新序
雜事第一
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
雜事第一
雜事第一
昔者,舜自耕稼陶漁而躬孝友,父瞽□頑,母嚚,及弟象傲,皆下愚不移。舜盡孝道,以供養瞽□。瞽□與象,為浚井塗廩之謀,欲以殺舜,舜孝益篤。出田則號泣,年五十猶嬰兒慕,可謂至孝矣。
從前、舜親ら田を耕し、陶を燒き、魚を取り、親ら孝順友愛を實行す。父瞽瞍(底本此の字殘缺)頑固にして、母説話誠實ならず、弟象傲慢にして、皆是れ下等の愚人、改變す可からず。舜孝道を盡くして、瞽瞍を供養す。瞽瞍と象と井を淘し廩を塗るの計謀を定めて、舜を殺害せんと欲す、舜の孝更に篤厚なり。田に至れば卽ち號哭し、五十歲に至りて還りて嬰兒のごとく父母を依戀す、至孝と稱す可し。
故耕於歷山,歷山之耕者讓畔;陶於河濱,河濱之陶者,器不苦窳;漁於雷澤,雷澤之漁者分均。及立為天子,天下化之,蠻夷率服。北發渠搜,南撫交址,莫不慕義,麟鳳在郊。故孔子曰:"孝弟之至,通於神明,光於四座。"舜之謂也。
ゆえに彼歷山に於て田を耕せば、歷山の耕者互いに田界を讓り;河濱に於て陶を燒けば、河濱の陶器麤劣ならず;雷澤に於て魚を取れば、雷澤の漁者分配均勻なり。天子と立つに及びて、天下彼に感化せられ、蠻夷皆歸服す。北邊渠搜に到達し、南邊交趾を安撫して、道義を仰慕せざるなく、麒麟鳳凰郊野に出現す。ゆえに孔子曰く、「孝悌極點に至れば、卽ち神明に通達し、四海を光耀す」(底本「四座」と作す、當に「四海」と讀むべし)とは、舜を説くなり。
孔子在州里,篤行孝道,居於闕黨,闕黨之子弟畋漁,分有親者多,孝以化之也。是以七十二子,自遠方至,服從其德。魯有沈猶氏者,旦飲羊飽之,以欺市人。公慎氏有妻而淫,慎潰氏奢侈驕佚,魯市之鬻牛馬者善豫賈。孔子將為魯司寇,沈猶氏不敢朝飲其羊,公慎氏出其妻,慎潰氏踰境而徙,魯之鬻馬牛不豫賈,布正以待之也。既為司寇,季孟墮郈費之城,齊人歸所侵魯之地,由積正之所致也。故曰:"其身正,不令而行。"
孔子鄉里に在りて、切實に孝道を實行し、闕黨に住せば、闕黨の子弟獵し魚を打ちて、分配する時父母有る者多く分かつ、是れ孝之らを感化するなり。此に因りて七十二個の弟子遠方より到來して、其の德行に服從す。魯國沈猶氏有る者有りて、早晨羊に水を灌ぎて飽食せしめて、以て市人を欺騙す。公慎氏妻子有りて淫亂し、慎潰氏奢侈驕逸し、魯國市上牛馬を賣る者善く豫め價を抬ぐ。孔子將に魯國司寇を爲らんとするや、沈猶氏敢えて再び早晨羊に水を灌がず、公慎氏妻子を休し、慎潰氏境を越えて遷走し、魯國馬牛を賣る者再び豫め價を抬げず、正經の貨色を擺出して交易を待つ。已に司寇を爲るや、季孫氏・孟孫氏郈・費の城墻を拆毀し、齊人侵佔する所の魯地を歸還す、皆是れ端正を積聚する所の致すなり。ゆえに曰く、「自身端正なれば、令を下さずして亦推行する能し」と。
孫叔敖為嬰兒之時,出遊,見兩頭蛇,殺而埋之。歸而泣,其母問其故,叔敖對曰:"吾聞見兩頭之蛇者死,曏者吾見之,恐去母而死也。"其母曰:"蛇今安在?"曰:"恐他人又見,殺而埋之矣。"其母曰:"吾聞有陰德者,天報之以福,汝不死也。"及長,為楚令尹,未治,而國人信其仁也。
孫叔敖還りて小孩の時候、出去りて游玩し、兩頭蛇を見て、殺して埋む。家に歸りて哭泣す、母緣故を問う、孫叔敖答えて曰く、「我聞く兩頭蛇を見る人死すと、剛く我之を見たり、母親を離れて死せんことを怕る」と。母曰く、「蛇今何處に在るか」と。曰く、「別人の再び見るを怕れて、殺して埋めたり」と。母曰く、「我聞く陰德を積有る人は、天福を以て之に報答す、汝死せず」と。長大するに及びて、楚國令尹を爲り、未だ政を施さざるに、國人已に其の仁を信任す。
禹之興也,以塗山;桀之亡也,以末喜。湯之興也,以有莘;紂之亡也,以妲己。文武之興也,以任姒;幽王之亡也,以褒姒。是以詩正關睢,而春秋褒伯姬也。
禹の興起は、塗山氏に靠る;桀の滅亡は、末喜に因る。湯の興起は、有莘氏に靠る;紂の滅亡は、妲己に因る。文王・武王の興起は、太任・太姒に靠る;幽王の滅亡は、褒姒に因る。此に因りて『詩經』『關雎』を以て夫婦の道を端正し、『春秋』伯姬を褒揚す。
樊姬,楚國之夫人也,楚莊王罷朝而晏,問其故?莊王曰:"今日與賢相語,不知日之晏也。"樊姬曰:"賢相為誰?"王曰:"為虞丘子。"樊姬掩口而笑。王問其故。曰:"妾幸得執巾櫛以侍王,非不欲專貴擅愛也,以為傷王之義,故能進與妾同位者數人矣。今虞丘子為相十數年,未嘗進一賢,知而不進,是不忠也;不知,是不智也。不忠不智,安得為賢?"明日朝,王以樊姬之言告虞子,虞丘子稽首曰:"如樊姬之言。"於是辭位,而進孫叔敖相楚,國富兵強,莊王卒以霸,樊姬與有力焉。
樊姬是れ楚國夫人なり。楚莊王朝を退くこと甚だ晚し、樊姬緣故を問う。莊王曰く、「今天賢相と談話し、天已に晚きを知らず」と。樊姬曰く、「賢相是れ誰か」と。王曰く、「是れ虞丘子なり」と。樊姬口を掩いて笑う。王緣故を問う。曰く、「妾幸いに能く巾櫛を持ちて王に侍奉す、是れ王の尊貴恩愛を獨占せんと欲せざるにあらず、只是れ以爲かくのごとく王の道義を傷害せんとす、ゆえに能く妾と同位を擧薦する已に數個人有り。如今虞丘子相を爲ること十餘年、曾て一個の賢人を擧薦せず、知りて擧薦せざるは、是不忠;知らざるは、是不智。不忠不智なれば、何を以て賢と算せんか」と。第二天朝會、王樊姬の言を虞丘子に告ぐ、虞丘子頭を叩きて曰く、「正しく樊姬の説くがごとし」と。於是職を辭し、孫叔敖を擧薦して楚相を爲さしむ、國家富み軍隊強く、莊王終に稱霸す、樊姬亦力を出せり。
衛靈公之時,蘧伯玉賢而不用,彌子瑕不肖而任事。衛大夫史□患之,數以諫靈公而不聽。史□病且死,謂其子曰:"我即死,治喪於北堂。吾不能進蘧伯玉而退彌子瑕,是不能正君也,生不能正君者,死不當成禮,置屍於北堂,於我足矣。"
衛靈公の時候、蘧伯玉賢能にして任用せられず、彌子瑕不肖にして事を掌る。衛大夫史魚(底本此の字殘缺)此のため憂慮し、屢々靈公に進諫す、靈公聽かず。史魚病死せんとするに及びて、兒子に對して曰く、「我若し死せば、北堂に於て喪を治めよ。我能く蘧伯玉を進用して彌子瑕を斥退する能わざるは、是れ國君を匡正する能わざるなり。生きて國君を匡正する能わざる人は、死して喪禮を完成す可からず、屍體を北堂に放くは、我に對して足れり」と。
史□死,靈公往吊,見喪在北堂,問其故?其子以父言對靈公。靈公蹴然易容,寤然失位曰:"夫子生則欲進賢而退不肖,死且不懈,又以尸諫,可謂忠而不衰矣。"於是乃召蘧伯玉,而進之以為卿,退彌子瑕。徙喪正堂,成禮而後返,衛國以治。
史魚死す、靈公往きて喪を弔い、喪事北堂に設くるを見て、緣故を問う。其の兒子父親の言を以て靈公に對して説く。靈公顏色を變じ、驚覺して坐る能わず、曰く、「夫の子生きて卽ち賢を進め不肖を退けんと想い、死して還りて懈怠せず、また屍體を以て進諫す、忠誠衰えずと稱す可し」と。於是蘧伯玉を召して、之を進用して卿を爲し、彌子瑕を斥退す。喪事を正堂に遷し、喪禮を完成して後纔かに返回す、衛國因りて治理を得たり。
晉大夫祁奚老,晉君問曰:"庸可使嗣?"祁奚對曰:"解狐可。"君曰:"非子之讎耶?"對曰:"君問可,非問讎也。"晉遂舉解狐。後又問:"庸可以為國尉?"祁奚對曰:"午可也。"君曰:"非子之子耶?"對曰:"君問可,非問子也。"君子謂祁奚能舉善矣,稱其讎不為諂,立其子不為比。書曰:"不偏不黨,王道蕩蕩。"祁奚之謂也。外舉不避仇讎,內舉不回親戚,可謂至公矣。唯善,故能舉其類。詩曰:"唯其有之,是以似之。"祁奚有焉。
晉大夫祁奚年老い、晉君問う、「誰か繼任す可きか」と。祁奚答えて曰く、「解狐可なり」と。君曰く、「彼是れ您の仇人にあらずや」と。答えて曰く、「君の問う所是れ誰か可なりか、是れ誰か仇人かを問うにあらず」と。晉國於是解狐を擧用す。後來また問う、「誰か國尉を爲る可きか」と。祁奚答えて曰く、「午可なり」と。君曰く、「彼是れ您の兒子にあらずや」と。答えて曰く、「君の問う所是れ誰か可なりか、是れ誰か兒子かを問うにあらず」と。君子以爲祁奚能く善人を擧薦すとす:仇人を稱擧する是れ諂媚にあらず、自己の兒子を立つる是れ結黨にあらず。『尚書』に曰く、「偏私せず結黨せざれば、王道坦蕩なり」と。是れ祁奚を説くなり。外に對して擧薦仇人を避開せず、內に對して擧薦親戚を回避せず、至公と稱す可し。正に自身善有るに因りて、ゆえに能く同類を擧出す。『詩經』に曰く、「正に自身かくのごとき德有るに因りて、ゆえに能く己に似たる人を擧出す」と。祁奚正に是れなり。
楚共王有疾,召令尹曰:"常侍莞蘇與我處,常忠我以道,正我以義,吾與處不安也,不見不思也。雖然,吾有得也,其功不細,必厚爵之。申侯伯與處,常縱恣吾,吾所樂者,勸吾為之;吾所好者,先吾服之。吾與處歡樂之,不見慼慼。雖然,吾終無得也,其過不細,必前遣之。"令尹曰:"諾。"
楚共王病有りて、令尹を召して曰く、「常侍莞蘇我と相處し、常常道を以て我に忠告し、義を以て我を匡正す、我彼と相處して安寧せず、見えざれば亦想念せず。然るにと雖も、我得る所有りて、其の功勞小なからず、必ず厚く爵を封ぜよ。申侯伯我と相處して、常常我を放縱し、我の樂しむ所は、我に勸めて爲さしめ;我の好む所は、搶先して我のため準備す。我彼と相處して歡樂し、見えざれば憂愁せず。然るにと雖も、我終に得る所なし、其の過失小なからず、必ず先に之を遣送せよ」と。令尹曰く、「是なり」と。
明日,王薨。令尹即拜莞蘇為上卿,而逐申侯伯出之境。曾子曰:"鳥之將死,其鳴也哀;人之將死,其言也善。"言反其本性,共王之謂也。孔子曰:"朝聞道,夕死可矣。"於以開後嗣,覺來世,猶愈沒世不寤者也。
第二天、王去世す。令尹卽ち莞蘇を拜して上卿を爲し、申侯伯を境の外に驅逐す。曾子曰く、「鳥將に死せんとして、叫聲悲哀し;人將に死せんとして、説話善良す」と。是れ本性に囘歸することを説く、楚共王卽ちかくのごとし。孔子曰く、「早晨道を聽聞して、晚上死する亦可なり」と。以て後嗣を開啓し、來世を覺悟するは、還りて一輩子醒悟せざる人に勝る。
昔者,魏武侯謀事而當,群臣莫能逮,朝退而有喜色。吳起進曰:"今者有以楚莊王之語聞者乎?"武侯曰:"未也,莊王之語奈何?"吳起曰:"楚莊王謀事而當,群臣莫能逮,朝退而有憂色。申公巫臣進曰:'君朝有憂色,何也?’楚王曰:'吾聞之,諸侯自擇師者王,自擇友者霸,足己而群臣莫之若者亡。今以不穀之不肖而議於朝,且群臣莫能逮,吾國其幾於亡矣,是以有憂色也。’莊王之所以憂,而君獨有喜色,何也?"武侯逡巡而謝曰:"天使夫子振寡人之過也,天使夫子振寡人之過也。"
從前、魏武侯事を謀るに當を得て、群臣能く趕上するなく、朝を退きて後喜色有り。吳起進みて前に曰く、「今天人楚莊王の話を您に講じて聽かせたる有るか?」と。武侯曰く、「無し。莊王の話如何」と。吳起曰く、「楚莊王事を謀るに當を得て、群臣能く趕上するなく、朝を退きて後憂色有り。申公巫臣進みて前に曰く、『君朝見する時憂色有り、何ぞや』と。楚王曰く、『我聞く、諸侯自己老師を選擇するは能く王と稱し、自己朋友を選擇するは能く霸と稱し、自我滿足して群臣己に趕上するなきは卽ち滅亡す。如今我が不肖を以て、朝中に於て商議し、群臣還りて能く趕上するなし、我が國大概滅亡に近づかん、ゆえに憂色有り』と。莊王因りて憂慮するに、而して您獨自喜色有るは、何ぞや」と。武侯遲疑して後退し、道歉して曰く、「上天夫子をして寡人の過失を振救せしめ、上天夫子をして寡人の過失を振救せしむ」と。
衛國逐獻公,晉悼公謂師曠曰:"衛人出其君,不亦甚乎?"對曰:"或者,其君實甚也。夫天生民而立之君,使司牧之,無使失性。良君將賞善而除民患,愛民如子,蓋之如天,容之若地。民奉其君,愛之如父母,仰之如日月,敬之如神明,畏之若雷霆。夫君,神之主也。而民之望也,天之愛民甚矣,豈使一人肆於民上,以縱其淫而棄天地之性乎?必不然矣。若困民之性,乏神之祀,百姓絕望,社稷無主,將焉用之?不去為何?"公曰:"善。"
衛國衛獻公を驅逐す、晉悼公師曠に對して曰く、「衛人其の國君を趕出す、亦太だ過分ならずや」と。師曠答えて曰く、「或は是れ其の國君實に過分なるか。天百姓を生下して國君を設立し、彼をして治理牧養せしめ、百姓をして本性を失わせざるなり。好き國君將に善人を獎賞し民患を除去し、民を愛すること子のごとく、彼らを覆蓋すること天のごとく、彼らを容納すること地のごとくせん。百姓國君に事奉して、之を愛すること父母のごとく、之を仰望すること日月のごとく、之を敬すること神明のごとく、之を怕るること雷霆のごとし。國君是れ神靈の主祭者、亦是れ百姓の仰望なり。上天百姓を愛すること太だ深し、豈一人をして百姓の上に放肆して、淫慾を放縱して天地の本性を拋棄せしめんや?必ずせず。若し百姓の本性を困住し、神への祭祀を缺乏して、百姓絕望し、社稷主人なければ、還りて彼を用いて何を爲さん?之を除去せずして何を爲さん」と。悼公曰く、「好し」と。
趙簡子上羊腸之阪,群臣皆偏袒推車,而虎會獨擔戟行歌,不推車。簡子曰:"寡人上阪,群臣皆推車,會獨擔戟行歌不推車,是會為人臣侮其主,為人臣侮其主,其罪何若?"虎會曰:"為人臣而侮其主者,死而又死。"簡子曰"何謂死而又死?"虎會曰:"身死,妻子又死,若是謂死而又死,君既已聞為人臣而侮其主之罪矣,君亦聞為人君而侮其臣者乎?"簡子曰:"為人君而侮其臣者何若?"虎會對曰:"為人君而侮其臣者,智者不為謀,辯者不為使,勇者不為鬥。智者不為謀,則社稷危;辯者不為使,則使不通;勇者不為鬥,則邊境侵。"簡子曰:"善。"乃罷群臣不推車,為士大夫置酒,與群臣飲,以虎會為上客。
趙簡子羊腸坂に上る、群臣皆偏袒して車を推す、只虎會獨り戟を扛ぎて邊走邊唱して、車を推さず。簡子曰く、「寡人坂に上る、群臣皆車を推す、汝會獨り戟を扛ぎ唱歌して車を推さず、是れ汝會臣子を爲る而君主を侮辱す;臣子を爲りて君主を侮辱する、罪過如何」と。虎會曰く、「臣子を爲りて君主を侮辱するは、死して又死す」と。簡子曰く、「何を死して又死すと謂うか」と。虎會曰く、「自己死し、妻子兒女又死す、此を死して又死すと謂う。君已に臣子を爲りて君主を侮辱するの罪を聽聞せり、君亦曾て君主を爲りて臣子を侮辱するを聽聞せしや」と。簡子曰く、「君主を爲りて臣子を侮辱する如何」と。虎會答えて曰く、「君主を爲りて臣子を侮辱するは、智者彼のため謀劃せず、善辯者彼のため出使せず、勇者彼のため戰鬥せず。智者謀劃せざれば、社稷卽ち危險;善辯出使せざれば、使命卽ち通ぜず;勇者戰鬥せざれば、邊境卽ち侵奪せられん」と。簡子曰く、「好し」と。於是群臣をして車を推さしむるを停止し、士大夫のため酒を設け、群臣と對飲し、虎會を以て上客と作す。
昔者,周舍事趙簡子,立趙簡子之門,三日三夜。簡子使人出問之曰:"夫子將何以令我?"周舍曰:"願為諤諤之臣,墨筆操牘,隨君之後,司君之過而書之,日有記也,月有效也,歲有得也。"簡子悅之,與處,居無幾何而周舍死,簡子厚葬之。三年之後,與大夫飲,酒酣,簡子泣,諸大夫起而出曰:"臣有死罪而不自知也。"簡子曰:"大夫反無罪。昔者,吾友周舍有言曰:'百羊之皮,不如一狐之腋。’眾人之唯唯,不如周舍之諤諤。昔紂昏昏而亡,武王諤諤而昌。自周舍之死後,吾未嘗聞吾過也,故人君不聞其非,及聞而不改者亡,吾國其幾於亡矣,是以泣也。"
從前、周舍趙簡子に事奉し、趙簡子の門前に立つこと三天三夜。簡子人を遣りて出でて問わしめて曰く、「夫子將に何を以て我を教導せんか」と。周舍曰く、「願わくは直言不諱の臣子を爲り、墨筆と木牘とを持ちて、君の後に跟隨し、君の過失を伺察して寫下し、每日記錄有り、每月驗證有り、每年收穫有らん」と。簡子之を喜びて、彼と相處し、多くの間を過ぎずして周舍死す、簡子之を厚葬す。三年の後、大夫と酒を飲みて、酒酣にして、簡子哭泣す、各位の大夫起身して退出して曰く、「臣死罪有りて自己知らず」と。簡子曰く、「大夫歸來れ、罪なし。從前、我が朋友周舍話有りて曰く、『一百張の羊皮は、一塊狐狸腋下の皮に如かず』と。衆人の唯唯諾諾は、周舍の直言に如かず。從前紂昏昧にして滅亡し、武王能く直言を聽きて昌盛す。自ら周舍死したるの後、我曾て自己の過失を聽聞せず。ゆえに人君自己の不對を聽かざる、及び聽きて卽ち改めざるは、卽ち滅亡せん。我が國大概滅亡に近づかん、ゆえに哭泣す」と。
魏文侯與士大夫坐,問曰:"寡人何如君也?"群臣皆曰:"君仁君也。"次至翟黃曰:"君非仁君也。"曰:"子何以言之?"對曰:"君伐中山,不以封君之弟,而以封君之長子。臣以此知君之非仁君。"文侯大怒,而逐翟黃,黃起而出。次至任座,文侯問曰:"寡人何如君也?"任座對曰:"君仁君也。"曰:"子何以言之?"對曰:"臣聞之,其君仁,其臣直。向翟黃之言直,臣是以知君仁君也。"文侯曰:"善。"復召翟黃,拜為上卿。
魏文侯士大夫と坐して、問う、「寡人是れ如何なる君主か」と。群臣皆曰く、「君是れ仁君なり」と。翟黃に輪りて、彼曰く、「君是れ仁君にあらず」と。文侯曰く、「您何を以てかくのごとく説くか」と。答えて曰く、「君中山を攻伐して、之を君の弟弟に封ぜずして、而して君の長子に封ず。臣此に因りて君仁君にあらざるを知る」と。文侯大怒して、翟黃を驅逐す、翟黃起身して出去る。任座に輪りて、文侯問う、「寡人是れ如何なる君主か」と。任座答えて曰く、「君是れ仁君なり」と。曰く、「您何を以てかくのごとく説くか」と。答えて曰く、「臣聞く、君主仁なれば、臣子卽ち直なり。剛く翟黃の言直なり、臣此に因りて君仁君なるを知る」と。文侯曰く、「好し」と。重新たに翟黃を召回して、拜して上卿を爲さしむ。
中行寅將亡,乃召其太祝,而欲加罪焉。曰:"子為我祝,犧牲不肥澤耶?且齋戒不敬耶?使吾國亡,何哉?"祝簡對曰:"昔者吾先君中行穆子皮車十乘,不憂其薄也,憂德義之不足也。今主君有革車百乘,不憂德義之薄也,唯患車之不足也。夫舟車飾則賦歛厚,賦歛厚則民怨詛矣。且君以為祝有益於國乎?則詛亦將為亡矣,一人祝之,一國詛之,一祝不勝萬詛,國亡不亦宜乎?"中行子乃慚。
中行寅將に滅亡せんとして、卽ち太祝を召して、罪を加えんと欲す。曰く、「您我がため祝禱するに、是れ犧牲肥美せざるか?還りて齋戒恭敬せざるか?我が國をして滅亡せしむるは、何ぞや」と。祝簡答えて曰く、「從前我が先君中行穆子只皮革車十輛有るのみ、車輛少なきを憂慮せず、德義足らざるを憂慮せり。如今主君兵車百輛有りて、德義薄きを憂慮せず、只車輛足らざるを憂慮す。舟車裝飾せられれば、賦稅卽ち重し;賦稅重ければ、百姓卽ち怨恨詛咒す。況んや君以爲祝禱國家に益有りとするか?然らば詛咒亦將に國家をして滅亡せしめん。一個人祝禱し、一國人詛咒し、一祝萬詛に勝たず、國家滅亡するは亦應然ならずや」と。中行子於是慚愧す。
秦欲伐楚,使使者往觀楚之寶器,楚王聞之,召令尹子西而問焉:"秦欲觀楚之寶器,吾和氏之璧,隨侯之珠,可以示諸?"令尹子西對曰:"臣不知也。"召昭奚恤問焉,昭奚恤對曰:"此欲觀吾國之得失而圖之,國之寶器,在於賢臣,夫珠寶玩好之物,非國所寶之重者。"王遂使昭奚恤應之。
秦楚を攻伐せんと欲して、使者を派して楚の寶器を觀看せしむ。楚王聞きて、令尹子西を召して問う、「秦楚の寶器を觀看せんと欲す、我が和氏璧・隨侯珠は、以て彼らに看るに拿出す可きか」と。令尹子西答えて曰く、「臣知らず」と。昭奚恤を召して問えば、昭奚恤答えて曰く、「是れ我が國の得失を觀看して再び圖謀せんと欲するなり。國家の寶器賢臣に在り、珠寶玩好此類の東西は、國家の看重する所の寶にあらず」と。王於是昭奚恤をして應對せしむ。
昭奚恤發精兵三百人,陳於西門之內。為東面之壇一,為南面之壇四,為西面之壇一。秦使者至,昭奚恤曰:"君客也,請就上位東面。"令尹子西南面,太宗子敖次之,葉公子高次之,司馬子反次之,昭奚恤自居西面之壇,稱曰:"客欲觀楚國之寶器,楚國之所寶者賢臣也。理百姓,實倉廩,使民各得其所,令尹子西在此。秦圭璧,使諸侯,解忿悁之難,交兩國之歡,使無兵革之憂,太宗子敖在此。守封疆,謹境界,不侵鄰國,鄰國亦不見侵,葉公子高在此。理師旅,整兵戎,以當強敵,提枹鼓,以動百萬之師,所使皆趨湯火,蹈白刃,出萬死,不顧一生之難,司馬子反在此。若懷霸王之餘議,攝治亂之遺風,昭奚恤在此,唯大國之所觀。"秦使者懼然無以對,昭奚恤遂揖而去。秦使者反,言於秦君曰:"楚多賢臣,未可謀也。"遂不伐。詩云:"濟濟多士,文王以寧。"斯之謂也。
昭奚恤精兵三百人を派出して、西門の內に陳列す。東向の壇一座を設け、南向の壇四座、西向の壇一座。秦使者到りて、昭奚恤曰く、「您是れ客人、請う上位に就きて、面向東」と。令尹子西面向南、太宗子敖彼に挨り、葉公子高挨り、司馬子反挨り、昭奚恤自己西向の壇に坐して、宣稱す、「客人楚國の寶器を觀看せんと欲す、楚國の寶貴とする所是れ賢臣なり。百姓を治理し、倉廩を充實し、百姓をして各々其の所を得しむるは、令尹子西ここに在り。圭璧を持ちて諸侯に出使し、忿恨の災難を化解し、兩國の歡好を交結し、兵革の憂慮なからしむるは、太宗子敖ここに在り。封疆を守住し、邊界を謹慎し、鄰國を侵さず、鄰國亦侵されず、葉公子高ここに在り。師旅を治理し、兵戎を整頓し、以て強敵を抵當し、枹鼓を提起し、以て百萬の師を發動し、派遣する所の人皆湯火に奔赴し白刃を踏み、萬死に出でて一生を顧みざるの危難は、司馬子反ここに在り。若し霸王遺留する議論を懷想し、治亂遺留する風氣を攝取せんと欲せば、昭奚恤ここに在り、只請う大国觀看せん」と。秦使者惶恐して、對すべき話なく、昭奚恤於是揖を作して離去す。秦使者回去りて、秦君に對して曰く、「楚國賢臣多し、圖謀す可からず」と。於是攻伐せず。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。是れ此を説くなり。
晉平公欲伐齊,使範昭往觀焉。景公賜之酒,酣,範昭曰:"願詣君之樽酌。"公曰:"酌寡人之樽,進之於客。"範昭已飲,晏子曰:"徹樽更之,樽觶具矣。"範昭佯醉,不悅而起舞,請太師曰:"能為我調成周之樂乎?吾為子舞之。"太師曰:"冥臣不習。"範昭趨而出。
晉平公齊を攻伐せんと欲して、范昭を派して前往して觀察せしむ。齊景公彼に酒を賜い、暢快に飲みて、范昭曰く、「願わくは君の酒樽に至りて酒を斟らん」と。景公曰く、「寡人の樽裏の酒を斟ぎて、客人に進給せよ」と。范昭已に飲みて、晏子曰く、「酒樽を撤掉して別に換えよ、樽觶皆齊備せり」と。范昭醉を假裝して、高興せず、起身して跳舞し、太師を請うて曰く、「能く我がため成周の樂を演奏するや?我您のため跳舞せん」と。太師曰く、「昏昧の臣熟習せず」と。范昭快步して出去る。
景公謂晏子曰:"晉大國也,使人來,將觀吾政也。今子怒大國之使者,將奈何?"晏子曰:"夫範昭之為人,非陋而不識禮也,且欲試吾君臣,故絕之也。"景公謂太師曰:"子何不為客調成周之樂乎?"太師對曰:"夫成周之樂,天子之樂也,若調之,必人主舞之。今範昭人臣也,而欲舞天子之樂,臣故不為也。"範昭歸以告平公曰:"齊未可伐也。臣欲試其君,而晏子識之;臣欲犯其禮,而太師知之。"仲尼聞之曰:"夫不出於樽俎之間,而知千里之外。"其晏子之謂也。可謂折沖矣,而太師其與焉。
景公晏子に對して曰く、「晉是れ大国、人を派して來らしめ、將に我らの政治を觀察せんとす。如今您大国の使者を觸怒す、將に如何せんか」と。晏子曰く、「范昭の爲人は、是れ鄙陋にして禮を識らずにあらず、并せて我らの君臣を試探せんと欲す、ゆえに彼を囘絕せり」と。景公太師に對して曰く、「您何ぞ客人のため成周の樂を演奏せざるか」と。太師答えて曰く、「成周の樂是れ天子の樂なり、若し演奏せば、必ず人主をして跳舞せしめん。如今范昭是れ人臣にして、卽ち天子の樂を以て跳舞せんと欲す、臣演奏せざる所以なり」と。范昭回去りて晉平公に告げて曰く、「齊攻伐す可からず。臣其の國君を試探せんと欲せば、晏子識破せり;臣其の禮を冒犯せんと欲せば、太師之を知れり」と。孔子聞きて後曰く、「樽俎の間を走出せずして、能く千里の外を知る」と。是れ晏子を説くなり。折衝と稱す可くして、而して太師亦其の中に參與せり。
晉平公畜西河,中流而嘆曰:"嗟乎!安得賢士與共此樂乎?"船人固桑進對曰:"君言過矣。夫劍產于越,珠產於江漢,玉產於崑山,此三寶者,皆無足而至,今君苟好士,則賢士至矣。"平公曰:"固桑,來。吾門下食客三千餘人,朝食不足,暮收市租;暮食不足,朝收市租,吾尚可謂不好士乎?"固桑對曰:"今夫檻鵠高飛沖天,然其所恃者六翮耳。夫腹下之毳,背上之毛,增去一把,飛不為高下。不知君之食客,六翮耶?將腹背之毳也?"平公默默而不應焉。
晉平公船に乘りて西河を游ぶ(底本「畜」と作す、疑らく「游」の訛)、中流に至りて歎息して曰く、「唉!何處にか賢士を得て我と此の歡樂を共享せんか」と。船人固桑進みて前に答えて曰く、「君の話錯誤せり。劍越に出產し、珠江漢に出產し、玉昆山に出產す、此の三樣の寶物皆脚なくして而して到來せり。如今君若し士を愛好せば、賢士卽ち到來せん」と。平公曰く、「固桑、過來れ。我が門下食客三千餘人、早飯足らざれば、傍晚卽ち往きて市租を收め;晚飯足らざれば、早晨卽ち往きて市租を收む、我還りて士を好まずと説く可きか」と。固桑答えて曰く、「それ籠中の鴻鵠高飛して天を衝く、其の依靠する所只是れ六根の健羽のみ。腹下の細毛・背上の毛は、增加し或は一把を去掉するも、飛ぶこと並びに此に因りて更高く或は更低くならず。君の食客を知らず、是れ六根の健羽か、還りて腹背の細毛か」と。平公沈默して、答えず。
楚威王問於宋玉曰:"先生其有遺行耶?何士民眾庶不譽之甚也?"宋玉對曰:"唯,然有之,願大王寬其罪,使得畢其辭。客有歌於郢中者,其始曰下里巴人,國中屬而和者數千人,其為陽陵采薇,國中屬而和者數百人;其為陽春白雪,國中屬而和者,數十人而已也;引商刻角,雜以流徵,國中屬而和者,不過數人。是其曲彌高者,其和彌寡。故鳥有鳳而魚有鯨,鳳鳥上擊於九千里,絕畜云,負蒼天,翱翔乎窈冥之上,夫糞田之鴳,豈能與之斷天地之高哉!鯨魚朝發崑崙之墟,暴鬐於碣石,暮宿於孟諸,夫尺澤之鯢,豈能與之量江海之大哉?故非獨鳥有鳳而魚有鯨也,士亦有之。夫聖人之瑰意奇行,超然獨處;世俗之民,又安知臣之所為哉!"
