孟子
孟子曰く、「離婁之明、公輸子之巧、規矩を以てせずんば、以て方員を成す能はず。師曠之聰、六律を以てせずんば、以て五音を正くする能はず。堯舜之道…
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
梁惠王(りょうけいおう)上
孟子見梁惠王。王曰:「叟不遠千里而來,亦將有以利吾國乎?」
孟子、梁恵王に見ゆ。恵王曰く、「老丈(ろうじょう)、千里を遠しとせずして來たり。また將に有らんや、もて我が國を利するに」と。
孟子對曰:「王何必曰利?亦有仁義而已矣。王曰『何以利吾國』?大夫曰『何以利吾家』?士庶人曰『何以利吾身』?上下交徵利而國危矣。萬乘之國弒其君者,必千乘之家;千乘之國弒其君者,必百乘之家。萬取千焉,千取百焉,不為不多矣。苟為後義而先利,不奪不饜。未有仁而遺其親者也,未有義而後其君者也。王亦曰仁義而已矣,何必曰利?」
孟子對へて曰く、「王何必らか利を曰はんや。また仁義あるのみ。王曰く「何をもてか我が國を利せん」。大夫曰く「何をもてか我が家を利せん」。士庶人曰く「何をもてか我が身を利せん」。上下交相に利を征ぎて、國危きなり。萬乘の國、その君を弑する者は必ず千乘の家、千乘の國、その君を弑する者は必ず百乘の家。萬の中より千を取り、千の中より百を取るは、多からざると爲さず。苟くも義を後にして利を先にすれば、奪ひ取らざれば饜(あ)きず。未だ仁を行ひてその親を遺棄する者あらず、未だ義を行ひてその君を後にする者あらず。王また仁義を曰くのみ、何必らか利を曰はん」と。
孟子見梁惠王,王立於沼上,顧鴻鴈麋鹿,曰:「賢者亦樂此乎?」
孟子、梁恵王に見ゆ。恵王、池沼の上に立ち、鴻雁(こうがん)麋鹿(びろく)を顧みて曰く、「賢者また此れを以て樂しむか」と。
孟子對曰:「賢者而後樂此,不賢者雖有此,不樂也。《詩》云:『經始靈臺,經之營之,庶民攻之,不日成之。經始勿亟,庶民子來。王在靈囿,麀鹿攸伏,麀鹿濯濯,白鳥鶴鶴。王在靈沼,於牣魚躍。』文王以民力為臺為沼。而民歡樂之,謂其臺曰靈臺,謂其沼曰靈沼,樂其有麋鹿魚鼈。古之人與民偕樂,故能樂也。《湯誓》曰:『時日害喪?予及女偕亡。』民欲與之偕亡,雖有臺池鳥獸,豈能獨樂哉?」
孟子對へて曰く、「賢者となりて後此れを樂しむことを得、不賢の者此れありと雖も樂しむこと能はざるなり。《詩・大雅・靈臺》に曰く、「始め靈臺を經營す。これを經りこれを營る。衆民これを攻め、數日ならずして成る。始め經るに急がざれども、衆民子と來る。王靈囿に在り、麀鹿攸伏す。麀鹿濯濯、白鳥翯翯たり。王靈沼に在り、魚の躍れる滿ちたり」と。文王、民力を以て臺を爲し沼を爲すに、民これを歡びて、その臺を靈臺と謂ひその沼を靈沼と謂ひ、その麋鹿魚鼈あるを樂しむ。古の人、民と偕に樂しむ。故に能く樂しむなり。《書・湯誓》に曰く、「この日の喪ふ時、予爾と偕に亡びん」と。民彼と偕に死せんと欲す。臺池鳥獸ありと雖も、豈に獨り樂しむこと能はんや」と。
梁惠王曰:「寡人之於國也,盡心焉耳矣。河內兇,則移其民於河東,移其粟於河內。河東兇亦然。察鄰國之政,無如寡人之用心者。鄰國之民不加少,寡人之民不加多,何也?」
梁恵王曰く、「寡人の國に於けるや、耳に盡す。河內凶なれば、卽ちその民を河東に移し、その粟を河內に運ぶ。河東凶なるもまた然り。鄰國の政を察するに、寡人の如く心を盡す者なし。鄰國の民少なからず、寡人の民加はらざるは何ぞや」と。
孟子對曰:「王好戰,請以戰喻。填然鼓之,兵刃既接,棄甲曳兵而走。或百步而後止,或五十步而後止。以五十步笑百步,則何如?」
孟子對へて曰く、「王戰ひを好む。請ふ、戰を以て喩へん。枵然と鼓を鼓して、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或は百歩して後止み、或は五十歩して後止む。五十歩を以て百歩を笑はば、則ち如何」と。
曰:「不可,直不百步耳,是亦走也。」
恵王曰く、「可ならず。直ち百歩に至らざるのみ、是れ亦走るなり」と。
曰:「王如知此,則無望民之多於鄰國也。不違農時,谷不可勝食也;數罟不入洿池,魚鼈不可勝食也;斧斤以時入山林,材木不可勝用也。谷與魚鼈不可勝食,材木不可勝用,是使民養生喪死無憾也。養生喪死無憾,王道之始也。五畝之宅,樹之以桑,五十者可以衣帛矣;雞豚狗彘之畜,無失其時,七十者可以食肉矣;百畝之田,勿奪其時,數口之家可以無飢矣;謹庠序之教,申之以孝悌之義,頒白者不負戴於道路矣。七十者衣帛食肉,黎民不飢不寒,然而不王者,未之有也。
孟子曰く、「王若し此れを知らば、則ち民の鄰國に多きを望むこと無かれ。農時に違はざれば、穀食ひ勝たず。數罟洿池に入らざれば、魚鼈食ひ勝たず。斧斤時を以て山林に入れば、材木用ひ勝たず。穀と魚鼈食ひ勝たず、材木用ひ勝たざれば、是れ民をして生を養ひ死を送るに憾みなからしむ。生養死送憾みなきは、王道の始めなり。五畝の宅、桑を樹てゝ、五十の者以て帛を衣る可し。鷄豚狗彘の畜、其の時を失はざれば、七十の者以て肉を食ふ可し。百畝の田、其の耕する時を奪はざれば、數口の家以て飢ゑざる可し。庠序の敎を謹み、申して孝悌の義を以てすれば、頒白の者道路に於て負戴せざらん。七十の者帛を衣肉を食ひ、黎民飢ゑず寒からず、然りて王たらざるは未だ之れ有らざるなり。
狗彘食人食而不知檢,塗有餓莩而不知發;人死,則曰:『非我也,歲也。』是何異於刺人而殺之,曰:『非我也,兵也。』王無罪歲,斯天下之民至焉。」
(孟子續けて曰く、)狗彘人の食を食らひて檢するを知らず、塗に餓莩あるも發するを知らず。人死するや、則ち曰く「我ならず、歲なり」と。是れ人を刺して之を殺して曰く「我ならず、兵なり」と、何ぞ異ならん。王歲を罪せずんば、斯に天下の民至らん」と。
梁惠王曰:「寡人願安承教。」
梁恵王曰く、「寡人願はくは安んじて敎を承けん」と。
孟子對曰:「殺人以梃與刃,有以異乎?」
孟子對へて曰く、「梃を以て人を殺すと、刃を以て人を殺すと、異なること有るか」と。
曰:「無以異也。」
恵王曰く、「異なること無し」と。
「以刃與政,有以異乎?」
(孟子續けて問ふ、)「刃を以てすと、政を以てすと、異なること有るか」と。
曰:「無以異也。」
恵王曰く、「異なること無し」と。
曰:「庖有肥肉,廐有肥馬,民有飢色,野有餓莩,此率獸而食人也。獸相食,且人惡之。為民父母,行政不免於率獸而食人。惡在其為民父母也?仲尼曰:『始作俑者,其無後乎!』為其象人而用之也。如之何其使斯民飢而死也?」
孟子曰く、「庖に肥肉有り、廐に肥馬有り、民に飢色有り、野に餓莩有り。此れ獸を率ゐて人を食ましむ。獸相食むも人且つ之を惡む。民の父母と爲りて、政を行ひて獸を率ゐて人を食ましむことを免れざれば、惡に在りてか民の父母と爲らん。仲尼曰く、「始めて俑を作れる者は、其れ後無からんか」と。其れ人に象りて之を用ふるを以てなり。之を如何せんや、斯の民をして飢ゑて死なしめんや」と。
梁惠王曰:「晉國,天下莫強焉,叟之所知也。及寡人之身,東敗於齊,長子死焉;西喪地於秦七百里;南辱於楚。寡人恥之,願比死者一灑之,如之何則可?」
梁恵王曰く、「晉國、天下彊なること如きなし。老丈の知れる所なり。寡人の身に及んで、東は齊に敗れ、長子焉に死し、西は地を秦に喪ふこと七百里、南は楚に辱めらる。寡人此れを恥ぢ、願はくは死者の爲に一に之を灑ぎたい。之を如何せんや則ち可ならん」と。
孟子對曰:「地方百里而可以王。王如施仁政於民,省刑罰,薄稅斂,深耕易耨。壯者以暇日修其孝悌忠信,入以事其父兄,出以事其長上,可使制梃以撻秦楚之堅甲利兵矣。彼奪其民時,使不得耕耨以養其父母,父母凍餓,兄弟妻子離散。彼陷溺其民,王往而徵之,夫誰與王敵?故曰:『仁者無敵。』王請勿疑!」
孟子對へて曰く、「地方百里にして以て王たる可し。王若し民に仁政を施さば、刑罰を省き、税斂を薄くし、耕を深くし耨を易くすれば、壯者暇日を以てその孝悌忠信を修め、入りて以て父兄に事へ、出でて以て長上に事へ、可ならん、彼らをして梃を制して秦楚の堅甲利兵を撻伐せしめん。彼の國、其の民の時を奪ひ、耕耨して其の父母を養ふことを得せしめず。父母凍餓し、兄弟妻子離散す。彼の其の民を陷溺するや、王往きて之を征せば、夫れ誰か王と敵せん。故曰く、「仁者敵なし」と。王請ふ疑ふ勿れ」と。
孟子見梁襄王。出,語人曰:「望之不似人君,就之而不見所畏焉。卒然問曰:『天下惡乎定?』吾對曰:『定於一。』
孟子、梁襄王に見ゆ。出で語りて曰く、「望むに人君に似ず、就きて畏る所を見ず。卒然として問ふ、「天下惡に在りて定まらん」と。吾對へて曰く、「一に於て定まる」と。
『孰能一之?』對曰:『不嗜殺人者能一之。』
(孟子續けて轉じて曰く、)「孰れか能く之を一にせん」と。吾對へて曰く、「人を殺すを嗜まざる者能く之を一にす」と。
『孰能與之?』對曰:『天下莫不與也。王知夫苗乎?七八月之間旱,則苗槁矣。天油然作云,沛然下雨,則苗浡然興之矣。其如是,孰能御之?今夫天下之人牧,未有不嗜殺人者也,如有不嗜殺人者,則天下之民皆引領而望之矣。誠如是也,民歸之,由水之就下,沛然誰能御之?』」
(孟子續けて轉じて曰く、)「孰れか能く之に與らん」と。吾對へて曰く、「天下與らざる莫し。王苗を知らずや。七八月の間旱くば、則ち苗槁る。天油然として雲を作し、沛然として雨を下さば、則ち苗浡然として之を興す。其の如くんば、孰れか能く禦がん。今夫天下の人を牧する者、未だ人を殺すを嗜まざる者あらず。若し人を殺すを嗜まざる者有らば、則ち天下の民皆引領して之を望まん。誠に如是なれば、民之に歸するや、猶ほ水の下に就くがごとし。沛然として孰れか能く禦がん」と。」
齊宣王問曰:「齊桓、晉文之事可得聞乎?」
齊宣王問ふて曰く、「齊桓、晉文の事、以て聞く可きか」と。
孟子對曰:「仲尼之徒無道桓、文之事者,是以後世無傳焉。臣未之聞也。無以,則王乎?」
孟子對へて曰く、「仲尼の徒、桓文の事を道ふ者無し。是を以て後世傳はる無し。臣未だ之を聞かず。已むを得ざれば、則ち王を云はんか」と。
曰:「德何如,則可以王矣?」
宣王曰く、「德何の如くんば、則ち以て王たる可きか」と。
曰:「保民而王,莫之能御也。」
孟子曰く、「民を保して王たる、之を禦ぐ莫きなり」と。
曰:「若寡人者,可以保民乎哉?」
宣王曰く、「寡人の若きは、以て民を保する可きか」と。
曰:「可。」
孟子曰く、「可なり」と。
曰:「何由知吾可也?」
宣王曰く、「何を以て吾の可なるを知るや」と。
曰:「臣聞之胡齕曰,王坐於堂上,有牽牛而過堂下者,王見之,曰:『牛何之?』對曰:『將以釁鐘。』王曰:『舍之!吾不忍其觳觫,若無罪而就死地。』對曰:『然則廢釁鐘與?』曰:『何可廢也?以羊易之!』不識有諸?」
孟子曰く、「臣之を胡齕(ここつ)に聞く、曰く、王堂上に坐す。有りて牽牛し堂下を過ぐ。王之を見て曰く、「牛之に之く」と。對へて曰く、「將に以て鐘を釁かんとす」と。王曰く、「之を舍てよ。吾其の觳觫(こくそく)して若く罪無くして死地に就くに忍びず」と。對へて曰く、「然らば則ち鐘釁くを廢せんか」と。曰く、「惡に在りてか廢せん。羊を以て之を易へよ」と。此れ有るを識らずや」と。
曰:「有之。」
宣王曰く、「之れ有り」と。
曰:「是心足以王矣。百姓皆以王為愛也,臣固知王之不忍也。」
孟子曰く、「是の心王たるに足れり。百姓皆王を以て愛(吝)と爲す。臣固より王之不忍なるを知る」と。
王曰:「然。誠有百姓者。齊國雖褊小,吾何愛一牛?即不忍其觳觫,若無罪而就死地,故以羊易之也。」
宣王曰く、「然り。誠に是の百姓有り。齊國褊小と雖も、吾何ぞ一牛を愛せんや。卽ち其の觳觫して若く罪無くして死地に就くに忍びざれば、故に羊を以て之を易へるなり」と。
曰:「王無異於百姓之以王為愛也。以小易大,彼惡知之?王若隱其無罪而就死地,則牛羊何擇焉?」
孟子曰く、「王百姓の王を以て愛と爲すを怪しむこと無かれ。小を以て大を易ふるは、彼惡に在りてか之を知らん。王若し其の罪無くして死地に就くを隱すれば、則ち牛羊何ぞ擇ばん」と。
王笑曰:「是誠何心哉?我非愛其財。而易之以羊也,宜乎百姓之謂我愛也。」
宣王笑ひて曰く、「是れ誠に何の心ぞや。我其の財を愛するに非ざるなり、宜なり、之に就きて百姓の我を以て愛と謂ふは」と。
曰:「無傷也,是乃仁術也,見牛未見羊也。君子之於禽獸也,見其生,不忍見其死;聞其聲,不忍食其肉。是以君子遠庖廚也。」
孟子曰く、「傷ること無し。是れ乃ち仁の術なり。牛を見て羊を見ざればなり。君子の禽獸に於けるや、その生くるを見て其の死するを見るに忍びず、その聲を聞きて其の肉を食らふに忍びず。是を以て君子庖廚に遠ざかる」と。
王說曰:「《詩》云:『他人有心,予忖度之。』夫子之謂也。夫我乃行之,反而求之,不得吾心。夫子言之,於我心有慼慼焉。此心之所以合於王者,何也?」
宣王說びて曰く、「《詩・小雅・巧言》に曰く、「他人心有り、予之を忖度す」と。夫子の謂ひなり。夫れ我乃ち之を行ひ、反而て其の心を求むるに、吾が心を得ず。夫子之を言へば、我心に戚戚として動く有り。此の心の王道に合する所以は何ぞや」と。
曰:「有復於王者曰:『吾力足以舉百鈞』,而不足以舉一羽;『明足以察秋毫之末』,而不見輿薪,則王許之乎?」
孟子曰く、「有りて王に復(報)して曰く、「吾が力足らん、以て百鈞を舉ぐ」と、然るに足らず、以て一羽を舉ぐ。「明足らん、以て秋毫の末を察す」と、然るに見えず、以て輿薪を見る。則ち王之を許さんか」と。
曰:「否。」
宣王曰く、「否」と。
「今恩足以及禽獸,而功不至於百姓者,獨何與?然則一羽之不舉,為不用力焉;輿薪之不見,為不用明焉,百姓之不見保,為不用恩焉。故王之不王,不為也,非不能也。」
(孟子續けて曰く、)「今恩足りて禽獸に及ぼすも、功百姓に至らざるは、獨り何と爲るか。然らば一羽の舉がらざるは、力を用ゐざるを爲とし、輿薪の見ざるは、明を用ゐざるを爲とし、百姓の保せられざるは、恩を用ゐざるを爲とす。故に王の王たらざるは、不爲なり、不能に非ざるなり」と。
曰:「不為者與不能者之形何以異?」
宣王曰く、「不爲と不能との形、何以て異にするや」と。
曰:「挾太山以超北海,語人曰『我不能』,是誠不能也。為長者折枝,語人曰『我不能』,是不為也,非不能也。故王之不王,非挾太山以超北海之類也;王之不王,是折枝之類也。老吾老,以及人之老;幼吾幼,以及人之幼。天下可運於掌。《詩》云:『刑于寡妻,至於兄弟,以御於家邦。』言舉斯心加諸彼而已。故推恩足以保四海,不推恩無以保妻子。古之人所以大過人者無他焉,善推其所為而已矣。今恩足以及禽獸,而功不至於百姓者,獨何與?權,然後知輕重;度,然後知長短。物皆然,心為甚。王請度之!抑王興甲兵,危士臣,構怨於諸侯,然後快於心與?」
孟子曰く、「太山を挾みて以て北海を超ゆ、人に語りて曰く「我不能」と、是れ誠に不能なり。長者に爲に枝を折る、人に語りて曰く「我不能」と、是れ不爲なり、不能に非ざるなり。故に王の王たらざるは、太山を挾みて以て北海を超ゆるの類に非ず。王の王たらざるは、枝を折るの類なり。吾が老を老として以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として以て人の幼に及ぼせば、天下掌に運らす可し。《詩・大雅・思齊》に曰く、「寡妻に刑(型)り、兄弟に至り、以て家邦を御す」と。言ふは斯の心を舉げて之を諸に加ふるのみ。故に恩を推すは以て四海を保するに足り、恩を推さざれば以て妻子を保すること無し。古の人の大いに人に過ぐる所以は、他無し、善く其の爲す所を推すのみ。今恩足りて禽獸に及ぼすも、功百姓に至らざるは、獨り何と爲るか。權(はかり)て後輕重を知り、度(はかり)て後長短を知る。物皆然り、心是れ甚し。王請ふ之を度へん。抑々王甲兵を興し、士臣に危きをし、諸侯に怨を構へて、然る後心に快からんとするか」と。
王曰:「否。吾何快於是?將以求吾所大欲也。」
宣王曰く、「否。吾何ぞ是を快とせん。將に吾が大欲する所を求めん」と。
曰:「王之所大欲可得聞與?」王笑而不言。
孟子曰く、「王の大欲する所、以て聞く可きか」と。宣王笑ひて言はず。
曰:「為肥甘不足於口與?輕煖不足於體與?抑為采色不足視於目與?聲音不足聽於耳與?便嬖不足使令於前與?王之諸臣皆足以供之,而王豈為是哉?」
孟子曰く、「肥甘を爲して口に足らざるか、輕煖を爲して體に足らざるか、抑々采色を爲して目に視る足らざるか、聲音を爲して耳に聽く足らざるか、便嬖を爲して前に使令する足らざるか。王の諸臣皆足りて之を供す。而して王豈に是れが爲ならんや」と。
曰:「否。吾不為是也。」
宣王曰く、「否。吾是が爲にするに非ず」と。
曰:「然則王之所大欲可知已。欲闢土地,朝秦楚,蒞中國而撫四夷也。以若所為求若所欲,猶緣木而求魚也。」
孟子曰く、「然らば則ち王の大欲する所、知る可し。土地を闢き、秦楚を朝せしめ、中國に莅きて四夷を撫せんと欲すなり。若くする所を以て若くする所を求むるは、猶ほ木に緣りて魚を求むるがごとし」と。
王曰:「若是其甚與?」
宣王曰く、「若し之の甚しきか」と。
曰:「殆有甚焉。緣木求魚,雖不得魚,無後災。以若所為,求若所欲,盡心力而為之,後必有災。」
孟子曰く、「殆ど之に甚しき有らん。木に緣りて魚を求むるは、魚を得ずと雖も後の災ひ無し。若くする所を以て若くする所を求むるは、心力を盡して之を爲せば、後必ず災ひ有らん」と。
曰:「可得聞與?」
宣王曰く、「以て聞く可きか」と。
曰:「鄒人與楚人戰,則王以為孰勝?」
孟子曰く、「鄒人と楚人と戰ふ。王以て孰れか勝たんと爲す」と。
曰:「楚人勝。」
宣王曰く、「楚人勝たん」と。
曰:「然則小固不可以敵大,寡固不可以敵眾,弱固不可以敵彊。海內之地方千里者九,齊集有其一。以一服八,何以異於鄒敵楚哉?蓋亦反其本矣。今王發政施仁,使天下仕者皆欲立於王之朝,耕者皆欲耕於王之野,商賈皆欲藏於王之市,行旅皆欲出於王之塗,天下之慾疾其君者皆欲赴愬於王。其若是,孰能御之?」
孟子曰く、「然らば則ち小固より以て大に敵すること能はず、寡固より以て衆に敵すること能はず、弱固より以て強に敵すること能はず。海內の地、方千里の者九あり。齊一を集めて其一を以てす。一を以て八に服さんと欲するは、鄒の楚を敵するに何以ぞ異ならんや。蓋し亦その本に反れ。今王政令を發し仁を施さば、天下の仕ふる者皆王の朝廷に立たんと欲し、耕する者皆王の田野に耕さんと欲し、商賈皆王の市に藏せんと欲し、行旅皆王の塗に出でんと欲し、天下その君を疾める者皆欲して王に赴きて愬へん。其の如くんば、孰れか能く禦がん」と。
王曰:「吾惛,不能進於是矣。願夫子輔吾志,明以教我。我雖不敏,請嘗試之。」
宣王曰く、「吾惛として、是に進むこと能はず。願はくは夫子吾が志を輔け、明らかに我を敎へん。我敏ならずと雖も、請ふ嘗試せん」と。
曰:「無恆產而有恆心者,惟士為能。若民,則無恆產,因無恆心。苟無恆心,放闢,邪侈,無不為已。及陷於罪,然後從而刑之,是罔民也。焉有仁人在位,罔民而可為也?是故明君制民之產,必使仰足以事父母,俯足以畜妻子,樂歲終身飽,凶年免於死亡。然後驅而之善,故民之從之也輕。今也制民之產,仰不足以事父母,俯不足以畜妻子,樂歲終身苦,凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍,奚暇治禮義哉?王欲行之,則盍反其本矣。五畝之宅,樹之以桑,五十者可以衣帛矣;雞豚狗彘之畜,無失其時,七十者可以食肉矣;百畝之田,勿奪其時,八口之家可以無飢矣;謹庠序之教,申之以孝悌之義,頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉,黎民不飢不寒,然而不王者,未之有也。」
孟子曰く、「恒産無くして恒心あるは、惟れ士爲に能くす。民の若きは、則ち恒産無く、因りて恒心無し。苟くも恒心無くんば、放辟邪侈、爲す所無きなし。罪に陷るに及びて、然る後從りて之を刑す。是れ民を罔(網)く。焉んぞ仁人位に在りて、民を罔くことを爲さんや。是故に明君民の産を制す。必ず仰いで以て父母に事ふるに足り、俯して以て妻子を畜ふに足り、樂歲終身飽き、凶年死亡を免れしむ。然る後驅りて之を善にすれば、故に民の之に從ふこと易し。今も民の産を制するや、仰いで以て父母に事ふるに足らず、俯して以て妻子を畜ふに足らず、樂歲終身苦しみ、凶年死亡を免れず。此れ惟れ死を救ふに贍(た)らざるを恐る。奚に暇あって禮義を修めんや。王之を行なはんと欲せば、則ち盍ぞ其の本に反らざる。五畝の宅、樹てゝ以て桑、五十の者以て帛を衣る可し。鷄豚狗彘の畜、其の時を失はざれば、七十の者以て肉を食ふ可し。百畝の田、其の耕する時を奪はざれば、八口の家以て飢ゑざる可し。庠序の敎を謹み、申して以て孝悌の義、頒白の者道路に於て負戴せざらん。老者帛を衣り肉を食ひ、黎民飢ゑず寒からず、然りて王たらざるは、未だ之れ有らざるなり」と。
梁惠王(りょうけいおう)下
莊暴見孟子,曰:「暴見於王,王語暴以好樂,暴未有以對也。」曰:「好樂何如?」
莊暴孟子に見えて曰く、「暴王に見えて、王暴に語りて樂を好むと、暴未だ以て對へる有らず」といふ。又曰く、「樂を好むこと如何」と。
孟子曰:「王之好樂甚,則齊國其庶幾乎!」
孟子曰く、「王之樂を好むこと甚しきは、則ち齊國其れ庶幾ならんか」と。
他日,見於王曰:「王嘗語莊子以好樂,有諸?」王變乎色,曰:「寡人非能好先王之樂也,直好世俗之樂耳。」
他日、王に見えて曰く、「王嘗て莊子に語りて樂を好むと、有りて之諸」と。王色を變へて曰く、「寡人非ざるなり、能く先王の樂を好むに、直ち世俗の樂を好むのみ」と。
曰:「王之好樂甚,則齊其庶幾乎!今之樂猶古之樂也。」曰:「可得聞與?」
孟子曰く、「王之樂を好むこと甚しきは、則ち齊其れ庶幾ならんか。今の樂、猶ほ古の樂のごとし」といふ。曰く、「以て聞く可きか」と。
曰:「獨樂樂,與人樂樂,孰樂?」曰:「不若與人。」
曰く、「獨り樂樂、人と樂樂、孰れと樂しむか」と。曰く、「人とするに若かず」と。
曰:「與少樂樂,與眾樂樂,孰樂?」曰:「不若與眾。」
曰く、「少しきと樂樂、衆と樂樂、孰れと樂しむか」と。曰く、「衆とするに若かず」と。
「臣請為王言樂:今王鼓樂於此,百姓聞王鐘鼓之聲,管籥之音,舉疾首蹙頞而相告曰:『吾王之好鼓樂,夫何使我至於此極也?父子不相見,兄弟妻子離散。』今王田獵於此,百姓聞王車馬之音,見羽旄之美,舉疾首蹙頞而相告曰:『吾王之好田獵,夫何使我至於此極也?父子不相見,兄弟妻子離散。』此無他,不與民同樂也。」
(孟子續けて曰く、)「臣請ふ、王の爲に樂を言はん。今王樂を鼓するに於此るや、百姓王の鐘鼓の聲、管籥の音を聞き、疾首蹙頞して相告げて曰く、「吾が王の樂を鼓するを好む、夫れ何ぞ我を至此の極めしむるや。父子見えず、兄弟妻子離散す」と。今王田獵に於此るや、百姓王の車馬の音を聞き、羽旄の美を見て、疾首蹙頞して相告げて曰く、「吾が王の田獵を好む、夫れ何ぞ我を至此の極めしむるや。父子見えず、兄弟妻子離散す」と。此れ他無し、民と樂しまざればなり」と。
「今王鼓樂於此,百姓聞王鐘鼓之聲,管籥之音,舉欣欣然有喜色而相告曰:『吾王庶幾無疾病與?何以能鼓樂也?』今王田獵於此,百姓聞王車馬之音,見羽旄之美,舉欣欣然有喜色而相告曰『吾王庶幾無疾病與?何以能田獵也?』此無他,與民同樂也。今王與百姓同樂,則王矣。」
(孟子續けて曰く、)「今王樂を鼓するに於此るや、百姓王の鐘鼓の聲、管籥の音を聞き、欣欣然として喜色有りて相告げて曰く、「吾が王庶幾く疾病無きか、何以て能く樂を鼓せんや」と。今王田獵に於此るや、百姓王の車馬の音を聞き、羽旄の美を見て、欣欣然として喜色有りて相告げて曰く、「吾が王庶幾く疾病無きか、何以て能く田獵せんや」と。此れ他無し、民と同じく樂しめばなり。今王百姓と樂しめば、則ち王たるなり」と。
齊宣王問曰:「文王之囿方七十里,有諸?」
齊宣王問ふて曰く、「文王の囿、方七十里。有りて之諸」と。
孟子對曰:「於傳有之。」
孟子對へて曰く、「傳に之れ有り」と。
曰:「若是其大乎?」
曰く、「若し之の大きなるか」と。
曰:「民猶以為小也。」
曰く、「民猶ほ以て小と爲す」と。
曰:「寡人之囿方四十里,民猶以為大,何也?」
曰く、「寡人の囿、方四十里。民猶ほ以て大と爲すは何ぞや」と。
曰:「文王之囿方七十里,芻蕘者往焉,雉兔者往焉,與民同之。民以為小,不亦宜乎?臣始至於境,問國之大禁,然後敢入。臣聞郊關之內有囿方四十里,殺其麋鹿者如殺人之罪。則是方四十里,為阱於國中。民以為大,不亦宜乎?」
曰く、「文王の囿、方七十里、芻蕘する者往き、雉兔する者往き、民と之を同じくす。民以て小と爲す、不も宜なり。臣始めて境に至るや、國の大禁を問ふて、然る後敢へて入る。臣聞く、郊關の內、囿方四十里有り、其の麋鹿を殺す者は、人を殺すの罪の如し。則ち是れ方四十里、國中に於て阱を爲すなり。民以て大と爲す、不も宜なり」と。
齊宣王問曰:「交鄰國有道乎?」
齊宣王問ふて曰く、「鄰國と交はるに道有るか」と。
孟子對曰:「有。惟仁者為能以大事小,是故湯事葛,文王事昆夷;惟智者為能以小事大,故大王事獯鬻,句踐事吳。以大事小者,樂天者也;以小事大者,畏天者也。樂天者保天下,畏天者保其國。《詩》云:『畏天之威,於時保之。』」
孟子對へて曰く、「有り。惟れ仁者爲に能く大を以て小に事ふ。是故に湯葛に事へ、文王昆夷に事ふ。惟れ智者爲に能く小を以て大に事ふ。故に太王獯鬻に事へ、句踐呉に事ふ。大を以て小に事ふるは、天を樂しむ者なり。小を以て大に事ふるは、天を畏れる者なり。天を樂しむ者は天下を保ち、天を畏れる者は其の國を保つ。《詩・周頌・我將》に曰く、「天の威を畏れ、于時之を保つ」と。」
王曰:「大哉言矣!寡人有疾,寡人好勇。」
王曰く、「大なるかな其の言。寡人疾有り、寡人勇を好む」と。
對曰:「王請無好小勇。夫撫劍疾視曰,『彼惡敢當我哉』!此匹夫之勇,敵一人者也。王請大之!《詩》云:『王赫斯怒,爰整其旅,以遏徂莒,以篤周祜,以對於天下。』此文王之勇也。文王一怒而安天下之民。《書》曰:『天降下民,作之君,作之師。惟曰其助上帝,寵之四方。有罪無罪,惟我在,天下曷敢有越厥志?』一人衡行於天下,武王恥之。此武王之勇也。而武王亦一怒而安天下之民。今王亦一怒而安天下之民,民惟恐王之不好勇也。」
對へて曰く、「王請ふ小勇を好む勿れ。夫れ劔を撫して疾視して曰く、「彼惡ぞ敢て我に當らん」。此れ匹夫の勇、一人に敵するのみ。王請ふ之を大にせん。《詩・大雅・皇矣》に曰く、「王赫(かく)然として斯に怒り、爰に其の旅を整へ、以て莒を徂くを遏(あ)げ、以て周に祜(こ)を篤うし、以て天下に對す」と。此れ文王の勇なり。文王一怒して天下の民を安んず。《書》に曰く、「天下民を降して之に君を作し之に師を作す。惟れ曰く、其れ上帝を助け、之を四方に寵す。罪有り無き、惟れ我が在り。天下何ぞ敢て其の志に越(踰)う者あらん」と。一人衡行して天下に於て、武王之を恥ぢたり。此れ武王の勇なり。武王亦一怒して天下の民を安んず。今王亦一怒して天下の民を安んぜば、民惟れ王之勇を好まざらんことを恐れん」と。
齊宣王見孟子於雪宮。王曰:「賢者亦有此樂乎?」
齊宣王、孟子を雪宮に見えん。王曰く、「賢者亦此の樂有るか」と。
孟子對曰:「有。人不得,則非其上矣。不得而非其上者,非也;為民上而不與民同樂者,亦非也。樂民之樂者,民亦樂其樂;憂民之憂者,民亦憂其憂。樂以天下,憂以天下,然而不王者,未之有也。
孟子對へて曰く、「有り。人之を得ずんば、則ち其の上に非る。得ずして上に非るは、可ならず。民の上と爲りて民と樂しまざるも、可ならず。民の樂を樂しむ者は、民亦其の樂を樂しむ。民の憂を憂ふる者は、民亦其の憂を憂ふ。樂に天下を以てし、憂に天下を以てすれば、然りて王たらざるは、未だ之れ有らざるなり。
「昔者齊景公問於晏子曰:『吾欲觀於轉附、朝儛,遵海而南,放於琅邪。吾何修而可以比於先王觀也?』晏子對曰:『善哉問也!天子適諸侯曰巡狩,巡狩者巡所守也;諸侯朝於天子曰述職,述職者述所職也。無非事者。春省耕而補不足,秋省斂而助不給。夏諺曰:「吾王不遊,吾何以休?吾王不豫,吾何以助?一遊一豫,為諸侯度。」今也不然:師行而糧食,飢者弗食,勞者弗息。睊睊胥讒,民乃作慝。方命虐民,飲食若流。流連荒亡,為諸侯憂。從流下而忘反謂之流,從流上而忘反謂之連,從獸無厭謂之荒,樂酒無厭謂之亡。先王無流連之樂,荒亡之行。惟君所行也。』景公說,大戒於國,出舍於郊。於是始興發補不足。召大師曰:『為我作君臣相說之樂!』蓋徵招角招是也。其詩曰:『畜君何尤?』畜君者,好君也。」
(孟子續けて曰く、)「昔者齊景公晏子に問ふて曰く、「吾轉附・朝儛を觀(見)んと欲し、海に遵りて南し、琅邪に放(至)る。吾何修めば、以て先王の觀に比せん」と。晏子對へて曰く、「善なるかな其の問。天子諸侯に適くを巡狩と曰す。巡狩は、其の守る所を巡るなり。諸侯天子に朝するを述職と曰す。述職は、其の職する所を述るなり。事無き無きなり。春は耕を省して不足を補ひ、秋は斂を省して不給を助く。夏諺曰く、「吾王遊ばずんば、吾何以て休まん。吾王豫ばずんば、吾何以て助けられん。一遊一豫、諸侯の度爲り」と。今も然らず。師行きて糧食し、飢ゑる者食を得ず、勞る者息を得ず。睊睊として胥讒し、民乃ち慝を作す。命に方(背)き民を虐し、飮食流るが若し。流連荒亡、諸侯の憂と爲る。流下りて反るを忘るるを流と謂ひ、流に從りて上りて反るを忘るるを連と謂ひ、獸に從ふこと厭(飽)き無きを荒と謂ひ、酒に樂しむこと亡きを亡と謂ふ。先王流連の樂、荒亡の行無し。惟れ君の行ひ如何を觀るのみ」といふ。景公說び、國內に大に戒し、出でて郊に舍す。於是に始めて興發して、不足を補ふ。太師を召して曰く、「我が爲に君臣相說ぶの樂を作れ」と。蓋し徵招・角招是れ也。其の詩に曰く、「君を畜ふに何の尤も有らん」と。君を畜ふは、君を好むなり」と。
齊宣王問曰:「人皆謂我毀明堂。毀諸?已乎?」
齊宣王問ふて曰く、「人皆我に謂る、明堂を毀らんと。毀る諸、已む諸」と。
孟子對曰:「夫明堂者,王者之堂也。王欲行王政,則勿毀之矣。」
孟子對へて曰く、「夫れ明堂は王者の堂なり。王王政を行はんと欲せば、則ち毀る勿れ」と。
王曰:「王政可得聞與?」
王曰く、「王政、以て聞く可きか」と。
對曰:「昔者文王之治岐也,耕者九一,仕者世祿,關市譏而不徵,澤梁無禁,罪人不孥。老而無妻曰鰥。老而無夫曰寡。老而無子曰獨。幼而無父曰孤。此四者,天下之窮民而無告者。文王發政施仁,必先斯四者。《詩》云:『哿矣富人,哀此煢獨。』」
對へて曰く、「昔者文王の岐を治むる、耕する者九一、仕ふる者世祿、關市譏(稽)して征せず、澤梁禁無し、罪人孥(妻子)不窮めず。老して妻無きを鰥と曰す。老して夫無きを寡と曰す。老して子無きを獨と曰す。幼にして父無きを孤と曰す。此の四者は、天下の窮民にして告ぐる所無きなり。文王政を發し仁を施すや、必ず斯の四者を先にす。《詩・小雅・正月》に曰く、「哿(か)矣富人、哀れむ此の焭獨(けいどく)を」と。」
王曰:「善哉言乎!」
王曰く、「善なるかな其の言」と。
曰:「王如善之,則何為不行?」
曰く、「王如かん、之を善と爲せば、則ち何爲ぞ行はざるや」と。
王曰:「寡人有疾,寡人好貨。」
王曰く、「寡人疾有り、寡人貨を好む」と。
對曰:「昔者公劉好貨,《詩》云:『乃積乃倉,乃裹餱糧,於橐於囊。思戢用光。弓矢斯張,干戈戚揚,爰方啟行。』故居者有積倉,行者有裹糧也,然後可以爰方啟行。王如好貨,與百姓同之,於王何有?」
對へて曰く、「昔者公劉貨を好めり。《詩・大雅・公劉》に曰く、「乃ち積み乃ち倉す、乃ち餱糧を裹む、橐と囊に于て、思ひ戢ねて用ひ光あらん。弓矢斯に張り、干戈戚揚をとり、爰に方啓行す」と。故に居る者積倉有り、行く者裹糧有り。然る後乃ち以て爰に啓す。王若し貨を好まば、百姓と同じくし、王に於て何之有らんや」と。
王曰:「寡人有疾,寡人好色。」
王曰く、「寡人疾有り、寡人色を好む」と。
對曰:「昔者大王好色,愛厥妃。《詩》云:『古公亶甫,來朝走馬,率西水滸,至於岐下。爰及姜女,聿來胥宇。』當是時也,內無怨女,外無曠夫。王如好色,與百姓同之,於王何有?」
對へて曰く、「昔者大王色を好み、其の妃を愛せり。《詩・大雅・綿》に曰く、「古公亶父、來朝馬を走らし、西水の滸を率り、岐下に至る。爰に姜女と及び、聿に來りて胥宇する」と。是の時に當り、內怨女無く、外曠夫無し。王若し色を好まば、百姓と同じくし、王に於て何之有らんや」と。
孟子謂齊宣王曰:「王之臣有托其妻子於其友,而之楚遊者。比其反也,則凍餒其妻子,則如之何?」
孟子齊宣王に謂ひて曰く、「王の臣、其の妻子を其の友に託して楚に遊ぶ者有り。其の反るに比(及)びて、則ち其の妻子を凍餒(どうだい)せしむ。則ち如何」と。
王曰:「棄之。」
王曰く、「之を棄つ」と。
曰:「士師不能治士,則如之何?」
曰く、「士師士を治むる能はざれば、則ち如何」と。
王曰:「已之。」
王曰く、「之を已む」と。
曰:「四境之內不治,則如之何?」
曰く、「四境の內治まらざれば、則ち如何」と。
王顧左右而言他。
王左右を顧みて他を言ふ。
孟子見齊宣王曰:「所謂故國者,非謂有喬木之謂也,有世臣之謂也。王無親臣矣,昔者所進,今日不知其亡也。」
