大六壬指南
心印賦・五気生剋と日辰神将の断法
大六壬典籍
まず起課と三伝を発する機械的な流れを確実にしてから、課体と神煞に入る。起課を飛ばして断語だけ読んでも、書中の例を自分で再現できない。
明·陳公獻、程起鸞、莊公遠
本書は三人の署名をもつ:明代の揚州(維揚)の人・陳公献が《心印賦》《指掌賦》に注を施して占験を纂集し、新安の人・程起鸞が校訂と刊行に加わり、荘公遠は別に《神煞図位》一巻を撰して合刻に付した。
目錄:卷一註釋《心印賦》,卷二註釋《指掌賦》,卷三《六壬會纂》占驗指南,卷四《大六壬神煞指南》。
全書の目次:巻一は《心印賦》に対する注解、巻二は《指掌賦》に対する注解、巻三は部門別に分けた《六壬会纂》の占験指南、巻四は《大六壬神煞指南》である。「六壬」は「太乙」「奇門」とともに「三式」と呼ばれ、十天干のうち壬が水の首となり、六十甲子のうち壬を含むものが六位あることから名づけられた。課を起こすときはその月の「月将」を占った時辰の上に加えて天盤を回し、さらに「四課」「三伝」を取って吉凶を判断する。なお断っておくが、現存するこの底本には実は巻一・巻二の賦文と注文しか収められておらず、巻三の占験実例と巻四の神煞図位は収録されていない。
序(周元曙・字は龍隨)
余初習制舉業,先大人諭以八股,投時美技也。然而窺天人奧、存帝王師,非異書不為功。每有奇聞,輒欣賞之。以故閱九流陳言,間廢寢食。一日讀三式帙,知自九天玄女,為滅蚩尤授之軒轅,內六壬更饒繁劇,非九年面壁,莫竟其源。食精蘊可以養性全身,吐餘緒可以料敵知勝,上六千百年問,周有子牙,越有少伯,漢有子房,三國迄今,僅蜀孔明青田而已。豈尋常章句之士,隨處不立人哉!
私は若い頃、科挙の学問に励み、先の父から八股文を教わった。それは時流に合わせた一芸だというのである。しかし天人の際の奥義を窺い、帝王の師たる学問を蓄えるには、奇書を読まねばならない。だから珍しい話を聞くたびに、私は喜んで味わい、九流百家の旧説を広く読み、時には寝食を忘れるほどだった。ある日「三式」に類する典籍――三式とは太乙・奇門・六壬の三つの占法――を読んで、それらが九天玄女に源を発し、かつて黄帝が蚩尤を滅ぼすのを助けるために軒轅氏に授けられたものと知った。三式の中でも六壬はとりわけ筋目が繁雑で法度が密であり、九年面壁のような苦功なくしてはその本源を究めることはできない。その精髄を究め尽くせば性を養い身を保つことができ、その余緒を発揮すれば敵を料り勝ちを知ることができる。上下六千年余りの間に、周には姜子牙がおり、越には范蠡(字は少伯)がおり、漢には張良(字は子房)がいたが、三国以下今日に至るまで、蜀漢の諸葛孔明と明初の劉青田(劉伯温)の二人にすぎない。このような人物は、章句を抱え守る尋常の儒生が、あちこちで造り出せるものだろうか!
崇禎甲申,督師史元輔羽檄徵餘,再及而應,置之禮賢前席,題授中州司理,取道淮陰,得逅陳子公獻。印證所學,相嘆伯樂不常有也。公獻以維揚將家子,自祖父及昆季,文苑武虎,著聲海內,又生而膂勇,耽習奇技,《太公》、《陰符》諸篇以及黃老之術,瞭然胸次。向請纓於大司馬王霽宇先生,出門上書屯田,見知受任,勞有成效。忽為讒阻,功志未竟,識者惜之。
崇禎甲申年(一六四四)、督師史公(元輔は輔政大臣への尊称)が羽を挿した緊急文書で私を召し、二度目にしてようやく応命した。彼は礼賢下士の礼をもって私を前席に座らせ、奏請して中州司理の職を授けた。赴任の途中で淮陰を取り、ちょうど陳公献先生に邂逅した。互いに学んだことを印证し、世に伯楽はそうあるものではないと相い嘆じ合った。公献は揚州の将門の子で、祖父から兄弟の代まで、文は文苑の才、武は虎将の勇をもって海内に名声を轟かせた。本人は生まれつき膂力が人に勝り、また奇技の探究を酷く好み、《太公兵法》《陰符経》の類や黄老の術についても胸中に了然としていた。以前、大司馬王霽宇先生に請纓して仕え、出て上書し屯田の策を述べ、賞されて職任を委ねられ、事務にいたってはかなりの成果を上げた。ところが不意に讒言に阻まれ、功業も志も遂げられず、識者は皆惜しんだ。
潛究六壬,寒暑不輟,訪學燕京,與塗松亭、何半鶴二公齊名。由是冠蓋問奇者,日無虛晷,縱口而談,無不翩翩奇中。好事者為嘉賞,分類纂編,摘計百數有奇,乞以盡事之概。外《心印賦》、《指掌賦》為之註解,更歷試諸經,成《會纂》一冊,並付剞劂,以廣其傳,加閱《心鏡》、《畢法》、《互變》、《中黃》,約而可徵,管而能遠,指南捷徑,無踰於此。此蓋迷津之筏,夜行之炬也。精而研之,理入牛毛,響應桴鼓。又奚必泛求諸篇。以滋惑也耶?特為首引。
この後彼は一心に六壬を研鑽し、寒暑にわたり一度も休まず、燕京に游学して師を訪ね、塗松亭・何半鶴の両先生と名を並べた。こうして縉紳や顕貴が門を訪れて問い難じる者が引きも切らず、一日として空いた時がなかった。彼が口を開いて占断するや、すべて軽々と奇中した。好事の人々が大いに賞賛し、彼のために分類して編纂し、摘録した占例は合わせて百余条にのぼり、さらに各類の占事の大意を併せて説明してくれるよう請うた。このほか彼は《心印賦》《指掌賦》の二篇に注解を加え、さらに諸種の典籍を一つずつ検証して《会纂》一冊を編み、併せて版木に付して刊行し、広く伝えることを期した。また《六壬心鏡》《畢法賦》《互変》《中黄》の諸書を参照し、文字は簡約でありながら徴験に堪え、拠るところは狭くても及ぶところは遠い――六壬を学ぶ指南の捷径はこの書に勝るものはない。これこそ迷いの津の渡し筏であり、夜行の炬火である。精しく読み研ぎ澄ませば、義理は牛毛の細さに入り、応験は桴が鼓に応ずるがごとき速さである。何のために広く諸家の雑説を遍く求めて、かえって惑いを増す必要があろうか。そこで私はあえてこの文を巻首に置いた。
今上元仲夏穀旦,南州吾弟周元曙龍隨氏題於邗之甓湖社。
今上が改元した年の仲夏の吉日に、南州の人・私の年家の弟である周元曙(字は龍隨)が邗上(揚州)の甓湖社にて題した。「谷旦」とは晴れやかな佳き日を指し、旧時の序跋の落款に用いる慣用語である。
序(程起鸞・字は翔雲)
世之談壬式者,靡不自矜神哲,口吐長河,膚徵其應驗,不能無相左焉!餘潛心此術幾二十載,恆嘆其奧妙難窮。雖占斷之後,頗有奇中,每以未獲異人指點為歉。凡君子至斯,未嘗不造庭相謁,叩其所長。
世の中で六壬の式法を語る者は、みな自ら神妙で叡智であると誇り、口から長河を吐くようだが、浅薄ないわゆる応験で確かめてみれば、事実と相違しないわけがない。私はこの術に心を潜めてほぼ二十年、常にその奥妙が窮めがたいことを嘆じてきた。占断の後にしばしば奇中することはあったものの、いつも高人の指導を得られなかったことを憾みとしていた。そこでこの道に精しい君子が当地に来るたびに、門を叩いて謁見し、その得意とするところを請わなかったことはない。
庚寅仲春,因訪公獻陳君於邗上。公獻縱口而談,悉本於理,及考其事,應如左券。然洵當世之管郭,後起之李袁詹歟!因語之曰:與其藏之匱中,無寧懸之國門乎?公獻曰唯唯。爰簡占驗百餘條,與所作之分門會纂,播諸梨棗。其所增注先賢之《心印》、《指掌》二賦,易知簡能。及公遠莊君所著之《神煞圖位》,闢訛定誤,皆指南捷徑。仍因合併付梓,公諸同好,亦吉凶同患之遺意云爾。噫!斯道久湮,絕學難繼,神而明之,存乎其人矣。
庚寅年の仲春、私は用事で邗上(揚州)の陳公献君を訪ねた。公献は口を開いて語るたびに、句々すべて義理に本づいていた。占った事を確かめてみると、左契を合わせるように応験して寸分も違わなかった。彼はまさに当世の管輅・郭璞、後起の李淳風・袁天罡の流の人物だろう! そこで私は彼に言った――この学問を櫃の中に蔵するより、国門に懸けて天下の人に共に見せたほうがよいのではないか。公献は唯々と応えた。そこで占験百余条を選び録り、彼の編んだ分門の会纂と合わせて、併せて版に付して刊行した(「播諸梨棗」とは梨木・棗木で版を刻んで書を印すことをいう)。彼が先賢の《心印賦》《指掌賦》二篇に増した注解は、明白で知りやすく実際に役立つ。さらに荘公献の友人・荘公遠君の著した《神煞図位》は、訛伝を辨正し誤りを定めたもので、いずれも六壬を学ぶ指南の捷径である。そこでこれら数種を合わせて刊印し、同好の士に公にしたのは、《周易・繋辞》のいう「吉凶與民同患」の遺意でもある。ああ! この道は湮滅して久しく、絶学は継ぐことが難しい。神妙にして明らかにできるかどうかは、結局のところ学ぶ者本人に存するのだ。
順治壬辰陽月,新安程起鸞翔雲氏,題於白下之崇德堂。
順治壬辰年(一六五二)十月、新安の人・程起鸞(字は翔雲)が白下(南京)の崇徳堂にて題した。「陽月」は旧暦十月の別称である。
巻一 大六壬心印賦
六壬如人,先明日辰。○六壬運式先以日辰為根本也。日尊故曰天干,辰卑故曰地支;亥子丑應於北方,寅卯辰應於東方,巳午未應於南方,申酉戌應於西方,即地盤也。天干者甲乙東方木,丙丁南方火,戊己中央土,庚辛西方金,壬癸北方水。入式之法:甲課在寅,乙課在辰,丙戊課在巳,丁己課在未,庚課在申,辛課在戌,壬課在亥,癸課在丑。而不居卯午酉子者,以正位不敢當,故陽干居祿神所在,而陰干居祿神前一位也。
六壬で課を起こすのは人を知るようなもので、まず「日辰」が誰であるかを明らかにしなければならない。○六壬の布局では、まず日辰を根本とする。日干は尊いので「天干」と呼び、日支は卑しいので「地支」と呼ぶ。亥・子・丑の三支は北方に属し、寅・卯・辰の三支は東方に属し、巳・午・未の三支は南方に属し、申・酉・戌の三支は西方に属する。この十二支が動かずに最下層に並んだものが「地盤」である。十天干の五行の方位は、甲・乙は東方の木、丙・丁は南方の火、戊・己は中央の土、庚・辛は西方の金、壬・癸は北方の水である。天干そのものは盤上に座がなく、ある地支に寄居しなければならない。これを「寄宮」という(本書では「入式」「課在」と称する):甲は寅に寄り、乙は辰に寄り、丙・戊は巳に寄り、丁・己は未に寄り、庚は申に寄り、辛は戌に寄り、壬は亥に寄り、癸は丑に寄る。卯・午・酉・子の四正の位に寄らないのは、そこが各干の禄気の正位であり、臣があえて君位に居ることを避けるからである。だから陽干は自分の「禄神」のある支に寄り(甲の禄は寅にあるから寅に寄る)、陰干は一歩退いて禄神の前一つに寄る(乙の禄は卯にあるのに辰に寄る)。
以月將加占時之上。○月將即日宿太陽也。正月雨水後日躔娵訾之次入亥宮,乃登明將也;二月春分後日躔降婁之次入戌宮,乃河魁將也;三月穀雨後日躔大梁之次入酉宮,乃從魁將也;四月小滿後日躔實沈之次入申宮,乃傳送將也;五月夏至後日躔鶉首之次入未宮,乃小吉將也;六月大暑後日躔鶉火之次入午宮,乃勝光將也;七月處暑後日躔鶉尾之次入巳宮,乃太乙將也;八月秋分後日躔壽星之次入辰宮,乃天罡將也;九月霜降後日躔大火之次入卯宮,乃太沖將也;十月小雪後日躔析木之次入寅宮,乃功曹將也;十一月冬至後日躔星紀之次入丑宮,乃大吉將也;十二月大寒後日躔玄枵之次入子宮,乃神后將也。每以此值月之將而加來人所占之正時上順布十二宮辰,即天盤也。假令正月雨水後日躔娵訾乃亥將登明也,如午時則用亥加午,子加未,順行十二辰是也。
課を起こす法は、「月将」を占う時辰の上に加えることである。○月将とはその月に太陽が躔る星次で、だから「日宿太陽」とも呼ぶ。正月の雨水以後、太陽は娵訾の次に行って亥宮に入り、月将を「登明」という。二月の春分の後は降婁の次に行って戌宮に入り、月将を「河魁」という。三月の穀雨の後は大梁の次に行って酉宮に入り、月将を「従魁」という。四月の小満の後は実沈の次に行って申宮に入り、月将を「伝送」という。五月の夏至の後は鶉首の次に行って未宮に入り、月将を「小吉」という。六月の大暑の後は鶉火の次に行って午宮に入り、月将を「勝光」という。七月の処暑の後は鶉尾の次に行って巳宮に入り、月将を「太乙」という。八月の秋分の後は寿星の次に行って辰宮に入り、月将を「天罡」という。九月の霜降の後は大火の次に行って卯宮に入り、月将を「太冲」という。十月の小雪の後は析木の次に行って寅宮に入り、月将を「功曹」という。十一月の冬至の後は星紀の次に行って丑宮に入り、月将を「大吉」という。十二月の大寒の後は玄枵の次に行って子宮に入り、月将を「神后」という。課を起こすたびに、その月の月将を来た人が占った正時の上に加え、さらに順時計回りに順次十二宮辰を配布する。この一層の回転する十二神が「天盤」である。例を挙げると、正月雨水の後に太陽が娵訾に躔るとき、月将は亥(登明)である。仮に来た人が占ったのが午時なら、亥を地盤の午の上に圧し、続いて子を未に、丑を申に圧し、順に十二辰を行けば天盤が定まる。注意すべきは、月将は中気(雨水・春分・穀雨……)によって換わるのであって、朔日で月を換えるのではないことである。月将と占時が一たび加え合わされれば全課の格局は定まるので、この一歩が六壬起課の要である。
視陰陽為四課之分。○天干陽也,干上得者曰日,干上陽神為第一課,乃陽中之陽也;地支陰也,支上得者曰辰,支上陽神為第三課,乃陰中之陽也;干上陰神為第二課,乃陽中之陰也;支上陰神為第四課,乃陰中之陰也。夫月將加時則無極而太極也;加時而有天盤動而生陽,地盤靜而生陰,乃太極生兩儀也。至於干支分而四課布,非兩儀生四象乎!故曰:一陰一陽之謂道,陰陽不測之謂神。
陰陽を分かち辨えることで「四課」が分かれる。○天干は陽に属し、干の上に得た神を「日」という:日干の寄宮の上に乘る天盤神が第一課で、陽中の陽に属する。地支は陰に属し、支の上に得た神を「辰」という:日支の上に乘る天盤神が第三課で、陰中の陽に属する。さらに第一課の上神を地盤と見なしてその上に乘る神を取れば第二課で、陽中の陰に属する。第三課の上神を地盤と見なしてその上に乘る神を取れば第四課で、陰中の陰に属する――第二課・第四課を総じて「陰神」と呼ぶ。月将がまだ時に加わらない以前は、渾然として未だ判れず、まさに「無極にして太極」である。月将が一たび時に加われば、天盤が回転して陽を生じ、地盤が静止して陰を生ずる。これが太極の両儀を生ずることである。干支が分立して四課が排定されるのは、まさに両儀が四象を生ずることではないか! だから《周易・繋辞》にいう――「一陰一陽之謂道、陰陽不測之謂神」。
賊克為初用之始,相因作中末之身。○四課即布則八卦生矣。四課陰陽既具,須求三傳以為發用,則以四課上下審之。若有一下克其上神者,雖有二三之上克下不論矣,名曰重審課;若四課中並無下克,唯一上神克下,取而用之名曰元首課。重審者重複審詳也,元首者別無下克而亭亭然有首出庶物之象也。俱以所得發用為初傳,以初傳地盤上所乘者為中傳,以中傳地盤上所乘者為末傳,故曰相因也。
「賊剋」は初伝の発用を取る起点であり、「相因」は中伝・末伝の由来である。○四課が一たび排定されれば、八卦の象もそれに従って生ずる。四課の陰陽が既に備わったなら、「三伝」を求めて発用とする。その方法は四課の上下二神を一つずつ審視することである。もし一課が下神が上神を剋するもの(下が上を賊する)なら、たとえ他に二三課が上剋下であっても一切論じず、ただこの下賊上の上神を取って発用とし、課名を「重審課」という。もし四課の中に下賊上がなく、ただ一課だけが上神が下神を剋するものなら、それを取って発用とし、課名を「元首課」という。いわゆる重審とは反復して審らかに詳める意であり、いわゆる元首とは別に下賊がなく、亭亭として《周易・乾卦》の「首出庶物」の気象をもつ意である。両者とも取ったその神を「初伝」(発用ともいう)とし、さらに初伝が地盤のどの位に落ちたかを見て、その上に乘る天盤神をもって「中伝」とし、また中伝が地盤のどの位に落ちたかを見て、その上に乘る天盤神をもって「末伝」とする――このように層層相生・相帯して取る法を「相因」という。
克多比用、涉害。○重審不過一下賊,若四課中有二三四下賊者非審矣;元首不過一上克,若四課中有二三四上克者非首矣。上克下曰克,下克上曰賊。今賊克紛紛,則以甲丙戊庚壬為陽日,而用一子寅辰午申戌之神陽與陽比,雖二三陰勿論也;若乙丁己辛癸為陰日,而用一丑卯巳未酉亥之神陰與陰比,雖二三陽勿論也,故曰比用也。
もし剋するものが多すぎれば、「比用」または「渉害」の法に改める。○重審課は一箇所の下賊しか許さない。もし四課の中に二箇所・三箇所・四箇所の下賊があれば、もはや重審とはいえない。元首課は一箇所の上剋しか許さない。もし四課の中に二箇所・三箇所・四箇所の上剋があれば、もはや元首とはいえない。上神が下神を剋することを「剋」といい、下神が上神を剋することを「賊」という。いま賊剋が一箇所にとどまらず紛紛としている場合、日干の陰陽によって取捨を定める。甲・丙・戊・庚・壬は陽日で、子・寅・辰・午・申・戌といった陽支の神のみを取って発用とする。陽と陽とを比するので、たとえ二三の陰支が剋していても一切論じない。乙・丁・己・辛・癸は陰日で、丑・卯・巳・未・酉・亥といった陰支の神のみを取って発用とする。陰と陰とを比するので、たとえ二三の陽支が剋していても一切論じない――これを「比用」という。
然又曰知一者何也?蓋陽知用一陽爻而不知有陰也,陰知用一陰爻而不知有陽也。若夫陰日只知用一陰,今而有二陰三陰四陰矣,陽日只用一陽,今而有二陽三陽四陽矣,則名之曰涉害課,先以寅申巳亥上乘之神為用,則涉之深而建名曰見機,蓋有害者不可不見機,明若保身之義也。若孟神上無克賊則以子午卯酉上乘之神為用,此涉之淺而又名曰察微,蓋見於明者不可不究其精微,履霜堅冰至之意也。其中末必如賊克之相因。
では、なぜ比用課をまた「知一」と呼ぶのか。陽日はただあの一つの陽爻を認めて陰を顧みず、陰日はただあの一つの陰爻を認めて陽を顧みない。一を取ってその余を捨てるから、また知一課と名づける。さて陰日には本来一つの陰支のみを取るべきところ、いま二つあるいはそれ以上の陰支が同時に剋に来た。陽日には本来一つの陽支のみを取るべきところ、いま二つあるいはそれ以上の陽支が同時に剋に来た――比ぶべきものがなくて比し得ない。これを「渉害課」という。渉害の取用は、まず四孟の寅・申・巳・亥の上に乘る神を見る。孟位の渉る害が最も深いので、それを取って発用とするのをまた「見機」という。既に害がある以上、機を見て作さないわけにはいかない。これが明哲保身の用意である。もし四孟の上に剋賊がなければ、四仲の子・午・卯・酉の上に乘る神を取って発用とする。仲位の渉る害は比較的浅いので、また「察微」という。既に明らかなところに顕れた事は、その精微を推究しないわけにはいかない。まさに《周易・坤卦》の「履霜堅冰至」の意である。渉害課の中伝・末伝は、なお賊剋課と同じように地盤に依り層層相因して得る。
無克是以遙嗔。○若四課上下全不相剋賊,則以日干為主而與第二、三、四課上神相對較之。若有一上神剋日干者取以為用,名神遙剋日,曰蒿矢課,以彼能遙傷於我而似矢也。何以蒿矢名之?蓋上下相剋,力勇而有賊克之稱,斯遙遠力綿,雖克而猶蒿而已。若無剋日干者,則視日干遙克彼三上神矣。若有一上神被日干克者取以為用,名日遙克神,曰彈射課,以我能遙傷於彼而似射也。何以彈名之?蓋亦因其射遠力薄,取象於彈丸而已。如有二克或克二者,亦如比用之法。三傳相因亦如賊克之法。
四課がまったく剋のないとき、はじめて「遥剋」を用いる。○もし四課の上下がまったく剋賊しなければ、日干を主として、第二・第三・第四課の上神をそれと対照比較する。もし一つの上神が日干を剋すれば、それを取って発用とし、「神遥剋日」といい、課名を「蒿矢課」という――相手が遠くから我を傷つけ得るので、一本の箭が射て来るようだからである。なぜ蒿矢(蒿の杆で作った箭)というのか。上下が身を貼り合わせて相剋するのは力が大きいから賊剋と称するに足りる。隔たって相剋するのは力が綿薄で、剋ではあっても一本の蒿杆の箭にすぎない。もし上神が日干を剋するものがなければ、反対に日干が遥かにあの三つの上神を剋するかを見る。もし一つの上神が日干に剋されれば、それを取って発用とし、「日遥剋神」といい、課名を「弾射課」という――我が遠くから彼を傷つけ得るので、弾弓を射出すようだからである。なぜ弾というのか。これも射る距離が遠くて力が薄いので、弾丸に象を取るほかないからである。もし二つの上神が来て日を剋し、あるいは日が二つの上神を剋する場合も、比用の法に照らして陰陽の比する一つを取る。三伝の相因の取法は、なお賊剋課と同じである。
夫昴星當俯仰於酉上。○若四課既無克而復無遙,則為昴星矣。蓋遙克力輕,取象於蒿取象於彈,況無遙克而獨天地盤之酉金作用,其力尤輕之至,而應事則未免明之微矣,故以酉中之昴星為名,言其明之微,雖七星相聚,非至明之目不能辨也。陽日則取酉上所得之神為發用,有日將出而雞鳴仰首之義也;陰日則取酉下所得之神為發用,有日將墓而虎視俯首之意也。陰則日作中傳辰作末傳,陽則辰作中傳日作末傳。不唯陰陽迭遷,而終有返本之象也。
「昴星課」については、酉位の上で俯と仰とを分けなければならない。○もし四課に賊剋がなく、また遥剋もなければ、それが昴星課である。遥剋の力はすでに軽いので、蒿箭に象を取り、弾丸に象を取った。まして遥剣さえなく、ただ天地両盤の酉金だけが作用するのでは、力は極まって軽く、応じる事も昏昧で明らかでなくならざるを得ない――だから酉宿の中の「昴星」の名を借りて、その明るさの極めて微かなことを形容するのである。昴宿は七星が寄り集まっているが、極めて明るい目でなければ分かち辨えられない。陽日は地盤の酉位の上に乘る神を取って発用とする。太陽がまさに出ようとして雄鶏が頸を引き仰ぐ義を取る。陰日は天盤の酉が落ちる地盤神を取って発用とする。太陽がまさに墓に入ろうとして猛虎が頭を低く俯く意を取る。陰日は日干の上神を中伝とし、日支の上神を末伝とする。陽日は日支の上神を中伝とし、日干の上神を末伝とする。このようにすれば陰陽が交代して更迭し、末伝は終にまた日干あるいは日支そのものに帰り、本位に返る象となる。
若別責取干支之合神。○假如四課有首尾相同為三課者,有二三相同而為三課者,名曰不備,言四課不全,不完備也。其不備課中無賊克無遙克,不可以昴星取例。四課昴星,三課別責也。若陽日得之以天干之合位上乘者取為用神。合者,甲己、乙庚、丙辛、丁壬、戊癸相合也。干陽尚有動用之機也。若陰日得之以地支之三合前一位用之,而不用乘神,靜之機也。三合前一位者,如巳酉丑、亥卯未,酉日用丑,丑日用巳,未日用亥是也。中末不問陰日陽日,並以干上所乘者為之。
「別責課」であれば、干合または支合の神を取って発用とする。○仮に四課のうち首課と末課が同じで実際には三課しか残らない場合、あるいは第二課と第三課が同じで実際には三課しか残らない場合、これを「不備」といい、四課が揃わず完備でない意である。この種の不備課の中にもし賊剋もなく遥剋もなければ、昴星課の例によって取ることはできない。四課が揃ったものだけが昴星を用い、三課しか得られないものは「別責」を用いる。陽日に別責課を得た場合、日干と相合するあの天干の寄宮の上に乘る神を取って用神とする。いわゆる合とは、甲と己の合、乙と庚の合、丙と辛の合、丁と壬の合、戊と癸の合である。陽干はなお動き用いるべき機があるので、外に向かって合する干を取る。陰日に別責課を得た場合は、日支の三合局の中の前一位のあの支を取って用い、其上に乘る神は取らない。これは静にして動かない機である。いわゆる三合の前一位とは、例えば巳・酉・丑の一局、亥・卯・未の一局では、酉日は丑を取り、丑日は巳を取り、未日は亥を取ることである。中伝・末伝は陰日・陽日を論わず、一律に日干の上に乘る神をもって充てる。
伏反以刑、沖為定。○若諸神歸於本位,如子加子、午加午之類,乃伏吟之象也。有克者取克,不過癸乙二干而已。無克者陽日自干上發傳,陰日自辰上發傳,迤邐三刑而為三傳也。若初傳值自刑則中傳陽日用支、陰日用干,仍取刑為末傳也。倘逢中傳自刑者,末傳以沖神為之矣。夫刑有三者:一字刑乃午刑午、辰刑辰、酉刑酉、亥刑亥,自刑也。二字刑乃卯刑子、子刑卯也。三字刑乃丑刑戌、戌刑未、未刑丑也;寅刑巳、巳刑申、申刑寅也。