楚威王宋玉に問う、「先生該に過失の品行有るか?何ぞ士民庶人彼処までも您を稱讚せざるか」と。宋玉答えて曰く、「是、確かに有り、願わくは大王罪過を寬免して、我をして話を畢え盡くさしめよ。客人有りて郢中に於て歌を唱歌し、開始『下里』『巴人』を唱すれば、國中跟ちて應和する幾千人有り;『陽陵』『采薇』を唱すれば、國中跟ちて應和する幾百人有り;『陽春』『白雪』を唱すれば、國中跟ちて應和する不過幾十人;商音を引用し角音を刻畫し、流動する徵音を夾雜すれば、國中跟ちて應和する不過幾人。此れ卽ち曲子愈高ければ、應和する愈少なし。ゆえに鳥中鳳凰有り、魚中鯨魚有り。鳳凰向上搏擊して九千里に至り、層雲を穿過し、蒼天を背負し、窈冥の上に翱翔す、それ糞田裏の鷃雀は、豈能く彼と天地の高を評斷せんや?鯨魚早晨崑崙山腳下より出發し、碣石に於て鬣鰭を曬し、傍晚孟諸に停宿す、それ尺把深水澤裏の鯢魚は、豈能く彼と江海の大を計量せんや?ゆえに不只鳥鳳凰有り、魚鯨魚有るのみ、士亦かくのごとき有り。聖人瑰麗の心意・奇特の品行は、超然獨り彼處に處り;世俗の人は、又何處にか臣の作爲を知らんか!」
晉平公閒居,師曠侍坐。平公曰:"子生無目眹,甚矣!子之墨墨也。"師曠對曰:"天下有五墨墨,而臣不得與一焉。"平公曰:"何謂也?"師曠曰:"群臣行賂,以釆名譽,百姓侵冤,無所告訴,而君不悟,此一墨墨也。忠臣不用,用臣不忠,下才處高,不肖臨賢,而君不悟,此二墨墨也。奸臣欺軸,空虛府庫,以其少才,覆塞其惡,賢人逐,奸邪貴,而君不悟,此三墨墨也。國貧民罷,上下不和,而好財用兵,嗜慾無厭,諂諛之人,容容在旁,而君不悟,此四墨墨也。至道不明,法令不行,吏民不正,百姓不安,而君不悟,此五墨墨也。國有五墨墨而不危者,未之有也。臣之墨墨,小墨墨耳!何害乎國家哉!"
晉平公閑居す、師曠陪坐す。平公曰く、「您生まれ來りて眼珠なく、太だ過分なり!您眞に墨墨不明なり」と。師曠答えて曰く、「天下五種の墨墨不明有りて、而して臣一種亦挨らず」と。平公曰く、「何の意思か」と。師曠曰く、「群臣行賄して以て名譽を獵取し、百姓侵害を受け冤を含みて、告訴する處なく、而して君醒悟せず、是れ第一種の墨墨。忠臣任用せられず、任用せらるる臣忠ならず、下等人才高位に處り、不肖の人賢人の上に壓れ、而して君醒悟せず、是れ第二種の墨墨。奸臣欺騙蒙蔽し、府庫を掏空し、一點の小才に憑りて、自己の惡を掩蓋し、賢人驅逐せられ、奸邪尊貴せられ、而して君醒悟せず、是れ第三種の墨墨。國家貧にして百姓疲憊し、上下不和して、卽ち財貨を愛好し兵を喜用し、嗜欲滿足なく、諂諛の人聲に隨い附和して旁邊に待ち、而して君醒悟せず、是れ第四種の墨墨。至道明ならず、法令行われず、吏民正しからず、百姓安んぜず、而して君醒悟せず、是れ第五種の墨墨。國家此の五種の墨墨有りて危險ならざるは、未だ曾て有らず。臣の墨墨は、是小墨墨のみ!國家に對して何の害處か有らんか!」
趙文子問於叔向曰:"晉六將軍,庸先亡乎?"對曰:"其中行氏乎!"文子曰:"何故先亡?"對曰:"中行氏之為政也,以苛為察,以欺為明,以刻為忠,以計多為善,以聚歛為良。譬之其猶□革者也,大則大矣,裂之道也,當先亡。"
趙文子叔向に問う、「晉國六個の將軍、哪個先に滅亡せんか」と。答えて曰く、「大概是れ中行氏か!」と。文子曰く、「何ぞ先に滅亡せんか」と。答えて曰く、「中行氏政を施す、苛刻を以て明察と作し、欺詐を以て聰明と作し、刻薄を以て忠誠と作し、計謀多きを以て善と作し、聚斂を以て能幹と作す。譬えばそれ大皮革を撑ぐる人のごとし(底本此の字殘缺、文意是れ皮革を撑大す)、大は大なれど、卽ち是れ撕裂の路子、先に滅亡す可し」と。
楚莊王既討陳靈公之賊,殺夏徵舒,得夏姬而悅之。將近之,申公巫臣諫曰:"此女亂陳國,敗其群臣,嬖女不可近也。"莊王從之。令尹又欲取,申公巫臣諫,令尹從之。後襄尹取之,至恭王與晉戰於鄢陵,楚兵敗,襄尹死,其屍不反,數求晉,不與。夏姬請如晉求屍,楚方遣之,申公巫臣將使齊,私說夏姬與謀。及夏姬行,而申公巫臣廢使命,隨夏姬之晉。令尹將徙其族,言於王曰:"申公巫臣諫先王以無近夏姬,今身廢使命,與夏姬逃之晉,是欺先王也,請徙其族。"王曰:"申公巫臣為先王謀則忠,自為謀則不忠,是厚於先王而自薄也,何罪於先王?"遂不徙。
楚莊王已に陳靈公を殺害するの賊人を討伐し、夏征舒を殺し、夏姬を得て之を喜歡す。將に之を親近せんとして、申公巫臣進諫して曰く、「此の女子陳國を攪亂し、群臣を敗壞せり、寵幸の女子親近す可からず」と。莊王聽從す。令尹又之を娶らんと欲す、申公巫臣進諫し、令尹聽從す。後來襄尹之を娶る。楚共王と晉と鄢陵に於て交戰するに至りて、楚兵戰敗し、襄尹死し、屍體運回する能わず、屢々晉に求取す、晉給さず。夏姬晉に至りて屍體を求めんことを請求す、楚正に之を派遣せんとす、申公巫臣將に齊に出使せんとして、私下夏姬を勸說して一起に謀劃す。夏姬走り去るに及びて、申公巫臣使命を廢棄し、夏姬に跟隨して晉に至る。令尹將に其の族人を遷徙せんとして、王に對して曰く、「申公巫臣先王に進諫して夏姬を親近する勿れとせり、如今自身使命を廢棄して、夏姬と晉に逃げ到る、是れ先王を欺騙す、請う其の族人を遷徙せん」と。王曰く、「申公巫臣先王のため謀劃すれば則ち忠誠、自己のため謀劃すれば則ち不忠、是れ先王を厚待して自己を薄待す、先王に對して何の罪か有らん」と。於是遷徙せず。
雜事第二
雜事第二
昔者,唐虞崇舉九賢,布之於位,而海內大康,要荒來賓,麟鳳在郊。商湯用伊尹,而文武用太公閎夭,成王任周召,而海內大治,越裳重譯,祥瑞並降,遂安千載。皆由任賢之功也。無賢臣,雖五帝三王,不能以興。
從前、唐堯・虞舜九位の賢人を推擧して擧用し、職位に安置す、海內大いに安康し、要服・荒服皆來りて朝見し、麒麟鳳凰郊野に出現す。商湯伊尹を任用し、文王・武王太公・閎夭を任用し、成王周公・召公を任用す、海內大いに治理し、越裳多重の翻譯を經過して前來し、祥瑞一齊に降下し、於是安定長達千年なり。皆是れ賢人を任用するの功效に由る。賢臣なく、たとい五帝三王と雖も、亦興起する能わず。
齊桓公得管仲,有霸諸侯之榮;失管仲,而有危亂之辱。虞不用百里奚而亡,秦繆公用之而霸。楚不用伍子胥而破,吳闔廬用之而霸。夫差非不用子胥也,又殺之,而國卒以亡。燕昭王用樂毅,推弱燕之兵,破強齊之讎,屠七十城,而惠王廢樂毅,更代以騎劫,兵立破,亡七十城。此父用之,子不用,其事可見也。故闔廬用子胥以興,夫差殺之而以亡;昭王用樂毅以勝,惠王逐之而敗,此的的然若白黑。
齊桓公管仲を得て、諸侯に稱霸するの光榮有り;管仲を失えば、卽ち危亂の恥辱有り。虞國百里奚を用いずして滅亡し、秦穆公彼を任用して稱霸す。楚伍子胥を用いずして破敗し、吳王闔閭彼を任用して稱霸す。夫差並びに非ず子胥を用いず、又彼を殺害し、國家終に此に因りて滅亡す。燕昭王樂毅を任用し、弱燕の軍隊を推動して、強齊此の仇敵を攻破し、七十座の城を屠滅す、而して惠王樂毅を廢掉し、改用して騎劫を以て代替す、軍隊立刻攻破せられ、七十座の城を失去す。是れ父親任用し兒子用いず、事情看明白する可し。ゆえに闔閭子胥を任用して興起し、夫差彼を殺掉して滅亡す;昭王樂毅を任用して取勝し、惠王彼を驅逐して失敗す、此れ明明白黑白のごとし。
秦不用叔孫通,項王不用陳平。韓信而皆滅,漢用之而大興,此未遠也。夫失賢者,其禍如此。人君莫不求賢以自輔,然而國以亂亡者,所謂賢者不賢也。或使賢者為之,與不賢者議之,使智者圖之,與愚者謀之。不肖嫉賢,愚者嫉智,是賢者之所以隔蔽也,所以千載不合者也。或不肖用賢而不能久也,或久而不能終也;或不肖子廢賢父之忠臣,其禍敗難一二錄也,然其要在於己不明而聽眾口,□愬不行,斯為明也。
秦叔孫通を用いず、項王陳平・韓信を用いずして皆滅亡し、漢彼らを任用して大いに興起す、此れ還りて久遠ならず。賢人を失去するの禍患は、卽ちかくのごとし。人君賢人を求めて以て自己を輔助せざるなく、然るに國家此に因りて亂亡するは、是れ所謂の賢人並びに賢ならざるに因る。或は賢人をして事を爲さしめて、卽ち不賢の人と評議し;智者をして謀劃せしめて、卽ち愚人と商量す。不肖賢を嫉妬し、愚人智を嫉妬す、此れ卽ち賢人隔絕蒙蔽せられ、千年遇合する能わざるの緣故なり。或は不肖の人賢人を任用して能く長久せず、或は長久にして能く善終せず;或は不肖の兒子賢父の忠臣を廢掉す、禍敗一一記錄し難く、然るに要害在りて自己不明にして衆口を聽信す。讒言毀謗行われず(底本此の字殘缺)、此れ纔かに明智と算す。
魏龐恭與太子質於邯鄲,謂魏王曰:"今一人來言市中有虎,王信之乎?"王曰:"否。"曰:"二人言,王信之乎?"曰:"寡人疑矣。"曰:"三人言,王信之乎?"曰:"寡人信之矣。"龐恭曰:"夫市之無虎明矣,三人言而成虎。今邯鄲去魏遠於市,議臣者過三人,願王察之也。"魏王曰:"寡人知之矣。"及龐恭自邯鄲反,讒口果至,遂不得見。
魏國龐恭太子と邯鄲に至りて人質を爲りて、魏王に對して曰く、「如今一個人來りて市中虎有りと説く、王信ずるか」と。王曰く、「不」と。曰く、「兩個人説けば、王信ずるか」と。曰く、「寡人懷疑す」と。曰く、「三個人説けば、王信ずるか」と。曰く、「寡人相信す」と。龐恭曰く、「市中虎なきは明白なり、三個人一説して卽ち虎有りと成る。如今邯鄲魏を離れること市を離れるより更に遠く、臣を議論する三個人を超過す、願わくは王明察せん」と。魏王曰く、「寡人知之れり」と。龐恭邯鄲より囘來するに及びて、讒言果然として到來し、於是再び見るを得ず。
甘茂,下蔡人也。西入秦,數有功,至武王以為左丞相,樗裡子為右丞相。樗裡子及公孫子,皆秦諸公子也,其外家韓也,數攻韓。秦武王謂甘茂曰:"寡人慾容車至周室者,其道乎韓之宜陽。"欲使甘茂伐韓取宜陽,以信道至周室。甘茂曰:"請約魏以伐韓。"令向壽輔行。甘茂既約魏,魏許,甘茂還至息壤,謂向壽曰:"子歸言之王,魏聽臣矣,然願王勿伐也。"向壽歸以告王,王迎甘茂於息壤,問其故,對曰:"宜陽,大縣也。名為縣,其實郡也。今王倍數險,行千里攻之難。。。。。。。"
甘茂是れ下蔡人なり。西秦に入りて、屢々功有り、秦武王に至りて彼を以て左丞相を爲し、樗里子右丞相を爲す。樗里子と公孫子と皆是れ秦の公子、彼らの外家是れ韓、屢々韓を攻む。秦武王甘茂に對して曰く、「寡人車子をして周室に通達する能くせんと欲す、其の路韓の宜陽を經過せんと要す」と。甘茂をして韓を伐ち宜陽を奪取せしめ、以て周室に至る路を開通せんと欲す。甘茂曰く、「請う魏と約定して一起に韓を伐たん」と。向壽をして輔助して同行せしむ。甘茂已に魏を約定し、魏答應す、甘茂囘りて息壤に至りて、向壽に對して曰く、「您囘りて王に對して曰え、魏已に臣に聽從せり、可是願わくは王攻伐する勿れ」と。向壽囘りて王に告ぐ、王息壤に於て甘茂を迎接し、緣故を問う。甘茂答えて曰く、「宜陽是れ大縣なり。名は縣と謂うも、其の實是れ郡なり。如今王多重の險阻を背負し、千里を走りて之を攻打す、甚だ難し」(底本此處疑らく脫文有り)。
昔者,曾參之處,鄭人有與曾參同名姓者殺人,人告其母曰:'曾參殺人。’其母織自若也。頃然一人又來告之,其母曰:'吾子不殺人。’有頃,一人又來告,其母投杼下機,踰牆而走。夫以曾參之賢,與其母信之也,然三人疑之,其母懼焉。今臣之賢也不若曾參,王之信臣也,又不如曾參之母之信曾參也,疑臣者非特三人也,臣恐大王投杼也。
從前、曾參住する所、鄭人曾參と同名同姓有るの殺人す、人其の母親に告げて曰く、『曾參人を殺せり』と。其の母親織布して還りて泰然自若なり。一會兒又一人の來りて告ぐる有り、母曰く、『我が兒子人を殺さず』と。一會兒を過ぎて、又一人の來りて告ぐる有り、母梭子を扔下して織機を離れ、墻を翻りて逃走す。曾參の賢と、其の母親の彼に對する信任とを憑るも、而して三個人彼を懷疑せしむれば、母親卽ち害怕す。如今臣の賢曾參に及ばず、王臣に對する信任は、又曾參の母親の曾參を信任するに如かず、臣を懷疑する三個人のみならず、臣怕る大王亦將に梭子を扔下せんとす」と。
魏文侯令樂羊將攻中山,三年而拔之,樂羊反而語功,文侯示之謗書一篋。樂羊再拜稽首曰:'此非臣之功也,主君之力也。’今臣羈旅也,樗裡子,公孫子二人挾韓而議,王必信之,是王欺魏而臣受韓之怨也。"王曰:"寡人不聽也。"使伐宜陽,五月而宜陽未拔。樗裡子,公孫子果爭之,武王召甘茂,欲罷兵。甘茂曰:"息壤在彼。"王曰:"有之。"因悉起兵,使甘茂將擊之,遂拔宜陽。及武王薨,昭王立,樗裡子,公孫子讒之,甘茂遇罪,卒奔齊。故非至明,其庸能毋用讒乎?
魏文侯樂羊をして軍を率いて中山を攻めしめ、三年攻下す、樂羊囘來して功勞を談論す、文侯彼に看せしむるに一箱子の誹謗の書信を以てす。樂羊再拜頭を叩きて曰く、『此れ是れ臣の功勞にあらず、是れ主君の力量なり』と。如今臣是れ寄居の旅客、樗里子・公孫子兩人挾持韓を以て議論す、王必ず相信せん、かくのごとくば王卽ち魏を欺騙して臣韓の怨恨を承受せん」と。王曰く、「寡人聽かず」と。彼を派して宜陽を伐たしめ、五個月宜陽還りて攻下せず。樗里子・公孫子果然として爭論す、武王甘茂を召して、兵を罷めんと欲す。甘茂曰く、「息壤還りて彼處に在り」と。王曰く、「此の回事有り」と。於是盡數兵を起こして、甘茂をして軍を率いて進擊せしめ、終に宜陽を攻下す。武王去世するに及びて、昭王位に即き、樗里子・公孫子讒を進め、甘茂罪を獲て、終に齊に逃奔す。ゆえに是れ極其明智ならずして、何處にか能く讒言を用いざらんや?
楚王問群臣曰:"吾聞北方畏昭奚恤,亦誠何如?"江乙答曰:"虎求百獸食之,得一狐。狐曰:'子毋敢食我也,天帝令我長百獸,今子食我,是逆帝命也,以我為不信,吾為子先行,子隨我後,觀百獸見我無不走。’虎以為然,隨而行,獸見之皆走,虎不知獸畏己而走也,以為畏狐也。今王地方五千裡,帶甲百萬,而專任之於昭奚恤也,北方非畏昭奚恤也,其實畏王之甲兵也,猶百獸之畏虎。"故人臣而見畏者,是見君之威也,君不用則威亡矣。
楚王群臣に問う、「我聞く北方昭奚恤を畏懼す、究竟如何」と。江乙答えて曰く、「老虎百獸を找りて以て喫し、一隻の狐狸を捉到す。狐狸曰く、『您敢えて我を喫すなかれ、天帝我をして百獸の長を爲さしめり、如今您我を喫せば、是れ帝命を違逆す。若し我不誠實を以爲せば、我您のため前面に走り行き、您我の後面に跟從して、百獣我を見て逃走路せざるなきを看よ』と。老虎以爲對なりとし、跟ちて走れば、野獸見て皆逃走路し、老虎野獸の自己を怕れて纔かに逃ぐるを知らずして、以爲狐狸を怕るるなりとす。如今王土地方圓五千里、甲を披く百萬有りて、卽ち專一昭奚恤に任用給す、北方是れ昭奚恤を怕るるにあらず、其の實是れ王の甲兵を怕るる、卽ち百獣の老虎を怕るるがごとし」と。ゆえに人臣畏懼せらるるは、是れ君の威勢を見到るなり、君彼を用いざれば卽ち威勢消亡す。
魯君使宓子賤為單父宰,子賤辭去,因請借善書者二人,使書憲為教品;魯君予之。至單父,使書,子賤從旁引其肘,書醜則怒之,欲好書則又引之,書者患之,請辭而去。歸以告魯君,魯君曰:"子賤苦吾擾之。使不得施其善政也。"乃命有司無得擅徵發單父,單父之化大治。故孔子曰:"君子哉子賤,魯無君子者,斯安取斯?"美其德也。
魯君宓子賤を派して單父宰を爲らしむ、子賤告辭して離去す、於是兩個善く書寫する人を借用せんことを請求し、彼らをして憲令を書寫して以て教令條目を爲らしめん;魯君彼に給せり。單父に到りて、彼らをして書寫せしむ、子賤旁邊より彼らの肘を拉し、字寫れて醜ければ卽ち發怒し、寫好せんと欲して又肘を拉す、書寫の人苦惱して、告辭して離去せんことを請求す。囘去りて魯君に告ぐ、魯君曰く、「子賤我が彼を干擾するを苦しみて、彼をして善政を施行する能わからしめず」と。於是有關部門に命じて擅自に單父に向かいて徵發することを得ざらしむ、單父の教化大いに治理す。ゆえに孔子曰く、「君子や子賤、魯國若し君子なければ、彼何處よりかくのごとき德を取得せんか」と。是れ其の德を讚美す。
楚人有獻魚楚王者曰:"今日漁獲,食之不盡,賣之不售,棄之又惜,故來獻也。"左右曰:"鄙哉!辭也。"楚王曰:"子不知漁者仁人也。蓋聞囷倉粟有餘者,國有餓民;後宮多幽女者,下民多曠夫;餘衍之蓄,聚於府庫者,境內多貧困之民;皆失君人之道。故庖有肥魚,廄有肥馬,民有餓色,是以亡國之君,藏於府庫,寡人聞之久矣,未能行也。漁者知之,其以比喻寡人也,且今行之。"於是乃遣使恤鰥寡而存孤獨,出倉粟,發幣帛而振不足,罷去後宮不御者,出以妻鰥夫。楚民欣欣大悅,鄰國歸之。故漁者一獻餘魚,而楚國賴之,可謂仁智矣。
楚人楚王に魚を獻ずる有りて、曰く、「今天魚を打ちて收穫有り、喫し盡くさず、賣るに又賣掉せず、扔掉するに又可惜なり、ゆえに來りて獻ず」と。左右曰く、「此の話眞に鄙陋なり!」と。楚王曰く、「您漁者は是れ仁人なるを知らず。倉廩糧食餘有りて、國中挨餓の百姓有ると聞く;後宮幽閉の女子多きは、民間無妻の男子多し;多餘の積蓄府庫に聚まるは、境內貧困の百姓多し;皆君主治國の道理を失去せり。ゆえに厨房肥魚有り、馬廐肥馬有りて、百姓臉上饑色有り、此に因りて亡國の君東西を府庫に藏むるは、寡人聞くこと久し、還りて未だ實行する能わず。漁者此を知るは、是れ此を以て寡人を比喻し、并且我をして現在實行せしむ」と。於是使者を派遣して鰥寡を撫恤し、孤獨を存問し、倉粟を拿出して、幣帛を發放して以て不足の人を救濟し、後宮再び進御せざるを罷免し、放出して鰥夫に嫁せしむ。楚民欣欣大悅して、鄰國歸附す。ゆえに漁者一回餘魚を獻じて、楚國卽ち彼に依賴す、仁智と稱す可し。
昔者,鄒忌以鼓琴見齊宣王,宣王善之。鄒忌曰:"夫琴所以象政也。"遂為王言琴之象政狀及霸王之事。宣王大悅,與語三日,遂拜以為相。齊有稷下先生,喜議政事,鄒忌既為齊相,稷下先生淳于髡之屬七十二人,皆輕忌,以謂設以辭,鄒忌不能及。乃相與俱往見鄒忌。
從前、鄒忌鼓琴を憑りて齊宣王に進見す、宣王以爲彼好しとす。鄒忌曰く、「琴是れ以て政治を象徵するに用うなり」と。於是王に琴如何に政治を象徵する及び霸王の事を講じ給う。宣王大悅して、彼と三天談話して、卽ち彼を拜して相を爲さしむ。齊稷下先生有りて、政事を議論することを喜歡す、鄒忌已に齊相を爲りて、稷下先生淳于髡一類七十二人、皆鄒忌を輕視し、以爲言辭を設下して、鄒忌及ばずとす。於是一起に往きて鄒忌を見る。
淳于髡之徒禮倨,鄒忌之禮卑。淳于髡等曰:"狐白之裘,補之以弊羊皮,何如?"鄒忌曰:"敬諾,請不敢雜賢以不肖。"淳于髡等曰:"方內而員釭,如何?"鄒忌曰:"敬諾,請謹門內,不敢留賓客。"淳于髡等曰:"三人共牧一羊,羊不得食,人亦不得息,何如?"鄒忌曰:"敬諾,減吏省員,使無擾民也。"淳于髡等三稱,鄒忌三知之如應響。淳于髡等辭屈而去。鄒忌之禮倨,淳于髡等之禮卑。
淳于髡一夥禮節傲慢なり、鄒忌禮節謙卑なり。淳于髡等人曰く、「狐白の皮衣、破羊皮を以て之を補うは、如何」と。鄒忌曰く、「敬謹命を遵る、請う敢えて不肖を以て賢人を混雜せず」と。淳于髡等人曰く、「方の孔にして圓の釭、如何」と。鄒忌曰く、「敬謹命を遵る、請う門內を謹慎して、敢えて賓客を留めず」と。淳于髡等人曰く、「三個人一起に一隻の羊を牧して、羊草を喫到せず、人亦休息を得ず、如何」と。鄒忌曰く、「敬謹命を遵る、官吏員額を減省して、百姓を侵擾せしめず」と。淳于髡等人三次稱説し、鄒忌三次知之、囘聲應和のごとし。淳于髡等人辭窮りて離去す。鄒忌の禮節傲慢と變じ、淳于髡等人の禮節謙卑と變ず。
故所以尚干將莫邪者,貴其立斷也;所以貴騏驥者,為其立至也。必且歷日曠久乎?絲犛猶能挈石,駑馬亦能致遠,是以聰明捷敏,人之美材也。子貢曰:"回也,聞一以知十。"美敏捷也。
ゆえに干將・莫邪を崇尚するは、是れ彼ら立刻能く斬斷するを看重す;騏驥を看重するは、是れ因りて彼ら立刻能く到達す。必ず漫長の日子を經歷せんと要するや?絲線牦毛亦能く石頭を提起し、劣馬亦能く遠方に走到す、此に因りて聰明敏捷是れ人の美好の材質なり。子貢曰く、「顏回や、一件を聞きて能く十件を推知す」と。是れ敏捷を讚美す。
昔者,燕相得罪於君,將出亡,召門下諸大夫曰:"有能從我出者乎?"三問,諸大夫莫對,燕相曰:"嘻!亦有士之不足養也。"大夫有進者曰:"亦有君之不能養士,安有士之不足養者?凶年饑歲,糟粕不厭,而君之犬馬,有餘谷粟;隆冬烈寒,士短褐不完,四體不蔽,而君之臺觀,帷□錦繡,隨風飄飄而弊。財者,君之所輕;死者,士之所重也。君不能施君之所輕,而求得士之所重,不亦難乎?"燕相遂慚,遁逃不復敢見。
從前、燕相君に得罪して、將に出亡せんとして、門下各位の大夫を召して曰く、「能く我に跟隨して出去る有るか」と。三次問うて、各位の大夫回答なく。燕相曰く、「嘻!亦士供養するに足らざるの情形有りや」と。大夫有りて進みて前に曰く、「亦君能く士を供養せざるの情形有り、何處にか士供養するに足らざる有らん?荒年飢歲、酒糟豆渣皆喫飽せず、而して君の犬馬多餘の穀粟有り;隆冬酷寒、士短褐完整せず、四肢遮蔽する能わず、而して君の台觀、帷幕錦繡(底本此の字殘缺)風に隨いて飄飄として卽ち壞れり。財是れ君の看輕する所、死是れ士の看重する所。君能く自己所看輕するを施舍せずして、卽ち士の看重する所を求得せんと欲す、亦難からずや」と。燕相於是慚愧し、逃走して再び敢えて見面せず。
晉文公出獵,前驅曰:"前有大蛇,高如堤,阻道竟之。"文公曰:"寡人聞之,諸侯夢惡則修德,大夫夢惡則修官,士夢惡則修身,如是而禍不至矣。今寡人有過,天以戒寡人。"還車而反。前驅曰:"臣聞之,喜者無賞,怒者無刑。今禍福已在前矣,不可變,何不逐驅之?"文公曰:"不然,夫神不勝道,而妖亦不勝德,禍福未發,猶可化也。"還車反,宿齋三日,請於廟曰:"孤少犧不肥,幣不厚,罪一也。孤好弋獵,無度數,罪二也。孤多賦歛,重刑罰,罪三也。請自今以來者,關市無徵,澤梁無賦歛,赦罪人,舊田半稅,新田不稅。"行此令未半旬,守蛇吏夢天帝殺蛇曰:"何故當聖君道為,而罪當死。"發夢視蛇臭腐矣。謁之,文公曰:"然夫神果不勝道,而妖不勝德,奈何其無究理而任天也,應之以德而已。"
晉文公里に出去りて獵を打ちて、前驅曰く、「前面大蛇有り、堤のごとく高く、路を擋きて盡頭に至る」と。文公曰く、「寡人聞く、諸侯惡事を夢見れば卽ち德行を修養し、大夫惡事を夢見れば卽ち官職を整飭し、士惡事を夢見れば卽ち自身を修養す、かくのごとければ卽ち禍到來せず。如今寡人過失有り、天以て寡人を警戒す」と。車子を掉轉して返回す。前驅曰く、「臣聞く、喜歡する時賞する勿れ、發怒する時刑する勿れ。如今禍福已に前面に在り、改變す可からず、何ぞ之を驅趕せざるか」と。文公曰く、「不對。神道に勝たず、妖亦德に勝たず、禍福還りて發作せず、還りて轉化す可し」と。車子を掉轉して返回し、住宿齋戒三天して、廟に至りて請求して曰く、「孤少し時犧牲肥せず、幣帛厚からず、是れ第一條の罪。孤弋獵を愛好して、節度なく、是れ第二條の罪。孤賦稅を多收して、刑罰を加重す、是れ第三條の罪。請う今以後、關市徵稅せず、澤梁賦を收めず、罪人を赦免し、舊田半分の稅を收め、新田徵稅せず」と。此の道の令を施行して還りて半旬に到らず、蛇を守る吏天帝蛇を殺すを夢見て曰く、「何ぞ聖君の路を擋ぐるか、罪當に處死すべし」と。醒めて後往きて看れば、蛇已に腐臭せり。上に稟告す、文公曰く、「果然神道に勝たず、妖德に勝たず、何を以て事理を窮究せずして天に聽任せんか、德を以て應對するのみ」と。
梁君出獵,見白雁群,梁君下車,彀弓欲射之。道有行者,梁君謂行者止,行者不止,白雁群駭。梁君怒,欲射行者。其御公孫襲下車撫矢曰:"君止。"梁君忿然作色而怒曰:"襲不與其君,而顧與他人,何也?"公孫襲對曰:"昔齊景公之時,天大旱三年,卜之曰:'必以人祠,乃雨。’景公下堂頓首曰:'凡吾所以求雨者,為吾民也,今必使吾以人祠乃且雨,寡人將自當之。’言未卒而天大雨方千里者,何也?為有德於天而惠於民也。今主君以白雁之故而欲射人,襲謂主君無異於虎狼。"梁君援其手與上車,歸入廟門,呼萬歲,曰:"幸哉!今日也他人獵,皆得禽獸,吾獵得善言而歸。"
梁君出去りて獵を打ちて、一群の白雁を見て、梁君車を下りて、弓を拉滿して射んと欲す。路上行人有り、梁君行人をして停下せしむ、行人停まらず、白雁群驚を受く。梁君發怒して、行人を射んと欲す。其の御者公孫襲車を下りて箭を按住して曰く、「君停下せよ」と。梁君忿然として色を變じ發怒して曰く、「襲自己の君を幫助せず、反つて別人を幫助す、何ぞや」と。公孫襲答えて曰く、「從前齊景公の時候、天大旱すること三年、卜を問えば曰く、『必ず人を以て祭品と爲さば、纔かに雨下らん』と。景公堂を走下りて頭を叩きて曰く、『凡是れ我雨を求むるは、是れ我が百姓のためなり、如今必ず我をして人を以て祭品と爲さば纔かに雨下らんとせば、寡人自ら將に承當せん』と。話未だ說き盡くさずして、方圓千里卽ち大雨下る、何ぞや?是れ對して天に德有り、民に對して惠有るに因るなり。如今主君白雁の緣故に因りて人を射んと欲す、襲以爲主君虎狼と同じからざるなしと」と。梁君其の手を拉して一起に車に上り、囘來して廟門に入り、萬歲を呼叫して曰く、「幸運なるかな!今天別人獵を打ちて皆禽獸を得、我獵を打ちて善言を得て囘來せり」と。
武王勝殷,得二虜而問焉。曰:"而國有妖乎?"一虜答曰:"吾國有妖,晝見星而天雨血,比吾國之妖也。"一虜答曰:"此則妖也,雖然,非其大者也。吾國之妖,其大者子不聽父,弟不聽兄,君令不行,此妖之大者也。"