孟子、齊宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有りと謂ふに非ず、世臣有りと謂ふなり。王親臣無し。昔者の進む所、今日其の亡(失)するを知らざるなり」と。
王曰:「吾何以識其不才而舍之?」
王曰く、「吾何以て其の不才を識りて之を舍(捨)てんや」と。
曰:「國君進賢,如不得已,將使卑逾尊,疏逾戚,可不慎與?左右皆曰賢,未可也;諸大夫皆曰賢,未可也;國人皆曰賢,然後察之;見賢焉,然後用之。左右皆曰不可,勿聽;諸大夫皆曰不可,勿聽;國人皆曰不可,然後察之;見不可焉,然後去之。左右皆曰可殺,勿聽;諸大夫皆曰可殺,勿聽;國人皆曰可殺,然後察之;見可殺焉,然後殺之。故曰,國人殺之也。如此,然後可以為民父母。」
曰く、「國君賢を進むる、將に卑を以て尊に踰し、疎を以て戚に踰さしめんとするは、愼まざる可からんや。左右皆賢と曰く、未だ可ならず。諸大夫皆賢と曰く、未だ可ならず。國人皆賢と曰く、然る後之を察し、賢なるを見て然る後之を用ふ。左右皆不可と曰く、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰く、聽く勿れ。國人皆不可と曰く、然る後之を察し、不可なるを見て然る後之を去る。左右皆殺す可しと曰く、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰く、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰く、然る後之を察し、殺す可きを見て然る後之を殺す。故曰く、國人之を殺すなり。如此ば、然る後以て民の父母と爲る可し」と。
齊宣王問曰:「湯放桀,武王伐紂,有諸?」
齊宣王問ふて曰く、「湯桀を放し、武王紂を伐つ。有りて之諸」と。
孟子對曰:「於傳有之。」
孟子對へて曰く、「傳に之れ有り」と。
曰:「臣弒其君可乎?」
曰く、「臣其の君を弑するは可なるか」と。
曰:「賊仁者謂之賊,賊義者謂之殘,殘賊之人謂之一夫。聞誅一夫紂矣,未聞弒君也。」
曰く、「仁者を賊(害)するを賊と謂ひ、義を賊するを殘と謂ふ。殘賊の人を一夫と謂ふ。聞く、一夫紂を誅するのみ、未だ君を弑すると聞かざるなり」と。
孟子見齊宣王曰:「為巨室,則必使工師求大木。工師得大木。則王喜,以為能勝其任也。匠人斵而小之,則王怒,以為不勝其任矣。夫人幼而學之,壯而欲行之。王曰『姑舍女所學而從我』,則何如?今有璞玉於此,雖萬鎰,必使玉人雕琢之。至於治國家,則曰『姑舍女所學而從我』,則何以異於教玉人雕琢玉哉?」
孟子、齊宣王に見えて曰く、「巨室を爲らば、則ち必ず工師をして大木を求めしむ。工師大木を得れば、則ち王喜び、以て其の任に勝たんとす。匠人斲(たく)みて之を小にせば、則ち王怒り、以て其の任に勝たざるとす。夫人幼くして學び、壯にして之を行はんと欲す。王曰く「姑め汝の學ぶ所を舍てて我に從へ」と、則ち何以て異ならんや。今璞玉此に有り、萬鎰に當ると雖も、必ず玉人をして之を雕琢せしむ。國家を治むるに至りて、則ち曰く「姑め汝の學ぶ所を舍てて我に從へ」と。則ち何以て玉人を敎へて玉を雕琢するに異ならんや」と。
齊人伐燕,勝之。宣王問曰:「或謂寡人勿取,或謂寡人取之。以萬乘之國伐萬乘之國,五旬而舉之,人力不至於此。不取,必有天殃。取之,何如?」
齊人燕を伐ち、勝つ。宣王問ふて曰く、「或る人寡人に勧めて取らざれとし、或る人寡人に勧めて取れとす。萬乘の國を以て萬乘の國を伐つ、五十日にして之を擧ぐ。人力此に至らざるなり。取らざれば、必ず天殃有らん。之を取らば、如何」と。
孟子對曰:「取之而燕民悅,則取之。古之人有行之者,武王是也。取之而燕民不悅,則勿取。古之人有行之者,文王是也。以萬乘之國伐萬乘之國,簞食壺漿,以迎王師。豈有他哉?避水火也。如水益深,如火益熱,亦運而已矣。」
孟子對へて曰く、「之を取りて燕人說ばば、則ち之を取れ。古の人之を行ひし者有り、武王是れ也。之を取りて燕人說ばざれば、則ち之を取る勿れ。古の人之を行ひし者有り、文王是れ也。萬乘の國を以て萬乘の國を伐つ、簞食壺漿(たんしこしょう)を以て王師を迎ふるは、豈に他ある哉。水火に避くるなり。如水益深く、火益熱きは、亦運(う)ち他に往くのみ」と。
齊人伐燕,取之。諸侯將謀救燕。宣王曰:「諸侯多謀伐寡人者,何以待之?」
齊人燕を伐ち、之を取る。諸侯將に謀りて燕を救はんとす。宣王曰く、「諸侯多く謀りて寡人を伐たんとす、何以て之を待たんや」と。
孟子對曰:「臣聞七十里為政於天下者,湯是也。未聞以千里畏人者也。《書》曰:『湯一徵,自葛始。』天下信之。『東面而徵,西夷怨;南面而徵,北狄怨。曰,奚為後我?』民望之,若大旱之望雲霓也。歸市者不止,耕者不變。誅其君而吊其民,若時雨降,民大悅。《書》曰:『徯我後,後來其蘇。』
孟子對へて曰く、「臣聞く、七十里を以て政を天下に行ふ者、湯是れ也。未だ千里を以て人を畏るるを聞かざるなり。《書》に曰く、「湯の征はじむ、葛に自(まさ)り」と。天下之を信ず。「東に征せば、西夷怨み、南に征せば、北狄怨み。曰く、奚ぞ獨り予を後にせんや」と。民之を望むこと、若く大旱に雲霓を望むがごとし。歸市する者止まず、耕する者變らず。其の君を誅して其の民を弔ふ、若く時雨の降るがごとし。民大いに說ぶ。《書》に曰く、「徯(ま)てり我が君、君其の來れば蘇(よみがえ)らん」と。
「今燕虐其民,王往而徵之。民以為將拯己於水火之中也,簞食壺漿,以迎王師。若殺其父兄,繫累其子弟,毀其宗廟,遷其重器,如之何其可也?天下固畏齊之彊也。今又倍地而不行仁政,是動天下之兵也。王速出令,反其旄倪,止其重器,謀於燕眾,置君而後去之,則猶可及止也。」
(孟子續けて曰く、)「今燕其の民を虐す。王往きて之を征す。民以て將に己を水火の中より拯ひ出さんと爲し、簞食壺漿を以て王師を迎ふ。若し其の父兄を殺し、其の子弟を係累し、其の宗廟を毀り、其の重器を遷さば、之を如何せんや。天下固より齊の強を畏る。今又地を倍して仁政を行はざれば、是れ天下の兵を動かすなり。王速やかに令を出し、其の旄倪(ぼうげい)を反し、其の重器を遷すことを止め、燕衆と謀りて、君を置きて後之を去らば、則ち猶ほ及ぶ可し」と。
鄒與魯哄。穆公問曰:「吾有司死者三十三人,而民莫之死也。誅之,則不可勝誅;不誅,則疾視其長上之死而不救,如之何則可也?」
鄒と魯と鬨(鬩)ぐ。鄒穆公問ふて曰く、「吾が有司の死者三十三人、而して民之が爲に死す莫し。之を誅すれば、則ち誅し勝たず。誅さざれば、則ち疾(うら)む、其の長上の死を視て救はざるを。之を如何せんや則ち可ならん」と。
孟子對曰:「凶年饑歲,君之民老弱轉乎溝壑,壯者散而之四方者,幾千人矣;而君之倉廩實,府庫充,有司莫以告,是上慢而殘下也。曾子曰:『戒之戒之!出乎爾者,反乎爾者也。』夫民今而後得反之也。君無尤焉。君行仁政,斯民親其上、死其長矣。」
孟子對へて曰く、「凶年饑歲、君の民、老弱溝壑に轉(てん)じて死し、壯者四方に散ずる者、幾ら千人。而して君の倉廩實き、府庫充てり、有司以て告げる莫し。是れ上に在りて慢り、下を殘賊するなり。曾子曰く、「戒之かな戒之かな。爾に出づるは、爾に反る者也」と。夫れ民今而して後得て反る。君尤(とが)むる無かれ。君仁政を行はば、斯の民其の上に親しみ、その長上の爲に死せん」と。
滕文公問曰:「滕,小國也,間於齊楚。事齊乎?事楚乎?」
滕文公問ふて曰く、「滕は小國なり。齊楚の間に間じたり。齊に事へんか、楚に事へんか」と。
孟子對曰:「是謀非吾所能及也。無已,則有一焉:鑿斯池也,築斯城也,與民守之,效死而民弗去,則是可為也。」
孟子對へて曰く、「是の謀は吾が及ぶ能ふ所に非ず。已むを得ざれば、則ち一のみ斯れ有り。池を鑿きて之を深くし、城を築きて之を堅くし、民と之を守りて、死を效(致)して民去らざれば、則ち是可なり」と。
滕文公問曰:「齊人將築薛,吾甚恐。如之何則可?」
滕文公問ふて曰く、「齊人將に薛を築かんとす。吾甚だ懼る。之を如何せんや則ち可ならん」と。
孟子對曰:「昔者大王居邠,狄人侵之,去之岐山之下居焉。非擇而取之,不得已也。苟為善,後世子孫必有王者矣。君子創業垂統,為可繼也。若夫成功,則天也。君如彼何哉?彊為善而已矣。」
孟子對へて曰く、「昔者大王邠(ひん)に居り、狄人之を侵す。之を去りて岐山の下に居る。是れ擇して取るに非ず、已むを得ざればなり。苟くも善を爲さば、則ち後世子孫必ず王たる者有らん。君子業を創業し統を垂るるは、繼續す可きを爲となり。成功に於いては天なり。君彼の齊を如何せんや。勉めて善を爲さんのみ」と。
滕文公問曰:「滕,小國也。竭力以事大國,則不得免焉。如之何則可?」
滕文公問ふて曰く、「滕は小國なり。竭力して大國に事ふるも、免れ得ざるなり。之を如何せんや則ち可ならん」と。
孟子對曰:「昔者大王居邠,狄人侵之。事之以皮幣,不得免焉;事之以犬馬,不得免焉;事之以珠玉,不得免焉。乃屬其耆老而告之曰:『狄人之所欲者,吾土地也。吾聞之也:君子不以其所以養人者害人。二三子何患乎無君?我將去之。』去邠,逾梁山,邑於岐山之下居焉。邠人曰:『仁人也,不可失也。』從之者如歸市。或曰:『世守也,非身之所能為也。效死勿去。』君請擇於斯二者。」
孟子對へて曰く、「昔者大王邠に居り、狄人之を侵す。之に皮幣を以て事ふるも、免れ得ず。之に犬馬を以て事ふるも、免れ得ず。之に珠玉を以て事ふるも、免れ得ず。乃ち其の耆老に屬(あつ)めて之に告げて曰く、「狄人の欲する所は、吾が土地なり。吾之を聞く、君子其の人を養ふ所を以て人を害せず。二三子何ぞ患へん、君無からんを。我將に去らんとす」と。邠を去り、梁山を踰え、岐山の下に邑を邑して居る。邠人曰く、「仁人なり、失ふ可からず」と。之に從ふ者、市に歸するがごとし。或は曰く、「世守なり、身の能爲する所に非ず。死を致して去る勿れ」と。君請ふ斯の二者に擇べ」と。
魯平公將出。嬖人臧倉者請曰:「他日君出,則必命有司所之。今乘輿已駕矣,有司未知所之。敢請。」公曰:「將見孟子。」曰:「何哉?君所為輕身以先於匹夫者,以為賢乎?禮義由賢者出。而孟子之後喪逾前喪。君無見焉!」公曰:「諾。」
魯平公將に出でんとす。嬖人臧倉(ぞうそう)請ふて曰く、「他日君出づれば、則ち必ず有司に命ず。今乘輿已に駕するも、有司未だ之む所を知らず。敢て請ふ」と。公曰く、「將に孟子に見えんとす」と。臧倉曰く、「何ぞや。君其の所輕くして、千乘の君を以て匹夫に先んじて往くは、以て賢と爲すか。禮義賢者より出づ。而して孟子後喪前喪に踰ゆ。君見ざること無かれ」と。公曰く、「諾」と。
樂正子入見,曰:「君奚為不見孟軻也?」曰:「或告寡人曰,『孟子之後喪逾前喪』,是以不往見也。」曰:「何哉君所謂逾者?前以士,後以大夫;前以三鼎,而後以五鼎與?」曰:「否。謂棺槨衣衾之美也。」曰:「非所謂逾也,貧富不同也。」
樂正子入りて見えて曰く、「君奚ぞ孟軻に見えざるや」と。曰く、「或は寡人に告げて曰く、「孟子後喪前喪に踰ゆ」、是を以て往かず」と。曰く、「何ぞ、君の所謂踰ゆるは。前は士を以てし、後は大夫を以てす。前は三鼎、後は五鼎か」と。曰く、「否。棺椁衣衾の美を謂ふなり」と。曰く、「非ざるなり所謂踰ゆるは、貧富の同じからざるなり」と。
樂正子見孟子,曰:「克告於君,君為來見也。嬖人有臧倉者沮君,君是以不果來也。」曰:「行或使之,止或尼之。行止,非人所能也。吾之不遇魯侯,天也。臧氏之子焉能使予不遇哉?」
樂正子孟子に見えて曰く、「克君に告げて、君爲に來り見えんとす。嬖人有り臧倉者君を沮(そば)め、君是を以て果(終)に來らず」と。曰く、「行き、或は之を使ひ、止まり、或は之を尼(せきど)め、行止は人之能くする所に非ず。吾の魯侯に遇はざるは、天なり。臧氏の子焉んぞ能く予をして遇はざらしめんや」と。
公孫丑(こうそんちゅう)上
公孫丑問曰:「夫子當路於齊,管仲、晏子之功,可復許乎?」
公孫丑問ふて曰く、「夫子當(たり)し齊に路(位)に於て、管仲、晏子の功、復た期す可きか」と。
孟子曰:「子誠齊人也,知管仲、晏子而已矣。或問乎曾西曰;『吾子與子路孰賢?』曾西蹴然曰:『吾先子之所畏也。』曰:『然則吾子與管仲孰賢?』曾西艴然不悅,曰:『爾何曾比予於管仲?管仲得君,如彼其專也;行乎國政,如彼其久也;功烈,如彼其卑也。爾何曾比予於是?』」曰:「管仲,曾西之所不為也,而子為我願之乎?」
孟子曰く、「子誠に齊人なり。管仲、晏子を知るのみ。或る人曾西(そうせい)に問ふて曰く、「吾子と子路と孰れか賢」と。曾西蹵(そく)然として曰く、「吾が先子の畏する所なり」と。曰く、「然らば則ち吾子と管仲と孰れか賢」と。曾西艴(ふつ)然として不悅して曰く、「爾何曽(あに)予を管仲に比せんや。管仲、其の君を得るや、如(かく)の如く專なり。行ふや國政、如の如く久し。功烈、如の如く卑し。爾何曽予を是に比せんや」と。」曰く、「管仲は、曾西の爲さんと欲せざる所なり。而も我を以て願(為)ふと爲すか」と。
曰:「管仲以其君霸,晏子以其君顯。管仲、晏子猶不足為與?」
曰く、「管仲、其の君を以て霸(は)たらしめ、晏子、其の君を以て顯せしめたり。管仲、晏子、猶ほ爲すに足らざるか」と。
曰:「以齊王,由反手也。」
曰く、「齊を以て王たるは、猶ほ手を反(かえ)すがごとし」と。
曰:「若是,則弟子之惑滋甚。且以文王之德,百年而後崩,猶未洽於天下;武王、周公繼之,然後大行。今言王若易然,則文王不足法與?」
曰く、「若く是のごとくんば、弟子の惑、滋甚だし。且つ文王の德を以て、百年して後崩ず、猶ほ天下に洽(あまね)からざりき。武王、周公之を繼ぎて、然る後大いに行ふ。今王たること是の易しきを言はば、則ち文王法に足らざるか」と。
曰:「文王何可當也?由湯至於武丁,賢聖之君六七作。天下歸殷久矣,久則難變也。武丁朝諸侯有天下,猶運之掌也。紂之去武丁未久也,其故家遺俗,流風善政,猶有存者;又有微子、微仲、王子比干、箕子、膠鬲皆賢人也,相與輔相之,故久而後失之也。尺地莫非其有也,一民莫非其臣也,然而文王猶方百里起,是以難也。齊人有言曰:『雖有智慧,不如乘勢;雖有鎡基,不如待時。』
曰く、「文王何ぞ當(たるべ)からん。湯より武丁に至る、賢聖の君六七作(おこ)り、天下殷に歸する久しき。久しければ則ち變り難し。武丁諸侯を朝せしめ、天下有ること、猶ほ之を掌に運らすがごとし。紂の武丁に去ること久しからず、其の故家遺俗、流風善政、猶ほ存する者有り。又微子、微仲、王子比干、箕子、膠鬲、皆賢人也。相與に之を輔相す。故に久しくして然る後之を失ふ。尺地彼有らざること莫く、一民彼臣ならざること莫し。然るに文王猶ほ方百里に起つ。是を以て難し。齊人有りて言ふ、「智ありと雖も、乘勢に如かず。鎡基(じき)ありと雖も、待時に如かず」と。
「今時則易然也。夏後、殷、周之盛,地未有過千里者也,而齊有其地矣;雞鳴狗吠相聞,而達乎四境,而齊有其民矣。地不改闢矣,民不改聚矣,行仁政而王,莫之能御也。且王者之不作,未有疏於此時者也;民之憔悴於虐政,未有甚於此時者也。飢者易為食,渴者易為飲。孔子曰:『德之流行,速於置郵而傳命。』當今之時,萬乘之國行仁政,民之悅之,猶解倒懸也。故事半古之人,功必倍之,惟此時為然。」
(孟子續けて曰く、)「今の時は則ち易し。夏后、殷、周の盛んに、地千里に過ぐること未有らず、而して齊其の地有り。鷄鳴狗吠相聞ゆ、而して四境に達す、而して齊其の民有り。地辟くこと不改めず、民聚めること不改めず、仁政を行ひて王たる、之を禦ぐ莫きなり。且つ王者の不作るは、此の時より疏(こ)なる未だ有らず。民の虐政に憔悴するは、此の時に甚だしき未だ有らず。飢ゑる者易く食を爲とし、渴く者易く飮を爲とす。孔子曰く、「德の流行は、置郵(えきゆう)して命を傳ふるより速し」と。當今の時、萬乘の國仁政を行はば、民之を說ぶこと、猶ほ倒懸を解くがごとし。故事半ば古の人、功必ず之を倍す。惟れ此の時爲れ然るなり」と。
公孫丑問曰:「夫子加齊之卿相,得行道焉,雖由此霸王不異矣。如此,則動心否乎?」
公孫丑問ふて曰く、「夫子齊の卿相に加へられて、以て道を行ふことを得ば、雖し此に由りて霸王は異ならず。如此ば、則ち心動くか」と。
孟子曰:「否。我四十不動心。」
孟子曰く、「否。我四十にして心動かず」と。
曰:「若是,則夫子過孟賁遠矣。」
曰く、「若し是なれば、夫子孟賁(もうほん)に過ぐる遠し」と。
曰:「是不難,告子先我不動心。」
曰く、「是れ難からず。告子我に先んじて心動かず」と。
曰:「不動心有道乎?」
曰く、「心動かざるに道有るか」と。
曰:「有。北宮黝之養勇也,不膚撓,不目逃,思以一豪挫於人,若撻之於市朝。不受於褐寬博,亦不受於萬乘之君。視刺萬乘之君,若刺褐夫。無嚴諸侯。惡聲至,必反之。孟施捨之所養勇也,曰:『視不勝猶勝也。量敵而後進,慮勝而後會,是畏三軍者也。舍豈能為必勝哉?能無懼而已矣。』孟施捨似曾子,北宮黝似子夏。夫二子之勇,未知其孰賢,然而孟施捨守約也。昔者曾子謂子襄曰:『子好勇乎?吾嘗聞大勇於夫子矣:自反而不縮,雖褐寬博,吾不惴焉;自反而縮,雖千萬人,吾往矣。』孟施捨之守氣,又不如曾子之守約也。」
曰く、「有り。北宮黝(ほくきゅうゆう)の勇を養ふ、膚を刺されて撓(うし)めず、目を刺されて逃げず。思ふ、一毫人に挫される、猶ほ市朝に撻(むう)せらるるがごとし。褐寬博に受けず、亦萬乘の君に受けず。萬乘の君を刺すを視ること、褐夫を刺すが若し。嚴(きび)しき諸侯無し。惡聲至れば、必ず之を反す。孟施舍(もうししゃ)の勇を養ふ、曰く、「不勝を視ること猶ほ勝つがごとし。敵を量りて後進み、勝を慮りて後會すは、三軍に畏れる者なり。舍豈に能く必勝せん。惟れ能く懼れざるのみ」と。孟施舍、曾子に似たり。北宮黝、子夏に似たり。夫れ二子の勇、未だ其の孰れか賢なるを知らず。然りと雖も、孟施舍は約を守るなり。昔者曾子子襄に謂ひて曰く、「子勇を好むか。吾嘗て大勇を夫子に聞く。自反して縮(ただ)ならざれば、褐寬博と雖も、吾惴惴(すいすい)ならず。自反して縮なれば、雖し千萬人、吾往かん」と。孟施舍の氣を守るは、又曾子の約を守るに如かず」と。
曰:「敢問夫子之不動心,與告子之不動心,可得聞與?」
曰く、「敢て問ふ、夫子の不動心と、告子の不動心と、以て聞く可きか」と。
「告子曰:『不得於言,勿求於心;不得於心,勿求於氣。』不得於心,勿求於氣,可;不得於言,勿求於心,不可。夫志,氣之帥也;氣,體之充也。夫志至焉,氣次焉。故曰:『持其志,無暴其氣。』」
(孟子曰く、)「告子曰く、「言に得ざれば、心に求むる勿れ。心に得ざれば、氣に求むる勿れ」と。心に得ざれば、氣に求むる勿れ、可なり。言に得ざれば、心に求むる勿れ、不可なり。夫れ志は氣の帥なり、氣は體の充(じゅう)なり。夫れ志至れば、氣次に從ふ。故曰く、「其の志を持して、其の氣を暴(ぼ)らぐる無かれ」と。」
「既曰『志至焉,氣次焉』,又曰『持其志無暴其氣』者,何也?」
「既に曰く「志至れば、氣次に從ふ」、又曰く「其の志を持して、其の氣を暴らぐる無かれ」、何ぞや」と。
曰:「志壹則動氣,氣壹則動志也。今夫蹶者趨者,是氣也,而反動其心。」
孟子曰く、「志壹(ひと)ければ則ち氣を動かし、氣壹ければ則ち志を動かす。今夫蹶(たふ)れる者趨(はし)る者は、是れ氣なり、而して其の心を動かす」と。
「敢問夫子惡乎長?」
「敢て問ふ、夫子惡に在りて長じるや」と。
曰:「我知言,我善養吾浩然之氣。」
曰く、「我言を知り、我善く我が浩然の氣を養ふ」と。
「敢問何謂浩然之氣?」
「敢て問ふ、何をか浩然の氣と謂ふ」と。
曰:「難言也。其為氣也,至大至剛,以直養而無害,則塞於天地之閒。其為氣也,配義與道;無是,餒也。是集義所生者,非義襲而取之也。行有不慊於心,則餒矣。我故曰,告子未嘗知義,以其外之也。必有事焉而勿正,心勿忘,勿助長也。無若宋人然:宋人有閔其苗之不長而揠之者,芒芒然歸。謂其人曰:『今日病矣,予助苗長矣。』其子趨而往視之,苗則槁矣。天下之不助苗長者寡矣。以為無益而舍之者,不耘苗者也;助之長者,揠苗者也。非徒無益,而又害之。」
曰く、「言ふこと難し。其れ氣と爲るや、至大至剛、以て直に養ひて害すること無くんば、則ち天地の間に塞(ふさ)がらん。其れ氣と爲るや、義と道と配す。是れ無くんば、則ち餒(う)ゆるなり。是れ義を集めて生ずる所なり、非ざるなり義襲ひて之を取るは。行ひ慊(あきた)らざる於心あれば、則ち餒ゆるなり。我故曰く、告子未だ嘗て義を知らず、其れ義を外と爲せばなり。必ず事有りて而(きた)る正す勿れ、心忘る勿れ、助長する勿れ。宋人の若くす勿れ。宋人其の苗の長たざるを閔(あはれ)みて之を揠(ひきぬ)く者有り。芒芒然として歸り、其の人に謂ひて曰く、「今日病めり、予苗を助けて長たり」と。其の子趨きて往きて之を視るに、苗則ち槁れり。天下の苗を助けて長たしめざる者寡し。以て益無しと爲して之を舍てるは、苗を耘(くさぎ)らざる者なり。之を助けて長たしむるは、苗を揠く者なり。徒らに益無きのみならず、而又之を害す」と。
「何謂知言?」
「何をか知言と謂ふ」と。
曰:「詖辭知其所蔽,淫辭知其所陷,邪辭知其所離,遁辭知其所窮。生於其心,害於其政;發於其政,害於其事。聖人復起,必從吾言矣。」
曰く、「詖辭(へいじ)は其の蔽(へい)する所を知り、淫辭は其の陷る所を知り、邪辭は其の離るる所を知り、遁辭は其の窮する所を知る。其の心に生じて、其の政を害し、其の政に發して、其の事を害す。聖人復た作(おこ)りて、必ず吾が言に從はん」と。
「宰我、子貢善為說辭,冉牛、閔子、顏淵善言德行。孔子兼之,曰:『我於辭命則不能也。』然則夫子既聖矣乎?」
「宰我、子貢、善く說辭を爲す。冉牛、閔子、顏淵、善く德を言行す。孔子之を兼ねて、曰く、「我辭命に於ては則ち能はず」と。然らば夫子既に聖にして乎」と。
曰:「惡!是何言也?昔者子貢、問於孔子曰:『夫子聖矣乎?』孔子曰:『聖則吾不能,我學不厭而教不倦也。』子貢曰:『學不厭,智也;教不倦,仁也。仁且智,夫子既聖矣!』夫聖,孔子不居,是何言也?」
曰く、「惡(あ)。是れ何の言ぞ。昔者子貢孔子に問ふて曰く、「夫子聖にして乎」と。孔子曰く、「聖は則ち吾能はず、我學びて厭(あき)ず、敎へて倦まず」と。子貢曰く、「學びて厭かずは、智なり。敎へて倦まざるは、仁なり。仁且つ智、夫子既に聖矣」と。夫れ聖は、孔子居らず。是れ何の言ぞ」と。
「昔者竊聞之:子夏、子游、子張皆有聖人之一體,冉牛、閔子、顏淵則具體而微。敢問所安。」
「昔者竊かに之を聞く、子夏、子游、子張、皆聖人の一體有り、冉牛、閔子、顏淵、則ち具體にして微なり。敢て問ふ、安(なん)ぞ所か」と。
曰:「姑舍是。」
曰く、「姑め是を舍(置)け」と。
曰:「伯夷、伊尹何如?」
曰く、「伯夷、伊尹何ぞや」と。
曰:「不同道。非其君不事,非其民不使;治則進,亂則退,伯夷也。何事非君,何使非民;治亦進,亂亦進,伊尹也。可以仕則仕,可以止則止,可以久則久,可以速則速,孔子也。皆古聖人也,吾未能有行焉;乃所願,則學孔子也。」
曰く、「道同じからず。其の君に非ざれば事へず、其の民に非ざれば使はず、治まれば則ち進み、亂れれば則ち退くは、伯夷なり。何の君か事へざる、何の民か使はざる、治まるも亦進み、亂るるも亦進むは、伊尹なり。仕ふ可きは仕へ、止む可きは止み、久しき可きは久しく、速き可きは速かなり、孔子なり。皆古の聖人なり。吾未だ行ふ所有らず。乃ち願ふ所に至りては、則ち孔子を學ばん」と。
「伯夷、伊尹於孔子,若是班乎?」
「伯夷、伊尹、孔子に於て、若(ひと)しきか」と。
曰:「否。自有生民以來,未有孔子也。」
曰く、「否。自(よ)り生民以來、孔子の如く未有らず」と。
曰:「然則有同與?」
曰く、「然らば則ち同き者有るか」と。
曰:「有。得百里之地而君之,皆能以朝諸侯有天下。行一不義、殺一不辜而得天下,皆不為也。是則同。」
曰く、「有り。百里を得て君と爲りて、皆能く以て諸侯を朝せしめ、天下有り、行ふこと一不義、殺すこと一不辜を得て天下を得るも、皆爲さざるなり。是れ則ち同じ」と。
曰:「敢問其所以異?」
公孫丑曰く、「敢て問ふ、其の同じからざる所以は如何」と。
曰:「宰我、子貢、有若智足以知聖人。汙,不至阿其所好。宰我曰:『以予觀於夫子,賢於堯舜遠矣。』子貢曰:『見其禮而知其政,聞其樂而知其德。由百世之後,等百世之王,莫之能違也。自生民以來,未有夫子也。』有若曰:『豈惟民哉?麒麟之於走獸,鳳凰之於飛鳥,太山之於丘垤,河海之於行潦,類也。聖人之於民,亦類也。出於其類,拔乎其萃,自生民以來,未有盛於孔子也。』」
孟子曰く、「宰我、子貢、有若、智足りて聖人を知る。汚(けがれ)あると雖も、其の好む所に阿(おもね)らざるなり。宰我曰く、「予を以て夫子を觀るに、堯舜に賢きこと遠し」と。子貢曰く、「其の禮を見て其の政を知り、其の樂を聞きて其の德を知る。百世の後より、百世の王を等(さだ)むるに、之に違ふ能ふ莫し。生民以來、夫子の如く未有らず」と。有若曰く、「豈に惟れ民のみならん。麒麟の走獸に於て、鳳凰の飛鳥に於て、泰山の丘垤(きゅうてつ)に於て、河海の行潦(こうりゅう)に於ては、類なり。聖人の民に於ても、亦類なり。其の類に出で、其の萃(あつまり)を拔く。生民以來、孔子より盛んなる未だ有らず」と。」
孟子曰:「以力假仁者霸,霸必有大國,以德行仁者王,王不待大。湯以七十里,文王以百里。以力服人者,非心服也,力不贍也;以德服人者,中心悅而誠服也,如七十子之服孔子也。《詩》云:『自西自東,自南自北,無思不服。』此之謂也。」
孟子曰く、「力を以て仁を假(か)る者は霸たる。霸たるは必ず大國有らん。德を以て仁を行ふ者は王たる。王たるは大を待たず。湯七十里を以てし、文王百里を以てしたり。力を以て人を服せしむるは、心服せず、力贍(た)らざればなり。德を以て人を服せしむるは、中心說びて誠服す。七十子の孔子に服するが如し。《詩・大雅・文王有聲》に曰く、「西東南北より、服せんと思はざる無し」と。此れ之を謂ふなり」と。
孟子曰:「仁則榮,不仁則辱。今惡辱而居不仁,是猶惡溼而居下也。如惡之,莫如貴德而尊士,賢者在位,能者在職。國家閒暇,及是時明其政刑。雖大國,必畏之矣。《詩》云:『迨天之未陰雨,徹彼桑土,綢繆牖戶。今此下民,或敢侮予?』孔子曰:『為此詩者,其知道乎!能治其國家,誰敢侮之?』今國家閒暇,及是時般樂怠敖,是自求禍也。禍褔無不自己求之者。《詩》云:『永言配命,自求多褔。』《太甲》曰:『天作孽,猶可違;自作孽,不可活。』此之謂也。」
孟子曰く、「仁すれば則ち榮し、不仁なれば則ち辱ふ。今辱を惡みて不仁に居るは、猶ほ濕を惡みて下に居るがごとし。如かん、此れを惡めば、則ち德を貴び士を尊ぶに如かず。賢者位に在り、能者職に在り。國家閒暇、是の時に明政刑をし。雖し大國、必ず之を畏れん。《詩・豳風・鴟鴞》に曰く、「天之未陰雨に迨(お)り、彼の桑土を徹(と)り、綢繆して牖戶を作す。今此の下民、或は敢て予を侮らん」と。孔子曰く、「此の詩を爲せる者、其れ道を知るか。其の國家を治むる能はば、孰れか敢て之を侮らん」と。今國家閒暇、及び是の時、般樂怠敖(はんらくたいごう)は、是れ自ら禍を求むるなり。禍福自ら求らざる無し。《詩・大雅・文王》に曰く、「永言天命に配す、自ら多福を求む」と。《書・太甲》に曰く、「天の孽を作すは、猶ほ違(のが)る可し。自ら孽を作すは、活きる可からず」と。此れ之を謂ふなり」と。
孟子曰:「尊賢使能,俊傑在位,則天下之士皆悅而願立於其朝矣。市廛而不徵,法而不廛,則天下之商皆悅而願藏於其市矣。關譏而不徵,則天下之旅皆悅而願出於其路矣。耕者助而不稅,則天下之農皆悅而願耕於其野矣。廛無夫裡之布,則天下之民皆悅而願為之氓矣。信能行此五者,則鄰國之民仰之若父母矣。率其子弟,攻其父母,自生民以來,未有能濟者也。如此,則無敵於天下。無敵於天下者,天吏也。然而不王者,未之有也。」
孟子曰く、「賢を尊び能を使ひ、俊傑位に在れば、則ち天下の士皆說びて其の朝に立たんと願ふ。市に廛して征せず、法に滞らず、則ち天下の商皆說びて其の市に藏せんと願ふ。關譏(き)して征せず、則ち天下の旅皆說びて其の路に出でんと願ふ。耕する者、助して税せず、則ち天下の農皆說びて其の野に耕さんと願んと願ふ。廛に夫布之布無くんば、則ち天下の民皆說びて其の氓(ほう)と爲らんと願ふ。信(まこと)に能く此の五者を行はば、則ち鄰國の民之を仰ぐこと若く父母。其の子弟を率ゐて其の父母を攻むるは、自(よ)り生民以來、能く成る未有らず。如此ば、則ち天下に敵する無し。天下に敵する無きは、天吏なり。然りて王たらざるは、未だ之れ有らざるなり」と。
孟子曰:「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心,斯有不忍人之政矣。以不忍人之心,行不忍人之政,治天下可運之掌上。所以謂人皆有不忍人之心者,今人乍見孺子將入於井,皆有怵惕惻隱之心。非所以內交於孺子之父母也,非所以要譽於鄉黨朋友也,非惡其聲而然也。由是觀之,無惻隱之心,非人也;無羞惡之心,非人也;無辭讓之心,非人也;無是非之心,非人也。惻隱之心,仁之端也;羞惡之心,義之端也;辭讓之心,禮之端也;是非之心,智之端也。人之有是四端也,猶其有四體也。有是四端而自謂不能者,自賊者也;謂其君不能者,賊其君者也。凡有四端於我者,知皆擴而充之矣,若火之始然,泉之始達。苟能充之,足以保四海;苟不充之,不足以事父母。」
孟子曰く、「人皆人に忍びざるの心有り。先王人に忍びざるの心有り、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行へば、天下を治むることを掌の上に運らす可し。人皆人に忍びざるの心有る所以を謂ふや、今人乍(たちま)ち孺子の將に井に入らんとするを見るに、皆怵惕惻隱の心有り。内交(ないこう)を孺子の父母に要(もと)むるに非ざるなり、非ざるなり鄕黨朋友に譽れを求むる、亦其の聲を惡みて然るに非ざるなり。是に由りて之を觀れば、惻隱の心無くんば、人に非ず。羞惡の心無くんば、人に非ず。辭讓の心無くんば、人に非ず。是非の心無くんば、人に非ず。惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心は、智の端なり。人之四端有るや、猶ほ其の四體有るがごとし。四端有りて自ら不能と謂ふは、自ら賊(そこな)ふ者なり。其の君を謂ひて不能とするは、其の君を賊ふ者なり。凡そ四端我に在るは、知りて皆之を擴充するを知る、若く火の始め然(もえ)、泉の始め達するがごとし。苟くも能く之を充たさば、以て四海を保するに足り。苟くも之を充たさざれば、以て父母に事ふるに足らず」と。
孟子曰:「矢人豈不仁於函人哉?矢人唯恐不傷人,函人唯恐傷人。巫匠亦然,故術不可不慎也。孔子曰:『里仁為美。擇不處仁,焉得智?』夫仁,天之尊爵也,人之安宅也。莫之御而不仁,是不智也。不仁、不智、無禮、無義,人役也。人役而恥為役,由弓人而恥為弓,矢人而恥為矢也。如恥之,莫如為仁。仁者如射,射者正己而後發。發而不中,不怨勝己者,反求諸己而已矣。」
孟子曰く、「矢人豈に不仁なるか、函(かん)人に於て。矢人惟れ人を傷つけざらんを恐れ、函人惟れ人を傷つけんを恐る。巫匠亦然り。故に術は擇ぶ可からざるなり。孔子曰く、「里仁を爲して美なり。擇びて仁に處らずんば、焉んぞ智を得んや」と。夫れ仁は、天の尊爵、人の安宅なり。之を禦ぐ莫き不仁は、不智なり。不仁不智、禮無し義無しは、人の役なり。人の役と爲りて役せらるるを恥とするは、猶ほ弓人として弓を恥とし、矢人として矢を恥とするがごとし。如かん之を恥とすれば、仁に如かず。仁者射るが如し。射る者己を正くして然る後發す。發して中らざるは、己に勝つ者を怨みず、反而て諸己を求むるのみ」と。
孟子曰:「子路,人告之以有過則喜。禹聞善言則拜。大舜有大焉,善與人同。捨己從人,樂取於人以為善。自耕、稼、陶、漁以至為帝,無非取於人者。取諸人以為善,是與人為善者也。故君子莫大乎與人為善。」
孟子曰く、「子路、人之に過有りを告ぐれば則ち喜ぶ。禹善言を聞きて則ち拜す。大舜有大なる者有り、善を人に同じうす。己を舍てて人に從ふ、樂しんで諸人を取りて善を爲す。耕稼陶漁より以て帝と爲るに至るまで、人に取らざる無きなり。諸人を取りて善を爲すは、是れ人と善を爲すなり。故に君子莫大なり、人と善を爲すは」と。
孟子曰:「伯夷,非其君不事,非其友不友。不立於惡人之朝,不與惡人言。立於惡人之朝,與惡人言,如以朝衣朝冠坐於塗炭。推惡惡之心,思與鄉人立,其冠不正,望望然去之,若將浼焉。是故諸侯雖有善其辭命而至者,不受也。不受也者,是亦不屑就已。柳下惠,不羞汙君,不卑小官。進不隱賢,必以其道。遺佚而不怨,阨窮而不憫。故曰:『爾為爾,我為我,雖袒裼裸裎於我側,爾焉能浼我哉?』故由由然與之偕而不自失焉,援而止之而止。援而止之而止者,是亦不屑去已。」
孟子曰く、「伯夷、其の君に非ざれば事へず、其の友に非ざれば友とせず。惡人の朝に立たず、惡人と言はず。惡人の朝に立ち、惡人と言ふは、猶ほ朝衣朝冠を朝せて塗炭に坐するがごとし。惡惡の心を推せば、思ふ、鄕人と立つ、其の冠正しからざれば、望望然として之を去る、若く將に浼(けが)さんとす。故に諸侯雖し善く辭命を以て至れば、受けざるなり。受けざるは、是れ亦屑(きよ)として就かざるなり。柳下惠、汚君に事ふるを羞ず、小官を卑しまず。進みて賢を隱さず、必ず其の道に由る。遺佚(いつ)すれど怨まず、阨窮(やくきゅう)すれど憫(うれ)へず。故曰く、「爾は爾、我は我。雖し袒裼裸裎(たんせきらてい)に我が側に於て、爾焉んぞ能く我を浼さんや」と。故に由由然として人と偕にして己を失はず。援りて之を止めて止む。援りて之を止めて止むは、是れ亦屑として去らざるなり」と。