「伏吟」「反吟」という二つの課体は、刑と冲によって三伝を定める。○もし十二神がそれぞれ本位に帰り、子が子の上に加わり、午が午の上に加わる類であれば、それが伏吟の象である(月将と占時が同じなら天地盤が重合する)。伏吟課の中にもし剋があれば剋を取るが、ただ癸日・乙日の二つの日干のみがこの情形を現す。剋のない場合、陽日は日干の上神から伝を起こし、陰日は日支の上神から伝を起こし、さらに順次相刑の支を用いて三伝を排する。もし初伝がちょうど自刑の支であれば、中伝は陽日なら日支の上神に改め、陰日なら日干の上神に改め、末伝はなお剋される支を取る。もし中伝がまた自刑に落ちれば、末伝は相冲の神に改める。刑には三類ある。一字刑は午が午を刑し、辰が辰を刑し、酉が酉を刑し、亥が亥を刑するもので「自刑」という。二字刑は卯が子を刑し、子が卯を刑するもの。三字刑は丑が戌を刑し、戌が未を刑し、未が丑を刑するもの、および寅が巳を刑し、巳が申を刑し、申が寅を刑するものである。
反吟乃子加午、卯加酉,十二神各臨沖射之位也。克之少者重審、元首取之,多則知一涉害取之。三傳初末相同而沖乎中傳。若夫丁未、己未、辛未、丁丑、己丑、辛丑六課無克,乃名無依(無親、井欄),以支神之井欄沖射上所得之神以為初用,而日支所乘為中傳,日干所乘為末傳。夫井欄者,丑沖未、巳沖亥也。(日支之馬為用)
反吟は子が午の上に加わり、卯が酉の上に加わる類で、十二神がそれぞれ本位と相冲する位置に落ちるものである(月将と占時が相冲すれば天地盤が全冲となる)。反吟課で剋の少ないものは、なお重審・元首によって取用する。剋の多いものは知一・渉害によって取用する。この種の課は三伝がしばしば初伝と末伝とが同じで、中伝と相冲する。さて丁未・己未・辛未・丁丑・己丑・辛丑の六つの日は、反吟であって四課に剋がない。課名を「無依」といい、また「無親」「井欄」ともいう。日支の冲する位(いわゆる井欄)の上に得た神を取って初伝の発用とし、日支の上に乘る神を中伝とし、日干の上に乘る神を末伝とする。いわゆる井欄とは、丑と未が相冲し、巳と亥が相冲することである。(底本の小注に別の一説が出ている:日支の駅馬を発用とする。)
八專以逆順為真。○若干支同處一位則四課中只得二課矣。有克仍從賊克、比用、涉害三法取用。無克不復取遙矣。蓋遙遠也,干支同位何遠耶?只用八專之法而用之。陽日則順從干上陽神得三而止;陰日則逆從支上陰神得三而止,是為發用也。中末二傳概用干上所乘神為之。
「八専課」は順数・逆数によって真の発用を定める。○もし日干の寄宮がちょうど日支と同じ一位にあるなら(甲寅・庚申・丁未・己未・癸丑などの日)、四課はただ二課しか排せられない。この種の課にもし剋があれば、なお賊剋・比用・渉害の三法に照らして取用する。もし剋がなければ、もはや遥剋を取らない――「遥」は遠い意であり、干支が既に同じ一位にあるのに、どうして遠いということがあろうか。ただ八専の法を用いることができるのみである。陽日は日干の上神から起こり、順に数えて第三位までとする。陰日は日支の上神(すなわち第四課の陰神)から起こり、逆に数えて第三位までとし、数えて至ったその一位が発用である。中伝・末伝は一槪に日干の上に乘る神をもって充てる。
天乙居中,後六前五。○天乙乃貴人也,此神居紫微垣之門,住持上帝征伐以行令於人間,應己丑之土,有止戈之武統馭十二神。在天門之前、地戶之後則順行;若居地戶之前、天門之後則逆行。其神后有六位,乃天空、白虎、太常、玄武、太陰、天后也;前有五位,乃騰蛇、朱雀、六合、勾陳、青龍也。
「天乙貴人」は十二天将の中枢に居り、身の後ろに六将を並べ、身の前に五将を並べる。○天乙とは貴人であり、この神は紫微垣の門戸に居り、上帝の征伐の権を承けて人間に向かって令を行う。五行は己丑の土に応じ、戈を止め争いを息める武徳を有し、その余の十一位の天将を統率する。貴人がもし天門(亥)の前・地戸(巳)の後ろのあの半周に落ちれば、十二天将は順時計回りに排列する。もし地戸の前・天門の後ろのあの半周に落ちれば、十二天将は逆時計回りに排列する。貴人の身の後ろには順に六将がいる:天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后。身の前には順に五将がいる:騰蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜。貴人を合わせて十二天将となり、六壬で事を断つときに「類神」を見る主要な依拠である��
十二天将が十二支に臨む吉凶
解紛(子)必囑事於童僕,升堂(丑)宜投書於公府。憑几(寅)可謁見於家,登車(卯)宜訴詞於路。巳午受貢兮君喜臣歡,辰戌懷怒兮下憂上辱。移途(申)則有求干之榮,列席(未)則有酒筵之娛。還絳宮(亥)坦然安居,入私室(酉)不惶寧處。
「天乙貴人」が十二地支に落ちると、それぞれ専名があり、それぞれ一類の事を主る。貴人が子に臨むのを「解紛」といい、事を童僕に託して行うのが宜しい。丑に臨むのを「升堂」といい、官府に文書を投げるのが宜しい。寅に臨むのを「憑几」といい、門を叩いて人の家に求見できる。卯に臨むのを「登車」といい、道路上で状を訴えるのが宜しい。巳・午に臨むのを「受貢」といい、君が悦び臣が歓ぶ上下相得の象である。辰・戌に臨むのを「懐怒」という――辰戌は天羅地網であり、貴人が此処に至れば位を失い怒を含む���在下の者は憂懼し、在上の者は辱められることを主る。申に臨むのを「移途」といい、奔走して干求して栄顕を獲る機がある。未に臨むのを「列席」といい、酒宴筵会の楽しみがあることを主る。亥に臨むのを「還絳宮」といい、亥は天門・貴人の本郷であり、自らの家に帰れば自然と坦然として安居する。酉に臨むのを「入私室」といい、私門の内に退処して、かえって惶惶として安寧を得ない。
但見騰蛇,驚疑擾亂。(不加戌亥)掩目(亥)則無憂無患,盤龜(丑)則禍消福善。生角(寅)露齒(酉)禍福兩途,乘霧(巳)飛空(午)休祥不辯。入林(未)兮鋒不可砍,墜水(子)兮從心無患。當門(卯)而懸劍(申)總是成災,入冢(戌)而象龍(辰)併為釋難。
「騰蛇」が発用するのを見れば、すべて驚疑・擾乱の事を主る――ただ戌・亥の二位に臨むときはこの断をしない。騰蛇が亥に臨むのを「掩目」といい、蛇が目を掩われ、憂も患もない。丑に臨むのを「盤亀」といい、蛇が亀のように盤伏し、禍事は消散して福善が臨む。寅に臨むのを「生角」といい、酉に臨むのを「露歯」という。吉凶は両可で、禍福はともにあり得る。巳に臨むのを「乘霧」といい、午に臨むのを「飛空」という。蛇が火郷を得て騰躍して空に昇るのは、吉か凶か分かちがたい。未に臨むのを「入林」といい、蛇が草木の中に隠れ、刀鋒がそれを伐てない。子に臨むのを「墜水」といい、蛇が水中に落ちて施展できず、己の意に任せて憂患なしとできる。卯に臨むのを「当門」といい、申に臨むのを「懸劔」という。いずれも災禍を釀成することを主る。戌に臨むのを「入塚」といい、辰に臨むのを「象龍」という。いずれも危難を化解できる。
朱雀南方文書可防。(不加酉戌亥子)損羽(子)也自傷難逃,掩面(丑)也動靜得昌。安巢(寅卯)兮遲滯沉溺,投網(辰戌)兮乖錯遺忘。厲嘴(申)銜符(午)怪異經官語訟,臨墳(未)入水(亥)悲哀且在雞窗。官災起蓋因夜噪(酉),音信至都緣晝翔(巳)。
「朱雀」は南方の火に属し、文書・音信を主り、同時に口舌・是非を防がねばならない――ただ酉・戌・亥・子の四位に臨むときは文書とは論じない。朱雀が子に臨むのを「損羽」といい、羽翼が傷つき、自身が損なわれて脱しがたい。丑に臨むのを「掩面」といい、動であれ静であれ昌順である。寅・卯に臨むのを「安巢」といい、雀鳥が安らかに巣を守り、事が遅滞し沈溺して進まないことを主る。辰・戌に臨むのを「投網」といい、天羅地網に落ち込み、乖違・差錯・遺忘・丟失を主る。申に臨むのを「厲嘴」といい、午に臨むのを「銜符」という。怪異の事があり、これによって官に経て訴訟を起こすことを主る。未に臨むのを「臨墳」といい、亥に臨むのを「入水」という。悲哀の事を主り、しかも事が多く「鶏窓」――すなわち書斎の文墨・科第功名の一路――に落ちる。官司・災禍の興る所以は、朱雀が酉に臨むのを「夜噪」というからである。音信の到る所以は、朱雀が巳に臨むのを「昼翔」というからである。
粵有六合之神婚姻佳會。(不加申酉戌亥子)待命(亥)和同,不協(巳)驚悸。反目(子)兮無禮之事端,私竄(酉)兮不明之囚地。乘軒(寅)結髮(申)從媒妁而成歡,違禮(辰)亡羞(戌)因妄冒而加罪。升堂(午)入室(卯)併為已就之占,納采(未)妝嚴(丑)總是欲成之例。
さらに「六合」という神将は、婚姻の美満・聚会の和合を主る――ただ申・酉・戌・亥・子の五位に臨むときは佳会とは論じない。六合が亥に臨むのを「待命」といい、和睦・同心を主る。巳に臨むのを「不協」といい、驚悸して安らかでないことを主る。子に臨むのを「反目」といい、無礼の事の始まりである。酉に臨むのを「私竄」といい、暗昧で明らかでない牢獄の地である。寅に臨むのを「乘軒」といい、申に臨むのを「結髪」という。媒妁の撮合を経て歓好を成すことを主る。辰に臨むのを「違礼」といい、戌に臨むのを「亡羞」という。妄行して冒犯し、罪責を招くことを主る。午に臨むのを「升堂」といい、卯に臨むのを「入室」という。いずれも事が既に成就した占に属する。未に臨むのを「納采」といい、丑に臨むのを「粧厳」という。いずれも成したいのにまだ成らない例に属する。
或逢勾陳發用必然鬥訟爭官,更遇受越(丑)投機(子)被辱暗遭毒害。遭囚(寅)兮宜上書,捧印(巳)兮有封拜。臨門(卯)兮家不和,披刃(酉)兮身遭責。升堂(辰)有獄吏以勾連,反目(午)因他人而迷厲。入驛(未)下獄(戌)往來詞訟稽留,趨戶(申)褰裳(亥)反覆勾連改革。
「勾陳」が発用するのに遇えば、必ず争闘・詞訟・官位を争奪する事がある。さらに勾陳が丑に臨むのを「受越」といい、子に臨むのを「投機」という。人に凌辱され、暗に毒手の加害を受けることを主る。寅に臨むのを「遭囚」といい、かえって上書して事を言うのに宜しい。巳に臨むのを「捧印」といい、封賞・拜授の喜びがあることを主る。卯に臨むのを「臨門」といい、家宅が和せずことを主る。酉に臨むのを「披刃」といい、自身が責罰を受けることを主る。辰に臨むのを「升堂」といい、獄吏が来て勾連して案を問う。午に臨むのを「反目」といい、他人の牽累を受けて迷惑し苛厉に遭う。未に臨むのを「入駅」といい、戌に臨むのを「下獄」という。往来して奔走し、詞訟が久しく延びて結がれないことを主る。申に臨むのを「趨戸」といい、亥に臨むのを「褰裳」という。反復して勾連され追究され、事体が一改再改することを主る。
青龍財喜雖主亨通,在陸(未)盤泥(丑)所謀未遂。登魁(戌)兮小人爭財,飛天(辰)兮君子欲動。乘雲(寅)驅雷(卯)利以經營,傷鱗(申)摧角(酉)宜乎安靜。燒身(巳)掩目(午)因財有不測之憂,入海(子)遊江(亥)因動有非常之慶。
「青竜」は財帛・喜慶の神であり、総体として亨通を主るが、やはり何支に臨むかを見なければならない。青竜が未に臨むのを「在陸」といい、丑に臨むのを「盤泥」という。竜が陸地の泥濘に困り、謀るところが願いの如くならない。戌に臨むのを「登魁」といい、小人が財のために相争うことを主る。辰に臨むのを「飛天」といい、君子がまさに挙動をなすことを主る。寅に臨むのを「乘雲」といい、卯に臨むのを「駆雷」という。竜が雲雷の助けを得、経営して利を謀るに利がある。申に臨むのを「傷鱗」といい、酉に臨むのを「摧角」という。竜が金気に傷られ、安静に守成するのが宜しい。巳に臨むのを「焼身」といい、午に臨むのを「掩目」という。財物によって不測の憂を生ずることを主る。子に臨むのを「入海」といい、亥に臨むのを「游江」という。竜が水郷に帰り、挙動あることによって非常の喜慶を得ることを主る。
後有天后之神蔽匿陰私之婦。守閨(子)治事(亥)動止多宜,倚戶(酉)臨門(卯)好淫未足。褰帷(戌)伏枕(午)非嘆息而呻吟,裸體(巳)毀妝(辰)不悲哭而羞辱。優遊閒暇蓋因理髮(寅)修容(申),悚懼驚惶緣為偷窺(丑)沐浴(未)。
貴人の身の後ろにはさらに「天后」という神将がおり、遮蔽・隠匿の陰私の事を主り、その人物の類神は婦人である。天后が子に臨むのを「守閨」といい、亥に臨むのを「治事」という。一動一静いずれも宜しい。酉に臨むのを「倚戸」といい、卯に臨むのを「臨門」という。淫佚を貪って足るを知らないことを主る。戌に臨むのを「褰帷」といい、午に臨むのを「伏枕」という。長吁短嘆でなければ臥病して呻吟する。巳に臨むのを「躶体」といい、辰に臨むのを「毀粧」という。悲啼して哭泣するか羞辱を蒙るかである。だから優游して閑暇でいられるのは、天后が寅に臨むのを「理髪」といい、申に臨むのを「修容」というからである。だから悚惧して驚惶するのは、天后が丑に臨むのを「偸窺」といい、未に臨むのを「沐浴」というからである。
太陰所為蔽匿,禍福其來不明。垂簾(子)則妾婦相侮,入內(丑)則尊貴相蒙。被察(戌)兮當憂怪異,造庭(辰)兮宜備乖事。跣足(寅)脫巾(午)財物文書暗動,裸形(亥)伏枕(巳)盜竊口舌憂驚。閉戶(酉)觀書(未)雅稱士人之政,微行(卯)執政(申)偏宜君子之貞。
「太陰」の主るところは遮蔽・隠匿であるから、禍福は明らかでなく不明白にやって来る。太陰が子に臨むのを「垂簾」といい、妻妾・姫婦が互いに欺侮し合うことを主る。丑に臨むのを「入内」といい、尊貴の人に蒙蔽されることを主る。戌に臨むのを「被察」といい、怪異の事を憂うべきである。辰に臨むのを「造庭」といい、乖違の変を予防するのが宜しい。寅に臨むのを「跣足」といい、午に臨むのを「脱巾」という。財物と文書が暗裡に変動することを主る。亥に臨むのを「裸形」といい、巳に臨むのを「伏枕」という。盗竊・口舌・憂疑・驚恐を主る。酉に臨むのを「閉戸」といい、未に臨むのを「観書」という。まさに読書人の行止・操守に合う。卯に臨むのを「微行」といい、申に臨むのを「執政」という。君子がその貞正を固守するのに偏に宜しい。
玄武遺亡陰賊走失。散發(子)有畏捕之心,升堂(丑)有干求之意。愛寅兮入林難尋,愁辰兮失路自制。窺戶(卯)也家有盜賊,反顧(巳)也虛獲驚悸。伏藏(亥)必隱於深邃之鄉,不成(未)必敗於酒食之地。劫路(午)拔劍(酉)賊懷惡攻之而反傷,折足(申)遭囚(戌)賊失勢擒之而可獲。
「玄武」は遺失・亡佚・暗裡の行窃と人口の走失を主り、失物の占・捕盗の占はみなそれを類神とする。玄武が子に臨むのを「散髪」といい、賊が捕えられることを畏れる心をもつ。丑に臨むのを「升堂」といい、賊が財物を干求する意をもつ。寅に臨むのを「愛寅」といい、賊が林中に隠れて尋ねにくい。辰に臨むのを「愁辰」といい、賊が道路を迷い自ら收斂する。卯に臨むのを「窺戸」といい、家中に盗賊が窺い伺うことを主る。巳に臨むのを「反顧」といい、ただ虚驚の一場で、実在の損失はない。亥に臨むのを「伏蔵」といい、賊が必ず深僻・幽遠のところに身を蔵す。未に臨むのを「不成」といい、賊が必ず酒食・宴飲のところで敗露する。午に臨むのを「劫路」といい、酉に臨むのを「抜劔」という。賊が凶悪の心を懐き、攻めに行けばかえって彼に傷られる。申に臨むのを「折足」といい、戌に臨むのを「遭囚」という。賊が���でに勢いを失い、擒に行けば擒獲できる。
太常筵會酒食相奉。遭枷(子)必值決罰,側目(寅)須遭讒佞。遺冠(卯)也財物遭傷,逆命(戌)也尊卑起訟。銜杯(申)受爵(丑)不轉職而遷官,鑄印(巳)捧觴(未)不徵召而喜慶。乘軒(午)有改拜之封,佩印(辰)有遷官之命。亥為徵召雖喜而必下憎,酉作券書雖順而防後競。
「太常」は筵席・聚会・酒食の待遇を主り、また武職を占う類神でもある。太常が子に臨むのを「遭枷」といい、必ず刑罰の判決に遇う。寅に臨むのを「側目」といい、讒佞の小人を防がねばならない。卯に臨むのを「遺冠」といい、財物が損ずることを主る。戌に臨むのを「逆命」といい、尊卑・上下の間に争訟が興ることを主る。申に臨むのを「銜杯」といい、丑に臨むのを「受爵」という。職任を調転せずとも昇遷できる。巳に臨むのを「鋳印」といい、未に臨むのを「捧觴」という。朝廷の徴召を待たずとも喜慶がある。午に臨むのを「乘軒」といい、新職に改授される封命がある。辰に臨むのを「佩印」といい、官階を遷転する任命がある。太常が亥に臨むのは徴召を受けることを主り、喜事ではあるが必ず下屬に憎悪される。酉に臨むのは契券・文書を主り、順遂ではあるが後日人が来て争うのを防がねばならない。
白虎道路官災病喪。溺水(子)音書不至,焚身(午)禍害反昌。臨門(卯酉)兮傷折人口,在野(丑未)兮損壞牛羊。登山(寅)掌生殺之權,落井(戌)脫桎梏之殃。銜牒(申)無凶主可持其喜信,齧人(辰)有害終不見乎休祥。
「白虎」は道路・官非・疾病と喪亡を主る。白虎が子に臨むのを「溺水」といい、音信・書札が届かない。午に臨むのを「焚身」といい、禍害がかえっていっそう熾盛になる。卯・酉に臨むのを「臨門」といい、家中で人口を傷損することを主る。丑・未に臨むのを「在野」といい、牛羊の六畜を損壊することを主る。寅に臨むのを「登山」といい、かえって生殺の権を執掌する。戌に臨むのを「落井」といい、桎梏・刑獄の殃を脱し去ることができる。申に臨むのを「銜牒」といい、もし他の凶神が併臨しなければ、それが銜んで来るのは喜訊であることを主る。辰に臨むのを「嚙人」といい、傷害があることを主り、終に吉祥を見ることはない。
天空奏書之神,以天乙尊者無對。○天空,後六戊戌土神也,其神無形無影,由正對天乙至尊即空亡也,由無敢對至尊而虛其位,故曰天空。專主詐偽不實。曰奏書者,言唯執書以奏,則此片時可對至尊也。
「天空」は奏書を執掌する神将であり、それが天乙の至尊に正対しているため、至尊に対する者がいない。○天空は貴人の身の後ろ第六位で、戊戌の土神に属する。この神は形も影もなく、まさに至尊の天乙と面と面と向かい合うため、それ自身がすなわち空亡である。まさに至尊に対座する者がいないため、この位を虚しく置く。だから「天空」と名づける。それは専ら詐偽・不実の事を主る。また「奏書」とも呼ぶのは、奏章を手に執りて上奏するその一刻だけが、至尊と面と向かい得ることをいう。
心印賦・課体名義
神雖所主休徵,必察卦名之意。元首象天,重審法地。象天者先喜而後憂,法地者先迷而後利。○象天者,上位之動用也;法地者,下位之動用也。以其上克下故先喜後憂;以其下賊上故先迷後利。
天将はそれぞれ一類の吉凶の徵兆を主るが、なお課体の名目に含まれる意を審察しなければならない。「元首課」は天に象を取り、「重審課」は地に法を取る。天に象するものは先ず喜び後に憂え、地に法るものは先ず迷い後に利する。○いわゆる象天とは、上に居る神が発動して起用されること。いわゆる法地とは、下に居る神が発動して起用されること。元首課は上剋下であり、上に居る者が先ず勢いを得るので、先ず喜んで後に憂える。重審課は下賊上であり、下に居る者が先ず上を犯すので、先ず迷って後に利する。
知一則得一為宜,○比用卦又名知一卦。知一不知其它,唯一得則永得一也。見機則不俟終日。○涉害之深者曰見機。不俟終日,言機貴速時者,難密而易失也。遙克所卜難成,○遙克者,神遙剋日曰蒿矢卦;日遙克時曰彈射卦。二者皆力不雄也,故所卜難成,觀蒿與彈之意自明。別責所占岡濟。○四課不備而無遙曰別責,尤無力之甚也,故凡占岡濟,不過利守而已矣。
「知一課」を得たなら、ただその一を専ら取るのが宜しい。○比用課はまた知一課ともいう。この一つのみを認めてその余を顧みず、一たび取り定めれば終始この一つを守る。「見機」を得たなら、終日まで引き延ばしてはならない。○渉害課のうち渉る害が最も深い格を見機という。「不俟終日」は《周易・繋辞》に出る言葉で、時機は及時に把握するのが貴く、機密は守りにくく失いやすいということである。「遥剋」を得たなら、占う事は成りにくい。○遥剋には二種ある。上神が隔たって日干を剋するのを蒿矢課といい、日干が隔たって上神を剋するのを弾射課という。両者とも力が雄厚でないので占う事は成りにくい――「蒿杆の箭」「弾丸」という二つの取象を見れば明らかである。「別責」を得たなら、占う事は事を済ますに及ばない。○四課が不備であってかつ遥剋がないのを別責課といい、最も無力な一種である。だから凡そ占っても事を成すことはなく、ただ守成するのに利するのみである。
冬蛇掩目,虛驚而終不傷人。○昴星卦有騰蛇發用曰冬蛇掩目卦。既曰掩目之蛇,則人得而害彼,彼不得而害人。不過虛凶不成實害也。虎視轉蓬,出外而稽留不起。○昴星卦有白虎發用曰虎視轉篷卦。既曰虎視則凶不可當,即猶轉篷而避之可也。出外必稽留不回。伏吟任信宜用靜,去盜非遙。○伏吟剛日自任卦,柔日自信卦。主靜也。逃去之人及盜賊失物俱不遠也,貴順支前一位尋之;貴逆支後一位尋之。反吟無依則復舊,往來不一。○反吟來去不定,故曰無依,無依倚也。凡事不定且主於遠。
「冬蛇掩目」課は、ただ虚驚にすぎず、終に人を傷つけない。○昴星課であって騰蛇が発用するのを、冬蛇掩目課という。既に目を掩われた蛇である以上、人はそれを傷つけ得るが、それは人を傷つけ得ない。ただ虚に凶象があるのみで、実害を成さない。「虎視転蓬」課は、外に出れば必ず稽留されて成行を得ない。○昴星課であって白虎が発用するのを、虎視転蓬課という。既に虎視と称する以上、その凶は硬く防ぐことができず、ただ風に随いて転ずる蓬草のように避けるのがよい。門を出れば必ず羈留して帰りにくい。「伏吟」課は静を宜しとして動を宜しとせず、逃亡と失盗はいずれも遠くない所にいる。○伏吟課は、剛日(陽日)を自任課といい、柔日(陰日)を自信課といい、いずれも静守を主る。逃走した人と盗賊の窃んだ失物はいずれも近い所にある――貴人が順行なら日支の前一位に尋ね、貴人が逆行なら日支の後一位に尋ねる。「反吟」課はまた無依と名づけ、事が旧観に回復し、往来して反復して定まらないことを主る。○反吟課は来去が定まらないので無依といい、すなわち依るべきところがない意である。凡事が定局できず、しかも遠方に応ずる。
八專之音不宜男子波波;帷簿之名不利婦人嘻嘻。○八專卦干支同位,內有怨女,外有曠夫,故曰帷簿不修之卦,多淫佚之意也。龍首累逢君命,恩賜頻加。○太歲、月建、月將、貴人同為發用曰龍首卦。君子則有恩命出自天子,常人利見大人。龍戰屢見改革,災禍不定。○卯酉日辰、行年,發用又值此者名龍戰卦,不問君子常人俱主更革,災禍不一。
「八専」という名目は、男子が外で奔走するのに利せず、それはまた「帷簿不修」ともいい、婦人が軽佻に嬉笑するのにも利しない。○八専課は日干の寄宮と日支とが同じ一位にあり、内に怨女、外に曠夫があるので、帷帳・帘幕が整わない課という。多く淫佚の意を含む。「竜首課」を得たなら、屡々君命を承け、恩賞が頻りに身に加わる。○太歳・月建・月将・貴人のうち一項がちょうど発用するのを竜首課という。官にある者は天子から出る恩命があり、平常の人も大人に謁見するに利する。「竜戦課」を得たなら、屡々変革を見て、災禍が起伏して定まらない。○卯日・酉日の日辰、あるいは占者の「行年」(年歳によって推した流年の支位)が卯酉にあるときに、発用がまた卯酉に当たれば、それを竜戦課という。君子であれ常人であれ、事が更改变革し、災禍が一端に止まらないことを主る。
官爵改拜升遷,○驛馬發用曰官爵卦,主改拜升遷。常人得之反搖動不寧。富貴增財吉慶。○貴人發用主增財喜慶,君子常人皆吉。斫輪鑄印官職須遷,○卯加申發用曰斫輪卦;戌加巳發用曰鑄印卦。有官者必遷,無官者反不能當而有官非口舌。高蓋乘軒鼎席必至。○午卯子三傳曰高蓋乘軒卦,亦同斫輪鑄印斷。
「官爵課」を得たなら、新職に改授され昇遷・提拔されることを主る。○「駅馬」(日支の三合によって推した動神)が発用するのを官爵課といい、改拜・昇遷を主る。平常の人がこれを得れば、かえって揺動・不安を主る。「富貴課」を得たなら、財物を増し・喜慶・吉利を主る。○貴人の発用は財を増し喜慶を主り、官にある者も平常の人も吉である。「斫輪」「鋳印」の二課を得たなら、官職に必ず遷転がある。○卯が申の上に加わって発用するのを斫輪課という(木が金に就いて車輪に斫られる)。戌が巳の上に加わって発用するのを鋳印課という(金が火の鍛錬を得て印信に鋳られる)。既に官職ある者は必ず昇遷し、官職ない者はかえって堪えられず、官非・口舌を招く。「高蓋乗軒」課を得たなら、公卿・鼎席の位が必ず手に至る。○三伝が午・卯・子のものを高蓋乗軒課という(午は天馬、卯は天車、子は華蓋)。断法は斫輪・鋳印と同じである。