武王殷に戰勝して、兩個の俘虜を得て詢問す。曰く、「你ら國妖有るか」と。一個の俘虜答えて曰く、「我が國妖有り、白天星星を見、天上血を落下す、是れ我が國の妖なり」と。一個の俘虜答えて曰く、「此れ固然として是れ妖なり、然るにと雖も、是れ最大にあらず。我が國の妖は、大なるは兒子父親に聽從せず、弟弟兄長に聽從せず、君令推行する能わず、此れ纔かに是れ最大の妖なり」と。
晉文公出田逐獸,碭入大澤,迷不知所出,其中有漁者,文公謂曰:"我若君也,道安從出,我且厚賜若。"漁者曰:"臣願有獻。"公曰:"出澤而受之。"於是遂出澤。公令曰:"子之所欲以教寡人者,何等也?願受之。"漁者曰:"檻鵠保河海之中,厭而欲移徙之小澤,則必有丸繒之憂,黿鼉保深淵,厭而出之淺渚,則必有羅網釣射之憂。今君逐獸,碭入至此。何行之太遠也?"文公曰:"善哉!"謂從者記漁者名。漁者曰:"君何以名,為君尊天事地,敬社稷,固四國,慈愛萬民,薄賦歛,輕租稅者,臣亦與焉。君不敬社稷,不固四國,外失禮於諸侯,內逆民心,一國流亡,漁者雖得厚賜,不能保也。"遂辭不受。曰:"君前歸國;臣亦反吾漁所。"
晉文公出去りて獵を打ちて野獸を追逐し、大澤に跌入りて、迷失して何處より出去るを知らず。裏面一個の漁者有り、文公彼に對して曰く、「我是れ國君、路何處より出去るか、我將に汝を厚く賞賜せん」と。漁者曰く、「臣願わくは進獻する所有らん」と。文公曰く、「澤を出でて再び接受せん」と。於是卽ち澤を出づ。文公下令して曰く、「您以て寡人を教導せんと欲するは、是れ何か?願わくは接受せん」と。漁者曰く、「鴻鵠河海の中に保存して、厭きて小澤に遷徙せんと想えば、一定彈丸繒繳の憂患有り;黿鼉深淵に保存して、厭きて出でて淺渚に至れば、一定羅網釣射の憂患有り。如今君野獸を追逐して、此處に跌入る。何ぞ走ること太だ遠きか」と。文公曰く、「好き哉!」と。隨從に對して漁者の名字を記下せしむ。漁者曰く、「君何必名を記さん?若し君天を尊し地に事え、社稷を敬し、四方鄰國を鞏固し、萬民を慈愛し、賦斂を減輕し、租稅を減輕せば、臣亦其の中に在りて受益せん。君社稷を敬せず、四方鄰國を鞏固せず、外に對して諸侯に失禮し、內に對して民心に違逆せば、一國流亡して、漁者たとい厚賜を得るとも、亦保全する能わず」と。於是推辭して接受せず。曰く、「君先ず囘國せよ;臣亦我が魚を打つ處に返回せん」と。
晉文公逐麋而失之,問農夫老古曰:"吾麋何在?"老古以足指曰:"如是往。"公曰:"寡人問子,子以足指,何也?"老古振衣而起曰:"一不意人君如此也,虎豹之居也,厭閒而近人,故得;魚鱉之居也,厭深而之淺,故得;諸侯之居也,厭眾而遠遊,故亡其國。詩云:'維鵲有巢,維鳩居之。’君放不歸,人將君之。"於是文公恐,歸遇欒武子。欒武子曰:"獵得獸乎?而有悅色!"文公曰:"寡人逐麋而失之,得善言,故有悅色。"欒武子曰:"其人安在乎?"曰:"吾未與來也。"欒武子曰:"居上位而不恤其下,驕也;緩令急誅,暴也;取人之善言而棄其身,盜也。"文公曰:"善。"還載老古,與俱歸。
晉文公麋鹿を追逐して卽ち丟失し、農夫老古に問う、「我が麋鹿何處に在るか」と。老古脚を以て指して曰く、「此邊に往き去れ」と。文公曰く、「寡人您を問うに、您脚を以て指す、何ぞや」と。老古衣を抖い起身して曰く、「竟に人君是れかくのごときを想到せず。虎豹居住して、閑靜に厭きて人に靠近す、ゆえに捉到せらる;魚鼈居住して、深處に厭きて淺處に到れば、ゆえに捉到せらる;諸侯居住して、衆人に厭きて遠游すれば、ゆえに其の國を丟失す。『詩經』に曰く、『喜鵲巢有り、鳩鳥來りて住む』と。君放縱して歸らざれば、別人將に您の君を爲らん」と。於是文公恐懼し、囘去りて欒武子に遇見す。欒武子曰く、「獵を打ちて野獸を得たるか?卽ち喜悅の神色有り!」と。文公曰く、「寡人麋鹿を追逐して丟失し、善言を得、ゆえに喜悅の神色有り」と。欒武子曰く、「其の人何處に在るか」と。曰く、「我彼と一起来らず」と。欒武子曰く、「上位に處りて卽ち下面の人を體恤せざるは、是れ驕;命令遲緩にして誅罰急迫なるは、是れ暴;人の善言を取りて其の人本身を拋棄するは、是れ盜なり」と。文公曰く、「好し」と。囘去りて老古を載上して、彼と一起に囘來す。
扁鵲見齊桓侯,立有間,扁鵲曰:"君有疾在腠理,不治,將恐深。"桓侯曰:"寡人無疾。"扁鵲出,桓侯曰:"醫之好利也,欲治不疾以為功。"居十日,扁鵲復見曰:"君之疾在肌膚,不治將深。"桓侯不應。扁鵲出,桓侯不悅。居十日,扁鵲復見曰:"君之疾在腸胃,不治將深。"桓侯不應。扁鵲出,桓侯不悅。居十日,扁鵲復見,望桓侯而還走。桓侯使人問之,扁鵲曰:"疾在腠理,湯熨之所及也;在肌膚,針石之所及也;在胃腸,大劑之所及也;在骨髓,司命之所無奈何也;今在骨髓,臣是以無請也。"居五日,桓侯體痛,使人索扁鵲,扁鵲已逃之秦國。桓侯遂死,故良醫之治疾也,攻之於腠理。此事皆治之於小者也。夫事之禍福,亦有腠理之地。故聖人蚤從事矣。
扁鵲齊桓侯に進見し、一會兒立ちて、扁鵲曰く、「君病腠理に在り、治せざれば、恐らく將に加深せん」と。桓侯曰く、「寡人病なし」と。扁鵲出去りて、桓侯曰く、「醫生利を貪り、病なき人を治して以て功勞を當てんと欲す」と。十天を過ぎて、扁鵲再び進見して曰く、「君の病肌膚に在り、治せざれば將に加深せん」と。桓侯應えず。扁鵲出去りて、桓侯高興せず。十天を過ぎて、扁鵲再び進見して曰く、「君の病腸胃に在り、治せざれば將に加深せん」と。桓侯應えず。扁鵲出去りて、桓侯高興せず。十天を過ぎて、扁鵲再び進見して、桓侯を望見すれば卽ち轉身して跑す。桓侯人を派して彼を問わしむ、扁鵲曰く、「病腠理に在れば、湯熨到達する能し;肌膚に在れば、針石到達する能し;胃腸に在れば、大劑藥到達する能し;骨髓に在れば、司命亦何とも奈何することなし;如今骨髓に在れば、臣因りて再び請求せず」と。五天を過ぎて、桓侯身體疼痛して、人を派して扁鵲を找る、扁鵲已に秦國に逃到せり。桓侯於是死す。ゆえに良醫病を治するに、腠理に於て卽ち攻治す。此れらの事皆小き時に於て治理するを在り。事情の禍福は、亦腠理のごとき階段有り。ゆえに聖人早早として事に從う。
莊辛諫楚襄王曰:"君王左州侯,右夏侯,從新安君與壽陵君同軒,淫衍侈靡而忘國政,郢其危矣。"王曰:"先生老●歟?妄為楚國妖歟?"莊辛對曰:"臣非敢為楚妖,誠見之也。君王卒近此四子者,則楚必亡矣!辛請留於趙以觀之。"於是不出十月,王果亡巫山江漢鄢郢之地。於是王乃使召莊辛至於趙。辛至,王曰:"嘻!先生來邪!寡人以不用先生言至於此,為之奈何?"莊辛曰:"君用辛言則可,不用辛言又將甚乎!此庶人有稱曰:'亡羊而固牢未為遲,見兔而呼狗未為晚。’湯武以百里王,桀紂以天下亡,今楚雖小,絕長繼短,以千里數,豈特百里哉!且君王獨不見夫青蛉乎?六足四翼,蜚翔乎天地之間,求蚊虻而食之,時甘露而飲之,自以為無患,與民無爭也。不知五尺之童子,膠絲竿,加之乎四仞之上,而下為蟲蛾食已。"
莊辛楚襄王に進諫して曰く、「君王左邊是れ州侯、右邊是れ夏侯、新安君と壽陵君とに跟隨して同じく一輛の軒車に坐し、淫衍侈靡にして國政を忘記す、郢都危險なり」と。王曰く、「先生老糊涂せるか(底本此の字殘缺、文意是れ昏悖)?還りて妄りに楚國の妖言を作すか」と。莊辛答えて曰く、「臣敢えて楚國の妖を作さず、確かに見到れり。君王終に此の四個人を親近せば、楚必ず滅亡せん!辛請う趙に留在して以て觀察せん」と。於是十個月を出でずして、王果然として巫山・江漢・鄢郢の土地を丟失す。於是王纔かに人を派して趙に至りて莊辛を召す。莊辛到りて、王曰く、「嘻!先生來れたるか!寡人因りて先生の話を用いずして此の地步に到れり、如何せん」と。莊辛曰く、「君辛の話を用いれば還りて可なり、辛の話を用いざれば又將に更に厲害ならん!是れ庶人一句話有りて曰く、『羊丟失して再び牢圈を加固して還りて晚からず、兔子を見て再び狗を呼ぶに還りて遲からず』と。湯・武百里を憑りて王と稱し、桀・紂天下を憑りて滅亡す、如今楚小なりと雖も、長を截り短を補いて、千里を以て計算せば、何處にか只百里のみならんや!況んや君王豈彼の蜻蜓を見ざらんや?六隻の脚四隻の翅膀、天地の間を飛翔し、蚊虻を找りて以て喫し、時に按じて甘露を喝み、自ら以爲禍患なく、人と爭奪なし。五尺童子、膠絲竿を用いて、四仞の上に加え、下りて來れば卽ち蟲蛾に喫掉せらるるを知らず」と。
青蛉猶其小者也,夫爵俛啄白粒,仰棲茂樹,鼓其翼,奮其身,自以為無患,與民無爭也。不知公子王孫,左把彈,右攝丸,定操持,審參連,故晝遊乎茂樹,夕和乎酸鹹。爵猶其小者也,檻鵠嬉遊乎江漢,息留乎大沼,俛啄鰋鯉,仰奮陵衡,修其六翮,而陵清風,麃搖高翔,一舉千里,自以為無患,與民無爭也。不知弋者選其弓弩,修其防翳,加繒繳其頸,投乎百仞之上,引纖繳,揚微波,折清風而殞,故朝遊乎江河,而暮調乎鼎俎,檻鵠猶其小者也,蔡侯之事故是也。蔡侯南遊乎高陵,北經乎巫山,逐麋□●鹿,彉溪子隨,時鳥嬉遊乎高蔡之囿,溢滿無涯,不以國家為事,不知子發受令宣王,厄以淮水,填以巫山,庚子之朝,纓以朱絲,臣而奏之乎宣王也。蔡侯之事猶其小者也,今君王之事,遂以左州侯,右夏侯,從新安君與壽陵君,淫衍侈靡,康樂遊娛,馳騁乎雲夢之中,不以天下與國家為事,不知穰侯方與奏王謀,窴之以黽厄之內,而投之乎黽塞之外。"襄王大懼,形體掉栗曰:"謹受令。"乃封莊辛為成陵君,而用計焉。與舉淮北之地十二諸侯。
蜻蜓還りて是れ小なり。其の麻雀頭を低くして白米を啄み、頭を仰ぎて茂樹に棲し、翅膀を鼓し、身子を奮起して、自ら以爲禍患なく、人と爭奪なし。公子王孫、左手彈弓を持ち、右手彈丸を裝め、穩を拿して、審定連續發射して、ゆえに白天茂樹に於て游玩し、晚上卽ち酸鹹に調和せらるるを知らず。麻雀還りて是れ小なり。鴻鵠江漢に於て嬉游し、大沼に於て停息し、頭を低くして鯰鯉を啄み、頭を仰ぎて陵衡を奮起し、六根の健羽を修整し、淸風に乘り、飄搖高翔し、一擧千里、自ら以爲禍患なく、人と爭奪なし。鳥を射る人好き弓弩を選び、隱蔽を修整し、繒繳を其の頸上に加え、百仞の上より投下して、細繳を牽引し、微波を揚げ、淸風を截斷して墜落す、ゆえに早晨江河に於て游び、傍晚卽ち鼎俎に調和せらるるを知らず。鴻鵠還りて是れ小なり、蔡侯の事卽ちかくのごとし。蔡侯南高陵に游び、北巫山を經て、麋鹿を追逐し(底本此の字殘缺)、溪子弩を張開して跟隨し、時時高蔡の苑囿に於て嬉游し、滿溢して邊際なく、國家を事と爲さず、子發宣王の命令を接受して、淮水を以て彼を困住し、巫山を以て填塞し、庚子其の日の早晨、朱絲を以て繫住して、以て臣子と爲りて宣王に進獻せらるるを知らず。蔡侯の事還りて是れ小なり、如今君王の事、於是左邊州侯、右邊夏侯、新安君と壽陵君とに跟隨して、淫衍侈靡し、康樂游娛し、雲夢の中に於て馳騁し、天下と國家とを事と爲さず、穰侯正に秦王と謀劃して、您を黽厄の內に填めて、黽塞の外に投ぜんとするを知らず」と。襄王大懼して、身體發抖して曰く、「謹みて教令を受く」と。於是莊辛を封じて成陵君と爲し、其の計謀を採用す。一起に淮北の地十二個の諸侯を收取す。
魏文侯出遊,見路人反裘而負芻。文侯曰:"胡為反裘而負芻。"對曰:"臣愛其毛。"文侯曰:"若不知其裡盡,而毛無所恃耶?"明年;東陽上計錢布十倍,大夫畢賀。文侯曰:"此非所以賀我也。譬無異夫路人反裘而負芻也,將愛其毛,不知其裡盡,毛無所恃也。今吾田不加廣,士民不加眾,而錢十倍,必取之士大夫也。吾聞之下不安者,上不可居也,此非所以賀我也。"
魏文侯出去りて游び、路人反穿して皮衣を著て芻草を背負うを見る。文侯曰く、「何ぞ皮衣を反穿して芻草を背負うか」と。答えて曰く、「臣其の毛を愛惜す」と。文侯曰く、「您裏子盡きれば、毛卽ち依靠なきを知らずや」と。第二年、東陽錢布十倍を上報す、大夫皆來りて祝賀す。文侯曰く、「此れ是れ以て我を祝賀するに用うるにあらず。譬えば其の路人皮衣を反穿して芻草を背負うがごとく、將に毛を愛惜せんとして、裏子盡きれば毛卽ち依靠なきを知らず。如今我が田加廣なく、士民加多なくして、而して錢十倍するは、一定是れ士大夫より取り來るなり。我聞く下面安んぜざるは、上面居住す可からず、此れ是れ以て我を祝賀するに用うるにあらず」と。
楚莊王問於孫叔敖曰:"寡人未得所以為國是也。"孫叔敖曰:"國之有是,眾非之所惡也。臣恐王之不能定也。"王曰:"不定獨在君乎?亦在臣乎?"孫叔敖曰:"國君驕士曰:'士非我無逌富貴。’士驕君曰:'國非士無逌安強。’人君或失國而不悟,士或至飢寒而不進,君臣不合,國是無逌定矣。夏桀殷紂,不定國是,而以合其取捨者為是,以不合其取捨者為非,故致亡而不知。"莊王曰:"善哉!願相國與諸侯士大夫共定國是,寡人豈敢以褊國驕士民哉!"
楚莊王孫叔敖に問う、「寡人還りて未だ以て國是と爲るを得ず」と。孫叔敖曰く、「國家『是』有りて、是れ衆人の非とする所、厭惡する所なり。臣怕る王能く確定せざらん」と。王曰く、「能く確定せざる只在りて君か?亦在りて臣か」と。孫叔敖曰く、「國君驕して士に對して曰く、『士我なくば卽ち富貴するに從なし』と。士驕して君に對して曰く、『國士なくば卽ち安定強大するに從なし』と。人君或は國を失去して還りて醒悟せず、士或は飢寒に至りて還りて進用せられず、君臣合せず、國是卽ち確定するに從なし。夏桀・殷紂國是を確定せずして、而して自己の取舍に合するを以て是と作し、自己の取舍に合せざるを以て非と作す、ゆえに滅亡を導致して還りて知らず」と。莊王曰く、「好き哉!願わくは相國諸侯士大夫と共同に國是を確定せよ、寡人豈敢えて狹小の國を憑りて士民に對して驕傲せんや!」
楚莊王蒞政三年,不治,而好隱戲。社稷危,國將亡,士慶問左右群臣曰:"王蒞政三年,不治,而好隱戲,社稷危,國將亡,胡不入諫?"左右曰:"子其入矣。"士慶入再拜而進曰:"隱有大鳥,來止南山之陽,三年不蜚不鳴,不審其故何也?"王曰:"子其去矣,寡人知之矣。"士慶曰:"臣言亦死,不言亦死,願聞其說。"王曰:"此鳥不蜚,以長羽翼;不鳴,以觀群臣之慝,是鳥雖不蜚,蜚必沖天;雖不鳴,鳴必驚人。"士慶稽首曰:"所願聞已。"王大悅士慶之問,而拜之以為令尹,授之相印。士慶喜,出門顧左右笑曰:"吾王成王也。"中庶子聞之,跪而泣曰:"臣尚衣冠御郎十三年矣,前為豪矢,而後為藩蔽。王賜士慶相印而不賜臣,臣死將有日矣。"王曰:"寡人居泥塗中,子所與寡人言者,內不及國家,外不及諸侯。如子者,可富而不可貴也。"於是乃出其國寶璧玉以賜之。曰:"忠信者,士之行也;言語者,士之道路也。道路不修,士無所行矣。"
楚莊王政に臨むこと三年、治理せずして、卽ち隱語游戲を愛好す。社稷危險にして、國家將に亡びなんとす、士慶左右群臣に問う、「王政に臨むこと三年、治理せずして、卽ち隱語游戲を愛好す、社稷危險にして、國家將に亡びなんとす、何ぞ進み入りて進諫せざるか」と。左右曰く、「您進み入れ」と。士慶進み入りて再拜進前して曰く、「隱語の裏に大鳥有り、來りて南山の南面に停まりて、三年飛ばず鳴かず、緣故是れ何なるを知らず」と。王曰く、「您下去れ、寡人知之れり」と。士慶曰く、「臣説くも亦死し、説かざるも亦死し、願わくは解説を聽かん」と。王曰く、「此の鳥飛ばざるは、是れ羽翼を長ぜんと欲してなり;鳴かざるは、是れ群臣の奸慝を觀察せんと欲してなり。此の鳥雖然飛ばざるも、飛ばば必ず天を衝かん;雖然鳴かざるも、鳴けば必ず人を驚かさん」と。士慶頭を叩きて曰く、「所願の聽く已に聽到せり」と。王甚だ士慶の提問を喜歡して、彼を拜して令尹を爲らしめ、彼に相印を授給す。士慶高興して、門を出でて頭を囘し左右に對して笑いて曰く、「我らの王是れ成王なり」と。中庶子聞きて、跪下して哭泣して曰く、「臣衣冠を掌管し郎官に侍奉すること十三年、前面先導の箭を爲り、後面藩蔽を爲る。王士慶に相印を賜うも臣に賜わず、臣死する大概日子有らん」と。王曰く、「寡人泥塗の中に處りて、您寡人と説く所は、對內國家に及ばず、對外諸侯に及ばず。您のごとき人は、富す可くして貴ぶ可からず」と。於是國寶璧玉を拿出して彼に賜う。曰く、「忠信是れ士の品行;言語是れ士の道路。道路修まらざれば、士卽ち行走する處なし」と。
靖郭君欲城薛;而客人多以諫,君告謁者,無為客通事。於是有一齊人曰:"臣願一言,過一言,臣請烹。"謁者客。客曰:"海大魚。"因返走。靖郭君曰:"請少進。"客曰:"否。臣不敢以死戲。"靖郭君曰:"嘻!寡人毋得已,試複道之。"客曰:"君獨不聞海大魚乎?網弗能止,繳不能牽,碭而失水,陸居則螻蟻得意焉。且夫齊,亦君之水也,君已有齊,奚以薛為?君若無齊,城薛猶且無益也。"靖郭君大悅,罷民弗城薛也。
靖郭君薛のため城を筑かんと欲す;客人多く來りて進諫す、君謁者に告げて、客人のため通報する勿れと。於是一個の齊人有りて曰く、「臣願わくは一句話を説かん、一句話を超過せば、請う臣を烹れよ」と。謁者客人をして進見せしむ(底本此の字是れ生僻字、轉錄の後失落)。客人曰く、「海大魚」と。於是轉身して卽ち跑す。靖郭君曰く、「請う稍微進み前へ」と。客人曰く、「不。臣敢えて死を以て戲弄せず」と。靖郭君曰く、「嘻!寡人已に已むを得ず、試みに再び説け」と。客人曰く、「君豈大海中の大魚を聞かざらんや?網能く攔住する能わず、繳能く牽引する能わず、一旦水を離れて、陸地上に住せば、螻蟻得意す。況んや齊亦是れ君の水、君已に齊有りて、薛を要して何を爲さん?君若し齊なからんば、薛に城を筑くも還りて益處なし」と。靖郭君大悅して、百姓を役使するを停止し、薛に城を筑かず。
齊有婦人,極醜無雙,號曰:"無□女"。其為人也,臼頭深目,長壯大節,昂鼻結喉,肥項少發,折腰出胸,皮膚若漆。行年三十,無所容人,衒嫁不售,流棄莫執,於是乃拂拭短褐,自詣宣王,願一見,謂謁者曰:"妾,齊之不售女也,閒君王之聖德,願備後宮之掃除,頓首司馬門外,唯王幸許之。"謁者以聞,宣王方置酒於漸臺,左右聞之,莫不揜口而大笑。曰:"此天下強顏女子也。"於是宣王乃召見之,謂曰:"昔先王為寡人取妃匹,皆已備有列位矣。寡人今日聽鄭衛之聲嘔吟感傷,揚瞠楚之遺風。今夫人不容鄉里布衣,而欲幹萬乘之王,亦有奇能乎?"無□女對曰:"無有。直竊慕大王之美義耳。"王曰:"雖然,何喜。"良久曰:"竊嘗喜隱。"王曰:"隱固寡人之所願也,試一行之。"言未卒,忽然不見矣。宣王大驚,立發隱書而讀之,退而惟之,又不能明。明日,復更召而問之,又不以隱對,但揚目銜齒,舉手拊肘曰:"殆哉!殆哉!"如此者四。宣王曰:"願遂聞命。"
齊婦人有りて、極醜くして第二個なし、號稱「無鹽女」(底本此の字殘缺、當に「鹽」と爲すべし)。其の模樣は、臼のごとき頭・深陷の眼睛、身材長大・骨節粗大、鼻梁高・喉結凸、脖子肥・頭髮少、腰折・胸出、皮膚漆のごとし。年近三十、容身する處なく、自己炫耀して嫁を求むも嫁げず、流落して拋棄せられ人要なし、於是短褐を擦拭して、自己宣王の處に到りて、一面を見えんと願い、謁者に對して曰く、「妾是れ齊國嫁げざるの女子、君王の聖德を聞きて、願わくは後宮の掃除を充當せん、司馬門外に於て頭を叩きて、只請う王幸いに許可せん」と。謁者稟報す、宣王正に漸台に於て酒を設く、左右聞きて、口を掩い大笑せざるなし。曰く、「此れ是れ天下厚臉皮の女子」と。於是宣王卽ち彼女を召見して、彼女に對して曰く、「從前先王寡人のため妃匹を娶りて、皆已に齊備列位有り。寡人今天鄭衛の聲音を聽きて嘔吟感傷し、楚地遺留の風氣を發揚す。如今夫人鄉里布衣に容れられずして、卽ち萬乘の王に求見せんと欲す、亦奇特的才能有るか」と。無鹽女答えて曰く、「無し。只是れ私下大王の美好の道義を仰慕するのみ」と。王曰く、「然るにと雖も、何を喜歡するか」と。很久を過ぎて曰く、「私下曾て隱語を喜歡せり」と。王曰く、「隱語本來卽ち寡人の所願、試みに一回爲せ」と。話未だ說き盡くさずして、忽然として見えず。宣王大驚して、立刻隱書を打開して讀み、退下して思量すれども、又不能く明白せず。第二天、再び召來して問えば、又隱語を拿して以て對えず、只是れ眼を睜き齒を露し、手を擧げ肘を拍ちて曰く、「危險なり!危險なり!」と。かくのごとく四次。宣王曰く、「願わくは終に教命を聽かん」と。
無□女曰:"今大王之君國也,西有衡秦之患,南有強楚之讎,外有二國之難,內聚奸臣,眾人不附。春秋四十,壯男不立,不矜眾子,而矜眾婦,尊所好而忽所恃,一旦山陵崩弛,社稷不定,此一殆也。漸臺五重,黃金白玉,琅玕龍疏,蓑蓑珠璣,莫落連飾,萬民罷極,此二殆也。賢者伏匿於山林,諂諛強於左右,邪偽立於本朝,諫者不得通入,此三殆也。酒漿沉琨,以夜續朝,女樂俳優,從橫大笑,外不修諸侯之禮,內不秉國家之治,此四殆也。故曰:'殆哉!殆哉!’。"於是宣王掩然無聲,意入黃泉,忽然而昂,喟然而嘆曰:"痛乎無□君之言,吾今乃一聞寡人之殆,寡人之殆幾不全。"於是立停漸臺,罷女樂,退諂諛,去雕琢,選兵馬,實府庫,四闢公門,招進直言,延及側陋,擇吉日,立太子,進慈母,顯隱女,拜無□君為王后,而國大安者,醜女之力也。
無鹽女曰く、「如今大王國家を治理す、西連衡の秦の禍患有り、南強楚の仇敵有り、外面兩國の災難有りて、內裏奸臣を聚集し、衆人親附せず。年近四十、壯年の兒子立てず、衆子を矜恤せずして、卽ち衆婦を矜恤し、所愛好するを尊崇して所依靠するを忽視す、一旦山陵崩塌せば、社稷定まらず、是れ第一の危。漸台五層、黃金白玉、琅玕龍疏、蓑蓑珠璣、錯落連飾、萬民疲憊極點に至る、是れ第二の危。賢者山林に隱伏し、諂諛左右に強盛し、邪僞本朝に立ち、進諫の人通入を得ず、是れ第三の危。酒漿沈溺し、夜を以て朝に續き、女樂俳優、縱橫大笑し、對外諸侯の禮を修めず、對內國家の治を秉持せず、是れ第四の危。ゆえに曰く、『危險なり!危險なり!』」と。於是宣王沈默聲なく、心意黃泉に沈入し、忽然として頭を擡げ、喟然として歎息して曰く、「痛心なるかな無鹽君の話、我如今纔かに一聽して寡人の危殆を知る、寡人の危殆幾乎として保全する能わず」と。於是立刻漸台を停止し、女樂を罷除し、諂諛を斥退し、雕琢を去掉し、兵馬を選練し、府庫を充實し、四面公門を打開し、直言を招進し、側陋に延及し、吉日を選擇し、太子を立て、慈母を進用し、隱女を顯揚し、無鹽君を拜して王后を爲さしむ、國家大いに安定す、是れ醜女の力量なり。
雜事第三
雜事第三
梁惠王謂孟子曰:"寡人有疾,寡人好色。"孟子曰:"王誠好色,於王何有?"王曰:"若之何?好色可以王?"孟子曰:"大王好色。詩曰:'古公亶父,來朝走馬,率西水滸,至於岐下。爰及姜女,聿來相宇。’大王愛厥妃,出入必與之偕。當是時,內無怨女,外無曠夫。王若好色,與百姓同之,民唯恐王之不好色也。"王曰:"寡人有疾,寡人好勇。"孟子曰:"王若好勇,於王何有?"王曰:"若之何?好勇可以王?"孟子曰:"詩曰:'王赫斯怒,爰整其旅,必按徂旅,以篤周佑,以對於天下。"此文王之勇也。文王一怒,而安天下之民。今王亦一怒,而安天下之民,民唯恐王之不好勇也。"
梁惠王孟子に對して曰く、「寡人毛病有り、寡人色を好む」と。孟子曰く、「王果して色を好まば、王王と稱するに對して何の妨礙か有らん」と。王曰く、「如何に説く?色を好みて以て王と稱す可きか」と。孟子曰く、「太王色を好めり。『詩經』に曰く、『古公亶父、清晨馬を趕りて、西邊水邊に沿いて、岐山腳下に到る。於是姜女を帶びて、一起に來りて居處を經營す』と。太王其の妃を愛し、出入必ず彼女と一起に在り。在其の時候、內怨女なく、外曠夫なし。王若し色を好まば、百姓と一同せば、百姓只怕る王色を好まざることを」と。王曰く、「寡人毛病有り、寡人勇を好む」と。孟子曰く、「王若し勇を好まば、王王と稱するに對して何の妨礙か有らん」と。王曰く、「如何に説く?勇を好みて以て王と稱す可きか」と。孟子曰く、「『詩經』に曰く、『王赫然として發怒し、於是軍隊を整頓し、必ず前來の敵旅を遏止して、以て周の福佑を加厚し、以て天下に應答す』と。是れ文王の勇なり。文王一怒すれば、卽ち天下の百姓を安定す。如今王亦一怒すれば、卽ち天下の百姓を安定せん、百姓只怕る王勇を好まざることを」と。
孫卿與臨武君議兵於趙孝成王前。王曰:"請問兵要?"臨武君對曰:"上得天時,下得地利,後之發,先之至,此用兵之要術也。"孫卿曰:"不然。臣之所聞,古之道,凡戰,用兵之術,在於一民,弓矢不調,羿不能以中徵,六馬不和,造父不能以御遠;士民不親附,湯武不能以勝。故善兵者,務在於善附民而已。"
孫卿臨武君と趙孝成王の面前に於て兵を用うるを議論す。王曰く、「請う兵を用うるの要領如何」と。臨武君答えて曰く、「上天時を得、下地利を得、後發して先到る、是れ兵を用うるの要術なり」と。孫卿曰く、「不對。臣の聽聞する所の古の道は、凡是れ作戰するに、兵を用うるの方法民をして一心ならしむるに在り。弓矢調わざれば、羿能く中て射る能わず;六馬和せざれば、造父能く遠方に駕到する能わず;士民親附せざれば、湯・武能く勝利を取る能わず。ゆえに善く兵を用うるは、務めて善く民をして親附せしむるに在るのみ」と。
臨武君曰:"不然,夫兵之所貴者,勢利也;所上者,變軸攻奪也。善用之者,奄忽焉莫知所從出,孫吳用之,無敵於天下。由此觀之,豈必待附民哉!"孫卿曰:"不然,臣之所言者,王者之兵,君人之事也。君之所言者,勢利也;所上者,變軸攻奪也。仁人之兵不可軸也,彼可軸者,怠慢者也,落單者也。君臣上下之間,渙然有離德者也。若以桀軸桀,猶有幸焉,若以桀軸堯,譬之若以卵投石,若以指繞沸,若羽蹈烈火,入則焦沒耳,夫又何可軸也。故仁人之兵,鋌則若莫邪之利刃,嬰之者斷,銳則若莫邪之利鋒,當之者潰。圓居而方止,若盤石然,觸之者隴種而退耳。夫又何可軸也?"
