孔子家语
《孔子家語》は王粛が輯したものである。
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
孔子家語王肅
《孔子家語》は王粛が輯したものである。
巻一
相魯第一
相魯第一
孔子初仕為中都宰,中都魯邑製為養生送死之節,長幼異食、如禮年五十異食也強弱異任、任謂力作之事各從所任不用弱也男女別塗、路無拾遺、器不雕偽,無文飾雕畫不詐偽為四寸之棺,五寸之槨,以木為槨因丘陵為墳,不封、不聚土以起墳者也不樹,不樹松柏行之一年,而西方之諸侯則焉.魯國在東故西方諸侯皆法則定公謂孔子曰:“學子此法,以治魯國何如?”孔子對曰:“雖天下可乎,何但魯國而已哉.於是二年,定公以為司空.乃別五土之性,五土之性一曰山林二曰川澤三曰丘陵四曰墳衍五曰原隰而物各得其所生之宜,所生之物各得其宜鹹得厥所.先時季氏葬昭公於墓道之南,季平子逐昭公死於幹侯平子別而葬之貶之不令近先公也孔子溝而合諸墓焉.謂季桓子曰:“貶君以彰己罪,非禮也,桓子平子之子今合之,所以揜夫子之不臣.”由司空為魯大司寇.設法而不用,無奸民.
孔子ははじめ官につき中都宰となった。【中都は魯の邑である。】養生・送死の節度を定めた。すなわち長幼は食事を異にし【礼のごとく、五十歳になると飲食に区別がある】、強弱は仕事を異にし【仕事とは力仕事のことで、それぞれ能力に応じさせ、弱い者は使わない】、男女は道を分け、道には落とし物を拾う者がなく、器物は彫飾や偽造をしなかった【文飾・彫画がなく、欺き偽ることもない】。四寸の棺、五寸の椁を作り【木で椁を作る】、丘陵に沿って墳とし、土を盛らず【土を集めて墳を作らない】、樹を植えなかった【松柏を植えない】。これを一年行うと、西方の諸侯がこれに倣った。【魯は東にあるので、西方の諸侯がみな法とした。】定公が孔子に言った。「あなたのこの法を学んで、魯国を治めるのはどうか。」孔子は答えた。「天下でもできます。ただの魯国だけの話ではありません。」そこで二年、定公は彼を司空に用いた。そこで五土の性を分け【五土とは、一に山林、二に川沢、三に丘陵、四に墳衍、五に原隰】、物はそれぞれ生ずるに適した所を得【生ずる物は各々その宜を得る】、みなその所を得た。先年、季氏が昭公を墓道の南に葬った【季平子が昭公を逐い、昭公は乾侯で死んだ。平子は別に葬って彼を貶め、先公に近づけなかった】が、孔子は溝を掘って墓を一つに合わせた。季桓子に言った。「君を貶めて自分の罪を表すのは礼ではない。今それを合わせるのは、夫子の不臣を覆い隠すためです。」【桓子は平子の子である。】司空から魯の大司寇となった。法を設けたが用いることがなく、奸民がいなかった。
定公與齊侯會於夾谷,孔子攝相事,曰:“臣聞有文事者,必有武備.有武事者,必有文備,古者諸侯並出疆,必具官以從,請具左右司馬.”定公從之.至會所,為壇位土階三等,以遇禮相見,會遇之禮禮之簡略者也揖讓而登,獻酢既畢,齊使萊人以兵鼓●劫定公.萊人齊人東夷雷鼓曰●孔子歷階而進,以公退曰:“士以兵之,吾兩君為好,裔夷之俘,敢以兵亂之,裔邊裔夷夷狄俘軍所獲虜也言此三者何敢以兵亂兩君之好也非齊君所以命諸侯也,裔不謀夏、夷不亂華、華夏中國之名俘不幹盟、兵不偪好、於神為不祥、於德為愆義、於人為失禮,君必不然.”齊侯心怍,麾而避之.有頃,齊奏宮中之樂,俳優侏儒戲於前.孔子趨進歷階而上,不盡一等,曰:“匹夫熒侮諸侯者,罪應誅,請右司馬速刑焉.”於是斬侏儒,手足異處.齊侯懼,有慚色.將盟,齊人加載書曰:“齊師出境,而不以兵車三百乘從我者,有如此盟.”孔子使茲無還對曰:“魯大夫也而不返我汶陽之田,吾以供命者,亦如之.”齊侯將設享禮,孔子謂梁丘據曰:“齊魯之故,吾子何不聞焉?”梁丘據舊聞齊魯之故事事既成矣,而又享之,是勤執事,且犧象不出門,作犧牛及象於其背為●嘉樂不野合,享而既具是棄禮,若其不具,是用秕粺,秕穀之不成者粺草之似谷者用秕粺君辱,棄禮名惡,子盍圖之.夫享,所以昭德也,不昭,不如其已.”乃不果享.齊侯歸,責其群臣曰:“魯以君子道輔其君,而子獨以夷狄道教寡人,使得罪.”於是乃歸所侵魯之四邑,及汶陽之田.四邑鄆讙龜陰也洙有汶陽之田本魯界
定公と斉侯が夾谷で会見したとき、孔子は相の役を代行して言った。「臣が聞くには、文事ある者は必ず武備があり、武事ある者は必ず文備があります。古は諸侯がともに疆を出るとき、必ず官を具えて従えました。左右の司馬を具えてください。」定公は従った。会場に至ると、壇を築き位を設け、土の階は三等で、遇礼をもって相見え【会遇の礼は礼の略式である】、揖譲して壇に登り、献酢が済むと、斉は莱人に兵を鼓撃させて定公を劫そうとした。【莱人は斉の東夷である。】孔子は階を越えて進み、公を退かせて言った。「士よ、兵をもって彼らに当たれ。我が両君が好を結ぶのに、辺裔の夷狄の虜が、あえて兵で乱すとは。これは斉君が諸侯に命ずるゆえんではない。裔は夏を図らず、夷は華を乱さず【華夏は中国の名】、虜は盟に干らず、兵は和好を逼めない。神にとっては不祥、徳にとっては義に悖り、人にとっては礼を失するものです。君は必ずこのようではありません。」斉侯は心に恥じ、避けさせた。しばらくして、斉は宮中の楽を奏し、俳優や侏儒が前で戯れた。孔子は小走りで進み階を越えて上がり、あと一等というところで言った。「匹夫が諸侯を惑わし辱める者は、罪は誅に当たります。右司馬が速やかに刑を行ってください。」そこで侏儒を斬り、手足は分かれて処せられた。斉侯は恐れて慙愧の色があった。まさに盟しようとすると、斉人は載書に加えて言った。「斉の軍が境を出るとき、兵車三百乗をもって我に従わない者は、この盟のようになれ。」孔子は茲無還に答えさせて言った。「汶陽の田を返さず、我が供命に用いるのも、またこのようであれ。」斉侯が饗礼を設けようとしたとき、孔子は梁丘據に言った。「斉・魯の旧事を、吾子はなぜ聞いていないのか。事はすでに成っているのに、また饗を設けるのは執事を労させることです。おまけに犧象は門を出ず【背に犧牛と象を作った器】、嘉楽は野で会しない。饗してすでに具わっていれば礼を棄てたことになり、具わっていなければ粃稗を用いることになる【粃は実らない穀、稗は穀に似た草】。粃稗を用いれば君を辱め、礼を棄てれば名が悪い。あなたはなぜ図らないのか。饗は徳を昭明するためのものです。昭明しないなら、止めるに如きません。」そこでついに饗は設けなかった。斉侯は帰って群臣を責めて言った。「魯は君子の道で君を輔けているのに、汝らだけが夷狄の道で寡人を教え、罪を得させた。」そこで侵奪した魯の四邑、および汶陽の田を返した。【四邑は鄆・讙・亀陰、洙には汶陽の田で、もと魯の境であった。】
孔子言於定公曰:“家不藏甲,卿大夫稱家甲鎧也邑無百雉之城,高丈長丈曰堵三堵曰雉古之制也.今三家過制,請皆損之.”乃使季氏宰仲由隳三都.叔孫不得意於季氏,因費宰公山弗擾率費人以襲魯.孔子以公與季孫叔孫孟孫,入於費氏之宮,登武子之臺;費人攻之,及臺側,孔子命申句須樂頎勒士眾下伐之,費人北,遂隳三都之城.強公室,弱私家,尊君卑臣,政化大行.
孔子は定公に言った。「家には甲を蔵せず【卿大夫を家という。甲は鎧である】、邑には百雉の城がない【高さ一丈・長さ一丈を堵といい、三堵を雉という】のが古の制です。今、三家は制を超えています。すべて減損してください。」そこで季氏の宰・仲由に三都を毀させた。叔孫は季氏に意を得ず、費宰の公山弗擾が費人を率いて魯を襲った。孔子は公と季孫・叔孫・孟孫を従え、費氏の宮に入り武子の台に登った。費人が攻めて台の側まで来たとき、孔子は申句須・楽頎に士衆を率いさせ下りて討たせ、費人は敗走した。そこで三都の城を毀った。公室を強くし私家を弱くし、君を尊び臣を卑くして、政化が大いに行われた。
初,魯之販羊有沈猶氏者,常朝飲其羊以詐.市人有公慎氏者,妻淫不制.有慎潰氏,奢侈踰法.魯之鬻六畜者,飾之以儲價.及孔子之為政也,則沈猶氏不敢朝飲其羊.公慎氏出其妻.慎潰氏越境而徙.三月,則鬻牛馬者不儲價,賣羊豚者不加飾.男女行者,別其塗,道不拾遺.男尚忠信,女尚貞順.四方客至於邑,不求有司,有司常供其職客不求而有司存焉皆如歸焉.言如歸家無所之也
はじめ、魯で羊を売る沈猶氏は、いつも朝に羊に水を飲ませて人を欺いていた。市人に公慎氏がいて、妻が淫乱で止められなかった。慎潰氏がいて、奢侈で法を越えていた。魯で六畜を売る者は、飾って置いて値を釣り上げていた。孔子が政をなすに及び、沈猶氏は朝に羊へ水を飲ませることをやめた。公慎氏は妻を出した。慎潰氏は境を越えて移り去った。三箇月して、牛馬を売る者は値を釣り上げず、羊豚を売る者は飾りを加えなかった。男女が歩くときは道を分け、道に物を拾わなかった。男は忠信を尚び、女は貞順を尚んだ。四方の客が邑に至ると、有司に求めず【有司は常に職に供じ、客が求めずとも有司が在る】、みな家に帰るようであった。【家に帰って他に行く所がないようである、ということ。】
始誅第二
始誅第二
孔子為魯司寇,攝行相事,有喜色.仲由問曰:“由聞君子禍至不懼,福至不喜,今夫子得位而喜,何也?”孔子曰:“然,有是言也.不曰樂以貴下人乎?”於是朝政,七日而誅亂政大夫少正卯,戮之於兩觀之下,兩觀闕名屍於朝.三日,子貢進曰:“夫少正卯,魯之聞人也,今夫子為政,而始誅之,或者為失乎?”孔子曰:“居,吾語汝以其故.天下有大惡者五,而竊盜不與焉.一曰心逆而險,二曰行僻而堅,三曰言偽而辯,四曰記醜而博,醜謂非義五曰順非而澤,此五者有一於人,則不免君子之誅,而少正卯皆兼有之.其居處足以撮徒成黨,撮聚其談說足以飾褒榮眾,其強御足以反是獨立,此乃人之奸雄者也,不可以不除.夫殷湯誅尹諧、文王誅潘正、周公誅管蔡、太公誅華士、士之為人虛偽亦聚黨也而韓非謂華士耕而後食鑿井而飲信其如此而太公誅之豈所以謂太公者哉管仲誅付乙、子產誅史何,是此七子,皆異世而同誅者,以七子異世而同惡,故不可赦也.詩云:‘憂心悄悄,慍於群小,小人成群,斯足憂矣.’”
孔子は魯の司寇となり相事を代行したが、喜びの色があった。仲由が問うた。「由は聞きました。君子は禍が至っても懼れず、福が至っても喜ばないと。今、夫子は位を得て喜ばれるのは、なぜですか。」孔子は言った。「そうだ。その言葉がある。『貴きをもって下に謙るを楽しむ』とは言わないか。」そこで朝政を治めること七日にして、政を乱す大夫・少正卯を誅し、両観の下で戮死させ【両観は闕の名】、尸を朝に陳した。三日して、子貢が進み出て言った。「少正卯は魯の聞人です。今、夫子が政をなして、まず誅すとは、あるいは過ちではないですか。」孔子は言った。「坐れ。ゆえを語ろう。天下に大悪が五つある。窃盗はその中にない。一は心が逆で険、二は行いが邪僻で固い、三は言が虚偽で弁が立つ、四は醜きを記し広し【醜は義ならぬこと】、五は非に順って沢を施す。この五つ、一つでも人にあれば、君子の誅を免れないが、少正卯はすべて兼ねていた。その居処は徒衆を聚め党を成すに足り【撮は聚めること】、談説は衆を粉飾し褒め栄えさせるに足り、強禦は是非に反し独立するに足る。これは人の中の奸雄で、除かざるべからず。殷の湯は尹諧を誅し、文王は潘正を誅し、周公は管・蔡を誅し、太公は華士を誅し【華士は人として虚偽で、また党を聚めた。韓非は、華士は耕して後に食い、井を鑿って飲んだという。まことにそうなら太公が彼を誅したのは、太公を称するゆえんではない】、管仲は付乙を誅し、子産は史何を誅した。この七人は、世を異にして同じく誅せられた。七人は世が異なっても悪が同じゆえに、赦すべからざるなり。《詩》にいう。『心を憂えること悄悄として、群小に慍られる。』小人が群を成す、これだけでも憂うるに足る。」
孔子為魯大司寇,有父子訟者,夫子同狴執之,狴獄牢也三月不別,其父請止.夫子赦之焉.季孫聞之,不悅曰:“司寇欺餘,曩告餘曰,國家必先以孝,餘今戮一不孝以教民孝,不亦可乎?而又赦,何哉?”冉有以告孔子,子喟然嘆曰:“嗚呼!上失其道,而殺其下,非理也.不教以孝,而聽其獄,是殺不辜.三軍大敗,不可斬也.獄犴不治,不可刑也.何者?上教之不行,罪不在民故也.夫慢令謹誅,賊也.征斂無時,暴也.不試責成,虐也.政無此三者,然後刑可即也.書云:‘義刑義殺勿庸,以即汝心,惟曰未有慎事,言必教而後刑也.’庸用也即就也刑教皆當以義勿用以就汝心之所安當謹之自謂未有順事且陳道德以服之以無刑殺而後為順是先教而後刑也既陳道德以先服之,而猶不可,尚賢以勸之,又不可,即廢之,又不可,而後以威憚之,若是三年,而百姓正矣.其有邪民不從化者,然後待之以刑,則民鹹知罪矣.詩云:‘天子是毗,俾民不迷.’毗輔也俾使也言師尹當毗輔天子使民不迷是以威厲而不試,刑錯而不用.今世則不然,亂其教,繁其刑,使民迷惑而陷焉,又從而制之,故刑彌繁,而盜不勝也.夫三尺之限,空車不能登者,何哉?峻故也.百仞之山,重載陟焉,何哉?陵遲故也.陵遲猶陂池也今世俗之陵遲久矣,雖有刑法,民能勿踰乎?”
孔子が魯の大司寇であったとき、父子が争い訴える者があった。夫子は二人をともに獄に繋ぎ【狴は獄牢】、三箇月分けず、父が止めるを請うた。夫子はこれを赦した。季孫は聞いて喜ばず言った。「司寇は我を欺いた。先に我に告げて、国家は必ず孝を先にせよと言ったではないか。私が今、不孝な者を戮して民に孝を教えるのも、よいではないか。なのにまた赦すとは、なぜか。」冉有が孔子に告げると、孔子は慨然として嘆息して言った。「ああ!上に在る者が道を失して下を殺すは、理にあらず。孝を教えずして彼らの獄を聴くは、無辜を殺すことだ。三軍が大敗しても、斬るべからず。獄犴が治まらぬときは、刑を用いるべからず。何となれば、上の教えが行われず、罪は民にあらざればなり。法令を慢じて誅殺を慎むは、賊なり。徴斂に時なくば、暴なり。試さずして責成するは、虐なり。政にこの三つなきとき、然る後に刑は就くべし。《尚書》にいう。『義の刑・義の殺を用いるなかれ、おのが心に遷らんがため。ただ慎める事未だなきを言うなり。』これは必ず教えて然る後に刑を用いよ、ということだ。【庸は用、即は就くこと。刑も教もみな義をもって用い、おのが心の安んずる所に遷すなかれ。慎むべく、自らまだ事に順わざるを言え。】おまけに道徳を陳べて人を服せしめ、刑殺なきを用いて然る後に順とす、これは先に教えて後に刑するなり。すでに道徳を陳べて先に人を服せしめてもなお可ならざれば、賢を尚びて勧む。それでも可ならざれば廃す。それでも可ならざれば、然る後に威をもって懼れさせる。このごとく三年すれば、百姓はすなわち正し。その中に教に従わざる邪民あれば、然る後に刑をもって対せば、民はみな罪を知る。《詩》にいう。『天子の毗にして、民をして迷わしめざらん。』【毗は輔、俾は使。師尹は天子を輔けて民を迷わしめざるべし、ということ。】このゆえに威を厳にして試さず、刑を措いて用いず。今の世はそうではない。教を乱し刑を繁くして、民をして迷い陥ちさせ、また従って制裁す。ゆえに刑はますます繁くして、盗は勝つべからず。三尺の門限は、空車でも登れない。なぜか。険峻なるゆえなり。百仞の山は、重載でも登る。なぜか。陂陁のゆえなり。【陵遅はなお陂池のごとし。】今、世俗の陵夷なること久し。刑法あれども、民は能く越えざらんや。」
王言解第三
王言解第三
孔子閒居,曾參侍.孔子曰:“參乎,今之君子,唯士與大夫之言可聞也.至於君子之言者,希也.於乎,吾以王言之,其不出戶牖而化天下.”曾子起,下席而對曰:“敢問何謂王之言?”孔子不應,曾子曰:“侍夫子之閒也,難對,是以敢問.”孔子又不應.曾子肅然而懼,摳衣而退,負席而立.有頃,孔子嘆息,顧謂曾子曰:“參,汝可語明王之道與?”曾子曰:“非敢以為足也,請因所聞而學焉.”子曰:“居,吾語汝.夫道者,所以明德也.德者,所以尊道也.是以非德道不尊,非道德不明.雖有國之良馬,不以其道服乘之,不可以道里.雖有博地眾民,不以其道治之,不可以致霸王.是故昔者明王內修七教,外行三至,七教修然後可以守,三至行然後可以徵.明王之道,其守也則必折沖千里之外,其徵則必還師衽席之上.故曰內修七教,而上不勞;外行三至,而財不費.此之謂明王之道也.”曾子曰:“不勞不費之謂明王,可得聞乎?”孔子曰:“昔者帝舜左禹而右皋陶,不下席而天下治,夫如此,何上之勞乎.政之不平,君之患也,令之不行,臣之罪也.若乃十一而稅,用民之力,歲不過三日,入山澤以其時,而無徵,關譏市●,皆不收賦,譏呵也譏異服識異言及市?皆不賦稅古之法也此則生財之路,而明王節之,何財之費乎?”曾子曰:“敢問何謂七教?
孔子が閑居していたとき、曽参が侍していた。孔子は言った。「参よ、今の君子は、士・大夫の言は聞かれるのみ。君子の言に至っては、少ない。ああ、わたしが王の言を語るなら、およそ戸牖を出ずして天下を化するであろう。」曽子が起ち、席を下りて答えた。「請います。どうして王の言というのですか。」孔子は応えなかった。曽子は言った。「夫子の閑に侍り、対え難いゆえに、あえて問うのです。」孔子はまた応えなかった。曽子は粛然として懼れ、襟を提げて退き、席を背にして立った。しばらくして、孔子は嘆息し、曽子を顧みて言った。「参、汝は明王の道を談ずることができるか。」曽子は言った。「足るをもっては敢えてせず。聞いた所に順って学ばせてください。」孔子は言った。「坐れ。汝に語ろう。道は、徳を明らかにするために用いるもの。徳は、道を尊ぶために用いるもの。ゆえに徳なければ道は尊ばれず、道なければ徳は明らかにならず。国の良馬あれども、その道をもって服乗せしめざれば、道里を計るべからず。広地・衆民あれども、その道をもって治めざれば、覇王に至るべからず。ゆえに昔の明王は、内に七教を修め、外に三至を行った。七教を修めて然る後に守るべく、三至を行いて然る後に征すべし。明王の道は、守れば必ず千里の外に折衝し、征すれば必ず衽席の上にて師を還す。ゆえに曰く、内に七教を修めて上は労せず、外に三至を行いて財は費えず。これを明王の道という。」曽子は言った。「労せず費えずを明王という、その故を聞いてよいですか。」孔子は言った。「昔、帝舜は左に禹、右に皋陶を置き、席を下らずして天下は治まった。このごとく、上に何の労があろう。政が平和ならずは君の患、令が行われずは臣の罪。什一に税して民の力を用いるに、一年三日を過ぎず、山沢に入るはその時に即って、賦せず、関は稽し譏すれども市には賦せず【譏は呵問すること。異服・異言を識別し、および市に賦せざるは、古の法】、これが財を生ずるの道なり。そして明王は節制する。財に何の費えがあろう。」曽子は言った。「請います。七教とは何ですか。」
”孔子曰:“上敬老則下益孝,上尊齒則下益悌,上樂施則下益寬,上親賢則下擇友,上好德則下不隱,上惡貪則下恥爭,上廉讓則下恥節,此之謂七教.七教者,治民之本也.政教定,則本正也.凡上者,民之表也,表正則何物不正.是故人君先立仁於己,然後大夫忠而士信,民敦俗璞,璞愨願貌男愨而女貞,六者,教之致也.布諸天下四方而不怨,納諸尋常之室而不塞,等之以禮,立之以義,行之以順,則民之棄惡,如湯之灌雪焉.”曾子曰:“道則至矣,弟子不足以明之.”孔子曰:“參以為姑止乎?又有焉.昔者明王之治民也,法必裂地以封之,分屬以理之,然後賢民無所隱,暴民無所伏.使有司日省而時考之,進用賢良,退貶不肖,然則賢者悅而不肖者懼.哀鰥寡、養孤獨、恤貧窮、誘孝悌、選才能.此七者修,則四海之內,無刑民矣.上之親下也,如手足之於腹心.下之親上也,如幼子之於慈母矣.上下相親如此,故令則從,施則行,民懷其德,近者悅服,遠者來附,政之致也.夫布指知寸,布手知尺,舒肘知尋,斯不遠之則也.周制,三百步為裡,千步為井,三井而埒,埒三而矩,此說裡數不可以言井井自方里之名疑此誤五十里而都封,百里而有國,乃為福積資求焉,恤行者有亡.是以蠻夷諸夏,雖衣冠不同,言語不合,莫不來賓.故曰無市而民不乏,無刑而民不亂.田獵罩弋,罩掩網弋繳射非以盈宮室也.征斂百姓,非以盈府庫也.慘怛以補不足,禮節以損有餘,多信而寡貌.其禮可守,其言可覆,其跡可履.如飢而食,如渴而飲.民之信之,如寒暑之必驗.故視遠若邇,非道邇也,見明德也.是故兵革不動而威,用利不施而親,萬民懷其惠,此之謂明王之守,折沖千里之外者也.”曾子曰:“敢問何謂三至?
孔子は言った。「上が老を尊べば、下はますます孝になります。上が年齢を崇べば、下はますます悌になります。上が施しを楽しめば、下はますます寛くなります。上が賢に親しめば、下は友を選びます。上が徳を好めば、下は隠さなくなります。上が貪を悪めば、下は争うことを恥とします。上が廉譲であれば、下は節なきを恥とします。これを七教といいます。七教は、民を治める根本です。政教が定まれば根本が正しくなります。およそ上に在る者は民の表で、表が正しければどんな物も正しくならないことがありましょうか。ゆえに人君はまず己の身に仁を樹え、然る後に大夫は忠で士は信、民は敦厚で俗は朴実【璞は慤願の様】、男は朴で女は貞。この六つは教が致すものです。天下四方に散らしても怨まれず、尋常の室に納めても塞がらず、礼をもって均しくし、義をもって立て、順をもって行えば、民は悪を捨てること、熱湯の雪に注ぐがごとしです。」曽子は言った。「道は極に至りました。弟子は明らかにするに足りません。」孔子は言った。「参は、ここで止めると思うか。まだある。昔の明王は民を治めるに、法は必ず地を裂いて封じ、所属を分けて治め、然る後に賢民は隠す所なく、暴民は伏す所なし。有司に日々省察させ時々考校し、賢良を進用し不肖を黜退させれば、賢者は悦び不肖は懼れる。鰥寡を哀れみ、孤独を奉養し、貧窮を恤え、孝悌を誘導し、才能を選ぶ。この七つを修めれば、四海の内に刑を受ける民なし。上は下に親しむこと、手足が腹心に対するがごとく。下は上に親しむこと、幼子が慈母に対するがごとく。上下が親しむことこのようであれば、ゆえに令せば従い、施せば行われ、民はその徳を懐き、近きは悦服し、遠きは来り附く。これが政の極至である。指を伸ばして寸を知り、手を開いて尺を知り、肘を張って尋を知る、これは近きを遠からざる法則である。周の制は、三百歩を里とし、千歩を井とし、三井を埒とし、埒三を矩とし【これは里の数を井をもって言うべからず、井はもと方里の名、ここ誤りか】、五十里にして都を封じ、百里にして国を有り、そこで福のために資財を蓄え、行者の有無を恤う。ゆえに蛮夷も諸夏も、衣冠が同じならず、言語が合わなくとも、賓して来ない者なし。ゆえに曰く、市なくとも民は乏しからず、刑なくとも民は乱れず。田猟の罩弋【罩は掩網、弋は繳射】は、宮室を満たすためのものではない。百姓を徴斂するは、府庫を満たすためではない。惨怛をもって不足を補い、礼節をもって有余を損じ、信を多くして表を少なくす。その礼は守るべく、その言は覆して験すべく、その跡は履むべし。飢えて食らうがごとく、渇して飲むがごとし。民が信ずること、寒暑の必ず応ずるがごとし。ゆえに遠を視ること近きがごとしは、道が近いのではなく、明德を見ればなり。ゆえに兵革を動かさずして威あり、用利を施さずして親しまれ、万民はその恵を懐く。これを明王の守といい、千里之外に折衝す、というのである。」曽子は言った。「請います。三至とは何ですか。」
”孔子曰:“至禮不讓而天下治,至賞不費而天下士悅,至樂無聲而天下民和.明王篤行三至,故天下之君,可得而知,天下之士,可得而臣,天下之民,可得而用.”曾子曰:“敢問此義何謂?”孔子曰:“古者明王,必盡知天下良士之名,既知其名,又知其實,又知其數,及其所在焉.然後因天下之爵以尊之,此之謂至禮不讓而天下治.因天下之祿以富天下之士,此之謂至賞不費而天下之士悅.如此,則天下之民,名譽興焉,此之謂至樂無聲而天下之民和.故曰:‘所謂天下之至仁者,能合天下之至親也.所謂天下之至明者,能舉天下之至賢者也.’此三者咸通,然後可以徵.是故仁者莫大乎愛人,智者莫大乎知賢,賢政者莫大乎官能.有土之君,修此三者,則四海之內,供命而已矣.夫明王之所徵,必道之所廢者也,是故誅其君而改其政,吊其民而不奪其財.故明王之政,猶時雨之降,降至則民悅矣.是故行施彌博,得親彌眾此之謂還師衽席之上.”言安安而無憂
孔子は言った。「至至極の礼は譲らずして天下治まり、至極の賞は費えずして天下の士悦び、至極の楽は声なくして天下の民和す。明王は切に三至を行う。ゆえに天下の君は知るべく、天下の士は臣とすべく、天下の民は用いるべし。」曽子は言った。「請います。この義はどういうことですか。」孔子は言った。「古の明王は、必ず天下の良士の名を尽く知る。すでに名を知り、また実を知り、また数を知り、および在所を知る。然る後に天下の爵を借りてこれを崇ぶ。これを至礼は譲らずして天下治まる、という。天下の禄を借りて天下の士を富ませる。これを至賞は費えずして天下の士悦ぶ、という。このごとくなれば、天下の民は名誉興る。これを至楽は声なくして天下の民和す、という。ゆえに曰く、『いわゆる天下の至仁は、天下の至親を會す。いわゆる天下の至明は、天下の至賢を挙ぐ。』この三つ、みな通ず、然る後に征すべし。ゆえに仁者は人を愛するより大なるはなく、智者は賢を知るより大なるはなく、賢政は能を官せしむるより大なるはなし。土を有する君、この三つを修めれば、四海の内、供命のみ。明王の征する所は、必ず道の棄てる所なり。ゆえにその君を誅してその政を改め、その民を弔いてその財を奪わず。ゆえに明王の政は、時雨の降るがごとし。降れば民悦ぶ。ゆえに施すこといよいよ博ければ、親しむを得ることいよいよ多し。これを衽席の上に師を還す、という。」【これは安らかにして憂いなきを言う。】
大婚解第四
大婚解第四
孔子侍坐於哀公.公問曰:“敢問人道孰為大?”孔子愀然作色而對曰:“君及此言也,百姓之惠也,固臣敢無辭而對.人道,政為大.夫政者,正也.君為正,則百姓從而正矣.君之所為,百姓之所從.君不為正,百姓何所從乎!”公曰:“敢問為政如之何?”孔子對曰:“夫婦別、男女親、君臣信,三者正,則庶物從之.”公曰:“寡人雖無能也,願知所以行三者之道,可得聞乎?”孔子對曰:“古之政愛人為大,所以治.愛人禮為大,所以治.禮,敬為大.敬之至矣,大婚為大.大婚至矣,冕而親迎,親迎者,敬之也.是故君子興敬為親,舍敬則是遺親也.弗親弗敬,弗尊也.愛與敬,其政之本與.”公曰:“寡人願有言也.然冕而親迎,不已重乎?”孔子愀然作色而對曰:“合二姓之好,以繼先聖之後,以為天下宗廟社稷之主,君何謂已重焉”?魯周公之後得郊天故言以為天下之主也公曰:“寡人實固,鄙陋不固安得聞此言乎!寡人慾問,不能為辭,請少進.”孔子曰:“天地不合,萬物不生,大婚,萬世之嗣也,君何謂已重焉?
孔子は哀公のもとに侍坐していた。公が問うた。「請います。人道はどれがもっとも大ですか。」孔子は愀然として色を変えて答えた。「君がこの言に及ぶは、百姓の恵です。固より臣は敢えて辞せずして対えます。人道は政が大です。政とは正なり。君が正しければ、百姓は従って正し。君の為す所は、百姓の従う所です。君が正しからざれば、百姓は何に従いましょう。」公は言った。「請います。為政はいかがすべきですか。」孔子は答えた。「夫婦に別あり、男女に親あり、君臣に信あり。この三つが正しければ、庶物は従います。」公は言った。「寡人は不肖なれども、この三つを行うゆえんを知らんことを願う。聞いてよいか。」孔子は答えた。「古の政は人を愛するを大とす。ゆえに治まる。人を愛するは礼を大とす。ゆえに治まる。礼は敬を大とす。敬の至りは、大婚を大とす。大婚至れば、冕を戴きて親迎す。親迎するは敬なり。ゆえに君子は敬を興して親しむ。敬を舎てれば親を遺棄す。親しまず敬せざれば、尊ばれず。愛と敬とは、およそ政の本ではないか。」公は言った。「寡人は願う、言う所あり。しかし冕を戴きて親迎するは、重きに過ぎないか。」孔子は愀然として色を変えて答えた。「二姓の好を合わせて、先聖の後を継ぎ、天下の宗廟社稷の主と為る。君はなぜすでに重いと言うのか。」【魯は周公の後にして、郊天を得たり。ゆえに天下の主と為るという。】公は言った。「寡人は実に鄙陋なり。【鄙陋にして固ならず、あにこの言を聞くことを得んや。】寡人は問うことを欲すれども、辞を措くこと能わず。請う、少し復た語らんことを。」孔子は言った。「天地合わざれば、万物生ぜず。大婚は万世の嗣なり。君はなぜすでに重いと言うのか。」
”孔子遂言曰:“內以治宗廟之禮,足以配天地之神,言宗廟天地神之次出以治直言之禮,以立上下之敬,夫婦正則始可以治正言禮矣身正然可以正人者也物恥、則足以振之,恥事不知禮足以振救之國恥、足以興之,恥國不知足以興起者也故為政先乎禮,禮其政之本與.”孔子遂言曰:“昔三代明王,必敬妻子也,蓋有道焉.妻也者,親之主也,子也者,親之後也,敢不敬與.是故君子無不敬,敬也者,敬身為大.身也者,親之支也,敢不敬與.不敬其身,是傷其親.傷其親,是傷本也.傷其本,則支從之而亡.三者,百姓之象也.言百姓之所法而行身以及身,子以及子,妃以及妃,君以修此三者,則大化愾乎天下矣.氣滿昔太王之道也,太王出亦姜女入亦姜女國無鰥民愛其身以及人之身愛其子以及人之子故曰太王之道如此國家順矣.”公曰:“敢問何謂敬身?”孔子對曰:“君子過言則民作辭,過行則民作則,言不過辭,動不過則,百姓恭敬以從命,若是,則可謂能敬其身,則能成其親矣.”公曰:“何謂成其親?”孔子對曰:“君子者也,人之成名也,百姓與名,謂之君子,則是成其親,為君而為其子也.”孔子遂言曰:“愛政而不能愛人,則不能成其身.不能成其身,則不能安其土.不能安其土,則不能樂天.”天道也公曰:“敢問何能成身?”孔子對曰:“夫其行已不過乎物,謂之成身,不過乎,合天道也.”公曰:“君子何貴乎天道也?
孔子は続けて言った。「内はもって宗廟の礼を治めるに、天地の神に配るに足る【これは宗廟は天地の神の次序なりと言う】、出でてはもって直言の礼を治めて、上下の敬を樹つ【夫婦正しくして然る後に正言の礼を治むべく、身正しくして然る後に人を正すべし】。事に耻づれば、振救するに足る【事に耻づけば礼を知る、振救するに足る】。国に耻づけば、興るに足る【国に耻づけば興るに足る】。ゆえに為政は礼に先んず。礼はおよそ政の本なり。」孔子は続けて言った。「昔、三代の明王は、必ず妻子を敬した。おそらく道あり。妻は親の主なり。子は親の後なり。あえて敬せざらんや。ゆえに君子は敬なきことなし。敬は身を敬するを大とす。身は親の支なり。あえて敬せざらんや。身を敬せざるは親を傷つく。親を傷つくは本を傷つく。本を傷つけば、支は従って亡ぶ。この三つは百姓の象なり【これは百姓の取法して行う所なり】。身より身に推し、子より子に推し、妃より妃に推す。君この三つを修めば、大化は天下に充つ。【気満つ。昔、太王の道は、出でても姜女、入りても姜女なり。国に鰥民なし。自身を愛して人の身に推し、児子を愛して人の児子に推す。ゆえに太王の道という。】このごとくなれば、国は順う。」公は言った。「請います。身を敬するとは何ですか。」孔子は答えた。「君子は言に過失あれば民は辞と為し、行に過失あれば民は法則と為す。言は辞を過ぎず、動は法則を過ぎず、百姓は恭敬して命に従う。このごとくなれば、能く身を敬すと称すべく、親を成すを得たり。」公は言った。「親を成すとは何ですか。」孔子は答えた。「君子とは、人の成すの名なり。百姓が名を与えて君子という。すなわち親を成し、君を為てその子と為るなり。」孔子は続けて言った。「政を愛するも人を愛すること能わざれば、身を成すこと能わず。身を成すこと能わざれば、土を安んずること能わず。土を安んずること能わざれば、天を楽しむこと能わず。」【天道なり。】公は言った。「請います。何をもって身を成すを得ますか。」孔子は答えた。「己の行い、物を過ぎざるを身を成すという。過ぎざるは、天道に合すなり。」公は言った。「君子はなぜ天道を重んじるのですか。」
”孔子曰:“貴其不已也.如日月東西相從而不已也,是天道也.不閉而能久,不閉常通而能久言無極是天道也.無為而物成,是天道也.已成而明之,是天道也.”公曰:“寡人且愚●,言惷愚●暗也幸煩子之於心.”欲煩孔子議識其心所能行也孔子蹴然避席而對曰:“仁人不過乎物,孝子不過乎親.是故仁人之事親也如事天,事天如事親,此謂孝子成身.”公曰:“寡人既聞如此言,無如後罪何?”孔子對曰:“君子及此言,是臣之福也.”
孔子は言った。「その止まらざるを貴ぶなり。日月の東西に相従いて止まらざるがごとき、これ天道なり。塞がらずして能く久しき【塞がらず常に通じて能く久し。極なきを言う】、これ天道なり。無為にして物成る、これ天道なり。すでに成りて顯明なる、これ天道なり。」公は言った。「寡人は愚暗なり【蠢愚暗昧なりと言う】。幸いに君に心につきて煩わさんと欲す。」【孔子に煩わして、心の能く行う所を論識せしめんと欲す。】孔子は蹴然として席を離れて答えた。「仁人は物を過ぎず、孝子は親を過ぎず。ゆえに仁人の親に事えること、天に事えるがごとく。天に事えること、親に事えるがごとし。これを孝子の身を成すという。」公は言った。「寡人はすでにこの言を聞いたり。しかるに後の罪はいかん。」孔子は答えた。「君子がこの言に及ぶは、臣の福なり。」
儒行解第五
儒行解第五
孔子在衛,冉求言於季孫曰:“國有聖人而不能用,欲以求治,是猶卻步而欲求及前人,不可得已.今孔子在衛,衛將用之.己有才而以資鄰國,難以言智也,請以重幣迎之.季孫以告哀公,公從之.孔子既至,舍哀公館焉.就孔子舍公自阼階,孔子賓階升堂立侍.公曰:“夫子之服,其儒服與?”孔子對曰:“丘少居魯,衣逢掖之衣.深衣之褒大也長居宋,冠章甫之冠.丘聞之,君子之學也,博其服以鄉,隨其鄉也丘未知其為儒服也.”公曰:“敢問儒行?”孔子曰:“略言之則不能終其物,悉數之則留僕未可以對.”留久也僕太僕君燕朝則正位掌儐相更衣之為久將倦使之相代者也哀公命席,孔子侍坐曰:“儒有席上之珍以待聘,席上之珍能敷陳先王之道以為政治夙夜強學以待問,懷忠信以待舉,力行以待取,力行仁義道德以待人取其自立有如此者.儒有衣冠,中動作順,其大讓如慢,慢簡略也小讓如偽,大則如威,小則如媿,難進而易退,粥粥若無能也,其容貌有如此者.儒有居處齊難,齊莊可畏難也其起坐恭敬,言必誠信,行必忠正,道塗不爭險易之利,冬夏不爭陰陽之和;愛其死以有待也,養其身以有為也,其備預有如此者.儒有不寶金玉,而忠信以為寶,不祈土地,而仁義以為土地;不求多積多文以為富;難得而易祿也,易祿而難畜也;非時不見,不亦難得乎?非義不合,不亦難畜乎?先勞而後祿,不亦易祿乎?其近人情,有如此者.儒有委之以財貨而不貪,淹之以樂好而不淫,劫之以眾而不懼,阻之以兵而不懾;阻難也以兵為之難見利不虧其義,見死不更其守;●者不悔,來者不豫;過言不再,不再過言流言不極;流言相毀不窮極也不斷其威,常嚴莊也不習其謀;不豫習其謀慮其特立有如此者.儒有可親而不可劫,可近而不可迫,可殺而不可辱;其居處不過,其飲食不溽;
孔子は衛に在り。冉求は季孫に言った。「国に聖人ありて用いること能わざれば、治を求むること、歩を退げて前の人に及ばんと欲するがごとし。得べからざるなり。今、孔子は衛に在り、衛まさに用いんとす。己に才ありて隣国を資るは、智と称し難し。請う、重幣をもって迎えんことを。」季孫は哀公に告げ、公は従った。孔子すでに至り、哀公の館に舍る。【孔子の舍に近く、公は阼階より、孔子は賓階より堂に升り、立ちて侍る。】公は言った。「夫子の衣服は儒服か。」孔子は答えた。「丘は年少くして魯に居り、逢掖の衣を衣【深衣の褒大なる】、長く宋に居りて章甫の冠を冠る。丘の聞く所、君子の学は博く、衣服は郷に従う【その郷に従う】。丘はそれを儒服と知らず。」公は言った。「請う、儒行はいかに。」孔子は言った。「遽に数うれば終わること能わず、その物を尽くせば太仆留りて久しく、まだ対えがたし。」【留は久し。仆は太仆。君の燕朝は位を正しく傧相更衣を掌る。久しくして倦まんことを以て、相代えしむ。】哀公は命じて席を設け、孔子は侍坐して言った。「儒には席上の珍を有ちて聘を待ち【席上の珍は能く先王の道を敷陳して政を為さん】、夙夜学を強いて問を待ち、忠信を懐きて挙を待ち、力行して取を待つ【力行して仁義道徳を行人の取用を待つ】。その自立するやこのあり。儒には衣冠中にして動作順なり。大譲は慢するがごとく【慢は簡略】、小譲は偽するがごとく、大は威あるがごとく、小は愧ずるがごとく、進み難く退き易く、粥粥として能なきがごとし。その容貌するやこのあり。儒には居処は斉荘にして畏るべく、起坐は恭敬なり。言は必ず信、行は必ず忠正。道途は険易の利を争わず、冬夏は陰陽の和を争わず。死を愛して待つ所有り、身を養いて為す所有り。その備えするやこのあり。儒には金玉を宝と為さず、忠信を宝と為す。地を祈らず、仁義を地と為す。多積を求めず、多文を富と為す。得難くして禄易く、禄易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、得難きに非ずや。義に非ざれば合わず、畜い難きに非ずや。先に労して後に禄す、易きに非ずや。その人の情に近きやこのあり。儒には財貨を委ぬるに貪せず、楽好に淹浸するに淫せず、衆をもって劫すに懼れず、兵をもって阻難するに慴れず【阻は難なり。兵をもって難を為さん】、利を見て義を亏めず、死を見て操を改めず、往きたるは悔いず、来るは豫せず、過言は再びせず【過言を再びせず】、流言は極まず【流言相毁は極まず】、威を断たず【常に厳荘】、謀を習わず【その謀慮を豫ね習わず】。その特立するやこのあり。儒は親しむべくして劫すべからず、近づくべくして迫るべからず、殺すべくして辱むべからず。居処は過過ぎず、飲食は厚えず。
其過失可徵辯,而不可面數也;其剛毅有如此者.儒有忠信以為甲冑,禮義以為幹櫓;幹楯也櫓大戟戴仁而行,抱德而處;雖有暴政,不更其所;其自立有如此者.儒有一畝之宮,環堵之室,方丈曰堵一堵言其小者也蓽門圭窬,蓽門荊竹織門也圭窬穿牆為之如圭也蓬戶甕牖,以編蓬為戶破甕為牖也易衣而出,更相易衣而後可以出幷日而食;幷一日之糧以為一食也上答之,不敢以疑,君用之不敢疑貳事君也上不答之,不敢以諂;其為士有如此者.儒有今人以居,古人以●,稽同今世行之,後世以為楷,法也若不逢世,上所不受,下所不推;詭諂之民,有比黨而危之,身可危也,其志,不可奪也;雖危起居,猶竟信其志,乃不忘百姓之病也;起居猶動靜也竟終也言身雖危動靜猶終身不忘百姓其憂思有如此者.儒有博學而不窮,篤行而不倦,幽居而不淫,上通而不困;禮必以和,優遊以法;慕賢而容眾,毀方而瓦合;去己之大圭角下與眾人小合其寬裕有如此者.儒有內稱不避親,外舉不避怨;程功積事,不求厚祿,程猶效也言功效而已不求厚祿也推賢達能,不望其報;君得其志,民賴其德,苟利國家,不求富貴;其舉賢援能,有如此者.儒有澡身浴德,常自潔淨其身沐浴於德行也陳言而伏;陳言於君不望其報靜言而正之,而上下不知也;默而翹之,又不急為也;言事君清靜因事而止之則君不知默而翹發之不急為所以為不為不臨深而為高,不加少而為多;言不因勢位自矜莊世治不輕,世亂不沮;不自輕不自沮同己不與,異己不非;其特立獨行,有如此者.儒有上不臣天子,下不事諸侯,慎靜尚寬,底厲廉隅,強毅以與人,博學以知服;雖以分國,視之如錙銖,視之輕如錙銖八兩為錙弗肯臣仕;其規為有如此者.儒有合志同方,營道同術,並立則樂,相下不厭;
過失は徴験して弁論すべく、当面数えるべからず。その剛毅するやこのあり。儒は忠信を以て甲冑と為し、礼義を以て干櫓と為す【干は楯、櫓は大戟】。仁を戴いて行い、徳を懐きて処る。暴政あれども、在所を改めず。その自立するやこのあり。儒には一畝の宮、環堵の室【方丈を堵という。一堵は小なりと言う】、篳門圭窬【篳門は荆竹を織って門と為し、圭窬は墻を穿ちて圭に似せて為す】、蓬戸瓮牖【蓬を編んで戸と為し、破瓮を牖と為す】、衣を更えて乃ち出で【衣を更相えて然る後に出るべし】、日を并せて食う【両日の糧を并せて一食と為す】。上に応じては敢えて疑わず【君に用いられて疑贰せず事君す】、上に応ぜざれば敢えて諂わず。その士たるやこのあり。儒には今人を以て居り、古人を以て稽考す【稽は同】。今世に行い、後世に楷法と為さん。もし時に逢わず、上に受けられず、下に挙げられざるも、詭谄の民、比して危害あれども、身は危うくとも志は奪うべからず。起居に危うきに及ぶも、なお終に志を伸ばし、遂に百姓の病を忘れず【起居はなお動靜、竟は終。身たとい危うくとも、動靜なお終身百姓を忘れざるを言う】。その憂思するやこのあり。儒は博学にして窮まらず、篤行して倦まず、幽居して淫せず、上達して困まず。礼は必ず和を以てし、優游して法を以てす。賢を慕いて衆を容れ、方を毀りて瓦合す【己の大圭角を去りて、下に衆人と小さく合す】。その寛裕なるやこのあり。儒は内には称して親を避けず、外には挙げて怨を避けず。功を程し事を積み、厚禄を求めず【程は效。功效のみにして厚禄を求めざるを言う】。賢を推し能を達し、報を望まず。君は志を得、民ははは徳に頼り、もし国家に利あらば、富貴を求めず。その賢を挙げ能を援くるやこのあり。儒は身を澡い徳を浴し【常に自ら身を潔くして徳行に沐浴す】、言を陳べて伏す【君に言を陳べて報を望まず】。静かに言いて正すれども、上下知らず。黙して翘るも、また急いで為さず【事君清静にして、事によりて止まれば君は知らず、黙して翘発し、急いで為さざるを言う。故に為さざるを為す】、深きに臨んで高きを為さず、少を以て多に加えず【勢位によりて自ら矜荘せざるを言う】。世の治まれば軽しめず、世の乱るれば沮まず【自ら軽せず、自ら沮まず】。己と同じきは交わらず、己と異なるは議せず。その特立独行するやこのあり。儒は上は天子に臣せず、下は諸侯に事えず、慎静にして寛を尚び、廉隅を砥礪し、強毅を以て人と交わり、博学を以て服を知る。国を分封するも、錙銖のごとく視て【錙銖のごとく軽く視る。八両を錙とす】、肯んじて臣仕せず。その規為するやこのあり。儒には志同じく方同じく、道術を営むこと同じきあり。并び立てば則ち楽しみ、相い謙下して厭かず。
久別則聞,流言不信,義同而進,不同而退,其交有如此者.夫溫良者,仁之本也;慎敬者,仁之地也;寬裕者,仁之作也;動作遜接者,仁之能也;禮節者,仁之貌也;言談者,仁之文也;歌樂者,仁之和也;分散者,仁之施也;儒皆兼此而有之,猶且不敢言仁也;其尊讓有如此者.儒有不隕穫於貧賤,隕穫憂悶不安之貌不充詘於富貴;充詘踴躍參擾之貌不溷君王,不累長上,不閔有司,故曰儒.溷辱閔疾言不為君長所辱病儒者中和之名今人之名儒也,忘常以儒相詬疾.”詬辱哀公既得聞此言也,言加信,行加敬.曰:“終歿吾世,弗敢復以儒為戲矣.”
久しく別れれば伝聞し、流言は信ぜず。義同じければ則ち進み、同じからざれば則ち退く。その交游するやこのあり。温良は仁の本、慎敬は仁の地、寛裕は仁の作、動作遜接は仁の能、礼節は仁の貌、言談は仁の文、歌楽は仁の和、分散は仁の施なり。儒はこれらを兼ね備えても、なお敢えて仁と称せず。その尊譲するやこのあり。儒は貧賤を以て隕獲せず【隕獲は憂悶不安の様】、富貴を以て充詘せず【充詘は踊躍参擾の様】。君王に溷辱せず、長上に累せず、有司を疾めず、ゆえに儒という。【溷は辱、閔は疾。君長に辱められ病められざるを言う。儒は中和の名なり。】今の人の儒を称するは、常を忘れて以て儒をもって相い詬病す。【詬は辱なり。】哀公はすでにこの言を聞き、言いよいよ信を加え、行いよいよ敬を加えた。言う。「終に我が生、敢えて再び儒を以て戯弄せじ。」
問禮第六
問礼第六
哀公問於孔子曰:“大禮何如?子之言禮,何其尊也.”孔子對曰:“丘也鄙人,不足以知大禮也.”公曰:“吾子言焉.”孔子曰:“丘聞之民之所以生者,禮為大.非禮則無以節事天地之神焉;非禮則無以辯君臣上下長幼之位焉;非禮則無以別男女父子兄弟婚姻親族疏數之交焉;是故君子此之為尊敬,然後以其所能教順百姓,不廢其會節.所能謂禮也會謂男女之會節謂親疏之節也既有成事,而後治其文章黼黻,以別尊卑上下之等.其順之也,而後言其喪祭之紀,宗廟之序,品其犧牲,設其豕臘,修其歲時,以敬其祭祀,別其親疏,序其昭穆,而後宗族會燕,即安其居,以綴恩義.卑其宮室,節其服御,車不雕璣,器不彤鏤,食不二味,心不淫志,以與萬民同利,古之明王行禮也如此.”公曰:“今之君子,胡莫之行也.”孔子對曰:“今之君子,好利無厭,淫行不倦,荒怠慢遊,固民是盡,以遂其心,以怨其政,忤其眾以伐有道.求得當欲不以其所,言苟求得當其情慾而已虐殺刑誅,不以其治.夫昔之用民者由前,用上所言今之用民者由後,用下所言是即今之君子,莫能為禮也.”言偃問曰:“夫子之極言禮也,可得而聞乎?”孔子言:“我欲觀夏,是故之杞,夏後封於杞也而不足徵也,徵成吾得夏時焉;於四時之正正夏數得天心中我欲觀殷道,是故之宋,殷後封宋而不足徵也,吾得乾坤焉;
哀公は孔子に問うた。「大礼はいかなるものか。吾子が礼を談ずるに、なぜあのように尊崇するのか。」孔子は答えた。「丘は鄙人にして、大礼を知るに足らず。」公は言った。「吾子はなお言え。」孔子は言った。「丘の聞く所、民の生ずるゆえんは、礼を大とす。礼なくんば、天地の神に事えるを節するゆえんなし。礼なくんば、君臣上下長幼の位を辨ずるゆえんなし。礼なくんば、男女父子兄弟婚姻親族疏戚の交わりを別つゆえんなし。ゆえに君子はこれを以て敬と為し、然る後にその能くする所を以て教え順に百姓を導き、その会節を廃せず。【所能は礼を指し、会は男女の会を指し、節は親疏の節を指す。】すでに成事あれば、然る後に文章黼黻を治めて、尊卑上下の等を別つ。その順なるや、然る後に喪祭の紀、宗廟の序を言い、犠牲を品第し、豕腊を設け、歳時を修治して、以て祭祀を敬い、親疏を別ち、昭穆を序し、然る後に宗族会燕して、居処に安んじ、以て恩義を連綴す。宮室を卑くし、服御を節し、車は雕璣せず、器は彤鏤せず、食は二味せず、心は志に淫せず、以て万民と利を同じくす。古の明王の礼を行うやこのごとし。」公は言った。「今の君子は、なぜ行う者なきか。」孔子は答えた。「今の君子は、利を好みて足ることなく、淫行して倦まず、荒怠して慢游し、民を尽く用い尽くして、以て心を足らしめ、以て政を怨ましめ、衆に忤いて有道を伐つ。求めて欲に合し宜に由らず【苟も求めて情欲に合するのみと言う】、虐殺刑誅して治に由らず。昔の民を用うるは前に由り【上の言う所を用う】、今の民を用うるは後に由る【下の言う所を用う】。これが今の君子、礼を能くする者なきゆえんなり。」言偃が問うた。「夫子は礼を極めて談ず。聞くべきや。」孔子は言った。「我は夏を観んと欲し、故に杞に至る【夏后は杞に封ぜらる】、徴験するに足らず【徴は成】。我は夏時を得たり【四時の正に対して、夏数は天心中を得】、我は殷道を観んと欲し、故に宋に至る【殷后は宋に封ぜらる】、徴験するに足らず、我は乾坤を得たり。
幹天坤地得天地陰陽之書也乾坤之義,夏時之等,吾以此觀之.夫禮,初也始於飲食,太古之時,燔黍擘豚,古未有釜甑釋米擗肉加於燒石之上而食之汙●杯飲,蕢桴土鼓,鑿地為●以手飲之也猶可以致敬鬼神,神饗德不求備物也及其死也,升屋而號告曰,高某復然後飲腥苴熟,始死含以珠貝將葬苞苴以遣奠以送之形體則降,魂氣則上,是謂天望而地藏也.魂氣升而在天形體藏而在地故生者南向,死者北首,皆從其初也.昔之王者,未有宮室,冬則居營窟,夏則居櫓巢;掘地而居謂之營窟有柴謂櫓在樹曰巢未有火化,食草木之實,鳥獸之肉,飲其血,茹其毛,未有絲麻,衣其羽皮.後聖有作,然後修火之利,範金冶金為器用刑範也合土,合和以作瓦物以為宮室戶牖;以炮以燔,毛曰炮加火曰燔也以烹以炙,煮之曰烹炮之曰炙以為醴酪;醴醴酒酪漿酢治其絲麻,以為布帛,以養生送死,以事鬼神.故玄酒在室,玄酒水也言尚古在略近醴醆在戶,醴●齊也五齊二曰醴齊三曰●齊粢醍在堂,深醍澄齊澄酒在下,澄清漏其酒也陳其犧牲,備其鼎俎,列其琴瑟,管磬鐘鼓,以降上神,上神天神與其先祖,以正君臣,以篤父子,以睦兄弟,以齊上下,夫婦有所,是謂承天之佑.作其祝號,犧牲玉帛祝辭皆異為之號也玄酒以祭,薦其血毛,腥其俎,熟其殽,言雖有所熟猶有所腥腥本不忘古也越席以坐.翦蒲席也布以羃,羃覆酒巾也質故用疏也衣其浣帛,練染以為祭服醴醆以獻,薦其燔炙,君與夫人,交獻以嘉魂魄,嘉善樂也然後退而合烹,合其烹熟之禮無復醒也體其犬豕牛羊,體解其牲體而薦之實其簠簋,受黍稷之器也籩豆鉶羹,竹曰籩木曰豆鉶所以盛羹也祝以孝告,祝通孝子語於先祖嘏以慈告,嘏傳先祖語於孝子是為大祥,祥善此禮之大成也.”
【乾は天、坤は地。天地陰陽の書を得たり。】乾坤の義、夏時の等、我はこれを以て観る。礼は初め飲食より始まる。太古の時は、黍を燔き豚を擘き【古は釜甑なし。米と肉を焼石に加えて食う】、污尊して杯飲す【地を鑿ちて尊と為し手を以て飲む】、蕢桴土鼓なれども、なお鬼神に敬を致すべし【神は徳を饗して備物を求めず】。死に及べば、屋に登り号して曰く『皋某復』、然る後に腥を飲し苴を熟す【始め死ぬや珠貝を含み、葬らんとするや苞苴を以て遣奠送行す】。形体は降り、魂気は升る。これを天望して地蔵すという【魂気は天に升り、形体は地に蔵さる】。故に生けるは南面し、死せるは首を北にす。みな初めに従うなり。昔の王者は宮室なく、冬は営窟に居り、夏は橹巢に居る【地を掘りて居るを営窟という。柴ありを橹といい、樹に在るを巢という】。火化なく、草木の実、鳥獣の肉を食い、血を飲み、毛を茹でる。糸麻なく、羽皮を衣る。後の聖興る所有りて、然る後に火の利を修め、金を範し【金を冶して器用を為すは刑範を用う】土を合し【和して以て瓦物を為す】、以て宮室戸牖を為る。以て炮し以て燔き【毛を帯びるを炮といい、火に加うるを燔という】、以て烹り以て炙り【煮るを烹といい、烤るを炙という】、以て醴酪を為る【醴は醴酒、酪は浆酢】。糸麻を治めて以て布帛を為り、以て生を養い死を送り、以て鬼神に事う。故に玄酒は室に在り【玄酒は水。古を尚ぶは近くに在るを言う】、醴醆は戸に在り【醴は醴斉、五斉の二は醴斉、三は醆斉】、粢醍は堂に在り【深醍は澄斉】、澄酒は下に在り【澄は澄清の漉酒】。犠牲を陳べ、鼎俎を具え、琴瑟を列ね、管磬鐘鼓を以て上神を降し【上神は天神】先祖を和し、以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦じ、以て上下を斉え、夫婦に所有らしむ。これを天の祜を承くという。祝号を作り【犠牲玉帛祝辞みな別に号を作る】、玄酒を以て祭り、血毛を進め、腥の俎、熟の殽【熟する所あるもなお腥する所あり、腥は本、古を忘れざるを言う】、越席を以て坐し【蒲席を翦る】、布を以て覆う【羃は覆酒巾。質朴ゆえに疏を用う】、浣帛を服し【練染して祭服を為す】、醴醆を以て献じ、燔炙を進め、君と夫人と交相献じて以て魂魄を嘉善し【嘉は善楽】、然る後に退きて合烹す【その烹熟の礼を合し、復た腥せず】、犬豕牛羊を体解し【牲体を体解して進む】、簠簋【黍稷を受くる器】・籩豆鉶羹を充実し【竹を籩といい、木を豆という。鉶は羹を盛るに用う】、祝は孝を以て告げ【祝は孝子の言を先祖に達す】、嘏は慈を以て告ぐ【嘏は先祖の言を孝子に伝う】。これを大祥という【祥は善】。これ礼の大成なり。」
五儀解第七
五儀解第七
哀公問於孔子曰:“寡人慾論魯國之士,與之為治,敢問如何取之?”孔子對曰:“生今之世,志古之道,居今之俗,服古之服,舍此而為非者,不亦鮮乎?”曰:“然則章甫絇履,章甫冠也絇履履頭有鉤飾也紳帶縉笏者,皆賢人也.”紳大帶縉捶也笏所以執書思對命孔子曰:“不必然也.丘之所言,非此之謂也.夫端衣玄裳,冕而乘軒者,則志不在於食焄;端衣玄裳齋服也軒軒車焄辛菜也斬衰管菲,杖而歠粥者,則志不在於酒肉.生今之世,志古之道,居今之俗,服古之服,謂此類也.”公曰:“善哉!盡此而已乎?”孔子曰:“人有五儀,有庸人、有士人、有君子、有賢人、有聖人,審此五者,則治道畢矣.”公曰:“敢問何如斯可謂之庸人?”孔子曰:“所謂庸人者,心不存慎終之規,口不吐訓格之言,格法不擇賢以托其身,不力行以自定;見小闇大,而不知所務,從物如流,不知其所執;此則庸人也.”公曰:“何謂士人?”孔子曰:“所謂士人者,心有所定,計有所守,雖不能盡道術之本,必有率也;率猶行也雖不能備百善之美,必有處也.是故知不務多,必審其所知;言不務多,必審其所謂;所務者謂言之要也行不務多,必審其所由.智既知之,言既道之,得其要也行既由之,則若性命之形骸之不可易也.富貴不足以益,貧賤不足以損.此則士人也.”公曰:“何謂君子?”孔子曰:“所謂君子者,言必忠信而心不怨,怨咎仁義在身而色無伐,無伐善之色也思慮通明而辭不專;篤行信道,自強不息,油然若將可越而終不可及者.此則君子也.”油然不進之貌也越過也公曰:“何謂賢人?”孔子曰:“所謂賢人者,德不踰閒,閒法行中規繩,言足以法於天下,而不傷於身,言滿天下無口過也道足以化於百姓,而不傷於本;
魯哀公は孔子に問うた。「寡人は魯国の士を論じて、ともに治めんと欲す。請う、いかに取るべきか。」孔子は答えた。「今の世に生まれて古の道に志し、今の俗に処りて古の衣を衣る。これを能くしてなお悪を為す者は、少なきにあらずや。」哀公は言った。「然らば章甫のごとき冠を冠り、鉤ある履を履き、大帯を束ね笏を挿す者は、みな賢人か。」【章甫は冠。紳は大帯、縉は挿、笏は以て書事を執り対答を思う。】孔子は言った。「必ずしも然らず。丘の言う所は、この謂いにあらず。端衣玄裳を服し冕を戴き軒車に乗る者は、志は葷腥に在らず【端衣玄裳は斎服。軒は軒車。葷は辛菜】。斬衰を著け菅の屨を履き杖を拄き粥を飲む者は、志は酒肉に在らず。今の世に生まれて古の道に志し、今の俗に処りて古の衣を衣るとは、この類を言う。」哀公は言った。「善し。これにて止むか。」孔子は言った。「人には五儀あり。庸人あり、士人あり、君子あり、賢人あり、聖人あり。この五つを審らかにすれば、治道備わる。」哀公は言った。「請う、いかにして庸人と称すべきか。」孔子は言った。「いわゆる庸人は、心に慎終の矩なく、口に合法の言を吐かず【格は法なり】、賢を択んで身を託せず、行いを力めて己を安んぜず。小を見て大に昏く、為すべきを知らず、物に従うこと流水のごとく、自ら把握する所を知らず。これが庸人なり。」哀公は言った。「士人とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる士人は、心に定まる所有り、計謀に守る所有り。道術の本を窮むること能わざるも、必ず率る所有り【率は行なり】。百善の美を具えること能わざるも、必ず安んずる所有り。ゆえに知は多きを求めず、必ずその知る所を審らかにす。言は多きを求めず、必ずその言う所の要を審らかにす【所務は言の要】。行は多きを求めず、必ずその由る所の路を審らかにす。智すでに知り、言すでに要を言い、行すでに正路に由れば、性命の形骸に於けるがごとく改易すべからず。富貴も以て彼を益するに足らず、貧賤も以て彼を損ずるに足らず。これが士人なり。」哀公は言った。「君子とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる君子は、言は必ず忠信にして心に怨咎なく【怨は咎なり】、仁義は身に在りて色に自誇なし【伐善の色なし】、思慮は通達明らかにして措詞は専断せず。篤行して正道を信守し、自强不息し、従容として人の己に及ぶを得るがごとくなれども、終に及ぶ能わず。これが君子なり。」【油然は進み急がざるの様。越は超過。】哀公は言った。「賢人とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる賢人は、徳は法度を踰えず【閑は法なり】、行は規矩準縄に合い、言は天下の法則と為るに足れども身を傷めず【言天下に満つれども口過なし】、道は百姓を化するに足れども本を傷めず。
本亦身富則天下無宛財,宛積也古字亦或作此故或誤不著草矣施則天下不病貧.此則賢者也.”公曰:“何謂聖人?”孔子曰:“所謂聖者,德合於天地,變通無方,窮萬事之終始,協庶品之自然,敷其大道而遂成情性;明並日月,化行若神,下民不知其德,睹者不識其鄰.此謂聖人也.”鄰以喻界畔也公曰:“善哉!非子之賢,則寡人不得聞此言也.雖然,寡人生於深宮之內,長於婦人之手,未嘗知哀,未嘗知憂,未嘗知勞,未嘗知懼,未嘗知危,恐不足以行五儀之教若何?”孔子對曰:“如君之言已知之矣,則丘亦無所聞焉.”君如此言已為知之故無所復言謙以誘進哀公矣公曰:“非吾子,寡人無以啟其心,吾子言也.”孔子曰:“君子入廟,如右,登自阼階,仰視榱桷,俯察機筵,其器皆存,而不睹其人,君以此思哀,則哀可知矣.昧爽夙興,正其衣冠,爽明也昧明始明也夙早興起平旦視朝,慮其危難,一物失理,亂亡之端,君以此思憂,則憂可知矣.日出聽政,至於中●,中日中●映中諸侯子孫,?來為賓,行禮揖讓,慎其威儀,君以此思勞,則勞亦可知矣.緬然長思,出於四門,周章遠望,睹亡國之墟,必將有數焉,言亡國故墟非但一君以此思懼,則懼可知矣.夫君者,舟也;庶人者,水也;水所以載舟,亦所以覆舟,君以此思危,則危可知矣.君既明此五者,又少留意於五儀之事,則於政治,何有失矣.”
根本はすなわちその身なり。富裕なれば、天下に囤積する財貨なし【宛は積。古字もまたこのように写す。ゆえにある誤本は草冠を着けず】。施せば、天下は貧窮に苦しまず。これが賢者なり。」哀公は言った。「聖人とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる聖は、徳は天地に合し、変通は方所を定めず、万事の終始を窮め、衆物の自然を協わせ、大道を敷陳して情性を成さしむ。光明は日月と列し、教化の流行は神のごとし。下の民はその徳を知らず、見る者はその際を辨えず。これを聖人という。」【鄰は界畔を喩うに用う】哀公は言った。「善いかな。吾子のごとき賢にあらざれば、寡人はこの言を聞くことを得ざりき。然りと雖も、寡人は深宮の内に生れ、婦人の手に長じ、哀を知らず、憂を知らず、労を知らず、懼を知らず、危を知らず。おそらく五儀の教を行うに足らざらん。いかんせん。」孔子は答えた。「君の言う所に由りて、すでに知れり。然れば丘もまた言うべきなし。」【君がこの歩に言及すればすでに知れると算す。ゆえに復た多言せず。謙虚を以て哀公を導くなり】哀公は言った。「吾子に非ざれば、寡人は心意を啓くゆえんなし。請う、吾子言わんことを。」孔子は言った。「君子は宗廟に入るや、右よりして東階より登り、仰いで椽桷を視、俯して几席を視る。器物みな在れども、その人を見ず。君これを以て哀を思えば、哀は知るべし。昧爽に夙興し【爽は明、昧爽は天まだ明るめ初まる時、夙は早、興は起】、衣冠を整え、平旦に朝に視て、危難を思慮す。一事條理を失えば、則ち乱亡の端なり。君これを以て憂を思えば、憂は知るべし。日出でて政を聴き、日中の昃に至るまで【中は日中】、諸侯の子孫賓と為りて来り、礼を行い揖譲して、威儀を慎む。君これを以て労を思えば、労もまた知るべし。緬然として長く思い、四門を出でて周遍に望めば、亡国の墟を見ること、必ず数か所あり【亡国の故墟は一処のみにあらずと言う】。君これを以て懼を思えば、懼は知るべし。君は船に似たり、庶人は水に似たり。水は以て船を載すれども、また船を覆さん。君これを以て危を思えば、危は知るべし。君すでにこの五つを明らかにし、また少しく五儀の事に留意せば、政治に於て、あに復た過失あらんや。」
哀公問於孔子曰:“請問取人之法.”孔子對曰:“事任於官,言各當以其所能之事任於官無取捷捷,無取鉗鉗,鉗鉗妄對不謹誠無取啍啍,啍啍多言捷捷貪也,捷捷而不已食所以為貪也鉗鉗亂也,啍啍誕也.誕欺詐也故弓調而後求勁焉,馬服而後求良焉,士必愨而後求智能者焉,不愨而多能,譬之豺狼不可邇.”言人無智者雖性愨信不能為大惡不愨信而有智然後乃可畏也
魯哀公は孔子に問うた。「請う、人材を取るの法を聞かん。」孔子は答えた。「各々その能くする事に任じて官職に就かしむ【各々能くする事に由りて職に任ずるを言う】。急ぎ求むる者を取るなかれ。妄対して誠実ならざる者を取るなかれ【鉗鉗は妄対・謹慎誠実ならざるなり】。言多く虚誕なる者を取るなかれ【啍啍は言多きなり】。急ぎ求むるは貪なり【止まず求むる、ゆえに貪】、妄対は乱なり、言多きは誕妄なり【誕は欺詐】。ゆえに弓は調順して然る後に勁強を求め、馬は馴服して然る後に良駿を求め、士は必ず朴実にして然る後に智能を求む。朴実ならずして多能なるは、豺狼のごとく、近づくべからず。」【人もし智なければ、性情たとい朴実誠信なりとも、大悪を成すこと能わず。誠信ならずして智あれば、然る後に畏るべしと言う。】
哀公問於孔子曰:“寡人慾吾國小而能守,大則攻,其道如何?”孔子對曰:“使君朝廷有禮,上下相親,天下百姓皆君之民,將誰攻之?苟為此道,民畔如歸,皆君之讎也,將與誰守?”公曰:“善哉!於是廢山澤之禁,弛關市之稅,以惠百姓.”
魯哀公は孔子に問うた。「寡人は我国を小なりとも守るを得、大なりとも攻むるを得んと欲す。その道はいかに行くべきか。」孔子は答えた。「君の朝廷を礼あらしめ、上下相亲ましめば、天下の百姓はみな君の民なり。まだ將た誰を攻めん。もしこの道に反して行かば、民の叛くや家に帰るがごとく、みな君の仇と為らん。まだ將た誰とともに守らん。」哀公は言った。「善いかな。」そこで山沢の禁を廃し、関市の税を寛めて、以て百姓に恵を施した。
哀公問於孔子曰:“吾聞君子不博,有之乎?”孔子曰:“有之.”公曰:“何為?”對曰:“為其二乘.”公曰:“有二乘,則何為不博?”子曰:“為其兼行惡道也.”此具博三十六道也哀公懼焉,有間,復問曰:“若是乎君之惡惡道至甚也?”孔子曰:“君子之惡惡道不甚,則好善道亦不甚;好善道不甚,則百姓之親上亦不甚.詩云:‘未見君子,憂心惙惙,亦既見止,亦既覯止,我心則悅.’詩之好善道甚也如此.”公曰:“美哉!夫君子成人之善,不成人之惡,微吾子言焉,吾弗之聞也.”