孟子曰:「伯夷隘,柳下惠不恭。隘與不恭,君子不由也。」
孟子曰く、「伯夷は隘(あい)、柳下惠は不恭なり。隘と不恭とは、君子由(よ)らざるなり」と。
公孫丑(こうそんちゅう)下
孟子曰:「天時不如地利,地利不如人和。三里之城,七里之郭,環而攻之而不勝。夫環而攻之,必有得天時者矣;然而不勝者,是天時不如地利也。城非不高也,池非不深也,兵革非不堅利也,米粟非不多也;委而去之,是地利不如人和也。故曰:域民不以封疆之界,固國不以山谿之險,威天下不以兵革之利。得道者多助,失道者寡助。寡助之至,親戚畔之;多助之至,天下順之。以天下之所順,攻親戚之所畔;故君子有不戰,戰必勝矣。」
孟子曰く、「天時は地利に如かず、地利は人和に如かず。三里の城、七里の郭、環して之を攻めて勝たず。夫れ環して之を攻むるは、必ず天時を得る者有り。然りと雖も勝たざるは、是れ天時地利に如かざるなり。城高からざるに非ず、池深からざるに非ず、兵革堅利ならざるに非ず、米粟多からざるに非ず。委ねて之を去るは、是れ地利人和に如かざるなり。故曰く、民を域(おさ)むるは封疆の界を以てせず、國を固くするは山谿の險を以てせず、天下に威するは兵革の利を以てせず。道を得る者は助け多く、道を失ふ者は助け寡なし。助け寡なるの至は、親戚之を畔(そむ)く。助け多きの至は、天下之に順ふ。天下の順ふ所を以て、親戚の畔く所を攻む。故に君子戰はざる有り、戰へば必ず勝つ」と。
孟子將朝王,王使人來曰:「寡人如就見者也,有寒疾,不可以風。朝將視朝,不識可使寡人得見乎?」對曰:「不幸而有疾,不能造朝。」
孟子將に朝せんとするに、王人を來らしめて曰く、「寡人如かん、就きて見えんと欲す。寒疾有り、風を以てす可からず。朝將に朝を視んとす。識らず、可なり、使へり寡人をして見を得しめんか」と。孟子對へて曰く、「不幸疾有り、以て朝に造る能はず」と。
明日,出吊於東郭氏,公孫丑曰:「昔者辭以病,今日吊,或者不可乎!」曰:「昔者疾,今日愈,如之何不弔?」
明日、東郭氏に出でて之を弔ふ。公孫丑曰く、「昔者疾を以て辭し、今日之を弔ふ、或は可ならず」と。曰く、「昔者疾み、今日愈ゆ。之を弔せざる如何せん」と。
王使人問疾,醫來。孟仲子對曰:「昔者有王命,有采薪之憂,不能造朝。今病小愈,趨造於朝,我不識能至否乎?」使數人要於路,曰:「請必無歸,而造於朝!」
王人を來らしめて疾を問はしむ、醫來る。孟仲子對へて曰く、「昔者王命有り、采薪の憂有りて、以て朝に造る能はず。今疾小愈し、朝に造り趨(ゆ)く。我識らず、能く至る否か」と。數人を發して路を要して曰く、「請ふ、必ず反ること無くて、朝に造りて歸れ」と。
不得已而之景醜氏宿焉。景子曰:「內則父子,外則君臣,人之大倫也。父子主恩,君臣主敬。醜見王之敬子也,未見所以敬王也。」
不得己して、景丑氏に之きて宿す。景子曰く、「內は則ち父子、外は則ち君臣、人之大倫なり。父子恩を主とし、君臣敬を主とす。丑王之敬するを見る、未だ見ず、所以敬するを王に於て」と。
曰:「惡!是何言也!齊人無以仁義與王言者,豈以仁義為不美也?其心曰『是何足與言仁義也』云爾,則不敬莫大乎是。我非堯舜之道,不敢以陳於王前,故齊人莫如我敬王也。」
曰く、「惡。是れ何の言ぞ。齊人以て仁義と王と言ふ無きは、豈に以て仁義美ならざると爲すや。其の心曰く、是れ何ぞ言ふに足らん。仁義を云ふのみ。則ち不敬莫大なり此れ。我堯舜の道に非ざれば、敢て以て王の前に陳ぶる無し。故に齊人我の如き敬するを王に於て莫し」と。
景子曰:「否,非此之謂也。禮曰:『父召,無諾;君命召,不俟駕。』固將朝也,聞王命而遂不果,宜與夫禮若不相似然。」
景子曰く、「否。此れを謂ふに非ず。禮曰く、「父召ぶる、唯を無くて諾し、君命召ぶや、駕を俟たず」、固より將に朝せんとす、王命を聞きて遂に果(ゆ)かざるは、宜ならざるか、夫れ禮と似ず」と。
曰:「豈謂是與?曾子曰:『晉楚之富,不可及也。彼以其富,我以吾仁;彼以其爵,我以吾義,吾何慊乎哉?』夫豈不義而曾子言之?是或一道也。天下有達尊三:爵一,齒一,德一。朝廷莫如爵,鄉黨莫如齒,輔世長民莫如德。惡得有其一,以慢其二哉?故將大有為之君,必有所不召之臣。欲有謀焉,則就之。其尊德樂道,不如是不足與有為也。故湯之於伊尹,學焉而後臣之,故不勞而王;桓公之於管仲,學焉而後臣之,故不勞而霸。今天下地醜德齊,莫能相尚。無他,好臣其所教,而不好臣其所受教。湯之於伊尹,桓公之於管仲,則不敢召。管仲且猶不可召,而況不為管仲者乎?」
曰く、「豈に是を謂らんや。曾子曰く、「晉楚の富は、及ぶ可からざるなり。彼其の富を以てし、我吾が仁を以てす。彼其の爵を以てし、我吾が義を以てす。吾何ぞ乎(うれ)へん」と。夫れ豈に義ならずして曾子曰くや。是れ或は一道なり。天下達尊(たっそん)する者有り三。爵は一なり、齒(とし)は一なり、德は一なり。朝廷爵に如く莫し、鄕黨齒に如く莫し、世を輔け民を長ずるに德に如く莫し。惡に在りてか其一有りて、其の二を慢りんや。故に將に大に爲さんとする君は、必ず其の召ぶ所に非ざる臣有り。謀る所有らんと欲せば、則ち之に就きて之を見る。其の德を尊び道を樂しむ、是の如くならずんば以て爲すに足らず。故に湯伊尹に於ては、之に學びて而る後之を臣とす。故に勞せずして王たる。桓公管仲に於ては、之に學びて而る後之を臣とす。故に勞せずして霸たる。今天下地德に醜(ひと)しく齊ひ、莫し能く相尚(まさ)する。無他、其の敎ふ所を以て臣と爲すを好みて、其の敎を受くる所を以て臣と爲すを好まず。湯伊尹に於て、桓公管仲に於ては、則ち敢て召ばざるなり。管仲且つ猶ほ召ぶ可からず、而る況んや管仲を爲さんと欲せざるをや」と。
陳臻問曰:「前日於齊,王餽兼金一百而不受;於宋,餽七十鎰而受;於薛,餽五十鎰而受。前日之不受是,則今日之受非也;今日之受是,則前日之不受非也。夫子必居一於此矣。」
陳臻問ふて曰く、「前日齊に於て、王兼金一百を餽(く)りて受けず。宋に於て、七十鎰を餽りて受く。薛に於て、五十鎰を餽りて受く。前日の不受は是なり、則ち今日の受は非なり。今日の受は是なり、則ち前日の不受は非なり。夫子必ず其一に居らん」と。
孟子曰:「皆是也。當在宋也,予將有遠行。行者必以贐,辭曰:『餽贐。』予何為不受?當在薛也,予有戒心。辭曰:『聞戒。』故為兵餽之,予何為不受?若於齊,則未有處也。無處而餽之,是貨之也。焉有君子而可以貨取乎?」
孟子曰く、「皆れ是なり。當に宋に在りしは、予將に遠行有らんとす。行く者必ず以て贐(しん)と爲す。辭曰く、「贐を餽る」、予何爲ぞ受けざるや。當に薛に在りしは、予戒心有り。辭曰く、「戒を聞く」、故に兵を爲に餽る、予何爲ぞ受けざるや。若し齊に於ては、則ち處る無きなり。處る無くて餽るは、是れ貨を以て之を取るなり。焉んぞ君子以て貨を取る可きあらんや」と。
孟子之平陸。謂其大夫曰:「子之持戟之士,一日而三失伍,則去之否乎?」
孟子之きて平陸に至る。其の大夫に謂ひて曰く、「子の持戟の士、一日にして三失(き)すれば、則ち之を去らんか」と。
曰:「不待三。」
曰く、「三を待たず」と。
「然則子之失伍也亦多矣。凶年饑歲,子之民,老羸轉於溝壑,壯者散而之四方者,幾千人矣。」
(孟子曰く、)「然らば則ち子の失位するや、多し。凶年饑歲、子の民、老羸(ろうるい)溝壑に轉じて死し、壯者四方に散ずる者、幾ら千人」といふ。
曰:「此非距心之所得為也。」
曰く、「此れ距心の得爲する所に非ず」と。
曰:「今有受人之牛羊而為之牧之者,則必為之求牧與芻矣。求牧與芻而不得,則反諸其人乎?抑亦立而視其死與?」
曰く、「今人之牛羊を受けて之を牧する者有り、則ち必ず之が爲に牧與芻(ぼくよすう)を求む。牧與芻を求めて得ざれば、則ち反して其の人に歸す諸、抑々立ちて其の死を視る諸」と。
曰:「此則距心之罪也。」
曰く、「此れ則ち距心の罪なり」と。
他日,見於王曰:「王之為都者,臣知五人焉。知其罪者,惟孔距心。為王誦之。」王曰:「此則寡人之罪也。」
他日、王に見えて曰く、「王の都を爲る者、臣五人を知る。其の罪を知るは、惟れ孔距心」といふ。王の爲に之を誦ふ。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり」と。
孟子謂蚔鼃曰:「子之辭靈丘而請士師,似也,為其可以言也。今既數月矣,未可以言與?」
孟子蚔鼃(ちば)に謂ひて曰く、「子の靈丘を辭して士師を請ふ、似たり、以て言ふ可きを爲となり。今も旣に數月なり、未だ以て言ふ可きか」と。
蚔鼃諫於王而不用,致為臣而去。齊人曰:「所以為蚔鼃,則善矣;所以自為,則吾不知也。」
蚔鼃王に諫めて用ゐられず、致して臣而去る。齊人曰く、「蚔鼃の爲する所以は、則ち善し。自ら爲する所以は、則ち吾も知らず」といふ。
公都子以告。曰:「吾聞之也:有官守者,不得其職則去;有言責者,不得其言則去。我無官守,我無言責也,則吾進退,豈不綽綽然有餘裕哉?」
公都子以て告ぐ。孟子曰く、「吾聞く、官守有るは、其の職を得ずんば則ち去れ。言責有るは、其の言を得ずんば則ち去れ。我官守無く、我言責無し。則ち吾が進退は、豈に綽綽然として有餘裕有らずや」と。
孟子為卿於齊,出吊於滕,王使蓋大夫王驩為輔行。王驩朝暮見,反齊滕之路,未嘗與之言行事也。
孟子齊に卿たり、使して滕に弔ふ。王蓋大夫王驩を使し、以て輔行と爲す。王驩朝暮見ゆ、齊滕之路に反す。未だ嘗て之と行事を言はざるなり。
公孫丑曰:「齊卿之位,不為小矣;齊滕之路,不為近矣。反之而未嘗與言行事,何也?」
公孫丑曰く、「齊卿の位は小ならず。齊滕之路近からず。之を反すも未だ嘗て行事を言はざるは何ぞや」と。
曰:「夫既或治之,予何言哉?」
曰く、「夫れ既に或は之を治む。予何ぞ言はん哉」と。
孟子自齊葬於魯,反於齊,止於嬴。
孟子齊より魯に自りて葬す。齊に反る、嬴(えい)に止まる。
充虞請曰:「前日不知虞之不肖,使虞敦匠事。嚴,虞不敢請。今願竊有請也,木若以美然。」
充虞請ふて曰く、「前日虞の不肖を知らざるや、使へり虞匠事を敦(つと)む。事嚴(いそ)がし、虞敢て請ふを得ず。今願はくは竊かに請ふ有らん、木美しきを以て若く然るなり」と。
曰:「古者棺槨無度,中古棺七寸,槨稱之。自天子達於庶人。非直為觀美也,然後盡於人心。不得,不可以為悅;無財,不可以為悅。得之為有財,古之人皆用之,吾何為獨不然?且比化者,無使土親膚,於人心獨無恔乎?吾聞之君子:不以天下儉其親。」
曰く、「古者棺椁度無し。中古棺七寸、椁之を稱(あ)ふ。天子より以て庶人に達す。非ざるなり直ち觀美を爲とするに、然る後然るを以て人心に盡す。得ずんば、以て人心を悅ばしむる可からず。財無くんば、以て人心を悅ばしむる可からず。之を得て財有るを以て、古皆之を用ふ。吾何吾何ぞ獨り然らざるや。且つ化者に比して、土を以て膚に親からしめざれば、則ち人に於て之心、豈に不太(たい)にして已まんや。吾聞く、君子に於て、天下を以て其の親を儉(けん)せざるなり」と。
沈同以其私問曰:「燕可伐與?」
沈同其の私を以て問ふて曰く、「燕伐つ可きか」と。
孟子曰:「可。子噲不得與人燕,子之不得受燕於子噲。有仕於此,而子悅之,不告於王而私與之吾子之祿爵;夫士也,亦無王命而私受之於子,則可乎?何以異於是?」
孟子曰く、「可なり。子噲(しかい)燕を人と與ふ可からず。子之子噲より燕を受く可からず。有りて士此に仕ふ。子之を悅(よろこ)ばしめ、王に告げずして私に子の祿爵を與ふ。夫れ士も亦王命無くて私に子より之を受く。則ち可ならんか、何以て之を異にするや」と。
齊人伐燕。或問曰:「勸齊伐燕,有諸?」
齊人燕を伐つ。或る人問人問ふて曰く、「齊を勸めて燕を伐つ、有りて之諸」と。
曰:「未也。沈同問『燕可伐與』?吾應之曰『可』,彼然而伐之也。彼如曰『孰可以伐之』?則將應之曰:『為天吏,則可以伐之。』今有殺人者,或問之曰『人可殺與』?則將應之曰『可』。彼如曰『孰可以殺之』?則將應之曰:『為士師,則可以殺之。』今以燕伐燕,何為勸之哉?」
曰く、「未也。沈同問ふ、「燕伐つ可きか」。吾應へて曰く、「可」、彼然りて之を伐つ。彼如かん、曰く、「孰れか以て之を伐つ可き」、則ち將に應へて曰く、「天吏と爲るを以て則ち之を伐つ可き」と。今殺人する者有り、或は之を問ふて曰く、「人殺す可きか」、則ち將に應へて曰く、「可」と。彼如かん、曰く、「孰れか以て之を殺す可き」、則ち將に應へて曰く、「士師と爲るを以て則ち之を殺す可き」と。今燕を以て燕を伐つ、何爲ぞ之を勸めんや」と。
燕人畔。王曰:「吾甚慚於孟子。」
燕人畔(そむ)く。王曰く、「吾甚だ孟子に慙(は)ず」と。
陳賈曰:「王無患焉。王自以為與周公,孰仁且智?」
陳賈曰く、「王患ふる無かれ。王自ら以て周公と孰れか仁且つ智」と。
王曰:「惡!是何言也?」
王曰く、「惡。是れ何の言ぞ」と。
曰:「周公使管叔監殷,管叔以殷畔。知而使之,是不仁也;不知而使之,是不智也。仁智,周公未之盡也,而況於王乎?賈請見而解之。」
曰く、「周公使へり管叔監(かん)殷。管叔殷を以て畔く。知りて之を使せば、是不仁なり。知らずして之を使せば、是不智なり。仁智は、周公之れ未だ之を盡さざるなり、而る況んや王をや。賈請ふ、見えて解せしめん」と。
見孟子,問曰:「周公何人也?」
孟子に見えて問ふて曰く、「周公何の人ぞや」と。
曰:「古聖人也。」
曰く、「古の聖人なり」と。
曰:「使管叔監殷,管叔以殷畔也,有諸?」
曰く、「使へり管叔監殷。管叔殷を以て畔く、有りて之諸」と。
曰:「然。」
曰く、「然り」と。
曰:「周公知其將畔而使之與?」
曰く、「周公其の將に畔かんとするを知りて之を使せしか」と。
曰:「不知也。」
「知らず」と。
「然則聖人且有過與?」
「然らば則ち聖人且つ過有るか」と。
曰:「周公,弟也;管叔,兄也。周公之過,不亦宜乎?且古之君子,過則改之;今之君子,過則順之。古之君子,其過也,如日月之食,民皆見之;及其更也,民皆仰之。今之君子,豈徒順之,又從為之辭。」
孟子曰く、「周公は弟なり、管叔は兄なり。周公の過は、不も宜なり。且つ古の君子、過あれば則ち改め、今の君子、過あれば則ち順ふ。古の君子、其の過や、日月の食(しょく)の如し。民皆之を見る。及其の更むるや、民皆之を仰ぐ。今の君子、豈に徒らに順ふのみならん、又從りて之が爲に辭を爲す」と。
孟子致為臣而歸。王就見孟子,曰:「前日願見而不可得,得侍,同朝甚喜。今又棄寡人而歸,不識可以繼此而得見乎?」對曰:「不敢請耳,固所願也。」
孟子致して臣と爲るを得ず而歸る。王就きて孟子に見えて曰く、「前日見えんと願ひて得ず、得て侍側(しそく)を同じくして、同朝甚だ喜ぶ。今又寡人を棄てて歸る。識らず、繼ぎて以て見を得んか」と。對へて曰く、「敢て請ふのみ、固より願ふ所なり」と。
他日,王謂時子曰:「我欲中國而授孟子室,養弟子以萬鍾,使諸大夫國人皆有所矜式。子盍為我言之?」
他日、王時子に謂ひて曰く、「我國中に於て孟子に室を授け、弟子を養ふに萬鍾を以てし、諸大夫國人をして皆敬し法らしめん。子盍ぞ我が爲に之を言はざる」と。
時子因陳子而以告孟子,陳子以時子之言告孟子。孟子曰:「然。夫時子惡知其不可也?如使予欲富,辭十萬而受萬,是為欲富乎?季孫曰:『異哉子叔疑!使己為政,不用,則亦已矣,又使其子弟為卿。人亦孰不欲富貴?而獨於富貴之中,有私龍斷焉。』古之為市也,以其所有易其所無者,有司者治之耳。有賤丈夫焉,必求龍斷而登之,以左右望而罔市利。人皆以為賤,故從而徵之。徵商,自此賤丈夫始矣。
時子陳子に因りて以て孟子に告ぐ。陳子以て時子の言を孟子に告ぐ。孟子曰く、「然り。夫れ時子惡に在りて其の不可を知らんや。如かん、予富を欲せば、十萬を辭して萬を受くるは、是れ富を欲する爲とするか。季孫曰く、「異なる哉子叔疑。己を以て政に使はれ、不用ふ、亦已む。又使其の子弟卿と爲す。人孰れか富貴を欲せざらん。而も獨り富貴の中に於て、私に龍斷(りゅうだん)有る」と。古の市たるや、其の所有るを以て其の所無きを易ふ。有司之を治むるのみ。賤丈夫有りて、必ず斷(だん)を求めて登り、左右望りて以て市利を罔(も)ふ。人皆以て賤と爲す。故に從りて之に征(とる)。商を征するは、此の賤丈夫より始む」と。
孟子去齊,宿於晝。
孟子齊を去り、晝に宿す。
有欲為王留行者,坐而言。不應,隱几而臥。客不悅曰:「弟子齊宿而後敢言,夫子臥而不聽,請勿復敢見矣。」
有りて王の爲に之を留めんと欲する者、坐して言ふ。應へず、隱几(いんき)して臥す。客悅ばず曰く、「弟子齊宿して然る後敢て言ふ。夫子臥して聽かず。請ふ、敢て復た見えざらん」と。
曰:「坐!我明語子。昔者魯繆公無人乎子思之側,則不能安子思;洩柳、申詳,無人乎繆公之側,則不能安其身。子為長者慮,而不及子思,子絕長者乎?長者絕子乎?」
曰く、「坐せ。我明らかに子に語らん。昔者魯繆公人無くて子思の側に於ては、則ち以て子思を安んずる能はず。泄柳、申詳、人無くて繆公の側に於ては、則ち以て其身を安んずる能はず。子長者の爲に慮るに、子思の爲に慮るに及ばず。是れ子長者を絕するか、長者子を絕するか」と。
孟子去齊。尹士語人曰:「不識王之不可以為湯武,則是不明也;識其不可,然且至,則是幹澤也。千里而見王,不遇故去。三宿而後出晝,是何濡滯也?士則茲不悅。」
孟子齊を去る。尹士人に語りて曰く、「王の以て湯武と爲る可からざるを識らざれば、則ち不明なり。識りて其の不可、然りて來るは、則ち澤を干(もと)むるなり。千里來りて王に見え、遇はざる故去る。三宿して然る後晝を出づ。是れ何滯濡(たいじゅ)ぞや。士兹に不悅なり」と。
高子以告。曰:「夫尹士惡知予哉?千里而見王,是予所欲也;不遇故去,豈予所欲哉?予不得已也。予三宿而出晝,於予心猶以為速。王庶幾改之。王如改諸,則必反予。夫出晝而王不予追也,予然後浩然有歸志。予雖然,豈舍王哉?王由足用為善。王如用予,則豈徒齊民安,天下之民舉安。王庶幾改之,予日望之。予豈若是小丈夫然哉?諫於其君而不受,則怒,悻悻然見於其面。去則窮日之力而後宿哉?」
高子以て告ぐ。曰く、「夫れ尹士惡に在りて予を知らんや。千里來りて王に見えは、我が欲する所なり。遇はざる故去るは、予豈に所欲せん哉。予不得己なり。予三宿して晝を出づ、予心に於て猶ほ以て速と爲す。王庶幾く之を改めん。王如かん之を改めば、則ち必ず予に反る。晝を出でて王予を追はざれば、予然る後浩然歸志有り。予雖し然り、豈に王を舍てん哉。王由(よ)り足りて善を爲すに。王如かん我を用ゐば、則ち豈に徒らに齊民を安んずるのみ、天下の民安んぜん。王庶幾く之を改めん。予日に之を望む。予豈に是の小丈夫なる哉。其の君に諫めて受けられざれば、則ち怒り、悻悻然として其の面に見ゆ。去れば則ち日の力を窮めて而る後宿る哉」と。
尹士聞之曰:「士誠小人也。」
尹士之を聞きて曰く、「士誠に小人なり」と。
孟子去齊。充虞路問曰:「夫子若有不豫色然。前日虞聞諸夫子曰:『君子不怨天,不尤人。』」
孟子齊を去る。充虞路に塗りて問ふて曰く、「夫子豫(よろこ)ばざる色有るに似たり。前日虞之を夫子に聞く、「君子天を怨みず、人を尤めず」といふ」と。
曰:「彼一時,此一時也。五百年必有王者興,其間必有名世者。由周而來,七百有餘歲矣。以其數則過矣,以其時考之則可矣。夫天,未欲平治天下也;如欲平治天下,當今之世,捨我其誰也?吾何為不豫哉?」
曰く、「彼一時、此一時なり。五百年にして必ず王者興り、其の間に於て必ず名世の者有り。周より而來る、七百有餘歲なり。其の數を以てすれば、則ち過ぐ。其の時を以て考へば、則ち可なり。夫れ天未だ以て天下を平治せんと欲せず。如かん、天下を平治せんと欲せば、當今の世、我を舍てて誰か有らん。吾何爲ぞ豫ばざるや」と。
孟子去齊,居休。
孟子齊を去り、休に居る。
公孫丑問曰:「仕而不受祿,古之道乎?」
公孫丑問ふて曰く、「仕して祿を受けず、古の道か」と。
曰:「非也。於崇,吾得見王。退而有去志,不欲變,故不受也。繼而有師命,不可以請。久於齊,非我志也。」
孟子曰く、「非ず。崇に於て、我得て王に見ゆ。退きて去る志有り。變へんと欲せざれば、故に受けず。繼ぎて師旅の命有り。以て請ふ可からず。久しく齊に於て、我が志に非ざるなり」と。
滕文公(とうぶんこう)上
滕文公為世子,將之楚,過宋而見孟子。孟子道性善,言必稱堯舜。
滕文公世子と爲るに、將に楚に之かんとして、宋に過りて孟子に見ゆ。孟子性善を道ふ。言はば必ず堯舜を稱す。
世子自楚反,復見孟子。孟子曰:「世子疑吾言乎?夫道一而已矣。成覸謂齊景公曰:『彼丈夫也,我丈夫也,吾何畏彼哉?』顏淵曰:『舜何人也?予何人也?有為者亦若是。』公明儀曰:『文王我師也,周公豈欺我哉?』今滕,絕長補短,將五十里也,猶可以為善國。《書》曰:『若藥不瞑眩,厥疾不瘳。』」
世子楚に自りて反り、復た孟子に見ゆ。孟子曰く、「世子吾が言を疑ふか。夫れ道は一にして已む。成覸(せいかん)齊景公に謂ひて曰く、「彼丈夫なり、我丈夫なり。吾何ぞ彼を畏れんや」と。顏淵曰く、「舜何の人ぞや、予何の人ぞや。有爲の者亦若く是なり」と。公明儀曰く、「文王我が師なり、周公豈に我を欺かん哉」と。今滕、長を絕ち短を補はば、將に五十里に及ばん。猶ほ以て善國と爲る可し。《書》に曰く、「若し藥瞑眩(めいげん)せざれば、厥の疾瘳(ちゅう)ぜず」と。」
滕定公薨。世子謂然友曰:「昔者孟子嘗與我言於宋,於心終不忘。今也不幸至於大故,吾欲使子問於孟子,然後行事。」
滕定公薨ず。世子然友に謂ひて曰く、「昔者孟子嘗て我と宋に於て言ふ。心に於て終に忘れず。今も不幸大故(大喪)に至りて、吾子を欲して之を孟子に問はしめ、然る後事を行はん」と。
然友之鄒問於孟子。孟子曰:「不亦善乎!親喪固所自盡也。曾子曰:『生事之以禮;死葬之以禮,祭之以禮,可謂孝矣。』諸侯之禮,吾未之學也;雖然,吾嘗聞之矣。三年之喪,齊疏之服,飦粥之食,自天子達於庶人,三代共之。」
然友鄒に之きて孟子に問ふ。孟子曰く、「不も好かろや。親の喪や、固より自ら盡す所なり。曾子曰く、「生くるは事へるに禮を以てし、死するは葬るに禮を以てし、祭るに禮を以てす。可ならん、孝と謂ふに」と。諸侯の禮は、吾未だ之を學ばず。雖し然り、吾嘗て之を聞く。三年の喪、齊疏(さいそ)の服、飦(かゆ)粥の食、天子より以て庶人に達す。三代之を共にす」と。
然友反命,定為三年之喪。父兄百官皆不欲,曰:「吾宗國魯先君莫之行,吾先君亦莫之行也,至於子之身而反之,不可。且志曰:『喪祭從先祖。』」曰:「吾有所受之也。」謂然友曰:「吾他日未嘗學問,好馳馬試劍。今也父兄百官不我足也,恐其不能盡於大事,子為我問孟子。」
然友反りて命を復す。三年の喪と定む。父兄百官皆欲せず、曰く、「吾が宗國魯の先君之れ莫く行ひ、吾が先君亦莫く行ふ。子に至りて之を反せば、不可なり。且つ志曰く、「喪祭先祖に從へ」」といふ。曰く、「吾有所受けたり」といふ。然友に謂ひて曰く、「吾他日嘗て學問せず、馳馬して劍を試むるを好めり。今父兄百官我を以て足とせず。恐る、能く大事に盡さざらん。子我が爲に孟子に問へ」と。
然友復之鄒問孟子。孟子曰:「然。不可以他求者也。孔子曰:『君薨,聽於冢宰。歠粥,面深墨。即位而哭,百官有司,莫敢不哀,先之也。』上有好者,下必有甚焉者矣。『君子之德,風也;小人之德,草也。草尚之風必偃。』是在世子。」
然友復た鄒に之きて孟子に問ふ。孟子曰く、「然り。是れ他に求む可からざるなり。孔子曰く、「君薨ずれば、冢宰に聽く。飦粥を歠(せつ)して、面深墨たり。位に卽きて哭し、百官有司敢て哀ならざる莫し、先之を行ふ有り」といふ。上に好む所有れば、下に甚しき者有るに必ず。「君子の德は風なり、小人の德は草なり。草上(う)に風必ず偃す」と。是れ世子に在り」と。
然友反命。世子曰:「然。是誠在我。」五月居廬,未有命戒。百官族人可謂曰知。及至葬,四方來觀之,顏色之戚,哭泣之哀,弔者大悅。
然友反りて命を復す。世子曰く、「然り。是れ誠に我に在り」と。五月廬に居りて、命戒を未有らず。百官族人可なり、以て知ると曰ふ。葬に及びて、四方之を觀る。顏色の戚(せき)、哭泣の哀、弔する者大いに悅ぶ。
滕文公問為國。孟子曰:「民事不可緩也。《詩》云:『晝爾於茅,宵爾索綯;亟其乘屋,其始播百穀。』民之為道也,有恆產者有恆心,無恆產者無恆心。苟無恆心,放辟邪侈,無不為已。及陷乎罪,然後從而刑之,是罔民也。焉有仁人在位,罔民而可為也?是故賢君必恭儉禮下,取於民有制。陽虎曰:『為富不仁矣,為仁不富矣。』
滕文公國を爲るを問ふ。孟子曰く、「民事緩む可からず。《詩・豳風・七月》に曰く、「晝爾て茅を于(とり)、宵爾て綯(じょう)を索(つく)る。亟ぎて其の乘屋(じょうおく)して、其の始め百穀を播く」と。民之爲道や、恒産有る者恒心有り、恒産無き者恒心無し。苟くも恒心無くんば、放辟邪侈、爲す所無きなり。罪に陷るに及びて、然る後從りて之を刑す。是れ民を罔く。焉んぞ仁人位に在りて、民を罔くことを爲さんや。是故に賢君必ず恭儉禮下、民に取るに經(きょう)有り。陽虎曰く、「富を爲れば不仁、仁を爲れば不富」と。
「夏后氏五十而貢,殷人七十而助,周人百畝而徹,其實皆什一也。徹者,徹也;助者,藉也。龍子曰:『治地莫善於助,莫不善於貢。貢者校數歲之中以為常。樂歲,粒米狼戾,多取之而不為虐,則寡取之;凶年,糞其田而不足,則必取盈焉。為民父母,使民盻盻然,將終歲勤動,不得以養其父母,又稱貸而益之。使老稚轉乎溝壑,惡在其為民父母也?』夫世祿,滕固行之矣。《詩》云:『雨我公田,遂及我私。』惟助為有公田。由此觀之,雖周亦助也。
(孟子續けて曰く、)「夏后氏五十にして貢し、殷人七十にして助し、周人百畝にして徹す。其れ實に皆什一なり。徹は徹(通)なり、助は藉(しゃく)なり。龍子曰く、「地を治むるに助に善き莫し、貢に不善き莫し。貢は歲數年を校(こう)して以て常と爲す。樂歲は粒米狼戾(ろうれい)多く、之を取るを寡と爲さず。寡く取るに足らざる、非虐なり。凶年は其の田を糞(ふん)して足らず、則ち必ず滿を取る。民の父母と爲りて、民をして睊睊として、將に歲を終へて勤しみ、其の父母を養ふに贍らず、又貸して以て之を益さん。老稚をして溝壑に轉じて死なしむれば、惡に在りてか其の民の父母と爲らん。夫れ世祿は、滕固より之を行ふ。《詩・小雅・大田》に曰く、「我が公田に雨して、遂に我が私に及ぶ」と。惟れ助を爲して公田有り。此に由りて之を觀れば、雖し周亦助なり。
「設為庠序學校以教之:庠者,養也;校者,教也;序者,射也。夏曰校,殷曰序,周曰庠,學則三代共之,皆所以明人倫也。人倫明於上,小民親於下。有王者起,必來取法,是為王者師也。《詩》雲『周雖舊邦,其命惟新』,文王之謂也。子力行之,亦以新子之國。」
(孟子續けて曰く、)「設けて庠序學校に以て之を敎ふ。庠は養なり、校は敎なり、序は射なり。夏を校と曰し、殷を序と曰し、周を庠と曰す。學は則ち三代之を共にす。皆人倫を明らかにする所以なり。人倫上に明らかなれば、小民下に親しむ。王者興らん有らば、必ず來りて法を取らん。是れ王者の師と爲るなり。《詩・大雅・文王》に曰く、「周舊邦と雖も、其の命惟れ新なり」と。文王之を謂ふなり。子力を盡して行ひ、亦以て子の國を新たにせよ」と。
使畢戰問井地。孟子曰:「子之君將行仁政,選擇而使子,子必勉之!夫仁政,必自經界始。經界不正,井地不鈞,谷祿不平。是故暴君汙吏必慢其經界。經界既正,分田制祿可坐而定也。夫滕壤地褊小,將為君子焉,將為野人焉。無君子莫治野人,無野人莫養君子。請野九一而助,國中什一使自賦。卿以下必有圭田,圭田五十畝。餘夫二十五畝。死徙無出鄉,鄉田同井。出入相友,守望相助,疾病相扶持,則百姓親睦。方里而井,井九百畝,其中為公田。八家皆私百畝,同養公田。公事畢,然後敢治私事,所以別野人也。此其大略也。若夫潤澤之,則在君與子矣。」
文公使へり畢戰井地を問はしむ。孟子曰く、「子の君將に仁政を行はんとして、選擇して子を使す。子必ず勉めよ。夫れ仁政は必ず經界に自(まさ)らん。經界正しからざれば、井地鈞(ひと)しからず、穀祿平らがらず。是故に暴君汙吏必ず其の經界を慢る。經界旣に正ければ、分田制祿、坐して定む可し。夫れ滕壤地褊小と雖も、將に君子有らん、將に野人有らん。君子無くんば野人を治むる莫く、野人無くんば君子を養ふ莫し。請ふ、野に於ては九一にして助し、國中什一を以て自ら賦す。卿以下必ず圭田(けいでん)有り、圭田五十畝。餘夫二十五畝。死徙鄕を出でず、鄕田同井なり。出入相友(あいゆう)、守望相助け、疾病相扶持せば、則ち百姓親睦せん。方里にして井なり、井九百畝、其の中を公田と爲す。八家皆私百畝、同じく公田を養ふ。公事畢りて、然る後敢て私事を治む。以て野人を別つ所以なり。此れ其の大略なり。若し之を潤澤せば、則ち君と子とに在り」と。
有為神農之言者許行,自楚之滕,踵門而告文公曰:「遠方之人聞君行仁政,願受一廛而為氓。」文公與之處,其徒數十人,皆衣褐,捆屨、織蓆以為食。
有りて神農の言を爲す者許行、楚より滕に自りて、門に踵(しょう)して文公に告げて曰く、「遠方の人、君の仁政を行ふを聞きて、願はくは一廛を受けて氓(ほう)と爲らん」と。文公之に處を與ふ。其の徒數十人、皆褐を衣て、屨(くつ)席を織りて以て食と爲す。
陳良之徒陳相與其弟辛,負耒耜而自宋之滕,曰:「聞君行聖人之政,是亦聖人也,願為聖人氓。」陳相見許行而大悅,盡棄其學而學焉。
陳良の徒陳相と其の弟辛と、耒耜(らいし)を負ひて宋より滕に自りて曰く、「君の聖人之政を行ふを聞きて、是れ亦聖人なり。願はくは聖人の氓と爲らん」と。陳相許行に見えて大いに悅び、盡く其の學を棄てて學ぶ。
陳相見孟子,道許行之言曰:「滕君,則誠賢君也;雖然,未聞道也。賢者與民並耕而食,饔飧而治。今也滕有倉廩府庫,則是厲民而以自養也,惡得賢?」
陳相孟子に見え、許行の言を道ふて曰く、「滕君は則ち誠に賢君なり。雖し然り、未だ道を聞かざるなり。賢者は民と竝びて耕して食ふ、饔飧(ようそん)して治む。今も滕、倉廩府庫有るは、則ち是れ民を厲(がい)して以て自ら養ふ。惡に在りてか賢を得んや」と。
孟子曰:「許子必種粟而後食乎?」曰:「然。」
孟子曰く、「許子必ず粟を種ゑて然る後食ふか」。曰く、「然り」。
「許子必織布而後衣乎?」曰:「否。許子衣褐。」
「許子必ず布を織りて然る後衣るか」。曰く、「否。許子褐を衣る」。
「許子冠乎?」曰:「冠。」
「許子冠るか」。曰く、「冠る」。
曰:「奚冠?」曰:「冠素。」
曰く、「奚に冠るか」。曰く、「素に冠る」。
曰:「自織之與?」曰:「否。以粟易之。」
曰く、「自ら織りて之を易ふか」。曰く、「否。粟を以て之を易ふ」。
曰:「許子奚為不自織?」曰:「害於耕。」
曰く、「許子奚ぞ自ら織らざるや」。曰く、「耕を害す」。
曰:「許子以釜甑爨,以鐵耕乎?」曰:「然。」
曰く、「許子釜甑(ふそう)を以て爨(かし)ぎ、鐵を以て耕するか」。曰く、「然り」。
「自為之與?」曰:「否。以粟易之。」
「自ら之を爲すか」。曰く、「否。粟を以て之を易ふ」。
「以粟易械器者,不為厲陶冶;陶冶亦以其械器易粟者,豈為厲農夫哉?且許子何不為陶冶。舍皆取諸其宮中而用之?何為紛紛然與百工交易?何許子之不憚煩?」曰:「百工之事,固不可耕且為也。」
(孟子曰く、)「粟を以て械器を易ふるは、不爲(すなわち)厲(そこな)ふこと陶治を害せず。陶治亦其の械器を以て粟を易粟を易ふるは、豈に厲ふこと農夫を害するを謂らんや。且つ許子何ぞ陶治を爲さずして、皆其の宮中に於て取りて之を用ゐんや。何ぞ紛紛然として百工と交易す。何ぞ許子之の煩を憚(はばか)らざるや」。曰く、「百工の事は、固より耕して爲る可からざるなり」。
「然則治天下獨可耕且為與?有大人之事,有小人之事。且一人之身,而百工之所為備。如必自為而後用之,是率天下而路也。故曰:或勞心,或勞力;勞心者治人,勞力者治於人;治於人者食人,治人者食於人:天下之通義也。
「然らば則ち天下を治むるは、獨り耕して爲る可きか。大人の事有り、小人の事有り。且つ一人の身に、百工の爲す所備へば、若し必ず自ら爲して然る後之を用ゐれば、是れ天下を率ゐて路に奔せしむ。故曰く、或は心を勞し、或は力を勞す。心を勞する者は人を治め、力を勞する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食(し)ひ、人を治むる者は人に食はる。天下之通義なり。
「當堯之時,天下猶未平,洪水橫流,氾濫於天下。草木暢茂,禽獸繁殖,五穀不登,禽獸偪人。獸蹄鳥跡之道,交於中國。堯獨憂之,舉舜而敷治焉。舜使益掌火,益烈山澤而焚之,禽獸逃匿。禹疏九河,瀹濟漯,而注諸海;決汝漢,排淮泗,而注之江,然後中國可得而食也。當是時也,禹八年於外,三過其門而不入,雖欲耕,得乎?后稷教民稼穡。樹藝五穀,五穀熟而民人育。人之有道也,飽食、煖衣、逸居而無教,則近於禽獸。聖人有憂之,使契為司徒,教以人倫:父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信。放勳曰:『勞之來之,匡之直之,輔之翼之,使自得之,又從而振德之。』聖人之憂民如此,而暇耕乎?