臨武君曰く、「不對。兵を用うるの看重する所是れ勢と利;崇尚する所是れ機變攻奪。善く之を用うるは、忽然の間人其の何處より出づるを知るなし、孫武・吳起此を用い、天下に無敵す。此より觀れば、何處にか必ず民の親附を等待せんと要するや!」孫卿曰く、「不對。臣の説く所是れ王者の兵、人君を爲るの事。您の説く所是れ勢と利;崇尚する所是れ機變攻奪なり。仁人の兵挫敗せらる可からず、彼らの挫敗せらる可きは、是れ怠慢の人、孤立の人なり。君臣上下の間、渙散して離心有る。若し桀を用いて桀を挫敗せば、還りて僥倖有り;若し桀を用いて堯を挫敗せんとせば、譬えば卵を以て石に投げ、手指を以て沸水を繞開し、羽毛を以て烈火を踏むがごとく、一入れば卽ち焦沒し、又安んぞ挫敗す可きや?ゆえに仁人の兵は、挺出すれば卽ち莫邪の利刃のごとく、碰上する卽ち斷つ;銳利すれば卽ち莫邪の利鋒のごとく、擋住する卽ち潰す。圓形に駐扎し方形に停止すれば、盤石のごとく、碰上する紛紛退却す。又安んぞ挫敗す可きや?」
故仁人之兵,或將三軍同力,上下一心,臣之於君也,下之於上也,若子之事父也,若弟之事兄也,若手足之捍頭目而覆胸腹也。軸而襲之,與先驚而後擊之一也,夫又何可軸也?且夫暴亂之君,將誰與至哉?彼其所與至者,必其民也,民之親我,驩然如父母,好我芳如椒蘭,反顧其上,如灼黥,如仇讎。人之情,雖桀蹠豈有肯為其所惡,而賊其所好者哉!是指使人之孫子,而賊其父母也。詩曰:'武王載旆,有虔秉鉞,如火烈烈,則莫我敢曷。’此之謂也。"孝成王臨武君曰:"善。"
ゆえに仁人の兵は、或は三軍を統率して同力し、上下一心して、臣君に對し、下上に對するは、譬えば兒子の父親を事奉し、弟弟の兄長を事奉し、手足の頭目を捍衛し胸腹を覆蓋するがごとし。突然彼を襲擊するは、先に驚動して再び打擊すると是れ一樣、又安んぞ挫敗す可きや?況んや暴亂の君は、將に誰と一起に來らんか?其の一起に來る所は、必ず是れ其の百姓、百姓我に親附し、歡然として父母のごとく、我が芬芳を喜歡すること椒蘭のごとく、囘頭して彼らの上を看るに、譬えば灼黥のごとく、譬えば仇敵のごとし。人の常情、たとい桀・跖と雖も、何處にか肯んじて其の厭惡する所のため其の愛好する所を傷害せんや!此れ是れ別人の孫子を指して其の父母を傷害せしむるを使う。『詩經』に曰く、「武王旆旗を載せ、虔敬に鉞を持ち、火のごとく猛烈なれば、卽ち人我を遏止するを敢えてするなし」と。是れ此を説くなり。」孝成王・臨武君曰く、「好し」と。
昔者,秦魏為與國,齊楚約而欲攻魏,魏使人求救於秦,冠蓋相望,秦救不出。魏人有唐且者,年九十餘,謂魏王曰:"老臣請西說秦,令兵先臣出,可乎?"魏王曰:"敬諾。"遂約車而遣之。且見秦王。秦王曰:"丈人罔然乃遠至此,甚苦矣。魏來求數矣,寡人知魏之急矣。"唐且答曰:"大王已知魏之急而救不至,是大王籌筴之臣失之也。且夫魏一萬乘之國也。稱東藩,受冠帶,祠春秋者,為秦之強,足以為與也。今齊楚之兵已在魏郊矣,大王之救不至,魏急則割地而約齊楚,王雖欲救之,豈有及哉?是亡一萬乘之魏,而強二敵之齊楚也。竊以為大王籌筴之臣失之矣。"秦王懼然而悟,遽發兵救之,馳攙而往,齊楚聞之,引兵而去,魏氏復故。唐且一說,定強秦之筴,解魏國之患,散齊楚之兵,一舉而折沖消難,辭之功也。孔子曰:"言語宰我。子貢。"故詩曰:"辭之集矣,民之洽矣;辭之懌矣,民之莫矣。"唐且有辭,魏國賴之,故不可以已。
從前、秦・魏是れ盟國、齊・楚相約して魏を攻めんと欲す、魏人を派して秦に求救す、使者冠蓋相望なり、秦の救兵出でず。魏人唐且有る者有り、年紀九十餘、魏王に對して曰く、「老臣請う西行して秦を游說し、軍隊をして臣より先に出でしめん、可なりか」と。魏王曰く、「敬謹答應す」と。於是車を備えて彼を派遣す。唐且秦王に進見す。秦王曰く、「丈人疲倦して還りて遠く此に到る、甚だ辛苦なり。魏來りて求救すること已に幾次、寡人魏緊急なるを知之れり」と。唐且答えて曰く、「大王已に魏緊急を知るも而して救兵到らず、是れ大王の籌劃する臣失策せり。況んや魏是れ萬乘の國。自ら東藩と稱し、冠帶を接受し、春秋祭祀するは、是れ秦強にして、足りて盟國を爲るに因るなり。如今齊・楚の兵已に魏郊に在りて、大王の救兵到らず、魏緊急なれば卽ち地を割きて齊・楚と結盟し、王たとい救わんと欲するも、何處にか還りて及ばんか?是れ一個の萬乘の魏を丟失して、而して兩個の敵國齊・楚を增強す。私下以爲大王の籌劃する臣失策せり」と。秦王惶恐醒悟して、立刻兵を發して往きて救い、馳騁前往す、齊・楚聞きて、兵を撤して離去す、魏氏原狀を恢復す。唐且一次游說して、強秦の策略を確定し、魏國の患難を解除し、齊・楚の兵を離散し、一擧にして折衝難を消す、是れ言辭の功效なり。孔子曰く、「言語の方面、宰我・子貢」と。ゆえに『詩經』に曰く、「言辭和集せば、百姓卽ち融洽し;言辭喜悅せば、百姓卽ち安定す」と。唐且言辭有りて、魏國彼に依賴す、ゆえに停止す可からず。
燕易王時,國大亂,齊閔王興師伐燕,屠燕國,載其寶器而歸。易王死,及燕國復,太子立為燕王,是為燕昭王。昭王賢,即位卑身厚幣,以招賢者。謂郭隗曰:"齊因孤國之亂,而襲破燕。孤極知燕小力少,不足以報,然得賢士與共國,以雪先王之醜,孤之願也。先生視可者得身事之。"隗曰:"臣聞古人之君,有以千金求千里馬者,三年不能得,馬已死,買其骨五百金,反以報君。君大怒曰:'所求者生馬,安用死馬捐五百金。’涓人對曰:'死馬且市之五百金,況生馬乎?天下必以王為能市馬,馬今至矣。’於是不期年,千里馬至者二。今王誠欲必致士,請從隗始。隗且見事,況賢於隗者乎?豈遠千里馬哉?"於是昭王為隗築宮而師之。樂毅自魏往,鄒衍自齊往,劇辛自趙往,士爭走燕。燕王弔死問孤,與百姓同甘苦二十八年,燕國殷富,士卒樂軼輕戰。於是遂以樂毅為上將軍,與秦楚三晉合謀以伐齊。樂毅之筴,得賢之功也。
燕易王の時候、國家大亂し、齊閔王兵を起こして燕を伐ち、燕國を屠滅して、寶器を裝載して回去る。易王死し、燕國恢復するに及びて、太子立ちて燕王を爲る、此れ卽ち燕昭王なり。昭王賢能にして、位に即きて後自己を降低し厚幣を以て賢を招く。郭隗に對して曰く、「齊孤國の混亂に趁りて、襲擊して燕を攻破せり。孤深く燕小にして力少なく、足りて報復するに足らざるを知る、可是賢士を得て共同に國を治めて、以て先王の恥辱を洗雪せんは、是れ孤の願望なり。先生可なる人を看よ、我親ら彼を事奉せん」と。郭隗曰く、「臣聞く古代の君、千金を用いて千里馬を求むる有り、三年得る能わず。馬已に死し、五百金を用いて其の骨頭を買い、囘來して君に報告す。君大怒して曰く、『求むる所是れ活馬、何處にか死馬を用いて五百金を花費せん』と。涓人答えて曰く、『死馬尚お五百金を用いて買う、況んや活馬をや?天下必ず以爲王能く馬を買うと、馬如今卽ち將に到らん』と。於是一年に到らずして、千里馬來る有りて兩匹。如今王果して必ず士を招致せんと欲せば、請う隗より開始せん。隗尚お事奉せらる、況んや隗より賢なる人をや?豈千里の遠きを嫌わんや?」と。於是昭王郭隗のため宮を筑きて而して彼を以て師と爲す。樂毅魏より來り、鄒衍齊より來り、劇辛趙より來り、士爭いて燕に奔向す。燕王死者を弔唁し孤兒を慰問し、百姓と甘苦を同じくすること二十八年、燕國殷實富裕し、士卒安逸を樂しみ戰作を看輕す。於是卽ち樂毅を用いて上將軍を爲し、秦・楚・三晉と合謀して齊を伐つ。樂毅の策略は、是れ賢を得るの功效なり。
樂毅為昭王謀,必待諸侯兵,齊乃可伐也。於是乃使樂毅使諸侯,遂合連四國之兵以伐齊,大破之。閔王亡逃,僅以身脫,匿莒,樂毅追之,遂屠七十餘城,臨淄盡降,唯莒即墨未下,盡復收燕寶器而歸,復易王之辱。樂毅謝罷諸侯之兵,而獨圍莒即墨,時田單為即墨令,患樂毅善用兵,田單不能軸也,欲去之,昭王又賢,不肯聽讒。會昭王死,惠王立,田單使人讒之惠王,惠王使騎劫代樂毅,樂毅之趙不歸。燕騎劫既為將軍,田單大喜,設軸大破燕軍,殺騎劫,盡復收七十餘城。是時齊閔公已死,田單得太子於莒,立為齊襄王。而燕惠王大慚。自悔易樂毅,以致此禍。
樂毅昭王のため謀劃して、必ず諸侯の兵を待ちて、齊纔かに攻伐す可しとす。於是樂毅を派して諸侯に出使せしめ、卽ち四國の兵を聯合して齊を伐たしめ、大いに齊を破る。閔王逃亡して、僅かに身を脫し、莒に藏まる、樂毅追擊して、於是七十餘座の城を屠滅し、臨淄全部投降す、只莒・即墨攻下せず、全部燕の寶器を收回して回去り、易王の恥辱を洗雪す。樂毅辭謝して諸侯の兵を罷去せしめ、獨自莒・即墨を圍困す。當時田單即墨令を爲り、樂毅の善く兵を用うるを憂慮し、田單能く彼を挫敗する能わず、彼を除去せんと欲す、昭王又賢くして、肯んじて讒言を聽かず。恰逢昭王死し、惠王位に即き、田單人を派して惠王に讒を進め、惠王騎劫を派して以て樂毅に代替せしむ、樂毅趙に至りて囘來せず。燕騎劫已に將軍を爲りて、田單大喜して、計謀を設下して大いに燕軍を破り、騎劫を殺し、全部七十餘座の城を收回す。此の時齊閔公已に死せり、田單莒に於て太子を得て、立てて齊襄王を爲さしむ。而して燕惠王大いに慚愧し、自己樂毅を更換したるを後悔して、以致此の禍有らしめり。
惠王乃使人遺樂毅書曰:"寡人不佞,不能奉順君志,故君捐國而去,寡人不肖明矣,敢謁其願而君弗肯聽也,故使使者陳愚志,君誠諭之。語曰:'仁不輕絕,智不輕怨’。君於先王,世之所明知也,寡人望有非,則君覆蓋之,不虞君明棄之也;望有過則君教誨之,不虞君明罪之也,寡人之罪,百姓弗聞,君微出明怨,以棄寡人,寡人必有罪矣,然怨君之未盡厚矣。語曰:'厚者不捐人以自益,仁者不危軀以要名。’故覆人之邪者,厚之行也,救人之過者,仁之道也。世有復寡人之邪,救寡人之過,非君惡所望之。今君厚受德於先王之成尊,輕棄寡人以快心,則覆邪救過,難得於君矣。且世有厚薄,故施異;行有得失,故患同。今寡人任不肖之罪,而君有失厚之累,於為君擇無所取。國有封疆,猶家之有垣牆,所以合好覆惡也。室不能相和,出訟鄰家。未為通計也。怨惡未見而明棄之,未為盡厚也。
惠王於是人を派して樂毅に信を送りて曰く、「寡人不才にして、能く君の志向を奉順せず、ゆえに君國家を拋棄して離去す、寡人不肖是れ明白なり、敢えて願望を陳述するも而して君肯んじて聽かず、ゆえに使者を派して愚志を陳述す、君果して此を明白せよ。俗語曰く、『仁者輕易に交を絕たず、智者輕易に怨を結ばず』と。君先王に對するは、是れ世上の明知する所なり、寡人希望不對有れば、君卽ち之を覆蓋せんを、君公然として拋棄すると想到せず;希望過失有れば、君卽ち教誨せんを、君公然として罪を加うると想到せず。寡人の罪は、百姓未だ聞かず、君暗中出去りて公然怨を結びて以て寡人を拋棄す、寡人必ず罪有らん、可是君を怨恨して還りて厚道を盡くさず。俗語曰く、『厚道の人別人を拋棄して以て自己益を得ず、仁者自身を危害して以て名を求めず』と。ゆえに別人の邪を覆蓋するは是れ厚の行爲、別人の過を挽救するは是れ仁の道理なり。世上寡人の邪を覆蓋し寡人の過を挽救するは、君ならずして還りて誰を指望せん。如今君先王の尊位を成就するの德を厚受して、輕易に寡人を拋棄して以て快意す、然らば邪を覆蓋し過を挽救するは、君の處より得ること難し。況んや世上厚有り薄有りて、ゆえに施予同じからず;行爲得有り失有りて、ゆえに禍患相同じ。如今寡人不肖の罪を承擔して、而して君厚を失うの牽累有り、君に對して選擇取る可きなし。國封疆有るは、譬えば家垣墻有るがごとし、是れ以て好を合し惡を覆蓋するに用う。室內能和せざれば、出去りて鄰家に訴訟す、通達の計策と算さず。怨惡未だ顯現せざるに公然として拋棄す、厚道を盡くしたりと算さず。
寡人雖不肖,未如殷紂之亂也;君雖未得志,未如商容箕子之累也。然不內盡寡人,明怨於外,恐其適足以傷高義而薄於行也。非然,苟可以成君之高,明君之義,寡人雖惡名,不難受也。本以明寡人之薄,而君不得厚;揚寡人之毀,而君不得榮,是一舉而兩失也。義者不毀人以自益,況傷人以自捐乎?願君無以寡人之不肖,累往事之美。昔者,柳下季為理於魯,三絀而不去,或曰可以去矣。柳下季曰:'苟與人異,惡往而不絀乎?猶且絀也,寧故國耳。’柳下季不以絀自累,故自業不忘,不以去為心,故遠近無議,寡人之罪,國人不知,而議寡人者遍天下,諺曰:'仁不輕絕,知不簡功。’簡功棄大者,仇也;輕絕厚利者,怨也。仇而棄之,怨而累之,宜在遠者,不望之乎君。今寡人無罪,君豈怨之乎?願君捐忿和怒,追順先王,以復教寡人,寡人意君之曰:"呈將快心以成而過,不顧先王以明而惡。’使寡人進不得循初,退不得變過,此君所制,唯君圖之。此寡人之愚志,敬以盡謁之。"
寡人雖然不肖なれど、還りて殷紂のごとく亂れるに似ず;君雖然不得志なれど、還りて商容・箕子のごとき牽累に似ず。可是內裏に在りて寡人に對して心を盡くさずして、對外公然怨を結ぶ、恐怕正好として高義を傷害して品行に薄し。若し此のごとくにあらざれば、假如能く君の高を成就し、君の義を顯明すれば、寡人たとい惡名有るとも、亦接受するに難しとせず。本來是れ寡人の薄を顯明せんと欲して、而して君厚を得ず;寡人の毀を宣揚して、而して君榮を得ず、是れ一擧にして兩失なり。義者別人を毀して以て自己益を得ず、況んや別人を傷害して以て自己を損害せんや?願わくは君寡人不肖に因りて、往事の美を連累する勿れ。從前、柳下季魯に於て法官を爲りて、三次黜退せられて還りて離去せず、人彼に可に離去す可しと説く有り。柳下季曰く、『若し人と同じからざれば、何處に至りて能く黜退せられざらんか?反正黜退せらるべし、寧ろ故國に在らん』と。柳下季黜退せらるるに因りて自己を連累せず、ゆえに自己の事業忘記せられず、離去するを心上に放かず、ゆえに遠近非議なし。寡人の罪は、國人之を知らずして、而して寡人を非議する天下に遍し。諺語曰く、『仁者輕易に交を絕たず、智者功勞を簡慢せず』と。功勞を簡慢し大功を拋棄するは、是れ仇;輕易に交を絕ち私利を看重するは、是れ怨。仇にして拋棄し、怨にして連累するは、應に疏遠の人に在るべく、君に於て指望せず。
樂毅使人獻書燕王曰:"臣不肖,不能奉承王命,以順左右之心,恐抵斧鉞之罪,以傷先王之明,有害足下之義,故遁逃自負,以不肖之罪,而不敢有辭說。今王數之以罪,恐侍御者不察先王之所以畜臣之理,不白乎臣之所以事先王之心,故不敢不以書對。臣聞賢聖之君,不以祿私親,功多者授之;不以官隨愛,能當者處之。故曰:'察能而授官者,成功之君也;論行而結交者,立名之士也。’臣以所學,觀先王舉措,有高世主之心,故假節於魏,以身得察於燕,先王過舉,擢之賓客之中,立之群臣之上,不謀父兄,以為亞卿,臣自以為奉令承教,可幸無罪,故受命不辭。先王命臣曰:'我有積怨深怒於齊,不量輕弱,欲以齊為事。’臣對曰:'夫齊者霸王之餘業,戰勝之遺事,閒於兵革,習於戰攻,王若欲攻之,必與天下圖之,圖之莫若往結趙,且淮北宋地,楚。魏之願也。趙若許,約楚。魏盡力,四國攻之,齊可大破也。’先王曰:'善。’臣乃受命具符節南使趙,顧反,起兵攻齊。以天下之道,先王之靈,河北之地,隨先王而舉之,齊上之兵,受命而勝之,輕卒銳兵,長驅至齊,齊王遁逃走莒,僅以身免,珠玉貨寶,車甲珍器,皆收入燕。大呂陳於元英,故鼎返於曆室,齊器設於寧臺,薊丘之植,植於汶篁。五伯以來,功業之盛,未有及先王者。先王以為快其志,以臣不捐令,故裂地而封臣,使比小國諸侯。臣聞賢聖之君,功立不廢,故著於春秋;蚤知之士;名成而不毀,故稱於後世。若先王之報怨雪醜,夷萬乘之齊,收八百年之積,及其棄群臣之日,餘令詔後嗣之義法,執政任事,循法令,順庶孽,施及萌隸,皆可以教後世。臣聞善作者不必善成,善始者不必善終。
樂毅人を派して燕王に書を獻じて曰く、「臣不肖にして、能く王命を奉承せずして、以て左右の心意に順從す、斧鉞の罪を抵觸するを怕れて、以て先王の明を傷害し、足下の義に害有らん、ゆえに逃遁して自負し、不肖の罪を帶びて、而して敢えて辯説有らず。如今王罪を以て數落す、侍御の人先王の臣を畜養する道理を體察せず、臣の先王に事奉する心を明白せざるを怕る、ゆえに敢えて書信を以て回答せざる得ず。臣聞く賢聖の君は、俸祿を用いて親人を私厚せず、功勞多き纔かに授給す;官職を用いて所愛に跟隨せず、能力相當する纔かに安置す。ゆえに曰く、『才能を察して官を授くるは、是れ成功の君;品行を論じて交を結ぶは、是れ名を立つるの士』と。臣學ぶ所を憑りて、先王の擧措を觀察すれば、當代の君主に高出するの心有り、ゆえに魏より節を借りて、親ら燕に於て察看せらるを得たり。先王過分に擧用して、賓客の中より提拔し、群臣の上に立てて、父兄と商量せずして、用いて亞卿を爲さしむ。臣自ら以爲令を奉じ教を承けて、以て僥倖罪なかる可しとし、ゆえに命を受けて推辭せず。先王臣に命令して曰く、『我齊に對して積怨深怒有り、自己輕弱を估量せずして、齊を把して事と爲らんと欲す』と。臣答えて曰く、『齊霸王の餘業・戰勝の遺事有りて、兵革を閑習し、戰攻を熟習す、王若し之を攻めんと欲せば、必ず天下と一起に圖謀すべし、圖謀先ず趙を交結するより好きなし、況んや淮北・宋地是れ楚・魏の願望。趙若し答應せば、楚・魏を約して力を盡くし、四國之を攻めば、齊大破す可し』と。先王曰く、『好し』と。臣於是命を受けて符節を備えて南趙に使い、囘頭囘來して、兵を起こして齊を攻む。天下の道・先王の威靈を憑りて、河北の土地、先王に跟隨して一起に擧起し、齊上の兵、命を受けて之に戰勝し、輕卒銳兵、長驅して齊に至り、齊王莒に逃奔し、僅かに身を脫し、珠玉貨寶・車甲珍器、皆燕に收入す。大呂元英に陳列し、故鼎歷室に返回し、齊器寧台に陳設し、薊丘の植物、汶上の竹田に種う。五伯以來、功業の盛大、先王に趕上するなし。先王以爲志向を快意せり、因りて臣命令を拋棄せず、ゆえに地を裂きて臣を封じて、小國諸侯に比せしむ。臣聞く賢聖の君は、功業建立して廢せず、ゆえに『春秋』に著錄せらる;早く預見有るの士は、名成りて毀れず、ゆえに後世に稱道せらる。先王のごとき怨を報じ恥を雪ぎ、萬乘の齊を夷平し、八百年の積蓄を收取し、彼群臣を拋棄するの日子に及びて、詔告後嗣の義法を留下し、執政任事して、法令を遵循し、庶孽を安撫し、百姓に施及す、皆後世を教導する可し。臣聞く善く開創するは必ずしも善く完成せず、善く開始するは必ずしも善く終結せずと。
昔伍子胥說聽於闔閭,吳為遠跡至郢,夫差不是也,賜之鴟夷,沈之江,故夫差不計先論之可以立功也,沈子胥而不悔,子胥不蚤見王之不同量也,故入江而不化。夫免身而全動,以明先王之跡,臣之上計也;離虧辱之誹,墮先王之明,臣之大恐也。臨不測之罪,以幸為利,義之所不敢出也。臣聞君子絕交無惡言,去臣無惡聲。臣雖不肖,數奉教於君子,臣恐侍御者親交之說,不察疏遠之行,故敢以書謝。"
從前伍子胥の話闔閭に聽用せられて、呉の足迹遠く郢に到る;夫差以爲是ならずとせず、彼に鴟夷皮袋を賜いて、江の裏に沈めり。ゆえに夫差先前の議論以て功を立つ可きを考慮せず、子胥を沈めて後悔せず;子胥早く王の器量同じからざるを見ず、ゆえに江に入りて化せず。自身をして禍を免れて功勳を保全せしめ、以て先王の事迹を顯明するは、是れ臣の上計;虧辱の誹謗を遭受し、先王の明を毀壞するは、是れ臣の最大の恐懼なり。測る可からざるの罪に面臨して、僥倖を以て利と當るは、是れ義の敢えて出でざる所。臣聞く君子交を絕つる惡言なく、離去の臣惡聲なしと。臣雖然不肖なれど、屢々君子其の處に於て教を奉じたり、臣怕る侍御の人親近交結するの説法、疏遠の品行を體察せざるを、ゆえに敢えて書信を以て辭謝す」。
齊人鄒陽客遊於梁,人或讒之於孝王,孝王怒,系而將欲殺之。鄒陽客遊,見讒自冤,乃從獄中上書,其辭曰:"臣聞忠無不報,信不見疑。臣常以為然,徒虛言爾。昔者,荊軻慕燕丹之義,白虹貫日,太子畏之;衛先生為秦畫長平之計,太白蝕昂,昭王疑之。夫精變天地,而信不諭兩主,豈不哀哉?今臣盡忠竭誠,畢義願知,左右不明,卒從吏訊,為世所疑,是使荊軻衛先生復起,而燕秦不悟也,願大王熟察之。昔者,玉人獻寶,楚王誅之;李斯竭忠,胡亥極刑。是以箕子狂佯,接輿避世,恐遭此變也。願大王熟察玉人李斯之意,而後楚王胡亥之聽,無使臣為箕子接輿所嘆。
齊人鄒陽客游梁に在り、人孝王に讒を進め、孝王發怒して、關入れて將に彼を殺さんとす。鄒陽客游して、讒せられて自ら冤枉を覺え、卽ち獄中より上書して、文辭曰く、「臣聞く忠報答せられざるなく、信懷疑せられずと。臣常常以爲是れかくのごとし、只是れ空話のみ。從前、荆軻燕丹の義を仰慕して、白虹日を貫くも、太子卽ち彼を怕れ;衞先生秦のため長平の計策を謀劃して、太白昴星を侵蝕すも、昭王卽ち彼を懷疑す。精誠天地をして變せしめ、而して誠信能く兩主をして明白せしめず、豈悲哀ならずや?如今臣忠を盡くし誠を竭くし、道義を竭盡して知られんと願うも、左右明ならず、終に獄吏の審訊に聽從して、世人に疑わる、是れ荆軻・衞先生をして再び起こして、而して燕・秦還りて醒悟せざらしむなり、願わくは大王仔細に體察せん。從前、玉人寶を獻じて、楚王之を誅殺し;李斯忠を竭くして、胡亥極刑に處せり。此に因りて箕子狂を裝い、接輿世を避くる、此種の變故に遭遇するを怕るるなり。願わくは大王仔細に玉人・李斯の心意を體察して、而して楚王・胡亥の聽信を後面に放きて、臣をして箕子・接輿に歎息せられざらしめよ」。
臣聞比干剖心,子胥鴟夷,臣始不信,乃今知之,願大王熟察之,少加憐焉。諺曰:'有白頭而新,傾蓋而故。’何則?知與不知也。昔者,樊於期逃秦之燕,籍荊軻首以奉丹之事;王奢去齊之魏,臨城自剄,以卻齊而存魏。王奢樊於期,非新於齊秦,而故於燕魏也,所以去二國,死兩君者,行合於志,而慕義無窮也。是以蘇秦不信於天下,為燕尾生,白圭戰亡六城,為魏取中山,何則?誠有以相知也。蘇秦相燕,燕人惡之於燕王,燕王按劍而怒,食之以駃騠;白圭顯於中山,中山人惡之於魏文侯,文侯投以夜光之璧。何則?兩主二臣,剖心析肝相信,豈移於畜辭哉!