魯哀公は孔子に問うた。「寡人は聞く、君子は碁を下さずと。これ有りや。」孔子は言った。「有り。」哀公は言った。「何の故ぞ。」孔子は答えた。「それに二路あるを以てなり。」哀公は言った。「二路あれば、何の故に碁を下さざるか。」孔子は言った。「悪道を兼行するを以てなり。」【これは博戯に三十六道あるを言う】哀公は懼れて、しばらくしてまた問うた。「君子の悪道を悪むこと、かくのごとく深きに至るか。」孔子は言った。「君子の悪道を悪むこと深からざれば、善道を好むこともまた深からず。善道を好むこと深からざれば、百姓の上に親しむこともまた深からず。《詩》に曰く。『君子を見ず、心憂えて惙惙たり。すでに見たり、すでに遘えり、我が心則ち悦ぶ。』詩の善道を好むこと、深きことこのごとし。」哀公は言った。「美なるかな。君子は人の善を成し、人の悪を成さず。吾子のこの言なくば、我はこれを聞くを得ざらん。」
哀公問於孔子曰:“夫國家之存亡禍福,信有天命,非唯人也.”孔子對曰:“存亡禍福,皆己而已,天災地妖,不能加也.”公曰:“善!吾子之言,豈有其事乎?”孔子曰:“昔者殷王帝辛之世,帝紂有雀生大鳥於城隅焉,占之曰:‘凡以小生大,則國家必王而名必昌.’於是帝辛介雀之德,介助也以雀之德為助也不修國政,亢暴無極,朝臣莫救,外寇乃至殷國以亡,此即以己逆天時,詭福反為禍者也.又其先世殷王太戊之時,道缺法圮,以致夭櫱、桑榖於朝,七日大拱,占之者曰:‘桑榖野木而不合生朝,意者國亡乎!’太戊恐駭,側身修行,思先王之政,明養民之道,三年之後,遠方慕義重譯至者,十有六國,此即以己逆天時,得禍為福者也.故天災地妖,所以儆人主者也;寤夢徵?,所以儆人臣者也;儆戒災妖不勝善政,寤夢不勝善行,能知此者,至治之極也,唯明王達此.”公曰:“寡人不鄙固此,亦不得聞君子之教也.”
魯哀公は孔子に問うた。「国家の存亡禍福は、確かに天命あり、人事のみならざるか。」孔子は答えた。「存亡禍福は、己に在るのみ。天災地妖は加うる能わず。」哀公は言った。「善し。吾子のこの言、あに実事あらざらんや。」孔子は言った。「昔、殷王帝辛の代【帝紂】、雀あり城隅に大鳥を生む。卜を問う者曰く。『およそ小より生じて大なるは、国必ず王と称し、名必ず昌盛せん。』そこで帝辛は雀の徳に倚り【介は助。雀の徳を以て助力と為す】、国政を修めず、暴虐極まり、朝臣救う能わず。外敵至りて、殷国これを以て亡ぶ。これは自ら天時に逆い、福を詭めて禍と為すなり。さらに前に、殷王太戊の時、道闕え法壊れて、夭孽・桑榖朝堂に生じ、七日にして拱把のごとし。卜を問う者曰く。『桑榖は野木なり。時に非ざれども朝に生ず。国まさに亡びんとすか。』太戊は恐懼し、側身して行を修め、先王の政を思い、民を養うの道を顯明す。三年の後、義を慕い重訳して来る者、十六国あり。これは自ら天時に逆いて、禍を転じて福と為すなり。ゆえに天災地妖は、以て人主を警めるなり。寤後の夢兆は、以て人臣を警めるなり。災妖は善政に勝たず、夢兆は善行に勝たず。能くこれを知れば、則ち至治の極なり。ただ明王のみこれに通ず。」哀公は言った。「寡人もしこのごとく鄙陋固陋ならざれば、また君子の教を聞くを得ざらん。」
哀公問於孔子曰:“智者壽乎?仁者壽乎?”孔子對曰:“然,人有三死,而非其命也,行己自取也.夫寢處不時,飲食不節,逸勞過度者,疾共殺之;居下位而上幹其君,嗜慾無厭而求不止者,刑共殺之;以少犯眾,以弱侮強,忿怒不類,動不量力者,兵共殺之.此三者死非命也,人自取之.若夫智士仁人,將身有節,將行動靜以義,喜怒以時,無害其性,雖得壽焉,不亦可乎?”
魯哀公は孔子に問うた。「智者は寿なるか。仁者は寿なるか。」孔子は答えた。「然り。人に三死あり。命数に非ず、己の行いの招く所なり。起居時ならず、飲食節なく、逸楽労苦度を過ぐる者は、疾病ともに起りて之を殺す。下位に処りて君上に犯し、嗜欲足らずして求取止まざる者は、刑罰ともに起りて之を殺す。少を以て衆に犯し、弱を以て強を侮り、忿怒類を分たず、挙動力を量らざる者は、兵戈ともに起りて之を殺す。この三死は命に非ず、人の自ら取る所なり。智士仁人に至りては、身を持するに節あり、動止は義を以て度と為し、喜怒は時に合し、性を傷めず。寿を得ると雖も、また可ならずや。」
孔子家語 巻二
致思第八
致思第八
孔子北遊於農山,子路子貢顏淵侍側.孔子四望,喟然而嘆曰:“於斯致思,無所不至矣.言思無所不至二三子各言爾志,吾將擇焉.子路進曰:“由願得白羽若月,赤羽若日,鐘鼓之音,上震於天,旍旗繽紛,下蟠於地,蟠委由當一隊而敵之,必也攘地千里,攘卻搴旗執聝,搴取也取敵之旍旗職截耳也以效獲也唯由能之,使二子者從我焉.”夫子曰:“勇哉.”子貢復進曰:“賜願使齊楚合戰於漭瀁之野,漭瀁廣大之類兩壘相望,塵埃相接,挺刃交兵,賜著縞衣白冠,兵凶事故白冠服也陳說其間,推論利害,釋國之患,唯賜能之,使夫二子者從我焉.”夫子曰:“辯哉.”顏回退而不對.孔子曰:“回來,汝奚獨無願乎?”顏回對曰:“文武之事,則二子者,既言之矣,回何雲焉.”孔子曰:“雖然,各言爾志也,小子言之.”對曰:“回聞燻蕕不同器而藏,薰香蕕臭堯桀不共國而治,以其類異也,回願得明王聖主輔相之,敷其五教,敷布也五教父義母慈兄友弟恭子孝也導之以禮樂,使民城郭不修,溝池不越,言無踰越溝池鑄劍戟以為農器,放牛馬於原藪,廣平曰原澤無水曰藪也室家無離曠之思,千歲無戰鬥之患,則由無所施其勇,而賜無所用其辯矣.”夫子凜然曰:“美哉!德也.”子路抗手而對曰:“夫子何選焉?”孔子曰:“不傷財,不害民,不繁詞,則顏氏之子有矣.”
孔子は北に農山に游び、子路・子貢・顔淵は側に侍る。孔子は四面に眺めて嘆息して言った。「ここに於て深く思えば、思い至らざるなし。【思慮至らざる所なきを言う】汝ら各々その志を言え。我まさに択ばん。」子路は進みて言った。「由は願わくば、白羽は月のごとく、赤羽は日のごとく、鐘鼓の音は上は天を震い、旌旗は繽紛として下は地に蟠り【蟠は委曲なり】、由は独り一隊を当てて敵に対し、必ず千里の土地を拓き、敵旗を抜き敵の耳を截ちて功を報ぜん【搴は取。截耳は古の記功】。ただ由のみ能くし、他の二子をして我に従わしめん。」夫子は言った。「勇なるかな。」子貢はまた進みて言った。「賜は願わくば、斉・楚をして漭瀁たる原野に交戦せしめ【漭瀁は広大の様】、両塁相望み、埃塵相接し、刃を挺えて兵を交えん。賜は縞衣白冠を著け【兵は凶事、ゆえに白冠白服を用う】、中に於て陳説し、利害を推論して国家の患難を解かん。ただ賜のみ能くし、他の二子をして我に従わしめん。」夫子は言った。「弁なるかな。」顔回は後に退きて答えず。孔子は言った。「回来れ。汝は何ぞ独り願いなきや。」顔回は答えた。「文武の事は、二子すでに言えり。回また何をか言わん。」孔子は言った。「然りと雖も、なお各々その志を言え。小子言え。」顔回は答えた。「回の聞くに、薰と蕕とは器を同じくして蔵せず【薰は香、蕕は臭】、堯と桀とは国を同じくして治めず。類同じからざればなり。回は願わくば明王聖主を得てこれを輔け、五教を敷布し【敷は布。五教は父義・母慈・兄友・弟恭・子孝】、礼楽を以て導き、民をして城郭を築くことなく、溝池を踰えざらしめ【人の溝池を踰ゆるなきを言う】、剣戟を鑄て農器と為し、牛馬を原野水沢に放ち【寛平を原といい、水なき沢を藪という】、家室に離散曠絶の思なく、千年に戦闘の患なからしめん。然らば則ち由は勇を施す所なく、賜もまた弁を施す所なからん。」夫子は粛然として言った。「美なるかな、徳なり。」子路は手を挙げて問うた。「夫子はどれを択ぶか。」孔子は言った。「財貨を傷めず、百姓を害せず、言辞を煩わさず。顔氏の子これを備えたり。」
魯有儉嗇者,瓦鬲煮食,瓦釜食之,自謂其美,盛之土型之器,瓦甂以進孔子.孔子受之,歡然而悅,如受大牢之饋.牛羊豕饋饋也子路曰:“瓦甂,陋器也,煮食,薄膳也,夫子何喜之如此乎?”子曰:“夫好諫者思其君,食美者念其親.吾非以饌具之為厚,以其食厚而我思焉.”孔子之楚,而有漁者,而獻魚焉,孔子不受.漁者曰:“天暑市遠,無所鬻也,思慮棄之糞壤,不如獻之君子,故敢以進焉.”於是夫子再拜受之,使弟子掃地將以享祭.門人曰:“彼將棄之,而夫子以祭之,何也?”孔子曰:“吾聞諸惜其腐●,而欲以務施者,仁人之偶也,惡有受仁人之饋,而無祭者乎?”
魯国に吝嗇の人あり。瓦鬲を以て飯を煮、瓦釜を以て盛りて食う。自ら美味と思い、土型の瓦盆に盛りて孔子に献ず。孔子は受けて、歡喜すること太牢の饋を受くるがごとし【牛羊豕の饋】。子路は言った。「瓦盆は陋なる器、煮食は薄き膳なり。夫子は何ぞこのごとく喜ぶや。」孔子は言った。「諫を好む者はその君を思い、美味を食う者はその親を思う。我は饌具の厚きを以てに非ず。その厚く食いて我に及ぶを思うを以てなり。」孔子は楚に至る。漁人あり魚を献ず。孔子は受けず。漁人曰く。「天暑く市遠く、売る所なし。これを糞土に棄つるより、君子に献ずるに如かずと思う。ゆえに敢えて進上す。」そこで夫子は再拝して受け、弟子をして地を掃き祭享を備えしむ。門人曰く。「彼は本より棄てんと欲せしを、夫子は以て祭祀に用う。何ぞや。」孔子は言った。「我の聞くに、腐らんとする物を惜しみ、以て施さんと欲する者は、仁人の類なり。あに仁人の饋を受けて祭らざる者あらんや。」
季羔為衛之士師,獄官刖人之足,俄而衛有蒯聵之亂,初衛靈公太子蒯聵得罪出奔晉靈公卒立其子輒蒯聵自晉襲衛時子羔子路並位於衛也季羔逃之,走郭門,刖者守門焉.謂季羔曰:“彼有●.”季羔曰:“君子不踰.”又曰:“彼有竇.”季羔曰:“君子不隧.”隧從竇出又曰:“於此有室.”季羔乃入焉.既而追者罷,季羔將去,謂刖者:“吾不能虧主之法而親刖子之足矣,今吾在難,此正子之報怨之時,而逃我者三,何故哉?”刖者曰:“斷足固我之罪,無可奈何,曩者君治臣以法令,先人後臣,欲臣之免也,臣知獄決罪定,臨當論刑,君愀然不樂,見君顏色,臣又知之,君豈私臣哉?天生君子,其道固然,此臣之所以悅君也.”孔子聞之曰:“善哉為吏,其用法一也.思仁恕則樹德,加嚴暴則樹怨,公以行之,其子羔乎.”
季羔は衛国の士師と為る【獄官】。人の足を刖ぎたり。ほどなく衛に蒯聵の乱あり【初め衛霊公の太子蒯聵は罪を得て晋に出奔せり。霊公死してその子輒を立つ。蒯聵は晋より衛を襲う。当時子羔と子路はともに衛に在職せり】。季羔は走りて外城門に至る。足を刖がれたる者まさに門を守る。季羔に言う。「彼方より牆を踰ゆべし。」季羔曰く。「君子は牆を踰えず。」また曰く。「彼方に洞穴あり。」季羔曰く。「君子は穴を鑽がず。」【隧は洞穴より出づる】また曰く。「ここに屋あり。」季羔乃ち入る。しばらくして追う者止む。季羔まさに去らんとし、足を刖がれたる者に言う。「我は主上の法を亏むること能わずして自ら汝の足を刖ぎたり。今我難に遭う。正に汝の仇を報ずるの時なり。汝は三たび我を逃がす。何の故ぞ。」足を刖がれたる者曰く。「足を断たるは本より我が罪なり。奈何ともすべからず。昔、君は法令に按じて我を治むるや、人を先にして我に後れんと欲し、我をして罪を免れしめんと欲せり。獄すでに判じ罪すでに定まり、刑に臨みて君の色愀然として楽しまざるを知る。君の神色を見て、我又た知れり。君あに私に我を偏す者あらんや。天の君子を生む、その道は本よりしかなり。これ我が君を悦ぶゆえんなり。」孔子はこれを聞きて曰く。「吏と為ること善し。法を用うるは一なり。仁恕を思えば則ち徳を樹え、厳暴を加えれば則ち怨を樹つ。公正に行うは、子羔ならんか。」
孔子曰:“季孫之賜我粟千鍾也,而交益親,得季孫千鍾之粟以施與眾而交益親自南宮敬叔之乘我車也,而道加行.孔子欲見老聃而西觀周敬叔言於魯君給孔子車馬問禮於老子孔子歷觀郊廟自周而還弟子四方來習也故道雖貴,必有時而後重,有勢而後行,微夫二子之貺財,則丘之道,殆將廢矣.”
孔子は言った。「季孫は我に粟千鍾を賜い、交遊これを以ていよいよ親し【季孫の千鍾粟を得て衆に施すを以て、交遊いよいよ親し】、南宮敬叔は我にその車に乗らしめ、道これを以ていよいよ行うを得たり【孔子は老聃に見え西に周を観んと欲し、敬叔は魯君に告げて孔子に車馬を供し、老子に礼を問わしむ。孔子は遍く郊廟を観て、周より帰り、弟子四方より来りて学ぶ】。ゆえに道たとい貴しと雖も、必ず時機ありて然る後に重んぜられ、勢位ありて然る後に行うを得。両人の財物の助けなからんには、丘の道はおそらく廃せん。」
孔子曰:“王者有似乎春秋,正其本而萬物皆正文王以王季為父,以太任為母,以太姒為妃,以武王周公為子,以太顛閎天為臣,其本美矣.武王正其身以正其國,正其國以正天下,伐無道,刑有罪,一動而天下正,其事成矣.春秋致其時而萬物皆及,王者致其道而萬民皆治,周公載己行化,載亦行矣言行已以行化其身正不令而行也而天下順之,其誠至矣.”
孔子は言った。「王者は春秋の季に似たり。本を正しくせば、万物みな従いて正し。周文王は王季を以て父と為し、太任を以て母と為し、太姒を以て妃と為し、武王・周公を以て子と為し、太頤・閎夭を以て臣と為す。その本は美なり。武王はその身を正しくしてその国を正しくし、その国を正しくして天下を正しくす。無道を討ち有罪を罰し、一挙動して天下正し。その事成る。春秋の季時に至れば、万物みな従いて至る。王者がその道を行えば、万民みな従いて治まる。周公は自身を以て教化を推行し【載はまた行。己の行為を以て教化を推行し、身正しければ令せずとも行わるを言う】、天下則ち順う。その誠極まりたり。」
曾子曰:“入是國也,言信於群臣,而留可也;見忠於卿大夫,則仕可也;澤施於百姓,則富可也.”孔子曰:“參之言此可謂善安身矣.”子路為蒲宰,為水備,與其民修溝瀆,以民之勞煩苦也,人與之一簞食簞笥一壺漿.孔子聞之,使子貢止之.子路忿不悅,?見孔子,曰:“由也以暴雨將至,恐有水災,故與民修溝洫以備之,而民多匱餓者,是以簞食壺漿而與之.夫子使賜止之,是夫子止由之行仁也.夫子以仁教而禁其行,由不受也.”孔子曰:“汝以民為餓也,何不白於君,發倉廩以賑之,而私以爾食饋之,是汝明君之無惠,而見己之德美矣.汝速已則可,不則汝之見罪必矣.”
曽参は言った。「この国に入り、言が群臣に信を取るべければ、則ち留まるべし。卿大夫に忠を見るべければ、則ち仕うべし。恩沢が百姓に施されば、則ち富を求むべし。」孔子は言った。「参のこの言は、善く身を安んずると称すべし。」子路は蒲邑の宰と為り、水を備えるためにその民とともに溝瀆を修めた。民が労苦し煩難なるを以て、人ごとに一箪の食【箪は竹笥】・一壺の浆を与えた。孔子はこれを聞き、子貢を遣わして止めさせた。子路は忿然として悦ばず、孔子に見えて言った。「由は暴雨まさに至らんとするを以て、水災を恐れ、故に民とともに溝洫を修めて備えたり。民の中に乏しき飢えたる者多し。故に箪食壺浆を以てこれに与う。夫子は賜を遣わして止めしむ。これは夫子が由の仁を行うを止めるなり。夫子は仁を以て教えて、行うを禁ず。由は受けがたし。」孔子は言った。「汝は民の飢えたるを以て、何ぞ君に禀告して倉廩を開きて以て賑済せざるか。私に汝の食を以て彼らに饋るは、これ汝が君の恵なきを顯明し、己の徳美を顯すなり。汝速やかに止めばなお可なり。然らざれば、汝の罪せられんこと必ずなり。」
子路問於孔子曰:“管仲之為人何如?”子曰:“仁也.”得仁道也子路曰:“昔管仲說襄公,公不受,是不辯也;欲立公子糾而不能,是不智也;齊襄立無常鮑叔牙曰君使民慢亂將作矣奉公子小白出奔莒公孫無知殺襄公管夷吾召忽奉公子糾奔魯齊人殺無知魯伐齊納子糾小白自莒先入是為桓公公乃殺子糾召忽死之也家殘於齊,而無憂色,是不慈也;桎梏而居檻車,無慚心,是無醜也;言無恥惡之心事所射之君,是不貞也;召忽死之,管仲不死,是不忠也.仁人之道,固若是乎?”孔子曰:“管仲說襄公,襄公不受,公之闇也;欲立子糾而不能,不遇時也;家殘於齊而無憂色,是知權命也;桎梏而無慚心,自裁審也;事所射之君,通於變也;不死子糾,量輕重也.夫子糾未成君,管仲未成臣,管仲才度義,管仲不死束縛,而立功名,未可非也.召忽雖死,過與取仁,未足多也.”
子路は孔子に問うた。「管仲の人と為りはいかに。」孔子は言った。「仁なり。」【仁道を得たりという】子路は言った。「昔、管仲は斉襄公を説くも、公は受けず。これは善く弁ぜざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず。これは不智なり【斉襄公は政を施すこと常なく、鮑叔牙は君は民を怠らしめ乱まさに生ぜんと言い、公子小白を奉じて莒に出奔す。公孫無知は襄公を殺し、管夷吾・召忽は公子糾を奉じて魯に奔る。斉人は無知を殺し、魯は斉を伐ちて子糾を送り国に入れんと欲す。小白は莒より先に入る、則ち桓公なり。公は則ち子糾を殺し、召忽もまた死す】。家は斉に残破せられて憂色なし。これは不慈なり。刑具を帯び囚車に坐して慚愧の心なし。これは羞恥を知らざるなり【恥悪の心なきを言う】。己が嘗て射たる君に事えるは、これ不貞なり。召忽は子糾の為に死し、管仲は死せず。これは不忠なり。仁人の道は、本よりしかならんや。」孔子は言った。「管仲の襄公を説くや、襄公は受けず。是れ公の昏きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時機に遭わざるなり。家は斉に残破せられて憂色なきは、命を権するを知るなり。刑具を帯びて慚愧の心なきは、自ら裁断審察せるなり。嘗て射たる君に事えるは、権変に通ずるなり。子糾の為に死せざるは、軽重を量るなり。子糾は未だ君と為らず、管仲は未だ臣と為らず。管仲は才に按じ義を量り、束縛せられて死せずして、能く功名を立つ。議すべからず。召忽たとい死すとも、仁を求むるやや過ぎたり。殊に称すに足らず。」
孔子適齊,中路聞哭者之聲,其音甚哀.孔子謂其僕曰:“此哭哀則哀矣,然非喪者之哀矣.”驅而前,少進,見有異人焉,擁鐮帶素,哭者不哀.孔子下車,追而問曰:“子何人也?”對曰:“吾丘吾子也.”曰:“子今非喪之所,奚哭之悲也?”丘吾子曰:“吾有三失,晚而自覺,悔之何及.”曰:“三失可得聞乎?願子告吾,無隱也.”丘吾子曰:“吾少時好學,周遍天下,後還喪吾親,是一失也;長事齊君,君驕奢失士,臣節不遂,是二失也;吾平生厚交,而今皆離絕,是三失也.夫樹欲靜而風不停,子欲養而親不待,?而不來者年也,不可再見者親也,請從此辭,遂投水而死.”孔子曰:“小子識之,斯足為戒矣.自是弟子辭歸養親者十有三.”
孔子は斉国に至らんとして、半路に哭声を聞く。声甚だ哀なり。孔子は御者に言った。「この哭は哀なれども、喪事の哀に非ず。」車を駆りて前に就き、少しく近づきて、異態の人を見る。鎌を抱き白帯を繫ぎ、哭するに哀ならず。孔子は車を下りて追い及びて問うた。「子は何人ぞ。」答えて曰く。「我は丘吾子なり。」孔子は言った。「子今喪の処に非ざるに、何ぞ哭することこのごとく悲しきや。」丘吾子は言った。「我に三つの過失あり。晩にして自ら覺る。悔ゆも何の及ばん。」孔子は言った。「三つの過失、聞くべきか。願わくば我に告げよ。隠すなかれ。」丘吾子は言った。「我は少しきより学を好み、天下を遍く歷り、後に帰りて、父母すでに亡し。これが一失なり。長じて斉君に事えるに、君は驕奢にして士を失い、臣節は成らず。これが二失なり。我が平生交游を厚くすれども、今みな離散絶交す。これが三失なり。樹は静かならんと欲するも風止まず、子は養わんと欲するも親は待たず。去りて再び来らざるは年歳なり、見るべからざるは双親なり。請う、これより別れん。」そこで水に投じて死す。孔子は言った。「小子これを識れ。これを以て戒と為すに足れり。」ここより弟子辞して家に帰り親を養う者、十有三人。
孔子謂伯魚曰:“鯉乎,吾聞可以與人終日不倦者,其唯學焉.其容體不足觀也,其勇力不足憚也,其先祖不足稱也,其族姓不足道也.終而有大名,以顯聞四方,流聲後裔者,豈非學之效也.故君子不可以不學.其容不可以不飭,不飭無類,無類失親,類宜為貌不在飭故無貌不得言不飭無類也禮貌矜莊然後親愛可久故曰無類失親也失親不忠,情不相親則無忠誠不忠失禮,禮以忠信為本失禮不立.非禮則無以立夫遠而有光者,飭也;近而愈明者,學也.譬之汙池,水潦注焉,雚葦生焉,雖或以觀之,孰知其源乎.”源泉源也水潦注於池而生雚葦觀者誰知其非源泉乎以言學者雖從外入及其用之人誰知其非從此出也者乎
孔子は伯魚に言った。「鯉よ、我の聞くに、人とともに終日して倦まざるべきは、ただ学のみなり。容貌形体は観るに足らず、勇力は人を懼れしむるに足らず、先祖は称うに足らず、族姓は挙ぐるに足らず。終に大名ありて四方に顯聞し、声名は後裔に流る。あに学の効に非ざらんや。ゆえに君子は学ばざるべからず。容貌は整飭せざるべからず。整飭せざれば則ち類なく【類は貌なるべし。整飭せざれば貌なし。ゆえに不飾則ち無類と言う。礼を矜荘して然る後に親愛久しきを得べし。ゆえに無類則ち親を失うと言う】、類なければ則ち親を失う【情相亲まざれば則ち忠誠なし】。親を失えば則ち不忠、不忠なれば則ち礼を失い【礼は忠信を本と為す】、礼を失えば則ち身を立つる能わず【礼なくんば身を立つるゆえんなし】。遠きに在りて光あるは飾なり。近きに在りて逾明なるは学なり。污池のごとし。雨水注ぎて葦生ず。人来りて観ると雖も、誰かその源を知らん。」【源泉は源なり。雨水池に注ぎて葦を生ず。観る者誰かそれ源泉に非ざるを知らん。学者は外より学び入るも、用い出すに及びて、誰かこれより出でざるを知らんと言う。】
子路見於孔子曰:“負重涉遠,不擇地而休,家貧親老,不擇祿而仕.昔者由也,事二親之時,常食藜藿之實,為親負米百里之外.親歿之後,南遊於楚,從車百乘,積粟萬鍾,累茵而坐,列鼎而食,願欲食藜藿,為親負米,不可復得也.枯魚銜索,幾何不蠹,二親之壽,忽若過隙.”孔子曰:“由也事親,可謂生事盡力,死事盡思者也.”
子路は孔子に見えて言った。「重きを負いて遠道を行くは、所を択ばずして息す。家貧く親老いたれば、禄を択ばずして仕う。昔、由の親に事うるの時、常に藜藿を食い、親の為に百里の外より米を負う。親亡きの後、南に楚に游び、従車百乘、粟を積むこと万鍾、重席を墊きて坐し、鼎を列ねて食う。再び藜藿を食い親の為に米を負わんと欲すれども、得べからず。干魚を繩に穿つ、幾何ぞ虫に蛀まれざらん。親の寿は、隙を掠むるがごとく疾し。」孔子は言った。「由の親に事うるや、生けるに力を尽くし死せるに思を尽くすと称すべし。」
孔子之郯,郯國名也少昊之後吾之本縣也郯子達禮孔子故?諮問焉遭程子於塗,傾蓋而語,傾蓋駐車終日,甚相親.顧謂子路曰:“取束帛以贈先生.”贈送子路屑然對曰:“由聞之士不中間見,女嫁無媒,君子不以交禮也.”中間謂始介也有間,又顧謂子路.子路又對如初.孔子曰:“由,詩不云乎:‘有美一人,清揚宛兮,邂逅相遇,適我願兮.’清揚眉目之間也宛然美也幽期而會令願也今程子,天下賢士也,於斯不贈,則終身弗能見也,小子行之.”
孔子は郯国に至る【郯は国名、少昊の裔】。道に程子に遇う。車を停め蓋を傾けて語ること終日甚だ親し。子路を顧みて言った。「束帛を取りて先生に贈れ。」【贈は送る】子路は率易に対えて曰く。「由の聞くに、士は介紹なくして相見せず、女子は嫁ぐに媒妁なし。君子は交友の礼を用いず。」【中間は介紹を経るを言う】しばらくして、孔子はまた子路を顧みて言う。子路また初めのごとく対えたり。孔子は言った。「由、《詩》に曰らずや。『美しき人あり、眉目宛然として清し、期せずして會し、我が願いに適う。』【清揚は眉目の間、宛然は美。期せずして會するは正に願いに適う】今、程子は天下の賢士なり。ここに於て贈らざれば、終身復た見ること能わず。小子行け。」
孔子自衛反魯,息駕於河梁而觀焉.河水無梁莊周書說孔子於閭梁言事者通渭水為河也有懸水三十仞,八尺曰仞懸二十四丈者也圜流九十里,圜流回流也水深急則然魚鱉不能導,黿鼉不能居.道行有一丈夫方將厲之,厲渡孔子使人並涯止之曰:“此懸水三十仞,圜流九十里,魚鱉黿鼉不能居也,意者難可濟也.”丈夫不以措意,遂渡而出.孔子問之,曰:“子乎有道術乎,所以能入而出者,何也?”丈夫對曰:“始吾之入也,先以忠信,及吾之出也,又從以忠信,忠信措吾軀于波流,而吾不敢以用私,所以能入而復出也.”孔子謂弟子曰:“二三子識之,水且猶可以忠信成身親之,而況於人乎!”
孔子は衛より魯に帰り、河上の橋梁に車を息めて観る【河水本より橋なし。荘周の書に孔子は閭梁に於て事を論ずと言う。ここに水を通じて河と称す】。懸水あり三十仞【八尺を仞とす。懸水二十四丈】、圜流すること九十里【圜流は回流。水深く流急なる時に然り】、魚鼈は上る能わず、黿鼉は居る能わず。路に一夫あり、まさに渉らんとす【厲は渡】。孔子は人をして岸に循りて止めしめて曰く。「この懸水三十仞、回流九十里、魚鼈黿鼉も居る能わず。渉ること難しと思う。」丈夫は意に介せず、遂に渉りて出ず。孔子は彼に問う。「子あに道術あらざるか。能く入りて出づるは何の故ぞ。」丈夫は答えて曰く。「始め我が入るや、忠信を以て先とす。我が出づるに及びて、また忠信に従う。忠信は我が躯を波流に措き、我は敢えて私を雑えざるなり。能く入りて復た出づるゆえんなり。」孔子は弟子に言った。「二三子これを識れ。水なお忠信を以て身を親しましむべし。況んや人に於てをや。」
孔子將行,雨而無蓋.門人曰:“商也有之.”子夏名也孔子曰:“商之為人也,甚?於財,?嗇甚也吾聞與人交,推其長者,違其短者故能久也.”楚王渡江,江中有物大如鬥,圓而赤,直觸王舟,舟人取之,王大怪之,遍問群臣,莫之能識.王使使聘於魯,問於孔子.子曰:“此所謂萍實者也,萍水草也可剖而食也,吉祥也,唯霸者為能獲焉.”使者反,王遂食之,大美.久之使來以告魯大夫,大夫因子游問曰:“夫子何以知其然乎?”曰:“吾昔之鄭,過乎陳之野,聞童謠曰:‘楚王渡江得萍實,大如鬥,赤如日,剖而食之甜如蜜.’此是楚王之應也.吾是以知之.”
孔子まさに行かんとして、雨降るも車蓋なし。門人曰く。「商に之有り。」【子夏の名は商】孔子は言った。「商の人と為るや、財を恁る【甚だ悭吝なるを言う】。我の聞くに、人と交わるや、その長を推しその短を避く。ゆえに能く久しきなり。」楚王は江を渡る。江中に物あり大さ斗のごとく、圓にして赤く、直に王の舟に触る。舟人取りて之を上げ、王甚だ之を怪しみ、遍く群臣に問うも、識る者なし。王は使いを遣わして魯に聘し、孔子に問う。孔子は言った。「これいわゆる萍実なり【萍は水草】。剖きて食うべし。吉祥なり。霸者のみ能く獲たり。」使い還りて、王則ち之を食う。甚だ甘美なり。久しきの後、使い来りてこの事を魯の大夫に告ぐ。大夫は子游を以て問う。「夫子は何を以て知れるや。」孔子は言った。「我は昔鄭に至り、陳の郊野を過ぐるや、童謡に曰くと聞きき。『楚王渡江して萍実を得、大さ斗のごとく赤は日のごとし。剖きて食えば甘きこと蜜のごとし。』これ楚王に応ずるなり。我これを以て知れり。」
子貢問於孔子曰:“死者有知乎?將無知乎?”子曰:“吾欲言死之有知,將恐孝子順孫妨生以送死;吾欲言死之無知,將恐不孝之子棄其親而不葬.賜不欲知死者有知與無知,非今之急,後自知之.”
子貢は孔子に問うた。「死者は知覚ありや。それとも知覚なきや。」孔子は言った。「我、死は知覚ありと言わんと欲せば、孝子順孫の生を妨げて死を送るを恐る。死は知覚なしと言わんと欲せば、不孝の子が親を棄てて葬らざるを恐る。賜は死に知あるや無きやを知るを要せず。これ目下の急務に非ず。後に自ら知らん。」
子貢問治民於孔子.子曰:“懍懍焉若持腐索之扞馬.”懍懍戒懼之貌扞馬突馬子貢曰:“何其畏也?”孔子曰:“夫通達御皆人也,以道導之,則吾畜也;不以道導之,則吾讎也.如之何其無畏也.”
子貢は孔子に民を治むるを問うた。孔子は言った。「懔懔として腐索を以て奔馬を駕るがごとくせよ。」【懔懔は戒懼の様。捍馬は奔突の馬】子貢は言った。「何ぞこのごとく畏るるや。」孔子は言った。「通達の道に駕する者は皆人なり。道を以て導けば則ち我が畜う所なり。道を以て導かざれば則ち我が仇讐なり。あに畏れざるを得んや。」
魯國之法,贖人臣妾於諸侯者,皆取金於府,子貢贖之,辭而不取金.孔子聞之曰:“賜失之矣.夫聖人之舉事也,可以移風易俗,而教導可以施之於百姓,非獨適身之行也,今魯國富者寡而貧者眾,贖人受金則為不廉,則何以相贖乎?自今以後,魯人不復贖人於諸侯.”
魯国の法に、諸侯より臣妾を贖う者は、皆府庫より金を取る。子貢は人を贖い、辞して金を取らず。孔子はこれを聞きて曰く。「賜は失せり。聖人の事を挙ぐるや、以て風を移し俗を易え、教導は百姓に施すべく、ただ己一身の行に適うのみに非ず。今魯国は富める者少なく貧しき者多し。人を贖いて金を受くれば則ち廉ならずと見なさる。また何を以て相贖わん。今より後、魯人は諸侯より人を贖わざらん。」
子路治蒲,請見於孔子曰:“由願受教於夫子.”子曰:“蒲其如何?”對曰:“邑多壯士,又難治也.”子曰:“然,吾語爾,恭而敬,可以攝勇;寬而正,可以懷強;愛而恕,可以容困;言愛恕者能容困窮溫而斷,可以抑奸.如此而加之,則正不難矣.”
子路は蒲を治む。孔子に見えんと請うて曰く。「由は願わくば夫子より教を受けん。」孔子は言った。「蒲はいかに。」子路は答えて曰く。「邑に壮士多く、また治め難し。」孔子は言った。「然り。我汝に告げん。恭敬は以て勇猛を攝服すべし。寛裕にして正しきは、以て強悍を撫安すべし。親愛にして寛恕は、以て困窮を容るべし【愛恕の人は能く困窮を容るを言う】。温和にして果断は、以て奸邪を抑るべし。このごとく以て之に加えば、正すこと難からざらん。」
三恕第九
三恕第九
孔子曰:“君子有三恕,有君不能事,有臣而求其使,非恕也;有親不能孝,有子而求其報,非恕也;有兄不能敬,有弟而求其順,非恕也.士能明於三恕之本,則可謂端身矣.”孔子曰:“君子有三思,不可不察也.少而不學,長無能也;老而不教,死莫之思也;有而不施,窮莫之救也.故君子少思其長則務學,老思其死則務教,有思其窮則務施.”
孔子は言った。「君子に三恕あり。君ありて事える能わざれば、臣ありて其の使を求むるは恕に非ず。親ありて孝なる能わざれば、子ありて其の報を求むるは恕に非ず。兄ありて敬なる能わざれば、弟ありて其の順を求むるは恕に非ず。士能く三恕の本を明らかにすれば、則ち身を正すと称すべし。」孔子は言った。「君子に三思あり。審らかにせざるべからず。少壯にして学ばざれば、長じて能なし。老いて教えざれば、死して思う者なし。財物ありて施さざれば、窮すれども救う者なし。ゆえに君子は少壯の時長ずるを思いて則ち力めて学び、老いたる時死するを思いて則ち力めて教え、財物ある時窮するを思いて則ち力めて施すなり。」
伯常騫問於孔子曰:“騫固周國之賤吏也,不自以不肖,將北面以事君子,敢問正道宜行,不容於世,正道宜行而出莫之能貴故行之則不容於世隱道宜行,然亦不忍,世亂則隱道為行然亦不忍為隱事今欲身亦不窮,道亦不隱,為之有道乎?”孔子曰:“善哉子之問也.自丘之聞,未有若吾子所問辯且說也.辯當其理得其說矣丘嘗聞君子之言道矣,聽者無察,則道不入,言聽者不明察道則不能入也奇偉不稽,則道不信.稽考也聽道者不能考校奇偉則道不見信此言苟非其人道不虛行又嘗聞君子之言事矣,制無度量,則事不成,其政曉察,則民不保.保安也政大曉了分察則民不安矣又嘗聞君子之言志矣,●折者不終,●則折矣不終其性命矣徑易者則數傷,徑輕也志輕則數傷於義矣浩倨者則不親,浩倨簡略不恭如是則不親矣就利者則無不弊.言好利者不可久也又嘗聞養世之君子矣,從輕勿為先,從重勿為後,赴憂患從勞苦輕者宜為後重者宜為先養世者也見像而勿強,像法也見法而已不以強世也陳道而勿怫.怫詭也陳道而已不與世相詭違也此四者,丘之所聞也.”
伯常騫は孔子に問うた。「騫はもと周国の微賤の吏なり。自ら不肖と為さず、まさに北面して君子に事えんとす。請う、正道は行うべきにして世俗に容れられず【正道は行うべきも、能く之を重んずる者なし。ゆえに行えども世俗に容れられず】。隠遁の道は行うべきにしてまた忍びず【世乱るれば則ち隠遁の道に行くべし。されど隠遁の事を為すに忍びず】。今、身も困窮せず道も隠没せざらんと欲す。この事を為すに術ありや。」孔子は言った。「善き問いなり。丘の聞く所に由れば、未だ吾子のごとく明弁にして通する者あらざるなり【弁は理に合し、言うこと恰當】。丘は嘗て君子の道を談ずるを聞きき。聴く者明ならざれば、道は入らず【聴く者明察ならざれば、道は入る能わず】。奇偉にして考校を加えざれば、道は信ぜられず【稽は考。道を聴く者能く奇偉を考校せざれば、道は信ぜられず】。これはその人に非ざれば、道は空しく行われざるを言うなり。また嘗て君子の事を談ずるを聞きき。制度に度量なければ、事は成らず。政明察に過ぎれば、民は安んぜず【保は安。政細目を尽く察すること過ぎれば、民安んぜず】。また嘗て君子の志を談ずるを聞きき。剛き者は折れてその性命を終わる能わず【剛なれば則ち折れ、その性命を終わる能わず】。径易なる者は屢々傷つ【径は軽。志軽ければ屢々義に傷つ】、浩倨簡略なる者は人に親しまれず【浩倨は簡略不恭。このよう則ち人に親しまれず】、利を逐う者は敗れざるなし【利を好む者は能く久しからざるを言う】。また嘗て世に身を保つ君子を聞きき。軽きに従うは先んずるなかれ、重きに従うは後るるなかれ【憂患に赴き勞苦に従う、軽きは後にすべく重きは先にすべし。これ世に身を保つなり】。法則を見るは世に強うるなかれ【是れ法。法則を見れば足れり。世に強い加うるなかれ】。正道を陳説するは世俗と詭違するなかれ【怫は詭。正道を陳説すれば足れり。世俗と相詭違せず】。この四つは丘の聞く所なり。」
孔子觀於魯桓公之廟,有欹器焉.欹傾夫子問於守廟者曰:“此謂何器?”對曰:“此蓋為宥坐之器.”孔子曰:“吾聞宥坐之器,虛則欹,中則正,滿則覆,明君以為至誡,故常置之於坐側.”顧謂弟子曰:“試注水焉.”乃注之,水中則正,滿則覆.夫子喟然嘆曰:“嗚呼!夫物惡有滿而不覆哉?”子路進曰:“敢問持滿有道乎?”子曰:“聰明睿智,守之以愚;功被天下,守之以讓;勇力振世,守之以怯;富有四海,守之以謙.此所謂損之又損之之道也.”
孔子は魯桓公の廟を観る。傾いた器あり【欹は傾なり】。夫子は守廟の人に問うた。「これを何の器という。」答えて曰く。「これおそらく座の右に置きて以て戒と為すの器なり。」孔子は言った。「我の聞くに、この器は空なれば則ち傾き、適に至れば則ち正し、満つれば則ち覆る。明君はこれを以て至戒と為し、故に常に座の側に置く。」弟子を顧みて言った。「試みに水を注ぎて観よ。」そこで水を注ぐに、中に至れば則ち正しく、満つれば則ち覆る。夫子は喟然として嘆息して曰く。「ああ。物あに満ちて覆らざる者あらんや。」子路は進みて言った。「請う、盈を持するに道ありや。」孔子は言った。「聡明叡智は愚を以て之を守り、功は天下に被さるも譲を以て之を守り、勇力は世を震わすも怯を以て之を守り、富は四海に有るも謙を以て之を守る。これいわゆる損してまた損するの道なり。」
孔子觀於東流之水.子貢問曰:“君子所見大水,必觀焉何也?”孔子對曰:“以其不息,且遍與諸生而不為也.夫水似乎德,遍與諸生者物得水而後生水不與生而又不德也其流也則卑下,倨邑必修,其理似義;浩浩乎無屈盡之期,此似道;流行赴百仞之?而不懼,此似勇;至量必平之,此似法;盛而不求概,此似正;綽約微達,此似察;發源必東,此似志;以出以入,萬物就以化絜,此似善化也.水之德有若此,是故君子見,必觀焉.”
孔子は東に流るる水を観る。子貢が問うた。「君子は大水を見れば必ず観る。何の故ぞ。」孔子は答えた。「それ息むことなく、かつ普遍に諸生に与えて自ら徳と為さざればなり。水は徳に似たり【普遍に諸生に与える。物は水を得て然る後に生ず。水は生育を以て己に私せず、また自ら徳ありと為さず】。その流るるや卑下に趋り、曲せる所は必ず治め、理ありて義に似たり。浩浩として窮盡の期なし。これ道に似たり。流れ赴きて百仞の谿谷に入るも懼れず。これ勇に似たり。量に至れば必ず持平す。これ法に似たり。盛満して概を求めず。これ正に似たり。柔軟微細にして達する能くす。これ察に似たり。源を發するや必ず東に向かう。これ志に似たり。出でて入りて、万物は以て潔くなる。これ善く教化するに似たり。水の徳此のごとき所有り。ゆえに君子は見れば必ず観るなり。」
子貢觀於魯廟之北堂,出而問於孔子曰:“向也賜觀於太廟之堂,未既輟,還瞻北蓋,皆斷焉,輟止觀北面之蓋斷絕也彼將有說耶?匠過之也.”孔子曰:“太廟之堂宮,致良工之匠,匠致良材,盡其功巧,蓋貴久矣,尚有說也.”尚猶必也言必有說
子貢は魯廟の北堂を観て、出でて孔子に問うた。「向に賜は太廟の堂を観るに、いまだ観終わらざるに、北の盖板を回顧するに、みな断絶せり【輟は観るを止む。北の盖板断絶せり】。あに説有らんや。それとも工匠の過失か。」孔子は言った。「太廟の堂屋は、良工匠を致し、工匠は上材を用い、工巧を尽くし、久遠を尚ぶること已久し。必ず説有らん。」【尚は則ち必。必ず説有るを言う】
孔子曰:“吾有所齒,有所鄙,有所殆.夫幼而不能強學,老而無以教,吾恥之;去其鄉事君而達,卒遇故人,曾無舊言,吾鄙之;事君而達得志於君而見故人曾無舊言是棄其平生之舊交而無進之之心者乎與小人處而不能親賢,吾殆之.”殆危也夫疏賢而近小人是危亡之道也
孔子は言った。「我に恥づる所有り、鄙と為す所有り、危と為す所有り。幼少にして力めて学ぶこと能わざれば、老いて教うべきなし。我これを以て恥と為す。郷里を去りて君に事えて顯達せば、忽ち故人に遇うに、竟に一たびも舊を叙する言なし。我これを以て鄙と為す【君に事えて顯達し、君に於て志を得、故人を見て舊言なきは、平生の舊交を棄てて引進の心意なきなり】。小人と処りて賢人に親しむ能わざれば、我これを以て危と為す。」【殆は危。賢人を疏にし小人を親にするは、危亡の道なり】
子路見於孔子.孔子曰:“智者若何?仁者若何?”子路對曰:“智者使人知己,仁者使人愛己.”子曰:“可謂士矣.”子路出,子貢入,問亦如之.子貢對曰:“智者知人,仁者愛人.”子曰:“可謂士矣.”子貢出,顏回入,問亦如之.對曰:“智者自知,仁者自愛.”子曰:“可謂士君子矣.”
子路は孔子に見えたり。孔子は言った。「智者はいかに。仁者はいかに。」子路は答えて曰く。「智者は人をして己を知らしめ、仁者は人をして己を愛せしむ。」孔子は言った。「士と称すべし。」子路出づ。子貢入り、問うこと同じ。子貢は答えて曰く。「智者は人を知り、仁者は人を愛す。」孔子は言った。「士と称すべし。」子貢出づ。顔回入り、問うこと同じ。顔回は答えて曰く。「智者は自ら己を知り、仁者は自ら己を愛す。」孔子は言った。「士君子と称すべし。」
子貢問於孔子曰:“子從父命孝,臣從君命貞乎?奚疑焉.”孔子曰:“鄙哉賜,汝不識也.昔者明王萬乘之國,有爭臣七人,則主無過舉;天子有三公四輔主諫爭以救其過失也四輔前曰疑後曰丞左曰輔右曰弼也千乘之國,有爭臣五人,則社稷不危也;諸侯有三卿股肱之臣有內外者也故有五人焉百乘之家,有爭臣三人,大夫之臣有室老家相邑宰凡三人能以義諫諍則祿位不替;父有爭子,不陷無禮;士有爭友,不行不義.士雖有臣既微且陋不能以義匡其君故須朋友之諫爭於己然後不義之事不得行之者也故子從父命,奚詎為孝?臣從君命,奚詎為貞?夫能審其所從,當詳審所宜從與不之謂孝,之謂貞矣.”
子貢は孔子に問うた。「子は父命に従えば則ち孝、臣は君命に従えば則ち貞なり。復た何の疑う所かあらん。」孔子は言った。「陋なるかな賜。汝は明らかならず。昔、明王は万乘の国を有ち、諫諍の臣七人あれば、主上は過舉なし【天子は三公四輔あって諫諍を司りて以て過失を補救す。四輔は、前を疑といい、後を丞といい、左を輔といい、右を弼という】。千乘の国は、諫諍の臣五人あれば、社稷は危うからず【諸侯は三卿ありて股肱と為り、また内外の臣あり。ゆえに五人】。百乘の家は、諫諍の臣三人あれば、禄位は廃せられず【大夫の臣は室老・家相・邑宰あり、共に三人。能く義に按じて諫諍すれば禄位は廃せず】。父に諫諍の子あれば、則ち無礼に陷らず。士に諫諍の友あれば、則ち不義を為さず【士たとい臣ありと雖も、既に微にして陋、能く義に按じてその君を匡正せず。ゆえに朋友の己に諫諍するを要し、然る後に不義の事は行われざるを得ん】。ゆえに子は父命に従う、あに則ち孝ならんや。臣は君命に従う、あに則ち貞ならんや。能く従うべき所を審らかにせば【従うべきか従うべからざるかを詳審すべし】、乃ち孝と称し、貞と称すなり。」
子路盛服見於孔子.子曰:“由是倨倨者何也?夫江始出於岷山,其源可以濫觴,觴可以盛酒言其微及其至於江津,不舫舟不避風則不可以涉,非唯下流水多耶?今爾衣服既盛,顏色充盈,天下且孰肯以非告汝乎?”子路趨而出,改服而入,蓋自若也.子曰:“由志之,吾告汝,奮於言者華,自矜奮於言者華而無實奮於行者伐,自矜奮行者是自伐夫色智而有能者,小人也.故君子知之曰智,言之要也,不能曰不能,行之至也.言要則智,行至則仁,既仁且智,惡不足哉!”
子路は盛服を著けて孔子に見えたり。孔子は言った。「由、このごとく傲慢なるは何の故ぞ。長江は岷山より出づるや、その源は酒一觴を盛る【觴は酒を盛るべし。微小なるを言う】。江津に至るに及びて、舟に乗らず風を避けざれば、渡るべからず。あにただ水の下流多きを以てのみあらんや。今、汝の衣服すでに盛美にして、神色すでに充盈せば、天下に誰か肯んじて汝の非を告げん。」子路は趋りて出で、衣を改めて復た入る。神色乃ち自如なり。孔子は言った。「由識れ。我汝に告げん。言に奮する者は華にして実なし【自ら言を矜誇すれば則ち華にして実なし】。行に奮する者は自伐す【自ら行を矜誇すれば則ち自伐】。色に聡明を出だし才ある者は、小人なり。ゆえに君子は知るを知ると為す。これ言の要なり。能わざるを能わずと為す。これ行の至なり。言要を得れば則ち智、行至に至れば則ち仁。仁かつ智なれば、あに足らざる所あらんや。」
子路問於孔子曰:“有人於此,披褐而懷玉,何如?”褐毛布衣子曰:“國無道,隱之可也;國有道,則袞冕而執玉.”袞冕文衣盛飭
子路は孔子に問うた。「人あり、褐衣を著けて玉を懐く【褐は毛布衣】。いかん。」孔子は言った。「国道なければ、隠れて可なり。国道あれば、則ち礼服を著け玉圭を執れ。」【袞冕は文飾の盛服】
好生第十
好生第十
魯哀公問於孔子曰:“昔者舜冠何冠乎?”孔子不對.公曰:“寡人有問於子而子無言,何也?”對曰:“以君之問不先其大者,故方思所以為對.”公曰:“其大何乎?”孔子曰:“舜之為君也,其政好生而惡殺,其任授賢而替不肖,德若天地而靜虛,化若四時而變物,是以四海承風,暢於異類,異類四方之夷狄也鳳翔麟至,鳥獸馴德,馴順無他也,好生故也.君舍此道,而冠冕是問,是以緩對.”
魯哀公は孔子に問うた。「昔、舜は何の冠を冠りしや。」孔子は答えず。哀公は言った。「寡人有問するも、君は語らず。何の故ぞ。」孔子は答えた。「君の問、大を先にせざるを以て、方に対えんと思う所なり。」哀公は言った。「大とは何ぞ。」孔子は言った。「舜の君と為るや、政は生を好み殺を惡み、任授は賢を用い不肖を替う。徳は天地のごとく静虚にして、教化は四時のごとく万物を変ず。ゆえに四海は風化に承り、異類に暢達す【異類は四方の夷狄】。鳳凰翔り麒麟至り、鳥獣は徳に馴服す【馴は順】。他なし、生を好むゆえんなり。君はこの道を舎てて、冠冕を問う。ゆえに対えること遅し。」
孔子讀史至楚復陳,陳夏徵舒殺其君楚莊王討之因陳取之而申叔時諫莊王從之還復陳喟然嘆曰:“賢哉楚王!輕千乘之國,而重一言之信,匪申叔之信,不能達其義,匪莊王之賢,不能受其訓.”
孔子は史を読みて、楚の陳を復せしに至る【陳国は夏征舒その君を殺す。楚荘王は彼を討ち、機に因りて陳を有つ。申叔時は諫め、荘王は従い、陳を帰し復す】、喟然として嘆息して曰く。「賢なるかな楚王。千乘の国を軽くして、一言の信を重んず。申叔時の誠信なくんば、能くその義を顯明せず。荘王の賢なくんば、能くその訓導を受けざらん。」
孔子常自筮其卦,得賁焉,愀然有不平之狀.子張進曰:“師聞卜者得賁卦,吉也,而夫子之色有不平,何也?”孔子對曰:“以其離耶!在周易,山下有火謂之賁,離上艮下離為火艮為山非正色之卦也.夫質也黑白宜正焉,今得賁,非吾兆也.賁飾吾聞丹漆不文,白玉不雕,何也?質有餘不受飾故也.”孔子曰:“吾於甘棠,見宗廟之敬甚矣,邵伯聽訟於甘棠愛其樹作甘棠之詩也思其人必愛其樹,尊其人必敬其位,道也.”
孔子は常に自ら卜して卦を得、賁卦を得たり。色愀然として不平の様あり。子張は進みて曰く。「師の聞くに、卜を問う者賁卦を得るは吉なり。夫子の神色は不平あり。何の故ぞ。」孔子は答えた。「それ離なればなり。《周易》に於て、山下に火ありて賁という【離上艮下。離は火、艮は山】。正色の卦に非ず。質の黒白は当に正すべく、今賁を得るは我が兆に非ず【賁は文飾】。我の聞くに、丹漆は文を加うるを須いず、白玉は琢を加うるを須いず。何の故ぞ。質すでに足れり。復た文飾を受けざるなり。」孔子は言った。「我は甘棠に於て宗廟の敬の甚だ深きを見たり【召伯は甘棠の樹の下に聴訟せり。後の人その樹を愛して甘棠の詩を作る】。その人を思うや必ずその樹を愛し、その人を尊ぶや必ずその位を敬す。これ則ち道なり。」
子路戎服見於孔子,拔劍而舞之,曰:“古之君子,以劍自衛乎?”孔子曰:“古之君子忠以為質,仁以為衛,不出環堵之室,而知千里之外,有不善則以忠化之,侵暴則以仁固之,何持劍乎?”子路曰:“由乃今聞此言,請攝齊以受教.”齊裳下緝也受教者攝齊升堂
子路は戎服を著けて孔子に見え、剣を抜きて舞い、曰く。「古の君子は剣を以て自衛せしや。」孔子は言った。「古の君子は忠を以て質と為し、仁を以て衛と為す。環堵の室を出でずして、千里之外を知る。不善あれば則ち忠を以て感じ、侵暴あれば則ち仁を以て固む。あに剣を持して何を為さん。」子路は言った。「由は今方にこの言を聞く。請う、攝斉して教を受けん。」【斉は裳下の縫辺。教を受くる者は衣襟を提げて堂に升る】
楚王出遊,亡弓,左右請求之.王曰:“止,楚王失弓,楚人得之,又何求之!”孔子聞之,惜乎其不大也,不曰人遺弓,人得之而已,何必楚也.王恭王弓鳥?之良弓
楚王は出游して、弓を亡す。左右は求めんと請う。王曰く。「止めよ。楚王は弓を亡しても、楚人これを得ん。あに復た求めんや。」孔子はこれを聞き、惜しむ、その意の小なるを。人の弓を亡して人これを得れば足れり。何ぞ必ず楚と言わんや。王は楚共王なり。その弓は良弓なり。
孔子為魯司寇,斷獄訟皆進眾議者而問之,曰:“子以為奚若?某以為何若?”皆曰云雲如是,然後夫子曰:“當從某子幾是.”近也重獄事故與眾議之
孔子は魯司寇と為り、訟獄を断ずるや、皆衆をして文に評議せしめ、問うて曰く。「子は以て何如とす。某甲は以て何如とす。」衆みな斯く言いて然る後に、夫子乃ち曰く。「当に某子に従うべし。幾らか是れ然り。」【幾は近。獄事を重んず。ゆえに衆と共に議す】
孔子問漆雕憑曰:“子事臧文仲武仲及孺子容,此三大夫孰賢?”對曰:“臧氏家有守龜焉,名曰蔡,文仲三年而為一兆,武仲三年而為二兆,孺子容三年而為三兆,憑從此之見,若問三人之賢與不賢,所未敢識也.”孔子曰:“君子哉漆雕氏之子,其言人之美也,隱而顯;言人之過也,微而著.智而不能及,明而不能見,孰克如此.”克能也而宜為如也
孔子は漆雕憑に問うた。「子は臧文仲・臧武仲・孺子容に事えし。この三大夫、孰れか賢なる。」答えて曰く。「臧氏の家に守亀あり、蔡と名づく。文仲は三年に一たび兆を占い、武仲は三年に二たび兆を占い、孺子容は三年に三たび兆を占う。憑はこれより之を見れば、若し三人の賢不賢を問わば、いまだ識ること能わず。」孔子は言った。「君子なるかな、漆雕氏の子。人の美を言うや、隠約にして顯著なり。人の過を言うや、微細にして昭明なり。智にして及ぶ能わず、明にして視る能わず。孰か能くこのごとくあらん。」【克は能。而は宜しく如と読むべし】
魯公索氏,先落反將祭而亡其牲.孔子聞之曰:“公索氏不及二年將亡,後一年而亡.”門人問曰:“昔公索氏亡其祭牲,而夫子曰,不及二年必亡,今過期而亡,夫子何以知其然?”孔子曰:“夫祭者,孝子所以自盡於其親,將祭而亡其牲,則其餘所亡者多矣.若此而不亡者,未之有也.”
魯国の公索氏、まさに祭らんとして犠牲を亡す。孔子はこれを聞きて曰く。「公索氏は二年に及ばずして將に亡びん。」後に一年にして亡ぶ。門人問うて曰く。「昔、公索氏は祭牲を亡せしとき、夫子は二年に及ばずして必ず亡びんと曰けり。今一年にして亡べり。夫子は何を以て知れしや。」孔子は言った。「祭は、孝子の以て親に心を尽くすなり。将に祭らんとして犠牲を亡せば、則ち余の亡す所はまた多からん。このごとくして亡ばざるは、未だ之れ有らざるなり。」
虛芮二國爭田而訟,連年不決,乃相謂曰:“西伯仁也,西伯文王盍?質之.”盍何不質正也入其境則耕者讓畔,行者讓路;入其朝士讓為大夫,大夫讓於卿.虛芮之君曰:“嘻!吾儕小人也,儕等不可以入君子之朝.”遠自相與而退,鹹以所爭之田為閒田也.孔子曰:“以此觀之,文王之道,其不可加焉,不令而從,不教而聽,至矣哉.”
虞・芮両国、田を争いて獄を成す。年を連ねて決する能わず。乃ち相謂りて曰く。「西伯は仁なり【西伯は周文王】。盍ぞ彼に就きて質を求めざる。」【盍は何不。質は正】その境に入るや、耕する者は畔を譲り、行く者は路を譲る。その朝に入るや、士は大夫に譲り、大夫は卿に譲る。虞芮の君曰く。「噫。我らの儕は小人なり【儕は等】。君子の朝に入るべからず。」遠ざかりて各々退き、争う所の田を以て閑田と為す。孔子は言った。「これを以て観れば、文王の道は復た加うべからざるなり。令せずして人従い、教えずして人聴く。至れるかな。」
曾子曰:“狎甚則相簡,莊甚則不親,是故君子之狎足以交歡,其莊足以成禮.”孔子聞斯言也,曰:“二三子志之,孰謂參也不知禮乎!”
曽参は言った。「親狎過ぐれば則ち相い簡慢し、荘重過ぐれば則ち親しまず。ゆえに君子の親狎は以て交歡するに足り、その荘重は以て礼を成するに足る。」孔子はこの言を聞きて曰く。「二三子これを識れ。孰か参の礼を知らざると言わんや。」
哀公問曰:“紳委章甫,委委貌章甫冠名也有益於仁乎?”孔子作色而對曰:“君胡然焉,衰麻苴杖者,志不存乎樂,非耳弗聞,服使然也;黼黻袞冕者,容不襲慢,非性矜莊,服使然也;介胃執戈者,無退懦之氣,非體純猛,服使然也.且臣聞之,好肆不守折,言市弗能為廉好肆不守折也而長者不為市,言長者之行則不為市買之事竊夫其有益與無益,君子所以知.”竊宜為察孔子謂子路曰:“見長者而不盡其辭,雖有風雨,吾不能入其門矣.故君子以其所能敬人,小人反是.”
魯哀公は問うた。「紳を束ね、委貌を戴き、章甫を戴く【委は委貌、章甫は冠名】、仁に益有りや。」孔子は色を変えて答えた。「君は何ぞかくのごとく言うや。衰麻を服し苴杖を拄く者は、志は楽に在らず。耳聞こえざるに非ず、衰服の為せしむるなり。黼黻袞冕を服する者は、容は褻慢せず。性矜荘に非ず、礼服の為せしむるなり。甲冑を介し戈を執る者は、退缩怯懦の気なし。躰固より猛なるに非ず、軍服の為せしむるなり。且つ臣の聞くに、市肆を好む者は折を守らず【市に於て廉直の売買を為す能わず。市肆を好めば則ち折を守らざるを言う】、長者は市買の事を為さず【長者の行いは市買を為さざるを言う】。その益と不益を察せば、君子これを以て知れり。」【竊は当に察なるべし】孔子は子路に言った。「長者を見て言を終えざれば、風雨あると雖も、我はその門に入る能わず。ゆえに君子は己の能くする所を以て人を敬し、小人は是に反す。」
孔子謂子路曰:“君子以心導耳目,立義以為勇;小人以耳目導心,不愻以為勇.故曰退之而不怨,先之斯可從已.”言人退之不怨先之則可從足以為師也
孔子は子路に言った。「君子は心を以て耳目を導き、義を立てて以て勇と為す。小人は耳目を以て心を導き、恭順ならざるを以て勇と為す。ゆえに曰く、之を退けば怨みず、之を前にすれば則ち従うべし。」【人をして彼を退かしめて怨みず、彼を前にすれば従うべし。師と為るに足るを言う】
孔子曰:“君子三患,未之聞,患不得聞;既得聞之,患弗得學;既得學之,患弗能行.有其德而無其言,君子恥之;有其言而無其行,君子恥之;既得之,而又失之,君子恥之;地有餘民不足,君子恥之;眾寡均而人功倍己焉,君子恥之.”凡興功業多少與人同而功殊倍己故恥之也
孔子は言った。「君子に三患あり。未だ聞かざれば、聞く能わざるを患う。すでに聞けば、学ぶ能わざるを患う。すでに学べば、行う能わざるを患う。その徳ありてその言なきは、君子これを恥と為す。その言ありてその行なきは、君子これを恥と為す。すでに得てまた失うは、君子これを恥と為す。地有餘にして民不足なるは、君子これを恥と為す。衆寡均くして人の功己に倍すは、君子これを恥と為す。」【およそ功を興すに、衆寡人に同じくして功は己に倍す。ゆえに恥と為す】
魯人有獨處室者,鄰之釐婦,釐寡婦也亦獨處一室.夜暴風雨至,釐婦室壞,趨而托焉,魯人閉戶而不納,釐婦自牖與之言:“何不仁而不納我乎?”魯人曰:“吾聞男女不六十不同居,今子幼吾亦幼,是以不敢納爾也.”婦人曰:“子何不如柳下惠?然嫗不建門之女,國人不稱其亂.”魯人曰:“柳下惠則可,吾固不可.吾將以吾之不可,學柳下惠之可.”孔子聞之曰:“善哉!欲學柳下惠者,未有似於此者,期於至善而不襲其為,可謂智乎!”
魯人に独り一室に居る者あり。隣の寡婦【釐は寡婦】もまた独り一室に居れり。夜、暴風雨至りて、寡婦の室壊る。走りて投じ来たる。魯人は門を閉じて納れず。寡婦は牖より彼に言う。「何ぞ仁ならず、我を納れざるや。」魯人曰く。「我の聞くに、男女は六十に及ばざれば居を同じくせず。今、子は幼く、我もまた幼し。ゆえに敢えて子を納れず。」婦人曰く。「子は何ぞ柳下恵のごとくせざるや。しかるに国人は彼を淫乱と言わず。」魯人曰く。「柳下恵は可なり。我は本より不可なり。我將た我が不可を以て、以て柳下恵の可を学ばんとす。」孔子はこれを聞きて曰く。「善いかな。柳下恵を学ばんと欲するに、これより似たる者なし。至善に期してその跡を襲わざるは、智と称すべし。」
孔子曰:“小辯害義,小言破道,關睢興於鳥而君子美之,取其雄雌之有別;鹿鳴興於獸,而君子大之,取其得食而相呼.若以鳥獸之名嫌之,固不可行也.”
孔子は言った。「弁の瑣瑣たるは義を賊い、言の瑣瑣たるは道を破る。《關雎》は鳥より興すれども、君子は之を美とす。雄雌に別あるを取ればなり。《鹿鳴》は獣より興すれども、君子は之を貴ぶ。食を得て相呼ぶを取ればなり。鳥獣の名を以て嫌えば、則ち本より行うべからざるなり。」
孔子謂子路曰:“君子而強氣,而不得其死;小人而強氣,則刑戮薦蓁.豳詩曰:‘殆天之未陰雨,徹彼桑土,綢繆牖戶,殆及也徹剝也桑土桑根也鴟鴞天未雨剝取桑根以纏綿其牖戶喻我國家積累之功乃難成之苦者也今汝下民,或敢侮餘.’”今者周公時言我先王致此大功至艱而下民敢侵侮我周道謂管蔡之屬不可不遏絕之以存周室者也孔子曰:“能治國家之如此,雖欲侮之,豈可得乎?周自後稷積行累功,以有爵土,公劉重之以仁,及至大王亶甫,敦以德讓,其樹根置本,備豫遠矣.初,大王都豳,翟人侵之,事之以皮幣,不得免焉,事之以珠玉,不得免焉,於是屬耆老而告之,所欲吾土地.吾聞之君子不以所養而害人,二三子何患乎無君?遂獨與大姜去之,踰梁山,邑於岐山之下.豳人曰:‘仁人之君,不可失也,從之如歸市焉.’天之與周,民之去殷久矣,若此而不能天下,未之有也,武庚惡能侮.武庚紂子名祿父與管叔共為亂也鄁詩曰:‘執轡如組,兩驂如.’”驂之以服和調節中孔子曰:“為此詩者,其知政乎!夫為組者,●紕於此,成文於彼,言其動於近,行於遠也.執此法以御民,豈不化乎!竿旄之忠告至矣哉!”竿旄之詩者樂乎善道告人取喻於素絲良馬如組紕之義
孔子は子路に言った。「君子は意気強きに過ぐれば、則ち終わりを全うするを得ず。小人は勢強きに過ぐれば、則ち刑戮は相踵ぎて至る。《豳風》の詩に曰く。『迨ども天之いまだ陰雨ならざる、彼の桑土を徹し、以て牖戸を綢繆す。【殆は及。徹は剥。桑土は桑根。鴟鴞は天のいまだ雨らざるに桑根を徹取して牖戸を綢繆す。我国の功を累ねること難成の苦なりを喩う】今や下民、或は敢えて我を侮る者あらん。』」【今は周公の時なり。先王のこの大功を成すや極めて艱難なりしを言う。下民あえて我が周の道を侵侮するや、管蔡の類を指す。遏止して以て周室を全うせざるべからず】孔子は言った。「能くこのごとく国を治むれば、人の侮らんと欲するあると雖も、あに之を得んや。周は后稷より徳を累ね功を積み、以て爵有り土有り。公劉は加うるに仁を以てす。太王亶父に至りては、徳を以て謙譲を敦くす。その本を樹え基を置くや、豫めることすでに遠し。初め太王は豳に都せしとき、翟人侵す。皮幣を以て之に事うるも免れず。珠玉を以て之に事うるも免れず。乃ち耆老を屬めて之に告げて曰く。『彼らの欲する所は我が土地なり。我の聞くに、君子は人を養う所の物を以て人を害せず。二三子はあに君なきを患えんや。』そこで獨り太姜と去り、梁山を踰え、岐山の下に邑を作る。豳人曰く。『仁人の君は失うべからず。』之に従うや、市に帰るがごとし。天の周に与えること、民の殷を去ること已久し。このごとくして天下を得ざるは、未だ之れ有らざるなり。武庚あに能く侮らんや【武庚は紂の子、名は禄父、管叔とともに作乱す】。《鄘風》の詩に曰く。『辔を執ること組如として、兩驂の舞うこと如きなり。』」【驂と服馬と調和し、節奏中に在り】孔子は言った。「この詩を為す者は、およそ政を知れるか。組を織る者は、ここに於て絲を理め、あそこに於て文章を成す。近きに挙動して遠きに行うを言うなり。この術を以て民を御すに、あに化せざらんや。《竿旄》の忠告なること極まれり。」【《竿旄》の詩は善道を人に告ぐを楽しむ。素絲良馬に取喻す。組を織り絲を理めるの意と同じ】
【底本この段は闕文】
孔子家語 巻三
觀周第十一
觀周第十一
孔子謂南宮敬叔曰:“吾聞老聃博古知今,敬叔孟僖子子也老聃老子博古知今而好道通禮樂之原,明道德之歸,則吾師也,今將?矣.”對曰:“謹受命.”遂言於魯君曰:“臣受先臣之命,先臣僖子云孔子聖人之後也,聖人殷湯滅於宋,孔子之先去宋奔魯故曰滅於宋也其祖弗父何,始有國而授厲公,弗父何緡公世子厲公兄也讓國以受厲公春秋傳曰以有宋而授厲公宜始始也始有宋也及正考父佐戴武宣,正考父何之曾孫也戴武宜三公也三命茲益恭.考父士一命其大夫再命卿三命是也故其鼎銘曰:‘臣有功德君命銘之於其宗廟之鼎也一命而僂,再命而傴,三命而俯,傴恭於僂俯恭於傴循牆而走,言恭之甚亦莫餘敢侮,餘我也我考父也以其恭如此故人亦莫之侮饘於是,粥於是,以餬其口,饘糜也為糜粥於此鼎言至儉也其恭儉也,若此.’”臧孫紇有言:“聖人之後,若不當世,紇臧武仲弗父何殷湯之後而不繼世為宋君則必有明君而達者焉,孔子少而好禮,其將在矣.”將在孔子屬臣曰:“汝必師之,今孔子將適周,觀先王之遺制,考禮樂之所極,斯大業也,君盍以乘資之,臣請與?.”公曰:“諾.”與孔子車一乘,馬二疋,堅其侍御.敬叔與俱至周,問禮於老聃,訪樂於萇弘,弘周大夫歷郊社之所,考明堂之則,則法察廟朝之度.宗廟朝廷之法度也於是喟然曰:“吾乃今知周公之聖,與周之所以王也.”及去周,老子送之曰:“吾聞富貴者送人以財,仁者送人以言,吾雖不能富貴,而竊仁者之號,請送子以言乎.凡當今之士,聰明深察而近於死者,好譏議人者也;博辯閎達而危其身,好發人之惡者也;無以有己為人子者,身父母有之也無以惡己為人臣者.”言聽則仕不用則退保身全行臣之節也孔子曰:“敬奉教.”自周反魯,道彌尊矣.遠方弟子之進,蓋三千焉.
