
壬辰日喬継遷が楚の匣を占う(牧夫占験)
辛巳年六月壬辰日午將申時喬繼遷翁壬辰生五十歲占楚匣可得否? 牧夫占驗
辛巳年六月の壬辰日、「午」(勝光)を以て月将と為し、「申」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の喬継遷翁は壬辰年生まれ、この年五十歳、楚地のあの「匣」の差使が手に到り得るかを占った。この案は王牧夫の『占験』に出る。
貴后陰玄 卯辰巳午 合蛇常空 子 庚寅 蛇 蛇寅 未常 子寅未酉 兄 戊子 合 朱丑 申虎 寅辰酉壬 鬼 丙戌 龍 子亥戌酉 合勾龍空
刻する所の課体は前の一案と同じ:亥将の丑時と午将の申時とは、天盤が同じく地盤より二位退く。外圈:卯は貴人を乗せ、辰は天后を乗せ、巳は太陰を乗せ、午は玄武を乗せ、未は太常を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は天空を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:日干の壬(亥に寄す)上に酉を見て天空を乗せ、酉上に未を見て太常を乗せ、日支の辰上に寅を見て螣蛇を乗せ、寅上に子を見て六合を乗せる。三伝:初伝の庚寅は子孫爻で螣蛇を乗せ、中伝の戊子は兄弟爻で六合を乗せ、末伝の丙戌は官鬼爻で青竜を乗せる。寅・(午)・戌はもともと凑り合して三合の火局を成し壬水の財位と為り得たのに、如今中間のあの一位は却って子水と成り、午財を冲開して占住した。下文でこの差使が得られないと断ずるの根は、まさにここに在る。
王牧夫曰:正時沖初傳,事即不能順,三傳本寅午戌財局,為子乘六合者沖去財位而踞之。子與壬同氣乃同事之人有之也。天空在酉臨身乃敗氣,生之無力,薦之者亦無力也。命上寅,年上丑,皆屬艮卦,艮者,止也。巳為三楚,其地分乘卯,為貴人所合者戌,戌加子上,午巳無情,安能得之?後知為張姓者任之。比用貴人者,其權操之於官,以運司為之主耳。啇總則以旬首為用,六合加子亦的。以子為地支之首,六合為商賈其象可取也。
王牧夫が言う:占時は正に初伝に冲り当たるので、事は便ち順遂し得ない。三伝は本当は寅午戌の三合火局の財位とすべきところ、却って六合を乗せた子水に午財を冲開され、自分で占住した。子と壬は同じく水に属するので、同事の人がこの差事を得たと見える。天空は酉の上に落ちて本身に臨むは、敗気で、我を生ずる力なし。推荐する人もまた力を使えないと見える。本命上は寅で、行年上は丑で、いずれも艮卦に帰し、艮はすなわち「止」である。巳は三楚の地を代表し、あの一方の分野は卯の上に乗ずる。貴人と相合するは戌で、戌はまた子の上に加わり、午と巳とは彼此に情なし。これらの差使をどうして手に到り得よう。後に初めて一人の張姓の者がこの缺を補ったと知った。およそ比法を用いて貴人を取るは、権柄は官府の手裏に操られ、この事はすなわち運司を以て主と為す。商総の類の差事に至っては、すなわち旬首を以て発用し、六合は子の上に加わるもまた甚だ切合する:子は地支の首で、六合はまた商賈を主る。この取象は取るべきである。
壬辰日費弗庵が会試を占う(郭氏占案)
崇正丁丑二月壬辰日亥將導百為慈谿社丈費君弗庵諱鋐占會試。 郭氏占案
崇正(すなわち崇禎)丁丑年二月の壬辰日、「亥」(登明)を以て月将と為して課を起し、郭御青が慈溪の同社の前輩の費弗庵先生(名は鋐)のために会試を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。原文の「亥将導百」の四字の下に脱誤あるを疑い、占時を写明しない。刻する所の課体に按って推算すれば、当に亥将が丑時の上に加わったのであろう。
朱蛇貴后 卯辰巳午 龍合陰常 子 庚寅 合 合寅 未陰 子寅未酉 兄 戊子 龍 勾丑 申玄 寅辰酉壬 鬼 丙戌 虎 子亥戌酉 龍空虎常
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、午は天后を乗せ、未は太陰を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は白虎を乗せ、亥は天空を乗せ、子は青竜を乗せ、丑は勾陳を乗せ、寅は六合を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は螣蛇を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の壬(亥に寄す)上に酉を見、酉は太常を乗せる。第二課、酉上に未を見、未は太陰を乗せる。第三課、日支の辰上に寅を見、寅は六合を乗せる。第四課、寅上に子を見、子は青竜を乗せる。三伝:初伝の庚寅は子孫爻で六合を乗せ、中伝の戊子は兄弟爻で青竜を乗せ、末伝の丙戌は官鬼爻で白虎を乗せる。寅はすでに日馬でまた年馬で、初伝に落ちて発用する。ただ三伝は寅より子に退き、さらに戌に退くは、明処より暗処に走り入る象で、下文で彼が落第するを断ずるは正にこの意を取る。
郭御青曰:日馬年馬發用,本吉。但格名冥陰,寅乃日出之方,退轉子戌陰地為自明入暗,且交車脫氣,無簾幕,馬少,干支上乘敗病,未敢許中。果然。
郭御青が言う:日馬・年馬はともに初伝に在りて発用するは、もともと吉である。惜しいかな格局の名は「冥陰」——寅は太陽の升起する方位であるのに、如今は却って子・戌のこれらの陰暗の地に退転して、明より暗に入るを成す。加えるに交車の脱気あり、帘幕貴人なく、駅馬はまた少なく、日干・日支上はなお敗気・病気を乗せる。私は敢えて彼の考中を請け合わない。後に果たしてこのようであった。
癸巳日
癸巳日張垣齢が終身を問う(残編)
張大人垣齡生於康熙辛酉年八月十三癸巳日巳時,問終身於黃先生,遂以其八字演課,以辰將加巳時,得三傳卯寅丑。 殘編
張垣齢大人は康熙辛酉年八月十三日癸巳日巳時に生まれ、黄先生に向かって一生の休咎を請問した。黄先生はすなわち彼の八字を持ち来りて課に推演し、「辰」(天罡)を以て月将と為して巳時の上に加え、三伝の卯・寅・丑を得た。この案は『残編』に出る。
貴后 辛酉 蛇辰巳午未陰 朱蛇空龍 子卯朱 丁酉 朱卯 申玄 卯辰亥子 子寅六 癸巳 合寅 酉常 辰巳子癸 官丑勾 丁巳 勾丑子亥戌虎 龍空
図の左の一豎列は張垣齢の八字:年柱は辛酉、月柱は丁酉、日柱は癸巳、時柱は丁巳。中間は展けて平らにした課体。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、午は天后を乗せ、未は太陰を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は白虎を乗せ、亥は天空を乗せ、子は青竜を乗せ、丑は勾陳を乗せ、寅は六合を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は螣蛇を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(寄宮は丑にあり)上に子を見、子は青竜を乗せる。第二課、子上に亥を見、亥は天空を乗せる。第三課、日支の巳上に辰を見、辰は螣蛇を乗せる。第四課、辰上に卯を見、卯は朱雀を乗せる。三伝:初伝の卯は子孫爻で朱雀を乗せ、中伝の寅は子孫爻で六合を乗せ、末伝の丑は官鬼爻で勾陳を乗せる。正に前面の言う所の「三伝の卯寅丑を得」と相合する。日干上の子は青竜を乗せ、すなわち下文の言う「青竜・官禄」である。
黃斷曰:是上有青龍官祿,支上太陽照宅。又二貴拱天喜且初傳又喜簾幕,定是鄉榜。張曰:既知鄉榜,可知中在何科?黃鼓掌算之,遂決曰:中在辛卯科也。人問其故。黃曰:雖由理推,亦要意會。蓋癸巳,日主也,乃在甲申旬。當從地盤戌上起一歲,數至三十一歲,行年在辰,上乘卯為朱雀,又是簾幕,下臨辰為天喜,非其中之時而何?故知即在三十一歲辛卯科也。
黄先生が断じて言う:日干上に青竜あり、また官禄の神であり、日支上に太陽が宅位を照る。さらに両重の貴人が天喜を拱夾し、しかも初伝はなお喜びて帘幕貴人を得る。必ず郷試に中り得る。張垣齢が問う:すでに郷榜に中り得ると知れば、いずれの科に中るかを知り得るか。黄先生は掌を拍いて一算し、すなわち断じて言った:辛卯科に中る。傍人が彼に緣故を問う。黄先生が言う:理に按って推すとはいえ、また意会に靠るを要す。癸巳は日主で、甲申旬に属し、当に地盤の戌位の上より一歳を起こし、数って三十一歳に至れば、行年は正に辰の上に落つ。辰上は卯を乗せ、卯は朱雀でまた帘幕で、下の臨む所の辰はまさに天喜である——彼が考中する時でなくてまた何であろう。だからすなわち三十一歳の辛卯科に在ると知れる。
此以生日起行年,未知所本何書。
この種の出生の日を持ち来りて行年を起こす算法は、いずれの一部の書に本づくかを知らない。
又問有子否?黃曰:傳中皆子星者,寅卯之木也。合觀基八字,純金局,一派合勦子星。況寅卯為四廢休囚,恐桂子稀疏孔,果官高無子。是六壬之獨步也,故詳記其占案,以廣所學雲。
張垣齢はまた将来に息子あるやを問うた。黄先生が言う:三伝の裏はみな子星、すなわち寅・卯のこの两位の木である。合わせて彼の八字を看れば、純ら金局で、一路にみな子星を剿伐して在る。まして寅・卯は酉月に正に四廃・休囚の地に当たる。子嗣が稀疏なるを恐れるのみ(原文「恐桂子稀疏孔」、末の一字は訛誤あるを疑う)。後に彼は果たして官を為すこと甚だ高くして息子なし。これはまことに六壬の中の独得の手段なので、この占案を詳細に記して、以て学を広めんとす。
癸巳日何宣義が身命を占う(捷要・口鑑・宋本邵案)
建炎己酉年三月癸巳日戌將酉時何宣義丁丑年三十三歲,占身命。 捷要、口鑑、宋本邵案
建炎己酉年三月の癸巳日、「戌」(河魁)を以て月将と為し、「酉」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の何宣義は丁丑年生まれ、この年三十三歳、自身の一生の命運を占った。この案は『捷要』『口鑑』と宋本の『邵案』に見える。
陳龍 六午未申酉空 朱巳 戌虎 陳六貴后 鬼 空未 陳 蛇辰 亥常 未午卯寅 父 甲申 龍 貴卯寅丑子玄 午巳寅癸 父 乙酉 空 后陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:卯は貴人を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は六合を乗せ、未は勾陳を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は天空を乗せ、戌は白虎を乗せ、亥は太常を乗せ、子は玄武を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は天后を乗せる——貴人が卯の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(寄宮は丑にあり)上に寅を見、寅は天后を乗せる。第二課、寅上に卯を見、卯は貴人を乗せる。第三課、日支の巳上に午を見、午は六合を乗せる。第四課、午上に未を見、未は勾陳を乗せる。三伝:初伝の未は官鬼爻で勾陳を乗せ、未は正に旬空に落つるので、「空未」と標す。中伝の甲申は父母爻で青竜を乗せる。末伝の乙酉は父母爻で天空を乗せる。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未の两位に在る。日支の巳と初伝の未とはともに南方の一帯に在り、すなわち下文の言う所の「三伝と宅とが并びて南方に在る」である。
邵彥和曰:本身貪色,心高志大。三傳與宅並在南方。一生難為眷屬,未為眷屬空亡故也。勞心費力積得財物。末傳至酉,晚年愈貪色,卻有一妾為主,反欺眾人,終死於此妾之手;家計異日比今日增數倍,只是後來被此妾盜去財物。行年支破作太常,主外服。又主兒婦因病退產。只在三月盡四月初見之。何果高傲好勝,勞心費力,營運積財。庚子暫停,以庚子與身居於下也。宅上財與三傳皆在南方,所以此人運貨至南方,獲利成家。只是不合過寵一妾,被他盜去財也。當年五月有丈母之服,三月長媳小產,七月次媳因感風發熱亦小產。
邵彦和が言う:この人の本身は女色を貪好し、心気は高く志向は大きい。三伝は宅位を連ねて并びて南方に在る。彼の一生は家眷の上で順遂を得難い。未のこの一位は眷属を代表するのに、未は偏に旬空に落つるに因る。彼は心を労し力を費やして始めて家財を積み得る。末伝は酉に行き到り、晩年はますます色を貪り、家裏は一人の妾に由って家を当り主を為し、かえって衆人を欺壓し、最後に彼はすなわちこの妾の手上に死す。日后家業は今日より数倍を増さん。ただ後にこの妾に財物を盗走せられる。行年は日支の破せられる位に落ちて太常を乗せるは、外親の丧服あるを主る。また児媳が病に因り小産するを主り、すなわち三月の底・四月の初に分暁を見ん。後に何宣義は果たして高傲・好勝にして、心を労し力を費やし、販運に靠って家財を積み起こした。庚子年に一度停頓したは、庚子が彼の本身と同じく下位に処するに因る。宅上の財爻と三伝はみな南方に在るので、この人は貨を南方に運んで往き、利を獲て家を成した。ただ一人の妾を過分に寵愛すべきでなかった。ついに彼女に財物を盗まれた。当年五月に家中に丈母の丧服あり、三月に長媳が小産し、七月に次媳は風を受けて発熱してまた小産した。
蓋日上天后乘寅木脫神,而寅木又脫於巳午,故主三四月婦人不產,寅以酉為破碎加申,故七月亦然。寅以亥為長生,上作太常,故主孝服。亥卯未三合,五月月建上得未,故五月有服。其晚年愈貪色者,酉作天空加癸水長生之上也。
推断の根拠は:日干上は天后が寅木を乗せ、寅木はもともと脱気の神で、そして寅木はまた気を巳・午に脱泄する。だから三四月裏に婦人が月を足らず生産し得ざるを主る。寅は酉を以て破碎と為し、酉はまた申の上に加わるので、七月もまたこのよう。寅は亥を以て長生と為し、亥上は太常を乗せるので、孝服あるを主る。亥卯未は三合し、五月の月建上に正に一つの未を得るので、五月裏に丧服あり。彼が晩年にますます色を貪ると言うのは、酉が天空を乗せて癸の長生のあの一位の上に加わるに因る。
癸巳日邵七丞務が財を求めるを占う(方本占案・口鑑)
己酉年十月癸巳日寅鈄丑時邵七丞務戊寅生三十一歲占求財。 方本占案、口鑑
己酉年十月の癸巳日、「寅」(功曹)を以て月将と為して「丑」時の上に加えて課を起した(原文の「寅鈄丑時」で、「鈄」は「将」の字の誤り)。占を求めた人の邵七丞務は戊寅年生まれ、この年三十一歳、財を求めるを占った。この案は方本の『占案』と『口鑑』に見える。
陳龍 六午未申酉空 朱巳 戌虎 陳六貴后 鬼 空未 陳 蛇辰 亥常 未午卯寅 父 甲申 龍 貴卯寅丑子玄 午巳寅癸 父 乙酉 空 后陰
刻する所の課体は前面の何宣義のあの一案と全く同じ:戌将の酉時と寅将の丑時とは、天盤が同じく地盤より順に一位進む。外圈:卯は貴人を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は六合を乗せ、未は勾陳を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は天空を乗せ、戌は白虎を乗せ、亥は太常を乗せ、子は玄武を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は天后を乗せる。四課は右から左へ:日干の癸(丑に寄す)上に寅を見て天后を乗せ、寅上に卯を見て貴人を乗せ、日支の巳上に午を見て六合を乗せ、午上に未を見て勾陳を乗せる。三伝:初伝の未は官鬼爻で勾陳を乗せて旬空に値い、中伝の甲申は父母爻で青竜を乗せ、末伝の乙酉は父母爻で天空を乗せる。癸水は午火を以て妻財と為し、午は恰恰旬空裏に落つ。日干上の寅は子孫爻で、午財を生起し得る。中伝の申は癸水の長生で、また青竜のこの財の類神を乗せる——下文で財を求める推断は、全てこの幾処より出る。
邵彥和曰:爾欲往妻家取往年所許之財,未得。今因生子,乃欲問令岳丈借之。丞務笑曰:然。蓋癸日以午為財,又為妻,旬空故未得。日上寅為子孫生起午財,坆雲以生子為由又借。中傳申為日長生,為尊長又乘青龍為財類神,再求必得也。後遭婢僕之患,隨得隨失。空與破碎並臨,故也。行年酉見戌為六害。白虎與血支相加,恐遭官訟,幾不免刑。幸作三合,終能解散也。
邵彦和が言う:あなたは妻の娘家に到って当年に応え給うたあの筆の財物を討取しようと思い、一向に拿到しない。如今は息子を添えたに因り、すなわち岳父に向かって口を開いて借りようと打算する。丞務が笑って言う:まさにその通り。道理は:癸日は午を以て財と為し、午は同時にまた妻子を代表し、午は偏に旬空に落つるので、先前に討い得なかった。日干上の寅は子孫で、午財を生起し得るので、息子を生んだを以て理由としてさらに借ると言う。中伝の申は日干の長生の地で、尊長を代表し、また青竜のこの財の類神を乗せるので、さらに往きて求めれば必ず手に到る。ただ後に婢僕の禍を遭うべく、銭財は随い得れば随い失う。空亡と破碎とが并臨する所以に因る。行年は酉に在り、酉は戌を見て六害で、白虎はまた血支と相加わる。官司を吃するを恐れ、幾ど刑責を免れない。幸いなるに課は三合を成し、ついに解散し得る。
邵丞務名康伯,娶鄭氏,先是乃嶽許田未與,後經多年生子欲往取之,乃嶽與之三百千。邵有僕宜童婢榮奴徊有私情,榮奴偷錢與宜童被邵見之,乃行吊打。當夜宜童持刀要傷主人,邵幸走脫。次日,縛宜童送官懲治。宜童卻供出家主去年用我私開田三十餘畝,許我上錢二百貫文又許將榮奴嫁我,今背前約,故欲害之。官因根究私田不稅,邵遂受杖責,所得之錢盡費用而無餘。
後の事実は:邵丞務は名を康伯といい、妻に鄭氏を娶った。当初岳父は一塊の田を給うを応えて終始に給わなかった。許多年を過ぎて彼は息子を生み、往きて討取せんと欲し、岳父は便ち彼に三百千銭を給った。邵家に宜童と名づく一人の僕人あり、また栄奴と名づく一人の婢女あり。両人は私下に情あり。栄奴が銭を偸みて宜童に給うを、邵が撞見して、すなわち彼らを吊して打った。当日の夜、宜童は刀を持って主人を傷らんとし、邵は僥倖して逃げ脱れた。第二天に宜童を官府に捆送して惩治しようとしたが、宜童は却って供出して言った:家主は去年に私を用いて私自に三十余畝の田を開墾せしめ、私に二百貫の銭を給うを応え、また栄奴を私に嫁せしめるを応えたが、如今は前約を背棄したので、私は初めて彼を害せんと思った。官府はこれに因って彼の私墾の田地に納税せざるを追究し、邵は便ち杖責を挨ね、先前に得た銭もまたことごとく花尽し、一文も残さなかった。
癸巳日行人を占う(行人类証)
八月癸巳日辰將寅時癸丑生人占行人。 行人類證
八月裏の癸巳日、「辰」(天罡)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は癸丑年生まれの人で、門を出て外に在る人を占った。この案は『行人类証』に出る。
龍空 勾未申酉戌虎 空勾朱貴 鬼未勾 合午 亥常 酉未巳卯 父酉空 朱巳 子玄 未巳卯癸 兄亥常 蛇辰卯寅丑陰 貴後
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:卯は貴人を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は六合を乗せ、未は勾陳を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は天空を乗せ、戌は白虎を乗せ、亥は太常を乗せ、子は玄武を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は天后を乗せる——貴人が卯の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(寄宮は丑にあり)上に卯を見、卯は貴人を乗せる。第二課、卯上に巳を見、巳は朱雀を乗せる。第三課、日支の巳上に未を見、未は勾陳を乗せる。第四課、未上に酉を見、酉は天空を乗せる。三伝:初伝の未は官鬼爻で勾陳を乗せ、中伝の酉は父母爻で天空を乗せ、末伝の亥は兄弟爻で太常を乗せる。天盤の子は玄武を乗せて地盤の戌位に落ち、天盤の丑(癸の寄宮)は地盤の亥位に落つ——下文で行人の動身する月份と帰期を断ずるは、まさにこの両処より取った。
雪心曰:大凡斷行人,看日干為行人,並看玄武及行人足。又曰:日為行人看乘馬與否,以決動靜。今玄武乘子臨戌合九月動,今日癸寄丑,丑臨亥,亥是馬主動。末是亥,足已動。亥為兄弟,交十月節歸。末傳為足,看乘二馬有無勾留戀廄。經云:馬合則勾留,乘生則戀廄,空亡則折足。
雪心が言う:大凡行人を断ずるは、日干を以て行人の本身を代表し、同時に玄武を看るを要し、また行人の脚步を代表する末伝を看るを要す。さらに言う:日干を以て行人と為し、それが駅馬を乗ずるか否かを看、以て彼の動か静かを決定する。今、玄武は子を乗せて戌上に臨むは、合して九月に動身することを主る。癸の寄宮は丑に在り、丑は亥上に臨み、亥は正に駅馬で、動を主る。末伝は亥で、脚はすでに動いたことを説明する。亥はまた兄弟爻で、十月の節令に交到ればすなわち帰って来るべし。末伝は脚步を代表し、それの乗ずる両重の駅馬が勾留・恋栈せらるるや否やを看るを要す。経の上に言う:駅馬は合に逢えばすなわち勾留せられ、長生を乗ずればすなわち馬廐に恋栈し、空亡に落ちればすなわち脚を折る。
癸巳日王解元が家宅を占う(方本占案・口鑑・捷要)
己酉年三月癸巳日戌將未時王解元辛未生三十九歲占家宅。 方本占案、口鑑、捷要
己酉年三月の癸巳日、「戌」(河魁)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の王解元は辛未年生まれ、この年三十九歳、家宅を占った。この案は方本の『占案』『口鑑』と『捷要』に見える。
陳龍 六申酉戌亥空 朱未 子虎 空六朱后 父甲申 六 蛇午 丑常 亥申未辰 兄丁亥 空 貴巳辰卯寅玄 申巳辰癸 子庚寅 玄 后陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は朱雀を乗せ、申は六合を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は太常を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(寄宮は丑にあり)上に辰を見、辰は天后を乗せる。第二課、辰上に未を見、未は朱雀を乗せる。第三課、日支の巳上に申を見、申は六合を乗せる。第四課、申上に亥を見、亥は天空を乗せる。三伝:初伝の甲申は父母爻で六合を乗せ、中伝の丁亥は兄弟爻で天空を乗せ、末伝の庚寅は子孫爻で玄武を乗せる。癸巳日は甲申旬に属し、甲申は旬首、癸巳は旬尾で、申はまた正に癸水の長生なので、下文に「旬首が旬尾に加わる、周而復始の格」の説あり。日干上の辰は癸水の墓庫で、また天后を乗せ、遅滞を断ずる根拠である。
邵彥和曰:此課利宅不利人,若占病訟,真閉口卦也。日上墓作天后,主遲滯,時運未通。蓋天后滯神,更見墓,愈見遲滯也。幸得宅之六儀長生而引進,又與宅合,主進人口,婦人懷胎;然終不安,幸長生可以保全。亥作天空乘丁,主移動缸甕。末傳子息,因溼感風,西南西北二角,不可修動。田遭水患,行年在申,主內事訟。得一道士解和。王自發解後,皆不利,疑其宅生災,故占之。身乘墓作天后,辰雖月建,主興訟,旺卻是墓神滯神,目下如何發得?
邵彦和が言う:この課は宅に利ありて人に利なし。もし持ち来りて病を占い訟を占えば、すなわち一つの十足の閉口卦である。日干上は墓庫にして天后を乗せ、遅滞を主り、時運はなお通達していない——天后はもともと滞神で、さらに墓を見れば、ますます遅滞する。幸いなるに宅上に本旬の儀神を得、長生を引き出して来接引し、また宅と相合するは、家裏に人口を添え、婦人が孕あるを主る。ただついに安穩せざるも、好在長生あって以て保全し得る。亥は天空を乗せまた丁神を帯び、主に缸瓮の類の器物を搬動せん。末伝は子息を主り、子どもは湿を受けるに因りて風を感ずる。西南・西北の両個の角上は修動すべからず。田地は水患に遭わん。行年は申に在り、家内の事が争訟を起こすを主り、最後に一人の道士に靠りて中より勧解す。後の情形は:王解元は自ら郷試に中挙して以後、諸事がみな順ならず、宅上に災を生じたを疑心し、だから来て占った。彼の本身は墓を乗せまた天后を作す。辰は月建なるといえども、主に訟を興すべく、しかしそれは旺を当たるといえども墓神・滞神で、眼下はどうして発起し得よう。
宅上見本旬儀神,引出長生、旬首加旬尾,乃周而復始格。六合發用,故主退人口血財;中亥乘丁,加旬首上,屬西南西北不可興工。辰加丑為破,不可開田,必被水沖。後其田辛丑年開,盡被水沖作汙沙。又除夜移水甕,妻胎幾墮而得全。蓋寅並元武主墮胎。幸申作六合引長生,能制之,故保全也。其長子十二歲,自學舍歸而澡浴,因溼而感風,後卻無事。家族爭訟,得族人為道士者勸和。蓋寅加長生之地為道士也。經曰:寅作長生道士身。
宅上に本旬の儀神を見、長生を引き出すは、旬首が旬尾の上に加わりて、「周而復始」の格を成す。六合が発用するので、人口の退失・血財の損耗を主る。中伝の亥は丁神を乗せ、旬首の上に加わり、それの属する西南・西北の両方は動工すべからず。辰は丑上に加わるは破で、田を開くべからず。開けば必ず水に冲せられん。後にあの田は辛丑年に開墾し、果たしてことごとく水に冲して淤沙と成った。さらに除夕の夜に水瓮を搬動し、妻子の胎は幾ど滑り掉てんとしたが、総じて保たれた——寅は玄武に并ぐは堕胎を主るも、幸いに申は六合を乗せて長生を引き出し、それを制し得るので、保全した。彼の長子は十二歳で、学堂より帰りて便ち洗澡し、湿を受けるに因りて風を感じ、後は却って事なし。家族の裏に争訟を起こし、族中の一人の道士を為す人に靠りて出面して勧和せしめた。寅が長生の地に加わればすなわち道士の象なので。経の上に言う:寅が長生を作れば、すなわち道士の身である。
癸巳日孔七公が婚姻を占う(捷要・方本占案・壬帰・口鑑)
己酉年十月癸巳日寅將亥時孔七公戊午生五十二歲占婚姻。 捷要、方本占案、壬歸、口鑑
己酉年十月の癸巳日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「亥」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の孔七公は戊午年生まれ、この年五十二歳、婚姻を占った。この案は『捷要』、方本の『占案』、『壬帰』と『口鑑』に見える。
空虎 龍申酉戌亥常 陳未 子玄 常龍陳蛇 父 甲申 龍 六午 丑陰 亥申未辰 兄 丁亥 常 朱巳辰卯寅后 申巳辰癸 子 庚寅 后 蛇貴
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:卯は貴人を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は六合を乗せ、未は勾陳を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は天空を乗せ、戌は白虎を乗せ、亥は太常を乗せ、子は玄武を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は天后を乗せる——貴人が卯の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(丑に寄す)上に辰を見、辰は螣蛇を乗せる。第二課、辰上に未を見、未は勾陳を乗せる。第三課、日支の巳上に申を見、申は青竜を乗せる。第四課、申上に亥を見、亥は太常を乗せる。三伝:初伝の甲申は父母爻で青竜を乗せ、中伝の丁亥は兄弟爻で太常を乗せ、末伝の庚寅は子孫爻で天后を乗せる。四課の支神は前の一案と同じで、ただ乗ずる天将が換わった。初伝の申は癸水の長生で、末伝の寅は正に木の長生の亥の上に加わる——下文で親事が必ず成り、成婚すなわち子を得るを断ずるは、みなここより象を取る。
邵彥和曰:孔丈五十二歲,又做新郎,今日上方出墓尋生,其親必成也。此女清白輕盈,知書算,善治家,即生二子享福,但恐不久尊堂服動。孔咲曰:何以知之?曰:課中自見,恨今人不習耳。蓋癸日見初傳申長生,主輕盈;金主清白,長生為學堂,主知書算,善治家。但亥乘丁臨長生之上,又乘常,故主服動。
邵彦和が言う:孔丈は五十二歳にしてなお新郎を為さんとする——今日日干上は正に墓の中より出でて往きて長生を尋ね、この門の親事は必定成り得る。この女子は清清白白で、身段は軽盈で、読書・算帳を懂り、善く家を持つ。成親すればすなわち二人の息子を生み、以て福を享け得る。ただ久しからずして家中の長輩に丧事あるを恐れるのみ。孔公が笑って問う:あなたはどうして知ったのか。答えて言う:課の裏に自然に看え出るのだが、ただ如今の人が工夫を下すを肯んぜざるを恨むのみ。道理は:癸日に初伝の申を見て長生と為すので、身段が軽盈を主る。金は潔白を主るので、清白と言う。長生はまた学堂の神なので、彼女が書算を懂り善く家を治めるを主る。ただ亥は丁神を乗せて長生の上に臨み、また太常を乗せるので、孝服が動くを主る。
末寅為子孫,同天后加木之長生丁亥上,所以成親即有子息。巳與申合,寅與亥合,所以無不成就。四課三傳無空亡,所以終身享福也。孔公前妻李氏亡,續妻童氏,次年果即生子,五十八又生一子,而此婦於前夫處,亦有收拾,且能書算,家務全仗其照料,娶來未十四個月而母亡矣。
末伝の寅は子孫爻で、天后と同じく木の長生の丁亥の上に加わるので、一たび成親すればすなわち子息あり。巳と申は相合し、寅と亥は相合するので、事々成せざるなし。四課・三伝はともに空亡なきので、以て終身福を享け得る。後の情形は:孔公の前妻の李氏は亡故し、続きて童氏を娶り、第二年に果たして息子を生み、五十八歳の上にまた一子を生んだ。この婦人は前夫のあそこにも些かの積蓄があって、しかも読書・算帳し得て、家務は全て彼女に靠って照料する。ただ娶りて門を過ぎてなお十四個月に満たざるに、孔家の母親が世を去った。
癸巳日徐孺人が病を占う(占案・口鑑・捷要)
戊申年五月癸巳日申將卯時徐孺人己卯生三十歲占病。 占案、口鑑、捷要
戊申年五月の癸巳日、「申」(伝送)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の徐孺人は己卯年生まれ、この年三十歳、疾病を占った。この案は『占案』『口鑑』と『捷要』に見える。
空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 陰龍空蛇 財 空午 蛇 六申 卯陰 卯戌亥午 兄 丁亥 空 朱未午巳辰后 戌巳午癸 鬼 壬辰 后 蛇貴
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は朱雀を乗せ、申は六合を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は太常を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる——癸日の昼占は貴人は巳に在り、卯時は昼に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(寄宮は丑にあり)上に午を見、午は螣蛇を乗せる。第二課、午上に亥を見、亥は天空を乗せる。第三課、日支の巳上に戌を見、戌は青竜を乗せる。第四課、戌上に卯を見、卯は太陰を乗せる。三伝:初伝の午は妻財爻で螣蛇を乗せ、午は正に旬空に落つるので「空午」と標す。中伝の丁亥は兄弟爻で天空を乗せる。末伝の壬辰は官鬼爻で天后を乗せる。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に在る。螣蛇は空亡の午を乗せて日干の頭上に圧するは、すなわち下文の言う所の「蛇が空亡に見え、偏空と為る」である。
邵彥和曰:蛇見空亡,為偏空。陰人所苦,遂至心下不足,遇飢則氣攻心胸,眼目昏暗,生子多但不實,內一子足多一趾。中年血海敗,五十左右則成血癭,不宜破,破則死矣。在五十四五之間。平生不宜養蠶,恐因蠶得病也。徐孺人之父有妾,即孺人乳母。父死隨孺人在徐司理家,常與司理不合,故孺人得病,以乳母故也。生子十一胎,存三人,內一子多趾。四十一血敗,三年成癭,五十四因養蠶夜出胃冷致疾,癭破出血數升而死。
邵彦和が言う:螣蛇が空亡に遇うを、「偏空」と名づく。彼女は一人の女人に苦しめられ、以て心下が虚弱して足らず、一たび餓えればすなわち気が心胸に上攻し、眼は昏花する。生んだ子どもは多いのにみな結実せず、その中の一人の息子は脚上に一趾を多く長ず。中年に血海が敗壊し、五十歳の上下に血癭を長出し、弄破してはならない。破ればすなわち死せん。時は五十四五歳の間に在る。彼女は一生養蚕すべからず。ただ養蚕に因って病を得るを恐れるのみ。後の情形は:徐孺人の父親に一人の妾あり、すなわち孺人の奶媽である。父親の死後、奶媽は孺人に跟い徐司理の家に住み、常に司理と合わず、だから孺人は初めて病み、病根はまさにこの奶媽の身上に在る。彼女は十一胎を生み、活き残ったは三人、その中の一人の息子は一趾を多く長ず。四十一歳の上に血敗し、三年を過ぎて癭と長成した。五十四歳に養蚕に因り夜に門を出て、胃に寒を受けて病を得、癿が破れて幾升かの血を流出して死した。
蓋日上見午為心,癸水滅午火又空亡,是心受制而不足,午為陰人,空則無位為妾,蛇在午上擾,故知為此陰人所苦。又午為目,蛇擾水制,又空亡,自然昏暗。飢痛者,己卯生人,祿在午,空則亂也。蛇擾故痛。戌土上見青龍,故主多趾。又戌為足也。血敗者,亥坐空亡,又乘天空故也。血癭者,辰加亥為天后,辰堅土,加血上,故為血癭。天后主厭穢,癸水入辰墓,故癭破而卒也。
推断の根拠は:日干上に午を見て心と為す。癸水は午火を撲滅し、午はまた空亡に落つるは、心が制せられて虚弱して足らざるである。午は女人を代表し、空に落つるは名分なしで、正に妾の身份に合する。螣蛇は午上に在りて擾動するので、彼女がこの女人に苦しめられて在ると知れる。午はまた眼目を主り、螣蛇に擾せられ水に克せられ、さらに空亡を加うるに、眼は自然に昏花する。彼女が餓えればすなわち痛むと言うのは、己卯年の生人は禄が午に在り、午が空けばすなわち禄乱れ、螣蛇はまた擾すので、作痛する。戌土上に青竜を見るので、一趾を多くすることを主る。戌は本身また脚を主る。血敗と言うのは、亥が空亡の上に坐し、また天空を乗せるに因る。血癭と言うのは、辰が亥上に加わりて天后を乗せ、辰は堅実の土で、血位の上に加わるので、血癭を成す。天后は汚穢を主り、癸水はまた辰墓に入るので、癿が破れて血を流して死する。
癸巳日馬夢桂が会場を占う(郭氏占案)
丁丑年二月癸巳日亥將巳時馬君夢桂占會場。 郭氏占案
丁丑年二月の癸巳日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の馬夢桂は、会試の考場を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。
虎常 空亥子丑寅玄 貴空常朱 財巳貴 龍戌 卯陰 巳亥丑未 兄亥空 勾酉 辰后 亥巳未癸 財巳貴 合申未午巳貴 朱蛇
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:巳は貴人を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は朱雀を乗せ、申は六合を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は青竜を乗せ、亥は天空を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は太常を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる——貴人が巳の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(丑に寄す)上に未を見、未は朱雀を乗せる。第二課、未上に丑を見、丑は太常を乗せる。第三課、日支の巳上に亥を見、亥は天空を乗せる。第四課、亥上に巳を見、巳は貴人を乗せる。天盤の各位はみな地盤と相冲するは、返吟の局である。三伝:初伝の巳は妻財爻で貴人を乗せ、中伝の亥は兄弟爻で天空を乗せ、末伝はまた巳の妻財で貴人を乗せる。貴人は巳を乗せて亥上に加わり、亥は正に天門で、すなわち下文の言う所の「貴徳が天門に登る」である。
郭御青曰:此課發用貴德登天門,行年斗鬼相加,合為魁字,命上乘命馬,中傳歲日二馬,美處多端,只嫌朱雀乘未在干上克干,居要緊之地,一疵害九純乎?
郭御青が言う:この課は発用が貴徳の天門に登る。行年上は斗・鬼の両神が相加わり、合わせて正に一つの「魁」の字である。本命上は本命の駅馬を乗せ、中伝にまた太歳馬・日馬の両重の駅馬あり——好处は許多端ある。ただ朱雀が未を乗せて日干の上に圧しまた来て日干を克し、また恰好要緊の位置を占住したを嫌う。この一点の瑕疵は、難道便ちその余の九分の純美を壊い得ようか。
朱雀空亡且休囚無氣。貴德雖登天門,奈作閉口皆有名無實,郭君何故不言耳?
其の実は朱雀はすでに空亡に落ち、また休囚にして気なし。貴徳は天門に登ったといえども、無奈課は閉口を成し、みな有名無実である。郭君は何故この一層を説き出さなかったのか。
癸巳日李光倬が会場を占う(郭氏占案)
丁丑年二月癸巳日亥將卯時江右李君光倬占會場。 郭氏占案
丁丑年二月の癸巳日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は江右(江西)の李光倬で、会試の考場を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。
合朱 勾寅卯辰巳蛇 常勾貴常 財巳貴 龍丑 午貴 酉丑巳酉 鬼丑勾 空子 未后 丑巳酉癸 父酉常 虎亥戌酉申陰 常玄
展けて平らにした課体図。外圈の刻する所の天将は:寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せ、丑は青竜を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(丑に寄す)上に酉を見。第二課、酉上に巳を見。第三課、日支の巳上に丑を見。第四課、丑上に酉を見。天盤は地盤より順に八位進む。三伝:初伝の巳は妻財爻で貴人を乗せ、中伝の丑は官鬼爻で勾陳を乗せ、末伝の酉は父母爻で太常を乗せる。巳・丑・酉は正に巳酉丑の三合金局の逆序である。留意すべきは:四課と三伝の標する所の天将は、外圈の刻する所に比べて整整一位錯開する。四課・三伝は貴人が巳を乗ずるに按って排した——癸日の昼占は貴人は巳に在り、卯時はまた正に昼に属し、理は当にかくのごとし。外圈は却って貴人を午の上に刻したは、当に移位の誤りであろう。貴人の巳を乗ずるに依って逆布せば、すなわち卯は朱雀を乗せ、丑は勾陳を乗せ、酉は太常を乗せ、初めて下文の郭御青の言う所の「干上の酉が帘幕の朱雀を冲克す」と相合する。
郭御青曰:此課行年上得歲日二馬、發用月馬、日德貴人,本為吉課,奈合中犯煞不能會金局而生日。干上酉沖剋簾幕朱雀,四課不備,乃不完美之象,何能望中?
郭御青が言う:この課は行年上に太歳馬・日馬の両重の駅馬を得、発用はまた月馬で、さらに日徳と貴人あり。もともと一課の吉象である。無奈三合の中に煞を犯し、金局を凑りて日干を生ずるを成さない。日干上の酉はまた帘幕の神の朱雀を冲克し、四課はただ三位を得て斉備せず、一個の残缺的に完美ならざる象で、いずこになお考中を指望できよう。
巻之四・甲午日
甲午日客が占を索む(指南)
崇正壬午年七月甲午日巳將午時偶有一客至埂子街寓中坐定索占。 指南
崇正(すなわち崇禎)壬午年七月の甲午日、「巳」(太乙)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起した。当時偶然一人の客人が埂子街の寓所に来り到り、坐定して後に陳公献に一課を占わしめるを請うた。この案は『六壬指南』に出る。
勾龍 六辰巳午未空 六勾后貴 父 庚子 后 朱卯 申虎 辰巳子丑 父 己亥 陰 蛇寅 酉常 巳午丑甲 財 戊戌 玄 貴丑子亥戌玄 后陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、午時は昼に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に丑を見、丑は貴人を乗せる。第二課、丑上に子を見、子は天后を乗せる。第三課、日支の午上に巳を見、巳は勾陳を乗せる。第四課、巳上に辰を見、辰は六合を乗せる。三伝:初伝の庚子は父母爻で天后を乗せ、中伝の己亥は父母爻で太陰を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で玄武を乗せる。壬午年の太歳は午に在り、歳破は正に子に在り、そして子は恰恰初伝に発用す。三伝の子・亥・戌は位を逐って後退し、すなわち下文の言う「課伝の退茹」である。
陳公獻曰:公科第中人,非田姓即王姓也,然有朝廷事連累。蓋臨身貴人,必科甲中人;然貴被干克,歲破發用,課傳退茹,是以有獲罪朝廷事。喜初中後陰為恩赦,然而無大咎也。後知為荊州知府王承曾,甲戌進士,以失城逮問,賊破燕京始出。
陳公献が言う:あなたは科第の中の人で、姓は田でなければ王である。ただ朝廷方面の事に牽累されている。貴人が本身に臨むので、必ず科甲の出身の人である。しかし貴人は日干に克せられ、歳破はまた発用し、課伝は一路に退茹するので、朝廷に罪を獲る事ある所以である。喜ばしいは初伝・中伝上の天后と太陰とが恩赦の神を充作するので、大禍に至らない。後に初めてこの客人は荊州の知府の王承曽で、甲戌科の進士で、城池を失守したに因って逮捕されて罪を問われ、流寇が燕京を攻破するに至って初めて放さり出たと知った。
甲午日行人を占う(中黄経)
丁亥年十一月甲午日丑將寅時占行人其人甲寅生三十四歲。 中黃經
丁亥年十一月の甲午日、「丑」(大吉)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起し、門を出て外に在る人を占った。あの人は甲寅年生まれ、この年三十四歳である。この案は『中黄経』に出る。
朱蛇 合辰巳午未貴 合朱虎空 父 庚子 虎 勾卯 申后 辰巳子丑 父 己亥 常 龍寅 酉陰 巳午丑甲 財 戊戌 玄 空丑子亥戌玄 虎常
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、寅時は夜に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寅に寄す)上に丑を見、丑は天空を乗せる。第二課、丑上に子を見、子は白虎を乗せる。第三課、日支の午上に巳を見、巳は朱雀を乗せる。第四課、巳上に辰を見、辰は六合を乗せる。四課の支神は前の一案と同じで、ただ一套の天将を換えた。三伝:初伝の庚子は父母爻で白虎を乗せ、中伝の己亥は父母爻で太常を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で玄武を乗せる。行人は三十四歳で、行年は亥に在り、亥は子上に臨む。下文で去向・帰期・路程を推すは、全て行年のこの一位より算を起こす。
斷曰:三十四歲行年在亥,亥臨子,其人正北為客去矣,卻從西北還家,何也?經曰:以行年立處為去方,行年上神為還家方位。是以合正北子方去,西北方還家。若問財,其人無財。以日上財坐天空,末傳與行年財又被玄武奪,是以無財。問在外有病否?主無病。以行年立處不見白虎克,故無病。問遠近路程。行二千二十里則還。以行年上下相乘,亥四子九得三十六,又加遁干乙作丙七並之得五十一,遠行人十則言百,合得五百一十里。又亥子水旺於冬,當加一倍,得一千二十里入加一千之數,是以合主二千二十里。問有阻隔否?曰:無,以行年日上不見關格,故無阻也。
断語に言う:三十四歳の行年は亥に落ち、亥は子上に臨むので、この人は正北方に向かって客と為りに往き、却って西北方より家に帰ると知れる。何の故に。経の上に言う:行年の立つ所の地盤の位置を以て去る方向と為し、行年の上神を以て家に帰る方位と為す。だから合して正北の子方より出でて、西北方より帰るを主る。もし銭財を問えば、この人に財なし。日干上の財爻は天空の上に坐し、末伝と行年上の財はまた玄武に奪わる。だから財なし。外に在りて病みたるやを問えば、病なきを主る。行年の立つ所の位置の上に白虎の来て克するを見ざるに因る。路程の遠近を問えば、二千零二十里走ればすなわち帰る。算法は行年の上下の两位を相乗するを把る:亥の数は四、子の数は九、四九は三十六を得、さらに遁干の乙が丙を作し丙の数は七を加え、并せて五十一を得る。遠行の人は、一つの「十」を「百」と作して言うを要し、合して五百一十里を得、また亥・子は水に属し冬令に旺すれば、当に一倍を加うべく、一千零二十里を得、さらに一千の数を加える。だから合して二千零二十里を主る(この一段の推算の文字は脱訛あるに似たり)。路上に阻隔あるやを問えば、答えて言う:なし。行年と日干上にいずれも関格を見ざるに因り、だから阻なし。
若關格上神乘玄武主盜賊、江河水漲之隔;乘六合、太陰、天后主婦人之隔;乘青龍主財帛之隔;乘貴人主官長之隔;乘太常主酒食稽留之隔。問何月日還家?乃戊子年二月還家。非二月則四月決來,謂寅是十一月之天馬信神,臨卯為到門,二月建卯主二月有信。四月來以辰為十一月之戲神,辰臨巳主動是以主四月還家,四月建巳故也。
假如関格の上神が玄武を乗ずれば、盗賊あるいは江河の水が漲るの阻隔あるを主る。六合・太陰・天后を乗ずれば、婦人の阻隔あるを主る。青竜を乗ずれば、財帛の阻隔あるを主る。貴人を乗ずれば、官長の阻隔あるを主る。太常を乗ずれば、酒食に留連して擱擔するに因るを主る。いずれの月いずれの日に家に帰るかを問えば、答えて言う:戊子年二月に家に帰る。二月でなければ、四月もまた必ず来る。寅は十一月の天馬信神で、卯上に臨めば便ち門に到る。二月の月建は正に卯なので、二月に音信あり。四月に来ると言うのは、辰は十一月の戯神で、辰は巳上に臨んで動を主る。だから四月に家に還るを主る——四月の月建は正に巳である。
甲午日何人の門を扣くかを占う(張本占案)
十月甲午日寅將丑時占何人扣門。 張本占案
十月裏の甲午日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「丑」時の上に加えて課を起し、何の人が来て門を敲くかを占った。この案は張本の『占案』に出る。
貴后 蛇午未申酉陰 后貴合勾 財 ◎辰 合 朱巳 戌玄 申未辰卯 子 ◎巳 朱 合辰 亥常 未午卯甲 子 甲午 蛇 勾卯寅丑子虎 龍空
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、丑時は夜に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に卯を見、卯は勾陳を乗せる。第二課、卯上に辰を見、辰は六合を乗せる。第三課、日支の午上に未を見、未は貴人を乗せる。第四課、未上に申を見、申は天后を乗せる。三伝:初伝の辰は妻財爻で六合を乗せ、中伝の巳は子孫爻で朱雀を乗せ、末伝の甲午は子孫爻で螣蛇を乗せる。辰・巳の两字上の「◎」は旬空の記号——甲午日は甲午旬に属し、旬空は正に辰・巳に在る。日干上の卯は羊刃を挾みて勾陳を乗せるは、下文で来人は僧人でしかも人の来て拘捕するあるを断ずる根拠である。
劉公日新指一沙門曰:此來捕汝也。蓋甲上卯挾刃太旺,卯為沙門,勾陳臨之之故。然陳土為木所克,不妨。未上見申天后,甲己非正合,帶奸門,曾犯強姦。宅上陰神申克甲是宅人不容,拒還而敗。卯克辰為財,甲又克之,是偷師傅之銀兩而走。辰數五,午數九,銀共一百四十兩。有汪姓人,藏他家中時果來搜尋,指他走南方,有少女隨之可脫,至北河可以活命。以中偉主巳作朱雀為飛騰之象也。果逃至溪邊,有少女洗菜,見和尚來,驚走和尚隨之果往南脫去。少女者巳也,利北河者,水能生甲木也。
劉日新先生が一人の和尚を指して言う:これはあなたを捉えに来たものである。甲干上の卯は羊刃を挾みて気勢は太旺で、卯は僧人を代表し、勾陳はまたその頭上に臨むに因る。ただ勾陳は土に属し、木に克せられるので、妨げる事なし。未上に申を見て天后を乗せ、甲と己はもともと正合ならず、奸門を帯びる。この和尚は曽て強姦を犯したと知れる。宅上の陰神の申は来て甲を克するは、宅裏の人が彼を容れず、彼を拒み還して敗露せしめたに致る。卯は辰を克し、辰は財で、甲はまた来てそれを克する。彼が師父の銀両を偸みて逃げ走ったと知れる。辰の数は五、午の数は九、合わせて銀子は共に一百四十両。一人の汪姓の人が彼を家中に蔵め、当時果たして人の来て捜索するあり。劉先生は彼に南方に向かって走れと指点した。少女に跟えば便ち脱げ身し得て、北辺の河のあそこに到れば活命し得る——中伝の巳は朱雀を乗せ、飛騰の象なので。彼は果たして渓辺に逃げ到り、正に一人の少女が菜を洗うに碰上り、少女は和尚の過ぎ来るを見て嚇して跑開し、和尚は彼女に跟えば、果たして南辺に向かって脱げ身して去った。いわゆる少女はすなわち巳である。北河に利ありと言うのは、水が甲木を生じ得るに因る。
甲午日管学正が貴を謁するを占う(方本占案・口鑑)
建炎己酉年十月甲午日寅將戌時管學正辛酉生四十九歲占謁貴。 方本占案、口鑑
建炎己酉年十月の甲午日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の管学正は辛酉年生まれ、この年四十九歳、往きて貴人に謁見するを占った。この案は方本の『占案』と『口鑑』に見える。
六陳 朱酉戌亥子龍 蛇申 丑空 虎六六后 兄 壬寅 虎 貴未 寅虎 寅戌戌午 子 甲午 后 后午巳辰卯常 戌午午甲 財 戊戌 六 陰玄
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は螣蛇を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は白虎を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、午は天后を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、戌時は夜に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に午を見、午は天后を乗せる。第二課、午上に戌を見、戌は六合を乗せる。第三課、日支の午上に戌を見、戌は六合を乗せる。第四課、戌上に寅を見、寅は白虎を乗せる。三伝:初伝の壬寅は兄弟爻で白虎を乗せ、中伝の甲午は子孫爻で天后を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で六合を乗せる。寅・午・戌は凑りて三合の火局を成し、火は甲木の生ずる所で、十足の盗気の象を成し、課の名は「炎上」。
邵彥和曰:吾兄若欲行正道,則不必見之。若行邪道,見之不妨。愛函曰:此四句當有訛錯。蓋寅午戌相習而為狂黨,天后六合不正之神,又為失友,主下稍埋怨不足,互相冤抑。夫甲日火局,十二分盜氣,支又來耗我,大有所費。吾兄縱有所得,左手得錢,右手便送娼家,被官知覺,亦輕視不肯惠矣。管笑曰:楊尹有書來,安得無利:遂往,楊尹大喜,所贈甚厚,管竟入娼家,楊察知之,曰:吾多方照顧,欲爾收拾養家,如此胡為,枉做人情矣。遂不想信,僅與盤纏而歸。
邵彦和が言う:老兄がもし正道を走らんとすれば、すなわち彼に見えに往くを要しない。もし邪路を走るを肯んずれば、見えに往くも妨げなし。愛函が言う:この四句は当に訛誤あるべし。寅午戌は相習い相聚まりて狂放の一党を結ぶ。天后・六合はみな端正の神ならず、また損友を代表し、到頭来に彼此埋怨して足らず・互相に冤屈を壓制するを主る。甲日に火局を結ぶは、十二分の盗気で、日支はまた来て我を耗し、破費は一定甚だ大きい。老兄は縱い得る所有りとも、左手に銭を拿到すれば、右手にすなわち娼家に送り入る。官長に察覚せられれば、またあなたを軽看し、肯んじてさらに好处を与えざらん。管学正が笑って言う:楊府尹は書信の来るあり、どうして好处なかるべき。すなわち就いて往いた。楊府尹は十分に歓喜し、饋贈は甚だ豊厚であった。管学正は却ってついに娼家に钻り込み、楊府尹はこの事を査知して言った:私が多方に照顧するは、あなたに收拾して家を養わしめんと欲するなり。あなたはこのように胡来するので、私のこの場の人情は算めて白く為した。これに従いさらに彼を信任せず、ただ盤纏を給して彼を打発して帰らしめた。
愚按:蓋炎上課,甲日自是不利,又午來蝕甲,天后六合皆不正之神,主酒色蠱惑,四課不足,雖厚本亦主消折,況赤手空拳乎?
愚かに按ずる:これは炎上課で、甲日に落つるはもともと不利である。さらに午火の来て甲木を蝕耗するあり、天后・六合はみな端正の神ならず、酒色に蠱惑せられるを主る。四課は残缺的に足らず、たとい本銭が雄厚なるも消折を主り、まして赤手空拳で往くをや。
甲午日熊司馬の功名を占う(指南)
崇正壬午年十二月甲午日子將未時占熊司馬功名。 指南
崇正(すなわち崇禎)壬午年十二月の甲午日、「子」(神后)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起し、熊司馬の功名を占った。この案は『六壬指南』に出る。
朱蛇 六戌亥子丑貴 玄朱蛇空 父庚子蛇 勾酉 寅后 辰亥子未 子乙巳常 青申 卯陰 亥午未甲 財戊戌六 空未午巳辰玄 虎常
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、未時は昼に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に未を見、未は天空を乗せる。第二課、未上に子を見、子は螣蛇を乗せる。第三課、日支の午上に亥を見、亥は朱雀を乗せる。第四課、亥上に辰を見、辰は玄武を乗せる。三伝:初伝の庚子は父母爻で螣蛇を乗せ、中伝の巳は子孫爻で太常を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で六合を乗せる。壬午年の太歳は午に在り、歳破は正に子に在り、初伝の庚子はすなわち歳破である。中伝の巳は甲午旬の裏で本当は旬空に属するのに、図上はなお遁干を標出して「乙巳」と作すは、旬空の例と合わず。姑く原様に照らして保留す。
陳公獻曰:江西南大司馬熊潭石先生因河北聲息緊迫,急聘予上金陵熊大司馬占得此課。熊司馬功名非久遠之象,來年秋初必解任去。蓋初傳歲破內戰,命上龍馬克下,必因宰執招非,上臺不足,燕京有奏,自欲請退。且斗繫日本,幕貴臨干,為仰丘俯仇,干墓支絕,種種不佳。喜奇儀天赦發用,朱雀皇詔作恩,定然好旨歸里。後果如所占。
陳公献が言う:江西南昌の大司馬の熊潭石先生は、河北の軍情の消息が喫緊するに因り、急いで私を金陵に聘いて到らせ、熊大司馬のためにこの一課を占い得た。熊司馬の功名は久遠の象ならず、明年の秋初に必ず任を解きて去るを要す。初伝は歳破にして日干と内戦し、本命上の青竜・駅馬はまた下を克するので、必ず宰輔の執政する所以に因って是非を招惹し、上頭の台閣は彼に対して満意せず、燕京には奏章の上去するあり、彼は自分でも引退を請求せん。加えるに斗宿は日の本位に係り、帘幕貴人は日干の上に臨み、「仰丘俯仇」の象を成し、日干は墓に入り日支は絶に臨む。種種みな佳からず。喜ばしいは奇儀と天赦とが発用し、朱雀はまた皇詔の恩神を充作するで、必ず一道の好き旨意が彼を准じて家郷に帰らしめん。後に果たして占するが如し。
甲午日馮幹辦が前程を占う(張本占案)
己酉年正月甲午日子將午時馮幹辦丁卯年八月十七日辰時生占前程。 張本占案
己酉年正月の甲午日、「子」(神后)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の馮幹辦は丁卯年八月十七日辰時生まれ、前程を占った。この案は張本の『占案』に出る。
蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎蛇后龍 兄 壬寅 后 陳酉 辰玄 午子寅申 鬼 丙申 龍 龍申未午巳常 子午申甲 兄 壬寅 后 空虎
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、午時は昼に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に申を見、申は青竜を乗せる。第二課、申上に寅を見、寅は天后を乗せる。第三課、日支の午上に子を見、子は螣蛇を乗せる。第四課、子上に午を見、午は白虎を乗せる。天盤の各位は地盤と全都相冲するは、返吟課である。三伝:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乗せ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乗せ、末伝はまた壬寅の兄弟爻で天后を乗せる。申は甲木の絶地で、寅申の一冲は、まさに下文の言う「徳絶禄丧」「日上駅馬が交馳す」の由来である。
邵彥和曰:此課德絕祿喪,婦人主家,干支盡傷,病符臨身,不久主癱瘓風疾之憂,生氣作蛇入宅,主生男子,見此子後,其病便生,須是珍重,不可貪色也。甲寅年尤甚,其宅十八年變為溪溝也。馮受轉運司幹辦公事,有三年缺,上任一歲中風,自後癱瘓更不動,止因壬子得子,賀喜過飲,遂成風疾,解任歸日,食自費兩千餘,雖臥病不起,其食自倍。至甲子歲大水,宅為水所沖損壞,果作溪溝矣。
邵彦和が言う:この課は徳神が絶せられ、禄神は喪失し、家裏は婦人に由って権を当て、日干・日支はみな傷を受け、病符はまた本身に臨む。久しからずして癱瘓・風疾の憂患あるべし。生気の神は螣蛇を乗せて宅位に進入し、男児を生ずるを主る。この息子を見て以後、彼の病は便ち来る。務めて保重し、色を貪ってはならない。甲寅年に到って病はことさら勢い甚しく、彼のあの宅子は十八年の後に一条の渓溝に変じん。後の情形は:馮某は転運司の幹辦公事に接任し、任期は三年、任に上がりて一年にしてすなわち中風して、これに従い癱瘓して動く能わず。起因はまさに壬子年に息子を得、賀喜の時に酒を飲むこと量を過ぎて、おって風疾を落下した。任を解きて家に帰って以後、飲食の一項のみで自費にて二千余。病みて臥して起きえないけれども、飯量はかえって加倍した。甲子年に到り大水を発し、宅子は水に冲壊され、果たして一条の渓溝と成った。
甲午日某人が出行を占う(宋本邵案)
某人丁巳生五十歲占出行同得此課。 宋本邵案
さらに一人の丁巳年生まれ、この年五十歳の人が出行を占った。得た所もまた同じ一課であった。この案は宋本の『邵案』に出る。
蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎蛇后龍 兄 壬寅 后 陳酉 辰玄 午子寅申 鬼 丙申 龍 龍申未午巳常 子午申甲 兄 壬寅 后 空虎
課体は前の一案と全く同じ。外圈:丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:日干の甲(寅に寄す)上に申を見て青竜を乗せ、申上に寅を見て天后を乗せ、日支の午上に子を見て螣蛇を乗せ、子上に午を見て白虎を乗せる——天・地の両盤は処処相冲し、なお返吟である。三伝:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乗せ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乗せ、末伝はまた壬寅の兄弟爻で天后を乗せる。寅・申はみな駅馬の地にして彼此交冲し、出行を占うは正にこの一層を取るので、下文で一動すれば必ず遠く走ると断ずる所以である。
邵彥和曰:主有三千里之動,七年八年方歸也。七月果隨一官員到廣,二千三百里,至八年方歸。蓋日上驛馬交馳,寅申各七數,故有七年之測。行年亥加巳,天門地足,主動必遠也。
邵彦和が言う:主に三千里の遠行あり、七八年を要して初めて帰り得る。後に七月裏に彼は果たして一人の官員に跟い広南に到り、路程は二千三百里で、第八年に至って初めて家に帰った。日干上に駅馬が交々馳騁し、寅・申は各々七数を得るので、七年の説を推し出した。行年の亥は巳上に加わり、一頭は天門、一頭は地足で、一動すれば必ず遠く走るを主る。
甲午日赴任を問う(郭氏占案)
戊寅年巳月甲甲午日酉將寅時問赴任。 郭氏占案
戊寅年巳月の甲午日(原文は「甲甲午日」と作し、「甲」の字が重出す)、「酉」(従魁)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起し、赴任を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。
空虎 龍子丑寅卯常 蛇空玄朱 鬼 丁酉 朱 勾亥 辰玄 申丑辰酉 財 ◎辰 玄 合戌 巳陰 丑午酉甲 父 己亥 勾 朱酉申未午后 蛇貴
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は螣蛇を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は白虎を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、午は天后を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、寅時は夜に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に酉を見、酉は朱雀を乗せる。第二課、酉上に辰を見、辰は玄武を乗せる。第三課、日支の午上に丑を見、丑は天空を乗せる。第四課、丑上に申を見、申は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丁酉は官鬼爻で朱雀を乗せる。中伝の辰は妻財爻で玄武を乗せ、「◎」は辰が旬空に落つるを表す(甲午日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)。末伝の己亥は父母爻で勾陳を乗せる。官鬼が朱雀を乗せて日干上に発用するは、まさに下文で彈劾の章奏を提防する根拠である。末伝の亥は父母の印綬で、官鬼を化開し得る。
郭御青曰:戊寅年用奇門,擬於四月初一甲午日寅時到任,偶於先一日,再查六壬,得此課,鬼作朱雀,干上發用,有官音,防彈章。喜中末傳空陷,然行年在辰,為填空,亦喜初鬼生末傳育干,印能化煞。月將作雀鬼,亦日邊之象,得此課,心甚疑懼,不便再更。果於到任之時,聞阺報,真奇事也。
郭御青が言う:戊寅年に私は奇門を用いて推算し、四月初一の甲午日寅時に任に到らんと打算した。偶然前の一日にまた六壬を用いて一辺復査し、この一課を得た。官鬼は朱雀を作して日干上に発用するは、官府の声息ある象で、彈劾の章奏を提防すべし。喜ばしいは中伝・末伝がともに空陥の地に落つること。しかし行年は正に辰の上に在り、填空を成した。また喜ぶは初伝の官鬼が末伝を生じ、末伝がさらに日干を生じて、印綬が凶煞を化解し得る。月将は朱雀・官鬼を充当するも、また天子の身辺の象である。この一課を得て、私の心裏は甚だ疑懼したけれども、ただすでにさらに期を改めるに便ならず。任に到る時、果たして邸報の伝え来る消息を聞いた。まことに一件の奇事である。
甲午日傅大禄が平生を占う(宋本邵案・口鑑)
己酉年正月十五甲午日子將卯時,傅大祿己巳生四十歲,占平生。 宋本邵案、口鑑
己酉年正月十五日の甲午日、「子」(神后)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の傅大禄は己巳年生まれ、この年四十歳、一生の休咎を占った。この案は宋本の『邵案』と『口鑑』に見える。
朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后朱虎陰 鬼 丙申 虎 后子 未空 子卯申亥 子 空巳 陳 陰亥戌酉申虎 卯午亥甲 兄 壬寅 蛇 玄常
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、卯時は昼に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に亥を見、亥は太陰を乗せる。第二課、亥上に申を見、申は白虎を乗せる。第三課、日支の午上に卯を見、卯は朱雀を乗せる。第四課、卯上に子を見、子は天后を乗せる。三伝:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乗せる。中伝の巳は子孫爻で勾陳を乗せて旬空に値い、甲午日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在るので、「空巳」と標す。末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乗せる。卯は甲木の羊刃で、朱雀を乗せて宅位の午上に臨むは、下文で家中に事を起こすを断ずる根拠である。
邵彥和曰:此課亥來生日,是官星垂顧,太陰神佑之象,但羊刃作雀入宅,乃本家之朱雀,恐目下本家有事起,初虎作鬼,亡祟暗害,是家中人所為,從此遂自生事,末寅加巳,遠則四年,近則四月,被事牽纏。若見金司年入訟,其身不便無疑。傅後與弟不足,挾恨告其子違法事,巳乃子也,第四年八月配英州死。
邵彦和が言う:この課は亥水が来て日干を生ずるは、官星が顧を垂れ、太陰の神が庇佑する象である。ただ羊刃の卯が朱雀を乗せて宅位に進んだは、これは本家の自分の朱雀で、ただ眼下に家裏がすなわち事端を生じ出さんとするを恐れるのみ。初伝の白虎は官鬼を充作するは、亡故した者の祟りを為して暗中に害を加えるが、其の実は自家の人の為し出したので、これに従い彼は自分で事を惹き起こす。末伝の寅は巳上に加わり、遠ければ四年、近ければ四個月に、事に牽纏せられん。たとい金に属し刑を主る年分に碰上って官司に入れば、彼の本人は一定脱け身し得ない。後に傅大禄は弟と和せず、弟は恨みを懐いて往きて彼の息子の違法の事を告発した——巳は正に息子を代表す——第四年八月、彼は英州に発配せられて死した。
蓋第四年太歲在子,子上得酉,乃己酉太歲得助,故為禍百端,八月者復助酉也。
推断の根拠は:第四年の太歳は子に在り、子上に酉を得るは、正に己酉の太歳がまた幇助を得たので、禍事は百端となる。八月に応ずるは、八月がまた来て酉金を幇扶するに因る。
甲午日何子重が平生を占う(同課)
何子重壬戌生四十八歲占平生,同得此課。
何子重は壬戌年生まれ、この年四十八歳、一生の休咎を占い、得た所もまた同じ一課であった。
朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后朱虎陰 鬼 丙申 虎 后子 未空 子卯申亥 子 空巳 陳 陰亥戌酉申虎 卯午亥甲 兄 壬寅 蛇 玄常
課体は前の一案と全く同じ。外圈:丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:日干の甲(寅に寄す)上に亥を見て太陰を乗せ、亥上に申を見て白虎を乗せ、日支の午上に卯を見て朱雀を乗せ、卯上に子を見て天后を乗せる。三伝:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乗せ、中伝の巳は子孫爻で勾陳を乗せて旬空に落ち、末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乗せる。白虎が官鬼の申を乗せて発用するは、下文で彼が刑を受けるを断ずる根拠である。巳の数は四、亥の数は七、相加えて十一を得るは、すなわち下文の「十一年の寛余」の算法の本とする所である。
邵彥和曰:來年行年到寅,因人喪亡,水邊得物,十有一年之寬餘,往後依舊不足,犯刑,刑後做爐匠,被姓陳人壞了。次年果有一僧過水而死,身邊有銀四錠,被何子重拾得,作小買賣,果有十一年寬餘。第十二年又在此溪邊,卻因傷人受刑,後作坑冶匠人,未足四年,被陳生人告搶踏作賊,配池州。巳四加亥七,乃十一年也。白虎作馬鬼故凶也。
邵彦和が言う:明年の行年は寅上に走り到り、他の人の死亡に因って、水辺で物を捡い得、十一年の寛裕あり。此の後はなお拮据に依り、さらに刑を犯さん。刑を受けて後に炉匠と為り去り、最終に一人の陳姓の人に敗壊せられん。第二年に果たして一人の和尚が河を過りて淹れ死し、身辺に四錠の銀子を帯び、何子重に捡い取られ、小売買を為し起こし、果たして十一年の寛裕あり。第十二年に到り、またこの渓辺に在り、却って人を傷るに因って刑を受けた。後に坑冶の匠人と為り、なお四年に満たざるに、一人の陳姓の人に、彼が搶奪して凶を行い、賊を当って辦と為すと告発せられ、池州に発配せられた。巳の数の四に亥の数の七を加うは、正に十一年である。白虎は駅馬を充作しまた官鬼なので、凶である。
乙未日
乙未日呉一山が天寧寺の夜驚を占う(指南)
順治己丑年六月乙未日未將亥時揚州天寧寺半夜內外人驚,吳一山占主何應候。 指南
順治己丑年六月の乙未日、「未」(小吉)を以て月将と為し、「亥」時の上に加えて課を起した。当時揚州の天寧寺は半夜裏に内外の人がみな驚を受け、呉一山が来てこの何の応験を主るかを占った。この案は『六壬指南』に出る。
空虎 青丑寅卯辰常 六白貴勾 鬼 癸卯 白 勾子 巳玄 亥卯申子 父 己亥 六 六亥 午陰 卯未子巳 財 乙未 后 朱戌酉申未后 蛇貴
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:申は貴人を乗せ、酉は螣蛇を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は六合を乗せ、子は勾陳を乗せ、丑は青竜を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は白虎を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太陰を乗せ、未は天后を乗せる——乙日の夜占は貴人は申に在り、亥時は夜に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰にあり)上に子を見、子は勾陳を乗せる。第二課、子上に申を見、申は貴人を乗せる。第三課、日支の未上に卯を見、卯は白虎を乗せる。第四課、卯上に亥を見、亥は六合を乗せる。両処の説明を要す:其一、四課の最下行の最右の一字は原刻は「巳」と作するも、課例に按って此の処は当に日干の「乙」であるべく、両字は形近して誤りを致す。其二、初伝の卯は原図は「鬼」と標すも、卯木は乙木と同気で、日干に対しては当に兄弟爻であるべく、疑うらくはまた刻誤ならん。三伝は:初伝の癸卯は白虎を乗せ、中伝の己亥は父母爻で六合を乗せ、末伝の乙未は妻財爻で天后を乗せる。
陳公獻曰:主有賊船東來,無攻城破邑之虞。蓋因游都賊符臨干支,自支發用,故主東有賊船至。初中二傳休囚,末傳太陽月建,故主城邑無虞。己亥日報賊自東方來,水陸並進,人民驚走,餘以申時占課,三傳戌酉申為返駕,初旺生末,雖有奸人勾引,不戰自退。官兵出,賊遂奔散。
陳公献が言う:主に賊船が東辺より過り来るあるも、城を攻め邑を破るの禍患なし。游都・賊符の両個の凶神が日干・日支上に臨み、また日支より発用するに因り、だから東辺に賊船の到るあるを主る。初伝・中伝はともに休囚にして力なく、末伝は却って太陽と月建との在る所なので、城邑が事なきを主る。後に己亥日に果たして賊が東方より来り、水陸に并进し、百姓は驚慌して奔走すと報じた。私はまた申時に一課を占い、三伝の戌・酉・申は返駕して回頭する象で、初伝は旺じて末伝を生ずる。奸人が裏面に在りて勾引するありといえども、また戦わずして自ら退けん。官兵が一たび出づれば、賊衆は便ち四散して奔逃した。
乙未日童秀才が宅を占う(方本占案・口鑑)
建炎戊申年三月十一乙未日戌將丑時童秀才庚辰生二十九歲占宅。 方本占案、口鑑
建炎戊申年三月十一日の乙未日、「戌」(河魁)を以て月将と為し、「丑」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の童秀才は庚辰年生まれ、この年二十九歳、家宅を占った。この案は方本の『占案』と『口鑑』に見える。
虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 龍常朱龍 財 辛丑 龍 陳子 未后 丑辰戌丑 財 戊戌 朱 六亥戌酉申貴 辰未丑乙 財 乙未 后 朱蛇
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:申は貴人を乗せ、酉は螣蛇を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は六合を乗せ、子は勾陳を乗せ、丑は青竜を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は白虎を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太陰を乗せ、未は天后を乗せる——乙日の夜占は貴人は申に在り、丑時は夜に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰にあり)上に丑を見、丑は青竜を乗せる。第二課、丑上に戌を見、戌は朱雀を乗せる。第三課、日支の未上に辰を見、辰は太常を乗せる。第四課、辰上に丑を見、丑は青竜を乗せる。四課の上神は辰・戌・丑・未の四土が斉備し、すなわち下文の言う所の「四土倶備」である。三伝:初伝の辛丑、中伝の戊戌、末伝の乙未は、全て妻財爻で、依り次ぎて青竜・朱雀・天后を乗せる——三伝は純財で、まさに下文で田荘を進むを断じ、また「全財化鬼」を断ずるの由来である。
邵彥和曰:此課人來就宅,正是求新宅之課。夫宅不可無土,今四土俱備,是前後左右皆有山也。主山太高來逼宅,山有新墳欲開闢,定與墳主爭競。宅左青龍帶破碎,此云宅左青龍是以支陰論,不以天盤論。惟斷墳墓方用天盤看坐山朝山等。家宅則止就四課言。邵公諸案皆然也。
邵彦和が言う:この課は人が来て宅に就くで、まさに新宅を求め置くの課である。宅は土なかるべからず、如今辰戌丑未の四土が斉備するは、前後・左右にみな山あるを説明する。主山は太高く、逼壓して宅子に及ぼす。山上に一座の新墳ありて動土し開辟せんとす。必ず墳主と争執を起こさん。宅子の左辺の青竜はまた破碎煞を帯びる。(ここに「宅左の青竜」と言うは、日支の陰神に按って論ずるので、天盤に按って論じない。ただ墳墓を断ずる時にのみ天盤を用いて坐山・朝山のこれらを看る。家宅を論ずればすなわちただ四課に就いて講ず。邵公の各個の占案はみなこのようである。)
須用土填,將來必富,青龍加丑雖云破碎,卻又不備,故左必不完,宜用土填也。但無清秀之士。初傳青龍,妻為之主,中傳戌作朱雀,主家西北界未偹,因與人爭界。末財作天后,主婦人守寡;未財作後,何以便曰婦人守寡?蓋財妻也,後女也,未婦人也。未又今日乙未之墓,卻來刑日上之丑,刑則克,故主婦人皆寡。
必ず土を用いて填補せねばならず、将来は一定富まん。青竜は丑上に加わるは破碎を帯ぶといえども、却ってまた完備せざるなので、左辺に一定缺口あり、当に土を用いて往きて填むべし。ただ家裏に清秀の読書人を出し得ない。初伝は青竜で、妻子に由って家を当るを主る。中伝の戌は朱雀を乗せ、家宅の西北の地界が修斉していないを主り、これに因って人と界を争わん。末伝の財爻は天后を乗せ、家中の婦人が寡を守るを主る。人の問うあり:未上の財爻が天后を乗ずるに、何を以てすなわち婦人が寡を守ると言うか。財はすなわち妻で、天后はすなわち女で、未のこの一位はまた婦人を代表するに因る。未は同時にまた今日の乙未日の墓庫で、却ってかえって日干上の丑を刑する。刑はすなわち克なので、家中の婦人はみな寡を守るを主る。
未為年之寡宿殺,故邵公敢如此斷。又主家西北界未修,主與人爭界,西北當作東北,愛函見數本皆作西北,玩味爭界二字,似指戌乘朱雀而言,戌為西北,雀主爭也。奈何都無水出,主出人重濁。乙以土為財,又臨旺地,天將更無凶神,故主其家大發。又緣初財爻,兼得青龍財星也。造宅二十年,應未八戌五,五八相乘得四十,春木旺土死,當折半,故二十年而應也。
未はまたこの一年の寡宿煞なので、邵公は敢えてこう断じた。また家宅の西北の地界が修斉せず、人と界を争わんと言う——「西北」は当に「東北」と作るべし。愛函の見た幾個かの本子はみな西北と作す。「争界」の两字を玩味すれば、あたかも戌が朱雀を乗ずるを指して言うに似たり:戌は西北に在り、朱雀は争闘を主る。惜しいかな四囲はみな水の流出するなきは、この一家の出ずる人の性情が重濁なるを主る。乙木は土を以て財と為し、土はまた旺地に臨み、乗ずる所の天将の裏にもまた凶神なし。だからこの家は大いに発するを主る。また初伝がすなわち財爻で、兼ねて青竜のこの財星を得るに因る。宅を造って後に二十年にして応験す:未の数は八、戌の数は五、五八が相乗じて四十を得、春天は木旺じて土死すれば、当に半を折るべく、だから二十年の上に応験する。
乙未日童監税が財産を占う(方本占案・口鑑)
童監稅庚午年生三十九歲占財產同得此課。 方本占案、口鑑
童監税は庚午年生まれ、この年三十九歳、財産を占い、得た所もまた同じ一課であった。この案は方本の『占案』と『口鑑』に見える。
虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 龍常朱龍 財 辛丑 龍 陳子 未后 丑辰戌丑 財 戊戌 朱 六亥戌酉申貴 辰未丑乙 財 乙未 后 朱蛇
課体は前の一案と全く同じ。外圈:申は貴人を乗せ、酉は螣蛇を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は六合を乗せ、子は勾陳を乗せ、丑は青竜を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は白虎を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太陰を乗せ、未は天后を乗せる。四課は右から左へ:日干の乙(辰に寄す)上に丑を見て青竜を乗せ、丑上に戌を見て朱雀を乗せ、日支の未上に辰を見て太常を乗せ、辰上に丑を見て青竜を乗せる。三伝:初伝の辛丑、中伝の戊戌、末伝の乙未は、三伝全て妻財爻で、依り次ぎて青竜・朱雀・天后を乗せる。日干上に財を見て青竜を乗ずるは、下文で白く田荘を得るを断ずる根拠である。三伝は純財にして制なきは、まさに「全財化鬼」の象である。
邵彥和曰:此課日上見財,主進田莊,不用錢買,中間一人爭競,又後還他,後卻得眾財,乃是服滿人家得來。六月防家中鬥毆,不然卻門前有尊長新墳,與之爭訟。所得之財,悉化為鬼矣。是年童監稅與妻家主張分產,遂得田二十畝及財物,有第三房舅嫂守寡,得產不中意,要告官悔,眾分不欲破開,因將童氏眾人地與寡婦,眾人遂陪卻童氏財物。
邵彦和が言う:この課は日干上に財を見、主に田荘を添進せん。しかも銭を花して買うを用いず。中間に一人の来て争うあり、後にまた彼に還した。此の後にまた衆人の財を得る能く、服丧の期満する人家より得たるなり。六月に家中の闘毆を提防すべく、然らざればすなわち門前に長輩の新墳あり、これがために人と争訟せん。得る所の財は、最後に全て官鬼に化成した。この年、童監税は妻子の娘家と産を分けるを主張し、すなわち二十畝の田と些かの財物を得た。第三房の舅嫂は寡を守り、分け得た産業は心に称わず、官府に告げて反悔せんと欲す。衆人は産を分ける時、地を破開するを願わず、すなわち童家の衆人の地を把ってこの寡婦に撥給し、衆人はおってまた童氏の財物を賠い上げた。
蓋乙木以辰戌丑未為財,又以丑未為妻,故財自妻家而得。何以見彼之分產?乙未日破碎殺在丑,丑為田,田上有青龍,故得之不費錢買。末傳未作天后,是又彼人之產復還也。既還產又得眾財,乃辰加未,便是乙加未敢,卻克宅;宅者,彼也,故彼為財,辰為眾,故得眾人之財也。當年九月有一尊長葬於童氏門前墳地上,侵童監稅地界,遂與鬥爭訟於官,所得之財,果然悉化為鬼矣。蓋日為尊長,日為前,支為後,日加支,故宅前,辰為日墓,故曰新墓。經曰:三傳全財化為鬼,若非春占,乙木旺於春,財不可得,則反損己財也。
推断の根拠は:乙木は辰・戌・丑・未を以て財と為し、また丑・未を以て妻と為すので、財は妻子の娘家より得たるなり。何を以て相手方が産を分けて在ると見出したか。乙未日の破碎煞は丑に落ち、丑は田を代表し、田上にまた青竜あり。だから得来するに銭を花して買うを要しない。末伝の未は天后を乗せ、あの家の産業はまた退還して帰す。すでに産業を退還しまた衆人の財を得る能くは、辰が未上に加わる——すなわち乙が未上に加わる——に因り、かえって宅を克する。宅は相手方を指し、だから相手方はすなわち財と成り、辰はまた衆を代表するので、衆人の財を得る能し。当年九月、一人の長輩が童家の門前の墳地に葬られ、童監税の地界を侵占し、おって彼と相争い官府に告げた。得る所の財は果たして全て官鬼に化成した。日干は尊長を代表し、日干は前と為し日支は後と為し、日は支の上に加わるので、宅前と言う。辰は日干の墓庫なので、新墓と名づく。経の上に言う:三伝が全て財なればすなわち鬼に化する要す。もし春天に在りて占い来らざれば——乙木は春に旺ず——すなわち財は但ただ得られざるのみならず、かえって自分の財を折損せん。
乙未日賊盗を占う(直指)
十一月乙未日丑將卯時占賊盜。 直指
十一月裏の乙未日、「丑」(大吉)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起し、盗賊を占った。この案は『六壬直指』に出る。
勾龍 合卯辰巳午空 合龍貴朱 父 己亥 后 朱寅 未虎 卯巳子寅 兄 壬寅 朱 蛇丑 申常 巳未寅乙 子 ◎巳 龍 貴子亥戌酉玄 后陰
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せる——乙日の昼占は貴人は子に在り、卯時は昼に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰にあり)上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。第二課、寅上に子を見、子は貴人を乗せる。第三課、日支の未上に巳を見、巳は青竜を乗せる。第四課、巳上に卯を見、卯は六合を乗せる。四課の上下に相克する一処なきは、昴星課である。陰日は天盤の酉の落つる所の地盤位を取って発用し、正に亥を得る。三伝:初伝の己亥は父母爻で天后を乗せ、中伝の壬寅は兄弟爻で朱雀を乗せ、末伝の巳は子孫爻で青竜を乗せ、「◎」は巳が旬空に落つるを表す(乙未日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)。玄武が酉を乗ずるは賊の類神で、青竜が巳を乗ずるは酉を克し得るも、旺を当たる亥水はかえって巳火を制し返す——下文で賊は水辺に蔵れついに捉獲し得るを断ずるは、みなこの三位の生克の上より看え出た。
邵彥和曰:玄武剋日必主破財。青龍克玄武,賊本合敗,卻被旺亥反制巳火,賊得水中伏匿,戌為來路,亥為去方,皆在西北。酉為賊本家,必屬雞。酉六亥四遁得乙八丁六,酉無氣不倍。當於二十四里外門前有林木,屋後有水處捕之,果驗。
邵彦和が言う:玄武が来て日干を克するは、必ず財を破るを主る。青竜は玄武を克し得て、賊は本当は敗露すべきところ、却って旺を当たる亥水にかえって巳火を制し住せられ、だから賊は水中に蔵匿し得た。戌は彼の来る路で、亥は彼の去る方向で、いずれも西北に在る。酉は賊の本家で、この人は必ず鶏に属す。酉の数は六、亥の数は四、遁干はまた乙の数八・丁の数六を得、合わせて二十四。酉は気なし、だから加倍するを要しない。当に二十四里の以外・門前に樹林あり・屋後に水あるの処に到りて彼を捉うべし。後に果たして応験した。
此斷見於中黃經,非邵氏之案。
この一条の断語は『中黄経』に見ゆるので、邵彦和の占案にあらず。
乙未日張庠友が趙光汴のために行辺を占う(指南)
崇正丁酉年六月乙未日未將申時張庠友占九江職方趙光汴先生,請纓行邊。 指南
崇正(すなわち崇禎)丁酉年六月の乙未日、「未」(小吉)を以て月将と為し、「申」時の上に加えて課を起した。庠生の張某が九江の職方の趙光汴先生のために辺地に出征を請纓する一事を占った。この案は『六壬指南』に出る。
龍空 勾辰巳午未虎 青空朱六 財 戊戌 陰 六卯 申常 巳午寅卯 兄 癸卯 六 朱寅 酉玄 午未卯乙 子 甲午 空 蛇丑子亥戌陰 貴後
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せる——乙日の昼占は貴人は子に在り、申時は昼に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(辰に寄す)上に卯を見、卯は六合を乗せる。第二課、卯上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。第三課、日支の未上に午を見、午は天空を乗せる。第四課、午上に巳を見、巳は青竜を乗せる。四課の上下に相克する一なきは、昴星課である。陰日は天盤の酉の落つる所の地盤位を取って発用し、正に戌を得る。三伝:初伝の戊戌は妻財爻で太陰を乗せ、中伝の癸卯は兄弟爻で六合を乗せ、末伝の甲午は子孫爻で天空を乗せる。亥卯未の駅馬は巳に在り、巳は恰恰旬空に落つ(甲午旬は辰・巳を空す)。すなわち下文の言う「駅馬の旬空」である。戌は河魁で、この刻は正に地盤の亥位の上に圧す。すなわち「河魁が亥を渡る」である。
陳公獻曰:凡陰陽昴星,雖無蛇虎入傳,只宜靜守,不利動用。蓋因貴居本位,驛馬旬空,守舊為上。況河魁渡亥,中傳斷橋,凡事阻隔難行。且赤鳥犯歲君,上疏必攖上怒。後果謫戍,壬午歲授燕遼總督,失機建逮問典刑。如占詞訟,名達朝廷,坐死。
陳公献が言う:およそ陰日・陽日の昴星課は、たとい螣蛇・白虎が三伝に進入せざるも、ただ静守に宜しいのみで、興動に利あらず。貴人は本位に居り、駅馬はまた旬空に落つるに因り、旧を守るを上策と為す。まして河魁は亥位を越え、中伝はまた断橋で、凡事阻隔して行い難し。加えるに赤鳥(朱雀)は太歳の神を冒犯すれば、疏を上れば必ず天子を触怒せん。後に趙先生は果たして辺を戍らんに貶謫せられた。壬午年に燕遼の総督を授けられ、軍機を貽誤したに因って逮捕されて罪を問われ、極刑に処せられた。たといこの一課を持ち去りて詞訟を占わば、すなわち名声が朝廷に上達してこれに因って罪に坐して死に至る。
乙未日荊寔君が代りて閔孝廉の会試を占う(郭氏占案)
崇正丁酉年二月乙未日亥將戌時荊寔君占閔孝廉度會試。 郭氏占案
崇正(すなわち崇禎)丁酉年二月の乙未日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起した。荊寔君が挙人の閔度のために会試を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。
虎常 空午未申酉玄 玄常空龍 鬼 丁酉 玄 青巳 戌陰 酉申午巳 財 戊戌 陰 勾辰 亥后 申未巳乙 父 己亥 后 六卯寅丑子貴 朱蛇
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せる——天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰にあり)上に巳を見、巳は青竜を乗せる。第二課、巳上に午を見、午は天空を乗せる。第三課、日支の未上に申を見、申は太常を乗せる。第四課、申上に酉を見、酉は玄武を乗せる。四課の上下はみな相克せず、全課の克はただ上神の申・酉の金が遥かに乙木の日干を克するこの一層のみ。だから陰支の酉を取って発用し、中・末は順次に進んで戌・亥と為る。三伝:初伝の丁酉は官鬼爻で玄武を乗せ、中伝の戊戌は妻財爻で太陰を乗せ、末伝の己亥は父母爻で天后を乗せる。三伝の酉・戌・亥の遁ずる天干は恰恰丁・戊・己で、すなわち下文の言う所の「三奇格」に合す。亥卯未の駅馬は巳に在り、巳上はまた青竜で、正に日干の上に覆壓す。
郭御青曰:簾幕加支而作太常吉將,青龍覆日又為驛馬良神,官星發傳引入長生以五子元遁之三傳恰合三奇格,必中之兆也,果然。
郭御青が言う:帘幕貴人は日支上に加わりて太常のこの吉将を充当し、青竜は日干上に覆壓してまた兼ねて駅馬の良神である。官星は三伝を発出し、一路に長生に引入し、五子元遁法を用いて三伝の天干を遁出すれば、恰好合して三奇格を成す——これは必ず中るの兆頭である。後に果たして考中した。
乙未日張四知が進退・行止を占う(指南)
順治甲申年五月乙未日申將未時費縣諱四知張相公因高鎮兵馬屯北城外,借住府河廳公署,占進退行。 指南
順治甲申年五月の乙未日、「申」(伝送)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起した。費県の張四知相公は、高鎮の兵馬が北城外に屯駐するに因り、府河庁の公署の裏に借住し、進むべきか退くべきかを占った。この案は『六壬指南』に出る。
虎常 空午未申酉玄 玄常空龍 鬼 丁酉 玄 青巳 戌陰 酉申午巳 財 戊戌 陰 勾辰 亥后 申未巳乙 父 己亥 后 六卯寅丑子貴 朱蛇
刻する所の課体は前の一案と全く同じ:亥将の戌時と申将の未時とは、天盤が同じく地盤より順に一位進む。外圈:子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せる。四課は右から左へ:日干の乙(辰に寄す)上に巳を見て青竜を乗せ、巳上に午を見て天空を乗せ、日支の未上に申を見て太常を乗せ、申上に酉を見て玄武を乗せる。三伝:初伝の丁酉は官鬼爻で玄武を乗せ、中伝の戊戌は妻財爻で太陰を乗せ、末伝の己亥は父母爻で天后を乗せる。酉・戌・亥は順次に遞進し、すなわち下文の言う所の「革故従新」課である。日干上の巳は亥卯未の三合の駅馬にして青竜を乗せ、日支上の申は太常を乗せる。
陳公獻曰:東南水鄉居住安穩。蓋因歲貴劫殺臨支,賊符驛馬加干,此地異日還有兵戈擾攘。幸日上羅網逢空,相公必當解脫而去。然昴星乘玄武剋日來年太歲,革故從新,應在酉年必矣。相公遂渡江而南。 愚按:此課鬼臨三四何故不言?
陳公献が言う:東南の水郷に住み到って初めて安穩である。太歳・貴人と劫煞とが日支上に臨み、賊符・駅馬はまた日干上に加わるに因り、この地方は日后になお兵戈の騒擾あるべきを知れる。幸いなるに日干上の羅網は空亡に逢うので、相公は一定能够に脱け身して去る。しかし昴星は玄武を乗せて来て日干を克し、また明年の太歳に克して到り、「革故従新」の象を成す。応期は必定酉年に在る。張相公はおって江を渡りて南に向かって去った。愚かに按ずる:この課は官鬼が第三・第四課の上に臨むに、何故提え言わないか。
乙未日程孝延が鄭姓のために病を占う(指南)
己丑八月乙未日辛巳時徽友程孝延為同鄉鄭姓占病。 指南
己丑年八月の乙未日、辛巳時(原文は月将を標出しない)、徽州の朋友の程孝延が同郷の一人の鄭姓の人のために疾病を占った。この案は『六壬指南』に出る。
虎常 空午未申酉玄 玄常空龍 鬼 丁酉 玄 青巳 戌陰 酉申午巳 財 戊戌 陰 勾辰 亥后 申未巳乙 父 己亥 后 六卯寅丑子貴 朱蛇
刻する所の課体は前の两案と全く同じ。外圈:子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せる。四課は右から左へ:日干の乙(辰に寄す)上に巳を見て青竜を乗せ、巳上に午を見て天空を乗せ、日支の未上に申を見て太常を乗せ、申上に酉を見て玄武を乗せる。三伝:初伝の丁酉は官鬼爻で玄武を乗せ、中伝の戊戌は妻財爻で太陰を乗せ、末伝の己亥は父母爻で天后を乗せ、なお酉・戌・亥の遞進の「革故従新」である。日支上の申は乙木の絶地で、日干上の巳は陳公献の用法に按ればまた未土の絶地で、これがすなわち下文の言う所の「干支が互いに絶気を乗ず」である。
陳公獻曰:占病不治,且臨於床,八九月之會是其死期乎?蓋干支互乘絕氣(支上申為干乙絕氣,干上巳為支未絕氣,由此知公獻用五行長生,且以土長生於申也),課傳革故從新,且二馬臨身宅,乘青龍太常,謂之孝服紙錢也。病人見驛馬又非所宜,故不起矣。又身加卯上為床為棺,故臥床也。二陰一陽,中傳戌加酉位,是八九交會之時。果交九月節日死矣。
陳公献が言う:この病は治し得ず、しかも人はすでに床上に臥倒している。八九月の交会する時に大概彼の死期であろうか。日干・日支が互いに絶気を乗ずるに因る(日支上の申は日干の乙木の絶地で、日干上の巳は日支の未土の絶地である。これに由って陳公献は五行の長生の説を用い、しかも土の長生を申上に安じたと知れる)、課伝はまた革故従新の象を成す。加えるに両重の駅馬が本身と宅位の上に臨み、一は青竜を乗せ、一は太常を乗せる。これを孝服と紙銭との象と名づく。病人が駅馬に見ゆはもともと相宜ならず、だから起き上がり得ない。さらに本身は卯上に加わり、卯は床と為し棺と為すので、床に臥して起きざるを主る。三伝は両陰・一陽で、中伝の戌は酉位上に加わるは、正に八月・九月の交会する時である。後に果たして一たび九月の節令に交ればすなわち死した。
乙未日阮実夫が劉若宜に代りて会試を占う(指南)
丁丑二月乙未日丙戌時,安慶保舉明經,阮實夫代劉若宜先生占會試。 指南
丁丑年二月の乙未日、丙戌時、安慶の地方より保挙して出た明経の阮実夫が、劉若宜先生に代りて会試を占った。この案は『六壬指南』に出る。
蛇貴 朱午未申酉后 后常朱六 鬼 丁酉 后 六巳 戌陰 酉申午巳 財 戊戌 陰 勾辰 亥玄 申未巳乙 父 己亥 玄 青卯寅丑子常 空虎
展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:申は貴人を乗せ、酉は天后を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は玄武を乗せ、子は太常を乗せ、丑は白虎を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は青竜を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は六合を乗せ、午は朱雀を乗せ、未は螣蛇を乗せる——乙日の夜占は貴人は申に在り、戌時は夜に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰にあり)上に巳を見、巳は六合を乗せる。第二課、巳上に午を見、午は朱雀を乗せる。第三課、日支の未上に申を見、申は太常を乗せる。第四課、申上に酉を見、酉は天后を乗せる。四課の支神は前の三案と同じで、ただ一套の逆布する天将を換えた。三伝:初伝の丁酉は官鬼爻で天后を乗せ、中伝の戊戌は妻財爻で太陰を乗せ、末伝の己亥は父母爻で玄武を乗せ、なお酉・戌・亥の「革故従新」である。日支上の申は正に帘幕貴人の臨む所で、午上の朱雀はまた丁丑年の太歳の丑を生じ得る——下文で文章が時に合い必ず甲榜に中るを断ずるは、みなここより象を取る。
陳公獻曰:為人代占,今年必中。蓋發用日鬼皇恩,中傳河魁天喜,末見長生太陽,最利試場之象,支見幕貴官星。又朱雀生太歲(朱乘午生太歲丑故也),文字華藻合時。課名革故從新,更鄉科而中甲榜必無疑矣。但嫌干支上乘互絕,居官未能遠大。後補刑部主政,恬退不仕。又代占會武中兩名亦此課。予曾占病亦死二人。(此以土絕在巳論,以水土同長生。)
陳公献が言う:他の人に代りて占うに、今年は一定考中す。発用は日干の官鬼でまた皇恩を帯び、中伝は河魁でまた天喜で、末伝に長生と太陽とを見るに因り、試場に最も利ある象である。日支上にまた帘幕貴人と官星とを見。朱雀はなお太歳を生ず(朱雀は午を乗せ、午は太歳の丑を生じ得る)。文章が華美にして時尚に合すと見える。課の名は「革故従新」で、郷科よりさらに一歩進んで甲榜に中るは、必定疑いなし。ただ日干・日支上に互いに絶気を乗ずるを嫌うので、官を為すこと遠大なり得ない。後に彼は刑部の主政を補し、便ち恬然として引退してさらに出仕せず。また曽て同じ一課を用いて人に代りて武会試を占い、两名中った。私もまた曽てこの一課を用いて病を占い、両個の病人はみな死した。(これは土が巳に絶するに按って論じたので、水土は同じく一つの長生なので。)
乙未日黎樹声の会試を占う(郭氏占案)
丁丑年二月乙未日亥將酉時,荊實君占黎樹聲孝廉會試。郭氏占案。 龍勾合朱 未申酉戌 蛇合勾空 鬼 丙申 勾 空午 亥蛇 亥酉申午 財 戊戌 朱 虎巳 子貴 酉未午乙 父 庚子 貴 辰卯寅丑 常玄陰后
丁丑年二月の乙未日、亥将を用いて酉時に加えて課を起し、荊実君が黎樹声の孝廉(挙人)のために会試が中式し得るかを占った。此の例は『郭氏占案』より採る。天盤の諸支はみな地盤より二位進み、天将は天盤に随って行く:貴人は天盤の子を乗せて地盤の戌に臨み、螣蛇は亥を乗せて酉に臨み、朱雀は戌を乗せて申に臨み、六合は酉を乗せて未に臨み、勾陳は申を乗せて午に臨み、青竜は未を乗せて巳に臨み、天空は午を乗せて辰に臨み、白虎は巳を乗せて卯に臨み、太常は辰を乗せて寅に臨み、玄武は卯を乗せて丑に臨み、太陰は寅を乗せて子に臨み、天后は丑を乗せて亥に臨む。四課は右から左へ排す:乙木の寄宮は辰に在り、辰上に午を得るは第一課。午上に申を得るは第二課。日支の未上に酉を得るは第三課。酉上に亥を得るは第四課。四課の上神は依り次ぎて天空・勾陳・六合・螣蛇を乗せる。三伝は申・戌・子:初伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、乙木を克し、「官鬼」である。中伝の戌土は朱雀を乗せ、遁干は戊で、「妻財」である。末伝の子水は貴人を乗せ、遁干は庚で、乙木を生じ、「父母」である。
郭御青曰:涉三淵之名,即主不佳,況末傳貴人墜落。課體交車雖亦佳,不敵涉三淵課之為害也。時未敢許,荊君知之。愚按:兩貴受克亦不能中。
郭御青が言う:この課の名は「渉三淵」で、接続して三重の深淵を蹚り過るが如く、この名目のみですでに不吉である。まして末伝の子水は「貴人」を乗ずるといえども、子は却って地盤の戌上に加わり、戌は天羅・地網の郷で、貴人は羅網に陥り進む。これを「貴人の墜落」と名づけ、主考が一路に力を幇け得ざるを主る。課体はまた「交車」の格を兼ぬるといえども、もともと彼此往来・交通の好き象であるが、ついに渉三淵の凶害に抵えられない。だから当時は敢えて彼の中式し得るを応允せず、荊実君もまたこの層の意を明白した。程樹勲が按ずる:乙日の昼貴は子、夜貴は申で、この課は初伝の申金が下の午火に克せられ、末伝の子水がまた下の戌土に克せられ、両重の貴人はみな克を受ける。功名は自然に中り成らない。
乙未日羅万藻のために会試を占う(郭氏占案)
丁丑年二月乙未日亥將申時,為江右羅文止孝廉萬藻占會試。郭氏占案。 勾合朱蛇 申酉戌亥 后朱朱龍 財 乙未 龍 龍未 子貴 丑戌戌未 財 戊戌 朱 空午 丑后 戌未未乙 財 辛丑 后 巳辰卯寅 虎常玄陰
丁丑年二月の乙未日、亥将を用いて申時に加えて課を起し、江西の羅文止孝廉(名は万藻)のために会試を占った。此の例は『郭氏占案』より採る。天盤の諸支は地盤より三位進み、天将の配置は:貴人は天盤の子を乗せて地盤の酉に臨み、螣蛇は亥を乗せて申に臨み、朱雀は戌を乗せて未に臨み、六合は酉を乗せて午に臨み、勾陳は申を乗せて巳に臨み、青竜は未を乗せて辰に臨み、天空は午を乗せて卯に臨み、白虎は巳を乗せて寅に臨み、太常は辰を乗せて丑に臨み、玄武は卯を乗せて子に臨み、太陰は寅を乗せて亥に臨み、天后は丑を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:乙木の寄宮は辰に在り、辰上に未を得るは第一課。未上に戌を得るは第二課。日支の未上に戌を得るは第三課。戌上に丑を得るは第四課。四課の上神は依り次ぎて青竜・朱雀・朱雀・天后を乗せる。三伝は未・戌・丑:初伝の未土は青竜を乗せ、遁干は乙。中伝の戌土は朱雀を乗せ、遁干は戊。末伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛。三伝は全て土で、乙木の日干に対してみな「妻財」を作す。
郭御青曰:墓神覆日發用,一木難敵眾土,無簾幕驛馬。餘素讀羅君刻稿,嚮往已久,偶於李君光倬寓中得邂逅,余每遇名公即為占之,惟於公亮、畹仙、章君、閔君四人得佳課,餘俱不佳,時餘心恐懼不安,同袍八十餘人豈僅公亮四人乎?放榜後止失周馬兩君,數之前定若此。愚按:指掌賦云,不第者刑害俱並,此等課是也。
郭御青が言う:乙木の墓神の未土は日干の上に壓覆し、また恰好発用して初伝を作す。三伝の未・戌・丑は清一色に土で、一株の乙木は重重の土勢に敵し得ない。課中にはすでに夜貴の「帘幕貴人」を見ず、また駅馬を見ず。すでに人の提携なく、また動の象なし。私は平素に羅文止先生の刻印した文稿を読み、仰慕することすでに久しく、偶然李光倬先生の寓所の裏で彼と相遇った。私は一人の名士に遇う毎に彼のために一課を起こすが、ただ于公亮・畹仙・章君・閔君の四位のみ好き課を得、その余はみな佳ならず。当時私の心裏は惶恐して安んぜず——同じく春闈に赴く八十余人、難道公亮らの四位のみが中り得るか。誰が知らんや放榜して以後にただ周・馬の两位が落第したのみ。命数はすでに前に定まりて、竟にこのようであった。程樹勲が按ずる:『指掌賦』に落第の課は「刑害が倶に并す」と言う。指す所はまさにこの一類の課である。
乙未日某が訟を占う(方本占案)
五月乙未日未將卯時,某占訟。方本占案。 朱蛇 六酉戌亥子貴 陳申 丑后 玄蛇貴陳 父 己亥 蛇 龍未 寅陰 卯亥子申 兄 癸卯 玄 空午巳辰卯玄 亥未申乙 財 乙未 龍 虎常
五月の乙未日、未将を用いて卯時に加えて課を起し、某人が一棟の官司を占った。此の例は『方本占案』より採る。天盤の諸支は地盤より四位進み、天将の配置は:貴人は天盤の子を乗せて地盤の申に臨み、螣蛇は亥を乗せて未に臨み、朱雀は戌を乗せて午に臨み、六合は酉を乗せて巳に臨み、勾陳は申を乗せて辰に臨み、青竜は未を乗せて卯に臨み、天空は午を乗せて寅に臨み、白虎は巳を乗せて丑に臨み、太常は辰を乗せて子に臨み、玄武は卯を乗せて亥に臨み、太陰は寅を乗せて戌に臨み、天后は丑を乗せて酉に臨む。四課は右から左へ:乙木の寄宮は辰に在り、辰上に申を得るは第一課。申上に子を得るは第二課。日支の未上に亥を得るは第三課。亥上に卯を得るは第四課。四課の上神は依り次ぎて勾陳・貴人・螣蛇・玄武を乗せる。三伝は亥・卯・未:初伝の亥水は螣蛇を乗せ、遁干は己で、乙木を生じ、「父母」である。中伝の卯木は玄武を乗せ、遁干は癸で、乙と同類で、「兄弟」である。末伝の未土は青竜を乗せ、遁干は乙で、「妻財」である。亥卯未は合して木局を成す。
邵彥和曰:一出頭,便被枷錮,後卻無事。蓋申作勾加身為鬼,所以枷錮,卻是日德合,末有龍,故無事。果丙申日被枷,後即疏放。三傳曲直,應先曲後直也。
邵彦和が言う:この人は一たび面を露せばすなわち枷を戴かせ監禁せられん、後は却って平安・事なし。日干の上神の申金は「勾陳」を乗せて乙の身に加臨し、申金は乙木を克して正に官鬼で、勾陳はまた枷鎖・牢獄を主る。だから拘禁の災あり。しかし申はまた恰恰乙日の「日徳」(乙は庚と相合し、申の中に庚を蔵す)で、末伝の未土はなお「青竜」を乗せる。凶の中に解あり、だからついに事なし。後に果たして丙申日に枷を戴かせられたが、随いすなわち開釈された。三伝の亥卯未は合して木局を成すは、「曲直」課で、正に先に屈して後に伸ぶの道理に応ずる。
乙未日司化南がこの課は何の官を主るかを占う(六壬指南)
戊子六月乙未日未將卯時,山西司化南占得此課,問是何官所占。指南。 朱蛇 六酉戌亥子貴 玄蛇貴勾 父 己亥 蛇 勾申 丑后 卯亥子申 兄 癸卯 玄 青未 寅陰 亥未申乙 財 乙未 青 空午巳辰卯玄 虎常
戊子年六月の乙未日、未将を用いて卯時に加えて課を起し、山西の司化南がこの一課を得て、何の官職の人の占したかを問うた。此の例は『六壬指南』より採る。課式は前の一例と同じ:天盤の諸支は地盤より四位進み、貴人は天盤の子を乗せて地盤の申に臨み、螣蛇は亥を乗せて未に臨み、朱雀は戌を乗せて午に臨み、六合は酉を乗せて巳に臨み、勾陳は申を乗せて辰に臨み、青竜は未を乗せて卯に臨み、天空は午を乗せて寅に臨み、白虎は巳を乗せて丑に臨み、太常は辰を乗せて子に臨み、玄武は卯を乗せて亥に臨み、太陰は寅を乗せて戌に臨み、天后は丑を乗せて酉に臨む。四課は右から左へは申が乙に加わり(乙の寄宮は辰)、子が申に加わり、亥が未に加わり、卯が亥に加わり、上神は依り次ぎて勾陳・貴人・螣蛇・玄武を乗せる。三伝は亥・卯・未:初伝の亥水は螣蛇を乗せ、遁干は己で、「父母」である。中伝の卯木は玄武を乗せ、遁干は癸で、「兄弟」である。末伝の未土は青竜を乗せ、遁干は乙で、「妻財」である。
陳公獻曰:此必林木舟車官也,非科甲中人,卻作科甲之官。將來功名遠大。蓋夏占木局枝葉正見茂盛,況蛇化為龍,定然居官榮耀。因幕貴坐空,是以不由科甲也。卯為林木舟車見於中傳,故知為舟車之官。問果何官?曰:印爻發用,末傳皇恩必是恩蔭之官。問能升兵憲否。答曰:正官在日,偏印居支,先升知府,後轉司道。曰:此清江劉工部所占也。後果升鎮江太守。
陳公献が言う:これは必ず林木・舟車の一類の事務を掌管する官員で、本人は科挙の出身でないのに、却って科甲の出身を須いて初めて任ずる官を為しており、将来の功名は遠大である。夏月に木局を占い得るは、正に枝葉の繁茂する時なので。まして初伝は「螣蛇」を乗せ末伝は「青竜」を乗せ、蛇は化して竜と為る。官に居るは必然に栄耀である。ただ夜貴の「帘幕貴人」が空亡の地に坐するに因り、科挙に由って進身せず。卯は類神の裏で林木・舟車を主り、また中伝に見ゆるので、舟車を管する官と知れる。人の問うあり究竟何の官か。答えて言う:印綬爻が発用して初伝を作し、末伝はまた「皇恩」に逢うは、必ず祖廕を承けて官を補する人である。また問う兵備道に升り得るか。答えて言う:正官の星は日干の上に在り、偏印の星は日支の上に在る。先に知府に升り、さらに転じて司道に任ずる。来人が言う:これは清江の劉工部の占した課である。後に果たして鎮江の太守に升任した。
乙未日徐棣存が母の病を占う(牧夫占験)
己卯年八月乙未日辰將子時,徐棣存先生占母病,己丑生五十一歲。牧夫占驗。 蛇朱合勾 酉戌亥子 虎合勾貴 父 己亥 合 貴申 丑龍 卯亥子申 兄 癸卯 虎 后未 寅空 亥未申乙 財 乙未 后 午巳辰卯 陰玄常虎
己卯年八月の乙未日、辰将を用いて子時に加えて課を起し、徐棣存先生が母親の病を占った。病人は己丑年生まれ、五十一歳。此の例は王牧夫の占験より採る。子時は夜に属し、乙日の夜貴は申で、貴人は地盤の辰に臨みて陽方に属し、天将は順布す:貴人は天盤の申を乗せて地盤の辰に臨み、螣蛇は酉を乗せて巳に臨み、朱雀は戌を乗せて午に臨み、六合は亥を乗せて未に臨み、勾陳は子を乗せて申に臨み、青竜は丑を乗せて酉に臨み、天空は寅を乗せて戌に臨み、白虎は卯を乗せて亥に臨み、太常は辰を乗せて子に臨み、玄武は巳を乗せて丑に臨み、太陰は午を乗せて寅に臨み、天后は未を乗せて卯に臨む。四課は右から左へ:乙の寄宮は辰で、辰上に申を得るは第一課。申上に子を得るは第二課。日支の未上に亥を得るは第三課。亥上に卯を得るは第四課。上神は依り次ぎて貴人・勾陳・六合・白虎を乗せる。三伝は亥・卯・未で合して木局を成す:初伝の亥水は六合を乗せ、遁干は己で、「父母」である。中伝の卯木は白虎を乗せ、遁干は癸で、「兄弟」である。末伝の未土は天后を乗せ、遁干は乙で、「妻財」である。
王牧夫曰:此課若占男子病,可醫可治。女人病則難醫難治,而終於凶也。蓋女人以支位為主,未為日墓,三傳亥卯未木局剋制支辰,此其本體已弱矣。其得病受病之由,則風疾加溼為多,肝經受病為的。以曲直生風,亥水為痰,木侵滛為溼。白虎居卯帶癸,日祿作閉口,不能飲食矣。虎在中,病在中焦。命乘馬用玄武,魂已出遊。木主瘦弱,未為風伯,又為日墓,風藏於內不得出,其病日深一日,醫藥所不能治也。
王牧夫が言う:この課はもし男子の病を占えば、なお医し治し得る。女人の病を占えばすなわち医し難く治し難く、終帰する所は凶である。女人は日支を以て主と為すに因り、日支の未はまた正に乙木の墓庫で、三伝の亥卯未は合して木局を成し、かえって日支の土を克制する。本体はすでに虚弱である。病を得る縁由に至っては、多半は風疾に湿を夾み、而して肝経の病を受けるを最も确切と為す:木局の「曲直」は風を生ずるを主り、亥水は痰を主り、木気が侵淫すれば便ち湿と成る。白虎は卯上に乗り、卯はまた癸干を遁ず。卯はもともと乙日の禄神で、如今は「閉口」の象と成った。飲食はみな進み下り得ない。白虎は中伝に居るは、病位は中焦に在る。本命の丑の上神は駅馬の巳を得、巳はまた玄武を乗せ、魂魄はすでに出遊して外に在る。木は形体の瘦弱を主り、未は類神の裏で「風伯」で、また乙木の墓で、風気は裏面に蔵して出で来らず。病勢は一日深くするに似て一日ごとに深まり、医薬の治し得る所にあらず。
儀神入墓,救之無緣。且命年巳戌合中傳卯已成鑄印,死形已現。況太歲作虎為支之鬼乎?病深重矣。巳亥之日,其難逃乎?後果於巳亥日卒。亥日凶者,沖命上巳也。巳破而鑄印壞矣,安能久乎?若男占,則支上之亥乃長生,又木局自生,故不必死也。
救護を主る「儀神」はまた墓庫に落ち進むは、援手は従する無し。まして本命上の巳は戌と相合し、さらに中伝の卯を配上すれば、すでに凑りて「鋳印」の格を成し、死象は顕露した。さらに加えるに己卯年の太歳の卯木は白虎を乗せ、正に日支の未土の官鬼で、病勢は自然に沈重である。巳日・亥日は恐らくは躱し過ぎ得まいか。後に果たして巳・亥の日に故去した。亥日の凶なる所以は、亥が本命上の巳を冲したに因る。巳は一たび冲破せられれば、鋳印の格はこれに随いて壊る。人はどうしてなお久しく活き得よう。たとい男子が来て占わば、日支上の亥水は正に乙木の長生で、木局はまた自ら相生発するので、死に至らない。
乙未日童学士が前程を占う(方本占案・口鑑)
己酉年三月十七乙未日戌將巳時,童學士戊寅生三十三歲占前程。方本占案 口鑑。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 虎貴陰六 子 空巳 虎 陳申 卯玄 巳子寅酉 財 戊戌 朱 龍未午巳辰常 子未酉乙 兄 癸卯 玄 空虎
己酉年三月十七日の乙未、戌将を用いて巳時に加えて課を起し、童学士は戊寅年生まれ・三十三歳、前程を占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より五位進み、巳時は昼に属し、乙日の昼貴は子で、貴人は地盤の未に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は天盤の子を乗せて地盤の未に臨み、螣蛇は亥を乗せて午に臨み、朱雀は戌を乗せて巳に臨み、六合は酉を乗せて辰に臨み、勾陳は申を乗せて卯に臨み、青竜は未を乗せて寅に臨み、天空は午を乗せて丑に臨み、白虎は巳を乗せて子に臨み、太常は辰を乗せて亥に臨み、玄武は卯を乗せて戌に臨み、太陰は寅を乗せて酉に臨み、天后は丑を乗せて申に臨む。四課は右から左へ:乙の寄宮は辰で、辰上に酉を得るは第一課。酉上に寅を得るは第二課。日支の未上に子を得るは第三課。子上に巳を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・太陰・貴人・白虎を乗せる。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳火は白虎を乗せ、巳は正に旬空に落つ(乙未日は甲午旬に属し、空亡は辰巳に在る)。乙木の「子孫」である。中伝の戌土は朱雀を乗せ、遁干は戊で、「妻財」である。末伝の卯木は玄武を乗せ、遁干は癸で、「兄弟」である。
邵彥和曰:酉作六合,主生蓮花痔,因色中躁怒而得。色中何?酉為色也。何言躁也?酉克乙未木,木肝,肝主怒,非色中躁怒而何?正妻無子,必主偏生,三下賊上,前程未能興發。
邵彦和が言う:日干の上神の酉金は「六合」を乗せ、この人は蓮花痔を生ずるを主り、房事の中に動怒して得たるなり。何に見えて房事と知るか。酉は類神の裏で正に色欲を主る。何に見えて動怒と知るか。酉金は乙木を克し、日支の未中に蔵する乙木を連ねても一倂に克を受け、木は肝に属し、肝は怒気を主る。房事の中に動怒せずしてまた何ぞ。正妻は子を生じ得ず、必ず偏房の出ずる所に靠るを得す。四課の裏に三課はみな下神が上神を賊す。前程はすなわち発達して起き得ない。
初巳作虎,子息防水厄。初巳子爻,加於子水之上,作虎,虎凶將,又遭下克,先是以主乎水厄。中戌,戌陽乙陰,正妻也,加子爻空巳上,烏能生子?奈又作子爻之墓何?戌作雀,防妻有湯傷火厄。末卯作玄,防出入騎乘有傷手足,文書在盜氣上,前程難顯。宅上貴人六害,末財祿又入盜氣,更三十不意而死。
初伝の巳火は「白虎」を乗せ、子息は水厄を提防すべし——初伝の巳は正に子孫爻であるのに、却って地盤の子水の上に加わり、また白虎のこの凶将を乗せ、さらに下の子水に克せられる。だから先に子息に落水の災あるを断ず。中伝は戌土:戌は陽に属し乙は陰に属し、戌は日干の正妻で、それが旬空の巳(子孫爻)の上に加わり、いずくんぞ息子を生み出し得よう。まして戌はまた恰恰子孫爻の巳火の墓庫である。戌上は「朱雀」を乗せ、なお妻子に湯火の焼傷の厄あるを防がん。末伝の卯木は「玄武」を乗せ、出入りに騎乗する時に手足を傷るを防ぐべし。文書の神は盗気の上に落ち、前程は顕達し難い。宅爻上の貴人は日相と六害し、末伝の財禄はまた盗気に落ち進み、さらに三十年を過ぎれば便ち失意の中に亡故せん。
日上酉作合,酉為血,合為蓮花來克身,故主蓮花痔。以巳為子息,巳乃旬空,又作虎,中妻又臨空,無子又妨妻,後辛亥年大水,子墮水幾死,丁巳妻醉後腳燒,乙卯騎馬入城,撲折左足,其言皆應也。六十二因侄分去產,不得意而死。
日干の上神の酉は「六合」を乗せ:酉は血を主り、六合の象は蓮花と為し、また来て日干の本身を克するので、蓮花痔と断じ作す。巳火を以て子息と為すに、巳は偏に旬空に落ち、また白虎を乗せる。中伝の妻爻の戌もまた空亡の巳上に臨む。すでに子なく、また妻を妨ぐ。後に辛亥年に大水を発し、息子は水に落ちて幾ど淹れ死せんとした。丁巳年に妻子は酒の醉って後に脚を湯傷した。乙卯年に馬に騎りて城に入り、左脚を摔き折った——断ずる所はみな一一应験した。六十二歳の上に到り、姪輩に家産を分け走られて、郁々として失意に死した。
蓋乙以戌為財乘空,末又被元引將去,反失財也。卯六戌五,五六三十,故更三十死。看驗處著著俱妙,邵先生亦未之反也。亥辛年,亥巳相沖,子動也。妻戌加巳,巳火戌足,足加火上,非燒足而燒何?巳上,故巳年應之。
乙木は戌土を以て財と為すに、戌は却って空亡を乗せ、末伝はまた玄武のこの盗神に財を引き走らせらる。だからかえって財を破る。卯の数は六、戌の数は五、五六が相乗じて三十を得る。だからさらに三十年を過ぎて死すと言う。彼の験を証する処を看れば、一着一着みな極めて精妙で、邵先生は並みに説き誤らなかった。辛亥のあの年、亥は巳と相冲し、子孫爻を冲動したので、息子の身上に応じた。妻爻の戌は巳上に加わり、巳は火に属し戌は足を主る。足が火の上に加われば、脚を焼かずしてまた何ぞ。巳位上に在るに因り、だから巳年に応じた。
卯驢本日祿,不可言凶,乘玄乃凶耳。驢馬類也。克戌是折足,陽左陰右,故折左足。卯乘元武,又受酉沖,故主騎乘而攫折。若無酉沖,或不至此。大抵卯為舟車戶輿騾驢,一遇酉沖,便主翻覆跌撲,予嘗得驗也。
卯は類神の裏で驢で、本身はまた乙日の禄神で、もともと凶と断ずべきでなかった。ただ玄武を乗せたに因って初めて転じて凶と為った。驢と馬は同類である。卯木は戌を克し、戌は足を主るので、足を折る。陽は左を主り陰は右を主り、戌は陽に属するので、折れるは左脚である。卯はすでに玄武を乗せ、また酉金の冲击を受ける。これに因って騎乗の中に摔折すと断ず。たとい酉の来て冲するなければ、あるいはこのようには至らざりし。大抵卯は舟車・門戸・轎輿と騾驢とを主り、一たび酉冲に遇えば、便ち翻覆・跌撲を主る。私は屢試して屢験す。
乙未日馮允升が刑獄を占う(六壬指南)
丙子三月乙未日己卯時,御馬監太監馮允升被逮,刑部已定重闢,求占。指南。 后陰 貴子丑寅卯玄 六陰空蛇 子 甲午 空 蛇亥 辰常 酉寅午亥 財 辛丑 后 朱戌 巳虎 寅未亥乙 官 丙申 勾 六酉申未午空 勾龍
丙子年三月の乙未日己卯時、御馬監の太監の馮允升が逮捕せられ、刑部はすでに死罪を定め、吉凶を求めて占う。此の例は『六壬指南』より採る。この日は三月の戌将を卯時に加え、天盤の諸支は地盤より七位進む。卯時は昼に属し、乙日の昼貴は子で、貴人の乗ずる天盤の子は地盤の巳に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は天盤の子を乗せて地盤の巳に臨み、天后は丑を乗せて午に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨む。四課は右から左へ:乙木の寄宮は辰に在り、辰上に亥を得るは第一課。亥上に午を得るは第二課。日支の未上に寅を得るは第三課。寅上に酉を得るは第四課。上神は依り次ぎて螣蛇・天空・太陰・六合を乗せる。三伝は午・丑・申:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、「子孫」である。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、「妻財」である。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、「官鬼」である。
陳公獻曰:必遇恩宥,仍拔重用之兆。蓋以日主皇恩,支見天赦(春三月天赦在寅,此不必以太寅為天赦也),又太歲貴人生日,罪雖至重,亦能轉凶為吉。傳將遞生,初末引從子命(子命上見未,初末午申拱之),定主上臺推薦。果五月奉旨熱審,開豁謫戍,發京營立功,後監洪黑二將及予追剿,有功復職。
陳公献が言う:この人は必定恩赦に遇い、さらに起復・重用の兆あり。日干上に「皇恩」の神を帯び、日支の上神の寅はまた「天赦」(春季三月の天赦は寅に在り、此の処は太歳の寅を用いて天赦を当るに拘泥せず)に因る。加えるに丙子年の太歳の子は貴人を乗せて日干を生扶する。罪名は極めて重しといえども、また凶を転じて吉と為し得る。三伝は午火が丑土を生じ、丑土が申金を生じ、天将もまた順次に相生す。初伝の午と末伝の申は一前・一後に、彼の本命の子の上神の未を当中に夾拱す(本命の子上に未を見、初末の午申が恰好拱き住む)。「引従」の格を成し、必定上台の大員が出面して挙薦するあり。後に果たして五月に旨を奉じて熱審し、重罪を開釈して改めて謫戍に判じ、京営に発して功を立てしめた。此の後に彼は洪・黒の两位の将領を監領し、私と同じく追剿し、功に因って職に復した。
乙未日戚司宗が失機・重辟を占う(六壬指南)
登州戚都司諱司宗者因失機已定重闢八載,占吉凶若何,年月日時同。指南。 后陰 貴子丑寅卯玄 六陰空蛇 子 甲午 空 蛇亥 辰常 酉寅午亥 財 辛丑 后 朱戌 巳虎 寅未亥乙 官 丙申 勾 六酉申未午空 勾龍
登州の都司の戚司宗は軍機を貽誤したに因って死罪を定められ、すでに八年関押せられた。吉凶は如何と占い問うた。用いる所の年月日時は上の一課と同じ。此の例は『六壬指南』より採る。だから課式は一に前の例に如し:天盤の諸支は地盤より七位進み、貴人は天盤の子を乗せて地盤の巳に臨み、天后は丑を乗せて午に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨む。四課は右から左へは亥が乙に加わり(乙の寄宮は辰)、午が亥に加わり、寅が未に加わり、酉が寅に加わり、上神は依り次ぎて螣蛇・天空・太陰・六合を乗せる。三伝は午・丑・申:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、「子孫」と為る。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、「妻財」と為る。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、「官鬼」と為る。
陳公獻曰:六月遇赦,轉凶為吉。緣長生臨身(亥為木長生,臨日故也,此不以長生坐墓看。),天赦加支,況太歲貴人俱作恩星,罪雖重,亦減輕矣。尤可喜者,傳將遞生,初末暗拱未命(此又不以拱上神論。),仍有公卿推薦,他日出仕之象也。果六月奉命熱審,豁罪謫戍,發京營立功處贖,後辛巳年升甘肅鎮中軍參將。
陳公献が言う:六月裏に赦免に遇い、凶を転じて吉と為す。長生の神が日身に臨むに因る(亥は木の長生で、また正に日干の上に臨む。ここは「長生が墓に坐す」のあの一層に照らして看ない)、天赦の神は日支に加わる。まして太歳と貴人とはみな恩星を充当する。罪名は重しといえども、また軽減するを要す。ことさら喜ばしいは三伝と天将とが層層に相生し、初伝の午と末伝の申とが暗暗に彼の本命の未を夾拱す(ここはまた上神を拱くのあの説に照らして論じない)。なお公卿の挙薦あり、日后に再度出仕するの象である。後に果たして六月に命を奉じて熱審し、罪名を開脱して改めて謫戍に判じ、京営に発して功を立てて罪を贖わしめた。さらに後に辛巳年に甘粛鎮の中軍参将に升任した。
丙申日
丙申日劉太史が枚卜を占う(六壬指南)
崇正丁丑八月丙申日巳將巳時,浣中劉太史占楚省袁副鯨及同鄉鄭大司空、玄嶽兩先生枚卜果否。指南。 虎常 空巳午未申玄 玄玄空空 比 乙巳 空 青辰 酉陰 申申巳巳 財 丙申 玄 勾卯 戌后 申申巳丙 父 壬寅 六 六寅丑子亥貴 朱蛇
崇禎丁丑年八月の丙申日、巳将を用いて巳時に加えて課を起し、浣中の劉太史が湖広の袁副鯨および同郷の鄭大司空(工部尚書)・玄岳の两位先生が廷推して閣に入りて事を成し得るかを占った。此の例は『六壬指南』より採る。月将と時辰とが同位で、天盤と地盤とが完全に相重なるは、「伏吟」課である。巳時は昼に属し、丙日の昼貴は亥で、貴人は地盤の亥に臨みて陽方に属し、天将は順布す:貴人は亥を乗せ、螣蛇は子を乗せ、朱雀は丑を乗せ、六合は寅を乗せ、勾陳は卯を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は巳を乗せ、白虎は午を乗せ、太常は未を乗せ、玄武は申を乗せ、太陰は酉を乗せ、天后は戌を乗せる。天盤がすでに地盤と相同じれば、各将もまた各々本支に臨む。四課は右から左へ:丙火の寄宮は巳に在り、巳上はなお巳で、第一課。巳上に巳を得るは第二課。日支の申上はなお申で、第三課。申上に申を得るは第四課。上神は依り次ぎて天空・天空・玄武・玄武を乗せる。三伝は巳・申・寅で、伏吟の自刑を取って成る:初伝の巳火は天空を乗せ、丙の「比肩」で、また丙日の禄神で、恰恰旬空に落つ(丙申日は甲午旬に属し、空亡は辰巳に在る)。中伝の申金は玄武を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。末伝の寅木は六合を乗せ、遁干は壬で、「父母」で、寅はまた申日の駅馬である。
陳公獻曰:兩公俱不能入相,且主臺省彈劾而回。何也?蓋三傳遞互刑剋,全無和洽之氣,剛日伏吟見馬,歸象已現。此非臺省有言而何?後兩公枚卜不果,袁公當被參去,鄭公為欽仵 獄擬罪而歸。因鄭命見地網日墓,是以罹禍尤重。
陳公献が言う:两位はともに閣に入り得ず、しかも主に科道・台省に参劾せられて回るべし。何を以て見えるか。三伝は巳が申を刑し、申が寅を刑し、遞相に刑克して、全く和洽の気なし。丙は剛日でまた伏吟に逢い、課中にまた駅馬を現出す。帰去の象はすでに顕露した。これは台省が話すべきあるにあらずしてまた何ぞ。後に两位の廷推は果たして成功せず、袁公は参劾せられて職を去り、鄭公は欽案に因って獄に下り、罪を拟して帰った。鄭公の本命上に地網を見また日墓を見るに因り、遭う所の禍はことさら重し。
凡占仕,三傳遞克是大凶之象。此課縱發用德祿月將,但旬空乘空,空之極矣。此太陽又非在夜方,但竟一毫無用,可見月將不空之說,大謬也,切記,切記!由課推論鄭率嶽為戌年生,陰神戌乘天后,戌為地獄,戌為陰暗滯凝之神,黑暗何如之也。
およそ仕途を占うに、三伝が遞相に克伐するはみな大凶の象である。この課の発用は日徳・日禄にして兼ねて月将であるけれども、巳はすでに旬空に落ち、また天空を乗せ、空は極処に到った。この時太陽は並みに夜方に行らず、却って竟に一点の用処もなし——「月将は空に落ちず」の説の大いに錯り誤れるを見べし。切に記れ、切に記れ。さらに課象に由って推論す:鄭率岳(すなわち前の言う所の玄岳先生)は戌年の生まれで、本命の陰神の戌上は天后を乗せ、戌は地獄の位で、また陰暗にして凝滞する神で、あの一份の黑暗は想い知るべし。
丙申日伊秀才が父の病を占う(方本占案・口鑑)
建炎己酉年十月丙申日寅將寅時,伊秀才占父病,父丙辰生六十四歲。方本占案 口鑑。 六朱 陳巳午未申蛇 龍辰 酉貴 蛇蛇陳陳 兄 空巳 陳 空卯 戌后 申申巳巳 財 丙申 蛇 虎寅丑子亥陰 申申巳丙 父 壬寅 虎 常玄
建炎己酉年十月の丙申日、寅将を用いて寅時に加えて課を起し、伊秀才が父親の病を占った。父は丙辰年生まれ、六十四歳。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。月将と時辰とが同位で、天盤と地盤とが相重なり、なお「伏吟」課である。寅時は夜に属し、丙日の夜貴は酉で、貴人は地盤の酉に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せ、螣蛇は申を乗せ、朱雀は未を乗せ、六合は午を乗せ、勾陳は巳を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は卯を乗せ、白虎は寅を乗せ、太常は丑を乗せ、玄武は子を乗せ、太陰は亥を乗せ、天后は戌を乗せる。各将はみな本支に臨む。四課は右から左へ:丙の寄宮は巳で、巳上はなお巳で、第一課。巳上に巳を得るは第二課。日支の申上はなお申で、第三課。申上に申を得るは第四課。上神は依り次ぎて勾陳・勾陳・螣蛇・螣蛇を乗せる。三伝は巳・申・寅:初伝の巳火は勾陳を乗せ、正に旬空に落ち、「兄弟」である。中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」である。
邵彥和曰:此課自本身傳歸妻宮,妻宮又傳歸父母,六旬向上人,占病不宜見父母。蓋父母既故,故是下世重見父母也。行年與本身並(六十四歲行年在巳,巳既丙,丙為本身,故云行年與本身並。然則的是六十四歲)。
邵彦和が言う:この課は日干の本身より妻宮に伝わり、妻宮はまた父母爻に伝わり帰る。六十歳より上の人が病を占うは、最も父母爻を見るを忌む——父母はすでに早く亡故したれば、さらに父母爻を見れば、すなわち陰間に到りて父母と重逢するの意である。彼の行年はまた本身と相并す(六十四歳の行年は正に巳に在り、巳は丙の寄宮で、丙はすなわち本身。だから行年が本身と相并すと言う。これに由ってもまた確かに六十四歳と断じ得る)。
因財上及舊事不足,酉年以申財為病符,病符主舊事,的是己酉年占,其本命定丙午年。以致傷心。中間又是財爻入課,必是財切,兼與妻不足,遂激成病。末傳生氣,此課本主未死,緣父母宮艮山墳,左邊地風吹骨轉,右邊白蟻又入棺,若急移墳,可以延年。否則歸冥矣。
病根は銭財と旧事の上の心に遂わざるに出ず:酉年は申中の財を以て「病符」と為し、病符は旧事の牽纏を主る。確かに己酉年の占したであるを見べく、彼の父親の本命は当に丙午年に定まるべし。これらの事のために心を傷めた。課中にまた財爻が課に入るを見るは、必ず銭財が喫緊し、兼ねて妻子と和せず、おって激して疾病を成した。末伝の寅木は丙火の生気で、この課はもともと死に至らざる。ただ父母の墳が艮方の山上に在り、左辺に地風ありて骸骨を吹きて転覆せしめ、右辺にまた白蟻ありて棺木に進んだ。もし肯んで趕緊に墳を遷さば、なお年を延ばすべし。否ずればすなわち陰に帰せんと要す。
伊父之病,因為子娶婦囊空,不順意、煩心,遂心熱致渴成病,日漸狼狽,兼子又無書舍,愈增煩悶。先生令其移墳,渠及移利方,移意遂決。及開棺視之,則地風吹棺中骸骨顛倒,白蟻滿棺,泥土淤塞,於是易棺移葬,病日漸退,從此安好。次年其子又得一好書舍,雍容而過,安樂八十歲方卒。
伊秀才の父親の病は、起因は息子に嫁を娶るに替わりて銭囊を花空したことで、事事順わず、心中煩悶し、おって心火が上炎し、口渴して病を成し、一日ごとに狼狽した。加えるに息子にまた読書の屋舎なきは、さらに煩悩を添えた。邵先生が彼に墳を遷せと叫ぶと、彼は便ち墳を有利の方位に遷し往き、遷葬の主意はおって定まった。棺を開いて一看するを待ちて、果たして地風が棺中の骸骨を吹きて顛倒せしめ、白蟻は棺に満ち、泥土は淤塞した。おって棺を換え改葬し、病は一日ごとに退き去り、これに従い安好した。第二年に彼の息子はまた一処の好き書房を得、日を過ること従容にして、老人は安楽に八十歳に到って初めて去世した。
愚蓋丙日寅為父母爻,上見白虎,定是父母墳不安。六旬人見父爻,本不利。然寅為丙之長生,故得不死,而以父母墳斷也。白蟻之凶,乘白虎也。此伏吟上下皆父母,非他占可單用也。余按寅木主風,故云風吹骨轉。因占病又占出墳墓不吉之論,論得病源由。說出墳墓之災。
程樹勲が按ずる:丙日は寅を以て父母爻と為し、寅上にまた白虎を見るは、父母の墳墓が安からざると断定す。六十歳以上の人が父母爻を見るはもともと不利であるけれども、しかし寅は正に丙火の長生なので、なお死に至らず。因りて転じて父母の墳上より断ず。白蟻のこの凶象は、寅上の乗ずる白虎より来る。此の課は伏吟で、上下みな父母爻で、他の占法のごとく単に一処を取りて用いるべきに似ず。私は別に按ず:寅木は風を主る。だから地風が骸骨を吹きて転覆せしむと言う。病を占うに因って連帯して墳墓の不吉を占い出すの議論は、すでに病を得る根由を論明し、また墳墓の災患を説き出す。
丙申日祝泌が国事・辺事・歳事を奏卜す(一針見血)
淳祐壬寅年正月丙申日,宣諭卜今年國事、邊事、歲事。一針見血。 六朱 陳巳午未申蛇 龍辰 酉貴 蛇蛇陳陳 兄 空巳 陳 空卯 戌后 申申巳巳 財 丙申 蛇 虎寅丑子亥陰 申申巳丙 父 壬寅 虎 常玄
淳祐壬寅年正月の丙申日、皇帝の宣諭を奉じ、今年の国事・辺事と年成とを占卜した。此の例は『一針見血』より採る。課式は前の例と同じく、なお天地盤の相重なる「伏吟」課である:貴人は酉を乗せ、螣蛇は申を乗せ、朱雀は未を乗せ、六合は午を乗せ、勾陳は巳を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は卯を乗せ、白虎は寅を乗せ、太常は丑を乗せ、玄武は子を乗せ、太陰は亥を乗せ、天后は戌を乗せる。各将はみな本支に臨む。四課は右から左へは巳が丙に加わり(丙の寄宮は巳)、巳が巳に加わり、申が申に加わり、申が申に加わり、上神は依り次ぎて勾陳・勾陳・螣蛇・螣蛇を乗せる。三伝は巳・申・寅:初伝の巳火は勾陳を乗せ、旬空に落ち、「兄弟」と為る。中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」と為る。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」と為る。
祝泌奏曰:伏吟主靜中有動者,大類去年如宰執之除及邊郡之驚。太乙為月德、日德,六陽既極之地,應有變,而二德神在焉,比國之有道也?次傳今日支上見騰蛇,屬丁為正月天德,臣今為國家占課,則日支為宅,乃宮禁所也。天德之神未奏福,宜有喜慶事。終傳功曹,即今歲之君,其位為今日之日本,主事之先兆。
祝泌が奏上して言う:伏吟の課は静中に動あるを主り、よく去年のよう、すでに宰執大臣の任免あり、また辺郡の驚擾あり。初伝の巳(十二神の中で「太乙」と名づく)はすでに月徳でまた日徳で、巳は六六陽の窮極の地に居り、もともと変を生ずべきところ、而して両重の徳神が恰恰ここに落つるは、国家に道あるの象に比す。中伝は今日の日支の申で、上は「螣蛇」を乗せる。螣蛇は丁を配し、丁は正月の天徳である。臣は如今国家のために課を起こすに、日支はすなわち宅で、指す所は正に宮禁の在る所である。天徳の神はなお福慶を呈露して出さず、正に喜慶の事あるべし。末伝の寅(十二神の中で「功曹」と名づく)はすなわち今年壬寅の太歳の君で、その位置はまた正に今日の丙火の本根の長生で、事を主るの先兆である。
白虎為兵撓,臣言兵來有驚亦與此合,然白虎之金安能當丙午之火?宜可屈折不為害。申主粟麥,巳主禾三谷,有德神臨之,當收成。寅主荳,不能免白虎之災恐收少薄耳。
白虎は兵戈の擾動を主り、臣の言う所の兵が来て驚あるも、またこれと相合す。しかし白虎の属する金は、いずくんぞ丙午の火に当り得ん。当にそれを挫折して下すべく、害を成すに致らず。申は類神の裏で粟麦を主り、巳は禾稲などの三穀を主り、みな徳神の臨照あり。今年は当に収成あるべし。寅は豆類を主る。白虎の災を免れず、恐らくは収ること少なく薄きのみ。
丙申日阮実夫の燕京の索占(六壬指南)
崇正丁丑四月丙申日酉將酉時,阮實夫在燕京索占,不言所事。指南。 六朱 勾巳午未申蛇 蛇蛇勾勾 兄 乙巳 勾 青辰 酉貴 申申巳巳 財 丙申 蛇 空卯 戌后 申申巳丙 父 壬寅 虎 虎寅丑子亥陰 常玄
崇禎丁丑年四月の丙申日、酉将を用いて酉時に加えて課を起し、阮実夫が北京に在りて占を求めたが、却って問う所の何事かを説かなかった。此の例は『六壬指南』より採る。月将と時辰とが同位で、天盤と地盤とが相重なるは、「伏吟」課である。酉時は夜に属し、丙日の夜貴は酉で、貴人は地盤の酉に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せ、螣蛇は申を乗せ、朱雀は未を乗せ、六合は午を乗せ、勾陳は巳を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は卯を乗せ、白虎は寅を乗せ、太常は丑を乗せ、玄武は子を乗せ、太陰は亥を乗せ、天后は戌を乗せる。各将はみな本支に臨む。四課は右から左へは巳が丙に加わり(丙の寄宮は巳)、巳が巳に加わり、申が申に加わり、申が申に加わり、上神は依り次ぎて勾陳・勾陳・螣蛇・螣蛇を乗せる。三伝は巳・申・寅:初伝の巳火は勾陳を乗せ、丙の「兄弟」で、また丙日の禄神であるが、却って正に旬空に落つ(丙申日は甲午旬に属し、空亡は辰巳に在る)。中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」で、寅はまた申日の駅馬である。
陳公獻曰:仕途得此,主有臺省參劾,秋解任去,然繫何命?曰癸酉。此公必居相位,但不久矣。以太陽日貴臨命(月將從魁乘貴人居酉命),非相而何?獨嫌遞克伏吟丁馬,定有參劾行動之事。況太陽西墜,揮戈返景有幾人乎:後知為烏程溫首揆,占後果被論,秋月準馳驛而歸。(任信丁馬須言動,三傳遞克眾人欺,所以斷為參劾行動。)
陳公献が言う:官を為る人がこの一課を得るは、主に科道・台省の参劾あり、秋天に任を解きて去らんと要す。また何の本命かと問う。答えて癸酉と曰う。この公は必定身に相位に居るが、ただ坐すること長久からざるのみ。太陽の月将と日貴とがみな彼の本命上に臨むに因る(月将の酉は十二神の裏で「従魁」と名づき、貴人を乗せて正に酉の命に居る)。宰相にあらずしてまた何ぞ。ただ三伝の遞相克伐を嫌い、また伏吟に逢い、なお丁神と駅馬とを帯び、必定参劾と行動との事あるべし。まして太陽はすでに西に墜ち、魯陽の戈を揮い日を返照せしむる能くするはまた幾人か。後に初めて占う所は烏程の温体仁首輔と知り、占い過ぐる後に果たして弾劾せられ、秋天に乘駅して郷に還るを獲准した。(およそ丁神・駅馬に遇えば便ち動の象を断ずるを須い、三伝が遞克すればすなわち衆人が相欺く。だから参劾・行動と断ず。)
戊日伏吟,三傳遞克而克干。丙日伏吟,三傳遞克卻不克干。惟丙申日,從干上發傳遞克至寅,實沖申支。干為我,支為人,此旬欲參人之象,應在溫體仁與張漢儒密謀卸錢謙益、瞿式耜也。錢有金傍,耜亦金器,皆應申金之支,故也。體仁擬旨逮治,謙益求解於大司禮監曹化淳。體仁知之,遂並罪化淳,此應寅為曹姓也。
戊日が伏吟を得るは、三伝は遞相克伐し并且日干に克して到る。丙日が伏吟を得るは、三伝は遞克するといえども日干に克して到らず。ただ丙申日のみ、日干の寄宮上より伝を発し、一路に遞克して末伝の寅に到り、而して寅は恰好日支の申を冲す。干は自己を代表し、支は他人を代表す。この一旬は正に自己が他人を参劾せんとするの象で、温体仁と張漢儒とが密謀して銭謙益・瞿式耜を排擠したこの事の上に応ず。銭の字は金旁を帯び、耜もまた金属の農具で、いずれも申金の日支上に応ず。温体仁は旨を拟して逮捕して罪を治め、銭謙益は司礼監の大太監の曹化淳に向かって解を求め、温体仁は之を知って、便ち曹化淳を一倂に罪に加えた。これは寅が曹姓を主る上に応ず。
殊不知,寅乘白虎及遁壬水克干,此應化淳自請案治,得溫張密謀伏上之,帝命漢儒立枷死。六月,體仁乃引疾歸。踰年,太歲在寅,體仁亦死。此虎乘遁鬼之為害大也。況日祿既空,青龍又空,安得不罷?欲害人而適以害之,觀此課象,可以知成也。夫六壬之細微曲中,有如是神奇也。
却って知らず寅上は白虎を乗せ、遁ずる所の壬水はまた頭を回らして日干を克す。これは曹化淳が反過って自らこの案を査辦せんことを請い、温・張の密謀の実情を査り得て皇上に呈報し、皇帝が下令して張漢儒を枷を立てて処死せしめた上に応ず。六月裏に温体仁は便ち病を称して郷に還った。一年を過ぎて、太歳は寅に行り到り、温体仁もまた死した。これがすなわち白虎が遁干の鬼を乗せて為害の極めて大なるの例である。まして日禄の巳はすでに空亡に落ち、青竜の乗ずる辰もまた空亡に落つ。どうして官を罷めざるを得よう。もともと人を害せんと欲して、恰恰自分を害した。この一課の課象を看れば、成敗はみな預知すべし。六壬の学の入微・曲尽すること、竟にこのような神奇あり。
丙申日施主簿が前程を占う(口鑑・方本占案)
建炎戊申年九月十五丙申日辰將丑時,施主簿(乙亥年七月初二日亥時生,三十四歲)占前程。口鑑 方本占案。 貴后 蛇申酉戌亥陰 朱未 子玄 虎陰陰蛇 財 丙申 蛇 六午 丑常 寅亥亥申 鬼 己亥 陰 陳巳辰卯寅虎 亥申申丙 父 壬寅 虎 龍空
建炎戊申年九月十五日の丙申、辰将を用いて丑時に加えて課を起し、施主簿(乙亥年七月初二日亥時生まれ、三十四歳)が前程を占った。此の例は『口鑑』と『方本占案』より採る。天盤の諸支は地盤より三位進む。丑時は夜に属し、丙日の夜貴は酉で、貴人は天盤の酉を乗せて地盤の午に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せて午に臨み、螣蛇は申を乗せて巳に臨み、朱雀は未を乗せて辰に臨み、六合は午を乗せて卯に臨み、勾陳は巳を乗せて寅に臨み、青竜は辰を乗せて丑に臨み、天空は卯を乗せて子に臨み、白虎は寅を乗せて亥に臨み、太常は丑を乗せて戌に臨み、玄武は子を乗せて酉に臨み、太陰は亥を乗せて申に臨み、天后は戌を乗せて未に臨む。四課は右から左へ:丙火の寄宮は巳に在り、巳上に申を得るは第一課。申上に亥を得るは第二課。日支の申上に亥を得るは第三課。亥上に寅を得るは第四課。上神は依り次ぎて螣蛇・太陰・太陰・白虎を乗せる。三伝は申・亥・寅:初伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。中伝の亥水は太陰を乗せ、遁干は己で、丙火を克して「官鬼」と為る。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」である。日支の申は日干の寄宮の巳の上に加え到るは、支が来て干に就くで、課の名は「贅婿」である。
邵彥和曰:支來就干,為干所克,其人無正宅,多在寺觀及外處居住,或在妻家。蓋課名贅婿,所以無正居也。傳見蛇虎必多喪服,將來終於曹職。末傳寅作虎,終於水邊作州府職官而已。其後果丁父母四喪,果於甲子年授江陰軍知錄,己巳有事矣。
邵彦和が言う:日支が来て日干に就き、また日干に克せられる。この人は正経の住宅なく、多半は寺観あるいは外郷に寄居し、然らざればすなわち妻家に住む。課の名が「贅婿」と名づくに因り、だから固定の居所なし。三伝の裏に螣蛇と白虎とを見るは、必定多く丧服を穿く。将来の官職は終究ただ曹掾の一類の属官に過ぎず。末伝の寅木は白虎を乗せ、最後はただ水に臨む州府の裏で一個の職事官を為すのみ。後に彼は果たして父母などの四場の丧事に遭遇し、果たして甲子年に江陰軍の知録に授せられ、己巳年に到って便ち事を出した。
愚按:蓋宅加日受克,宅上見亥,金反去生亥,安得正宅?末寅生於亥,丙生於寅,為水邊州府也。寅為曹職,今知錄亦然。大凡占官,寅申為遷轉之神,既為蛇虎所撓,故止於知錄。
程樹勲が按ずる:宅爻(日支)が日干の上に加わりてまた日干に克せられ、宅上に見ゆるは亥水で、申金は反して亥を生ず。いずくんぞなお正経の住宅あらん。末伝の寅木は亥に長生し、丙火はまた寅に長生するので、水に臨む州府と言う。寅は類神の裏で曹掾の職を主り、知録の一職もまたこの一類に属す。大抵官を占うに、寅・申は遷転を主る神で、ここはすでに螣蛇・白虎に撓せられたれば、だから官位はただ知録に到って止まる。
丁酉日
丁酉日劉経歴が梁大司馬の冢宰に推せんことを占う(六壬指南)
崇正辛未三月丁酉日卯時,劉經歷占梁大司馬推冢宰可允否。指南。 朱六 蛇子丑寅卯勾 貴龍陰六 鬼 己亥 貴 貴亥 辰青 亥辰酉寅 比 甲午 虎 后戌 巳空 辰酉寅丁 子 辛丑 朱 陰酉申未午虎 玄常
崇禎辛未年三月の丁酉日卯時、劉経歴が梁大司馬(兵部尚書)が冢宰(吏部尚書)に推挙せられて獲准し得るかを占った。此の例は『六壬指南』より採る。三月は戌将を用いて卯時に加え、天盤の諸支は地盤より七位進む。卯時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の辰に臨みて陽方に属し、天将は順布す:貴人は亥を乗せて辰に臨み、螣蛇は子を乗せて巳に臨み、朱雀は丑を乗せて午に臨み、六合は寅を乗せて未に臨み、勾陳は卯を乗せて申に臨み、青竜は辰を乗せて酉に臨み、天空は巳を乗せて戌に臨み、白虎は午を乗せて亥に臨み、太常は未を乗せて子に臨み、玄武は申を乗せて丑に臨み、太陰は酉を乗せて寅に臨み、天后は戌を乗せて卯に臨む。四課は右から左へ:丁火の寄宮は未に在り、未上に寅を得るは第一課。寅上に酉を得るは第二課。日支の酉上に辰を得るは第三課。辰上に亥を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・太陰・青竜・貴人を乗せる。三伝は亥・午・丑で、位を逐いて退行す:初伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、丁火を克して「官鬼」と為る。中伝の午火は白虎を乗せ、遁干は甲で、丁と同類にして「比肩」と為り、午はまた丁の禄神である。末伝の丑土は朱雀を乗せ、遁干は辛で、「子孫」である。
陳公獻曰:不惟不遷,尋常退位。蓋日馬坐墓庫,祿神臨絕地,傳將又逆行故耳。況命上官貴履天羅,年上蛇做日鬼,交夏月應有一番風波。幸官鬼俱空,官祿退位卻無大咎。後以浙省大行水公參劾,請告而退。東省萬公名應斗者,在辰時壬申又占此,亦逮問擬罪而回。
陳公献が言う:但だ升って上がり得ざるのみならず、なお平白に位を退かん。日辰の駅馬の亥が墓庫の辰上に坐し、禄神の午が絶地の亥上に臨み、三伝と天将とがまたみな逆行するの縁故である。まして本命上の官星と貴人とが「天羅」の地に踏み、行年上は螣蛇を乗せてまた日鬼を充当する。一たび夏月に交ればすなわち一番の風波あるべし。幸いなるに官爻・鬼爻はみな空亡に落つる。官禄は位を退くといえども、倒れて大禍なし。後に浙江の大行の水公の参劾に因って、彼は假を請いて引退した。山東の万公・名は応斗は、辰時の壬申にまたこの一課を占い得て、また逮問せられて罪を拟して帰るを被った。
丁酉日曽応遴が明日雪あるか否かを占う(六壬指南)
丁丑年十二月丁酉日卯時,曾應遴先生,因雪後天氣昏沉,占明日有雪否。指南。 青空 勾卯辰巳午虎 六寅 未常 空常勾空 子 辛丑 朱 朱丑 申玄 巳未卯巳 比 乙巳 空 蛇子亥戌酉陰 未酉巳丁 比 乙巳 空 貴後
丁丑年十二月の丁酉日卯時、曽応遴先生は雪後に天色が昏沈するに因り、明天さらに雪が落ちるか否かを占った。此の例は『六壬指南』より採る。十二月は丑将を用いて卯時に加え、天盤の諸支は地盤より両位退く。卯時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の丑に臨みて陽方に属し、天将は順布す:貴人は亥を乗せて丑に臨み、螣蛇は子を乗せて寅に臨み、朱雀は丑を乗せて卯に臨み、六合は寅を乗せて辰に臨み、勾陳は卯を乗せて巳に臨み、青竜は辰を乗せて午に臨み、天空は巳を乗せて未に臨み、白虎は午を乗せて申に臨み、太常は未を乗せて酉に臨み、玄武は申を乗せて戌に臨み、太陰は酉を乗せて亥に臨み、天后は戌を乗せて子に臨む。四課は右から左へ:丁火の寄宮は未に在り、未上に巳を得るは第一課。巳上に卯を得るは第二課。日支の酉上に未を得るは第三課。未上に巳を得るは第四課。上神は依り次ぎて天空・勾陳・太常・天空を乗せる。第一課と第四課とが重複し、四課はただ三課を成す。おって「別責」の法を取りて伝を立つ:初伝の丑土は朱雀を乗せ、遁干は辛で、「子孫」で、丑はまた正に本月の月将の太陽である。中伝・末伝はみな干の上神の巳を取り、天空を乗せ、「比肩」である。
斷曰:明日無雪且有日色。太陽發用,乘朱雀乃南方火之精也。且三傳四課純陰,陰極陽生,必有日所;至庚日未時有暴風起,酉為風殺,未為風伯,酉與未會故也。又日祿乘白虎加庚,上下克戰,故有此應。
断辞に言う:明天は雪を下さず、しかも太陽を出さん。発用の初伝の丑は正に月将の太陽で、上にまた「朱雀」を乗せ、朱雀は南方の火の精気である。加えるに三伝・四課はみな陰神で、陰は極処に到れば便ち転じて陽を生じ、必定日頭を見ん。庚日の未時に到りて一陣の暴風を起こさん。酉は風殺で未は風伯で、酉と未とが相会するの縁故である。また丁日の禄神の午は白虎を乗せ、申(庚金の位)の上に加わり、上下相克して交戦す。だからこの一応験あり。
丁酉日郭御青が子息を占う(郭氏占案)
壬申年 月丁酉日 將占子息。郭氏占案。 青空 勾卯辰巳午虎 六寅 未常 空常勾空 子 辛丑 朱 朱丑 申玄 巳未卯巳 比 乙巳 空 蛇子亥戌酉陰 未酉巳丁 比 乙巳 空 貴後
壬申年某月の丁酉日、某将を時に加えて子嗣を占う(底本は月份と月将との両処に空缺を留め、填めず)。此の例は『郭氏占案』より採る。課式は前の一例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の丑に臨み、螣蛇は子を乗せて寅に臨み、朱雀は丑を乗せて卯に臨み、六合は寅を乗せて辰に臨み、勾陳は卯を乗せて巳に臨み、青竜は辰を乗せて午に臨み、天空は巳を乗せて未に臨み、白虎は午を乗せて申に臨み、太常は未を乗せて酉に臨み、玄武は申を乗せて戌に臨み、太陰は酉を乗せて亥に臨み、天后は戌を乗せて子に臨む。四課は右から左へは巳が丁に加わり(丁の寄宮は未)、卯が巳に加わり、未が酉に加わり、巳が未に加わり、上神は依り次ぎて天空・勾陳・太常・天空を乗せる。四課は全からず、なお「別責」の法を取り、初伝の丑土は朱雀を乗せ、遁干は辛で、「子孫」で、中・末の両伝はみな干の上神の巳を用い、天空を乗せ、「比肩」である。
郭御青曰:壬申年,東鹿李望川者,為餘占子息,是年餘傷子即己巳所生者。李斷此課巳空,即主所傷之子。天上日寄未臨酉,土金相生,又遁干丁,巳火土相生,乃真父子相見。酉年必得子。果於癸酉年十一月得子,李斷亦奇妙矣,附此。且課名別責,亦棄先而科後望之意。愚按:中末空亡,生子不能長大,此前人所未發。余屢回試驗知之,幫特附記於此。
郭御青が言う:壬申年、東鹿の李望川が私のために子嗣を占った。この年に私は一人の息子を丧い、すなわち己巳年に生ずる所のあれである。李望川はこの課の巳が空亡に落つるを断じ、正に丧う所のこの息子の身上に応じた。天盤上の日干の寄宮の未は地盤の酉上に臨み、土金は相生し、未はまた丁干を遁じ得、巳火・土と層層に相生す。正に父子が真個に相見るの象で、酉年に必定子を得ん。後に果たして癸酉年十一月に子を得、李望川の断じたもまた奇妙と算うべく、これに因ってここに附記す。まして課の名が「別責」と名づくも、また先に在るを捨棄して指望を後頭に放くの意を含む。程樹勲が按ずる:中伝・末伝はみな空亡に落つ。生み下る孩子は養い大きくし得ず。この一層は前人の曾て説き破らざる所で、私は屢次試験して初めて知り、だから特にここに附記す。
丁酉日甲申生まれの人が求財を占う(方本占案・口鑑)
丙辰年五月十八日丁酉日申將未時甲申生人三十三歲占求財。方本占案 口鑑。 常玄 虎午未申酉陰 空巳 戌后 貴蛇朱六 鬼 己亥 貴 龍辰 亥貴 亥戌酉申 鬼 庚子 后 陳卯寅丑子蛇 戌酉申丁 子 辛丑 陰 六朱
丙辰年五月十八日の丁酉、申将を用いて未時に加えて課を起し、甲申年生まれ・三十三歳の人が財を求めるを占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より一位進む。未時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の戌に臨み、戌は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は亥を乗せて戌に臨み、天后は子を乗せて亥に臨み、太陰は丑を乗せて子に臨み、玄武は寅を乗せて丑に臨み、太常は卯を乗せて寅に臨み、白虎は辰を乗せて卯に臨み、天空は巳を乗せて辰に臨み、青竜は午を乗せて巳に臨み、勾陳は未を乗せて午に臨み、六合は申を乗せて未に臨み、朱雀は酉を乗せて申に臨み、螣蛇は戌を乗せて酉に臨む。四課と三伝とに注する所の天将は正にこの一套で、盤図上の標出する天将の次序は却ってこれと相反す。当に四課・三伝および断語を以て準と為すべし。四課は右から左へ:丁の寄宮は未で、未上に申を得るは第一課。申上に酉を得るは第二課。日支の酉上に戌を得るは第三課。戌上に亥を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・朱雀・螣蛇・貴人を乗せる。三伝は亥・子・丑で順次に相連なるは、「進茹」である:初伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、丁を克して「官鬼」と為る。中伝の子水は天后を乗せ、遁干は庚で、また「官鬼」である。末伝の丑土は太陰を乗せ、遁干は辛で、「子孫」で、丑はまた財神の申金の墓庫である。
