尚书
(成王が続けて言うには、)我に謂い、『小子の開闢は童たり。求むるに仁善に膺くる能わず、如何せん』と。後之失い、貽譏した。嗣位の人を敬保する能…
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
虞書 堯典第一
昔在帝堯,聰明文思,光宅天下。將遜於位,讓於虞舜,作《堯典》。
昔、帝堯が位にあったとき、耳が聡く目が明らかで、文徳があり、思慮があり、その光輝は天下に遍く及んだ。帝位を退き、虞舜に禅譲しようとしたので、《堯典》を作った。
曰若稽古帝堯,曰放勳,欽、明、文、思、安安,允恭克讓,光被四表,格於上下。克明俊德,以親九族。九族既睦,平章百姓。百姓昭明,協和萬邦。黎民於變時雍。
太古の帝堯を考察すると、名は放勲といった。敬慎し、明察で、文采があり、思慮があって、神采は寛和で安詳、誠信で恭謹にしてまた賢に譲ることができ、その光輝は四方の極遠の地を覆い、上は天に達し、下は地に及んだ。俊美な徳性を彰明することができて(徳とはここでは人が具える美善の素質をいい、狭義の道徳の条目ではない)、もって九族を親睦させた。九族がすでに和睦すると、百官の各族を辨别して彰明した。百官の各族がみな明白になると、万邦を協調させた。衆の百姓はここに和やかに美しくなった。
乃命羲和,欽若昊天,曆象日月星辰,敬授人時。分命羲仲,宅嵎夷,曰暘谷。寅賓出日,平秩東作。日中,星鳥,以殷仲春。厥民析,鳥獸孳尾。申命羲叔,宅南交。平秩南為,敬致。日永,星火,以正仲夏。厥民因,鳥獸希革。分命和仲,宅西,曰昧谷。寅餞納日,平秩西成。宵中,星虛,以殷仲秋。厥民夷,鳥獸毛毨。申命和叔,宅朔方,曰幽都。平在朔易。日短,星昴,以正仲冬。
ここに羲氏・和氏を任命して、敬慎して天に順い、日月星辰の運行を観測推算し、恭しく時節を人民に授けた。また分かれて羲仲を任命し、嵎夷に住まわせた。その地は暘谷という。恭しく日出を迎え、春の東方の耕作を辨别して按排した。昼夜の長さが等しく、南方の朱鳥七宿が正南に現れるのをもって仲春を確定した。このとき人民は田野に散らばり、鳥獣は交尾して繁殖した。さらに羲叔を任命して南交に住まわせ、夏の南方の農事を辨别して按排し、恭しく日影を測度した。白昼が最も長く、大火(心宿)が正南に現れるのをもって仲夏を校正した。このとき人民は高い所に就いて住み、鳥獣の羽毛は疎らになった。分かれて和仲を任命して西方に住まわせ、その地は昧谷という。恭しく落日を送り、秋の西方の収穫を辨别して按排した。昼夜が再び等しく、虚星が正南に現れるのをもって仲秋を確定した。このとき人民は平和に安居し、鳥獣の毛羽は改めて整った。さらに和叔を任命して北方に住まわせ、その地は幽都という。冬の万物の収蔵と歳末の更始を観察して按排した。白昼が最も短く、昴星が正南に現れるのをもって仲冬を校正した。
厥民隩,鳥獸鷸毛。帝曰:“諮!汝羲暨和。期三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。允釐百工,庶績咸熙。”
このとき人民は室内に隠れ、鳥獣は細かく柔らかい冬毛を生やした。堯帝は言った。「ああ、汝ら羲氏と和氏よ。一周年は三百六十六日、閏月を置くことで四季を確定し、歳年を成す。百官の職事を切実に整頓すれば、諸々の功業はみな興隆する。」
帝曰:“疇諮若時登庸?”放齊曰:“胤子朱啟明。”帝曰:“籲!囂訟可乎?”帝曰:“疇諮若予採?”驩兜曰:“都!共工方鳩僝功。”帝曰:“籲!靜言庸違,象恭滔天。”
堯帝は言った。「誰か時務に順応して抜擢任用できる者がいるか。」放斉が言った。「ご嗣子の丹朱は開通で聡明です。」堯帝は言った。「ああ、彼は口に忠信の言を吐かず、また争訟を好む。どうしてできようか。」堯帝はまた言った。「誰かわが職事に順応できる者がいるか。」驩兜が言った。「ああ、共工はすでに事務を集め、かなりの成效があります。」堯帝は言った。「ああ、彼は言葉は立派だが、行いはこれに背き、恭しそうに見えて、心では天すら眼中に置いていない。」
帝曰:“諮!四嶽,湯湯洪水方割,蕩蕩懷山襄陵,浩浩滔天。下民其諮,有能俾乂?”僉曰:“於!鯀哉。”帝曰:“籲!咈哉,方命圮族。”嶽曰:“異哉!試可乃已。”
堯帝は言った。「ああ、四岳よ。浩浩として滔天の洪水が害をなしている。水勢は広大で、山陵を包み、丘陵を漫し、浩浩然として上は天に接している。下の人民はみな嘆息している。誰かこれを治めることができる者がいるか。」衆人はみな言った。「ああ、鯀を用いましょう。」堯帝は言った。「ああ、いけない。彼は命令に背き、族類を敗壊する。」四岳は言った。「事情は異なります。試させてみて、できなければ止めればよいのです。」
帝曰,“往,欽哉!”九載,績用弗成。
堯帝は言った。「行け、敬慎せよ。」九年を経ても、功業は成らなかった。
帝曰:“諮!四嶽。朕在位七十載,汝能庸命,巽朕位?”嶽曰:“否德忝帝位。”曰:“明明揚側陋。”師錫帝曰:“有鰥在下,曰虞舜。”帝曰:“俞?予聞,如何?”嶽曰:“瞽子,父頑,母囂,象傲;克諧以孝,烝烝乂,不格奸。”
堯帝は言った。「ああ、四岳よ。私は位にあること七十年になる。汝らは天命を用いて、わが位に代わることができるか。」四岳は言った。「我らは徳が鄙陋で、帝位を辱めることになりましょう。」堯帝は言った。「側陋に処する者を明察して推挙せよ。」衆人が堯帝に進言して言った。「下位に鰥夫がおり、虞舜といいます。」堯帝は言った。「そうか。私も聞いたことがある。彼はどのような者か。」四岳は言った。「彼は盲人の子で、父は頑固で、継母は口に忠信を吐かず、弟の象は傲慢です。しかし彼は孝をもって家庭を和諧させ、次第に彼らを善に導き、奸悪に淪落しないに至らしめました。」
帝曰:“我其試哉!女於時,觀厥刑于二女。”釐降二女於媯汭,嬪於虞。帝曰:“欽哉!”
堯帝は言った。「彼を試してみよう。娘を嫁がせて、二人の娘をもって彼の徳行を観察しよう。」ここに二人の娘を嬀水の曲がる所に降嫁させ、虞家の婦とした。堯帝は言った。「敬慎せよ。」
虞書 舜典第二
虞舜側微,堯聞之聰明,將使嗣位,歷試諸難,作《舜典》。
虞舜の出身は微賤であったが、堯はその聡明を聞き、位を継がせようとして、たびたび難事をもって試験した。ここに《舜典》を作った。
曰若稽古帝舜,曰重華協於帝。濬哲文明,溫恭允塞,玄德升聞,乃命以位。
太古の帝舜を考察すると、重華といい、徳は堯と相合した。沈深で明智、文理が光明で、温和恭謹、誠信が充実し、潜蔵する美徳が上は堯に達した。ここに任命されて位に就いた。
慎徽五典,五典克從;納於百揆,百揆時敘;賓於四門,四門穆穆;納於大麓,烈風雷雨弗迷。帝曰:“格!汝舜。詢事考言,乃言底可績,三載。汝陟帝位。”
彼は五種の人倫の常法(五典、すなわち父の義、母の慈、兄の友、弟の恭、子の孝)を謹んで美しく施行し、五種の常法はみな人を従わせることができた。諸々の政務を総攬させると、諸々の政務はみな時に順い秩序立った。明堂の四門で賓客を接待させると、四方から来る者はみな粛然として礼があった。大麓(深山の大林;一説に「麓」は「録」と読むべきで、庶政を登録する簿録を指す)に入らせると、烈風雷雨も彼を迷乱させることができなかった。堯帝は言った。「来い、舜よ。私は汝の成した事を尋ね、汝の言う所を考核したが、汝の言はみな実績を挙げることができ、すでに三年になる。汝、帝位に登れ。」
舜讓於德,弗嗣。正月上日,受終於文祖。在璿璣玉衡,以齊七政。肆類於上帝,禋於六宗,望于山川,遍於群神。輯五瑞。既月乃日,覲四嶽群牧,班瑞於群后。
舜は徳ある者に譲ろうとして、継位しようとしなかった。正月上旬の吉日、文祖の廟で堯の終わる帝位を受けた。璇璣玉衡を観察して、日月五星など七政を整斉した。ここに天に類祭して上帝を祭り、六宗を禋祭し(指す所は歴代異説あり、あるいは天地四方、あるいは四時寒暑と日月星といい、ここでは断定しない)、山川を望祭し、群神に遍く祭った。五等の瑞玉を収集した。吉月吉日を選定して、四岳と各方の州牧に会見し、瑞玉を各方の諸侯に頒ち還した。
歲二月,東巡守,至於岱宗,柴。望秩于山川,肆覲東後。協時月正日,同律度量衡。修五禮、五玉、三帛、二生、一死贄。如五器,卒乃復。五月南巡守,至於南嶽,如岱禮。八月西巡守,至於西嶽,如初。十有一月朔巡守,至於北嶽,如西禮。歸,格於藝祖,用特。五載一巡守,群后四朝。敷奏以言,明試以功,車服以庸。
この年二月、東に巡守して、岱宗(泰山)に至り、柴を燔いて天を祭った。等級に従って山川を望祭し、ここに東方の諸侯に会見した。四季の月份を協調し、日数を校正し、音律・度量・衡器を統一した。五礼(吉・凶・賓・軍・嘉)を整治し、および五種の瑞玉、三種の帛、生きた羔・雁の二種、死せる雉の一種を贄見の礼とした。五種の瑞玉の礼器は、事が畢わればなお返還した。五月に南に巡守して南岳に至り、礼儀は岱宗と同じであった。八月に西に巡守して西岳に至り、初めと同じであった。十一月に北に巡守して北岳に至り、西岳の礼と同じであった。帰って文祖の廟に告至し、特牛一頭を用いた。五年に一度巡守し、その間は各方の諸侯が四年に分かれて朝見した。彼らは自らの言論を陳奏し、功績を明らかに考験して、車馬・服飾をもって功ある者に酬いた。
肇十有二州,封十有二山,濬川。
初めて十二州を画定し、十二座の名山を封表し、河川を疏濬した。
象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,撲作教刑,金作贖刑。眚災肆赦,怙終賊刑。欽哉,欽哉,惟刑之恤哉!流共工於幽州,放歡兜於崇山,竄三苗於三危,殛鯀於羽山,四罪而天下鹹服。
常用の刑罰を図像に画いて公示し(一説:法に依り常刑を施用する)、流刑をもって五刑を寛宥し、鞭打をもって官府の刑とし、撲責をもって教化の刑とし、金をもって贖刑とした。過失によって災害を成した者は赦免し、恃みて悪をなし終わる者は刑を用いた。敬慎せよ、敬慎せよ、刑を用いるには必ず体恤せよ。共工を幽州に流し、驩兜を崇山に放逐し、三苗を三危に遷窜し、鯀を羽山に誅責した(「殛」は一説に処死、一説に流して死に至らしめる)。この四人が罪に処せられると、天下はみな心服した。
二十有八載,帝乃殂落。百姓如喪考妣,三載,四海遏密八音。
二十八年後、堯帝は崩じた。百姓は父母が死んだかのごとく、三年の間、四海の内は音楽を停止した。
月正元日,舜格於文祖,詢於四嶽,闢四門,明四目,達四聰。“諮,十有二牧!”曰,“食哉惟時!柔遠能邇,惇德允元,而難任人,蠻夷率服。”
正月元日、舜は文祖の廟に至り、四岳に諮問し、四方の門を開いて、四方の見る所を明らかにし、四方の聞く所を通達させた。「ああ、十二州の州牧よ。」また言った。「食事で最も急要なのは農時を違えないことだ。遠方を安撫し、近処を親善し、徳ある者を厚く待し、善良な者を信任し、しかも奸佞の者を疎遠にせよ。そうすれば蛮夷は相率いて帰服する。」
舜曰:“諮,四嶽!有能奮庸熙帝之載,使宅百揆亮採,惠疇?”僉曰:“伯禹作司空。”帝曰:“俞,諮!禹,汝平水土,惟時懋哉!”禹拜稽首,讓於稷、契暨皋陶。帝曰:“俞,汝往哉!”帝曰:“棄,黎民阻飢,汝后稷,播時百穀。”
舜は言った。「ああ、四岳よ。誰か奮発して事功を立て、堯帝の事業を光大し、彼を百揆の位に居らせて政事を輔佐せしめる者がいるか。」衆人はみな言った。「伯禹に司空をさせましょう。」舜帝は言った。「よいか。禹よ、汝は水土を平治せよ。これがために一層努力せよ。」禹は跪拜して叩頭し、稷・契と皋陶に譲ろうとした。舜帝は言った。「よし、汝は就任せよ。」舜帝は言った。「弃よ、衆の百姓は飢餓に困っている。汝は后稷の職を主り、これら百穀を播種せよ。」
帝曰:“契,百姓不親,五品不遜。汝作司徒,敬敷五教,在寬。”
舜帝は言った。「契よ、百官の各族は互いに親睦せず、五常の倫が順わない。汝は司徒をなし、恭しく五種の教化を施行せよ。要は寛にある。」
帝曰:“皋陶,蠻夷猾夏,寇賊奸宄。汝作士,五刑有服,五服三就。五流有宅,五宅三居。惟明克允!”帝曰:“疇若予工?”僉曰:“垂哉!”帝曰:“俞,諮!垂,汝共工。”
舜帝は言った。「皋陶よ、蛮夷は華夏を侵擾し、寇賊は内外に乱をなす。汝は法官をなせ。五刑には各々服すべき所があり、五種の服刑は三ヶ所で執行する。五種の流刑には各々安置する所があり、五等の安置は三等の遠近に分かつ。明察あるのみ、ここに公允たるを得る。」舜帝は言った。「誰かわが百工の事に順応する者がいるか。」衆人はみな言った。「垂でしょう。」舜帝は言った。「よいか。垂よ、汝は共工をなせ。」
垂拜稽首,讓於殳斨暨伯與。”帝曰:“俞,往哉!汝諧。”
垂は跪拜して叩頭し、殳斨と伯与に譲ろうとした。舜帝は言った。「よし、行け。汝らは共に配合せよ。」
帝曰:“疇若予上下草木鳥獸?”僉曰:“益哉!”帝曰:“俞,諮!益,汝作朕虞。”益拜稽首,讓於朱虎、熊羆。帝曰:“俞,往哉!汝諧。”
舜帝は言った。「誰かわが上下の草木鳥獣を管理するのに順応する者がいるか。」衆人はみな言った。「益でしょう。」舜帝は言った。「よいか。益よ、汝はわが虞官をなせ。」益は跪拜して叩頭し、朱虎・熊羆に譲ろうとした。舜帝は言った。「よし、行け。汝らは共に配合せよ。」
帝曰:“諮!四嶽,有能典朕三禮?’僉曰:“伯夷!”帝曰:“俞,諮!伯,汝作秩宗。夙夜惟寅,直哉惟清。”伯拜稽首,讓於夔、龍。帝曰:“俞,往,欽哉!”帝曰:“夔!命汝典樂,教胄子,直而溫,寬而栗,剛而無虐,簡而無傲。
舜帝は言った。「ああ、四岳よ。誰かわが三礼(天神・地祇・人鬼を祭祀する礼儀)を主る者がいるか。」衆人はみな言った。「伯夷です。」舜帝は言った。「よいか。伯よ、汝は秩宗をなせ。昼夜ともに敬慎し、正直にして清明たれ。」伯夷は跪拜して叩頭し、夔・龍に譲ろうとした。舜帝は言った。「よし、行け、敬慎せよ。」舜帝は言った。「夔よ、汝に命じて音楽を掌らせ、貴族の子弟を教導して、彼らを正直にして温和、寛厚にして荘厳、剛強にして苛虐ならず、簡易にして傲慢ならしめよ。
詩言志,歌永言,聲依永,律和聲。八音克諧,無相奪倫,神人以和。”夔曰:“於!予擊石拊石,百獸率舞。”
(舜帝が続けて言うには、)詩は心志を表出するのに用い、歌は言葉を詠み長くし、声調は詠み長くする歌に随い、律呂は声調を調和する。八音が和諧を得て、互いに次序を擾乱せざれば、神と人は和楽する。」夔は言った。「ああ、私が石磬を敲撃し、石磬を軽拍すれば、百獣はみな舞い従います。」
帝曰:“龍,朕塈讒說殄行,震驚朕師。命汝作納言,夙夜出納朕命,惟允!”帝曰:“諮!汝二十有二人,欽哉!惟時亮天功。”三載考績,三考,黜陟幽明,庶績咸熙。分北三苗。
舜帝は言った。「龍よ、私は讒言と残虐の行為を憎む。彼らはわが民衆を震驚させた。汝に命じて納言をなし、昼夜わが命令を宣布し転達させる。必ず誠信であれ。」舜帝は言った。「ああ、汝ら二十二人、敬慎せよ。時に即して輔佐し、上天の事功を成し遂げよ。」三年ごとに政績を考核し、三度考核した後、昏暗な者を罷黜し、賢明な者を升進させると、諸々の功業はみな興隆した。また分かれて三苗を処理した。
舜生三十徵,庸三十,在位五十載,陟方乃死。
舜は三十歳で徴召され、三十年職に任じ、帝位に居ること五十年、南方に巡守したときに崩じた(「陟方乃死」は一説に天に昇って死ぬことを指す)。
〖汩作九共槀飫〗帝釐下土,方設居方,別生分類。作《汩作》、《九共》九篇、《槀飫》。
〖汨作・九共・槀飫〗帝は下方の土地を治め、方位に従って居所を設け、姓氏を区別し、族類を分けた。ここに《汨作》《九共》九篇《槀飫》を作った。
虞書 大禹謨第三
皋陶矢厥謨,禹成厥功,帝舜申之。作《大禹》、《皋陶謨》、《益稷》。
皋陶はその謀略を陳述し、禹はその功業を成就し、帝舜は申明して発揮した。ここに《大禹謨》《皋陶謨》《益稷》を作った。
曰若稽古大禹,曰文命敷於四海,祗承於帝。曰:“後克艱厥後,臣克艱厥臣,政乃乂,黎民敏德。”
太古の大禹を考察すると、文徳の教命は四海に遍く布き、恭しく帝舜を承奉した。彼は言った。「君主が君主たることを艱難な事と見なし、臣子が臣子たることを艱難な事と見なせば、政事はよく治まり、衆の百姓は徳に勉力する。」
帝曰:“俞!允若茲,嘉言罔攸伏,野無遺賢,萬邦咸寧。稽於眾,捨己從人,不虐無告,不廢困窮,惟帝時克。”
舜帝は言った。「そうだ。まことにその通りだ。よき言論に隠伏する所なく、草野に遺漏される賢人なく、万邦はみな安寧する。衆人に向かって考核し、自らを捨てて人に従い、孤苦告ぐるなき者を虐待せず、困窮する者を廃棄しないのは、ただ堯帝のみが能くするところだ。」
益曰:“都,帝德廣運,乃聖乃神,乃武乃文。皇天眷命,奄有四海為天下君。”
益は言った。「ああ、堯帝の徳は広大に運行し、聖にしてまた神、武の功がありまた文徳がある。皇天が眷顧して任命し、彼に四海を有たしめ、天下の君主とした。」
禹曰:“惠迪吉,從逆兇,惟影響。”
禹は言った。「正道に順えば吉、違逆に従えば凶で、影と回响のように応験する。」
益曰:“籲!戒哉!儆戒無虞,罔失法度。罔遊於逸,罔淫於樂。任賢勿貳,去邪勿疑。疑謀勿成,百志惟熙。罔違道以幹百姓之譽,罔咈百姓以從己之慾。
益は言った。「ああ、警戒せよ。憂患なき時に儆戒し、法度を喪失するなかれ。安逸に遊蕩するなかれ、享楽に沈溺するなかれ。賢人を任用して三心二意あるなかれ、邪人を除去して遅疑あるなかれ。可疑の計謀を成すなかれ、諸々の志向はみな広大たれ。正道に違背して百姓の称誉を求めるなかれ、百姓を拂逆して自らの欲望に順うなかれ。
無怠無荒,四夷來王。”
(益が続けて言うには、)怠惰するなかれ、荒廃するなかれ、そうすれば四夷は来朝して天子に見えん。」
禹曰:“於!帝念哉!德惟善政,政在養民。水、火、金、木、土、谷,惟修;正德、利用、厚生、惟和。九功惟敘,九敘惟歌。戒之用休,董之用威,勸之以九歌俾勿壞。”
禹は言った。「ああ、帝よ、記憶せよ。徳は良好な政事にあり、政事の要は人民を養育するにあり。水・火・金・木・土・穀は、みな整治せよ。徳行を端正し、器用を便利にし、民生を豊厚にするを、みな調和せよ。この九つの事功が次序を得れば、九種の次序は歌に譜される。美善をもって勧戒し、威厳をもって督察し、さらに九歌をもって勧勉し、これらを敗壊ならしめない。」
帝曰:“俞!地平天成,六府三事允治,萬世永賴,時乃功。”
舜帝は言った。「そうだ。大地は平治し、天時は成就し、六府三事は確かにみな治められた。万世は永遠に依頼する。これは汝の功労だ。」
帝曰:“格,汝禹!朕宅帝位三十有三載,耄期倦於勤。汝惟不怠,總朕師。”
舜帝は言った。「来い、禹よ。私は帝位に居ること三十三年、年寿すでに高く、勤労に倦んでいる。汝は怠惰せず、来てわが民衆を総統せよ。」
禹曰:“朕德罔克,民不依。皋陶邁種德,德乃降,黎民懷之。帝念哉!念茲在茲,釋茲在茲,名言茲在茲,允出茲在茲,惟帝念功。”
禹は言った。「私の徳は勝任できず、人民は依従しないでしょう。皋陶は勤勉に徳行を播き、徳はここに人民に下り及び、衆の百姓は彼を懐念しています。帝よ、記憶せよ。記念するのはこの人、放下するもまたこの人、称説するのはこの人、誠信を発するもこの人です。どうか帝よ、彼の功労を記憶してください。」
帝曰:“皋陶,惟茲臣庶,罔或幹予正。汝作士,明於五刑,以弼五教。期於予治,刑期於無刑,民協於中,時乃功,懋哉。”
舜帝は言った。「皋陶よ、これらの臣民衆庶、わが正道を冒犯する者はいない。汝は法官をなし、五刑を彰明し、もって五教を輔助した。わが治理を助成せんことを期し、刑を用いるは刑を用いずに至るを希望し、人民はみな中道に合した。これは汝の功労だ。努力せよ。」
皋陶曰:“帝德罔愆,臨下以簡,御眾以寬;罰弗及嗣,賞延於世。宥過無大,刑故無小;罪疑惟輕,功疑惟重;與其殺不辜,寧失不經;好生之德,洽於民心,茲用不犯於有司。”
皋陶は言った。「帝の徳に過失はなく、下に臨んで簡易、衆を御して寛厚。懲罰は子孫に延及せず、賞賜は後世に延及す。過失を寛宥するは大に論ぜず、故意の犯罪を懲罰するは小に論ぜず。罪状に疑あれば軽きに従い、功労に疑あれば重きに従う。無辜を錯って殺すよりは、寧ろ常法を守らざるに失せん。生命を愛惜する徳は民心を浸潤し、これがため人民は官府に触れ犯すことをしない。」
帝曰:“俾予從欲以治,四方風動,惟乃之休。”
舜帝は言った。「汝は私をして心願のままに治め得らしめ、四方は風のごとく応えた。これは汝の美徳だ。」
帝曰:“來,禹!降水儆予,成允成功,惟汝賢。克勤於邦,克儉於家,不自滿假,惟汝賢。汝惟不矜,天下莫與汝爭能。汝惟不伐,天下莫與汝爭功。予懋乃德,嘉乃丕績,天之歷數在汝躬,汝終陟元后。人心惟危,道心惟微,惟精惟一,允執厥中。無稽之言勿聽,弗詢之謀勿庸。可愛非君?可畏非民?眾非元后,何戴?後非眾,罔與守邦?欽哉!慎乃有位,敬修其可願,四海困窮,天祿永終。惟口出好興戎,朕言不再。”
舜帝は言った。「来い、禹よ。洪水は私を警戒した。汝は信用を成就しまた事功を成就した。ただ汝のみ賢能だ。国家に勤労し、家中に節倹し、自ら満たず自ら大いにせず、ただ汝のみ賢能だ。汝はまさに誇耀せざるがゆえに、天下に汝と能を争う者はいない。汝はまさに自らその功を伐らざるがゆえに、天下に汝と功を争う者はいない。私は汝の徳を賛美し、汝の大功を嘉許する。天命の暦数(帝王相承の次序)は汝の身にあり、汝は終に大君の位に登るであろう。人心は険危であり、道心は微眇である。ただ精誠して専一にし、誠実にあの中道を持守せよ。考拠なき言を聴くなかれ、征詢せざる謀を用いるなかれ。愛すべきは君主ではないか。畏るべきは人民ではないか。民衆に大君なければ、誰を擁戴する。君主に民衆なければ、誰とともに邦を守る。敬慎せよ。汝の有する位を謹慎し、あの願求すべき徳を敬修せよ。もし四海が困窮すれば、上天の禄位は永遠に終止する。口はよき事を言い出すも兵戎を興すもする。わが言はもはや言わない。」
禹曰:“枚卜功臣,惟吉之從。”
禹は言った。「功ある臣子を一一問卜し、ただ吉兆に従うのみです。」
帝曰:“禹!官占惟先蔽志,昆命於元龜。朕志先定,詢謀僉同,鬼神其依,龜筮協從,卜不習吉。”禹拜稽首,固辭。
舜帝は言った。「禹よ。官府が問卜するのは、先に自らの志向を定めて、しかる後に大亀に命を問うのだ。わが志向はすでに先に定まり、征詢して謀るも衆人みな同意し、鬼神も依従し、亀筮ともに協従する。卜問は吉を重ねて求める必要がない。」禹は跪拜して叩頭し、堅く推辞した。
帝曰:“毋!惟汝諧。”
舜帝は言った。「そうするな。ただ汝のみが適する。」
正月朔旦,受命於神宗,率百官若帝之初。
正月初一の清晨、禹は神宗の廟で任命を受け、百官を率領した。礼儀は舜が初めて終を受けたときと同じであった。
帝曰:“諮,禹!惟時有苗弗率,汝徂徵。”
舜帝は言った。「ああ、禹よ。このとき有苗が教命に遵わない。汝、往いて征討せよ。」
禹乃會群后,誓於師曰;“濟濟有眾,鹹聽朕命。蠢茲有苗,昏迷不恭,侮慢自賢,反道敗德,君子在野,小人在位,民棄不保,天降之咎,肆予以爾眾士,奉辭伐罪。爾尚一乃心力,其克有勳。”
禹はここに各方の諸侯を会合し、軍隊に誓師して言った。「整斉たる衆将士よ、みなわが命令を聴け。蠢動するこれらの有苗は、昏昧迷惑して恭敬せず、侮慢にして自ら賢とし、正道に違反し徳行を敗壊し、君子は野にあり、小人は位にあり、人民は彼らを抛棄し彼らは自ら保つことができず、上天は灾咎を降した。ゆえに私は汝ら衆将士を率い、問罪の辞を奉じて有罪の者を討伐する。汝らはなお心力と心志を斉一にすれば、功勲を建立することができる。」
三旬,苗民逆命。益贊於禹曰:“惟德動天,無遠弗屆。滿招損,謙受益,時乃天道。帝初於歷山,往于田,日號泣於旻天,於父母,負罪引慝。祗載見瞽叟,夔夔齋慄,瞽亦允若。至諴感神,矧茲有苗。”
三十日、苗民はなお命令に違抗した。益は進言して禹を赞助して言った。「ただ徳のみが天を感動することができ、再遠の地にも到達する。自ら満つるは減損を招き、謙虚は補益を受ける。これは天道だ。帝舜は当初暦山にあって、田間に往き、日ごとに旻天に向かって号泣し、また父母に向かって号泣し、自ら罪過を負担して過失を招認した。恭しく瞽叟に見え、敬慎して戦慄すると、瞽叟も確かに和順した。至誠は神明を感動することができる。いわんやこれら有苗をや。」
禹拜昌言曰:“俞!”班師振旅。帝乃誕敷文德,舞幹羽於兩階,七旬有苗格。
禹はこの美言に拜謝して言った。「そうだ。」ここに隊を整えて班師した。舜帝はここに文徳を大いに施し、両階の間で盾牌と雉羽を舞わせると、七十日後に有苗は帰服しに来た。
虞書 皋陶謨第四
曰若稽古皋陶曰:“允迪厥德,謨明弼諧。”禹曰:“俞,如何?”皋陶曰:“都!慎厥身,修思永。惇敘九族,庶明勵翼,邇可遠在茲。”禹拜昌言曰:“俞!”皋陶曰:“都!在知人,在安民。”禹曰:“籲!鹹若時,惟帝其難之。知人則哲,能官人。安民則惠,黎民懷之。能哲而惠,何憂乎驩兜?何遷乎有苗?何畏乎巧言令色孔壬?”皋陶曰:“都!亦行有九德。亦言,其人有德,乃言曰,載采采。”禹曰:“何?”皋陶曰:“寬而栗,柔而立,愿而恭,亂而敬,擾而毅,直而溫,簡而廉,剛而塞,強而義。彰厥有常,吉哉!日宣三德,夙夜浚明有家;日嚴祗敬六德,亮採有邦。翕受敷施,九德鹹事,俊乂在官。百僚師師,百工惟時,撫於五辰,庶績其凝。無教逸欲,有邦兢兢業業,一日二日萬幾。無曠庶官,天工,人其代之。天敘有典,敕我五典五惇哉!天秩有禮,自我五禮有庸哉!同寅協恭和衷哉!天命有德,五服五章哉!天討有罪,五刑五用哉!政事懋哉懋哉!”“天聰明,自我民聰明。天明畏,自我民明威。達於上下,敬哉有土!”皋陶曰:“朕言惠可厎行?”禹曰:“俞!乃言厎可績。”皋陶曰:“予未有知,思曰贊贊襄哉!”虞書益稷第五
太古を考察すると、皋陶は言った。「誠実にあの徳を踐行すれば、謀略は明智になり、輔佐は和諧する。」禹は言った。「そうだ、どのようにするのか。」皋陶は言った。「ああ、自身を謹慎し、修養は長遠を思うべし。九族を厚く待し、並びて九族の次序を排定すれば、衆の賢明な人は勉力して輔翼し、近きより遠きに及ぶ道理はここにある。」禹はこの美言に拜謝して言った。「そうだ。」皋陶は言った。「ああ、要は人を知るにあり、人民を安定するにあり。」禹は言った。「ああ、みなこのようであれば、帝堯でさえ難しと感じるだろう。人を知るは明智であり、人を用いて官に任ずることができる。人民を安定するは仁恵であり、衆の百姓は懐念する。能く明智にして能く仁恵であれば、何をか驩兜を憂慮せん。何をか有苗を遷徙せん。何をか花言巧語・神色偽善の大奸を畏れん。」皋陶は言った。「ああ、人の行為に九種の徳がある。某人に徳ありと称説するには、彼がどのような事をなしたかを言う。」禹は言った。「それはどれか。」皋陶は言った。「寛厚にして荘厳、柔順にして自立能くし、謹厚にして恭敬、治理の才ありて敬慎、和順にして堅毅、正直にして温和、簡易にして廉隅あり、剛健にして充実、強勇にして義に合う。これら常に保持する徳を彰明せば、吉祥である。毎日その中の三種の徳を宣明し、昼夜努力して治理せば、大夫の家を保有することができる。毎日その中の六種の徳を厳粛恭敬に踐行し、政事を輔佐せば、諸侯の邦を保有することができる。九徳を合受して普く施行し、九徳にみな従事する人ありて、杰出の人才がみな官位にあれば、百官は互いに效法し、百工はみな時に成し、四時と辰星に順応して、諸々の功業は成就を得る。人に安逸と欲望を貪るを教えるなかれ。国有する者は業業兢兢たれ。一日二日に万種の事機あり。諸々の官位を空缺せしめるなかれ。上天の事功は、人がこれに代わって完成するのだ。上天は倫常を安排し、我らに告誡して五種の常法をみな加厚せしめた。上天は礼の等級を規定し、我らに五種の礼をみな常に実行せしめた。互いに敬慎し、協同して恭謹し、和衷共済せよ。上天は徳ある者を任命し、五種の礼服・五種の文采あり。上天は罪ある者を討伐し、五種の刑罰・五種の用法あり。政事は努力せよ、努力せよ。」また言った。「上天の聡明は、わが人民の聡明より来る。上天の顕明と威畏は、わが人民の顕明と威厳より来る。上下は通達す。土を有する君よ、敬慎せよ。」皋陶は言った。「わが言は順当で、実行しうるか。」禹は言った。「そうだ。汝の言は実績を挙げることができる。」皋陶は言った。「私は何らの知識もない。ただ助成し、さらに助成せんことを思うのみだ。」底本はこの段の末に「虞書益稷第五」を附す。これは次の篇の篇題が正文に串入したもの。
帝曰:“來,禹!汝亦昌言。”禹拜曰:“都!帝,予何言?予思日孜孜。”
舜帝は言った。「来い、禹よ。汝もよき言を説け。」禹は拜して言った。「ああ、帝よ、私は何を言うべきことがあろうか。私はただ日々勤勉して懈らざるを思うのみだ。」
皋陶曰:“籲!如何?”禹曰:“洪水滔天,浩浩懷山襄陵,下民昏墊。予乘四載,隨山刊木,暨益奏庶鮮食。予決九川,距四海,浚畎澮距川;暨稷播,奏庶艱食鮮食。懋遷有無,化居。烝民乃粒,萬邦作乂。”皋陶曰:“俞!師汝昌言。”
皋陶は言った。「ああ、どのように勤勉するのか。」禹は言った。「洪水は滔天し、浩浩然として山陵を包み丘陵を漫し、下方の人民は沈没陷溺した。私は四種の載具に乗り、山嶺に順って樹木を砍削して標記とし、益とともに新鮮な鳥獣魚鱉を進献して民衆に与えた。私は九州の大川を疏通して四海に通ぜしめ、田間の溝澮を疏濬して大川に通ぜしめた。また稷とともに播種し、艱難にして得た糧食と新鮮の肉食を進献して民衆に与えた。勉力して有無を調遷し、交易して積貯した。衆民はここに穀物を食うことを得、万邦は初めて治理を得た。」皋陶は言った。「そうだ。汝のこれらよき言を效法すべきだ。」
禹曰:“都!帝,慎乃在位。”帝曰:“俞!禹曰:“安汝止,惟幾惟康。
禹は言った。「ああ、帝よ、汝の在する位を謹慎せよ。」舜帝は言った。「そうだ。」禹は言った。「汝の当に止まるべき所に安んじ、思慮は隠微、思慮は安康せよ。
其弼直,惟動丕應。徯志以昭受上帝,天其申命用休。”
(禹が続けて言うには、)汝の輔弼は正直たれ。挙動あれば必ず大いに応響する。心志の清明を待って上帝を受ければ、上天は再び美しき任命を降す。」
帝曰:“籲!臣哉鄰哉!鄰哉臣哉!”禹曰:“俞!”帝曰:“臣作朕股肱耳目。予欲左右有民,汝翼。予欲宣力四方,汝為。予欲觀古人之象,日、月、星辰、山、龍、華蟲、,作會;宗彝、藻、火、粉米、黼、黻,絺繡,以五采彰施於五色,作服,汝明。予欲聞六律五聲八音,在治忽,以出納五言,汝聽。予違,汝弼,汝無面從,退有後言。欽四鄰!庶頑讒說,若不在時,侯以明之,撻以記之,書用識哉,欲並生哉!工以納言,時而颺之,格則承之庸之,否則威之。”
舜帝は言った。「ああ、臣子よ近隣よ。近隣よ臣子よ。」禹は言った。「そうだ。」舜帝は言った。「臣子はわが大腿・胳膊・耳朵・眼睛をなす。私は人民を引導し輔助せんと欲すれば、汝らは輔翼せよ。私は四方に力を用いんと欲すれば、汝らは作為せよ。私は古人の図像を観たい。日・月・星辰・山・龍・華虫を絵飾になし、宗廟の彝器・水藻・火・粉米・黼・黻を細葛をもって繍い成し、五種の彩をもって五色を彰明に施し、礼服を作る。汝らは辨明せよ。私は六律・五声・八音を聴き、その中より治乱を考察し、もって五方の言論を宣布し接納する。汝らは聴け。私に違背あれば、汝らは匡正せよ。当面順従して退下して後に背後の言あるなかれ。左右の近臣を敬慎せよ。あの愚頑にして讒を進める者、もし位にあらざれば、射侯の礼をもって彰明し、撲撻をもって教訓を記せしめ、簡冊をもって記録する。これは彼らをして共に生きなからしめんと欲するのだ。楽工はもって言論を転達し、時に合すれば宣揚し、改正すれば進用し、改めざれば威懲する。」