臣聞く比干心を剖かれ、子胥鴟夷に裝められしを、臣起初信ぜざるも、如今纔かに知る、願わくは大王仔細に體察して、稍微憐憫を加以せん。諺語曰く、『白頭に至りて纔かに新交を成す有り、傾蓋して卽ち故交を成す有り』と。何ぞや?知と不知とに在るなり。從前、樊於期秦より燕に逃げて、腦袋を荆軻に借し給いて以て燕丹の事を成就せり;王奢齊を離れて魏に至り、城に臨みて自刎して、以て齊を退却して魏を保全せり。王奢・樊於期は、齊・秦に對して新交にあらず、燕・魏に對して故交にあらざるに、ゆえに兩國を離れて兩君のため死するは、是れ行爲志向に合して、而して道義を仰慕する窮盡なきなり。此に因りて蘇秦天下に信任せられざるも、卽ち燕の尾生を爲り;白圭作戰して六城を丟失せるも、卽ち魏のため中山を取得せり、何ぞや?確かに相知有るなり。蘇秦燕相を爲るに、燕人燕王に向かいて其の壞話を説くも、燕王劍を按じて發怒して、駿馬の肉を拿して彼に喫せしむ;白圭中山に於て顯達するに、中山人魏文侯に向かいて其の壞話を説くも、文侯夜光璧を以て彼に投給す。何ぞや?兩主二臣、心を剖き肝を析りて互相いに信任す、豈衆人の話に因りて改變せんや!
故女無美惡,居宮見妒;士無賢不肖,入朝見嫉。昔司馬喜臏於宋,卒相中山;範睢拉脅折齒於魏,卒為應侯。此二人者,皆信必然之畫,捐朋黨之私,挾孤獨之交,故不能自免於嫉妒之人也。是以申屠狄蹈流之河,徐衍負石入海,不容於世,義不苟取,比周於朝,以移主上之心。故百里奚乞食於道路,繆公委之以政,甯戚飯牛車下,而桓公任之以國。此二人者,豈借官於朝,假譽於左右,然後二主用之哉!感於心,合於行,堅於膠漆,昆弟不能離,豈惑於眾口哉!
ゆえに女子美醜を論ぜず、宮に住进せば卽ち嫉妒せられ;士賢不肖を論ぜず、朝に進入せば卽ち嫉恨せらる。從前司馬喜宋に於て臏刑を受けて、終に中山相を爲り;范雎魏に於て肋骨を打斷し牙齒を打掉せられて、終に應侯を爲る。此の兩個人は、皆確かに必然の謀劃を信じ、朋黨の私を拋棄し、孤獨の交誼を懷抱す、ゆえに能く自己嫉妒する人を免れず。此に因りて申屠狄河に投げ、徐衍石を負いで海に入り、世に容れられず、義苟取せず、朝に於て黨を結びて以て主上の心を轉移せしめず。ゆえに百里奚道路に於て食を乞えども、繆公政事を彼に委託し;寧戚車下に於て牛を餧えども、桓公國事を彼に任用せり。此の兩個人は、何處にか朝中の官を憑藉し、左右の聲譽を假借して、然る後二主纔かに彼らを任用せんや!心相感じ、行相合して、膠漆のごとく堅固なれば、兄弟能く離間せず、豈衆口に迷惑せられんや!
故偏聽生奸,獨任成亂。昔魯聽季孫之說逐孔子,宋信子冉之計逐墨翟。夫以孔墨之辯,而不能自免於諂諛,而二國以危。何則?眾口鑠金,積毀銷骨,是以秦用戎人由呈而霸中國,齊用越人子臧而強威宣,此二國豈拘於俗,牽於世,系奇偏之辭哉!公聽共觀,垂名當世,故意合,則胡越為兄弟,由呈子臧是也;不合,則骨肉為仇讎,朱象。管蔡是也。今人主如能用齊秦之明,後宋魯之聽,則五伯不足侔,三王易為比也。是以聖王覺悟,捐子之心,能不說于田常之賢,封比干之後,修孕婦之墓,故功業覆於天下。何則?欲善無厭也。夫晉文公親其讎,而強霸諸侯;齊桓公用其仇,而一匡天下,何則?慈仁殷勤,誠加於心,不可以虛辭借也。
ゆえに偏聽奸を生產し、獨自任用亂を造成す。從前魯季孫の話を聽きて孔子を驅逐し、宋子冉の計を信じて墨翟を驅逐す。孔・墨の辯才を憑るも、還りて能く自己諂諛を免れず、而して兩國因りて危險せり。何ぞや?衆口能く金子を熔化し、積累の毀謗能く骨頭を銷毀す。此に因りて秦戎人由余を用いて中國に稱霸し、齊越人子臧を用いて威・宣に於て強盛なり、此の兩國何處にか俗に拘泥し世に牽累し偏頗の言辭に繫せんや!公正に聽き共同に看て、當世に名を垂る、ゆえに心意相合せば、則ち胡越兄弟と爲る、由余・子臧卽ちかくのごとし;相合せざれば、則ち骨肉仇敵と爲る、丹朱・象・管叔・蔡叔卽ちかくのごとし。如今人主若し能く齊・秦の明智を用い、宋・魯の聽信を後面に放たば、則ち五伯足りて相比せず、三王並列し易し。此に因りて聖王覺悟して、兒子の心を拋棄し、能く田常の賢に喜悅せられず、比干の後代を封じ、孕婦の墓を修むるは、ゆえに功業天下を覆蓋す。何ぞや?善を爲さんと欲して滿足なきなり。晉文公其の仇人を親近して強く諸侯に霸し;齊桓公其の仇人を用いて天下を一匡す、何ぞや?慈仁殷勤にして、誠心に加えて、虛辭を以て假借す可からざるなり。
至夫秦用商鞅之法,東弱韓魏,立強天下,而卒車裂商君;越用大夫種之謀,擒勁吳,霸中國,卒誅其身,是以孫叔敖三去相而不悔;於陵仲子辭三公,為人灌園。今世主誠能去驕傲之心,懷可報之意,披心腹,見情素,隳肝膽,施德厚,終與之窮通,無愛於士,則桀之狗,可使吠堯;蹠之客,可使刺由。況因萬乘之權,假聖王之資乎?然則荊軻之沈七族,要離燔妻子,豈足為大王道哉!明月之珠,夜光之璧,以闇投入於道路,眾無不按劍相眄者,何則?無因至前也。幡木根柢,輪囷離奇,而為萬乘器者,以左右先為之容也。故無因而至前,雖出隨侯之珠,夜光之璧,只足以結怨而不見德。故有人先遊,則以枯木朽株,樹功而不忘,今使天下布衣窮居之士,身在貧賤,雖蒙堯舜之術,挾伊管之辯,素無根柢之容,而欲竭精神,開忠信,輔人主之治,則人主必襲按劍相眄之跡矣,是使布衣不得當枯木朽株之資也。
至りて秦商鞅の法を用いて、東面韓・魏を削弱して、立刻天下に強盛なりしも、而して終に商君を車裂し;越大夫種の謀を用いて、強呉を擒獲して、中國に稱霸せるも、終に其の自身を誅殺せり。此に因りて孫叔敖三次相位を離れて後悔せず;于陵仲子三公を辭して、人に灌園せり。如今世上の主若し能く驕傲の心を去掉し、報答する可きの意を懷き、胸腹を敞開し、眞情を顯現し、肝膽を披露し、厚德を施加し、始終彼と窮通を同じくして、士に對して吝嗇なからんば、則ち桀の狗も之をして堯に吠えしむ可し;跖の門客も之をして許由を刺しむ可し。況んや萬乘の權を憑藉し聖王の資を借助するをや?然らば荆軻七族を連累して沉せられ、要離妻子を燒死せしも、何處にか大王に説くに値せんや!明月珠・夜光璧を、暗處に於て道路の人の前に投ぜば、衆人劍を按じて斜視せざるなし、何ぞや?因由なくして前に到るなり。彎曲の木根は、輪囷離奇なれど、卽ち萬乘の器物と爲るは、是れ左右先だち之に修飾するに因るなり。ゆえに因由なくして前に到れば、たとい隨侯珠・夜光璧を拿出すとも、只足りて怨を結びて德を見えず。ゆえに人先に游揚すれば、卽ち枯木朽株も、能く功を立てて忘記せられず。如今天下布衣窮居の士をして、身貧賤に在り、たとい堯舜の術を蒙受し伊尹・管仲の辯才を挾持するも、素來根柢の修飾なく、卽ち精神を竭盡し、忠信を敞開して、人主の治理を輔助せんと欲せば、則ち人主必ず沿襲劍を按じ斜視するの做法せん、是れ布衣枯木朽株の資格を當てるを得ざらしむなり。
是以聖王制世御俗,獨化於陶鈞之丘,能不牽乎卑亂之言,不惑乎眾多之口,故秦皇帝任中庶子蒙之言,以信荊軻之說,故匕首竊發。周文王校獵涇渭,載呂尚而歸,以王天下。秦信左右而弒,周用烏集而王。何則?以其能越攣拘之語,馳域外之議,獨觀於昭曠之道也。今人主沈於諂諛之辭,牽於帷牆之制,使不羇之士,與牛驥同皁,此鮑焦之所以忿於世,而不留於富貴之樂也。臣聞盛飾以朝者,不以私行義;砥礪名號者,不以利傷行。故里名勝母,而曾子不入;邑號朝歌,墨子回車。今使天下寥廓之士,籠於威重之權,脅於勢位之貴,回面汙行,以事諂諛之人,求親近於左右,則士有伏死崛穴巖藪之中耳,安有盡精神而趨闕下者哉!"書奏孝王,孝王立出之,卒為上客。
此に因りて聖王世道を治理し習俗を駕馭するに、獨自陶鈞の上に於て變化し、能く卑亂の話に牽累せられず、衆多の口に迷惑せられず。ゆえに秦皇帝中庶子蒙の話を聽任して、以て荆軻の説法を相信せり、ゆえに匕首暗中發作せり。周文王涇渭に於て校獵して、呂尚を載せて囘來り、此に因りて天下に王と稱す。秦左右を信じて弑せられ、周烏鴉聚集するがごとき人を用いて王と稱す。何ぞや?因りて能く拘攣の話を超越し、域外の議論を馳騁し、獨自昭曠の道を觀察するを以てなり。如今人主諂諛の辭裏に沈溺し、帷墻の制約に牽累して、羈絆を受けざるの士をして牛・驥と同槽ならしむ、此れ卽ち鮑焦世に對して忿恨し、富貴の樂を留戀せざるの緣故なり。臣聞く盛裝して朝に上るは、私を用いて義を行わず;名號を砥礪するは、利を用いて品行を傷害せず。ゆえに里名勝母なるは、曾子進入せず;邑號朝歌なるは、墨子車子を掉轉す。如今天下寥廓の士をして、威重の權に籠罩せられ、勢位の貴に脅迫せられ、臉を轉じ品行を污穢して、以て諂諛の人を事奉し、左右に於て親近を求めんとせば、則ち士只有りて崛穴巖藪の中に隱伏して死するのみ、何處にか精神を竭盡して闕下に奔向する有らんや!」書孝王に奏上す、孝王立刻彼を放出して、終に上客を爲る。
雜事第四
雜事第四
管仲言齊桓公曰:"夫墾田刱邑,闢田殖穀,盡地之利,則臣不若甯戚,請置以為田官。登降揖讓,進退閒習,則臣不若隰朋,請置以為大行。蚤入晏出,犯君顏色,進諫必忠,不重富貴,不避死亡,則臣不若東郭牙,請置以為諫臣。決獄折中,不誣無罪,不殺無辜,則臣不若弦寧,請置以為大理。平原廣囿,車不結軌,士不旋踵,鼓之而三軍之士,視死若歸,則臣不若王子成甫,請署以為大司馬。君如欲治國強兵,則此五子者足矣,如欲霸王,則夷吾在此。"夫管仲能知人,桓公能任賢,所以九合諸侯,一匡天下,不用兵車,管仲之功也。詩曰:"濟濟多士,文王以寧。"桓公其似之矣。
管仲齊桓公に對して曰く、「田地を開墾し城邑を創立し、田土を開辟して穀物を種植し、地の利を盡くすは、則ち臣寧戚に及ばず、請う彼を安置して田官を爲らしめよ。登降揖讓し、進退熟習するは、則ち臣隰朋に及ばず、請う彼を安置して大行を爲らしめよ。早く入り晚く出で、君の臉色を冒犯して、進諫必ず忠誠し、富貴を看重せず、死亡を躲避せざるは、則ち臣東郭牙に及ばず、請う彼を安置して諫臣を爲らしめよ。獄訟を判決して適中を求取し、罪なきを誣陷せず、無辜を殺害せざるは、則ち臣弦寧に及ばず、請う彼を安置して大理を爲らしめよ。平原廣囿に於て、車子交錯して軌迹せず、士轉身して後退せず、一擊鼓して三軍の士死を視て歸のごとくするは、則ち臣王子成甫に及ばず、請う彼を署任して大司馬を爲らしめよ。君若し國を治め兵を強くせんと欲せば、此の五個人足れり;若し稱霸稱王せんと欲せば、則ち夷吾ここに在り」と。管仲能く人を知り、桓公能く賢を任せり、ゆえに九合諸侯し、天下を一匡し、兵車を用いず、是れ管仲の功勞なり。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。桓公大概是れかくのごとし。
有司請事於齊桓公,桓公曰:"以告仲父。"有司又請,桓公曰:"以告仲父。"若是者三。在側者曰:"一則告仲父,二則告仲父,易哉為君。"桓公曰:"吾未得仲父則難,已得仲父,曷為其不易也。"故王者勞於求人,佚於得賢。舜舉眾賢在位,垂衣裳,恭己無為,而天下治。湯文用伊。呂,成王用周。邵,而刑措不用,兵偃而不動,用眾賢也。桓公用管仲則小也,故至於霸,而不能以王。故孔子曰:"小哉,管仲之器。"蓋善其遇桓公,惜其不能以王也。至明主則不然,所用大矣。詩曰:"濟濟多士,文王以寧。"此之謂也。
有司齊桓公に向かいて事情を請示す、桓公曰く、「往きて仲父に告げよ」と。有司又請示す、桓公曰く、「往きて仲父に告げよ」と。かくのごとく三次。旁邊に在る人曰く、「一次仲父に告げ、兩次仲父に告ぐ、君を爲ること眞に容易なり」と。桓公曰く、「我未だ仲父を得ざる時卽ち難く、已に仲父を得て、何ぞ容易ならざらん?」と。ゆえに王者人を求むる時勞苦し、賢人を得て後安逸す。舜衆賢を擧用して位に在りて、衣裳を垂れて、恭敬自己爲す所なくして、而して天下治理す。湯・文王伊尹・呂尚を任用し、成王周公・召公を任用して、而して刑罰擱置して用いられず、兵器停息して動かず、是れ衆賢を任用す。桓公管仲を任用して卽ち小なり、ゆえに稱霸に至りて、卽ち能く王と稱せず。ゆえに孔子曰く、「小なるかな、管仲の器量」と。大概是れ彼を稱讚して桓公に遇上したる、彼を惋惜して能く王と稱せざるを。明主に至れば則ち此のごとくならず、用いる所大なり。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。是れ此を説くなり。
公季成謂魏文侯曰:"田子方雖賢人,然而非有土之君也,君常與之齊禮,假有賢於子方者;君又何以加之?"文侯曰:"如子方者,非成所得議也。子方,仁人也。仁人也者,國之寶也;智士也者,國之器也;博通士也者,國之尊也,故國有仁人,則群臣不爭,國有智士,則無四鄰諸侯之患,國有博通之士,則入主尊固,非成之所議也。"公季成自退於郊三日請罪。
公季成魏文侯に對して曰く、「田子方雖然是れ賢人なれど、可是是れ土地有るの君にあらず、君常常彼と同等の禮を行う、假如子方より更に賢なる人有らば、君又以て何を其の上に加えんか」と。文侯曰く、「子方のごとき人は、是れ季成の議論する能くする所にあらず。子方是れ仁人なり。仁人是れ國の寶;智士是れ國の器;博通の士是れ國の尊。ゆえに國仁人有れば、則ち群臣爭わず;國智士有れば、則ち四鄰諸侯の患なし;國博通の士有れば、則ち人主尊固なり。是れ季成の議論する能くする所にあらず」と。公季成自己郊外に退きて三天請罪す。
魏文侯弟曰季成,友曰翟黃,文侯欲相之而未能決,以問李克。克對曰:"君若置相,則問樂商與王孫苟端庸賢?"文侯曰:"善。"以王孫苟端為不肖,翟黃進之;樂商為賢,季成進之,故相季成。故知人則哲,進賢受上賞,季成以知賢,故文侯以為相。季成,翟黃,皆近臣親屬也,以所進者賢別之,故李克之言是也。
魏文侯の弟弟季成と叫ぶ、朋友翟黃と叫ぶ、文侯彼らを用いて相を爲らんと欲して能く決定せず、李克に問う。李克答えて曰く、「君若し相を設置せば、則ち樂商と王孫苟端と誰か賢なるを問え」と。文侯曰く、「好し」と。因りて王孫苟端不肖なるは、是れ翟黃の擧薦する所;樂商賢なるは、是れ季成の擧薦する所、ゆえに季成を用いて相を爲す。ゆえに人を知る卽ち是れ明智、賢を進めるは上等の賞を受く、季成因りて賢を知る、ゆえに文侯彼を用いて相を爲す。季成・翟黃皆是れ近臣親屬、擧薦する所の人賢不肖を以て分別す、ゆえに李克の話是れ對なり。
孟嘗君問於白圭曰:"魏文侯名過於桓公,而功不及五伯,何也?"白圭對曰:"魏文侯師子夏,友田子方,敬段幹木,此名之所以過於桓公也。卜相則曰:'成與黃庸可?’此功之所以不及王伯也。以私愛妨公舉,在職者不堪其事,故功廢,然而名號顯榮者,三士翊之也,如相三士,則王功成,豈特霸哉!"
孟嘗君白圭に問う、「魏文侯名聲桓公を超過して、而して功勞五伯に趕上せず、何ぞや」と。白圭答えて曰く、「魏文侯子夏を以て師と爲し、田子方を以て友と爲し、段干木を敬重す、是れ名聲の桓公を超過する所以の緣故なり。相を卜問して卽ち曰く、『季成と翟黃と誰か可なるか』と。是れ功勞の王伯に趕上せざる所以の緣故なり。私愛を用いて公擧を妨害し、在職の人事を擔當する能わず、ゆえに功勞廢す、然るに名號顯榮なるは、是れ三位の士彼を輔佐す。若し此の三位の士を用いて相を爲らば、則ち王功成就せん、何處にか只霸のみならんや!」
晉平公問於叔尚曰:"昔者齊桓公九合諸侯,一匡天下,不識其君之力乎?其臣之力乎?"叔尚對曰:"管仲善制割,隰朋善削縫,賓胥無善純緣,桓公知衣而已。亦其臣之力也。"師曠侍曰:"臣請譬之以五味,管仲善斷割之,隰朋善煎熬之,賓胥無善齊和之。羹以熟矣,奉而進之,而君不食,誰能強之,亦君之力也。"
晉平公叔向に問う、「從前齊桓公九合諸侯して、天下を一匡す、是れ君の力量か、還りて臣の力量かを知らず」と。叔向答えて曰く、「管仲善く裁割し、隰朋善く削縫し、賓胥無善く鑲邊す、桓公只衣を穿つことを知るのみ。亦是れ臣の力量なり」と。師曠陪侍して曰く、「臣請う五味を以て比喻せん:管仲善く切斷し、隰朋善く煎熬し、賓胥無善く調和す。羹已に熟し、捧げて進上す、而して君喫せざれば、誰か能く彼を強迫せん、亦是れ君の力量なり」と。
昔者,齊桓公與魯莊公為柯之盟,魯大夫曹劌謂莊公曰:"齊之侵魯,至於城下,城壞壓境,君不圖與?"莊公曰:"嘻!寡人之生不若死。"曹劌曰:"然,則君請當其君,臣請留其臣。"及會,兩君就壇,兩相相揖,曹劌手劍拔刀而進,迫桓公於壇上曰:"城壞壓境,君不圖與?"管仲曰:"然,則君何求?"曹劌曰:"願請汶陽田。"管仲謂桓公曰:"君其許之。"桓公許之,曹劌請盟,桓公遂與之盟。已盟,標劍而去。左右曰:"要盟可倍,曹劌可讎,請倍盟而討曹劌。"管仲曰:"要盟可負,而君不負;曹劌可讎,而君不讎,著信天下矣。"遂不倍。天下諸侯,翕然而歸之,為鄄之會,幽之盟,諸侯莫不至焉。為陽穀之會,貫澤之盟,遠國皆來,南伐強楚,以致菁茅之貫;北伐山戎,為燕開路,三存亡國,一繼絕世,尊事周室,九合諸侯,一匡天下,功次三王,為五伯長,本信起乎柯之盟也。
從前、齊桓公魯莊公と柯に於て結盟す、魯大夫曹劌莊公に對して曰く、「齊魯を侵して城下に至り、城壞れ國境壓迫せらる、君考慮せずや」と。莊公曰く、「嘻!寡人生きる死するに如かず」と。曹劌曰く、「然らば君請う其の君を抵當し、臣請う其の臣を扣留せん」と。會盟するに及びて、兩君壇に就き、兩相對揖を作す、曹劌劍を手持ち刀を拔きて進み前にして、壇上桓公を逼迫して曰く、「城壞れ國境壓迫せらる、君考慮せずや」と。管仲曰く、「然らば君何を要求するか」と。曹劌曰く、「願わくは汶陽の田を請求せん」と。管仲桓公に對して曰く、「君還りて答應せよ」と。桓公答應す、曹劌結盟を請求す、桓公卽ち彼と結盟す。已に結盟して、曹劌劍を收めて離去す。左右曰く、「要挾せらるるの盟背棄す可く、曹劌仇視す可し、請う盟を背きて曹劌を討伐せん」と。管仲曰く、「要挾せらるるの盟背負す可きも、而して君背負せず;曹劌仇視す可きも、而して君仇視せず、是れ天下に於て信用を樹立するなり」と。於是背棄せず。天下諸侯翕然として歸附して、鄄の會・幽の盟を爲り、諸侯到らざるなし。陽谷の會・貫澤の盟を爲り、遠國皆來り、南強楚を伐ちて、菁茅の貢を取得し;北山戎を伐ちて、燕のため路を開き、三次亡國を保存し、一次絕世を接續し、周室を尊事し、九合諸侯し、天下を一匡し、功勞僅かに三王に次ぎて、五伯の長を爲る、信用本來柯の盟より開始す。
晉文公伐原,與大夫期五日,五日而原不降,文公令去之。軍吏曰:"原不過三日,將降矣,君不待之?"君曰:"得原失信,吾不為也。"原人聞之曰:"有君義若此,不可不降也。"遂降,溫人聞之,亦請降。故曰:"伐原而溫降。"此之謂也。於是諸侯歸之,遂侵曹伐衛,為踐土之會,溫之盟後南破強楚,尊事周室,遂成霸功,上次齊桓,本信由伐原也。
晉文公原を伐ちて、大夫と五天を約定し、五天して原投降せず、文公下令して離去す。軍吏曰く、「原三天を超過せずして將に投降せん、君待たずや」と。君曰く、「原を得て信を失うは、我爲さず」と。原人聞きて後曰く、「君の義かくのごとき有るは、投降せざる可からず」と。於是投降す。溫人聞きて、亦投降を請求す。ゆえに曰く、「原を伐ちて溫投降す」と。是れ此を説くなり。於是諸侯歸附して、卽ち曹を侵し衛を伐ち、踐土の會・溫の盟を爲り、後來南強楚を破り、周室を尊事し、終に霸功を成就し、上齊桓と並列す、信用本來原を伐つより來れり。
昔者,趙之中牟叛,趙襄子率師伐之,圍未合而城自壞者十堵,襄子擊金而退。士軍吏曰:"君誅中牟之罪,而城自壞,是天助也,君曷為去之?"襄子曰:"吾聞之於叔尚曰:'君子不乘人於利,不迫人於險。’使之城而後攻。"中牟聞其義,乃請降。詩曰:"王猶允塞,徐方既來。"此之謂也。襄子遂滅知氏,幷代為天下強,本由伐中牟也。
從前、趙の中牟反叛す、趙襄子軍を率いて討伐し、包圍未だ合攏せざるに而して城墻自己十堵を壞す、襄子金を擊ちて兵を退く。士卒軍吏曰く、「君中牟の罪を誅するに、而して城自己壞るるは、是れ天の幫助、君何ぞ離去するか」と。襄子曰く、「我叔向其の處より聞く、『君子人有利の時に趁りて人を欺かず、人危險の時に於て人を逼迫せず』と。彼らをして城を修好して再び攻めしめよ」と。中牟其の義を聞きて、卽ち投降を請求す。『詩經』に曰く、「王の謀略誠信充實なり、徐方已に來りて歸す」と。是れ此を説くなり。襄子終に知氏を滅掉し、代を兼倂して、天下の強と爲る、本來中牟を伐つより來れり。
楚莊王伐鄭,克之。鄭伯肉袒,左執茅旌,右執鸞刀,以迎莊王。曰:"寡人無良邊陲之臣,以幹天下之禍。是以使君王昧焉,辱到弊邑,君如憐此喪人,錫之不毛之地,唯君王之命。"莊王曰:"君之不令臣交易為言,是以使寡人得見君王之玉面也,而微至乎此!"莊王親自手旌,左右麾軍,還舍七里。將軍子重進諫曰:"夫南郢之與鄭相去數千裡,諸大夫死者數人,斯役死者數百人,今克而不有,無乃失民力乎?"莊王曰:"吾聞之,古者盂不穿,皮不蠹,不出四方,以是君子重禮而賤利也,要其人不要其土,人告徙而不赦,不祥也,吾以不祥立乎天下,菑之及吾身,何日之有矣。"
楚莊王鄭を伐ちて、攻克せり。鄭伯上身を裸露し、左手茅旌を持ち、右手鸞刀を持ちて、來りて莊王を迎接す。曰く、「寡人好き邊陲の臣なく、以致天下の禍を觸犯せり。此に因りて君王をして辛苦を顧みずして、弊邑に辱臨せしめり。君若し此の喪國の人を憐憫せば、莊稼を長を長ぜざる土地を賜給して、只君王の命令を聽かん」と。莊王曰く、「君それらの不好き臣交替して進言して、此に因りて寡人をして君王の玉面を見るを得て、而して微微此の地步に到らしめり!」と。莊王親ら手旌旗を持ちて、左右軍隊を指揮して、後退して七里扎營す。將軍子重進諫して曰く、「南郢と鄭と相距ること幾千里、各位の大夫死す幾人、厮役死す幾百人、如今攻克して卽ち占有せず、恐怕民力を失去せんか」と。莊王曰く、「我聞く、古代盂穿破せず皮革蟲に蛀まれざれば、四方に出でず、此に因りて君子禮を看重して利を看輕し、其の人を要して其の土を要せず。人已に遷り告ぐるに還りて赦免せざれば、不祥。我不祥を用いて天下に立てば、災禍我が身に至る、還りて幾日か有らん」と。
既而晉人之救鄭者至,請戰,莊王許之,將軍子重進諫曰:"晉,強國也,道近力新,楚師疲勢,君請勿許。"莊王曰:"不可。強者我避之,弱者我威之,是寡人無以立乎天下也。"遂還師以逐晉寇,莊王援枹而鼓之,晉師大敗,晉人來渡河而南,及敗,奔走欲渡而北,卒爭舟,而以刃擊引,舟中之指可掬也,莊王曰:"嘻,吾兩君之不能相也,百姓何罪。"乃退師,以軼晉寇。詩曰:"柔亦不茹,剛亦不吐。不侮鰥寡,不畏強禦。"莊王之謂也。
隨後鄭を救うの晉人到りて、交戰を請求す、莊王答應す。將軍子重進諫して曰く、「晉是れ強國、路近く力新た、楚師疲憊す、君請う答應する勿れ」と。莊王曰く、「不可。強は我躲避し、弱は我威懾す、かくのごとくば寡人卽ち以て天下に立つ所なくせん」と。於是師を囘して晉寇を追逐し、莊王枹を拿起して鼓を擊ちて、晉師大敗す。晉人來る時河南を渡りて下り、戰敗するに及びて、奔走して河北を渡りて上らんと欲し、士卒船を爭い、刀を以て船舷を攀著するの手を砍りて、舟中の手指捧げ起す可し。莊王曰く、「嘻、我ら兩國の君能く相讓せず、百姓何の罪か有らん」と。於是師を退きて、晉寇を放走す。『詩經』に曰く、「柔も亦吞まず、剛も亦吐かず。鰥寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。是れ莊王を説くなり。
晉人伐楚,三舍不止。大夫曰:"請擊之。"莊王曰:"先君之時,晉不伐楚,及孤之身,而晉伐楚,是寡人之過也。如何其辱諸大夫也?"大夫曰:"先君之時,晉不伐楚,及臣之身,而晉伐楚,是臣之罪也。請擊之。"莊王俛泣而起,拜諸大夫。晉人聞之曰:"君臣爭以過為在己,且君下其臣猶如此,所謂上下一心,三軍同力,未可攻也。"乃夜還師。孔子聞之曰:"楚莊王霸其有方矣。下士以一言而敵還,以安社稷,其霸不亦宜乎?"詩曰:"柔遠能邇,以定我王。"此之謂也。
晉人楚を伐ちて、後退三舍して還りて停止せず。大夫曰く、「請う攻擊せん」と。莊王曰く、「先君の時候、晉楚を伐たず、孤の身に至りて、晉卽ち楚を伐つ、是れ寡人の過失なり。何を以て各位の大夫をして受辱せしめんか」と。大夫曰く、「先君の時候、晉楚を伐たず、臣の身に至りて、晉卽ち楚を伐つ、是れ臣の罪なり。請う攻擊せん」と。莊王頭を低くして哭泣して起身し、各位の大夫を拜す。晉人聞きて後曰く、「君臣爭いて過失を自己に歸して、況んや君自己の臣に對して謙下するかくのごとき、所謂上下一心して、三軍同力す、攻む可からず」と。於是夜裏軍を撤す。孔子聞きて後曰く、「楚莊王稱霸するは方法有り。一句話を以て士を下して敵人退還して、以て社稷を安定す、其の稱霸は亦應然ならずや」と。『詩經』に曰く、「遠方を安撫し近處を親睦して、以て我らの王を安定す」と。是れ此を説くなり。
晉文公將伐鄴,趙衰言所以勝鄴,文公用之而勝鄴,將賞趙衰。趙衰曰:"君將賞其末乎?賞其本乎?賞其末則騎乘者存;賞其本則臣聞之郄虎。"公召郄虎曰:"衰言所以勝鄴,遂勝,將賞之。曰:'蓋聞之子,子當賞郄虎。’"對曰:"言之易,行之難,臣言之者也。"公曰:"子無辭。"郄虎不敢固辭,乃受賞。
晉文公將に鄴を伐たんとして、趙衰以て鄴に戰勝するの方法を講じ、文公文用いて而して鄴に戰勝し、將に趙衰を賞せんとす。趙衰曰く、「君將に末梢を賞するか?還りて根本を賞するか?末梢を賞せば則ち馬に騎り車に乘る人在り;根本を賞せば則ち臣是れ郄虎より聽聞せしなり」と。文公郄虎を召して曰く、「趙衰以て鄴に戰勝するの方法を講じ、於是戰勝せり、將に彼を賞せんとす。彼曰く、『大概是れ您より聽聞せし、您當に賞を受くべし』と」と。郄虎答えて曰く、「説くこと容易く、預測すること難し。臣是れ説くの人なり」と。文公曰く、「您推辭する勿れ」と。郄虎敢えて堅く推辭せず、卽ち賞を接受す。
梁大夫有宋就者,嘗為邊縣令,與楚鄰界。梁之邊亭,與楚之邊亭,皆種瓜,各有數。梁之邊亭人,劬力數灌其瓜,瓜美。楚人窳而稀灌其瓜,瓜惡。楚令因以梁瓜之美,怒其亭瓜之惡也。楚亭人心惡梁亭之賢己,因往夜竊搔梁亭之瓜,皆有死焦者矣。梁亭覺之,因請其尉,亦欲竊往報搔楚亭之瓜,尉以請宋就。就曰:"惡是何可構怨禍之道也,人惡亦惡,何偏之甚也。若我教子必每暮令人往竊為楚亭夜善灌其瓜,勿令知也。"於是梁亭乃每暮夜竊灌楚亭之瓜,楚亭旦而行瓜,則又皆以灌矣,瓜日以美,楚亭怪而察之,則乃梁亭之為也。楚令聞之大悅,因具以聞楚王,楚王聞之,惄然愧以意自閔也,告吏曰:"微搔瓜者,得無有他罪乎?此梁之陰讓也。"乃謝以重幣,而請交於梁王,楚王時則稱說,梁王以為信,故梁楚之歡,由宋就始。語曰:"轉敗而為功,因禍而為福。"老子曰:"報怨以德。"此之謂也。夫人既不善,胡足效哉!