孔子は南宮敬叔に言った。「我の聞くに、老聃は博古知今【敬叔は孟僖子の子。老聃は則ち老子。博古知今にして道を好む】、礼楽の原を通じ、道徳の帰を明らむ。則ち吾が師なり。今まさに往かんとす。」敬叔は対えて曰く。「謹んで命を受けん。」そこで魯君に言った。「臣は先臣の命を受けたり。先臣僖子曰く、孔子は聖人の後なり【聖人殷湯は宋に於て絶滅せり。孔子の先は宋を去りて魯に奔る。ゆえに宋に滅ぶと言う】。その先・弗父何は、始め国を有ちて厲公に授く【弗父何は緡公の世子にして厲公の兄。国を厲公に譲る。《春秋》はその宋を有るを以て厲公に授けたりと伝う。「始」は始めて宋を有ちしなり】。正考父に至りて戴・武・宣の三公を佐く【正考父は弗父何の曾孫。戴・武・宣は三公】、三たび命を受けていよいよ恭なり【考父:士は一命、大夫は再命、卿は三命】。ゆえにその鼎銘に曰く。『【臣に功徳あれば、君は命じて宗廟の鼎に銘せしむ】一命にして僂れ、再命にして傴れ、三命にして俯る【傴は僂より恭、俯は傴より恭】、牆に循りて走る【恭敬極まれるを言う】、亦た人の我を侮る莫し【余は我。我は考父。彼の恭なることこのごとし。ゆえに人もまた彼を侮る莫し】。饘この鼎に於てし、粥この鼎に於てし、以て口を糊す【饘は糜。この鼎に於て糜粥を作る。極めて儉なるを言う】。』その恭儉なることこのごとし。」臧孫紇は言有りて曰く。「聖人の後は、当世の君と為る能わざれば【紇は臧武仲。弗父何は殷湯の後にして、世を継ぎて宋君と為らず】、必ず明君ありて之を顯達せしむ。孔子は年少にして礼を好む。おそらくその応えんとする所は彼に在らん。」【孔子に將に在らん】臣に囑して曰く。「汝は必ず彼に師事せよ。今、孔子まさに周に至らんとし、先王の遺す所の制を観て、礼楽の極まる所を考求せんとす。これ大業なり。君何ぞ車馬を供せざらん。臣請う、ともに往かん。」公曰く。「諾。」孔子に車一乘・馬二匹を与え、并せて侍御を堅うす。敬叔は彼とともに周に至り、老聃に礼を問い、萇弘に楽を訪う【弘は周の大夫】、遍く郊社の所を歴り、明堂の則を考求し【則ち法なり】、宗廟朝廷の度を審察す。そこで喟然として嘆息して曰く。「吾は乃ち今周公の聖と、周の王と称すゆえんを知れり。」周を去るに及び、老子は之を送りて曰く。「吾の聞くに、富貴の人は人に送るに財を以てし、仁人は人に送るに言を以てす。吾は富貴なること能わざるも、竊かに仁人の号を取る。請う、言を以て子に送らん。およそ當世の士は、聡明深察にして死に近き者は、人を譏議するを好むなり。博辯閎達にして身に危き者は、人の悪を發するを好むなり。人の子と為るや、己有りと言うなかれ【身は父母の有】。人の臣と為るや、己を憎むなかれ。」【言は聴用せられれば則ち仕え、用いられざれば則ち退く。身と徳を全うするは臣の節なり】孔子曰く。「敬して教を奉けん。」周より魯に還るや、道は弥が上にも尊ばれ。方遠より来る弟子は、蓋し三千人。
孔子觀乎明堂,睹四門墉有堯舜之容,桀紂之象,而各有善惡之狀,興廢之誡焉.又有周公相成王,抱之負斧扆,南面以朝諸侯之圖焉,世之博學者謂周公便履天子之位失之遠矣也孔子徘徊而望之,謂從者曰:“此周之所以盛也.夫明鏡所以察形,?古者所以知今,人主不務襲跡於其所以安存,而忽怠所以危亡,是猶未有以異於卻走而欲求及前人也,豈不惑哉.”
孔子は明堂を観る。四門の墻に堯舜の容・桀紂の象ありて、各々善悪の状・興廃の誡を具う。また周公の成王を輔相し、抱き負いて斧依に負い、南面して諸侯の朝を受くるの図あり【世の博学者は周公の便ち天子の位に即けりと言う。差違遠し】。孔子は徘徊して観望し、從者に謂りて曰く。「此れ周の盛んなりしゆえんなり。明鏡は以て形を察し、往古は以て今を知る。人主は彼の安存せしめたるの跡に務めて襲わざれば、彼の危亡せしめたるの訓を忽にす。これ未だ未有るがごとく、倒行して前の人に及ばんと欲するに異ならず。あに惑いなきや。」
孔子觀周,遂入太祖后稷之廟,廟堂右階之前,有金人焉,三緘其口,而銘其背曰:“古之慎言人也,戒之哉.無多言,多言多敗.無多事,多事多患.安樂必戒,雖處安樂必警戒也無所行悔.言當詳而後行所悔之事不可復行勿謂何傷,其禍將長.勿謂何害,其禍將大.勿喟不聞,神將伺人.焰焰不滅,炎炎若何.涓涓不壅,終為江河.綿綿不絕,或成網羅.綿綿微細若不絕則有成羅網者也毫末不札,將尋斧柯.如毫之末言至微也札拔也尋用者也誠能慎之,福之根也.口是何傷,禍之門也.強梁者不得其死,好勝者必遇其敵.盜憎主人,民怨其上,君子知天下之不可上也,故下之.知眾人之不可先也,故後之.溫恭慎德,使人慕之.執雌持下,人莫踰之.人皆趨彼,我獨守此.人皆或之,我獨不徙.或之東西轉移之貌內藏我智,不示人技,我雖尊高,人弗我害,誰能於此.江海雖左,長於百川,以其卑也.水陰長右江海雖在於其左而能為百川長以其能下天道無親,而能下人,戒之哉!”孔子既讀斯文也,顧謂弟子曰:“小人識之,音志此言實而中,情而信.詩曰:‘戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰.’戰戰恐也兢兢戒也恐墜也恐陷也行身如此,豈以口過患哉?”孔子見老聃而問焉,曰:“甚矣道之於今難行也,吾比執道,而今委質以求當世之君而弗受也,道於今難行也.”老子曰:“夫說者流於辯,流猶過也失也聽者亂於辭,如此二者,則道不可以忘也.”
孔子は周を観て、遂に太祖后稷の廟に入る。廟堂の右階の前に金人あり、口を三たび緘せり。背に銘して曰く。「古の慎言の人なり。戒めよ。多言するなかれ。多言すれば多敗す。多事するなかれ。多事すれば多害す。安楽に処るに必ず戒めよ【安楽に居ると雖も必ず戒めよ】、為す所の事は悔ゆるなかれ【詳察して然る後に行うべし。悔ゆる所は復た為すなかれ】。何ぞ傷あらんと言うなかれ。その禍まさに長ぜんとす。何ぞ害あらんと言うなかれ。その禍まさに大ならんとす。人の聞かざるなしと言うなかれ。神まさに人を伺わんとす。焰々なる小火滅ばざれば、炎炎なるに及びて奈何せん。涓々たる不壅せざれば、終に江河と為らん。綿々として絶えざれば、或いは網羅と為らん【綿綿は微細。絶えざれば則ち羅網と為る】。毫末を札さざれば、尋斧柯を用いん【毫の末のごときは極微を言う。札は抜、尋は用】。誠に能く慎めば、福の根なり。口は何の傷かあらん、禍の門なり。強梁の者はその終わりを得ず。好勝の者は必ず敵に遇う。盜賊は主を憎み、民は上を怨む。君子は天下の上を知るべからざるを知り、ゆえに下に処る。衆人の先を知るべからざるを知り、ゆえに後に処る。温恭慎徳にして、人をして慕う。柔下を守り持すれば、之を踰ゆる者なし。人みな彼に趨り、我は独り此を守る。人みな或いは之に之き、我は独り徙さず【或は東西轉移の様】。内に我が智を藏して、人に技を示さず。我尊高なりと雖も、人は我を害せず。孰か能くこのごとくあらん。江海たとい左に在ると雖も、百川より長きは、その下に能く處ればなり【水は陰に屬し右に在り。江海たとい左に在ると雖も、能く百川の長と為るは、能く下に處ればなり】。天道は親なきも、能く人の下に居る。戒めよ。」孔子はこの文を讀み畢り、弟子を顧みて曰く。「小子これを識れ【音志】、この言は鄙にして中に中り、情に合して信なり。《詩》に曰く。『戦戦兢兢として、淵に臨むがごとく、氷の薄きを履むがごとし。』【戦戦は恐れ、兢兢は戒め。墜るを恐れ、陷るを恐る】身を立て行うことこのごとくなれば、あに口過を以て患あらんや。」孔子は老聃に見えて之に請いて曰く。「道の當世に行われ難きや、甚だ矣んぬ。我近頃道を執し、今委質して當世の君に求めども受けられず。道の當世に行われ難きかな。」老子曰く。「説く者は弁に流れ【流は過、失】、聴く者は辭に乱る。この両者のごとき、道は忘れざるべからざるなり。」
弟子行第十二
弟子行第十二
衛將軍文子,衛卿名彌牟也問於子貢曰:“吾聞孔子之施教也,先之以詩書,而道之以孝悌,說之以仁義,觀之以禮樂,然後成之以文德,蓋入室升堂者,七十有餘人,其孰為賢?”子貢對以不知.文子曰:“以吾子常與學賢者也,不知何謂?
衛の將軍文子【衛卿、名は弥牟】は子貢に問うた。「吾の聞くに、孔子の教を施すや、詩書を先にし、孝悌を以て説導し、仁義を以て説解し、礼楽を以て觀示し、然る後に文徳を以て成す。蓋し室に入り堂に升る者七十余人。孰か最も賢なる。」子貢は答えて知らずと曰く。文子曰く。「吾子は常に賢人とともに学べり。知らざるは何の謂いぞ。」
”子貢對曰:“賢人無妄,賢人無妄舉動不妄知賢即難,故君子之言曰:‘智莫難於知人,是以難對也.’”文子曰:“若夫知賢莫不難,今吾子親遊焉,是以敢問.”子貢曰:“夫子之門人蓋有三千就焉,賜有逮及焉,未逮及焉,故不得遍知以告也.”文子曰:“吾子所及者,請問其行.”子貢對曰:“夫能夙興夜寐,諷誦崇禮,行不貳過,貳再也有不善未嘗不知知之未嘗復行也稱言不苟,舉言典法不苟且也是顏回之行也.孔子說之以詩曰:‘媚茲一人,應侯慎德,一人天子也應當也侯惟也言顏淵之德之以媚愛天子當於其心惟慎德永言孝思,孝思惟則.’言能長是孝道足以為法則也若逢有德之君,世受顯命,不失厥名,以御於天子,則王者之相也.在貧如客,言不以貧累志矜莊如為客也使其臣如借,言不有其臣如借使之也不遷怒,不深怨,不錄舊罪,是冉雍之行也.孔子論其材曰:‘有土之君子也,有眾使也,有刑用也,然後稱怒焉.’言有土地之君有眾足使有刑足用然後可以稱怒冉雍非有土之君故使其臣如借而不加怒也孔子告之以詩曰:‘靡不有初,鮮克有終,冉雍能終其行疋夫不怒,唯以亡其身.’因說不怒之義遂及疋夫以怒亡身不畏強禦,不侮矜寡,其言循性,循其性也而言不誣其爾其都以富,仲由長於富貴材任治戎,戎軍旅也是仲由之行也.孔子和之以文,說之以詩曰:‘受小拱大拱而為下國駿龐,荷天子之龍,孔子曰和仲由以文說之以詩此其義也拱法也駿大也龐厚也龍荷之言受大小法為下國大厚乃可任天下道也不戁不悚,敷奏其勇.’戁恐悚懼敷陳奏薦強乎武哉,文不勝其質,言子路強勇文不勝其質恭老恤幼,不忘賓旅,賓旅謂寄客也好學博藝,省物而勤也,省錄諸事而能勤也是冉求之行也.孔子因而語之曰:‘好學則智,恤孤則惠,恭則近禮,勤則有繼,堯舜篤恭以王天下,其稱之也,曰宜為國老.’國老助宣德教齊莊而能肅,志通而好禮,擯相兩君之事,篤雅有節,是公西赤之行也.子曰:‘禮經三百,可勉能也,’禮經三百可勉學而能知威儀三千則難也.能躬行三千之威儀則難可為而公西赤能躬行之公西赤問曰:‘何謂也?
子貢は答えた。「賢人には妄動なし【賢人には妄動なし、挙動妄らならず】、賢を知るは難し。ゆえに君子の言に曰く、『智は知人より難しきはなし』。ゆえに対え難し。」文子曰く。「賢を知るに難からざるはなし。今、吾子は親しくその門に遊び学べり。ゆえに敢えて問う。」子貢曰く。「夫子の門人、およそ三千人ありて就き学ぶ。賜は及べる者あり、及ばざる者あり。ゆえに遍く知る能わず、以て告ぐるなし。」文子曰く。「吾子の及べる所は、請う、その徳行を問わん。」子貢は答えた。「能く夙興夜寐し、諷誦崇禮し、行に過を貳かざるは【貳は再。不善ありて未だ嘗て知らざるはなく、知りて未だ嘗て復た為さざるなり】、言を称して苟ならざるは【言を挙げて典法に合し、苟且ならざるなり】、顔回の行なり。孔子は詩を以て之に説きて曰く、『この一人を媚茲せしむべし、徳に慎むべし【一人は天子。膺は當、侯は惟。顔淵の徳は天子をして之を親愛し、その心に當り、惟徳に慎ましむに足るを言う】、永く孝思を言わん、孝思は則惟れるべし』【能くこの孝道を永く保ち、則為るに足るを言う】。若し徳有る君に遇わば、世に顯命を受けてその名を失わず、以て天子に御するは、王者の輔相なり。貧に處るや客のごとく【貧を以て志に累ならざるを言う。矜莊して客のごとし】、その臣を使うや借るがごとし【臣を己有と為さず、借りて用ゆるがごとし】、怒を遷さず、怨を深からず、舊罪を錄せざるは、冉雍の行なり。孔子はその才を論じて曰く、『土を有つ君子は、衆あれば以て使し、刑あれば以て用う。然る後に怒と謂うべし』【土有の君は、衆有りて使うに足り、刑有りて用うに足る。然る後に怒と稱すべし。冉雍は土有の君に非ざれば、臣を使うに借るがごとくして怒を加えず】、孔子は詩を以て之に告げて曰く、『靡うじき善きなかることなく、鮮しくして終はりを克てるなり【冉雍は終にその徳を克てるなり】。匹夫怒を制せざれば、惟以てその身を亡せり』【因りて怒らざるの義を言い、遂に匹夫の怒を以て身を亡すを言う】。強暴を畏れず、鰥寡を侮らず、言は性に從う【性に從いて言えば誣罔なし】、富貴に當るは其の容貌有り、治軍に任るは其の材能有り【戎は軍旅なり】、仲由の行なり。孔子は文を以て之を和し、詩を以て之に説きて曰く、『小共大共を受け、下國の駿龐と為れ、天子の寵を荷なん【孔子は文を以て仲由を和し、詩を以て之に説く。拱は法、駿は大、龐は厚、龍は荷なり。大小の法則を受け、下國の大厚の依靠を為して、乃ち天下の道を任ぐべしを言う】。恐れ戁え悚わず、その勇を敷奏せん』【戁は恐、悚は懼、敷は陳、奏は薦】。勇武強かな、文その質に勝ざるなり【子路の強勇、文の質に勝ざるを言う】。宿長を恭しくし幼孤を恤み、賓旅を忘れず【賓旅は寄客なり】、學を好みて藝博く、物を省察して勤む【諸事を省錄して能く勤む】、冉求の行なり。孔子は因りて之に告げて曰く、『學を好むは即ち智、孤弱を恤むは即ち惠、恭は則ち禮に近く、勤は則ち繼有り。堯舜は篤恭を以て天下を王たり。』之を稱して曰く、國老と為るべし【國老は德教を宣布するを助く】。」齊莊にして能く嚴肅し、志通達にして禮を好み、兩國之間の儐相を摯り、篤雅にして節有るは、公西赤之行なり。孔子曰く。『禮經三百は、勉めて以て知る可し』【禮經三百は勉學して能く知る可し。威儀三千は則ち難し。能く三千の威儀を躬行するは難し、而も公西赤は能く躬行す】。公西赤問う曰く。『何の謂かや』。」
’子曰:‘貌以儐禮,禮以儐辭,是謂難焉.’言所以為者當觀容貌而儐相其禮度其禮而儐相其辭度事制儀故難也眾人聞之,以為成也.孔子語人曰:‘當賓客之事,則達矣.”眾人聞公西赤能行三千之威儀故以為成也孔子曰當賓客之事則達未盡達於治國之本體也謂門人曰:‘二三子之慾學賓客之禮者,其於赤也,滿而不盈,實而如虛,過之如不及,先王難之.’盈而如虛過而不及是先王之所難而會參體其行博無不學,其貌恭,其德敦,其言於人也,無所不信,其驕於人也,常以浩浩,浩然志大驕太貌也大人富貴者也是以眉壽,不慕富貴安靜虛無所以為之富貴是曾參之行也.孔子曰:‘孝,德之始也;悌,德之序也;悌以敬長是德之次序也信,德之厚也;
孔子は曰く。「欲、容貌を以て禮に濟わんとす。禮を以て辭に濟わんとす。之を難と謂うなり。」【所為の事は容貌を觀て禮に濟い、禮を度えて辭に濟い、事を量りて儀節を成す。ゆえに難し】衆人は聞きて、以て成れりと為す。孔子は人に謂りて曰く。「當賓客の事は則ち達なり。」【衆人は公西赤の能く威儀三千を行うを聞きて、以て已に成れりと為す。孔子は當賓客の事は達なりと言うも、未だ治国の體に達したるにあらず】門人に謂りて曰く。「二三子の賓客の禮を學ばんと欲するや、則ち赤に學べ。滿ちて滿ちざるがごとく、實にして虛のごとく、過て及ばざるがごとくは、先王これを難と為す。」【滿にして虛、過て不及は、先王の難と為す所。曾參はこの德を體せり】博學にして學ばざるなく、容貌恭しく、德敦厚く、人に言うに誠信ならざるなく、大人には常に浩然の氣象あり【浩然は志の大なるを言う。驕は氣象大なるの狀。大人は富貴の人】、以て壽なり。富貴を慕わず、寂寞虛無にして、能くこの富貴なり、曾參の行なり。孔子は曰く。「孝は德の始め、悌は德の序【悌は長を敬う。德の序なり】、信は德の厚、
忠,德之正也.參中夫四德者也,以此稱之.’美功不伐,貴位不善,不侮不佚侮佚貪功慕勢之貌不傲無告,鰥寡孤獨此四者天民之窮而無告者也子張之行不傲此四者是顓孫師之行也.孔子言之曰:‘其不伐,則猶可能也,其不弊百姓,則仁也,不弊愚百姓即所謂不傲之也詩云:愷悌君子,民之父母.愷樂悌易也樂以強教之易以說安之民皆有是父之尊母之親也夫子以其仁為大學之深.’學而能入其深義也送迎必敬送迎賓客常能敬也上交下接若截焉,是卜商之行也.孔子說之以詩曰:‘式夷式已,無小人殆,式用夷平也言用平則已也殆危也無以小人至於危也若商也,其可謂不險矣.’險危也言子夏常厲以斷之近小人斷不危貴之不喜,賤之不怒,苟利於民矣,廉於行己,其事上也以佑其下,言所以事上乃欲佑助其下也是澹臺滅明之行也.孔子曰:‘獨貴獨富,君子助之,夫也中之矣.’夫謂滅明中猶當也先成其慮,及事而用之,故動則不妄,是言偃之行也.孔子曰:‘欲能則學,欲知則問,欲善則詳,欲善其事當詳慎也欲給則豫,事欲給而不礙則莫若於豫當是而行,偃也得之矣.’獨居思仁,公言仁義,其於詩也,則一日三覆白圭之玷,玷缺也詩曰白圭之玷尚可磨也斯言之玷不可為也一日三覆之慎之至也是宮絛之行也.孔子信其能仁,以為異士.殊異之士也大戴引之曰以為異姓婚姻也以兄之女妻之者也自見孔子,出入於戶,未嘗越禮,?來過之,足不履影,言其?
忠は德の正なり。參はこの四德に中れり。」此を以て之を稱す。功を美して伐らず、位を貴ぶに喜ばず、侮佚せず、傲上せず【侮佚は功を貪り勢を慕うの狀】、告無き者を傲せざるは【鰥寡孤獨、この四者は天民の窮にして告う所なき者。子張の德はこの四者を傲せざるなり】、顓孫師の行なり。孔子は之を論じて曰く。『その伐らざるは、猶ほ可なり。その百姓を弊せざるは、仁なり【蒙昧の百姓を弊せざるは、所謂傲せざるなり〕。《詩》に云く、愷悌君子、民の父母なり【愷は樂、悌は平易。樂和を以て教を強くし、平易を以て安を說べば、民皆この父の尊・母の親を得ん】。夫子はその仁を以て其の學深しと為す』【學びてその深義に入ること能う】。送迎は必ず敬す【送迎賓客常に敬すること能う】、上交下接や截如【截は明、辨は別。截如は限界分明なり】、卜商の德なり。孔子は詩を以て之に說きて曰く。『式夷式已、小人は殆なきなり【式は用、夷は平。公平を用えば已む。殆は危。小人に因りて危に至ることなかれ】。商と若しきは、可謂不險なり』【險は危。子夏は常に果斷を以て己を勵まし、小人に近けれども果斷にして危ならず】。貴に之けれど喜ばず、賤に之けれど怒らず、苟に民に利あれば、其身を廉にし、上に事うるは下を佑けんと為すなり【上に事うるゆえんは、下を佑けんと欲するを言う】、澹臺滅明の行なり。孔子は曰く。『獨貴獨富すれば君子は之を助く。その人は中に當れり』【夫は滅明、中は當】。先に其の慮を成し、事及びて用ゆ。故に動妄ならざるは、言偃の行なり。孔子は曰く。『能わんと欲せば學び、知らんと欲せば問い、善からんと欲せば詳愼し【事を善くせんと欲せば當に詳愼すべし】、給足せんと欲せば豫め備う【事を給足にして滯なからんと欲せば、豫備するより善きはなし】、此に順いて行うに、偃之を得たり』。獨居すれば仁を思い、公言すれば義を思い、詩に於ては一日に三復白圭の玷【玷は缺。《詩》に云く、白圭の玷は猶ほ磨く可し、斯の言の玷は為る可からず。一日に三復するは、愼之極みなり】、宮縧の行なり。孔子はその仁する能くを信じて、以為異士と為す【殊異の士。大戴の引は以為異姓と作るは婚姻なり。兄の女を以て之に妻せり】。孔子を見てより、戶を出入するに未だ嘗て越禮せず。往來して來たるや、足は履影せず【來たる時常に舊跡に順い、故に足影を履まずを言う】。
來常跡故跡不履影也啟蟄不殺,春分當發蟄蟲啟戶鹹出於此時不殺生也方長不折,春夏生長養時草木不折執親之喪,未嘗見齒,是高柴之行也.孔子曰:‘柴於親喪,則難能也,啟蟄不殺,則順人道,方長不折,則恕仁也,成湯恭而以恕,是以日隮.’隮升也成湯行恭而能恕出見博鳥焉四面絕網乃去其三面詩曰湯降不遲聖敬日隮言湯疾行下人之道其聖敬之德日升聞也凡此諸子,賜之所親睹者也,吾子有命而訊賜,訊問賜也固不足以知賢.”文子曰:“吾聞之也,國有道則賢人興焉,中人用焉中庸之人為時用也乃百姓歸之,若吾子之論,既富茂矣,壹諸侯之相也,壹皆抑世未有明君,所以不遇也.”子貢既與衛將軍文子言,適魯見孔子曰:“衛將軍文子問二三子之於賜,不壹而三焉,賜也辭不獲命,以所見者對矣,未知中否,請以告.”孔子曰:“言之乎.”子貢以其辭狀告孔子.子聞而笑曰:“賜,汝次焉人矣.”言為知人之次子貢對曰:“賜也何敢知人,此以賜之所睹也.”孔子然:“吾亦語汝耳之所未聞,目之所未見者,豈思之所不至,智之所未及哉.”子貢曰:“賜願得聞之.”孔子曰:“不克不忌,不念舊怨,蓋伯夷叔齊之行也;思天而敬人,服義而行信,孝於父母,恭於兄弟,從善而不教,蓋趙文子之行也;其事君也,不敢愛其死,然亦不敢忘其身,謀其身不遺其友,君陳則進而用之,陳謂陳列於君為君之使用也不陳則行而退,蓋隨武子之行也;其為人之淵源也,多聞而難誕,誕嘆內植足以沒其世,國家有道,其言足以治,無道,其默足以生,蓋銅鍉伯華之行也;外寬而內正,自極於隱括之中,隱括所以自極直己而不直人,汲汲於仁,以善自終,蓋蘧伯玉之行也;孝恭慈仁,允德義圖,允信也圖謀也約貨去怨,夫利怨之所聚故約省其貨以遠去其怨輕財不匱,蓋柳下惠之行也;
啟蟄は殺さず【春分に當りて蟄蟲を出さしむ。此の時生を殺さず】、方長るは折らず【春夏の生養する時は草木を折らず】。親の喪に執するや、未だ嘗て齒を見せず。高柴の行なり。孔子は曰く。『柴は親の喪に於て則ち能くし難し。啟蟄は殺さざるは、人道に順うなり。方長は折らざるは、恕仁なり。湯は恭而又た恕なり、以て聖德日に躋る』【𬯀は升。湯の行うや恭にして能く恕なり。出でて野に敷くの罟を見るや、四面絶圍せり、乃ち三面を去る。《詩》に云く、湯降りて遲れず、聖敬日に躋る。湯が下人の道を行うに急なると、其の聖敬の德の日に升りて聞ゆるを言う】。凡そこの數人は、賜の親しく見る所なり。吾子、命有りて賜に訊う【訊は問】。賜は固より賢を知るに足らず。」文子曰く。「吾の聞くに、國有道なれば賢人は興り、中人は用はれ【中庸の人は其の時に用はる】、於是百姓は歸す。吾子の論を按するに、已に富茂なり。壹皆諸侯の輔と為る可し【壹は皆】、世に明君未だ有らず、故に遇わざるなり。」子貢は已に衞將軍文子と言畢り、魯に至り孔子を見て曰く。「衞將軍文子は賜に諸弟子を問う。不一面、三に至る。賜は辭けども命を獲ず、所見を以て對えたり。當否を知らず、請い以て告げん。」孔子曰く。「之を言え。」子貢はその辭狀を以て孔子に告ぐ。孔子は聞きて笑い曰く。「賜や、汝は次に人を知るなり。」【人を知るに次なるを為すを言う】子貢は對えて曰く。「賜は焉んぞ敢えて人を知らんや。此れ亦た賜の所見のみ。」孔子曰く。「然なり。吾は亦た汝の耳の聞かざる、目の見ざるを語らん。豈に思慮の及ばざる、智の逮ばざるなるや。」子貢曰く。「賜は願わくは之を聞かん。」孔子曰く。「苛を貳せず、不忌し、舊怨を錄せざるは、蓋し伯夷・叔齊の行なり。天を思い人を敬し、義に服して信を行い、父母に孝して兄弟に恭にし、善に從い教を濡さざるは【濡は浸】、蓋し趙文子の行なり。その君に事うるや、其の死を愛さざれば、然れども其身を忘る敢えてせず。身を謀るに朋友を遺れず。君陳れば則ち進みて用はれ【陳は陳列。君に陳列せられて用ひらる】、陳らざれば則ち行きて退くは、蓋し隨武子の行なり。その人と為るや、淵源のごとく、多聞にして誕し難し【誕は欺】、内植りて其の世を没するに足る。國有道なれば、其の言は治むるに足る。無道なれば、其の黙は生くるに足るは、蓋し銅鞮伯華の行なり。外寬にして内正し、己を隱括の規に直し【隱括は以て矯正して直なる所】、己は直なるも人の直を求めず、汲汲として仁を務め、善を以て其の終を為すは、蓋し蘧伯玉の行なり。孝恭慈仁、德に允して義に圖る【允は信、圖は謀】、貨を約して怨を去り【利は怨の聚むる所。故に貨を約して怨を遠ざく】、財を輕んじて匱乏せざるは、蓋し柳下惠の行なり。
其言曰,君雖不量於其身,謂不量度其臣之德器也臣不可以不忠於其君,是故君擇臣而任之,臣亦擇君而事之,有道順命,君有道則順從其命無道衡命,衡橫也謂不受其命之隱居者也蓋晏平仲之行也;蹈忠而行信,終日言不在尤之內,尤過國無道,處賤不悶,悶憂貧而能樂,蓋老子之行也;易行以俟天命,易治居下不援其上,雖在下位不攀援其上以求進其親觀於四方也,不忘其親,不盡其樂,雖有觀四方之樂常念其親不盡其歸之以不能則學,不為己終身之憂,凡憂憂所知不能則學何憂之有蓋介子山之行也.”子貢曰:“敢問夫子之所知者,蓋盡於此而已乎?”孔子曰:“何謂其然?亦略舉耳目之所及而矣.昔晉平公問祁奚曰:‘羊舌大夫,晉之良大夫也,其行如何?’祁奚辭以不知.公曰:‘吾聞子少長乎其所,於其所長今子掩之,何也?’祁奚對曰:‘其少也恭而順,心有恥而不使其過宿;心常有所恥惡及其有過不令更宿輒改其為大夫,悉善而謙其端;盡善道而謙讓是其正也其為輿尉也,信而好直其功,言其功直,至於其為容也,溫良而好禮,博聞而時出其志.’時出以其出之誨未及之是其志也公曰:‘曩者問子,子奚曰不知也?’祁奚曰:‘每位改變,未知所止,是以不敢得知也,此又羊舌大夫之行也.’”子貢跪曰:“請退而記之.”
其の言に曰く、君、臣の身を度らずと雖も【臣の德器を度らざるを言う】、臣は以て君に忠ならざる可からず。故に君、臣を擇び以て任い、臣も亦た君を擇び以て事う。道有れば則ち命に順い【君道有れば則ち其の命に順う】、道無ければ則ち衡命【衡は橫。命を受けずして隱居するを言う】。蓋し晏平仲の行なり。忠を蹈み信を行い、終日言うに尤内ならず【尤は過】。國無道なれば賤に處るも悶せず【悶は憂】、貧にして能く樂しむは、蓋し老子の行なり。行を易して天命を俟ち【易は治】、其の下に居るも上援せず【下位に在ると雖も上に攀援して進を求めず】、四方に遊觀して其の親を忘れず、樂を盡さず【四方を觀るの樂有りと雖も、常に親を思い、歸の樂を盡さず】、不能に以て學び、終身の憂を己に遺れず【凡そ憂とは、其の知る所の不能を憂う。能く學ばば何の憂かあらん】。蓋し介子山之行なり。」子貢曰く。「敢問う、夫子の知る所は、蓋し此に止まるのみ。」孔子曰く。「何ぞ其れ然りや。亦た略々耳目の及ぶ所を挙ぐるのみ。昔者、晉平公は祁奚に問う曰く。『羊舌大夫は晉國の良大夫なり。其の行何如』。祁奚は辭して知らずと對えたり。公曰く。『吾、子の少きより此に長るを聞く【其の長成する所に在り】。今、子は之を揜う。何ぞや』。祁奚對えて曰く。『其の少きや、恭にして順い。心有恥にして其の過を宿せざらしむ【心は常に恥惡する所有り。過有れば宿せずして改む】。其の大夫と為るや、善を盡して謙讓す。其の正なり【善道を盡して謙讓す。其の正なり】。其の輿尉と為るや、信にして其の功を直言を好む【其の功を直なりと言う】。至於其の儀容や、溫良にして禮を好み、博聞にして時に其の志を出だす【時に出して未だ及ばざる者を教え誨るは、其の志なり』。公曰く。『曩者、子に問う。子、何ぞ曰く不知とや』。祁奚曰く。『每位改變して、居を止する所を知らず。以て敢えて知るを言わざるなり。此れ又た羊舌大夫の行なり』。」子貢は跪きて曰く。「請う、退きて記せん。」
賢君第十三
賢君第十三
哀公問於孔子曰:“當今之君,孰為最賢?”孔子對曰:“丘未之見也,抑有衛靈公乎?”公曰:“吾聞其閨門之內無別,而子次之賢,何也?”孔子曰:“臣語其朝廷行事,不論其私家之際也.”公曰:“其事何如?”孔子對曰:“靈公之弟曰,靈公弟子渠牟,其智足以治千乘,其信足以守之,靈公愛而任之.又有士林國者,見賢必進之,而退與分其祿,是以靈公無遊放之士,靈公賢而尊之.又有士曰慶足者,衛國有大事則必起而治之,國無事則退而容賢,言其所以退者欲以容賢於朝靈公悅而敬之.又有大夫史?,以道去衛,而靈公郊舍三日,琴瑟不御,必待史?之入,而後敢入.臣以此取之,雖次之賢,不亦可乎.”
魯哀公は孔子に問うた。「當今の君は、孰れか最も賢なる。」孔子は對えて曰く。「丘は未だ之を見ず。將た衛靈公か。」哀公曰く。「吾、彼の閨門の内に別なきを聞く。而も子は之を賢に次す。何ぞや。」孔子曰く。「臣は其の朝廷の事を語り、其の私家之處を語らざるなり。」哀公曰く。「其の事は何如。」孔子對えて曰く。「靈公の弟子渠牟【靈公の弟子渠牟】は、智、千乘を治むるに足り、信、其を守るに足る。靈公は愛して之を任う。又た士に林國あり、賢者を見れば必ず推す。退けば則ち其の祿を分ち與う。以て靈公無遊士【以其を祿分とすれば、士の遊放する者なし】。靈公は賢にして尊ぶ。又た士に慶足あり。衛國に大事有れば則ち出て治め、國無事なれば則ち退きて以て賢を容る【其の退く所以は、朝に賢位を容れんと欲するを言う】。靈公は說びて敬す。又た大夫に史魚あり、道を以て衛を去る。靈公は郊に邸すこと三日、琴瑟御らず、必ず史魚の入るを待ちて、而る後に敢えて入る。臣以て此を取る。雖次賢も、亦可ならざるか。」
子貢問於孔子曰:“今之人臣,孰為賢?”子曰:“吾未識也,?者齊有鮑叔,鄭有子皮,則賢者矣.”子貢曰:“齊無管仲,鄭無子產.”子曰:“賜,汝徒知其一,未知其二也.汝聞用力為賢乎?進賢為賢乎?”子貢曰:“進賢賢哉.”子曰:“然,吾聞鮑叔達管仲,子皮達子產,未聞二子之達賢己之才者也.”
子貢は孔子に問うた。「今の人臣、孰れか賢なる。」孔子曰く。「吾は未だ識らず。往者、齊に鮑叔あり、鄭に子皮あり。則ち賢なり。」子貢曰く。「齊に管仲、鄭に子産なくばや。」孔子曰く。「賜や、汝は其の一を知りて其の二を知らず。汝、用力を賢と為すを聞くや、進賢を賢と為すを聞くや。」子貢曰く。「進賢は賢なり。」孔子曰く。「然なり。吾、鮑叔が管仲を達せしめ、子皮が子産を達せしめしを聞く。未だ二子の己が賢より賢を達せしむるを聞かざるなり。」
哀公問於孔子曰:“寡人聞忘之甚者,徙而忘其妻,有諸?”孔子對曰:“此猶未甚者也.甚者乃忘其身.”公曰:“可得而聞乎?”孔子曰:“昔者夏桀,貴為天子,富有四海,忘其聖祖之道,壞其典法,廢其世祀,荒於淫樂,耽湎於酒,佞臣諂諛,窺導其心,忠士折口,逃罪不言,折口杜口天下誅桀.而有其國,此謂忘其身之甚矣.”
魯哀公は孔子に問うた。「寡人聞く、忘善の甚者は、宅を徙し其の妻を忘る。之諸有るか。」孔子對えて曰く。「此れ猶ほ忘善の甚者に非ず。甚者は則ち其身を忘る。」哀公曰く。「聞く可からんか。」孔子曰く。「昔者、夏桀は貴くして天子と為り、富みて四海を有つ。其の聖祖之道を忘れ、其の典法を壞し、其の世祀を廢し、淫樂に荒み、耽湎に沈り。佞臣は諂諛して、導窺其の心。忠士は折口【折口は杜口】、罪を逃れて言わず。天下は桀を誅して其の國を有つ。此れ忘其身之甚を謂うなり。」
顏淵將西遊於宋,問於孔子曰:“何以為身?”子曰:“恭敬忠信而已矣.恭則遠於患,敬則人愛之,忠則和於眾,信則人任之,勤斯四者,可以政國,豈特一身者哉.特但故夫不比於數,而比於,不亦遠乎;不比親數近疏遠也不修其中,而修外者,不亦反乎;慮不先定,臨事而謀,不亦晚乎.”
顔淵將に西遊して宋に至らんとす。孔子に問う曰く。「何以て身と為る。」孔子曰く。「恭敬忠信而已矣。恭は則ち衆を遠ざけ、敬は則ち人に愛せられ、忠は則ち衆に和し、信は則ち人に任ぜらる。此の四者を勤むれば、以て一國を治むる可し。何ぞ特に一身なるや【特は但】。故に宜しき所に親しまずして、疏き所を親しむは、亦た僻かならずや【不比は親數近、疏遠】。其の内を修めずして其の外を修るは、亦た反かならずや。慮を先に定めずして事に臨みて謀るは、亦た晩かならずや。」
孔子讀詩於正月六章,惕焉如懼,曰:“彼不達之君子,豈不殆哉.從上依世則道廢,違上離俗則身危,時不興善,己獨由之,則曰非妖即妄也.故賢也既不遇天,恐不終其命焉,桀殺龍逢,紂殺比干,皆類是也.詩曰:‘謂天蓋高,不敢不局,謂地蓋厚,不敢不蹐.’此正月六章之辭也局曲也言天至高己不敢不曲身危行恐上幹忌諱也蹐累足也言地至厚己不敢不累足恐陷累在位之羅網此言上下畏罪,無所自容也.”
孔子は詩を讀み、《正月》六章に於て、惕然として懼る所有るがごとし。曰く。「彼の不達の君子は、殆からざるか。上に從い俗に依れば則ち道廢れ、上に違い俗に離れれば則ち身危し。時世は善を興さず、己獨り此の由を行かば、則ち以て非妖なりと曰われ非妄なりと曰わる。故に賢は既に天時に遇わず、又た其の終命を不終はんことを恐る。桀は關龍逢を殺し、紂は比干を殺せり。皆此の類なり。《詩》に云く。『天謂う、蓋し高し、為敢踳跼せずや。地謂う、蓋し厚し、為敢蹐せずや』【此れ《正月》六章の辭。局は曲。天極高しと言うも己敢えて身を曲げ慎みて行かざるなし。上の忌に觸るるを畏るればなり。蹐は累足。地極厚しと言うも己敢えて足を累ねて行かざるなし。在位の羅網に陷るを畏るればなり】。此れ上下の罪を畏れ、身を容るる所なきを言うなり。」
子路問於孔子曰:“賢君治國,所先者何?”孔子曰:“在於尊賢而賤不肖.”子路曰:“由聞晉中行氏尊賢而賤不肖矣,其亡何也?”孔子曰:“中行氏尊賢而不能用,賤不肖而不能去,賢者知其不用而怨之,不肖者知其必己賤而讎之,怨讎並存於國,鄰敵構兵於郊,中行氏雖欲無亡,豈可得乎.”
子路は孔子に問うた。「賢君の國を治むるや、最先に為す所は何ぞや。」孔子曰く。「其の賢を尊び不肖を賤むに在り。」子路曰く。「由、晉の中行氏は賢を尊び不肖を賤むと聞く。其の亡ぶるは何ぞや。」孔子曰く。「中行氏は賢を尊ぶも用うる能わず、不肖を賤むも去る能わず。賢者は其の己を用いざるを知りて之を怨み、不肖者は其の己の必ず賤めらるるを知りて之を讐う。怨讐は並び存して國中に在り、鄰敵は兵を郊に構う。中行氏、雖亡びざらんと欲するも、何ぞ之を得んや。」
孔子閒處,喟然而嘆曰:“向使銅鞮伯華無死,則天下其有定矣.”子路曰:“由願聞其人也.”子曰:“其幼也敏而好學,其壯也有勇而不屈,其老也有道而能下人,有此三者,以定天下也,何難乎哉!”子路曰:“幼而好學,壯而有勇,則可也.若夫有道下人,又誰下哉?”子曰:“由不知,吾聞以眾攻寡,無不克也,以貴下賤,無不得也.昔者周公居冢宰之尊,制天下之政,而猶下白屋之士,草屋也日見百七十人,斯豈以無道也,欲得士之用也.惡有道而無下天下君子哉?”
孔子は閑居し、喟然として嘆息して曰く。「鄉使銅鞮伯華死なざらましかば、天下其れ定まるに有らんや。」子路曰く。「由、願わくは其の人を聞かん。」孔子曰く。「其の幼也や、敏にして學を好み。其の壯也や、勇有りて不屈なり。其の老也や、道有りて能く下なり。此の三者有りて以て天下を定めん、何の難きか有らん。」子路曰く。「幼にして學を好み、壯にして勇有れば、則ち可なり。若し夫れ道有りて能く下るは、又た誰に下るか。」孔子曰く。「由、知らず。吾聞く、衆を以て寡を攻むるに、克たざるはなし。貴にして賤に下るに、得ざるはなし。昔者周公は冢宰の尊を居り、天下の政を制し、猶ほ白屋之士に下り【白屋は草屋】、日に見る所の士は百七十人。斯れ豈に道なきや。士の用を得んと欲するなり。惡に道有りて天下の君子に下らざる有らんや。」
齊景公來適魯,舍於公館,使晏嬰迎孔子,孔子至,景公問政焉.孔子答曰:“政在節財.”公悅,又問曰:“秦穆公國小處僻而霸,何也?”孔子曰:“其國雖小其志大,處雖僻而政其中,其舉也果,其謀也和,法無私而令不愉,愉宜為偷愉苟且也首拔五羖,爵之大夫,首宜為身五羖大夫百里奚也與語三日而授之以政,此取之雖王可,其霸少矣.”景公曰:“善哉.”
齊景公は魯に適來し、公館に舍て、晏嬰をして孔子を迎えしむ。孔子至り、公は之に政を問う。孔子對えて曰く。「政は財を節するに在り。」公說び、又た問う曰く。「秦穆公は國小にして處僻なるも、其の覇たるは何ぞや。」孔子曰く。「其の國は小なりと雖も、其の志は大なり。處は僻なりと雖も、其の政は中り。其の舉も果、其の謀も和、其の法も私ならず、令愉らず【愉は當に偷と作る。苟且なり】。親しく五羊の皮を以て之を率せしを舉げて、大夫の爵を與え【首は當に身と作る。五羖大夫は百里奚】、之と語ること三日にして以て政を授ぐ。此れ以て取れば、王たる可し。覇は小なり。」景公曰く。「善なるかな。」
哀公問政於孔子.孔子對曰:“政之急者,莫大乎使民富且壽也.”公曰:“為之奈何?”孔子曰:“省力役,薄賦斂,則民富矣;敦禮教,遠罪疾,則民壽矣.”公曰:“寡人慾行夫子之言,恐吾國貧矣.”孔子曰:“詩云:‘愷悌君子,民之父母.’未有子富而父母貧者也.”
魯哀公は孔子に政を問うた。孔子對えて曰く。「政之急なるや、民を富壽ならしむるより大なるは莫し。」哀公曰く。「為之奈何。」孔子曰く。「力役を省き、斂を薄くせば、則ち民富まん。禮教を崇び、罪疾を遠ざけば、則ち民壽ならん。」哀公曰く。「寡人は夫子之言を行わんと欲す。恐れくは吾國貧ならん。」孔子曰く。「《詩》に云く。『愷悌君子、民之父母』。未だ其子の富みて其の父母の貧なる有らざるなり。」
衛靈公問於孔子曰:“有語寡人有國家者,計之於廟堂之上,則政治矣,何如?”孔子曰:“其可也,愛人者則人愛之,惡人者則人惡之,知得之己者則知得之,人所謂不出環堵之室而知天下者,知反己之謂也.”
衛靈公は孔子に問うた。「有りて寡人に語る者曰く、國家を有つ者は、廟堂の上に計りて、則ち政治る。何如。」孔子曰く。「可なり。人を愛する者は、則ち人之を愛す。人を惡む者は、則ち人之を惡む。己に得之を知れば、則ち人に得之を知る。所謂環堵之室を出でずして天下を知るは、己に反るを知るを謂うなり。」
孔子見宋君,君問孔子曰:“吾欲使長有國,而列都得之,國之列都皆得其道吾欲使民無惑,吾欲使士竭力,吾欲使日月當時,吾欲使聖人自來,吾欲使官府治理,為之奈何?”孔子對曰:“千乘之君,問丘者多矣,而未有若主君之問,問之悉也.然主君所欲者,儘可得也.丘聞之,鄰國相親,則長有國;君惠臣忠,則列都得之;不殺無辜,無釋罪人,則民不惑;士益之祿,則皆竭力;尊天敬鬼,則日月當時;崇道貴德,則聖人自來;任能黜否,則官府治理.”宋君曰:“善哉!豈不然乎!寡人不佞,不足以致之也.”孔子曰:“此事非難,唯欲行之雲耳.”
孔子は宋君を見、君は孔子に問うた。「吾、長く國を保ち、衆都を治めんと欲す【國之衆都を治めんと欲す】、民を惑なからしめんと欲し、士を竭力せしめんと欲し、日月を當時に得せしめんと欲し、聖人の自來せむを欲し、官府の治まるを欲す。為之奈何。」孔子對えて曰く。「千乘之君、丘を問う者衆多なれど、未だ主君之問の丘を備うるごとくならざる有らず。然るに主君之欲する所は、盡可得なり。丘聞く、鄰國相親せば、則ち長く國を保たん。君惠臣忠なれば、則ち都邑治まらん。無辜を殺さず、有罪を釋さざれば、則ち民惑わず。士に益祿せば、則ち皆竭力せん。天を尊び鬼を敬せば、則ち日月當時に得ん。道を崇び德を貴べば、則ち聖人自來らん。能を任じ不肖を黜せば、則ち官府治まらん。」宋君曰く。「善なるかな。豈に然らざるか。寡人は佞ならず、以て致れざる也。」孔子曰く。「此事難からず。唯だ行わんと欲するのみ。」
辯政第十四
辯政第十四
子貢問於孔子曰:“昔者齊君問政於夫子,夫子曰:‘政在節財.’魯君問政於夫子,子曰:‘政在諭臣.’葉公問政於夫子,夫子曰:‘政在悅近而遠來.’三者之問一也,而夫子應之不同,然政在異端乎?”孔子曰:“各因其事也.齊君為國,奢乎臺榭,淫於苑囿,五官伎樂,不解於時,一旦而賜人以千乘之家者三,故曰政在節財.魯君有臣三人,孟孫叔孫季孫三也內比周以愚其君,外距諸侯之賓,以蔽其明,故曰政在諭臣.夫荊之地廣而都狹,民有離心,莫安其居,故曰政在悅近而來遠.此三者所以為政殊矣.詩云:‘喪亂蔑資,曾不惠我師,’蔑無也資財也師眾也夫為亡亂之政重賦厚斂民無資財曾莫肯愛我眾此傷奢侈不節,以為亂者也;又曰:‘匪其止共,惟王之邛.’止止息也邛病也讒人不共所止息故惟王之病此傷奸臣蔽主以為亂也;又曰:‘亂離瘼矣,奚其適歸.’離憂也瘼病也言離散以成憂憶禍亂於斯歸於禍亂者也此傷離散以為亂者也.察此三者,政之所欲,豈同乎哉!”
子貢は孔子に問うた。「昔者、齊君は政を夫子に問う。夫子曰く、『政在節財』。魯君は政を夫子に問う。夫子曰く、『政在諭臣』。葉公は政を夫子に問う。夫子曰く、『政在悅近而來遠』。三者之問は一なるも、夫子之應は各異。然れば政は異端有るか。」孔子曰く。「各其の事に因るなり。齊君の國為るや、奢を臺榭に極め、淫樂を苑囿に極め、五官伎樂は時を解かず【五官伎樂は時を解かず】、一旦に三たび千乘之家を人に賜う。故に曰く、政在節財。魯君に臣三人あり【孟孫・叔孫・季孫】、內比して周以て其の君を愚にし、外諸侯之賓を距りて以て其の明を蔽う。故に曰く、政在諭臣。夫れ荊之地廣くして都狹く、民離心あり、安土に莫し。故に曰く、政在悅近而來遠。此れ三者の政為る所以異なり。《詩》に云く。『喪亂蔑資、曾不惠我師』【蔑は無、資は財、師は衆。亡亂之政を行い、賦斂厚くして、民は財資なく、曾我衆民を惠愛せず】。此れ奢を縱れど節せざる以て亂を傷むなり。又た曰く。『匪其止共、惟王之邛』【止は息、邛は病。讒人は其の止息する所の位に恭せず、故に唯だ王の病を為す】。此れ姦臣が主を蔽う以て亂を傷むなり。又た曰く。『亂離瘼矣、奚其適歸』【離は憂、瘼は病。離散は憂と為り、禍亂此に至る。歸る所は禍亂なり】。此れ離散の亂を傷むなり。夫れ此の三者を察せば、政を為さんと欲する所、豈に同じからんや。」
孔子曰:“忠臣之諫君,有五義焉.一曰譎諫,正其事以譎諫其君二曰戇諫,戇諫無文飾也三曰降諫,卑降其體所以諫也四曰直諫,五曰風諫.唯度主而行之,吾從其風諫乎.”風諫依違遠罪避害者也
孔子曰く。「忠臣の君を諫むるや、五義有り。一に曰く譎諫【事を正して婉辭を以て君を諫む】、二に曰く戇諫【戇諫は文飾なし】、三に曰く降諫【降身を以て諫む】、四に曰く直諫、五に曰く風諫。唯だ主を度りて以て之を行う。吾は其の風諫に從わん。」【風諫は依違其辭、罪を遠ざけ害を避くるなり】
子曰:夫道不可不貴也.中行文子倍道失義,以亡其國,而能禮賢,以活其身,此說陪道失義不宜說得道之意而云禮賢不與上相次配又文子無禮賢之事中行文子得罪於晉出亡至邊從者曰謂此嗇夫者君子也故休馬待駿者文子曰吾好音以子遺吾琴好佩子遺吾玉是以不振吾過自容於我者也吾怨其以我求容也遂不入車人問文子之所右執而不殺之孔子聞之曰文子倍道失義以亡其國然得之由活其身而能禮賢以為宜以然後得也聖人轉禍為福,此謂是與.”若入將死不入得活故曰轉禍為福
孔子曰く。道は貴ばざる可からず。中行文子は道に背き義を失い、以て其の國を亡せり。然る後能く賢を禮して其身を活せり【底本此處注文與正文錯亂、大意は:道に背き義を失うを得道と言うべからずと言い、又た文子禮賢の事なしと言う。中行文子は晉に罪を獲り、出亡して境に至る。從者は此の嗇夫は君子と曰い、故に休馬して待つ。文子曰く、吾、音樂を好めば吾に琴を遺れ、佩玉を好めば吾に玉を遺れ。是れ吾の過を振わずして我を容るなり。吾、其の我を以て容を求むるを恐る。乃ち入らず。車人文子の貴ぶ所を問うも、殺さず】。孔子之を聞きて曰く。「文子は道に背き義を失い以て國を亡し、然れども能く生を得るは、以て猶ほ賢を禮する能くなり。聖人、禍を轉じて福と為すは、斯の謂か。」【若し入らば見殺されん。入らずして得活す。故に曰く轉禍為福】
楚王將遊荊臺,司馬子祺諫,王怒之,令尹子西賀於殿下,諫曰:“今荊臺之觀,不可失也.”王喜拊子西之背曰:“與子共樂之矣.”子西步馬十里,引轡而止,曰:“臣願言有道,王肯聽之乎?”王曰:“子其言之.”子西曰:“臣聞為人臣而忠其君者,爵祿不足以賞也;諛其君者,刑罰不足以誅也.夫子祺者,忠臣也,而臣者,諛臣也,願王賞忠而誅諛焉.”王曰:“我今聽司馬之諫,是獨能禁我耳,若後世遊之,何也?”子西曰:“禁後世易耳,大王萬歲之後,起山陵於荊臺之上,則子孫必不忍遊於父祖之墓,以為歡樂也.”王曰:“善.”乃還.孔子聞之曰:“至哉子西之諫也,入之於千里之上,抑之於百世之後者也.”
楚王將に荊臺に遊ばんとす。司馬子祺は諫め、王は之に怒る。令尹子西は殿下に賀して言う。「今、荊臺之觀は失う可からず。」王喜び、子西の背を拊きて曰く。「若れ與樂せん。」子西は馬を十里走らせ、轡を引きて還りて曰く。「臣、願わくは道有るを言わん。王肯んて聽かんか。」王曰く。「子其れ言え。」子西曰く。「臣聞く、臣と為りて君に忠なる者は、爵祿以て賞すに足らず。君に諛う者は、刑罰以て誅するに足らず。夫子祺は忠臣なり、臣は諛臣なり。願わくは王、忠を賞して諛を誅せん。」王曰く。「今、我は司馬之諫を聽く。是れ能く我を禁ずるのみ。若し後世復た遊ばば奈何。」子西曰く。「後世を禁ずるは易し。大王萬歲之後は、起山陵於荊臺之上とせば、則ち子孫は必ず父祖之墓の上に遊觀して以為歡樂と為さざるを忍ばざらん。」王曰く。「善。」乃ち還る。孔子之を聞きて曰く。「至れるかな、子西之諫。之を千里の上に入れ、抑うること百世の後に在り。」
子貢聞於孔子曰:“夫子之於子產晏子,可為至矣.敢問二大夫之所為,目夫子之所以與之者.”孔子曰:“夫子產於民為惠主,於學為博物;晏子於君為忠臣,而行為恭敏.故吾皆以兄事之,而加愛敬.”
子貢は孔子に問うた。「夫子之於子産・晏子、可謂至矣。敢問う、二大夫之所為と夫子之所以稱之者と。」孔子曰く。「子産は民に於て惠主なり、學問に於て博物なり。晏子は君に於て忠臣なり、行動恭速なり。故に吾は皆兄之禮を以て事え、而も愛敬を加う。」
齊有一足之鳥,飛集於宮朝,下止於殿前,舒翅而跳,齊侯大怪之,使使聘魯,問孔子.孔子曰:“此鳥名曰商羊,水祥也.昔童兒有屈其一腳,振訊兩眉而跳且謠曰:‘天將大雨,商羊鼓舞.今齊有之,其應至矣.’急告民趨治溝渠,修堤防,將有大水為災,頃之大霖雨,水溢泛諸國,傷害民人,唯齊有備,不敗.”景公曰:“聖人之言,信而徵矣.”
齊に一足之鳥有り。飛集して宮朝に止まり、下殿前に至りて、舒翅して跳ぶ。齊侯大いに怪しみ、使を魯に聘して孔子に問う。孔子曰く。「此の鳥の名は商羊、水祥なり。昔児童は屈一脚し、振兩眉して跳び、且つ謠りて曰く、『天將に大雨せんとす、商羊鼓舞』。今、齊之に有るは、其の應至らんとす。急ぎ民に告げて治溝洫し、修堤防せば、將に大水為災あらん。」頃之、大霖雨、水溢して諸國を泛し、民を傷害す。唯だ齊は備有りて敗れず。景公曰く。「聖人之言は、信にして徵有り。」
孔子謂宓子賤曰:“子治單父眾悅,子何施而得之也?子語丘所以為之者.”對曰:“不齊之治也,父恤其子,其子恤諸孤,而哀喪紀.”孔子曰:“善小節也,小民附矣,猶未足也.”曰:“不齊所父事者三人,所兄事者五人,所友事者十一人.”孔子曰:“父事三人,可以教孝矣;兄事五人,可以教悌矣;友事十一人,可以舉善矣.中節也,中人附矣,猶未足也.”曰:“此地民有賢於不齊者五人,不齊事之而稟度焉,皆教不齊之道.”孔子嘆曰:“其大者,乃於此乎,有矣.昔堯舜聽天下,務求賢以自輔.夫賢者,百福之宗也,神明之主也,惜乎不齊之以所治者,小也.”
孔子は宓子賤に謂りて曰く。「子は單父を治め、衆人皆說ぶ。施して以て而得る所は何ぞや。丘に告げよ。」對えて曰く。「不齊之治也、父は其子を恤み、子は其の諸孤を恤み、而且哀喪す。」孔子曰く。「善。小節なり、小民附矣。猶ほ未だ足らず。」曰く。「不齊所父事者三人、所兄事者五人、所友者十一人。」孔子曰く。「父事三人は、可謂教孝矣。兄事五人は、可謂教悌矣。友十一人は、可謂舉善矣。中節なり、中人附矣。猶ほ未だ足らず。」曰く。「此地之民、不齊より賢なる者五人あり。不齊事えて稟度す。皆不齊に道を教う。」孔子は嘆息して曰く。「其の大者は乃ち此れ在り。昔者堯舜清聽天下【堯舜は天下を治むるや】、務めて賢を求め以て己に輔けしむ。夫れ賢者は百福之宗、神明之主なり。惜しむべし、不齊之以治者小也。」
子貢為信陽宰,將行,辭於孔子.孔子曰:“勤之慎之,奉天子之時,無奪無伐,無暴無盜.”子貢曰:“賜也少而事君子,豈以盜為累哉?”孔子曰:“汝未之詳也,夫以賢代賢,是謂之奪;以不肖代賢,是謂之伐;緩令急誅,是謂之暴;取善自與,謂之盜.盜非竊財之謂也.吾聞之知為吏者,奉法以利民,不知為吏者,枉法以侵民,此怨之所由也.治官莫若平,臨財莫如廉,廉平之守,不可改也.匿人之善,斯謂蔽賢.揚人之惡,斯為小人.內不相訓,而外相謗,非親睦也.言人之善,若己有之,言人之惡,若己受之,故君子無所不慎焉.”
子貢は信陽宰たり。將に行かんとし、孔子に辭す。孔子曰く。「勤之愼之、奉天子之時、無奪、無伐、無暴、無盜。」子貢曰く。「賜也少にして君子に事う。豈に以盜為累せむや。」孔子曰く。「汝未だ詳を知らず。夫れ以賢代賢は、是れ奪を謂う。以不肖代賢は、是れ伐を謂う。緩令急誅は、是れ暴を謂う。取善自與は、是れ盜を謂う。盜は非謂竊財貨也。吾聞之、知為吏者は、奉法以利民。不知為吏者は、枉法以侵民。此れ怨所由生也。治官莫若平、臨財莫如廉。廉平之守、不可改也。匿人之善、斯謂蔽賢。揚人之惡、斯為小人。內不相訓而外相謗、非親睦也。言人之善、若己有之。言人之惡、若己受之。故君子無所不愼焉。」
子路治蒲三年,孔子過之,入其境曰:“善哉由也,恭敬以信矣.”入其邑曰:“善哉由也,忠信而寬矣.”至廷曰:“善哉由也,明察以斷矣.”子貢執轡而問曰:“夫子未見由之政,而三稱其善,其善可得聞乎?”孔子曰:“吾見其政矣.入其境,田疇盡易,草萊甚闢,溝洫深治,此其恭敬以信,故其民盡力也;入其邑,牆屋完固,樹木甚茂,此其忠信以寬,故其民不偷也;至其庭,庭甚清閒,諸下用命,此其言明察以斷,故其政不擾也.以此觀之,雖三稱其善,庸盡其美乎!”
子路は蒲を治むること三年、孔子過ぎて之に入りて曰く。「善なるかな由、恭敬以て信矣。」入邑に入りて曰く。「善なるかな由、忠信以寬矣。」至庭に至りて曰く。「善なるかな由、明察以斷矣。」子貢は轡を執りて問う曰く。「夫子未だ由之政を見ざるも、三稱其善。其の善は聞かんこと可きか。」孔子曰く。「吾已に其の政を見たり。入其境に入れば、田疇盡易、草萊甚闢、溝洫深治。此れ其の恭敬以信、故に民盡力也。入其邑に入れば、牆屋完固、樹木甚茂。此れ其の忠信以寬、故其民不苟且也。至其庭に至れば、庭甚清閑、諸下用命。此れ其の言明察以斷、故其政不擾也。以此觀之、雖三稱其善、庸盡其美乎。」
孔子家語 巻四
六本第十五
六本第十五
孔子曰:“行己有六本焉,然後為君子也.立身有義矣,而孝為本;喪紀有禮矣,而哀為本;戰陣有列矣,而勇為本;治政有理矣,而農為本;居國有道矣,而嗣為本;繼嗣不立則亂之萌生財有時矣,而力為本.置本不固,無務農桑;親戚不悅,無務外交;事不終始,無務多業;記聞而言,無務多說;但說所聞而言言不出說中故不可以務多說比近不安,無務求遠.是故反本修邇,君子之道也.”
孔子曰く。「行己有六本焉、然後為君子也。立身有義矣而孝為本。喪紀有禮矣而哀為本。戰陣有列矣而勇為本。治政有理矣而農為本。居國有道矣而嗣為本【繼嗣不立は則ち亂之源也】。生財有時矣而力為本。置本不固、無務農桑。親戚不悅、無務外交。事不終始、無務多業。記聞而言、無務多說【但記其所聞而言、言非己所出、故不可務多說也】。比近不安、無務求遠。是故反本修邇、君子之道也。」
孔子曰:“良藥苦於口而利於病,忠言逆於耳而利於行.湯武以諤諤而昌,桀紂以唯唯而亡.君無爭臣,父無爭子,兄無爭弟,士無爭友,無其過者,未之有也.故曰:‘君失之,臣得之.父失之,子得之.兄失之,弟得之.己失之,友得之.’是以國無危亡之兆,家無悖亂之惡,父子兄弟無失,而交友無絕也.”
孔子曰く。「良藥苦於口而利於病、忠言逆於耳而利於行。湯武以諤諤而昌、桀紂以唯唯而亡。君無爭臣、父無爭子、兄無爭弟、士無爭友、無其過者未之有也。故曰、君失之、臣得之。父失之、子得之。兄失之、弟得之。己失之、友得之。是以國無危亡之兆、家無悖亂之惡、父子兄弟無失、而交友無絕也。」
孔子見齊景公,公悅焉,請置廩丘之邑以為養.孔子辭而不受.入謂弟子曰:“吾聞君子賞功受賞,今吾言於齊君,君未之有行,而賜吾邑,其不知丘亦甚矣.”於是遂行.
孔子は齊景公を見。公悅之、請欲以廩丘之邑以為養。孔子辭而不受。入謂弟子曰。「吾聞之、君子當功受賞。今吾言於齊君、君未之有行、而賜吾邑。其不知丘、亦甚矣。」令弟子趣駕、辭而行。
孔子在齊,舍於外館,景公造焉.賓主之辭既接,而左右白曰:“周使適至,言先王廟災.”景公覆問災何王之廟也.孔子曰:“此必釐王之廟.”公曰:“何以知之?”孔子曰:“‘詩云:皇皇上天,其命不忒,天之以善,必報其德.此逸詩也皇皇美貌也忒差也’禍亦如之.夫釐王變文武之制,而作玄黃華麗之飾,宮室崇峻,輿馬奢侈,而弗可振也,振救故天殃所宜加其廟焉,以是占之為然.”公曰:“天何不殃其身,而加罰其廟也?”孔子曰:“蓋以文武故也.若殃其身,則文武之嗣,無乃殄平,故當殃其廟,以彰其過.”俄頃,左右報曰:“所災者,釐王廟也.”景公驚起,再拜曰:“善哉!聖人之智,過人遠矣.”子貢三年之喪畢,見於孔子.子曰:“與之琴,使之弦,侃侃而樂,作而曰:‘先王制禮,弗敢過也.’”子曰:‘君子也.’子貢曰:‘閔子哀未盡.’夫子曰:‘君子也.’子夏哀已盡,又曰:‘君子也.’二者殊情而俱曰君子,賜也或敢問之.”孔子曰:“閔子哀未忘,能斷之以禮;子夏哀已盡,能引之及禮.雖均之君子,不亦可乎.”
孔子在齊、舍于外館。景公造焉。賓主之辭既接、而左右白曰、周使適至、言先王廟災。景公復問災何王之廟也。孔子曰。「此必釐王之廟。」公曰。「何以知之。」孔子曰。「詩云、皇皇上天、其命不忒。天之以善、必報其德【此逸詩也。皇皇美貌也、忒差也】、禍亦如之。夫釐王變文武之制、而作玄黃華麗之飾、宮室崇峻、輿馬奢侈、而弗可振也【振救也】。故天殃所宜加其廟焉。以是占之為然。」公曰。「天何不殃其身、而加罰其廟也。」孔子曰。「蓋以文武故也。若殃其身、則文武之嗣、無乃殄乎。故當殃其廟、以彰其過。」俄頃、左右報曰、所災者、釐王廟也。景公驚起、再拜曰。「善哉。聖人之智、過人遠矣。」子貢三年之喪畢、見於孔子。子曰。「與之琴、使之絃。」侃侃而樂。作而曰、「先王制禮、不敢過也。」子曰。「君子也。」子貢曰。「閔子哀未盡。」夫子曰、「君子也。」「子夏哀已盡。」又曰、「君子也。」賜曰、「敢問何謂。」子曰、「閔子哀未忘、能斷之以禮。子夏哀已盡、能引之及禮。雖均之謂君子、不亦可乎。」
孔子曰:“無體之禮,敬也;無服之喪,哀也;無聲之樂,歡也.不言而信,不動而威,不施而仁.志夫鍾之音,怒而擊之則武,憂而擊之則悲,其志變者,聲亦隨之.故志誠感之,通於金石,而況人乎!”
孔子曰。「無體之禮、敬也。無服之喪、哀也。無聲之樂、歡也。不言而信、不動而威、不施而仁。志夫鐘之音、怒而擊之則武、憂而擊之則悲。其志變者、聲亦隨之。故志誠感之、通于金石、而況人乎。」
孔子見羅雀者所得,皆黃口小雀.夫子問之曰:“大雀獨不得,何也?”羅者曰:“大雀善驚而難得,黃口貪食而易得.黃口從大雀則不得,大雀從黃口亦不得.”孔子顧謂弟子曰:“善驚以遠害,利食而忘患,自其心矣,而以所從為禍福.故君子慎其所從,以長者之慮,則有全身之階,隨小者之戇,而有危亡之敗也.”
孔子見羅雀者、所得皆黃口小雀。夫子問之曰、「大雀獨不得、何也。」羅者曰、「大雀善驚而難得、黃口貪食而易得。黃口從大雀則不得、大雀從黃口亦不得。」孔子顧謂弟子曰、「善驚以遠害、利食而忘患、自其心矣。而以所從為禍福。故君子慎其所從。以長者之慮、則有全身之階。隨小者之戇、而有危亡之敗也。」
孔子讀易至於損益,喟然而嘆.子夏避席問曰:“夫子何嘆焉?”孔子曰:“夫自損者必有益之,自益者必有決之,易損卦次得益益次夬夬決也損而不已必益故受之以益益而不已必決故受之以夬吾是以嘆也.”子曰:“然則學者不可以益乎?”子曰:“非道益之謂也.道彌益而身彌損.夫學者損其自多,以虛受人,故能成其滿博哉.天道成而必變,凡持滿而能久者,未嘗有也.故曰:‘自賢者,天下之善言不得聞於耳矣.’昔堯治天下之位,猶允恭以持之,克讓以接下,允信也克能也是以千歲而益盛,迄今而逾彰;夏桀昆吾,昆吾國與夏桀作亂自滿而極,亢意而不節,斬刈黎民如草芥焉,天下討之,如誅匹夫,是以千載而惡著,迄今而不滅.觀此,如行則讓長,不疾先,如在輿遇三人則下之,遇二人則式之,調其盈虛,不令自滿,所以能久也.”子夏曰:“商請志之,而終身奉行焉.”
孔子讀易至于損益、喟然而嘆。子夏避席問曰、「夫子何嘆焉。」孔子曰、「夫自損者、必有益之。自益者、必有決之。【夬決也。損而不已必益、故受之以益。益而不已必決、故受之以夬】吾是以嘆也。」子夏曰、「然則學者不可以益乎。」子曰、「非道益之謂也。道彌益而身彌損。夫學者損其自多、以虛受人、故能成其滿博哉。天道成而必變、凡持滿而能久者、未嘗有也。故曰、自賢者、天下之善言不得聞之於耳矣。昔堯治天下之位、猶允恭以持之、克讓以接下【允信也、克能也】、是以千歲而益盛、迄今而逾彰。夏桀昆吾【昆吾國與夏桀作亂】自滿而極、亢意而不節、斬刈黎民如草芥、天下討之如誅匹夫、是以千歲而惡著、迄今而不滅。觀此、如行則讓長、不疾先。如在輿遇三人則下之、遇二人則式之。調其盈虛、不令自滿、所以能久也。」子夏曰、「商請志之、而終身奉行焉。」
子路問於孔子曰:“請釋古之道,而行由之意可乎?”子曰:“不可.昔東夷之子,慕諸夏之禮,有女而寡,為內私婿.終身不嫁,嫁則不嫁矣,亦有貞節之義也.蒼梧嬈娶妻而美,讓與其兄,讓則讓矣,然非禮之讓矣.不慎其初,而悔其後,何嗟及矣.言事至而後悔吁嗟又何及矣今汝欲舍古之道,行子之意,庸知子意不以是為非,以非為是乎?後雖欲悔,難哉.”
子路問於孔子曰、「請釋古之道、而行由之意、可乎。」子曰、「不可。昔東夷之子、慕諸夏之禮、有女而寡、為內私婿、終身不出。出不嫁、不嫁則亦有貞節之義也。蒼梧嬈娶妻而美、讓與其兄。讓則讓矣、然非禮之讓也。不慎其初、而悔其後、嗟何及矣【言事至而後悔、吁嗟又何及也】。今汝欲舍古之道、行子之意、庸知子意不以是為非、以非為是乎。後雖欲悔、難哉。」
曾子耘瓜,誤斬其根.曾皙怒建大杖以擊其背,曾子仆地而不知人,久之有頃,乃蘇,欣然而起,進於曾皙曰:“向也參得罪於大人,大人用力教,參得無疾乎.”退而就房,援琴而歌,欲令曾皙而聞之,知其體康也.孔子聞之而怒,告門弟子曰:“參來勿內.”曾參自以為無罪,使人請於孔子.子曰:“汝不聞乎,昔瞽瞍有子曰舜,舜之事瞽瞍,欲使之未嘗不在於側,索而殺之,未嘗可得,小棰則待過,大杖則逃走,故瞽瞍不犯不父之罪,而舜不失烝烝之孝,今參事父委身以待暴怒,殪而不避,殪死既身死而陷父於不義,其不孝孰大焉?汝非天子之民也,殺天子之民,其罪奚若?”曾參聞之曰:“參罪大矣.”遂造孔子而謝過.
曾子耘瓜、誤斬其根。曾皙怒、建大杖以擊其背。曾子仆地而不知人久之、有頃乃蘇、欣然而起、進於曾皙曰、「向也參得罪於大人、大人用力教參、得無疾乎。」退而就房、援琴而歌、欲令曾皙而聞之、知其體康也。孔子聞之而怒、告門弟子曰、「參來、勿內。」曾參自以為無罪、使人請於孔子。子曰、「汝不聞乎、昔瞽瞍有子曰舜、舜之事瞽瞍、欲使之未嘗不在於側、索而殺之未嘗可得。小棰則待過、大杖則逃走。故瞽瞍不犯不父之罪、而舜不失烝烝之孝。今參事父、委身以待暴怒、殪而不避【殪死也】、既身死而陷父於不義、其不孝孰大焉。汝非天子之民也、殺天子之民、其罪奚若。」曾參聞之曰、「參罪大矣。」遂造孔子而謝過。
荊公子行年十五而攝荊相事,孔子聞之,使人?觀其為政焉.使者反曰:“視其朝清淨而少事,其堂上有五老焉,其廊下有二十壯士焉.”孔子曰:“合二十五人之智,以治天下,其固免矣,況荊乎?”