禹曰:“俞哉!帝光天之下,至於海隅蒼生,萬邦黎獻,共惟帝臣,惟帝時舉。敷納以言,明庶以功,車服以庸。誰敢不讓,敢不敬應?帝不時敷,同,日奏,罔功。無若丹朱傲,惟慢遊是好,傲虐是作。罔晝夜頟頟,罔水行舟。朋淫於家,用殄厥世。予創若時,娶於塗山,辛壬癸甲。啟呱呱而泣,予弗子,惟荒度土功。弼成五服,至於五千。州十有二師,外薄四海,鹹建五長,各迪有功,苗頑弗即工,帝其念哉!”帝曰:“迪朕德,時乃功,惟敘。”
禹は言った。「そうだ。帝の光輝は天の下にあり、海角の蒼生に至るまで、万邦の衆賢はみな帝の臣子で、ただ帝の時に挙用するを待つ。普く彼らの言論を接納し、功績を明らかに衆人を考察し、車馬服飾をもって功ある者に酬いれば、誰か譲譲せざらん、誰か恭敬して応へざらん。帝が時に施用すること能わざれば、賢愚は混同し、日々進用しても功をなさない。丹朱のごとく傲慢で、ただ怠惰遊蕩を好み、傲慢暴虐の事をなすなかれ。昼夜を分かたず囂囂として休まず、水なくても船を行かせ、群れて家に淫乱し、よってその世系を滅絶した。私はこれをもって戒とし、塗山に妻を娶り、辛・壬・癸・甲の四日で去った。啓が呱呱と啼哭しても、私は父たることを顧みず、ただ水土の功を度量するに忙しかった。五服を輔成し、五千里に至る。州ごとに十二師、外は四海に接近し、みな五等の長を設立し、各自功あるを引導した。ただ苗民が頑劣で工に就こうとしない。帝よ、この事を記憶せよ。」舜帝は言った。「徳をもって私を引導するは、これは汝の功労だ。このように有序たれ。」
皋陶方祗厥敘,方施象刑,惟明。
皋陶はまさにあの次序を敬慎し、象刑を施行して、きわめて厳明であった。
夔曰:“戛擊鳴球、搏拊、琴、瑟、以詠。”祖考來格,虞賓在位,群后德讓。下管鼗鼓,合止柷敔,笙鏞以間。鳥獸蹌蹌;簫韶九成,鳳皇來儀。夔曰:“於!予擊石拊石,百獸率舞。”
夔は言った。「鳴球・搏拊・琴・瑟を敲撃し、もって歌詠に配合せん。」祖先は来たり降臨し、虞舜の賓客は位にあり、各方の諸侯は徳をもって相譲した。堂下の管楽と鞀鼓は、柷敔をもって楽を合し楽を止め、笙と大鐘は交代した。鳥獣は蹌蹌と起舞し、簫韶は九成を演奏すると、鳳凰が来たり儀容を呈した。夔は言った。「ああ、私が石磬を敲撃し、石磬を軽拍すれば、百獣はみな舞い従います。」
庶尹允諧,帝庸作歌。曰:“敕天之命,惟時惟幾。”乃歌曰:“股肱喜哉!元首起哉!百工熙哉!”皋陶拜手稽首颺言曰:“念哉!率作興事,慎乃憲,欽哉!屢省乃成,欽哉!”乃賡載歌曰:“元首明哉,股肱良哉,庶事康哉!”又歌曰:“元首叢脞哉,股肱惰哉,萬事墮哉!”帝拜曰:“俞,往欽哉!”夏書禹貢第一
衆の長官は確かに和諧し、舜帝はこれにより歌を作った。言うには、「上天の命令を謹戒し、時時事事みな謹慎せよ。」ここに唱えた。「股肱は歓喜し、元首は振作し、百工は興盛す。」皋陶は跪拜して叩頭し、高く声して言った。「記憶せよ。統率して事業を興辦し、汝の法度を謹慎せよ。敬慎せよ。屢々省察してこそ成功する。敬慎せよ。」ここに続けて唱えた。「元首英明なれば、股肱賢良なり、衆事安康なり。」また唱えた。「元首瑣碎なれば、股肱怠惰し、万事堕落す。」舜帝は拜して言った。「そうだ、行け、敬慎せよ。」底本はこの段の末に「夏書禹貢第一」を附す。これは次の篇の篇題が正文に串入したもの。
禹別九州,隨山浚川,任土作貢。禹敷土,隨山刊木,奠高山大川。
禹は九州を分别し、山嶺に順って河川を疏濬し、土地に依拠して貢賦を制定した。禹は土地を鋪陳し、山嶺に順って樹木を砍削し、高山大川を確定した。
冀州:既載壺口,治梁及岐。既修太原,至於岳陽;覃懷厎績,至於衡漳。
冀州:壺口はすでに施工し、梁山と岐山もまた治理を得た。太原はすでに修治し、太岳の南面に至った。覃懐の一帯はすでに成功し、横流して河に入る漳水に至った。
厥土惟白壤,厥賦惟上上錯,厥田惟中中。恆、衛既從,大陸既作。島夷皮服,夾右碣石入於河。
ここの土は白壤、賦税は第一等にして第二等を間雑し、田地は第五等。恒水・衛水はすでに順流し、大陸沢はすでに耕作しうる。島夷は皮服を進貢し、右に碣石を繞って黄河に入る。
濟河惟兗州。九河既道,雷夏既澤,灉、沮會同。桑土既蠶,是降丘宅土。
済水と黄河の間は兗州。九河はすでに疏通し、雷夏はすでに沢を成し、灉水・沮水は会合した。桑に宜しい土地はすでに蚕を養い、ここに人民は丘の上より下りて平地に住んだ。
厥土黑墳,厥草惟繇,厥木惟條。厥田惟中下,厥賦貞,作十有三載乃同。厥貢漆絲,厥篚織文。浮於濟、漯,達於河。
ここの土は黒色肥沃の墳土、草の生長は茂盛、樹木は修長。田地は第六等、賦税は第九等、経営十三年にして他州と同じくなった。貢物は漆と糸、篋に装うは花紋ある糸織品。船は済水・漯水より浮行し、黄河に至る。
海岱惟青州。嵎夷既略,濰、淄其道。厥土白墳,海濱廣斥。厥田惟上下,厥賦中上。厥貢鹽絺,海物惟錯。岱畎絲、枲、鉛、松、怪石。萊夷作牧。厥篚檿絲。浮於汶,達於濟。
海と泰山の間は青州。嵎夷はすでに治理し、濰水・淄水はすでに疏通した。土は白色の墳土、海浜は広闊で鹸鹼。田地は第三等、賦税は第四等。貢物は塩と細葛、海物は種類錯雑。泰山の山谷は糸・枲麻・鉛・松・怪石を出す。萊夷は放牧に従事す。篋に装うは山桑の糸。船は汶水より浮行し、済水に至る。
海、岱及淮惟徐州。淮、沂其乂,蒙、羽其藝,大野既豬,東原厎平。厥土赤埴墳,草木漸包。厥田惟上中,厥賦中中。厥貢惟土五色,羽畎夏翟,嶧陽孤桐,泗濱浮磬,淮夷蠙珠暨魚。厥篚玄纖、縞。浮於淮、泗,達於河。
海・泰山より淮水までの間は徐州。淮水・沂水はすでに治理し、蒙山・羽山はすでに種植しうる。大野沢はすでに匯聚して湖を成し、東原はすでに平定した。土は赤色の黏りて肥えた埴墳、草木は漸々叢生す。田地は第二等、賦税は第五等。貢物は五色の土、羽山の山谷の夏翟(五色の雉羽)、嶧山の南面の特生の桐木、泗水の浜の浮磬、淮夷の蠙珠と魚。篋に装うは黒色の細綢と白絹。船は淮水・泗水より浮行し、黄河に至る。
淮海惟揚州。彭蠡既豬,陽鳥攸居。三江既入,震澤厎定。筱簜既敷,厥草惟夭,厥木惟喬。厥土惟塗泥。厥田唯下下,厥賦下上,上錯。厥貢惟金三品,瑤、琨筱、簜、齒、革、羽、毛惟木。島夷卉服。厥篚織貝,厥包桔柚,錫貢。
淮水と海の間は揚州。彭蠡はすでに匯して湖を成し、陽に随う鳥はここに居る。三江はすでに海に入り、震沢はすでに安定した。小竹大竹はすでに遍布し、草の生長は美盛、樹木は高大。土は塗泥。田地は第九等、賦税は第七等、間あるいは第六等。貢物は金・銀・銅の三品、美玉・美石・小竹・大竹・象牙・皮革・鳥羽・旄毛と木材。島夷は草織の衣服を穿つ。篋に装うは織貝の錦、包裹するは橘子・柚子、錫命を待って進貢す。
沿於江、海,達於淮、泗。
江・海に沿って、淮水・泗水に至る。
荊及衡陽惟荊州。江、漢朝宗於海,九江孔殷,沱、潛既道,雲土、夢作乂。
荊山より衡山の南面までが荊州。江・漢は天子に朝見するがごとく海に奔り、九江は甚深く盛んにして、沱水・潜水はすでに疏通し、雲沢の泥土は露出し、夢沢もまた耕作しうる(底本は「雲土・夢」と断ず。一説に連読して雲夢とすべし)。
厥土惟塗泥,厥田惟下中,厥賦上下。厥貢羽、毛、齒、革惟金三品,杶、榦、栝、柏,礪、砥、砮、丹惟菌簵、楛,三邦厎貢厥名。包匭菁茅,厥篚玄纁璣組,九江納錫大龜。浮於江、沱、潛、漢,逾於洛,至於南河。
土は塗泥、田地は第八等、賦税は第三等。貢物は鳥羽・旄毛・象牙・皮革と金の三品、杶木・干木・栝木・柏木、礪石・砥石・砮石・丹砂、および菌簵竹・楛木。三つの諸侯国は各々著名の物産を貢ぐ。包裹するは菁茅を装る匣子、篋の中は黒紅色の糸綢と珍珠の串、九江は大亀を進貢す。船は江・沱・潜・漢より浮行し、洛水を越えて南河に至る。
荊河惟豫州。伊、洛、瀍、澗既入於河,滎波既豬。導菏澤,被孟豬。厥土惟壤,下土墳壚。厥田惟中上,厥賦錯上中。厥貢漆、枲,絺、紵,厥篚纖、纊,錫貢磬錯。浮於洛,達於河。
荊山と黄河の間は豫州。伊・洛・瀍・澗はすでに黄河に流入し、滎波はすでに匯して湖を成した。菏沢を疏導し、水を孟猪に溢入せしめた。土は壤土、低下する処は肥沃の墳壚。田地は第四等、賦税は第二等にして第一等を間雑す。貢物は漆・枲麻・細葛・紵麻、篋の中は細綢と糸綿、錫命を待って磬を治する礪石を進貢す。船は洛水より浮行し、黄河に至る。
華陽、黑水惟梁州。岷、嶓既藝,沱、潛既道。蔡、蒙旅平,和夷厎績。厥土青黎,厥田惟下上,厥賦下中,三錯。厥貢璆、鐵、銀、鏤、砮磬、熊、羆、狐、狸、織皮,西傾因桓是來,浮於潛,逾於沔,入於渭,亂於河。
華山の南面より黒水までの間は梁州。岷山・嶓冢はすでに種植しうる。沱水・潜水はすでに疏通した。蔡山・蒙山はすでに平治を祭告し、和夷はすでに成功した。土は青黒色、田地は第七等、賦税は第八等、第七・第九等を間雑す。貢物は美玉・鉄・銀・剛鉄・砮石・磬・熊・羆・狐・狸と織皮。西傾山の貢物は桓水に順って来たり、船は潜水より浮行し、沔水を越えて渭水に入り、黄河を横渡する。
黑水、西河惟雍州。弱水既西,涇屬渭汭,漆沮既從,灃水攸同。荊、岐既旅,終南、惇物,至於鳥鼠。原隰厎績,至於豬野。三危既宅,三苗丕敘。厥土惟黃壤,厥田惟上上,厥賦中下。厥貢惟球、琳、琅玕。浮於積石,至於龍門、西河,會於渭汭。織皮崑崙、析支、渠搜,西戎即敘。
黒水と西河の間は雍州。弱水はすでに西に流れ、涇水は渭水の曲がる処に接続し、漆沮はすでに順流し、灃水は渭水に会同した。荊山・岐山はすでに祭告し、終南山・惇物山より鳥鼠山に至る。原隰はすでに成功し、猪野沢に至る。三危はすでに居住しうる。三苗は大大に安定した。土は黄壤、田地は第一等、賦税は第六等。貢物は球玉・琳玉・琅玕。船は積石より浮行し、龍門・西河に至り、渭水の曲がる処に会合す。織皮の民は崑崙・析支・渠捜にあり、西戎はみな安定した。
導岍及岐,至於荊山,逾於河;壺口、雷首至於太嶽;厎柱、析城至於王屋;太行、恆山至於碣石,入於海。
山道を開通し、岍山より岐山に至り、荊山に至って黄河を越えた。壺口・雷首より太岳に至り、底柱・析城より王屋に至り、太行・恒山より碣石に至って、延伸して海に入る。
西傾、朱圉、鳥鼠至於太華;熊耳、外方、桐柏至於陪尾。
西傾・朱圉・鳥鼠より太華に至り、熊耳・外方・桐柏より陪尾に至る。
導嶓冢,至於荊山;內方,至於大別。
嶓冢より開通して荊山に至り、内方より大別に至る。
岷山之陽,至於衡山,過九江,至於敷淺原。
岷山の南面より衡山に至り、九江を経て敷浅原に至る。
導弱水,至於合黎,餘波入於流沙。
弱水を疏導して合黎に至り、残りの水は流沙に流入した。
導黑水,至於三危,入於南海。
黒水を疏導して三危に至り、南海に流入した。
導河、積石,至於龍門;南至於華陰,東至於厎柱,又東至於孟津,東過洛汭,至於大伾;北過降水,至於大陸;又北,播為九河,同為逆河,入於海。
黄河を疏導し、積石より龍門に至り、南に華陰に至り、東に底柱に至り、また東に孟津に至り、東に洛水の河に入る処を経て大伾に至り、北に降水を経て大陸沢に至り、さらに北に九河に分かれ、会合して逆河をなし、海に流入した。
嶓冢導漾,東流為漢,又東,為滄浪之水,過三澨,至於大別,南入於江。
嶓冢より漾水を疏導し、東に流れて漢水をなし、さらに東に滄浪之水をなし、三澨を経て大別に至り、南に流れて江に入った。
東,匯澤為彭蠡,東,為北江,入於海。
東に彭蠡沢に匯し、さらに東に北江をなし、海に流入した。
岷山導江,東別為沱,又東至於澧;過九江,至於東陵,東迆北,會於匯;東為中江,入於海。
岷山より江水を疏導し、東に沱水を分出し、また東に澧に至り、九江を経て東陵に至り、東に偏北して匯に会合し、東に中江をなして海に流入した。
導沇水,東流為濟,入於河,溢為滎;東出於陶丘北,又東至於菏,又東北,會於汶,又北,東入於海。
沇水を疏導し、東に流れて済水をなし、黄河に入り、溢れて滎沢をなし、東に陶丘の北面より出て、また東に菏沢に至り、また東北に汶水に会合し、さらに北に東に流れて海に入った。
導淮自桐柏,東會於泗、沂,東入於海。
桐柏より淮水を疏導し、東に泗水・沂水に会合し、東に流れて海に入った。
導渭自鳥鼠同穴,東會於灃,又東會於涇,又東過漆沮,入於河。
鳥鼠同穴山より渭水を疏導し、東に灃水に会合し、また東に涇水に会合し、また東に漆沮を経て黄河に入った。
導洛自熊耳,東北,會於澗、瀍;又東,會於伊,又東北,入於河。
熊耳より洛水を疏導し、東北に澗水・瀍水に会合し、また東に伊水に会合し、さらに東北に黄河に入った。
九州攸同,四隩既宅,九山刊旅,九川滌源,九澤既陂,四海會同。六府孔修,庶土交正,厎慎財賦,鹹則三壤成賦。中邦錫土、姓,祗臺德先,不距朕行。
九州はみな統一し、四方の辺遠の地はすでに居住しうる。九条の山脈は樹木を砍り去り旅祭しうる。九条の大川は源を疏通し、九つの大沢はすでに堤陂を築いた。四海の内は京師に会同した。六府は治理してよく、各処の土地はみな等級を校正し、財賦を慎重に制定し、みな三等の土壤に按って賦税を確定した。華夏の邦に土地と姓氏を賜与し、敬徳を前に置き、わが行事に違抗するなかれ。
五百里甸服:百里賦納緫,二百里納銍,三百里納秸服,四百里粟,五百里米。
五百里は甸服:一百里は秸を帯びた禾を納め、二百里は禾穂を納め、三百里は秸稈を納めまた服役し、四百里は粟を納め、五百里は米を納む。
五百里侯服:百里採,二百里男邦,三百里諸侯。
五百里は侯服:王畿に近い一百里は采邑、さらに外の二百里は男邦、さらに外の三百里は諸侯。
五百里綏服:三百里揆文教,二百里奮武衛。
五百里は綏服:三百里は文教を揆度し、二百里は武衛を奮揚す。
五百里要服:三百里夷,二百里蔡。
五百里は要服:三百里は夷人を安置し、二百里は蔡刑の地に流す。
五百里荒服:三百里蠻,二百里流。
五百里は荒服:三百里は蛮人を安置し、二百里は流放の地。
東漸於海,西被於流沙,朔南暨聲教訖於四海。禹錫玄圭,告厥成功。
東は海に至り、西は流沙に覆い及ぼし、北面南面の声教はみな四海に達した。禹は玄圭を賜与され、その成功を報告した。
夏書 甘誓第二
啟與有扈戰於甘之野,作《甘誓》。
啓は有扈氏と甘地の原野で交戦し、《甘誓》を作った。
大戰於甘,乃召六卿。
甘地に大戦し、ここに六卿を召集した。
王曰:“嗟!六事之人,予誓告汝:有扈氏威侮五行,怠棄三正,天用剿絕其命,今予惟恭行天之罰。左不攻於左,汝不恭命;右不攻於右,汝不恭命;御非其馬之正,汝不恭命。用命,賞於祖;弗用命,戮於社,予則孥戮汝。”
王は言った。「ああ、六事を掌る人々よ、私は汝らに宣誓して告げる。有扈氏は五行を軽慢侮弄し、三正を怠惰して廃棄した(一説に天・地・人の正道、一説に子・丑・寅の三正朔)。上天はこれにより彼の命を剿絶せしめんとす。今、私は恭敬して上天の懲罰を執行する。車左の人はもし左を攻めざれば、それは汝らが命令を恭敬せざるなり。車右の人はもし右を攻めざれば、それは汝らが命令を恭敬せざるなり。御者はもし馬を馭する規矩に合わざれば、それは汝らが命令を恭敬せざるなり。命を用いる者は祖廟に賞賜し、命を用いざる者は社壇に誅戮し、私はまた汝らの妻子児女をともに誅戮せん。」
夏書 五子之歌第三
太康失邦,昆弟五人須於洛汭,作《五子之歌》。
太康は国家を失い、兄弟五人は洛水の曲がる処で待ち、《五子之歌》を作った。
太康尸位,以逸豫滅厥德,黎民鹹貳,乃盤遊無度,畋於有洛之表,十旬弗反。有窮后羿因民弗忍,距於河,厥弟五人御其母以從,徯於洛之汭。五子鹹怨,述大禹之戒以作歌。
太康は帝位を空しく占め、安逸享楽をもってあの徳を喪失したので、衆の百姓はみな二心を生じた。ここに盤游して節度なく、洛水の彼方で畋獵し、百日して帰らなかった。有窮の国君・羿は人民の堪えられざるに乗じ、黄河の辺で彼を抗拒した。太康の五人の弟は母に侍奉して従い、洛水の曲がる処で待った。五人の子はみな怨恨し、大禹の告誡を陳述して歌を作った。
其一曰:“皇祖有訓,民可近,不可下,民惟邦本,本固邦寧。予視天下愚夫愚婦一能勝予,一人三失,怨豈在明,不見是圖。予臨兆民,懍乎若朽索之馭六馬,為人上者,奈何不敬?”其二曰:“訓有之,內作色荒,外作禽荒。甘酒嗜音,峻宇雕牆。有一於此,未或不亡。”
第一首は言った。「皇祖に訓誡あり。人民は親近すべく、看低すべからず。人民は邦国の根本で、根本が穩固なれば邦国は安寧す。私が天下を観るに、愚夫愚婦もみな我に勝ることができる。一人が屡々過失すれば、怨恨はいずれそれが顕明するを待たんや。いまだ顕現せざる時に謀画すべし。私が億兆の人民に面するや、朽ちた繩をもって六馬を駕御するがごとく恐れる。人民の上に在る者、どうして敬慎せざるを得ん。」第二首は言った。「訓誡の中にこのような言あり。内に女色に迷乱し、外に田獵に迷乱し、甜酒を嗜み音楽を好み、高屋を雕墻す。これら数様の中に一樣あれば、滅亡せざるはなし。」
其三曰:“惟彼陶唐,有此冀方。今失厥道,亂其紀綱,乃厎滅亡。”
第三首は言った。「あの陶唐氏、これ冀州の域を拠有せり。今その道を失い、紀綱を擾乱し、ここに滅亡に至る。」
其四曰:“明明我祖,萬邦之君。有典有則,貽厥子孫。關石和鈞,王府則有。荒墜厥緒,覆宗絕祀!”其五曰:“嗚呼曷歸?予懷之悲。萬姓仇予,予將疇依?鬱陶乎予心,顏厚有忸怩。弗慎厥德,雖悔可追?”夏書胤徵第四
第四首は言った。「光明たるわが祖先は、万邦の君主なり。典章あり法則あり、子孫に留め遺す。関石と鈞(賦税度量の公平)あれば、王府は充実す。祖先の緒業を荒廃坠落せば、宗廟を傾覆し祭祀を断絶せん。」第五首は言った。「ああ、どこへ帰らん。わが心は悲傷す。万姓は我を仇視し、私は誰に依拠せん。憂思はわが心に郁積し、顔は厚くともなお羞愧す。あの徳を謹慎せざれば、悔悟すともなお追還を得んや。」底本はこの段の末に「夏書胤征第四」を附す。これは次の篇の篇題が正文に串入したもの。
羲和湎淫,廢時亂日,胤往徵之,作《胤徵》。
羲和は淫逸に沉湎し、時節を廃棄し日数を錯乱した。胤侯は往いて征討し、《胤征》を作った。
惟仲康肇位四海,胤侯命掌六師。羲和廢厥職,酒荒於厥邑,胤後承王命徂徵。告於眾曰:“嗟予有眾,聖有謨訓,明徵定保,先王克謹天戒,臣人克有常憲,百官修輔,厥後惟明明,每歲孟春,遒人以木鐸徇於路,官師相規,工執藝事以諫,其或不恭,邦有常刑。”“惟時羲和顛覆厥德,沈亂於酒,畔官離次,俶擾天紀,遐棄厥司,乃季秋月朔,辰弗集於房,瞽奏鼓,嗇夫馳,庶人走,羲和屍厥官罔聞知,昏迷於天象,以幹先王之誅,《政典》曰:‘先時者殺無赦,不及時者殺無赦。’今予以爾有眾,奉將天罰。爾眾士同力王室,尚弼予欽承天子威命。火炎昆岡,玉石俱焚。天吏逸德,烈於猛火。殲厥渠魁,脅從罔治,舊染汙俗,鹹與惟新。嗚呼!威克厥愛,允濟;愛克厥威,允罔功。其爾眾士懋戒哉!”〖帝告釐沃〗自契至於成湯八遷,湯始居亳,從先王居。作《帝告》、《釐沃》。
仲康は初めて四海に君臨し、胤侯は命を受けて六軍を掌管した。羲和は職事を廢棄し、自らの封邑の中で酒をもって荒廃した。胤侯は王命を奉じて往いて征討した。衆人に宣告して言った。「ああ、わが衆位よ。聖人に謀略訓誡あり、明白に征験してこそ安定して保有しうる。先王は上天の警戒を謹慎に対待し、臣下は經常の法度を持守し、百官は職を修めて輔佐したれば、その君主はきわめて英明であった。毎年孟春、遒人は木鐸を搖って路上に巡行宣告し、官長は互いに規正し、百工は自らの技芸を執って進諫し、恭敬せざるあれば国家に常規の刑罰あり。」「このとき羲和は自らの徳を顛覆し、酒に沈溺昏乱し、官守に背叛して職位を離れ、初めて天時の紀綱を擾乱し、遠く自らの職司を抛棄した。ここに季秋月初一、日月は房宿に交会せず(日食)。楽官は鼓を撃ち、嗇夫は奔馳し、庶人は奔走した。羲和は官位を空占して一無所知、天象に対して昏迷不醒、よって先王の誅罰に触犯した。《政典》に曰く、「時に先んずれば殺して赦さず、時に後れれば殺して赦さず。」今、私は汝ら衆人を率い、上天の懲罰を奉行す。汝ら衆将士は合力して王室を扶助し、なおわが天子の威命を敬承すべし。火は崑山を焼き、玉と石はともに焚毀す。上天の吏はもし徳行を放縦せば、猛火よりも烈し。あの罪魁を殲滅せよ。脅従の人は罪を治めず、旧日沾染の汚俗は、みな自新を与えよ。ああ、威厳が私愛に勝てば、確かに事を成し、私愛が威厳に勝てば、確かに功をなさない。汝ら衆将士は努力して警戒せよ。」〖帝告・釐沃〗契より成湯に至るまで八回遷居し、湯は始めて亳に住み、先王の居処に追随した。《帝告》《釐沃》を作った。
〖湯徵〗湯徵諸侯,葛伯不祀,湯始徵之,作《湯徵》。
〖湯征〗湯は諸侯を征討し、葛伯は祭祀せず、湯は初めて彼を征討して《湯征》を作った。
〖汝鳩汝方〗伊尹去亳適夏,既醜有夏,復歸於亳。入自北門,乃遇汝鳩、汝方。作《汝鳩》、《汝方》。
〖汝鳩・汝方〗伊尹は亳を離れて夏に至り、すでに有夏を憎悪し、また亳に帰った。北門より入り、ここに汝鳩・汝方に遇った。《汝鳩》《汝方》を作った。
商書 湯誓第一
伊尹相湯伐桀,升自陑,遂與桀戰於鳴條之野,作《湯誓》。
伊尹は湯を輔佐して桀を討伐し、陑地より登り、ここに桀と鳴條の原野で交戦し、《湯誓》を作った。
王曰:“格爾眾庶,悉聽朕言,非臺小子,敢行稱亂!有夏多罪,天命殛之。
王は言った。「来い、汝ら衆人よ、みなわが言を聴け。我が小子が敢えて叛乱を発動するのではない。有夏は罪悪多く、上天は彼を誅滅せよと命令した。
今爾有眾,汝曰:‘我後不恤我眾,舍我穡事而割正夏?’予惟聞汝眾言,夏氏有罪,予畏上帝,不敢不正。今汝其曰:‘夏罪其如臺?’夏王率遏眾力,率割夏邑。有眾率怠弗協,曰:‘時日曷喪?予及汝皆亡。’夏德若茲,今朕必往。”
(湯王が続けて言うには、)今、汝ら衆人は言うだろう。『わが君主はわら衆人を体恤せず、わらの農事を丢下して夏に征討するか。』私はすでに汝ら衆人の言を聞いた。夏氏に罪あり、私は上帝を敬畏し、敢えて往き征討せざらざるを得ない。今、汝らは大概言うだろう。『夏の罪は究竟どうか。』夏王は衆人の気力を耗盡し、夏邑を剥削した。民衆はみな怠惰して和協せず言う。『この太陽はいつ滅亡するや。我は願くは汝とともに滅亡せん。』夏の徳はすでにこのようである。今、私は必ず往かん。」
“爾尚輔予一人,致天之罰,予其大賚汝!爾無不信,朕不食言。爾不從誓言,予則孥戮汝,罔有攸赦。”
「汝らはなおわが一人を輔佐し、上天の懲罰を施行せよ。私は大いに汝らを賞賜せん。汝らは信ぜざるなかれ。私は言を食わざるなり。汝らが誓言に聴従せざれば、私は汝らを妻子児女とともに誅戮し、赦免なし。」
〖夏社疑至臣扈〗湯既勝夏,欲遷其社,不可。作《夏社》、《疑至》、《臣扈》。
〖夏社・疑至・臣扈〗湯はすでに夏に戦勝し、夏の社神を遷移せんと欲したが、及ばなかった。《夏社》《疑至》《臣扈》を作った。
〖典寶〗夏師敗績,湯遂從之,遂伐三朡,俘厥寶玉。誼伯、仲伯作《典寶》。
〖典寶〗夏軍は大敗し、湯はここに追撃し、続いて三朡を討伐し、彼らの寶玉を俘獲した。誼伯・仲伯は《典寶》を作った。
商書 仲虺之誥第二
湯歸自夏,至於大坰,仲虺作誥。
湯は夏より帰り、大坰に至り、仲虺は誥を作った。
成湯放桀於南巢,惟有慚德。曰:“予恐來世以臺為口實。”
成湯は桀を南巢に放逐し、自らは慚愧の徳あった。言った。「私は来世が我を話柄とするを恐れる。」
仲虺乃作誥,曰:“嗚呼!惟天生民有欲,無主乃亂,惟天生聰明時乂,有夏昏德,民墜塗炭,天乃錫王勇智,表正萬邦,纘禹舊服。茲率厥典,奉若天命。
仲虺はここに誥を作り言った。「ああ、上天は人民を生育するに欲望あり、君主なければ乱る。上天は聡明の人を降生して治めしめた。有夏はその徳を昏乱し、人民は泥涂炭火に落入した。上天はここに王に勇と智を賜与し、万邦の表率と正をなさしめ、禹の旧服を継承せしめた。今、あの常典に遵循し、順いて天命を奉承せよ。
夏王有罪,矯誣上天,以布命於下。帝用不臧,式商受命,用爽厥師。簡賢附勢,實繁有徒。肇我邦於有夏,若苗之有莠,若粟之有秕。小大戰戰,罔不懼於非辜。
(仲虺が続けて言うには、)夏王に罪あり、詐稱して上天を誣罔し、もって下に命令を發布した。上帝はこれにより善ならざるとし、商をもって天命を受けしめ、もってその民衆を光明せしめた。賢人を簡慢し権勢に依附する者は、実に徒党が衆多だ。わが邦が有夏の中に興起するや、禾苗の中に莠草あるがごとく、粟の中に粃子あるがごとし。大小みな戦戦兢兢、無罪にして禍を受けるを怕れざるなし。
矧予之德,言足聽聞。惟王不邇聲色,不殖貨利。德懋懋官,功懋懋賞。用人惟己,改過不吝。克寬克仁,彰信兆民。乃葛伯仇餉,初征自葛,東征,西夷怨;南征,北狄怨,曰:‘奚獨後予?’攸徂之民,室家相慶,曰:‘徯予後,後來其蘇。’民之戴商,厥惟舊哉!佑賢輔德,顯忠遂良,兼弱攻昧,取亂侮亡,推亡固存,邦乃其昌。德日新,萬邦惟懷;志自滿,九族乃離。王懋昭大德,建中於民,以義制事,以禮制心,垂裕後昆。予聞曰:‘能自得師者王,謂人莫已若者亡。好問則裕,自用則小’。嗚呼!慎厥終,惟其始。殖有禮,覆昏暴。欽崇天道,永保天命。”
(仲虺が続けて言うには、)いわんやわが商の徳、言論はすでに聴聞するに足るや。王は声色に親近せず、貨利を増殖せず。徳盛んなれば勉励して官を与え、功盛んなれば勉励して賞を与えた。人を用うること自らを用うるがごとく、過錯を改正して吝惜せず。能く寛にして能く仁(仁は人および物を愛する本心)なり。億兆の人民に信用を彰明した。ここに葛伯は餉を送る者と仇をなし、第一次の征討は葛より始まった。東に征すれば西夷は抱怨し、南に征すれば北狄は抱怨して曰く。『なぜ単にわらを後に置くか。』至る所の人民は、家ごとに相慶賀して曰く。『わが君主を待つ。君主が来ればわらは蘇醒せん。』人民の商を擁戴するや、すでに久しい。賢人を佑助し有徳の者を輔佐し、忠良を顯揚し善人を進用し、弱小を兼并し昏昧を攻打し、混乱を奪取し将亡を軽慢し、亡ぶべきを推翻し存すべきを鞏固せば、邦国は昌盛せん。徳は日々新たにすれば、万邦は帰懐せん。心志自ら満てば、九族は背離せん。王は努力して大徳を昭明し、人民の中に中道を建立し、義をもって事を裁制し、礼をもって心を裁制し、後代に寛裕を留遺せよ。私は聞く。『自ら師を求むるを得る者は王を称え、他人はみな自らに如かざるとする者は滅亡す。問を好めば寛裕にして、剛愎自用すれば狭小なり』と。ああ、結末を謹慎するは、開始に在り。礼ある者を扶植し、昏暴なる者を傾覆せよ。天道を敬崇し、永遠に天命を保有せよ。」
商書 湯誥第三
湯既黜夏命,復歸於亳,作《湯誥》。
湯はすでに夏の天命を廢黜し、また亳に帰り、《湯誥》を作った。
王歸自克夏,至於亳,誕告萬方。王曰:“嗟!爾萬方有眾,明聽予一人誥。
王は夏に戦勝して帰り、亳に至り、万方に大いに告げた。王は言った。「ああ、汝ら万方の衆人よ、明白にわが一人の誥告を聴け。
惟皇上帝,降衷於下民。若有恆性,克綏厥猷惟後。夏王滅德作威,以敷虐於爾萬方百姓。爾萬方百姓,罹其兇害,弗忍荼毒,並告無辜於上下神祗。天道福善禍淫,降災於夏,以彰厥罪。肆臺小子,將天命明威,不敢赦。敢用玄牡,敢昭告於上天神後,請罪有夏。聿求元聖,與之戮力,以與爾有眾請命。上天孚佑下民,罪人黜伏,天命弗僣,賁若草木,兆民允殖。俾予一人輯寧爾邦家,茲朕未知獲戾於上下,慄慄危懼,若將隕於深淵。凡我造邦,無從匪彝,無即慆淫,各守爾典,以承天休。爾有善,朕弗敢蔽;罪當朕躬,弗敢自赦,惟簡在上帝之心。其爾萬方有罪,在予一人;予一人有罪,無以爾萬方。嗚呼!尚克時忱,乃亦有終。”
(湯王が続けて言うには、)偉大なる上帝、衷誠を下方の人民に降した。常性に順い、能くあの道を安定する者がこそ君主なり。夏王は徳を滅絶し大いに威虐を作し、暴虐を汝ら万方の百姓に施行した。汝ら万方の百姓は彼の凶害に遭い、荼毒を忍受できず、ともに上下の神祇に無辜を訴えた。天道は善人を福佑し淫人に禍を降し、灾を夏に降してその罪を彰明した。ゆえに我が小子は天命の明威を奉じ、敢えて赦免せず。敢えて黒色の公牛を用い、敢えて明白に上天と后土に禀告し、請うて夏の罪を問うた。ここに大聖を求得し、彼と合力し、もって汝ら衆人のために命を請う。上天は誠信して下方の人民を保佑し、罪人は廢黜降伏し、天命に差錯なく、文采は草木のごとく繁盛し、億兆の人民は確かに生殖を得た。わが一人をして汝らの邦家を和寧せしめ、このとき私はなお上下に罪を獲たりや否やを知らず、栗栗危惧して、将に深淵に墜入せんとするがごとし。およそわが封建の邦国、非法に依従するなかれ、怠慢淫逸に走向するなかれ、各自あなたがたの常典を守住して、もって上天の美賜を承受せよ。汝らに善あれば、私は敢えて遮蔽せず。罪がわが身に在れば、私は敢えて自ら赦免せず、ただ上帝の心に簡察せしむ。もし汝ら万方に罪あれば、責任はわが一人に在り。わが一人に罪あれば、汝ら万方に加えるなかれ。ああ、このように誠信なることを希望する。ここに好き結末あらん。」
〖明居〗咎單作《明居》。
〖明居〗咎単は《明居》を作った。
商書 伊訓第四
成湯既沒,太甲元年,伊尹作《伊訓》、《肆命》、《徂後》。
成湯はすでに去世し、太甲元年、伊尹は《伊訓》《肆命》《徂后》を作った。
惟元祀十有二月乙丑,伊尹祠於先王。奉嗣王祗見厥祖,侯、甸群后鹹在,百官緫己以聽冢宰。伊尹乃明言烈祖之成德,以訓於王。曰:“嗚呼!古有夏先後,方懋厥德,罔有天災。山川鬼神,亦莫不寧,暨鳥獸魚鱉鹹若。於其子孫弗率,皇天降災,假手於我有命,造攻自鳴條,朕哉自亳。惟我商王,布昭聖武,代虐以寬,兆民允懷。今王嗣厥德,罔不在初,立愛惟親,立敬惟長,始於家邦,終於四海。嗚呼!先王肇修人紀,從諫弗咈,先民時若。居上克明,為下克忠,與人不求備,檢身若不及,以至於有萬邦,茲惟艱哉!敷求哲人,俾輔於爾後嗣,制官刑,儆於有位。曰:‘敢有恆舞於宮,酣歌於室,時謂巫風,敢有殉於貨色,恆於遊畋,時謂淫風。敢有侮聖言,逆忠直,遠耆德,比頑童,時謂亂風。惟茲三風十愆,卿士有一於身,家必喪;邦君有一於身,國必亡。臣下不匡,其刑墨,具訓於蒙士。’嗚呼!嗣王祗厥身,念哉!聖謨洋洋,嘉言孔彰。惟上帝不常,作善降之百祥,作不善降之百殃。爾惟德罔小,萬邦惟慶;爾惟不德罔大,墜厥宗。”
元祀十二月乙丑、伊尹は先王の廟で祭祀した。嗣王を奉じて恭しくその祖先に拜見し、侯服・甸服の各方の諸侯はみな在り、百官は冢宰に統属して聴命した。伊尹はここに明白に烈祖の成徳を稱説し、もって嗣王を訓誡した。言うには、「ああ、古代有夏の先君、まさに修徳に努力していた時は、天灾なし。山川の鬼神もまた不安寧なく、鳥獣魚鱉に至るまでみな順遂した。子孫に至り遵循せず、皇天は灾禍を降下し、わが受命の人に借手し、鳴條より進攻を發し、わが商は亳より始まった。わが商王は聖武を昭布し、寛をもって虐に代え、億兆の人民は確かに懐念した。今、王はあの徳を継承し、一件として初めに在らざるなし。愛を建立するは親人より始め、敬を建立するは長者より始め、家邦より始めて、終に四海に至る。ああ、先王は初めて人の綱紀を修明し、諫浄に聴従して違逆せず、先民に順従した。上に在って能く明察、下に在って能く忠誠、人と交わりて求全責備せず、自らを檢点して常に及ばざるを怕れ、ここに万邦を有するに至った。これは艱難である。広く明智の人を求取し、彼らをして汝の後嗣を輔佐せしめ、官刑を制定して位に在る者を儆戒した。曰く。『敢えて宫中に常に舞蹈し、室中に酣飲歌唱するは、これを巫風という。敢えて財貨女色を貪求し、常に遊蕩畋獵するは、これを淫風という。敢えて聖人の言を侮慢し、忠直を拒逆し、年高德ある者を疎遠し、頑劣の少年を親近するは、これを乱風という。この三種の風・十種の愆過、卿士の身に一種あれば、家は必ず喪亡し、邦君の身に一種あれば、国は必ず滅亡す。臣下が匡正を加えざれば、墨刑を用いる。これらはみな下士に訓誡する』と。ああ、嗣王は自らを敬慎し、記憶せよ。聖人の謀略は洋洋として広大、美言はきわめて彰明なり。上帝は恒常不変にあらず。善を作せば諸々の祥瑞を降し、不善を作せば諸々の禍殃を降す。汝が修徳するは多小に論ぜず、万邦はみな慶幸せん。汝が修徳せざるは多大に論ぜず、みな自らの宗廟を坠落せん。」