(孟子續けて曰く、)「當堯の時に、天下猶ほ未平、洪水橫流して、天下に氾濫す。草木暢茂し、禽獸繁殖し、五穀登(な)らず、禽獸人に偪(せま)る。獸蹄鳥迹の道、中國に交す。堯獨り之を憂へ、舜を擧げて之を敷治せしむ。舜使へり益火を掌(つかさど)らしめ、益山澤に烈(とも)して之を焚けば、禽獸逃匿す。禹九河を疏(そ)して、濟漯(さいたく)を瀹(やく)して海に注ぎ、汝漢を決して、淮泗を排して江に注げば、然る後中國得て食ふ可きなり。當是の時に、禹八年外に在り、三其の門を過りて入らず。雖し耕さんと欲せば、得乎。后稷民を敎へて稼穡し、五穀を樹藝(じゅげい)し、五穀熟れて民人育つ。人之爲道や、飽食煖衣、逸居して敎無くんば、則ち禽獸に近し。聖人有るを憂へ、契を使して司徒と爲し、敎へて人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。放勳曰く、「之を勞し、之を來らしめ、之を匡(ただ)し、之を直し、之を輔け、之を翼して、自ら得せしめ、又從りて之を振德す」と。聖人の民を憂ふること此の如く、而る況んや暇耕さんや。
「堯以不得舜為己憂,舜以不得禹、皋陶為己憂。夫以百畝之不易為己憂者,農夫也。分人以財謂之惠,教人以善謂之忠,為天下得人者謂之仁。是故以天下與人易,為天下得人難。孔子曰:『大哉堯之為君!惟天為大,惟堯則之,蕩蕩乎民無能名焉!君哉舜也!巍巍乎有天下而不與焉!』堯舜之治天下,豈無所用其心哉?亦不用於耕耳。
(孟子續けて曰く、)「堯以て舜を得ざるを己が憂と爲し、舜以て禹皋陶を得ざるを己が憂と爲す。夫れ百畝之不易を以て己が憂と爲すは、農夫なり。財を人に分かち之を與ふるを惠と謂ひ、善を以て人を敎ふるを忠と謂ひ、天下の爲に人を得るを仁と謂ふ。是故に天下を以て人と易ふるは易く、天下の爲に人を得るは難し。孔子曰く、「大なる哉堯之君たる。惟れ天惟れ大、惟れ堯則ち之を則(の)る。蕩蕩乎民名づくる能はざるなり。君なる哉舜。巍巍乎天下有りて與(あずか)らず」と。堯舜の天下を治むる、豈に用ゐる所無くんば、亦耕に用ゐるのみならざるなり。」
「吾聞用夏變夷者,未聞變於夷者也。陳良,楚產也。悅周公、仲尼之道,北學於中國。北方之學者,未能或之先也。彼所謂豪傑之士也。子之兄弟事之數十年,師死而遂倍之。昔者孔子沒,三年之外,門人治任將歸,入揖於子貢,相向而哭,皆失聲,然後歸。子貢反,築室於場,獨居三年,然後歸。他日,子夏、子張、子游以有若似聖人,欲以所事孔子事之,彊曾子。曾子曰:『不可。江漢以濯之,秋陽以暴之,皜皜乎不可尚已。』今也南蠻鴃舌之人,非先王之道,子倍子之師而學之,亦異於曾子矣。吾聞出於幽谷遷於喬木者,末聞下喬木而入於幽谷者。《魯頌》曰:『戎狄是膺,荊舒是懲。』周公方且膺之,子是之學,亦為不善變矣。」
(孟子續けて曰く、)「吾夏を以て夷を變ずるを聞く、未だ夷に變ぜらるるを聞かざるなり。陳良は楚の産なり。周公仲尼の道を悅びて、北方に之きて中國に學ぶ。北方の學者、能く或は之に先んずる未有らず。彼所謂豪傑之士なり。子の兄弟之に事ふる數十年、師死して遂に之を倍(そむ)く。昔者孔子沒す。三年之外、門人治任(じん)して將に歸らんとす。入りて子貢に揖み、相嚮きて哭して、皆聲を失ふ、然る後歸る。子貢反りて室を場に築き、獨居ること三年、然る後歸る。他日、子夏、子張、子游、有若を以て聖人に似たり、以て聖人に事ふる禮之に事へんと欲して、曾子を強ふる。曾子曰く、「不可。江漢以て濯(あら)ふ、秋陽以て暴(ひ)る。皜皜乎尚(な)ほ已む可からざるなり」と。今也南蠻鴃舌(けんぜつ)之人、先王の道を非す。子倍いて師を叛きて之を學ぶは、亦曾子に異なり。吾聞く、幽谷に出でて喬木に遷るを聞く、未だ喬木を下りて幽谷に入るを聞かず。《詩・魯頌・閟宮》に曰く、「戎狄是膺(あつ)、荆舒是懲」と。周公方に之を膺す、子之を學ばんと欲すは、亦善變ぜざるなり」といふ。
「從許子之道,則市賈不貳,國中無偽。雖使五尺之童適市,莫之或欺。布帛長短同,則賈相若;麻縷絲絮輕重同,則賈相若;五穀多寡同,則賈相若;屨大小同,則賈相若。」曰:「夫物之不齊,物之情也;或相倍蓰,或相什伯,或相千萬。子比而同之,是亂天下也。巨屨小屨同賈,人豈為之哉?從許子之道,相率而為偽者也,惡能治國家?」
「許子の道に從へば、則ち市賈(しか)二ならず、國中僞無し。雖し五尺の童をして市に適かしめて、之を欺く莫し。布帛長短同じくんば、則ち賈相若(ひと)し。麻縷絲絮軽重同じくんば、則ち賈相若し。五穀多寡同じくんば、則ち賈相若し。屨大小同じくんば、則ち賈相若し」。曰く、「夫れ物の不齊は、物の情なり。或は倍蓰(ばいし)に相倍し、或は什百に相倍し、或は千萬に相倍す。子之を比して齊ひ、是れ天下を亂さん。巨屨小屨同賈なれば、人豈に之を爲さん哉。許子の道に從へば、相率ゐて而て僞を爲す。惡に在りてか國家を治めんや」と。
墨者夷之,因徐闢而求見孟子。孟子曰:「吾固願見,今吾尚病,病癒,我且往見,夷子不來!」
墨者夷之、徐辟に因りて孟子に見えんを求む。孟子曰く、「吾固より願はくは見えん。今吾尚病み、病愈えば、我且(まさ)に往きて見えん。夷子來る勿れ」と。
他日又求見孟子。孟子曰:「吾今則可以見矣。不直,則道不見;我且直之。吾聞夷子墨者。墨之治喪也,以薄為其道也。夷子思以易天下,豈以為非是而不貴也?然而夷子葬其親厚,則是以所賤事親也。」
他日、又求めて孟子に見えん。孟子曰く、「吾今則ち以て見えん。直からざれば、道見(あらわ)れず。我且つ之を直さんとす。吾聞く、夷子墨者なり。墨之喪を治むるや、薄を以て其の道と爲す。夷子思ふ、以て天下を易ふは、豈に以て非ざれば是れ貴からざると爲すや。然而夷子其の親を葬るや厚し。則ち是其の所賤を以て親に事ふなり」と。
徐子以告夷子。夷子曰:「儒者之道,古之人『若保赤子』,此言何謂也?之則以為愛無差等,施由親始。」
徐子以て夷子に告ぐ。夷子曰く、「儒者之道は、古人之「若(ひと)く赤子を保す」と。此言何の謂ぞ。之則ち以て愛差等無し、施親に由る」と。
徐子以告孟子。孟子曰:「夫夷子,信以為人之親其兄之子為若親其鄰之赤子乎?彼有取爾也。赤子匍匐將入井,非赤子之罪也。且天之生物也,使之一本,而夷子二本故也。蓋上世嘗有不葬其親者。其親死,則舉而委之於壑。他日過之,狐狸食之,蠅蚋姑嘬之。其顙有泚,睨而不視。夫泚也,非為人泚,中心達於面目。蓋歸反虆梩而掩之。掩之誠是也,則孝子仁人之掩其親,亦必有道矣。」
徐子以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「夫れ夷子、信(まこと)に以て人之其の兄の子を親むる、若く其の鄰の赤子を親むるに爲すか。彼取る所有り。赤子匍匐(ほふく)して將に井に入らんとす。是れ赤子の罪に非ざるなり。且つ天之生物や、其の一本を使ふ。夷子二本の故なり。蓋し上世嘗て其の親を葬らざる者有り。其の親死するや、則ち擧げて之を壑に委ぬ。他日之を過ぎて、狐狸之を食らひ、蠅蚋(ようぜい)之を嘬(す)ふ。其の顙(ぬか)に泚(し)ありて、睨(げい)して視ず。夫れ泚は、人に非ざるなり、中心の面目に達するなり。蓋し歸りて虆梩(るいし)を反りて之を掩(おほ)ふ。之を掩ふこと誠に是なれば、則ち孝子仁人の其の親を掩ふも、亦道有らん」と。
徐子以告夷子。夷子憮然為閒曰:「命之矣。」
徐子以て夷子に告ぐ。夷子憮然(ぶぜん)として爲に間(かん)して曰く、「之を命ぜられり」と。
滕文公(とうぶんこう)下
陳代曰:「不見諸侯,宜若小然;今一見之,大則以王,小則以霸。且志曰:『枉尺而直尋』,宜若可為也。」
陳代曰く、「諸侯に見えざるは、宜しきに似たり。小然(ささやか)なるか。今一見えば、大なれば則ち以て王たらしめ、小なれば則ち以て霸たらしめん。且つ志曰く、「尺を枉げて八尋を直くす」と、似たり、以て爲す可きなり」と。
孟子曰:「昔齊景公田,招虞人以旌,不至,將殺之。志士不忘在溝壑,勇士不忘喪其元。孔子奚取焉?取非其招不往也,如不待其招而往,何哉?且夫枉尺而直尋者,以利言也。如以利,則枉尋直尺而利,亦可為與?昔者趙簡子使王良與嬖奚乘,終日而不獲一禽。嬖奚反命曰:『天下之賤工也。』或以告王良。良曰:『請復之。』彊而後可,一朝而獲十禽。嬖奚反命曰:『天下之良工也。』簡子曰:『我使掌與女乘。』謂王良。良不可,曰:『吾為之範我馳驅,終日不獲一;為之詭遇,一朝而獲十。《詩》云:「不失其馳,舍矢如破。」我不貫與小人乘,請辭。』御者且羞與射者比。比而得禽獸,雖若丘陵,弗為也。如枉道而從彼,何也?且子過矣,枉己者,未有能直人者也。」
孟子曰く、「昔齊景公田し、虞人を招くに旌(せい)を以てす。至らず、將に之を殺さんとす。志士溝壑に在るを忘れず、勇士其の元(こうべ)を喪ふを忘れず。孔子奚を取るや。取る、其の召する所に非ざれば往かざるを取る。其の召する所を待たずして往けば、何ぞや。且つ夫れ尺を枉げて八尋を直くするは、利を以て言ふなり。如かん、利を以てすれば、則ち八尋を枉げて一尺を直くして利は、亦爲す可きか。昔者趙簡子使へり王良と嬖奚乘りと爲さしめ、終日して一禽を獲ず。嬖奚命を反して曰く、「天下の賤工なり」。或以て王良に告ぐ。良曰く、「請ふ復た之を爲さしめん」と。強(し)めて後可なり。一朝して十禽を獲る。嬖奚命を反して曰く、「天下之良工なり」。簡子曰く、「我使ふ、女に專ら乘らしめん」と。王良を爲して謂ふ。良不可なり、曰く、「吾之を範して馳驅するや、終日して一を獲ず。之を詭遇(きぐう)して、一朝して十を獲る。《詩・小雅・車攻》に曰く、「其の馳驅を失はず、舍矢破きの如し」と。吾嬖習はず、小人に乘るを爲に。請。請ふ辭せん」と。御者且つ射者と比ぶるを羞ぢ、比ぶて禽獸を得る、雖し丘陵の若くんば、爲さざるなり。如かん、枉道而彼に從ふは、何ぞや。且つ子過ぎたり、己を枉ぐる者、未だ能く人を直くする有らず」と。
景春曰:「公孫衍、張儀豈不誠大丈夫哉?一怒而諸侯懼,安居而天下熄。」
景春曰く、「公孫衍、張儀、豈に誠に大丈夫ならずや。一怒して諸侯懼れ、安居して天下熄(そく)す」と。
孟子曰:「是焉得為大丈夫乎?子未學禮乎?丈夫之冠也,父命之;女子之嫁也,母命之,往送之門,戒之曰:『往之女家,必敬必戒,無違夫子!』以順為正者,妾婦之道也。居天下之廣居,立天下之正位,行天下之大道。得志與民由之,不得志獨行其道。富貴不能淫,貧賤不能移,威武不能屈。此之謂大丈夫。」
孟子曰く、「是れ焉んぞ以て大丈夫と爲さんや。子未だ禮を學ばずや。丈夫の冠る、父之を命ず。女子の嫁する、母之を命じて、往くに門を送り、之を戒めて曰く、「女の家に往きて、必ず敬し、必ず戒め、夫子に違ふ無かれ」と。順を以て正と爲すは、妾婦の道なり。天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ。志を得れば民之に由り、志を得ずんば獨り其の道を行ふ。富貴能く淫せず、貧賤能く移せず、武威能く屈せず。此れ之を大丈夫と謂ふ」と。
周霄問曰:「古之君子仕乎?」
周霄問ふて曰く、「古の君子仕ふるか」と。
孟子曰:「仕。傳曰:『孔子三月無君,則皇皇如也,出疆必載質。』公明儀曰:『古之人三月無君則吊。』」
孟子曰く、「仕ふ。傳曰く、「孔子三月君無くんば、則ち皇皇如也。疆(境)を出づれば必ず質(しつ)を載む」と。公明儀曰く、「古人三月君無くんば、則ち弔す」と。」
「三月無君則吊,不以急乎?」
「三月君無くんば則ち弔す、不以て急ならざるか」と。
曰:「士之失位也,猶諸侯之失國家也。禮曰:『諸侯耕助,以供粢盛;夫人蠶繅,以為衣服。犧牲不成,粢盛不潔,衣服不備,不敢以祭。惟士無田,則亦不祭。』牲殺器皿衣服不備,不敢以祭,則不敢以宴,亦不足吊乎?」
孟子曰く、「士之位を失ふは、猶ほ諸侯の國家を失ふがごとし。禮曰く、「諸侯耕助して、以て粢盛(しせい)を供へ、夫人蠶繅(さんそう)して、以て衣服を爲す。犧牲成らざれば、粢盛絜(きよ)からざれば、衣服備らざれば、敢て以て祭らず。惟れ士田無きは、則ち亦祭らず」と。牲殺、器皿、衣服備らざれば、敢て以て祭らず、則ち亦敢て以て宴せず。亦以て弔すに足らざるか」と。
「出疆必載質,何也?」
「疆を出づれば必ず質を載む、何ぞや」と。
曰:「士之仕也,猶農夫之耕也,農夫豈為出疆舍其耒耜哉?」
曰く、「士之仕ふるや、猶ほ農夫之耕するがごとし。農夫豈に疆を出づるを以て其の耒耜を舍てんや」と。
曰:「晉國亦仕國也,未嘗聞仕如此其急。仕如此其急也,君子之難仕,何也?」
曰く、「晉國亦仕國なり。未だ嘗て仕へる之急なるを聞かず。仕へる之急なる、君子之仕へ難きは何ぞや」と。
曰:「丈夫生而願為之有室,女子生而願為之有家。父母之心,人皆有之。不待父母之命、媒妁之言,鑽穴隙相窺,逾牆相從,則父母國人皆賤之。古之人未嘗不欲仕也,又惡不由其道。不由其道而往者,與鑽穴隙之類也。」
孟子曰く、「丈夫生而て願はくは之が爲に室有らん、女子生而て願はくは之が爲に家有らん。父母之心、人皆之有り。父母の命を待たず、媒妁之言を鑽穴隙(さんけつげき)して相窺(すかし)し、牆を踰えて相從せば、則ち父母國人皆之を賤とす。古人未だ嘗て仕ふるを欲せざりし、又其の道に由らずを惡む。其の道に由らずして往くは、鑽穴隙之類と與(ひと)し」と。
彭更問曰:「後車數十乘,從者數百人,以傳食於諸侯,不以泰乎?」
彭更問ふて曰く、「後車數十乘、從者數百人、以て傳食諸侯に於て、不以て泰ならざるか」と。
孟子曰:「非其道,則一簞食不可受於人;如其道,則舜受堯之天下,不以為泰,子以為泰乎?」
孟子曰く、「其の道に非ざれば、則ち一簞の食、人より受けず可からず。如かん、其の道なれば、舜堯之天下を受く、以て泰と爲さず。子以て泰と爲すか」と。
曰:「否。士無事而食,不可也。」
曰く、「否。士事無くして食ふは、不可なり」と。
曰:「子不通功易事,以羨補不足,則農有餘粟,女有餘布;子如通之,則梓匠輪輿皆得食於子。於此有人焉,入則孝,出則悌,守先王之道,以待後之學者,而不得食於子。子何尊梓匠輪輿而輕為仁義者哉?」
曰く、「子功を通じて事を易事せざれば、則ち有餘を以て不足を補ふ、則ち農夫有餘粟、女子有餘布有り。子如かん之を通ずれば、則ち梓匠輪輿(ししょうりんよ)皆食を子に得ん。此に人有り、入りて孝なり、出でて弟なり、先王の道を守りて、以て後の學者を待つも、而して食を子に得ず。子何ぞ梓匠輪輿を尊びて、仁義を爲る者を輕くんや」と。
曰:「梓匠輪輿,其志將以求食也;君子之為道也,其志亦將以求食與?」
曰く、「梓匠輪輿、其の志將以食を求めんとす。君子之道を爲るや、其の志亦將以食を求めんとするか」と。
曰:「子何以其志為哉?其有功於子,可食而食之矣。且子食志乎?食功乎?」
曰く、「子何ぞ其の志を以て言ふや。其れ子に於て功有りて、食す可きは則ち食す。且つ子食す、志を以てか、功を以てか」と。
曰:「食志。」
曰く、「志を以て食す」と。
曰:「有人於此,毀瓦畫墁,其志將以求食也,則子食之乎?」
曰く、「此に人有り、子の屋瓦を毀し、墁(まん)を畫(か)きて、其の志將以食を求めんとす。則ち子之を食すか」。曰く、「否」。
曰:「否。」
曰く、「然らば則ち子非ざるなり、志を以て食すは、功を以て食するなり」。
曰:「然則子非食志也,食功也。」
萬章問ふて曰く、「宋小國なり。今將に王政を行はんとす。齊楚惡みて之を伐つ。則ち如何」と。
萬章問曰:「宋,小國也。今將行王政,齊楚惡而伐之,則如之何?」
孟子曰く、「湯亳に居る。葛と鄰と爲す。葛伯放して祀らず。湯使へり之を問はしめて曰く、「何を以てか祀らざるや」。曰く、「供犧牲する無し」。湯使へり之に牛羊を遺らしむ。葛伯之を食らひ、又以て祀らず。湯又使へり之を問はしめて曰く、「何を以てか祀らざるや」。曰く、「供粢盛する無し」。湯使へり亳衆に往きて之を耕せしめ、老弱食を饋す。葛伯其の民を率ゐて、其の酒食黍稻有る者を要して之を奪ふ、授けざるは之を殺す。童子有り、黍肉を以て食を餉せば、殺して之を奪ふ。《書》に曰く、「葛伯餉を仇(あだ)とす」。此れ之を謂ふなり。其の此の童子を殺すを爲に之を征せば、四海之內皆曰く、「非ざるなり、富天下を欲するは、匹夫匹婦の爲に讎を復するなり」といふ。「湯の征始む、葛に自り」、十一征して天下に敵無し。東面して征せば、西夷怨み、南面して征せば、北狄怨み。曰く、「奚ぞ獨り予を後にせんや」といふ。民之を望むこと、若く大旱に雲霓を望むがごとし。歸市する者止まらず、芸(くさぎ)する者變らず。其の君を誅して其の民を弔ふ、若く時雨の降るがごとし。民大いに說ぶ。《書》に曰く、「徯てり我が君、君其の來れば罰無きなり」。「有攸臣せず惟れ臣、東に征して、厥の士女を綏(やす)んす。篚(ひ)に厥の玄黃を、我が周王に紹介して休みを見ゆ。臣附して大邑周」。其の君子實に玄黃を篚して其の君子を迎ふ、其の小人簞食壺漿を以て其の小人を迎ふ。民を救ふに於水火の中、其の殘を取るのみなり。《太誓》に曰く、「我が武惟れ揚う、彼の疆に侵て、則ち其の殘を取りて、殺伐張を用ひて、湯に於て光有り」と。不爲のみ、王政を行はざれば。苟くも王政を行はば、四海之內皆首を擧げて之を望みて、以て君と爲らんと欲す。齊楚雖し大、何ぞ畏れんや」と。
孟子曰:「湯居亳,與葛為鄰,葛伯放而不祀。湯使人問之曰:『何為不祀?』曰:『無以供犧牲也。』湯使遺之牛羊。葛伯食之,又不以祀。湯又使人問之曰:『何為不祀?』曰:『無以供粢盛也。』湯使亳眾往為之耕,老弱饋食。葛伯率其民,要其有酒食黍稻者奪之,不授者殺之。有童子以黍肉餉,殺而奪之。《書》曰:『葛伯仇餉。』此之謂也。為其殺是童子而徵之,四海之內皆曰:『非富天下也,為匹夫匹婦復讎也。』『湯始徵,自葛載』,十一徵而無敵於天下。東面而徵,西夷怨;南面而徵,北狄怨,曰:『奚為後我?』民之望之,若大旱之望雨也。歸市者弗止,芸者不變,誅其君,吊其民,如時雨降。民大悅。《書》曰:『徯我後,後來其無罰。』『有攸不惟臣,東征,綏厥士女,匪厥玄黃,紹我周王見休,惟臣附於大邑周。』其君子實玄黃於匪以迎其君子,其小人簞食壺漿以迎其小人,救民於水火之中,取其殘而已矣。《太誓》曰:『我武惟揚,侵於之疆,則取於殘,殺伐用張,於湯有光。』不行王政云爾,苟行王政,四海之內皆舉首而望之,欲以為君。齊楚雖大,何畏焉?」
孟子戴不勝に謂ひて曰く、「子欲して子の王をして善と爲らしめんとするか。我明らかに子に語らん。有りて楚大夫此に在り。其の子を欲して齊語す。則ち使ふ、齊人を傅して諸、楚人を傅して諸」と。
孟子謂戴不勝曰:「子欲子之王之善與?我明告子。有楚大夫於此,欲其子之齊語也,則使齊人傅諸?使楚人傅諸?」
曰く、「使ふ、齊人を傅す」。
曰:「使齊人傅之。」
孟子曰く、「一齊人之を傅す、衆楚人之を咻(きゅう)す。雖し日に撻して其の齊を求むるに、得る可からず。引きて之を莊岳(そうがく)の間に置くこと數年、雖し日に撻して其の楚を求むるに、亦得る可からず。子薛居州を謂ひて善士と爲し、使ふ、王の所に居らしめば、王の所に在る者、長幼卑尊皆薛居州ならば、王誰と不善を爲さん。王の所に在る者、長幼卑尊皆非薛居州ならば、王誰と善を爲さん。一薛居州、獨り宋王を如何せんや」と。
曰:「一齊人傅之,眾楚人咻之,雖日撻而求其齊也,不可得矣;引而置之莊嶽之間數年,雖日撻而求其楚,亦不可得矣。子謂薛居州,善士也。使之居於王所。在於王所者,長幼卑尊,皆薛居州也,王誰與為不善?在王所者,長幼卑尊,皆非薛居州也,王誰與為善?一薛居州,獨如宋王何?」
公孫丑問ふて曰く、「諸侯に見えざるは、何の義ぞや」と。
公孫丑問曰:「不見諸侯何義?」
孟子曰く、「古者臣に非ざれば見えず。段干木垣を踰えて之を辟(よ)け、泄柳門を閉ぢて內(い)れざる。是れ皆已む甚し。迫れば、以て見えん。陽貨孔子に見えんと欲して、無禮を惡む。大夫士に賜有りて、其の家に於て受けずんば、則ち其の門に往きて拜す。陽貨孔子之亡(い)なきを矙(み)て、孔子に蒸豚を饋る。孔子亦其の亡なきを矙て、往きて之を拜す。當是の時、陽貨先たる、豈に見ざるを得んや。曾子曰く、「脅肩諂笑するは、夏畦(かけい)を病む」と。子路曰く、「同きに非ざして言へば、其の色赧赧(たんたん)然たりを觀れば、由の知る所に非ざるなり」。是に由りて之を觀れば、則ち君子之養ふ所、以て知る可きなり」と。
孟子曰:「古者不為臣不見。段幹木逾垣而闢之,洩柳閉門而不內,是皆已甚。迫,斯可以見矣。陽貨欲見孔子而惡無禮,大夫有賜於士,不得受於其家,則往拜其門。陽貨矙孔子之亡也,而饋孔子蒸豚;孔子亦矙其亡也,而往拜之。當是時,陽貨先,豈得不見?曾子曰:『脅肩諂笑,病於夏畦。』子路曰:『未同而言,觀其色赧赧然,非由之所知也。』由是觀之,則君子之所養可知已矣。」
戴盈之曰く、「什一、關市之征を去る、今兹未能。請ふ、之を輕くして、來年に待ちて、然る後已めん。何如」と。
戴盈之曰:「什一,去關市之徵,今茲未能。請輕之,以待來年,然後已,何如?」
孟子曰く、「今有人日に其の鄰の鷄を攘(ぬす)む。或る人告げて曰く、「是れ非君子之道」。曰く、「請ふ損ぜん、月に一鷄を攘み、來年に待ちて、然る後已めん」。如かん、其の非義を知れば、斯に已むを速くせよ。何ぞ來年を待たんや」と。
孟子曰:「今有人日攘其鄰之雞者,或告之曰:『是非君子之道。』曰:『請損之,月攘一雞,以待來年,然後已。』如知其非義,斯速已矣,何待來年。」
公都子曰く、「外人皆夫子好辯と稱す。敢て問ふ、何ぞや」と。
公都子曰:「外人皆稱夫子好辯,敢問何也?」
孟子曰く、「予豈に辯を好まん哉。予不得己なり。天下之生久しき。一治一亂。當堯の時、水逆行して、中國に氾濫す。蛇龍之を居る。民定まる所無し。下者巢を爲し、上者窟を營む。《書》に曰く、「洚水余を警す」。洚水は、洪水なり。禹を使して之を治めしむ。禹地を掘りて海に注ぎ、蛇龍を驅りて菹(そ)に放つ。水地に由りて行ふ。江淮河漢是れ也。險阻旣に遠く、鳥獸之人を害する者消へて、然る後人得て平土に居る可きなり。
孟子曰:「予豈好辯哉?予不得已也。天下之生久矣,一治一亂。當堯之時,水逆行,氾濫於中國。蛇龍居之,民無所定。下者為巢,上者為營窟。《書》曰:『洚水警餘。』洚水者,洪水也。使禹治之,禹掘地而注之海,驅蛇龍而放之菹。水由地中行,江、淮、河、漢是也。險阻既遠,鳥獸之害人者消,然後人得平土而居之。
(孟子續けて曰く、)「堯舜旣に沒す。聖人之道衰ふ。暴君代(かはり)作(おこ)り、宮室を壞して以て汙池を爲す。民安き所無し。田を棄てて以て園囿を爲す。民をして衣食を得せしめず。邪說暴行又作り、園囿、汚池、沛澤多くて禽獸至る。紂に及びて、天下又大亂。周公武王を相して、紂を誅し奄を伐つ。三年其の君を討ち、飛廉を驅りて海隅に戮(りく)して之を滅す。國五十を滅して、虎豹犀象を驅りて之を遠くす。天下大いに說ぶ。《書》に曰く、「丕顯(ひけん)なる哉文王謨、丕承なる哉武王烈。佑啓(ゆうけい)我後人、咸に正無缺」と。
「堯、舜既沒,聖人之道衰。暴君代作,壞宮室以為汙池,民無所安息;棄田以為園囿,使民不得衣食。邪說暴行又作,園囿、汙池、沛澤多而禽獸至。及紂之身,天下又大亂。周公相武王,誅紂伐奄,三年討其君,驅飛廉於海隅而戮之。滅國者五十,驅虎、豹、犀、象而遠之。天下大悅。《書》曰:『丕顯哉,文王謨!丕承哉,武王烈!佑啟我後人,鹹以正無缺。』
(孟子續けて曰く、)「世衰道微、邪說暴行有作。臣其の君を弑する者有り、子其の父を弑する者有り。孔子懼れ、《春秋》を作る。《春秋》は、天子之事なり。是故に孔子曰く、「我を知るは其れ惟れ春秋か。我を罪するは其れ惟れ春秋か」と。
「世衰道微,邪說暴行有作,臣弒其君者有之,子弒其父者有之。孔子懼,作《春秋》。《春秋》,天子之事也。是故孔子曰:『知我者其惟春秋乎!罪我者其惟春秋乎!』
(孟子續けて曰く、)「聖王作らず。諸侯放恣し、處士橫議し、楊朱、墨翟之言天下に盈つ。天下之言、楊に歸らずんば則ち墨に歸す。楊氏は我を爲る、是れ無君なり。墨氏は兼愛す、是れ無父なり。無父無君は、是れ禽獸なり。公明儀曰く、「庖に肥肉有り、廐に肥馬有り、民に飢色有り、野に餓莩有り。此れ獸を率ゐて人を食ましむ」。楊墨之道息まず、孔子之道著(あらわ)れず。是れ邪說民を誣(し)へ、仁義を充塞す。仁義充塞すれば、則ち獸を率ゐて人を食ましむ。人將に相食らはん。吾此が爲に懼る。先聖之道を閑(かん)し、楊墨を距(は)く、淫辭を放して、邪說者作(おこ)る能はざらしむ。作りて其心に於て、其の事を害し、作りて其事に於て、其の政を害す。聖人復た起(おこ)れば、吾が言を易へざらん。
「聖王不作,諸侯放恣,處士橫議,楊朱、墨翟之言盈天下。天下之言,不歸楊,則歸墨。楊氏為我,是無君也;墨氏兼愛,是無父也。無父無君,是禽獸也。公明儀曰:『庖有肥肉,廄有肥馬,民有飢色,野有餓莩,此率獸而食人也。』楊墨之道不息,孔子之道不著,是邪說誣民,充塞仁義也。仁義充塞,則率獸食人,人將相食。吾為此懼,閒先聖之道,距楊墨,放淫辭,邪說者不得作。作於其心,害於其事;作於其事,害於其政。聖人復起,不易吾言矣。
(孟子續けて曰く、)「昔者禹抑へて洪水、而して天下平らぐ。周公兼(あ)ふて夷狄、猛獸を驅りて、百姓寧んず。孔子成りて《春秋》を、而して亂臣賊子懼る。《詩・魯頌・閟宮》に曰く、「戎狄是膺、荆舒是懲、則ち莫れ敢て我承(あらが)ふ」と。無父無君は、周公の膺する所なり。我亦欲して人心を正くし、邪說を息め、詖行を距き、淫辭を放ちて、以て三聖を承(つ)がん。豈に辯を好まん哉。予不得己なり。能く言を以て楊墨を距ぐは、聖人之徒なり」と。
「昔者禹抑洪水而天下平,周公兼夷狄驅猛獸而百姓寧,孔子成《春秋》而亂臣賊子懼。《詩》云:『戎狄是膺,荊舒是懲,則莫我敢承。』無父無君,是周公所膺也。我亦欲正人心,息邪說,距詖行,放淫辭,以承三聖者;豈好辯哉?予不得已也。能言距楊墨者,聖人之徒也。」
匡章曰く、「陳仲子豈に誠に廉士ならずや。於陵(おりょう)に居る。三日食らはず、耳聞く無く、目見る無し。井上李有り、螬(そう)之を食らふ者過半ば。匍匐して往きて將に之を食らはんとす。三咽して然る後耳聞く有り、目見る有り」と。
匡章曰:「陳仲子豈不誠廉士哉?居於陵,三日不食,耳無聞,目無見也。井上有李,螬食實者過半矣,匍匐往將食之,三咽,然後耳有聞,目有見。」
孟子曰く、「齊國之士に於ては、吾必ず以て仲子を巨擘(きょはく)と爲す。雖し然り、仲子惡に在りてか廉を得んや。仲子之操を充たさば、則ち蚓(いん)と爲りて而る後可なり。夫れ蚓は、上槁壤を食らひ、下黄泉を飮む。仲子之居る所は、伯夷之築れる所か、抑々盜跖之築れる所か。食らふ所は、伯夷之樹てる所か、抑々盜跖之樹てる所か。是れ未だ知る可からざるなり」と。
孟子曰:「於齊國之士,吾必以仲子為巨擘焉。雖然,仲子惡能廉?充仲子之操,則蚓而後可者也。夫蚓,上食槁壤,下飲黃泉。仲子所居之室,伯夷之所築與?抑亦盜跖之所築與?所食之粟,伯夷之所樹與?抑亦盜跖之所樹與?是未可知也。」
曰く、「是れ何傷るか。彼身(みずから)屨を織り、妻纑(ろ)練(けい)して、以て之を易ふるなり」と。
曰:「是何傷哉?彼身織屨,妻辟纑,以易之也。」
曰く、「仲子は齊之世家なり。兄戴、蓋(こう)祿萬鍾。以て兄之祿不義之祿と爲して食らはず、以て兄之室不義之室と爲して居らず。兄を辟(さ)け母を離れて、於陵に處る。他日歸る、則ち其の兄に生鵝を饋る者有り。己頻顣(ひんしゅく)して曰く、「惡に用る此の鶃鶃(げきげき)者を哉」。他日其の母是を殺し、之と食はしむ。其の兄外より至りて曰く、「是れ鶃鶃之肉なり」。出でて之を哇(あい)して吐く。母を以ては則ち食らはず、妻を以ては則ち食らふ。兄之室を以ては則ち居らず、於陵を以ては則ち居る。是れ尚能く其の類を充たすを謂らんや。若し仲子者は、蚓と爲りて而る後其の操を充たす」と。
曰:「仲子,齊之世家也。兄戴,蓋祿萬鍾。以兄之祿為不義之祿而不食也,以兄之室為不義之室而不居也,闢兄離母,處於於陵。他日歸,則有饋其兄生鵝者,己頻顣曰:『惡用是鶃鶃者為哉?』他日,其母殺是鵝也,與之食之。其兄自外至,曰:『是鶃鶃之肉也。』出而哇之。以母則不食,以妻則食之;以兄之室則弗居,以於陵則居之。是尚為能充其類也乎?若仲子者,蚓而後充其操者也。」
離婁(りろう)上
孟子曰く、「離婁之明、公輸子之巧、規矩を以てせずんば、以て方員を成す能はず。師曠之聰、六律を以てせずんば、以て五音を正くする能はず。堯舜之道、仁政を以てせずんば、以て天下を平治する能はず。今仁心仁聞有りて、民其の澤を被(こうむ)らず。法を後世に取らる可からざるは、先王之道を行はざればなり。
孟子曰:「離婁之明,公輸子之巧,不以規矩,不能成方員:師曠之聰,不以六律,不能正五音;堯舜之道,不以仁政,不能平治天下。今有仁心仁聞而民不被其澤,不可法於後世者,不行先王之道也。
(孟子續けて曰く、)「故曰く、善のみ以て政を爲るに足らず、法のみ能く自ら行はざるなり。《詩・大雅・假樂》に曰く、「愆(とが)らず忘れず、率(したが)ふて舊章を」。先王之法を遵(したが)ふて過有るは、未だ之れ有らざるなり。聖人旣に目力を竭くし、繼ぎて之以て規矩準繩、以て方員平直を爲る、以て勝(こた)ふ可からざるなり。旣に耳力を竭くし、繼ぎて之以て六律、五音を正くする、以て勝ふ可からざるなり。旣に心思を竭くし、繼ぎて之以て人に忍びざる之政、而して仁天下を覆ふ可からざるなり。
「故曰,徒善不足以為政,徒法不能以自行。《詩》云:『不愆不忘,率由舊章。』遵先王之法而過者,未之有也。聖人既竭目力焉,繼之以規矩準繩,以為方員平直,不可勝用也;既竭耳力焉,繼之以六律,正五音,不可勝用也;既竭心思焉,繼之以不忍人之政,而仁覆天下矣。
(孟子續けて曰く、)「故曰く、高を爲るには必ず丘陵に因り、下を爲るには必ず川澤に因る。政を爲るに先王之道に因らざるは、智と謂ふ可きか。是故に惟れ仁者宜しき高位に在る。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を播して衆に於てなり。上道揆無く、下法守無し、朝廷道を信ぜず、工尺度を信ぜず、君子義に犯れ、小人刑に犯る。國之存する所は幸なり。
「故曰,為高必因丘陵,為下必因川澤。為政不因先王之道,可謂智乎?是以惟仁者宜在高位。不仁而在高位,是播其惡於眾也。上無道揆也。下無法守也,朝不信道,工不信度,君子犯義,小人犯刑,國之所存者幸也。
(孟子續けて曰く、)「故曰く、城郭完からざる、兵甲多からざるは、非國之災なり。田野辟かざる、貨財聚まらざるは、非國之害なり。上禮無く、下學無し、賊民興り、喪日無し。《詩・大雅・板》に曰く、「天之方に蹶(けい)す、然(じぜん)に泄泄する無かれ」。泄泄は、猶ほ沓沓なり。君に事ふるに義無く、進退禮無く、言ふは則ち非先王之道、是れ猶ほ沓沓なり。故曰く、難を以て君に責むるを恭と謂ひ、善を陳び邪を閉づるを敬と謂ふ。吾が君能はずと謂ふを賊と謂ふ」といふ。」
「故曰,城郭不完,兵甲不多,非國之災也;田野不闢,貨財不聚,非國之害也。上無禮,下無學,賊民興,喪無日矣。《詩》曰:『天之方蹶,無然洩洩。』洩洩,猶沓沓也。事君無義,進退無禮,言則非先王之道者,猶沓沓也。故曰:責難於君謂之恭,陳善閉邪謂之敬,吾君不能謂之賊。」
孟子曰く、「規矩は方員之至なり、聖人は人倫之至なり。君と爲らんと欲せば、君道を盡し、臣と爲らんと欲せば、臣道を盡せ。二者皆堯舜を法とするのみ。舜を以て堯に事ふる所以君に事へざれば、是れ其の君を敬せざるなり。堯を以て民を治むる所以民を治めざれば、是れ其の民を賊ふなり。孔子曰く、「道二、仁と不仁と而已矣」。其の民を暴むる甚しければ、則ち身弑され國亡ぶ。不甚ければ、則ち身危く國削す。之に「幽」「厲」の名づくる、雖し孝子慈孫、百世能く改めざるなり。《詩・大雅・蕩》に曰く、「殷之鑑遠からず、夏后之世に在り」。此れ之を謂ふなり」と。
孟子曰:「規矩,方員之至也;聖人,人倫之至也。欲為君盡君道,欲為臣盡臣道,二者皆法堯舜而已矣。不以舜之所以事堯事君,不敬其君者也;不以堯之所以治民治民,賊其民者也。孔子曰:『道二:仁與不仁而已矣。』暴其民甚,則身弒國亡;不甚,則身危國削。名之曰『幽厲』,雖孝子慈孫,百世不能改也。《詩》雲『殷鑑不遠,在夏後之世』,此之謂也。」
孟子曰く、「三代之天下を得るは仁を以てし、其の天下を失ふは不仁を以てす。國之廢興存亡の所以然も亦如斯なり。天子不仁なれば、四海を保つ能はず。諸侯不仁なれば、社稷を保つ能はず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保つ能はず。士庶人不仁なれば、四體を保つ能はず。今死を惡みて不仁を樂しむは、猶ほ醉を惡みて強ひて酒を強うがごとし」と。
孟子曰:「三代之得天下也以仁,其失天下也以不仁。國之所以廢興存亡者亦然。天子不仁,不保四海;諸侯不仁,不保社稷;卿大夫不仁,不保宗廟;士庶人不仁,不保四體。今惡死亡而樂不仁,是猶惡醉而強酒。」
孟子曰く、「人を愛して親しからざれば、其の仁を反す。人を治めて治まらざれば、其の智を反す。人を禮して答へざれば、其の敬を反す。行ふこと得ざる有れば、皆己に反して諸を求む。其の身正くして天下之に歸す。《詩》に曰く、「永言命に配す、自ら多福を求む」と。」
孟子曰:「愛人不親反其仁,治人不治反其智,禮人不答反其敬。行有不得者,皆反求諸己,其身正而天下歸之。《詩》云:『永言配命,自求多福。』」
孟子曰く、「人を愛して親しからざれば、其の仁を反す。人を治めて治まらざれば、其の智を反す。人を禮して答へざれば、其の敬を反す。行ふこと得ざる有れば、皆己に反して諸を求む。其の身正くして天下之に歸す。《詩》に曰く、「永言命に配す、自ら多福を求む」と。」
孟子曰:「人有恆言,皆曰『天下國家』。天下之本在國,國之本在家,家之本在身。」
孟子曰く、「人恒言有りて、皆「天下國家」と曰ふ。天下之本是國、國之本是家、家之本是身なり」と。
孟子曰:「為政不難,不得罪於巨室。巨室之所慕,一國慕之;一國之所慕,天下慕之;故沛然德教溢乎四海。」
孟子曰く、「政を爲るは難からず、巨室に罪するを得ざるなり。巨室之慕ふ所は、一國之を慕ふ。一國之慕ふ所は、天下之を慕ふ。故に德教沛然として四海に溢る」と。
孟子曰:「天下有道,小德役大德,小賢役大賢;天下無道,小役大,弱役強。斯二者天也。順天者存,逆天者亡。齊景公曰:『既不能令,又不受命,是絕物也。』涕出而女於吳。
孟子曰く、「天下道有れば、小德大德を役し、小賢大賢を役す。天下道無ければ、小大を役し、弱強を役す。斯の二者は、天なり。天に順ふ者存り、天に逆ふ者亡ぶ。齊景公曰く、「既に令せず、又命を受けざるは、是れ物を絕つなり」。涕(なみだ)を出して女を呉に嫁す」といふ。
今也小國師大國而恥受命焉,是猶弟子而恥受命於先師也。如恥之,莫若師文王。師文王,大國五年,小國七年,必為政於天下矣。《詩》云:『商之孫子,其麗不億。上帝既命,侯於周服。侯服於周,天命靡常。殷士膚敏,祼將於京。』孔子曰:『仁不可為眾也。夫國君好仁,天下無敵。』今也欲無敵於天下而不以仁,是猶執熱而不以濯也。《詩》云:『誰能執熱,逝不以濯?』」
(孟子續けて曰く、)「今小國大國を師として、命を受くるを恥とするは、猶ほ弟子をして師を恥とするがごとし。如かん、之を恥とすれば、文王を師とするに莫如く。文王を師とするは、大國五年、小國七年、必ず政を天下に爲さん。《詩・大雅・文王》に曰く、「商之孫子、其の麗億に數えず。上帝旣に命ず、侯周に服す。侯周に服す、天命靡(み)常なり。殷士膚敏(ふびん)、祼將を京に行ふ」。孔子曰く、「仁は衆を爲る可からざるなり。夫れ國君仁を好めば、則ち天下に敵無し」と。今天下に敵無からんと欲して、仁を以てせざるは、猶ほ熱を執りて濯(あら)ふを以てせざるがごとし。《詩・大雅・桑柔》に曰く、「孰れか能く熱を執りて、逝(ゆ)かず濯(あら)ふを以てせんや」といふ。」
孟子曰:「不仁者可與言哉?安其危而利其菑,樂其所以亡者。不仁而可與言,則何亡國敗家之有?有孺子歌曰:『滄浪之水清兮,可以濯我纓;滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之!清斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』夫人必自侮,然後人侮之;家必自毀,而後人毀之;國必自伐,而後人伐之。《太甲》曰:『天作孽,猶可違;自作孽,不可活。』此之謂也。」
孟子曰く、「不仁の者、與(とも)に言ふ可きか。其の危に安んじて其の災に利す、其の亡する所を樂しむ。不仁にして與に言ふ可からば、則ち何ぞ亡國敗家有らんや。孺子有りて歌ふて曰く、「滄浪之水淸き、以て我が纓(えい)を濯ふ可し。滄浪之水濁れる、以て我が足を濯ふ可し」。孔子曰く、「小子之を聽け。淸きは則ち纓を濯ふ、濁るは則ち足を濯ふ。自ら之を取るなり」といふ。夫人必ず自ら侮りて、然る後人の之を侮る。家必ず自ら毀りて、然る後人の之を毀る。國必ず自ら伐ちて、然る後人の之を伐つ。《書・太甲》に曰く、「天の孽を作すは、猶ほ違る可し。自ら孽を作すは、活きる可からず」。此れ之を謂ふなり」と。