邵彥和曰:進連茹三傳皆鬼,只喜日上人財,而辰上作六害。日上申加丁作六合,支上戌加酉作蛇,六合乃卯,蛇乃巳,此是卯與戌合,巳與申合,又末見財之庫,三傳雖鬼,只是少阻無妨,此是來往故事,再三方得。本命行年俱在傳課,又本命作財,必主喜兆非鬼兆也。
邵彦和が言う:三伝の亥子丑は「進連茹」で、三伝はまたみな官鬼を作す。幸いなるに日干の上神は財爻で、日支上は則ち六害を構成す。日干上の申金は丁上に加わりて「六合」を乗せ、日支の酉上の戌は「螣蛇」を乗せる。六合は地支で卯に属し、螣蛇は地支で巳に属し、正好卯と戌とが相合し、巳と申とが相合す。末伝の丑はまた財神の申金の墓庫である。だから三伝は鬼といえども、また過ぎて略く阻滞するのみで、大局を妨げず。これは旧有の往来の老事で、再三に張羅して初めて手に到るを得す。彼の本命の申と行年の戌とはみな課伝の中に落ち、本命の申はまた正に財爻で、必定は喜兆にして鬼兆にあらず。
丁酉日江文老が家宅を占う(方本占案・口鑑)
建炎戊申年七月十五丁酉日午將辰時,江文老占家宅。方本占案 口鑑。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰貴貴朱 財 丁酉 朱 空巳 子后 丑亥亥酉 官 己亥 貴 虎辰卯寅丑陰 亥酉酉丁 子 辛丑 陰 常玄
建炎戊申年七月十五日の丁酉、午将を用いて辰時に加えて課を起し、江文老が家宅を占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より両位進む。辰時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の酉に臨み、酉は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は亥を乗せて酉に臨み、螣蛇は戌を乗せて申に臨み、朱雀は酉を乗せて未に臨み、六合は申を乗せて午に臨み、勾陳は未を乗せて巳に臨み、青竜は午を乗せて辰に臨み、天空は巳を乗せて卯に臨み、白虎は辰を乗せて寅に臨み、太常は卯を乗せて丑に臨み、玄武は寅を乗せて子に臨み、太陰は丑を乗せて亥に臨み、天后は子を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:丁火の寄宮は未に在り、未上に酉を得るは第一課。酉上に亥を得るは第二課。日支の酉上に亥を得るは第三課。亥上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて朱雀・貴人・貴人・太陰を乗せる。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は朱雀を乗せ、遁干は丁で、「妻財」である。中伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、丁火を克して「官鬼」と為る。末伝の丑土は太陰を乗せ、遁干は辛で、「子孫」である。
邵彥和曰:汝家中所奉之神非正,乃邪也。是獨足五通之類。與正神相反,獨足亦是自為禍,侵淫了少女,又壞你一缸醬,兼蛇入宅也。是時江氏供一五通神,損折一足,只一足在。
邵彦和が言う:なんじの家裏の供奉する神は正神にあらず、邪神で、独脚の「五通」のこの一類に属す。それは正神と相反し、独脚は本身すなわち自ら禍祟を作し得る:すでに家中の少女を侵擾し、またなんじの一缸の醤を壊し、さらに蛇の屋に進んだことあり。当時江家は果たして一尊の五通神を供え、神像は一只の脚を折損し、ただ一足のみ残す。
蓋酉為五通,丁只一足,雀乃午也。七月尚是午將,將下見酉,乃醬也。丁主怪異壞物,課中有酉丑會起巳,巳臨門,故主蛇入宅。酉又為兌,兌少女也。故主侵淫少女。丁以酉為妻,丁主獨足,故主妻生獨足兒。
酉が類神の裏で五通を主り、丁の字はただ一足のみ有り、朱雀の配する所の地支は午であるに因る。七月はなお午将を用い、午将の下に酉を見、酉は醤を主る。丁神は怪異を主り、器物を毀壊するを主る。課中に酉と丑とが相会して巳を引動し、巳は門戸に臨む。だから蛇が宅に進むを主る。酉は八卦で兌に属し、兌は少女と為る。だから少女を侵擾するを主る。丁は酉を以て妻と為し、丁はまた独足を主る。だから妻子が独脚の孩子を生み下るを主る。
丁酉日童秀才が官訟を占う(方本占案・口鑑)
童秀才壬戌生四十七歲占官訟同得此課。方本占案 口鑑。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰貴貴朱 財 丁酉 朱 空巳 子后 丑亥亥酉 官 己亥 貴 虎辰卯寅丑陰 亥酉酉丁 子 辛丑 陰 常玄
童秀才は壬戌年生まれ・四十七歳、官司を占い、またこの一課を得た。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。課式は前の例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の酉に臨み、螣蛇は戌を乗せて申に臨み、朱雀は酉を乗せて未に臨み、六合は申を乗せて午に臨み、勾陳は未を乗せて巳に臨み、青竜は午を乗せて辰に臨み、天空は巳を乗せて卯に臨み、白虎は辰を乗せて寅に臨み、太常は卯を乗せて丑に臨み、玄武は寅を乗せて子に臨み、太陰は丑を乗せて亥に臨み、天后は子を乗せて戌に臨む。四課は右から左へは酉が丁に加わり(丁の寄宮は未)、亥が酉に加わり、亥が酉に加わり、丑が亥に加わり、上神は依り次ぎて朱雀・貴人・貴人・太陰を乗せる。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は朱雀を乗せ、遁干は丁で、「妻財」と為る。中伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、「官鬼」と為る。末伝の丑土は太陰を乗せ、遁干は辛で、「子孫」と為る。
邵彥和曰:晝貴在夜,夜貴在晝,謂之貴人失位,不宜訟,必主斷理不明。今貴人差迭,主以財結托,及暗通貴人關節。酉作雀,徒然結托,必主又換衙門。行年寅,又為今日父母,主吏人及尊長為鬼。蓋不合寅反加鬼鄉故也。官斷不明,末傳太陰故也。以後彼必葬老陰人於內,太陰作丑為墓故也。童有房賣田並山,其兄應分取贖,弟反增高價,遂訟於官,買主繫童秀才之姑,自戊申至辛亥六月姑死,彼家果扛姑葬於內,而贖不得。
邵彦和が言う:昼貴人は却って夜間に現出し、夜貴人は却って白天に現出す。これを「貴人の位を失う」と名づく。訟を興すに宜しからず、必定理を断ずること明ならず。如今貴人は錯雑し、銭財を用いて往きて結托し、暗に貴人の関節に通ずるを主る。酉上は朱雀を乗せ、白々しく結托の一場で、必定さらに衙門を改換せんと要す。行年は寅に在り、寅はまた今日の父母爻で、吏員と尊長とが反って鬼と成るを主る——寅はもともと反して鬼郷の上に加わるべからざるに因る。官司の断じ明ならざるは、末伝の太陰の縁故である。此の後に彼の家は必定一位の年老いた婦人をあの塊の地裏に葬らん。太陰の乗ずる丑が正に墓庫なので。童家に房ありて連れて田と山とを売り出さんと要し、彼の哥哥はもともと産を分けて贖を取るべきところ、弟弟は反って価銭を抬高し、おって官府に告げた。買主は童秀才の姑母で、戊申年より辛亥年六月に姑母は死し、あの家の人は果たして姑母を抬げて往きて裏面に葬り、房産もまた贖い回る能わず。
丁酉日事を占う(指帰霊文論)
五月丁酉日午將辰時占事。指歸靈文論。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰貴貴朱 財 丁酉 朱 空巳 子后 丑亥亥酉 官 己亥 貴 虎辰卯寅丑陰 亥酉酉丁 子 辛丑 陰 常玄
五月の丁酉日、午将を用いて辰時に加えて課を起し、来人の為す所の何事かを占った。此の例は『指帰霊文論』より採る。課式は前の両例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の酉に臨み、螣蛇は戌を乗せて申に臨み、朱雀は酉を乗せて未に臨み、六合は申を乗せて午に臨み、勾陳は未を乗せて巳に臨み、青竜は午を乗せて辰に臨み、天空は巳を乗せて卯に臨み、白虎は辰を乗せて寅に臨み、太常は卯を乗せて丑に臨み、玄武は寅を乗せて子に臨み、太陰は丑を乗せて亥に臨み、天后は子を乗せて戌に臨む。四課は右から左へは酉が丁に加わり、亥が酉に加わり、亥が酉に加わり、丑が亥に加わり、上神は依り次ぎて朱雀・貴人・貴人・太陰を乗せる。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は朱雀を乗せて「妻財」と為り、中伝の亥水は貴人を乗せて「官鬼」と為り、末伝の丑土は太陰を乗せて「子孫」と為る。貴人の在る所を以て界と為し、初伝の酉は貴人の前に在り、末伝の丑は貴人の後に在る。
斷曰:初傳在天乙前,末傳在天乙後,此名傳陽入陰必主旦暮有奴僕,附書信而至,何也?酉在天乙前為奴,在天乙後為婢(愚按:此論諸家所無)。今酉在天乙前又並朱雀,故也。天乙在酉主門戶動搖,又得傳陽入陰,故主外來書信立至。
断辞に言う:初伝は天乙貴人の前に在り、末伝は天乙貴人の後に在る。これを「伝陽して陰に入る」と名づく。必ず早晚の間に奴僕が書信を帯びて到来するを主る。何故か。酉は天乙の前に在れば奴を主り、天乙の後に在れば婢を主る(程樹勲が按ずる:この一説法は各家にみななし)。如今酉は天乙の前に在り、また朱雀のこの文書を主る神を併せる。だからこのよう。天乙は酉位に落つるは、門戸の動揺を主る。また伝陽して陰に入るを得る。だから外来の書信の立刻に到るを主る。
丁酉日郭彦和が継子を占う
己酉年十月二十二丁酉日寅將子時,郭彥和壬午生二十八歲占繼子。 蛇貴 朱未申酉戌后 六午 亥陰 常陰陰龍 財 丁酉 貴 陳巳 子玄 丑亥亥酉 鬼 己亥 陰 龍辰卯寅丑常 亥酉酉丁 子 辛丑 常 空虎
己酉年十月二十二日の丁酉、寅将を用いて子時に加えて課を起し、郭彦和は壬午年生まれ・二十八歳、過継ぎして来た息子を占った。天盤の諸支は地盤より両位進む。子時は夜に属し、丁日の夜貴は酉で、貴人は天盤の酉を乗せて地盤の未に臨み、未は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せて未に臨み、天后は戌を乗せて申に臨み、太陰は亥を乗せて酉に臨み、玄武は子を乗せて戌に臨み、太常は丑を乗せて亥に臨み、白虎は寅を乗せて子に臨み、天空は卯を乗せて丑に臨み、青竜は辰を乗せて寅に臨み、勾陳は巳を乗せて卯に臨み、六合は午を乗せて辰に臨み、朱雀は未を乗せて巳に臨み、螣蛇は申を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:丁の寄宮は未で、未上に酉を得るは第一課。酉上に亥を得るは第二課。日支の酉上に亥を得るは第三課。亥上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて貴人・太陰・太陰・太常を乗せる(四課の処の第一課の天将は底本は「竜」と刻するも、盤図・三伝および断語の言う所の「酉は貴人を作す」と合せず、当に貴人を以て是と為すべし)。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は貴人を乗せ、遁干は丁で、「妻財」である。中伝の亥水は太陰を乗せ、遁干は己で、丁火を克して「官鬼」と為る。末伝の丑土は太常を乗せ、遁干は辛で、「子孫」である。
邵彥和曰:三傳干支,皆是貴人,此子恐日後必不服,而心有回家之意。酉作貴人,內中有丁,終主動。宅上又作中傳,丁絕於亥,丑權住腳,似乎尊閫不看顧他,惟有老陰人撫卹,終老陰人之世,他必去也。然此子不貴,吾兄年三十二上,自有子,三傳貴人太多,所以貴多不貴,兩頭不得也。
邵彦和が言う:三伝と日干・日支上とが処処みな貴人で、この過継ぎの息子は恐らく日后に一定管束に服さず、心裏に本家に回るの念頭を存する。酉上は貴人を乗せ、その中にまた丁神を蔵するは、終究に動を主る。日支の宅上の神はまた中伝を作した。丁火は亥に絶し、丑上に到って初めて勉强に脚を站まらせ得る。看れば家中の主母が彼を照管せんと肯んぜず、ただ一位の年老いた婦人が撫恤するに似たり。この老婦人が一たび過世すれば、彼は必定走らん。ただこの孩子もまた顕貴せざらん——なんじの兄長は三十二歳の上に、自然に親生の息子あるべし。三伝の貴人は太多く、貴が多すぎればかえって貴ならず、両頭ともに空に落つる。
子就父作貴人,支投干作貴人,可見此子不合留。丁以酉為妻,妻後自有子,故不看管他。彼乃去也酉乃丁之妻,亥乃酉之子,亥加酉上,故曰妻有子,三十二歲行年到酉乃應也。
息子が来て父に就きて貴人を作し、日支が日干に投向してもまた貴人を作す。この息子は留まるべからざるを見べし。丁は酉を以て妻と為し、妻子は日后に自ら子を生ぜん。だから彼を照管せず、彼はすなわち去る。酉は丁の妻で、亥は酉の生ずる所の子で、亥は酉上に加わる。だから妻子が息子あるべしと言う。三十二歳に到って行年は酉に走り到るは、正に応期である。
然宅中有上穹像,不合觸穢,所以缺子。又兼主山不合造豬圈,辱主氣,故不得子也。果有干亥山來近相沖,正是右脅下,主婦人墮胎,故無子。
しかし宅裏に上天の神像を供うるに、汚穢の冲犯を受くべからず。だから子を缺く。また主山の上に猪圈を修造すべからざるを加え、主気を褻瀆した。これに因って息子を得ず。後に查看すれば、果たして乾亥方の山の来ること太近くして相冲し、正に右脇の下に対し、婦人の胎を堕とすを主る。だから子なし。
蓋酉為貴人,一則支來就干,主子顯父母,二則遍地乃貴人,今亥為元穹,主觸穢;三乃鬼入宅,是主山來處不合豬圈汙穢,乃太陰為鬼也。丑為墓,加亥及干,丑乃丁之子孫,作土犯亥,故墓不利。若移了豬圈,及供上聖,自然有子矣。後果如所占。
酉上は貴人なので:一は日支が来て日干に就けば、息子が父母を顕耀するを主る。二は満盤みな貴人で、如今亥は上天を主り、汚穢に触犯せらるるを主る。三は鬼が宅に入るで、主山の来脈の処に猪圈の汚穢あるべからざるを指す。これは正に太陰が鬼を作す。丑は墓庫で、亥上に加わりてまた日干の上に加え到る。丑はもともと丁の子孫爻で、土に属して亥水を冲犯す。だから墳墓の上に不利である。ただ猪圈を移し去り、さらに上天の神像を供奉して妥当なれば、自然に息子あらん。後に果たして占う所と一様であった。
丁酉日来意を占う(五要権衡)
正月丁酉日亥將酉時占來意。五要權衡。 蛇貴 朱未申酉戌后 六午 亥陰 常陰陰龍 財 丁酉 貴 陳巳 子玄 丑亥亥酉 鬼 己亥 陰 龍辰卯寅丑常 亥酉酉丁 子 辛丑 常 空虎
正月の丁酉日、亥将を用いて酉時に加えて課を起し、来人の意図を占った。此の例は『五要権衡』より採る。亥将を酉に加え、天盤の諸支はなお地盤より両位進み、課式は前の例と同じ:貴人は天盤の酉を乗せて地盤の未に臨み、天后は戌を乗せて申に臨み、太陰は亥を乗せて酉に臨み、玄武は子を乗せて戌に臨み、太常は丑を乗せて亥に臨み、白虎は寅を乗せて子に臨み、天空は卯を乗せて丑に臨み、青竜は辰を乗せて寅に臨み、勾陳は巳を乗せて卯に臨み、六合は午を乗せて辰に臨み、朱雀は未を乗せて巳に臨み、螣蛇は申を乗せて午に臨む。四課は右から左へは酉が丁に加わり(丁の寄宮は未)、亥が酉に加わり、亥が酉に加わり、丑が亥に加わり、上神は依り次ぎて貴人・太陰・太陰・太常を乗せる。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は貴人を乗せ、遁干は丁で、「妻財」と為る。中伝の亥水は太陰を乗せ、遁干は己で、「官鬼」と為る。末伝の丑土は太常を乗せ、遁干は辛で、「子孫」と為る。
朱桓曰:來意主盜賊殺人,後獲賊。是婦人因奸與一行人殺死一僧一僕於舟中,沉水內。其婦人與僧通,猶妻也。據經:酉為少女,是因妻。亥為鬼為賊,為孤獨之人。未敢定論是賊殺人。初建觀之,先尋今日建鬼,是癸卯,乘天空,是行人矣是舟人。辛亥,辛乃今日妻,亥卯相合,是妻與行人謀殺,又復見觀之。酉得鬼臨丁,酉為妻,癸為鬼,是妻害巳也。此婦人是癸酉生,可怪,雖敗入獄,曹世變,俱不結案而逃去。
朱桓が言う:来人の意図は盗賊が人を殺すを主り、後に賊は捉えられた。事は一名の婦人が奸情に因り、一人の行路人と船中にて一僧・一僕を殺死し、屍を水に沈めた。あの婦人は僧人と私通し、僧人の妻子に等同す。経文に拠れば:酉は少女を主る。だから妻に因って起こると言う。亥は鬼を主り賊を主り、また孤独の人を主る。これに因って敢えて遽かにすなわち賊が来て人を殺すと断定せず。先に月建より看起す:今日の建上の鬼は癸卯で、卯上は天空を乗せ、天空は行路の人を主る。ここは正に船上の人を指す。さらに辛亥を看る:辛は今日の妻で、亥は卯と相合し、正に妻子と行路人とが合謀して人を殺した。反覆して推詳してもなおこのようである。酉は鬼を得て丁上に臨み、酉は妻で癸は鬼で、正に妻子が自身を害した。この婦人は癸酉年生まれで、また真に奇怪。事敗れて獄に下るといえども、却って世変に遭逢したに因り、みな案を結せずして逃走した。
丁酉日人の門を扣く何故を占う(六壬指南)
己巳十一月丁酉日丑將戌時占人扣門何故。指南。 貴后 蛇申酉戌亥陰 空玄常后 官 庚子 玄 朱未 子玄 卯子丑戌 父 癸卯 空 六午 丑常 子酉戌丁 比 甲午 六 勾巳辰卯寅虎 青空
己巳年十一月の丁酉日、丑将を用いて戌時に加えて課を起し、人の門を敲くは何の事のためかを占った。此の例は『六壬指南』より採る。天盤の諸支は地盤より三位進む。戌時は夜に属し、丁日の夜貴は酉で、貴人は天盤の酉を乗せて地盤の午に臨み、午は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せて午に臨み、螣蛇は申を乗せて巳に臨み、朱雀は未を乗せて辰に臨み、六合は午を乗せて卯に臨み、勾陳は巳を乗せて寅に臨み、青竜は辰を乗せて丑に臨み、天空は卯を乗せて子に臨み、白虎は寅を乗せて亥に臨み、太常は丑を乗せて戌に臨み、玄武は子を乗せて酉に臨み、太陰は亥を乗せて申に臨み、天后は戌を乗せて未に臨む。四課は右から左へ:丁の寄宮は未で、未上に戌を得るは第一課。戌上に丑を得るは第二課。日支の酉上に子を得るは第三課。子上に卯を得るは第四課。上神は依り次ぎて天后・太常・玄武・天空を乗せる。三伝は子・卯・午:初伝の子水は玄武を乗せ、遁干は庚で、丁火を克して「官鬼」と為る。中伝の卯木は天空を乗せ、遁干は癸で、丁火を生じて「父母」と為る。末伝の午火は六合を乗せ、遁干は甲で、丁と同類にして「比肩」と為り、午はまた丁日の禄神である。
陳公獻曰:來扣門者必因盜賊之事。及開門時,是遲王兩父師相召,往見之,坐下即云:彼鄉有一舉人做亂。予袖傳一課答之曰:敗擒,無煩過慮。蓋因干支上乘死墓,玄鬼臨於敗地,日上神又制之,是以不能持久,一交土旺時自休息矣。又問家宅安否,曰:然繫何命?曰:乙亥、戊子者。予云:亥年驛馬貴人,子年乘河魁,又二貴拱夾亥命,曰功名而未成,子乃科舉中人,俱遷居他處矣。曰:亥命家兄是秀才,子命舍弟是舉人。果不十二月,為亂者事敗,家中安堵。
陳公献が言う:来て門を敲くは必定盗賊の事のためである。門を開くを待ちて、元来は遅・王の两位の父師が相邀いに来た。往きて彼らに見え、剛く坐して便ち言う:あの一帯の郷裏に一人の挙人ありて乱を作す。私は袖中に暗に一課を起こし、答えて言う:失敗して擒にせられん、過慮するを要せず。日干・日支上に死気と墓神とを乗せ、玄武の鬼はまた沐浴・敗地に臨み、日干の上神はなおそれを制し住め得るに因る。だから支撐すること久しからず、一たび土旺の時に交れば自然に平息す。彼らはまた家宅の平安か平安ならざるかを問う。私は言う:何の本命か。答えて乙亥・戊子と曰う。私は言う:亥年生まれは駅馬と貴人と斉備し、子年生まれは河魁を乗せ、両重の貴人はまた亥命を当中に夾拱す。亥命のは功名あれどもなお成就せず、子命のは科挙の中の人で、两位はみな別処に遷居せん。彼らは言う:亥命のは家兄で秀才で、子命のは舎弟で挙人である。果たして十二月に満たざるに、乱を作した人は事敗れ、両家は安然として事なし。
丁酉日何秀才が前程を占う(口鑑・方本占案)
戊申年五月丁酉日申將辰時何秀才丁亥生二十二歲占前程。口鑑 方本占案。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 空陰常貴 鬼 己亥 貴 陳未 寅玄 巳丑卯亥 父 癸卯 常 龍午巳辰卯常 丑酉亥丁 子 乙未 陳 空虎
戊申年五月の丁酉日、申将を用いて辰時に加えて課を起し、何秀才は丁亥年生まれ・二十二歳、前程を占った。此の例は『口鑑』と『方本占案』より採る。天盤の諸支は地盤より四位進む。辰時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の未に臨み、未は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は亥を乗せて未に臨み、螣蛇は戌を乗せて午に臨み、朱雀は酉を乗せて巳に臨み、六合は申を乗せて辰に臨み、勾陳は未を乗せて卯に臨み、青竜は午を乗せて寅に臨み、天空は巳を乗せて丑に臨み、白虎は辰を乗せて子に臨み、太常は卯を乗せて亥に臨み、玄武は寅を乗せて戌に臨み、太陰は丑を乗せて酉に臨み、天后は子を乗せて申に臨む。四課は右から左へ:丁火の寄宮は未に在り、未上に亥を得るは第一課。亥上に卯を得るは第二課。日支の酉上に丑を得るは第三課。丑上に巳を得るは第四課。上神は依り次ぎて貴人・太常・太陰・天空を乗せる。三伝は亥・卯・未で合して木局を成す:初伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、丁火を克して「官鬼」と為る。中伝の卯木は太常を乗せ、遁干は癸で、丁火を生じて「父母」と為る。末伝の未土は勾陳を乗せ、遁干は乙で、「子孫」である。
邵彥和曰:本命在日上作初傳,既是官星,上見貴人,貴人帶官來,三十歲定主及第,及第後須見大病,病後卻吉。迤邐至守土官。宅上丑作太陰,終身居於舊宅,一生不能建造,但有守土之名,無守土之實。殘病在身,不能卦美任矣。何二十九中舉,三十及第。第六任授台州太守,為風癱不能赴任。
邵彦和が言う:彼の本命の亥は日干の上に落ちてまた初伝を作し、すでに官星で、上にまた貴人を乗せるは、貴人が官職を帯びて前来するで、三十歳の上に一定に登第せん。登第して後に必ず一場の大病あり、病を過ぎて後は却って吉で、漫漫と守土の官を為し到る。日支の宅上の丑は太陰を乗せ、一辈子は旧宅の裏に住し、終身に新屋を興造する能わず。ただ守土官の名を落とすのみで、守土官の実なし。残病は身に纏いて、美き欠に赴き得ず。何秀才は二十九歳にして挙に中り、三十歳にして進士第に登り、第六任に台州の太守を授けられ、風癱に因って任に赴く能わず。
蓋亥水克丁為官,本命又是官,是自家官星相催也。三十乃丙辰年分,辰上見申,申金生亥水,官星有氣,故及第。及第後大病四十餘日方安者,先論官,次論克也。病得不死者,亥卯未木局,木能生火故了。卯乃生丁之神,卯數六,故六任。末傳未是本身,加日祿卯上,為勾陳所拘,本能生風,死敗之氣,乃虛風也。勾陳留滯之神,故終為之纏也。未即今日之丁,未死於卯,丁敗於卯,未為守土之任,既死敗不能赴也。
亥水は丁火を克するので官星で、本命は恰好また官星で、これは自家の官星が自己を催促するのである。三十歳のあの年は丙辰年で、辰上に申を見、申金は亥水を生じ、官星は気あり。だから登第す。登第して後に大病して四十余日にして初めて好けたは、先に官星を論じ、後に克伐を論じたの縁故である。病して死せざるは、亥卯未が合して木局を成し、木は火を生じ得るに因る。卯は丁を生ずる神で、卯の数は六。だから第六任を為し到る。末伝の未土はすなわち彼の本身で、日禄の卯の上に加わり、勾陳に拘え住せられる。未はもともと風を生じ得て、また死敗の気を帯び、虚風を成した。勾陳は留滞を主る神で、だから終身にそれに纏い住せられる。未はすなわち今日の丁(丁は未に寄す)で、未は卯に死し、丁もまた卯に敗す。未は守土の任を主る。すでに死敗の地に落つれば、すなわち任に赴き成らず。
丁酉日何学録が身位・家宅を占う(口鑑・方本占案)
何學錄庚申生四十九歲占身位及家宅同得此課。口鑑 方本占案。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 空陰常貴 鬼 己亥 貴 陳未 寅玄 巳丑卯亥 父 癸卯 常 龍午巳辰卯常 丑酉亥丁 子 乙未 陳 空虎
何学録は庚申年生まれ・四十九歳、自身の位分と家宅とを占い、またこの一課を得た。此の例は『口鑑』と『方本占案』より採る。課式は前の例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の未に臨み、螣蛇は戌を乗せて午に臨み、朱雀は酉を乗せて巳に臨み、六合は申を乗せて辰に臨み、勾陳は未を乗せて卯に臨み、青竜は午を乗せて寅に臨み、天空は巳を乗せて丑に臨み、白虎は辰を乗せて子に臨み、太常は卯を乗せて亥に臨み、玄武は寅を乗せて戌に臨み、太陰は丑を乗せて酉に臨み、天后は子を乗せて申に臨む。四課は右から左へは亥が丁に加わり(丁の寄宮は未)、卯が亥に加わり、丑が酉に加わり、巳が丑に加わり、上神は依り次ぎて貴人・太常・太陰・天空を乗せる。三伝は亥・卯・未:初伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、「官鬼」と為る。中伝の卯木は太常を乗せ、遁干は癸で、「父母」と為る。末伝の未土は勾陳を乗せ、遁干は乙で、「子孫」と為る。
邵彥和曰:前課二十二歲,官星未過,是取官之年,今乃四十九,官星已過,乃是絕神克身,末又受克,不能制水,是數不永。辛亥必死矣。況卯乃截路空亡,未加於上,亦以空言。所以不得力。更宅前左手,不合被人遷墳,掘斷龍脈葬老陰人,因此生事,家計悉破也。何三十二上中舉,已滿官星之數,四十外已無力,故不及第,為學錄。至辛亥年死。
邵彦和が言う:前一課の人は二十二歳で、官星の数はなお走り尽くさず、正に官を取るの年歳である。この一位はすでに四十九で、官星の数は早く過ぎ、亥水は便ち身を克するの絶神と成り、末伝の未土はまた克を受け、水を制し得ず。寿数は長からず、辛亥年に到って必ず死せん。まして卯は截路の空亡で、未はまたそれの上に加わる。ただ空亡に当て看るべくのみ、だから得るに力を著かず。さらに宅前の左手の一辺に、人に墳を遷さるるべからず。竜脈を掘り断せられ、さらに一位の老年の婦人を葬り、これに因って事端を惹き起こし、家業は尽く破れた。何学録は三十二歳にして挙に中るも、官星の数はすでに用い満たした。四十を過ぎれば便ち力なし。だから進士に中らず、ただ一個の学録を為して、辛亥年に到って去世した。
蓋亥克丁為官,亥四未八,四八三十二,故四十外即不得力,既不為官,即是鬼,鬼來克身,又是丁之絕神,至亥年鬼旺,身不可逃,故死。又酉日丑加酉為墓神,丑在前,西方看北方,是左手也。太陰老陰人也。五十二死者,命上子水,變殺破祿也。夫同此一課,而命添一水,便乃迥異如此。一云:五十二死者,命上子水變殺破祿也。
亥水は丁火を克するので官星を作し、亥の数は四、未の数は八、四八が相乗じて三十二。だから四十を過ぎれば便ち力を得ず。すでにさらに官たらざれば、すなわちあれは鬼で、鬼は来て身を克す。亥はまた丁火の絶神で、亥年に到って鬼気は最も旺じ、身子は躱し過ぎ得ず、これに因って死す。また酉日は丑を酉に加えて墓神と為し、丑は前面に在り、西方より北方を望めば、正に左手の一辺で、太陰は則ち年老いた婦人の象である。五十二歳にして死すと説くに至っては、本命上の子水が殺神に変じて禄気を冲破する。同じくこの一課、ただ本命上に多く一重の水を添えたに因って、結果は便ち迥然としてこの地步に到って同じからず。一説に:五十二歳にして死すは、本命上の子水が殺に変じて禄を破るの縁故である。
丁酉日劉退斎が假を請いて親を省る(六壬指南)
丑四月丁酉日酉將巳時,浣中劉退齋太史請假省親占。指南。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 空陰常貴 鬼 己亥 貴 陳未 寅玄 巳丑卯亥 父 癸卯 常 龍午巳辰卯常 丑酉亥丁 子 乙未 陳 空虎
某丑年四月の丁酉日、酉将を用いて巳時に加えて課を起し、浣中の劉退斎太史が假を請いて郷に回りて親を省り、獲准し得るかを占った(底本の紀年はただ一「丑」の字を存し、天干は缺く)。此の例は『六壬指南』より採る。酉将を巳に加え、天盤の諸支はなお地盤より四位進み、課式は前の両例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の未に臨み、螣蛇は戌を乗せて午に臨み、朱雀は酉を乗せて巳に臨み、六合は申を乗せて辰に臨み、勾陳は未を乗せて卯に臨み、青竜は午を乗せて寅に臨み、天空は巳を乗せて丑に臨み、白虎は辰を乗せて子に臨み、太常は卯を乗せて亥に臨み、玄武は寅を乗せて戌に臨み、太陰は丑を乗せて酉に臨み、天后は子を乗せて申に臨む。四課は右から左へは亥が丁に加わり、卯が亥に加わり、丑が酉に加わり、巳が丑に加わり、上神は依り次ぎて貴人・太常・太陰・天空を乗せる。三伝は亥・卯・未:初伝の亥水は貴人を乗せて「官鬼」と為り、中伝の卯木は太常を乗せて「父母」と為り、末伝の未土は勾陳を乗せて「子孫」と為る。
陳公獻曰:此奏不允所請,必有溫旨相留。何以知之?蓋天驛二馬加臨年命,理應行動之象。但發用官貴,德馬夾克,又戀長生,主不由己而動。曰:朱雀又空,為文書不就,中傳卯與支上太歲相剋,主君上隔阻,有溫旨相留也。後果不允假旋。
陳公献が言う:この一道の奏疏は彼の請う所を准ぜざるに、必定温言にして慰留するの聖旨あるべし。どうして知るか。天馬と駅馬の両重の馬はみな彼の行年・本命上に加臨し、理に按れば行動すべきの象である。しかし発用の初伝は官星と貴人とで、日徳と駅馬とが両辺より夾克し、また長生の地に恋着す。身に由らざるを主り、動き成らず。また言う:朱雀は文書を主るも、偏にまた空に落つるは、文書の成らざるなり。中伝の卯木は日支上の太歳と相克す。君上が中より阻隔するを主り、温旨を下して挽留せん。後に果たして彼の假を請いて郷に回るを准ぜず。
戊戌日
戊戌日張貢生が里に回るを占う(牧夫占験)
乾隆戊辰年戊戌日辰將酉時山西張貢生占回里。牧夫占驗。 貴后 蛇子丑寅卯陰 蛇常空蛇 財 庚子 蛇 朱亥 辰玄 子巳未子 兄 乙未 空 合戌 巳常 巳戌子戊 鬼 壬寅 后 勾酉申未午虎 龍空
乾隆戊辰年の戊戌日、辰将を用いて酉時に加えて課を起し、山西の張貢生が郷に回り得るかを占った。此の例は王牧夫の占験より採る。天盤の諸支は地盤より七位進む。本課は貴人が天盤の丑を乗せ、丑は地盤の午に臨み、午は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は丑を乗せて午に臨み、天后は寅を乗せて未に臨み、太陰は卯を乗せて申に臨み、玄武は辰を乗せて酉に臨み、太常は巳を乗せて戌に臨み、白虎は午を乗せて亥に臨み、天空は未を乗せて子に臨み、青竜は申を乗せて丑に臨み、勾陳は酉を乗せて寅に臨み、六合は戌を乗せて卯に臨み、朱雀は亥を乗せて辰に臨み、螣蛇は子を乗せて巳に臨む。四課は右から左へ:戊土の寄宮は巳に在り、巳上に子を得るは第一課。子上に未を得るは第二課。日支の戌上に巳を得るは第三課。巳上に子を得るは第四課。上神は依り次。上神は依り次ぎて螣蛇・天空・太常・螣蛇を乗せる。三伝は子・未・寅:初伝の子水は螣蛇を乗せ、遁干は庚で、戊土の「妻財」である。中伝の未土は天空を乗せ、遁干は乙で、戊と同類にして「兄弟」と為る。末伝の寅木は天后を乗せ、遁干は壬で、戊土を克して「官鬼」と為る。
王牧夫曰:此課不能還鄉,出六月尚有帶妾移居之事。恐終信此處也。蓋發用蛇作妻財臨身,還鄉財不足,一也。巳作太常居支,巳乃戊身,身歸支墓豈能動乎?二也。自子傳寅,末歸東北,傳不到西,三也。有此三象安能返故園乎?
王牧夫が言う:この課は郷に回り得ず、六月を過ぎてさらに妾室を帯びて家を搬うの事あり。恐らくは終究ただ此の地に留まるのみ。発用の初伝は螣蛇を乗せてまた妻財で、日身の上に臨む。郷に回るの盤纏が足らざるに因る。これは第一層。巳は太常を乗せて日支上に落ち、巳は正に戊の寄宮の本身で、身は日支の墓庫に帰入す。どうして動き得ん。これは第二層。三伝は子より寅に伝わり、末伝は東北方に帰し、西方に伝わり到らず。これは第三層。この三重の象あれば、どうして故園に返回し得よう。
再視支上巳,巳乃少女,乘太常為親戚由外入內,當主妾家之親來就,共爨作纏繞也。初傳騰蛇又在妻位與中傳未害天空,主喧兢是以有吵鬧之事。未主六月,支上與申馬作合,故主六月有移家之象。占課之時,張兄已娶妾住關南,因妾家親戚來共居,張見惡之。果於六月遷居小東門,家宅始安,至今尚未還鄉。
さらに日支上の巳を看る:巳は少女を主り、上は太常を乗せ、親戚が外面より進んで裏面に来る。当に妾家の親属の来て投靠して、同じ鍋に飯を食って糾纏を生ずるを主る。初伝の螣蛇はまた妻位に落ち、中伝の未土と相害して天空を傷る。喧嘩・争競を主る。だから吵閙の事あり。未は六月を主り、日支上の巳はまた戌日の駅馬の申と相合す。だから六月に家を搬うの象あるを主る。課を起こすの時、張兄はすでに妾を娶りて関南に住し、妾家の親戚の来て同住するに因り、張兄は十分に厭悪した。果たして六月裏に遷居して小東門に至り、家宅は初めて安寧し、如今に到るまでなお郷に回らず。
戊戌日産期を占う(郭氏占案)
崇正癸酉年十一月戊戌日寅將午時占產期。郭氏占案。 后陰 貴丑寅卯辰玄 后虎勾貴 鬼 壬寅 后 蛇子 巳常 寅午酉丑 兄 戊戌 合 朱亥 午虎 午戌丑戊 父 甲午 虎 合戌酉申未空 勾龍
崇禎癸酉年十一月の戊戌日、寅将を用いて午時に加えて課を起し、産期を占った。此の例は『郭氏占案』より採る。天盤の諸支は地盤より八位進む。午時は昼に属し、戊日の昼貴は丑で、貴人は天盤の丑を乗せて地盤の巳に臨み、巳は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は丑を乗せて巳に臨み、天后は寅を乗せて午に臨み、太陰は卯を乗せて未に臨み、玄武は辰を乗せて申に臨み、太常は巳を乗せて酉に臨み、白虎は午を乗せて戌に臨み、天空は未を乗せて亥に臨み、青竜は申を乗せて子に臨み、勾陳は酉を乗せて丑に臨み、六合は戌を乗せて寅に臨み、朱雀は亥を乗せて卯に臨み、螣蛇は子を乗せて辰に臨む。四課は右から左へ:戊の寄宮は巳で、巳上に丑を得るは第一課。丑上に酉を得るは第二課。日支の戌上に午を得るは第三課。午上に寅を得るは第四課。上神は依り次ぎて貴人・勾陳・白虎・天后を乗せる。三伝は寅・戌・午で合して火局を成す:初伝の寅木は天后を乗せ、遁干は壬で、戊土を克して「官鬼」と為る。中伝の戌土は六合を乗せ、遁干は戊で、日干と同類にして「兄弟」と為る。末伝の午火は白虎を乗せ、遁干は甲で、戊土を生じて「父母」と為る。
郭御青曰:前為產期。丁亥日丁一課,知在戌日矣。至戊戌日占,果是巳日生否?此課貴人臨干,丑為腹神,落空必產而後空也。又午為戊之胎神,作白虎,速產之象。又臨戌必是日生也。前寅丁一課,寅午虛邀戌字,今即三傳寅戌午,又壬申年己丑日辰巳一課發用,子作貴人。今干上丑作貴人,三課呼應如一課,奇矣!
郭御青が言う:先前に産期を占い過ぎ、丁亥日のあの一課は丁神を用いて課を発し、すでに戌日に応ずべきを知った。戊戌日に到ってさらに占うに、果たして巳日に分娩せんか。この課は貴人が日干上に臨み、丑は腹を主り、丑はまた旬空の巳上に坐す。必ず先に分娩して後に腹空ずる。午はまた戊の胎神で、上は白虎を乗せ、産を催して速産するの象で、午はまた戌上に臨む。必定是この一日に生産せん。先前の寅・丁のあの一課は、寅と午とが虚虚に戌の字を当中に邀え、如今三伝は恰好すなわち寅・戌・午。さらに壬申年己丑日の辰を巳に加えたあの一課を加えれば、発用の子上は貴人を乗せ、如今日干上の丑もまた貴人を乗せる——三課は前後に呼応すること一課のごとし。真に奇なり。
戊戌日潘道士が住持を占う(方本占案・口鑑)
二月戊戌日戌將寅時潘道士乙亥生占住持。方本占案 口鑑。 虎常 空丑寅卯辰玄 龍子 巳陰 虎后蛇空 鬼 壬寅 虎 陳亥 午后 寅午申丑 兄 戊戌 六 六戌酉申未貴 午戌丑戊 父 甲午 后 朱蛇
二月の戊戌日、戌将を用いて寅時に加えて課を起し、潘道士は乙亥年生まれ、住持に当り得るかを占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より八位進む。寅時は夜に属し、戊日の夜貴は未で、貴人は天盤の未を乗せて地盤の亥に臨み、亥は陽方に属し、天将は順布す:貴人は未を乗せて亥に臨み、螣蛇は申を乗せて子に臨み、朱雀は酉を乗せて丑に臨み、六合は戌を乗せて寅に臨み、勾陳は亥を乗せて卯に臨み、青竜は子を乗せて辰に臨み、天空は丑を乗せて巳に臨み、白虎は寅を乗せて午に臨み、太常は卯を乗せて未に臨み、玄武は辰を乗せて申に臨み、太陰は巳を乗せて酉に臨み、天后は午を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:戊の寄宮は巳で、巳上に丑を得て天空を乗せるは第一課。丑上に酉を得て朱雀を乗せるは第二課(底本は此の処を「申」と刻して螣蛇を注すも、天地盤と合せず、当に刊誤ならん)。日支の戌上に午を得て天后を乗せるは第三課。午上に寅を得て白虎を乗せるは第四課。三伝は寅・戌・午で合して火局を成す:初伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、戊土を克して「官鬼」と為る。中伝の戌土は六合を乗せ、遁干は戊で、「兄弟」と為る。末伝の午火は天后を乗せ、遁干は甲で、「父母」と為り、午はまた戊日の陽刃である。
邵彥和曰:大凡僧道占住持,以日為我,支為住持。春得炎上局,卻喜旺相,只是不合陽刃乘后加支,主住持九月與朱姓人交通,遂受刑而出。初傳是鬼,臨婦人上,雖三傳化火生干,然火旺不久便暗,而寅木獨為戌鬼,身上丑作空,正是傳法之空門,目下即成,後因同牒人反來做造,因奸而壞也。
邵彦和が言う:大抵僧道が住持を占うは、日干を以て自己と為し、日支を以て住持の位と為す。春天に炎上の火局を得るは、もともとその旺相を喜ぶ。ただ陽刃の午が天后を乗せて日支上に加わるべからざるは、住持に当ること九個月にして、一位の朱姓の人と私情あり、因りて刑を受け逐わるるを主る。初伝は官鬼で、また婦人を主る午の上に臨む。三伝は火を化して日干を生ずるといえども、火は旺じて久しからずして便ち暗くならんと要し、而して寅木は単単また戌土の鬼である。日身上の丑は天空を乗せ、正に法席を伝授するの「空門」の象で、眼下に住持はすなわち手に到り得る。後には却って同一の度牒の人に反って構陥せられ、奸情のために敗壊した。
潘謀住持,丑作天空,是薦賢空門之象。丑為僧,僧與道同,此住持必成。果五月受貼,六月至觀。宮畔有朱百戶妻,遂與往來,自六月至次年二月共九月,被原與同牒人汪三,使人告發,至官被刑而出。
潘道士は住持の位を謀求す。丑上は天空を乗せるは、賢者を挙薦して空門に入るの象で、丑は類神の裏で僧人を主り、僧と道とは同類なので、この住持は一定当り成らん。後に果たして五月に批帖を接し、六月に観裏に到りて任に就いた。道観の旁辺に一位の朱百戸の妻子ありて、両人は便ち往来して起こり、六月より第二年二月に到りて共に九個月。元来同じ度牒の汪三に人を指し囎して告発せられ、官府に到りて刑を受けて後に道観より逐い出された。
大凡炎上局,自是有頭無尾,如火之炎,暫時便止,那更合後,遂為失友。午作天后,是婦人,午未字像朱姓,戊日陽刃在午,故主刑,自第四課傳出,故出觀。暗貴作空,故可至觀。既至自然被害也。
大抵炎上の火局は、もともと頭あって尾なし、火焰のごとく一陣を焼いて便ち滅す。ましてまた天后と相合するは、おって同伴を失う。午上は天后を乗せるは婦人で、午・未の両字の形状はまた「朱」の姓に象る。戊日の陽刃は正に午に在る。だから刑を受くるを主る。この一象はまた第四課より伝わり出る。だから道観より逐い出されるを要す。暗貴は天空を乗せる。だからなお観裏に進み得る。すでに進み入れば、自然に害を受くるを免れず。
一訂云,午乃離朱雀,故姓朱。午未字像朱說非。又曰,後乃婦人,午亦婦也。加支為日之刃,故因婦人受責。在支上是以主得住持而始蒙責。
別に一種の訂正の説あり:午は八卦で離に属し、朱雀を配す。だから朱と姓すると断ず。「午未の両字の形状が朱に象る」を以て解釈するは対せず。また説く:天后は婦人で、午は本身もまた婦人を主る。午は日支上に加わりてまた戊日の陽刃。だから婦人に因って責罰を受く。この一象はすでに日支上に落つる。だから先に住持に当り、然る後に初めて責罰を招来する。
戊戌日袁知鎮が終身を占う(方本占案・口鑑)
建炎戊申年十一月戊戌日丑將卯時袁知鎮癸酉生三十六歲占終身。方本占案 口鑑。 六陳 朱卯辰巳午龍 蛇寅 未空 龍虎貴雀 兄 辛丑 貴 貴丑 申虎 午申丑卯 財 己亥 陰 后子亥戌酉常 申戌卯戊 子 丁酉 常 陰玄
建炎戊申年十一月の戊戌日、丑将を用いて卯時に加えて課を起し、袁知鎮は癸酉年生まれ・三十六歳、終身の命運を占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より両位退く。卯時は昼に属し、戊日の昼貴は丑で、貴人は天盤の丑を乗せて地盤の卯に臨み、卯は陽方に属し、天将は順布す:貴人は丑を乗せて卯に臨み、螣蛇は寅を乗せて辰に臨み、朱雀は卯を乗せて巳に臨み、六合は辰を乗せて午に臨み、勾陳は巳を乗せて未に臨み、青竜は午を乗せて申に臨み、天空は未を乗せて酉に臨み、白虎は申を乗せて戌に臨み、太常は酉を乗せて亥に臨み、玄武は戌を乗せて子に臨み、太陰は亥を乗せて丑に臨み、天后は子を乗せて寅に臨む。四課は右から左へ:戊土の寄宮は巳に在り、巳上に卯を得るは第一課。卯上に丑を得るは第二課。日支の戌上に申を得るは第三課。申上に午を得るは第四課。上神は依り次ぎて朱雀・貴人・白虎・青竜を乗せる。三伝は丑・亥・酉で位を逐いて退行し、全て陰支なので、「極陰」課と名づく:初伝の丑土は貴人を乗せ、遁干は辛で、戊と同類にして「兄弟」と為る。中伝の亥水は太陰を乗せ、遁干は己で、「妻財」である。末伝の酉金は太常を乗せ、遁干は丁で、「子孫」である。
邵彥和曰:此極陰課,戊土死於卯,敗於酉,初傳貴人,享父之福;中傳臨官加丑,亦秉父之財。丑為父母類神,貴人加之更的,故曰享父之福。末傳酉為日敗,又是本命,而加於亥,主自身自敗壞矣。中水末酉,必因酒色也。又乘陰常,丑土歸西北而傾,必因酒色而成癆病。亥四酉六,主四十六歲亡。後又因有服尊長為主,凡事盡決於他。蓋以宅上見申,戊土生於申,故為有服尊長也。後俱應。
邵彦和が言う:これは「極陰」課で、戊土は卯に死し酉に敗す。初伝の丑上は貴人を乗せ、父親の福廕を享受するを主る。中伝の亥は戊土の臨官の地で、また丑上に加わるも、また父親の家財を承受するなり。丑はもともと父母の類神で、さらに貴人を乗せ上げればすなわちさらに确切なり。だから父の福を享くと言う。末伝の酉は戊日の敗地で、また正に彼の本命であるのに、却って亥水上に加わる。自身が自ら行い敗壊するを主る。中伝は水に属し末伝は酉で、必ず酒色に因って起こる。酉上はまた太陰・太常を乗せ、丑土は西北に傾向す。必定酒色に因って癆病を成せん。亥の数は四、酉の数は六で、四十六歳にして亡故するを主る。此の後にさらに一位の服制ある尊長に靠りて主を為し、凡事みな彼の決断に聴かん——宅上に申を見、戊土は申に長生するに因る。だから服ある尊長と言う。後に全て応験した。
袁知鎮守湖洲新市鎮,合庚戌年赴任,己酉年十月,有邵龍國知湖洲,袁之父昔年曾有囑託他,遂迴避得差監澤洲南嶽廟,滿載而歸。又覆德州嶺口倉,半年丁母憂。袁一向好酒色。人委房凡七官人,主家辰巳午未年患色癆至己未年正月二十七日,死。先生每怕丑亥酉,名極陰,到此方是極地。何況戊戌二土皆死於卯,皆敗於酉,可謂削極,故成癆。酉加亥可謂敗極,故死也。愚按:占身命及醫與病,丑將卯時以本命上下斷死數。
袁知鎮は湖州の新市鎮を鎮守す。もともと庚戌年に任に赴くべきところ、己酉年十月、邵竜国が湖州を知るに来り、袁の父親は当年曽て彼に托付したことがあり、袁は回避のために差を改めて沢州の南岳廟を監し、満載して帰った。後にまた徳州の嶺口倉を管し、半年後に母の丧に遭った。袁は一向に酒色を好み、房内の委任する所の人は共に七位の官人あり。主家は辰・巳・午・未のこの幾年の間に色癆に患上して、己未年正月二十七日に到って去世した。邵先生は向來最も丑・亥・酉のこの一組を怕れ、「極陰」と名づく。ここに到って初めて真の極地と算うべし。まして戊と戌との両重の土はみな卯に死しみな酉に敗す。削損して極処に到ったと謂うべく、だから癆を成す。酉はまた亥上に加わる。敗れて極処に到ったと謂うべく、これに因って命を丧う。程樹勲が按ずる:身命を占いおよび医を占い病を占うに、丑将の卯時に遇えば、本命の上下の神を以て死期の数を断ずるを要す。
戊戌日僧祥明が投呈を占う(残編)
乾隆丁巳年三月戊戌日戌將午時東陽寺僧祥明師壬戌命五十六歲欲投閣憲呈詞,屢遞不收,叩餘占斷何日得能收進。殘編。 合朱 勾酉戌亥子蛇 虎后貴勾 鬼 壬寅 后 龍申 丑貴 午寅丑酉 父 甲午 虎 空未 寅后 寅戌酉戊 兄 戊戌 合 虎午巳辰卯陰 常玄
乾隆丁巳年三月の戊戌日、戌将を用いて午時に加えて課を起した。東陽寺の僧人の祥明師は、壬戌の本命・五十六歳、閣憲に向かって状詞を呈逓せんと欲し、屢次逓し上げてもみな収めず、私に求めて占い断じてどの一日にして初めて収め進め得るかと来た。此の例は『残編』より採る。天盤の諸支は地盤より四位進む。午時は昼に属し、戊日の昼貴は丑で、貴人は天盤の丑を乗せて地盤の酉に臨み、酉は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は丑を乗せて酉に臨み、螣蛇は子を乗せて申に臨み、朱雀は亥を乗せて未に臨み、六合は戌を乗せて午に臨み、勾陳は酉を乗せて巳に臨み、青竜は申を乗せて辰に臨み、天空は未を乗せて卯に臨み、白虎は午を乗せて寅に臨み、太常は巳を乗せて丑に臨み、玄武は辰を乗せて子に臨み、太陰は卯を乗せて亥に臨み、天后は寅を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:戊の寄宮は巳で、巳上に酉を得るは第一課。酉上に丑を得るは第二課。日支の戌上に寅を得るは第三課。寅上に午を得るは第四課。上神は依り次ぎて勾陳・貴人・天后・白虎を乗せる。三伝は寅・午・戌で合して火局を成す:初伝の寅木は天后を乗せ、遁干は壬で、戊土を克して「官鬼」と為る。中伝の午火は白虎を乗せ、遁干は甲で、戊土を生じて「父母」と為る。末伝の戌土は六合を乗せ、遁干は戊で、日干と同類にして「兄弟」と為る。
斷曰:占投呈,看文書,朱雀為主。今中傳午為文書,旬遁甲木為官星,乘神是白虎,午與白虎皆道路之神也。寅者卦屬艮,是高山也。今天盤寅,去在西北,是高崗官至其處,乘神天后是大士之法像。末傳戌為天喜,與卯六合。況寅卯大小官星,俱聚於天門。意者,此月十五癸卯日,客憲大人,必出牛大士香,登海會寺,爾迎路而求之,可蒙收進也。至十五日果一一如斷。
断辞に言う:投逓の呈詞を占うは文書を看るを要し、「朱雀」を以て主と為す。如今中伝の午は文書で、旬中に甲の木を遁じ得て官星を作し、乗ずる所の天将は白虎である。午と白虎とはみな道路を主る神である。寅は八卦で艮に属し、高山を象る。如今天盤の寅は西北方に落ち、あの高位に居る官員が彼の処に到る。寅上の乗ずる天后は正に観音大士の法像である。末伝の戌は「天喜」で、また卯と相六合す。まして寅・卯のこの一大・一小の両重の官星は、みな天門の方位に聚まる。想うに本月十五日の癸卯、客憲大人は必定出でて大士の香を進めんとし、海会寺に登臨せん。なんじは路上に到りて迎候して求告すれば、便ち准じて呈詞を収むるを蒙るを得ん。十五日に到って果たして一一断ずる所に如し。
又一壬友曰:十五日癸卯得收進者,取末傳戌為應期。地盤戌前上見卯,故得收進也。又云:卯日者,卯加在亥官星乘長生,故也。
また一人の六壬に精なる朋友が言う:十五日の癸卯に収め進め得るは、末伝の戌を取って応期と作す——地盤の戌の前の一位上に卯を見る。だから卯日に到って便ち収め進めた。また説く:卯日に定めた所以は、卯が亥上に加わりて、官星が正に長生の気を乗ずるの縁故である。
戊戌日程東起が父の病を占う(牧夫占験)
丁卯年午月戊戌日申將卯時程東起翁占父病乙丑命六十三歲。牧夫占驗。 朱蛇 合戌亥子丑貴 龍陰陰合 子 丙申 龍 勾酉 寅后 申卯卯戌 兄 辛丑 貴 龍申 卯陰 卯戌戌戊 父 甲午 虎 空未午巳辰玄 虎常
丁卯年午月の戊戌日、申将を用いて卯時に加えて課を起し、程東起翁が父親の病を占った。父は乙丑の本命・六十三歳。此の例は王牧夫の占験より採る。天盤の諸支は地盤より五位進む。卯時は昼に属し、戊日の昼貴は丑で、貴人は天盤の丑を乗せて地盤の申に臨み、申は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は丑を乗せて申に臨み、螣蛇は子を乗せて未に臨み、朱雀は亥を乗せて午に臨み、六合は戌を乗せて巳に臨み、勾陳は酉を乗せて辰に臨み、青竜は申を乗せて卯に臨み、天空は未を乗せて寅に臨み、白虎は午を乗せて丑に臨み、太常は巳を乗せて子に臨み、玄武は辰を乗せて亥に臨み、太陰は卯を乗せて戌に臨み、天后は寅を乗せて酉に臨む。四課は右から左へ:戊の寄宮は巳で、巳上に戌を得るは第一課。戌上に卯を得るは第二課。日支の戌上に卯を得るは第三課。卯上に申を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・太陰・太陰・青竜を乗せる。四課はただ三課を成すは、「不備」の課である。三伝は申・丑・午:初伝の申金は青竜を乗せ、遁干は丙で、戊土の生ずる所を受けて「子孫」と為る。中伝の丑土は貴人を乗せ、遁干は辛で、戊と同類にして「兄弟」と為る。末伝の午火は白虎を乗せ、遁干は甲で、戊土を生じて「父母」と為り、午はまた戊日の陽刃である。
王牧夫曰:此課占病極凶,主心傷體弱,手足浮腫,十月不保。以課體言,支加干位戌不備,戌主足,故病在足。不備則氣血虧敗,故主浮腫。命上午乃戊日陽刃,乘虎,虎乃病之主殺。午為心,心持刃,故曰心傷。十月不保者,命陰見亥水絕神也。
王牧夫が言う:この課の病を占うは極めて凶で、心が損傷を受け身体が虚弱し、手脚は浮腫し、十月裏に保ち得ざるを主る。課体に就いて言えば、日支が日干の寄宮の位に加え到り、四課は全からず「不備」課を成す。戌は足を主る。だから病は脚上に在る。不備なればすなわち気血は虧損して衰敗す。だから浮腫を主る。本命上の午は戊日の陽刃で、また白虎を乗せ、白虎は正に病症の主殺の神である。午は心を主り、心上に刀刃を架す。だから心傷と言う。十月は保ち得ずと言うは、本命の陰神上に亥水のこの絶神を見るに因る。
以三傳而論:初亦主病症。申為金制木,今卯木不足,是肝虛也。肝藏血,肝不通通養血,則血氣妄行,故主浮腫。中傳丑乃本命自墓長生,病由己身不慎所致。末午女歸本命上神,作虎穿害本命,是心事叢雜,自添其病。午陰終歸亥,絕亥於十月之建,故言十月可畏。目今無礙者,申乃戊之長生,在初傳也。
さらに三伝より論ず:初伝もまた病症を主る。申は金に属して木を制し得るも、如今卯木は足らず、肝虚である。肝は血を蔵し、肝気が通ぜずればすなわち血を養い住めず、血気は妄行す。だから浮腫を主る。中伝の丑はすでに本命の墓する所の地で、また長生の郷で、病は自身の不謹慎より招来するを説明する。末伝の午は本命の上神の位置に回り帰り、白虎を乗せてまた本命を穿害す。心事は紛雑して、自分で自分に病を添える。午の陰神は終究亥に帰して到り、而して亥は正に十月の月建で、絶気は恰恰ここに在る。だから十月は畏るべしと言う。眼下はなお妨げあるに未だ至らざるは、申は戊土の長生で、また初伝上に落つるに因る。
復視大象,丑乃本命,不應往墓申金,致申克卯,卯去克戌,戌畏卯克,往授於午,一路皆自本命,逼到身上,以成不絕之體,其咎在己自取也。長生乃父母之鄉,丑墓壓之,亦主戴墓所致。
さらに全課の大象を看る:丑は本命で、もともと申金上に墓を去るべからざるに、申金が卯を克し、卯がさらに戌を克し、戌は卯の克を怕れて便ちこの股の気を転じて午に授ける——一路はみな本命より発出し、自身の上に逼り到りて、連綿として絶えざるの勢を形成す。過錯は自ら取るに在る。長生はもともと父母の郷であるのに、却って丑のこの墓に壓せらる。また「墓を戴く」の招致する所を主る。
以行年本命而言,命乘旺午,若陰神不見,亥水作蛇亦無妨。而亥上乘朱,重重見絕,何可當也?行年在辰而勾陳之本乃戊日敗氣。辰乃戊日墓鄉,又逢空位六十三歲。日巳就老人又逢敗,支歸於墓止之地,豈能久乎?況亥上又乘辰十月之建,恰當其下,壽數由此止矣,後果驗於十月。
さらに行年と本命とに就いて言えば:本命は旺相の午を乗せ、たとい陰神が現出せざれば、亥水はたとい螣蛇を乗せるもまた妨げなし。偏に亥上の乗ずるは朱雀で、重重みな絶気を見る。どうして当り住めよう。行年は辰に在り、而して勾陳の本位は正に戊日の敗気で、辰はまた戊日の墓郷で、さらに空亡の位に逢う。人はすでに六十三歳。日子はすでに衰老に近く、また敗気に遇い、日支は墓止の地に帰して到る。どうして長久ならん。まして亥上はまた辰を乗せ、十月の月建は恰恰それの下に圧す。寿数は便ちここに到って止まる。後に果たして十月に応じた。
戊戌日御筆を奉じて月事の行わざるを占う(一針見血)
淳祐七年丁未七月十二戊戌日奉御筆占丙子女命月事不行將及三月或疾或胎明白具奏,得子時。一針見血。 合勾龍空 戌亥子丑 蛇常常合 子 丙申 蛇 朱酉 寅虎 申卯卯戌 兄 辛丑 空 蛇申 卯常 卯戌戌戊 父 甲午 后 未午巳辰 貴后陰玄
淳祐七年の丁未七月十二日の戊戌、皇帝の御筆を奉じて課を起し、丙子年生まれの女子が月経の行わざること将に三個月に近きを占い、究竟は病か有孕かを明白に具奏せよと。得るは子時である。此の例は『一針見血』より採る。七月の処暑の後は巳将を用い、巳将を子時に加え、天盤の諸支は地盤より五位進む。子時は夜に属し、戊日の夜貴は未で、貴人は天盤の未を乗せて地地盤の寅に臨み、寅は陽方に属し、天将は順布す:貴人は未を乗せて寅に臨み、螣蛇は申を乗せて卯に臨み、朱雀は酉を乗せて辰に臨み、六合は戌を乗せて巳に臨み、勾陳は亥を乗せて午に臨み、青竜は子を乗せて未に臨み、天空は丑を乗せて申に臨み、白虎は寅を乗せて酉に臨み、太常は卯を乗せて戌に臨み、玄武は辰を乗せて亥に臨み、太陰は巳を乗せて子に臨み、天后は午を乗せて丑に臨む。四課は右から左へ:戊の寄宮は巳で、巳上に戌を得るは第一課。戌上に卯を得るは第二課。日支の戌上に卯を得るは第三課。卯上に申を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・太常・太常・螣蛇を乗せる。三伝は申・丑・午:初伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「子孫」と為る。中伝の丑土は天空を乗せ、遁干は辛で、「兄弟」と為る。末伝の午火は天后を乗せ、遁干は甲で、「父母」と為る。
祝泌奏曰:臣謹以此課,今秋屬金,金胎在卯亦卯上發用申字,有胞胎之象,此主孕有胎之課,課中無鬼殺,行年見青龍,為喜,終傳午乘天后,七月之生氣也,此胎可育,第陰數耳。惟三傳申午,行年上子,皆陽神,可變為陽胎。道家有此術,不可為虛無,誕在正二月。
祝泌が奏上して言う:臣は謹んでこの課に按ずるに、今秋は金に属し、金の胎位は卯に在り、而して正に卯上より申の字を発用して出す。懐胎の象あり。これは有孕・有胎を主るの課である。課中に鬼殺なく、行年上に青竜を見るは、喜慶である。末伝の午は天后を乗せ、七月の生気で、この一胎は養い住め得る。ただ陰数に属する(女胎)のみ。ただし三伝の裏の申と午、行年上の子はみな陽神で、なお転じて陽胎と成し得る——道家に自らこのような法術あり。虚妄の説と当て為すべからず。分娩は当に正月・二月の間に在るべし。
己亥日
己亥日陳上舎が前程を占う(宋本占案・口鑑)
建炎己酉年正月己亥日子將未時陳上舍戊辰生(生於四月十六日巳時),四十二歲占前程。宋本占案 口鑑。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 六常虎貴 父 空巳 虎 陳申 卯玄 酉辰巳子 兄 戊戌 朱 龍未午巳辰常 辰亥子己 鬼 癸卯 玄 空虎
建炎己酉年正月の己亥日、子将を用いて未時に加えて課を起し、陳上舎は戊辰年生まれ(四月十六日巳時生まれ)、四十二歳、前程を占った。此の例は『宋本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より五位進む。未時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の未に臨み、未は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は子を乗せて未に臨み、螣蛇は亥を乗せて午に臨み、朱雀は戌を乗せて巳に臨み、六合は酉を乗せて辰に臨み、勾陳は申を乗せて卯に臨み、青竜は未を乗せて寅に臨み、天空は午を乗せて丑に臨み、白虎は巳を乗せて子に臨み、太常は辰を乗せて亥に臨み、玄武は卯を乗せて戌に臨み、太陰は寅を乗せて酉に臨み、天后は丑を乗せて申に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に子を得るは第一課。子上に巳を得るは第二課。日支の亥上に辰を得るは第三課。辰上に酉を得るは第四課。上神は依り次ぎて貴人・白虎・太常・六合を乗せる。三伝は巳・戌・卯で、「鋳印」の格である:初伝の巳火は白虎を乗せ、正に旬空に落つ(己亥日は甲午旬に属し、空亡は辰巳に在る)、己土を生じて「父母」と為る。中伝の戌土は朱雀を乗せ、遁干は戊で、己と同類にして「兄弟」と為る。末伝の卯木は玄武を乗せ、遁干は癸で、己土を克して「官鬼」と為る。
邵彥和曰:初末夾定日墓,又名引從,引既不起,從亦不動,前程只如此。巳戌卯鑄印格,乃貴人課;又貴人臨日,可謂吉矣;見壬子年方脫墓神之滯,終見及第,便持兩服;服滿得任,又不終矣。有坎山墳,白蟻遍食,所以前程不通。陳生當年不中,壬子得解及第,持母服;乙卯又持父服。丁巳年授浦江簿,庚申九月身亡。後開坎山墳,果得蟻食者矣。
邵彦和が言う:初伝と末伝とが日墓を当中に夾むを、また「引従」と名づく。引の一頭はすでに提げ起こし得ず、従の一頭もまた動き得ず。前程はすなわちただこの地步に到るのみ。巳・戌・卯は「鋳印」格で、貴人課に属す。また貴人が日干上に臨むあり、吉と算すべし。壬子年を待って初めて墓神の滞礙を脱け開き得て、終究登第し得る。随い便ち連服して両次の丧を要す。服満して官職を得るも、却又終わりまで為し得ず。彼の家に坎方の山墳ありて、白蟻に遍く喰われたれば、だから前程は通ぜず。陳上舎は当年に中らず、壬子年に郷試に解を得倂せて登第し、接いで母親のために丧に服し、乙卯年にまた父親のために丧に服した。丁巳年に浦江県の主簿を授けられ、庚申年九月に身亡した。後に坎方の墳を打開すれば、果たして白蟻に蛀食せられていた。
夫引從之格,己見巳為絕,辰為墓,墓辰死卯,日上水子亦墓辰、絕巳、死卯,今反引出死墓絕及白虎元武夾定支干之墓,墓加宅,所以引起孝服。庚申年死者,行年又臨巳宮,乃是絕地。巳與申合,合起墓絕,所以死也。
「引従」のこの一格を説くに:己土は巳を以て絶地と為し、辰を以て墓庫と為し、卯を以て死地と為す。日干上の子水もまた辰に墓し、巳に絶し、卯に死す。如今は反って死・墓・絶の三処をみな引き出して来た。さらに白虎と玄武とが干支の墓庫を当中に夾み、墓はまた宅爻上に加え到る。だから孝服の事を引き出す。庚申年に身亡したは、行年がまた巳宮に臨み到り、正に絶地なので。巳は申と相合し、合して墓と絶とを動かしたので、すなわち死した。
己亥日曹八が店を開くを占う(方本占案・口鑑)
己酉年十月己亥日寅將本時曹八秀才戊辰生四十二歲占開店。方本占案 口鑑。 六陳 朱戌亥子丑龍 蛇酉 寅空 蛇常玄陳 父 空巳 玄 貴申 卯虎 酉辰巳子 兄 戊戌 朱 后未午巳辰常 辰亥子己 鬼 癸卯 虎 陰玄
己酉年十月の己亥日、寅将を用いて課を起した。十月の月将は寅で、「本時」はすなわち占を求める当下のあの時辰で、課盤より看れば、寅は正に地盤の酉上に加わる。占時は酉時と知るべし。曹八秀才は戊辰年生まれ・四十二歳、店を開くを占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より五位進む。酉時は夜に属し、己日の夜貴は申で、貴人は天盤の申を乗せて地盤の卯に臨み、卯は陽方に属し、天将は順布す:貴人は申を乗せて卯に臨み、螣蛇は酉を乗せて辰に臨み、朱雀は戌を乗せて巳に臨み、六合は亥を乗せて午に臨み、勾陳は子を乗せて未に臨み、青竜は丑を乗せて申に臨み、天空は寅を乗せて酉に臨み、白虎は卯を乗せて戌に臨み、太常は辰を乗せて亥に臨み、玄武は巳を乗せて子に臨み、太陰は午を乗せて丑に臨み、天后は未を乗せて寅に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に子を得るは第一課。子上に巳を得るは第二課。日支の亥上に辰を得るは第三課。辰上に酉を得るは第四課。上神は依り次ぎて勾陳・玄武・太常・螣蛇を乗せる。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳火は玄武を乗せ、正に旬空に落つ(己亥日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)、己土を生じて「父母」と為る。中伝の戌土は朱雀を乗せ、遁干は戊で、己と同類にして「兄弟」と為る。末伝の卯木は白虎を乗せ、遁干は癸で、己土を克して「官鬼」と為る。
邵彥和曰:日上見貴財,支上見財庫,日上財神又歸財庫,此大利。初又為店,但修葺有費耳。蓋元武為費用倍常也。中又為店之庫,重重皆是財利奮發,但末傳被人取店,須用爭競。曹曰:莫賃,買之如何?曰:買亦爭競。以九年為期。曹曰:九年再問。乃問汪七娘賃房,大費修葺,入店三年大發,積百萬,第六年汪七娘以店賣與之。第七年汪七秀才因分取贖不肯,具告陳論與他。果如先生言。
邵彦和が言う:日干の上神に見ゆるは「貴財」——己土の寄宮の未上に子水を得、子水は己土の克する所の妻財で、而して子はまた正に己日の貴人の本家である。日支は宅と為し、宅上に辰を得、辰は水の墓庫で、すなわち財庫である。日干上の財神の子水は、墓庫が恰恰宅上の辰に落つるは、財がまた財庫に帰入するに等しく、これは大大に利あるの象である。初伝の巳は父母で、父母は屋宇を主る。だからまた店面を代表す。ただ修繕は破費を要す——巳上は玄武を乗せ、玄武は耗散を主り、費用は尋常に比べて加倍せんと要す。中伝の戌は巳火の墓庫で、すなわち店の庫房で、重重畳畳みな財利の奮発である。ただ末伝の卯木が白虎を乗せ、戌を克して庫を破るは、店面が人に奪い去られんを主り、一場の官司を打つを須うす。曹八が問う:租賃せずして、買い下れば如何。答えて言う:買い下るも一様に争訟を起こさんと要し、九年を以て期限と為す。曹八が言う:然らば九年の後にさらに来て問わん。おって彼は汪七娘に向かって房子を租り下げ、大銭を花して修葺し、店を開いて三年にしてすなわち大いに発し、百万に積み到った。第六年に汪七娘は店を彼に売り、第七年に汪七秀才は家を分けるに因って店面を贖い回らんと要し、曹八は肯んぜず、汪七は便ち状を具えて官に告げ、彼と争訟した。結果は全て邵先生の言う所に如し。
大凡占店少得如此等課。日上見財,且是行年,安得不厚?更中傳又乘巳火歸庫。若末非卯鬼破庫,財可永久。今既遭破,且盡,巳之四,戌之五,共九年也。
大抵店を開くを占うに、滅多にこのような好き課を得能わず。日干の上神にすなわち財を見、この位置(地盤の未)はまた正に曹八の四十二歳の行年の在る所で、財気はどうして厚からざらん。まして中伝の戌はまた初伝の巳火を承接して庫中に帰す。たとい末伝が卯木の官鬼にあらざれば来て庫を破らず、財運はもともと長久なり得べし。如今はすでに破に遭うれば、財もすなわちここに到って止まる。巳の数は四、戌の数は五、合わせて正に九年の数である。
己亥日安豊の賊寇を卜る(一針見血)
十一月己亥日寅將申時卜安豐賊寇。一針見血。 蛇貴后陰 亥子丑寅 蛇虎龍后 父 ◎巳 虎 朱戌 卯玄 亥巳未丑 財 己亥 蛇 合酉 辰常 巳亥丑己 父 ◎巳 虎 申未午巳 勾龍空虎
十一月の己亥日、寅将を用いて申時に加えて課を起し、安豊の一帯の賊寇の事を卜った。此の例は『一針見血』より採る。天盤の諸支は地盤より六位進み、天・地の両盤は処処相冲するは、「返吟」課である。申時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の午に臨み、午は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は子を乗せて午に臨み、螣蛇は亥を乗せて巳に臨み、朱雀は戌を乗せて辰に臨み、六合は酉を乗せて卯に臨み、勾陳は申を乗せて寅に臨み、青竜は未を乗せて丑に臨み、天空は午を乗せて子に臨み、白虎は巳を乗せて亥に臨み、太常は辰を乗せて戌に臨み、玄武は卯を乗せて酉に臨み、太陰は寅を乗せて申に臨み、天后は丑を乗せて未に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に丑を得るは第一課。丑上に未を得るは第二課。日支の亥上に巳を得るは第三課。巳上に亥を得るは第四課。上神は依り次ぎて天后・青竜・白虎・螣蛇を乗せる。三伝は巳・亥・巳:初伝と末伝とはみな巳火で白虎を乗せ、旬空に落つ(己亥日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)、己土を生じて「父母」と為る。中伝の亥水は螣蛇を乗せ、遁干は己で、己土に克せられて「妻財」と為る。
祝泌奏曰:死氣十二月在巳,臨日支發用,將見白虎,殺氣頗重,虜賊未退,月破臨城,乘生旺之鄉,不至大害,亦在危疑之間,不至大害者,騰蛇能制白虎也。亦主危疑者,游都加人民也。臣以術測之,安豐必先敗而後勝。安豐受害之民必有損傷,然終可全保。
祝泌が奏上して言う:「死気」のこの凶煞は十二月に巳上に落ち、如今巳は正に日支の亥、すなわち安豊城の位置上に加臨して発用と為るに取られ、乗ずる所の天将はまた白虎で、殺気は相当に重し。敵寇は一時にまだ退走せず。月破の神は城池に加臨す。幸いなるに巳火は自身生旺の郷に処る。だから大害を醸成するに至らず、却ってなお危難・安からざるの間に在る。大害に至らずと言うは、中伝の亥上の乗ずる螣蛇は火に属し、火は金を克し得て、正に白虎を制し住め得るに因る。なお危疑を主ると言うは、「遊都」のこの兵寇を主る凶煞が百姓を代表する位置上に加わるに因る。臣は術数を以て推測すれば、安豊は必定先に敗れて後に勝たん。安豊の害を受くる百姓は損傷あるを免れざるも、終究保全し得べし。
己亥日盧承山が病を占う(指南)
順治己酉年正月己亥日子將巳時參將盧承山占病吉凶。指南。 后陰 貴子丑寅卯玄 后空六陰 父 甲午 空 蛇亥 辰常 丑午酉寅 兄 辛丑 后 朱戌 巳虎 午亥寅己 子 丙申 勾 六酉申未午空 勾青
順治己酉年正月の己亥日、子将を用いて巳時に加えて課を起し、参将の盧承山が病の吉凶を占った。此の例は『六壬指南』より採る。天盤の諸支は地盤より七位進む。巳時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の巳に臨み、巳は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は子を乗せて巳に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、天后は丑を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に寅を得るは第一課。寅上に酉を得るは第二課。日支の亥上に午を得るは第三課。午上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて太陰・六合・天空・天后を乗せる。第三課は亥水が午火を克し、下が上を賊す。午を取って発用す:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、己土を生じて「父母」と為る。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、己と同類にして「兄弟」と為る。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、己土の生ずる所を受けて「子孫」と為る。
陳公獻曰:脾土受症,目今無慮。蓋木為官鬼,則脾經受症矣。以平清肺心為上,切勿健脾理肺,七月恐有不測。蓋祿臨絕地,馬入墓鄉,且子巳相加為陽(生)臨陽絕,又卯臨申位是木被金離,病人非宜,且年帶二死剋日,故斷其七月必死。已而果然。
陳公献が言う:これは脾土が病を受けたで、眼下はなお憂慮するを用いず。木は土を克する官鬼で、木は一たび来て克すれば、脾経は自然に症を受く。薬を用うるは当に肝を平げ肺を清め、心気を調理するを以て上と為し、切に一味に脾を健し肺を理するべからず。七月に到って恐らくは不测の禍あらん。己日の禄神は午であるのに、午は却って亥上に加わり、火は亥に絶するは、禄が絶地に臨むなり。日支の亥は亥卯未の木局に属し、木局の駅馬は巳に在り、巳はまた戌のこの火墓の上に加わるは、馬が墓郷に入るなり。加えるに天盤の子水は地盤の巳上に加わり、子は陽水の生気の神で、巳は却って水の絶地で、「陽生が陽絶に臨む」を成した。さらに天盤の卯は地盤の申位に加わり、卯木は申金に克せられて離析す。病人に対してみな相宜ならず。まして行年上はまた両重の死神を帯びて来て日干を克す。だから彼の七月に必ず死すと断ず。後に果たして応験した。
己亥日馬を売るを占う(郭氏占案)
己亥日占賣馬。郭氏占案。 后陰 貴子丑寅卯玄 后空六陰 父 甲午 空 蛇亥 辰常 丑午酉寅 兄 辛丑 后 朱戌 巳虎 午亥寅己 子 丙申 勾 六酉申未午空 勾青
己亥日に馬を売るを占う。此の例は郭御青の占案より採る。課盤は上の一例と全く同じ:天盤の諸支は地盤より七位進み、貴人は子を乗せて巳に臨み、巳は陰方に属し、天将は逆布す——貴人は子を乗せて巳に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、天后は丑を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:己は未に寄し、未上に寅を得るは第一課。寅上に酉を得るは第二課。日支の亥上に午を得るは第三課。午上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて太陰・六合・天空・天后を乗せる。三伝は午・丑・申:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、「父母」と為り、午はまた己日の禄神である。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、「兄弟」と為る。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、「子孫」と為る。午は十二支の中で正に馬を主り、この一占の類神で、而してそれは日支の亥のこの宅位上より発用した。
郭御青曰:餘親有馬二匹,一大一小,問皆出否?課果傳類神午字,時旁有人斷為皆不得賣。以午為日祿也。又一人斷為賣出大馬,以大馬捷足先出也。余斷日馬,馬為日祿,惟賣出乃得價為祿,賣出小馬,以午自刑,大刑出小,小刑不能出大也。馬即從宅上發用,明乎一馬在宅,一馬出外,且馬有戀主之意,凡賣皆不願出。今一馬出 ,必大刑小出也。果賣小馬。
郭御青が言う:私の親戚に両匹の馬あり、一大・一小で、ことごとく売り出し得るか否かを問い来た。課中に果たして馬の類神の午の字を伝え出した。当時旁辺に人ありて両匹とも売り得ざると断ず。理由は午は正に己日の禄神で、禄は外出に宜しからざると。また一人ありて大馬は売り得ると断ず。理由は大馬は脚快く先に門を出ると。私は断じて曰う:午馬はすなわち己日の禄神で、ただ売り出して価銭を換い得て初めて禄を得と算す。売り出し得るは小馬である——午と午とが自刑して、大は小を刑出し、小は却って大を刑し動かさざるに因る。馬はまた宅爻(日支の亥)上より発用した。一馬は家に在り一馬は外に在るを見べし。まして馬に主に恋する心有り。およそ売らんと要すれば、それはみな門を出るを願わず。如今ただ一匹を走らせば、必定は大が小を刑し小馬が出る(ここに底本は一字缺失あり)。結果は果たして小馬を売り掉了。
己亥日王米山の索占(指南)
崇正壬午年十月己亥日卯將未時山東明經王米山索占。指南。 朱六 蛇丑寅卯辰勾 六虎后六 兄 未 虎 貴子 巳龍 卯未亥卯 鬼 卯 六 后亥 午空 未亥卯己 財 亥 后 陰戌酉申未虎 玄常
崇正壬午年十月の己亥日、卯将を用いて未時に加えて課を起し、山東の明経(貢生)の王米山が前に来りて占を求めた。此の例は『六壬指南』より採る。天盤の諸支は地盤より八位進む。未時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の辰に臨み、辰は陽方に属し、天将は順布す:貴人は子を乗せて辰に臨み、螣蛇は丑を乗せて巳に臨み、朱雀は寅を乗せて午に臨み、六合は卯を乗せて未に臨み、勾陳は辰を乗せて申に臨み、青竜は巳を乗せて酉に臨み、天空は午を乗せて戌に臨み、白虎は未を乗せて亥に臨み、太常は申を乗せて子に臨み、玄武は酉を乗せて丑に臨み、太陰は戌を乗せて寅に臨み、天后は亥を乗せて卯に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に卯を得るは第一課。卯上に亥を得るは第二課。日支の亥上に未を得るは第三課。未上に卯を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・天后・白虎・六合を乗せる。三伝は未・卯・亥で、正に亥卯未の木局を倒れて逆行したるなり:初伝の未土は白虎を乗せ、己土と同類にして「兄弟」と為る。中伝の卯木は六合を乗せ、己土を克して「官鬼」と為る。末伝の亥水は天后を乗せ、己土に克せられて「妻財」と為る。
陳公獻曰:王米山攜子某,來謁陳東明求官,過小齋訪道。余曰:先生少間,須臾有三客至,內必楊姓者。果如言。余曰:干神歸支,傳將逆行,郎君宜回東省取功名。且貴地不日兵動,且有攻城破邑之事,眷屬宜遷他處避之。曰:祝老母九十壽,方可遷也。曰:尊堂壽止八十有九,因乙發用與地盤己字合斷為八九之數也。此皆日後事,目今須防失脫也。
陳公献が言う:王米山は息子を帯び、来て陳東明に拝謁して官職を謀求し、路に順いて私の小書斎に来て道を訪えた。私は言う:先生は稍く待て、一忽して三位の客人の到らんあり、その中に必定一位の楊と姓するあるべし。後に果たして私の言う所に如し。私はまた言う:日干の上神は日支に帰して到り、三伝と天将とはみな逆行の中に在る。令郎は当に山東に回りて功名を取るべし。しかも貴処は日ならずして便ち兵動せんと要し、さらに城を攻め邑を破るの事あらん。家眷は別処に遷して避くるに宜し。王米山が言う:老母親に替わりて九十歳の寿を為し過ぎて、初めて搬遷するを好しとす。私は言う:令堂の寿数はただ八十九に到るのみ——初伝の未は発用し、旬中に乙を遁じ得、地盤の己の字と相配し、乙の数は八、己の数は九、合して八九の数を成す。これらはみな日后の事である。眼下は先に窃盗・走失を防ぐを得す。
米山接住灣子街舊同寅陳宅書房,果被盜。復來,余曰:玄武脫氣居丑命,所盜者郎君物耳。曰:然。還防賊復來。果三日又來,將物盡盜去,曰:何以明其然也?余曰:課傳回環,故知其改之復來。米山問曰:山東兵動者何?蓋因三傳純官鬼,又魯都虎鬼克支,賊符將星克干,是以知貴省中外兵動,攻城破邑也。果冬月一一如占。米山遷居淮安新安鎮,其母未度九十而終。
王米山は湾子街の旧日の同僚の陳家の書房に借住し、果たして賊に遭った。彼はさらに来て私を尋ぬ。私は言う:玄武は酉のこの我の気を泄る子孫を乗せ、正に令郎の本命の丑上に落つる。偷まれたは令郎の東西のみ。彼は言う:正に是れ。私はまた言う:なお賊のさらに来らんを防ぐを得す。果たして三天の後に賊はさらに来り、東西を全部盗み走った。彼は問う:貴下は何を拠ってこのようを看出したか。私は言う:この一課の四課・三伝は首尾相接して循環・回環す。だから賊は去りてさらに回り来るを知る。王米山はまた問う:山東に兵動せんと要すは、どう看出したか。あれは三伝の亥卯未が合して木局を成し、全て身を克する官鬼で、「魯都」のこの兵寇の煞が白虎・官鬼と一同に来て日支を克し、「賊符」「将星」がまた来て日干を克するに因る。だから貴省の内外ともに兵動し、城を攻め邑を破るの事あるべきを知る。冬月に到って、果たして一一占に如し。王米山は後に遷居して淮安の新安鎮に至り、彼の母親は九十歳を活け過ぐる能わずして去世した。
己亥日韓省幹が子の病を占う(方本占案・口鑑)
庚戌年七月己亥日午將未時韓省干占子病丙午生五歲。方本占案 口鑑。 龍空 陳辰巳午未虎 六卯 申常 玄陰龍空 兄 戊戌 陰 朱寅 酉玄 酉戌巳午 子 丁酉 玄 蛇丑子亥戌陰 戌亥午己 子 丙申 常 貴後
庚戌年七月の己亥日、午将を用いて未時に加えて課を起し、韓省幹が息子の病を占った。息子は丙午年生まれ・五歳。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より一位退く。未時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の丑に臨み、丑は陽方に属し、天将は順布す:貴人は子を乗せて丑に臨み、螣蛇は丑を乗せて寅に臨み、朱雀は寅を乗せて卯に臨み、六合は卯を乗せて辰に臨み、勾陳は辰を乗せて巳に臨み、青竜は巳を乗せて午に臨み、天空は午を乗せて未に臨み、白虎は未を乗せて申に臨み、太常は申を乗せて酉に臨み、玄武は酉を乗せて戌に臨み、太陰は戌を乗せて亥に臨み、天后は亥を乗せて子に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に午を得るは第一課。午上に巳を得るは第二課。日支の亥上に戌を得るは第三課。戌上に酉を得るは第四課。上神は依り次ぎて天空・青竜・太陰・玄武を乗せる。三伝は戌・酉・申で、位を逐いて後退す:初伝の戌土は太陰を乗せ、遁干は戊で、己と同類にして「兄弟」と為る。中伝の酉金は玄武を乗せ、遁干は丁で、己土の生ずる所を受けて「子孫」と為る。末伝の申金は太常を乗せ、遁干は丙で、また「子孫」である。亥は天門で、戌は河魁と名づき、戌は亥上に加わるは、正に「魁が天門を度る」の象である。
陳公獻曰:此病至危,宅中謝神請醫,費盡千萬錢,而不知病在目前。今主至困而又發吊,手足拳束,口眼歪邪,還是風症否?曰:然。若作風病,其病必死。其病因親王價領出,與冷粽子吃,及歸又吃冷淘面,二物積中,遂發熱,積緊腸塞,致令手足拳束耳。可依此治即安也。韓丈之子,因七月十五僕家裹粽燒紙,遂與食之,歸又吃令淘面,晚遂得病,困重求重請醫,費千萬錢不效,聞先生言,醫遂以陳皮、青皮、烏藥湯治之,便覺身輕,下黑糞三五塊而全愈。
陳公献が言う:この病はすでに極めて危険に到り、家裏はまた神に謝しまた医を請じ、千万の銭を花掉したれども、却って病根は眼前に在るを知らず。如今孩子は困頓して極処に到り、また抽搐を発起し、手脚は蜷曲・拘挛し、口眼は歪斜す——貴下らはこれを風症と当て治して居るか。答えて言う:正に是れ。私は言う:もし風病と当て来りて治せば、この病は必ず死せん。彼のこの病は親戚家の僕人に領せられて出で去り、彼に冷たい粽子を喰わせ、回り来りてまた水を過した冷淘麺を喰い、両様の東西が腹中に積み、おって熱を発し、積滞は壅緊し腸道は堵塞し、初めて手足を拘挛せしめ弄到した。この路子に照らして往きて治せば、立刻に安好し得ん。韓丈の息子は、正に七月十五のあの日に僕人の家で粽子を裹き紙銭を焼き、すなわち拿げて喰わせ、回り来りてまた冷淘麺を喰い、当夜にすなわち病み倒れ、病勢は沈重し、一再に医を請じ、千万の銭を花去してもみな効を見ず。陳先生の話を聴きて、医生は便ち陳皮・青皮・烏薬湯を用いて治し、孩子は当に身上に軽松を覚え、三五塊の黒糞を瀉し下して、便ち痊愈した。
蓋己日見戌為同宗,日上見午,火中之物也。巳乃未形似米,以來配宗字,象粽子,加亥水故曰冷粽。太陰老婦,乃僕人之母與之也。酉麥申面,故曰面,玄武主過水,是以為冷淘也。
象を取るの道理は:己日に戌を見るに、戌と己とは同じく土で、同宗の義で、一個の「宗」の字を取る。日干の上神に午を見、午は火に属し、火裏に煮出して来た東西と見べし。己土の寄宮の「未」の字は、字形は「米」の字と相似る。拿げて来て「宗」の字と相配すれば、正に合して一個の「粽」の字を成す。だから象を粽子と為して取る。戌はまた亥水の上に加わる。だから冷たい粽と言う。戌上は太陰を乗せ、太陰は老年の婦人を主る。僕人の母親が拿げて彼に喰わせたと見べし。酉は麦を主り申は麺を主る。だから麺食と言う。玄武は水を過るを主る。これに因って涼水を過した冷淘麺と断定す。
吳稼云曰:魁渡天門知其為積案,中卻不肯說破,此古人秘密藏也。
呉稼雲が言う:単に戌が亥に加わるの「魁が天門を度る」の一象より、便ちこれは积食の一類の病案と知り得る。陳公献は断辞の裏に却ってこの一層を点破せんと肯んぜず。これは正に古人の秘して宣せざるの処である。
己亥日来意を占う(指南)
癸未年正月己亥日亥將未時事來意。指南。 朱蛇 六酉戌亥子貴 龍玄玄蛇 比 乙未 青 勾申 丑后 未卯卯亥 財 己亥 蛇 龍未 寅陰 卯亥亥己 鬼 癸卯 玄 空午巳辰卯玄 虎常
癸未年正月の己亥日、亥将を用いて未時に加えて課を起し、来人の来意を占った(底本は「事来意」と作すも、「事」は当に「占」の字の誤りならん)。此の例は『六壬指南』より採る。天盤の諸支は地盤より四位進む。未時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の申に臨み、申は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は子を乗せて申に臨み、螣蛇は亥を乗せて未に臨み、朱雀は戌を乗せて午に臨み、六合は酉を乗せて巳に臨み、勾陳は申を乗せて辰に臨み、青竜は未を乗せて卯に臨み、天空は午を乗せて寅に臨み、白虎は巳を乗せて丑に臨み、太常は辰を乗せて子に臨み、玄武は卯を乗せて亥に臨み、太陰は寅を乗せて戌に臨み、天后は丑を乗せて酉に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に亥を得るは第一課。亥上に卯を得るは第二課。日支の亥上に卯を得るは第三課。卯上に未を得るは第四課。上神は依り次ぎて螣蛇・玄武・玄武・青竜を乗せる。三伝は未・亥・卯で、正に合して亥卯未の木局を成す:初伝の未土は青竜を乗せ、遁干は乙で、己土と同類にして「比肩」と為る。中伝の亥水は螣蛇を乗せ、遁干は己で、己土に克せられて「妻財」と為る。末伝の卯木は玄武を乗せ、遁干は癸で、己土を克して「官鬼」と為る。木局はすでに官局を成すれば、だから功名の事を主る。
陳公獻曰:予在金陵卞聖瑞書房,偶有兩客進坐索占。余曰:龍神發用,傳課結成官局,來意必占今年功名事。六月即有欽召之應。蓋春得進旺之木,遇夏則枝葉茂密,將來事業遠大。早:六月之說何也?緣歲建皇恩發用,中傳天詔,是以六月定有佳音。後知來占者即趙忻城昆弟也。果於是月奉詔進京授京營提督,甲申又升京營戎政。
陳公献が言う:私は金陵の卞聖瑞の書房裏に在り、偶然に两位の客人ありて進み入りて坐して占を求めた。私は言う:青竜は初伝を乗せて発用し、四課・三伝はまた結びて官局を成す。来意は必定今年の功名を占うで、六月に便ち旨を奉じて召見するの応験あらん。春天は正に木気の進旺する時で、夏天に到って枝葉は自然に茂密し、将来の事業は遠大ならん。客人が問う:六月のこの説法は何処より来るか。私は言う:初伝の未はすでに癸未年の歳建で、また「皇恩」の煞を帯びて発用し、中伝の亥はまた「天詔」で、だから六月に一定佳音あらん。後に初めて知るに、来て占うは正に忻城伯の趙家の兄弟であった。結果は果たして便ちこの月に詔を奉じて京に進み、京営の提督に授けられ、甲申年にまた京営の戎政に升任した。
此以神煞斷,可見靈機通變,在乎一心。
この一例は全て歳建・皇恩・天詔のこれらの神煞を拠って立断した。六壬の霊機・変通の妙は、終究に占者の一心の領会と運用とに在るを見べし。死して成法を守るの能く得る所にあらず。
庚子日
庚子日曹作が屋に進むを占う(方本占案・直指)
建炎己酉年十月二十五庚子日寅將未時曹作秀才癸酉生三十七歲占進屋。方本占案 直指。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后空六陰 父 戊戌 六 六戌 巳常 寅未戌卯 官 空巳 常 陳酉申未午虎 未子卯庚 子 庚子 蛇 龍空
建炎己酉年十月二十五日の庚子、寅将を用いて未時に加えて課を起し、曹作秀才は癸酉年生まれ・三十七歳、新屋に搬り進むを占った。此の例は『方本占案』と『直指』より採る。天盤の諸支は地盤より七位進む。未時は昼に属し、庚日の昼貴は丑で、貴人は天盤の丑を乗せて地盤の午に臨み、午は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は丑を乗せて午に臨み、螣蛇は子を乗せて巳に臨み、朱雀は亥を乗せて辰に臨み、六合は戌を乗せて卯に臨み、勾陳は酉を乗せて寅に臨み、青竜は申を乗せて丑に臨み、天空は未を乗せて子に臨み、白虎は午を乗せて亥に臨み、太常は巳を乗せて戌に臨み、玄武は辰を乗せて酉に臨み、太陰は卯を乗せて申に臨み、天后は寅を乗せて未に臨む。四課は右から左へ:庚金の寄宮は申に在り、申上に卯を得るは第一課。卯上に戌を得るは第二課。日支の子上に未を得るは第三課。未上に寅を得るは第四課。上神は依り次ぎて太陰・六合・天空・天后を乗せる。三伝は戌・巳・子:初伝の戌土は六合を乗せ、遁干は戊で、庚金を生じて「父母」と為る。中伝の巳火は太常を乗せ、正に旬空に落つ(庚子日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)、庚金を克して「官鬼」と為る。末伝の子水は螣蛇を乗せ、遁干は庚で、庚金の生ずる所を受けて「子孫」と為る。
邵彥和曰:斫輪課,須仔細,後必爭競。支受干制之課,犯者畜產不生,宅上天空作害,主有幼小;干上互換羅網,必有小擾大之事。太陰宅母不明,兼行年湊成羅網,定是不足。末蛇乘子絕了又生,生了又絕,切不可居。庚以酉為天羅,卯為地網。
邵彦和が言う:これは「斫輪」課で、須く仔細なるべし。日后に必定争訟あらん。この課は日支が上神に制せられ、それを犯る人は牲畜が繁息せず。宅爻(日支の子)上は天空を乗せて来て害を作す。家中の年幼の人が累を受くるを主る。日干の上下は互いに換わりて湊りて羅網を成す。必定小を以て大に擾るの事あらん。日干の上神の卯は太陰を乗せ、太陰は宅中の女主人を主る。昏暗にして明ならず。さらに加えるに曹作の三十七歳の行年は寅に在り、寅上に酉を得、酉は正に庚金の天羅で、日干上の地網の卯と湊りて一副の羅網を成す。家裏は定めて欠缺・不足あらん。末伝の螣蛇は子水を乗せ、子は庚金の死地で、而して子水は自身また旺気を当たる。おって絶えてまた生じ、生じてまた絶え、反覆として常なし。この屋子は切に搬り進みて住むべからず。庚金は酉を以て天羅と為し、卯を以て地網と為す。
庚子日、甲子命の婦人が来意を占う(『一字訣』『玉連環』)
十月庚子日卯將未時甲子命婦人占來意。一字訣玉連環。 貴后陰玄 丑寅卯辰 玄龍蛇玄 子 庚子 蛇 ⊙ 蛇子 巳常 辰申子辰 兄 丙申 龍 朱亥 午虎 申子辰庚 父 辰 玄 ◎ 戌酉申未 合勾龍空
十月の庚子日に、卯将を未時に加えて課を起こし、甲子を本命とする婦人が来意を占った。この例は『一字訣』と『玉連環』から採られている。天盤の諸支は地盤より八位進む。未時は昼に属し、庚日の昼貴は丑にある。貴人は天盤の丑を乗せて地盤の巳に臨み、巳は陰方に属するので天将は逆に布く:貴人が丑を乗せて巳に臨み、螣蛇が子を乗せて辰に臨み、朱雀が亥を乗せて卯に臨み、六合が戌を乗せて寅に臨み、勾陳が酉を乗せて丑に臨み、青竜が申を乗せて子に臨み、天空が未を乗せて亥に臨み、白虎が午を乗せて戌に臨み、太常が巳を乗せて酉に臨み、玄武が辰を乗せて申に臨み、太陰が卯を乗せて未に臨み、天后が寅を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:庚金の寄宮は申にあり、申の上に辰を得るのが第一課、辰の上に子を得るのが第二課、日支の子の上に申を得るのが第三課、申の上に辰を得るのが第四課で、上神は順に玄武・螣蛇・青竜・玄武を乗ずる。三伝の子・申・辰は申子辰の水局を合成し、「潤下」課である:初伝の子水は螣蛇を乗せ、遁干は庚で、庚金に生ぜられて「子孫」となり、子は別名「神后」;中伝の申金は青竜を乗せ、遁干は丙で、庚と同類で「兄弟」となり、申は別名「伝送」;末伝の辰土は玄武を乗せ、旬空に落ち(庚子日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳)、庚金を生じて「父母」となる。
徐次賓曰:來意因三月胎氣不安,而有驚恐,至十一月喜見生子,子母俱慶。蓋發用起神后,為今日之子孫,上見螣蛇,為日下之鬼。下臨辰墓而為三月,故胎氣不安而有驚恐之象。至十一月見喜生男者,中傳送為嗣,卻上得青龍吉慶,下臨子,故應在十一月。又天罡所繫與日比陽,三傳日辰俱陽,故生男也。子母俱慶者,三傳與日辰為三合,雖有螣蛇剋日,卦得潤下屬水,又日上有玄武水,其四水乘旺相氣而為救神,其蛇不能害也。
徐次賓が言うには、彼女の来意は三月に胎気が安らかでなく心中に惊恐があったこと、十一月になれば喜びがあって男児を産み、母子ともに平安を得るということであった。発用の初伝が子であり、子は「神后」という名で、まさに庚金の生ずる子孫だからである。子の上に螣蛇が乗り、螣蛇は火に属して日干を克する鬼神であり、子はまた下に地盤の辰に臨み、辰は水の墓庫で、辰はまた三月にちょうど当たるので、三月に胎気が安まらず惊恐の象があったのである。十一月に喜びがあり男を産むと断じたのは、中伝の申が「伝送」という名で、嗣として承継することができ、申の上にまた青竜という吉慶の神を得て、下に地盤の子に臨み、子は十一月に当たるので、応期が十一月に落ちたのである。さらに天罡の辰が係るところと庚日はともに陽に属し、三伝の子・申・辰と日干・日支もすべて陽なので、生まれたのは男児である。母子ともに慶ぶと言ったのは、三伝と日辰が申子辰の三合水局を合成したからである。螣蛇が日干を克するといっても、全課が潤下の象を得て水に属し、日干の上神の辰も水に属する玄武を乗せ、この四重の水がいずれも旺相の気を乗せて救神となるので、螣蛇の火はもはや傷つけることができない。
庚子日に行人を占う(『一針見血』・『玉連環』末巻)
天聖二年歲在甲子四月庚子日申將子時丁卯年生命五十八歲來占丙申命二十九歲行人。一針見血 玉連環末卷。 空虎常玄 丑寅卯辰 玄蛇龍玄 子 庚子 龍 龍子 巳陰 辰申子辰 兄 丙申 蛇 勾亥 午后 申子辰庚 父 ◎辰 玄 戌酉申未 合朱蛇貴
天聖二年、歳は甲子、四月の庚子日に、申将を子時に加えて課を起こした。丁卯年生まれで五十八歳の人が来て、丙申を本命とする二十九歳の出門人を占った。この例は『一針見血』と『玉連環』末巻から採られている。天盤の諸支は地盤より八位進む。子時は夜に属し、庚日の夜貴は未にある。貴人は天盤の未を乗せて地盤の亥に臨み、亥は陽方に属するので天将は順に布く:貴人が未を乗せて亥に臨み、螣蛇が申を乗せて子に臨み、朱雀が酉を乗せて丑に臨み、六合が戌を乗せて寅に臨み、勾陳が亥を乗せて卯に臨み、青竜が子を乗せて辰に臨み、天空が丑を乗せて巳に臨み、白虎が寅を乗せて午に臨み、太常が卯を乗せて未に臨み、玄武が辰を乗せて申に臨み、太陰が巳を乗せて酉に臨み、天后が午を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:庚は申に寄り、申の上に辰を得るのが第一課、辰の上に子を得るのが第二課、日支の子の上に申を得るのが第三課、申の上に辰を得るのが第四課で、上神は順に玄武・青竜・螣蛇・玄武を乗ずる。三伝の子・申・辰もやはり水局を合成して「潤下」である:初伝の子水は青竜を乗せ、遁干は庚で「子孫」、中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で「兄弟」、末伝の辰土は玄武を乗せ、旬空に落ちて「父母」となる。
苗公達曰:子去萬里,音信不通。資財大獲,出門迎歸。其人云:某有一子,於天喜元年正月間,因言語不足,將些財物往歧路與販一去八年,不知音信,何能望見之?苗曰:當於乙巳日早晨可出北門外候之。有行李籠其數擔,後有二人騎馬,爾子衣白騎青馬隨一婦人衣紫騎赤馬,得意而歸。本人云:八年音信不通,安能便歸?時有同來人云苗公之術如神可至。是日往伺之,果於是日出城外三里見籠具十餘擔遠來。先一人著白衣乘青馬,一見之便下馬泣拜,乃是其子自陝西得利而歸。
苗公達が言うには、あなたの息子は万里の外に出て音信が通じていないが、今や資財を大いに得たので、出かけて行って彼を迎えて帰りなさい、と。その人が言うには、私に一人の息子がいて、天喜元年の正月に、言葉が合わないことがあって、いくらかの財物を持って別の路へ商いに行き、行ってから八年、音信がまったくなく、どうしてまた彼に会えることを望めましょうか、と。苗公達が言うには、乙巳日の早朝に北門の外に出て待つべきです。荷物を詰めた箱籠が何担かあり、あとに騎馬の者が二人続きます。あなたの息子は白衣を着て青馬に乗り、随伴の婦人は紫衣を着て赤馬に乗り、意気揚々と帰って来ます、と。その人が言うには、八年も音信が通じないのに、どうして帰ると言えば帰れるでしょうか、と。当時一緒に来た人が、苗公の術数は神のごとく必ず応えると言った。その日が来ると彼は本当に出かけて待ち受け、果たして城外三里のところで十余担の箱籠が遠くから来るのを望見し、先頭を行く一人が白衣を着て青馬に乗っていた。その人は彼を見るとすぐ馬を降りて泣いて拝した――まさに彼の息子で、陝西で利を得て帰ったのだった。
議曰:課屬斬關,發用神后,是今日庚金之子孫,加辰為空亡,以下賊上,為用將得青龍飛騰萬里,又傳入玄武乘空亡,主失信,故云:子云萬里,音信不知。行人年上乘寅木,是今日之財,加在旺方故云資財大獲。課值日辰相加其見必速而近。又庚德自處加子上申本數七,當囚死,法以折半求之。本人五十八歲,行年在亥,臨卯,卯為門將,勾陳家在戊辰,辰為門外之路,發用水旺於北方,坆雲出北門三里之外候之。
推論していうには、この課は「斬関」に属する。発用の子は「神后」という名で、庚金の生ずる子孫であり、まさに息子を代表する。子は地盤の辰の上に加わり、辰はまた空亡に落ち、下が上を賊して初伝に取られた。初伝の乗ずる天将は青竜で、青竜は飛騰して万里を行くことができる。三伝はまた末伝の辰に伝わり玄武を乗せ、玄武が空亡を乗ずれば失信を主するので、息子は万里に遠く音信が通じないと言ったのである。出門人は二十九歳で、行年は午にあり、午の上に寅木を乗せ、寅木はまさに庚金の克する妻財で、また旺相の方に加わるので、資財を大いに得たと言ったのである。この課は日干と日支の神が互いに加わり就くので、相見ることは必ず速く近いことが分かる。さらに庚金の寄宮は申にあり、申の本数は七だが、この時ちょうど囚死の気に当たるので、法に照らして半分に折って取り、三の数を得る。占を求めた本人は五十八歳で、行年は亥にあり、亥は地盤の卯に臨み、卯は「太冲」という名で門戸を主る将である。勾陳の本家は辰にあり、辰は門外の道路である。発用の子水はまた北方で旺である――だから北門の三里の外に出て待つべしと言ったのである。
行年有天驛二馬,乘寅,寅木青色,將得白虎金白色,故主白衣乘青馬。天上行年午加戌作天后,戌是火墓,天后水乘午火,水黑火赤相合而成紫色。天后婦人,故言婦人紫衣乘赤馬。課變潤下水之象,見巳為絕,絕為至之兆。又行年臨戌以午為至期,午上見寅,寅中有甲申與巳合。四月建巳又庚與乙合,數取四月乙巳日歸。
出門人の行年の上には天馬・駅馬の二重の馬星を帯び、乗ずるところは寅である。寅は木に属し、色は青である。寅の上の天将はまた白虎で、白虎は金に属し、色は白である。だから白衣に青馬に乗ると断じた。天盤の行年の午は地盤の戌の上に加わり、乗ずるは天后である。戌は火の墓庫で、天后は水に属しながら午火を乗せ、水の色は黒、火の色は赤で、黒と赤が合わさって紫色となる。天后はまた婦人を主るので、一人の婦人が紫衣を着て赤馬に乗ると言ったのである。全課は申子辰の潤下の水象に変じ、水は巳を見れば絶地であり、絶のところはまさに行き尽き到達の兆である。また行年が戌の上に臨むので、午をもって到達の期とする。午の上に寅が見え、寅の中に甲が蔵され、申はまた巳と合する。四月の月建はまさに巳であり、庚もまた乙と合するので、四月の乙巳日に帰ると取り定めたのである。
庚子日、董兌之が大宗伯の辞職を占う(『指南』)
崇正癸酉年七月庚子日午將戌時雲間董兌之占乃祖元宰太史辭大宗伯允否?指南。 空虎常玄 丑寅卯辰 龍子 巳陰 玄蛇龍玄 子 庚子 龍 勾亥 午后 辰申申子 兄 丙申 蛇 戌酉申未 申子辰庚 印 甲辰 玄 六朱蛇貴
崇正癸酉年七月の庚子日に、午将を戌時に加えて課を起こした。雲間(松江華亭)の人董兌之が、元宰・太史を務めた祖父である老先生が大宗伯(礼部尚書)の職を辞したことについて、朝廷が許すかどうかを占った。この例は『六壬指南』から採られている。天盤の諸支は地盤より八位進む。戌時は夜に属し、庚日の夜貴は未にある。貴人は天盤の未を乗せて地盤の亥に臨み、亥は陽方に属するので天将は順に布く:貴人が未を乗せて亥に臨み、螣蛇が申を乗せて子に臨み、朱雀が酉を乗せて丑に臨み、六合が戌を乗せて寅に臨み、勾陳が亥を乗せて卯に臨み、青竜が子を乗せて辰に臨み、天空が丑を乗せて巳に臨み、白虎が寅を乗せて午に臨み、太常が卯を乗せて未に臨み、玄武が辰を乗せて申に臨み、太陰が巳を乗せて酉に臨み、天后が午を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:庚は申に寄り、申の上に辰を得るのが第一課、辰の上に子を得るのが第二課、日支の子の上に申を得るのが第三課、申の上に辰を得るのが第四課で、上神は順に玄武・青竜・螣蛇・玄武を乗ずる――底本は四課の上神の一行を「辰申申子」と印しているが、本課の天地盤に合わず、盤に照らせば「辰申子辰」とすべきで、伝写の誤りであろう。三伝の子・申・辰もやはり潤下の水局である:初伝の子水は青竜を乗せて「子孫」、中伝の申金は螣蛇を乗せて「兄弟」、末伝の辰土は玄武を乗せて「印綬」すなわち父母であり、辰はちょうど旬空に落ちるので、下文のいう「印綬逢空」はこれを指す。
陳公獻曰:此課不能升遷,請告亦不能退位,卻有加銜恩蔭之兆,何用辭為?蓋因三傳全脫,遞生空亡,雖有公卿推薦,不受已頭虛譽,且日祿歸支,印綬逢空,故不得掌篆正官;惟喜皇詔德祿居中乘旺,必有加銜恩蔭之徵。又課傳回環,進旺之氣,豈退位之象,明年春末龍祿傳墓,則當請告。次年春,晉宮銜,馳驛歸里。
陳公献が言うには、この課は官も昇らず、上疏して辞を請うても退くことができず、かえって官銜を加え子孫に蔭のある兆があるので、どうして辞する必要があろうか、と。三伝がすべて我の気を泄し、層々相生してついに空亡の辰に帰するので、たとえ公卿の挙薦があっても、自分のほうは受けきれない虚名に落ちるだけである。加えて庚金の禄は申にあり、申は日支の上に加わるので日禄が支に帰し、辰という印綬はまた空亡に逢うので、正印の実職を掌ることができない。喜ばしいのは「皇詔」と徳禄が中伝に居り旺気を乗せていることで、必ず銜を加え恩蔭する応験がある。さらに四課三伝が首尾回環してすべて進旺の気なので、どこが退位の象であろうか。来年の春末になって、青竜と禄神が墓郷に伝入して、その時やっと上疏して辞を請うべきである。その後第二年の春に、果たして宮銜に進み、駅馬に乗って郷里に帰った。
庚子日、劉漢式が来意を占う(『指南』)
順治乙酉七月庚子日甲申時,揚州兵鹽道諱漢式劉公祖占,占來意。指南
清の順治二年乙酉(1645年)七月、庚子日甲申時に、揚州の兵塩道劉漢式が占いを請いに来た。「兵塩道」は分巡兵備を兼ねて塩政を管する道員であり、「漢式を諱す」の「諱」はその名を直に呼ぶに忍びないことを示し、「公祖」は明清の士民が知府以上の地方長官を尊ぶ呼称である。占った項目は「来意」――これは六壬の中の一つの専門の占法で、来る人は問うところの事を説明せず、術者がまず課体・天将によってその心に問おうとすることを推し断し、言い当ててからさらに吉凶を断ずる。この例は『六壬指南』から出ている。
六勾 朱卯辰巳午龍 白玄六龍 鬼 甲午 龍 蛇寅 未空 申戌辰午 父 甲辰 六 貴丑 申虎 戌子午庚 財 壬寅 蛇 后子亥戌酉常 陰玄
これは一行に圧して印出された課式で、実際には三つの塊に分かれる。左の塊は天地盤:地盤の十二支は固定して動かず、天盤は月将を占時に加えて排定する。この課は午(勝光)を申時に加えるので、天盤の各支はすべて後ろへ二位の地盤に落ちる――天盤の卯は地盤の巳に加わり、辰は午に、巳は未に、午は申に、未は酉に、申は戌に、酉は亥に、戌は子に、亥は丑に、子は寅に、丑は卯に、寅は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:朱雀が卯を乗せ、六合が辰を乗せ、勾陳が巳を乗せ、青竜が午を乗せ、天空が未を乗せ、白虎が申を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が戌を乗せ、太陰が亥を乗せ、天后が子を乗せ、貴人が丑を乗せ、螣蛇が寅を乗せる。庚日の申時は昼占に属し、天乙貴人は丑にあるべく、丑はこの時地盤の卯の上に落ちるので、十二天将は順行して排布される。中の塊は四課で、右から左へ数える:第一課は日干の庚(寄宮は申)の上に午が見え、第二課は午の上に辰が見え、第三課は日支の子の上に戌が見え、第四課は戌の上に申が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に青竜(午)・六合(辰)・玄武(戌)・白虎(申)である。右の塊は三伝:初伝は午、遁干は甲、青竜を乗せ、午火は庚金を克し、日干に対して官鬼となる。中伝は辰、課上は甲辰と標し、六合を乗せて父母となる。末伝は寅、遁干は壬、螣蛇を乗せて妻財となる。
陳公獻曰:勝光同天馬,來意問行人,過月望赤龍,眷屬到門庭。曰:然。蓋因中末空亡,是以月內不來,過月驛馬臨辰,故應丙辰日。
陳公献(明末の六壬名家、『六壬指南』の作者)が断じて言うには、初伝の午は十二神の中の「勝光」であり、またちょうど七月の天馬に当たるので、これは来る人が行人(外出して帰らない人)を問う課象である。今月はまだ望めず、この月を過ぎて、午火が青竜を乗ずる(火の色は赤なので「赤竜」と称す)期を待って、家族が門に至るであろう、と。劉公祖が答えて、まさにその通りだと言った。今月来ないのは中末が空に逢うからで――庚子日は甲午旬に属し、本旬の空亡は辰・巳にあり、中伝の辰はまさに空中に落ちる(末伝の寅は本旬の遁干壬に照らせばもともと空に落ちないが、原文が「中末空亡」と連称するのは、中伝の落空について立論したものである)。空なれば人は至らず事は成らない。この月を過ぎれば、日の駅馬(申子辰日の馬は寅にあり)が地盤の辰位に行くので、応期は丙辰日に落ちる。
此課占功名能復舊缺否?余曰:顧祖中末空,有初必無終。龍化為蛇例,請告始得榮。蓋因初龍末蛇,止於兵憲,龍神克下,上官不足,復任月餘,被劾逮問。詳此課,占官之事分為二段:月將龍神作官星發用,官職必遷之象,以月將為當時之主宰也。此官不為長久,以課得顧祖且中末空亡也。此過程之法甚是精妙,宜詳思之。
続いてまたこの課で功名を問うた:官に復して元の欠に戻れるか。陳公献が答えて言うには、この課は「顧祖」という名で、中末の両伝がまた空亡に逢い、古歌にいわゆる「顧祖中末空、有初必無終」――始めがあれば必ず終わりがない。三伝は初めに青竜を乗せ末に螣蛇を乗せ、まさに「竜が化して蛇となる」格例であり、古歌にまた「請告始得栄」――自ら病を告げて官を辞してこそ、体面を保つことができる、と。初伝が青竜で末伝が螣蛇なので頭が大きく尾が小さく、官位は「兵憲」(兵備道の別称)までである。青竜の乗ずる午火がまたその下の地盤の申金を克するのは上が下を克することで、上の後ろ盾は倚り頼むに足らないことを説くので、復任して一箇月余りで、弾劾され逮問された。この課を細かく見れば、官職の事を占うには二つの断片に分けて言うべきである:月将が青竜を乗せて官星を作して発用するのは、官職が必ず遷升を得る象で、月将は当時の主宰だからである。この官はしかし長く続かない。課が「顧祖」を得て、しかも中末が空に逢うからである。このように分段して推し断する手法は極めて精妙で、細かく味わうに値する。
庚子日、李日成が揚州城の安危を占う(『指南』)
順治甲申五月庚子日辛巳時,高兵自黃河北來,圍困揚城近半月,江都令諱日成李父師占城池安危,五月十三庚子日申將巳時。指南
清の順治元年甲申(1644年)五月庚子日辛巳時、高傑の軍隊が黄河以北から南下し、揚州城を囲んで半月近くになった。江都県令の李日成が城池の安危を占いに来た。「父師」は当時の士民が県令を敬う呼称で、「諱」はその名を直に呼ばないことを示す。起課の時間は五月十三日の庚子で、申将(伝送)を巳時に加えた。この例は『六壬指南』から出ている。
勾六 青申酉戌亥朱 白陰后朱 鬼 甲午 白 空未 子蛇 午卯寅亥 兄 丁酉 勾 虎午 丑貴 卯子亥庚 子 庚子 蛇 常巳辰卯寅后 玄陰
左の塊は天地盤:申(伝送)を巳時に加えるので、天盤の各支はすべて前へ三位の地盤に落ちる――天盤の申は地盤の巳に加わり、酉は午に、戌は未に、亥は申に、子は酉に、丑は戌に、寅は亥に、卯は子に、辰は丑に、巳は寅に、午は卯に、未は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:青竜が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、朱雀が亥を乗せ、螣蛇が子を乗せ、貴人が丑を乗せ、天后が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、玄武が辰を乗せ、太常が巳を乗せ、白虎が午を乗せ、天空が未を乗せる。庚日の巳時は昼占で、天乙貴人は丑にあり、この時丑は地盤の戌の上に加わり、貴人は陰位に落ちるので、十二天将は逆行して排布される。中の塊の四課は右から左へ数える:第一課は日干の庚(寄宮は申)の上に亥が見え、第二課は亥の上に寅が見え、第三課は日支の子の上に卯が見え、第四課は卯の上に午が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に朱雀(亥)・天后(寅)・太陰(卯)・白虎(午)である。右の塊の三伝:初伝は午、遁干は甲、白虎を乗せ、火は庚金を克して日干に対し官鬼となる。中伝は酉、遁干は丁、勾陳を乗せ、庚と同類で兄弟となる。末伝は子、遁干は庚、螣蛇を乗せ、金は水を生じて子孫となる。
陳公獻曰:凶必無虞,不日圍困可解。蓋因干支休囚,旺氣在內故也。格合羅網,初傳魯都虎鬼月建,彼兵雖凶,然末傳遊者將星,又係蛇沖剋初傳,此為以凶制凶,不過虎頭蛇尾,故不日圍解。
陳公献が断じて言うには、見たところ凶険だが、実は憂慮するに足らず、数日も経たずに包囲は解ける。日干・日支がともに休囚の地に処するのに、旺気はかえって内に収まっており、守る側は外力に圧倒されていない。この課の格局は「羅網」(天羅地網課)に合する。初伝の午は六壬で賊寇を占う専用の神煞「魯都」であり、また白虎を乗せ、また日干の官鬼であり、さらにちょうど五月の月建に当たるので、来犯の兵は確かに凶悍である。しかし末伝の子は「游都」一路の神煞であり、また申子辰三合局の将星でもあり、しかも螣蛇を乗せ、子水は初伝の午火を冲しまた克する。これを凶をもって凶を制すといい、来勢は虎頭蛇尾に過ぎないので、数日を出ずに包囲は解けるのである、と。
《明史》:京師陷,(高)傑南走,福王封傑興平伯,列於四鎮,領揚州,駐城外。傑固欲入城,揚州民畏傑不納。傑攻城急,日掠廂村婦女,民益惡之。知府馬鳴騄、推官湯來賀堅守月餘。傑知不可攻,意稍怠。閣部史可法議以瓜州予傑,乃止。九月命傑移駐徐州,以左中允衛胤文兼兵科給事中監其軍西討。羅網課最宜捕盜尋失,兵戰亦是吉象。
『明史』に記すには、北京が陥落した後、高傑は南に逃れ、福王(弘光帝)は彼を興平伯に封じ、江北四鎮の一つに列し、揚州を割いて彼の統轄に帰させ、城外に駐屯させた。高傑は強いて城に入ろうとし、揚州の百姓は彼を恐れて入れようとしなかった。高傑は城池を猛攻し、日々に城厢の村落の婦女を掠め取ったので、百姓はいよいよ彼を憎んだ。知府の馬鳴騄・推官の湯来賀は一箇月余り堅く守った。高傑は攻め落とせないと知って、攻勢はやっとやや緩んだ。督師大学士の史可法が出面して調停し、瓜州を高傑に割くと議定して、城を囲むことはこれでやんだ。九月、朝廷は高傑に徐州へ移駐するよう命じ、左中允の衛胤文を遣わして兵科給事中を兼務させ、彼の軍隊の西征を監督させた。これより見れば、「羅網課」は最も盗を捕え失せ物を尋ねるに宜しく、兵戦に用いても吉象である。
辛丑日
辛丑日、汪淑儀が訴訟を占う(『方本占案』『口鑑』)
建炎戊申年三月辛丑日戊將巳時汪淑儀壬戌生四十七歲占訟。方本占案 口鑑
南宋の建炎二年戊申(1128年)三月辛丑日に、「戊将」(原文は「戌将」すなわち河魁、二月の将と作るべし)を巳時に加えた。占う者は汪淑儀で、壬戌年生まれ、当時四十七歳、一件の官司を占いに来た。この例は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。課式の排する所に照らせば、天盤の戌はまさに地盤の巳の上に加わるので、原文の「戊」は「戌」の字の誤りと証される。
龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 龍貴朱玄 財 癸卯 玄 朱申 卯玄 亥午申卯 兄 丙申 朱 蛇未午巳辰陰 午丑卯辛 父 辛丑 虎 貴後
左の塊は天地盤:戌将を巳時に加えるので、天盤の各支はすべて前へ五位の地盤に落ちる――天盤の戌は地盤の巳に加わり、亥は午に、子は未に、丑は申に、寅は酉に、卯は戌に、辰は亥に、巳は子に、午は丑に、未は寅に、申は卯に、酉は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せ、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ数える:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に卯が見え、第二課は卯の上に申が見え、第三課は日支の丑の上に午が見え、第四課は午の上に亥が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に玄武(卯)・朱雀(申)・貴人(午)・青竜(亥)である。右の塊の三伝:初伝は卯、遁干は癸、玄武を乗せ、辛金は卯木を克して妻財となる。中伝は申、遁干は丙、朱雀を乗せ、辛と同類で兄弟となる。末伝は丑、遁干は辛、白虎を乗せ、土は辛金を生じて父母となる。
邵彥和曰:干上旬尾,支上旬首,為一旬周遍格。又名周而復始格。來了又去,去了又來。日上我也,支上彼也,我見卯旬尾,是事了畢。彼見午旬首,其事又起。末傳丑與支上午六害,卯財又乘玄武,到了翻論,才輸財,又被人誆賺。辛墓於丑,丑墓於申,主在外州入獄而羈絆也。他是午火,反生他州獄神,我是卯木,能克獄神。翻至二次,卻能勝也。
邵彦和(北宋の六壬大家)が断じて言うには、日干の上神は卯で、ちょうど本旬の旬尾に当たる。日支の上神は午で、ちょうど本旬の旬首に当たる――辛丑日は甲午旬に属し、旬首は甲午、旬尾は癸卯である。だからこの課を「一旬周遍格」といい、また「周而复始格」ともいい、事が来ては去り去っては来て、反復してやまないことを主る。日干は自己を代表し、日支は相手を代表する:我がほうは卯を見るので旬尾であり、事はもともとすでに結了していた。相手のほうは午を見るので旬首であり、官司はまた新たに挑み起こされる。末伝の丑は日支の上の午と六害をなし、初伝の卯財はまた玄武を乗せるので、案が翻って重審される時、まず財を破り、また人に誆騙された。辛金は丑に墓し、丑はまた申に墓すので、当事者は外州に至って獄に入り、羈押され牽絆されることを主る。相手のほうは午火で、午火はかえって丑土という獄神を生ずる。我がほうは卯木で、卯木は丑土の獄神を克することができる。だから第二回に翻って、ついに勝つことができるのである。
汪與張氏爭山起訟,汪氏初入狀果勝,張氏翻論至州,汪又上司入狀,送隨州。張又上司翻,告送嚴州司理獄,又入州縣獄,方得了絕。
後の応験は:汪家と張家が山地を争って官司を起こし、汪家が先に状子を提出して、果たして勝訴した。張家は服せず、案を翻して州に告げた。汪家はまた一つ上の衙門に状子を提出し、案は随州に発せられた。張家はさらに上へ翻案し、官司は厳州司理院の獄に発せられて審理され、汪淑儀もまた州・県二箇所の牢獄に入り、この案はこれでようやく最終的に結了した。
蓋午作貴人,作日鬼臨支,卻是六害,故彼自然失理也。汪氏被人啜了銀一百兩,乃卯作元武臨干也。卯乃閉口,說不得,又不敢問。凡人不識課名,此為一旬周遍格,若辛未日卯加未,午加辛亦然。謀諸事作吉成凶,作凶成吉,惟訟要散,不要關鎖也。
このようになったのは、午の上に天乙貴人が乗り、午火はまた辛金日干の官鬼であり、日支の上に臨みながら、末伝の丑と六害をなすので、相手は来勢こそ汹汹たるものの、ついに理に亏いたのである。汪家が人に誆られて百両の銀子を失ったのは、卯財が玄武を乗せて日干の上に臨んだからで――玄武は暗に侵奪することを主る。卯はまた「閉口」の神なので、損をしても言い出すことができず、また追問することも敢えてしなかった。一般の人は課名を認められないが、この局は「一旬周遍格」と呼ぶ。辛未日に卯が未に加わり午が辛に加わるのも、同じ格である。この格で事を謀るを占えば、もと吉のものは凶に転じ、もと凶のものは吉に転ずる。ただ官司を占うに限っては、まさに散じて結了することを要し、最も関鎖して放さないことを忌む。
辛丑日、某が米銭を欠く人を打ち死なせて官に解かれるを占う(『方本占案』)
二十月辛丑日子將未時某占因人打死欠米錢人解官。方本占案
「二十月」は原文の紀時の訛字で、某年某月二十日の類とすべきである。辛丑日、子将(神后)を未時に加え、ある人が来て占った:米銭を欠く人を打ち死なせたために、官府に解送されて究办されようとしているが、吉凶はいかに、と。この例は『方本占案』から出ている。天地盤に照らして算すれば、子を未に加えるのは上の課の戌を巳に加えるのと同じ一局なので、課式は上の課と完全に同じである。
龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 龍貴朱玄 財 癸卯 玄 朱申 卯玄 亥午申卯 兄 丙申 朱 蛇未午巳辰陰 午丑卯辛 父 辛丑 虎 貴後
課式は上の課と同じ:天盤の各支は前へ五位の地盤に加わり、天盤の戌は地盤の巳に、亥は午に、子は未に、丑は申に、寅は酉に、卯は戌に、辰は亥に、巳は子に、午は丑に、未は寅に、申は卯に、酉は辰に加わる。十二天将は順行し、勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せる。四課は右から左へ:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に卯が見え、第二課は卯の上に申が見え、第三課は日支の丑の上に午が見え、第四課は午の上に亥が見える。上神の乗ずる将は順に玄武・朱雀・貴人・青竜である。三伝:初伝は卯、遁干は癸、玄武を乗せて妻財。中伝は申、遁干は丙、朱雀を乗せて兄弟。末伝は丑、遁干は辛、白虎を乗せて父母。
邵彥和曰:天乙作鬼加丑支而六害,玄武乘卯加辛干而發用卻被中傳申作朱雀來克(稼云曰:朱雀克干上神猶之克干也)。末傳又是白虎乘墓,恐其人入獄而鮮紅。果二月死於獄中。
邵彦和が断じて言うには、天乙貴人の乗ずる午はまさに辛金日干の官鬼で、日支の丑の上に加わり、午と丑はまた六害をなす。玄武が卯を乗せて日干の辛の上に加わり発用して初伝となったが、中伝の申の上の朱雀に克される(稼雲の按語:朱雀が日干の上神を克するのは、日干そのものを克するに等しい)。末伝の丑はまた白虎が墓神を乗ずるもので、おそらくこの人は獄に入って血を見るであろう。その後果たして二月に獄中で死んだ。
辛丑日、劉正宗が占を索めて兄長の升遷を問う(『指南』)
崇正二月戊寅二月辛丑日癸巳時,東省劉太史諱正宗者相召索占。指南
崇禎(原文は「崇正」と作る、諱を避けて改めたもの)朝の戊寅年二月辛丑日癸巳時――原文の紀年は一箇所「二月」が重出し、文字に訛脱がある――山東の劉太史(名は正宗、「諱」はその名を直に呼ぶに忍びないことを示し、「太史」は翰林院官員の雅称)が人を遣わして陳公献に占卦を請わせた。この例は『六壬指南』から出ている。二月の月将は戌(河魁)で、戌を巳時に加え、前の二課と同じ一局に属する。
龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 龍貴朱玄 財 癸卯 玄 朱申 卯玄 亥午申卯 兄 丙申 朱 蛇未午巳辰陰 午丑卯辛 父 辛丑 虎 貴後
課式はなお戌を巳に加える一局である:天盤の戌は地盤の巳に加わり、亥は午に、子は未に、丑は申に、寅は酉に、卯は戌に、辰は亥に、巳は子に、午は丑に、未は寅に、申は卯に、酉は辰に加わる。十二天将は順行し、勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せる。四課は右から左へ:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に卯が見え、第二課は卯の上に申が見え、第三課は日支の丑の上に午が見え、第四課は午の上に亥が見える。四課の上神の将は順に玄武・朱雀・貴人・青竜である。三伝:初伝は卯で玄武を乗せ、遁干は癸、妻財。中伝は申で朱雀を乗せ、遁干は丙、兄弟。末伝は丑で白虎を乗せ、遁干は辛、父母。この課は日干の上神の卯が旬尾で、日支の上神の午が旬首であり、なお「一旬周遍」の格である。
陳公獻曰:太史所占定是一外官,曾經降罰者。因日生青龍,又上克下故也。曰:家兄任太平知府,為錢糧降罰,看有礙遷升否。曰:支首干尾,格合周遍,何礙升遷。當在何時?余曰:青龍離支六位,初傳月建催官,中傳天馬,傳送為驛郵,為兵馬,為直符,七月內必升吳分兵憲。後果升嘉湖驛傳兵憲。支為任所,丑應吳越揚州,故斷此也。祿臨辰上,亦是東南之徵。
陳公献はまず来意を断じた:太史の問うところは、必ず一人の外任の官員で、しかもかつて降級の処分を受けたことがある者である。日干が青竜を生ずれば――青竜は官爵を主り、課中はまた上が下を克する象だからである。劉太史が言うには、我が家兄は現に太平知府を任じ、銭糧の亏欠によって降級されたので、升遷に妨げがあるかどうかを見たい、と。陳公献が言うには、日支の上神は旬首で、日干の上神は旬尾、格は「一旬周遍」に合し、去ってまた来るので、升遷に何の妨げがあろうか、と。劉太史が問うには、いつ頃になるべきか、と。答えて言うには、青竜は日支から六位を隔てるので、六の数を取る。初伝の卯は二月の月建で、催官の神である。中伝の申は天馬で、申の神はもとの名を「伝送」といい、駅伝郵逓を主り、また兵馬を主り、また直符となる――七月の内に必ず呉地の分野の兵備道に升任するであろう、と。その後果たして嘉興・湖州の駅伝兵備道に升った。日支は任所を代表し、丑は分野の上で呉越・揚州一帯に応ずるので、このように断じた。辛金の禄は酉にあり、酉はこの時地盤の辰の上に臨み、辰位は東南にあり、これも東南の方向に応ずる徴験である。
辛丑日、鄧姓の人が市側に客店を造るを占う(『一針見血』)
四月辛丑日卯將申時鄧姓人占市側造客店。一針見血
四月の辛丑日、卯将(太冲)を申時に加え、鄧と姓する一人の人が来て占った:集市のそばに客店を建てようと思うが、できるかどうか、と。この例は『一針見血』から出ている。四月の正将はもと申(伝送)であるが、原文は卯将と標し、月将と月份が合わないので、訛誤があるはずである。課式の排する所は天盤の卯が地盤の申に加わるもので、もし申将を丑時に加えるに換えれば、同じ一局である。
空虎常玄 子丑寅卯 玄朱空后 財 癸卯 玄 龍亥 辰陰 卯申子巳 父 戊戌 勾 勾戌 巳后 申丑巳辛 鬼 ◎巳 后 酉申未午 合朱蛇貴
左の塊は天地盤:卯を申に加えるので、天盤の各支は前へ七位の地盤に落ちる――天盤の子は地盤の巳に加わり、丑は午に、寅は未に、卯は申に、辰は酉に、巳は戌に、午は亥に、未は子に、申は丑に、酉は寅に、戌は卯に、亥は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せ、勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に巳が見え、第二課は巳の上に子が見え、第三課は日支の丑の上に申が見え、第四課は申の上に卯が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に天后(巳)・天空(子)・朱雀(申)・玄武(卯)である。右の塊の三伝:初伝は卯、遁干は癸、玄武を乗せて妻財。中伝は戌、遁干は戊、勾陳を乗せて父母。末伝は巳、天后を乗せて官鬼で、巳の字の上に圈を加えたのは空亡の記号である――辛丑日は甲午旬に属し、本旬の空亡はまさに辰・巳にある。
劉日新曰:爾欲市側造店屋,奈此處有祖墓,如何造得?不上一年必致具訟。吃棒坐獄,出獄而死。蓋支為店業,丑為辛金之墓,巳亦為店業而加戌墓之上,故知此處有祖墓也。支上白虎作朱雀,中傳勾陳,故知具訟。財作玄武必主破財,白虎作朱雀加於丑墓,中傳戌作勾陳,戊為牢獄,故必坐獄。戌能生日,故不死於獄中。末傳巳火克干,四月正旺,故知出獄而死。鄧某不聽,後果遭訟被押,押久致病,保出而卒。
劉日新が断じて言うには、あなたは集市のそばに店屋を建てようと思うが、あの土地の下には人の家の祖墳があるので、どうして建てられようか。一年を出ずして必ず官司を招き、板子を受け大牢に坐し、出獄した後さらに命を落とすであろう。このように断じた理由は:日支は店業を代表し、丑は辛金の墓庫であり、日干の上神の巳もまた店業を代表し、しかも巳は戌という墓神の上に加わるので、あそこに祖墳があると知ったのである。日支の上神の乗ずる白虎は朱雀と連なり、中伝はまた勾陳で、勾陳・朱雀はともに争訟を主るので、官司を受けると知ったのである。妻財が玄武を乗ずれば必ず破財を主する。白虎・朱雀が丑墓に加臨し、中伝の戌の上に勾陳が乗り、戌は牢獄の神なので、必ず牢に坐する。戌土は辛金日干を生ずることができるので、獄中で死ぬには至らない。末伝の巳火は日干を克し、四月は火がちょうど旺に当たるので、出獄した後に死ぬと断じたのである。鄧某は勧めを聴かず、後に果たして官司を受けて关押され、長く関せられて病に罹り、保釈されて出獄すると死んだ。
辛丑日に訴訟を占う(月将・占時はもとより闕す)
辛丑日 將 時占訟。
辛丑日にある人が来て官司を占った。原文は「将」の字と「時」の字の前にそれぞれ一つの空缺を留めており、月将と占時の二箇所は底本に失載している。課式に照らして推算すれば、天盤の各支はすべて後ろへ一位の地盤に落ち、子を丑に加える一局に属する。
朱蛇貴后 辰巳午未 虎空陰玄 子 庚子 空 合卯 申陰 亥子申酉 子 己亥 虎 勾寅 酉玄 子丑酉辛 父 戊戌 常 丑子亥戌 龍空虎常
左の塊は天地盤:天盤の各支は後ろへ一位の地盤に加わる――天盤の辰は地盤の巳に加わり、巳は午に、午は未に、未は申に、申は酉に、酉は戌に、戌は亥に、亥は子に、子は丑に、丑は寅に、寅は卯に、卯は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:朱雀が辰を乗せ、螣蛇が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、天后が未を乗せ、太陰が申を乗せ、玄武が酉を乗せ、太常が戌を乗せ、白虎が亥を乗せ、天空が子を乗せ、青竜が丑を乗せ、勾陳が寅を乗せ、六合が卯を乗せる。貴人の乗ずる午は地盤の未という陰位に落ちるので、十二将は逆行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に酉が見え、第二課は酉の上に申が見え、第三課は日支の丑の上に子が見え、第四課は子の上に亥が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に玄武(酉)・太陰(申)・天空(子)・白虎(亥)である。右の塊の三伝:初伝は子、遁干は庚、天空を乗せ、辛金は水を生じて子孫となる。中伝は亥、遁干は己、白虎を乗せ、これも子孫。末伝は戌、遁干は戊、太常を乗せ、土は辛金を生じて父母となる。
斷曰:辛丑日子加丑為用,上見天空,即戌也。子為丑之財,上下夾克,為爭財之象也。三傳傳歸於辛,辛上見酉,辛祿所居,所以得財。辛以火為鬼,子亥解之,丑所畏木日,上有酉金解之,三傳日辰相就而傳退,所以言得財而息也。
断語にいうには、辛丑日に、天盤の子が日支の丑の上に加わって発用して初伝となり、子の上に天空が乗り、天空の本位はまさに戌にある。子水は丑土の財であり、丑土はまた子水を克し、上下が相い挟み相い克するのは、まさに財を争う象である。三伝は最後に辛金日干の一路に帰し、日干の上神は酉で、酉はまさに辛金の禄位のある所なので、ついに財を得ることができる。辛金は火をもって官鬼とし、三伝中の子水・亥水はちょうど火の鬼を解き消す。丑土の恐れるところは木の来て克することだが、日干の上にまた酉金があり、酉金は木を制することができるので、これも解けた。三伝と日干・日支が彼此に寄り添い、しかも伝の次序は子から亥へ退き、さらに戌へ退くので退茹に属し、だから財を得て事もまた平息したと言うのである。
辛丑日、孫石渠が生育の吉凶を占う(『指南』)
己丑二月辛丑日己亥時孫石渠占生育吉凶。指南
己丑年二月の辛丑日己亥時に、孫石渠が来て生育の吉凶を占った。この例は『六壬指南』から出ている。二月の月将は戌(河魁)で、戌を亥時に加え、天盤の各支は後ろへ一位の地盤に落ち、上の課と同じ一局である。ただ亥時は夜占に属し、天乙貴人は夜貴に改めるので、天将の排布はそれに随って異なる。
六勾 朱辰巳午未青 玄陰空虎 子 庚子 陰 蛇卯 申空 亥子申酉 子 己亥 玄 貴寅 酉虎 子丑酉辛 父 戊戌 常 后丑子亥戌常 陰玄
左の塊は天地盤:戌を亥に加えるので、天盤の各支は後ろへ一位の地盤に加わる――天盤の辰は地盤の巳に加わり、巳は午に、午は未に、未は申に、申は酉に、酉は戌に、戌は亥に、亥は子に、子は丑に、丑は寅に、寅は卯に、卯は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:朱雀が辰を乗せ、六合が巳を乗せ、勾陳が午を乗せ、青竜が未を乗せ、天空が申を乗せ、白虎が酉を乗せ、太常が戌を乗せ、玄武が亥を乗せ、太陰が子を乗せ、天后が丑を乗せ、貴人が寅を乗せ、螣蛇が卯を乗せる。辛日の亥時は夜占に属し、天乙貴人は夜貴の寅を用い、寅は地盤の卯という陽位に加わるので、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に酉が見え、第二課は酉の上に申が見え、第三課は日支の丑の上に子が見え、第四課は子の上に亥が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に白虎(酉)・天空(申)・太陰(子)・玄武(亥)である。右の塊の三伝:初伝は子、遁干は庚、太陰を乗せて子孫。中伝は亥、遁干は己、玄武を乗せ、これも子孫。末伝は戌、遁干は戊、太常を乗せて父母。
斷曰;占產難生,子母皆亡。友人曰:一手先出矣,據課子必難保。予曰;不然,先母生子時,先一晚手出,次早腳出,母子無恙。此課河魁渡亥被阻隔,天獄無沖,其子何由而出?日干上虎來遁鬼,支上子乘游魂;天后象母,受寅貴劫煞制克,是以子母不保。未幾,子未出母已死矣。
断語にいうには、この胎は難産で、母子ともに保てない。傍らの友人が言うには、子供はすでに一方の手を先に出しており、課に照らせば子供は必ず保ち難い、と。私が言うには、そう見るのではない。先母が子を産んだ時、前の日の夜に先ず手を出し、翌日の朝に先ず足を出したが、母子ともに変わりなく平安であった。この課の鍵は:河魁(戌)が亥位を渡ろうとして阻まれ、天獄の神もまた冲き開かれていないので、子供はどこから出て来られようか。日干の上に白虎が乗り、遁干から出て来るのもまた鬼である。日支の上の子が乗ずるのは游魂の神である。天后は母と取象するが、寅の上の貴人の帯びる劫煞に制克される。だから母子ともに保てないのである。ほどなくして、子供はまだ生まれないうちに、母が先に死んだ。
辛丑日、王四官人が事を犯して占を求める(『方本占案』『一針見血』)
庚辰年七月十六辛丑日午將巳時衢州王四官人犯事求占。方本占案 一針見血
庚辰年七月十六日の辛丑、午将(勝光)を巳時に加え、衢州の王四官人が事を犯したために占を求めに来た。この例は『方本占案』と『一針見血』に見える。七月はすでに立秋を交えたが処暑に至らず、月将はなお六月の午将を用い、天盤の各支はすべて前へ一位の地盤に落ちる。
貴后陰玄 午未申酉 合勾空虎 財 壬寅 勾 蛇巳 戌常 卯寅子亥 財 癸卯 合 朱辰 亥虎 寅丑亥辛 父 ◎辰 朱 卯寅丑子 合勾龍空
左の塊は天地盤:午を巳に加えるので、天盤の各支は前へ一位の地盤に加わる――天盤の午は地盤の巳に加わり、未は午に、申は未に、酉は申に、戌は酉に、亥は戌に、子は亥に、丑は子に、寅は丑に、卯は寅に、辰は卯に、巳は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:貴人が午を乗せ、天后が未を乗せ、太陰が申を乗せ、玄武が酉を乗せ、太常が戌を乗せ、白虎が亥を乗せ、天空が子を乗せ、青竜が丑を乗せ、勾陳が寅を乗せ、六合が卯を乗せ、朱雀が辰を乗せ、螣蛇が巳を乗せる。辛日の巳時は昼占に属し、昼貴は午にあり、午は地盤の巳という陰位に加わるので、十二将は逆行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に亥が見え、第二課は亥の上に子が見え、第三課は日支の丑の上に寅が見え、第四課は寅の上に卯が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に白虎(亥)・天空(子)・勾陳(寅)・六合(卯)である。右の塊の三伝:初伝は寅、遁干は壬、勾陳を乗せ、辛金は寅木を克して妻財となる。中伝は卯、遁干は癸、六合を乗せ、これも妻財。末伝は辰、朱雀を乗せて父母で、辰の字の上に圈を加えたのは空亡の記号である――辛丑日は甲午旬に属し、本旬の空亡はまさに辰・巳にある。
邵彥和曰:此課必有恩赦,是陰人明年辛巳正月內有災,合上即位又生太子,要有赦了。果十月十五日聞聖后還政放赦,至明年正月末旬,太皇后昇天也。
邵彦和が断じて言うには、この課は必ず朝廷の恩赦があり、しかも一人の女性の尊長が明年の辛巳年の正月に災がある。ちょうど新君の即位に遇い、また太子が生まれたので、大赦があるはずである。その後果たして十月十五日に太后が政を還し赦令を頒布したという報を聞き、第二年の正月下旬に至って、太皇太后が去世した。
午加巳,巳上九乾純陽,陽極於午,午陰。今位午是太陽臨乾上九純陽之位,又作貴人正當天心。在純陽上九乾多用事,雖是居上九極處,然傳內三貴人並見,亥作虎加辛日也。亥是明年正月太陽用午作貴人加巳,是今日之德,又是辰。始於寅。辛丑日會明年辛巳年,用午太陽加巳又見亥作白虎加辛也。亥者,陰氣之盡。明年辛巳歲正月太陽亥上當天心,故辛巳年正月上升,此陰陽歲會例。
以下は推し断した根拠である:午が巳の上に加わり、巳の方位は『乾』卦の上九に配し、純陽の極である。陽気は午に盛極し、午の後は陰に転じる。今、午という位は太陽(月将)が乾位の上九純陽の処に臨み、また天乙貴人を乗せ、ちょうど天心の位置に当たる。事が純陽上九の乾位の上で行われるのは、すでに極盛にして将に衰えんとする地に居るとはいえ、三伝の内に三箇所の貴人が並び見え、日干の辛の上はまた亥が白虎を乗ずる。亥はまさに明年正月の太陽のある所――今日は午を太陽として貴人を乗せ巳に加え、これが今日の徳神であり、すなわち辰上の気で、その発端は寅にある。辛丑日と明年の辛巳年とは干支が相会し、今日は午の太陽を巳に加え、また亥が白虎を乗せて辛日の上に加わるのを見る。亥は陰気が尽きるところまで行き着く場所である。明年の辛巳年の正月、太陽が亥の上に行き至り、ちょうど天心に当たるので、辛巳年の正月に太皇太后が昇天する。これが「陰陽歳会」の例である。
壬寅日
壬寅日、劉退斎太史が占を索めて来人の身分を問う(『指南』)
崇正丁丑八月壬寅日癸卯時,浣中劉退齋太史索占:汝看此是何等人?指南
崇禎(原文は「崇正」と作る、諱を避けて改めたもの)丁丑年(崇禎十年、1637年)八月、壬寅日癸卯時に、浣中の劉退斎太史(翰林官の雅称)が来て占を請い、題を出して問うた:これは何の身分の人か見よ、と。この例は『六壬指南』から出ている。八月はすでに秋に入ったが秋分に至らず、月将はなお七月の巳将(太乙)を用い、巳を卯時に加え、天盤の各支はすべて前へ二位の地盤に落ちる。
六勾 朱未申酉戌龍 蛇后陰常 鬼 辰 后 蛇午 亥空 午辰卯丑 財 甲午 蛇 貴巳 子虎 辰寅丑壬 印 丙申 六 后辰卯寅丑常 陰玄
左の塊は天地盤:巳を卯に加えるので、天盤の各支は前へ二位の地盤に加わる――天盤の未は地盤の巳に加わり、申は午に、酉は未に、戌は申に、亥は酉に、子は戌に、丑は亥に、寅は子に、卯は丑に、辰は寅に、巳は卯に、午は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、青竜が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せる。壬日のここでは夜貴を用い、貴人は巳にあり、巳は地盤の卯という陽位に加わるので、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に丑が見え、第二課は丑の上に卯が見え、第三課は日支の寅の上に辰が見え、第四課は辰の上に午が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に太常(丑)・太陰(卯)・天后(辰)・螣蛇(午)である。右の塊の三伝:初伝は辰、天后を乗せ、土は壬水を克して官鬼となり、辰位には遁干を注しない。壬寅日は甲午旬に属し、辰・巳はまさに本旬の空亡だからである。中伝は午、遁干は甲、螣蛇を乗せて妻財。末伝は申、遁干は丙、六合を乗せ、金は壬水を生じて印綬(父母)となる。
陳公獻曰:餘玩之良久,此近君陰貴人也,太歲常官臨日,陰見夜貴,太陰又居歲位,必近君之陰貴人也。曰:「此公主也。然有何事?曷一決之。」曰:此必請封蔭子之事。蓋末傳皇詔長生,六合為孩兒,是以知之。倘旨意不允。余曰:傳將六陽登天,必事達天廷至尊之前。但嫌初中空亡,必須兩次方許封蔭。果如其占。
陳公献が断じて言うには、私はこの課を長く玩味したが、問うところは皇帝に親近な一人の女性の貴人である。丁丑年の太歳は丑で、丑は太常を乗せて日干の上に臨む。この課はまた夜貴を取り、太陰もまたちょうど太歳の丑の位置に落ちている――これらの種々から、問うところは必ず君に近い女貴人である。劉太史が言うには、これは一人の公主である。彼女に何事があるか。決断してほしい、と。陳公献が言うには、これは必ず封贈を請い、子嗣に蔭を及ぼす事である。末伝の申は「皇詔」の神であるとともに、壬水の長生の地でもあり、末伝の乗ずる六合はまた孩児と取象するので、このように断ずる、と。劉太史がまた問うには、万一旨意が准じなければどうか、と。陳公献が言うには、三伝の辰・午・申はいずれも陽支で、節々に上昇し、六陽が天に登る象なので、事は必ず天廷の至尊の前に上達することができる。ただ惜しむべきは初伝・中伝が空亡の上に落ちることで(壬寅日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳にあり)、必ず二回を経てから封蔭が准ぜられる。その後果たして彼の占の通りであった。
壬寅日に再び産期を占う(『郭氏占案』)
崇珔乙亥年四月壬寅日申將午進再占產期(先得卯時占,遇見干上辰)。郭氏占案
崇禎(原文は「崇珔」と作る、「崇禎」の訛写)乙亥年(崇禎八年、1635年)四月の壬寅日、申将(伝送)を午時に加え(原文の「午進」の「進」は「時」の字の誤り)、再び生産の日期を占った――先に卯時に一課を占い、日干の上に辰が見えるを得た。この例は『郭氏占案』から出ている。申を午に加えるので、天盤の各支は前へ二位の地盤に落ち、上の課と同じ一局である。
六勾 朱未申酉戌龍 蛇后陰常 鬼 辰 后 蛇午 亥空 午辰卯丑 財 甲午 蛇 貴巳 子虎 辰寅丑壬 印 丙申 六 后辰卯寅丑常 陰玄
課式は上の課と全く同じ:天盤の未は地盤の巳に加わり、申は午に、酉は未に、戌は申に、亥は酉に、子は戌に、丑は亥に、寅は子に、卯は丑に、辰は寅に、巳は卯に、午は辰に加わる。十二天将は順行し、朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、青竜が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せる。四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に丑が見え、第二課は丑の上に卯が見え、第三課は日支の寅の上に辰が見え、第四課は辰の上に午が見える。上神の乗ずる将は順に太常・太陰・天后・螣蛇である。三伝:初伝は辰で天后を乗せ、官鬼となり、本旬の空亡に落ちるので遁干を注しない。中伝は午、遁干は甲、螣蛇を乗せて妻財。末伝は申、遁干は丙、六合を乗せて印綬。
郭御青曰:前嫌人宅乘墓,此即自墓傳生。兩課相解,前課初實中末空,此課初中空末實。至甲辰旬俱不空矣。當在丙午日生。以月將臨干作六合,小兒之象;又壬水胎處也。先乙巳日飲於同袍親姻張貞明家餘預達明日,遇餘賀生子。張貞明猶駭異不信。至第二日丙午寅時果得男。凡行人期候最難,亦有決不准者,此其驗之奇中者耳。
郭御青が言うには、先のあの課は人と宅がともに墓神を乗ずるのを嫌ったが、この課は墓神から伝わって長生に至り、二課はちょうど互いに化解し合う。前の課は初伝が実に落ちて中末の両伝が空に落ち、この課は初中の両伝が空に落ちて末伝が実に落ちる。甲辰旬に交われば、いずれも空でなくなる。子供は丙午日に生まれるべきである。月将が日干の一路に臨んで六合を乗ずれば、六合はまさに小児の象であり、午はまた壬水の胎を受ける処だからである。これより前の乙巳日に、私は同袍の姻親である張貞明の家で酒を飲み、あらかじめ彼に明日生まれると告げ、その時彼は私に子を得たと道賀しに来るであろうと言った。張貞明はなお驚きて信じようとしなかった。翌日の丙午日寅時に至り、果たして男児が生まれた。およそ行人・産期の類の応期を推し断するのは、最も准え難く、全く中らないと断ずることもあるが、今回は応験が格別に奇中したと言える。
壬寅日、許州にて居るべきか否かを占う(『郭氏占案』)
崇正巳年十二月初一壬寅日丑將酉時在許州占可居否。郭氏占案
崇禎某巳年(原文は「崇正巳年」、年份の天干が失載)十二月初一の壬寅日、丑将(大吉)を酉時に加え、許州にて住み続けられるかどうかを占った。この例は『郭氏占案』から出ている。十二月の月将はまさに丑で、丑を酉に加え、天盤の各支は前へ四位の地盤に落ちる。
空虎常玄 酉戌亥子 虎合勾貴 鬼 乙未 勾 龍申 丑陰 戌午未卯 兄 己亥 常 勾未 寅后 午寅卯壬 子 癸卯 貴 午巳辰卯 合朱蛇貴
左の塊は天地盤:丑を酉に加えるので、天盤の各支は前へ四位の地盤に加わる――天盤の酉は地盤の巳に加わり、戌は午に、亥は未に、子は申に、丑は酉に、寅は戌に、卯は亥に、辰は子に、巳は丑に、午は寅に、未は卯に、申は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:天空が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が子を乗せ、太陰が丑を乗せ、天后が寅を乗せ、貴人が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、六合が午を乗せ、勾陳が未を乗せ、青竜が申を乗せる。貴人の乗ずる卯は地盤の亥という陽位に落ちるので、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に卯が見え、第二課は卯の上に未が見え、第三課は日支の寅の上に午が見え、第四課は午の上に戌が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に貴人(卯)・勾陳(未)・六合(午)・白虎(戌)である。右の塊の三伝:初伝は未、遁干は乙、勾陳を乗せ、土は壬水を克して官鬼。中伝は亥、遁干は己、太常を乗せ、壬と同類で兄弟。末伝は卯、遁干は癸、貴人を乗せ、水は木を生じて子孫。三伝の未・亥・卯は亥卯未の木局を合成する。
郭御青曰:此課干支上皆逢死氣。畢法云:人宅皆死各衰羸,正合此句。遂同督師於次日癸卯北迴汴城。越日,賊至許而城破矣。
郭御青が言うには、この課は日干・日支の上神がともに死気に逢う。『畢法賦』にいう「人宅皆死各衰羸」――人と居所がともに死気を帯び、双方ともに衰弱して堪えられないとは、まさにこの一句に合し、許州には住めないことが見える。そこで翌日の癸卯日に督師に随って北へ汴城に返った。一日過ぎて、流賊が許州に打ち至り、城は破れた。
壬寅日、庚午命の人が流年を占う(『牧夫占験』)
乾隆己巳年午建壬寅日申將辰時庚午命六十歲占流年。牧夫占驗
乾隆己巳年の午月(午建はすなわち午月)壬寅日、申将(伝送)を辰時に加え、庚午年生まれで六十歳の一人の人が来て本年の流年を占った。この例は『牧夫占験』から出ている。申を辰に加えるので、天盤の各支は前へ四位の地盤に落ち、前の課と同じ一局である。
空虎常玄 酉戌亥子 虎合勾貴 鬼 乙未 勾 龍申 丑陰 戌午未卯 兄 己亥 常 勾未 寅后 午寅卯壬 子 癸卯 貴 午巳辰卯 合朱蛇貴
左の塊は天地盤:申を辰に加えるので、天盤の各支は前へ四位の地盤に加わる――天盤の酉は地盤の巳に加わり、戌は午に、亥は未に、子は申に、丑は酉に、寅は戌に、卯は亥に、辰は子に、巳は丑に、午は寅に、未は卯に、申は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:天空が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が子を乗せ、太陰が丑を乗せ、天后が寅を乗せ、貴人が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、六合が午を乗せ、勾陳が未を乗せ、青竜が申を乗せる。貴人の乗ずる卯は地盤の亥という陽位に落ちるので、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に卯が見え、第二課は卯の上に未が見え、第三課は日支の寅の上に午が見え、第四課は午の上に戌が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に貴人(卯)・勾陳(未)・六合(午)・白虎(戌)である。右の塊の三伝:初伝は未、遁干は乙、勾陳を乗せて官鬼。中伝は亥、遁干は己、太常を乗せて兄弟。末伝は卯、遁干は癸、貴人を乗せて子孫。三伝の未・亥・卯はまさに亥卯未の三合木局を合成する。
王牧夫曰:此課主多了,木局子孫旺故也。凡三合之局氣聚最好,但以年命推測又有不好處在行年,行年在己巳上酉用木局而年見從革與用相沖,卯酉主門戶,恐有乘亂事也,須慎之。支馬為家宅,旺火脫用傳之氣,恐有狂惑之人在宅生亂也。七月可畏,申上子,乃刑卯之月也。後果於七月門中有殺傷事。此譚式中,方知年命為要耳,若以干支三傳視之,木火相生旺相,安能知之?凡占流年,當以年為緊切也,存此以俟高明。
王牧夫が言うには、この課は乍見すれば好いところが多い。三伝が木局を合成し、子孫が一路旺相だからである。およそ三合が局を成せば、気が一箇所に聚まるのはもとより最上だが、年命をもって推せば、また好ましくないところがあり、毛病は行年に出ている。行年は巳に落ち、巳の上に酉が見える。本課が用いるのは三合の木局だが、年の上に見えるのは申酉の金の「従革」の象で、用いる木局と相冲する。卯酉の二支は門戸を主り、ただ恐れるは乱に乗じて事を生ずる患があり、小心しなければならない。日支の上の駅馬は家宅を代表し、旺火がまた用神と三伝の気を脱泄するので、狂妄に惑乱する人が家中で事を起こす恐れがある。七月が最も畏るべきで、申の上に子が見え、子はまさに卯を刑する月份だからである。その後果たして七月に家門の内に殺傷の事が出た。この一式に及んで、年命が最も緊要であることを知った。もし干支三伝だけを見れば、木火は相生して皆旺相にあり、どうして断じられようか。およそ流年を占うには、太歳・行年をもって最も切要とすべく、姑くこの課を記して、高明を待つ。
愚按:此斷語甚多牽強附會而未得要領。六十歲行年在丑,丑上見巳,吉凶當從巳推測。何得以巳上之酉言其卯酉相沖,主門戶乘亂事也?支上旺火脫用傳之氣與宅何干?何得言有狂惑之人在宅生亂也?七月可畏亦是事後之言。子刑卯與宅又何干也?據餘看此課,人宅皆死便是不祥,何況支上午火乘旺相氣而脫支之氣?陰神更見白虎死氣作鬼,安得不凶乎?辰時未發用,皆剋日為天網課,亦主刑傷,卯木雖能破網無奈卯巳休囚而辰未皆相氣也。此餘一得之愚,俟高明裁定。
編者の程樹勳が按ずる:この段の断語は牽強附会のところが多く、要領を掴んでいない。六十歳の行年は丑にあるべく、丑の上に巳が見えるので、吉凶は巳の上から推すべきである。どうして巳の上の酉をもって、卯酉相冲して門戸が乱に乗じて事を生ずると主ると言えようか。日支の上の旺火が用神と三伝の気を脱泄するのは、家宅と何の相関があろうか。どうして狂惑の人が宅中に乱を生ずると言えようか。七月が畏るべきと言うのも、事後に補って言う話に過ぎない。子が卯を刑するのと家宅とにまた何の関係があろうか。私が見るにこの課は、人と宅がともに死気に逢い、これ自体がすでに不祥である。何况日支の上の午火が旺相の気を乗せ、また日支の元気を脱泄するのをや。日支の陰神はさらに白虎が死気を帯びて官鬼を作すのを見る。どうして凶ならざるを得ようか。辰時に起課し、未をもって発用して初伝とし、三伝は皆来て日干を克する。これは「天網課」で、また刑傷を主る。卯木は天網を破ることができるとはいえ、卯と巳がともに休囚に処するのを如何ともし難く、しかも辰・未がともに相気に当たるので、破り動かせない。これは私の一点の浅見で、高明の人の裁定を待つ。
壬寅日、任三翁が家宅を占う(『口鑑』『方本占案』)
建炎戊申年十一月壬寅日丑將申時任三翁庚午生三十九歲占家宅。口鑑 方本占案
南宋の建炎二年戊申(1128年)十一月壬寅日、丑将(大吉)を申時に加え、任三翁、庚午年生まれ、三十九歳、来て家宅を占った。この例は『六壬口鑑』と『方本占案』に見える。十一月の月将はまさに丑で、丑を申に加え、天盤の各支は前へ五位の地盤に落ちる。
空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 虎朱陳後 兄 庚子 虎 六申 卯陰 子未酉辰 財 空巳 貴 朱未午巳辰后 未寅辰壬 鬼 戊戌 龍 蛇貴
左の塊は天地盤:丑を申に加えるので、天盤の各支は前へ五位の地盤に加わる――天盤の戌は地盤の巳に加わり、亥は午に、子は未に、丑は申に、寅は酉に、卯は戌に、辰は亥に、巳は子に、午は丑に、未は寅に、申は卯に、酉は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:青竜が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せる。貴人の乗ずる巳は地盤の子という陽位に落ち、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に辰が見え、第二課は辰の上に酉が見え、第三課は日支の寅の上に未が見え、第四課は未の上に子が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に天后(辰)・勾陳(酉)・朱雀(未)・白虎(子)である。右の塊の三伝:初伝は子、遁干は庚、白虎を乗せ、壬と同類で兄弟。中伝は巳、「空巳」と標し、貴人を乗せて妻財――壬寅日は甲午旬に属し、辰・巳はまさに本旬の空亡。末伝は戌、遁干は戊、青竜を乗せ、土は壬水を克して官鬼。
邵彥和曰:此課占宅,而身宅居墓無氣,因婢妾相爭,遂出其婢,而後再歸,卻與宅又合。又常被子息及兄弟作擾,又門戶上口舌不足,只喜末空亡,又是絕鄉,下稍口舌擾亂俱絕無矣。何以知婢再歸?