荊公子年十五而攝荊相事。孔子聞之、使人往觀其為政焉。使者反曰、「視其朝清淨而少事、其堂上有五老焉、其廊下有二十壯士焉。」子曰、「合二十五人之智以治天下、其固免矣、況荊乎。」
子夏問於孔子曰:“顏回之為人奚若?”子曰:“回之信賢於丘.”曰:“子貢之為人奚若?”子曰:“賜之敏賢於丘.”曰:“子路之為人奚若?”子曰:“由之勇賢於丘.”曰:“子張之為人奚若?”子曰:“師之莊賢於丘.”子夏避席而問曰:“然則四子何為事先生?”子曰:“居,吾語汝,夫回能信而不能反,反謂反信也君子言不必信唯義所在耳賜能敏而不能詘,言人雖辨敏亦宜有屈折時也由能勇而不能怯,師能莊而不能同,言人雖矜莊亦當有和同時也兼四子者之有以易吾弗與也,此其所以事吾而弗貳也.”
子夏問於孔子曰、「顏回之為人奚若。」子曰、「回之信賢於丘。」曰、「子貢之為人奚若。」子曰、「賜之敏賢於丘。」曰、「子路之為人奚若。」子曰、「由之勇賢於丘。」曰、「子張之為人奚若。」子曰、「師之莊賢於丘。」子夏避席而問曰、「然則四子何為事先生。」子曰、「居、吾語汝。夫回能信而不能反【反謂反信也。君子言不必信、唯義所在耳】、賜能敏而不能詘【言人雖辨敏、亦宜有屈折時也】、由能勇而不能怯、師能莊而不能同【言人雖矜莊、亦當有和同時也】。兼四子者之有以易吾、弗與也。此其所以事吾而弗貳也。」
孔子游於泰山,見榮聲期,聲宜為啟或曰榮益期也行乎郕之野,鹿裘帶索,瑟瑟而歌.孔子問曰:“先生所以為樂者,何也?”期對曰:“吾樂甚多,而至者三.天生萬物,唯人為貴,吾既得為人,是一樂也;男女之別,男尊女卑,故人以男為貴,吾既得為男,是二樂也;人生有不見日月,不免襁褓者,吾既以行年九十五矣,是三樂也.貧者士之常,死者人之終,處常得終,當何憂哉.”孔子曰:“善哉!能自寬者也.”得宜為待
孔子遊於泰山、見榮聲期【聲宜為啟、或曰榮啟期也】、行乎郕之野、鹿裘帶索、瑟瑟而歌。孔子問曰、「先生所以為樂者、何也。」期對曰、「吾樂甚多、而至者三。天生萬物、唯人為貴、吾既得為人、是一樂也。男女之別、男尊女卑、故人以男為貴、吾既得為男、是二樂也。人生有不見日月、不免襁褓者、吾既以行年九十五矣、是三樂也。貧者士之常、死者人之終。處常得終【得宜為待】、當何憂哉。」孔子曰、「善乎、能自寬者也。」
孔子曰:“回有君子之道四焉,強於行義、弱於受諫、怵於待祿、怵怵惕也待宜為得也慎於治身.史?有男子之道三焉,不仕而敬上、不祀而敬鬼、直己而曲人.”曾子侍曰:“參昔常聞夫子三言而未之能行也,夫子見人之一善而忘其百非,是夫子之易事也;見人之有善若己有之,是夫子之不爭也;聞善必躬行之,然後導之,是夫子之能勞也.學夫子之三言而未能行,以自知終不及二子者也.”二子顏回史?也
孔子曰く。「回は君子之道四有り。強義を以て行い、弱諫を以て受け、祿を怵り【怵は怵惕。待は當に得と作る】、身を愼む。史魚は男子之道三有り。不仕にして敬上し、不祀にして敬鬼し、己を直くして人を曲ぐ。」曾參侍して曰く。「參昔、常に夫子之三言を聞くも、其の能くを未だ得ず。夫子は人の一善を見て其の百非を忘る。是れ夫子の易事なり。人に善有るを見て己に有る若くす。是れ夫子の不爭なり。善を聞きて必ず躬行之り、然る後に之を導く。是れ夫子の能勞なり。學夫子之三言而未能行、以自知終不及二子者也。」【二子は顔回・史魚】
孔子曰:“吾死之後,則商也日益,賜也日損.”曾子曰:“何謂也?”子曰:“商也好與賢己者處,賜也好說不若己者.不知其子視其父,不知其人視其友,不知其君視其所使,不知其地視其草木.故曰與善人居,如入芝蘭之室,久而不聞其香,即與之化矣.與不善人居,如入鮑魚之肆,久而不聞其臭,亦與之化矣.丹之所藏者赤,漆之所藏者黑,是以君子必慎其所與處者焉.”
孔子曰く。「吾死之後、則商也日益、賜也日損。」曾參曰。「何謂也。」子曰。「商也好與賢己者處、賜也好說不若己者。不知其子、視其父。不知其人、視其友。不知其君、視其所使。不知其地、視其草木。故曰、與善人居、如入芝蘭之室、久而不聞其香、即與之化矣。與不善人居、如入鮑魚之肆、久而不聞其臭、亦與之化矣。丹之所藏者赤、漆之所藏者黑。是以君子必愼其所與處者焉。」
曾子從孔子之齊,齊景公以下卿之禮聘曾子,曾子固辭.將行,晏子送之曰:“吾聞之君子遺人以財不若善言,今夫蘭本三年湛之以鹿酳,既成噉之,則易之匹馬,非蘭之本性也,所以湛者美矣,願子詳其所湛者,夫君子居必擇處,遊必擇方,仕必擇君,擇君所以求仕,擇方所以修道,遷風移俗者嗜慾移性,可不慎乎.”孔子聞之曰:“晏子之言,君子哉!依賢者固不困,依富者固不窮,馬蚿斬足而復行,何也?以其輔之者眾.”孔子曰:“與富貴而下人,何人不尊;以富貴而愛人,何人不親.發言不逆,可謂知言矣;言而眾向之,可謂知時矣.是故以富而能富人者,欲貧不可得也.以貴而能貴人者,欲賤不可得也;以達而能達人者,欲窮不可得也.”
曾子從孔子之齊、齊景公以下卿之禮聘曾子、曾子固辭。將行、晏子送之曰、「吾聞之、君子遺人以財、不若善言。今夫蘭本三年湛之以鹿醢、既成、啖之、其易匹馬。非蘭之本性、所以湛者美矣。願子詳其所湛者。夫君子居必擇處、遊必擇方、仕必必擇君。擇君所以求仕、擇方所以修道。遷風移俗者嗜慾移性、可不愼乎。」孔子聞之曰、「晏子之言、君子哉。依賢者固不困、依富者固不窮。馬蚿斬足而復行、何也。以其輔之者衆。」孔子曰、「有富貴而居人下者、誰不尊之。有富貴而愛人者、誰不親之。言不忤可謂知言、言而衆向可謂知時。是故以富而能富人者、欲貧不可得也。以貴而能貴人者、欲賤不可得也。以達而能達人者、欲窮不可得也。」
孔子曰:“中人之情也,有餘則侈,不足則儉,無禁則淫,無度則逸,從欲則敗.是故鞭樸之子,不從父之教,刑戮之民,不從君之令,此言疾之難忍,急之難行也.故君子不急斷,不急制,使飲食有量,衣服有節,宮室有度,畜積有數,車器有限,所以防亂之原也.夫度量不可明,是中人所由之令.”教令之令
孔子曰。「中人之情、有餘則侈、不足則儉、無禁則淫、無度則逸、從欲則敗。是故鞭朴之子、不從父之教。刑戮之民、不從君之令。此言疾之難忍、急之難行也。故君子不急斷、不急制、使飲食有量、衣服有節、宮室有度、畜積有數、車器有限、所以防亂之源也。故夫度量不可不明、是中人所由之令。」【令は教令なり】
孔子曰:“巧而好度,必攻;攻堅勇而好問,必勝;智而好謀,必成.以愚者反之,是以非其人告之弗聽.非其地,樹之弗生.得其人,如聚砂而雨之;言立入也非其人,如會聾而鼓之.夫處重擅寵,專事妒賢,愚者之情也,位高則危,任重則崩,可立而待.”
孔子曰。「巧而好度必攻【攻堅也】、勇而好問必勝、智而好謀必成。愚者反是。是以非其人、告之弗聽。非其地、樹之弗生。得其人、如聚沙而雨之【言立入也】。非其人、如會聾而鼓之。夫處重擅寵、專權妒賢、愚之情也。位高則危、任重則崩、可立而待。」
孔子曰:“舟非水不行,水入舟則沒;君非民不治,民犯上則傾.是故君子不可不嚴也,小人不可不整一也.”
孔子曰。「舟非水不行、水入舟則沒。君非民不治、民犯上則傾。是故君子不可以不嚴也、小人不可以不整一也。」
齊高庭問於孔子曰:“庭不曠山,不直地,庭高庭名也曠隔也不以山為隔踰山而來直宜為植不根於地而遠來也衣穰而提贄,穰蒿草衣提持贄所以執為禮也精氣以問事君子之道,願夫子告之.”孔子曰:“貞以幹之,真正以為幹植敬以輔之,施仁無倦,見君子則舉之,見小人則退之.去汝噁心而忠與之,效其行,修其禮,千里之外,親如兄弟.行不效,禮不修,則對門不汝通矣,夫終日言,不遺己之憂,終日行不遺己之患,唯智者能之.故自修者必恐懼以除患,恭儉以避難者也.終身為善,一言則敗之,可不慎乎.”
齊高庭問於孔子曰、「庭不曠山【庭は高庭の名。曠は隔。山に隔てられず翻りて來るを言う】、不直地【直は當に植。地に根ざさず遠く來る】、衣穰提贄【穰は蒿草衣。提は持。贄は執りて禮を行う所】、以精氣問事君子之道、願夫子告之。」孔子曰、「貞以幹之【貞正を以て幹と為す】、敬以輔之、施仁無倦、見君子則舉之、見小人則退之、去爾惡心而忠與之、效其行、修其禮、千里之外親如兄弟。行不效、禮不修、對門不通往來矣。終日言不遺己之憂、終日行不遺己之患、唯智者能之。故自修者必恐懼以除患、恭儉以避難者也。終身為善、一言則敗之、可不慎乎。」
辯物第十六
辯物第十六
季桓子穿井,獲如玉缶,其中有羊焉,使使問孔子曰:“吾穿井於費,而於井中得一狗,何也?”孔子曰:“丘之所聞者,羊也,丘聞之木石之怪夔??,水之怪龍罔象,土之怪羵羊也.”
季桓子穿井、獲如玉缶、其中有羊焉。使使問孔子曰、「吾穿井於費、而於井中得一狗、何也。」孔子曰、「丘之所聞者羊也。丘聞之、木石之怪夔魍魎、水之怪龍罔象、土之怪羵羊。」
吳伐越,隳會稽,吳王夫差敗越王勾踐棲於會稽吳又隳之會稽山也隳毀者也獲巨骨一節,專車焉.吳子使來聘於魯,且問之孔子,命使者曰:“無以吾命也.”賓既將事,乃發幣於大夫及孔子,賜大夫及孔子孔子爵之,飲酒既徹俎而燕客,執骨而問曰:“敢問骨何如為大?”孔子曰:“丘聞之昔禹致群臣於會稽之山,防風后至,禹殺而戮之,其骨專車焉,此為大矣.”客曰:“敢問誰守為神?”孔子曰:“山川之靈,足以紀綱天下者,其守為神.守山川之祀者為神諸侯社稷之守為公侯,但守社稷無山川之祀者直為公侯而已山川之祀者為諸侯,皆屬於王.”神與公侯之屬也客曰:“防風何守?”孔子曰:“汪芒氏之君守封嵎山者,汪芒國名封嵎山名為添姓,在虞夏商為汪芒氏,於周為長瞿氏,今曰大人.”周之初及當孔子之時其名異也有客曰:“人長之極,幾何?”孔子曰:“焦僥氏長三尺,短之至也,長者不過十,數之極也.”
吳伐越、墮會稽【吳王夫差敗越王句踐、句踐栖于會稽、吳又墮會稽山。墮毀也】、得骨節專車。吳子使來聘於魯、且問之孔子、命使者曰、「無以吾命問也。」賓既將事、乃發幣于大夫及孔子【賜大夫與孔子也】。孔子爵之、既徹俎而燕客、客執骨而問曰、「敢問骨何如為大。」孔子曰、「丘聞之、昔禹致群臣於會稽之山、防風後至、禹殺而戮之、其骨節專車、此為大矣。」客曰、「敢問誰守為神。」孔子曰、「山川之靈足以紀綱天下者、其守為神【守山川之祀者為神】。諸侯社稷之守為公侯【但守社稷無山川之祀者、直為公侯而已】。山川之祀者為諸侯、皆屬於王。」【神與公侯之類也】客曰、「防風何守。」孔子曰、「汪芒氏之君、守封嵎山者【汪芒國名、封嵎山名】、為漆姓。在虞夏商為汪芒氏、於周為長翟氏、今曰大人。」【周初及孔子時名異也】有客曰、「人長之極、幾何。」孔子曰、「焦僥氏長三尺、短之至也。長者不過十、數之極也。」
孔子在陳,陳惠公賓之於上館,時有隼集陳侯之庭而死,隼鳥也始集庭便死楛矢貫之石砮,楛木名砮箭鏃其長尺有咫,咫八寸也惠公使人持隼如孔子館而問焉.孔子曰:“隼之來遠矣,此肅慎氏之矢,肅慎氏之矢也昔武王克商,信道於九夷百蠻,九夷東方九種百蠻夷狄百種使各以其方賄來貢,而無忘職業,於是肅慎氏貢楛矢石砮,其長尺有咫.先王欲昭其令德之致遠物也,以示後人,使永鑑焉,故銘其栝曰:‘肅慎氏貢楛矢,楛箭栝也以分大姬,配胡公而封諸陳.大姬武王女胡公舜之後’古者分同姓以珍玉,所以展親親也,分異姓以遠方之職貢,所以無忘服也,故分陳以肅慎氏貢焉.君若使有司求諸故府,其可得也,公使人求得之,金牘如之.”牘匱也
孔子在陳、陳惠公賓之於上館。時有隼集陳侯之庭而死【隼鳥也、剛集庭而死】、楛矢貫之石砮【楛木名、砮鏃也】、其長尺有咫【咫八寸也】。惠公使人持隼如孔子館而問焉。孔子曰、「隼之來遠矣、此肅慎氏之矢【肅慎氏之矢】。昔武王克商、信道于九夷百蠻【九夷東方九種、百蠻夷狄百種】、使各以其方賄來貢、而無忘職業。於是肅慎氏貢楛矢石砮、其長尺有咫。先王欲昭其令德之致遠物也、以示後人、使永鑑焉、故銘其栝曰、『肅慎氏貢楛矢』【栝箭栝也】、以分大姬、配胡公而封諸陳【大姬武王女、胡公舜後】。古者分同姓以珍玉、所以展親親也。分異姓以遠方之職貢、所以無忘服也。故分陳以肅慎氏之貢。君若使有司求諸故府、其可得也。」公使人求得之金櫝如之。【櫝匱也】
郯子朝魯,魯人問曰:“少昊氏以鳥名官,何也?”魯人叔孫昭子少昊金天氏也對曰:“吾祖也,我知之,昔黃帝以雲紀官,故為雲師而云名.黃帝軒轅氏師長也雲紀其官長而為官名者也炎帝以火,神農氏也共工以水,共工霸九州也大昊以龍,包犧氏也其義一也.火師而火名也龍師而龍名也我高祖,少昊摯之立也,鳳鳥適至,是以紀之於鳥,故為鳥師而鳥名.自顓頊氏以來,不能紀遠,乃紀於近,為民師而命以民事,則不能故也.”言不能紀遠方孔子聞之,遂見郯子而學焉.既而告人曰:“吾聞之天子失官,學在四夷猶信.”郯小國也故吳伐郯季文子嘆曰中國不振旅蠻夷之伐吾亡無日矣孔子稱官學在四夷疾時之廢學也郯少昊之後以其世則遠矣以其國則小矣魯公之後以其世則遠矣以其國則大矣然其知禮不若郯子故孔子發此言疾時之不學也
郯子朝魯、魯人問曰、「少昊氏以鳥名官、何也。」【魯人叔孫昭子。少昊金天氏也】對曰、「吾祖也、我知之。昔黃帝以雲紀官、故為雲師而雲名【黃帝軒轅氏。師長也。以雲紀官長、兼為官名】。炎帝以火【神農氏】、共工以水【共工霸九州】、太昊以龍【伏羲氏】、其義一也【火師而火名、龍師而龍名】。我高祖少昊摯之立也、鳳鳥適至、是以紀之于鳥、故為鳥師而鳥名。自顓頊氏以來、不能紀遠、乃紀于近、為民師而命以民事、則不能故也。」【言不能紀遠方】孔子聞之、遂見郯子而學焉。既而告人曰、「吾聞之、天子失官、學在四夷、猶信。」【郯小國。故吳伐郯、季文子嘆曰、中國不振旅、蠻夷入伐、吾亡無日矣。孔子稱官學在四夷、疾時之廢學也。郯少昊之後、以其世則遠、以其國則小。魯周公之後、以其世則近、以其國則大。然而知禮不若郯子、故孔子發此言、疾時之不學也】
邾隱公朝於魯,子貢觀焉.子貢時為魯大夫也邾子執玉,高其容仰,定公受玉,卑其容俯.玉所以聘子玉子貢曰:“以禮觀之,二君者將有死亡焉.夫禮生死存亡之體,將左右周旋,進退俯仰,於是乎取之,朝祀喪戎,於是乎觀之,今正月相朝,而皆不度,不得其法度也心以亡矣.嘉事不體,朝聘亦嘉事也不體不得其體何以能久,高仰驕,卑俯替,驕近亂,替近疾,若為主,其先亡乎?”夏五月,公薨,又邾子出奔.孔子曰:“賜不幸而言中,是賜多言.”
邾隱公朝於魯、子貢觀焉【子貢時為魯大夫】。邾子執玉高、其容仰。定公受玉卑、其容俯【玉聘玉也】。子貢曰、「以禮觀之、二君者將有死亡焉。夫禮生死存亡之體也、將左右周旋進退俯仰、於是乎取之。朝祀喪戎、於是乎觀之。今正月相朝而皆不度【不合法度】、心已亡矣。嘉事不體【朝聘亦嘉事。不體不得其體】、何以能久。高仰驕也、卑俯替也。驕近亂、替近疾。若為主、其先亡乎。」夏五月、公薨、又邾子出奔。孔子曰、「賜不幸而言中、是賜多言。」
孔子在陳,陳侯就之燕遊焉.行路之人云:“魯司鐸災司驛官名及宗廟.”以告孔子.子曰:“所及者,其桓僖之廟.”桓公僖公陳侯曰:“何以知之?”子曰:“禮祖有功而宗有德,故不毀其廟焉.今桓僖之親盡矣,又功德不足以存其廟,而魯不毀,是以天災加之.”三日,魯使至,問焉則桓僖也.陳侯謂子貢曰:“吾乃今知聖人之可貴.”對曰:“君之知之可矣,未若專其道而行其化之善也.”
孔子在陳、陳侯就之燕遊焉。行路之人云、「魯司鐸災【司鐸官名】、及宗廟。」以告孔子。子曰、「所及者其桓僖之廟。」【桓公僖公】陳侯曰、「何以知之。」子曰、「禮祖有功而宗有德、故不毀其廟焉。今桓僖之親盡矣、又功德不足以存其廟、而魯不毀、是以天災加之。」三日、魯使至、問焉則桓僖也。陳侯謂子貢曰、「吾乃今知聖人之可貴。」對曰、「君之知之可矣、未若專其道而行其化之善也。」
陽虎既奔齊,自齊奔晉,適趙氏,孔子聞之,謂子路曰:“趙氏其世有亂乎.”子路曰:“權不在焉,豈不為亂.”孔子曰:“非汝所知.夫陽虎親富而不親仁,有寵於季孫,又將殺之,不克而奔,求容於齊,齊人囚之,乃亡歸晉,是齊魯二國,已去其疾,趙簡子好利而多信,必溺其說而從其謀,禍敗所終,非一世可知也.”
陽虎既奔齊、自齊奔晉、適趙氏。孔子聞之、謂子路曰、「趙氏其世有亂乎。」子路曰、「權不在焉、豈能為亂。」孔子曰、「非汝所知。夫陽虎親富而不親仁、有寵於季孫、又將殺季孫、不克而奔、求容於齊、齊人囚之、乃亡歸晉。是齊魯二國已去其疾。趙簡子好利而多信、必溺其說而從其謀。禍敗所終、非一世可知也。」
季康子問於孔子曰:“今周十二月,夏之十月,而猶有螽,何也?”孔子對曰:“丘聞之火伏而後蟄者畢,火大火心星也蟄蟄蟲也今火猶西流,司歷過也.”季康子曰:“所失者,幾月也?”孔子曰:“於夏十月,火既沒矣,今火見再,失閏也.”
季康子問於孔子曰、「今周十二月、夏之十月、而猶有螽、何也。」孔子對曰、「丘聞之、火伏而後蟄者畢【火大火心星。蟄蟄蟲也】。今火猶西流、司曆過也。」季康子曰、「所失者幾月也。」孔子曰、「於夏十月、火既沒矣。今火見再、失閏也。」
吳王夫差將與哀公見晉侯,吳子魯哀公十二年與晉侯會於黃池子服景伯對使者曰:“王合諸侯,則伯率侯牧以見於王,伯王官侯牧方伯名伯合諸侯,則侯率子男以見於伯,伯侯牧也今諸侯會而君與寡君見晉君,則晉成為伯也.且執事以伯召諸侯,而以侯終之,何利之有焉?”吳人乃止,既而悔之,遂囚景伯.伯謂大宰嚭曰:“魯將以十月上辛,有事於上帝,先王季辛而畢,有事祭所以欺吳也何也世有職焉,何景伯名自襄已來之改之,襄魯襄公是也若其不會,則祝宗將曰吳實然,嚭言於夫差,歸之.”子貢聞之,見於孔子曰:“子服氏之子拙於說矣,以實獲囚,以詐得免.”孔子曰:“吳子為夷德可欺而不可以實,是聽者之蔽,非說者之拙也.”
吳王夫差は將に魯哀公とともに晉侯を見えんとす【吳子は魯哀公十二年に晉侯と黃池に會す】。子服景伯は使者に對えて曰く。「王の諸侯を合するや、則ち伯は侯牧を帥ゐて王を見え【伯は王官。侯牧は方伯の名】、伯の諸侯を合するや、則ち侯は子男を帥ゐて伯を見え【伯は侯牧】。今や王は諸侯を會して、而も寡君の晉侯を見えんとす。則ち晉は伯と為らん。且つ執事は伯を以て諸侯を召して、侯以て終わる。何の利か有らん。」吳人は乃ち止め、乃ち悔ゆ。景伯を囚う。景伯は太宰嚭に謂りて曰く。「魯は將に十月の上辛に上帝先王を烝嘗し、季辛に畢らんとす【有事は祭。此の言う所以は吳を欺かんと欲すればなり】、何世も職は此れ在り。襄公より以來、未だ嘗て改めず【襄は魯襄公】。若し會に及ばざれば、祝宗は將に吳と曰わん。」嚭は夫差に言う。夫差は之を歸る。子貢之を聞き、孔子を見て曰く。「子服氏之子は說に拙なり。以實被囚、以欺得免。」孔子曰く。「吳子は夷狄之德なり。可欺、而不可與實語。此れ聽者之蔽、非說者之拙。」
叔孫氏之車士曰子鉏商,車士持車者子姓也採薪於大野,春秋經魯哀公十四年西狩獲麟傳曰西狩大野今此曰採薪於大野若車士子鉏商非狩者採薪西獲麟麟瑞物時見狩獲故經書西狩獲麟也獲麟焉,折其前左足,載以歸,叔孫以為不祥,棄之於郭外.傳曰以賜虞人棄之郭外將以賜虞人也使人告孔子曰:“有而角者,何也?”孔子?觀之,曰:“麟也.胡為來哉?胡為來哉?”反袂拭面,涕泣霑衿.叔孫聞之,然後取之.子貢問曰:“夫子何泣爾?”孔子曰:“麟之至,為明王也,出非其時而害,吾是以傷焉.”
叔孫氏之車士曰子鉏商【車士は持車者。子是姓】、採薪於大野【《春秋》經、魯哀公十四年、西狩、獲麟。傳曰、西狩大野。此れ採薪於大野と云う、似たるは車士子鉏商、狩人に非ず。採薪而獲麟。麟瑞物也、時以狩獲、故書西狩獲麟】、獲麟焉、折其前左足、載以歸。叔孫以為不祥、以賜虞人【傳曰、以賜虞人。棄之城外、將以賜虞人】。遣告孔子曰、「有麕而角者何也。」孔子往觀之、曰、「麟也。胡為而來哉、胡為而來哉。」反袂拭面、涕泣沾衿。叔孫聞之、然後取之。子貢問曰、「夫子何泣爾。」孔子曰、「麟之至、為明王也。出非其時而見害、吾是以傷焉。」
哀公問政第十七
哀公問政第十七
哀公問政於孔子.孔子對曰:“文武之政,布在方策,方板其人存則其政舉,其人亡則其政息.天道敏生,人道敏政,地道敏樹,夫政者,猶蒲盧也,蒲盧蜾螺也謂土也取螟蛉而化之以君子為政化百姓亦如之者也待化以成,故為政在於得人,取人以身,修道以仁.仁者,人也,親親為大;義者,宜也,尊賢為大.親親之殺,尊賢之等,禮所以生也.禮者,政之本也,是以君子不可以不修身.思修身,不可以不事親;思事親,不可以不知人;思知人,不可以不知天.天下之達道有五,其所以行之者三,曰,君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友也.五者,天下之達道,智仁勇三者,天下之達德也.所以行之者,一也.或生而知之,或學而知之,或困而知之,及其知之,一也.或安而行之,或利而行之,或勉強而行之,及其成功,一也.”公曰:“子之言美矣至矣,寡人實固,不足以成之也.”孔子曰:“好學近乎智,力行近乎仁,知恥近乎勇,知斯三者,則知所以修身;知所以修身,則知所以治人;知所以治人,則能成天下國家者矣.”公曰:“政其盡此而已乎?”孔子曰:“凡為天下國家有九經,曰修身也、尊賢也、親親也、敬大臣也、體群臣也、子庶民也、來百工也、柔遠人也、懷諸侯也.夫修身則道立,尊賢則不惑,親親則諸父兄弟不怨,敬大臣則不眩,體群臣則士之報禮重,子庶民則百姓勸,來百工則財用足,柔遠人則四方歸之,懷諸侯則天下畏之.”公曰:“為之奈何?”孔子曰:“齊潔盛服,非禮不動,所以修身也;去讒遠色,賤財而貴德,所以尊賢也;爵其能,重其祿,同其好惡,所以篤親親也;官盛任使,所以敬大臣也;盛其官委任使之也忠信重祿,所以勸士也;忠信者與之重祿也時使薄歛,所以子百姓也;日省月考,既廩稱事,所以來百工也;既廩食之多寡稱其事也送?
魯哀公は孔子に政を問うた。孔子對えて曰く。「文武之政、布在方策【方は板】、其人存、則其政舉、其人亡、則其政息。天道敏生、人道敏政、地道敏樹。夫政也者、蒲盧也【蒲盧は蜾蠃。螟蛉を取りて化育す。君子之政化百姓も亦た此のごとし】、待化以成。故為政在於得人、取人以身、修道以仁。仁者人也、親親為大。義者宜也、尊賢為大。親親之殺、尊賢之等、禮所以生也。禮者政之本也、是以君子不可以不修身。思修身、不可以不事親。思事親、不可以不知人。思知人、不可以不知天。天下之達道有五、其所以行之者三。曰君臣也、父子也、夫婦也、兄弟也、朋友也、五者天下之達道。智仁勇三者、天下之達德也。所以行之者一也。或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之、及其成功一也。」哀公曰、「子之言美矣、至矣。寡人實固、不足以成之也。」孔子曰、「好學近乎智、力行近乎仁、知恥近乎勇。知斯三者、則知所以修身。知所以修身、則知所以治人。知所以治人、則能成天下國家矣。」哀公曰、「政其盡此而已乎。」孔子曰、「凡為天下國家有九經、曰、修身也、尊賢也、親親也、敬大臣也、體群臣也、子庶民也、來百工也、柔遠人也、懷諸侯也。夫修身則道立、尊賢則不惑、親親則諸父兄弟不怨、敬大臣則不眩、體群臣則士之報禮重、子庶民則百姓勸、來百工則財用足、柔遠人則四方歸之、懷諸侯則天下畏之。」哀公曰、「為之奈何。」孔子曰、「齊潔盛服、非禮不動、所以修身也。去讒遠色、賤財而貴德、所以尊賢也。爵其能、重其祿、同其好惡、所以篤親親也。官盛任使、所以敬大臣也【盛其官屬、委任而使之】。忠信重祿、所以勸士也【忠信の者に重祿を與う】、時使薄斂、所以子百姓也。日省月考、廩稱事、所以來百工也【廩食の少多は事功に稱う】。送
迎來,嘉善而矜不能,所以綏遠人也;繼絕世,舉廢邦,治亂持危,朝聘以時,厚?而薄來,所以懷諸侯也.治天下國家有九經,其所以行之者,一也.凡事豫則立,不豫則廢,言前定則不跲,跲躓事前定則不困,行前定則不疚,道前定則不窮.在下位不獲於上,民弗可得而治矣;獲於上有道,不信於友,不獲於上矣;信於友有道,不順於親,不信於友矣;順於親有道,反諸身不誠,不順於親矣;誠身有道,不明於善,不誠於身矣.誠者,天之至道也;誠之者,人之道也.夫誠弗勉而中,不思而得,從容中道,聖人之所以體定也;誠之者,擇善而固執之者也.”公曰:“子之教寡人備矣,敢問行之所始.”孔子曰:“立愛自親始,教民睦也;立敬自長始,教民順也;教之慈睦,而民貴有親;教以敬,而民貴用命.民既孝於親,又順以聽命,措諸天下無所不可.”公曰:“寡人既得聞此言也,懼不能果行而獲罪咎.”
迎來、嘉善而矜不能、所以綏遠人也。繼絕世、舉廢邦、治亂持危、朝聘以時、厚往而薄來、所以懷諸侯也。治天下國家有九經、其所以行之者一也。凡事豫則立、不豫則廢。言前定則不跲【跲は躓】、事前定則不困、行前定則不疚、道前定則不窮。在下位不獲于上、民不可得而治矣。獲于上有道、不信于友、不獲于上矣。信于友有道、不順于親、不信于友矣。順于親有道、反諸身不誠、不順于親矣。誠身有道、不明于善、不誠于身矣。誠者天之道也、誠之者人之道也。夫誠弗勉而中、不思而得、從容中道、聖人之所以定體也。誠之者、擇善而固執之者也。」哀公曰、「子之教寡人備矣、敢問行之所始。」孔子曰、「立愛自親始、教民睦也。立敬自長始、教民順也。教之慈睦、而民貴有親。教以敬、而民貴用命。民既孝于親、又順以聽命、措諸天下、無所不可。」哀公曰、「寡人既聞此言也、懼不能果行而獲罪咎。」
宰我問於孔子曰:“吾聞鬼神之名,而不知所謂,敢問焉.”孔子曰:“人生有氣有魂,氣者,人之盛也,精氣者人神之盛也夫生必死,死必歸土,此謂鬼,魂氣歸天此謂神,合鬼與神而享之,教之至也.合神鬼而事之者孝道之至孝者教之所由生也骨肉弊於下,化為野土,其氣發揚於上者,此神之著也.聖人因物之精,製為之極,極中製為中法明命鬼神,以為民之則,明命猶尊名使民事其祖禰也而猶以是為未足也,故築為宮室,設為宗祧,宗宗廟也祧遠廟也天子特有二祧諸侯謂始祖為祧也春秋祭祀,以別親疏,教民反古復始,不敢忘其所由生也.眾人服自此聽且速焉,聽謂慎教令也教以二端,二端既立,報以二禮,二端氣與魄也二禮謂薦黍稷也建設朝事,薦醒時也燔燎羶薌,所以報魄也.鬱香草鬱樽也此教民修本,反始崇愛,上下用情,禮之至也.民能不忘其所由生然後能相愛也上下謂尊卑用情謂親也君子反古復始,不忘其所由生,是以致其敬,發其情,竭力從事,不敢不自盡也.此之謂大教.昔者文王之祭也,事死如事生,思死而不欲生,忌日則必哀,稱諱則如見,親祀之忠也,思之深如見親之所愛,祭欲見親顏色者,其唯文王與.詩云:‘明發不寐,有懷二人,則文王之謂與.假此詩以喻文王二人謂父母也’祭之明日,明發不寐,有懷二人,敬而致之,又從而思之,祭之日樂與哀半,饗之必樂,已至必哀,已至謂祭事以畢不知親饗否故哀孝子之情也,文王為能得之矣.”
宰我問於孔子曰、「吾聞鬼神之名、而不知所謂、敢問焉。」子曰、「人生有气有魂。氣者、人之盛也【精氣は人神の盛なる所】、夫生必死、死必歸土、此謂鬼。魂氣歸天、此謂神。合鬼與神而享之、教之至也【神鬼を合して事えるは孝道の至。孝は教の由生する所】。骨肉斃于下、化為野土、其氣發揚于上者、此神之著也。聖人因物之精、制為之極【極は中。制を為して中法と為す】、明命鬼神、以為民之則【明命は尊名のごとく、民をして其の祖禰を事えしむ】、而猶以是為未足也、故為築宮室、設宗祧【宗は宗廟、祧は遠廟。天子は特に二祧あり、諸侯は始祖を祧と稱す】、春秋祭祀、以別親疏、教民反古復始、不敢忘其所由生也。衆之服自此、故聽且速也【聽は教令を愼む】。二端既立【両端は已に立つ】、報以二禮【両端は気與魄、二禮は黍稷を進むる】、建設朝事【腥を進むるの時】、燔燎羶鬱【郁は香草。郁樽】、所以報魄也。此教民修本、反始崇愛、上下用情、禮之至也【民は能く其の由生する所を忘れざれば、而る後能く相愛す。上下は尊卑、用情は親】。君子反古復始、不忘其所由生、是以致其敬、發其情、竭力從事、不敢不盡也。此之謂大教。昔者文王之祭、事死如事生、思死而不欲生、忌日則必哀、稱諱則如見親、祀之忠也。思之深如見親之所愛也、祭欲見親顏色者、其唯文王與。《詩》云、明發不寐、有懷二人、則文王之謂與【此の詩を借りて文王に喩う。二人は父母】。祭之明日、明發不寐、有懷二人、敬而致之、又從而思之。祭之日、樂與哀半、饗之必樂、已至必哀【已至は祭事已に畢り、親饗用せしや否やを知らず。故に哀む。此れ孝子之情】。文王其能此矣。」
孔子家語 巻五
顏回第十八
顔回第十八
魯定公問於顏回曰:“子亦聞東野畢之善御乎?”對曰:“善則善矣,雖然,其馬將必佚.”定公色不悅,謂左右曰:“君子固有誣人也.”顏回退後三日,牧來訴之曰:“東野畢之馬佚,兩驂曳兩服入於?.”公聞之,越席而起,促駕召顏回.回至,公曰:“前日寡人問吾子以東野畢之御,而子曰善則善矣,其馬將佚,不識吾子奚以知之?”顏回對曰:“以政知之.昔者帝舜巧於使民,造父巧於使馬,舜不窮其民力,造父不窮其馬力,是以舜無佚民,造父無佚馬.今東野畢之御也,升馬執轡,御體正矣,馬非為車步驟馳騁,朝禮畢矣,馬步驟馳騁盡禮之儀也歷險致遠,馬力盡矣,然而猶乃求馬不已,臣以此知之.”公曰:“善!誠若吾子之言也,吾子之言,其義大矣,願少進乎.”顏回曰:“臣聞之鳥窮則啄,獸窮則攫,人窮則詐,馬窮則佚,自古及今,未有窮其下而能無危者也.”公悅,遂以告孔子.孔子對曰:“夫其所以為顏回者,此之類也,豈足多哉.”
魯定公問於顔回曰、「子亦聞東野畢之善御乎。」對曰、「善則善矣、雖然、其馬將必佚。」定公色不悅、謂左右曰、「君子固有誣人也。」顔回退。後三日、牧來訴之曰、「東野畢之馬佚、兩驂曳兩服入于廄。」公聞之、越席而起、促駕召顔回。回至、公曰、「前日寡人問吾子以東野畢之御、而子曰善則善矣、其馬將佚。不識吾子奚以知之。」顔回對曰、「以政知之。昔者帝舜巧於使民、造父巧於使馬。舜不窮其民力、造父不窮其馬力。是以舜無佚民、造父無佚馬。今東野畢之御也、升馬執轡銜體正矣、步驟馳騁、朝禮畢矣【馬の步驟馳騁は禮の儀節を盡す】、歷險致遠、馬力盡矣、然而猶求馬不已。臣以此知之。」公曰、「善、誠若吾子之言也。吾子之言、其義大矣、願少進乎。」顔回曰、「臣聞之、鳥窮則啄、獸窮則攖、人窮則詐、馬窮則佚。自古及今、未有窮其下而能無危者也。」公悅、遂以告孔子。孔子對曰、「夫其所以為顔回者、此之類也、豈足多哉。」
孔子在衛,昧旦晨興,顏回侍側,聞哭者之聲甚哀.子曰:“回,汝知此何所哭乎?”對曰:“回以此哭聲非但為死者而已,又有生離別者也.”子曰:“何以知之?”對曰:“回聞桓山之鳥,生四子焉,羽翼既成,將分於四海,其母悲鳴而送之,哀聲有似於此,謂其?而不返也,回竊以音類知之.”孔子使人問哭者,果曰:“父死家貧,賣子以葬,與之長決.”子曰:“回也,善於識音矣.”
孔子在衛、昧旦晨興、顔回侍側、聞哭者之聲甚哀。子曰、「回、汝知此何所哭乎。」對曰、「回以此哭聲、非但為死者、而已又有生離別者也。」子曰、「何以知之。」對曰、「回聞桓山之鳥、生四子焉、羽翼既成、將分于四海、其母悲鳴而送之、哀聲有似于此、為其往而不返也。回竊以音類知之。」孔子使人問哭者、果曰、「父死家貧、賣子以葬、與之長決。」子曰、「回也、善於識音矣。」
顏回問於孔子曰:“成人之行,若何?”子曰:“達於情性之理,通於物類之變,知幽明之故,睹遊氣之原,若此可謂成人矣.既能成人,而又加之以仁義禮樂,成人之行也,若乃窮神知禮,德之盛也.”禮宜為化
顔回問於孔子曰、「成人之行何若。」子曰、「達於情性之理、通於物類之變、知幽明之故、覩遊氣之源、若此可謂成人矣。既能成人、而又加之以仁義禮樂、成人之行也。若乃窮神知禮【禮は當に化と作る】、德之盛也。」
顏回問於孔子曰:“臧文仲武仲孰賢?”孔子曰:“武仲賢哉.”顏回曰:“武仲世稱聖人而身不免於罪,是智不足稱也;武仲為季氏廢適立庶為孟氏所譖出奔於齊好言兵討,而挫銳於邾,是智不足名也.武仲與邾戰而敗績國人頌之曰我君小子侏儒使我敗於邾夫文仲其身雖歿,而言不杇,惡有未賢?”立不杇之言故以為賢孔子曰:“身歿言立,所以為文仲也.然猶有不仁者三,不智者三,是則不及武仲也.”回曰:“可得聞乎?”孔子曰:“下展禽,展禽柳下惠知其賢而使在下位不與立於朝也置六關,六關關名魯本無此關文仲置之以稅行者故為不仁傳曰廢六關非也妾織蒲,傳曰織蒲蒲席也言文仲為國為家在於貪利也三不仁;設虛器,居蔡蔡天子之守龜非文仲所有故曰虛器也縱逆祀,夏父弗忌為宋人躋僖公於閔公之上文仲縱而不禁也祠海鳥,海鳥止於魯東門之上文仲不知而令國人祠之是不知也三不智.武仲在齊,齊將有禍,不受其田,以避其難,武仲奔齊齊莊公將與之田武仲知莊公將有難辭而不受也是智之難也.夫臧文仲之智而不容於魯,抑有由焉,作而不順,施而不恕也夫.不順不恕為廢適立庶武仲之所以然欲為施於季氏也夏書曰:‘念茲在茲,順事恕施.今此在常當順其事恕其施也’
顔回は孔子に問うた。「臧文仲・臧武仲、孰れか賢なる。」孔子曰く。「武仲賢かな。」顔回曰く。「武仲は世に聖人と稱せられ、身は不免於罪。此れ智以て稱するに足らざるなり。武仲は季氏の嫡を廢し庶を立つるに從い、孟氏に讒害せられ、出奔して齊に適き、兵討を談じて邾に悛り【武仲は邾と戰いて敗績す。國人誦曰く、我君小子朱儒、使我敗于邾】。此れ智以て名を成すに足らざるなり。文仲は身既に死すれども其の言不朽なり。惡に賢ならざる有らん。」【不朽之言を立つ、故に以て賢と為す】孔子曰く。「身殞言立、所以為文仲也。然れども猶ほ不仁三者、不智三者有り。是れ則ち武仲之不及也。」顔回曰く。「可得聞乎。」子曰。「下展禽【展禽は柳下惠。其の賢を知りて下位に置き、與に立於朝せず】、置六關【六關は關名。魯本來此の關なし。文仲之を置き以て行者に稅す。故に不仁。傳曰、廢六關、非也】、妾織蒲【傳曰、織蒲、織蒲席也。文仲は國と家と為りて貪利在りと言う】、三不仁也。作虛器【居守蔡龜。蔡は天子之守龜。文仲所有に非ず。故に曰虛器】、縱逆祀【夏父弗忌は宗人為り僖公を閔公之上升せしむ、文仲縱して禁せず】、祀爰居【海鳥が魯東門に止まる、文仲知らずして國人をして祀らしむ。是れ不知】、三不智也。武仲在齊、齊將有禍、不受其田、以避其難【武仲奔齊、齊莊公將與之田、武仲知莊公將有難、辭不受】、是智之難也。夫臧文仲之智而不能容於魯、抑有由焉、作而不順、施而不恕【不順不恕は廢嫡立庶為る故。武仲此れ為る所以は、季氏に施せんと欲するなり也】《夏書》曰、念茲在茲、順事恕施【今此の在常理、順其そ事、恕其そ施せば可なり】
顏回問於君子.孔子曰:“愛近仁,度近智,度事而行近於智也為己不重,為人不輕,君子也夫.”不重為人回曰:“敢問其次.”子曰:“弗學而行,弗思而得,小子勉之.”
顔回問君子。孔子曰、「愛近仁、度近智【度事然後行、是則近智也】、為己不重、為人不輕、君子也夫。」【不重の為は人】回曰、「敢問其次。」子曰、「弗學而行、弗思而得、小子勉之。」
仲孫何忌問於顏回曰:“仁者一言而必有益於仁智,可得聞乎?”回曰:“一言而有益於智,莫如預;一言而有益於仁,莫如恕.夫知其所不可由,斯知所由矣.”
仲孫何忌問於顔回曰、「仁者一言而必有益於仁智、可得聞乎。」回曰、「一言而有益于智、莫如豫。一言而有益于仁、莫如恕。夫知其所不可由、斯知其所由矣。」
顏回問小人.孔子曰:“毀人之善以為辯,狡訐懷詐以為智,幸人之有過,恥學而羞不能,小人也.”
顔回問小人。孔子曰、「毀人之善以為辯、狡訐懷詐以為智、幸人之有過、恥學而羞不能、小人也。」
顏回問子路曰:“力猛於德而得其死者,鮮矣,盍慎諸焉.”孔子謂顏回曰:“人莫不知此道之美,而莫之御也,御猶待也莫之為也,何居為聞者,盍日思也夫.”為聞盍日有聞而後言者
顔回謂子路曰、「力猛於德而得其死者、鮮矣、盍愼諸。」孔子謂顔回曰、「人莫不知此道之美也、莫之御也【御待也】、莫之為也。何居為聞者、盍日思也夫。」【為聞は日々聞有りて而る後言うなり】
顏回問於孔子曰:“小人之言有同乎?君子者不可不察也.”孔子曰:“君子以行言,小人以舌言,故君子為義之上相疾也,退而相愛;相病急欲相勸令為仁義小人於為亂之上相愛也,退而相惡.”樂併為亂是以相愛小人之情不能久親也
顔回問於孔子曰、「小人之言、有同乎君子者、不可不察也。」孔子曰、「君子以行言、小人以舌言。故君子於為義之上、相疾也【疾相病急、以仁義相病、欲其相勸也】、退而相愛。小人于為亂之上、相愛也【樂于同惡、故相愛】、退而相惡。」【小人之情、不能久親】
顏回問朋友之際,如何.孔子曰:“君子之於朋友也,心必有非焉而弗能謂,吾不知其仁人也,不忘久德,不思久怨,仁矣夫.”
顔回問朋友之際如何。孔子曰、「君子之於朋友也、心必有非焉、而弗能謂吾不知、其仁人也。不忘久德、不思久怨、仁矣夫。」
叔孫武叔見未仕於顏回,回曰:“賓之,武叔多稱人之過,而己評論之.”顏回曰:“固子之來辱也,宜有得於回焉,吾聞知諸孔子曰:‘言人之惡,非所以美己;言人之枉,非所以正己.’故君子攻其惡,無攻人惡.”
叔孫武叔見、未仕於君、迎於顔回、回曰、「賓之。」武叔多稱人之過、而已評論之。顔回曰、「固子之來辱、宜有所得於回焉。回聞諸孔子曰、言人之惡、非所以美己。言人之枉、非所以正己。故君子攻其惡、不攻人之惡。」
顏回謂子貢曰:“吾聞諸夫子身不用禮,而望禮於人,身不用德,而望德於人,亂也.夫子之言,不可不思也.”
顔回謂子貢曰、「回聞之夫子曰、身不用禮、而望禮於人。身不用德、而望德於人、亂也。夫子之言、不可不思也。」
子路初見第十九
子路初見第十九
子路見孔子,子曰:“汝何好樂?”對曰:“好長劍.”孔子曰:“吾非此之問也,徒謂以子之所能,而加之以學問,豈可及乎.”子路曰:“學豈益哉也?”孔子曰:“夫人君而無諫臣則失正,士而無教友則失聽.御狂馬不釋策,御狂馬者不得釋棰策也操弓不反檠.弓不反於檠然後可持也木受繩則直,人受諫則聖,受學重問,孰不順哉.毀仁惡仕,必近於刑.謗毀仁者憎怒士人必主於刑也君子不可不學.”子路曰:“南山有竹,不柔自直,斬而用之,達於犀革.以此言之,何學之有?”孔子曰:“括而羽之,鏃而礪之,其入之不亦深乎.”子路再拜曰:“敬而受教.”
子路見孔子、子曰、「汝何好樂。」對曰、「好長劍。」孔子曰、「吾非此之問也。徒謂以子之所能而加之以學問、豈可及乎。」子路曰、「學亦有盍乎。」孔子曰、「夫人君而無諫臣則失正、士而無教友則失聽。御狂馬不釋策【御狂馬者不得釋箠策】、操弓不反檠【弓不反于檠、然後可持也】、木受繩則直、人受諫則聖、受學重問、孰不順哉。毀仁惡仕、必近於刑【謗毀仁者憎怒士人、必主於刑也】、君子不可不學。」子路曰、「南山有竹、不揉自直、斬而用之、達于犀革。以此言之、何學之有。」孔子曰、「括而羽之、鏃而礪之、其入之不亦深乎。」子路再拜曰、「敬受教。」
子路將行,辭於孔子.子曰:“贈汝以車乎?贈汝以言乎?”子路曰:“請以言.”孔子曰:“不強不達,人不以強力則不能自達不勞無功,不忠無親,不信無復,信近於義言可復也今而不信則無可復不恭失禮,慎此五者而矣.”子路曰:“由請終身奉之.敢問親交取親若何?言寡可行若何?長為善士而無犯若何?”孔子曰:“汝所問苞在五者中矣.親交取親,其忠也;言寡可行,其信乎;長為善士,而無犯於禮也.”
子路將行、辭于孔子。子曰、「贈汝以車乎、贈汝以言乎。」子路曰、「請以言。」孔子曰、「不強不達【人不以強力、則不能自通達】、不勞無功、不忠無親、不信無復【信近于義、言可復也。今而不信、則無可復】、不恭失禮、愼此五者而已。」子路曰、「由請終身奉之。敢問親交取親若何。言寡可行若何。長為善士而無犯若何。」孔子曰、「汝所問苞在五者中矣。親交取親、其忠也。言寡可行、其信乎。長為善士而無犯、其禮也。」
孔子為魯司寇,見季康子,康子不悅.當為桓子非康子也孔子又見之.宰予進曰:“昔予也常聞諸夫子曰,王公不我聘則弗動,今夫子之於司寇也日少,謂在司寇官少日淺而屈節數矣,謂屈節數見於季孫不可以已乎?”孔子曰:“然,魯國以眾相陵,以兵相暴之日久矣,而有司不治,則將亂也,其聘我者,孰大於是哉.”言聘我使在官其為治豈復可大於此者也魯人聞之曰:“聖人將治,何不先自遠刑罰,自此之後,國無爭者.”孔子謂宰予曰:“違山十里,蟪蛄之聲,猶在於耳,故政事莫如應之.”違去也蟪蛄蛁蟟也蛁蟟之聲去山十里猶在於耳以其鳴而不已言政事須慎聽之然後行之者也
孔子為魯司寇、見季康子【當為桓子、非康子也】、康子不悅。孔子又見之。宰予進曰、「昔予也常聞諸夫子曰、王公不我聘則弗動也。今夫子之為司寇也、日少【為司寇在官日淺】、而屈節數矣【數屈節見季孫】、不可以已乎。」孔子曰、「然。魯國以衆相陵、以兵相暴之日久矣、而有司不治、則將亂也。其聘我者、孰大於是哉。」【言聘我使在官而治、豈復有大於此者】魯人聞之曰、「聖人將治、何不先自遠刑罰。」自此之後、國無爭者。孔子謂宰予曰、「違山十里、蟪蛄之聲猶在於耳、故政事莫如應之。」【違去也。蟪蛄蟬也。蟬聲去山十里猶在于耳、以其鳴而不已。言政事必須愼聽之、然後行之也】
孔子兄子有孔篾者,與宓子賤偕仕.孔子?過孔篾,而問之曰:“自汝之仕,何得何亡?”對曰:“未有所得,而所亡者三,王事若龍,龍宜為讋前後相因也學焉得習,言不得習學也是學不得明也;俸祿少饘粥,不及親戚,是以骨肉益疏也;公事多急,不得弔死問疾,是朋友之道闕也.其所亡者三,即謂此也.”孔子不悅,?過子賤,問如孔篾.對曰:“自來仕者無所亡,其有所得者三,始誦之,今得而行之,是學益明也;俸祿所供,被及親戚,是骨肉益親也;雖有公事,而兼以弔死問疾,是朋友篤也.”孔子喟然,謂子賤曰:“君子哉若人.若人猶言是人者也魯無君子者,則子賤焉取此.”如魯無君子者此人安得而學之言魯有君子也
孔子兄子有孔篾者、與宓子賤偕仕。孔子過孔篾而問之曰、「自汝之仕、何得何亡。」對曰、「未有所得、而所亡者三。王事若龍【龍宜為詟、前後相因也】、學焉得習【言不得習其所學】、是學不得明也。俸祿少、饘粥不及親戚、是以骨肉益疏也。公事多急、不得吊死問疾、是朋友之道缺也。其所亡者三、即謂此也。」孔子不悅、過子賤問如孔篾。對曰、「自來仕者無所亡、其所得者三。始誦之、今得而行之、是學益明也。俸祿所供、被及親戚、是骨肉益親也。雖有公事、而兼以吊死問疾、是朋友益篤也。」孔子喟然謂子賤曰、「君子哉若人【若人猶言此人者也】。魯無君子者、則子賤焉取此。」【如魯無君子、此人何所而取、言魯有君子也】
孔子侍坐於哀公,賜之桃與黍焉.哀公曰:“請食.”孔子先食黍而後食桃,左右皆掩口而笑.公曰:“黍者所以雪雪拭桃,非為食之也.”孔子對曰:“丘知之矣,然夫黍者,五穀之長,郊禮宗廟以為上盛,?屬有六而桃為下,祭祀不用,不登郊廟,丘聞之君子以賤雪貴,不聞以貴雪賤,今以五穀之長,雪?之下者,是從上雪下,臣以為妨於教,害於義,故不敢.”公曰:“善哉.”
孔子侍坐於哀公、賜之桃與黍焉。哀公曰、「請食。」孔子先食黍而後食桃、左右皆掩口而笑。公曰、「黍者所以雪桃【雪拭】、非為食之也。」孔子對曰、「丘知之矣。然夫黍者五穀之長、郊禮宗廟以為上盛。果屬有六、而桃為下、祭祀不用、不登郊廟。丘聞之、君子以賤雪貴、不聞以貴雪賤。今以五穀之長雪果之下者、是從上雪下、臣以為妨於教、害於義、故不敢。」公曰、「善哉。」
子貢曰:“陳靈公宣淫於朝,靈公與卿共淫夏姬洩治正諫而殺之,是與比干諫而死同,可謂仁乎?”子曰:“比干於紂,親則諸父,官則少師,忠報之心在於宗廟而已,固必以死爭之,冀身死之後,紂將悔寤其本志,情在於仁者也;洩治之於靈公,位在大夫,無骨肉之親,懷寵不去,仕於亂朝,以區區之一身,欲正一國之淫昏,死而無益,可謂捐矣.詩云:‘民之多闢,無自立闢.僻邪辟’其洩治之謂乎.”
子貢曰、「陳靈公宣淫於朝【靈公與卿共淫于夏姬】、泄冶正諫而殺之、是與比干諫而死同、可謂仁乎。」子曰、「比干於紂、親則諸父、官則少師、忠報之心、在于宗廟而已、固必以死爭之、冀身死之後、紂將悔悟其本志、情在於仁者也。泄冶之於靈公、位在大夫、無骨肉之親、懷寵不去、仕于亂朝、以區區之一身、欲正一國之淫昏、死而無益、可謂捐矣。《詩》云、民之多僻、無自立僻【僻邪僻也】、其泄冶之謂乎。」
孔子相魯,齊人患其將霸,欲敗其政,乃選好女子八十人,衣以文飾而舞容璣,容璣舞曲及文馬四十駟,駟四馬也以遺魯君,陳女樂,列文馬於魯城南高門外,季桓子微服?觀之再三,將受焉,告魯君為周道遊觀,觀之終日,怠於政事.子路言於孔子曰:“夫子可以行矣.”孔子曰:“魯今且郊,若致膰於大夫,膰祭肉也是則未廢其常,吾猶可以止也.”桓子既受女樂,君臣淫荒,三日不聽國政,郊又不致膰俎,孔子遂行.宿於郭,屯師以送曰:“夫子非罪也.”孔子曰:“吾歌可乎?歌曰:‘彼婦人之口,可以出走,彼婦人之請,可以死敗.言婦人口請謁足以使人死敗故可出走優哉遊哉,聊以卒歲.言士不遇優遊以終歲也’”
孔子相魯、齊人患其將霸、欲敗其政、乃選好女八十人、衣以文飾、而舞容璣【容璣舞曲】、及文馬四十駟【駟四馬也】、以遺魯君。陳女樂、列文馬于魯城南高門外。季桓子微服往觀、再三將受焉、告魯君為周道游游觀、觀之終日、怠於政事。子路言於孔子曰、「夫子可以行矣。」孔子曰、「魯今且郊、若致膰于大夫【膰祭肉也】、是則未廢其常、吾猶可以止也。」桓子既受女樂、君臣淫荒、三日不聽國政、郊又不致膰俎、孔子遂行。宿于郭門、有以師衆送之、曰、「夫子非罪也。」孔子曰、「吾歌可乎。歌曰、彼婦人之口、可以出走。彼婦人之請、可以死敗【言婦人口請謁、足以使人死敗、故可出走】。優哉游哉、聊以卒歲【言士不遇、從容以卒歲也】。」
澹臺子羽有君子之容,而行不勝其貌,宰我有文雅之辭,而智不充其辯.孔子曰:“里語云:‘相馬以輿,相士以居,弗可廢矣.’以容取人,則失之子羽;以辭取人,則失之宰予.”孔子曰:“君子以其所不能畏人,小人以其所不能不信人.故君子長人之才,小人抑人而取勝焉.”
澹臺子羽有君子之容、而行不勝其貌。宰我有文雅之辭、而智不充其辯。孔子曰、「里語云、相馬以輿、相士以居、弗可廢矣。以容取人、則失之子羽。以辭取人、則失之宰予。」孔子曰、「君子以其所不能畏人、小人以其所不能不信人。故君子長人之才、小人抑人而取勝者也。」
孔篾問行己之道.子曰:“知而弗為,莫如勿知;親而弗信,莫如勿親.樂之方至,樂而勿驕;患之將至,思而勿憂.”孔篾曰:“行己乎?”子曰:“攻其所不能,補其所不備.毋以其所不能疑人,毋以其所能驕人.終日言,無遺己之憂,終日行,不遺己患,唯智者有之.”
孔篾問行己之道。子曰、「知而不為、不如勿知。親而不信、不如勿親。樂之方至、樂而勿驕。患之將至、思而勿憂。」孔篾曰、「行己乎。」子曰、「攻其所不能、補其所不備。毋以其所不能疑人、毋以其所能驕人。終日言不遺己之憂、終日行不遺己之患、唯智者有之。」
在厄第二十
在厄第二十
楚昭王聘孔子,孔子?拜禮焉,路出於陳蔡.陳蔡大夫相與謀曰:“孔子聖賢,其所刺譏皆中諸侯之病,若用於楚,則陳蔡危矣.”遂使徒兵距孔子.孔子不得行,絕糧七日,外無所通,藜羹不充,從者皆病.孔子愈慷慨,講絃歌不衰,乃召子路而問焉,曰:“詩云:‘匪兕匪虎,率彼曠野.率修也言非兕虎而修曠野也’吾道非乎,奚為至於此?”子路慍,作色而對曰:“君子無所困,意者夫子未仁與,人之弗吾信也;言人不信豈以未仁故也意者夫子未智與,人之弗吾行也.言人不使通行而困窮者豈以吾未智也且由也,昔者聞諸夫子,為善者天報之以福,為不善者天報之以禍,今夫子積德懷義,行之久矣,奚居之窮也.”子曰:“由未之識也,吾語汝,汝以仁者為必信也,則伯夷叔齊,不餓死首陽;汝以智者為必用也,則王子比干,不見剖心;汝以忠者為必報也,則關龍逢不見刑;汝以諫者為必聽也,則伍子胥不見殺.夫遇不遇者,時也,賢不肖者,才也.君子博學深謀而不遇時者,眾矣,何獨丘哉.且芝蘭生於深林,不以無人而不芳,君子修道立德,不謂窮困而改節.為之者人也,生死者,命也.是以晉重耳之有霸心,生於曹衛,重耳晉文公也為公子時出奔困於曹衛越王勾踐之有霸心,生於會稽.言越王之有霸心乃生困於會稽之時也故居下而無憂者,則思不遠,處身而常逸者,則志不廣,庸知其終始乎?”庸用也汝何用知其終始或者晉文公越王之時也子路出,召子貢,告如子路.子貢曰:“夫子之道至大,故天下莫能容夫子,夫子盍少貶焉?
楚昭王は孔子を聘す。孔子は拜而行、路に過陳蔡。陳蔡之大夫相與謀曰、「孔子聖賢、其所刺譏皆中諸侯之病。若用於楚、則陳蔡危矣。」遂使徒兵距孔子。孔子不得行、絶糧七日、外無所通、藜羹不充、從者皆病。孔子愈慷慨、講誦弦歌不衰。乃召子路而問焉、曰、「詩云、匪兕匪虎、率彼曠野【率循也。言非兕虎而循曠野】。吾道非乎、奚為至於此。」子路慍、作色而對曰、「君子無所困。意者夫子未仁與、人之弗吾信也【言人之不信、豈以未仁故也】。意者夫子未智與、人之弗吾行也【言人不使通行而困窮者、豈以吾未智也】。且由也昔者聞諸夫子、為善者天報以福、為不善者天報以禍。今夫子積德懷義、行之久矣、奚居之窮也。」子曰、「由未之識也、吾語汝。汝以仁者為必信也、則伯夷叔齊不餓死首陽。汝以智者為必用也、則王子比干不見剖心。汝以忠者為必報也、則關龍逢不見刑。汝以諫者為必聽也、則伍子胥不見殺。夫遇不遇者時也、賢不肖者才也。君子博學深謀而不遇時者衆矣、何獨丘哉。且芝蘭生於深林、不以無人而不芳。君子修道立德、不為窮困而改節。為之者人也、生死者命也。是以晉重耳之有霸心、生於曹衛【重耳晉文公。為公子時出奔、困於曹衛】。越王句踐之有霸心、生於會稽【言越王霸心、乃生於困會稽之時】。故居下而無憂者、則思不遠。處身而常逸者、則志不廣。庸知其終始乎。」【庸用也。汝何用知其終始、或者晉文公、越王句踐之時哉】子路出、召子貢、告如子路。子貢曰、「夫子之道至大、故天下莫能容。夫子盍少貶焉。
”子曰:“賜,良農能稼,不必能穡,種之為稼歛之為穡良農能蓋種之未必能歛獲之也哉良工能巧,不能為順,言良工能巧不能每順人意也君子能修其道,綱而紀之,不必其能容.今不修其道,而求其容,賜,爾志不廣矣,思不遠矣.”子貢出,顏回入,問亦如之.顏回曰:“夫子之道至大,天下莫能容,雖然,夫子推而行之,世不我用,有國者之醜也,夫子何病焉?不容,然後見君子.”孔子欣然嘆曰:“有是哉,顏氏之子,吾亦使爾多財,吾為爾宰.”宰主財者為汝主財意志同也
孔子曰、「賜、良農能稼、不必能穡【種曰稼、斂曰穡。良農能盡力種之、未必能穡】。良工能巧、不能為順【言良工能巧、不能每順人意】。君子能修其道、綱而紀之、不必其能容。今不修其道、而求其容、賜、爾志不廣矣、思不遠矣。」子貢出、顔回入、問亦如之。顔回曰、「夫子之道至大、天下莫能容。雖然、夫子推而行之、世不我用、有國者之醜也。夫子何病焉。不容、然後見君子。」孔子欣然嘆曰、「有是哉、顏氏之子。吾亦使爾多財、吾為爾宰。」【宰主財者、為汝主財、志同也】
子路問於孔子曰:“君子亦有憂乎?”子曰:“無也.君子之修行也,其未得之,則樂其意,既得之,又樂其治,是以有終身之樂,無一日之憂.小人則不然,其未得也,患弗得之,既得之,又恐失之,是以有終身之憂,無一日之樂也.”
子路問於孔子曰、「君子亦有憂乎。」子曰、「無也。君子之修行也、其未得之、則樂其意。既得之、又樂其治。是以有終身之樂、無一日之憂。小人則不然、其未得也、患弗得之。既得之、又恐失之。是以有終身之憂、無一日之樂也。」
曾子弊衣而耕於魯,魯君聞之而致邑焉,曾子固辭不受.或曰:“非子之求,君自致之,奚固辭也?”曾子曰:“吾聞受人施者常畏人,與人者常驕人,縱君有賜,不我驕也,吾豈能勿畏乎?”孔子聞之曰:“參之言足以全其節也.”
曾子弊衣而耕於魯、魯君聞之而致邑焉、曾子固辭不受。或曰、「非子之求、君自致之、奚固辭也。」曾子曰、「吾聞受人施者常畏人、與人者常驕人。縱君有賜、不我驕也、吾豈能勿畏乎。」孔子聞之曰、「參之言、足以全其節也。」
孔子厄於陳蔡,從者七日不食.子貢以所齎貨,竊犯圍而出,告糴於野人,得米一石焉,顏回仲由炊之於壤屋之下,有埃墨墮飯中,顏回取而食之,子貢自井望見之,不悅,以為竊食也.入問孔子曰:“仁人廉士,窮改節乎?”孔子曰:“改節即何稱於仁義哉?”子貢曰:“若回也,其不改節乎?”子曰:“然.”子貢以所飯告孔子.子曰:“吾信回之為仁久矣,雖汝有云,弗以疑也,其或者必有故乎.汝止,吾將問之.”召顏回曰:“疇昔予夢見先人,豈或啟佑我哉?子炊而進飯,吾將進焉.”對曰:“向有埃墨墮飯中,欲置之則不潔,欲棄之則可惜,回即食之,不可祭也.”孔子曰:“然乎,吾亦食之.”顏回出,孔子顧謂二三子曰:“吾之信回也,非待今日也.”二三子由此乃服之.
孔子厄於陳蔡、從者七日不食。子貢以所齎貨、竊犯圍而出、告糴於野人、得米一石焉。顔回仲由炊之于壤屋之下、有埃墨墮飯中、顔回取而食之。子貢自井望見之、不悅、以為竊食也。入問孔子曰、「仁人廉士、窮改節乎。」孔子曰、「改節、即何稱於仁義哉。」子貢曰、「若回、其不改節乎。」子曰、「然。」子貢以所飯告孔子。子曰、「吾信回之為仁久矣、雖汝有云、弗以疑也。其或者必有故乎。汝止、吾將問之。」召顔回曰、「疇昔予夢見先人、豈或啓佑我哉。子炊而進飯、吾將進焉。」對曰、「向有埃墨墮飯中、欲置之則不潔、欲棄之則可惜、回即食之、不可祭也。」孔子曰、「然乎、吾亦食之。」顔回出、孔子顧謂二三子曰、「吾之信回也、非待今日也。」二三子由此服之。
入官第二十一
入官第二十一
子張問入官於孔子.入官謂當官治民之職也孔子曰:“安身取譽為難.”子張曰:“為之如何?”孔子曰:“己有善勿專,雖有善當與下共之勿專以為己有者也教不能勿怠,怠懈已過勿發,言人已過誤無所傷害勿發揚失言勿掎,有人失言勿掎角之不善勿遂,已有不善不可遂行行事勿留,宜行之事勿令留滯君子入官,有此六者,則身安譽至而政從矣.眾從其政無違教也且夫忿數者,官獄所由生也;距諫者,慮之所以塞也;慢易者,禮之所以失也;怠惰者,時之所以後也;奢侈者,財之所以不足也;
子張問入官于孔子【入官謂當治民之官】。孔子曰、「安身取譽為難。」子張曰、「為之如何。」孔子曰、「己有善勿專【雖有己善、當與下共有、勿專以為己有】、教不能勿怠【怠懈】、已過勿發【言人已有過失而無所傷、勿發揚】、失言勿掎【掎約持也】、不善勿遂【己有不善、不可遂行】、行事勿留【宜行之事、勿令留滯】。君子入官有此六者、則身安譽至而政從矣【衆從其政、不違教也】。且夫忿數者、官獄所由生也。拒諫者、慮之所以塞也。慢易者、禮之所以失也。怠惰者、時之所以後也。奢侈者、財之所以不足也。
專獨者,事之所以不成也.君子入官,除此六者,則身安譽至而政從矣.故君子南面臨官,大域之中而公治之,大域猶辜較也精智而略行之,以精知之略行舉其要而行之合是忠信,考是大倫,存是美惡,進是利而除是害,無求其報焉,而民之情可得也.夫臨之無抗民之惡,治民無抗揚之志也勝之無犯民之言,以慎勝民言不犯民量之無佼民之辭,佼猶周也度量而施政辭不周民也養之無擾於其時,愛之無寬於刑法,言雖愛民不可寬於刑法威克其愛故事無不成也若此,則身安譽至而民得也.君子以臨官所見則邇,故明不可蔽也,所見邇謂察於微也所求於邇,故不勞而得也,所求者近故不勞而得也所以治者約,故不用眾而譽立,凡法象在內,故法不遠而源泉不竭.法象近在於內故不遠而源泉不竭盡是以天下積而本不寡,言天下之事皆積聚而成如源泉之本非徒不竭乃不寡短長得其量,人志治而不亂,政德貫乎心,藏乎志,形乎色,發乎聲,若此而身安譽至民鹹自治矣.是故臨官不治則亂,亂生則爭之者至,爭之至又於亂,小亂則爭爭之甚者又大亂至矣也明君必寬裕以容其民,慈愛優柔之,而民自得矣.行者,政之始也,行為政始言民從行不從言也說者,情之導也,言說者但導達其情善政行易而民不怨,言善政行簡易而民無怨者也言調說和則民不變,調適也言適於事說和於民則不變法在身則民象,言法度常在身則民法之明在己則民顯之.若乃供己而不節,則財利之生者微矣,言自供不節於財財不可供生財之道微矣貪以不得,則善政必簡矣,言徒貪於不得財善政則簡略而不修也苟以亂之,則善言必不聽也.詳以納之,則規諫日至,納善言也言之善者,在所日聞,日聞善言可行於今日也行之善者,在所能為.故君上者,民之儀也,有司執政者,民之表也,邇臣便僻者,群僕之倫也.僻宜為闢便辟執事在君之左右者倫紀也為眾之紀故儀不正則民失,表不端則百姓亂,邇臣便僻,則群臣汙矣.是以人主不可不敬乎三倫,君子修身反道,察裡言而服之,服行則身安譽至,終始在焉.故夫女子必自擇絲麻,良工必自擇貌材,賢君必自擇左右,勞於取人,佚於治事,君子欲譽,則必謹其左右.為上者譬如緣木焉,務高而畏下滋甚,六馬之乖離,必於四達之交衢,萬民之叛道,必於君上之失政.上者尊嚴而危,民者卑賤而神,君有愛思之心感於民故謂如神愛之則存,惡之則亡,長民者必明此之要.故南面臨官,貴而不驕,富而能供,供宜為共古恭字也有本而能圖末,修事而能建業,既能修治舊事又人君能建乎功業也久居而不滯,情近而暢乎遠,察一物而貫乎多,治一物而萬物不能亂者,以身本者也.君子蒞民,不可以不知民之性,而達諸民之情,既知其性,又習其情,然後民乃從命矣.故世舉則民親之,政均則民無怨,故君子蒞民,不臨以高,不亢揚也不導以遠,不責民之所不為,不強民之所不能.以明王之功,不因其情,則民嚴而不迎,迎奉也民嚴畏其上而不奉迎其教篤之以累年之業,不因其力,則民引而不從,引●也教之以非其力之所堪則民引●而不從其教也矣若責民所不為,強民所不能,則民疾,疾則僻矣.民疾其上即邪僻之心生古者聖主冕而前旒,所以蔽明也,紘紞充耳,所以掩聰也,水至清則無魚,人至察則無徒,枉而直之,使自得之,優而柔之,使自求之,優寬也柔和也使自求其宜也揆而度之,使自索之,揆度其法以開示之使自索得之也民有小罪,必求其善,以赦其過,民有大罪,必原其故,以仁輔化,如有死罪,其使之生,則善也.是以上下親而不離,道化流而不蘊,蘊滯積也故德者政之始也,政不和則民不從其教矣,不從教,則民不習,不習則不可得而使也.君子欲言之見信也,莫善乎先虛其內,虛其內謂直道而行無情故也欲政之速行也,莫善乎以身先之,欲民之速服也,莫善乎以道御之.故雖服必強,言民雖服必以威強之非心服也哉自非忠信,則無可以取親於百姓者矣,內外不相應,則無已取信於庶民者矣.此治民之至道矣,入官之大統矣.”子張既聞孔子斯言,遂退而記之.