梁大夫宋就有る者有り、曾て邊縣令を爲りて、楚と相鄰す。梁の邊亭と楚の邊亭と皆瓜を種り、各々定數有り。梁の邊亭人勤力して屢々瓜を澆灌して、瓜美し。楚人懶惰にして少しく瓜を澆まず、瓜惡し。楚令因りて梁瓜美なるに因りて、亭瓜惡きに對して發怒す。楚亭人心裏梁亭の自己に勝れるを厭惡して、於是夜裏偷偷として梁亭の瓜を搔擾して、皆死焦する有り。梁亭發覺して、於是尉に請求して、亦偷偷として往きて楚亭の瓜を報復搔擾せんと欲す。尉此の事を以て宋就に請示す。宋就曰く、「此れ何處にか可ならん、是れ怨を結び禍を惹くの路子なり。別人惡にして我亦惡なれば、何等偏激なるか。若し我に依りて你らに教えば、一定每日傍晚人を派して偷偷として楚亭に夜裏好く瓜を澆ましめ、彼らをして知らしむる勿れ」と。於是梁亭卽ち每日夜裏偷偷として楚亭の瓜を澆み、楚亭早晨瓜田を巡行すれば、則ち又皆已に澆まれて、瓜一天一天愈美し。楚亭奇怪として察看すれば、原來是れ梁亭の爲すなり。楚令聞きて大悅して、於是全部楚王に稟報す、楚王、楚王聞きて、憂愧として自己を憫惜し、吏に告げて曰く、「それらの偷偷として瓜を搔するは、該に別の罪有らざるか?此れ是れ梁暗中謙讓するなり」と。於是重幣を以て道歉し、梁王と結交するを請求す、楚王時時稱説して、梁王以爲可信なり、ゆえに梁楚の歡好宋就より開始す。
梁嘗有疑獄,群臣半以為當罪,半以為無罪,雖梁王亦疑。梁王曰:"陶之朱公,以布衣富侔國,是必有奇智。"乃召朱公而問曰:"梁有疑獄,獄吏半以為罪,半以為不當罪,雖寡人亦疑,吾子決是奈何?"朱公曰:"臣鄙民也,不知當獄,雖然,臣之家有二白璧,其色相如也,其徑相如也,其澤相如也。然其價一者千金,一者五百金。"王曰:"徑上色澤相如也,一者千金。一者五百金,何也?"朱公曰:"側而視之,一者厚倍,是以千金。"梁王曰:"善。"故獄疑則從去,賞疑則從與,梁國大悅。由此觀之,牆薄則前壞,繒薄則前裂,器薄則前毀,酒薄則前酸。夫薄而可以曠日持久者,殆未有也。故有國畜民施政教者,宜厚之而可耳。
梁曾て疑獄有りて、群臣一半以爲該に罪を定むべし、一半以爲罪なし、たとい梁王も亦懷疑す。梁王曰く、「陶の朱公、布衣を憑りて富國家に比す、一定奇智有らん」と。於是朱公を召して問う、「梁疑獄有りて、獄吏一半以爲罪有り、一半以爲該に罪を定む可からず、たとい寡人も亦懷疑す、您此の事を裁決する如何」と。朱公曰く、「臣是れ鄙陋の民、如何に獄を斷ずべきを知らず。然るにと雖も、臣家裏兩塊の白璧有りて、顏色相像、直徑相像、光澤相像す。可是價錢一塊是れ千金、一塊是れ五百金」と。王曰く、「直徑・上色・光澤相像して、一塊千金、一塊五百金、何ぞや」と。朱公曰く、「側面より看れば、一塊厚きこと一倍、此に因りて千金に値す」と。梁王曰く、「好し」と。ゆえに獄疑有れば則ち輕きに從りて放過し、賞疑有れば則ち優に從りて給與す、梁國大悅す。此より觀れば、墻薄ければ先に壞れ、繒薄ければ先に裂け、器薄ければ先に毀れ、酒薄ければ先に酸む。薄くして曠日持久す可きは、大概無し。ゆえに國有りて民を畜い政教を施行するは、應に厚き纔かに可なり。
楚惠王食寒葅而得蛭,因遂吞之,腹有疾而不能食。令尹入問曰:"王安得此疾也?"王曰:"我食寒葅而得蛭,念譴之而不行其罪乎?是法廢而威不立也,非所以使國聞也;譴而行其誅乎?則庖宰食監法皆當死,心又不忍也,故吾恐蛭之見也,因遂吞之?"令尹避席再拜而賀曰:"臣聞大道無親,惟德是輔。君有仁德,天之所奉也,病不為傷。"是夕也,惠王之後蛭出,故其久病心腹之積皆愈,天之視聽,不可不察也。
楚惠王寒い醃菜を喫して水蛭を得て、於是卽ち吞下去し、腹中病有りて飯を喫する能わず。令尹進み入りて問う、「王何を以て此の病を得たるか」と。王曰く、「我寒い醃菜を喫して水蛭を得たり、譴責せんと欲するも彼らの罪を施行せざるか?かくのごとくば法廢して威立たず、是れ以て國中をして聽聞せしむるに用うるにあらず;譴責して誅殺を施行せんか?則ち庖宰・食監法に依りて皆死すべし、心裏又忍びず。ゆえに我水蛭の見えらるるを怕れて、於是卽ち吞めり」と。令尹席を離れて再拜祝賀して曰く、「臣聞く大道偏私なく、只德有る人を輔助すと。君仁德有るは、是れ天の奉持する所、病傷害と爲ることなからん」と。此の日晚上、惠王之後水蛭出でて、ゆえに其の長久の心腹積病皆痊愈せり。天の視聽は、體察せざる可からず。
鄭人遊於鄉校,以議執政之善否?然明謂子產曰:"何不毀鄉校?"子產曰:"胡為?夫人朝夕遊焉,以議執政之善否。其所善者,吾將行之;其所惡者,吾將改之。是吾師也,如之何毀之?吾聞為國忠信以損怨,不聞作威以防怨。譬之若防川也,大決所犯,傷人必多,吾不能救也,不如小決之,使導吾聞而藥之也。"然明曰:"蔑也,乃今知吾子之信可事也。小人實不材,若果行,此其鄭國實賴之,豈惟二三臣。"仲尼聞是語也,曰:"以是觀人,謂子產不仁,吾不信也。"
鄭人鄉校に於て游びて、以て執政の好壞を議論す。然明子產に對して曰く、「何ぞ鄉校を毀掉せざるか」と。子產曰く、「何ぞや?それらの人早晚其處に於て游びて、以て執政の好壞を議論す。彼らの善とする所は、我將に實行せん;彼らの惡とする所は、我將に改正せん。是れ我が老師、何を以て之を毀掉せん?我聞く國を治むるに忠信を以て怨を減損すと、未だ威を作して以て怨を防止するを聞かず。譬えば水を防ぐがごとし、大決の犯す所は、人を傷する必ず多し、我能く救わず、小決に如かずして、之をして疏導せしめ、我聞きて以て藥と作す」と。然明曰く、「蔑や、如今纔かに您確かに事奉する可きを知る。小人實に不材、若し果して實行せば、此れ鄭國實に之を依賴す、何處にか只兩三個の臣のみならんや」と。孔子此の話を聞きて、曰く、「此を以て人を看れば、子產不仁と説く、我信ぜず」と。
桓公與管仲,鮑叔,甯戚飲酒。桓公謂鮑叔:"姑為寡人祝乎?"鮑叔奉酒而起曰:"祝吾君無忘其出而在莒也,使管仲無忘其束縛而從魯,使寧子無忘其飯牛於車下也。"桓公避席再拜曰:"寡人與二大夫,皆無忘夫子之言,齊之社稷,必不廢矣。"此言常思困隘之時,必不驕矣。
桓公管仲・鮑叔・寧戚と酒を飲む。桓公鮑叔に對して曰く、「姑且寡人のため祝禱せんか」と。鮑叔酒を捧げて起身して曰く、「祝わくは我らの君莒に於て出亡するの時を忘記せざらん、管仲をして魯より捆綁せられて來るの時を忘記せざらん、寧子をして車下に於て牛を餧うの時を忘記せざらんことを」と。桓公席を離れて再拜して曰く、「寡人と兩位の大夫と皆夫子の話を忘記せず、齊の社稷一定廢せざらん」と。是れ常常困厄の時を想着せば、一定驕傲せずと説くなり。
桓公田,至於麥丘,見麥丘邑人,問之:"子何為也?"對曰:"麥丘邑人也。"公曰:"年幾何?"對曰:"八十有三矣。"公曰:"美哉壽乎!子其以子壽祝寡人。"麥丘邑人曰:"祝主君,使主君萬壽,金玉是賤,人為寶。"桓公曰:"善哉!至德不孤,善言必再,吾子其復之。"麥丘邑人曰:"祝主君,使主君無羞學,無下問,賢者在傍,諫者得人。"桓公曰:"善哉!至德不孤,善言必三,吾子其復之。"麥丘邑人曰:"祝主君,使主君無得罪群臣百姓。"桓公拂然作色曰:"吾聞之,子得罪於父,臣得罪於君,未嘗聞君得罪於臣者也,此一言者,非夫二言者之匹也,子更之。"麥丘邑人坐拜而起曰:"此一言者,夫二言之長也,子得罪於父,可以因姑□叔父而解之,父能赦之。臣得罪於君,可以因便辟左右而謝之,君能赦之。昔桀得罪於湯,紂得罪於武王,此則君之得罪於其臣者也。莫為謝,至今不赦。"公曰:"善,賴國家之福,社稷之靈,使寡人得吾子於此。"扶而載之,自御以歸,禮之於朝,封之以麥丘,而斷政焉。
桓公獵を打ちて、麥丘に到りて、麥丘邑人を見て、彼に問う、「您何を爲すか」と。答えて曰く、「麥丘邑人」と。公曰く、「年紀多少か」と。答えて曰く、「八十三及」と。公曰く、「美なるかな長壽!您您の壽を以て寡人に祝禱せよ」と。麥丘邑人曰く、「祝わくは主君、主君をして萬壽ならしめ、金玉看輕して、人をして寶と作さしめんことを」と。桓公曰く、「好き哉!至德孤立せず、善言一定再び説く、您再び一回祝せよ」と。麥丘邑人曰く、「祝わくは主君、主君をして學に向かうを以て羞と爲さず、下に向かいて問うを以て下と爲さず、賢者旁邊に在りて、進諫の人進むを得しめんことを」と。桓公曰く、「好き哉!至德孤立せず、善言一定三次、您再び一回祝せよ」と。麥丘邑人曰く、「祝わくは主君、主君をして群臣百姓に得罪せざらしめんことを」と。桓公勃然として色を變じて曰く、「我聞く、兒子父親に得罪し、臣君に得罪す、未だ曾て君臣に得罪するを聞かず、此の一句話是れ其の兩句話の匹敵にあらず、您一句を換えよ」と。麥丘邑人坐して拜して再び起身して曰く、「此の一句話是れ其の兩句話の中の最重要なり。兒子父親に得罪するは、姑姑叔父を靠りて以て和解する可く、父親能く赦免す。臣君に得罪するは、便嬖左右を靠りて以て道歉する可く、君能く赦免す。從前桀湯に得罪し、紂武王に得罪せり、此れ卽ち君臣に得罪するなり。人彼のため道歉するなく、至今赦免せられず」と。公曰く、「好し。國家の福・社稷の靈を靠りて、寡人をして此處に於て您を得しめり」と。彼を扶けて車に上り、自己駕車して囘去り、朝上に於て禮を以て相待して、麥丘を以て彼に封じて、彼をして政事を決斷せしむ。
哀公問孔子曰:"寡人生乎深宮之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知勞也,未嘗知懼也,未嘗知危也。"孔子闢席曰:"吾君之問,乃聖君之問也,丘小人也,何足以言之?"哀公曰:"否。吾子就席,微吾子,無所聞之矣。"孔子就席曰:"君入廟門,升自阼階,仰見榱棟,俯見幾筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀將安不至矣?君昧爽而櫛冠,平旦而聽朝,一物不應,亂之端也,君以此思憂,則憂將安不至矣?君平旦而聽朝,日昃而退,諸侯之子孫,必有在君之門廷者,君以此思勞,則勞將安不至矣?君出魯之四門,以望魯之四郊,亡國之墟,列必有數矣,君以此思懼,則懼將安不至矣?丘聞之君者舟也,庶人者水也,水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危將安不至矣。夫執國之柄,履民之上,懍乎如腐索御奔馬。易曰:'履虎尾。’詩曰:'如履薄在。’不亦危乎?"哀公再拜曰:"寡人雖不敏,請事斯語矣。"
哀公孔子に問う、「寡人深宮の中に生れ、婦人の手に長ちて、寡人曾て哀を知らず、曾て憂を知らず、曾て勞を知らず、曾て懼を知らず、曾て危を知らず」と。孔子席を離れて曰く、「吾君の問は、是れ聖君の問、丘是れ小人、何處にか足りて此を講ずらんや」と。哀公曰く、「不。您席に就け、您なくば、卽ち此を聽く處なし」と。孔子席に就きて曰く、「君廟門に入りて、阼階より上去りて、擡頭して榱棟を見て、低頭して几筵を見れば、器物還りて在るに、人已に在らず、君此を以て哀を想えば、則ち哀將に何處にか到らざらんや?君天未だ亮けざるに卽ち冠を梳し、天亮きて朝を聽きて、一件事應せざれば、卽ち亂の端緒、君此を以て憂を想えば、則ち憂將に何處にか到らざらんや?君天亮きて朝を聽きて、日西に偏りて纔かに退く、諸侯の子孫一定君の門廷に在る有り、君此を以て勞を想えば、則ち勞將に何處にか到らざらんや?君魯の四門を出でて、魯の四郊を望めば、亡國の廢墟排列一定好幾處有り、君此を以て懼を想えば、則ち懼將に何處にか到らざらんや?丘聞く君是れ船、庶人是れ水、水能く船を載せ、水能く船を翻す、君此を以て危を想えば、則ち危將に何處にか到らざらんや。國柄を執掌して、民の上に踏めば、懔然として腐朽の繩子を以て奔馬を駕馭するがごとし。『周易』に曰く、『虎尾を踩む』と。『詩經』に曰く、『薄氷を踩むがごとし』と。亦危險ならずや」と。哀公再拜して曰く、「寡人雖然不敏なれど、請う此れらの話を實行せん」と。
昔者,齊桓公出遊於野,見亡國故城郭氏之墟。問於野人曰:"是為何墟?"野人曰:"是為郭氏之墟。"桓公曰:"郭氏者曷為墟?"野人曰:"郭氏者善善而惡惡。"桓公曰:"善善而惡惡,人之善行也,其所以為墟者,何也?"野人曰:"善善而不能行,惡惡而不能去,是以為墟也。"桓公歸,以語管仲,管仲曰:"其人為誰?"桓公曰:"不知也。"管仲曰:"君亦一郭氏也。"於是桓公招野人而賞焉。
從前、齊桓公野外に出游して、亡國故城郭氏の廢墟を見る。野人に問う、「此れ是れ何の廢墟か」と。野人曰く、「此れ是れ郭氏の廢墟」と。桓公曰く、「郭氏何を以て廢墟と成りたるか」と。野人曰く、「郭氏善を稱して善と爲し、惡を稱して惡と爲せり」と。桓公曰く、「善を稱して善と爲し、惡を稱して惡と爲すは、是れ人の善行、ゆえに廢墟を成すの緣故是れ何か」と。野人曰く、「善を稱して善と爲すも能く實行せず、惡を稱して惡と爲すも能く除去せず、此に因りて廢墟を成せり」と。桓公囘去りて管仲に告ぐ、管仲曰く、「其の人是れ誰か」と。桓公曰く、「知らず」と。管仲曰く、「君亦一個の郭氏なり」と。於是桓公野人を招來して賞賜す。
晉文公田於虢,遇一老夫而問曰:"虢之為虢久矣,子處此故矣,虢亡其有說乎?"對曰:"虢君斷則不能,諫則無與也。不能斷又不能用人,此虢之所以亡。"文公以輟田而歸,遇趙衰而告之。趙衰曰:"今其人安在?"君曰:"吾不與之來也。"趙衰曰:"古之君子,聽其言而用其人,今之君子,聽其言而棄其身,哀哉!晉國之憂也。"文公乃召賞之,於是晉國樂納善言,文公卒以霸。
晉文公虢に於て獵を打ちて、一個の老夫に遇見して問う、「虢虢と爲る久し、您此處に住む本來久し、虢滅亡するに説法有るか」と。答えて曰く、「虢君決斷すれば則ち能わず、進諫すれば則ち人彼に給するなし。能く決斷せず能く人を用いざる、是れ虢の滅亡する所以の緣故なり」と。文公此に因りて獵を停止して囘去りて、趙衰に遇見して之に告ぐ。趙衰曰く、「如今其の人何處に在るか」と。君曰く、「我彼と一起来らず」と。趙衰曰く、「古代の君子は、其の話を聽きて其の人を用い;如今の君子は、其の話を聽きて其の人本身を拋棄す、悲哀なるかな!晉國の憂患」と。文公於是召來して賞賜し、於是晉國善言を接納するを樂しみて、文公終に稱霸す。
晉平公過九原而嘆曰:"嗟呼!此地之蘊吾良臣多矣,若使死者起也,吾將誰與歸乎?"叔向對曰:"與趙武乎?"平公曰:"子黨於子之師也。"對曰:"臣聽言趙武之為人也,立若不勝衣,言若不出於口,然其身舉士於白屋下者四十六人,皆得其意,而公家甚賴之。及文子之死也,四十六人皆就賓位,是以無私德也。臣故以為賢也。"平公曰:"善。"夫趙武賢臣也,相晉,天下無兵革者九年。春秋曰:"晉趙武之力盡得人也。"
晉平公九原を經過して歎息して曰く、「唉!此の地方我が良臣を埋むる多し、若し死者をして起きしめば、我將に誰と一起に囘去らんか」と。叔向答えて曰く、「趙武とか?」と。平公曰く、「您您の老師を偏袒す」と。答えて曰く、「臣聞く趙武の爲人は、立てば衣を撑起するに似ず、説話口より出づるに從わざるに似るも、而して彼自身白屋の下より士四十六人を擧薦して、皆各々其の所を得て、而して公家甚だ依賴せり。文子死するに及びて、四十六人皆賓位に就きて、此に因りて私德なし。臣以爲賢たる所以」と。平公曰く、「好し」と。趙武是れ賢臣にして、晉相を爲りて、天下兵革九年なし。『春秋』に曰く、「晉趙武の力量盡く人を得るに在り」と。
葉公諸梁問樂王鮒曰:"晉大夫趙文子為人何若?"對曰:"好學而受規諫。"葉公曰:"疑未盡之矣。"對曰:"好學!智也;受規諫,仁也。江出汶山,其源若甕口,至楚國,其廣十里,無他故,其下流多也。人而好學受規諫,宜哉其立也。"詩曰:"其惟哲人,告之話言,順德之行。"此之謂也。
葉公諸梁樂王鮒に問う、「晉大夫趙文子爲人如何」と。答えて曰く、「學を好みて規諫を接受す」と。葉公曰く、「恐怕還りて未だ説き盡くさず」と。答えて曰く、「學を好むは、是れ智;規諫を接受するは、是れ仁。江水汶山より出でて、源頭瓮口のごとく、楚國に至りて、寬廣十里、別の緣故なく、是れ下游支流多きなり。人而學を好みて規諫を接受するは、彼能く身を立つるは亦應然ならずや」と。『詩經』に曰く、「其の明智の人、彼に善言を告げれば、彼德に順いて以て實行す」と。是れ此を説くなり。
鍾子期夜聞擊磬者而悲且召問之曰:"何哉!子之擊磬若此之悲也。"對曰:"臣之父殺人而不得生,臣之母得生而為公家隸,臣得生而為公家擊磬。臣不睹臣之母三年於此矣,昨日為舍市而睹之,意欲贖之而無財,身又公家之有也,是以悲也。"鍾子期曰:"悲在心也,非在手也,非木非石也,悲於心而木石應之,以至誠故也。"人君苟能至誠動於內。萬民必應而感移,堯舜之誠,感於萬國,動於天地,故荒外從風,鳳麟翔舞,下及微物,鹹得其所。易曰:"中孚處魚吉。"此之謂也。
鍾子期夜裏磬を擊つ人の悲哀を聽見して、并せて召來して問う、「何ぞや!您磬を擊つことかくのごとく悲哀なるか」と。答えて曰く、「臣の父親人を殺して生を得ず、臣の母親生を得て公家の奴隸を爲り、臣生を得て公家に磬を擊ち給う。臣臣の母親を見ざる至今三年、昨天市舍に於て彼女を見て、心裏贖回せんと想うも財なく、自身亦是れ公家の有、此に因りて悲哀す」と。鍾子期曰く、「悲哀心裏に在りて、手上に在らず、是れ木にあらず石にあらず、悲哀心裏に在りて木石應和するは、因りて至誠の緣故なり」と。人君若し能く至誠內に於て發動せば、萬民一定應和して感化轉移せん。堯舜の誠は、萬國を感動し、天地を振動し、ゆえに荒外風に從い、鳳凰麒麟飛翔舞蹈し、下微小の物に及ぶまで、皆各々其の所を得。『周易』に曰く、「中孚、豚魚吉」と。是れ此を説くなり。
勇士一呼,三軍皆闢,士之誠也。昔者,楚熊渠子夜行,見寢石以為伏虎,關弓射之,滅矢飲羽,下視,知石也。卻復射之,矢摧無跡。熊渠子見其誠心而金石為之開,況人心乎?唱而不和,動而不隨,中必有不全者矣。夫不降席而匡天下者,求之己也。孔子曰:"其身正,不令而行;其身不正,雖令不從。"先王之所以拱揖指揮,而四海賓者,誠德之至,已形於外。故詩曰:"王猶允塞,徐方既來。"此之謂也。
勇士一聲呼喊して、三軍皆退避す、是れ士の誠なり。從前、楚熊渠子夜裏路を走りて、躺く石頭を見て以爲伏虎とし、弓を拉いて之を射て、箭沒入り箭羽吞沒せられ、下去りて看れば、是れ石頭なるを知る。再び射れば、箭折斷して痕迹なし。熊渠子誠心を顯現して金石之がため開く、況んや人心をや!唱して應和せざれば、動して跟隨せざれば、中間一定不全有るなり。席を離れずして天下を匡正するは、是れ之を自己に求むるなり。孔子曰く、「自身端正なれば、令を下さずして亦推行する能し;自身端正ならざれば、たとい令を下すとも聽從せず」と。先王拱手作揖して指揮して四海賓服する所以は、是れ誠德極點に至りて、已に外に顯現せり。ゆえに『詩經』に曰く、「王の謀略誠信充實なり、徐方已に來りて歸す」と。是れ此を説くなり。
齊有彗星,齊侯使祝禳之。晏子曰:"無益也,只取誣焉。天道不□,不貳其君,若之何禳也。且夫天之有彗,以除穢德,君無穢德,又何禳焉?若德之穢也,禳之何益?詩云:'惟此文王,小心翼翼,昭事上帝,聿懷多福,厥德不回,以受方國。’君無違德,方國將至,何患於彗?詩曰:'我無所監,夏後及商,用亂之故,民卒流亡。’若德之回,亂民將流亡。祝史之無能補也。"公說,乃止。
齊彗星有り、齊侯祝をして禳除せしむ。晏子曰く、「益處なく、只誣妄を取るのみ。天道疑わず(底本此の字殘缺)、其の君をして貳心有らしめず、何を以て禳除せん。況んや天彗有るは、是れ以て穢德を除去す、君穢德なく、又何を禳除せん?若し德污穢ならば、禳除するも又何の益處か有らん?『詩經』に曰く、『只此の文王有り、小心翼翼として、明白に上帝を事奉して、於是多くの福を懷き、其の德邪僻ならず、此に因りて四方の國を受く』と。君違德なくば、方國將に到來せん、彗を怕れて何を爲さん?『詩經』に曰く、『我鑑戒す可きなく、夏后と商と、亂の緣故に因りて、百姓終に流亡す』と。若し德邪僻ならば、亂民將に流亡せん。祝史能く補救する能わず」と。公喜悅して、於是停止す。
宋景公時,熒惑在心,公懼,召子韋而問焉"熒惑在心,何也?"子韋曰:"熒惑,天罰也;心,宋分野也,禍當君身。雖然,可移於宰相。"公曰:"宰相,使治國也,而移死焉,不詳,寡人請自當也。"子韋曰:"可移於民!"公曰:"民死,將誰君乎?寧獨死耳。"子韋曰:"可移於歲。"公曰:"歲飢,民餓必死,為人君欲殺其民以自活,其誰以我為君乎?是寡人之命固盡矣。子無復言。"子韋還走,北而再拜曰:"臣敢賀君,天之處高而聽卑,君有仁之言三,天必三賞君,今夕星必徙三會,君延壽二十一歲。"公曰:"子何以知之?"對曰:"君有三善,故三賞,星必三舍,舍行七星,星當一年,三七二十一,故曰延壽二十一年,臣請伏於陛下,以伺之,星不徙,臣請死之。"公曰:"可。"是夕也,星果三徙舍,如子韋言。老子曰:"能受國之不祥,是謂天下之王也。"
宋景公の時候、熒惑心宿に停留す、公恐懼して、子韋を召して問う、「熒惑心に在り、是れ何か」と。子韋曰く、「熒惑是れ天の懲罰;心是れ宋の分野、禍該に君の身に在るべし。然るにと雖も、宰相に轉移す可し」と。公曰く、「宰相是れ彼をして國を治めしむる、卽ち死を彼に轉ずるは、不祥、寡人請う自己承當せん」と。子韋曰く、「民に轉移す可し!」と。公曰く、「民死せば、將に誰に君を爲さしめん?寧ろ獨自死せん」と。子韋曰く、「年成に轉移す可し」と。公曰く、「年成饑なれば、民餓えて一定死せん、人君を爲りて民を殺して以て自己活かんと欲す、誰か還りて我を以て君と當てん?是れ寡人の命本來盡きたり。您再び説く勿れ」と。子韋身を轉じて跑し、北に向かいて再拜して曰く、「臣敢えて君を祝賀す。天高處に處りて低下を聽く、君三句の仁の話有れば、天一定三次君を賞し、今晚上星一定三次遷徙して停留し、君壽を延ばすこと二十一歳」と。公曰く、「您何を憑りて知るか」と。答えて曰く、「君三善有り、ゆえに三賞し、星一定三舍し、每舍七星を走りて、星一年を當て、三七二十一、ゆえに壽を延ばすこと二十一年と説く。臣請う陛下に伏して、以て伺候せん、星遷徙せざれば、臣請う死せん」と。公曰く、「可」と。此の日晚上、星果然として三次遷徙停留し、子韻の説くがごとし。
宋康王時有爵生鸇於城之陬,使史占之,曰:"小而生巨,必霸天下。"康王大喜,於是滅滕伐薛,取淮北之地,乃愈自信,欲霸之前成,故射天笞地,斬社稷而焚之,曰:"威嚴伏天地鬼神。"罵國老之諫臣者,為無頭之冠以示有勇,剖傴者之背,鍥朝涉之脛,而國人大駭。齊聞而伐之,民散城不守,王乃逃兒侯之館,遂得病而死,故見祥而為不可,祥反為禍。臣向愚以檻範傳推之,宋史之占非也,此黑祥傳所謂黑青者也,猶魯之有鴝鵒為黑祥也。屬於不謀其咎急也。鸇者,黑色食爵,大於爵害。爵也●擊之物,貪叨之類,爵而生鸇者,是宋君且行急暴擊伐貪叨之行,距諫以生大禍,以自害也。故爵生鸇於城陬者,以亡國也,明禍且害國也,康王不悟,遂以滅亡,此其效也。