邵彦和が断じて言うには、この課で家宅を占えば、人身と住宅がともに墓神の上に落ちて生気がない。家の内で婢妾が相い争い、婢女を追い出したが、後にまた帰って来て、帰って来てからかえって家宅と相合することを主る。また常に子女と兄弟に攪擾され、門戸の上にもいつも口舌の是非があって、清浄を得ない。幸いなのは後段の一伝が空亡の裡に落ちることで(本課の中伝の巳はまさに甲午旬の空亡)、巳はまた壬水の絶郷なので、末に至って口舌の扰攘はみな断絶して净くなる。どうして婢女がまた帰って来ると知ったか。
蓋天盤酉之陰神,卻乃寅加酉,又是宅也。兼酉加辰與辰合,天將勾陳夾住,勾陳為牙人,故主辰日其婢再還也。又辰為日上神故也。大凡隔七八局,三傳回環,只是發用與宅六害,故事多阻。巳既絕地,故至甲辰乙巳日自絕也。果一一如占。
酉の陰神の一路は、まさに寅が酉の上に加わり、寅はまた住宅を代表するからである。加えて酉が辰の上に加わって辰と相合し、両頭がまた勾陳に挟まれ、勾陳は牙人(居間に説合する仲人)なので、辰日にあの婢女が再び帰って来ることを主る。さらに辰はまさに日干の上神である。およそ七八位を隔てて局を起こし、三伝が回環して往復する課は、ただ発用の神が家宅と六害をなすがために、事が多く阻碍を受けるのである。巳はすでに壬水の絶地なので、甲辰・乙巳日に至れば、糾纏は自然に断絶する。その後果たして一々占の如く応験した。
細參此課占家宅斷法,日辰逢墓便作凶推,則知邵伯達庚寅日干上丑之課是斷遷移法非斷家宅法矣。人皆草草一例,視之何以得有益乎?
細かく参詳するに、この課で家宅を占う断法は:日干・日支が墓神に逢えばすなわち凶断とする。これより知るべし、邵伯達のあの庚寅日で日干の上に丑が見える課は、遷移を断ずる方法を用いたのであって、家宅を断ずる方法ではない。世人はみな草々に一例として看なすが、このように書を読んでどうして収益があろうか。
壬寅日に産の男女を占う(『郭氏占案』)
乙亥年四月壬寅日申將卯時占產男女。郭氏占案
乙亥年四月の壬寅日、申将(伝送)を卯時に加え、男を生むか女を生むかを占った。この例は『郭氏占案』から出ている。申を卯に加えるので、天盤の各支は前へ五位の地盤に落ち、上の課と同じ一局である。
空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 虎朱陳後 兄 庚子 虎 六申 卯陰 子未酉辰 財 空巳 貴 朱未午巳辰后 未寅辰壬 鬼 戊戌 龍 蛇貴
課式は上の課と全く同じ:天盤の戌は地盤の巳に加わり、亥は午に、子は未に、丑は申に、寅は酉に、卯は戌に、辰は亥に、巳は子に、午は丑に、未は寅に、申は卯に、酉は辰に加わる。十二天将は順行し、青竜が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せる。四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に辰が見え、第二課は辰の上に酉が見え、第三課は日支の寅の上に未が見え、第四課は未の上に子が見える。上神の乗ずる将は順に天后・勾陳・朱雀・白虎である。三伝:初伝は子、遁干は庚、白虎を乗せて兄弟。中伝は巳で空亡に落ち、貴人を乗せて妻財。末伝は戌、遁干は戊、青竜を乗せて官鬼。
郭御青曰:子字發用,即取為男,不必別求。雖中末空,至二十五日甲辰旬,則不空矣。課名三奇與壬申年己丑日辰巳一課占得子,亦名三奇相合,但嫌人宅乘墓,誰知後課又相應也?
郭御青が言うには、初伝に発用したのは子で、子は陽に属するので、これを取って男胎と断ずればよく、さらに別の証拠を求める必要はない。後の二伝が空亡の裡に落ちるとはいえ、二十五日に甲辰旬に交われば、空でなくなる。この課は「三奇」という名で、壬申年己丑日辰巳時のあの課で男児を占い得た情形と同じで、また「三奇相合」ともいう。ただ人と宅がともに墓神を乗ずるのが惜しいが、誰が知ろう、後にあの課もまた同じように応験したとは。
壬寅日、水四哥が求財を占う(『口鑑』『方本占案』)
己酉年十月壬寅日寅將申時水四哥占求財。口鑑 方本占案
己酉年十月の壬寅日、寅将(功曹)を申時に加え、水と姓する四哥が来て求財を占った。この例は『六壬口鑑』と『方本占案』に見える。十月の月将はまさに寅で、寅を申に加え、天盤の各支は前へ六位の地盤に落ち、天盤と地盤がところどころ相冲するので、「返吟」の局である。
虎常 空亥子丑寅玄 龍戌 卯陰 玄六空貴 子 壬寅 玄 勾酉 辰后 寅申亥巳 父 丙申 六 六申未午巳貴 申寅巳壬 子 壬寅 玄 朱蛇
左の塊は天地盤:寅を申に加えるので、天盤の各支は前へ六位の地盤に加わる――天盤の亥は地盤の巳に加わり、子は午に、丑は未に、寅は申に、卯は酉に、辰は戌に、巳は亥に、午は子に、未は丑に、申は寅に、酉は卯に、戌は辰に加わり、支々が相冲するので、まさに返吟である。十二天将は天盤の支に随って排定される:天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、青竜が戌を乗せ、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に巳が見え、第二課は巳の上に亥が見え、第三課は日支の寅の上に申が見え、第四課は申の上に寅が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に貴人(巳)・天空(亥)・六合(申)・玄武(寅)である。右の塊の三伝:初伝は寅、遁干は壬、玄武を乗せ、壬水は木を生じて子孫。中伝は申、遁干は丙、六合を乗せ、金は壬水を生じて父母。末伝もやはり寅、遁干は壬、玄武を乗せて子孫――返吟課は三伝が往復するので、初末が重出する。
邵彥和曰:主先討他還本,今再重討利。是如此否?水曰:然。先生曰:壬水絕於巳,巳財絕了。又見申長生,是還本後重討也。但討得此財,下稍必被他擾害,實成不足。四年外必見是非。後癸丑年果爭息錢下獄,得赦免罪。丑年者,惹動丑上朱雀鬼故也。
邵彦和が断じて言うには、あなたは先にすでに相手から本銭を取り戻しており、今はまた利息を取りに行くのです。そうですか、と。姓水のが答えて、まさにそうです、と。先生が言うには、壬水は巳に絶し、日干の上の巳財はすでに絶えている。課中にまた申が見えて壬水の長生となるので、本銭を取り戻した後に再度追討するのである。しかしこの銭は取り戻せるが、後になって必ず相手に扰害され、実際に得るところは足りない。四年の外に必ず是非が見える。その後癸丑年に至り、果たして利息銭を争って官司を受け下獄し、赦令に遇ってやっと罪を免れた。丑年に応じたのは、地盤の丑の上にある朱雀を乗せた官鬼を惹動したからである(地盤の丑の上は天盤の未で、未土は壬水を克して鬼となり、未はまた朱雀を乗せて口舌官非を主る)。
壬寅日、邵梓材が前程を占う(『方本占案』『口鑑』)
戊申年九月二十一壬寅日辰將酉時邵梓材戊寅三月初一辰時生三十一歲占前程。方本占案口鑑
戊申年九月二十一日の壬寅、辰将(天罡)を酉時に加えた。邵梓材、戊寅年三月初一辰時生まれ、三十一歳、来て前程を占った。この例は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。辰を酉に加えるので、天盤の各支は前へ七位の地盤に落ちる。
朱蛇 六子丑寅卯貴 陳亥 辰后 后空朱玄 財 甲午 玄 龍戌 巳陰 辰酉丑午 鬼 辛丑 朱 空酉申未午玄 酉寅午壬 父 丙申 虎 虎常
左の塊は天地盤:辰を酉に加えるので、天盤の各支は前へ七位の地盤に加わる――天盤の子は地盤の巳に加わり、丑は午に、寅は未に、卯は申に、辰は酉に、巳は戌に、午は亥に、未は子に、申は丑に、酉は寅に、戌は卯に、亥は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:六合が子を乗せ、朱雀が丑を乗せ、螣蛇が寅を乗せ、貴人が卯を乗せ、天后が辰を乗せ、太陰が巳を乗せ、玄武が午を乗せ、太常が未を乗せ、白虎が申を乗せ、天空が酉を乗せ、青竜が戌を乗せ、勾陳が亥を乗せる。貴人の乗ずる卯は地盤の申という陰位に落ちるので、十二将は逆行する。中の塊の四課は右から左へ:第一課は日干の壬(寄宮は亥)の上に午が見え、第二課は午の上に丑が見え、第三課は日支の寅の上に酉が見え、第四課は酉の上に辰が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に玄武(午)・朱雀(丑)・天空(酉)・天后(辰)である。右の塊の三伝:初伝は午、遁干は甲、玄武を乗せて妻財。中伝は丑、遁干は辛、朱雀を乗せ、土は壬水を克して官鬼。末伝は申、遁干は丙、白虎を乗せ、金は壬水を生じて父母。
邵彥和曰:此課名四絕,且干支自刑,又名六害,其不利者有三:一者居偏室無正位,二者妻宮不利,三者眼不明,因他父墳不利,皆是白蟻,左畔已虛空矣,前程非惟不遠,又且壽夭,九年將屋基作田園,家破碎,貴賤皆因酒而敗也。
邵彦和が断じて言うには、この課は「四絶」という名で、日干と日支はまた自刑し、さらに兼ねて六害を犯し、不利なところが三箇所ある:一は偏屋にしか住めず正位がないこと、二は妻宮が不利なこと、三は眼目が明らかでないこと。これらはすべて彼の父の墳地が良くないためで、墳の中は白蚁ばかりで、左側はすでに空虚に陥没している。彼の前程は遠くへ行けないばかりか、寿命も短く、九年の後に屋基を田園に改め、家道は破敗零落し、貴賤を問わずみな酒によって敗れる。
邵解元聞先生言,欲啟父墳,因兄弟眾多不肯行,妻不生子,常有血氣,至辛亥年病眼武壬皆亥,夾克午,故主亥年而應,男女皆因酒而敗,乙卯年眾拆屋一半作田,一半作園。邵氏居於店屋水死於卯,又卯上得戌作鬼,故卯年應,戊午身喪,己未啟父墳,果骨為蟻食矣。
邵解元は先生の話を聞いて、父の墳を開いて改葬しようと思ったが、兄弟が多く同意しなかったので、成し遂げられなかった。彼の妻子は生育せず、常に血症があった。辛亥年に至って眼病を得た――玄武と壬水はともに亥に属し、両頭が日干の上の午を夾克する(午は目である)ので、亥年に応じた。子女の男女はみな酒によって家を敗った。乙卯年、衆人は家を取り壊し、半分を田に改め、半分を園に改めた。邵家の住むのは店屋で、壬水は卯に死し、卯の上にまた戌を得て官鬼を作すので、卯年に応じた。戊午年に本人が去世し、己未年にやっと父の墳を開いたが、果たして骨はみな白蚁に蛀められて空になっていた。
蓋壬以申為父,父在墓守白虎,主白蟻。日上午為目為妻,火絕於亥,故不利。丑加午六害,丑為田園,午為層,水克午而屋壞,土克水而以屋成田園,宅上見酉,壬敗於酉,故為所敗,又是破碎,主男婦皆因酒敗也。
その中の道理は:壬水は申金をもって父母とし、申は墓の中にあってまた白虎を守り、白虎は虫を主るので、墳中に白蚁があると断じた。日干の上の午は眼目と取象し、また妻子とも取象し、火は亥に絶するので、眼と妻がともに不利である。丑が午の上に加わって六害を成し、丑は田園を代表し、午は房屋の層進を代表し、水が午を克すれば房屋が損壊し、土が水を克すれば房屋が田園に変わる。住宅の上に酉が見え、壬水は酉に敗れる(沐浴の敗地)ので、それに敗られると言い、酉はまた破碎煞を帯び、男も女もみな酒によって家を敗ることを主る。
壬寅日に八歳の子の病を占う(『牧夫占験』)
辛未年卯月壬寅日戌將寅時某占甲子生八歲子病。 牧夫占驗/勾合朱蛇/丑寅卯辰 后虎朱陰 鬼 戊戌 虎/龍子 巳貴 午戌卯未 財 甲午 後/空亥 午后 戌寅未壬 子 壬寅 合/戌酉申未/虎常玄陰
辛未年卯月の壬寅日、月将の戌を寅時に加えて課を起こし、甲子年生まれで当時八歳の子供の病状を代わって占う人がいた。この例は『牧夫占験』から出ている。天地盤は戌将を時支の寅に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:戌は寅に臨み、亥は卯に、子は辰に、丑は巳に、寅は午に、卯は未に、辰は申に、巳は酉に、午は戌に、未は亥に、申は子に、酉は丑に臨む。十二天将は逆に布く:勾陳が丑を乗せ、六合が寅を乗せ、朱雀が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、天后が午を乗せ、太陰が未を乗せ、玄武が申を乗せ、太常が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、青竜が子を乗せる。四課は右から左へ:第一課は未が日干の壬に加わり(壬の寄宮は亥)太陰を乗せ、第二課は卯が未に加わり朱雀を乗せ、第三課は戌が日支の寅に加わり白虎を乗せ、第四課は午が戌に加わり天后を乗せる。第三課は寅木が上神の戌土を賊するので、戌を取って発用とする。三伝は初伝が戌、遁干は戊戌、壬水に対して官鬼で白虎を乗せ、中伝は午、遁干は甲午、妻財で天后を乗せ、末伝は寅、遁干は壬寅、子孫で六合を乗せる。寅午戌の三支は火局を合成し、まさに六壬のいう「炎上課」である。
王牧夫曰:戌為白虎又是火局,內有積滯關隔不通火,無力以化之,不能保。凡炎上得后合獻翳之神附之,主炎上不暢。后臨午又相沖,火既受沖,其局散矣。況八歲行年見巳,末傳寅命上申,合成三刑,長生絕矣。七月上辰沖破炎上戌土,此病不得遇也,此病甚凶,極驗。
王牧夫が言うには、初伝の戌は白虎を乗せ、三伝の寅午戌はまた火局を合成する。小児の病を占うには、もともと子孫爻と年命をもって用神とするが、この課の末伝の寅木はまさに子孫である。火局の中には積滞壅塞して関隔して通じないところがあり、火気は力なくこれを化し開くことができないので、この命は保てない。およそ炎上課は、ひとたび天后・六合の類の陰暗で蔽翳する天将が附着すれば、火気は暢達することができない。天后はもと水神だが、今は午火の上に乗り、水火は相冲する。火はすでに冲を受けるので、火局全体もまた渙散する。何况この子の八歳の行年の上に巳が見える(行年は酉にあり、酉の上に臨む天盤はまさに巳)ことや、末伝は寅で、本命甲子の子位の上にまた申が見え、寅・巳・申の三者が揃い合って三刑を合成し、長生の気はこれに就いて断絶することを。七月に至れば、申の上に臨む天盤は辰で、辰が来て炎上局の戌土を冲破するので、この病は熬え過ごすことができない。この病は極めて凶で、その後全く応験した。
壬寅日、鄧省干が前程を占う(『方本占案』・『口鑑』)
戊申年九月二十一壬寅日辰將未時鄧省干癸未年十月初七申時生二十六歲占前程。方本占案 口鑑/朱蛇/六寅卯辰巳貴/陳丑 午后 玄空貴玄 財 空巳 貴/龍子 未陰 申亥巳申 子 壬寅 六/空亥戌酉申玄 亥寅申壬 兄 己亥 空/虎常
戊申年九月二十一日、壬寅日、月将の辰を未時に加え、鄧省干(癸未年十月初七申時生まれ、二十六歳)が自分の前程を占問した。この例は『方本占案』と『口鑑』に見える。天地盤は辰将を時支の未に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:辰は未に臨み、巳は申に、午は酉に、未は戌に、申は亥に、酉は子に、戌は丑に、亥は寅に、子は卯に、丑は辰に、寅は巳に、卯は午に臨む。十二天将は逆に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、六合が寅を乗せ、勾陳が丑を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は右から左へ:第一課は申が日干の壬に加わり(寄宮は亥)玄武を乗せ、第二課は巳が申に加わり貴人を乗せ、第三課は亥が日支の寅に加わり天空を乗せ、第四課は申が亥に加わり玄武を乗せる。第二課は巳火が下の申金を克し、上神が下神を克するので、巳を取って発用とする。三伝は初伝が巳で妻財ながらちょうど旬空に当たり(壬寅日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳)貴人を乗せ、中伝は寅、遁干は壬寅で子孫で六合を乗せ、末伝は亥、遁干は己亥で兄弟で天空を乗せる。
邵彥和曰:此課與前課大不同,干支皆受上生,日上得申長生,卻即去生寅,初巳貴人作財,日上長生學堂,盡可取功名。但嫌貴空,又為玄所滯,只運司解發而不能及第。初任管銅鐵,次任管坑冶,三任水船官而止。鄧果初任鑄錢有功,再任坑冶司檢踏官,次得明州船塢,歸家而死。蓋申來生壬為長生學堂,故壬子年發解,初巳作貴為德神加學堂上,寅又加巳生貴生德,故終得前程。銅鐵者,申金也;坑冶司者,巳加申也,水船場者,江湖臨於寅上也。寅木未成船,而卯已成船,故主舡場修造也(直指云:寅作六合為船)。
邵彦和が言うには、この課は前の課と大いに異なる。日干と日支がともにそれぞれの上神に生ぜられる:日干の壬の上に申を得て、申はまさに壬水の長生の地で、この生気は随ってまた寅木を生ずる。初伝の巳は貴人を乗せて日財を作す。日干の上の申は長生でありまた学堂でもあるので、功名は全く取り得る。ただ惜しむべきは貴人の乗ずる巳が空亡に落ち、日上の申がまた玄武に阻滞されることで、そのため転運司から解送されて発挙されることはできても、進士及第することはできない。第一任は銅鉄を管し、第二任は坑冶を管し、第三任は水路船務の官を作り、ここまでである。鄧省干は後に果たして初任で銭を鋳て功があり、再任で坑冶司の検踏官となり、続いて明州船塢の差事を得て、家に帰って去世した。よくこのように断じ得たのは:申が来て壬水を生ずるのは長生兼学堂なので、壬子年に郷試に中式した。初伝の巳は貴人を乗せて徳神を作し、また学堂の申の上に加わる。寅木がまた巳の上に加わり、貴人を生じまた徳神を生ずるので、ついに前程を得た。銅鉄と言うのは申金を指し、坑冶司と言うのは巳火が申金の上に加わり、火をもって金を煉ることを指し、水路船場と言うのは亥水の江湖が寅の上に臨むことを指す。寅木はまだ原木に過ぎず未だ船を成さず、卯木こそすでに器を成した船なので、主るところは船場修造の事である(『六壬直指』にいう:寅が六合を乗ずればすなわち船である)。
壬寅日に選期を占う(『説約』)
嘉慶己未年六月壬寅日未將戌時占選期。 說約/朱蛇/六寅卯辰巳貴/陳丑 午后 玄空貴玄 財 空巳 貴/龍子 未陰 申亥巳申 子 壬寅 六/空亥戌酉申玄 亥寅申壬 兄 己亥 空/虎常
嘉慶己未年六月の壬寅日、月将の未を戌時に加え、銓選して官を補する日期を占問した。この例は『壬学説約』から出ている。未将を戌時に加えるのは前の一条の辰将を未時に加えたのと得る天地盤が全く同じで、天盤の各支は順に地盤に臨む:辰は未に臨み、巳は申に、午は酉に、未は戌に、申は亥に、酉は子に、戌は丑に、亥は寅に、子は卯に、丑は辰に、寅は巳に、卯は午に臨む。十二天将は逆に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、六合が寅を乗せ、勾陳が丑を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は右から左へなお申が日干の壬に加わり(寄亥)玄武を乗せ、巳が申に加わり貴人を乗せ、亥が日支の寅に加わり天空を乗せ、申が亥に加わり玄武を乗せる。三伝は初伝が巳で妻財ながら空亡に落ちて貴人を乗せ、中伝は壬寅で子孫で六合を乗せ、末伝は己亥で兄弟で天空を乗せる。
張江村曰:有為人占一事而其人性情、事業以及日下、將來之景況一一皆現於課中者,此時或有之。如己未夏間,餘附糧舟回南,同舟一人已得官,占選期。六月壬寅日戌時未將,三傳巳寅亥。余曰:“選期視長生,申作長生臨干,亦臨亥,主亥年得選。”此本事,餘細推,干上見申作馬,申主躁動,作馬尤甚,此人性情必躁,申作長生乘元武,元武卑鄙齷齪,其官必不由正路得。
張江村が言うには、人に代わって一件の事を占うのに、その人の性情・事業および目下と将来の景況が、竟に一々課の裡に顕現するというような情形は、時に確かに遇うことがある。例えば己未年の夏、私は粮船に乗って南方に帰り、同船にすでに官職を得た一人の人がいて、来て銓選の日期を占問した。その日は六月壬寅日戌時で、月将は未、三伝は巳・寅・亥であった。私が言うには、「選期を見るには長生を見るべきです。申は壬水の長生で、日干の上に臨むとともに、亥の上にも臨むので、亥年に銓選を得ることを主ります」。これはただ問われた本題に過ぎない。私はまた細かく下へ推した:日干の上に申が見え、申はまさに本日の駅馬であり、申はもともと躁動を主り、さらに駅馬を充てればなおさら躁動なので、この人の性情は必ず急躁であることが見える。申は長生でありながら玄武を乗せ、玄武は卑鄙で齷齪の神なので、彼のこの官職は必ず正途から得たものではない。
申作馬而干歸支,其行而歸家乎?支上亥為日祿,本是充裕之家,今天空,殆無蓄矣。支陰重見申馬,歸家後又必出行。申與用神巳六合,巳作日財乘貴人,行必投貴人求財。但巳值空亡,又是絕神,必無遇。中傳寅脫氣,末傳亥仍歸支上,徒勞往返,仍回家中耳。又推申為干之長生,巳又為申之長生,此人必祖與父俱在堂,但值空亡,其祖恐不久。巳又為妻,值空亡,當尚未娶。
申はすでに駅馬であり、しかも三伝はまた日干から日支に帰るので、見れば彼は身を動かして家に帰るのであろう。日支の上の亥は壬日の禄神で、本当なら家道の充裕な家であるはずが、今亥は天空を乗せるので、おそらくすでに蓄積はない。日支の陰神の上に重ねてまた申馬が見えるので、家に帰った後また出門しなければならないことが見える。申は用神の巳と相六合し、巳は日財でありまた貴人を乗せるので、このたびの出門は必ず貴人に投奔して財を求めに行くのである。しかし巳は空亡に落ち、また壬水の絶神なので、きっと遇えない。中伝の寅木は日干の気を泄し、末伝の亥はまた日支の上に帰るので、ただ白く一往返するだけで、依然として家に帰るだけである。さらに下へ推せば:申は日干の長生で、巳はまた申の長生なので、この人の祖父と父はともに在世であるべきだ。ただ巳が空亡に落ちるので、彼の祖父はおそらく在世も久しくない。巳はまた同時に妻子を代表し、空亡に落ちるので、まだ娶親していないはずである。
當時萍聚,日久見其浮躁,無一刻閒,詢其出身,由供事議敘得官,供事卑鄙,其非正路的矣。今欲歸家,家中昔開布行,久歇。擬歸後往投四川某知府。祖父俱在堂,祖已八十外,定親未娶,一一皆準。然投貴無濟,恐不能久,二節別後不知,第已往皆準,恐未來亦必驗也。
当時はただ萍水の相聚まりに過ぎなかったが、日が経つにつれ、果たして彼の浮躁で一刻も安閑としないのを見た。彼の出身を問えば、供事から議叙を経て得た官で――供事は卑下の職役なので、確かに正途ではないことが見える。彼は目下まさに家に帰ろうとしており、家は昔布行を開いていたがとっくに歇業したと言い、帰った後に四川へ行ってある知府に投奔するつもりだという。祖父と父はともに在世で、祖父はすでに八十余歳。親事は定まって未だ迎娶していない。一つ一つみな准え応じた。ただ彼が貴人に投じ靠ろうとも用はなく、この官もおそらく長くは務まらない。二つの節気を分かって別れてからは彼の下落を知らないが、すでに起こったことはみな准え応じたので、思うに将来のも必ず応験するであろう。
壬寅日、鄭三公が墳地を占う(『方本占案』・『口鑑』・『捷要』)
己酉年正月二十三壬寅日子將寅時,鄭三公辛亥年四月一日未時生,五十九歲占墳地。方本占案 口鑑 捷要/後陰/貴卯辰巳午玄/蛇寅 未常 龍六常空 鬼 戊戌 龍/朱丑 申虎 戌子未酉 父 丙申 虎/六子亥戌酉空 子寅酉壬 財 甲午 玄/陳龍
己酉年正月二十三日、壬寅日、月将の子を寅時に加え、鄭三公(辛亥年四月初一未時生まれ、五十九歳)が墳地を占問した。この例は『方本占案』『口鑑』『捷要』に見える。天地盤は子将を時支の寅に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:子は寅に臨み、丑は卯に、寅は辰に、卯は巳に、辰は午に、巳は未に、午は申に、未は酉に、申は戌に、酉は亥に、戌は子に、亥は丑に臨む。十二天将は逆に布く:貴人が卯を乗せ、螣蛇が寅を乗せ、朱雀が丑を乗せ、六合が子を乗せ、勾陳が亥を乗せ、青竜が戌を乗せ、天空が酉を乗せ、白虎が申を乗せ、太常が未を乗せ、玄武が午を乗せ、太陰が巳を乗せ、天后が辰を乗せる。四課は右から左へ:第一課は酉が日干の壬に加わり(寄亥)天空を乗せ、第二課は未が酉に加わり太常を乗せ、第三課は子が日支の寅に加わり六合を乗せ、第四課は戌が子に加わり青竜を乗せる。第四課は戌土が下の子水を克し、上神が下神を克するので、戌を取って発用とする。三伝は初伝が戌、遁干は戊戌で官鬼で青竜を乗せ、中伝は申、遁干は丙申で父母で白虎を乗せ、末伝は午、遁干は甲午で妻財で玄武を乗せる。三伝の戌申午は逆行の間伝である。
邵彥和曰:此課艮山行龍,坎山落穴,不是正龍,左邊無山,右有兩重白虎,第三重為案,主子孫貪淫好酒,後為酒家傭,婦人不正,隨人淫奔,且墓內棺中有泥,白蟻食尸,右邊有水,末主人為道童,自身為酒所敗,老無妻,以他人之妾為妻,六年患酒病,更三年終矣。
邵彦和が言うには、この地は龍脈が艮方(東北)から行き来して、坎方(正北)に落穴し、正龍ではない。左辺には山がなく、右辺には却って二重の白虎砂があり、第三重が案山を充てる。子孫が貪淫で酒を好み、日后に酒家に傭工をすることを主る。家中の婦人の行いが正しくなく、人に随いて私奔する。しかも墓穴の内の棺中に泥が入り、白蚁が尸骨を蛀食し、右辺に水流がある。最後にまた家に一人の道童が出ることを主る。占主本人に至っては、酒に敗られ、老いて妻なく、他人の妾を娶って妻子とするしかなく、酒病を患うこと六年、そのまた三年を過ぎて過世する。
鄭三公乍富,教子讀書,指望及第,故請先生占之,其地果艮山來,坎山落穴,無正山,以過山為主,右兩重白虎,案山亦從右邊來,似乎三重。三公日夜飲酒,後二年妻死,娶徐知府之妾為妻,又行事不正,三公死後,次子伴徐氏賣酒,妻與媳被外人領走,子孫不成器,一向非為。三公六十四有酒病,六十七上終。皆如先生之言也。左邊無者,傳不行也。申作白虎,午加申上,又是虎,故兩重來為案山,子午作玄合,故主子孫邪淫。壬日酉作天空,故主酒敗,子孫為酒家傭,亦主婦人為淫,酉六數,故主六年酒敗,更三年死,酉增一半也。
鄭三公は新近に家を発した者で、息子に書を読ませ、進士に考え中ることを指望したので、邵先生にこの地を占わせた。あの地は果たして艮方から来龍して坎方に落穴し、正の主山がなく、過路の山を取って権く主山とするしかなかった。右辺に二重の白虎砂があり、案山もまた右辺から来て、見たところ三重のようである。三公は日夜酒を飲み、二年後に妻子が死に、徐知府の妾を娶って妻子とし、行事もまた端正でなかった。三公が死んだ後、二男は徐氏に随いて酒を売り、妻子と媳はみな外人に領かれ去り、子孫は成器せず、ずっと正当でない事をした。三公は六十四歳で酒病を得、六十七歳で去世し、すべて邵先生の言う通りであった。いわゆる左辺に山がないのは、三伝が逆退して前行しないからである。申の上に白虎が乗り、午がまた申の位置に加わるのは依然として虎気なので、二重の虎砂が来て案山を充てるのである。子が六合を乗せ、午が玄武を乗ずるので、子孫の邪淫を主る。壬日の酉が天空を乗ずるので、酒に敗られること、子孫が酒家に傭工することを主り、また婦人の淫乱を主る。酉の数は六なので、六年の酒病を主る。さらに三年を過ぎて死するのは、酉の数に半分を添えたものである。
壬寅日に生産を卜る(『一針見血』)
三月壬寅日酉將戌時卜生產。 一針見血/蛇朱合勾/辰巳午未 玄陰空虎 兄 庚子 玄/貴卯 申龍 子丑酉戌 兄 己亥 常/後寅 酉空 丑寅戌壬 鬼 戊戌 虎/丑子亥戌/陰玄常虎
三月の壬寅日、月将の酉を戌時に加え、生産の事を占卜した。この例は『一針見血』から出ている。天地盤は酉将を時支の戌に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:酉は戌に臨み、戌は亥に、亥は子に、子は丑に、丑は寅に、寅は卯に、卯は辰に、辰は巳に、巳は午に、午は未に、未は申に、申は酉に臨む。十二天将は順に布く:貴人が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、六合が午を乗せ、勾陳が未を乗せ、青竜が申を乗せ、天空が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が子を乗せ、太陰が丑を乗せ、天后が寅を乗せる。四課は右から左へ:第一課は戌が日干の壬に加わり(寄亥)白虎を乗せ、第二課は酉が戌に加わり天空を乗せ、第三課は丑が日支の寅に加わり太陰を乗せ、第四課は子が丑に加わり玄武を乗せる。第三課と第四課はともに下神が上神を賊し、二つの上神は丑が陰に属し子が陽に属し、日干の壬は陽に属するので、日干と同類の陽支を取って用とし、だから発用は子である。三伝は初伝が子、遁干は庚子で兄弟で玄武を乗せ、中伝は亥、遁干は己亥で兄弟で太常を乗せ、末伝は戌、遁干は戊戌で官鬼で白虎を乗せ、子亥戌は逆退連茹である。
劉日新曰:日辰皆陽,壬屬水,用玄武水傳入三淵,皆水。子是女宿,主生女(愚按:下克上亦是女)。支為母,不受克,母平安。干為兒,受戌克,玄武加子發用為武入三淵,末傳仍歸戌虎克干,兒不吉故生女而棄水死。河魁加日主迅速,故當日生。
劉日新が言うには、日干・日支がともに陽に属し、壬はまた水に属し、発用は玄武の乗ずる子水で、一路伝わって水の深淵に入り、すべて水気である。子は二十八宿の中で女宿に属し、女児を生むことを主る(本書の編者按:下神が上神を克して発用するのも、また女を生む象である)。日支は母親を代表し、支の上は克を受けないので、母親は平安である。日干は嬰児を代表するが、戌土に克される。玄武が子の上に加臨して発用するのは、まさに玄武が淵に入る象である。末伝はまた戌の上に帰り、戌は白虎を乗せて来て日干を克し、嬰児は不吉なので、生まれたのは女嬰で、また水の中に棄てられて溺死した。河魁(戌)が日干の寄宮の上に加わるのは事の迅速を主るので、当日に生まれた。
癸卯日
七月癸卯日に来意を占う(『一字訣』『玉連環』)
七月癸卯日巳時占來意。 一字訣玉連環/蛇貴后陰/辰巳午未 空龍空龍 官 癸丑 勾/朱卯 申玄 亥子亥子 兄 壬子 龍/合寅 酉常 子丑子癸 兄 辛亥 空/丑子亥戌/勾龍空虎
七月癸卯日巳時に、来る人の意図を占問した。この例は『一字訣玉連環』から出ている。底本は月将を記さない。盤上の天地盤の関係に照らせば、天盤の辰が地盤の巳に臨む、すなわち辰将を巳時に加えたもので、各支は順に:辰は巳に臨み、巳は午に、午は未に、未は申に、卯は辰に、申は酉に、寅は卯に、酉は戌に、丑は寅に、子は丑に、亥は子に、戌は亥に臨む。十二天将は逆に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、六合が寅を乗せ、勾陳が丑を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。三伝は初伝が丑、遁干は癸丑、癸水に対して官鬼で勾陳を乗せ、中伝は子、遁干は壬子で兄弟で青竜を乗せ、末伝は亥、遁干は辛亥で兄弟で天空を乗せ、逆退連茹である。四課に至っては、底本は上層を「亥子亥子」、下層を「子丑子癸」と印し、第三・第四課が第一・第二課と完全に重複している。癸卯日の日支は卯で、この盤に照らせば卯の上には寅が見えるはずであり、後の「崇正丙子年十一月癸卯日子将丑時占行人」の一課と天地盤は同じで四課が「丑寅亥子/寅卯子癸」と作るのと対看できるので、ここの底本の四課には訛脱があるはずである。今は原様のまま照録し、補改しない。
徐次賓曰:來意因當日丑時三人巡更,與地方中姓馬人相爭。來日申官。因一姓孫司吏為鬼,三人並遭杖責。何知當日丑時?發用大吉,便為今日丑時。何知三人夜巡?今日癸水與式中子亥等輩,便為三人。言丑時相爭,便言夜巡也。
徐次賓が言うには、来る人の来意は、当日の丑時に三人が夜を巡って更を打ち、本地の馬と姓する一人と争いを起こし、翌日官府に陳告しようとしたことによる。一人の孫と姓する司吏が彼らの鬼煞となったため、三人は並んで杖責を受けた。どうして当日の丑時と知ったか。発用が大吉(丑)なので、それは今日の丑時である。どうして三人が夜巡したと知ったか。今日の日干の癸は水に属し、課式の中にまた子・亥といった同じく水に属するものがあり、合わせてちょうど三つで、すなわち三人である。すでに丑時に相争ったと言う以上、すなわち彼らが夜に更を巡っていたと言うに等しい。
何知姓馬人相爭?直事門勝光,為姓馬人,勝光為日下之財。何言相爭?與日為六害,又發用勾陳為鬼,豈不相爭也?何知姓孫人吏?緣發用大吉,場面為佃絲,中傳神后與子相配成孫字,大吉與勾陳剋日,故知忘吏孫姓人。何知三人俱受杖責?以今日癸與子亥俱屬水,為大吉所克。又勾陳為杖棒,末傳雖有天空亦克今日,故言俱受杖責也。
どうして馬と姓する人と相争ったと知ったか。値事の門は勝光(午)で、午は十二生肖の中でまさに馬なので、姓馬の人である。勝光はまた日干の下の財神である。何を凭りに相争ったと言うか。午は日干の癸の寄宮である丑とまさに六害で、発用の丑はまた勾陳を乗せて日鬼を作すので、争わない理があろうか。どうしてあの吏員が孫と姓すると知ったか。発用が大吉(丑)で、丑の類象は田蚕・糸帛であり、中伝の神后(子)がこの糸(系)と相配し、ちょうど合わさって一つの「孫(孫)」字を成すからである。大吉がまた勾陳を帯びて来て日干を克するので、姓孫の司吏と知ったのである。どうして三人がみな杖責を受けると知ったか。今日の癸と課中の子・亥がみな水に属し、すべて大吉の丑土に克されるからである。勾陳はまた杖棒の神で、末伝は天空とはいえ、天空は土に属し、同じく今日の水を克するので、三人がみな杖責を受けると言ったのである。
癸卯日に行人を占う(『郭氏占案』)
崇正丙子年十一月癸卯日子將丑時占行人。 郭氏占案/蛇朱合勾/辰巳午未 陰后常玄 鬼 辛丑 陰/貴卯 申龍 丑寅亥子 兄 庚子 玄/後寅 酉空 寅卯子癸 兄 己亥 常/丑子亥戌/陰玄常虎
崇正(崇禎)丙子年十一月癸卯日、月将の子を丑時に加え、外に出ている人を占問した。この例は『郭氏占案』から出ている。天地盤は子将を時支の丑に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:子は丑に臨み、丑は寅に、寅は卯に、卯は辰に、辰は巳に、巳は午に、午は未に、未は申に、申は酉に、酉は戌に、戌は亥に、亥は子に臨む。十二天将は順に布く:貴人が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、六合が午を乗せ、勾陳が未を乗せ、青竜が申を乗せ、天空が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が子を乗せ、太陰が丑を乗せ、天后が寅を乗せる。四課は右から左へ:第一課は子が日干の癸に加わり(癸の寄宮は丑)玄武を乗せ、第二課は亥が子に加わり太常を乗せ、第三課は寅が日支の卯に加わり天后を乗せ、第四課は丑が寅に加わり太陰を乗せる。第一課と第四課はともに下神が上神を賊し、二つの上神は子が陽に属し丑が陰に属し、日干の癸は陰に属するので、陰支を取って用とし、だから発用は丑である。三伝は初伝が丑、遁干は辛丑で官鬼で太陰を乗せ、中伝は子、遁干は庚子で兄弟で玄武を乗せ、末伝は亥、遁干は己亥で兄弟で太常を乗せ、丑子亥は逆退連茹である。
郭御青曰:東鹿王宏宇者,為衡水令主諱詢占行人。三傳退茹,即斷為歸,所望行人乃貴人也。類神臨辰主明日到,果於甲辰日到。凡望行人,期候最難,此其準者也,附之此課干上天馬,初末引從子水墓於辰,所以辰日到。
郭御青が言うには、東鹿の人王宏宇が、衡水県令(主人の名諱は「詢」と作る)のために、外にいる人がいつ帰るかを占った。三伝の丑子亥は逆退連茹なので、すぐに行人は帰って来ると断じた。待ち望むこの行人はもともと一人の貴人である。行人の類神は辰位の上に臨み、明天に至ることを主り、後に果たして甲辰日に至った。およそ行人を待ち望むのに、最も断じ難いのは帰期であり、この課は断じて准えたと言える。付けてこの課を説明する:日干の上に天馬が乗り、初伝と末伝が一前に一後に中伝の子水を引従し、水の墓庫は辰にあるので、辰日に家に到ると断じたのである。
癸卯日、徐丞務が墳地を占う(『方本占案』・『捷要』・『口鑑』)
建炎己酉年九月癸卯日辰將卯時徐丞務丁未生六十三歲占墳地。 方本占案 捷要 口鑑/陳龍/六午未申酉空/朱巳 戌虎 朱蛇貴后 鬼 空辰 蛇/蛇辰 亥常 巳辰卯寅 財 空巳 朱/貴卯寅丑子玄 辰卯寅癸 子 甲午 六/後陰
建炎己酉年九月癸卯日、月将の辰を卯時に加え、徐丞務(丁未年生まれ、六十三歳)が墳地を占問した。この例は『方本占案』『捷要』『口鑑』に見える。天地盤は辰将を時支の卯に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:辰は卯に臨み、巳は辰に、午は巳に、未は午に、申は未に、酉は申に、戌は酉に、亥は戌に、子は亥に、丑は子に、寅は丑に、卯は寅に臨む。十二天将は順に布く:貴人が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、六合が午を乗せ、勾陳が未を乗せ、青竜が申を乗せ、天空が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が子を乗せ、太陰が丑を乗せ、天后が寅を乗せる。四課は右から左へ:第一課は寅が日干の癸に加わり(寄丑)天后を乗せ、第二課は卯が寅に加わり貴人を乗せ、第三課は辰が日支の卯に加わり螣蛇を乗せ、第四課は巳が辰に加わり朱雀を乗せる。第三課は卯木が上神の辰土を賊するので、辰を取って発用とする。三伝は初伝が辰で螣蛇を乗せて官鬼、中伝が巳で朱雀を乗せて妻財、両伝ともちょうど旬空に当たり(癸卯日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳)、末伝は午、遁干は甲午で六合を乗せ、底本はその六親を子孫と標す。辰巳午は順進連茹である。
邵彥和曰:此地甚好,但恐此時不可得而葬。徐曰:如何?先生曰:前後左右皆有空穴,山側又有一陰人墳,如何葬得?須於中陪錢去之,然後可葬,必出貴人,最好是水合星辰,山川清秀,文筆雙峰,必是卯龍入首,作乙山辛向也。夫辰為墳地,作空亡而發用,故主有空穴,戌亦是墓,加酉,酉作天空,亦是虛墳,以初傳為主山穴,對前戌墓也。卯為子孫作貴人,不為脫氣也。
邵彦和が言うには、この地はとても良いが、ただ恐れるのは目下まだ葬ることができないことだ。徐丞務が問うには、どういうことか、と。先生が言うには、この地は前後左右に空穴があり、山の側にまた一座の婦人の墳があるので、どうして葬り下すことができようか。必ずその中から銭を賠ってそれを遷し去らせて、然る後に下葬すべく、将来必ず貴人が出る。最も良い点は水法が星辰に合し、山川が清秀で、前に文筆の双峰があることだ。来龍は必ず卯方から入首し、乙山辛向を立てる。どうしてこのように断じたか。辰は墳墓の神で、今空亡に落ちて発用するので、空穴があることを主る。戌もまた墓神で、酉の上に加臨し、酉はまた天空を乗ずるので、同じく空墳である。初伝をもって主山の穴とし、ちょうど前の戌位の墓に対する。卯は日干の子孫で、またまさに癸日の貴人なので、泄気として論ずることができない。
徐宅問汪家買山,汪兄弟三分其二分,將來買長兄一分,故將空棺自埋其內。先前亦有三四個虛穴,皆不葬。徐丈齎錢問汪長兄買之。庚戌年九月葬妻,以後子孫皆中舉及第,皆此地發也。巳加辰作貴,巳主雙,故有雙峰,號為文筆星。宅又得貴人,癸見卯不可為脫氣,乃子孫貴人也。申酉為今日水母,故水來去皆合星辰,巳為雙女,故出雙貴人也。
徐家は汪家に山を買い、汪家の兄弟は山を三つに分け、徐家は先にそのうちの二つを買い、将来さらに長兄のあの一つを買う。長兄はそれで先に空の棺を自分の一つに埋めて占めた。以前にもそこにはすでに三四箇所の虚穴があり、いずれも真人を葬ってはいなかった。後に徐の老丈は銭を持って行って汪家の長兄から買い取った。庚戌年九月に妻子を安葬し、それ以後子孫はみな挙に中り及第し、すべてこの地から発した。巳が辰の上に加わって貴征となり、巳はまた「双」を主るので、双峰があり、文筆星と号する。宅の上にまた貴人を得、癸日に卯を見るのは脱気として看ることができない。卯はまさに子孫兼貴人だからである。申・酉は今日の癸水の生母なので、水の来去はみな星辰に合する。巳は双女の宮に属するので、一対の貴人が出るのである。
按:此課斷法似出勉強,疑有錯誤,後見一針見血作癸亥日卯時占,似較此為確,當因並存之。
本書の編者按:この課の断法はやや勉強があるようで、伝本に誤りがあるのではと疑う。後に『一針見血』にこれを癸亥日卯時に占ったと記すのを見て、ここよりいっそう確当のようであるので、二つの説を併せここに存する。
癸卯日に来意を占う(『指南』)
天啟甲子年四月癸卯日申將午時占來意。 指南/六勾/朱未申酉戌青 朱貴貴陰 鬼 乙未 朱/蛇午 亥空 未巳巳卯 父 丁酉 勾/貴巳 子虎 巳卯卯癸 兄 己亥 空/後辰卯寅丑常/陰玄
天啓甲子年四月癸卯日、月将の申を午時に加え、来る人の意図を占問した。この例は『六壬指南』から出ている。天地盤は申将を時支の午に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:申は午に臨み、酉は未に、戌は申に、亥は酉に、子は戌に、丑は亥に、寅は子に、卯は丑に、辰は寅に、巳は卯に、午は辰に、未は巳に臨む。十二天将は順に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、青竜が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せる。四課は右から左へ:第一課は卯が日干の癸に加わり(寄丑)太陰を乗せ、第二課は巳が卯に加わり貴人を乗せ、第三課は巳が日支の卯に加わり貴人を乗せ、第四課は未が巳に加わり朱雀を乗せる。第二課と第三課は同じで、四課は実際に三課しかなく、これが断語のいう「四課不備」である。四課の上下の間にまた相克がなく、ただ第四課の上神の未土が遥かに癸水を克し得るので、未を取って発用とし、遥克中の「蒿矢課」に属する。三伝は初伝が未、遁干は乙未で官鬼で朱雀を乗せ、中伝は酉、遁干は丁酉で父母で勾陳を乗せ、末伝は亥、遁干は己亥で兄弟で天空を乗せる。
陳公獻曰:予訪徽州戴義宇,請占來意,戴曰:時為日之胎神(陳公獻用五行長生,占時午為癸之胎財,畢法云“胎財生氣妻懷孕”),必為六甲占也。余曰:然,男乎?抑女也?曰:干上卯屬震,長男之象。又是幕貴,三傳四課純陰極度陽,生貴兒必矣。且支加干,俯首見子,生必順利。但四課不備,未能足月。生於何時?曰:六月生。果一一如所斷。餘又細看之,子沖胎神,子上見寅,子日寅時生。
陳公献が言うには、私は徽州に行って戴義宇を訪ね、彼に私の来意を占わせた。戴が言うには、占時の午はまさに日干の胎神である(陳公献は五行長生訣で推算し、占時の午は癸水の胎位であるとともに、また財爻でもある。『畢法賦』にいう「胎財生気妻懐孕」)、必ず懐孕の事を占いに来たのです、と。私が言うには、まさにそうです。では男か女か。戴が言うには、日干の上の卯は震卦に属し、長男の象である。卯はまた癸日の幕貴、すなわち夜の貴人である。三伝四課はみな陰支で、陰が極まれば転じて陽気を生ずるので、必ず貴子を生む。しかも日支が日干の上に加わるのは俯首の象で、また子孫が見えるので、生産は必ず順利である。ただ四課が全くないので、足月できない恐れがある。私が問うには、いつ生まれるか。戴が言うには、六月に生まれる。その後果たして一々彼の断じた通りであった。私はまたこの課を細かく見返した:子が来て胎神の午を冲し、地盤の子位の上に寅が見えるので、子日寅時に生まれたのである。
癸卯日に走失を占う(『牧夫占験』)
乾隆己卯年寅月癸卯日子將酉時占走失。 牧夫占驗/合勾龍空/申酉戌亥 勾蛇朱后 父 丁酉 勾/朱未 子虎 酉午未辰 兄 庚子 虎/蛇午 丑常 午卯辰癸 子 癸卯 陰/巳辰卯寅/貴后陰玄
乾隆己卯年寅月癸卯日、月将の子を酉時に加え、走失した人を占問した。この例は『牧夫占験』から出ている。天地盤は子将を時支の酉に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:子は酉に臨み、丑は戌に、寅は亥に、卯は子に、辰は丑に、巳は寅に、午は卯に、未は辰に、申は巳に、酉は午に、戌は未に、亥は申に臨む。十二天将は順に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、青竜が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せる。四課は右から左へ:第一課は辰が日干の癸に加わり(寄丑)天后を乗せ、第二課は未が辰に加わり朱雀を乗せ、第三課は午が日支の卯に加わり螣蛇を乗せ、第四課は酉が午に加わり勾陳を乗せる。第四課は午火が上神の酉金を賊するので、酉を取って発用とする。三伝は初伝が酉、遁干は丁酉で父母で勾陳を乗せ、中伝は子、遁干は庚子で兄弟で白虎を乗せ、末伝は卯、遁干は癸卯で子孫で太陰を乗せる。
王牧夫曰:此人非走失,乃因酒後誤落水中,已死矣。沿流尋其尸可也。其人曰:素問王先生數學精妙,故特來請教,此是餘鄰居,若果如此,何處?余曰:數也,無可如何。蓋此課干乘鬼墓,發用是酉,癸是見酉,乃酒字也。墓為鬼與作合,三傳遞生,末見閉口,子卯相刑,豈非因酒誤事乎?且死氣在支,閉口亦在支,凡占事課凶得閉口者,必死。落水死者,辰為水庫,天后乘之墓神作鬼,故也。即往尋之,果得其尸。
王牧夫が言うには、この人は走失したのではなく、酒を飲んで足を失して水に落ち、すでに死んでおり、水流に順って彼の尸首を探せばよい。占いに来た人が言うには、王先生の術数が精妙だと素から聞いていたので、わざわざ教えを請いに来ました。これは私の隣人で、もし本当にそうなら、どのあたりにいますか、と。私が言うには、これは命数で、どうしようもありません。この課は日干の上に乗ずる辰が、日鬼でありまた水墓でもある。発用は酉で、癸水の偏旁に一つの酉を配すれば、まさに一つの「酒」字である。辰墓はすでに日鬼を作し、また酉と相合する。三伝は酉が子を生じ、子が卯を生じて、逓相に生じ下り、末伝に閉口の象が見え(卯は太陰を乗せ、口が言えないことを主る)、子と卯はまた相刑する。これはまさに酒によって事を誤ったのではないか。何况癸水の死気がまさに日支の卯の上にあり、閉口の象もまた日支の上に落ちる。およそ事を占うに課体がもと凶でありてまた閉口に逢うのは、必ず死である。落水して死んだと断じたのは、辰が水庫で、天后という水神がその上に乗り、しかもこの墓神が日鬼を作すためである。来た人はすぐに探しに行き、果たして尸首を見つけた。
癸卯日、詹経歴が差遣を占う(『牧夫占験』)
乾隆壬午年未月癸卯日午將卯時詹經歷戊午生二十五歲佔有差遣否? 牧夫占驗/龍空虎常/申酉戌亥 空合勾蛇 父 丁酉 空/勾未 子玄 酉午未辰 兄 庚子 玄/合午 丑陰 午卯辰癸 子 癸卯 貴/巳辰卯寅/朱蛇貴後
乾隆壬午年未月癸卯日、月将の午を卯時に加え、詹経歴(戊午年生まれ、二十五歳)が差遣があるかどうかを占問した。この例は『牧夫占験』から出ている。天地盤は午将を時支の卯に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:午は卯に臨み、未は辰に、申は巳に、酉は午に、戌は未に、亥は申に、子は酉に、丑は戌に、寅は亥に、卯は子に、辰は丑に、巳は寅に臨む。前の一条の走失を占った天地盤と同じである。十二天将は卯の上の貴人から起こって順に布き改める:貴人が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、六合が午を乗せ、勾陳が未を乗せ、青竜が申を乗せ、天空が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が子を乗せ、太陰が丑を乗せ、天后が寅を乗せる。四課は右から左へ:第一課は辰が日干の癸に加わり(寄丑)螣蛇を乗せ、第二課は未が辰に加わり勾陳を乗せ、第三課は午が日支の卯に加わり六合を乗せ、第四課は酉が午に加わり天空を乗せる。発用はなお第四課の下が上を賊する酉を取る。三伝は初伝が酉、遁干は丁酉で父母で天空を乗せ、中伝は子、遁干は庚子で兄弟で玄武を乗せ、末伝は卯、遁干は癸卯で子孫で貴人を乗せる。
王牧夫曰:日內即有差遣,不順過慮也。問是何差遣?余曰:太歲作財在支上乘六合,其財逢旺甚大,主萬數,當是解餉之差。公曰:上下運氣甚平常。余曰:運氣春夏原平常,但公才幹能抵擋,何畏?是日晚,即接運司批命,解京餉數萬。蓋此數,今日癸卯明日甲辰,辰在干,雖是墓氣,然是次日旬首解愁眉也。正時與支皆卯,又屬貴人制鬼,故時下能振墓脫否也。三傳天空遞生,主有推薦,末又是日支,故主今日有差遣也。數以理斷,其驗如此。
王牧夫が言うには、この数日の内に差遣があるので、過度に憂慮する必要はない。詹公が問うには、どんな差遣か。私が言うには、壬午年の太歳の午が日財を作し、日支の上に落ちて六合を乗せ、この財はまたちょうど旺相に当たり、数目は極めて大きく、万をもって計えるべく、餉銀を押解する差事でしょう。詹公が言うには、私の上から下まで運気はみな平常です、と。私が言うには、あなたの春夏の運気はもとより平常ですが、あなたには才幹があって任えられるのだから、何を恐れましょうか。その日の晩、彼は転運司の批文を受け取り、京に解送する餉銀数万両であった。この数を断じ得たのは:今日は癸卯で、明日はすなわち甲辰、辰はまさに日干の上にあり、墓気とはいえ、それは第二天の甲辰旬の旬首なので、ちょうど愁眉を解くことができる。占時と日支はまたともに卯で、卯は貴人を乗せて来て鬼を制するので、目下に墓気を振い起こし否塞を脱することができる。三伝の中で天空が逓相に生じ下るのは、傍から推薦する人があることを主る。末伝はまたまさに日支なので、今日すなわち差遣があると断じた。術数は道理をもって推し断するので、応験はこのようになる。
癸卯日、王旋官が上疏を占う(『指南』)
崇正辛未年六月癸卯日未將卯時臺中王旋官先生占上疏。 指南/龍空/勾酉戌亥子虎 空朱勾貴 父 丁酉 勾/六申 丑常 亥未酉巳 鬼 辛丑 常/朱未 寅玄 未卯巳癸 財 乙巳 貴/蛇午巳辰卯陰/貴後
崇正(崇禎)辛未年六月癸卯日、月将の未を卯時に加え、御史台に任職する王旋官先生が上疏の事を占問した。この例は『六壬指南』から出ている。天地盤は未将を時支の卯に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:未は卯に臨み、申は辰に、酉は巳に、戌は午に、亥は未に、子は申に、丑は酉に、寅は戌に、卯は亥に、辰は子に、巳は丑に、午は寅に臨む。十二天将は順に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、朱雀が未を乗せ、六合が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、青竜が戌を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が丑を乗せ、玄武が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、天后が辰を乗せる。四課は右から左へ:第一課は巳が日干の癸に加わり(寄丑)貴人を乗せ、第二課は酉が巳に加わり勾陳を乗せ、第三課は未が日支の卯に加わり朱雀を乗せ、第四課は亥が未に加わり天空を乗せる。第一・第二・第三課はみな下神が上神を賊し、しかも巳・酉・未の三つの上神はまたみな陰に属し、陰日干と比を取って分別する由がないので、ただ渉害法をもって用を取るしかない。酉は四孟の一つである巳の上に臨むので、酉を取って発用とする。三伝は初伝が酉、遁干は丁酉で父母で勾陳を乗せ、中伝は丑、遁干は辛丑で官鬼で太常を乗せ、末伝は巳、遁干は乙巳で妻財で貴人を乗せる。巳酉丑の三支は金局を合成する。
陳公獻曰:傳將遞生,有疏薦人乎?曰:非也,有疏參人耳。余曰:雖三傳遞生,嫌初末逢空,獨存中傳 ,歲破為鬼。又朱雀乘太歲剋日;太歲君也,歲破相也,恐得罪於君相,於公不利。後果以上章薦人,下獄擬配。
陳公献が言うには、三伝と天将が逓相に生養するので、上疏して何人かを挙薦するのですか。王先生が言うには、いや、上疏して人を参劾するのです、と。私が言うには、三伝は逓生するといっても、惜しいかな初伝と末伝がともに空亡に落ち、残るは一つの中伝だけが立ち得て、しかも中伝の丑はまさに辛未年の歳破で、また日鬼を作す。朱雀はさらに太歳の未を乗せて来て日干を克する。太歳は君主を象徴し、歳破は宰輔を象徴するので、君主と宰輔に罪を得て、あなたに不利であろう。その後彼は果たして奏章を上げて人を挙薦したために、下獄されて流配に判せられた。
十一月癸卯日に来意を占う(『一字訣』『玉連環』)
十一月癸卯日丑將酉時占來意。 一字訣玉連環/空虎常玄/酉戌亥子 常勾空朱 父 丁酉 空 ⊙/龍申 丑陰 亥未酉巳 官 辛丑 陰/勾未 寅后 未卯巳癸 財 巳 朱 ◎/午巳辰卯/合朱蛇貴
十一月癸卯日、月将の丑を酉時に加え、来る人の意図を占問した。この例は『一字訣玉連環』から出ている。天地盤は丑将を時支の酉に加えて排定し、得るところは前の一条の王旋官が上疏を占ったのと完全に同じである:未は卯に臨み、申は辰に、酉は巳に、戌は午に、亥は未に、子は申に、丑は酉に、寅は戌に、卯は亥に、辰は子に、巳は丑に、午は寅に臨む。この課は酉時に占い、夜貴を用い、十二天将は卯の上の貴人から起こって順に布き:貴人が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、六合が午を乗せ、勾陳が未を乗せ、青竜が申を乗せ、天空が酉を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が子を乗せ、太陰が丑を乗せ、天后が寅を乗せる。四課は右から左へ:第一課は巳が日干の癸に加わり(寄丑)朱雀を乗せ、第二課は酉が巳に加わり天空を乗せ、第三課は未が日支の卯に加わり勾陳を乗せ、第四課は亥が未に加わり太常を乗せる。三伝はなお初伝が酉、遁干は丁酉で父母で天空を乗せ、中伝は丑、遁干は辛丑で官鬼で太陰を乗せ、末伝は巳で妻財で朱雀を乗せる。末伝の巳は底本が遁干を注せず傍らに「◎」を標す。巳はまさに癸卯日の属する甲午旬の空亡である。初伝の酉の傍らにはまた「⊙」を標し、併せて照録する。
徐次賓曰:來意主西南近寺,與姓周老陰人爭競,後移東北近廟居住。蓋先鋒門與日支沖而又發用,主宅不安,中傳大吉為日下之鬼 ,下臨酉為寺,合酉為佛為金仙,又酉為西方,大吉得太陰,主老陰人爭競,因此家宅不安,太陰主口舌事,大吉為土,地盤酉為兌,主口舌,以大吉下,見吉配合為周字,故曰西北近寺,與姓周老陰人爭也。
徐次賓が言うには、来る人の意思は――彼の家は西南で寺院に近いところにあり、周と姓する一人の老婦人と争い、後に東北で廟宇に近いところに移って住むということだ。何を凭りにこのように断じたか。先鋒門(初伝)の酉は日支の卯と相冲してまた発用し、住宅の不安を主る。中伝の大吉(丑)は日干の下の鬼煞で、その下に酉を臨み、酉は寺院を主り、丑はまた酉と相合し、酉はそもそも仏・金仙を象徴し、しかも酉は西方に居る。大吉はまた太陰を乗せ、太陰は年老いた婦人を象徴するので、老婦人と争うことを主り、家宅はこれによって不安となる。太陰は口舌の事を主り、大吉は土に属し、その下の地盤の酉は兌卦に属し、兌は口であり、これも口舌を主る。さらに「大吉」の「吉」の字を取り、外の框廓と相配すれば、ちょうど合わさって一つの「周」字を成す。だから西北の寺に近い処で、姓周の老婦人と相争ったと言うのである。
辰為宅,時既沖剋之,不安之象,何以移往東北近廟居住,蓋卦得從革,革故鼎新,從革本主西南,而運東北者何也?蓋大吉臨酉為日鬼,畏其鬼不敢往,末傳太乙,得朱雀為日下之財,下臨丑,丑主廟,故言往東北近廟居住,丑為天乙本家,故言廟也。
日辰(日支の卯)は住宅を代表し、占時の酉はすでにそれを冲しまたそれを克するので、まさに不安の象である。では何を凭りに彼が東北の廟に近い処に移って住むと断じたか。三伝の巳酉丑が金局を合成し、まさに『尚書・洪範』のいう「金曰従革」の従革の象で、革故鼎新を主るからである。従革は本当なら西南を主るべきだが、どうしてかえって東北へ遷移するのか。大吉(丑)が酉の上に臨んで日鬼を作すので、彼はこの鬼を畏れて、あちらの方へ向かうことを敢えてしないからである。末伝は太乙(巳)で、朱雀を乗せて日干の下の財神を作し、その下に丑を臨み、丑は廟宇を主るので、東北の廟に近い処に居住すると言ったのである。丑はまた天乙貴人の本家なので、これを廟と称するのである。
癸卯日に宅を占う(『張本占案』)
正月癸卯日亥將巳時占宅。 張本占案/龍勾合朱/子丑寅卯 貴虎朱玄 子 癸卯 朱貴/空亥 辰蛇 巳戌卯申 鬼 戊戌 虎龍/虎戌 巳貴 戌卯申癸 財 ◎巳 貴陰/酉申未午/常玄陰后
正月癸卯日、月将の亥を巳時に加え、住宅を占問した。この例は『張本占案』から出ている。底本のここに印する課盤は、下の一条の「順治庚寅十月癸卯庚申時占失馬」と完全に同じである:天盤の子は地盤の巳に臨み、丑は午に、寅は未に、卯は申に、亥は辰に、辰は酉に、戌は卯に、巳は戌に、酉は寅に、申は丑に、未は子に、午は亥に臨む。十二天将は逆に布き、青竜が子を乗せ、勾陳が丑を乗せ、六合が寅を乗せ、朱雀が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は右から左へ申が日干の癸に加わり(寄丑)玄武を乗せ、卯が申に加わり朱雀を乗せ、戌が日支の卯に加わり白虎を乗せ、巳が戌に加わり貴人を乗せる。三伝は初伝が卯(遁干は癸卯)で子孫、中伝が戌(戊戌)で官鬼、末伝が巳で妻財ながら空亡に落ちる。三伝の傍らにはそれぞれ二組の天将を注し、前の一組は昼貴(貴人が巳を乗ず)の布く所、後の一組は夜貴(貴人が卯を乗せて逆布)の布く所である。ただ下の邵彦和の断語の言う所は「未が朱雀を乗せて日干に加わる」「酉が勾陳を乗せて来て卯宅を克する」「発用が下の上を賊するから出る」で、それはまさに亥将を巳時に加えた反吟課――干の上に未が見え、支の上に酉が見え、三伝を卯酉卯と作す――であり、ここに印する盤とは合わない。この所の底本の課盤は誤刻の疑いがある。今は照録して改めない。
邵彥和曰:家內有私財,兄弟來爭之象。蓋卯酉為門戶,主陰私,加宅作克,而發傳用下賊上,是陰私財也。勾陳主爭訟,乘酉克宅,未為官鬼乘雀加干,未兄弟也。丑未相刑,小刑大,為賊亂之刑。丑年已曾爭競一番,今酉乘勾克卯,當復來爭競也。詢之,果胞弟爭財。
邵彦和が言うには、これは家の中に私財を蔵してあり、兄弟が来て争い奪う象である。卯と酉は門戸の神で、陰私の事を主る。酉は日支の宅の上に加わって来てそれを克し、発用はまた下神が上神を賊するから出るので、見るべからざる一筆の財であることが分かる。勾陳は争闘訴訟を主り、今酉を乗せて来て宅を克する。未は官鬼で、朱雀を乗せて日干の上に加わり、この未はまさにあの兄弟を代表する。丑と未は相刑し、小をもって大を刑するので、賊乱の刑に属する。丑年にすでに一度争っており、今酉が勾陳を乗せてまた来て卯を克するので、なおもう一度争いに来るはずである。一問すれば、果たして彼の実の弟が家財を争っていた。
癸卯日、王懐蔭が失馬を占う(『指南』)
順治庚寅十月癸卯庚申時王懷蔭占失馬。 指南/勾六/龍子丑寅卯朱 貴虎朱玄 子 癸卯 朱/空亥 辰蛇 巳戌卯申 官 戊戌 白/虎戌 巳貴 戌卯申癸 財 乙巳 貴/常酉申未午後/玄陰
順治庚寅年十月癸卯日庚申時、王懐蔭が失った馬を占問した。この例は『六壬指南』から出ている。十月は霜降の後に卯将を用い、この課はすなわち卯将を申時に加えたもの:天盤の子は地盤の巳に臨み、丑は午に、寅は未に、卯は申に、亥は辰に、辰は酉に、戌は卯に、巳は戌に、酉は寅に、申は丑に、未は子に、午は亥に臨む。十二天将は逆に布き、青竜が子を乗せ、勾陳が丑を乗せ、六合が寅を乗せ、朱雀が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は右から左へ:第一課は申が日干の癸に加わり(寄丑)玄武を乗せ、第二課は卯が申に加わり朱雀を乗せ、第三課は戌が日支の卯に加わり白虎を乗せ、第四課は巳が戌に加わり貴人を乗せる。第二課と第三課はともに下神が上神を賊し、二つの上神は卯が陰に属し戌が陽に属し、日干の癸は陰に属するので、陰支を取って用とし、だから発用は卯である。三伝は初伝が卯、遁干は癸卯で子孫で朱雀を乗せ、中伝は戌、遁干は戊戌で官鬼で白虎を乗せ、末伝は巳、遁干は乙巳で妻財で貴人を乗せる。巳は本旬の空亡であるとともに、まさに癸卯日の駅馬でもある。
陳公獻曰:此馬青黑色,在西北山崗,三日必獲。蓋因末傳之馬(此以驛馬為馬)而乘旬中之空,必俟出旬乙巳日填實,方能得馬也。何以知其色為青黑?因馬陰神見子乘青龍,故知色青黑。何以知其在西北山崗也?因馬居戌地故知在西北。果三日後自劉家集尋得。(陰神為形狀,地盤為方向。)
陳公献が言うには、この馬は青黑色で、西北方の山岡の上にあり、三日の内に必ず取り戻せる。末伝はまさに駅馬で(ここでは駅馬をもって馬として看る)、それは本旬の空亡を乗せているので、必ずこの旬を出て乙巳日に填実するのを待って、はじめて馬を取り戻すことができる。どうして馬の毛色が青黑と知ったか。駅馬の巳の陰神は子で、子の上に青竜が乗り、青竜は木に属して青、子は水に属して黑なので、青黑色と断じた。どうして西北の山岡にいると知ったか。駅馬の巳は地盤の戌位の上に落ち、戌は西北方にあるので、西北と断じた。その後果たして三日後に劉家集から尋ね帰した。(陰神は形状を主り、地盤は方向を主る。)
愚按:自干陰而傳歸支,自外入內之象,故尋得。
本書の編者按:この課は日干の陰神から発伝し、しかも三伝がまた日支の上に帰るので、まさに外から内に向かう象であり、だから馬を尋ね戻すことができたのである。
癸卯日、曹将仕が謀干を占う(『方本占案』)
乙酉年十月癸卯日寅將辰時曹將仕丙午生六十四歲占謀干。 方本占案/蛇貴/朱卯辰巳午後/六寅 未陰 空陳常空 官 辛丑 陳/陳丑 申玄 亥丑酉亥 兄 己亥 空/龍子亥戌酉常 丑卯亥癸 父 丁酉 常/空虎
乙酉年十月癸卯日、月将の寅を辰時に加え、曹将仕(丙午年生まれ、六十四歳)が事を謀り進を求めるを占問した。この例は『方本占案』から出ている。天地盤は寅将を時支の辰に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:寅は辰に臨み、卯は巳に、辰は午に、巳は未に、午は申に、未は酉に、申は戌に、酉は亥に、戌は子に、亥は丑に、子は寅に、丑は卯に臨む。十二天将は逆に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、六合が寅を乗せ、勾陳が丑を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は右から左へ:第一課は亥が日干の癸に加わり(寄丑)天空を乗せ、第二課は酉が亥に加わり太常を乗せ、第三課は丑が日支の卯に加わり勾陳を乗せ、第四課は亥が丑に加わり天空を乗せる。第三課と第四課はともに下神が上神を賊し、二つの上神の丑と亥はまたともに陰に属するので、ただ渉害法をもって用を取るしかない。丑は四仲の一つである卯の上に臨むので、発用は丑である。三伝は初伝が丑、遁干は辛丑で官鬼で勾陳を乗せ、中伝は亥、遁干は己亥で兄弟で天空を乗せ、末伝は酉、遁干は丁酉で父母で太常を乗せる。
邵彥和曰:支上丑作勾陳,自宜用舊,未利謀新。況三傳四課皆陰,豈宜進干?若陽則宜進干,豈不聞《心鏡》曰:大吉臨干為死舊,天罡加日是生新。《心鏡》全以陰陽二字,分別陽宜動,為生、為新、為德;陰宜靜,為殺、為舊、為刑也。
邵彦和が言うには、日支の上の丑が勾陳を乗せているので、自然に旧局を因循すべきで、別に新路を謀るに利しない。何况三伝と四課の上神がみな陰支なので、どうして出かけて干謁して進を求めるに適しようか。陽支であればこそ、進取に適する。聞かなかったか、『六壬心鏡』に講じているのを:大吉(丑)が日干の上に臨むは「死」であり「旧」であり、天罡(辰)が日に加わるのこそ「生」であり「新」である、と。『心鏡』の全書は陰・陽の二字をもって分別する:陽は動を主り、生・新・徳に属し、陰は静を主り、殺・旧・刑に属する。
癸卯日、第五直が逃を捕えるを占う(『方本占案』・『口鑑』・『張本占案』)
同年月日時第五直壬戌生四十八歲占捕逃有罪人同得此課。 方本占案 口鑑 張本占案/蛇貴/朱卯辰巳午後/六寅 未陰 空陳常空 官 辛丑 陳/陳丑 申玄 亥丑酉亥 兄 己亥 空/龍子亥戌酉常 丑卯亥癸 父 丁酉 常/空虎
同年・同月・同日・同時に、第五直(壬戌年生まれ、四十八歳)が逃げている罪人を捕拿するを占問し、得たのもこの課であった。この例は『方本占案』『口鑑』『張本占案』に見える。課盤は上の一条の曹将仕が謀干を占ったのと完全に同じ:寅将を辰時に加え、天盤の寅は地盤の辰に臨み、卯は巳に、辰は午に、巳は未に、午は申に、未は酉に、申は戌に、酉は亥に、戌は子に、亥は丑に、子は寅に、丑は卯に臨む。十二天将は逆に布き、貴人が巳を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、六合が寅を乗せ、勾陳が丑を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は亥が日干の癸に加わり(寄丑)天空を乗せ、酉が亥に加わり太常を乗せ、丑が日支の卯に加わり勾陳を乗せ、亥が丑に加わり天空を乗せる。三伝は初伝が丑(辛丑)で官鬼で勾陳を乗せ、中伝が亥(己亥)で兄弟で天空を乗せ、末伝が酉(丁酉)で父母で太常を乗せる。
邵彥和曰:此課干來加支,即發用,退歸西北,其人逃往買賣人汪家後空豬圈內藏匿,亥四丑八,去此三十二里,有婢在宅前著孝衣洗酒器,不在可問之,在崩敗東廁內,可往擒之。水日見亥,亥內有壬,壬加水,汪姓也。酉加亥為酒器,酉又為婢,作破碎,乘太常為孝服。七臺河陳剋日,追逃必獲也。此二句照張本補。
邵彦和が言うには、この課は日干の寄宮の丑が日支の卯の上に加わり、随って発用し、三伝は逆退して西北に帰向する。あの人は商売をする汪家の後ろの一つの空の豚圈に逃げて隠れている。亥の数は四、丑の数は八で、四八を相乗して、ここから三十二里である。そこに一人の婢女が宅の前で孝衣を着て酒器を洗っている。人がいなければ、彼女に問えばよい――人は坍塌して破敗した東厠の内にいるので、前進して擒拿することができる。どうして姓汪の家と断じたか。癸水日に亥を見れば、亥の中に壬が蔵され、「壬」の字に水旁を加えれば、まさに一つの「汪」字である。酉が亥の上に加わればすなわち酒器で、酉はまた婢女を代表し、兼ねて破碎の神を作し、太常を乗ずればすなわち孝服である。底本の次の一句は「七台河陳克日」と作るが、文字は明らかに訛脱がある(発用の丑はまさに勾陳を乗せて癸水日干を克する)。大意は勾陳が日を克すれば、逃げる人を追捕して必ず擒獲することができるということである。この二句は『張本占案』に照らして補入した。
愚按:當是天網課利於捕亡。
本書の編者按:この課は「天網課」と算すべきで、天網は四方を籠罩し、最も逃亡する人を捕捉するに利する。
巻之五
甲辰日
三月甲辰日に帰国を占う(『呉越春秋』)
三月甲辰日,酉將未時,越王占歸國。(《吳越春秋》)空、虎、常、玄。未、申、酉、戌;虎龍龍合;財,甲辰,合。龍——午,亥——陰;申午午辰;子,丙午,龍。勾——巳,子——後;午辰辰甲;鬼,戊申,虎。辰、卯、寅、丑;合、朱、蛇、貴。
三月甲辰日、月将の酉を占時の未に加えて課を起こし、越王勾践が本国に帰ることができるかを占問した。この例は『呉越春秋』から出ている。以下は課盤である。外圏は十二地支に按って排列し、各支の傍らにその乗ずる天将を記す:未の上に「天空」、申の上に「白虎」、酉の上に「太常」、戌の上に「玄武」、亥の上に「太陰」、子の上に「天后」、丑の上に「貴人」、寅の上に「螣蛇」、卯の上に「朱雀」、辰の上に「六合」、巳の上に「勾陳」、午の上に「青竜」。貴人は丑に落ち、十二天将はこれより順行する。中間の一欄は「四課」で、右から左へ読む:甲日の寄宮は寅にあり、寅の上に辰を得て六合を乗せ、第二課は辰の上に午を得て青竜を乗せ、第三課は日支の辰の上にも午を得て青竜を乗せ、第四課は午の上に申を得て白虎を乗せる。右辺の一欄は「三伝」:初伝は辰、旬遁して甲辰を得、六合を乗せ、辰土は甲木の「妻財」。中伝は午、旬遁して丙午を得、青竜を乗せ、午火は甲木の「子孫」。末伝は申、旬遁して戊申を得、白虎を乗せ、申金は甲木の「官鬼」。原刻本は天地盤・四課・三伝の三欄を並べて刻印し、文字に展平してからは行ごとに交錯するので、欄を分けて対読する必要がある。
吳王赦越王歸國,越王登車,范蠡執御,至三津之上,仰天嘆曰:「嗟乎!孤之屯厄,誰念復生渡此津也?」謂范蠡曰:「今三月甲辰,時加日昳,孤蒙上天之命,還歸故鄉,得無後患乎?」范蠡曰:「大王勿疑,直眡道行,越將有福,吳當有憂。」
呉王夫差は越王勾践を赦免し、放って国に帰らせた。越王は車に登り、范蠡が彼のために轡を執って車を駕し、三津の渡口まで行き着くと、越王は仰いで長嘆して言った:「ああ!私が困厄に身を陥れた時、誰が思い得たであろう、生きてまたこの渡口を渡れることを」彼はまた范蠡に言った:「今日は三月甲辰日で、時はちょうど日昳に当たる、すなわち未時、日の西に偏る際だ。私は天の眷顧を蒙り、故郷に帰ることを得たが、この行き先にまた後患があるだろうか」范蠡が答えた:「大王は疑慮するに及びません。ただまっすぐに道を見て進んで行かれよ。越国には福運があり、呉国にこそ憂患があるべきです」
筆塵解曰:按三月甲辰,酉將加未,乃「斬關課」,大利逃亡也。
『筆塵』に解説する:この課に按ずるに三月甲辰日で、酉将をもって未時の上に加えて起出し、得たのは「斬関課」である。斬関は関を斬り隘を奪い、阻碍を冲き開く義を取り、最も逃亡して身を脱する類の事に利するので、越王のこのたびは順利に呉国を脱出することができた。
愚按:斬關卦,諸書只雲利於逃亡及藏遁形跡等事,殊不知利於治國,亦利行師。觀越王此歸之後,終能霸越治吳,固為顯證。
程樹勲按:斬関のこの課、各家の書にはただそれが逃亡および行跡を藏匿する類の事に利すると説くだけで、それが同じく国家を治めるに利し、また兵を領して軍を行くに利することを知らない。越王の今回帰国した後、ついに越地に覇を唱え呉国を制服したのを見れば、これ自体が明白な証拠である。
嘗讀柳柳州《龍城錄》云:上皇始平禍亂,在宮所與道士馮存澄,因射覆,得卦曰「合因」,又得卦曰「斬關」,又得卦曰「鑄印乘軒」。存澄啟謝曰:「昔此卦,三靈為最善,黃帝勝炎帝而筮得之,所謂合因、斬關、鑄印乘軒,始當果斷,終得嗣天。」上皇掩其口曰:「止矣,默衰識之矣。」後即位,應其術焉(上皇即明皇也)。
私はかつて柳宗元の『竜城録』を読み、その中に記す所があった:唐玄宗が初めて禍乱を平定した時、宮中で道士の馮存澄とともに射覆して占卜し、先ず「合因」という一課を得、また「斬関」という一課を得、さらに「鋳印乗軒」という一課を得た。馮存澄が進言して道賀して言った:「昔、この三課は、三霊の中の最も吉いもので、あの年黄帝が炎帝に勝った時に占筮して得たのは、まさにこれらでした。いわゆる合因・斬関・鋳印乗軒とは、始めには果断に事を行うべく、終わりには天命を承継することができます」玄宗は急いで彼の口を掩って言った:「もうよい。おまえは心の中に黙って記しておけばよい」後に玄宗は果たして位に登り、彼の術数に応験した。(文中の「上皇」はすなわち唐明皇玄宗である。)
又讀歐陽公《五代史》賀環傳云:事鄆州朱宣,為都指揮使。梁太祖攻朱瑾於兗州,宣遣環與何懷寶、柳存等,以兵萬人救兗州。環趨待賓館,欲絕梁餉道。太祖略地至中都,得降卒,言環等趨待賓館矣,以六壬占之,得「斬關」以為吉,乃選精兵,夜急馳百里,期先至待賓以逆環。而夜黑兵失道,旦至鉅野東,遇環兵擊之,環兵大敗。環走,梁兵急追之。環顧路窮,登塚上大呼曰:「我賀環也,可弗殺我!」太祖馳騎取之。凡此皆足資考證。是此兩課,皆不載月將日時,無式可演,特因論斬關卦,而附載之於此。
また欧陽脩の『五代史』の賀環伝を読むに、説かれている:賀環は鄆州の朱宣の手下で都指揮使をしていた。梁太祖の朱温が兗州に行って朱瑾を攻撃すると、朱宣は賀環と何懐宝・柳存らを派して一万の兵を帯びさせて兗州を救いに行かせた。賀環は待賓館に急ぎ赴き、梁軍の運粮の通路を切断しようと図った。梁太祖は地方を攻取して中都に至り、降した士卒を捉え、賀環らがすでに待賓館に奔ったことを知ると、六壬で課を起こし、「斬関」を占い得て、吉と認め、そこで精兵を選び、夜を徹して百里を急行し、先んじて待賓館に着き賀環を迎え撃とうとした。ところが夜色が黒すぎて、隊伍は道に迷い、明け方に鉅野城の東まで行くと、ちょうど賀環の兵に出遭い、一たび交戦して賀環は大敗した。賀環は逃げ走り、梁兵は追って放さなかった。賀環は振り返ってすでに走る路がないのを見て、一つの墳頭に這い上がり大声で叫んだ:「私は賀環だ、殺すな!」梁太祖は馬を策して前に進み彼を擒獲した。以上これらは、みな斬関課の用法を引き証するに足る。ただこの二条の記載はいずれも月将と日辰時刻を明記していないので、拠って課式を排する由がない。私はただちょうど斬関課を論じているので、それらをここに附記したのである。
甲辰日、辰将寅時に信を占う(『玉連環』末巻)
甲辰日,辰將寅時,占信。(《玉連環》末卷)貴、後、陰、玄。未、申、酉、戌;後蛇蛇合;財,甲辰,合。蛇——午,亥——常;申午午辰;子,丙午,蛇。朱——巳,子——虎;午辰辰甲;鬼,戊申,後。辰、卯、寅、丑;合、勾、龍、空。
甲辰日、辰将を用いて寅時の上に加えて課を起こし、書信の消息を占問した。この例は『玉連環』の末巻から出ている。課盤:未の上に「貴人」、申の上に「天后」、酉の上に「太陰」、戌の上に「玄武」、亥の上に「太常」、子の上に「白虎」、丑の上に「天空」、寅の上に「青竜」、卯の上に「勾陳」、辰の上に「六合」、巳の上に「朱雀」、午の上に「螣蛇」。貴人は未に落ち、十二天将はこれより逆行する。四課は右から左へ読む:甲日の寄宮は寅にあり、寅の上に辰を得て六合を乗せ、第二課は辰の上に午を得て螣蛇を乗せ、第三課は日支の辰の上にも午を得て螣蛇を乗せ、第四課は午の上に申を得て天后を乗せる。三伝:初伝は辰、旬遁して甲辰を得、六合を乗せ、甲木の妻財である。中伝は午、旬遁して丙午を得、螣蛇を乗せ、子孫である。末伝は申、旬遁して戊申を得、天后を乗せ、官鬼である。
雪心曰:三傳日同初,辰同中。占望信,責朱雀。今朱雀乘巳臨印,名「朱雀臨門」,又曰「雀騰空」。巳為子孫,是卑小信來,應在乙巳、戊申日到。蓋巳乃朱雀神,申乃朱雀之六合也。
雪心が言うには、この課は、日干の上の神と初伝が同じで、ともに辰である。日支の上の神と中伝が同じで、ともに午である。およそ書信を望むを占うには、専ら「朱雀」という類神を看るべきである。朱雀は文書音信を主るからである。今朱雀は巳の上に乗り印位に臨み、課格を「朱雀臨門」といい、また「雀騰空」ともいう。巳火は甲日にとっては子孫爻なので、来るのは卑幼の小輩の信である。応期は乙巳日・戊申日に届くはずである。巳はまさに朱雀の本家(朱雀は火に属し巳に寄す)であり、申と巳は相六合して、朱雀の合神だからである。
甲辰日、未将丑時に父が子を占う(張本占案)
甲辰日,未將丑時,父占子。(張本占案)勾、龍、空、虎。亥、子、丑、寅;玄合虎蛇;兄,◎寅,虎。合——戌,卯——常;辰戌寅申;鬼,戊申,蛇。朱——酉,辰——玄;戌辰申甲;兄,◎寅,虎。申、未、午、巳;蛇、貴、後、陰。
甲辰日、未将を用いて丑時の上に加えて課を起こし、父となる者が息子に代わって占問した。この例は張本占案に見える。課盤:亥の上に「勾陳」、子の上に「青竜」、丑の上に「天空」、寅の上に「白虎」、卯の上に「太常」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太陰」、午の上に「天后」、未の上に「貴人」、申の上に「螣蛇」、酉の上に「朱雀」、戌の上に「六合」。貴人は未に落ち、十二天将は順行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に申を得て螣蛇を乗せ、第二課は申の上に寅を得て白虎を乗せ、第三課は日支の辰の上に戌を得て六合を乗せ、第四課は戌の上に辰を得て玄武を乗せる――四課の上下は互いに加臨し、まさに「返吟課」である。三伝:初伝は寅で白虎を乗せ、寅木は甲木の兄弟で、寅の上に「◎」を標し、本旬(甲辰旬)の空亡が寅卯にあること、この寅が空に落ちることを示す。中伝は申、旬遁して戊申を得、螣蛇を乗せ、官鬼である。末伝はまた空に落ちた寅に戻り白虎を乗せ、首尾が往返して定まらない。
苗公達曰:甲木旬空,巳為朽木,申金又克之,此子七歲以前,主驚風或起或僕,不能自立。寅數七,被申克,故主風。白虎亦主風。七歲以後,又申加寅,寅上亦作白虎,寅逢旬空,當是在前山七株樹下,遇一戲猴人,引索而走,受了一驚,害病幾死。猴,申也,蛇空故為斷索。辰投入宅,與申三合,拱生甲木,頗有生意。寅申七,辰戌俱五,蓋至二十四歲,人頗精彩。宅上見戌為財,辰戌沖斷,又為斬關,遂出外買賣。
苗公達が言うには、甲木は本旬に落ち、巳は甲木の病地で朽木を成し、申金はまた来てそれを克するので、この子は七歳以前に、驚風の病を犯し、時に起ち時に倒れて立ち居が定まらない。寅は数に於いて七であり、また申金に克されるので、風疾を主る。白虎もまた風を主る。七歳以後、申はまた寅の上に加わり、寅の上に同じく白虎を乗せ、しかも寅はちょうど旬空に逢う。これに拠って推し断する:彼はかつて村の前の山の七棵の樹の下で、猿を弄する人に遭い、猿が縄索を脱して躍り出て、子は一場の大驚を受け、病を害してほとんど命を送った。猿はすなわち申で、螣蛇はまた空亡に落ちるので、縄索が断脱する象を取る。後に辰土が宅位に投じ入り、申金と三合を結んで、甲木を拱扶して生起し、日はやや起色があった。寅・申の数は各々七であり、辰・戌の数は各々五で、合算して二十四歳に及び、人は甚だ精神を有するようになった。宅位の上に戌を見るは財爻で、辰戌が相冲してそれを冲開し、また「斬関」の格を構成するので、彼は外に出て商売を始めた。
戌上又見辰,為武合相併,主有陰私。一邊三個財,財多身弱,武為盜神,武乘辰龍則能變幻光怪,化為美婦,盜其精血,日後貪淫,一十五年。中傳申化為鬼,日夜跟隨,不離夢醒。寅為夜時,為夢醒。又見蛇虎纏繞。如此七年,三傳返吟來來往往,不得斷絕。申月寅日因天風吹倒大樹,壓在門前,中風而死,魂無所歸,安望歸乎?父子至情,徒生悲切耳。
戌の上にまた辰が見え、玄武と六合が併せて一処に臨むのは、暗昧な私情があることを主る。一辺に三重の財爻を排し、財多くして身が弱く、担い負うことができない。玄武は盗賊の神で、玄武が辰を乗せてまた青竜を見れば、光怪陸離の形象を変幻し出し、美貌の婦人と化して、暗に彼の精血を盗取する。これより後、彼は淫欲に沉溺し、前後十五年におよんだ。中伝の申金は官鬼と化して、日夜随い伴って去らず、夢の中から醒めても振り脱ぐことができない――寅は夜間の時辰であり、また夢の醒める際を主る。課の中にまた螣蛇・白虎が纏繞して休まないのが見える。このようにしてさらに七年を過ごし、三伝が返吟を作し、来たり往きたり、纏絡して断絶することができない。申月寅日に至り、天上の大風が一棵の大樹を吹き倒して門前に圧し、彼は中風して死に、魂魄は帰る処なく、どうして家に帰るなど言えようか。父子の間の至情は、結局ただ徒らに悲傷するに落ちるばかりである。
丁卯年五月甲辰日に子息を占う(牧夫占験)
丁卯年五月甲辰日,未將丑時,甲戌命,五十四歲,占子息。(牧夫占驗)勾、龍、空、虎。亥、子、丑、寅;玄合虎蛇;兄,◎寅,虎。合——戌,卯——常;辰戌寅申;鬼,戊申,蛇。朱——酉,辰——玄;戌辰申甲;兄,◎寅,虎。申、未、午、巳;蛇、貴、後、陰。
丁卯年五月甲辰日、未将を用いて丑時の上に加えて課を起こし、占を求める人は本命甲戌・五十四歳で、子嗣を占問した。この例は王牧夫の占験記録に属する。課盤は前の例と同じ:亥の上に「勾陳」、子の上に「青竜」、丑の上に「天空」、寅の上に「白虎」、卯の上に「太常」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太陰」、午の上に「天后」、未の上に「貴人」、申の上に「螣蛇」、酉の上に「朱雀」、戌の上に「六合」。貴人は未に臨み十二天将は順行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に申を得て螣蛇を乗せ、申の上に寅を得て白虎を乗せ、日支の辰の上に戌を得て六合を乗せ、戌の上に辰を得て玄武を乗せる。四課の上下は互換する、「返吟課」である。三伝:初伝は寅で白虎を乗せ、また旬空に逢い(「◎」はすなわち空亡の標記)、兄弟爻である。中伝は申、旬遁して戊申を得、螣蛇を乗せ、官鬼である。末伝はまた空に落ちた寅で白虎を乗せる。
王牧夫曰:此課占子息,主有子不育,直到五十六歲。偏胎之一子可許也。此課三傳無子,惟有遁出丙火子孫,又為日鬼克絕,木受金傷,則子孫何以托以為體?丙受克,則子孫何處以為生?此三傳之現在者,不得有所存也。支乘六合,六合乃子孫類神,居於沖墓之地,不得為旺,然五月火司其正,戌乃火墓,子孫臨庫旺鄉,尚有一子可許。若非五月火有氣,則支上之重土乃丘墳重累,主孤寡也。己巳之歲,胎見長生,又與命上生氣作合,酉為妾,卯為長子,故主是年偏胎生一子也。後果驗。
王牧夫が言うには、この課は子嗣を占うに、子を生んでも養い大きくできないことを主り、ずっと五十六歳に至るまで、やっと偏房より一子を生むことを彼に許すことができる。この課の三伝の中には子孫爻がなく、ただ旬遁して遁出した丙火が子孫と算するが、丙火はまた日上の官鬼に絶地で克される。木はすでに金に傷を受け、子孫は何をもって身を托して形を成さんか。丙火が克を受け、子孫はまたどこから生気を得るか。目の前三伝が顕現する所を見れば、留め置くことができないものである。日支の上に六合を乗せ、六合はまさに子孫の類神であるが、冲墓の地に坐し、旺と算することができない。幸いに五月はちょうど火令が権を当て、戌はまた火の墓庫で、子孫は庫地の旺郷に臨むので、まだ一子を彼に許すことができる。もし五月の火に気があるでなければ、支上の重畳した土は墳丘が層々に堆積する象となり、孤寡無後を主るところであった。己巳のあの年に至り、胎神に長生を見、また本命の上の生気と相合し、酉は妾室の象を取り、卯は長子の象を取るので、この年に偏房が一子を生むと断じた。その後果たして応験した。
甲辰日、寅将申時に官訟を占う(『一針見血』)
甲辰日,寅將申時,占官訟。(《一針見血》)朱、蛇、貴、後。亥、子、丑、寅;玄合後龍;兄,◎寅,後。合——戌,卯——陰;辰戌寅申;鬼,戊申,龍。勾——酉,辰——玄;戌辰申甲;兄,◎寅,後。申、未、午、巳;龍、空、虎、常。
甲辰日、寅将を用いて申時の上に加えて課を起こし、官司訴訟を占った。この例は『一針見血』から出ている。課盤:亥の上に「朱雀」、子の上に「螣蛇」、丑の上に「貴人」、寅の上に「天后」、卯の上に「太陰」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太常」、午の上に「白虎」、未の上に「天空」、申の上に「青竜」、酉の上に「勾陳」、戌の上に「六合」。貴人は丑に落ち、十二天将は逆行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に申を得て青竜を乗せ、申の上に寅を得て天后を乗せ、日支の辰の上に戌を得て六合を乗せ、戌の上に辰を得て玄武を乗せる――月将と占時は六位を隔て、四課の上下は互加し、なお「返吟課」である。三伝:初伝は寅で天后を乗せ、甲木の兄弟で、また甲辰旬の空亡に逢うので「◎」を標す。中伝は申、旬遁して戊申を得、青竜を乗せ、官鬼である。末伝はまた空に落ちた寅に戻り天后を乗せる。
斷曰:凡寅申入傳,多應舊事發動,雖有凶,結末小也。如秋冬占之,在正月方入;若春夏占之,在七月方出。其凶解者,德神在寅乘天后也。凡見德神,更行年有氣,空亡在傳,主無害矣。
断語に言うには、およそ寅・申の二支が三伝に入ると、多くは旧事が新たに翻動することに応ずる。凶を帯びるとはいえ、収場は大きくない。もし秋冬にこの課を占い得たなら、来年の正月に至って官事が進身して受理される。もし春夏に占い得たなら、七月に至ってやっと脱し出ることができる。この凶の化じ解け得る所以は、「徳神」がまさに寅の上に落ちて天后を乗ずることに在る――甲日の日徳はすなわち寅に在る。およそ課の中に徳神を見ることに加えて、占を求める人の行年に気があって衰えず、また空亡が三伝の中に落ちるならば、害を受けないことを主るのである。
二月甲辰日に失狗を占う(方本占案)
二月甲辰日,戌將寅時,某占失狗。(方本占案)虎、常。空——丑、寅、卯、辰——玄。龍——子,巳——陰;蛇龍后六;財,庚戌,六。陳——亥,午——後;申子午戌;子,丙午,後。六——戌、酉、申、未——貴;子辰戌甲;兄,空寅,虎。朱、蛇。
二月甲辰日、戌将を用いて寅時の上に加えて課を起こし、ある人が失った狗を占った。この例は方本占案に見える。この一幅の課盤は方框の形状に刻まれ、四辺と四角に各々地支を列べ、傍らにその乗ずる天将を書く:丑の上に「天空」、寅の上に「白虎」、卯の上に「太常」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太陰」、午の上に「天后」、未の上に「貴人」、申の上に「螣蛇」、酉の上に「朱雀」、戌の上に「六合」、亥の上に「勾陳」、子の上に「青竜」。貴人は未に臨み、十二天将は順行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に戌を得て六合を乗せ、戌の上に午を得て天后を乗せ、日支の辰の上に子を得て青竜を乗せ、子の上に申を得て螣蛇を乗せる。三伝:初伝は戌、旬遁して庚戌を得、六合を乗せ、戌土は甲木の妻財である。中伝は午、旬遁して丙午を得、天后を乗せ、子孫である。末伝は寅で白虎を乗せ、兄弟で、「空」の字は寅が甲辰旬の中でちょうど空亡に落ちることを表明する。
邵彥和曰:尋狗不見矣。蓋戌為類神,加日雖主自歸,奈何戌與寅雖作三合,又作六合,而寅反作虎在未傳克戌,故尋不得,定被殺矣。後知被木排上人殺而烹之。寅作虎克戌,寅木也,遂應木排上人,奇妙至此。蓋卯為排,夾克戌土故也。
邵彦和が言うには、この狗は探し戻せない。戌は狗の類神で、それが日干の上に加臨するのは、もともとそれが自ら帰って来ることを主る。無奈、戌と寅は三合を結ぶとはいえ、また六合を結ぶとはいえ、寅は偏しくも白虎を乗せて末伝(原文は「未伝」と作るが、当に「末伝」、第三伝を指す)に落ちて戌を克しに行くので、尋ね得られず、必ずすでに人に殺されたであろう。後に果たして知ることとなり、狗は木排の上の人に殺され煮て食われた。寅が白虎を乗せて戌を克しに行き、しかも寅は木に属するので、則ち「木排上人」の身に応じた。推し断が精妙でこの地に至る。卯もまた木に属するので、ちょうど木筏木排の象を取り、寅卯の両木が戌土を挟み制するので、この一応がある。
乙巳日
天啓丁卯年八月乙巳日に両子の武郷試を占う(『指南』)
天啟丁卯年八月乙巳日申時,金華何伴鶴訪陳公獻於揚州,陳母托占兩子武鄉試。(《指南》)朱、六。蛇——丑、寅、卯、辰——勾;玄蛇常貴;鬼,己酉,玄。貴——子,巳——青;酉丑申子;子,乙巳,龍。後——亥,午——空;丑巳子乙;財,癸丑,蛇。陰——戌、酉、申、未——虎。玄、常。
天啓丁卯年八月乙巳日申時、金華人の何伴鶴が揚州に行って陳公献を訪ね、陳公献の母が彼に二人の息子の武挙郷試を占わせた。この例は『六壬指南』から出ている。課盤:子の上に「貴人」、丑の上に「螣蛇」、寅の上に「朱雀」、卯の上に「六合」、辰の上に「勾陳」、巳の上に「青竜」(原刻は「青」と簡写)、午の上に「天空」、未の上に「白虎」、申の上に「太常」、酉の上に「玄武」、戌の上に「太陰」、亥の上に「天后」。貴人は子に落ち、十二天将は順行する。八月の月将は辰で、辰を申時に加え、天盤は地盤より八位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に子を得て貴人を乗せ、第二課は子の上に申を得て太常を乗せ、第三課は日支の巳の上に丑を得て螣蛇を乗せ、第四課は丑の上に酉を得て玄武を乗せる。三伝:初伝は酉、旬遁して己酉を得、玄武を乗せ、酉金は乙木の官鬼で、武試はまさに官星を取って用とする。中伝は巳、旬遁して乙巳を得、青竜を乗せ、子孫である。末伝は丑、旬遁して癸丑を得、螣蛇を乗せ、妻財である。
何伴鶴曰:昆弟皆中,午命在前,亥命在後。蓋因蒿矢見金,如箭有簇,自四發用,箭數合式。朱雀翱翔,文事武備皆得之矣。且貴臨貴位,必得兩貴周旋推薦。後果前後一一不爽。問何以分前後,因三傳逆合,又午命甲寅、亥命丁未,故知之。(《畢法》云:「兩貴相逢求兩貴。」誠不虛也。)
何伴鶴が言うには、兄弟の二人とも考中することができ、本命が午に属する者の名次は前にあり、本命が亥に属する者は後にある。この課は「蒿矢課」で三伝に金を見るので、矢に鉄鏃を装えたようなもので、また第四課から発用し、箭の数目はちょうど課式に合する――蒿矢は射を主り、武試の象を取るに最も切実である。朱雀は高く翔け、文才と武備の二様がともに占め揃った。何况貴人が貴人の位に臨むので、必ず二人の貴人がその中で周旋して挙薦するのを得る。その後果たして名次の先後が一々違わなかった。ある人がどうして先後を分けたかと問うと、答えて曰く:三伝が逆行して相合することに加えて、午に属するあの者の生年は甲寅、亥に属するあの者の生年は丁未であるので、これによって推し知る。(『畢法賦』に「両貴相逢求両貴」と説く。この言葉は確かに虚しくない。)
建炎己酉年三月乙巳日、邵百一が家宅を占う(宋本邵案・『口鑑』)
建炎己酉年三月乙巳日,戌將亥時,邵百一秀才癸丑生,生於閏月十二日辰時,五十七歲,占家宅。(宋本邵案、《口鑑》)六、朱。陳——辰、巳、午、未——蛇。龍——卯,申——貴;龍陳空龍;財,甲辰,陳。空——寅,酉——後;卯辰寅卯;兄,空卯,龍。虎——丑、子、亥、戌——陰;辰巳卯乙;兄,空寅,空。常、玄。
建炎己酉年三月乙巳日、戌将を用いて亥時の上に加えて課を起こした。占を求める人は邵百一秀才で、癸丑年生まれ、閏月十二日辰時に生まれ、時年五十七歳で、家宅を占問した。この例は宋本の邵彦和占案と『口鑑』に見える。課盤:辰の上に「勾陳」、巳の上に「六合」、午の上に「朱雀」、未の上に「螣蛇」、申の上に「貴人」、酉の上に「天后」、戌の上に「太陰」、亥の上に「玄武」、子の上に「太常」、丑の上に「白虎」、寅の上に「天空」、卯の上に「青竜」。この課は夜貴を用い、貴人は申に落ち、十二天将は逆行する。戌将を亥に加え、天盤は地盤より一位退く。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に卯を得て青竜を乗せ、第二課は卯の上に寅を得て天空を乗せ、第三課は日支の巳の上に辰を得て勾陳を乗せ、第四課は辰の上に卯を得て青竜を乗せる。三伝:初伝は辰、旬遁して甲辰を得、勾陳を乗せ、妻財である。中伝は卯で青竜を乗せ、末伝は寅で天空を乗せる。両支はともに乙木の兄弟で、しかも寅・卯はともに甲辰旬の中の空亡なので、「空」の字を標出する。
邵彥和曰:凡傳用,若干支陰陽已先據其位,只以不備推測,不可重複取用。今第一課卯加辰,卯木辰內乙亦木,不克;第二課寅加卯,第三課辰加巳,俱不克;第四課卯加辰,乙已為干先據,何得重傳?是支課不足用也,當以日遙克為用,卦名「彈射」。如此占之主應。術人多以第四課發用為「元首」,傳用已差,占何得應?皆由用術不精,反雲六壬不靈,豈不誣哉?