蕪淫主琴瑟不調,○夫,干也;妻,支也。上神互克干支名曰蕪淫卦,主夫妻異心。淫女必妒亂太甚。○初傳天后,末傳六合,更傳見卯酉曰淫女卦,主淫奔不止。是知三交為三匿,○子午卯酉仲神全見於三傳曰三交,主藏匿陰私不明之人。蓋此神皆無行之敗氣,主人昏晦,收留此人異日不利。九丑定災殃。○乙戊己辛壬日更得四仲相併而又大吉加仲上曰九丑卦,主占者家長有災。
「蕪淫課」を得たなら、夫妻が不和で琴瑟が調わないことを主る。○六壬では日干が夫を代表し、日支が妻を代表する。干支の上神が互いに剋制し合えば、それを蕪淫課といい、夫妻が各々異心を懐くことを主る。「淫女課」を得たなら、必ず妬忌して淫乱が極に達する。○初伝が天后に乘り、末伝が六合に乘り、三伝の中にまた卯酉を見るのを淫女課といい、淫奔が止まないことを主る。これによって「三交課」が三重の蔵匿を主ることを知る。○子・午・卯・酉の四仲の神が三伝の中に斉しく見えるのを三交課といい、家の中に行跡・陰私の明らかでない人を蔵匿することを主る。四仲はいずれも五行の沐浴・敗気であり、人を昏昧にせしめる。こうした人を収留すれば後日必ず利がない。「九醜課」は断じて災殃があることをいう。○乙・戊・己・辛・壬の五つの日干が、また四仲の支と相並び、しかも大吉(丑)が仲位の上に加わるのを九醜課といい、占卜する人の家の家長に災があることを主る。
斬關不利安居波波不定。○魁罡加干支,上更得六合、青龍名斬關卦,主不能安居而奔波不定。遊子不遑寧處碌碌無常。○辰戌丑未為四季,在三傳本靜,而丁神天馬入之曰遊子,主動而碌碌,奔波不免。天獄憂刑罪責。○凡用神囚死更天罡加日本之上曰天獄卦,主官非口舌、刑罰及身。天網囚繫傷災。○凡時與用神並克天干者曰天網卦,詞訟遭囚繫,常占多主凶病。
「斬関課」を得たなら、安居に利せず、奔波して定まらないことを主る。○河魁(戌)・天罡(辰)が日干・日支の上に加臨し、その上がまた六合または青竜に乘るのを斬関課といい、安居できず四方に奔走することを主る。「遊子課」を得たなら、安処する暇なく、忙碌して常なし。○辰・戌・丑・未は四季の土であり、三伝に落ちて本来は静を主る。ひとたび「丁神」(本旬の中の丁干の臨む支で、動揺を主る)あるいは天馬がその中に混ざれば、それを遊子課といい、動して忙碌し、奔波は免れないことを主る。「天獄課」を得たなら、刑罰・罪責の��がある。○凡そ用神が囚気・死気に落ち、また天罡(辰)が日干の寄宮本位の上に加わるのを天獄課といい、官非・口舌・刑罰が身に加わることを主る。「天網課」を得たなら、囚繋・傷災を主る。○凡そ占時と用神がともに日干を剋するのを天網課といい、詞訟して囚禁されることを主る。平常の占問では多く凶険な疾病を主る。
玄胎主隱匿藏懷為胎孕。○寅申巳亥全在三傳曰玄胎卦,主隱匿藏懷或為胎孕。贅婿主伏潛屈辱或相將。○支辰加天干之上被克為用曰贅婿卦,主屈身於人,而支辰必依棲於人而相傍。無祿之名是上驕而下弱,○凡四上克下曰無祿卦。上皆得意故驕,下皆受制故弱,無祿猶無路,最凶之占也。絕嗣之意乃下逆而上傷。○凡四下克上曰絕嗣卦,下皆得志而逾逆,上皆受制而全傷,尤凶之甚也。
「玄胎課」は隠匿・包蔵を主り、あるいは懐孕の事に応ずる。○寅・申・巳・亥の四孟が三伝に斉しく見えるのを玄胎課といい、事が隠匿・包蔵されることを主り、あるいはそのまま胎孕である。「贅婿課」は潜伏・屈辱を主り、あるいは他人に依附して行う。○日支が日干の寄宮の上に加わり、また日干に剋されて取って発用とするのを贅婿課といい、身を屈して人に仕えることを主る。日支は必ず人に依栖して傍靠して生きなければならない。「無禄課」という名目は、上位が驕横し下位が孱弱である義を取る。○凡そ四課がすべて上剋下のものを無禄課という。上に居る者は皆意を得て驕り、下に居る者は皆制せられて弱い。無禄は行く路がないに等しく、最も凶の占である。「絶嗣課」の意は、下位が悖逆して上位が傷つくことである。○凡そ四課がすべて下賊上のものを絶嗣課という。下に居る者は皆志を得ていっそう悖逆し、上に居る者は皆制せられて全く傷つく。凶さはさらに甚だしい。
又為勵德以動推為意,○貴人當卯酉之上曰勵德卦。貴人不自安而搖動也。亂首以悖逆為心。○日加辰而被克曰亂首卦,悖逆之象也。稼穡定自微而至著,○辰戌丑未全在三傳曰稼穡卦。土有生物之功,而日漸增長,故自微而至著。曲直必福善而禍淫。○三傳亥卯未曰曲直卦。為福者愈增其福,為禍者愈益其禍,乃木日漸長之象也。
また「励徳課」は、揺動・不安・動くことをもって推し断つ意である。○貴人が正に卯位または酉位の上に落ちるのを励徳課という。卯酉は日月の出入の門であり、貴人が此処に至れば自ら安んじることができず揺動する。「乱首課」は悖逆を心とする。○日干の寄宮が日支の上に加わり、かえって日支に剋されるのを乱首課といい、以下犯上の悖逆の象である。「稼穡課」は必ず細微から顕著に至る。○辰・戌・丑・未の四季土が三伝に斉しく見えるのを稼穡課という。土は万物を生養する功があり、かつ日ごとに増長するので、事が微から漸く著となる。「曲直課」は必ず善を為す者に福を、淫邪の者に禍を与える。○三伝が亥・卯・未の三合木局のものを曲直課という。本来福ある者はいよいよその福を増し、本来禍ある者はいよいよその禍を増す。まさに草木が日ごとに生長する象である。
巳酉丑俱逢則傷情改革,○三傳巳酉丑全者曰從革卦,主革故鼎新之象,且金乃破物之神,主刑傷之凶也。寅午戌全見則意欲成親。○三傳寅午戌全者曰炎上卦。主氣焰薰天,上進之象,而急於進用,有相親傍之義焉。緣夫潤下之道,惟宜施惠於人。○三傳申子辰全者曰潤下卦。主恩澤下流,唯宜施惠於人,不可獨利而招憂。
三伝が巳・酉・丑と斉くなるのは、感情が傷つき事に変革があることを主る。○三伝が巳・酉・丑の三合金局のものを従革課といい、革故鼎新の象を取る。しかも金は器物を破損する神なので、また刑傷の凶をも主る。三伝が寅・午・戌と斉しく見えるのは、親しい者に攀附しようとする意を主る。○三伝が寅・午・戌の三合火局のものを炎上課といい、気焔が天を薫かんとし上に進取する象を主る。進み用いられることを急ぐので、攀附・親近の義を帯びる。「潤下課」の道理については、ただ人に恵を施すのが宜しい。○三伝が申・子・辰の三合水局のものを潤下課といい、恩沢が下に流布することを主り、ただ利を人に施すのが宜しく、その利を独り占めにして憂患を招いてはならない。
心印賦・類神と占事の綱要
凡斷吉凶,占從將意。大抵功曹為用,木器文書。○功曹寅也,寅乃木神,功曹乃奏書之神,故主文書。傳送加臨時行程消息。○傳送乃郵馬之象,故主信息行程。太沖盜賊及車船,從魁金銀與奴婢。辰為鬥訟兼主喪亡。○天罡主鬥爭詞訟,亦名天牢,又名天羅,主死亡。戌為欺詐或稱印綬。○河魁主欺詐,亦名地獄,又主印綬之神。
吉凶を判断するには、すべて乘る天将と月将の意向に順って見なければならない。大抵「功曹」が発用すれば、木器と文書を主る。○功曹とは寅であり、寅は木神に属し、功曹はまた奏章を掌る神なので文書を主る。「伝送」が加臨すれば、行程と消息を主る。○伝送とは申であり、駅站・郵馬の象を取るので、音信と行程を主る。「太冲」(卯)は盗賊と車船を主り、「従魁」(酉)は金銀と奴婢を主る。辰は争闘・詞訟を主り、兼ねて喪亡を主る。○辰の名は天罡、争闘・詞訟を主り、またの名を天牢・天羅といい、死亡を主る。戌は詐欺を主り、あるいは印綬と称す。○戌の名は河魁、詐欺を主り、またの名を地獄といい、同時に印綬を掌る神でもある。
登明徵召,太乙非災。勝光火怪絲棉,○午主光明怪異,又主絲棉布帛。神后陰私婦女。○子水天后之宮,主陰私不明,事干婦女。未為衣物筵賓,○小吉乃太常之宮也,主衣冠物帛、筵會賓客。正號田宅園囿。○大吉土神,主田宅園囿之事。
「登明」(亥)は徴召を主り、「太乙」(巳)は意外の災を主る。「勝光」(午)は火燭の怪異と絲綿を主る。○午は光明と怪異の事を主り、また絲綿・布帛を主る。「神后」(子)は陰私と婦女を主る。○子は水に属し、天后の宮であり、陰私・暗昧を主り、渉る事は多く婦女に関する。「小吉」(未)は衣物と筵席・賓客を主る。○未は太常の宮であり、衣冠・布帛・宴会・賓客を主る。丑はまさに田宅・園囿を主管するという一宮である。○「大吉」(丑)は土神であり、田宅・園林の事を主る。
大吉小吉會勾陳,因田宅而爭訟。○丑未主田宅,見勾陳鬥訟之神,必因爭田宅而起訟。從魁河魁乘六合,為奴僕之逃亡,○酉主婢、戌主奴,六合為私門,乃奴僕逃亡之象。文宜青龍不戰,武欲太常無爭。○文看青龍為類神,武看太常為類神。旺相相生必吉,上下克戰則凶。
大吉(丑)・小吉(未)が勾陳と相会すれば、田宅によって争訟を起こすことを主る。○丑未は田宅を主り、また勾陳という闘訟を主る神に遇えば、必ず田産・房宅を争奪して官司を興す。従魁(酉)・河魁(戌)が六合に乘れば、奴僕の逃亡を主る。○酉は婢女を主り、戌は奴僕を主り、六合は私門の象である。合わせればまさに奴婢が私に逃げる象である。文事を占うには青竜を見て剋戦を受けないのが宜しく、武事を占うには太常を見て争奪を起こさないのが宜しい。○文職は青竜を「類神」と見る――類神とは占うその事を代表する神将のこと。武職は太常を類神と見る。類神が旺相であって日辰と相生すれば必ず吉であり、上下が相剋して交戦すれば凶である。
登科者祿馬扶會,○登科者祿神驛馬臨於干支之上,旺相相生主上吉。馬主前程遠大,祿乃臨官之神。不第者刑害俱並。○三刑六害並臨干支之上,刑主有缺,害主阻隔難成。投書宜虎勾無氣,○投書獻策,見上貴也,若白虎勾陳無氣,自然無阻也。捕賊欲玄武相侵。○捕賊以玄武為類神。若玄武臨克地,自然得捉也。
登科して及第できるのは、禄神と駅馬が扶持して会合するからである。○いわゆる登科とは、禄神・駅馬が日干・日支の上に臨んで、また旺相・相生すれば、上上大吉を主る。駅馬は前程の遠大を主り、禄神は臨官して位を得る神である。落第して中らないのは、刑と害とがいっしょに併臨するからである。○三刑・六害がともに日干・日支の上に臨めば、刑は欠けあることを主り、害は阻隔して成らないことを主る。書策を投逓するには、白虎・勾陳がともに気ないのが宜しい。○書を投げ策を献ずるのは上位の貴人に謁見するためであり、白虎・勾陳というこの二つの阻撓する神がともに失気して無力であれば、自然と暢通して阻まれない。盗賊を捕拿するには、玄武が剋され侵されるのを要する。○賊を捕えるには玄武を類神とする。もし玄武が剋される地に落ちれば、自然と捉獲できる。
若候風占雨,須看青龍白虎。○白虎主風,青龍主雨。有氣旺相有風有雨,囚死空亡風雨必微。若遷官進職,宜觀天吏天城。○寅為天吏,卯(申)為天城。若加年命相生必主變遷。動望行人,視二八卯酉之限。○占東南行人,以酉為中途,子上神為至期;若西北行人,以卯為中途,午上神為至期。迫逃亡盜,捕四六玄武之陰。○占捕盜賊看玄武之陰神上所得何神,便知其在何處,捕之必獲。
もし風を候い雨を占うなら、青竜と白虎とを見なければならない。○白虎は風を主り、青竜は雨を主る。両者が気あり旺相であれば風あり雨あり、もし囚気・死気あるいは旬空に落ちれば、風雨は必ず微弱である。もし遷官・進職を占うなら、天吏と天城を観察するのが宜しい。○寅は天吏であり、卯(一説に申)は天城である。もし占者の行年・本命の上に加臨してこれと相生すれば、必ず職位の変遷を主る。行人の帰りを望むのを占うには、卯酉「二八」両門の分界を見る。○東南の方向から来る行人を占うには、酉をもって途中の所在とし、酉の上の神の値する日を到達の期とする。西北の方向から来る行人を占うには、卯をもって途中の所在とし、午の上の神の値する日を到達の期とする。逃亡と盗賊を追捕するには、「四六」の位の上で玄武の陰神を察しなければならない(四六は上句の二八と対をなし、四月の巳・六月の未の二支を指す)。○盗賊を捕えるのを占うには、玄武の上の陰神が何の神を得たかを見れば、賊がどこに隠れているかを知り、往いて捕捉すれば必ず獲られる。
失伴必詳勝光而可見,○勝光在日前則向前追必見,在日後則稍等立見矣。亡財則察玄武而可知。○失財物以玄武之陰神上見乃知方所,尋之必獲也。此皆略舉其綱要,在智者臨時而審情。
同伴を走失したなら、必ず勝光(午)を詳しく審察してこそ尋ね見られる。○勝光が日辰の前にあれば、前に追い往けば必ず見ることができる。日辰の後ろにあれば、しばらく待てば自然と見える。財物を丟失したなら、玄武を察すれば知ることができる。○財物を丟失したなら、玄武の陰神の上に見える神から、財物のある方位を知ることができ、尋ねに往けば必ず取り戻せる。以上はただ綱要を略挙したにすぎず、具体的にはやはり明智の人が事に臨んで実情を審察するに拠る。
心印賦・五気生剋と日辰神将の断法
若夫旺氣,求就官職;相氣,經營利祿;囚氣,囚繫呻吟;死氣,死亡悲哭;休氣,病疾淹延。詳在囚時日墓。○旺氣發用利求官,相氣發用利求財,囚氣發用訟則囚繫、呻吟,死氣發用病必死亡哭泣,休氣發用疾病淹纏,若日墓同之必凶。
五行の気については、「旺気」を得れば官職を謀るのに宜しく、「相気」を得れば経営して利を取るのに宜しく、「囚気」を得れば囚禁されて呻吟することを主り、「死気」を得れば死亡して悲哭することを主り、「休気」を得れば疾病が拖延することを主る。その中の細節は囚気の値する時と日干の入墓するか否かを見る。○旺気の発用は官を求めるに利し、相気の発用は財を求めるに利する。囚気の発用はもし詞訟を占えば囚繋・呻吟を主り、死気の発用はもし疾病を占えば必ず死亡・哭泣を主り、休気の発用は疾病が纏綿して愈えないことを主る。もしさらに日干の入墓に逢えば、必ず凶険である。(旺相休囚死とは五行が四時によって処する強弱:当令するのを旺といい、我の生ずる者を相といい、我を生ずる者を休といい、我を剋する者を囚といい、��の剋する者を死という。)
相加孟仲,萬事新鮮。季上逢之,互為故舊。○孟仲之神發用主新鮮事動,季神發用為舊事矣。歡欣在旺相之中,悲哀在死囚之處。○旺相發用皆主喜,休囚發用皆主憂。
加臨が四孟(寅申巳亥)・四仲(子午卯酉)の上に落ちれば、万事はすべて新たに頭を起こすもの。四季(辰戌丑未)の上に落ちれば、すべて旧事の重ねて言及である。○孟位・仲位の神が発用すれば、新近に発生した事が動くことを主る。季位の神が発用すれば、問うところは旧事に属する。歓欣の応は旺相の中にあり、悲哀の応は死囚の処にある。○旺気・相気の発用はいずれも喜慶を主り、休気・囚気の発用はいずれも憂愁を主る。
凡見火加水上,亡遺口舌非寧。○乃巳午火臨亥子水也。火乃朱雀,主口舌;水乃玄武,主亡遺。火入金鄉,淫逸奸邪未息。○火則騰蛇朱雀,金乃白虎太陰。淫佚奸邪皆為太陰為火所逼致也。水加土位逢財,若在火宮遷職。○水加土上受土之克則為財;水加火上克水則為官。
凡そ火が水の上に加わるのを見れば、遺失と口舌を主り、安寧を得ない。○巳・午の火が亥・子の水の上に臨むのを指す。火は朱雀に対応して口舌を主り、水は玄武に対応して遺失を主る。火が金の郷に入れば、淫逸・奸邪の事が止めることができない。○火は騰蛇・朱雀の二将を指し、金は白虎・太陰の二将を指す。淫佚・奸邪の事は皆、太陰が火に逼迫されて招くものである。水が土の位に加われば財を得ることを主り、火の宮に加われば遷職を主る。○水が土の上に加わって土の剋を受ければ「妻財」と論じ、水が火の上に加わって剋水の勢いをなせば「官鬼」と論じる。
木逢水則流落它鄉。○以木之少而見水之多,有木漂本之象,故曰。水遇土則人財兩散。○水加土上,水為財。而主散失者,亦水為玄武之位也。金居火上則疾病死亡。○金加火上,白虎入朱雀騰蛇之位,故主疾病死亡也。土臨木地則田宅訟起,○土加木乃勾陳受制之象,故主因田宅而興詞訟。
木が水に遇えば、他郷に流落することを主る。○木が少なく水が多ければ、木が水に冲漂されて根本が固まらない象となるので、こういう。水が土に遇えば、人口と財物とが両頭とも散ずることを主る。○水が土の上に加われば、水は本来財である。かえって散失を主るのは、水がまさに玄武の居る位であり、玄武は耗散を主るからである。金が火の上に居れば、疾病と死亡を主る。○金が火の上に加わるのは、白虎が朱雀・騰蛇の位に闖入するのに等しいので、疾病・死亡を主る。土が木の地に臨めば、田宅によって詞訟を起こすことを主る。○土が木の上に加わるのは、勾陳が木に剋される象なので、田宅の事によって詞訟が興ることを主る。
金加火位,中傳有水無妨。○若金加火為發用,而中末見水則有救矣。火入水鄉,末得鎮星復喜。○若火加水上為發用,而中末有土則不凶矣。
金が火の位に加わり、もし中伝に水があれば妨げない。○金が火に加わってそれを取って発用とし、中伝・末伝に水を見れば、水は火を制し得るので救いがある。火が水の郷に入り、末伝がもし「鎮星」(土星、すなわち辰戌丑未の土神)を得れば、かえって憂いを転じて喜びとする。○火が水の上に加わってそれを取って発用とし、中伝・末伝に土があれば、土は水を制し得るので凶ではない。
貴人順行,凶將少降禍殃。天乙逆行,吉將聊施恩惠。○天乙貴人順則凡事順,逆則凡事逆。順貴雖凶將降涸必輕;逆貴雖吉將賜福不重。連災遇惱,上下皆凶。招利求祥,始終俱吉。○三傳全無吉將吉神者災惱並見;三傳中全吉者主招財利,可求吉祥。凶神刑害,災害連綿。吉將相生,歡欣不已。○三傳中凶將更乘刑害災涸愈重;三傳中吉將更生助者喜慶愈多。
貴人が順行すれば、凶将の降す禍殃も少ない。天乙が逆行すれば、吉将の施す恵みも限りがある。○天乙貴人が順行すれば凡事が順で、逆行すれば凡事が逆である。順貴の下では凶将であっても降す災禍は必ず軽く、逆貴の下では吉将であっても賜う福分は厚くない。災いと悩みが連ねて至るのは、上下の四課が全て凶の時。利を招き祥を求めて意に適うのは、始めから終わりまで三伝が全て吉の時。○三伝の中に吉将・吉神が全くなければ、災禍・煩悩がいっしょに現れ、三伝が全て吉なら、財利を招き吉祥を求められることを主る。凶神がさらに刑を帯び害を帯びれば、災害は連綿として絶えない。吉将がさらに互いに相生すれば、歓欣は尽きることがない。○三伝中の凶将がまた刑に乘り害に乘れば災禍がさらに重く、三伝中の吉将がまた生扶の助けを得れば喜慶がさらに多い。
凶神合和,逢災不至深遠;吉將逢傷,賜福終非全美。○三傳中凶將見生合,雖凶不甚;三傳中吉將見傷,雖吉不甚。日辰有彼此之殊,神將有尊卑之異。○日干為己,支辰為他人;貴神在上尊,月將在下卑。辰來剋日諸事難成,日來克辰所謀皆遂。○支辰來剋日干乃我受人制也;日干去克支辰乃人聽命於我也。
凶神がもし合和に遇えば、たとい災に逢っても深重に至らない。吉将がもし損傷を受ければ、賜う福は終に十全でいられない。○三伝中の凶将が生を見て合を見れば、凶とはいえそう凶でなく、三伝中の吉将が剋傷を見れば、吉とはいえとても吉でない。日と辰とには己方と他方の別があり、天将と月将とには尊と卑の分がある。○日干は自己を代表し、日支は他人を代表する。貴神(十二天将)は上の一層にあ���て尊をなし、月将(下層の十二支神)は下の一層にあって卑をなす。日支が来て日干を剋すれば、諸事成り難い。日干が去って日支を剋すれば、謀るところは皆願いの如くなる。○日支が来て日干を剋するのは、我が他人に制せられること。日干が去って日支を剋するのは、他人が我に聴命すること。
男逢災厄須以日上推窮;女遇迍邅但向辰宮尋覓。○日干又曰天干,故看男子之災祥;支辰又曰地支,故看女子之禍福。先凶後吉終成喜慶之徵,始吉終凶終見悲哀之兆。○初傳凶末傳吉終於吉也;初傳吉末傳凶終於凶也。初刑末位災來果必無輕,末克初傳有禍須知亦小。
男子が災厄に遇えば、必ず日干の上から推究しなければならない。女子が困頓に遇えば、ただ日支の宮位へ向かって探し求める。○日干はまた天干といい陽に属するので男子の災祥を看て、日支はまた地支といい陰に属するので女子の禍福を看る。先ず凶で後に吉なら、終に喜慶の徵兆を成就する。始め吉で終わり凶なら、最後に見るのは悲哀の先兆である。○初伝が凶で末伝が吉なら結局は吉に帰し、初伝が吉で末伝が凶なら結局は凶に帰する。初伝が去って末伝を刑すれば、災禍の来ることは必ず軽くない。末伝が反って初伝を剋すれば、たとい禍事があってもそれが小さいことを知るべきである。
先賢以時作先鋒,占萬事皆可以推。若乃披刑則侵欺詐偽,乘馬則搖動遷移。○時作支刑,子刑卯之類;乘馬主動搖也。沖支沖干彼己不惶寧處,同辰同日爾子蹇滯遲疑。○時沖干己不寧,時沖支彼不寧;同辰彼蹇,同日我蹇。時日相生迭為恩惠,生克其辰災祥居第。○時生日下報上,日生時上惠下;時生支宅吉,時克支宅災。
先輩は占時を「先鋒門」と見なし、凡そ万事を占うに先ずそれから推し始めることができる。占時がもし身に刑気を被れば、人に侵奪・欺凌され、事に詐偽があることを主る。もし駅馬に乘れば、揺動・遷移を主る。○占時と日支とが相刑するのは、子刑卯の類である。駅馬に乘れば動揺して定まらないことを主る。占時が日支を冲し日干を冲すれば、彼と我とがともに安寧を��ないことを主る。占時と日支が同じ・日干と同じなら、汝と我とがともに蹇滞・遅疑することを主る。○占時が日干を冲すれば自己が安寧でなく、占時が日支を冲すれば相手方が安寧でない。占時と日支が同じなら相手方が蹇滞し、占時と日干が同じなら自己が蹇滞する。占時と日とが互相生するのは、彼此が遞相に恩を施すこと。占時の日支への生と剋とは、家宅の災と祥とに関する。○占時が日干を生ずるのは、下に在る者が上に在る者に報いること。日干が占時を生ずるのは、上に在る者が下に在る者に恵を施すこと。占時が日支を生ずれば家宅が吉し、占時が日支を剋すれば家宅に災いあり。
所以遇子遇午若往若來,值卯值酉為門為戶。○子午天地之道路也,往來之象。更宜視以用及終傳,反可察其生及畏懼。大抵克多事繁,克少則事簡。○涉害比用主繁,元首重審事簡。克者,動也。鬼臨所畏當憂而不憂;財在鬼鄉聞喜而不喜。○因財變鬼而禍矣。
だから子に遇い午に遇えば、往あり来あることを主る。卯に値り酉に値れば、門戸として看る。○子午は天地間の大道路なので往来の象を取る。さらに発用と末伝とを観察し、反ってまたその生ずるところとその畏れるところとを察しなければならない。大抵剋の多いは事が繁雑で、剋の少ないは事が単純である。○渉害課・比用課は事の繁を主り、元首課・重審課は事の簡を主る。剋とはすなわち「動」の意である。「官鬼」がその畏れる地に落ちれば、本当は憂うべきなのにかえって憂えるに及ばない。「妻財」が官鬼の郷に落ちれば、本は喜訊なのにかえって喜ぶに足らない。○財爻が鬼爻に化して、かえって禍となるからである。
神將互克占及夫妻;同類來傷事因兄弟。○鬼乃夫也,鬼動事起夫;財乃妻也,財動事起妻;比肩爻動,事起同類朋友也。財遇天空兮產業須傷;鬼臨旬尾兮官災不起。○財爻空,求妻不得也。官爻空,有官非不妨也。吉神臨凶卦之中,無咎爭之道;惡煞臨吉卦之內,無歡欣之理。煞雖惡,生我則其喜終至;將雖良,克我則憂難不已。○如虎勾生我,其力尤雄;龍合克我,其凶亦至。
天将と月将が互いに剋制すれば、占うところは多��夫妻に渉る。同類の爻が来て傷剋すれば、事は多く兄弟から起こる。○「官鬼」は夫を代表し、鬼爻が一たび動けば事は夫から起こる。「妻財」は妻を代表し、財爻が一たび動けば事は妻から起こる。「比肩」の爻が一たび動けば、事は同輩・朋友から起こる。財爻が天空に遇えば、産業は必ず損傷を受ける。鬼爻が旬尾・旬空の位に臨めば、官司の災禍は興ることができない。○財爻が空に落ちれば、妻を求めて求め得られない。官爻が空に落ちれば、たとい官非があっても妨げない。吉神が凶課の中に落ちれば、咎を免れ争いを息める理は言うに足らない。悪煞が吉課の内に落ちても、歓欣するに値する理由は言うに足らない。凶煞は悪しと雖も、もし来て我を生ずれば、喜事は終に至る。吉将は好しと雖も、もし来て我を剋すれば、憂患は止まることがない。○たとえば白虎・勾陳が来て我を生ずれば、それらの助力はかえってことさら雄厚である。青竜・六合が来て我を剋すれば、それらの凶禍は照れなく降ってくる。
凶神無吉也,合干則訟休;吉神無凶也,剋日則禍起。○與日合雖朱雀之口舌亦休。更若識其通變,舉一隅而不復三矣!