專獨者、事之所以不成也。君子入官除此六者、則身安譽至而政從矣。故君子南面臨官、大域之中而公治之【大域猶大略】、精智而略行之【用精智以知、略而行、舉其要而行之】、合是忠信、考是大倫、存是美惡、進是利而除是害、無求其報焉、而民之情可得也。夫臨之無抗民之惡【治民無高抗之心】、勝之無犯民之言【以愼勝民、言不犯民】、量之無佼民之辭【佼周也。量而後施政、辭不周納民】、養之無擾于時也、愛之勿寬於刑也【言愛民亦不可寬刑、威勝愛、故事無不成】。夫如此、則身安譽至而民得也。君子以臨官、所見則邇、故明不可蔽也【所見近、謂察於微細】。所求於邇、故不勞而得也【所求近、故不勞而得】。所以治者約、故不用衆而譽立【治約、故不假衆、名譽立】。凡法象在內、所以法不遠而源泉不竭【法象近在於己、故不遠、而源泉不竭】。是以天下積而本不寡【言天下之事皆積而成、如源泉之本、不徒不竭、亦不寡】、短長得其量、人志治而不亂。政德貫于幾、藏于心、形于色、發于聲、若此、身安譽至、而民咸自治矣。是故臨官不治則亂、亂生則爭之者至、爭之至、又於亂【小亂則爭、爭者至甚、大亂又至】。明君必寬裕以容其民、慈愛優柔之、而民自得矣。行者政之始也【行者政之始、言民從行不從言】、說者情之導也【言說但導達其情】。善政行易而民不怨【言善政行易、而民不怨】、言調說和則民不變【調適也。言適于事、說和于民、則不變】。法在身則民象之【言法常在身、則民法之】、明在己則民顯之。若乃供已而不節、財之所由弱也【言自供不節財、財不可供、生財之道微】。貪而不得、善政必簡【言徒貪不得之財、善政簡而不修】。苟以擾之、善言必不聽。詳以納之、規諫日至【納善言】。言之善者、在所日聞【日聞善言、可行於今日】。行之善者、在所能為。故君上者民之儀也、有司執政者民之表也、邇臣便僻者群僕之倫也【僻宜為辟。便辟在君左右執事者。倫紀、衆之紀】。故儀不正則民失、表不正則百姓亂、邇臣便僻則群臣污矣。是以人主不可不敬乎三倫。君子修身反道、察里言而服之【服行】、則身安譽至、終始在焉。故夫女子必自擇絲麻、良工必自擇完材、賢君必自擇左右。勞于取人、佚于治事。君子欲譽、則必謹其左右。為上者譬如緣木焉、務高而畏下。茲甚六馬之離散、必于四達之交衢。萬民之叛道、必于君上之失政。上者尊嚴而危、民者卑賤而神【君有愛思、感動于民、故如神】。愛之之則存、惡之則亡。長民者必明此之要。故南面臨官、貴而不驕、富而能供【供宜為共、古恭字】、有本而能圖末、修事而能建業【既能修事、又能建業】、久居而不滯、情近而暢乎遠、察一物而貫乎多。治一物而萬物不能亂者、以身本者也。君子范民、不可以不知民之性而達諸民之情。既知其性、又習其情、然後民乃從命矣。故世舉則民親之、政均則民無怨。故君子范民、不臨以高【不亢揚】、不道以遠、不責民之所不為、不強民之所不能。若責民所不為、強民所不能、則民疾、疾則僻矣【民疾于上、則僻心也】。古者聖主冕而前旒、所以蔽明也。纊紞充耳、所以掩聰也。水至清則無魚、人至察則無徒。枉而直之、使自得之。優而柔之、使自求之【優寬也、柔和也、使自求宜】。揆而度之、使自索之【揆度其法以示、使自索得】。民有小罪、必求其善以赦其過。民有大罪、必原其故以仁輔化。如有死罪、其使之生、則善也。是以上下親而不離、道化流而不蘊【蘊滯積】。故德者政之始也。政不和、則民不從教。不從教、則民不習。不習、則不可得而使也。君子欲言之見信也、莫善乎先虛其內【虛其內、言直道而行、無私情】。欲政之速行也、莫善乎以身先之。欲民之速服也、莫善之以道御之。故雖服必強【言民雖服、必以威強、非心服】。非忠信、則無可以取親于百姓者矣。內外不相應、則無可以取信于庶民者矣。此治民之至道、入官之大統矣。」子張既聞孔子斯言、遂退而記之。
困誓第二十二
困誓第二十二
子貢問於孔子曰:“賜倦於學,困於道矣,願息於事君,可乎?”孔子曰:“詩云:‘溫恭朝夕,執事有恪.敬也’事君之難也,焉可息哉!”曰:“然則賜願息而事親.”孔子曰:“詩云:‘孝子不匱,永錫爾類.匱竭也類善也孝子之道不匱竭者能以類相傳長錫爾以善道也’事親之難也,焉可以息哉!”曰:“然賜請願息於妻子.”孔子曰:“詩云:‘刑于寡妻,至於兄弟,以御於家邦.刑法也寡適也御正也文王以正法接其寡妻至於同姓兄弟以正治天下之國家者矣’妻子之難也,焉可以息哉!”曰:“然賜願息於朋友.”孔子曰:“詩云:‘朋友攸攝,攝以威儀.’朋友之難也,焉可以息哉!”曰:“然則賜願息於耕矣.”孔子曰:“詩云:‘晝爾於茅,宵爾索綯,亟其乘屋,其始播百穀.宵夜綯絞也當以時治屋也亟疾也當亟乘爾屋以善治之也其復當修農播百穀言無懈怠’耕之難也,焉可以息哉!”曰:“然則賜將無所息者也.”孔子曰:“有焉,自望其廣,則睪如也,廣反為壙睪高貌墉而高冢是也視其高,則填如也,填塞實貌也冢雖高而塞實也察其從,則隔如也,言其隔而不得復相從也此其所以息也矣.”子貢曰:“大哉乎死也!君子息焉,小人休焉,大哉乎死也!”
子貢は孔子に問うた。「賜、學に倦み、道に困し、君に事えて休まんことを欲す。可乎。」孔子曰、「《詩》云、溫恭朝夕、執事有恪【恪敬】、事君之難、焉可休息哉。」子貢曰、「然則賜、願息於事親。」孔子曰、「《詩》云、孝子不匱、永錫爾類【匱竭。類善。孝子之道不匱竭者、能以類相傳、長錫爾以善道】。事親之難、焉可休息哉。」子貢曰、「然則賜、請息於妻子。」孔子曰、「《詩》云、刑于寡妻、至于兄弟、以御于家邦【刑法。寡嫡。御正。文王以正法于其嫡妻、至于同姓兄弟、以正治天下之國家】。妻子之難、焉可休息哉。」子貢曰、「然則賜、願息於朋友。」孔子曰、「《詩》云、朋友攸攝、攝以威儀。朋友之難、焉可休息哉。」子貢曰、「然則賜、願息於耕。」孔子曰、「《詩》云、晝爾于茅、宵爾索綯、亟其乘屋、其始播百穀【宵夜、綯絞。當以時治屋。亟疾。亟其乘屋修治、而後修農播百穀、言無怠】。耕之難、焉可休息哉。」子貢曰、「然則賜無息者乎。」孔子曰、「有焉、望其曠則皋如也【曠字反為圹。底本此字讀若皋、意高也。合為牆高之冢】、視其高、填如也【填塞實之貌。冢雖高而塞實】、察其從、隔如也【言隔絕不得更相從】。此其所以息也。」子貢曰、「大哉、死乎。君子息焉、小人休焉。大哉、死也。」
孔子自衛將入晉,至河,聞趙簡子殺竇,犨鳴犢,及舜華,乃臨河而嘆曰:“美哉水,洋洋乎,丘之不濟,此命也夫.”子貢趍而進曰:“敢問何謂也?”孔子曰:“竇犨鳴犢,舜華,晉之賢大夫也,趙簡子未得志之時,須此二人而後從政,及其已得志也,而殺之.丘聞之刳胎殺夭,則麒麟不至其郊;竭澤而漁,則蛟龍不處其淵;覆巢破卵,則凰凰不翔其邑,何則?君子違傷其類者也.違去也違或為諱也鳥獸之於不義,尚知避之,況於人乎.”遂還息於鄒,作盤琴以哀之?盤操琴曲名也
孔子自衛將入晉、至河、聞趙簡子殺竇犨鳴犢與舜華、乃臨河而嘆曰、「美哉水、洋洋乎。丘之不濟、命也夫。」子貢趨進曰、「敢問何謂也。」孔子曰、「竇犨鳴犢、舜華、晉之賢大夫也。趙簡子未得志之時、須此二人而後從政。及其已得志也而殺之。丘聞之、刳胎殺夭、則麒麟不至其郊。竭澤而漁、則蛟龍不處其淵。覆巢破卵、則鳳凰不翔其邑。何則、君子違傷其類者也【違去也、違或為諱也】。夫鳥獸之於不義、尚知避之、況於人乎。」遂還息於鄒、作槃琴以哀之【槃操琴曲名】。
子路問於孔子曰:“有人於此,夙興夜寐,耕芸樹藝,手足胼胝,以養其親,然而名不稱孝,何也?”孔子曰:“意者身不敬與,辭不順與,色不悅與.古之人有言曰,人與己與不汝欺,言人與己事實相通不相欺也今盡力養親而無三者之闕,何謂無孝之名乎.”孔子曰:“由,汝志之,吾語汝,雖有國士之力,而不能自舉其身,非力之少,勢不可矣.夫內行不修,身之罪也,行修而名不彰,友之罪也,行修而名自立.故君子入則篤行,出則交賢,何謂無孝名乎.”
子路問於孔子曰、「有人於此、夙興夜寐、耕芸樹藝、手足胼胝、以養其親、然而名不稱孝、何也。」孔子曰、「意者身不敬與、辭不順與、色不悅與。古之人有言曰、人與己與、不汝欺【言人與己事實相通、不相欺】。今盡力養親、而無三者之缺、何謂無孝之名乎。」孔子曰、「由、汝志之、吾語汝。雖有國士之力、不能自舉其身、非無力、勢不可也。夫入而行不修、身之罪也。出而名不彰、友之罪也。是故君子在家篤行、出交賢友、何謂無孝之名乎。」
孔子遭厄於陳蔡之間,絕糧七日,弟子餒病,孔子絃歌.子路入見曰:“夫子之歌,禮乎?”孔子弗應,曲終而曰:“由來,吾語汝,君子好樂,為無驕也,小人好樂,為無懾也,懾懼其誰之子,不我知而從我者乎?”其誰之子猶言以誰氏子謂子路曰雖從我而不知我也子路悅,援戚而舞,三終而出,明日免於厄.子貢執轡曰:“二三子從夫子而遭此難也,其弗忘矣.”孔子曰:“善,惡何也?善子貢言也惡何猶言是何也夫陳蔡之間,丘之幸也,二三子從丘者,皆幸也.吾聞之,君不困不成王,烈士不困行不彰,庸知其非激憤厲志之始,於是乎在?”
孔子遭厄於陳蔡之間、絶糧七日、弟子餒病、孔子弦歌。子路入見曰、「夫子之歌、禮乎。」孔子弗應、曲終而曰、「由來、吾語汝。君子好樂、為無驕也。小人好樂、為無懾也【懾懼也】。其誰之子、不我知而從我者乎。」【其誰之子、猶言誰家之子。謂子路雖從我而猶不知我】子路悅、援戚而舞、三終而出。明日免於厄。子貢執轡曰、「二三子從夫子而遭此難也、其弗忘矣。」孔子曰、「善惡何也【善言也。惡何猶言此何意】。夫陳蔡之間、丘之幸也。二三子從丘者、皆幸也。吾聞之、君不困不成王、烈士不困行不彰。庸知其非激憤厲志之始、於是乎在。」
孔子之宋,匡人簡子以甲士圍之.子路怒,奮戟將與戰.孔子止之曰:“惡有修仁義而不免世俗之惡者乎?夫詩書之不講,禮樂之不習,是丘之過也,若以述先王,好古法而為咎者,則非丘之罪也.命之夫.歌,予和汝.”子路彈琴而歌,孔子和之,曲三終,匡人解甲而罷.孔子曰:“不觀高崖,何以知顛墜之患;不臨深泉,何以知沒溺之患;不觀巨海,何以知風波之患,失之者其在此乎?不在此三者之或也士慎此三者,則無累於身矣.”
孔子之宋、匡人簡子以甲士圍之。子路怒、奮戟將與戰。孔子止之曰、「惡有修仁義而不免世俗之惡者乎。夫詩書之不講習、禮樂之不習、是丘之過也。若以述先王好古法而為咎者、則非丘之罪也、命也夫。歌、予和汝。」子路彈琴而歌、孔子和之、曲三終、匡人解甲而罷。孔子曰、「不觀高崖、何以知顛墜之患。不臨深泉、何以知沒溺之患。不觀大海、何以知風波之患。失之者其在此乎、士愼此三者、則無累於身矣。」
子貢問於孔子曰:“賜既為人下矣,而未知為人下之道,敢問之.”子曰:“為人下者,其猶土乎.汨之之深則出泉,汨渥樹其壤則百穀滋焉,草木植焉,禽獸育焉,生則出焉,死則入焉,多其功而不意,功雖多而無所意也●其志而無不容,為人下者當弘志如地無所不容也為人下者以此也.”
子貢問於孔子曰、「賜既為人下矣、而未知為人下之道、敢問之。」孔子曰、「為人下者、其猶土乎。汨之深則出泉【汨渥也】、樹其壤則百穀滋焉、草木殖焉、禽獸育焉。生則出焉、死則入焉。多其功而不意【功雖多而無所用意】、弘其志而無不容【為人下者、當志弘大地、無所不容】。為人下者以此。」
孔子適鄭,與弟子相失,獨立東郭門外.或人謂子貢曰:“東門外有一人焉,其長九尺有六寸,河目隆顙,河目上下匡平而長顙頰也其頭似堯,其頸似皋繇,其肩似子產,然自腰已下,不及禹者三寸,累然如喪家之狗.”喪家狗主人哀荒不見飯食故累然不得意孔子生於亂世道不得行故累然是不得意之貌也子貢以告,孔子欣然而嘆曰:“形狀永也,如喪家之狗,然乎哉!然乎哉!”
孔子適鄭、與弟子相失、獨立東郭門外。或人謂子貢曰、「東門外有一人焉、其長九尺有六寸、河目隆顙【河目上下匡平而長。顙額也】、其頭似堯、其頸似皋陶、其肩似子産、然自腰以下、不及禹者三寸、纍纍如喪家之狗。」【喪家狗、主人哀荒、不見飯食、故纍然不得意。孔子生於亂世、道不得行、故纍然、不得志之貌】子貢以告孔子、孔子欣然嘆曰、「形狀未也、如喪家之狗、然哉然哉。」
孔子適衛,路出於蒲,會公叔氏以蒲叛衛而止之.孔子弟子有公良儒者,為人賢長有勇力,以私車五乘從夫子行,喟然曰:“昔吾從夫子遇難於匡,又伐樹於宋,孔子與弟子行禮於大樹之下桓魋欲害之故先伐其樹焉今遇困於此,命也夫,與其見夫子仍遇於難,寧我鬥死.”挺劍而合眾,將與之戰.蒲人懼,曰:“苟無適衛,吾則出子以盟.”孔子而出之東門,孔子遂適衛.子貢曰:“盟可負乎?”孔子曰:“要我以盟,非義也.”衛侯聞孔子之來,喜而於郊迎之.問伐蒲,對曰:“可哉?”公曰:“吾大夫以為蒲者,衛之所以恃晉楚也,伐之,無乃不可乎?”孔子曰:“其男子有死之志,公叔氏欲蒲適他國故男子欲死之不樂適也吾之所伐者,不過四五人矣.”本與叔孫同伴者也公曰:“善!卒不果伐.”他日,靈公又與夫子語,見飛鴈過而仰視之,色不悅.孔子乃逝.逝行衛蘧伯玉賢而靈公不用,彌子瑕不肖反任之,史魚驟諫而不從,史魚病將卒,命其子曰:“吾在衛朝不能進蘧伯玉,退彌子瑕,是吾為臣不能正君也,生而不能正君,則死無以成禮,我死,汝置屍牖下,於我畢矣.”禮餅含於牖下小歛於戶內大歛於阼殯於客位也其子從之.靈公吊焉,怪而問焉,其子以其父言告公,公愕然失容曰:“是寡人之過也.”於是命之殯於客位.進蘧伯玉而用之,退彌子瑕而遠之.孔子聞之曰:“古之列諫之者,死則已矣,未有若史魚死而尸諫,忠感其君者也,不可謂直乎.”
孔子適衛、路出于蒲、會公叔氏以蒲叛衛而止之。孔子弟子有公良儒者、為人賢長有勇力、以私車五乘從夫子行、喟然嘆曰、「昔吾從夫子遇難於匡、又伐樹於宋【孔子與弟子習禮大樹下、桓魋欲害孔子、故先伐其樹】、今遇困於此、命也夫。與其見夫子仍遇難、寧我鬪死。」挺劍而合衆、將與之戰。蒲人懼曰、「苟無適衛、吾則出子以盟。」孔子出之東門、遂適衛。子貢曰、「盟可負乎。」孔子曰、「要我以盟、非義也。」衛侯聞孔子之來、喜而於郊迎之。問伐蒲、對曰、「可哉。」公曰、「吾大夫以為蒲者、衛之所以待晉楚也、伐之、無乃不可乎。」孔子曰、「其男子有死之志【公叔氏欲以蒲適他國、故男子欲死守、不樂移也】、我所伐者、不過四五人矣。」【本與公叔同伴者】公曰、「善。」卒不果伐。他日靈公又與夫子語、見飛雁過而仰視之、色不悅。孔子乃逝【逝行】。衛蘧伯玉賢而靈公不用、彌子瑕不肖反任之。史魚驟諫而不從。史魚病將卒、命其子曰、「我在衛朝、不能進蘧伯玉、退彌子瑕、是吾為臣不能正君也。生而不能正君、則死無以成禮。我死、汝置尸牖下、于我畢矣。」【禮飯含在牖下、小斂于戶內、大斂于東階、殯于客位】其子從之。靈公弔焉、怪而問焉、其子以父言告公。公愕然易色曰、「是寡人之過也。」於是命之殯于客位、進蘧伯玉而用之、退彌子瑕而遠之。孔子聞之曰、「古之烈諫之者、死則已矣、未有若史魚死而尸諫、忠感其君者也、不可謂直乎。」
五帝德第二十三
五帝德第二十三
宰我問於孔子曰:“昔者吾聞諸榮伊曰:‘黃帝三百年.’請問黃帝者,人也,抑非人也,何以能至三百年乎?”孔子曰:“禹湯文武周公,不可勝以觀也,而上世黃帝之問,將謂先生難言之故乎.”言禹湯已下不可勝觀乃問上世黃帝將為先生長老難言之故問宰我曰:“上世之傳,隱微之說,卒採之辯,採事也辯說也卒終也其事之說也闇忽之意,闇忽友遠不明非君子之道者,則予之問也固矣.”固陋不得其問孔子曰:“可也,吾略聞其說.黃帝者,少昊之子,曰軒轅,生而神靈,弱而能言,幼齊叡,莊敦敏誠信,長聰明,治五氣,五行之氣設五量,五量權衡升斛尺丈裡步十百撫萬民,度四方,商度四方而無安定服牛乘馬,擾馴猛獸,以與炎帝戰於阪泉之野,炎帝神農氏之後也三戰而後克之.始垂衣裳,作為黼黻,白與黑謂之黼若斧文黑與青謂之黻若兩已相戾治民以順天地之紀,知幽明之故,達生死存亡之說,播時百穀,時是嘗味草木,仁厚及於鳥獸昆蟲,考日月星辰,勞耳目,勤心力,用水火財物以生民.民賴其利,百年而死;民畏其神,百年而亡;民用其教,百年而移,故曰黃帝三百年.”
宰我問於孔子曰、「昔者吾聞諸榮伊曰、黃帝三百年。請問黃帝者人耶、亦非人耶、何以至於三百年乎。」孔子曰、「禹湯文武周公、不可勝以觀也、而上世黃帝之問、將以為先生難言之故乎。」【言禹湯以下不可勝觀、乃問上世黃帝、將以為先生長老難言之故】宰我曰、「上世之傳、隱微之說、卒采之辯【采事也、辯說也、卒終也、事其說】、暗忽之意【暗忽久遠不明】、非君子之道者、則予之問也固矣。」【固陋、問不得也】孔子曰、「可、吾略聞其說。黃帝者、少昊之子、曰軒轅、生而神靈、弱而能言、幼齊叡莊敦敏誠信、長聰明、治五氣【五行之氣】、設五量【五量謂權衡、升斛、尺丈、里步、十百】、撫萬民、度四方【商度四方、無所不安】、服牛乘馬、擾馴猛獸、以與炎帝戰于阪泉之野【炎帝神農氏之後也】、三戰而後克之。始垂衣裳、作為黼黻【白與黑謂之黼、若斧文。黑與青謂之黻、若兩己相背】、治民以順天地之紀、知幽明之故、達死生存亡之說、播時百穀【時是】、嘗味草木、仁厚及於鳥獸昆蟲、考日月星辰、勞耳目、勤心力、用水火財物以養民。民賴其利、百年而死。民畏其神、百年而亡。民用其教、百年而移。故曰黃帝三百年。」
宰我曰:“請問帝顓頊.”孔子曰:“五帝用說,三王有度,五帝久遠故用說也三王邇則有成法度汝欲一日遍聞遠古之說,躁哉予也.”宰我曰:“昔予也聞諸夫子曰:‘小子毋或宿.’故敢問.”有所問當問勿令更宿也
宰我曰、「請問帝顓頊。」孔子曰、「五帝用說、三王有度【五帝久遠、故用說。三王邇、則有成法度】。汝欲一日遍聞遠古之說、躁哉予也。」宰我曰、「昔予也聞諸夫子曰、小子毋或宿。故敢問。」【有所問當問、勿令更宿】
孔子曰:“顓頊,黃帝之孫,昌意之子,曰高陽,淵而有謀,疏通以知遠,養財以任地,履時以象天,依鬼神而制義,治氣性以教眾,潔誠以祭祀,巡四海以寧民,北至幽陵,南暨交趾,西抵流沙,東極蟠木,動靜之神,小大之物,日月所照,莫不底屬.”底平四遠皆平而來服屬之也宰我曰:“請問帝嚳.”孔子曰:“玄枵之孫,喬極之子,曰高辛,生而神異,自言其名,博施厚利,不於其身,聰以知遠,明以察微,仁以威,惠而信,以順天地之義,知民所急,修身而天下服,取地之財而節用焉,撫教萬民而誨利之,歷日月之生朔而迎送之,明鬼神而敬事之,其色也和,其德也重,其動也時,其服也哀,春夏秋冬育護天下,日月所照,風雨所至,莫不從化.”
孔子曰、「顓頊、黃帝之孫、昌意之子、曰高陽、淵而有謀、疏通而知遠、養財以任地、履時以象天、依鬼神而制義、治氣性以教衆、潔誠以祭祀、巡四海以寧民。北至幽陵、南暨交趾、西抵流沙、東極蟠木。動靜之神、小大之物、日月所照、莫不底屬。」【底平也。四方皆平來服屬】宰我曰、「請問帝嚳。」孔子曰、「玄枵之孫、蟜極之子、曰高辛、生而神異、自言其名。博施厚利、不於其身。聰以知遠、明以察微、仁而有威、惠而有信、以順天地之義。知民所急、修身而天下服。取地之財而節用之、撫教萬民而誨利之、歷日月之生朔而迎送之、明鬼神而敬事之。其色也和、其德也重、其動也時、其服也哀。春夏秋冬育護天下、日月所照、風雨所至、莫不從化。」
宰我曰:“請問帝堯.”孔子曰:“高辛氏之子,曰陶唐,其仁如天,其智如神,就之如日,望之如云,富而不驕,貴而能降,伯夷典禮,夔龍典樂,舜時夔典樂龍作納言然則堯時龍亦典樂者也舜時而仕,趨視四時,務元民始之,務先民事以為始也流四凶而天下服,其言不忒,其德不回,四海之內,舟輿所及,莫不夷說.”夷平心說古通以為悅字
宰我曰、「請問帝堯。」孔子曰、「高辛氏之子、曰陶唐、其仁如天、其智如神、就之如日、望之如雲。富而不驕、貴而能降。伯夷典禮、夔龍典樂【舜時夔典樂、龍為納言、則堯時龍亦典樂也】。舜時而仕、趨視四時、務先民始之【務先民始為始】、流四凶而天下服。其言不忒、其德不回。四海之內、舟輿所至、莫不說夷。」【夷平也、說古通悅】
宰我曰:“請問帝舜.”孔子曰:“喬牛之孫,瞽瞍之子也,曰有虞,舜孝友聞於四方,陶漁事親,為陶器躬捕魚以養父母寬裕而溫良,敦敏而知時,畏天而愛民,恤遠而親近,承受大命,依於二女,堯妻舜以二女舜動靜謀之於二女叡明智通,為天下帝,命二十二臣率堯舊職,躬己而已,天平地成,巡狩四海,五載一始,三十年在位,嗣帝五十載,陟方岳,死於蒼梧之野而葬焉.”宰我曰:“請問禹.”孔子曰:“高陽之孫,鯀之子也,曰夏後,敏給克齊,其德不爽,爽忒其仁可親,其吾可信,聲為律,身為度,以身為法度也亹亹穆穆,為紀為綱,其功為百神之主,禹治水天下既平然後百神得其所其惠為民父母,左準繩,右規矩,左右言常用也履四時,所行不違四時之宜據四海,任皋繇伯益,以贊其治,興六師以徵不序,四極之民,莫敢不服.”孔子曰:“予大者如天,小者如言,民悅至矣,予也,非其人也.”言不足以明五帝之德也宰我曰:“予也不足以戒,敬承矣.”他日,宰我以語子貢,子貢以復孔子,子曰:“吾欲以顏狀取人也,則於滅明改矣;吾欲以言辭取人也,則於宰我改之矣;吾欲以容貌取人也,則於子張改之矣.”宰我聞之,懼,弗敢見焉.
宰我曰、「請問帝舜。」孔子曰、「蟜牛之孫、瞽瞍之子、曰有虞。舜孝友聞於四方、陶漁事親【為陶自漁以養親】、寬裕而溫良、敦敏而知時、畏天而愛民、恤遠而親近。承受大命、依于二女【堯以二女妻舜、舜動靜謀于二女】、叡明智通、為天下帝。命二十二臣、率堯舊職、躬己而已。天平地成、巡狩四海、五載一始。在位三十年、嗣帝位五十年、登方嶽、死於蒼梧之野而葬焉。」宰我曰、「請問禹。」孔子曰、「高陽之孫、鯀之子、曰夏后。敏給克齊、其德不爽【爽忒】、其仁可親、其言可信。聲為律、身為度【以身為法度】、亹亹穆穆、為紀為綱。其功為百神之主【禹治水、天下既平、然後百神各得其祀】、其惠為民父母。左準繩、右規矩【左右言常用】、履四時【所行不違四時之宜】、據四海、任皋陶伯益以贊其治、興六師以征不序、四極之民莫敢不服。」孔子曰、「予、大者如天、小者如言、民悅至矣。予也非其人也。」【言不足以明五帝之德】宰我曰、「予也不足以戒、敬承矣。」他日、宰我以語子貢、子貢以復孔子。子曰、「吾欲以顔狀取人也、則於滅明改之矣。吾欲以辭言取人也、則於宰我改之矣。吾欲以容貌取人也、則於子張改之矣。」宰我聞之、懼、弗敢見。
孔子家語 巻六
五帝第二十四
五帝第二十四
季康子問於孔子曰:“舊聞五帝之名,而不知其實,請問何謂五帝?”孔子曰:“昔丘也聞諸老聃曰:‘天有五行,水火金木土,分時化育,以成萬物.一歲三百六十日五行各主七十二日也化生長育一歲之功萬物莫敢不成’其神謂之五帝.五帝五行之神佐生物者而讖緯皆為之名字亦為妖怪妄言古之王者,易代而改號,取法五行,五行更王,終始相生,亦象其義.法五行更王終始相生始以木德王天下其次以生之行轉相承而諸說乃謂五精之帝下生王者其為帝或無可言也更古衡反王音旺故其為明王者而死配五行,是以太皞配木,炎帝配火,黃帝配土,少皞配金,顓頊配水.”康子曰:“太皞氏其始之木何如?”孔子曰:“五行用事,先起於木,木東方萬物之初皆出焉,是故王者則之,而首以木德王天下,其次則以所生之行,轉相承也.”木生火火生土之屬王天音旺康子曰:“吾聞勾芒為木正,祝融為火正,蓐收為金正,玄冥為水正,后土為土正,此五行之主而不亂稱曰帝者,何也?
季康子問於孔子曰、「舊聞五帝之名、而不知其實、請問何謂五帝。」孔子曰、「昔丘也聞諸老聃曰、天有五行、水火金木土、分時化育、以成萬物【一歲三百六十日、五行各主七十二日。化生長育、一歲之功、萬物莫敢不成】、其神謂之五帝【五帝、五行之神、佐生物者。而讖緯皆為之名字、亦為妖怪妄言】。古之王者、易代而改號、取法五行。五行更王、終始相生、亦象其義【法五行更王終始相生、始以木德王天下、其次以所生之行轉相承。而諸說乃謂五精之帝下生王者、其為帝或無可言】、故其為明王者、而死配五行。是以太皞配木、炎帝配火、黃帝配土、少皞配金、顓頊配水。」康子曰、「太皞氏其始之木何如。」孔子曰、「五行用事、先起于木。木東方、萬物之初皆出焉。是故王者則之、而首以木德王天下。其次則以所生之行轉相承也。」【木生火、火生土之類】康子曰、「吾聞勾芒為木正、祝融為火正、蓐收為金正、玄冥為水正、后土為土正。此五行之主而不亂、稱曰帝者、何也。
”孔子曰:“凡五正者,五行之官名,五行佐成上帝而稱五帝,太皞之屬配焉,亦云帝,從其號.天至尊物不可以同其號亦兼稱上帝上天以其五行佐成天事謂之五帝以地有五行而其精神在上故亦為帝五帝黃帝之屬故亦稱帝亦從天五帝之號故王者雖號稱帝而不或曰天帝而曰天子者而天子與父其尊卑相去遠矣曰天王者言乃天下之王也昔少皞氏之子有四叔,曰重、曰該、曰修、曰熙,實能金木及水,使重為勾芒,該為蓐收,修及熙為玄冥,顓頊氏之子曰黎為祝融,共工氏之子曰勾龍為后土,此五者,各以其所能業為官職.各以一行之官為職業之事生為上公,死為貴神,別稱五祀,不得同帝.”五祀上公之神故不得稱帝也正史者五正不及五帝五帝不及天地而不設者以祭社為祭地不亦失之遠矣且土與火水俱為五行是地之子也以子為母不亦顛倒失尊卑之序也康子曰:“如此之言,帝王改號於五行之德,各有所統,則其所以相變者,皆主何事?”在木家而尚赤所以問也孔子曰:“所尚則各從其所王之德次焉.木次火而木家尚赤者以木德義之著修其母兼其子夏后氏以金德王,色尚黑,大事歛用昏,大事喪昏時亦黑也戎事乘驪,黑馬也牲用玄;殷人用水德王,色尚白,水家尚青而尚白者避土家之尚青大事歛用日中,日中白也戎事乘翰,翰白色馬牲用白;周人以木德王,色尚赤,大事歛用日出,日出時亦赤也戎事乘騵,騵馬白腹牲用騂.騂赤色也此三代之所以不同.”康子曰:“唐虞二帝,其所尚者何色?”孔子曰:“堯以火德王,色尚黃,舜以土德王,色尚青.”土家宜尚白土者四行之主王於四季五行用事先起於水色青是以水家避土土家尚白康子曰:“陶唐有虞夏後,殷周獨不配五帝,意者德不及上古耶,將有限乎?
孔子曰、「凡五正者、五行之官名。五行佐成上帝、而稱五帝。太皞之屬配焉、亦云帝、從其號【天至尊、物不可以同其號、亦兼稱上帝。上天以其五行佐成天事、謂之五帝。地有五行而其精神在上、故亦為帝。五帝黃帝之屬、故亦稱帝、亦從天五帝之號。故王者雖號稱帝、而不曰天帝、而曰天子者、而天子與父、其尊卑相去遠也。曰天王者、言乃天下之王也】。昔少皞氏之子有四叔、曰重、曰該、曰修、曰熙、實能金木及水。使重為勾芒、該為蓐收、修及熙為玄冥、顓頊氏之子曰黎、為祝融。共工氏之子曰勾龍、為后土。此五者各以其所能業為官職【各以一行之官、為職業之事】。生為上公、死為貴神、別稱五祀、不得同帝。」【五祀上公之神、故不得稱帝也。按正史五正不及五帝、五帝不及天地。而不設地、而以社祭當祭地、豈不失之遠哉。且土與火水俱為五行、是地之子也。以子為母、非顛倒失尊卑之序】康子曰、「如此之言、帝王改號、於五行之德各有所統、則其所以相變者、皆主何事。」【木家而尚赤、故問】孔子曰、「所尚則各從其所王之德次。木次則火、木家尚赤、以木德義之著、修其母兼其子。夏后氏以金德王、色尚黑、大事斂用昏【大事、喪也。昏時亦黑】、戎事乘驪【黑馬】、牲用玄。殷人以水德王、色尚白【水家宜尚青、而尚白者、避土家之尚青也】、大事斂用日中【日中亦白】、戎事乘翰【翰白色馬也】、牲用白。周人以木德王、色尚赤、大事斂用日出【日出亦赤也】、戎事乘騵【騵白腹馬也】、牲用騂【騂赤色】。此三代之所以不同。」康子曰、「唐虞二帝、其所尚者何色。」孔子曰、「堯以火德王、色尚黃。舜以土德王、色尚青。」【土家宜尚白、土者四行之主、王於四季。五行用事先從水色青起、是以水家避土、土家尚白】康子曰、「陶唐有虞夏后殷周獨不配五帝、意者德不及上古耶、將有限乎。」
”孔子曰:“古之平治水土,及播殖百穀者眾矣,唯勾龍氏兼食於社,兼猶配也而棄為稷神,易代奉之,無敢益者,明不可與等.故自太皞以降,逮於顓頊,其應五行,而王數非徒五而配五帝,是其德不可以多也.”
孔子曰、「古之平治水土、及播殖百穀者衆矣、唯勾龍氏兼食於社【兼猶配也】、而棄為稷神、易代奉之、無敢益者、明不可與等。故自太皞以降、逮于顓頊、其應五行而王、數非徒五、而配五帝、是其德不可以多也。」
執轡第二十五
執轡第二十五
閔子騫為費宰,問政於孔子.子曰:“以德以法.夫德法者,御民之具,猶御馬之有銜勒也.君者,人也,吏者,轡也,刑者,策也,夫人君之政,執其轡策而已.”子騫曰:“敢問古之為政.”孔子曰:“古者天子以內史為左右手,內史掌王八柄及?事之法納以詔王聽治命孤卿大夫則策命以四方之事書則讀之王制祿則費為之賞則亦如之故王以為左右手費芳未反以德法為銜勒,以百官為轡,以刑罰為策,以萬民為馬,故御天下數百年而不失.善御馬正銜勒,齊轡策,均馬力,和馬心,故口無聲而馬應轡,策不舉而極千里;善御民,壹其德法,正其百官,以均齊民力,和安民心,故令不再而民順從,刑不用而天下治.是以天地德之,天地以有為德而兆民懷之,懷歸夫天地之所德,兆民之所懷,其政美,其民而眾稱之.其民為眾所稱舉也今人言五帝三王者,其盛無偶,威察若存,其盛以明察帝若存其故何也?其法盛,其德厚,故思其德,必稱其人,朝夕祝之,升聞於天,上帝俱歆用永厥世而豐其年.不能御民者,棄其德法,專用刑辟,譬猶御馬,棄其銜勒而專用棰策,其不制也,可必矣.夫無銜勒而用棰策,馬必傷,車必敗;無德法而用刑,民必流,國必亡.治國而無德法,則民無修,民無修則迷惑失道,如此上帝必以其為亂天道也.苟亂天道,則刑罰暴,上下相諛,諂諛莫知念忠,俱無道故也.今人言惡者,必比之於桀紂,其故何也?
閔子騫為費宰、問政於孔子。子曰、「以德以法。夫德法者、御民之具、猶御馬之有銜勒也。君者人也、吏者轡也、刑者策也。夫人君之政、執其轡策而已。」子騫曰、「敢問古之為政。」孔子曰、「古者天子以內史為左右手【內史掌王之八柄及事之法、納以詔王聽治。命孤卿大夫則策命、四方之事書則讀之。王制祿則讚為之、賞賜亦如之、故王以為左右手】、以德法為銜勒、以百官為轡、以刑罰為策、以萬民為馬、故御天下數百年而不失。善御馬、正銜勒、齊轡策、均馬力、和馬心、故口無聲而馬應轡、策不舉而極千里。善御民、壹其德法、正其百官、以均齊民力、和安民心、故令不再而民順從、刑不用而天下治。是以天地德之【天地以有作為德】、而兆民懷之【懷歸】。夫天地之所德、兆民之所懷、其政美、其民而衆稱之【其民衆所稱舉】。今人言五帝三王者、其盛無偶、威察若存【其盛明察、帝若存】、其故何也。其法盛、其德厚、故思其德必稱其人、朝夕祝之、升聞于天、上帝俱歆、用永厥世、豐于穀也。不能御民者、棄其德法、專用刑辟、譬猶御馬、棄其銜勒、而專用棰策、其不制也可必矣。夫無銜勒而用棰策、馬必傷、車必敗。無德法而用刑、民必流亡、國必亡。治國而無德法、則民無修。民無修、則迷惑失道。如此、上帝必以其為亂天道也。苟亂天道、則刑罰暴、上下相諛、莫忠念、皆無道故也。今人言惡者、必比之于桀紂、其故何也。
其法不聽,其德不厚,故民惡其殘虐,莫不吁嗟,朝夕祝之,升聞於天,上帝不蠲,降之以禍罰,災害並生,用殄厥世.故曰德法者御民之本.古之御天下者,以六官總治焉,冢宰之官以成道,治官所以成道司徒之官以成德,教官所以成德宗伯之官以成仁,祀官所以成仁司馬之官以成聖,治官所以成聖聖通征伐所以通天下也司寇之官以成義,刑官所以成義司空之官以成禮.事官所以成禮禮非事不立也六官在手以為轡,司會均仁以為納,納驂馬轡轡系軾前者司會掌邦之六典八法之戒以周知四方之治冢宰之副故不在其六轡至當納位故曰御四馬者執六轡,御天下者正六官.是故善御馬者正身以總轡,均馬力,齊馬心,迴旋曲折,唯其所之,故可以取長道,可赴急疾,此聖人所以御天地與人事之法則也.天子以內史為左右手,以六官為轡,已而與三公為執六官,均五教,齊五法.仁義禮智信之法也故亦唯其所引,無不如志,以之道則國治,冢宰治官以之德則國安,德教成以之仁則國和禮之用和為貴則國安以之仁則國和,以之聖則國平,通治遠近則國平也以之禮則國安,事物以禮則國定也以之義則國義,義平也刑罰當罪則國平此御政之術.過失人之情,莫不有焉,過而改之,是為不過.故官屬不理,分職不明,法政不一,百事失紀曰亂,亂則飭冢宰;飭謂整攝人也地而不殖,財物不蕃,萬民飢寒,教訓不行,風俗淫僻,人民流散曰危,危則飭司徒;父子不親,長幼失序,君臣上下,乖離異志曰不和,不和則飭宗伯;賢能而失官爵,功勞而失賞祿,司勳之職屬之司馬士卒疾怨,兵弱不用曰不平,不平則飭司馬;刑罰暴亂,奸邪不勝曰不義,不義則飭司寇;
其法不聽、其德不厚、故民惡其殘虐、莫不吁嗟、朝夕祝之、升聞于天、上帝不蠲、降之以禍罰、災害並生、用殄厥世。故曰德法者御民之本。古之御天下者、以六官總治焉。冢宰之官以成道【治官所以成道】、司徒之官以成德【教官所以成德】、宗伯之官以成仁【祀官所以成仁】、司馬之官以成聖【治官所以成聖。聖通也、征伐所以通天下也】、司寇之官以成義【刑官所以成義】、司空之官以成禮【事官所以成禮。禮非事不立】。六官在手以為轡、司會均仁以為納【納驂馬轡、繫軾前者。司會掌邦之六典八法之戒、以周知四方之治、冢宰之副。故不在六轡、正當納位】。故曰御四馬者執六轡、御天下者正六官。是故善御馬者、正身以總轡、均馬力、齊馬心、回旋曲折、唯其所之、故可以取長道、可赴急疾。此聖人所以御天地與人事之法則也。天子以內史為左右手、以六官為轡、已而與三公為執六官、均五教、齊五法【仁義禮智信之法】。故亦唯其所引、無不如志。以之於道則國治【冢宰治官】、以之於德則國安【德教成】、以之於仁則國和【禮之用和為貴、則國安。以仁則國和】、以之於聖則國平【通治遠近、則國平】、以之於禮則國定【事物以禮、則國定】、以之於義則國平【義平。刑罰當罪、則國平】。此御政之術。過失人之情、莫不有焉。過而改之、是為不過。故官屬不理、分職不明、法政不一、百事失紀曰亂、亂則飭冢宰【飭整攝人】;地而不殖、財物不蕃、萬民饑寒、教訓不行、風俗淫僻、人民流散曰危、危則飭司徒;父子不親、長幼失序、君臣上下乖離異志曰不和、不和則飭宗伯;賢能而失官爵、功勞而失賞祿【司勳之職屬司馬】、士卒疾怨、兵弱不用曰不平、不平則飭司馬;刑罰暴亂、姦邪不勝曰不義、不義則飭司寇。
度量不審,舉事失理,都鄙不修,財物失所曰貧,貧則飭司空.故御者同是車馬,或以取千里,或不及數百里,其所謂進退緩急,異也.夫治者同是官法,或以致平,或以致亂者,亦其所以為進退緩急異也.古者天子常以季冬考德正法,以觀治亂,德盛者治也,德薄者亂也.故天子考德,則天下之治亂,可坐廟堂之上而知之,夫德盛則法修,德不盛則飭,法與政鹹德而不衰.法與政皆合於德則不殺故曰王者又以孟春論之德及功能.能德法者為有德,能行德法者為有行,行下孟反能成德法者為有功,能治德法者為有智.故天子論吏而德法行,事治而功成,夫季冬正法,孟春論吏,治國之要.”
度量不審、舉事失理、都鄙不修、財物失所曰貧、貧則飭司空。故御者同是車馬、或以取千里、或不及數百里、其所謂進退緩急異也。治者同是官法、或以致平、或以致亂者、亦其所以進退緩急異也。古者天子常以季冬考德正法、以觀治亂。德盛者治也、德薄者亂也。故天子考德、則天下之治亂可坐廟堂之上而知之。夫德盛則法修、德不盛則飭。法與政咸德而不衰【法與政皆合於德、則不衰殺】。故王者又以孟春論吏之德及功能。能德法者為有德、能行德法者為有行、能成德法者為有功、能治德法者為有智。故天子論吏而德法行、事治而功成。季冬正法、孟春論吏、治國之要。」
子夏問於孔子曰:“商聞易之生人及萬物,鳥獸昆蟲,各有奇耦,氣分不同,易主天地以生萬物言受氣各有分數不齊同分扶問反而凡人莫知其情,唯達德者能原其本焉.天一,地二,人三,三如九,九九八十一,一主日,日數十,故人十月而生;一主日從一而生日者陽從奇數日數十從甲至癸也八九七十二,偶以從奇,奇主辰,辰為月,月主馬,故馬十二月而生;偶以承奇陰以承陽辰數十二從子至亥也奇居宜反七九六十三,三主鬥,鬥主狗,故狗三月而生;鬥次日月故以主斗六九五十四,四主時,時主豕,故豕四月而生;音不過五故五為音四九三十六,六為律,律主鹿,故鹿六月而生;三九二十七,七主星,星主虎,故虎七月而生;星二十八宿為四方方有七度七主星也二九一十八,八主風,風為蟲,故蟲八月而生;風之數盡於八凡蟲為風風為蟲也其餘各從其類矣.鳥魚生陰而屬於陽,故皆卵生.魚遊於水,鳥遊於云,故立冬則燕雀入海化為蛤.蠶食而不飲,蟬飲而不食,蜉蝣不飲不食,萬物之所以不同.介鱗夏食而冬蟄,介甲蟲也齕吞者八竅而卵生,八竅鳥屬齕下沒反齟●者九竅而胎生,九竅人及獸屬齟壯所反●疾雀反四足者無羽翼,戴角者無上齒,無角無前齒者膏,無角無後齒者脂,淮南取此義曰無角者膏而無前有角者脂而無後膏豚屬而脂羊屬無前後皆謂其銳小者也晝生者類父,夜生者似母,是以至陰主牝,至陽主牡.敢問其然乎?
子夏問於孔子曰、「商聞《易》之生人及萬物鳥獸昆蟲、各有奇偶、氣分不同【易主天地生萬物、言受氣各有分數不齊】、而凡人莫知其情、唯達德者能原其本焉。天一地二人三、三三如九、九九八十一。一主日、日數十、故人十月而生【一主日從一起、日陽從奇數、日數十從甲至癸】。八九七十二、偶以從奇、奇主辰、辰為月、月主馬、故馬十二月而生【偶承奇、陰承陽。辰數十二、從子至亥】。七九六十三、三主斗、斗主狗、故狗三月而生【斗次日月、故主斗】。六九五十四、四主時、時主豕、故豕四月而生。四九三十六、六為律、律主鹿、故鹿六月而生。三九二十七、七主星、星主虎、故虎七月而生【星二十八宿為四方、每方有七度、七主星】。二九一十八、八主風、風為蟲、故蟲八月而生【風之數盡於八、凡蟲為風、風為蟲】。其餘各從其類矣。鳥魚生陰而屬於陽、故皆卵生。魚游於水、鳥游於雲、故立冬則燕雀入海化為蛤。蠶食而不飲、蟬飲而不食、蜉蝣不飲不食、萬物之所以不同。介鱗夏食而冬蟄【介甲蟲】、齕吞者八竅而卵生【八竅鳥之屬】、咀嚾者九竅而胎生【九竅人及獸之屬】、四足者無羽翼、戴角者無上齒、無角無前齒者膏、無角無後齒者脂【《淮南子》取此義、曰無角者膏而無前、有角者脂而無後、膏豚之屬、脂羊之屬、無前後皆謂其齒銳小】。晝生者似父、夜生者似母。是以至陰主牝、至陽主牡。敢問其然乎。
”孔子曰:“然,吾昔聞老聃亦如汝之言.”子夏曰:“商聞山書曰:‘地東西為緯,南北為經,山為積德,川為積刑,高者為生,下者為死,丘陵為牡,溪谷為牝,蚌蛤龜珠,與日月而盛虛.月盛則蚌蛤之屬滿月虧則虛是故堅土之人剛,弱土之人柔,墟土之人大,沙土之人細,息土之人美,●土之人醜.●耗字也息土細緻●土麤疏者也食水者善遊而耐寒,食土者無心而不息,螟屬不氣息也食木者多力而不治,血氣不治淮南子曰多力而弗戾亦不治之貌者也食草者善走而愚,食桑者有緒而蛾,食肉者勇毅而捍,食氣者神明而壽,食谷者智惠而巧,不食者不死而神.故曰羽蟲三百有六十,而鳳為之長;毛蟲三百有六十,而麟為之長;甲蟲三百有六十,而龜為之長;鱗蟲三百有六十而龍為之長;?蟲三百有六十而人為之長.此幹?之美也.幹天?地’殊形異類之數,王者動必以道動,靜必以道靜,必順理以奉天地之性,而不害其所主,謂之仁聖焉?”子夏言終而出,子貢進曰:“商之論也何如?”孔子曰:“汝謂何也?”對曰:“微則微矣,然則非治世之待也.”孔子曰:“然,各其所能.”孔子曰然子貢治世不待世事世事之急然亦各其所知能也
孔子曰、「然、吾昔聞老聃亦如汝之言。」子夏曰、「商聞《山書》曰、地東西為緯、南北為經。山為積德、川為積刑。高者為生、下者為死。丘陵為牡、谿谷為牝。蜯蛤龜珠、與日月而盛虛【月盛則蜯蛤之屬滿、月虧則虛】。是故堅土之人剛、弱土之人柔、墟土之人大、沙土之人細、息土之人美、㙪土之人醜【息土細緻、㙪土粗疏】。食水者善游而耐寒、食土者無心而不息【螾之屬不喘息】、食木者多力而不治【血氣不治。《淮南子》曰多力而不戾、亦不治之類】、食草者善走而愚、食桑者有絲而蛾、食肉者勇毅而捍、食氣者神明而壽、食穀者智慧而巧、不食者不死而神。故曰羽蟲三百有六十、而鳳為之長。毛蟲三百有六十、而麟為之長。甲蟲三百有六十、而龜為之長。鱗蟲三百有六十、而龍為之長。裸蟲三百有六十、而人為之長。此乾坤之美也【乾天】。」殊形異類之數、王者動必以道動、靜必以道靜、必順理以奉天地之性、而不害其所主、謂之仁聖焉。」子夏言終而出、子貢進曰、「商之論也何如。」孔子曰、「汝謂何也。」對曰、「微則微矣、然則非治世之待也。」孔子曰、「然、各其所能。」【孔子曰然。子貢以為治世不待此、世事有急者、然亦各其所能知】
本命解第二十六
本命解第二十六
魯哀公問於孔子曰:“人之命與性何謂也?”孔子對曰:“分於道謂之命,分於道謂始得為人故下句雲性命之始形於一謂之性,人各受陰陽以剛柔之性故曰形於一也化於陰陽,象形而發謂之生,化窮數盡謂之死.故命者,性之始也,死者,生之終也,有始則必有終矣.人始生而有不具者五焉,目無見、不能食、不能行、不能言、不能化.及生三月而微煦,煦睛人也煦子句反然後有見,八月生齒,然後能食,三年?合,然後能言,十有六而精通,然後能化.陰窮反陽,故陰以陽變,陽窮反陰,故陽以陰化.是以男子八月生齒,八歲而齔,女子七月生齒,七歲而齔,十有四而化,一陽一陰,奇偶相配,陽奇數陰偶數?桑才反齔初覲反奇居宜反然後道合化成,性命之端,形於此也.”公曰:“男子十六精通,女子十四而化,是則可以生民矣.而禮男子三十而有室,女子二十而有夫也,豈不晚哉?”孔子曰:“夫禮言其極,不是過也.男子二十而冠,有為人父之端,女子十五許嫁,有適人之道,於此而?
魯哀公問於孔子曰、「人之命與性、何謂也。」孔子對曰、「分於道謂之命【分於道謂始得為人也、故下言性命之初】、形于一謂之性【人各受陰陽以成剛柔之性、故曰形于一】、陰陽化發、象形而發謂之生、化窮數盡謂之死。故命者性之始也、死者生之終也、有始則必有終矣。人始生而有不具者五焉、目無見、不能食、不能行、不能言、不能化。及生三月而微煦【煦睛能照人】、然後有見。八月生齒、然後能食。三年顋合、然後能言。十有六而精通、然後能化。陰窮反陽、故陰以陽變。陽窮反陰、故陽以陰化。是以男子八月生齒、八歲而齔。女子七月生齒、七歲而齔、十有四而化。一陽一陰、奇偶相配【陽奇陰偶】、然後道合化成、性命之端形于此也。」哀公曰、「男子十六精通、女子十四而化、是則可以生民矣。而禮男子三十而有室、女子二十而有夫也、豈不晚哉。」孔子曰、「夫禮言其極、不是過也。男子二十而冠、有為人父之端。女子十五許嫁、有適人之道。于此而
,則自婚矣.群生閒藏乎陰,而為化育之始,陰為冬也冬藏物而為化育始故聖人因時以合偶,男子窮天數也.極霜降而婦功成,嫁娶者行焉.季秋霜降嫁娶者始於此詩云將子無怒秋以為期也冰泮而農桑起,婚禮而殺於此.泮散也正月農事起蠶者採桑婚禮始殺言未正也至二月農事始起會男女之無夫家者奔者期盡此月故也詩云士如歸妻迨冰未泮言如欲使妻歸當及冰未泮散之盛時也.殺所戒反男子者,任天道而長萬物者也,知可為,知不可為,知可言,知不可言,知可行,知不可行者,是故審其倫而明其別謂之知,所以效匹夫之聽也.聽宜為德女子者,順男子之教而長其理者也,為男子長養其理也是故無****之義,而有三從之道,幼從父兄,既嫁從夫,夫死從子,言無再醮之端,始嫁言醮禮無再醮之端統言不改事人也.醮子肖反教令不出於閨門,事在供酒食而已,無閫外之非儀也,閫門限婦人以自專無閫外之威儀詩云無非無儀酒食是議閫苦本反不越境而奔喪,事無擅為,行無獨成,參知而後動,可驗而後言,晝不遊庭,夜行以火,所以效匹婦之德也.”行下孟反孔子遂言曰:“女有五不取:逆家子也亂家子也世有刑人子也世有惡疾子也喪父長子也此五者皆不取也矣逆家子者,謂其逆德亂家子者,謂其****世有刑人子者,謂其棄於人也有惡疾子者,謂其棄於天也喪父長子.謂其無受命也婦有七出,三不去.七出者:不順母父出無子出淫僻出惡疾出姑疾出多口舌出竊盜出不順父母出者,謂其逆德也無子者,謂其絕世也淫僻者,謂其亂族也嫉妒者,謂其亂家也惡疾者,謂其不可供粢盛也多口舌者,謂其離親也竊盜者;謂其反義也三不去者:謂有所取無所歸,一也與共更三年之喪,二也先貧賤,後富貴.三也凡此聖人所以順男女之際,重婚姻之始也.”
自匹者矣。群生閑藏乎陰、而為化育之始【陰冬也、冬藏物而為化育之始】。故聖人因時以合偶男女、窮天數也。霜降而婦功成、嫁娶者行焉【季秋霜降、嫁娶始此。《詩》云、將子無怒、秋以為期】。冰泮而農桑起、婚禮而殺于此【泮散也。正月農事起、蠶者采桑、婚禮始殺、言未正時也。至二月農事始起、會男女之無夫家者、奔者期盡此月。《詩》云、士如歸妻、迨冰未泮。言如欲使妻歸、當及冰未泮散之盛時】。男子者、任天道而長萬物者也、知可為、知不可為、知可言、知不可言、知可行、知不可行。是故審其倫類而明其別謂之知、所以效匹夫之德也【聽宜為德】。女子者、順男子之教而長其理者也【為男子長其理】。是故無專制之義、而有三從之道、幼從父兄、既嫁從夫、夫死從子、言無再醮之端【始嫁曰醮禮。言無再醮之端、統言不改事人也】。教令不出于閨門、事在供酒食而已、無閫外之儀【閫門限。婦人自專制、則無閫外之威儀。《詩》云、無非無儀、唯酒食是議】。不越境而奔喪、事無擅為、行無獨成、參知而後動、可驗而後言、晝不遊庭、夜行以火。所以效匹婦之德也。」孔子遂言曰、「女有五不取、逆家子者、亂家子者、世有刑人子者、有惡疾子者、喪父長子者。逆家子者、為其逆德也。亂家子者、為其亂人倫也。世有刑人者、為其棄於人也。世有惡疾者、為其棄於天也。喪父長子者、為其無所受父命也。婦有七出、三不去。七出者、不順父母出、無子出、淫僻出、嫉妒出、惡疾出、多口舌出、竊盜出。不順父母者、為其逆德也。無子者、為其絕世也。淫僻者、為其亂族也。嫉妒者、為其亂家也。惡疾者、為其不可供粢盛也。多口舌者、為其離親也。竊盜者、為其反義也。三不去者、謂有所取而無所歸、一也。與更三年之喪、二也。先貧賤、後富貴者、三也。凡此、聖人所以順男女之際、重婚姻之始也。」
孔子曰:“禮之所以象五行也,服之制有五等其義四時也,故喪禮有舉焉,有恩有義,有節有權.所以舉象四時其恩厚者其服重,故為父母斬衰三年,以恩制者也;門內之治恩掩義,門外之治義掩恩,資於事父以事君而敬同,尊尊貴貴,義之大也,故為君亦服衰三年,以義制者也;三日而食,三月而沐,期而練,毀不滅性,不以死傷生,喪不過三年,齊衰不補,墳墓不修,除服之日,鼓素琴,示民有終也,凡此以節制者也;資於事父以事母而愛同,天無二日,國無二君,家無二尊,以治之,故父在為母齊衰期者,見無二尊也;百官備,百物具,不言而事行者,扶而起,謂天子諸侯也言而後事行者,杖而起,卿大夫士也身自執事行者,面垢而已,謂庶人也此以權制者也.親始死三日不怠,三月不懈,期悲號,三年憂哀之殺也,聖人因殺以制節也.”殺所戒反
孔子曰、「禮所以象五行也、服制五等、其義四時也。故喪禮有舉、有恩有義、有節有權【所以舉象四時】。恩厚者服重、故為父母斬衰三年、以恩制者也。門內之治恩掩義、門外之治義掩恩。資于事父以事君而敬同、尊其所尊、貴其所貴、義之大者也。故為君亦服衰三年、以義制者也。三日而食、三月而沐、期而練、毀不滅性、不以死傷生、喪不過三年、齊衰不補、墳墓不修、除服之日鼓素琴、示民有終也、凡此以節制者也。資于事父以事母而愛同。天無二日、國無二君、家無二尊、以一治之。故父在為母齊衰期者、見無二尊也。百官備、百物具、不言而事行者、扶而起【言天子諸侯】。言而後事行者、杖而起【卿大夫士】。身自執事而行者、面垢而已【此庶人也】。此以權制者也。親始死三日不怠、三月不懈、期悲哀、三年憂。殺聖人以制節者也。」
論禮第二十七
論禮第二十七
孔子閒居,子張子貢言遊侍,論及於禮.孔子曰:“居,汝三人者,吾語汝以禮,周流無不遍也.”子貢越席而對曰:“敢問如何?”子曰:“敬而不中禮謂之野,恭而不中禮謂之給,勇而不中禮謂之逆.”子曰:“給奪慈仁.”巧言足恭捷給之人似仁非仁故言給奪慈仁.中陟仲反下同子貢曰:“敢問將何以為此中禮者?”子曰:“禮乎,夫禮所以制中也.”子貢退,言遊進曰:“敢問禮也,領惡而全好者與?”領理惡烏故反好呼報反與羊諸反子曰:“然.”子貢問何也?子曰:“郊社之禮,所以仁鬼神也;禘嘗之禮,所以仁昭穆也饋奠之禮,所以仁死喪也;射饗之禮,所以仁鄉黨也;食饗之禮,所以仁賓客也.明乎郊社之義,禘嘗之禮,治國其如指諸掌而已.是故居家有禮,故長幼辨以之;閨門有禮,故三族和以之;朝廷有禮,故官爵序以之;田獵有禮,故戎事閒以之;軍旅有禮,故武功成.是以宮室得其度,鼎俎得其象,物得其時,樂得其節,車得其軾,鬼神得其享,喪紀得其哀,辯說得其黨,黨類百官得其體,政事得其施,各得其所宜施行之加於身而措於前,凡眾之動,得其宜也.”言遊退,子張進曰:“敢問禮何謂也?
孔子閑居、子張子貢言游侍、論及於禮。孔子曰、「居、汝三人者、吾語汝以禮、周流無不遍也。」子貢越席而對曰、「敢問如何。」子曰、「敬而不中禮謂之野、恭而不中禮謂之給、勇而不中禮謂之逆。」子曰、「給奪慈仁。」【巧言足恭捷給之人、似仁非仁、故曰給奪慈仁】子貢曰、「敢問將何以為中禮者。」子曰、「禮乎、夫禮所以制中也。」子貢退、言游進曰、「敢問禮也、領惡而全好者與。」子曰、「然。」子貢問、「何也。」子曰、「郊社之禮、所以仁鬼神也。禘嘗之禮、所以仁昭穆也。饋奠之禮、所以仁死喪也。射饗之禮、所以仁鄉黨也。食饗之禮、所以仁賓客也。明郊社之義、禘嘗之禮、治國其如指諸掌而已。是故居家有禮、故長幼辨。以之閨門有禮、故三族和。朝廷有禮、故官爵序。田獵有禮、故戎事閑。軍旅有禮、故武功成。是以宮室得其度、鼎俎得其象、物得其時、樂得其節、車得其式、鬼神得其享、喪紀得其哀、辯說得其黨【黨類】、百官得其體、政事得其施【各得其宜施】。加于身而措于前、凡衆之動、得其宜也。」言游退、子張進曰、「敢問禮何謂也。
”子曰:“禮者,即事之治也,君子有其事必有其治,治國而無禮,譬猶瞽之無相,倀倀乎何所之,相息亮反倀三良反譬猶終夜有求於幽室之中,非燭何以見.故無禮則手足無所措,耳目無所加,進退揖讓無所制.是故以其居處長幼失其別,閨門三族失其和,朝廷官爵失其序,田獵戎事失其策,軍旅武功失其勢,宮室失其度,鼎俎失其象,物失其時,樂失其節,車失其軾,鬼神失其享,喪紀失其哀,辯說失其黨,百官失其體,政事失其施,加於身而措於前,凡動之眾失其宜,如此則無以祖洽四海.”祖始也洽合無禮則無以為眾法無以合聚眾子曰:“慎聽之,汝三人者,吾語汝,禮猶有九焉,大饗有四焉,語汝有九其四大饗所以待賓之禮其五動靜之威儀也語魚據反苟知此矣,雖在畎畝之中,事之聖人矣.在畎畝之中猶焉為聖人兩軍相見,揖讓而入門,入門而懸興,興作樂一也揖讓而升堂,升堂而樂闋,二也下管象舞,夏鑰序興,下管堂下吹管象武舞也夏文舞也執鑰鑰如笛序以更作三也陳其薦俎,序其禮樂,備其百官,四也所以大饗有四也如此而後君子知仁焉.行中規,五也.行下孟反中陟仲反旋中矩,六也鑾和中採薺,採薺樂曲名所以為和鑾之節七也客出以雍,雍樂曲名在周頌八也徹以振羽.亦樂曲名九也是故君子無物而不在於禮焉,入門而金作,示情也;金既鳴聲終始若一故以示情也升歌清廟,示德也;清廟所以頌文王之德也下管象舞,示事也.凡舞舉事是故古之君子,不必親相與言也,以禮樂相示而已.夫禮者,理也,樂者,節也,無禮不動,無節不作,不能詩,於禮謬,詩以言禮不能樂,於禮素,素質於德薄,於禮虛.”非其人則禮不虛行子貢作而問曰:“然則夔其窮與?
孔子曰、「夫禮者、即事之治也。君子有其事必有其治。治國而無禮、譬猶瞽之無相、倀倀乎何所之。譬猶終夜有求於幽室之中、非燭何以見。故無禮則手足無所錯、耳目無所加、進退揖讓無所制。是故以之居處長幼失其別、閨門三族失其和、朝廷官爵失其序、田獵戎事失其策、軍旅武功失其勢、宮室失其度、鼎俎失其象、物失其時、樂失其節、車失其式、鬼神失其饗、喪紀失其哀、辯說失其黨、百官失其體、政事失其施、加于身而措于前、凡衆之動失其宜。如此則無以祖洽四海。」【祖始、洽合。無禮無以始法衆、無以合衆】孔子曰、「慎聽之汝三人者、吾語汝。禮猶有九焉、大饗有四焉【語汝有九、其中四是大饗接賓之禮、其餘五皆是動靜威儀】。苟知此矣、雖在畎畝之中、事之聖人矣【在畎畝之中、猶可為聖人】。兩君相見、揖讓而入門、入門而縣興【鐘磬樂作】、一也。揖讓而升堂、升堂而樂閼、二也。下管象舞、夏籥序興【下管堂下吹管。象武舞。夏文舞執籥。籥如笛。序更迭作】、三也。陳其薦俎、序其禮樂、備其百官、四也。如此而后君子知仁焉。行中規、五也。旋中矩、六也。鑾和中采薺【采薺樂曲名、為鑾鈴之節】、七也。客出以雍【雍樂曲名、在《周頌》】、八也。徹以振羽【亦樂曲名】、九也。是故君子無物而不在於禮焉。入門而金作、示情也【金既鳴、聲音終始若一、故示情】。升歌清廟、示德也【清廟頌文王之德】。下管象舞、示事也【凡舞舉事】。是故古之君子、不必親相與言也、以禮樂相示而已。夫禮者理也、樂者節也。無禮不動、無節不作。不能詩、於禮繆【詩所以言禮】。不能樂、於禮素【素質】。薄於德、於禮虛。」【非其人則禮不虛行】子貢作而問曰、「然則夔其窮與。
”言達於樂而不達於禮者也.與音餘子曰:“古之人與上古之人也,達於禮而不達於樂謂之素,達於樂而不達於禮謂之偏,達謂遍有所達非殊夫夔達於樂而不達於禮,是以傳於此名也,古之人也.言達於樂多故遂傳名樂凡制度在禮,文為在禮,行之其在人乎.”三子者既得聞此論於夫子也,煥若發矇焉.
言達樂而不達禮者。」孔子曰、「古之人也【上古之人】。凡達于禮而不達于樂謂之素、達于樂而不達于禮謂之偏【達謂遍有所達、非特達也】。夫夔達于樂而不達于禮、是以傳于此名也、古之人也【言達樂者多、是以傳此樂名】。凡制在禮、文飾在禮、行之其人在乎。」三子者既得聞此論於夫子也、焕若發蒙矣。」
子夏侍坐於孔子曰:“敢問詩云愷悌君子,民之父母,何如斯可謂民之父母?”孔子曰:“夫民之父母,必達於禮樂之源,以致五至而行三無,以橫於天下,四方有敗,必先知之,此之謂民之父母.”子夏曰:“敢問何謂五至?”孔子曰:“志之所至,詩亦至焉;詩之所至,禮亦至焉;禮之所至,樂亦至焉;樂之所至,哀亦至焉.詩禮相成,哀樂相生,是以正明目而視之,不可得而見,傾耳而聽之,不可得而聞,志氣塞於天地,行之克於四海,此之謂五至矣.”子貢曰:“敢問何謂三無?”孔子曰:“無聲之樂,無體之禮,無服之喪,此之謂三無.”子夏曰:“敢問三無何詩近之?”孔子曰:“夙夜基命宥密,無聲之樂也;夙夜恭也基始也命信也宥寬也密寧也言以行與民信王教在寬民以安寧故謂之無聲之樂也威儀逮逮,不可選也,無體之禮也;凡民有喪,扶伏救之,無服之喪也.”子夏曰:“言則美矣,大矣,言盡於此而已?”孔子曰:“何謂其然?吾語汝,其義猶有五起焉.”語魚據反子貢曰:“何如?”孔子曰:“無聲之樂,氣志不違;無體之禮,威儀遲遲;無服之喪,內恕孔悲.無聲之樂,所願必從;無體之禮,上下和同;無服之喪,施及萬邦.既然而又奉之以三無私,而勞天下,此之謂五起.”子夏曰:“何謂三無私?”孔子曰:“天無私覆,地無私載,日月無私照.其在詩曰:‘帝命不違,至於湯齊,至湯以大心齊湯降不遲,聖敬日躋,不遲言疾躋升也湯疾行下人之道其聖敬之德日升聞也昭假遲遲,上帝是隻.湯之威德昭明遍至化行寬舒遲遲然故上帝敬其德’帝命式於九圍,九圍九州也天命用於九州謂以為天下王是湯之德也.”子夏蹶然而起,負牆而立曰:“弟子敢不志之.”
子夏侍坐於孔子、曰、「敢問《詩》云愷悌君子、民之父母、何如斯可謂民之父母。」孔子曰、「夫民之父母、必達於禮樂之源、以致五至而行三無、以橫于天下。四方有敗、必先知之、此之謂民之父母。」子夏曰、「敢問何謂五至。」孔子曰、「志之所至、詩亦至焉。詩之所至、禮亦至焉。禮之所至、樂亦至焉。樂之所至、哀亦至焉。詩禮相成、哀樂相生。是以正明目而視之、不可得而見。傾耳而聽之、不可得而聞。志氣塞于天地、行之充于四海、此之謂五至也。」子貢曰、「敢問何謂三無。」孔子曰、「無聲之樂、無體之禮、無服之喪、此之謂三無。」子夏曰、「敢問三無何詩近之。」孔子曰、「夙夜基命宥密、無聲之樂也【夙夜恭、基始、命信、宥寬、密寧。言以行施信于民、王教在寬、民以寧、故曰無聲之樂】。威儀逮逮、不可選也、無體之禮也。凡民有喪、匍匐救之、無服之喪也。」子夏曰、「言則美矣大矣、言盡於此而已。」孔子曰、「何為其然也、猶有五起焉。」子貢曰、「何如。」孔子曰、「無聲之樂、氣志不違。無體之禮、威儀遲遲。無服之喪、內恕孔悲。無聲之樂、所願必從。無體之禮、上下和同。無服之喪、施及萬邦。既然而又奉之以三無私而勞天下、此之謂五起。」子夏曰、「何謂三無私。」孔子曰、「天無私覆、地無私載、日月無私照。其在詩曰、帝命不違、至于湯齊【至湯用大心齊】。湯降不遲、聖敬日躋【不遲言疾也。躋升也。湯疾行下人之道、其聖敬之德日升聞】。昭假遲遲、上帝是祗【湯威德昭明遍至、教化行寬舒遲遲、故上帝敬其德】。帝命式于九圍【九圍九州。天命用于九州、謂以為天下王】、是湯之德也。」子夏蹶然而起、負牆而立曰、「弟子敢不志之。」
孔子家語 巻七
觀鄉射第二十八
觀鄉射第二十八
孔子觀於鄉射,喟然嘆曰:“射之以禮樂也,何以射,何以聽,修身而發,而不失正鵠者,其唯賢者乎?正鵠所射者也若夫不肖之人,則將安能以求飲?詩云:‘發彼有的,以祈爾爵.的實也祈求也言發中的以求飲爾爵也勝者飲不勝者’祈,求也,求所中以辭爵.飲彼則已不飲故曰以辭爵也.中陟仲反酒者,所以養老,所以養病也.求中以辭爵,辭其養也,是故士使之射而弗能,則辭以病,懸弧之義.”弧弓也男子生則懸弧於其門明必有射事也而今不能射唯病可以為辭也於是退而與門人習射於矍相之圃,蓋觀者如堵牆焉.射至於司馬,使子路執弓矢出列延,謂射之者曰:“子路為司馬故射至使子路出延射奔軍之將,亡國之大夫,與為人後者不得入,人已有後而又為人後故曰與為人後世也其餘皆入,蓋去者半.”又使公罔之裘序點,揚觶而語曰:“先行射鄉飲酒故二人揚觶觶支義切幼壯孝悌,耆老好禮,好呼報切不從流俗,修身以俟死者在此位,蓋去者半.”序點揚觶而語曰:“好學不倦,好禮不變,耄期稱道而不亂者,在此位,八十九十日耄言雖老而能稱解道而不亂也蓋僅有存焉.”射既闋,子路進曰:“由與二三子者之為司馬,何如?”孔子曰:“能用命矣.”