商書 太甲上第五
太甲既立,不明,伊尹放諸桐。三年復歸於亳,思庸,伊尹作《太甲》三篇。
太甲はすでに即位したが、事理に明らかでなく、伊尹は彼を桐に放逐した。三年後に亳に帰り、常道を思念した。伊尹は《太甲》三篇を作った。
惟嗣王不惠於阿衡,伊尹作書曰:“先王顧諟天之明命,以承上下神祗。
嗣王は阿衡(伊尹)に順従せず、伊尹は書を作り言った。「先王は上天の光明の命令を顧視し、もって上下の神祇を承奉した。
社稷宗廟,罔不祗肅。天監厥德,用集大命,撫綏萬方。惟尹躬克左右厥闢,宅師,肆嗣王丕承基緒。惟尹躬先見於西邑夏,自周有終。相亦惟終;其後嗣王罔克有終,相亦罔終,嗣王戒哉!祗爾厥闢,闢不闢,忝厥祖。”
(伊尹が続けて言うには、)社稷・宗廟、恭敬厳粛せざるなし。上天はあの徳を監察し、よって大命を集中し、万方を撫安した。わが伊尹は自らの君主を左右し、民衆を安定することができた。ゆえに嗣王は大大に基業緒統を継承した。わが伊尹は先にすでに西邑の夏を見た。能く忠信あれば終あり(「周」はここでは忠信と読む)、輔相もまた終あり。後來の嗣王は終を有すること能わず、輔相もまた終を有すること能わず。嗣王は警戒せよ。汝の君主たる事を敬慎せよ。君主が君主に似ざれば、祖先を辱めることにならん。」
王惟庸罔念聞。伊尹乃言曰:“先王昧爽丕顯,坐以待旦。旁求俊彥,啟迪後人,無越厥命以自覆。慎乃儉德,惟懷永圖。若虞機張,往省括於度則釋。欽厥止,率乃祖攸行,惟朕以懌,萬世有辭。”
王はただ平庸で、思念せず、聽聞せず。伊尹はここに言った。「先王は天いまだ明けざるに大いに光明を顕し、坐して天亮を待った。広く俊彦を求取し、後人を開導し、あの命を逾越して自ら傾覆するなかれ。汝の節倹の徳を謹慎し、ただ長遠の謀画を懐け。虞人が弩機を張開し、箭栝の法度に合するを見て後に發射するがごとし。汝の当に止まるべき所を敬慎し、汝の祖先の行う所に遵循せば、私は喜悦し、万世もまた美辞あらん。」
王未克變。伊尹曰:“茲乃不義,習與性成。予弗狎於弗順,營於桐宮,密邇先王其訓,無俾世迷。王徂桐宮居憂,克終允德。”
王はなお改変することができなかった。伊尹は言った。「これは不義であり、習慣は本性とともに養成される。私は順わざる者に親近すること能わず、桐宮に居処を營造し、先王に靠近して訓誡を受けさせ、彼をして一生迷惑せしめざらんとす。王は桐宮に往き居喪守憂して、こそ誠信の徳を成就しうる。」
商書 太甲中第六
惟三祀十有二月朔,伊尹以冕服奉嗣王歸於亳,作書曰:“民非後,罔克胥匡以生;後非民,罔以闢四方。皇天眷佑有商,俾嗣王克終厥德,實萬世無疆之休。”
三年十二月初一、伊尹は冕服をもって嗣王を奉じて亳に帰らせ、書を作り言った。「人民に君主なければ、互いに匡正して生存することができず。君主に人民なければ、四方に君臨することができない。皇天は有商を眷顧保佑し、嗣王をしてあの徳を成就せしめた。実に万世無疆の美事だ。」
王拜手稽首曰:“予小子不明於德,自厎不類。欲敗度,縱敗禮,以速戾於厥躬。天作孽,猶可違;自作孽,不可逭。既往背師保之訓,弗克於厥初,尚賴匡救之德,圖惟厥終。”
王は跪拜して叩頭し言った。「我が小子は徳に明らかでなく、自ら不似様に至った。欲望は法度を敗壞し、放縦は礼を敗壞し、よって速やかに自らに罪戻を召来した。天の降す灾はなお避けうる。自ら作す孽は逃脱の法なし。以往師保の訓誡に違背し、初めにおいて善をなすことができず、なお匡救の徳を指望し、好き結末を謀求する。」
伊尹拜手稽首曰:“修厥身,允德協於下,惟明後。先王子惠困窮,民服厥命,罔有不悅。並其有邦厥鄰,乃曰:‘徯我後,後來無罰。’王懋乃德,視乃厥祖,無時豫怠。奉先思孝,接下思恭。視遠惟明;聽德惟聰。朕承王之休無斁。”
伊尹は跪拜して叩頭し言った。「自身を修養し、誠信の徳は下を協和する。これぞ英明の君主だ。先王は困窮の人を慈愛し、人民はその命令に服従して、喜悦せざるなし。その隣邦に至るまでみな曰く。『わが君主を待つ。君主が来れば刑罰なし』と。王は汝の徳に努力し、汝の祖先に看齊せよ。一時の安逸怠惰あるなかれ。先人を奉事するに孝を思い、臣下を接待するに恭を思い。遠くを見るに明、徳を聴くに聡あれ。私は王の美賜を承受して厭倦せず。」
商書 太甲下第七
伊尹申誥於王曰:“嗚呼!惟天無親,克敬惟親。民罔常懷,懷於有仁。鬼神無常享,享於克誠。天位艱哉!德惟治,否德亂。與治同道,罔不興;與亂同事,罔不亡。終始慎厥與,惟明明後。先王惟時懋敬厥德,克配上帝。今王嗣有令緒,尚監茲哉。若升高,必自下,若陟遐,必自邇。無輕民事,惟難;無安厥位,惟危。慎終於始。有言逆於汝心,必求諸道;有言遜於汝志,必求諸非道。
伊尹は再び王に誥告して言った。「ああ、天に私親なく、能く敬する者をこそ親近す。人民に固定の懐念の対象なく、仁ある者を懐念す。鬼神に固定の歆享の対象なく、能く誠なる者を歆享す。天子の位は艱難である。徳あれば治まり、徳なければ乱る。治世と同じ道を走れば、興らざるはなく、乱世と同じ事を為せば、亡ばざるはなし。始終自らの交結する所を謹慎するが、こそきわめて英明の君主なり。先王はこれにより努力してあの徳を敬慎し、上帝に配することができた。今、王は美好の緒業を継承し、なおこれらを察看すべきだ。高く升らんとするは、必ず下より始め、遠くに走らんとするは、必ず近処より始める。民事を軽易に見るなかれ、艱難と見よ。位に安んずるなかれ、危険と見よ。開始の時に結末を謹慎せよ。言に汝の心に違背するあれば、必ず道をもって求证せよ。言に汝の志向に順従するあれば、必ず不道の彼方より求证せよ。
嗚呼!弗慮胡獲?弗為胡成?一人元良,萬邦以貞。君罔以辯言亂舊政,臣罔以寵利居成功,邦其永孚於休。”
(伊尹が続けて言うには、)ああ、思考せずしてどうして得あらん。作為せずしてどうして成あらん。天子一人が大善なれば、万邦は正す。君主は巧弁をもって旧政を擾乱するなかれ。臣子は寵利に憑って功に居るなかれ。邦国はこそ永遠に美に誠信せん。」
商書 咸有一德第八
伊尹作《咸有一德》。
伊尹は《咸有一徳》を作った。
伊尹既復政厥闢,將告歸,乃陳戒於德。曰:“嗚呼!天難諶,命靡常。常厥德,保厥位。厥德匪常,九有以亡。夏王弗克庸德,慢神虐民。皇天弗保,監於萬方,啟迪有命,眷求一德,俾作神主。惟尹躬暨湯,咸有一德,克享天心,受天明命,以有九有之師,爰革夏正。非天私我有商,惟天佑於一德;非商求於下民,惟民歸於一德。德惟一,動罔不吉;德二三,動罔不兇。惟吉凶不僣在人,惟天降災祥在德。今嗣王新服厥命,惟新厥德。終始惟一,時乃日新。任官惟賢材,左右惟其人。臣為上為德,為下為民。其難其慎,惟和惟一。德無常師,主善為師。善無常主,協於克一。俾萬姓鹹曰:‘大哉王言。’又曰:‘一哉王心’。
伊尹はすでに政事を君主に交還し、将に告帰せんとして、ここに徳に関する事を陳説告誡した。言うには、「ああ、天は信じがたく、命は恒常にあらず。常にあの徳を保持して、こそ位を保つことができる。あの徳が常ならざれば、九州はこれにより滅亡す。夏王は徳を常に修めること能わず、鬼神を怠慢し、人民を虐害した。皇天は保佑せず、万方を監察し、あの受命の人を開人を開導し、純一の徳ある人を眷顧して尋求し、彼をして神主とした。わが伊尹と湯は、みな純一の徳あり、天心に契合し、上天の光明の命令を接受し、よって九州の民衆を擁有し、ここに夏の正朔を変革した。天がわが有商を私愛したのではなく、ただ天が純一の徳を保佑したのだ。商が下方の人民を求取したのではなく、ただ人民が純一の徳に帰向したのだ。徳が純一なれば、挙動して吉ならざるなし。徳が反覆無常なれば、挙動して凶ならざるなし。吉凶に差錯なきは人に在り。天が灾祥を降すは徳に在り。今、嗣王は新たにあの命を接受し、あの徳を更新せしめよ。始終純一にして、こそ日日更新しうる。官員を任用するはただ賢才のみ、左右はただ適当の人のみ。臣子は上に対しては徳のため、下に対しては民のため。艱難せよ、謹慎せよ、和諧せよ、純一せよ。徳に固定の師なく、善を主とすればこれ師なり。善に固定の主人なく、能く純一に協合せよ。万姓をして皆曰く、『王の言はなんと大なるか』と。また曰く、『王の心はなんと純一なるか』と。
克綏先王之祿,永厎烝民之生。嗚呼!七世之廟,可以觀德。萬夫之長,可以觀政。後非民罔使;民非後罔事。無自廣以狹人,匹夫匹婦,不獲自盡,民主罔與成厥功。”
(伊尹が続けて言うには、)こうしてこそ先王の禄位を安定し、永遠に衆民の生存を成就しうる。ああ、七世の宗廟は、その中より徳を観ることができる。万夫の長は、その中より政を観ることができる。君主に人民なければ使う人なく、人民に君主なければ事うる人なし。自らを大いにして他人を小に見るなかれ。匹夫匹婦がもし自らの心意を尽くすことができざれば、民の主たる者は彼と功業を成就する人なし。」
〖沃丁〗沃丁既葬伊尹於亳,咎單遂訓伊尹事,作《沃丁》。
〖沃丁〗沃丁はすでに伊尹を亳に葬り、咎単はここに伊尹の事跡を訓述して、《沃丁》を作った。
〖鹹乂〗伊陟相大戊,亳有祥桑谷共生於朝。伊陟贊於巫咸,作《鹹乂》四篇。
〖咸乂〗伊陟は大戊を輔佐す。亳に祥異あり。桑と穀が朝廷にともに生えた。伊陟は巫咸に告げ、《咸乂》四篇を作った。
〖伊陟原命〗太戊贊於伊陟,作《伊陟》、《原命》。
〖伊陟・原命〗太戊は伊陟を稱美し、《伊陟》《原命》を作った。
〖仲丁〗仲丁遷於囂,作《仲丁》。
〖仲丁〗仲丁は囂に遷り、《仲丁》を作った。
〖河亶甲〗河亶甲居相,作《河亶甲》。
〖河亶甲〗河亶甲は相に住み、《河亶甲》を作った。
〖祖乙〗祖乙圯於耿,作《祖乙》。
〖祖乙〗祖乙の時、耿地が塌陷し、《祖乙》を作った。
商書 盤庚上第九
盤庚五遷,將治亳殷,民諮胥怨。作《盤庚》三篇。
盤庚は五回遷都し、まさに亳殷を治めんとした。人民は嘆息して互いに怨恨した。《盤庚》三篇を作った。
盤庚遷於殷,民不適有居,率籲眾慼出,矢言曰:“我王來,既爰宅於茲,重我民,無盡劉。不能胥匡以生,卜稽,曰其如臺?先王有服,恪謹天命,茲猶不常寧;不常厥邑,於今五邦。今不承於古,罔知天之斷命,矧曰其克從先王之烈?若顛木之有由櫱,天其永我命於茲新邑,紹復先王之大業,厎綏四方。”
盤庚は殷に遷り、人民はこの居処を好まず、ここに衆の憂戚の人を呼召して出でさせ、陳述して言った。「わが先王が来て、すでにここに住を改めたのは、わが人民を重視し、人民をしてみな殺害せしめざらんとしたのだ。もし互いに匡正して生存することができざれば、問卜して稽考しても、またどうしようか。先王は事あるに、恭敬謹慎して天命に対待し、なお長久安寧することができず。都邑を固定することができず、今までですでに五つの邦だ。今、古人を継承せざれば、上天が決断する命を知らず。いわんや先王の功業に跟従しうるを言わんや。倒伏の樹木にもなお新芽あるがごとく、上天は大概わが命をこの新邑に長久せしめ、続けて���王の大業を恢復し、四方を安定せしめん。」
盤庚斅於民,由乃在位以常舊服,正法度。曰:“無或敢伏小人之攸箴!”王命眾,悉至於庭。
盤庚は人民を開導し、位に在る大臣を通じて旧有の制度を用い、法度を端正した。言った。「小民の規箴を隱伏せしむるを敢えてする者あらしめるなかれ。」王は衆人に命じて、みな庭中に至らしめた。
王若曰:“格汝眾,予告汝訓汝,猷黜乃心,無傲從康。
王はこのように言った。「来い、汝ら衆人よ。私は汝らに告げ、汝らを訓誡し、汝らの私心を去掉せんことを謀求す。傲慢するなかれ、安逸を貪るなかれ。
古我先王,亦惟圖任舊人共政。王播告之,修不匿厥指。王用丕欽;罔有逸言,民用丕變。今汝聒聒,起信險膚,予弗知乃所訟。非予自荒茲德,惟汝含德,不惕予一人。予若觀火,予亦拙謀作,乃逸。
(盤庚が続けて言うには、)昔、わが先王もまた、ただ旧人を任用して共同で執政するを謀求したのみ。先王は文告を頒布し、修治してその意旨を隱匿せず。先王はこれにより大いに敬重を受け、過当の言なく、人民はこれにより大いに改変した。今、汝らは喧嘩吵閙し、起ちて険悪虚浮の言を相信す。私は汝らが何を争訟しているか知らず。これは私が自らこの徳を荒廃したのではなく、ただ汝らが徳を含蔵して、わが一人を畏懼せざるなり。私は火を看るがごとく清楚である。私もまた謀画作為に拙く、汝らをして安逸せしめた(この句は底本が艱澀。一説に『私がもし謀画に拙ければ、汝らは放逸するであろう』)。
若網在綱,有條而不紊;若農服田,力穡乃亦有秋。汝克黜乃心,施實德於民,至於婚友,丕乃敢大言汝有積德。乃不畏戎毒於遠邇,惰農自安,不昏作勞,不服田畝,越其罔有黍稷。
(盤庚が続けて言うには、)網が綱にあるがごとく、条理あって紊亂せず。農夫が田畝に従事するがごとく、努力して耕作してこそ秋收あらん。汝らが私心を去掉し、切実の徳を人民に施し、婚姻朋友に至るまで及ぼせば、こそ大言して汝らに積徳ありと言う。もし遠近の大害を怕れず、懶惰の農夫が自ら安逸し、努力して作労せず、田畝に従事せざれば、ここに黍稷あらざらん。
汝不和吉言於百姓,惟汝自生毒,乃敗禍奸宄,以自災於厥身。乃既先惡於民,乃奉其恫,汝悔身何及!相時憸民,猶胥顧於箴言,其發有逸口,矧予制乃短長之命!汝曷弗告朕,而胥動以浮言,恐沈於眾?若火之燎於原,不可向邇,其猶可撲滅。則惟汝眾自作弗靖,非予有咎。
(盤庚が続けて言うには、)汝らはよき言を百姓に和諧して宣布せず、ただ汝らが自ら毒害を生出し、ここに敗乱・禍患・内外の奸悪をなして、自ら自身を災害する。汝らはすでに先に悪を人民に加え、再びあの痛苦を承受す。自身を悔悟するもどうして及ばん。あの小民を看よ。なお彼此あの規箴の言を顧念す。いわんや口を出せば過失あらん、いわんや私が汝らの性命の短長を掌握しているをや。汝らはなぜ私に告げず、浮言をもって互いに煽動するか。衆人を沈溺に拖入せんことを恐れんや。火が原野上に延焼するがごとく、靠近すること能わずとも、なお撲滅しうる。これはただ汝ら衆人が自ら不安定を成したので、私に過錯あるのではない。
遲任有言曰:‘人惟求舊,器非求舊,惟新。’古我先王暨乃祖乃父胥及逸勤,予敢動用非罰?世選爾勞,予不掩爾善。茲予大享於先王,爾祖其從與享之。
(盤庚が続けて言うには、)遲任に言あり。『人は旧きを尋求し、器具は旧きを尋求するなかれ、ただ新しきのみ。』昔、わが先王と汝らの祖父父親は、みな共同で労逸し、私は敢えて不当の刑罰を動用せんや。世世代代汝らの功労を計数し、私は汝らの善を掩蓋せず。今、私は先王を大祭し、汝らの祖先もまたこれに跟従して祭祀を享受せん。
作福作災,予亦不敢動用非德。
(盤庚が続けて言うには、)福を作し灾を作すも、私はまた敢えて不当の賞罰を動用せず。
予告汝於難,若射之有志。汝無侮老成人,無弱孤有幼。各長於厥居。勉出乃力,聽予一人之作猷。
(盤庚が続けて言うには、)私は艱難を汝らに告ぐるに、射箭に靶心あるがごとし。汝らは老成の人を軽侮するなかれ、孤幼を弱視するなかれ。各自長久に自らの居処に住め。努力して汝らの気力を使出し、わが一人の作す謀画に聴従せよ。
無有遠邇,用罪伐厥死,用德彰厥善。邦之臧,惟汝眾;邦之不臧,惟予一人有佚罰。凡爾眾,其惟致告:自今至於後日,各恭爾事,齊乃位,度乃口。罰及爾身,弗可悔。”
(盤庚が続けて言うには、)遠近を論ぜず、刑罰をもって死罪を懲治し、徳をもって善行を表彰す。邦国が美好なれば、これは汝ら衆人の力。邦国が不好なれば、これはわが一人に失罰の罪あり。およそ汝ら衆人、互いに転告せよ。今より後に至るまで、各自汝らの職事を恭敬し、汝らの位を整粛し、汝らの口を節度せよ。刑罰が汝らの身に加われば、悔悟すべからざるなり。」
商書 盤庚中第十
盤庚作,惟涉河以民遷。乃話民之弗率,誕告用亶。其有眾鹹造,勿褻在王庭,盤庚乃登進厥民。曰:“明聽朕言,無荒失朕命!嗚呼!古我前後,罔不惟民之承保。後胥慼鮮,以不浮於天時。殷降大虐,先王不懷厥攸作,視民利用遷。
盤庚は興起し、河を渡って人民を帶領して遷徙せんとした。ここにあの遵循せざる人民を会合し、誠意をもって大いに告諭した。あの衆人はみな至り、軽慢するなかれ、王庭にあり、盤庚はここに人民をして上前せしめた。言った。「明白にわが言を聴け。わが命令を荒廃丟失するなかれ。ああ、昔、わが先君、人民を承保せざるなし。君主はみな憂戚にして過失少なく、よって天時に背逆せず。殷地に大灾が降したとき、先王は自らの造る所に留戀せず、人民の利益を看て遷徙した。
汝曷弗念我古後之聞?承汝俾汝惟喜康共,非汝有咎比於罰。予若籲懷茲新邑,亦惟汝故,以丕從厥志。
(盤庚が続けて言うには、)汝らはなぜわが古代先君の傳聞を想想せざるか。汝らを承奉して汝らをして安楽と共享を喜ばしめたのは、汝らに罪あるにより刑罰に比照したのではない。私がこの新邑を懐念するを呼籲するも、また汝らのためなり。来て先王の心志に大大に順從せん。
今予將試以汝遷,安定厥邦。汝不憂朕心之攸困,乃鹹大不宣乃心,欽念以忱動予一人。爾惟自鞠自苦,若乘舟,汝弗濟,臭厥載。爾忱不屬,惟胥以沈。
(盤庚が続けて言うには、)今、私はまさに汝らを帶領して遷徙し、邦国を安定せんと試行す。汝らはわが心裏の困苦を憂慮せず、卻ってみな大大に汝らの心を宣明せず、誠意をもってわが一人を感動���るを敬念せず。汝らはただ自らを窮困し自らを苦しむ。船に乗るがごとく、汝らは渡り去らず、載する所を腐臭せしめん。汝らの誠意は連接せず、ただともに沈没するのみ。
不其或稽,自怒曷瘳?汝不謀長以思乃災,汝誕勸憂。今其有今罔後,汝何生在上?今予命汝,一無起穢以自臭,恐人倚乃身,迂乃心。予迓續乃命於天,予豈汝威,用奉畜汝眾。
(盤庚が続けて言うには、)稍も考察せず、自ら發怒してまたどうして病愈せん。汝らは長遠の謀画を作してあの灾禍を想わず、卻って大いに人に憂愁を勸む。今はただ今日ありて明日なし。汝らは何を憑って世上に生活せん。今、私は汝らに命令す。一律に汚穢を揚起して自らを臭くするなかれ。人が汝らの身子に倚靠し、汝らの心を歪めるを怕る。私は上天に向かい汝らの命を迎續す。私はいずれか汝らを威嚇せん。これはもって汝ら衆人を奉養するのだ。
予念我先神後之勞爾先,予丕克羞爾,用懷爾,然。失於政,陳於茲,高後丕乃崇降罪疾,曰‘曷虐朕民?’汝萬民乃不生生,暨予一人猷同心,先後丕降與汝罪疾,曰:‘曷不暨朕幼孫有比?’故有爽德,自上其罰汝,汝罔能迪。古我先後既勞乃祖乃父,汝共作我畜民,汝有戕則在乃心!我先後綏乃祖乃父,乃祖乃父乃斷棄汝,不救乃死。
(盤庚が続けて言うには、)私は想起す。わが神聖の先君は汝らの祖先を労苦した。私は汝らを進献して養育せんと很想し、もって汝らを懐念せん。然るに政事が失誤し、久しくここに留まれば、偉大なる先君は重ねて罪疾を降下して曰く、『なぜわが人民を虐害するか』と。汝ら万民がもし生生不息せず、わが一人と同心を謀求せざれば、先君は汝らに罪疾を降下して曰く、『なぜわが幼孫と親近せざるか』と。ゆえに差錯ある徳あれば、上頭よりすれば汝らを懲罰し、汝らは逃脫の法なし。昔、わが先君はすでに汝らの祖父父親を労苦し、汝らはともにわが畜養の民を作る。汝らの心にもし戕害あらば、わが先君は汝らの祖父父親を安定せしめ、汝らの祖父父親はすなわち決然として汝らを拋棄し、汝らの死を救わざらん。
茲予有亂政同位,具乃貝玉。乃祖乃父丕乃告我高後曰:‘作丕刑于朕孫!’迪高後丕乃崇降弗祥。
(盤庚が続けて言うには、)今、私に乱政の人ありて官位に同在し、貝玉を聚斂す。汝らの祖父父親はすなわちわが先君に告げて曰く、『わが子孫に大いに刑罰を用いよ』と。開導すれば先君は重ねて不祥を降下せん。
嗚呼!今予告汝:不易!永敬大恤,無胥絕遠!汝分猷念以相從,各設中於乃心。乃有不吉不迪,顛越不恭,暫遇奸宄,我乃劓殄滅之,無遺育,無俾易種於茲新邑。
(盤庚が続けて言うには、)ああ、今、私は汝らに告ぐ。この事は容易ならず。永遠にこの大憂恤を敬慎せよ。互いに疎遠隔絶するなかれ。汝らは分かれて謀慮思念して相従し、各自心中に中道を設立せよ。もし不善不道、顛狂して逾越して恭敬せず、詐偽に遇えばすなわち内外の奸悪をなすあらば、私は鼻を割って滅絶し、遺種を留めず、彼らをしてこの新邑に種を換えしめざらん。
往哉!生生!今予將試以汝遷,永建乃家。”
(盤庚が続けて言うには、)行け。生生不息せよ。今、私はまさに汝らを帶領して遷徙し、永遠に汝らの家を建立せん。」
商書 盤庚下第十一
盤庚既遷,奠厥攸居,乃正厥位,綏爰有眾。曰:“無戲怠,懋建大命!今予其敷心腹腎腸,歷告爾百姓於朕志。罔罪爾眾,爾無共怒,協比讒言予一人。
盤庚はすでに遷徙し、居処する所を安定し、ここに位子を端正し、衆人を安撫した。言った。「嬉戲怠惰するなかれ。努力して大命を建立せよ。今、私は心腹腎腸を攤開し、わが心志を汝ら百姓に一一陳述す。私は汝ら衆人に罪を加えず、汝らはともに發怒して讒言を聯合編造し、わが一人を針對するなかれ。
古我先王將多於前功,適於山。用降我兇,德嘉績於朕邦。今我民用蕩析離居,罔有定極,爾謂朕曷震動萬民以遷?肆上帝將復我高祖之德,亂越我家。朕及篤敬,恭承民命,用永地於新邑。肆予沖人,非廢厥謀,吊由靈各;非敢違卜,用宏茲賁。
(盤庚が続けて言うには、)昔、わが先王は前人の功労を増多せんとして、山地に遷った。よってわが凶灾を降下し、美好の功績をわが邦に降した。今、わが人民はこれにより動盪分散して居処を離れ、固定の止極なし。汝らは私に問う、なぜ万民を震動して遷徙するかと。それゆえ上帝はまさにわが高祖の徳を恢復し、治理してわが家に至らしめんとす。私はここに篤厚敬慎し、恭敬して人民の命を承受し、もって永遠に新邑に住せん。ゆえに我が年輕人は、あの謀画を廢棄するにあらず、善く神靈の指示に従うなり(「弔由霊各」は一説に『善く神靈の分別して降した命を用いる』)。敢えて卜問に違背するにあらず、ただこの美事を光大せんと欲す。
嗚呼!邦伯師長百執事之人,尚皆隱哉!予其懋簡相爾念敬我眾。朕不肩好貨,敢恭生生。鞠人謀人之保居,敘欽。今我既羞告爾於朕志若否,罔有弗欽!無總於貨寶,生生自庸。式敷民德,永肩一心。”
(盤庚が続けて言うには、)ああ、邦伯・師長・百執事の人よ、なおみな体恤せよ。私は努力して汝らを簡選察看し、わが民衆を敬重することを記憶す。私は貪貨の人を任用せず、敢えてあの生生の道を恭敬す。人民を養育し、人民のために安定の居所を謀求する者を、等次に按って敬重す。今、私はすでにわが心志の可否を汝らに進告した。不敬あらしめるなかれ。貨寶を聚斂するなかれ、生生を功とせよ。徳を人民に施行し、永遠に一心を堅持せよ。」
商書 説命上第十二
高宗夢得說,使百工營求諸野,得諸傅巖,作《說命》三篇。
高宗は傅説を夢見、百官をして野外に營造尋求せしめ、傅巖にて彼を得た。《説命》三篇を作った。
王宅憂,亮陰三祀。既免喪,其惟弗言,群臣鹹諫於王曰:“嗚呼!知之曰明哲,明哲實作則。天子惟君萬邦,百官承式,王言惟作命,不言臣下罔攸稟令。”
王は居喪し、諒陰三年。すでに喪を除したが、彼は言を発せず。群臣はみな王に進諫して言った。「ああ、知るを明哲という。明哲は実に法則を制作す。天子は万邦に君臨し、百官は法式を承奉し、王の言はこそ命令を作成す。言わざれば臣下は命令を領受する処なし。」
王庸作書以誥曰:“以臺正於四方,惟恐德弗類,茲故弗言。恭默思道,夢帝賚予良弼,其代予言。”乃審厥象,俾以形旁求於天下。說築傅巖之野,惟肖。
王はこれにより書を作り誥告して言った。「私をして四方の表率とせしむるは、ただ徳が先王に似ざるを怕れて、ゆえに言わざるなり。恭敬して沈黙に道を思索し、上帝が我に賢良の輔弼を賜与するを夢見、彼をしてわが代わりに言わしめん。」ここにあの形象を審定し、人をして形貌に按って天下に廣く尋求せしめた。傅説は傅巖の野で版築し、容貌はきわめて相似たり。
爰立作相。王置諸其左右。
ここに立てて相とした。王は彼を自らの左右に置いた。
命之曰:“朝夕納誨,以輔臺德。若金,用汝作礪;若濟巨川,用汝作舟楫;若歲大旱,用汝作霖雨。啟乃心,沃朕心,若藥弗瞑眩,厥疾弗瘳;若跣弗視地,厥足用傷。惟暨乃僚,罔不同心,以匡乃闢。俾率先王,迪我高後,以康兆民。
彼に命令して言った。「朝夕教誨を進納し、もってわが徳を輔佐せよ。金属のごとく、汝をもって磨石とせよ。大河を渡るがごとく、汝をもって船桨とせよ。年歳の大旱のごとく、汝をもって及時の雨とせよ。汝の心を打開し、わが心を澆灌せよ。薬が人をして暈眩せしめざれば、その病は能く好えざるがごとく、赤足にして地面を看ざれば、その脚はこれにより傷うがごとし。汝と汝の同僚、同心せざるなし。来て汝の君主を匡正せよ。能く先王に遵循し、わが高祖を開導し、もって億兆の人民を安康せしめよ。
嗚呼!欽予時命,其惟有終。”
(高宗が続けて言うには、)ああ、わがこの時の命令を敬慎し、好き結末あらしめよ。」
說復於王曰:“惟木從繩則正,後從諫則聖。後克聖,臣不命其承,疇敢不祗若王之休命?”
傅説は王に回復して言った。「木は繩墨に服從すれば正しく、君主は諫浄に聽従すれば聖なり。君主が能く聖なれば、臣子は命令を待たずに承奉す。誰か敢えて王の美命に恭敬順従せざらん。」
商書 説命中第十三
惟說命總百官,乃進於王曰:“嗚呼!明王奉若天道,建邦設都,樹后王君公,承以大夫師長,不惟逸豫,惟以亂民。惟天聰明,惟聖時憲,惟臣欽若,惟民從乂。惟口起羞,惟甲冑起戎,惟衣裳在笥,惟干戈省厥躬。王惟戒茲,允茲克明,乃罔不休。惟治亂在庶官。官不及私暱,惟其能;爵罔及惡德,惟其賢。
傅説は命を受けて百官を総領し、ここに王に進言して言った。「ああ、明王は天道を奉承順從し、邦国を建立し都邑を設立し、后王君公を樹立し、下に大夫師長を承える。これは安逸享楽のためではなく、ただもって人民を治めるためなり。天は聡明であり、聖人はこれを效法し、臣子は敬慎して順從し、人民は治理に服從す。口は羞辱を惹起し、甲冑は兵戎を惹起し、衣裳は箱の中に置き(妄りに賜うなかれ)、干戈は自らを省察すべし(妄りに動かすなかれ)。王はただこれらを警戒し、確かにこれらを明了すれば、美ならざるなし。治と乱は衆官に在り。官は私用親昵の人に与えるなかれ、ただその才能を用いよ。爵は惡徳の人に与えるなかれ、ただその賢を用いよ。
慮善以動,動惟厥時。有其善,喪厥善;矜其能,喪厥功。惟事事,乃其有備,有備無患。無啟寵納侮,無恥過作非。惟厥攸居,政事惟醇。黷予祭祀,時謂弗欽。禮煩則亂,事神則難。”
(傅説が続けて言うには、)考慮を完善して後に行動し、行動はただ時に適え。自ら善ありと為せば、すなわちその善を喪失す。自らの能を誇耀せば、すなわちその功を喪失す。何の事を為すにも、みな準備あるを要し、準備あれば憂患なし。寵幸を開啓して侮慢を招来するなかれ、過錯を恥と為して改めず、反って非を為すなかれ。ただ汝の安処する所を看よ、政事はこそ純粋ならん。わが祭祀を褻瀆するは、これを不敬という。礼が煩すぎれば乱れ、神明に事奉するは困難なり。」
王曰:“旨哉!說。乃言惟服。乃不良於言,予罔聞於行。”說拜稽首曰:“非知之艱,行之惟艱。王忱不艱,允協於先王成德,惟說不言有厥咎。”
王は言った。「味美なるかな、説よ。汝の言は実行しうる。汝がもし善言せざれば、私は聴きて実行する由なし。」傅説は跪拜して叩頭し言った。「知るは難からず、実行するがこそ難し。王が誠心なれば難からず、確かに先王の成徳に協合しうる。わが傅説が言わざれば罪過あらん。」
商書 説命下第十四
王曰:“來!汝說。臺小子舊學於甘盤,既乃遯於荒野,入宅於河。自河徂亳,暨厥終罔顯。爾惟訓於朕志,若作酒醴,爾惟麴糵;若作和羹,爾惟鹽梅。
王は言った。「来い、汝説よ。我が小子は昔、甘盤に学び、後に荒野に隱避し、黄河の辺に入りて居住した。河より亳に至り、最終までも顕達せず。汝はわが心志を訓誡せよ。酒醴を作るがごとく、汝はすなわち酒曲糵なり。和羹を作るがごとく、汝はすなわち塩と梅なり。
爾交修予,罔予棄,予惟克邁乃訓。”
(高宗が続けて言うには、)汝は多方面に私を修養し、私を拋棄するなかれ。私は必ず汝の訓誡を踐行しうる。」
說曰:“王,人求多聞,時惟建事,學於古訓乃有獲。事不師古,以克永世,匪說攸聞。惟學,遜志務時敏,厥修乃來。允懷於茲,道積於厥躬。惟斅學半,念終始典於學,厥德修罔覺。監於先王成憲,其永無愆。惟說式克欽承,旁招俊乂,列於庶位。”
傅説は言った。「王よ、人が多聞を求取するは、事業を建立するためなり。古訓に学習してこそ收獲あらん。事を為して古人に效法せずして、能く世に長久するは、わが傅説の聞いた所にあらず。学習は謙遜に心志し、時時敏疾にして、修養はこそ到來せん。確かにこれらを懐けば、道は自らの身に積聚せん。人に教うるは学習の半ばなり。始終思念して常に学に在れば、あの徳の修養は不知不覚の中に在らん。先王の成法を察看すれば、永遠に過失なからん。わが傅説はこれにより能く敬承し、廣く杰出の人才を招致し、諸々の位子に列せん。」
王曰:“嗚呼!說,四海之內,鹹仰朕德,時乃風。股肱惟人,良臣惟聖。
王は言った。「ああ、説よ。四海の内、みなわが徳を仰望す。これは汝の教化なり。股肱あってこそ人を成し、良臣あってこそ聖を成す。
昔先正保衡作我先王,乃曰:‘予弗克俾厥後惟堯舜,其心愧恥,若撻於市。’一夫不獲,則曰時予之辜。佑我烈祖,格於皇天。爾尚明保予,罔俾阿衡專美有商。惟後非賢不乂,惟賢非後不食。其爾克紹乃闢於先王,永綏民。”
(高宗が続けて言うには、)昔、先世の執政・保衡(伊尹)はわが先王を成就し、ここに曰く。『我が君主をして堯舜のごとくせしめざれば、心に愧耻して、市上に鞭打たるがごとし』と。一人の匹夫が所得せざれば、すなわち曰く、これはわが罪過なりと。わが烈祖を輔佑し、皇天に感通した。汝はなお明白に私を保護し、阿衡をして独り有商に美名を有せしめるなかれ。君主に賢人なければ治むる能わず、賢人に君主なければ俸祿なし。汝の君主を先王に紹述し、永遠に人民を安定せしむることを希望す。」
說拜稽首曰:“敢對揚天子之休命。”
傅説は跪拜して叩頭し言った。「敢えて天子の美命を對答宣揚せん。」
商書 高宗肜日第十五
高宗祭成湯,有飛雉升鼎耳而雊,祖己訓諸王,作《高宗肜日》、《高宗之訓》。
高宗は成湯を祭祀す。飛雉ありて鼎の耳に登り鳴いた。祖己は諸王を訓誡し、《高宗肜日》《高宗之訓》を作った。
高宗肜日,越有雊雉。祖己曰:“惟先格王,正厥事。”乃訓於王。曰:“惟天監下民,典厥義。降年有永有不永,非天夭民,民中絕命。民有不若德,不聽罪。天既孚命正厥德,乃曰:‘其如臺?’嗚呼!王司敬民,罔非天胤,典祀無豐於暱。”
高宗の肜祭の日、ここに雉鶏の鳴くあり。祖己は言った。「先ず王の心を端正し、再びその政事を端正せよ。」ここに王を訓誡した。言うには、「天は下方の人民を監察し、義をもって常法とす。降下する年壽に長短あり。これは天が人民を夭折せしむるにあらず、人民が自ら中道に命を斷つなり。人民に順わざる徳あれば、罪過を承認せず。天はすでに命令を付予してあの徳を端正せしめたるに、なお曰く、『どうすべきか』と。ああ、王の職司は人民を敬重するにあり、上天の後裔ならざるなし。祭祀を主るは近親の廟に過豊ならしむるなかれ。」
商書 西伯戡黎第十六
殷始咎周,周人乘黎。祖伊恐,奔告於受,作《西伯戡黎》。
殷は初めて周を怪罪し、周人は黎に戦勝した。祖伊は恐懼し、奔りて受(紂)に報告し、《西伯戡黎》を作った。
西伯既戡黎,祖伊恐,奔告於王。曰:“天子!天既訖我殷命。格人元龜,罔敢知吉。非先王不相我後人,惟王淫戲用自絕。故天棄我,不有康食。不虞天性,不迪率典。今我民罔弗欲喪,曰:‘天曷不降威?’大命不摯,今王其如臺?”王曰:“嗚呼!我生不有命在天?”祖伊反曰:“嗚呼!乃罪多,參在上,乃能責命於天?殷之即喪,指乃功,不無戮於爾邦!”