孟子曰:「桀紂之失天下也,失其民也;失其民者,失其心也。得天下有道:得其民,斯得天下矣;得其民有道:得其心,斯得民矣;得其心有道:所欲與之聚之,所惡勿施爾也。民之歸仁也,猶水之就下、獸之走壙也。故為淵敺魚者,獺也;為叢敺爵者,鸇也;為湯武敺民者,桀與紂也。今天下之君有好仁者,則諸侯皆為之敺矣。雖欲無王,不可得已。今之慾王者,猶七年之病求三年之艾也。苟為不畜,終身不得。苟不志於仁,終身憂辱,以陷於死亡。《詩》雲『其何能淑,載胥及溺』,此之謂也。」
孟子曰く、「桀紂之天下を失ふは、其の民を失ふなり。其の民を失ふは、其の心を失ふなり。天下を得るに道有り。其の民を得れば、斯に天下を得るなり。民を得るに道有り。其の心を得れば、斯に民を得るなり。心を得るに道有り。其の欲する所は、之に聚めて之を與與ふ、其の惡する所は、之に施す勿れ。民之歸仁するや、猶ほ水之下に就き、獸之壙(くゐ)に走るがごとし。故に淵の爲に魚を驅るは、獺(たつ)なり。叢の爲に雀を驅るは、鸇(せん)なり。湯武の爲に民を驅るは、桀と紂と也。今天下之君仁を好む者有らば、則ち諸侯皆之を爲に驅らん。雖し王たらんと欲せざれば、得る可からざるなり。今之王たらんと欲する者は、猶ほ七年之病、三年之艾を求むるがごとし。苟くも畜(たくは)ふに爲さざれば、終身得ず。苟くも仁に志さざれば、終身憂辱、以て死亡に陷らん。《詩・大雅・桑柔》に曰く、「其れ何能か淑(よく)せん、載胥(あい)及び溺るるのみ」。此れ之を謂ふなり」と。
孟子曰:「自暴者,不可與有言也;自棄者,不可與有為也。言非禮義,謂之自暴也;吾身不能居仁由義,謂之自棄也。仁,人之安宅也;義,人之正路也。曠安宅而弗居,舍正路而不由,哀哉!」
孟子曰く、「自ら暴ふ者は、與(とも)に言有る可からず。自ら棄つる者は、與に爲有る可からず。言禮義を非するを自ら暴ふと謂ひ、吾身仁に居る能はず、義に由る能はずを自ら棄つると謂ふ。仁は人の安宅なり、義は人の正路なり。安宅を曠(あ)れて居らず、正路を舍てて由らざるは、哀なる哉」と。
孟子曰:「道在爾而求諸遠,事在易而求之難。人人親其親、長其長而天下平。」
孟子曰く、「道邇(ちか)きに在りて之を遠に求め、事易きに在りて之を難に求む。人人其の親を親しみ、其の長を長とせば、天下平らがん」と。
孟子曰:「居下位而不獲於上,民不可得而治也。獲於上有道:不信於友,弗獲於上矣;信於友有道:事親弗悅,弗信於友矣;悅親有道:反身不誠,不悅於親矣;誠身有道:不明乎善,不誠其身矣。是故誠者,天之道也;思誠者,人之道也。至誠而不動者,未之有也;不誠,未有能動者也。」
孟子曰く、「下位に居りて上に獲(う)るを得ざれば、民得て治むる可からざるなり。上に獲るを得るに道有り。朋友に信ぜられざれば、上に獲るを得ざるなり。朋友に信ぜらるるに道有り。親に事ふるに悅(よろこ)ばざれば、朋友に信ぜられざるなり。親を悅ばしむるに道有り。諸身に反して誠ならざれば、親を悅ばしむるに得ざるなり。身を誠にするに道有り。善に明らかならざれば、身を誠にするに得ざるなり。是故に誠は、天之道なり。誠を思ふは、人之道なり。至誠にして動かざるは、未だ之れ有らざるなり。不誠にして能く動かす有らず」と。
孟子曰:「伯夷闢紂,居北海之濱,聞文王作,興曰:『盍歸乎來!吾聞西伯善養老者。』太公闢紂,居東海之濱,聞文王作,興曰:『盍歸乎來!吾聞西伯善養老者。』二老者,天下之大老也,而歸之,是天下之父歸之也。天下之父歸之,其子焉往?諸侯有行文王之政者,七年之內,必為政於天下矣。」
孟子曰く、「伯夷紂を辟け、北海之濱に居り、文王之興るを聞きて、作して曰く、「盍ぞ歸乎(ふ)來る。吾西伯之善く老を養ふを聞く」と。太公紂を辟け、東海之濱に居り、文王之興るを聞きて、作して曰く、「盍ぞ歸乎來る。吾西伯之善く老を養ふを聞く」。二老者は、天下之大老なり。而して之に歸す。是れ天下之父之に歸するなり。天下之父之に歸す。其の子焉んぞ往かん。諸侯文王之政を行ふ有らば、七年之內、必ず政を天下に爲さん」と。
孟子曰:「求也為季氏宰,無能改於其德,而賦粟倍他日。孔子曰:『求非我徒也,小子鳴鼓而攻之可也。』由此觀之,君不行仁政而富之,皆棄於孔子者也。況於為之強戰?爭地以戰,殺人盈野;爭城以戰,殺人盈城。此所謂率土地而食人肉,罪不容於死。故善戰者服上刑,連諸侯者次之,闢草萊、任土地者次之。」
孟子曰く、「求(きゅう)也季氏之宰と爲り、能く其の德を改めざるに、賦粟他日に倍す。孔子曰く、「求は我が徒に非ざるなり、小子鼓を鳴らして之を攻む可し」。此に由りて之を觀れば、君仁政を行はずして、之を富むは、皆孔子に棄てられしなり。況んや之が爲に強(し)ひて戰ふをや。地を爭(あらそ)ひて戰ひ、人を殺して野に盈ち、城を爭ひて戰ひ、人を殺して城に盈つ。此れ所謂土地を率ゐて人肉を食らふ、罪死を容(ゆる)さず。故に戰を善くする者は上刑に服し、諸侯を連(むす)ぶ者は之に次ぎ、草萊(そうらい)を闢き土地を任(つか)ふ者は之に次ぐ」と。
孟子曰:「存乎人者,莫良於眸子。眸子不能掩其惡。胸中正,則眸子瞭焉;胸中不正,則眸子眊焉。聽其言也,觀其眸子,人焉廋哉?」
孟子曰く、「存乎(こ)人者は、眸子(ぼうし)に良(あ)ふる莫し。眸子其の惡を掩(おほ)ふ能はず。胸中正ければ、則ち眸子了(りょう)たり。胸中不正ければ、則ち眸子眊(ぼう)たり。其の言を聽き、其の眸子を觀れば、人焉んぞ廋(かく)さんや」と。
孟子曰:「恭者不侮人,儉者不奪人。侮奪人之君,惟恐不順焉,惡得為恭儉?恭儉豈可以聲音笑貌為哉?」
孟子曰く、「恭する者は人を侮らず、儉する者は人を奪はず。侮奪する君、惟れ人之順ふを恐れ、惡に在りてか恭儉を得んや。恭儉豈に聲音笑貌を以て爲さん哉」と。
淳于髡曰:「男女授受不親,禮與?」
淳于髡(じゅううこん)曰く、「男女授受親しからざるは、禮か」と。
孟子曰:「禮也。」
孟子曰く、「禮なり」と。
曰:「嫂溺則援之以手乎?」
曰く、「嫂溺るれば、則ち手を援(ひ)く以て之を援ぐか」と。
曰:「嫂溺不援,是豺狼也。男女授受不親,禮也;嫂溺援之以手者,權也。」
曰く、「嫂溺して援ぐる不援ぐは、是れ豺狼なり。男女授受親しからざるは、禮なり。嫂溺援するに手を以てするは、權なり」と。
曰:「今天下溺矣,夫子之不援,何也?」
曰く、「今天下溺る。夫子之を援ぐ不援ぐは何ぞや」と。
曰:「天下溺,援之以道;嫂溺,援之以手。子欲手援天下乎?」
曰く、「天下溺るは、之を援ぐに道を以てす。嫂溺るは、之を援ぐに手を以てす。子欲して手天下を援ぐか」と。
公孫丑曰:「君子之不教子,何也?」
公孫丑曰く、「君子之子を敎へざるは何ぞや」と。
孟子曰:「勢不行也。教者必以正;以正不行,繼之以怒;繼之以怒,則反夷矣。『夫子教我以正,夫子未出於正也。』則是父子相夷也。父子相夷,則惡矣。古者易子而教之。父子之間不責善。責善則離,離則不祥莫大焉。」
孟子曰く、「勢行ふる能はざるなり。敎ふる者必ず正を以てす。正を以て行ふる能はざれば、繼ぎて之を怒る。繼ぎて之を怒れば、則ち夷(やぶ)りて之を傷す。「夫子正を以て我を敎へて、夫子未だ正に出づる能はず」、則ち是れ父子相夷(そこな)ふ。父子相夷ふは、則ち惡し。古者子を易して敎ふ。父子之間善を責(せ)めず。善を責むれば則ち離る。離るは則ち不祥莫大なり」と。
孟子曰:「事孰為大?事親為大;守孰為大?守身為大。不失其身而能事其親者,吾聞之矣;失其身而能事其親者,吾未之聞也。孰不為事?事親,事之本也;孰不為守?守身,守之本也。曾子養曾皙,必有酒肉。將徹,必請所與。問有餘,必曰『有』。曾皙死,曾元養曾子,必有酒肉。將徹,不請所與。問有餘,曰『亡矣』。將以復進也。此所謂養口體者也。若曾子,則可謂養志也。事親若曾子者,可也。」
孟子曰く、「事孰れか大と爲す。事親を大と爲す。守孰れか大と爲す。守身を大と爲す。其身を失はずして、能く其の親に事ふるは、吾之を聞く。其身を失して、能く其の親に事ふるは、吾未だ之を聞かざるなり。孰れか事へざる。事親は、事之本なり。孰れか守らざる。守身は、守之本なり。曾子曾晳を養ふ。必有り酒肉。將に徹(と)らんとするに、必ず請ふ所與(よ)う有るかと。曰く、「有」。曾晳死して、曾元曾子を養ふ。必有り酒肉。將に徹らんとするに、請ふ所與有るを問はず。曰く、「亡矣」。將に以て復た進まんとす。此れ所謂口體を養ふ者也。若し曾子は、則ち以て志を養ふと謂ふ可し。事親若し曾子の如くんば、可なり」と。
孟子曰:「人不足與適也,政不足間也。惟大人為能格君心之非。君仁莫不仁,君義莫不義,君正莫不正。一正君而國定矣。」
孟子曰く、「人足らざる與(より)言ひ、政足らざる與(より)議す。惟れ大人能く君心之非を格(ただ)す。君仁なれば、不仁莫し。君義なれば、不義莫し。君正なれば、不正莫し。一君を正して而して國定まる」と。
孟子曰:「有不虞之譽,有求全之毀。」
孟子曰く、「有不虞(いぐ)之譽、有求全之毀なり」と。
孟子曰:「人之易其言也,無責耳矣。」
孟子曰く、「人之其の言を易くするは、無他、責る所無ければなり」と。
孟子曰:「人之患在好為人師。」
孟子曰く、「人之患は、好んで人の師と爲るに在り」と。
樂正子從於子敖之齊。樂正子見孟子。孟子曰:「子亦來見我乎?」曰:「先生何為出此言也?」曰:「子來幾日矣?」曰:「昔昔。」曰:「昔昔,則我出此言也,不亦宜乎?」曰:「舍館未定。」曰:「子聞之也,舍館定,然後求見長者乎?」曰:「克有罪。」
樂正子子敖に從りて齊に之く。樂正子孟子に見ゆ。孟子曰く、「子亦來りて我を見るか」。樂正子曰く、「先生何爲ぞ此言を出すや」。曰く、「子來ること幾日ぞ」。曰く、「昔者」。曰く、「昔者、則ち我此の言を出づ、不も宜なり」。曰く、「舍館未定まらず」。曰く、「子之を聞く、舍館定まりて、然る後長者に見えんを求むと聞かんや」。曰く、「克罪有り」といふ。
孟子謂樂正子曰:「子之從於子敖來,徒餔啜也。我不意子學古之道,而以餔啜也。」
孟子樂正子に謂ひて曰く、「子之從りて子敖に於て來るは、徒らに餔啜(ぼてつ)のみ。我意はざるなり、子古之道を學びて、而以て餔啜せんと」と。
孟子曰:「不孝有三,無後為大。舜不告而娶,為無後也,君子以為猶告也。」
孟子曰く、「不孝三有り、無後を大と爲す。舜告げずして娶(と)るは、無後を爲となり。君子以て猶ほ告ぐるがごとし」と。
孟子曰:「仁之實,事親是也;義之實,從兄是也。智之實,知斯二者弗去是也;禮之實,節文斯二者是也;樂之實,樂斯二者,樂則生矣;生則惡可已也,惡可已,則不知足之蹈之、手之舞之。」
孟子曰く、「仁之實は、親に事ふる是れ也。義之實は、兄に從ふ是れ也。智之實は、斯の二者を知りて去らざる是れ也。禮之實は、斯の二者を節文す是れ也。樂之實は、斯の二者を樂しむ是れ也。樂しめば則ち生ず、生ずれば則ち惡に已む可からん、已む可からざれば、則ち知らず足之蹈み手之舞ふなり」と。
孟子曰:「天下大悅而將歸己。視天下悅而歸己,猶草芥也。惟舜為然。不得乎親,不可以為人;不順乎親,不可以為子。舜盡事親之道而瞽瞍厎豫,瞽瞍厎豫而天下化,瞽瞍厎豫而天下之為父子者定,此之謂大孝。」
孟子曰く、「天下大いに悅びて將に己に歸せんとす。天下悅びて己に歸するを視ること、草芥の如し。惟れ舜爲れ然るなり。親を得ざれば、以て人と爲る可からず。親に順ふに得ざれば、以て子と爲る可からず。舜事親之道を盡して、瞽瞍(こそう)厎豫(ていよ)せしめ、瞽瞍厎豫して而して天下化し、瞽瞍厎豫して而して天下之父爲り子爲る者定まる。此れ之を大孝と謂ふ」と。
離婁(りろう)下
孟子曰:「舜生於諸馮,遷於負夏,卒於鳴條,東夷之人也。文王生於岐周,卒於畢郢,西夷之人也。地之相去也,千有餘裡;世之相後也,千有餘歲。得志行乎中國,若合符節。先聖後聖,其揆一也。」
孟子曰く、「舜諸馮に生れ、負夏に遷り、鳴條に卒す。東夷之人なり。文王岐周に生れ、畢郢に卒す。西夷之人なり。地之相去る、千有餘里。世之相後る、千有餘歲。志を得て中國に行ふ、符節に合するが若し。先聖後聖、其の揆一なり」と。
子產聽鄭國之政,以其乘輿濟人於溱洧。孟子曰:「惠而不知為政。歲十一月徒槓成,十二月輿梁成,民未病涉也。君子平其政,行闢人可也。焉得人人而濟之?故為政者,每人而悅之,日亦不足矣。」
子産鄭國之政を聽く、其の乘輿を以て溱洧(しんい)に人を濟す。孟子曰く、「惠あれども政を爲るを知らず。歲十一月徒杠(とこう)成り、十二月輿梁(よりょう)成れば、民未だ嘗て病まざるなり。君子其の政を平らぐ、行ふ人を辟(よ)かしめば、惡に在りてか人人を濟さんや。故に政を爲る者、人人を悅ばしめば、日亦足らざるなり」と。
孟子告齊宣王曰:「君之視臣如手足,則臣視君如腹心;君之視臣如犬馬,則臣視君如國人;君之視臣如土芥,則臣視君如寇讎。」
孟子齊宣王に告げて曰く、「君之臣を視ること手足の如きは、則ち臣君を視ること腹心の如し。君之臣を視ること犬馬の如きは、則ち臣君を視ること國人の如し。君之臣を視ること土芥の如きは、則ち臣君を視ること寇讐の如し」と。
王曰:「禮,為舊君有服,何如斯可為服矣?」
王曰く、「禮、舊君爲に服有り。何如斯れば、可ならん、之が爲に服せんには」と。
曰:「諫行言聽,膏澤下於民;有故而去,則君使人導之出疆,又先於其所往;去三年不反,然後收其田裡。此之謂三有禮焉。如此,則為之服矣。今也為臣。諫則不行,言則不聽;膏澤不下於民;有故而去,則君搏執之,又極之於其所往;去之日,遂收其田裡。此之謂寇讎。寇讎何服之有?」
曰く、「諫行き言聽かれ、膏澤民に下る。故有りて去れば、則ち君人を使して之を導きて疆を出づしめ、又其の往く所に先んず。去ること三年反らざれば、然る後其の田里を收む。此れ之を三有禮と謂ふ。如此ば、則ち之が爲に服せん。今也臣と爲るに、諫行はず言聽かれず、膏澤民に下らず。故有りて去れば、則ち君搏(ほ)彌(み)し、又其の往く所に極(きは)まらしむ。去る之日、遂に其の田里を收む。此れ之を寇讐と謂ふ。寇讐何ぞ服有らんや」と。
孟子曰:「無罪而殺士,則大夫可以去;無罪而戮民,則士可以徙。」
孟子曰く、「罪無くして士を殺すは、則ち大夫去る可し。罪無くして民を戮すは、則ち士徙(うつ)る可し」と。
孟子曰:「君仁莫不仁,君義莫不義。」
孟子曰く、「君仁なれば不仁莫く、君義なれば不義莫し」と。
孟子曰:「非禮之禮,非義之義,大人弗為。」
孟子曰く、「非禮之禮、非義之義は、大人爲さず」と。
孟子曰:「中也養不中,才也養不才,故人樂有賢父兄也。如中也棄不中,才也棄不才,則賢不肖之相去,其閒不能以寸。」
孟子曰く、「中も養ふこと不中、才も養ふこと不才。故に人賢父兄有るを樂しむ。如かん、中也不中を棄て、才も不才を棄つれば、則ち賢不肖之相去る、其の間寸を以てする能はず」と。
孟子曰:「人有不為也,而後可以有為。」
孟子曰く、「人有所不爲、而る後以て有爲有る可きなり」と。
孟子曰:「言人之不善,當如後患何?」
孟子曰く、「人の不善を言ふは、後患將に之を如何せんとす」と。
孟子曰:「仲尼不為已甚者。」
孟子曰く、「仲尼已む者甚しきを爲さず」と。
孟子曰:「大人者,言不必信,行不必果,惟義所在。」
孟子曰く、「大人者は、言はば必ずしも信ならず、行はば必ずしも果ならず。惟れ義之在る所なり」と。
孟子曰:「大人者,不失其赤子之心者也。」
孟子曰く、「大人者は、其の赤子之心を失はざる者也」と。
孟子曰:「養生者不足以當大事,惟送死可以當大事。」
孟子曰く、「養生は以て大事に當るに足らず。惟れ死を送るは、以て大事に當る可し」と。
孟子曰:「君子深造之以道,欲其自得之也。自得之,則居之安;居之安,則資之深;資之深,則取之左右逢其原,故君子欲其自得之也。」
孟子曰く、「君子道を以て深造す。是れ其の自得せんと欲するなり。之を自得せば、則ち之に居ること安し。之に居ること安ければ、則ち之に資ること深し。之に資ること深ければ、則ち之を取るに左右其の原に逢ふ。故に君子其の自得せんと欲するなり」と。
孟子曰:「博學而詳說之,將以反說約也。」
孟子曰く、「博學して詳說す。將以て説約に反らんとす」と。
孟子曰:「以善服人者,未有能服人者也;以善養人,然後能服天下。天下不心服而王者,未之有也。」
孟子曰く、「善を以て人を服せしむるは、能く人を服せしむる未だ有らず。善を以て人を養ふ、然る後能く天下を服せん。天下心服せずして王たるは、未だ之れ有らざるなり」と。
孟子曰:「言無實不祥。不祥之實,蔽賢者當之。」
孟子曰く、「言實無きは、不祥なり。不祥之實は、賢を蔽(へい)する者之に當る」と。
徐子曰:「仲尼亟稱於水,曰:『水哉,水哉!』何取於水也?」
徐子曰く、「仲尼亟(しばしば)水を稱して曰く、「水なる哉、水なる哉」。何を水に取るや」と。
孟子曰:「原泉混混,不捨晝夜。盈科而後進,放乎四海,有本者如是,是之取爾。苟為無本,七八月之閒雨集,溝澮皆盈;其涸也,可立而待也。故聲聞過情,君子恥之。」
孟子曰く、「源泉混混、晝夜を舍(す)てず。科(か)を盈たして然る後進み、四海に放す。本有る者は是の如し。之を取るは斯れ已矣。苟くも本無くんば、是れ七八月之間雨集り、溝澮(こうかい)皆盈つ。其の涸(こ)ゆるは、立ちて待つ可し。是故に聲聞情を過ぐるは、君子之を恥とす」と。
孟子曰:「人之所以異於禽於獸者幾希,庶民去之,君子存之。舜明於庶物,察於人倫,由仁義行,非行仁義也。」
孟子曰く、「人の禽獸に異なる所以は、幾希(きき)。庶民之を去り、君子之を存す。舜庶物に明らかに、人倫を察す。仁義に由りて行ふ、非ざるなり仁義を行ふは」と。
孟子曰:「禹惡旨酒而好善言。湯執中,立賢無方。文王視民如傷,望道而未之見。武王不洩邇,不忘遠。周公思兼三王,以施四事;其有不合者,仰而思之,夜以繼日;幸而得之,坐以待旦。」
孟子曰く、「禹旨酒を惡みて、善言を好めり。湯中を執(と)りて、賢を立てて方無し。文王民を視ること傷あるが如く、道を望ること未だ之を見ざるが如し。武王邇(ちか)きを泄(やす)まず、遠きを忘れず。周公兼ねて三王、以て四事を施さんと思ふ。其の合せざる有れば、仰ぎて之を思ふ、夜以て日を繼ぐ。幸いに之を得れば、坐して旦を待つ」と。
孟子曰:「王者之跡熄而詩亡,詩亡然後春秋作。晉之乘,楚之檮杌,魯之春秋,一也。其事則齊桓、晉文,其文則史。孔子曰:『其義則丘竊取之矣。』」
孟子曰く、「王者之跡熄(そく)めて《詩》亡び、《詩》亡びて然る後《春秋》作る。晉之《乘》、楚之《檮杌》(とうごつ)、魯之《春秋》は、一なり。其の事は則ち齊桓、晉文、其の文は則ち史。孔子曰く、「其の義は則ち丘竊(ひそ)かに之を取る」と。」
孟子曰:「君子之澤五世而斬,小人之澤五世而斬。予未得為孔子徒也,予私淑諸人也。」
孟子曰く、「君子之澤、五世して斬(た)ゆ。小人之澤、五世して斬ゆ。予未だ孔子之門人と爲ることを得ず、予私に之を諸人に淑(よし)きなり」と。
孟子曰:「可以取,可以無取,取傷廉;可以與,可以無與,與傷惠;可以死,可以無死,死傷勇。」
孟子曰く、「以て取る可し、以て取らざる可し。取るは廉を傷つく。以て與ふ可し、以て與ふらざる可し。與ふは惠を傷つく。以て死す可し、以て死せざる可し。死すは勇を傷つく」と。
逄蒙學射於羿,盡羿之道,思天下惟羿為愈己,於是殺羿。孟子曰:「是亦羿有罪焉。」公明儀曰:「宜若無罪焉。」曰:「薄乎云爾,惡得無罪?鄭人使子濯孺子侵衛,衛使庾公之斯追之。子濯孺子曰:『今日我疾作,不可以執弓,吾死矣夫!』問其僕曰:『追我者誰也?』其僕曰:『庾公之斯也。』曰:『吾生矣。』其僕曰:『庾公之斯,衛之善射者也,夫子曰「吾生」,何謂也?』曰:『庾公之斯學射於尹公之他,尹公之他學射於我。夫尹公之他,端人也,其取友必端矣。』庾公之斯至,曰:『夫子何為不執弓?』曰:『今日我疾作,不可以執弓。』曰:『小人學射於尹公之他,尹公之他學射於夫子。我不忍以夫子之道反害夫子。雖然,今日之事,君事也,我不敢廢。』抽矢扣輪,去其金,發乘矢而後反。」
逄蒙(ほうもう)羿に學びて射る。盡く羿之道を、思ふ、天下惟れ羿之己に愈(まさ)る。於是に羿を殺す。孟子曰く、「是れ亦羿之罪なり」。公明儀曰く、「宜なり、罪無きに似たり」。孟子曰く、「薄し、云爾、惡に在りてか罪無らんや。鄭人使へり子濯孺子衞に侵さしめ、衞使へり庾公之斯之を追はしむ。子濯孺子曰く、「今日我が疾作り、以て弓を執る可からず。吾死せん」といふ。其の御者に問ふて曰く、「我を追ふは誰ぞや」。御者曰く、「庾公之斯なり」。曰く、「吾生くる」。御者曰く、「庾公之斯は、衞之善く射る者なり。夫子「吾生くる」と曰ふは、何の謂ぞや」。曰く、「庾公之斯尹公之他に學びて射る、尹公之他我に學びて射る。夫れ尹公之他は、端人なり。其の取友は必ず端なり」。庾公之斯至りて曰く、「夫子何爲ぞ弓を執らざるや」。曰く、「今日我が疾作り、以て弓を執る可からず」。曰く、「小人尹公之他に學びて射る、尹公之他夫子に學びて射る。我不忍び、以て夫子之道反害を夫子に於て。雖し然り、今日之事は、君事なり。我敢て廢せん」と。矢を抽(ひ)きて輪に叩きて、其の鏃を去り、乘矢四を發して然る後反る」といふ。
孟子曰:「西子蒙不潔,則人皆掩鼻而過之。雖有惡人,齊戒沐浴,則可以祀上帝。」
孟子曰く、「西子不潔を蒙るは、則ち人皆鼻を掩ひて之を過ぐ。雖し惡人、齋戒沐浴すれば、則ち以て上帝を祀る可し」と。
孟子曰:「天下之言性也,則故而已矣。故者以利為本。所惡於智者,為其鑿也。如智者若禹之行水也,則無惡於智矣。禹之行水也,行其所無事也。如智者亦行其所無事,則智亦大矣。天之高也,星辰之遠也,苟求其故,千歲之日至,可坐而致也。」
孟子曰く、「天下性を言ふや、則ち已(こ)然之故のみ。故者は、順を以て本と爲す。智を惡む所以は、其の鑿(さく)するを爲とす。如かん、智者禹之水を行ふの若くんば、則ち智に惡むる無きなり。禹之水を行ふや、其の無事する所を行ふなり。如かん、智者亦其の無事する所を行へば、則ち智亦大きなり。天高き、星辰遠き、苟くも其の故を求めば、千歲之日至、坐して致す可きなり」と。
公行子有子之喪,右師往吊,入門,有進而與右師言者,有就右師之位而與右師言者。孟子不與右師言,右師不悅曰:「諸君子皆與驩言,孟子獨不與驩言,是簡驩也。」
公行子子之喪有り。右師往きて弔ふ。入門、進みて右師と言する者有り、右師之位に就きて右師と言する者有り。孟子右師と言はず。右師悅ばず曰く、「諸君子皆驩と言す。孟子獨り驩と言せず。是れ驩を簡すなり」と。
孟子聞之,曰:「禮,朝廷不歷位而相與言,不逾階而相揖也。我欲行禮,子敖以我為簡,不亦異乎?」
孟子之を聞きて曰く、「禮、朝廷に於て歷(こ)ちて位を相言せず、階を踰えて相揖せず。我禮を行はんと欲する、子敖以て我を簡と爲す。不亦異ならんや」と。
孟子曰:「君子所以異於人者,以其存心也。君子以仁存心,以禮存心。仁者愛人,有禮者敬人。愛人者人恆愛之,敬人者人恆敬之。有人於此,其待我以橫逆,則君子必自反也:我必不仁也,必無禮也,此物奚宜至哉?其自反而仁矣,自反而有禮矣,其橫逆由是也,君子必自反也:我必不忠。自反而忠矣,其橫逆由是也,君子曰:『此亦妄人也已矣。如此則與禽獸奚擇哉?於禽獸又何難焉?』是故君子有終身之憂,無一朝之患也。乃若所憂則有之:舜人也,我亦人也。舜為法於天下,可傳於後世,我由未免為鄉人也,是則可憂也。憂之如何?如舜而已矣。若夫君子所患則亡矣。非仁無為也,非禮無行也。如有一朝之患,則君子不患矣。」
孟子曰く、「君子之人に異なる所以は、其の存心を以てなり。君子仁を以て存心し、禮を以て存心す。仁者人を愛し、有禮者人を敬す。人を愛する者は、人恒(つね)に之を愛す。人を敬する者は、人恒に之を敬す。人有り、此に我以て橫逆(おうげき)を待つ。則ち君子必ず自反す。我必ず不仁、必ず無禮なり。此の物奚ぞ至らんや。其の自反して仁なり、自反して禮有り。其の橫逆由(よ)る是なれば、君子必ず自反す。我必ず不忠なり。自反して忠なり。其の橫逆由る是なれば、君子曰く、「此れ亦妄人已矣。如此ば、則ち禽獸と奚ぞ擇ばんや。禽獸に於て、又奚ぞ難みんや」。是故に君子終身之憂有りて、一朝之患無し。乃ち若し所憂則ち之れ有り。舜人なり、我亦人なり。舜天下に法と爲り、後世に傳はる可く、我猶ほ未だ免れず鄉人と爲る、是れ則ち憂ふ可きなり。之を憂ふる如何、如舜のみ已矣。若し君子之所患則ち亡し。非仁は爲さず、非禮は行はず。如かん、一朝之患有れば、則ち君子患へざるなり」と。
禹、稷當平世,三過其門而不入,孔子賢之。顏子當亂世,居於陋巷。一簞食,一瓢飲。人不堪其憂,顏子不改其樂,孔子賢之。孟子曰:「禹、稷、顏回同道。禹思天下有溺者,由己溺之也;稷思天下有飢者,由己飢之也,是以如是其急也。禹、稷、顏子易地則皆然。今有同室之人鬬者,救之,雖被髮纓冠而救之,可也。鄉鄰有鬬者,被髮纓冠而往救之,則惑也,雖閉戶可也。」
禹、稷、平世に當り、三其の門を過りて入らず。孔子之を賢とす。顏子亂世に當り、陋巷に居る。一簞食、一瓢飮。人其の憂に堪へず、顏子其の樂を改めず。孔子之を賢とす。孟子曰く、「禹、稷、顏回は、同道なり。禹思ふ、天下溺る者有れば、己之を溺せしむるに由る。稷思ふ、天下飢ゑる者有れば、己之を飢ゑしむるに由る。是を以て其の急なる是の如し。禹、稷、顏子、地を易へば則ち皆然り。今同室の人鬬(あらそ)ふ者有れば、之を救ふ。雖し被髮纓冠して之を救ふも、可なり。鄉鄰鬬ふ者有れば、被髮纓冠して往きて之を救ふは、則ち惑なり。雖し戶を閉づるも可なり」と。
公都子曰:「匡章,通國皆稱不孝焉。夫子與之遊,又從而禮貌之,敢問何也?」
公都子曰く、「匡章、通國皆其の不孝と稱す。夫子之と遊び、又從りて之を禮貌す。敢て問ふ、何ぞや」と。
孟子曰:「世俗所謂不孝者五:惰其四支,不顧父母之養,一不孝也;博弈好飲酒,不顧父母之養,二不孝也;好貨財,私妻子,不顧父母之養,三不孝也;從耳目之欲,以為父母戮,四不孝也;好勇鬥很,以危父母,五不孝也。章子有一於是乎?夫章子,子父責善而不相遇也。責善,朋友之道也;父子責善,賊恩之大者。夫章子,豈不欲有夫妻子母之屬哉?為得罪於父,不得近。出妻屏子,終身不養焉。其設心以為不若是,是則罪之大者,是則章子已矣。
孟子曰く、「世俗之謂不孝者五。惰其の四支(し)して、父母之養を顧みず、一不孝なり。博奕酒を好んで、父母之養を顧みず、二不孝なり。貨財を好み、妻子を私して、父母之養を顧みず、三不孝なり。耳目之欲を從(ほしいまま)にして、以て父母を戮せしむ、四不孝なり。勇を好み鬬很(とうがん)して、以て父母を危くす、五不孝なり。章子一有る於是乎。夫れ章子は、子父善を責めて、相遇はざるなり。善を責むるは、朋友之道なり。父子善を責むるは、恩を賊する大きなり。夫れ章子豈に夫妻子母之屬を有せんと欲せざらんや。父に得罪するを以て、近きを得ず。妻を出して子を屏(しりぞ)け、終身受けず其の養。其の心設け、以て不如此なれば、則ち罪大なりと爲す。是れ則ち章子已矣」と。
曾子居武城,有越寇。或曰:「寇至,盍去諸?」曰:「無寓人於我室,毀傷其薪木。」寇退,則曰:「修我牆屋,我將反。」寇退,曾子反。左右曰:「待先生,如此其忠且敬也。寇至則先去以為民望,寇退則反,殆於不可。」沈猶行曰:「是非汝所知也。昔沈猶有負芻之禍,從先生者七十人,未有與焉。」
曾子武城に居る。越寇有り。或曰く、「寇至る、盍ぞ去らざる」。曰く、「人之我が屋に寓る無く、毁傷其の薪木」。寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修して、我將に反らん」。寇退けば、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、如此忠且つ敬。寇至れば則ち先去り、以て民に望を爲し、寇退ければ則ち反る。殆ど不可なり」。沈猶行曰く、「是れ非汝之知る所なり。昔沈猶負芻之禍有り、先生に從ふ者七十人、未有り與(あずか)る」といふ。
子思居於衛,有齊寇。或曰:「寇至,盍去諸?」子思曰:「如伋去,君誰與守?」
子思衞に居る。齊寇有り。或曰く、「寇至る、盍ぞ去らざる」。子思曰く、「如かん、伋去れば、君誰と守らん」と。
孟子曰:「曾子、子思同道。曾子,師也,父兄也;子思,臣也,微也。曾子、子思易地則皆然。」
孟子曰く、「曾子、子思は、同道なり。曾子は師也、父兄也。子思は臣也、微也。曾子、子思、易地して則ち皆然り」と。
儲子曰:「王使人瞷夫子,果有以異於人乎?」
儲子曰く、「王人を使して夫子を瞷(かん)せしむ。果たして以て人に異なる有るか」と。
孟子曰:「何以異於人哉?堯舜與人同耳。」
孟子曰く、「何以て人に異ならんや。堯舜人と同ずるのみ」と。
齊人有一妻一妾而處室者,其良人出,則必饜酒肉而後反。其妻問所與飲食者,則盡富貴也。其妻告其妾曰:「良人出,則必饜酒肉而後反;問其與飲食者,盡富貴也,而未嘗有顯者來,吾將瞷良人之所之也。」
齊人一妻一妾有りて處(い)る者。其の良人出づれば、則ち必ず酒肉を饜(あ)きて而る後反る。其の妻其の與飲食する所を問へば、則ち盡く富貴也。其の妻其の妾に告げて曰く、「良人出、「良人出づれば、則ち必ず酒肉を饜きて而る後反る。其の與飲食する者を問へば、盡く富貴也。而して未だ嘗て顯者之來る有り。吾將に良人之往く所を瞷ん」と。
蚤起,施從良人之所之,遍國中無與立談者。卒之東郭墦閒,之祭者,乞其餘;不足,又顧而之他,此其為饜足之道也。其妻歸,告其妾曰:「良人者,所仰望而終身也。今若此。」與其妾訕其良人,而相泣於中庭。而良人未之知也,施施從外來,驕其妻妾。
蚤(あさ)起きて、良人之往く所に從りて施(し)す。遍く國中之立談する者與る無し。卒に東郭墦(はん)之間に之きて、祭る者之餘を乞ふ。足らず、又顧みて之他に之く。此れ其の饜足する道也。其の妻歸りて其の妾に告げて曰く、「良人者は、仰望して終身する所なり。今此の若し」。其の妾と良人を訕(さん)して、中庭に相泣く。而して良人未だ之を知らず。施施然として外より來り、其の妻妾に驕る。
由君子觀之,則人之所以求富貴利達者,其妻妾不羞也,而不相泣者,幾希矣。
君子之觀るに由れば、則ち人之以て富貴利達を求むる、其の妻妾羞ぢず而して相泣かざるは、幾希なり。
萬章(ばんしょう)上
萬章問曰:「舜往于田,號泣於旻天,何為其號泣也?」
萬章問ふて曰く、「舜田に往きて、旻天(びんてん)に號泣す。奚ぞ其の號泣するや」と。
孟子曰:「怨慕也。」
孟子曰く、「怨慕なり」と。
萬章曰:「父母愛之,喜而不忘;父母惡之,勞而不怨。然則舜怨乎?」
萬章曰く、「父母之を愛すれば、喜びて忘れず。父母之を惡めば、勞して怨みず。然らば則ち舜怨むか」と。
曰:「長息問於公明高曰:『舜往于田,則吾既得聞命矣;號泣於旻天,於父母,則吾不知也。』公明高曰:『是非爾所知也。』夫公明高以孝子之心,為不若是恝,我竭力耕田,共為子職而已矣,父母之不我愛,於我何哉?帝使其子九男二女,百官牛羊倉廩備,以事舜於畎畝之中。天下之士多就之者,帝將胥天下而遷之焉。為不順於父母,如窮人無所歸。天下之士悅之,人之所欲也,而不足以解憂;好色,人之所欲,妻帝之二女,而不足以解憂;富,人之所欲,富有天下,而不足以解憂;貴,人之所欲,貴為天子,而不足以解憂。人悅之、好色、富貴,無足以解憂者,惟順於父母,可以解憂。人少,則慕父母;知好色,則慕少艾;有妻子,則慕妻子;仕則慕君,不得於君則熱中。大孝終身慕父母。五十而慕者,予於大舜見之矣。」
孟子曰く、「長息公明高に問ふて曰く、「舜之田に往く、吾已に受命を聞く。旻天に號泣し、父母に號泣するは、吾之を知らず」。公明高曰く、「是れ非爾之知る所なり」。夫れ公明高以て孝子之心、不可以て恝(かつ)なり。我竭力して田を耕し、共(つと)めて子職を爲すのみ、父母之我を愛さざるは、我に於て何の哉ある。帝使其の子九男二女、百官牛羊倉廩備りて、以て舜に事ふる於畎畝(けんぽ)之中。天下之士多く之に就く。帝將に天下を胥に遷さんとす。順を父母に得ざるを以て、窮人之歸る所無きが如し。天下之士之を悅ぶは、人之欲する也。而して以て憂を解くに足らず。好色は、人之欲する也。帝之二女に妻(ふ)す。而して以て憂を解くに足らず。富は、人之欲する也。富に天下有り。而して以て憂を解くに足らず。貴は、人之欲する也。貴に天子と爲る。而して以て憂を解くに足らず。人之悅し、好色、富貴、以て憂を解くに足る無し。惟れ親に順ふは、以て憂を解く可し。人少なければ、則ち父母を慕ふ。好色を知れば、則ち少艾を慕ふ。妻子有れば、則ち妻子を慕ふ。仕ふれば、則ち君を慕ふ。君に得ざれば、中熱(ちゅうねつ)し。大孝終身父母を慕ふ。五十にして慕ふ者、予大舜に於て之を見る」と。
萬章問曰:「《詩》云:『娶妻如之何?必告父母。』信斯言也,宜莫如舜。舜之不告而娶,何也?」
萬章問ふて曰く、「《詩・齊風・南山》に云く、「妻を取る如之何。必ず父母に告ぐ」。信に斯の言を、宜なり、莫し舜の如く。舜之告げずして娶るは何ぞや」と。
孟子曰:「告則不得娶。男女居室,人之大倫也。如告,則廢人之大倫,以懟父母,是以不告也。」
孟子曰く、「告げば則ち娶るを得ず。男女居室は、人之大倫なり。如かん、告げば、則ち人之大倫を廢して、以て父母を懟(うら)む。是を以て告げざるなり」と。
萬章曰:「舜之不告而娶,則吾既得聞命矣;帝之妻舜而不告,何也?」
萬章曰く、「舜之告げずして娶るは、則ち吾既に受命を聞く。帝之舜に妻せるに告げざるは、何ぞや」と。
曰:「帝亦知告焉則不得妻也。」
孟子曰く、「帝亦知らず、告げば則ち妻するを得ざるなり」と。
萬章曰:「父母使舜完廩,捐階,瞽瞍焚廩。使浚井,出,從而揜之。象曰:『謨蓋都君鹹我績。牛羊父母,倉廩父母,干戈朕,琴朕,弤朕,二嫂使治朕棲。』象往入舜宮,舜在床琴。象曰:『鬱陶思君爾。』忸怩。舜曰:『惟茲臣庶,汝其於予治。』不識舜不知象之將殺己與?」
萬章曰く、「父母使へり舜廩を完(かん)せしめ、階(きざはし)を捐(す)て、瞽瞍廩を焚く。浚井(しゅんせい)を使せば、出づ、從りて掩(あ)ひす。象曰く、「都君を謀蓋(ぼうがい)するは、咸に我が績なり。牛羊は父母、倉廩は父母、干戈は朕、琴は朕、弤(てい)弓は朕、二嫂に使へり治朕栖をと」。象往きて舜之宮に入る。舜牀琴に在り。象曰く、「鬱陶(うつとう)君を思ふ」。忸怩(じくじ)たり。舜曰く、「惟れ兹臣庶、汝其の予治するを予」と。識らず、舜象之將に己を殺さんとするを知らんや」と。
曰:「奚而不知也?象憂亦憂,象喜亦喜。」
曰く、「奚に而して知らざらんや。象憂へば亦憂へ、象喜べば亦喜ぶ」。
曰:「然則舜偽喜者與?」
曰く、「然らば則ち舜僞喜ぶ者與(や)」。
曰:「否。昔者有饋生魚於鄭子產,子產使校人畜之池。校人烹之,反命曰:『始舍之圉圉焉,少則洋洋焉,攸然而逝。』子產曰『得其所哉!得其所哉!』校人出,曰:『孰謂子產智?予既烹而食之,曰:得其所哉?得其所哉。』故君子可欺以其方,難罔以非其道。彼以愛兄之道來,故誠信而喜之,奚偽焉?」
曰く、「否。昔者生魚を鄭子産に饋る者有り。子産使へり校人之を畜(やしな)はしめて池に。校人之を烹(に)て之を食らひ、反りて命を復して曰く、「始め之を舍てば、圉圉(ぎょぎょ)焉として、少なり而して洋洋焉として、悠然而逝す」と。子産曰く、「其の所に得たり得たり」といふ。校人出でて曰く、「孰れか子産を謂ひて智とせん。予既に烹りて之を食らふ、曰く、其の所に得たり得たり」。故に君子以其の方を以て欺く可し、非其道を以て罔く難し。彼愛兄之道を以て來る。故に誠信して之を喜ぶ。奚ぞ僞焉(えん)せんや」と。
萬章問曰:「象日以殺舜為事,立為天子,則放之,何也?」
萬章問ふて曰く、「象日以て舜を殺すを事と爲す。立てて天子と爲りて、則ち之を放すは何ぞや」と。
孟子曰:「封之也,或曰放焉。」
孟子曰く、「封ずる也、或は放すと曰ふ」。
萬章曰:「舜流共工於幽州,放驩兜於崇山,殺三苗於三危,殛鯀於羽山,四罪而天下鹹服,誅不仁也。象至不仁,封之有庳。有庳之人奚罪焉?仁人固如是乎?在他人則誅之,在弟則封之。」
萬章曰く、「舜共工を幽州に流し、驩兜を崇山に放し、三苗を三危に殺し、鯀を羽山に殛(きょく)し、四罪して而して天下咸服す。不仁を誅するなり。象至不仁、之を有庳に封ず。有庫之人奚ぞ罪あらんや。仁人固より是の如く、人在れては則ち誅し、弟在れては則ち封ず」と。
曰:「仁人之於弟也,不藏怒焉,不宿怨焉,親愛之而已矣。親之慾其貴也,愛之慾其富也。封之有庳,富貴之也。身為天子,弟為匹夫,可謂親愛之乎?」
孟子曰く、「仁人之弟に於てや、怒を藏せず、怨を宿(とど)めず、親愛するのみ。之を親すれば、其の貴を欲す。之を愛すれば、其の富を欲す。之を有庳に封ずるは、之を富貴せしむるなり。身天子と爲りて、弟匹夫と爲るは、親愛と謂ふ可きか」と。
「敢問或曰放者,何謂也?」
「敢て問ふ、或は放すと曰ふは、何の謂ぞや」と。
曰:「象不得有為於其國,天子使吏治其國,而納其貢稅焉,故謂之放,豈得暴彼民哉?雖然,欲常常而見之,故源源而來。『不及貢,以政接於有庳』,此之謂也。」
曰く、「象其の國に於て有爲するを得ず、天子使へり吏其の國を治めしめて、而して其の貢税を納れしむ。故に之を放と謂ふ。豈に得て彼の民を暴せんや。雖し然り、常常之を見んと欲する。故に源源して來る。「貢期に及ばず、以て政事其の有庳に接す」。此れ之を謂ふなり」と。