孔子觀於鄉射、喟然嘆曰、「射之以禮樂也。何以射、何以聽。修身而發、而不失正鵠者、其唯賢者乎【正鵠所射者也】。若夫不肖之人、則將安能以求飲。《詩》云、發彼有的、以祈爾爵【的實也。祈求也。言發中以祈飲爾爵。勝者飲不勝】。祈、求也、求所中以辭爵【使人飲、己不飲、故曰辭爵】。酒所以養老、所以養病也。求中以辭爵、辭其養也。是故士使之射而弗能、則辭以病、懸弧之義。」【弧弓。男子生則懸弧于門、明必有射事。而今不能射、唯病可為辭】於是退而與門人習射矍相之圃、蓋觀者如牆堵焉。射至於司馬、使子路執弓矢出列延謂射者曰【子路為司馬、故射至使子路出延射】、「奔軍之將、亡國之大夫、與為人後者、不得入【人已自有後、又為人後、故曰與為人後】。其餘皆入。」蓋去者半。又使公罔之裘序點揚觶而語曰、「幼壯孝悌、耆老好禮、不從流俗、修身以俟死者、在此位。」蓋去者半。序點又揚觶而語曰、「好學不倦、好禮不變、耄期稱道而不亂者、在此位【八十九十曰耄。言雖老猶能稱解道而不亂】。」蓋僅有存者。射畢、子路進曰、「由與二三子者之為司馬、何如。」孔子曰、「能用命矣。」
孔子曰:“吾觀於鄉而知王道之易易也.易以豉反主人親速賓及介,而眾賓從之,速召至於正門之外,主人拜賓及介,而眾自入,貴賤之義別矣,別彼列反三揖至於階,三讓以賓升,拜至獻酬辭讓之節繁,及介升則省矣,至於眾賓升而受爵,坐祭立飲,不酢而降,殺之義辯矣.殺所戒反工入升歌三終,主人獻賓,記曰主人獻之於義不得為賓也下句笙入三終主又獻之是也歌鹿鳴四牡皇皇者華三篇終主人乃獻之是也笙入三終,主人又獻之,吹南陔白華華黍三篇終主人獻也間歌三終,乃歌魚麗由庚歌南有嘉魚笙崇丘歌南山有臺笙由余者也合樂三闋,合笙聲同其音歌周南召南三篇也工告樂備而遂出,樂正既告備而降言遂出自此至去不復升也一人揚觶,乃立司正焉.賓將欲去故復使一人揚觶乃立司正主威儀請安賓也知其能和,樂而不流,樂音洛賓酬主人,主人酬介,介酬眾賓,賓少長以齒,少詩照切終於沃洗者焉,知其能弟長而無遺矣.長丁丈反降脫●,升坐修爵無算,飲酒之節,旰不廢朝,暮不廢夕,旰晨飲早哺廢罷旰古旦反賓出主人迎送,節文終遂焉.知其能安燕而不亂也.貴賤既明,降殺既辯,和樂而不流,弟長而無遺,安燕而不亂,此五者足以正身安國矣,彼國安而天下安矣.故曰:‘吾觀於鄉,而知王道之易易也.易以豉反’”
孔子曰、「吾觀於鄉而知王道之易易也。主人親速賓及介、而衆賓從之。至于正門外、主人拜賓及介、而衆自入、貴賤之義別矣。三揖至于階、三讓以賓升、拜至獻酬辭讓之節繁。及介升則省矣。至于衆賓、升而受爵、坐祭立飲、不酢而降、殺之義辨矣。工入、升歌三終、主人獻賓【記曰主人獻、義不當為賓。下言笙入三終主人復獻、即此也。歌鹿鳴四牡皇皇者華三篇畢、主人乃獻】。笙入三終、主人又獻【吹南陔白華華黍三篇畢、主人獻】。間歌三終【乃歌魚麗笙由庚、歌南有嘉魚笙崇丘、歌南山有台笙由儀】。合樂三閼【合笙聲同其音、歌周南召南三篇】。工告樂備而遂出【樂正既告備而降、言遂出、自此至去不復升】。一人揚觶、乃立司正【賓將去、故又使一人舉觶、乃立司正以請安賓】。是知其能和樂而不流也。賓酬主人、主人酬介、介酬衆賓、賓少長以齒、終于沃洗者、知其能弟長而無遺矣。降脫屨、升坐修爵無數。飲酒之節、旰不廢朝、暮不廢夕【旰晨也。飲得早、哺暮也、廢罷】。賓出、主人迎送、節文終遂焉。知其能安燕而不亂也。貴賤既明、降殺既辨、和樂而不流、弟長而無遺、安燕而不亂、此五者足以正身安國矣。彼國安而天下安矣。故曰吾觀於鄉而知王道之易易也。」
子貢觀於蠟.蠟索也歲十有二月索群神而祀之今之臘也.蠟助駕反孔子曰:“賜也,樂乎?”樂音洛對曰:“一國之人皆若狂,言醉亂也賜未知其為樂也.”孔子曰:“百日之勞,一日之樂,一日之澤,非爾所知也.古民皆勤苦稼穡有百日之勞喻久也今一日使之飲酒焉樂之是君之恩澤也張而不弛,文武弗能,弛而不張,文武弗為.一張一弛,文武之道也.”弛施氏反
子貢觀於蜡【蜡索也。歲十二月索群神而祀之、今之臘也】。孔子曰、「賜也樂乎。」對曰、「一國之人皆若狂【言醉亂】、賜未知其為樂也。」孔子曰、「百日之勞、一日之樂、一日之澤、非爾所知也【古者民皆勤苦稼穡有百日之勞、喻久。今一日使之飲酒燕樂、是君之恩澤】。張而不弛、文武弗能。弛而不張、文武弗為。一張一弛、文武之道也。」
郊問第二十九
郊問第二十九
定公問於孔子曰:“古之帝王必郊祀其祖以配天,何也?”孔子對曰:“萬物本於天,人本乎祖,郊之祭也,大報本反始也,故以配上帝.天垂象,聖人則之,郊所以明天道也.”公曰:“寡人郊而莫同,何也?”孔子曰:“郊之祭也,迎長日之至也,周人始以日至之月冬日至而日長大報天而主日配以月,故周之始郊,其月以日至,其日用上辛,至於啟蟄之月,則又祈谷於上帝,祈求也為農祈谷於上帝月令孟春之月乃以元日祈谷於上帝兼無仲冬大郊之事至於祈農與天子同故春秋傳曰夫郊祀后稷以祈農事也是故啟蟄而郊郊而後耕而說學者不知推經禮之指歸皮膚妄說至乃顛倒神只變易時日遷改兆位良可痛心者也此二者天子之禮也.魯無冬至,大郊之事降殺於天子,是以不同也.”公曰:“其言郊,何也?”孔子曰:“兆丘於南,所以就陽位也,於郊,故謂之郊焉.”兆丘於南謂之圓丘兆之於南郊也然則郊之名有三焉築為圓丘以象天自然故謂之圓丘圓丘之人所造故謂之泰壇於南郊在南說學者謂南郊與圓丘異若是則詩易尚書謂不圜丘也又不通泰壇之名或乃謂周官圜丘虛妄之言皆不通典制也曰:“其牲器何如?”孔子曰:“上帝之牛角璽栗,必在滌三月,滌所以養生具后稷之牛唯具,別祀稷時牲亦芻之三月配天之時獻故唯具之也所以別事天神與人鬼也,別彼列切牲用騂,尚赤也,用犢,貴誠也,犢質愨貴誠之美也掃地而祭於其質也,地圜丘之地掃焉而祭貴其質也器用陶匏,以象天地之性也,人之作物無可稱之故取天地之性以自然也萬物無可稱之者,故因其自然之體也.”公曰:“天子之郊,其禮儀可得聞乎?
定公問於孔子曰、「古之帝王、必郊祀其祖以配天、何也。」孔子對曰、「萬物本于天、人本乎祖。郊之祭也、大報本反始也、故以配上帝。天垂象、聖人則之、郊所以明天道也。」公曰、「寡人郊而莫同、何也。」孔子曰、「郊之祭也、迎長日之至也。周人始以日至之月【冬至日而日長】、大報天而主日、配以月。故周之始郊、其月以日至、其日用上辛。至于啟蟄之月、則又祈穀于上帝【祈求、為農祈穀于上帝。《月令》孟春之月乃以元日祈穀于上帝。魯無仲冬大郊之事、至于祈農與天子同。故《春秋》傳曰、郊祀后稷以祈農事。是故啟蟄而郊、郊而後耕。解者不知推經禮指歸、膚淺妄說、至於顛倒神祇變易時日遷改兆位、良可痛心】。此二者天子之禮也。魯無冬至大郊之事、降殺于天子、是以不同也。」公曰、「其言郊何也。」孔子曰、「兆丘于南、就以陽位也。於郊、故謂之郊。」【於南築丘為圜丘、兆在南郊。然則郊之名有三、築為圜丘以象天、自然故謂之圜丘。圜丘人所造、故謂之泰壇。在南郊故言南郊。解者云、南郊與圜丘異。如此則詩易尚書皆不言圜丘。又不知泰壇之名、或竟言周官圜丘為虛妄之言、皆不通典制】公曰、「其牲器何如。」孔子曰、「上帝之牛角繭栗、必在滌三月【滌、養生之所】。后稷之牛唯具【別祀稷、牲亦芻養三月。配天而進、故唯具】。所以別事天神與人鬼也。牲用騂、尚赤也。用犢、貴誠也【犢質誠、貴誠美】。掃地而祭、貴質也【地、圜丘之地。掃而祭、貴其質】。器用陶匏、以象天地性也【人所制物、無可稱。故取天地之性以自然】。萬物無可稱之者、故因其自然之體也。」公曰、「天子之郊、其禮儀可得聞乎。
”孔子對曰:“臣聞天子卜郊,則受命於祖廟,而作龜於禰宮,禰宮父廟也受祭天之命於祖而作龜於父廟尊祖親考之義也.卜之日,王親立於澤宮,以聽誓命,受教諫之義也,澤宮宮也誓命祭天所行威儀也王親受之故曰受教諫之義既卜,獻命庫門之內,所以誡百官也.將郊,則天子皮弁以聽報,示民嚴上也.報白也王夙興朝服以待白祭事後服袞郊之日,喪者不敢哭,凶服者不敢入國門,汜掃清路,行者必止,汜遍也清路以新土無復行之弗命而民聽,敬之至也.以王恭敬事天故民化之不令而行之也天子大裘以黼之,被袞象天,大裘為黼文也言被之大裘其有象天之文故被之道路至大壇而脫之乘素車,貴其質也,旗十有二旒,龍章而設以日月,所以法天也,既至泰壇,王脫裘矣,服袞以臨,燔柴戴冕,璪十有二旒,則天數也.臣聞之誦詩三百,不足以一獻,祭群小祀一獻之禮,不足以大饗,大饗祫祭天王大饗之禮,不足以大旅,大旅祭五帝也大旅具矣,不足以饗帝,饗帝祭天是以君子無敢輕議於禮者也.”
孔子對曰、「臣聞天子卜郊、受命之于祖廟而作龜于禰宮【禰宮父廟。於祖受命祭天、于父廟作龜、尊祖親考之義】。卜之日、王親立于澤宮以聽誓命、受教諫之義也【澤宮宮。誓命祭天所行之威儀、王親自受、故曰受教諫之義】。已卜、獻命庫門之內、所以戒百官也。將郊、天子皮弁以聽報、示民嚴上也【報白。王早起朝服以待報祭事、而後服袞】。郊之日、喪者不敢哭、凶服者不敢入國門、汜掃清路、行者必止【汜遍、清路以新土、不復行人】。弗命而民聽、敬之至也【為王敬事上天、故民化、不令而行】。天子大裘以黼之、被袞象天【大裘為黼文。言被大裘有象天之文、故被之、至大壇路中而脫】、乘素車、貴其質也。旗十有二旒、龍章而設日月、所以法天也。既至泰壇、王脫裘矣、服袞以臨燔柴、戴冕藻十有二旒、則天數也。臣聞之、誦詩三百、不足以一獻【祭群小祀、一獻之禮】。一獻之禮、不足以大饗【大饗祫祭天王】。大饗之禮、不足以大旅【大旅祭五帝】。大旅具矣、不足以饗帝【饗帝祭天】。是以君子無敢輕議於禮者也。」
五刑解第三十
五刑解第三十
冉有問於孔子曰:“古者三皇五帝不用五刑,信乎?”孔子曰:“聖人之設防,貴其不犯也,制五刑而不用,所以為至治也.凡夫之為奸邪竊盜,靡法妄行者,生於不足,不足生於無度,無度則小者偷盜,大者侈靡,各不知節.是以上有制度,則民知所止,民知所止,則不犯.故雖有奸邪賊盜,靡法妄行之獄,而無陷刑之民.不孝者生於不仁,不仁者生於喪祭之禮明,喪祭之禮所以教仁愛也,能教仁愛,則喪思慕祭祀,不解人子饋養之道,言孝子奉祭祀不敢解生時饋養之道同之也喪祭之禮明,則民孝矣.故雖有不孝之獄,而無陷刑之民.殺上者生於不義,義所以別貴賤,明尊卑也,貴賤有別,尊卑有序,則民莫不尊上而敬長.朝聘之禮者,所以明義也,義必明則民不犯,故雖有殺上之獄,而無陷刑之民.鬥變者生於相陵,相陵者生於長幼無序,而遺敬讓,遺忘鄉飲酒之禮者,所以明長幼之序,而崇敬讓也,長幼必序,民懷敬讓,故雖有鬥變之獄,而無陷刑之民.淫亂者生於男女無別,男女無別,則夫婦失義,禮聘享者所以別男女,明夫婦之義也,男女既別,夫婦既明,故雖有淫亂之獄,而無陷刑之民.此五者,刑罰之所以生,各有源焉.不豫塞其源,而輒繩之以刑,是謂為民設阱而陷之.刑罰之源,生於嗜慾不節,失禮度者,所以御民之嗜慾,而明好惡順天之道,禮度既陳,五教畢修,而民猶或未化,尚必明其法典以申固之.尚猶也申令固其教也其犯奸邪靡法妄行之獄者,則飭制量之度;有犯不孝之獄者,則飭喪祭之禮;有犯殺上之獄者,則飭朝覲之禮;有犯鬥變之獄者,則飭鄉飲酒之禮;有犯淫亂之獄者,則飭婚聘之禮.三皇五帝之所化民者如此,雖有五刑之用,不亦可乎!
冉有問於孔子曰、「古者三皇五帝不用五刑、信乎。」孔子曰、「聖人之設防、貴其不犯也。制五刑而不用、所以為至治也。凡夫為姦邪竊盜靡法妄行者、生於不足。不足生於無度。無度則小者偷竊、大者侈靡、各不知節。是以上有制度、則民知所止。民知所止、則不犯。故雖有姦邪賊盜靡法妄行之獄、而無陷刑之民。不孝者生於不仁、不仁者生於喪祭之禮不明。喪祭之禮所以教仁愛也、能教仁愛、則喪思慕、祭祀不解人子饋養之道【言孝子奉祭祀不敢解、與生時饋養之道同】。喪祭之禮明、則民孝矣。故雖有不孝之獄、而無陷刑之民。殺上者生於不義。義所以別貴賤明尊卑也。貴賤有別、尊卑有序、民莫不尊上而敬長。朝聘之禮者所以明義也、義必明則民不犯。故雖有殺上之獄、而無陷刑之民。鬬變者生於相陵、相陵者生於長幼無序而遺敬讓。鄉飲酒之禮者所以明長幼之序而崇敬讓也。長幼必序、民懷敬讓、故雖有鬬變之獄、而無陷刑之民。淫亂者生於男女無別、男女無別則夫婦失義。婚聘享者所以別男女明夫婦之義也。男女既別、夫婦既明、故雖有淫亂之獄、而無陷刑之民。此五者刑罰之所生、各有源焉。不豫塞其源、而輒繩之以刑、是謂為民設阱而陷之。刑罰之源、生於嗜慾不節。夫禮度者、所以御民之嗜慾而明好惡順天之道。禮度既陳、五教畢修、而民猶或未化、尚必明其法典以申固之【尚猶也、申令固其教】。其犯姦邪靡法妄行之獄者、則飭制度量之制。有犯不孝之獄者、則飭喪祭之禮。有犯殺上之獄者、則飭朝覲之禮。有犯鬬變之獄者、則飭鄉飲酒之禮。有犯淫亂之獄者、則飭婚聘之禮。三皇五帝之所化民者如此、雖有五刑之用、不亦可乎。」
”孔子曰:“大罪有五,而殺人為下,逆天地者罪及五世,誣文武者罪及四世,逆人倫者罪及三世,謀鬼神者罪及二世,手殺人者罪及其身,故曰大罪有五,而殺人為下矣.”
孔子曰、「大罪有五、而殺人為下。逆天地者罪及五世、誣文武者罪及四世、逆人倫者罪及三世、謀鬼神者罪及二世、手殺人者罪止其身。故曰大罪有五、而殺人為下矣。」
冉有問於孔子曰:“先王制法,使刑不上於大夫,禮不下於庶人,然則大夫犯罪,不可以加刑,庶人之行事,不可以治於禮乎?”孔子曰:“不然,凡治君子以禮御其心,所以屬之以廉恥之節也,故古之大夫,其有坐不廉汙穢而退放之者,不謂之不廉汙穢而退放,則曰簠簋不飭;飭整齊也有坐淫亂男女無別者,不謂之淫亂男女無別,則曰帷幕不修也;有坐罔上不忠者,不謂之罔上不忠,則曰臣節未著;有坐罷軟不勝任者,不謂之罷軟不勝任,則曰下官不職;言其下官不稱移其職不斥其身也有坐幹國之紀者,不謂之幹國之紀,則曰行事不請.言不請而擅行此五者,大夫既自定有罪名矣,而猶不忍斥,然正以呼之也,既而為之諱,所以愧恥之,是故大夫之罪,其在五刑之域者,聞而譴發,譴譴讓也發始發露則白冠釐纓,盤水加劍,造乎闕而自請罪,君不使有司執縳牽掣而加之也.其有大罪者,聞命則北面再拜,跪而自裁,君不使人捽引而刑殺.捽昨沒反曰:‘子大夫自取之耳,吾遇子有禮矣,以刑不上大夫而大夫亦不失其罪者,教使然也.’所謂禮不下庶人者,以庶人遽其事而不能充禮,故不責之以備禮也.”冉有跪然免席曰:“言則美矣,求未之聞,退而記之.”
冉有問於孔子曰、「先王制法、使刑不上於大夫、禮不下於庶人。然則大夫犯罪、不可以加刑、庶人之行事、不可以治於禮乎。」孔子曰、「不然。凡治君子以禮御其心、所以屬之以廉恥之節也。故古之大夫、其有坐不廉污穢而退放者、不謂之不廉污穢而退放、則曰簠簋不飭【飭整齊】。有坐淫亂男女無別者、不謂之淫亂男女無別、則曰帷幕不修也。有坐罔上不忠者、不謂之罔上不忠、則曰臣節未著。有坐罷軟不勝任者、不謂之罷軟不勝任、則曰下官不職【言下官不稱其職、移易其職、不斥其身】。有坐干國之紀者、不謂之干國之紀、則曰行事不請【言不請而擅行】。此五者、大夫既自定有罪名矣、而猶不忍斥然正以呼之也、既而為之諱、所以愧恥之。是故大夫之罪其在五刑之域者、聞而譴發【譴譴責、發始發露】、則白冠氂纓、盤水加劍、造乎闕而自請罪、君不使有司執縛牽掣而加之也。其有大罪者、聞命則北面再拜、跪而自裁、君不使人捽引而刑殺。曰、子大夫自取之耳、吾遇子有禮矣。以刑不上大夫而大夫亦不失其罪者、教使然也。所謂禮不下庶人者、以庶人遽其事而不能充禮、故不責之以備禮也。」冉有跪然免席曰、「言則美矣、求未之聞、退而記之。」
刑政第三十一
刑政第三十一
仲弓問於孔子曰:“雍聞至刑無所用政,至政無所用刑.至刑無所用政,桀紂之世是也;至政無所用刑,成康之世是也.信乎?”孔子曰:“聖人之治化也,必刑政相參焉,太上以德教民,而以禮齊之.其次以政焉導民,以刑禁之,刑不刑也.化之弗變,導之弗從,傷義以敗俗,於是乎用刑矣.顓五刑必即天倫.即就也就天倫謂合天意行刑罰則輕無赦,行刑罰之官雖輕猶不得作威作福刑侀也,侀成也,壹成而不可更,故君子盡心焉.”更古行反仲弓曰:“古之聽訟尤罰麗於事,不以其心,可得聞乎?”尤過也麗附也怪遇人罰之必以事相當而不與其心也孔子曰:“凡聽五刑之訟,必原父子之情,立君臣之義以權之,意論輕重之序,慎測淺深之量以別之,別彼列反悉其聰明,正其忠愛以盡之.大司寇正刑明闢以察獄,獄必三訊焉,一曰訊群臣二曰訊群吏三曰訊萬民也有指無簡,則不聽也,簡誠也有意無其誠者不論以為罪也附從輕,赦從重,附人之罪以輕為比赦人之罪以重為比疑獄則泛與眾共之,疑則赦之,皆以小大之比成也.比毗志反是故爵人必於朝,與眾共之也,刑人必於市,與眾棄之也.古者公家不畜刑人,大夫弗養也,士遇之塗,以弗與之言,屏諸四方,唯其所之,不及與政,弗欲生之也.”仲弓曰:“聽獄,獄之成成何官?”孔子曰:“成獄成於吏,吏以獄成告於正,吏獄官吏正獄官長正既聽之,乃告大司寇聽之,乃奉於王,王命三公卿士參聽棘木之下,外朝法左九棘孤卿大夫位焉右九棘公侯伯子男位焉面三槐三公位然後乃以獄之成疑於王,王三宥之以聽命,君王尚寬宥罪雖以定猶三宥之不可得輕然後刑之者也而制刑焉,所以重之也.”仲弓曰:“其禁何禁?”孔子曰:“巧言破律,巧賣法令者也遁名改作,變言與物名也執左道與亂政者殺;
仲弓問於孔子曰、「雍聞至刑無所用政、至政無所用刑。至刑無所用政、桀紂之世是也。至政無所用刑、成康之世是也。信乎。」孔子曰、「聖人治化、必刑政相參焉。太上以德教民、而以禮齊之。其次以政言導民、以刑禁之、刑不刑也。化之弗變、導之弗從、傷義以敗俗、於是乎用刑矣。顓五刑必即天倫【即就也、就天倫言合天意、使行刑罰】、行刑罰則輕無赦【行刑罰之官、雖輕而不得自作威福】。刑侀也【侀成也】、侀成而不可更、故君子盡心焉。」仲弓曰、「古之聽訟尤罰麗於事、不以其心、可得聞乎。」【尤過、麗附。責人以事相當、而不與其心】孔子曰、「凡聽五刑之訟、必原父子之情、立君臣之義以權之。意論輕重之序、慎測淺深之量以別之。悉其聰明、正其忠愛以盡之。大司寇正刑明辟以察獄、獄必三訊焉【一曰訊群臣、二曰訊群吏、三曰訊萬民】。有指無簡則不聽也【簡誠也。有其意無其誠者、不論以為罪】。附從輕、赦從重【附人之罪以輕比、赦人之罪以重比】。疑獄則廣與衆共之、疑則赦之、皆以小大之比成也。是故爵人必於朝、與衆共之也。刑人必於市、與衆棄之也。古者公家不畜刑人、大夫弗養也。士遇之於途、弗與之言也。屏諸四方、唯其所之、不及與政、弗欲生之也。」仲弓曰、「聽獄、獄之成成何官。」孔子曰、「成獄成于吏、吏以獄成告于正【吏獄吏、正獄官長】。正既聽之、乃告大司寇聽之、乃奉于王。王命三公卿士參聽棘木之下【外朝之法、左九棘孤卿大夫位也、右九棘公侯伯子男位也、面三槐三公位】、然後乃以獄之成疑于王。王三宥之以聽命【君王尚寬宥、罪雖已定、猶三宥之、不可得輕然後刑】、而制刑焉、所以重之也。」仲弓曰、「其禁何禁。」孔子曰、「巧言破律【巧賣法令者也】、遁名改作【變言與物名】、執左道以亂政者、殺。
左道亂也作淫聲,淫逆也惑亂人之聲造異服,非所常見設伎奇器,以蕩上心者殺;怪異之伎可以眩曜人心之器蕩動行偽而堅,行詐偽而守之堅也.行下孟反言詐而辯,學非而博,順非而澤,順其非而滑澤以惑眾者殺;假於鬼神,時日卜筮,以疑眾者殺.此四誅者不以聽.”不聽棘木之下仲弓曰:“其禁盡於此而已?”孔子曰:“此其急者,其餘禁者十有四焉.命服命車,不粥於市;粥賣.粥餘六反圭璋璧琮,不粥於市;宗廟之器,不粥於市;兵車旍旗,不粥於市;犧牲秬鬯,不粥於市;戎器兵甲,不粥於市;用器不中度,中陟仲反不粥於市;布帛精麤,不中數,廣狹不中量,不粥於市;奸色亂正色,不粥於市;文錦珠玉之器,雕飾靡麗,不粥於市;衣服飲食,不粥於市;賣成衣服非侈必偽故禁之禁賣熟食所以厲取也?實不時,不粥於市;五木不中伐,不粥於市;鳥獸魚鱉不中殺,不粥於市.凡執此禁以齊眾者,不赦過也.”
左道亂。作淫聲【淫逆、惑亂人之聲】、造異服【非所常見】、設伎奇器以蕩上心者、殺【怪異之伎、可以眩曜人心之器、蕩動】。行偽而堅【行詐偽而守堅】、言詐而辯、學非而博、順非而澤、以惑衆者、殺。假於鬼神時日卜筮以疑衆者、殺。此四誅者不以聽。」【不於棘木之下聽】仲弓曰、「其禁盡此而已。」孔子曰、「此其急者、其餘禁又有十四焉。命服命車不粥於市【粥賣】、圭璋璧琮不粥於市、宗廟之器不粥於市、兵車旍旗不粥於市、犧牲秬鬯不粥於市、戎器兵甲不粥於市、用器不中度不粥於市、布帛精麤不中數廣狹不中量不粥於市、姦色亂正色不粥於市、文錦珠玉之器雕飾靡麗不粥於市、衣服飲食不粥於市【鬻成衣非侈則偽、故禁。禁熟食粥以勵自為之也】、果實不時不粥於市、五木不中伐不粥於市、鳥獸魚鱉不中殺不粥於市。凡執此禁以齊衆者、不赦過也。」
禮運第三十二
禮運第三十二
孔子為魯司寇,與於蠟,既賓事畢,畢賓客之事也乃出遊於觀之上,觀宮門外闕周禮所謂象魏者也喟然而嘆.言偃侍曰:“夫子何嘆也?”孔子曰:“昔大道之行,此謂三皇五帝時大道行也與三代之英,英秀謂禹湯文武也吾未之逮也,而有記焉.大道之行,天下為公,選賢與能,講信修睦.講習也修行也睦親也故人不獨親其親,不獨子其子,所謂大道天下為公老有所終,壯有所用,矜寡孤疾,皆有所養.貨惡其棄於地,不必藏於己.力惡其不出於身,不必為人.言力惡其不出於身不以為德惠也是以奸謀閉而不興,盜竊亂賊不作.故外戶而不閉,謂之大同.今大道既隱,天下為家,各親其親,各子其子,貨則為己,力則為人.大人世及以為常,城郭溝池以為固.禹湯文武,成王周公,由此而選,言用禮義為之選也未有不謹於禮,禮之所興,與天地並,如有不由禮而在位者,則以為殃.”言偃復問曰:“如此乎,禮之急也.”孔子曰:“夫禮,先王所以承天之道,以治人之情,列其鬼神,達於喪祭鄉射冠婚朝聘.故聖人以禮示之,則天下國家可得以禮正矣.”言偃曰:“今之在位,莫知由禮,何也?”孔子曰:“嗚呼哀哉!我觀周道,幽厲傷也,幽厲二王者皆傷周道也吾舍魯何適?魯有聖人之風猶勝諸國也夫魯之郊及禘皆非禮,言失於禮而亡其義周公其已衰矣.子孫不能行其禮義杞之郊也禹,杞夏後本郊鯀周公以鯀非令德故令杞郊禹宋之郊也契,是天子之事守也,天子以杞宋二王之後,周公攝政致太平,而與天子同是禮也.諸侯祭社稷宗廟,上下皆奉其典,而祝嘏莫敢易其常法,是謂大嘉.今使祝嘏辭說,徒藏於宗祝巫史,非禮也,言君臣皆當知辭說之意議也是謂幽國;幽敝於禮醆斝及屍君,非禮也,夏曰醆殷曰斝非王者之後則屍與君不得用是謂僭君;
孔子は魯司寇と為り、與於蜡、事賓畢【事賓を畢る】、乃出遊於觀之上【觀は宮門外の闕、《周禮》の所謂象魏】、喟然而嘆。言偃侍曰、「夫子何嘆也。」孔子曰、「昔大道之行【謂三皇五帝大道之行也】、與三代之英【英秀禹湯文武也】、丘未之逮也、而有記焉。大道之行也、天下為公、選賢與能、講信修睦【講習、修行、睦親也】。故人不獨親其親、不獨子其子【謂大道天下為公也】、老有所終、壯有所用、矜寡孤疾皆有所養。貨惡其棄於地、不必藏於己。力惡其不出於身、不必為人【言力惡不出於身、不以為德惠】。是以奸謀閉而不興、盜竊亂賊而不作。故外戶而不閉、謂之大同。今大道既隱、天下為家、各親其親、各子其子、貨則為己、力則為人。大人世及以為常、城郭溝池以為固。禹湯文武、成王周公、由此而選【言以禮義選也】、未有不謹於禮。禮之所興、與天地並。如有不由禮而在位者、則以為殃。」言偃復問曰、「如此乎、其急也。」孔子曰、「夫禮、先王所以承天之道、以治人之情、列於鬼神、達於喪祭鄉射冠婚朝聘也。故聖人以禮示之、則天下國家、可得而正也。」言偃曰、「今之在位、莫知由禮、何也。」孔子曰、「嗟乎、哀哉。我觀周道、幽厲傷也【幽厲二王皆傷周道】。吾舍魯、何適也【魯有聖人風、猶勝諸國】。魯之郊禘、皆非禮【言失於禮、而亡其義】、周公其衰矣【子孫不能行其禮義】。杞之郊也禹【杞夏後也、本郊鯀。周公以鯀非令德、故令杞郊禹】、宋之郊也契、是天子之事守也。天子以杞宋二王之後。周公攝政致太平、而與天子同是禮也。諸侯祭社稷宗廟、上下皆奉其典、而祝嘏莫敢易其常法、是謂大嘉。今使祝嘏辭說、徒藏於宗祝巫史、非禮也【言君臣當皆知辭說之意義】。是謂幽國【為禮所幽】。醆斝及尸君、非禮也【夏曰醆、殷曰斝。非王者之後、則尸與君不得用】。是謂僭君。
僭侈之君冕弁兵車,藏於私家,非禮也,大夫稱家冕弁大夫之服孔子曰天子諸侯大夫冕弁服歸設奠後此謂不得賜而藏之也是謂脅君;迫於其君大夫具官,祭器不假,聲樂皆具,非禮也,大夫無田者不為祭器今皆不假故非禮是為亂國.故仕於公曰臣,仕於家曰僕.三年之喪,與新有婚者,期不使也.以衰嘗入朝,與家僕雜居齊齒,非禮也,是謂臣與君共國;天子有田,以處其子孫,諸侯有國,以處其子孫,大夫有采,以處其子孫,是謂制度;天子適諸侯,必舍其宗廟,而不禮籍入,所謂臨諸侯將舍宗廟先告其鬼神以將入止也是謂天子壞法亂紀;諸侯非問疾弔喪,而入諸臣之家,是謂君臣為謔.謔戲夫禮者,君之柄,柄亦秉持所以別嫌明微,儐鬼神,考制度,列仁義,立政教,安君臣上下也.故政不正則君位危,君位危則大臣倍,小臣竊,刑肅而俗弊則法無常,法無常則禮無別,禮無別則士不仕,民不歸,是謂疵國.是故夫政者,君之所以藏身也,言所藏於身不可以假人也必本之天效以降命,效天以下教令所謂則天之明命降於社,之謂教地,所謂因地之利降於祖廟,之謂仁義,奉祖廟彌近彌親彌遠彌尊仁義之道也降於山川,之謂興作,下命所謂祭山川者謂其興造雲雨作生萬物也降於五祀,之謂制度,下命使事五祀者以其能為人事之制度此聖人所以藏身之固也.藏身以此則固聖人參於天地,並於鬼神以治政也.處其所存,禮之序也,翫其所樂,民之治也.言聖人常所存處者禮之次序常所玩樂者民之治安也天生時,地生財,人其父生而師教之,四者君以政用之,所以立於無過之地.時及財天地之所以生而師以教之君以政用之而已故常立於無過之地也君者,人所明,非明人者也;人所養,非養人者也;
僭君。冕弁兵革、藏於私家、非禮也【大夫稱家。冕弁、大夫之服。孔子曰天子諸侯大夫冕弁服歸家設奠後。是言不得賜而藏之】、是謂脅君【迫脅其君】。大夫具官、祭器不假、聲樂皆具、非禮也【大夫無田者不作祭器。今皆不借、故非禮】、是謂亂國。故仕於公曰臣、仕於家曰僕。三年之喪與新有婚者、期不使也。以衰裳入朝、與家僕雜居齊齒、非禮也、是謂臣與君共國。天子有田、以處其子孫。諸侯有國、以處其子孫。大夫有采、以處其子孫、是謂制度。天子適諸侯、必舍其宗廟、而不以禮籍入【言臨諸侯將舍宗廟、先告鬼神將入止】、是謂天子壞法亂紀。諸侯非問疾弔喪、而入諸臣之家、是謂君臣為謔【謔戲】。是故禮者、君之大柄【柄亦秉持】、所以別嫌明微、儐鬼神、考制度、別仁義、立政教、安君臣上下也。故政不正則君位危、君位危則大臣倍、小臣竊。刑肅而俗敝則法無常、法無常則禮無別、禮無別則士不仕、民不歸、是謂疵國。是故政者、君之所以藏身也【言所藏於身、不可以假人也】、必本於天、殽以降命【殽效也。效天下達教命、所謂則天之明】。命降于社、之謂殽地【所謂因地之利】。降于祖廟、之謂仁義【奉祖廟近親遠尊、是仁義之道】。降于山川、之謂興作【下命所謂祭山川、言其興雲雨、生萬物】。降于五祀、之謂制度【下命使事五祀、以其能為人制度】。此聖人所以藏身之固也【以此藏身則固】。聖人參於天地、並於鬼神、以治政也。處其所存、禮之序也。翫其所樂、民之治也【言聖人常所存處、禮之序。常所翫樂、民之治安】。天生時、地生財、人其父生而師教之、四者君以政用之、是以立於無過之地【時與財、天地所以生。師以教之、君以政用之而已。故常立於無過之地】。君者人所明、非明人者也。人所養、非養人者也。
人所事,非事人者也.夫君者,明人則有過,為君徒欲明人而已則過謬也故養人則不足,時君失政不能為民所養事人則失位,故百姓明君以自治,養君以自安,事君以自顯,是以禮達而分定.人皆愛其死,而患其生,人皆愛惜其死而患其生之無禮也是故用人之智去其詐,用人之勇去其怒,用人之仁去其貪.國有患,君死社稷為之義,大夫死宗廟為之變.大夫有去就之義未必常死宗廟者其死宗廟者權變為也凡聖人能以天下為一家,以中國為一人,非意之,非以意貪之必有致之也必知其情,從於其義,明於其利,達於其患,然後為之.何謂人情?喜怒哀懼愛惡欲,七者弗學而能;何謂人義?父慈子孝,兄良弟悌,夫義婦聽,長惠幼順,君仁臣忠,十者謂之人義;講信修睦,謂之人利,爭奪相殺,謂之人患;聖人之所以治人七情,修十義,講信修睦,尚辭讓,去爭奪,舍禮何以治之;飲食男女,人之大欲存焉,死亡貧苦,人之大惡存焉.欲惡者,人之大端,人藏其心,不可測度,美惡皆在其心,不見其色,欲一以窮之,舍禮何以哉?故人者,天地之德,陰陽之交,鬼神之會,五行之秀.天秉陽,垂日星,地秉陰,載於山川,播五行於四時,和四氣而後月生,月生而後四時行焉布五行和四時四氣而後月生焉是以三五而盈,三五而缺,月陰道不常滿故十五日滿十五日缺也五行之動,共相竭也.竭盡也水用事盡則木用事五行用事更相盡也五行四氣十二月,還相為本;用事者為本也五聲五律十二管,還相為宮;五聲者宮商角徵羽也管十二月也一月一管陽律陰呂其用事為宮也五味六和十二食,還相為質;
人所事、非事人者也。故君明人則有過【為君惟欲明人、則過謬也】、養人則不足【時君失政、不為民所養】、事人則失位。故百姓明君以自治也、養君以自安也、事君以自顯也。是以禮達而分定。人皆愛其死而患其生【人皆愛死而患生之無禮】。是故用人之智、去其詐。用人之勇、去其怒。用人之仁、去其貪。國有患、君死社稷、謂之義。大夫死宗廟、謂之變【大夫有去就之義、未必常為宗廟死。為宗廟死、變也】。凡聖人、能天下為一家、中國為一人者、非意之【非用意思貪】、必知其情、從於其義、明於其利、達於其患、然後為之。何謂人情、喜怒哀懼愛惡欲、七者弗學而能。何謂人義、父慈子孝、兄良弟悌、夫義婦聽、長惠幼順、君仁臣忠、十者謂之人義。講信修睦、謂之人利。爭奪相殺、謂之人患。聖人之所以治人七情、修十義、講信修睦、尚辭讓、去爭奪、舍禮何以治之。飲食男女、人之大欲存焉。死亡貧苦、人之大惡存焉。欲與惡、人之大端。人藏其心、不可測度、美惡皆在其心、不見其色。欲一以窮之、舍禮何以。故人者、天地之德、陰陽之交、鬼神之會、五行之秀。天秉陽、垂日星。地秉陰、載山川。播五行於四時、和四氣而後月生【布五行、和四時、四氣而後月生】。是以三五而盈、三五而缺【月陰道不常滿、故十五日盈、十五日缺】。五行之動、共相竭也【竭盡。水用事盡則木用事、五行用事更相盡】。五行四氣十二月、還相為本【用事者為本】。五聲六律十二管、還相為宮【五聲、宮商角徵羽。管十二月、一月一管、陽律陰呂、用事者為宮】。五味六和十二食、還相為質。
五味酸苦鹹辛甘六和者和之各有宜者春多酸秋多辛之屬是也十二食者十二月之食質本也五色六章十二衣,還相為主.五色者青赤白黑黃學記曰水無當於五色五色不得不彰五色待水而章也故人者,天地之心,於天地間如五藏之有心矣人有生最靈心五藏最聖也而五行之端,端始也能用五行也食味別聲被色而生者.聖人作則,作為則法必以天地為本,以陰陽為端,以四時為柄,以日星為紀,月以為量,鬼神以為徒,五行以為質,禮義以為器,人情以為田,四靈以為畜.以天地為本,故物可舉;天地為本則萬物苞在於其中以陰陽為端,故情可?;陰陽之為情始以四時為柄,故事可勸;四時各有事故事可得而勸也以日星為紀,故業可別;日以紀晝星以紀夜故事可得而分別也月以為量,故功有藝;有度量以成四時猶功業各有分理也藝猶理鬼神以為徒,故事有守;鬼神不相干各有守五行以為質,故事可復也;五行終則復始故事可修復也禮義以為器,故事行有考;考成人情以為田,四靈以為畜.四靈鳥獸之長四靈為畜則飲食可用何謂四靈?麟鳳龜龍謂之四靈.故龍以為畜,而魚鮪不諗;諗潛藏也鳳以為畜,而鳥不●;麟以為畜,而獸不●;●●飛走之貌也.●況必反越況越反龜以為畜,而人情不失.易曰定天下之吉凶成天下之亹亹者莫善於蓍龜人情不失也先王秉蓍龜,列祭祀,瘞,繒,宣,祝嘏,瘞謂祭祀之瘞繒謂若增封太山宣謂播宣揚之.瘞於列反繒慈陵反嘏舉下反設制度,祝嘏辭說.故國有禮,官有御,治也職有序,先王患禮之不達於下,故饗帝於郊,所以定天位也;祀社於國,所以列地利也;禘祖廟,所以本仁也;旅山川,所以儐鬼神也;
五味酸苦咸辛甘、六和調和各有宜、春多酸秋多辛之類。十二食十二月之食、質本。五色六章十二衣、還相為主【五色、青赤白黑黃。《學記》曰、水無當於五色、五色不得不彰、五色待水而彰】。故人者天地之心【天地間如五臟之有心、人有生最靈、心於五臟最聖】、五行之端【端始、能用五行】、食味別聲被色而生者也。聖人作則【作為則法】、必以天地為本、以陰陽為端、以四時為柄、以日星為紀、以月為量、以鬼神為徒、以五行為質、以禮義為器、以人情為田、以四靈為畜。以天地為本、故物可舉【天地為本、則萬物苞】。以陰陽為端、故情可睹。以四時為柄、故事可勸【四時各有事、事可得而勸】。以日星為紀、故業可別【日紀晝、星紀夜、事可得而別】。以月為量、故功有藝【有量以成四時、若功業各有分理。藝猶理】。以鬼神為徒、故事有守【鬼神不相干、各有守】。以五行為質、故事可復【五行終而復始、事可復修】。以禮義為器、故事行有考【考成】。以人情為田、故人以為奧【奧猶主】。以四靈為畜、故飲食有由【四靈鳥獸之長、為畜則飲食可用】。何謂四靈、麟鳳龜龍謂之四靈。故龍以為畜、則魚鮪不淰【淰潛藏】。鳳以為畜、則鳥不獲【獲飛走貌】。麟以為畜、則獸不狘【狘驚走】。龜以為畜、則人情不失【《易》曰、定天下之吉凶、成天下之亹亹者、莫善乎蓍龜、則人情不失】。先王秉蓍龜、列祭祀、瘞繒、宣祝嘏【瘞祭埋、繒似增封泰山、宣播宣揚】、設制度、祝嘏辭說。故國有禮、官有御【治】、事有職、禮有序。先王患禮之不達於下也、故祭帝於郊、所以定天位也。祀社於國、所以列地利也。禘祖廟、所以本仁也。旅山川、所以儐鬼神也。
祭五祀,所以本事也.故宗祝在廟,三公在朝,三老在學,王養三老在學王前巫而後史,卜蓍瞽侑,皆在左右,王中心無為也,以守至正.是以禮行於郊,而百神受職,禮行於社,而百貨可極,禮行於祖廟,而孝慈服焉,孝慈之道為遠近所服焉禮行於五祀,而正法則焉.故郊社宗廟山川五祀,義之修而禮之藏.言禮之寶藏夫禮必本於太一,太一者元氣也分而為天地,轉而為陰陽,變而為四時,列而為鬼神,其降曰命,即上所為命降於天地祖廟也其官於天也,官為職分也言禮職分皆從天下來也協於分藝,藝理其居於人也,曰養.言禮之於人身所以養成人也所以講信修睦,而固人之肌膚之會,筋骸之束者;所以養生送死,事鬼神之大端;所以達天道,順人情之大竇.唯聖人為知禮之不可以已也,故破國喪家亡人,必先去其禮,禮之於人,猶酒之有糱也,君子以厚,小人以薄.聖人修義之柄,禮之序,以治人情.人情者,聖王之田也,修禮以耕之,陳義以種之,講學以耨之,耨除穢也本仁以聚之,播樂以安之.故禮者,義之實也,協諸義而協則禮,雖先王未有可以義起焉;義者藝之分,仁之節,協於藝,講於仁,得之者強,失之者喪;仁者義之本,順之體,得之者尊.故治國不以禮,猶無耜而耕;為禮而不本於義,猶耕之而弗種;為而不講於學,猶種而弗耨;講之以學,而不合以仁,猶耨而不獲;合之以仁,而不安之以樂,猶獲而弗食;安之以樂,而不達於順,猶食而不肥.四體既正,膚革充盈,人之肥也;父子篤,兄弟睦,夫婦和,家之肥也;大臣法,小臣廉,官職相序,君臣相正,國之肥也;
祭五祀、所以本事也。故宗祝在廟、三公在朝、三老在學【王養三老於學】、王前巫而後史、卜蓍瞽侑皆在左右。王中心無為也、以守至正。是以禮行於郊、而百神受職焉。禮行於社、而百貨可極焉。禮行於祖廟、而孝慈服焉【孝慈之道、遠近所服】。禮行於五祀、而正法則焉。故郊社宗廟山川五祀、義之修而禮之藏也【言禮之藏】。夫禮必本於太一【太一元氣】、分而為天地、轉而為陰陽、變而為四時、列而為鬼神。其降曰命【即上所云命降于天地祖廟】、其官于天【官職分、言禮之職分皆自天來】、協于分藝【藝理】。其居人也曰養【言禮於人身所以養成人】、其講信修睦、而固人肌膚之會、筋骸之束。其養生送死、事鬼神之大端。其達天道、順人情之大竇。唯聖人為知禮之不可以已也。故破國喪家亡人、必先廢其禮。禮之於人也、猶酒之有櫱。君子以厚、小人以薄。聖人修義之柄、禮之序、以治人情。人情者聖王之田也、修禮以耕之、陳義以種之、講學以耨之【耨除穢】、本仁以聚之、播樂以安之。故禮者義之實也、協諸義而協則禮、雖先王未有可以義起。義者藝之分、仁之節、協於藝、講於仁、得之者強、失之者喪。仁者義之本、順之體、得之者尊。故治國不以禮、猶無耜而耕。為禮不本於義、猶耕而不種。為義而不講於學、猶種而不耨。講於學而不合於仁、猶耨而不穫。合於仁而不安之以樂、猶穫而不食。安之以樂而不達於順、猶食而不肥。四體既正、膚革充盈、人之肥也。父子篤、兄弟睦、夫婦和、家之肥也。大臣法、小臣廉、官職相序、君臣相正、國之肥也。
天子以德為車,以樂為御,諸侯以禮相與,大夫以法相序,士以信相考,百姓以睦相守,天下之肥也.是謂大順.順者,所以養生送死,事鬼神之常也.故事大積焉而不苑,苑滯積也並行而不謬,細行而不失,深而通,茂而有間,言有理也連而不相及,言有敘也動而不相害,此順之至也.明於順,然後乃能守危.高而不危以長守危夫禮之不同不豐殺,所以持情而合危也,合禮安也山者不使居川,渚者不使居原,用水火金木,飲食必時,用水漁人以時入澤梁乃溉灌用火季春出火季秋納火也用金以時採銅鐵用木斧斤以時入山林飲食各隨四時之宜者也冬合男女,春頒爵位,必當年德,皆所順也.用民必順,悅以使民故無水旱昆蟲之災,民無兇飢妖孽之疾.天不愛其道,地不愛其寶,人不愛其情,是以天降甘露,地出醴泉,山出器車,出銀甕丹灶之器及象車也河出馬圖,龍似馬負圖出鳳凰麒麟,皆在郊掫,龜龍在宮沼,其餘鳥獸及卵胎,皆可俯而窺也.則是無故,先王能循禮以達義,體信以達順,此順之實也.”
天子以德為車、以樂為御。諸侯以禮相與、大夫以法相序、士以信相考、百姓以睦相守、天下之肥也、是謂大順。順者所以養生送死事鬼神之常也。故事大積焉而不苑【苑滯積】、並行而不謬、細行而不失、深而通、茂而有間【言有理】、連而不相及【言有敘】、動而不相害、此順之至。明乎順、然後能守危也【高而不危、以長守危】。夫禮之不同不豐不殺、所以持情而合危也【合禮則安】。山者不使居川、渚者不使居原。用水火金木飲食必時【用水漁人以時入澤梁乃溉。用火季春出火季秋內火。用金以時採銅鐵。用木斧斤以時入山林。飲食各隨四時之宜】。冬合男女、春頒爵位、必當年德、皆所順也。用民必順【悅以使民】、故無水旱昆蟲之災、民無凶饑妖孽之疾。天不愛其道、地不愛其寶、人不愛其情。是以天降甘露、地出醴泉、山出器車【出銀甕丹灶之器及象車】、河出馬圖、鳳凰麒麟皆在郊棷、龜龍在宮沼、其餘鳥獸及卵胎皆可俯而闚也。則是無故、先王能循禮以達義、體信以達順、此順之實也。」
孔子家語 巻八
冠頌第三十三
冠頌第三十三
邾隱公既即位,將冠,使大夫因孟懿子問禮於孔子.子曰:“其禮如世子之冠.冠於阼者,以著代也,阼主人之階以明其代父醮於客位,加其有成,冠於階若不體則醮用酒於客位敬而成之戶西為客位.醮子肖反三加彌尊,導喻其志,喻其志使加彌尊宜敬成始緇布次皮弁次爵弁冠而字之,敬其名也.雖天子之元子,猶士也,其禮無變,天下無生而貴者故也.行冠事必於祖廟,以祼享之,禮以將之,祼灌鬯也灌鬯以享神享獻將行也鬯刃亮反以金石之樂節之,金石者鐘磬也所以自卑而尊先祖,示不敢擅.”懿子曰:“天子未冠即位,長亦冠也.”孔子曰:“古者王世子雖幼,其即位則尊為人君,人君治成人之事者,何冠之有.”懿子曰:“然則諸侯之冠,異天子與?”怪天子無冠禮如諸侯之冠故問之孔子曰:“君薨而世子主喪,是亦冠也已,人君無所殊也.”諸侯亦人君與天子無異懿子曰:“今邾君之冠,非禮也.”懿子亦諸侯無冠則邾君之冠非也孔子曰:“諸侯之有冠禮也,夏之末造也,夏之末世乃造諸侯冠禮有自來矣,今無譏焉.言有所從來故今無所譏天子冠者,武王崩,成王年十有三而嗣立,周公居冢宰,攝政以治天下,明年夏六月,既葬,周書亦曰歲十有三武王崩元年六月葬與此若合符而說者橫為年紀蹙促成年少又命周公武王崩後五月乃攝政良可為冠與痛哉冠成王而朝於祖,以見諸侯,亦有君也.周公命祝雍作頌曰:‘祝王達而未幼.’祝雍辭曰:‘使王近於民,常得民之心也遠於年,壽長嗇於時,嗇愛也於時不奪民時也惠於財,親賢而任能.’其頌曰:‘令月吉日,王始加元服,去王幼志,服袞職,袞職盛服有禮文也欽若昊命,欽敬若順****是式,天地四方謂之****言為之法式率爾祖考,永永無極.’此周公之制也.”懿子曰:“諸侯之冠,其所以為賓主,何也?
邾隱公既即位、將冠、使大夫因孟懿子問禮於孔子。子曰、「其禮如世子之冠。冠於阼者、以著代也【阼主人之階、以明其將代父】。醮於客位、加其有成【於階加冠、若不用醴則用酒於客位醮之、敬而成之。戶西客位】。三加彌尊、道喻其志【喻其志使加冠益尊、當敬重成就。始緇布冠、次皮弁、次爵弁】。冠而字之、敬其名也。雖天子之元子、猶士也、其禮無變、天下無生而貴者故也。行冠事必於祖廟、以祼享之禮以將之【祼灌鬯、灌鬯以享神。享獻、將行】、以金石之樂節之【金石鐘磬】、所以自卑而尊先祖也、示不敢擅。」懿子曰、「天子未冠即位、長亦冠也。」孔子曰、「古者王世子雖幼、其即位則尊為人君、人君治成人之事者何冠之有。」懿子曰、「然則諸侯之冠異於天子與。」【怪天子無冠禮、乃問諸侯冠、故問此】孔子曰、「君薨而世子主喪、是亦冠也、已人君無所殊也。」【諸侯亦人君、與天子無異】懿子曰、「今邾君之冠、非禮也。」【懿子亦以諸侯無冠禮、則邾君之冠非也】孔子曰、「諸侯之有冠禮也、夏之末造也【夏之末造諸侯冠禮】、有自來矣、今無譏焉【言有所從來、故今無所譏】。天子冠者、武王崩、成王年十三嗣立、周公居冢宰攝政治天下、明年夏六月既葬【《周書》亦曰歲十三武王崩、元年六月葬、與此若合符節。而說者橫加年紀、蹙促成王年少、又云周公於武王崩後五月乃攝政、良可嗟痛】、冠成王而朝于祖廟、以見諸侯、亦有君也。周公命祝雍作頌曰、「祝王達而未幼。」祝雍辭曰、「使王近於民【常得民心】、遠於年【壽長】、嗇於時【嗇愛、於時不奪民時】、惠於財、親賢而任能。」其頌曰、「令月吉日、王始加元服、去王幼志、服衮職【衮職盛服、有禮文】、欽若昊命、六合是式【【底本此處缺字】是天地四方、言以為法式】、率爾祖考、永永無極。」此周公之制也。」懿子曰、「諸侯之冠、其所以為賓主者、何也。
”孔子曰:“公冠則以卿為賓,無介公自為主,迎賓揖升自阼,立於席北,其醴也則如士,饗之以三獻之禮,既醴,降自阼階.諸侯非公而自為主者,其所以異,皆降自西階,西階賓也玄端與皮弁,玄端緇布冠之服皮弁自服其服也異朝服素畢,服朝而畢示不忘古公冠四,公四加冠加玄冕祭,加玄冕著祭服其酬幣於賓,則束帛乘馬,已冠而饗既饗與賓幣謂之人幣乘馬駟馬也王太子庶子之冠擬焉,王之太子庶子皆擬諸侯冠禮也皆天子自為三,其禮與士無變,饗食賓也,皆同.”懿子曰:“始冠必加緇布之冠,何也?”孔子曰:“示不忘古,太古冠布齋則緇之,其緌也吾未之聞,言今有緌未聞之於古古無緌也緌冠之飾也今則冠而幣之,可也.”今不復冠幣布幣之不復者也懿子曰:“三王之冠,其異何也?”孔子曰:“周弁,殷哻,夏收,一也.皆祭服也三王共皮弁,素緌委貌,周道也;章甫,殷道也;母追,夏后氏之道也.”常所服之冠也
孔子曰、「公冠則以卿為賓、無介、公自為主、迎賓揖升自阼、立於席北、其醴也則如士、饗之以三獻之禮、既醴降自阼。諸侯非公而自為主者、其所以異、皆降自西階【西階賓階】。玄端與皮弁【玄端緇布之服、皮弁自服其服】、異朝服素畢【服朝服畢、示不忘古】。公之冠四【公四加、加玄冕以祭、加玄冕服祭服】、酬賓幣束帛乘馬【既冠以饗、既饗酬賓幣為人幣、乘馬駟馬】。王太子庶子之冠儗焉【王太子庶子皆儗諸侯冠】、皆天子自為三、其禮與士無變、饗食賓也、皆同。」懿子曰、「始冠必加緇布冠、何也。」孔子曰、「示不忘古。太古冠布、齋則緇之、其緌吾未之聞【言今有緌、未聞有從古者、古無緌。緌冠飾】。今則冠而幣之、可也。」【今不復布冠為幣、不復如此】懿子曰、「三王之冠、其異何也。」孔子曰、「周弁、殷哻、夏收、一也【皆祭服】。三王共皮弁。素纀、周之道也。章甫、殷之道也。毋追、夏后氏之道也。」【此常所服之冠】
廟制第三十四
廟制第三十四
衛將軍文子將立三軍之廟於其家,文子名彌牢使子羔訪於孔子.子曰:“公廟設於私家,非古禮之所及,吾弗知.”子羔曰:“敢問尊卑上下立廟之制,可得而聞乎?”孔子曰:“天下有王,分地建國設祖宗,祖有功宗有德乃為親疏貴賤多少之數.是故天子立七廟,三昭三穆,與太祖之廟七,太祖近廟,皆月祭之,近謂高祖下親為近遠廟為祧,有二祧焉,祧遠意親盡為祧二祧者高祖及父母祖是也.祧吐雕反享嘗乃止;四時祭也諸侯立五廟,降天子二也二昭二穆,與太祖之廟而五,曰祖考廟,始祖廟也享嘗乃止;大夫立三廟,降諸侯二也一昭一穆,與太廟而三,曰皇考廟,享嘗乃止;士立一廟,降大夫二也曰考廟,王考無廟,合而享嘗乃止;祖合於父廟中庶人無廟,四時祭於寢.此自有虞以至於周之所不變也.自有虞以至於週週禮不異而說者以周有廟以有文武故祧當遷者而以為文廟或有甚矣禮典皆有七廟之文唯喪服小記雲王者禘其祖之所自以其祖所出以其祖配之而立四廟謂始王者未有始祖故立四廟今有虞亦始王者而既立七廟矣則喪服小記之言亦妄矣凡四代帝王之所謂郊者,皆以配天,其所謂禘者,皆五年大祭之所及也.殷周禘嚳五年大祭而及應為太祖者,則其廟不毀,不及太祖,雖在禘郊,其廟則毀矣.諸禘享考無廟郊亦無廟后稷之所以有廟自以太祖故曰不為太祖雖在禘郊其廟則毀據后稷而言殷人不郊●以●有大功契既為太祖之廟若復郊則●永不與於祀典是以郊●者也古者祖有功而宗有德,謂之祖宗者,其廟皆不毀.”祖宗者不毀之名其廟有功者謂之祖至於周文王是也有德者謂之周武王是二廟自有祖宗乃謂之二祧又以為配食明堂之名亦可謂達聖指失實事也
衛將軍文子將立三軍之廟於其家【文子名彌牢】、使子羔問於孔子。孔子曰、「公廟設於私家、非古禮之所及、吾弗知也。」子羔曰、「敢問尊卑上下立廟之制、可得而聞之乎。」孔子曰、「天下有王、分地建國設祖宗【祖有功、宗有德】、乃為親疏貴賤多少之數。是故天子立七廟、三昭三穆、與太祖之廟而七。太祖近廟、皆月祭之【近謂高祖以下親為近】。遠廟為祧、有二祧焉【祧遠意、親盡為祧。二祧高祖及父母祖是也】。享嘗乃止【四時祭】。諸侯立五廟【降天子二】、二昭二穆、與太祖之廟而五、曰祖考廟【始祖廟】、享嘗乃止。大夫立三廟【降諸侯二】、一昭一穆、與太廟而三、曰皇考廟、享嘗乃止。士立一廟【降大夫二】、曰考廟、王考無廟、合而享嘗乃止【祖合在父廟中】。庶人無廟、四時祭於寢。此自有虞以至於周之所不變也【自有虞以至於周、周禮無異。而說者以周有廟為有文武、故祧當遷者而以為文廟、或過矣。禮典皆有七廟之文、唯《喪服小記》云王者禘其祖之所自出、以其祖配之而立四廟、言始王者無始祖故立四廟。今有虞亦始王者而既立七廟、則喪服小記之言亦妄也】。凡四代帝王之郊也、皆以配天。其禘也、皆五年大祭之所及也。殷周禘嚳、五年大祭而及其當為太祖者、其廟不毀。不及太祖、雖在禘郊、其廟毀矣【諸禘享考無廟、郊亦無廟。后稷所以有廟、以自為太祖、故曰不為太祖、雖在禘郊、其廟毀也、據后稷而言之。殷人不郊【底本此字為生僻字、轉錄後失落】、以【底本此字為生僻字、轉錄後失落】有大功。契既為太祖之廟、若復郊則【底本此字為生僻字、轉錄後失落】永不與祀典、故乃郊【底本此字為生僻字、轉錄後失落】】。古者祖有功而宗有德、謂之祖宗者、其廟皆不毀。」【祖宗不毀之名。廟有功曰祖、至周文王。有德至周武王、此二廟自有祖宗、乃謂之二祧、又以為配食明堂之名、亦可謂違聖失實】
子羔問曰:“祭典云:‘昔有虞氏祖顓頊而宗堯,夏后氏亦祖顓頊而宗禹,殷人祖契而宗湯,周人祖文王而宗武王.’此四祖四宗,或乃異代,或其考祖之有功德,其廟可也.’若有虞宗堯,夏祖顓頊,皆異代之有功德者也,亦可以存其廟乎?”孔子曰:“善,如汝所聞也.如殷周之祖宗,其廟可以不毀,其它祖宗者,功德不殊,雖在殊代,亦可以無疑矣.詩云:‘蔽芾甘棠,勿翦勿伐,邵伯所憩.’蔽芾小貌甘棠杜也憩席也周人之於邵公也,愛其人猶敬其所舍之樹,況祖宗其功德而可以不尊奉其廟焉.”
子羔問曰、「祭典云、昔有虞氏祖顓頊而宗堯、夏后氏亦祖顓頊而宗禹、殷人祖契而宗湯、周人祖文王而宗武王。此四祖四宗、或異世、或其考祖之有功德、其廟可也。若有虞宗堯、夏祖顓頊、皆異世而有功德、亦可以存其廟乎。」孔子曰、「善哉如汝所聞也。如殷周之祖宗、其廟可以不毀。其餘祖宗者、功德不殊、雖在殊代、亦可以無疑矣。《詩》云、蔽芾甘棠、勿翦勿伐、邵伯所憩【蔽芾小貌。甘棠杜梨。憩息】。周人之於邵公也、愛其人猶敬其所舍之樹、況祖宗有功德、而可以不尊奉其廟乎。」
辯樂解第三十五
辯樂解第三十五
孔子學琴於師襄子.襄子曰:“吾雖以擊磬為官,然能於琴,今子於琴已習,可以益矣.”孔子曰:“丘未得其數也.”有間,曰:“已習其數,可以益矣.”孔子曰:“丘未得其志也.”有間,曰:“已習其志,可以益矣.”孔子曰:“丘未得其為人也.”有間,曰:“孔子有所謬然思焉,謬然深思貌有所睪然高望而遠眺.”眺見也.睪羊益反.眺他吊反曰:“丘迨得其為人矣,近黮而黑,黮黑貌.黮敕感反頎然長,頎長貌.頎渠希反曠如望羊,曠用志廣遠望羊遠視也奄有四方,奄同也文王之時三分天下有其二後周有四方文王之功也非文王其孰能為此.”師襄子避席葉拱而對曰:“葉拱兩手薄其心也君子聖人也,其傳曰文王操.”
孔子學琴於師襄子。襄子曰、「吾雖以擊磬為官、然能於琴。今子於琴已習、可以益矣。」孔子曰、「丘未得其數也。」有間、襄子曰、「已習其數、可以益矣。」孔子曰、「丘未得其志也。」有間、襄子曰、「已習其志、可以益矣。」孔子曰、「丘未得其為人也。」有間、孔子有所謬然思焉【謬然深思貌】、有所睾然高望而遠眺【眺望見。底本此字羊益反】、曰、「丘迨得其為人矣、近黮而黑【黮黑貌】、頎然而長【頎長貌】、曠如望羊【曠用志廣遠。望羊遠視】、奄有四方【奄同。文王時三分天下有其二、後周有四方、文王之功、非文王孰能如此】。師襄子辟席葉拱而對曰【葉拱兩手薄在心口】、「君子聖人也、其傳曰文王操。」
子路鼓琴,孔子聞之,謂冉有曰:“甚矣由之不才也.夫先王之制音也,奏中聲以為節,流入於南,不歸於北.夫南者,生育之鄉,北者,殺伐之城.故君子之音溫柔居中以養生育之氣,憂愁之感不加於心也,暴厲之動,不在於體也.夫然者,乃所謂治安之風也.小人之音則不然,亢麗微末,以象殺伐之氣,中和之感,不載於心,溫和之動,不存於體,夫然者乃所以為亂之風.昔者舜彈五絃之琴,造南風之詩,其詩曰:‘南風之燻兮,可以解吾民之慍兮,南風之時兮,可以阜吾民之財兮.’得其時阜盛也唯修此化,故其興也勃焉,德如泉流,至於今王公大人述而弗忘.殷紂好為北鄙之聲,其廢也忽焉,至於今王公大人舉以為誡.夫舜起布衣,積德含和而終以帝,紂為天子,荒淫暴亂而終以亡,非各所修之致乎.由今也匹夫之徒,曾無意於先王之制,而習亡國之聲,豈能保其六七尺之體哉?”冉有以告子路,子路懼而自悔,靜思不食,以至骨立.夫子曰:“過而能改,其進矣乎.”
子路鼓琴、孔子聞之、謂冉有曰、「甚矣由之不才也。夫先王之制音也、奏中聲以為節、流入于南、不歸于北。南者生育之鄉、北者殺伐之城。故君子之音、溫柔居中、以養生育之氣、憂愁之感不加于心也、暴厲之動不在于體也。夫然者、乃所謂治安之風也。小人之音則不然、亢麗微末、以象殺伐之氣、中和之感不載于心、溫和之動不存于體、夫然者、乃所以為亂之風。昔者舜彈五絃之琴、造南風之詩、其詩曰、南風之薰兮、可以解吾民之慍兮、南風之時兮、可以阜吾民之財兮【得時、阜盛】。唯修此化、故其興也勃焉、德如泉流、至于今王公大人述而弗忘。殷紂好為北鄙之聲、其廢也忽焉、至于今王公大人舉以為誡。夫舜起布衣、積德含和而終以帝。紂為天子、荒淫暴亂而終以亡、非各所修之致乎。由今也匹夫之徒、曾無意於先王之制、而習亡國之聲、豈能保其六七尺之體哉。」冉有以告子路、子路懼而自悔、靜思不食、以至骨立。夫子曰、「過而能改、其進矣乎。」
周賓牟賈侍坐於孔子,孔子與之言及樂曰:“夫武之備誡之以久,何也?”武謂周武備誡擊鼓警眾也對曰:“病疾不得其眾.”病憂也憂恐不得其士眾之心敬者也“詠歎之,淫液之,何也?”淫液歆淫滋味對曰:“恐不逮事.”言汲汲欲及此安民和眾事“發揚蹈厲之已蚤,何也?”厲病備戒雖久至其發作又疾對曰:“及時事.”欲令事及其時“武坐致右而軒左,何也?”右膝至地左膝不至地也對曰:“非武坐.”言無武坐“聲淫及商,何也?”言聲歆淫貪商對曰:“非武音也.”武王之事不得已為天下除殘賊非苟貪商孔子曰:“若非武音,則何音也?”對曰:“有司失其傳也.”孔子曰:“唯,丘聞諸萇弘,若非吾子之言是也,若非有司失其傳,則武王之志荒矣.”賓牟賈起,免席而請曰:“夫武之備誡之以久,則既聞命矣.敢問遲矣而又久立於綴,何也?”子曰:“居,吾語爾.夫樂者,象成者也.象成功而為樂語魚據反總幹而山立,武王之事也;總持幹若山立不動發揚蹈厲,太公之志也;志在鷹揚武亂皆坐,周邵之治也.武亂武治皆坐而以象安民之事也且夫武始成而北出,再成而滅商,三成而南反,誅紂已而南也四成而南國是疆,言有南國以為疆界五成而分陝,周公左,邵公右,分東西而治也六成而復綴,以崇其天子焉.以象尊天子也六成謂舞之節解也眾夾振焉而四伐,所以盛威於中國;夾武王四面會振威武四伐者伐四方與紂同惡也分陝而進,所以事蚤濟;
周の賓牟賈侍坐於孔子、孔子與之言及樂曰、「武之備戒之已久、何也。」【武謂周武王。備戒擊鼓警衆】對曰、「病不得其衆。」【病憂、憂恐不得士衆之心敬】「詠歎之、淫液之、何也。」【淫液歆淫滋味】對曰、「恐不逮事。」【言汲汲欲逮此安民和衆之事】「發揚蹈厲之已蚤、何也。」【厲猛。備戒雖久、至其發作又蚤】對曰、「及時事。」【欲令事及其時】「武坐致右軒左、何也。」【右膝至地、左膝不至地】對曰、「非武坐。」【言無武坐】「聲淫及商、何也。」【言聲歆淫貪商】對曰、「非武音也。」【武王之事、不得已為天下除殘賊、非苟貪商】子曰、「若非武音、則何音也。」對曰、「有司失其傳也。」子曰、「唯、丘聞諸萇弘、若非吾子之言是也。若非有司失其傳、則武王之志荒矣。」賓牟賈起、免席而請曰、「夫武之備戒之以久、則既聞命矣。敢問遲矣而又久立於綴、何也。」子曰、「居、吾語汝。夫樂者象成者也【象成功而為樂】。摠干而山立、武王之事也【摠持、干山立不動】。發揚蹈厲、太公之志也【志欲鷹揚】。武亂皆坐、周邵之治也【武亂武之治、皆坐以象安民之事】。且夫武始成而北出、再成而滅商、三成而南【誅紂已畢而南】、四成而南國是疆【言有南國以為疆界】、五成而分陝、周公左邵公右【分東西而治】、六成而復綴以崇其天子焉【以象尊天子、六成謂舞之節解】。衆夾振焉而四伐、所以盛威於中國【夾武王四面振威武。四伐伐四方與紂同惡者】。分夾而進、所以事蚤濟。
所以分陝而蚤進者欲事蚤成久立於綴,所以待諸侯之至也.今汝獨未聞牧野之語乎,武王克殷而反商之政,未及下車,則封黃帝之後於薊,封帝堯之後於祝,封帝舜之後於陳.下車又封夏后氏之後於杞,封殷之後於宋,武王伐殷封其子祿父武王崩祿父叛周公誅之封微子於宋以為殷後祿父不成殷後故成言之封王子比干之墓,釋箕子之囚,使人行商容之舊,以復其位,商容商之禮儀其位舊居也傳說多以商容為殷之賢人或使箕子求商容乎行猶索也庶民弛政,解其力役之事.弛屍紙反庶士倍祿.既濟河西,馬散之華山之陽而弗復乘,牛散之桃林之野而弗復服.桃林西方塞也華胡化反車甲則釁之,而藏之諸府庫,以示弗複用.倒載干戈而包之以虎皮,將率之士,使為諸侯,命之曰鞬橐,言所以藏弓矢而不用者將率之士力也故使以為諸侯為之鞬橐也.將即亮反率徒對反鞬居言反然後天下知武王之不復用兵也.散軍而修郊射,郊有學官可以習禮左射以狸首,右射以騶虞,而貫革之射息也;左東學右西學狸首騶虞所為節也裨冕搢笏,而虎賁之士脫劍;袞冕之屬通謂之裨冕脫劍解劍也賁符分反郊祀后稷,而民知尊父焉;配明堂而民知孝焉;朝覲然後諸侯知所以臣;耕籍然後民知所以敬親.親耕籍田所以奉祠祀之粢盛六者天下之大教也.食三老五更於太學,天子袒而割牲,執醬而饋,執爵而酳,食已飲酒謂之酳也酳音胤冕而總幹,親在舞位所以教諸侯之弟也.如此則周道四達,禮樂交通.夫武之遲久,不亦宜乎.”