凶神は本来吉いところがないが、一旦日干と相合すれば、詞訟も止息する。吉神は本来凶いところがないが、一旦日干を剋すれば、禍端は照れなく発生する。○ただ日干と相合すれば、朱雀のような口舌を主る凶将であっても、口舌は止息する。もしさらに機に随って通変するを能くすれば、それは一隅を挙げればその余の三隅はもはや挙げるに及ばない(《論語・述而》「挙一隅不以三隅反、則不復也」に出る)。
巻二 大六壬九天玄女指掌賦
六壬通萬變之機,大為國而小為家。日辰定動靜之位,日為人而辰為事。變即窮變,通久之變機,發動所由也。家國要從地盤分野處看。若單論家宅則惟在支上看可也。
六壬は万般の変化を貫通する枢機であり、大きく用いれば国事を占い、小さく用いれば家事を占うことができる。日と辰とは動と静の位置を確定する。日干は人を代表し、日支は事を代表する。ここにいう「変」とは、《周易・繋辞》の「窮すれば則ち変し、変すれば則ち通じ、通ずれば則ち久し」のあの変であり、事の発動する由来である。国と家とを占うには、地盤の分野方位から見なければならない。もし一家の宅舎のみを論ずるなら、単に日支の上神を見れば足りる。
月將加時,局圖順節,日二課而辰二課。合成四象,生主和而克發用,義法三才。日上神為太陽,日陰為少陽;辰上神為太陰,辰陰為少陰。陰陽生合、比和處吉凶之端倪不露,惟於相剋處一逗殺機而遂爾見形。蓋不殺不成其為生,而取克正所以觀五行相生之妙也。
月将を占時の上に加えれば、天盤は節気に依って順転して局を成す。日干から二課、日支から二課が出て、合わせて四象を成す。相生する所は和順を主り、相克する所から取って発用とする。この道理は天・地・人の三才に倣う。日干の上神を「太陽」といい、日干の陰神を「少陽」という。日支の上神を「太陰」といい、日支の陰神を「少陰」という。凡そ陰陽が相生し・相合し・比和する所では、吉凶の萌芽は露われない。ただ相克の処にあって初めて殺機が逗き出され、事の形跡が現れる。殺伐を経なければ生育を成就することができないゆえ、剋を取るのはまさに五行相生の妙を見るためである。
上克為元首,理順成而百事咸宜。上天下地,天克地理勢皆順,故百事宜。下賊為重審,人事逆而謀為不利。地克天是下陵乎上,故主逆。二三克賊,知一總名。神將凶而禍不單行,神將吉而福祥雙至。如二三克賊,則看克處與本於有益無益而福禍之來可決矣。
上神が下神を剋して取って発用とするのは「元首課」であり、事理が順遂して百事すべて相応しい。上層は天、下層は地で、天が地を剋するのは順理・順勢ゆえ百事皆宜である。下神が上神を剋して取って発用とするのは「重審課」であり、人事が逆乱して謀り行うことがすべて利しない。地が天を剋するのは、下に在る者が上に在る者に凌駕するので、逆を主る。もし二三箇所の剋賊があれば、総名して「知一」(すなわち比用)という。このとき乘る神将が凶なら、禍は単独行しない。乘る神将が吉なら、福祥は双んで至る。二三箇所の剋賊に遇えば、ただこれらの剋する所が本人に有益か無益かを見れば、禍福の来る向きを判定できる。
用孟名曰見機,當因時以致宜;仲季號為察微,事未萌而預計。克賊重重比涉害,用辰主外災害己,用日主我禍延人。蒿矢神遙剋日,二克主兩事而合為一事;彈射日遙克神,一克主一端而分作兩端。日止一日,克有二,是兩事合來作一事。一克互觀自見,二課若見金土二煞,為有鏃有丸,能傷人也。
四孟を取って発用とするのを「見機」といい、時に因りて宜しく制すべきである。四仲・四季を取って発用とするのを「察微」といい、事が未だ萌芽しないうちに予め謀らなければならない。剋賊が重々なる時は、先ず比用を用い、次いで渉害を用いる。日支の上神を取って発用とすれば、災害が外より来て身に加わることを主る。日干の上神を取って発用とすれば、禍端が我より出て他人に牽連することを主る。「蒿矢課」は上神が隔たって日干を剋するもので、二箇所の剋があり、本来二つの事が併せて一件となることを主る。「弾射課」は日干が隔たって上神を剋するもので、一箇所の剰のみあり、本来一頭の事が分れて二頭となることを主る。日干はただ一つで、来てそれを剋するは二箇所あるゆえ二事が合作して一事とする。ただ一箇所の剰のみあるは、両相対照して自ら明らかである。もしこの二課の中に金・土の二つの凶煞を見れば、それは箭に鏃あり弾に丸ある如く、真に人を傷つけ得る。
昴星如虎對立,視俯仰以定遠近之憂危。俯視憂近仰憂遠。殺氣至酉而盛,故將曰太陰,俯仰皆以酉位言,陰陽無克乃從至陰處討出消息來也。正君子履霜之漸多憂懼之時也。
「昴星課」は譬えば猛虎が人と面と向かって立つが如く、それが俯くか仰ぐかを見て、憂危が近処にあるか遠処にあるかを判定する。俯視するは憂いが眼前にあり、仰視するは憂いが遠方にある。粛殺の気は酉位に到って最も盛んなので、酉の上の将を太陰という。俯くにせよ仰ぐにせよ、いずれも酉位について言うことである。四課の陰陽に全く相克がなければ、やむを得ず最も陰の処から消息を逼り出す。これ正に君子が「履霜」を見て堅氷の至るを知り、心に憂懼を懐く時である。
別責如花待時,合日辰以定人事之巧拙。課名不倘,事屬有待時象可知矣。玩別責字言尊見端於此,而成就於彼之義也。八專士女懷春,一名不修幃箔。凡陰陽施化以別,而神令干支同位,陰陽不分,主客未辨,故取象若此。丁巳辛同丑未,井欄射主深災。井欄射亦主前途憂危。伏吟任信用刑而事主反覆。謂十二神名居沖位,無可依倚,主反覆不寧也。
「別責課」は譬えば花が開放の時節を待つが如く、日干・日支の合神を合わせ看て、人事の巧と拙を判定する。課名は既に吉利でなく、事は時機を待つに属する。その象は知るべし。「別責」の二字を玩味すれば、端倪はこの一頭に顕現して成就はかの一頭に落ちると言うのである。「八專課」は男女の懐春を主り、またの名を「不修帷箔」という——帷帳・帘幕が整わず、閨門の粛ならざるに喩える。凡そ陰と陽とは本来分れて施化すべきものを、今干支が同じ一位に居して、陰陽分れず主客辨え難いゆえ、このような象を取る。丁日・己日・辛日にして丑未が同位なれば、「井欄射」は深重の災あるを主る。井欄射はまた前途に憂危あるをも主る。「伏吟課」(陽日は自任と名づけ、陰日は自信と名づく)は刑を用いて伝を取り、事は反復を主る。これは十二神が各々相冲の位に居して依り傍うところなきを言うので、反復して寧んぜざるを主る。
凡上克則事起男子,或屬他人;若下賊則吉由女人,或因自己。大凡克處是動機,上克動在客在陽,故為男子為他人,下賊反觀可知。將克神為外戰,災自外來。神克將為內戰,禍由內起。將謂月將,神即貴神。將克神相戰於外,神克將相戰在內。災外來是因彼而有克也。禍內起以其克加於我也。
凡そ上が下を剋すれば、事は男子より起こり、あるいは外人に属す。もし下が上を賊すれば、吉事は女人より来り、あるいは自己に起因する。大凡そ相克の処はすなわち事の動機のある所である。上が下を剋するは、動きが客位に在り、動きが陽に在るゆえ、男子に属し他人に属する。下が上を賊するは反って見れば、女子に属し自己に属するを知る。月将が天将を剋するを「外戦」といい、災禍は外面より来る。天将が月将を剋するを「内戦」といい、禍端は内部より起こる。ここにいう「将」は下層の月将(地支の神)を指し、「神」は上層の貴神(十二天将)を指す。将が神を剋するは外に於て交戦し、神が将を剋するは内に於て交戦する。災の外より来るは、他人に因って剋を受くるがゆえ。禍の内より起こるは、剰が我が身に加わるがゆえである。
用在日前事情已過,用居日後事起將來。日辰發用應在今時,辰日刑沖事成恍惚。年月吉日發用,事應年月節旬。如甲課在寅則卯為後而丑為前。蓋前為已往,後為未來故也。日謂今日辰主於日,言日干發用事應在今時。凡日寄辰,辰仰於日,要合德祿比合相生乃為足貴。刑則人情不美,沖則反覆不寧,故多事恍惚也。年主一年,月主一月,節主半月,作氣字看。如立春為節,雨水為氣,節字論氣,無謂月也。
発用が日干の寄宮の前に落ちれば、事は既に過ぎ去った。発用が日干の寄宮の後に落ちれば、事は未来に発生せんとする。日干あるいは日支そのものが発用すれば、眼の前に応ずる。日支と日干とが互いに刑冲すれば、事は恍惚として定まらない。太歳・月建・吉日が発用すれば、事はすなわちその年・その月・その節候あるいはその旬に応ずる。譬えば甲の寄宮は寅に在れば、卯は「後」で丑は「前」である。「前」は已往を指し、「後」は未来を指すからである。「日」とは今日を指し、日辰は日干を主とするゆえ、日干が発用すれば当下に応ずるという。凡そ日干が支に寄居すれば、支は干に仰承を須え、徳・禄・比・合・相生あるを以て貴しと為すべし。相刑すれば人情は和美せず、相冲すれば反復して安寧ならず。ゆえに事は多く恍惚たり。太歳は一年を主り、月建は一月を主り、節は半月を主る——「節」の字は節気の「気」の字に看るべし。立春は節、雨水は気の如く、節を講ずるはすなわち気を論ずるので、泛く月份を指すに非ず。
此二句論克應之理,最為絕妙。方朔克應歌云:起歲年華問,逢蟾月裡尋,占旬旬裡應,值日日前辰,氣動蟾分體,候來旬折身,諸門從此起,萬類若通神。苗公云:七位克應訣,季神總用同,墓中見的實,吉凶取舍沖,陰陽分墓絕,七位應須通。又云:看發用是何季之神,如見寅卯則應在辰月辰日辰時,如見巳午則應在未月未日未時,故言與日同也。
上の二句は「剋応」——すなわち事がいつ応験するか——の道理を講るもので、最も精妙である。旧く東方朔に題する《剋応歌》に曰く:太歳に遇えばすなわち年份に問い、月建(蟾は月を指す)に遇えばすなわち月份の裡に尋ね、旬首を占えばすなわち本旬の内に応じ、日に値ればすなわち日期の前後に応ず。気が一たび動けばすなわち月份に按じて分体して推算し、候期が一到ればすなわち旬内に於て折算す。各門の推法は皆ここより起こり、万事・万類は応験して神の如し、と。苗公曰く:七位剋応の訣は、季神の用法は皆同じ。入墓してこそ初めて確実の応期を見る。吉凶の取捨は冲に在り。陰陽は墓と絶とに按じて区別する。七位の推法は必ず貫通を須う、と。彼また曰く:発用がいずれの季の神なるかを看るべし——たとえば寅卯(春木)を見れば、辰月・辰日・辰時に応ずべし(木は辰に墓す)。巳午(夏火)を見れば、未月・未日・未時に応ずべし(火は未に墓す)——ゆえに「日」の推法と同じと言うのである。
吉神旺相事皆吉,凶神旺相事必凶。旺氣求官吉,爭財相氣親,死言喪禍起,囚動見官刑,休來憂病患,五氣仔細尋。此皆以剋日論也。吉凶二神,謂三傳日干年命兼歲月建正時業方支辰上神,非搜盡此十一處也,須要視何處生我克我,還是生我者多,克我者多。助我生者多或助我克者多,生我者得地,還是克我者得地,宜詳察。
吉神が旺相に当たれば、事は样样吉である。凶神が旺相に当たれば、事は必ず凶である。旺気は官を求めるに宜しく、相気は財を争うに宜しく、死気は喪事・禍事の発生を主り、囚気は一たび動けば官刑を見、休気が到来すれば疾病を憂う——五気は仔細に尋ね究めるを須う。以上は皆日干を剋するに就いて論じたものである。いわゆる吉神・凶神とは、三伝・日干・行年・本命を指し、兼ねて太歳・月建・正時・業方および日支の上神に及ぶ。この十一処を一一に搜遍すというのではなくて、どの一処が我を生じどの一処が我を剋するか、果たして我を生ずるが多いか我を剋するが多いかを見、さらに生を助けるが多いか剋を助けるが多いか、我を生ずるが地を得るか我を剋するが地を得るかを見る。皆応に細かく審察を加うべきである。
指掌賦・附卦加臨
已上九門定式,次觀附卦加臨。日臨辰而受克為亂首,主行悖逆之道。辰臨日而受克為贅婿,不能自立其身。如庚寅日寅加申,是辰臨日而日克之。夫日寄於辰,今反克辰,是自家竟無安頓處矣。
以上の九門は既定の格式であり、次に各種の附帯する課格の加臨を見なければならない。日干の寄宮が日支の上に加臨してかえって日支に剋されるのを「乱首」といい、行うところが悖逆することを主る。日支が日干の寄宮の上に加臨して日干に剋されるのを「贅婿」といい、自らその身を立てることができないことを主る。譬えば庚寅日に、寅が申(庚の寄宮)の上に加われば、すなわち日支が日干に臨んで日干に剋されるのである。日干は本来地支に寄居しているのに、今反ってその支を剋するのは、自家がついに安頓する所がないのに等しい。
辰臨日而生日名自在,有恢宏之志。辰來生我可云安享。日臨辰而受生名俸就,有榮顯之機。我就他生一何榮顯。日臨辰而生辰名歷虛,主無稽之笑語。我去生他,他為脫氣。辰臨日而受生名歸寵,主福履之來崇。辰是我所履之境,加我之上而與我合體生辰,豈非福履之崇乎。同類相加培植和合。培植和合,言比肩之妙。日辰交生名為脫骨,主彼我舒情多實;日辰交克號曰無涉,主內外疑忌生猜。交生不認我而認人,故為脫骨,乃相信之誠也,交克反看。
日支が日干の寄宮に加臨して来て日干を生ずるのを「自在」といい、人に恢宏の志あるを主る。日支が来て我を生ずるは、安然として享受すると言うべきである。日干の寄宮が日支に加臨して日支の生ずるを受けるのを「俸就」といい、栄顕の機会がある。我が往きて彼に就きて彼の生ずるを得るは、何等の栄顕ぞや。日干の寄宮が日支に加臨して反って去りて日支を生ずるのを「歴虚」といい、無稽の笑談を伝うることを主る。我が往きて彼を生ずれば、我のこなたはすなわち脱気と成る。日支が日干に加臨して日干の生ずるを受けるのを「帰寵」といい、福禄の隆盛にして来るを主る。日支は我が踏立する境地であり、今我が頭上に加わりてまた我と一体と合して我の生ずるを受くれば、豈に福履の崇盛ならざらんや。同類の神の相加わるは、培植・和合を主る。いわゆる培植・和合とは、「比肩」相扶けるの妙を講ずる。日干・日支が交互相生するを「脱骨」といい、彼我が情意を舒展し多く実恵あるを主る。日干・日支が交互相剋するを「无渉」といい、内外の互相に疑忌・猜嫌するを主る。交互相生は自らを顧みずして相手方を顧みるゆえ脱骨といい、それは相互信任の誠意である。交互相剋は則ち反って之を見る。
課傳皆在年月日時名天心,憂不成憂而喜中加喜。三傳不離四課名曰迴環,吉不全吉而凶不全凶。天地大化不離是在天之心了,名迴環,意不宜占訟散事。三傳所以變化四課不離殊少變動之意,故吉凶不全。
四課・三伝がともに太歳・月建・日辰・占時の上に落ちるのを「天心課」といい、憂愁は憂愁を成さず、喜事の上にさらに喜事を添うるを主る。三伝が皆四課の範囲を出でざるを「回環課」といい、吉は全吉ならず、凶もまた全凶に至らざるを主る。天地間の大化の流行はこの数処を出でず、これすなわちいわゆる在天の心である。回環に至っては、その意は詞訟と了結の事を占うに宜しからず。三伝は本来四課を変化せしむるを以てす。今三伝が四課を離るること能わざるは、まさに極めて少く変動するの意ゆえ、吉凶ともに完全ならざるなり。
三上克為幼度厄,腐繩維臣室之象;三下克為長度厄,越海無舟楫之形。凡長幼課看發用才官父子何如,是財則傷財,餘可例推。又看餘一課,或是上克必主上下不安爭鬥。若生日干則凶可解,上下相生凶亦稍解。四上克為無祿主孤單,得救神亦能免禍。四下賊為絕嗣主貧苦,雖吉將到底成空。救神如三傳年命有一處生干即是,若四下賊則是我所遇皆仇敵,吉將其奈我何。
三課が上剋下なるを「幼度厄」といい、朽腐の繩を以て重物を繫ぐが如く、危きこと旦夕にあるの象である。三課が下賊上なるを「長度厄」といい、海を渡りて舟楫なきの形の如し。凡そ長幼度厄の課に遇えば、発用が妻財か・官鬼か・それとも父母・子孫かを見るを須う。もし財爻なれば、すなわち財を傷るを主り、その余はこれに准じて類推せよ。さらに剰る那一課を看よ。もしも亦た上剋下なれば、必ず上下安んぜずして争闘を生ずるを主る。もしそれが日干を生ずる能わば、凶は解くべし。上下相生すれば、凶も亦た稍や解く。四課が全く上剋下なるを「無禄課」といい、孤单を主る。もし救神を得ば、亦能く禍を免れん。四課が全く下賊上なるを「絶嗣課」といい、貧苦を主る。たとい吉将ありとも、到頭なお一场の空なり。いわゆる救神とは、すなわち三伝あるいは行年・本命の中に一処ありて来りて日干を生ずるのをいう。もし四下の賊なれば、すなわち彼は我が遇うところ皆仇敵なり。吉将もまた我を如何ともせんや。
日辰見辰戌又發用為斬關,陽逃亡而陰主伏匿。辰戌動神,中傳更遇寅字為天梁,主萬里飛騰,故陽日為逃亡。陰日為伏匿,總無蹤跡可尋也。凡傳遇寅卯未午乘貴陰合為天地獨通,出行吉。貴人臨卯酉分前後為勵德,庶人吝而君子亨通。視干支陰神,如立貴人前是小人恃勢當強。如陽神立貴人後是君子謙沖當進。此勵德之卦。蓋日陰辰陰為卑,不合妄居於前。日陽辰陽為尊,不合退居於後也。
日干・日支の上に辰あるいは戌を見て、しかもそれが発用するを「斬関課」という。陽日は逃亡して外に在るを主り、陰日は蔵匿して内に在るを主る。辰戌は動を主る神であり、中伝にさらに寅の字に遇えば(寅は「天梁」なり)、万里飛騰を主る。ゆえに陽日は逃亡と断じ、陰日は則ち伏匿と断ず。総じて蹤跡は尋ね難し。凡そ三伝の中に寅・卯・未・午に遇いて貴人・太陰・六合に乘るを「天地獨通」といい、出行は大吉なり。貴人が卯位あるいは酉位に臨み、さらに課体の貴人の前か後かとを分つを「励徳課」という。平民これを得れば吝渋して行い難く、君子これを得れば反って亨通す。日干・日支の陰神を看よ。もし陰神が貴人の前に立てば、これ小人が勢いを恃みて強を逞しうするなり。もし陽神が貴人の後に立てば、これ君子が謙退して当に進取すべきなり——これすなわち励徳の課である。日陰・辰陰は卑位に属して妄りに前に居るべからず。日陽・辰陽は尊位に属してまた退りて後に居るべからざるなり。
天乙在卯酉立私門,名微服而名懷異志。天乙來臨主八門,日辰陰陽俱後,遇此即是為微服象,惟利陰私。貴後存謂居貴人後,卯酉為日月之門,陰私之象,惟利安居不利有為。夫婦若年神交相剋,作蕪淫主琴瑟不調。夫婦年若相剋,日神更與日辰互克乃乖戾之象。用卯為龍戰,用酉為虎斗,主恩改而憂疑不定。凡卯日發用,行年又在卯名龍戰卦,虎斗仿此。蓋卯日陽氣南出,陰氣北入;入酉日陽氣北入,陰氣南出,主刑殺。陽主德生,相戰於門,故名。主事疑惑,反覆不定。
天乙貴人が卯酉に落つるは、私門に立つなり。名づけて「微服」といい、また「懐異志」ともいう。天乙の来臨は八門を主管す。もし日干・日支の陰神が皆貴人の後に落ち、こういう格局に遇えばすなわち微服の象なり。ただ暗中に行うに利するのみ。「貴後存」は課体が貴人の身後に居るを言う。卯酉は日月出入の門にして、もともと陰私の象なり。ただ安居に宜しくて作為有るに宜しからず。夫妻双方の行年の神がもし交相剋制すれば、すなわち「蕪淫課」を構成し、夫妻の琴瑟が調わざるを主る。夫妻の行年がもし互に剋し、日上の神がまた日支と互に剋すれば、すなわち乖戾の象なり。卯を取りて発用とするを「竜戦」といい、酉を取りて発用とするを「虎闘」という。恩情改変し、憂疑定まらざるを主る。凡そ卯日に発用が卯に在り、占者の行年がまた卯に在れば、すなわち竜戦課という。虎闘課はこれに依りて類推す。卯日は陽気が南より出でて陰気が北より入るがゆえに、酉日に至れば陽気が北より入りて陰気が南より出づ。刑殺を主る。陽は徳を主り生を主る。両気が門戸の上に交戦するゆえ、この名を取る。事の疑惑して反復して定まらざるを主る。
六合為佚女,天后為狡童,主厭翳而男女有淫。卯為六合私門也,酉為太陰私戶也。凡卯酉作傳而前天后後見六合為陰往求陽,非佚女而何?前見六合後見天后為陽往求陰,非狡童而何?三傳四孟名曰玄胎,非懷孕則有移舊更新之意。四孟五行生地故曰胎;玄,水色黑,言方胎於中,男女未分,不可見也,主事有根蒂,日漸長進之意;如入胎於母腹,鑄成五官之象,所以說移舊。
六合は「佚女」(放蕩の女子)として看、天后は「狡童」(軽狂の少年)として看、事が遮蔽せられて男女の間に淫乱あるを主る。卯は六合の私門、酉は太陰の私戸なり。凡そ卯酉が三伝に入りて、前に天后を見て後に六合を見るは、陰の往きて陽を求むるなり。佚女に非ずして何ぞや。前に六合を見て後に天后を見るは、陽の往きて陰を求むるなり。狡童に非ずして何ぞや。三伝が全く四孟(寅申巳亥)なるを「玄胎課」という。懐孕に非ざれば則ち革旧更新の意を含む。四孟は五行の長生の地ゆえに胎という。「玄」は水の黒色にして、正に胎中に孕育して男女未だ分れず見る由なきを言う。事は已に根蒂有りて日に長進するを主る。母腹に入胎するが如く、慢慢として五官の象を鋳成す。ゆえに移旧更新という。
三傳四仲謂之三交,加日辰則主隱匿罪人之名。凡仲日四仲相加一交,有克發用二交,課傳又見陰合丁交卦也。子午卯酉所藏乃乙丁己辛癸五陰干,陰為刑偏陰為陽,故太公立課將五陰干移於四季,正謂此也。蓋四仲當陰干之旺,如乙祿到卯,丁巳祿居午,則極氣盛矣。而五陽干生於四孟者,以四仲為沐浴敗地,是仲位刑旺而德衰也。若課傳年命全逢乎此,諸事不吉,故武侯云:德氣在內,刑氣在外,之此不可出兵。
三伝が全く四仲(子午卯酉)なるを「三交課」という。さらに日干・日支の上に加臨すれば、すなわち家の中に罪人的名を隠匿するを主る。凡そ仲日に四仲が相加わるを一交と算え、剋ありて発用するを二交と算え、課伝の中にまた太陰・六合・丁神を見ればすなわち三交の課なり。子午卯酉の蔵する所は乙・丁・己・辛・癸の五つの陰干なり。陰は刑を主り、偏陰の処は反ってその陽を顕す。ゆえに姜太公の課を立つるや、五陰干を移し四季の支に寄せしは、まさにこの理を言う。四仲は正に陰干の旺地に当たり、乙禄の卯に至り、丁己禄の午に居るが如く、陰気極めて盛んなり。而も五陽干は四孟に長生し、四仲は陽干に対しては沐浴・敗地なり——仲位は刑気旺にして徳気衰ゆるを見るべし。もし課伝と行年・本命とが全く四仲に撞当すれば、諸事吉ならず。ゆえに武侯諸葛亮曰く:徳気は内に在り、刑気は外に在り。この格局に逢えば兵を出す可からず、と。
四仲亦名二煩,主殺傷而更遭刑訟。凡太陽加仲,斗繫丑未為天煩;太陰加仲,斗繫丑未為地煩。是天地大小吉之氣俱為天罡所傷,而太陽加仲是德為刑也。月宿加仲刑氣大旺,故主殺傷獄訟之象。如斗罡繫丑未名杜傳,德在內刑在外,凡占利靜不利動。
四仲はまた「二煩」と名づき、殺傷を主り、しかも刑罰・訟事を蒙ることを兼ねる。凡そ太陽(月将)が四仲の上に加わりて斗・罡が丑未に係るを「天煩」といい、太陰が四仲の上に加わりて斗・罡が丑未に係るを「地煩」という。これは天乙と大吉(丑)・小吉(未)の気が皆天罡(辰)に傷つけられ、しかも太陽が仲に加われば、徳気を刑気に変ぜしむるに等しい。月宿が四仲に加臨すれば、刑気大いに旺んず。ゆえに殺傷と牢獄・詞訟の象を主る。もし斗と罡とが丑未に係れば、「杜伝」といい、徳気は内に在りて刑気は外に在り。凡そ占は静に利して動に利しからず。
四季名為遊子,乘天馬而將欲遠行。四土是游行之地,天馬是游行之象,故名。於課不止遠行,凡事主游移不定,蹤跡無憑。用天馬而中卯末子名為高蓋,主公卿爵位。正月午為天馬,卯天車,子華蓋,蓋利見大人之象。
三伝が全く四季(辰戌丑未)なるを「遊子課」という。さらに天馬に乘れば、まさに遠門に出んとす。四土は遊走の地、天馬は遊走の象なり。ゆえにこの名を取る。この一課はただ遠行を主るのみならず、凡事皆遊移して定まらず蹤跡憑るべなきを主る。天馬を以て発用として中伝に卯・末伝に子なるを「高蓋課」といい、公卿の爵位を主る。正月は午が天馬、卯が天車、子が華蓋なり。華蓋の象あれば、大人に謁見するに利あらん。
卯發用而中戌末巳號曰斫輪,為印綬俱全。卯加庚辛木就金雕,中傳戌,又是辛之寄宮,末傳巳火煉辛金而金又斷卯木成器,且戌中辛金得巳火,又為鑄印,而戌又為印綬,所以說印綬俱全,爵祿崇高之旬象。
卯が発用して中伝に戌・末伝に巳なるを「斫輪課」といい、これ印綬俱に全きの象なり。卯が庚辛の上に加わるは、木が金に就きて雕琢を受くるなり。中伝の戌はまた辛金の寄宮なり。末伝の巳火は能く辛金を鍛錬して、金また能く卯木を斫断して器を成さしむ。況んや戌中に蔵する辛金が巳火を得るは、まさに「鋳印」なり。而も戌それ自身また印綬を主る——ゆえに印綬俱に全しと言う。爵禄崇高の旬中の象なり。
若逢真破,得罪於帝王之象;害氣交加,遠涉有江湖之患。凡刑沖破壞皆謂之破,於仕宦則為得罪,於賈人則為江湖之患,為盤車故也。
もし真の「破」に遇えば、帝王に罪を獲るの象なり。もし六害の気が交相加臨すれば、遠行に江湖風波の患あり。凡そ刑・冲・破・壊は総称して破という。官を為す人に落ちれば獲罪となり、売買を為す人に落ちれば江湖の患となる。破は車輛の傾覆・盤阻を主るがゆえである。
時逢太歲作貴人兼發用而乘月將,名時泰有賜寶升官之象。日時月建會青龍而用歲氣作初傳,名富貴主利見大人之徵。天乙發用,又日辰月建名青龍,歲支作天乙是為用歲氣,言一時而諸吉臻合也。
占時が正に太歳に逢い、太歳がまた貴人を充て、しかも発用がさらに月将に乘るを「時泰課」といい、賞賜・宝物・升官・晋爵の象あり。日辰・占時・月建が青竜と会合し、しかも太歳の気を取りて初伝と作るを「富貴課」といい、大人に謁見するに利あるの兆を主る。天乙が発用し、日辰・月建がまた青竜と呼ばれ、太歳の支が恰好天乙を作る。これすなわちいわゆる「用歳気」——同一時刻の裡に諸般の吉象が皆一処に聚合することを言う。
四離前一日為天寇,利居家而不利遠行。四絕前一日為天禍,事體絕而又復重興。分至前一日為四離,已非遠行吉象,那堪月宿極陰,玄武陰私重加故主遇盜賊。四立前一日為四絕,乃陰陽交接之日那堪立絕互交,是乘權卸肩而兩不得力,所以事休絕而復興。
四離日の前一日を「天寇」といい、居家に利して遠行に利しからず。四絶日の前一日を「天禍」といい、事は断絶したる後にまた重ねて興起す。二分(春分・秋分)・二至(夏至・冬至)の前一日を「四離」といい、本来已に遠行の吉象に非ず。況んや月宿また極陰にして、玄武の陰私の気がさらに重々に加臨す。ゆえに路に盗賊に遇うを主る。四立(立春・立夏・立秋・立冬)の前一日を「四絶」といい、これ陰陽交接の日なり。さらに立と絶とが彼此交疊するに逢えば、一方は正当に権を執り、一方は剛く任を卸るに等しく、両辺とも力を使う能わず。ゆえに事は断たるるもまた重ねて興る。
四時前孤後寡,或遇空苦楚無依,閉口旬尾,如乘玄發用病危不失。如寅卯日當春之時則巳為孤丑為寡,若無別吉象,則為孤寡課。閉口有二格,如玄武加天地盤,六甲合此成兩般;病逢閉口則不進飲食,訟逢閉口則枉屈難伸。
四季は各々孤辰を前にして寡宿を後にす。もしさらに旬空に遇えば、便ち苦楚して依るべなし。「閉口」が旬尾に落ち、もしまた玄武に乘りて発用すれば、病を占して必ず危く、例外なし。たとえば寅日・卯日は正に春季に当たれば、則ち巳は孤辰にして丑は寡宿なり。もし別の吉象なければ、すなわち孤寡課と成る。閉口は両種の格局あり。玄武が天盤・地盤の上に加臨するが如く、六甲各旬は之と配合して便ち両般の格式と成る。病を占して閉口に遇えば、飲食を進めざるを主る。訟を占して閉口に遇えば、冤屈の申訴し難きを主る。
時剋日而用又助之名曰天網,有死喪之危。用死因而斗加日本名曰天獄,主囚繫之災。時用剋日為天網,如春占甲干用土金死囚神而有辰復加日本亥,則木之根本受傷,運用不旺,囚繫可知。
占時が日干を剋し、発用がまた来りてそれを助けるを「天網課」といい、死喪の危あらん。発用が死気の地に落ちて、「斗」(天罡辰)がまた日干の本位の上に加わるを「天獄課」といい、囚繋の災を主る。占時と発用とが斉しく日干を剋するはすなわち天網なり。譬えば春に占して日干が甲にして、発用が土・金の類の死囚の神を取り、また辰ありてさらに日干の本源たる亥の上に加われば(甲木は亥に長生す)、則ち木の根本は傷つき運用は旺ならず。囚繋せらるるの結果は知るべし。
上下旺相為三光,始終迪吉。神將順布為三陽,作事皆成。用旺相一光,吉神臨用二光,日辰旺相當令三光;用旺相一陽,日在天乙前二陽,貴順布三陽,忌克破刑沖害。
上下ともに旺相なるを「三光課」といい、始めより終わりまで順吉なり。神将が順序に排布するを「三陽課」といい、事を為す皆成る。発用の旺相は第一の光、吉神の発用に臨むは第二の光、日辰の旺相にして当令は第三の光なり。発用の旺相は第一の陽、日干の位が天乙貴人の前に在るは第二の陽、貴人の順行排布は第三の陽なり。この二種の課は皆剋・破・刑・冲・害を忌む。
傳見六儀病將瘥而獄囚出,三奇發用疑惑解而喜氣生。旬首發用為六儀,子戌旬奇在丑,申午旬奇在子,辰寅旬中奇在亥,丑為玉堂,雞鳴於丑而日精備;子為明堂,鶴鳴於子而月精備;亥為絳宮,斗轉於亥而星精倘。
三伝の中に「六儀」を見れば、病人まさに愈え、獄囚まさに出づべし。「三奇」が発用すれば、疑惑は消解して喜気頓に生ず。旬首が発用するはすなわち六儀なり。三奇の位置は:甲子旬・甲戌旬の奇は丑に在り、甲申旬・甲午旬の奇は子に在り、甲辰旬・甲寅旬の奇は亥に在り。丑は玉堂にして、鶏は丑時に啼鳴して日の精気は完備す。子は明堂にして、鶴は子時に長鳴して月の精気は完備す。亥は絳宮にして、北斗は亥位に転向して星の精気は完備す。
用起天魁為伏殃有殺傷之厄,傳虎死神為魄化有死喪之憂。用乘喪魄健者衰而病者死,傳起飛魂家有咎而人有災。天魁在酉逆,因仲非河魁也。死神正巳順十二,是虎乘死神加日主死,加辰主喪,有吉可解。喪魄正未逆四季,飛魂正亥逆十二。
発用が「天魁」より起これば「伏殃」といい、殺傷の厄あり。三伝の中に白虎が「死神」に乘るを「魄化」といい、死喪の憂あり。発用が「喪魄」に乘れば、壮健の人も転じて衰え、生病の人は則ち死す。三伝が「飛魂」より起これば、家に咎あり、人の身に災あり。ここの天魁は酉より起こりて逆行し、四仲に按じて推算す。平常戌を指す河魁に非ず。死神は正月に巳に在りて起こり、月に按じて十二支を順行す。白虎が死神に乘りて日干に加臨すれば、本人の死を主り、日支に加臨すれば、家に喪事あるを主る。もし吉神あれば化解すべし。喪魄は正月に未に在りて起こり、四季の支に按じて逆行す。飛魂は正月に亥に在りて起こり、月に按じて十二支を逆行す。
卦曰始終視神將玩克戰以方知,課名新故用剛柔察死生以方見。始終要兼旺相休凶,細細推尋,然亦就三傳說,三傳原該本事始終,或始克終生,或始生終克,或始生終墓,或始墓終生,皆始終之義。視神將者,神將以生我為吉,不生則雖吉亦減力。凡陽干發用得陰為故,得陽為新;陰干發用得陽為故,得陰為新。陽生主事之方生而艾也,陰主死事之已去而不乘權也。死生即得令不得令義。
課体の「始終」を講ずるは、神将を看て剋と戦とを玩味してこそ知るべし。課名の「新旧」を分つは、剛日・柔日に按じて死と生とを審察してこそ見るべし。いわゆる始終とは、旺・相・休・囚を兼ね看て細細に推尋す。ただなお三伝に就いて言うに過ぎず——三伝はもともと一件事の始と終とを涵盖す。あるいは初伝剋して末伝生じ、あるいは初伝生じて末伝剋し、あるいは初伝生じて末伝墓に入り、あるいは初伝墓に入りて末伝生を得。皆始終の義に属す。いわゆる神将を看るとは、神将は我を生ずるを以て吉と為すを言う。もし我を生ぜずんば、たとい吉将なりとも、力量もまた打折を要す。凡そ陽日干が発用して陰支を得るを「旧」といい、陽支を得るを「新」という。陰日干が発用して陽支を得るを「旧」といい、陰支を得るを「新」という。陽は生を主るとは、事が方に興りて正に盛んなるを言う。陰は死を主るとは、事が已に過ぎ去りて再び権を当てざるを言う。ここの死と生とは、すなわち得令と不得令の意である。
八迍立見憂危將至,五福必主福祿駢臻。八迍五福不是定然八件五件,八是陰數,一切惡神凶將克賊日兼帶刑害者,是陰慘至極,故名。五乃天之中數,極陽明之象,如傳逢生旺貴人日德,即有凶亦解救矣。
「八迍」に遇えば、立ちどころに憂危の至るを見るべし。「五福」に遇えば、必ず福禄の双んで来るを主る。八迍・五福は必ずしも八件・五件を凑足するを要せず。八は陰の数なり。凡そ一切の悪神・凶将が来りて日干を剋賊し、また刑害を兼帯するは、陰惨極まるがゆえに八迍という。五は天数の中にして、極めて陽明の象なり。三伝中に生気・旺気・貴人・日徳に逢うが如く、則ちたとい凶険ありとも解救を得べし。
若順相加之卦傳列巳申亥寅,春玄胎者生意已萌於中,夏勵陽者機關略見於外,秋占四牡驅馳不息,冬占全福行止亨通。凡三傳順加,以巳上加申起,四孟是五行長生之地,順加則水木金各就所生,是四生之神復各居長生之位也。如春令寅木乘權,勾萌甲坼,生意正蒙,乃生生之始也,曰胎。四孟至於夏則生氣日長日盛,曰勵陽者,謂陽氣盛中伏衰,君子當勉勵勿縱,猶退藏意。秋時生氣漸微,殺氣漸盛,且言申位何為傳送,天地之化至七月是生殺之轉關,是送往迎來之會也。蓋巳為海角,巳酉丑三合為寬大坤為馬,即四牡即傳送也。申加巳行寬大之地,正驅馳不息意。至於冬萬物歸根,四生各歸生處,是全福而無害,行止有不亨快乎?