西伯はすでに黎に戦勝し、祖伊は恐懼し、奔りて王に報告した。言った。「天子よ。天はすでにわが殷の命を終結した。深く通ずる人が大亀に問卜するも、吉兆を敢えて知る者なし。これは先王がわら後人を保佑せざるにあらず、ただ王が淫戲してよって自ら絕滅す。ゆえに天はわらを抛棄し、安康の食物なし。天性を揣度せず、常典に遵循せず。今、わが人民は滅亡を想わざるなく、曰く。『天はなぜ威罰を降下せざるか』と。大命は來らず。今、王はどうせん。」王は言った。「ああ、私が生れたるは天に命ありではないか。」祖伊は反駁して言った。「ああ、汝の罪は多く、天上に排列す。なお上天に向かい命を責求しうるか。殷はすでに喪亡に接近す。汝の事を指出せば、汝の邦に害せざらんや。」
商書 微子第十七
殷既錯天命,微子作誥父師、小師。
殷はすでに天命を錯乱し、微子は父師・少師に誥を作った。
微子若曰:“父師、少師!殷其弗或亂正四方。我祖厎遂陳於上,我用沈酗於酒,用亂敗厥德於下。殷罔不小大好草竊奸宄。卿士師師非度。凡有辜罪,乃罔恆獲,小民方興,相為敵仇。今殷其淪喪,若涉大水,其無津涯。殷遂喪,越至於今!”曰:“父師、少師,我其發出狂?吾家耄遜於荒?今爾無指告,予顛隮,若之何其?”父師若曰:“王子!天毒降災荒殷邦,方興沈酗於酒,乃罔畏畏,咈其耇長舊有位人。
微子はこのように言った。「父師・少師よ。殷は大概四方を治理端正すること能わざらん。わが祖先成湯は功業を上に陳列したるに、わらは酒に沉酗し、下にあの徳を敗乱す。殷は小大を論ぜず草野の盜竊・内外の奸悪を喜ばざるなし。卿士は互いに效法し、みな法度に合せず。およそ罪過あるも、卻って常に捕らえ得ず。小民はまさに興起し、互いに仇敵をなす。今、殷は大概淪喪せんとす。大水を趟むがごとく、渡口と涯岸なし。殷はここに喪亡し、一直に今日に至る。」また言った。「父師・少師よ、私は出發して狂逃せんか。それともわが家の老人は荒野に逃遁せんか。今、汝らは私に指點告げず、私が跌倒坠落せば、どうせん。」父師はこのように言った。「王子よ。天は毒毒と殷邦に灾荒を降下し、まさに酒に沉酗するを興起し、ここに畏るべきを畏懼せず、年高の長者と旧有の祿位の人に違逆す。
今殷民乃攘竊神祗之犠牷牲用以容,將食無災。
(父師が続けて言うには、)今、殷民は居然として神祇の犧牷牲を盜竊し、もって自らを包容し、食らうも灾なし。
降監殷民,用又讎斂,召敵讎不怠。罪合於一,多瘠罔詔。
(父師が続けて言うには、)上天は殷民を監察するを降下し、また仇斂(横征暴斂)を用い、敵仇を招来してなお怠惰せず。罪惡は合して一となり、許多の貧病の人は告ぐる処なし。
商今其有災,我興受其敗;商其淪喪,我罔為臣僕。詔王子出,迪我舊雲刻子。王子弗出,我乃顛隮。自靖,人自獻於先王,我不顧行遁。”
(父師が続けて言うには、)商は今まさに灾あらんとす。わらは起ちてあの敗亡を承受せん。商がもし淪喪せば、わらは敵人の臣僕を為るを願わず。王子に出走を告げ、わが旧日の言う所の『刻子』(微子を指す。この句は歴來難解)を開導す。王子が出走せざれば、わらは跌倒坠落せん。各自安定を謀求し、各人自ら先王に獻身せよ。私はもはや逃遁の事を顧念せず。」
周書 泰誓上第一
惟十有一年,武王伐殷。一月戊午,師渡孟津,作《泰誓》三篇。
十一年、武王は殷を伐った。一月戊午、軍隊は孟津を渡り、《泰誓》三篇を作った。
惟十有三年春,大會於孟津。
十三年春、孟津に大会した。
王曰:“嗟!我友邦冢君越我御事庶士,明聽誓。惟天地萬物父母,惟人萬物之靈。亶聰明,作元后,元后作民父母。今商王受,弗敬上天,降災下民。沈湎冒色,敢行暴虐,罪人以族,官人以世,惟宮室、臺榭、陂池、侈服,以殘害於爾萬姓。焚炙忠良,刳剔孕婦。皇天震怒,命我文考,肅將天威,大勳未集。
王は言った。「ああ、わが友邦の大君とわが治事の衆士よ、明白にこの誓言を聽け。天地は万物の父母であり、人は万物の靈なり。真に聡明なる者は大君を為し、大君は人民の父母を為る。今、商王受は上天を敬せず、灾を下方の人民に降す。貪色に沉湎し、敢えて暴虐の事を為し、人に罪を加うるに族誅を用い、人を官に任ずるに世襲に按り、ただ宮室・臺榭・陂池・侈麗の衣服を經營し、もって汝ら万姓を殘害す。忠良を燒炙し、孕婦を剖剔す。皇天は震怒し、わが文考文王に命令し、嚴粛に天威を奉行せしめたが、大功はいまだ完成せず。
肆予小子發,以爾友邦冢君,觀政於商。惟受罔有悛心,乃夷居,弗事上帝神祗,遺厥先宗廟弗祀。犠牲粢盛,既於兇盜。乃曰:‘吾有民有命!’罔懲其侮。天佑下民,作之君,作之師,惟其克相上帝,寵綏四方。有罪無罪,予曷敢有越厥志?同力,度德;同德,度義。受有臣億萬,惟億萬心;予有臣三千,惟一心。
(武王が続けて言うには、)ゆえに我が小子發は、汝ら友邦の大君とともに、商の政事を觀察す。受に悔改の心なく、安然として平居し、上帝神祇に事奉せず、彼の先人の宗廟を丢下して祭祀せず。犧牲粢盛はすでに凶人に盜用された。卻って曰く、『我に人民あり、天命あり』と。自らの輕侮を懲戒せず。天は下方の人民を保佑し、彼らに君を立て、彼らに師を立て、ただ能く上帝を輔佐し、四方を寵愛安定せしめんがためのみ。有罪無罪、私はどうしてあの心志を逾越せん。力量が相同なれば、すなわち徳を衡量す。徳が相同なれば、すなわち義を衡量す。受に臣億万あるも、卻って億万條の心なり。我に臣三千あるも、ただ一條の心なり。
商罪貫盈,天命誅之。予弗順天,厥罪惟鈞。予小子夙夜祗懼,受命文考,類於上帝,宜於冢土,以爾有眾,厎天之罰。天矜於民,民之所欲,天必從之。爾尚弼予一人,永清四海,時哉弗可失!”
(武王が続けて言うには、)商の罪は貫串盈滿し、天命は彼を誅滅す。我がもし天に順わざれば、その罪は彼と相等し。我が小子は晝夜敬懼し、文考より命令を接受し、上帝を類祭し、大社を宜祭し、汝ら衆人を用いて、上天の懲罰を施行す。天は人民を憐憫し、人民の欲する所は、天は必ず聽從す。汝らはなおわが一人を輔佐し、永遠に四海を澄清せよ。時機は錯過すべからず。」
周書 泰誓中第二
惟戊午,王次於河朔,群后以師畢會。王乃徇師而誓曰:“嗚呼!西土有眾,鹹聽朕言。我聞吉人為善,惟日不足。兇人為不善,亦惟日不足。今商王受,力行無度,播棄犁老,暱比罪人。淫酗肆虐,臣下化之,朋家作仇,脅權相滅。無辜籲天,穢德彰聞。惟天惠民,惟闢奉天。有夏桀弗克若天,流毒下國。天乃佑命成湯,降黜夏命。惟受罪浮於桀。剝喪元良,賊虐諫輔。謂己有天命,謂敬不足行,謂祭無益,謂暴無傷。厥監惟不遠,在彼夏王。天其以予乂民,朕夢協朕卜,襲於休祥,戎商必克。受有億兆夷人,離心離德。予有亂臣十人,同心同德。
戊午の日、王は河北に駐紮し、各方の諸侯は軍隊を帶領して全部會合した。王はここに軍隊を巡視し宣誓して言った。「ああ、西土の衆人よ、みなわが言を聽け。私は聞く、吉人は善事を為して、ただ日子の足らざるを覺え。凶人は不善の事を為して、またただ日子の足らざるを覺え。今、商王受は力を竭くして法度なき事を為し、老人を拋棄し罪人を親近す。淫酗して放肆暴虐し、臣下もまたこのごとく化成し、朋黨は各自家を成して互いに仇視し、權柄を脅持して互いに消滅す。無辜の人は上天に呼吁し、汚穢の徳はすでに彰聞した。天は人民を惠愛し、君主は天を奉承す。有夏の桀は天に順うこと能わず、毒を下国に流した。天はここに成湯を保佑任命し、夏を廢黜する命を降下した。受の罪は桀を超過す。元良を剥奪喪失し、諫輔を賊害虐殺す。自ら天命ありと言い、敬は實行に値せずと言い、祭祀に益處なしと言い、暴虐に傷害なしと言う。彼の鑑戒は遠からず、すなわちあの夏王に在り。天は大概私をもって人民を治めんとす。わが夢はわが卜と相合し、重疊して美祥あり。戎に伐商すれば必ず勝たん。受に億兆の平人あるも、離心離徳なり。我に治理の臣十人あり、同心同徳なり。
雖有周親,不如仁人。天視自我民視,天聽自我民聽。百姓有過,在予一人,今朕必往。我武維揚,侵於之疆,取彼兇殘。我伐用張,於湯有光。勖哉夫子!罔或無畏,寧執非敵。百姓懍懍,若崩厥角。嗚呼!乃一德一心,立定厥功,惟克永世。”
(武王が続けて言うには、)至親あると雖も、仁人あるに如かず。天の看はわが人民の看よりし、天の聽はわが人民の聽よりす。百姓に過錯あれば、責任はわが一人に在り。今、私は必ず往かん。わが武事は發揚し、彼の疆界に侵入し、あの凶殘の人を捉えん。わが征伐は張大して、湯よりもさらに光あらん。努力せよ将士よ。畏るべきなしと為す者あるなかれ、寧ろ対方を敵手にあらずと認定せよ。百姓は恐懼戰慄し、額頭觸地崩角のごとし。ああ、汝らは一徳一心にして、あの功を立定せば、こそ世に長久しうる。」
周書 泰誓下第三
時厥明,王乃大巡六師,明誓眾士。
このとき天亮し、王はここに六軍を大いに巡視し、衆士に明白に宣誓した。
王曰:“嗚呼!我西土君子。天有顯道,厥類惟彰。今商王受,狎侮五常,荒怠弗敬。自絕於天,結怨於民。斫朝涉之脛,剖賢人之心,作威殺戮,毒痡四海。崇信奸回,放黜師保,屏棄典刑,囚奴正士,郊社不修,宗廟不享,作奇技淫巧以悅婦人。上帝弗順,祝降時喪。爾其孜孜,奉予一人,恭行天罰。古人有言曰:‘撫我則後,虐我則仇。’獨夫受洪惟作威,乃汝世仇。樹德務滋,除惡務本,肆予小子誕以爾眾士,殄殲乃仇。爾眾士其尚迪果毅,以登乃闢。功多有厚賞,不迪有顯戮。嗚呼!惟我文考若日月之照臨,光於四方,顯於西土。惟我有周誕受多方。予克受,非予武,惟朕文考無罪;受克予,非朕文考有罪,惟予小子無良。”
王は言った。「ああ、わが西土の君子よ。天に顯明の道あり、その法則は彰明すべきなり。今、商王受は五常を軽慢侮弄し、荒怠して敬せず。自ら天に絕え、人民と怨を結ぶ。早晨涉水する者の小腿を斫斷し、賢人の心を剖開し、威を作して殺戮し、四海を毒害す。奸邪を崇信し、師保を放黜し、常刑を屏棄し、正直の士を囚禁奴使し、郊社を修治せず、宗廟に歆享せず、奇技淫巧を作して婦人を取悅す。上帝は順從せず、斷然としてこの時の喪亡を降下した。汝らは孜孜努力し、わが一人を奉じて、恭敬して天の懲罰を執行せよ。古人に言あり、『我を撫愛するはすなわち君主、我を虐害するはすなわち仇敵』と。獨夫受は大肆して威を作す。すなわち汝ら世世代代の仇人なり。徳を樹立するは務めて滋長を求め、惡を除去するは務めて根を除くを求む。ゆえに我が小子は汝ら衆将士を帶領し、汝らの仇人を殄滅殲滅す。汝ら衆将士はなお果敢堅毅に進取して、もって汝らの君主を成就せよ。功多ければ厚賞あり、進取せざれば顯明の誅戮あり。ああ、わが文考は日月のごとく照臨し、光輝は四方に到達し、西土に顯耀す。わが周は多方を大受した。我がもし受に戦勝せば、これはわが武勇にあらず、ただわが文考に罪なきなり。受がもし我に戦勝せば、これはわが文考に罪あるにあらず、ただ我が小子が不好なり。」
周書 牧誓第四
武王戎車三百兩,虎賁三百人,與受戰於牧野,作《牧誓》。
武王は兵車三百輛、虎賁三百人をもって、受と牧野で交戦し、《牧誓》を作った。
時甲子昧爽,王朝至於商郊牧野,乃誓。
甲子の日、天まさに亮んとし、王は早晨商郊の牧野に到達し、ここに宣誓した。
王左杖黃鉞,右秉白旄以麾,曰:“逖矣,西土之人!”王曰:“嗟!我友邦冢君御事,司徒、司馬、司空,亞旅、師氏,千夫長、百夫長,及庸,蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮人。稱爾戈,比爾幹,立爾矛,予其誓。”
王は左手に黃鉞を持ち、右手に白旄を持って指揮し、言った。「遙遠なるかな、西土の人よ。」王は言った。「ああ、わが友邦の大君と治事の人、司徒・司馬・司空、亞旅・師氏、千夫長・百夫長、および庸・蜀・羌・髳・微・盧・彭・濮人よ。汝らの戈を擧げ、汝らの盾を排好し、汝らの矛を豎立せよ。私は宣誓せん。」
王曰:“古人有言曰:‘牝雞無晨;牝雞之晨,惟家之索。’今商王受惟婦言是用,昏棄厥肆祀弗答,昏棄厥遺王父母弟不迪,乃惟四方之多罪逋逃,是崇是長,是信是使,是以為大夫卿士。俾暴虐於百姓,以奸宄於商邑。今予發惟恭行天之罰。
王は言った。「古人に言あり。『母鶏に報曉なく、母鶏が報曉すれば、この家は空ならん』と。今、商王受はただ婦人の言を聽き、昏乱して彼の陳設する祭祀を拋棄して回報せず、昏乱して彼の遺下する王父母弟を拋棄して進用せず、卻ってただ四方の多罪逃亡の人を推崇・擡高し、信任・使喚し、彼らをもって大夫卿士を為す。彼らをして百姓に暴虐し、商邑に内外の奸惡を為さしむ。今、我發はただ恭敬して天の懲罰を執行す。
今日之事,不愆於六步、七步,乃止齊焉。勖哉夫子!不愆於四伐、五伐、六伐、七伐,乃止齊焉。勖哉夫子!尚桓桓如虎、如貔、如熊、如羆,於商郊弗迓克奔,以役西土,勖哉夫子!爾所弗勖,其於爾躬有戮!”
(武王が続けて言うには、)今日の事、六步七步を過ぎずして、すなわち止まりて整齊す。努力せよ将士よ。四撃五撃六撃七撃を過ぎずして、すなわち止まりて整齊す。努力せよ将士よ。なお威武にして虎のごとく、貔のごとく、熊のごとく、羆のごとく、商郊にありて奔來投降しうる者を迎擊するなかれ。彼らをして西土に服役せしめよ。努力せよ将士よ。汝らがもし努力せざれば、すなわち汝ら自身に誅戮あらん。」
周書 武成第五
武王伐殷。往伐歸獸,識其政事,作《武成》。
武王は殷を伐った。往きて征伐し、歸りて野獸を處置し、あの政事を記錄して、《武成》を作った。
惟一月壬辰,旁死魄。越翼日,癸巳,王朝步自周,於徵伐商。
一月壬辰、旁死魄(月亮大半無光)。明日癸巳に至り、王は早晨周より步行出發し、往きて商を征伐した。
厥四月,哉生明,王來自商,至於豐。乃偃武修文,歸馬於華山之陽,放牛於桃林之野,示天下弗服。
四月、哉生明(新月初現)。王は商より歸り、豐に至った。ここに武事を停止し文教を修明し、馬を華山の南面に放歸し、牛を桃林の原野に放歸し、天下に向かい再び乘用せざるを表示した。
丁未,祀於周廟,邦甸、侯、衛,駿奔走,執豆、籩。越三日,庚戌,柴、望,大告武成。
丁未、周廟に祭祀し、邦内の甸・侯・衛の人は迅速に奔走し、豆と籩を持した。三日庚戌を過を過ぎ、燔柴・望祭し、武功の成就を大告した。
既生魄,庶邦冢君暨百工,受命於周。
既生魄(月亮大半有光)の後、衆邦の大君と百官は、周にて命令を接受した。
王若曰:“嗚呼,群后!惟先王建邦啟土,公劉克篤前烈,至於大王肇基王跡,王季其勤王家。我文考文王克成厥勳,誕膺天命,以撫方夏。大邦畏其力,小邦懷其德。惟九年,大統未集,予小子其承厥志。厎商之罪,告於皇天、后土、所過名山、大川,曰:‘惟有道曾孫周王發,將有大正於商。今商王受無道,暴殄天物,害虐烝民,為天下逋逃主,萃淵藪。予小子既獲仁人,敢祗承上帝,以遏亂略。華夏蠻貊,罔不率俾。恭天成命,肆予東征,綏厥士女。惟其士女,篚厥玄黃,昭我周王。天休震動,用附我大邑周。惟爾有神,尚克相予以濟兆民,無作神羞!既戊午,師逾孟津。癸亥,陳於商郊,俟天休命。甲子昧爽,受率其旅若林,會於牧野。罔有敵於我師,前徒倒戈,攻於後以北,血流漂杵。一戎衣,天下大定。乃反商政,政由舊。釋箕子囚,封比干墓,式商容閭。散鹿臺之財,發鉅橋之粟,大賚於四海,而萬姓悅服。”
王はこのように言った。「ああ、各方の諸侯よ。先王は邦国を建立し土地を開闢し、公劉は能く前人の功業を篤厚し、太王に至りて始めて王業の軌跡を奠定し、王季は王家に勤勞した。わが文考文王は能くあの功勳を成就し、天命を大受し、もって方夏を安撫した。大邦はその力量を畏懼し、小邦はその徳を懐念した。經營九年、大統はいまだ完成せず、我が小子はあの心志を継承す。商の罪を皇天・后土と所經過の名山大川に陳告して曰く、『有道の曾孫周王發、まさに商に大いに征正を舉行せん。今、商王受は無道で、天物を暴殄し、衆民を害虐し、天下の逃亡者の主人を為り、淵藪のごとく聚集す。我が小子はすでに仁人を獲得し、敢えて上帝を敬承し、もって乱謀を遏止せん。華夏蠻貊、從使せざるなし。上天の既成の命を恭奉し、ゆえに我は東征して、あの士女を安定す。あの士女は、筐に玄黃の帛を裝して、我が周王を昭示す。上天の美賜は震動し、よって我が大邑周に歸附す。汝らに神靈あれば、なお能く私を輔佐して億兆の人民を救助すべし。神明の羞辱を為るなかれ。すでに戊午に至り、軍隊は孟津を越えた。癸亥、商郊に陣に陣勢を擺開し、上天の美好の命を等待した。甲子の天まさに亮んとし、受はその部衆を率いて樹林のごとく多く、牧野に會合した。我が軍に敵擋する者なく、前の徒衆は戈を倒し、後のを攻擊してよって敗北し、血は流れて木杵を漂起す。一たび戎衣を穿けば、天下は大大に安定した。ここに商の苛政を反轉し、政事は旧典に依照した。箕子の囚禁を釋放し、比干の墓を封培し、商容の閭里を過る時に軾を撫して致敬した。鹿臺の財貨を散發し、鉅橋の粟を開き、四海に大加賞賜し、万姓はみな喜悦心服した。」
列爵惟五,分土惟三。建官惟賢,位事惟能。重民五教,惟食、喪、祭。惇信明義,崇德報功。垂拱而天下治。
爵位を排列するにただ五等、土地を分封するにただ三等。官職を建立するはただ賢のみ、職事を安排するはただ能のみ。人民の五種の教化と、食・喪・祭を看重す。誠信を厚く待し義を彰明し、徳を崇尚し功を報答す。垂衣拱手にして天下は治まった。
周書 洪範第六
武王勝殷,殺受,立武庚,以箕子歸。作《洪範》。
武王は殷に戦勝し、受を殺し、武庚を立て、箕子を帶いて歸來した。《洪範》を作った。
惟十有三祀,王訪於箕子。王乃言曰:“嗚呼!箕子。惟天陰騭下民,相協厥居,我不知其彝倫攸敘。”
十三年、王は箕子を訪問した。王はここに言った。「ああ、箕子よ。天は黙黙として下方の人民を安定し、彼らを助けて和協して居住せしむ。私はあの常理倫序がどのように排定されたかを知らない。」
箕子乃言曰:“我聞在昔,鯀堙洪水,汩陳其五行。帝乃震怒,不畀‘洪範’九疇,彝倫攸斁。鯀則殛死,禹乃嗣興,天乃錫禹‘洪範’九疇,彝倫攸敘。
箕子はここに言った。「私は聞く、昔、鯀は洪水を堵塞し、五行の陳列を擾乱した。帝はここに震怒し、彼に『洪範』九疇を与えず、常理倫序はこれにより敗壞した。鯀は誅責されて死し、禹はここに継起し、天はここに禹に『洪範』九疇を賜与し、常理倫序はこれにより排定された。
初一曰五行,次二曰敬用五事,次三曰農用八政,次四曰協用五紀,次五曰建用皇極,次六曰乂用三德,次七曰明用稽疑,次八曰念用庶徵,次九曰向用五福,威用六極。
(箕子が続けて言うには、)第一を五行とし、第二を敬用五事とし、第三を努力用八政とし、第四を協和用五紀とし、第五を建立用皇極とし、第六を治理用三徳とし、第七を明天用稽疑とし、第八を思念用庶征とし、第九を獎向用五福とし、威懲用六極とす。
一、五行:一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰從革,土爰稼穡。潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,從革作辛,稼穡作甘。
(箕子が続けて言うには、)一、五行:一は水、二は火、三は木、四は金、五は土。水の徳性は潤下、火の徳性は炎上、木の徳性は曲にして可直、金の徳性は順從変革、土はここに稼穡しうる。潤下は鹹を産生し、炎上は苦を産生し、曲直は酸を産生し、従革は辛を産生し、稼穡は甘を産生す。
二、五事:一曰貌,二曰言,三曰視,四曰聽,五曰思。貌曰恭,言曰從,視曰明,聽曰聰,思曰睿。恭作肅,從作乂,明作晢,聰作謀,睿作聖。
(箕子が続けて言うには、)二、五事:一は容貌、二は言語、三は看、四は聴、五は思。容貌は恭を要し、言語は順を要し、看は明を要し、聴は聡を要し、思は通達を要す。恭なればすなわち嚴肅、順なればすなわち能く治理、明なればすなわち智慧、聡なればすなわち能く謀画、通達なればすなわち聖なり。
三、八政:一曰食,二曰貨,三曰祀,四曰司空,五曰司徒,六曰司寇,七曰賓,八曰師。
(箕子が続けて言うには、)三、八政:一は食、二は貨、三は祭祀、四は司空、五は司徒、六は司寇、七は賓、八は師(軍事)。
四、五紀:一曰歲,二曰月,三曰日,四曰星辰,五曰歷數。
(箕子が続けて言うには、)四、五紀:一は歳、二は月、三は日、四は星辰、五は曆数(日月星辰の次序を推步する)。
五、皇極:皇建其有極。斂時五福,用敷錫厥庶民。惟時厥庶民於汝極。錫汝保極:凡厥庶民,無有淫朋,人無有比德,惟皇作極。凡厥庶民,有猷有為有守,汝則念之。不協於極,不罹於咎,皇則受之。而康而色,曰:‘予攸好德。’汝則錫之福。時人斯其惟皇之極。無虐煢獨而畏高明,人之有能有為,使羞其行,而邦其昌。凡厥正人,既富方谷,汝弗能使有好於而家,時人斯其辜。於其無好德,汝雖錫之福,其作汝用咎。無偏無陂,遵王之義;無有作好,遵王之道;無有作惡,尊王之路。無偏無黨,王道蕩蕩;無黨無偏,王道平平;無反無側,王道正直。會其有極,歸其有極。曰:皇,極之敷言,是彝是訓,於帝其訓,凡厥庶民,極之敷言,是訓是行,以近天子之光。曰:天子作民父母,以為天下王。
(箕子が続けて言うには、)五、皇極(君王の建立する大中至正の標準):君王はあの極を建立す。これら五福を收斂し、もって庶民に普く賜与す。ここに庶民は汝の極に對す。汝にこの極を保有せしむる者に賜与せよ。およそ庶民、淫朋なく、官員に比周の徳なく、ただ君王をもって極とす。およそ庶民、謀画あり・作為あり・操守ある者は、汝は彼らを思念すべし。極に協合せず、また罪咎に陷入せざる者は、君王は彼らを容納せよ。神色安和の人が曰く、『わが喜好するは徳なり』と。汝は彼に福を賜与せよ。このような人はすなわちただ君王をもって極とせん。孤獨を虐害して高顯尊貴を畏懼するなかれ。人に才能有り作為有れば、彼をしてその行為を進献せしめよ。邦国は昌盛せん。およそ官に在る正人、すでに富厚祿有り、汝がもし彼らをして汝の家に好き處あらしむる能わざれば、このような人は罪有り。あの徳を好まざる人に対しては、汝が彼に福を賜与すると雖も、彼らは汝に咎害を作為せん。偏するなかれ陂するなかれ、王の義に遵循せよ。私自に作を好むなかれ、王の道に遵循せよ。私自に惡を作るなかれ、王の路に遵循せよ。偏するなかれ黨するなかれ、王道は寛廣蕩蕩なり。黨するなかれ偏するなかれ、王道は平平坦坦なり。反するなかれ側するなかれ、王道はまた正しく直し。あの極に會合し、あの極に歸向せよ。曰く、君王よ、極を陳説せよ。これは常法、これは訓誡、上帝に對してすなわち訓なり。およそ庶民、極を陳説せよ。これは訓誡、これは当行、もって天子の光に接近せん。曰く、天子は人民の父母を為し、よって天下の王を為る。
六、三德:一曰正直,二曰剛克,三曰柔克。平康,正直;強弗友,剛克;燮友,柔克。沈潛,剛克;高明,柔克。惟闢作福,惟闢作威,惟闢玉食。臣無有作福、作威、玉食。臣之有作福、作威、玉食,其害於而家,兇於而國。人用側頗僻,民用僣忒。
(箕子が続けて言うには、)六、三徳:一は正直、二は剛克(剛をもって勝)、三は柔克(柔をもって勝)。平安康寧には正直を用い、強橫して親近不可には剛克を用い、和順して親近可には柔克を用い。深沈潜隱の者には剛克を用い、高明爽朗の者には柔克を用い。ただ君主のみ福を作し、ただ君主のみ威を作し、ただ君主のみ美食す。臣子に福を作し威を作し美食するなし。臣子がもし福を作し威を作し美食せば、すなわち汝の家を害し汝の国を凶にせん。官員はこれにより偏頗邪僻し、人民はこれにより僭越差錯せん。
七、稽疑:擇建立卜筮人,乃命卜筮。曰雨,曰霽,曰蒙,曰驛,曰克,曰貞,曰悔,凡七。卜五,占用二,衍忒。立時人作卜筮,三人占,則從二人之言。
(箕子が続けて言うには、)七、稽疑:卜筮の人を選択設立し、ここに卜筮に命令す。雨を叫び、霽を叫び、蒙を叫び、驛を叫び、克を叫び、貞を叫び、悔を叫ぶ。共に七種。亀卜は五種、筮占は二種、差錯を推演す。これらの人を設立して卜筮を為さしめ、三人が占えば、すなわち二人の言に聽從せよ。
汝則有大疑,謀及乃心,謀及卿士,謀及庶人,謀及卜筮。汝則從,龜從,筮從,卿士從,庶民從,是之謂大同。身其康強,子孫其逢吉,汝則從,龜從,筮從,卿士逆,庶民逆吉。卿士從,龜從,筮從,汝則逆,庶民逆,吉。庶民從,龜從,筮從,汝則逆,卿士逆,吉。汝則從,龜從,筮逆,卿士逆,庶民逆,作內吉,作外兇。龜筮共違於人,用靜吉,用作兇。
(箕子が続けて言うには、)汝にもし大疑あれば、先ず自らの心に謀及し、再び卿士に謀及し、再び庶人に謀及し、再び卜筮に謀及せよ。汝が順從し、亀が順從し、筮が順從し、卿士が順從し、庶民が順從すれば、これを大同という。自身は康強し、子孫は昌盛吉祥せん。汝が順從し、亀が順從し、筮が順從し、卿士が違逆し、庶民が違逆すも、また吉なり。卿士が順從し、亀が順從し、筮が順從し、汝が違逆し、庶民が違逆すも、また吉なり。庶民が順從し、亀が順從し、筮が順從し、汝が違逆し、卿士が違逆すも、また吉なり。汝が順從し、亀が順從し、筮が違逆し、卿士が違逆し、庶民が違逆すれば、内部の事を為すは吉、外部の事を為すは凶なり。亀筮がともに人に違背すれば、靜を用いれば吉、動作為すは凶なり。
八、庶徵:曰雨,曰暘,曰燠,曰寒,曰風。曰時五者來備,各以其敘,庶草蕃廡。一極備,兇;一極無,兇。曰休徵;曰肅,時寒若;曰乂,時暘若;曰晢,時燠若;曰謀,時寒若;曰聖,時風若。曰咎徵:曰狂,恆雨若;曰僣,恆暘若;曰豫,恆燠若;曰急,恆寒若;曰蒙,恆風若。曰王省惟歲,卿士惟月,師尹惟日。歲月日時無易,百穀用成,乂用明,俊民用章,家用平康。日月歲時既易,百穀用不成,乂用昏不明,俊民用微,家用不寧。庶民惟星,星有好風,星有好雨。日月之行,則有冬有夏。月之從星,則以風雨。
(箕子が続けて言うには、)八、庶征:雨を叫び、晴を叫び、暖を叫び、寒を叫び、風を叫ぶ。曰く、これら五者は時に按って斉備し、各自その次序に按れば、衆草は蕃茂す。一種が過甚なればすなわち凶、一種が全無なればまた凶なり。美征は、肅敬なれば寒は時に按り(通行本は「時雨若」、底本は「時寒若」、今は照録す)、治理なれば晴は時に按り、明智なれば暖は時に按り、善謀なれば寒は時に按り、通達なれば風は時に按る。咎征は、狂妄なればすなわち久雨、僭差なればすなわち久晴、逸豫なればすなわち久暖、急迫なればすなわち久寒、昏蒙なればすなわち久風。曰く、王の省察する所は歳のごとく、卿士は月のごとく、師尹は日のごとし。歳・月・日・時に変易なければ、百穀はこれにより成熟し、治理はこれにより彰明し、杰出の民はこれにより顯揚し、家はこれにより平康す。日・月・歳・時すでに変易あれば、百穀はこれにより成熟せず、治理はこれにより昏暗不明、杰出の民はこれにより低微、家はこれにより不安寧なり。庶民は星のごとく、星に風を喜好するあり、星に雨を喜好するあり。日月の運行は、ここに冬あり夏あり。月亮が星に順從すれば、すなわち風雨あらん。
九、五福:一曰壽,二曰富,三曰康寧,四曰攸好德,五曰考終命。六極:一曰兇、短、折,二曰疾,三曰憂,四曰貧,五曰惡,六曰弱。
(箕子が続けて言うには、)九、五福:一は壽、二は富、三は康寧、四は徳を喜好、五は老して善終。六極:一は凶・短命・夭折、二は疾病、三は憂、四は貧、五は邪惡、六は懦弱なり。」
〖分器〗武王既勝殷,邦諸侯,班宗彝,作《分器》。
〖分器〗武王はすでに殷に戦勝し、諸侯を分封し、宗廟の彝器を分發し、《分器》を作った。
周書 旅獒第七
西旅獻獒,太保作《旅獒》。
西旅は獒犬を進献し、太保は《旅獒》を作った。
惟克商,遂通道於九夷八蠻。西旅厎貢厥獒,太保乃作《旅獒》,用訓於王。
商に戦勝した後、ここに九夷八蠻の道路を開通した。西旅は彼らの獒を貢來し、太保はここに《旅獒》を作り、もって王を訓誡した。
曰:“嗚呼!明王慎德,西夷咸賓。無有遠邇,畢獻方物,惟服食器用。王乃昭德之致於異姓之邦,無替厥服;分寶玉於伯叔之國,時庸展親。人不易物,惟德其物!德盛不狎侮。狎侮君子,罔以盡人心;狎侮小人,罔以盡其力。不役耳目,百度惟貞。玩人喪德,玩物喪志。志以道寧,言以道接。不作無益害有益,功乃成;不貴異物賤用物,民乃足。犬馬非其土性不畜,珍禽奇獸不育於國,不寶遠物,則遠人格;所寶惟賢,則邇人安。嗚呼!夙夜罔或不勤,不矜細行,終累大德。為山九仞,功虧一簣。允迪茲,生民保厥居,惟乃世王。”
言うには、「ああ、明王は謹慎して徳を修め、西夷はみな賓服す。遠近を論ぜず、みな地方の物産を進献するは、ただ衣服・飲食・器具のみ。王はここに徳の招致する所を異姓の邦に分与し、彼らの職事を廢棄するなかれ。寶玉を伯叔の国に分与するは、これはもって親情を展敘す。人はあの物を改変するにあらず、ただ徳があの物を貴しとせしむるなり。徳盛んなれば軽慢侮弄せず。君子を軽慢侮弄すれば、人心を尽くすこと能わず。小人を軽慢侮弄すれば、その力を尽くすこと能わず。耳目に役使せざれば、諸々の法度はみな正す。人を玩弄すれば徳を喪失し、物を玩弄すれば志を喪失す。志は道により安寧し、言は道により交接す。無益の事を為して有益の事を害するなかれ、功はこそ成らん。奇異の物を看重して日用の物を看輕するなかれ、人民はこそ充足せん。犬馬はあの地方の土性にあらざれば畜養せず、珍禽奇獸は国中に養育せず、遠方の物を寶とせざれば、遠人は來らん。寶とする所はただ賢人のみ、近処の人は安定せん。ああ、晝夜一時として勤ならざるなし。細行を謹慎せざれば、終に大徳を連累せん。山を堆むこと九仞、ただ一筐の土を差して功を虧す。確かにこれらを踐行せば、人民は居所を保住し、汝は世世王を為るを得ん。」
〖旅巢命〗巢伯來朝,芮伯作《旅巢命》。
〖旅巢命〗巢伯は朝見に來たり、芮伯は《旅巢命》を作った。
周書 金滕第八
武王有疾,周公作《金滕》。
武王に病あり、周公は《金滕》を作った。
既克商二年,王有疾,弗豫。二公曰:“我其為王穆卜。”周公曰:“未可以戚我先王?”公乃自以為功,為三壇同墠。為壇於南方,北面,周公立焉。
商に戦勝した後二年、王に病あり、不豫であった。二公は言った。「わらは王のために敬慎に問卜せん。」周公は言った。「いまだこれをもってわが先王を憂動すべからざるか。」公はここに自身をもって抵押とし、三座の壇を同一の平整の祭場に築いた。南方に壇を築き、北に面向し、周公はあそこに立った。
植璧秉珪,乃告太王、王季、文王。
璧を安放し、珪を持し、ここに太王・王季・文王に禀告した。
史乃冊,祝曰:“惟爾元孫某,遘厲虐疾。若爾三王是有丕子之責於天,以旦代某之身。予仁若考能,多材多藝,能事鬼神。乃元孫不若旦多材多藝,不能事鬼神。乃命於帝庭,敷佑四方,用能定爾子孫於下地。四方之民罔不祗畏。嗚呼!無墜天之降寶命,我先王亦永有依歸。今我即命於元龜,爾之許我,我其以璧與珪歸俟爾命;爾不許我,我乃屏璧與珪。”