所以分夾而蚤進者、欲使事早成。久立於綴、以待諸侯之至也。今汝獨未聞牧野之語乎。武王克殷而反商之政、未及下車、則封黃帝之後於薊、封帝堯之後於祝、封帝舜之後於陳。下車又封夏后氏之後於杞、封殷之後於宋【武王伐殷封其子祿父。武王崩、祿父叛、周公誅之、封微子於宋為殷後。祿父不成殷後、故總言之】。封王子比干之墓、釋箕子之囚、使人行商容之復其位【商容商之禮容。其位故宅。傳者多以商容為殷賢人、或使箕子求商容。行如索求】。庶民弛政【解其力役之事】、庶士倍祿。既濟而西、馬散華山之陽而弗復乘、牛散桃林之野而不復服【桃林西塞】。車甲則釁而藏之諸府庫、以示弗復用。倒載干戈而包之以虎皮、將率之士、使為諸侯、命之鞬橐【言所以藏弓矢而不用者、將率之士力也、故以為諸侯、謂之鞬橐】。然後天下知武王不復用兵也。散軍而修郊射、左射以貍首、右射以騶虞、而貫革之射息也【左東學、右西學。貍首騶虞所以為節】。裨冕搢笏、而虎賁之士脫劍【袞冕之屬通謂裨冕。脫劍解劍】。郊祀后稷、而民知尊父焉。配明堂而民知孝焉。朝覲然後諸侯知所以臣。耕藉然後民知所以敬親【親耕藉田、以奉祠祀之粢盛】。六者天下之大教也。食三老五更於太學、天子袒而割牲、執醬而饋、執爵而酳【食畢飲酒曰酳】、冕而摠干、親在舞位、以教諸侯之弟也。如此則周道四達、禮樂交通。夫武之遲久、不亦宜乎。」
問玉第三十六
問玉第三十六
子貢問於孔子曰:“敢問君子貴玉而賤?何也?為玉之寡而?多歟?”?石似玉?眉巾反孔子曰:“非為玉之寡故貴之,?之多故賤之.夫昔者君子比德於玉,溫潤而澤,仁也;縝密以栗,智也;縝密緻塞貌栗堅也縝之忍反致直利反廉而不劌,義也;割而有廉隅而不割傷也劌呼外反垂之如墜,禮也.禮尚謙卑叩之,其聲清越而長,其終則詘然樂矣.詘斷絕貌似樂之息.詘曲勿反瑕不掩瑜,瑜不掩瑕,忠也;瑜其忠美者也孚尹旁達,信也;孚尹玉貌旁達言似者無不通氣如白虹,天也;精神見於山川,地也;精神本出山川是故地也圭璋特達,德也;天下莫不貴者,道也.詩云:‘言念君子,溫其如玉.’故君子貴之也.”
子貢問於孔子曰、「敢問君子貴玉而賤【底本此字殘缺、注文謂石似玉】、何也。為玉之寡而【底本此字殘缺】之多與。」【【底本此字殘缺】似玉之石、眉巾反】孔子曰、「非為玉之寡故貴、【底本此字殘缺】之多故賤。夫昔者君子比德於玉、溫潤而澤、仁也。縝密以栗、知也【縝密緻密、栗堅】。廉而不劌、義也【劌而有廉隅而不傷】。垂之如墜、禮也【禮尚謙卑】。叩之其聲清越而長、其終詘然樂也【詘斷絕貌、似樂之息】。瑕不掩瑜、瑜不掩瑕、忠也【瑜其中忠美】。孚尹旁達、信也【孚尹玉貌。旁達言似無不通】。氣如白虹、天也。精神見于山川、地也【精神本從山川出、故為地】。圭璋特達、德也。天下莫不貴者、道也。《詩》云、言念君子、溫其如玉。故君子貴之也。」
孔子曰:“入其國,其教可知也.其為人也,溫柔敦厚,詩教也;疏通知遠,書教也;廣博易良,樂教也;潔靜精微,易教也;恭儉莊敬,禮教也;屬辭比事,春秋教也.故詩之失愚,敦厚書之失誣,知遠之失樂之失奢,易之失賊,精微之失禮之失煩,春秋之失亂.屬辭比事之失其為人也,溫柔敦厚而不愚,則深於詩者矣;疏通知遠而不誣,則深於書者矣;廣博易良而不奢,則深於樂者矣;潔靜精微而不賊,則深於易者矣;恭儉莊敬而不煩,則深於禮者;屬辭比事而不亂,則深於春秋者矣.天有四時者,春夏秋冬,風雨霜露,無非教也;地載神氣,吐納雷霆,流形庶物,無非教也.清明在躬,氣志如神,清明之德在身也則其氣志如神也有物將至,其兆必先.物事也言有事將至必先有兆應之者也是故天地之教,與聖人相參.其在詩曰:‘嵩高惟嶽,峻極於天,惟嶽降神,生甫及申,嶽降神靈和氣生申甫之大功也惟申及甫,惟周之翰.’翰幹美其宗族世有大功於周甫侯相穆王制祥刑申伯佐宣王成德教四國於蕃,四方於宣,言能藩屏四國宣王德化於天下也此文武之德;言文武聖德篤佐周家正為先王良佐成中興之功矢其文德,協此四國,毛詩矢其文德矢陳協和此文王之德也.凡三代之王,必先其令問.詩云:‘明明天子,令問不已,三代之德也.’”令力正反下同
孔子曰、「入其國、其教可知也。其為人也、溫柔敦厚、詩教也。疏通知遠、書教也。廣博易良、樂教也。潔靜精微、易教也。恭儉莊敬、禮教也。屬辭比事、春秋教也。故詩之失愚【以敦厚】、書之失誣【以知遠】、樂之失奢、易之失賊【以精微】、禮之失煩、春秋之失亂【以屬辭比事】。其為人也、溫柔敦厚而不愚、則深於詩者也。疏通知遠而不誣、則深於書者也。廣博易良而不奢、則深於樂者也。潔靜精微而不賊、則深於易者也。恭儉莊敬而不煩、則深於禮者也。屬辭比事而不亂、則深於春秋者也。天有四時、春夏秋冬、風雨霜露、無非教也。地載神氣、吐納雷霆、流形庶物、無非教也。清明在躬、氣志如神【清明之德在身、則其氣志如神】。有物將至、其兆必先【物事。言有事將至必先有兆應之】。是故天地之教、與聖人相參。其在詩曰、嵩高惟嶽、峻極于天、惟嶽降神、生甫及申【嶽降神靈和氣、生申甫之大功】。惟申及甫、惟周之翰【翰干。美其宗族世有大功于周。甫侯佐穆王制祥刑、申伯佐宣王成德教】。四國于蕃、四方于宣【言能藩屏四國、宣王德化于天下】、此文武之德也【言文武聖德祐厚佐周家、正為先王良佐、成中興之功】。矢其文德、洽此四國【《毛詩》作矢其文德。矢陳、洽和、此文王之德】。凡三代之王、必先其令聞。詩云、明明天子、令聞不已、三代之德也。」
子張問聖人之所以教.孔子曰:“師乎,吾語汝,聖人明於禮樂,舉而措之而已.”子張又問,孔子曰:“師,爾以為必布几筵,揖讓升降,酌獻酬酢,然後謂之禮乎?爾以必行綴兆,執羽鑰,作鐘鼓,然後謂之樂乎?言而可履,禮也;行而可樂,樂也.綴知劣反樂上音洛下音嶽聖人力此二者,以躬己南面,是故天下太平,萬民順伏,百官承事,上下有禮也.夫禮之所以興,眾之所以治也;禮之所以廢,眾之所以亂也.目巧之室,則有隩阼,言目巧作室必有隩阼之位室西南隅謂之隩阼阼階也隩於到反席則有上下,車則有左右,行則並隨,立則有列序,古之義也.室而無隩阼,則亂於堂室矣;席而無上下,則亂於席次矣;亂於上席之次第車而無左右,則亂於車上矣;行而無並隨,則亂於階塗矣;升階塗無並隨則階塗亂列而無次序,則亂於著矣.著所立之位也門屏之間謂之著也昔者明王聖人,辯貴賤長幼,正男女內外,序親疏遠近,而莫敢相踰越者,皆由此塗出也.”
子張問聖人之所以教。孔子曰、「師乎、吾語汝。聖人明於禮樂、舉而措之而已。」子張又問、孔子曰、「師、爾以為必布几筵、揖讓升降、酌獻酬酢、然後謂之禮乎。爾以必綴兆、執羽籥、作鐘鼓、然後謂之樂乎。言而可履、禮也。行而可樂、樂也。聖人力此二者、以躬己南面、是故天下太平、萬民順伏、百官承事、上下有禮也。夫禮之所以興、衆之所以治也。禮之所以廢、衆之所以亂也。目巧之室則有奧阼【言目巧作室、必有奧阼之位。室西南隅曰奧。阼阼階】、席則有上下、車則有左右、行則有並隨、立則有序、古之義也。室而無奧阼、則亂於堂室矣。席而無上下、則亂於席次矣【亂於席之次第】。車而無左右、則亂於車上矣。行而無並隨、則亂於階塗矣【升階塗無並隨、則階塗亂】。列而無次序、則亂於著矣【著所立之位、門屏之間曰著】。昔者明王聖人、辯貴賤長幼、正男女外內、序親疏遠邇、而莫敢相踰越者、皆由此塗出也。」
屈節解第三十七
屈節解第三十七
子路問於孔子曰:“由聞丈夫居世,富貴不能有益於物,以道濟物不為身也處貧賤之地,而不能屈節以求伸,則不足以論乎人之域矣.”孔子曰:“君子之行己,期於必達於己.可以屈則屈,可以伸則伸.故屈節者,所以有待,待知求也求伸者,所以及時.及良時也是以雖受屈而不毀其節,志達而不犯於義.”合於義也乃行孔子在衛,聞齊國田常將欲為亂,專齊有無君之心也而憚鮑晏,鮑氏晏氏齊之卿大夫也因欲移其兵以伐魯.孔子會諸弟子而告之曰:“魯父母之國,不可不救,不忍視其受敵,今吾欲屈節于田常以救魯,二三子誰為使?”於是子路曰:“請往齊.”孔子弗許.子張請?,又弗許.子石請?,又弗許.三子退謂子貢曰:“今夫子欲屈節以救父母之國,吾三人請使而不獲?,此則吾子用辯之時也,吾子盍請行焉?”子貢請使,夫子許之.遂如齊,說田常曰:“今子欲收功於魯實難,不若移兵於吳則易.”易以豉反田常不悅,子貢曰:“夫憂在內者攻強,憂在外者攻弱,吾聞子三封而三不成,是則大臣不聽令,戰勝以驕主,破國以尊臣,鮑晏等率師若破國則益尊者也而子之功不與焉,則交日疏於主,而與大臣爭,如此則子之位危矣.”田常曰:“善,然兵甲已加魯矣,不可更,更音耕如何?
子路問於孔子曰、「由聞丈夫居世、富貴不能有益於物【以道濟物、不為身】、處貧賤之地、而不能屈節以求伸、則不足以論乎人之域矣。」孔子曰、「君子之行己、期於必達己。可以屈則屈、可以伸則伸。故屈節者、有所待【待知求】、求伸者、及時【及善時】。是以雖受屈而不毀其節、志達而不犯於義【合於義】。」孔子在衛、聞齊國田常將欲為亂【專齊有無君之心】、而憚鮑晏【鮑氏晏氏、齊之卿大夫】、因欲移其兵以伐魯。孔子會諸弟子而告之曰、「魯父母之國、不可不救、不忍視其受敵、今吾欲屈節於田常以救魯、二三子誰為使。」於是子路曰、「請往齊。」孔子弗許。子張請【底本此字殘缺】、弗許。子石請【底本此字殘缺】、弗許。三子退謂子貢曰、「今夫子欲屈節以救父母之國、吾三人請使而不獲【底本此字殘缺】、此則子用辯之時也、而子何不請行。」子貢請行、夫子許之。遂至齊、說田常曰、「今子欲收功於魯實難、不若移兵於吳則易。」田常不悅。子貢曰、「憂在內者攻強、憂在外者攻弱。吾聞子三封而三不成、是則大臣不聽令。戰勝以驕主、破國以尊臣【鮑晏等帥師若破國則益尊】、而子之功不與、則交日疏於主、而與大臣爭、如此則子之位危矣。」田常曰、「善、然兵甲已加魯矣、不可更、如何。
”子貢曰:“緩師,吾請於吳,令救魯而伐齊,子因以兵迎之.”田常許諾.子貢遂南說吳王曰:“王者不滅國,霸者無強敵,千鈞之重,加銖兩而移,今以齊國而私千乘之魯,與吾爭強,甚為王患之.且夫救魯以顯名,以撫泗上諸侯,泗水名也誅暴齊以服晉,利莫大焉,名存亡魯,實困強齊,智者不疑.”吳王曰:“善,然吳常困越,越王今苦身養士,有報吳之心,子待我先越,然後乃可.”子貢曰:“越之勁不過魯,吳之強不過齊,而王置齊而伐越,則齊必私魯矣,王方以存亡繼絕之名,棄齊而伐小越,非勇也,勇而不計難,難乃旦反仁者不窮約,智者不失時,義者不絕世,今存越示天下以仁,救魯伐齊,威加晉國,諸侯必相率而朝,霸業盛矣.且王必惡越,臣請見越君,令出兵以從,此則實害越而名從諸侯以伐齊.”吳王悅,乃遣子貢之越.越王郊迎,而自為子貢御,曰:“此蠻夷之國,大夫何足儼然辱而臨之?
子貢曰、「緩師、吾請於吳、令救魯而伐齊、子因以兵迎之。」田常許諾。子貢遂南說吳王曰、「王者不滅國、霸者無強敵。千鈞之重、加銖兩而移。今以齊國而私千乘之魯、與吾爭強、甚為王患之。且夫救魯以顯名、以撫泗上諸侯【泗水名】、誅暴齊以服晉、利莫大焉。名存亡魯、實困強齊、智者不疑。」吳王曰、「善、然吳常困越、越王今苦身養士、有報吳之心、子待我先越、然後乃可。」子貢曰、「越之勁不過魯、吳之強不過齊、而王置齊而伐越、則齊必私魯矣。王方以存亡繼絕之名、棄齊而伐小越、非勇也。勇而不避難、仁者不窮約、智者不失時、義者不絕世。今存越示天下以仁、救魯伐齊、威加晉國、諸侯必相率而朝、霸業盛矣。且王必惡越、臣請見越君、令出兵以從、此則實害越、而名從諸侯以伐齊。」吳王悅、乃遣子貢之越。越王郊迎、自為子貢御、曰、「此蠻夷之國、大夫何足儼然辱而臨之。
”子貢曰:“今者吾說吳王以救魯伐齊,說音稅其志欲之,而心畏越,曰:‘待我伐越而後可,則破越必矣.’且無報人之志,而令人疑之,拙矣,有報人之意,而使人知之,殆乎,事未發而先聞者,危矣,三者舉事之患矣.”勾踐頓首曰:“孤嘗不料力,而興吳難,難乃旦反受困會稽,痛於骨髓,日夜焦唇乾舌,徒欲與吳王接踵而死,孤之願也,今大夫幸告以利害.”子貢曰:“吳王為人猛暴,群臣不堪,國家疲弊,百姓怨上,大臣內變,申胥以諫死,申胥伍子胥也大宰嚭嚭吳王佞臣也嚭普鄙反用事,此則報吳之時也.王誠能發卒佐之,以邀邀激其志射其志,而重寶以悅其心,卑辭以尊其禮,則其伐齊必矣,此聖人所謂屈節求其達者也.彼戰不勝王之福,若勝,則必以兵臨晉,臣還北請見晉君共攻之,其弱吳必矣.銳兵盡於齊,重甲困於晉,而王制其弊焉.”越王頓首,許諾.子貢返五日,越使大夫文種,頓首言於吳王曰:“越悉境內之士三千人以事吳.”吳王告子貢曰:“越王欲身從寡人,可乎?”子貢曰:“悉人之率眾,又從其君,非義也.”吳王乃受越王卒,謝留勾踐.遂自發國內之兵以伐齊,敗之.子貢遂北見晉君,令承其弊,吳晉遂遇於黃池,越王襲吳之國,吳王歸與越戰,滅焉.孔子曰:“夫其亂齊存魯,吾之始願,若能強晉以弊吳,使吳亡而越霸者,賜之說之也.美言傷信,慎言哉.”孔子以哀公十六年卒吳以二十二年滅時吳知已將亡而言之也
子貢曰、「今吾以救魯伐齊說吳王、其心志欲而内畏越、曰待我伐越然後可、則破越必矣。且無報人之志而令人疑、拙也。有報人之意而使人知、殆也。事未發而先聞、危也。三者擧事之患。」勾踐頓首曰、「孤嘗不料力、而興吳難、受困會稽、痛入於骨髓、日夜焦脣乾舌、徒欲與吳王接踵而死、孤之願也、今大夫幸告以利害。」子貢曰、「吳王為人猛暴、群臣不堪、國家疲弊、百姓怨上、大臣內變、申胥以諫死【申胥伍子胥】、太宰嚭用事【嚭吳王佞臣】、此則報吳之時也。王誠能發兵佐之、以邀射其志【邀激其志】、而重寶以悅其心、卑辭以尊其禮、則其伐齊必矣。此聖人所謂屈節求其達者也。彼戰而不勝、則王之福也。若勝、則必以兵臨晉、臣還北請見晉君共攻之、其弱吳必矣。銳兵盡於齊、重甲困於晉、而王制其弊。」越王頓首許諾。子貢返、五日、越使大夫文種、頓首言於吳王曰、「越悉境內之士三千人以事吳。」吳王告子貢曰、「越王欲身從寡人、可乎。」子貢曰、「悉人之衆、又從其君、非義也。」吳王乃受越王卒、謝留勾踐。遂自發國內之兵以伐齊、敗之。子貢因北見晉君、令承其弊。吳晉遂遇於黃池、越王襲吳國、吳王歸與越戰、滅焉。孔子曰、「夫其亂齊存魯、吾之始願。若能強晉以弊吳、使吳亡而越霸、賜之說也。美言傷信、慎言哉。」【孔子哀公十六年卒、吳二十二年滅、時吳知將亡而云然】
孔子弟子有宓子賤者,仕於魯為單父宰,單音善恐魯君聽讒言,使己不得行其政,於是辭行,故請君之近史二人與之俱至官,宓子戒其邑吏,宓音密令二史書,方書輒掣其肘,書不善,則從而怒之,二史患之,辭請歸魯.宓子曰:“子之書甚不善,子勉而歸矣.”二史歸報於君曰:“宓子使臣書而掣肘,書惡而又怒臣,邑吏皆笑之,此臣所以去之而來也.”魯君以問孔子.子曰:“宓不齊,君子也,其才任霸王之佐,屈節治單父,將以自試也,意者以此為諫乎?”公寤,太息而嘆曰:“此寡人之不肖,寡人亂宓子之政,而責其善者,非矣,微二史,寡人無以知其過,微夫子,寡人無以自寤.”遽發所愛之使告宓子曰:“自今已?,單父非吾有也,從子之制,有便於民者,子決為之,五年一言其要.”宓子敬奉詔,遂得行其政,於是單父治焉.躬敦厚,明親親,尚篤敬,施至仁,加懇誠,致忠信,百姓化之.齊人攻魯,道由單父,單父之老請曰:“麥已熟矣,今齊寇至,不及人人自收其麥,請放民出,皆獲傳郭之麥,可以益糧,且不資於寇.”三請而宓子不聽.俄而齊寇逮於麥,季孫聞之怒,使人以讓宓子曰:“民寒耕熱耘,曾不得食,豈不哀哉?不知猶可,以告者而子不聽,非所以為民也.”宓子蹴然曰:“今茲無麥,明年可樹,若使不耕者獲,是使民樂有寇,樂音洛且得單父一歲之麥,於魯不加強,喪之不加弱,喪身浪反若使民有自取之心,其創必數世不息.”季孫聞之,赧然而愧曰:“地若可入,吾豈忍見宓子哉.”赧乃版反三年,孔子使巫馬期遠觀政焉.巫馬期陰免衣,衣弊裘,衣衣上知字下於既反入單父界,見夜漁者得魚輒舍之.舍音舍巫馬期問焉,曰:“凡漁者為得,何以得魚即舍之?
孔子弟子有宓子賤者、仕於魯、為單父宰、恐魯君聽讒言、令己不得行其政、於是辭行、故請君之近史二人與之俱至官。宓子戒其邑吏、令二史書、方書輒掣其肘、書不善、則從而怒。二史患之、辭請歸魯。宓子曰、「子之書甚不善、子勉而歸矣。」二史歸報於君曰、「宓子使臣書而掣肘、書惡而又怒臣、邑吏皆笑、此臣所以去之而來也。」魯君以問孔子。子曰、「宓不齊君子、其才任霸王之佐、屈節治單父、將以自試也、意者以此為諫乎。」公寤、太息曰、「此寡人之不肖。寡人亂宓子之政、而責其善者、非矣。微二史、寡人無以知其過。微夫子、寡人無以自寤。」遽發所愛之使告宓子曰、「自今已【底本此字殘缺】、單父非吾有也、從子之制、有便於民者、子決為之、五年一言其要。」宓子敬奉詔、於是得行其政、於是單父治焉。躬敦厚、明親親、尚篤敬、施至仁、加懇誠、致忠信、百姓化之。齊人攻魯、道由單父、單父之老請曰、「麥已熟矣、今齊寇至、不及人人自收其麥、請放民出、皆穫傅郭之麥、可以益糧、且不資於寇。」三請而宓子不聽。俄而齊寇逮于麥、季孫聞怒、使人以讓宓子曰、「民寒耕熱耘、曾不得食、豈不哀哉。不知猶可、以告而子不聽、非為民也。」宓子蹴然曰、「今茲無麥、明年可樹。若使不耕者獲、是使民樂有寇。且得單父一年之麥、於魯不加強、喪之不加弱。若使民有自取之心、其創必數世不息。」季孫聞之、赧然而愧曰、「地若可入、吾豈忍見宓子哉。」三年、孔子使巫馬期遠觀政焉。巫馬期陰去衣、以敝裘、入單父界、見夜漁者得魚輒舍之。巫馬期問焉、曰、「凡漁者為得、何以得魚即舍之。
”漁者曰:“魚之大者名為●,吾大夫愛之,其小者名為鱦,●宜為鱣新序作鱨鮑魚之懷任之者也.鱦戈證反吾大夫欲長之,是以得二者,輒舍之.”巫馬期返,以告孔子曰:“宓子之德,至使民闇行,若有嚴刑于旁,敢問宓子何行而得於是?”孔子曰:“吾嘗與之言曰:‘誠於此者刑乎彼.’宓子行此術於單父也.”
漁者曰、「魚之大者名為【底本此字為生僻字、轉錄後失落】【宜為鱣、《新序》作鱿】、吾大夫愛之。其小者名為鱦【懷孕之鮑魚】、吾大夫欲長之、是故得二者輒舍之。」巫馬期返、以告孔子曰、「宓子之德、至使民闇行、若有嚴刑於旁。敢問宓子何行而得於是。」孔子曰、「吾嘗與之言曰、誠於此者刑乎彼。宓子行此術於單父也。」
孔子之舊曰原壤,其母死,夫子將助之以沐槨.子路曰:“由也,昔者聞諸夫子曰:‘無友不如己者,過則勿憚改.’夫子憚矣,姑已若何?”姑且也已止也孔子曰:“凡民有喪,匍匐救之,況故舊乎非友也,吾其?.”及為槨,原壤登木曰:“久矣予之不託於音也.”遂歌曰:“狸首之班然,執女手之卷然.女音汝夫子為之隱,佯不聞以過之.”子路曰:“夫子屈節而極於此,失其與矣,豈未可以已乎?”孔子曰:“吾聞之親者不失其為親也,故者不失其為故也.”
孔子之舊曰原壤、其母死、夫子將助以沐椁。子路曰、「由也昔聞諸夫子、無友不如己者、過則勿憚改。夫子憚矣、姑已若何。」【姑且、已止】孔子曰、「凡民有喪、匍匐救之、況故舊乎。非友也、吾其【底本此字殘缺】。」及為椁、原壤登木曰、「久矣予之不託於音也。」遂歌曰、「狸首之斑然、執女手之卷然。」夫子為之隱、佯不聞以過之。子路曰、「夫子屈節而極於此、失其與矣、豈未可以已乎。」孔子曰、「吾聞之、親者不失其為親也、故者不失其為故也。」
孔子家語 巻九
七十二弟子解第三十八
七十二弟子解第三十八
顏回,魯人,字子淵,年二十九而發白,三十一早死.孔子曰:“自吾有回,門人日益親.”回之德行著名,孔子稱其仁焉.
顏回、魯人、字子淵、年二十九髮白、三十一早死。孔子曰、「自吾有回、門人日益親。」回之德行著名、孔子稱其仁焉。
閔損,魯人,字子騫,以德行著名,孔子稱其孝焉.
閔損、魯人、字子騫、以德行著名、孔子稱其孝焉。
冉耕,魯人,字伯牛,以德行著名,有惡疾,孔子曰:“命也夫.”
冉耕、魯人、字伯牛、以德行著名、有惡疾、孔子曰、「命也夫。」
冉雍,字仲弓,伯牛之宗族,生於不肖之父,以德行著名.
冉雍、字仲弓、伯牛之宗族、生於不肖之父、以德行著名。
宰予,字子我,魯人,有口才著名.
宰予、字子我、魯人、有口才著名。
端木賜,字子貢,衛人,有口才著名.
端木賜、字子貢、衛人、有口才著名。
冉求,字子有,仲弓之族,有才藝,以政事著名.
冉求、字子有、仲弓之宗族、有才藝、以政事著名。
仲由,弁人,字子路,有勇力才藝,以政事著名.
仲由、弁人、字子路、有勇力才藝、以政事著名。
言偃,魯人,字子游,以文學著名.
言偃、魯人、字子游、以文學著名。
卜商衛人,無以尚之,嘗返衛見讀史志者云:“晉師伐秦,三豕渡河.”子夏曰:“非也,己亥耳.”讀史志曰:“問諸晉史果曰己亥.”於是衛以子夏為聖.孔子卒後,教於西河之上,魏文侯師事之,而諮國政焉.
卜商、衛人、無以尚之。嘗返衛、見讀史志者云、「晉師伐秦、三豕渡河。」子夏曰、「非也、己亥耳。」讀史志者問諸晉史、果曰己亥。於是衛以子夏為聖。孔子卒後、教於西河之上、魏文侯師事之、而諮國政焉。
顓孫師,陳人,字子張,少孔子四十八歲.為人有容貌,資質寬?,博接從容自務居,不務立於仁義之行,子張不侮鰥寡性凱悌寬?故子貢以為未仁然不務立仁義之行故子貢激之以為未仁也孔子門人友之而弗敬.
顓孫師、陳人、字子張、少孔子四十八歲。為人有容貌、資質寬【底本此字殘缺】、博接從容自務居、不務立於仁義之行【子張不侮矜寡、性和樂寬【底本此字殘缺】、故子貢以為未仁。然不務立仁義之行、故子貢激之云未仁也】。孔子門人友之而弗敬。
曾參,南武城人,字子輿,少孔子四十六歲.志存孝道,故孔子因之以作孝經.齊嘗聘欲與為卿而不就,曰:“吾父母老,食人之祿,則憂人之事,故吾不忍遠親而為人役.”參後母遇之無恩,而供養不衰,及其妻以藜烝不熟,因出之.人曰:“非七出也.”參曰:“藜烝小物耳,吾欲使熟而不用吾命,況大事乎.”遂出之,終身不取妻.其子元請焉,告其子曰:“高宗以後妻殺孝已,尹吉甫以後妻放伯奇,吾上不及高宗,中不比吉甫,庸知其得免於非乎.”
曾參、南武城人、字子輿、少孔子四十六歲。志存孝道、故孔子因之以作《孝經》。齊嘗聘欲與為卿、而不就、曰、「吾父母老、食人之祿、則憂人之事、故不忍遠親而為人役。」參後母遇之無恩、而供養不衰。及其妻以藜烝不熟、因出之。人曰、「非七出也。」參曰、「藜烝小物耳、吾欲使熟而不用吾命、況大事也。」遂出之、終身不娶妻。其子元請焉、告其子曰、「高宗以後妻殺孝己、尹吉甫以後妻放伯奇。吾上不及高宗、中不比吉甫、庸知其得免於非乎。」
澹臺滅明,武城人,字子羽,少孔子四十九歲,有君子之姿.孔子嘗以容貌望其才,其才不充孔子之望.然其為人,公正無私,以取與去就,以諾為名,仕魯為大夫也.
澹臺滅明、武城人、字子羽、少孔子四十九歲、有君子之姿。孔子嘗以容貌望其才、其才不充孔子之望。然其為人公正無私、以取與去就以諾為名、仕魯為大夫也。
高柴,齊人,高氏之別族,字子羔,少孔子四十歲,長不過六尺,狀貌甚惡.為人篤孝而有法正,少居魯,見知名於孔子之門,仕為武城宰.
高柴、齊人、高氏別族、字子羔、少孔子四十歲、長不過六尺、狀貌甚惡。為人篤孝而有法正、少居魯、見知名於孔子之門、仕為武城宰。
宓不齊,魯人,字子賤,少孔子四十九歲.仕為單父宰,有才智,仁愛百姓不忍欺,孔子大之.
宓不齊、魯人、字子賤、少孔子四十九歲。仕為單父宰、有才智、仁愛百姓、不忍欺、孔子美之。
樊須,魯人,字子遲,少孔子四十六歲,弱仕於季氏.
樊須、魯人、字子遲、少孔子四十六歲、少仕於季氏。
有若,魯人,字子有,少孔子三十六歲.為人強識,好古道也.
有若、魯人、字子有、少孔子三十六歲。為人強識、好古道也。
公西赤,魯人,字子華,少孔子四十二歲.束帶立朝,閒賓主之儀.
公西赤、魯人、字子華、少孔子四十二歲。束帶立朝、閑賓主之儀。
原憲,宋人,字子思,少孔子三十六歲.清淨守節,貧而樂道,孔子為魯司寇,原憲嘗為孔子宰.孔子卒後,原憲退隱,居於衛.
原憲、宋人、字子思、少孔子三十六歲。清淨守節、貧而樂道。孔子為魯司寇、原憲嘗為孔子宰。孔子卒、原憲退隱、居于衛。
公冶長,魯人,字子長,為人能忍恥,孔子以女妻之.
公冶長、魯人、字子長、為人能忍恥、孔子以女妻之。
南宮韜,魯人,字子容,以智自將,世清不廢,世濁不洿,孔子以兄子妻之.
南宮韜、魯人、字子容、以智自將、世清不廢、世濁不污、孔子以兄子妻之。
公析哀,齊人,字季沉,鄙天下多仕於大夫家者,是故未嘗屈節人臣.孔子特嘆貴之.
公析哀、齊人、字季沉、鄙天下多仕於大夫家者、是故未嘗屈節人臣。孔子特嘆貴之。
曾點,曾參父,字子皙,疾時禮教不行,欲修之,孔子善焉.論語所謂浴乎沂,風平舞雩之下.
曾點、曾參父、字子皙、疾時禮教不行、欲修之、孔子善焉。《論語》所謂浴乎沂、風乎舞雩之下。
顏由,顏回父,字季路,孔子始教學於闕里而受學,少孔子六歲.
顏由、顏回父、字季路、孔子始教學於闕里而受學、少孔子六歲。
商瞿,魯人,字子木,少孔子二十九歲.特好易,孔子傳之志焉.
商瞿、魯人、字子木、少孔子二十九歲。特好易、孔子傳志焉。
漆雕開,蔡人,字子若,少孔子十一歲,習尚書,不樂仕.孔子曰:“子之齒可以仕矣,時將過.”子若報其書曰:“吾斯之未能信.”言未能明信此書意孔子悅焉.
漆雕開、蔡人、字子若、少孔子十一歲、習尚書、不樂仕。孔子曰、「子之齒可以仕矣、時將過。」子若報其書曰、「吾斯之未能信。」【言未能明信此書之意】孔子悅也。
公良儒,陳人,字子正,賢而有勇.孔子周行,常以家車五乘從.
公良儒、陳人、字子正、賢而有勇。孔子周行、常以家車五乘從。
秦商,魯人,字不慈,少孔子四歲.其父菫父,父音甫與孔子父叔梁紇俱力聞.
秦商、魯人、字不慈、少孔子四歲。其父菫父、與孔子父叔梁紇俱以力聞。
顏刻,魯人,字子驕,少孔子五十歲.孔子適衛,子驕為僕,衛靈公與夫人南子同車出,而令宦者雍梁參乘,使孔子為次乘,遊過市,孔子恥之.顏刻曰:“夫子何恥之?”孔子曰:“詩云:‘覯爾新婚,以慰我心.’”慰安乃嘆曰:“吾未見好德如好色者也.”
顏刻、魯人、字子驕、少孔子五十歲。孔子適衛、子驕為僕。衛靈公與夫人南子同車出、而令宦者雍梁參乘、使孔子為次乘、遊過市、孔子恥之。顏刻曰、「夫子何恥之。」孔子曰、「《詩》云、覯爾新婚、以慰我心。」【慰安】乃嘆曰、「吾未見好德如好色者也。」
司馬黎耕,宋人,字子牛.牛為性躁,好言語,見兄桓魋行惡,牛常憂之.
司馬黎耕、宋人、字子牛。牛性躁、好言語、見兄桓魋行惡、牛常憂。
巫馬期,陳人,字子期,少孔子三十歲.孔子將近行,命從者皆持蓋,已而果雨.巫馬期問曰:“旦無云,既日出,而夫子命持雨具,敢問何以知之?”孔子曰:“昨暮月宿畢,詩不云乎:‘月離於畢俾滂沱矣.’以此知之.”
巫馬期、陳人、字子期、少孔子三十歲。孔子將行、命從者皆持蓋、已而果雨。巫馬期問曰、「旦無雲、既日出、而夫子命持雨具、敢問何以知之。」孔子曰、「昨暮月宿畢、《詩》不云乎、月離于畢、俾滂沱矣。以此知之。」
梁鱣,齊人,字叔魚,少孔子三十九歲.年三十未有子,欲出其妻.商瞿謂曰:“子未也,昔吾年三十八無子,吾母為吾更取室,夫子使吾之齊,母欲請留吾,夫子曰:‘無憂也,瞿過四十,當有五丈夫.’今果然,吾恐子自晚生耳,未必妻之過.”從之,二年而有子.
梁鱣、齊人、字叔魚、少孔子三十九歲。年三十未有子、欲出其妻。商瞿謂曰、「子未也。昔吾年三十八無子、吾母為吾更取室、夫子使吾至齊、母欲請留吾、夫子曰、無憂、瞿過四十、當有五丈夫。今果然。吾恐子自晚生耳、未必妻之過。」從之、二年而有子。
琴牢,衛人,字子開,一字張.與宗魯友,聞宗魯死,欲?弔焉,孔子弗許,曰:“非義也.”
琴牢、衛人、字子開、一字張。與宗魯為友、聞宗魯死、欲往【底本此字殘缺】弔、孔子弗許、曰、「非義也。」
冉儒,魯人,字子魚,少孔子五十歲.
冉儒、魯人、字子魚、少孔子五十歲。
顏辛,魯人,字子柳,少孔子四十六歲.
顏辛、魯人、字子柳、少孔子四十六歲。
伯虔,字楷,少孔子五十歲.
伯虔、字楷、少孔子五十歲。
公孫寵,衛人,字子石,少孔子五十三歲.
公孫寵、衛人、字子石、少孔子五十三歳。
曹?,少孔子五十歲.
曹【底本此字殘缺】、少孔子五十歳。
陳亢,陳人,字子亢,一字子禽,少孔子四十歲.
陳亢、陳人、字子亢、一字子禽、少孔子四十歳。
叔仲會,魯人,字子期,少孔子五十歲,與孔琁年相比,每孺子之執筆記事於夫子,二人迭侍左右.孟武伯見孔子而問曰:“此二孺子之幼也,於學豈能識於壯哉?”孔子曰:“然少成則若性也,習慣若自然也.”
叔仲會、魯人、字子期、少孔子五十歳、與孔琁年相近、每幼童子之執筆記事於夫子者、二人迭侍左右。孟武伯見孔子而問曰、「此二童子之幼也、於學豈可識於壯乎。」孔子曰、「然、少成則若性也、習慣若自然也。」
秦祖,字子南.
秦祖、字子南。
奚蒧,字子偕.
奚蒧、字子偕。
公祖茲,字子之.
公祖兹、字子之。
廉潔,字子曹.
廉潔、字子曹。
公西與,字子上.
公西與、字子上。
宰父黑,字子黑.
宰父黑、字子黑。
公西減,字子尚.
公西減、字子尚。
穰駟赤,字子從.
穰駟赤、字子從。
冉季,字子產.
冉季、字子產。
薛邦,字子從.
薛邦、字子從。
石處,字裡之.
石處、字里之。
懸亶,字子象.
懸亶、字子象。
左郢,字子行.
左郢、字子行。
狄黑,字哲之.
狄黑、字哲之。
商澤,字子秀.
商澤、字子秀。
任不齊,字子選.
任不齊、字子選。
榮祈,字子祺.
榮祈、字子祺。
顏噲,字子聲.
顏噲、字子聲。
原桃,字子籍.
原桃、字子籍。
公肩,字子仲.
公肩、字子仲。
秦非,字子之.
秦非、字子之。
漆雕從,字子文.
漆雕從、字子文。
燕級,字子思.
燕級、字子思。
公夏守,字子乘.
公夏守、字子乘。
勾井疆,字子疆.
勾井疆、字子疆。
步叔乘,字子車.
步叔乘、字子車。
石子蜀,字子明.
石子蜀、字子明。
邽選,字子飲.
邽選、字子飲。
施之常,字子常.
施之常、字子常。
申績,字子周.
申績、字子周。
樂欣,字子聲.
樂欣、字子聲。
顏之僕,字子叔.
顏之僕、字子叔。
孔弗,字子蔑.孔子兄弟
孔弗、字子蔑。孔子之兄。
漆雕侈,字子歛.
漆雕侈、字子斂。
懸成,字子橫.
懸成、字子橫。
顏相,字子襄.
顏相、字子襄。
右件夫子七十二人,弟子皆升堂入室者.
右件夫子七十二人、弟子皆升堂入室者。
本姓解第三十九
本姓解第三十九
孔子之先,宋之後也,微子啟帝乙之元子,紂之庶兄,以圻內諸侯入為王卿士.微國名,子爵.初武王克殷,封紂之子武庚於朝歌,使奉湯祀.武王崩而與管蔡霍三叔作難,周公相成王東征之,二年,罪人斯得,乃命微子於殷.後作微子之命,由之與國於宋,徙殷之子孫,唯微子先?仕周,故封之賢.其弟曰仲思,名衍,或名洩,嗣微之後,故號微仲,生宋公稽胄子,雖遷爵易位,而班級不及其故者,得以故官為稱,故二微雖為宋公,而猶以微之號自終,至於稽乃稱公焉.宋公生丁公申,申公生緡公共,及襄公熙,熙生弗父何,及厲公方祀,方祀以下,世為宋卿.弗父何生宋父周,周生世子勝,勝生正考甫,考甫生孔父嘉,五世親盡,別為公族,故後以孔為氏焉.一曰孔父者,生時所賜號也,是以子孫遂以氏族.孔父生子木金父,金父生睪夷,睪夷生防叔,避華氏之禍而奔魯.方叔生伯夏,伯夏生叔梁紇,曰雖有九女,是無子.其妾生孟皮,孟皮一字伯尼,有足病,於是乃求婚於顏氏.顏氏有三女,其小曰徵在,顏父問三女曰:“陬大夫雖父祖為士,然其先聖王之裔,今其人身長十尺,武力絕倫,吾甚貪之,雖年長性嚴,不足為疑,三子孰能為之妻?”二女莫對,徵在進曰:“從父所制,將何問焉.”父曰:“即爾能矣.”遂以妻之.徵在既?廟見,以夫之年大,懼不時有勇,而私禱尼丘之山以祈焉,生孔子,故名丘,字仲尼.孔子三歲而叔梁紇卒,葬於防.至十九,娶於宋之亓官氏,一歲而生伯魚,魚之生也,魯昭公以鯉魚賜孔子,榮君之貺,故因以名曰鯉,而字伯魚,魚年五十,先孔子卒.
孔子之先、宋之後也。微子啟、帝乙之元子、紂之庶兄、以圻內諸侯入為王卿士【微國名、子爵】。武王克殷、封紂之子武庚於朝歌、使奉湯祀。武王崩、而與管蔡霍三叔作難、周公相成王東征之、二年罪人斯得、乃命微子於殷後、作《微子之命》、由之與國於宋、徙殷之子孫、唯微子先往仕周、故封之賢。其弟曰仲思、名衍、或名泄、嗣微之後、故號微仲、生宋公稽。胄子雖遷爵易位、而班級不及其故者、得以故官為稱。故二微雖為宋公、猶用微號至於終。次稽生丁公申、申生緡公共及襄公熙、熙生弗父何及厲公方祀、方祀以下世為宋卿。弗父何生宋父周、周生世子勝、勝生正考甫、考甫生孔父嘉、五世親盡、別為公族、故後以孔為氏焉。一曰孔父者、生時所賜號也、是以子孫遂以氏族。孔父生子木金父、金父生睪夷、睪夷生防叔、避華氏之禍而奔魯。防叔生伯夏、伯夏生叔梁紇。曰雖有九女、是無子。其妾生孟皮、孟皮一字伯尼、有足病、於是乃求婚於顏氏。顏氏有三女、其小曰徵在。顏父問三女曰、「陬大夫雖父祖為士、然其先聖王之裔。今其人身長十尺、武力絕倫、吾甚貪之。雖年長性嚴、不足為疑、三子孰能為之妻。」二女莫對、徵在進曰、「從父所制、將何問焉。」父曰、「即爾能矣。」遂以妻之。徵在既往【底本此字殘缺】廟見、以夫之年大、懼不時有男、而私禱尼丘之山、以祈焉、生孔子、故名丘、字仲尼。孔子三歳、而叔梁紇卒、葬於防。至十九娶於宋之亓官氏、一歳而生伯魚。魚之生也、魯昭公以鯉魚賜孔子、榮君之貺、故名因曰鯉、而字伯魚。魚年五十、先孔子卒。
齊太史子與適魯,見孔子,孔子與之言道.子與悅曰:“吾鄙人也,聞子之名,不睹子之形久矣,而求知之寶貴也,乃今而後知泰山之為高,淵海之為大,惜乎夫子之不逢明王,道德不加於民,而將垂寶以貽後世.”遂退而謂南宮敬叔曰:“今孔子先聖之嗣,自弗父何以來,世有德讓,天所祚也.成湯以武德王天下,其配在文,殷宗以下,未始有也,孔子生於衰周,先王典籍,錯亂無紀,而乃論百家之遺記,考正其義,祖述堯舜,憲章文武,刪詩述書,定禮理樂,製作春秋,贊明易道,垂訓後嗣,以為法式,其文德著矣.然凡所教誨,束脩已上,三千餘人,或者天將欲與素王之乎,夫何其盛也.”敬叔曰:“殆如吾子之言,夫物莫能兩大,吾聞聖人之後,而非繼世之統,其必有興者焉.今夫子之道至矣,乃將施之無窮,雖欲辭天之祚,故未得耳.”子貢聞之,以二子之言告孔子.子曰:“豈若是哉?亂而治之,滯而起之,自吾志,天何與焉.”
齊太史子與適魯、見孔子、孔子與之道。子與悅曰、「吾鄙人也、聞子之名、不睹子之形久矣、而求知之寶也。自今而後、知泰山之為高、淵海之為大。惜乎夫子之不逢明王、道德不加於民、而將垂寶以貽後世。」遂退而謂南宮敬叔曰、「今孔子先聖之嗣、自弗父何以來、世有德讓、天所祚也。成湯以武德王天下、其配在文、殷宗以下、未始有也。孔子生於衰周、先王典籍、錯亂無紀、而乃論百家之遺記、考正其義、祖述堯舜、憲章文武、刪詩述書、定禮理樂、制作春秋、讚明易道、垂訓後嗣、以為法式、其文德著矣。然凡所教誨、束脩已上、三千餘人、或者天將欲與素王之乎、夫何其盛也。」敬叔曰、「殆如吾子之言、夫物莫能兩大。吾聞聖人之後、而非繼世之統、其必有興者焉。今夫子之道至矣、乃將施之無窮、雖欲辭天之祚、故未得耳。」子貢聞之、以二子之言告孔子。子曰、「豈若是哉。亂而治之、滯而起之、自吾志、天何與焉。」
終記解第四十
終記解第四十
孔子蚤晨作,作起負手曳杖,逍遙於門,而歌曰:“泰山其頹乎!梁木其壞乎!梁木木主為梁者?人其萎乎!”萎頓既歌而入,當戶而坐.子貢聞之曰:“泰山其頹,則吾將安仰;梁木其壞,吾將安杖;?人其萎,吾將安放.放法.放去聲夫子殆將病也.”遂趨而入.夫子嘆而言曰:“賜,汝來何遲.予疇昔夢坐奠於兩楹之間,疇昔猶近昨夜兩楹之間殷人所殯處而具奠於殯處故自知死也夏后氏殯於東階之上,則猶在阼,殷人殯於兩楹之間,即與賓主夾之,殯於西階之上,則猶賓之,而丘也即殷人,夫明王不興,則天下其孰能宗餘,言天下無明主莫能宗己道臨終其有命傷道之不行也餘逮將死.”遂寢病,七日而終,時年七十二矣.哀公誄曰:“昊天不弔,不憖遺一老,吊善也憖願且一老孔子也.憖魚僅切俾屏餘一人以在位,煢煢餘在疚,疚病於乎哀哉!尼父無自律.”父丈夫之顯稱律法言無以自為法子貢曰:“公其不沒於魯乎?
孔子蚤晨作【作起】、負手曳杖、消搖於門、歌曰、「泰山其頹乎。梁木其壞乎【梁木衆所放】。【底本此字殘缺】人其萎乎【萎頹頓】。」既歌而入、當戶而坐。子貢聞之曰、「泰山其頹、則吾將安仰。梁木其壞、則吾將安杖。【底本此字殘缺】人其萎、則吾將安放【放法】。」夫子殆將病也。遂趨而入。夫子歎而言曰、「賜、汝來何遲。予疇昔之夜夢坐奠於兩楹之間【疇昔猶近昨夜。兩楹之間、殷人所殯處、於殯處設奠、故自知將死】。夏后氏殯於東階之上、則猶在阼。殷人殯於兩楹之間、即與賓主夾之。周人殯於西階之上、則猶賓之。而丘也即殷人。夫明王不興、則天下其孰能宗余【言天下無明主、莫能宗己道、終臨有命、傷道之不行】、余逮將死。」遂寢病、七日而終、時年七十二矣。哀公誅曰、「昊天不弔、不憖遺一老【弔善、憖願、一老孔子】、俾屏余一人以在位、煢煢余在疚【疚病】、於乎哀哉。尼父無自律【父丈夫之顯稱、律法、無足以自為法】。」子貢曰、「公其不沒於魯乎。
夫子有言曰‘禮失則昏,名失則愆,失志為昏,失所為愆,生不能用,死而誄之,非禮也.稱一人非名,一人天子之稱也君兩失之矣.’”既卒,門人所以服夫子者,子貢曰:“昔夫子之喪顏回也,若喪其子而無服,喪子路亦然,今請喪夫子如喪父而無服.”於是弟子皆吊服而加麻,出有所之,則由絰.子夏曰:“入宜絰可居,出則不絰.”子游曰:“吾聞諸夫子喪朋友,居則絰,出則否,喪所尊雖絰,而出可也.”孔子之喪,公西掌殯葬焉,唅以疏米三貝,疏粳米禮記曰稻曰嘉疏絰徒結反襲衣十有一稱,加朝服一,冠章甫之冠,佩象環,徑五寸而●組綬,●雜色組綬所以系象環.●巨箕反組則古反桐棺四寸,柏棺五寸,飭廟置翣,設披周也,設崇殷也,綢練設旐夏也,披樞行夾引棺者崇崇牙旌旗飾綢練以旌之杜於葬乘車所建也疏練廣克長尋曰旐也.翣色甲反綢直留反兼用三王禮,所以尊師且備古也,葬於魯城北泗水上,藏入地,不及泉而封,為偃斧之形,高四尺,樹松柏為志焉.弟子皆家於墓,行心喪之禮.既葬,有自燕來觀者,舍於子夏氏,子貢謂之曰:“吾亦人之葬,聖人非聖人之葬,人子奚觀焉.昔夫子言曰:‘見吾封若夏屋者,夏屋今之殿形中高而四方下也見若斧矣,從若斧者也,上難登狹又易為功馬●,封之謂也.’俗間之名.●力葉反又作鬣今徒一日三斬板而以封,板蓋廣二尺長六尺斬板謂斬其縮縮斬上傍殺蓋高四尺也尚行夫子之志而已,尚庶何觀乎哉?”二三子三年喪畢,或留或去,惟子貢廬於墓六年.自後群弟子及魯人處於墓如家者百有餘家,因名其居曰孔裡焉.
夫子有言曰、「禮失則昏、名失則愆。失志為昏、失所為愆。生不能用、死而誅之、非禮也。稱一人非名【一人天子之稱】、君兩失之矣。」既卒、門人疑所以服夫子者、子貢曰、「昔夫子之喪顏回也、若喪其子而無服、喪子路亦然。今請喪夫子如喪父而無服。」於是弟子皆弔服而加麻、出有所之則由經。子夏曰、「入宜經可居、出則不經。」子游曰、「吾聞諸夫子、喪朋友、居則經、出則否。喪所尊、雖經、出可也。」孔子之喪、公西掌殯葬焉。唅以疏米三貝【疏粳米、《禮記》云稻曰嘉疏】、襲衣十有一稱、加朝服一、冠章甫之冠、佩象環、徑五寸而【底本此字為生僻字、轉錄後失落】組綬【【底本此字為生僻字、轉錄後失落】雜色、組綬以係象環】、桐棺四寸、柏椁五寸、飭廟置翣、設披周也、設崇殷也、綢練設旐夏也【披柩行夾引棺者。崇崇牙旌旗之飾。綢練以旌之。旐葬乘車所建。疏練袥縯長八尺曰旐】。兼用三王禮、所以尊師且備古也。葬於魯城北泗水上、藏入地不及泉而封、為偃斧之形、高四尺、樹松柏為志焉。弟子皆家於墓、行心喪之禮。既葬、有自燕來觀者、舍於子夏氏。子貢謂之曰、「吾亦人之葬聖人、非聖人之葬人、子奚觀焉。昔夫子言曰、見吾封若夏屋者【夏屋今之殿形、中高而四方下】、見若斧矣、從若斧者也、上難登、狹又易為功、馬【底本此字為生僻字、轉錄後失落】、封之謂也【人閒之稱】。今一日而三斬板以封【板廣二尺長六尺。斬板謂斬其繩、斬上旁殺、蓋高四尺】、幾行夫子之志而已、尚何觀哉。」弟子三年之喪畢、或留或去、惟子貢廬於墓六年。自爾群弟子及魯人處於墓如家者、百有餘家、因名其居曰孔里焉。
正論解第四十一
正論解第四十一
孔子在齊,齊侯出田,田獵招虞人以旌不進,虞人掌山澤之官也公使執之對曰:“昔先君之田也,旌以招大夫,弓以招士,皮冠以招虞人,臣不見皮冠,故不敢進,乃舍之.”孔子聞之曰:“善哉守道不如守官,道為恭敬之道見君召便?守官非守召不?也君子韙之.”韙是
孔子在齊、齊侯出田、招虞人以旌、虞人不進【虞人掌山澤之官】。公使人執之、對曰、「昔先君之田、旌以招大夫、弓以招士、皮冠以招虞人。臣不見皮冠、故不敢進。」乃舍之。孔子聞之曰、「善哉、守道不如守官【道恭敬之道、見君召則【底本此字殘缺】。守官不守、召不【底本此字殘缺】】。」君子韙之。
齊國師伐魯,國師齊卿季康子使冉求率左師御之,樊遲為右,非不能也,不信子,言季孫德不素著為民所信也請三刻而踰之,與眾要信三刻而踰蒲也如之,眾從之,師入齊軍,齊軍遁,遁逃冉有用戈,故能入焉.孔子聞之曰:“義也.”在軍能卻敵合於義既戰,季孫謂冉有曰:“子之於戰,學之乎?性達之乎?”對曰:“學之.”季孫曰:“從事孔子,惡乎學?”冉有曰:“即學之孔子也.夫孔子者,大聖無不該,該包文武並用、兼通,求也適聞其戰法,猶未之詳也.”季孫悅,樊遲以告孔子.孔子曰:“季孫於是乎可謂悅人之有能矣.”
齊國書伐魯、季康子使冉求率左師禦之、樊遲為右【不能信也、疑其不能用汝。言季孫之德素不著於民、不為民所信】。帥不踰溝約三刻而踰之【與衆要信、三刻而踰溝】、衆從之、師入齊軍、齊軍遁。冉有用戈、故能入焉。孔子聞之曰、「義也。」【在軍能卻敵、合義】既戰、季孫謂冉有曰、「子之於戰、學之乎、性達之乎。」對曰、「學之。」季孫曰、「從事孔子、惡夫學。」冉有曰、「即學於孔子者。孔子大聖、無不該、文武並用兼通。求也適聞其戰法、猶未詳。」季孫悅。樊遲以告孔子。孔子曰、「季孫於是事、可謂悅人之有能矣。」
南容說仲孫何忌既除喪,除父禧子之喪而昭公在外,時為季孫所逐未之命也.未命二人為卿大夫定公即位,乃命之,辭曰:“先臣有遺命焉,僖子病不知禮及其將死而屬其二子使事孔子曰:‘夫禮,人之幹也,非禮則無以立.’囑家老使命二臣,必事孔子而學禮,以定其位.”公許之.二子學於孔子.孔子曰:“能補過者,君子也.詩云,君子是則是效,孟僖子可則效矣,懲己所病,以誨其嗣,大雅所謂詒厥孫謀,以燕翼子,是類也夫.”詒遺也燕安也翼敬也言遺其子孫加謀學安敬之道也
南容說仲孫何忌既除喪【除父僖子之喪】、而昭公在外【時為季孫所逐】、未之命也【未命二人為卿大夫】。定公即位、乃命之、辭曰、「先臣有遺命焉【僖子病不知禮、死而囑其二子事孔子】、曰禮人之幹也、無禮無以立。囑家老使命二臣必事孔子而學禮、以定其位。」公許之。二子學於孔子。孔子曰、「能補過者、君子也。《詩》云、君子是則是傚、孟僖子可則傚矣。懲己所病、以誨其嗣、《大雅》所謂詒厥孫謀、以燕翼子、是也類焉。」【詒遺、燕安、翼敬。言遺其子孫加之以學謀安敬之道】
衛孫文子得罪於獻公,居戚,文子衛卿林父得罪以戚叛也公卒未葬,文子擊鐘焉.延陵季子吳公子札適晉,過戚聞之曰:“異哉!夫子之在此,猶燕子巢於幕也,燕巢於幕言至危也懼猶未也,又何樂焉?君又在殯,可乎?”文子於是終身不聽琴瑟.孔子聞之曰:“季子能以義正人,文子能克己服義,可謂善改矣.”
衛孫文子得罪於獻公、居戚【文子衛卿林父、得罪而據戚叛】。公卒未葬、文子擊鍾焉。延陵季子適晉【吳公子札】、過戚聞之、曰、「異哉、夫子之在此、猶燕巢于幕【燕巢幕、言至危】、懼猶不足、而又何樂。君又在殯、可乎。」文子於是終身不聽琴瑟。孔子聞之曰、「季子能以義正人、文子能克己服義、可謂善改矣。」
孔子覽晉志,晉之史記晉趙穿殺靈公,穿趙盾從弟也趙盾亡,未及山而還,山晉之境史書趙盾弒君.盾曰:“不然.”史曰:“子為正卿,亡不出境,返不討賊,非子而誰.”盾曰:“嗚呼!我之懷矣,自詒伊戚,其我之謂乎!”孔子嘆曰:“董狐,古之良史也,書法不隱.趙宣子,古之良大夫也,為法受惡,惜也越境乃免.”惜盾不越境以免於譏而受弒君之責也
孔子覽晉志【晉之史記】、晉趙穿殺靈公【穿趙盾之從弟】、趙盾亡、未出山而復【山晉境】、史書曰趙盾弒其君。盾曰、「不然。」史曰、「子為正卿、亡不出境、反不討賊、非子而誰。」盾曰、「嗚呼、我之懷矣、自貽伊戚、其我之謂乎。」孔子嘆曰、「董狐、古之良史也、書法不隱。趙宣子、古之良大夫也、為法受惡。惜也、越境乃免。」【惜盾不越境以免譏、而受弒君之責】
鄭伐陳,入之,使子產獻捷於晉,晉人問陳之罪焉.子產對曰:“陳亡周之大德,武王以元女大姬以配胡公而封諸陳介恃楚眾,介大馮陵弊邑,是以有?年之告.告晉為陳所侵未獲命,未得晉平陳之成命則又有東門之役.與楚共伐陳至其東門也當陳隧者,井?木刊,勝陳人?塞刊斫也弊邑大懼,天誘其裡,誘進裡善也天導其善大執陳者也啟弊邑心,知其罪,校首於我,用敢獻功.”晉人曰:“何故侵小?”對曰:“先王之命,惟罪所在,各致其闢,闢誅且昔天子一圻,列國一同,地方千里曰圻方百里曰同也自是以衰,周之制也.大國方百里從是以為差伯方七十里子男五十里周之制也而說學者以周大國方七百里失之矣今大國多數圻矣,若無侵小,何以至焉.”晉人曰:“其辭順.”孔子聞之,謂子貢曰:“志有之,志古之書也言以足志,言以足成其志文以足言,加以文章以足成其言不言誰知其志,言之無文,行之不遠.有言而無文章雖行而不遠也晉為鄭伯入陳,非文辭不為功,小子慎哉.”
鄭伐陳、入之、使子産獻捷于晉。晉人問陳之罪焉。子産對曰、「陳忘周之大德【武王以元女大姬配胡公而封諸陳】、介恃楚衆、馮陵敝邑、是以有【底本此字殘缺】年之告【告晉為陳所侵】。未獲成命【未得晉平陳之成命】、則又有東門之役【與楚共伐陳至於東門】。當陳隧者、井【底本此字殘缺】木刊【刊除】。敝邑大懼。天誘其衷【誘進、衷善、天進其善以大執陳】、啟敝邑之心、知其罪、首于我、是以敢獻功也。」晉人曰、「何故侵小。」對曰、「先王之命、唯罪所在、各致其辟【辟誅】。且昔天子一圻、列國一同【地方千里曰圻、方百里曰同】、自是以衰、周之制也【大國地方百里、自此差等、伯方七十里、子男五十里、周制。而學者以周大國方七百里、失之矣】。今大國多數圻矣、若無侵小、何以至焉。」晉人曰、「其辭順。」孔子聞之、謂子貢曰、「志有之【志古書】、言以足志、文以足言。不言誰知其志、言之無文、行之不遠【有言而無文章、雖行而不達】。晉為鄭伯入陳、非文辭不為功、小子慎哉。」
楚靈王汰侈,驕汰奢侈右尹子革侍坐,右尹官名子革煞舟左史倚相趨而過,王曰:“是良史也,子善視之,是能讀三墳五典,八索九丘.”三墳三皇之書五典五帝之典八索索法丘丘國聚也對曰:“夫良史者,記君之過,揚君之善,而此子以潤辭為官,不可為良史.”曰:“臣又乃嘗聞焉,昔周穆王欲肆其心,肆極將過行天下,使皆有車轍,並馬跡焉,祭公謀父作祚昭,謀父周卿士祈昭詩名猶齊景公作君臣相說之樂蓋曰徵招角招是也昭宜為招耳補作招以止王心,止王心之逸遊王是以獲殆於文官,臣聞其詩焉,而弗知,若問遠焉,其焉能知.”王曰:“子能乎?”對曰:“能,其詩曰:‘祈昭之愔愔乎,式昭德音,祈昭愔愔言祈昭樂之安和其法足以昭其德音者也思我王度,式如玉,式如金,思王之法度如金玉純美詩云追琢其章金玉其相刑民之力,而無有醉飽之心.’”長而字刑傷民力用之不勝不節無有醉飽之心言無厭足靈王揖而入,饋不食,寢不寐,數日則固不能勝其情,以及於難.孔子讀其志曰:“古者有志,克己復禮為仁,克勝言能勝己私情復之於禮則為仁也信善哉,楚靈王若能如是,豈期辱於乾溪,靈王起章華之臺於乾溪國人潰畔遂死焉子革之非左史,所以風也,稱詩以諫,順哉.”
楚靈王汰侈、右尹子革侍坐【右尹官名】。左史倚相趨而過、王曰、「是良史也、子善視之。是能讀三墳五典、八索九丘。」【三墳三皇之書、五典五帝之典。八索法。丘聚】子革對曰、「良史、君之過、以彰之、而此人以潤色文辭為官、不可為良史。」又曰、「臣又嘗聞焉、昔周穆王欲肆其心【肆極】、將過行天下、皆必有車轍馬跡焉。祭公謀父作祈昭【謀父周卿士。祈昭詩名、猶齊景公作君臣相悅之樂、蓋徵招角招。昭宜為招】、以止王心【止王心之逸遊】、王是以獲安於文官。臣問其詩、而不知也、若問遠焉、其焉能知。」王曰、「子能乎。」對曰、「能。其詩曰、祈昭之愔愔、式昭德音【祈昭愔愔、言祈昭之樂安和、其法足以昭德音】。思我王度、式如玉、式如金【思王之法度、如金玉純美】。刑民之力、而無醉飽之心。」【刑傷也。用民力無節、無醉飽之心、言無足】靈王揖而入、饋不食、寢不寐、數日則固不能勝其情、以及於難。孔子讀其志曰、「古者有志、克己復禮為仁【克勝、言能勝己私情、復之於禮、則為仁】、信善哉。楚靈王若能如是、豈期辱於乾溪【靈王作章華台於乾溪、國人潰畔、遂死焉】。子革之非左史、所以風也、稱詩以諫、順哉。」
叔孫穆子,避難奔齊,穆子叔孫豹其兄僑如淫亂故避之而出奔齊宿於庚宗之邑,庚宗寡婦通焉而生牛,名牛穆子返魯,以牛為內豎,豎通內外之命相家,長遂命為相家牛讒叔孫二人殺之,叔孫有病,牛不通其饋,不食而死,牛遂輔叔孫庶子昭而立之.子叔孫婼昭子既立朝,其家眾曰:“豎牛禍叔孫氏,使亂大從,從順殺適立庶,又被其邑,以求舍罪,牛取叔氏鄙三十邑以行賂也罪莫大焉,必速殺之.”遂殺豎牛.孔子曰:“叔孫昭子不勞,勞力也不以立己為功不可能也.周任有言曰:‘周任古之賢人為政者不賞私勞,不罰私怨.’詩云:‘有覺德行,四國順之.’覺直昭子有焉.”
叔孫穆子避難奔齊【穆子叔孫豹、其兄僑如淫亂、故避而出奔齊】、宿於庚宗之邑、與庚宗寡婦通而生牛【名牛】。穆子反魯、以牛為內豎【豎通內外之命】、相家、長使為家相。牛讒叔孫二人殺之。叔孫有病、牛不通其食、不食而死。牛遂輔叔孫庶子昭而立之。叔孫婼既立朝【昭子】、謂其家衆曰、「豎牛禍叔孫氏、使亂大從【從順】、殺適立庶、又分其邑以徼罪【牛取叔氏邊邑三十邑以行賂】、罪莫大焉、必速殺之。」遂殺豎牛。孔子曰、「叔孫昭子不勞【勞力】、不以立己為功、不可能也。周任有言【周任古之賢人】、為政者不賞私功、不罰私怨。《詩》云、有覺德行、四國順之【覺直】。昭公有焉。」
晉邢侯與雍子爭田,叔魚攝理,叔魚叔向弟理獄官之名罪在雍子,雍子納其女於叔魚,叔魚弊獄邢侯,弊斷斷罪歸邢侯邢侯怒殺叔魚與雍子於朝.韓宣子問罪於叔向,宣子晉正卿韓起也叔向曰:“三奸同坐,施生戮死可也.施宜為與與猶行行生者之罪也雍子自知其罪,而賂以置直鮒也,鬻獄邢侯專殺其罪一也.己惡而掠美為昏,掠美善昏亂也己惡即以賂求善為惡也貪以敗官為默,默猶冒苟貪不畏罪殺人不忌為賊.忌憚夏書曰:‘昏默賊,殺,夏書夏家之書三者宜皆殺者也咎陶之刑也.’請從之.”乃施邢侯,而屍雍子叔魚於市.孔子曰:“叔向古之遺直也.治國制刑,不隱於親,三數叔魚之罪不為末,末薄或曰義,或左傳作鹹也可謂直矣.平丘之會,數其賄也,以寬衛國,晉不為暴;諸侯會於平丘晉人淫?蕘者於衛衛人患之賂叔向叔向使與叔魚客末追而禁之歸魯季孫,稱其詐也,以寬魯國,晉不為虐;魯季孫見執諮於晉晉人歸之季孫貴禮不肯歸叔向言叔魚能歸之叔魚說季孫季孫懼乃歸也邢侯之獄,言其貪也,以正刑書,晉不為頗.頗偏三言而除三惡,加三利,暴衛虐魯殺三罪去三惡加三利也殺親益榮,由義也夫.”
晉邢侯與雍子爭田、叔魚攝理【叔魚叔向之弟。理獄官名】、罪在雍子。雍子納其女於叔魚、叔魚弊獄邢侯【弊斷、斷罪歸邢侯】。邢侯怒、殺叔魚與雍子於朝。韓宣子問罪於叔向【宣子晉正卿韓起】。叔向曰、「三奸同罪、施生戮死可也【施宜為與、與猶行、行生人之罪】。雍子自知其罪、而賂以置直。鮒也鬻獄。邢侯專殺、其罪一也。己惡而掠美為昏【掠取美、昏亂。己惡而賂求善、為惡】。貪以敗官為默【默猶冒、苟貪不畏罪】。殺人不忌為賊【忌憚】。《夏書》曰、昏默賊殺【《夏書》夏家之書、三者皆殺】、皋陶之刑也。請從。」乃施邢侯、而尸雍子與叔魚於市。孔子曰、「叔向、古之遺直也。治國制刑、不隱於親。三數叔魚之罪、不為末減【末薄】、或由義也【《左傳》作咸】、可謂直矣。平丘之會、數其賄也、以寬衛國、晉不為暴【諸侯會于平丘、晉人淫【底本此字殘缺】芻蕘者於衛、衛人患之、賂于叔向、叔向使叔魚之客未上而禁之】。歸魯季孫、稱其詐也、以寬魯國、晉不為虐【魯季孫執于晉、晉人使還、季孫重禮不肯歸、叔向使叔魚能歸之、叔魚說季孫、季孫懼乃歸】。邢侯之獄、言其貪也、以正刑書、晉不為頗【頗偏】。三言而除三惡、加三利【暴衛虐魯殺三罪人、除三惡加三利】、殺親益榮、由義也夫。」
鄭有鄉校,鄉之學校鄉校之士,非論執政,●明欲毀鄉校.●明然明子產曰:“何以毀為也?夫人朝夕退而遊焉,以議執政之善否,其所善者,吾則行之;其所否者,吾則改之.若之何其毀也.我聞忠言以損怨,不聞立威以防怨,防怨猶防水也,大決所犯,傷人必多,吾弗克救也,不如小決使導之,不如吾所聞而藥之.”藥治療也孔子聞是言也,曰:“吾以是觀之,人謂子產不仁,吾不信也.”
鄭有鄉校【鄉之學】、鄉校之士非論執政、鬷明欲毀鄉校【【底本此字為生僻字、轉錄後失落】明即然明】。子産曰、「何以毀為也。夫人朝夕退而遊焉、以議執政之善否。其所善者、吾則行之。其所否者、吾則改之。若之何毀也。我聞忠言以損怨、不聞立威以防怨【防怨猶防水】。譬防大川、大決所犯、傷人必多、吾不能救也、不如小決使導、不如吾所聞而藥之也。」【藥治】孔子聞是言也、曰、「吾以是觀之、人謂子産不仁、吾不信也。」
晉平公會諸侯於平丘,齊侯及盟,鄭子產爭貢賦之所承,所承之輕重也曰:“昔日天子班貢輕重,以列尊卑,貢,周之制也,卑而貢重者甸服,甸服王圻之內與圻外諸侯異故貢重也鄭伯男南也,而使從公侯之貢,南左輔作男古字作南亦多有作此南連言之猶言公侯也懼弗給也,敢以為請,自日中爭之,以至於昏.”晉人許之.孔子曰:“子產於是行也,是以為國基也.詩云:‘樂只君子,邦家之基.’本也子產,君子之於樂者,能為國之本則人樂藝也且曰合諸侯而藝貢事,禮也.”藝分別貢獻之事也
晉平公會諸侯于平丘、齊侯及盟。鄭子産爭貢賦之所承【所承輕重】、曰、「昔日天子班貢、輕重以列【列位也】。貢周制也。卑而貢重者甸服【甸服王畿之內、與畿外諸侯異、故貢重】。鄭伯男南、而使從公侯之貢【南《左氏》或作男、古字作南、亦多有作此者。南連言、猶言公侯】、懼弗給也、敢以為請。」自日中爭之、以至于昏。晉人許之。孔子曰、「子産於是行也、足以為國基也。《詩》云、樂只君子、邦家之基【本】。子産之於君子、樂矣【能為國本則人樂藝】。且云合諸侯而藝貢事、禮也。」【藝分別貢獻之事】
鄭子產有疾,謂子太叔曰:“我死,子必為政,唯有德者能以寬服民,其次莫如猛.夫火烈民望而畏之,故鮮死焉;水濡弱,民狎而翫之,狎易翫習則多死焉,故寬難.”子產卒,子太叔為政,不忍猛而寬,鄭國多掠盜.抄掠太叔悔之曰:“吾早從夫子,必不及此.”孔子聞之曰:“善哉!政寬則民慢,慢則糾於猛,糾猶攝也猛則民殘,猛政民殘民殘則施之以寬,寬以濟猛,猛以濟寬,寬猛相濟,政是以和.詩曰:‘民亦勞止,汔可小康,汔危也勞民人病汔可小變故以安也惠此中國,以綏四方.’施之以寬,毋縱詭隨,詭人隨人遺人小惡者也以謹無良,謹以小懲之也式遏寇虐,慘不畏明,慘曾也當用遏止為寇虐之人也曾不畏天之明道者言威也糾之以猛也,柔遠能邇,言能者能安近以定我王,以定安王位也平之以和也.”又曰:“不競不絿,不剛不柔,不競不絿中和佈政優優,百祿是遒,優優和遒聚和之至也.”子產之卒也,孔子聞之,出涕曰:“古之遺愛.”
鄭子産有疾、謂子太叔曰、「我死、子必為政。唯有德者能以寬服民、其次莫如猛。夫火烈、民望而畏之、故鮮死焉。水濡弱、民狎而翫之【狎易、翫習】、則多死焉、故寬難。」子産卒、子太叔為政、不忍猛而寬、鄭國多掠盜。太叔悔之曰、「吾早從夫子、必不及此。」孔子聞之、曰、「善哉。政寬則民慢、慢則糾于猛【糾猶收攝】。猛則民殘、民殘則施之以寬。寬以濟猛、猛以濟寬、寬猛相濟、政是以和。《詩》云、民亦勞止、汔可小康【汔危、勞民人病、汔可小變以安】、惠此中國、以綏四方、此寬之施也。毋縱詭隨【詭人隨人、放過小惡】、以謹無良【謹用小懲】、式遏寇虐、慘不畏明【慘曾、言遏寇虐、曾不畏天之明道、言威】、此猛之糾也。柔遠能邇【能安近】、以定我王、此和之平也。」又曰、「不競不絿、不剛不柔、布政優優、百祿是遒【優優和、遒聚、和之至】。」子産之卒也、孔子聞之、出涕曰、「古之遺愛。」
孔子適齊,過泰山之側,有婦人哭於野者而哀,夫子式而聽之曰:“此哀一似重有憂者.”使子貢?問之.而曰:“昔舅死於虎,吾夫又死焉,今吾子又死焉.”子貢曰:“何不去乎?”婦人曰:“無苛政.”子貢以告孔子.子曰:“小子識之,苛政猛於暴虎.”