鹹丘蒙問曰:「語云:『盛德之士,君不得而臣,父不得而子。』舜南面而立,堯帥諸侯北面而朝之,瞽瞍亦北面而朝之。舜見瞽瞍,其容有蹙。孔子曰:『於斯時也,天下殆哉,岌岌乎!』不識此語誠然乎哉?」
咸丘蒙問ふて曰く、「語云く、「盛德之士は、君得て臣と爲る可からず、父得て子と爲る可からず」。舜南面して立ち、堯諸侯を率ゐて北面して之に朝す。瞽瞍亦北面して之に朝す。舜瞽瞍を見て、其の容蹙(しゅく)有り。孔子曰く、「於斯の時は、天下殆ど岌岌(きゅうきゅう)乎」。識らず、此の語誠然乎」と。
孟子曰:「否。此非君子之言,齊東野人之語也。堯老而舜攝也。《堯典》曰:『二十有八載,放勳乃徂落,百姓如喪考妣,三年,四海遏密八音。』孔子曰:『天無二日,民無二王。』舜既為天子矣,又帥天下諸侯以為堯三年喪,是二天子矣。」
孟子曰く、「否。此れ非君子之言なり、齊東野人之語なり。堯老いて而して舜攝す。《堯典》に曰く、「二十有八載、放勳乃ち徂落す。百姓如喪考妣(しこうひ)の如く、三年、四海密八音を遏(あ)げる」といふ。孔子曰く、「天二日無く、民二王無し」。舜既に天子と爲りて、又天下諸侯を率ゐて以て堯三年之喪と爲るは、是れ二天子なり」と。
鹹丘蒙曰:「舜之不臣堯,則吾既得聞命矣。《詩》云:『普天之下,莫非王土;率土之濱,莫非王臣。』而舜既為天子矣,敢問瞽瞍之非臣,如何?」
咸丘蒙曰く、「舜之堯を臣とせざるは、則ち吾既に受命を聞く。《詩・小雅・北山》に云く、「普天之下、王土に非ざる莫し。率土之濱、王臣に非ざる莫し」。而して舜既に天子と爲る。敢て問ふ、瞽瞍之臣に非ざるは如何」と。
曰:「是詩也,非是之謂也;勞於王事,而不得養父母也。曰:『此莫非王事,我獨賢勞也。』故說《詩》者,不以文害辭,不以辭害志。以意逆志,是為得之。如以辭而已矣,《雲漢》之詩曰:『周餘黎民,靡有孑遺。』信斯言也,是周無遺民也。孝子之至,莫大乎尊親;尊親之至,莫大乎以天下養。為天子父,尊之至也;以天下養,養之至也。《詩》曰:『永言孝思,孝思維則。』此之謂也。《書》曰:『祗載見瞽瞍,夔夔齊栗,瞽瞍亦允若。』是為父不得而子也。」
曰く、「是の詩は、非是之謂なり。勞きて王事に於て、而して父母を養ふに得ざるなり。曰く、「此れ莫し王事に非ざる、我獨り賢勞なり」。故に《詩》を說する者、文を以て辭を害せず、辭を以て志を害せず。意を以て志に逆ふは、是れ之を得るを爲とす。如かん、辭のみと爲せば、《雲漢》之詩曰く、「周餘黎民、靡(み)有孑遺(けつい)」。信に斯の言は、是れ周民遺ふ無きなり。孝子之至は、莫大なり、親を尊ぶるに。親を尊ぶる之至は、莫大なり、天下を以て養ふに。天子之父と爲るは、尊之至なり。天下を以て養ふは、養之至なり。《詩・大雅・下武》に曰く、「永言孝を思ふ、孝を思ふ惟れ則(のり)」。此れ之を謂ふなり。《書》に曰く、「祇(し)載して瞽瞍に見え、夔夔(きき)齋栗(さいりつ)せば、瞽瞍亦允若(いんじゃく)す」。是れ父得て子と爲る可からざるなり」と。
萬章曰:「堯以天下與舜,有諸?」
萬章曰く、「堯天下を以て舜と與ふ、有りて之諸」と。
孟子曰:「否。天子不能以天下與人。」
孟子曰く、「否。天子以て天下を人と與ふる能はず」と。
「然則舜有天下也,孰與之?」
「然らば則ち舜天下有るは、孰れか之を與ふや」と。
曰:「天與之。」
曰く、「天之與ふ」と。
「天與之者,諄諄然命之乎?」
「天之與ふるは、諄諄然として之を命ずるか」と。
曰:「否。天不言,以行與事示之而已矣。」
曰く、「否。天言はず、行と事とを以て之を示すのみ」。
曰:「以行與事示之者如之何?」
曰く、「行と事とを以て之を示すは、如之何か」と。
曰:「天子能薦人於天,不能使天與之天下;諸侯能薦人於天子,不能使天子與之諸侯;大夫能薦人於諸侯,不能使諸侯與之大夫。昔者堯薦舜於天而天受之,暴之於民而民受之,故曰:天不言,以行與事示之而已矣。」
曰く、「天子能く人を天に薦むる能はず、天をして以て天下を之と與ふこと能はず。諸侯能く人を天子に薦むる能はず、天子をして以て諸侯を之と與ふこと能はず。大夫能く人を諸侯に薦むる能はず、諸侯をして以て大夫を之と與ふこと能はず。昔者堯舜を天に薦めて、天之を受け、民に暴して民之を受く。故曰く、天言はず、行と事とを以て之を示すのみ」。
曰:「敢問薦之於天而天受之,暴之於民而民受之,如何?」
曰く、「敢て問ふ、天に薦めて天之受け、民に暴して民之受くは、如何」と。
曰:「使之主祭而百神享之,是天受之;使之主事而事治,百姓安之,是民受之也。天與之,人與之,故曰:天子不能以天下與人。舜相堯二十有八載,非人之所能為也,天也。堯崩,三年之喪畢,舜避堯之子於南河之南。天下諸侯朝覲者,不之堯之子而之舜;訟獄者,不之堯之子而之舜;謳歌者,不謳歌堯之子而謳歌舜,故曰天也。夫然後之中國,踐天子位焉。而居堯之宮,逼堯之子,是篡也,非天與也。《太誓》曰:『天視自我民視,天聽自我民聽』,此之謂也。」
曰く、「之をして祭を主らしめて、而して百神之を享(う)く。是れ天之受く。之をして事を主らしめて、而して事治まり、百姓安んず。是れ民之受く。天之與ふ、人之與ふ。故曰く、天子以て天下を人と與ふる能はず。舜堯を相すこと二十有八年。非人之能爲する所なり、天なり。堯崩ず。三年之喪畢りて、舜堯之子を南河之南に避く。天下諸侯朝覲する者、堯之子に之かずして、舜に之く。訟獄する者、堯之子に之かずして、舜に之く。謳歌する者、堯之子を謳歌せずして、舜を謳歌す。故曰く、天なり。夫れ然る後中國に之きて、天子之位を踐む。而も堯之宮に居り、堯之子を逼ぬれば、是れ篡なり、非天與なり。《泰誓》に曰く、「天の視るは、我が民の視るに自る。天の聽くは、我が民の聽くに自る」。此れ之を謂ふなり」と。
萬章問曰:「人有言:『至於禹而德衰,不傳於賢而傳於子。』有諸?」
萬章問ふて曰く、「人言有り、「禹に至りて德衰ふ。賢に傳へずして、子に傳ふ」、有りて之諸」と。
孟子曰:「否,不然也。天與賢,則與賢;天與子,則與子。昔者舜薦禹於天,十有七年,舜崩。三年之喪畢,禹避舜之子於陽城。天下之民從之,若堯崩之後,不從堯之子而從舜也。禹薦益於天,七年,禹崩。三年之喪畢,益避禹之子於箕山之陰。朝覲訟獄者不之益而之啟,曰:『吾君之子也。』謳歌者不謳歌益而謳歌啟,曰:『吾君之子也。』丹朱之不肖,舜之子亦不肖。舜之相堯,禹之相舜也,歷年多,施澤於民久。啟賢,能敬承繼禹之道。益之相禹也,歷年少,施澤於民未久。舜、禹、益相去久遠,其子之賢不肖,皆天也,非人之所能為也。莫之為而為者,天也;莫之致而至者,命也。匹夫而有天下者,德必若舜禹,而又有天子薦之者,故仲尼不有天下。繼世以有天下,天之所廢,必若桀紂者也,故益、伊尹、周公不有天下。伊尹相湯以王於天下。湯崩,太丁未立,外丙二年,仲壬四年。太甲顛覆湯之典刑,伊尹放之於桐。三年,太甲悔過,自怨自艾,於桐處仁遷義;三年,以聽伊尹之訓己也,復歸於亳。周公之不有天下,猶益之於夏,伊尹之於殷也。孔子曰:『唐虞禪,夏後、殷、周繼,其義一也。』」
孟子曰く、「否、然らず。天賢と與ふれば、則ち賢と與ふ。天子と與ふれば、則ち子と與ふ。昔者舜禹を天に薦む。十有七年、舜崩ず。三年之喪畢りて、禹舜之子を陽城に避く。天下之民之に從ふ、若く堯崩ずる之後、堯之子に從はずして、舜に從ふ。禹益を天に薦む。七年、禹崩ず。三年之喪畢りて、益禹之子を箕山之陰に避く。朝覲訟獄する者、益に之かずして啓に之く。曰く、「吾君之子なり」。謳歌する者、益を謳歌せずして、啓を謳歌す。曰く、「吾君之子なり」。丹朱之不肖、舜之子亦不肖。舜之相堯、禹之相舜、歷年多く、澤を民に施すこと久し。啓賢にして、能く敬承して禹之道を繼ぐ。益之相禹、歷年少く、澤を民に施すこと未だ久しからず。舜、禹、益相去ること久遠。其の子之賢不肖は、皆れ天也、非人之能爲する所なり。之を爲す莫き致るは、天也。之を致する莫き至るは、命也。匹夫にして天下有るは、德必ず若舜禹、而又天子之を薦むる有り。故に仲尼天下有らず。繼世にして天下有るは、天の廢する所、必ず若桀紂者也。故に益、伊尹、周公天下有らず。伊尹湯を相して、以て天下に王たる。湯崩ず。太丁未だ立たず、外丙二年、仲壬四年。太甲湯之典刑を顛覆す。伊尹之を桐に放す。三年、太甲悔過して、自ら怨み自ら艾(やす)んじて、桐に於て仁に處り義に遷る。三年、以て伊尹之訓己を聽きて、復た亳に歸る。周公之天下有らざるは、猶ほ益之夏に於て、伊尹之殷に於けるがごとし。孔子曰く、「唐虞禪(せん)、夏后殷周繼(けい)、其の義一なり」といふ。」
萬章問曰:「人有言『伊尹以割烹要湯』有諸?」
萬章問ふて曰く、「人言有り「伊尹割烹を以て湯を要(え)たり」、有りて之諸」と。
孟子曰:「否,不然。伊尹耕於有莘之野,而樂堯舜之道焉。非其義也,非其道也,祿之以天下,弗顧也;繫馬千駟,弗視也。非其義也,非其道也,一介不以與人,一介不以取諸人,湯使人以幣聘之,囂囂然曰:『我何以湯之聘幣為哉?我豈若處畎畝之中,由是以樂堯舜之道哉?』湯三使往聘之,既而幡然改曰:『與我處畎畝之中,由是以樂堯舜之道,吾豈若使是君為堯舜之君哉?吾豈若使是民為堯舜之民哉?吾豈若於吾身親見之哉?天之生此民也,使先知覺後知,使先覺覺後覺也。予,天民之先覺者也;予將以斯道覺斯民也。非予覺之,而誰也?』思天下之民匹夫匹婦有不被堯舜之澤者,若己推而內之溝中。其自任以天下之重如此,故就湯而說之以伐夏救民。吾未聞枉己而正人者也,況辱己以正天下者乎?聖人之行不同也,或遠或近,或去或不去,歸潔其身而已矣。吾聞其以堯舜之道要湯,未聞以割烹也。伊訓曰:『天誅造攻自牧宮,朕載自亳。』」
孟子曰く、「否、然らず。伊尹有莘之野に耕し、堯舜之道を樂しむ。其の義に非ざれば、其の道に非ざれば、祿して以て天下を之と與ふるも、顧みず。繫馬千駟、視らず。其の義に非ざれば、其の道に非ざれば、一芥を以て人と與ふず、一芥を以て人より取らず。湯人を使して以て幣之を聘(へい)す。囂囂然として曰く、「我何ぞ湯之聘幣を爲さん哉。我何ぞ若く畎畝之中に處りて、由以て堯舜之道を樂しまん哉」。湯三使へり往きて之を聘す。既に而して幡然として改めて曰く、「我畎畝之中に處りて、由以て堯舜之道を樂しむと、吾豈に使ふ、是之君をして堯舜之君と爲らしめん哉。吾豈に使ふ、是之民をして堯舜之民と爲らしめん哉。吾豈に若く我が身に於て之を親見せん哉。天之此の民を生ずるは、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は、天民之先覺者也。予將以此の道を以て此の民を覺さん。予之を覺すに非ざれば、而して誰か有らん」。思ふ、天下之民匹夫匹婦堯舜之澤を被らざる者有れば、若く己之を溝中に推し內る。其の此の如く、天下之重任を以て自らに任ず。故に湯に就きて、之を說ふに夏を伐ち民を救ふを以てす。吾未だ聞かず、己を枉ぐて能く人を正くするを。況んや己を辱めて以て天下を正くせんをや。聖人之行や、或は遠く、或は近く、或は去り、或は去らず、歸つて其の身を潔くするのみ。吾聞く、其の堯舜之道を以て湯を要するを、未だ聞かず割烹を以てすを。《伊訓》に曰く、「天之誅、牧宮に造(かんま)る、我載(た)ちて亳に自る」といふ。」
萬章問曰:「或謂孔子於衛主癰疽,於齊主侍人瘠環,有諸乎?」
萬章問ふて曰く、「或は孔子衞に於て癰疽(ようそ)に主り、齊に於て侍人瘠環(せきかん)に主るを謂ふ。有りて之諸」と。
孟子曰:「否,不然也。好事者為之也。於衛主顏讎由。彌子之妻與子路之妻,兄弟也。彌子謂子路曰:『孔子主我,衛卿可得也。』子路以告。孔子曰:『有命。』孔子進以禮,退以義,得之不得曰『有命』。而主癰疽與侍人瘠環,是無義無命也。孔子悅於魯衛,遭宋桓司馬將要而殺之,微服而過宋。是時孔子當阨,主司城貞子,為陳侯周臣。吾聞觀近臣,以其所為主;觀遠臣,以其所主。若孔子主癰疽與侍人瘠環,何以為孔子?」
孟子曰く、「否、然らず。好事者之を爲すなり。衞に於ては顏讐由(がんしゅうゆう)に主る。彌子之妻と子路之妻とは、兄弟なり。彌子子路に謂ひて曰く、「孔子我に主らば、衞卿得る可し」。子路以て孔子に告ぐ。孔子曰く、「命有り」。孔子進むは禮を以てし、退くは義を以てす。之を得る不得るは、「命有り」と曰ふ。而して癰疽と侍人瘠環に主らば、是れ無義無命なり。孔子魯衞に於て悅(えつ)ぜられ、宋桓司馬將に要して之を殺さんとすを遭ふて、微服して宋を過ぐ。是の時孔子當に阨(あい)に當りて、司城貞子に主りて、陳侯周之臣と爲る。吾聞く、近臣を觀るには、其の主とする所以觀る。遠臣を觀るには、其の所主を以て觀る。若し孔子癰疽と侍人瘠環に主らば、何以て孔子と爲さんや」と。
萬章問曰:「或曰:『百里奚自鬻於秦養牲者,五羊之皮,食牛,以要秦穆公。』信乎?」
萬章問ふて曰く、「或は曰く、「百里奚自ら鬻(ひさ)ぎて秦養牲者に、五羊之皮、牛を食みて、以て秦繆公を要たり」。信乎」と。
孟子曰:「否,不然。好事者為之也。百里奚,虞人也。晉人以垂棘之璧與屈產之乘,假道於虞以伐虢。宮之奇諫,百里奚不諫。知虞公之不可諫而去,之秦,年已七十矣,曾不知以食牛幹秦穆公之為汙也,可謂智乎?不可諫而不諫,可謂不智乎?知虞公之將亡而先去之,不可謂不智也。時舉於秦,知穆公之可與有行也而相之,可謂不智乎?相秦而顯其君於天下,可傳於後世,不賢而能之乎?自鬻以成其君,鄉黨自好者不為,而謂賢者為之乎?」
孟子曰く、「否、然らず。好事者之を爲すなり。百里奚は虞人なり。晉人垂棘之璧と屈産之乘とを以て、道を虞に假りて以て虢を伐つ。宮之奇諫む。百里奚諫めず。虞公之諫む可からざるを知りて之を去る。秦に之きて、年已に七十なり。曾(あに)食牛を以て秦繆公を要する之汙(けが)るを知らず、智と謂ふ可きか。諫む可からざるを諫めざるは、不智と謂ふ可きか。虞公之將に亡びんとするを知りて、先去るは、不智と謂ふ可からざるなり。時秦に擧げられて、繆公之與に有爲する可きを知りて之を相す。不智と謂ふ可きか。秦を相して其の君を顯はしめて天下に於て、後世に傳ふ可く、不賢にして能く之乎。自ら鬻ぎて以て其の君を成すは、鄉黨自好する者爲さず。而して賢者之を爲すと謂らんや」と。
萬章(ばんしょう)下
孟子曰:「伯夷,目不視惡色,耳不聽惡聲。非其君不事,非其民不使。治則進,亂則退。橫政之所出,橫民之所止,不忍居也。思與鄉人處,如以朝衣朝冠坐於塗炭也。當紂之時,居北海之濱,以待天下之清也。故聞伯夷之風者,頑夫廉,懦夫有立志。
孟子曰く、「伯夷は、目惡色を視ず、耳惡聲を聽かず。其の君に非ざれば事へず、其の民に非ざれば使はず。治まれば則ち進み、亂れれば則ち退く。橫政之出づる所、橫民之止まる所、居るに忍びず。思ふ、鄉人と處るに、如く朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが。當紂之時に、北海之濱に居りて、以て天下之淸を待つ。故に伯夷之風を聞くは、頑夫廉に、懦夫立志有り。」
「伊尹曰:『何事非君?何使非民?』治亦進,亂亦進。曰:『天之生斯民也,使先知覺後知,使先覺覺後覺。予,天民之先覺者也;予將以此道覺此民也。』思天下之民匹夫匹婦有不與被堯舜之澤者,若己推而內之溝中,其自任以天下之重也。
(孟子續けて曰く、)「伊尹曰く、「何の事君不事か、何の使民不使か」。治まるも亦進み、亂るるも亦進む。曰く、「天之斯民を生ずるは、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は、天民之先覺者也。予將以此の道を以て此の民を覺さん。予之を覺すに非ざれば、而して誰か有らん」。思ふ、天下之民匹夫匹婦堯舜之澤を被らざる者有れば、若く己之を溝中に推し內る。其の天下之重を自らに負ふ。」
「柳下惠,不羞汙君,不辭小官。進不隱賢,必以其道。遺佚而不怨,阨窮而不憫。與鄉人處,由由然不忍去也。『爾為爾,我為我,雖袒裼裸裎於我側,爾焉能浼我哉?』故聞柳下惠之風者,鄙夫寬,薄夫敦。
(孟子續けて曰く、)「柳下惠は、汚君を羞ぢず、小官を辭せず。進みて賢を隱さず、必ず其の道に由る。遺佚すれど怨まず、阨窮すれど憫へず。鄉人と處るに、由由然として去るに忍びず。「爾は爾、我は我。雖し袒裼裸裎に我が側に於て、爾焉んぞ能く我を浼さんや」。故に柳下惠之風を聞くは、鄙夫寬く、薄夫敦し。」
「孔子之去齊,接淅而行;去魯,曰:『遲遲吾行也。』去父母國之道也。可以速而速,可以久而久,可以處而處,可以仕而仕,孔子也。」
(孟子續けて曰く、)「孔子之齊を去るは、淅を接して行く。魯を去るには、曰く、「遲遲吾行るなり」。父母之國を去る道なり。速す可きは速かに、久しき可きは久しく、處る可きは處り、仕ふ可きは仕ふ。孔子なり。」
孟子曰:「伯夷,聖之清者也;伊尹,聖之任者也;柳下惠,聖之和者也;孔子,聖之時者也。孔子之謂集大成。集大成也者,金聲而玉振之也。金聲也者,始條理也;玉振之也者,終條理也。始條理者,智之事也;終條理者,聖之事也。智,譬則巧也;聖,譬則力也。由射於百步之外也,其至,爾力也;其中,非爾力也。」
孟子曰く、「伯夷は聖之淸者也、伊尹は聖之任者也、柳下惠は聖之和者也、孔子は聖之時者也。孔子之集大成と謂ふ。集大成也者は、金聲而して玉振す也。金聲也者は、始條理なり。玉振之也者は、終條理なり。始條理は、智之事なり。終條理は、聖之事なり。智は、譬へば則ち巧なり。聖は、譬へば則ち力なり。由(よ)り百步之外に射るがごとし。其の至るは、爾力也。其の中るは、非爾力也」と。
北宮錡問曰:「周室班爵祿也,如之何?」
北宮錡(ほくきゅうき)問ふて曰く、「周室爵祿を班(はん)するは、如之何か」と。
孟子曰:「其詳不可得聞也。諸侯惡其害己也,而皆去其籍。然而軻也,嘗聞其略也。天子一位,公一位,侯一位,伯一位,子、男同一位,凡五等也。君一位,卿一位,大夫一位,上士一位,中士一位,下士一位,凡六等。
孟子曰く、「其の詳は得て聞く可からざるなり。諸侯其の己を害するを惡みて、皆其の籍を去る。然りと雖も、軻亦嘗て其の略を聞く。天子一位、公一位、侯一位、伯一位、子男同一位、凡そ五等なり。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡そ六等。」
「天子之制,地方千里,公侯皆方百里,伯七十里,子、男五十里,凡四等。不能五十里,不達於天子,附於諸侯,曰附庸。天子之卿受地視侯,大夫受地視伯,元士受地視子、男。
(孟子續けて曰く、)「天子之制、地方千里、公侯皆方百里、伯七十里、子男五十里、凡そ四等。五十里に及ばざれば、天子に達するに達せず。諸侯に附して、曰く、附庸。天子之卿地を受けること侯に視(ひと)しく、大夫地を受けること伯に視しく、元士地を受けること子男に視し。」
「大國地方百里,君十卿祿,卿祿四大夫,大夫倍上士,上士倍中士,中士倍下士,下士與庶人在官者同祿,祿足以代其耕也。次國地方七十里,君十卿祿,卿祿三大夫,大夫倍上士,上士倍中士,中士倍下士,下士與庶人在官者同祿,祿足以代其耕也。小國地方五十里,君十卿祿,卿祿二大夫,大夫倍上士,上士倍中士,中士倍下士,下士與庶人在官者同祿,祿足以代其耕也。耕者之所獲,一夫百畝。百畝之糞,上農夫食九人,上次食八人,中食七人,中次食六人,下食五人。庶人在官者,其祿以是為差。」
(孟子續けて曰く、)「大國地方百里、君十卿祿、卿祿四大夫、大夫倍上士、上士倍中士、中士倍下士、下士庶人在官者と同祿、祿以て其の耕に代るに足る。次國地方七十里、君十卿祿、卿祿三大夫、大夫倍上士、上士倍中士、中士倍下士、下士庶人在官者と同祿、祿以て其の耕に代るに足る。小國地方五十里、君十卿祿、卿祿二大夫、大夫倍上士、上士倍中士、中士倍下士、下士庶人在官者と同祿、祿以て其の耕に代るに足る。耕する者之獲する所、一夫百畝。百畝之糞(ふん)するは、上農夫九人を食(し)ひ、上次八人を食ひ、中七人を食ひ、中次六人を食ひ、下五人を食ふ。庶人在官者は、其の祿以て是を差と爲す。」
萬章問曰:「敢問友。」
萬章問ふて曰く、「敢て問ふ、友と爲るは如何」と。
孟子曰:「不挾長,不挾貴,不挾兄弟而友。友也者,友其德也,不可以有挾也。孟獻子,百乘之家也,有友五人焉:樂正裘、牧仲,其三人,則予忘之矣。獻子之與此五人者友也,無獻子之家者也。此五人者,亦有獻子之家,則不與之友矣。非惟百乘之家為然也。雖小國之君亦有之。費惠公曰:『吾於子思,則師之矣;吾於顏般,則友之矣;王順、長息則事我者也。』非惟小國之君為然也,雖大國之君亦有之。晉平公之於亥唐也,入雲則入,坐雲則坐,食雲則食。雖疏食菜羹,未嘗不飽,蓋不敢不飽也。然終於此而已矣。弗與共天位也,弗與治天職也,弗與食天祿也,士之尊賢者也,非王公之尊賢也。舜尚見帝,帝館甥於貳室,亦饗舜,迭為賓主,是天子而友匹夫也。用下敬上,謂之貴貴;用上敬下,謂之尊賢。貴貴、尊賢,其義一也。」
孟子曰く、「挾(けい)長を挾せず、挾貴を挾せず、挾兄弟を挾せずして友と爲す。友者は、其の德を友とするなり。挾有る可からざるなり。孟獻子、百乘之家なり。友有り五人。樂正裘、牧仲、其の三人は、則ち予之を忘れり。獻子之此の五人に友とするは、獻子之家無しなり。此の五人亦獻子之家有れば、則ち之と友とせざるなり。非惟れ百乘之家爲れ然るなり。雖し小國之君亦之有り。費惠公曰く、「吾子思に於ては則ち之を師とす。吾顏般に於ては則ち之を友とす。王順、長息は則ち我に事ふ者なり」。非惟れ小國之君爲れ然るなり。雖し大國之君亦之有り。晉平公之亥唐に於ては、入りて則ち入り、坐して則ち坐す、食して則ち食す。雖し蔬食菜羹、未だ嘗て飽ふ無し。蓋し敢て飽ふざればなり。然る後終に此れ已矣。弗(ふつ)と天位と與(とも)に、弗と天職と治む、弗と天祿と食ふは、士之尊賢者也、非王公尊賢なり。舜尚(あが)めて帝に見え、帝甥を貳室に館す。亦舜を饗せしめ、疊(かさな)りて賓主と爲る。是れ天子にして匹夫と友と爲るなり。下上敬するを貴貴と謂ひ、上下敬するを尊賢と謂ふ。貴貴尊賢、其の義一なり」と。
萬章問曰:「敢問交際何心也?」
萬章問ふて曰く、「敢て問ふ、交際は何の心ぞや」と。
孟子曰:「恭也。」
孟子曰く、「恭なり」と。
曰:「卻之卻之為不恭,何哉?」
「卻之卻之不恭は、何ぞや」。
曰:「尊者賜之,曰『其所取之者,義乎,不義乎」,而後受之,以是為不恭,故弗卻也。」
曰く、「尊者之賜ふ、曰く、「其の取之者、義乎、不義乎」、而る後以て受くるを、以て是れ不恭と爲す。故に卻かざるなり」。
曰:「請無以辭卻之,以心卻之,曰『其取諸民之不義也』,而以他辭無受,不可乎?」
曰く、「請ふ、以て辭卻かず、以て心卻く、曰く、「其の諸民より取れる不義なり」、而以て他辭受けずは、不可か」。
曰:「其交也以道,其接也以禮,斯孔子受之矣。」
曰く、「其の交は道を以てし、其の接は禮を以てす。斯に孔子之を受く」。
萬章曰:「今有御人於國門之外者,其交也以道,其餽也以禮,斯可受御與?」
曰く、「今禦人國門之外に於て、其の交は道を以てし、其の餽は禮を以てす。斯に以て禦を受く可きか」。
曰:「不可。《康誥》曰:『殺越人於貨,閔不畏死,凡民罔不譈。』是不待教而誅者也。殷受夏,周受殷,所不辭也。於今為烈,如之何其受之?」
曰く、「不可。《康誥》に曰く、「人を殺して貨を越(こ)す、暋(みん)死を畏れず、凡そ民罔(も)不譾(かん)」。是れ教を待たずして誅する者也。殷夏を受け、周殷を受け、辭せざる所なり。于今烈と爲る。之を受けん如之何」。
曰:「今之諸侯取之於民也,猶御也。苟善其禮際矣,斯君子受之,敢問何說也?」
曰く、「今之諸侯之民より取るは、猶ほ禦るがごとし。苟くも其の禮際を善くすれば、斯に君子之を受く。敢て問ふ、何の說ぞや」。
曰:「子以為有王者作,將比今之諸侯而誅之乎?其教之不改而後誅之乎?夫謂非其有而取之者盜也,充類至義之盡也。孔子之仕於魯也,魯人獵較,孔子亦獵較。獵較猶可,而況受其賜乎?」
曰く、「子以て王者作らん有らば、將以て今之諸侯を比して誅するか、其の教へて改めざる然る後誅するか。夫れ其の有る所に非ざりて之を取るを盜と謂ふは、充類して義之盡する至なり。孔子魯に仕ふるに、魯人獵較(れきこう)す。孔子亦獵較す。獵較猶ほ可、而る況んや其の賜を受くるをや」。
曰:「然則孔子之仕也,非事道與?」
曰く、「然らば則ち孔子之仕ふるは、非事道か」。
曰:「事道也。」
曰く、「事道なり」。
「事道奚獵較也?」
「事道奚ぞ獵較するや」。
曰:「孔子先簿正祭器,不以四方之食供簿正。」
曰く、「孔子先に簿正祭器を以て、四方之食を以て簿正を供へざるなり」。
曰:「奚不去也?」
曰く、「奚ぞ去らざるや」。
曰:「為之兆也。兆足以行矣,而不行,而後去,是以未嘗有所終三年淹也。孔子有見行可之仕,有際可之仕,有公養之仕也。於季桓子,見行可之仕也;於衛靈公,際可之仕也;於衛孝公,公養之仕也。」
曰く、「兆を爲るなり。兆足りて行ふ可くて、而して行はざれば、然る後去る。是を以て未だ嘗て終に三年淹(えん)する有所。孔子見行可なりて仕ふる有り、際可なりて仕ふる有り、公養なりて仕ふる有り。季桓子に於ては、見行可之仕なり。衞靈公に於ては、際可之仕なり。衞孝公に於ては、公養之仕なり」と。
孟子曰:「仕非為貧也,而有時乎為貧;娶妻非為養也,而有時乎為養。為貧者,辭尊居卑,辭富居貧。辭尊居卑,辭富居貧,惡乎宜乎?抱關擊柝。孔子嘗為委吏矣,曰『會計當而已矣』。嘗為乘田矣,曰『牛羊茁壯,長而已矣』。位卑而言高,罪也;立乎人之本朝,而道不行,恥也」
孟子曰く、「仕ふは貧を爲とするに非ざるなり、而して或は貧を爲とす。娶妻は養を爲とするに非ざるなり、而して或は養を爲とす。貧を爲るは、尊を辭して卑に居り、富を辭して貧に居る。尊を辭して卑に居り、富を辭して貧に居るは、惡に在りて宜しき乎。抱關擊柝(ほうかんげきたく)也。孔子嘗て委吏と爲りて、曰く、「會計當(とう)而已矣」。嘗て乘田と爲りて、曰く、「牛羊茁壯長而已矣」。位卑にして高を言ふは、罪なり。人之朝に立て、而して道行はざるは、恥なり」と。
萬章曰:「士之不託諸侯,何也?」
萬章曰く、「士之諸侯に託する不託は、何ぞや」。
孟子曰:「不敢也。諸侯失國,而後托於諸侯,禮也;士之託於諸侯,非禮也。」
曰く、「敢てせず。諸侯國を失して、然る後諸侯に託するは、禮也。士之諸侯に託するは、非禮なり」。
萬章曰:「君餽之粟,則受之乎?」
萬章曰く、「君之粟を餽れば、則ち之を受くるか」。
曰:「受之。」
曰く、「之を受く」。
「受之何義也?」
「之を受くは、何の義ぞや」。
曰:「君之於氓也,固周之。」
曰く、「君之氓に於ては、則ち周(たす)く」。
曰:「周之則受,賜之則不受,何也?」
曰く、「周之を受くれば、則ち之を受け、賜之受けずは、何ぞや」。
曰:「不敢也。」
曰く、「敢てせず」。
曰:「敢問其不敢何也?」
曰く、「敢て問ふ、其の敢てせざるは何ぞや」。
曰:「抱關擊柝者,皆有常職以食於上。無常職而賜於上者,以為不恭也。」
曰く、「抱關擊柝者は、皆常職有りて以て上に食ふ。常職無くて上に賜を受くるは、以て不恭と爲す」。
曰:「君餽之,則受之,不識可常繼乎?」
曰く、「君之を餽れば、則ち之を受く。識らず、繼ぎて常に之を受く可きか」。
曰:「繆公之於子思也,亟問,亟餽鼎肉。子思不悅。於卒也,摽使者出諸大門之外,北面稽首再拜而不受。曰:『今而後知君之犬馬畜伋。』蓋自是臺無餽也。悅賢不能舉,又不能養也,可謂悅賢乎?」
曰く、「繆公之於子思、亟(しばしば)問ひ、亟く鼎肉を餽る。子思悅ばず。卒に於て、標使者を出でて諸大門之外。北面して稽首再拜して受けず。曰く、「今而して後、君を知る、犬馬伋を畜ふ」。蓋し自是に臺餽る無し。賢を悅びて舉げず、又養ふ能はざれば、賢を悅ぶと謂ふ可きか」。
曰:「敢問國君欲養君子,如何斯可謂養矣?」
曰く、「敢て問ふ、國君君子を養はんと欲するは、何如斯れば、以て養と謂ふ可きか」。
曰:「以君命將之,再拜稽首而受。其後廩人繼粟,庖人繼肉,不以君命將之。子思以為鼎肉,使己僕僕爾亟拜也,非養君子之道也。堯之於舜也,使其子九男事之,二女女焉,百官牛羊倉廩備,以養舜於畎畝之中,後舉而加諸上位。故曰:王公之尊賢者也。」
曰く、「君命を以て之を齎(もた)らし、再拜稽首して之を受く。其の後廪人粟を繼ぎ、庖人肉を繼ぐ。君命を以てせず。子思以て鼎肉、己をして僕僕(ぼくぼく)爾として亟拜す。非養君子之道なり。堯之於舜、其の子九男に使へり之に事へしめ、二女焉(あ)る。百官牛羊倉廩備りて、以て舜を養ふ於畎畝之中。後に擧げて之を上位に加ふ。故曰く、王公之尊賢者也」。
萬章曰:「敢問不見諸侯,何義也?」
曰く、「敢て問ふ、諸侯に見えざるは、何の義ぞや」。
孟子曰:「在國曰市井之臣,在野曰草莽之臣,皆謂庶人。庶人不傳質為臣,不敢見於諸侯,禮也。」
曰く、「國在りては市井之臣と謂ひ、野在りては草莽之臣と謂ふ。皆庶人と謂ふ。庶人質(しつ)を傳へず臣と爲らず、諸侯に見えんを敢てせざるは、禮なり」。
萬章曰:「庶人,召之役,則往役;君欲見之,召之,則不往見之,何也?」
曰く、「庶人、之を召ば往きて役せば、則ち往きて役す。君其の見えんと欲するを召ば、則ち往きて見えずは、何ぞや」。
曰:「往役,義也;往見,不義也。且君之慾見之也,何為也哉?」
曰く、「往きて役するは、義なり。往きて見ゆるは、不義なり。且つ君之其の見えんと欲するや、何爲ぞや」。
曰:「為其多聞也,為其賢也。」
曰く、「其の多聞を以て、其の賢を以て」。
曰:「為其多聞也,則天子不召師,而況諸侯乎?為其賢也,則吾未聞欲見賢而召之也。繆公亟見於子思,曰:『古千乘之國以友士,何如?』子思不悅,曰:『古之人有言:曰事之云乎,豈曰友之云乎?』子思之不悅也,豈不曰:『以位,則子,君也;我,臣也。何敢與君友也?以德,則子事我者也。奚可以與我友?』千乘之君求與之友,而不可得也,而況可召與?齊景公田,招虞人以旌,不至,將殺之。志士不忘在溝壑,勇士不忘喪其元。孔子奚取焉?取非其招不往也。」
曰く、「其の多聞を以てば、則ち天子師を召ばざるなり、而る況んや諸侯をや。其の賢を以てば、則ち吾未だ聞かず、賢を見えんと欲して之を召ぶを。繆公亟く子思に見えて曰く、「古千乘之國、以て士と友と爲るは、何如」。子思悅ばず、曰く、「古之人言有り、「事ふと云ふ」、豈に「友と云ふ」云々」。子思之不悅は、豈に曰はずや、「位を以て言へば、則ち子君也、我臣也。何ぞ敢て君と友と爲らん。德を以て言へば、則ち子我に事ふ者也。奚ぞ以て我と友と爲る可きや」。千乘之君之與友と爲るを求めて、猶ほ得可からず、而る況んや召ぶ可きをや。齊景公田し、虞人を招くに旌を以てす。至らず、將に之を殺さんとす。志士溝壑に在るを忘れず、勇士其の元を喪ふを忘れず。孔子奚を取るや。取る、非其招を往かざるを取る」。
曰:「敢問招虞人何以?」
曰く、「敢て問ふ、虞人を招くは何を以てするや」。
曰:「以皮冠。庶人以旃,士以旗,大夫以旌。以大夫之招招虞人,虞人死不敢往。以士之招招庶人,庶人豈敢往哉。況乎以不賢人之招招賢人乎?欲見賢人而不以其道,猶欲其入而閉之門也。夫義,路也;禮,門也。惟君子能由是路,出入是門也。《詩》云:『周道如砥,其直如矢;君子所履,小人所視。』」
曰く、「皮冠を以てす。庶人旃(せん)を以てし、士旂(き)を以てし、大夫旌を以てす。大夫之招を以て虞人を招くは、虞人死して敢て往かず。士之招を以て庶人を招くは、庶人豈に敢て往かん哉。況んや不賢人之招を以て賢人を招かんをや。賢人を見えんと欲して、其の道に由らざるは、猶ほ其の入るを欲して其の門を閉づるがごとし。夫れ義は路なり、禮は門なり。惟れ君子能く此の路に由りて、出入此の門。《詩・小雅・大東》に曰く、「周道底(き)を砥(と)ぐが如く、其の直きこと矢の如し。君子之履く所、小人之視る所」といふ。」
萬章曰:「孔子,君命召,不俟駕而行。然則孔子非與?」
曰く、「孔子、君命召ぶ、俟駕せずして行く。然らば則ち孔子非與」。
曰:「孔子當仕有官職,而以其官召之也。」
曰く、「孔子當に仕職有るに、官以其の官之を召ぶなり」。
孟子謂萬章曰:「一鄉之善士,斯友一鄉之善士;一國之善士,斯友一國之善士;天下之善士,斯友天下之善士。以友天下之善士為未足,又尚論古之人。頌其詩,讀其書,不知其人,可乎?是以論其世也。是尚友也。」
孟子萬章に謂ひて曰く、「一鄉之善士、斯に友と爲る、一鄉之善士。一國之善士、斯に友と爲る、一國之善士。天下之善士、斯に友と爲る、天下之善士。以て天下之善士と友と爲るに足らざれば、又古之人を尚(う)論ふ。其の詩を頌(よ)み、其の書を讀み、其の人を知らざれば、可なるか。是を以て其の世を論ふ。是れ尚に友と爲るなり」と。
齊宣王問卿。孟子曰:「王何卿之問也?」
齊宣王卿を問ふ。孟子曰く、「王何の卿を問ふや」。
王曰:「卿不同乎?」
王曰く、「卿同じからざる乎」。
曰:「不同。有貴戚之卿,有異姓之卿。」
曰く、「同じからず。有り、貴戚之卿、有り、異姓之卿」。
王曰:「請問貴戚之卿。」
王曰く、「請ふ、貴戚之卿を問はん」。
曰:「君有大過則諫,反覆之而不聽,則易位。」
曰く、「君大過有れば則ち諫め、反覆して聽かずんば、則ち位を易ふ」。
王勃然變乎色。曰:「王勿異也。王問臣,臣不敢不以正對。」
王勃然として色を變へ。曰く、「王異にする勿れ。王臣に問ふ。臣敢て以て正對へざらんや」。
王色定,然後請問異姓之卿。曰:「君有過則諫,反覆之而不聽,則去。」
王色定まりて、然る後異姓之卿を問ふ。曰く、「君過有れば則ち諫め、反覆して聽かずんば、則ち去る」。
告子(こうし)上
告子曰:「性,猶杞柳也;義,猶桮棬也。以人性為仁義,猶以杞柳為桮棬。」
告子曰く、「性は猶ほ杞柳(きりゅう)のごとし。義は猶ほ桮棬(はいけん)のごとし。人之性を以て仁義と爲るは、猶ほ杞柳を以て桮棬と爲るがごとし」。
孟子曰:「子能順杞柳之性而以為桮棬乎?將戕賊杞柳而後以為桮棬也?如將戕賊杞柳而以為桮棬,則亦將戕賊人以為仁義與?率天下之人而禍仁義者,必子之言夫!」
孟子曰く、「子能く杞柳之性に順ひて以て桮棬と爲すか、將に戕賊(しょうぜつ)杞柳して而る後以て桮棬と爲すか。如かん、將に戕賊杞柳して以て桮棬と爲さば、則ち亦將に戕賊人以て仁義と爲さん。天下之人を率ゐて仁義を禍する者は、必ず子之言夫」と。
告子曰:「性猶湍水也,決諸東方則東流,決諸西方則西流。人性之無分於善不善也,猶水之無分於東西也。」
告子曰く、「性は猶ほ湍水(たんすい)のごとし。諸東方に決するは則ち東流し、西方に決するは則ち西流す。人性之無善無不善は、猶ほ水之無東無西のごとし」。
孟子曰:「水信無分於東西。無分於上下乎?人性之善也,猶水之就下也。人無有不善,水無有不下。今夫水,搏而躍之,可使過顙;激而行之,可使在山。是豈水之性哉?其勢則然也。人之可使為不善,其性亦猶是也。」
孟子曰く、「水信に東西無し、上下無き無し。人性之善は、猶ほ水之就下のごとし。人無不善、水無不下。今夫水、搏(はく)して之を躍らしめば、可使、顙(ひたい)を過ぎしめん。激して之を行かしめば、可使、山に在らしめん。是れ豈に水之性ならん哉。其の勢則ち然るなり。人之可使爲不善するは、其の性亦猶是なり」と。
告子曰:「生之謂性。」
告子曰く、「生之謂性」。
孟子曰:「生之謂性也,猶白之謂白與?」曰:「然。」
孟子曰く、「生之謂性は、猶ほ白之謂白と與」。曰く、「然」。
「白羽之白也,猶白雪之白;白雪之白,猶白玉之白與?」曰:「然。」
「白羽之白は、猶ほ白雪之白、白雪之白は、猶ほ白玉之白與」。曰く、「然」。
「然則犬之性,猶牛之性;牛之性,猶人之性與?」
「然らば則ち犬之性は、猶ほ牛之性、牛之性は、猶ほ人之性與」。
告子曰:「食色,性也。仁,內也,非外也;義,外也,非內也。」
告子曰く、「食色は、性なり。仁は、內なり、非外なり。義は、外なり、非內なり」。
孟子曰:「何以謂仁內義外也?」
孟子曰く、「何以て仁內義外と謂らんや」。
曰:「彼長而我長之,非有長於我也;猶彼白而我白之,從其白於外也,故謂之外也。」
告子曰く、「彼長して、我之を長とす。非長有り於我也。猶ほ彼白して、我之を白とするがごとし。其の白於外に從ふ。故に外と謂ふ」。
曰:「異於白馬之白也,無以異於白人之白也;不識長馬之長也,無以異於長人之長與?且謂長者義乎?長之者義乎?」
孟子曰く、「白馬之白に異ならざる、白人之白に異ならざる。識らず、長馬之長に異ならざる、長人之長に異ならざるか。且つ長者を謂ひて義乎、長する者を謂ひて義乎」。
曰:「吾弟則愛之,秦人之弟則不愛也,是以我為悅者也,故謂之內。長楚人之長,亦長吾之長,是以長為悅者也,故謂之外也。」
告子曰く、「吾弟は則ち之を愛し、秦人之弟は則ち不愛す。是れ我を以て悅と爲す者なり。故に內と謂ふ。楚人之長を長とし、亦吾之長を長とす。是れ長を以て悅と爲す者なり。故に外と謂ふ」。
曰:「耆秦人之炙,無以異於耆吾炙。夫物則亦有然者也,然則耆炙亦有外與?」
孟子曰く、「秦人之炙を耆(こ)ふ、吾之炙を耆ふに異ならず。夫れ物則ち亦之然る者有り。然らば則ち炙を耆る亦外有る與」。
孟季子問公都子曰:「何以謂義內也?」曰:「行吾敬,故謂之內也。」
孟季子公都子に問ふて曰く、「何以て義內と謂らんや」。公都子曰く、「吾が敬を行ふを以て、故に之を內と謂ふ」。
「鄉人長於伯兄一歲,則誰敬?」曰:「敬兄。」
「鄉人伯兄に長する一歲、則ち誰を敬せん」。曰く、「兄を敬す」。