邵彦和が言うには、およそ用を取り伝を発するに、もし干支の陰陽神がすでに先んじてその位置を占めていたなら、ただ「不備」の路数に按って推し測るだけで、重複して取用することはできない。目の前のこの課を見よ:第一課は卯が辰の上に加わり、卯は木、辰宮の中に寄する乙もまた木で、克を成さない。第二課は寅が卯に加わり、第三課は辰が巳に加わり、いずれも克を成さない。第四課はまた卯が辰に加わるが、乙木はすでに早くも日干に先んじてこの位置を占めており、どうしてなお重複して取って伝を発することができようか。支上の諸課がみな用に足らないことが見え、当に「日遥克」を改め取って発用とすべきで、課名を「弾射」という。このように課を起こして占って、はじめて応験がある。術士らは多く第四課を取って発用とし、「元首課」と当てるが、発用が一たび誤れば、占断はどこに応ずることがあろうか。これはみな術を用いるに精しくなく、かえって六壬が霊でないと言うので、六壬を冤ざんやとするではないか。
愚按:此課乙木克土,卯來害日,宅不容人。初傳辰,自宅上傳出,中仍歸卯位,此乃奪父之財祿。三傳不離支干,乙以卯為祿,寅為同類,必有兄弟出去了,後復歸來。辰為勾陳,主爭訟。課中不見父母,止同類自相吞併。占者與父母各居十六七年,至五十九、六十,行年到亥子,上見父母,則有服矣。後一一不爽。
程樹勲按:この課は乙木が辰土を克し、卯木がまた来て日干を害するので、住宅が人を容れることができない象である。初伝の辰は宅位から伝わり出たもので、中伝はまた卯位に戻る。これがすなわち父輩の財禄を奪い去る象である。三伝は始めから終わりまで日干と日支を離れない:乙木は卯をもって禄神とし、寅をもって同類の兄弟とするので、必ず兄弟が家を離れて出て行ったことがあり、後にまた帰って来た。辰の上に勾陳を乗せるのは争闘訴訟を主る。課の中に父母爻を見ることができず、ただ同類の間で自ら吞併するだけである。占者は父母と分かれて居住すること十六七年、五十九・六十歳に至り、行年が亥・子に走り至り、あの上にやっと父母爻を見るので、喪服の事があるべきである。その後は一つ一つが違わなかった。
乙巳日に家宅を占う(『一針見血』)
乙巳日占家宅。(《一針見血》)朱、蛇、貴、後。午、未、申、酉;蛇朱朱合;財,丁未,蛇。合——巳,戌——陰;未午午巳;鬼,戊申,貴。勾——辰,亥——玄;午巳巳乙;鬼,己酉,後。卯、寅、丑、子;龍、空、虎、常。
乙巳日に家宅を占う。この例は『一針見血』から出ている。課盤:午の上に「朱雀」、未の上に「螣蛇」、申の上に「貴人」、酉の上に「天后」、戌の上に「太陰」、亥の上に「玄武」、子の上に「太常」、丑の上に「白虎」、寅の上に「天空」、卯の上に「青竜」、辰の上に「勾陳」、巳の上に「六合」。貴人は申に落ち、十二天将は逆行し、天盤はただ地盤より一位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に巳を得て六合を乗せ、第二課は巳の上に午を得て朱雀を乗せ、第三課は日支の巳の上にも午を得て朱雀を乗せ、第四課は午の上に未を得て螣蛇を乗せる。三伝:初伝は未、旬遁して丁未を得、螣蛇を乗せ、妻財である。中伝は申、旬遁して戊申を得、貴人を乗せる。末伝は酉、旬遁して己酉を得、天后を乗せる。申酉の両金はともに乙木の官鬼である。
劉日新曰:四課純是火神,三、四課且乘蛇、朱,不免火災怪異,及出口眼有疾之人。巳支臨日而作六合,主進外口分食,及遇房不定、小口逃亡之事。未蛇加午,小口落井,蛇為怪異。陰神見申貴,是神佛為災。末財化鬼,主損妻。酉作天后,主以婢為妻,並刑及死,出寡婦人也。原本句法多顛倒,愚略為潤色之,文理較順。
劉日新が言うには、四課の上神は純に火神で、巳・午・未が連なり一片の火を成し、第三・第四課はまた螣蛇・朱雀を乗せるので、火災と怪異の事が免れず、家中にも口舌の疾と眼の疾の人が出る。日支の巳が日干の上に臨んで六合を結ぶのは、外姓の人口を添え入れて食を分かたせることを主り、また房舎が定まらず幼小の人が逃亡する事にも遭う。未が螣蛇を乗せて午の上に加わるのは、小孩が井に落ちることを主り、螣蛇はもともと怪異を主る。陰神の上に申が見え貴人を乗ずるのは、神仏が祟りをなして災を為すことである。末伝は妻財より官鬼と化し、妻室を損傷することを主る。酉の上に天后を乗ずるのは、婢女をもって妻室に充てることを主り、しかも刑克して死に至り、家中に寡婦が出る。(原書のこの段は句法に多くの顛倒があり、私が略々潤色を加えたので、文理は通順となった。)
八月乙巳日、辰将寅時に来意を占う(『指帰霊文論』)
八月乙巳日,辰將寅時,占來意。(《指歸靈文論》)龍、勾、合、朱。未、申、酉、戌;合龍勾空;鬼,戊申,勾。空——午,亥——蛇;酉未申午;財,庚戌,朱。虎——巳,子——貴;未巳午乙;父,壬子,貴。辰、卯、寅、丑;常、玄、陰、後。
八月乙巳日、辰将を用いて寅時の上に加えて課を起こし、来る人の為する事を占った。この例は『指帰霊文論』から出ている。課盤:未の上に「青竜」、申の上に「勾陳」、酉の上に「六合」、戌の上に「朱雀」、亥の上に「螣蛇」、子の上に「貴人」、丑の上に「天后」、寅の上に「太陰」、卯の上に「玄武」、辰の上に「太常」、巳の上に「白虎」、午の上に「天空」。貴人は子に落ち、十二天将は逆行し、辰を寅に加え、天盤は地盤より二位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に午を得て天空を乗せ、第二課は午の上に申を得て勾陳を乗せ、第三課は日支の巳の上に未を得て青竜を乗せ、第四課は未の上に酉を得て六合を乗せる。三伝:初伝は申、旬遁して戊申を得、勾陳を乗せ、申金は乙木の官鬼である。中伝は戌、旬遁して庚戌を得、朱雀を乗せ、妻財である。末伝は子、旬遁して壬子を得、貴人を乗せ、子水は乙木を生ず、父母印綬である。
斷曰:來意是起官人道路往來,欲合婚姻,奈有所隔,而終不成。蓋申為夜貴,故云官人;申為道路,既作勾陳,則勾留不定,往往來來。乙日為占人,庚寄在申,乙與庚合,巳與申合,干支俱與初傳合,豈非欲合婚姻?中傳戌作朱雀,為奴婢,是官人慾買一妾,故道路往來也。奈申金畏干上午火,其妾家畏而不允,故終隔而不成也。
断語に言うには、来る人の意思は、一人の官人のために路上に往来奔走し、一門の婚事を言い成そうとしたが、無奈中間に阻隔があり、ついに成らなかったということだ。なぜこのように断じたか。申は乙日の夜貴人なので、官人と言ったのだ。申はまた道路を主り、今勾陳を乗せているので、則ち勾牽して滞留し、来たり去ったりして定まらない。乙日は占問する人を代表し、庚金の寄宮は申にあり、乙と庚は相合し、巳はまた申と相合し、日干と日支がともに初伝と相合するので、これはまさに一門の婚姻を合成しようとしたのではないか。中伝の戌が朱雀を乗せ、奴婢の象を取るので、あの官人が一名の妾を買おうとしたことが見え、このために人が路上に往来奔走したのである。無奈申金は日干の上の午火が来て克することを怕れ、あの女家は心に畏懼を存して肯んじ応じないので、最終に阻隔して成らなかった。
崇正己巳二月乙巳日に差を占う(『指南』)
崇正己巳二月乙巳日辛巳時,楚黃洪半石先生占差,出一成課,已為何姓者批定大同餉部。(《指南》)蛇、貴。朱——戌、亥、子、丑——後;玄朱陰六;兄,甲寅,陰。六——酉,寅——陰;卯戌巳酉;財,丁未,龍。勾——申,卯——玄;戌巳酉乙;父,壬子,貴。龍——未、午、巳、辰——常。空、虎。
崇禎己巳年二月乙巳日辛巳時(原刻の「崇正」はすなわち崇禎)、楚地の黄岡人洪半石先生が自分がどんな差使に派せられるかを占問した。これより前にすでに一課を排しており、ある何姓の術士に「大同餉部」の差と批定されていた。この例は『六壬指南』から出ている。課盤:戌の上に「朱雀」、亥の上に「螣蛇」、子の上に「貴人」、丑の上に「天后」、寅の上に「太陰」、卯の上に「玄武」、辰の上に「太常」、巳の上に「白虎」、午の上に「天空」、未の上に「青竜」、申の上に「勾陳」、酉の上に「六合」。貴人は子に落ち、十二天将は逆行する。二月の月将は戌で、戌を巳時に加え、天盤は地盤より五位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に酉を得て六合を乗せ、第三課は日支の巳の上に戌を得て朱雀を乗せ、第四課は戌の上に卯を得て玄武を乗せる。第二課は原刻に巳が酉に加わると作るが、戌将を巳時に加えるに依り推算すれば、酉の上は寅を得るはずである。しかも原刻がこの課の天将を記すはまさに太陰で、太陰はこの刻ちょうど寅の上に臨み、三伝の初伝もまた寅なので、「巳」の字は「寅」の誤りと疑われる――この所はなお底本に照らして録し出し、擅りに改めない。三伝:初伝は寅、旬遁して甲寅を得、太陰を乗せ、兄弟である。中伝は未、旬遁して丁未を得、青竜を乗せ、妻財である。末伝は子、旬遁して壬子を得、貴人を乗せ、父母である。
陳公獻曰:此南行數也。彼以祿臨戌上,故云北差;不知守土官則論祿,欽差官只論馬。今驛馬長生居午,必是南差。曰:明日堂上該先拈、後拈?予云:後拈得利。蓋以初傳、中傳空亡,末見貴人生日故也。次早關中張主政先拈得大同差,暴存九江鈔關洪先生得之。
陳公献が言うには、これは南に走る数である。あの術士は禄神が戌の上に臨むために、北方の差と説いたが、守土の官のみが禄神を論じ、欽差の官はただ駅馬を論ずることを知らない。今駅馬はまさに午の上に落ち、午はまた乙木の長生の地なので、必ず南差である。洪先生が問うには、明日堂上で鬮を拈るが、私は先んじて拈るべきか、後ろに待って拈るべきか。私が言うには、後に拈るが利を得る――初伝・中伝が空亡に落ち(本旬の空亡は寅卯にあり、初伝の寅はちょうどその位に当たる)、末伝にやっと貴人が来て日干を生ずるのが見える故。その翌日の朝、関中の張主政が先に拈り、大同の差を拈り得た。九江鈔関のこの一差は、果たして洪先生に帰して拈り得た。(「暴存」の二字は文義が解し難く、底本に訛脱があると疑い、姑く原文に依って録存する。)
建炎五年正月乙巳日、周氏が羅氏との交易を占う(方本占案)
建炎五年正月乙巳日,亥將巳時,周氏占與羅氏交易。(方本占案)貴、後。蛇——亥、子、丑、寅——陰。朱——戌,卯——玄;虎蛇常朱;子,乙巳,虎。六——酉,辰——常;巳亥辰戌;父,辛亥,蛇。陳——申、未、午、巳——虎;亥巳戌乙;子,乙巳,虎。龍、空。
建炎五年正月乙巳日、亥将を用いて巳時の上に加えて課を起こし、周家が羅家と一筆の交易をするを占った。この例は方本占案に見える。課盤:亥の上に「螣蛇」、子の上に「貴人」、丑の上に「天后」、寅の上に「太陰」、卯の上に「玄武」、辰の上に「太常」、巳の上に「白虎」、午の上に「天空」、未の上に「青竜」、申の上に「勾陳」、酉の上に「六合」、戌の上に「朱雀」。貴人は子に落ち、十二天将は逆行する。亥将を巳に加え、天盤と地盤はちょうど六位を隔て、四課の上下は互いに加臨し、「返吟課」である。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に戌を得て朱雀を乗せ、第二課は戌の上に辰を得て太常を乗せ、第三課は日支の巳の上に亥を得て螣蛇を乗せ、第四課は亥の上に巳を得て白虎を乗せる。三伝:初伝は巳、旬遁して乙巳を得、白虎を乗せ、子孫である。中伝は亥、旬遁して辛亥を得、螣蛇を乗せ、父母である。末伝はまた巳で白虎を乗せ、来去して往返し定まらない。
邵彥和曰:反吟體見凶將,必難成;又日上見財乘雀,必見爭鬧而後成。只是兩家俱有孝服。後來周姓果喪母,羅姓亦喪妻。又至後有三人來作鬧,丁丑日事成。其鬧者,乃過房子也。蓋乙以巳為兒,巳中丙戌,二姓主過房子來爭也。
邵彦和が言うには、返吟の課体にまた凶将を見るので、この商売は必ず成り難い。さらに日干の上に妻財が見えて朱雀を乗ずるのを看れば、それでは必ず一場の喧閙をして後に成り得る。ただ両家ともに喪服の事がある。その後周家は果たして母が死に、羅家もまた妻が死んだ。さらに後にまた三人が来て喧閙し、丁丑日に至ってやっと事が成った。来て喧閙したのは、もとは過継ぎして来た息子であった。乙木は巳火をもって子とし、巳の中に蔵するは丙・戊の両干なので(原刻は「丙戌」と作るが、「戌」は当に「戊」の訛)、両姓ともに過房の子が出て争奪することを主ったのである。
七月乙巳日、辛酉人が来意を占う(『一字訣』『玉連環』)
七月乙巳日,亥將巳時,辛酉人占來意。(《一字訣》《玉連環》)合、勾、龍、空。亥、子、丑、寅;玄合常朱;子,乙巳,玄。朱——戌,卯——虎;巳亥辰戌;父,辛亥,合。蛇——酉,辰——常;亥巳戌乙;子,乙巳,玄。申、未、午、巳;貴、後、陰、玄。
七月乙巳日、亥将を用いて巳時の上に加えて課を起こし、一人の辛酉年生まれの人が「来意」を占いに来た。すなわち来る人の何事のために来たかを占うので、この例は『一字訣』『玉連環』に見える。課盤:亥の上に「六合」、子の上に「勾陳」、丑の上に「青竜」、寅の上に「天空」、卯の上に「白虎」、辰の上に「太常」、巳の上に「玄武」、午の上に「太陰」、未の上に「天后」、申の上に「貴人」、酉の上に「螣蛇」、戌の上に「朱雀」。この課は夜貴を用い、貴人は申に落ち、十二天将は順行する。亥将を巳に加え、天盤と地盤は六位を隔て、「返吟課」である。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に戌を得て朱雀を乗せ、第二課は戌の上に辰を得て太常を乗せ、第三課は日支の巳の上に亥を得て六合を乗せ、第四課は亥の上に巳を得て玄武を乗せる。三伝:初伝は巳、旬遁して乙巳を得、玄武を乗せ、子孫である。中伝は亥、旬遁して辛亥を得、六合を乗せ、父母である。末伝はなお巳で玄武を乗せる。
徐次賓曰:來意家中內屬雞小兒病,心腹疼痛、血痢頻並,脈氣相反,病症反覆,身體羸弱,只得脾胃氣壯,而善進飲食,至九月節病勢反增,至甲子日,脾胃因不能進食不可救也。
徐次賓が言うには、来る人の意思は、家に一羽の鶏に属する小孩が病気でいるということだ:心口が肚腹に連なり疼痛し、また頻々と血痢を便下し、脈象は病情と相違し、病勢は反反復復で、身は羸弱である。幸いに脾胃の気はなお壮んで、飯食は食べ下ることができる。九月の節令に至ると、病勢はかえって加重し、甲子のあの日に至り、脾胃が敗壊して物を食べ入れることができなくなれば、救うべからずである。
何知家內屬雞小兒病?蓋時為日支沖剋,主內動;又用起子孫爻死臨絕,故主小兒病。白虎臨酉,故知家內屬雞小兒病也。
どうして病気なのが家のあの鶏に属する小孩だと知ったか。占時と日支が相冲相克するので、家内に動象があることを主る。発用はまた子孫爻から起こり、しかも子孫は死絶の地に落ちるので、小孩が病気だと断じたのである。さらに白虎がまさに酉の上に臨み、酉は生肖において鶏に属するので、病気なのが家中の鶏に属する子だと知ったのである。
何知心腹疼痛、血痢頻並?以巳為心胞絡,上得元武水,克於火,故知心腹疼痛也。巳主血應赤色,水主黑色,水火相雜故曰血痢。末傳又得巳,故知血痢頻並。脈氣相反者,用起火,故脈氣相反也。病症反覆者,卦得返吟也。身體羸困者,以值事門與中傳是亥,亥為幼子,見六合為棺財,又用起死氣,故知羸困也。
どうして心腹が疼痛し、血痢が頻りに作すと知ったか。巳は人身に心包絡の象を取り、その上に乗ずるは玄武(原刻は「元武」)で、玄武は水に属し、水が来て火を克するので、心腹が痛み作すと断じ出した。巳は血を主り、その色は赤に応ずる。水の色は黑で、水火が雑り合うので、「血痢」と呼ぶのである。末伝はまた巳の上に落ちるので、血痢が一たび犯し再び犯すと知ったのである。「脈気相反」というのは、発用が火より起こり、火の性は上炎して、病位と相違するからである。「病症反復」というのは、課体が得る所が返吟だからである。「身体羸弱困頓」というのは、値事の門と中伝がともに亥に落ち、亥は幼小の子の象を取り、また六合を見て、棺材の象を取り(原刻の「棺財」はすなわち棺材)、発用はまた死気を帯びるので、彼の形体が羸困だと断じたのである。
得脾胃氣吐壯而進飲食者,緣日上戌土,上得朱雀火,火生土,土主脾胃,故壯而進飲食也。何知九月病勢反覆增,緣中傳亥八月為解神,九月則非解故也。甲子日胃困不能飲食者,緣日上戌土主脾胃,甲子旬空亡而脾敗而無力也。言不可救者,所賴解神與胃氣,今既無解神,又脾胃氣落空亡,故云不可救也。
「脾胃の気なお壮んで、なお飲食を進めることができる」というのは、日干の上は戌土で、戌の上にまた朱雀が乗って火に属し、火が来て土を生じ、土は脾胃を主るので、脾胃が壮健で飯が食べられるからである(原刻の「気吐壮」の「吐」の字は衍文と疑われる)。どうして九月に至ると病勢がかえって加重すると知ったか。中伝は亥で、亥はただ八月に於いてのみ「解神」を当てるが、ひとたび九月になるともはや解神ではなくなるからである。甲子のあの日に胃気が困頓して飲食できないというのは、日干の上の戌土が脾胃を主り、しかも甲子のこの旬に至ると戌はちょうど空亡の上に落ち、脾土が敗壊して力がないからである。「救うべからず」というのは、倚仗し得るのはただ解神と胃気の二様で、今解神はすでに時を過ぎ、脾胃の気はまた空亡の中に落ち込んだので、救いようがないと言うのである。
戊申年七月乙巳日、沈四公が事の保正を占う(『口鑑』・方本占案)
戊申年七月二十三乙巳日,午將亥時,沈四公庚戌生,五十九歲,占事保正。(《口鑑》、方本占案)龍、空。陳——子、丑、寅、卯——虎。六——亥,辰——常;後陳陰六;子,丙午,陰。朱——戌,巳——玄;未子午亥;財,癸丑,龍。蛇——酉、申、未、午——陰;子巳亥乙;鬼,戊申,貴。貴、後。
戊申年七月二十三日乙巳、午将を用いて亥時の上に加えて課を起こした。占を求める人は沈四公で、庚戌年生まれ、五十九歳、「保正」に争い充てるという事を占った――保正は郷里の差役の頭目である。この例は『口鑑』と方本占案に見える。課盤:子の上に「勾陳」、丑の上に「青竜」、寅の上に「天空」、卯の上に「白虎」、辰の上に「太常」、巳の上に「玄武」、午の上に「太陰」、未の上に「天后」、申の上に「貴人」、酉の上に「螣蛇」、戌の上に「朱雀」、亥の上に「六合」。この課は夜貴を用い、貴人は申に落ち、十二天将は逆行し、午を亥に加え、天盤は地盤より七位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に亥を得て六合を乗せ、第二課は亥の上に午を得て太陰を乗せ、第三課は日支の巳の上に子を得て勾陳を乗せ、第四課は子の上に未を得て天后を乗せる。三伝:初伝は午、旬遁して丙午を得、太陰を乗せ、子孫である。中伝は丑、旬遁して癸丑を得、青竜を乗せ、妻財である。末伝は申、旬遁して戊申を得、貴人を乗せ、申金は乙木の官鬼であるとともに、またまさに乙木の絶地でもある。
邵彥和曰:課名重審,末本絕神,不合亥子又來生日,絕中又起。奈何你母勸你休爭,你女又勸,俱不聽,下稍自做,雖得財不善可惡,後有悔。所得之物,可以移翁棺葬此內,必陋貴子,為大和尚,汝葬祖側也。
邵彦和が言うには、この課の課名は「重審」で、末伝はもと絶神だが、偏しくも亥・子の水がまた来て日干を生ずるので、絶処にまた機会が生まれる。ただおまえの母が争いに行くなと勧め、おまえの娘もまた勧めたが、おまえはいずれも聞かず、末にはやはり自ら行って事を成した。財を得はしたが、来路が正しくなく人に厭われ、日後必ず懊悔がある。その得たこの産業は、公公の棺柩をその中に遷葬することができ、日後必ず貴子を蔭出し、一人の大和尚を為し、おまえ自身は祖墳の傍らに葬られる。(「必陋貴子」の「陋」の字は義に於いて通じ難く、文意に拠れば当に「蔭」一类の字の訛写とすべきで、ここは底本に照らして録存する。)
沈母乃童氏,其女亦嫁童家。童家服滿,沈公欲爭保正,母與又勸不聽,乃自做了。後童分家,請沈公作主,沈卻於公共內,取一生墳安葬。四年生一兒,為大和尚於廣教寺。
沈四公の母は童家の人で、彼の娘もまた童家に嫁いでいた。童家の喪服の期が満ち、沈四公は保正に争い充てようと思い、母と娘がともに来て勧め阻んだが、彼は聞かず、やはり自ら行って成し遂げた。後に童家が家を分ける時、沈四公を請して主持させ、沈四公は却って公共の産業の中から一塊の地を画し出し、生墳として安葬した。これより後の四年に一子を生み、この子は後に広教寺で大和尚となった。
愚按:蓋乙以子為母,午為女,亥為父,申為翁,丑為墓,申加之,是為翁墓也。本命庚戌,庚金墓丑,是自亦墓此矣。申為僧,丑為賢,上見貴,是大和尚也。
程樹勲按:この課は、乙木は子水をもって母とし、午火をもって娘とし、亥水をもって父とし、申金をもって公公とし、丑土をもって墓とする。申が丑の上に加臨するは、まさに公公の墳墓の象である。沈四公の本命は庚戌で、庚金の墓もまた丑にあるので、彼自身も日後ここに葬られることが見える。申は僧人の象を取り、丑は賢徳の象を取り、丑の上にまた貴人を見るので、一人の大和尚が出ると断じ出したのである。
丙午日
建炎己酉年丙午日、伊伯廷が宅を占う(方本占案)
建炎己酉年丙午日,卯將申時,伊伯廷甲戌生,三十六歲,占宅。(方本占案)朱、六。蛇——子、丑、寅、卯——陳。貴——亥,辰——龍;玄朱常蛇;鬼,壬子,蛇。後——戌,巳——空;申丑未子;子,丁未,常。陰——酉、申、未、午——虎;丑午子丙;父,空寅,六。玄、常。
建炎己酉年丙午日、卯将を用いて申時の上に加えて課を起こした。占を求める人は伊伯廷で、甲戌年生まれ、三十六歳、住宅を占問した。この例は方本占案に見える。課盤:子の上に「螣蛇」、丑の上に「朱雀」、寅の上に「六合」、卯の上に「勾陳」、辰の上に「青竜」、巳の上に「天空」、午の上に「白虎」、未の上に「太常」、申の上に「玄武」、酉の上に「太陰」、戌の上に「天后」、亥の上に「貴人」。この課は夜貴を用い、貴人は亥に落ち、十二天将は順行し、卯を申に加え、天盤は地盤より七位進む。四課は右から左へ読む:丙日の寄宮は巳にあり、巳の上に子を得て螣蛇を乗せ、第二課は子の上に未を得て太常を乗せ、第三課は日支の午の上に丑を得て朱雀を乗せ、第四課は丑の上に申を得て玄武を乗せる。三伝:初伝は子、旬遁して壬子を得、螣蛇を乗せ、子水は丙火の官鬼である。中伝は未、旬遁して丁未を得、太常を乗せ、子孫である。末伝は寅で六合を乗せ、父母印綬で、寅は甲辰旬の中で空亡に落ちるので、「空」の字を標出する。
邵彥和曰:子與丑合,末又長生,雖子克丙,得丑寅引鬼為生,初中雖六害,可望先凶後吉。奈何寅是空亡,所以不能引進,見生不生,反成凶咎。甲寅必有大災,子丑年多事,急移可免。伊為人狂妄自高,甲寅年與大辟人過財,干人命入獄百餘日,幾死。子丑多事,己未妻母皆喪;庚申喪子,後移居始免災。
邵彦和が言うには、子と丑は相合し、末伝の寅はまた丙火の長生の地なので、子水は丙火を克するといっても、丑土・寅木があってこの官鬼を生気に引化する。初伝と中伝は六害を結ぶとはいえ、もともと先ず凶で後に吉と望むことができた。無奈寅はまさに空亡の上に落ちて、引化が成らず、生があるように看えて生じ起こすことができず、かえって凶咎を成した。甲寅のあの年に必ず大災があり、子年・丑年に事多く、急いで家を搬してこそ躱し過ごし得る。伊伯廷は人となりが狂妄自大で、甲寅年に一人のすでに死罪に判せられた人と銭財の往来があり、人命官司に牽連し、百余日も牢に坐り、ほとんど性命を送った。子・丑の両年は果たして事多く、己未年に妻と母がともに亡故し、庚申年にまた息子が死に、後に家を搬してやっと災禍を免れた。
愚按:大凡干支見合,須有副則為好課。今甲辰旬卻入見寅,進則空亡,退又子克,所以災起子丑之年,死亡於甲寅之歲也。夫以旬末而又引入空亡,故即以其年分言之。
程樹勲按:およそ干支が相合するには、なお輔佐が相幇うことを須い、はじめて好い課と算する。今これは甲辰の一句で、末伝は偏しくも寅の上に落ちる:前に進めばすなわち空亡、後に退けばまた子水に克される。だから災禍は子・丑の年に起こり、人は甲寅の歳に亡くする。すでに一句の末尾に在ってまた空亡に引き入るので、則ち直ちにこの幾つかの年分を按じて応期を断じたのである。
丙午日に夷寇を占う(『一針見血』)
丙午日占夷冦。(《一針見血》)合、勾、龍、空。寅、卯、辰、巳;蛇勾貴合;鬼,壬子,蛇。朱——丑,午——虎;子卯亥寅;財,己酉,陰。蛇——子,未——常;卯午寅丙;兄,丙午,虎。亥、戌、酉、申;貴、後、陰、玄。
丙午日に外族が入侵する事を占った。この例は『一針見血』から出ている。課盤:寅の上に「六合」、卯の上に「勾陳」、辰の上に「青竜」、巳の上に「天空」、午の上に「白虎」、未の上に「太常」、申の上に「玄武」、酉の上に「太陰」、戌の上に「天后」、亥の上に「貴人」、子の上に「螣蛇」、丑の上に「朱雀」。貴人は亥に落ち、十二天将は順行する。この課は月将と占時を記していないが、四課に拠り推算すれば、天盤は地盤より九位進む。四課は右から左へ読む:丙日の寄宮は巳にあり、巳の上に寅を得て六合を乗せ、第二課は寅の上に亥を得て貴人を乗せ、第三課は日支の午の上に卯を得て勾陳を乗せ、第四課は卯の上に子を得て螣蛇を乗せる。三伝:初伝は子、旬遁して壬子を得、螣蛇を乗せ、子水は丙火の官鬼である。中伝は酉、旬遁して己酉を得、太陰を乗せ、妻財である。末伝は午、旬遁して丙午を得、白虎を乗せ、兄弟である。三伝の子・酉・午に第三課の卯を加えれば、ちょうど子午卯酉の「四仲」交互の象を湊する。
祝泌奏曰:四課皆無克,辰之陰神子,剋日為用。日丙也,辰外也,外來克內,夷來侵擾之象。遙克謂之無刑,幸而游都與貴人,皆在三傳之外,主虜目今在境矣。
祝泌が上奏して言うには、四課の上下はともに克を成さないので、やむを得ず日支の陰神の子水を取って日干を克して発用とした。日干の丙火は本方を代表し、日支は外方を代表する。外が来て内を克するのは、まさに外族が前に来て侵擾する象である。この種の位を隔てて相克するを「無刑」と呼ぶ。幸いに「游都」という兵寇を主る神煞と貴人がともに三伝の外に落ち、敵虜が目下すでに辺境の上に進んでいることを主る。
此課,蛇虎在傳,四仲相交,歌曰:「今日辰當為子午,傳中四仲類相因,三交家隱奸私客,不是逃亡將避迍。」推目今邊境,想巳被來冦來侵,不利而去。但課之始終,吉氣少而凶氣多,未能免冦之患。目今之吉者,發用落空,游都在三辰之外也;未能免冦者,四仲續蛇虎為初終也;不至大害者,太陰在傳,貴順而加日本也。
この課は、螣蛇と白虎がともに三伝に進み入り、また四仲の支が交互に相加する。歌訣に説く:「今日の日辰はまさに子・午に当たり、三伝の中に四仲一類が相因す。三交の課は、家の中に姦私の客を蔵し、人の逃亡あるか、さもなくば人の難を避くるか」と。これに拠って目下辺境の情形を推算すれば、想来すでに一度来犯を遭い、敵は便宜を討ち得ずして退き去ったのであろう。ただこの課は始めから終わりまで、吉気少なく凶気多く、なお寇患を免れない。目下の吉と算する所以は、発用が空亡に落ち、游都がまた三辰の外にあるからである。免れられないと言う所以は、四仲が相続いで、しかも螣蛇・白虎が分かち初伝と末伝を占めているからである。大害を釀すに至らないと言う所以は、太陰が三伝に入り、貴人が順行して日干の本位の上に加臨しているからである。
丙午日・辺境の寇警を占う(前の案を承く、課盤残行)
貴后陰玄
この一行は、上の一則の占例の課盤が一行に圧された後に残留した天将の排列で、四字はみな天将の簡称である:「貴」は天乙貴人、「后」は天后、「陰」は太陰、「玄」は玄武。それらはもと各々一つの地盤位の上に圧され、その位の天盤神の乗ずる天将を標明するのに用いられた。今これと相配する地支・四課・三伝はすでにこの一行の外に散らばり、僅かにこの四将を凭りにしては完整な課式を復元することができないので、源文の原様のまま保留し、補綴を作さない。下文の祝泌の奏断は、まさにこの課について立説したのである。
祝泌奏曰:四課皆無克,辰之陰神子,剋日為用。日丙也,辰外也,外來克內,夷來侵擾之象。遙克謂之無刑,幸而游都與貴人,皆在三傳之外,主虜目今在境矣。此課,蛇虎在傳,四仲相交,歌曰:「今日辰當為子午,傳中四仲類相因,三交家隱奸私客,不是逃亡將避迍。」推目今邊境,想巳被來冦來侵,不利而去。但課之始終,吉氣少而凶氣多,未能免冦之患。目今之吉者,發用落空,游都在三辰之外也。未能免冦者,四仲續蛇虎為初終也。不至大害者,太陰在傳,貴順而加日本也。
祝泌が上奏して言うには、この課の四課の上下神はみな相克せず、ただ日支辰位の陰神の子水が来て日干を克するので、それを取って「発用」(初伝)とする。日干は丙火で、自分を代表し、辰は外事の位で、外方を代表する。外位が来て内位を克するは、まさに外族が入侵し辺境が擾される象である。四課に克なくして陰神を取って遥かに来克せしめるを、術家は「無刑」と呼ぶ。幸いに盗賊兵寇を主る「游都」の神と「天乙貴人」がともに三伝の外に落ちているので、敵虜は目下ただ辺境一帯で活動していることを説明する。この課は螣蛇・白虎の二つの凶将がともに三伝に入り、子・午・卯・酉の四仲の神が彼此に交加する。歌訣に説く:「今日辰は当に子午と為り、伝中の四仲は類相因じ、三交は家に姦私客を隠し、逃亡なからずんば将に迍を避けん」と――四仲が交互して「三交課」を成し、家の中に姦私の外人を蔵することを主り、逃亡でなければ禍を避けるである。これに拠って目下の辺境を推断すれば、想来すでに来犯する者に一陣侵擾され、便宜を討ち得ずして退き去ったのであろう。だが全課の首尾を通観すれば、吉気少なく凶気多く、辺患はまだ解除と算することができない。目下の吉と算する所以は、発用の神が旬空に落ち、游都がまた三辰の外にあるからである。辺患が免れられないと説くのは、四仲の神が螣蛇・白虎を連れて初伝と末伝を作したからである。大害を釀すに至らないと説くのは、隠蔽を主る太陰が三伝の中に在り、貴人はまた順行して日干の本位の上に加わるからである。
丙午日・一句の陰晴を占う(乾隆己巳年二月、牧夫占験)
乾隆己巳年二月丙午日戌將子時占陰晴。牧夫占驗 空虎常玄 卯辰巳午 龍虎勾空 子 癸丑 勾 龍寅 未陰 寅辰丑卯 鬼 辛亥 朱 勾丑 申后 辰午卯丙 財 己酉 貴 子亥戌酉 合朱蛇貴
乾隆己巳年二月丙午日、月将の戌を用いて子時の上に加えて課を起こし、この一句の陰晴を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。以下は一行に圧した課盤である。天地盤の一圏:上に排するは「卯辰巳午」で、その上に順に「空、虎、常、玄」(天空、白虎、太常、玄武)を乗せる。左側は「龍(青竜)寅」「勾(勾陳)丑」、右側は「未、陰(太陰)」「申、后(天后)」、下に排するは「子亥戌酉」で、その下に順に「合、朱、蛇、貴」(六合、朱雀、螣蛇、天乙貴人)――十二天将は貴人より起こって順行し排布し、貴人はまさに天盤の酉の上に落ちる。四課の下神は右から左へ「辰午卯丙」で、上神は「寅辰丑卯」で、各々「龍、虎、勾、空」を乗せ、すなわち第一課は卯が丙に加わり、第二課は丑が卯に加わり、第三課は辰が午に加わり(日支の午の上に辰を見る)、第四課は寅が辰に加わる。三伝は丑・亥・酉:初伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、勾陳を乗せる。中伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、朱雀を乗せる。末伝の酉は妻財爻で、遁干は己、貴人を乗せる。
王牧夫曰:課名極陰,初用土空,中傳朱雀,又臨亥位,丑為雨師,亥為水神,酉為兌澤,而水墓又在支,俱主陰雨之象,今日上卯乘天空生日,主無雨。丁未戊申己酉三日,未土上巳為風,陰神卯木亦為風,是日主風晴。申日午受克,玄武制陰神白虎天罡,主陰晦。酉日未乘太陰,亦主陰晦。庚戌上申為水母,乘天后相生,主雨。酉為貴人加亥,亥主大雨。壬子日方晴。晴而未融,以蛇居太陽上也。丑日始為正晴,此擬一旬之內,陰晴如此。
王牧夫が言うには、この課の名は「極陰課」という。初伝の丑土は旬空の内に落ち、中伝は朱雀を乗せてまた亥位の上に臨む。丑は神煞の中で「雨師」で、亥は水神、酉は兌卦に属して沢水で、これに加えて水の墓庫の辰がまた日支の午の上に圧する――これらはみな陰雨の象である。ただ今日の日干の丙の上の卯木は天空を乗せ、卯木がかえって来て丙火を生ずるので、当日は晴れを主り雨は降らない。丁未・戊申・己酉の三日に至って:未土の上は巳で、巳は風を主り、未の陰神の卯木もまた風を主るので、この三日は風が刮き晴れることを主る。申日は午火が克を受け、玄武が陰神の白虎の乗ずる天罡の辰を圧し、天色が陰沈することを主る。酉日は未の上に太陰を乗せ、これも陰晦を主る。庚戌日は戌の上に申を見、金は水を生じ能くし、申はすなわち水の母で、また天后を乗せてそれと相生するので、雨が降ることを主る。酉は貴人として亥の上に加わり、亥は大雨を主る。壬子日に至ってやっと晴に転ずるが、しかし晴れても透亮せず、螣蛇がまさに太陽(月将)の上に圧しているからである。丑日に至るまではじめて真に放晴する。以上が彼のこの一句の内の陰晴変化を推算した全部の結論である。
丙午日・病を占う(十二月、方本占案)
十二月丙午日子將亥時某占病。方本占案 朱蛇 六午未申酉貴 陳巳 戌后 蛇朱朱六 財 戊申 蛇 龍辰 亥陰 申未未午 財 己酉 貴 空卯寅丑子玄 未午午丙 子 庚戌 后 虎常
十二月丙午日、月将の子を用いて亥時の上に加えて課を起こし、ある人が来て疾病を占った。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)。一列は「六(六合)午、未、申、酉、貴(貴人)」。左側は「陳(勾陳、本書は勾・陳の両字が通用し、いずれも勾陳を指す)巳」で右側の「戌、后(天后)」に対し、「龍(青竜)辰」は「亥、陰(太陰)」に対する。下の列は「空(天空)卯、寅、丑、子、玄(玄武)」で、末尾に「虎、常」(白虎、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「未午午丙」で、上神は「申未未午」で、各々「蛇、朱、朱、六」を乗せ、すなわち第一課は午が丙に加わり、第二課は未が午に加わり、第三課は未が午に加わり(日支の午の上に未を見る)、第四課は申が未に加わる。三伝は申・酉・戌:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。中伝の酉は妻財爻で、遁干は己、貴人を乗せる。末伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、天后を乗せる。
邵彥和曰:定是咳嗽狂言,見鬼見神之狀。蓋三傳金,主肺主嗽,而午火又加丙,午火盛發,心神散亂,故主發躁狂言。鬼神之狀者,申加未,未臨宅,未主鬼神之狀。其人死者,傳歸死墓也。未中有鬼宿。
邵彦和が言うには、この病は必ず咳嗽に胡言乱語を兼ね、神を見鬼を見るような一副の模様である。三伝の申・酉・戌が金に属し、金は人身に於いて肺に応じ、咳嗽を主るからである。しかも第一課はまた午火が日干の丙火の上に加わり、午火が焼くこと甚だ旺んで、心神はこれによって散乱するので、煩躁して狂いを発し、口に乱語を出すことを主る。彼が神を見鬼を見ると言うのは、第四課の申が未の上に加わり、しかも支上神の未がまた宅位に臨むからである。未のこの一支は六壬の中でまさに鬼神怪異の象を主る。この人が死ぬと断じたのは、三伝が最後に戌に帰するからで、戌は丙火の死墓である。何况未宮の分野の内にはなお二十八宿の中の「鬼宿」があり、さらにこの一層の鬼神の象に応じた。
丙午日・陳貴妃の分娩を占う(皇祐三年三月、一針見血・玉連環末巻)
皇祐三年辛卯歲三月丙午日仁宗皇帝宣楚衍,立夏日占課,衍依課奏對罷,帝又占陳貴妃六甲,年二十二歲姙身十月未產,得未時以月將從魁加未。一針見血 玉連環末卷 勾合朱蛇 未申酉戌 蛇合朱勾 財 戊申 合 龍午 亥貴 戌申酉未 子 庚戌 蛇 空巳 子后 申午未丙 鬼 壬子 后 辰卯寅丑 虎常玄陰
皇祐三年辛卯歳三月丙午のこの日、宋仁宗は楚衍を召見し、彼に命じて立夏の日に課を起こさせた。楚衍は課に依り奏対し終わり、皇帝はまた彼に陳貴妃の胎産を占わせた:貴妃は二十二歳、胎に懐くことすでに満十月なのにまだ臨盆が見えない。占時はちょうど未時に当たり、則ち月将「従魁」(酉)を用いて未の上に加えて課を起こした。この条は『一針見血』から出て、また『玉連環』の末巻に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「未申酉戌」で、その上に「勾、合、朱、蛇」(勾陳、六合、朱雀、螣蛇)を乗せる。左側は「龍(青竜)午」「空(天空)巳」、右側は「亥、貴(貴人)」「子、后(天后)」、下に排するは「辰卯寅丑」で、その下は「虎、常、玄、陰」(白虎、太常、玄武、太陰)。四課の下神は右から左へ「申午未丙」で、上神は「戌申酉未」で、各々「蛇、合、朱、勾」を乗せ、すなわち第一課は未が丙に加わり、第二課は酉が未に加わり、第三課は申が午に加わり(日支の午の上に申を見る)、第四課は戌が申に加わる。三伝は申・戌・子:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、六合を乗せる。中伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、螣蛇を乗せる。末伝の子は官鬼爻で、遁干は壬、天后を乗せる。
楚衍奏曰:此課占產,臣不敢言。帝曰:但實言課意。衍奏云:於今月二十三庚戌日,辰時,降生一公證,必失左目,生後五日恐有不測,雖產危而無損,宜預備之。上云:有禳法否?衍云:無法禳之,臣當萬死。上當日漸有怒色,云:出外聽旨。即時差人臨守楚衍。至二十三日庚戌辰時,降生一公證,貴妃產生時甚艱難,至當日晚,公主忽發搐搦,遂損左目,至二十七日公主死。即時賜楚衍御酒香藥。次日引見,乞恩謝罪。上云:應驗如神。
楚衍が上奏して言うには、この課が占うは生産で、臣は直ちに言うことを敢てしません。仁宗が言うには、ただ課の中の意を如実に講じ出せばよい。楚衍はこれでやっと奏した:本月二十三日庚戌、辰時に一人の公主(原文は「公証」と作るが、当に「公主」の訛)が降誕し、この女は必ず左の眼を壊す。出生して五日の内に、恐らくなお性命の憂いがある。生産は兇険だが、母は損を受けないので、当に預め準備すべき。皇帝が問うには、禳解の法はあるか。楚衍が言うには、禳むべき法なく、臣は万死に当たるべきです。仁宗は当日に面色が漸々怒に転じて、言うには、外に出て旨を聴け、と。即ち人を派して楚衍を看守せしめた。二十三日庚戌辰時に至り、果たして一人の公主を生んだ。貴妃は臨産すること極めて艱難で、その日の晩に至り、公主は忽然として抽搐が発作し、左眼はこれに就いて損壊し、二十七日に至って公主は夭亡した。仁宗はすぐに楚衍に御酒と香薬を賜り、翌日彼を召して入見せしめ、楚衍は叩謝して罪を請うた。仁宗が言うには、おまえの算したことは応験して神の如し、と。
議曰:母行年立亥上,見丑加之,丑與子合,庚戌日辰時生午火旺,申金死,下勝於上,故生女。申金乘六合內戰外傷六合之木,木屬眼,申屬陽,陽主左,故損左目。生後五日見寅,寅是金絕之地,以日干為子,則庚戌自絕於寅,寅上又天罡白虎,故五日後子死無疑。變入亂首,故母有產危,支本屬母,午火四月正旺,建上有天醫乘青龍吉神,故母產後無恙。
評議に言うには、母の行年は亥の上に落ち、亥の上にまた丑が来て加臨するのが見え、しかも丑は子と相合する。庚戌日辰時に出生し、その時午火が旺に当たり申金は死地に処し、下神が上神に勝つので、生まれたのは女の子である。申金は六合を乗せ、内戦外傷の勢いを形成し、傷つくは六合の属する木である。木は人身に於いて眼に応じ、申は陽に属し、陽は左辺を主るので、壊れたのは左眼である。出生して第五日はちょうど寅日に逢い、寅は金の絶地である。日干をこの子と看為せば、則ち庚戌は寅に於いて自ら絶し、寅の上にまた天罡の辰と白虎が坐するので、五日の後に子が死ぬは必死で疑いない。全課は「乱首」の体に変入するので、母は難産の険がある。しかも日支はもともと母を代表し、午火は四月に於いてまさに旺相に当たり、月建の上にまた天医という吉神が青竜を乗せるので、母は産後平安無事である。
丙午日・風水を占う(四月、張本占案)
四月丙午日申將午時占風水。張本占案 勾合朱蛇 未申酉戌 蛇合朱勾 財 戊申 合 龍午 亥貴 戌申酉未 子 庚戌 蛇 空巳 子后 申午未丙 鬼 壬子 后 辰卯寅丑 虎常玄陰
四月丙午日、月将の申を用いて午時の上に加えて課を起こし、墳宅の風水を占問した。この条は『張本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「未申酉戌」で、その上に「勾、合、朱、蛇」(勾陳、六合、朱雀、螣蛇)を乗せる。左側は「龍(青竜)午」「空(天空)巳」、右側は「亥、貴(貴人)」「子、后(天后)」、下に排するは「辰卯寅丑」で、その下は「虎、常、玄、陰」(白虎、太常、玄武、太陰)。四課の下神は右から左へ「申午未丙」で、上神は「戌申酉未」で、各々「蛇、合、朱、勾」を乗せ、すなわち第一課は未が丙に加わり、第二課は酉が未に加わり、第三課は申が午に加わり、第四課は戌が申に加わる。三伝は申・戌・子:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、六合を乗せる。中伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、螣蛇を乗せる。末伝の子は官鬼爻で、遁干は壬、天后を乗せる。この課は上の一則の楚衍が貴妃の分娩を占ったのに用いた課式と完全に同じで、ただ占う事が異なるだけである。
劉日新曰:干為龍,干上未,是朱龍偏斜不正。支為穴,支上申是穴居高地,朱雀臨酉作夜貴,前砂圓正。青龍臨午加辰,左砂尖利有餘。白虎臨辰加寅,洩氣受克,為不足於右砂也。朱旺作丁未向,若戌則為火墓,不可用。三傳為涉三淵,初主買賣破財,兼傷小口。中蛇乘墓,主喪妻。末居子加戌,又因婦人敗家,損害家長。
劉日新が言うには、風水を占う時は日干をもって来龍を代表し、干上神は未で、未土が斜めに出るので、この来龍は紅黄の土が偏斜して端正でない。日支をもって穴場を代表し、支上神は申で、申は高亢に属するので、穴位は高地の上に座落する。朱雀が酉に臨むのは、酉はまさに本日の夜貴人で、穴の前の案砂が圓潤で端正であることを主る。青竜は天盤の午を乗せて地盤の辰の上に加わり、左辺の砂手が尖利して余りあることを主る。白虎は天盤の辰を乗せて地盤の寅の上に加わり、辰土が寅木を生じて泄気し、また寅木に克されるので、右辺の砂手は足りない。朱雀の気はまさに旺んで、丁未向を立てるに宜しい。もし戌向を立てれば、戌は火の墓庫で、用いるべからざるである。三伝の申・戌・子は水気が逓に進む、「渉三淵」の課体で、凶を主る:初伝は商売をして財を破ることを主り、また家の中の小口を傷る。中伝の戌は螣蛇を乗せてまた墓神で、妻を喪うことを主る。末伝の子は戌の上に加わり、また婦人によって家を敗することを主り、一家の主に累連する。
丙午日・真定城池の安危を占う(順治甲申年三月十八、指南)
順治甲申年三月十八丙午日酉將午時卞孟井聞真定被圍,占城池安危。指南 朱蛇 六申酉戌亥貴 后朱貴六 財 戊申 六 勾未 子后 子酉亥申 官 辛亥 貴 青午 丑陰 酉午申丙 父 甲寅 玄 空巳辰卯寅玄 虎常
順治甲申年三月十八日丙午、月将の酉を用いて午時の上に加えて課を起こした。卞孟井が真定が囲まれたと聞き、この城池の安危を占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)。一列は「六(六合)申、酉、戌、亥、貴(貴人)」。左側は「勾(勾陳)未」で右側の「子、后(天后)」に対し、「青(青竜)午」は「丑、陰(太陰)」に対する。下の列は「空(天空)巳、辰、卯、寅、玄(玄武)」で、末に「虎、常」(白虎、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「酉午申丙」で、上神は「子酉亥申」で、各々「后、朱、貴、六」を乗せ、すなわち第一課は申が丙に加わり、第二課は亥が申に加わり、第三課は酉が午に加わり(日支の午の上に酉を見る)、第四課は子が酉に加わる。三伝は申・亥・寅:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、六合を乗せる。中伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。末伝の寅は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。
陳公獻曰:不惟真定內變城破,即燕京亦有他虞。蓋因初傳財爻內戰,又乘相氣沖剋旬空之末傳,干支又被兩陰神所克,支又克支上神,主居民心散,兵馬為錢糧內變,左右獻城弒主之象。且末傳寅為幽燕,被初傳申馬沖剋,燕京安能無虞?即此日京城亦被賊所破,月餘聞報,餘言皆驗矣。
陳公献が言うには、真定ばかりでなく内変によって城が破れ、燕京にもさらに別の禍患がある。初伝の申が妻財爻で内戦の勢いを形成し、また当令の相気を乗せて旬空に落ちる末伝を冲克しに行く。日干日支の両辺はまたいずれも各自の陰神に克され、日支はさらに反り返って支上の神を克する――これらはみな城中の居民の人心が渙散し、兵馬が銭粮のために内変を生じ、部下が城を献じ主将を弑殺する凶象が現れることを主る。何况末伝の寅は分野の上でまさに幽燕の地に対し、しかも初伝の申という駅馬の神に冲克されるので、燕京はまたどうして安然無事であれようか。この日に就いて、京城もまた流寇に攻め破られ、一ヶ月余りの後に消息が伝わって来て、私の言ったことはみな応験した。
丙午日・睢州の被囲の吉凶を占う(順治乙酉年正月、指南)
順治乙酉年正月丙午日丙申時,總漕部院白公百原聞高鎮睢州被許定國圍困,占吉凶若何。指南 蛇貴 朱酉戌亥子后 玄蛇陰朱 財 己酉 朱 六申 丑陰 寅戌丑酉 子 癸丑 陰 勾未 寅玄 戌午酉丙 比 乙巳 空 青午巳辰卯常 空虎
順治乙酉年正月丙午日丙申時、総漕部院の白百原公が高鎮が睢州で許定国に囲困されたと聞き、吉凶は如何と占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「蛇、貴」(螣蛇、貴人)。一列は「朱(朱雀)酉、戌、亥、子、后(天后)」。左側は「六(六合)申」で右側の「丑、陰(太陰)」に対し、「勾(勾陳)未」は「寅、玄(玄武)」に対する。下の列は「青(青竜)午、巳、辰、卯、常(太常)」で、末に「空、虎」(天空、白虎)を綴る。四課の下神は右から左へ「戌午酉丙」で、上神は「寅戌丑酉」で、各々「玄、蛇、陰、朱」を乗せ、すなわち第一課は酉が丙に加わり、第二課は丑が酉に加わり、第三課は戌が午に加わり(日支の午の上に戌を見る)、第四課は寅が戌に加わる。三伝は酉・丑・巳で、巳酉丑の金局を結成する:初伝の酉は妻財爻で、遁干は己、朱雀を乗せる。中伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、太陰を乗せる。末伝の巳は比肩爻で、遁干は乙、天空を乗せる。
陳公獻曰:興平公必被戮。課傳從革,合中刑干害支。春占金局為返射肅殺之氣;戌命長生被其克盡,全無一點化解,況干乘死氣,支乘干支之墓,不惟主墮客計,而主亦自被其愚矣。又干支命年上神俱遭刑剋墓害,死又何疑乎?三日後果應。
陳公献が言うには、興平伯の高傑は必ず殺される。三伝の巳・酉・丑は金局を結成し、「従革」の課で、三合の中にまた暗に日干を刑し日支を害する凶機を蔵する。春に金局を占い得れば、金気は当令の木気に逆らって来る、反射して帰る粛殺の気である。本命の戌が対応する長生の地はこの金気に克されて乾乾浄浄で、全く一点の化解の路がない。何况日干は死気を乗せ、日支は日干日支の墓神を乗せ、これはただ相手の圈套に中ることを主るだけでなく、主将自身もまた人に愚弄されたのである。さらに日干・日支・本命・行年の上の神将を看れば、みな刑に遭い・克に遭い・墓に入り・害を受け、死はなんの疑いがあろうか。三日の後、果たして応験した。
丙午日・呉淞総戎が任を得可き否かを占う(崇正戊寅年二月、指南)
崇正戊寅年二月丙午日戌將巳時,淮安蔡熙陽任北中府時占推吳淞總戎可得否。指南 貴后 蛇戌亥子丑陰 白貴常蛇 子 甲辰 白 朱酉 寅玄 辰亥卯戌 財 己酉 朱 六申 卯常 亥午戌丙 父 甲寅 玄 勾未午巳辰虎 龍空
崇正戊寅年二月丙午日、月将の戌を用いて巳時の上に加えて課を起こした。淮安人の蔡熙陽は当時北中府の職に任じ、呉淞総兵の一缺を推補できるかどうかを占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)戌、亥、子、丑、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)酉」で右側の「寅、玄(玄武)」に対し、「六(六合)申」は「卯、常(太常)」に対する。下の列は「勾(勾陳)未、午、巳、辰、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥午戌丙」で、上神は「辰亥卯戌」で、各々「白、貴、常、蛇」を乗せ、すなわち第一課は戌が丙に加わり、第二課は卯が戌に加わり、第三課は亥が午に加わり(日支の午の上に亥を見る)、第四課は辰が亥に加わる。三伝は辰・酉・寅:初伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、白虎を乗せる。中伝の酉は妻財爻で、遁干は己、朱雀を乗せる。末伝の寅は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。
陳公獻曰:先推吾兄後推翁也。何以見之?蓋因亥貴作官星臨支,亥乃吾兄之命,辰乃翁之命,辰入辰陰發用,是以先推亥命者,且辰自亥發傳,與陳同姓同音,故知如此。果未及旬日推吾兄吳淞總鎮,兩月後,推蔡狼山提督。
陳公献が言うには、この缺は先ず私の兄に推され、それから後にやっとあなたに輪番が来る。何を凭りにこのように看るか。亥の上に貴人を乗せて官星を作し、日支の上にまさに臨み、亥はちょうど私の兄の本命である。辰は則ちあなたの本命である。今辰は辰の陰神に入って発用するので、かえって亥命が先に推挙されるのである。さらに言えば、三伝の辰はもともと亥位の上から発したもので、しかも「辰」と「陳」は同音同姓なので、この結果だと知ったのである。その後果たして十日もたたずに、私の兄が呉淞総鎮を推補された。二ヶ月後に、やっと蔡熙陽を推して狼山提督とした。
丙午日・殿上の老鶴がいつ飛び去るかを占う(嘉祐四年三月、苗公達断経)
嘉祐四年己亥歲三月十三日老鶴在殿上,奉御旨宣苗公達,問此鶴何時飛去?後往何方?死在何年月日時?當日丙午,正辰時占,酉將。苗公達斷經 貴后 蛇戌亥子丑陰 白貴常蛇 子 甲辰 白 朱酉 寅玄 辰亥卯戌 財 己酉 朱 六申 卯常 亥午戌丙 父 甲寅 玄 勾未午巳辰虎 龍空
嘉祐四年己亥歳三月十三日、一羽の老鶴が殿の上に止まり、皇帝が旨を下して苗公達を召して進見させ、この鶴がいつ飛び去り、以後どこへ飛んで行き、どの年のどの月のどの日のどの時に死ぬかを問うた。この日はまさに丙午で、ちょうど辰時に課を起こし、月将の酉を用いた。この条は『苗公達断経』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)戌、亥、子、丑、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)酉」で右側の「寅、玄(玄武)」に対し、「六(六合)申」は「卯、常(太常)」に対する。下の列は「勾(勾陳)未、午、巳、辰、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥午戌丙」で、上神は「辰亥卯戌」で、各々「白、貴、常、蛇」を乗せる。三伝は辰・酉・寅:初伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、白虎を乗せる。中伝の酉は妻財爻で、遁干は己、朱雀を乗せる。末伝の寅は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。この課は上の一則の蔡熙陽が総戎を占ったのに用いた課式と同じである。
苗公達曰:卦名斬關,此鶴今日未時起去,飛正南方,不出一里,卻望回正西方去。今年九月壬寅日辰時此鶴在水邊被軍人將青黑食,用羅網而獲,見血而死。上曰:何也?奏曰:正時加太歲,逢白虎,不出時下起。丙午日並在天網,擇旺處,故望南方飛。不出一里回望正西者,天乙太歲並立,故回兌上。酉為朱雀,陰是從魁,更與生氣並也。今年九月壬寅日辰時,被軍人於水邊所獲者,朱雀被日辰所制,日上見戌,應於九月。終於寅,為玄武,故壬寅日,辰加亥兼亥加支上,則主近水。玄黑色食,天罡是軍人,為大殺(大殺正月起戌行四季)並死氣又見白虎,行年又值天罡,日上又見騰蛇,故及時見血死也。
苗公達が奏して言うには、この課の名は「斬関」です。この鶴は今日の未時に飛び起き、先ず正南の方に向かい、一里も飛ばずに、また頭を掉して正西の方へ望んで行きます。今年の九月壬寅日辰時に、この鶴は水辺で軍士に青黒色を帯びた餌食で誘われ、羅網を張られて捕えられ、血を見て死にます。皇帝が問うには、何を凭りにこのように断じるか。苗公達が奏して言うには、課を起こした正時の辰が太歳の上に加わり、また白虎に逢うので、鶴はすなわちこの時辰の下に飛び起きます。丙午日は両位とも「天網」の内に落ち、鶴は必ず旺気の方を択んで去るので、先ず南に向かって飛びます。一里も飛ばずに折り返して正西に戻ると言うのは、天乙貴人と太歳が併び一処に立つので、兌位(西方)に帰るためです。酉の上は朱雀で、その陰神はまた従魁(酉)で、さらに生気と併び臨みます。今年の九月壬寅日辰時に軍士に水辺で捕えられると断じたのは:朱雀が日辰に制され、日の上に戌を見、戌は九月に応じます。三伝は寅に終わり寅は玄武を乗ずるので、壬寅日に定めました。辰は亥の上に加わり、亥はまた日支の上に加わるので、事が近水の処に発することを主ります。玄武は黒色で、あの青黒色の餌食に応じます。天罡の辰は軍士を主り、また「大殺」(大殺の神は正月に戌より起こり、四季の支に依って輪行する)を併せて死気を帯び、これに白虎を加えます。行年はまたちょうど天罡に値り、日の上にはなお螣蛇が見える――だから時が至ればこの鶴は必ず血を見て死ぬのです。
丁未日
丁未日・寇を占う(辛丑年九月廿三、一針見血)
辛丑年九月二十三丁未日卯將戌時占冦。一針見血 蛇貴后陰 戌亥子丑 空后空后 兄 乙巳 空 朱酉 寅玄 巳子巳子 子 庚戌 蛇 合申 卯常 子未子丁 父 ◎卯 常 未午巳辰 勾龍空虎
辛丑年九月二十三日丁未、月将の卯を用いて戌時の上に加えて課を起こし、賊寇の事を占問した。この条は『一針見血』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「戌亥子丑」で、その上に「蛇、貴、后、陰」(螣蛇、貴人、天后、太陰)を乗せる。左側は「朱(朱雀)酉」「合(六合)申」、右側は「寅、玄(玄武)」「卯、常(太常)」、下に排するは「未午巳辰」で、その下は「勾、龍、空、虎」(勾陳、青竜、天空、白虎)。四課の下神は右から左へ「子未子丁」で、上神は「巳子巳子」で、各々「空、后、空、后」を乗せる――丁未は八専の日で、干と支が同宮なので、四課の上下が重出する。すなわち第一課は子が丁に加わり、第二課は巳が子に加わり、第三課は子が未に加わり、第四課は巳が子に加わる。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳は兄弟爻で、遁干は乙、天空を乗せる。中伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、螣蛇を乗せる。末伝の卯は父母爻で、太常を乗せ、その前の「◎」は源文が旬空を標す記号で、卯が空亡に落ちることを示す。
祝泌奏曰:謹詳此課,是八專課。有克為用,用起游都者,正主戎冦之神孔。丁日天空在巳,巳火神臨子,被下賊上,今秋冬火無氣。心鏡曰:游神旺相支干損,賊勢憑凌難守持。今游都無氣,傳歸己土,見戌為火墓,則游都立位也。乃受抑塞,其神騰蛇歸家。搓蛇亦賊神也,主賊狐疑而遁。此課於月將加戌,戌月建也。月建為城府,其將見天空,天空卒位也,今天空又歸家,主兵卒武戰者已歸城壁。此戌時課,三傳之占也。臣之算術,曾言九十月之交,有小冦。易曰:自我致冦,敬慎不敗。即而參之,此課當主丑類,一時干犯,隨即逃去。游都在日辰五位,貴人在日辰三位,虜已退矣。太常發用,是郡城拆搭未峰之占。然據此處,恐深冬虜再來。又宜戒飭守臣,無弛預備為主。
祝泌が上奏して言うには、謹んでこの課を細かく推詳すれば、これは「八専課」である。四課の中に克があれば則ち克する者を取って発用とし、しかも発用の位はまたまさに「游都」から起こり、游都はもともと兵戎盗寇を主る神である。丁日の天空は巳に落ち、巳のこの火神は子水の上に臨み、下神に賊害される。何况秋に入り冬に入れば、火気はすでに力がない。『心鏡』に説く:「游神旺相支干損、賊勢凭凌難守持」と。今游都は気なく、三伝はついに己土に帰し、また戌が火の墓庫であるのを見れば、游都は便ちただ原処に停まって抑塞を受けるしかない。螣蛇のこの神もまた自分の本家に帰った。螣蛇は同じく賊神で、それが家に帰れば則ち賊人が心に狐疑を懐いて退遁することを主る。この課は月将を戌の上に加えて起こしたので、戌はまさに本月の月建である。月建は城池官府を代表し、その上に見えるは天空で、天空は兵卒の位を主り、如今天空もまた本家に帰ったので、城を守る兵卒武士がすでに城牆の内に退いたことを主る。これは戌時に起こした課で、以上はみな三伝について論を立てたのである。臣の推算の術では、先に九月十月の交に小股の賊寇があると曾て説いた。『周易』に説く:「自我致寇、敬慎不敗」――賊寇を招くは己より起こり、ただ敬慎すれば敗に至らない、と。合わせて参看すれば、この課は当に丑一類の小敵が、一時来犯し、随って逃走することを主る。游都は日辰の第五位に落ち、貴人は日辰の第三位に落ちるので、敵虜がすでに退いたことが見える。太常が発用するは、郡城の修拆・未峰一帯の占象である(この句の文字は訛脱があると疑われ、その義は確かに解し得ない。謹んで原文に依って存録する)。ただ目下の形勢に就いて看れば、恐らく深冬に敵虜がまた再来し、なお辺を守る臣に戒告して、戒備を鬆弛すべからずとすべきである。
丁未日・童巡検が前程を占う(建炎己酉年八月、方本占案)
建炎己酉年八月丁未日午將子時童巡檢丁卯生四十三歲占前程。方本占案 六陳 朱亥子丑寅龍 蛇戌 卯空 陰陳陰陳 兄 乙巳 常 貴酉 辰虎 未丑未丑 子 癸丑 陳 后申未午巳常 丑未丑丁 子 癸丑 陳 陰玄
建炎己酉年八月丁未日、月将の午を用いて子時の上に加えて課を起こした。童巡検は丁卯年生まれ、四十三歳で、前程を占問した。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「六、陳」(六合、勾陳、本書の「陳」はすなわち勾陳)。一列は「朱(朱雀)亥、子、丑、寅、龍(青竜)」。左側は「蛇(螣蛇)戌」で右側の「卯、空(天空)」に対し、「貴(貴人)酉」は「辰、虎(白虎)」に対する。下の列は「后(天后)申、未、午、巳、常(太常)」で、末に「陰、玄」(太陰、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「丑未丑丁」で、上神は「未丑未丑」で、各々「陰、陳、陰、陳」を乗せ、八専日に干支同宮で上下が重出する様子である。三伝は巳・丑・丑:初伝の巳は兄弟爻で、遁干は乙、太常を乗せ、巳はまた未日の駅馬である。中伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、勾陳を乗せる。末伝はなお丑で、遁干は癸、勾陳を乗せる。
邵彥和曰:一火生四土,行年雖有木,又不得地,如何救我?次第須有舊事牽絆。初驛馬動,便見起程,不是六十里,即一百二十里,後來降官壞任之憂,不是一件,定是二件。若止一件,必有大災,只願壽永也。是大幸不可別圖遷擢也。重重丑土作勾,豈是一件可了?童十月起程,過信州,果一百餘里,驀見追回,究前任不了事,遂不赴任,被拘四個月,得赦回家,方欲再去,被差保正。及分析了,又被侄兒爭分,留連半年,竟失此任。又過母墳,被山人誑開穴犯地道,次年六月遂死。
邵彦和が言うには、一つの火神が四重の土を生じに行き、行年の上に木が来て相救うがあるとはいえ、木はまた地を得ないので、どうして日干を救い得ようか。次序に照らして推せば、必ず先ず旧事が人を纏い着かせる。初伝の駅馬が一たび動けば、則ち身を動かして起程すべく、路程は六十里でなければ、便ち一百二十里である。この後に降職し任所を壊す憂患があり、しかも一ならず、必ず二桩である。假令ただ一桩のみならば、それはかえって必ず大災がある――ただ寿命を保てることを求めるばかりで、これはすでに大幸と算し、さらに別に昇遷を図るべからず。重重の丑土がまたみな勾陳を作すのに、どうして一件事で了結できようか。その後童巡検は十月に身を動かし、信州を過ぎ、果たして一百余里走り出て、忽然として追い返され、彼の前任にて了結しなかった公事を追査され、ここに於いて任に赴くことができず、四ヶ月拘押され、赦に遭ってやっと家に帰った。剛くまた行こうと思うと、また保正に派充され、分派し終わるを待って、また甥に家産を争い分けられ、半年牽扯して、ついにこの官職を失った。彼はまた母の墳地を路過し、術士に騙されて穴を開き、地脈を冲犯し、翌年六月に則ち死んだ。
蓋火生四土四勾,豈不脫氣?丑為舊事,又為今日子孫勾,主後必被諸事脫耗財物也。
その中の道理を推究するに:一つの火神が四重の土・四重の勾陳を生ぜんとし、日干の気はどうして泄脱されない理があろうか。丑はこの課の中で旧事を代表し、同時にまた本日の子孫爻で併せて勾陳を乗ずるので、彼が日後必ず種種の雑事に拖累され、財物を一點ずつ耗脱し尽くすと断じたのである。
丁未日・董晋侯の病を占う(辛卯二月、指南)
辛卯二月丁未癸卯時占董晉侯病。指南 朱六 蛇子丑寅卯勾 陰六陰六 財 己酉 陰 貴亥 辰龍 酉寅酉寅 子 甲辰 青 后戌 巳空 寅未寅丁 鬼 辛亥 貴 陰酉申未午虎 玄常
辛卯年二月丁未日癸卯時、董晋侯の病を占った。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、六」(朱雀、六合)。一列は「蛇(螣蛇)子、丑、寅、卯、勾(勾陳)」。左側は「貴(貴人)亥」で右側の「辰、龍(青竜)」に対し、「后(天后)戌」は「巳、空(天空)」に対する。下の列は「陰(太陰)酉、申、未、午、虎(白虎)」で、末に「玄、常」(玄武、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「寅未寅丁」で、上神は「酉寅酉寅」で、各々「陰、六、陰、六」を乗せ、なお八専日の上下重出の格局である。三伝は酉・辰・亥:初伝の酉は妻財爻で、遁干は己、太陰を乗せる。中伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、青竜を乗せる。末伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。
陳公獻曰:此病主手足不舉,全無一點生氣,因日祿臨絕地(日祿午加亥為絕地),驛馬投墓鄉(巳為馬臨戌入墓也),又行年游魂,子巳相加,合為死字,三傳死墓絕,安能有救乎?蓋因卯加申、戌加卯,故知主風癲發搐之症。在何日?久病,應卯加申申日子時死矣。
陳公献が言うには、この病は手脚が抬い上がらず、通身に一点の生気もないことを主る。日干の禄が絶地に臨むからである(丁日の禄は午にあり、午は亥の上に加わり、亥はまさに火の絶郷である)。駅馬はまた墓庫に投じ入り(巳は未日の駅馬で、戌の上に臨んで墓に入る)、これに加えて行年が游魂の位に落ち、子と巳が相加して、合わさってちょうど一つの「死」字を成す。三伝の中に死・墓・絶の三様が斉く備わり、どうしてなお救い帰せられようか。又、卯が申の上に加わり、戌が卯の上に加わるので、風癲抽搐の類の病症だと知った。どの日に応ずるかと問えば、これは久病で、則ち卯が申に加わる申日の子時に死すべきである。
丁未日・盛順白が逮され京に入るを占う(崇正癸未七月、指南)
崇正癸未七月丁未日未時,丹陽葺村盛順白被逮進京,舟泊邦關請占。指南 勾龍 六寅卯辰巳空 朱龍朱龍 鬼 辛亥 貴 朱丑 午虎 丑辰丑辰 子 甲辰 龍 蛇子 未常 辰未辰丁 子 甲辰 龍 貴亥戌酉申玄 后陰
崇正癸未年七月丁未日未時、丹陽葺村の人盛順白が逮解されて京に入り、船が邦関に停泊して、人に課を起こさせた。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「勾、龍」(勾陳、青竜)。一列は「六(六合)寅、卯、辰、巳、空(天空)」。左側は「朱(朱雀)丑」で右側の「午、虎(白虎)」に対し、「蛇(螣蛇)子」は「未、常(太常)」に対する。下の列は「貴(貴人)亥、戌、酉、申、玄(玄武)」で、末に「后、陰」(天后、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「辰未辰丁」で、上神は「丑辰丑辰」で、各々「朱、龍、朱、龍」を乗せ、やはり八専の課である。三伝は亥・辰・辰:初伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。中伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、青竜を乗せる。末伝はなお辰で、遁干は甲、青竜を乗せる。
陳公獻曰:其事定然辯雪,到京公訟前休。蓋因月將青龍加臨干支(八專課,月將辰乘龍臨干支),勾陳生日(勾乘卯生日干丁),官鬼空陷(亥子官鬼臨寅卯落空也),是以公訟辯雪白休息矣。
陳公献が言うには、この案件は必ず弁白して昭雪できる。京城に至ると、官司は審を開く前に了結する。月将が青竜を乗せて日干日支の上に加臨するからである(これは八専課で、月将の辰が青竜を乗せて干支に臨む)。勾陳はまた来て日干を生じ(勾陳は卯を乗せ、卯木は丁火を生ず)、官鬼は則ち空陥に落ちる(亥・子の官鬼は寅・卯の上に臨んで旬空に落ちる)――だからこの場の官司は弁明し白されて止息するのである。
自為周相公占課何如,手取棋子三十二枚,以十二除之,餘八枚,亦是此課。曰:己丑命見日墓(丁墓戌臨丑),年乘三刑(命上戌,太歲未,三刑故也),與寅命相去甚遠,烏能無罪?後相國賜死,李賊破北京,盛脫自歸。
彼はまた周相公のために自ら一課を起こして如何かを看て、手りで棋子三十二枚を抓取し、十二をもって除し、八枚余り、起き出たのもまたちょうどこの課であった。ここにおいて言うには、己丑の本命の上に日干の墓が見える(丁火の墓は戌にあり、戌はまさに丑の上に臨む)。行年はまた三刑を乗じ(本命の上は戌で、太歳は未にあり、戌未は相刑する)、寅命とは相去ることまた遠く、どうして罪なきことが得られようか。その後周相国は死を賜り、李自成が北京を攻め破ると、盛順白はかえって身を脱して自ら家に帰った。
丁未日・郷試を占う(乾隆己卯年八月、牧夫占験)
乾隆己卯年八月丁未日辰將未時癸卯人三十七歲占鄉試。牧夫占驗 勾龍 六寅卯辰巳空 朱龍朱龍 鬼 辛亥 貴 朱丑 午虎 丑辰丑辰 子 甲辰 龍 蛇子 未常 辰未辰丁 子 甲辰 龍 貴亥戌酉申玄 后陰
乾隆己卯年八月丁未日、月将の辰を用いて未時の上に加えて課を起こした。占者は癸卯年生まれ、三十七歳で、郷試を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。用いた課式は上の一則の盛順白の占と完全に同じである。天地盤の一圏:起首は「勾、龍」(勾陳、青竜)。一列は「六(六合)寅、卯、辰、巳、空(天空)」。左側は「朱(朱雀)丑」で右側の「午、虎(白虎)」に対し、「蛇(螣蛇)子」は「未、常(太常)」に対する。下の列は「貴(貴人)亥、戌、酉、申、玄(玄武)」で、末に「后、陰」(天后、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「辰未辰丁」で、上神は「丑辰丑辰」で、各々「朱、龍、朱、龍」を乗せる。三伝は亥・辰・辰:初伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。中伝と末伝はともに辰で、子孫爻、遁干は甲、青竜を乗せる。
王牧夫曰:貴德官星發傳,青龍天喜太陽墜末,氣雖不足,卻是功名之吉神,然今科主不得中。以年命逢空,誰為而受之乎?故占事年命亦不可逢空。初七日榜發果不中。
王牧夫が言うには、貴人・日徳と官星がともに三伝に入り、青竜・天喜・太陽はまた末伝の上に墜ち、気は足りないとはいえ、統べて功名を主る吉神である。しかしこの一科はなお考中しないことを主る。なぜか。行年と本命がともに旬空に落ちるので、功名はたとえ至っても、誰がそれを承受しようか。だから事を占う時、行年・本命もまた空に落ちてはならない。初七日の榜の発するに至り、果たして考中しなかった。
丁未日・失羊を占う(六月、方本占案)
六月丁未日未將未時,某占失羊。方本占案 虎常 空巳午未申玄 龍辰 酉陰 常常常常 子 丁未 常 勾卯 戌后 未未未未 子 癸丑 朱 六寅丑子亥貴 未未未丁 子 庚戌 后 朱蛇
六月丁未日、月将の未を用いて未時の上に加えて課を起こした――月将と占時が同位で、天盤は動かないので、「伏吟」の課を成す。ある人が来て失った羊を占った。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「虎、常」(白虎、太常)。一列は「空(天空)巳、午、未、申、玄(玄武)」。左側は「龍(青竜)辰」で右側の「酉、陰(太陰)」に対し、「勾(勾陳)卯」は「戌、后(天后)」に対する。下の列は「六(六合)寅、丑、子、亥、貴(貴人)」で、末に「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)を綴る。四課の下神は右から左へ「未未未丁」で、上神は「未未未未」で、四位とも太常を乗せ、まさに天盤が動かず神将が各々本位に伏する伏吟の象である。三伝は未・丑・戌:初伝の未は子孫爻で、遁干は丁、太常を乗せる。中伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、朱雀を乗せる。末伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、天后を乗せる。
邵彥和曰:伏吟課,其羊定在西南兄弟姐妹親眷家尋之,今日申時可見。果申時在西南方妻姐家尋見。蓋未為羊,上作太陽月將,丁未日又未發用,故在西南。親眷者,未為眷屬者也。伏吟在本位不旺,未乃月將,五月當相氣,故不失。
邵彦和が言うには、これは伏吟課で、あの羊は必ず西南方の兄弟姐妹の親眷の家にあり、そこへ行って探せば、今日の申時に見着ることができる。その後果たして申時に西南方の妻の姉の家で見つけた。原因は:未は十二支の中でちょうど羊に配当し、未の上にまた太陽月将を乗せる。丁未のこの日はまた未をもって発用とし、未の位は西南に居るので、西南方と断じた。親眷の家と言ったのは、未がもともと眷属を主るからである。伏吟の課は神将が各々本位に伏して、気が流動せず、もともと旺と算さない。だが未はちょうど当令の月将で、五月の裡に未は相気に当たるので、この羊は失うことがない。
丁未日・応汝言が前程を占う(己酉年九月、方本占案)
己酉年九月丁未日卯將寅時應汝言癸未生二十七歲占前程。方本占案 朱蛇 六午未申酉貴 陳巳 戌后 貴蛇貴蛇 財 丙申 蛇 龍辰 亥陰 酉申酉申 財 丁酉 貴 空卯寅丑子玄 申未申丁 子 戊戌 后 虎常
己酉年九月丁未日、月将の卯を用いて寅時の上に加えて課を起こした。応汝言は癸未年生まれ、二十七歳で、前程を占問した。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)。一列は「六(六合)午、未、申、酉、貴(貴人)」。左側は「陳(勾陳)巳」で右側の「戌、后(天后)」に対し、「龍(青竜)辰」は「亥、陰(太陰)」に対する。下の列は「空(天空)卯、寅、丑、子、玄(玄武)」で、末に「虎、常」(白虎、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「申未申丁」で、上神は「酉申酉申」で、各々「貴、蛇、貴、蛇」を乗せ、これも八専日の上下重出の格局である。三伝は申・酉・戌:初伝の申は妻財爻で、遁干は丙、螣蛇を乗せる。中伝の酉は妻財爻で、遁干は丁、貴人を乗せる。末伝の戌は子孫爻で、遁干は戊、天后を乗せる。
邵彥和曰:若問功名難許,問財即富家矣。身宅初傳皆財,中傳上下皆財,財多宜以財營運,必因妻財起家。須把穩不可狂圖,下稍主婢僕上耗費。蓋末傳是火庫,非財庫,丁以金為財,若是金庫財收住。今見火庫反熔壞財矣。蛇主非橫,所以自婢僕生出事來。因此破財,不意而死。汝言此時尚未有妻,次年成親,頗有嫁資,遂得此營運,十餘年成富翁,四十二典錢,四十七八愈厚,五十一歲癸酉年因婢僕通姦,汝言責之,僕縊死,被告首,入官費用,財產一空,得罰贖而歸,甲戌年死。
邵彦和が言うには、もし功名を問うなら、それは指望し難い。もし銭財を問うなら、却って富家を発成する。日干(身)・日支(宅)と初伝はみな財爻で、中伝の上下もみな財である。財がこれほど多ければ、銭を持って経営し周転するに宜しく、必ず妻財に依って起家する。だが把稳すべきで、狂妄に図謀すべからず。末主に至って婢女僮僕の身上で財を破ることを主る。末伝の戌が火の庫で、財の庫ではないからである。丁日は金をもって財とし、もし末伝が金庫ならば、財は収め住むことができるが、今見えるは火庫で、かえって財を熔かし壊す。螣蛇は非理の横禍を主るので、事端は婢僕の身上より生出し、これによって財を破り、なお人の意表に出でて性命を失う。応汝言は当時まだ妻を娶っておらず、翌年親を成し、妻子は頗る一筆の陪嫁を有し、彼は則ちこの銭を持って経営し、十余年で富翁を為した。四十二歳に典当を開き起こし、四十七八歳に家業はさらに厚くなった。五十一歳の癸酉年に至り、婢女と僮僕が通奸したために、応汝言が彼らを責罰し、僮僕は吊り上がって死に、人に告発され、官司に花銷し、財産は一空となり、贖金を納めてやっと家に帰るを得、甲戌年に則ち死んだ。
丁未日・江明叔が求財を占う(己丑年十二月、一針見血)
己丑年十二月丁未日子將戌時京師富人江明叔甲子生六十二歲占求財。一針見血 朱蛇貴后 未申酉戌 陰貴陰貴 財 己酉 貴 合午 亥陰 亥酉亥酉 鬼 辛亥 陰 勾巳 子玄 酉未酉丁 子 癸丑 常 辰卯寅丑 龍空虎常
己丑年十二月丁未日、月将の子を用いて戌時の上に加えて課を起こした。京城の富人江明叔は甲子年生まれ、六十二歳で、求財を占問した。この条は『一針見血』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「未申酉戌」で、その上に「朱、蛇、貴、后」(朱雀、螣蛇、貴人、天后)を乗せる。左側は「合(六合)午」「勾(勾陳)巳」、右側は「亥、陰(太陰)」「子、玄(玄武)」、下に排するは「辰卯寅丑」で、その下は「龍、空、虎、常」(青竜、天空、白虎、太常)。四課の下神は右から左へ「酉未酉丁」で、上神は「亥酉亥酉」で、各々「陰、貴、陰、貴」を乗せ、なお八専の課である。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉は妻財爻で、遁干は己、貴人を乗せる。中伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、太陰を乗せる。末伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、太常を乗せる。
苗公達曰:群欲斗禽之財,當以己酉日卯時,斗禽必勝。財及萬緍,是時當有商徵音中貴二人,武職一人,各敵到晚。當有酒食喧爭,雖無刑獄,預防破財三分,以此決課而去。後數日,江君來邀小飲云:共有一千餘緍,某斗鶉子得勝,當日同二內官,一人姓陳,一人姓李,飲酒。次張直殿至晚前來,同坐卻云,早來鬥得不是。因是言生氣,領在鋪中一宿,至晚勸和。不曾見官,所費三百餘千,公之術應驗如此,且以銀物三十兩為酬。
苗公達が言うには、諸君が禽鳥を鬬わせて銭を贏てようと思うなら、己酉日卯時を選んで場に下るべきで、禽を鬬わせば必ず勝ち、贏てる銭は上万緍に及ぶ。その時に声が商音・徵音に属する二人の中貴(内官)と、さらに一人の武職の人があり、各自におまえと対賭し、ずっと晩まで鬬わせる。当に酒食によって起こる一場の喧閙があり、官府刑獄に鬧するには至らないとはいえ、三成の財を破るのを預防すべき。江明叔は則ちこの課の断語に照らして行った。数日を過ごし、江君は来て彼を小酌に請い、言うには、あわせて一千余緍を贏てました。私は鶉を鬬わせて勝ちを得ました。当日同席したのは二人の内官で、一人は陳と姓し、一人は李と姓し、ともに飲酒しました。後に張直殿が晩に至ってやっと赶え来て、同坐した時に却って早先のあの場は鬬ったと算しないと説き、この言葉によって気を動かし、鶉を舗子の中に扣留して一夜を過ごし、晩に至ってやっと勧め和した。結局官に見えず、前後で三百余千の銭を費やした。あなたの術数はこの地に至るまで応験します!ここにおいて三十両の銀物をもって酬謝とした。
議曰:初見從魁是休氣,丁死火所制,必有戰敵。酉是羽毛,斗禽之屬,其性見殺,又是今日之財,是斗禽取財也。類神之陰,得亥加酉上,作太陰,本屬酉,行年立卯上,見太乙,乘勾陳,酉與巳合,勾陳主斗,故在此也。酉日卯時,見斗也。財傳月建,是財及千緍,酉金丁火,故主商徴用事。中傳亥加酉,為今日貴人,上得太陰,為陰貴人也。末傳太常為武臣,加亥為入獄,太常又主酒食也,行年立卯上,帶勾陳互合,有喧爭,勾陳臨空,故不見官,無刑獄之咎。末傳是月建,為財數,被今日丁未損破,卻亥中有壬,為旺氣所勝,故財只破三分也。
評議に言うには、初伝に「従魁」(酉)を見るは休囚の気で、丁火はすでに死して制される所なので、必ず相手があって相争う。酉は物類の上で羽毛を主り、まさに鬬禽の属で、その性はまた殺を見ることを主る。酉は同時にまた本日の財爻なので、禽を鬬わせて財を取ると断じた。類神の陰神の上に亥を得て酉の上に加わり太陰を作す。太陰はもともと酉に属する。行年は卯の上に立ち、太乙(巳)が勾陳を乗ずるのを見、酉はまた巳と相合し、勾陳は争鬥を主るので、賭鬬は則ちここに応ずる。己酉日卯時を取ったのは、ちょうど酉日卯時が相対して鬬の象を見るからである。財爻は月建の上に伝わるので、財は千緍に及ぶと説く。酉は金に属し丁は火に属するので、商音・徵音の人が事に当たることを主る。中伝の亥が酉の上に加わるは本日の貴人で、その上にまた太陰を得れば、便ち陰貴人(内官)である。末伝の太常は武臣を主り、亥の上に加わるは獄に入る象で、太常は同時にまた酒食を主る。行年は卯の上に立ち、勾陳を帯びて交互相合するので、一場の喧争がある。だが勾陳が旬空に臨むので、終に官に見えず、刑獄の災はない。末伝はまた月建で、財の数目を代表し、本日の丁未に損破される。ただ亥の中に壬水を蔵し、旺気に勝たれるので、財はただ三成を破するに止まる。
丁未日・婚姻を占う(戊辰年正月、牧夫占験)
戊辰年正月丁未日亥將酉時占婚姻。牧夫占驗 朱蛇貴后 未申酉戌 陰貴陰貴 財 己酉 貴 合午 亥陰 亥酉亥酉 鬼 辛亥 陰 勾巳 子玄 酉未酉丁 子 癸丑 常 辰卯寅丑 龍空虎常
戊辰年正月丁未日、月将の亥を用いて酉時の上に加えて課を起こし、婚姻を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「未申酉戌」で、その上に「朱、蛇、貴、后」(朱雀、螣蛇、貴人、天后)を乗せる。左側は「合(六合)午」「勾(勾陳)巳」、右側は「亥、陰(太陰)」「子、玄(玄武)」、下に排するは「辰卯寅丑」で、その下は「龍、空、虎、常」(青竜、天空、白虎、太常)。四課の下神は右から左へ「酉未酉丁」で、上神は「亥酉亥酉」で、各々「陰、貴、陰、貴」を乗せる――丁未は八専の日で、干支が同宮なので、四課の上下が重出する。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉は妻財爻で、遁干は己、貴人を乗せる。中伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、太陰を乗せる。末伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、太常を乗せる。
王牧夫曰:此婚主男克二妻,女克二夫。鰥寡相配,先私後娶,不日即合巹也。蓋丁日以酉為妻,酉帶自刑加身,陰見亥水官鬼,主剋夫再醮。丁以酉為妻,何酉之多也?故亦主克妻再娶。丁主動,為新喜,支末中亦有丁火,男女之位皆逢,豈非合巹在即乎?八專為課,干支不別,帷薄不修,男女往來,非止一次。蓋干即地以,支即干,仰首即見,何用媒為?驗甚驗甚。
王牧夫が言うには、この門の婚事は男方が二人の妻を克し過ぎ、女方が二人の夫を克し過ぎたことを主り、鰥夫と寡婦の相配で、先に私情があって後に親を成し、多くの日を経ずして合卺の礼を行うことになる。なぜか。丁日は酉をもって妻とし、酉は自刑を帯びて日干の身上に加わり、その陰神にまた亥水の官鬼を見るので、女方が夫を克して再嫁することを主る。丁は酉をもって妻とするが、課の中の酉はどうしてこんなに多いか。だから男方が妻を克して再娶することをも主る。丁はもともと動を主り、新婚の喜びを為す。日支と末伝の中にもまたみな丁火を蔵し、男女双方の位がともに逢い着いたので、合卺が目の前にあるのではないか。この課は八専で、干と支は彼此を分たず、まさに帷幕の内に修めず、男女の往来はすでに一度に止まらないことを応ずる。日干がすなわち地支で(原文は「干即地以」と作るが、「以」は当に「支」の訛)、日支がすなわち日干なので、頭を抬げればすなわち彼此が照面し、なお媒人を要して何をしようか。応験するほどに、応験するほどに。
丁未日・遅公王公の入覲を占う(庚午年十二月、指南)
庚午年十二月丁未日丑將戌時遲公、王公入覲,行至東省而占。指南 貴后 蛇申酉戌亥陰 常后常后 官 辛亥 陰 朱未 子玄 丑戌丑戌 子 庚戌 后 六午 丑常 戌未戌丁 子 庚戌 后 勾巳辰卯寅虎 青空
庚午年十二月丁未日、月将の丑を用いて戌時の上に加えて課を起こした。遅公・王公が京に入り皇帝に朝見し、山東の境内まで歩き来た時にこの課を起こした。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)申、酉、戌、亥、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)未」で右側の「子、玄(玄武)」に対し、「六(六合)午」は「丑、常(太常)」に対する。下の列は「勾(勾陳)巳、辰、卯、寅、虎(白虎)」で、末に「青、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「戌未戌丁」で、上神は「丑戌丑戌」で、各々「常、后、常、后」を乗せ、なお八専の上下重出の象である。三伝は亥・戌・戌:初伝の亥は官星で、遁干は辛、太陰を乗せる。中伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、天后を乗せる。末伝はなお戌で、遁干は庚、天后を乗せる。
陳公獻曰:所占必是顯宦。蓋發用官貴日德,而式中貴人又居歲君日祿旺位,斷非尋常之官。曰:此公將來何如?曰:不能久任。干支乘墓,祿馬空陷,又太陽入山(月將丑加戌),豈能久居廟堂?次年三月因言請歸。後知為大冢宰王射斗先生也。干支乘墓,太陽落山,勢力已衰。祿馬空陷,則不可食此祿矣。此辨象而斷事,不以五行生剋為主也。
陳公献が言うには、この課が占うは必ず位の顕要な大官である。発用の神がすなわち官星でありまた貴人でありまた日徳を帯び、しかも課式の中の貴人はまた太歳と日禄の旺位の上に坐するので、断じて尋常の官員ではない。ある人が問うには、この大人は将来如何か。答えて曰く:長く在任することができない。日干日支がともに墓神を乗せ、禄神と駅馬はまた空陥に落ち、これに加えて太陽が山に入り(月将の丑が戌の上に加わり、戌は山地である)、どうして久しく廟堂に居ることができようか。第二年三月、この人は果たして言を進めたために里に帰ることを請うた。後にやっと知ったのだが、占ったのはまさに大塚宰の王射斗先生であった。日干日支が墓を乗せ、太陽が山に落ちるは、勢力がすでに衰えた象である。禄馬が空陥すれば、則ちこの俸禄を食べ成すことができない。これは課象を辨識することを凭りにして事を断じ、五行生克をもって主としないのである。
丁未日・程載翁が訟を占う(己卯年戌月、牧夫占験)
己卯年戌月丁未日辰將丑時程載翁己卯生六十一歲占訟。牧夫占驗 貴后 蛇申酉戌亥陰 常后常后 官 辛亥 陰 朱未 子玄 丑戌丑戌 子 庚戌 后 六午 丑常 戌未戌丁 子 庚戌 后 勾巳辰卯寅虎 青空
己卯年戌月丁未日、月将の辰を用いて丑時の上に加えて課を起こした。程載翁は己卯年生まれ、六十一歳で、一場の官司を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。用いた課式は上の一則の遅公王公の占と同じである。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)申、酉、戌、亥、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)未」で右側の「子、玄(玄武)」に対し、「六(六合)午」は「丑、常(太常)」に対する。下の列は「勾(勾陳)巳、辰、卯、寅、虎(白虎)」で、末に「青、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「戌未戌丁」で、上神は「丑戌丑戌」で、各々「常、后、常、后」を乗せる。三伝は亥・戌・戌:初伝の亥は官星で、遁干は辛、太陰を乗せる。中末の両伝はともに戌で、子孫爻、遁干は庚、天后を乗せる。
王牧夫曰:官訟漸息,身心漸安寧矣。但文書此次受駁,再遞到十月,方可絕決了釋,後果受駁,至十月始準詳結。蓋丁乃柔火,動盪不常,今丁日戴戌墓,是火有所藏,則不亂動,既深秋火亦休息,故曰官訟漸息,身心漸安寧。其文書初受駁者,酉貴為今日之財,坐午上,乃貴人坐堂上持權,本命乘天空相訓,正時又沖支辰兼動身位,故須再遞也。十月上寅木文書與官作合,亥為十月建,又丁火絕於亥,故主十月方能結絕了釋也。甚驗,此數若以戌墓為凶,則當入獄,然官司已拖三年,不當以此論。斷法當知權變,若新訟夏占又當以凶論也。
王牧夫が言うには、この場の官司は漸々平息し、人の身心もまた日に日に安定し下る。ただ呈し上げた文書はこのたび駁回され、須くもう一度遞すべく、十月に至ってやっと徹底して判結して開釋される。その後文書は果たして駁され、十月に至るまでやっと詳結を准許された。なぜか。丁は柔火で、性情は動蕩して定まらない。今丁日の頭上は戌という火墓を戴き、火に藏身の処があれば則ちもはや乱動しない。また深秋に値り、火気はもとより休歇しているので、官司が漸く息み身心が漸く安まると言うのである。文書が初めに駁回されると言うのは:酉の上の貴人は本日の財爻なのに、午の上に坐し、これは貴人が高く堂上に坐して權柄を執る象である。本命はまた天空を乗せ、かえって訓責される。課を起こした正時はまた日支を冲動し、同時に日干の本位を驚動した――だから文書は須くもう一回遞すべきなのである。十月に至ると、上の寅木は文書を代表し、まさに官星と相合する。亥はまた十月の月建で、しかも丁火は亥に於いて絶する――だから十月にやっと判結開釋できると断じた。この断は極めて験した。この課でもし戌墓をただ凶象と看るならば、則ち入獄と断ずべきであった。しかしこの場の官司はすでに三年も拖いていたので、あのように論ずべきではない。断法は権変を懂得すべきで、倘もし新たに起こった訟事で、また夏に占い得たならば、あれこそ凶に按じて断ずべきであった。
戊申日
戊申日・鄧十八官人が会試を占う(建炎己酉年四月初一、宋本邵案・口鑑)
建炎己酉年四月初一戊申日酉將丑時鄧十八官人乙酉生二十五歲,占會試。宋本邵案 口鑑 虎常 空丑寅卯辰玄 龍子 巳陰 龍玄朱空 財 壬子 龍 陳亥 午后 子辰酉丑 子 戊申 蛇 六戌酉申未貴 辰申丑戊 兄 甲辰 玄 朱蛇
建炎己酉年四月初一戊申日、月将の酉を用いて丑時の上に加えて課を起こした。鄧十八官人は乙酉年生まれ、二十五歳で、会試を占問した。この条は宋本『邵案』から出て、また『口鑑』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「虎、常」(白虎、太常)。一列は「空(天空)丑、寅、卯、辰、玄(玄武)」。左側は「龍(青竜)子」で右側の「巳、陰(太陰)」に対し、「陳(勾陳)亥」は「午、后(天后)」に対する。下の列は「六(六合)戌、酉、申、未、貴(貴人)」で、末に「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)を綴る。四課の下神は右から左へ「辰申丑戊」で、上神は「子辰酉丑」で、各々「龍、玄、朱、空」を乗せ、すなわち第一課は丑が戊に加わり、第二課は酉が丑に加わり、第三課は辰が申に加わり(日支の申の上に辰を見る)、第四課は子が辰に加わる。三伝は子・申・辰で、ちょうど申子辰の水局を成す:初伝の子は妻財爻で、遁干は壬、青竜を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。末伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。
邵彥和曰:土日得財局,須是用財為之卻吉。漕司正是申子辰水局也。既以漕司為財,須費己財為佳。身上是晝貴作天空,主簾幕貴人,馳聲於我,我遂得功名也。宅作元武,是本局作賊,須三換名字,及換卷子,並令人代之,此所以不正中也。甲辰旬十日,皆是魁星,此乃為魁首也。但不知何以有,即日東方江邊魚鹽之職也。鄧宅雖是積世武官,大有錢穀,申子辰正是漕司之局。戊用水為財,所費不可言。知有關節,又聞有易卷之說,不知何如也。末傳歸宅是辰,卻是甲辰旬之魁首也。作本經魁,次年雖省試不中,卻試了弓馬。得明州象山縣稅務。
邵彦和が言うには、戊土の日に申子辰のこの財局を得たので、須く財を捨てて打點すべく、事はかえって吉利である。漕運衙門はまさに申子辰の水局に應じている。すでに漕司を財と看為する以上、則ち自ら銭を出して疏通するが好い。日干の身上は白天の貴人なのに天空を乗せ、幕僚の類の貴人が我のために名を揚げ、我はこれによって功名を得ることを主る。日支の宅位の上に玄武を作すは、この水局の本身が賊を為しているので、須く三回姓名を更換し試巻を更換し、さらに人を請うて代考せしめる――まさにこのため、この功名は来るが正しくないと言うのである。甲辰の一句の十天はみな魁星の管する所に属するので、頭名を得ることができる。ただなぜか、この人が手に入れたのは東方江辺で魚鹽を掌管する差事であった。鄧家は幾代もの武官で頗る銭粮があるとはいえ、しかも申子辰はまさに漕司の局である。戊日は水をもって財とし、破費の多さは言うに難い。すでにその中に通じ得る関節があると知り、また換巻の事があると聞くが、究竟如何なるものかは知ることができない。末伝は宅位に帰して辰で、辰はまさに甲辰旬の魁首なので、本経の経魁に中った。第二年は省試に中らなかったとはいえ、弓馬を考え、明州象山縣の税務の職を得た。
蓋戊土以辰為庫。辰土生於申,乃真庫也。凡墓與庫二名而同體,何以分別?蓋生處為庫,殆囚為墓。今辰生於辰,實真庫,天罡為魚鹽之物,故鹽務兼煎鹽也。
その中の道理を推究するに:戊土は辰をもって庫とする。辰土の長生は申にあるので、この辰は真庫である。およそ「墓」と「庫」の二つの名目は実は同一のもので、どうして分別するか。長生の処に在るを庫といい、衰囚の処に在るを墓という。今辰は辰位に生じ、確かに真庫である。天罡(辰)は物類の上で魚鹽を主るので、彼が得たのはまさに鹽務で、さらに煎鹽を兼ね管した。
戊申日・鄧巡轄が赴任を占う(己酉年、宋本邵案)
己酉年戊申日酉將子時鄧巡轄本命戊寅生三十二歲占赴任。宋本邵案 陳六 龍寅卯辰巳朱 空丑 午蛇 龍朱常龍 鬼 空寅 龍 虎子 未貴 寅巳亥寅 財 辛亥 常 常亥戌酉申后 巳申寅戊 子 戊申 后 玄陰
己酉年戊申日、月将の酉を用いて子時の上に加えて課を起こした。鄧巡轄は本命戊寅年生まれ、三十二歳で、赴任を占問した。この条は宋本『邵案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「陳、六」(勾陳、六合)。一列は「龍(青竜)寅、卯、辰、巳、朱(朱雀)」。左側は「空(天空)丑」で右側の「午、蛇(螣蛇)」に対し、「虎(白虎)子」は「未、貴(貴人)」に対する。下の列は「常(太常)亥、戌、酉、申、后(天后)」で、末に「玄、陰」(玄武、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「巳申寅戊」で、上神は「寅巳亥寅」で、各々「龍、朱、常、龍」を乗せ、すなわち第一課は寅が戊に加わり、第二課は亥が寅に加わり、第三課は巳が申に加わり(日支の申の上に巳を見る)、第四課は寅が巳に加わる。三伝は寅・亥・申:初伝の寅は官鬼爻で、青竜を乗せ、源文は寅の前に「空」を標し、寅が旬空に落ちることを示す。中伝の亥は妻財爻で、遁干は辛、太常を乗せる。末伝の申は子孫爻で、遁干は戊、天后を乗せる。
邵彥和曰:大凡占官要見官,今寅值龍作官,奈何寅空,必不得也。卻就支宅上去作朱雀,乃戊祿臨支也,宅神申又加亥為末傳,此仕莫非虛度。蓋寅是官星,巳是祿位,寅乘龍不空,即當赴任,即空反作鬼論,鬼來逼日,去日加支,克支之神,主權攝不正。又戊祿在巳,巳與申合,祿在支,故正任不可望,卻乃食祿。內主陳姓人不足,且當西南上避嫌,待陳姓退去,方得正任。行年上午乘蛇臨行時主婦人纏繞也。
邵彦和が言うには、およそ官職を占うには、先ず課の中に官星を見ることを要する。今寅が青竜を乗せてまさに官星を作すが、無奈寅は旬空に落ち、この官は必ず手に到らない。官星はかえって日支の宅位の上に走り去り朱雀を乗せた。あれは戊日の禄神が支の上に臨んだものである。宅神の申はまた亥の上に加わって末伝を作した――この一任は恐らく虚度するのであろう。道理は:寅は官星で、巳は禄位である。假令寅が青竜を乗せて空に落ちなければ、順利に赴任すべきであった。一たび空に落ちれば、かえって官鬼として論ずるべく、鬼が来て日干を逼迫し、日干を離れて日支に加わり、支上の神を克制するは、ただ暫署代理するのみで正任ではないことを主る。さらに戊の禄は巳にあり、巳はまた申と相合し、禄は日支の上に落ちるので、正式に到任することは指望できないが、なお俸禄を食することはある。内裏には一人の陳と姓する人がその中で梗を作すことを主り、なお西南方へ行って嫌を避けるべく、この陳姓が退去するのを待って、はじめて正任を得ることができる。行年の上の午は螣蛇を乗せてまた出行の時に臨むので、婦人の纏繞があることを主る。
鄧果於當年十一月上任,因陳提刑與伊尊人有仇隙,故行至半途,遂不敢往,經過鄂州,素與太守有舊,遂令權公使及酒稅。至次年八月陳替去,鄧始得到任。
鄧巡轄は果たして当年十一月に身を動かして上任し、陳提刑が彼の父と旧怨を有したために、半路まで歩くともはや前に向かうことを敢えてしなかった。鄂州を路過した時、彼は素から当地の太守と交情があったので、太守は則ち彼をして暫く公使の職を代理させ併せて酒税を管せしめた。第二年八月に至り陳提刑が人に接替されて調え去られ、鄧巡轄はやっと正式に到任することができた。
戊申日・劉秘教が宅を占う(己酉年六月初一、宋本邵案・口鑑)
己酉年六月初一戊申日未將酉時劉秘教己巳生四十一歲占宅。宋本邵案 口鑑 六朱 陳卯辰巳午蛇 龍寅 未貴 六蛇空陳 兄 癸丑 空 空丑 申后 辰午丑卯 財 辛亥 常 虎子亥戌酉陰 午申卯戊 子 己酉 陰 常玄
己酉年六月初一戊申日、月将の未を用いて酉時の上に加えて課を起こした。劉秘教は己巳年生まれ、四十一歳で、住宅を占問した。この条は宋本『邵案』から出て、また『口鑑』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「陳(勾陳)卯、辰、巳、午、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)寅」で右側の「未、貴(貴人)」に対し、「空(天空)丑」は「申、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)子、亥、戌、酉、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「午申卯戊」で、上神は「辰午丑卯」で、各々「六、蛇、空、陳」を乗せ、すなわち第一課は卯が戊に加わり、第二課は丑が卯に加わり、第三課は午が申に加わり(日支の申の上に午を見る)、第四課は辰が午に加わる。三伝は丑・亥・酉:初伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天空を乗せる。中伝の亥は妻財爻で、遁干は辛、太常を乗せる。末伝の酉は子孫爻で、遁干は己、太陰を乗せる。
邵彥和曰:家勢退矣。日上空亡剋日,又作勾陳,舊事百般,盡牽在己,宅上午上,騰蛇帶羊刃主家人爭產,四散分飛。初傳丑作天空在卯,主泥土塞門戶,婦人婢腹常疼痛,又有白帶。自身主脾洩,末傳盡去彼被來年難過,主太陰少婦管家,乙卯年果將住宅拆毀,各人四散分居矣。
邵彦和が言うには、この家の家勢は敗落しようとしている。日干の上は空亡の神が来て日干を克し、また勾陳を乗せるので、百般の旧事が統べて自分の身に纏い着くことを主る。宅位の上は午で、午は螣蛇を乗せてまた羊刃を帯び、家の裏の人が家産を争うために鬧して四散分飛することを主る。初伝の丑は天空を乗せて卯位の上に臨み、泥土が門戸を堵塞し、家中の婦人と婢女が常に腹痛を犯し、また白帯の疾があり、主人は自ら脾虛泄瀉を主る。末伝は気を乾乾浄浄に脱するので、彼は明年には過ごし難い。又主として太陰の代表する年軽い婦人が来て家を当る。乙卯年に至り、この家は果たして住宅を拆毀し、各人は四散して分かれ別居した。
戊申日・鄒大官人が比試弓馬を占う(己酉年四月、宋本邵案・口鑑)
己酉年四月戊申日酉將申時鄒大官人庚辰生三十歲占比試弓馬取功名。宋本邵案 口鑑 空虎 龍午未申酉常 陳巳 戌玄 玄常空龍 兄 庚戌 玄 六辰 亥陰 戌酉未午 子 己酉 常 朱卯寅丑子后 酉申午戊 父 丙午 龍 蛇貴
己酉年四月戊申日、月将の酉を用いて申時の上に加えて課を起こした。鄒大官人は庚辰年生まれ、三十歳で、弓馬を比試して功名を取ることを占問した。この条は宋本『邵案』から出て、また『口鑑』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「空、虎」(天空、白虎)。一列は「龍(青竜)午、未、申、酉、常(太常)」。左側は「陳(勾陳)巳」で右側の「戌、玄(玄武)」に対し、「六(六合)辰」は「亥、陰(太陰)」に対する。下の列は「朱(朱雀)卯、寅、丑、子、后(天后)」で、末に「蛇、貴」(螣蛇、貴人)を綴る。四課の下神は右から左へ「酉申午戊」で、上神は「戌酉未午」で、各々「玄、常、空、龍」を乗せ、すなわち第一課は午が戊に加わり、第二課は未が午に加わり、第三課は酉が申に加わり(日支の申の上に酉を見る)、第四課は戌が酉に加わる。三伝は戌・酉・午:初伝の戌は兄弟爻で、遁干は庚、玄武を乗せる。中伝の酉は子孫爻で、遁干は己、太常を乗せる。末伝の午は父母爻で、遁干は丙、青竜を乗せる。
邵彥和曰:課得昴星,名虎視,身上有馬而無弓,馬帶陽刃,若見焦黃馬,決不可騎,為他所害。況所走之地,有汙穢,不可令新衣人在傍,如要去,須先解禳。
邵彦和が言うには、この課が得たのは「昴星課」で、また「虎視」ともいう。日干の身上には馬があるのみで弓がなく、馬はまた陽刃を帯びている。倘もし焦黄色の馬を見れば、万に一つも騎ってはならず、それに傷られる。何况往かんとするあの場地の上に汚穢の物があるので、新衣を穿つ人を傍らにおかせてはならない。もし行かざるを得なければ、須く先に一番の解禳を為すべきである。
蓋干支上各自刑,賓主不投;行年上申,申是箭,卻不得地。干見酉,支見午,名四勝殺,主各逞其能。陽刃午作青龍,僅得兵部垂顧,初戌作玄武,又六害,如何比得中?鄒後果屢試不中,得趙侍郎權兵部,乃與他一虛官銜。
その中の道理を推究するに:日干と日支の上は各々自ら刑を帯び、賓主の間は彼此に投合しない。行年の上は申で、申は箭を主るが、地を得ない処に落ちる。日干の上に酉を見、日支の上に午を見、これを「四勝殺」という。双方が各々己が能を逞しうして互いに相譲らないことを主る。陽刃の在る午は青竜を乗せ、ただ兵部の一点の照顧を得るに足る。初伝の戌はまた玄武を乗せ、なお六害を帯びる――このようでどうして比べ中ることができようか。鄒大官人はその後果たして屢試して中らず、ただ趙侍郎が暫く兵部を管したために、やっと彼に一つの空頭の官銜を与えた。
愚按:蓋巳為弓,申為箭,今有馬有箭,而無弓,所以事終不成也。
私(編者程樹勲)按:巳は物類の上で弓を主り、申は箭を主る。この課の裏には馬もあり箭もあるが、独り弓だけが欠けているので、この比試の事は終に成らなかったのである。
戊申日・弟が兄の信息を占う(乾隆戊辰年戌月、牧夫占験)
乾隆戊辰年戌月戊申日辰將卯時弟占兄信息。牧夫占驗 空虎 龍午未申酉常 陳巳 戌玄 玄常空龍 兄 庚戌 玄 六辰 亥陰 戌酉未午 子 己酉 常 朱卯寅丑子后 酉申午戊 父 丙午 龍 蛇貴
乾隆戊辰年戌月戊申日、月将の辰を用いて卯時の上に加えて課を起こし、弟が兄の音信を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「空、虎」(天空、白虎)。一列は「龍(青竜)午、未、申、酉、常(太常)」。左側は「陳(勾陳)巳」で右側の「戌、玄(玄武)」に対し、「六(六合)辰」は「亥、陰(太陰)」に対する。下の列は「朱(朱雀)卯、寅、丑、子、后(天后)」で、末に「蛇、貴」(螣蛇、貴人)を綴る。四課の下神は右から左へ「酉申午戊」で、上神は「戌酉未午」で、各々「玄、常、空、龍」を乗せ、すなわち第一課は午が戊に加わり、第二課は未が午に加わり、第三課は酉が申に加わり(日支の申の上に酉を見る)、第四課は戌が酉に加わる。三伝は戌・酉・午:初伝の戌は兄弟爻で、遁干は庚、玄武を乗せる。中伝の酉は子孫爻で、遁干は己、太常を乗せる。末伝の午は父母爻で、遁干は丙、青竜を乗せる。
王牧夫曰:此課後日庚戌日,必有信音,但行人不得至,已有動念。蓋昴星為課,主信義,所動必準,故應庚戌日。午為文書,青龍乘其上,文書臨身,故主先有信至。戌酉申為返駕,當主行人至。而酉申皆金,堅固不化,雖有動念而未行也。上乃唐公圭所斷,與餘復視,其兄數年未有信息。又七十以上人,客遊在外,安能望其消息?不知此課昴星,又無凶戰,豈得以凶論之?餘以理斷,果於庚戌日,得馬溜船上人代寄信云:隨後動身來揚也。其弟次日誕辰,青龍居午馬為宴會,午為南山,即此信到在宴會時。驗甚。
王牧夫が言うには、この課は後日の庚戌日に至り、必ず音信がある。だが出門した人はなお到らず、ただすでに帰る念頭を動かした。課体が昴星で信義を主り、動する事は必ず応准するので、庚戌日に応じる。午はこの課の中で文書を代表し、青竜はまたその上に乗り、文書が日干の身上に臨むので、先ず書信が到来することを主る。戌・酉・申の三伝は「返駕」の象で、もともと行人が帰ることを主るべきだが、酉・申はともに金に属し、堅固で化せないので、念頭を動かしたとはいえ、脚步はなお邁き開いていない。以上は唐公圭の断った所で、持って来て私に復看させた。彼の兄は幾年も音信がなく、また七十を越えた人が客游して外に在るので、どうしてなお消息を指望し得ようか。だが彼らはこの課が昴星であり、また凶戦の象がないことを知らず、どうして凶に按じて断ずることができようか。私は課理に按じて推断し、果たして庚戌日に、馬を走らせ船を溜める人が代りに信を捎けて来て説いた:随い後に身を動かして揚州に来ると。彼の弟は翌日がちょうど生日で、青竜が午の上に居り午は駅馬で、宴会の象で、午はまた南山を主る――この信はまさに宴会の時に送り届けられた。応験するほどであった。
戊申日・童三十四公が家宅を占う(乙酉年八月、方本占案・口鑑)
乙酉年八月戊申日巳將卯時童三十四公丙申生七十四歲占家宅。方本占案 口鑑 虎常 空未申酉戌玄 龍午 亥陰 后玄常空 財 壬子 后 陳巳 子后 子戌酉未 鬼 空寅 蛇 六辰卯寅丑貴 戌申未戊 兄 甲辰 六 朱蛇
乙酉年八月戊申日、月将の巳を用いて卯時の上に加えて課を起こした。童三十四公は丙申年生まれ、七十四歳で、家宅を占問した。この条は『方本占案』から出て、また『口鑑』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「虎、常」(白虎、太常)。一列は「空(天空)未、申、酉、戌、玄(玄武)」。左側は「龍(青竜)午」で右側の「亥、陰(太陰)」に対し、「陳(勾陳)巳」は「子、后(天后)」に対する。下の列は「六(六合)辰、卯、寅、丑、貴(貴人)」で、末に「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)を綴る。四課の下神は右から左へ「戌申未戊」で、上神は「子戌酉未」で、各々「后、玄、常、空」を乗せ、すなわち第一課は未が戊に加わり、第二課は酉が未に加わり、第三課は戌が申に加わり(日支の申の上に戌を見る)、第四課は子が戌に加わる。三伝は子・寅・辰:初伝の子は妻財爻で、遁干は壬、天后を乗せる。中伝の寅は官鬼爻で、螣蛇を乗せ、源文は寅の前に「空」を標し、寅が旬空に落ちることを示す。末伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、六合を乗せる。
邵彥和曰:此課老反送幼,良為不利。初子亦為子息,天后為少女,既有初而無中末,是家務不進也。身上見眷屬,行年上引出破敗,宅上戌作元武,主諸子分居,財各入己。其第三子最不肖。四課內發用更傳出玄之陰,是子孫是賊也。當年喪第三媳,又嫁少女,次年爭訟。二子死,壬子年喪長子,甲寅年喪四子,財物悉盡。音公有五子,至此僅存其二矣。
邵彦和が言うには、この課は老人がかえって晚辈を送葬することを主り、実に不吉利である。初伝の子はすでに子女を代表し、天后はまた少女を代表する。ただ初伝のみ看るべく中末の両伝はともに事に濟わず、家業が長進できない象である。日干の身上に眷属の神を見、行年の上にまた破敗を引き出し、宅位の上の戌は玄武を乗せ、幾人かの息子が各自分居して各々財産を自分の口袋に収めることを主る。その中の三番目の息子が最も器を成さない。四課の内から発用し、さらに玄武の陰神の上から伝出する。これは則ち子孫本身がすなわち家賊であると説くのである。当年に他家は三番目の児媳が死に、また一人の小娘を嫁ぎ出し、第二年に争訟が起こり、二人の息子が死んだ。壬子年に長子が死に、甲寅年に第四子が死に、財物もまた耗し尽くした。童公にはもと五人の息子があったが、この時に至ってただ二人が残った。
蓋日上未為眷屬,陰上見酉,酉屬兌,兌為少女。初傳見子,子是子息也。皆是己下之人,而無老陰老陽之輩。且行年上巳為老陽,卻臨卯上自敗,亥為老陰,卻在酉上自敗,中寅日德而空亡,辰為財庫,庫既空,財亦空矣。
その中の道理を推究するに:日干の上の未は眷属を主り、その陰神の上に酉を見、酉は兌卦に属し、兌は少女である。初伝に子を見、子は子女である。これらはみな自分より輩分の低い人で、課の中には老陽・老陰を代表する長輩の神がない。さらに言えば、行年の上の巳はもと老陽だが、卯の上に臨んで自ら敗地に処する。亥はもと老陰だが、酉の上に落ちてやはり自ら敗地に処する。中伝の寅はもと日徳なのに、偏しくもまた空亡に落ちる。辰は財庫で、庫はすでに空なので、財もまたそれに随って空となったのである。
愚按:此節自陰上見酉以下五十八字與老反送幼相矛盾,必非邵公之語,乃後人之強作解事者,杜撰之詞。餘意,子為子息,乘天后又為少女,既作死氣又受戌土之下克,干上未土之克害,故不利子息與少婦。況子在四課,恰為卑幼之位,受克受害,安得不傷?邵公既引而不發,以待學者之自悟,奈何後人不諳此理,節外生枝,使明鏡而生塵埃也乎?