孔子適齊、過泰山之側、有婦人哭於野者而哀。夫子式而聽之、曰、「此哀一似重有憂者。」使子貢【底本此字殘缺】往問之。而曰、「昔舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。」子貢曰、「何不去乎。」婦人曰、「無苛政。」子貢以告孔子。孔子曰、「小子識之、苛政猛於暴虎。」
晉魏獻子為政,獻子魏舒分祁氏及羊舌氏之田,荀櫟滅,晉大夫祁氏羊舌氏故獻子分其田以賞諸大夫,及其子成,皆以賢舉也.又將賈辛曰:“今汝有力於王室,吾是以舉汝,周有子朝之亂賈辛帥師救周行乎敬之哉,毋墮乃力.”孔子聞之曰:“魏子之舉也,近不失親,子可舉而舉也遠不失舉,不以遠故不舉可謂美矣.”又聞其命賈辛以為忠.詩云:“永言配命,自求多福.”忠也.言我文王之詩我長配天命而行庶國亦當求多福人多福忠也魏子之舉也,義其命也.忠其長有後於晉國乎.
晉魏獻子為政【獻子魏舒】、分祁氏及羊舌氏田【荀躒滅晉大夫祁氏羊舌氏、故獻子分其田】、賞諸大夫及其子成、皆以賢舉也。又謂賈辛曰、「今汝有力於王室、吾是以舉汝【周有子朝之亂、賈辛帥師救周】。行乎、敬之哉、毋墮乃力。」孔子聞之、曰、「魏子之舉也、近不失親【其子可舉、舉之】、遠不失舉【不以遠故不舉】、可謂美矣。」又聞其命賈辛也、以為忠。《詩》曰、永言配命、自求多福、忠也【言我長配天命而行、爾衆國亦當求多福。人多福忠】。魏子之舉也義、其命也忠、其長有後於晉國乎。」
趙簡子賦晉國一鼓鍾,三十斤謂之鐘鍾四謂之石石四謂之鼓以鑄刑鼎,著範宣子所為刑書.範宣子晉卿範自銘其刑書著鼎也孔子曰:“晉其亡乎,失其度矣.夫晉國將守唐叔之所受法度,唐叔成王母弟始封於晉者也以經緯其民者也.經緯猶織以成文也卿大夫以序守之,序次序也民是以能遵其道而守其業,貴賤不愆,所謂度也.文公是以作執秩之官,為被廬之法,晉文公既霸強於時蓋作執秩之官以為晉國法也以為盟主.今棄此度也,而為刑鼎,銘在鼎矣,何以尊貴?民將棄神而徵於書不復戴奉上也何業之守也?民不奉上則上無所守也貴賤無序,何以為國?且夫宣子之刑,夷之搜也,晉國亂制,夷搜之時變易軍師陽唐父為賈季所殺故曰亂制也若之何其為法乎.”
趙簡子賦晉國一鼓鐘【三十斤曰鍾、鍾四曰石、石四曰鼓】以鑄刑鼎、著范宣子所為刑書【范宣子晉卿、范自刻刑書鑄鼎】。孔子曰、「晉其亡乎、失其度矣。夫晉國將守唐叔之所受法度【唐叔成王母弟、始封晉】、以經緯其民【經緯猶織以成文】。卿大夫以序守之【序次序】、民是以能遵其道而守其業、貴賤不愆、所謂度也。文公是以作執秩之官、為被廬之法【晉文公既霸強盛、其置執秩之官、以為晉法】、以為盟主。今棄此度也、而為刑鼎、銘在鼎矣、何以尊貴。民將棄神而徵於書【不復戴奉其上】、又守何業【民不奉上、則上無可守】。貴賤無序、何以為國。且夫宣子之刑、夷之蒐也、晉國亂制【夷蒐之時易軍帥、陽處父為賈季所殺、故曰亂制】、若之何以為法乎。」
楚昭王有疾,卜曰:“河神為祟.”王弗祭,大夫請祭諸郊.王曰:“三代命祀,祭不越望,天子望祀天地諸侯祀境內故曰祭不越望也江漢沮漳,楚之望也,四水名也禍福之至,不是過乎,不穀雖不德,河非所獲罪也.”遂不祭.孔子曰:“楚昭王知大道矣,求之於己不越祀也其不失國也宜哉.楚為吳所滅昭王出奔已復國者也夏書曰:‘維彼陶唐,率彼天常,陶唐堯率猶循天常天之常道在此冀方,中國為冀今失厥道,亂其紀綱,乃滅而亡.’”謂變夏桀又曰:“允出茲在茲,由己率常可矣.”言善惡各有類信出此則在此以能循常道可也
楚昭王有疾、卜曰、河神為祟。王弗祭。大夫請祭諸郊。王曰、「三代命祀、祭不越望【天子望祀天地、諸侯祀境內、故曰祭不越望】。江漢沮漳、楚之望也【四水名】。禍福之至、不是過也。不穀雖不德、河非所獲罪也。」遂不祭。孔子曰、「楚昭王知大道矣【責諸身、不越祀】、其不失國也、宜哉【楚為吳所滅、昭王出奔、而後復國】。《夏書》曰、惟彼陶唐、率彼天常【陶唐堯、率循、天常天之常道】、在此冀方【中國曰冀】、今失其道、亂其紀綱、乃滅而亡。」【謂夏桀】又曰、「允出茲在茲、由己率常可矣。」【言善惡各有類、信出此則在此、以能率常故可】
衛孔文子使太叔疾出其妻,而以其女妻之,初疾娶於宋子朝其歸孽子朝出文子使疾出其妻而己妻之疾誘其初妻之娣,為之立宮,與文子女,如二妻之禮.文子怒將攻之.孔子舍璩伯玉之家,文子就而訪焉.孔子曰:“簠簋之事,則嘗聞學之矣,兵甲之事,未之聞也.”退而命駕而行曰:“鳥則擇木,木豈能擇鳥乎?”文子遽自止之曰:“圉也豈敢度其私哉?度謀亦訪衛國之難也.”將止,會季康子問冉求之戰,冉求既對之,又曰:“夫子播之百姓,質諸鬼神,而無憾,恨也用之則有名.”康子言於哀公,以幣迎孔子曰:“人之於冉求信之矣,將大用之.”
衛孔文子使太叔疾出其妻、而以其女妻之【初疾娶宋子朝之女、子朝出奔、文子使疾出其妻、而己以女妻之】。疾誘其初妻之娣、為之立宮、與文子女、如二妻之禮。文子怒、將攻之。孔子舍蘧伯玉之家、文子就而問焉。孔子曰、「簠簋之事、則嘗聞學之矣。兵甲之事、未之聞也。」退而命駕而行、曰、「鳥則擇木、木豈能擇鳥乎。」文子遽自止之、曰、「圉也豈敢度其私【度謀】、訪衛國之難也。」將止、會季康子問冉求之戰、冉求既對之、又曰、「夫子播之百姓、質諸鬼神、而無憾【恨】、用之則有名。」康子言於哀公、以幣迎孔子曰、「人之於冉求信之矣、將大用之。」
齊陳恆弒其簡公,孔子聞之,三日沐浴而適朝,告於哀公曰:“陳恆弒其君,請伐之.”公弗許,三請,公曰:“魯為齊弱久矣,子之伐也,將若之何?”對曰:“陳恆弒其君,民之不與者半,以魯之眾,加齊之半,可克也.”公曰:“子告季氏.”孔子辭,不告季氏退而告人曰:“以吾從大夫之後,吾不敢不告也.”
齊陳恒弒其簡公、孔子聞之、三日沐浴而適朝、告於哀公曰、「陳恒弒其君、請伐之。」公弗許。三請、公曰、「魯為齊弱久矣、子之伐也、將若之何。」對曰、「陳恒弒其君、民之不親者半、以魯之衆、加齊之半、可克也。」公曰、「子告季氏。」孔子辭、不告季孫、退而告人曰、「以吾從大夫之後、不敢不告也。」
子張問曰:“書云,高宗三年不言,言乃雍,有諸?”雍歡聲貌尚書云言乃雍和有諸問有之也孔子曰:“胡為其不然也.古者天子崩,則世子委政於冢宰三年,成湯既沒,太甲聽於伊尹,太甲湯孫武王既喪,成王聽於周公,其義一也.”
子張問曰、「《書》云、高宗三年不言、言乃雍、有諸。」【雍歡聲貌。《書》曰言乃雍、和。有諸問有無】孔子曰、「胡為其不然也。古者天子崩、則世子委政於冢宰三年。成湯既沒、太甲聽於伊尹【太甲湯孫】。武王既喪、成王聽於周公、其義一也。」
衛孫桓子侵齊,遇敗焉,桓子孫良夫也侵齊與齊師遇為齊所敗也齊人乘之,執新築大夫,仲叔於奚以其眾救桓子,桓子乃免.衛人以邑賞仲叔於奚,於奚辭,請曲懸之樂,諸侯軒懸軒懸闕一向也故謂之曲懸之樂繁纓以朝,馬纓當膺以索群銜以黃金為飾也許之,書在三官.司徒書名司馬書服司空書勳也子路仕衛,見其故,以訪孔子.孔子曰:“惜也不如多與之邑,惟器與名,不可以假人,器禮樂以器名尊卑以名君之所司,司主名以出信,信以守器,器以藏禮,有器然後得行其禮故曰器以藏禮禮以行義,義以生利,利以平民,政之大節也.若以假人,與人政也,政亡,則國家從之,不可止也.”
衛孫桓子侵齊、遇敗焉【桓子孫良夫、侵齊與齊師遇、為齊所敗】。齊人乘勝、俘新築大夫。仲叔于奚以其衆救桓子、桓子乃免。衛人以邑賞仲叔于奚、于奚辭、請曲懸之樂【諸侯軒懸、軒懸缺一面、故曰曲懸之樂】、繁纓以朝【馬纓當膺、以索群、銜用黃金飾】。許之、書在三官【司徒書名、司馬書服、司空書勳】。子路仕於衛、見其故、以訪孔子。孔子曰、「惜也、不如多與之邑。惟器與名、不可以假人【器禮樂之器、名尊卑之名】、君之所司也【司主】。名以出信、信以守器、器以藏禮【有器然後行禮、故曰器藏禮】、禮以行義、義以生利、利以平民、政之大節也。若假人、即是政也。政亡、則國家從之、不可止也。」
公父文伯之母,文伯母敬姜也紡績不解.文伯諫焉.其母曰:“古者王后親織玄紞,紞冠垂者紞丁敢反公侯之夫人加之紘綖,纓屈而上者謂之紘綖冠之上覆也.紘為萌反綖令戰餘?二反卿之內子為大帶,卿之妻為內子命婦成祭服,大夫之妻為命婦列士之妻,加之以朝服,自庶士已下,各衣其夫,社而賦事,烝而獻功,男女春秋而勤歲事各祭祭而獻其功也男女紡績,愆則有闢,績功也闢法也聖王之制也,今我寡也,爾又在位,朝夕恪勤,猶恐忘先人之業,況有怠墮,其何以避闢?”孔子聞之曰:“弟子志之,季氏之婦,可謂不過矣.”
公父文伯之母【文伯母敬姜】、紡績不解。文伯諫焉。其母曰、「古者王后親織玄紞【紞冠上垂者】、公侯之夫人加之纮【纮纓從下而上者、纮冠上覆】。卿之內子為大帶【卿妻曰內子】、命婦成祭服【大夫之妻曰命婦】、列士之妻加之以朝衣、自庶士以下、皆衣其夫。社而賦事、烝而獻功【男女春秋勤力歲事、各祭而獻其功】。男女紡績、愆則有辟【績功、辟法】、聖王之制也。今我寡也、爾又在位、朝夕恪勤、猶恐忘先人之業、況有怠惰、其何以避辟。」孔子聞之曰、「弟子志之、季氏之婦、可謂不過矣。」
樊遲問於孔子曰:“鮑牽事齊君,執政不撓,可謂忠矣,齊慶克通於夫人鮑牽知之以告匡武子武子召慶克而讓之慶克告夫人夫人怒閔子子因需公以會於諸侯高鮑去守還將及至閉門而牽客夫人訴之曰高鮑將不納君遂刖鮑牽之足而君刖之,其為至闇乎?”孔子曰:“古之士者,國有道則盡忠以輔之,國無道則退身以避之.今鮑疾子食於淫亂之朝,不量主之明暗,以受大刖,是智之不如葵,葵猶能衛其足.”葵傾葉隨日轉故曰衛其足也
樊遲問孔子曰、「鮑牽事於齊君、執政不撓、可謂忠矣【齊慶克與夫人私通、鮑牽知告匡武子、武子召慶克責之、慶克告夫人、夫人怒。湫子因齊公與諸侯會、高鮑處守、將至、閉門而討客、夫人訴高鮑將不納君、遂刖鮑牽】、而君刖之、其至昏乎。」孔子曰、「古之士者、國有道、則盡忠以輔之、國無道、則退身以避之。今鮑氏食於淫亂之朝、不量主之明暗、而受大刖、是智之不如葵、葵猶能衛其足。」【葵傾葉隨日轉、故曰衛足】
季康子欲以一井田出法賦焉,使訪孔子.子曰:“丘弗識也.”冉有三發卒曰:“子為國老,待子而行,若之何子之不言?”孔子不對而私於冉有曰:“求,汝來,汝弗聞乎,先王制土,借田以力,田有稅收借力以治公田也而底其遠近;底幹平其遠近俱十一而中賦裡以入,而量其無有;裡廛裡有稅度其有無為多少之入也任力以夫,而議其老幼.力作度之事丁夫任其長幼或重或輕於是鰥寡孤疾老者,軍旅之出,則徵之,無則已.于軍旅之役則鰥寡孤疾或有所共無軍事則止之其歲收,田一井出獲禾秉,缶米芻?不是過,其歲軍旅之歲一把曰秉四秉固稜穗連?芻不可分故曰步缶十六鬥曰秉也先王以為之足,君子之行,必度於禮,施取其厚,施以厚為德也事舉其中,事以中為節歛從其薄,若是其已,丘亦足矣.丘十六井不度於禮,而貪冒無厭,則雖賦田,將有不足.且子孫若以行之而取法,則有周公之典在.若欲犯法,則苟行之,又何訪焉.”
季康子欲以一井田出法賦焉、使訪孔子。子曰、「丘弗識也。」冉有三發、卒曰、「子為國老、待子而行、若之何子之不言。」孔子不對、而私於冉有曰、「求、汝來。汝不聞乎、先王制土、借田以力【田有稅、借力治公田】、而底其遠邇【底均遠邇、皆什一】;賦里以入【里廛也、有稅、量入有無、以定多少之入】、而量其有無。任力以夫【力作之事、以丁夫、量長幼、或重或輕】、而議其老幼。於是鰥寡孤疾老者、軍旅之出則徵之、無則已【在軍旅之役、則鰥寡孤疾、或有所供、無軍事則止】。其歲收、田一井出稯禾秉缶芻米【【底本此字殘缺】不過【其歲軍旅之歲。一把曰秉。芻不可分、故言步。缶十六斗曰秉】。先王以為之足。君子之行、必度於禮。施取其厚【施以厚為德】、事舉其中【事以中為節】、斂從其薄。如此其已、丘亦足矣【丘十六井】。不度於禮、而貪冒無厭、則雖賦田、將有不足。且子季孫若欲行而法、則有周公之典在。若欲犯法、則苟而賦、又何訪焉。」
子游問於孔子曰:“夫子之極言子產之惠也,可得聞乎?”孔子曰:“惠在愛民而已矣.”子游曰:“愛民謂之德教,何翅施惠哉?”孔子曰:“夫子產者,猶眾人之母也,能食之,弗能教也.”子游曰:“其事可言乎?”孔子曰:“子產以所乘之輿濟冬涉者,是愛無教也.”
子游問於孔子曰、「夫子之極言子産之惠也、可得聞乎。」孔子曰、「惠在愛民而已矣。」子游曰、「愛民謂之德教、何翅施惠哉。」孔子曰、「夫子産、猶衆人之母也、能食之、弗能教也。」子游曰、「其事可言乎。」孔子曰、「子産以所乘之輿濟冬涉者、是愛而無教也。」
哀公問於孔子曰:“二三大夫皆勸寡人使隆敬於高年,何也?”孔子對曰:“君之及此言,將天下實賴之,豈唯魯哉.”公曰:“何也?其義可得聞乎?”孔子曰:“昔者有虞氏貴德而尚齒,夏后氏貴爵而尚齒,殷人貴富而尚齒,富貴世祿之家周人貴親而尚齒,虞夏殷周,天下之盛王也,未有遺年者焉.年者貴於天下久矣,次於事親,是故朝廷同爵而尚齒,七十杖於朝,君問則席,君欲問之則為之設席而問焉八十則不仕朝,君問則就之,而悌達乎朝廷矣;其行也肩而不併,不敢與長者並肩也不錯則隨,錯鴈行父黨隨行兄黨鴈行也斑白者不以其任於道路,任負也少者代之也而悌達乎道路矣;居鄉以齒而老窮不匱,強不犯弱,眾不暴寡,而悌達乎州巷矣;古之道,五十不為甸役,五十始老不為力役之事不為田獵之徒也頒禽隆之長者,而悌達乎搜狩矣;軍旅什伍,同爵則尚齒,而悌達乎軍旅矣.夫聖王之教,孝悌發諸朝廷,行於道路,至於州巷,放於搜狩,循于軍旅,則眾感以義,死之而弗敢犯.”公曰:“善哉,寡人雖聞之,弗能成.”
哀公問於孔子曰、「二三大夫皆勸寡人使隆敬於高年、何也。」孔子對曰、「君之及此言、將天下實賴之、豈唯魯哉。」公曰、「何也、其義可得聞乎。」孔子曰、「昔者、有虞氏貴德而尚齒、夏后氏貴爵而尚齒、殷人貴富而尚齒【富世祿之家】、周人貴親而尚齒。虞夏殷周、天下之盛王也、未有遺年者焉。年者貴於天下久矣、次于事親。是故朝廷同爵則尚齒、七十杖於朝、君問則席【君欲問、則為之設席而問】;八十不仕朝、君問則就之、而悌達乎朝廷矣。其行也肩而不並【不敢與長者並肩】、不錯則隨【錯雁行。父黨隨行、兄黨雁行】、斑白者不以其任於道路【任負、少者代之】、而悌達乎道路矣。居鄉以齒、而老窮不匱、強不犯弱、衆不暴寡、而悌達乎州巷矣。古之道、五十不為甸役【五十始老、不為力役、不為田狩之徒】、頒禽獻長者、而悌達乎蒐獵矣。軍旅什伍、同爵則尚齒、而悌達乎軍旅矣。夫聖王之教、孝悌發諸朝廷、行於道路、至于州巷、放于蒐獵、循於軍旅、則衆感以義、死之而弗敢犯。」公曰、「善哉、寡人雖聞之、弗能成。」
哀公問於孔子曰:“寡人聞東益不祥,東益之宅信有之乎?”孔子曰:“不祥有五,而東益不與焉.夫損人自益,身之不祥;棄老而取幼,家之不祥;擇賢而任不肖,國之不祥;老者不教,幼者不學,俗之不祥;聖人伏匿,愚者擅權,天下不祥.不祥有五,東益不與焉.”
哀公問於孔子曰、「寡人聞之、東益宅不祥、東益之宅、信有之乎。」孔子曰、「不祥有五、而東益不與焉。夫損人而益己、身之不祥也。棄老而取幼、家之不祥也。擇賢而任不肖、國之不祥也。老者不教、幼者不學、俗之不祥也。聖人伏匿、愚者擅權、天下之不祥也。故不祥有五、而東益不與焉。」
孔子適季孫,季孫之宰謁曰:“君使求假于田,特與之乎?”季孫未言.孔子曰:“吾聞之君取於臣謂之取,與於臣謂之賜,臣取於君謂之假,與於君謂之獻.”季孫色然悟曰:“吾誠未達此義.”遂命其宰曰:“自今已?,君有取之,一切不得復言假也.”
孔子適季氏、康子之宰通曰、「君使人來假田、特與之乎。」季孫未言。孔子曰、「吾聞之、君取於臣曰取、與臣曰賜。臣取於君曰假、與君曰獻。」季孫色然悟曰、「吾誠未達此義。」遂命其宰曰、「自今已【底本此字殘缺】、君有取、一切不得復言假也。」
曲禮子貢問第四十二
曲禮子貢問第四十二
子貢問於孔子曰:“晉文公實召天子而使諸侯朝焉.晉文公會諸侯於溫召襄王且使狩於河陽因使諸侯朝夫子作春秋,雲天王狩於河陽,何也?”孔子曰:“以臣召君,不可以訓,亦書其率諸侯事天子而已.”
子貢問於孔子曰、「晉文公實召天子、而使諸侯朝焉【晉文公會諸侯於溫、召襄王、且使狩河陽、因使諸侯朝】。夫子作春秋、云天王狩于河陽、何也。」孔子曰、「以臣召君、不可以訓、亦書其率諸侯事天子而已。」
孔子在宋,見桓魋自為石槨,三年而不成,工匠皆病.夫子愀然曰:“若是其靡也.靡侈死不如朽之速愈.”冉子僕曰:“禮,凶事不豫,此何謂也?”夫子曰:“既死而議諡,諡定而卜葬,既葬而立廟,皆臣子之事,非所豫屬也,況自為之哉.”南宮敬叔以富得罪於定公,奔衛,衛侯請復之,載其寶以朝.夫子聞之曰:“若是其貨也,喪不若速貧之愈.”喪失位也子游侍曰:“敢問何謂如此?”孔子曰:“富而不好禮,殃也,敬叔以富喪矣,而又弗改,吾懼其將有後患也.”敬叔聞之,驟如孔氏,而後循禮施散焉.
孔子在宋、見桓魋自為石椁、三年而不成、工匠皆病。夫子愀然曰、「若是其靡也【靡侈】、死不如朽之速愈。」冉子僕曰、「禮、凶事不豫、此何謂乎。」夫子曰、「既死而議諡、諡定而卜葬、既葬而立廟、皆臣子之事、非所豫屬也、況自為之哉。」南宮敬叔以富得罪於定公、奔衛。衛侯請復之、載其寶以朝。夫子聞之曰、「若是其貨也、喪不如速貧之愈。」【喪失位】子游侍、曰、「敢問何謂如此。」孔子曰、「富而不好禮、殃也。敬叔以富喪矣、而又弗改、吾懼其將有後患也。」敬叔聞之、驟如孔氏、而後循禮施散焉。
孔子在齊,齊大旱,春飢.景公問於孔子曰:“如之何?”孔子曰:“凶年則乘駑馬,力役不興,馳道不修,馳道君行之道祈以幣玉,君所祈請用幣及玉不用牲也祭祀不懸,不作樂也祀以下牲,當用大牢者用少牢此賢君自貶以救民之禮也.”
孔子在齊、齊大旱、春饑。景公問於孔子曰、「如之何。」孔子曰、「凶年則乘駑馬、力役不興、馳道不修【馳道君所行道】、祈以幣玉【君所祈請用幣及玉、不用牲】、祭祀不懸【不奏樂】、祀以下牲【當用太牢者用少牢】。此賢君自貶以救民之禮也。」
孔子適季氏,康子晝居內寢.孔子問其所疾.康子出見之.言終,孔子退,子貢問曰:“季孫不疾而問諸疾,禮與?”孔子曰:“夫禮,君子不有大故,則不宿於外.非致齊也,非疾也,則不晝處於內,是故夜居外,雖吊之,可也.晝居於內,雖問其疾,可也.”
孔子適季氏、康子晝居內寢。孔子問其所疾。康子出見之。言終、孔子退。子貢問曰、「季孫不疾、而問諸疾、禮與。」孔子曰、「禮、君子無故、則不宿於外。非致齋也、非疾也、則不晝居於內。是故夜居外、雖弔之可也。晝居於內、雖問其疾可也。」
孔子為大司寇,國廄焚,子退朝而之火所,鄉人有自為火來者,則拜之,士一,大夫再.子貢曰:“敢問何也?”孔子曰:“其來者亦相吊之道也.吾為有司,故拜之.”
孔子為大司寇、國廄焚、孔子罷朝而之火所。鄉人有自為火來者、則拜之、士一、大夫再。子貢曰、「敢問何也。」孔子曰、「其來者、亦相弔之道也。吾為有司、故拜之。」
子貢問曰:“管仲失於奢,晏子失於儉,與其俱失矣,二者孰賢?”孔子曰:“管仲鏤簋而朱紘,縷刻而飾之朱紘天子冕之紱旅樹而反坫,旅施也樹屏也天子外屏諸侯內屏反坫在兩楹之間人君好會獻酢禮畢反爵於其上山節藻梲,節栭也刻為山雲梲梁上楹也畫藻文也賢大夫也,而難為上.晏平仲祀其先祖,而豚肩不揜豆,言陋小也一狐裘三十年,賢大夫也,而難為下.君子上不僭下,下不偪上.”
子貢問曰、「管仲失在奢、晏子失在儉、與俱失、二者孰賢。」孔子曰、「管仲鏤簋而朱紘【鏤刻以飾。纮天子冕之紞】、旅樹而反坫【旅陳、樹屏。天子外屏、諸侯內屏。反坫在兩楹之間、人君歡會獻酢畢、反爵於其上】、山節藻梲【節栭也、刻為山雲。梲梁上楹、畫水草文】、賢大夫也、而難為上。晏平仲祀其先祖、而豚肩不揜豆【言陋小】、一狐裘三十年、賢大夫也、而難為下。君子上僭下、下不逼上。」
冉求曰:“昔文仲知魯國之政,立言垂法,於今不亡,可謂知禮矣?”孔子曰:“昔臧文仲安知禮,夏父弗綦逆祀而不止,燔柴於灶以祀焉,夫灶者,老婦之所祭,謂祭灶報其功老婦主祭也盛於甕,尊於瓶,非所柴也.故曰禮也者,由體也,體不備謂之不成,人設之不當,猶不備也.”
冉求曰、「昔臧文仲知魯國之政、立言垂法、于今不亡、可謂知禮矣。」孔子曰、「昔臧文仲安知禮。夏父弗忌逆祀而不止、燔柴於灶以祀焉。夫灶者、老婦之所祭【言祭灶報其功、老婦主祭】、盛於甕、尊於瓶、非所柴也。故禮由體、體不備謂之不成。人設之不當、猶不備也。」
子路問於孔子曰:“臧武仲率師與邾人戰於狐鮐,遇敗焉,師人多喪而無罰,古之道然與?”孔子曰:“凡謀人之軍,師敗則死之;謀人之國,邑危則亡之,古之正也.其君在焉者,有詔則無討.”詔君之教也有君教則臣無討
子路問孔子曰、「臧武仲率師與邾人戰于狐鮐、遇敗焉、師人多喪而無罰、古之道然與。」孔子曰、「凡謀人之軍師、敗則死之。謀人之國、邑危則亡之、古之正也。其君在焉者、有詔則無討【詔君教、有君教則臣不討】。」
晉將伐宋,使人覘之,觀也宋陽門之介夫死,陽門宋城門也介夫被甲御門者司城子罕哭之哀.覘之反言於晉侯曰:“陽門之介夫死,而子罕哭之哀,民鹹悅宋,殆未可伐也.”孔子聞之曰:“善哉!覘國乎.詩云:‘凡民有喪,匍匐救之.’子罕有焉,雖非晉國,其天下孰能當之.言雖非晉國使天下有強者猶不能當也是以周任有言曰:‘民悅其愛者,弗可敵也.’”
晉將伐宋、使人覘之【覘視】。宋陽門之介夫死【陽門宋城門、介夫披甲守門】、司城子罕哭之哀。覘者反、言於晉侯曰、「陽門之介夫死、子罕哭之哀、民咸悅宋、殆未可伐也。」孔子聞之曰、「善哉、覘國乎。《詩》云、凡民有喪、匍匐救之。子罕有焉。雖非晉國、天下其孰能當之【言雖非晉、使天下有強者、猶不能當】。是以周任有言曰、民悅其愛者、弗可敵也。」
楚伐吳,工尹商陽與陳棄疾追吳師,及之,棄疾曰:“王事也,子手弓而可.”商陽手弓.棄疾曰:“子射諸.”射之,弊一人,韔其弓.韔韜又及,棄疾謂之,又及,棄疾復謂之,斃二人,每斃一人,輒掩其目,止其御曰:“吾朝不坐,燕不與,亡畀故也殺三人亦足以反命矣.”孔子聞之曰:“殺人之中,又有禮焉.”子路怫然進曰:“人臣之節,當君大事,唯力所及,死而後已,夫子何善此?”子曰:“然,如汝言也,吾取其有不忍殺人之心而已.”
楚伐吳、工尹商陽與陳棄疾追吳師、及之。棄疾曰、「王事也、子手弓而可。」商陽手弓。棄疾曰、「子射諸。」射之、斃一人、韔其弓【韔韜】。又及、棄疾謂之。又及、棄疾又謂之、斃二人。每斃一人、輙掩其目、止其御曰、「吾朝不坐、燕不與、無予故。殺三人、亦足以反命矣。」孔子聞之曰、「殺人之中、又有禮焉。」子路怫然進曰、「人臣之節、當君大事、唯力所及、死而後已、夫子何善此。」子曰、「然、如汝言也。吾取其有不忍殺人之心而已。」
孔子在衛,司徒敬之卒,夫子吊焉,主人不哀,夫子哭不盡聲而退.璩伯玉請曰:“衛鄙俗不習喪禮,煩吾子辱相焉.”孔子許之,掘中溜而浴,室中.溜力救反毀灶而綴,足襲於床,及葬,毀宗而●行也,胡不復有事於此也綴足不欲令僻戾長毀宗廟而出行神位在廟門之外也出於大門,及墓,男子西面,婦人東面,既封而歸,殷道也.孔子行之.子游問曰:“君子行禮,不求變俗,夫子變之矣.”孔子曰:“非此之謂也,喪事則從其質而已矣.”
孔子在衛、司徒敬之卒、夫子弔焉、主人不哀、夫子哭不盡聲而退。蘧伯玉請曰、「衛鄙俗不習喪禮、煩吾子辱相焉。」孔子許之。掘中霤而浴【在室中】、毀灶而綴、足斂於床、及葬、毀宗而踰行【毀宗廟門、神位在廟門外】、出于大門、及墓、男子西向、婦人東向、既封而歸、殷道也。孔子行之。子游問曰、「君子行禮、不求變俗、夫子變之矣。」孔子曰、「非此之謂也。喪事則從其質而已矣。」
宣公八年六月辛巳,有事於太廟,而東門襄仲卒,壬午猶繹,繹祭之明日又祭也子游見其故,以問孔子曰:“禮與?”孔子曰:“非禮也,卿卒不繹.”
宣公八年六月辛巳、有事于太廟、而東門襄仲卒、壬午猶繹【繹祭明日又祭】。子游見其故、以問孔子曰、「禮與。」孔子曰、「非禮也。卿卒不繹。」
季桓子喪,康子練而無衰,子游問於孔子曰:“既服練,服可以除衰乎?”孔子曰:“無衰衣者,不以見賓,何以除焉?”
季桓子之喪、康子練而無衰。子游問於孔子曰、「既服練服、可以除衰乎。」孔子曰、「無衰衣者、不以見賓、何以除焉。」
邾人以同母異父之昆弟死,將為之服,因顏克而問禮於孔子.子曰:“繼父同居者,則異父昆弟,從為之服;不同居,繼父且猶不服,況其子乎.”
邾人以同母異父之昆弟死、將為之服、因顏克而問禮於孔子。子曰、「繼父同居者、則異父昆弟從為之服。不同居、繼父且猶不服、況其子乎。」
齊師侵魯,公叔務人,昭公之子公為遇人入保,負杖而息.見先避入齊師將入保疲倦加杖頸上兩手掖之休息者也保縣邑小城也務人泣曰:“使之雖病,謂時徭役任之雖重,謂時賦稅君子弗能謀,士弗能死,不可也,我則既言之矣,敢不勉乎.”與其鄰嬖童汪錡,乘?奔敵死焉,皆殯,魯人慾勿殤童汪錡,問於孔子曰:“能執干戈以衛社稷,可無殤乎?”魯昭公夫人吳孟子卒,不赴於諸侯,孔子既致仕,而?吊焉,適於季氏,季氏不絰,孔子投絰而不拜.以季氏無故已亦不成禮子游問曰:“禮與?”孔子曰:“主人未成服,則吊者不絰焉,禮也.”
齊師侵魯、公叔務人【昭公子公為】遇人入保、杖而息【見先入避而入。齊師將入城堡、倦以杖加頸上、兩手掖之息。保縣邑小城】。務人哭曰、「使之雖病【謂時徭役】、任之雖重【謂時賦稅】、君子不能謀、士不能死、不可。我既言之矣、敢不勉乎。」與其鄰寵童汪錡乘【底本此字殘缺】奔敵而死焉、皆殮。魯人欲勿殤童汪錡、問於孔子曰、「能執干戈以衛社稷、可無殤乎。」魯昭夫人吳孟子卒、不赴於諸侯、孔子既致仕、【底本此字殘缺】往弔、適季氏、季氏不絰、孔子投絰而不拜【以季氏無故、己亦不成禮】。子游問曰、「禮與。」孔子曰、「主人未成服、則弔者不絰焉、禮也。」
公父穆伯之喪,敬姜晝哭,文伯之喪,晝夜哭.孔子曰:“季氏之婦,可謂知禮矣.愛而無上下有章.”上謂夫下謂子也章別也哭夫晝哭哭子晝夜哭哭夫與子各有別也
公父穆伯之喪、敬姜晝哭。文伯之喪、晝夜哭。孔子曰、「季氏之婦、可謂知禮矣。愛而無上下有章。」【上謂夫、下謂子、章別。哭夫晝哭、哭子晝夜哭、哭夫與子各有別】
南宮絛之妻,孔子兄之女,喪其姑而誨之髽曰:“爾毋從從爾,毋扈扈爾.”從從高扈扈大也扈言喪百無容節也.絛敕高反髽則瓜反蓋榛以為笄,長尺而總八寸.總束髮束髮垂為飾者齊衰之總八寸也
南宮縧之妻、孔子兄之女、喪其姑而誨之髽、曰、「爾無從從、爾無扈扈。」【從從高、扈扈大。言喪無儀容節度】榛以為笄、長尺而總八寸【總束髮、束髮垂為飾、齊衰之總八寸】。
子張有父之喪,公明儀相焉,問啟顙於孔子.孔子曰:“拜而後啟顙,頹乎其順,啟顙而後拜,頎乎其至也.三年之喪,吾從其至也.”孔子在衛,衛之人有送葬者,而夫子觀之曰:“善哉為喪乎,足以為法也,小子識之.”子貢問曰:“夫子何善爾,其?也如慕,其返也如疑.”子貢曰:“豈若速返而虞哉.”返葬而祭謂之虞也子曰:“此情之至者也,小子識之,我未之能也.”
子張有父之喪、公明儀相、問稽顙於孔子。孔子曰、「拜而后稽顙、頹乎其順也。稽顙而后拜、頎乎其至也。三年之喪、吾從其至也。」孔子在衛、衛人有送葬者、夫子觀曰、「善哉為喪乎、足以為法、小子識之。」子貢問曰、「夫子何善爾。其【底本此字殘缺】往如慕、其反如疑。」子貢曰、「豈若速反而虞祭乎。」【反葬而祭曰虞】孔子曰、「此情之至者也、小子識之、我未之能也。」
卞人有母死而孺子之泣者,孔子曰:“哀則哀矣,而難繼也.夫禮為可傳也,為可繼也,故哭踴有節,而變除有期.”
卞人有母死而孺子之泣者。孔子曰、「哀則哀矣、而難繼也。夫禮為可傳也、為可繼也、故哭踊有節、而變除有期。」
孟獻子禫懸而不樂,可御而處內.子游問於孔子曰:“若是則過禮也?”孔子曰:“獻子可謂加於人一等矣.”
孟獻子禫懸而不樂、可御而處內。子游問於孔子曰、「若是則過禮也。」孔子曰、「獻子可謂加人一等矣。」
魯人有朝祥而暮歌者,子路笑之.孔子曰:“由,爾責於人終無已,夫三年之喪,亦以久矣.”子路出,孔子曰:“又多乎哉,又復也言其可以歌不復久也踰月則其善也.”
魯人有朝祥而暮歌者、子路笑之。孔子曰、「由、爾責於人終無已。夫三年之喪、亦以久矣。」子路出、孔子曰、「又多乎哉【又復也、言可歌、不復久】、踰月則其善。」
子路問於孔子曰:“傷哉貧也,生而無以供養,死則無以為禮也.”孔子曰:“啜菽飲水,盡其歡也,斯為之孝乎.斂手足形,旋葬而無槨,旋便稱其財,為之禮,貧何傷乎.”
子路問於孔子曰、「傷哉貧也、生而無以供養、死則無以為禮也。」孔子曰、「啜菽飲水、盡其歡也、謂之孝。斂手足形、旋葬而無椁、稱其財以為之禮、貧何傷乎。」
吳延陵季子聘於上國,適齊,於其返也,其長子死於嬴博之間.嬴博地名也孔子聞之曰:“延陵季子,吳之習於禮者也,?而觀其葬焉.”其歛,以時服而已;隨冬夏之服無所加其壙,掩坎深不至於泉;其葬,無盟器之贈.既葬,其封廣輪揜坎,其高可時隱也;既封,則季子乃左袒右還其封,且號者三,曰,骨肉歸於土,命也,若魂氣則無所不之,則無所不之而遂行.孔子曰:“延陵季子之禮其合矣.”
吳延陵季子聘於上國、適齊、於其返也、其長子死於嬴博之間【嬴博地名】。孔子聞之曰、「延陵季子、吳之習於禮者也、【底本此字殘缺】而觀其葬焉。」其斂以時服而已【隨冬夏之服、無所加】、其壙掩坎深不至于泉、其葬無明器之贈。既葬、其封廣輪揜坎、其高可時隱也。既封、則季子乃左袒右還其封、且號者三、言曰、骨肉歸于土、命也、若魂氣則無所不之、無所不之、而遂行。孔子曰、「延陵季子之禮其合矣。」
子游問喪之具.孔子曰:“稱家之有亡焉.”子游曰:“有亡惡於齊?”惡何齊限孔子曰:“有也,則無過禮.苟亡矣,則歛手足形,還葬懸棺而封,人豈有非之者哉.故夫喪亡,與其哀不足而禮有餘,不若禮不足而哀有餘也;祭祀,與其敬不足而禮有餘,不若禮不足而敬有餘也.”
子游問喪之具。孔子曰、「稱家之有亡。」子游曰、「有亡惡乎齊。」【惡何、齊限】孔子曰、「有、毋過禮。苟亡矣、斂手足形、還葬懸棺而封、人豈有非之者哉。故夫喪、與其哀不足而禮有餘也、不若禮不足而哀有餘也。祭祀、與其敬不足而禮有餘也、不若禮不足而敬有餘也。」
伯高死於衛,赴於孔子.子曰:“吾惡乎哭諸,兄弟吾哭諸廟,父之友吾哭諸廟門之外,師吾哭之寢,朋友吾哭之寢門之外,所知吾哭之諸野,今於野則已疏,於寖則已重,夫由賜也而見我吾哭於賜氏.”遂命子貢為之主.曰:“為爾哭也,來者汝拜之.知伯高而來者,汝勿拜.”既哭,使子張往吊焉,未至,冉求在衛,攝束帛乘馬而以將之.孔子聞之曰:“異哉!徒使我不成禮於伯高者,是冉求也.”
伯高死於衛、赴於孔子。孔子曰、「吾惡乎哭諸。兄弟、吾哭諸廟。父之友、吾哭諸廟門之外。師、吾哭諸寢。朋友、吾哭諸寢門之外。所知、吾哭諸野。於野則已疏、於寢則已重。夫由賜也見我、吾哭諸賜氏。」遂命子貢為之主、曰、「為爾哭也來者、拜之。知伯高而來者、勿拜也。」既哭、使子張往弔焉、未至、冉求在衛、攝束帛乘馬而以將之。孔子聞之曰、「異哉、徒使我不誠禮於伯高者、是冉求也。」
子路有姊之喪,可以除之矣,而弗除.孔子曰:“何不除也?”子路曰:“吾寡兄弟而弗忍也.”孔子曰:“行道之人皆弗忍,先王制禮,過之者俯而就之,不至者企而及之.”子路聞之,遂除之.
子路有姊之喪、可以除之矣、而弗除。孔子曰、「何不除也。」子路曰、「吾寡兄弟而弗忍也。」孔子曰、「行道之人皆弗忍。先王制禮、過之者俯而就之、不至者企而及之。」子路聞之、遂除之。
伯魚之喪母也,期而猶哭.夫子聞之曰:“誰也?”門人曰:“鯉也.”孔子曰:“嘻其甚也,非禮也.”伯魚聞之遂除之.
伯魚之喪母也、期而猶哭。夫子聞之曰、「誰也。」門人曰、「鯉也。」孔子曰、「嘻、其甚也、非禮也。」伯魚聞之、遂除之。
衛公使其大夫求婚於季氏,桓子問禮於孔子.子曰:“同姓為宗,有合族之義,故系之以姓而弗別,綴之以食而弗殊,君有食族人之禮雖親盡不異之族食多少也雖百世婚姻不得通,周道然也.”桓子曰:“魯衛之先雖寡兄弟,今已絕遠矣,可乎?”孔子曰:“固非禮也,夫上治祖禰以尊尊之,下治子孫以親親之,旁治昆弟所以教睦也,此先王不易之教也.”
衛公使其大夫求婚於季氏、桓子問禮於孔子。子曰、「同姓為宗、有合族之義、故繫之以姓而弗別、綴之以食而弗殊【君有食族人之禮、雖親盡不異族食多少】、雖百世婚姻不得通、周道然也。」桓子曰、「魯衛之先雖寡兄弟、今已絕遠矣、可乎。」孔子曰、「固非禮也。夫上治祖禰、以尊尊也。下治子孫、以親親也。旁治昆弟、所以教睦也、此先王不易之教也。」
有若問於孔子曰:“國君之於百姓,如之何?”孔子曰:“皆有宗道焉,故雖國君之尊,猶百姓不廢其親,所以崇愛也.雖以族人之親,而不敢戚君,所以謙也.”戚親也尊敬君不敢如其親也
有若問於孔子曰、「國君之於百姓、如之何。」孔子曰、「皆有宗道焉。故雖國君之尊、猶百姓不廢其親、所以崇愛也。雖以族人之親、而不敢戚君、所以謙也。」【戚親。尊敬君不敢如己親】
曲禮子夏問第四十三
曲禮子夏問第四十三
子夏問於孔子曰:“居父母之仇如之何?”孔子曰:“寢苫枕幹,不仕幹楯弗與共天下也.遇於朝市,不返兵而鬥.”兵常不離於身曰:“請問居昆弟之仇如之何?”孔子曰:“仕,弗與同國,銜君命而使,雖遇之不鬥.”曰:“請問從昆弟之仇如之何?”曰:“不為魁,主人能報之,則執兵而陪其後.”
子夏問於孔子曰、「居父母之仇、如之何。」孔子曰、「寢苫枕干【干盾】、不仕、弗與共天下也。遇於朝市、不返兵而鬥【兵常不離身】。」曰、「請問居昆弟之仇、如之何。」孔子曰、「仕、弗與同國。奉君命而使、雖遇之不鬥。」曰、「請問居從父昆弟之仇、如之何。」曰、「不為魁。主人能報之、則執兵而陪其後。」
子夏問:“三年之喪既卒哭,金革之事無避,禮與,初有司為之乎?”有司當吏職也孔子曰:“夏后氏之喪,三年既殯,而致仕,殷人既葬而致事,周人既卒哭而致事.致事還政於君也子哭之無時之哭大夫三月而葬三月而卒哭士既葬而卒哭也記曰:‘君子不奪人之親,亦不奪故也.’”子夏曰:“金革之事無避,非與?”孔子曰:“吾聞諸老聃曰:‘魯公伯禽有為為之也.’伯禽有母之喪東方有戎為不義伯禽為方伯以不得不誅之公以三年之喪從利者,吾弗知也.”
子夏問、「三年之喪既卒哭、金革之事無避、禮與、初有司為之乎。」【有司當吏職】孔子曰、「夏后氏之喪、三年既殯而致事。殷人既葬而致事。周人既卒哭而致事【致事還其政於君。卒哭無時之哭。大夫三月葬三月卒哭、士既葬卒哭】。《記》曰、君子不奪人之親、亦不奪故也。」子夏曰、「金革之事無避、非與。」孔子曰、「吾聞諸老聃曰、魯公伯禽有為為之也【伯禽有母之喪、東方有戎為不義、伯禽為方伯、不得不誅】。今以三年之喪從其利者、吾弗知也。」
子夏問於孔子曰:“記云,周公相成王,教之以世子之禮,有諸?”孔子曰:“昔者成王嗣立,幼未能蒞阼,周公攝政而治,抗世子之法於伯禽,欲王之知父子君臣之道,所以善成王也.夫知為人子者,然後可以為人父;知為人臣者,然後可以為人君;知事人者,然後可以使人.是故抗世子法於伯禽,使成王知父子君臣長幼之義焉.凡君之於世子,親則父也,尊則君也,有父之親,有君之尊,然後兼天下而有之,不可不慎也.行一物而三善皆得,唯世子齒於學之謂也,世子齒於學,則國人觀之.曰:‘此將君我而與我齒讓,何也?’曰:‘有父在則禮然,然而眾知父子之道矣.’其一曰:‘此將君我而與我齒讓何也?’曰:‘有臣在,則禮然,而眾知君臣之義矣.’其三曰:‘此將君我而與我齒讓,何也?’曰:‘長長也,則禮然,然而眾知長幼之節矣.’故父在斯為子,君在斯為臣,君子與臣之位,所以尊君而親親也.在學,學之為父子焉,學之為君臣焉,學之為長幼焉,父子君臣長幼之道得,而後國治.語曰:‘樂正司業,父師司成,師有父道成生人者一有元良,萬國以貞,一謂天子也元善太子也世子之謂.’聞之曰:‘為人臣者,殺其身而有益於君則為之,況於其身,於寬也大也以善其君乎,周公優為也.”
子夏問於孔子曰、「《記》云、周公輔成王、教之以世子之禮、有諸。」孔子曰、「昔者成王嗣立、幼未能蒞阼、周公攝政而治、抗世子之法於伯禽、欲王之知父子君臣之道、所以善成王也。夫知為人子者、然後可以為人父。知為人臣者、然後可以為人君。知事人者、然後可以使人。是故抗世子法於伯禽、使成王知父子君臣長幼之義焉。凡君之於世子、親則父也、尊則君也。有父之親、有君之尊、然後兼天下而有之、不可不慎也。行一物而三善皆得、唯世子齒於學之謂也。世子齒於學、則國人觀之、曰、此將君我、而與我齒讓、何也。曰、有父在、則禮然。然而衆知父子之道矣。其二曰、此將君我、而與我齒讓、何也。曰、有臣在、則禮然。然而衆知君臣之義矣。其三曰、此將君我、而與我齒讓、何也。曰、長長也、則禮然。然而衆知長幼之節矣。故父在斯為子、君在斯為臣。居子與臣之位、所以尊君而親親也。在學、學之為父子焉、學之為君臣焉、學之為長幼焉。父子君臣長幼之道得、而后國治。《語》曰、樂正司業、父師司成【師有父道、成生人】、一有元良、萬國以貞【一謂天子、元善、太子】、世子之謂也。聞之曰、為人臣者、殺其身而有益於君則為之、況于其身以善其君乎【于寬身、是大】。周公優為之。」
子夏問於孔子曰:“居君之母與妻之喪,如之何?”孔子曰:“居處言語飲食衎爾於喪所,則稱其服而已.”“敢問伯母之喪,如之何?”孔子曰:“伯母叔母,疏衰期而踴不絕地,姑姊妹之大功踴絕於地,若知此者,由文矣哉.”言如禮文意當言姑姊妹而已姊上長姑自也
子夏問於孔子曰、「居君之母與妻之喪、如之何。」孔子曰、「居處言語飲食衎爾。於喪所、則稱其服而已。」「敢問伯母之喪、如之何。」孔子曰、「伯母叔母疏衰期、而踊不絕地。姑姊妹之大功踊絕地。若知此者、由文矣哉。」【言如禮文。意當曰姑姊妹、姊上長姑】
子夏問於夫子曰:“凡喪小功已上,虞祔練祥之祭皆沐浴.於三年之喪,子則盡其情矣.”孔子曰:“豈徒祭而已哉.三年之喪,身有瘍則浴,首有瘡則沐,病則飲酒食肉,毀瘠而病,君子不為也,毀則死者,君子為之,無子則祭之,沐浴為齊潔也,非為飾也.”
子夏問於夫子曰、「凡喪小功已上、虞祔練祥之祭、皆沐浴。於三年之喪、子則盡其情矣。」孔子曰、「豈徒祭哉。三年之喪、身有瘍則浴、首有創則沐、病則飲酒食肉。毀瘠而病、君子不為也。毀則死者、君子為之。無子則祭之。沐浴為齊潔也、非為飾也。」
子夏問於孔子曰:“客至無所舍,而夫子曰:‘生於我乎館,客死無所殯矣.’夫子曰,於我乎殯,敢問禮與?仁者之心與?”孔子曰:“吾聞諸老聃曰:‘館人使若有之惡有之,惡有之而不得殯乎.’夫仁者制禮者也,故禮者不可不省也,禮不同不異,不豐不殺,稱其義以為之宜,故曰我戰則克,祭則受福,蓋得其道矣.”
子夏問於孔子曰、「客至無所舍、而夫子曰生於我乎館。客死無所殯矣、夫子曰、於我乎殯。敢問禮與、仁者之心與。」孔子曰、「吾聞諸老聃曰、館人使似有之、惡有惡有而不得殯乎。夫仁者制禮者也、故禮者不可不省也。禮不同不異、不豐不殺、稱其義以為之宜。故曰我戰則克、祭則受福、蓋得其道矣。」
孔子食於季氏,食祭,主人不辭不食,亦不飲而餐,子夏問曰:“禮也?”孔子曰:“非禮也,從主人也.吾食於少施氏而飽,少施氏食我以禮,吾食祭,作而辭曰:‘疏食不足祭也.’吾餐而作辭曰:‘疏食不敢以傷吾子之性.’主人不以禮,客不敢盡禮,主人盡禮,則客不敢不盡禮也.”
孔子食於季氏、食祭、主人不辭、不食亦不飲而餐。子夏問曰、「禮也。」孔子曰、「非禮也、從主人也。吾食於少施氏而飽、少施氏食我以禮。吾食祭、作而辭曰、疏食不足祭也。吾餐、作而辭曰、疏食不敢以傷吾子之性。主人不以禮、客不敢盡禮。主人盡禮、則客不敢不盡禮也。」
子夏問曰:“官於大夫,既升於公,而反為之服,禮與?”孔子曰:“管仲遇盜,取二人焉上之為公臣,曰:‘所以遊僻者,可人也.’公許,管仲卒,桓公使為之官於大夫者為之服,自管仲始也,有君命焉.”
子夏問曰、「官於大夫、既升於公、而反為之服、禮與。」孔子曰、「管仲遇盜、取二人焉、上以為公臣、曰、所以游辟者、可人也。公許之。管仲卒、桓公使為之服官於大夫者為之服、自管仲始也、有君命焉。」
子貢問居父母喪.孔子曰:“敬為上,哀次之,瘠為下,顏色稱情,戚容稱服.”曰:“請問居兄弟之喪.”孔子曰:“則存乎書筴已.”
子貢問居父母喪。孔子曰、「敬為上、哀次之、瘠為下。顏色稱情、戚容稱服。」曰、「請問居兄弟之喪。」孔子曰、「則存乎書策已。」
子貢問於孔子曰:“殷人既定而吊於壙,周人反哭而吊於家,如之何?”孔子曰:“反哭之吊也,喪之至也,反而亡矣,失之矣,於斯為甚,故吊之,死,人卒事也,殷以愨,吾從周.殷人既練之,明日,而祔於祖,周人既卒哭之明日,祔於祖,祔,祭神之始事也,周以戚,吾從殷.”戚猶促也
子貢問於孔子曰、「殷人既定而弔於壙、周人反哭而弔於家、如之何。」孔子曰、「反哭之弔也、喪之至也。反而亡矣、失之矣、於斯為甚、故弔之。死、人卒事也。殷以悫、吾從周。殷人既練之明日、而祔于祖。周人既卒哭之明日、祔于祖。祔、祭神之始也、周以戚【戚促】、吾從殷。」
子貢問曰:“聞諸晏子,少連大連善居喪,其有異稱乎?”孔子曰:“父母之喪,三日不怠,三月不解,期悲哀,三年憂,東夷之子,達於禮者也.”
子貢問曰、「聞諸晏子、少連大連善居喪、其有異稱乎。」孔子曰、「父母之喪、三日不怠、三月不解、期悲哀、三年憂。東夷之子、達於禮者也。」
子游問曰:“諸侯之世子,喪慈母如母,禮與?”孔子曰:“非禮也.古者男子外有傅父,內有慈母,君命所使教子者也,何服之有.昔魯孝公少喪其母,其慈母良,及其死也,公弗忍,欲喪之.有司曰:‘禮,國君慈母無服,今也君為之服,是逆古之禮,而亂國法也.若終行之,則有司將書之,以示後世,無乃不可乎.’公曰:‘古者天子喪慈母,練冠以燕居.’謂庶子王為其母也遂練以喪慈母.喪慈母如母,始則魯孝公之為也.”
子游問曰、「諸侯之世子、喪慈母如母、禮與。」孔子曰、「非禮也。古者男子外有傅父、內有慈母、君命所使教子者也、何服之有。昔魯孝公少喪其母、其慈母良、及其死也、公弗忍、欲喪之。有司曰、禮、國君慈母無服。今也君為之服、是逆古之禮而亂國法也。若終行之、則有司將書之以遣後世、無乃不可乎。公曰、古者天子喪慈母、練冠以燕居【言庶子王為其母】。遂練冠以喪慈母。喪慈母如母、始則魯孝公之為也。」
孔子適衛,遇舊館人之喪,入而哭之哀.出使子貢脫驂以贈之.子貢曰:‘所於識之喪,不能有所贈,贈於舊館,不已多乎?”孔子曰:“吾向入哭之,遇一哀而出涕,吾惡夫涕而無以將之,小子行焉.”
孔子適衛、遇舊館人之喪、入而哭之哀。出使子貢脫驂以贈之。子貢曰、「於所識之喪、不能有所贈。贈於舊館、不亦多乎。」孔子曰、「吾向入哭之、遇一哀而出涕。吾惡夫涕而無以將之。小子行焉。」
子路問於孔子曰:“魯大夫練而杖,禮也?”孔子曰:“吾不知也.”子路出,謂子貢曰:“吾以為夫子無所不知,夫子亦徒有所不知也.”子貢曰:“子所問何哉?”子路曰:“止,吾將為子問之.”遂趨而進曰:“練而杖,禮與?”孔子曰:“非禮也.”子貢出,謂子路曰:“子謂夫子而弗知之乎,夫子徒無所不知也,子問,非也,禮,居是邦則不非其大夫.”
子路問於孔子曰、「魯大夫練而杖、禮也。」孔子曰、「吾不知也。」子路出、謂子貢曰、「吾以為夫子無所不知、夫子亦徒有所不知也。」子貢曰、「子問何哉。」子路曰、「止、吾將為子問之。」遂趨而進曰、「練而杖、禮與。」孔子曰、「非禮也。」子貢出、謂子路曰、「子謂夫子而弗知之乎。夫子徒無所不知也、子問非也。禮、居是邦、則不非其大夫。」
叔孫母叔之母死,既小歛,舉屍者出戶,武孫從之出戶,乃袒投其冠而括髮.子路嘆之,孔子曰:“是禮也.”子路問曰:“將小歛則變服,今乃出戶,而夫子以為知禮,何也?”孔子曰:“由,汝問非也.君子不舉人以質士.”質猶正也齊晏桓子卒,平仲麤衰斬苴絰帶,杖以菅屨,食粥居傍廬,寢苫枕草,其老曰:“非大夫喪父之禮也.”晏子曰:“唯卿大夫.”曾子以問孔子.孔子曰:“晏平仲可謂能遠害矣.不以己知是駁人之非,愻辭以避咎,義也夫.”記者乃舉人避害之愻以辭而謂大夫士喪父母有異亦怪也
叔孫母叔之母死、既小斂、舉尸者出、武孫從之出戶、乃袒投其冠而括髮。子路嘆之、孔子曰、「是禮也。」子路問曰、「將小斂則變服、今乃出戶、而夫子以為知禮、何也。」孔子曰、「由、汝問非也。君子不舉人以質士。」【質正】齊晏桓子卒、平仲粗衰斬、苴絰帶、杖以菅屨、食粥居傍廬、寢苫枕草。其家老曰、「非大夫喪父之禮也。」晏子曰、「唯卿大夫。」曾子以問孔子、孔子曰、「晏平仲可謂能遠害矣。不以己之是駁人之非、愻辭以避咎、義也夫。」【記者乃舉人避害之謙辭、而言大夫士喪父母有異、亦怪】
季平子卒,將以君之璵璠歛,贈以珠玉.孔子初為中都宰,聞之歷級而救焉,歷級遽登階不聚足曰:“送而以寶玉,是猶曝屍於中原也,其示民以奸利之端,而有害於死者,安用之.且孝子不順情以危親,忠臣不兆奸以陷君.”兆奸為奸之兆成也乃止.
季平子卒、將以君之璵璠斂、贈以珠玉。孔子初為中都宰、聞之歷級而救焉【歷級遽登階不聚足】、曰、「送之以寶玉、是猶曝尸於中原也、其示民以姦利之端、而有害於死者、安用之。且孝子不順情以危親、忠臣不兆姦以陷君。」【兆姦為姦之朕兆】乃止。
孔子之弟子琴張與宗友衛齊豹,見宗魯於公子孟縶,孟縶以為參乘焉,及齊豹將殺孟縶,告宗魯,使行.宗魯曰:“吾由子而事之,今聞難而逃,是僭子也.僭不信使子言不信子行事乎,吾將死以事周子,而歸死於公孟可也.”齊氏用戈擊公孟,宗以背蔽之,斷肱中,公孟、宗魯皆死.琴張聞宗魯死,將?弔之.孔子曰:“齊豹之盜,孟縶之賊也,汝何吊焉?君不食奸,不受亂,不為利病於回,回邪也不以利放而病於邪也不以回事人,不蓋非義,蓋揜不犯非禮,汝何吊焉?”琴張乃止.
孔子弟子琴張與宗魯友、衛齊豹見宗魯於公子孟縶、孟縶以為驂乘。及齊豹將殺孟縶、告於宗魯、使行。宗魯曰、「我由子而事之、今聞難而逃、是使子之言不信【僭不信、使子言不信】。子行事乎、我將死以周事子、而歸死於公孟可也。」齊氏用戈擊公孟、宗魯以背蔽之、斷肱中、公孟宗魯皆死。琴張聞宗魯死、將往【底本此字殘缺】弔之。孔子曰、「齊豹、盜也、孟縶、賊也、汝何弔焉。君子不食姦、不受亂、不為利病於回【回邪、不以利故縱而病於邪】、不以回待人、不蓋不義【蓋掩】、不犯非禮。汝何弔焉。」琴張乃止。
郕人子革卒,哭之呼滅.舊說以滅子蒲名人少名滅者又哭名其父不近人情疑以孤窮自謂亡滅也子游曰:“若是哭也,其野哉.孔子惡野哭者.”哭者聞之遂改之.
郕人子革卒、哭之呼滅。【舊云滅子蒲名、人少名滅、又哭呼父名、不近人情、疑是以孤窮自稱亡】子游曰、「若是哭也、其野哉。孔子惡野哭者。」哭者聞之、遂改之。
公父文伯卒,其妻妾皆行哭失聲,敬姜戒之曰:“吾聞好外者士死之,好內者女死之,今吾子早殀,吾惡其以好內聞也,二三婦人之慾供先祀者,言欲留不改嫁供奉先人之祀請無瘠色,無揮涕,無拊膺,揮涕不哭流涕以手揮之拊猶撫也膺謂胸也無哀容,無加服,有降從禮而靜,是昭吾子也.”孔子聞之曰:“女智無若婦,男智莫若夫,公文氏之婦智矣,剖情損禮,欲以明其子為令德也.”
公父文伯卒、其妻妾皆行哭失聲。敬姜戒之曰、「吾聞好外者、士死之。好內者、女死之。今吾子早夭、吾惡其以好內聞也。二三婦人之欲供先祀者【言欲留不改嫁供先人之祀】、請無瘠色、無揮涕、無拊膺【揮涕不哭而流手揮。拊猶撫、膺胸】、無哀容、無加服、有降從禮而靜、是昭吾子也。」孔子聞之曰、「女智莫若婦、男智莫若夫。公文氏之婦智矣、剖情損禮、欲以明其子為令德。」
子路與子羔仕於衛,衛有蒯聵之難.孔子在魯,聞之曰:“柴也其來,由也死矣.”既而衛使至,曰:“子路死焉.”夫子哭之於中庭,有人吊者,而夫子拜之,已哭,進使者而問故,使者曰:“醢之矣.”遂令左右皆覆醢,曰:“吾何忍食此.”
子路與子羔仕於衛、衛有蒯聵之難。孔子在魯、聞之曰、「柴也其來、由也死矣。」既而衛使至、曰、「子路死焉。」夫子哭之於中庭、有人弔者、而夫子拜之。已哭、進使者而問故、使者曰、「醢之矣。」遂令左右皆覆醢、曰、「吾何忍食此。」
季桓子死,魯大夫朝服而吊.子游問於孔子曰:“禮乎?”夫子不答.他日,又問墓而不墳.孔子曰:“今丘也,東西南北之人,不可以弗識也,吾見封之若堂者矣,堂形四方若高者又見若坊者矣,坊形殺殺平上而長又見履夏屋者矣,又見若斧形者矣,吾從斧者焉.”於是封之,崇四尺.孔子先反虞,門人後.雨甚,至墓崩,修之而歸.孔子問焉,曰:“爾來何遲?”對曰:“防墓崩.”孔子不應,三云,孔子泫然而流涕曰:“吾聞之,古不修墓及二十五月而大祥,五日而彈琴不成聲,十日過禫而成笙歌.”孔子大祥二十五月禫故十日踰月而歌也
季桓子死、魯大夫朝服而弔。子游問於孔子曰、「禮乎。」夫子不答。他日又問墓而不墳。孔子曰、「今丘也東西南北之人也、不可以不識也。吾見封之若堂者矣【堂形四方而高】、又見若坊者矣【坊形旁殺、平上而長】、又見若夏屋者矣、又見若斧形者矣、吾從斧也。」於是封之、崇四尺。孔子先反虞、門人後。雨甚、至墓崩、修之歸。孔子問焉、曰、「爾來何遲。」對曰、「防墓崩。」孔子不應。三云、孔子泫然流涕曰、「吾聞之、古不修墓。及二十五月而大祥、五日而彈琴不成聲、十日過禫而成笙歌。」【孔子大祥二十五月、禫而十日、踰月而歌】
孔子有母之喪,既練,陽虎吊焉,私於孔子曰:“今季氏將大饗境內之士,子聞諸?”孔子答曰:“丘弗聞也.若聞之,雖在衰絰,亦欲與?.”陽虎曰:“子謂不然乎,季氏饗士,不及子也.”陽虎出,曾點問曰:“吾之何謂也?”孔子曰:“己則衰服,猶應其言,示所以不非也.”孔子衰服陽虎之言犯禮故孔子答之以示不非其言者也
孔子母喪、既練、陽虎弔焉、私於孔子曰、「今季氏將大饗境內之士、子聞諸。」孔子答曰、「丘弗聞也。若聞之、雖在衰絰、亦欲與【底本此字殘缺】。」陽虎曰、「子謂不然乎、季氏饗士、不及子也。」陽虎出、曾點問曰、「吾何謂也。」孔子曰、「己則衰服、猶應其言、示所以不非也。」【孔子衰服、陽虎之言犯禮、故孔子以此對之、示不非其言】
顏回死,魯定公吊焉,使人訪於孔子.孔子對曰:“凡在封內,皆臣子也,禮,君吊其臣,升自東階,向屍而哭,其恩賜之,施不有?也.”?蘇亂反?計也又竹器也
顏回死、魯定公弔焉、使人訪於孔子。孔子對曰、「凡在封內、皆臣子也。禮、君弔其臣、升自東階、向尸而哭。其恩賜之施、不有【底本此字殘缺】也。」【【底本此字殘缺】蘇亂反。【底本此字殘缺】計也、又竹器】
原思言於曾子曰:“夏后氏之送葬也,用盟器,示民無知也;殷人用祭器,示民有知也;周人兼而用之,示民疑也.”曾子曰:“其不然矣,夫以盟器,鬼器也,祭器,人器也,古之人胡為而死其親也.”子游問於孔子曰:“之死而致死乎,不仁,不可為也;之死而致生乎,不智,不可為也.凡為盟器者,知喪道也.夫子始死則矣,羔裘玄冠者,易之而已,汝何疑焉.
原思言於曾子曰、「夏后氏之送葬也、用明器、示民無知也。殷人用祭器、示民有知也。周人兼而用之、示民疑也。」曾子曰、「其不然矣。夫明器鬼之器、祭器人之器、上古之人胡為而死其親乎。」子游問於孔子曰、「之死而致死乎、不仁、不可為也。之死而致生乎、不智、不可為也。凡為明器者、知喪道也。夫子始死則【底本此處疑有脫文】、羔裘玄冠者、易之而已、汝何疑焉。」
子罕問於孔子曰:“始死之設重也,何為?”孔子曰:“重主道也,殷主綴重焉,綴連也殷人作主而連其重懸諸廟也周人徹重焉.周人作主徹重就所倚處而治請問喪朝.”喪將葬朝於廟而後行焉子曰:“喪之朝也,順死者之孝心,故至於祖者,廟而後行.殷朝而後殯於祖,周朝而後遂葬.”
子罕問於孔子曰、「始死設重、何也。」孔子曰、「重主道也。殷主綴重焉【綴連。殷人作主、而連其重縣諸廟】、周人徹重焉【周人作主、徹重、就所倚處而治】。請問喪朝。」【喪將葬、朝于廟而後行】曰、「喪之朝也、順死者之孝心也、故至于祖考廟而后行。殷朝而後殯於祖、周朝而後遂葬。」
孔子之守狗死,謂子貢曰:“路馬死,路馬常所乘馬則藏之以帷,狗則藏之以蓋,汝?埋之.吾聞弊幃不棄,為埋馬也,弊蓋不棄,為埋狗也.今吾貧無蓋,於其封也與之席,無使其首陷於土焉.”
孔子之守狗死、謂子貢曰、「路馬死【路馬常所乘馬】則藏之以帷、狗則藏之以蓋。汝往【底本此字殘缺】埋之。吾聞弊帷不棄、為埋馬也。弊蓋不棄、為埋狗也。今吾貧無蓋、於其封也、與之席、無使其首陷於土焉。」
曲禮公西赤問第四十四
曲禮公西赤問第四十四
公西赤問於孔子曰:“大夫以罪免卒,其葬也如之何?”孔子曰:“大夫廢其事,終身不仕,死則葬之以士禮,老而政仕者,死則從其列.”
公西赤問於孔子曰、「大夫以罪免卒、其葬也如之何。」孔子曰、「大夫廢其事、終身不仕、死則葬之以士禮。老而致仕者、死則從其列。」
公儀仲子嫡子死,而立其弟,檀弓問子服伯子曰:“何居?我未之前聞也.”子服伯子曰:“仲子亦猶行古人之道,昔者文王拾伯邑考,伯邑考文王之長子也言文王亦立子而不立孫也而立武王,微子舍其孫腯,立其弟衍.”子游以聞諸孔子,子曰:“否,周制立孫.”
公儀仲子嫡子死、而立其弟。檀弓問子服伯子曰、「何居、我未之前聞也。」子服伯子曰、「仲子亦猶行古人之道。昔者文王拾伯邑考【伯邑考文王長子。言文王亦立子不立孫】而立武王、微子舍其孫腯、立其弟衍。」子游以告孔子、孔子曰、「否、周制立孫。」
孔子之母既葬,將立葬焉,曰:“古者不祔葬,為不忍先死者之復見也.詩云:‘死則同穴.’自周公已來祔葬矣.故衛人之祔也,離之,有以聞焉;魯人之祔也,合之,美夫,吾從魯.”遂合葬於防曰:“吾聞之有備物而不可用也,是故竹不成用,謂籩之無緣而瓦不成膝,膝鑌琴瑟張而不平,笙竽備而不和,有鐘磬而無簨?.簨?可以懸鐘磬也.簨先尹反.?其舉反其曰盟器,神明之也,哀哉,死者而用生者之器,不殆而用殉也.”殺人以從死謂之殉
孔子母既葬、將立葬焉、曰、「古者不祔葬、為不忍先死者之復見也。《詩》云、死則同穴。自周公已來祔葬矣。故衛人之祔也、離之、有以聞焉。魯人之祔也、合之、美夫、吾從魯。」遂合葬於防、曰、「吾聞之有備物而不可用也。是故竹不成用【謂籩之無緣】、瓦不成膝【膝鑲】、琴瑟張而不平、笙竽備而不和、有鍾磬而無簨【底本此字殘缺】【簨【底本此字殘缺】可懸鍾磬】。其曰明器、神明之也。哀哉、死者而用生者之器、不殆而用殉也。」【殺人以從死曰殉】
子游問於孔子曰:“葬者塗車芻靈,自古有之,然今人或有偶,偶亦人也是無益於喪.”孔子曰:“為芻靈者善矣,為偶者不仁,不殆於用人乎.”
子游問於孔子曰、「葬者塗車芻靈、自古有之、然今人或有偶【偶亦人】、是無益於喪。」孔子曰、「為芻靈者善矣、為偶者不仁、不殆於用人乎。」
顏淵之喪既祥,顏路饋祥肉於孔子.孔子自出而受之,入彈琴以散情,而後乃食之.孔子嘗奉薦而進,嘗秋祭也其親也愨,愨親之奉薦也慈質也其行也趨,趨以數.言少威儀已祭,子貢問曰:“夫子之言祭也,濟濟漆漆焉,威儀容止今夫子路為季氏宰,季氏祭逮昏而奠,終日不足,繼以燭,雖有強力之容,肅敬之心,皆倦怠矣.有司跛倚以臨,其為不敬也大矣.”他日,子路與焉,室事交於戶,堂事當於階,質明而始行事,晏朝而徹.孔子聞之曰:“孰為士也而不知禮.”
顏淵之喪既祥、顏路饋祥肉於孔子。孔子自出而受之、入彈琴以散情、而後乃食。孔子嘗奉薦而進【嘗秋祭】、其親也悫【悫質親奉薦之慈】、其行趨趨以數【言少威儀】。已祭、子貢問曰、「夫子之言祭也、濟濟漆漆焉【威儀容止】。今夫子路為季氏宰、季氏祭逮昏而奠、日不足、繼之以燭、雖有強力之容、肅敬之心、皆倦怠矣。有司跛倚以臨、其為不敬也大矣。」他日、子路與焉、室事交于戶、堂事交于階、質明而行事、晏朝而退。孔子聞之曰、「誰謂由也而不知禮。」