「酌則誰先?」曰:「先酌鄉人。」
「酌して則ち誰を先んせん」。曰く、「鄉人を先んず」。
「所敬在此,所長在彼,果在外,非由內也。」
「敬する所此に在り、長する所彼に在り。果として外に在り、非內由なり」。
公都子不能答,以告孟子。孟子曰:「敬叔父乎?敬弟乎?彼將曰『敬叔父』。曰:『弟為屍,則誰敬?』彼將曰『敬弟。』子曰:『惡在其敬叔父也?』彼將曰『在位故也。』子亦曰:『在位故也。庸敬在兄,斯須之敬在鄉人。』」
公都子答へる能はず、以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「敬叔父乎、敬弟乎。彼將に曰く、「敬叔父」。曰く、「弟尸と爲る、則ち誰を敬せん」。彼將に曰く、「敬弟」。子曰く、「惡に在りて其の敬叔父」。彼將に曰く、「位に在る故なり」。子亦曰く、「位に在る故なり」。庸敬は兄に在り、斯須之敬は鄉人に在り」。
季子聞之曰:「敬叔父則敬,敬弟則敬,果在外,非由內也。」
季子之を聞きて曰く、「敬叔父は則ち敬す、敬弟は則ち敬す。果として外に在り、非內由なり」。
公都子曰:「冬日則飲湯,夏日則飲水,然則飲食亦在外也?」
公都子曰く、「冬日則ち湯を飮み、夏日則ち水を飮む。然らば則ち飮食亦外に在る與」。
公都子曰:「告子曰:『性無善無不善也。』或曰:『性可以為善,可以為不善;是故文武興,則民好善;幽厲興,則民好暴。』或曰:『有性善,有性不善;是故以堯為君而有象,以瞽瞍為父而有舜;以紂為兄之子且以為君,而有微子啟、王子比干。』今曰『性善』,然則彼皆非與?」
公都子曰く、「告子曰く、「性は善無き不善無きなり」。或は曰く、「性は以て善を爲る可し、以て不善を爲る可し。是故に文武興れば、則ち民善を好み、幽厲興れば、則ち民暴を好む」。或は曰く、「有り、性善、有り、性不善。是故に堯君と爲るに象有り、瞽瞍父と爲るに舜有り、紂兄之子と爲り且つ以て君と爲るに、微子啓、王子比干有り」。今「性善」と曰ふは、然らば則ち彼皆非與」。
孟子曰:「乃若其情,則可以為善矣,乃所謂善也。若夫為不善,非才之罪也。惻隱之心,人皆有之;羞惡之心,人皆有之;恭敬之心,人皆有之;是非之心,人皆有之。惻隱之心,仁也;羞惡之心,義也;恭敬之心,禮也;是非之心,智也。仁義禮智,非由外鑠我也,我固有之也,弗思耳矣。故曰:『求則得之,舍則失之。』或相倍蓰而無算者,不能盡其才者也。《詩》曰:『天生蒸民,有物有則。民之秉夷,好是懿德。』孔子曰:『為此詩者,其知道乎!故有物必有則,民之秉夷也,故好是懿德。』」
孟子曰く、「乃ち其の情と爲れば、則ち以て善を爲る可きなり。是れ乃ち所謂善なり。若し夫れ不善を爲るは、非才之罪なり。惻隱之心は、人皆有り。羞惡之心は、人皆有り。恭敬之心は、人皆有り。是非之心は、人皆有り。惻隱之心は、仁なり。羞惡之心は、義なり。恭敬之心は、禮なり。是非之心は、智なり。仁義禮智は、非外繫(げき)を以て我に由る、我固有するなり。弗思のみ。故曰く、「求めれば則ち之を得、舍すれば則ち之を失ふ」。或は相倍蓰(ばいし)して算ふる能はずるは、其の才を盡す能はざる者なり。《詩・大雅・烝民》に曰く、「天衆民を生じ、物有れば則ち則有り。民彝を秉(へい)して、是懿德を好む」。孔子曰く、「此の詩を爲る者は、其の道を知る乎。故に物有れば必ず則有り、民彝を秉するは、故に是懿德を好むなり」と。」
孟子曰:「富歲,子弟多賴;凶歲,子弟多暴,非天之降才爾殊也,其所以陷溺其心者然也。今夫麰麥,播種而耰之,其地同,樹之時又同,浡然而生,至於日至之時,皆熟矣。雖有不同,則地有肥磽,雨露之養,人事之不齊也。故凡同類者,舉相似也,何獨至於人而疑之?聖人與我同類者。故龍子曰:『不知足而為屨,我知其不為蕢也。』屨之相似,天下之足同也。口之於味,有同耆也。易牙先得我口之所耆者也。如使口之於味也,其性與人殊,若犬馬之與我不同類也,則天下何耆皆從易牙之於味也?至於味,天下期於易牙,是天下之口相似也惟耳亦然。至於聲,天下期於師曠,是天下之耳相似也。惟目亦然。至於子都,天下莫不知其姣也。不知子都之姣者,無目者也。故曰:口之於味也,有同耆焉;耳之於聲也,有同聽焉;目之於色也,有同美焉。至於心,獨無所同然乎?心之所同然者何也?謂理也,義也。聖人先得我心之所同然耳。故理義之悅我心,猶芻豢之悅我口。」
孟子曰く、「富歲子弟多く賴(らい)し、凶歲子弟多く暴す。非天之降才爾殊なる、其の所以陷溺其の心する者然るなり。今夫麰麥(ばくばく)、播種して之を耰(う)ぐ。其の地同じく、樹する之時又同じく、浡然として生じ、日至之時に至りて、皆熟す。雖し同じからざる有れば、則ち地肥瘠有り、雨露之養、人事之不齊なり。故に凡そ同類者は、舉相似なり。何ぞ獨り人に於て之を疑はんや。聖人と我とは同類者なり。故に龍子曰く、「足を知らずして屨を爲るは、吾其の蕢(き)と爲るを知らざるなり」。屨之相似は、天下之足同じきなり。口之味に於ては、同耆(し)有り。易牙先に我が口之耆する所を得たり。如かん、口味に於て、其の性人と殊なる、猶ほ犬馬之我と同類ならざるが如きは、則ち天下何ぞ耆を易牙之味に從ふや。味に於ては、天下易牙に期するは、是れ天下之口相似なるなり。耳亦然り。聲に於ては、天下師曠に期するは、是れ天下之耳相似なるなり。目亦然り。子都に至りては、天下莫し其の姣(かう)を知らざる。子都之姣を知らざるは、目無き者なり。故曰く、口之味に於ては、同耆有り。耳之聲に於ては、同聽有り。目之色に於ては、同美有り。心に於ては、獨り同然無き無し。心之同然する者は、何ぞや。理と謂ひ、義と謂ふ。聖人先に我心之同然するを得たり。故に理義之我心を悅ぶや、猶ほ芻豢(すうかん)之我が口を悅ぶがごとし」と。
孟子曰:「牛山之木嘗美矣,以其郊於大國也,斧斤伐之,可以為美乎?是其日夜之所息,雨露之所潤,非無萌櫱之生焉,牛羊又從而牧之,是以若彼濯濯也。人見其濯濯也,以為未嘗有材焉,此豈山之性也哉?雖存乎人者,豈無仁義之心哉?其所以放其良心者,亦猶斧斤之於木也,旦旦而伐之,可以為美乎?其日夜之所息,平旦之氣,其好惡與人相近也者幾希,則其旦晝之所為,有梏亡之矣。梏之反覆,則其夜氣不足以存;夜氣不足以存,則其違禽獸不遠矣。人見其禽獸也,而以為未嘗有才焉者,是豈人之情也哉?故苟得其養,無物不長;苟失其養,無物不消。孔子曰:『操則存,舍則亡;出入無時,莫知其鄉。』惟心之謂與?」
孟子曰く、「牛山之木嘗て美なりし。其の郊大國に於て、斧斤之を伐れば、以て美ならん可きか。是れ其の日夜之息する所、雨露之潤する所、非萌蘖之生ずる無し。牛羊又從而之を牧す。是を以て彼濯濯(たくたく)の若きなり。人其の濯濯を見て、以て未だ嘗て材有らざると爲す。是れ豈に山之性ならん哉。雖し人に存する乎は、豈に仁義之心無からん哉。其の所以其の良心を放ずる者は、亦猶ほ斧斤之木に於けるがごとし。旦旦而之を伐つ。以て美ならん可きか。其の日夜之息する所、平旦之氣、其の好惡人と相近き者幾希。則ち其の旦晝之爲する所、之を梏亡(こくぼう)する有り。梏之反覆するは、則ち其の夜氣以て存するに足らず。夜氣以て存するに足らざれば、則ち其の禽獸に違はざる遠からず。人其の禽獸を見て、以て未だ嘗て才有らざると爲す。是れ豈に人之情ならん哉。故に苟くも其の養を得れば、物長ずる無き無し。苟くも其の養を失へば、物消ゆる無き無し。孔子曰く、「操れば則ち存り、舍すれば則ち亡ぶ。出入時無し、其の鄉を知る莫し」。惟れ心之謂與」と。
孟子曰:「無或乎王之不智也,雖有天下易生之物也,一日暴之、十日寒之,未有能生者也。吾見亦罕矣,吾退而寒之者至矣,吾如有萌焉何哉?今夫弈之為數,小數也;不專心致志,則不得也。弈秋,通國之善弈者也。使弈秋誨二人弈,其一人專心致志,惟弈秋之為聽。一人雖聽之,一心以為有鴻鵠將至,思援弓繳而射之,雖與之俱學,弗若之矣。為是其智弗若與?曰非然也。」
孟子曰く、「王の不智を怪しむ無かれ。雖し天下易生之物有りて、一日之を暴(さら)し、十日之を寒らしめば、未有り能生ずる。吾見る亦罕(まれ)なり。吾退けて、之を寒らす者至らば、吾何ぞ彼の萌蘖有らん哉。今夫弈之數を爲るは、小數なり。專心致志せざれば、得ざるなり。弈秋は、通國之善く弈する者なり。弈秋に使へり二人を誨え弈さしむ。其の一人專心致志して、惟れ弈秋之聽を爲す。一人雖し之を聽きて、一心以て鴻鵠將に至らんと爲し、思援弓繳(えんきゅうしゃく)して之を射らんとす。雖し之と倶に學ぶも、弗若なり。爲れ其の智弗若か。曰く、非然なり」と。
孟子曰:「魚,我所欲也;熊掌,亦我所欲也,二者不可得兼,舍魚而取熊掌者也。生,亦我所欲也;義,亦我所欲也,二者不可得兼,捨生而取義者也。生亦我所欲,所欲有甚於生者,故不為苟得也;死亦我所惡,所惡有甚於死者,故患有所不闢也。如使人之所欲莫甚於生,則凡可以得生者,何不用也?使人之所惡莫甚於死者,則凡可以闢患者,何不為也?由是則生而有不用也,由是則可以闢患而有不為也。是故所欲有甚於生者,所惡有甚於死者,非獨賢者有是心也,人皆有之,賢者能勿喪耳。一簞食,一豆羹,得之則生,弗得則死。嘑爾而與之,行道之人弗受;蹴爾而與之,乞人不屑也。萬鍾則不辨禮義而受之。萬鍾於我何加焉?為宮室之美、妻妾之奉、所識窮乏者得我與?鄉為身死而不受,今為宮室之美為之;鄉為身死而不受,今為妻妾之奉為之;鄉為身死而不受,今為所識窮乏者得我而為之,是亦不可以已乎?此之謂失其本心。」
孟子曰く、「魚は、我が欲する所なり。熊掌は、亦我が欲する所なり。二者兼ねて得可からざれば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生は、亦我が欲する所なり。義は、亦我が欲する所なり。二者兼ねて得可からざれば、生を舍てて義を取る者なり。生は亦我が欲する所、欲する所生に甚だしき有り。故に苟得を爲さざるなり。死は亦我が惡する所、惡する所死に甚だしき有り。故に患辟(ひ)かざる所有り。如かん、人之欲する所生に甚だしき莫くんば、則ち凡そ以て生を得可き者、何ぞ用ゐざらんや。如かん、人之惡する所死に甚だしき莫くんば、則ち凡そ以て患を辟可き者、何ぞ爲さざらんや。是に由りて則ち生有りて用ゐざる有り。是に由りて則ち患を辟る可くて爲さざる有り。是故に欲する所生に甚だしき有り、惡する所死に甚だしき有り。非獨り賢者之心有り是なり、人皆有り。賢者能く喪はざるのみ。一簞食、一豆羹、之を得れば則ち生き、弗得れば則ち死ぬ。嘑爾(こに)して之と與ふれば、行道之人受けず。蹴爾(しゅくに)して之と與ふれば、乞人屑(せつ)とせず。萬鍾則ち禮義を辯ぜずして之を受く。萬鍾我に於て何の加ふある。爲れ宮室之美、妻妾之奉、所識窮乏者我を得たりと爲すか。鄕(さき)に身を死するに受けざりし、今爲れ宮室之美之を爲す。鄕に身を死するに受けざりし、今爲れ妻妾之奉之を爲す。鄕に身を死するに受けざりし、今爲れ所識窮乏者我を得たりと爲して之を爲す。是れ亦以て已乎可からざるか。此れ之を其の本心を失ふと謂ふ」と。
孟子曰:「仁,人心也;義,人路也。舍其路而弗由,放其心而不知求,哀哉!人有雞犬放,則知求之;有放心,而不知求。學問之道無他,求其放心而已矣。」
孟子曰く、「仁は、人心なり。義は、人路なり。其の路を舍てて由らず、其の心を放して求むるを知らず。哀なる哉。人鷄犬放つ有れば、則ち之を求むるを知る。放心有れば、而して之を求むるを知らず。學問之道他無し、其の放心を求むるのみ」と。
孟子曰:「今有無名之指,屈而不信,非疾痛害事也,如有能信之者,則不遠秦楚之路,為指之不若人也。指不若人,則知惡之;心不若人,則不知惡,此之謂不知類也。」
孟子曰く、「今無名之指有りて、屈して信(の)ばず。非疾痛事を害するなり。如かん、能く之を信する者有れば、則ち秦楚之路を遠と爲さず。指人に不若なるを以てなり。指人に不若なれば、則ち之を惡むるを知る。心人に不若なれば、則ち之を惡むるを知らず。此れ之を類を知らざると謂ふ」と。
孟子曰:「拱把之桐梓,人苟欲生之,皆知所以養之者。至於身,而不知所以養之者,豈愛身不若桐梓哉?弗思甚也。」
孟子曰く、「拱把之桐梓、人苟くも其の生せんと欲すれば、皆知る、所以之を養ふ者。身に至りては、而して所以之を養ふ者を知らず。豈に身を愛する桐梓に不若か。思ふこと弗思甚し」。
孟子曰:「人之於身也,兼所愛。兼所愛,則兼所養也。無尺寸之膚不愛焉,則無尺寸之膚不養也。所以考其善不善者,豈有他哉?於己取之而已矣。體有貴賤,有小大。無以小害大,無以賤害貴。養其小者為小人,養其大者為大人。今有場師,舍其梧檟,養其樲棘,則為賤場師焉。養其一指而失其肩背,而不知也,則為狼疾人也。飲食之人,則人賤之矣,為其養小以失大也。飲食之人無有失也,則口腹豈適為尺寸之膚哉?」
孟子曰く、「人之身に於ては、兼愛する所なり。兼愛する所は、則ち兼養する所なり。尺寸之膚愛する莫き無し。則ち尺寸之膚養ふ莫き無し。所以其の善不善を考するは、豈に他あらんや。己に取るのみ。體貴賤有り、小大有り。小を以て大を害する無かれ。賤を以て貴を害する無かれ。其の小を養ふは小人なり、其の大を養ふは大人なり。今場師有りて、其の梧檟(ごか)を舍てて、其の樲棘(じきょく)を養ふは、則ち賤場師焉(えん)。其一指を養ひて其の肩背を失ふて、而して之を知らざるは、則ち狼疾人なり。飮食之人は、則ち人之賤之矣、其の小を養ひて以て大を失ふを爲す。飮食之人失ふ無ければ、則ち口腹豈に適(てき)尺寸之膚を爲さん哉」と。
公都子問曰:「鈞是人也,或為大人,或為小人,何也?」
公都子問ふて曰く、「鈞(いず)れも是れ人なり。或は大人と爲り、或は小人と爲るは、何ぞや」。
孟子曰:「從其大體為大人,從其小體為小人。」
孟子曰く、「其の大體に從ふは大人なり、其の小體に從ふは小人なり」。
曰:「鈞是人也,或從其大體,或從其小體,何也?」
曰く、「鈞れ是れ人なり。或は其の大體に從ふ、或は其の小體に從ふは、何ぞや」。
曰:「耳目之官不思,而蔽於物,物交物,則引之而已矣。心之官則思,思則得之,不思則不得也。此天之所與我者,先立乎其大者,則其小者弗能奪也。此為大人而已矣。」
曰く、「耳目之官は思はずて、物に蔽はる。物物を交へて、則ち之を引くのみ。心之官は則ち思ふ。思ふれば則ち之を得、不思ふれば則ち不得る。此れ天之我と與ふる所なり。先に其の大者を立てば、則ち其の小者奪ふ能はず。此れ大人已矣」と。
孟子曰:「有天爵者,有人爵者。仁義忠信,樂善不倦,此天爵也;公卿大夫,此人爵也。古之人修其天爵,而人爵從之。今之人修其天爵,以要人爵;既得人爵,而棄其天爵,則惑之甚者也,終亦必亡而已矣。」
孟子曰く、「有り、天爵、有り、人爵。仁義忠信、善を樂しんで倦まず。此れ天爵なり。公卿大夫。此れ人爵なり。古之人其の天爵を修めて、人爵之に從ふ。今之人其の天爵を修めて、以て人爵を要る。既に人爵を得て、而して其の天爵を棄つ。則ち惑甚だしき者也。終亦必ず亡(な)くのみ」と。
孟子曰:「欲貴者,人之同心也。人人有貴於己者,弗思耳。人之所貴者,非良貴也。趙孟之所貴,趙孟能賤之。《詩》云:『既醉以酒,既飽以德。』言飽乎仁義也,所以不願人之膏粱之味也;令聞廣譽施於身,所以不願人之文繡也。」
孟子曰く、「貴を欲するは、人之同心なり。人人己に貴き有り、弗思のみ。人之貴き所は、非良貴なり。趙孟之貴くる所は、趙孟能く之を賤しく。《詩・大雅・既醉》に曰く、「既に酒に醉ひ、既に德に飽く」といふ。言ふ、仁義に飽く、所以人の膏粱之味を願はざるなり。令聞廣譽身に施さる、所以人の文繡を願はざるなり」と。
孟子曰:「仁之勝不仁也,猶水勝火。今之為仁者,猶以一杯水,救一車薪之火也;不熄,則謂之水不勝火,此又與於不仁之甚者也。亦終必亡而已矣。」
孟子曰く、「仁之不仁に勝るは、猶ほ水之火に勝るがごとし。今仁を爲る者は、猶ほ一杯之水を以て車薪之火を救ふがごとし。熄(そく)めざれば、則ち水の火に勝たざるを謂ふ。此れ亦與(くみ)して不仁之甚者を助長す。亦終必ず亡(な)くのみ」と。
孟子曰:「五穀者,種之美者也;苟為不熟,不如荑稗。夫仁亦在乎熟之而已矣。」
孟子曰く、「五穀者は、種之美者也。苟くも熟せざれば、荑稗(ていはい)に如かず。夫れ仁は、亦其の之を熟するに在るのみ」と。
孟子曰:「羿之教人射,必志於彀;學者亦必志於彀。大匠誨人,必以規矩;學者亦必以規矩。」
孟子曰く、「羿之人に敎へて射るは、必ず彀率(こうりつ)に志す。學者亦必ず彀率に志す。大匠人を誨ゆるは、必ず規矩を以てす。學者亦必ず規矩を以てす」と。
告子(こうし)下
任人有問屋廬子曰:「禮與食孰重?」曰:「禮重。」
任人有りて屋廬子に問ふて曰く、「禮と食と孰れか重き」。曰く、「禮重し」。
「色與禮孰重?」曰:「禮重。」
「色と禮と孰れか重き」。曰く、「禮重し」。
曰:「以禮食,則飢而死;不以禮食,則得食,必以禮乎?親迎,則不得妻;不親迎,則得妻,必親迎乎!」
曰く、「禮を以て食すれば、則ち飢ゑて死せん。禮を以てせずして食すれば、則ち食を得ん。必ず禮を以てせん與。親迎するは、則ち妻を得ず。親迎せざるは、則ち妻を得ん。將に親迎せんと與」。
屋廬子不能對,明日之鄒以告孟子。孟子曰:「於答是也何有?不揣其本而齊其末,方寸之木可使高於岑樓。金重於羽者,豈謂一鉤金與一輿羽之謂哉?取食之重者,與禮之輕者而比之,奚翅食重?取色之重者,與禮之輕者而比之,奚翅色重?往應之曰:『紾兄之臂而奪之食,則得食;不紾,則不得食,則將紾之乎?逾東家牆而摟其處子,則得妻;不摟,則不得妻,則將摟之乎?』」
屋廬子對へる能はず。明日鄒に之きて、以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「於答へる是れ、何難か有る。本を揣(し)せずして其の末を齊(き)ふれば、方寸之木可使、岑樓(しんろう)に高からしめん。金羽に重きは、豈に一鉤金と一輿羽とを謂はん哉。食之重きを取りて、禮之輕きと比すれば、奚啻食重きや。色之重きを取りて、禮之輕きと比すれば、奚啻色重きや。往きて之に應へて曰く、「兄之臂を紾(しん)して之の食を奪へば、則ち食を得ん。紾せざれば、則ち食を得ざる。則ち將に之を紾せんと乎。東家之牆を踰えて、其の處子を摟(る)へば、則ち妻を得ん。摟ふるを得ざれば、則ち將に之を摟んと乎」。
曹交問曰:「人皆可以為堯舜,有諸?」
曹交問ふて曰く、「人皆堯舜と爲る可し。有り、是諸」。
孟子曰:「然。」
孟子曰く、「然」。
「交聞文王十尺,湯九尺,今交九尺四寸以長,食粟而已,如何則可?」
「交文王十尺、湯九尺を聞く。今交九尺四寸以て長し。食粟のみ。如何則ち可」。
曰:「奚有於是?亦為之而已矣。有人於此,力不能勝一匹雛,則為無力人矣;今曰舉百鈞,則為有力人矣。然則舉烏獲之任,是亦為烏獲而已矣。夫人豈以不勝為患哉?弗為耳。徐行後長者謂之弟,疾行先長者謂之不弟。夫徐行者,豈人所不能哉?所不為也。堯舜之道,孝弟而已矣。子服堯之服,誦堯之言,行堯之行,是堯而已矣;子服桀之服,誦桀之言,行桀之行,是桀而已矣。」
曰く、「奚ぞ於是有る。亦之を爲すのみ。人有りて此に、力一鷄に勝たざれば、則ち爲無力人矣。今曰く、百鈞を擧ぐ、則ち爲有力人矣。然らば則ち烏獲之任を擧ぐるは、是れ亦爲烏獲而已矣。夫人豈に不勝を以て患と爲せん哉。弗爲のみ。徐行して長者之後を、之を悌と謂ふ。疾行して長者に先んずるを、之を不悌と謂ふ。夫れ徐行者は、豈に人之能はざる所か。所不爲なり。堯舜之道は、孝弟而已矣。子堯之服を服し、堯之言を誦し、堯之行を行ふは、是れ堯而已矣。子桀之服を服し、桀之言を誦し、桀之行を行ふは、是れ桀而已矣」。
曰:「交得見於鄒君,可以假館,願留而受業於門。」
曰く、「交鄒君に見るを得ん。館を假る可き。願はくば留まりて門に於て業を受けん」。
曰:「夫道,若大路然,豈難知哉?人病不求耳。子歸而求之,有餘師。」
曰く、「夫れ道は、若く大路の然り。豈に知る難きや。人病まざるは求めざるのみ。子歸りて之を求むれば、師有餘有らん」。
公孫丑問曰:「高子曰:『《小弁》,小人之詩也。』」
公孫丑問ふて曰く、「高子曰く、「《小弁》は、小人之詩なり」。」
孟子曰:「何以言之?」
孟子曰く、「何以て之を言ふや」。
曰:「怨。」
曰く、「怨むを以て」。
曰:「固哉,高叟之為《詩》也!有人於此,越人關弓而射之,則己談笑而道之;無他,疏之也。其兄關弓而射之,則己垂涕泣而道之;無他,戚之也。小弁之怨,親親也。親親,仁也。固矣夫,高叟之為《詩》也!」
曰く、「固なる哉、高叟之詩を爲す。人有りて此に、越人弓を關(は)げて之を射る。則ち己談笑して之を道ふ。無他、之を疏とするなり。其の兄弓を關げて之を射る。則ち己垂涕泣きて之を道ふ。無他、之を戚とするなり。《小弁》之怨は、親親なり。親親は、仁なり。固なる哉、夫れ高叟之詩を爲す」。
曰:「《凱風》何以不怨?」
曰く、「《凱風》何以て怨まざるや」。
曰:「《凱風》,親之過小者也;《小弁》,親之過大者也。親之過大而不怨,是愈疏也;親之過小而怨,是不可磯也。愈疏,不孝也;不可磯,亦不孝也。孔子曰:『舜其至孝矣,五十而慕。』」
曰く、「《凱風》は、親之過小きなり。《小弁》は、親之過大きなり。親之過大きして怨まざるは、是れ愈疏るなり。親之過小きして怨むは、是れ不可磯(き)なり。愈疏るは、不孝なり。不可磯は、亦不孝なり。孔子曰く、「舜其の至孝に矣、五十して慕ふ」といふ。」
宋牼將之楚,孟子遇於石丘。曰:「先生將何之?」
宋牼(そうけい)將に楚に之かんとす。孟子之を石丘に遇ふ。曰く、「先生將に何の之くや」。
曰:「吾聞秦楚構兵,我將見楚王說而罷之。楚王不悅,我將見秦王說而罷之,二王我將有所遇焉。」
曰く、「吾秦楚交兵するを聞く。吾將に楚王を見て説て兵を罷めしめん。楚王說ばず、吾將に秦王を見て説て兵を罷めしめん。二王吾將に遇ひ有らん」。
曰:「軻也請無問其詳,願聞其指。說之將何如?」
曰く、「軻也請ふ、其の詳を問はず。願はくば其の指を聞かん。將に之を説く如何」。
曰:「我將言其不利也。」
曰く、「我將に曰く、其の不利ならんと」。
曰:「先生之志則大矣,先生之號則不可。先生以利說秦楚之王,秦楚之王悅於利,以罷三軍之師,是三軍之士樂罷而悅於利也。為人臣者懷利以事其君,為人子者懷利以事其父,為人弟者懷利以事其兄。是君臣、父子、兄弟終去仁義,懷利以相接,然而不亡者,未之有也。先生以仁義說秦楚之王,秦楚之王悅於仁義,而罷三軍之師,是三軍之士樂罷而悅於仁義也。為人臣者懷仁義以事其君,為人子者懷仁義以事其父,為人弟者懷仁義以事其兄,是君臣、父子、兄弟去利,懷仁義以相接也。然而不王者,未之有也。何必曰利?」
曰く、「先生之志則ち大なり。先生之號則ち不可。先生利を以て秦楚之王を説けば、秦楚之王利を悅びて、三軍之師を罷めば、是三軍之士樂罷めて利を悅ぶなり。臣と爲る者懷利して以て君に事ふ、子と爲る者懷利して以て父に事ふ、弟と爲る者懷利して以て兄に事ふ。是れ君臣、父子、兄弟終に仁義を去りて、利を懷きて以て相接す。然りて亡ばざるは、未だ之れ有らざるなり。先生仁義を以て秦楚之王を説けば、秦楚之王仁義を悅びて、三軍之師を罷めば、是三軍之士樂罷めて仁義を悅ぶなり。臣と爲る者懷仁義して以て君に事ふ、子と爲る者懷仁義して以て父に事ふ、弟と爲る者懷仁義して以て兄に事ふ。是れ君臣、父子、兄弟利を去りて、仁義を懷きて以て相接す。然りて王たらざるは、未だ之れ有らざるなり。何ぞ必らずも曰ふ、利」。
孟子居鄒,季任為任處守,以幣交,受之而不報。處於平陸,儲子為相,以幣交,受之而不報。他日由鄒之任,見季子;由平陸之齊,不見儲子。屋廬子喜曰:「連得閒矣。」問曰:「夫子之任見季子,之齊不見儲子,為其為相與?」
孟子鄒に居り、季任任に於て守を爲り、幣を以て交はり、之を受けて報ゐず。平陸に居り、儲子相と爲り、幣を以て交はり、之を受けて報ゐず。他日鄒より任に之きて、季子を見る。平陸より齊に之きて、儲子を見ず。屋廬子喜びて曰く、「連間を得たり」。」問ふて曰く、「夫子任に之きて季子を見て、齊に之きて儲子を見ざるは、其の相を爲るを以て乎」。
曰:「非也。《書》曰:『享多儀,儀不及物曰不享,惟不役志於享。』為其不成享也。」
曰く、「非也。《書》に曰く、「享儀に多く、儀物に及ばざるを不享と曰ふ。惟れ其の享に志を役せざるなり」といふ。其の享を成さざるを以てなり」。
屋廬子悅。或問之。屋廬子曰:「季子不得之鄒,儲子得之平陸。」
屋廬子悅ぶ。或之を問ふ。屋廬子曰く、「季子之を鄒に得ず、儲子之を平陸に得る」。
淳于髡曰:「先名實者,為人也;後名實者,自為也。夫子在三卿之中,名實未加於上下而去之,仁者固如此乎?」
淳于髡曰く、「先名實を先とする者は、爲人也。後名實を後とする者は、自爲也。夫子三卿之中に在りて、名實未だ上下に加はらずして之を去るは、仁者固より如此か」。
孟子曰:「居下位,不以賢事不肖者,伯夷也;五就湯,五就桀者,伊尹也;不惡汙君,不辭小官者,柳下惠也。三子者不同道,其趨一也。一者何也?曰:仁也。君子亦仁而已矣,何必同?」
孟子曰く、「下位に居りて、賢を以て不肖に事へざるは、伯夷なり。五湯に就き、五桀に就くは、伊尹なり。汚君を惡まず、小官を辭せざるは、柳下惠なり。三子者道同じからず、其の趨(すみやか)一なり。一者何ぞや。曰く、仁なり。君子亦仁而已矣。何ぞ必らずも同じか」と。
曰:「魯繆公之時,公儀子為政,子柳、子思為臣,魯之削也滋甚。若是乎賢者之無益於國也!」曰:「虞不用百里奚而亡,秦穆公用之而霸。不用賢則亡,削何可得與?」
淳于髡曰く、「魯繆公之時、公儀子政を爲り、子柳、子思臣と爲る。魯之削する滋甚(いよいよはなは)だし。若是乎賢者之無益於國也」。孟子曰く、「虞百里奚を用ゐずして亡ぶ。秦繆公之を用ひて而して霸す。賢を用ゐずんば則ち亡ぶ。削するは何ぞ得可からんや」。
曰:「昔者王豹處於淇,而河西善謳;緜駒處於高唐,而齊右善歌;華周、杞梁之妻善哭其夫,而變國俗。有諸內必形諸外。為其事而無其功者,髡未嘗覩之也。是故無賢者也,有則髡必識之。」
淳于髡曰く、「昔者王豹淇に處りて、而して河西善く謳ふ。緜駒高唐に處りて、而して齊右善く歌ふ。華周、杞梁之妻善く其の夫を哭して、而して國俗を變ふ。有りて諸內、必ず形ひて諸外。其の事を爲りて其の功無きは、髡未だ嘗て之を睹(と)ざるなり。是故に賢者無し。有れば髡必ず之を識らん」。
曰:「孔子為魯司寇,不用,從而祭,燔肉不至,不稅冕而行。不知者以為為肉也。其知者以為為無禮也。乃孔子則欲以微罪行,不欲為苟去。君子之所為,眾人固不識也。」
曰く、「孔子魯司寇と爲る。用ゐられず、祭に從りて、燔肉至らず、稅冕せずして行く。不知者以て肉を爲とす。其の知る者以て無禮を爲とす。乃ち孔子則ち微罪を以て行はんと欲して、簡(か)めて去らんと欲せず。君子之所爲、衆人固より識らざるなり」と。
孟子曰:「五霸者,三王之罪人也;今之諸侯,五霸之罪人也;今之大夫,今之諸侯之罪人也。天子適諸侯曰巡狩,諸侯朝於天子曰述職。春省耕而補不足,秋省斂而助不給。入其疆,土地闢,田野治,養老尊賢,俊傑在位,則有慶,慶以地。入其疆,土地荒蕪,遺老失賢,掊克在位,則有讓。一不朝,則貶其爵;再不朝,則削其地;三不朝,則六師移之。是故天子討而不伐,諸侯伐而不討。五霸者,摟諸侯以伐諸侯者也,故曰:五霸者,三王之罪人也。
孟子曰く、「五霸者は、三王之罪人なり。今之諸侯は、五霸之罪人なり。今之大夫は、今之諸侯之罪人なり。天子諸侯に適くを巡守と謂ひ、諸侯天子に朝くを述職と謂ふ。春に耕を省みて不足を補ひ、秋に斂を省みて不給を助く。其の疆に入りて、土地辟け、田野治まり、老を養ひ賢を尊び、俊傑位に在れば、則ち慶有り。慶地を以てす。其の疆に入りて、土地荒蕪し、老を遺て賢を失ひ、掊克位に在れば、則ち讓有り。一朝せざれば、則ち其の爵を貶め、再び朝せざれば、則ち其の地を削り、三朝せざれば、則ち六師之を移す。是故に天子討して伐たず、諸侯伐して討たず。五霸者は、諸侯を摟(る)きて以て諸侯を伐つ者也。故曰く、五霸者は、三王之罪人なり。」
「五霸,桓公為盛。葵丘之會諸侯,束牲、載書而不歃血。初命曰:『誅不孝,無易樹子,無以妾為妻。』再命曰:『尊賢育才,以彰有德。』三命曰:『敬老慈幼,無忘賓旅。』四命曰:『士無世官,官事無攝,取士必得,無專殺大夫。』五命曰:『無曲防,無遏糴,無有封而不告。』曰:『凡我同盟之人,既盟之後,言歸於好。』今之諸侯,皆犯此五禁,故曰:今之諸侯,五霸之罪人也。
(孟子續けて曰く、)「五霸は、桓公爲れ盛なり。葵丘之會、諸侯に束牲載書して而して血を歃(すす)らず。初命曰く、「不孝を誅し、已立を易ふる無く、妾を以て妻と爲す無かれ」。再命曰く、「賢を尊び才を育才して、以て有德を彰す」。三命曰く、「老を敬し幼を慈しみ、賓客旅を忘るる無かれ」。四命曰く、「士世官無く、官事攝(てふ)無く、士を取るに必ず之を得、大夫を專殺する無かれ」。五命曰く、「曲防無く、遏糴(かくてき)無く、封せて告げざる有る無かれ」。曰く、「凡そ我が同盟之人、旣盟之後、言好に歸す」。今之諸侯、皆此の五禁を犯す。故曰く、今之諸侯は、五霸之罪人なり。」
「長君之惡其罪小,逢君之惡其罪大。今之大夫,皆逢君之惡,故曰:今之大夫,今之諸侯之罪人也。」
(孟子續けて曰く、)「君之惡を長ずるは、其の罪小なり。君之惡を逢(ほう)するは、其の罪大なり。今之大夫、皆君之惡を逢す。故曰く、今之大夫は、今之諸侯之罪人なり」。
魯欲使慎子為將軍。孟子曰:「不教民而用之,謂之殃民。殃民者,不容於堯舜之世。一戰勝齊,遂有南陽,然且不可。」
魯愼子を使して將軍と爲らしめんと欲す。孟子曰く、「民を敎へずて之を用ふるは、是れ之を民を殃(おう)するを謂ふ。民を殃するは、堯舜之世に容れられず。戰ひて齊に勝ちて、遂に南陽有り。然りとて且つ不可」。
慎子勃然不悅曰:「此則滑釐所不識也。」
愼子勃然として悅ばず曰く、「此れ則ち滑釐之識らざる所なり」。
曰:「吾明告子。天子之地方千里;不千里,不足以待諸侯。諸侯之地方百里;不百里,不足以守宗廟之典籍。周公之封於魯,為方百里也;地非不足,而儉於百里。太公之封於齊也,亦為方百里也;地非不足也,而儉於百里。今魯方百里者五,子以為有王者作,則魯在所損乎?在所益乎?徒取諸彼以與此,然且仁者不為,況於殺人以求之乎?君子之事君也,務引其君以當道,志於仁而已。」
曰く、「吾子を明告す。天子之地方千里、千里足らず、不足、以て諸侯を待つ。諸侯之地方百里、百里足らず、不足、以て宗廟之典籍を守る。周公之魯に封ぜらるるは、爲地方百里也。地非不足也、而して百を儉とす。太公之齊に封ぜらるるは、亦爲地方百里也。地非不足也、而して百を儉とす。今魯方百里者五。子以て王者作らん有らば、則ち魯損する所に在る與、益する所に在る與。徒らに彼に取りて以て此と與ふは、仁者爲さず。況んや人を殺して以て之を求めんをや。君子之事君、務めて其の君を引きて以て道に當り、志を仁に於てのみ」。
孟子曰:「今之事君者曰:『我能為君闢土地,充府庫。』今之所謂良臣,古之所謂民賊也。君不鄉道,不志於仁,而求富之,是富桀也。『我能為君約與國,戰必克。』今之所謂良臣,古之所謂民賊也。君不鄉道,不志於仁,而求為之強戰,是輔桀也。由今之道,無變今之俗,雖與之天下,不能一朝居也。」
孟子曰く、「今之事君者曰く、「我能く君を爲に土地を闢き、府庫を充つ」。今之所謂良臣は、古之所謂民賊なり。君鄕(むか)ふ道無く、志を仁に於てせず、而して之を富らしめんを求むるは、是れ桀を富らしむるなり。「我能く君を爲に與國を約結し、戰必ず剋(か)たん」。今之所謂良臣は、古之所謂民賊なり。君鄕ふ道無く、志を仁に於てせず、而して之を爲に強く戰はんを求むるは、是れ桀を輔(ほ)くるなり。今之道に由りて、今之俗を變へざれば、雖し天下を與ふとも、能く一朝に居る能はざるなり」と。
白圭曰:「吾欲二十而取一,何如?」
白圭曰く、「吾二十にして一を取らんと欲す、何如」。
孟子曰:「子之道,貉道也。萬室之國,一人陶,則可乎?」
孟子曰く、「子之道は、貉(まく)道なり。萬室之國、一人陶すれば、則ち可か」。
曰:「不可,器不足用也。」
曰く、「不可、器用に足らざるなり」。
曰:「夫貉,五穀不生,惟黍生之。無城郭、宮室、宗廟、祭祀之禮,無諸侯幣帛饔飧,無百官有司,故二十取一而足也。今居中國,去人倫,無君子,如之何其可也?陶以寡,且不可以為國,況無君子乎?欲輕之於堯舜之道者,大貉小貉也;欲重之於堯舜之道者,大桀小桀也。」
曰く、「夫れ貉は、五穀生ぜず、惟れ黍之生ず。城郭、宮室、宗廟、祭祀之禮無く、諸侯幣帛饔飧(ようそん)無く、百官有司無し。故に二十にして一を取れば以て足り。今也中國に居りて、人倫を去り、君子無ければ、如之何。陶以て寡くて、爲國するに不足、況んや君子無きをや。堯舜之道に輕からんと欲する者は、大貉小貉小貉なり。堯舜之道に重からんと欲する者は、大桀小桀なり」。
白圭曰:「丹之治水也愈於禹。」
白圭曰く、「丹之治水は、禹に愈る」。
孟子曰:「子過矣。禹之治水,水之道也。是故禹以四海為壑,今吾子以鄰國為壑。水逆行,謂之洚水。洚水者,洪水也,仁人之所惡也。吾子過矣。」
孟子曰く、「子過矣。禹之治水は、水之道なり。是故に禹四海を以て壑と爲す。今吾子鄰國を以て壑と爲す。水逆行するを之を洚水と謂ふ。洚水者は、洪水なり。仁人之惡む所なり。吾子過矣」と。
孟子曰:「君子不亮,惡乎執?」
孟子曰く、「君子亮(あき)らかならざれば、惡に在りて執らんや」。
魯欲使樂正子為政。
魯樂正子を使して政を爲らしめんと欲す。
孟子曰:「吾聞之,喜而不寐。」
孟子曰く、「吾之を聞く、喜びて寐(ね)らず」。
公孫丑曰:「樂正子強乎?」曰:「否。」
公孫丑曰く、「樂正子強か」。曰く、「否」。
「有知慮乎?」曰:「否。」
「有知慮か」。曰く、「否」。
「多聞識乎?」曰:「否。」
「多聞識か」。曰く、「否」。
「然則奚為喜而不寐?」曰:「其為人也好善。」
「然らば則ち奚ぞ喜びて寐らざるを爲すや」。曰く、「其の人を爲るや、善を好む」。「善を好む則ち足る乎」。曰く、「善を好むは、天下に優るに足る。而る況んや魯國をや。夫れ苟くも善を好めば、則ち四海之內、皆將輕千里而來して、之を告げて以て善と爲す。夫れ苟くも善を好まざれば、則ち人將に曰く、「訑訑(いい)予既に之を知れり」。訑訑之聲音顏色は、人を千里之外に距(しりぞ)く。士千里之外に止まれば、則ち讒諂面諛之人至らん。讒諂面諛之人と居るは、國治まらんと欲すれば、可得乎」。
「好善足乎?」曰:「好善優於天下,而況魯國乎?夫苟好善,則四海之內,皆將輕千里而來告之以善。夫苟不好善,則人將曰:『訑訑,予既已知之矣。』訑訑之聲音顏色,距人於千里之外。士止於千里之外,則讒諂面諛之人至矣。與讒諂面諛之人居,國欲治,可得乎?」
陳子曰く、「古之君子何如則ち仕ふ」。
陳子曰:「古之君子何如則仕?」
孟子曰く、「所就三、所去三。之を迎へて致敬し有禮して、將に其の言を行はんと言へば、則ち就く。禮貌未だ衰へずして、言弗行けば、則ち去る。其の次、雖し未だ其の言を行はず、之を迎へて致敬し有禮すれば、則ち就く。禮貌衰へば、則ち去る。其の下、朝食はず、夕食はず、飢餓して門戶を出づる能はず。君之を聞きて曰く、「吾大なるは其の道を行ふ能はず、又其の言に從ふ能はず。使ふ、吾土地に於て餒ゑしむ。我之を恥づ」といふ。周(たす)くれば、亦以て受く可し、死を免るのみ」。
孟子曰:「所就三,所去三。迎之致敬以有禮,言將行其言也,則就之;禮貌未衰,言弗行也,則去之。其次,雖未行其言也,迎之致敬以有禮,則就之;禮貌衰,則去之。其下,朝不食,夕不食,飢餓不能出門戶。君聞之曰:『吾大者不能行其道,又不能從其言也,使飢餓於我土地,吾恥之。』周之,亦可受也,免死而已矣。」
孟子曰く、「舜畎畝之中に發す、傅說版築之間に擧げられ、膠鬲魚鹽之中に擧げられ、管夷吾士に擧げられ、孫叔敖海に擧げられ、百里奚市に擧げられらる。故に天將に大任を是人也に降さんとするは、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を勞し、其の體膚を餒ゑしめ、其の身を空乏して、行ふ其の爲する所を拂亂(ふつらん)す。所以其の心を動かし其の性を忍ばしめ、其の能はざる所を曾(ぞう)益せんとす。人恒過ふて、然る後改むる能し。心に困し、慮に衡(こう)せて、然る後作す。色に徵(あら)はれ、聲に發して、然る後喩(さと)る。入れば則ち法家拂士無く、出れば則ち敵國外患無ければ、國恒亡ぶ。然る後知る、憂患に生まれて、安樂に死するを」。
孟子曰:「舜發於畎畝之中,傅說舉於版築之閒,膠鬲舉於魚鹽之中,管夷吾舉於士,孫叔敖舉於海,百里奚舉於市。故天將降大任於是人也,必先苦其心志,勞其筋骨,餓其體膚,空乏其身,行拂亂其所為,所以動心忍性,曾益其所不能。人恆過,然後能改;困於心,衡於慮,而後作;徵於色,發於聲,而後喻。入則無法家拂士,出則無敵國外患者,國恆亡。然後知生於憂患而死於安樂也。」
孟子曰く、「敎亦多術なり。予之を誨ゆるを屑(せつ)とせざるは、是れ亦之を誨ゆる而已矣」。
孟子曰:「教亦多術矣,予不屑之教誨也者,是亦教誨之而已矣。」
盡心(じんしん)上
孟子曰く、「其の心を盡すは、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を知るなり。其の心を存して、其の性を養ふは、所以天に事ふるなり。殀壽貳(たが)へず、身を修めて以て之を俟つは、所以立命するなり」と。