私(編者程樹勲)按:上一節の「陰上見酉」以下の五十八字は、「老反送幼」の断語と自相矛盾し、必ず邵彦和の言葉ではなく、後人が強ち知らざるをもって知ると為し、杜撰して添えたものである。私が看るに:子は子女を代表し、また天后を乗せて兼ねて少女を主り、本身ですでに死気を作し、下にまた戌土が来て克するのを受け、上にはなお日干の上の未土の克害を受けるので、子女と年軽い媳婦に不利を主る。何况子は四課の中でちょうど卑幼の位置に処し、すでに克を受けまた害を受けるので、どうして傷を受けないことがあろうか。邵彦和は言葉を点到して止め説破しないのは、後学に留めて自ら領悟せしめるのであり、無奈後人がこの層の道理を懂さず、節外に枝を生じ、かえって一面の明鏡に塵埃を生ぜしめたのである。
戊申日・病を占う(戊辰年戌月、牧夫占験)
戊辰年戌月戊申日辰將寅時占病。牧夫占驗 虎常 空未申酉戌玄 龍午 亥陰 后玄常空 財 壬子 后 陳巳 子后 子戌酉未 鬼 空寅 蛇 六辰卯寅丑貴 戌申未戊 兄 甲辰 六 朱蛇
戊辰年戌月戊申日、月将の辰を用いて寅時の上に加えて課を起こし、疾病を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。用いた課式は上の一則の童公が家宅を占ったのと同じである。天地盤の一圏:起首は「虎、常」(白虎、太常)。一列は「空(天空)未、申、酉、戌、玄(玄武)」。左側は「龍(青竜)午」で右側の「亥、陰(太陰)」に対し、「陳(勾陳)巳」は「子、后(天后)」に対する。下の列は「六(六合)辰、卯、寅、丑、貴(貴人)」で、末に「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)を綴る。四課の下神は右から左へ「戌申未戊」で、上神は「子戌酉未」で、各々「后、玄、常、空」を乗せる。三伝は子・寅・辰:初伝の子は妻財爻で、遁干は壬、天后を乗せる。中伝の寅は官鬼爻で、螣蛇を乗せ、旬空に落ちる。末伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、六合を乗せる。
王牧夫曰:此病其患在背,遲遲而愈,無礙也。何以知病患在背?書曰:三壬,天后臨子,遁壬一也。(愚按:此句有錯誤字。當云:三壬為背,天后屬壬,一也。甲辰旬是壬子,二也。戊日五子元遁得壬子,三也。)又寅屬艮,艮為背,是以知之。但官鬼帶蛇,不能即好,末見墓合,又是儀神,既合且墓能救日也。儀神、月將皆吉神,故能化凶為吉也。
王牧夫が言うには、この病の患は背部に在り、癒えるのはやや遅いが、大きな礙はない。どうして病が背に在ると知ったか。書の上に「三壬」と説く:天后は子の上に臨み、しかも子の中に壬が遁出する。これは第一层である。(編者程樹勲按:この句に錯字あり、当に「三壬為背、天后屬壬、此其一;甲辰一旬所配是壬子、此其二;戊日以五子元遁得壬子、此其三」と作るべき。)さらに寅は艮卦に属し、艮は人身に於いてまさに背脊を主るので、病が背に在ると断じた。ただ官鬼がまた螣蛇を帯びるので、病はすぐには癒えない。好在末伝に見えるは墓でありてまた合を成し、同時にまた「儀神」で、すでに相合しまた墓なので、日干を救護し得る。儀神と月将はともに吉神なので、凶を転じて吉と成すことができる。
又丙子日,為人占得戌酉申三傳,余斷其病在舌。蓋心屬火,舌根於心,發用火墓,申酉金主聲為墓,所閉必病啞也。果驗。善推於理,確然必中。
また一たび丙子日に、人のために病を占って戌・酉・申の三伝を得、私は彼の病が舌の上に在ると断じた。心は火に属し、舌頭の根本は心に連なり、発用の戌はまさに火の墓庫だからである。申・酉は金に属して声音を主り、今やまた墓に入ったので、声音が閉じられ、必ず唖の病を害する。その後果たして応験した。ただ課理の上から推求することに善ければ、必ず断じ得て准るのである。
戊申日・父子がいつ帰るかを占う(五月、張本占案)
五月戊申日未將辰時占父子出何時回?張本占案 龍勾合朱 申酉戌亥 后朱朱龍 鬼 ◎寅 后 空未 子蛇 寅亥亥申 父 乙巳 常 虎午 丑貴 亥申申戊 子 戊申 龍 巳辰卯寅 常玄陰后
五月戊申日、月将の未を用いて辰時の上に加えて課を起こし、出門して外に在る息子がいつ帰るかを占問した。この条は『張本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「申酉戌亥」で、その上に「龍、勾、合、朱」(青竜、勾陳、六合、朱雀)を乗せる。左側は「空(天空)未」「虎(白虎)午」、右側は「子、蛇(螣蛇)」「丑、貴(貴人)」、下に排するは「巳辰卯寅」で、その下は「常、玄、陰、后」(太常、玄武、太陰、天后)。四課の下神は右から左へ「亥申申戊」で、上神は「寅亥亥申」で、各々「后、朱、朱、龍」を乗せ、すなわち第一課は亥が戊に加わり、第二課は寅が亥に加わり、第三課は亥が申に加わり(日支の申の上に亥を見る)、第四課は寅が亥に加わる。三伝は寅・巳・申:初伝の寅は官鬼爻で、天后を乗せ、前に標す「◎」は源文が旬空を標す記号。中伝の巳は父母爻で、遁干は乙、太常を乗せる。末伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。
苗公達曰:支與干會,行人必來。申為子孫,坐干上,不過七日汝從東北四十里大木橋上相等,汝子帶有一妻,年二十八,戴朱冠穿青綢祅,下著白絲套鞋,乘馬而來。有四擔行李,得憲司牌封鑽。一女許一少年醫生,今同汝子來作贅婿。蓋末傳申七數,故七日來。寅為天梁,故曰橋。亥四數,故四十里。寅七數,坐亥故四七二十八。亥為絲綢,寅青色。寅為車馬,故曰青衣乘馬。朱雀帶天空加財上,故曰憲牌,申金為鑽也。亥為申之女,寅為醫亦為婿,寅與亥合乘天后在第四課上,是以女招婿贅到我家也。寅生巳,巳生申,申生戊,一路順生,大得和諧。
苗公達が言うには、日支と日干が交会するので、出門した人は必ず帰って来る。申は子孫爻で、また日干の上に坐するので、七日を出ずに、おまえは東北方四十里外の大木橋の上に行って彼を待つがよい。おまえの息子は一人の妻子を帯び、年紀は二十八歳で、頭には紅冠を戴き身には青綢襖を穿き、脚下は白絲の套鞋で、馬に騎って来る。随い行くに四担の行李があり、また憲司衙門の封発した憑牌を帯びる。別に一人の娘は一人の年軽い医師に許配してあり、今またおまえの息子とともに帰って来て入贅する。どうしてこのように断じたか。末伝の申は数が七なので、七日に帰る。寅は「天梁」なので橋と説いた。亥の数は四なので四十里。寅の数は七で亥の上に坐し、四七を相乗するので二十八歳。亥は絲綢を主り、寅は青色を主る。寅はまた車馬を主るので、青衣を穿ち馬に騎って来ると説いた。朱雀が天空を帯びて財爻の上に加わるので、憲司の憑牌と説き、申金は則ちあの封牌の上の鑽記である。亥は申の娘で、寅はすでに医師を主りまた女婿を主り、寅と亥は相合し併せて天后を乗せて第四課の上に落ちるので、女婿を招いて自分の家に入贅するのである。寅は巳を生じ、巳は申を生じ、申は戊を生じ、一路順に生ずるので、家中は必ず十分に和睦する。
戊申日・汪昆が代わりに嬰児の病を占う(甲戌年亥月、牧夫占験)
甲戌年亥月戊申日卯將子時汪昆自兄代占嬰兒病。牧夫占驗 蛇朱合勾 申酉戌亥 虎勾勾蛇 鬼 ◎寅 虎 貴未 子龍 寅亥亥申 父 乙巳 陰 后午 丑空 亥申申戊 子 戊申 蛇 巳辰卯寅 陰玄常虎
甲戌年亥月戊申日、月将の卯を用いて子時の上に加えて課を起こし、汪昆が自分の兄のために代わりに嬰児の病を占った。この条は『牧夫占験』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「申酉戌亥」で、その上に「蛇、朱、合、勾」(螣蛇、朱雀、六合、勾陳)を乗せる。左側は「貴(貴人)未」「后(天后)午」、右側は「子、龍(青竜)」「丑、空(天空)」、下に排するは「巳辰卯寅」で、その下は「陰、玄、常、虎」(太陰、玄武、太常、白虎)。四課の下神は右から左へ「亥申申戊」で、上神は「寅亥亥申」で、各々「虎、勾、勾、蛇」を乗せ、すなわち第一課は亥が戊に加わり、第二課は寅が亥に加わり、第三課は亥が申に加わり、第四課は寅が亥に加わる。三伝は寅・巳・申:初伝の寅は官鬼爻で、白虎を乗せ、前に標す「◎」は旬空に落ちることを示す。中伝の巳は父母爻で、遁干は乙、太陰を乗せる。末伝の申は子孫爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。四課三伝は上の一則の父子の帰期を占ったのと同じで、ただ乗ずる天将が異なるだけである。
王牧夫曰:此風搐之症。虎乘寅,為虎踞山林,故主風搐孔。七日之內,即為嬰鬼矣。蓋小兒占,不宜見刑,用見刑者,百無一存也。此乃三刑,刑盡長生,本元既絕,雖有些小吉象,亦無益耳。常占以虎頭蛇尾,先重後輕,餘獨謂是小棺具之象也。何也?乃日德居於蛇虎之中,成了三刑,安能望其生乎,果驗。餘又占得一九歲兒病,乃是癸丑日伏吟,丑乘勾陳,斷曰:此亂墳堆耳,不能治也。後果驗。
王牧夫が言うには、これは抽風驚搐の症である。白虎が寅を乗ずるは猛虎が山林に盤踞する象なので、風搐を主る。七日の内に、この子は小鬼を成すことになる。およそ小児のために病を占うに、最も忌むべきは課の中に刑を見ることで、発用に刑を見るのは、百個の中に一個も活きない。この課はまさに寅巳申の三刑で、長生の気を刑し尽くし、本元はすでに断絶したので、たとえ一点の小さな吉象があっても、事に濟わない。尋常の人は虎頭蛇尾の格局を占うと、ただ先ず重く後に軽しと説くが、私は独りこれが一具の小棺材の象であると認める。なぜか。日徳が螣蛇と白虎の間に夾まれ、また三刑を成したので、どうしてなお生き成ることを指望できようか。その後果たして応験した。私はまた一つの九歳の子の病を占ったことがあり、あれは癸丑日の伏吟課で、丑の上に勾陳を乗せていた。私が断じて言うには、これはただ一堆の乱墳に過ぎず、治せない、と。その後もまた果たして応験した。
戊申日・夢を占う(崇正丁丑年十月、郭氏占案)
崇正丁丑年十月戊申日卯將子時占夢。郭氏占案 蛇朱合勾 申酉戌亥 虎勾勾蛇 鬼 ◎寅 虎 貴未 子龍 寅亥亥申 父 乙巳 陰 后午 丑空 亥申申戊 子 戊申 蛇 巳辰卯寅 陰玄常虎
崇正丁丑年十月戊申日、月将の卯を用いて子時の上に加えて課を起こし、一場の夢を占った。この条は『郭氏占案』から出ている。用いた課式は上の一則の汪昆が代わりに嬰児の病を占ったのと完全に同じである。天地盤の一圏:上に排するは「申酉戌亥」で、その上に「蛇、朱、合、勾」(螣蛇、朱雀、六合、勾陳)を乗せる。左側は「貴(貴人)未」「后(天后)午」、右側は「子、龍(青竜)」「丑、空(天空)」、下に排するは「巳辰卯寅」で、その下は「陰、玄、常、虎」(太陰、玄武、太常、白虎)。四課の下神は右から左へ「亥申申戊」で、上神は「寅亥亥申」で、各々「虎、勾、勾、蛇」を乗せる。三伝は寅・巳・申:初伝の寅は官鬼爻で、白虎を乗せて旬空に落ちる。中伝の巳は父母爻で、遁干は乙、太陰を乗せる。末伝の申は子孫爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。
郭御青曰:餘自丁丑八月,京邸候選,至十月十四日,夜得一夢,夢一人叩寓門,高聲腔朗誦曰:正西身上可安坤。餘夢中曰:汝錯念,乃坤上可安身。其人又朗誦如前。遂醒,呼燭占之,卯加子,得申戊一課。戊乃干身,上乘申,非身上可安坤而何?夢中人為餘起此課也。亦奇矣。詳課體,初中官祿俱空,豈十月尚不得選乎?辰課不備,弔客臨宅。至家中幼小不安。其餘莫能盡解。去燈假寐,又夢一老嫗架鷹逐兔,其兔起餘面前,奔入一犬腹內,餘一足踏犬頸曰:剖犬即得此兔矣。遂醒。一夜連得二奇夢,取課詳玩,見酉乘朱雀臨午,戌乘六合臨未。酉乃婢,朱雀乃鷹也。戌乃犬,六合乃兔也。但不知所主何事。
郭御青が言うには、私は丁丑年八月から京城の客邸に住んで選官を等候し、十月十四日の夜に一つの夢を作った:ある人が寓所の門を敲き、高声で朗誦するのを夢に見て曰く「正西身上可安坤」。私は夢の中で言った:おまえは念じ誤った、「坤上可安身」であるべきだ、と。あの人はまた原様のまま朗誦し一遍した。私はここに於いて醒め、人に灯を點けさせ課を起こさせた:卯が子に加わり、申が戊に加わる一課を得た。戊はまさに日干で自身を代表し、上に乗ずるは申である――これはまさに「身上可安坤」(申)ではないか。もとは夢中の人が我のためにこの課を起こしたので、も亦真に奇である。細かに課体を看ると、初伝と中伝の官星・禄神はともに空に落ちる。まさか十月にもなお官を選ばれないのか。第三課は完備せず、吊客の神が宅位の上に臨み、家の中の小孩子が安からないことを主る。その余は全てを解き通すことができない。灯を熄して再び仮寐すると、また一人の老婦人が鷹を架えて兔子を追うのを夢に見、その兔子は我の面前から竄り起きて、一条の狗の肚裏に鑽り込んだ。私は一隻の脚で狗の脖子を踏み住めて言った:狗を剖き開けば則ちこの兔子を得ることができる、と。隨って醒めた。一夜の間に連続して二つの奇夢を得、課を取って反復して玩味した:酉が朱雀を乗せて午の上に臨み、戌が六合を乗せて未の上に臨むのを見た。酉は婢女を主り、朱雀はすなわちあの鷹。戌は狗を主り、六合はすなわちあの兔――ただ当時はなお究竟何事に応ずるかを知らなかった。
不數日,餘因舊火病,為庸醫針灸,兼得服附子過多,火熾如燎膚,遍身瘡痍,不離床褥,十月遂未得選。餘止兩幼子,家信至,俱為痘傷,至十二月,力疾選得懷慶,取課反覆推詳,一一符合。初中官祿俱空,主十月不得選。干上騰蛇,上下夾克,即主身上火病,且申乃子息爻,騰蛇正斑痘之患,即主傷子。鷹犬之夢,蓋六合小兒之象,前為鷹鶉所逐,後為天狗所食也。至十二月,春節不遠,寅木有氣,所以得選。寅臨亥地,亥乃魏分,懷慶屬焉,且籤選十七又亥日,一一皆前定矣。人生碌碌何為哉?猶幸剖犬而得兔之說,餘良辰年,交壬戌運,辰戌沖,即剖犬可以得子矣。但正西二年尚不得其解,姑存之。
数日を過ごさずに、私は旧有の火病のために庸医に鍼灸を施され、また附子を服すること多すぎて、火気が焼けること皮肤に燎するが如く、渾身に瘡を生じ、牀を起つことができず、十月の裡に則ち官を選ばれることができなかった。私にはただ二人の幼子があり、家信が送り届けられ、いずれも痘疹に害されたと言う。十二月に至り、私は勉めて病体を支えて懐慶の一缺を選び得た。さらにあの一課を持って来て反復して推詳すれば、竟に一々相符した:初伝中伝の官星禄神がともに空に落ちるは、まさに十月に選ばれないことを主る。日干の上は螣蛇で、上下が夾克すれば、則ち身上の火病を主る。しかも申は子息爻で、螣蛇はまさに斑痘の患に応ずるので、子を傷ることを主る。鷹犬の夢に至っては、六合はもともと小児の象で、先に鷹鶻に追逐され、後に天狗に吞食されるは、まさにこの事を説いたのである。十二月に至り、春節を離れること遠からず、寅木が漸々気あるので、選ばれることができた。寅は亥位に臨み、亥は分野の上で魏地に属し、懐慶はまさに魏分に帰する。しかも抽籤して官を選んだのは十七日で、またちょうど亥日であった――桩桩件件みな前定である。人生は碌碌として、究竟何の為であるか。幸いにまだ「犬を剖いて兎を得」という一説がある:私は辰年に生まれ、壬戌の大運に交じ入り、辰戌が相冲するので、まさに狗の肚を剖き開けば子を得るべしに応ずる。ただ「正西」の二字はこの二年まだ解き出せない。姑くここに記する。
戊申日・晴雨を占う(十二月、方本占案)
十二月戊申日子將申時某占晴雨。方本占案 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇貴陳 兄 甲辰 玄 空未 寅后 辰子丑酉 子 戊申 龍 虎午巳辰卯陰 子申酉戊 財 壬子 蛇 常玄
十二月戊申日、月将の子を用いて申時の上に加えて課を起こし、ある人が来て晴雨を占った。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「陳(勾陳)酉、戌、亥、子、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)申」で右側の「丑、貴(貴人)」に対し、「空(天空)未」は「寅、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)午、巳、辰、卯、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子申酉戊」で、上神は「辰子丑酉」で、各々「玄、蛇、貴、陳」を乗せ、すなわち第一課は酉が戊に加わり、第二課は丑が酉に加わり、第三課は子が申に加わり(日支の申の上に子を見る)、第四課は辰が子に加わる。三伝は辰・申・子で、ちょうど申子辰の水局の逆布である:初伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の子は妻財爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
邵彥和曰:潤下課,元臨子作用,中傳龍又乘申,末又是夜青龍。若春占主水漲,今冬占必有大雪。果辛亥日雨,丙辰日大雪,戊午日晴而起風。
邵彦和が言うには、これは「潤下課」で、玄武が水位の上に臨んで発用し、中伝の青竜はまた申を乗せ、末伝はまた夜占の青竜の位に落ちる――満課みな水気である。倘もし春に占い得たならば、河水の暴漲を主る。今は冬の占なので、則ち必ず一場の大雪がある。その後果たして辛亥日に雨が降り、丙辰日に大雪が降り、戊午日に晴に転じて風が起こった。
戊申日・劉将仕が宅を占う(乙酉年六月、宋本邵案・口鑑)
乙酉年六月戊申日未將卯時劉將仕庚午生四十歲占宅。宋本邵案 口鑑 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇貴陳 兄 甲辰 玄 空未 寅后 辰子丑酉 子 戊申 龍 虎午巳辰卯陰 子申酉戊 財 壬子 蛇 常玄
乙酉年六月戊申日、月将の未を用いて卯時の上に加えて課を起こした。劉将仕は庚午年生まれ、四十歳で、住宅を占問した。この条は宋本『邵案』から出て、また『口鑑』に見える。用いた課式は上の一則の晴雨を占ったのと同じである。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「陳(勾陳)酉、戌、亥、子、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)申」で右側の「丑、貴(貴人)」に対し、「空(天空)未」は「寅、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)午、巳、辰、卯、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子申酉戊」で、上神は「辰子丑酉」で、各々「玄、蛇、貴、陳」を乗せる。三伝は辰・申・子:初伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の子は妻財爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
邵彥和曰:即戀一舊妾,又討一新妾,精氣衰耗,漸不支持。三傳皆財為家賊所偷,宅上子作騰蛇,主子外橫,乃宅中水不合被長生耗去,故多招是非,常不安妥。今年太歲值水敗尚可,明年不利;本身有臟毒,終為所苦,溝渠為土淤塞,子作溝渠,上加辰作武,故主土注淤塞,坤申方有澗水來克,子必不肖,而婢為宅主也。劉將仕果有新舊二龐,蓋因酉作勾陳加行年又在日上,是有兩婢也。破碎來勾,主舊事擾攘。戊日局局,財氣太盛,自庫傳出,又傳出去。只因庫中有鬼賊,辰比劫財,又元盜神故也。所以偷去。子作蛇加申,主子息非理廢用。至丁巳年退至八分,庚申年退盡。巳上見酉為破碎,故丁巳退八分。申上見子作蛇撓之,故退盡。辛酉年四月臟毒死矣。蓋酉為臟毒,臨巳為四月,又遇酉年,破碎重見故也。
邵彦和が言うには、この主人はちょうど一人の旧妾に恋い着き、また新たに一人の新妾を討い入れ、精気が日に日に衰耗し、漸々支撑し難い。三伝はみな財爻で、家財が家賊に偷り去られることを主る。宅位の上の子は螣蛇を乗せ、息子が外で横行することを主る――これは宅中の水気が長生の神に耗散されるべきでなく、だから家の裏には多く是非を招き、常常に安穏を得ない。今年の太歳はちょうど水の敗地に値り、なお過ごせると算する。明年は利あらず。主人の本身は痔漏の類の臓毒の病を患え、終にその苦を受ける。溝渠は泥土に淤塞される:子は溝渠を主り、上に辰を加えてまた玄武を乗ずるので、泥土が灌注して淤塞することを主る。西南の坤申の方に澗水が冲して来て相克するので、息子は必ず不肖で、かえって婢女がこの家を当っている。劉将仕は果たして新旧二人の寵妾があった――酉が勾陳を乗せてすでに行年の上に加わりまた日干の上にあるので、二人の婢妾である。破碎の神はまた勾陳とともに来るので、旧事が紛擾して休まないことを主る。戊日はこの財局を得て、財気が過盛で、庫の中から伝出し、また一路に伝わり出て行った。ただ庫の裏に鬼賊を蔵するがため――辰は比肩劫財であり、また玄武という盗神でもある――だから財はみな偷り去られた。子が螣蛇を乗せて申の上に加わるは、息子が胡乱に家産を糟蹋することを主る。丁巳年に至り家業は八成退き、庚申年に退き尽くした。巳の上に酉を見るは破碎なので、丁巳年に八成退き。申の上に子を見てまた螣蛇を乗せて来攪擾するので、庚申年に至って退し尽くした。辛酉年四月、彼は臓毒の病によって死した:酉は臓毒を主り、巳の上に臨んで四月に応じ、また酉年に遇い、破碎の神が重複して現れた故である。
戊申日・劉一純が病を占う(崇正辛未年正月、指南)
崇正辛未年正月戊申日亥將未時劉一純占病。指南 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇貴陳 兄 甲辰 玄 空未 寅后 辰子丑酉 子 戊申 龍 虎午巳辰卯陰 子申酉戊 財 壬子 蛇 常玄
崇正辛未年正月戊申日、月将の亥を用いて未時の上に加えて課を起こし、劉一純が疾病を占問した。この条は『六壬指南』から出ている。用いた課式はなお前の二則と同じである。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「陳(勾陳)酉、戌、亥、子、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)申」で右側の「丑、貴(貴人)」に対し、「空(天空)未」は「寅、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)午、巳、辰、卯、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子申酉戊」で、上神は「辰子丑酉」で、各々「玄、蛇、貴、陳」を乗せる。三伝は辰・申・子:初伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の子は妻財爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
陳公獻曰:病起少陰,目今無慮,但綿纏難脫體。微獨病也,且防賊至。病起少陰者何?從魁臨干為日之敗氣,是因少陰而敗身也。病難脫體者何?傳將合成敗局,生起日之官鬼也。占病而言賊至者何?玄武發用傳歸支上,主賊人入我內室也。醫當如何?木為官鬼,火作白虎,心脾二經受症,當覓東方之醫,理肝清心,切勿健脾補肺。何時當愈?甲戌流年方且不保,遑問愈乎?緣戊日玄墓發用,是為收魂殺。又純財生卯木,死氣剋日,故是年冬可慮乎?果後三月一賊入室,劉復來言及。餘乃以原數斷云:賊北方道路往來,陳姓年少人也。作賊無伴一人耳,然必告官方獲,玄辰乘相氣,主年少,在子為道路,辰與陳姓同音,玄陰生水,水合一數也。官鬼遙克玄武,公命上神又制盜神,必告官然後捕捉也。何日可獲?告官三日即獲。果陳忠也。
陳公献が言うには、この病は少女の身より起こったもので、目下は憂うるに及ばないが、ただ纏綿して脱すること難い。しかも病ばかりでなく、なお賊が来ることを提防すべき。どうして病が少陰より起こったと言うか。従魁(酉)が日干の上に臨み、まさに日干の敗気なので、少女によって身を敗したのである。どうして病が体を脱し難いと言うか。三伝の諸神が一つの敗局を合成し、かえって往きて日干の官鬼を生ずるからである。病を占って賊が来ると説くのは、何を凭りにするか。玄武が発用して三伝が日支の上に帰るので、賊人が我の内室に進み入ることを主る。どう医すべきか。木は官鬼、火は白虎を作す、心・脾の両経が病を受けたので、当に東方の医師を請うて、疏肝清心の法を用いるべく、切に健脾補肺すべからず。いつ癒えるか。甲戌の流年に至っては命さえも保ち難いのに、なにが痊愈を問わんか。戊日は玄武の乗ずる墓神をもって発用とし、これを「収魂殺」という。又是一片の純財が往きて卯木を生じ、死気が来て日干を克するので、あの年の冬は甚だ慮るべきである。その後果たして三ヶ月後に賊が室に入り、劉一純はまた来て説き起こした。私は便ち元の課数に按じて断じて言うには、この賊は北面の路より往来し、一個の陳と姓する年軽い人で、作案に同夥なく、ただ一人である。ただ必ず官に報じてこそ捉え得る。なぜか。玄武の乗ずる辰は相気を帯びるので、年軽を主る。辰は子の位置に在りて道路を主る。「辰」と「陳」姓は同音。玄武は陰に属して水を生じ、水の成数は一に合するので、一人である。官鬼が遥かに玄武を克住し、主人の本命の上の神はまた盗神を制住するので、必ず官に報じて然る後に捕獲し得る。どの日に捉え得るか。官に報じて三日で則ち捉え得る。その後抓到したのは果たして陳忠であった。
戊申日・李載溪の座中に占を索む(崇正戊辰十二月、指南)
崇正戊辰十二月戊申庚申時,予在燕京會高仁齋、夏客還、張環玉邀,蜀中禮部李載溪先生座索占。指南 朱蛇 六戌亥子丑貴 白貴陰六 官 乙卯 陰 勾酉 寅后 午丑卯戌 子 戊申 龍 龍申 卯陰 丑申戌戊 兄 癸丑 貴 空未午巳辰玄 虎常
崇正戊辰年十二月戊申日庚申時、私は燕京で高仁斎・夏客還に会見し、張環玉に相邀えられ、蜀中の礼部の李載溪先生の座上で課を起こすを請われた。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)。一列は「六(六合)戌、亥、子、丑、貴(貴人)」。左側は「勾(勾陳)酉」で右側の「寅、后(天后)」に対し、「龍(青竜)申」は「卯、陰(太陰)」に対する。下の列は「空(天空)未、午、巳、辰、玄(玄武)」で、末に「虎、常」(白虎、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「丑申戌戊」で、上神は「午丑卯戌」で、各々「白、貴、陰、六」を乗せ、すなわち第一課は戌が戊に加わり、第二課は卯が戌に加わり、第三課は丑が申に加わり(日支の申の上に丑を見る)、第四課は午が丑に加わる。三伝は卯・申・丑:初伝の卯は官星で、遁干は乙、太陰を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、貴人を乗せる。
高仁齋曰:卯與戌合,為大六合,六合加戌為小六合,喜末傳月將貴人,定然片言入相。予反其意曰:太陰臨卯,空即不能成名,此乃舊事又舉行者,二月還宜慎重。曰:何以知其舊事?曰:舊太歲發用,且四墓覆生,主已廢復行,沉而又舉也。嫌初中龍官空戰,朱雀陰見玄墓(亥乘朱陰神見辰也),若上疏,旨意不佳。果後以改授上疏見駁,幾至察處。
高仁斎が言うには、卯と戌が相合するは「大六合」で、六合の将がまた戌の上に加わるは「小六合」で、さらに喜ばしいのは末伝が月将と貴人を乗ずること――この先生は定めて一言の間に閣に入り相に拝せられる。私は却って反して説いた:太陰が卯の上に臨み、卯はまた空に落ちるので、則ち名を成すことができない。この事は乃ち旧事を重ねて提するので、二月に至ってなお謹慎すべき。ある人が問うには、どうして旧事と知ったか。私が言うには、上一年の太歳をもって発用とし、これに四墓が反覆して相生することを加えれば、もとすでに廃棄された事がまた新たに推行され、沈んでいたのがまた挙げられることを主る。嫌うべきは初伝・中伝の青竜と官星が空に落ちて相戦することで、朱雀の陰神にまた玄武の墓を見(亥の上に朱雀を乗せ、その陰神に辰を見る)、假令上疏すれば、旨意は必ず好からず。その後果たして授務を改めるために上疏して、駁し返され、ほとんど査処に遭った。
戊申日・劉乾運が前程を占う(己酉年六月、方本占案・口鑑・宋本邵案)
己酉年六月戊申日未將寅時劉乾運丙寅生四十四歲占前程。方本占案 口鑑 宋本邵案 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空常六 鬼 空卯 常 蛇申 卯常 午丑卯戌 子 戊申 蛇 貴未午巳辰玄 丑申戌戊 兄 癸丑 空 后陰
己酉年六月戊申日、月将の未を用いて寅時の上に加えて課を起こした。劉乾運は丙寅年生まれ、四十四歳で、前程を占問した。この条は『方本占案』から出て、また『口鑑』と宋本『邵案』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「陳、龍」(勾陳、青竜)。一列は「六(六合)戌、亥、子、丑、空(天空)」。左側は「朱(朱雀)酉」で右側の「寅、虎(白虎)」に対し、「蛇(螣蛇)申」は「卯、常(太常)」に対する。下の列は「貴(貴人)未、午、巳、辰、玄(玄武)」で、末に「后、陰」(天后、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「丑申戌戊」で、上神は「午丑卯戌」で、各々「后、空、常、六」を乗せ、すなわち第一課は戌が戊に加わり、第二課は卯が戌に加わり、第三課は丑が申に加わり、第四課は午が丑に加わる。三伝は卯・申・丑:初伝の卯は官鬼爻で、太常を乗せ、源文は卯の前に「空」を標し、卯が旬空に落ちることを示す。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。末伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天空を乗せる。四課三伝は上の一則の李載溪の座中の占と同じで、ただ天将が各々異なる。
邵彥和曰:此課無造化,戊以卯為官星,甲辰旬空亡也。戊以申為長生學堂,入在空亡,只有末傳是丑,丑又來刑日上戌,且作天空,晝貴人空耗,是貴而無位也。晚年孤獨,只與奴婢過殘生,俱不見妻子續。後果然。
邵彦和が言うには、この課は毫も造化の言うべきがない。戊日は卯をもって官星とし、しかも卯は甲辰のこの一句の裏でまさに空亡である。戊はまた申をもって長生・学堂とするが、も空亡に落ち込んだ。残るはただ末伝の丑なのに、丑は却って来て日干の上の戌を刑し、しかも天空を乗せ、白天の貴人は空耗し尽くされる――これは則ち貴気あるも実位なしである。この人は晚年孤独で、ただ奴婢とともに残生を過ごすだけで、妻子児女はみな接続を見ることができない。その後果たしてこの通りであった。
己酉日
己酉日・謀生を占う(乾隆己巳年三月、牧夫占験)
乾隆己巳年三月己酉日戌將奪及時雨辛巳人四十九歲占謀生。牧夫占驗 蛇貴后陰 亥子丑寅 合玄龍后 鬼 ◎卯 玄 朱戌 卯玄 酉卯未丑 子 己酉 合 合酉 辰常 卯酉丑己 鬼 ◎卯 玄 申未午巳 勾龍空虎
乾隆己巳年三月己酉日、月将の戌を用いて課を起こした(源文のここは「戌将奪及時雨」と作るが、「奪及時雨」の四字は当に占時の字様が伝写の中で誤り致したもので、すでにどの時辰かを確指する由がない)。占者は辛巳年生まれ、四十九歳で、謀生の計を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「亥子丑寅」で、その上に「蛇、貴、后、陰」(螣蛇、貴人、天后、太陰)を乗せる。左側は「朱(朱雀)戌」「合(六合)酉」、右側は「卯、玄(玄武)」「辰、常(太常)」、下に排するは「申未午巳」で、その下は「勾、龍、空、虎」(勾陳、青竜、天空、白虎)。四課の下神は右から左へ「卯酉丑己」で、上神は「酉卯未丑」で、各々「合、玄、龍、后」を乗せ、すなわち第一課は丑が己に加わり、第二課は未が丑に加わり、第三課は卯が酉に加わり(日支の酉の上に卯を見る)、第四課は酉が卯に加わる。三伝は卯・酉・卯:初伝の卯は官鬼爻で、玄武を乗せ、前に標す「◎」は旬空の記号。中伝の酉は子孫爻で、遁干は己、六合を乗せる。末伝はなお空に落ちた卯で、玄武を乗せる。
王牧夫曰:夫婦商量,欲為門戶計乎?其人曰:何以知之?余曰:此課龍后相交,故知為夫婦商量也。卯酉相沖,故知為門戶計也。曰:將來如何?余曰:看來此課大不美。不惟門戶不振,猶懼申酉之年,有死亡之憂。蓋酉為敗金,卯為死木,死敗相乘豈能越申酉年乎?且玄合為不正,占亦丑矣。
王牧夫が言うには、これは夫妻の二人が商量して門戸の生計の打算を為そうとしているのでしょう。その人が問うには、あなたはどうして知ったのか。私が言うには、この課は青竜と天后が交互相加臨し、龍は夫・后は妻なので、夫妻の商量だと知った。卯と酉はまさに相冲し、卯酉は門戸の神なので、商量する所が門戸の計だと知った。その人はまた問うには、将来は如何か。私が言うには、この課を看るに甚だ好くない。門戸が振作し起こらないばかりでなく、なお申年・酉年の上に死亡の憂いがある恐れがある。酉は敗地の金、卯は死地の木で、死気と敗気が交相乗凌するので、どうして申酉の両年を熬り過ごせようか。何况玄武と六合が相値するは、行事が正しくなく、占う事の本身もまた光彩でないことを主る。
己酉日・陳秋桃が出獄を占う(崇正丙子三月、指南)
崇正丙子三月己酉丁卯時,粵東少伯陳秋桃太史,為宗藩建言被逮刑部,占出獄。指南 后陰 貴子丑寅卯玄 蛇常六陰 財 辛亥 蛇 蛇亥 辰常 亥辰酉寅 印 丙午 空 朱戌 巳虎 辰酉寅己 兄 癸丑 后 六酉申未午空 勾龍
崇正丙子年三月己酉日丁卯時、広東の少伯陳秋桃太史は宗室の藩王のために進言したために逮せられ刑部に入り、いつ出獄するかを占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「后、陰」(天后、太陰)。一列は「貴(貴人)子、丑、寅、卯、玄(玄武)」。左側は「蛇(螣蛇)亥」で右側の「辰、常(太常)」に対し、「朱(朱雀)戌」は「巳、虎(白虎)」に対する。下の列は「六(六合)酉、申、未、午、空(天空)」で、末に「勾、龍」(勾陳、青竜)を綴る。四課の下神は右から左へ「辰酉寅己」で、上神は「亥辰酉寅」で、各々「蛇、常、六、陰」を乗せ、すなわち第一課は寅が己に加わり、第二課は酉が寅に加わり、第三課は辰が酉に加わり(日支の酉の上に辰を見る)、第四課は亥が辰に加わる。三伝は亥・午・丑:初伝の亥は妻財爻で、遁干は辛、螣蛇を乗せる。中伝の午は印綬爻で、遁干は丙、天空を乗せる。末伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天后を乗せる。
陳公獻曰:目今不能脫難,交四月甲戌日巳時方出獄。同難諸縉紳皆曰:指日即出,余曰:不然,發用驛馬坐墓(驛馬亥坐辰上也),且赤鳥犯歲君(朱雀戌克太歲子也),如上疏旨意必駁。眾不然其說,三月馮大司寇上疏,旨意駁下,四月上疏,依擬脫離。因四月建沖初傳墓中驛馬,方有出獄之應也。可見脫難之事,馬星十分重要,以其亦逃脫之意也。凡坐墓則不能動也,合亦然;受沖為動機。
陳公献が言うには、目下はまだ難を脱することができず、四月甲戌日巳時に至ってやっと獄を出得る。同案で下獄した幾人かの縉紳はみな言った:日を指してすぐ出られる、と。私が言うには、然らず。発用の駅馬は墓の上に坐し(駅馬の亥は辰の上に坐す)、これに朱雀のこの赤鳥が太歳を冒犯することを加え(朱雀の乗ずる戌が来て太歳の子を克す)、倘もし上疏すれば、旨意は必ず駁回する。衆人は然りと為さなかった。三月の裏に馮大司寇が上疏し、旨意は駁し下された。四月に再上疏して、やっと擬する所に照らして身を脱した。これは四月の月建が初伝の墓中の駅馬を冲開したために、やっと出獄の応験があったのである。脱難の類の事は、馬星が十分に要緊であることが見える。駅馬は本身に逃脱の意を含んでいるからである。およそ墓の上に坐すれば則ち動くことができず、合せ住されるも同様に動くことができない。ただ冲を受けるのみ、これが発動の契機である。
己酉日・病を占う(乾隆乙卯年正月)
乾隆乙卯年正月己酉日子將丑時戌人占病。 勾龍空虎 辰巳午未 虎常龍空 兄 庚戌 陰 合卯 申常 未申巳午 父 丙午 空 朱寅 酉玄 申酉午己 子 戊申 常 丑子亥戌 蛇貴后陰
乾隆乙卯年正月己酉日、月将の子を用いて丑時の上に加えて課を起こし、本命が戌に属する人が来て病を占った。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「辰巳午未」で、その上に「勾、龍、空、虎」(勾陳、青竜、天空、白虎)を乗せる。左側は「合(六合)卯」「朱(朱雀)寅」、右側は「申、常(太常)」「酉、玄(玄武)」、下に排するは「丑子亥戌」で、その下は「蛇、貴、后、陰」(螣蛇、貴人、天后、太陰)。四課の下神は右から左へ「申酉午己」で、上神は「未申巳午」で、各々「虎、常、龍、空」を乗せ、すなわち第一課は午が己に加わり、第二課は巳が午に加わり、第三課は申が酉に加わり(日支の酉の上に申を見る)、第四課は未が申に加わる。三伝は戌・午・申:初伝の戌は兄弟爻で、遁干は庚、太陰を乗せる。中伝の午は父母爻で、遁干は丙、天空を乗せる。末伝の申は子孫爻で、遁干は戊、太常を乗せる。
張江村曰:冬蛇掩目,占病不起。然午加干,雖係死氣,卻作日祿生干;酉加命,雖值四廢,卻作干之長生,因此時少延,至三月辰日卯時必死。以辰上見卯,卯沖酉、破午也。後果然。
張江村が言うには、これは「冬蛇掩目」の課体で、病を占えば一病して起たないことを主る。ただ午が日干の上に加わるは、死気に属するとはいえ、却ってまさに己日の禄神が来て日干を生ずる。酉が本命の上に加わるは、四廃の地に値するとはいえ、却ってまた日干の長生である――だから病勢はなお一時拖延し得る。三月の辰日卯時に至り、この人は必ず死する。辰の上に卯を見、卯はすでに酉を冲し掉し、また午を破し掉したので、あの一点の生機は則ち断たれた。その後果たしてこの通りであった。
大凡占病,色色皆凶。尚有一點生意者,視此一點生意。有力者,可救無力者。視此一點生意盡於何時,以決死期,此課可為隅及。
およそ病を占うに、もし課の中に様様みな凶象なのに、なお一点の生機を留めているならば、則ち専らこの一点の生機を看るべきである:この点の生機が力あるは、人はなお救い帰せられる。力なきは、則ちただこの一点の生機がいつ耗尽するかを看て、これをもって死期を判定する。この課はまさに一を挙げて三を反るの例と為し得る。
己酉日・失婢を占う(三月、方本占案)
三月己酉日酉將未時某占失婢。方本占案 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 后蛇蛇六 兄 癸丑 后 虎巳 子貴 丑亥亥酉 鬼 空卯 玄 常辰卯寅丑后 亥酉酉己 父 乙巳 虎 玄陰
三月己酉日、月将の酉を用いて未時の上に加えて課を起こし、ある人が来て走失した婢女を占った。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「陳、六」(勾陳、六合)。一列は「龍(青竜)未、申、酉、戌、朱(朱雀)」。左側は「空(天空)午」で右側の「亥、蛇(螣蛇)」に対し、「虎(白虎)巳」は「子、貴(貴人)」に対する。下の列は「常(太常)辰、卯、寅、丑、后(天后)」で、末に「玄、陰」(玄武、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥酉酉己」で、上神は「丑亥亥酉」で、各々「后、蛇、蛇、六」を乗せ、すなわち第一課は酉が己に加わり、第二課は亥が酉に加わり、第三課は亥が酉に加わり(日支の酉の上に亥を見る)、第四課は丑が亥に加わる。三伝は丑・卯・巳:初伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天后を乗せる。中伝の卯は官鬼爻で、玄武を乗せ、源文は「空」を標して卯が旬空に落ちることを示す。末伝の巳は父母爻で、遁干は乙、白虎を乗せる。
邵彥和曰:此婢不失,但往來處尋之,六里內必見也。日辰三傳俱在陰位,陰主伏匿,巳作虎臨門戶上,其人入門去便止也。蓋己日為尊,酉辰為婢,今加日上,是婢來就尊,日辰相加,所以不走。酉六故不出六里必見。果往東方六里內尋見,乃失路不能歸也。
邵彦和が言うには、この婢女は失えない。ただ平日に往来する処で探せば、六里の内に必ず見着ることができる。日干・日支と三伝がみな陰位の上に落ち、陰は藏匿を主る。巳が白虎を乗せて門戸の神の上に臨むは、あの人が一たび門に入ればすなわち停まって去らない。己日は主人の尊長を代表し、酉のこの日支は婢女を代表し、今酉が日干の上に加わるは、婢女が自ら帰って来て主人に近づくことである。日と辰が彼此に相加するので、彼女は遠く走れない。酉の数は六なので、六里を出ずに必ず見着ると説いた。その後果たして東辺の六里の内で見つけた。もとは路に迷って帰れなかったのである。
己酉日・行人を占う(己巳年五月、牧夫占験)
己巳年五月己酉日申將午時占行人。牧夫占驗 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 后蛇蛇六 兄 癸丑 后 虎巳 子貴 丑亥亥酉 鬼 空卯 玄 常辰卯寅丑后 亥酉酉己 父 乙巳 虎 玄陰
己巳年五月己酉日、月将の申を用いて午時の上に加えて課を起こし、出門して外に在る人を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。用いた課式は上の一則の失婢を占ったのと同じである。天地盤の一圏:起首は「陳、六」(勾陳、六合)。一列は「龍(青竜)未、申、酉、戌、朱(朱雀)」。左側は「空(天空)午」で右側の「亥、蛇(螣蛇)」に対し、「虎(白虎)巳」は「子、貴(貴人)」に対する。下の列は「常(太常)辰、卯、寅、丑、后(天后)」で、末に「玄、陰」(玄武、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥酉酉己」で、上神は「丑亥亥酉」で、各々「后、蛇、蛇、六」を乗せる。三伝は丑・卯・巳:初伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天后を乗せる。中伝の卯は官鬼爻で、玄武を乗せて旬空に落ちる。末伝の巳は父母爻で、遁干は乙、白虎を乗せる。
王牧夫曰:行人已出戶外,到期不遠。丙辰日驗,其人果於丙辰日到。此在外望宅中行人之占,故以支加干為宅就人。酉乘六合,門戶動,課名出戶。馬帶蛇逢沖,俱是來象。動爻丑土,乘後作合,中見官鬼,末見白虎,皆遠到也。故即以馬為應期。馬亥臨支又與末沖,歸著當在馬,馬帶辛,丙與辛合,遁丙在辰,故斷丙辰日也。
王牧夫が言うには、出門した人はすでに身を動かして戸を出ており、家に到る日は遠からず、丙辰日に応ずる。その人はその後果たして丙辰日に到着した。これは身が外地に在って家中の人が帰り来るを望む占法なので、日支を日干の上に加え、宅が人に就くと看為すのである。酉が六合を乗ずるは、門戸が発動するので、課名を「出戸」という。駅馬が螣蛇を帯びまた冲に逢うは、いずれも来る象である。発動の爻は丑土で、天后を乗せてそれと相合し、中伝に官鬼を見、末伝に白虎を見、いずれも遠処より赶え至ることを主る。だから則ち駅馬を取って応験の日期とする。駅馬の亥は日支の上に臨み、また末伝と相冲し、帰結の処は当に駅馬の上に落ちるべきである。亥の中の帯びる天干は辛で、丙と辛は相合し、しかも遁干して丙を得るはまさに辰である――だから丙辰日に断じたのである。
己酉日・姜子昭が向後如何を占う(建炎己酉年九月、方本占案)
建炎己酉年九月己酉日卯將丑時姜子昭庚午生四十歲占向後如何。方本占案 貴后 蛇未申酉戌陰 朱午 亥玄 虎玄玄后 兄 癸丑 虎 六巳 子常 丑亥亥酉 鬼 空卯 龍 陳辰卯寅丑虎 亥酉酉己 父 乙巳 六 龍空
建炎己酉年九月己酉日、月将の卯を用いて丑時の上に加えて課を起こした。姜子昭は庚午年生まれ、四十歳で、今後の休咎を占問した。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)未、申、酉、戌、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)午」で右側の「亥、玄(玄武)」に対し、「六(六合)巳」は「子、常(太常)」に対する。下の列は「陳(勾陳)辰、卯、寅、丑、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥酉酉己」で、上神は「丑亥亥酉」で、各々「虎、玄、玄、后」を乗せ、すなわち第一課は酉が己に加わり、第二課は亥が酉に加わり、第三課は亥が酉に加わり、第四課は丑が亥に加わる。三伝は丑・卯・巳:初伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、白虎を乗せる。中伝の卯は官鬼爻で、青竜を乗せ、源文は「空」を標して旬空に落ちることを示す。末伝の巳は父母爻で、遁干は乙、六合を乗せる。
邵彥和曰:支來加干敗,又作天后,一主不能讀書,二不得妻子力,三宅氣衰敗,走失財物,四墳中滿棺是水,又有泥並白蟻。吾丈又貪色,夫妻一味嬌態,不管家務,今六陰皆備,不即日為泉下人矣。若改干亥山向,決宅水東流,戒酒色,猶可延,否則死無日矣。姜好酒色,後月餘吐紅,遂成反胃,小腸刺痛,大腸結,十月死矣。
邵彦和が言うには、日支が日干の上に加わって敗地に落ち、また天后を乗ずるので、これによって四件事を断じ得る:一は書を読み成さず、二は妻子児女の助力を得られず、三は宅中の気数が衰敗して財物が走失し、四は祖墳の裏に満棺みな水で、さらに淤泥と白蟻を夾む。おまえ老人はまた女色を貪り好み、夫妻は整日ただ纏綿して態を作すことのみ顧みて、家務を理しない。今六陰の象が様様斉く備わり、日ならずして泉下の人を為そうとしている。倘もし住宅を乾亥の山向に改め、宅の前の水を東流に導き、さらに酒色を戒めれば、なお一陣拖延し得る。然らざれば、死期は眼前に在る。姜子昭は素から酒色を好み、一ヶ月余り後に血を吐き始め、続いて反胃の症を成し、小腸が刺痛し大腸が結閉し、十月の裏に則ち死んだ。
大凡六陰,自是不利,自夜傳出日尚可,日傳入夜,其陰愈甚。今干生支酉,酉金生亥水,更行年上未,六陰俱全,本命又見脫盜,且迄邐傳出寅卯,自敗傳死,自死傳絕,行年又加絕上,即是巳祿本身與行年,相繼投絕,安得不喪?日上酉為血,天后厭穢,自內傳出,是吐血也。武亥加血上,亥本宮被丑克,故反胃。丑作虎,故小腸痛,大腸結也。巳作六合,絕處入廟鎖定,兼六陰相繼,所以不通,傳絕而死。
およそ六陰の象はもともと吉利でない:もし夜将から昼将に伝わるならば、なお好いと算する。もし昼将から夜将に伝入すれば、陰気はさらに重い。今日干は日支の酉を生じ、酉金はまた亥水を生じ、これに行年が未の上に落ちることを加え、六陰の神は様様斉全である。本命の上にまた脱気と盗気を見、しかも一路に寅・卯に逓伝し、敗地から死地に伝わり、また死地から絶地に伝わり、行年もまた絶地の上に加わる――これは則ち巳のこの禄神が本身と行年を連れて、接続して絶郷に投じ入るので、どうして命を喪わないことがあろうか。日干の上の酉は血を主り、天后はまた穢濁の気を主り、内裏より伝わり出るは、まさに吐血の象である。玄武の乗ずる亥は血を主る酉の上に加わり、亥の本宮はまた丑に克されるので、反胃を成した。丑は白虎を乗ずるので、小腸が刺痛し大腸が結閉する。巳は六合を乗せ、絶処に於いてまた廟に入り鎖され、これに六陰の接続不断を加えるので、気機は通せず、絶地に伝わって死す。
己酉日・張澹寧が病を占う(己卯年六月、指南)
己卯年六月己酉日未將奪及時雨杭州張澹寧相會占病。指南 六朱 勾申酉戌亥蛇 玄貴辰朱 鬼 乙卯 玄 龍未 子貴 卯子丑戌 父 丙午 空 空午 丑后 子酉戌己 子 己酉 六 虎巳辰卯寅陰 常玄
己卯年六月己酉日、月将の未を用いて課を起こした(源文のここもまた「未将奪及時雨」と作るが、「奪及時雨」の四字は前の一則と同様に占時の字様が伝写して誤り致したもので、確指する由がない)。杭州で張澹寧と相会した時に彼のために病を占った。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「勾(勾陳)申、酉、戌、亥、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)未」で右側の「子、貴(貴人)」に対し、「空(天空)午」は「丑、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)巳、辰、卯、寅、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子酉戌己」で、上神は「卯子丑戌」で、すなわち第一課は戌が己に加わり、第二課は丑が戌に加わり、第三課は子が酉に加わり(日支の酉の上に子を見る)、第四課は卯が子に加わる。乗ずる天将は源文に「玄貴辰朱」と作るが、その中の第三位の「辰」は天将の名ではなく、当に伝刻の誤りとすべく、謹んで原様に依って保留する。三伝は卯・午・酉:初伝の卯は官鬼爻で、遁干は乙、玄武を乗せる。中伝の午は父母爻で、遁干は丙、天空を乗せる。末伝の酉は子孫爻で、遁干は己、六合を乗せる。
陳公獻曰:當年病無妨,何須再三詳,黑馬自夷來,跨上往酉方,早覓玄空徑,教爾接命長,宅上見胎喜,一陰並兩陽。蓋太歲發用作日破,勾空目今無妨,但嫌醫神發用剋日,主醫人用藥不當,但木火為虎鬼,脾肺受病,未能脫體,須東南錢劉之醫,平肝清心,其病漸愈。曰:何以言?玄門卯乃死,我門酉為生,我乘玄空,長生在傳,宜避初鬼就末生,須向玄空之門求接命延年之術。否則,壬午春必有他慮矣。曰:有胎者何?余曰:支上見胎神。曰:三兒婦俱懷妊矣。余曰:試言何命。曰:丁未、壬子、甲寅,餘以行年推之,丁未生女,餘二皆男。後果然,澹寧壬午春死。
陳公献は先ず一首の断語をもって答えとした:当年のこの場の病はなお妨げず、何ぞ必ずしも再三推詳せん。一匹の黑馬が遠処より来り、それに騎りて西方に往け。早く玄門空門のあの路を尋ね行けば、纔に命を接続することを教う。宅位の上に胎神の喜を見るは、一陰が両陽を帯びる。続いて解説する:太歳が発用して日破を成し、勾陳はまた空に臨むので、目下は妨げない。可嫌いなのは医神が発用して却って来て日干を克することで、医師が薬を用いるに当たらないことを主る。木と火は白虎と官鬼を作し、脾・肺の両経が病を受け、一時に身を脱し得ない。須く東南方の銭・劉の両家の医師を請い、平肝清心の法を用いれば、病はやっと漸々好く見える。ある人が問うには、この言葉はどう講ずるか。答えて曰く:玄門の在る卯は死地で、我門の在る酉は生地である。我はまた玄門空門を乗じ、長生はまさに三伝の中に在るので、宜しく初伝の官鬼を避けて末伝の長生に就くべく、須く玄門空門に向かって命を接ぎ年を延すの術を求むべきである。然らざれば、壬午年の春に至り必ず別に大変がある。又問うには、胎があると説くはまたどこから看出したか。私が言うには、日支の上に胎神が見える。張澹寧が言うには、三人の児媳がみな身孕を懐いている。私が言うには、試しに各人の本命を講じてみよ。答えて曰く:丁未・壬子・甲寅。私は行年に按じて推算した:丁未は女を生み、その余の二人はみな男を生む。その後果たしてこの通りであった。張澹寧は則ち壬午年の春に去世した。
己酉日・姜子安が前程を占う(己酉年九月、方本占案)
己酉年九月己酉日卯將子時姜子安壬申生二十八歲占前程。方本占案 壬申生二十八歲占課當是己亥年,占此己酉年占又當是壬午年生也或是壬申年三十八歲 后陰 貴申酉戌亥玄 蛇未 子常 龍常虎陰 官 空卯 龍 朱午 丑虎 卯子丑戌 父 丙午 朱 六巳辰卯寅空 子酉戌己 子 己酉 后 陳龍
己酉年九月己酉日、月将の卯を用いて子時の上に加えて課を起こした。姜子安は壬申年生まれ、二十八歳で、前程を占問した。この条は『方本占案』から出ている。原書はここに一条の校記を附す:壬申年生まれで二十八歳にして来て課を占うは、あの年は当に己亥年であるべきだ。今すでに己酉年に占ったと説く以上、則ちこの人はあるいは壬午年生まれか、あるいは壬申年生まれで、すでに三十八歳か――すなわち年歳と干支の間に自相矛盾があり、編者は疑いを存して考を待つ。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「后、陰」(天后、太陰)。一列は「貴(貴人)申、酉、戌、亥、玄(玄武)」。左側は「蛇(螣蛇)未」で右側の「子、常(太常)」に対し、「朱(朱雀)午」は「丑、虎(白虎)」に対する。下の列は「六(六合)巳、辰、卯、寅、空(天空)」で、末に「陳、龍」(勾陳、青竜)を綴る。四課の下神は右から左へ「子酉戌己」で、上神は「卯子丑戌」で、各々「龍、常、虎、陰」を乗せ、すなわち第一課は戌が己に加わり、第二課は丑が戌に加わり、第三課は子が酉に加わり、第四課は卯が子に加わる。三伝は卯・午・酉:初伝の卯は官星で、青竜を乗せ、源文は「空」を標して旬空に落ちることを示す。中伝の午は父母爻で、遁干は丙、朱雀を乗せる。末伝の酉は子孫爻で、遁干は己、天后を乗せる。
邵彥和曰:吾丈闇昧,亦不永遠。惟令郎好,與老陰人可享此。今則福謝災生,身宮不明,何望顯達?須管一有福之子,喪則君不祿矣。況初中空亡,惟末撞在日之後,作敗神,主酒色傷身夭壽,三年半期,恐難過也。姜子安好奇異,聞言哂而不信。至壬子年一子果死,其子溫厚。姜氏悲愴,日夜追思,相繼而亡。果三年半也。
邵彦和が言うには、おまえ老人の運途は昏暗で、寿数もまた長久ではない。倒れて令郎が好い。将来一人の年長の女性とともにこの福を享ける。今は福気が凋謝し災禍が滋生し、命宫が明らかでなく、なお何の顕達を指望するか。おまえの手裏は福気ある一人の息子を管しており、この息子が一たびなくなれば、おまえもまた人世に在らない。何况初伝・中伝はともに空亡に落ち、ただ末伝が日干の後位に撞え着き、また敗神を作し、酒色によって身を傷り寿を折ることを主る。三年半のこの期限は、恐らく過ごせない。姜子安は素から奇异を好び立て、聞いてただ笑うのみで、并びに信じなかった。壬子年に至り果たして一人の息子が死に、あの子は性情が温厚で、姜家は悲痛して日夜思念し、父も隨い後に去世し、前後ちょうど三年半であった。
蓋己酉日見支前之太陰,是闇昧也。宅上子作常,己以子為財,財來此敗,太常己未土,亦隨此敗。初上見卯,土死於卯,卯又空亡,是空亡死也。初中即空,只在末酉,又在日後。日干之後也。己日在未,申為前,而午為後,酉加午,故曰在日後也。夫太常到酉上敗,是進敗也。酉在日後,是退敗也。太陰即酉,又來日上敗我,進亦敗,退亦敗,現在亦敗,豈得不死?壬子年子上卯宅自子引入本宮,己土至彼敗且死,人寧不亡歟?
以下は邵彦和が自ら彼が必ず死すると断定した推演を述べたものである。己酉日にこの課を占い得て、「太陰」が日支の前に落ち、太陰はもともと陰晦隠蔽を主るので、主人が「暗昧」だと説く。宅爻の子の上に「太常」を乗せ、己土は子水をもって財とするが、財爻は却って敗地に坐し、太常は五行に於いて己未の土に属し、もまた財に随ってともに落败する。初伝の上に卯を見、土の長生が申、沐浴(すなわち「敗」)が酉、死が卯という次序に按れば、卯はまさに土の死地で、しかも卯はまた空亡に逢うので、「空亡死」と叫ぶ。初伝・中伝はともに空に落ち、残るはただ末伝の酉のみで、しかも酉はまた日干の後に在る――いわゆる「日后」とは、己日の禄が未に在り、申をもって前とし午をもって後とし、本課の酉が午に加わるので、故に日の後に在ると称す。太常が行きて酉の上に至るは「敗」で、これは前に往きても敗である。酉が日后に落ちるは、これは後に退きても敗である。しかも太陰は恰もすなわち酉で、また一たび日の上に来て日干を克敗する。前進するも敗・後退するも敗・当下も敗、三面みな敗なので、どうして死なないことがあろうか。壬子年に至り、子の上の卯宅は子によって引かれて本宫に入り、己土はあそこに到ればすでに敗しかつ死す。人はまたどうして亡びないことがあろうか。――この套の推演は「敗」(沐浴の地)と「死」(十二長生の死位)を畳ね加え、さらに空亡と太陰の暗昧の象を配し、層層に鎖し死めるは、まさに邵彦和の断法の典型である。
庚戌日
庚戌日・伍七二秀才が家宅を占う(建炎己酉年七月、一針見血)
建炎己酉年七月庚戌日巳將丑時伍七二秀才辛未生三十九歲占家宅。一針見血 朱合勾龍 酉戌亥子 后虎玄龍 父 甲辰 玄 蛇申 丑空 午寅辰子 兄 戊申 蛇 貴未 寅虎 寅戌子庚 子 壬子 龍 午巳辰卯 后陰玄常
建炎己酉年七月庚戌日、月将の巳を用いて丑時の上に加えて課を起こした。伍七二秀才は辛未年生まれ、三十九歳で、家宅を占問した。この条は『一針見血』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「酉戌亥子」で、その上に「朱、合、勾、龍」(朱雀、六合、勾陳、青竜)を乗せる。左側は「蛇(螣蛇)申」「貴(貴人)未」、右側は「丑、空(天空)」「寅、虎(白虎)」、下に排するは「午巳辰卯」で、その下は「后、陰、玄、常」(天后、太陰、玄武、太常)。四課の下神は右から左へ「寅戌子庚」で、上神は「午寅辰子」で、各々「后、虎、玄、龍」を乗せ、すなわち第一課は子が庚に加わり、第二課は辰が子に加わり、第三課は寅が戌に加わり(日支の戌の上に寅を見る)、第四課は午が寅に加わる。三伝は辰・申・子で、まさに申子辰の水局である:初伝の辰は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は兄弟爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。末伝の子は子孫爻で、遁干は壬、青竜を乗せる。
邵彥和曰:此課第二課發用,末傳又歸日上,水自墓中發出,中傳同類去受生,而為騰蛇所克,後歸本宮,又被子蝕,得一而失十。龍武蛇,皆水獸,盡取辨於我,宅上又得三傳之驛馬,家勢更進,子孫好勝而敗。宅中馬作虎,家中必喧吵之人,定主分離。壬子年因喜事而破產。甲寅年因爭競而分開。丙辰受制於人,庚申自身傷喪矣。庚日得水局,又傳歸日上,自他更蝕來,最是怕人,兼龍蛇武,愈緊來蝕庚,便無事之人。亦為病者,若占病人,無疑是亡。今占宅,是財退之兆也,子女皆因緣而敗也。
邵彦和が言うには、この課は第二課を取って発用とし、末伝はまた日干の上に帰る。水は墓庫の中より発出し、中伝は日干と同類の申が往きて生を受けるが、螣蛇に克せられる。末伝に至って本宫に帰れば、また子水に耗蝕される――一分を得て、倒れて十分を失う。青竜・玄武・螣蛇はみな水属の獣で、一斉に我に向かって索取する。宅位の上にまた三伝の駅馬を得るは、家勢が看るに更に一層進むようで、実は子孫が勝を好んで終に敗落する。宅中の駅馬はまた白虎を乗せ、家の裏に必ず喧鬧を愛する人あり、一定に分家離散を主る。壬子年に喜事によって破産し、甲寅年に争執によって分家し、丙辰年に人に制せられ、庚申年に自身すなわち傷亡する。庚日は水局を得て、また日干の上に伝帰し、別処より層層に来て我を耗蝕するは、これ最も可怕である。これに青竜・螣蛇・玄武が斉しく来て緊く庚金を咬着することを加えれば、もと无事の人もまた病人を成す。もし病を占うならば、則ち必ず死して疑いなし。今占うは宅なので、則ち財産が退敗する兆で、子女もみな各々の姻縁によって家を敗る。
伍七二秀才自他尊丈及令嗣,好賓客筵宴,凡事好勝家勢盡退。宅中弟兄不齊,又不和睦,值白虎作驛馬在宅也。壬子年,女嫁有官便家,皆出產為之。冬又為兒子納婦,亦出產為之。甲寅諸子喧爭,遂至私給,少汪定錢文千貫,為他追擾,自此困窘,不無數年。庚申年十一月喪矣,果如先生之言也。
伍七二秀才の家の裏は、彼の父から彼の息子に至るまで、みな賓客を招待し筵席を大いに擺すことを好み、凡事争強好勝で、家業はこれによって敗れて乾淨になった。宅中の兄弟の人数は斉しくなく、また彼此に和睦せず、まさに白虎が駅馬を乗せて宅位の上に落ちるに應じた。壬子年、娘は一戸の官職ある人家に嫁し、嫁粧は全く産業を変売して置辦した。あの年の冬にまた息子のために媳婦を娶り、もまた産業を変売して辦した。甲寅年に幾人かの息子が吵鬧して産を争い、鬧げて私分するに至り、また汪家に定銭一千貫を欠き、人に追討騷擾され、これより困窘に陥り、前後幾年の光景に過ぎなかった。庚申年十一月に至り、彼本人は則ち去世し、果たして先生の言葉に応じた。
庚戌日・楊秀才が前程を占う(己酉年二月、宋本邵案・口鑑)
己酉年二月庚戌日亥將辰時楊秀才辛未生三十九歲占前程。宋本邵案 口鑑 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 蛇常六陰 父 庚戌 六 六戌 巳常 子巳戌卯 鬼 乙巳 常 陳酉申未午虎 巳戌卯庚 子 壬子 蛇 龍空
己酉年二月庚戌日、月将の亥を用いて辰時の上に加えて課を起こした。楊秀才は辛未年生まれ、三十九歳で、前程を占問した。この条は宋本『邵案』から出て、また『口鑑』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)子、丑、寅、卯、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)亥」で右側の「辰、玄(玄武)」に対し、「六(六合)戌」は「巳、常(太常)」に対する。下の列は「陳(勾陳)酉、申、未、午、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「巳戌卯庚」で、上神は「子巳戌卯」で、各々「蛇、常、六、陰」を乗せ、すなわち第一課は卯が庚に加わり、第二課は戌が卯に加わり、第三課は巳が戌に加わり(日支の戌の上に巳を見る)、第四課は子が巳に加わる。三伝は戌・巳・子:初伝の戌は父母爻で、遁干は庚、六合を乗せる。中伝の巳は官鬼爻で、遁干は乙、太常を乗せる。末伝の子は子孫爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
邵彥和曰:到老奔波,只是士人書會而已。庚上見卯空,已是朽木,不堪琢雕。徒有斫輪虛名,戌為模範,亦落空地,雖是巳之爐火,卻無模範鑄,末傳盜氣,主子孫不讀書,宜改業臨於店業之上,四年後得店屋為宅,家計雖不寬,亦不飢寒,子孫以水磨水碓為生計頗好。蓋斫輪不成,正可作水碓之論,磨舂之範而已。雖不富貴,卻有壽。金長生在巳,巳四,二巳得八,巳上見子得九,八九七十二也。楊讀書淹博,累試不中,後徐侍郎知州,令權教授,人稱楊教授,果是虛名。四十二分得店屋居住,其子作水碓生理,果如先生之言。
邵彦和が言うには、この人は奔波して老いるまで、終にただ読書人が聚会して講学する角色に過ぎない。日干の庚の上に卯を見て卯は空亡に落ち、すでに一段の朽木で、雕琢しても器を成さない。空しく一個の「斫輪老手」の虚名がある。戌はもと器を鋳る模範なのに、も空地に落ちる。巳のこの一炉火があるとはいえ、鋳るべき模子がない。末伝は盗泄の気で、子孫が書を読まず、当に行を改めて店鋪の生意を為すべく、四年の後に一処の店屋を得て住宅と作し、家計は寛裕ではないが、飢餓凍餒に至ることもなく、子孫が水磨水碓に頼って営生すれば倒れても悪くない。すでに斫輪の才は成すことができないので、正好く持って来て水碓として論ずる――ただ米を磨き穀を舂くの模子に過ぎない。このようで富貴ではないが、寿数はある。金の長生は巳にあり、巳の数は四で、二つの巳が合して八を成す。巳の上に子を見、子の数は九――八九を相乗して七十二、則ち彼の寿限である。楊秀才は書を読むこと淵博で、屢試して中らなかった。後に徐侍郎が知州を為し、彼をして暫く教授の職を代わらせ、人は「楊教授」と称したが、果たしてただ虚名に過ぎなかった。四十二歳に店屋を分け得て居住し、彼の息子は水碓の生意を起こし、一々みな先生の言葉に応じた。
庚戌日・王知縣が前程を占う(己酉年八月、一針見血)
己酉年八月庚戌日巳將酉時王知縣丙子生三十四歲占前程。一針見血 空虎常玄 丑寅卯辰 虎后龍玄 子 壬子 龍 龍子 巳陰 寅午子辰 兄 戊申 蛇 勾亥 午后 午戌辰庚 父 甲辰 玄 戌酉申未 合朱蛇貴
己酉年八月庚戌日、月将の巳を用いて酉時の上に加えて課を起こした。王知縣は丙子年生まれ、三十四歳で、前程を占問した。この条は『一針見血』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「丑寅卯辰」で、その上に「空、虎、常、玄」(天空、白虎、太常、玄武)を乗せる。左側は「龍(青竜)子」「勾(勾陳)亥」、右側は「巳、陰(太陰)」「午、后(天后)」、下に排するは「戌酉申未」で、その下は「合、朱、蛇、貴」(六合、朱雀、螣蛇、貴人)。四課の下神は右から左へ「午戌辰庚」で、上神は「寅午子辰」で、各々「虎、后、龍、玄」を乗せ、すなわち第一課は辰が庚に加わり、第二課は子が辰に加わり、第三課は午が戌に加わり(日支の戌の上に午を見る)、第四課は寅が午に加わる。三伝は子・申・辰:初伝の子は子孫爻で、遁干は壬、青竜を乗せる。中伝の申は兄弟爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。末伝の辰は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。
邵彥和曰:尚是七月節,天馬帶將星入宅,中傳我去被脫,初傳脫神受制,末傳土來生金,此名潤下,其實先脫後生也。天馬入宅,來年會起寅午戌,望見今冬十二月,即赴任也。本是九月動,被婦人病阻,故少遲也。初上任,彼處財賦雖缺,本制治有法,後為失財所苦,甚是不明,即終任必竟為此困也。
邵彦和が言うには、目下はなお七月の節気の内に在る。天馬が将星を帯びて宅位に進入する。中伝は我が往きて人に泄脱され、初伝の泄脱の神はまた制伏を受け、末伝は土が来て金を生ずる――この課の名を「潤下」といい、実際の走勢は先に脱を被り後に生を得る。天馬が宅に入り、明年は寅午戌の三合火局が会して起こるので、看るに今年の冬十二月に則ち赴任する。もと九月に身を動かすべきだったが、家の裏の婦人の病気に耽搁され、だから稍々推遅した。ちょうど上任した時、あの地方の財賦は虧空していたが、彼本人は治理に法度があった。後に却って銭財を丢失したことに苦しめられ、事情は甚だ明白でなく、任満に至るまで、終にこの事のために困せられた。
王知縣待次年庚戌,不見從人來催,八月初五日,忽交待文書至,催赴任,十二月十九日,交割。二十二日立春,本年九月起程,緣尊堂太宜人病極,遂未成行。十一月全安,遂行。初上任,為官缺乏錢,措置亦不費力,只是一年零三月餘,倉庫中失銀七片,庫門封鑽如舊,業勘了無限人。外人傳言曰:是知縣與庫子合盜,遂將官誥勅書,往州府納,州府不受,諸人勘無去著而止。自此不如意,卻喜終任,全璧而歸。此課先脫後生,文到生日。只不合玄武偷庫中物,本喜土來生金,所以不成事也。若子加庚作玄武在末,則歷底費力矣。
王知縣は第二年の庚戌を待つまで、ずっと随従が来て催促するのを見なかった。八月初五日、忽然として交接の文書が送り届けられ、彼を催して赴任せしめた。十二月十九日に交割を辦し、二十二日に則ち立春した。本年九月、彼はもと起程しようとしていたが、母の太宜人が病重したために、成行かなかった。十一月に母が痊愈し、これでやっと身を動かした。ちょうど上任した時、衙門の裏は銭を缺いていたが、彼が措置するに労力を費さなかった。ただ任上で一年零三ヶ月余り、倉庫の裏で七錠の銀子を丢失し、しかも庫門の封条と鑽記はみな原様と同じで、前後に審問した人は計数できなかった。外に伝言して、知縣と庫を看る人が合夥して盗取したと説き、彼は便ち官誥敕書を州府に送って繳還したが、州府は肯んじて収めず、衆人は査して査しても着落なく、事情は已むなく作罷した。これより諸事意の如くならず、幸いに終に任満し、完璧を得て帰ることができた。この課は先に脱し後に生じ、文書がちょうど生日に到来した。ただ玄武が来て庫中の物を偷んだを以て然るべからず――もとは土が来て金を生ずるを喜ぶので、だから事情は終に辦り得て円満ではなかった。倘もし子が庚の上に加わり、玄武が末伝に落ちるならば、則ちさらに頭から尾まで労力する。
庚戌日・憂疑を占う(直指の『三車一覧』を引く)
俞大師在祥符寺,一人於庚戌日酉將戌時占憂疑。(直指引三車一覽)
兪大師が祥符寺に在る時、ある人が庚戌日・月将が酉で正時が戌の時刻に、来て心中の憂疑の事を占問した。「占憂疑」は六壬に常見の課題で、問うは胸中に懸かる一桩の心事が究竟了結し得るかどうか、暗より禍を生ぜざるかである。この類の事を断ずるに最も重ずるは螣蛇・玄武・天空のここ数人の天将で、螣蛇は惊恐虚驚を主り、玄武は暗昧隠情を主り、天空は虚詐不実を主り、憂疑の事の真偽深浅はまさに彼らの身より看るべきである。案末に「直指の『三車一覧』を引く」と標するは、この条は程樹勲が直接『三車一覧』から採ったのではなく、清代の『六壬直指』の中から転引して出したのである――『六壬直指』が先に『三車一覧』を引き、本書はまた『六壬直指』の裏から録出したので、中間に一層を隔てた。
合朱蛇貴|辰巳午未 后陰蛇貴 鬼 丙午 蛇|勾卯 申后 申酉午未 鬼 乙巳 朱|龍寅 酉陰 酉戌未庚 父 甲辰 合|丑子亥戌|空虎常玄
これは展平して文字とした課盤である。前後の両組は十二宫の地支と乗ずる天将である:辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せる。貴人は未に落ち、十二天将は未より起こり逆行して排布する。中間の八个字は四課で、下の一行は下神、上の一行は上神で、右より左に向かって読む:第一課は日干の庚(寄宫は申に在り)の上に未を見、第二課は未の上に午を見、第三課は日支の戌の上に酉を見、第四課は酉の上に申を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に貴人・螣蛇・太陰・天后。右側の竪列は三伝で、上より下へ依次に初伝・中伝・末伝:初伝は午で、旬遁して丙午を得、午火は庚金を克して官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝は巳で、旬遁して乙巳を得、もまた官鬼で、朱雀を乗せる。末伝は辰で、旬遁して甲辰を得、辰土は庚金を生じて父母と為り、六合を乗せる。四課の中で上下に一処も相克する所なく、ただ日干の外の午火をもって遥かに庚金を克して発用とするしかなく、午・巳の両重の火神が接続して身を克し、また分別に螣蛇の惊恐と朱雀の口舌を驮っており、これが全課の凶象の根柢で、まさに「占憂疑」は当に螣蛇・朱雀を取って惊惧口舌を断ずるの成法に合する。
俞曰:庚日陽刃在酉,酉為金,戌為足,恐刃斧傷足。其人因秀才讀書有名聲,實為積盜,後事敗,太歲刖其足。此課午巳二火克干,又作騰蛇朱雀,疊疊火神,固已凶矣,而日上貴人又遁丁火,安得不凶?但貴人生日,想不必五六月間,為太守誘去,以致露敗,而後刖其足耳。惜三車一覽,餘未之見。而直指所引各書,僅寥寥數語,無從印證,為可惜也。
兪大師が言うには、庚日の陽刃は酉に在り、酉は金に属し、刀斧の器を主る。戌は人身の上で足部に応ずるので、この人が金刃に脚を傷られようとすることを懸念する。この人は秀才の名分を頂いて書を読み、郷里に於いて頗る声望があるが、実際には惯れの偷り手である。後に事情が敗露し、当年の太歳の上に応じて、官府が彼の脚を砍り去った。課象に就いて言えば、午火・巳火の両重の火神がともに来て日干の庚金を克し、また分別に螣蛇と朱雀を乗せ、火神が層層畳畳するは、もともとすでに凶である。しかも日干の上神の未はまた旬遁して丁火を出し、暗中に等しくさらに一重の火を添えるので、どうして凶ならざることがあろうか。ただ未の上に乗ずるは貴人で、未土はまた庚金を生じ得、一分の回護の力があるので、事発は必ずしも五六月の火土が当令する時節に落ちないと推想し、太守に設法して誘い出され、やっと行跡が敗露し、この後にやっと足を砍る刑を受けた。惜しむべきは『三車一覧』のこの部の書、私は終に見る能わず。『六壬直指』の転引する所の各家の占書も、またただ寥寥数語を残すのみで、原書を拿って来て印証する由なく、実に人をして惋惜せしめる。
又一人占出入,酉加卯為行年,曰:陽刃得子,懼有所傷,不出一月,其人果斷其手,蓋酉為刃,卯為手也。
また一人の人が来て出行の進退を占い、課の中で天盤の酉がまさに地盤の卯の上に加わり、しかも卯はまたちょうど彼の当年の行年の値する位であった。兪大師が断じて曰く:陽刃が権を当て勢を得(原文の「得子」の二字は課理に於いて甚だ通ずべからず、姑く照録して改めず)、ただ身上に損傷あるを恐れ、一ヶ月の内に則ち見る。結果一ヶ月を出ずに、この人は果たして手臂を折断した。その中の道理は:酉は庚日の陽刃で、刀刃の傷を主る。卯は人身に於いて手に応じ、酉金が卯木の上に壓するは、まさに利刃が手を斫る象である。
庚戌日の伏吟課で外処の飛蝗を占う(一針見血)
丑年庚戌日伏吟課占外處飛蝗。(一針見血)
丑年の庚戌日、伏吟課を得て、外地の飛蝗の災情を占問した。案は『一針見血』から出る。いわゆる「伏吟」とは、月将と正時が相同じく、天盤と地盤が完全に重合し、十二支が各々本位に帰する課式で、事情が停滞して動かず旧事が重ねて来ることを象徴する。「外処飛蝗」は外郡他県が奏報して上った蝗災を指す。これは宋代の祝泌が六壬をもって朝廷に奏対した占例である。
勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将は:巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、辰は六合を乗せ、酉は太常を乗せ、卯は朱雀を乗せ、戌は玄武を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、丑は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、亥は太陰を乗せる。貴人は丑に落ち、衆将は丑より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の庚の寄宫は申に在り、申の上はなお申。申の上はまた申。日支の戌の上は戌。戌の上はなお戌――上下同位は、まさに伏吟の象である。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・白虎・玄武・玄武。三伝は上より下へ申・寅・巳:初伝の申は旬遁して戊申、庚金と同類で兄弟と為り、白虎を乗せる。中伝の寅は庚金の妻財で、頭上に「◎」を標して旬空の内に落ちることを示し、螣蛇を乗せる。末伝の巳は旬遁して乙巳、火が庚金を克して官鬼と為り、勾陳を乗せる。伏吟課は上下に克して取るべきがないので、故に日干の寄宫の申をもって発用とし、さらに申が寅を刑し寅が巳を刑する逓刑によって伝を成す。祝泌が蝗を論ずるは、まさに中伝の寅の上の螣蛇を抓住した――寅は火の長生の地で、螣蛇が地を得れば則ち蝗患は絶えない。
祝泌奏曰:謹按騰蛇與天空,主飛蝗之象。今此課次傳見之,乃騰蛇長生之地。凡騰蛇有氣,則為災蝗,而不能全消其害。方此久雨,自不容此物滋蔓。但在課傳,在生地未可撲絕,遺蝗再發,所乘白虎為德神,屬金,金主秋成,申主秔麥,二谷成熟,不如去歲之大歉。況貴人順行,臨於太歲,雖有遺蝗,不全然為災。
祝泌が上奏して言うには、謹んで六壬の旧法に按ずるに、螣蛇と天空のこの両位の天将はみな飛蝗の象を主ります。如今この課の中伝の寅の上はまさに螣蛇を乗せ、しかも寅はまた螣蛇の火の長生の地です。およそ螣蛇が気を得て力あれば、則ち蝗災の上に応じて、蝗害は便ち全然消除することができません。目下の連日の陰雨は、湿気が盛んで陽火が収斂し、理に照らせばこの物の滋生蔓延を容れません。けれども課伝の上から看れば、螣蛇はすでに長生の郷に落ち、則ちなお扑滅し尽くせず、残留の蝗蝻はなお再度孳生します。幸いに初伝の申の上の乗ずる白虎はここで徳神と為り、白虎は金に属し、金は秋收を主ります。申は物象の上でまた粳稲と麦子に対応し、両様の穀物はともに成熟し得、収成は去年のような大歉に至りません。何况貴人が順行して太歳の上に臨むは、政令が通達し上下が相順ずる象で、たとえ残蝗あっても、遍地の災荒を釀成しません。
庚戌日・揚州の陳道台の病を占う(指南)
順治六年六月庚戌日午將午時,陳惟一占揚州陳道臺病。(指南)
清順治六年六月の庚戌日、月将は午で正時もまた午の時、陳惟一が揚州の陳道台のために病情を占問した。案は『六壬指南』から出る、すなわち明末の陳公献の輯した占験の専書である。月将と正時がともに午で、天盤地盤が重合し、なお一課の伏吟で、前の例と同一の課式である。「道台」は明清に於ける分守道・分巡道員の俗称である。
勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰
十二宫の天将の分布は:巳の上は勾陳、午の上は青竜、未の上は天空、申の上は白虎、辰の上は六合、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は玄武、寅の上は螣蛇、丑の上は貴人、子の上は天后、亥の上は太陰。四課は右より左へ:庚の寄宫は申に在り、申の上に申を見、申の上に申を見、日支の戌の上に戌を見、戌の上に戌を見――天地盤が同位は、伏吟である。三伝は初伝の申(兄弟、白虎を乗せる)、中伝の寅(妻財、旬空の標記を帯び、螣蛇を乗せる)、末伝の巳(官鬼、勾陳を乗せる)。病を占うに最も要緊なのは禄馬と死絶の郷を看ることである:申はすでに庚日の禄神でありまた庚日の駅馬でもあり、もと安く守るべきなのに、今却って発用して伝に入る。中伝の寅はまさに庚金の絶地なのに、偏しくもまた空に落ちる。末伝の巳火は勾陳を乗せて直に来て身を克す。禄馬が動揺して空絶に投じ入り、鬼火が局を末に収める。これが陳公献の断じて不治とした全部の根拠である。
陳公獻曰:此課不利占病,丁巳日必死。蓋因祿馬(申為驛馬日祿)發用入傳,中空絕之鄉(庚絕於寅),病人見驛馬,乃神氣出遊象。課傳玄胎,主別處投胎之象。虎鬼臨處為畏期。傳既無天醫而末傳巳火剋日,故以日決之。
陳公献が言うには、この課をもって病を占うは最も不利で、丁巳日に至り必ず死亡する。原因は禄神と駅馬(申はすでに庚日の禄であり、また庚日の駅馬でもある)が一同に発用して伝に入り、しかも中伝の寅は旬空でありて兼ねて絶地(庚金は寅に絶する)。病人の課の中に駅馬の発動を見るは、精神魂魄が外に游んで肯んじて舍を守らない象である。課伝はまた「玄胎」の格を現し、魂魄が別の処に往きて投胎せんとすることを主る。白虎と官鬼の臨む処は、則ち応凶の畏るべき日期である。三伝の中にはすでに天医の類の解救の神がなく、末伝の巳火はまた直に日干の庚金を克するので、則ち巳のこの字を用いて応期を定め、丁巳のこの日に断じた。
庚戌日・久雨にいつ晴朗するかを占う(牧夫占験)
乾隆己亥年六月庚戌日未將未時,久雨占何日晴朗。(牧夫占驗)
乾隆己亥年六月の庚戌日、月将は未で正時もまた未なので、久雨が止まないために、いつの日にかやっと放晴するかを占問した。案は『牧夫占験』から出る、清人王牧夫の占験実録である。月将と正時がともに未で、天地盤が重合し、また一課の伏吟である。ここの二つの「未」はいずれも十二地支の一つで、前の一つは六月に用いる未将を指し、後の一つは未時のこの時辰を指し、いずれも否定詞として読むべきではない。
勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰
十二宫の天将:巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、辰は六合を乗せ、酉は太常を乗せ、卯は朱雀を乗せ、戌は玄武を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、丑は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、亥は太陰を乗せる。四課は右より起こる:庚の寄宫は申、申の上に申を見、申の上に申を見、日支の戌の上に戌を見、戌の上に戌を見、上下全く同じく、伏吟疑いなし。三伝は初伝の申(兄弟、白虎を乗せる)、中伝の寅(妻財、旬空、螣蛇を乗せる)、末伝の巳(官鬼、勾陳を乗せる)、申が寅を刑し寅が巳を刑する逓刑によって成る。晴雨を占うには水火の消長と風門の動静を看るべきである:初伝の申金は水の長生の地で、また白虎を乗せ、白虎は風を主る。中伝の寅・末伝の巳は六壬の裏でいずれも風門に属し、寅の上は螣蛇、巳の上は勾陳でいずれも纏綿牽扯を主る。金水が一路に勢を得て火気が制を受ける。王牧夫はこれに拠ってこの場の雨は一時に収まらないと断定した。
王牧夫曰:是年自五月二十日雨起,終日聞簷溜聲,悶甚,占之。余謂日干刑長生,一時難晴,至七月始能晴。豈知至九月初一,始晴不雨。是歲卑下之工,皆為水淹。三伏熱氣,為雨淋盡,竟不知有暑月也。三月間,九頭鳥盤旋鳴號不去。此鳥屬陰,故能預知天時也。余斷即不驗,則復細視之。三傳申為水母,乘虎,水乘旺氣。寅巳為風,乘勾陳纏綿而久。秋金旺,故不晴。至九月晴者巳火受戌墓也。
王牧夫が言うには、この年は五月二十日より雨が降り、整日屋簷の滴水の声響を聞き、人は悶えて難受し、則ちこの課を起こした。我は当時に言った、日干の寄宫の申は三伝に刑せられ、しかも申はまた水の長生の地なので、雨は一時に停まることができず、七月に至ってやっと放晴し得る、と。誰が知ろうや、ずっと九月初一まで拖して、やっと真に雨が止み天が開いた。この年は地勢の低窪の処の工事屋舍は全て水に淹れられた。三伏天の暑気はみな雨に澆し尽くされ、竟に夏天を過ごしたことがないかのようであった。早くも三月の裏に、すなわち九頭鳥が空中に盤旋して鳴叫し、久久に去らなかった。この種の鳥は陰に属するので、能く預め天時の変化を感知する。我の断語はすでに応験しなかったので、課を把りて重ねて細かに看一遍した:三伝の初伝の申金は水の母で、また白虎を乗せ、等しく水が旺気を得た。中伝の寅・末伝の巳はみな風門に属し、また勾陳を乗せ、牽纏して日久きを主る。さらに秋天の金気の当令を加え、金は旺して水を生ずるので、久久に晴れなかった。九月に至ってやっと放晴したのは、末伝の巳火が戌墓に落ち込み、火気が収蔵され、雨勢がやっと収まったからである。
愚按:巳火受戌墓,牽強之極。況九月壬申朔,尚未交寒露,豈戌建乎?
程樹勲按:「巳火が戌墓に入る」を拿って九月の放晴を解釈するは、実に牽強の極致である。何况この年の九月初一は壬申日で、あの時まだ寒露の節気に交わらず、月建は根本としてまだ戌に輪らず、どうして戌墓が火を収めるというこの層に談じ得られようか。
庚戌日・六甲を占う(牧夫占験)
庚辰年九月庚戌日辰將辰時占六甲,丁酉命四十四歲。(牧夫占驗)
庚辰年九月の庚戌日、月将は辰で正時もまた辰、一人の丁酉年生まれ・時年四十四歳の婦人のために「六甲」、すなわち懐孕生産の事を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将と正時が相同じく、なお天地盤が重合する伏吟課である。いわゆる「丁酉命」は問事人が出生したあの年の干支で、六壬が人の身の吉凶を断ずるには必ず本命と行年の両項を参看すべきである。
勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰
この課の天将の布置:巳の上は勾陳、午の上は青竜、未の上は天空、申の上は白虎、辰の上は六合、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は玄武、寅の上は螣蛇、丑の上は貴人、子の上は天后、亥の上は太陰。四課は右より左へ:庚は申に寄せ、申の上は申。申の上は申。日支の戌の上は戌。戌の上は戌。四課が両両重出するは、伏吟である。三伝は申(兄弟、白虎を乗せる)、寅(妻財、旬空、螣蛇を乗せる)、巳(官鬼、勾陳を乗せる)、申が寅を刑し寅が巳を刑する逓刑によって成る。胎産を占うに専ら妻財と子孫の両爻を看る:本課の中伝の寅木はまさに庚日の妻財なのに、却ってすでに旬空に落ちまた申金に刑せられ、妻財は刑せられて乾乾浄浄である。辰・戌は天羅地網で、しかも年・月・日・時と月将を連ねてみな辰戌の間に困する。問事の婦人の本命は丁酉で、酉はまた庚日の天網の在る所。凶徵が重重に相畳する。これが王牧夫の母子ともに保全し難いと断じた根拠である。
王牧夫曰:此課甚奇,乃是雙胎,然母子俱不能保。何也?年月日時,月將俱是羅網魁罡,何由得出此難?況三傳刑盡妻財,夫占更為不吉。何以知是雙胎?月建重疊,故也。女命丁酉,酉是庚日之網,重重凶徵,故於次年二月。先生一女,腹仍未消,子母俱不能保也。
王牧夫が言うには、この課は甚だ奇特で、看出すに双胎だが、然るに母子ともに保つことができない。なぜか。太歳・月建・日辰・正時と月将を連ねて、全て辰戌の羅網と魁罡の地に落ち、かくの如く重重に網せられて、どうしてこの場の難関を脱し開くことができようか。何况三伝の申が寅を刑し寅が巳を刑して、妻財の寅木を刑すること乾浄である。この課はまた丈夫が妻子のために代わりに占いに来たので、妻財が傷を受ければさらに不吉である。どうして双胎と知ったか。月建と正時がともに辰で、重叠して双と成すので、二つを主る。婦人の本命は丁酉で、しかも酉はまさに庚日の天網の在る所、凶象が一層一層壓する。だから第二年二月に至り、先ず一人の女嬰を産み下したが、肚子は却って依然として消えず、母子は終にいずれも保つことができなかった。
庚戌日・家宅を占う(牧夫占験)
甲戌年亥月庚戌日卯將寅時占家宅。(牧夫占驗)
甲戌年亥月(十月)の庚戌日、月将は卯で正時は寅、家宅の安否を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将の卯は寅時の上に加わり、天盤は地盤より順に一位進み、前面の幾課の伏吟と異なる。六壬が家宅を占うに、日干をもって居住する人を代表し、日支をもって房宅を代表し、人と宅の両辺の旺衰生克が如何なるかを看る。
蛇貴后陰|午未申酉 虎常玄陰 子 辛亥 常|朱巳 戌玄 子亥戌酉 子 壬子 虎|合辰 亥常 亥戌酉庚 父 癸丑 空|卯寅丑子|勾龍空虎
十二宫の地支と乗ずる天将は:午の上は螣蛇、未の上は貴人、申の上は天后、酉の上は太陰、戌の上は玄武、亥の上は太常、子の上は白虎、丑の上は天空、寅の上は青竜、卯の上は勾陳、辰の上は六合、巳の上は朱雀。貴人は未に落ち、衆将は未より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の庚の寄宮は申に在り、申の上に酉を見、酉の上に戌を見、日支の戌の上に亥を見、亥の上に子を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に太陰・玄武・太常・白虎。三伝は上より下へ亥・子・丑:初伝の亥は旬遁して辛亥、庚金の生ずる子孫で、太常を乗せる。中伝の子は旬遁して壬子、もまた子孫で、白虎を乗せる。末伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は庚金を生じて父母と為り、天空を乗せる。四課の中でただ第三課「亥上見戌」の一処が下神の戌土が反って上神の亥水を克し、下が上を賊するに属するので、亥を取って発用とし、重審課を成し、三伝の亥・子・丑は順次連珠する。日干と日支の上神はともに酉・戌のこの一帯の羅網の地に落ち、末伝の丑はまた庚金と房宅の共同の墓庫で、これはまさに王牧夫がこの宅を晦滞と断じた着眼の処である。
王牧夫曰:干支皆乘羅網,人宅俱晦。傳見脫氣,不見晝神,全無發旺之氣,越居越寂寞也。況末歸丑土墓人刑宅乎,宜速遷移為要。此課金寒水冷,日就蕭條,不至凶咎,以子孫能制鬼耳。
王牧夫が言うには、日干と日支の上神はともに辰戌の天羅地網の内に落ち、人と宅の両頭がともに晦暗で明らかでない。三伝の中の亥・子はともに庚金の生ずる子孫で、我を泄する気に属する。課の裏にまた昼貴の類の陽明の将を見ず、全く生発興旺の気機がなく、住むこと久しければ久しいほど冷落を見る。何况末伝の丑土はすでに庚金の墓庫であり、丑はまた戌を刑するは、まさに人が来て宅を刑する象なので、当に急いで遷居するこそ要着である。ただこの課は金寒水冷で、ただ家道が日に日に蕭條し下るのみで、まだ凶禍災咎を招くに至らない。原因は三伝の子孫の亥・子が官鬼を制住し得、凶神が壓せられたことに在る。
庚戌日・汪解元が宅墓を占う(宋本邵案・口鑑)
己酉年二月初一庚戌日亥將酉時,汪解元丁卯生四十三歲,占宅墓。(宋本邵案、口鑑)
己酉年二月初一の庚戌日、月将は亥で正時は酉、汪解元――丁卯年生まれ・時年四十三歳――が自家の宅基と墳塋の吉凶を占問した。案は宋刻本『邵彦和占案』と『六壬口鑑』の両書に見える。「解元」は郷試の第一名の称呼である。月将の亥は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に二位進む。宅墓を占うは六壬の中で最も形勢を重んずる一類に属し、須く日干をもって人を代え日支をもって宅を代え、さらに天将の主る物象に配合して屋後の山岡・屋前の水路の形局を推す。
虎常|空未申酉戌玄|龍午 亥陰 蛇后后玄 子 壬子 後|陳巳 子后 寅子子戌 財 空寅 蛇|六辰卯寅丑貴 子戌戌庚 父 甲辰 六|朱蛇
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:未の上は天空、申の上は白虎、酉の上は太常、戌の上は玄武、亥の上は太陰、子の上は天后、丑の上は貴人、寅の上は螣蛇、卯の上は朱雀、辰の上は六合、巳の上は勾陳、午の上は青竜。貴人は丑に落ち、衆将は丑より起こり順行する。中間の八字は四課で、右より左に向かって読む:日干の庚の寄宮は申に在り、申の上に戌を見、戌の上に子を見、日支の戌の上に子を見、子の上に寅を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に玄武・天后・天后・螣蛇。右列の三伝は上より下へ:初伝の子は旬遁して壬子、庚金の生ずる子孫で、天后を乗せる。中伝の寅は「空寅」を標して旬空に落ちることを示し、庚金の妻財で、螣蛇を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は庚を生じて父母と為り、六合を乗せる。四課の裏でただ「子上見戌」のこの一処が下神の戌土が反って上神の子水を克し、下が上を賊するに属するので、故に子を取って発用として重審課を成し、さらに子の上に寅を得、寅の上に辰を得る。戌は山岡で宅の後に在り、子は水で天后を乗せて宅に臨み、寅木が冲破して水はその上より直に去る――邵彦和が宅後の逼山・宅前の逼水を判ずるは、全くこの幾つかの字の上より得たのである。
邵彥和曰:宅後逼山,宅前逼水,水雖東流過宅,反直去。若為宅基,主女多男少,子為吏人,孫為軍卒僕從,財退人散。蓋四陽雖臨東南,無關格拘檢,日後主水壞宅。因身役而盡敗也。此宅基乃庚兌山行龍,坎山為主,蓋緣逼迫,遂欲鑿山為之。果是後逼山,前近水,次年建造,不過十年,連產四女。男作縣吏,自後諸孫為屠兒,又為僕從,又有投軍者。此宅因為公人押網,折破敗壞。後卒為水沖基也。
邵彦和が言うには、この地は屋後が山に緊逼し、屋前が水に緊逼している。水は東辺より横流して宅を過ぐるが、一去して回頭しない直流水である。もしこれを拿って宅基と作すならば、家中は女多く男少なく、息子はただ胥吏を当るのみで、孫輩は則ち軍卒と僕従に淪落し、銭財は退散し人丁は離析することを主る。四陽の気は東南方に臨むとはいえ、関格の類の拘束収攝がなく、日後に必ず水が来て宅を壊し、全家は差役徭役によって敗し尽くすことを主る。この宅基は庚兌の方より龍が来て、坎方の山をもって主山とするのだが、ただ地勢が逼仄なので、主人は便ち山を鑿って営建せんと思った。後に査看すれば、果たして後は山に逼り前は水に近かった。第二年に工を動かし建造し、十年に過ぎず、接続して四人の娘を生んだ。息子は縣の裏の胥吏を為し、この後幾人かの孫は屠戸を当る者有り、僕従を為す者有り、また軍に投ずる者有った。この戸の人家は官府の差人に押されて服役したために、家業は折損敗壊し、最後に宅基は終に水に冲毀された。
蓋為宅來加申,戌為山崗,是後逼山也。宅上子作天后,是前逼水也。水橫過,寅為直去,東南兩處風路,為騰蛇所撓,故主吏人。又主失陷財物,兼木敗壞在子故也。末傳辰為軍卒僕從,六合加之故也。
その理を細かく説く:日支の戌はもと房宅なのに、今戌は日干の寄宮の申の頭上に加わる(第一課は戌が上に申に見える)、しかも戌は物象の上で則ち山岡なので、これが屋後に山が緊逼するである。日支の戌の上に見えるは子水で、子はまた天后を乗せ、天后は水を主るので、これが屋前に水が緊逼するである。水はすでに横流して過ぎ、中伝の寅木はまた直行して回らないことを主るので、水は一去して返らない直去水だと説く。東南方の寅・巳の両処はまさに風路の経る所なのに、偏しくも螣蛇に擾され、螣蛇は文書の曲折・纏繞して安からぬを主るので、故に子孫はただ胥吏を作すのみと断ず。また財物の失陥を主るは、妻財の寅木が子水の上で敗絶する(木は子に於いて沐浴する)ため、財爻が自ら壊れる故である。末伝の辰は六合を乗せ、辰は物象の上で軍卒僕從に応じ、六合はまた結聚して群を成すを主るので、故に孫輩の裏に軍卒と僕從が出ると断ずる。
庚戌日・胎産を占う(牧夫占験)
辛巳年五月庚戌日申將午時占胎產。男己卯生六十三歲,女丙戌生五十六歲。(牧夫占驗)
辛巳年五月の庚戌日、月将は申で正時は午、胎孕生産の事を占問した。男方は己卯年生まれ・六十三歳、女方は丙戌年生まれ・五十六歳。案は『牧夫占験』から出る。月将の申は午時に加わり、天盤はなお地盤より順に二位進み、前の一課の天地盤と同じである。両人の年紀はすでに老大しており、この一点が下面の断語の裏でまさに關鍵である。
虎常|空未申酉戌玄|龍午 亥陰 蛇后后玄 子 壬子 後|陳巳 子后 寅子子戌 財 空寅 蛇|六辰卯寅丑貴 子戌戌庚 父 甲辰 六|朱蛇
十二宫の天将の分布は:未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せ、丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せる。四課は右より左へ:庚の寄宮は申、申の上に戌を見、戌の上に子を見、日支の戌の上に子を見、子の上に寅を見る。四課の上神は分かれて玄武・天后・天后・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の子(子孫、天后を乗せる)、中伝の寅(妻財、旬空に落ち、螣蛇を乗せる)、末伝の辰(父母、六合を乗せる)。胎産を占うの關鍵は胎神と血気の神に在る:子水はまさに日支の戌の胎神で、また本課の正時の化する神であり、しかもそれが発用する時に冲破される。中伝の寅は螣蛇を乗せてまた空に逢う。末伝の辰は六合を乗せ、六合はもと子息の神なのに、偏しくもまた日辰に破される。天后は血を主り、寅木は肝を主り、肝は血を蔵する臓で螣蛇を乗せるは、血分の不足を主る。三伝は処処に冲破し空に落ちるので、故に王牧夫は断じて「胎に似て胎に非ず」とした。
王牧夫曰:占胎當以支位之胎神為類用。六十三歲人,血氣已衰,不當以干之胎神論也。今正時即支之胎神,發用天后沖破。中見蛇,又逢空。末見六合子息之神,又為日破,此似胎而非胎也。午於五月為月厭殺,天后為血,寅木為肝,肝乃藏血之臟,帶蛇,主不足,此主氣旺血不足,似胎而非胎,不能產也。後竟不產面腹自消。又初傳子沖時,中傳寅沖申,末傳辰沖支,其氣散矣。
王牧夫が言うには、胎孕を占うには当に日支の位の胎神を拿って類神として用いるべきである。男方はすでに六十三歳で、血気は衰竭し、もはや日干の胎神に按じて論ずべきではない。今正時の午の対応するは、まさに日支の胎神の子水で、しかもこの子水は一たび発用すれば則ち冲破される。中伝の寅の上は螣蛇を乗せ、また旬空の裏に落ちる。末伝の辰の上は六合を乗せ、六合はもと子息の神なのに、偏しくもまた日辰に破される――これは胎象あるも実は真の胎に非ずである。午は五月に於いて月厭の殺で、天后は人身の血を主り、寅木は人身の肝を主り、肝はまさに血を蔵する臓腑で、今寅木は螣蛇を帯びるは、血分の虧損不足を主る。合わせて看れば、気は有余りて血は足らず、看るに孕あるかのようで、実はそうでなく、則ち生産と謂うべきがない。その後果たして生産せず、肚子は自ら消え下った。さらに初伝の子は正時の午を冲し、中伝の寅は日干の寄宮の申を冲し、末伝の辰は日支の戌を冲し、三伝は処処に冲散して、胎気は早くから散じ尽くした。(原文の「后竟不産面腹自消」の「面」は当に「而」と読むべし。)
庚戌日・友人の病を占う(牧夫占験)
己巳年三月庚戌日戌將申時占友人病。(牧夫占驗)
己巳年三月の庚戌日、月将は戌で正時は申、朋友のために疾病を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将の戌は申時の上に加わり、天盤は依然として地盤より順に二位進み、前の二課と同一天地盤である。病を占うには病位と病性を辨ずべきである:六壬は日支の臨む神をもって患処を定め、天将の性をもって病因を定め、さらに三伝の生克をもって治し得るか否かを定める。
虎常|空未申酉戌玄|龍午 亥陰 蛇后后玄 子 壬子 後|陳巳 子后 寅子子戌 財 空寅 蛇|六辰卯寅丑貴 子戌戌庚 父 甲辰 六|朱蛇
十二宫の天将は:未の上は天空、申の上は白虎、酉の上は太常、戌の上は玄武、亥の上は太陰、子の上は天后、丑の上は貴人、寅の上は螣蛇、卯の上は朱雀、辰の上は六合、巳の上は勾陳、午の上は青竜。四課は右より左へ:庚は申に寄せ、申の上に戌を見、戌の上に子を見、日支の戌の上に子を見、子の上に寅を見る。上神の乗ずるは依次に玄武・天后・天后・螣蛇。三伝は初の子(子孫、天后を乗せる)、中の寅(妻財、旬空、螣蛇を乗せる)、末の辰(父母、六合を乗せる)。病症に就いて看れば:日支の戌は日干の寄宮の申の上に加わるは「支が干に加わる」で、戌は人身に於いて足に応ずるので、病は下肢に在る。戌の上に玄武を乗せ、玄武は暗昧不正を主るので、故に病は不正の事より来ると断ず。発用の子水はまた天后を乗せ、天后は血を主り、この瘡は必ず頭を出して膿血を見ることを主る。中伝の寅は螣蛇を乗せ、螣蛇は形状の盤曲を主り瘡頭の突起を主る。末伝の辰は六合を乗せ、六合は収合を主るので、瘡口は終に長じ攏ることができる。
王牧夫曰:此毒瘡生於下部,由不正而起。將來必出頭,血膿行遇,方得全好。其瘡當在左足腿義,與腎相關處。喜是順症可治,不致喪命。所病之處,果然絲毫不差,一一如所占。蓋支加干,戌為足,玄武為不正,用見天后,故必要出頭,見膿血也。庚乃戌之左,子臨戌上,故斷以鬱鬱蔥蔥足腿義,近腎也。子為血汙,寅乘蛇,知其必出頭耳。末辰帶六合尚得收口,寅數七至有七十餘日痛楚也。後果然。
王牧夫が言うには、これは下身に長ずる毒瘡で、不正當な事に起因する。将来必ず膿頭を鼓し出し、膿血が排し尽くされるのを待って、やっと痊愈し得る。瘡の位置は当に左腿の腿丫の処に在り、腎と相關聯する地方である。喜ばしいのはこれが順症に属し、医し治し得て、命を丢すに至らないことである。その後病処を査看すれば、果たして分毫も差せず、様様みな占いと同じであった。道理は:日支の戌が日干の上に加わり、戌は人身に於いて足に応ずる。戌の上に玄武を乗せ、玄武は不正を主る。発用の子水はまた天后を乗せ、天后は血を主るので、瘡は必ず頭を出し必ず膿血を見ると断定した。庚金の寄宮の申は戌の左側の一位に在り、しかも子水はまた戌の上に臨むので、左側の腿丫・腎位に逼近する地方に断じた。子は汚血と為し、寅の上に螣蛇を乗せ、螣蛇は起伏鼓突を主るので、瘡頭が必ず頂き出ると知った。末伝の辰は六合を帯び、六合は斂合を主るので、瘡口は終究収め攏る。寅は六壬の中で数が七なので、痛楚すること七十多天を推し得た。その後果たしてこの通りであった。
辛亥日
辛亥日・斉を伐つを卜う(呉越春秋)
七月辛亥日巳將寅時卜伐齊。(吳越春秋)
七月の辛亥日、月将は巳で正時は寅、兵を出して斉を伐つの一事を占卜した。案は『呉越春秋』から出る、講ずるは呉王夫差が伍子胥の諫を聴かず執意して斉を伐った旧事である。月将の巳は寅時の上に加わり、天盤は地盤より順に三位進む。これは『壬占匯選』の中で年代最も早い一則の占例で、六壬家は歴來これを経典として奉ずる。
朱合勾龍|申酉戌亥 后常陰虎 鬼 乙巳 後|蛇未 子空 巳寅辰丑 兄 戊申 朱|貴午 丑虎 寅亥丑辛 子 辛亥 龍|巳辰卯寅|後陰玄常
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:申の上は朱雀、酉の上は六合、戌の上は勾陳、亥の上は青竜、未の上は螣蛇、午の上は貴人、子の上は天空、丑の上は白虎、巳の上は天后、辰の上は太陰、卯の上は玄武、寅の上は太常。貴人は午に落ち、十二天将は午より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に丑を見、丑の上に辰を見、日支の亥の上に寅を見、寅の上に巳を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・太常・天后。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、巳火は辛金を克して官鬼と為り、天后を乗せる。中伝の申は旬遁して戊申、辛金と同類で兄弟と為り、朱雀を乗せる。末伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、青竜を乗せる。四課の上下はみな相克なく、ただ巳火が外より遥かに日干の辛金を克するので、巳を取って発用とする。下文の伍子胥の説く「大吉」は則ち丑の六壬の別名、「功曹」は則ち寅の別名である:丑は白虎を乗せて日干の寄宮の戌の上に臨み、寅は太常を乗せて日支の亥の上に臨むは、まさにこの盤と相合する。
吳王從勾踐之師伐齊,子胥聞之,諫曰:竊觀金匱第八,其可傷也。吳王曰:何謂也。子胥曰:今年七月辛亥平旦,大王以首事。辛,歲位也,亥,陰前之辰也,合壬子歲,前合也。利以行武,武決勝矣。然德在合,斗擊丑。丑,辛之本也,大吉為白虎而臨辛,功曹為太常而臨亥。大吉得辛為九丑,又與白虎並重,有人若以此首事,前雖小勝後必大敗。天地行殃,禍不久矣。吳王不聽,次年復伐齊,勾踐使范蠡伐庸,率師以絕吳路,遂入。
呉王は越王勾践の派して来た軍隊を帯びてともに斉を伐とうとし、伍子胥はこれを聞き、進諫して道く:臣が私かに『金匱』第八篇に按じて推算するに、この事は実に可悲しい。呉王が問うには、この言葉はどう講ずるか。子胥が言うには、今年七月辛亥日の平旦の時分、大王はこの時辰に於いて事を起こそうとします。辛は歳位の在る所で、亥は陰気の前の辰位で、壬子の歳と相合し、在前の合に属し、もともと兵を用うるに利あり、兵を用いても勝を取り得ます。然るに徳神は六合の位に落ち、しかも斗柄の撃つ所はまさに丑の上に在ります。丑は辛金の本墓で、今大吉の丑は白虎を乗せて辛の寄宮に臨み、功曹の寅は太常を乗せて日支の亥に臨みます。大吉の丑が辛に遇うは、「九丑」のこの凶格を構成し、また白虎と重畳して一處に在ります。誰にせよもしこのような日子を揀んで事を起こせば、前頭にはたとえ小勝あっても、後來は必ず大敗します。天地はともに災殃を降しており、禍事は太く遠からないでしょう。呉王は勧を聽かず、第二年にまた斉を伐った。勾践は便ち范蠡を派して兵を出して庸地を攻め打たせ、親ら大軍を率いて呉国の帰路を截断し、隨って呉境に攻め入った。
辛亥日・僧が州中の文字が到るか否かを占う(方本占案)
四月辛亥日申將巳時僧占舉請長老望州中文字到否。(方本占案)
四月の辛亥日、月将は申で正時は巳、一人の僧人が寺中で長老を擧薦延請する一事のために、盼む所の州府の公文が到り得るかを占問した。案は『方本占案』から出る、すなわち邵彦和占案の方氏伝本である。月将の申は巳時の上に加わり、天盤は地盤より順に三位進み、前の一課の天地盤と同じである。「州中の文字を望む」は則ち州府より下る任命文書を等候することである。
朱合勾龍|申酉戌亥 后常陰虎 鬼 乙巳 後|蛇未 子空 巳寅辰丑 兄 戊申 朱|貴午 丑虎 寅亥丑辛 子 辛亥 龍|巳辰卯寅|後陰玄常
十二宫の乗ずる天将は:申は朱雀を乗せ、酉は六合を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は青竜を乗せ、未は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、子は天空を乗せ、丑は白虎を乗せ、巳は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、卯は玄武を乗せ、寅は太常を乗せる。四課は右より左へ:辛は戌に寄せ、戌の上に丑を見、丑の上に辰を見、日支の亥の上に寅を見、寅の上に巳を見る。上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・太常・天后。三伝は初伝の巳(官鬼、天后を乗せる)、中伝の申(兄弟、朱雀を乗せる)、末伝の亥(子孫、青竜を乗せる)。文書が到るか否かを占うに、最も重ずるは駅馬と月建である:巳はまさに亥日の駅馬で、また四月の月建であり、しかも月建は州府の出す文書を主管する。巳はすでに天后を乗せ、天后は恩澤の神であり、またちょうど本課の正時なので、文書は当時に則ち到る。長老自身の災に至っては、則ち丑の上の白虎を看る――丑は辛金の墓庫で、白虎が墓を乗せて日干の寄宮の戌に加臨するは、身を傷る象である。
邵彥和曰:定得文字,目下便至。蓋初傳日馬乘後,為恩澤神。又月建主州府文字。巳時為用,故不出時見之也。只是長老得了,自卻有災,宜保重。乃虎乘墓加身也。果當日文字至,長老交割了,卻謝州府,中路門轅拱柱顛下,手廢而成疾矣。
邵彦和が言うには、必ずこの紙の文書を拿得することができ、目下則ち送り届けられる。初伝の巳は亥日の駅馬で、また天后のこの恩澤の神を乗ずるからである。巳は同時に四月の月建で、しかも月建は州府の發出する文書を主管し、巳はまたまさに課を起こした時辰なので、この時辰を出ずに則ち見ることができる。ただ長老は任命を得たとはいえ、自身に災禍があり、当に多く保重を加えるべきである――これは白虎が辛金の墓庫の丑を乗せて、日干の身に加臨した故である。その後果たして当日に文書は則ち到り、長老は交割を辦し了え、前に往きて州府に道謝し、半路上で門前の車轅の拱柱の上より跌り落ち、手を摔壊し、これより病根を落とした。
辛亥日・黄虎山の功名を占う(指南)
順治甲申十月辛亥日丁亥時,公明長兄占黃虎山功名。(指南)
清順治甲申年(明崇禎十七年)十月の辛亥日、丁亥時、公明の長兄が黄虎山のために功名前程を占問した。案は『六壬指南』から出る。「黄虎山」は明末の総兵黄得功を指し、虎山は彼の号である。この時はちょうど明亡清興の際に当たり、下文に断ずる所はまさに彼が南明弘光朝に江北四鎮総兵を任じ、次年に兵敗れて自刎した結局である。この課の原文はただ時辰を記すのみで月将を載せず、四課より推算すれば、天盤は地盤より順に四位進む。
勾六|青酉戌亥子朱 虎后常貴 父 丁未 虎|空申 丑蛇 未卯午寅 子 辛亥 六|虎未 寅貴 卯亥寅辛 財 乙卯 後|常午巳辰卯後|玄陰
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:酉の上は青竜、戌の上は勾陳、亥の上は六合、子の上は朱雀、申の上は天空、丑の上は螣蛇、未の上は白虎、寅の上は貴人、午の上は太常、巳の上は玄武、辰の上は太陰、卯の上は天后。貴人は寅に落ち、衆将は寅より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に寅を見、寅の上に午を見、日支の亥の上に卯を見、卯の上に未を見る。四課の上神の乗ずるは依次に貴人・太常・天后・白虎。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、未土は辛金を生じて父母と為り、白虎を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、六合を乗せる。末伝の卯は辛金の妻財で、天后を乗せる(源文は遁干を「乙卯」と写作するが、下面の断語は明らかに「支上の卯は空」と説くので、この課は実に卯をもって旬空とし、遁干の一項は当に訛誤あるべき)。四課の中で第四課の「卯上見未」は、上神の未土が反って下神の卯木を克し、上が下を克するに属し、未を取って発用として元首課を成す。未・亥・卯の三字は湊って木局を成し、まさに断語の説く「木局を破壊する」のあの木局である。
陳公獻曰:據此課,藩臺不得善後矣。蓋課中干乘絕氣,支見死神,兩貴空亡,祿神受制,功名安得久長。且官得空矣,誰與居位?營壘空矣,(支上卯空)誰與禦侮?財星空矣,誰與生官?況太陽西墜,桑榆之返照無多。冬木逢空,腐朽之折傷必應;歲在大梁,餘言必驗。何故也?明歲行年酉為自刑,破壞木局,次年五月御敵自刎。
陳公献が言うには、この課に照らして看れば、この藩台大人は好い収場があるまい。日干の寄宮の上に乗ずるは絶気で、日支の上に見えるは死神で、両位の貴人はともに旬空の中に落ち、禄神はまた制伏を受けるので、功名はどうして長久を保ち得ようか。さらに言えば、官星はすでに空に落ちたので、誰が来てこの位置に坐るか。營壘もまた空で(日支の上の卯は旬空の裏に落ち)、誰が来て外侮を抵禦するか。財星もまた空で、誰が来て官星を生養するか。何况太陽はすでに西に沈み、晚年の余暉は幾多もない。冬天の木は旬空に遇えば、朽壊折断の応験は必ず来る。太歳が大梁の次(酉)に行き到るを待てば、我のこの番の言葉は必ず応験する。なぜか。明年彼の行年はまさに酉に走り到り、酉は自刑を為し、また未亥卯のこの木局を冲破するからである。第二年五月に至り、彼は則ち敵を御ぐ時に自刎して死した。
乙酉五月初十福王出奔,授黃得功。劉良佐追至,伏弩射中得功喉得功,嘆曰:我無能為矣。歸營拔劍自刎。
乙酉年五月初十、弘光帝福王は出逃し、兵權を黄得功に託付した。清に降した劉良佐が兵を率いて追い到り、埋伏の弩箭は黄得功の咽喉を射中した。黄得功は長歎して説いた:我はもはや為す力がない。営中に帰るや便ち劔を拔いて自刎した。(原文の「射中得功喉得功」の一句は「得功」の二字が重出し、当に刻本の衍文とすべき。)
辛亥日・婚姻を占う(壬帰)
辛亥日 將 時占婚姻。壬歸。(愚按:此課不載月將、正時,未知壬歸所引何書。)
辛亥日、ある月将・ある時辰、婚姻を占問した。案は『壬帰』から出る。原文は「日」と「将」の間、「将」と「時」の間にいずれも空白を留め、月将と正時はともに缺記で、ここは底本の闕文に照らして録し、補填しない。程樹勲の自注に説く:この課は月将と正時を記さず、また『壬帰』の一書がどの一部の書より轉引して来たかも知らない。四課より推算すれば、この盤の天盤は地盤より順に八位進む。
龍勾合朱|丑寅卯辰 合後勾貴 父 丁未 後|空子 巳蛇 卯未寅午 財 ◎卯 合|虎亥 午貴 未亥午辛 子 辛亥 虎|戌酉申未|常玄陰后
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:丑の上は青竜、寅の上は勾陳、卯の上は六合、辰の上は朱雀、子の上は天空、巳の上は螣蛇、亥の上は白虎、午の上は貴人、戌の上は太常、酉の上は玄武、申の上は太陰、未の上は天后。貴人は午に落ち、十二天将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に午を見、午の上に寅を見、日支の亥の上に未を見、未の上に卯を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に貴人・勾陳・天后・六合。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、未土は辛金を生じて父母と為り、天后を乗せる。中伝の卯は頭に「◎」を標して旬空に落ちることを示し、辛金の妻財で、六合を乗せる。末伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、白虎を乗せる。未・卯・亥の三字は合して木局を成し、しかも天后はまた未に於いて発用する。これは断語の説く「三陰自旺・偏く母家を旺する」の根拠である。ここの「未」は地支で、すでに初伝の神であり、また数理の上で八を取る。下文の「未数八」は則ちこれを指す。
斷曰:姻事必成,但嫌不旺夫家,偏旺母家,八年之後,妻必改嫁,非吉象也。
断語に説く:この門の親事は一定に成る。ただそれが夫家を旺せず、かえって偏しく女方の娘家を旺することを嫌う。八年の後、妻子は必ず改嫁し、終究吉利の象ではない。
蓋干支之上,午未作合,故主必成。凡天后發用,而三傳自合成局者,謂三陰自旺,得天后臨支,支繫母家,故主偏旺母家。後之所乘,明生暗鬼,而三傳木局,又生起干上之鬼以克干,故不旺夫家。未數八,八年之後,丁動而中空橋斷,卯即辛之妻星,其象若此,尚可成乎?婚姻之占,關係甚大,其可忽乎?
その理を細かく説く:日干の上神は午、日支の上神は未で、午と未は正好く相合するので、親事は必ず成ると断ず。およそ天后が発用し、しかも三伝がまた自ら行きて一局を湊成するを、「三陰自旺」と叫ぶ。この課は天后がまさに日支の未の上に臨み、日支は女方の娘家を代表するので、偏く母家を旺することを主る。天后の乗ずる未土は、表面上は日干の辛金を生ずる父母だが、暗裏には却って鬼気を蔵している。しかも三伝の未亥卯は合して木局を成し、木はまた日干の上神の午火という官鬼を生起して辛金を克するので、夫家を旺せないと説く。未のこの地支は六壬の裏で数が八で、八年の後、未の中に遁する丁火が発動し、しかも中伝の卯はまた旬空の中に落ちるは、譬えるに橋梁が中断して両頭が接がらないが如し。卯はまさに辛金の妻星で、妻星はすでに空でありてまた断なので、卦象がかくの如き様子を弄すれば、この門の親事はなお長久に成全し得るか。婚姻の占は一生に關係する。どうして草率に看過し得られようか。
辛亥日・金陵の王養吾が占を索む(指南)
乙丑年十月辛亥日午時,金陵王養吾索占。(指南)
乙丑年十月の辛亥日、午時、南京の人王養吾が前に来て占を求めた。案は『六壬指南』から出る。原文はただ正時を記すのみで月将を載せず、四課より推算すれば、天盤は地盤より順に九位進む。占を求める者は問う所が何事かを説明せず、陳公献が課象の上から先に彼が問うは家中の婦人の病だと看出した。これもまた六壬の「占うはこれにして現るは彼」という一種の験法である。
六朱|勾寅卯辰巳蛇 蛇陰朱后 鬼 乙巳 蛇|龍丑 午貴 巳申辰未 財 甲寅 勾|空子 未后 申亥未辛 子 辛亥 白|虎亥戌酉申陰|常玄
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は勾陳、卯の上は六合、辰の上は朱雀、巳の上は螣蛇、丑の上は青竜、午の上は貴人、子の上は天空、未の上は天后、亥の上は白虎、戌の上は太常、酉の上は玄武、申の上は太陰。貴人は午に落ち、衆将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に未を見、未の上に辰を見、日支の亥の上に申を見、申の上に巳を見る。四課の上神の乗ずるは依次に螣蛇・太陰・朱雀・天后。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、巳火は辛金を克して官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝の寅は辛金の妻財で、勾陳を乗せる(三伝の下の遁干は「甲寅」と写作するが、断語は明らかに財爻が空に落ちると説くので、この課は実に寅をもって旬空とする)。末伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、白虎を乗せる――「白」は則ち白虎の簡称。四課の中で第四課の「申上見巳」は上神の巳火が下神の申金を克し、上が下を克するに属し、巳を取って発用として元首課を成す。巳火は鬼を為しまた螣蛇を乗せ、螣蛇は惊惧閉結を主るので、故に胸膈の寛からざるを主る。子孫の亥水は鬼を制し得るとはいえ遠く末伝に在るので、ただ一時を保ち得るのみである。
陳公獻曰:公為陰人占病。主胸膈不寬,飲食少進。曰:果婦病,若何?傳得病玄胎,又四課德鬼發用,巳作閉口,食神乘空,依知病在胸膈,不能飲食。且祿臨絕地,何以養生?目今子支制鬼無妨,恐來年初夏太歲生鬼可慮;況夫占妻豈宜財空,主半路斷絃續娶也。辛日亦不宜占病,因辛作亡神故也。
陳公献が言うには、あなたは家の裏の女眷のために病を占っているのです。主として胸口の膈間が舒暢せず、ものを喫し下ることができません。その人が答えて道く:果たして内人が生病しており、究竟どうなりますか。陳公献が言うには、三伝は「病玄胎」の象を現し、四課の中はまたすでに徳を為しまた鬼を為す巳火が発用する。巳は六壬の裏で口を閉じて通ぜざるを主り、しかも食神の子孫はまた旬空の内に落ちるので、これに拠って病は胸膈に在り、飯を喫し下ることができないと知る。何况日干の禄神は絶地に落ち、何をもって命を養わんか。目下は日支の上の子孫が官鬼を制住し得て、暫く妨げはない。ただ明年の初夏に至り、太歳が轉じて來て官鬼を生助するを恐れ、則ち慮るべきである。況んや丈夫が妻子のために占うに、最も忌むべきは財爻が空に落ちることで、中途に妻を喪い日後に別に娶ることを主る。さらに言えば、辛日はもともと病を占うに宜しくない。辛は神煞の上でまさに亡神の位に当たるからである。
辛亥日・趙主簿が赴任及び前程を占う(方本占案)
建炎己酉年九月辛亥日卯將巳時,趙主簿丙子生三十四歲,占赴任及前程。(方本占案)
南宋建炎己酉年九月の辛亥日、月将は卯で正時は巳、趙主簿――丙子年生まれ・時年三十四歳――が赴任し得るか及び一生の前程を占問した。案は『方本占案』から出る。月将の卯は巳時の上に加わり、天盤は地盤より退く二位である。「主簿」は州縣の裏で文書簿籍を掌管する属官である。下文の「岳廟」は宫觀祠禄の職を指し、宋代に於ける閑散官員への挂名の差遣で、俸あって事なしである。
朱蛇|六卯辰巳午貴|陳寅 未后 后玄貴陰 鬼 丙午 貴|龍丑 申陰 未酉午申 父 甲辰 朱|空子亥戌酉玄 酉亥申辛 財 空寅 陳|虎常
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:卯の上は六合、辰の上は朱雀、巳の上は螣蛇、午の上は貴人、寅の上は勾陳、未の上は天后、丑の上は青竜、申の上は太陰、子の上は天空、亥の上は白虎、戌の上は太常、酉の上は玄武。貴人は午に落ち、衆将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に申を見、申の上に午を見、日支の亥の上に酉を見、酉の上に未を見る。四課の上神の乗ずるは依次に太陰・貴人・玄武・天后。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、午火は辛金を克して官鬼と為り、貴人を乗せる。中伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は辛金を生じて父母と為り、朱雀を乗せる。末伝の寅は「空寅」を標して旬空に落ちることを示し、辛金の妻財で、勾陳を乗せる。第二課の「申上見午」は上神の午火が下神の申金を克し、上が下を克するに属し、午を取って発用として元首課を成す。初伝の午の上に乗ずるは昼貴で、末伝は却って夜貴の主る地に転じ帰り、一昼一夜の間は、まさに邵彦和が彼を「自ら事を治め、終に反って事を治めず」と断じた着眼の処である。
邵彥和曰:主簿美差不能赴,自是岳廟,兩次二任岳廟,後雖授美差,不得赴而丁憂,服滿更授差遣,下稍喪妻,以妾為主,貪酒中風而死。庚戌年當赴任,因新任運使是姑丈,遂迴避就岳廟,二任既滿,受烏江丞,丁父母憂,服滿授壽昌令,諸賓作賀,醉後不幸中風而死。
邵彦和が言うには、主簿のこの好い差事は赴き成らず、ただ岳廟に挂名し行くのみで、しかも連なって二任とも岳廟の祠禄である。その後好い差事を授けられたとはいえ、も到任に及ばずして父母の喪に遇い守制を要す。服満の後に別に差遣を派せられ、晚年に妻を喪い、妾室に内事を主持せしめ、最後に杯を貪って中風によって死す。その後果たして:庚戌年にもと赴任すべきだったが、新任の転運使がまさに彼の姑丈なので、例に按じて須く回避すべく、便ち岳廟の閑職に就いた。両任が満ちて、烏江縣丞を授けられ、また父母の喪に碰上した。服喪期満して壽昌縣令に改授され、賓客はみな来て道賀し、彼は酔い盡くした後に不幸にも中風して身亡した。
蓋初傳日貴,傳歸夜貴,自治事終反不治事。日上申作太陰,申為神佛,太陰管陰私,寅為廟,艮為山嶽,自日歸夜,自然監廟,又是顧祖,何能赴任?自宅上一帶引去,直至東南而止潭州岳廟,正在東南上也。一味投絕,又自日傳夜,所以如此。
その理を細かく説く:初伝の午の上に乗ずるは白天に当値する昼貴で、末伝に伝わるに至っては却って夜貴の所轄する位に帰入し、昼より夜に入るは、もと事を管する最後に反って事を管しない。日干の上神の申は太陰を乗せ、申は物象の上で神佛を主り、太陰はまた専ら隠私幽暗の事を管する。末伝の寅は物象の上で廟宇で、寅の属する艮方はまた山岳を主る。昼貴より夜貴に転入するは、自然に祠廟を看管する類の閑職に応ずる。何况三伝は外より内に向かって回頭し、「顧祖」の象で、どうしてなお赴任し得られようか。課気は日支の宅上より一路に牽引して出て行き、ずっと東南方に走り至ってやっと停まる――彼が後に監した潭州岳廟は、ちょうど東南の方位の上に在った。三伝は一味に絶地に投じて往き、また昼より夜に転ずるので、結局はこのようなものである。
辛亥日・失鶏を占う(方本占案・張本占案)
十二月辛亥日子時丑將占失雞。(方本占案、張本占案)
十二月の辛亥日、子時・丑将、丢失した鶏を占問した。案は『方本占案』と『張本占案』の両種の伝本に見える。四課に按じて推算すれば、この盤の天盤は地盤より退く一位である。もし字面に照らして「丑将を子時に加う」と作れば則ち天盤は応に順に一位進むべきで、課の上の四課と合わず、底本の時・将の両字はあるいは倒錯があるやもしれない。ここはただ課盤の示す実際の関係に拠って説を立て、妄りに原文を改めない。
六陳|朱辰巳午未龍|蛇卯 申空 虎常空虎 父 庚戌 常|貴寅 酉虎 酉戌申酉 兄 己酉 虎|後丑子亥戌常 戌亥酉辛 兄 戊申 空|陰玄
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:辰の上は朱雀、巳の上は六合、午の上は勾陳、未の上は青竜、卯の上は螣蛇、申の上は天空、寅の上は貴人、酉の上は白虎、丑の上は天后、子の上は太陰、亥の上は玄武、戌の上は太常。貴人は寅に落ち、衆将は寅より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に酉を見、酉の上に申を見、日支の亥の上に戌を見、戌の上に酉を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・天空・太常・白虎。三伝は上より下へ:初伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は辛金を生じて父母と為り、太常を乗せる。中伝の酉は旬遁して己酉、辛金と同類で兄弟と為り、白虎を乗せる。末伝の申は旬遁して戊申、もまた兄弟で、天空を乗せる。第三課の「亥上見戌」は上神の戌土が下神の亥水を克し、上が下を克するに属し、戌を取って発用として元首課を成し、三伝の戌・酉・申は位を逐うて後退する。失物の占は類神を重んずる:酉はまさに鶏の類神で、今酉の上に白虎を乗せ、白虎は宰殺を主る。申は白虎の本家で、また酉の上に壓する。末伝の申は天空を乗せ、天空は瓦器空器を主る。この一連はまさに邵彦和が鶏はすでに宰殺され、暫く瓦盆の下に扣せられたと断じた全部の憑拠である。
邵彥和曰:雞尋不見矣。被犬沖入鄰家,一奴便捉去,殺而食之矣。蓋戌為用,奴偷也。鄰近人家者,酉為刃作虎,申亦是虎加酉,酉與戌鄰故也。酉為雞,雖類神入傳,加日主自歸,奈何加戌,陽刃殺上作虎,如何得活。蓋申為白虎之本家,臨於酉上亦為宰割,乘天空,為瓦器,此時覆在瓦盆之下,尚未烹飪耳。
邵彦和が言うには、この鶏は探し帰って来られない。それは狗に撵せられて鄰家に冲り入り、一人の奴僕に手順よく捉え去られ、宰して喫し尽くされた。道理は:初伝の戌が発用し、戌は物象の上で奴僕を主るので、奴僕の偷んだ所と見える。緊鄰の人家に断じたのは、酉が辛日の陽刃で白虎を乗せ、申はまた白虎の本家で酉の上に壓し、しかも酉と戌は正好く相鄰するからである。酉は鶏の類神で、類神は三伝に入ったとはいえ、また日干の上に加わって自ら帰り来るかのようだが、無奈それが戌の上に壓し、陽刃の殺がまた白虎を驮るので、どうしてなお活き成ることがあろうか。さらに申は白虎の本家で、酉の上に臨み到るは宰割の象である。申はまた天空を乗せ、天空は瓦盆瓦器を主るので、此刻鶏はなお瓦盆の底下に扣せられ、まだ鍋に下して烹煮されていない。
辛亥日・射覆(苗公達斷經)
六月辛亥日午將酉時射覆。(苗公達斷經)
六月の辛亥日、月将は午で正時は酉、射覆の占を作した。案は『苗公達斷經』から出る。「射覆」は物を器皿の底下に盖って、占者に課象に凭って蔵する所が何の物かを説き出させる、六壬の験術の一種である。月将の午は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進み、前面の王養吾の一課の天地盤と同じである。
勾合朱蛇|寅卯辰巳 蛇陰朱后 鬼 乙巳 蛇|龍丑 午貴 巳申辰未 財 ◎寅 勾|空子 未后 申亥未辛 子 辛亥 虎|亥戌酉申|虎常玄陰
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は勾陳、卯の上は六合、辰の上は朱雀、巳の上は螣蛇、丑の上は青竜、午の上は貴人、子の上は天空、未の上は天后、亥の上は白虎、戌の上は太常、酉の上は玄武、申の上は太陰。貴人は午に落ち、衆将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に未を見、未の上に辰を見、日支の亥の上に申を見、申の上に巳を見る。四課の上神の乗ずるは依次に螣蛇・太陰・朱雀・天后。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝の寅は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、妻財で、勾陳を乗せる。末伝の亥は旬遁して辛亥、子孫と為り、白虎を乗せる。射覆は専ら発用の神を看る:巳の上に螣蛇を乗せ、螣蛇は虫蛇飛走の物を主る。巳はまた六月の月厭と生気に当たり、活物を主る。巳の納音は水に属し水の数は一なので、一隻の小飛虫と断じる。これが下文の師徒問答の争う所の「水数一」である。
苗公達之師斷曰:必有一個小飛蟲活物,須至壬癸日,被小兒將銅鐵物或刀杖物作害而死。蓋發用是癸巳納音屬水,水主一數,又帶死數,故主小物之象。發用見月厭生氣,更有蛇加巳,故主飛蟲活物。公達問曰:陰神是寅,何為水數一?師曰:此法數與諸經不同,勿輕傳於世也。此法更知數目多少,無不驗也。公達曰:弟子堅心二十餘年,未嘗聞此數,求師父教之。師曰:此法授於汝,切宜秘之。只如此,謂射物在發用,是太乙。以五子元遁之。即見納音甚數也,故遁得癸巳,水數一也。甲乙日用干遁,庚午之數八五也。其間更看四時休旺,加減乘除相因,請秘言之。
苗公達の老師が断じて道く:裏面は必ず一隻の小飛虫の類の活物で、壬日か癸日に至るのを待ち、小孩子に銅鉄の器物あるいは刀杖の類のものをもって弄し殺される。原因は発用の神が五子元遁を経て癸巳を得、癸巳の納音は水に属し、水は数理の上で一を主り、また死気の数を帯びるので、小物の象を顕出する。発用はまたちょうど六月の月厭と生気に逢い、これに螣蛇がまさに巳の上に駕することを加えるので、飛ぶ能い活虫と断じた。苗公達が問うには:巳の陰神は寅なのに、どうしてかえって水の一数を取るのか。老師が言うには:この一路の数法は各家の経書とみな異なり、軽々しく外人に伝えるべからず。この法子を用いればなお数目的多寡を推知し得て、応験しないことがない。公達が言うには:弟子は专心して学を求むること二十余年、未だかつてこの套の数法を聴いたことがなく、師父に我に教えるを求めます。老師が言うには:この法はあなたに伝える、千万に保密を要す。要点はただ:射覆の蔵する物は発用を看、発用は便ち太乙の在る所。さらに「五子元遁」を用いてそれを遁せば、則ち納音が何に属するか、数目はいくらかを見出す。この課は遁じて癸巳を得、癸巳の納音は水に属し、水の数は則ち一である。もし甲日乙日ならば、則ち日干を用いて遁を起こし、遁じて庚午を得、庚午の数は八と五である。その間はなお四季の休囚旺相を参看し、加減乘除が彼此に相因する――これらは務めて秘して宣らざるを請う。
余謂壬癸日,被小兒將銅鐵物或刀杖作害死者,為壬癸所克,騰蛇勝光月厭生氣。小兒者,末傳亥加寅。白虎銅鐵刀杖者,為支上見申,又辛日占言也。作害者,巳申相傷。死者,末傳白虎帶死氣。後果應其課也。
程樹勲が言うには:壬日癸日に断じ、小孩に銅鉄器あるいは刀杖をもって弄し殺されるとしたのは、発用の癸巳が火土の位に属して壬癸水に克されるからである。螣蛇が勝光(午)の位を乗じ、また月厭と生気に逢うは、まさに虫豸の類を主る。「小児」と説くは、末伝の亥が寅の上に加わるを取る――寅亥が相合ししかも亥は幼小の神と為すからである。「銅鉄刀杖」と説くは、白虎が金刃を主り、日支の上にまた申金を見、何况この課はもともと辛金の日に占ったからである。「害を作す」と説くは、巳と申が相刑相傷するからである。「死」と説くは、末伝の亥の上に白虎を乗せて死気を帯びるからである。その後果たしてこの課に照らして応験した。
壬子日
壬子日・邵木匠が終身を占う(方本占案・口鑑)
建炎戊申年十月初一壬子日卯將丑時,邵木匠乙丑年六月六日未時生四十四歲,占終身。(方本占案、口鑑)
南宋建炎戊申年十月初一の壬子日、月将は卯で正時は丑、一人の邵と姓する木匠――乙丑年六月初六未時生まれ・時年四十四歳――が一生の運命を占問した。案は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。彼の生辰の裏の「未時」は十二時辰の一つで、すなわち午後一時から三時である。月将の卯は丑時の上に加わり、天盤は地盤より順に二位進む。「終身を占う」は一世の貧富寿夭子嗣を問うことで、六壬の中で最も重んずるは三伝の生克と長生墓絶の落点である。
龍空|陳未申酉戌虎|六午 亥常 蛇后貴陰 鬼 甲辰 蛇|朱巳 子玄 辰寅卯丑 財 丙午 六|蛇辰卯寅丑陰 寅子丑壬 父 戊申 龍|貴後
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:未の上は勾陳、申の上は青竜、酉の上は天空、戌の上は白虎、午の上は六合、亥の上は太常、巳の上は朱雀、子の上は玄武、辰の上は螣蛇、卯の上は貴人、寅の上は天后、丑の上は太陰。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に丑を見、丑の上に卯を見、日支の子の上に寅を見、寅の上に辰を見る。四課の上神の乗ずるは依次に太陰・貴人・天后・螣蛇。三伝は上より下へ:初伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は壬水を克して官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、六合を乗せる。末伝の申は旬遁して戊申、申金は壬水を生じて父母と為り、青竜を乗せる。四課の中でただ第四課の「寅上見辰」が下神の寅木が反って上神の辰土を克し、下が上を賊するに属するので、故に辰を取って発用として重審課を成し、さらに辰より二位を進めて午を得、午より二位を進めて申を得る。辰・午・申は位を隔てて逓進し、六壬は「登三天」と称し、低き処より一歩一歩升りて高き処に上る象である。末伝の申はまた壬水の長生で、中伝の午は財なので、彼に財あり寿ありと断じた。
邵彥和曰:登三天本是至高至危之象,今細微中出入人,卻能顯煥又富貴也。蓋身宅皆居西北極地,迤邐出東南來,將來必做富人。中傳見財,末長生,有財有壽,長生入財位,子先死,孫送終矣。長生能害子孫故也。邵仁占課時,四十四歲正窘,與人工作,後七年與城山寺造殿,從此興旺。六十左右,家典錢,連喪三子。丙寅又喪一子,辛未癸酉又喪二子,是時七十九,充保正。甲午年九十七歲卒,七孫送葬。
邵彦和が言うには:「登三天」のこの格局はもともと登ること極めて高く、則ち極めて危い象なのに、今この人は微賤より出身し、細微の処に於いて進退して生を謀れば、反って能く顕達して發迹し、終に富貴に至る。彼の日干と日支がともに西北の極陰の地に落ち、課気がさらに迤邐して轉じて東南の旺方より来るので、将来必ず富人と為る。中伝に妻財を見、末伝は長生で、すでに財がありまた寿がある。ただ長生が財位に落ち込んだので、息子は先に彼より死し、最後に孫輩が来て終を送る――長生は一頭では自身を旺し、一頭では則ち子孫を妨害するからである。邵仁がこの課を起こした時は四十四歳で、ちょうど困窘の中に在り、人のために工を作っていた。この後第七年に城山寺のために大殿を建造し、これより家道が興旺した。六十歳の前後、家の裏はすでに債を放ち銭を典する能くし、しかも接続して三人の息子が死んだ。丙寅年にまた一子が死に、辛未・癸酉の両年にさらに二子が死んだ。あの時彼は七十九歳で、保正に充任した。甲午年に九十七歳をもって去世し、七人の孫子が送葬した。
蓋壬子皆西北方,至幽至陰之地,轉出東南旺方,宅上有寅,寅為子息空初亡,辰為鬼,又臨寅地,中午為財,末申為長生,故有財有壽。宅上有寅為子息,奈作空亡,初罡為鬼又臨子息之地,故難為子息也。邵公蓋取中午為孫。愚按:李衛公十韻內有云,問子須看脫氣星,財宿逢之曰見孫。邵公以午財為孫,可知矣。午財乘六合相生,故孫吉也。
その理を細かく説く:壬と子はともに西北方に属し、最も幽暗で最も陰冷なる所在で、しかも課気は一路に東南の旺方に轉じる。日支の宅の上に寅を見、寅は子息の神なのに、偏しくも旬空に落ちるので、頭の幾人かの息子は早く亡んだ。初伝の辰は官鬼で、またまさに寅のこの子息の地に臨む。中伝の午は妻財で、末伝の申は長生なので、彼に財あり寿ありと断じた。宅上の寅はもと子息を主るが、無奈旬空に落ち込んだ。初伝の天罡の辰はすでに官鬼であり、また子息の位の上に壓するので、子嗣は艱難である。邵公は大概、中伝の午財を孫輩として看たのであろう。程樹勲按:李衛公『十韻』の裏に一句「問子須看脱氣星、財宿逢之曰見孫」があるので、邵公が午財を拿って孫輩としたは、出処があることが見える。午財の上に六合を乗せ、六合は財と相生するので、孫輩は吉利である。
壬子日・御筆を奉じて京邑の風燭の休祥を占う(一針見血)
丁未年十月初三壬子日子時,奉御筆占向去京邑風燭休祥。(一針見血)
丁未年十月初三の壬子日、子時、皇帝の御筆の旨意を奉じて、今後京城が風災火燭の方面で禍か福かを占問した。案は『一針見血』から出る、宋代の祝泌の奏対の辞である。年号の中の「丁未」は干支紀年で、未は地支、他の解を為さない。「風燭」は風災と火患を指し、「休祥」は則ち吉凶禍福である。原文はただ正時を記すのみで、四課より推算すれば、天盤は地盤より順に三位進む。
龍空虎常|申酉戌亥 合貴朱后 財 丙午 合|勾未 子玄 午卯巳寅 父 己酉 空|合午 丑陰 卯子寅壬 兄 壬子 玄|巳辰卯寅|朱蛇貴後
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:申の上は青竜、酉の上は天空、戌の上は白虎、亥の上は太常、未の上は勾陳、子の上は玄武、午の上は六合、丑の上は太陰、巳の上は朱雀、辰の上は螣蛇、卯の上は貴人、寅の上は天后。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に寅を見、寅の上に巳を見、日支の子の上に卯を見、卯の上に午を見る。四課の上神の乗ずるは依次に天后・朱雀・貴人・六合。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、六合を乗せる。中伝の酉は旬遁して己酉、酉金は壬水を生じて父母と為り、天空を乗せる。末伝の子は旬遁して壬子、壬水と同類で兄弟と為り、玄武を乗せる。四課の上下は全く相克なく、ただ日干の壬水が午火を克し得、「日が神を克す」に属するので、故に午を取って発用とする。午は囚死の火で卯の上に加臨し、卯は物象の上で城門を主る。末伝の子水は玄武を乗せて局を収め、水が来て火を壓するので、祝泌は城中にたとえ小火あっても随い起き随い滅すると断じた。子と卯は相刑するが、また貴人が卯の上に鎮在するので、宫禁の内は反って安寧を主る。
祝泌奏曰:午加卯為用,六合乘之。囚死之火,來加城門而今日之水及傳終於子之水。玄武水人乘其上,縱城內有小小驚恐,隨見撲滅,不至動眾。若宮闈之間,更有天乙貴人,則子卯為刑,自主安寧。只有感冒風寒之疾,在後宮之屬耳。
祝泌が上奏して言うには:この課は午を卯の上に加えて発用とし、六合がその上に乗ります。午は囚死して力なき火で、来て城門を主る卯位に加臨します。しかも今日の日辰はもともと水に属し、三伝は最後にまた子水の上に帰結します。玄武はもともと水に属する天将で、今まさにこの子水の上に乗っているので、城の裏にたとえ些かの小小的火警惊擾あっても、随い起き随い滅し、衆人を惊動するに至りません。宫禁の内に至っては、卯の上にさらに天乙貴人が鎮守し、子と卯は相刑するとはいえ、反って自然安寧を主ります。ただ些かの感冒風寒の小病があり、しかも後宫の嬪御の類の人の身に発生するのみです。
壬子日・御筆を奉じて再び丙子女命の懐孕を占う(一針見血)
淳祐丁未年九月壬子日卯將戌時,奉御筆再占丙子女命懷孕或是或非、或男或女,具奏。(一針見血。先是七月戊戌日占遏,見戊戌日干上戌。)
南宋淳祐丁未年九月の壬子日、月将は卯で正時は戌、再び皇帝の御筆の旨意を奉じて、一人の丙子年生まれの宫人が究竟孕有るかどうか、もし孕有れば男か女かを占問し、併せて折を具えて上奏を要した。案は『一針見血』から出る。原注に説く:これに先だつ七月戊戌日にかつて一たび占ったことがあり、あの一課は戊戌日の日干の上神が戌であるのを見る。月将の卯は戌時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進む。
龍勾合朱|戌亥子丑 龍陰空后 財 乙巳 陰|空酉 寅蛇 戌巳酉辰 鬼 庚戌 龍|虎申 卯貴 巳子辰壬 子 ◎卯 貴|未午巳辰|常玄陰后
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:戌の上は青竜、亥の上は勾陳、子の上は六合、丑の上は朱雀、酉の上は天空、寅の上は螣蛇、申の上は白虎、卯の上は貴人、未の上は太常、午の上は玄武、巳の上は太陰、辰の上は天后。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に辰を見、辰の上に酉を見、日支の子の上に巳を見、巳の上に戌を見る。四課の上神の乗ずるは依次に天后・天空・太陰・青竜。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、壬水の妻財で、太陰を乗せる。中伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は壬水を克して官鬼と為り、青竜を乗せる。末伝の卯は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。第三課の「子上見巳」は下神の子水が反って上神の巳火を克し、下が上を賊するに属し、巳を取って発用として重審課を成す。巳より五位を進めて戌を得、戌より五位を進めて卯を得る。巳は子の中の蔵する戊癸と相合し、戌は巳の中の蔵する辛丙と相合し、卯と戌は本身また六合で、三伝は字字に合を帯びる。これはまさに祝泌がそれを「鑄印乘軒」の吉課と称した由来である。
祝泌奏曰:此課三傳巳戌卯,皆有合,巳加子,巳中有戊,子中有癸,戊與癸合。中傳戌加巳,戌中有辛,巳中有丙,丙與辛合。末傳卯加戌,卯與戌合。臣故曰:三傳皆有合,此課名鑄印乘軒,真吉課也。但三傳陰將神稍多,中傳戌與陰,恰見為諸臣之主照。自是陽胎未可必。
祝泌が上奏して言うには:この課の三伝は巳・戌・卯で、字字みな相合あり。初伝の巳は子の上に加わり、巳の中に戊土を蔵し、子の中に癸水を蔵し、戊と癸は相合します。中伝の戌は巳の上に加わり、戌の中に辛金を蔵し、巳の中に丙火を蔵し、丙と辛は相合します。末伝の卯は戌の上に加わり、卯と戌はもともと六合です。だから臣が三伝はみな合を帯びると説き、この課の名を「鑄印乘軒」といい、実に吉課です。ただ三伝の上に乗ずる陰性の天将は偏多く、中伝の戌はまた太陰と相接し、恰も群臣の拱照する象を現出します。このようで看れば、男胎かどうかは、なお断定する能わざるです。
壬子日・蓋判院が前程を占う(方本占案・口鑑)
己酉年六月壬子日未將子時,蓋判院辛未生三十九歲,占前程。(方本占案、口鑑)
己酉年六月の壬子日、月将は未で正時は子、蓋判院――辛未年生まれ・時年三十九歳――が自分の前程を占問した。案は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。「判院」は宋代の審官院・審刑院などの衙門の中の判事官の省称である。ここの「未将」は六月に用いる未月将を指し、「辛未生」は彼が辛未年に生まれたを指し、二つの「未」はともに地支である。月将の未は子時の上に加わり、天盤は地盤より順に七位進む。
朱蛇|六子丑寅卯貴|陳亥 辰后 蛇常朱玄 財 丙午 玄|龍戌 巳陰 寅未丑午 鬼 癸丑 朱|空酉申未午玄 未子午壬 父 戊申 虎|虎常
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:子の上は六合、丑の上は朱雀、寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、亥の上は勾陳、辰の上は天后、戌の上は青竜、巳の上は太陰、酉の上は天空、申の上は白虎、未の上は太常、午の上は玄武。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に午を見、午の上に丑を見、日支の子の上に未を見、未の上に寅を見る。四課の上神の乗ずるは依次に玄武・朱雀・太常・螣蛇。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、玄武を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は壬水を克して官鬼と為り、朱雀を乗せる。末伝の申は旬遁して戊申、申金は壬水を生じて父母と為り、白虎を乗せる。第一課の「亥上見午」は下神の亥水(日干の寄宮)が反って上神の午火を克し、下が上を賊するに属し、午を取って発用として重審課を成す。午より七位を進めて丑を得、丑より七位を進めて申を得る。日干の上神と初伝は同じ午で玄武を乗せて廟に入り、中伝の丑の上の朱雀はまた午と相害し、末伝の申の上の白虎はまた丑墓に入り、一路みな傷損の象である。
邵彥和曰:此課動涉中皆有利害,又名四絕,偃蹇不通,身與初傳玄武入廟,中雀又害,末申作虎入墓,宅未作常六害,又兼四絕體,前程如此,主妻不足妻死,又主親戚入宅亦死。只因損掘艮方父母墳,所以前程不通也。蓋與妻果不和,辛亥妻死卻令姨母來家住,又死。因開墳,果如先生言。壬以申為父母,申墓於丑,是父母墳也。白虎主損壞,以致家敗身不榮也,至癸丑年亡。
邵彦和が言うには:この課は一動一渉の間に処処に利害を夾み、またの名を「四絶」といい、前路は困頓して通せない。日干の上神と初伝は同じ午で玄武を乗せて廟に入り、中伝の丑の上の朱雀はまた午と相害し、末伝の申の上は白虎を乗せて丑墓に落入する。日支のこの一頭は、宅上の未がまた太常を乗せて午と六害を構成し、さらに四絶の課体を加える。前程はすでにこのようであれば、則ち妻子に虧損あって死に至ることを主り、また親戚が家の裏に住み込んでもまた死することを主る。この一切はただ彼が東北艮方の父母の墳塋を損毀挖動したため、だから前程はやっと通じ得ない。その後果たして妻子と和せず、辛亥年に妻子が死に、便ち姨母を請うて家中に同じく住ませたが、姨母もまた死んだ。父母の墳を掘り開いて一看すれば、果たして先生の説く様子と同じであった。壬日は申金をもって父母とし、申の墓庫は丑に在るので、申丑の相連はまさに父母の墳に応ずる。白虎はまた損壊を主り、家道が敗落し自身が顕榮し得ないに致り、癸丑年に至って則ち去世した。
壬子日・未命の人が流年を占う(牧夫占験)
乾隆甲戌年十月壬子日卯將申時,未命人占流年。(牧夫占驗)
乾隆甲戌年十月の壬子日、月将は卯で正時は申、一人の本命が未に属する(未年に生まれた)人が当年の流年の吉凶を占問した。案は『牧夫占験』から出る。「未命」は六壬の術語で、問事人の出生年份の地支が未であるを指し、「まだない」とは毫も相干らない。月将の卯は申時の上に加わり、天盤は地盤より順に七位進み、上の一課の蓋判院の占ったと同一天地盤である。
朱蛇|六子丑寅卯貴|陳亥 辰后 蛇常朱玄 財 丙午 玄|龍戌 巳陰 寅未丑午 鬼 癸丑 朱|空酉申未午玄 未子午壬 父 戊申 虎|虎常
十二宫の天将の分布は:子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は貴人を乗せ、亥は勾陳を乗せ、辰は天后を乗せ、戌は青竜を乗せ、巳は太陰を乗せ、酉は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せる。四課は右より左へ:壬は亥に寄せ、亥の上に午を見、午の上に丑を見、日支の子の上に未を見、未の上に寅を見る。上神の乗ずるは依次に玄武・朱雀・太常・螣蛇。三伝は初伝の午(妻財、玄武を乗せる)、中伝の丑(官鬼、朱雀を乗せる)、末伝の申(父母、白虎を乗せる)。流年に就いて論ずれば:日干の上神の午と日支の上神の未は正好く相合し、看るに和順のようだが、ただ初伝の午財は前後に夾克され、また暗昧私情を主る玄武を驮り、財爻と官鬼の丑の間にまた穿害を構成する。長生の申金はまた白虎を乗せて傷を受ける。問事人の本命は未に在り、未はまさに日支の上に立って午と相穿し、行年は子に落ち、子はまた日干の上神の午を冲す。命・年・日・支の四処が互いに冲穿する。これが王牧夫が彼の家中は口舌で寧らざると断じた全部の根拠である。
王牧夫曰:此課干支上神,維作合。然大象頗有事故,心甚不寧,恐有私情口舌也。初傳午為財,被夾克,玄武逼迫,論財有失而無得,況財與鬼穿害乎?長生又作虎,本源受傷,年境何能得佳?以支辰論,子沖干上午,午為心,受支沖剋,而本命又立支上穿害。自又午未作合,干為妻,主妻宮口舌不安,牽連父母亦不安也。且子見於行年,而未又是本命,玄武為用,畢竟由己不正,惹起事端,以致如此。後知其私乳婦,為妻撞遇,歸母家,同岳母來作吵。彼時,余謂彼當出門,以避口舌,為吉。後因出門始免。行動免者,以馬在寅能制丑上朱雀也。
王牧夫が言うには:この課は日干の上神と日支の上神がただ彼此に相合するのみだが、課象全体は却って頗る事故多く、人心の裏は甚だ安寧でなく、ただ私情によって口舌を惹き出すことを恐れる。初伝の午は財爻で、前後に夾まれて克制され、また玄武に逼迫されるので、財を論ずれば損失あるのみで進項なし。何况財爻と官鬼の間にまた穿害がある。日干の長生の申金はまた白虎を乗せ、本源が傷を受けるので、この一年の光景はどうして好からんか。日支の上から看れば、子が来て日干の上神の午を冲し、午は人身に於いて心を主り、日支に冲克される。しかも問事人の本命の未はまたまさに日支の上に立って午と相穿する。これに午と未が相合することを加え、日干のこの一頭はもと妻室を代表するので、妻宫に口舌が安からず、さらに父母に牽連しても安寧を得ないことを主る。さらに子はまさに彼の当年の行年で、しかも未はまた彼の本命で、発用の神は偏しくも玄武を乗ずる――玄武は暗昧不正を主り、説き尽くせば自ら行事が正しくなく、やっと事端を惹き出し、鬧してこの様子を成した。後にやっと彼が一人の乳母と私通し、妻子に撞破され、妻子は娘家に帰り、さらに岳母とともに門に上り吵鬧したことを知った。当時我は彼に門を出てこの場の口舌を躲けるを吉と勧め、後に彼は門を出たために免れることを得た。走動に依って避け得る所以は、駅馬が寅に在り、寅木が丑の上の朱雀を制住し得、朱雀はまさに口舌を主るからである。
壬子日・妻の病を占う(説約)
甲寅年七月壬子日午將酉時占妻病。(說約)
甲寅年七月の壬子日、月将は午で正時は酉、妻子の病を占問した。案は『六壬説約』から出る。月将の午は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進む。この条の特別の処は:張江村は先前に自分のために館の事を謀るを占い、あの一の一課の裏より先に妻子に病あるを看出し、七月に至り妻の病が重く轉じてやっと別にこの課を起こして死生を占ったので、下文は兼ねて両課を説く。
蛇貴后陰|寅卯辰巳 玄空陰虎 財 丙午 玄|朱丑 午玄 午酉巳申 子 ◎卯 貴|合子 未常 酉子申壬 兄 壬子 合|亥戌酉申|勾龍空虎
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、辰の上は天后、巳の上は太陰、丑の上は朱雀、午の上は玄武、子の上は六合、未の上は太常、亥の上は勾陳、戌の上は青竜、酉の上は天空、申の上は白虎。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に申を見、申の上に巳を見、日支の子の上に酉を見、酉の上に午を見る。四午を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・天空・玄武。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、玄武を乗せる。中伝の卯は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。末伝の子は旬遁して壬子、壬水と同類で兄弟と為り、六合を乗せる。第二課の「申上見巳」と第四課の「酉上見午」はともに上が下を克し、両克が并び見えて日干と同じく陽の午を取って発用とし、比用の課を成す。妻の病を占うに財爻をもって妻とし、午財が発用するはまさに妻の位である。申金は日干の寄宮の上に臨み、申はまた壬水の長生なので、人の挙薦あると断じた。下面の断語は午の上の乗ずるを天后と称するが、本盤の標する玄武と合わず、当に伝本の互いに異なるとすべく、ここは照録して改めない。
張江村曰:占此現彼,往往有之。餘甲寅四月初一丁巳日酉將申時,因占幕館。而知妻有病(見丁巳日干上申)。及於七月間妻患病甚重,為占死生得此課,午為妻,發用乘天后外戰,幸午為太陽,病雖重無妨。又看干為我,申作長生臨干,主有人作薦,巳作貴人臨申六合,餘亦有館矣。
張江村が言うには:この一件の事を占うに却ってあの一件の事を顕出する、この種の情形は常に有る。我は甲寅年四月初一の丁巳日・月将が酉で正時が申の時に、もと一人の幕僚の館職を謀るために課を起こしたが、課の上より妻子に病あるを看出した(丁巳日の日干の上神の申に応ずる)。七月の間に至り妻子の病が甚だ重くなり、彼女のために生死を占い、得たのが則ちこの課である:午は妻財すなわち妻子の位置で、発用の神は天后を乗せて外神と交戦する。所幸午は太陽の居する位なので、病は重いとはいえ大きな礙はない。さらに日干が我自己を代表するを看れば、申は壬水の長生で日干の上に臨むは、人が我のために挙薦することを主る。巳の上に貴人を乗せて申に臨み、また申と相合するので、我の館職もまた着落あると見える。
壬子日・酒を求めるを占う(方本占案)
壬子日申將亥時,或占求酒。(方本占案)
壬子日、月将は申で正時は亥、ある人が酒を討ち得るかどうかを占問した。案は『方本占案』から出る。月将の申は亥時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進み、上の一課の妻の病を占ったのと同一天地盤である。この条は六壬が天空をもって虚詐落空を断ずる典型の例子である:求める所の物はもともと存在せず、課の上に便ち処処に空破の象を現出する。
貴後|蛇寅卯辰巳陰|朱丑 午玄 玄空陰虎 財 戊午 玄|六子 未常 午酉巳申 子 空卯 貴|陳亥戌酉申虎 酉子申壬 兄 壬子 六|龍空
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、辰の上は天后、巳の上は太陰、丑の上は朱雀、午の上は玄武、子の上は六合、未の上は太常、亥の上は勾陳、戌の上は青竜、酉の上は天空、申の上は白虎。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に申を見、申の上に巳を見、日支の子の上に酉を見、酉の上に午を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・天空・玄武。三伝は上より下へ:初伝の午は、壬水の妻財で、玄武を乗せる(三伝の下の遁干は「戊午」と写作するが、壬子日は甲辰旬に属し、午は当に丙を遁ずべきで、ここは伝本の異あり、姑くその旧に仍る)。中伝の卯は「空卯」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。末伝の子は旬遁して壬子、壬水と同類で兄弟と為り、六合を乗せる。酒を求めるを断ずる關鍵は全て第三課に在る:日支の子は酒器の在る所で、その上に加わる酉はまさに酒の類神なのに、しかも酉の上に乗ずるは天空である。天空は虚詐不実を主り、酒の類神はすでに虚詐の将の上に落ち、中伝はまた旬空に墜入するので、根本に酒は求むべからずと断じた。
邵彥和曰:酉加子作天空,支為酒,其酒必敗,器必破,必無酒也。酉為酒加子,酉破子,乃破器也。子水敗於酉,酉金死於子,乘空為虛詐,又傳入空亡,是以無酒。
邵彦和が言うには:酉は子の上に加わって天空を乗せ、日支のこの一頭はもと酒を主るので、この酒は必ずすでに敗壊し、酒を盛る器皿もまた必ず破損し、実際に根本に酒がないと見える。酉は酒の類神で、今子の上に加臨し、しかも酉と子はまさに相破するので、破器の象である。さらに子水の沐浴敗地はまさに酉に在り、酉金の死地はまたまさに子に在り、両下が互いに敗死する。酉の上に乗ずる天空はまた専ら虚詐不実を主り、三伝はなお旬空の裏に墜ち込む――種種が湊り合わさるので、酒なしと断定した。
壬子日・王徳卿が宅を占う(方本占案・口鑑)
戊申年十月壬子日卯將卯時,王德卿辛酉生四十八歲,占宅。(方本占案、口鑑)
戊申年十月の壬子日、月将は卯で正時も卯、王徳卿――辛酉年生まれ・時年四十八歳――が家宅を占問した。案は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。月将と正時がともに卯で、天盤地盤が完全に重合するは、伏吟課である。伏吟は事情が原地に停まって動かないを主り、宅を占えば則ち宅が遷移せず旧況が相沿することを主る。
後陰|貴巳午未申玄|蛇辰 酉常 龍龍空空 兄 辛亥 空|朱卯 戌虎 子子亥亥 兄 壬子 龍|六寅丑子亥空 子子亥壬 子 空卯 朱|陳龍
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:巳の上は貴人、午の上は天后、未の上は太陰、申の上は玄武、辰の上は螣蛇、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は白虎、寅の上は六合、丑の上は勾陳、子の上は青竜、亥の上は天空。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上はなお亥、亥の上はまた亥、日支の子の上は子、子の上はなおも子――上下が同位で、まさに伏吟である。四課の上神の乗ずるは依次に天空・天空・青竜・青竜。三伝は上より下へ:初伝の亥は旬遁して辛亥、壬水と同類で兄弟と為り、天空を乗せる。中伝の子は旬遁して壬子、もまた兄弟で、青竜を乗せる。末伝の卯は「空卯」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、朱雀を乗せる。伏吟には克なく、陽日は日干の上神を取って発用とするので、故に初伝は亥。亥は自刑を為すので、改めて日支の上神の子を取って中伝とし、子は卯を刑して、末伝の卯を得る。十月の亥子水はまさに旺に当たり、日支の上は帝旺の気なので、財物が興隆すると断ずる。末伝の卯は朱雀を乗せて日支を刑し、朱雀は口舌文書を主るので、門戸が寧からず差役が聒擾すると断じた。
邵彥和曰:此課財祿極穩,但自有膀胱氣及陰腫水氣之擾。宅上帝旺,財物興隆。今年進子又添孫,中傳及支子也。子邊作亥,乃孫字也。末傳卯乘朱雀,主門戶不寧,戶役事擾。堂上不合安符,主家中無一時安靜(蓋卯雀脫壬子而刑子支,故其斷如此,若不刑支,不可如是斷也),家資得地,池塘之利,必然大發。尚有二十六年壽,主水腫而亡。王乃士人,善治家,只是受膀胱病累,本年三月生子,十二月又添孫,常為戶役聒吵。堂上掛一天師,自此夢寐不安,怪異影響,遂去之,果無事。其家池塘最盛,一年有數萬魚利,越十六年果死。
邵彦和が言うには:この課は財と禄がともに極めて穏当で、ただ自身は膀胱の疾と下部の浮腫・水気の類の病擾を受ける。日支の宅上はまさに帝旺の地に当たり、財物は必ず興隆する。今年はすでに息子を添えまた孫を添える――中伝の子と日支の子はともに子息を主り、子の傍らにまた亥が連なり、合わせてまさに「孫」の意である。末伝の卯は朱雀を乗せ、門戸が安寧を得ず、差役賦税の事が来て攪擾することを主る。廳堂の上に符籙を懸挂すべきでなく、一たび挂ければ則ち家の裏に一刻の安静なきを主る(これは卯の上の朱雀がすでに壬子の気を泄し、また日支の子を刑するため、かく断ずるのであって、仮使日支を刑せざれば、かく断ずる能わざる)。家産の在る所は地を得て、池塘の出息は必ず大いに發する。彼はなお二十六年の寿数があり、最後に水腫によって死す。王徳卿は読書人で、甚だ家を治めるに能くし、ただ常に膀胱の病に拖累される。この一年の三月に息子を生み、十二月にまた孫を添え、平常は常に戸役の事に攪擾された。彼の廳堂の上にかつて一幅の天師像を挂け、挂けてより以來夜に睡って安穩せず、怪異の事に時々響動あり、後に像を撤したるに、果たして事なし。彼の家の池塘の出息は最も好く、一年に幾万銭の魚利あり。十六年を過ぎて、果たして去世した。
蓋壬子日十月亥子水旺,又壬祿居亥,而旺於子,亥四數,課中四個亥,四四一十六年也。此非先生意,乃及門諸子增入之辭也。何則?課傳止二亥,亥為旺氣,當倍進,即曰伏吟,斷少則二亥八年,又不可云十六年矣。且亥乃日祿,何反之決死?是此說之謬可知矣。按邵公之意,或用越十六年而行年在辰,辰為壬日之墓,流年太歲在亥,太歲乘空臨身,所謂當頭立也。太歲即臨身而行年又入墓地,故主十六年而亡耳。邵公之意,毋乃在此乎?