もし順次相加の課なれば、三伝は巳・申・亥・寅を排す。春に占すれば「玄胎」といい、生機は已に内裡に萌動す。夏に占すれば「励陽」といい、機関は略々已に外に顕る。秋に占すれば「四牡」といい、奔驰して止まざるを主る。冬に占すれば「全福」といい、行止ともに亨通す。凡そ三伝の順加は、巳を以て申の上に加えて起算す。四孟は五行の長生の地にして、順加すれば水・木・金は各々その生ずる所に帰り、四つの長生の神がまた各々長生の位に回るなり。譬えば春令は寅木が権を当て、草芽は勾曲し種殻は裂け、生意は正に蒙昧にして初めて動く。これ生生の開端ゆえに胎という。四孟が夏に到れば、生気は一日一日と旺盛なり。励陽と称する所以は、陽気極盛の中に已に衰機を伏せたるを言う。君子は当に自ら勉励して放縦すべからず、退蔵の意を含む。秋に到れば生気は漸く微にして殺気は漸く盛んなり。さらに申位の何故に伝送と呼ばるるかを言えば——天地の造化は七月に正に生と殺の転関にして、送往・迎來の交会なり。巳は海角にして、巳酉丑は三合して寛大の局を成す。坤卦は象を馬に取る。いわゆる「四牡」はすなわち伝送なり。申が巳の上に加わりて、寛大の地を行走す。まさに奔驰して息まざるの意なり。冬に至れば、万物は根に帰す。四つの長生の神は各々生所に帰る。これ福気の完全にして妨害する所なし。行くも止まるも、何ぞ暢快ならざらんや。
四仲相加子午卯酉,春占關隔若羝羊之觸藩,夏占觀瀾似游魚之吞餌,秋占四季,日逢望弦晦朔名曰三光不仁,冬占匿陽,時遇日月辰戌號為四門俱閉。四仲乃四敗之地,以卯加子算,四仲相加在卯為陰不備,以日出於卯離太陰也,在酉為陽不備,以日入於酉離太陽也。在子一陽初復,陽氣不壯,在午一陰始生,陰氣不壯。玩課體名義,重陰互換知無一吉占矣。春曰觸藩言為陰所縛,進退不得自如。觀瀾意同,蓋午生於寅,敗於卯,前見辰是水庫,乃觀瀾而不敢進意。弦月漸進,望月已滿,晦月既盡,朔月初生,重陰相加,又逢弦望晦朔,更加四仲天官如六合太陰,陰總是陰翳之象,故曰三光不仁。日月卯酉也,四仲相加更卯酉上見辰戌總是陰陽閉寒意。又子乃一陽初生,今加於酉方,向閉塞之路,那見生機,故云匿陽。
四仲の子午卯酉が相加われば:春に占すれば「関隔」といい、公羊の角の籬笆に掛かりて進退を得ざるが如し。夏に占すれば「観瀾」といい、遊魚のまさに餌を呑まんとするが如し。秋に占してもし四季の神が望・弦・晦・朔に相逢えば、「三光不仁」という。冬に占すれば「匿陽」といい、もし占時が日月の門(卯酉)と辰戌に遇えば、則ち「四門俱閉」という。四仲は五行の四敗の地なり。卯を以て子に加えて起算す。四仲が相加わるは、卯に在りては「陰不備」なり。太陽は卯より出でて太陰を離るればなり。酉に在りては「陽不備」なり。太陽は酉より入りて太陽を離るればなり。子に在りては一陽の初復にして、陽気はなお壮ならず。午に在りては一陰の始生にして、陰気もまた壮ならず。課体の名義を玩味すれば、重陰は互相に交換す。未だかつて吉占なるものあるを知らざるなり。春は触藩といい、陰気に束縛せられて進退して自ら如かざるを言う。観瀾の意はこれと同じ——午は寅に長生し、卯に沐浴して敗る。前面にまた辰の水庫を見る。まさに水に臨みて瀾を観て敢えて進まざるの意なり。上弦の月は漸く盈ち、望日の月は已に満ち、晦日の月はまさに尽きんとし、朔日の月は初めて生ず。重陰相加わりて、また弦・望・晦・朔に逢い、さらに四仲の天官の六合・太陰の如きを加え、陰の上に陰を加う。総じて陰翳の象なり。ゆえに三光不仁という——日・月・星の三光が皆恩沢を失えり。日月はすなわち卯酉なり。四仲相加わりて、卯酉の上にまた辰戌を見る。帰するところ陰陽閉塞の意なり。さらに子は一陽の初生なり。今酉方に加わりて、閉塞の路を走上す。何ぞまた生機を見ることを得んや。ゆえに匿陽という。
四季相傳丑辰未戌,春稼穡而生長以時,夏遊子而漂流不定,秋地角據一隅而忘天下,冬五墓舍朝市而守丘墟。稼穡者,以辰加丑起算為順,土生萬物故在春為稼穡,且辰加於丑,土氣乍開,生生之思初動。又土盛於夏,乘巳午之生,有千里之勢,故曰遊子。至秋則土氣漸衰,生物之功滅去矣,曰據一隅而忘天下,便與夏之通達不同,四土皆庫獨以冬為墓者,休囚故也。
四季の神・丑・辰・未・戌が遞相に伝を為す:春に占すれば「稼穡」といい、生長して時に応ずるを主る。夏に占すれば「遊子」といい、漂流して定まらざるを主る。秋に占すれば「地角」といい、一隅に拠守して天下を忘るるを主る。冬に占すれば「五墓」といい、朝市を捨棄して独り丘墟を守るを主る。いわゆる稼穡とは、辰を以て丑に加えて起算するを順と為す。土は能く万物を生養するゆえ、春に在りては稼穡と為す。しかも辰が丑の上に加われば、土気は剛く動き開き、生生の意は初めて動く。土はまた夏に盛んにして、巳午の火の生に乘じ、奔行千里の勢あり。ゆえに遊子という。秋に到れば、土気は漸く衰え、万物を生養するの功は已に消退す。ゆえに一隅に拠守して天下を忘るるという。夏の通達と大いに同じからず。四土は本来皆庫なり。独り冬に於て墓と称するは、この時土は休囚に処るがゆえなり。
若逆相加,勢情為悖,三傳亥申巳寅,六合一名六害。春亢毓有始動終怠之形,夏洪鈞秉中正權衡之象,秋含義而無中生有,冬待慶而暗事將明。逆相加謂以亥上加申起算,六合六害在加處見寅盛於春巳毓矣。又值亥生則毓之太過,故曰亢毓,且亥加於寅為休氣用事,故云始勤終怠。寅加於巳,木火通明,是為洪鈞,巳加於申,正火旺於夏,亨嘉之會,謂之中正權衡,固宜申金制約為義。巳加申是金生於巳,含章之意,故曰無中生有。申加於亥,天乙生水,得申金之光相湧相生是為將明,從此而春而夏而秋,生長萬物之慶皆為有待。
もし逆次相加なれば、情勢は則ち相悖る。三伝は亥・申・巳・寅を排す。この一格を「六合」といい、また「六害」とも名づく。春に占すれば「亢毓」といい、開頭発動して結尾懈怠するの形あり。夏に占すれば「洪鈞」といい、中正の権衡を秉持するの象あり。秋に占すれば「含義」といい、無中生有を主る。冬に占すれば「待慶」といい、暗中の事がまさに顕明せんとするを主る。いわゆる逆相加とは、亥を以て申の上に加えて起算す。六合・六害はすなわち加臨の処に見出す。寅は春に於て最も盛んにして、已に孕育すること足れり。さらに亥水の生ずるに逢えば、則ち孕育すること太だ過ぎたり。ゆえに亢毓という。しかも亥が寅の上に加わるは休気の当令なり。ゆえに開頭は勤く結尾は怠るという。寅が巳の上に加われば、木火は通明し、すなわち洪鈞なり。巳が申の上に加われば、まさに火の夏に旺んじて亨嘉際会の時なり。中正・権衡と称す。本来応に申金を以て制約を加えてこそ義に合せん。巳が申に加わるは金が巳に長生し、文章を含蘊するの意なり。ゆえに無中生有という。申が亥の上に加われば、天一は水を生じ、申金の光沢の相涌き相生するを得る。すなわち将明なり。これより春を経、夏を経、秋を経て、万物を生長するの喜慶は皆なお将來に有待せん。
四仲逆傳子酉午卯,春占井陷如鳥投籠,夏占正煩若牛受刃,秋失友既散離而復合,冬出漸名陰極而陽生。四仲以酉加子起算,則皆相逆,為五行死地,如金庫於丑,則酉死於子,餘可類推,投籠正表其象。正煩或作二煩以日宿月宿加四仲分曰受刃則生氣盡矣,金土殺酉加於子為洩殺氣,氣既衰故為失友。酉未為離隔之神,加於一陽初生之地,為陰靜而陽復,故居離而復合之象。
四仲の逆伝は、三伝に子・酉・午・卯を排す。春に占すれば「井陥」といい、飛鳥の自ら籠中に投ずるが如し。夏に占すれば「正煩」といい、耕牛の刀刃を蒙るが如し。秋に占すれば「失友」といい、先に離散して後に復た合す。冬に占すれば「出漸」といい、これ陰極まりて陽生ずるなり。四仲は酉を以て子に加えて起算す。皆相逆にして、五行の死地に落つ。たとえば金庫は丑に在れば、則ち酉は子に死す。その余は類推すべし。「投籠」は正にこの象を表明す。正煩はあるいは二煩と作り、日宿・月宿の四仲への加臨に按じて分つ。「受刃」と言うは、生気已に尽くるなり。金土の殺気は、酉が子の上に加われば便ち殺気を泄去す。気は既に衰敗す。ゆえに失友という。酉と未とは離隔の神なり。一陽初生の地に加わるは、陰静にして陽復す。ゆえに先に離散して後に復た合するの象あり。
逆傳四季丑戌未辰,春占越庫,散財不以其道;夏曰轉魁,委任不得其人;秋殺墓勢將興而將起,冬伏陰機漸收而漸藏。四季以辰加未起算,春季辰土受未中乙木之克,是發越庫財已散矣,曰不以其道者,順則合,道逆則不以其道也。戌為天魁,中藏辛金,夏季未土木庫加戌,而為戌中辛金所克,又戌為火庫洩木之氣,是木轉魁上為委託非人也。戌火庫丑金庫,火加金則殺金,陰象原伏而不動,遇火煉之交有發越之勢。丑金庫,辰水庫,丑加辰則金水相涵象重陰,又子見母,故曰收藏。
四季の逆伝は、三伝に丑・戌・未・辰を排す。春に占すれば「越庫」といい、財を散じて正道に合せざるを主る。夏に占すれば「転魁」といい、委任して託する所人に非ざるを主る。秋に占すれば「殺墓」といい、勢頭まさに興りまさに起こらんとするを主る。冬に占すれば「伏陰」といい、事機の漸々收斂・蔵匿するを主る。四季は辰を以て未に加えて起算す。春季は辰土が未中に蔵する乙木に剋され、これ庫中の財を発散し去るなり。「不以其道」と言うは、順行すれば則ち道に合し、逆行すれば則ち道に合せざるがゆえなり。戌は天魁にして、中に辛金を蔵す。夏季の未土は木庫にして、戌の上に加われば、戌中の辛金に剋され、しかも戌は火庫にして木の気を泄さんとす。これすなわち木が魁位に転じて、託する人に非ざると成るなり。戌は火庫、丑は金庫なり。火が金に加われば則ち金を殺す。陰象は本来伏して動かざるも、火の来りて鍛錬するに遇い、交接の際には便ち発越の勢あり。丑は金庫、辰は水庫なり。丑が辰の上に加われば則ち金水は相涵し、重陰を象徴す。又是れ子の母を見るなり。ゆえに收藏という。四季逆伝の四つの名目は、皆先ず両個の土庫の中に蔵する干支の彼此の生剋如何を看て、さらに当令の時節に配し、然る後に散・転・興・蔵の四種の結果を定出す。
若順相合理勢自然,申子辰為潤下以和順為義,寅午戌為炎上以發達為名,亥卯未為曲直當舉直錯枉,巳酉丑為從革宜革故鼎新,三傳稼穡田土稽留。子為水,申為生地,辰水庫,自申而子而辰理勢自然,有不和順者乎?甲乙日為生氣。炎上順其次序,自然烈焰彌天,與和順同解。更得驛馬為倚權,利奏對也。凡木之生死曲與直,舉直錯枉,正去徇向直意。金有革故之義,才言革故自有鼎新之勢。凡占得四土,雖當作稼穡,須玩順逆玩四時,上文備矣。
もし順次にして三合相配せば、情理・形勢ともに自然にして然り。申子辰は「潤下」にして、和順を以て義と為す。寅午戌は「炎上」にして、発達を以て名と為す。亥卯未は「曲直」にして、応に正直を挙用し枉曲を廃置すべし。巳酉丑は「従革」にして、革故鼎新に宜し。三伝もし「稼穡」を成せば、則ち田土の事の遷延・停留を主る。子は水に属し、申は水の長生の地、辰は水庫なり。申より子に由りて辰に至るは、情理・形勢ともに自然なる。何ぞ和順ならざることあらんや。甲乙日に在りてはさらに生気なり。炎上は次序に順って行えば、自然に烈焰は天を弥(み)たす。和順と同一の解法なり。もしさらに駅馬を得て依託の権柄と為せば、君に面して奏対するに利あり。凡そ木の生と死とは、則ち曲と直の間に在り。「挙直錯枉」は《論語・為政》に語出す。まさに偏私を去りて正直に趨るの意なり。金は旧物を革除するの義あり。一たび革故と言えば、自然に鼎新の勢あり。凡そ四土を占うに到れば、応に稼穡として看るべしと雖も、なお順逆を玩味し、四時を玩味するを須う。この一点は上文に已に講説すること甚だ完備せり。
子辰申為出奇自新改過,午戌寅為間魁舍室從庭,卯未亥為合從彼我咎懷其忿,酉丑巳為獻刃遠近俱被其傷,辰申子為呈斗玩陰陽於天象,戌寅午為頂墓會消息於方與,丑酉巳為藏金因事而韜,未亥卯為從吉待時而動。若逆三合事主乖違,辰子申為特順貴勿躐等,戌午寅為就燥行合中庸,未卯亥為正陽遵發生之意,丑酉巳為法罡防肅殺之威,四土逆行尚宜守正。水局逆行言勿躐等者,欲其以順正也。火不順則燥,故正以中庸。玩遵之一字,言當依本生生之理而無毗乎陽也。罡殺氣,金逆而殺氣愈盛,故肅殺宜防。土能生金,若逆生恐猶未出於正,故特用戒之。
三合局は起点を換えれば、各々名目あり。子辰申は「出奇」といい、自新・改過を主る。午戌寅は「間魁」といい、内室を捨棄して外庭に就くを主る。卯未亥は「合従」といい、彼此ともに心に忿恨を懐くを主る。酉丑巳は「献刃」といい、遠近の人が皆その傷を受くるを主る。辰申子は「呈斗」といい、天象の上に於て陰陽を玩味するを主る。戌寅午は「頂墓」といい、方位の上に於て消息を会合するを主る。丑酉巳は「蔵金」といい、事に因りて韜光・養晦するを主る。未亥卯は「従吉」といい、時を待ちて後に動くを主る。もし三合が逆行すれば、事は則ち乖違を主る。辰子申は「特順」といい、躐等して躁進すべからざるを貴しとす。戌午寅は「就燥」といい、行事は中庸に合乎を要す。未卯亥は「正陽」といい、生発の意に遵循するを要す。丑酉巳は「法罡」といい、粛殺の威を提防するを要す。四土の逆行は、なお正道を守持するを以て宜しと為す。水局の逆行にして「勿躐等」と言うは、それに順を以て正と為せしめんことを望むなり。火は順わざれば則ち燥に変ず。ゆえに中庸を以て矯正す。あの「遵」の字を玩味すれば、応に本来生生の理に依循して、陽に偏向すべからずを言うなり。罡は殺気なり。金が逆行すれば則ち殺気いよいよ盛んなり。ゆえに粛殺は応に提防すべし。土は能く金を生ず。もし相生を逆りて行わば、恐らくは未だ正路に走上せざらん。ゆえに特に告誡を加う。
子申辰為仰玄,守凝寒之困;午寅戌為正義,顯朱夏之形,卯亥未為先春,未萌先動非時過;酉巳丑為操會,已過受時豈失宜,申辰子為間斗,聚秀氣於懷中;寅戌午為華明,彰精光於天表,亥未卯為轉輪,因顛蹶而自反,巳丑酉為反射,懷殺伐以酬恩。天罡加四仲為關隔,人事睽遲;登明脫日辰為萃如,事情和美。卯酉日月門也,子午為日月之門,辰戌為網羅之煞,辰加四仲為門被阻隔,人事何由通快?子午為關,卯酉為隔,既為日出而作,日沒而息之門戶,子午既為陰死陽生陽死陰生之地,則人事一動一靜,能離此門戶乎?今被網羅煞阻隔,人事豈得亨快?亥為乾位,加日辰是統天之德聚於日辰也,天德昭臨人情自然和美矣。
さらに数種の名目あり。子申辰は「仰玄」といい、凝寒の中に困守するを主る。午寅戌は「正義」といい、朱明・盛夏の形を顕出するを主る。卯亥未は「先春」といい、未だ萌発せざるに先に動き、時を過ぐるを免れざるを主る。酉巳丑は「操会」といい、時機は已に過ぎたれどなお能承受す。何ぞ失宜と言わんや。申辰子は「間斗」といい、秀気を胸中に聚めるを主る。寅戌午は「華明」といい、精光を天表に彰顕するを主る。亥未卯は「転輪」といい、跌倒・顛蹶に因りて反身して自省するを主る。巳丑酉は「反射」といい、心に殺伐を懐きて却って以て恩に報ゆるを主る。天罡(辰)が四仲に加臨するを「関隔」といい、人事は乖違・遅滞す。登明(亥)が日辰を脱するを「萃如」といい、事は和美なり。卯酉は日月出入の門、子午もまた日月の門なり。辰戌は則ち天羅地網の煞なり。辰が四仲に加臨するは、門の阻隔せらるるに等し。人事は何処よりか暢通せん。子午は関を為し、卯酉は隔を為す。既に「日出でて作し、日入りて息う」の門戸にして、子午また陰死・陽生、陽死・陰生の地なれば、則ち人事の一動一静、何ぞこの両道の門戸を離るること能わん。今网羅の煞に阻隔せられ、人事は何ぞまた亨通・爽快なるを得んや。亥は乾卦の位なり。日辰に加臨するは、上天の徳気を統攝して日辰に聚むるなり。天徳の昭臨すれば、人情は自ずから和美なり。
指掌賦・三伝取義と三間連茹
用為發端之門,中為移易之府,末為歸計之宮。太公立三傳極重在發端,歸結在末傳。孟為神之在室,仲為神之在門,季乃在外之應。孟仲季乃泛論,其理不在傳之例。孟為生地,仲為旺地,季為結果之地,此正由微至著,由小而大意。
初伝(発用)は事の発端する門戸にして、中伝は事の転移・変化する府庫にして、末伝は事の帰結・收束する宮室なり。姜太公の三伝を創立するや、最も発用を看起し、しかも結論を末伝に落とす。四孟は譬えば神がなお室内に在るが如く、四仲は譬えば神が已に門口に走到れるが如く、四季は則ち門外に応ず。孟・仲・季はただ泛く論ずるのみ。その理はなお専ら三伝の例に属せず。孟は長生の地、仲は帝旺の地、季は結果の地なり。これ正に細微より顕著に至り、小より大に至るの意なり。
初生中,中生末,名遺失而事久陵夷;末生中,中生用,名榮盛而多人推薦。用克中中克末為迭噬,而受眾輩之欺,末克中中克用為僣亡,而致外人之侮。畢法云:三傳遞生人舉薦,重下生上不重上生下,大凡發用之氣要無所分折,一心聚於干上方好。若初生中末則益我之氣薄矣,所以事久陵夷。惟末生上傳,專益於我,故榮盛耳。又上克下為迭噬,下賊上為偕亡,從輩侵欺。
初伝が中伝を生じ、中伝が末伝を生ずるを「遺失」といい、事の長久に衰落するを主る。末伝が中伝を生じ、中伝が初伝を生ずるを「栄盛」といい、多く人の推薦を得るを主る。初伝が中伝を剋し、中伝が末伝を剋するを「迭噬」といい、衆人の欺凌を受くるを主る。末伝が中伝を剋し、中伝が初伝を剋するを「僣亡」といい、外人の欺侮を招致するを主る。《畢法賦》に三伝の遞相生は人の挙薦あるを主ると言うも、看起する所は下の上を生ずるに在りて、上の下を生ずるを看起せず。大凡そ発用の気は分散・折損せられず、一心に日干に聚まるを要す。もし初伝が去りて中伝を生じ、中伝がまた末伝を生ずれば、則ち我を益する気は薄し。ゆえに事は長久に衰落す。ただ末伝のみ回頭して上一層の伝を生ずれば、こそ専ら我に利益す。ゆえに栄盛なり。このほか上が下を剋するを迭噬といい、下が上を賊するを偕亡といい、皆同輩の人の来りて侵奪・欺凌するを主る。
三傳生日百事宜,日生三傳財源耗。日克三傳求財可羨,三傳剋日眾鬼難堪。初傳克末事成空,末傳初傳事可成。傳見妻財利益多,傳見父母饒生意,傳見兄弟口舌生,傳見子孫福祿滿,傳見官鬼有兩途,病訟畏兮官位顯。子傳父兮逆且疑,母傳子兮順且便。
三伝が来りて日干を生ずれば、百事皆相宜。日干が去りて三伝を生ずれば、財源はまさに耗損せんとす。日干が三伝を剋すれば、財を求むるは大いに称羨すべし。三伝が日干を剋すれば、衆鬼斉しく来り、実に当り難し。初伝が末伝を剋すれば、事は空に落空す。末伝が反って初伝を制すれば、事は却って成るを得べし。三伝中に「妻財」を見れば、利益を得ること多し。「父母」を見れば、生意は興旺す。「兄弟」を見れば、口舌は叢生す。「子孫」を見れば、福禄は満盈す。「官鬼」を見れば則ち両条の路あり——疾病を占い詞訟を占うには畏るべく、官位を占うには反って顕達す。子爻が父爻に伝向するは、逆にして且つ疑うべし。母爻が子爻に伝向するは、順にして且つ便利なり。
干支吉三傳凶兮謀事不成終不喜,三傳吉兮干支凶事吉而成無少憚。支若傳干人求我,干若傳支我求人。課連茹傳逆速而順則遲,越三間向陽明而向陰暗。
日干・日支が吉にして三伝が凶なれば、事を謀るも成らず、終に喜ばず。三伝が吉にして日干・日支が凶なれば、事はなお能く順吉にして成り、畏るべきなし。もし日支より日干に伝向すれば、是れ他人の来りて我を求むるなり。もし日干より日支に伝向すれば、是れ我が往きて他人を求むるなり。「連茹課」の三伝は、逆行すれば則ち速く、順行すれば則ち遅し。「越三間」の三伝は、陽明の一方に向かえば則ち明にして、陰暗の一方に向かえば則ち暗し。
故順三間之課,亥丑卯為溟濛而事多闇昧,子寅辰向三陽而漸望光明,丑卯巳為出戶春雷震蟄,寅辰午出三陽金鯉波中,卯巳未迎陽者鳴高岡之鸞鳳,辰午申登三天得雲雨之蛟龍,亥未酉變盈者名秋聲之稼,午申戌出三天似鳴鶴之在陰,未酉亥為人局主心勞而日拙,申戌子涉三淵當隱於山林,酉亥丑乃凝陰而憂不可解,戌子寅入三淵而枉不能伸。
ゆえに順行して一位を隔てて伝を取る「三間課」は、共に十二格あり。亥丑卯は「溟蒙」といい、事は多く暗昧にして明らかならず。子寅辰は三陽に趨向して、漸々光明を望むべし。丑卯巳は「出戸」といい、春雷の蟄虫を驚動するが如し。寅辰午は「出三陽」といい、金鱗の鯉魚の波中に躍るが如し。卯巳未は「迎陽」といい、鸞鳳の高岡に鳴くが如し。辰午申は「登三天」といい、蛟竜の雲雨を得るが如し。亥未酉は「変盈」といい、秋声の裡に成熟する庄稼の如し。午申戌は「出三天」といい、鶴の幽陰の処に長鳴するに似たり。未酉亥は「人局」といい、心力が労苦して日に笨拙なるを主る。申戌子は「渉三淵」といい、当に山林に隠居すべし。酉亥丑は凝聚の陰気にして、憂愁は解けんとする由なし。戌子寅は「入三淵」といい、冤を含んで申訴すること能わず。
天地之氣東南為陽,西北為陰,自寅到酉為日,自酉到丑為夜。凡人日出而作,與陽俱開,故向陽則明。日入而息與陰俱閉,故向陰則暗。凡人逆則歸,歸則速;順則遊,遊則遠,自然之理也。若三傳俱在夜方,豈不闇昧?寅為三陽而傳之前後拱向之豈不光明?卯為門戶,出門向陽正如雷之震蟄,陽則下也。寅三陽之地,出乎此一路向東南,辰午之旺氣,可知亨快,魚得水之象。午為陽而卯巳者迎之,正高岡鳴鶴之象,占事宜帶就,少遲則無氣矣。午申在南先天乾位,固曰天,而辰在東南亦是陽明之位,合之曰三天,登之故有蛟龍雲雨之象。只一巳字在午之前,而未酉向西去矣,陽終陰始肅進萬寶告成,故曰登三稼。午當陽極而申戌巳流於酉矣,在陰子和言聞其聲不見其形也。未酉亥陰氣盛矣,凡人心勞不休皆屬於陰。書云:為善心安,日休為惡,日勞日拙,善惡之際,陰陽之別也。申子水局有林之象,戌土山象,言人夜方似幽人之守正也。酉亥丑皆在夜位,陰氣所凝,休憂如之?戌寅火局,而子水居北乘旺為淵,則火亦化而為矣,故曰入三淵,屈不能伸,無非幽暗之意。