宋康王の時候麻雀城角に於て鸇を生む有り、史官をして卜を問わしむ、曰く、「小なるは大なるを生出す、一定天下に稱霸せん」と。康王大喜して、於是滕を滅し薛を伐ちて、淮北の土地を取得し、卽ち更加に自信して、稱霸する前に成功せんと欲し、ゆえに天を射て地を笞ち、社稷を斬りて焚燒して、曰く、「威嚴天地鬼神をして降伏せしむ」と。國老の中進諫する臣を罵り、無頭の冠を作して以て勇有るを顯示し、駝背の背を剖開し、早晨水を涉る人の小腿を砍斷して、而して國人大いに驚駭す。齊聞きて討伐して、民散り城守られず、王於是兒侯の館に逃到して、終に病を得て死す。ゆえに祥瑞を見て卽ち爲す可からざるを爲すは、祥反つて禍と爲る。臣劉向愚昧にして、『洪範傳』を以て推すれば、宋史の占是れかくのごとくならず、此れ是れ黑祥傳の所謂黑眚、卽ち魯鴝鵒有るが黑祥なりがごとし。其の咎を謀らずして急暴するに屬す。鸇是れ黑色にして、麻雀を喫し、麻雀より大にして麻雀を害す、是れ搏擊一類・貪叨一類、麻雀鸇を生むは、是れ宋君將に急暴擊伐貪叨の行爲を實行し、進諫を拒絕して以て大禍を生じ、以て自己を害せんとするなり。ゆえに麻雀城角に於て鸇を生むは、是れ因りて將に國を亡ぼさんとし、禍將に國を害するを表明す。康王醒悟せず、終に滅亡す、此れ卽ち效驗なり。
雜事第五
雜事第五
魯哀公問子夏曰:"必學而後可以安國保民乎?"子夏曰:"不學而能安國保民者,未嘗聞也。"哀公曰:"然則五帝有師乎?"子夏曰:"有。臣聞黃帝學乎大真,顓頊學乎綠圖,帝嚳學乎赤松子,堯學乎尹壽,舜學乎務成跗,禹學乎西王國,湯學乎威子伯,文王學乎鉸時子斯,武王學乎郭叔,周公學乎太公,仲尼學乎老聃。此十一聖人,未遭此師,則功業不著乎天下,名號不傳乎千世。"詩曰:"不愆不忘,率由舊章。"此之謂也。夫不學不明古道,而能安國者,未之有也。
魯哀公子夏に問う、「一定學して然る後國を安くし民を保つ可きか」と。子夏曰く、「學ばずして能く國を安くし民を保つは、曾て聞かず」と。哀公曰く、「然らば五帝老師有るか」と。子夏曰く、「有り。臣聞く黃帝大眞に向かいて學び、顓頊綠圖に向かいて學び、帝嚳赤松子に向かいて學び、堯尹壽に向かいて學び、舜務成跗に向かいて學び、禹西王國に向かいて學び、湯威子伯に向かいて學び、文王鉸時子斯に向かいて學び、武王郭叔に向かいて學び、周公太公に向かいて學び、仲尼老聃に向かいて學べりと。此の十一位の聖人、若し此れらの老師に遇上せざれば、則ち功業天下に顯著せず、名號千世に流傳せず」と。『詩經』に曰く、「愆過せず遺忘せず、舊有の章程を遵循す」と。是れ此を説くなり。學ばずして古道を明らかにせずして能く國を安くするは、從來有らず。
呂子曰:"神農學悉老,黃帝學大真,顓頊學伯夷父,帝嚳學伯招,帝堯學州文父,帝舜學許由,禹學大成執,湯學小臣,文王武王學太公望周公旦,齊桓公學管夷吾隰朋,晉文公學咎犯隨會,秦穆公學百里奚公孫支,楚莊王學孫叔敖沈尹竺,吳王闔閭學伍子胥文之儀,越王勾踐學范蠡大夫種,此皆聖王之所學也。且夫天生人而使其耳可以聞,不學其聞則不若聾;使其目可以見,不學其見則不若盲;使其口可以言,不學其言則不若喑;使其心可以智,不學其智則不若狂,故凡學非能益之也,違天性也,能全天之所生而勿敗之,可謂善學者矣。"
呂子曰く、「神農悉老に向かいて學び、黃帝大眞に向かいて學び、顓頊伯夷父に向かいて學び、帝嚳伯招に向かいて學び、帝堯州文父に向かいて學び、帝舜許由に向かいて學び、禹大成執に向かいて學び、湯小臣に向かいて學び、文王・武王太公望・周公旦に向かいて學び、齊桓公管夷吾・隰朋に向かいて學び、晉文公咎犯・隨會に向かいて學び、秦穆公百里奚・公孫支に向かいて學び、楚莊王孫叔敖・沈尹竺に向かいて學び、吳王闔閭伍子胥・文之儀に向かいて學び、越王勾踐范蠡・大夫種に向かいて學べり、此れら皆是れ聖王の學習する所なり。況んや天生下人其の耳をして聽く可からしむ、其の聽く所を學ばざれば則ち聾に如かず;其の目をして看る可からしむ、其の看る所を學ばざれば則ち盲に如かず;其の口をして説話す可からしむ、其の説く所を學ばざれば則ち啞に如かず;其の心をして智有る可からしむ、其の智を學ばざれば則ち狂に如かず。ゆえに凡是れ學は并せて能く彼を增益するにあらずして、而して天性に違背するか?能く天の生ずる所を保全して敗壞せざれば、善く學ぶと稱する可し」と。
湯見祝網者置四面,其祝曰:"從天墜者,從地出者,從四方來者,皆離吾網。"湯曰:"嘻!盡之矣,非桀其庸為此?"湯乃解其三面,置其一面,更教之祝曰:"昔蛛蝥作網,今之人循序,欲左則左,欲右則右,欲高則高,欲下則下,吾取其犯命者。"漢南之國聞之曰:"湯之德及禽獸矣。"四十國歸之。人置四面,未必得鳥,湯去三面,置其一面,以網四十國,非徒網鳥也。
湯祝禱して網を張る人四面皆設置するを見て、彼祝禱して曰く、「天上より掉下する、地上より出來する、四方より來る、皆我が網に落入れ」と。湯曰く、「嘻!窮盡せり。桀にあらざれば、誰か此を爲さん?」と。湯於是三面を解開して、只一面を設置して、別に彼に教えて祝禱して曰く、「從前蜘蛛網を作れり、如今の人遵循す。左せんと欲すれば卽ち左、右せんと欲すれば卽ち右、高せんと欲すれば卽ち高、下せんと欲すれば卽ち下、我只それらの命運に觸犯するを取る」と。漢南の國聞きて後曰く、「湯の德禽獸に到れり」と。四十國歸附す。人四面を設置するも、未必鳥を得ず;湯三面を去掉して、只一面を設置して、以て四十國を網羅す、不只網鳥のみ。
周文王作靈臺及為池沼,掘地得死人之骨,吏以聞於文王。文王曰:"更葬之。"吏曰:"此無主矣。"文王曰:"有天下者,天下之主也;有一國者,一國之主也。寡人固其主,又安求主?"遂令吏以衣棺更葬之。天下聞之,皆曰:"文王賢矣,澤及枯骨,又況於人乎?"或得寶以危國,文王得朽骨,以喻其意,而天下歸心焉。
周文王靈台および池沼を建造して、地を掘りて死人の骨頭を得て、吏文王に稟報す。文王曰く、「別行安葬せよ」と。吏曰く、「此れ主人なし」と。文王曰く、「天下有るは是れ天下の主人;一國有るは是れ一國の主人。寡人本來卽ち主人、又何處にか主人を求めん?」と。於是吏に命令して衣棺を以て別行安葬せしむ。天下聞きて、皆曰く、「文王賢なるかな、恩澤枯骨に到る、又何況人に對してをや?」と。人寶を得て卽ち國家を危害する有り、文王朽骨を得て、以て心意を表明して、而して天下心を歸す。
管仲傅齊公子糾,鮑叔傅公子小白,齊公孫無知殺襄公,公子糾奔魯,小白奔莒。齊人誅無知迎公子糾於魯,公子糾與小白爭入,管仲射小白,中其帶鉤,小白佯死,遂先入,是為齊桓公。公子糾死,管仲奔魯,桓公立國定,使人迎管仲於魯,遂立以為仲父,委國而聽之,九合諸侯,一匡天下,為五伯長。
管仲齊公子糾を輔佐し、鮑叔公子小白を輔佐す。齊公孫無知襄公を殺し、公子糾魯に奔り、小白莒に奔る。齊人無知を誅殺して、魯に到りて公子糾を迎接す、公子糾と小白と爭いて國に入り、管仲小白を射て、射て帶鉤に中り、小白假裝して死し、於是先に國に入る、此れ卽ち齊桓公なり。公子糾死し、管仲魯に奔り、桓公國を立てて安定し、人を派して魯に至りて管仲を迎接して、於是彼を立てて仲父を爲し、國事を彼に委託して聽從し、九合諸侯し、天下を一匡し、五伯の長を爲る。
裡鳧須,晉公子重耳之守府者也。公子重耳出亡於晉,裡鳧須竊其寶貨而逃。公子重耳返國,立為君,裡鳧須造門願見,文公方沐,其謁者復,文公握髮而應之曰:"吾鳧須邪?"曰:"然。"謂鳧須曰:"若猶有以面目而復見我乎?"謁者謂裡鳧須。鳧須對曰:"臣聞之沐者其心覆,心覆者言悖,君意沐邪?何悖也?"謁者覆文公,見之曰:"若竊我貨寶而逃,我謂汝猶有面目而見我邪?汝曰:'君何悖也?’是何也?"鳧須曰:"然。君反國,國之半不自安也,君寧棄國之半乎?其寧有全晉乎?"文公曰:"何謂也?"鳧須曰:"得罪於君者,莫大於鳧須矣,君謂赦鳧須,顯出以為右,如鳧須之罪重也,君猶赦之,況有輕於鳧須者乎?"文公曰:"聞命矣。"遂赦之,明日出行國,使為右,翕然晉國皆安。語曰:"桓公任其賊,而文公用其盜。"故曰:"明主任計不任怒,闇主任怒不任計。計勝怒者強,怒勝計者亡。"此之謂也。
里鳧須是れ晉公子重耳の府庫を看守する人。公子重耳晉より出亡して、里鳧須其の寶貨を偷して逃走す。公子重耳國に返り、立ちて君を爲る、里鳧須門に上りて見えんと願う。文公正に髮を洗う、謁者囘報す、文公頭髮を握りて應答す、「是れ我が鳧須か」と。曰く、「是れ」と。鳧須に對して曰く、「你還りて臉有りて再び我を見るか」と。謁者里鳧須に告ぐ。鳧須答えて曰く、「臣聞く髮を洗う人心覆す、心覆する人説話悖亂す、君大概髮を洗うか?何ぞ悖亂するか」と。謁者囘報文公す、文公彼を見て曰く、「你我が貨寶を偷して逃走す、我你還りて臉有りて我を見るかと説く?你曰く、『君何ぞ悖亂するか』と。此れ是れ何の意思か」と。鳧須曰く、「是れ。君國に返回す、國の一半自己安んぜず、君寧ろ國の一半を拋棄せんか、還りて寧ろ整個の晉有らんか」と。文公曰く、「何の意思か」と。鳧須曰く、「君に得罪するは、鳧須より更大なるなし。君鳧須を赦免すと説き、明顯に彼をして出でて車右を爲らしめば、鳧須のごとき罪此のごとく重きも、君還りて赦免す、況んや鳧須より輕きをや?」と。文公曰く、「教命を聽到せり」と。於是彼を赦免す。第二天國中を出行して、彼をして車右を爲らしめ、翕然として晉國皆安定す。俗語曰く、「桓公彼を刺殺する人を任用し、文公彼を偷するの盜を任用す」と。ゆえに曰く、「明主計謀を任用して怒を任用せず、暗主怒を任用して計謀を任用せず。計怒に勝てるは強く、怒計に勝てるは亡ぶ」と。是れ此を説くなり。
甯戚欲幹齊桓公,窮困無以進,於是為商旅,賃車以適齊,暮宿於郭門之外。桓公郊迎客,夜開門,闢賃車者執火甚盛從者甚眾,甯戚飯牛於車下,望桓公而悲,擊牛角,疾商歌。桓公聞之,執其僕之手曰:"異哉!此歌者非常人也。"命後車載之。桓公反至,從者以請。桓公曰:"賜之衣冠,將見之。"甯戚見,說桓公以合境內。明日復見,說桓公以為天下,桓公大說,將任之。群臣爭之曰:"客衛人,去齊五百里,不遠,不若使人問之,固賢人也,任之未晚也。"桓公曰:"不然,問之,恐有小惡,以其小惡,忘人之大美,此人主所以失天下之士也。且人固難全,權用其長者。"逐舉大用之,而授之以為卿。當此舉也,桓公得之矣,所以霸也。
寧戚齊桓公に求見せんと欲して、窮困にして進見するに辦法なく、於是商旅を爲り、車を租りて齊に到り、傍晚郭門の外に住す。桓公郊外に到りて客人を迎接し、夜裏門を開き、租車の人を避けて、火を執ること甚だ盛んにして隨從甚だ多し。寧戚車下に於て牛を餧い、桓公を望見して悲哀して、牛角を敲きて、急切に商歌を唱う。桓公聽見して、僕人の手を握りて曰く、「奇異なるかな!此の唱歌する是れ尋常の人にあらず」と。後車に命令して彼を載上せしむ。桓公返囘して到りて、隨從請示す。桓公曰く、「彼に衣冠を賜給して、將に接見せん」と。寧戚進見して、境內を會合するの道理を以て桓公を游說す。第二天再び進見して、天下を治理するを以て桓公を游說す、桓公大悅して、將に任用せんとす。群臣爭論して曰く、「客人是れ衛人、齊を離るること五百里、遠からず、人を派して問うに如かず、確かに是れ賢人なれば、任用するも還りて晚からず」と。桓公曰く、「不對。去りて問えば、恐怕小惡有らん、因りて小惡人大美を忘記するを以て、此れ人主天下の士を失去する所以の緣故なり。況んや人本來全美し難し、權且其の長處を用いよ」と。於是大いに擧用して、彼に授給して卿を爲さしむ。此の次の擧用に當たりて、桓公人を得るに對せり、ゆえに能く稱霸す。
齊桓公見小臣稷,一日三至不得見也,從者曰:"萬乘之主,見布衣之士,一日三至而不得見,亦可以止矣。"桓公曰:"不然,士之傲爵祿者,固輕其主;其主傲霸王者,亦輕其士,縱夫子傲爵祿,吾庸敢傲霸王乎?"五往而後得見,天下聞之,皆曰:"桓公猶下布衣之士,而況國君乎?"於是相率而朝,靡有不至。桓公所以九合諸侯,一匡天下者,遇士於是也。詩云:"有覺德行,四國順之。"桓公其以之矣。
齊桓公小臣稷を見るに、一天三次到るも皆見るを得ず。隨從曰く、「萬乘の主布衣の士を見るに、一天三次到るも皆見るを得ず、亦停止す可し」と。桓公曰く、「不對。士爵祿を傲視するは、固然其の主を看輕す;主霸王を傲視するは、亦其の士を看輕す。縱然夫子爵祿を傲視するも、我何處にか敢えて霸王を傲視せんや?」と。五次前往して然る後見るを得たり。天下聞きて、皆曰く、「桓公尚お布衣の士に屈下す、況んや國君をや?」と。於是相繼いで來りて朝し、到らざるなし。桓公の九合諸侯・天下を一匡する所以は、是れ此の事上に於て士に對待す。『詩經』に曰く、「正直の德行有れば、四國順從す」と。桓公大概是れ此を憑れり。
魏文侯過段幹木之閭而軾,其僕曰:"君何為軾?"曰:"此非段幹木之閭乎?段幹木蓋賢者也,吾安敢不軾?且吾聞段幹木未嘗肯以己易寡人也,吾安敢高之?段幹木光乎德,寡人光乎地;段幹木富乎義,寡人富乎財。地不如德,財不如義。寡人當事之者也。"遂致祿百萬,而時往問之,國人皆喜,相與誦之曰:"吾君好正,段幹木之敬;吾思好忠,段幹木之隆。"居無幾何,秦興兵欲攻魏,司馬唐且諫秦君曰:"段幹木,賢者也,而魏禮之,天下莫不聞,無乃不可加兵乎?"秦君以為然,乃案兵而輟,不攻魏。文侯可謂善用兵矣。夫君子善用兵也,不見其形,而攻已成,其此之謂也。野人之用兵,鼓聲則似雷,號呼則動天,塵氣充天,流矢如雨。扶傷輿死,履腸涉血,無罪之民,其死者已量於澤矣,而國之存亡,主之死生,猶未可知也,其離仁義亦遠矣。
魏文侯段干木の閭巷を經過して軾に憑りて致敬す、僕人曰く、「君何ぞ軾に憑るか」と。曰く、「此れ段干木の閭巷にあらずや?段干木大概是れ賢者、我何を以て敢えて軾に憑らざらん?況んや我聞く段干木曾て肯んじて自己を以て寡人と交換せず、我何を以て敢えて彼に對して高傲せん?段干木德に於て光耀し、寡人地に於て光耀す;段干木義に於て富み、寡人財に於て富む。地德に如かず、財義に如かず。寡人是れ彼を事奉すべき人なり」と。於是俸祿百萬を致送して、時時前往して問候す、國人皆喜悅して、互相いに誦讀して曰く、「我らの君正直を愛好し、段干木に對して敬重す;我ら忠誠を愛好せんと想う、段干木推崇せらる」と。多久を過ぎずして、秦兵を起こして魏を攻めんと欲す、司馬唐且秦君に進諫して曰く、「段干木是れ賢者にして、而して魏禮を以て對待す、天下聽聞せざるなく、恐怕兵を加う可からざらんか?」と。秦君以爲對とし、於是兵を按じて停止して、魏を攻めず。文侯善く兵を用うると稱する可し。君子善く兵を用うるは、形を見ずして、而して攻已に成功す、是れ此を説くなり。野人兵を用うるは、鼓聲雷のごとく、號呼天を震動し、塵氣天に充滿し、流矢雨のごとし。傷つきたるを扶け死せるを抬げ、腸を踩み血を踏みて、罪なきの民、死する已に澤を以て量る可きも、而して國の存亡・主の死生は、還りて知る可からず、仁義を距離ること亦遠し。
秦昭王問孫卿曰:"儒無益於人國。"孫卿曰:"儒者法先王,隆禮義,謹乎臣子,而能致貴其上者也。人主用之,則進在本朝;置而不用,則退編百姓,而敵必為順下矣。雖窮困凍餒,必不以邪道為食,置無錐之地,而明於持社稷之大計,叫呼而莫之能應,然而通呼裁萬物,養百姓之經紀。勢在人上,則王公之才也;在人下,則社稷之臣,國君之寶也。雖隱於窮閭漏屋,人莫不貴之,道誠存也。仲尼為魯司寇,沈猶氏不敢朝飲其羊,公慎氏出其妻,慎潰氏踰境而走,魯之鬻牛馬不豫賈,布正以待之也。居於闕黨,闕黨之子弟,罔罟分有親者取多,孝悌以化之也。儒者在本朝則美政,在下位則美俗,儒之為人下如是矣。"
秦昭王孫卿に問う、「儒人の國に對して益處なし」と。孫卿曰く、「儒者先王を效法し、禮義を推崇し、謹愼に臣子を爲りて、而して能く尊貴を其の上に加う。人主彼を任用せば、則ち本朝に於て進用す;擱置して用いざれば、則ち退下して百姓に編入して、而して敵に對して一定順從の下民と爲る。たとい窮困凍餓するも、一定邪道を用いて食を求めず;立錐の地なきに安置せられても、卽ち社稷の大計を持守することを明白にす;呼叫して人應ずる能くするなく、可是萬物を裁成し百姓を養育するの經紀に通達す。勢人の上に在れば、則ち王公の才;人の下に在れば、則ち社稷の臣・國君の寶なり。たとい窮巷漏屋に隱るるも、人彼を尊貴せざるなし、道確かに存在す。仲尼魯司寇を爲るに、沈猶氏敢えて早晨羊に水を灌がず、公愼氏妻子を休掉し、愼潰氏境を越えて逃走し、魯國牛馬を賣る再び預先價を抬げず、正經の貨色を擺出して等待す。闕黨に住せば、闕黨の子弟網罟を以て分配する時父母有る人多く取るは、是れ孝悌彼らを感化せしめり。儒者本朝に在れば則ち政治を美化し、下位に在れば則ち習俗を美化す、儒人の下を爲るは是れかくのごとし」と。
王曰:"然則其為人上何如?"孫卿對曰:"其為人也廣大矣。志意定乎內,禮節修乎朝,法則度量正乎官,忠信愛利形乎下,行一不義,殺一無罪而得天下,不為也。若義信乎人矣,通於四海,則天下之外,應之而懷之,是何也?則貴名白而天下治也。故近者歌謳而樂之,遠者竭走而超之,四海之內若一家,通達之屬,莫不從服,夫是之謂人師。詩曰:'自西自東,自南自北,無思不服。’此之謂也。夫其為人下也,如彼為人上也,如此何為其無益人之國乎?"昭王曰:"善。"
王曰く、「然らば彼人の上を爲れば如何」と。孫卿答えて曰く、「彼人の上を爲れば廣大なり。志意內に於て安定し、禮節朝に於て修整し、法則度量官に於て端正し、忠信愛利下に於て顯現す。一件の不義の事を爲し一個の罪なき人を殺して天下を得るも、亦爲さず。若し義と信と人に相信せられて、四海に通達せば、則ち天下の外應和して歸向す、此れ是れ何ぞや?則ち尊貴の名聲顯白にして天下治理するなり。ゆえに近處の人歌謳して快樂し、遠處の人竭力奔走して來りて、四海の內一家のごとく、通達の及ぶ所從服せざるなし、此れ卽ち人師と叫ぶなり。『詩經』に曰く、『西より東より、南より北より、想着して服從せざるなし』と。是れ此を説くなり。彼人の下を爲るは彼のごとく、人の上を爲るは此のごとし、何を以て人の國に對して益處なしと説くか?」昭王曰く、「好し」と。
田贊衣儒衣而見荊王,荊王曰:"先生之衣,何其惡也?"贊對曰:"衣又有惡此者。"荊王曰:"可得而聞邪?"對曰:"甲惡於此。"王曰:"何謂也?"對曰:"冬日則寒,夏日則熱,衣無惡於甲矣。贊貧,故衣惡也。今大王,萬乘之主也,富厚無敵,而好衣人以甲,臣竊為大王不取也。意者為其義耶?甲兵之事;析人之音,刳人之腹,墮人城郭,系人子女,其名尤甚不榮。意者為其貴邪?苟慮害人,人亦必慮害之;苟慮危人,人亦必慮危之,其實人甚不安之,二者為大王無取焉。"荊王無以應也。昔衛靈公問陣,孔子言俎豆,賤兵而貴禮也。夫儒服先王之服也,而荊王惡之。兵者,國之兇器也,而荊王喜之,所以屈于田贊,而危其國也。故春秋曰:"善為國者不師。"此之謂也。
田贊儒衣を穿きて荊王に進見す、荊王曰く、「先生の衣服、何と惡劣なるか」と。田贊答えて曰く、「還りて此より更に惡劣の衣服有り」と。荊王曰く、「聽く可きか」と。答えて曰く、「甲此より更に惡劣なり」と。王曰く、「何の意思か」と。答えて曰く、「冬天則ち冷く、夏天則ち熱く、衣服甲より更に惡劣なるなし。贊貧窮にして、ゆえに衣服惡劣なり。如今大王是れ萬乘の主、富厚無敵にして、卽ち人に甲を穿かしむるを喜歡す、臣私下以爲大王此を取るべからずと。心裏是れ義のためか?甲兵の事は、人の骨を分裂し、人の腹を刳開き、人の城郭を毀壞し、人の子女を繫住す、其の名聲尤其として甚だ不光榮なり。心裏是れ貴のためか?若し人を害せんと謀劃せば、人亦一定彼を害せんと謀劃し;若し人を危うくせんと謀劃せば、人亦一定彼を危うくせんと謀劃す、其の實人甚だ安んぜず、此の兩樣大王皆取るべからず」と。荊王對す可き話なし。從前衞靈公戰陣を問う、孔子俎豆を講じて、兵を看輕して禮を看重せり。儒服是れ先王の衣服にして、而して荊王厭惡す;兵是れ國の凶器にして、而して荊王喜歡す、ゆえに田贊に屈服して、而して其の國を危害す。ゆえに『春秋』に曰く、「善く國を治むるは師旅を用いず」と。是れ此を説くなり。
哀公問於孔子曰:"寡人聞之,東益宅不祥,信有之乎?"孔子曰:"不祥有五,而東益不與焉。夫損人而益己,身之不祥也;棄老取幼,家之不祥也;釋賢用不肖,國之不祥也;老者不教,幼者不學,俗之不祥也;聖人伏匿,愚者擅權,天下之不祥也。故不祥有五,而東益不與焉。詩曰:'各敬爾儀,天命不又。’未聞東益之與為命也。"
哀公孔子に問う、「寡人聞く、東に向かいて住宅を擴建するは不祥、確かに此の回事有るか」と。孔子曰く、「不祥五種有りて、而して東に向かいて擴建する其の中に在らず。人を損して己を利するは、是れ身の不祥;老きを拋棄し幼きを娶るは、是れ家の不祥;賢人を放下し不肖を用いるは、是れ國の不祥;老き教えず幼き學ばざるは、是れ俗の不祥;聖人隱伏し愚人權を擅むるは、是れ天下の不祥。ゆえに不祥五種有りて、而して東に向かいて擴建する其の中に在らず。『詩經』に曰く、『各々你の儀容を敬愼せよ、天命再び來らず』と。未だ東に向かいて擴建する天命と關聯有るを聞かず」と。
顏淵侍魯定公於臺,東野畢御馬於臺下。定公曰:"善哉!東野之御。"顏淵曰:"善則善矣,雖然,其馬將失。"定公不悅,以告左右曰:"吾聞之,君子不讒人,君子亦讒人乎?"顏淵不悅,歷階而去。須臾馬敗聞矣,定公躐席而起曰:"趨駕請顏淵。"顏淵至,定公曰:"向寡人曰:'善哉,東野畢御也。’吾子曰:'善則善矣,雖然,其馬將失矣。’不識吾子何以知之也?"顏淵曰:"臣以政知之。昔者,舜工於使人,造父工於使馬。舜不窮其民,造父不盡其馬,是以舜無失民,造父無失馬。今東野之御也,上馬執轡,御體正矣,周旅灸驟;朝禮畢矣,歷險致遠,而馬力殫矣,然求不已,是以知其失也。"定公曰:"善,可少進與?"顏淵曰:"獸窮則觸,鳥窮則喙,人窮則軸。自古及今,有窮其下能無危者,未之有也。詩曰:'執轡如組,兩驂如舞。’善御之謂也。"定公曰:"善哉!寡人之過也。"
顏淵台上に於て魯定公に陪侍し、東野畢台下に於て馬を駕す。定公曰く、「好き哉!東野の駕馭」と。顏淵曰く、「好きは好き、然るにと雖も、其の馬將に失控せん」と。定公高興せず、左右に告げて曰く、「我聞く、君子人を讒害せず、君子亦人を讒害するか」と。顏淵高興せず、一級級臺階を走下りて離去す。一會兒馬敗壞の消息傳來す、定公席を越えて起身して曰く、「趕快車を駕りて顏淵を請え」と。顏淵到りて、定公曰く、「剛才寡人曰く、『好き哉、東野畢の駕馭』と。您曰く、『好きは好き、然るにと雖も、其の馬將に失控せん』と。您何を憑りて知るを知らず」と。顏淵曰く、「臣政治を以て知る。從前、舜善く人を使用し、造父善く馬を使用す。舜其の民を窮盡せず、造父其の馬を窮盡せず、此に因りて舜失控の民なく、造父失控の馬なし。如今東野の駕馭は、馬に上り轡を執りて、駕馭の體態端正し、周旋馳驟し;朝禮完畢して、險阻を經歷して遠方に到達して、而して馬力盡きるも、卽ち求取停止せず、此に因りて失控するを知る」と。定公曰く、「好し、稍微再び講ず可きか」と。顏淵曰く、「獸窮すれば卽ち抵觸し、鳥窮すれば卽ち啄み、人窮すれば卽ち作亂す。古より今に至るまで、其の下民を窮盡して能く危險なからんは、從來有らず。『詩經』に曰く、『轡を執ること織組のごとく、兩驂舞蹈のごとし』と。是れ善く駕馭するを説くなり」と。定公曰く、「好き哉!是れ寡人の過失なり」と。
孔子北之山戎氏,有婦人哭於路者,其哭甚哀,孔子立輿而問曰:"曷為哭哀至於此也。"婦人對曰:"往年虎食我夫,今虎食我子,是以哀也。"孔子曰:"嘻,若是,則曷為不去也?"曰:"其政平,其吏不苛,吾以是不能去也。"孔子顧子貢曰:"弟子記之,夫政之不平而吏苛,乃等於虎狼矣。"詩曰:"降喪饑饉,斬伐四國。"夫政不平也,乃斬伐四國,而況二人乎?其不去宜哉?