史官はここに冊書を寫し、祝告して言った。「あなたがたの元孫某人は、凶惡の暴疾に遭遇した。もしあなたがた三王が天上に確かに元子の侍奉を需要する責任あらば、旦をして某人の身に代えしめよ。私は仁厚にしてまた巧能(一説に『仁厚にして先考のごとく能干』)、多材多藝で、能く鬼神に事奉す。あなたがたの元孫は旦のごとく多材多藝にあらず、鬼神に事奉すること能わず。彼は上帝の庭にて命を受け、普く四方を保佑し、よってあなたがたの子孫を下地に安定しうる。四方の人民は敬畏せざるなし。ああ、天の降した寶命を坠落するなかれ、わが先王もまた永遠に依歸あらん。今、私はすなわち大亀に命ず。あなたがたがもし私を許せば、私はすなわち璧と珪を帶いて歸りてあなたがたの命を等待せん。あなたがたがもし私を許さざれば、私はすなわち璧と珪を收藏せん。」
乃卜三龜,一習吉。啟籥見書,乃並是吉。公曰:“體!王其罔害。予小子新命於三王,惟永終是圖;茲攸俟,能念予一人。”
ここに三只の亀を卜したが、みな重複して吉を顯した。鎖鑰を打開して兆書を看れば、またみな吉なり。公は言った。「この兆體を看よ。王は大概害なからん。我が小子は新たに三王より命を接受し、ただ長久の終結を謀求す。ここに等待すれば、先王は能くわが一人を思念せん。」
公歸,乃納冊於金滕之匱中。王翼日乃瘳。
公は歸り、ここに冊書を金滕の匣に納めた。王は明日にすなわち痊愈した。
武王既喪,管叔及其群弟乃流言於國,曰:“公將不利於孺子。”周公乃告二公曰:“我之弗闢,我無以告我先王。”周公居東二年,則罪人斯得。於後,公乃為詩以貽王,名之曰《鴟鴞》。王亦未敢誚公。
武王はすでに去世し、管叔とその群弟はここに国中に流言を散布して言った。「公はまさに孺子に不利せん。」周公はここに二公に告げて言った。「私がもし攝政せざれば(「辟」は一説に避と読み、位を避けるを指す)、私は言うべき言なく先王に禀告せん。」周公は東に居ること二年、罪人はここに抓獲された。後、公は詩を作して王に送り、名は《鴟鴞》という。王もまた敢えて公を責備せず。
秋,大熟,未獲,天大雷電以風,禾盡偃,大木斯拔,邦人大恐。王與大夫盡弁以啟金滕之書,乃得周公所自以為功代武王之說。二公及王乃問諸史與百執事。對曰:“信。噫!公命我勿敢言。”
秋、莊稼は大熟したが、いまだ收割せず、天は大雷電また風を颳り、禾は全部倒伏し、大樹はここに拔起された。邦人は非常に恐懼した。王と大夫はみな爵弁の禮服を穿上し、金滕の書を打開し、ここに周公が自らを抵押として武王に代わった祝辞を得た。二公および王はここに史官と百執事を問うた。回答して曰く、「確かにそうだ。ああ、公はわらに敢えて言うなかれと命令した。」
王執書以泣,曰:“其勿穆卜!昔公勤勞王家,惟予沖人弗及知。今天動威以彰周公之德,惟朕小子其新逆,我國家禮亦宜之。”王出郊,天乃雨,反風,禾則盡起。二公命邦人凡大木所偃,盡起而築之。歲則大熟。
王は書を持ちて哭泣し、言った。「もはや敬慎に問卜するを要せず。昔、公は王家に勤勞したが、ただ我が年輕人は及ばず知らなかった。今、天は威を動して周公の徳を彰明す。我が小子は新たに彼を迎接せん。わが国家の禮もまたこのようであるべきだ。」王は郊外に出で、天はここに雨を降し、風は反向に吹き、禾はすなわち全部立起した。二公は邦人に命令し、およそ大樹に壓倒された者は全部扶起して培土せしめた。この年はここに大熟した。
周書 大誥第九
武王崩,三監及淮夷叛,周公相成王,將黜殷,作《大誥》。
武王が崩じ、三監および淮夷が叛乱し、周公は成王を輔佐し、まさに殷を廢黜せんとして、《大誥》を作った。
王若曰:“猷大誥爾多邦越爾御事,弗吊天降割於我家,不少延。洪惟我幼沖人,嗣無疆大曆服。弗造哲,迪民康,矧曰其有能格知天命!已!予惟小子,若涉淵水,予惟往求朕攸濟。敷賁敷前人受命,茲不忘大功。
王はこのように言った。「大いに汝ら多邦と汝ら治事の人に誥告せんと謀画す。不善の天は災害をわが家に降し、一点も延緩せず。私は深く自らが幼年人なるを想到し、あの無疆の大曆服(巨大にして久遠の祿位)を継承す。明智の人に遇わず、人民を安康に引導せん。いわんや能く感通し天命を知るを言わんや。ああ、私はただ小子なり。深淵の水を趟むがごとく、私はただわが賴りて渡る所を求めん。亀卜を陳列し、前人の接受した命を陳列し、ここに大功を忘れざらん。
予不敢於閉。
(成王が続けて言うには、)私は敢えて閉藏せず。
天降威,用寧王遺我大寶龜,紹天明。即命曰:‘有大艱於西土,西土人亦不靜,越茲蠢。殷小腆誕敢紀其敘。天降威,知我國有疵,民不康,曰:予復!反鄙我周邦,今蠢今翼。日,民獻有十夫予翼,以於敉寧、武圖功。我有大事,休?’朕卜並吉。”
(成王が続けて言うには、)天は威罰を降下し、寧王(すなわち文王)の留下する大寶亀を我に与え、もって天の明命を紹述せしむ。すなわち亀に命じて曰く、『西土に大艱難あり、西土の人もまた安靜せず、ここに蠢動す。殷の小厚國は膽敢として彼らの緒統を整理せんとす。天は威罰を降下し、彼らはわが国に毛病あり、人民が不安康なるを知り、曰く、我は恢復せんと。反ってわが周邦を邊鄙として、今蠢動し、今協助す』と。あの日、民賢十人ありて私を輔翼し、往きて文王・武王の謀画する功業を撫定せん。私に大事あれば、美ならんか。わが卜はみな吉なり。」
肆予告我友邦君越尹氏、庶士、御事、曰:‘予得吉卜,予惟以爾庶邦於伐殷逋播臣。’爾庶邦君越庶士、御事罔不反曰:‘艱大,民不靜,亦惟在王宮邦君室。越予小子考,翼不可徵,王害不違卜?’肆予沖人永思艱,曰:嗚呼!允蠢,鰥寡哀哉!予造天役,遺大投艱於朕身,越予沖人,不卬自恤。義爾邦君越爾多士、尹氏、御事綏予曰:‘無毖於恤,不可不成乃寧考圖功!’已!予惟小子,不敢替上帝命。天休於寧王,興我小邦周,寧王惟卜用,克綏受茲命。今天其相民,矧亦惟卜用。嗚呼!天明畏,弼我丕丕基!”王曰:“爾惟舊人,爾丕克遠省,爾知寧王若勤哉!天閟毖我成功所,予不敢不極卒寧王圖事。肆予大化誘我友邦君,天棐忱辭,其考我民,予曷其不於前寧人圖功攸終?天亦惟用勤毖我民,若有疾,予曷敢不於前寧人攸受休畢!”王曰:“若昔朕其逝,朕言艱日思。若考作室,既底法,厥子乃弗肯堂,矧肯構?厥父菑,厥子乃弗肯播,矧肯獲?厥考翼其肯曰:予有後弗棄基?肆予曷敢不越卬敉寧王大命?若兄考,乃有友伐厥子,民養其勸弗救?”王曰:“嗚呼!肆哉爾庶邦君越爾御事。爽邦由哲,亦惟十人迪知上帝命越天棐忱,爾時罔敢易法,矧今天降戾於周邦?惟大艱人誕鄰胥伐於厥室,爾亦不知天命不易?予永唸曰:天惟喪殷,若穡夫,予曷敢不終朕畝?天亦惟休於前寧人,予曷其極卜?敢弗於從率寧人有指疆土?矧今卜並吉?肆朕誕以爾東征。天命不僣,卜陳惟若茲。”
(成王が続けて言うには、)ゆえに私はわが友邦の君と尹氏・庶士・治事の人に告げて曰く、『我は吉卜を得た。私はただ汝ら衆邦を用いて殷の逃亡播遷の臣を討伐せんと欲す』と。汝ら衆邦の君と庶士・治事の人は、反って問わざるなし、『艱難は大きく、人民は安靜せず。またただ王宮と邦君の室に在るがためのみ。わが小子が考察するに、大概征討すべからず。王はなぜ卜に違背せざるか』と。ゆえに我が年輕人は長久に艱難を思考して曰く、ああ、確かに蠢動し、鰥寡は哀むべきかな。私は天の役使する所で、大艱難を我が身に投じ、我が年輕人は自らを體恤する暇なし。理に按れば、汝ら邦君と汝ら多士・尹氏・治事の人は私を安慰して曰うべきなり、『過度に畏懼憂恤するなかれ、汝の寧考の謀画する功を成就すべからざるなし』と。ああ、私はただ小子なり。敢えて上帝の命を廢棄せず。天は寧王を嘉美し、わが小邦周を興起し、寧王はただ卜を信用し、能くこの命を安定して接受した。今、天は大概人民を輔助し、いわんやまた卜を信用すべきや。ああ、天の明威は、わが大大の基業を輔弼す。」王は言った。「汝らは旧人で、汝らはきわめて遠く省察しうる。汝らは寧王がどのように勤勞したかを知る。天は秘密謹慎に我に成功の處所を指示す。私は敢えて寧王の謀画する事を完成するに力を盡さざらんや。ゆえに私はわが友邦の君を大いに勸導す。天は誠信の言をもって輔助し、大概わが民を考核す。私はなぜ前前寧人の謀画する功を做完せざるを得ん。天もまたただ勤勞謹慎にわが民を對待し、疾病あるがごとし。私はどうして敢えて前寧人の所受の美賜を完成せざるを得ん。」王は言った。「昔、私がまさに往かんとするがごとく、わが言は艱難の日子に思念す。父が房子を造るに、すでに法度を定下したるに、子は卻って堂基を為るを肯ぜず、いわんや屋を蓋うを肯ずや。父が田を開墾したるに、子は卻って播種を肯ぜず、いわんや收獲を肯ずや。あの父は大概肯んじて曰かん、我に後代ありて基業を拋棄せざるやと。ゆえに私はどうして敢えて自ら寧王の大命を撫定せざるを得ん。兄が死したるに、卻って朋友ありてその子を攻打せば、民人は彼らを養い彼らを勸めて救わざらんや。」王は言った。「ああ、努力せよ汝ら衆邦の君と汝ら治事の人よ。邦を清明せしむるは明智の人に要し、またただこの十人が上帝の命と天の輔助の誠信を知る。その時汝らは法度を改易せず。いわんや今、天は罪戻を周邦に降下せんや。あの發難する者は大大に鄰人と自らの家にて互いに攻伐す。汝らはなお天命の容易ならざるを知らざるか。私は長久に思念して曰く、天はただ殷を滅亡せんと欲するがごとく、農夫のごとし。私はどうして敢えてわが田畝を結束せざるを得ん。天もまた前寧人を嘉美す。私はなぜ再卜を窮盡せん。敢えて遵從せず寧人の所有するこの疆域に循らざらんや。いわんや今、卜はみな吉なるや。ゆえに私は大いに汝らを用いて東征す。天命に差錯なく、卜の陳列する所はこのようだ。」
周書 微子之命第十
成王既黜殷命,殺武庚,命微子啟代殷後,作《微子之命》。
成王はすでに殷命を廢黜し、武庚を殺し、微子啓に命令して殷の後嗣に代えしめ、《微子之命》を作った。
王若曰:“猷!殷王元子。惟稽古,崇德象賢。統承先王,修其禮物,作賓於王家,與國鹹休,永世無窮。嗚呼!乃祖成湯克齊聖廣淵,皇天眷佑,誕受厥命。撫民以寬,除其邪虐,功加於時,德垂後裔。爾惟踐修厥猷,舊有令聞,恪慎克孝,肅恭神人。予嘉乃德,曰篤不忘。上帝時歆,下民祗協,庸建爾於上公,尹茲東夏。欽哉,往敷乃訓,慎乃服命,率由典常,以蕃王室。弘乃烈祖,律乃有民,永綏厥位,毗予一人。世世享德,萬邦作式,俾我有周無斁。嗚呼!往哉惟休,無替朕命。”
王はこのように言った。「謀、殷王の長子よ。太古を考察するに、徳を尊崇し賢人を效法す。統緒は上に先王を承え、あの禮と物を修治し、王家の賓客を為り、国とともに美を享け、永世に窮盡なし。ああ、汝の祖先成湯は能く齊聖・廣大・深遠にして、皇天は眷顧保佑し、あの命を大受した。寛をもって民を撫し、邪虐を除去し、功は當時に加わり、徳は後裔に留めた。汝はあの道を踐行修治し、旧來美名あり。恭敬謹慎にして能く孝、嚴肅恭敬して神と人に對す。私は汝の徳を嘉許し、篤厚にして忘れべからずと言う。上帝は時に歆享し、下方の人民は敬慎和協し、よって汝を上公に立て、この東夏を治理せしむ。敬慎せよ。往きて汝の訓誡を頒布し、汝の服命を謹慎し、典常に遵循し、もって王室を藩衛せよ。汝の烈祖を光大し、汝の有する民を約束し、永遠に位子を安定し、わが一人を輔佐せよ。世世徳を享受し、万邦は法式として、わが周に厭倦なからしめよ。ああ、行け。ただ美善なるのみ。わが命を廢棄するなかれ。」
〖歸禾〗唐叔得禾,異畝同穎,獻諸天子。王命唐叔歸周公於東,作《歸禾》。
〖歸禾〗唐叔は禾を得た。田畝を異にするも穗子は同生した。天子に進献した。王は唐叔に命令して禾を東土の周公に送らしめ、《歸禾》を作った。
〖嘉禾〗周公既得命禾,旅天子之命,作《嘉禾》。
〖嘉禾〗周公はすでに禾を賜う命を得て、天子の命を陳説し、《嘉禾》を作った。
周書 康誥第十一
成王既伐管叔、蔡叔,以殷餘民封康叔,作《康誥》、《酒誥》、《梓材》。
成王はすでに管叔・蔡叔を討伐し、殷の其餘の民を康叔に封じ、《康誥》《酒誥》《梓材》を作った。
惟三月哉生魄,周公初基作新大邑於東國洛,四方民大和會。侯、甸、男邦、採、衛百工、播民,和見士於周。周公鹹勤,乃洪大誥治。
三月哉生魄(月亮大半無光の後)、周公は初めて經營し、東方の洛にて新たな大邑を作り、四方の人民は大大に會合した。侯・甸・男邦・采・衛の百官と播遷の民は、和協して周に從事した。周公はみな慰勞を加え、ここに治理の道を大いに誥告した。
王若曰:“孟侯,朕其弟,小子封。惟乃丕顯考文王,克明德慎罰;不敢侮鰥寡,庸庸,祗祗,威威,顯民,用肇造我區夏,越我一、二邦以修我西土。惟時怙冒,聞於上帝,帝休,天乃大命文王。殪戎殷,誕受厥命越厥邦民,惟時敘,乃寡兄勖。肆汝小子封在茲東土。
王はこのように言った。「孟侯、わが弟弟、小子封よ。汝のきわめて顯赫の先考文王は、能く徳を彰明し刑罰を謹慎し、鰥寡を輕侮せず、當に用いるべきを用い、當に敬すべきを敬し、當に威すべきを威し、人民に向かって彰明し、よって初めて我が華夏區域を造就し、わが一二邦とともにわが西土を修治した。この時、彼の勤勉に依仗し、上帝に上聞し、帝は喜悅し、天はここに文王を大命し、大殷を滅し、あの命とあの邦あの民を大受し、この時次序を有す。これは我が寡徳の兄の努力なり。ゆえに汝小子封はこの東土に在り。
王曰:“嗚呼!封,汝念哉!今民將在祗遹乃文考,紹聞衣德言。往敷求於殷先哲王用保乂民,汝丕遠惟商耇成人,宅心知訓。別求聞由古先哲王用康保民。
王は言った。「ああ、封よ、汝は思念せよ。今、人民はまさに汝が敬慎に汝の文考に循い、繼續して德の言を聽聞服膺するを觀察せん。往きて殷代の先哲王がもって人民を保養治理する辦法を廣く求取せよ。汝は遠く商の年高成人を思念し、心に置いて訓誡を知れ。また古先哲王より聽聞する來る、もって人民を安康保護する辦法を求取せよ。
宏於天,若德,裕乃身不廢在王命!”王曰:“嗚呼!小子封,恫瘝乃身,敬哉!天畏棐忱;民情大可見,小人難保。往盡乃心,無康好逸豫,乃其乂民。我聞曰:‘怨不在大,亦不在小;惠不惠,懋不懋。’已!汝惟小子,乃服惟弘王應保殷民,亦惟助王宅天命,作新民。”
(王が続けて言うには、)廣大なること天のごとく、德に順從し、汝の自身を寬裕にし、王命の中に廢棄するなかれ。」王は言った。「ああ、小子封よ、人民の痛苦を自らの身上の病痛と為し、敬慎せよ。天の威嚴は誠信を輔助し、民情は大略看見しうるも、小人は保有しがたし。往きて汝の心を尽くし、逸樂を喜好に安んずるなかれ、こそ人民を治理しうる。私は聞く、『怨は大に在らず、また小に在らず。當に順從すべきは順從し、當に努力すべきは努力せよ』と。ああ、汝はただ小子なり。汝の職事はただ王の應保する殷民を廣大し、またただ王を幫助して天命を安定し、新民を造就す。
王曰:“嗚呼!封,敬明乃罰。人有小罪,非眚,乃惟終自作不典;式爾,有厥罪小,乃不可不殺。乃有大罪,非終,乃惟眚災:適爾,既道極厥辜,時乃不可殺。”
王は言った。「ああ、封よ、汝の刑罰を敬慎彰明せよ。人に小罪あり、過失にあらざるも、卻って始終自ら不法の事を為す。もしこのようであれば、彼の罪は小と雖も、殺すべからざるなし。もし大罪あり、始終このようにあらず、ただ過失により災害を成す。恰好このようであれば、すでにあの罪過を盡頭まで說えば、この時すなわち殺すべからず。」
王曰:“嗚呼!封,有敘時,乃大明服,惟民其敕懋和。若有疾,惟民其畢棄咎。若保赤子,惟民其康乂。非汝封刑人殺人,無或刑人殺人。非汝封又曰劓刵人,無或劓刵人。”
王は言った。「ああ、封よ、能くこのような次序あれば、すなわち大大に彰明して人民を心服せしめ、人民は互いに告誡勉力和協せん。疾病を對待するがごとく、人民はすなわち全部罪過を拋棄せん。初生の嬰兒を保護するがごとく、人民はすなわち安康に治理を得ん。汝封に在らずして人を刑し人を殺す、人に擅自に人を刑し人を殺さしめるなかれ。汝封に在らずしてまた人を劓刖せんと曰う、人に擅自に人を劓刖せしめるなかれ。」
王曰:“外事,汝陳時臬司師,茲殷罰有倫。”又曰:“要囚,服念五、六日至於旬時,丕蔽要囚。”
王は言った。「外部の事、汝はこれらの法度を司法の官に陳列せよ。この殷の刑罰は條理あり。」また言った。「囚犯を審查するに、反復して五六日より旬日まで思念し、こそ囚犯を大いに判斷せよ。」
王曰:“汝陳時臬事罰。蔽殷彝,用其義刑義殺,勿庸以次汝封。乃汝盡遜曰時敘,惟曰未有遜事。
王は言った。「汝はこれらの法度を陳列して刑罰を施行せよ。判斷は殷の常法を用い、あの合理の刑・合理の殺を用い、汝封の自己の心意に按るなかれ。汝がもし完全に順從して曰くすでに次序ありとせば、ただ能くいまだ順從の事なしと言うのみ。
已!汝惟小子,未其有若汝封之心。朕心朕德,惟乃知。
(王が続けて言うには、)ああ、汝はただ小子なり。いまだ汝封のごとき心有らず。わが心・わが徳は、ただ汝のみが知る。
凡民自得罪:寇攘奸宄,殺越人於貨,暋不畏死,罔弗憝。
(王が続けて言うには、)およそ人民が自ら罪を犯す:寇盜攘竊・内外の奸惡、人を殺して貨を越え、強橫にして死を怕れず。憎惡せざる人なし。
王曰:“封,元惡大憝,矧惟不孝不友。子弗祗服厥父事,大傷厥考心;於父不能字厥子,乃疾厥子。於弟弗念天顯,乃弗克恭厥兄;兄亦不念鞠子哀,大不友于弟。惟吊茲,不於我政人得罪,天惟與我民彝大泯亂,曰:乃其速由文王作罰,刑茲無赦。
王は言った。「封よ、首惡大奸、いわんやまた不孝不友あらんや。子は恭敬して父の事に從事せず、大いにその父の心を傷る。父を為るも能くその子を愛せず、反って子を厭惡す。弟を為るも天の顯明の道理を思念せず、すなわち能くその兄を恭敬せず。兄もまた幼子の哀苦を思念せず、弟に對してきわめて不友愛なり。この地步に至れば、もしわが執政の人に至りて罪を得ざれば、上天がわが人民に賜与する常法は大大に混亂す。曰く、すなわち迅速に文王の作する罰に依照して、これらを懲罰して赦免するなかれ。
不率大戛,矧惟外庶子、訓人惟厥正人越小臣、諸節。乃別播敷,造民大譽,弗念弗庸,瘝厥君,時乃引惡,惟朕憝。已!汝乃其速由茲義率殺。亦惟君惟長,不能厥家人越厥小臣、外正;惟威惟虐,大放王命;乃非德用乂。汝亦罔不克敬典,乃由裕民,惟文王之敬忌;乃裕民曰:‘我惟有及。’則予一人以懌。”
(王が続けて言うには、)大法に遵循せず、いわんやまた外の庶子・訓人およびあの正人・小臣・諸有符節の人あらんや。また頒布施行して、人民の中に大いに聲譽を造成し、思念せず任用せず、君主を憂病せしむ。これはすなわち惡を長する、わが憎惡する所なり。ああ、汝はすなわち迅速にこの義に依照して率行誅殺せよ。また君を為し長を為して、その家人とその小臣・外正を治理すること能わざる者あり。ただ威、ただ虐のみ、大大に王命を放弃す。ここにすなわち徳をもって治理するにあらず。汝もまた敬守常法せざる能わず、ここにもって人民を寬裕し、ただ文王の敬と忌のみ。ここに人民を寬裕して曰く、『私はただ文王に趕上するを求む』と。ここにわが一人はすなわち喜悅せん。」
王曰:“封,爽惟民迪吉康,我時其惟殷先哲王德,用康乂民作求。矧今民罔迪,不適;不迪,則罔政在厥邦。”
王は言った。「封よ、人民が引導せられれば吉康なるを明思し、我はこの時ただ殷の先哲王の徳を思念し、もって人民を安康治理して匹配を為す。いわんや今、人民に引導なく、すなわち順わず。引導せざれば、邦国に政なし。」
王曰:“封,予惟不可不監,告汝德之說於罰之行。今惟民不靜,未戾厥心,迪屢未同,爽惟天其罰殛我,我其不怨。惟厥罪無在大,亦無在多,矧曰其尚顯聞於天。”
王は言った。「封よ、我は監察すべからざるなし。徳の道理を汝に告げ、刑罰の施行に關す。今、人民は安靜せず、心はいまだ定まらず、屢々引導してもいまだ會同せず。明思すれば、天は大概我を懲罰誅責せん。我は怨まざらん。あの罪は大に在らず、また多に在らず。いわんやそれがなお天に上聞するをや。」
王曰:“嗚呼!封,敬哉!無作怨,勿用非謀非彝蔽時忱。丕則敏德,用康乃心,顧乃德,遠乃猷,裕乃以;民寧,不汝瑕殄。”
王は言った。「ああ、封よ、敬慎せよ。怨恨を製造するなかれ、不當の謀画・不當の常法をもってこの時の誠信を遮蔽するなかれ。大法はすなわち徳を勉力修養し、もって汝の心を安康し、汝の徳を回顧し、汝の謀画を深遠にし、汝の用度を寬裕にし、人民安寧なれば、すなわち汝を挑剔滅絶せざらん。」
王曰:“嗚呼!肆汝小子封。惟命不於常,汝念哉!無我殄享,明乃服命,高乃聽,用康乂民。”
王は言った。「ああ、ゆえに汝小子封よ。命は恒常にあらず、汝は思念せよ。わが享祀を斷絕するなかれ、汝の服命を彰明し、汝の聽聞を提高し、もって人民を安康治理せよ。」
王若曰:“往哉!封,勿替敬,典聽朕告,汝乃以殷民世享。”
王はこのように言った。「行け、封よ、敬を廢棄するなかれ、常にわが告誡を聽け。汝はこそ殷民をもって世世代代享受しうる。」
周書 酒誥第十二
王若曰:“明大命於妹邦。乃穆考文王肇國在西土。厥誥毖庶邦庶士越少正御事,朝夕曰:‘祀茲酒。惟天降命,肇我民,惟元祀。天降威,我民用大亂喪德,亦罔非酒惟行;越小大邦用喪,亦罔非酒惟辜。’文王誥教小子有正有事:無彝酒。越庶國:飲惟祀,德將無醉。惟曰我民迪小子惟土物愛,厥心臧。聰聽祖考之彝訓,越小大德。
王はこのように言った。「妹邦(衛地)にて大命を彰明せよ。汝の穆考文王は西土にて国家を開創した。彼は謹慎衆邦衆士と少正・治事の人を誥告し、朝夕曰く、『祭祀の時においてのみこの酒を用いよ。天は命を降下し、初めてわが人民を成就す。ただ大祀においてのみ。天は威罰を降下し、わが人民はこれにより大亂して徳を喪失す。これもまた酒の造成する行為にあらざるなし。大小の邦がこれにより喪亡するも、また酒の造成する罪過にあらざるなし』と。文王は子孫と有官有事の人に誥教す。常に酒を飲むなかれ。衆國に至るまで、酒を飲むはただ祭祀においてのみ、徳をもって扶持し、醉うなかれ。ただわが人民が子孫を引導して土産を愛惜せば、彼らの心は善なりと曰う。祖考の常訓と、小徳大徳を聰聽せよ。
小子惟一妹土,嗣爾股肱,純其藝黍稷,奔走事厥考厥長。肇牽車牛,遠服賈用。孝養厥父母,厥父母慶,自洗腆,致用酒。
(王が続けて言うには、)子孫はこの妹土にて專一せよ。繼續して汝らの股肱を為し、專一に黍稷を種植し、奔走して父親と長上に事奉せよ。初めて車牛を牽いて、遠處に至りて買賣を為す。父母を孝養し、父母が歡慶し、自ら豐盛を整治して、こそ酒を用いよ。
庶士有正越庶伯君子,其爾典聽朕教!爾大克羞耇惟君,爾乃飲食醉飽。丕惟曰爾克永觀省,作稽中德,爾尚克羞饋祀。爾乃自介用逸,茲乃允惟王正事之臣。茲亦惟天若元德,永不忘在王家。”
(王が続けて言うには、)庶士・有正と庶伯君子よ、汝らは常にわが教を聽け。汝らは大大に能く老人と君主を進養せば、汝らはこそ飲食醉飽しうる。汝らが能く永遠に觀察省察し、行事を考核して中德に合すればと曰えば、汝らはなお饋祀を進献しうる。汝らは自ら逸樂を限制せば、こそ確かに王の正事の臣なり。これもまた天が大徳に順從し、永遠に王家に忘記せられざらん。」
王曰:“封,我西土棐徂,邦君御事小子尚克用文王教,不腆於酒,故我至於今,克受殷之命。”
王は言った。「封よ、我が西土の輔助以往、邦君・治事の子孫はなお能く文王の教を用いて、酒に豐厚せず。ゆえに我は今に至りて、能く殷の命を接受した。」
王曰:“封,我聞惟曰:‘在昔殷先哲王迪畏天顯小民,經德秉哲。自成湯鹹至於帝乙,成王畏相惟御事,厥棐有恭,不敢自暇自逸,矧曰其敢崇飲?越在外服,侯甸男衛邦伯,越在內服,百僚庶尹惟亞惟服宗工越百姓里居,罔敢湎於酒。不惟不敢,亦不暇,惟助成王德顯越,尹人祗闢。’我聞亦惟曰:‘在今後嗣王,酣,身厥命,罔顯於民祗,保越怨不易。誕惟厥縱,淫泆於非彝,用燕喪威儀,民罔不衋傷心。惟荒腆於酒,不惟自息乃逸,厥心疾很,不克畏死。辜在商邑,越殷國滅,無罹。弗惟德馨香祀,登聞於天;誕惟民怨,庶群自酒,腥聞在上。故天降喪於殷,罔愛於殷,惟逸。天非虐,惟民自速辜。’”王:“封,予不惟若茲多誥。古人有言曰:‘人無於水監,當於民監。’今惟殷墜厥命,我其可不大監撫於時!予惟曰:“汝劼毖殷獻臣、侯、甸、男、衛,矧太史友、內史友、越獻臣百宗工,矧惟爾事服休,服採,矧惟若疇,圻父薄違,農夫若保,宏父定闢,矧汝,剛制於酒。’厥或誥曰:‘群飲。’汝勿佚。盡執拘以歸於周,予其殺。又惟殷之迪諸臣惟工,乃湎於酒,勿庸殺之,姑惟教之。有斯明享,乃不用我教辭,惟我一人弗恤弗蠲,乃事時同於殺。”
王は言った。「封よ、私は聞く、『昔、殷の先哲王は天の顯明と小民を畏懼引導し、徳を經營し明智を持守した。成湯の都より一直に帝乙に至るまで、王業を成就し、輔相と治事の人を敬畏し、彼らの輔助は恭敬あり、敢えて自ら閒暇安逸せず。いわんや敢えて飲酒を崇尚せんや。外服には侯甸男衛の邦伯、内服には百官庶尹・副職・任事の宗工と百姓里居の人、敢えて酒に沉湎する者なし。敢えてせざるのみならず、閒暇もまたなし。ただ王徳の顯揚を助成し、人民を治理し法度を敬慎す』と。私は聞くもまた曰く、『後來の嗣王に至りては、酣飲してその命を自らの事と為し、人民に向かい敬慎を彰明せず、怨に安んじて改めず。大肆して放縱し、非法の中に淫泆し、宴飲をもって威儀を喪失し、人民に痛心せざるなし。ただ荒廢して酒に沉湎し、不但自らその逸樂を停止せず、その心は疾恨狠毒にして、死を怕れること能わず。罪過は商邑に在り、殷国の滅亡に至るまでも、いまだ憂慮なし。徳の馨香なる祭祀が天に上聞するにあらず。ただ人民の怨、衆群が自ら酒を飲み、腥氣が上聞す。ゆえに天は喪亡を殷に降し、殷を愛せず。ただ逸樂のみ。天は暴虐にあらず、ただ人民が自ら罪過を召來す』と。」王は言った。「封よ、私は不但このように多多誥告す。古人に言あり、『人はただ水上にて自らを察看するなかれ、當に人民の身上にて察看すべし』と。今、殷はあの命を坠落した。我はどうして大いに監察し、この時を撫定せざるを得ん。私はただ曰く、汝は謹慎して殷の賢臣・侯・甸・男・衛を告誡し、いわんや太史の僚友・内史の僚友と賢臣百宗工、いわんや汝の執事・服休・服采の人、いわんや汝の同僚、圻父は違命を攻擊し、農夫は順從して民を保護し、宏父は法度を確定し、いわんや汝、剛強に酒を制止せよ。あるいは人ありて報告して曰く、『群れて酒を飲む』と。汝は放縱するなかれ。全部拘捕して周に送り、我は大概殺さん。また殷の引導する諸臣と百工、もし酒に沉湎せば、彼らを殺すを要せず、姑く彼らを教えよ。このような明白の勸勉ありて、なおわが教辭を用いざれば、我が一人は體恤せず寬免せず、あの行事はすなわち殺すべきと相同なり。」
王曰:“封,汝典聽朕毖,勿辯乃司民湎於酒。”
王は言った。「封よ、汝は常にわが謹慎の告誡を聽け。汝の管理する人民をして酒に沉湎せしめるなかれ。」
周書 梓材第十三
王曰:“封,以厥庶民暨厥臣達大家,以厥臣達王惟邦君,汝若恆越曰:我有師師、司徒、司馬、司空、尹、旅。”曰:‘予罔厲殺人。’亦厥君先敬勞,肆徂厥敬勞。肆往,奸宄、殺人、歷人,宥;肆亦見厥君事、戕敗人,宥。
王は言った。「封よ、庶民と臣下を通じて大家に通達し、臣下を通じて王と邦君に通達せよ。汝は常に曰うべし、我に衆官の長・司徒・司馬・司空・尹・旅ありと。曰く、『我は厲虐して人を殺さず』と。またあの君主は先に敬慎慰勞し、ゆえに往きて敬慎慰勞す。以往、内外の奸惡・人を殺す・牽連の人は、寬宥しうる。また君主の事を見て殘害敗壞する人は、寬宥しうる。
王啟監,厥亂為民。曰:‘無胥戕,無胥虐,至於敬寡,至於屬婦,合由以容。’王其效邦君越御事,厥命曷以?‘引養引恬。’自古王若茲,監罔攸闢!惟曰:若稽田,既勤敷菑,惟其陳修,為厥疆畎。若作室家,既勤垣墉,惟其塗塈茨。若作梓材,既勤樸斫,惟其塗丹雘。
(王が続けて言うには、)王は監國を設立し、その治理は民のためなり。曰く、『互いに殘害するなかれ、互いに虐害するなかれ、鰥寡を敬重するに至り、妾婦に至るまで、みな合して包容を加えよ』と。王は邦君と治事の人を考核せんと欲す。その命は何を憑るか。『引きて長くして養い、引きて長くして安んず』と。古より王はみなこのようで、監國に邪僻なし。ただ曰く、田を治するがごとく、すでに勤勞して開墾播種し、なお整治して、田界と溝畎を為す。室家を造るがごとく、すでに勤勞して墻を築き、なお塗泥して茅を蓋う。梓材を作るがごとく、すでに勤勞して毛坯を砍削し、なお朱紅の顏料を塗る。
今王惟曰:先王既勤用明德,懷為夾,庶邦享作,兄弟方來。亦既用明德,後式典集,庶邦丕享。皇天既付中國民越厥疆土於先王,肆王惟德用,和懌先後迷民,用懌先王受命。已!若茲監,惟曰欲至於萬年,惟王子子孫孫永保民。”
(王が続けて言うには、)今、王はただ曰く、先王はすでに勤勞して明徳を用い、招來して夾輔を為し、衆邦は來享し來作し、兄弟の國は一齊に來た。すでに明徳を用い、後來の人は法典を用いて會合し、衆邦は大大に來享す。皇天はすでに中國の人民と疆土を先王に付托した。ゆえに王はただ徳を用い、あの先後迷惑の民を和悅し、もって先王の所受の命を喜悅せしむ。ああ、このように監察して、ただ到達萬年を希望し、ただ王の子々孫々が永遠に人民を保有するを願うのみ。」
周書 召誥第十四
成王在豐,欲宅洛邑,使召公先相宅,作《召誥》。
成王は豐に在り、洛邑に住まんと欲し、召公をして先に居處を相看せしめ、《召誥》を作った。
惟二月既望,越六日乙未,王朝步自周,則至於豐。
二月既望、六日乙未を過ぎ、王は早晨周より步行出發し、ここに豐に至った。
惟太保先周公相宅,越若來三月,惟丙午朏。越三日戊申,太保朝至於洛,卜宅。厥既得卜,則經營。越三日庚戌,太保乃以庶殷攻位於洛汭。越五日甲寅,位成。
太保は周公に先んじて居處を相看し、這の來る三月に至り、丙午新月が出現した。三日戊申を過ぎ、太保は早晨洛に至り、居處を問卜した。すでに卜を得て、すなわち經營を開始した。三日庚戌を過ぎ、太保は衆殷民を用いて洛水の曲がる處に位子を攻治した。五日甲寅を過ぎ、位子は做成した。
若翼日乙卯,周公朝至於洛,則達觀於新邑營。越三日丁巳,用牲於郊,牛二。越翼日戊午,乃社於新邑,牛一,羊一,豕一。
明日乙卯に至り、周公は早晨洛に至り、ここに新邑の經營を遍觀した。三日丁巳を過ぎ、郊にて牲を用い、牛二頭。明日戊午に至り、ここに新邑にて社を祭り、牛一・羊一・豕一。