天地の気は、東南は陽に属し、西北は陰に属す。寅より酉に至るを白昼と算え、酉より丑に至るを夜晚と算う。人は皆日出でて作し、陽気と一同に開張す。ゆえに陽に向かえば則ち明なり。日入りて息い、陰気と一同に閉合す。ゆえに陰に向かえば則ち暗なり。凡人逆行するはすなわち回帰なり。回帰すれば則ち速し。順行するはすなわち出遊なり。出遊すれば則ち遠し——これ自然の理なり。もし三伝が皆夜方に落ちれば、何ぞ暗昧ならざるを得んや。寅は三陽の地にして、三伝は前後皆それに拱向す。何ぞ光明ならざるを得んや。卯は門戸にして、門を出でて陽に向かうは、正に春雷の蟄虫を驚動するが如く、陽気は上より下に貫注す。寅は三陽の地にして、ここより出発して一路東南に向かい、辰・午の旺気に接す。通畅・爽快なるを知るべし。正に魚の水を得るの象なり。午は陽に属し、卯・巳は一前一後して来りてそれを迎う。正に高岡に鳴く鶴の象なり。占事は勢いに乘じて就近して成さしむるに宜しく、稍や遅緩なれば則ち気勢なし。午・申は南方の先天乾卦の位にして、本来天と称す。辰は東南に在りてもまた陽明の位なり。合わせて三天と呼ぶ。それに登るゆえに蛟竜の雲雨を得るの象あり。ただ巳の一字を午の前に隔つるのみにして、未・酉は已に西に往きたり。陽気は終結し陰気は開始し、粛殺の気は推進して万物は成を告ぐ。ゆえに登三稼という。午は正に陽極に当たり、申・戌・巳は皆酉に流向せり。陰中に落ちて相和す。是れいわゆるただその声を聞きてその形を見ざるなり。未酉亥は陰気已に盛んなり。凡人の心力の労苦して休まざるは、皆陰に属す。古書に曰く:善を行えば則ち心安くして日に安閑し、悪を為せば則ち心労して日に笨拙なり、と——善と悪の分際は、すなわち陰と陽の分別なり。申子は水局を成して林木の象あり、戌は土に属して山の象あり。是れ人の夜方に処るを言う。譬えば隠士の正を守るが如し。酉亥丑は皆夜位に在りて、陰気は凝結す。憂愁は何ぞ消し得んや。戌寅は火局を成し、しかも子水は北方に居りて旺に乘じて深淵を為す。火もまた化せられり。ゆえに入三淵といい、屈して伸ぶこと能わず。無非れ幽暗の意なり。この一段を総括するに:いわゆる「順三間」とは、三伝が十二支を順に数えて毎に一位を隔てて取るを言い、亥・丑・卯の類の如し。その吉凶を判断するには、一には三伝が昼方に落つるか夜方に落つるかを看、二にはそれらが寅・午の如き陽明の地を拱出し得るか否かを看、三にはその中に間隔せる字ありて三合の局を破るや否やを看る。
至若逆三間之課,亥酉未為時遁無出潛之意。戌申午曰迅戾有追悔之心。酉未巳勵明者出入從起所便,申午辰凝陽者動止罔戾於心。未巳卯為回明而利有悠往,午辰寅為顧祖而喜氣和平。巳卯丑為轉悖當吉凶二者之間,辰寅子為涉疑入禍福雙關之道。卯丑亥名斷澗主利分明,寅子戌為冥陽善人是寶。丑亥酉為極陰如月隱西山,子戌申名偃蹇似馬馳棧道。
逆行して一位を隔てて伝を取る「三間課」に至っては、また十二格あり。亥酉未は「時遁」といい、潜を出でて顕用するの意なし。戌申午は「迅戻」といい、追悔の心を懐く。酉未巳は「励明」といい、出入・進退は皆その方便に随う。申午辰は「凝陽」といい、動静・挙止は皆本心に違わず。未巳卯は「回明」といい、往くところあるに利あり。午辰寅は「顧祖」といい、喜気は和平なり。巳卯丑は「転悖」といい、吉凶両可の間に処す。辰寅子は「渉疑」といい、禍福双関の道に入る。卯丑亥は「断澗」といい、利害の分明なるを主る。寅子戌は「冥陽」といい、ただ善人のみ是れ宝なり。丑亥酉は「極陰」といい、月の西山に隠没するが如し。子戌申は「偃蹇」といい、馬の棧道の上に奔驰するに似たり。
亥酉未逆傳,亥遁於酉,酉遁於未,有退而歸隱之意。戌午火局中間一申反成克象,不和同矣,故曰悖戾。酉至未,酉有背暗投明之象,曰勵明者,言策勵以從明也。申午辰俱東南陽位,故曰凝聚於陽,所以行止如意。午為明,未巳卯迴繞而向之,故利有悠往。午火生於寅,三傳午辰寅,有顧母之意。和平者,謂得所生而巡也。巳丑酉金局為殺機之悖令,中傳不用酉而用卯,是悖之轉,轉則吉。然猶未離於殺也,亦主凶,故為二者之間。辰子水局,中傳見寅,雖涉於凝而不沉於淵,但兩局不純,故曰禍福雙關。經曰:斷澗如何涉,失前忘後時。君子宜退位,小人須有悲。蓋亥為水,丑卯有橋樑意,言難進也。高高下下我利豈不分明?寅戌火局,中傳見子,陽入於溟,乃懷寶不出意,丑亥酉皆是夜方,不見光明。子申辰水局,間一成土在中,坎水見險,豈是坦途?
亥酉未は逆伝なり。亥は酉に退隠し、酉は未に退隠す。退きて帰隠するの意を含む。戌午は本来火局を成すべきも、中間に一個の申を挟み、反って相克の象と成りて、再び和同せず。ゆえに悖戻という。酉より未に至るは、酉に暗を背けて明に投ずるの象あり。励明といい、自らを策励して光明に追随せんとするを言う。申午辰は皆東南の陽位に在り。ゆえに陽に凝聚すと言い、行止は皆意の如くなるを得べし。午は光明のある所にして、未・巳・卯は回繞してそれに朝向す。ゆえに長遠に往くに利あり。午火は寅に長生し、三伝は午辰寅にして、母を回顧するの意を含む。「和平」と言うは、我を生ずる者を得て順行するを指す。巳丑酉は本来金局にして、殺機に属し時令に悖乱す。ただ中伝は酉を取らずして卯を取る。是れ悖乱を転回す。一転すれば則ち吉なり。ただなお殺気を脱離せざれば、またなお凶を主る。ゆえに吉凶両者の間と言う。辰子は本来水局にして、中伝に寅を見る。凝滞に渉ると雖も深淵に沈むに至らず。ただ両個の局ともに純ならず。ゆえに禍福双関という。経文に曰く:断澗は如何に渡る。正に前後ともに失落するの時にして、君子は退位に宜しく、小人は必ず悲あらん、と。亥は水に属し、丑・卯は橋梁の意あるがゆえに、進行し難きを言うなり。高きは自ずから高く、低きは自ずから低し。我が利害は豈に分明ならざらんや。寅戌は火局を成し、中伝に子を見る。是れ陽気の幽冥に落入るにして、正に宝を懐きて出でざるの意なり。丑亥酉は皆夜方に在りて、光明を見ることなし。子申辰は本来水局にして、中間に一個の土を隔て、坎水また険阻に遇う。何ぞ坦途ならんや。この一段は上の十二格を逐一に五行と時令の道理に還原するなり。先ず三伝の局を成すや否や、局が何の字に間断せらるるかを看、さらに居る所の方位の昼か夜かを看れば、名目は雑と雖も、推法はただこの両条のみなり。
若順連茹亥將順行,亥子丑為龍潛,陽光在下空懷寶以迷邦;子丑寅為含春,和氣積中莫炫玉而求售。丑寅卯為將泰,有聲名而未蒙實惠;寅卯辰為正和,展將略而果沐恩光。卯辰巳名離漸,利用賓于王家;辰巳午為升階,親觀光於上國。巳午未為近陽,名實相須;午未申為麗名,威權獨盛。未申酉為回春,若午夜殘燈;申酉戌曰流金,似霜橋走馬。酉戌亥革故從新,小人進而君子退;戌亥子隱明就暗,私事吉而公事凶。
もし順行連茹の課なれば、亥より起こりて順に数う。亥子丑は「竜潜」といい、陽光はなお下面に在りて、空しく宝玉を懐きて邦国を迷乱せしむ。子丑寅は「含春」といい、和気は内に蓄積す。美玉を炫耀して求售せんこと勿れ。丑寅卯は「将泰」といい、名声ありて未だ実恵を得ず。寅卯辰は「正和」といい、将帥の略を施展して果して恩光を蒙る。卯辰巳は「離漸」といい、王家の賓客と作るに利あり(《周易・観卦》「利用賓于王」に語出す)。辰巳午は「升階」といい、能く身を以て上国に至りて光を観る。巳午未は「近陽」といい、名と実とは互相に依託す。午未申は「麗名」といい、威権は独り盛んなり。未申酉は「回春」といい、譬えば午夜裡の残灯の如し。申酉戌は「流金」といい、譬えば霜を結びる橋の上に馬を縦るが如し。酉戌亥は革故・従新を主り、小人は進用せられ君子は引退す。戌亥子は光明を隠去して幽暗に就くなり。私事は吉にして公事は凶なり。
亥子丑俱在夜方,全無陽氣,故云,即易乾龍勿用意。子丑寅得陽氣而未暢,仍宜韜養勿用。寅為三陽開泰,此時從丑初履之,雖有將興之譽而功業仍未成就。寅卯辰為日之始,正君子嚮明求治之會。卯辰己逼近離火,是君子作賓于王朝也。午正陽有泰階之象,從辰巳升之豈非觀光乎?午陽明君位,巳未近之,君臣合德,功成名就之象。午未申是聖主當陽攬權御下之象。未申酉東南之氣滅矣,是以比之殘燈勵之也。申酉戌乃金地肅殺,何險如之?曰霜橋走馬危之也。酉戌亥純是夜方,乃小人道長,君子道消之時。戌亥子以公私分明暗,若占逃亡盜賊,又當用夜方也。
亥子丑は皆夜方に在りて、全く陽気なし。ゆえに上の説あり。正に《周易・乾卦》「潜龍勿用」の意なり。子丑寅は已に陽気を得て未だ舒暢ならず。なお韜光・養晦に宜しく、暫く用うべからず。寅は三陽開泰なり。この時始めて丑より起步して踏入す。将に興るの名ありと雖も、功業は未だ成らず。寅卯辰は白昼の始めにして、正に君子が明に向かいて治を求むるの時機なり。卯辰巳は離位の火に逼近す。是れ君子の王朝に賓たるなり。午は正陽にして、三台・泰階の象あり。辰・巳より一級一級として升り上がるは、豈に上国を観光するに非ざらんや。午は陽明の君位にして、巳と未とはそれに緊挨着す。君臣は徳を合し、正に功成名遂の象なり。午未申は聖明の主が南面して陽に当たり、権を攬めて下を馭するの象なり。未申酉は則ち東南の気已に滅す。ゆえに残灯を以てこれを譬え、これを勉励す。申酉戌は金地の粛殺なり。これよりさらに険しきものあらんや。ゆえに霜橋の走馬と言う。その危険を形容す。酉戌亥は純に夜方に属し、正に小人の勢を得て君子の退避するの時なり。戌亥子は公事・私事を以て明と暗とを分つ。もし逃亡・盗賊を占わば、反って応に夜方を用うべし。この十二格を通観すれば、順連茹はすなわち三伝が十二支の次序に按じて連ねて前に走るを言い、譬えば人が一歩一歩として夜より昼に入り、また昼より夜に入るが如し。その吉凶を断ずるは、全くこの三歩の昼夜のいずれの一段に走到れるかを看る。
若逆連茹亥位逆推,亥戌酉曰回陰心懷闇昧之私,酉戌申為返駕主行肅殺之道。酉申未名出獄,主離丑出群,疏者親而親者疏,申未午名陵陰,名行險僥倖,安者危而危者安。未午巳為漸烯,脫凡俗而漸入高明;午巳胡名登庸;舍井蛙而旋登月闕。巳辰卯名正己人物咸亨,辰卯寅為返照行藏攸利。卯寅丑聯芳悔吝,須知否極泰來;寅丑子游魂乘凶,坐見事成立敗。丑子亥為入墓有收藏之態仕進無心;子亥戌為重陰安嘉遁之形寧甘沒齒。
もし逆行連茹の課なれば、亥の位より逆に推す。亥戌酉は「回陰」といい、心の裡に暗昧の私念を懐く。酉戌申は「返駕」といい、粛殺の道を行くを主る。酉申未は「出獄」といい、丑類を脱離して群小の中より走出すを主る。疎遠なるは反って親しく、親しきは反って疎し。申未午は「陵陰」といい、険を行いて僥幸を求むるを主る。安穏なるは危に転じ、危険なるは安に転ず。未午巳は「漸烯」といい、凡俗を脱去して漸々高明に入るを主る。午巳胡(胡は辰と作るべし)は「登庸」といい、井底の蛙の見識を捨去して月宮に登るを主る。巳辰卯は「正己」といい、人と物と皆亨通す。辰卯寅は「返照」といい、出仕と退隠と皆利あり。卯寅丑は「聯芳」といい、悔吝を帯ぶと雖も、否極まりて泰来るを知るを須う。寅丑子は「遊魂」といい、凶に乘じて動く。坐して事の剛く成れば剛く敗るるを看る。丑子亥は「入墓」といい、收斂・蔵伏の態あり。仕進の心なし。子亥戌は「重陰」といい、嘉遁の形に安んず。寧ろ終身出でざるを可とす。
自亥回戌,自戌回酉,一團陰氣用事,可以卜其心之所藏矣。戌酉申為肅殺之地,昔孫臏占之不滿期刖足而返,故名,戌為牢獄之地,酉不向戌而向申是為出獄不與戌之群丑為伍,而往西南是平昔之親類反疏而疏類反親矣。壬申為陰而未午凌之,陰陽交接,安危之機也。烯指午未漸而入之是脫凡境入高明意。午巳胡逆轉,又未中有井宿,午逆向巳,巳中有蟾,月闕是也,巳寬大有正己之象。從巳至辰卯正己而正物,人物皆歸於通達。寅中有生火,辰卯返而從之,是返照也。陽明相比,行藏自利,發洩太過,中藏烏有,反為吝象。今歸寅卯於丑,披枝歸根,方是泰來之象,寅之陽氣正好發舒,反入於丑陰極之位,諸事不利。魂陽魄陰,嚮晦宴息,百事收藏,占者寧矢志沒齒,靜俟不敢進也。
亥より戌に退き、戌より酉に退くは、一団の陰気が権を当てるなり。これを以てその心の裡に蔵する所を卜知すべし。戌酉申は粛殺の地なり。往昔孫臏がこの一格を占し、期限に及ばずして双足を刖られて返りし。ゆえにこの名を取る。戌は牢獄の地にして、酉は戌に朝向せずして申に朝向す。すなわち出獄にして、戌の一夥の丑類と伍せず。しかも西南方に往けば、是に於て平素親しきの一類は反って疎にして、疎遠の一類は反って親し。壬申は陰に属して、未・午はその上に凌駕す。陰陽は交接して、正に安危の転換するの関頭なり。「烯」は午未の気の漸々透入するを指し、凡境を脱去して高明に入るの意なり。午巳辰は逆りて転ずるなり。また未中に井宿あり。午は巳に逆向す。巳中に蟾蜍あり。すなわちいわゆる月闕なり。巳位は寛大にして、自らの身を端正するの象あり。巳より辰に至り、卯に至るは、先ず己を正して後に物を正す。人と物と皆通達に帰す。寅中に能く生ずるの火を含む。辰・卯は返りて来りてそれに跟従す。すなわち返照なり。陽明の気は彼此相隣し、出仕・退隠は自然に皆利あり。ただ発泄するや太だ過ぐれば、内裡は空虚して物なし。反って吝惜の象と成る。今寅卯をもって丑に帰結するは、枝葉を撥開して根本に回帰するなり。これぞ泰来の象なり。寅の陽気は本来舒張すべきに、反って丑の極陰の位に退入す。諸事利あらず。魂は陽に属し、魄は陰に属す。天色は晩に向かえば安息す。百事は皆収蔵を要す。この一格を占う人は、寧ろ志を立てて終身出でざるを可とし、静静として待ちて敢えて進まず。
局有進退之意,氣有旺絕之殊,衰墓總同退斷,胎生進氣無虞。退氣則吉事成凶,凶事反吉;進氣則安者益安,危者益危。
課局に進と退の別あり、五行の気に旺と絶の分あり。衰気・墓気は一概に「退」を以て断ず。胎気・生気は進気に属して、憂うを必せず。退気の下に於ては、吉事は凶に転じ、凶事は反って吉に転ず。進気の下に於ては、安穏はいよいよ安穏にして、危険はいよいよ危険なり。
長生之十二位所以象人之始終也,要從胎處說起,蓋胎在母腹中,養在始生之時,長生則從始生,漸漸長矣,宜竟接冠帶,何為有沐浴?蓋五行之氣,不鬱不舒,不凝聚不發散,正復卦安靜以養微陽之意。這一點生意不得沐浴處一番閉藏,如何得冠帶而臨官而帝旺也?到帝旺處一生事業盡矣,衰病死理勢必然。至墓之後胎可言矣,又加一絕,不生不有,十月之純陰何以得一陽之生,絕正死生互換之交,人鬼轉關之路也。課義雖言五行,實字字切著人事,細玩相見進退二字,全在旺相休囚死五字中分別。大抵吉氣進則聚,散則吉者不吉矣。氣退則散,散則凶者不凶矣。
長生十二位は以て人の一生の始終を象徵するを用う。応に「胎」の処より説き起こすべし。胎は母腹の中に在り、「養」は初生の時なり。「長生」は便ち初生より始めて漸々長大す。理を照らせば応に直に「冠帯」に接すべきに、何故に中間になお「沐浴」ありや。五行の気は鬱結せざれば舒展すること能わず、凝聚せざれば発散すること能わざればなり。正に《周易》復卦の安静にして微弱の陽気を涵養するの用意なり。この一点の生機はもし沐浴の処に於て一番閉蔵せざれば、何ぞ冠帯・臨官に到りて以至帝旺に至らんや。帝旺に到れば、一生の事業もまた到頭なり。次に衰・病・死は必然の勢なり。墓以後は本来胎と言うべきに、また一個の「絶」を加う——生ぜずして有せず。十月の純陰の時、もし絶なければ、又何ぞ一陽を生出すこと能わんや。絶は正に死と生との互いに換わるの交界にして、人と鬼の転関するの道路なり。課義は五行を講ずると雖も、その実は字字皆人事に切合す。「進」「退」の二字を細細に玩味すれば、全く旺・相・休・囚・死の五つの字の中に在りて分別す。大抵吉気は進めば則ち凝聚して、散ずれば則ち吉なるもまた不吉なり。気は退けば則ち消散して、散ずれば則ち凶なるもまた不凶なり。
順連茹空,名曰聲傳空谷,退吉而進則不宜。逆連茹空,名曰踏腳空亡,時宜進而退不可。三間之課,亦有緣由,課傳六陽利於公干,課傳六陰利用陰謀。半陰半陽原情審勢,陰多陽少以理推求。陽為德而陰為刑,陰從夫而陽自處;癸為陰而丁主動,閉為死而動主生。
順連茹して旬空に遇うを「声伝空谷」といい、退くに宜しくて進むに宜しからず。逆連茹して旬空に遇うを「踏脚空亡」といい、この時は進むに宜しくて退くべからず。三間の課もまた各々来由あり。課伝が全く六つの陽支なれば、公事を弁ずるに利あり。課伝が全く六つの陰支なれば、陰謀を用うるに利あり。半陰半陽なるは、応に情実を推原し形勢を審度すべし。陰多く陽少なきは、事理に按じて推求するを要す。陽は徳を主り、陰は刑を主る。陰は丈夫に順从するを要し、陽は以て自処すべし。癸は陰に属し、丁は動を主る。閉口は死を主り、動揺は生を主る。連茹課は本来次第に相連するを以て義と為す。一旦その中に旬空を落とし入れれば、この一條の鏈は断れたり。順行の断は前頭に在り。ゆえにただ退くに宜し。逆行の断は脚下に在り。ゆえにただ進むに宜し。
子午卯酉多是五陰所寄,而曰德從於陽,干在四孟位上,如甲祿在寅,乙祿在卯,甲與己合,而以寅為德祿,乙則合庚而從庚之申以為德。餘例同。癸水潤下之性於逢旬尾曰閉口者,言水氣在上不能開口也。假如人在水中一閉口便不能生矣。丁火之性主陽主動,是生之象,正與癸相反。
子午卯酉は大多く五つの陰干の寄る処なり。しかして「徳は陽に従う」と言うは、干徳の四孟の位の上に落つるがゆえなり。たとえば甲禄は寅に在り、乙禄は卯に在り。甲は己と相合すれば、則ち寅を以て徳禄と為す。乙は庚と相合すれば、則ち庚の寄宮たる申に跟従して申を以て徳と為す。その余はこれに照らし類推せよ。癸水は本来潤下の性あり。一旦旬尾に逢うを「閉口」と名づく。水気の上に壅りて口を張ること能わざるを言うなり。譬えば人の水の中に在りて、一たび口を閉ずれば活くること能わざるが如し。丁火の性は陽を主り動を主りて、生の象なり。正に癸と相反す。ゆえに課伝の中に癸水の旬尾に落つるを見れば則ち「閉」と断じ死と断じ、丁神を見れば則ち「動」と断じ生と断ず。この一対の正反の象は連ねて看るを要す。
空亡乃耗散之神,初斬首、中折腰、末刖足。辰戌為網羅之煞,辰覆巢、日毀卵、而用逵。空亡乃天中煞,人只知旬空為十干不到處,不知惟虛能起化,此正天之中也,故曰天中煞。數中凡遇空亡不可使說不好,要細察始見端的。天罡之氣鼓萬物而出,天魁之氣收萬物而入,四時網羅之殺,言一網無餘也。在日辰上是靜位,所以為覆巢為毀卵,在用上是動機所以為置逵,言一往便留礙也。
空亡は耗散の神なり。初伝に落つるを「斬首」といい、中伝に落つるを「折腰」といい、末伝に落つるを「刖足」という。辰戌は天羅地網の煞なり。日支の上に落つるを「覆巢」といい、日干の上に落つるを「毀卵」といい、発用の上に落つれば則ち歧路・留碍と成る。空亡はすなわち「天中煞」なり。人はただ旬空は十干の走り到らざる処なるを知るも、知らず、虚空あるを以てこそ変化を起こすを能うことを。それは正に天の中枢なり。ゆえに天中煞という。術数の中に凡そ空亡に遇えば、一概にそれを不好と言う可からず。細かく考察を加えてこそ真相を見るべし。天罡(辰)の気は万物を鼓動して出ださしめ、天魁(戌)の気は万物を収斂して入らしむ。是れ四時の羅網の殺にして、その意は一网打尽にして遺漏する所なし。それが日辰の上に落つるは静位に属す。ゆえに覆巢といい、毀卵という。発用の上に落つるは動機に属す。ゆえに歧路に置くと言い、一たび動身すれば則ち留滞・妨礙あるを言うなり。
年命若立魁罡動者靜而靜者動,日辰加臨卯酉離者合而合者離。立是年命所乘神,立於地盤辰戌之上非辰戌作年命也。
行年・本命の上に若し河魁(戌)・天罡(辰)が立てば、本当は動くべきが反って静まり、本当は静かなるべきが反って動く。日干・日支が卯酉に加臨すれば、本当は分離すべきが反って聚合し、本当は聚合すべきが反って分離す。ここに言う「立」とは、行年・本命の乘る神が地盤の辰位あるいは戌位の上に立つを指し、辰戌それ自身が行年・本命だと言うのではない。
三傳純子孫不求財而財自至,三傳純父母勿憂身而身自安,三傳純妻財而父母克害,三傳純官鬼而兄弟成災。《畢法》云;六爻現卦防其克即此意也。
三伝が純に子孫爻なれば、財を求めずとも財は自然に到来す。子孫は能く財を生ずればなり。三伝が純に父母爻なれば、身を憂えずとも身は自然に平安なり。三伝が純に妻財爻なれば、父母爻は則ち剋害を受くべし。財は父母を剋すればなり。三伝が純に官鬼爻なれば、兄弟爻は則ち災に遭うべし。鬼は兄弟を剋すればなり。《畢法賦》に「六爻卦に現わるるや其の剋を防げ」と言うは、正にこの意なり。
見克不克從其鬼賊,崖岸迫而勒馬收韁;見生不生不若無生,鳥兔盡而藏弓烹犬,見救不救災須自受,當如燕雀處堂;見盜不盜本根無耗,須識荊棘巢鳳。凡見克神要細他立處,若是生地,它自戀生不來克我;若是他之克處,他自受克不能克我矣。下三句俱如此看,如人之臨於危崖尚可收韁危而不危也。鳥兔盡言人之施恩於我者,今已盡矣。燕雀處堂而不知危機將至,救神無力也。荊棘解盜字,巢鳳則盜而不盜之意。
剋神を見ても剋し成さざれば、則ちそれに随って鬼賊として看る。譬えば人馬が懸崖の辺に逼るもなお縄を勒して收止するに及ぶが如し。生神を見ても生じ成さざれば、生あるに如かず。譬えば飛鳥・走兎が捕尽くされたる後には弓を蔵め狗を烹(に)るが如し。救神を見ても救い成さざれば、災禍はただ自家が承受するのみ。正に燕雀が堂廳に巣を構えて大火の至るを知らざるに似たり。盗神を見ても盗み成さざれば、根本に耗損なし。応にそれは鳳凰の荆棘の上に棲むことを知るべし。凡そ我を剋する神を見るに、応にそれが何の位置に立つかを細看すべし。もしそれが自家の長生の地に立たば、それは自ら生気を貪戀して来りて我を剋せず。もしそれが自家の剋せらるるの処に立たば、それ自身剋を受け、また我を剋する能わざるなり。下面の三句は皆この如く照らして看よ。人の危崖の辺に走到るもなお能く縄繮を收止するが如きは、危くして危ならざるなり。「鳥兎尽」は従前我に恩を施したる人は如今剛く尽きたるを言う。燕雀が堂に処りて危機の至らんとするを知らざるは、救神の無力なり。「荆棘」は以てあの「盗」の字を解し、「巢鳳」は則ち盗みても盗と為さざるの意なり。
合中帶煞蜜裡藏砒,煞遇空亡飢食甘李。交車入長生之位,苦盡甘來;交車坐刑害之宮,幸中不幸。吉中凶凶中吉須詳之干支門路,止在上下照射處,故曰交車。此處刑沖剋害極有關係,蓋交車二句似指交車立地盤長生刑害也,玩位字宮字自見,不然與下節重複矣。