孟子曰:「盡其心者,知其性也。知其性,則知天矣。存其心,養其性,所以事天也。殀壽不貳,修身以俟之,所以立命也。」
孟子曰く、「莫非命也。順に其の正を受く。是故に命を知る者は、乎巖牆(がんしょう)之下に立たず。其の道を盡して死する者は、正命なり。桎梏(しっこく)に死する者は、非正命なり」と。
孟子曰:「莫非命也,順受其正。是故知命者,不立乎巖牆之下。盡其道而死者,正命也。桎梏死者,非正命也。」
孟子曰く、「求めれば則ち之を得、舍すれば則ち之を失ふ。是れ求有益於得なり、求在我者也。求之道有り、得之命有り。是れ求無益於得なり、求在外者也」と。
孟子曰:「求則得之,舍則失之,是求有益於得也,求在我者也。求之有道,得之有命,是求無益於得也,求在外者也。」
孟子曰く、「萬物皆我に備はれり。身に反りて誠なれば、樂莫大なり。恕を強(し)ひて行ふは、仁を求むるに近き莫し」と。
孟子曰:「萬物皆備於我矣。反身而誠,樂莫大焉。強恕而行,求仁莫近焉。」
孟子曰く、「行して著(ちゃく)せず、習して察せず、終身之に由りて其の道を知らざる者は、衆なり」と。
孟子曰:「行之而不著焉,習矣而不察焉,終身由之而不知其道者,眾也。」
孟子曰く、「人恥無かる可からず。恥之恥無きは、恥無き矣」。
孟子曰:「人不可以無恥。無恥之恥,無恥矣。」
孟子曰く、「恥之人に於ては大なり。機變之巧を爲る者は、恥を用ふる无所。人に恥ぢず不及には、何若く人に如かん哉」。
孟子曰:「恥之於人大矣。為機變之巧者,無所用恥焉。不恥不若人,何若人有?」
孟子曰く、「古之賢王は、善を好んで而して其の勢を忘る。古之賢士何ぞ獨り然らざらん。其の道を樂しんで而して人之勢を忘る。故に王公致敬して盡禮せざれば、則ち得て亟(しばしば)之を見る可からず。見る且つ亟く得ず、而る況んや得て臣と爲る可きをや」と。
孟子曰:「古之賢王好善而忘勢,古之賢士何獨不然?樂其道而忘人之勢。故王公不致敬盡禮,則不得亟見之。見且猶不得亟,而況得而臣之乎?」
孟子宋句踐(そうこうせん)に謂ひて曰く、「子遊を好む乎。吾子を語らん、遊を。人知れば、亦囂囂(ごうごう)。人不知れば、亦囂囂」。
孟子謂宋句踐曰:「子好遊乎?吾語子游。人知之,亦囂囂;人不知,亦囂囂。」
曰く、「何如斯れば、以て囂囂乎矣」。
曰:「何如斯可以囂囂矣?」
曰く、「德を尊び義を樂しめば、則ち以て囂囂矣。故に士窮して義を失はず、達して道を離れず。窮して義を失はざれば、斯に士己を得たり。達して道を離れざれば、斯に民失望せず。古之人、志を得れば、民に澤を加へ、志を得ざれば、身を修めて世に見(あら)はる。窮すれば則ち其の身を獨善し、達すれば則ち兼ねて天下を善くす」。
曰:「尊德樂義,則可以囂囂矣。故士窮不失義,達不離道。窮不失義,故士得己焉;達不離道,故民不失望焉。古之人,得志,澤加於民;不得志,修身見於世。窮則獨善其身,達則兼善天下。」
孟子曰く、「文王を待ちて而る後興る者は、凡民なり。若し夫れ豪杰之士は、雖し文王無く、猶ほ興る」と。
孟子曰:「待文王而後興者,凡民也。若夫豪傑之士,雖無文王猶興。」
孟子曰く、「韓魏之家を以て之に附(ふ)ぎて、如く其の自視して欿然(かんぜん)とすれば、則ち人に過ぐる遠し矣」。
孟子曰:「附之以韓魏之家,如其自視欿然,則過人遠矣。」
孟子曰く、「佚(いつ)道を以て民を使ふは、雖し勞して怨まず。生道を以て民を殺すは、雖し死して殺する者を怨まず」と。
孟子曰:「以佚道使民,雖勞不怨;以生道殺民,雖死不怨殺者。」
孟子曰く、「霸者之民は、驩虞(かんぐ)如なり。王者之民は、皞皞(こうこう)如也。之を殺して怨まず、之を利して庸(とう)とせず。民日善に遷りて、之を爲す者を知らず。夫れ君子之過る所は化し、存る所は神、上下天地と流れを同じくす。豈に曰ふ、小補なる哉」。
孟子曰:「霸者之民,驩虞如也;王者之民,皞皞如也。殺之而不怨,利之而不庸,民日遷善而不知為之者。夫君子所過者化,所存者神,上下與天地同流,豈曰小補之哉?」
孟子曰く、「仁言は、仁聲之入るに人深しに如かず。善政は、善教之民を得るに如かず。善政は民之を畏(い)む、善教は民之を愛す。善政は民之財を得、善教は民之心を得」と。
孟子曰:「仁言,不如仁聲之入人深也。善政,不如善教之得民也。善政民畏之,善教民愛之;善政得民財,善教得民心。」
孟子曰く、「人之學ばずて能くする所は、其の良能なり。慮へらずて知る所は、其の良知なり。孩提之童、知る其の親を愛する無し。其の長ずるに及びて、知る其の兄を敬する無し。親親は、仁なり。長を敬するは、義なり。無他、之を天下に達するなり」と。
孟子曰:「人之所不學而能者,其良能也;所不慮而知者,其良知也。孩提之童,無不知愛其親者;及其長也,無不知敬其兄也。親親,仁也;敬長,義也。無他,達之天下也。」
孟子曰く、「舜之深山に居るに、木石と居り、鹿豕と遊ぶ。其の所以深山之野人に異なるは、幾希。其の一善言を聞き、一善行を見るに及びて、若く江河を決るがごとし、沛然として能く禦(ふせ)ぐ莫きなり」と。
孟子曰:「舜之居深山之中,與木石居,與鹿豕遊,其所以異於深山之野人者幾希。及其聞一善言,見一善行,若決江河,沛然莫之能御也。」
孟子曰く、「其の爲す所を爲す無く、其の欲する所を欲する無く。如此而已矣」。
孟子曰:「無為其所不為,無慾其所不欲,如此而已矣。」
孟子曰く、「人之德慧術知有るは、恒存乎(こ)疢疾(ちんしつ)。獨り孤臣孽子、其の操心危く、その慮患深きは、故に達す」と。
孟子曰:「人之有德慧術知者,恆存乎疢疾。獨孤臣孽子,其操心也危,其慮患也深,故達。」
孟子曰く、「有り、事君人者是れ、事是之君は則ち容悅を爲とする者也。有り、安社稷臣者是れ、以て社稷を安んずるを悅と爲する者也。有り、天民者是れ、達して行ふ可き天下に於て而る後之を行ふ者也。有り、大人者是れ、己を正して而して物正しき者也」と。
孟子曰:「有事君人者,事是君則為容悅者也。有安社稷臣者,以安社稷為悅者也。有天民者,達可行於天下而後行之者也。有大人者,正己而物正者也。」
孟子曰く、「君子三樂有りて、而して天下に王たるは存せず。父母俱に存り、兄弟無故、一樂也。仰ぎて天に愧ぢず、俯して人に怍(さく)ぢず、二樂也。天下英才を得て之を敎育する、三樂也。君子三樂有りて、而して天下に王たるは存せず」と。
孟子曰:「君子有三樂,而王天下不與存焉。父母俱存,兄弟無故,一樂也。仰不愧於天,俯不怍於人,二樂也。得天下英才而教育之,三樂也。君子有三樂,而王天下不與存焉。」
孟子曰く、「廣土衆民、君子之を欲する、所樂存せず。中天下に立ち、四海之民を定むるは、君子之を樂しむ、所性存せず。君子之性は、雖し大行加はらず、雖し窮居損せず。分を定むる故なり。君子之性は、仁義禮智心に根づく。其の生色なるは、睟然(すいぜん)として面に見え、背に盎(あう)として、四體に施さる。四體言はずして喩(さと)るなり」と。
孟子曰:「廣土眾民,君子欲之,所樂不存焉。中天下而立,定四海之民,君子樂之,所性不存焉。君子所性,雖大行不加焉,雖窮居不損焉,分定故也。君子所性,仁義禮智根於心。其生色也,睟然見於面,盎於背,施於四體,四體不言而喻。」
孟子曰く、「伯夷紂を辟けて、北海之濱に居りて、文王之作すを聞きて、作して曰く、「盍ぞ歸乎來る。吾西伯之善く老を養ふを聞く」と。太公紂を辟けて、東海之濱に居りて、文王之作すを聞きて、作して曰く、「盍ぞ歸乎來る。吾西伯之善く老を養ふを聞く」と。天下善く老を養ふ有れば、則ち仁人以て己の歸と爲すなり。五畝之宅、牆下に樹するに桑を以てし、匹婦之を蠶(かいこ)せば、則ち老者以て帛を衣るに足る。五母鷄、二母彘、其の時を失ふ無くれば、老者以て肉を失ふ無きに足る。百畝之田、匹夫之を耕せば、八口之家以て飢ゑ無きに足る。所謂西伯善く老を養ふ者は、其の田里を制して、之を敎ふるに樹畜を以てし、其の妻子を導きて、之を使して老を養はしめん。五十帛に非ざれば煖(あたた)かならず、七十肉に非ざれば飽かず。不煖不飽は、之を凍餒(とうだい)と謂ふ。文王之民凍餒之老者無し。此れ之を謂ふ也」。
孟子曰:「伯夷闢紂,居北海之濱,聞文王作興,曰:『盍歸乎來!吾聞西伯善養老者。』太公闢紂,居東海之濱,聞文王作興,曰:『盍歸乎來!吾聞西伯善養老者。』天下有善養老,則仁人以為己歸矣。五畝之宅,樹牆下以桑,匹婦蠶之,則老者足以衣帛矣。五母雞,二母彘,無失其時,老者足以無失肉矣。百畝之田,匹夫耕之,八口之家足以無飢矣。所謂西伯善養老者,制其田裡,教之樹畜,導其妻子,使養其老。五十非帛不煖,七十非肉不飽。不煖不飽,謂之凍餒。文王之民,無凍餒之老者,此之謂也。」
孟子曰く、「其の田疇を易し、其の税斂を薄くするは、民可使富まらしむ。時を以て食み、禮を以て用ふれば、財用ふる勝(あ)げざるなり。民水火に非ざれば生活せず。昏暮人の門戶を叩きて、水火を求めて、弗(ふつ)與ふ無きは、至足ざる故なり。聖人天下を治めて、菽粟水火の如くせしめん。菽粟水火の如ければ、民焉んぞ不仁有らん哉」と。
孟子曰:「易其田疇,薄其稅斂,民可使富也。食之以時,用之以禮,財不可勝用也。民非水火不生活,昏暮叩人之門戶,求水火,無弗與者,至足矣。聖人治天下,使有菽粟如水火。菽粟如水火,而民焉有不仁者乎?」
孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を觀る者は、水を言ふに難し。聖人之門に遊ぶ者は、言を爲るに難し。水を觀るに術有り。必ず其の瀾を觀る。日月明有れば、容光必ず焉(あ)る。流水の物と爲るは、科(か)を盈たさざれば、行かざるなり。君子之道に於て成章するは、達せざるなり」。
孟子曰:「孔子登東山而小魯,登太山而小天下。故觀於海者難為水,遊於聖人之門者難為言。觀水有術,必觀其瀾。日月有明,容光必照焉。流水之為物也,不盈科不行;君子之志於道也,不成章不達。」
孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を觀る者は、水を言ふに難し。聖人之門に遊ぶ者は、言を爲るに難し。水を觀るに術有り。必ず其の瀾を觀る。日月明有れば、容光必ず焉(あ)る。流水の物と爲るは、科(か)を盈たさざれば、行かざるなり。君子之道に於て志するは、成章せざるに至らず、達せざるなり」。
孟子曰:「雞鳴而起,孳孳為善者,舜之徒也。雞鳴而起,孳孳為利者,蹠之徒也。欲知舜與蹠之分,無他,利與善之閒也。」
孟子曰く、「鷄鳴して起き、孳孳(しし)善を爲る者は、舜之徒なり。鷄鳴して起き、孳孳利を爲る者は、跖(せき)之徒なり。舜と跖と之分を知らんと欲するは、無他、利と善と之間なり」。
孟子曰:「楊子取為我,拔一毛而利天下,不為也。墨子兼愛,摩頂放踵利天下,為之。子莫執中,執中為近之,執中無權,猶執一也。所惡執一者,為其賊道也,舉一而廢百也。」
孟子曰く、「楊子我を爲に取る。一毛を拔きて天下を利すとも、不爲なり。墨子兼愛。頂を摩して踵(しょう)に放たれて天下を利すは、之を爲す。子莫中を執(と)る。中を執るは、之を近と爲す。中を執て權無きは、猶ほ一を執る者なり。一を執るを惡む所以は、其の道を賊して、一を擧げて百を廢するなり」。
孟子曰:「飢者甘食,渴者甘飲,是未得飲食之正也,飢渴害之也。豈惟口腹有飢渴之害?人心亦皆有害。人能無以飢渴之害為心害,則不及人不為憂矣。」
孟子曰く、「飢者は之を食を甘しと爲し、渴者は之を飮を甘しと爲す。是れ飮食之正を得ざるなり、飢渴之害なり。人惟れ飢渴の其の心を害する無からば、則ち人に不及なるを以て憂と爲さざる可し」。
孟子曰:「柳下惠不以三公易其介。」
孟子曰く、「柳下惠三公を以て其の介を易へず」と。
孟子曰:「有為者闢若掘井,掘井九軔而不及泉,猶為棄井也。」
孟子曰く、「爲る者有りて、辟(あ)く井九轫(じん)を掘て、泉に及ばずと雖も、猶ほ棄井を爲すなり」。
孟子曰:「堯舜,性之也;湯武,身之也;五霸,假之也。久假而不歸,惡知其非有也。」
孟子曰く、「堯舜は、性之なり。湯武は、身之なり。五霸は、假(か)るなり。久假して歸らざれば、惡に在りて其の非有を知らんや」。
公孫丑曰:「伊尹曰:『予不狎於不順。』放太甲於桐,民大悅。太甲賢。又反之,民大悅。賢者之為人臣也,其君不賢,則固可放與?」
公孫丑曰く、「伊尹曰く、「予不狎(せつ)于不順」。太甲を桐に放つて、民大いに悅ぶ。太甲賢にして、又之を反らせば、民大いに悅ぶ。賢者之臣を爲るや、其の君賢ならざれば、則ち固より放す可きか」。
孟子曰:「有伊尹之志,則可;無伊尹之志,則篡也。」
孟子曰く、「伊尹之志有れば、則ち可。伊尹之志無ければ、則ち篡なり」。
公孫丑曰:「《詩》曰:『不素餐兮』,君子之不耕而食,何也?」
公孫丑曰く、「《詩・魏風・伐檀》に曰く、「素餐せず不白り」。君子之耕せずして食ふは、何ぞや」。
孟子曰:「君子居是國也,其君用之,則安富尊榮;其子弟從之,則孝弟忠信。『不素餐兮』,孰大於是?」
孟子曰く、「君子是之國に居りて、其の君之を用ゐれば、則ち安富尊榮。其の子弟之に從へば、則ち孝悌忠信。「素餐せず不白り」、孰れか大於是」。
王子墊問曰:「士何事?」
王子墊問ふて曰く、「士何事」。
孟子曰:「尚志。」
孟子曰く、「志を尚(たか)くす」。
曰:「何謂尚志?」
曰く、「何を以て志を尚くするを謂らんや」。
曰:「仁義而已矣。殺一無罪,非仁也;非其有而取之,非義也。居惡在?仁是也;路惡在?義是也。居仁由義,大人之事備矣。」
曰く、「仁義而已矣。一無罪を殺すは、非仁なり。其の有る所に非ざりて之を取るは、非義なり。居惡に在る。仁なり。由惡に在る。義なり。居仁に居り義に由るは、大人之事備はれり」。
孟子曰:「仲子,不義與之齊國而弗受,人皆信之,是舍簞食豆羹之義也。人莫大焉亡親戚、君臣、上下。以其小者信其大者,奚可哉?」
孟子曰く、「仲子は、不義と之齊國と與へて受けず。人皆之を信す。是れ舍簞食豆羹之義を爲すなり。人大なる、亡(な)く親戚君臣上下。其の小者を以て其の大者を信ずるは、奚ぞ可きや」。
桃應問曰:「舜為天子,皋陶為士,瞽瞍殺人,則如之何?」
桃應問ふて曰く、「舜天子と爲り、皐陶士と爲り、瞽瞍人を殺さば、則ち如之何」。
孟子曰:「執之而已矣。」
孟子曰く、「之を執へる而已矣」。
「然則舜不禁與?」
「然らば則ち舜禁めず與」。
曰:「夫舜惡得而禁之?夫有所受之也。」
曰く、「夫れ舜惡に在りて得て之を禁めんや。夫れ有所受之矣」。
「然則舜如之何?」
「然らば則ち舜如之何」。
曰:「舜視棄天下,猶棄敝蹝也。竊負而逃,遵海濱而處,終身訢然,樂而忘天下。」
曰く、「舜棄天下を視ること、猶ほ敝蹝(へいし)を棄つるがごとし。竊みて之を負ぎて逃ぐ。海濱に遵(したが)ひて處り、終身訢然(きんぜん)として、樂びて天下を忘る」。
孟子自範之齊,望見齊王之子。喟然嘆曰:「居移氣,養移體,大哉居乎!夫非盡人之子與?」
孟子范より齊に之きて、齊王之子を望見して、喟然として嘆じて曰く、「居氣を移し、養體を移す。大なる哉、居乎。夫れ盡く人の子に非ざらんや」。
孟子曰:「王子宮室、車馬、衣服多與人同,而王子若彼者,其居使之然也;況居天下之廣居者乎?魯君之宋,呼於垤澤之門。守者曰:『此非吾君也,何其聲之似我君也?』此無他,居相似也。」
孟子曰く、「王子宮室、車馬、衣服、多く人と同じくして、而して王子若彼なるは、其の居之然らしむるなり。況んや天下之廣居に居る者をや。魯君宋に之きて、垤澤之門に呼ぶ。守る者曰く、「此れ非吾君也。何其聲之吾君に似たるや」。此れ無他、居相似なり」。
孟子曰:「食而弗愛,豕交之也;愛而不敬,獸畜之也。恭敬者,幣之未將者也。恭敬而無實,君子不可虛拘。」
孟子曰く、「食して愛せざるは、豕之を交るなり。愛して敬せざるは、獸之を畜ふなり。恭敬は、幣帛未だ將ぜざる者也。恭敬して實無ければ、君子虚文を以て拘ふ可からざるなり」。
孟子曰:「形色,天性也;惟聖人,然後可以踐形。」
孟子曰く、「形色は、天性なり。惟れ聖人、然る後以て形を踐(せん)す可し」。
齊宣王欲短喪。公孫丑曰:「為朞之喪,猶愈於已乎?」
齊宣王喪を短かくせんと欲す。公孫丑曰く、「一期之喪を爲るは、猶ほ已に愈る與」。
孟子曰:「是猶或紾其兄之臂,子謂之姑徐徐云爾,亦教之孝弟而已矣。」
孟子曰く、「是れ猶ほ或は其の兄之臂を紾(しん)する、子之を謂ひて姑徐云々、亦之を敎ふるに孝悌を以て已矣」。
王子有其母死者,其傅為之請數月之喪。公孫丑曰:「若此者,何如也?」
王子其の母死する有りて、其の傅之を爲に數月之喪を請ふ。公孫丑曰く、「若此者何如」。
曰:「是欲終之而不可得也。雖加一日愈於已,謂夫莫之禁而弗為者也。」
孟子曰く、「是れ其の終喪せんと欲するを得ざるなり。雖し加一日も已に愈る。謂ひ、夫れ莫之禁して弗爲する者なり」。
孟子曰:「君子之所以教者五:有如時雨化之者,有成德者,有達財者,有答問者,有私淑艾者。此五者,君子之所以教也。」
孟子曰く、「君子之所敎ふる者五。有り、如時雨之化する、有り、其の德を成す、有り、其の材を達する、有り、問を答ふ、有り、私淑艾(ししゅくあい)。此の五者は、君子之所以敎ふる也」。
公孫丑曰:「道則高矣,美矣,宜若登天然,似不可及也。何不使彼為可幾及而日孳孳也?」
公孫丑曰く、「道則ち高矣美矣、宜なり若登天似(たり)、似たり不可及也。何ぞ彼をして爲幾而日孳孳たらしめざるや」。
孟子曰:「大匠不為拙工改廢繩墨,羿不為拙射變其彀率。君子引而不發,躍如也。中道而立,能者從之。」
孟子曰く、「大匠拙工を爲に廢繩墨を改めず、羿拙射を爲に其の彀率を變へず。君子引發して發せず、躍如なり。中道立ちて、能くする者之に從ふ」。
孟子曰:「天下有道,以道殉身;天下無道,以身殉道。未聞以道殉乎人者也。」
孟子曰く、「天下道有れば、以て道身に殉ず。天下道無ければ、以て身道に殉ず。未だ聞かず、以て道人に殉ずるを」。
公都子曰:「滕更之在門也,若在所禮。而不答,何也?」
公都子曰く、「滕更之門に在るは、宜なり若在所禮之中、而して答へざるは、何ぞや」。
孟子曰:「挾貴而問,挾賢而問,挾長而問,挾有勳勞而問,挾故而問,皆所不答也。滕更有二焉。」
孟子曰く、「挾貴に挾きて問ふ、挾賢に挾きて問ふ、挾長に挾きて問ふ、挾有勳勞に挾きて問ふ、挾故に挾きて問ふ。皆答へざる所なり。滕更二有り」。
孟子曰:「於不可已而已者,無所不已;於所厚者薄,無所不薄也。其進銳者,其退速。」
孟子曰く、「不可已に於て已すれば、所不已無し。於厚に於て薄ければ、所不薄無し。其の進銳するは、其の退速きなり」。
孟子曰:「君子之於物也,愛之而弗仁;於民也,仁之而弗親。親親而仁民,仁民而愛物。」
孟子曰く、「君子之於物、之を愛して弗仁なり。之於民、之を仁して弗親なり。親親而して民を仁し、民を仁して物を愛す」。
孟子曰:「知者無不知也,當務之為急;仁者無不愛也,急親賢之為務。堯舜之知而不遍物,急先務也;堯舜之仁不遍愛人,急親賢也。不能三年之喪,而緦小功之察;放飯流歠,而問無齒決,是之謂不知務。」
孟子曰く、「知者無不知也。當務之爲急を務とす。仁者無不愛也。急に親賢之爲務を務とす。堯舜之知、而不徧物。急先務なり。堯舜之仁、不徧愛人。急親賢なり。三年之喪を行ふ能はずして、總功之察を行ひ、飯糗飲流して、齒決之問を行ふは、是れ之を不知務と謂ふ」。
盡心(じんしん)下
孟子曰:「不仁哉,梁惠王也!仁者以其所愛及其所不愛,不仁者以其所不愛及其所愛。」
孟子曰く、「不仁なる哉、梁惠王也。仁者其の愛する所を以て、其の愛せざる所に及す。不仁者其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及す」。
公孫丑問曰:「何謂也?」
公孫丑問ふて曰く、「何の謂ぞや」。
「梁惠王以土地之故,糜爛其民而戰之,大敗,將復之,恐不能勝,故驅其所愛子弟以殉之,是之謂以其所不愛及其所愛也。」
「梁惠王土地之故を以て、其の民を糜爛して之を戰はしむ。大敗、將に復戰はんとす。恐れ、勝つ能はざるを。故に其の愛する所之子弟を驅りて以て之を殉せしむ。是れ之を其の愛せざる所を以て其の愛する所に及すと謂ふ」。
孟子曰:「《春秋》無義戰。彼善於此,則有之矣。徵者上伐下也,敵國不相徵也。」
孟子曰く、「《春秋》義戰無し。彼此に善くするは、則ち之れ有り。征者は、上之伐下なり。敵國不相征也」。
孟子曰:「盡信《書》,則不如無《書》。吾於《武成》,取二三策而已矣。仁人無敵於天下。以至仁伐至不仁,而何其血之流杵也?」
孟子曰く、「盡く《書》を信ぜば、則ち《書》無きに如かず。吾《武成》に於ては、二三策を取る而已矣。仁人天下に敵無し。以至仁不仁を伐つて、而して何其血之杵を漂すや」。
孟子曰:「有人曰:『我善為陳,我善為戰。』大罪也。國君好仁,天下無敵焉。南面而征北狄怨,東面而征西夷怨。曰:『奚為後我?』武王之伐殷也,革車三百兩,虎賁三千人。王曰:『無畏!寧爾也,非敵百姓也。』若崩厥角稽首。徵之為言正也,各欲正己也,焉用戰?」
孟子曰く、「人有りて曰く、「我善く陳を爲り、我善く戰を爲る」、大罪なり。國君仁を好めば、天下敵無し。南面して北狄を征して怨み、東面して西夷を征して怨む。曰く、「奚ぞ以我を後にせんや」。武王之殷を伐つや、革車三百兩、虎賁三千人。王曰く、「畏(おそ)るる無かれ、寧爾也。非敵百姓也」。若く崩厥角(ほうけつかく)稽首す。征之爲言は、正なり。各己を正せんと欲す、焉んぞ戰を用ゐん哉」。
孟子曰:「梓匠輪輿能與人規矩,不能使人巧。」
孟子曰く、「梓匠輪輿、能く人と與ふるに規矩を以てす。能く人をして巧ならしむる能はず」。
孟子曰:「舜之飯糗茹草也,若將終身焉;及其為天子也,被袗衣,鼓琴,二女果,若固有之。」
孟子曰く、「舜之飯糗(はんきゅう)茹草(じょそう)する也、若く將に終身焉る。其の天子と爲るに及びて、袗衣(しんい)を被り、琴を鼓し、二女果(か)たりて、若く固有するなり」。
孟子曰:「吾今而後知殺人親之重也:殺人之父,人亦殺其父;殺人之兄,人亦殺其兄。然則非自殺之也,一閒耳。」
孟子曰く、「吾今而して後、人の親を殺す之重きを知る。人の父を殺すは、人亦其の父を殺す。人の兄を殺すは、人亦其の兄を殺す。然らば則ち非自殺之也、一間耳」。
孟子曰:「古之為關也,將以御暴。今之為關也,將以為暴。」
孟子曰く、「古之爲關は、將以て暴を禦がんとす。今之爲關は、將以て暴を爲さんとす」。
孟子曰:「身不行道,不行於妻子;使人不以道,不能行於妻子。」
孟子曰く、「身道を行はざれば、妻子に於て行はれず。人を使ふに道を以てせざれば、妻子に於て行はれず」。
孟子曰:「周於利者,凶年不能殺;周於德者,邪世不能亂。」
孟子曰く、「利を周する者は、凶年能く殺さざるなり。德を周する者は、邪世能く亂さざるなり」。
孟子曰:「好名之人,能讓千乘之國;苟非其人,簞食豆羹見於色。」
孟子曰く、「名を好む者は、千乘之國を讓る可し。苟くも其人に非ざれば、簞食豆羹色に見(あら)はる」。
孟子曰:「不信仁賢,則國空虛。無禮義,則上下亂。無政事,則財用不足。」
孟子曰く、「仁賢を信せざれば、則ち國空虚す。禮義無ければ、上下亂る。政事無ければ、財用足らず」。
孟子曰:「不仁而得國者,有之矣;不仁而得天下,未之有也。」
孟子曰く、「不仁して國を得るは、之諸有り。不仁して天下を得るは、未だ之れ有らざるなり」。
孟子曰:「民為貴,社稷次之,君為輕。是故得乎丘民而為天子,得乎天子為諸侯,得乎諸侯為大夫。諸侯危社稷,則變置。犧牲既成,粢盛既潔,祭祀以時,然而旱乾水溢,則變置社稷。」
孟子曰く、「民を貴と爲し、社稷之を次に爲し、君を輕と爲す。是故に丘民を得て天子と爲り、天子を得て諸侯と爲り、諸侯を得て大夫と爲る。諸侯社稷を危くすれば、則ち變置す。犧牲既に成り、粢盛既に絜(せつ)く、祭祀時を以てす。然りと雖も旱乾水溢すれば、則ち社稷を變置す」と。
孟子曰:「聖人,百世之師也,伯夷、柳下惠是也。故聞伯夷之風者,頑夫廉,懦夫有立志;聞柳下惠之風者,薄夫敦,鄙夫寬。奮乎百世之上。百世之下,聞者莫不興起也。非聖人而能若是乎,而況於親炙之者乎?」
孟子曰く、「聖人は、百世之師なり。伯夷、柳下惠是れ也。故に伯夷之風を聞くは、頑夫廉に、懦夫立志有り。柳下惠之風を聞くは、薄夫敦く、鄙夫寬し。百世之上に奮ひて、百世之下、聞く者興らざる莫し。非聖人、而能く若是乎。況んや炙を親しみせる者をや」と。
孟子曰:「仁也者,人也。合而言之,道也。」
孟子曰く、「仁也者は、人也。合して之を言ふは、道なり」。
孟子曰:「孔子之去魯,曰:『遲遲吾行也。』去父母國之道也。去齊,接淅而行,去他國之道也。」
孟子曰く、「孔子之魯を去るに曰く、「遲遲吾行るなり」。父母國を去る道なり。齊を去るに淅を接して行く。他國を去る之道なり」。
孟子曰:「君子之戹於陳蔡之閒,無上下之交也。」
孟子曰く、「君子之陳蔡之間に於て阨するは、上下之交無きなり」。
貉稽曰:「稽大不理於口。」
貉稽曰く、「稽大なる不理於口」。
孟子曰:「無傷也。士憎茲多口。《詩》云:『憂心悄悄,慍於群小。』孔子也。『肆不殄厥慍,亦不隕厥問。』文王也。」
孟子曰く、「傷(こそ)ばざるなり。士此の多口を憎む。《詩・邶風・柏舟》に云く、「憂心悄悄(しょうしょう)、慍(うん)群小に於て」。孔子なり。「肆(し)其の慍を殄(てん)せず、亦其の問を隕(いん)さず」。文王なり」。
孟子曰:「賢者以其昭昭,使人昭昭;今以其昬昬,使人昭昭。」
孟子曰く、「賢者其の昭昭(しょうしょう)を以て、人をして昭昭ならしむ。今其の昏昏(こんこん)を以て、人をして昭昭ならしむ」。
孟子謂高子曰:「山徑之蹊閒,介然用之而成路。為閒不用,則茅塞之矣。今茅塞子之心矣。」
孟子高子に謂ひて曰く、「山徑之蹊間、介然として之を用ひて路を成す。間爲せざれば、則ち茅之を塞ぐ。今茅子之心を塞ぐ」。
高子曰:「禹之聲,尚文王之聲。」
高子曰く、「禹之聲は、尚(なほ)文王之聲」。
孟子曰:「何以言之?」
孟子曰く、「何以て之を言ふ」。
曰:「以追蠡。」
曰く、「追蠡(ついれい)を以て」。
曰:「是奚足哉?城門之軌,兩馬之力與?」
曰く、「是れ奚に足らん哉。城門之軌は、兩馬之力與」。
齊飢。陳臻曰:「國人皆以夫子將復為發棠,殆不可復。」
齊饑す。陳臻曰く、「國人皆夫子將に棠を發かんと爲す。殆ど復爲る可からず」。
孟子曰:「是為馮婦也。晉人有馮婦者,善搏虎,卒為善士。則之野,有眾逐虎。虎負嵎,莫之敢攖。望見馮婦,趨而迎之。馮婦攘臂下車。眾皆悅之,其為士者笑之。」
孟子曰く、「是れ爲馮婦也。晉人馮婦有りて、善く虎を搏す。卒に善士と爲る。則ち野に之きて、衆虎を逐ふ有り。虎嶇(く)を負ぎて、莫之敢攖(おう)。馮婦を望見して、趨りて之を迎ふ。馮婦臂を攘(さら)し車を下る。衆皆之を悅ぶ。其の士を爲る者之を笑ふ」。
孟子曰:「口之於味也,目之於色也,耳之於聲也,鼻之於臭也,四肢之於安佚也,性也,有命焉,君子不謂性也。仁之於父子也,義之於君臣也,禮之於賓主也,智之於賢者也,聖人之於天道也,命也,有性焉,君子不謂命也。」
孟子曰く、「口之味に於て、目之色に於て、耳之聲に於て、鼻之臭に於て、四肢之安佚に於ては、性なり。命有り、君子性と謂はず。仁之父を於て、義之於君臣、禮之於賓主、智之於賢者、聖人之於天道は、命なり。性有り、君子命と謂はず」。
浩生不害問曰:「樂正子,何人也?」
浩生不害問ふて曰く、「樂正子は、何の人ぞや」。
孟子曰:「善人也,信人也。」
孟子曰く、「善人なり、信人なり」。
「何謂善?何謂信?」
「何を以て善と謂ひ、何を以て信と謂ふ」。
曰:「可欲之謂善,有諸己之謂信。充實之謂美,充實而有光輝之謂大,大而化之之謂聖,聖而不可知之之謂神。樂正子,二之中,四之下也。」
曰く、「欲可きの謂善、己に有るの謂信。充實之謂美、充實して光輝有る之謂大、大にして化する謂聖、聖にして知る可からざる之謂神。樂正子は、二之中、四之下なり」。
孟子曰:「逃墨必歸於楊,逃楊必歸於儒。歸,斯受之而已矣。今之與楊墨辯者,如追放豚,既入其苙,又從而招之。」
孟子曰く、「墨を逃るれば、必ず楊に歸す。楊を逃るれば、必ず儒に歸す。歸すは、斯に之を受くのみ。今之楊墨と辯する者は、如放豚を追ふがごとし。旣に其の苙(りつ)に入りて、又從りて之を招く」。
孟子曰:「有布縷之徵,粟米之徵,力役之徵。君子用其一,緩其二。用其二而民有殍,用其三而父子離。」
孟子曰く、「有り、布縷之征、粟米之征、力役之征。君子其の一を用ひて、其の二を緩める。二を用ひて而して民殍(ひう)有り、三を用ひて而して父子離す」。
孟子曰:「諸侯之寶三:土地,人民,政事。寶珠玉者,殃必及身。」
孟子曰く、「諸侯之寶三。土地、人民、政事。珠玉を寶する者は、殃必ず其身に及ぶ」。
盆成括仕於齊。孟子曰:「死矣盆成括!」
盆成括齊に仕ふ。孟子曰く、「死せん、盆成括」。
盆成括見殺。門人問曰:「夫子何以知其將見殺?」
盆成括殺さる。門人問ふて曰く、「夫子何以て其の將に見殺さんとするを知るや」。
曰:「其為人也小有才,未聞君子之大道也,則足以殺其軀而已矣。」
曰く、「其の人を爲るや、小有り才、未だ君子之大道を聞かず。則ち以て其の軀を殺すに足る而已矣」。
孟子之滕,館於上宮。有業屨於牖上,館人求之弗得。或問之曰:「若是乎從者之廀也?」
孟子滕に之きて、上宮に館す。業屨(ぎょうく)牖(ゆう)上有りて、館人之を求めて得ず。或孟子を問ふて曰く、「若是乎從者之廋(そう)む」。
曰:「子以是為竊屨來與?」
曰く、「子以て是れ竊屨を爲りて來る與」。
曰:「殆非也。夫子之設科也,往者不追,來者不距。苟以是心至,斯受之而已矣。」
曰く、「殆ど非也。夫子之設科は、往く者追はず、來る者距(しりぞ)かず。苟くも是の心を以て至れば、斯に之を受く而已矣」。
孟子曰:「人皆有所不忍,達之於其所忍,仁也;人皆有所不為,達之於其所為,義也。人能充無慾害人之心,而仁不可勝用也;人能充無穿逾之心,而義不可勝用也。人能充無受爾汝之實,無所往而不為義也。士未可以言而言,是以言餂之也;可以言而不言,是以不言餂之也,是皆穿逾之類也。」
孟子曰く、「人皆有所不忍、之を其の忍する所に達するは、仁なり。人皆有所不爲、之を其の爲する所に達するは、義なり。人能く其の人を害せんと欲せざる心を充たれば、仁用ひる勝(あ)げざるなり。人能く其の穿窬(せんゆ)を爲さざる心を充たれば、義用ひる勝げざるなり。人能く其の爾汝之實を受けざるを充たれば、往く義と爲らざる無し。士未だ言ふ可からざると言するは、是れ以て言を餂(てん)す也。言ふ可きと不言は、是れ以て不言を餂す也。是れ皆穿窬之類なり」。
孟子曰:「言近而指遠者,善言也;守約而施博者,善道也。君子之言也,不下帶而道存焉。君子之守,修其身而天下平。人病舍其田而芸人之田,所求於人者重,而所以自任者輕。」
孟子曰く、「言近くて指遠きは、善言なり。約を守りて博を施すは、善道なり。君子之言は、帶を下らずして道存焉(あ)る。君子之守は、其の身を修めて天下平らぐ。人病まざるは、其の田を舍てて人之田を芸(ぐさ)ふ。人に求むる重く、己に與ふる輕し」。
孟子曰:「堯舜,性者也;湯武,反之也。動容周旋中禮者,盛德之至也;哭死而哀,非為生者也;經德不回,非以干祿也;言語必信,非以正行也。君子行法,以俟命而已矣。」
孟子曰く、「堯舜は、性者也。湯武は、反之なり。動容周旋禮に中るは、盛德之至なり。死を哭して哀なり、非生者也。經德不回(くゐ)なり、非祿を干す也。言語必ず信なり、非行を正くす也。君子法を行ふて、以て命を俟つ而已矣」。
孟子曰:「說大人,則藐之,勿視其巍巍然。堂高數仞,榱題數尺,我得志弗為也;食前方丈,侍妾數百人,我得志弗為也;般樂飲酒,驅騁田獵,後車千乘,我得志弗為也。在彼者,皆我所不為也;在我者,皆古之制也,吾何畏彼哉?」
孟子曰く、「大人を説くは、則ち之を藐(びょう)し、其の巍巍然を視る勿れ。堂高數仞、榱題(すいてい)數尺、我志を得て、弗爲也。食前方丈、侍妾數百人、我志を得て、弗爲也。般樂飮酒、驅聘田獵、後車千乘、我志を得て、弗爲也。在彼者は、皆我の爲さざる所なり。在我者は、皆古之制なり。吾何ぞ彼を畏れん哉」。
孟子曰:「養心莫善於寡慾。其為人也寡慾,雖有不存焉者,寡矣;其為人也多欲,雖有存焉者,寡矣。」
孟子曰く、「心を養ふに善、寡欲に若く莫し。其の人を爲るや寡欲なれば、雖し存せざる有れば、寡く矣。其の人を爲るや多欲なれば、雖し存る有れば、寡く矣」。
曾皙嗜羊棗,而曾子不忍食羊棗。公孫丑問曰:「膾炙與羊棗孰美?」
曾晳羊棗を嗜(こ)ふ。曾子羊棗を食らふに忍びず。公孫丑問ふて曰く、「膾炙(かいしゃ)と羊棗と孰れか美」。
孟子曰:「膾炙哉!」
孟子曰く、「膾炙哉」。
公孫丑曰:「然則曾子何為食膾炙而不食羊棗?」
公孫丑曰く、「然らば則ち曾子何爲ぞ膾炙を食して、羊棗を食せざるや」。
曰:「膾炙所同也,羊棗所獨也。諱名不諱姓,姓所同也,名所獨也。」
曰く、「膾炙は、所同也。羊棗は、所獨也。諱名は不諱姓。姓は、所同也。名は、所獨也」。
萬章問曰:「孔子在陳曰:『盍歸乎來!吾黨之士狂簡,進取,不忘其初。』孔子在陳,何思魯之狂士?」
萬章問ふて曰く、「孔子陳に在りて、曰く、「盍ぞ歸乎來る。吾黨之士狂簡、進取、其の初を忘れず」。孔子陳に在りて、何在りて、何ぞ魯之狂士を思ふや」。
孟子曰:「孔子『不得中道而與之,必也狂獧乎!狂者進取,獧者有所不為也』。孔子豈不欲中道哉?不可必得,故思其次也。」
孟子曰く、「孔子「中道を得ざれば、必ず狂獧(けん)乎。狂者進取し、獧者有所不爲」。孔子豈に中道を欲せざらん哉。得ざる可からず。故に其の次を思ふ」。
「敢問何如斯可謂狂矣?」
「敢て問ふ、何如斯れば、以て狂と謂ふ可きか」。
曰:「如琴張、曾皙、牧皮者,孔子之所謂狂矣。」
曰く、「如琴張、曾晳、牧皮者は、孔子之所謂狂矣」。
「何以謂之狂也?」
「何以て之を狂と謂ふや」。
曰:「其志嘐嘐然,曰『古之人,古之人』。夷考其行而不掩焉者也。狂者又不可得,欲得不屑不潔之士而與之,是獧也,是又其次也。孔子曰:『過我門而不入我室,我不憾焉者,其惟鄉原乎!鄉原,德之賊也。』」
曰く、「其の志嘐嘐然(こうこうぜん)として曰く、「古之人、古之人」。夷考其の行に於て、而して掩はざる。狂者又不可得。不屑不潔之士を得て、之與は、是れ獧也。是れ又其の次なり。孔子曰く、「我が門を過ぎて、我が室に入らず、我憾みざる者は、其れ惟れ鄉原乎。鄉原は、德之賊なり」。」
曰:「何如斯可謂之鄉原矣?」
曰く、「何如斯れば、以て鄉原と謂ふ可きか」。
曰:「『何以是嘐嘐也?言不顧行,行不顧言,則曰:古之人,古之人。行何為踽踽涼涼?生斯世也,為斯世也,善斯可矣。』閹然媚於世也者,是鄉原也。」
曰く、「「何以て是れ嘐嘐也。言行を顧みず、行言を顧みず。則ち曰く、古之人、古之人。行何爲ぞ踽踽涼涼(くくりょうりょう)。斯之世に生まれて、斯之世を爲る。善斯に可矣」。閹然(えんぜん)として世に媚ふは、是れ鄉原なり」。
萬子曰:「一鄉皆稱原人焉,無所往而不為原人,孔子以為德之賊,何哉?」
萬章曰く、「一鄉皆原人と稱す。焉んぞ往く、原人と爲らざる無し。孔子以て德之賊と爲すは、何ぞや」。
曰:「非之無舉也,刺之無刺也;同乎流俗,合乎汙世;居之似忠信,行之似廉潔;眾皆悅之,自以為是,而不可與入堯舜之道,故曰德之賊也。孔子曰:『惡似而非者:惡莠,恐其亂苗也;惡佞,恐其亂義也;惡利口,恐其亂信也;惡鄭聲,恐其亂樂也;惡紫,恐其亂朱也;惡鄉原,恐其亂德也。』君子反經而已矣。經正,則庶民興;庶民興,斯無邪慝矣。」
曰く、「之を非する擧ぐる可き無し、之を刺する刺る可き無し。流俗と同じ、汗世と合す。居は忠信に似たり、行は廉絜に似たり。衆皆之を悅び、自以て是と爲す。而して與に堯舜之道に入る可からず。故曰く、德之賊なり。孔子曰く、「似而(じじ)非するを惡む。莠(ゆう)を惡む、其の苗を亂るを恐れ、佞(ねい)を惡む、其の義を亂るを恐れ、利口を惡む、其の信を亂るを恐れ、鄭聲を惡む、其の樂を亂るを恐れ、紫を惡む、其の朱を亂るを恐れ、鄉原を惡む、其の德を亂るを恐れ」。君子經に反る而已矣。經正ければ、則ち庶民興る。庶民興れば、斯に邪慝(じゃとく)無し」。
孟子曰:「由堯舜至於湯,五百有餘歲,若禹、皋陶,則見而知之;若湯,則聞而知之。由湯至於文王,五百有餘歲,若伊尹、萊朱則見而知之;若文王,則聞而知之。由文王至於孔子,五百有餘歲,若太公望、散宜生,則見而知之;若孔子,則聞而知之。由孔子而來至於今,百有餘歲,去聖人之世,若此其未遠也;近聖人之居,若此其甚也,然而無有乎爾,則亦無有乎爾。」
孟子曰く、「堯舜より湯に至る、五百餘歲。若禹、皐陶は、則ち見て之を知る。若湯は、則ち聞きて之を知る。湯より文王に至る、五百餘歲。若伊尹、萊朱は、則ち見て之を知る。若文王は、則ち聞きて之を知る。文王より孔子に至る、五百餘歲。若太公望、散宜生は、則ち見て之を知る。若孔子は、則ち聞きて之を知る。孔子より兹に來る、百有餘歲。聖人之世を去ること、此の若く其の遠からず。聖人之居に近づくこと、此の若く其の甚だしき。然りと雖も無有乎爾。則ち亦無有乎爾」。