越七日甲子,周公乃朝用書命庶殷侯甸男邦伯。厥既命殷庶,庶殷丕作。
七日甲子を過ぎ、周公はここに早晨冊書を用いて衆殷の侯・甸・男邦伯に命令した。すでに殷衆に命令し、衆殷は大大に動工した。
太保乃以庶邦冢君出取幣,乃復入錫周公。曰:“拜手稽首,旅王若公誥告庶殷越自乃御事:嗚呼!皇天上帝,改厥元子茲大國殷之命。惟王受命,無疆惟休,亦無疆惟恤。嗚呼!曷其奈何弗敬?天既遐終大邦殷之命,茲殷多先哲王在天,越厥後王后民,茲服厥命。厥終,智藏瘝在。夫知保抱攜持厥婦子,以哀籲天,徂厥亡,出執。嗚呼!天亦哀於四方民,其眷命用懋。王其疾敬德!相古先民有夏,天迪從子保,面稽天若;今時既墜厥命。今相有殷,天迪格保,面稽天若;今時既墜厥命。今沖子嗣,則無遺壽耇,曰其稽我古人之德,矧曰其有能稽謀自天?嗚呼!有王雖小,元子哉。其丕能諴於小民。今休:王不敢後,用顧畏於民碞;王來紹上帝,自服於土中。旦曰:‘其作大邑,其自時配皇天,毖祀於上下,其自時中乂;王厥有成命治民。’今休。
太保はここに衆邦の大君とともに出でて幣を取り、再び入りて周公に賜与した。言った。「跪拜して叩頭し、王と公の誥告を衆殷と汝ら自己の治事人に陳説す。ああ、皇天上帝は、その元子・この大國殷の命を改換した。王は命を接受し、美に疆界なく、憂恤にもまた疆界なし。ああ、どうして敬せざるを得ん。天はすでに大邦殷の命を遠く終結した。この殷に多くの先哲王ありて天に在り。後來の王と後來の民に至りても、なおあの命を服した。終結に至りては、明智の人は隱藏し、病苦の人は位に在り。人々はただ自らの妻子児女を保護抱持するを知り、悲哀して天に呼吁し、走向して逃亡し、捉拿された。ああ、天もまた四方の人民を哀憐す。その眷顧の命はこれにより勉力して改換す。王は速やかに徳を敬すべし。古代の先民有夏を看よ。天は彼らを引導し、兒子のごとく保護し、彼らは面して天の順從を考求した。今すでにあの命を坠落した。今、有殷を看よ。天は引導感通保護し、彼らは面して天の順從を考求した。今すでにあの命を坠落した。今、年輕人は繼嗣す。年高の人を遺棄するなかれ、曰く、わが古人の徳を考求せん。いわんや能く天より考求謀画せんをや。ああ、王は小と雖も、元子なり。大いに能く小民を誠待すべし。今の美は、王は敢えて落後せず、よって人民の口嚴(非議)を顧念畏懼す。王は來て上帝を紹述し、自ら土中にて治理す。旦は曰く、『大邑を作らん。この時より皇天に配享し、上下を謹慎祭祀し、ここより中に居りて治理せん。王に既成の命ありて民を治む』と。今、美なり。
王先服殷御事,比介於我有周御事,節性惟日其邁。王敬作所,不可不敬德。
(召公が続けて言うには、)王は先ず殷の治事人に信服し、彼らに親近し、彼らをしてわが有周の治事人に介せしめ、性情を節制し、一天天に前進せよ。王は敬慎して處所を為し、徳を敬すべからざるなし。
我不可不監於有夏,亦不可不監於有殷。我不敢知曰,有夏服天命,惟有歷年;我不敢知曰,不其延。惟不敬厥德,乃早墜厥命。我不敢知曰,有殷受天命,惟有歷年;我不敢知曰,不其延。惟不敬厥德,乃早墜厥命。今王嗣受厥命,我亦惟茲二國命,嗣若功。
(召公が続けて言うには、)わらは有夏を察看すべからざるなし。また有殷を察看すべからざるなし。私は敢えて言わず、有夏が天命に服事するや、多少年ありや。私は敢えて言わず、あの命が延長せざるや。ただあの徳を敬せざるがため、こそ早々にあの命を坠落した。私は敢えて言わず、有殷が天命を接受するや、多少年ありや。私は敢えて言わず、あの命が延長せざるや。ただあの徳を敬せざるがため、こそ早々にあの命を坠落した。今、王は繼嗣してあの命を接受す。我もまたただこの兩國の命を思念し、あのごとき功を繼承す。
王乃初服。嗚呼!若生子,罔不在厥初生,自貽哲命。今天其命哲,命吉凶,命歷年;知今我初服,宅新邑。肆惟王其疾敬德?王其德之用,祈天永命。
(召公が続けて言うには、)王は初次の服事なり。ああ、子を生むがごとく、あの初生に在らざるなく、自ら明智の命を留遺す。今、天は大概明智を命予し、吉凶を命予し、暦年(所經歷の年数)を命予せん。今、わが初次の服事を知り、新邑に住す。ゆえに王は速やかに徳を敬すべし。王は徳を用い、天の永命を祈求せよ。
其惟王勿以小民淫用非彝,亦敢殄戮用乂民,若有功。其惟王位在德元,小民乃惟刑用於天下,越王顯。上下勤恤,其曰我受天命,丕若有夏曆年,式勿替有殷歷年。欲王以小民受天永命。”
(召公が続けて言うには、)王は小民をもって過度に非法を使用せざるを願い、また敢えて殄滅殺戮をもって人民を治理し、こそ功あらん。王が徳の首要に位せば、小民はこそ法度を天下に用い、王はすなわち顯揚せん。上下は憂恤に勤く、あれこそわが天命を接受し、大大に有夏の暦年のごとく、もって有殷の暦年を廢棄せざらんと言わん。王に願わくは小民をもって天の永命を接受せんことを。」
拜手稽首,曰:“予小臣敢以王之仇民百君子越友民,保受王威命明德。王末有成命,王亦顯。我非敢勤,惟恭奉幣,用供王能祈天永命。”
跪拜して叩頭し、言った。「わが小臣は敢えて王の仇民(殷民)百君子と友民を用い、王の威命明徳を保護接受せん。王は終に既成の命あり、王もまた顯揚せん。私は敢えて勤勞と言わず、ただ恭敬して幣帛を奉上し、もって王が能く天の永命を祈求するに供せん。」
周書 洛誥第十五
召公既相宅,周公往營成周,使來告卜,作《洛誥》。
召公はすでに居處を相看し、周公は往きて成周を營建し、人を遣して卜を報告せしめ、《洛誥》を作った。
周公拜手稽首曰:“朕復子明辟。王如弗敢及天基命定命,予乃胤保大相東土,其基作民明闢。予惟乙卯,朝至於洛師。我卜河朔黎水,我乃卜澗水東,瀍水西,惟洛食;我又卜瀍水東,亦惟洛食。伻來以圖及獻卜。”
周公は跪拜して叩頭し言った。「私は明君の位を汝に交還す。王はなお敢えて天の開始の命・確定の命に趕及せざるがごとし。私はここに太保に繼き大力して東土を相看し、あの基礎はまさに人民の明君を造就せんとす。私は乙卯に、早晨洛師に至った。私は河北の黎水を卜し、私はまた澗水以東・瀍水以西を卜したが、ただ洛地の兆のみ食(吉兆が接受される)なり。私はまた瀍水以東を卜すも、またただ洛地の兆のみ食なり。人を遣して地圖を送り來らせ、併せて卜を獻上せしむ。」
王拜手稽首曰:“公不敢不敬天之休,來相宅,其作周匹,休!公既定宅,伻來,來,視予卜,休恆吉。我二人共貞。公其以予萬億年敬天之休。拜手稽首誨言。”
王は跪拜して叩頭し言った。「公は敢えて天の美賜を敬せず、來て居處を相看す。これは周を作る匹配、美なるかな。公はすでに居處を定下し、人を遣して來らせ、來たり、我に卜を看せしめた。美にして常吉なり。わら二人は共同してこの吉に當たらん。公は我を帶いて万亿年天の美賜を敬せん。跪拜して叩頭し、教誨の言を接受す。」
周公曰:“王,肇稱殷禮,祀於新邑,鹹秩無文。予齊百工,伻從王於周,予惟曰:‘庶有事。’今王即命曰:‘記功,宗以功作元祀。’惟命曰:‘汝受命篤弼,丕視功載,乃汝其悉自教工。’孺子其朋,孺子其朋,其往!無若火始焰焰;厥攸灼敘,弗其絕。厥若彝及撫事如予,惟以在周工往新邑。伻向即有僚,明作有功,惇大成裕,汝永有辭。”
周公は言った。「王よ、初めて殷禮を舉行し、新邑にて祭祀し、みな次序に按って紊亂なし。私は百官を整齊し、彼らをして王に從いて周に至らしめ、私はただ曰く、『大概事あらん』と。今、王はすなわち下令して曰く、『功勞を記錄し、宗人は功勞に按って大祀を舉行せよ』と。また命令して曰く、『汝は命を受けて篤厚輔弼し、功勞の記載を大いに看よ。汝はみな自ら百工を教誨せよ』と。孺子は朋黨を慎すべし、孺子は朋黨を慎すべし。行け。火の初め燃ゆる微微のごとくするなかれ。その燒く所の次序は、それを斷絕せしむるなかれ。汝がもし常法に及び撫治政事して我のごとくあれば、ただ周の百工を用いて新邑に前往せしめよ。彼らをして職に趨就し、勉力して功ある事を為し、厚大して寬裕を成せしめば、汝はすなわち永遠に美辭あらん。」
公曰:“已!汝惟沖子,惟終。汝其敬識百辟享,亦識其有不享。享多儀,儀不及物,惟曰不享。惟不役志於享,凡民惟曰不享,惟事其爽侮。乃惟孺子頒,朕不暇聽。
公は言った。「ああ、汝はただ年輕人なり。終結を想到すべし。汝は敬慎して百君の享献を識別し、またあの享献せざる者を識別せよ。享献は禮儀に多く、禮儀が禮物に趕及せざれば、ただ能く不享と言うのみ。ただ心志を享に用いざれば、およそ人民はただ不享と曰い、政事はすなわち差錯輕慢せん。ここにただ孺子をして頒布せしめ、私は閒暇なし。
朕教汝於棐民,彝汝乃是不,乃時惟不永哉!篤敘乃正父罔不若予,不敢廢乃命。汝往敬哉!茲予其明農哉!彼裕我民,無遠用戾。”
(周公が続けて言うには、)私は汝に人民を輔助するを教え、常法汝がもしこのようにあらざれば、ここに長久せざらん。篤厚に汝の正父(官長)を排定せよ。我に似ざるなし。敢えて汝の命を廢棄せず。汝は往きて敬慎せよ。この時我は大概農事を明示せん。あの寬裕なるわが人民は、再遠もまた來らん。」
王若曰:“公!明保予沖子。公稱丕顯德,以予小子揚文武烈,奉答天命,和恆四方民,居師;惇宗將禮,稱秩元祀,鹹秩無文。惟公德明光於上下,勤施於四方,旁作穆穆,迓衡不迷。文武勤教,予沖子夙夜毖祀。”王曰:“公功棐迪,篤罔不若時。”
王はこのように言った。「公よ、明白に我が年輕人を保護せよ。公はきわめて顯赫の徳を稱揚し、我が小子をして文・武の功業を發揚せしめ、天命に奉答し、四方の人民を和恒し、京師に住す。宗族を厚く待し禮を奉行し、大祀の等次を舉行し、みな次序に按って紊亂なし。公の徳は上下に光明し、勤勞は四方に施行し、普く穆穆を作成し、衡平を迎受して迷惑せず。文・武は教化に勤く、我が年輕人は晝夜謹慎祭祀す。」王は言った。「公の功は輔助引導し、篤厚にしてこのごとくに似ざるなし。」
王曰:“公!予小子其退,即闢於周,命公後。四方迪亂未定,於宗禮亦未克敉,公功迪將,其後監我士師工,誕保文武受民,亂為四輔。”王曰:“公定,予往已。公功肅將祗歡,公無困哉!我惟無斁其康事,公勿替刑,四方其世享。”
王は言った。「公よ、我が小子はまさに退回して周にて君位に即かん。公に命令して後を留めしむ(一説に周公の後嗣を封ず)。四方の引導治理はいまだ安定せず、宗禮に在ってもまたいまだ撫定すること能わず。公の功は引導扶持に在り、此後わが士・師・工を監察し、文・武の所受の民を大保し、治理して四輔を為れ。」王は言った。「公は留まれ、我は行く。公の功は嚴肅に奉行し、敬慎歡洽せよ。公は困頓するなかれ。私はただあの安民の事に厭倦せざるのみ。公は表率を為るを廢棄するなかれ。四方はすなわち世世享有せん。」
周公拜手稽首曰:“王命予來承保乃文祖受命民,越乃光烈考武王弘朕恭。
周公は跪拜して叩頭し言った。「王は我に命令して來て汝の文祖の所受命の民を承保せしめ、また汝の光輝有功の先考武王を承保せしむ。わが恭敬を廣大せん。
孺子來相宅,其大惇典殷獻民,亂為四方新闢,作周恭先。曰其自時中乂,萬邦鹹休,惟王有成績。予旦以多子越御事篤前人成烈,答其師,作周孚先。’考朕昭子刑,乃單文祖德。
(周公が続けて言うには、)孺子は來て居處を相看し、まさに大大に殷の賢民を厚待し、治理して四方の新君を為り、周の恭敬の先導を作らんとす。曰く、ここより中に居りて治理せん。万邦はみな美にして、王はこそ成績あらん。我旦は衆卿大夫および治事の人とともに篤厚に前人の既成の功業を述し、あの民衆に答報し、周の誠信の先導を作らん。わが汝に昭示する法度を成就して、こそ文祖の徳を尽くさん。
伻來毖殷,乃命寧予以秬鬯二卣。曰明禋,拜手稽首休享。予不敢宿,則禋於文王、武王。惠篤敘,無有遘自疾,萬年厭於乃德,殷乃引考。王伻殷乃承敘萬年,其永觀朕子懷德。”
(周公が続けて言うには、)人を遣して殷民を謹慎せしめ、ここに秬鬯二卣をもって我を寧せしめた。明白に禋祭せよと説く。跪拜して叩頭し、美好に獻享す。私は敢えて隔夜に留めず、すなわち文王・武王に禋祭した。惠愛篤厚にして有序あり、自ら疾病に遭遇せず。萬年に汝の徳に滿足し、殷はこそ長久壽考せん。王は殷民をして次序を承受せしめ萬年、永遠にわが兒子を觀て徳を懷念せん。」
戊辰,王在新邑烝,祭歲,文王騂牛一,武王騂牛一。王命作冊逸祝冊,惟告周公其後。
戊辰、王は新邑にて冬祭し、歳祭し、文王は騂牛一頭を用い、武王は騂牛一頭を用いた。王は作冊逸に命令して祝冊を寫らせ、ただ周公の此後の事を禀告した。
王賓殺禋鹹格,王入太室,祼。王命周公後,作冊逸誥,在十有二月。惟周公誕保文武受命,惟七年。
王の賓客は牲を殺し禋祭してみな來至した。王は太室に進入し、祼祭を舉行した。王は周公に命令して後を留めしめ、作冊逸は誥命を發布した。十二月に在り。周公は文・武の所受の命を大保すること、是れ七年なり。
周書 多士第十六
成周既成,遷殷頑民,周公以王命誥,作《多士》。
成周はすでに建成し、殷の頑民を遷徙し、周公は王命を用いて誥告し、《多士》を作った。
惟三月,周公初於新邑洛,用告商王士。
三月、周公は初次に新邑洛に在り、もって商王の士に告諭した。
王若曰:“爾殷遺多士,弗吊旻天,大降喪於殷,我有周佑命,將天明威,致王罰,敕殷命終於帝。肆爾多士!非我小國敢弋殷命。惟天不畀允罔固亂,弼我,我其敢求位?惟帝不畀,惟我下民秉為,惟天明畏。
王はこのように言った。「汝ら殷の遺留の衆士よ。不善の旻天は、大喪を殷に降した。わが有周は天命を佑助し、天の明威を奉行し、王の懲罰を施行し、殷命が帝の處にて終結するを宣告した。ゆえに汝ら衆士よ、我が小國が敢えて殷命を奪取するにあらず。ただ天が誠信罔固の亂者に給えず、我を輔助せば、我はどうして位を求めんや。帝は他人に給えず、ただわが下方人民が作為を持守せば、天の明威は畏るべきなり。
我聞曰:上帝引逸,有夏不適逸;則惟帝降格,向於時夏。弗克庸帝,大淫泆有辭。惟時天罔念聞,厥惟廢元命,降致罰;乃命爾先祖成湯革夏,俊民甸四方。
(王が続けて言うには、)私は聞く、上帝は淫逸を制止し、有夏は逸樂を節制せず。ここに帝は感格を降下し、この時の夏に向いて。帝を用いること能わず、大肆して淫泆してなお振振有辭あり。この時天はもはや思念聽聞せず、ここに大命を廢除し、懲罰を降下した。ここに汝らの先祖成湯に命令して夏を變革せしめ、杰出の民を用いて四方を治理した。
自成湯至於帝乙,罔不明德恤祀。亦惟天丕建,保乂有殷,殷王亦罔敢失帝,罔不配天其澤。
(王が続けて言うには、)成湯より帝乙に至るまで、徳を彰明し祭祀を憂念せざるなし。また天が大大に建立し、有殷を保養治理し、殷王もまた敢えて帝を失わず、天の恩澤に配合せざるなし。
在今後嗣王,誕罔顯於天,矧曰其有聽念於先王勤家?誕淫厥泆,罔顧於天顯民祗,惟時上帝不保,降若茲大喪。惟天不畀不明厥德,凡四方小大邦喪,罔非有辭於罰。”
(王が続けて言うには、)後來の嗣王に至りては、大いに天に顯揚せず。いわんや能く先王の勤勞家国を聽聞思念せんや。大肆して淫泆し、天の顯明と人民の敬を顧みず。この時上帝は保佑せず、このような大喪を降下した。天はあの徳を彰明せざる人に給えず。およそ四方小大邦の喪亡は、言うべき有りてこそ懲罰せられざるなし。」
王若曰:“爾殷多士,今惟我周王丕靈承帝事,有命曰:‘割殷,’告敕於帝。惟我事不貳適,惟爾王家我適。予其曰惟爾洪無度,我不爾動,自乃邑。予亦念天,即於殷大戾,肆不正。”
王はこのように言った。「汝ら殷衆士よ、今、ただ我が周王のみ大大に善美に帝事を承奉し、命ありて曰く、『殷を割除せよ』と。帝に禀告敕正す。わが事に第二の對象なく、ただ汝ら王家のみがわが對象なり。我は大概曰かん、ただ汝らが大に法度なく、我は汝らを驚動せず、これは汝ら自己の邑より發生したと。我もまた天を思念し、殷の大罪戻に就きて、ゆえに常法に按って罪を治めず。」
王曰:“猷!告爾多士,予惟時其遷居西爾,非我一人奉德不康寧,時惟天命。無違,朕不敢有後,無我怨。
王は言った。「謀よ、汝ら衆士に告げん。我はこれにより汝らを遷して西邊に住ましむ。これは我が一人が徳を秉りて不安寧するにあらず、これはただ天命なり。違背するなかれ、我は敢えて滯後あらず、我を怨むるなかれ。
惟爾知,惟殷先人有冊有典,殷革夏命。今爾又曰:‘夏迪簡在王庭,有服在百僚。’予一人惟聽用德,肆予敢求爾於天邑商,予惟率肆矜爾。非予罪,時惟天命。”
(王が続けて言うには、)汝らは知る、殷の先人には冊あり典あり、殷が夏命を變革したを記載す。今、汝らはまた曰く、『夏は引導せられて王庭に選拔せられ、百官に職事あり』と。我が一人はただ有徳の人を聽用す。ゆえに我は敢えて天邑商より汝らを求取す。私はただ寛大して汝らを憐憫す。わが罪にあらず、これはただ天命なり。」
王曰:“多士,昔朕來自奄,予大降爾四國民命。我乃明致天罰,移爾遐逖,比事臣我宗多遜。”
王は言った。「衆士よ、昔、我は奄より歸り、我は大大に汝ら四國人民の命を降下した。我はここに明白に天の懲罰を施行し、汝らを遙遠の地方に移し、親近して事奉し、わが宗族に臣服せしめ、多く遜順たれ。」
王曰:“告爾殷多士,今予惟不爾殺,予惟時命有申。今朕作大邑於茲洛,予惟四方罔攸賓,亦惟爾多士攸服奔走臣我多遜。爾乃尚有爾土,爾用尚寧幹止,爾克敬,天惟畀矜爾;爾不克敬,爾不啻不有爾土,予亦致天之罰於爾躬!今爾惟時宅爾邑,繼爾居;爾厥有幹有年於茲洛。爾小子乃興,從爾遷。”
王は言った。「汝ら殷衆士に告げん。今、私はただ汝らを殺さざるのみ。我がこの時の命は重申する所有り。今、私はこの洛にて大邑を作る。我はこれにより四方に賓客の處所なきがため、またこれにより汝ら衆士に職事ありて奔走し、我に臣服して多く遜順せしむ。汝らはなお汝らの土地を有しうる。汝らはなお所事に安寧しうる。汝らが能く敬せば、天はすなわち汝らに憐憫を給えん。汝らが能く敬せざれば、汝らはただ汝らの土地を有せざるのみならず、我もまた天の懲罰を汝らの身に加えん。今、汝らはまさにこの時汝らの邑に住み、汝らの居處を繼續すべし。汝らはまさにこの洛にて事功あり・年歲あらん。汝らの子孫はこそ興起し、汝らに跟從して遷徙せん。」
王曰:“又曰時予,乃或言爾攸居。”
王は言った。「また曰く、我に順從せよと。我はあるいはなお汝らの居汝らの居處に說及せん。」
周書 無逸第十七
周公作《無逸》。
周公は《無逸》を作った。
周公曰:“嗚呼!君子所,其無逸。先知稼穡之艱難,乃逸,則知小人之依。
周公は言った。「ああ、君子は位に在り、逸樂を貪圖するなかれ。先ず稼穡の艱難を知りて、後に逸樂し、こそ小民の依靠を知らん。
相小人,厥父母勤勞稼穡,厥子乃不知稼穡之艱難,乃逸乃諺。既誕,否則侮厥父母曰:‘昔之人無聞知。’”周公曰:“嗚呼!我聞曰:昔在殷王中宗,嚴恭寅畏,天命自度,治民祗懼,不敢荒寧。肆中宗之享國七十有五年。其在高宗,時舊勞於外,爰暨小人。作其即位,乃或亮陰,三年不言。其惟不言,言乃雍。不敢荒寧,嘉靖殷邦。至於小大,無時或怨。肆高宗之享國五十年有九年。其在祖甲,不義惟王,舊為小人。
(周公が続けて言うには、)あの小人を看よ。父母は勤勞稼穡し、子は卻って稼穡の艱難を知らず、ここに逸樂し、ここに粗野す。すでに放誕し、不然すればすなわち父母を輕侮して曰く、『從前の人は見聞知識なし』と。」周公は言った。「ああ、私は聞く。昔、殷王中宗は、嚴肅恭謹・敬畏にして、天命を用いて自ら法度とし、民を治めて敬慎恐懼し、敢えて安寧を荒廢せず。ゆえに中宗は國を享くること七十五年。高宗に至りては、あの時旧日に外に在りて労苦し、よって小人に及んだ。即位するに及び、あるいは諒陰して三年言わず。まさに言わざるにより、一たび言えばすなわち和諧す。敢えて安寧を荒廢せず、殷邦を美好安定した。小大に至るまで、一時にして怨あることなし。ゆえに高宗は國を享くること五十九年。祖甲に至りては、王を為るを不義と為し、旧日に小人を為した。
作其即位,爰知小人之依,能保惠於庶民,不敢侮鰥寡。肆祖甲之享國三十有三年。自時厥後立王,生則逸,生則逸,不知稼穡之艱難,不聞小人之勞,惟耽樂之從。自時厥後,亦罔或克壽。或十年,或七八年,或五六年,或四三年。”
(周公が続けて言うには、)即位するに及び、ここに小民の依靠を知り、能く庶民を保護惠愛し、敢えて鰥寡を輕侮せず。ゆえに祖甲は國を享くること三十三年。ここより後に立てられた王は、生まれてすなわち逸樂し、生まれてすなわち逸樂し、稼穡の艱難を知らず、小民の労苦を聽聞せず、ただ耽樂に追隨す。ここより後もまた、能く長壽する者なし。あるいは十年、あるいは七八年、あるいは五六年、あるいは三四年なり。」
周公曰:“嗚呼!厥亦惟我周太王、王季,克自抑畏。文王卑服,即康功田功。徽柔懿恭,懷保小民,惠鮮鰥寡。自朝至於日中昃,不遑暇食,用咸和萬民。
周公は言った。「ああ、またわが周の太王・王季は、能く自ら謙抑敬畏した。文王は卑賤の衣服を穿著し、民居の安定と田畝の功に從事した。善美柔和・懿美恭謹にして、小民を保護し、鰥寡を惠愛した。早晨より日中・日昃に至るまで、食を暇なく、もって萬民を普く和諧せしめた。
文王不敢盤於遊田,以庶邦惟正之供。文王受命惟中身,厥享國五十年。”
(周公が続けて言うには、)文王は敢えて田獵に盤游せず、衆邦を用いてただ正常の貢賦に供した。文王は中年にて命を受け、國を享くること五十年なり。」
周公曰:“嗚呼!繼自今嗣王,則其無淫於觀、於逸、於遊、于田,以萬民惟正之供。無皇曰:‘今日耽樂。’乃非民攸訓,非天攸若,時人丕則有愆。無若殷王受之迷亂,酗於酒德哉!”周公曰:“嗚呼!我聞曰:‘古之人猶胥訓告,胥保惠,胥教誨,民無或胥譸張為幻。’此厥不聽,人乃訓之,乃變亂先王之正刑,至於小大。民否則厥心違怨,否則厥口詛祝。”
周公は言った。「ああ、今より後の嗣王は、觀光・逸樂・游玩・田獵に過度に安んずるなかれ。萬民を用いてただ正常の貢賦に供せよ。自ら寬假して曰く、『今日は耽樂しよう』とするなかれ。ここにすなわち人民の當に效法すべきにあらず、天の順從する所にあらず。このような人はすなわち過失あり。殷王受のごとく迷亂して、酒徳に酗酒するなかれ。」周公は言った。「ああ、私は聞く。『古時の人はなお互いに訓告し、互いに保護惠愛し、互いに教誨し、人民は互いに誑騙欺詐するなし』と。これらをもし聽かざれば、人はすなわち效法し、ここに先王の正法を變亂し、小大に至る。人民は不然すればすなわち心裏に違怨し、不然すればすなわち嘴裏に詛咒す。」
周公曰:“嗚呼!自殷王中宗及高宗及祖甲及我周文王,茲四人迪哲。厥或告之曰:‘小人怨汝詈汝。’則皇自敬德。厥愆,曰:‘朕之愆。’允若時,不啻不敢含怒。此厥不聽,人乃或譸張為幻,曰小人怨汝詈汝,則信之,則若時,不永念厥闢,不寬綽厥心,亂罰無罪,殺無辜。怨有同,是叢於厥身。”
周公は言った。「ああ、殷王中宗より高宗・祖甲・わが周文王に至るまで、この四人は引導せられて明智であった。あるいは人ありて彼らに告げて曰く、『小人は汝を怨み汝を罵る』とせば、彼らはすなわち更加に自ら徳を敬した。あの過失は、曰く、『是れわが過失なり』と。確かにこのようで、不但敢えて怒を含まざりき。これらをもし聽かざれば、人はあるいはすなわち誑騙欺詐し、小人が汝を怨み汝を罵ると曰えば、すなわち相信す。このようであれば、君を為るの道理を長久に思念せず、自らの心を寬綽せず、無罪の人を亂罰し、無辜の人を殺す。怨恨は會同する所有れば、すなわち彼の身上に叢集せん。」
周公曰:“嗚呼!嗣王其監於茲。”
周公は言った。「ああ、嗣王はこれらを察看すべし。」
周書 君奭第十八
召公為保,周公為師,相成王為左右。召公不說,周公作《君奭》。
召公は太保を為り、周公は太師を為り、成王を輔佐して左右に在り。召公は不悅あり、周公は《君奭》を作った。
周公若曰:“君奭!弗吊天降喪於殷,殷既墜厥命,我有周既受。我不敢知曰厥基永孚於休。若天棐忱,我亦不敢知曰其終出於不祥。
周公はこのように言った。「君奭よ。不善の天は喪亡を殷に降し、殷はすでにあの命を坠落し、わが有周はすでに接受した。私は敢えてあの基業が永遠に美に誠信すると言わず。もし天が誠信を輔助せば、私もまた敢えて最終に不祥に出ずと言わず。
嗚呼!君已曰時我,我亦不敢寧於上帝命,弗永遠念天威越我民;罔尤違,惟人。在我後嗣子孫,大弗克恭上下,遏佚前人光在家,不知天命不易,天難諶,乃其墜命,弗克經歷。嗣前人,恭明德,在今予小子旦非克有正,迪惟前人光施於我沖子。”又曰:“天不可信,我道惟寧王德延,天不庸釋於文王受命。”
(周公が続けて言うには、)ああ、君はすでにこの時は我に靠ると言う。私もまた敢えて上帝の命に安んぜず、天威とわが人民を長久に思念せず。過錯違逆なく、ただ人に在り。わが後嗣子孫に至りては、大大に上下を恭敬すること能わず、前人の光を遏止遺失して家に在り、天命の容易ならざるを知らず、天は信じがたく、ここに命を坠落し、長久を經歷すること能わず。前人を繼承し、明徳を恭敬するは、今我が小子旦に在っては並びて匡正する所有る能わず、ただ前人の光を引導施加してわが年輕人に給えるのみ。」また言った。「天は全信すべからず。わが道はただ寧王の徳を延長するのみ。天はこれにより文王の所受の命を捨棄せざらん。」
公曰:“君奭!我聞在昔成湯既受命,時則有若伊尹,格於皇天。在太甲,時則有若保衡。在太戊,時則有若伊陟、臣扈,格於上帝;巫咸乂王家。在祖乙,時則有若巫賢。在武丁,時則有若甘盤。率惟茲有陳,保乂有殷,故殷禮陟配天,多歷年所。天維純佑命,則商實百姓王人。罔不秉德明恤,小臣屏侯甸,矧鹹奔走。惟茲惟德稱,用乂厥闢,故一人有事於四方,若卜筮罔不是孚。”
公は言った。「君奭よ。私は聞く。昔、成湯すでに命を受け、あの時にすなわち伊尹のごとき人有りて、皇天に感通した。太甲に在りては、あの時にすなわち保衡のごとき人有りき。太戊に在りては、あの時にすなわち伊陟・臣扈のごとき人有りて、上帝に感通し、巫咸は王家を治理した。祖乙に在りては、あの時にすなわち巫賢のごとき人有りき。武丁に在りては、あの時にすなわち甘盤のごとき人有りき。ただこれらの功業を陳列する人有りに因りて、有殷を保養治理し、ゆえに殷禮は天に升配し、許多の年所を經歷した。天は純一にあの命を保佑し、ここに商の百姓王人はみな充実した。徳を持守し憂恤を明白にせざるなし。小臣および侯甸は、みな一齊に奔走した。ただこれらに因り、ただ徳を稱揚せられ、もって彼らの君主を治理し、ゆえに天子一人は四方に事あれば、卜筮のごとく誠信せざるなし。」
公曰:“君奭!天壽平格,保乂有殷,有殷嗣,天滅威。今汝永念,則有固命,厥亂明我新造邦。”
公は言った。「君奭よ。天はあの平和感通の人を壽考し、有殷を保養治理し、有殷は繼嗣し、天は威罰を滅した。今、汝は永遠に思念せば、すなわち固定の命あらん。あの治理はわが新造の邦を彰明せん。」
公曰:“君奭!在昔上帝割申勸寧王之德,其集大命於厥躬?惟文王尚克修和我有夏;亦惟有若虢叔,有若閎夭,有若散宜生,有若泰顛,有若南宮括。”
公は言った。「君奭よ。昔、上帝はなぜ一再に寧王の徳を勸勉し、大命を彼の身上に集中したか。文王はなお能くわが華夏を修治和諧した。また虢叔のごとき有り、閎夭のごとき有り、散宜生のごとき有り、泰顛のごとき有り、南宮括のごとき人有りに因る。」
又曰:“無能往來,茲迪彝教,文王蔑德降於國人。亦惟純佑秉德,迪知天威,乃惟時昭文王迪見冒,聞於上帝。惟時受有殷命哉。武王惟茲四人尚迪有祿。後暨武王誕將天威,鹹劉厥敵。惟茲四人昭武王惟冒,丕單稱德。
また言った。「もし人往來奔走する人なく、常教を引導せざれば、文王は國人に降する徳なし。またただ純一に保佑し徳を持守し、天威を知るに引導し、ここにこの時文王を昭明し、覆蓋を顯現するに引導し、上帝に上聞した。この時こそ有殷の命を接受した。武王の時、この四人はなお能く有祿を引導した。後來武王とともに天威を大行し、みなあの敵人を殺した。この四人は武王を昭明し覆蓋を加え、大大にあの徳を盡稱した。
今在予小子旦,若遊大川,予往暨汝奭其濟。小子同未在位,誕無我責收,罔勖不及。耇造德不降我則,鳴鳥不聞,矧曰其有能格?”公曰:“嗚呼!君肆其監於茲!我受命於疆惟休,亦大惟艱。告君,乃猷裕我,不以後人迷。”
(周公が続けて言うには、)今、我が小子旦に在りては、大河を游渡するがごとく、私は往きて汝奭とともに渡らん。小子は一同にいまだ位に在らず、大大にわが收攬を責備する人なく、わが不及を勉勵する人なし。年高にして徳を成す人はわが法則と為るに降臨せず、鳳凰の鳴叫もまた聽聞せず。いわんや能く感通せんをや。」公は言った。「ああ、君はここに監察すべし。わが命を受くるや疆に在りてただ美あり、また大大にただ艱難あり。君に告げん、わが寬裕を謀画し、後人を迷惑せしむるなかれ。」
公曰:“前人敷乃心,乃悉命汝,作汝民極。曰:‘汝明勖偶王,在亶乘茲大命,惟文王德丕承,無疆之恤!’”公曰:“君!告汝,朕允保奭。其汝克敬以予監於殷喪大否,肆念我天威。
公は言った。「前人はその心を攤開し、全部汝に命令し、汝の人民の極則を為さしめて曰く、『汝は明白に王に匹配するに勉力し、誠信に於いてこの大命に乘着し、ただ文王の徳を大大に繼承せよ。これは疆界なき憂恤なり』と。」公は言った。「君よ、汝に告げん。私は誠信して太保奭を信任す。汝が能く敬して、我とともに殷の喪亡の大不善を察看し、ここにわが天威を思念せんことを希望す。
予不允惟若茲誥,予惟曰:‘襄我二人,汝有合哉?’言曰:‘在時二人。’天休茲至,惟時二人弗戡。其汝克敬德,明我俊民,在讓後人於丕時。
(周公が続けて言うには、)私はただこのように多誥せんと欲するにあらず。私はただ曰く、『わが二人を襄助せよ。汝は能く契合せんか』と。汝は曰いき、『この二人に在り』と。上天の美命はこの時に至り、ただこの二人は承當し起こす能わず。汝が能く徳を敬慎し、わが俊民を顯明し、この偉大の時機を後人に讓與せんことを希望す。
嗚呼!篤棐時二人,我式克至於今日休?我鹹成文王功於!不怠丕冒,海隅出日,罔不率俾。”
ああ、もし誠實にこの二人を輔助せざれば、わらはどうして今日の美善に到達しえん。わらはみな文王の功業を成就した。怠惰せず大大に覆蓋し、海角日出の處に至るまで、順從聽命せざる人なし。」
公曰:“君!予不惠若茲多誥,予惟用閔於天越民。”
公は言った。「君よ、我はこのように多誥を喜ぶにあらず。私はただ上天と人民を憂憫するのみ。」
公曰:“嗚呼!君!惟乃知民德亦罔不能厥初,惟其終。祗若茲,往敬用治!”