ある人がこのように解釈する:壬子日は十月に在り、亥水子水がまさに旺に当たる。壬の禄は亥に在り、また子に於いて旺する。亥は六壬の中で数が四で、課の裏に四つの亥あり、四に四を乘ずれば則ち十六年。程樹勲按:これは邵先生本人の意ではなく、彼の門下の弟子が後に添え入れた言である。なぜか。課と伝の裏には実は二つの亥しかない。亥はすでに旺気であれば、理に照らして倍に推進すべく、何况これは伏吟課で、断じて少なくとも二つの亥が合して八年を成すのみで、どうしても十六年に到ると説き得ない。さらに亥はもと壬日の禄神なのに、どうしてかえってそれを拿って死期を決断するか。この説法の謬誤は明らかに擺れていると見える。私の推想する邵公の本意に依れば、あるいは十六年後に彼の行年がまさに辰に走り到るを取るのであろう。辰は壬日の墓庫で、しかもあの一年の太歳は亥に在り、太歳は旬空を乗せて本命の身に臨到するは、すなわち術家のいわゆる「当頭立」である。太歳がすでに身に臨み、行年はまた墓地に落ち込むので、やっと十六年にして亡すると断じた。邵公の意は、恐らくこの處に在るのであろう。
癸丑日
癸丑日・長老が休咎を占う(方本占案)
己丑年三月癸丑日酉將戌時,長老占休咎。(方本占案)
己丑年三月の癸丑日、月将は酉で正時は戌、一人の寺院長老が吉凶禍福を占問した。案は『方本占案』から出る。月将の酉は戌時の上に加わり、天盤は地盤より退く一位である。「休咎」は則ち吉凶:休は美善で、咎は災禍である。この課の關鍵は初伝の子水が玄武を乗ずるに在る――玄武は六壬の盗賊の類神で、また暗昧隠匿を主るので、邵彦和は一見して寺中に竊を遭うと断じ出した。
朱六|蛇辰巳午未陳|貴卯 申龍 常玄常玄 兄 壬子 玄|後寅 酉空 亥子亥子 兄 辛亥 常|陰丑子亥戌虎 子丑子癸 鬼 庚戌 虎|玄常
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:辰の上は螣蛇、巳の上は朱雀、午の上は六合、未の上は勾陳、卯の上は貴人、申の上は青竜、寅の上は天后、酉の上は天空、丑の上は太陰、子の上は玄武、亥の上は太常、戌の上は白虎。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に子を見、子の上に亥を見、日支の丑の上に子を見、子の上に亥を見る。四課の上神の乗ずるは依次に玄武・太常・玄武・太常。三伝は上より下へ:初伝の子は旬遁して壬子、癸水と同類で兄弟と為り、玄武を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、もまた兄弟で、太常を乗せる。末伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は癸水を克して官鬼と為り、白虎を乗せる。第三課の「丑上見子」は下神の丑土が反って上神の子水を克し、下が上を賊するに属し、子を取って発用として重審課を成す。子より一位を退けて亥を得、亥より一位を退けて戌を得る。三伝の子・亥・戌は一路相連して下り、六壬は「連茹」と称し、事情が一件一件を牽き人が一串一串に跟うを主る。末伝の戌の上は白虎を乗せてまた日干を克するので、人命の凶あると断じた。
邵彥和曰:子作元武加日相合,即作傳,加丑為陽刃大吉,又是僧寺,中傳亥加子作常,亥即元類,作常加子,又是勢害,末虎克日,此課凶矣。必旬日內盜欲入方丈不得,乃入庫下偷三人物,後來干三人命。蓋連茹體也。且損水姓人。果第七日賊入庫,偷監寺副典庫三人物,既覺行者尋蹤往,他客汪家捉獲。將汪氏一鐵椎擊死,因解行者至官獄死。三僧吃棒,一僧患杖死,皆因連茹在不明,末虎作鬼故也。庫中者,丑為庫也。
邵彦和が言うには:子の上に玄武を乗せて日干の上に加臨し、また日干と相合し、隨って発用して伝に入る。子の加わる所の丑は癸日の陽刃で、丑は六壬の裏で名を「大吉」とし、また僧寺を主る。中伝の亥は子の上に加わって太常を乗せ、亥の本身もまた玄武の類の水神に属し、今太常を乗せて子の上に加わり、また勢害を構成する。末伝の戌の上の白虎は直ちに日干を克する――この課は凶である。十天の内に、盗賊は必ず先ず方丈室に進み入りて竊を行わんと思うも未だ手を得ず、轉じて庫房の底下に進み入りて三人の物を偷み、後に還って三条の人命に牽連する。これは課体が「連茹」に属し、一環一環に扣る故である。しかも姓氏が水に属する一人を損傷する。その後果たして第七日に賊が庫に進み、監寺・副寺・典庫の三人の物件を偷んだ。事が發した後、寺中の行者が蹤を循りて追い往き、外來の客商の汪家に於いて賊を捉えたが、却って一柄の鐵椎を用いて汪氏を打ち死なせた。これにより行者は官に解送され、獄中に死した。三人の僧人は板子を喫し、その中の一僧は杖傷せられて死に致る。これらはみな連茹の体が牽連して清からず、末伝の白虎がまた化して官鬼と為った緣故である。庫房の裏に偷むと説くは、丑が物象の上でまさに倉庫を主るからである。
癸丑日・雨澤を占う(張本占案)
庚辰年浙江大旱,八月癸丑日辰將辰時占雨澤。(張本占案)
庚辰年、浙江が大旱し、八月の癸丑日、月将は辰で正時も辰、いつ雨が下るかを占問した。案は『張本占案』から出る。月将と正時がともに辰で、天盤地盤が重合するは伏吟課である。「雨澤」は則ち雨水の恩澤である。伏吟はもと停滯を主るが、この課は三伝の丑・戌・未が逓に相刑撃し、反って癸水を刑して開かせて下に注がしめるので、邵彦和は雨の來るが急でしかも風あると断じた。
貴后陰玄|巳午未申 勾勾勾勾 鬼 癸丑 勾|蛇辰 酉常 丑丑丑丑 鬼 庚戌 虎|朱卯 戌虎 丑丑丑癸 鬼 丁未 陰|寅丑子亥|合勾龍空
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:巳の上は貴人、午の上は天后、未の上は太陰、申の上は玄武、辰の上は螣蛇、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は白虎、寅の上は六合、丑の上は勾陳、子の上は青竜、亥の上は天空。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上はなお丑、丑の上はまた丑、日支の丑の上は丑、丑の上はなおも丑――四課みな丑で、まさに伏吟である。四課の上神はみな勾陳を乗せる。三伝は上より下へ:初伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は癸水を克して官鬼と為り、勾陳を乗せる。中伝の戌は旬遁して庚戌、もまた官鬼で、白虎を乗せる。末伝の未は旬遁して丁未、同じく官鬼で、太陰を乗せる。伏吟には克なく、日干の寄宮の丑を取って発用とす。丑は戌を刑し、戌は未を刑するは、まさに「三刑」全備である。ここの「未」は十二地支の一つで、すでに末伝の神と為すのみならず、下文の説く「未時に雲あり」もまた未時のこの時辰を指す。丑の納音は木に属し、木は風を主る。勾陳は土に属して木に克され、土が潰れば則ち水が漏るので、風雨が驟やかに至ると断じた。
邵彥和曰:伏吟課,定是今日未時有云,一霎時起大風,又下小雨。明日甲寅,一日大風,下微雨。至乙卯日風止,大雨一日,水暴漲也。
邵彦和が言うには:これは伏吟課で、今日の未時(午後一時から三時)に則ち雲が起こり、霎時間に大風が刮り起こり、隨って小雨が落ちると断定する。明日の甲寅日は、整天に大風で、なおも小雨が點ずる。乙卯日に至って風はやっと停まり住み、一整天の大雨が下り、水勢は暴漲し起こるであろう。
蓋丑在癸上,即癸丑為初傳,而中戌、末未,疊疊刑開,使癸水下注。癸丑納音屬木,木主風,故未時兼有風,是八月十五日也。至十七日乙卯,是大溪水,故大雨水漲。由丑、寅二日,風以動之也。太陰月宿十五日在戌,十六、十七日在酉,乃是月宿離於畢,畢在酉宮也。十七日朱雀加卯,火敗於卯,而得月離於畢,故主大雨。雨常附陰而降,以酉為太陰之門,純陰之位。凡占雨,但用月宿到今日,看臨在酉,則是月離於畢也。癸丑納音木,克乘神勾陳土,土潰而水漏,故一霎時風雨。甲寅乘六合,木盛多風。至十八日丙火辰土,而納音又土,辰又為八月太陽,上乘螣蛇火神,至是雨霽而晴矣。
その理を細かく説く:丑は日干の癸の頭上に壓し、癸丑は便ち初伝と為る。中伝の戌・末伝の未が接続して相刑し、閉固した癸水を刑して開かせて下に向かって傾注せしめる。癸丑の納音は木に属し、木は風を主るので、未時にはすでに雲ありまた風を帯びる。この一天はまさに八月十五である。十七日の乙卯に至り、乙卯の納音は大谿水なので、大雨が下り水位が上漲する。丑日・寅日の両天より先に風が起こる所以は、風が前頭に在って気機を鼓動し起こすからである。太陰月亮の宿する位は、十五日は戌に在り、十六・十七の両日は酉に在る。まさに『詩経』のいわゆる「月、畢を離る」――畢宿は則ち酉宫に在る。十七日は朱雀が卯の上に加臨し、火は卯に於いて沐浴敗地で、火気は衰えてしかもまた月亮が畢宿に傍うに逢うので、大雨を主る。雨は総て陰気に依附して降るもので、酉は太陰の門・純陰の位なので、雨を占うにはただ月亮の当日に宿する位置を推算し、それが酉に臨み到るを見れば、則ち月が畢を離れたである。癸丑の納音は木に属し、木が来て乗ずる所の勾陳の土を克し、土が一たび潰散すれば水は則ち漏れ下るので、風雨がかくも突然に來る。甲寅日の上に六合を乗せ、木気が盛んなれば則ち風多し。十八日に至り、天干は丙火・地支は辰土で、納音はまた土に属する。辰はまた八月の太陽の在る宫で、上に螣蛇のこの火神を乗ずる――この時に至って雨は収まり晴れ放つ。
癸丑日・知縣が銀器衣物を失す(方本占案)
九月癸丑日卯將卯時,某知縣宴客失去銀器衣物,索占。(方本占案)
九月の癸丑日、月将は卯で正時も卯、ある知縣が宴を設けて客を請う時に銀器と衣物を失し、失物の下落を占を求めた。案は『方本占案』から出る。月将と正時が相同じく、依然として天地盤が重合する伏吟課で、上の一課の雨澤を占ったと同一課式である。伏吟は事物がかつて本處を離れないを主り、これがまさに邵彦和が贓物はなお衙門の裏に在り、帶び出されていないと断じた根拠である。
貴后陰玄|巳午未申 勾勾勾勾 鬼 癸丑 勾|蛇辰 酉常 丑丑丑丑 鬼 庚戌 虎|朱卯 戌虎 丑丑丑癸 鬼 丁未 陰|寅丑子亥|合勾龍空
十二宫の天将の分布は:巳は貴人を乗せ、午は天后を乗せ、未は太陰を乗せ、申は玄武を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、酉は太常を乗せ、卯は朱雀を乗せ、戌は白虎を乗せ、寅は六合を乗せ、丑は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、亥は天空を乗せる。四課は右より左へ:癸は丑に寄せ、丑の上は丑、丑の上は丑、日支の丑の上は丑、丑の上は丑、四課すべて同じで、伏吟である。四課の上神はみな勾陳を乗せる。三伝は初伝の丑(官鬼、勾陳を乗せる)、中伝の戌(官鬼、白虎を乗せる)、末伝の未(官鬼、太陰を乗せる)、丑が戌を刑し戌が未を刑して成る。盗を捕える占は専ら玄武と刑神を看る:玄武は申に落ち、申は物象の上で高処樓閣を主るので、賊は高処より下来ったと断ずる。日干の癸の寄する丑は戌を刑し、戌は人力差役を主り、また高樓の宿處を主る。末伝の未は木の墓庫で、未の中に鬼宿を蔵して上に太陰を乗せ、太陰は隠匿を主り、未はまた神廟に応ずるので、贓物は神廟の裏に蔵ると断ずる。丑はすでに官星でありまた刑を帯びるので、当日に則ち拿獲し得ると断じた。
邵彥和曰:賊從高處下來作竊,物必藏在神廟中,未出衙門,今日午時二姓徐王人敗。丁己在未,故主二姓人。癸為日主刑戌,戌為人力,又為高樓宿處,伏吟不離本家也。未為木墓,內有鬼宿乘太陰,主神廟,又為隱匿。丑為官星,勾作刑,故獲。果於本衙中神廟龕下尋見,乃是更樓上更夫偷也。人在高處者,元武在申,申為高處也。
邵彦和が言うには:賊は高処より下来って竊を行ったのだ。贓物は一定に神廟の裏に蔵れており、まだ衙門に帶び出されていない。今日の午時に則ち敗露し、牽連するは徐・王の両姓の人である。丁と己がともに未の上に遁ずるので、一位の上に二つの天干が現出し、故に二つの姓氏の人を主る。日干の癸の寄する丑が来て戌を刑し、戌は物象の上で役使に供する人力を主り、また高樓の住宿の處を主る。これはまた伏吟課で、東西がかつて本家を離れないを主る。未は木の墓庫で、裏頭に二十八宿の中の鬼宿を蔵し、上にまた太陰を乗せ、太陰は神廟を主り、また隠匿蔵掖を主る。丑はすでに官星であり、また勾陳の刑を帯びるので、拿獲し得ると断定した。その後果たして本衙門の内の神龕の底下で失物を見出した。もとよりより樓の上で更を打つ更夫の偷んだ所であった。人が高処に在ると断じたは、玄武が申の上に落ち、申は物象の上でまさに高処を主るからである。
癸丑日・鄭宣義が家宅を占う(方本占案)
戊申年八月癸丑日巳將丑時,鄭宣義己亥生(生於五月六日酉時)七十歲,占家宅。(方本占案)
戊申年八月の癸丑日、月将は巳で正時は丑、鄭宣義――己亥年生まれ・五月初六酉時生・時年七十歳――が家宅を占問した。案は『方本占案』から出る。「宣義」は宋代の宣義郎の省称で、文散官に属する。月将の巳は丑時の上に加わり、天盤は地盤より順に四位進む。この課は三伝が湊って巳酉丑の金局を成し、八月はまた金気が令に当たる時なので、人丁が極めて盛んにして宅気は反って泄薄せられると断ずる。
虎常|空酉戌亥子玄|龍申 丑陰 空朱空朱 父 己酉 空|陳未 寅后 酉巳酉巳 鬼 癸丑 陰|六午巳辰卯貴 巳丑巳癸 財 乙巳 朱|朱蛇
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:酉の上は天空、戌の上は白虎、亥の上は太常、子の上は玄武、申の上は青竜、丑の上は太陰、未の上は勾陳、寅の上は天后、午の上は六合、巳の上は朱雀、辰の上は螣蛇、卯の上は貴人。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に巳を見、巳の上に酉を見、日支の丑の上に巳を見、巳の上に酉を見る。四課の上神の乗ずるは依次に朱雀・天空・朱雀・天空。三伝は上より下へ:初伝の酉は旬遁して己酉、酉金は癸水を生じて父母と為り、天空を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は癸水を克して官鬼と為り、太陰を乗せる。末伝の巳は旬遁して乙巳、癸水の妻財で、朱雀を乗せる。巳・酉・丑の三字は合して金局を成し、八月は金が旺し、金が来て日干の水を生ずるので、人丁が興盛を主る。ただ日支の丑はもと房宅を主るのに、今金局の中に落ちて一味に気を泄するので、宅は反って狭窄替敗を顕す。巳は物象の上で厨竈を主り鍋を主り店業を主り、酉は酒と婢女を主る。下面の断語はまさにこの幾つかの物象の上より層層に推し出したのである。
邵彥和曰:此課人盛宅狹,人與宅替;不出四年,必主修造酒房,廚下一婢酒中死;不要買叔婆之產,必有退悔;又主有三所店,先開二所見財,後開一所主敗;宅前不合置淘鍋,主八年內淘鍋屋下必停喪,是時其家四分矣。鄭兄弟十人,共四十餘口,未曾分;至辛亥年,公果造酒房;十二月婢盜酒飲,醉死。己酉年與叔婆交易,叔婆有子二人,年幼不曾預名,後果退悔。又丙辰戊午二年兩店興旺,己丑又開淘鍋,正對門前,至乙卯二月弟婦死,殯於內。
邵彦和が言うには:この課は人丁が興旺して宅基は逼仄で、人と宅は此れ消え彼れ長ず。四年を出ずして、必ず酒房を蓋し起こし、厨房の底下に一人の婢女が酒の上で死す。婶婆の家の産業を買うなかれ、買えば必ず反悔退還の事あり。また三處の店鋪を開くを主り、先に開く兩處は財を見る能くし、後に開く一處は却って虧敗する。屋前に淘米の鍋竈を安放すべきでない。安ずれば則ち八年の内に淘鍋のあの間の屋の下に必ず靈柩を停放し、その時他家はすでに四房に分かれている。当時鄭家は兄弟十人・合家四十余口で、まだ分家していなかった。辛亥年に至り、鄭公は果たして酒房を蓋した。十二月の裏、一人の婢女が酒を偷んで飲み、酔い死した。己酉年に婶婆と産業の交易を為し、婶婆に二つの息子ありて年紀はなお小さく契の上に署名せず、後に果たして反悔して退した。丙辰・戊午の両年、兩處の店鋪は興旺した。己丑年にまた正対門前の地方に淘鍋を支え起こし、乙卯年二月に至り弟媳が去世し、則ちあの間の屋の裏に靈を停めた。
蓋謂人盛者,癸日遇巳酉丑,八月旺金來生也。宅狹宅替者,丑為宅,值金局而脫氣也。丑為八月死氣,加於酉婢之上,丑上見巳,巳為廚灶,癸水見酉,乃酒也,故主婢死於酒房廚下。三店者,日上、支上、傳上見三個巳,巳為店業。一所敗者,癸水絕於巳故也。又為巳為鍋,值癸水乃淘鍋也。八年者,雙巳四數也。支上巳,末傳巳,皆為日財,故二所見財。日上巳獨不以財爻論,乃絕神加日也,故主敗,丑為宅,上加巳,是必宅前置淘鍋也。
その理を細かく説く:人丁が興盛と説くは、癸日が巳酉丑に遇いて合して金局を成し、しかも八月は金気まさに旺で、旺金が来て日干の水を生ずるからである。宅基が狭窄で宅気が替落すると説くは、丑はもと房宅を代表するのに、却って金局の裏に陥りて一味に気を泄するからである。丑は八月の死気で、また婢女を主る酉の上に加わる。丑の上に巳を見、巳は物象の上で厨房灶台である。癸水が酉に遇えば、酉は則ち酒である――だから婢女が酒房厨下に死すと断じた。三處の店鋪と説くは、日干の上・日支の上・三伝の上に共に三つの巳を見、しかも巳は物象の上で店業を主るからである。その中の一處が敗することを説くは、癸水が巳に於いて絶するからである。巳はまた鍋と看作すことができ、鍋が癸水に遇えば便ち淘米の鍋である。八年と説くは、二つの巳・毎の巳の数は四で、合わせて八である。日支の上の巳と末伝の巳はともに日干の財爻なので、あの兩處の店鋪は財を見る。ただ独り日干の上の巳は財爻として看る能わざる。それは日干に加臨する絶神なので、敗を主る。丑は房宅で上に巳を加えるので、必ず屋前に淘鍋を安じたと見える。
又一人論曰:癸絕於巳,似矣。然予猶有說焉,丑生於申,寧不絕於巳乎?則絕巳云云者,非其至也。其或癸水克巳,巳為店受克,則自敗。庶幾近是。此二論不知何人之筆,附錄於此,以便對考。要知先開二所見財,似指干支上二巳而言也。後開一所主敗,似指末傳上巳而言也。末傳為歸計,不宜逢絕也。一得之愚,附此備改。
また一人の議論して言う:癸水が巳に絶すると講ずるは、理あるかのようだが、ただ我はなお一層の説法あり――丑土の長生は申に在るのに、豈に巳に絶せざらんか。然らば則ち単に「巳に絶す」云云を講ずるは、なお点子上に講じ到らざる。或いは当に癸水が巳を克し、巳はすでに店業にして克を受ければ、自然に則ち虧敗する、かく説くこそ比較的貼切なるべし。程樹勲が言う:以上の両段の議論はいずれも誰の手筆より出るかを知らず、姑くここに附録して、讀者に対照参考せしめる。要するに、先に開く兩處が財を見るは、似たるかな日干の上・日支の上のあの二つの巳を指し、後に開く一處が敗を主るは、似たるかな末伝の上のあの一つの巳を指す。末伝は一事の帰宿結局で、最も絶地に落ちるを宜しとしない。これは我の一得の見に過ぎず、ここに附して改正を待つ。
癸丑日・葉助教が家宅を占う(方本占案)
己酉年二月初四癸丑日亥將午時,葉助教丙辰生,生於四月初九寅時,五十四歲,占家宅。(方本占案)
己酉年二月初四の癸丑日、月将は亥で正時は午、葉助教――丙辰年生まれ・四月初九寅時生・時年五十四歳――が家宅を占問した。案は『方本占案』から出る。「助教」は國子監・州縣学の中の学官である。月将の亥は午時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進む。この課は専ら宅中の水道の壅塞の引き起こす種種の病症を断ずる、六壬が課象をもって陽宅の形勢を推す名例である。
空虎|龍戌亥子丑常|陳酉 寅玄 空蛇空蛇 財 丙午 蛇|六申 卯陰 亥午亥午 兄 辛亥 空|朱未午巳辰后 午丑午癸 鬼 甲辰 後|蛇貴
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:戌の上は青竜、亥の上は天空、子の上は白虎、丑の上は太常、酉の上は勾陳、寅の上は玄武、申の上は六合、卯の上は太陰、未の上は朱雀、午の上は螣蛇、巳の上は貴人、辰の上は天后。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に午を見、午の上に亥を見、日支の丑の上に午を見、午の上に亥を見る。四課の上神の乗ずるは依次に螣蛇・天空・螣蛇・天空。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、癸水の妻財で、螣蛇を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、癸水と同類で兄弟と為り、天空を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は癸水を克して官鬼と為り、天后を乗せる。第一課の「丑上見午」は下神の丑土(日干の寄宮)が反って上神の午火を克し、下が上を賊するに属し、午を取って発用として重審課を成す。午より五位を進めて亥を得、亥より五位を進めて辰を得る。末伝の辰は天罡の土で、正好く中伝の亥水を堵住し、水路が一たび塞がれば、人身の血脈もまた隨って通ぜず、これが全課の病を断ずる樞紐である。
邵彥和曰:主宅後東廁水溝不通,一主人患眼疾,二主人常有腸風瀉痢之疾,三主婦人血脈不通,四主人浮腫而死,只因西北水路閉塞,所以如此。若不開通,定主婦人癲狂重病也。葉家果有人常患眼,兼婦人有病。蓋因西北水溝為人所塞,凡雨後東廁及後屋常為水浸,助教自有腸風疾,妻妾每患吐瀉。
邵彦和が言うには:この課は屋後の東側の廁所の水溝が通ぜないを主る。第一に主人に眼疾あり、第二に主人は常に腸風下血・腹瀉痢疾を患い、第三に婦人の血脈が通ぜないを主り、第四に人の浮腫を得て死するを主る――みなただ西北方の水路が堵塞するため、やっとこの地步に落ちる。もし疏通を加えなければ、一定になお婦人の癲狂の重病を得ることがある。その後葉家に果たして人の常に眼病を鬧す者あり、婦人もまた病あり。もとより西北方の水溝が人に堵住され、雨に逢う毎に、東側の廁所と後屋は常に水に浸され、助教自身は腸風の疾を患い、妻妾もまた常常に吐瀉した。
蓋三傳辰土塞亥水,亥克午火,午卻逃臨身宅,身雖制得他,宅卻為他所害,故宅被害而反害人也。干屬水,支屬土,土來克水,中傳又是水,末傳天罡截住,壅塞亥水,故水不通,血脈不行,致生諸病。至戊午年婦人產後遂患癲病,蓋為騰蛇所撓耳。午為心,血脈不通而克心,故有是病。
その理を細かく説く:三伝の末伝の辰土が中伝の亥水を堵住し、亥水はまた去りて初伝の午火を克し、午火は却って日干と日支の上に逃げる――自身はなおそれを制住し得るとはいえ、房宅はすでにそれに害され、だから宅は先に害を受け、反ってまた人を害する。日干の癸は水に属し、日支の丑は土に属し、土が来て水を克する。中伝はまた水で、末伝の天罡の辰土がそれを腰を攔えて截断し、亥水を壅塞せしめるので、水路は通ぜない。水が通ぜなければ則ち人身の血脈もまた行われず、各種の病はみな出る。戊午年に至り、婦人は産後に便ち癲狂の病を得た。あれは螣蛇に攪擾された緣故である。午は人身に於いて心を主り、血脈が通ぜずして反って心に克し到るので、この病を生じ出した。
癸丑日・姜伯達が前程を占う(宋本邵案・口鑑・捷要)
己酉年六月初六癸丑日未將寅時,姜伯達丁卯生四十三歲,占前程。(宋本邵案、口鑑、捷要)
己酉年六月初六の癸丑日、月将は未で正時は寅、姜伯達――丁卯年生まれ・時年四十三歳――が前程を占問した。案は宋刻本『邵彦和占案』・『六壬口鑑』と『六壬捷要』の三書に見える。ここの「未将」は六月に用いる未月将を指し、地支の一つである。月将の未は寅時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進む。四課三伝は上の一課の葉助教の占ったと完全相同なのに、ただ課を起こした昼貴が同じでないため、貴人の臨む位は便ち異なり、天将もまたこれに隨って一套を換え、断語は是において大いに相同じない――これはまさに下文の程樹勲按語の辨明せんとする所である。
陳六|龍戌亥子丑朱|空酉 寅蛇 陳玄陳玄 財 丙午 玄|虎申 卯貴 亥午亥午 兄 辛亥 陳|常未午巳辰后 午丑午癸 官 甲辰 後|玄陰
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:戌の上は青竜、亥の上は勾陳、子の上は六合、丑の上は朱雀、酉の上は天空、寅の上は螣蛇、申の上は白虎、卯の上は貴人、未の上は太常、午の上は玄武、巳の上は太陰、辰の上は天后。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する――これは夜貴で、葉助教の一課の昼貴を用いたと同じからず。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に午を見、午の上に亥を見、日支の丑の上に午を見、午の上に亥を見る。四課の上神の乗ずるは依次に玄武・勾陳・玄武・勾陳。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、癸水の妻財で、玄武を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、兄弟と為り、勾陳を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、官星と為り、天后を乗せる。午は人身に於いて心を主り、物象に於いて目と屋を主る。今初伝の午は日干の癸水に克される。中伝の亥は勾陳を乗せて宅位に臨み、勾陳は専ら争闘訴訟を主る。末伝の辰は癸日の墓庫で天后を乗せ、天后は女人の血気を主る。この三層はまさに邵彦和の説く所の屋苦・妻苦・心苦に対応する。
邵彥和曰:吾子平生有三苦:一為屋苦,二為妻苦,三為心所苦。初午被癸克,婦人常患心血不寧;中亥為同類,臨屋上,主官訟爭產;愛函析曰:勾陳主爭也。此惟夜貴則乘勾,若作亥將午時,則用晝貴,亥乃乘天空,何從而斷其官訟爭屋乎?末墓作天后,主女人血氣之災。自身隨傳入墓,必是公姑干亥山之墳內,有泥水侵棺,走獸入內為穴,所以前程不通。九年心病,又四年遭同族爭產,又五年死。若不動移,必然喪身也。
邵彦和が言うには:足下の一生に三樣の苦あり。一は房屋に苦しめられるを為し、二は妻室に苦しめられるを為し、三は心病に苦しめられるを為す。初伝の午は日干の癸水に克され、家中の婦人が常に心血に安寧ならざるを患うを主る。中伝の亥は日干と同類で、また房屋を代表する日支の上に臨み、官司訴訟・家産を争奪することを主る(愛函の分析に説く:これは勾陳が争闘を主るため。しかも勾陳が亥の上に乗ずる所以は、ただ夜貴を用いたためで、仮使亥将午時に照らして課を起こせば、用うるは便ち昼貴で、亥の上に乗ずるは天空と成れば、あれはまた何を凭って彼の官訟争屋を断ぜんか)。末伝の辰は癸日の墓庫で天后を乗せ、家中の女人に血気の災あるを主る。自身は三伝に隨って墓の中に落ち込み、必ず公婆が亥山に葬られた墳塋の裏に泥水が進み棺を浸し、また野獸が鑽り進み入りて窩を為すがあるので、前程は通じ得ない。頭の九年は心病で、さらに四年を過ぎて同族に産を争われ、さらに五年を過ぎて身亡する。もし祖墳を遷動せざれば、必ず命も連れて保つ能わざる。
伯達乃士人,占課之時,殊不為意,其後宅宇摧損,拆而再造畢,遂心氣發作,日夜呻吟,財物耗散,妻亦心血不安,此九年午所管也。第十年兄弟日夜爭吵,或塞東廁,或開西庫,又爭三處店房,遂致興訟,此四年亥所管也。末辰卻管五年,二年女人血病死,三年自身大病,遂移公婆之墳,啟攢視之,泥土淤塞,除泥改喪,後乃安穩。
姜伯達は読書人で、課を起こした時は全く意に介さなかった。その後房屋が損壊し、拆いて重建し、剛く建し了えるや彼は則ち心気が發作し、日夜に呻吟し、銭財は耗散し、妻子もまた心血不安の症を犯した――これは初伝の午の管する九年である。第十年の上、兄弟の間は日夜に争吵し、一會には東辺の廁所を堵し、一會には西辺の庫房を開き、また三處の店房のために相争い、終に官司を打つに鬧じ到った――これは中伝の亥の管する四年である。末伝の辰は後頭の五年を管する:頭の両年に家中の女人が血病を得て死し、第三年に彼自身が大病を害し、是において公婆の墳を遷移した。墳穴を啓き開いて一看すれば、果たして泥土が淤塞しており、積泥を清除し改葬した後、やっと安穩した。
蓋午受癸克,走回本家,又受亥克,雖虎賁之勇,亦不能當,所以見諸般不利。午為目、為屋、為妻,故皆不安也。
その理を細かく説く:午火は先ず日干の癸水に克を受け、本家の午位に逃げ帰るも、却ってまた中伝の亥水に克を挨る。たとえ虎賁武士のような勇力あっても、両面の夾攻に架け堪えられないので、各樣の事情はみな順利でない。午は物象の上で兼ねて眼目・房屋と妻室を主るので、これによりこの三樣は則ちみな安寧を得られない。
愚按:此課與葉助教占宅之課同,然彼是亥將午時,故邵公之斷語不同,不知何人將二課皆作亥將午時占,而入於一課二事各斷式例內,剛錯課多矣。今得宋本改正。
程樹勲按:この課と前面の葉助教が宅を占ったあの一課は、四課三伝が完全相同である。ただあの一課は亥将午時より起こり、昼貴を用いたので、邵公の断語は両樣である。誰かがこの両課をともに亥将午時に占ったと写作し、「一課二事各断」の體例の裏に編し入れたかを知らず、錯課の甚だ多いに致る。今宋刻本に依據して改正し來れる。
癸丑日・婚姻を占う(牧夫占験)
乾隆丙子年十二月癸丑日丑將申時占婚姻。男辛卯生四十六歲,女壬子生二十五歲。(牧夫占驗)
乾隆丙子年十二月の癸丑日、月将は丑で正時は申、一桩の婚事を占問した。男方は辛卯年生まれ・四十六歳、女方は壬子年生まれ・二十五歳。案は『牧夫占験』から出る。月将の丑は申時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進み、前の両課と同一天地盤で、ただ乗ずる所の天将が昼夜に隨って変わる。
陳六|龍戌亥子丑朱|空酉 寅蛇 陳玄陳玄 財 丙午 玄|虎申 卯貴 亥午亥午 兄 辛亥 陳|常未午巳辰后 午丑午癸 官 甲辰 後|玄陰
十二宫の天将の分布は:戌は青竜を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、酉は天空を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、申は白虎を乗せ、卯は貴人を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる。四課は右より左へ:癸は丑に寄せ、丑の上に午を見、午の上に亥を見、日支の丑の上に午を見、午の上に亥を見る。上神の乗ずるは依次に玄武・勾陳・玄武・勾陳。三伝は初伝の午(妻財、玄武を乗せる)、中伝の亥(兄弟、勾陳を乗せる)、末伝の辰(官星、天后を乗せる)。婚を占うに財爻をもって妻とし官星をもって夫とす:本課の午財は発用するとはいえ、絶地に落ちる――癸水は巳に絶し、午と巳は同じく火位に属して気を泄して根無しなので、夫妻は白頭し得ず家道は貧寒を主る。末伝の辰はすでに癸日の墓庫にしてまた化して官鬼と為り、その上に乗ずる天后は老年陰人の象なので、成婚の後に一人の年老いた女性の親長が家中を攪りて寧からざると断ずる。辰の数は五で、癸の天干の数もまた五なので、五年の内は一場の空と断じた。
王牧夫曰:此婚必成。成後有老陰人不能安靜。然財臨絕地,不能齊眉,亦主貧窮。五年之內一夢醒矣。老陰人者,天后作墓鬼也。五年者,辰數五,癸干亦五數也。婚成後,岳母隨女居子婿家,年老瑣碎,吵鬧無時,三年而卒。妻懷孕,得病分娩,至次年卒。一夢醒矣,五年之內拮据異常,亦主妻家窮極。
王牧夫が言うには:この門の親事は一定に成る。成親の後、家の裏に一人の年老いた女性の長輩あり、鬧して安寧を得させない。然るに財爻は絶地に落ち、夫妻は白頭偕老し得ず、また家境の貧窮を主る。五年の内に、この場の婚姻は一場の夢のように醒める。いわゆる「老陰人」は、末伝の辰の上に天后を乗せしかも辰はまた化して墓鬼と為るを指す。いわゆる「五年」は、辰が六壬の裏で数が五であり、日干の癸の天干の数もまた五である。その後婚事は成り、岳母は女児に跟い随いて女婿の家に住み、年紀大きく性情は瑣碎で、吵闹に停歇の時なく、三年後に去世した。妻子は孕を懐き、臨産に病を得て、第二年に至りもまた死した。いわゆる一夢醒め來るは、まさにこの五年の内に家計が異常に拮据し、同時にまた妻家の窮困が極点に到ったを主る。
癸丑日・何知丞が赴任を占う(方本占案)
戊申年十二月癸丑日丑將未時,何知丞丙寅生,生於二月初三日酉時,四十三歲,占赴任。(方本占案)
戊申年十二月の癸丑日、月将は丑で正時は未、何知丞――丙寅年生まれ・二月初三酉時生・時年四十三歳――が赴任の事を占問した。案は『方本占案』から出る。ここの「未時」は十二時辰の一つで、すなわち午後一時から三時である。「知丞」は知縣・縣丞の類の佐貳官の通称である。月将の丑は未時の上に加わり、天盤と地盤は六位相違するは、まさに返吟課である。返吟は往復反復・去りてまた回るを主るので、この課は彼が遲遲として任に到り得ないと断ずる。
虎常|空亥子丑寅玄|龍戌 卯陰 常朱常朱 鬼 丁未 朱|陳酉 辰后 丑未丑未 鬼 癸丑 常|六申未午巳貴 未丑未癸 鬼 丁未 朱|朱蛇
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:亥の上は天空、子の上は白虎、丑の上は太常、寅の上は玄武、戌の上は青竜、卯の上は太陰、酉の上は勾陳、辰の上は天后、申の上は六合、未の上は朱雀、午の上は螣蛇、巳の上は貴人。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に未を見、未の上に丑を見、日支の丑の上に未を見、未の上に丑を見る。上下は彼此に対冲するは、返吟である。四課の上神の乗ずるは依次に朱雀・太常・朱雀・太常。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、未土は癸水を克して官鬼と為り、朱雀を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、もまた官鬼で、太常を乗せる。末伝はまた未で、依然として官鬼で、朱雀を乗せる。三伝はただ丑・未の両字の間に在って来たり回り、みな官鬼である。未は神煞の上で病符で、また癸日の官鬼なので、邵彦和はそれを「舊政」と称す――舊任の官任の官職が糾纏して去らず、新差は自然に遲遲として上手し得ない。
邵彥和曰:此課舊政上又見舊政,不知已有幾年。何曰:有三年。先生曰:以此觀之,第六年方得赴任。何以為不然。蓋何欲歸安縣,被吏部差一考,果六年至任。先生曰:知丞終此任矣。果六年至任,八年喪歸。
邵彦和が言うには:この課は舊任の上にまた舊任を畳み、あなたがすでにこのように耽擱して幾年になるかを知らない。何知丞が答えて言うには:すでに三年。先生が言うには:このように照らして看れば、第六年に至ってやっと赴任し得る。何知丞は然りと為さなかった。もとより彼は本來歸安縣に任職せんと思ったが、吏部に別に一たびの考績を派せられ、結果は果たして第六年に至ってやっと任に到った。先生はまた言うには:この知丞は則ちこの一任の上に死す。その後果たして六年にしてやっと任に到り、第八年に至るを為し、家人は柩を扶して帰った。
蓋戊申年未為舊政(愚按:未為病符,故為舊。作日之官鬼,故為舊政也),初末日辰皆見,又十二月月建丑,又加於舊上,來往皆是舊人,故不能速。六故斷其八年扶喪而歸。
その理を細かく説く:戊申年の未正は舊任の職を代表する(程樹勲按:未は神煞の上で病符なので、「舊」と称す。未はまた癸日の官鬼なので、「舊政」と称す)。この未は初伝・末伝および日干・日支の上に処処に出現する。また十二月の月建が丑に値り、丑はさらに舊任の未の上に壓し到り、來り去るに碰う所はみな舊人舊事なので、事情は快くなり得ない。すでに応期が第六年に落ちたので、これにより彼は第八年を為すと便ち家人が柩を扶して帰ると断じた。(原文の「六故斷其八年」の句の中の「六」の字の下に脱文あらんことを疑う。)
癸丑日・壬辰の老人が病を占う(一字訣玉連環)
六月癸丑日巳將亥時,壬辰老人占。(一字訣玉連環)
六月の癸丑日、月将は巳で正時は亥、一人の壬辰年生まれの老人が来て課を起こして占問した。案は『一字訣玉連環』から出る。月将の巳は亥時の上に加わり、天盤と地盤は六位相違し、依然として返吟課で、四課三伝は上の一課の何知丞の占ったと相同じく、ただ夜間より起こって夜貴を用いたため、天将はまた一套である。老人の問う所は未だ明言せないが、課の上から看れば病を問うで、下文の徐次賓は便ち径りに彼の飲食が病を致し旦夕に亡なんとするを断ずる。
勾合朱蛇|亥子丑寅 朱常朱常 官 丁未 常|龍戌 卯貴 丑未丑未 官 癸丑 朱|空酉 辰后 未丑未癸 官 丁未 常|申未午巳|虎常玄陰
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:亥の上は勾陳、子の上は六合、丑の上は朱雀、寅の上は螣蛇、戌の上は青竜、卯の上は貴人、酉の上は天空、辰の上は天后、申の上は白虎、未の上は太常、午の上は玄武、巳の上は太陰。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行し、用うるは夜貴である。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に未を見、未の上に丑を見、日支の丑の上に未を見、未の上に丑を見る。上下は相冲するは、返吟である。四課の上神の乗ずるは依次に太常・朱雀・太常・朱雀。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、官星と為り、太常を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、官星と為り、朱雀を乗せる。末伝はまた未で、依然として官星で、太常を乗せる。未は六壬の裏で別名を「小吉」といい、物象の上で羊肉と酒を主る。太常は筵席飲宴を主る。未は土に属して脾胃を主る。三伝は全土で癸水を囲み、水は流行を得ないので、酒食が脾を傷り二便が通ぜないの症と断じた。
徐次賓曰:此人因酒食過多,傷損肝胃,並下孟血痢;又小腸不通,添心腹脹滿,用藥不效,飲食不進,旦暮而死。蓋日上小吉主羊酒,太常主筵宴,土主脾胃,各乘休氣,故言酒食傷於脾胃也。癸水受未土制,故下痢。三傳皆土,癸水不能流行,故小腸不通。心腹脹滿者,癸亥水不能外行也。蓋小吉為藥,太常為飲食,既為日鬼,故藥不效,食不進矣。且時為日馬,卦得返吟遊子,未遁丁神,老病得之,豈能出入?當是陽魂乘天馬、馭六丁,遊於天涯地角之外,其病身一虛殼耳。又命上乘喪魄,與三傳俱是日鬼,以四鬼守虛殼,豈不應旦墓而死者乎?
徐次賓が言うには:この人は酒肉の喫し過ぎたため、肝胃を傷り、また下痢便血し、これに小腸の通ぜざるを加え、心腹脹満を添え出し、藥を喫しても効を見ず、飲食もまた喫し下る能わず、旦夕の間に則ち死せんとする。日干の上神の未が六壬の裏で名を「小吉」といい、物象の上で羊肉と酒を主るからである。未の上に乗ずる太常は宴席を主り、未は土に属して脾胃を主り、これらはまたみな休囚の気を乗ずるので、酒食が脾胃を傷ったと説く。癸水は未土に制され、これにより下痢する。三伝はみな土で、癸水に流行する路無しなので、小腸は通ぜない。心腹脹満は、癸亥のこの一路の水気が外に向かって排泄し得ない緣故である。小吉の未は物象の上でまた藥を主り、太常は飲食を主るが、今それらはすでにみな化して日干の官鬼と為ったので、藥は効を見ず飯もまた喫し下る能わざる。さらに正時の亥は癸日の駅馬で、課体はまた返吟の中の「游子」の格で、未の上に還って丁神を遁出する――一個の老病の人がこのような課に碰上して、なお何の出入行動を談ぜられようか。これは分明に陽魂が天馬を乗じ六丁を駕して、天涯地角の外に游蕩して去ったで、留め置く病身は過ぎず一個の空殻である。何况彼の本命の上に喪魄の神を乗じ、三伝と同じくみな日干の官鬼で、四重の官鬼を用いて一個の空殻を守れば、どうして旦夕の間に死去するに応ぜざることがあろうか。
癸丑日・東宫田妃の六甲を占う(指南)
崇正丁丑年十月癸丑日酉時,太監陳國用占東宮田妃六甲。(指南)
明崇禎丁丑年十月の癸丑日、酉時、太監の陳國用が東宫田妃の胎孕を占問した。案は『六壬指南』から出る。「崇正」は則ち崇禎で、清人が諱を避けて字を改めた。「六甲」は懐孕を指す。原文はただ正時を記すのみで、四課三伝は前の一課と相同じく、依然として返吟の課で、天将もまた依然として夜貴を用う。田妃は則ち崇禎朝の寵妃田貴妃で、下文に断ずる第六子の夭折は、明宮の中の実事である。
勾合朱蛇|亥子丑寅 朱常朱常 官 丁未 常|龍戌 卯貴 丑未丑未 官 癸丑 朱|空酉 辰后 未丑未癸 官 丁未 常|申未午巳|虎常玄陰
十二宫の天将の分布は:亥は勾陳を乗せ、子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、戌は青竜を乗せ、卯は貴人を乗せ、酉は天空を乗せ、辰は天后を乗せ、申は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せる。四課は右より左へ:癸は丑に寄せ、丑の上に未を見、未の上に丑を見、日支の丑の上に未を見、未の上に丑を見る。上神の乗ずるは依次に太常・朱雀・太常・朱雀。三伝は未・丑・未で、みな日干の官星で、天将は依次に太常・朱雀・太常。胎孕を断ずるに陰陽を看る:この課は丑・未がともに陰支に属すとはいえ、却って返吟が往復するによって陰より陽に轉じ、日支の上神と日支の本身とまた同気で相比するので、必ず男胎と断ずる。夭折の期に至っては、則ち胎神を看る:胎神は前後に夾克されて気無く、末伝の臨む所の卯は東宫の子宿の位で、偏しくも課を起こした酉将と陰殺に冲克されるので、故に卯年に応ずると断じた。
陳公獻曰:此男子之祥也,然生而難育,應在卯年。蓋因純陰返陽,支上神與支相比,故主男必矣。然而卯年不育者何也?胎神夾克無氣,此追魂之魔,卯為東宮子宿,受酉將陰殺沖剋,是以知其卯年不育。未幾田妃生第六子,卯年命殞。
陳公献が言うには:これは男孩を生ずる吉兆だが、ただ生し下来っても養い大きくし難く、卯年に応ずべき。この課は純陰の象が反って陽に轉じ、日支の上神はまた日支と同気で相比するので、必ず男胎と断定する。然らばどうして卯年に養い活かさざるか。胎神が前後に夾住して克制されて全く生気無く、これは魂を勾し命を索る凶魔だからである。卯はまた東宫太子の属する星宿の位で、偏しくも課を起こしたに用いた酉将と陰殺の冲克を受けるので、これに拠って卯年に養い成らざるを知る。久しきことなかりて、田妃は果たして第六個の息子を生し下り、卯年に至りこの子は則ち夭亡した。
癸丑日・僕の病の吉凶を占う(牧夫占験)
戊辰年寅月癸丑日亥將辰時,餘思五兄占僕病吉凶。(牧夫占驗)
戊辰年寅月(正月)の癸丑日、月将は亥で正時は辰、余思五の兄が家中の僕人の病情の吉凶を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将の亥は辰時の上に加わり、天盤は地盤より順に七位進む。僕人の病を占うに、須く日支をもって奴僕の位とし戌をもって奴僕の類神とし、さらに類神に生路の有無を看る。
合朱蛇貴|子丑寅卯 貴虎貴虎 子 ◎卯 貴|勾亥 辰后 卯申卯申 鬼 庚戌 龍|龍戌 巳陰 申丑申癸 財 乙巳 陰|酉申未午|空虎常玄
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:子の上は六合、丑の上は朱雀、寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、亥の上は勾陳、辰の上は天后、戌の上は青竜、巳の上は太陰、酉の上は天空、申の上は白虎、未の上は太常、午の上は玄武。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に申を見、申の上に卯を見、日支の丑の上に申を見、申の上に卯を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・貴人・白虎・貴人。三伝は上より下へ:初伝の卯は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、癸水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。中伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は癸水を克して官鬼と為り、青竜を乗せる。末伝の巳は旬遁して乙巳、癸水の妻財で、太陰を乗せる。第二課の「申上見卯」は下神の申金が反って上神の卯木を克し、下が上を賊するに属し、卯を取って発用として重審課を成す。日干・日支の上はともに申金で、申金は初伝の卯木を克し、卯木は物象の上でまさに棺椁である。戌は奴僕の類神で、末伝の巳はまた棺椁の内に困るので、王牧夫はこの僕は必ず死すと断じた。
王牧夫曰:此課占僕病,大凶不治,必死。來日寅沖去支上長生是凶期耳。蓋主占僕,干支乘金克卯木為棺槨,為鑄印,為煉尸。而戌為僕之類神,巳在棺槨之內,安能望其生乎?至死日果死。占病五十以上,亦不宜得顧祖課。餘首為程姑母占,斷以必不能起。蓋顧祖乃返本殺也,後為人得此屢驗,附記於此。
王牧夫が言うには:この課は僕人の病を占うに、大いに凶で治せず、必ず死すること疑いなし。明日は寅日で、寅が來て日支の上の長生の申金を冲し去れば、あれは則ち凶に応ずる日子である。これは主人が僕人のために占うので、日干・日支の上はともに申金を乗せ、申金は卯木を克する。卯木は物象の上で棺椁で、この格はまた「鑄印」「煉尸」の称がある。しかも戌はまさに僕人の類神で、末伝の巳はまた棺椁の中に困るので、どうしてなお彼が活きるを指望し得られようか。あの一日に至り、果たして死した。病を占う人が五十を過ぎたるも、また「顧祖」の課を得るを宜しとしない。我が第一次に程姑母のために病を占いしとき、則ち彼女が必ず起き來る能わざると断じた――顧祖は則ち返本の殺である。その後別人のために占い、この課を得るに屢々応験し、一併にここに記す。
癸丑日・兵を占う(郭氏占案)
崇正丙子年七月癸丑日午將酉時占兵。(郭氏占案)
明崇禎丙子年七月の癸丑日、月将は午で正時は酉、兵事を占問した。案は『郭氏占案』から出る、郭御青の占験記録である。月将の午は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進む。この課は三伝の戌・未・辰がみな官鬼で、もと極めて凶険だが、却って螣蛇と白虎が自ら相冲击するによって、凶神が彼此に牽制し、反って大害を成さない。
合朱蛇貴|寅卯辰巳 陰虎陰虎 鬼 庚戌 虎|勾丑 午后 未戌未戌 鬼 丁未 陰|龍子 未陰 戌丑戌癸 鬼 甲辰 蛇|亥戌酉申|空虎常玄
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は六合、卯の上は朱雀、辰の上は螣蛇、巳の上は貴人、丑の上は勾陳、午の上は天后、子の上は青竜、未の上は太陰、亥の上は天空、戌の上は白虎、酉の上は太常、申の上は玄武。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に戌を見、戌の上に未を見、日支の丑の上に戌を見、戌の上に未を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・白虎・太陰。三伝は上より下へ:初伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は癸水を克して官鬼と為り、白虎を乗せる。中伝の未は旬遁して丁未、もまた官鬼で、太陰を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、同じく官鬼で、螣蛇を乗せる。第一課の「丑上見戌」は上神の戌土が下神を克し、上が下を克するに属し、戌を取って発用として元首課を成す。三伝は全土で鬼を成し、まさに「官鬼満目」の説に合す。しかも初伝の戌の上の白虎と末伝の辰の上の螣蛇は、辰戌が相冲して両凶が自ら闘うので、凶は極に至らない。申は游都の神で、七月の月建を乗じて旺相し、大軍の気勢がまさに盛んなるを主る。
郭御青曰:七月十一閏 ,大兵入寨之信。得此課,官鬼滿目,幸以凶制凶,蛇虎自沖,不為大害。申為游都,乘月建旺相,主大兵勢盛,至九月,申入墓則衰。時有會稽陶湛生社丈問八月科場移否?比時另占一課,不記,止記朱雀乘戌為九月,後大兵果於九月初三日東歸。文場移於九月二十九。
郭御青が言うには:七月十一日(原文のここに闕字あり)、大軍が進みて營寨に駐すの消息を傳來した。この課を得て、満盤みな官鬼なり、所幸は凶をもって凶を制する――螣蛇と白虎の乗ずる所の辰・戌が自ら相冲击するので、これにより大害を成さない。申は「游都」のこの兵象の神で、七月の月建を乗じて旺相し、大軍の声勢がまさに盛んなるを主る。九月に至り、申は墓庫に落入し、気勢は自然に衰减する。当時会稽の社友陶湛生が八月の科場考試は期を改めるかどうかを問い、我は別に一たび課を起こしたが、今課式を記えず、ただ断語は朱雀が戌を乗じて九月に応ずると記えるのみ。その後大軍は果たして九月初三に東に撤し、考場は則ち九月二十九日に改まった。(原文の「七月十一閏」の下は一字を空し、底本に闕あり。)
卷の六
甲寅日
甲寅日・陳龍正が京中で銭士升の入相を占う
崇正癸酉年七月甲寅日申時,浙嘉善諱龍正陳先生在京會試時,占同鄉少宗伯諱士升錢太史可能入相否。 指南
明思宗崇禎癸酉年(崇禎六年、公元一六三三年)七月甲寅日申時に課を起こす。「崇正」は則ち「崇禎」で、諱を避けるによって字を改めた。占者は浙江嘉善の人陳龍正先生(名の諱は龍正)で、彼は明末嘉善の著名な儒者で、東林領袖の高攀龍に師事し、崇禎七年甲戌科にやっと進士を成した。この時彼は京城に在って會試に応じており、便ち同郷の銭士升のために一課を起こし、この銭太史が入閣して相を拜し得るかを占問した。「少宗伯」は禮部侍郎の別称で、「太史」は翰林院史官の別称である。銭士升もまた嘉善の人で、萬曆四十四年丙辰科の状元で、当時はまさに禮部の職をもって朝に在った。本条は明代陳公献の『六壬指南』から出る。
朱六勾青 卯辰巳午 玄后玄后 財 壬戌 玄 蛇寅 未空 戌子戌子 鬼 庚申 虎 貴丑 申虎 子寅子甲 子 戊午 龍 子亥戌酉 后陰玄常
これは圓盤の課式を展き平して書き成した一行である。外圈は天盤の十二支と各支の乗ずる天将:卯の上に「朱雀」を乗せ、辰の上に「六合」を乗せ、巳の上に「勾陳」を乗せ、午の上に「青竜」を乗せ、未の上に「天空」を乗せ、申の上に「白虎」を乗せ、酉の上に「太常」を乗せ、戌の上に「玄武」を乗せ、亥の上に「太陰」を乗せ、子の上に「天后」を乗せ、丑の上に「貴人」を乗せ、寅の上に「螣蛇」を乗せる――申時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用うるので、衆将は順行する。中間の三行は四課で、右より左に向かって読む:第一課、日干の甲の寄宮は寅に在り、寅の上に子を得、天后を乗せる。第二課、子の上に戌を得、玄武を乗せる。第三課、日支の寅の上に子を得、天后を乗せる。第四課、子の上に戌を得、玄武を乗せる。最後の一列は三伝で、上より下へ初・中・末と為す:初伝の戌は遁干壬、甲木に於いて妻財と為り、玄武を乗せる。中伝の申は遁干庚、官鬼と為り、白虎を乗せる。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、青竜を乗せる。
陳公獻曰:發用干支旬空日敗,本不許入相。然餘終以入相許之。因中傳驛馬皇詔,末傳月將青龍,又歲建乘太常作官星加臨年命。經曰:太常入官鄉當朝執政,月將乘青龍片言入相。非宰執而何?嫌龍神克歲君(龍乘午克太歲酉),將來未必不獲意於君上而退位。後如其占。
陳公献が言うには:この課の發用は干支の上神の身より出るが、しかも日干・日支の上神はともに子――子はすでに甲寅旬の旬空の裏に落ち、またまさに甲木の沐浴敗地で、常理に按じてもと彼に入閣して相を拜することを許すべからず。しかるに我は最終に依然として彼が相に入り得ると断定する。理由は三あり:中伝の申はすでに寅日の駅馬にして、また皇家の詔命を主る。末伝の午はまさに当月の月将で、上にまた青竜を乗ずる。さらに太歳の酉が「太常」を乗ずるに、酉金は甲木に対して則ち官星であり、しかもそれは占う所の人の年命の上に加臨する。壬經に説く:「太常が官郷に入れば、便ち当朝の執政なり。月将が青竜を乗ずれば、片言の間に相に入る。」このような課象ありて、宰輔を為さずしてなお何を為せられんか。嫌う所はただ青竜のこの一将が反って去りて太歳を克する――青竜は午火を乗せ、午火は太歳の酉金を克する――將來はただ難きを免れず君上のあそこに於いて意を失い、因りて位を退かんことを恐る。その後の事は、果たして彼の占ったと同じであった。
按鑑:士升癸酉年九月入閣,丙子年九月罷歸。因前獻寬簡虛平四箴,後言不可括,江南富戶輸官,帝皆不悅,故引罪而去也。
編者が史鑑に按じて核対する:銭士升は癸酉年(崇禎六年)九月に閣に入り、丙子年(崇禎九年)九月に至り便ち官を罷めて鄉に還った。緣由は彼が先前に皇帝に「寛・簡・虚・平」の四箴を進呈したことがあり、後にまた疏を上して民財を搜括すべからずと説き、江南の富戸に迫って銭糧を輸納して餉を助けしむるに反対した。崇禎帝はこの両件の事にいずれも喜ばず、彼は咎を引いて職を辭し去るほかなかった。占辞の説く所の「必ずしも君上に意を獲せずして位を退くことなからん」は、まさにここに応ずる。
甲寅日・王牧夫が小児の天花を出るを占う
乾隆戊辰年戌月甲寅日卯將辰時,占天花。 牧夫占驗
清乾隆戊辰年(乾隆十三年、公元一七四八年)戌月、甲寅日、月将は卯(太冲)で、辰時に課を起こす。占う所は小児の天花を出る、すなわち痘疹である。本条は王牧夫の『占験』から出る。
合勾龍空 辰巳午未 后貴后貴 父 ◎子 后 朱卯 申虎 子丑子丑 父 癸亥 陰 蛇寅 酉常 丑寅丑甲 財 壬戌 玄 丑子亥戌 貴后陰玄
外圈の天盤十二支は各々天将を乗せる:辰は「六合」を乗せ、巳は「勾陳」を乗せ、午は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「白虎」を乗せ、酉は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、亥は「太陰」を乗せ、子は「天后」を乗せ、丑は「貴人」を乗せ、寅は「螣蛇」を乗せ、卯は「朱雀」を乗せる。辰時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用い、諸将は順行する。卯将を辰時に加うるに、天盤は地盤より退く一位。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に丑を得、貴人を乗せる。第二課、丑の上に子を得、天后を乗せる。第三課、日支の寅の上に丑を得、貴人を乗せる。第四課、丑の上に子を得、天后を乗せる。三伝は初より末へ:初伝の子は父母と為り、天后を乗せ、傍らの「◎」はそれが旬空に落ちるを標す(甲寅旬の中で子・丑は空亡)。中伝の亥は遁干癸、父母と為り、太陰を乗せる。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、玄武を乗せる。
王牧夫曰:此課占子出痘無礙,課無鬼克而子孫又立嚮明之方。天喜亦臨生地,三傳生干,貴後會合於干支之上,又甲祿在寅。父問子,支為卑幼,支旺亦無傷也。貴丑在前,戌支在後夾住子亥克子孫者,皆吉象也。三傳退入夜,先水末土帶玄武血厭之神,已結痂矣。後果驗。
王牧夫が言うには:この課は息子の痘を出るを占うに、妨げなし。課の裏に官鬼が来て日干を克するを見ず、しかも子孫の一爻はまた南方向明の方位に立つ。「天喜」の神もまた生気の地に臨む。三伝の中の子・亥の両水はみな日干の甲木を生ずる。貴人と天后はまた日干・日支の上神の上に會合する。何况甲木の禄はまさに寅に在り、寅は則ち本日の日支である。これは父を為る者が息子を問うで、日支は卑幼を代表し、日支はすでに旺気を得たので、息子は則ち傷なし。さらに貴人の乗ずる丑が前面に在り、戌のこの一支が後面に在り、子孫を克し得る子・亥の両水を中に夾み、みな吉象である。三伝の子・亥・戌は位を逐うて後退し、また夜分に向かって退き去る。前の両伝は水に属し末伝は土に属し、末伝の戌の上に玄武を乗せ、還って「血厭」の凶神を帯びる――水気が退いて土が来て収結するは、まさに痘瘡がすでに痂を結んだ様子である。その後果たして応験した。
凡占痘不宜太陽過旺兼有刑剋,痘乃先天火溼,故畏之。
およそ痘疹を占うに、「太陽」(則ち太陽の臨む所の神)の過ぎて旺盛なるを忌み、また兼ねて刑克を帯びるを忌む。痘瘡はもともと胎の裏より帶来した先天の火湿の毒で、火気が一たび旺せば則ち發作して起こるので、最もこの種の課象に遇うを怕れる。
甲寅日・郭徳音が家宅を占う
建炎己酉年六月甲寅日未將午時,郭德音壬申生三十八歲占家宅。 方本占案 口鑑
宋高宗建炎己酉年(建炎三年、公元一一二九年)六月、甲寅日、月将は未(小吉)で、午時に課を起こす。占を求むる人は郭徳音といい、壬申年生まれ、この年三十八歳で、家宅を占問した。本条は『方本占案』と『口鑑』の両書に見え、断語は宋代の六壬名家邵彦和から出る。
空虎 龍午未申酉常 勾巳 戌玄 六朱六朱 財 丙辰 六 六辰 亥陰 辰卯辰卯 子 丁巳 陳 朱卯寅丑子后 卯寅卯甲 子 戊午 龍 蛇貴
外圈は天盤の十二支と乗ずる所の天将:丑は「貴人」を乗せ、寅は「螣蛇」を乗せ、卯は「朱雀」を乗せ、辰は「六合」を乗せ、巳は「勾陳」を乗せ、午は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「白虎」を乗せ、酉は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、亥は「太陰」を乗せ、子は「天后」を乗せる。午時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用い、衆将は順行する。未将を午時に加うるに、天盤は地盤より一位を進む。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。第二課、卯の上に辰を得、六合を乗せる。第三課、日支の寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。第四課、卯の上に辰を得、六合を乗せる。三伝:初伝の辰は遁干丙、甲木に於いて妻財と為り、六合を乗せる。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、勾陳を乗せる(三伝の一列の「陳」は則ち勾陳)。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、青竜を乗せる。
邵彥和曰:人宅皆逢旺神,今六月占非本姓之旺,乃守東方之旺,只宜守分,不宜運用。若安分則自享福,一運用便有艱辛。辰加卯六害,六合又鎖之,巳加辰作勾地網,又逢勾陳鎖之,迤邐傳出子息,火為子息,破費錢物,因此衰敗。子又個個多病,費盡卻死,是取債之子,來年後年行年到處,子愈取債也。
邵彦和が言うには:人(日干)と宅(日支)の上神はみな当旺の神に遇う。今は六月に課を起こし、この股の旺気は彼の本姓の主る五行に属せず、ただ東方木の旺気を守るのみなので、彼はただ本分を安守するを宜しく、營運する所有るを宜しくしない。分に安んずれば則ち自然に福を享け、一たび動き起こして經營すれば則ち苦頭を喫する。天盤の辰が地盤の卯の上に加わり、卯と辰は相害し、辰の上にまた六合を乗ずるは、等しくさらに一道の鎖を加えた。天盤の巳が地盤の辰の上に加わり、辰は地網の位で、巳の上にまた勾陳を乗ずるは、等しくさらに一道の鎖を加えた。三伝は則ちこのように一路に輾轉し、伝じ出して子孫を為す――火は甲木の子孫で、銭財を破費することを主り、家道はこれにより衰敗する。子女はまた個個に病多く、銭財は耗し尽くして人はなお死去する。これは債を討ちに来る児女である。明年・後年に行年の到る所は、子女が債を索むはたださらに厲しきのみである。
甲寅日・揚州の宅中に於いて怪異を占う
己巳年五月甲寅日申將未時,占怪異。 牧夫占驗
己巳年五月、甲寅日、月将は申(傳送)で、未時に課を起こし、家中に忽然と生じ出た怪異の事を占う。本条は王牧夫の『占験』から出る。
空虎 龍午未申酉常 勾巳 戌玄 六朱六朱 財 丙辰 六 六辰 亥陰 辰卯辰卯 子 丁巳 陳 朱卯寅丑子后 卯寅卯甲 子 戊午 龍 蛇貴
申将を未時に加うるに、天盤は同じく地盤より一位を進むので、排出したる天地盤と四課三伝は、上の一条の郭徳音が宅を占った課と完全に同じである。外圈:丑は「貴人」を乗せ、寅は「螣蛇」を乗せ、卯は「朱雀」を乗せ、辰は「六合」を乗せ、巳は「勾陳」を乗せ、午は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「白虎」を乗せ、酉は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、亥は「太陰」を乗せ、子は「天后」を乗せる。四課は右より左へ:甲の寄宮は寅に在り、寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。卯の上に辰を得、六合を乗せる。日支の寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。卯の上に辰を得、六合を乗せる。三伝:初伝の辰は遁干丙、妻財と為り、六合を乗せる。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、勾陳を乗せる。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、青竜を乗せる。
王牧夫曰:其人居揚州舊城,忽生怪異,滿屋灰塵,居人晝夜不安。余曰:門戶口舌不寧,卯是陽刃,帶朱雀皆由人心失和所致。天目在未,未加午為堂屋,其怪異當在堂屋之內。經云:卯為狐,卯為大火心星。火主禮,失禮則失其常,故異物能侮之矣。然亦無礙,不久自退。蓋發用天罡乘六合,辰由卯上發用,中見巳為勾陳,主勾留四十日自消滅。凡天目並月厭丁神主怪異,此課見矣。然此課發用為財,而末傳青龍應之又帶財在門戶間,其餘不合,故亦不言也。巳午為灰塵其家甚的。
王牧夫が言うには:この人は揚州の舊城に住み、家の裏に忽然と怪異を生じ、満屋子みな灰塵で、一家人は昼夜に安寧を得ない。我が言うには:これは門戸の間に口舌が寧からざるの象である。卯は甲木の陽刃で、上にまた朱雀を乗せて口舌を主るので、みな人心の失和の引き起こす所と見える。「天目」の神は未に在り、天盤の未は地盤の午の上に加わり、午は堂屋の象なので、怪異は当に堂屋の裏面に出るべきである。壬經に説く:卯は狐狸と為す。卯はまた二十八宿の中の大火の次の心宿に当たる。火は五常の中で禮を主り、禮数を失えば則ちその常度を失うので、異物がやっと人に欺侮し得る。ただこれもまた大きな礙はなく、久しからずして自ら退去する。發用の辰は「天罡」で、上に六合を乗せ、しかも辰はまた卯の上より取り出したるからである。中伝に巳が勾陳を乗ずるを見、勾陳は勾連滯留を主り、四十天の後に自ら消滅する。およそ「天目」と「月厭」「丁神」が同時に出現するは、みな怪異を主り、この課は恰好みな見えた。この課の發用は妻財に至っては、末伝の青竜が来てそれに應じ、また財を帯びて門戸の間に在る――その余の課象はこれと相配合しないので、我はまたそれを説きに往かない。巳・午は火に属し、まさに灰塵の象で、彼の家の情形と非常に吻合する。
甲寅日・官人が寺に寓して婢を失したを占う
九月甲寅日卯將丑時,官人寓寺中失婢而求占。 方本占案
九月、甲寅日、月将は卯(太冲)で、丑時に課を起こす。ある官人が寺廟の裏に寄居し、一人の婢女を走失させたので、因りて占を求めた。本条は『方本占案』から出て、断語は邵彦和の下した所である。
後陰 貴未申酉戌玄 蛇午 亥常 蛇六蛇六 財 丙辰 六 朱巳 子虎 午辰午辰 子 戊午 蛇 六辰卯寅丑空 辰寅辰甲 鬼 庚申 后 陳龍
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:未は「貴人」を乗せ、午は「螣蛇」を乗せ、巳は「朱雀」を乗せ、辰は「六合」を乗せ、卯は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、寅は「青竜」を乗せ、丑は「天空」を乗せ、子は「白虎」を乗せ、亥は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、酉は「太陰」を乗せ、申は「天后」を乗せる。丑時は夜に属し、甲日は夜貴の未を用い、貴人は地盤の巳位の上に落ちるので、衆将は逆行する。卯将を丑時に加うるに、天盤は地盤より兩位を進む。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に辰を得、六合を乗せる。第二課、辰の上に午を得、螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅の上に辰を得、六合を乗せる。第四課、辰の上に午を得、螣蛇を乗せる。三伝:初伝の辰は遁干丙、妻財と為り、六合を乗せる。中伝の午は遁干戊、子孫と為り、螣蛇を乗せる。末伝の申は遁干庚、官鬼と為り、天后を乗せる。
邵彥和曰:此婢走不遠,被一兇徒藏在西南閣子上,只在今日敗矣。辰加寅作六合,甲寅日納音屬水,水墓辰,人皆言斬關課。辰上見魁罡,必主動。近者遠去。殊不知甲寅水墓辰,辰初為傳午為陰婦人,在辰上曰阻關,所以不進。末申作後,是女鬼,加午道路路上,被鬼阻不行。天后主厭翳藏匿。又勾在卯,午乘戌。戌為樓閣,故藏高處閣上,主敗者,內戰也。果次日於寺西南人家閣上擒之。
邵彦和が言うには:この名の婢女は幷ら遠く走らず、一人の凶徒に西南方の閣樓の上に蔵され、則ち今天要に敗露する。天盤の辰は地盤の寅の上に加わり、辰と寅は相合して六合と為る。甲寅日の納音は水に属し、水の墓庫は辰に在るので、人人みなこれを「斬關課」と説き、また辰のこの「魁罡」が發用するを見れば、必ず人がすでに出走し、近處のもまた遠く去ることを主る。彼らは却って知らない:甲寅の納音の水はまさに辰に墓し、辰はすでに初伝と作り、中伝の午はまた陰柔婦人の象で、午が辰の上に加わるを「阻關」と叫ぶので、人は反って走り出る能わざる。末伝の申は天后を乗せ、女鬼の象で、申はまた午の上に加わり、午は道路と為るは、まさに路上に於いて鬼に阻まれて前に行く能わざる。天后はもともと遮蔽藏匿を主る。さらに勾陳が卯の上に乗じ、午の上にまた戌を見るを看れば――戌は樓閣の象なので、彼女が高處の閣樓の上に蔵ると断定する。今日に則ち敗露すると説くに至っては、課の中に「内戰」の象あるが故である。(底本の「午乘戌」の三字の叙述は極めて簡で、未だ拠る所を細説せず。いわゆる「西南」は、戌の加わる所の地盤の方位に就いて言う。)その後果たして第二天に、寺廟の西南辺の一戸の人家の閣樓の上で彼女を捉えた。
甲寅日・元軫が召に奉じて京城の雨期を占う
明道癸酉年京城自三月不雨以至六月,仁宗召元軫占之,甲寅日未將辰時。 玉連環末卷
宋仁宗明道癸酉年(明道二年、公元一〇三三年)、京城は三月より一直に雨が下らず、一直に旱して六月に至る。仁宗は術士の元軫を召し來りてこのために課を起こして占問せしむ。課を起こした日子は甲寅日、月将は未(小吉)、時辰は辰時に在る。本条は『玉連環』の末卷から出る。
龍勾合朱 申酉戌亥 龍常龍常 鬼 庚申 龍 空未 子蛇 申巳申巳 父 癸亥 朱 虎午 丑貴 巳寅巳甲 兄 甲寅 后 巳辰卯寅 常玄陰后
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。辰時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。未将を辰時に加うるに、天盤は地盤より三位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の戌位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に巳を得、太常を乗せる。第二課、巳の上に申を得、青竜を乗せる。第三課、日支の寅の上に巳を得、太常を乗せる。第四課、巳の上に申を得、青竜を乗せる。三伝:初伝の申は遁干庚、官鬼と為り、青竜を乗せる。中伝の亥は遁干癸、父母と為り、朱雀を乗せる。末伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、天后を乗せる。
元軫奏曰:今日申時,風雲大作,雷聲進發,酉時收斂,至庚申日午時,風雨大作,其勢雖急,洪澍一時,自茲風雨數至甲子日,雷電風暴,大雨滂沱。後俱一一不爽。
元軫が上奏して言うには:今日は申時に至れば則ち風雲が大いに起こり、雷声が迸發し、酉時に至って収まり住む。庚申日の午時を待って、風雨は大作し、來勢は急驟とはいえ、大雨もただ一個の時辰を傾注するのみ。これより風雨は接連して断えず、甲子日に至って必ず雷電風暴あり、大雨が盆を傾けるが如く下る。その後これらの言葉は、一件一件みな落空しなかった。
論曰:發用青龍乘申加巳名為龍跨虎,當有風雨。中傳朱雀乘亥加申名為水火交戰,主發雷。日上有巳火乘太常土神,故不降雨。登明為水神加申,故應庚申日。午為陰盛,故曰午時。中傳亥是白虎之陰(申為白虎本家),其來迅速。乘朱雀主滂霈。末傳寅加亥乘天后為雲神,故云起西北。甲子日卯加子,雲雷相加,夏為雷電風暴,上得太陰金神,金能生水,故雨大作。恰一伏時,緣太陰臨至本家,酉上卻是神后故也。
下面は彼の断理である:發用の申の上に青竜を乗せ、申はまた地盤の巳の上に加わり、しかも申はもと白虎の本家なので、これを「龍が虎を跨ぐ」と叫び、当に風雨あるべきを主る。中伝の亥の上に朱雀を乗せ、亥はまた地盤の申の上に加わり、朱雀は火に属し亥は水に属するので、これを「水火交戰」と叫び、雷を打つを主る。日干の上神は巳火なのに、却って太常のこの土神を乗じ、火は土を生じて火気を泄すので、雷あるのみで雨を降らせない。「登明」は則ち亥で、水神と為し、それが申の上に加わるので、庚申日に應験する。午は一陰の始めて生ずる位なので、午時に應ずると説く。中伝の亥はまた申の陰神で(申は白虎の本家)、これにより來勢が迅速である。亥の上に朱雀を乗せ、大雨の傾注を主る。末伝の寅は亥の上に加わり、寅はまた天后を乗せ、天后は雲神で、亥は西北に居るので、雲は西北方より昇る。甲子日に至り、天盤の卯は地盤の子の上に加わり、雲と雷が相疊して、夏令に在っては便ち化して雷電風暴と為る。卯の上にまた太陰のこの金神を得、金は能く水を生ずるので、大雨が滂沱する。恰好に一伏時(一昼夜)を下し滿たすは、太陰がすでにその本家の酉位に回り帰り、しかも地盤の酉の上に臨む所は却って神后の子水なる緣故である。
甲寅日・王牧夫が胎産を占う
己卯年七月甲寅日巳將寅時占胎產,男命辛亥二十九歲,女命戊午二十二歲。 牧夫占驗
己卯年七月、甲寅日、月将は巳(太乙)で、寅時に課を起こす。占う所は胎産の事である。男方の本命は辛亥、二十九歳。女方の本命は戊午、二十二歳。本条は王牧夫の『占験』から出る。
龍勾合朱 申酉戌亥 龍常龍常 鬼 庚申 龍 空未 子蛇 申巳申巳 父 癸亥 朱 虎午 丑貴 巳寅巳甲 兄 甲寅 后 巳辰卯寅 常玄陰后
巳将を寅時に加うるに、天盤は同じく地盤より三位を進むので、排出したる天地盤と四課三伝は、上の一条の元軫が雨を占った課と完全に同じである。外圈:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。四課は右より左へ:甲の寄宮は寅に在り、寅の上に巳を得、太常を乗せる。巳の上に申を得、青竜を乗せる。日支の寅の上に巳を得、太常を乗せる。巳の上に申を得、青竜を乗せる――四課はただ兩課を出ずるのみで、日干と日支の上神が彼此分かたず、これはまさに「八専」の課である。三伝:初伝の申は遁干庚、官鬼と為り、青竜を乗せる。中伝の亥は遁干癸、父母と為り、朱雀を乗せる。末伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、天后を乗せる。
王牧夫曰:占胎而得閉口,又係八專。胎神作鬼,此私胎也。凡蕪淫之課,多主淫亂,因干支不分,內外無別耳。況行年男交女命,女交男命,此豈夫婦之道乎?況明日七夕日,近巧期。卯酉私門往來,無忌,幸見老陰人救解耳。後知為苟合之胎,辛亥命非其夫也,神不可欺如此。
王牧夫が言うには:胎孕を占うに却って「閉口課」を得、また「八専」に属す。胎神は化して官鬼と為り、これは私胎である。およそ蕪雜淫佚の課体は、多半は淫亂を主る。ただ日干と日支が分かたず内外に界限なき緣故による。何况両人の行年は還って彼此に交錯する:男子は二十九歳で、行年はまさに午に在り、恰も女方の戊午の本命である。女子は二十二歳で、行年はまさに亥に在り、恰も男方の辛亥の本命である――各人の行年がみな相手方の本命の上に踏んで、これはどうしてなお夫婦の道ならんか。さらに明日は則ち七夕で、まさに乞巧の期に近い。卯・酉はまた「私門」で、両下の往來は毫も顧忌なし。所幸は課の中に年長の陰人が出て來て救解するを見るのみ。その後やっとこれが果たして苟合して成った胎で、あの辛亥命の男子は彼女の丈夫ではなかったことを知った――神機は欺瞞すべからず、竟にこの種の地步に到る。
甲寅日・王縣丞が病を占う
戊申年六月甲寅日未將卯時,王縣丞甲戌生三十五歲占病。 口鑑 方本占案
戊申年六月、甲寅日、月将は未(小吉)で、卯時に課を起こす。占を求むるは王縣丞で、甲戌年生まれ、この年三十五歳、疾病を占問した。本条は『口鑑』と『方本占案』に見え、断語は邵彦和から出る。
六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 六虎六虎 鬼 庚申 龍 空未 寅后 戌午戌午 子 戊午 虎 虎午巳辰卯陰 午寅午甲 子 戊午 虎 常玄
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。卯時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。未将を卯時に加うるに、天盤は地盤より四位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の酉位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に午を得、白虎を乗せる。第二課、午の上に戌を得、六合を乗せる。第三課、日支の寅の上に午を得、白虎を乗せる。第四課、午の上に戌を得、六合を乗せる。三伝:初伝の申は遁干庚、官鬼と為り、青竜を乗せる。中伝の午は遁干戊、子孫と為り、白虎を乗せる。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、白虎を乗せる――中伝と末伝は同一の午で、干支の上神を連ねて、全課に共に四つの午を見る。
邵彥和曰:此課日辰皆見午,甲寅二木,皆死於午,那堪中末又是午,初傳又是絕神,六月午為月病符,旺火蝕休木,本宮又克父母,既無父母,亦難為子息,及自身。幸行年在子上燒不盡,三十七行年到寅,鞏難。三十九行年到辰見申,尤難過矣。須先克了子,便乃心病,且作廢人也。王縣丞授邵武軍,是年遭喪男女四人,果成心病不赴任,恣狂而走,至三十七癲痴不知人事,亦不飲食,幾兩月方瘥。三十九上,又復如此,卻不死,四十歲上,太歲到寅死。
邵彦和が言うには:この課は日干と日支の上神がみな午を見る。甲と寅のこの二つの木は、みな午の上に死すれば、どうしてなお中伝・末伝がまたみな午なるに禁じ堪えられよう。初伝の申はさらに甲木の絶神である。六月の裏で午は「月病符」で、旺火が休囚の木を蝕し盡くす。本宮はまた父母爻を克し、すでに父母を保つ能わずして子女をも保ち難く、自身をも保ち難い。所幸は彼の行年が子水の上に落ちて、なお燒き盡くされざる。三十七歳に至り行年が寅に行き到れば、則ち艱難である。三十九歳に行年が辰に行き到り、辰の上にまた申を見るは、さらに過ぎ難い。必ず先ず子女を克して死なせ、接いで則ち心病を得、しかも廢人と為る。その後王縣丞は職を授けられて邵武軍に往き、則ちあの一年に四人の児女を喪い、果たして心病を得、赴任に往かず、狂を發して來りて處處に亂走した。三十七歳の上に至り痴呆して人を認識せず、また喫せず飲まず、將近に兩個月にしてやっと好轉した。三十九歳の上にまた一たび發作したが、却って死せず。四十歳の上に至り、太歳が寅に行き到れば、人は則ち死した。
蓋上午、辰上午、中傳午、末傳午,共四午來蝕甲寅,是四個月病符、四個天鬼。天鬼常傳四仲神,建寅居酉逆相巡,行年日上如遭著,災禍刑傷病擾人。四個天地轉殺春卯夏午秋酉冬子、四個白虎,所以喪四子,午為心,遇虎故主顛狂。木死於午,故為廢人。
これは次のためである:日干の上の午・日辰の上の午・中伝の午・末伝の午、一共に四つの午が來りて甲寅の木を蝕傷するは、すなわち四つの「月病符」・四つの「天鬼」である。天鬼のこの神煞はただ子・午・卯・酉の四仲の上に於いて行走するのみで、歌訣に説く「建寅すれば酉に居りて逆に相巡る」――正月に寅を建つる時に天鬼は酉に在り、此の後月を逐うて四仲の上に於いて逆行す。また説く「行年日上にもし遭着すれば、災禍刑傷病に人を擾る」。本課は六月に在り、六月は未を建て、天鬼は恰好午に落ちる。この四つの午は同時にまた四つの「天地轉殺」(春は卯に在り、夏は午に在り、秋は酉に在り、冬は子に在る)で、さらに四重の白虎を加えるので、四人の子女を喪するを要す。午は人身の上で心を主り、午はまた白虎に遇うので、狂を發することを主る。木は午に死するので、彼が廢人と成ると断じた。(底本の「蓋上午」の句首は一字を脱し去り、指す所は当に日干の上の午なり。)
天鬼多生於疫病,故死者非二四即五六也。用五月祿說神煞用六月以得節論。此處論生死,太歲到寅,上見午,為日之死神。四午字,為死神、天鬼、病神、白虎加之,為脫耗日干甲木之休氣。午為心作昏迷煞,白虎為道路神,故狂而走。
天鬼は多半は疫病の上より發生するので、死する人数は兩個・四個でなければ、則ち五個・六個である。神煞の取法に至っては、「禄」は五月に按じて推し、その余の神煞は六月に按じて推す。これはすでに節氣を交えたか否かに依って定めたる(底本の此の句の文字は極めて簡で、大意は此の如し)。ここにさらに生死を論ずる:太歳が寅に行き到れば、寅の上に午を見、午はまさに日干の死神である。あの四つの午の字は、兼ねて死神・天鬼・病神と作り、上にまた白虎を加え、日干の甲木のもとより休囚の気を脱泄して一空せしむる。午は人身の上で心と為り、「昏迷煞」を作す。白虎はまた道路の神なので、この人がやっと狂を發して奔走した。
甲寅日・鳩の鳴くを聞いて雨を占う
庚寅年五月甲寅日申將卯時,因天氣亢旱聞鳩鳴,遂占一課看有雨否? 指南
庚寅年五月、甲寅日、月将は申(傳送)で、卯時に課を起こす。天氣が大旱なるがために、忽然として斑鳩の鳴叫を聞き(俗に傳えるに鳩の鳴くは雨を喚ぶの兆)、便ち一課を起こし、究竟雨の有るか無きかを看た。本条は『六壬指南』から出て、断語は陳公献の下した所である。
朱蛇 六戌亥子丑貴 勾酉 寅后 蛇空蛇空 父 甲子 蛇 龍申 卯陰 子未子未 子 丁巳 虎 空未午巳辰玄 未寅未甲 財 壬戌 六 虎常
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。卯時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。申将を卯時に加うるに、天盤は地盤より五位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の申位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に未を得、天空を乗せる。第二課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅の上に未を得、天空を乗せる。第四課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる。三伝:初伝の子は遁干甲、父母と為り、螣蛇を乗せる。中伝の巳は遁干丁、子孫と為る。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、六合を乗せる。ここに須く説明を要す:中伝の巳の乗ずる所の天将は、底本は三伝の一列に「虎」(白虎)と標し、しかも外圈は却って白虎を午の上に排し太常を巳の上に排す。両處が合わず、下文の陳公献の断語は「中伝の白虎風殺」と説くは、三伝の一列の標する所の白虎に依って論を立つ。
陳公獻曰:鳩雖喚雨,此課乃風大雨小之象。蓋以神后發用旬空,中傳白虎風殺旬丁,又風伯臨干支、會寅,寅中有箕宿好風。豈不今日有風?夜子時填實旬空,豈不微雨?因休廢空亡,故略灑塵而已。未為風伯者,亦干支本象也。論神煞,五月風伯在辰,風煞在戌。
陳公献が言うには:斑鳩は雨を喚ぶ者とはいえ、この課は却って風大きく雨小さきの象である。發用の「神后」の子が旬空の中に落ちるからである。中伝は白虎を乗じ、白虎はまさに風殺で、しかも巳はまた甲寅旬の裏の「旬丁」(丁巳)である。さらに「風伯」が日干・日支の上神に臨み、また寅と相會し、寅宮の裏にもと好く風の箕宿あり。このように看れば、今日どうして風なからんか。夜裏の子時に至り、旬空が填實すれば、またどうして一点の雨もなからんか。ただ課神が休廢しまた空亡に逢うがために、過ぎず畧ほ幾點を灑し下り塵土を壓するのみ。未を「風伯」と説くも、また日干日支の本身の象である。もし神煞を論ぜば、五月の風伯は辰に在り、風煞は戌に在る。
甲寅日・辰命の人が首尾を占う
丙子年亥月甲寅日卯將戌時,辰命人占首尾。 牧夫占驗
丙子年亥月(十月)、甲寅日、月将は卯(太冲)で、戌時に課を起こす。占を求むる人は本命が辰に属し、一桩の事情の首尾始末を占問した。本条は王牧夫の『占験』から出る。
合朱蛇貴 戌亥子丑 蛇空蛇空 父 ◎子 蛇 勾酉 寅后 子未子未 子 丁巳 常 龍申 卯陰 未寅未甲 財 壬戌 合 未午巳辰 空虎常玄
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:戌は「六合」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、丑は「貴人」を乗せ、寅は「天后」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せる。卯将を戌時に加うるに、天盤は地盤より五位を進み、天地盤は上の一条の鳩を聞きて雨を占った課と相同じ。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に未を得、天空を乗せる。第二課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅の上に未を得、天空を乗せる。第四課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる――日干と日支の上神は同じく未で、依然として「八専」の課である。三伝:初伝の子は父母と為り、螣蛇を乗せ、「◎」はそれが旬空に落ちるを標す。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、太常を乗せる。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、六合を乗せる。
王牧夫曰:此課可咲你的財是他的財,他的財是你的財。又兩人各自誤,到後你哄他,他哄你,遂致不清。可是否?曰:然。蓋八專之課,彼此不別,各各戴墓,陰神自相穿害,其象如此。命上勾陳,年上丑貴,幾至起訟。末傳幸得六合在戌,尚有模範可以免強結局。太歲作恩星可以化解,朱雀又生日,不然纏繞不清也,來年春二月可了,木絕於申加於卯也。驗。
王牧夫が言うには:この課は実に可笑しい――あなたの銭財は彼の銭財で、彼の銭財はまたあなたの銭財。両人は各自に算盤を打ち錯り、後來に至ってあなたが彼を鬨し彼があなたを鬨し、是において糾纏して清からず。そうでないか。その人が回答して言うには:まさに此の如くです。これは「八専」の課が彼此分かたず、両辺がまた各自に墓神を頂き、陰神が互いに穿害するので、象は則ちこの樣子である。彼の本命の辰の上神は酉で、酉の上に勾陳を乗ずる。行年の上の丑はまた貴人を乗せ、幾ほどか官司を打つに鬧じ到らんとす。所幸は末伝の戌の上に六合を得、なお一点の規矩を留めて、勉强して收場し得、太歳はまた恩星と作してその中より化解し得、朱雀は還って來りて日干を生ずる。然らざれば則ち纏繞して清からざるに至る。明年の春天二月に至って了結し得べし。木は申に絶し、しかも申はまさに卯の上に加わるからである。その後應験した。
甲寅日・郭仲起が宅を占う
己酉年六月甲寅日未將寅時,郭仲起辛未生三十九歲占宅。 宋本邵案 口鑑
己酉年六月、甲寅日、月将は未(小吉)で、寅時に課を起こす。占を求むる人は郭仲起といい、辛未年生まれ、この年三十九歳、住宅を占問した。本条は『宋本邵案』と『口鑑』に見え、断語は邵彦和から出る。
陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 龍貴龍貴 父 空子 龍 蛇申 卯常 子未子未 子 丁巳 陰 貴未午巳辰玄 未寅未甲 財 壬戌 六 后陰
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:未は「貴人」を乗せ、申は「螣蛇」を乗せ、酉は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、亥は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、子は「青竜」を乗せ、丑は「天空」を乗せ、寅は「白虎」を乗せ、卯は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、巳は「太陰」を乗せ、午は「天后」を乗せる。寅時は夜に属し、甲日は夜貴の未を用う。未将を寅時に加うるに、天盤は地盤より五位を進み、貴人は未を乗せて地盤の寅位に落ちるので、衆将は順行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に未を得、貴人を乗せる。第二課、未の上に子を得、青竜を乗せる。第三課、日支の寅の上に未を得、貴人を乗せる。第四課、未の上に子を得、青竜を乗せる。三伝:初伝の子は父母と為り、青竜を乗せ、傍らの「空」の字はそれが旬空に落ちるを標す。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、太陰を乗せる。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、六合を乗せる。
邵彥和曰:本命墓身,名天網自裹。子作空亡,又從 上發用。中傳又臨空,乃子息上又見子息,主克子退子,定是星運不利。青龍既空,雖登仕路,亦無寸進。末又見妻財,必是再娶,晚年始亨。未為井墓,干支宅中有井,不吉。若不遷移,必主十六年而死。未乃八數,二八一十六也。次年郭即遷居,其凶乃免。
邵彦和が言うには:彼の本命は辛未で、未はまさに甲木の墓で、墓が来て身を覆うは、これを「天網自裹」と叫ぶ。初伝の子はまた空亡で、しかも「 」の上より取り出して發用としたる(底本のここに一字を缺く。課式に按ずれば、子は日干・日支の上神の未の上より取り出したる)。中伝の巳はまた空亡の地に臨み、等しく子孫の上にまた子孫を見てみな空に落ち、子を克し子を退くるを主り、命中の星運は一定に不利である。青竜はすでに空に落ちたので、彼はたとえ仕途に踏み入っても、寸進あることをなさざる。末伝にまた妻財を見るは、必ず再び一たび娶るを要し、晚年に至ってやっと亨通に轉ずる。未はまた井の墓象で、日干日支の上神がみな未なので、宅中に井ありて、幷ら吉利ならず。もし家を搬せざれば、必ず十六年の後に則ち死すを要す。未は壬数の中で八に属し、二八の相乘は正に一十六。第二年に郭仲起は果たして遷居し、この場の凶禍はこれをもってやっと免れた。
甲寅日・財を求むるを占う
丙辰年八月甲寅日巳將亥時,某己巳生四十八歲占求財。 口鑑 方本占案
丙辰年八月、甲寅日、月将は巳(太乙)で、亥時に課を起こす。占を求むる人は本命が己巳、この年四十八歳、財を求むるを占問した。本条は『口鑑』と『方本占案』に見え、断語は邵彦和から出る。
龍空 陳亥子丑寅虎 六戌 卯常 虎蛇虎蛇 兄 甲寅 虎 朱酉 辰玄 寅申寅申 鬼 庚申 蛇 蛇申未午巳陰 申寅申甲 兄 甲寅 虎 貴後
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:未は「貴人」を乗せ、申は「螣蛇」を乗せ、酉は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、亥は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、子は「青竜」を乗せ、丑は「天空」を乗せ、寅は「白虎」を乗せ、卯は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、巳は「太陰」を乗せ、午は「天后」を乗せる。亥時は夜に属し、甲日は夜貴の未を用い、貴人は地盤の丑位に落ち、衆将は順行する。巳将を亥時に加うるに、天盤と地盤は正好く六位相隔え、支支相冲するは、「返吟」の局である。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に申を得、螣蛇を乗せる。第二課、申の上に寅を得、白虎を乗せる。第三課、日支の寅の上に申を得、螣蛇を乗せる。第四課、申の上に寅を得、白虎を乗せる。三伝:初伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、白虎を乗せる。中伝の申は遁干庚、官鬼と為り、螣蛇を乗せる。末伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、白虎を乗せる。
邵彥和曰:此乃反覆爭奪之財,甚薄。應在戊寅日得之。據課體本無財,蓋此人己巳乃是寅作德,又蛇制申金,行年財臨甲戌日得之也。此課又是論化氣,甲日己年,甲己化土也。
邵彦和が言うには:これは一筆の反復争奪してやっと手に到り得る銭財で、しかも甚だ薄い。戊寅日に應じて手を得る。課体に就いて看れば、もともと財なし:初伝・末伝はともに兄弟の寅で、兄弟はまさに銭財を劫奪することを主る。手を得し得る所以は、この人の本命が己巳で、寅の上に「徳」を作し、また螣蛇の火が申金を壓制しているにあり。さらに彼の四十八歳の行年が丑の上に落ち、丑土はまさに甲木の妻財なので、甲戌日に至ってやっと手に拿得した。(底本は前面に「戊寅日に應ず」と説き、後面にまた「甲戌日に之を得たり」と説く。両處の日辰が一ならず。)この課は還って化気を論ずるを要す:日干は甲で、本命の年は己に属し、甲と己は相合して土に化し、土はまさに甲木の財である。
甲寅日・郭御青が陽武で省城の安危を占う
崇正辛巳年十二月十三甲寅日丑將午時,在陽武縣占省城。 課經集
明思宗崇禎辛巳年(崇禎十四年、公元一六四一年)十二月十三日、甲寅日、月将は丑(大吉)で、午時に課を起こす。占者は当時河南開封府の陽武縣に人が在り、省城開封の安危のために課を起こした。「崇正」は則ち「崇禎」で、避諱により字を改めた。この年の年末、流寇はまさに第二回に開封を進逼していた。本条は『課經集』から出て、断語は郭御青の下した所である。
蛇貴后陰 子丑寅卯 玄勾玄勾 鬼 辛酉 勾 朱亥 辰玄 辰酉辰酉 財 丙辰 玄 合戌 巳常 酉寅酉甲 父 癸亥 朱 酉申未午 勾龍空虎
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。午時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。丑将を午時に加うるに、天盤は地盤より七位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の午位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に酉を得、勾陳を乗せる。第二課、酉の上に辰を得、玄武を乗せる。第三課、日支の寅の上に酉を得、勾陳を乗せる。第四課、酉の上に辰を得、玄武を乗せる。三伝:初伝の酉は遁干辛、官鬼と為り、勾陳を乗せる。中伝の辰は遁干丙、妻財と為り、玄武を乗せる。末伝の亥は遁干癸、父母と為り、朱雀を乗せる。課伝の中に見る酉・辰・亥の三支は、恰好みな自刑の支である。
郭御青曰:滿盤自刑,酉以破碎作勾陳全傷干支,又發用,城池最忌,危至九分。幸生起末傳育干支,危中有救。酉臨艮地,東北受傷。次日,乙卯巳時,因雪再占,得子乙一課,即得白虎作墓發用,墓亦鑿城掘坑之象也,亦賴末傳亥水育干支自墓傳生,先迷後醒,亦危中有救。
郭御青が言うには:満盤みな自刑の象である。酉は「破碎」の凶煞を帯び、また勾陳を乗せ、日干の甲と日支の寅を一幷に傷し盡くし、偏偏それはなお發用の神である――城池を占うに最も忌避するはまさにこの一点で、危險はすでに九分に到った。所幸は課伝が能く末伝を生起し、末伝の亥水がまた頭を回らして日干日支を養育するは、危うき中に救いあり。酉は地盤の寅位の上に加わり、寅は艮方に属するので、傷を受けるは城の東北の一角である。第二天の乙卯日の巳時、雪が下るがためにまた一課を占い、得たるは日干の上神の子が乙に加わる一課で、まさに白虎が墓神を乗じて發用する――墓もまた城を鑿ち坑を掘るの象で、同じく多く末伝の亥水が干支を養育して、墓の中より生気を傳え出すを幸いに、先ず迷いて後に醒める、亦た危うき中に救いありと算づ。
二課游都皆空,交甲子旬俱實。亥水救神反空,所以預斷賊二十三日至。占時賊在汴東百餘里,餘在河北陽武縣以占稿具稟各院臺,彼時,督師丁公聖林、撫臺高公鷺機、按臺任公汶水急呼餘進汴,餘即於二十三日早入城,午後而賊至城下,即攻城東北角。二十餘日晝夜不息,危至萬分,後克保全,此丁公同事所親見者。
兩課の裏の「游都」はみな空亡に落ち、甲子旬に交り入るを待ってやっと填實する。亥水のこの救神を連ねてもまた反って空亡に落ちるので、我は預め賊兵が二十三日に到來すると断定した。課を起こした時、賊兵はなお開封より東の一百余里に在った。我は人が黄河より北の陽武縣に在り、占稿を具文して各位の院臺の大人に禀報した。当時督師の丁聖林公・巡撫の高鷺機公・巡按の任汶水公は急いで我を召して開封に進ませ、我は則ち二十三日の一早に城に入り、当日の午後に賊兵は便ち城下に到り、隨いで城の東北角を猛攻した。此の後二十余日昼夜に停まずに攻打し、危急は萬分に至るも、最後に終に保全し得た――これらはみな丁公と同事たちの親眼看る所である。
甲寅日・范玄同が射覆を占う(指南)
辛巳年八月甲寅日壬申時,浙紹範玄同占袖內帨包中何物。 指南
辛巳年八月の甲寅日壬申時、浙江紹興の人范玄同が來りて占を求め、占わんとするは彼の袖子の裏のあの帨包(手を拭く手巾の包み)の中に裹る何物なるかである。これは「射覆」の占――事ごとに先んじて占者に蔵する所の何物を告げず、全く課の上の五行の性・形色の象・器用の類に凭りて實物を推し出す。最も六壬の工夫を見る。この案は『六壬指南』から出る。
朱六 蛇寅卯辰巳勾 虎陰虎陰 財 丑貴 貴丑 午龍 申亥申亥 父 癸亥陰 后子 未空 亥寅亥甲 父 癸亥陰 陰亥戌酉申虎 玄常
これは円盤を展平して写したる課體の圖である。外圈は十二支の各自乗ずる所の天将:寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せ、丑は貴人を乗せる――甲日の申時は昼に属し、昼貴を用い、貴人は丑の上に落ち、十二天将はこれにより順行して排布す。中間の一欄は四課で、右より左へ數う:第一課、日干の甲(寄宮は寅に在る)の上に亥を見、亥は太陰を乗せる。第二課、亥の上に申を見、申は白虎を乗せる。第三課、日支の寅の上に亥を見、亥は太陰を乗せる。第四課、亥の上に申を見、申は白虎を乗せる。甲寅日の干支は同じく寅宮に在り、四課はただ兩樣を出ずるのみで、「八専」の課である。右邊の一欄は三伝:初伝の丑は妻財爻と為り、貴人を乗せる。中伝・末伝はともに亥で、旬干の癸を遁得し、父母爻と為り、太陰を乗せる。甲寅旬の中の子・丑の兩位は旬空なので、初伝の丑は遁干を標さない。
陳公獻曰:剛日發用,兼日上神射之發用,丑為牛,其色黃兼黑,亥為雙義,必是黃黑二件;又為日貴,必貴重之物,乘天醫必能治病,其數四八。範大服,開筒視之,是石黃二塊,每塊約重四分七八釐。
陳公献が言うには:甲は剛日(陽日)で、八専課は例により日干の上神より順に三位を數えて初伝を取るので、發用は丑に在り、さらに日干の上神の亥を合せて一幷に來りてこの覆物を射る。丑は十二屬相の中で牛で、牛の毛色は黃の裏に黑を帶びる。亥はまた成雙の義を含むので、蔵する所は必ず黃黑の兩件の東西と知るべし。丑は同時に甲日の貴人なので、この物件が貴重と知るべし。丑の上にまた天醫を乗せるので、それが能く病を治することを知るべし。丑の數は八、亥の數は四なので、分量の數は則ち四・八の上に落ちる。范玄同は大いに嘆服し、袖の中の小筒を開きて一看すれば、果たして石黃(雄黃)の兩塊で、每塊は約重四分七八厘であった。
甲寅日・王司法が前程を占う(口鑑・方本占案)
戊申年六月甲寅日未將戌時王司法乙亥生三十四歲占前程。 口鑑、方本占案
戊申年六月の甲寅日、「未」(小吉)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は王司法で、乙亥年生まれ、この年三十四歳、己が仕途の前程を占問した。この案は『口鑑』と方本『占案』ともに收錄す。
陳六 龍寅卯辰巳朱 空丑 午蛇 后常后常 財 空丑 空 虎子 未貴 申亥申亥 父 癸亥 常 常亥戌酉申后 亥寅亥甲 父 癸亥 常 玄陰
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せる――戌時は夜に属し、甲日は夜貴を用い、貴人は未の上に落ち、十二天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅に在る)の上に亥を見、亥は太常を乗せる。第二課、亥の上に申を見、申は天后を乗せる。第三課、日支の寅の上に亥を見、亥は太常を乗せる。第四課、亥の上に申を見、申は天后を乗せる。甲寅日の干支は同宮で、依然として「八専」の課である。三伝:初伝の丑は妻財爻と為り、天空を乗せ、丑字の前に一個の「空」を標すは、それが甲寅旬の中にまさに旬空に落ちるを説く。中伝・末伝はともに癸亥で、父母爻と為り、太常を乗せる。
邵彥和曰:亥是本命,加支干相生極好。只不合是旬末為閉口,主父母閉口,兼行年又在其上,而父母上見公婆,是父母見公婆也。空丑又乘天空作初傳,虛墓已動。更加辰為鍬鋤殺,當主十月亡母,次年正月亡父。本人須入學館,歷臺諫侍從,只不守土,至戊子年七十四或七十八死矣。王當年十月丁母憂,次年正月丁父憂,三十七得溫州法司,三十九得太常學錄,又遷司業正言,不曾守土。七十八卒。
邵彦和が言うには:亥はまさに王司法の本命で(彼は乙亥年生まれ)、亥は日干日支の上に加わり、干支と相生して、もともと極めて好い。ただ惜しむべくは亥が甲寅旬の旬末で、「閉口」の神に属し、父母の一方が口を閉じて言わざるを主り、すなわち喪事ある。何况彼の行年がまたまさに亥の上に落ち、しかも父母爻の上にまた公婆の神を見るは、父母が往きて公婆(尊長)に見ゆるで、まさに亡故の象である。丑はすでに旬空に落ちまた天空を乗せて初伝と作るは、虛耗と墓庫の氣がすでに發動した。さらに辰が鍬鋤殺(動土埋葬を主る)と為るを加うるは、当に本年十月に母を喪い、第二年正月に父を喪するを主るべし。この人は日後必ず學館に入りて讀書し、歷任して臺諫・侍従のこの一類の言官近臣を為るも、ただ終身外に放たれて土を守る地方官を做さず。戊子年に至り、七十四歳あるいは七十八歳の上に世を過ぎる。その後果たして:王司法は当年十月に母のために丁憂し、次年正月に父のために丁憂し、三十七歳に温州法司の職を得、三十九歳に太常寺學錄を得、また遷りて國子監司業・正言と為り、一生曾て土を守らず、七十八歳に去世した。
此課旬末加旬首,父母加主父母亡,自身閉口,仕途不通。然既言七十四,又言七十八,何也?亥加寅,亥四寅七,乃七十四也。亥有四個,又添四數,七十八也。況甲與寅上兩個亥,故云。
この課は旬末の亥が旬首の寅の上に加わる:父母爻がこのように加臨するは、父母の亡故を主る。自身はまた閉口に逢うので、仕途は始終通達する能わざる。すでに七十四を断じて、また七十八を説くは、この兩個の歳數はどこより來るか。亥は寅の上に加わり、亥の數は四、寅の數は七で、合せて起これば則ち七十四。課の中の亥字は一共に四個で、さらに一個の四數を添うれば則ち七十八。何况日干の甲の上と日支の寅の上に各々一個の亥あり、ゆえに兩説を竝存す。
又云,亥乃父母爻,作真閉口,作太常,陰神又見申金乘後,而與亥六害,無惑乎父母之亡也。初丑,土也;空上乘空,故終身不能守土。亥乃天門,又是長生學堂,中末都是,所以入學館也。
また一説あり:亥は父母爻で、旬末に落ちて真の閉口と成り、また太常を乗せる(太常は孝服を主る)。その陰神の上に申金が天后を乗ずるを見、申と亥は正好く相害するならば、父母の亡は更に疑うを須いざる。初伝の丑はもと土に属すに、偏偏すでに旬空に落ちまた天空を乗じ、空の上に空を加うるので、彼は一輩子に土を守る地方官を做り成さざる。亥は天門の位で、また甲木の長生の地・文章學堂の在る所で、中伝末伝はともに亥なので、彼が能く學館に入り、讀書より出身するを断ず。
乙卯(乙卯)日
乙卯日・劉運干が前程を占う(方本占案・口鑑)
建炎戊申年十月乙卯日卯將未時劉運干丁卯生四十二歲占前程。 方本占案、口鑑
宋高宗建炎戊申年十月の乙卯日、「卯」(太冲)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は劉運干(運司幹辦公事)で、丁卯年生まれ、この年四十二歳、己が前程を占問した。この案は方本『占案』と『口鑑』に見ゆ。
朱六 蛇丑寅卯辰陳 貴子 巳龍 虎后常貴 財 己未 虎 后亥 午空 未亥申子 兄 乙卯 六 陰戌酉申未虎 亥卯子乙 父 癸亥 后 玄常
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せる――未時は昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に子を見、子は貴人を乗せる。第二課、子の上に申を見、申は太常を乗せる。第三課、日支の卯の上に亥を見、亥は天后を乗せる。第四課、亥の上に未を見、未は白虎を乗せる。三伝:初伝の己未は妻財爻と為り、白虎を乗せる。中伝の乙卯は兄弟爻と為り、六合を乗せる。末伝の癸亥は父母爻と為り、天后を乗せる。未・卯・亥は湊りて三合の木局を成し、乙木は未に墓し卯に旺し亥に長生す。走るは自ら墓より旺に傳え、再び長生に傳ずるの路。乙卯日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑の兩位に在る。
邵彥和曰:此課身坐貴人,又來生日,三傳又是木局,乙木生亥、旺卯、庫未,自墓傳旺,自旺傳出亥,必由窮途漸至榮顯至侍從。先喪妻害眷屬,而先納兄弟一子,後一小妻大有財物,壽近九十矣。錢此時為朝議郎,辛亥喪妻,乙卯喪子,繼兄子為子,庚申又娶妻,其時年五十四,妻三十九,有數萬貫錢來嫁,後直至吏部侍郎,八十七而終。
邵彦和が言うには:この課は日干の上に貴人が坐り、貴人はまた頭を回らして來りて我が日干を生ず。三伝は合成して木局と為り、乙木は亥に長生し卯に帝旺し未に入庫す。墓庫より帝旺に傳え、再び帝旺より傳え出して長生の亥に至るは、この人は必ず窮困の境より一歩々々榮顯に走向し、直に侍従の官に至るまで做る。ただ要に先ず妻を喪い眷属に損及し、先ず兄弟の一個の兒子を過繼せしめ、後に娶る小妻は多くの財物を帶びて來る。壽數は將に九十に近し。彼は当時官は朝議郎に任じ(下文はこの人の姓を錢と稱し、題頭の「劉運干」と合わず、当に傳寫に異あり)、辛亥年に妻を喪い、乙卯年に子を喪い、則ち兄長の子を以て嗣と為し、庚申年に再び娶る。その年彼は五十四歳・妻は三十九歳で、數萬貫の錢財を帶びて門を過ぐ。後來一直に吏部侍郎に至るまで做り、八十七歳に去世した。
蓋乙卯皆本亥子並生,曲直又助,自墓傳生,一則有壽,二則自微至顯。末亥為天門,木局為持臺,故主侍郎也。此課本主父子同類作六合,是納兄弟之子,妻財空墓乘虎,主先喪偶,卯祿加未,末傳天后長生,歸於祿地,後妻乃未卯祿加之,是後妻財物旺也。又曰:天后是妻,歸卯地也。未財為前妻,乘白虎,陰神卯木克之,故喪也。天后為後妻,為長生而臨日祿,故後妻財物旺也。
その中の道理を細説すれば:乙と卯はもとみな亥・子の水に生ぜらる。三伝はまた結成して曲直の木局と為りて來りて幫扶し、墓庫より長生に傳向するは、一に長壽を主り、二に微賤よりして顯達に至るを主る。末伝の亥は天門の位で、木局はまた臺閣を執掌することを主るので、彼が官侍郎に至るを断ず。この課はもと父と子が同類にして六合を乗ずるを以てなり、まさに兄弟の子を過繼して嗣と為すの象。妻財爻はすでに空に落ちまた墓に入り、還って白虎を乗ずるは、先ず配偶を喪することを主る。卯は乙木の禄神にして未の上に加わり、末伝の天后はまた長生の神で、歸りて禄地に到る。後に娶る妻はまさに未の上に禄を加うるこの一層に應ずるので、後妻の財物は豐厚なり。もう一種の説法是:天后は則ち妻で、歸りて卯地に到る。未は財と為り、前妻を代表し、白虎を乘せ、その陰神の卯木がまた來りてそれを克すので、妻を喪することを主る。天后は後妻を代表し、長生の位に居りて日干の禄神に臨むので、後妻の財物は旺盛なり。
乙卯日・甲申命の人が訟を占う(中黄經)
十一月乙卯日丑將巳時甲申命人占訟。 中黃經
十一月の乙卯日、「丑」(大吉)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は甲申年生まれの人で、一桩の官司訴訟を占問した。この案は『中黄經』から出る。
朱六 蛇丑寅卯辰陳 貴子 巳龍 虎后常貴 財 己未 虎 后亥 午空 未亥申子 兄 乙卯 六 陰戌酉申未虎 亥卯子乙 父 癸亥 后 玄常
刻する所の課體は上の一案と完全に相同じ:丑将を巳時に加うるは、前案の卯将を未時に加うるに推し出す天地盤と正好く同一個である。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せる。四課は右より左へ:日干の乙の上に子を見、子は貴人を乗せる。子の上に申を見、申は太常を乗せる。日支の卯の上に亥を見、亥は天后を乗せる。亥の上に未を見、未は白虎を乗せる。三伝:初伝の己未は妻財爻にして白虎を乗せ、中伝の乙卯は兄弟爻にして六合を乗せ、末伝の癸亥は父母爻にして天后を乗せる。未卯亥は依然として三合の木局。下文の説く所の「申命」は、占を求むる人が甲申年生まれで本命が申に在るを指す。申位の上に見る所は辰で、辰は勾陳を乗せ、まさに断語の處置せんとするあの一層である。
斷曰:初傳用起支陰,未乘白虎,似乎虎墓為用,可畏。喜三傳會木局助日。又未乃十一月解神,虎雖乘之而臨亥,主爪牙無用,不足畏也。更申命上雖是辰作勾陳,乙干自能制之,此辰即日干本位。辰遁建者庚,乙從化於庚,有妻從夫之義,夫戀妻之仁成仁義之風,此合之至篤者,不相賊而相成,所以為善。況三合木局行傳,乙得其助,勾成受制,白虎失勢,自墓傳歸長生,豈不美哉?