相合の中に凶煞を帯ぶるは、譬えば蜜の裡に砒霜を蔵むるが如し。凶煞が空亡に遇うは、譬えば飢餓の時に甘李を喫するが如し。「交車」——日干の上神と日支の上神とが彼此交互に照応す——が長生の位に落ちれば、苦尽きて甘来るを主る。交車が刑害の宮に坐すれば、僥幸の中になお不幸あるを主る。吉中の凶・凶中の吉は、必ず日干・日支の門路を詳審するを須う。ただ上下彼此の照射する処に在るのみ。ゆえに交車と呼ぶ。ここの刑・冲・剋・害は関係極めて大なり。交車のこの二句は交車の神が地盤の長生位あるいは刑害位の上に立つを指すが如し——「位」の字・「宮」の字を玩味すれば自ずから見るべし。さもなくば則ち下一節と重複せん。
先生後克樂極生悲,劫煞入辰蕭牆禍起。樂極生悲即《畢法》樂里悲意,劫煞如亥卯未在申,其應極速,蕭牆應辰之一字。日辰神將交會龍虎聚良明之會,日辰神將交克猿鶴爭風月之巢。龍虎是合氣的狀,猿鶴是不合氣的狀,交生交克可謂極切。
先ず相生して後に相克するは、楽極まりて悲を生ずなり。劫煞が日支に落入するは、禍の蕭牆に起これるなり。楽極生悲はすなわち《畢法賦》「楽裡生悲」の意なり。劫煞は亥卯未の木局の如く、劫煞は申に在り。その応験は極めて速し。「蕭牆」は正に日支のこの一字に応ず。禍事の家門の内に出ずるを指す。日辰と神将とが交相会合するは、竜虎の聚会にして、良朋・高士の際会なり。日辰と神将とが交相剋制するは、猿と鶴の風月の巢を争奪するなり。竜虎は気の相合するの様子にして、猿鶴は気の合せざるの様子なり。以て交生と交剋とを形容すれば、極めて貼切と謂うべし。
交車入墓喑啞雙盲,交車沖刑風癱痴隔。喑盲俱切墓字,風癱切刑沖字,可見凡斷當各從其類。
交車の神が墓に入るは、瘖唖(あんあ)と双目失明を主る。交車の神が冲・刑に逢うは、中風・癱瘓(たんかん)・痴呆・隔塞を主る。瘖唖・失明は皆「墓」の字の閉塞・不通に切合し、中風・癱瘓は「刑冲」の二字の折断・錯乱に切合す。これを以て見れば、凡そ事を断ずるは皆応に各々その類に按じて象を取るべし。
乙戊己辛壬同四仲名曰九丑,天地歸殃;死絕休囚氣加日辰號為二難,夫妻反目。凡戊子戊午壬子壬午乙卯乙酉己卯己酉辛卯辛酉日,而大吉又臨日辰子午卯酉上者,為真九丑卦也。蓋乙是雷電始動之日,震而不安之位;戊己是諸神下位之日,戊己為坤諸神清虛之氣合德於乾,轉入坤維,曰下位是也。壬是三光不照之位,壬祿在亥,六陰俱足,日月之光至此損照。辛是西方殺物之位,如何又居在四仲極陰位上。大吉是十二宮神之主,為貴人本家,所以為星紀,諸星朝會於斗也,今又臨四仲極陰之位,為九丑。九,陽數,丑,言陽之丑也。一給正配夫妻兩字。
乙・戊・己・辛・壬の五干が四仲の支に配すを「九丑」といい、天地ともに殃咎を降すを主る。死・絶・休・囚の気が日辰に加わるを「二難」といい、夫妻反目を主る。凡そ戊子・戊午・壬子・壬午・乙卯・乙酉・己卯・己酉・辛卯・辛酉のこれらの日に、大吉(丑)がまた日辰のある子午卯酉の上に臨んでこそ、真の九丑課なり。乙は雷電の初めて動く日にして、震動・不安の位に処す。戊己は諸神の下位する日——戊己は坤に属し、諸神の清虚の気は本来乾に合徳す。坤維に転入すれば、則ち下位という。壬は三光の照らざるの位にして、壬禄は亥に在り、六陰は俱に足る。日月の光はここに至れば則ち照曜を損ず。辛は西方の殺物の位にして、況んやまた四仲の極陰の位の上に居るや。大吉(丑)は十二宮神の主にして、貴人の本家なり。ゆえに星紀と称し、衆星は皆北斗に朝会す。今それがまた四仲の極陰の位に臨めば、すなわち九丑と成る。九は陽の数にして、丑は陽の丑辱を蒙るを言う。この一節は正に「夫妻」の二字に配当す。九丑の凶なる所以は、陰気の極盛にして陽気の羞を蒙るを見るべし。「二難」の夫妻反目を主る所以も、死絶・休囚の気の日辰の上に圧するがゆえなり。日は夫を主り、辰は妻を主る。両辺ともに生気を失えば、自然に相看りて両ながら厭う。
上下六合主客合同,上下刑害冤仇相見。引從日辰名曰用媒,家必興而人必旺;干首支尾名曰迴環,成事吉而散事凶。男年支而女年干合後成婚,辰加羅而日加網巧中反拙。太陽照武宜擒賊盜,月將加辰宅舍光輝。魁度天門行多阻隔,罡填鬼戶事任謀為。
上下両神が六合を成せば、主客双方は同心・合意す。上下両神が相刑・相害すれば、冤家・仇人は面と向かいて相逢う。三伝が日辰より引従して来るを「用媒」といい、家道は必ず興り人丁は必ず旺んず。日干を以て首と為し日支を以て尾と為すを「回環」といい、事を弁成するは吉にして、事を了結するは凶なり。男方の行年が日支に在り、女方の行年が日干に在れば、両下相合したる後に便ち成婚すべし。辰は天羅に加わり、日は地網に加わる。本は巧を取らんと欲して反って拙を弄す。太陽(月将)が玄武を照れば、賊盗を擒捉するに宜し。月将が日支に加臨すれば、家宅に輝きを生ず。河魁(戌)が天門(亥)を越すれば、出行に阻隔多し。天罡(辰)が鬼戸を塡塞すれば、事は反って任意に謀為すべし。
指掌賦・十二天将と十二支の類神
既定課傳,次觀神將。貴人為百神之主,得位為福,失位為殃;螣蛇為賤之神,旺相怪異,休囚亦主憂驚。朱雀文書亦主刑戮奸讒口舌,白虎道路又為官災疾病死亡。勾陳主遲滯勾連之事,囚主訟而旺主生;玄武為盜賊虛耗之神,休失人而旺失物。六合為婚姻合和,婦女得之則為私門;太常主酒食衣裳,武職占之則為擢任。青龍所主財物,文官見之光為恩寵,天后雖為婦人,庶人得之亦主亨佳。天空奴婢妄誕,太陰暗昧不明。
課体・三伝は既に定まり、次に就くは十二天将を看る。貴人は百神の主にして、位を得れば則ち福にして、位を失えば則ち殃なり。騰蛇は卑賤の神にして、旺相の時は怪異を主り、休囚の時もまた憂疑・驚恐を主る。朱雀は文書を主り、また刑戮・奸讒と口舌をも主る。白虎は道路を主り、また官災・疾病と死亡を主る。勾陳は遅滞・牽連の事を主り、囚気に落ちれば詞訟を主り、旺気に落ちれば反って生発を主る。玄武は盗賊と虚耗の神にして、休気に落ちれば人口を失うを主り、旺気に落ちれば財物を失うを主る。六合は婚姻・和合を主り、婦女がこれを得れば則ち私通の門と成る。太常は酒食・衣裳を主り、武職の人がこれを占えば反って擢升・任用を主る。青竜の主る所は財物にして、文官がこれを見れば便ち恩寵の光なり。天后は婦人を代表すると雖も、平民がこれを得てもまた亨通・美好を主る。天空は奴婢と虚妄・荒誕を主り、太陰は暗昧・不明を主る。この十二位はすなわち事を断ずる時の「類神」の総綱なり。ある事を占わば先ずいずれの将を以て類神と作すべきかを認定し、さらにそれが何の支に臨むか、旺相か休囚か、日辰と相生するか相克するかを看れば、吉凶は出で来るなり。
太公前只用天將十二,後見丑位為己土之精,北斗之樞,是十二宮之氣化拱照之地,因而加一名曰天乙貴人,貴人即丑也。前五位引之,後六位從之,其間分文武貴賤男女,如天后貴人之妻,太陰貴人之妾,空蛇皆貴人奴婢也,龍朱文臣,常勾武將,所不可不知也。蛇屬巽,風火搖動不寧,故主驚疑,防火外明內暗,故曰奸讒,火赤色,故主刑戮。牙處坤方,故主道路,又申金殺物,故主官災病疾。勾陳辰也,萬物至此勾萌甲坼未舒,遲滯勾連之象也。玄武為亥水,陰私闇昧故虛耗。六合和合之意,婦人豈宜私和。未味也,言物至此月而始成味也,故曰酒食;衣裳者,謂麻絮絲綿都於是月就緒也;曰武職者,言巳午所生之金得未土而剛銳之氣畢聚會,到中位方顯出純金來,可見未中之金自旺,故為武職。寅為三陽開泰,號曰青龍,正應文武之德,世間財物吉凶,嘉賓生死喪祭,貴賤尊卑男女長幼,哪一事少得?所以屬青龍,言其變化莫測也。天后有恩澤意,故亦云亨佳。天空誕詐,太陰陰私是也。
姜太公は当初ただ十二天将を用いたり。後に丑位が己土の精気・北斗の枢紐にして、十二宮の気化が拱衛・朝照する地なるを見て、因りて一個の名目を添えて天乙貴人と呼ぶ——貴人はすなわち丑なり。貴人は身前に五位ありてそれを引導し、身後に六位ありてそれに隨従す。この十二将の間に文武を分ち、貴賤を分ち、男女を分つ。天后は貴人の妻、太陰は貴人の妾、天空と騰蛇とは皆貴人の奴婢、青竜・朱雀は文臣、太常・勾陳は武将なり。これらは知らざるべからず。騰蛇は巽に属し、風火は揺動して寧まらず。ゆえに驚疑を主る。それは火を防ぎて外明内暗なり。ゆえに奸讒と言う。火は赤色なり。ゆえに刑戮を主る。白虎は坤方に処り、ゆえに道路を主る。申金は能く物を殺す。ゆえに官災・疾病を主る。勾陳はすなわち辰なり。万物はここに至りて勾芽は初めて萌え、種殻は初めて裂けて未だ舒展せず。正に遅滞・牽連の象なり。玄武は亥水にして、陰私・暗昧なり。ゆえに虚耗を主る。六合は和合の意なり。婦人は豈に私に和合するを宜しとせんや。未はすなわち「味」なり。万物がこの月に到りて始めて滋味あるを言う。ゆえに酒食を主る。衣裳と言うは、麻絮・絲綿が皆この月に備斉するがゆえなり。武職と言うは、巳午の生ずる金が未土を得て、剛鋭の気が全て聚会し、中位に到りてこそ純金を顕出するがゆえなり——未中の金の自ら旺なるを見るべし。ゆえに武職を主る。寅は三陽開泰にして、号して青竜という。正に文武の徳に応ず。世間の財物の吉凶・嘉賓の生死・喪祭、貴賤・尊卑・男女・長幼、何れの一様ぞそれを少くせんや。ゆえに皆青竜の管に帰す。それは変化して測る可からざるを言う。天后は恩沢の意を含む。ゆえにもまた亨通・美好と言う。天空は荒誕・欺詐を主り、太陰は陰私・隠秘を主る。この道理なり。この一段の用意は、十二天将の職司の憑空に指定するに非ざるを説明し、各々その属する方位・五行と卦気より推出するを明らかにする。来歴を知れば、本篇に列挙せざるの事項に遇うも、また能く同一の条理に順いてそれが何を主るかを推し断ずべし。
寅功曹主木器文書,申傳送主行程消息,卯太沖主林木舟車,酉從魁主金刃奴婢,天罡為詞訟兼主死喪,戌天魁為欺詐或稱印綬,巳太乙驚怪癲狂,亥登明陰私哭泣,午勝光官訟連綿,子神后姦淫婦女。丑大吉咒詛冤仇,未小吉酣歌醫藥。
十二地支は各々将名あり、また各々主る所の類神あり。寅は功曹と呼び、木器と文書を主る。申は伝送と呼び、行程と消息を主る。卯は太冲と呼び、林木と舟船・車輛を主る。酉は従魁と呼び、金刃と奴婢を主る。辰は天罡と呼び、詞訟を主り兼ねて死喪を主る。戌は天魁と呼び、欺詐を主り、あるいは印綬と称す。巳は太乙と呼び、驚恐・怪異と癲狂を主る。亥は登明と呼び、陰私と哭泣を主る。午は勝光と呼び、官司・詞訟の連綿を主る。子は神后と呼び、奸淫と婦女を主る。丑は大吉と呼び、呪詛と冤仇を主る。未は小吉と呼び、縦酒・歓歌と医薬を主る。事を断ずる時は便ちそれが臨む位置に按じて相応の類神を取る。
辰乘貴人合祿,乃公門役吏,遇馬而為奔走公人;戌逢空祿臨孟,為了哨邊軍,見丁而為逃竄落陣。大吉小吉作勾陳鬥爭田地,天魁從魁為六合奴婢逃亡。從魁若乘武合妻妾懷娠,傳送上會青龍子孫財損。勝光如逢天馬必問行人,太乙若逢白虎家多疾病。未逢天后婦人姦淫,丑合貴常欲添財喜。天空臨酉走失家奴,常遇登明親朋酒食。辰戌見空武奴婢逃亡,小吉單逢六合婚姻聘禮。
辰の上に貴人に乘りてまた日禄と合すれば、主る所は官府の差役・吏胥なり。さらに駅馬に遇えば、則ち四処に奔走するの公差なり。戌の上に天空に逢いて日禄が四孟に臨めば、主る所は辺地の哨探・軍卒なり。さらに丁神を見れば、則ち陣に臨んで脱逃し、外に流落するの人なり。大吉(丑)・小吉(未)が勾陳と作れば、田地を争闘するを主る。天魁(戌)・従魁(酉)が六合と作れば、奴婢の逃亡を主る。従魁(酉)もし玄武・六合に乘れば、妻妾の懐孕を主る。伝送(申)の上に青竜に会すれば、子孫と財物の損受くるを主る。勝光(午)もし天馬に遇えば、必ず是れ行人を問うの事なり。太乙(巳)もし白虎に遇えば、家中に疾病多きを主る。未の上に天后に逢えば、婦人の奸淫を主る。丑の上に貴人・太常と合すれば、まさに財喜を增添せんとするを主る。天空が酉に臨めば、家奴の走失を主る。太常が登明(亥)に遇えば、親友の酒食の会を主る。辰戌の上に天空・玄武を見れば、奴婢の逃亡を主る。小吉(未)が単に六合に遇えば、婚姻・聘礼の事を主る。
辰上原無貴人,若天乙立地盤辰上則貴而不貴,若合日祿主為公門役吏,但食其公食而已,更帶日馬則為奔走公人。戌加天空軍人之象,臨孟而為了哨者,言去路方賒也。丁者壯也,惟壯盛善走,所以落陣中亦能逃出。從魁是妻妾,玄武為胎,合是懷孕,子孫歷代相傳。傳送之意,青龍為財,居申受克,非財損而何?勝光離火為日之精,行遊之象也,更乘天馬,豈非問行人事?太乙在紫微垣內,家室之象,遇疾病刑煞之神,則抱恙可知。未地始離於陽,漸進於陰,再乘天后,姦淫必矣。丑為貴人本家,太常為財為田,合而得之,則財產之事,添進無疑。天空為奴酉門戶也,奴臨門戶,背主逆行。亥卯未三合故未亥為親朋也,又未中酒食與亥共之。辰戌動而不靜,有奔走之象,空是奴,武是婢,臨於辰戌故云。小吉主禮儀酒食又見六合牙媒之神,其為婚聘也可知。
辰位の上には本来貴人あるべからざるなり。もし天乙が地盤の辰位に立てば、便ち貴にして貴ならず。それがもし日禄と相合すれば、主る所は便ち官府の差役・吏胥にして、ただ一份の公家の飯を喫するのみ。もしさらに日馬を帯ぶれば、則ち四処に奔走するの公差と成る。戌の上に天空を加うるは軍人の象なり。四孟に臨みて哨探を為すは、去路がなお遥遠なるを言う。丁は壮盛の意にして、ただ壮盛の人のみ善く走る。ゆえに陣中に陥るも能く逃げ出づ。従魁(酉)は妻妾を代表し、玄武は胎を象徴し、六合は合を象徴す。合わせれば則ち懐孕なり。子孫は歴代相伝う。正に伝送の意に合す。青竜は財にして、申位に落ちて金に剋されれば、財の損に非ずして何ぞや。勝光(午)は離火に属し、太陽の精華にして、行走・遊歴の象あり。さらに天馬に乘れば、豈に正に行人を問うの事に非ざらんや。太乙(巳)は紫微垣の内に在り、家室の象なり。疾病・刑煞の神に遇えば、病を抱くはまた知るべし。未地は剛く陽を離れて漸々陰に入る。さらに天后に乘れば、奸淫は免れざるなり。丑は貴人の本家にして、太常は財を主り田を主る。合わせて之を得れば、財産の增添は疑いなし。天空は奴僕を代表し、酉は門戸なり。奴僕が門戸を守るは、則ち主に背きて行くなり。亥卯未は三合す。ゆえに未と亥とは互いに親朋を為す。況んや未中の酒食もまた亥と共有せんや。辰戌は動して静ならず、奔走の象あり。天空は奴、玄武は婢なり。辰戌の上に臨む。ゆえにかくの如きの説あり。小吉(未)は礼儀・酒食を主り、また六合という媒妁の神を見る。是れ婚聘の事なるをまた知るべし。以上は逐条皆先ず地支と天将の各自の本義を拆开し、さらに合わせて読むなり。読者は様に依りて推し往けば、新しい組合せに遇うも能く自ら結論を配出せん。
辰逢勾虎必問田墳,丑作虎勾墓田破損。太歲龍常來占官職,子乘龍合女受皇恩,寅乘龍合兒孫歡慶。二八如同陰武,私通門戶搖動;巳亥若逢陰后,二女奔淫不已。子作六合為蕩婦,見亥亦作孩兒;丑遇天空為矮子,會申名為和尚。寅作朱雀,會卯為文章之輩;寅乘玄武,見巳為煉丹道人。卯上乘傳送為匠斫,辰上見白虎是屠人。巳入酉宮為犯刑遠配,會太陰亦作淫娼;酉加午上為寵婢登堂,會六合必主淫亂。未加酉為繼母,申乘合作醫人。戌作天空健奴軍吏,亥乘玄武乞丐鬼神。
辰の上に勾陳・白虎に遇えば、必ず是れ田地・墳塋の事を問うなり。丑の上に白虎・勾陳と作れば、墳地・田産の破損を主る。太歳の上に青竜・太常に乘るは、来りて官職を占するなり。子の上に青竜・六合に乘れば、女子の皇恩を承受するを主る。寅の上に青竜・六合に乘れば、児孫に喜慶あるを主る。卯酉の「二八」二門がもし同じく太陰・玄武に乘れば、私通にして門戸の動揺するを主る。巳亥がもし太陰・天后に逢えば、両個の女子の淫奔して止まざるを主る。子が六合と作るは、放蕩の婦人なり。亥を見てもまた孩童として看るべし。丑が天空に遇うは、矮子なり。天空が申に会するを、和尚と呼ぶ。寅が朱雀と作りて卯に会するは、能く文章するの人なり。寅が玄武に乘りて巳を見るは、丹を煉る道士なり。卯の上に伝送(申)に乘るは、木匠なり。辰の上に白虎を見るは、屠夫なり。巳が酉宮に落入するは、刑を犯して遠方に流配するを主る。太陰に会すれば、また淫娼として看るべし。酉が午の上に加わるは、寵婢の堂に登るなり。六合に会すれば、必ず淫乱を主る。未が酉の上に加わるは、継母なり。申が六合に乘るは、医生なり。戌が天空と作るは、壮健の家奴あるいは軍中の小吏なり。亥が玄武に乘るは、乞丐あるいは鬼神の事なり。
天罡主動,勾陳屬辰為田墳之象,更見白虎凶喪之神,則動問必在田與墳矣。丑土主靜,遇勾虎凶神必主墓田破損事。太常君象,文視青龍武視太常,如者如近太歲豈非問官職乎?子為天后,龍為恩寵,女為龍合,自是膺受皇恩之象。寅卯即青龍喜神,六合為兒孫,所主必喜慶事。二八謂卯酉,如乘太陰玄武蔽匿陰私之神,則門戶汙淫必矣。巳為雙女,巳為雙魚,都為淫亂之象。子為婦女,見陰私六合之神,自然所主淫蕩。亥為幼子,乘六合兒孫之神,其為孩兒無疑。天空是戌為足,而加於丑,足為刑不能大長,故為矮子。天空亦作和尚,申解作身,身會空則身入空門矣。寅為書籍文章,卯為土,朱雀文明之象,課象值此,自是文人譽聲。
天罡(辰)は動を主り、勾陳は辰に属し、是れ田地・墳塋の象なり。さらに白虎という凶喪の神を見れば、則ち動問する所は必ず田と墳の上に在り。丑土は静を主り、勾陳・白虎の両個の凶神に遇えば、必ず墳地・田産の破損の事を主る。太常は君上の象あり。文は青竜を看、武は太常を看る。もしそれが太歳に靠近すれば、豈に来りて官職を問うに非ざらんや。子は天后にして、青竜は恩寵を主る。女子にして竜合に遇うは、自然に皇恩を承受するの象なり。寅卯はすなわち青竜という喜神にして、六合は児孫を代表す。主る所は必ず喜慶の事なり。「二八」は卯酉を指す。もし太陰・玄武の類の遮蔽・陰私の神に乘れば、門戸の汚穢・淫乱なるは必然なり。巳は双女を為し、巳はまた双魚を為す。皆淫乱の象なり。子は婦女を代表し、陰私と六合の神を見れば、自然に淫蕩を主る。亥は幼子を代表し、六合という児孫を主る神に乘れば、是れ孩童なるは疑いなし。天空はすなわち戌にして足を象す。丑の上に加われば、足は刑を受けて長大すること能わず。ゆえに矮子なり。天空もまた和尚として看るべし。申は「身」と解す。身が天空に会するは、すなわち身の空門に入るなり。寅は書籍・文章を代表し、卯は土を為し、朱雀は文明の象なり。課象がこれらに碰上すれば、自然に文人の声譽を享有す。この一整段は「取象」の方法を示範するなり。先ずある支の本義を定出し(辰は田を為し、丑は静を為し、子は婦を為す)、さらにその上に乘る所の天将を看る(勾陳は争を主り、白虎は喪を主り、六合は合を主る)。両者を相疊してこそ具体の人物あるいは事件を得。学者は条文を死記するを必とせず。ただこの路子に按じて推せば、同類の課象は皆能く自ら断出せん。
寅為道士,玄武不正之神,乃竊取財物者也,巳為鼎灶,相會為一煉丹可知。一說寅屬艮,成言乎艮,艮道在是矣。上玄武下巳火,水上火下,正丹經所云取將坎位中心實,點化離中腹裡虛也。申者身也,身琢木為匠作,又卯加申琢成器物。罡成虎殺氣太旺,故為屠人。酉主殺,是天地之刑官,巳從巽入兌相剋,犯刑之義也,又巳加酉為配,所刑必屬遠配。巳雙女見太陰陰私蔽匿之將,所主必淫邪事。午正陽有堂之象,從魁婢也,加午為登堂,若見六合陰私之象,其淫汙可知。土生金者也,金旺於酉,土敗於酉,以敗氣生旺金,如子已長成,而母又生之,故為繼母。申身也,身入六合藥材之中,豈非醫藥流?戌者戍也,天空戌之本位,故為軍奴。玄武脫耗,亥為天門,故云乞丐鬼神。
寅は道士を代表し、玄武は不正の神にして専ら財物を窃取す。巳は鼎炉・灶火なり。二者相会せば、煉丹の事は知るべし。別に一説あり:寅は艮に属し、《周易・説卦》に「成言乎艮」と講ず。艮の道理は正にここに在り。上は玄武、下は巳火にして、水は上に在りて火は下に在り。正に丹経の言う所の「取将坎位中心実、点化離中腹裏虚」なり。申はすなわち「身」なり。身が木料を雕琢するを往けば便ち匠人なり。また卯が申の上に加わるは、木を琢って器物を成すなり。天罡(辰)が白虎に配すれば、殺気太だ旺なり。ゆえに屠夫なり。酉は殺伐を主り、天地の刑官なり。巳は巽より入りて兌に至りて相克す。正に刑を犯すの義なり。また巳が酉に加わるを「配」と為す。受くる所の刑は必ず遠地の流配に属す。巳は双女にして、太陰という陰私・隠蔽の将を見れば、主る所は必ず淫邪の事なり。午は正陽にして、堂廳の象あり。従魁(酉)は婢女にして、午の上に加われば則ち堂に登るなり。もしさらに六合という陰私の象を見れば、その淫汚なるは知るべし。土は能く金を生じ、金は酉に旺んじて土は酉に敗る。衰敗の気を以て旺盛の金を生ずるに往かば、譬えば児子が已に長成して母親がまた来りて生養するが如し。ゆえに継母なり。申はすなわち身なり。身が六合の主る所の薬材の中に入るは、豈に医薬の一流に非ざらんや。戌はすなわち「戍」なり。戍守の意なり。天空は戌を以て本位と為す。ゆえに軍中の奴なり。玄武は脱耗を主り、亥は天門なり。ゆえに乞丐と鬼神と言う。
虎踞二八之門,八難興而三災發。貴立天門之地,六神藏而四煞沒。卯酉為二八門,諸事所必由。今為虎踞,災難自興。惟丑貴加亥方說得四煞沒六神藏,四煞即辰戌丑未而加四孟,則化凶為吉矣。六神藏者,蛇臨子,朱臨丑,勾臨卯,空臨巳,虎臨武玄臨申是也。
白虎が卯酉という両道の門に盤踞すれば、八種の苦難が興起し、三様の災殃が併発す。貴人が天門(亥)の地に立てば、六神は隠蔵し、四煞は消没す。卯酉は二八の門にして、諸事は皆必ずこれより経過するを須う。今白虎に盤踞せられれば、災難は自然に興起す。ただ丑上の貴人が亥位に加わってこそ、四煞の消没・六神の隠蔵と言うを得べし。四煞はすなわち辰戌丑未なり。それらが四孟の上に加われば、便ち凶を化して吉と為す。いわゆる六神隠蔵とは、騰蛇の子に臨み、朱雀の丑に臨み、勾陳の卯に臨み、天空の巳に臨み、白虎と玄武の申に臨むを指す。
太常為破碎為孝服,如天獄騰蛇主災致訟;天空會勾陳名為鬥爭,會伏殃化鬼家破人離。天后臨卯酉一舉成名,月將乘青龍片言入相。勾龍同居旺地,財寶如田;常貴共入官鄉,當朝執政。四孟金雞四仲蛇,四季丑日是紅砂,此破碎煞也。太常主衣服而遇破碎,豈非孝服之象乎?天獄即天獄煞也,或值天獄卦亦是常乘此,更會騰蛇驚恐之將,災訟必矣。天空即為戌,勾陳即為辰,辰相爭又魁罡動搖,豈非鬥爭?伏殃正酉逆四仲,凡四仲為五陰之地,陰盛化鬼家破人離之象也。又天后為恩澤之神,月將近君將之象,文青龍為恩寵,太陰屬金乃財帛之神,勾陳積眾之神,妙在同居旺地,四字問功名一事大抵要官星得地,若太常天乙入官鄉而他處更無克害,便是升官遷職吉象。