公は言った。「ああ、君よ。汝は民徳にもまた能く好き開頭あらざるなしを知る。難きは始終を有するに在り。これらの言を敬慎し、往きて敬慎に治理せよ。」
周書 蔡仲之命第十九
蔡叔既沒,王命蔡仲,踐諸侯位,作《蔡仲之命》。
蔡叔が死した後、王は蔡仲に命令して諸侯の位を踐履せしめ、《蔡仲之命》を作った。
惟周公位冢宰,正百工,群叔流言。乃致闢管叔於商;囚蔡叔於郭鄰,以車七乘;降霍叔於庶人,三年不齒。蔡仲克庸祇德,周公以為卿士。叔卒,乃命諸王邦之蔡。王若曰:“小子胡,惟爾率德改行,克慎厥猷,肆予命爾侯於東土。
周公は冢宰に位し、百官を整頓し、幾人かの叔父は流言を散布した。ここに商地にて管叔を誅殺し、蔡叔を郭鄰に囚禁し、彼に七輛の車を給し、霍叔を庶人に降し、三年列を同じくせず。蔡仲は能く常に徳に敬慎し、周公は彼を用いて卿士と為した。蔡叔が死した後、すなわち王に請いて彼を蔡國に封じた。王はこのように言った。「小子胡よ、汝は能く徳に遵循して行為を改正し、能く汝の道路を謹慎す。ゆえに我は汝に命令して東土にて諸侯を為さしむ。
往即乃封,敬哉!爾尚蓋前人之愆,惟忠惟孝;爾乃邁跡自身,克勤無怠,以垂憲乃後;率乃祖文王之彝訓,無若爾考之違王命。皇天無親,惟德是輔。民心無常,惟惠之懷。為善不同,同歸於治;為惡不同,同歸於亂。爾其戒哉!慎厥初,惟厥終,終以不困;不惟厥終,終以困窮。懋乃攸績,睦乃四鄰,以蕃王室,以和兄弟,康濟小民。率自中,無作聰明亂舊章。詳乃視聽,罔以側言改厥度。則予一人汝嘉。”王曰:“嗚呼!小子胡,汝往哉!無荒棄朕命!”〖成王政〗成王東伐淮夷,遂踐奄,作《成王政》。
(成王が続けて言うには、)往きて汝の封地に就け、敬慎せよ。汝は當に前人の罪過を掩盖し、ただ忠を講じ、ただ孝を講じ、汝は自らの身より新路を走出し、能く勤勉して怠惰せず、法度を汝の後人に留遺せよ。汝の祖父文王の常訓に遵循し、汝の父親のごとく王命に違抗するなかれ。皇天は私親なく、ただ有徳の人を輔佐す。民心は常主なく、ただ恩惠を施す人に歸向す。善事を為る方式は不同なり、同じく治に歸す。惡事を為る方式は不同なり、同じく亂に歸す。汝は警戒せよ。開頭を謹慎し、また終結を想到せよ。始終を有してこそ困窘せざらん。終結を想着せざれば、終に困窮せん。汝の功績を勉力し、汝の四鄰を和睦し、もって王室を蕃衛し、もって兄弟を和睦し、小民を安定救濟せよ。中道に遵循し、自ら聰明を作して旧章を擾亂するなかれ。汝の視聽を審慎し、偏邪の言に因りて汝の法度を改變するなかれ。このようであればわが一人はすなわち汝を嘉許せん。」王は言った。「ああ、小子胡よ、汝は行け。わが命令を荒廢拋棄するなかれ。」底本はこの段の末に「成王政」および「成王東伐淮夷、遂踐奄、作《成王政》」を附す。これは次の篇の書序が正文に串入したもの。
〖將蒲姑〗成王既踐奄,將遷其君於蒲姑,周公告召公,作《將蒲姑》。
底本はこの段の首に「將蒲姑」を附す。これは篇題が正文に串入したもの。成王はすでに奄を滅し、まさに奄君を蒲姑に遷さんとして、周公は召公に告げ、《將蒲姑》を作った。
周書 多方第二十
成王歸自奄,在宗周,誥庶邦,作《多方》。
成王は奄より歸り、宗周にて衆邦に誥告し、《多方》を作った。
惟五月丁亥,王來自奄,至於宗周。
五月丁亥の日、王は奄より前來し、宗周に至った。
周公曰:“王若曰:猷!告爾四國多方,惟爾殷侯尹民,我惟大降爾命,爾罔不知。洪惟天之命,弗永寅念於祀,惟帝降格於夏。有夏誕厥逸,不肯慼言於民,乃大淫昏,不克終日勸於帝之迪,乃爾攸聞。厥圖帝之命,不克開於民之麗,乃大降罰,崇亂有夏。因甲於內亂,不克靈承於旅;罔丕惟進之恭,洪舒於民。
周公は言った。「王はこのように言う。ああ、汝ら四國多方に告げ、および汝らこれら殷民を治理する諸侯よ、我は大大に命令を汝らに降下し、汝らは知らざるなし。大大に上天の命を思量せよ。夏は能く長久に祭祀を敬念せず、上帝はすなわち夏に降臨した。有夏は大大に逸樂を放縱し、人民を憂念すること肯ず、ここに大いに淫亂昏聵し、終日上帝の引導に勤勉すること能わず。これは汝らの聽説する所なり。彼らは上帝の命を謀求するも、人民の依附する法網を開通すること能わず、ここに大大に懲罰を降下し、有夏の禍亂を加重した。内亂に習うがため、衆を善く承接すること能わず。人はただ恭敬を進献するを顧るのみならず、卻って大大に禍患を人民の身上に舒放した。
亦惟有夏之民叨懫日欽,劓割夏邑。天惟時求民主,乃大降顯休命於成湯,刑殄有夏。
(周公が王に代わり続けて言うには、)またただ有夏の人民が貪婪忿戾にして日に益甚しく、夏邑を殘害したに因る。上天はここに人民の主を尋求し、すなわち顯明美好の命を大大に成湯に降し、刑を用いて有夏を滅絕した。
惟天不畀,純乃惟以爾多方之義民不克永於多享;惟夏之恭多士,大不克明保享於民,乃胥惟虐於民,至於百為,大不克開。
(周公が王に代わり続けて言うには、)上天が賜与すること肯ざるは、これは汝ら多方のあの本當義と為すべき民が能く長久に多享せざるがためなり。夏のあの恭敬の士は、大大に能く人民を保有享有すること明白に能わず、ここにみな往きて人民を虐害し、百般の作為に至るまで、大大に能く開通せず。
乃惟成湯克以爾多方簡,代夏作民主。慎厥麗,乃勸;厥民刑,用勸;以至於帝乙,罔不明德慎罰,亦克用勸;要囚殄戮多罪,亦克用勸;開釋無辜,亦克用勸。今至於爾闢,弗克以爾多方享天之命,嗚呼!”王若曰:“誥告爾多方,非天庸釋有夏,非天庸釋有殷。乃惟爾闢以爾多方大淫,圖天之命屑有辭。乃惟有夏圖厥政,不集於享,天降時喪,有邦間之。乃惟爾商后王逸厥逸,圖厥政不蠲烝,天惟降時喪。
(周公が王に代わり続けて言うには、)ここにただ成湯のみが能く汝ら多方の選擇せられて、夏に代わりて人民の主を為した。彼は所用の法網を謹慎し、もって勸勉し、人民に用いる刑も、またもって勸勉した。帝乙に至るまで、徳を彰明し刑罰を謹慎せざるなし。亦たもって勸勉し、囚禁を審查し多罪の人を殄滅殺戮するも、また能くもって勸勉し、無辜の人を開釋するも、また能くもって勸勉した。今、汝らの君王に至りては、能く汝ら多方を憑って上天の命を享有せず。ああ。」王はこのように言った。「汝ら多方に誥告す。上天が有夏を拋棄せんと欲するにあらず、上天が有殷を拋棄せんと欲するにあらず。ただ汝らの君王が汝ら多方を帶いて大いに淫亂し、天命を謀求するも瑣碎に藉口を爲す。ただ有夏はその政事を謀画するに、祭祀享献に聚集せず、上天はこの時の喪亡を降下し、邦國あるを來してこれに取代せしめた。ただ汝ら商の後王は逸樂を放縱し、政事を謀画するに潔淨せず進献せず、上天はすなわちこの時の喪亡を降下した。
惟聖罔念,作狂;惟狂克念,作聖。天惟五年須暇之子孫,誕作民主,罔可念聽。天惟求爾多方,大動以威,開厥顧天;惟爾多方,罔堪顧之。惟我周王靈承於旅,克堪用德,惟典神天。天惟式教我用休,簡畀殷命,尹爾多方。
(王が続けて言うには、)聖人はもし思念せざれば、すなわち狂人に變成せん。狂人はもし能く思念せば、すなわち聖人に變成せん。上天は五年を用いて夏の子孫を等待寬暇し、彼らをして大いに人民の主を爲さしめたが、思念聽從しうる者なし。上天はここに汝ら多方を尋求し、大大に威を用いて震動し、汝らを開啓して天を顧念する心を爲さしめた。しかるに汝ら多方、顧念すること能くする人なし。ただわが周王のみが善く衆を承接し、能く徳を用い、神明上天を典掌した。上天はここに美を用いて我を教導し、殷命を我に交して選擇し、汝ら多方を治理せしめた。
今我曷敢多誥?我惟大降爾四國民命。爾曷不忱裕之於爾多方?爾曷不夾介乂我周王享天之命?今爾尚宅爾宅,畋爾田,爾曷不惠王熙天之命?爾乃迪屢不靜,爾心未愛。爾乃不大宅天命,爾乃屑播天命,爾乃自作不典,圖忱於正。我惟時其教告之,我惟時其戰要囚之,至於再,至於三。乃有不用我降爾命,我乃其大罰殛之!非我有周秉德不康寧,乃惟爾自速辜!”王曰:“嗚呼!猷告爾有方多士暨殷多士。今爾奔走臣我監五祀,越惟有胥伯小大多正,爾罔不克臬。自作不和,爾惟和哉;爾室不睦,爾惟和哉;爾邑克明,爾惟克勤乃事。爾尚不忌於凶德,亦則以穆穆在乃位,克閱於乃邑謀介。爾乃自時洛邑,尚永力畋爾田,天惟畀矜爾,我有周惟其大介賚爾,迪簡在王庭。
(王が続けて言うには、)今、私はどうして敢えて多誥せん。私はただ大大に命令を汝ら四國の民に降下す。汝らはなぜ誠信寬裕に汝ら多方を對待せざるか。汝らはなぜわが周王を輔佐して上天の命を享有せざるか。今、汝らはなお汝らの宅に住み汝らの田を耕す。汝らはなぜ王に順從し上天の命を廣大せざるか。汝らは卻って屢々引導せられてもなお安定せず、汝らの心はいまだ親附せず。汝らは天命に大安處せず、汝らは天命を瑣碎に拋棄し、汝らは自ら法度に合せざる事を爲して、卻って執政に取信せんことを謀求す。私はこれにより汝らを教導告誡し、私はこれにより戰爭を用いて汝らを囚禁審查し、兩次に至り、三次に至る。もしなお人ありて我の降下する命令を用いざれば、私はまさに彼を大大に懲罰誅殺せん。これは我が周が徳行を秉持して不安寧するにあらず、ただ汝らが自ら罪過を召來す。」王は言った。「ああ、汝ら各方の多士および殷の多士に告げん。今、汝らは奔走してわが監國に臣服することすでに五年。あの胥伯・大小衆正長に至るまで、汝らは法を守る能わざるなし。自ら不和を造成せば、汝らは和せよ。汝らの家裏に睦ならざれば、汝らは和せよ。汝らの城邑が能く清明なれば、汝らはすなわち能く職事に勤く。汝らは當に凶徳を忌恨せず、また能く莊敬に汝らの位子に守在り、能く汝らの城邑裏にて輔助を考察せよ。汝らはこの洛邑より起こり、當に永遠に力を盡して汝らの田を耕種せよ。上天はすなわち賜与憐憫せん。我が周はすなわち大大に汝らを輔助賞賜し、汝らを王庭に引導選拔せん。
尚爾事,有服在大僚。”
(王が続けて言うには、)なお汝らの職事を做好せば、すなわち大僚の中に任職しうる。」
王曰:“嗚呼!多士,爾不克勸忱我命,爾亦則惟不克享,凡民惟曰不享。
王は言った。「ああ、多士よ。汝らがもし能くわが命令を勉力誠信せざれば、汝らもまた享有すること能わず、凡そ民はみな汝らが享有する能わずと曰わん。
爾乃惟逸惟頗,大遠王命,則惟爾多方探天之威,我則致天之罰,離逖爾土。”
(王が続けて言うには、)汝らがもしただ逸樂偏頗し、大大に王命を遠離せば、すなわちこれは汝ら多方が天の威嚴を試探するなり。私はまさに天の懲罰を施行し、汝らをして故郷を遠離せしめん。」
王曰:“我不惟多誥,我惟祗告爾命。”又曰:“時惟爾初,不克敬於和,則無我怨。”
王は言った。「私は多誥せんと欲するにあらず。私はただ敬慎して汝らに天命を告げるのみ。」また言った。「これは汝らの開頭なり。もし和睦を敬慎する能わざれば、我を怨むるなかれ。」
周書 立政第二十一
周公作《立政》。
周公は《立政》を作った。
周公若曰:“拜手稽首,告嗣天子王矣。”用鹹戒於王曰:“王左右常伯、常任、準人、綴衣、虎賁。”
周公はこのように言った。「跪拜して叩頭し、嗣位の天子はすでに王と爲ったを禀告す。」ここにみな王に告誡して言った。「王の左右に常伯・常任・准人・綴衣・虎賁あり。」
周公曰:“嗚呼!休茲知恤,鮮哉!古之人迪惟有夏,乃有室大競,籲俊尊上帝迪,知忱恂於九德之行。乃敢告教厥後曰:‘拜手稽首後矣!’曰:‘宅乃事,宅乃牧,宅乃準,茲惟後矣。謀面,用丕訓德,則乃宅人,茲乃三宅無義民。’桀德,惟乃弗作往任,是惟暴德罔後。亦越成湯陟,丕釐上帝之耿命,乃用三有宅;克即宅,曰三有俊,克即俊。嚴惟丕式,克用三宅三俊,其在商邑,用協於厥邑;其在四方,用丕式見德。
周公は言った。「ああ、美好の中に處してなお憂恤を知るは、このような人は少なし。古人の中に引導せられたは有夏なり。あの時王室は大大に強盛し、俊才を招求し、上帝の引導を尊崇し、誠信に九徳の行を履行することを知った。こそ敢えて彼らの君后に告訴教導して曰く、『跪拜して叩頭す。あなたはすでに君后と爲った』と。曰く、『事を管する人を選好し、民を牧する人を選好し、法を執する人を選好し、こそ君后と算えん。もしただ面貌に憑って謀画し、大訓の徳を用いず、卻って往きて人を安置せば、このようにして三宅に賢義の民なし』と。桀の徳行は、ただ從前のごとき人を任用せず、ただ暴徳のみ。よって後繼なし。成湯の升進に及び、上帝の光明の命を大大に治理し、ここに三有宅を用いた。能く各々その宅に就くを、これを三有俊といい、能く各々その俊に就くなり。あの大法を嚴敬し、能く三宅三俊を用い、商邑に在りては、もってあの城邑を協和し、四方に在りては、大法を用いて徳を顯現した。
嗚呼!其在受德,暋為羞刑暴德之人,同於厥邦;乃惟庶習逸德之人,同於厥政。帝欽罰之,乃伻我有夏,式商受命,奄甸萬姓。
(周公が続けて言うには、)ああ、受(紂)の徳行に至りては、強くあの刑を羞とし暴徳の人を用い、同じくその邦國に處した。ただあの逸徳に習慣する人を用い、同じくその政事に處した。上帝は敬慎に彼を懲罰し、ここにわが周人(有夏、ここでは周人が自ら華夏に居る)をして、商の所受の命を用いて、萬姓を治理するを奄有せしめた。
亦越文王、武王,克知三有宅心,灼見三有俊心,以敬事上帝,立民長伯。
(周公が続けて言うには、)また文王・武王に至りては、能く三有宅の心を知り、明白に三有俊の心を看見し、もって上帝を敬事し、民衆のために長官を設立した。
立政:任人、準夫、牧、作三事。虎賁、綴衣、趣馬、小尹、左右攜僕、百司庶府。大都小伯、藝人、表臣百司、太史、尹伯,庶常吉士。司徒、司馬、司空、亞、旅。夷、微、盧烝。三亳阪尹。
(周公が続けて言うには、)立つ所の政事は:任人・準夫・牧は三事を作る。虎賁・綴衣・趣馬・小尹・左右携僕・百司・庶府・大都・小伯・藝人(技藝の人)・表臣百司・太史・尹伯・庶常吉士・司徒・司馬・司空・亞旅・夷微盧烝・三亳阪尹。文王は國を爲るに常に職事を兼領せず。あの言を立て、あの教を設ける、ただ能くこれらのおもな徳ある人を用い、國人を安養するのみ。このような人はみな所司を保有し、あの訓誡に按って治理を施行する能わず、罔く羅する能わず、あの罪過あるを釋放する能わず、罔く網を張る能わず、あの亂を爲す者を逃す能わず、ただ普通の事務ただ能くあの牧夫・その衆有司を治理するのみ。文王はすでに治理しうる者を用い、あの尊貴なる人に命じ、萬國をただ能く治理せしめた。
文王惟克厥宅心,乃克立茲常事司牧人,以克俊有德。文王罔攸兼於庶言;庶獄庶慎,惟有司之牧夫是訓用違;庶獄庶慎,文王罔敢知於茲。
(周公が続けて言うには、)文王は罔く兼知・所當知を兼知せず、あの衆言を聽くに、衆言を言うにあらず、ただ有俊の人を用い。あの衆獄・あの衆慎を省察するに、ただこれに用いる、罔く兼知せず。庶獄・庶慎はこそ敢えて異聞なからん。武王はすなわち天の命を代受し、克商の大業を助成し、みなただ文王の用人の道を用いた。」周公は言った。「ああ、孺子王よ、庶獄・庶慎の官は敢えて教導するなかれ。司寇の蘇公は民を治めて審慎なり。汝はあの訓を謹慎にあの獄に用い、能くその中に應するはすなわち蘇公式なり。我が王の後世子孫をして常にあの蘇式を敬慎し、汝らに立って長官を爲さしむるはこれによりう。」
亦越武王,率惟敉功,不敢替厥義德,率惟謀從容德,以並受此丕丕基。”
周書 周官第二十二
嗚呼!孺子王矣!繼自今我其立政。立事、準人、牧夫,我其克灼知厥若,丕乃俾亂;相我受民,和我庶獄庶慎。時則勿有間之,自一話一言。我則末惟成德之彥,以乂我受民。
成王はすでに殷命を廢黜し、淮夷を滅し、歸りて豐に在り、《周官》を作った。
嗚呼!予旦已受人之徽言鹹告孺子王矣。繼自今文子文孫,其勿誤於庶獄庶慎,惟正是乂之。
周の文王・武王は能く五行を並行・四時を循環し、地に依附して萬國を爲さしめ、天下に威信を樹立した。王はここに周に歸り、衆方國の諸侯を監察し、宗周を安寧に治理した。後繼に及び、政制は陳明した。國を立てて以下を辨明し、ただ仰いで時義を畏れ、來世に至るまで顛倒せざるなし。
自古商人亦越我周文王立政,立事、牧夫、準人,則克宅之,克由繹之,茲乃俾乂,國則罔有。立政用憸人,不訓於德,是罔顯在厥世。繼自今立政,其勿以憸人,其惟吉士,用勵相我國家。
王は言った。「我が祖・祖甲が周に至りて、侯甸男衛を立て、あの卿士・あの邦君を植立し、ただあの方略・あの常法・あの大綱に因り、天下を糾紂して撫定した。我が文武の良法を記載す。」
今文子文孫,孺子王矣!其勿誤於庶獄,惟有司之牧夫。其克詰爾戎兵以陟禹之跡,方行天下,至於海表,罔有不服。以覲文王之耿光,以揚武王之大烈。
王は言った。「唐虞は古制を稽古し、官を立てるにただ百のみ。夏商は官を倍にし、また能く治理した。今、我が小子は勤勞を敬の徳を謹慎し、早晨より夜に至るまで怠惰せず、百官の来る所は素で仰ぐ所は自ら法度を仰ぐより、世時に循い軽重を審度し、ここに三の大いに公の大官を立てた。太師・太傅・太保、ここに三公と爲し、道を論理し國家を經營し、陰陽を燮理す。官は必ずしも充員せず、その人に値してこそこれに充てん。次に少師・少傅・少保を立て、ここに三孤と爲し、公を輔佐して弘大な化を敷演し、天地を敬明し、我が一人を補佐す。冢宰は邦國を掌り、百官を統領し、四海を平均す。司徒は邦教を掌り、五典を敷演し、兆民を擾綏す。宗伯は邦禮を掌り、神人を治理し、上下を和協す。司馬は邦政を掌り、六師を統領し、邦國を平正す。司寇は邦禁を掌り、奸惡を詰誅し、暴亂を刑治す。司空は邦土を掌り、四土の時地利に因り、百工の藝に因り、亦た承いて兆民を安寧富厚せしむ。六卿は職に分かれ、各々その屬を率いて九牧を倡導し、兆民を阜成す。六年に一度、五服は一朝、また六年、王はここに時巡し、四岳を考督し、各々その方の諸侯に時巡せしめ、各々その方の黜陟を巡見して明告す。」
嗚呼!繼自今後王立政,其惟克用常人。”
王は言った。「ああ、およそ我が官を有する衆位よ、汝らの命を敬承し、汝らの出令を謹慎せよ。令を出でてよければすなわち反らせず、返って來れ。汝らの官位に能く敬慎すれば、こそ能く人に信服せしむ。すなわち能く公平に處置すれば、こそ能く治理を爲しうる。驕傲を除き、令名は永遠に全く、善を學びて治を入るは、治理は全くされん。これらを務めて法度とせよ。曰く、驕傲なればすなわち官位を失い、逸樂なればすなわち賢士を失い。載をして汝の後嗣にしむるなかれ。口は人を辱め、反ってその恥を受け。汝らの位を戒めて、令圖はただ艱難を務めて乃ぐ各々汝の政に職居すれば、こそ民をよく寧息し、汝らはすなわち官位を推稱せん。
周公若曰:“太史!司寇蘇公式敬爾由獄,以長我王國。茲式有慎,以列用中罰。”
(成王が続けて言うには、)王は言った。「ああ、三事および大夫よ、汝らの官を敬承し、汝らの君に亂を理するを勉勵し、兆民を康寧せしむ。萬邦はこそ厭倦せざらん。」
周書 君陳第二十三
成王既黜殷命,滅淮夷,還歸在豐,作《周官》。
周公はすでに去世し、成王は君陳に命じて東郊を分正せしめ、《君陳》を作った。
惟周王撫萬邦,巡侯、甸,四徵弗庭,綏厥兆民。六服群辟,罔不承德。歸於宗周,董正治官。
王はこのように言った。「君陳よ、汝は汝の恭敬孝敬の徳を宣明し、周公に似せしむかんことを。汝の往く所、民を治めて周公の遺訓に欽若せよ。私は聞く、『至善の治は馨香にして、黍稷に感動し、明德は馨を爲し、明德は馨香なり』と。汝はこの周公の訓を式踐し、ただ孜孜として勤め、逸豫なかれ。凡人に聖人なりに到達せざるあれば、あの道に深思せざるなり。深く思えばすなわち道を得て、得ればすなわち聖なり。日に三復して曰く、『萬事は言に在り』と。」
王曰:“若昔大猷,制治於未亂,保邦於未危。”
(成王が続けて言うには、)ああ、汝は能く寬容に惠を爲せば、嚴厥に惠を爲せよ、商民はすなわち萬邦の中に安寧せん。汝が見る所の小德・中誠、他の大中至正を取捨し、その從來の法度を用いて殷民を治理せよ。亂敗するなかれ。汝が往く所、殷の工作はただすでに周公の保留する法度を式遵し、寬宏を度びた大徳に亟會せよ。殷民は辟(罪)在り。汝はそれらを滅除し、汝の手に在り、我が命を敬承して汝の命に永遠に臣服せよ。」
曰:“唐虞稽古,建官惟百。內有百揆四嶽,外有州、牧、侯伯。庶政惟和,萬國咸寧。夏商官倍,亦克用乂。明王立政,不惟其官,惟其人。
(成王が続けて言うには、)ああ、周公・君奭の時、我は恭黙に周公の盡善を勸道せしめて人民に告ぐ。自ら正しければ人を正すこと能く、正ならざればすなわち能く正すこと能わず。汝はあの法を法とし、政化はただ本を務めて、細小な猥ことならしむるなかれ。汝はあの心を正して思い、能く困る人を寛容せよ。かくて能く忠厚の君を爲し、萬年汝の子孫は仰ぎて式法せば、こそ汝の君を永遠に安寧せしめん。」
今予小子,祗勤於德,夙夜不逮。仰惟前代時若,訓迪厥官。立太師、太傅、太保,茲惟三公。論道經邦,燮理陰陽。官不必備,惟其人。少師、少傅、少保,曰三孤。貳公弘化,寅亮天地,弼予一人。冢宰掌邦治,統百官,均四海。司徒掌邦教,敷五典,擾兆民。宗伯掌邦禮,治神人,和上下。司馬掌邦政,統六師,平邦國。司寇掌邦禁,詰奸慝,刑暴亂。司空掌邦土,居四民,時地利。六卿分職,各率其屬,以倡九牧,阜成兆民。六年,五服一朝。又六年,王乃時巡,考制度於四嶽。諸侯各朝於方岳,大明黜陟。”
王は言った。「君陳よ、汝は能く周公の大訓を光廣し、穏悛に和民を爲し、能く寛惠を宣明して紛爭を防止せば、汝はすなわち治を成せる。汝が往く所、ただ汝の治を敬せよ。汝の殷民を謹慎に汝の治を輔助し、汝の進は言を出して見ればすなわち萬邦に光輝あらん。ただ汝の言に法の言なり。すなわち能く汝の師を兼ねて正し、周公の大德を式承し、汝はすなわち終に至りて顯名あらん。」
王曰:“嗚呼!凡我有官君子,欽乃攸司,慎乃出令,令出惟行,弗惟反。
周書 顧命第二十四
以公滅私,民其允懷。學古入官。議事以制,政乃不迷。其爾典常作之師,無以利口亂厥官。蓄疑敗謀,怠忽荒政,不學牆面,蒞事惟煩。戒爾卿士,功崇惟志,業廣惟勤,惟克果斷,乃罔後艱。位不期驕,祿不期侈。恭儉惟德,無載爾偽。
成王はまさに崩れんとし、召公・畢公に命じて諸侯を率いて康王を輔佐せしめ、《顧命》を作った。
作德,心逸日休;作偽,心勞日拙。居寵思危,罔不惟畏,弗畏入畏。推賢讓能,庶官乃和,不和政厖。舉能其官,惟爾之能。稱匪其人,惟爾不任。”
四月哉生魄、王に疾あり。甲子、王は洮類して體を洗い、相に命じて冕服を加え、玉の几に倚靠した。ここに群臣諸侯を召し、太保奭・芮伯・彤伯・畢公・衛侯・毛公・師氏・虎臣・百官の長・治事の人を召集した。
王曰:“嗚呼!三事暨大夫,敬爾有官,亂爾有政,以佑乃闢。永康兆民,萬邦惟無斁。
王は言った。「ああ、疾は大大に進行し、きわめて病危し、日に益々し、彌留して細微なり。もはや明旦の言を爲すを恐れ、我は訓詳に汝らの命を敬保し、私は汝らを召し、我の訓を繼續し、用度を思い儀式を待ち、爾あの德を基にし、供億す。我は細心に立てて大命を治めるに臨む。」
〖賄肅慎之命〗成王既伐東夷,肅慎來賀。王俾榮伯作《賄肅慎之命》。
(成王が続けて言うには、)昔、君后文王・武王は、重光を宣揚し、麗定を奠立し、教を陳述し則を敷演し、肅肅にわが家を定め、眔眔にわらの害を去り、先王の大命を昌大に、細微に全くせしめ、ここに上下を安定した。わが一は次第に大命を奉じ、まさに天威を拝受し、嗣位の人に先王の訓を遵らせ、荒怠せず、踰越せず、況ほ事あらざるあれ。病は殆どに至り、日に益々して彌留、細言にほならん。我は汝らをして嗣位の人を敬保せしむるを望み、逌くあの命を順う。」
〖亳姑〗周公在豐,將沒,欲葬成周。公薨,成王葬於畢,告周公,作《亳姑》。
(成王が続けて言うには、)汝らは能く爾の訓に各々治らしめ、我が命を承保し、爾の惠を供與し、我が文祖・我が高祖に繼承し、天命に副い、惟名を盡善にせよ。」
(成王が続けて言うには、)我に謂い、『小子の開闢は童たり。求むるに仁善に膺くる能わず、如何せん』と。後之失い、貽譏した。嗣位の人を敬保する能わざれば、我は汝らを先王に問う。汝らの訓を敬保し、爾の式を供給し、天命に副い、名を盡善にせよ。」
周公既沒,命君陳分正東郊成周,作《君陳》。
(成王が続けて言うには、)後の人、庶幾この訓を忌るなかれ。」
王若曰:“君陳,惟爾令德孝恭。惟孝友于兄弟,克施有政。命汝尹茲東郊,敬哉!昔周公師保萬民,民懷其德。往慎乃司,茲率厥常,懋昭周公之訓,惟民其乂。我聞曰:‘至治馨香,感於神明。黍稷非馨,明德惟馨爾。’尚式時周公之猷訓,惟日孜孜,無敢逸豫。凡人未見聖,若不克見;既見聖,亦不克由聖,爾其戒哉!爾惟風,下民惟草。圖厥政,莫或不艱,有廢有興,出入自爾師虞,庶言同則繹。爾有嘉謀嘉猷,則入告爾後於內,爾乃順之於外,曰:‘斯謀斯猷,惟我後之德。’嗚呼!臣人鹹若時,惟良顯哉!”王曰:“君陳,爾惟弘周公丕訓,無依勢作威,無倚法以削,寬而有制,從容以和。殷民在闢,予曰闢,爾惟勿闢;予曰宥,爾惟勿宥,惟厥中。有弗若於汝政,弗化於汝訓,闢以止闢,乃闢。狃於奸宄,敗常亂俗,三細不宥。爾無忿疾於頑,無求備於一夫。必有忍,其乃有濟;有容,德乃大。簡厥修,亦簡其或不修。進厥良,以率其或不良。惟民生厚,因物有遷。違上所命,從厥攸好。爾克敬典在德,時乃罔不變。允升於大猷,惟予一人膺受多福,其爾之休,終有辭於永世。”
太保命仲桓・南宮毛に命じて齊侯呂伋を治らしめ、二干戈・虎賁百人に逆子釗を南門の外に迎へせしめた。王の寢室を延びて、翼室に入りて恤宅を爲し、明衣の大帶に至るまで、帳帳に至るまで、みな備えた。
七日癸酉に至り、伯相は士に命じて材を須かしめた。王は翌日乙丑に崩じた。
成王將崩,命召公、畢公率諸侯相康王,作《顧命》。
太保命仲桓・南宮毛に、齊侯呂伋を俾し、二干戈・虎賁百人に逆子釗を南門の外に迎へせしめた。翌日、王は崩じた。翌翌日、成王の靈輔を設けて、喪賓の位を立て、帳帳を設けて黼扆を陳し、黼扆の御牖の間に南向きて敷重篾席、黼純、華玉の几を陳した。西序に東向きて、敷重底席、綴純、文貝の几を陳した。東序に西向きて、敷重豐席、畫純、雕玉の几を陳した。西夾に南向きて、敷重筍席、玄紛純、漆の几を陳した。越玉五重・陳寶、赤刀・大訓・弘璧・琬琰は西序に在り。大玉・夷玉・天球・河圖は東序に在り。胤の舞衣・大貝・鼖鼓は西房に在り。兌の戈・和の弓・垂の竹矢は東房に在り。大輅は賓階の面に在り、綴輅は阼階の面に在り、先輅は左塾の前に在り、次輅は右塾の前に在り。二人は雀弁を執りて惠を立て、畢門の内に立った。四人は綦弁を執りて戈を持ち、上刃を挾して階側堂上に夾峙した。一人は冕を執りて劉を持ち、東堂に立った。一人は冕を執りて鉞を持ち、西堂に立った。一人は冕を執りて戣を持ち、東垂に立った。一人は冕を執りて瞿を持ち、西垂に立った。一人は冕を執りて銳を持ち、側階に立った。
惟四月,哉生魄,王不懌。甲子,王乃洮頮水。相被冕服,憑玉幾。乃同,召太保奭、芮伯、彤伯、畢公、衛侯、毛公、師氏、虎臣、百尹、御事。王曰:“嗚呼!疾大漸,惟幾,病日臻。既彌留,恐不獲誓言嗣,茲予審訓命汝。昔君文王、武王宣重光,奠麗陳教,則肄肄不違,用克達殷集大命。在後之侗,敬迓天威,嗣守文、武大訓,無敢昏逾。今天降疾,殆弗興弗悟。爾尚明時朕言,用敬保元子釗弘濟於艱難,柔遠能邇,安勸小大庶邦。思夫人自亂於威儀。爾無以釗冒貢於非幾。”
王は麻冕・黼裳を着し、賓階より升った。卿士・邦君は麻冕・蟻裳を着し、位に入りて即位した。太保・太史・太宗はみな麻冕・彤裳を着し、太保は大圭を承え、上宗は同瑁を奉え、阼階より升りて太史に命じて書を秉り、太宗は文祖の命を承え、王の命を告げた。
茲既受命,還出綴衣於庭。越翼日乙丑,王崩。太保命仲桓、南宮毛俾爰齊侯呂伋,以二干戈、虎賁百人逆子釗於南門之外。延入翼室,恤宅宗。丁卯,命作冊度。
太史は書を秉り、賓階より升りて、王を就き、王を就き、言うた。「皇后は玉の几に倚靠して、あの命を揚宣布し、汝に命令し、文王・武王の訓に臨まんとす。禮は大邦を並治し、周に繼承す。」
越七日癸酉,伯相命士須材。狄設黼扆、綴衣。牖間南向,敷重篾席,黼純,華玉,仍幾。西序東向,敷重厎席,綴純,文貝,仍幾。東序西向,敷重豐席,畫純,雕玉,仍幾。西夾南向,敷重筍席,玄紛純,漆,仍幾。越玉五重,陳寶,赤刀、大訓、弘璧、琬琰,在西序。大玉、夷玉、天球、河圖,在東序。胤之舞衣、大貝、鼖鼓,在西房;兌之戈、和之弓、垂之竹矢,在東房。大輅在賓階面,綴輅在阼階面,先輅在左塾之前,次輅在右塾之前。
王は再拝して、興起して、答えて曰く、「眇々たる我が小子は能く協和して四方を治理せん。大訓を敬畏して、亂れんことを恐る。」王は三祭し、三宿し、三咤し。上宗は曰く、「饗。」太保は同を受け、降りて盥し、異同を執りて、璋瓚を秉りて酢を爲した。太保は授けて祭り、祭を爲して既んぎ、祝を授けて福を受け、王に福を授けた。王に至りて飲み、王は福を受け、王は同爵を受けて祭を爲した。
二人雀弁,執惠,立於畢門之內。四人綦弁,執戈上刃,夾兩階戺。一人冕,執劉,立於東堂,一人冕,執鉞,立於西堂。一人冕,執戣,立於東垂。一人冕,執瞿,立於西垂。一人冕,執銳,立於側階。
太保は同を降りて、皆拜して、王は同を受けて祭を爲して酢を爲した。太保は降りて、収めた。諸侯はみな出でて廟門を俟った。
王麻冕黼裳,由賓階隮。卿士邦君麻冕蟻裳,入即位。太保、太史、太宗皆麻冕彤裳。太保承介圭,上宗奉同瑁,由阼階隮。太史秉書,由賓階隮,御王冊命。曰:“皇后憑玉幾,道揚末命,命汝嗣訓,臨君周邦,率循大卞,燮和天下,用答揚文、武之光訓。”王再拜,興,答曰:“眇眇予末小子,其能而亂四方以敬忌天威。”乃受同瑁,王三宿,三祭,三吒。上宗曰:“饗!”太保受同,降,盥,以異同秉璋以酢。授宗人同,拜。王答拜。太保受同,祭,嚌,宅,授宗人同,拜。王答拜。太保降,收。諸侯出廟門俟。
周書 康王之誥第二十五
康王はすでに位に即き、ここに諸侯を見し、《康王之誥》を作った。
康王既屍天子,遂誥諸侯,作《康王之誥》。
王は諸侯を見るに、群臣と皆がえんざし、王は黼扆を出でて、賓階より升って玉の几に就いた。諸侯はみな進んで曰く、「王の左右に事奉する臣は、揖を執りて笥を出でて、公卿・諸侯を率いて皆言うた。」
王出,在應門之內,太保率西方諸侯入應門左,畢公率東方諸侯入應門右,皆布乘黃朱。賓稱奉圭兼幣,曰:“一二臣衛,敢執壤奠。”皆再拜稽首。王義嗣,德答拜。太保暨芮伯鹹進,相揖。皆再拜稽首曰:“敢敬告天子,皇天改大邦殷之命,惟周文武誕受羑若,克恤西土。惟新陟王畢協賞罰,戡定厥功,用敷遺後人休。今王敬之哉!張皇六師,無壞我高祖寡命。”
太保および芮伯はみな進んで再拝して稽首して曰く、「敢えて天子に告げん。皇天はあの命を大邦殷に改換し、周の文王・武王は誕えに大命を受けて、厥の殄を冊にし、定めて西土を治めた。群臣はみな序列を正し、何萬の民は服従して、王の德に應え、公は能く殷を柔遠能邇せしめた。文武を継ぐ者は、文武の大道を順行した。王に至りて、敬や。六師を修置し、王の命を壞すなかれ。」
王若曰:“庶邦侯、甸、男、衛,惟予一人釗報誥。昔君文武丕平,富不務咎,厎至齊信,用昭明於天下。則亦有熊羆之士,不二心之臣,保乂王家,用端命於上帝。皇天用訓厥道,付畀四方。乃命建侯樹屏,在我後之人。今予一二伯父尚胥暨顧,綏爾先公之臣服於先王。雖爾身在外,乃心罔不在王室,用奉恤厥若,無遺鞠子羞!”群公既皆聽命,相揖,趨出。王釋冕,反喪服。
王は義と徳を兼ねて、諸侯は皆がえんざして言うた。「王は義と徳を兼ねて、あの玉に就きた。」
太保は收めた。諸侯はみな出でて廟門を俟った。
康王命作冊畢,分居里,成周郊,作《畢命》。
周書 畢命第二十六
惟十有二年,六月庚午,朏。越三日壬申,王朝步自宗周,至於豐。以成周之眾,命畢公保釐東郊。
康王は冊を作して畢公を命じて東郊にて成周を保釐せしめ、《畢命》を作った。
王若曰:“嗚呼!父師,惟文王、武王敷大德於天下,用克受殷命。惟周公左右先王,綏定厥家,毖殷頑民,遷於洛邑,密邇王室,式化厥訓。既歷三紀,世變風移,四方無虞,予一人以寧,道有升降,政由俗革,不臧厥臧,民罔攸勸。
十二年六月庚午朏、三日壬申を越えて、王朝は步して宗周より出發し、豐に至りて成周に往きて、保公・東郊に命じて成周を保釐せしめ、ここに萬姓を安定せしめた。
惟公懋德,克勤小物,弼亮四世,正色率下,罔不祗師言。嘉績多於先王,予小子垂拱仰成。”
王はこのように言った。「ああ、父師よ。文王・武王は大德を天下に敷布し、能く殷に能く効力し、佐佑にこの四夷を助け、萬邦に至るまで罔く率服せざるなし。我が小子はその緒を承け、ただ大貴を思い、恐らくはこれを貽累せんことを。今、汝を東郊に命ず。周公が殷の頑民を保釐するに、迂なれば、能く民を化し、汝に至らしむるなり。汝は能く殷を助け、安んじ、治まる能わず、汝はすなわち周公に至りて加増せざるなし。」
王曰:“嗚呼!父師,今予祗命公以周公之事,往哉!旌別淑慝,表厥宅裡,彰善癉惡,樹之風聲。弗率訓典,殊厥井疆,俾克畏慕。申畫郊圻,慎固封守,以康四海。政貴有恆,辭尚體要,不惟好異。商俗靡靡,利口惟賢,餘風未殄,公其念哉!我聞曰:‘世祿之家,鮮克由禮’。以蕩陵德,實悖天道。敝化奢麗,萬世同流。茲殷庶士,席寵惟舊,怙侈滅義,服美於人。驕淫矜侉,將由惡終。
王は言った。「ああ、父師よ、今、我は敬慎して周公の事を汝に命令す。行け。善惡を旌別し、彼らの宅里を標明し、善を表彰し惡を憎恨し、風氣聲望を樹立せよ。訓典に遵循せざる者は、その井田疆界を區別し、彼らをして畏懼しうる・羨慕しうるものたらしめよ。郊圻を改めて劃定し、封守を謹慎鞏固し、もって四海を安定せよ。政事は有恒を貴び、文辭は得體簡要を崇尚し、ただ新異を好むなかれ。商俗は柔靡にして、利口をもって賢と為す。その餘風はいまだ滅盡せず、公は記憶せよ。我は聞く、『世々俸祿を食む家は、能く禮に遵循する少なし』と。放蕩をもって德に陵駕するは、實に天道に悖逆す。敝壞の風化・奢侈華麗は、萬世同一流なり。これら殷の衆士は、旧日の寵に憑り、奢侈に仗って義を滅し、服飾は人より美なり。驕淫矜夸、まさに惡をもって終わらん。」
雖收放心,閒之惟艱。資富能訓,惟以永年。惟德惟義,時乃大訓。不由古訓,於何其訓。”
(康王が続けて言うには、)たとえ放縱の心を收住すとも、防範するはなお艱難なり。資財富足にしてなお教訓を接受するは、こそ長久しうる。ただ德、ただ義、これぞ大訓なり。古訓に遵循せざれば、また何をもって教訓せん。」
王曰:“嗚呼!父師,邦之安危,惟茲殷士。不剛不柔,厥德允修。惟周公克慎厥始,惟君陳克和厥中,惟公克成厥終。三後協心,同厎於道,道洽政治,澤潤生民,四夷左衽,罔不鹹賴,予小子永膺多福。公其惟時成周,建無窮之基,亦有無窮之聞。子孫訓其成式,惟乂。嗚呼!罔曰弗克,惟既厥心;罔曰民寡,惟慎厥事。欽若先王成烈,以休於前政。”
王は言った。「ああ、父師よ、邦國の安危は、これら殷士に在り。剛ならず柔ならず、その德はこそ確かに修好せん。周公は能くその開始を謹慎し、君陳は能くその中間を和諧し、公は能くその終結を成就す。三后は同心し、一同に道に到達し、道洽らかに政事は治理し、恩澤は生民を潤澤し、四夷左衽の人、賴らざるなし。我が小子は永遠に多福を承受せん。公はこの時の成周にて、無窮の根基を建立し、また無窮の名聲あらん。子孫がその既成の法式に遵從せば、すなわち治理しうる。ああ、能わずと言うなかれ、ただ汝の心を盡せ。民少なしと言うなかれ、ただ汝の事を謹慎せよ。先王の成就した功業のごとく敬慎にして、もって前政より美ならしめよ。」
周書 君牙第二十七
穆王命君牙,為周大司徒,作《君牙》。
穆王は君牙に命じて周の大司徒を爲さしめ、《君牙》を作った。
王若曰:“嗚呼!君牙,惟乃祖乃父,世篤忠貞,服勞王家,厥有成績,紀於太常。惟予小子嗣守文、武、成、康遺緒,亦惟先正之臣,克左右亂四方。心之憂危,若蹈虎尾,涉於春冰。今命爾予翼,作股肱心膂,纘乃舊服。無忝祖考,弘敷五典,式和民則。爾身克正,罔敢弗正,民心罔中,惟爾之中。夏暑雨,小民惟曰怨諮:冬祁寒,小民亦惟曰怨諮。厥惟艱哉!思其艱以圖其易,民乃寧。