断語に説く:初伝は日支の陰神より發用し、未はまた白虎を乗ずるは、看るに白虎と墓神が當權するに似て、甚だ畏る可し。所幸は三伝が會成して木局と為りて來りて日干を幫扶す。さらに未は十一月の解神で、白虎は未の上に乗ずといえども、却って亥位に臨み、等しく爪牙の施展する處なきにして、畏るに足らざる。本命の申の上に雖も辰が勾陳を乗ずるを見るに至っても、乙木は自ら能く辰土を制するを得、何况この辰はまさに乙日干の寄宮本位なる。辰の中に遁する天干は庚で、乙と庚は相合して化し、妻の夫に従うの意あり、夫はまた妻の仁厚を眷戀し、一段の仁義の風を成就す。これは相合の最も親篤なる一種で、兩下に相賊害せずして相成全するが故に、反って吉事と為る。何况三合の木局が三伝の中に流行し、乙木は幫扶を得、勾陳は制伏を受け、白虎は威勢を失い、また墓庫より傳歸して長生に至るは、豈に一課の好象ならざらんか。
乙卯日・楚衍が李都尉の公主の病を占う(一針見血)
皇祐元年有李都尉公主,年三十三歲忽於五月初間染患不安,至下旬,病危。醫官擬議,不敢下藥。於當月二十三日奉旨遣楚衍至李宅占課,立等回奏。當日乙卯得亥時,月將小吉加亥。 一針見血
宋仁宗皇祐元年、李都尉の家の公主は年方三十三歳で、五月初に忽然として病に染み不適し、下旬に到って病勢は危重なり。太醫たちは商議再三して、敢えて藥を下さず。当月の二十三日、皇帝の旨意を奉じて楚衍を李家に遣わし課を起こせしめ、地に就いて回奏を待たせた。その日は乙卯日・亥時で、「小吉」(未)を以て月将と為し、亥時の上に加えて課を起こした。この案は『一針見血』から出る。
龍空虎常 丑寅卯辰 后合貴勾 財 己未 后 勾子 巳玄 未亥申子 兄 乙卯 虎 合亥 午陰 亥卯子乙 父 癸亥 合 戌酉申未 朱蛇貴後
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:丑は青竜を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は白虎を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太陰を乗せ、未は天后を乗せ、申は貴人を乗せ、酉は螣蛇を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は六合を乗せ、子は勾陳を乗せる――亥時は夜に属し、乙日は夜貴を用い、貴人は申の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙の上に子を見、子は勾陳を乗せる。第二課、子の上に申を見、申は貴人を乗せる。第三課、日支の卯の上に亥を見、亥は六合を乗せる。第四課、亥の上に未を見、未は天后を乗せる。三伝:初伝の己未は妻財爻と為り、天后を乗せる。中伝の乙卯は兄弟爻と為り、白虎を乗せる。末伝の癸亥は父母爻と為り、六合を乗せる。三伝は依然として未・卯・亥の三合木局なり。ただこの課が用うるは夜貴なるがゆえに、乗ずる所の天将は便ち前の兩案と全く相同じからず。
衍具奏云:公主所患,因食冷物,被白獸動至,驚風透入經絡,日中則發搐搦,入夜剛稍定。此病肝膽之下,隱伏不見。當於今夜子時,有神醫入夢,覺即吐逆至晚脈息應至,自後即安,乞今醫官預備調和之藥。果於當晚三更四點,公主夢一紫衣和尚,手執楊柳帶水灑身,驚覺汗流而吐,便覺漸安。上知甚悅,遂遣中使至李宅,令供病回依左奏答。公主雲重午日申時以來與都尉飲酒,吃冷粽子,之間有本宅白獅貓跳上桌子,觸倒酒器,即時便不快。上一見回奏因依,便令宣衍至便殿,診詢昨日之課,何故應驗如此?勅令敷奏。
楚衍は本を具して上奏して言うには:公主のこの場の病は、起因は生冷の物を喫し、また一隻の白色の獸類に驚動せられ、驚風が經絡に透入したが故に、白天の裏に抽搐を發し、夜に入りてやっと稍稍安定す。病位は肝膽の下に在り、隱伏して看え出さず。今夜の子時に当に神醫が夢に入るべく、醒めれば則ち嘔吐し、晚間に到って脉息は便ち回り來り得、これより則ち平安ならん。太醫に請いて預め調和の藥を備え置かしめよ。当晚の三更四點、公主は果たして一位の紫衣の和尚を夢見、手に楊柳枝を拿りて水を蘸して彼女の身の上に灑き、驚き醒めた後汗流れて注ぐが如くしかも嘔吐し、隨いで漸漸好轉するを覺えた。皇帝は知り得て大いに喜び、則ち内使を李家に派して、彼らに發病の經過を據實に回奏せしめた。公主が言うには:端午のあの日の申時以後に都尉と同じく酒を飲み、冷たい粽子を喫し、その間家の裏の白獅猫が桌子の上に跳び上がり、酒器を撞き倒し、彼女は当時に則ち不舒服であった。皇帝は回奏の原委を看て、便ち楚衍を便殿に宣し、昨日のあの一課が何を以てかこの地步に應驗したかを問い、彼に詳細に陳奏するを敕令した。
議曰:昨日乙卯得亥時,月將小吉加亥,就作發用,上得天后,中傳太沖加未,白虎。終傳登明加卯,六合。此課正元首之課,白虎凶神不來剋日,則占病無憂。發用未,是木墓,加於亥上,亥是陰極之位,重於冷。又未中有丁,乙以丁為食神,故言曾食冷物。中傳太沖加未,得白虎乘卯木來制初傳未土,故有白獸驚恐。法以丑未為經絡,巳亥為氣管,故驚風透入經絡。課變曲直,木乘則風。發用月建為太陽,所以日中搐搦。又木屬肝膽,未為木墓,一為隱藏,故病在肝膽之下,隱伏不見。五月天醫在申,今加子上,行年是子,今得傳送乘之。申是木絕之地,法謂:木絕則魂貴天,遊行年之陰,上得天罡,為夢神,所以感夢。申是今日貴人,有天醫乘之,故有神醫入夢。日上有勾陳入水本主吐逆。臣供是實,謹奏。
楚衍が議奏して言うには:昨日の乙卯日は亥時を得、小吉の未を以て月将と為して亥の上に加え、未は則ち初伝と作して上に天后を乘せた。中伝は太冲の卯が未の上に加わり、白虎を乘せた。末伝は登明の亥が卯の上に加わり、六合を乘せた。此の課はまさに「元首課」で、白虎のこの凶神は幷ら來りて日干を克せず、病を占うに大礙なし。初伝の未は木の墓庫で、亥の上に加わり、亥は陰氣極盛の位で、重寒重冷を主る。未の中にまた丁火を藏し、乙木は丁を以て食神と為し、食神は飲食を主るので、彼女が曾て生冷の物を喫したるを断ず。中伝の太冲の卯が未の上に加わり、白虎は卯木を乘じて來りて初伝の未土を制するので、白色の獸類の驚嚇の事あり。法は丑・未を以て經絡と為し、巳・亥を以て氣管と為すので、驚風が經絡に透入すと説く。全課は變じて曲直の木局と為り、木氣は旺を乘ずれば則ち風を主る。初伝の未はまた五月の月建・太陽の在る所なので、發作は白天に在る。木は肝膽に属し、未は木の墓庫で、墓は隱藏の義あり、ゆえに病は肝膽の下に在り、隱伏して査し出す能わざる。五月の天醫は申に在り、今申は子の上に加わり、公主の行年はまさに子で、また傳送の申がその上に乘ずるを得る。申は木の絶地で、術法の上に説く木が絶すれば則ち魂氣は上に歸りて天に至ると。さらに行年の陰神を看れば、その上に天罡の辰を得、辰は夢神と為るので、能く夢を感ず。申はまた今日の貴人で、天醫がそれに乘ずるので、夢見る所は神醫なり。日干の上に勾陳が水中に落入するあり、もとより嘔吐を主る。臣の奏する所はみな實情なり、謹んでこれを上聞す。
乙卯日・管輅が風の來りて何事に應ずるを占う(直は三国志管輅傳を引く)
七月乙卯日巳將午時占風來應候。 直指引三國志管輅傳
七月の乙卯日、「巳」(太乙)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起こし、占うは一陣の風の刮り來るを、何の事に應ずるべきを要すと。この案は『六壬直指』に見え、轉引するは『三国志・管輅傳』の舊事である。
勾龍空虎 辰巳午未 蛇朱朱合 財 ◎丑 蛇 合卯 申常 丑寅寅卯 父 ◎子 貴 朱寅 酉玄 寅卯卯乙 父 癸亥 后 丑子亥戌 蛇貴后陰
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せる――午時は昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に卯を見、卯は六合を乗せる。第二課、卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。第三課、日支の卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。第四課、寅の上に丑を見、丑は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丑は妻財爻と為り、螣蛇を乗せる。中伝の子は父母爻と為り、貴人を乗せる。末伝の癸亥は父母爻と為り、天后を乗せる。丑・子の兩字は各々一個の「◎」を標すは、乙卯日が甲寅旬に属し、子・丑の兩位がまさに旬空に當るを説く。三伝の丑・子・亥は一路に後退するは、「退茹」の象である。
輅在典農王宏直所,有飄風從申上來,占曰:日辰乙卯斗建申,申破寅,死喪之候也。時加午而風發,馬之候也。未在申為虎,虎為大人,父之候也。東方當有馬吏至,恐父哭子。明日膠東吏到,其子果亡。
管輅は典農校尉の王宏直の官署の裏に在りて、一陣の旋風が申の方位より刮り來るあり。彼が占断して言うには:今日の日辰は乙卯で、斗建は申に在り、申は寅を冲破す。これは死喪の徵候である。風は午時に刮り起こり、午は馬と為る。これは馬の徵候である。未は申の上に落ちて白虎と為り、白虎は大人を主る。これは父輩の徵候である。合せて看れば、東方に当に馬に騎る吏員が前來すべく、恐らくは父親たる者が兒子を哭せんとする。第二天に膠東より來る吏員が到り、王宏直の兒子は果たして死した。
按:此占,原屬風角,然有未在申為虎一言,則仍參之六壬矣。風從申來,故當觀申上之神將。
程樹勳が按ずるに:この占はもともと「風角」の一術に属し、すなわち風向・風聲を聽きて吉凶を占候する。ただその中の「未の申に在るを虎と為す」の一句は、依然として六壬の天将の説を參用した。風はすでに申の方位より刮り來るならば、則ち申位の上に乗ずる所の神と将を看るべく、断法の著眼する處はまさにここに在る。
乙卯日・鄭子云が前程を占う(方本占案・口鑑)
戊申年十月乙卯日卯將辰時鄭子云乙亥生三十四歲占前程。 方本占案、口鑑
戊申年十月の乙卯日、「卯」(太冲)を以て月将と為し、「辰」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は鄭子云で、乙亥年生まれ、この年三十四歳、己が仕途の前程を占問した。この案は方本『占案』と『口鑑』に見ゆ。
勾龍空虎 辰巳午未 蛇朱朱合 財 ◎丑 蛇 合卯 申常 丑寅寅卯 父 ◎子 貴 朱寅 酉玄 寅卯卯乙 父 癸亥 后 丑子亥戌 蛇貴后陰
刻する所の課體は前の一案と相同じ――卯将を辰時に加うるは巳将を午時に加うると、推し出す天地盤はまさに同一個である。外圈:辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せる。四課は右より左へ:日干の乙の上に卯を見、卯は六合を乗せる。卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。日支の卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。寅の上に丑を見、丑は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丑は妻財爻にして螣蛇を乘せしかも旬空に值り、中伝の子は父母爻にして貴人を乘せ同じく旬空、末伝の癸亥は父母爻にして天后を乘せる。乙木の禄はまさに卯に在り、しかも卯はすでに日干の上に在り、また本日の日支なり。これは下文の断語が説を立つるの根基である。
邵彥和曰:此課主來年再舉,亥年及第高甲,迤邐在朝,更不外任,直至八座位了,卻貶降終不得地,無正宅而居。鄭子云二十九歲發解,三十五又發解,三十七登第,初任臨安教授,歷太學秘書郎司業、工刑二部,皆京官,因與秦檜一言不合而罷。
邵彦和が言うには:この課は彼が明年に還って再び一たび擧に應じ、亥年に至ってやっと第に登り、しかも名は高甲に列することを主る。此の後一路に朝中に任職し、外に放たれず、直に八座(尚書一級)の位子に至るまで做るも、末了に却って貶降に遭い、終竟實地を得ず、一處の正經なる住宅をも有さず。その後鄭子云は二十九歳に鄉試に擧を中し、三十五歳に又一次發解し、三十七歳に進士の第に登った。初任は臨安府教授、歷任して太學祕書郎・司業および工部・刑部の兩部の職を為るも、みな京官である。後來一語を以て秦檜と合わざるがために罷免せられた。
蓋乙祿在卯,迤邐歸亥長生之地,自亥至卯,一帶生旺,地支相連,祿神作太陽,朱雀作儀神,中末若不空,則五府之課,今既迤邐入近天門,故在朝八座也。子為紫微宮,亥為遠穹宮,亦主八座,退入空亡,主晚年謫降矣。
推斷の根據は:乙木の禄神は卯に在り、一路に退歸して亥のこの長生の地に至る。亥より卯に至るまで、一帯みな生旺の氣で、地支はまた相連なって断えず。禄神はまさに太陽の臨む所で、朱雀はまた儀仗の神と作す。中伝末伝もし空に落ちざれば、これはもと「五府」の貴格。今それは一路に退いて天門に臨近の位置に至るので、彼が朝中に於いて八座の官に至るまで做るを断ず。子は紫微宮で、亥は遠穹宮で、もみな八座の位を主る。ただ惜しむべくは退進して空亡の裏に去った――ゆえに彼の晚年に貶降に遭うを主る。
乙卯日・三義閣の棹面の響裂するを占めて何事に應ずるか(郭氏占案)
己巳年辰月乙卯日酉將未時在三義閣棹面忽響裂占應何事。 郭氏占案
己巳年辰月の乙卯日、「酉」(従魁)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起こす。当時人は三義閣の中に在り、桌面に忽然として一聲響き、裂け開いたので、因りてこの異兆が何の事に應ずるべきかを占問した。この案は郭氏『占案』から出る。
龍勾合朱 未申酉戌 龍虎勾空 鬼 庚申 勾 空午 亥蛇 未巳申午 財 壬戌 朱 虎巳 子貴 巳卯午乙 父 ◎子 貴 辰卯寅丑 常玄陰后
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:未は青竜を乗せ、申は勾陳を乗せ、酉は六合を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は螣蛇を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は天后を乗せ、寅は太陰を乗せ、卯は玄武を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は白虎を乗せ、午は天空を乗せる――未時は昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に午を見、午は天空を乗せる。第二課、午の上に申を見、申は勾陳を乗せる。第三課、日支の卯の上に巳を見、巳は白虎を乗せる。第四課、巳の上に未を見、未は青竜を乗せる。三伝:初伝の庚申は官鬼爻と為り、勾陳を乗せる。中伝の壬戌は妻財爻と為り、朱雀を乗せる。末伝の子は父母爻と為り、貴人を乗せ、「◎」は子が甲寅旬の中にまさに旬空に落ちるを表示す。
王牧夫曰:初德末貴,不是凶咎。當主有官人過,恐有火徵,少頃,左衛街南失火,運司出署救火,已驗。蓋申為官為風憲與支作合,主門外見也。干支皆火神,干乘火鬼,故主火。次日,僧人斗打,亦以申為僧,末見子與支成無禮刑,三傳知三事,已應二事。亦當測之,中傳火墓,支干皆火,亦主火也,初傳劫殺,事主迅速。
王牧夫が言うには:初伝の上に月徳を見、末伝の上に貴人を見るは、この一聲の響裂は凶咎ではなく、当に官員の經過するあるを主るべく、恐らくはなお火警の兆を帯ばん。一會を過ぐると、左衛街の南邊で火を失し、運司の衙門が署を出して火を救い、すでに應驗した。その中の道理は:申はすでに官人を主り、また風憲の職を主り、申は日支と相合するので、門外に見ると断ずる。日干日支の両邊はみな火神に属し、日干の上にまた火鬼を乘ずるので、火を主る。第二天に僧人が打架したも、また申を取りて僧と為す。末伝の子は日支の卯と無禮の刑を構成す。三伝はもともと三桩の事を預知し得、今兩桩に應じ、残る一桩もまたこの路數に照らして測るべし。中伝の戌は火の墓庫で、干支はまたみな火に属し、同じく火を主る。初伝の申は劫殺と為り、事情の來る迅急を主る。
乙卯日・捕捉を占う(直指)
正月乙卯日亥將申時占捕捉。 直指
正月の乙卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「申」時の上に加えて課を起こし、占うは賊人を捉え得るか否かである。この案は『六壬直指』から出る。
勾合朱蛇 申酉戌亥 合空朱龍 鬼 辛酉 合 龍未 子貴 酉午戌未 父 ◎子 貴 空午 丑后 午卯未乙 兄 乙卯 玄 巳辰卯寅 虎常玄陰
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:申は勾陳を乗せ、酉は六合を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は螣蛇を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は天后を乗せ、寅は太陰を乗せ、卯は玄武を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は白虎を乗せ、午は天空を乗せ、未は青竜を乗せる――申時は依然として昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に未を見、未は青竜を乗せる。第二課、未の上に戌を見、戌は朱雀を乗せる。第三課、日支の卯の上に午を見、午は天空を乗せる。第四課、午の上に酉を見、酉は六合を乗せる。三伝:初伝の辛酉は官鬼爻と為り、六合を乗せる。中伝の子は父母爻と為り、貴人を乗せ、「◎」は旬空を表示す。末伝の乙卯は兄弟爻と為り、玄武を乗せる。玄武はまさに盗賊の神で、それが末伝の卯の上に落ちるは、この課が賊を断ずるの著眼處である。
邵彥和曰:卯為玄武,上見午。賊自正東轉正南。卯六午九,此去五十四里。卯主樹木墳塋,稈上天空主藏窯穴中,中傳子克午,初傳酉克卯,必主擒獲。遇酉子日,即其期也。果驗。
邵彦和が言うには:卯の上に玄武を乘せ、卯の上神は午なので、賊は正東方より正南方に轉じて往った。卯の數は六、午の數は九で、六九の相乘、ここを離る五十四里。卯は樹木と墳塋を主り、その上にまた天空を乘ずるは、彼が身を窯洞土穴の中に蔵るを主る。中伝の子水が來りて午火を克し、初伝の酉金が來りて卯木を克すれば、賊は必ず擒獲せられる。應期は則ち酉日・子日に遇う時に在る。その後果たして應驗した。
丙辰(丙辰)日
丙辰日・丙寅の人が來意を占う(一字訣玉連環)
四月丙辰申將丑時丙寅人占。 一字訣玉連環
四月の丙辰日、「申」(傳送)を以て月将と為し、「丑」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は丙寅年生まれの人で、彼は問う所の何事を説かず、ただ占者に課の上より彼の來意を推し出すを請う。この案は『一字訣玉連環』から出る。
合勾龍空 子丑寅卯 玄朱陰合 兄 戊午 玄 朱亥 辰虎 午亥未子 子 丑 勾 ◎ 蛇戌 巳常 亥辰子丙 財 庚申 后 ⊙ 酉申未午 貴后陰玄
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:子は六合を乗せ、丑は勾陳を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は天空を乗せ、辰は白虎を乗せ、巳は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、未は太陰を乗せ、申は天后を乗せ、酉は貴人を乗せ、戌は螣蛇を乗せ、亥は朱雀を乗せる――丑時は夜に属し、丙日は夜貴を用い、貴人は酉の上に落ち、天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に子を見、子は六合を乗せる。第二課、子の上に未を見、未は太陰を乗せる。第三課、日支の辰の上に亥を見、亥は朱雀を乗せる。第四課、亥の上に午を見、午は玄武を乗せる。四課の中に辰が亥を克し亥が午を克するの兩處はみな下が上を賊するなので、例により日干の丙と同じく陽に属する午を取りて發用とす。ゆえに下文は「卦は比用を得たり」と説く。三伝:初伝の戊午は兄弟爻と為り、玄武を乗せる。中伝の丑は子孫爻と為り、勾陳を乗せ、「◎」は丙辰日が甲寅旬に属し、子丑の兩位が旬空なるを表示す。末伝の庚申は妻財爻と為り、天后を乗せ、傍らの「⊙」は原刻が別に加えた記号である。
徐次賓曰:來意主與鄰右無子婦女暗合事敗,不到官,至戊午日辰時,無事。
徐次賓が言うには:彼の來意は、隣家の一個の生育なき婦人と私下に染ある。事情はすでに敗露した。ただ官府に鬧じ到らず、戊午日の辰時に至って則ち事なし。
何知鄰右?卦得比用。何知無子婦人暗合?蓋丑時為日干三合,傳送為日干六合,帶天后主厭翳,六合為私門,又用起元武,名泆女卦,豈不是陰暗私通,申為嗣部,上得天后子水為旬空,故知無嗣婦人也。何知事敗?緣日上神后水為鬼,初傳玄武、末傳天后水,共來剋日,焉得不敗。何知終不到官,日上鬼空,又時空亡也。何知戊午日辰時無事?緣值事門與中傳大吉上得勾陳二土克水為今日救神,戊午日戊和勾陳大吉三土俱旺,至辰時水氣絕墓,觀二字加辰故知辰時無咎也。
どうして相手が鄰居なるを知るか。因りてこの課の得たるは「比用」なれば。どうして生育なき婦人と私通するを知るか。丑時は日干と三合を成し、傳送の申は日干と六合を成し、申の上にまた天后を帯び、天后は遮蔽掩藏を主る。六合はもと私門の神。發用の一位はまた玄武より起るは、これを「泆女卦」と叫ぶ。豈に暗中に私通するの象ならざらんか。申は子嗣を主る部位で、その上に天后を得、しかも天后の属する子水はまたまさに旬空に落ちるので、子嗣なき婦人と知る。どうして事情の敗露するを知るか。因りて日干の上神の天后は水に属し、丙火に於いて官鬼と為り、初伝の玄武・末伝の天后はまたみな水で、一齊に來りて日干を克すれば、どうして敗露せざらん。どうして終竟官府に鬧じ到らざるを知るか。因りて日干の上の鬼は空に落ち、占時はまた空亡に值すれば。どうして戊午日の辰時に便ち事なきを知るか。因りて值事の門と中伝の大吉の丑の上にみな勾陳を得、兩重の土が來りて水を克するは、まさに今日の救神。戊午日に至れば、戊土・勾陳・大吉の丑の三重の土が一齊に旺相し、辰時に至って水氣は絶に入り墓に入る。これ兩個の字を看て辰の上に加わるので、辰時に則ち咎害なきを知る。
丙辰日・孫興功が兩人の鄉試を占う(指南)
順治戊子八月丙辰日,餘住金陵時右方伯東省孫興功老師寫本日辰時,又寫酉時占兩人鄉試。 指南
順治戊子年八月の丙辰日。その時我(陳公献)は金陵に住み、山東の右方伯の孫興功老師が兩個の時辰を写して來り――本日の辰時、また酉時を写し――我に請いて兩位の應試の士子のために鄉試の成敗を占わしめた。この案は『六壬指南』から出る。
虎常 空巳午未申玄 青青勾勾 比 丁巳 勾 青辰 酉陰 辰辰巳巳 財 庚申 玄 勾卯 戌后 辰辰巳丙 父 甲寅 六 六寅丑子亥貴 朱蛇
これは辰時の一課の課體の圖。月将の辰を辰時の上に加うるに、天盤の十二支は各々本位に歸するので、「伏吟」の課である。外圈は十二支の乗ずる所の天将:巳は天空を乗せ、午は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は天后を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は螣蛇を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は六合を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は青竜を乗せる――辰時は昼に属し、丙日は昼貴を用い、貴人は亥の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に巳を見。第二課、巳の上は依然として巳。第三課、日支の辰の上に辰を見、辰は青竜を乗せる。第四課、辰の上は依然として辰。三伝:初伝の丁巳は比肩爻と為り、中伝の庚申は妻財爻にして玄武を乘せ、末伝の甲寅は父母爻にして六合を乘せる。巳位の天将は、外圈は天空と作し、四課と三伝の兩處は却って勾陳と標す。本書の後面の「某丁亥生が生産を占う」の一案は、課體がこれと全く同じで、そこは四課の天将がまさに「龍龍空空」と作る。ここにここの「勾」は刻誤で、巳の上は實に天空を乘ずるを證すべし。
陳公獻曰:辰時者前,列酉時者次之。蓋緣天罡為領袖之神,從魁幕貴在後(天罡乘龍為前五,從魁乘陰為後二),故云。及排辰時課,三傳巳申寅,干乘德祿,支見月將青龍(八月將在辰,乘龍臨支),又祿馬入傳(巳祿寅馬),凡士子已試後得伏吟,必中。
陳公献が言うには:辰時のこの課は前に排し、酉時のあの課はその次に列す。緣故は天罡(辰)が羣神を統領する領袖と為り、しかも從魁(酉)の上に乘ずるは帘幕貴人で、位次は後に在る――括注に説く:天罡は青竜を乘せ、貴人の前の第五位に居り、從魁は太陰を乘せ、貴人の後の第二位に居る――ゆえにこのように排定す。さらに辰時の一課を看る:三伝は巳・申・寅で、日干の上に日徳兼日禄を乘せ、日支の上に月将の青竜を見る(八月の月将は辰に在り、青竜は辰を乘じて日支に臨む)、禄神と驛馬はまたみな三伝に進む(巳は丙の禄、寅は驛馬)。およそ士子が試を考え終えた後に伏吟課を占得るは、必ず中を得る。
六勾青空 子丑寅卯 朱亥 辰虎 玄朱陰六 甲子 六 蛇戌 巳常 午亥未子 己未 陰 酉申未午 亥辰子丙 甲寅 青(似應是三傳午丑申) 貴后陰玄
これは酉時の一課の課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:子は六合を乗せ、丑は勾陳を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は天空を乗せ、辰は白虎を乗せ、巳は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、未は太陰を乗せ、申は天后を乗せ、酉は貴人を乗せ、戌は螣蛇を乗せ、亥は朱雀を乗せる――酉時は夜に属し、丙日は夜貴を用い、貴人は酉の上に落ち、天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙の上に子を見、子は六合を乗せる。第二課、子の上に未を見、未は太陰を乗せる。第三課、日支の辰の上に亥を見、亥は朱雀を乗せる。第四課、亥の上に午を見、午は玄武を乗せる。三伝の一欄は甲子(六合を乘ず)、己未(太陰を乘ず)、甲寅(青竜を乘ず)と写作し、初伝の子はまさに本年の太歳にしてまた旬空に落ちる。傍らの小注は「似るべし應じては三伝は午丑申」は、原刻がこの三伝の写法に疑を存する校語である。
酉時三傳子未寅也。初傳太歲空戰,墓貴又入墓庫(用夜貴酉,故亥為幕貴,臨辰為入庫),故次之。放榜時,辰時者陸可球中二十二名,酉時者常熟趙姓中副卷,此二者俱以時斷中也。
酉時のこの課の三伝は子・未・寅。初伝の子は本年の太歳なのに、却って旬空に落ちまた克戰を受け、帘幕貴人はさらに墓庫に入る――括注に説く:この課は夜貴を用いるに酉に在るので、亥は則ち帘幕貴人と成り、亥が辰の上に臨むは便ち入庫なり――ゆえにこの課は辰時の後に列す。榜を放つ時、辰時を用いて占ったあの陸可球は第二十二名に中り、酉時を用いて占った常熟の趙姓のあのはただ副榜に中った。兩人の中ると中らざるの高下は、みな写したるあの時辰に凭りて斷し出したる。
丙辰日・店を開くを占う(牧夫占験)
甲戌年十月丙辰日寅將午時占開店。 牧夫占驗
甲戌年十月の丙辰日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起こし、占うは店を開くの生意は如何。この案は『牧夫占験』から出る。
朱合勾龍 丑寅卯辰 玄蛇陰朱 鬼 ◎子 蛇 蛇子 巳空 申子酉丑 財 庚申 玄 貴亥 午虎 子辰丑丙 子 丙辰 龍 戌酉申未 后陰玄常
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:丑は朱雀を乗せ、寅は六合を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は青竜を乗せ、巳は天空を乗せ、午は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は天后を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は螣蛇を乗せる――午時は昼に属し、丙日は昼貴を用い、貴人は亥の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に丑を見、丑は朱雀を乗せる。第二課、丑の上に酉を見、酉は太陰を乗せる。第三課、日支の辰の上に子を見、子は螣蛇を乗せる。第四課、子の上に申を見、申は玄武を乗せる。三伝:初伝の子は官鬼爻と為り、螣蛇を乗せ、「◎」は丙辰日が甲寅旬に属し、子位の旬空なるを表示す。中伝の庚申は妻財爻と為り、玄武を乗せる。末伝の丙辰は子孫爻と為り、青竜を乗せる。申・子・辰は湊りて三合の水局を成すは、則ち下文の説く所の「潤下官鬼の局」である。
王牧夫曰:此開店之占,而得潤下官鬼之局,不甚旺相,雖有財,不見財。開了歇,歇了開,無利益也。問之,曰:三傳皆水有旋轉之象。此何店也?曰:豆腐店,故有象如此。三傳蛇傳龍,龍生蛇,故主開了歇,歇了開。到底是官鬼局,不成才也。
王牧夫が言うには:これは店を開くを占うに、却って潤下の官鬼水局を得、氣勢は幷ら旺相せず。財爻ありといえども、却って實在の財を見ず。この店は開きてまた歇き、歇きてまた開き、何の利益をも落さざる。ある人が彼にどう看て出したかを問えば、彼が言うには:三伝は全く水で、周りて復始し、旋轉して定まらざるの象あり。また何の店なるかを問えば、彼が言うには:豆腐店なり。ゆえにこのような象を現出す。三伝は螣蛇より青竜に傳え、青竜はまた頭を回らして螣蛇を生ずるので、開きてまた歇き歇きてまた開くを主る。歸根結底は官鬼が局を成し、終竟氣候を成し得ざる。
丙辰日・風水を占う(牧夫占験)
甲戌年十月丙辰日寅將巳時占風水。 牧夫占驗
甲戌年十月の丙辰日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起こし、占うは一處の墳地の風水の好壞である。この案は『牧夫占験』から出る。
合勾龍空 寅卯辰巳 后朱貴合 鬼 癸亥 貴 朱丑 午虎 戌丑亥寅 財 庚申 玄 蛇子 未常 丑辰寅丙 兄 丁巳 空 亥戌酉申 貴后陰玄
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:寅は六合を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は青竜を乗せ、巳は天空を乗せ、午は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は天后を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は螣蛇を乗せ、丑は朱雀を乗せる――巳時は昼に属し、丙日は昼貴を用い、貴人は亥の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に寅を見、寅は六合を乗せる。第二課、寅の上に亥を見、亥は貴人を乗せる。第三課、日支の辰の上に丑を見、丑は朱雀を乗せる。第四課、丑の上に戌を見、戌は天后を乗せる。三伝:初伝の癸亥は官鬼爻と為り、貴人を乗せる。中伝の庚申は妻財爻と為り、玄武を乗せる。末伝の丁巳は兄弟爻と為り、天空を乗せる。日支の辰の上に丑を見、丑の上にまた戌を見るは、一路みな土で、則ち下文の説く「支に純土を見る」である。
王牧夫曰:此地當有橋樑庵觀,但地形不周正耳,亦可用也。夫占風水,以支為地,干為人,干乘長生六合,支見純土,風水不礙,純土故可用。況三傳初貴末祿,夾財不見刑傷,其平穩之地可知也,但其間暗中要得財,始能成交耳。蓋丑乘朱雀,橋也;寅合亥,庵觀樓臺之象也;丑見戌相刑,主其地不周正也;暗中有人慾得財者,天空帶丁,寅亥閉口也。末傳為歸結,故言其象如此。
王牧夫が言うには:この地の上に当に橋梁と庵堂道觀あるべく、ただ地形が方正周整に足らず、ただなお用いる可し。風水を占うの通例は、日支を以てこの地を代表し、日干を以て地を用うる人を代表す。今日干の上に長生の神と六合を乘じ、日支の上に見る所はまた一色の土なれば、風水は妨礙なし。純土の象なので、用いる可しと説く。何况三伝の裏に初伝は貴人を乘じ、末伝は日禄で、中間に財爻を夾みて刑傷を見ざれば、一塊の平穏の地と知るべし。ただその間に暗裏に些かの錢財を使わんとし、やっとこの筆の交易を談じ成さん。細かく説けば:丑は朱雀を乘ずるは、橋なり。寅と亥は相合するは、庵觀樓臺の象。丑と戌は相刑するは、この地形の周正ならざるを主る。暗裏に人が錢財を索せんとすと説くは、因りて天空がまた丁神を帯び、寅と亥がまた閉口の象を成す。末伝は一課の歸結の處なので、断じ出したる形勢は此の如し。
丙辰日・邊事を占う(一針見血)
十月初一丙辰日卯將巳時占邊事。 一針見血
十月初一の丙辰日、「卯」(太冲)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起こし、占うは邊境の軍情である。この案は『一針見血』から出る。
勾龍空虎 卯辰巳午 蛇合朱勾 子 ◎丑 朱 合寅 未常 子寅丑卯 鬼 癸亥 貴 朱丑 申玄 寅辰卯丙 財 辛酉 陰 子亥戌酉 蛇貴后陰
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:卯は勾陳を乗せ、辰は青竜を乗せ、巳は天空を乗せ、午は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は天后を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は螣蛇を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は六合を乗せる――巳時は昼に属し、丙日は昼貴を用い、貴人は亥の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に卯を見、卯は勾陳を乗せる。第二課、卯の上に丑を見、丑は朱雀を乗せる。第三課、日支の辰の上に寅を見、寅は六合を乗せる。第四課、寅の上に子を見、子は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丑は子孫爻と為り、朱雀を乗せ、「◎」は旬空を表示す。中伝の癸亥は官鬼爻と為り、貴人を乗せる。末伝の辛酉は妻財爻と為り、太陰を乗せる。丑・亥・酉は一路に逆退するは、「退茹」の課で、三伝はまたみな陰に属するので、下文はそれを「極陰」と稱す。
祝泌奏曰:此課得退,名極陰,以此占邊,旄頭大煞在初傳,其占頌曰:丑卯求吉,吉凶便臨。則主邊疆平定之旨。今日再來游都,貴人在日後已隔三辰,虜已退,但上下游都皆入傳課,恐無厭再來,期在十二月。三傳一確定性無凶,宜不至大害,而不可忽也。
祝泌が上奏して言うには:この課の得たるは退茹で、名を「極陰」と曰う。それを以て邊事を占うに:旄頭の大煞は初伝に落ち、占頌に説く「丑卯に吉を求めれば、吉凶は便ち臨まん」、ならば主旨は邊疆は平定し可べし。今日游都の神が又一回来臨し、貴人は日辰の後にすでに三位を隔え、胡虜のすでに退去したを見る可し。ただ上游都・下游都がみな三伝と四課に進むは、彼らが貪得に厭きなくして還って再び來らんことを恐る。期限は十二月に在る。三伝は總的に看れば幷ら凶象なし(此の句の原文は「三伝一確定性無凶」と作し、「確定性」の三字は文義が通ぜず、当に訛脱あるべし)、大害を釀すに至らざるべしと應ず。但しまた輕忽する可からず。
丙辰日・郭御青が凌九弟のために生産を占う(郭氏占案)
丙子年十一月丙辰日寅將奪及時雨占生產。 郭氏占案
丙子年十一月の丙辰日、「寅」(功曹)を以て月将と為して課を起こし、占うは生産の事である。占時の一欄の原文は「奪及時雨」と作し、本書はおよそ「奪某時」と稱するはみな奪う所の時を取りて課を起こすなので、ここは時辰の字に訛脱あり、確かに指し難し。課體を以て反推すれば、用う所は当に辰時なり。この案は郭氏『占案』から出る。
勾龍空虎 卯辰巳午 蛇合朱勾 子 ◎丑 朱 合寅 未常 子寅丑卯 鬼 癸亥 貴 朱丑 申玄 寅辰卯丙 財 辛酉 陰 子亥戌酉 蛇貴后陰
刻する所の課體は前の一案(邊事を占う)と完全に相同じ。外圈:卯は勾陳を乗せ、辰は青竜を乗せ、巳は天空を乗せ、午は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は天后を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は螣蛇を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は六合を乗せる。四課は右より左へ:日干の丙の上に卯を見、卯は勾陳を乗せる。卯の上に丑を見、丑は朱雀を乗せる。日支の辰の上に寅を見、寅は六合を乗せる。寅の上に子を見、子は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丑は子孫爻にして朱雀を乘せしかも旬空に落ち、中伝の癸亥は官鬼爻にして貴人を乘せ、末伝の辛酉は妻財爻にして太陰を乘せる。下文がこの胎の男女と産期を断ずるは、著眼處はまさに日干の上の卯・日支の上の寅が六合を乘ずる、および初伝の丑が腹神と為りしかもまた空に落ちるのこの幾層に在る。
郭御青曰:餘為凌九弟占生產據常法,干上不比,三傳俱陰,似女。豈知太陽照宅,上乘六合,小兒之象。又干上卯,初傳丑夾月將於中,下臨本辰。丑為腹神,空,速產之象。若非本日必戊日。何也?天上丙寄申,下臨戊戌,丙火生戌土,乃真父子相見,果於本日丙辰戊戌時生男。
郭御青が言うには:我は凌九弟のために生産を代って占うに、通常の法則に照らして看れば、日干の上神は日干と相比和せず、三伝はまたみな陰支なので、女を生ずるに似る。どこに思い及ばんや月将の太陽がまさに宅の上に照し、宅の上の寅は還って六合を乘じ、六合はまさに小兒の象。さらに日干の上は卯・初伝は丑を看れば、月将の寅を當中に夾み、しかも寅の下にまた本日の日支の辰に臨む。丑は腹神で、偏偏旬空に落ちるは、まさに生産せんとするの象。もし本日に生まざれば、必ず戊日に生ず。何故。天盤の上に丙は申に寄り、申の下に戊戌に臨み、丙火は戌土を生ずるは、まさに父子が真個に相見る。その後果たして本日の丙辰の戊戌時に男孩を生んだ。
丙辰日・某丁亥生の人が生産を占う
某丁亥生占生產七月丙辰日午將午時。
某位の丁亥年生まれの人が來りて生産を占う。時間は七月の丙辰日、「午」(勝光)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起こす。月将と占時は同位なので、得たるは伏吟課である。
空虎常玄 巳午未申 龍龍空空 兄 丁巳 空 龍辰 酉陰 辰辰巳巳 財 庚申 玄 勾卯 戌后 辰辰巳丙 父 甲寅 合 寅丑子亥 合朱蛇貴
展平したる課體の圖。天盤の十二支は各々本位に歸するは、「伏吟」の課。外圈は十二支の乗ずる所の天将:巳は天空を乗せ、午は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、申は玄武を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は天后を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は螣蛇を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は六合を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は青竜を乗せる――午時は昼に属し、丙日は昼貴を用い、貴人は亥の上に落ち、天将は順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に巳を見、巳は天空を乗せる。第二課、巳の上は依然として巳。第三課、日支の辰の上に辰を見、辰は青竜を乗せる。第四課、辰の上は依然として辰。三伝:初伝の丁巳は兄弟爻と為り、天空を乗せる。中伝の庚申は妻財爻と為り、玄武を乗せる。末伝の甲寅は父母爻と為り、六合を乗せる。この課の課體は前面の順治戊子八月の丙辰日の辰時のあの一課と完全に相同じで、互いに參看し可べし。
邵彥和曰:產必生男了,母無事。丙以巳為日德,又秋令以辰為天喜作青龍,各加干支,故也。中傳申為支之長生,末傳寅為干之長生,是厚德載物矣,故母子無事。
邵彦和が言うには:この胎は必ず男を生じ、母親たるもまた平安無事。丙は巳を以て日徳と為し、秋令はまた辰を以て天喜と為して青竜を乘ずる。これ兩位はまさに分かれて日干と日支の上に加臨するので、此の断あり。中伝の申は日支の辰の長生の地で、末伝の寅は日干の丙の長生の地で、まさに厚徳の物を載する氣象なので、母子ともに恙なし。
丙辰日・伊伯一秀才が家宅を占う(一針見血)
己酉年九月丙辰日奪卯時伊伯一秀才壬申生三十八歲占家宅。 一針見血
己酉年九月の丙辰日、奪う所の卯時を取りて課を起こす。占を求むる人は伊家の伯一秀才で、壬申年生まれ、この年三十八歳、自家の宅子を占問した。この案は『一針見血』から出る。
龍勾合朱 午未申酉 龍空勾龍 鬼 癸亥 貴 空巳 戌蛇 午巳未午 兄 戊午 龍 虎辰 亥貴 巳辰午丙 兄 戊午 龍 卯寅丑子 常玄陰后
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:午は青竜を乗せ、未は勾陳を乗せ、申は六合を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は螣蛇を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は白虎を乗せ、巳は天空を乗せる――卯時は昼に属し、丙日は昼貴を用い、貴人は亥の上に落ち、天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に午を見、午は青竜を乗せる。第二課、午の上に未を見、未は勾陳を乗せる。第三課、日支の辰の上に巳を見、巳は天空を乗せる。第四課、巳の上に午を見、午は青竜を乗せる。第一課と第四課は重出し、四課はただ三課を成ずるのみで、「別責」の課である。陽日は日干の合神(丙は辛に合い、辛は戌に寄る)の上神の亥を取りて發用とし、中末の兩伝はともに日干の上神の午を用う。三伝:初伝の癸亥は官鬼爻と為り、貴人を乗せる。中伝・末伝はともに戊午で、兄弟爻と為り、青竜を乗せる。
邵彥和曰:此課別責昴星,自亥至午,午至亥皆是老陰、少陰並不行陽道。喜得今年來年行年尚陽位,後年災生必有殃咎。將後老陰長壽,少陰可保,難為六十以下三十以上人。日上午上陽刃,午與未合又臨午上,眷屬亦難保。除是外者,可以居此。中年男女皆難保,除是更改,卻不見如此也。
邵彦和が言うには:この課は別責で(原文は兼ねて「昴星」の名を擧ぐ)、亥より午に數えて、再び午より亥に數えるは、走るは全く老陰・少陰の位置で、一点も陽道を行かざる。所幸は今年・明年に彼の行年はなお陽位の上に在り、後年に至って災禍が一たび起れば、必ず殃咎あるべし。往後に家中の老陰の人は長壽し得、少陰の人もまた保ち得、最も保ち難きは六十歳以下・三十歳以上の人。日干の上の午は陽刃で、午はまた未と相合して午の上に臨むは、眷属もまた保全し難し。外姓の人たるに非ざれば、やっとこの宅子に住む可し。中年の男女はみな保ち難く、居處を改換するに非ざれば、やっとこの地步に落ちず。
壬子年一秀才,弟兄三人,有祖母及母在堂,父五十一歲,已喪,遂驚懼而移居。丙辰年,伯一秀才之妻又死,丁巳年方盡行遷移,祖母方死。先生謂三十以上,六十以下難保,果如是也。課中只有亥為老陰,午為少陰,惟老少可存,若中年人皆不上,課盡為昴星,虎視所食,自移居後卻有外嫁姊妹來居此屋無事。
後來の應驗は:壬子年に、この家の秀才は弟兄三人で、祖母と母親はみな堂に在り、父親は五十一歳の上にすでに過世し、一家人はこれにより驚懼して家を搬した。丙辰年に、伯一秀才の妻子はまた死した。丁巳年に至ってやっと全部を遷り終え、祖母はこの時にやっと去世した。邵先生が三十以上・六十以下の人は保ち難しと説くは、果たして此の如し。課の中にただ亥が老陰で午が少陰なので、ただ老者・少者のみ能く存す。中年人に至っては、課の上に一處も照應するに到らざる。全課は昴星の象で、白虎が吞食せんとする獵物を盯住するが如し。搬り去って以來、却ってすでに出た姉妹がありて來りてこの屋子に住み、平安無事。
丙辰日・邵彦和が自ら動靜を占う(方本占案・口鑑)
戊申年十月丙辰日卯將子時自占動靜。本命乙巳年十月十八是亥時生,六十四歲。 方本占案、口鑑
戊申年十月の丙辰日、「卯」(太冲)を以て月将と為し、「子」時の上に加えて課を起こすは、邵彦和が自ら己が動靜を占う――走るべきか留るべきか。彼の本命は乙巳年十月十八日の亥時生まれで、この年六十四歳。この案は方本『占案』と『口鑑』に見ゆ。
朱蛇 六申酉戌亥貴 陳未 子后 蛇陳貴六 財 庚申 六 龍午 丑陰 戌未亥申 官 癸亥 貴 空巳辰卯寅玄 未辰申丙 父 甲寅 玄 虎常
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:申は六合を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は螣蛇を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は白虎を乗せ、巳は天空を乗せ、午は青竜を乗せ、未は勾陳を乗せる――貴人は亥の上に落ちるは、則ち丙日の昼貴で、天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に申を見、申は六合を乗せる。第二課、申の上に亥を見、亥は貴人を乗せる。第三課、日支の辰の上に未を見、未は勾陳を乗せる。第四課、未の上に戌を見、戌は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の庚申は妻財爻と為り、六合を乗せる。中伝の癸亥は官鬼爻と為り、貴人を乗せる。末伝の甲寅は父母爻と為り、玄武を乗せる。申・亥・寅の三位にさらに日干の寄宮の巳を連ねれば、恰も一圈の互いに長生と為るを成す(金は巳に長生し、水は申に長生し、木は亥に長生し、火は寅に長生す)。下文の断語はまさにこの一層より説き起る。
邵彥和曰:我自占動靜,今申生於巳,亥生於申,寅生於亥,巳生於寅,宅上又是勾陳入廟,至辛亥年十月方得身動。日往當往東北,近二百里。又轉西北晚處,終於東北之上,年六十九矣。果辛亥十月十七辛巳起行,過婺州,自鄉里行一百八十里,壬子年過嚴州,自鄉中從東北過西北,癸丑又到婺州,終於衙中。
邵彦和が言うには:我は自ら己が動靜を占う。今金は巳に長生し、水は申に長生し、木は亥に長生し、火は寅に長生し、申・亥・寅と日干の寄宮の巳とが首尾相生して、轉じて一圈を成す。宅の上はまた勾陳が廟に入り、牢牢として守るので、辛亥年十月に至ってやっと身を動かし得。身を動かした後は当に東北に往くべく、將近に二百里。再び西北に轉じ、暮年に腳を落し、最後は依然として東北方向に終老す。その年六十九歳。その後果たして:辛亥年十月十七の辛巳日に程を起ち、婺州を路過し、家郷より一百八十里を走る。壬子年に嚴州を過ぎ、東北より西北に轉じて往く。癸丑年にまた婺州に到り、最後は衙署の中に死した。
蓋丙以申為妻,巳與申合,又作六合,更未作勾陳,在本家所以戀家,卒難脫解。至辛亥年巳亥相沖,而寅申又沖,十月又是亥月,三個亥沖巳,又寅馬加亥,得沖而動,所以能行動於東北者,乃寅馬合亥,雖脫得沖則行也。癸丑死者,老人五行投生方也。一曰,未加辰宅,辰加丑上,辰為歲之墓也。直指引右鑑云:將為將為身,時為命。卯將子時乃卯六子九之數。
その故を細説すれば:丙は申を以て妻財と為し、巳と申は相合し、申の上にまた六合を乘じ、さらに未が勾陳を乘じて本家に守るを加うれば、彼は家に戀して、終竟身を脫し難し。辛亥年に至れば、巳と亥は相冲し、寅と申は相冲し、十月はまたまさに亥月で、三個の亥が來りて巳を冲し、寅の上の驛馬はまた亥の上に加わり、冲激を得てこれをもってやっと身を動かす。先ず東北に走る所以は、因りて寅馬が亥と相合するがため、身を脫せんと欲するも、冲を得れば便ち行く。癸丑年に死すると説くは、老人の五行が方位に投生するの緣故。もう一説:未は日支の辰のこの宅位の上に加わり、辰はまた丑の上に加わり、辰は太歳の墓庫なり。『六壬直指』が『右鑑』を引いて説く:月将は身と為り、占時は命と為る。卯将を子時に加うれば、則ち卯の數は六、子の數は九で、合成して六十九と為り、まさに彼の終年の歳數に應ず。
愚按:邵公占動靜何故斷及六十九而終?老人五行投生方之句殊屬不祥,古鑑之言更無謂之極矣。辰為歲墓加丑亦似是而非。總之,是後人推測之語勉強附會也。
程樹勳が按ずるに:邵彦和の占う所はもと動と靜なのに、どうして六十九歳に終老するに断じ到るか。「老人の五行が方に投生す」の一句は甚だ不吉利なり。『古鑑』の講ずる所はさらに毫も道理なきの極み。「辰は太歳の墓にして丑の上に加わる」に至っても、また是に似て非なる。總じて言えば、これらはみな後人の推測の詞で、勉强して附會し上げたる。
丙辰日・萊陽の遲公が京に在りて偶々占う(指南)
崇正辛未年四月丙辰日酉將午時萊陽遲公在京考選相會時偶占。 指南
崇正(即ち崇禎、本書は避諱して改稱す)辛未年四月の丙辰日、「酉」(從魁)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起こす。山東萊陽の遲公は京城に在りて考選を等候し、人と相會する時に手を隨って起したる一課。この案は『六壬指南』から出る。
朱蛇 六申酉戌亥貴 陳未 子后 蛇陳貴六 財 庚申 六 龍午 丑陰 戌未亥申 官 癸亥 貴 空巳辰卯寅玄 未辰申丙 父 甲寅 玄 虎常
刻する所の課體は前の一案と完全に相同じ――酉将を午時に加うるは、卯将を子時に加うるに推し出すは同一個の天地盤である。外圈:申は六合を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は螣蛇を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は白虎を乗せ、巳は天空を乗せ、午は青竜を乗せ、未は勾陳を乗せる。四課は右より左へ:日干の丙の上に申を見、申は六合を乗せる。申の上に亥を見、亥は貴人を乗せる。日支の辰の上に未を見、未は勾陳を乗せる。未の上に戌を見、戌は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の庚申の妻財爻は六合を乘せ、中伝の癸亥の官鬼爻は貴人を乘せ、末伝の甲寅の父母爻は玄武を乘せる。財・官・驛馬が依次に伝に入る(申は財と為り、亥は官と為り、寅は丙日の驛馬)は、まさに下文の断語の立足する處である。
陳公獻曰:傳將財官驛馬(初傳申財,中傳亥官,末傳寅馬),城吏遞互相生,大吉。芝翁曰:曰:此公已攖重戮,付刑部獄,生全即出望外,矧敢非乎?曰:月德發傳,中傳貴絕,末見長生,此為絕處逢生,支上皇恩化戌,斗罡居命,指日出獄,難免謫戍,然後來仕途顯遠。思宗因旱祈雨,壬戌日赦文武大臣七人,此公在赦內。後知為張逢玄先生也。十二年後,果歷仕途顯要,今為少冢宰,尋轉大司空。
陳公献が言うには:三伝の帯ぶる所はまさに財・官・驛馬(初伝の申は財と為り、中伝の亥は官と為り、末伝の寅は驛馬)で、城神と吏神はまた遞相に化生す。これは大吉の課である。芝翁が言うには:この位はすでに身が重罪を犯し、刑部の大獄の裏に關えられ、性命を保ち得るはすでに人の意外を出る。どうしてなお敢えてほかを指望せん。陳公献が答えるには:月徳は初伝に於いて發用し、中伝の貴人は雖も絶地に臨むも、末伝に却って長生を見るは、これを絶處に生に逢うと叫ぶ。日支の上に皇恩の神が戌位に化入し、斗罡はまた本命に居る。日を経ざれば便ち獄を出る可し。ただ謫戍して邊地に往くを免かれ難きのみ。此の後の仕途は反って顯達高遠。その後思宗(崇禎帝)は大旱により雨を祈り、壬戌日に文武の大臣七人を赦免し、この位はまさに赦免の列に在った。事後にやっと彼が則ち張逢玄先生なるを知った。十二年の後、彼は果たして顯要を歷任し、今吏部侍郎(少冢宰)に至るまで做り、久しからずしてまた工部尚書(大司空)に轉任した。
丙辰日・江永の蘭翁が風潮を占う(牧夫占験)
乾隆辛巳年七月丙辰日午將卯時江永蘭翁有鹽在場因連日風大恐有風潮托占之。 牧夫占驗
乾隆辛巳年七月の丙辰日、「午」(勝光)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起こす。江永の蘭翁は一批の鹽を鹽場の上に堆み、連日の大の大風により、風潮が起こって鹽を冲すを怕れ、人に託して來りて占わしめた。この案は『牧夫占験』から出る。
朱蛇 六申酉戌亥貴 陳未 子后 蛇陳貴六 財 庚申 六 龍午 丑陰 戌未亥申 官 癸亥 貴 空巳辰卯寅玄 未辰申丙 父 甲寅 玄 虎常
刻する所の課體は前の兩案と相同じ――午将を卯時に加うるに、天盤は依然として地盤より三位を進んだ。外圈:申は六合を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は螣蛇を乗せ、亥は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、丑は太陰を乗せ、寅は玄武を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は白虎を乗せ、巳は天空を乗せ、午は青竜を乗せ、未は勾陳を乗せる。四課は右より左へ:日干の丙の上に申を見て六合を乘せ、申の上に亥を見て貴人を乘せ、日支の辰の上に未を見て勾陳を乘せ、未の上に戌を見て螣蛇を乘せる。三伝:初伝の庚申の妻財爻は六合を乘せ、中伝の癸亥の官鬼爻は貴人を乘せ、末伝の甲寅の父母爻は玄武を乘せる。風潮を占うに看る所は、日支の辰・上神の未・再上の戌の一路の純土が能く水を制し、亥は海水と為りしかも上に寅木を乘じてそれと相合し、および丑と戌が相刑してまたみな旬空に落ちるのこの幾處である。
王牧夫曰:海潮無礙,惟淮徐之地,恐有沖決。蓋支辰純土能制四維之水,三傳遞生箕星雖克支,支上未乃木墓,又土多不易剋制,故主漲潮無患也。亥為海水,上乘寅木作合,尚有和氣,亦不至是。淮徐之地恐有沖決者,傳生風伯,又是閉口,主風大傷人。丑戌相刑,又逢旬空,此處空虛,故風得搖盪。丑戌者,徐揚之分野也。次日,邵伯鎮倒口,果驗。
王牧夫が言うには:海潮は事を礙げず、ただ淮・徐の一帯に、恐らく堤防を冲決するの事あらん。緣故は:日支の辰は一色の土で、能く四維の水を制住す。三伝は雖も遞相に化生して風を主る箕星を生起し、箕星がまた來りて日支を克すも、しかも日支の上の未は木の墓庫で、土氣はまた多きを以て、容易に克動せられざる。ゆえに潮の漲るに患なし。亥は海水で、その上に寅木を乘じてそれと相合す。なお一團の和氣ありて、また災を成すに至らざる。淮・徐の一帯に冲決あるを恐ると説くは、因りて三伝が風伯の神を生起し、また閉口に逢い、大風が人を傷することを主る。丑と戌は相刑して、兩位はまたみな旬空に落ち、あの一帯はまさに空虚の處に當り、風は便ちそこに於いて搖蕩を得。丑・戌の兩位は、まさに徐州・揚州の分野。その後邵伯鎮は果たして口を決し、應驗した。
丙辰日・祝泌が旨を奉じて再び占う(一針見血)
淳祐七年八月初一丙辰日奉旨再占前月十二戊戌日事具奏,巳將子時。 一針見血
宋理宗淳祐七年八月初一日、丙辰日、祝泌は皇帝の旨意を奉じ、上月十二日の戊戌のあの天に占った事を就きて再び一たび占い、しかも本を具して上奏した。「巳」(太乙)を以て月将と為し、「子」時の上に加えて課を起こす。この案は『一針見血』から出る。
蛇朱合勾 戌亥子丑 龍貴空蛇 父 甲寅 龍 貴酉 寅龍 寅酉卯戌 子 己未 陰 后申 卯空 酉辰戌丙 鬼 ◎子 合 未午巳辰 陰玄常虎
展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:戌は螣蛇を乗せ、亥は朱雀を乗せ、子は六合を乗せ、丑は勾陳を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は天空を乗せ、辰は白虎を乗せ、巳は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、未は太陰を乗せ、申は天后を乗せ、酉は貴人を乗せる――子時は夜に属し、丙日は夜貴を用い、貴人は酉の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の丙(寄宮は巳に在る)の上に戌を見、戌は螣蛇を乗せる。第二課、戌の上に卯を見、卯は天空を乗せる。第三課、日支の辰の上に酉を見、酉は貴人を乗せる。第四課、酉の上に寅を見、寅は青竜を乗せる。三伝:初伝の甲寅は父母爻と為り、青竜を乗せる。中伝の己未は子孫爻と為り、太陰を乗せる。末伝の子は官鬼爻と為り、六合を乗せ、「◎」は子が甲寅旬の中にまさに旬空に落ちるを表示す。子はまさに丙日の胎神で、六合はまた小兒を主る。これは下文が「國本胚胎」と断ずるの根據である。
祝泌奏曰:子為今日六丙之胎,六合主小兒為陽生之胎,此在行年之上,若不入課猶未為奇,今在末傳,此課之收藏也,主國本胚胎。況發用青龍主喜慶,尋常寅加酉亦有喜事,又值月建之位仰,惟陛下親自卜筮,其課得此是誠為宗社之福。
祝泌が上奏して言うには:子は今日の丙火の胎神で、六合はまた小兒を主る。まさに陽氣の初生する胎なり。この一位はまた行年の上に落ちる。それはもし四課三伝に入らざれば、なお奇と算するに足らざる。今偏に末伝に落ち、末伝は一課の收藏歸結する地方で、國家の根本がまさに孕育の中に在るを主る。何况發用の一位は青竜を乘じ、喜慶を主る。平常に寅が酉の上に加わるもまた喜事あるを主る。この一位はまたまさに月建の臨む所の處に當る。ただ願わくは陛下が自ら卜問して、このような一課を得んことを。實に宗廟社稷の福分なり。
丁巳(丁巳)日
丁巳日・某が病を占う(方本占案)
五月丁巳日未將寅時某占病。 方本占案
五月の裏の丁巳日、五月の行う所の月将「未」を用いて占時の寅の上に加えて天盤を排出し、某人が前來して疾病を占問した。ここの「未」は月将の小吉の未で、当月の太陽の在する所の宮位を指し、「寅時」はやっと課を起こす時辰で、兩者の相加してやっと天盤の位置を定出す。この案は『方本占案』より録す。
朱六/蛇戌亥子丑陳/貴酉 寅龍 空蛇常六 兄 丁巳 常/後申 卯空 卯戌巳子 子 壬戌 蛇/陰未午巳辰虎 戌巳子丁 父 乙卯 空/玄常
天盤の十二天将の分布は:螣蛇は戌を乘じ、朱雀は亥を乘じ、六合は子を乘じ、勾陳は丑を乘じ、青竜は寅を乘じ、天空は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、太常は巳を乘じ、玄武は午を乘じ、太陰は未を乘じ、天后は申を乘じ、貴人は酉を乘ず。課式の裏に用うる簡稱は、「朱」は朱雀、「六」は六合、「蛇」は螣蛇、「陳」は勾陳、「貴」は貴人で、此の課の中にそれらは分かれて亥・子・戌・丑・酉の這幾個の地支の上に臨む。その余の簡稱の通例は:常は太常、后は天后、玄は玄武、空は天空、陰は太陰、虎は白虎、龍は青竜。四課は右より左に數う:日干の丁は未に寄り、未の上に子を得て六合を乘ずるは、第一課。子の上に巳を得て太常を乘ずるは、第二課。日支の巳の上に戌を得て螣蛇を乘ずるは、第三課。戌の上に卯を得て天空を乘ずるは、第四課。三伝は初伝の巳が太常を乘じ、旬遁して丁巳を得、丁火に在って兄弟と為り。中伝の戌は螣蛇を乘じ、旬遁して壬戌を得、子孫と為る。末伝の卯は天空を乘じ、旬遁して乙卯を得、父母と為る。
邵彥和曰:主病人狂言發喘而死,巳作常為用,主言語。丁日巳用皆火,中又蛇乘戌加巳,是火加旺地,故主發狂。火墓戌,陰氣盡也。凡人以內陰氣為主,陰日養陽,今已絕,則陽氣上攻,而不能生陰,陰絕陽弱,更主發喘,果狂言發喘而死。
邵彦和が言うには:この課は病人が胡話を説き氣喘して死するを主る。初伝の巳が「太常」を乘じて發用す。太常は言語聲音を主るので、病象は先ず口舌の上より顯れ出る。丁日の日干は火に属し、發用の巳もまた火に属す。中伝はまた「螣蛇」が戌を乘じて巳の上に加わる――螣蛇はもと火神で、戌はまた火の墓庫で、今火の最も旺なる巳位の上に加わるは、等しく火の上に火を添う。火氣は逼進して極旺の地に至るので、病人の狂亂語を發することを主る。火は戌に墓し、火が一たび墓に入れば、便ち陰氣の収盡するの象。人身は内在の陰氣を以て根本と為し、全く陰氣に一天一天陽氣を涵養するを頼む。今陰氣はすでに絶し、陽氣は収斂する所なく、ただ上に向かって冲逆する能く、また頭を回らして陰氣を滋生するに過ぎ難し。陰はすでに斷絶し陽はまた孤弱なれば、さらに氣喘の接が來らざるを主る。その後果たして狂言し喘を發して死した。
丁巳日・涂松亭が彭南溟の升遷を占う(指南)
崇正丁卯年正月丁巳日子將卯時京營參將塗松亭先生占彭南溟升遷。 指南
崇正(即ち崇禎)丁卯年正月の丁巳日、月将「子」を用いて卯時の上に加えて課を起こす――正月の裏の中氣雨水は未だ節を交えざれば、ゆえに依然として大寒より後の子将の神后を沿用す――京營參將の涂松亭先生が彭南溟のために升遷の事を占問した。この案は『六壬指南』から出る。
勾青/六寅卯辰巳空 貴六常青 鬼 癸亥 貴/朱丑 午虎 亥寅丑辰 財 庚申 玄/蛇子 未常 寅巳辰丁 兄 丁巳 空/貴亥戌酉申玄/後陰
天盤の諸将は:螣蛇は子を乘じ、朱雀は丑を乘じ、六合は寅を乘じ、勾陳は卯を乘じ、青竜は辰を乘じ、天空は巳を乘じ、白虎は午を乘じ、太常は未を乘じ、玄武は申を乘じ、太陰は酉を乘じ、天后は戌を乘じ、貴人は亥を乘ず。丁日の貴人は昼は亥に在り夜は酉に在り、卯時は白昼に属するので、亥の上の昼貴を取る。貴人の臨む所の地盤は寅で、順行の位に属し、その余の諸将は便ち依次に順布す。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に辰を得て青竜を乘じ、辰の上に丑を得――ここは源文は太常と標して、天将の圈の中の丑の上の乗ずる朱雀と合わず、訛字あるを疑う――日支の巳の上に寅を得て六合を乘じ、寅の上に亥を得て貴人を乘ず。三伝は初伝の亥が貴人を乘じ、遁干は癸亥、亥水は丁火を克して、日干に於いて官鬼と為り。中伝の申は玄武を乘じ、遁干は庚申、妻財と為る。末伝の巳は天空を乘じ、遁干は丁巳、兄弟と為る。升遷を占うに最も官星を重んず。此の課は官鬼が頭に當りて發用するは、まさに著眼處なり。
陳公獻曰:太歲月建生日,目今必然遷擢,多是山環水繞之地。蓋支為任所,寅艮為山,與亥水相合,故應此也。蒿矢逢金即箭有簇,又貴德驛馬入傳,財官城吏全逢,催官迅速之象。但忌日之陰陽制官,須防陳王田姓人為祟。癸亥日隨授南京巡捕營都司,未幾田大司馬以添注參將罷之。
陳公献が言うには:太歳と月建はみな來りて日干を生扶し、眼下必ず升遷し、しかも新の任所は多半は山環水繞の地方。因りて日支は任する所の地を代表し、支の上に寅を得、寅は八卦に於いて艮に属し、艮は山と為る。寅はまた亥水と相合し、山と水は交會するので、應じてこのような去處を出す。此の課の課體は「蒿矢」に属し、蒿矢はもと鏃なきの箭で、今金氣に逢い、就好比く箭の上に箭鏃を裝め、力量はやっと實處に落つ。さらに貴人・天徳・驛馬が一齊に三伝に入り、妻財・官星と主管する城邑と吏職の諸神を連ねて全く湊齊するは、みな官を催す神の催する緊く、升遷の來る快きの徵象。忌む所は日干の陰神・陽神が反って來りて官星を克制する――姓が陳・姓が王・姓が田の人が中より梗を作るを須く提防せよ。その後癸亥日に至り、彭南溟は隨いで南京巡捕營都司に授けられ。幾ほどなくして、田大司馬は便ち「添注參將」の名義を以て彼を罷免した。
丁巳日・童保儀が宅を占う(口鑑・方本占案)
建炎戊申年六月丁巳日未將酉時童保儀丁巳生五十二歲占宅。 口鑑 方本占案
建炎戊申年、即ち南宋高宗建炎二年、六月の丁巳日、月将「未」を用いて酉時の上に加えて課を起こす――六月の中氣大暑は還って到らざれば、ゆえに仍うとして夏至より後の未将を沿用す。占者の童保儀は丁巳年生まれの人で、この年五十二歳、來りて自家の住宅の吉凶を占問した。この案は『口鑑』と『方本占案』ともに收錄す。
虎常/空卯辰巳午玄/龍寅 未陳 陰空空常 子 空丑 陳/陳丑 申丑 丑卯卯巳 鬼 癸亥 朱/六子亥戌酉貴 卯巳巳丁 財 辛酉 貴/朱蛇
天盤の諸将は:天空は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、太常は巳を乘じ、玄武は午を乘じ、貴人は酉を乘じ、螣蛇は戌を乘じ、朱雀は亥を乘じ、六合は子を乘じ、勾陳は丑を乘じ、青竜は寅を乘ず。未の上・申の上の兩位は源文の標した字に訛誤あり、貴人の順行の次第に按じて推算すれば、應当に太陰が未を乘じ天后が申を乘ずべし。酉時は夜に属し、丁日の夜貴は酉に在るので、貴人は酉の上に臨む。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に巳を得て太常を乘じ、巳の上に卯を得て天空を乘じ、日支の巳の上に同じく卯を得て天空を乘じ、卯の上に丑を得――ここは源文は太陰と標して、三伝の中の丑の乗ずる勾陳と一致せず、姑く幷存して改めず。三伝は初伝の丑が勾陳を乘ず――丁巳日は甲寅旬の中に在り、子・丑の二支はまさに旬空に當るので、ただ「空丑」と写して遁干なし――丑土は丁火に在って子孫と為る。中伝の亥は朱雀を乘じ、遁干は癸亥、官鬼と為る。末伝の酉は貴人を乘じ、遁干は辛酉、妻財と為る。
邵彥和曰:此課六陰相繼,更無陽神,更六月建未,又是陰月,丁巳又是陰,命從此衰敗不振;兼婢不測,殞命於廁;丁巳二火,自旺方遞歸死絕之地,宅前有大樹枯朽,若不去之,閒事相擾;主有一子患腹氣,又不合將後閣為豬圈,豬盛克人;四年敗,六年敗盡也。
邵彦和が言うには:この課は陰神が一位に接いで一位、六位が相連なり、中間に竟に一個も陽神なし。また六月の月建が未に逢う――未月はもと陰月に属し、日辰の丁巳の丁と巳はまたみな陰に属す――陰氣は堆疊してこの般の地步に至れば、この一家の氣數はこれより便ち衰敗して振わざらんとす。還って家中の婢女が意外に遭い、廁所の裏に殞命するを主る。丁と巳の兩重の火は、各自に最も旺なる地より一路に遞退して、死絶の郷に歸入す。宅前に大樹の枯朽あるに應ず。あの樹はもし砍り去らざれば、閑雑の是非が接連して門に找め來る。また一個の兒子が腹中の氣疾を患えるを主る。さらに後面の閣樓を改めて猪圈と作す可からず。猪の養う越旺なれば、越家裏の人を克傷せんとす。この課に照らして推算すれば、第四年の上に敗落を始め、第六年の上に敗れて乾淨ならん。
童保儀因地方寇發,遂得名目,自後成家興旺;及先生與占,卻雲四年敗,六年敗盡也,彼不深信。本年十月一婢上廁,不覺墜死廁中。宅前有二百年大楓樹,已枯朽大半,繫族人祖墳。閱此更妙,卯陰上得丑為墓,日治得朱,暮治得勾,且又發用,是以主閒事相擾。十二月外鄉一人來樹下自縊。其第二子常患疝氣,其家屋寬,兄弟分出,去後無人居住,遂以後閣養豬。第四年拆四邊屋賣,六年果敗盡。僅存五口,移出店屋居住。
童保儀は早年に地方の上で盗賊が事を起したがために、軍功に靠りて一個の名分を得、此の後產を置き家を成し、甚だ興旺なり。邵先生が彼のためにこの課を代占するに及んで、却って彼が四年の上に敗れ六年の上に敗れ盡くすと断ずるに、彼は心の裏に幷ら甚だ信ぜず。則ち当年の十月に、一名の婢女が廁所に上り、一たび足を失して跌き入りて廁の中に淹れ死した。宅前のあの株の二百年の大楓樹は、早已大半が枯朽し、樹の下はまさに族人の祖墳。ここに看てさらにこの課の精妙なるを覺えた:卯の陰神の上に丑を得、丑は木の墓庫。この一位は白天に課を起こす時は朱雀を乘じ、夜裏に課を起こす時は勾陳を乘じ、朱雀は口舌文書を主り勾陳は爭鬪官非を主る。偏にまたまさに發用の初伝なので、閑雑の是非が接連して來りて擾るあるを斷定す。十二月に至り、外郷の人が走って來りてあの株の樹の下に上弔した。彼の第二個の兒子は常年に疝氣を患う。彼の家の屋宇は寛敞で、兄弟が家を分けて搬り出し去り、空き下りて人居る者なしに、則ち後閣を拿りて來りて猪を養う。第四年の上に四邊の房屋を拆き掉して變賣し、第六年に果たして敗れて精光なり。全家はただ五口の人を剩して、臨街の店屋の裏に搬りて往きて住んだ。
大凡丑亥酉卯此四支,先生皆以極陰;丁巳日又傳歸陰方絕地,宅上卯,末傳酉,俱六數,故主六年敗盡。此斷家宅,故取宅上神,酉為歸計門,是以取此二處決之也。加於巳亥上,亦四年之數。甲寅旬乙卯為真木一作卯加巳為真木,故有大樹在門。天空主朽;丑為閣,亥加丑上,故養豬;酉加亥為今日死神,酉為婢,亥為廁,故主婢死於廁也。丑為墳墓,卯為門樹,亥是樓閣。
大凡に丑・亥・酉・卯の這四個の地支は、邵先生は一概に極陰の支と看作す。丁巳日の三伝はまた一路に陰方の絶地に歸入す。宅の上に卯を得、末伝に酉を得、卯より酉に數うはまさに六位の數なので、六年の上に敗れ盡くすを断ず。この課の断ずる所は家宅なれば、ゆえに宅の上の神を取りて看るを要す。酉はまた「歸計門」と叫び、収束歸結を主るので、宅の上と末伝の這兩處を拿りて來りて決斷す。これ兩位を分かれて巳・亥の上に加えて推算すれば、また四年の數を得出す。丁巳日は甲寅旬に属し、旬の中の乙卯は真木なり(一本は卯が巳に加わるを真木と作す)。ゆえに門前に大樹あり。天空の神は朽壞を主り、あの樹は便ち枯朽のなり。丑は閣樓と為り、亥は丑の上に加わるので、後閣を用いて猪を養う。酉は亥の上に加わるは、当日の死神。酉は婢女を主り、亥は廁所を主るので、婢女が廁の中に死するを主る。總じて言えば、丑は墳墓を主り、卯は門前の樹を主り、亥は樓閣を主り、一一にみな著落あり。
丁巳日・風燭を占う(一針見血)
二月初五丁巳日亥將子時占風燭。 一針見血
二月初五のこの天は丁巳日、月将「亥」を用いて子時の上に加えて課を起こす――二月の中氣春分は未だ節を交えざれば、ゆえに仍うとして雨水より後の亥将の登明を用う――風災火患を占問した。この案は『一針見血』から出る。
龍勾合朱/辰巳午未 空龍勾合 父 乙卯 空/空卯 申蛇 卯辰巳午 父 甲寅 虎/虎寅 酉貴 辰巳午丁 子 ◎丑 常/丑子亥戌/常玄陰后
天盤の諸将は:青竜は辰を乘じ、勾陳は巳を乘じ、六合は午を乘じ、朱雀は未を乘じ、螣蛇は申を乘じ、貴人は酉を乘じ、天空は卯を乘じ、白虎は寅を乘じ、太常は丑を乘じ、玄武は子を乘じ、太陰は亥を乘じ、天后は戌を乘ず。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に午を得て六合を乘じ、午の上に巳を得て勾陳を乘じ、日支の巳の上に辰を得て青竜を乘じ、辰の上に卯を得て天空を乘ず。三伝は初伝の卯が天空を乘じ、遁干は乙卯、中伝の寅が白虎を乘じ、遁干は甲寅、兩伝は丁火に於いてみな父母に属す。末伝の丑は太常を乘じ、丁巳日は甲寅旬に属し、子丑は旬空に當るので、丑の上に一個の「◎」を加えてそれが空亡なるを記す。丑土は丁火に於いて子孫と為る。卯・寅・丑の三位は一路に後退するは、「退茹」の象。下文が新氣は舊氣に異ならざるを断ずるは、まさにここより看て出したる。
祝泌奏曰:三傳卯寅丑,以往之生氣加於來,主新至之氣不殊於舊日。此課之數,終於季春,不能知九夏之事。謂傳至三月建辰而退歸太歲之上,無四月以後之支也。天空之神發用歸墓,則主京都平靜。三傳無屬火,天官地將並無風燭之災,但是白虎臨城門,白虎主驚擾,今日干是丁火生於寅,而白虎乘之,亦漸有驚,而不至於蔓延,亦不傷動,只應在此月。所損不過寬一二家而已。
祝泌が上奏して言うには:三伝は卯・寅・丑で、旺より一路に衰に向かって退くは、等しくすでに過ぎ去った生氣を新たに來る氣の上に加うる。ゆえに新たに到った氣象は従前と幷ら兩樣なし。この課の含む數はただ季春の三月に至るまで管え、夏季の三個月の事を看ず――意は三伝が三月の月建の辰の上に退けば、則ち太歳の位に折り返し、課の裏に再び四月以後の地支なし。發用の初伝は天空の神で、天空は墓地に歸入し、京城の一帯が平静無事を主る。三伝の中に一位も火に属するなく、天上の神と地下の将はみな火氣を帯びざれば、幷ら風災火患なきを見る可し。慮る可きはただ白虎が城門の位に臨むのみ:白虎は驚擾を主り、今日の日干は丁火で、丁火は寅に長生し、偏偏白虎は則ち寅の上に乘ずる。ゆえに漸漸に些かの驚動あるも、蔓延して災を成すに至らず、また人物を傷損するに至らず、しかもただ本月の内に應ずるのみ。受ける所の損失は、過ぎず一兩家の人家のみ。
丁巳日・童七秀才が前程を占う(口鑑・方本占案)
建炎戊申年六月丁巳日未將未時童七秀才壬申生命九月十四日巳時生三十七歲占前程。 口鑑 方本占案
建炎戊申年六月の丁巳日、月将「未」を用いて未時の上に加えて課を起こす――月将と占時は同じく一位に在るは、まさに「伏吟」の課。占者の童七秀才は壬申年生まれ、本命の生辰は九月十四日の巳時で、この年三十七歳、來りて己が功名の前程を占問した。この案は『口鑑』と『方本占案』ともに載有す。
虎常/空巳午未申玄/龍辰 酉陰 空空常常 兄 丁巳 空/陳卯 戌后 巳巳未未 財 庚申 玄/六寅丑子亥貴 巳巳未丁 父 甲寅 六/朱蛇
天盤の諸将は:天空は巳を乘じ、白虎は午を乘じ、太常は未を乘じ、玄武は申を乘じ、太陰は酉を乘じ、天后は戌を乘じ、貴人は亥を乘じ、螣蛇は子を乘じ、朱雀は丑を乘じ、六合は寅を乘じ、勾陳は卯を乘じ、青竜は辰を乘ず。未将を未時の上に加うるに、天盤と地盤は完全に重合し、十二支は各々本位に歸するので、「伏吟」と叫ぶ。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に依然として未を得て太常を乘じ、未の上にまた未を得て太常を乘じ、日支の巳の上に巳を得て天空を乘じ、巳の上はなお巳で天空を乘ず――四課はただ兩組を成すのみで、まさに伏吟課の樣子。三伝は初伝の巳が天空を乘じ、遁干は丁巳、兄弟と為り。中伝の申は玄武を乘じ、遁干は庚申、妻財と為る。末伝の寅は六合を乘じ、遁干は甲寅、父母と為る。伏吟の課は本身動かず、全く刑冲に頼りて發動す。巳は申を刑し、申は寅を刑す。三伝は則ちこのように遞り出す。
邵彥和曰:此課主來年發解,只是不及第,又妻為猿猴所迷,四年後移居妻家,因妻家子死,併為一家住。又合主科第,授推官將滿,喪妻,再授財賦,再至任七月而終於奴婢之手,不見子息,一邊動哀,一邊子息喜事至。
邵彦和が言うには:この課は童七秀才が明年の鄉試に中式し、解送して省試に應ずるの資格を取得するを主るも、ただ會試には榜に上らず。また彼の妻子が猿猴に迷わされるを主る。四年の後に妻家に遷りて往きて住むは、因りて妻家の獨子が亡故し、兩家は便ち合して一家と為して同住す。此の後依然として当に科第あるべく、第に登った後に推官の職を授けられ、任期が將に滿つ時に妻子が亡故し、再び財賦を掌管する官を授けられ、任に到ってやっと七個月にして、人は奴婢の手の裏に死し、臨終に兒子が側に在るを見ず。一邊は家中に哀を擧げ、一邊は兒子の喜信が恰好傳わり來る。
童果次年得解,至今赴省,其家近山,妻為猿猴所迷,終日歌咲不已,鄰人記得先生言治之而愈,四年遂移妻家居七年,妻父母止一子,亡,遂與童共居。戊辰科及第,授南安州司李,任滿妻葉氏亡,再授臨安樓務官,到任七月,二子歸秋試,童死。只有五六奴婢措置後事,及子息來扶喪,次子得第七名解矣。
童七は果たして第二年に中式して發解し、接いで便ち省城に赴きて試に應じた。彼の家は山に靠近し、妻子は猿猴に迷わされ、整天はまた唱いまた笑いて停める能わず。隣居の人は邵先生が曾てこの段の話を説いたを記え、彼の説法に依りて醫治すれば、病は則ち好した。四年の後に妻家に遷りて七年住んだ。妻子の父母はただ一個の兒子有りのみで、あの兒子が亡故し、岳家は則ち童家と合住した。戊辰のこの科に童七は第に登り、南安州司李を授けられた。任滿の時に妻子の葉氏が亡故した。再び臨安樓務官を授けられ、任に到ってやっと七個月にして、兩個の兒子は郷に回りて秋試に應じ、童七は便ち死した。身邊にはただ五六名の奴婢が彼のために後事を料理するのみ。兒子が趕き回りて柩を扶し喪に奔るを待つ時、次子は恰好鄉試の第七名に考中し、解送の名額を得た。
蓋丁以末傳寅為學堂,末寅行年卯扶,故次年發解舉。又曰上常為職,初傳臨官天空,主聲譽也,充解。中傳妻宮,元武乘之,並光怪殺,申為猿,武為賊,主猿迷;歸妻家者,日止一丁,巳有兩丁,支上初傳也,皆生於寅。宅為妻,故主入妻家,丁生於寅,故同居,充解及第,皆末傳寅也。死不見子干,傳中無子爻也。
推斷の道理は:丁火は末伝の寅を以て「學堂」と為し、末伝の寅はまた本年の行年の卯が來りて扶助するを得るので、第二年に則ち中式して發解す。さらに日干の上に太常を乘ずるを看れば、太常は職任衣禄を主る。初伝の巳は丁火の臨官の地で、上に天空を乘じ、天空は虛名聲譽を主る。合せてまさに解送の資格を取得するに應ず。中伝の申は妻宮で、玄武が上に乘り、また光怪の殺を幷る:申は猿猴に属し、玄武は盗賊精魅と為るので、妻子が猿猴に迷わされるを主る。歸りて妻家に入るの道理に至っては:日干はただ一個の丁ありのみで、巳位の上に却って兩重の丁あり――日支の上と初伝はみな巳――兩處の丁火はみな寅に長生す。宅は妻に属するので、妻家に搬り入るを主る。丁はまた寅に長生するので、兩家が合住す。中式發解と登第は、もみな末伝の寅の上に應ず。臨終に兒子が傍に在るを見ざるは、因りて三伝の中に幷ら子孫爻なれば。
丁巳日・張江村が幕館を占う(説約)
乾隆甲寅年四月初一丁巳日酉將申時占幕館。 說約
乾隆甲寅年四月初一は丁巳日で、月将「酉」を用いて申時の上に加えて課を起こす――四月の中氣小滿は未だ節を交えざれば、ゆえに仍うとして立夏より後の酉将を用う――「幕館」を占問す、すなわち能く人の幕府に入りて幕友を充當し、一處の館地を得るか否か。この案は『説約』から出る。
龍勾合朱/午未申酉 勾龍朱合 財 庚申 合/空巳 戌蛇 未午酉申 財 辛酉 朱/虎辰 亥貴 午巳申丁 子 壬戌 蛇/卯寅丑子/常玄陰后
天盤の諸将は:青竜は午を乘じ、勾陳は未を乘じ、六合は申を乘じ、朱雀は酉を乘じ、螣蛇は戌を乘じ、貴人は亥を乘じ、天后は子を乘じ、太陰は丑を乘じ、玄武は寅を乘じ、太常は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、天空は巳を乘ず。申時は昼に属し、丁日の昼貴は亥に在るので、貴人は亥に臨む。四課は右より左へ:日干の丁の寄宮は未に在り、未の上に申を得て六合を乘じ、申の上に酉を得て朱雀を乘じ、日支の巳の上に午を得て青竜を乘じ、午の上に未を得て勾陳を乘ず。三伝は初伝の申が六合を乘じ、遁干は庚申、中伝の酉が朱雀を乘じ、遁干は辛酉、申金酉金は丁火に於いてみな妻財。末伝の戌は螣蛇を乘じ、遁干は壬戌、子孫と為る。申・酉・戌の三位は順次に前進するは、「進茹」の象で、事情が節節に前に向かうを主る。
張江村曰:占此事又現他事者,又有為他人占,牽連及我者,此間或有之,真變幻之極,非明眼人不能見也。餘占幕館,甲寅四月初一丁巳日申時酉將,三傳申酉戌,申為道路神,主有行動;酉為月將作長生,乘朱雀,主途次有大力人詡薦。酉一亥貴,薦必允從,此本指也。又看申為妻,乘六合內戰,主妻患病。申遁庚,庚而為重金,主患腹疾;陰見太陰,不致傷生。後於七八月間妻果大病,始瘧後痢,幾幾不保。
張江村が言うには:占う所はもとこの一件の事なのに、課の裏に却又もう一件の事を現出す。またもと人のために代占するに、却って自家の身上に牽連するあり。この種の情形は壬課の中に時時に碰會し、變化は實に極處に到り、眼力の明亮なる人に非ざれば看て出す能わざる。我は自ら己が幕館を占うに、甲寅年四月初一の丁巳日の申時・酉将を用いて課を起こし、三伝は申・酉・戌。申は道路の神で、出行走動あるを主る。酉は当月の月将で、またまさに丁火の長生の地で、上に朱雀を乘じ、朱雀は文書薦擧を主る。ゆえに途中に力量ある人が我のために譽を延びて推薦するあるを斷定す。酉のこの一位はまた亥の上の貴人と相接するは、薦擧は必ず允准せられん――これは占う所の本事に就いて説く。さらに一層を換えて看れば:申は同時にまた妻宮で、六合を乘じて内戰相刑するは、妻子が病を生ずるを主る。申の旬遁は庚を得、庚金は申金の上に加わるは、重金の象で、腹中の疾病を患うを主る。好い在るは陰神の上に太陰を見、太陰は陰柔覆護を主り、性命に傷及するに至らざる。その後七八月の間、妻子は果たして大病し、起先は瘧を發し、後に轉じて痢疾と成り、幾ほどか保ち難きに至った。
又妻病重時為占死生,七月二十七日,壬子酉時午將,三傳午卯子,午為妻乘天后外戰,幸午為太陽,病雖重無妨,此本指也,又看干為我,申作長生臨干,主有人作薦,巳作貴人臨申六合,餘亦有館矣。旋於八月初九日癸亥由沈湘葵薦熊臬臺來延,此皆占此而現出他事也。
その後妻子の病が重しとて、また彼女のために死生を代占す:七月二十七日の壬子日の酉時、午将を用いて課を起こし、三伝は午・卯・子。午は妻位で、上に天后を乘じ、外來の神と相戰す。幸いに午は太陽と為り、陽氣は足りて身を護るを以て、ゆえに病は雖も沉重なるも大礙なし――これは占う所の本事に就いて説く。さらに一層を換えて看れば:日干は我が自らを代表し、申は壬水の長生で、まさに日干の上に臨むは、人が我のために薦擧するあるを主る。巳の上に貴人を作して申と相合する位に臨むは、我もまた館地あるべきを見る可し。幾ほどなくして八月初九の癸亥日に至り、果たして沈湘葵より引薦せられ、熊臬臺が人を派して來りて延聘した。これらはみなこの一件の事を占うて課の中に別件の事を現出するの例子である。
丁巳日・某が終身を占う(青錢祕訣)
宣和辛丑年十二月丁巳日子將申時某丁丑生二十五歲占終身。 青錢秘訣
宣和辛丑年、即ち宋徽宗宣和三年、十二月の丁巳日、月将「子」を用いて申時の上に加えて課を起こす。來りて占う人は丁丑年生まれで、この年二十五歳、一生の休咎を占問した。この案は『青錢祕訣』から出る。
朱蛇貴後/酉戌亥子 陰朱常貴 財 辛酉 朱/合申 丑陰 丑酉卯亥 子 ◎丑 陰/勾未 寅玄 酉巳亥丁 兄 丁巳 空/午巳辰卯/龍空虎常
天盤の諸将は:朱雀は酉を乘じ、螣蛇は戌を乘じ、貴人は亥を乘じ、天后は子を乘じ、太陰は丑を乘じ、玄武は寅を乘じ、太常は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、天空は巳を乘じ、青竜は午を乘じ、勾陳は未を乘じ、六合は申を乘ず。申時は昼に属し、丁日の昼貴は亥に在るので、貴人は亥に臨む。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に亥を得て貴人を乘じ、亥の上に卯を得て太常を乘じ、日支の巳の上に酉を得て朱雀を乘じ、酉の上に丑を得て太陰を乘ず。三伝は初伝の酉が朱雀を乘じ、遁干は辛酉、妻財と為り。中伝の丑は太陰を乘じ、丁巳日は甲寅旬に属し、子丑は旬空に當るので、一個の「◎」を標してそれが空亡なるを記す。丑土は子孫と為る。末伝の巳は天空を乘じ、遁干は丁巳、兄弟と為る。酉・丑・巳は恰好合して巳酉丑の三合金局を成すに、偏偏この金局はまた旬空と破碎の上に落ち、下文が彼の家財田宅が終に他人に歸するを断ずるは、根子は則ちここに在る。
邵彥和曰:丁日貴人作鬼,切不可近貴人,當為所害。以丁火又絕在亥也。支為宅,見破碎,又作陰貴人乘朱雀丁巳二火皆以酉為財,財既破碎又是陰貴人,切忌與貴人交財。日後宅子及財物皆為人所有,當主為陰人所壞。中傳丑作太陰加酉上丑是空亡,中間家資必喪盡,有老陰人守寡,田地皆盡。末傳巳即宅神,臨丑下是空亡,田園屋宇安能存留也?三十歲其不免乎?後果一一不爽。
邵彦和が言うには:丁日の貴人は亥の上に乘り、亥水はまさに丁火の官鬼なので、此人は千萬に貴人に親近する可からず。終竟貴人に害せられるを要す。何况丁火はまたまさに亥地に絶す。日支は住宅を代表し、宅の上に「破碎」の殺を見、また陰貴人と作して朱雀を乘ず。丁と巳の兩重の火はみな酉金を以て妻財と為し、財位はすでに破碎を帶び、また陰貴人に歸りて當權す。ゆえに最も貴人と錢財を往來することを忌む。日後に房産と財物はみな別人の所有に歸さんとし、しかも事を壞するは陰人婦女。中伝の丑は太陰を作して酉の上に加わり、丑はまたまさに旬空に當る。中途に家産は必ず喪盡し、家中有年老婦人の守寡し、田地もまた全部を失去するを見る可し。末伝の巳は則ち宅神で、旬空の丑の下に臨むは、田園屋宇はどうしてなお保ち得られん。恐らく三十歳に活き到らざらん。その後一桩一桩みな應驗し、一處も落空せざるなし。
人問其故,先生曰:餘與此人占時乃宣和三年十二月二十七日,十二月二十一日立春則作壬寅歲占也。占人二十五歲,行年在寅見午,午為日之祿神並干支旺相,故無恙。至二十八歲,其人為本處徐參議兜盡家財、田宅。是歲行年在巳,巳上酉乃破碎,雀乃文書,是必陰貴人文書兜羅卷盡也。三十歲其人身亡乃靖康元年丙午也。其母守寡,其屋零落,不久必賣,何也?丁干見亥是干支之絕氣,巳支見酉是干支之死神,故主此人不長。況三十歲行年在未,又見亥水,是身與年俱絕,所以死也。大凡占人不見死墓絕,未可言死,既見休囚死墓絕,行年又臨此地,鮮有能逃者矣。
ある人が彼に何を凭りてかこのように準を斷し得たかを問えば、邵先生が言うには:我がこの人のために課を起こしたるは、宣和三年十二月二十七日。この年の十二月二十一日にすでに立春したれば、ゆえに壬寅年の運に按じて推するを要す。占う人は二十五歳で、行年は寅に在り、寅の上に午を見、午は日干の禄神で、また干支と同じく旺相の氣を得る。ゆえに当時は安然として事なし。二十八歳のあの年に至り、彼は本地の徐參議に家財田宅を席捲して一空せられた――この一年の行年は巳に在り、巳の上に酉を得、酉は破碎の殺を帶び、朱雀はまた文書を主る。必ず陰貴人が一紙の文書に凭りて彼の産業を整個に卷き去るを見る可し。三十歳の上に此人は身亡せり、まさに靖康元年の丙午なり。彼の母の守寡し、房屋の凋零し、久しからずして必ず變賣するを断ずるに至っては、またどこより看て出したか。日干の丁は亥を見、亥は干支の絶氣。日支の巳は酉を見、酉は干支の死神。ゆえに此人の壽數の長からざるを主る。何况三十歳のあの年の行年は未に在り、未の上にまた亥水を見るは、本身と行年が一齊に絶地に落ちる。ゆえに死すべきに應ず。大凡に人の壽夭を占うは、課の中に死・墓・絶を見ざれば、死亡を輕言する可からず。一旦休・囚・死・墓・絶を見、行年がまたまさにこれらの位の上に臨めば、逃げ過ぐるを得るは則ち甚だ少なし。
丁巳日、黄秀才が庚午の命の行人を占う(『口鑑』『方本占案』)
戊申年二月丁巳日亥將未時黃秀才占庚午命行人。 口鑑 方本占案
戊申年二月の丁巳日に、月将「亥」を未時に加えて課を起こし、黄秀才が庚午年生まれの人のために、旅に出ている行人がいつ帰って来るかを占った。この案件は『口鑑』と『方本占案』の両方に収められている。
朱蛇貴後/酉戌亥子 陰朱常貴 財 辛酉 朱/合申 丑陰 丑酉卯亥 子 ◎丑 陰/勾未 寅玄 酉巳亥丁 兄 丁巳 空/午巳辰卯/龍空虎常
この課の課式は前の案件とまったく同じである。亥将を未時に加えるのも子将を申時に加えるのも、天盤が順にずれる位数は同じなので、排出される天盤・四課・三伝に少しの違いもない。諸将は、朱雀が酉に、螣蛇が戌に、貴人が亥に、天后が子に、太陰が丑に、玄武が寅に、太常が卯に、白虎が辰に、天空が巳に、青竜が午に、勾陳が未に、六合が申に乗ずる。未時も白昼に属するので、やはり丁日の昼貴である亥を取る。四課は右から左へ、日干の丁は未に寄宮し、未の上に亥を得て貴人が乗る。亥の上に卯を得て太常が乗る。日支の巳の上に酉を得て朱雀が乗る。酉の上に丑を得て太陰が乗る。三伝は、初伝が酉で朱雀を乗せ、遁干は辛酉、妻財となる。中伝は丑で太陰を乗せ、旬空にあたるので「◎」を標す、子孫となる。末伝は巳で天空を乗せ、遁干は丁巳、兄弟となる。行人を占うには日干と行人の年命を最も重く見るが、この課では貴人の亥水が日干に加わり臨んでおり、まさに以下の論の根拠となる。
邵彥和曰:此課亥作貴人加丁,是絕神。亥又來克我,本主行人來,奈緣所幹事未遂,兼以宅上財作文書乘破碎,文書次第未備,尚有更改之意。行年在辰,辰上見申,亥水又生在申,絕神帶生,目下未歸,在三月子日至也。
邵彦和が言うには、この課は亥が貴人を乗せて日干の丁に加わっており、亥はちょうど丁火の絶神である。亥水はまた来て我を克する。常例では日干を克しに来れば行人が来ると主するが、なんとも彼が外で取りかかっている事がまだ成就していない。しかも宅の上では財爻が文書の象をなして破碎の殺を帯びており、文書の手続きがまだ整っておらず、なお変更の意がある。行人の行年は辰にあり、辰の上に申が見え、亥水はまた申で長生する。絶神の中に生気を帯びているので、目下のところ帰って来られず、三月の子日に至ってやっと家に着く。
黃占友人過浙幹事,行人是庚午命,午加寅,是行人腳下生氣,蹤跡不定,又過東北幹事也。亥為絕神臨日剋日,主必歸。行年上見申又來生,故不歸。又不合初傳自宅上發用出來,又歸今日支神,在東北上作末傳,宅神反出在彼,是二不歸。日上亥水,病於東北,巳乃水絕,支去彼絕,其人在彼,是三不歸也。後果於三月初九戊子至。
黄秀才が占ったのは、友人が浙江に出て事を執ることであった。この行人は庚午年生まれで、午が寅に加わるのは、寅がちょうど午火の長生なので、行人の足元に生気を帯び、行方が定まらず、また東北の方へ向かって事を執っているのである。亥は絶神で、日に臨んで日を克するので、本当なら必ず帰って来るはずである。しかし行年の上に申が見え、申がまた返って亥水を生ずるので、生気が尽きず、だからまだ帰らない。さらに、初伝が宅の上から発用して出て、また今日の日支の神に帰り、東北の方にあって末伝となるので、宅神がかえってあちらへ出て行った。これが帰らない第二の理由である。日干の上の亥水は、病地がちょうど東北にあり、巳はまた水の絶地である。日支があちらへ行って絶するので、その人もあちらに滞在する。これが帰らない第三の理由である。のちに行人は果たして三月初九の戊子日に家に着いた。
同是占行人,又是一樣論應期,乃是論三合在行年上下。/亥作貴,又作絕,加未即是加丁,是亥絕來克我。本主克干則行人來就我,奈緣所事未遂者,丁干為我,巳支為後,支亦為他,人則所干,為他人之事。巳臨丑位入陷,主事未成,兼以宅上加酉字,乘雀為文書。孟月酉為破碎,則文書不備。酉為干陰之卯所沖,尚有改意。行年在辰,辰上見申生亥水,絕神變生,現尚未歸,而申辰三合,只少子字,故此定辰月子日歸也。以申為太歲,主年內三合全逢即驗。
同じく行人を占い、また同じように応期を論ずるのは、三合が行年の上下でどう配合するかを見るからである。亥は貴人を乗せ、また丁火の絶神でもある。亥が未に加わるのは、未が丁の寄宮なので、未に加わればすなわち日干の丁に加わるのと同じで、これは絶神が来て我を克することである。常例では日干を克しに来れば行人が帰って我に就くと主するが、なんとも彼の執る事がまだ成就していない。ここで日干の丁は我を表し、日支の巳は相手を表す。日支はまた他人と見ることもでき、執っているのはちょうど他人の事である。巳が丑の位に臨んで陥るので、事が成らないと主する。しかも宅の上に酉の字が加わり、酉が朱雀を乗せるのは文書の象である。孟月に酉は破碎を帯びるので、文書が備わらず残欠である。酉はまた日干の陰神である卯に冲されるので、なお改める意がある。行年は辰にあり、辰の上に申が見えて亥水を生ずるので、絶神が返って生気に変わり、目下は当然まだ帰れない。そして申と辰はすでに半合を成しており、三合の中で子の一字だけが欠けているので、辰月の子日に帰ると断ずる。さらに申を太歳として推せば、一年の内に三合がそろい揃う時に応験すると主する。
戊午日
戊午日、王牧夫が射覆(『牧夫占験』)
甲戌年酉月戊午日奪巳時射覆。 牧夫占驗
甲戌年酉月の戊午日に、巳時を取って課を起こした(源文は「奪巳時」と作り、占者が臨機に時辰を奪って定めるという言い方である)。射覆の戯れをして、覆われているものが何かを当てて験した。酉月には月将の天罡辰を用い、辰将を巳時に加えれば、下の課式が排出される。この案件は『牧夫占験』から出ている。
合勾龍空/辰巳午未 合勾朱合 鬼 乙卯 朱/朱卯 申虎 辰巳卯辰 鬼 甲寅 蛇/蛇寅 酉常 巳午辰戊 兄 ◎丑 貴/丑子亥戌/貴后陰玄
天盤の諸将は、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に乗ずる。巳時は昼に属し、戊日の昼貴は丑なので、貴人は丑に臨む。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に辰を得て六合が乗る。辰の上に巳を得て勾陳が乗る。日支の午の上に巳を得て勾陳が乗る。巳の上に辰を得て六合が乗る。三伝は、初伝が卯で朱雀を乗せ、遁干は乙卯。中伝は寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅。卯木・寅木ともに戊土を克するので、ともに官鬼となる。末伝は丑で貴人を乗せる。戊午日は甲寅旬に属し、子丑が旬空なので「◎」を標し、丑土は兄弟となる。射覆で物を断ずるには、すべてこの一気に連なる茹の形から象を取る。
王牧夫曰:陽日視干上,天罡乃堅剛之物,六合又相合之形,又兼為手。再視發用卯乘朱雀,一氣連茹,乃長形金一體堅剛。兼傳見艮止,有斷止之義,出之乃解手刀也。
王牧夫が言うには、陽日の射覆はまず日干の上を見る。干の上に辰を得、辰はすなわち「天罡」で、堅く剛強な物を象徴する。その上に六合が乗り、六合は開けたり合わせたりできる形であり、六合はまた手を主る。さらに発用の初伝を見ると卯が朱雀を乗せ、卯・寅・丑が一気に連なって茹を成す。これは細長くて全体が堅い金属の象である。三伝の中にまた寅が見え、寅は艮卦に属し、艮は止なので、畳んで止められるという義を含んでいる。取り出して見れば、果たして折り畳める解手刀であった。
戊午日、宣谕して泰州の守か攻かを卜す(『一針見血』)
十月初九萬千日卯將卯時上宣諭卜泰州依咎事或守或攻。 一針見血
十月初九日、月将「卯」を卯時に加えて課を起こした——将と時が同じ位にあるので、伏吟の課である——皇上が宣谕され、泰州の事について守るべきか攻めるべきかを卜問した。源文の日辰は「万千日」と作るが字に訛りがあり、課中の日干が戊、日支が午であることから見れば、戊午日であろう。この案件は『一針見血』から出ている。
勾龍空虎/巳午未申 龍龍勾勾 父 丁巳 勾/合辰 酉常 午午巳巳 子 庚申 虎/朱卯 戌玄 午午巳戊 鬼 甲寅 蛇/寅丑子亥/蛇貴后陰
天盤の諸将は、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に乗ずる。卯将を卯時に加えれば十二支が各々本位に帰るので、「伏吟」と呼ぶ。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に仍お巳を得て勾陳が乗る。巳の上にまた巳を得て勾陳が乗る。日支の午の上に午を得て青竜が乗る。午の上は仍お午で青竜が乗る。三伝は、初伝が巳で勾陳を乗せ、遁干は丁巳、父母となる。中伝は申で白虎を乗せ、遁干は庚申、子孫となる。末伝は寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅、官鬼となる。巳が申を刑し、申が寅を刑し、伏吟の課はそれ自体では動かないので、もっぱらこの一層の三刑によって発動する。用兵の守と攻もここから分かれる。
祝泌奏曰:課得伏吟,巳申寅靜中有動,守中有戰,圍中有攻之應也。勾陳頌曰:勾陳前四大將軍,兵災兩聞訟留連。此課勾陳為用,雖主戰而今日干為戊,勾陳乃是德神,與日干支不相剋制,是寇來向我,未至攻戰也。申為游都,來往在傳亦不能制日辰,其神乘白虎歸家,不來用事,當是寇兵已合而未臨城。況泰州城守見太陰厭翳之神,亦未易動兵。有自刑臨,恐人民驚動有傷,尚不至於大傷。蛇在末傳,恐未寧靜,只是未免憂疑。
祝泌が奏上して言うには、この課は伏吟を得ており、巳・申・寅の三刑が次々に発するので、静の中に動があり、守の中に戦があり、囲まれた中に攻める応がある。『勾陳頌』に言う、勾陳から前へ数えて第四位は大将軍で、兵災と訟事が相半ばして連なり留まると主する。この課は勾陳をもって発用とする。主戦を主するとはいえ、今日の日干は戊であり、勾陳は戊日においては徳神と見なされ、日干・日支と相克しないので、これは寇が我に向かって来るのであって、まだ攻戦に至っていない。申は「遊都」で、兵馬の往来を主り、三伝に入ったとはいえ日干・日辰を制することができない。この神はまた白虎を乗せて本家に帰り、出て来て事を執ろうとしないので、寇兵はすでに集結したものの、まだ城下に逼っていないことが分かる。さらに泰州の城守の一面には太陰という厭翳の神が見えており、容易に兵を動かすこともできない。課中に自刑が位に臨んでいるので、人民がおそらく驚動して傷を受けるだろうが、まだ大きな傷には至らない。末伝に螣蛇が乗り、おそらくしばらく安寧を得ず、ただ憂疑が免れないのみである。
戊午日、可翁が久雨のいつ晴れるかを占う(『残編』)
雍正十二年六月十六日在海寧之夫山公署可翁命占久雨何日晴,戊午日卯將卯時。 殘編
雍正十二年六月十六日、海寧の夫山の公署において、可翁が連日の雨がいつの日に晴れるか占わせた。この日は戊午日で、月将「卯」を卯時に加えて課を起こし、将と時が同じ位にあって、依然として伏吟の課である。この案件は『残編』から出ている。
勾龍空虎/巳午未申 龍龍勾勾 父 丁巳 勾/合辰 酉常 午午巳巳 子 庚申 虎/朱卯 戌玄 午午巳戊 鬼 甲寅 蛇/寅丑子亥/蛇貴后陰
課式は前の案件と同じである。勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に乗ずる。卯将を卯時に加えれば天盤と地盤が重なり合い、伏吟である。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に巳を得て勾陳が乗る——第一・第二課は同じ。日支の午の上に午を得て青竜が乗る——第三・第四課は同じ。三伝は、初伝が巳で勾陳を乗せ、遁干は丁巳、父母となる。中伝は申で白虎を乗せ、遁干は庚申、子孫となる。末伝は寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅、官鬼となる。晴雨を占う規矩は、日干が白昼を司り日支が夜間を司る。この課では干の上に勾陳、支の上に青竜が乗っており、以下の断語はすべてこの二つの上に着眼する。
斷曰:自十二甲寅日落起,連日日晴夜雨者,干為日間,支為夜間。日干上勾,宜日晴,支上龍,宜夜雨,湛湛不休也。況青龍昇天,海水空地,自然久雨而又大也。問晴期在何日,查雨雖甲寅日落起,其實乙卯傾注大下,庶幾在十九辛酉日方可晴耳,果於十九日大晴。有質餘:何以斷十九日大晴之故?余曰:乙卯為雨之頭,干支皆木,至十九日辛酉干支皆金,兩相剋制,而雨不復猖狂,其勢一也。又卯酉者乃日月之門也,今太陽卯是也,久為雲雨遮蔽,得酉一沖,推蕩其云。月主水,水入酉戶也。日主火,火升卯門也。一輪紅日皎皎而出,安有不晴者哉?
断語に言う。この雨は十二日の甲寅日に降り始めてから、連日、昼は晴れて夜は雨であった。その縁は、日干が日中を司り、日支が夜間を司るからである。日干の上に勾陳が乗り、勾陳は土に属するので昼は晴れるのが宜しい。日支の上に青竜が乗り、青竜は木に属して雨沢を主るので夜は雨が宜しく、ひと夜ひと夜降りやまない。さらに青竜が天に昇り、海水が地に漫ずれば、自然と雨が久しく、しかも大きい。放晴の日を問うに、雨は甲寅日に降り落ち始めたとはいえ、実際には乙卯日に至って傾注して大いに降った。ほぼ十九日の辛酉日に至ってようやく晴れられるであろう。果たして十九日に大いに晴れた。ある人が私に質した、何をもって十九日に大晴と断じたのか。私が言うには、乙卯はこの雨の頭で、干支ともに木に属する。十九日の辛酉に至れば干支ともに金に属し、金木の両方が相克制するので、雨勢はもはや猖狂を続けられない。これが第一層の道理である。さらに卯と酉は日月の出入する門戸である。いま太陽はちょうど卯の位に行き当たり、久しく雲雨に遮蔽されていたが、酉の一冲を得てその雲気が推し蕩かれる。月は水を主り、水は酉の戸に帰入する。日は火を主り、火は卯の門に昇る。一輪の紅日が皎皎として出るのに、晴れない道理があろうか。
戊午日、宋大升が代占(『指南』)
崇正辛未年四月戊午日酉將酉時山東吏垣宋大升先生相召占課云非己占,代占。 指南
崇正辛未年四月の戊午日に、月将「酉」を酉時に加えて課を起こした。将と時が同じ位にあるので、伏吟の課である。山東の吏科に仕える宋大升先生が陳公献を招いて課を起こさせ、声明して、この課は自分のための占ではなく、他人に代わっての占であると言った。この案件は『六壬指南』から出ている。
蛇貴/朱巳午未申后 蛇蛇朱朱 父 丁巳 朱/六辰 酉陰 午午巳巳 子 庚申 後/勾卯 戌玄 午午巳戊 鬼 甲寅 龍/青寅丑子亥常/空虎
天盤の諸将は、朱雀が巳に、螣蛇が午に、貴人が未に、天后が申に、太陰が酉に、玄武が戌に、太常が亥に、白虎が子に、天空が丑に、青竜が寅に、勾陳が卯に、六合が辰に乗ずる。酉時は夜に属し、戊日の夜貴は未なので、貴人は未に臨む。貴人の臨む位は逆行の地に属するので、残りの諸将は一路逆に布せられる。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に巳を得て朱雀が乗る——第一・第二課は同じ。日支の午の上に午を得て螣蛇が乗る——第三・第四課は同じ。これが伏吟課の常態である。三伝は、初伝が巳で朱雀を乗せ、遁干は丁巳、父母となる。中伝は申で天后を乗せ、遁干は庚申、子孫となる。末伝は寅で青竜を乗せ、遁干は甲寅、官鬼となる。
陳公獻曰:在朝官占此提防臺諫而回還得好 旨歸里。蓋因傳將互克,伏吟丁馬,且太陽無光矣(月將酉臨酉地,是西墜之象也),豈能久居廊廟乎?然喜朱雀德祿生日(朱乘巳作日德日祿臨日),故得好旨歸里。後知為四明諱象坤錢相公所占。果因人言請告而去。
陳公献が言うには、朝廷の官がこの課を占えば、台諫の官の弾劾を防ぐべきだが、結局は好い旨を得て故郷に帰ることができる。なぜなら三伝と乗る天将が互いに相克し、伏吟の中にまた丁神と駅馬を帯び、動の象がすでに見えるからである。さらに太陽が光を失う(月将の酉がちょうど地盤の酉位に臨んでおり、これは太陽が西に沈み墜ちる象である)ので、このような人がどうして久しく朝廷に居られようか。幸いなことに朱雀が日徳・日禄を乗せて日干を生ずる(朱雀が巳を乗せ、巳は戊日において日徳でもあり日禄でもあり、ちょうど日干の上に臨む)ので、好い旨を得て故郷に帰ることができる。のちにこの課が四明の銭相公——名は象坤——に代わって占ったものであることが分かった。果たして彼は人の進言によって、自ら休暇を請して朝廷を去った。
戊午日、汪司戸が官職を占う(『口鑑』『方本占案』)
建炎戊申年十月初七戊午日卯將寅時汪司戶辛未生十二月二十一日午時三十八歲占官職。口鑑 方本占案
建炎戊申年十月初七は戊午日で、月将「卯」を寅時に加えて課を起こした。占者は汪司戸で、辛未年生まれ、生辰は十二月二十一日の午時、この年三十八歳であり、自分の官職を占いに来た。この案件は『口鑑』と『方本占案』の両方に収められている。
空虎/龍午未申酉常/陳巳 戌玄 虎空空龍 官 甲寅 蛇/六辰 亥陰 申未未午 父 戊午 龍/朱卯寅丑子后 未午午戊 父 戊午 龍/蛇貴
天盤の諸将は、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に乗ずる。寅時は昼に属し、戊日の昼貴は丑なので、貴人は丑に臨む。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に午を得て青竜が乗る。午の上に未を得て天空が乗る。日支の午の上も同じく未を得て天空が乗る。未の上に申を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅、寅木が戊土を克するので官鬼となる。中伝と末伝はともに午で青竜を乗せ、遁干は戊午、午火が戊土を生ずるので父母となる。官職を占うにはもともと官鬼を用神とする。この課は官鬼が発用して連なり二重の午火を生ずるので、まさに以下の断語の拠り所となる。
邵彥和曰:司戶今無正位,必主上司責罰,而別有遷改,卯寅乃今日鬼,鬼生午火,午乃日陽刃殺,且是天鬼,在於中末傳,支上未與午合,亦憂宅眷人口有死者。後果病死三人,又為米倉事發,遂罷去也。
邵彦和が言うには、汪司戸は現在正式の職位がなく、必ず上司の責罰を受け、さらに別の遷改がある。卯と寅はともに今日の官鬼であり、鬼木はまた午火を生じ、午は戊日の陽刃の殺であり、しかも「天鬼」でもあり、それが中伝・末伝に落ちている。日支の上の未はまた午と合するので、さらに宅眷・家族の中に死亡する者があることを憂うべきである。のちに果たして病死する者が三人あり、また米倉の事が露見して発覚し、ついに罷免されて去った。
蓋寅乃日鬼,生三個午,十月建亥,合寅來生宅,犯丁神以未中有丁,非旬丁也,丁主動,天空主空屋,宅亦主空,是月困患時氣遂死三人。十月間米因提學檢踏常平倉敗事露,遂致敗斥。
詳しく論ずれば、寅は今日の官鬼で、連なり三つの午火を生ずる。十月の月建は亥であり、亥は寅と合し、ともに宅位に来て生ずる。この課はまた丁神を犯している——未の中に丁が蔵されており、これは支中に蔵された丁であって旬遁の丁ではない——丁神は動揺・遷徙を主り、天空は空き家を主り、宅の上が空を得るのも房舎が空虚なことを主る。だからこの月に家が時行の疫気に困まれて、続けて三人が死んだ。十月になってから、また提学官が常平仓を検査踏勘したことで米の件が露見し、ついに斥革・罷免に至った。
戊午日、王牧夫が求財を占う(『牧夫占験』)
乾隆戊辰年十月戊午日巳將辰時占求財。 牧夫占驗
乾隆戊辰年十月の戊午日に、月将「巳」を辰時に加えて課を起こし、求財を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。
空虎/龍午未申酉常/陳巳 戌玄 虎空空龍 官 甲寅 蛇/六辰 亥陰 申未未午 父 戊午 龍/朱卯寅丑子后 未午午戊 父 戊午 龍/蛇貴
月将の巳を辰時に加えるのは、前の案件で卯将を寅時に加えたのと同様に天盤が順に一位ずれるだけなので、排出される課式はまったく同じである。青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に乗ずる。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に午を得て青竜が乗る。午の上に未を得て天空が乗る。日支の午の上に未を得て天空が乗る。未の上に申を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅、官鬼となる。中伝・末伝はともに午で青竜を乗せ、遁干は戊午、父母となる。求財の一門は日干と日支の向背・生克を重く見る。この課は日支の神が日干の位まで歩いて来て日干を生ずるので、まさに以下の断語の鍵となる。
王牧夫曰:此數主卑就尊,二門求懇乃親戚之家,但不能如數,主得宴會酒食而還,果驗。/蓋干為尊,支為卑,支就干位而生干,乃上門求懇也。未為眷屬,故主親戚。傳不足,故不得如數。干支交合無克,故必允。午為宴會與支上未作合,故應之也。
王牧夫が言うには、この課は卑しい方が尊い方に就くことを主り、二箇所の門戸で求め懇願するのは親戚の家である。ただし求める数ほどは得られず、宴会の酒食を得て帰ることを主る。果たして験した。道理は、干を尊とし支を卑とする。支の神が干の位に就いて干を生ずるのは、まさに門を叩いて求め懇願する象である。未は眷属を主るので、親戚の家と断じた。三伝の気数が足りないので、元の数ほど得られない。干と支が交わり和合して克戦がないので、相手は必ず承諾する。午は宴会を主り、また日支の上の未と合するので、酒食を得ることに応じたのである。
戊午日、病を占う(『口鑑』)
建炎戊申年二月初四戊午日亥將戌時占病。 口鑑
建炎戊申年二月初四は戊午日で、月将「亥」を戌時に加えて課を起こし、疾病を占った——二月の中気である春分がまだ交節していないので、依然として雨水後の亥将・登明を用いる。この案件は『口鑑』から出ている。
貴後/蛇午未申酉陰/朱巳 戌玄 后貴貴蛇 鬼 甲寅 龍/六辰 亥常 申未未午 父 戊午 蛇/陳卯寅丑子虎 未午午戊 父 戊午 蛇/龍空
天盤の諸将は、螣蛇が午に、貴人が未に、天后が申に、太陰が酉に、玄武が戌に、太常が亥に、白虎が子に、天空が丑に、青竜が寅に、勾陳が卯に、六合が辰に、朱雀が巳に乗ずる。戌時は夜に属し、戊日の夜貴は未なので、貴人は未に臨み、諸将は逆に布せられる。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に午を得て螣蛇が乗る。午の上に未を得て貴人が乗る。日支の午の上に未を得て貴人が乗る。未の上に申を得て天后が乗る。三伝は、初伝が寅で青竜を乗せ、遁干は甲寅、寅木が戊土を克するので官鬼となる。中伝と末伝はともに午で螣蛇を乗せ、遁干は戊午、父母となる。病を占うには日干を病人とし、官鬼を病症とし、鬼を制し得る者を医薬とする。この課は官鬼の寅木が一路午火を生じ、午火はまた戊日の陽刃・天鬼なので、病源と病勢がすべてここにある。
邵彥和曰:天鬼午火,受寅鬼之生,犯了東嶽城隍香火神,因而疫氣入宅,遂合宅皆病。蓋春寅木正旺鬼,鬼極有氣,又干上與中末三個陽刃天鬼殺,故不止一人也,其家果病七人,後死三人,急告東嶽,禳之,餘人遂愈。蓋中末日上三個天鬼殺,所以喪三人也。青龍到此最不好,名為奪命神。/按:此句似用晝貴,其故何也?
邵彦和が言うには、午火は「天鬼」であり、さらに寅中の官鬼の生扶を受けている。これは東岳廟と城隍廟の香火の神を沖犯したもので、それによって疫気が住宅に侵入し、一家がことごとく病に倒れた。春には寅木がちょうど旺相にあって官鬼に勢いがある。日干の上と中伝・末伝を合わせると三重の陽刃・天鬼の殺があるので、病にかかるのは一人にとどまらない。この家は果たして七人が病に倒れ、のちに三人が死んだ。急いで東岳廟に告祷して禳解したところ、残りの者は徐々に全快した。中伝・末伝に日干の上を加えると、ちょうど三つの天鬼の殺があるので、三人を喪ったのである。青竜がこの地位に至るのが最もよくなく、「奪命神」と名づける。程氏の按語に言う、ここでは昼貴を用いたように見えるが、その故は何か。(課中の貴人は未を乗せ、まさに戊日の夜貴で戌時と合する。程氏の疑いはおそらく別の所を指すのであろう。)
戊午日、呉員外が油麻の価を占う(『一針見血』)
元祐二年正月初五日山陽吳員外年三十九歲與販油麻到東京未就其價,遂於僧仲褒求課。是日戊午得戌時以月將神后加戌。一針見血
元祐二年正月初五日、山陽の呉員外は三十九歳で、油麻を販運して東京汴梁に至ったが、価格がいつまでも折り合わず、ついに僧の仲褒のもとに行って課を求めた。この日は戊午日で、戌時を取り、月将の神後子を戌に加えて課を起こした——正月には中気の雨水がまだ交節していないので、依然として大寒後の子将を用いる。この案件は『一針見血』から出ている。
貴后陰玄/未申酉戌 玄后陰貴 子 庚申 後/蛇午 亥常 戌申酉未 兄 壬戌 玄/朱巳 子虎 申午未戊 財 ◎子 虎/辰卯寅丑/合勾龍空
天盤の諸将は、貴人が未に、天后が申に、太陰が酉に、玄武が戌に、太常が亥に、白虎が子に、天空が丑に、青竜が寅に、勾陳が卯に、六合が辰に、朱雀が巳に、螣蛇が午に乗ずる。戌時は夜に属し、戊日の夜貴は未なので、貴人は未に臨む。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に未を得て貴人が乗る。未の上に酉を得て太陰が乗る。日支の午の上に申を得て天后が乗る。申の上に戌を得て玄武が乗る。三伝は、初伝が申で天后を乗せ、遁干は庚申、戊土が金を生ずるので子孫となる。中伝は戌で玄武を乗せ、遁干は壬戌、兄弟となる。末伝は子で白虎を乗せる。戊午日は甲寅旬に属し、子丑が旬空なので「◎」を標して空亡を記し、子水は戊土において妻財となる。財爻は旬空に落ちるとはいえ、末伝の上で救神をなすので、以下に貨物が先には滞り後には利を得ると断ずるのは、すべてここから推し出される。
仲褒曰:君有貨物慾求售乎?右是油麻,目下則價利漸退,至清明後宜有倍利,可候至時貨矣。吳云:貨是麻油在此多日,欲隨賣售之。褒曰:若信此課,留至其時必無所誤。吳遂一半去了,一半寄頓在京,而且歸家。其年二月五日,復到京師,其麻價未增。吳乃往褒問前課。褒云:更待數日必有厚利,但守之無疑矣。自清明後,京城絕無貨之,果得倍利。吳乃重謝仲褒。
仲褒が言うには、あなたは貨物を持って売ろうとしているのですね。右は油麻である。目下は価格と利益がだんだん下がっているが、清明の後まで待てば倍の利があるはずだ。その時まで待ってから売るとよい。呉員外が言うには、この麻油はここに運んで来てからもう多くの日が経ち、相場に随って売りたかった。仲褒が言うには、この課を信じるなら、あの時まで留めておけば必ず誤りはない。呉員外はついに半分を売り、半分を京城に預けて、そして家に帰った。その年の二月初五日、彼は再び京师に来たが、麻の価格はまだ上がっていなかった。呉員外は仲褒のもとに行って前の課を問うた。仲褒が言うには、さらに数日待てば必ず厚い利がある。ただ守っていて疑うな。清明の後、京城ではこの貨が全く品切れとなり、果たして倍の利を得た。呉員外は仲褒に厚く謝した。
議曰:戊土克水為財,水生於申是初不見財神,只發財生之位,故主貨物也。油麻者,申之所主也。今加午上,法以午為市,正月申金囚死,雖貨物入市,緣市未動,故未有價。清明後土旺乃申金相氣,法以相氣為財也,雖被火剋制,卻得末傳子水為救,而免其損傷。行年上神是今日支神帶騰蛇來臨,兼所得之時與物同類,與今日干神相生,課值日辰,支干無損,目下不中,後有倍息也。應驗若此。
評議に言う。戊土が水を克するので、水が戊日の妻財である。水は申で長生するので、初伝に財神そのものは見えず、ただ財を生ずる位を発するのみである。だから貨物と主する。油麻はちょうど申の主する物である。いま申が午の上に加わるが、法では午を市とする。正月に申金は囚死の気にあたり、貨物はすでに市に入ったものの、市がまだ動いていないので、値がつかない。清明の後は土が旺となり、申金は相気に転ずる。法では相気をもって財とする。申金は火に克されるとはいえ、末伝の子水を得て救いとなり、損傷を免れる。行年の上の神は、ちょうど今日の日支の神が螣蛇を帯びて臨むところであり、さらに取り得た時と販る物が同じ類に属し、今日の日干の神と相生する。課はまた日辰に値し、支と干に損傷がない。だから目下は時宜に合わず、後に倍の利息がある。後の応験は果たしてこの通りであった。
戊午日、蝗を占う(『一針見血』)
六月初一戊午日未將辰時占蝗。 一針見血
六月初一は戊午日で、月将「未」を辰時に加えて課を起こし、蝗災を占った——六月の中気である大暑がまだ交節していないので、依然として夏至後の未将を用いる。この案件は『一針見血』から出ている。
龍勾合朱/申酉戌亥 蛇勾朱龍 子 辛酉 勾/空未 子蛇 子酉亥申 財 ◎子 蛇/虎午 丑貴 酉午申戊 鬼 乙卯 陰/巳辰卯寅/常玄陰后
天盤の諸将は、青竜が申に、勾陳が酉に、六合が戌に、朱雀が亥に、螣蛇が子に、貴人が丑に、天后が寅に、太陰が卯に、玄武が辰に、太常が巳に、白虎が午に、天空が未に乗ずる。辰時は昼に属し、戊日の昼貴は丑なので、貴人は丑に臨む。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に申を得て青竜が乗る。申の上に亥を得て朱雀が乗る。日支の午の上に酉を得て勾陳が乗る。酉の上に子を得て螣蛇が乗る。三伝は、初伝が酉で勾陳を乗せ、遁干は辛酉、戊土が金を生ずるので子孫となる。中伝は子で螣蛇を乗せる。戊午日は甲寅旬に属し、子は旬空にあたるので「◎」を標し、子水は妻財となる。末伝は卯で太陰を乗せ、遁干は乙卯、卯木が戊土を克するので官鬼となる。酉・子・卯の三位が順に加わり臨んでいるのが、以下に言う「三交課」である。
祝泌奏曰:謹按此課,三傳酉子卯為三交課。夫課象中主事之神,固以蛇為飛蝗,而初傳酉亦是飛蝗之象。何以言之?蝗乃敗辛之魂所亦,乃勾陳發用,所乘之酉金死於午,即勾陳所立辛位,而死於午者也。又酉為亦而死之物,是飛蝗之象也,今初傳次傳皆有飛蝗之證,則飛騰而眾多,將捕之而不可勝捕矣。然三交課多主伏匿凶丑,又中子末卯乘太陰為翳蔽之象,要課之終而論之,酉加於午,子加酉,卯加子皆居敗暴之地,而終之以翳蔽,則亦可滅不致猖熾也。
祝泌が奏上して言うには、謹んでこの課を按ずるに、三伝の酉・子・卯が順に加わり臨んで「三交課」である。課象の中で事を主る神は、もとより螣蛇をもって飛蝗とするが、初伝の酉もまた飛蝗の象である。何をもってそう言うのか。蝗はもと敗れた辛金の魂の化するものである(源文のこの句の「所亦」の二字には訛りがあり、語意を確かに指すことができないので、姑くその旧に従う)。いま勾陳が発用であり、勾陳の乗ずる酉金は午で死する。これは勾陳の立つ辛位にして午で死するものである。酉はまた飛ぶことができて終に死に帰る物類なので、飛蝗の象である。いま初伝・次伝ともに飛蝗の証拠があるので、蝗が飛び騰って群をなし、数が甚だ多く、捕えようにも捕えきれないであろう。ただし三交課は多く伏匿する凶悪な醜類を主り、また中伝の子・末伝の卯には太陰が乗り、太陰はちょうど遮蔽・掩藏の象である。要は一課の収束について断ずれば、酉が午に加わり、子が酉に加わり、卯が子に加わり、いずれも敗絶・暴露の地に居り、終に遮蔽に帰結するので、蝗災も終には撲滅でき、猖獗して大害となるに至らない。
戊午日、灯下で射覆(『牧夫占験』)
甲戌年亥月戊午日寅將戌時友人於燈下射覆。 牧夫占驗
甲戌年亥月の戊午日に、月将「寅」を戌時に加えて課を起こし、友人たちが灯下で射覆の戯れをして、覆われているものが何かを当てようとした。この案件は『牧夫占験』から出ている。
朱合勾龍/酉戌亥子 虎合空朱 鬼 甲寅 虎/蛇申 丑空 寅戌丑酉 父 戊午 後/貴未 寅虎 戌午酉戊 兄 壬戌 合/午巳辰卯/後陰玄常
天盤の諸将は、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に、貴人が未に、螣蛇が申に乗ずる。戌時は夜に属し、戊日の夜貴は未なので、貴人は未に臨む。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に酉を得て朱雀が乗る。酉の上に丑を得て天空が乗る。日支の午の上に戌を得て六合が乗る。戌の上に寅を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が寅で白虎を乗せ、遁干は甲寅、官鬼となる。中伝は午で天后を乗せ、遁干は戊午、父母となる。末伝は戌で六合を乗せ、遁干は壬戌、兄弟となる。寅・午・戌はちょうど火局を合する。火の性は炎上なので、以下はこれを「炎上の課」と称する。
王牧夫曰:炎上之課,主外明而內虛。三傳帶後六,淫泆火旺,主氣當有芳香。干上酉乘朱與初傳寅合,參形為圖。午酉又當可食,其味辛苦,其色青黃。酉屬秋,成實於秋也。出之乃香櫞耳。
王牧夫が言うには、これは炎上の課で、覆われた物が外は明るく内は虚しいことを主る。三伝の上に天后と六合を帯び、いずれも淫泆の神であり、火気がまた盛んなので、この物件には当に芳香があるはずである。日干の上の酉は朱雀を乗せ、また初伝の寅と合し、両方を参合すればちょうど丸く整った形を成す。午と酉はまた口に入れられる物を主り、味は辛くて苦を帯び、色は青に黄を帯びる。酉は秋令に属し、実を秋に結ぶものと分かる。取り出して見れば、もとは香橼であった。
己未日
己未日、宋太斗が功名を占う(『指南』)
崇正辛未年四月己未日酉將辰時東省吏科宋太斗先生占功名。 指南
崇正辛未年四月の己未日に、月将「酉」を辰時に加えて課を起こし、山東の吏科に仕える宋太斗先生が功名を占った。この案件は『六壬指南』から出ている。
蛇貴/朱戌亥子丑后 白貴虎貴 父 丁巳 虎/六酉 寅陰 巳子巳子 兄 壬戌 朱/勾申 卯玄 子未子己 鬼 乙卯 玄/龍未午巳辰常/空虎
天盤の諸将は、朱雀が戌に、螣蛇が亥に、貴人が子に、天后が丑に、太陰が寅に、玄武が卯に、太常が辰に、白虎が巳に、天空が午に、青竜が未に、勾陳が申に、六合が酉に乗ずる。辰時は昼に属し、己日の昼貴は子なので、貴人は子に臨む。四課は右から左へ、日干の己は未に寄宮し、未の上に子を得て貴人が乗る。子の上に巳を得て白虎が乗る。日支の���の上も同じく子を得て貴人が乗る。子の上に巳を得て白虎が乗る——四課が標す「白」はすなわち白虎である。三伝は、初伝が巳で白虎を乗せ、遁干は丁巳、巳火が己土を生ずるので父母となる。中伝は戌で朱雀を乗せ、遁干は壬戌、兄弟となる。末伝は卯で玄武を乗せ、遁干は乙卯、卯木が己土を克するので官鬼となる。
陳公獻曰:四月內定轉長垣,居官難以久任。蓋因月建虎馬發用,其力更見雄矣。又鑄印乘軒定應遷轉。但嫌貴臨空害,故難久任耳。果隨轉吏長垣,後因提武場事,降大行。
陳公献が言うには、四月の内に必ず長垣に転任するが、この官は長く任にいられない。当月の月建が白虎と駅馬を帯びて発用するので、その力はさらに雄大である。課体はまた「鋳印乘軒」に属し、鋳印は授職を主り、乘軒は昇遷を主るので、必ず遷転に応ずる。ただ嫌なのは貴人が旬空に臨んでさらに刑害を受けることで、だから任上で長く居られない。彼は果たしてすぐに長垣に転じて吏職につき、その後、武場の試験を司った事で、大行の職に降任した。
己未日、孫興功の父が功名を占う(『指南』)
崇正辛巳年十月己未日癸酉時,東省莘縣孫興功父師仕揚刻文時占功名。 指南
崇正辛巳年十月の己未日癸酉時に、山東莘県の孫興功の父である師仕揚(源文は「孫興功父師仕揚」と作り、その父の名が仕揚を指すかもしれないが、姑く原のままに留める)が、文稿を刻印しようとする時に功名を占った。この案件は『六壬指南』から出ている。
蛇貴/朱戌亥子丑后 虎貴虎貴 父 丁巳 虎/六酉 寅陰 巳子巳子 兄 壬戌 朱/勾申 卯玄 子未子己 鬼 乙卯 陰/龍未午巳辰常/空虎
この案件に附された課式は前の案件と同じである。朱雀が戌に、螣蛇が亥に、貴人が子に、天后が丑に、太陰が寅に、玄武が卯に、太常が辰に、白虎が巳に、天空が午に、青竜が未に、勾陳が申に、六合が酉に乗ずる。四課は右から左へ、日干の己は未に寄宮し、未の上に子を得て貴人が乗る。子の上に巳を得て白虎が乗る。日支の未の上に子を得て貴人が乗る。子の上に巳を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が巳で白虎を乗せ、遁干は丁巳、父母となる。中伝は戌で朱雀を乗せ、遁干は壬戌、兄弟となる。末伝は卯で、遁干は乙卯、卯木が己土を克するので官鬼となる。末伝に乗る天将はここでは太陰と標され、前の案件で玄武としたのと異なる。また癸酉時に占ったのに、例では己日の夜貴である申を用いるべきところ、図では依然として昼貴が子に臨んでいる。源文がこうなっているので、改動はしない。
陳公獻曰:仲冬月令必有起官之徵。曰:何以見之?干上貴人雖空,幸乘進氣,交仲冬子水司令,填實旬空矣。且喜虎馬丁神發用,作歲君生日,又四墓覆生,已廢復興之象。起官何疑?後果然。凡有官君子得此,定主遷官轉職,面君奏事。次年冬,推補兵部車駕司。
陳公献が言うには、仲冬十一月の月令に至れば、必ず官に起きる徴がある。ある人が言うには、どこからそれを見たのか。答えるには、日干の上の貴人は旬空に落ちているが、幸いにも進気に乗っている。仲冬に交われば子水が司令となり、旬空が填実される。さらに喜ばしいのは白虎・駅馬・丁神がともに発用し、太歳の神をなして日干を生ずることである。さらに四墓が反覆して相生するのは、すでに廃して再び興る気象である。官に起きることに何の疑いがあろう。のちに果たしてその通りであった。およそ官のある君子がこの課を得れば、必ず遷官・転職を主り、君に面して事を奏することができる。翌年の冬、彼は兵部車駕司の職に推補された。
己未日、張維枢が来意を占わせる(『指南』)
崇正己巳年正月己未日午時閩中張少司空維樞索占來意。 指南/愚按:正月己未是正月初三日,何故仍用丑將?年月必定有一錯。
崇正己巳年正月の己未日午時に、福建の少司空である張維枢が陳公献に課を起こさせ、自分が此に来た意図を先に言わせた。この案件は『六壬指南』から出ている。程樹勲の按語に言う、この年の正月の己未はちょうど正月初三日なのに、なぜ依然として丑将を用いたのか。年と月の二箇所の内、必ず一箇所が間違っている。
後陰/貴子丑寅卯玄 六陰六陰 子 辛酉 六/蛇亥 辰常 酉寅酉寅 兄 丙辰 常/朱戌 巳虎 寅未寅己 財 癸亥 蛇/六酉申未午空/勾龍
天盤の諸将は、貴人が子に、天后が丑に、太陰が寅に、玄武が卯に、太常が辰に、白虎が巳に、天空が午に、青竜が未に、勾陳が申に、六合が酉に、朱雀が戌に、螣蛇が亥に乗ずる。午時は昼に属し、己日の昼貴は子なので、貴人は子に臨む。四課は右から左へ、日干の己は未に寄宮し、未の上に寅を得て太陰が乗る。寅の上に酉を得て六合が乗る。日支の未の上に寅を得て太陰が乗る。寅の上に酉を得て六合が乗る。三伝は、初伝が酉で六合を乗せ、遁干は辛酉、己土が金を生ずるので子孫となる。中伝は辰で太常を乗せ、遁干は丙辰、兄弟となる。末伝は亥で螣蛇を乗せ、遁干は癸亥、己土が水を克するので妻財となる。
陳公獻曰:正時勝光,值事天空,此為章奏占。曰:吉凶若何?余曰:四課克下,名為無祿,況貴乘旬空,龍神克下,主在上者不足,輕則降罰,重則削權。又財官祿馬俱入墓絕之鄉,急流勇退為佳,否則必有意外之虞。曰:上書旨意如何?余曰:朱雀乘天喜,陰神見天馬,還得好旨歸里,後唯冠帶閒住,回家未久仙遊矣。
陳公献が言うには、正時は午であり、午は「勝光」と名づけ、当値するのは天空の神なので、これは章奏のための占であることが分かる。張公が問うには、吉凶はどうか。私が言うには、四課はみな上神が下神を克しており、「无禄」と名づく。さらに貴人は旬空を乗せ、青龍の神がまた下を克するので、上位にある者の力が足りないと主る。軽ければ降罰を受け、重ければ権柄を削られる。さらに妻財・官星・禄神・駅馬がすべて墓絶の郷に落ちているので、急流の中で勇み退くのが善い。さもなくば必ず意外の虞がある。彼がまた問うには、上書した後の旨意はどうなるか。私が言うには、朱雀が天喜を乗せ、陰神の上に天馬が見えるので、やはり好い旨を得て故郷に帰ることができる。のちに彼は冠帯を掛けて閑居するだけとなり、故郷に帰って間もなく亡くなった。
己未日、郭建済が楊大慶の来意を占う(『指南』)
崇正丁丑年六月己未日午將戌時浣中劉允平太史占會推浣撫成否,日後結局如何。指南
崇正丁丑年七月の己未日巳時に、宜兴の周首仲先生が宜兴のユウクン(㞢クン)先生を伴って陳公献のもとを訪ねた。この先生の乗ずる馬は色が黄く、白い馬を引く者が左右にあって従い、「三年に一挙」と書かれた扇子を手にしていた。中に一人の來者は、名前は楊大慶、外官で、臨沂の出身である。彼らは先に占をしてみようと言い、占が吉なら交わり、凶なら直ちに去るとした。この案件は『六壬指南』から出ている。
朱六/蛇丑寅卯辰勾 后六后六 鬼 乙卯 六/貴子 巳龍 亥卯亥卯 財 癸亥 後/後亥 午空 卯未卯己 比 己未 虎/陰戌酉申未虎/玄常
天盤の諸将は、天后が辰に、太陰が巳に、玄武が午に、太常が未に、白虎が申に、天空が酉に、青竜が戌に、勾陳が亥に、六合が子に、朱雀が丑に、螣蛇が寅に、貴人が卯に乗ずる。巳時は昼に属し、己日の昼貴は子なので、昼貴は子に臨むべきだが、図の諸将は卯貴に従って逆に布せられ、己日の夜貴の格を取っている——源文がこうなっているので、そのまま留めて改めない。四課は右から左へ、日干の己は未に寄宮し、未の上に辰を得て天后が乗る。辰の上に酉を得て天空が乗る。日支の未の上に辰を得て天后が乗る。辰の上に酉を得て天空が乗る。三伝は、初伝が辰で天后を乗せ、遁干は戊辰、辰土が比和するので兄弟となる。中伝は酉で天空を乗せ、遁干は癸酉、子孫となる。末伝は寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅、寅木が己土を克するので官鬼となる。
陳公獻曰:目今會推必遂,但結局不佳耳。蓋因用合干支,傳成官局,推升必矣。但干支死傷喪吊全逢,又貴履天羅,斗繫日本,且行年酉金沖破官局,未受大有不如意事,若出兵擊賊,必有被圍失利也。其後流賊犯界,統副將程龍、潘可大敵之,全軍覆沒。己卯歲撫軍丁艱而歸。
陳公献が言うには、来意は必ず婚姻のためである。話が叶えば進行してもよいが、後に必ず夫妻を離れる——というのは、末伝が初伝を克するからである。馬を去って官位の象もある——支陰・干陰に「皇恩」と「戦轡」の両馬を帯びており(干陰の酉はちょうど七月の皇恩、酉はまた「戦轡」の馬を主る)、証拠があってこれを官に慮ることができる。ただし支上の辰が壬神を帯びるのを嫌う(辰は遁干に壬を蔵する)ので、男の懐妊が母を害することを主る。私は先生たちの面前で「身を退く月に進む月の象がある」と断言したが、のちに果たしてその通りであった——彼は果たして妻室を喪い、のちに京師で黄道周先生の門に入り、功名を得た。
庚申日
崇正辛巳年十二月己未日丑將巳時為繡衣馬公惕中占陳留縣城。 郭氏占案
庚申日、朱貞二が父の病を占う(『指南』)
朱六/蛇丑寅卯辰勾 后六后六 鬼 乙卯 六/貴子 巳龍 亥卯亥卯 財 癸亥 後/後亥 午空 卯未卯己 比 己未 虎/陰戌酉申未虎/玄常
崇正甲申年二月の庚申日に、月将「亥」を巳時に加えて課を起こし、大同府の知府である朱貞二が父の病を占った——朱貞二は己卯年生まれである。この案件は『六壬指南』から出ている。
郭御青曰:此課木局克身又支干皆逢死氣與許州課同(見壬辰日干上辰),卯為喪門又為死神,引中傳天后入墓,主妻財受驚,大凶之課。為馬公屢言之勿令渡河,公不聽,抵家即遇賊至,家口遂多喪失,較之王公肯聽餘言,吉凶天壤,始信,人生禍福,一定者也。
天盤の諸将は、朱雀が辰に、螣蛇が巳に、貴人が午に、天后が未に、太陰が申に、玄武が酉に、太常が戌に、白虎が亥に、天空が子に、青竜が丑に、勾陳が寅に、六合が卯に乗ずる。巳時は昼に属し、庚日の昼貴は丑なので、昼貴は丑に臨むべきだが、図は夜貴の午を用いて逆に布している——源文がこうなっているので、そのまま留めて改めない。四課は右から左へ、日干の庚は申に寄宮し、申の上に申を得て太陰が乗る——第一・第二課は同じ。日支の申の上に申を得て太陰が乗る——第三・第四課は同じ。これが伏吟課の定式である。三伝は、初伝が申で太陰を乗せ、遁干は甲申、兄弟となる。中伝は寅で勾陳を乗せ、遁干は戊寅、寅木は庚金の妻財である。末伝は巳で螣蛇を乗せ、遁干は辛巳、巳火が庚金を克するので官鬼となる。
陳公献が言うには、あなたの尊父は必ず脾土に病を抱えているが、他の病ではない。課の中で日干はあなたの尊父であり、日支はあなた自身である。伏吟の課なので、干支はともに同じ申金の上に居り、申は庚金の禄であり徳でもあり、お互いに損傷を加え得る者がなく、日と支が比和する——だから病患があっても、まず父子親戚の自分の病であることを保証できる。さらに申金は伏吟の位でその地を離れず、支が太陰を乗せて日支の「自児の神」にあたり、病は脾経にあることが分かる。彼は今まさに何事にも少なく関わるべきで、体を静かに保って、およそ初夏には回復する。巳月はちょうど庚金の長生の位なので、本気が伸びて復する。のちに果然として未月に無事で、その年の秋、彼が果たして京堂の官に転じた——四課が自従の課の格を具えており、日・支が刑に遭ってもまた禄徳に逢えば、名が改まり位が転ずるのである。
八月己未日辰將午時卦名八專,占來意。 一字訣玉連環
庚申日、楊太史が母の病を占う(『指南』)
合勾龍空/卯辰巳午 合龍合龍 兄 ◎丑 蛇/朱寅 未虎 卯巳卯巳 父 丁巳 龍/蛇丑 申常 巳未巳己 父 丁巳 龍/子亥戌酉/貴后陰玄
崇正壬午年九月の庚申日に、月将「辰」を寅時に加えて課を起こし、三原の楊太史が母の病を占った——太史は尊士の諱であり、乙未年生まれである。この案件は『六壬指南』から出ている。
徐次賓曰:來意主與南面屬馬婦人來往事敗露,內有一姓孫人,嚇詐驚恐,壞錢十一貫文,至庚申日即無事也。午時為日干六合,卦名八專,主淫亂。午屬馬,為南方也。何知事敗露?緣日上見太乙,得青龍木將上日為鬼故也。發用大吉主姓孫,上乘騰蛇主驚恐。何知壞錢十一貫?緣日上青龍主財帛七數,太乙為四數,共十一數也。庚申日無事者,蓋青龍木鬼死絕於申,又為庚金所克,又申上得天空,故知庚申無事也。
天盤の諸将は、勾陳が寅に、六合が卯に、朱雀が辰に、螣蛇が巳に、貴人が午に、天后が未に、太陰が申に、玄武が酉に、太常が戌に、白虎が亥に、天空が子に、青竜が丑に乗ずる。寅時は夜に属し、庚日の夜貴は午なので、貴人は午に臨み、諸将は逆に布せられる。四課は右から左へ、日干の庚は申に寄宮し、申の上に辰を得て朱雀が乗る。辰の上に戌を得て太常が乗る。日支の申の上も辰を得て朱雀が乗る。辰の上に戌を得て太常が乗る。三伝は、初伝が辰で朱雀を乗せ、遁干は庚辰、兄弟となる。中伝は戌で太常を乗せ、遁干は甲戌、父母となる。末伝は寅で勾陳を乗せ、遁干は丙寅、寅木は庚金の妻財である。
陳公献が言うには、太夫人的病は心腹の間にあるが、他の病ではない。日支の上と干の上が互いに加わり、ともに辰戌を帯びているので、事は腹痛に留まらず、切迫して危急である。いま初伝は「日墓」と「破刑」を帯び、地盤の内に入っているので、課にはすでに往むことができない徴がある。ただすぐには滅しない。中伝の戌は「両岐の神」であり、かつ日墓を帯びて課の中に居るので、死の瀬にあって蘇生する人を主る。まだ太夫人の本命は生年が乙未なのに、未は課の中で天后を乗せ、天后は太陰に次ぐ——陰気の極まる處である。末伝は寅で、ちょうど寅は「死門」をなし、しかも寅に居るのは勾陳の神なので、回生するのが難しい。まだ行年の神は太常に臨み、太常はまた孝服の神をなし、死の服を見る——母の命は過ぎて去るのである。
元祐六年六月初二日在楚州天慶觀道士費知祥,年四十二歲云夜夢不吉,卜之。己未日未將未時伏吟。 玉連環末卷 一針見血
庚申日、何葵蓋が所占を占う(『指南』)
龍空虎常/巳午未申 虎虎虎虎 兄 己未 虎/勾辰 酉玄 未未未未 兄 ◎丑 蛇/合卯 戌陰 未未未己 兄 壬戌 陰/寅丑子亥/朱蛇貴後
崇正丁丑年七月の庚申日子時に、安庆の一路で発令する(原文「安庆发令一路」は文脈上「発令の一人」である)何葵蓋(何葵蓋は原文が「何葵蓋」で、いわゆる「葵蓋」は蓋という字の異体であろうが、姑く原のままに留める)が、人家に課を求め、何事を占うかを明かさなかった。この案件は『六壬指南』から出ている。
劉日新曰:事起吾師,不可飲醉,今夜若聞犬吠,不可看視,恐牆崩地陷。更忌井邊行,道士以為戲耳,不復記念。至晚大醉,忽聞犬吠,驚起見本房光怪如火,恐遺漏盜賊,披衣出逃,觀中人亦皆驚起,事止,獨不見費師,人憶餘言,向井中尋之,則費師已墜井中而死矣。論曰:三傳未丑戌三刑,月日辰皆是未並,而為刃又乘白虎,故凶。費公行年又在未,故應在費公自己。未為酒,為井,故云莫飲酒、莫井邊行。又未為六丁,為天目,為光怪,中丑乘蛇受虎刑,故發聲。末戌乘陰,受蛇刑戌為犬吠。三傳墓殺,課無生意,故主死也。
天盤の諸将は、太陰が申に、玄武が酉に、太常が戌に、白虎が亥に、天空が子に、青竜が丑に、勾陳が寅に、六合が卯に、朱雀が辰に、螣蛇が巳に、貴人が午に、天后が未に乗ずる。子時は夜に属し、庚日の夜貴は午なので、貴人は午に臨む。四課は右から左へ、日干の庚は申に寄宮し、申の上に申を得て太陰が乗る——第一・第二課は同じ。日支の申の上も申を得て太陰が乗る——第三・第四課は同じ。これが伏吟課の定式である。三伝は、初伝が申で太陰を乗せ、遁干は甲申、兄弟となる。中伝は寅で勾陳を乗せ、遁干は戊寅、寅木は妻財となる。末伝は巳で螣蛇を乗せ、遁干は辛巳、巳火が庚金を克するので官鬼となる。
陳公献が言うには、これは伏吟の課であり、干支はともに本位にあるので、何事も動かないことを主る。干上・支上はともに申を重ね、申は庚金の禄徳である。禄徳に臨むのに官は動かず、必ず恩命のあることを主る。ただ初伝の甲申はちょうど旬首で、日・月の徳を帯び——七月の月建は申なので——また青竜に臨まず太陰を帯びる。太陰は陰私・隠匿の神なので、日禄・日徳を帯びながらも官は恩によって得るものの、内に暗昧の事があることを主る。中伝の寅は馬を帯び——申子辰の日は馬が寅にあり——妻財でもある。末伝の巳は官鬼で、巳申は刑合するので、官は動いて動く、寅巳申は三刑を循環するので、反覆遷移することを主る。およそ恩を蒙って動き、動いてまた生ずる——官の遷改・刑名の事はこの課の中に具わっている。のちに果然としてその通りであった。
乾隆甲子年六月己未日未將未時占陰晴。 牧夫占驗
庚申日、徽商の某氏が子の病を占う(『牧夫占験』)
龍空虎常/巳午未申 虎虎虎虎 兄 己未 虎/勾辰 酉玄 未未未未 兄 ◎丑 蛇/合卯 戌陰 未未未己 兄 壬戌 陰/寅丑子亥/朱蛇貴後
乾隆甲子年の庚申日に、月将「酉」を巳時に加えて課を起こし、徽商の某氏が子の病を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。
王牧夫曰:天雖晴明,午後主有大風,當拔木號空。風止有小雨,雨止天陰,不久即晴朗。蓋未為風伯,踞於干支主風盈宇宙。乘虎主有力而大,故曰拔木號空。中傳丑,末傳戌相刑,土氣不和,主有小雨。太陰在末,主天陰。三傳純土制水,故不久而晴朗也。午與未合,午后陰生,故驗於午後,一一皆應。凡渡江河咸池殺亦主大風,不可不知。
天盤の諸将は、天空が午に、青竜が未に、勾陳が申に、六合が酉に、朱雀が戌に、螣蛇が亥に、貴人が子に、天后が丑に、太陰が寅に、玄武が卯に、太常が辰に、白虎が巳に乗ずる。巳時は昼に属し、庚日の昼貴は丑なので、昼貴は丑に臨むべきだが、図は夜貴の子を用いて逆に布している——源文がこうなっているので、そのまま留めて改めない。四課は右から左へ、日干の庚は申に寄宮し、申の上に未を得て青竜が乗る。未の上に戌を得て朱雀が乗る。日支の申の上に未を得て青竜が乗る。未の上に戌を得て朱雀が乗る。三伝は、初伝が戌で朱雀を乗せ、遁干は丙戌、戌は土を主り庚金において父母となる。中伝は丑で貴人を乗せ、遁干は丁丑、父母となる。末伝は辰で太常を乗せ、遁干は庚辰、父母となる。戌・丑・辰はともに土に属する。土は金を生ずるが、その力が強すぎると土が多くて金が埋まる虞もあるので、断語の根拠はここにある。
昔在淮陰六月間,偶至大字店程雨宸世兄處,示以占遇返吟一數問陰晴。余曰:今日未時,西南上雲起有雷聲,風大雨大,一時而至。乃海鹽宗兄仲箎所起之數,斷以明日餘不知也。宗兄雲來日始有風雨,雨宸兄雲存以為驗。今日不驗,則來日以驗。先生一咲而起。餘歸飯後,聞雷聲,雲果起西南,風大於雨,一時而霽。諸人歎服。仲篪兄亦服。問余何以應今日?余曰:此返吟課,其應甚速。
王牧夫が言うには、子の病は危急だが命は害されない。三伝はともに厚い土気を帯びるので、病が脾経に属し、食傷・停滞の患を主る——この課は三伝が全て父母の爻で、父母は飲食・脾土を主るからである。四課はみな干支が重なり重疊しており、積滞の象がある。幸いにも末伝の辰は太常を帯びるが、ちょうど日禄・日徳が破を受ける——「太常が医を主る」に依って、得られたのは良医である。用药して通暢させればすぐ癒える。のちに果然として消積の药で通暢させて全快した。
辛酉日
崇正丁丑年八月己未日辰時經筵講官安慶阮允平太史雲先日吳門申相公以八年講官拜相吾今亦八年枚卜若何? 指南
辛酉日、程閣学が差遣を占う(『口鑑』『方本占案』)
空虎常玄/午未申酉 玄 常 玄 常 兄 己未 虎/青巳 戌陰 酉 申 酉 申 子 庚申 常/勾辰 亥后 申 未 申 己 子 庚申 常/卯寅丑子/合朱蛇貴
建炎戊申年十月初十は辛酉日で、月将「卯」を辰時に加えて課を起こし、程閣学——諱は瑀、籤州人——が差遣を占った。この案件は『口鑑』と『方本占案』の両方に収められている。
陳公獻曰:太史雖有公卿推薦,恐不能也。蓋因日比虎刃自他處發用,突有秦人,任風憲兵刑之職者,不由詞館入閣;且中末干支年命俱見羅網,是秦晉梁益之人在中阻隔。又夜貴居本命,太史必賦歸來矣。後果黜。秦中薛國觀先生、蜀中劉宗伯入閣。
天盤の諸将は、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が寅に、螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が未に乗ずる(源文の諸将の位置は実際には六合が未に居るとして、巳時とではない——ここは源文通りに記す)。辰時は昼に属し、辛日の昼貴は寅なので、貴人は寅に臨む。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に午を得て青竜が乗る。午の上に申を得て白虎が乗る。日支の酉の上に未を得て天空が乗る。未の上に酉を得て太常が乗る。三伝は、初伝が未で天空を乗せ、遁干は乙未、未土は辛金において父母となる。中伝は酉で太常を乗せ、遁干は丁酉、酉金は比和するので兄弟となる。末伝は亥で太陰を乗せ、遁干は己亥、亥水は辛金がこれを生ずるので子孫となる。
邵彦和が言うには、この課は名を「斫輪」といい、官吏の赴任を占うにはまことに吉である。干支はそれぞれ旺気を帯び、日の辰もまた年の神(行年)と合する。およそ巳午は辛金の貴人であり官星でもある。いま太常が日支の上に臨んでいるので、必ず酒食の懇親がある。ただ嫌なのは日辰が自ら旺して互いに損することがなく、度々の象はむしろ軽く済ませたいことを主る——頻々にして去ることを主るが、まだすぐには離れない。来たる差遣はけっして美しくない——太常が臨んで、空・亡・破刑を帯びるからである。程氏が言うには、いま太常が酉金の上に臨み、課の中で日禄を帯びるので、酒食の供饋を得るがごときである。未戌酉亥は「回還」と名づくので、去るとはいっても離れない。後年、程閣学は果たして大理寺丞に除授され、赴任するや直ちに勅旨で徽猷閣待制に転じた。
乾隆庚申年五月己未日申將未時占雲起有雨否? 牧夫占驗/空虎常玄/午未申酉 玄常玄常 兄己未虎/青巳 戌陰 酉申酉申 子庚申常/勾辰 亥后 申未申己 子庚申常/卯寅丑子/合朱蛇貴
辛酉日、徐聴雨が兄の病を占う(『牧夫占験』)
王牧夫曰:此課主今日午後風雨雷電俱大。蓋八專為體,不辨干支,而水母重重見於其上。未為風伯,又乘白虎劫煞。卯為雷,勾陳加之。巳為電,丁神附之。是以主四者俱大也。主本日者,本日之支發動,未中有丁,主迅疾倏發。是日午後果大風雨雷電至申時止,傳中申不足故耳。再視貴登天門,龍神昇天,丙丁逢空,亦主雨之象。
乾隆戊辰年十一月の辛酉日に、月将「寅」を巳時に加えて課を起こし、徐聴雨が兄の病を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。
天盤の諸将は、白虎が酉に、天空が戌に、青竜が亥に、勾陳が子に、六合が丑に、朱雀が寅に、螣蛇が卯に、貴人が辰に、天后が巳に、太陰が午に、玄武が未に、太常が申に乗ずる。巳時は昼に属し、辛日の昼貴は寅なので、図は昼貴の寅を用い……(図では貴人が辰に臨み、これは昼貴の寅の順布ではなく、庚日の夜貴の午でもない——源文の排式にはおそらく誤りがあるが、姑く原のままに記す)。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に巳を得て天后が乗る。巳の上に亥を得て青竜が乗る。日支の酉の上に午を得て太陰が乗る。午の上に子を得て勾陳が乗る。三伝は、初伝が亥で青竜を乗せ、遁干は己亥、亥水は子孫となる。中伝は卯で螣蛇を乗せ、遁干は辛卯、卯木は辛金の妻財である。末伝は未で玄武を乗せ、遁干は乙未、未土は父母となる。亥卯未の三合は木局を成し、事象は食傷・子孫の象に集まる。
建炎己酉年九月己未日卯將寅時顧孔目甲子生四十六歲占終身。 方本占案/蛇貴/朱午未申酉後/六巳 戌陰 后貴后貴 兄己未蛇/陳辰 亥玄 酉申酉申 子庚申貴/龍卯寅丑子常 申未申己 子庚申貴/空虎
王牧夫が言うには、兄の病は危急で、きっとよくならない。課式を見ると、三伝は木局に合し、六合は棺を主り、戌亥の天罡は「墓門」となし(戌は天罡、亥は地戸、戌亥は天門・地戸の間にあって死喪の徴となる)、凶象が甚だ明白である。行年の神は午に臨み、午火はまた木局を生じて財爻を化し、ただ病人に利があるだけである。およそ十一月中旬、酉・戌・亥の時月に忌み憂うべきである——酉は日支、戌は干の寄宮、亥は初伝である。この後、果たして亥月に没した。
邵彥和曰:己去就祿,便就上作初傳,若貴人相委財賦,須是仔細,不得走作財物,及非理飲酒,與親戚婦人交往,交主杖責,杖責了卻得垂顧帶去,終有名目相呼,此長生貴人垂顧之力也。顧緣初太守委提點財賦,後用官錢失檢,杖八十,月餘又與婦人在酒店飲酒,被仇人翁中達理論,太守勘無贓,杖一百,又二月鄭仕郎上任,顧甚得龐,遂成家計,得本州島參軍,後隨鄭去五年,大得意歸。
辛酉日、衛党衙が蔵物を占う(『指南』)
蓋己祿在午,刃在未作蛇,主非橫得罪,未為眷屬酒漿,蛇主棒,故見之,且不合在初傳也。中末皆長生貴人,可以立身。鄭貪賄,顧與他經畫,因得意。蓋土生金,申又作貴,為日長生,中末皆是故以此終。
崇正壬申年十二月初三は辛酉日で、月将「子」を卯時に加えて課を起こした。衛党衙——名は宋啓運——は、物が失われて見つからないことを問いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に、貴人が巳に、螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に乗ずる。卯時は夜に属し、辛日の夜貴は巳なので、貴人は巳に臨み、諸将は逆に布せられる。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に申を得て六合が乗る。申の上に卯を得て太陰が乗る。日支の酉の上に戌を得て青竜が乗る。戌の上に辰を得て天后が乗る。三伝は、初伝が辰で天后を乗せ、遁干は戊辰、辰土は辛金の父母である。中伝は申で六合を乗せ、遁干は丙申、兄弟となる。末伝は子で白虎を乗せ、遁干は戊子、子水は子孫となる。辰・申・子が三合して水局を成し、水は辛金の子孫をなす。
乾隆甲戌年亥月己未日寅將丑時,辛未人六十四歲占失賊。 牧夫占驗/朱蛇貴後/午未申酉 后貴后貴 兄己未蛇/合巳 戌陰 酉申酉申 子庚申貴/勾辰 亥玄 申未申己 子庚申貴/卯寅丑子/青空虎常
陳公献が言うには、物が失われて、必ず「金」の字を帯びた「孝服」の子女の手に取られている。支上・干上はともに「父母」が重なり、父母は日の「長上」であり衣帛・資財を主るので、蔵した物に間違いない。中伝・末伝はともに天將が日禄を帯び——六合は禄存を主り、白虎は血支・血忌を帯び、血支は血光・孝服を主る——だから孝服の子女の手に落ちた。日支の辰が「金の墓」となし、墓は墳墓の位で、子女はちょうど水局に属し、水は墓神をなす。つまり失われた物は、水道・墓側の近くにある。彼の物が果たして水道傍の墓側で拾得された。彼は私に深く謝して帰った。
王牧夫曰:八專之課,干支不別,一派寒金,自身又作螣蛇,事由自己疏懶致有此也。財失五百金,必非一人。以玄武論之,乘亥,陰見子,乃少年也。亥數四,當主四人。玄武臨戌,當在西北近水之地。子乘太常,勾陳制之;太陽之陰,又與相刑,告官必為捕役所獲。果於辛酉日因包課之布為認記,因是而獲。同夥者共四人。
辛酉日、官職を占う(『牧夫占験』)
乾隆庚午年正月の辛酉日に、月将「亥」を午時に加えて課を起こし、官職を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。
建炎戊申年八月己未日巳將卯時何解元癸酉生三十六歲占子嗣。 口鑑 捷要 方本占案/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
天盤の諸将は、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に、貴人が午に、螣蛇が未に乗ずる。午時は昼に属し、辛日の昼貴は寅なので、貴人は寅に臨むべきだが、図では貴人が午に臨んでいる——これは辛日ではなく壬・癸日の昼貴である午を用いたもので、源文の排式におそらく誤りがあるが、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に亥を得て青竜が乗る。亥の上に申を得て朱雀が乗る。日支の酉の上に午を得て貴人が乗る。午の上に丑を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が亥で青竜を乗せ、遁干は己亥、亥水は子孫となる。中伝は寅で太常を乗せ、遁干は壬寅、寅木は妻財となる。末伝は巳で天后を乗せ、遁干は癸巳、巳火が辛金を克するので官鬼となる。
邵彥和曰:課名獨足,若傳飛散,便不應也。何兄此占,當有五女,若要得子,除非過房。行年在丑,酉為六合,而沖卯之玄武,畢竟男胎不成也。本身有腸風痔病,乃好色得之,不利成名,成名則不過四十八矣。
王牧夫が言うには、官星が初伝・中伝を経て末伝に落ち、亥・寅・巳が順に相い生ずる——亥水は寅木を生じ、寅木は巳火を生じる——青龍・太常・天后の吉將を帯び、官職は必ず転じて良いがある。ただし日干の上に青竜が坐し、日支の上に貴人が坐し——貴人は官星でもある。干支は刑を交わし——寅巳申の三刑、巳申は刑合——だから職を推すには必ず刑獄・訟獄の處に関わる。「刑を交わして合を帯び」、転職のために刑部の署に委ねられることが分かる。彼は後に果然として刑部江西司に推転された。
蓋身宅三傳俱是酉,酉為兌,兌為少女,六合乘酉,亦是女,三傳日辰俱見酉,故主五女也。行年上見卯,為震,為長男,酉來合丑,而卯相沖,上見玄武盜耗,所以不成胎也。酉金為大腸,又酉為血,故為腸風臟毒也。酉為脫氣,又為色慾,六合為女,故主好色也。酉六未八,乃六八四十八也。
壬戌日
壬戌日、徐氏が夫の行方を占う(『指南』)
張世南同日時得此課占訟。 口鑑 直指/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
崇正癸酉年十二月初五は壬戌日で、月将「丑」を子時に加えて課を起こし、徽商の徐氏が夫の行方を占った——夫は術數を学んでおり、湖南に遊んで帰らない。この案件は『六壬指南』から出ている。
邵彥和曰:兩邊行不得,只好從中自後行。若兩邊爭時不知寧息,公潛地用轎自走去地頭。定解,果如其說。直指引口鑑云:兩邊俱不得力,官當自行,干貴無益,後果縣宰潛往定驗矣。
天盤の諸将は、太陰が酉に、玄武が戌に、太常が亥に、白虎が子に、天空が丑に、青竜が寅に、勾陳が卯に、六合が辰に、朱雀が巳に、螣蛇が午に、貴人が未に、天后が申に乗ずる。子時は夜に属し、壬日の夜貴は卯なので、貴人は卯に臨むべきだが、図では貴人が未に臨んでいる——これは夜貴ではなく昼貴の巳と混同したものか、あるいは別の讹りである。源文の通りに留めて改めない。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に申を得て天后が乗る。申の上に丑を得て天空が乗る。日支の戌の上に寅を得て玄武が乗る。寅の上に亥を得て太常が乗る。三伝は、初伝が寅で玄武を乗せ、遁干は甲寅、寅木は壬水がこれを生ずるので子孫となる。中伝は亥で太常を乗せ、遁干は癸亥、兄弟となる。末伝は申で天后を乗せ、遁干は庚申、申金は壬水を生ずるので父母となる。
陳公献が言うには、あなたの夫は南方の僧寺にいて、門下に弟子があって占を行っている。彼の処には既に疾病があるが、命はまだ保たれる。行年の上の神は天后で臨む——天后は水を主り、水は南を向いているので南方である——申金は壬水を生じ、申はまた「婬私」を主り天后と合す。門下の弟子は「僧尼」の象で、玄武が「釈」の類を主る。寅は「功曹」の位で、もともと老僧の坐す所である。支の上に寅が臨み寅は子孫をなし玄武を帯び——玄武は「盗贼」を主る——これは彼の僧寺が既に盗賊に破られて残せる弟子がいない徴である。夫婦は丑・寅・申に落ち、申は天后を帯び「水に臨む」象をなす。来たる正月には夫はきっと帰って来る。果たして翌年正月に帰宅した。
二月己未日亥將酉時張克用商人占遠方買賣。 口鑑 捷要/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
壬戌日、上苑中允が夫人の懐妊を占う(『指南』)
邵彥和曰:酉為兌,兌為澤,六合為船隻,利船行。獨足止一足,不利陸行,若船行獲加倍得利。
崇正丁丑年九月の壬戌日に、月将「辰」を寅時に加えて課を起こした。洧川の上苑中允が夫人の懐妊を占いに来て、胎の男女を占い、懐妊の徴候もあわせて問うた。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、太陰が酉に、玄武が戌に、太常が亥に、白虎が子に、天空が丑に、青竜が寅に、勾陳が卯に、六合が辰に、朱雀が巳に、螣蛇が午に、貴人が未に、天后が申に乗ずる。寅時は夜に属し、壬日の夜貴は卯なので、貴人は卯に臨むべきだが、図では貴人が未に臨んでいる——源文がこうなっているので、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に申を得て天后が乗る。申の上に丑を得て天空が乗る。日支の戌の上に寅を得て玄武が乗る。寅の上に亥を得て太常が乗る。三伝は、初伝が申で天后を乗せ、遁干は庚申、父母となる。中伝は巳で朱雀を乗せ、遁干は乙巳、妻財となる。末伝は寅で玄武を乗せ、遁干は甲寅、子孫となる。
杭州學橋水漲,太尉重起府門及造賃屋房廊請陳相干天民占問己未日戌將申時辛亥命。 一針見血 張本作邵彥和占/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
陳公献が言うには、太夫人は必ず男子を孕む——三伝は全て陽神・陽位を帯びるからである。ただし胎位が弱いので、産後に必ず損傷を受ける——日干の上に「父母」が重なり、父母は胎神を剋する。末伝の寅はまた「功曹」の位で、遁干に「甲」を帯びる——甲木は十干の長である。だからこの児は必ず長男である。「青竜が胎の徳」を帯び——寅は青竜を帯び、青竜は財禄を主る——この児は生まれて必ず貴い。のちに果たしてその通りであった。
陳天民曰:獨足課,即亥酉未,辛命得三個酉是三重天祿,三重帝旺,主富貴兩全,官至一品。依朝廷之威勢起造昌盛,尚有三十年大發,太尉大喜。天民退而告人曰:此獨足課,課既不足,傳又不行,終無百年久遠。將來太尉歿後,命既不存,祿旺何在?恐其子孫不肖犯法,此屋沒入官矣。果然。
壬戌日、楚中有声が子を求める(『指南』)
崇正己巳年二月の壬戌日に、月将「亥」を辰時に加えて課を起こし、楚中有声——名は権——が子を求めて来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
建炎己酉年九月己未日卯將丑時陸孔目己巳生四十一歲占官事。 方本占案/貴後/蛇未申酉戌陰/朱午 亥玄 玄后玄后 子辛酉後/六巳 子常 亥酉亥酉 子辛酉後/陳辰卯寅丑虎 酉未酉己 子辛酉後/龍空
天盤の諸将は、螣蛇が巳に、貴人が午に、天后が未に、太陰が申に、玄武が酉に、太常が戌に、白虎が亥に、天空が子に、青竜が丑に、勾陳が寅に、六合が卯に、朱雀が辰に乗ずる。辰時は昼に属し、壬日の昼貴は巳なので、昼貴は巳に臨むべきだが、図は夜貴の午を用いて逆に布している——源文がこうなっているので、そのまま留めて改めない。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に卯を得て六合が乗る。卯の上に午を得て貴人が乗る。日支の戌の上に申を得て太陰が乗る。申の上に亥を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が酉で太陰を乗せ、遁干は己酉、父母となる。中伝は辰で朱雀を乗せ、遁干は庚辰、父母となる。末伝は亥で白虎を乗せ、遁干は辛亥、兄弟となる。
邵彥和曰:己巳生人,見酉為破碎。今日又是巳日,未即是己,支干又皆敗於酉,酉合巳,象配字,行年便作背後懸針殺,一因奸事,二防官錢,三防酒,必配本州島。蓋獨足不行也。配後當再配西北牢城方止耳。陸漫應之,月餘太守差沽酒,渠夾帶劉宅私酒,又與二夫娘何盼盼憑照,因太守轎出,見他在麵店,太守即搜尋他事蹟,互用官錢五十多貫,及招認奸事,配本州島牢城,後即在通判廳,累與他作鬧,再與何盼盼往來,通判大怒,稟過太守,斷配潤州。
陳公献が言うには、子を求めるには妻妾の腹を占うべきだが、この課は妻に子がない。日干の上に「六合」が臨み、六合は子女を主るが、六合の神は卯を帯びて空亡に落ちる——卯は辛酉日の空亡——だから腹があっても全く空である。末伝の亥は「子」を帯び、白虎を帯びて「敗神」をなす——亥は水で、水は子孫を主るが、白虎は「兇残」を主るので、子があっても必ず損される。さらに三伝は全て「父母」を帯び、父母は子孫を剋するので、腹はあってもただ流空を産する——種はあっても実らない。後に果然として果たさなかった。
蓋獨足課,故在本州,來歲行年加日辰之上,與日辰並聚,凡並聚者,必飛散,既飛散,必再出外方。(若何解元占子嗣課行年不加故不飛散)。兼有二巳字,豈一番可了?(不合是己巳生),酉上見亥不離西北,亥乃江海,必潤州矣。況亥為點水,酉為門,酉上見丑土,似玉字,合之成潤字也。
壬戌日、呉興沈氏が陸君宝の子を占う(『指南』)
崇正丙子年十二月の壬戌日午時に、吳興の沈氏が陸君宝の子を占い、懐妊したことを祝いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
己未日子將戌時某占婢走失。 方本占案/貴後/蛇未申酉戌陰/朱午 亥玄 玄后玄后 子辛酉後/六巳 子常 亥酉亥酉 子辛酉後/陳辰卯寅丑虎 酉未酉己 子辛酉後/龍空
天盤の諸将は、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に、貴人が午に、螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に乗ずる。午時は昼に属し、壬日の昼貴は巳なので、貴人は巳に臨むべきだが、図では貴人が午に臨んでいる——源文がこうなっているので、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に子を得て天空が乗る。子の上に巳を得て天后が乗る。日支の戌の上に寅を得て太常が乗る。寅の上に亥を得て青竜が乗る。三伝は、初伝が午で貴人を乗せ、遁干は丙午、午火は壬水において妻財となる。中伝は巳で天后を乗せ、遁干は乙巳、妻財となる。末伝は寅で太常を乗せ、遁干は甲寅、子孫となる。
邵彥和曰:酉為婢,加干支上,是不離身宅矣。兼之獨足課,一足焉能逃也,不須尋,當日自歸矣。果然。
陳公献が言うには、この胎は必ず男子である——三伝は全て陽神・陽位を帯び、末伝は「功曹」の寅を帯びるからである。ただし懐妊はすでに日が足り、産期は遠くない——干の上に「天空」が臨み、天空は「虚胎」を主るので、これは児を生んだというのではなく、むしろ「虚胎」の象である。ただし末伝の寅は妻財を帯び、また「子孫」でもあるので、ただ虚胎ではない。だからこの児は生まれて、ただ一ヶ月に留まるだけである。彼は果然として生まれて間もなく亡くなった。
癸亥日
崇正辛未年四月己未日辰時東省兵長垣仇庸足先占功名。 指南/朱蛇/六酉戌亥子貴 玄蛇玄蛇 財癸亥蛇/勾申 丑后 卯亥卯亥 鬼乙卯玄/青未 寅陰 亥未亥己 兄己未龍/空午巳辰卯玄/虎常
癸亥日、張次公有が官職を占う(『指南』)
陳公獻曰:此課占功名,將來遠大,非常格也。傳將木局,官星崢嶸,喜本命丁馬恩星以化之,為逢凶化吉也。且木逢初夏,正在榮旺之時,又蛇化為龍,將來事業日新,功名顯赫,不待言矣。後歷任通州,擢南大司農、大司馬,請告歸里。
崇正己巳年四月の癸亥日酉時に、南城の張次公有——名は維世——が官職を占いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、太陰が寅に、玄武が卯に、太常が辰に、白虎が巳に、天空が午に、青竜が未に、勾陳が申に、六合が酉に、朱雀が戌に、螣蛇が亥に、貴人が子に、天后が丑に乗ずる。酉時は夜に属し、癸日の夜貴は巳なので、貴人は巳に臨むべきだが、図では貴人が子に臨んでいる——これは昼貴の卯でもなく夜貴の巳でもなく、源文の排式におそらく誤りがあるが、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の癸は丑に寄宮し、丑の上に戌を得て朱雀が乗る。戌の上に卯を得て玄武が乗る。日支の亥の上に戌を得て朱雀が乗る。���の上に卯を得て玄武が乗る。三伝は、初伝が戌で朱雀を乗せ、遁干は壬戌、戌土は癸水において官鬼となる。中伝は丑で天后を乗せ、遁干は癸丑、官鬼となる。末伝は辰で太常を乗せ、遁干は戊辰、官鬼となる。戌・丑・辰はともに土に属する——土は水を剋するので、官鬼をなす。
陳公献が言うには、この官は占いれば必ず得られるが、任上で長く居られない——三伝は全て「官鬼」の爻を帯び、官は多くて乱雑であり、また干支の上が互いに加わって「交克」し——干の上に戌、支の上に戌、戌土が壬水を剋する——これは任が難しく官が辱められる象である。だが彼はもうすでに得て、ただ去るに堪えない——初伝の戌は「河魁」を帯びて崑門をなし——戌は天罡の地で、崑門をなす——だから去るに堪えない。後に果然として、彼は得て直ちに廃された。
崇正甲申年四月初三庚申日酉將辰時如皋銓部李大生先生占燕京安危。 指南/朱蛇/六戌亥子丑貴 白貴白貴 財乙卯陰/勾酉 寅后 午丑午丑 父乙丑貴/青申 卯陰 丑申丑庚 父乙丑貴/空未午巳辰玄/虎常
癸亥日、呉振之が兄の科名を占う(『指南』)
陳公獻曰:賊自西山出奇,用騾車木韞,先攻西南後攻東北,且有凶變之虞。蓋因賊符自戌發用,克中末干支貴人,而天空臨寅(愚按:寅為燕之分野),此地疏虞,賊必乘虛而入,兩陰神虎鬼克干支及歲君,左右獻城之象。後聞李賊明攻張掖,暗逾東直,城中鼎沸,開門出降,先帝自縊。愚按:虎鬼並顯亦殺克太歲,故主懷宗自縊。
崇正庚午年十二月の癸亥日戌時に、奉新の呉振之が兄の科名を占いに来た——彼の兄はすでに頼を帯びて待っていた。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に、貴人が未に、螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に乗ずる。戌時は夜に属し、癸日の夜貴は巳なので、貴人は巳に臨むべきだが、図では貴人が未に臨んでいる——源文がこうなっているので、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の癸は丑に寄宮し、丑の上に午を得て天后が乗る。午の上に亥を得て勾陳が乗る。日支の亥の上に戌を得て六合が乗る。戌の上に卯を得て太常が乗る。三伝は、初伝が卯で太常を乗せ、遁干は乙卯、卯木は癸水がこれを生ずるので子孫となる。中伝は子で青竜を乗せ、遁干は壬子、比和するので兄弟となる。末伝は酉で朱雀を乗せ、遁干は癸酉、酉金は癸水を生ずるので父母となる。
庚寅年五月初八庚申日申將丑時徐盟鹿占得此課問遠行攜有妻子同往,看吉凶若何? 指南/貴後/蛇子丑寅卯陰 六陰六陰 父壬戌六/朱亥 辰玄 戌卯戌卯 官丁巳常/六戌 巳常 卯申卯庚 子◎子蛇/勾酉申未午虎/青空
陳公献が言うには、兄の科名は必ず成るが、いま成らない。日支の上に「六合」が臨み、六合は科名を主り、戌は「河魁」を帯びて「喜神」をなす——戌は秋冬の天喜で「喜神」である——だから科名は必ず成る。ただし中伝の子は「旬空」を帯び——癸亥日は子丑が旬空——だからいま成らない。末伝の酉は「父母」を帯び、朱雀を帯びて文書・科名を主る。酉は「勝光」の地で、また日支の「敗神」を帯びる——酉は亥水にとって「敗神」——だから敗してまた成る。兄の科名は「二番に得る」ことを主る。後に果然として、彼は「二番目」に推挙されて江西県令に授かり、直ちにまた「三番目」に改められた。
陳公獻曰:男女遠行俱不得意,中途被劫,死於他鄉,有沉溺破舟之虞。蓋因男干女支行入空墓之地,中傳劫煞旬丁刑剋支干,末傳日死加巳,是陽生臨陽絕,合為死字。且壬戌加卯發用,是河井相加,卯受干克,主車船破壞,其禍必矣。近江西百餘里,男女五人被盜而死。
癸亥日、塗心見が兄の差遣を占う(『指南』)
崇正壬申年十二月の癸亥日子時に、南昌の塗心見——名は仲登——が兄の差遣を占いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
乾隆己巳年五月庚申日未將子時,女命丁丑生五十三歲占流年。 牧夫占驗/青空虎常/子丑寅卯 合常合常 父壬戌合/勾亥 辰玄 戌卯戌卯 官丁巳陰/合戌 巳陰 卯申卯庚 子◎子青/酉申未午/朱蛇貴後
乾隆己巳年五月の庚申日に、月将「未」を子時に加えて課を起こし、丁丑年生まれ五十三歳の女性が流年を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。天盤の諸神が乗る天将は、「青竜」が子に、「天空」が丑に、「白虎」が寅に、「太常」が卯に、「玄武」が辰に、「太陰」が巳に、「天后」が午に、「貴人」が未に、「螣蛇」が申に、「朱雀」が酉に、「六合」が戌に、「勾陳」が亥にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に卯を得て太常が乗る——第一課。卯の上に戌を得て六合が乗る——第二課。日支の申の上に卯を得て太常が乗る——第三課。卯の上に戌を得て六合が乗る——第四課。三伝は、初伝が壬戌で六合を乗せ、中伝が丁巳で太陰を乗せ、末伝が子で青竜を乗せるが子は旬空に落ちる。戌は庚金の官鬼の墓であり、三伝の中に正官が現れず、末伝の子孫もまた空破に遭う——これが以下に寡居と家業の衰落を断ずる根拠である。
王牧夫曰:婦人占,用起鬼墓,不見官星,乃寡婦也。家本富厚,有模範,因婦人用事,先業漸虧,今便改削愈見衰落不振也。其人云彼夫家夫亡後,尚有數萬金為此婦用,費將盡矣。問流年者,看將來若何耳。余曰:末見青龍子孫為月破,又為囚水,聊且度日而已。蓋戌巳子,亦鑄印也。子去刑卯,卯為日財,乃先成後敗之體,故鑄印以巳戌卯三字為有成也。今得戌巳子,安能有興象乎?故曰不振。干支同體而財無分別,是人用我,我用人,俱不論也。我之財,為他人之財,亦可也。外用內用,終日斧削,豈能不耗?庚與申,內外皆斧也。其象如此,能不衰乎?