太常がもし破碎煞に逢えば則ち孝服を主る。もし天獄煞に逢いてまた騰蛇に乘れば、則ち災禍の訟事を招致するを主る。天空が勾陳に会するを「闘争」といい、伏殃に会して鬼に化するを、家破・人離を主る。天后が卯酉に臨めば、一挙にして名を成すを主る。月将が青竜に乘れば、一言すれば便ち相に入るを主る。勾陳と青竜とが同じく旺地に居れば、財宝は田亩の如く多し。太常と貴人とが一同に官郷に進入すれば、当朝の執政を主る。破碎煞の起法は:四孟月は酉に在り(金鶏)、四仲月は巳に在り(蛇)、四季月は丑に在り。この日に値するを則ち紅砂と為す——これすなわち破碎煞なり。太常は衣服を主る。偏偏として破碎に遇う。豈に正に孝服の象に非ざらんや。天獄はすなわち天獄煞なり。あるいは天獄課に遇上するも、常に是れ太常のそれに乘るなり。さらに騰蛇という驚恐を主る将に会すれば、災禍・訟事は免れざるなり。天空はすなわち戌、勾陳はすなわち辰なり。辰戌は相争いて魁罡はまた揺動す。豈に闘争に非ざらんや。伏殃は正月より酉に起こり、四仲に按じて逆行す。四仲は五陰の地にして、陰盛んなれば便ち鬼に化す。正に家破・人離の象なり。さらに言えば、天后は恩沢の神にして、月将は君に近きの象あり。文事は青竜を以て恩寵と為し、太陰は金に属して財帛の神なり。勾陳は衆を聚めるの神なり。妙は妙なり、「同居旺地」の四字に在り。功名の一事を問えば、大抵官星の地を得るを要す。もし太常・天乙が官郷に進入して別処にまた剋害なければ、便ち升官・遷職の吉象なり。見るべし、同一位の太常も、破碎に遇えば便ち孝服を主り、天獄・騰蛇に遇えば便ち訟災を主り、官郷に入れば便ち執政を主る——吉凶は全くそれがいずれの一路の神煞と相会するかを看る。
年臨孤寡自甘半世孤燈,日遇空亡多主首陽餓死。太陽加神后之位,有水火之災;太陰臨勝光之宮,主自縊之患。財遇絕宮而上乘旺氣,定因白手成家;子作白虎而下見離明,多主螟蛉承嗣。年命加臨卯酉,作事朝移暮改;龍合下臨丑未,為人佛口蛇心。武會太陰,嘲風弄月;虎同天后,迷花戀酒。財同朱雀,主口舌上生財;武見官鬼,因好偽而成事。財為天后,主宅主妻;財為太陰,為奴為婢。年作卯酉而入空申,隨娘再嫁;時逢酉未而乘刃絕,市井呼盧。合武乘旺臨酉寅,非雷驚必主沉溺;虎蛇帶煞臨未巳,非虎咬必主蛇傷。子午卯酉為關格,謀望多主難成;辰戌丑未為墓神,發用多因掩蔽。
行年が孤辰・寡宿に臨めば、自ら甘んじて半生は孤灯に独対せん。日干が旬空に遇えば、多くは伯夷・叔斉の首陽山に餓死するが如く窮困して着るべなきを主る。太陽(月将)が神后(子)の位に加われば、水火の災あり。太陰が勝光(午)の宮に臨めば、自縊の患あるを主る。財爻が絶宮に落ちて上に旺気に乘るを乘れば、必ず是れ白手して家を起こす。子孫爻が白虎と作りて下に離火の明を見れば、多くは義子を抱養して家嗣を承継するを主る。行年・本命が卯酉に加臨すれば、事を為すに朝令・夕改す。青竜・六合が丑未に下臨すれば、人と為るは仏口・蛇心なり。玄武が太陰に会すれば、嘲風・弄月の風流を主る。白虎が天后と同じくせば、花酒に迷戀するを主る。財爻が朱雀と同じくせば、口舌の上に財を生ずるを主る。玄武が官鬼を見れば、虚偽の手段を靠(よ)りて事を弁成するを主る。財爻が天后と作れば、主る所は宅舎と妻子なり。財爻が太陰と作れば、主る所は奴僕と婢女なり。行年が卯酉と作りて空亡の申位に落入すれば、母親に随いて改嫁するを主る。占時が酉・未に逢いて羊刃・絶気に乘れば、市井の中に於て賭博し呼盧するを主る。六合・玄武が旺に乘りて酉・寅に臨めば、雷に驚かされざれば、必ず落水して沉溺するを主る。白虎・騰蛇が煞を帯びて未・巳に臨めば、虎に咬まれざれば、必ず蛇に傷られんを主る。子午卯酉は関格の神にして、謀望は多く成り難し。辰戌丑未は墓神にして、発用は多く遮掩・蔽塞あるに因る。
四時前孤後寡,或值旬空,皆為孤寡。若人年臨孤寡地,占婚最忌。日遇空亡,單言日干落空,則主空乏之事。水火相激而成災,干火克乾金,乾為首,火為心,心自害其首,故有自縊之象。財物遇絕是白手之象,上乘旺氣則絕而復興。虎傷子息無見,幸離火克虎則絕而不絕。卯酉為日月往來之門,故主移動不一。六合青龍乃東方主氣,主慈,而臨於丑未上,又主克,是口慈而心毒。陰金主陰,水象淫佚,又金水相涵,風月有情。白虎為傳送之神,會天后則閨門哪得貞靜。大凡事之成否要視官鬼,苗公云不克不成事者此也。申為坤為母,申空而母不安室,人年又加卯酉,必主變動,故云。酉為歌喉,未為酒店,又乘刃絕,故不事正業,但日趨於敗耗地也。六合司震,玄武屬水,水雷屯正雷雨之動滿盈也,故云。又蛇虎凶神,百葉窗煞乘巳未之生,其凶愈甚,故主受傷掩蔽。要論休旺。
四季は各々孤辰を前にして寡宿を後にす。もしまた旬空に値すれば、皆孤寡と算う。もし人の行年が孤寡の地に臨めば、婚姻を占うに最も忌まる。日が空亡に遇うは、単に日干の空に落つるを指し、則ち空乏して着るべなきの事を主る。水火は相激して災を成す。日干の火は反って乾金を剋す。乾は頭首を為し、火は心を為す。心が自ら己の頭を害す。ゆえに自縊の象あり。財物が絶に遇うは、白手の象なり。上にもし旺気に乘れば、則ち絶えて復た興る。白虎が子息を傷剋すれば、本来後嗣を見ることなし。幸いに離火は能く白虎を剋す。是に於て絶えて絶えず。卯酉は日月往来の門なり。ゆえに移動・不定を主る。六合・青竜は東方の主気にして、慈愛を主る。一旦丑未の上に臨めば、また転じて剋を主る。すなわち口裡に慈悲にして心中に狠毒なり。太陰は陰金に属して陰を主り、水は淫佚を象徴す。金水は相涵す。正に風月に情あり。白虎は伝送の神にして、天后に会すれば、閨門は何処ぞまた貞静を守り得んや。大凡そ事の成と不成とは、官鬼を看るを要す。苗公の「不剋不成事」と言うは、正にこの意なり。申は坤に属して母親を代表す。申が空に落ちれば則ち母親はその室に安んずること能わず。人の行年がまた卯酉に加臨すれば、必ず変動を主る。ゆえに前の如きの説あり。酉は歌喉にして、未は酒店なり。また羊刃・絶気に乘れば、ゆえに正業を務めず、ただ日ごとに敗耗の地に走向す。六合は震卦を主り、玄武は水に属す。水雷は屯卦を合成す。正に雷雨の動は盈満す。ゆえに前の如きの説あり。さらに言えば、騰蛇・白虎は本来凶神にして、また百葉窓の煞を帯びて巳・未の生気に乘る。凶の上に凶を加う。ゆえに受傷と遮蔽を主る。これらはなおその休旺を論ずるを要す——同一の凶象も、旺相の地に落ちれば応ずること重く、休囚・空亡の地に落ちれば応ずること軽し。一概に断ずべからず。
指掌賦・分門占法と察時來情
占天看雲龍風虎,察水火升降以辨陰晴。占地看玉藻金英,視神將生克以知吉凶。占宅占人看日辰而次詳課義,占獄占病視勾虎而解救同論。
天時を占うには、青竜の雲を興し、白虎の風を起こすを看て、水火二気の升降を察して陰晴を分辨す。地理を占うには、「玉藻」「金英」の両個の神煞を看て、さらに神将の生剋を視て吉凶を判知す。家宅を占い、人事を占うには、先ず日干・日支を看て、其次に課体の義理を詳審す。牢獄を占い、疾病を占うには、勾陳と白虎を看て、併せて救神に連ねて論断す。
捕亡、三奸之下可得,鬼神、類神之位推詳。占婚姻視天后妻財與日辰比和。占胎孕看夫妻年上方判陰陽。占謀望要成神合氣,占求財要看旺相龍常。占功名先看吉神吉將,占官職當明天吏天城。占地,支之陽神是墓,支之陰神是穴,玉藻金英有之。勾主獄,虎主病,見此宜視救神。凡亥子丑有一位加於地盤仲上,則對沖處便為三奸。對沖視天盤天后,日辰比和俱重。若一處並吉便可言吉,男女自夫妻年上推來主的。成神正巳順四孟,合氣蛤旺相之氣,言成神有氣不休也。龍常是財神。
逃亡の人を捕捉することを占うには、「三奸」の下に於て便ち捉うべし。鬼神の事に至っては、則ち類神のある所の位に按じて推詳す。婚姻を占うには、天后と妻財とが日辰と比和するか否かを看る。胎孕を占うには、応に夫妻双方の行年の上よりしてこそ陰陽・男女を判出し得べし。謀望を占うには、応に「成神」と「合気」とあるを要す。財を求むるを占うには、青竜・太常が旺相するか否かを看るを要す。功名を占うには、先ず吉神・吉将の有無を看る。官職を占うには、当に天吏と天城とを明辨すべし。地を占するに至っては:日支の陽神は墳墓を為し、日支の陰神は穴位を為す。玉藻・金英の両煞は則ちその中に在り。勾陳は牢獄を主り、白虎は疾病を主る。それらを見れば応に同時に救神を察すべし。凡そ亥・子・丑の中の一位が地盤の四仲の上に加われば、則ちそれと相冲する処はすなわち「三奸」なり。相冲する処は応に天盤の天��を看るを要し、日辰の比和するか否かも同じく切要なり。ただ一処ありて兼ねて吉なれば便ち吉と断ずべし。男女の別は、応に夫妻各自の行年の上より推してこそ准なり。成神は正月より巳に起こり、四孟を順行す。合気は則ち旺相の気を取る。是れ成神に気ありて休囚せざるを言う。青竜・太常はすなわち財神なり。
出行日為陸而辰為水,視神將之生克以辨吉凶。經商辰為主而日為客,視神將之衰旺以定合宜。子孫動而求官不吉,官鬼動則兄弟屯遷,兄弟動則妻財有損,妻財動則父母災危,父母動則子孫受克,官鬼動亦憂於己身。
出行を占うには、日干は陸路を代表し、日支は水路を代表し、神将の生剋を看て吉凶を分辨す。経商を占うには、日支は主人を為し、日干は客商を為し、神将の衰旺を看ていずれが合宜なるかを定む。子孫爻が動けば、官を求むるは吉ならず。子孫は官鬼を剋すればなり。官鬼爻が動けば、兄弟は則ち困頓・遷徙す。兄弟爻が動けば、妻財は便ち損失あり。妻財爻が動けば、父母は便ち災危あり。父母爻が動けば、子孫は便ち剋制を受く。官鬼爻が動けば、自身もまた憂うべし。
吉神宜旺宜相,凶煞要墓要空。吉神空吉不中不吉,凶煞空凶內不凶。吉居德祿之宮,出潛離隱而招祥致福;凶居生克之地,戀生解克而無暇害人。貴人順治凶神少降災殃,天乙逆行吉將聊施恩澤。蓋子至巳為陽,亥至午為陰,乃天地一大開關也。貴人順治向南諸事吉,逆治向陰位去則諸事主少吉。
吉神は旺に宜しく相に宜しく、凶煞は則ち墓に入り空に落つるを要す。吉神が空に落つれば、吉もまた吉と為さざるなり。凶煞が空に落つれば、凶の裡もまた凶ならざるなり。吉神が徳神・禄神の宮に居れば、便ち潜伏・隠晦を出離して祥を招き福を致すべし。凶神がそれを生ずるかそれを剋するの地に居れば、あるいは生気を貪戀し、あるいは自身が剋せられて、人を害するの工夫なし。貴人が順行すれば、凶神の降す災殃は少なし。天乙が逆行すれば、吉将の施す恩沢もまた限りあり。子より巳に至るは陽に属し、亥より午に至るは陰に属するがゆえなり。これ天地間の一大開合の関口なり。貴人が順行して南に朝すれば、諸事皆吉なり。逆行して陰位に向かいて去れば、諸事は則ち皆吉少なし。
凶神刑害日辰,連綿災禍;吉將交加課傳,不絕歡忻。凶神和合雖災而不致深危,吉將刑傷有慶而終難全美。日辰有彼我之分,神將有尊卑之別。剋日則災及自身,刑辰主禍延家宅。男推日而女推辰,於中玄妙;陽課明而陰課暗,此際幽微。
凶神が日干・日支を刑害すれば、災禍は連綿として断えず。吉将が交錯して課伝に布満せば、歓欣は接続して絶えず。凶神がもし和合を得れば、災ありと雖���深危に至らず。吉将がもし刑傷を受ければ、喜慶ありと雖も終に十全なるを得ず。日と辰とに他方・我方の分あり、天将と月将とに尊と卑の別あり。日干を剋すれば則ち災禍は本人に及び、日支を刑すれば則ち禍患は家宅に延ぶ。男は日干を看、女は日支を看。その中に自ら玄妙あり。陽課は顕明にして、陰課は幽暗なり。ここの裡は頗る微妙なり。
孟仲發用事應尊親,季作初傳定應卑幼。用神驗人事,比和為親為近,不比為遠為疏;神將斷吉凶,旺則日新月盛,衰則漸退旋頹。貴神帶印克今日有位有祿,申午相加乘天后為保為媒。
四孟・四仲が発用すれば、事は尊長・親近の人の身に応ずべし。四季が初伝と作れば、必ず卑幼の人の身に応ずべし。用神は以て人事を験す。日辰と比和するはすなわち親にして近し。比和せざるはすなわち遠にして疎し。神将は以て吉凶を判断す。旺なれば則ち日新月に盛んにして、衰なれば則ち漸々退敗・傾頽す。貴神が印綬を帯びて当日の日干を剋すれば、職位あり俸禄あるを主る。申と午とが相加わりて天后に乘れば、保人あるいは媒人を充当するを主る。
虎克日辰,官災癆病;勾刑卯酉,路死扛尸。白虎會旺相之金而克害年命,難免一刀之厄;勾陳合太歲之神而刑沖日辰,定遭尸解之厄。年逢陰鬼,暗地生災;日遇陽官,明中致福。大凡合處為來之有路,帶印非生我之印也,乃巳加戌為鑄印也。戌為印綬,皆所謂帶印。經云:帶印皆指遁干生貴人說此大有道理。傳送象媒保,朱為朱雀,乃口舌上生財是也。又傳送於道路而發用在天后日主訟。辰主疾,勾主死尸,卯酉主道路,金旺虎愈旺,其凶愈甚。歲君合勾陳刑沖日辰凶不可解。言勾虎者,以二煞原極刑極陰之氣故也。陰鬼是建干遁來之鬼也,陽官則見於上矣。
白虎が日干・日支を剋すれば、官災と癆病を主る。勾陳が卯酉を刑すれば、路上に死して人の屍を扛(こう)して帰るを主る。白虎が旺相の金に会して行年・本命を剋害すれば、刀傷の厄を免れず。勾陳が太歳の神と合して日辰を刑冲すれば、必ず屍解の厄に遭遇す。行年が暗蔵の鬼爻に逢えば、暗裡に災を生ず。日干が顕露の官爻に遇えば、明処裡に福を得。大凡そ相合の処はすなわち来路の通達なり。いわゆる「帯印」とは、我を生ずるの印綬を指すに非ずして、巳の戌の上に加わりて「鋳印」と成るを指す。戌は本来印綬を主る。皆帯印と算う。経文に「帯印」と言うは皆遁干が去りて貴人を生ずるに就いて言うなり。この言は甚だ道理あり。伝送(申)は媒人・保人を象徴す。朱は朱雀を指す。正に口舌の上に財を生ずるなり。また伝送は道路を主る。しかして発用が天后に落つれば、当日は則ち詞訟あるを主る。辰は疾病を主り、勾陳は死屍を主り、卯酉は道路を主る。金旺なれば則ち白虎はいよいよ旺にして、その凶はいよいよ甚だし。太歳が勾陳と合して日辰を刑冲すれば、凶は解くべからず。専ら勾陳・白虎を説く所以は、この両個の煞は本来極刑・極陰の気なればなり。陰鬼は月建の干より遁出したる鬼にして、陽官は則ち明明白々として上に顕る。陰鬼は遁干の裡に蔵れて、見えずと雖も人を傷ることを会す。ゆえに暗地に災を生ずと言う。陽官は天盤の上に現れて、見えて且つ受用を能う。ゆえに明中に福を致すと言う。
要見分類形狀,當視州野區分。子列青州,亦主江湖溝澗。丑為揚地,更為宮殿橋樑。寅主幽燕,亦主棟樑寺觀,卯為豫州,更為棺槨門憲。辰為兗州,亦主井泉墳墓,巳定荊州,兼為弓弩簾筐。午主三河,亦主山林書畫,未為雍州,亦主酒店茶房。申為晉域,更主神祠鬼屋,酉為冀地,又為庫房山岡。戌主徐州,亦主州城牢獄,亥為豳地,更為居榭廄房。此特舉其大概,於中仔細推詳。
事物の分類と形状を見出さんとせば、応に十二支の配する州域・分野に按じて区分すべし。子は青州に属し、また江湖・溝渠・谿澗を主る。丑は揚州の地に属し、また宮殿と橋梁を主る。寅は幽燕を主り、また棟梁と寺観を主る。卯は豫州に属し、また棺椁と門戸・憲令を主る。辰は兗州に属し、また井泉と墳墓を主る。巳は荊州に定め、兼ねて弓弩と帘幕・筐箧を主る。午は三河を主り、また山林と書画を主る。未は雍州に属し、また酒店と茶房を主る。申は晋地に属し、また神祠と鬼屋を主る。酉は冀地に属し、また庫房と山岡を主る。戌は徐州に属し、また州城と牢獄を主る。亥は豳地に属し、また亭榭と馬廐・房舎を主る。ここはただその大概を挙ぐるのみ。その中はなお仔細に推詳するを須う。いわゆる「州野」とは、本来古人が十二次を以て九州に分配したる分野の学なり。六壬はこれを借用す。一支は既可に方位・地域を指し、また可にその地域の上の常見の器物・建築を指す。事を断ずる時は便ち発用あるいは類神の落つる所の支に拠りて象を取る。
子作內房、婦女、鬼神兼洩瀉,丑為庭院、禿頭、病腹患脾腸。寅主道路,入長生則為道士,主鬚髮而病在瘋疥;卯為門戶,會玄武而為經濟,主手背而病在膏肓。辰為牆垣書簿,主皮毛臃腫之災;巳為爐灶小口,主咽喉面齒血光。午為堂屋,主心目、吐瀉、瘟疫;未為井院,主頭胃、膈噎、椎梁。申為驛遞,主骸骨、心胸、脈絡不利;酉為六戶,主口耳、小腸、喘咳難當。戌為牆院、足腿,亦主夢魂顛倒;亥為廁閣、虐痢,定應脾疝膀胱。自茲觸類而長,當尊此例推詳。天后為婦女,天一生水,鬼神造化之始。丑為星紀,寒土不生毛,故禿頭。木主肝,又膏上肓下,肝之表也。巽為風,主入,蛇火未井宿,先天午未屬乾,為首。未者味也,故言胃。魂藏辰戌,魄藏丑未,虐痢寒熱往來。
子は内室・婦女・鬼神を代表し、兼ねて泄瀉を主る。丑は庭院・禿頭を代表し、病は腹部・脾腸に在り。寅は道路を主り、もし長生に入れば便ち道士なり。人物の上は須髪を主り、病は風疹・疥癬に在り。卯は門戸を主り、玄武に会すれば便ち経商・謀利の人なり。人身の上は手背を主り、病は膏肓に在り。辰は墻垣と文書・簿冊を主り、病は皮毛・腫癰を主る。巳は炉竈と幼小の口を主り、病は咽喉・面歯と出血を主る。午は堂屋を主り、病は心と眼・吐瀉・瘟疫を主る。未は水井・庭院を主り、病は頭と胃・噎膈・脊椎を主る。申は駅站・伝逓を主り、病は骸骨・心胸・脉絡の不通を主る。酉は六道・門戸を主り、病は口耳・小腸・喘咳の難当を主る。戌は墻院と足腿を主り、また夢魂の顛倒を主る。亥は厠所・楼閣と瘧痢を主り、必ず脾疝・膀胱に応ず。これより触類・旁通して、皆応にこの例に照らして推詳すべし。天后は婦女を代表し、天一は水を生ず。是れ鬼神造化の開端なり。丑は星紀にして、寒土の上は毛を長ぜず。ゆえに禿頭を主る。木は肝を主り、膏は上に在り肓は下に在り。是れ肝の表位なり。巽は風を為して入を主る。騰蛇は火に属し、未の上に井宿あり。先天卦位は午未は乾に属し、乾は首を為す。未はすなわち「味」なり。ゆえに胃に言及す。魂は辰戌に蔵れ、魄は丑未に蔵る。瘧痢は正に寒熱往来の症なり。この一段は十二支を同時に宅舎の部位と人身の臓腑とに配するなり。宅を占わば則ち前の一層を取りて、事の内房に出ずるか・庭院に出ずるか・それとも門戸・墻垣に出ずるかを看る。病を占わば則ち後の一層を取りて、病竈の頭目に在るか・脾腸に在るか・それとも咽喉・手足に在るかを看る。両層の取象は一個の支を共用す。ゆえに同一の課も既能に病の何処に在るかを説出し、また能く人のいずれの一間に住むかを説出す。
先賢時察來情,端倪無不應驗。時遇空亡必主侵欺詐偽,時乘驛馬必主動改遷移。沖日沖辰彼我流離顛沛,同辰同日事情偃蹇遲疑。時日相生迭為恩澤,日時克害親作仇寇。日克時則為財,時剋日則為鬼。遇子遇午時往時來,值卯值酉為門為戶。時乘日墓,雖成而終成闇昧;日得夜時,見貴而反作不祥。
先輩は占時を以て来人の意向を体察し、その端倪は応験せざるなし。占時が旬空に遇えば、必ず人に侵奪・欺凌せられ、事は詐偽に渉るを主る。占時が駅馬に乘れば、必ず変動・改易・遷徙・移居を主る。占時が日干を冲し日支を冲すれば、彼此ともに流離・顛沛するを主る。占時と日支とが同じ・日干と同じなれば、事は蹇滞・遅疑するを主る。占時と日とが相生するは、彼此遞相に恩沢を施加す。日と時とが相克・相害するは、親人の仇人と変作するなり。日干が占時を剋すれば便ち財にして、占時が日干を剋すれば便ち鬼なり。子に遇い午に遇えば、時に来り時に往くを主る。卯に値り酉に値れば、門戸として看る。占時が日干の墓庫に乘れば、事は成る能くすると雖も、終に帰して成ること不明不白なり。白昼に占いして夜貴の時を用いれば、貴人を見ると雖も反って不祥なり。
日逢時破主走失之災,辰遇時刑應訟獄之禍。時干日干相合外事和同,時支日支相合婚姻和會。日辰俱合明時內外見一團和氣,正時沖刑月將頃刻有不測災來。古人以時為先鋒門,故未得課,先視正時與日子祿墓生克何如,又以天上正時所乘神為直事,而事之原委已可知矣。如申日巳時,巳作蛇便知為子孫憂疑事也。
日干が���時に破られれば、走失の災あるを主る。日支が占時と相刑すれば、応に訟獄の禍あるべし。占時の干と日の干とが相合すれば、外面の事は和洽・同心す。占時の支と日の支とが相合すれば、婚姻の事は和美して成就す。日と辰とが皆明時と同じく相合すれば、内外は便ち一団の和気を見る。正時が月将を冲刑すれば、頃刻の間に不間に不測の災の到来あり。古人は占時を「先鋒門」と作す。ゆえに未だ課を起さざるに、先ず正時と日干・日支・禄神・墓庫との間の生剋如何を看る。さらに天盤の上の正時の乘る所の神を以て「直事」の神と為せば、事の原委は已に知るべし。譬えば申日の巳時に、巳の上に騰蛇に乘れば、便ち来人の問う所は子孫のために生ずるの憂疑の事なるを知る。
大抵四課三傳克多則事煩,克少則事一。生多則虛誕,生少則理明。三傳內有克殺,子孫即為救神,無克則為脫氣;日辰交相入墓,沖神號作天恩,遇墓終成破損。天地務致中和,陰陽不宜偏勝。鬼臨畏地,當憂不憂;財入鬼鄉,聞喜不喜。神將交克,占及夫妻;同類相傷,事因昆季。財遇天中,產業傾頹;鬼臨旬尾,官災不起,吉凶神其神將,生死辨其安危。條例多而同歸一理,舉一隅當反三隅矣。天中謂空亡也,旬尾謂閉口也。
大抵四課・三伝の中に剋の多ければ、事は則ち繁雑なり。剋の少なければ、事は則ち単純なり。生の多ければ、則ち虚浮・不実に流る。生の少なければ、事理は反って分明なり。三伝の内にもし剋殺あれば、子孫爻はすなわち救神なり。もし剋なければ、子孫爻は反って我の気を泄すと成る。日と辰とが交相に墓に入る時、墓庫を冲開するあの神を「天恩」と呼ぶ。もし一味に墓に遇いて冲なければ、終に破損と成る。天地は務めて中和に達するを求め、陰陽は一方の偏勝あるに宜しからず。官鬼がその畏れる所の地に落つれば、本当は憂愁すべきに反って憂うに及ばず。妻財が官鬼の郷に落入すれば、喜訊を聞くも反って喜ぶに足らず。神と将とが交相剋制すれば、占う所は夫妻に牽渉す。同類の爻が互相傷剋すれば、事は兄弟より起こる。財爻が「天中」に遇上すれば、産業はまさに傾頽せんとす。鬼爻が「旬尾」に臨めば、官司の災禍は便ち興ること能わず。吉と凶とは、則ちその乘る所の神将の上に在りて看る。生と死とは、則ちその安危の上に在りて辨ず。条例は多しと雖も、最終は同一の道理に帰す。一隅を挙ぐれば則ち応にその余の三隅を反推すべし。いわゆる天中とは、すなわち空亡なり。いわゆる旬尾とは、すなわち閉口なり。