王はこのように言った。「ああ、君牙よ、汝の祖父・父親は、世代篤厚忠貞にして、王家に服勞し、成績ありて、太常旗に記錄された。我が小子は文・武・成・康の留下した緒業を嗣守し、またただ先正の臣子に賴り、能く四方を輔佐治理す。心裏の憂危は、虎尾を踩むがごとく、春氷を走るがごとし。今、汝に命じて我を輔翼せしめ、大腿胳膊・心腹脊梁を爲さしめ、汝の旧日の職事を繼承せしむ。祖考を辱沒するなかれ、五典を廣大鋪陳し、もって民の法則を和諧せよ。汝自身能く正しければ、敢えて正せざる者なし。民心に中なきは、ただ汝の中に賴るのみ。夏の暑雨には小民はただ怨嘆し、冬の嚴寒には小民もまたただ怨嘆す。これはなんと艱難なるか。その艱難を想到してその容易を謀画せば、民はこそ安寧せん。
嗚呼!丕顯哉,文王謨!丕承哉,武王烈!啟佑我後人,鹹以正罔缺。爾惟敬明乃訓,用奉若於先王,對揚文、武之光命,追配於前人。”
(穆王が続けて言うには、)ああ、大大に顯明なるかな、文王の謀。大大に繼承するかな、武王の功業。開啓佑助してわら後人に及ぶは、みな正道を用いて缺漏なし。汝は敬慎して汝の訓を彰明し、もって先王に奉順し、文・武の光明の命に對揚し、前人に追配せよ。」
王若曰:“君牙,乃惟由先正舊典時式,民之治亂在茲。率乃祖考之攸行,昭乃闢之有乂。”
王はこのように言った。「君牙よ、汝は先正の旧典・この時の法式に遵循せよ。民の治亂はここに在り。汝の祖考の行う所に遵循し、汝の君の有治を昭明せよ。」
周書 冏命第二十八
穆王命伯冏,為周太僕正,作《冏命》。
穆王は伯冏に命じて周の太僕正を爲さしめ、《冏命》を作った。
王若曰:“伯冏,惟予弗克於德,嗣先人宅丕後,怵惕惟厲,中夜以興,思免厥愆。昔在文、武、聰明齊聖,小大之臣,鹹懷忠良。其侍御僕從,罔匪正人,以旦夕承弼厥闢,出入起居,罔有不欽;發號施令,罔有不臧。下民祇若,萬邦鹹休。惟予一人無良,實賴左右前後有位之士,匡其不及,繩愆糾繆,格其非心,俾克紹先烈。今予命汝作大正,正於群僕侍御之臣,懋乃後德,交修不逮。慎簡乃僚,無以巧言令色,便辟側媚,其惟吉士。僕臣正,厥後克正;僕臣諛,厥後自聖。後德惟臣,不德惟臣。爾無暱於憸人,充耳目之官,迪上以非先王之典。
王はこのように言った。「伯冏よ、我は德の上に能わず、先人を嗣續してこの大君の位に居る。戒懼危厲し、夜半に起き、過失を免れんことを想う。從前の文・武は聰明齊聖にして、大小の臣子はみな忠良を懷いた。あの侍御僕從は、正人ならざるなく、もって早晚彼らの君を承接匡正し、出入起居、敬せざるなく、發號施令、善ならざるなし。下民は敬順し、萬邦はみな美なり。我が一人は善ならず、實に左右前後有位の士に依賴し、我の不及を匡正し、過失を糾正し謬誤を糾察し、その不正の心を格正し、我をして先烈を紹續せしむ。今、我は汝に命じて大正を爲さしめ、群僕侍御の臣を端正し、汝の君の德を勉力し、互いに趕及せざる處を修治せよ。汝の僚屬を謹慎簡選し、巧言令色・便辟側媚の人を用いるなかれ、ただ吉士のみ。僕臣が正しければ、すなわち君は能く正し。僕臣が阿谀すれば、すなわち君は自ら聖と爲す。君の德は臣に在り、君の不德もまた臣に在り。汝は憸人に親近するなかれ、耳目の官に充任し、上に在る人を引導して先王の典に違背せしむるなかれ。
非人其吉,惟貨其吉,若時,瘝厥官,惟爾大弗克祇厥闢,惟予汝辜。”王曰:“嗚呼,欽哉!永弼乃後於彝憲。”
(穆王が続けて言うには、)その人が吉なるにあらず、ただその貨が吉なるのみ。このようであれば、すなわちその官職を病害す。これはすなわち汝が大大に汝の君を敬すること能わざるなり。我はまさに汝に罪を加えん。」王は言った。「ああ、敬慎せよ。永遠に常法をもって汝の君を輔弼せよ。」
周書 呂刑第二十九
呂命穆王訓夏贖刑,作《呂刑》。
呂侯は命を受け、穆王は夏の贖刑を訓説し、《呂刑》を作った。
惟呂命,王享國百年,耄,荒度作刑,以詰四方。王曰:“若古有訓,蚩尤惟始作亂,延及於平民,罔不寇賊,鴟義,奸宄,奪攘,矯虔。苗民弗用靈,制以刑,惟作五虐之刑曰法。殺戮無辜,爰始淫為劓、刵、椓、黥。越茲麗刑並制,罔差有辭。民興胥漸,泯泯棼棼,罔中於信,以覆詛盟。虐威庶戮,方告無辜於上。上帝監民,罔有馨香德,刑發聞惟腥。皇帝哀矜庶戮之不辜,報虐以威,遏絕苗民,無世在下。乃命重、黎,絕地天通,罔有降格。群后之逮在下,明明棐常,鰥寡無蓋。
呂侯は命を受けた。王は位に在ること百年、年老いても、なお廣大に刑法を謀画制定し、もって四方を詰問した。王は言った。「往古に訓あり。蚩尤は初めて亂を作し、平民に延及し、寇賊せざる人なく、鴟張して義を爲し、奸宄し、奪攘し、矯虔した。苗民は善を用いず、刑を用いて制裁し、ただ五種の暴虐の刑を作して法と稱した。無辜を殺戮し、ここに初めて劓・刵・椓・黥を過度に使用した。これら刑に附麗する者を一并に制裁し、申辯あるを區別せず。民は互いに興起して欺詐し、昏亂紛亂し、信に中せず、もって詛盟を覆敗した。虐威の下、殺戮された衆人は、まさに上に向かい無辜を控告した。上帝は人民を監察し、馨香の德なく、刑罰の散發する所はただ腥氣のみ。帝(帝堯)は殺戮された無辜の衆を哀憐し、威をもって暴虐に報復し、苗民を遏絕し、彼らの世系を下方に留めしめず。ここに重・黎に命令して、地と天の交通を隔絕し、神の再び降臨するなし。群后は隨後に下方に在り、明明として常道を輔助し、鰥寡に掩盖せられざるなし。
皇帝清問下民鰥寡有辭於苗。德威惟畏,德明惟明。乃命三後,恤功於民。
(穆王が続けて言うには、)帝は下民を清問し、鰥寡は苗民に對して怨辭あり。德ある威こそ人を畏れしめ、德ある明こそ真の明なり。ここに三后に命令して、人民の事功を憂恤せしめた。
伯夷降典,折民惟刑;禹平水土,主名山川;稷降播種,家殖嘉穀。三後成功,惟殷於民。士制百姓於刑之中,以教祗德。穆穆在上,明明在下,灼於四方,罔不惟德之勤,故乃明於刑之中,率乂於民棐彝。典獄非訖於威,惟訖於富。敬忌,罔有擇言在身。惟克天德,自作元命,配享在下。”
(穆王が続けて言うには、)伯夷は典禮を降し、民情を判斷するにただ刑を用い。禹は水土を平治し、山川に命名するを主管し、稷は播種を降し、各家は嘉穀を繁殖した。三后は成功し、民はこれにより殷實した。士は適中の刑をもって百姓を制裁し、もって德を敬うを教導した。莊穆は上に在り、明明は下に在り、四方を照耀し、德に勤まざる人なし。ゆえに能く刑の適中を明白にし、もって人民を治理し常道を輔助した。獄訟を掌管するは威に終止せず、ただ富足に終止す。敬慎戒忌して、身に挑剔すべき言なし。能く天德に合し、自ら大命を作し、下方にて配享す。」
王曰:“嗟!四方司政典獄,非爾惟作天牧?今爾何監?非時伯夷播刑之迪?其今爾何懲?惟時苗民匪察於獄之麗,罔擇吉人,觀於五刑之中;惟時庶威奪貨,斷制五刑,以亂無辜,上帝不蠲,降咎於苗,苗民無辭於罰,乃絕厥世。”
王は言った。「ああ、四方の政事を掌管し獄訟を典掌する人よ、汝らは天の牧を爲すにあらずや。今、汝らは何を取法するか。この時の伯夷が刑の引導を傳播したにあらずや。今、汝らは何を懲戒するか。ただこの時の苗民が獄訟の附麗する所を察せず、吉人を選擇せず、五刑の適中を觀察せざるなり。ただこの時の衆威が貨財を奪取し、五刑を專斷し、もって無辜を擾亂し、上帝は潔免せず、灾咎を苗に降し、苗民は懲罰に對して言うべきなく、ここに彼らの世系を滅絕した。」
王曰:“嗚呼!念之哉。伯父、伯兄、仲叔、季弟、幼子、童孫,皆聽朕言,庶有格命。今爾罔不由慰曰勤,爾罔或戒不勤。天齊於民,俾我一日,非終惟終,在人。爾尚敬逆天命,以奉我一人!雖畏勿畏,雖休勿休。惟敬五刑,以成三德。
王は言った。「ああ、記憶せよ。伯父・伯兄・仲叔・季弟・幼子・童孫、みなわが言を聽け。あるいは嘉命を獲得せん。今、汝らは勤勞と自ら安慰せざるなく、汝らは勤さざるを自ら警戒せざるなし。上天は人民を整齊し、我にこの一日を有せしむ。終結にあらず・ただ終結は人に在り。汝らは當に天命を敬迎し、もって我が一人に事奉すべし。たとえ畏るべくとも畏るるなかれ、たとえ美好なるとも美好に安んずるなかれ。ただ五刑を敬慎し、もって三德を成就せよ。
一人有慶,兆民賴之,其寧惟永。”
(穆王が続けて言うには、)一人に善慶あれば、兆民は彼に依賴し、その安寧はこそ長久せん。」
王曰:“籲!來,有邦有土,告爾祥刑。在今爾安百姓,何擇,非人?何敬,非刑?何度,非及?兩造具備,師聽五辭。五辭簡孚,正於五刑。五刑不簡,正於五罰;五罰不服,正於五過。五過之疵:惟官,惟反,惟內,惟貨,惟來。其罪惟均,其審克之!五刑之疑有赦,五罰之疑有赦,其審克之!簡孚有眾,惟貌有稽。無簡不聽,具嚴天威。墨闢疑赦,其罰百鍰,閱實其罪。劓闢疑赦,其罪惟倍,閱實其罪。
王は言った。「ああ、來い、邦有り土有る人よ、汝らに祥善の刑を告げん。今、汝らは百姓を安定するに、何を選擇するか、人にあらずや。何を敬慎するか、刑にあらずや。何を謀度するか、案情の及ぶ所にあらずや。原告被告みな齊至し、士師は五辭を聽す。五辭が核實して可信なれば、すなわち五刑に正す。五刑に核實能わざれば、すなわち五罰に正す。五罰が人心を服せしめざれば、すなわち五過に正す。五過の毛病は、官勢に在り、報怨に在り、内親に在り、貨賄に在り、請托に在り。その罪が相同なれば、審慎に核實能くせよ。五刑に疑あればすなわち赦免し、五罰に疑あればすなわち赦免す。審慎に核實能くせよ。核實は衆人に取信し、ただ形貌の上にも考核す。核實なければ聽かず、みな天威を嚴敬せよ。墨刑に疑あればすなわち赦免し、罰金一百鍰、その罪を核閱核實せよ。劓刑に疑あればすなわち赦免し、罰金加倍(底本は「其罪惟倍」、一説に「罪」は「罰」の訛)、その罪を核閱核實せよ。
剕闢疑赦,其罰倍差,閱實其罪。宮闢疑赦,其罰六百鍰,閱實其罪。大辟疑赦,其罰千鍰,閱實其罪。墨罰之屬千。劓罰之屬千,剕罰之屬五百,宮罰之屬三百,大辟之罰其屬二百。五刑之屬三千。
(穆王が続けて言うには、)剕刑に疑あればすなわち赦免し、罰金加倍また差等を加え、その罪を核閱核實せよ。宮刑に疑あればすなわち赦免し、罰金六百鍰、その罪を核閱核實せよ。大辟に疑あればすなわち赦免し、罰金一千鍰、その罪を核閱核實せよ。墨罰の條目は一千。劓罰の條目は一千、剕罰の條目は五百、宮罰の條目は三百、大辟の罰の條目は二百。五刑の條目は合計三千。
上下比罪,無僣亂辭,勿用不行,惟察惟法,其審克之!上刑適輕,下服;下刑適重,上服。輕重諸罰有權。刑罰世輕世重,惟齊非齊,有倫有要。罰懲非死,人極於病。非佞折獄,惟良折獄,罔非在中。察辭於差,非從惟從。哀敬折獄,明啟刑書胥占,鹹庶中正。其刑其罰,其審克之。獄成而孚,輸而孚。其刑上備,有並兩刑。”
(穆王が続けて言うには、)上下を比照して罪を定め、供辭を錯亂するなかれ、すでに行われざる法を用いるなかれ。ただ察、ただ法のみ、審慎に核實能くせよ。上刑が從輕に適すれば、すなわち下刑に服せしめ、下刑が從重に適すれば、すなわち上刑に服せしむ。輕重の各種懲罰にみな權變あり。刑罰に世代により從輕するあり、世代により從重するあり。齊と不齊あり、倫あり要あり。懲罰は死にあらざるも、人はすでに困苦の極に至る。佞口に靠って獄を斷ずるにあらず、ただ良善に靠って獄を斷ずれば、適中せざるなし。供辭の差失の處に察看し、跟從せざる者をこそ跟從す。哀矜敬慎して獄を斷じ、刑書を明白に打開してともに估量し、みな適中公正を希望す。その刑その罰は、審慎に核實能くせよ。獄が成して人を信ぜしめ、輸してもまた人を信ぜしむ。刑は上に備うべく、時に兩刑を合并す。」
王曰:“嗚呼!敬之哉!官伯族姓,朕言多懼。朕敬於刑,有德惟刑。今天相民,作配在下。明清於單辭,民之亂,罔不中聽獄之兩辭,無或私家於獄之兩辭!獄貨非寶,惟府辜功,報以庶尤。永畏惟罰,非天不中,惟人在命。天罰不極,庶民罔有令政在於天下。”
王は言った。「ああ、敬慎せよ。官長・伯・族姓よ、わが言には戒懼多し。我は刑に敬慎し、德あってこそ刑を用いる。今、上天は人民を幫助し、下方にて配を爲す。清明に一面の辭を聽け。民の治理は、獄の兩造の辭を中正に聽かざるなし。獄の兩造の辭を私家の事に變ずる人あるなかれ。獄中の貨財は寶物にあらず、ただ罪過の功を積聚し、衆怨をもって報應せん。永遠に畏るべきはただ懲罰のみ。天が中正ならざるにあらず、ただ人自身が命に在るのみ。天罰が極處に至らざれば、庶民は天下に善政あらざらん。」
王曰:“嗚呼!嗣孫,今往何監,非德?於民之中,尚明聽之哉!哲人惟刑,無疆之辭,屬於五極,鹹中有慶。受王嘉師,監於茲祥刑。”
王は言った。「ああ、嗣孫よ、今より後、何を取法するか、德にあらずや。民の中正に對しては、なお明白に聽け。哲人が刑を用いるに、疆界なき辭なく、五極に歸屬し、みな適中すればすなわち慶あり。王の嘉美する衆人を接受し、この祥善の刑を監察せよ。」
周書 文侯之命第三十
平王錫晉文侯秬鬯、圭瓚,作《文侯之命》。
平王は晉文侯に秬鬯・圭瓚を賜い、《文侯之命》を作った。
王若曰:“父義和!丕顯文、武,克慎明德,昭升於上,敷聞在下;惟時上帝,集厥命於文王。亦惟先正克左右昭事厥闢,越小大謀猷罔不率從,肆先祖懷在位。嗚呼!閔予小子嗣,造天丕愆。殄資澤於下民,侵戎我國家純。即我御事,罔或耆壽俊在厥服,予則罔克。曰惟祖惟父,其伊恤朕躬!嗚呼!有績予一人永綏在位。父義和!汝克紹乃顯祖,汝肇刑文、武,用會紹乃闢,追孝於前文人。
王はこのように言った。「父義和よ。大大に顯明なる文・武は、能く謹慎して德を彰明し、昭升して上に至り、鋪陳して下に聞ゆ。この時上帝は、命を文王の身上に聚集した。またただ先正が能く輔佐して彼らの君に昭事し、大小の謀猷は順從せざるなし。ゆえに先祖は能く安然として位に在り。ああ、哀しむべし我が小子は嗣位し、上天の大大の懲罰に遭遇した。資財恩澤を下民に滅絕し、侵伐戎禍はわが國家を大大に受損せしめた。わが御事に就いて言えば、年高俊美の人は職に在らず、我はすなわち勝任能わず。ただ祖を希望し・ただ父を希望するのみ、彼らはわが自身を憂恤す。ああ、功績ありて我が一人をして永遠に安然として位に在らしむ。父義和よ。汝は能く汝の顯赫の祖を紹續し、汝は始めて文・武を效法し、もって汝の君を會合紹續し、前代の文德ある人に追孝せん。
汝多修,扞我於艱,若汝,予嘉。”
(平王が続けて言うには、)汝は多く修治し、艱難の中に我を捍衛す。汝のごときは、我は嘉許す。」
王曰:“父義和!其歸視爾師,寧爾邦。用賚爾秬鬯一卣,彤弓一,彤矢百,盧弓一,盧矢百,馬四匹。父往哉!柔遠能邇,惠康小民,無荒寧。簡恤爾都,用成爾顯德。”
王は言った。「父義和よ。歸りて汝の師衆を視察し、汝の邦を安寧せよ。汝に秬鬯一卣・彤弓一張・彤矢一百・盧弓一張・盧矢一百・馬四匹を賜う。父は行け。遠方を安撫し近處を親睦し、小民を惠愛安定し、安寧を荒廢するなかれ。汝の都邑を簡選體恤し、もって汝の顯明の德を成就せよ。」
周書 費誓第三十一
魯侯伯禽宅曲阜,徐、夷並興,東郊不開。作《費誓》。
魯侯伯禽は曲阜に住み、徐戎・淮夷は一并に興起し、東郊は開通能わず。《費誓》を作った。
公曰:“嗟!人無譁,聽命。徂茲淮夷、徐戎並興。善乃甲冑,敿乃幹,無敢不弔!備乃弓矢,鍛乃戈矛,礪乃鋒刃,無敢不善!今惟淫舍牿牛馬,杜乃擭,敜乃穽,無敢傷牿。牿之傷,汝則有常刑!馬牛其風,臣妾逋逃,勿敢越逐,祗復之,我商賚爾。乃越逐不復,汝則有常刑!無敢寇攘,逾垣牆,竊馬牛,誘臣妾,汝則有常刑!甲戌,我惟徵徐戎。峙乃糗糧,無敢不逮;汝則有大刑!魯人三郊三遂,峙乃楨榦。甲戌,我惟築,無敢不供;汝則有無餘刑,非殺。魯人三郊三遂,峙乃芻茭,無敢不多;汝則有大刑!”
公は言った。「ああ、人々よ喧嘩するなかれ、命を聽け。往時この淮夷・徐戎は一并に興起した。汝らの甲冑を準備し、汝らの盾を繫好せよ。敢えて妥善せざるなかれ。汝らの弓矢を備え、汝らの戈矛を鍛煉し、汝らの鋒刃を磨礪せよ。敢えて善ならざるなかれ。今、まさに圈養の牛馬を大いに放牧す。汝らの捕獸機を堵塞し、汝らの陷阱を填塞し、敢えて圈畜を傷害するなかれ。圈畜が傷を受ければ、汝らに常刑あらん。馬牛が走失し臣妾が逃跑すれば、敢えて越えて追逐するなかれ。恭敬して歸還せば、我は商度して汝らを賞賜せん。もし越えて追逐し歸還せざれば、汝らに常刑あらん。敢えて寇掠攘奪し、垣牆を翻越し、馬牛を偷竊し、臣妾を誘拐するなかれ。汝らに常刑あらん。甲戌の日、我はまさに徐戎を征伐せん。汝らの乾糧を儲備せよ。敢えて不足なかれ。汝らに大刑あらん。魯人の三郊三遂よ、汝らの築牆夾板と支柱を儲備せよ。甲戌の日、我はまさに工事を築かん。敢えて供給せざるなかれ。汝らに無餘の刑あらん。これは殺にあらず。魯人の三郊三遂よ、汝らの飼草を儲備せよ。敢えて多からざるなかれ。汝らに大刑あらん。」
周書 秦誓第三十二
秦穆公伐鄭,晉襄公帥師敗諸崤,還歸,作《秦誓》。
秦穆公は鄭を伐ち、晉襄公は師を率いて崤にて彼を打敗し、歸りて《秦誓》を作った。
公曰:“嗟!我士,聽無譁!予誓告汝群言之首。古人有言曰:‘民訖自若,是多盤。’責人斯無難,惟受責俾如流,是惟艱哉!我心之憂,日月逾邁,若弗雲來。惟古之謀人,則曰未就予忌;惟今之謀人,姑將以為親。雖則云然,尚猷詢茲黃髮,則罔所愆。”
公は言った。「ああ、わが士よ、聽け喧嘩するなかれ。我は宣誓して汝らに群言の首要を告げん。古人に言あり、『人もしみな自ら是と爲せば、多く安樂放縱を生ず』と。他人を責備するは艱難ならず。ただ責備を接受して流水のごとくする、これぞ艱難なり。わが心裏の憂愁は、日月は過去し、再び歸來せざるがごとし。ただ古時の謀人は、いまだ我に靠近能わずと言えばすなわち忌恨し、ただ今日の謀人は、姑くまさに親人と爲さん。しかるに此のようと雖も、なおこれら黃髮の老人に謀詢せば、すなわち過失あらざらん。」
番番良士,旅力既愆,我尚有之;仡仡勇夫,射御不違,我尚不欲。惟截截善諞言,俾君子易辭,我皇多有之!昧昧我思之,如有一介臣,斷斷猗無他技,其心休休焉,其如有容。人之有技,若己有之。人之彥聖,其心好之,不啻若自其口出。是能容之,以保我子孫黎民,亦職有利哉!人之有技,冒疾以惡之;人之彥聖而違之,俾不達是不能容,以不能保我子孫黎民,亦曰殆哉!邦之杌隉,曰由一人;邦之榮懷,亦尚一人之慶。”
(秦穆公が続けて言うには、)白髮の良士は、體力すでに衰えたるも、我はなお彼らを有せん。壯勇の勇夫は、射御に差錯なくとも、我はなお欲せず。ただあの淺薄善辯の言が、君子をして輕々しく辭色を改變せしむるは、我は反ってこのような人を多く有せり。暗暗として我は想う。もし一臣子ありて、專誠にして他の技能なく、その心は寬大にして能く包容するがごとし。他人に技能あれば、自己の有するがごとし。他人が俊美聖明なれば、心裏に喜好し、自己の口より出づるがごときのみならず。このように能く包容するは、もってわが子孫黎民を保護するも、また利益あるかな。他人に技能あれば、すなわち冒嫉厭惡し、他人が俊美聖明なれば卻って彼に違背し、彼をして通達能わざらしむ。これは能く包容せざるなり。これによりわが子孫黎民を保護すること能わず、すなわち危險なるかな。邦國が傾危不安なるは、一人に因ると言う。邦國が光榮安定なるも、また一人の善慶なり。」
虞書 益稷第五
帝曰:「來,禹!汝亦昌言。」禹拜曰:「都!帝,予何言?予思日孜孜。」皋陶曰:「籲!如何?」禹曰:「洪水滔天,浩浩懷山襄陵,下民昏墊。予乘四載,隨山刊木,暨益奏庶鮮食。予決九川,距四海,濬畎澮距川;暨稷播,奏庶艱食鮮食。懋遷有無,化居。烝民乃粒,萬邦作乂。」皋陶曰:「俞!師汝昌言。」
舜帝は言った。「来い、禹よ。汝もよき言を説け。」禹は拜して言った。「ああ、帝よ、私は何を言うべきことがあろうか。私はただ日々勤勉して懈らざるを思うのみだ。」皋陶は言った。「ああ、どのように勤勉するのか。」禹は言った。「洪水は滔天し、浩浩然として山陵を包み丘陵を漫し、下方の人民は沈没陷溺した。私は四種の載具に乗り、山嶺に順って樹木を砍削して標記とし、益とともに新鮮な鳥獣魚鱉を進献して民衆に与えた。私は九州の大川を疏通して四海に通ぜしめ、田間の溝澮を疏濬して大川に通ぜしめた。また稷とともに播種し、艱難にして得た糧食と新鮮の肉食を進献して民衆に与えた。勉力して有無を調遷し、交易して積貯した。衆民はここに穀物を食うことを得、万邦は初めて治理を得た。」
禹曰:「都!帝,慎乃在位。」帝曰:「俞!禹曰:「安汝止,惟幾惟康。其弼直,惟動丕應。徯志以昭受上帝,天其申命用休。」
禹は言った。「ああ、帝よ、汝の在する位を謹慎せよ。」舜帝は言った。「そうだ。」禹は言った。「汝の当に止まるべき所に安んじ、思慮は隠微、思慮は安康せよ。汝の輔弼は正直たれ。挙動あれば必ず大いに応響する。心志の清明を待って上帝を受ければ、上天は再び美しき任命を降す。」
帝曰:「籲!臣哉鄰哉!鄰哉臣哉!」禹曰:「俞!」
舜帝は言った。「ああ、臣子よ近隣よ。近隣よ臣子よ。」禹は言った。「そうだ。」
帝曰:「臣作朕股肱耳目。予欲左右有民,汝翼。予欲宣力四方,汝為。予欲觀古人之象,日、月、星辰、山、龍、華蟲作會;宗彝、藻、火、粉米、黼、黻,絺繡,以五采彰施於五色,作服,汝明。予欲聞六律五聲八音,在治忽,以出納五言,汝聽。予違,汝弼,汝無面從,退有後言。欽四鄰!庶頑讒說,若不在時,侯以明之,撻以記之,書用識哉,欲並生哉!工以納言,時而颺之,格則承之庸之,否則威之。」
舜帝は言った。「臣子はわが大腿・胳膊・耳朵・眼睛をなす。私は人民を引導し輔助せんと欲すれば、汝らは輔翼せよ。私は四方に力を用いんと欲すれば、汝らは作為せよ。私は古人の図像を観たい。日・月・星辰・山・龍・華虫を絵飾になし、宗廟の彝器・水藻・火・粉米・黼・黻を細葛をもって繍い成し、五種の彩をもって五色を彰明に施し、礼服を作る。汝らは辨明せよ。私は六律・五声・八音を聴き、その中より治乱を考察し、もって五方の言論を宣布し接納する。汝らは聴け。私に違背あれば、汝らは匡正せよ。当面順従して退下して後に背後の言あるなかれ。左右の近臣を敬慎せよ。あの愚頑にして讒を進める者、もし位にあらざれば、射侯の礼をもって彰明し、撲撻をもって教訓を記せしめ、簡冊をもって記録する。これは彼らをして共に生きなからしめんと欲するのだ。楽工はもって言論を転達し、時に合すれば宣揚し、改正すれば進用し、改めざれば威懲する。」
禹曰:「俞哉!帝光天之下,至於海隅蒼生,萬邦黎獻,共惟帝臣,惟帝時舉。敷納以言,明庶以功,車服以庸。誰敢不讓,敢不敬應?帝不時敷,同,日奏,罔功。」
禹は言った。「そうだ。帝の光輝は天の下にあり、海角の蒼生に至るまで、万邦の衆賢はみな帝の臣子で、ただ帝の時に挙用するを待つ。普く彼らの言論を接納し、功績を明らかに衆人を考察し、車馬服飾をもって功ある者に酬いれば、誰か譲譲せざらん、誰か恭敬して応へざらん。帝が時に施用すること能わざれば、賢愚は混同し、日々進用しても功をなさない。」
「無若丹朱傲,惟慢遊是好,傲虐是作。罔晝夜頟頟,罔水行舟。朋淫於家,用殄厥世。予創若時,娶於塗山,辛壬癸甲。啟呱呱而泣,予弗子,惟荒度土功。弼成五服,至於五千。州十有二師,外薄四海,鹹建五長,各迪有功,苗頑弗即工,帝其念哉!」帝曰:「迪朕德,時乃功,惟敘。」皋陶方祗厥敘,方施象刑,惟明。
(禹が続けて言うには、)「丹朱のごとく傲慢で、ただ怠惰遊蕩を好み、傲慢暴虐の事をなすなかれ。昼夜を分かたず囂囂として休まず、水なくても船を行かせ、群れて家に淫乱し、よってその世系を滅絶した。私はこれをもって戒とし、塗山に妻を娶り、辛・壬・癸・甲の四日で去った。啓が呱呱と啼哭しても、私は父たることを顧みず、ただ水土の功を度量するに忙しかった。五服を輔成し、五千里に至る。州ごとに十二師、外は四海に接近し、みな五等の長を設立し、各自功あるを引導した。ただ苗民が頑劣で工に就こうとしない。帝よ、この事を記憶せよ。」舜帝は言った。「徳をもって私を引導するは、これは汝の功労だ。このように有序たれ。」
夔曰:「戛擊鳴球、搏拊、琴、瑟、以詠。」祖考來格,虞賓在位,群后德讓。下管鼗鼓,合止柷敔,笙鏞以閒。鳥獸蹌蹌;《簫韶》九成,鳳皇來儀。夔曰:「於!予擊石拊石,百獸率舞,庶尹允諧。」
夔は言った。「鳴球・搏拊・琴・瑟を敲撃し、もって歌詠に配合せん。」祖先は来たり降臨し、虞舜の賓客は位にあり、各方の諸侯は徳をもって相譲した。堂下の管楽と鞀鼓は、柷敔をもって楽を合し楽を止め、笙と大鐘は交代した。鳥獣は蹌蹌と起舞し、簫韶は九成を演奏すると、鳳凰が来たり儀容を呈した。夔は言った。「ああ、私が石磬を敲撃し、石磬を軽拍すれば、百獣はみな舞い従います。衆の長官は確かに和諧した。」
帝庸作歌,曰:「勑天之命,惟時惟幾。」乃歌曰:「股肱喜哉!元首起哉!百工熙哉!」皋陶拜手稽首颺言曰:「念哉!率作興事,慎乃憲,欽哉!屢省乃成,欽哉!」乃賡載歌曰:「元首明哉,股肱良哉,庶事康哉!」又歌曰:「元首叢脞哉,股肱惰哉,萬事墮哉!」帝拜曰:「俞,往欽哉!」
舜帝はこれにより歌を作った。言うには、「上天の命令を謹戒し(底本「𠡠」はすなわち「敕」)、時時事事みな謹慎せよ。」ここに唱えた。「股肱は歓喜し、元首は振作し、百工は興盛す。」皋陶は跪拜して叩頭し、高く声して言った。「記憶せよ。統率して事業を興辦し、汝の法度を謹慎せよ。敬慎せよ。屢々省察してこそ成功する。敬慎せよ。」ここに続けて唱えた。「元首英明なれば、股肱賢良なり、衆事安康なり。」また唱えた。「元首瑣碎なれば、股肱怠惰し、万事堕落す。」舜帝は拜して言った。「そうだ、行け、敬慎せよ。」
夏書 禹貢第一
禹別九州,隨山濬川,任土作貢。
禹は九州を分别し、山嶺に順って河川を疏濬し、土地に依拠して貢賦を制定した。
禹敷土,隨山刊木,奠高山大川。
禹は土地を鋪陳し、山嶺に順って樹木を砍削し、高山大川を確定した。
冀州:既載壺口,治梁及岐。既修太原,至於岳陽;覃懷厎績,至於衡漳。厥土惟白壤,厥賦惟上上錯,厥田惟中中。恆、衛既從,大陸既作。島夷皮服,夾右碣石入於河。
冀州:壺口はすでに施工し、梁山と岐山もまた治理を得た。太原はすでに修治し、太岳の南面に至った。覃懐の一帯はすでに成功し、横流して河に入る漳水に至った。ここの土は白壤、賦税は第一等にして第二等を間雑し、田地は第五等。恒水・衛水はすでに順流し、大陸沢はすでに耕作しうる。島夷は皮服を進貢し、右に碣石を繞って黄河に入る。
濟河惟兗州。九河既道,雷夏既澤,灉、沮會同。桑土既蠶,是降丘宅土。厥土黑墳,厥草惟繇,厥木惟條。厥田惟中下,厥賦貞,作十有三載乃同。厥貢漆絲,厥篚織文。浮於濟、漯,達於河。
済水と黄河の間は兗州。九河はすでに疏通し、雷夏はすでに沢を成し、灉水・沮水は会合した。桑に宜しい土地はすでに蚕を養い、ここに人民は丘の上より下りて平地に住んだ。ここの土は黒色肥沃の墳土、草の生長は茂盛、樹木は修長。田地は第六等、賦税は第九等、経営十三年にして他州と同じくなった。貢物は漆と糸、篋に装うは花紋ある糸織品。船は済水・漯水より浮行し、黄河に至る。
海岱惟青州。嵎夷既略,濰、淄其道。厥土白墳,海濱廣斥。厥田惟上下,厥賦中上。厥貢鹽絺,海物惟錯。岱畎絲、枲、鉛、松、怪石。萊夷作牧。厥篚檿絲。浮於汶,達於濟。
海と泰山の間は青州。嵎夷はすでに治理し、濰水・淄水はすでに疏通した。土は白色の墳土、海浜は広闊で鹸鹼。田地は第三等、賦税は第四等。貢物は塩と細葛、海物は種類錯雑。泰山の山谷は糸・枲麻・鉛・松・怪石を出す。萊夷は放牧に従事す。篋に装うは山桑の糸。船は汶水より浮行し、済水に至る。
海、岱及淮惟徐州。淮、沂其乂,蒙、羽其藝,大野既豬,東原厎平。厥土赤埴墳,草木漸包。厥田惟上中,厥賦中中。厥貢惟土五色,羽畎夏翟,嶧陽孤桐,泗濱浮磬,淮夷蠙珠暨魚。厥篚玄纖、縞。浮於淮、泗,達於河。
海・泰山より淮水までの間は徐州。淮水・沂水はすでに治理し、蒙山・羽山はすでに種植しうる。大野沢はすでに匯聚して湖を成し、東原はすでに平定した。土は赤色の黏りて肥えた埴墳、草木は漸々叢生す。田地は第二等、賦税は第五等。貢物は五色の土、羽山の山谷の夏翟(五色の雉羽)、嶧山の南面の特生の桐木、泗水の浜の浮磬、淮夷の珠と魚(底本「𧏖珠」、すなわち蠙珠)。篋に装うは黒色の細綢と白絹。船は淮水・泗水より浮行し、黄河に至る。
淮海惟揚州。彭蠡既豬,陽鳥攸居。三江既入,震澤厎定。篠、簜既敷,厥草惟夭,厥木惟喬。厥土惟塗泥。厥田唯下下,厥賦下上,上錯。厥貢惟金三品,瑤、琨、篠、簜、齒、革、羽、毛惟木。鳥夷卉服。厥篚織貝,厥包橘柚,錫貢。沿於江、海,達於淮、泗。
淮水と海の間は揚州。彭蠡はすでに匯して湖を成し、陽に随う鳥はここに居る。三江はすでに海に入り、震沢はすでに安定した。小竹大竹はすでに遍布し、草の生長は美盛、樹木は高大。土は塗泥。田地は第九等、賦税は第七等、間あるいは第六等。貢物は金・銀・銅の三品、美玉・美石・小竹・大竹・象牙・皮革・鳥羽・旄毛と木材。鳥夷(一作島夷)は草織の衣服を穿つ。篋に装うは織貝の錦、包裹するは橘子・柚子、錫命を待って進貢す。江・海に沿って、淮水・泗水に至る。
荊及衡陽惟荊州。江、漢朝宗於海,九江孔殷,沱、潛既道,雲土、夢作乂。厥土惟塗泥,厥田惟下中,厥賦上下。厥貢羽、毛、齒、革惟金三品,杶、幹、栝、柏,礪、砥、砮、丹,惟菌、簵、楛;三邦厎貢厥名。包匭菁茅,厥篚玄纁璣組,九江納錫大龜。浮於江、沱、潛、漢,逾於洛,至於南河。
荊山より衡山の南面までが荊州。江・漢は天子に朝見するがごとく海に奔り、九江は甚深く盛んにして、沱水・潜水はすでに疏通し、雲沢の泥土は露出し、夢沢もまた耕作しうる(底本は「雲土・夢」と断ず。一説に連読して雲夢とすべし)。土は塗泥、田地は第八等、賦税は第三等。貢物は鳥羽・旄毛・象牙・皮革と金の三品、杶木・干木・栝木・柏木、礪石・砥石・砮石・丹砂、および菌簵竹・楛木。三つの諸侯国は各々著名の物産を貢ぐ。包裹するは菁茅を装る匣子、篋の中は黒紅色の糸綢と珍珠の串、九江は大亀を進貢す。船は江・沱・潜・漢より浮行し、洛水を越えて南河に至る。
荊河惟豫州。伊、洛、瀍、澗既入於河,滎波既豬。導菏澤,被孟豬。厥土惟壤,下土墳壚。厥田惟中上,厥賦錯上中。厥貢漆、枲,絺、紵,厥篚纖、纊,錫貢磬錯。浮於洛,達於河。
荊山と黄河の間は豫州。伊・洛・瀍・澗はすでに黄河に流入し、滎波はすでに匯して湖を成した。菏沢を疏導し、水を孟猪に溢入せしめた。土は壤土、低下する処は肥沃の墳壚。田地は第四等、賦税は第二等にして第一等を間雑す。貢物は漆・枲麻・細葛・紵麻、篋の中は細綢と糸綿、錫命を待って磬を治する礪石を進貢す。船は洛水より浮行し、黄河に至る。
華陽、黑水惟梁州。岷、嶓既藝,沱、潛既道。蔡、蒙旅平,和夷厎績。厥土青黎,厥田惟下上,厥賦下中,三錯。厥貢璆、鐵、銀、鏤、砮磬、熊、羆、狐、狸、織皮,西傾因桓是來,浮於潛,逾於沔,入於渭,亂於河。
華山の南面より黒水までの間は梁州。岷山・嶓冢はすでに種植しうる。沱水・潜水はすでに疏通した。蔡山・蒙山はすでに平治を祭告し、和夷はすでに成功した。土は青黒色、田地は第七等、賦税は第八等、第七・第九等を間雑す。貢物は美玉・鉄・銀・剛鉄・砮石・磬・熊・羆・狐・狸と織皮。西傾山の貢物は桓水に順って来たり、船は潜水より浮行し、沔水を越えて渭水に入り、黄河を横渡する。
黑水、西河惟雍州。弱水既西,涇屬渭汭,漆沮既從,灃水攸同。荊、岐既旅,終南、惇物,至於鳥鼠。原隰厎績,至於豬野。三危既宅,三苗丕敘。厥土惟黃壤,厥田惟上上,厥賦中下。厥貢惟球、琳、琅玕。浮於積石,至於龍門、西河,會於渭汭。織皮崐崘、析支、渠搜,西戎即敘。
黒水と西河の間は雍州。弱水はすでに西に流れ、涇水は渭水の曲がる処に接続し、漆沮はすでに順流し、灃水は渭水に会同した。荊山・岐山はすでに祭告し、終南山・惇物山より鳥鼠山に至る。原隰はすでに成功し、猪野沢に至る。三危はすでに居住しうる。三苗は大大に安定した。土は黄壤、田地は第一等、賦税は第六等。貢物は球玉・琳玉・琅玕。船は積石より浮行し、龍門・西河に至り、渭水の曲がる処に会合す。織皮の民は崑崙・析支・渠捜にあり、西戎はみな安定した。
導岍及岐,至於荊山,逾於河;壺口、雷首至於太嶽;厎柱、析城至於王屋;太行、恆山至於碣石,入於海。
山道を開通し、岍山より岐山に至り、荊山に至って黄河を越えた。壺口・雷首より太岳に至り、底柱・析城より王屋に至り、太行・恒山より碣石に至って、延伸して海に入る。
西傾、朱圉、鳥鼠至於太華;熊耳、外方、桐柏至於陪尾。
西傾・朱圉・鳥鼠より太華に至り、熊耳・外方・桐柏より陪尾に至る。
導嶓冢,至於荊山;內方,至於大別。
嶓冢より開通して荊山に至り、内方より大別に至る。
岷山之陽,至於衡山,過九江,至於敷淺原。
岷山の南面より衡山に至り、九江を経て敷浅原に至る。
導弱水,至於合黎,餘波入於流沙。
弱水を疏導して合黎に至り、残りの水は流沙に流入した。
導黑水,至於三危,入於南海。
黒水を疏導して三危に至り、南海に流入した。
導河、積石,至於龍門;南至於華陰,東至於厎柱,又東至於孟津,東過洛汭,至於大伾;北過降水,至於大陸;又北,播為九河,同為逆河,入於海。
黄河を疏導し、積石より龍門に至り、南に華陰に至り、東に底柱に至り、また東に孟津に至り、東に洛水の河に入る処を経て大伾に至り、北に降水を経て大陸沢に至り、さらに北に九河に分かれ、会合して逆河をなし、海に流入した。
嶓冢導漾,東流為漢,又東,為滄浪之水,過三澨,至於大別,南入於江。東,匯澤為彭蠡,東,為北江,入於海。
嶓冢より漾水を疏導し、東に流れて漢水をなし、さらに東に滄浪之水をなし、三澨を経て大別に至り、南に流れて江に入った。東に彭蠡沢に匯し、さらに東に北江をなし、海に流入した。
岷山導江,東別為沱,又東至於澧;過九江,至於東陵,東迆北,會於匯;東為中江,入於海。
岷山より江水を疏導し、東に沱水を分出し、また東に澧に至り、九江を経て東陵に至り、東に偏北して匯に会合し、東に中江をなして海に流入した。
導沇水,東流為濟,入於河,溢為滎;東出於陶丘北,又東至於菏,又東北,會於汶,又北,東入於海。
沇水を疏導し、東に流れて済水をなし、黄河に入り、溢れて滎沢をなし、東に陶丘の北面より出て、また東に菏沢に至り、また東北に汶水に会合し、さらに北に東に流れて海に入った。
導淮自桐柏,東會於泗、沂,東入於海。
桐柏より淮水を疏導し、東に泗水・沂水に会合し、東に流れて海に入った。
導渭自鳥鼠同穴,東會於灃,又東會於涇,又東過漆沮,入於河。
鳥鼠同穴山より渭水を疏導し、東に灃水に会合し、また東に涇水に会合し、また東に漆沮を経て黄河に入った。
導洛自熊耳,東北,會於澗、瀍;又東,會於伊,又東北,入於河。
熊耳より洛水を疏導し、東北に澗水・瀍水に会合し、また東に伊水に会合し、さらに東北に黄河に入った。
九州攸同,四隩既宅,九山刊旅,九川滌源,九澤既陂,四海會同。六府孔修,庶土交正,厎慎財賦,鹹則三壤成賦。中邦錫土、姓,祗臺德先,不距朕行。
九州はみな統一し、四方の辺遠の地はすでに居住しうる。九条の山脈は樹木を砍り去り旅祭しうる。九条の大川は源を疏通し、九つの大沢はすでに堤陂を築いた。四海の内は京師に会同した。六府は治理してよく、各処の土地はみな等級を校正し、財賦を慎重に制定し、みな三等の土壤に按って賦税を確定した。華夏の邦に土地と姓氏を賜与し、敬徳を前に置き、わが行事に違抗するなかれ。
五百里甸服:百里賦納總,二百里納銍,三百里納秸服,四百里粟,五百里米。
五百里は甸服:一百里は秸を帯びた禾を納め、二百里は禾穂を納め、三百里は秸稈を納めまた服役し、四百里は粟を納め、五百里は米を納む。
五百里侯服:百里採,二百里男邦,三百里諸侯。
五百里は侯服:王畿に近い一百里は采邑、さらに外の二百里は男邦、さらに外の三百里は諸侯。
五百里綏服:三百里揆文教,二百里奮武衛。
五百里は綏服:三百里は文教を揆度し、二百里は武衛を奮揚す。
五百里要服:三百里夷,二百里蔡。
五百里は要服:三百里は夷人を安置し、二百里は蔡刑の地に流す。
五百里荒服:三百里蠻,二百里流。
五百里は荒服:三百里は蛮人を安置し、二百里は流放の地。
東漸於海,西被於流沙,朔南暨聲教訖於四海。禹錫玄圭,告厥成功。
東は海に至り、西は流沙に覆い及ぼし、北面南面の声教はみな四海に達した。禹は玄圭を賜与され、その成功を報告した。