王牧夫が言うには、婦人が占いに来て、発用が官鬼の墓庫から起こり、課全体に正官が現れない——これは寡婦である。彼女の家はもともと殷実で富み、家風にも規範があったが、ただ婦人が家の事を取り仕切ったために先祖の産業が徐々に損なわれ、いまさらに削減されて衰落して振るわなくなった。その人が言うには、彼女の夫の家は夫が亡くなった後、なお数万両の銀を残してこの婦人の費用に充てていたが、いまはほとんど使い尽くそうとしている。流年を問うのは、ただ将来がどうなるかを見たいだけである。私が言うには、末伝の青竜・子孫は月破の上に落ち、また囚気の水なので、ただ日を凌ぐのみである。三伝の戌・巳・子はもとより「鋳印」の格に似ている——子が卯を刑し、卯は日干の財爻で、これは先に成して後に敗れる体段である——鋳印課は巳・戌・卯の三字が揃ってこそ有成とするのに、いま得たのは戌・巳・子である。どうして興隆の気象があろうか。だから不振と言う。日干と日支が同体で財爻に分別がないのは、人が我を用い、我が人を用いるのと同じで、いずれも論ずるに足りない。我の財が他人の財となることもまた可なり。外に用い内に用い、終日斧で削り続けるのだから、どうして耗費せずにいられようか。庚と申は内外ともに斧である。その象がこのようであれば、どうして衰えずにいられようか。
庚申日、夢を占う(『張本占案』)
九月庚申日卯將未時占夢。 張本占案/貴后陰玄/丑寅卯辰 蛇玄蛇玄 子◎子蛇/蛇子 巳常 子辰子辰 兄庚申龍/朱亥 午虎 辰申辰庚 父丙辰玄/戌酉申未/合勾龍空
九月の庚申日に、月将「卯」を未時に加えて課を起こし、夢の兆しを占った。この案件は『張本占案』から出ている。天盤の諸神が乗る天将は、「貴人」が丑に、「天后」が寅に、「太陰」が卯に、「玄武」が辰に、「太常」が巳に、「白虎」が午に、「天空」が未に、「青竜」が申に、「勾陳」が酉に、「六合」が戌に、「朱雀」が亥に、「螣蛇」が子にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に辰を得て玄武が乗る——第一課。辰の上に子を得て螣蛇が乗る——第二課。日支の申の上に辰を得て玄武が乗る——第三課。辰の上に子を得て螣蛇が乗る——第四課。三伝は、初伝が子で螣蛇を乗せるが子は旬空に落ち、中伝が庚申で青竜を乗せ、末伝が丙辰で玄武を乗せる。申・子・辰が会して水局を成し、課体の名は「潤下」である。
斷曰:此課潤下,值時冬旺,吉。蛇主奇怪驚恐,乘子為半夜之神發用,是夢感於三更時候。子在十月為天馬,為游神,為咸池,令人精神恍惚也。然太歲之位,即係萬盛之尊,申祿臨之,上乘青龍,雖有驚夢,不成凶。
断語に言う。この課は「潤下」で、時節は冬にあたり水気が旺である——吉である。螣蛇は奇怪・驚恐を主り、それが乗る子は夜半の神であり、いまここから発用するので、この夢は三更の時分に感応して成ったものと見える。子は十月において「天馬」であり、また「游神」であり、「咸池」でもあるので、人の精神を恍惚とさせる。ただし太歳の居る位はすなわち至尊至盛の地であり、庚金の禄神である申がまさにそこに臨み、上にまた青竜を乗せているので、驚きの夢を見てもついに凶とはならない。
愚按:此課似為祝氏元氏苗姑關氏為宋主占者,然他本未見姑關,疑焉。
愚按:この課は、祝氏・元氏・苗姑・関氏の数家が宋の君主のために占った課例のように見えるが、他の本には「姑関」の二字が見えないので、疑いを存して考証を待つ。
庚申日、陸孔目が訴訟を占う(『口鑑』)
陸孔目癸亥生四十七歲,己酉年九月庚申日卯將巳時占訟。 口鑑/六陳/朱卯辰巳午龍/蛇寅 未空 六龍六龍 鬼戊午龍/貴丑 申虎 辰午辰午 父丙辰六/後子亥戌酉常 午申午庚 財甲寅蛇/陰玄
陸孔目は癸亥年生まれ四十七歳で、己酉年九月の庚申日に月将「卯」を巳時に加えて課を起こし、訴訟を占った。この案件は『口鑑』から出ている。天盤の諸神が乗る天将は、「朱雀」が卯に、「六合」が辰に、「勾陳」が巳に、「青竜」が午に、「天空」が未に、「白虎」が申に、「太常」が酉に、「玄武」が戌に、「太陰」が亥に、「天后」が子に、「貴人」が丑に、「螣蛇」が寅にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に午を得て青竜が乗る——第一課。午の上に辰を得て六合が乗る——第二課。日支の申の上に午を得て青竜が乗る——第三課。午の上に辰を得て六合が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で青竜を乗せて官鬼となり、中伝が丙辰で六合を乗せて父母となり、末伝が甲寅で螣蛇を乗せて妻財となる。午・辰・寅が重なり火気が連なって、以下の火局・天網の断の本となる。
邵彥和曰:此課訟有源頭,今乃再發,非驀地生起也。蓋顧祖課,主原有訟根耳。且金日得巳時,又午發用,為天網,此事已不及止,更與人多不足。始終被他害。末寅只管生午火,遂來克身,又是自取其災也。兼為事太過當,故至此。何以知之?行年自會起火局,所以招致。用火自去燒身,甲寅旬見寅,乃第一位公人害你。午為夥計,配一千八百里也。
邵彦和が言うには、訴訟を占うに、この課は「天網」と「会火」の象を帯び、かつ陽刃・破碎が本命の上に重なるので、人は必ず刑罰に遭い流配される。初伝の午は庚金の官鬼であり青竜を乗せるが、青竜は財帛を主り、官鬼は刑獄を主る——財が官を生じて刑に入るのである。日支の申と日干の庚は同じ位に居り、自身と宅とが先に克を受ける。末伝の寅は妻財であるが、午の火を生じて官に戻るので、財を以て官に帰する——まさに自ら招いた災いである。
陸初與徐都院不足,被害窘拾不服,遂至彼來有短事,再被窘拾,遂送至院,眾人又來首。初時陸氏不合強罵眾人,因被從僭。所謂會成火局,乃是他自湊起。又是天網,亦自取也。因彼之身與宅,先見克,則末寅乘勢而生火。若不自招,如何得見此事?事了配鄂州,一千八百里。因午又見午,二九一十八,是其數也。午加申,乃西南方,陽刃破碎加本命,真針也。其青龍加申為退鱗,所以笞背。行年見盛開,則為配軍也。
陸孔目は初め徐都院と不仲で、相手に難詰され整えられたことに服さず、のちに相手側に落ち度があると、また難詰されて、ついに都院に押し送られ、衆人も一斉に出て首告した。当初、陸氏が強がって衆人を大いに罵るべきでなかったため、かえって人に制され罪を加えられた。いわゆる会して火局を成すとは、まさに彼自身が湊り合わせたものである。また天網に遭ったのも自ら招いたものである。彼の身と宅が先に克を見ると、末伝の寅が勢いに乗じて火を生ずる。もし自ら招かなければ、どうしてこのような事に遭えようか。案件が済んで鄂州に配され、道のり千八百里である。午にまた午を見るので、二に九を乗じて十八となり、これが里程の数である。午が申に加わるのは西南の方であり、陽刃と破碎が本命の上に加わるのはまさに「懸針」の象である。青竜が申に加わるのを「退鱗」というので、笞背の刑を受ける。行年の上に盛んに開ける火を見れば、配軍と断ずるのである。
庚申日、戯れに猫の産む子の数を占う(『説約』)
乙卯年三月庚申日搖得酉將亥時戲占貓生子幾隻? 說約/勾合朱蛇/卯辰巳午 合蛇合蛇 鬼戊午蛇/龍寅 未貴 辰午辰午 父丙辰合/空丑 申后 午申午庚 財甲寅龍/子亥戌酉/虎常玄陰
乙卯年三月の庚申日に、摇って月将「酉」を亥時に加えて課を得て、戯れに家の猫が子猫を何匹産むかを占った。この案件は『六壬説約』から出ている。天盤の諸神が乗る天将は、「勾陳」が卯に、「六合」が辰に、「朱雀」が巳に、「螣蛇」が午に、「貴人」が未に、「天后」が申に、「太陰」が酉に、「玄武」が戌に、「太常」が亥に、「白虎」が子に、「天空」が丑に、「青竜」が寅にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に午を得て螣蛇が乗る——第一課。午の上に辰を得て六合が乗る——第二課。日支の申の上に午を得て螣蛇が乗る——第三課。午の上に辰を得て六合が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で螣蛇を乗せ、中伝が丙辰で六合を乗せ、末伝が甲寅で青竜を乗せる。寅は十二生肖で虎に属し、六壬でも以て猫を代え、「午」は寅の生ずる子であり、螣蛇も同じく寅の子神に属するので、数目はここから推す。
張江村曰:生三隻,但有災難,必不能必安。舉家笑餘妄言,次日老貓生小貓一隻,即欲食之,屢禁而不能止。老貓不復再生,直至次日又生小貓二隻,俱為老貓壓死。鄰里親戚聞以為異,問余何以知之,余曰:寅為貓,午為寅之子,午火數二,蛇亦為寅之子,故云三隻。午為用,中傳辰壓之,火逢壓則滅,況天罡凶神又並天目煞,何可當乎?一也。乘蛇即巳,乃寅刑之,二也。占產順傳為吉,逆傳為凶,三傳逆行,則倒行而逆施矣,三也。
張江村が言うには、三匹産むが、ただ災難があって必ず全て安らかにはいられない。一家は皆、彼が妄言を吐くと笑った。翌日、老猫が子猫を一匹産み、すぐにそれを食べようとして、たびたび禁じても止められなかった。その後老猫はもう産まず、また翌日になってやっと子猫を二匹産んだが、いずれも老猫に圧し殺された。隣里や親戚が聞いて怪しみ、何によって知ったのかと尋ねた。張江村が言うには、寅は猫であり、午は寅の生ずる子で、午火の成数は二であり、螣蛇もまた寅の子神である——両方を合わせるから三匹と言ったのである。午は発用の神であり、中伝の辰がその上に圧する——火は圧に遭えば滅する。しかも辰は天罡の凶神であり、また「天目煞」を帯びているので、どうして堪えられようか——これが第一層である。午の上に乗る螣蛇はすなわち巳であり、巳はまさに寅に刑される——これが第二層である。産を占うには三伝の順行を吉とし逆行を凶とするが、この課は三伝が逆に走るので、倒行逆施の象となる——これが第三層である。
庚申日、借金の回収を占う(『牧夫占験』)
甲戌年十月庚申日寅將卯時,占索逋。丁未命二十八歲。 牧夫占驗/合勾青空/辰巳午未 青空青空 兄辛酉常/朱卯 申虎 午未午未 父己未空/蛇寅 酉常 未申未庚 父己未空/丑子亥戌/貴后陰玄
甲戌年十月の庚申日に、月将「寅」を卯時に加えて課を起こし、借金の追討を占った。占者は丁未年命で二十八歳。この案件は『牧夫占験』から出ている。天盤は地盤に比べて一位退いている。各位の天将が臨む神は、「六合」が辰に、「勾陳」が巳に、「青竜」が午に、「天空」が未に、「白虎」が申に、「太常」が酉に、「玄武」が戌に、「太陰」が亥に、「天后」が子に、「貴人」が丑に、「螣蛇」が寅に、「朱雀」が卯にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に未を得て天空が乗る——第一課。未の上に午を得て青竜が乗る——第二課。日支の申の上に未を得て天空が乗る——第三課。未の上に午を得て青竜が乗る——第四課。三伝は、初伝が辛酉で太常を乗せ、中伝が己未で天空を乗せ、末伝が己未で天空を乗せる。酉はまさに日干と日支の「羅網」の神であり、占者の本命はまたちょうど未である——この二点が以下の「彼此互いに網する」という断の着眼点である。
王牧夫曰:這債索得好笑,我問他索,他問我索,我暗裡制他,他暗裡制我,各自懷主意,都是一樣。蓋發用之酉,干支之羅網也。我去網他,他亦網我,到後都無分別,必須訟而後明也。勾陳在午,坐於明堂。未是占人本命,未中帶丁克支,午又合未。勾陳刑支合支,甚是糊塗。貴人在丑,墓干亦墓支。此訟而可明者,以干支皆戴文書,似必各懷券紙俱有可憑耳。不然何索逋而得此課,一樣葫蘆之象也。事必中止無例賴耳。未命理直,貴坐寅上沖申為干之財也。
王牧夫が言うには、この借金取りは実に笑止である——私は彼に取り立て、彼は私に取り立て、私は密かに彼を制し、彼は密かに私を制し、それぞれ腹に算段を抱いていて、両方とも同じ様子である。なぜなら発用の酉は、干と支の「羅網」の神だからである。私が網で彼を被えば、彼もまた網で私を被い、結局は彼此の分別がつかず、必ず訴訟をしてからでなければ明らかにならない。勾陳は午に落ち、午は明堂の位である。未は占者の本命であり、未の中に丁神を蔵して日支を克し、午はまた未と合する。勾陳は日支を刑しもし日支に合しもして、事はまことに紛糾している。貴人は丑に落ち、丑は日干の墓でもあり日支の墓でもある。この訴訟がまだ明らかにできるのは、干と支がともに文書の神を戴いているからで、両方ともそれぞれ契券の証文を握っていて、どちらにも拠るべきものがあるように見える。さもなければ、なぜ借金の取り立てで偏にこの課を得たのか——まさに同じ瓢箪を写したような象である。事は必ず中途で止まり、どちらも誰にも頼り切れない。未命の方は道理が直である——貴人が寅に坐して申を沖し、寅はまさに日干の財爻だからである。
庚申日、白生が出産を占う(『口鑑』『方本占案』)
己酉年九月庚申日卯將寅時白生占生產夫丁卯生四十三歲,妾戊子生二十二歲。 口鑑方本占案/貴後/蛇午未申酉陰/朱巳 戌玄 玄陰玄陰 子癸亥常/六辰 亥常 戌酉戌酉 兄辛酉陰/勾卯寅丑子虎 酉申酉庚 兄辛酉陰/龍空
己酉年九月の庚申日に、月将「卯」を寅時に加えて課を起こし、白生が出産を占った。夫は丁卯年生まれ四十三歳、妾は戊子年生まれ二十二歳。この案件は『口鑑』と『方本占案』に見える。天盤の諸神が乗る天将は、「螣蛇」が午に、「貴人」が未に、「天后」が申に、「太陰」が酉に、「玄武」が戌に、「太常」が亥に、「白虎」が子に、「天空」が丑に、「青竜」が寅に、「勾陳」が卯に、「六合」が辰に、「朱雀」が巳にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に酉を得て太陰が乗る——第一課。酉の上に戌を得て玄武が乗る——第二課。日支の申の上に酉を得て太陰が乗る——第三課。酉の上に戌を得て玄武が乗る——第四課。三伝は、初伝が癸亥で太常を乗せ、中伝が辛酉で太陰を乗せ、末伝が辛酉で太陰を乗せる。酉は庚金の陽刃であり、また破碎煞でもある。いま干・支と中伝・末伝の至る所に酉が見える——これが以下に母子ともに危ないと断ずる根由である。
邵彥和曰:干支不分,人宅不別,故不可曉。且庚為子,申為母,見酉為陰刃,乃面前陽刃也。太陰兼之尤甚。申母以酉為破碎,乃面前破碎也。夫行年兼之,是與妻子皆受破碎,女行年亥上見子乘虎,又洩氣,作大福方可保。夫干支中末,俱見陽刃破碎,又是自刑自害,必不利於子母也。白妾連生子皆不育,至壬戌生子,其子倒生,用刀破身方出,母幾不保。
邵彦和が言うには、この課は干と支が分かれず、人と宅が区別できないので、事が晦くて見えにくい。庚は子を表し、申は母を表す。酉に遭えば陰刃であって、しかも面前に直冲する陽刃である。上にまた太陰を兼ねるので、凶はさらに一層重い。申が表す母は酉を以て破碎煞とするが、これも面前の破碎である。夫の行年もこの字を兼ねるので、妻と子がともに破碎の害を受けることが分かる。女方の行年は亥にあり、亥の上に子を見て子は白虎を乗せ、また泄気の神である——必ず大いに功徳を作してこそ保てる。日干・日支から中伝・末伝まで至る所が陽刃と破碎で、さらに自刑・自害を兼ねるので、母子の二人に必ず不利である。白家の妾は続けて子を産んでも育たず、壬戌年に子を産んだとき、その子は逆生で、刀で産道を割いてやっと出て来て、母もほとんど命を保てなかった。
公前後生子不育,皆此子作祟耳。今雖得兒,若不戒欲,必為他害。蓋干支見酉,皆陽刃破碎自刑,故先害身卻來害母耳。於是白生與妾分居,乃得免。
白公が前後に生んだ子が育たなかったのは、みなこの胎神の祟りである。いま幸いに子を得たが、もし房室の欲を戒めなければ、必ずそれに害される。なぜなら干と支に見える酉は皆、陽刃・破碎に自刑を兼ねるので、先ず身を害し、転じてまた母を害するからである。そこで白生は妾と別居して、ようやく禍を免れた。
庚申日、行人を占う(『玉連環』末巻)
庚申日酉將未時占行人。 玉連環末卷/空虎常玄/未申酉戌 后玄后玄 子◎子後/龍午 亥陰 子戌子戌 財甲寅蛇/勾巳 子后 戌申戌庚 父丙辰合/辰卯寅丑/合朱蛇貴
庚申日に、月将「酉」を未時に加えて課を起こし、旅に出ている人を占った。この案件は『玉連環』末巻から出ている。天盤は地盤に比べて二位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「天空」が未に、「白虎」が申に、「太常」が酉に、「玄武」が戌に、「太陰」が亥に、「天后」が子に、「貴人」が丑に、「螣蛇」が寅に、「朱雀」が卯に、「六合」が辰に、「勾陳」が巳に、「青竜」が午にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に戌を得て玄武が乗る——第一課。戌の上に子を得て天后が乗る——第二課。日支の申の上に戌を得て玄武が乗る——第三課。戌の上に子を得て天后が乗る——第四課。三伝は、初伝が子で天后を乗せるが子は旬空に落ち、中伝が甲寅で螣蛇を乗せ、末伝が丙辰で六合を乗せる。初伝の子は地盤の戌の上に落ち、戌は西北に属する。申子辰の駅馬は寅にあり、末伝の辰はまた天罡である——帰期はこの数箇所から推す。
劉日新曰:主行人七日至。應西北來,戌上發用故也。已在道路,子為道路也。七日至者,驛馬在寅也。凡占行人信息,若發用並三傳在日干支後及將不順,皆主不動。占他動見天驛馬魁罡臨日辰或入傳將順,定主動也。取日期先取魁罡加驛馬來速。此課馬在寅,末傳得天罡加之,所以主寅日歸也。又云:貴人臨日,亦主歸也。
劉日新が言うには、行人は七日目に至ることを主る。西北の方から来るに応ずる——発用の神が地盤の戌位に落ちるからである。すでに道路の上にいる——子は道路を主るからである。七日至ると言うのは、申子辰の駅馬が寅にあるからである。およそ行人の音信を占うには、もし発用ならびに三伝が日干・日支の後に落ち、または天将の行度が順でなければ、皆、人が動身しないことを主る。他人の動を占って天馬・駅馬・天魁・天罡が日干・日支に臨むのを見るか、または三伝に入って天将が順行すれば、必ず動身することを主る。日取りを取るには先ず魁罡が駅馬に加臨するのを取れば、来るのが最も速い。この課は馬が寅にあり、末伝に天罡がこれに加わるを得たので、寅日に帰ると主るのである。また言うには、貴人が日干に臨むのもまた帰ることを主る。
辛酉日
辛酉日、蒋六公が自ら身の不安を占う(『方本占案』)
建炎己酉年八月辛酉日巳將寅時蔣六公乙巳生六十五歲自占身不安。 方本占案/虎常/空申酉戌亥玄/龍未 子陰 蛇陰朱后 財乙卯蛇/陳午 丑后 卯子辰丑 鬼戊午陳/六巳辰卯寅貴 子酉丑辛 兄辛酉虎/朱蛇
南宋建炎己酉年八月の辛酉日に、月将「巳」を寅時に加えて課を起こし、蒋六公——乙巳年生まれ六十五歳——が自ら身体の不安を占った。この案件は『方本占案』から出ている。天盤の諸神が乗る天将は、「天空」が申に、「白虎」が酉に、「太常」が戌に、「玄武」が亥に、「太陰」が子に、「天后」が丑に、「貴人」が寅に、「螣蛇」が卯に、「朱雀」が辰に、「六合」が巳に、「勾陳」が午に、「青竜」が未にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に丑を得て天后が乗る——第一課。丑の上に辰を得て朱雀が乗る——第二課。日支の酉の上に子を得て太陰が乗る——第三課。子の上に卯を得て螣蛇が乗る——第四課。三伝は、初伝が乙卯で螣蛇を乗せ、中伝が戊午で勾陳を乗せ、末伝が辛酉で白虎を乗せる。卯・午・酉はいずれも四仲の神であり、課体は「三交」に属し、初伝はまた旬空に逢う——これが以下に病情を論ずる鍵である。
邵彥和曰:吾丈年高,尚有此病,何也?凡三交中有空亡六合者,皆不正之合,其患有三:一主吾丈思前妻,二主戀一少婦不在眼前,多方煩燥,遂致下部流利不實;三主長子非橫因成病。今行年在末傳,帶祿居火上,為鬼所弄,不免貪食生冷酸鹹之物。若能如願,尚可活七八年,否則情死定死矣。蔣公欲取一意中人,諸子不肯,心遂躁怒,又大郎一奶子,又生煩躁,遂得下部病。只好酸鹹物吃。後先生勸彼乃郎,取此意中人與之,其病漸減。
邵彦和が言うには、老丈は年齢も高いのに、なおこのような病を得るのは、何の故か。およそ「三交」の課の中に空亡と六合を挟むものは、皆、正しくない相合であり、そこから生じる患いは三つある——一つは老丈が前妻を思うことを主り、二つは目の前にいない若い婦人を恋うことを主り、百方煩燥して、ついに下部が滑泄して固まらないに至る——三つは長子が不慮の横事に遭って、それによって心病を積成したことを主る。いま行年は末伝に落ち、禄神を帯びながら火の上に居り、官鬼に弄ばれているので、生冷・酸鹹の物を貪り食うことを免れない。もし心願を遂げ得れば、なお七八年は生きられよう。さもなければ、一往情深が真に命を取るであろう。蒋公は意中の女子を娶ろうとしたが、幾人もの息子たちが肯んじず、心は煩躁・怒るに至った。加えて大息子の方に乳母の一件があって、また煩躁を重ね、ついに下部の病を得て、ただ酸鹹の物を好んで食った。後に邵先生が彼の息子たちを説き、その意中の女子を娶って彼に与えさせたところ、その病は果たしてだんだん減った。
蓋果至丙辰年死。蓋支上子丑合,而乘太陰,又是夜神,是淫亂合也,卻又空亡,乃虛想其合,而無實效。四課遙克為傳,事主在內。長子非橫,乃卯為長子,作蛇故主非橫。主事初傳空亡,便不行傳,喜得末上行年相接,所以用之,日上丑土得中午生,土遂生金,丑八,故八年也。
後に果たして丙辰年まで生きてから亡くなった。日支の上で子と丑が相合し、上にまた太陰を乗せ、太陰はまた夜の神であるから、これは淫乱の合である。ただし空亡に落ちるので、ただ空しくこの縁を想うのみで、実の效はなかった。四課は遥克を以て伝を取るので、事は内室に起こることを主る。長子が横事に遭うのは、卯が長子を表し、卯の上に螣蛇が乗るので、意外の横禍を主るからである。主事は初伝が空亡なので伝を行くことができず、幸いにも末伝の上で行年が相接するので、以て用いることができた。日上の丑土は中伝の午の生を得て、土はついに金を生ずる——丑は八の数なので、八年である。
愚按:丑為墓庫,何得因此而活八年?此傳抄者之誤或疏解者之錯也。蓋此數辛金墓空可救。八月辛金旺,末傳酉金,年命上生酉金,重重相比,日干旺甚,故可不死。金數四,旺則倍之,故八年也。又按:思前妻者,干上天后為妻,乘丑,已入墓也。戀少婦者,支上子作太陰,且加行年上也。
愚按:丑は墓庫であるのに、どうしてこれによって八年も生きられようか。これは伝抄者の誤りか、あるいは疏解者の誤りであろう。およそこの数では辛金の墓が空いているので救えるのである。八月は辛金が旺で、末伝は酉金、年命の上に酉金が生じ……
辛酉日、乙巳命が訴訟を占う(『中黄経』)
戊申年十一月辛酉日丑將申時乙巳命六十四歲占訟。 中黃經/勾龍空虎/戌亥子丑 蛇常朱玄 父己未蛇/合酉 寅常 未寅申卯 子◎子空/朱申 卯玄 寅酉卯辛 鬼丁巳後/未午巳辰/蛇貴后陰
戊申年十一月の辛酉日に、月将「丑」を申時に加えて課を起こし、乙巳年命で六十四歳の人が訴訟を占った。この案件は『中黄経』から出ている。天盤は地盤に比べて五位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「勾陳」が戌に、「青竜」が亥に、「天空」が子に、「白虎」が丑に、「太常」が寅に、「玄武」が卯に、「太陰」が辰に、「天后」が巳に、「貴人」が午に、「螣蛇」が未に、「朱雀」が申に、「六合」が酉にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に卯を得て玄武が乗る——第一課。卯の上に申を得て朱雀が乗る——第二課。日支の酉の上に寅を得て太常が乗る——第三課。寅の上に未を得て螣蛇が乗る——第四課。三伝は、初伝が己未で螣蛇を乗せ、中伝が子で天空を乗せるが子は旬空に落ち、末伝が丁巳で天后を乗せる。占者は乙巳年命であり、命の上の神は勾陳の乗る戌であり、末伝の巳はまた辛金の官鬼である——この二箇所が囚繋と釈放を断ずる着眼点である。
斷曰:初傳未中有丁,且作騰蛇。末傳又是巳鬼,此鬼得黨助為凶,所以必起官訟。未為眷屬、陰人,蛇為小口驚恐,此訟多因陰人小口不足而起。戌作勾陳壓命,必主囚擊。巳鬼坐空,不遭刑責。今年六月起訟,明年正月必了結。乃解神未臨寅上,故也。春木既旺,勾陳與戌之臨命上者,均受其制,戌墓開而巳命之火光輝矣,主官斷明晰而釋放也。
断語に言う。初伝の未の中には丁神が蔵され、また螣蛇を乗せている。末伝もまた巳であり、巳はまさに辛金の官鬼である。この鬼はまた徒党の助けを得てさらに凶となるので、必ず官の訴訟を起こす。未は眷属と婦人を主り、蛇は小児・驚恐を主るので、この訴訟は多く婦人・小児の間の不和から起こることが見える。戌の上に勾陳が乗りまた本命の上を圧しているので、必ず拘繋されることを主る。幸いにも巳鬼は空亡の地に坐しているので、真に刑責を受けるには至らない。今年の六月に訴訟が起こり、明年の正月に必ず結了する——これは解神の未がまさに寅位に臨んでいる故である。春の木気がいったん旺となれば、勾陳および命の上に臨む戌土は均しく木に制伏され、戌という墓庫がいったん開けば、巳命の火は光を再放ち、官府が明らかに断じて彼を釈放することを主る。
辛酉日、来意を占う(『霊文論』)
辛亥年正月辛酉日亥將辰時占來意。 靈文論/空虎常玄/子丑寅卯 龍陰空后 子癸亥龍/龍亥 辰陰 亥辰子巳 鬼戊午貴/勾戌 巳后 辰酉巳辛 父◎丑虎/酉申未午/合朱蛇貴
辛亥年正月の辛酉日に、月将「亥」を辰時に加えて課を起こし、来た人が何を問うかを占った。この案件は『霊文論』から出ている。天盤は地盤に比べて七位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「天空」が子に、「白虎」が丑に、「太常」が寅に、「玄武」が卯に、「太陰」が辰に、「天后」が巳に、「貴人」が午に、「螣蛇」が未に、「朱雀」が申に、「六合」が酉に、「勾陳」が戌に、「青竜」が亥にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に巳を得て天后が乗る——第一課。巳の上に子を得て天空が乗る——第二課。日支の酉の上に辰を得て太陰が乗る——第三課。辰の上に亥を得て青竜が乗る——第四課。三伝は、初伝が癸亥で青竜を乗せ、中伝が戊午で貴人を乗せ、末伝が丑で白虎を乗せるが丑は旬空に落ちる。初伝の亥は地盤の辰位に落ち、辰は天罡であり、青竜が天罡を踏んで升騰する——全篇の升沈の断はここから起こる。
斷曰:此課占來意,十月有遷官之喜,至壬子年正月有大人見怒,謫降虛撓之憂。至亥年十月卻復有遷官之慶。蓋亥為用是十月建,又將得青龍,下臨天罡,為青龍之象,如龍之見天,臣之見君。故言十月有遷官喜慶。中傳貴人與末傳丑為六害,故言貴人見怒。午加亥為火臨絕地,式中午丑為六害,甲寅旬,丑落空亡,故云虛撓。亥為太歲,主人君之象,又十月亥為月建,將得青龍而與旺氣並,故云復有遷官之慶也。
断語に言う。この課で来た人の意図を占うと、十月に遷官の喜びがあると断じられる。壬子年の正月に至って、上司の大人が怒りを見せ、謫降の虚驚の憂いがある。亥年の十月に至って、却って再び遷官の慶がある。なぜなら初伝の亥はまさに十月の月建であり、上にまた青竜を得て、下に天罡の辰に臨んでいるので、青竜の騰躍の象である——竜が天を見、臣が君に見えるが如し。だから十月に遷官の喜慶があると言う。中伝の貴人と末伝の丑は互いに六害をなすので、貴人の怒りを見ると言う。午が亥に加わるのは火が絶地に臨むことであり、課式の中で午と丑はまた六害であり、甲寅旬において丑はまさに空亡に落ちるので、あれはただ虚驚に過ぎないと言うのである。亥はまた太歳の在る所で、人君の象を主り、また十月の亥は同時に月建であり、上に青竜を乗せて旺気と並んでいるので、再び遷官の慶があると言うのである。
辛酉日、何上舎が前程を占う(『口鑑』『方本占案』)
戊申年十月辛酉日卯將未時何上舍己巳生四十歲占前程。 口鑑 方本占案/陳六/龍丑寅卯辰朱/空子 巳蛇 龍蛇陳龍 官丁巳蛇/虎亥 午貴 丑巳寅午 父空丑龍/常戌酉申未后 己酉午辛 兄辛酉玄/玄陰
戊申年十月の辛酉日に、月将「卯」を未時に加えて課を起こし、何上舎——己巳年生まれ四十歳——が前程を占った。この案件は『口鑑』と『方本占案』に見える。天盤は地盤に比べて四位退いている。各位の天将が臨む神は、「青竜」が丑に、「勾陳」が寅に、「六合」が卯に、「朱雀」が辰に、「螣蛇」が巳に、「貴人」が午に、「天后」が未に、「太陰」が申に、「玄武」が酉に、「太常」が戌に、「白虎」が亥に、「天空」が子にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に午を得て貴人が乗る——第一課。午の上に寅を得て勾陳が乗る——第二課。日支の酉の上に巳を得て螣蛇が乗る——第三課。巳の上に丑を得て青竜が乗る——第四課。四課欄内の第一課の天将は青竜と刻まれているが、円図の標す貴人と合わない。以下の断語が「官星はまた貴人をなす」と言うのを見れば、円図の貴人を正とすべきで、四課欄は刻誤であることが分かる。第四課の下神は「己」と刻まれているが、これも「巳」字の訛りであろう。三伝は、初伝が丁巳で螣蛇を乗せ、中伝が丑で青竜を乗せるが丑は旬空に落ち、末伝が辛酉で玄武を乗せる。巳・酉・丑の三字が会して金局を成す。
邵彥和曰:官星臨日,初傳應之,謂之催官符,官星又作貴人,辛藏於戌,主庚戌年及第,及第後便丁父母服,服滿赴任,見祿而終(酉加空亡故也)。止於五十四矣。兄弟相害,因分爭而大生不足,又不得子息力,其旬丁作蛇,不云怪者,辛以巳為德神。子不得力者,空亡也。辛見午為官,巳又助之,名催官符。
邵彦和が言うには、官星がまさに日干の上に臨み、初伝がまた来てこれに応ずる——これを「催官符」と言う。官星の上にはまた貴人が乗っている。辛金は戌の中に蔵されているので、庚戌年に及第することを主る。及第の後、間もなく父母の喪に遭い、服が満ちて赴任し、禄に就いて終わる——酉が空亡の地に加わる故である。寿数はただ五十四に止まる。兄弟は互いに害し合い、家を分け争ったために大いに不和となる。また子息の力を得られない——旬中の丁神は螣蛇を乗せているが、ここでは怪異を言わないのは、辛金が巳を以て徳神とするからである。子が力にならないと言うのは、子爻が空亡に落ちているからである。辛は午を見れば官鬼となり、巳がまたこれを助けるので、「催官符」と名づける。
果庚戌及第,壬子丁母憂,乙卯丁父憂,庚申赴利州推官,五十三歲卒。先是戊午年兄弟爭分四次,入官估札以死,子三人皆再娶生,巳為生方作旬丁,又作蛇,是丙丁也。
後に果たして庚戌年に及第し、壬子年に母の喪に遭い、乙卯年に父の喪に遭い、庚申年に利州の推官に赴任し、五十三歳で亡くなった。その先の戊午年に、兄弟は家を分けること四度争い、官府に入れて見積もり立契させてやっと止まったが、最後は恨みを含んで死んだ。三人の息子は皆、再婚してから生まれた子である。巳は長生の方であり、上に旬中の丁神を帯び、また螣蛇を乗せているので、まさに丙丁火神の象に応ずる。
金日金局是兄弟爭也。三傳無子爻,故子不得力,五十三者,乃午九酉六,六九五十四之內也。
辛金の日にまた金局を会するのは、満盤が同類相い并ぶので、兄弟の争いを主る。三伝の中に子孫爻がないので、子女に頼ることができない。五十三と言うのは、午の数が九、酉の数が六で、六に九を乗じれば五十四となり、五十三はこの数の内にあるからである。
辛酉日、盗の捕縛を占う(『直指』引『中黄経』)
十一月辛酉日丑將巳時占捕盜。 直指引中黃經/陳六/龍丑寅卯辰朱/空子 巳蛇 龍蛇陳龍 官丁巳蛇/虎亥 午貴 丑巳寅午 父空丑龍/常戌酉申未后 己酉午辛 兄辛酉玄/玄陰
十一月の辛酉日に、月将「丑」を巳時に加えて課を起こし、盗賊の緝捕を占った。この案件は『六壬直指』が『中黄経』を引いて載せたものである。天盤は同じく地盤に比べて四位退いており、得られた課式は前の例と同じである——「青竜」が丑に、「勾陳」が寅に、「六合」が卯に、「朱雀」が辰に、「螣蛇」が巳に、「貴人」が午に、「天后」が未に、「太陰」が申に、「玄武」が酉に、「太常」が戌に、「白虎」が亥に、「天空」が子にある。四課は、辛金が戌に寄宮して戌の上に午を見て貴人が乗り、午の上に寅を見て勾陳が乗り、日支の酉の上に巳を見て螣蛇が乗り、巳の上に丑を見て青竜が乗る。三伝は、初伝が丁巳で螣蛇を乗せ、中伝が丑で青竜を乗せるが旬空に落ち、末伝が辛酉で玄武を乗せる。盗を占うには玄武を以て賊とする——玄武の乗る酉がまさに地盤の丑の上に落ちているので、賊の行方はここから一歩一歩推し出される。
斷曰:酉為玄武臨丑,其賊往東南方盜得他人財,向西行六里,便待往西南方還家。因正南上見貴人不敢行,欲從西北方還家,因巳火絕地,又不敢行,只往北行五里,藏匿財物,後卻於西北還家。藏匿五日,方敢再行。干上貴人克玄武,勾陳又克其藏處,即可擒獲矣。果驗。
断語に言う。酉を乗せた玄武が地盤の丑に臨む——この賊は東南方へ行って他人の財物を盗み、得手の後、西へ六里行き、もとより西南方へ折れて家に帰ろうとした。ところが正南の上に貴人が坐しているのでそこから行くことを敢えてせず、西北方から帰ろうと思い直した。ところがまた西北は巳火の絶地なので、依然として敢えてせず、ただ北へ五里行って、臓物を藏匿し、後にやっと西北方から家に帰った。臓物を蔵すること五日、やっと敢えて再び動いた。いま日干の上の貴人は玄武を克伏し、勾陳はまた彼が臓を蔵する所を克しているので、直ちに擒獲できるであろう。果たして験した。
辛酉日、季官人が養子縁組を占う(『口鑑』『方本占案』)
己酉年九月十六辛酉日卯將午時季官人己卯生三十一歲占過房子息。 口鑑 方本占案/六朱/陳寅卯辰巳蛇/龍丑 午貴 六貴朱后 鬼戊午貴/空子 未后 卯午辰未 財乙卯六/虎亥戌酉申陰 午酉未辛 子空子空/常玄
己酉年九月十六日の辛酉日に、月将「卯」を午時に加えて課を起こし、季官人——己卯年生まれ三十一歳——が過継の子息の事を占った。この案件は『口鑑』と『方本占案』に見える。天盤は地盤に比べて三位退いている。各位の天将が臨む神は、「勾陳」が寅に、「六合」が卯に、「朱雀」が辰に、「螣蛇」が巳に、「貴人」が午に、「天后」が未に、「太陰」が申に、「玄武」が酉に、「太常」が戌に、「白虎」が亥に、「天空」が子に、「青竜」が丑にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に未を得て天后が乗る——第一課。未の上に辰を得て朱雀が乗る——第二課。日支の酉の上に午を得て貴人が乗る——第三課。午の上に卯を得て六合が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で貴人を乗せ、中伝が乙卯で六合を乗せ、末伝が子で天空を乗せるが子は旬空に落ちる。日干・日支の上の午と未が相合し、まさに「天網」を合わせており、末伝の子孫爻はまた空であり天空を乗せている——これが無子と断ずる根拠である。
邵彥和曰:此乃天網課,若繼子,便是一個冤家入門,自後生出無限事。支干上午與未合,合起天網,妻卯加鬼上,必無親子,末子爻加妻爻上作天空,天空本家戌,即今日之辛,是己與妻皆空,何能有子?子本空,卻陰上酉作玄武,主妾生子,又非己出。因私成也。季子見先生不允過子,遂買一妾,兩年不生,因有季子妹夫鄭元益,時常往來,妾遂與私而得孕,季頗知,但記先生言不較,至乙居年生兒,實甲子年有孕。因酉加子,故子年乘玄武是偷合。
邵彦和が言うには、これは「天網」の課である。もし養子を継がせれば、一個の冤家を門に入れるようなもので、後から限りない事端を生じる。支・干の上の午と未が合して、天網を合い起こし、妻爻の卯はまた官鬼の上に加わるので、必ず親生の子がない。末伝の子孫爻は妻爻の上に加わって天空を乗せる——天空の本家は戌であり、戌はすなわち今日の辛金の寄宮である——これは己と妻がともに空なることで、どうして子ができようか。子孫爻はもとより空であるが、その陰神の酉の上に玄武が坐しているので、妾の生む子を主るが、また己の出ではない——私通によって成ったのである。季官人は先生が養子を継ぐことを許さぬを見て、ついに妾を一人買ったが、二年経っても生まなかった。季官人の妹婿の鄭元益が常に往来していたので、その妾はついに彼と私通して懐妊した。季官人もかなりこれを知っていたが、ただ先生の言を記していて、計較しなかった。乙丑年に至って子を生んだが、実は甲子年に身ごもっていたのである。酉が子に加わるので子年に応じたのであり、酉の上に玄武を乗せるのは、まさに偷情暗合の象である。
將來妾子亦是取債人也。家業必為所敗矣。季官人前私姑家一女,又私一婢,恐其有孕,豫以絕胎藥阻其經,兩女後皆不生子,季亦無子,此報應之不爽也。
将来この妾の生む子もまた債を取り立てに来る人である。家業は必ず彼に敗されよう。季官人は以前、姑の家の一人の娘と私通し、また一人の婢女とも私通し、彼女たちが懐妊するのを恐れて、あらかじめ絶胎の薬で月経を断った。二人の女は後にいずれも子を生めなくなり、季官人もまた親生の子がなかった——これは報応が少しも違わないことである。
辛酉日、蒋七婆が子の病を占う(『方本占案』)
己酉年辛酉日巳將申時蔣七婆事子病,其子辛未生三十九歲。 方本占案/六朱/陳寅卯辰巳蛇/龍丑 午貴 六貴朱后 鬼戊午貴/空子 未后 卯午辰未 財乙卯六/虎亥戌酉申陰 午酉未辛 子空子空/常玄
己酉年の辛酉日に、月将「巳」を申時に加えて課を起こし、蒋七婆が息子の病のために来て問うた。息子は辛未年生まれ三十九歳。この案件は『方本占案』から出ている。天盤は同じく地盤に比べて三位退いており、得られた課式は前の例と同じである——「勾陳」が寅に、「六合」が卯に、「朱雀」が辰に、「螣蛇」が巳に、「貴人」が午に、「天后」が未に、「太陰」が申に、「玄武」が酉に、「太常」が戌に、「白虎」が亥に、「天空」が子に、「青竜」が丑にある。四課は、辛金が戌に寄宮して戌の上に未を見て天后が乗り、未の上に辰を見て朱雀が乗り、日支の酉の上に午を見て貴人が乗り、午の上に卯を見て六合が乗る。三伝は、初伝が戊午で貴人を乗せ、中伝が乙卯で六合を乗せ、末伝が子で天空を乗せるが旬空に落ちる。病人の本命は未であり、未はまさに日干の上にあって日支の上の午と相合する——この一重の合がまさに病根の在る所である。
邵彥和曰:病因情人或眷屬不足,致得此病,此情人乃官作使女之類,欲見不能,思戀極矣,故生心病。若要病好,須是釋思,更婦人臨別,贈有手跡,他嘗留身畔,須燒了與他另娶方可,否則日漸成癆矣。
邵彦和が言うには、病の因は相好の女のため、あるいは眷属の間の不和のためにこの病を得たのである。この相好の女はいま官家に収められて使女の類となり、会おうにも会えず、思い恋すること極まったので、心病を生じたのである。もし病を好くには、まずこの念いを解かなければならない。さらにあの婦人が別れるに臨んで、手作りの物を贈ったものがあり、彼は常にそれを身辺に留めている——それを焼き捨て、あらためて彼のために一房の妻室を娶ってこそ可である。さもなければ日が経つにつれて労瘵に成るであろう。
蔣七婆之子因喪妻,遂與鄰婦通姦,他丈夫得知,卻典僱與何判院,此人苦思成病,又婦人行時,繡一香囊與之,其子時常觀玩,睹物思人,其病更甚。七婆聞先生之言,遂與彼燒絕,又為彼娶一婦,病果自愈。
蒋七婆の息子は妻を亡くしたために、ついに隣の婦人と私通した。その婦人の夫が知ると、彼女を何判院の家に典雇してしまった。この人は苦しく思いつめて病を成した。さらに婦人が行く時、一つの香嚢を繍って彼に贈ったので、その子はしばしば取り出して観玩し、物を睹て人を思い、その病はいっそう重くなった。七婆は先生の言を聞いて、ついに彼のために香嚢を焼き絶やし、また彼のために一房の妻を娶ったので、病は果たして自ずから癒えた。
蓋未作後生日,支上午與未合,乃鬼合,便是不正之交,傳退與婦人相離也。三交交易之象,宅上貴人是合入宅去也。末傳是子,行年上丑,子又與丑合,更日辰上實合,末又見空亡合,即是思望懸切,欲合不合,傳退既值空亡,只得在此思想,所以成癆。午未合,子丑合,子午沖,丑未沖,合處相傷,反成不足。子丑又空,是去彼不得見矣。
これは、未の上に天后が乗って日干の上に臨み、日支の上の午がまた未と相合するからである。午は辛金の官鬼なので、これは「鬼合」であり、不正の交わりに属する。三伝が逆に退くのは、あの婦人と相い離れることを主る。課体全体は三交・交易の象であり、宅の上に貴人が坐するのは、まさにあの婦人が他人の家へ合し入ったのである。末伝は子であり、彼の行年は丑にあり、子はまた丑と相合する。日干・日支の上ですでに一重の実合があり、末伝の上にまた一重の空亡の合を見るので、心の中の思念が懇切で、合しようとして合えないことが見える。三伝がすでに逆退し、また空亡に値するので、彼はただ此の処に留まって空想するのみである——だから労に引きずられて成るのである。午と未は合し、子と丑は合するが、子午は相冲し、丑未は相冲し、合すべき所がかえって彼此を傷つけ合い、そこで処処に不足となる。子と丑はまたともに空に落ちるので、彼女の処に行こうにも会えないのである。
辛酉日、来意を占う(『玉連環』)
八月辛酉日辰將未時占來意。 玉連環/六朱/陳寅卯辰巳蛇/龍丑 午貴 六貴朱后 鬼戊午貴/空子 未后 卯午辰未 財乙卯六/虎亥戌酉申陰 午酉未辛 子空子空/常玄
八月の辛酉日に、月将「辰」を未時に加えて課を起こし、来た人が何を問うかを占った。この案件は『玉連環』から出ている。天盤は地盤に比べて三位退いている。各位の天将が臨む神は、「勾陳」が寅に、「六合」が卯に、「朱雀」が辰に、「螣蛇」が巳に、「貴人」が午に、「天后」が未に、「太陰」が申に、「玄武」が酉に、「太常」が戌に、「白虎」が亥に、「天空」が子に、「青竜」が丑にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に未を得て天后が乗る——第一課。未の上に辰を得て朱雀が乗る——第二課。日支の酉の上に午を得て貴人が乗る——第三課。午の上に卯を得て六合が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で貴人を乗せ、中伝が乙卯で六合を乗せ、末伝が子で天空を乗せるが子は旬空に落ちる。午は六壬で「勝光」と称し、卯は「太冲」と称し、子は「神後」と称する——以下の推断は全くこの三つの神名の取象を以て語るものである。
徐次賓曰:來意主本人慾往運司理會舊房錢,其外動必速,其中一姓馬人作鬼賊,卻得姓陳人力,至丁亥日見事務定作歸計。
徐次賓が言うには、来た人の意図は、運司に行って古い家賃の一件を処理しようというものである。彼の外での奔走は必ず速く、その中に姓が馬の人が鬼賊として害を為すが、却って姓が陳の人の力を得て、丁亥日に至れば事務は定まり、帰る計らいを為すことができる。
何知往運司理會舊房錢?蓋勝光發用,上見天乙,為三品衙門,中傳太沖主門戶,下臨午四正,為方象,配為房子,卯上得六合,俱為日下之財,故言房錢,既是三品衙門理會房錢,故言運司。
どうして運司に行って古い家賃を処理するのが分かるのか。「勝光」の午が発用し、上に天乙貴人が見えるのは、三品衙門の象である。中伝の「太冲」は門戸を主り、下に午に臨み、午は子・午・卯・酉の四正の位に居り、方正の形象であり、配せば房屋となる。卯の上にまた六合を得る——これらは皆、日干の下の財爻なので、家賃と言うのである。すでに三品衙門に行って家賃を処理するのであれば、それは運司に他ならない。
何知動速,時為日刑又發用,午為道路,又天乙在酉在門,為勵德,故知外動必速。
どうして彼の外での奔走が必ず速いと分かるのか。占時の神はまさに日干の刑神であり、しかもここから発用する。午はまた道路を主る。また天乙貴人は地盤の酉位に落ち、酉は門戸で、「励徳」の象である。合わせて見るので、彼の外出の奔走が必ず迅速であると断ずるのである。
何知姓馬人作鬼賊,蓋初傳勝光為馬,為日鬼也。卻言得姓陳人力者,末傳神后水為曲阜,下臨卯為東字,相配為陳字,神后反克勝光日鬼,故言得姓陳人力。至丁亥是見歸計者,緣甲申旬午鬼落空,丁合壬與亥水克勝光也,不言戊子日者,緣戊為大殺也。
どうして姓が馬の人が祟り為害するのが分かるのか。初伝の「勝光」は生肖の上で馬に属し、またまさに辛金の官鬼だからである。姓が陳の人の力を得ると言うのは、末伝の「神後」が水に属し、取象して曲阜の「阜」の偏旁となり、下に卯に臨み、卯は「東」の字を取る——両方を相配すればちょうど「陳」の字を湊成する。神後の水はかえって勝光という日鬼を克伏するので、姓が陳の人の助力を得ると言うのである。丁亥日に至って帰る計らいを為すと言うのは、甲申旬において午の鬼が空亡に落ち、丁は壬と合し、亥水はまた勝光を克し得るからである。戊子日と言わないのは、戊が「大殺」だからである。
辛酉日、壬戌命が来意を占う(『玉連環』)
六月辛酉日午將申時壬戌命人占來意。 玉連環/合朱蛇貴/卯辰巳午 蛇后貴陰 官戊午貴/勾寅 未后 巳未午申 父丙辰朱/龍丑 申陰 未酉申辛 財甲寅勾/子亥戌酉/空虎常玄
六月の辛酉日に、月将「午」を申時に加えて課を起こし、壬戌年命の人が来意を占った。この案件は『玉連環』から出ている。天盤は地盤に比べて二位退いている。各位の天将が臨む神は、「六合」が卯に、「朱雀」が辰に、「螣蛇」が巳に、「貴人」が午に、「天后」が未に、「太陰」が申に、「玄武」が酉に、「太常」が戌に、「白虎」が亥に、「天空」が子に、「青竜」が丑に、「勾陳」が寅にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に申を得て太陰が乗る——第一課。申の上に午を得て貴人が乗る——第二課。日支の酉の上に未を得て天后が乗る——第三課。未の上に巳を得て螣蛇が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で貴人を乗せ、中伝が丙辰で朱雀を乗せ、末伝が甲寅で勾陳を乗せる。午は辛金の官鬼であり、辰と午はまたそれぞれ自刑の神である。三伝は始めから終わりまで日干を傷つけている——以下の徒刑の断はここから来る。
徐次賓曰:來意因藏有夫之婦,今敗露到官,旬日案成,累罪斷徒五年,杖一百,丁丑日決之,發鄰州居住。
徐次賓が言うには、来た人の心事は、夫のある婦人を藏匿していたからである。いま事が敗露して官府に至り、旬日の内に案が成し、罪を累ね合わせて徒刑五年・杖一百と断じ、丁丑日にこれを決行し、隣州に発して居住させる。
蓋本命與日上見太陰,主蔽匿不正婦人。先鋒門發用見天乙為今日之鬼,故言事敗到官也。時為干馬主緊速,故旬案成。初傳天乙剋日干,中傳天罡上得朱雀火神,又為今日之鬼,末得勾陳又是凶神。此課傷日,始末俱凶,又辰午為兩重自刑。經云:三刑棄世,二刑流遞。今日斷徒五年是也。
これは、本命と日干の上にともに太陰を見るからである——太陰は遮掩藏匿を主り、また正しくない婦人を主る。発用の先鋒の神の上に天乙貴人が坐し、それはまさに今日の官鬼なので、事が敗露して官府に至ると言うのである。占時はまた日干の駅馬で、緊迫・急速を主るので、旬日で案が成すのである。初伝の天乙は日干を克傷し、中伝の天罡の上に朱雀の火神を得る——これも今日の官鬼である。末伝は勾陳を得る——これもまた凶神である。この課は日干を傷つけ、始めも終わりも皆凶であり、加えて辰と午が各々一重の自刑を成す——二重の自刑である。経に言う——三重の刑は世を棄てることを主り、二重の刑は流して遞すことを主る。いま彼に徒刑五年を断ずるのは、まさにこの句に応ずる。
何知丁丑日斷發鄰州居住?蓋丁馬為日下之鬼,丑又為日刑也。又時為日之鬼馬也。帶瘡行路艱難,住鄰州者,蓋為日上鬼見馬也。
どうして丁丑日に判決して隣州に発して居住させると分かるのか。丁と馬はともに日干の下の官鬼であり、丑はまた日干の刑神だからである。また占時もまた日干の鬼馬である。瘡を帯びて路を行けば遠路は艱難なので、ただ隣州に安置するほかない。彼に隣州に住ませると断ずるのは、日干の上の官鬼がまた駅馬を見るからである。
辛酉日、張大郎が官事を占う(『方本占案』)
丙戌年十二月辛酉日丑將丑時張大郎占官事。 方本占案/陳龍/六巳午未申空/朱辰 酉虎 虎虎常常 兄辛酉虎/蛇卯 戌常 酉酉戌戌 父壬戌常/貴寅丑子亥玄 酉酉戌辛 父己未龍/後陰
丙戌年十二月の辛酉日に、月将「丑」を丑時に加えて課を起こし、張大郎が官司を占った。この案件は『方本占案』から出ている。月将と占時が同じで、天盤と地盤が完全に重合する——「伏吟」の課である。各位の天将が臨む神は、「六合」が巳に、「勾陳」が午に、「青竜」が未に、「天空」が申に、「白虎」が酉に、「太常」が戌に、「玄武」が亥に、「太陰」が子に、「天后」が丑に、「貴人」が寅に、「螣蛇」が卯に、「朱雀」が辰にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上は依然として戌で太常が乗る——第一課。戌の上は依然として戌で太常が乗る——第二課。日支の酉の上は依然として酉で白虎が乗る——第三課。酉の上は依然として酉で白虎が乗る——第四課。伏吟の陰日は日支の上神を以て発用とするので、初伝は辛酉で白虎を乗せる。酉は自刑の神で、さらに刑する所がないので、日干の上神の戌を取って中伝とし、戌は太常を乗せる。戌は未を刑するので、末伝は己未で青竜を乗せる。発用は自刑で白虎を乗せるが、中・末は転じて太常と青竜を出す——一凶一吉、これが全課の転關である。
邵彥和曰:本主徒罪,因發用自刑,乘虎臨門戶也。喜得中戌作常,末天喜乘龍作解神,必有恩赦相救,先凶而後吉也。果然。
邵彦和が言うには、本来は徒罪に当たる——発用の神が自刑し、また白虎を乗せて門戸の位に臨んでいるからである。喜ばしいのは、中伝の戌の上に太常が乗り、末伝の未はまた天喜で、上に青竜を乗せて解神となることで、必ず恩赦が下って相い救う——先に凶で後に吉である。果たしてその通りであった。
辛酉日、諸将士が勤王の吉凶を占う(『指南』)
順治乙酉年四月初九辛酉酉將申時,左藩良玉南侵,總漕田公百原奉命勤王(南京福王也),已進發矣,諸將士索占吉凶。 指南/後陰/貴午未申酉玄 虎常空虎 子癸亥虎/蛇巳 戌常 亥戌子亥 子甲子空/朱辰 亥虎 戌酉亥辛 父乙丑龍/六卯寅丑子空/勾青
順治乙酉年四月初九の辛酉日に、月将「酉」を申時に加えて課を起こした。当時、左良玉の兵馬が南下して逼り、漕運を総督する田百原公が勤王の兵を起こす命を奉じた(勤める相手は南京の福王である)——隊伍はすでに出発しており、諸将士はこの行の吉凶を占いを求めた。この案件は『六壬指南』から出ている。天盤は地盤に比べて一位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「貴人」が午に、「天后」が未に、「太陰」が申に、「玄武」が酉に、「太常」が戌に、「白虎」が亥に、「天空」が子に、「青竜」が丑に、「勾陳」が寅に、「六合」が卯に、「朱雀」が辰に、「螣蛇」が巳にある。四課:辛金は戌に寄宮し、戌の上に亥を得て白虎が乗る——第一課。亥の上に子を得て天空が乗る——第二課。日支の酉の上に戌を得て太常が乗る——第三課。戌の上に亥を得て白虎が乗る——第四課。三伝は、初伝が癸亥で白虎を乗せ、中伝が甲子で天空を乗せ、末伝が乙丑で青竜を乗せる——亥・子・丑が一路順に連なる。辛酉日は甲寅旬に属し、子・丑はまさに本旬の空亡なので、中・末の二伝はいずれも空に落ちる。
陳公獻曰:此行不吉,主至半途而回。蓋白虎驛馬臨干,雖有虎假虎威之勢,賴戌土實能剋制,如彼猖狂妄動,定有阻塞。但我兵此行,中末俱空,豈能前進?況辛日南征為滅沒旺方,于軍不利,干神臨支恐有銳卒前擾後至。後至揚州,高兵出城搶舡,遂與閣部商議,抽兵而退。
陳公献が言うには、この出兵は吉でなく、半途に至って引き返すことを主る。白虎と駅馬がともに日干の上に臨んでいるので、相手は虎の威を仮りる勢いを持つが、幸いにも戌土は確かにこれを克制し得る——もし彼が猖獗に妄動すれば、必ず阻塞されよう。しかし我が兵のこの行は、中伝も末伝も共に空に落ちているので、どうして前に進めようか。況んや辛日の南征は「滅没」の旺する方にぶつかり、兵を用いるに利がない。日干の上の神がまた日支に臨むので、恐らく精鋭の兵卒が前にあって騷ぎ、後に追い来る虞がある。後に隊伍は揚州に至り、高杰の兵が城を出て船を奪ったので、田公は閣部と商議して、兵を抽いて退いた。
壬戌日
壬戌日、陳天民が沈・趙の結姻を占う(『一針見血』)
池州城西沈尚書宅娘子與本郡趙府結姻沈女丑生人,趙氏未生人,求陳天民占成後夫婦如何? 一針見血/蛇朱合勾/午未申酉 虎空常虎 兄癸亥空/貴巳 戌龍 子亥丑子 兄◎子虎/後辰 亥空 亥戌子壬 鬼◎丑常/卯寅丑子/陰玄常虎
池州城の西の沈尚書宅の娘子が、本郡の趙府と婚姻を結ぶ——沈家の娘は丑年生まれ、趙氏の若君は未年生まれ。両家が陳天民に、成婚の後に夫婦はどうなるかを占わせた。この案件は『一針見血』から出ている。この課は壬戌日に起こし、天盤は地盤に比べて一位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未に、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳にある。四課:壬水は亥に寄宮し、亥の上に子を得て白虎が乗る——第一課。子の上に丑を得て太常が乗る——第二課。日支の戌の上に亥を得て天空が乗る——第三課。亥の上に子を得て白虎が乗る——第四課。三伝は、初伝が癸亥で天空を乗せ、中伝が子で白虎を乗せ、末伝が丑で太常を乗せる——亥・子・丑が順に連なり、課体の名は「連茹」である。壬戌日は甲寅旬に属し、子・丑はまさに空亡に落ちるので、中・末の二伝はいずれも空である。男女両造の本命の丑と未がまたちょうど相刑する——これが夫婦が終わらないと断ずる鍵である。
陳天民曰:壬戌日占得亥子丑連茹課,但只上門亂首,何況夫婦本命丑未相刑,他日主不到頭,雖有德容性欠尊重,其後夫婦果不和,公姑不睦,其女忽生喘疾,抑鬱半年而終。
陳天民が言うには、壬戌日に亥・子・丑の「連茹」課を占い得たが、この連なりはただ上門から乱れて頭を起こし、好い結末を接続できない。況んや夫婦二人の本命の丑と未がまさに相刑剋するので、他日、主は頭まで到らない。その女子は婦徳と容貌はあっても、性情上で庄重さを欠いていた。後に夫婦は果たして不和で、舅姑とも睦まず、その女子は忽ち喘疾を生じ、抑鬱すること半年にして亡くなった。
壬戌日、人に頼んで挽回できるかを占う(『牧夫占験』)
乾隆己卯年九月壬戌日卯將寅時,占事壞今欲託人能挽回否。癸丑命四十七歲。 牧夫占驗/蛇朱合勾/午未申酉 虎空常虎 兄癸亥空/貴巳 戌龍 子亥丑子 兄◎子虎/後辰 亥空 亥戌子壬 鬼◎丑常/卯寅丑子/陰玄常虎
乾隆己卯年九月の壬戌日に、月将「卯」を寅時に加えて課を起こし、事がすでに壊れたが、いま人に託して転圜し、挽回できるかどうかを占った。占者は癸丑年命で四十七歳。この案件は『牧夫占験』から出ている。天盤は同じく地盤に比べて一位順に進んでおり、得られた課式は前の例と同じである——「螣蛇」が午に、「朱雀」が未に、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳にある。四課は、壬水が亥に寄宮して亥の上に子を見て白虎が乗り、子の上に丑を見て太常が乗り、日支の戌の上に亥を見て天空が乗り、亥の上に子を見て白虎が乗る。三伝は、初伝が癸亥で天空を乗せ、中伝が子で白虎を乗せ、末伝が丑で太常を乗せる——子・丑はともに旬空に落ちる。占者の本命はちょうど癸丑であり、末伝の丑はまさに壬水の官鬼である——この一重が「親故が事を壊す」と断ずる着眼点である。
王牧夫曰:此事不能挽回,無跋望也。蓋亥乃壬身,投支受克,乃身為他人之財。傳歸子丑空位,又入夜鄉,前路黑暗,安能復見?而丑為太常,作鬼臨身,此乃親故中人來壞汝事也。其丑之陰神帶玄武,乃一疾病多須人慾壞其事耳。子亥乃干支羅網,豈能讓汝出頭乎?故曰無跋望也。果驗。
王牧夫が言うには、この事は挽回できず、望みはない。なぜなら亥はすなわち壬水自身で、いま日支に投じてかえって剋を受けるので、身を他人の財とするに等しい。三伝は子・丑の二つの空亡の位に帰結し、また夜暗の郷に入り、前路は一面に暗黒である——どうして再び天日を見ることができようか。しかも丑の上に太常を乗せ、太常が化して官鬼となって自身の上に圧する——これは親戚故旧の中の人が来てあなたの事を壊すのである。丑の陰神はまた玄武を帯びる——これは体が弱く病がちで、諸事人に頼る人がこの事を敗そうと欲するのである。子と亥はまさに日干・日支の「羅網」で、どうしてあなたに頭を出させることがあろうか。だから望みなしと言うのである。果たして験した。
壬戌日、韓監倉が平生を占う(『口鑑』『方本占案』)
韓監倉修職癸酉生三十七歲占平生,己酉年六月十五壬戌日未將巳時。 口鑑 方本占案/六陳/朱未申酉戌龍/蛇午 亥空 玄虎陰常 兄空子虎/貴巳 子虎 寅子卯丑 子甲寅玄/後辰卯寅丑常 子戌丑壬 鬼丙辰蛇/陰玄
韓監倉——官銜は修職郎、癸酉年生まれ三十七歳——が一生の禍福を占った。時は己酉年六月十五の壬戌日で、月将「未」を巳時に加えて課を起こした。この案件は『口鑑』と『方本占案』に見える。天盤は地盤に比べて二位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「朱雀」が未に、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午にある。四課:壬水は亥に寄宮し、亥の上に丑を得て太常が乗る——第一課。丑の上に卯を得て太陰が乗る——第二課。日支の戌の上に子を得て白虎が乗る——第三課。子の上に寅を得て玄武が乗る——第四課。三伝は、初伝が子で白虎を乗せるが子は旬空に落ち、中伝が甲寅で玄武を乗せ、末伝が丙辰で螣蛇を乗せる——子・寅・辰が一路順に進み、もとは「向三陽」の進茹の象であるが、惜しいことに前の二伝が空處に落ちている。
邵彥和曰:此課雖曰向三陽,奈初中空亡,依舊不見陽光。四課間隔,事多阻滯,支內干外,支刑日上神,主孝服。太常破碎加干,亦主服。子為虎刃,雖是空亡不死人,亦主多是非。為何起棺而未葬,致亡者不安?傳進而子息落空,才生一子便死,非是過去空亡,庶不害現在子息也。現在子息臨宅,加於犬地而見虎,若見鼠咬衣服,小兒必有大災,宅內不合蓄水,若不開導,監倉自損,身亦難保矣。
邵彦和が言うには、この課は「向三陽」の進茹の象と言うには言うが、なすすべなく初伝・中伝がともに空亡に落ちて、依然として陽光を見ない。四課は彼此が隔閡して、事には多く阻滞がある。日支は内にあり日干は外にあり、日支がまた日干の上の神を刑剋するので、孝服の事を主る。太常が破碎煞を帯びて日干に加わるのもまた服を主る。子は白虎の刃神で、空亡に落ちるとはいえ死人には至らないが、また是非の紛擾を主る。なぜ棺を起こして久しく葬らず、亡者をして安らかならざらしめるのか。三伝は進むとはいえ子息爻が空に落ちたので、子を一人生んだばかりで死にたり——幸いに空なのは過去の方なので、現在の子息を害するには至らない。現在の子息は住宅の上に臨み、戌という犬に属する地支に加わってまた白虎を見る——もし鼠が衣服を咬み破るのを見れば、小児に必ず大きな災いがある。宅内は死水を蓄えてはならない。もし疏導しなければ、監倉自身も損を受け、身もまた保ち難い。
此斷多失誤,始錄在此,俟得善本改正。
この断には誤りが多い。姑く原のままここに収録しておき、後日善本を得てから校訂・改正する。
壬戌日、蒋秀才が寿数と功名を求占する(『一針見血』)
己酉年八月壬戌日巳將卯時蔣秀才乙酉生二十五歲求占。 一針見血/六陳/朱未申酉戌龍/蛇午 亥空 玄虎陰常 兄空子虎/貴巳 子虎 寅子卯丑 子甲寅玄/後辰卯寅丑常 子戌丑壬 鬼丙辰蛇/陰玄
己酉年八月の壬戌日に、月将「巳」を卯時に加えて課を起こし、蒋秀才——乙酉年生まれ二十五歳——が来て求占した。この案件は『一針見血』から出ている。天盤は同じく地盤に比べて二位順に進んでおり、得られた課式は前の例と同じである——「朱雀」が未に、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午にある。四課は、壬水が亥に寄宮して亥の上に丑を見て太常が乗り、丑の上に卯を見て太陰が乗り、日支の戌の上に子を見て白虎が乗り、子の上に寅を見て玄武が乗る。三伝は、初伝が子で白虎を乗せるが旬空に落ち、中伝が甲寅で玄武を乗せ、末伝が丙辰で螣蛇を乗せる。日干の上の丑は太常を乗せて喪服を主り、子の上の白虎は喪事を主り、末伝の辰はまた財官の交わり会する所である——寿数・喪服・富貴の三件事は皆ここから断じ出される。
邵彥和曰:汝問壽數抑問功名?蔣曰:何如?曰壽數卻有中壽,若問前程,重重凶服。初中傳空,末傳不空,到其時又是好日。蔣曰:何日得地?曰:更過二十四年方得地,是時勝如今日。吾丈平日衣食有餘(日祿加命之故),但服阻多,不利功名。後有十七年大富享福壽。年六十四五矣。蔣秀才讀書正當年富力強,先生言其服阻,多不利,況其人是過房,二重父母,初不知先生神口,哪曉得果是四十八年四重喪服。所養父母先喪了,卻喪所生父母,丁心喪服至四十八俱足,其時已廢學多年,不復望功名矣。
邵彦和が言うには、あなたは寿数を問うのか、それとも功名を問うのか。蒋秀才が言うには、どうお考えですか。先生が言うには、寿数を論ずればなお中寿の寿限がある。もし前程を問えば、それは一重に一重と連なる凶喪の服である。初伝・中伝がともに空に落ち、末伝は空でない——その時に至ればかえって好い日となる。蒋秀才が問うには、いずれの年に得地できますか。先生が言うには、さらに二十四年を過ぎてやっと地を得て立ち、当時は今の日に勝る。老丈は平生、衣食に余りあり(これは日干の禄神が本命の上に加わる故である)が、ただ服の阻害が多く、功名に利がない。後にまた十七年の大富があり、福寿を尽くして享け、寿数は六十四五歳に至る。蒋秀才はその時まさに読書に壮年の力があっていたのに、先生は彼が喪服に纏われ諸事不利と言った。況んや彼は過継の子で二重の父母がある。初め彼は先生のこの神の口を信じなかったが、どうして知ろうか、後に果たして四十八歳の年に四重の喪服が一々応じ揃った——先ず養父母が亡くなり、続いてまた生身の父母が亡くなり、一路心の喪を守って四十八歳に至ってやっと服が満ちた。その時にはすでに学を廃して多年、再び功名を望まなかった。
支干子與丑合,皆是空亡,初傳又空亡,上見太常為服,白虎為喪,進間值空為服所阻,所以阻前程也,至末傳辰加寅為財為官鬼臨財(此二句令人不解,大約是寅為行年,克上辰土謂之行年見財),辰數五,寅數七,五七三十五,折半提十七年,此十七年,二男先已娶,二女又已嫁,進多用少,果然榮旺安然。享福至乾道五年二月十三日終六十五矣。
日干・日支の上の子と丑が相合し、二つとも空亡であり、初伝もまた空亡に落ちる。上に太常を見れば服を主り、白虎を見れば喪を主り、進茹の間に偏に空に値する——まさに喪服に阻まれたので、前程が阻まれたのである。末伝に至り辰が寅の上に加わるのは、財爻であるとともに、官鬼が財に臨むのでもある(この二句は人をして解せしめないが、大抵は寅が彼の行年で、行年が上の辰土を克することを行年が財を見ると言うのであろう)。辰の数は五、寅の数は七、五に七を乗じて三十五となり、折半して提すれば十七年となる。この十七年の間に、二人の息子は先ずすでに娶り、二人の娘もまたすでに嫁し、入るもの多く出るもの少なく、果たして家道が栄えて日子が安穏であった。彼はずっと福を享けて乾道五年二月十三日に終わり、享年六十五歳であった。
壬戌日、徐秀才が秋試を占う(『方本占案』『口鑑』宋本『邵案』)
己酉年二月壬戌日亥將申時徐秀才丙子生三十四歲占秋試。 方本占案 口鑑 宋本邵案/陳龍/六申酉戌亥空/朱未 子虎 后常貴玄 鬼丙辰後/蛇午 丑常 辰丑巳寅 鬼己未朱/貴巳辰卯寅玄 丑戌寅壬 鬼壬戌龍/後陰
己酉年二月の壬戌日に、月将「亥」を申時に加えて課を起こし、徐秀才——丙子年生まれ三十四歳——が秋闈の郷試を占った。この案件は『方本占案』『口鑑』および宋本『邵案』に見える。天盤は地盤に比べて三位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課:壬水は亥に寄宮し、亥の上に寅を得て玄武が乗る——第一課。寅の上に巳を得て貴人が乗る——第二課。日支の戌の上に丑を得て太常が乗る——第三課。丑の上に辰を得て天后が乗る——第四課。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる——辰・未・戌の三重の土はいずれも壬水の官鬼である。第一課の寅はまさに地盤の亥の上に加わり、寅亥は相合して「閉口」を成す——これが病を断ずる鍵である。
邵彥和曰:此課不可問試,防今年有癱瘓之疾;兼破碎作太常乘鬼入宅,又主孝服,破碎空亡主外服,初墓加破碎上,雖空亦主婦人有血氣疾。甲寅旬寅加亥真閉口,三傳並宅四土塞之,氣血不行,榮衛不通,能早疏決,不致臃滯,可免癱瘓。徐於三月間因食菱成風,四肢不遂,狀如癱瘓,後雖無事,卻行履不得;六月喪妻母,九月又喪生母。
邵彦和が言うには、この課は以て試を問うべきではなく、むしろ今年に癱瘓の疾を得ることを防ぐべきである。加えて破碎煞が化して太常となり、官鬼を乗せて住宅に入るので、また孝服を主る。破碎がまた空亡に逢うのは外家の喪服を主る。初伝の墓神が破碎の上に加わるのは、空に落ちるとはいえ家の婦人に血気方面の病があることを主る。この日は甲寅旬の中で寅が亥の上に加わり、まさに真の「閉口」である。三伝ならびに住宅は合わせて四重の土がこれを塞ぐので、気血は行らず、営衛は通ぜず——もし早く疏導・決通し得れば、壅滞に至らず、癱瘓を免れ得る。徐秀才は三月の間に菱を食して風に中り、四肢が遂うことがなく、状は癱瘓の如しであった。後に大事はなかったが、行履することができなかった。六月に妻母を喪い、九月にまた生母を喪った。
蓋甲寅加癸亥真閉口,玄又乘之,又是一重閉口,寅主風,玄亦主風,寅與亥合,故主癱瘓。辰戌丑未重重臃塞,又兼閉口,便是血氣不調,所以主此疾,要好決坤申水,通艮寅,便可免此風疾,否則愈甚。徐當年因疾病未愈不得入試場。
これは、甲寅が癸亥の上に加わるのがまさに真の「閉口」であり、上にまた玄武が乗る——玄武は藏匿・閉塞を主るので、もう一重の閉口を加えるに等しい。寅は風を主り、玄武もまた風を主り、寅はまた亥と合するので、癱瘓と断ずるのである。辰・戌・丑・未の四土が重々しく壅塞し、さらに閉口を兼ねるので、気血は自ら調わず——だからこの疾を生ずる。これを解するには、西南の坤申の方から水道を疏決し、東北の艮寅の一路を通ずれば、この風疾を免れ得る。さもなければ愈々甚しくなる。徐秀才はその年、疾病が癒えずについに試場に入ることができなかった。
愚按:鬼臨三四所以多災,不得考試,中傳雖有朱雀,末傳雖有青龍,皆無益也。
愚按:官鬼が第三課・第四課に臨むので、災いが重なり、試験にも行けなかった。中伝に文章を主る朱雀が坐し、末伝に科第を主る青竜が坐すとはいえ、このような課体ではいずれも役に立たない。
壬戌日、終身を占う(『説約』)
乾隆甲寅年八月初八壬戌日巳將寅時占終身。 說約/陳龍/六申酉戌亥空/朱未 子虎 后常貴玄 鬼丙辰後/蛇午 丑常 辰丑巳寅 鬼己未朱/貴巳辰卯寅玄 丑戌寅壬 鬼壬戌龍/後陰
乾隆甲寅年八月初八の壬戌日に、月将「巳」を寅時に加えて課を起こし、終身を占った。この案件は『六壬説約』から出ている。天盤は同じく地盤に比べて三位順に進んでおり、得られた課式は前の例と同じである——「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課は、壬水が亥に寄宮して亥の上に寅を見て玄武が乗り、寅の上に巳を見て貴人が乗り、日支の戌の上に丑を見て太常が乗り、丑の上に辰を見て天后が乗る。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる。日干の上の寅は衙門の象であり、寅の陰神の巳の上にまた貴人が乗っている——一課の中に衙門と貴人が並んで見えるので、以下の断語はこの二字に落ち着く。
張江村曰:六壬變幻不測。有為他人占,牽連及我者,此間或有之,不可不察也。余家人毛丹占終身得此課,余曰:干上寅為衙門,寅陰巳為月將乘貴人,大貴人也。遁丁與干五合,汝一生只能在衙門中得貴人微財,不能別作營生。此本指也。又曰:寅巳集於日上,事在月下。汝俟廝候,安能驟進衙門見大貴人?此必餘有館,汝隨進耳。餘今日本欲占課,今汝得此,可不必再占矣。果於次日得館,初十甲子日毛丹跟進,此為他人占及我也。
張江村が言うには、六壬は変幻して測るべからず。他人のために占うのに、我に連累して及ぶこともこの間に時おりあり、察しないではいけない。我家の家人の毛丹が終身を占ってこの課を得た。私が言うには、日干の上の寅は衙門であり、寅の陰神の巳はまた当令の月将で上に貴人を乗せている——あれは大貴人である。遁干の丁は日干の壬と五合するので、あなたは一生ただ衙門の中で貴人に従って微薄な財を得るだけで、別に生業を営むことはできない——これは彼本人に就いて言うのである。また言うには、寅と巳がともに日干の上に集まるので、事はこの月の内にある。あなたはただ使いを聞く僕に過ぎないのに、どうして一朝に衙門に入って大貴人に見えようか。これは必ず私が館席を得て、あなたが私に随いて入るのであろう。私は今日もとより自ら課を占おうと思っていたが、いまあなたがこれを占い得たので、私は再び占う必要がない。果たして次日に私は館を得、初十の甲子日に毛丹が随いて入った。これが他人のために占って我に及んだ例である。
壬戌日、童得松が宅を占う(『口鑑』『方本占案』)
己酉年六月壬戌日未將丑時童得松丁巳生五十三歲占宅。 口鑑 方本占案/六朱/陳亥子丑寅蛇/龍戌 卯貴 龍后陳陰 財丁巳陰/空酉 辰后 戌辰亥巳 兄癸亥陳/虎申未午巳陰 辰戌巳壬 財丁巳陰/常玄
己酉年六月の壬戌日に、月将「未」を丑時に加えて課を起こし、童得松——丁巳年生まれ五十三歳——が住宅を占った。この案件は『口鑑』と『方本占案』に見える。月将と占時がまさに相冲し、天地の両盤が六位互いに冲する——「返吟」の課である。各位の天将が臨む神は、「勾陳」が亥に、「六合」が子に、「朱雀」が丑に、「螣蛇」が寅に、「貴人」が卯に、「天后」が辰に、「太陰」が巳に、「玄武」が午に、「太常」が未に、「白虎」が申に、「天空」が酉に、「青竜」が戌にある。四課:壬水は亥に寄宮し、亥の上に巳を得て太陰が乗る——第一課。巳の上に亥を得て勾陳が乗る——第二課。日支の戌の上に辰を得て天后が乗る——第三課。辰の上に戌を得て青竜が乗る——第四課。三伝は、初伝が丁巳で太陰を乗せ、中伝が癸亥で勾陳を乗せ、末伝が丁巳で太陰を乗せる——巳・亥が往々にして相冲し、行くも来るも皆絶地に落ちる。壬水の徳神は亥にあり、本命の丁巳の火はまた亥水の下に坐す——まさにこれが以下の「徳喪神消」の由来である。
邵彥和曰:此課德喪神消,人亡家破。何以言之?
邵彦和が言うには、この課の象は徳神が喪われ身命の神が消えるもので、人口の死亡と家業の破敗を主る。何を以てこのように言うのか。
蓋壬德在亥,亥為閉口,無德可言,是謂德喪(愚按:畢法賦云,德臨絕地為德喪)。愛函竊謂亥德臨絕地為德喪。身命臨亥,火被水克,是謂神消。生氣受克而死氣為主,是謂人亡。辰來破宅,又為干支之墓,是謂家破。一為宅水不通,二為灶廁不便。巳為灶,亥為廁,巳亥相加為不便。我去彼絕,彼來此絕,墓來剋日,此凶課也。童遂遷居,其屋空而禍解。
壬水の徳神は亥にあるが、亥はいま「閉口」となっているので、徳は言うべからざるとなる——これを「徳喪」という(愚按:『畢法賦』に言う、徳が絶地に臨むを徳喪と言う)。愛函は窃かに、亥という徳神が絶地に臨むを以て徳喪とすべきと謂う。身命の丁巳が亥に臨めば、火は水に克される——これを「神消」という。生気が克を受けて死気が主を為す——これを「人亡」という。辰が来て住宅を破り、また日干・日支の墓庫を為す——これを「家破」という。具体的な毛病は二条ある——一つは宅中の水道が通ぜず、二つは竈と厠の位置が不便なことである。巳は竈を主り、亥は厠を主り、巳と亥が両相加臨するのは、まさに竈厳が相冲して格局が不便である。我が彼に往けば絶地であり、彼が我に来れば絶地であり、墓神はまた回りて日干を克する——これは実に凶課である。童得松はついに居を移し、その屋が空くと禍患もまた解けた。
壬戌日、自占(『課経集』)
正月壬戌日子將巳時自占。 課經集/龍勾合朱/子丑寅卯 龍貴勾后 財戊午後/空亥 辰蛇 子巳丑午 鬼◎丑勾/虎戌 巳貴 巳戌午壬 父庚申玄/酉申未午/常玄陰后
正月の壬戌日に、月将「子」を巳時に加えて課を起こし、占者が自分のために課を起こした。この案件は『課経集』から出ている。天盤は地盤に比べて七位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「青竜」が子に、「勾陳」が丑に、「六合」が寅に、「朱雀」が卯に、「螣蛇」が辰に、「貴人」が巳に、「天后」が午に、「太陰」が未に、「玄武」が申に、「太常」が酉に、「白虎」が戌に、「天空」が亥にある。四課:壬水は亥に寄宮し、亥の上に午を得て天后が乗る——第一課。午の上に丑を得て勾陳が乗る——第二課。日支の戌の上に巳を得て貴人が乗る——第三課。巳の上に子を得て青竜が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で天后を乗せ、中伝が丑で勾陳を乗せるが丑は旬空に落ち、末伝が庚申で玄武を乗せる。午は壬水の妻財、丑は官鬼、申は印綬で、三伝はちょうど財が官を生じ、官が印を生じ、印がまた回りて日干を生ずる一条の鎖を排している。
郭御青曰:初傳天后水與亥水夾克妻財,財生官,官生印,印轉生身。時人或以破財捐官斷,豈知壬以午為妻,乘死氣,火以戌為墓,帶白虎,加妻卯命上為墓門開格,後果因好飲水致病喪身,何其效驗如此?
郭御青が言うには、初伝の上に乗る天后は水に属し、日干の寄宮の亥水とともに妻財を夾克する。財はさらに官を生じ、官はさらに印を生じ、印はまた転じて日干自身を生ずる。当時の人はあるいは財を破って官を捐するのだと断じたが、どうして知ろう——壬は午を以て妻とし、午の上に死気を乗せる。火はまた戌を以て墓庫とし、戌の上に白虎を帯び、妻の卯年命の上に加わるのは、まさに「墓門開」の格に合する。後にその妻は果たして生水を貪飲するがために病を得て命を喪った——占験が実にこのようなまでに精確とは。
壬戌日、賀中怜が昇遷を占う
崇正癸酉年正月壬戌日巳將申時丹陽賀中憐先生居大寅臺時占升遷吉凶若何?/朱蛇/六寅卯辰巳貴 蛇陰貴玄 財丁巳貴/勾丑 午后 辰未巳申 子甲寅六/青子 未陰 未戌申壬 比癸亥空/空亥戌酉申玄/虎常
崇正癸酉年正月の壬戌日に、月将「巳」を申時に加えて課を起こし、丹陽の賀中怜先生が大寅台の職に任じている時に、昇遷の吉凶はどうかを占った。天盤は地盤に比べて三位退いている。各位の天将が臨む神は、「六合」が寅に、「朱雀」が卯に、「螣蛇」が辰に、「貴人」が巳に、「天后」が午に、「太陰」が未に、「玄武」が申に、「太常」が酉に、「白虎」が戌に、「天空」が亥に、「青竜」が子に、「勾陳」が丑にある。四課:壬水は亥に寄宮し、亥の上に申を得て玄武が乗る——第一課。申の上に巳を得て貴人が乗る——第二課。日支の戌の上に未を得て太陰が乗る——第三課。未の上に辰を得て螣蛇が乗る——第四課。三伝は、初伝が丁巳で貴人を乗せ、中伝が甲寅で六合を乗せ、末伝が癸亥で天空を乗せる。三伝の天将は首尾が逐い生扶するが、第三課の未、第四課の辰はいずれも壬水の官鬼である——一喜一忌がともに一課に在り、升と退はここに在る。
陳公獻曰:目今必然榮轉,日後因他人之事請告。蓋因傳將遞互相生,城吏二馬出現,定有公鄉推薦。但嫌鬼臨三四,必主他非退位。曰:應於何年?曰:丁丑年。蛇墓剋日,必自驚憂而退。月內昇天津巡撫,後以標官劫皇銷事發,請告歸里。
陳公献が言うには、目下必ず栄転するが、後日、他人の事で告請して辞職する。なぜなら三伝の天将が互いに逐い生じ助け、課の中にまた城吏と二重の駅馬が現れているので、必ず公卿・郷紳が出て推薦する。嫌なのは官鬼が第三・第四課に圧することで、将来必ず他人の是非のために位を退く。賀公が問うには、いずれの年に応ずるか。答えるには、丁丑年である。螣蛇の乗ずる墓神が日干を克傷するので、必ず自ら驚き憂えて引退する。当月に彼は天津巡撫に升任したが、後に標下の軍官が糧餉を侵吞して報銷した事が発覚して、やむなく病を告げて故郷に帰った。
壬戌日、倪子元が父のいつ京に到るかを占う(『指南』)
戊辰年十一月壬戌日寅將巳時倪子元占父何日到京? 指南/朱蛇/六寅卯辰巳貴 蛇陰貴玄 財丁巳貴/勾丑 午后 辰未巳申 子甲寅六/青子 未陰 未戌申壬 比癸亥空/空亥戌酉申玄/虎常
戊辰年十一月の壬戌日に、月将「寅」を巳時に加えて課を起こし、倪子元が父がいずれの日に京城に到るかを占った。この案件は『六壬指南』から出ている。天盤は同じく地盤に比べて三位退いており、得られた課式は前の例と同じである——「六合」が寅に、「朱雀」が卯に、「螣蛇」が辰に、「貴人」が巳に、「天后」が午に、「太陰」が未に、「玄武」が申に、「太常」が酉に、「白虎」が戌に、「天空」が亥に、「青竜」が子に、「勾陳」が丑にある。四課は、壬水が亥に寄宮して亥の上に申を見て玄武が乗り、申の上に巳を見て貴人が乗り、日支の戌の上に未を見て太陰が乗り、未の上に辰を見て螣蛇が乗る。三伝は、初伝が丁巳で貴人を乗せ、中伝が甲寅で六合を乗せ、末伝が癸亥で天空を乗せる。日干の上の申は玄武を乗せると同時にまた駅馬であり、中伝の寅はまさに幽燕の分野に当たる——帰期と途中の凶険はこの二箇所から推し出される。
陳公獻曰:行人已抵燕界,丙寅日方到,但途過馬賊劫奪。蓋二馬見於課傳,末足臨寅,乃幽燕之分,二陰夾陽,中傳見寅,故主寅日到。玄武驛馬臨干,遙克庚午命神,主大路有馬賊劫奪之應。果寅日到平子門外,雪中遇雪賊,劫銀四十兩。
陳公献が言うには、行人はすでに燕の地界に抵き、丙寅日にやっと入城するが、ただ途中で騎馬の強盗の劫掠に遭う。課と伝の中に二重の駅馬が現れ、末の足がちょうど寅の上に落ちる——寅は幽燕の分野である。二つの陰神が一つの陽神を挾み、中伝にまた寅を見るので、寅日に至ると主る。玄武が駅馬を帯びて日干の上に臨み、遥かに庚午の本命の神を克傷するので、大路に馬賊の劫奪の応があると主る。後に果たして寅日に平則門の外に至り、雪中で賊に遇い、銀四十両を劫かれた。
癸亥日
癸亥日、呉四公が六畜の購入を占う(『方本占案』『口鑑』)
建炎己酉年九月癸亥日卯將辰時吳四公丙午生六十四歲占進畜。 方本占案 口鑑/貴後/蛇辰巳午未陰/朱卯 申玄 常虎空龍 鬼壬戌虎/六寅 酉常 酉戌亥子 父辛酉常/陳丑子亥戌虎 戌亥子癸 父庚申玄/龍空
南宋建炎己酉年九月の癸亥日に、月将「卯」を辰時に加えて課を起こし、呉四公——丙午年生まれ六十四歳——が六畜の購入を占った。この案件は『方本占案』と『口鑑』に見える。天盤は地盤に比べて一位退いている。各位の天将が臨む神は、「螣蛇」が辰に、「貴人」が巳に、「天后」が午に、「太陰」が未に、「玄武」が申に、「太常」が酉に、「白虎」が戌に、「天空」が亥に、「青竜」が子に、「勾陳」が丑に、「六合」が寅に、「朱雀」が卯にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に子を得て青竜が乗る——第一課。子の上に亥を得て天空が乗る——第二課。日支の亥の上に戌を得て白虎が乗る——第三課。戌の上に酉を得て太常が乗る——第四課。三伝は、初伝が壬戌で白虎を乗せ、中伝が辛酉で太常を乗せ、末伝が庚申で玄武を乗せる——戌・酉・申が一路逆に退く。戌は秋令において「天目煞」であり、いままさに日支の表す住宅の上に加わっている——これが以下に伏尸を断ずる根拠である。
邵彥和曰:欲進六畜,而豬牛欄皆不得其所。戌加亥作白虎,大豬入欄反小,只如犬大,兼且多病死傷。牛臨寅地,自是畏鄉,豈能長久?要好移欄到長生西南之地,牛羊豬皆可養之。宅基皆不利畜,牛羊豬雞皆無位,至於犬反要咬豬,貓亦不能捕鼠。
邵彦和が言うには、六畜を入れようとするが、豚と牛の欄は皆その所を得ていない。戌が亥に加わって白虎を乗せる——大豚を欄に買い入れてもかえって育たず、ただ犬ほどの大きさで、しかも多く病死・傷つく。牛の欄は寅地に臨むが、寅はもとより牛の畏る郷で、どうして長久にできようか。好くするには欄を西南の長生の地に移し、牛・羊・豚は皆養うことができる。この宅基はもとより畜に利がなく、牛・羊・豚・鶏は皆位を得ず、犬に至ってはかえって豚を咬み、猫もまた鼠を捕えられない。
蓋緣天目在宅,宅中有伏尸,所以不榮。五年之內,伏尸必傷人矣。吳宅自造屋十三四年來,諸畜皆養不得,故占之。當先宅前一半是田,一半是山,其山有古冢骸骨,不知姓名,吳盡撤去造屋,是以不利。後至甲寅三月,宅中屢現火光,怪異並作。吳記先生斷課之語,遂遷別宅居住。大凡占宅,天目加支,多主伏尸。秋以戌為天目,戌數五,故主五年必現影響也。
これは「天目煞」がまさに住宅の上に圧し、宅の下に主無き屍骨が埋まっているからで、家畜が栄えない——五年の内にこの伏尸は必ず人を傷つけよう。呉家はこの屋を造ってから十三四年、諸々の牲畜は皆養えなかったので、課を起こしに来た。もともと宅の前は半分が田で半分が山であり、その山に古塚があって、屍骨が誰の家のものかも知れず、呉家はこれを悉く撤去して屋を造ったので、利がない。後に甲寅年三月に至り、宅中に屢々火光が現れ、怪異が相次いで作した。呉四公は先生が課を断じた言葉を記憶していて、ついに別の宅に遷って住んだ。およそ住宅を占うに、天目煞が日支に加われば、多く地下の伏尸を主る。秋は戌を以て天目とし、戌の数は五なので、五年の内に必ず応験があると断ずるのである。
癸亥日、辰命人が謁選を占う(『直指』)
寅年七月癸亥日己將巳時辰命人占謁選。 直指/貴后陰玄/巳午未申 空空勾勾 鬼◎丑勾/蛇辰 酉常 亥亥丑丑 鬼壬戌虎/朱卯 戌虎 亥亥丑癸 鬼己未陰/寅丑子亥/合勾龍空
寅年七月の癸亥日に、月将を巳時に加えて課を起こした(月将は原文で「己将」と刻まれているが、「巳将」の訛りであろう)。辰年命の人が吏部に謁選して官を補することを占った。この案件は『六壬直指』から出ている。月将と占時が同位で、天盤と地盤が完全に重合する——「伏吟」の課である。各位の天将が臨む神は、「貴人」が巳に、「天后」が午に、「太陰」が未に、「玄武」が申に、「太常」が酉に、「白虎」が戌に、「天空」が亥に、「青竜」が子に、「勾陳」が丑に、「六合」が寅に、「朱雀」が卯に、「螣蛇」が辰にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上は依然として丑で勾陳が乗る——第一課。丑の上は依然として丑で勾陳が乗る——第二課。日支の亥の上は依然として亥で天空が乗る——第三課。亥の上は依然として亥で天空が乗る——第四課。日支の上の亥は自刑の神で発用できないので、日干の上神の丑を取って発用とし、丑は戌を刑して中伝となり、戌は未を刑して末伝となる。三伝の丑・戌・未は全て土で、課の名は「稼穡」であり、また全て癸水の官星である。
邵彥和曰:稼穡乃守土之官也。干支上神格合拱祿,三傳皆官,中傳白虎為催官符至,且兩貴拱命,上乘喜神,行年又帶天馬與日祿,青龍相會,謂之蛟龍得雨,天馬騰空。子月必選。祿臨女分,當在北方,果驗。
邵彦和が言うには、「稼穡」という課体は、まさに土を守り民を牧する官に応ずる。日干・日支の上の神が格局相い合して禄神を中に拱し、三伝もまた皆、官星である。中伝の白虎は催官符の至るを主る。加えて昼夜の両貴人が本命を挾み拱し、上に喜神を乗せ、行年の上にはまた天馬と日禄を帯び、青竜と相会する——これを蛟竜の雨を得、天馬の空を騰ぐという。子月に必ず官職に選ばれる。禄神は北方の女宿の分野に落ちるので、任所は当に北方であるべし。果たして験した。
癸亥日、伊秀才が科試を占う(宋本『邵案』『口鑑』)
己酉年六月癸亥日未將巳時伊秀才戊辰生四十二歲占科試。 宋本邵案 口鑑/六陳/朱未申酉戌龍/蛇午 亥空 陰常貴陰 鬼空丑常/貴巳 子虎 卯丑巳卯 子乙卯陰/後辰卯寅丑常 丑亥卯癸 財丁巳貴/陰玄
己酉年六月の癸亥日に、月将「未」を巳時に加えて課を起こし、伊秀才——戊辰年生まれ四十二歳——が科挙の試験を占った。この案件は宋本『邵案』と『口鑑』に見える。天盤は地盤に比べて二位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「朱雀」が未に、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に卯を得て太陰が乗る——第一課。卯の上に巳を得て貴人が乗る——第二課。日支の亥の上に丑を得て太常が乗る——第三課。丑の上に卯を得て太陰が乗る——第四課。三伝は、初伝が丑で太常を乗せるが丑は旬空に落ち、中伝が乙卯で太陰を乗せ、末伝が丁巳で貴人を乗せる——丑・卯・巳が一路順に進んで出る。課の名は「出戸」である。太陰は幕貴に属し、貴人は日貴に属し、先に幕ありて後に日に至る——まさに暗から明に転ずる象である。
邵彥和曰:課名出戶,占試則吉。太陰乘卯作幕貴,加日干,又日貴在末傳,先晦後明,準擬登科也。明年五甲無疑矣。
邵彦和が言うには、この課の名は「出戸」で、以て試を占えば吉である。太陰が卯を乗せて幕貴を為し、日干に加臨し、また日貴が末伝にある——先に晦み後に明るく、登科は確かと擬し得る。明年に五甲に中ることは疑いない。
蓋癸亥乃六甲極日,日去就支,主終身如斯而已。喜得舊蒙晦窒,斯道發輝而出。幕貴傳出又出而向日貴,日貴在夜貴之上,故先晦後明。且行年午上乘申,為干支長生,繫文星學堂,合起日貴,寅上辰為本年,晝夜貴人拱之,故必及第也。
癸亥は六甲の極日であり、日干が日支に去って就くのは、もとは一生がこのように止まることを主る。喜ばしいのは、昔の蒙昧・晦窒から、斯の道がいまや発輝して出ることである。幕貴が一路伝して出て、伝うほどに日貴に向かい、しかも日貴は夜貴の上に居るので、先に晦みて後に明るい。加えて行年の午の上に申を乗せ、申は干と支の長生の地で、また文星・学堂に係り、ちょうど日貴を合い起こす。寅の上の辰は彼の本年の太歳の位で、昼夜の両貴人が挾み拱しているので、必ず及第できる。
伊乃伊知縣之弟,屢試不中,今先生許其中,渠甚不信,及試果得第,次年中五甲矣。
この伊秀才は伊知県の弟であり、屢々試しても中らなかったが、いま邵先生が彼の中ることを許したので、彼は甚だ信じなかった。試に及んで果たして第を得、次年には五甲に中った。
癸亥日、来意を占う(『指帰』引『霊文論』)
四月癸亥申將巳時占來意。 指歸靈文論/合勾龍空/申酉戌亥 貴玄朱后 鬼丙辰後/朱未 子虎 巳寅未辰 鬼己未朱/蛇午 丑常 寅亥辰癸 鬼壬戌龍/巳辰卯寅/貴后陰玄
四月の癸亥日に、月将「申」を巳時に加えて課を起こし、来た人が何を問うかを占った。この案件は『六壬指帰』と『霊文論』に見える。天盤は地盤に比べて三位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に辰を得て天后が乗る——第一課。辰の上に未を得て朱雀が乗る——第二課。日支の亥の上に寅を得て玄武が乗る——第三課。寅の上に巳を得て貴人が乗る——第四課。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる——辰・未・戌の三重の土はいずれも癸水の官鬼である。辰はまた名を天罡といい、凶悪の神で、上に陰私を主る天后を乗せている——来意はここから断じ始める。
斷曰:來意事起陰人粗惡,暗中設謀眾人入官之狀,終不成憂。蓋辰為用、為日鬼,天后為陰人主陰翳事,天罡為凶惡神,故云粗惡陰人,暗中設謀相害。三傳皆是日鬼,小吉未被刑並朱雀,故云眾人入官之象。日為占者,甲寅旬中癸落空亡,三傳皆鬼,不見占者,將與誰爭?故云:終不成憂也。
断語に言う。来た人の事は、一人の粗野・凶悪な婦人が起こしたもので、暗中に謀を設けて衆人が官に入れようとする状であるが、終に憂いとなるには至らない。なぜなら初伝の辰が発用し、また日干の官鬼であり、天后は陰人を主り陰翳の事を主り、辰は名を天罡といって凶悪の神なので、粗悪な陰人が暗中に謀を設けて相い害すると言うのである。三伝は皆、日干の官鬼である。未は名を「小吉」といい、いま刑を受けまた朱雀を併せ——朱雀は文書・口舌を主る——ので、衆人が名を連ねて官府に告げる象と言うのである。日干は占者本人を表し、この日は甲寅旬の中で癸の寄宮の丑がまさに空亡に落ち、三伝は皆鬼であるが占者本人が見えない——ならばこの鬼は誰と争おうか。だから終に憂いとならないと言うのである。
癸亥日、田百原が城に住むべきか郷に住むべきかを占う
順治乙酉年四月十一癸亥日酉將午時,淮安總漕部院田公百原占該城住鄉住?/合勾龍空/申酉戌亥 貴玄朱后 鬼丙辰後/朱未 子虎 巳寅未辰 鬼己未朱/蛇午 丑常 寅亥辰癸 鬼壬戌龍/巳辰卯寅/貴后陰玄
順治乙酉年四月十一の癸亥日に、月将「酉」を午時に加えて課を起こし、淮安の漕運を総督する部院の田百原公が、自分は城に住むべきか郷に移るべきかを占った。天盤は地盤に比べて三位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に辰を得て天后が乗る——第一課。辰の上に未を得て朱雀が乗る——第二課。日支の亥の上に寅を得て玄武が乗る——第三課。寅の上に巳を得て貴人が乗る——第四課。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる。天罡の辰が日干の上に加わって発用するのは「斬関」の象であり、三伝はまた全て土で、日支の上にはなお寅木があって以て守りを為し得る——去と留の取捨はこの数箇所に在る。
陳公獻曰:此課正宜歸隱住鄉安穩,住城雖有眾賊飛攻,亦不足畏。因遊子斬關(魁罡加日辰發用為斬關課,此正辰加日發用也;而遊子必三傳皆土,見天驛二馬方的,蓋此時仍在辰月,天馬在戌也),發用陽將傳入陰位,理應歸隱之象。住城雖有賊攻,賴支上寅木以敵之(正所謂一人當關,萬夫莫開也。),不若就西北水鄉卜居安穩。及到邦關,船被兵據,入城,史閣部命守西城,城破一家投水未死。
陳公献が言うには、この課はまさに帰り隠して郷に住むに宜しく、安穏を得る。城に住めば衆賊が飛ぶように攻めることはあっても、また畏るるに足らない。なぜなら課体は「游子斬関」だからである(天魁・天罡が日干・日支に加わって発用すればすなわち斬関課で、ここはまさに辰が日干に加わって発用している。游子に至っては必ず三伝が全土で、さらに天馬・駅馬の二馬を見てこそ確当である。この時はなお辰月に在るので、天馬は戌に在る)。発用は陽将で三伝は陰位に伝入するので、理に按ずればまさに帰隠の象である。城に住めば賊の攻めはあるが、日支の上に寅木があって以てこれを敵することができる(いわゆる一人が関に当たれば万夫も開く莫し、である)。ただし西北の水郷に就いて居を卜するのが安穏で勝る。後に彼が関に至った時、船は兵に据えられて、やむなく城に入り、史閣部が彼に西城を守らせた。城が破れた後、一家は水に投じたが死ぬことはなかった。
癸亥日、熊奮渭が戊寅命に代わって占う(『指南』)
崇正辛未年四月癸亥日酉將午時商城熊兵長垣奮渭為戊寅命人代占。 指南/合勾龍空/申酉戌亥 貴玄朱后 鬼丙辰後/朱未 子虎 巳寅未辰 鬼己未朱/蛇午 丑常 寅亥辰癸 鬼壬戌龍/巳辰卯寅/貴后陰玄
崇正辛未年四月の癸亥日に、月将「酉」を午時に加えて課を起こし、商城の兵長の熊某と長垣の奮渭が、一人の戊寅年命の人に代わって占った。この案件は『六壬指南』から出ている。天盤は同じく地盤に比べて三位順に進んでおり、得られた課式は前の例と同じである——「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課は、癸水が丑に寄宮して丑の上に辰を見て天后が乗り、辰の上に未を見て朱雀が乗り、日支の亥の上に寅を見て玄武が乗り、寅の上に巳を見て貴人が乗る。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる——全て癸水の官鬼である。代わって占われた人の本命は戊寅で、昼夜の両貴人がちょうど本命を中に挾み拱している——凶の中の救いはここに在る。
陳公獻曰:課象雖凶,終不為畏。曰:較張逢玄課何如?予曰:張公課好,太歲剋日,君上不喜,須得木姓人求解,方可釋荷也。三傳純官鬼,又關墓覆日,豈不為凶?喜兩貴拱身,福德儀神臨支;又丁馬貴德居命,且是皇恩天詔,定轉凶為吉。其後刑長垣諱覺斯李先生上疏救之,減死謫戍,後知為雲間錢相公也。
陳公献が言うには、課象は凶なりとはいえ、終には畏るべきでない。或る人が言うには、張逢玄の課に比べてどうか。私が言うには、張公の課の方が好いが、ただ太歳が日干を克傷して、君上の心が喜ばない。木の偏旁を姓とする人が出て情を解してもらわなければ、この荷を卸すことはできない。この課は三伝が清一色の官鬼で、また関煞と墓神が日干に覆圧しているので、どうして凶でなかろうか。喜ばしいのは昼夜の両貴人が身を挾み拱し、福徳と儀神がまた日支に臨み、さらに丁神・駅馬・貴人・徳神が皆、本命の上に聚まり、しかも皇恩・天詔の象を帯びているので、必ず凶を転じて吉と為し得る。後に長垣の諱が覚斯の李先生が疏を上げて彼を救い、死罪を減じて辺地に謫戍とした。後に知るに、中から力を出したのは松江の銭相公であった。
癸亥日、劉夢岩が任所を占う(『郭氏占案』)
崇正丁丑年八月癸亥日真定劉夢巖邦弼占任所報丑時。 郭氏占案/合勾龍空/申酉戌亥 貴玄朱后 鬼丙辰後/朱未 子虎 巳寅未辰 鬼己未朱/蛇午 丑常 寅亥辰癸 鬼壬戌龍/巳辰卯寅/貴后陰玄
崇正丁丑年八月の癸亥日に、真定の人の劉夢岩——字は邦弼——が将来どこに選ばれて官に赴くかを占い、報した時は丑時であった。この案件は『郭氏占案』から出ている。得られた課式は前の二例と同じである——「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課は、癸水が丑に寄宮して丑の上に辰を見て天后が乗り、辰の上に未を見て朱雀が乗り、日支の亥の上に寅を見て玄武が乗り、寅の上に巳を見て貴人が乗る。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる。任所を占うには日支と行年がいずれの方位に落ちるかを見る——以下は天上の行年が酉に臨み、官星が丑に臨み、日支の上の寅が玄武を乗せる、この数箇所から具体的な県名を推し出す。
郭御青曰:據此課,天上行年臨酉,豈趙人選趙地乎?官星為用臨丑,北人難得吳越。驛馬不在傳,又臨燕,亦本地也。細詳干支上神,拱地盤子地,為山東。卯為草,必有草頭處也。查現缺,有莘縣、蓬萊二缺,必為蓬萊,以子為水鄉也。至十月乙亥日,果籤選蓬萊,信乎?食祿有方也。
郭御青が言うには、この課に拠れば、天上の行年は酉位に臨む——趙の人があえて趙の地に選ばれて官に赴くものか。官星が発用して丑に臨む——北人は呉越の辺に選ばれ難い。駅馬は三伝に入らず、また燕に臨む——これも本郷本土である。日干・日支の上の神を細かに推詳すれば、ちょうど地盤の子位を中に拱している——子は山東に対応する。卯はまた草木を主るので、地名には必ず草冠が帯びている。現在の欠員を調べるに、莘県と蓬萊の二欠があるのみ——必ず蓬萊である。子は水郷を主るからである。十月の乙亥日に至り、果たして籤を引いて蓬萊に選ばれた。信じられるか——禄を食むにそれぞれ定まる方があるのである。
愚嘗以支為任所,支上寅為山,玄武為草頭又為近水之處。寅加長生為道士,彼道家有蓬萊山在海中之說似與縣名符合焉。況木加長生則發生蓬勃,萊字亦有木字形也。
愚按:私は常に日支を以て任所を表すとする。この課は日支の上の寅が山を象り、玄武は草冠を主るとともにまた水に近い所を主り、寅がまた長生の位に加われば道士を象る——あの道家には蓬萊山が海中にあるという説があり、ちょうど県名と符合する。況んや木が長生に加われば草木は蓬勃して生発するので、「萊」の字にも木の字形が含まれている。
癸亥日、丑命人が赴試を占う(『直指』)
八月癸亥日辰將子時丑命人占赴試。 直指/空虎常玄/酉戌亥子 勾貴空朱 父辛酉空/龍申 丑陰 未卯酉巳 鬼◎丑陰/勾未 寅后 卯亥巳癸 財丁巳朱/午巳辰卯/合朱蛇貴
八月の癸亥日に、月将「辰」を子時に加えて課を起こし、一人の丑年命の人が赴考を占った。この案件は『六壬直指』から出ている。天盤は地盤に比べて四位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「天空」が酉に、「白虎」が戌に、「太常」が亥に、「玄武」が子に、「太陰」が丑に、「天后」が寅に、「貴人」が卯に、「螣蛇」が辰に、「朱雀」が巳に、「六合」が午に、「勾陳」が未に、「青竜」が申にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に巳を得て朱雀が乗る——第一課。巳の上に酉を得て天空が乗る——第二課。日支の亥の上に卯を得て貴人が乗る——第三課。卯の上に未を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が辛酉で天空を乗せ、中伝が丑で太陰を乗せるが丑は旬空に落ち、末伝が丁巳で朱雀を乗せる。末伝から数えて返して見れば、巳火は丑土を生じ、丑土は酉金を生じ、酉金はまた癸水の日干を生ず——一路逐い生じて日干に至る。子時は夜に属して夜貴の卯を用い、昼貴の巳はすなわち帘幕貴人となってまさに日干に臨み、昼夜の両貴がまた天罡の辰を中間に挾んでいる。
邵彥和曰:三傳遞生生日,簾幕貴人臨干,更兼干支兩貴拱定行年上神,又係天罡,必中高魁。中末雖空,卻是本命,不以空論。
邵彦和が言うには、三伝は一路逐い生じ養い、最後に日干に生じ至る。帘幕貴人はまたまさに日干の上に臨んでいる。加えて日干・日支の上の昼夜両位の貴人が行年の上の神を挾み拱して定め、その神はまたまさに天罡の辰なので、必ず高魁に中る。中伝は空に落ちるとはいえ、それはまさに占者の本命の丑であり、本命は空亡として論じられない。
癸亥日、周延儒が弾劾を占う(『指南』)
崇正癸酉年四月癸亥日酉將辰時宜興周首輔延儒因陳科長彈論,命醫者周誠生來占。 指南/空虎/龍戌亥子丑常 勾后空蛇 財戊午蛇/勾酉 寅玄 酉辰亥午 兄癸亥空/六申 卯陰 辰亥午癸 官丙辰後/朱未午巳辰後/蛇貴
崇正癸酉年四月の癸亥日に、月将「酉」を辰時に加えて課を起こした。宜兴出身の首輔の周延儒が、姓が陳の科道官に弾劾されたため、医者の周誠生を遣わして来て占わせた。この案件は『六壬指南』から出ている。天盤は地盤に比べて五位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未に、「六合」が申に、「勾陳」が酉にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に午を得て螣蛇が乗る——第一課。午の上に亥を得て天空が乗る——第二課。日支の亥の上に辰を得て天后が乗る——第三課。辰の上に酉を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で螣蛇を乗せ、中伝が癸亥で天空を乗せ、末伝が丙辰で天后を乗せる。癸水の徳神は巳にあり、刑神は亥にある。いま亥水がかえって来て巳を克し、徳は刑を圧えられない——これが全篇の退位の断の鍵である。
陳公獻曰:朝官占此,必主去位。蓋因傳將遞克,德不勝刑(德在巳而刑在亥,亥克巳太耳。),主小人進用而君子退位。且貴祿財馬俱逢空陷(貴、財、馬俱在巳,臨子落空;祿子旬空,臨未非落空。),豈能善後乎。又夜貴臨行年(行年必在戌,卯臨之。),即不仕閒官也。六月後,年上日祿天馬沖動身命,是其行期矣。喜四墓覆生,仍有復起之象。果六月準辭,馳驛回里。
陳公献が言うには、朝の官がこの課を占い得れば、必ず位を去ることを主る。なぜなら三伝の天将は逐い相い克伐し、徳は刑に勝たないからである(徳は巳に在り刑は亥に在り、亥水は巳火を克すること甚だしい)。小人が進み用いられて君子が退位することを主る。加えて貴人・禄・財・馬がことごとく空陷に遭う(貴人・財・馬は皆、巳に在り、巳は地盤の子に臨んで落空し、禄の子は旬空なりとはいえ、未に臨むので真に落空とは言わない)——どうして善い収場があろうか。また夜貴人がまさに行年の上に臨む(行年は必ず戌に在り、卯がこれに臨む)——たとえ位を去らなくても、ただ閑散の官を為すのみである。六月の後、年の上の日禄と天馬が彼の身命を冲動する——それが行く期日である。喜ばしいのは四墓が反転して生扶するので、なお東山再起の象がある。後に果たして六月に辞するを準され、駅を馳せて郷里に帰った。
癸亥日、応秀才が出行を占う(『方本占案』『口鑑』)
己酉年九月癸亥日卯將酉時應秀才丙子生三十四歲占出行。 方本占案 口鑑/六朱/陳亥子丑寅蛇/龍戌 卯貴 陳陰朱常 財丁巳陰/空酉 辰后 亥巳丑未 兄癸亥陳/虎申未午巳陰 巳亥未癸 財丁巳陰/常玄
己酉年九月の癸亥日に、月将「卯」を酉時に加えて課を起こし、応秀才——丙子年生まれ三十四歳——が遠出を占った。この案件は『方本占案』と『口鑑』に見える。月将と占時がまさに相冲し、天地の両盤が六位互いに冲する——「返吟」の課である。各位の天将が臨む神は、「勾陳」が亥に、「六合」が子に、「朱雀」が丑に、「螣蛇」が寅に、「貴人」が卯に、「天后」が辰に、「太陰」が巳に、「玄武」が午に、「太常」が未に、「白虎」が申に、「天空」が酉に、「青竜」が戌にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に未を得て太常が乗る——第一課。未の上に丑を得て朱雀が乗る——第二課。日支の亥の上に巳を得て太陰が乗る——第三課。巳の上に亥を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が丁巳で太陰を乗せ、中伝が癸亥で勾陳を乗せ、末伝が丁巳で太陰を乗せる——巳が去って亥が回り、亥が去って巳が回る。一往一返が皆、元の處に落ちる——出行の成否はこの一往一返の間にある。
邵彥和曰:此課出行,當主半路歸家。何也?蓋自支發出,少間復回,末又歸支,當主一骨肉有喪,遂遣人邀歸。應曰:何故?先生曰:初以巳發用,中傳復回,末傳又見巳,如何去得?應恐家中有事,先生曰:非也。應遂行,欲往袁州岳丈任中,次至撫州,卻有一親戚,乃伊親姐,在信州玉山縣,赴任病重,遂遣人趕應回,親姐死,應遂不得袁州。
邵彦和が言うには、この課で出行を占えば、半路で家に帰ることを主る。何故か。発用が日支から出て、間もなく復び回り、末はまた日支に帰るので、骨肉の一人に喪があることを主り、ついに人を遣わして招いて帰らせる。応秀才が問うには、何故ですか。先生が言うには、初伝は巳から発用し、中伝はまた折り返し、末伝もまた巳を見る——どうして行くことができようか。応秀才は家中に事があるのを恐れたが、先生が言うには、家ではない。応秀才はついに路に上がり、もとより袁州の岳父の任所に往こうとしたが、撫州に至った時、或る親戚——まさに彼の親の姉——が信州玉山県への赴任の途中で病が重くなり、ついに家人が駆けつけて応を呼び戻した。親の姉はついに亡くなり、応秀才もまた袁州に到ることができなかった。
蓋宅上見巳,初末皆巳,巳乃癸之絕神,雖為絕神,卻是三層驛馬,又以旬丁,所以主動。但中即傳宅陰,所以半路歸也。日上未鬼作太常,主親戚眷屬之服。日主外故主外服,發用太陰,主陰人喪,所乘之巳為妻,是妻之祖也。巳火亥水去了又來,互換相沖,不得不動,既動彼此俱絕,所以止也。
これは、宅の上に巳を見るからである。初伝も末伝も皆巳であり、巳は癸水の絶神である——絶神ではあるが、また三重の駅馬であり、加えて旬中の丁神を帯びるので、動身を主る。ただし中伝はすなわち住宅の陰神に伝い帰るので、半路で帰るのである。日干の上の未は官鬼でまた太常を乗せるので、親戚・眷属の喪服を主る。日干は外を主るので外姓親属の喪を主り、発用の太陰は陰人の喪を主る——その乗ずる巳はもともと妻を表すが、ここでは妻族の長輩を指すべきである。巳火と亥水は去ってまた来、互いに換わり相冲するので、動かざるを得ない。既に動けば彼此ともに絶地に落ちるので、半路で止まるのである。
癸亥日、伊知県が前程と赴任を占う(宋本『邵案』『口鑑』)
己酉年六月十六癸亥日未將亥時伊知縣丙寅生四十四歲占前程及赴任。 宋本邵案 口鑑/蛇貴/朱丑寅卯辰後/六子 巳陰 貴常陰空 鬼己未常/陳亥 午玄 卯未巳酉 子乙卯貴/龍戌酉申未常 未亥酉癸 兄癸亥陳/空虎
己酉年六月十六の癸亥日に、月将「未」を亥時に加えて課を起こし、伊知県——丙寅年生まれ四十四歳——が前程と赴任を占った。この案件は宋本『邵案』と『口鑑』に見える。天盤は地盤に比べて四位退いている。各位の天将が臨む神は、「朱雀」が丑に、「螣蛇」が寅に、「貴人」が卯に、「天后」が辰に、「太陰」が巳に、「玄武」が午に、「太常」が未に、「白虎」が申に、「天空」が酉に、「青竜」が戌に、「勾陳」が亥に、「六合」が子にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に酉を得て天空が乗る——第一課。酉の上に巳を得て太陰が乗る——第二課。日支の亥の上に未を得て太常が乗る——第三課。未の上に卯を得て貴人が乗る——第四課。三伝は、初伝が己未で太常を乗せ、中伝が乙卯で貴人を乗せ、末伝が癸亥で勾陳を乗せる——未・卯・亥が合して木局を成す。癸亥は六十甲子の末の一日であり、日干と日支はまたともに酉の上で敗を受け、酉は色欲を主る——これが以下に寿数を論ずる根柢である。
邵彥和曰:公既貪女色,又貪男色,若能調攝,可以赴任。若不節慾,必入泉鄉。近日飲酒不得,漸欲嘔吐,伊曰:果然。先生曰:此乃醉飽之後,鬱氣積聚,五臟走作,故嘔逆也。子息加太陽,公子清貴過於公。伊曰:得子強我尤妙,但我壽若何?先生曰:壽盡於今年八月,因公避妻並母,在灶後與婢行淫,灶君申奏於天,遂折公壽矣。伊大驚泣曰:為之奈何?何以懺悔否?先生曰:須是露天謝罪,如此七夜方可少延也。伊遂每夜拜天謝過,不入寢室,八月初一夢神告知曰:汝知過修德,增壽一紀。伊後竟不仕,至庚申年八月十六日而歿。有三子,長早喪,次子戊辰科及第,少子甲戌科及第。
邵彦和が言うには、あなたは女色を貪り、また男色をも貪る。もし調摂・節制し得れば、なお赴任してもよい。もし欲を節さなければ、必ず泉郷に帰する。近頃あなたは酒も飲めず、だんだん嘔吐しようとしている。伊知県が言うには、果たしてその通りです。先生が言うには、これは酔い飽きた後、欝積の気が中に結び、五臓が錯乱するので、嘔逆するのである。子孫爻は太陽の上に加わる——令郎は将来、清貴があなたに過ぎる。伊知県が言うには、子が私に勝るのはなおさら好いことだが、ただ私の寿数はどうですか。先生が言うには、寿数は今年の八月に尽きる。あなたが妻と母を避けて、竈の後ろで婢女と淫を行ったので、竈君がこの事を天に奏上し、ついにあなたの陽寿を折ったのである。伊知県は大いに驚き、涙を流して言うには、どうすればよいのか、懺悔はできるか。先生が言うには、必ず露天にて罪を謝し、これを七夜満たしてこそ、少しばかり延命できる。伊知県はついに毎夜天を拝して過を謝し、寝室に入らなかった。八月初一の夜、夢に神明が告げて言うには、あなたは過を知り徳を修めたので、寿一紀を増やそう。伊知県はその後ついに仕えず、庚申年八月十六日まで生きてから没した。彼には三子があり、長は早く喪われ、次子は戊辰科に及第し、少子は甲戌科に及第した。
蓋癸上見酉作天空,干支皆敗於酉,陰陽俱敗,故主女色男色。酉為色故也。癸見酉為酒,天空主吐逆,故漸不納酒。此課六陰俱備,且癸亥為六甲極日,癸亥俱敗於酉,死於卯,那更水日又得木局。陰中逢脫,自然暗消。內既空虛,外徒形體。巳為丁神而臨行年,又作太陰,巳為灶,太陰為陰私,酉為婢,是於灶間行淫,以致酉來敗損。況又是破碎,破碎者,色與酒病俱發也。水日木局,故主子位,太陽發傳,又子爻加太陽之上,故顯。
これは、癸の寄宮の上に酉を見て酉の上に天空が乗り、干と支がともに酉において敗を受け、陰陽両面がともに敗損するので、女色と男色を兼ねて貪ると断ずる——酉はまさに色欲を主るからである。癸が酉を見るのはまた酒を主り、天空は嘔吐・反胃を主るので、だんだん酒を受け付けなくなる。この課は六つの陰神が全て備わり、しかも癸亥は六甲の極日で、癸と亥がともに酉において敗れ卯において死す。況んや水日がまた木局を結び、陰の中にまた泄脱に遭うので、元気は自ずから暗く消え尽き、内はすでに空虚で、外はただ形体のみである。巳は旬中の丁神を帯びて行年の上に臨み、また太陰を乗せる——巳は竈を主り、太陰は陰私を主り、酉は婢女を主る。合わせればまさに竈の間で淫を行い、以て酉の敗損を招いたのである。況んやまた破碎煞であり、破碎が一動すれば色病と酒病がともに発する。水日に木局を成すのは子孫に位あることを主り、木局はまた太陽から発伝し、子孫爻はまた太陽の上に加わるので、息子は後日顕達する。
巳為日德,故改過修德尚可延年也。
巳はまさに癸日の徳神の在る所である。課の上の凶象は天の定める数であるが、徳は人の己の手に握られている。だから言うのである——ただ過を知り改め、徳を修めて自ら守れば、もとより折り尽くされた寿算もなお延長することができる、と。
癸亥日、徐八公が家宅を占う(『方本占案』『口鑑』)
戊申年六月初十癸亥日未將本百徐八公甲寅生五十五歲占家宅。 方本占案 口鑑/蛇貴/朱卯辰巳午後/六寅 未陰 陰常常空 鬼己未陰/陳丑 申玄 未酉酉亥 財丁巳貴/龍子亥戌酉常 酉亥亥癸 子乙卯雀/空虎
戊申年六月初十の癸亥日に、月将「未」を用いて課を起こした(占時は原文で「本百」と作るが、字に訛脱があり、盤式に按ずるに、天盤は地盤に比べて二位退いている)。徐八公——甲寅年生まれ五十五歳——が家宅を占った。この案件は『方本占案』と『口鑑』に見える。各位の天将が臨む神は、「朱雀」が卯に、「螣蛇」が辰に、「貴人」が巳に、「天后」が午に、「太陰」が未に、「玄武」が申に、「太常」が酉に、「白虎」が戌に、「天空」が亥に、「青竜」が子に、「勾陳」が丑に、「六合」が寅にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に亥を得て天空が乗る——第一課。亥の上に酉を得て太常が乗る——第二課。日支の亥の上に酉を得て太常が乗る——第三課。酉の上に未を得て太陰が乗る——第四課。三伝は、初伝が己未で太陰を乗せ、中伝が丁巳で貴人を乗せ、末伝が乙卯で朱雀を乗せる——未・巳・卯が一路陰より退いて陽位に向かうので、課の名は「迎陽」である。
邵彥和曰:癸亥是六甲極日,陰長陽消,而此課又為六陰相繼,宅勢到此極矣。然物極必變,今宅中現在六分共居,而甲寅人多是從門側出入。本命寅,天上寅,卻作合,為私門。又在卯側,故主從門側出入。來年有陰人死,各自東西南北去,必升進,頗勝於前。時有陰貴人,乃守缺貴人,後時必做成家計也。其子又好,必晚年亨福,壽又高,得貴家陰人力,做成家業也。徐八公弟兄六分共居,果是窄狹,常從便路出入到店,多是後邊過。次年太孺人故,八公即出外去住。
邵彦和が言うには、癸亥は六甲の極日で、陰が長して陽が消え、この課はまた六つの陰が相い継いでいるので、宅勢は此に至って極まった。しかし物は極まれば必ず変わる。いま宅の中には現に六房が共に居り、甲寅年生まれのこの人は多くは門の側から出入りする。本命は寅であり、天上の寅はまたこれと合して私門を為し、また卯の側に在るので、門の側から出入りすることを主る。来年、家に陰人の一人が死に、各房は東西南北それぞれ散って往き、その時に必ず升進して、前に顧みて遥かに勝る。いま坐する陰貴人は守缺して補を待つ貴人で、後日必ず成家計を為し得る。その子もまた好く、必ず晚年に福を亨いて、寿もまた高く、貴家の陰人の力を得て家业を成す。徐八公は兄弟が六房で共に居り、果たして甚だ窄狹で、平日出入りして店に往くのは、常に便路を行き、多くは後ろから過ぎる。次年に家の太孺人が亡くなり、八公はすなわち外に出て住んだ。
蓋癸亥是極日,亥來加癸,又極。卻自北復轉至西,自西投東南,見卯,自半夜亥至黃昏酉,自酉至未,自未至巳接卯,謂之迎陽課。中末傳見貴人,用並太陰,故徐公續娶,得某先待制之妾,帶二千貫財物嫁來。蓋癸以巳為妻財,而太陰作貴人之側室,故有龐人嫁他。其子又乘夜貴臨日貴人財上(卯子息爻,乘夜貴加巳妻財之上,則上子為待制妾所生可知)。徐公委其管干,自此發跡,終身享福,八十四壽終。言六分者,酉為破碎入宅,而敗癸水,酉乃六數也。
癸亥はもとより極日であり、亥がまた癸に加わるので、さらに極の中の極である。しかし北からまた転じて西に至り、西から投じて東南に向かって卯を見る——夜半の亥から黄昏の酉に至り、酉から未に至り、未から巳に至って卯を接ぐ——これを「迎陽」の課と言う。中伝も末伝も貴人を見、発用もまた太陰を併せているので、徐公が弦を継いで、或る前任の待制の侍妾を娶ったのである——二千貫の財物を帯びて嫁いで来た。癸は巳を以て妻財とし、太陰はちょうど貴人の側室をなすので、寵ある婦人が彼に嫁いだのである。その子はまた夜貴を乗せて日貴と妻財の上に臨む(卯は子息爻で、夜貴を乗せて巳という妻財の上に加わる——上の子が待制の妾の生んだ子であることが分かる)。徐公は家事をこの夫人に委ねて管轄させ、此れより発跡して、終身福を享け、八十四歳で寿終した。六房と言うのは、酉という破碎煞が住宅に入って癸水を敗損し、酉はまさに六の数だからである。
癸亥日、徐承務が生地を占う(『一針見血』)
建炎己酉年九月癸亥日卯將亥時徐承務丁未生六十三歲占生地。 一針見血/空虎常玄/酉戌亥子 勾貴空朱 父辛酉空/龍申 丑陰 未卯酉巳 鬼◎丑陰/勾未 寅后 卯亥巳癸 財丁巳朱/午巳辰卯/合朱蛇貴
南宋建炎己酉年九月の癸亥日に、月将「卯」を亥時に加えて課を起こし、徐承務——丁未年生まれ六十三歳——があらかじめ擇定した葬地を占った。この案件は『一針見血』から出ている。天盤は地盤に比べて四位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「天空」が酉に、「白虎」が戌に、「太常」が亥に、「玄武」が子に、「太陰」が丑に、「天后」が寅に、「貴人」が卯に、「螣蛇」が辰に、「朱雀」が巳に、「六合」が午に、「勾陳」が未に、「青竜」が申にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に巳を得て朱雀が乗る——第一課。巳の上に酉を得て天空が乗る——第二課。日支の亥の上に卯を得て貴人が乗る——第三課。卯の上に未を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が辛酉で天空を乗せ、中伝が丑で太陰を乗せるが丑は旬空に落ち、末伝が丁巳で朱雀を乗せる——巳・酉・丑が合して金局を成して日干を生ずる。丑はもともと墓田の神だが、いま空に落ちまた天空を帯びているので、ちょうど以下の言う空墳・虚塚に応ずる。
邵彥和曰:前後左右皆有空墳,穴主山山側又是一陰人墳,若不去此墳,如何葬得?徐曰:此地若何?先生曰:甚好。以干支上皆貴人也。且金局又生日干。有何不利?但丑為墓田空亡,則是虛墓。兼有天空,亦是虛墳。必須去此,然後可以論生而葬,日後必出貴人。最好是水路合星辰,文筆雙峰,出人清秀也。徐問汪家買山,汪兄弟三分,只賣出二分,其長兄一分,故將空棺葬於內。其先前亦有三四個虛塚,皆葬不著。徐乃倍價向汪家長兄買之。
邵彦和が言うには、この地の前後左右には皆、空墳があり、穴の主山の山側にはまた一つの陰人の墳がある。もしこの墳を去らなければ、どうして葬ることができようか。徐が問うには、この地はいかがですか。先生が言うには、甚だ好い。日干・日支の上に皆、貴人が坐するからである。しかも金局がまた日干を生ず——何の不利があろうか。ただし丑はもとより墓田であってまた空亡に落ちるので、虚墓であり、兼ねて天空を帯びるので、また虚墳である。必ずまずこれらの墳を去らなければならず、しかる後に生気を論じて葬ることができる——後日必ず貴人が出る。最も好いのは水路が星辰と合し、前案に文筆の双峰があることで、清秀の人が出る。徐は汪家に山を買うを問い、汪の兄弟は三股に分かれ、ただ二股を売るを肯んじ、その長兄の一股は売らず、そこで空棺をその内に葬った。その先にも三四座の虚塚があり、皆、葬り着かなかった。徐はすなわち倍の価を出して汪家の長兄にその一股を買った。
庚戌年七月葬妻,壬子年徐宅三房媳婦兩房得二男。至五六歲聰明,日讀百餘字,二歲五經讀盡,十六歲入試場,十九歲發科舉,二十二歲兄又發舉,二十六歲及第,想此地應矣。
庚戌年七月に彼はここに妻を葬り、壬子年に徐宅の三房の嫁の中から二房が各々男児を一人得た。二人の子は五六歳になると甚だ聡明で、一日に百餘字を読み、二年の内に五経を読み尽くした。十六歳で試場に入り、十九歳で科挙に発し、二十二歳で兄もまた挙に発し、二十六歳で及第した——思うにまさにこの地が応じたのである。
蓋巳加癸作朱雀,巳主雙,故有文筆雙峰高起,支上又見貴人,癸見卯不可謂之脫氣,乃子孫秀貴也。申酉為今日水母,故水來去皆合星辰,巳為雙,故出雙貴也。
これは、巳が癸の寄宮の上に加わって朱雀を乗せるからである——朱雀は文章を主り、巳はまた双を主るので、案前に二座の文筆の峰が高く聳え起きている。日支の上にはまた貴人が坐する。癸が卯を見るのはここでは泄脱の気と言うべからず、まさに子孫の清秀・顕貴の象である。申と酉はこの日の水源の母なので、来水・去水ともに星辰の方位と合する。巳はすでに双を主るので、出るのは一対の貴人である。