孔子北行して山戎氏に到りて、婦人路上に於て哭く有り、哭くこと甚だ哀し。孔子車子を停下して問う、「何ぞ哀に哭くこと此の地步に到るか」と。婦人答えて曰く、「往年老虎我が丈夫を喫い、如今老虎我が兒子を喫えり、此に因りて哀なり」と。孔子曰く、「嘻、かくのごとき、何ぞ離去せざるか」と。曰く、「此處政治公平にして、官吏苛刻ならず、我此に因りて能く離去せず」と。孔子頭を囘して子貢に對して曰く、「弟子記住せよ、政治公平ならずして官吏苛刻なれば、卽ち虎狼に等し」と。『詩經』に曰く、「喪亂飢饉を降下して、四方の國を斬伐す」と。政治公平ならざれば、卽ち四方の國を斬伐す、況んや兩個人をや?彼女の離去せざるは是れ應然なり。
魏文侯問李克曰:"吳之所以亡者,何也?"李克對曰:"數戰數勝。"文侯曰:"數戰數勝,國之福也,其所以亡,何也?"李克曰:"數戰則民疲,數勝則主驕。以驕主治疲民,此其所以亡也。"是故好戰窮兵,未有不亡者也。
魏文侯李克に問う、「吳の滅亡する所以は、是れ何のためか」と。李克答えて曰く、「屢戰屢勝せり」と。文侯曰く、「屢戰屢勝するは、是れ國の福、滅亡する所以是れ何のためか」と。李克曰く、「屢戰すれば則ち民疲憊し、屢勝すれば則ち主驕傲す。驕傲の主を以て疲憊の民を治理す、此れ卽ち滅亡する所以なり。此に因りて戰を好み兵を窮めるは、滅亡せざるなし」と。
趙襄子問於王子維曰:"吳之所以亡者,何也?"對曰:"吳君□而不忍。"襄子曰:"宜哉吳之亡也。□則不能賞賢,不忍則不能罰奸。賢者不賞,有罪不罰,不亡何待?"
趙襄子王子維に問う、「吳の滅亡する所以は、是れ何のためか」と。答えて曰く、「吳君剛愎(底本此の字殘缺)して忍びず」と。襄子曰く、「吳滅亡するは是れ應然なり。剛愎なれば卽ち能く賢を賞せず、忍びざれば卽ち能く奸を罰せず。賢者賞せず、罪有りて罰せざれば、滅亡せずして還りて何を待たんか」と。
孔子侍坐於季孫,季孫之宰通曰:"君使人假馬,其與之乎?"孔子曰:"吾聞取於臣謂之取,不曰假。"季孫悟,告宰通曰:"自今以來,君有取謂之取,無曰假。"故孔子正假馬之名,而君臣之義定矣。論語曰:"必也正名。"詩曰:"無易由言,無曰苟矣。"可不慎乎?
孔子季孫其の處に陪坐す、季孫の宰通報して曰く、「君人を派して馬を借りに來る、彼に給するか給せざるか」と。孔子曰く、「我聞く臣其の處より取るを取ると叫ぶ、借と叫ばず」と。季孫醒悟して、宰に告げて通報して曰く、「今以後、君取る所有れば取ると叫べ、借と叫ぶ勿れ」と。ゆえに孔子馬を借るの名を端正して、而して君臣の義卽ち確定せり。『論語』に曰く、「一定要名を正しくせん」と。『詩經』に曰く、「輕易に説話する勿れ、苟且可と説く勿れ」と。愼重せざる可けんや?
君子曰:"天子居闉闕之中,帷帳之內,廣廈之下,旃茵之上,不出襜幄,而知天下者,以有賢左右也。"故獨視不如與眾視之明也,獨聽不如與眾聽之聰也。
君子曰く、「天子城門外曲闕の中・帷帳の內・廣厦の下・氈茵の上に住して、帷幄を出でずして天下を知るは、是れ因りて賢能の左右有るなり」と。ゆえに獨自看るは衆人と一起看るに明白ならず、獨自聽くは衆人と一起に聽くに淸楚ならず。
晉平公問於叔向曰:"國家之患,庸為大?"對曰:"大臣重祿而不極諫,近臣畏罰而不敢言,下情不上通,此患之大者也。"公曰:"善。"於是令國曰:"欲進善言,謁者不通,罪當死。"
晉平公叔向に問う、「國家の患、哪個最も大なりか」と。答えて曰く、「大臣俸祿を看重して極力進諫せず、近臣罰を怕れて敢えて説話せず、下情上に通ぜず、是れ患の中の最も大なり」と。公曰く、「好し」と。於是國中に命令して曰く、「善言を進めんと欲して、謁者通報せざるは、罪該に處死すべし」と。
楚人有善相人,所言無遺策,聞於國。莊王見而問於情,對曰:"臣非能相人,能觀人之交也。布衣也,其交皆孝悌,篤謹畏令,如此者其家必日益,身必日安,此所謂吉人也。官事君者也,其交皆誠信,有好善如此者,事君日益,官職日益,此所謂吉士也。主明臣賢,左右多忠,主有失皆敢分爭正諫,如此者國日安,主日尊,天下日富,此所謂吉主也。臣非能相人,能觀人之交也。"莊王曰:"善。"於是乃招聘四方之士,夙夜不懈,遂得孫叔敖,將軍子重之屬,以備卿相,遂成霸功。詩曰:"濟濟多士,文王以寧。"此之謂也。
楚人善く人を相する有りて、説く所遺漏の策なく、國に於て聞名す。莊王接見して實情を問う、答えて曰く、「臣是れ能く人を相するにあらず、是れ能く人の交游を觀察す。布衣は、其の交游皆孝悌・篤謹・法令を畏懼する、かくのごとき人其の家一定一天比一天增益し、自身一定一天比一天安し、此れ卽ち所謂吉人なり。官を爲りて君を事奉するは、其の交游皆誠信・善を愛好する、かくのごとき人君を事奉して一天比一天增益し、官職一天比一天增益す、此れ卽ち所謂吉士なり。主明く臣賢く、左右忠多く、主過失有れば皆敢えて爭辯正諫す、かくのごとき國一天比一天安く、主一天比一天尊く、天下一天比一天富む、此れ卽ち所謂吉主なり。臣是れ能く人を相するにあらず、是れ能く人の交游を觀察す」と。莊王曰く、「好し」と。於是四方の士を招聘して、夙夜懈らず、終に孫叔敖・將軍子重一類の人を得て、以て卿相を備齊して、終に霸功を成就す。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。是れ此を説くなり。
齊閔王亡居衛,盡日灸走,謂公玉丹曰;"我已亡矣,而不知其故?吾所以亡者,其何哉?"公玉丹對曰:"臣以王為已知之矣,王故尚未之知耶?王之所以亡者,以賢也,以天下之主皆不肖,而惡王之賢也,因相與合兵而攻王,此王之所以亡也。"閔王慨然太息曰:"賢固若是之苦邪?"丹又謂閔王曰:"古人有辭,天下無憂色者,臣聞其聲,於王見其實,王名稱東帝,實有天下,去國居衛,容貌充盈,顏色發揚,無重國之意。"王曰:"甚善。丹知寡人自去國而居衛也,帶三益矣。"遂以自賢,驕盈不遜。閔王亡走衛,衛君避宮舍之,稱臣而供具,閔王不遜,衛人侵之,閔王去走鄒。魯,有驕色,鄒。魯不納,遂走莒,楚使淖齒將兵救齊,因相閔王,淖齒擢閔王之筋,而縣之廟梁,宿昔而殺之,而與燕共分齊地。悲乎!閔王臨大齊之國,地方數千裡,然而兵敗於諸侯,地奪於燕昭,宗廟喪亡,社稷不祀,宮室空虛,身亡逃竄,甚於徒隸,尚不知所以亡,甚可痛也,猶自以為賢,豈不哀哉!公玉丹徒隸之中,而道之諂佞,甚矣!閔王不覺,追而善之,以辱為榮,以憂為樂,其亡晚矣,而卒見殺。
齊閔王出亡して衛に住し、整日奔走して、公玉丹に對して曰く、「我已に亡びたるも、卽ち緣故を知らず。我の亡びたる所以は、是れ何か」と。公玉丹答えて曰く、「臣以爲王已に知之れりと、王竟に還りて知らずや?王の亡びたる所以は、是れ因りて賢なり。因りて天下の主皆不肖にして、而して王の賢を厭惡し、於是互相いに兵を合して王を攻む、此れ卽ち王の亡びたる所以なり」と。閔王慨然として長歎して曰く、「賢原來かくのごとく苦なるか」と。丹又閔王に對して曰く、「古人天下を辭去して憂色なき有り、臣其の名聲を聞きて、王の身に於て其の實際を見る。王名稱東帝にして、實際天下有り、國を離れて衛に住し、容貌充盈し、顏色發揚して、國を看重するの意思なし」と。王曰く、「甚だ好し。丹知る寡人自ら國を離れて衛に住してより、衣帶三寸を增加せりと」と。於是自ら以爲賢とし、驕盈遜らず。閔王出亡して衛に到りて、衛君宮舍を避けて彼に住せしめ、臣と稱して器具を供給す、閔王遜らず、衛人彼を侵逼し、閔王離去して鄒・魯に到り、驕色有り、鄒・魯接納せず、於是莒に到る。楚淖齒を派して兵を率いて齊を救わしめ、於是閔王の相を爲る、淖齒閔王の筋を抽きて、廟梁に懸挂して、一夜を過ぎて彼を殺掉し、燕と共同に齊地を瓜分す。悲哀なるかな!閔王大齊の國に面對して、土地方圓幾千里、然るに兵諸侯に打敗せられ、地燕昭に奪取せられ、宗廟喪亡し、社稷祭祀せられず、宮室空虛にして、自身逃亡竄走し、徒隸より還りて甚だしく、還りて亡びたる所以を知らず、甚だ痛心す可く、還りて自ら以爲賢とす、豈悲哀ならずや!公玉丹徒隸の中に在りて、卽ち諂佞を以て引導す、太だ過分なり!閔王覺察せず、反つて善と稱し、辱を以て榮と爲し、憂を以て樂と爲す、其の滅亡已に晚くして、而して終に殺せらる。
先是靖郭君殘賊其百姓,害傷其群臣,國人將背叛共逐之,其御知之,豫裝齎食,及亂作,靖郭君出亡,至於野而飢,其御出所裝食進之。靖郭君曰:"何以知之而齎食?"對曰:"君之暴虐,其臣下之謀久矣。"靖郭君怒,不食。曰:"以吾賢至聞也,何謂暴虐?"其御懼曰:"臣言過也,君實賢,唯群臣不肖共害賢。"然後靖郭君悅,然後食。故齊閔王。靖郭君,雖至死亡,終身不諭者也。悲夫!
此の之前靖郭君百姓を殘害し、群臣を傷害し、國人將に背叛して共同に彼を驅逐せんとす。其の御者知之、預先乾糧を裝好して、亂發作するに及びて、靖郭君出亡して、野外に到りて飢餓す、御者裝する所の食物を拿出して進上す。靖郭君曰く、「何を憑りて知りて食物を帶びたるか」と。答えて曰く、「君の暴虐は、臣下の謀劃已に久し」と。靖郭君發怒して、喫せず。曰く、「我が賢を憑りて遠處に傳へて皆聞到せり、何を以て暴虐と説くか」と。御者恐懼して曰く、「臣の話錯なり、君確かに賢なり、只是れ群臣不肖にして共同に賢を害す」と。然る後靖郭君喜悅して、然る後喫す。ゆえに齊閔王・靖郭君は、たとい死亡に至るとも、終身醒悟せず。悲哀なるかな!
宋昭公出亡於鄙,喟然嘆曰:"吾知所以亡矣。吾朝臣千人,發政舉事,無不曰吾君聖者;侍御數百人,被服以立,無不曰吾君麗者。內外不聞吾過,是以至此。"由宋君觀之,人主之所以離國家,失社稷者,諂諛者眾也。故宋昭亡而能悟,蓋得反國雲。
宋昭公出亡して邊鄙に到りて、喟然として歎息して曰く、「我亡びたる所以を知れり。我朝臣一千人、政令を發布して事情を擧辦するに、吾君是れ聖人と説かざるなし;侍御幾百人、衣を穿きて立つに、吾君美麗と説かざるなし。內外我が過失を聽到せず、此に因りて此の地步に到れり」と。宋君より來れば、人主國家を離れ社稷を失去する所以は、是れ諂諛の人多きなり。ゆえに宋昭亡びて還りて能く醒悟す、大概國に返回するを得たり。
秦二世胡亥之為公子也,昆弟數人,詔置酒饗群臣,召諸子,諸子賜食先罷,胡亥下皆視群臣,陳履狀善者,因行踐敗而去。諸子聞見之者,莫不太息。及二世即位,皆知天下必棄之也。故二世惑於趙高,輕大臣,不顧下民。是以陳勝奮臂於關東,閻樂作亂於望夷。閻樂,趙高之惑也,為咸陽令,軸為逐賊,將吏率入望夷宮,攻射二世,就數二世,欲加刃,二世懼,入將自殺,有一宦者從之,二世謂:"何謂至於此也?"宦者曰:"知此久矣。"二世曰:"子何不早言?"對曰:"臣以不言,故得至於此,使臣言,死久矣。"然後二世喟然悔之,遂自殺。
秦二世胡亥公子を爲るの時候、兄弟幾人、詔令酒宴を設けて群臣を饗し、各位の兒子を召す。各位の兒子食を賜うて先に罷退し、胡亥下去りて皆群臣を看て、陳列の鞋子形狀好きを、於是走過して踩壞して離去す。各位の兒子聽見看見する、大いに歎息せざるなし。二世位に即くに及びて、皆天下一定彼を拋棄せんを知れり。ゆえに二世趙高に迷惑せられ、大臣を輕視し、下民を顧みず。此に因りて陳勝關東に於て臂を奮い、閻樂望夷に於て作亂す。閻樂是れ趙高の迷惑する人にして、咸陽令を爲り、假裝して賊を追逐し、將吏を率領して望夷宮に進入し、二世を攻射して、就近二世を數落し、刀を加えんと欲し、二世恐懼して、進み入りて將に自殺せんとす、一個の宦者跟隨する有り、二世曰く、「何ぞ此の地步に到りたるか」と。宦者曰く、「此を知ること久し」と。二世曰く、「您何ぞ早く説かざりしか」と。答えて曰く、「臣因りて説かざる、ゆえに能く此の地步に到れり、假如臣説かば、死する已に久し」と。然る後二世喟然として後悔して、於是自殺す。
齊侯問於晏子曰:"忠臣之事君,何若?"對曰:"有難不死,出亡不送。"君曰:"列地而與之,疏爵而貴之,君有難不死,出亡不送,可謂忠乎?"對曰:"言而見用,終身無難,臣奚死焉?諫而見從,終身不亡,臣奚送焉?若言而不見用,有難而死,是妄死也;諫不見從,出亡而送,是軸為也。故忠臣也者,能盡善與君,而不能陷於難。
齊侯晏子に問う、「忠臣君を事奉するは、如何」と。答えて曰く、「難有りて死せず、出亡して送らず」と。君曰く、「土地を劃分して彼に給し、爵位を疏通して彼を貴からしむ、君難有りて死せず、出亡して送らざれば、忠と稱する可きか」と。答えて曰く、「話採用せられて、終身難なく、臣何必死せん?進諫聽從せられて、終身出亡せず、臣何必送らん?若し話採用せられずして、難有りて死するは、是れ妄死;進諫聽從せられずして、出亡して送るは、是れ假裝爲すなり。ゆえに忠臣は、能く善を君に盡くして、能く難中に陷入せず」と。
宋玉因其友以見於楚襄王,襄王待之無以異。宋玉讓其友。其友曰:"夫薑桂因地而生,不因地而辛;婦人因媒而嫁,不因媒而親。子之事王未耳,何怨於我?"宋玉曰:"昔者,齊有良兔曰東郭●,蓋一旦而走五百里,於是齊有良狗曰韓盧,亦一旦而走五百里,使之遙見而指屬,則雖韓盧不及眾兔之塵,若躡跡而縱□,則雖東郭●亦不能離。今子之屬臣也,躡跡而縱□與?遙見而指屬與?詩曰:'將安將樂,棄我如遺。’此之謂也。"其友人曰:"僕人有過,僕人有過。"
宋玉朋友の引薦を靠りて楚襄王に進見す、襄王彼に對待する特別なし。宋玉朋友を責備す。朋友曰く、「姜桂地を靠りて生じ、地を靠らずして辛辣ならず;婦人媒を靠りて嫁し、媒を靠らずして親ならず。您王を事奉して還りて未だ家に到らざるのみ、我を怨みて何を爲さんか」と。宋玉曰く、「從前、齊良兔有りて東郭魏と叫ぶ(底本此の字殘缺)、大概一天五百里を跑る能し、於是齊良狗有りて韓盧と叫ぶ、亦一天五百里を跑る能し。之をして遠く望見して手指を以て點せしめば、則ちたとい韓盧も衆兔の塵土に趕上せず;若し踪迹に循いて放開せば(底本此の字殘缺)、則ちたとい東郭魏も離去する能わず。如今您臣に屬意するは、是れ踪迹に循いて放開するか、還りて遠く望見して手指を以て點するか?『詩經』に曰く、『將に安樂せんとして、我を拋棄すること遺棄のごとし』と。是れ此を説くなり」と。其の友人曰く、「僕人過有り、僕人過有り」と。
宋玉事楚襄王而不見察,意氣不得形於顏色;或謂曰:"先生何談說之不揚,計畫之疑也。"宋玉曰:"不然。子獨不見夫玄蝯乎?當其居桂林之中,峻葉之上,從容遊戲,超騰往來,龍興而鳥集,悲嘯長吟,當此之時,雖羿逢蒙,不得正目而視也。及其在枳棘之中也,恐懼而掉栗,危視而跡行,眾人皆得意焉。此彼筋非加急而體益短也,處勢不便故也。夫處勢不便,豈何以量功校能哉?詩不云乎?'駕彼四牡,四牡項領。’夫久駕而長,不得行項領,不亦宜乎?易曰:'臀無膚,其行□趄。’此之謂也。"
宋玉楚襄王を事奉して察識せられず、意氣顏色上に顯現するを得ず。人彼に對して曰く、「先生何ぞ談説顯揚せざる、計劃懷疑せらる」と。宋玉曰く、「不對。您豈彼の黑猿を見ざらんや?其れ桂林の中・高葉の上に住するに當たりて、從容游戲し、超騰往來して、龍興起するがごとく鳥聚集するがごとく、悲嘯長吟す、此の時候に於ては、たとい羿・逢蒙も能く正眼に看る能わず。其れ枳棘の中に在るに及びて、恐懼發抖し、危險に看て小心に走れば、衆人皆得意する能し。此れ是れ筋加緊して身體更に短くするにあらず、是れ處するの勢不便の緣故なり。處するの勢不便なれば、何處にか何を用いて功を量り能を校えんや?『詩經』是れ説かずや:『其四匹の牡馬を駕りて、四匹の牡馬脖子粗し』と。長久駕して行走するを得ざれば、脖子粗きは亦應然ならずや?『周易』に曰く、『臀部膚なく、行走趑趄す』(底本此の字殘缺)と。是れ此を説くなり」と。
田饒事魯哀公而不見察。田饒謂哀公曰:"臣將去君而檻鵠舉矣。"哀公曰:"何謂也?"田饒曰:"君獨不見夫雞乎?頭戴冠者,文也;足傅距者,武也;敵在前敢鬥者,勇也;見食相呼,仁也;守夜不失時,信也。雞雖有此五者,君猶日瀹而食之,何則?以其所從來近也。夫檻鵠一舉千里,止君園池,食君魚鱉,啄君菽粟,無此五者,君猶貴之,以其所從來遠也。臣請檻鵠舉矣。"哀公曰:"止。吾書子之言也。"田饒曰:"臣聞食其食者,不毀其器;蔭其樹者,不析其枝。有士不用,何書其言為?"遂去之燕,燕立為相。三年,燕之政太平,國無盜賊。哀公聞之,慨然太息,為之避寢三月,抽損上服,曰:"不慎其前,而悔其後,何可復得?"詩曰:"逝將去汝,適彼樂土;適彼樂土,爰得我所?"春秋曰:"少長於君,則君輕之。"此之謂也。
田饒魯哀公を事奉して察識せられず。田饒哀公に對して曰く、「臣將に君を離れて鴻鵠のごとく高飛せん」と。哀公曰く、「何の意思か」と。田饒曰く、「君豈彼の雞を見ざらんや?頭冠を戴くは、是れ文;脚距を附着するは、是れ武;敵人前に在りて敢えて鬥うは、是れ勇;食物を見て互相いに呼叫するは、是れ仁;夜を守りて時を誤らざるは、是れ信。雞雖然此の五樣有るも、君還りて每天烹煮して以て喫す、何ぞや?因りて其の來る所の地方近きなり。其の鴻鵠一擧千里にして、君の園池に停まり、君の魚鼈を喫し、君の菽粟を啄むも、此の五樣なく、君還りて之を看重す、因りて其の來る所の地方遠きなり。臣請う鴻鵠のごとく高飛せん」と。哀公曰く、「停下せよ。我您の話を記下せん」と。田饒曰く、「臣聞く其の食物を喫するは、其の器具を毀せず;其の樹下に於て遮蔭するは、其の樹枝を折らず。士有りて用いず、其の話を記して何を爲さんか」と。於是離れて燕に到りて、燕彼を立てて相を爲さしむ。三年、燕の政治太平にして、國盜賊なし。哀公聞きて、慨然として長歎して、此のため正寢を避けること三個月、上等の衣服を抽減して、曰く、「前に於て謹愼せずして、而して後に於て後悔す、何處にか再び得る可けんや?」と。『詩經』に曰く、「將に你を離れて、其の樂土に到らん;其の樂土に到らば、於是我が安處する所を得ん」と。『春秋』に曰く、「小さきより君家に長大すれば、則ち君之を看輕す」と。是れ此を説くなり。
子張見魯哀公,七日而哀公不禮,托僕伕而去曰:"臣聞君好士,故不遠千里之外,犯霜露,冒塵垢,百舍重趼,不敢休息以見君,七日而君不禮,君之好士也,有似葉公子高之好龍也,葉公子高好龍,鉤以寫龍,鑿以寫龍,屋室雕文以寫龍,於是夫龍聞而下之,窺頭於牖,拖尾於堂,葉公見之,棄而還走,失其魂魄,五色無主,是葉公非好龍也,好夫似龍而非龍者也。今臣聞君好士,不遠千里之外以見君,七日不禮,君非好士也,好夫似士而非士者也。詩曰:'中心藏之,何日忘之。’敢托而去。"
子張魯哀公に進見して、七天して哀公禮を以て相待せず、僕人に托して離去して曰く、「臣聞く君士を好むと、ゆえに千里の外を遠からずとせず、霜露を冒犯し、塵垢を頂いて、一百舍を走りて脚上多層の繭を生じ、敢えて休息せずして君を見んと來れり、七天して君禮を以て相待せず。君の士を好むは、有點葉公子高の龍を好むに似たり。葉公子高龍を好みて、帶鉤上龍を畫き、鑿上龍を畫き、屋室雕紋龍を畫き、於是其の眞龍聞きて下りて、頭窗より探り入れ、尾巴堂上に拖る、葉公見て、丢下して轉身して卽ち跑して、魂魄を失い、五色主なし。此れ是れ葉公是れ龍を好むにあらず、是れ其の龍に似て龍にあらざるを好むなり。如今臣聞く君士を好むと、千里の外を遠からずとせずして來りて君を見るに、七天禮を以て相待せず、君是れ士を好むにあらず、是れ其の士に似て士にあらざるを好むなり。『詩經』に曰く、『心裏藏して、哪一日忘れんや』と。敢えて人に托して離去す」と。
昔者,楚丘先生行年七十,披裘帶索,往見孟嘗君,欲趨不能進。孟嘗君曰:"先生老矣,春秋高矣,何以教之?"楚丘先生曰:"噫!將我而老乎?噫!將使我追車而赴馬乎?投石而超距乎?逐麋鹿而搏虎豹乎?吾已死矣!何暇老哉!噫!將使我出正辭而當諸侯乎?決嫌疑而定猶豫乎?吾始壯矣,何老之有!"孟嘗君逡巡避席,面有愧色。詩曰:"老夫灌灌,小子蹻蹻。"言老夫欲盡其謀,而少者驕而不受也。秦穆公所以敗其師,殷紂所以亡天下也。故書曰:"黃髮之言,則無所愆。"詩曰:"壽胥與試。"美用老人之言以安國也。
從前、楚丘先生年紀七十、裘を披きて繩索を繫えて、孟嘗君を見に往きて、快步せんと欲するも能く進み前へせず。孟嘗君曰く、「先生老了して、年紀高し、何を以て來りて教えんか」と。楚丘先生曰く、「噫!將に我を以て老と爲さんか?噫!將に我をして車を追い馬を趕かしめんか?石を投げ遠く跳ばんか?麋鹿を追逐し虎豹を搏擊せんか?我已に死せり!何處にか老を顧及せんや!噫!將に我をして正辭を出して以て諸侯に應對せしめんか?嫌疑を決斷して以て猶豫を確定せしめんか?我纔かに壯を開始す、何處にか老有らんや!」孟嘗君遲疑して席を離れて、臉上愧色有り。『詩經』に曰く、「老夫情意懇切なり、小子驕躁なり」と。是れ老夫其の謀を盡くさんと欲するも、而して年少の驕傲接受せざるを説くなり。秦穆公其の軍隊を失敗せしめたる所以、殷紂天下を丟失したる所以なり。ゆえに『尚書』に曰く、「黃髮の話は、則ち愆過なし」と。『詩經』に曰く、「長壽の人一起に試用す」と。是れ老人の話を以て國家を安定するを讚美するなり。
齊有閭丘邛年十八,道鞍宣王曰:"家貧親老,願得小仕。"宣王曰:"子年尚稚,未可也。"閭丘邛曰:"不然,昔有顓頊行年十二而治天下,秦項橐七歲為聖人師,由此觀之,邛不肖耳,年不稚矣。"宣王曰:"未有咫角驂駒而能服重致遠者也,由此觀之,夫士亦華髮墮顛而後可用耳。"閭丘邛曰:"不然。夫尺有所短,寸有所長,驊騮綠驥,天下之俊馬也,使之與狸鼬試於釜灶之間,其疾未必能過狸鼬也;黃鵠白鶴,一舉千里,使之與燕服翼,試之堂廡之下,廬室之間,其便未必能過燕服翼也。闢閭巨闕,天下之利器也,擊石不缺,刺石不銼,使之與管槁決目出眯,其便未必能過管槁也,由此觀之,華髮墮顛與邛,何以異哉?"宣王曰:"善。子有善言,何見寡人之晚也?"邛對曰:"夫雞處讙嗷,則奪鐘鼓之音;雲霞充咽則奪日月之明,讒人在側,是見晚也。詩曰:'聽言則對,□言則退。’庸得進乎?"宣王拊軾曰:"寡人有過。"遂載與之俱歸而用焉。故孔子曰:"後生可畏,安知來者之不如今?"此之謂也。
齊閭丘邛有りて、十八歳、路上に於て齊宣王を攔して曰く、「家貧しく雙親老いて、願わくは小官職を得ん」と。宣王曰く、「您年紀還りて小さく、還りて可ならず」と。閭丘邛曰く、「不對。從前顓頊年紀十二にして天下を治理し、秦項橐七歳にして聖人の老師を爲れり、此より觀れば、邛不肖なるのみ、年紀小ならず」と。宣王曰く、「剛だちて角を長ずるの小馬にして能く重を負いで遠方に到るなし、此より觀れば、士亦花白の頭髮・頭頂脱落して然る後纔かに用いる可し」と。閭丘邛曰く、「不對。尺短き所有り、寸長き所有り。驊騮綠驥是れ天下の駿馬、彼らをして狸鼬と釜竈の間に於て比賽せしめば、其の快未必能く狸鼬を超過せず;黃鵠白鶴一擧千里、彼らをして燕子・蝙蝠と堂廡の下・廬室の間に於て比賽せしめば、其の便捷未必能く燕子・蝙蝠を超過せず;辟閭・巨闕是れ天下の利器、石を擊ても缺けず、石を刺しても鈍らず、彼らをして竹管と眼裏の眯物を決開せしめば、其の便捷未必能く竹管を超過せず。此より觀れば、花白の頭髮・頭頂脱落と邛と、何の同じからざる有らんか?」宣王曰く、「好し。您善言有り、何ぞ寡人を見ることかくのごとく晚きか」と。邛答えて曰く、「雞喧譁の裏に處れば、卽ち鍾鼓の聲音を奪去す;雲霞咽喉を塡塞せば、卽ち日月の光明を奪去す。讒人旁邊に在り、ゆえに見ること晚し。『詩經』に曰く、『善言を聽けば卽ち對答し、讒言なれば卽ち斥退す』(底本此の字殘缺)と。何處にか能く進まんや?」宣王軾を拍ちて曰く、「寡人過失有り」と。於是彼を載せて一起に囘來りて任用す。ゆえに孔子曰く、「後生畏る可し、何を以て後來の如今に如かざるを知らん」と。是れ此を説くなり。
荊人卞和得玉璞而獻之荊厲王,使玉尹相之曰:"石也。"王以為慢,而斷其左足。厲王薨,武王即位,和復捧玉璞而獻之武王。武王使玉尹相之曰:"石也。"又以為慢,而斷其右足。武王薨,共王即位,和乃奉玉璞而哭於荊山中,三日三夜,泣盡,而繼之以血,共王聞之,使人問之曰:"天下刑之者眾矣,子刑何哭之悲也?"對曰:"寶玉而名之曰石,貞士而戮之以慢,此臣之所以悲也。"共王曰:"惜矣,吾先王之聽難,剖石而易,斬人之足!夫死者不可生,斷者不可屬,何聽之殊也?"乃使人理其璞而得寶焉。故名之曰和氏之璧。故曰珠玉者,人主之所貴也,和雖獻寶,而美未為玉尹用也。進寶且若彼之難也,況進賢人乎?賢人與奸臣,猶仇讎也,於庸君意不合。夫欲使奸臣進其讎於不合意之君,其難萬倍於和氏之璧,又無斷兩足之臣以推其難,猶拔山也,千歲一合,若繼踵,然後霸王之君興焉。其賢而不用,不可勝載,故有道者之不戮也,宜白玉之璞未獻耳。
荊人卞和玉璞を得て荊厲王に獻じ、玉尹をして相看せしむるに曰く、「是れ石頭」と。王以爲怠慢とし、其の左脚を砍斷す。厲王去世し、武王位に即き、卞和又玉璞を捧げて武王に獻ず。武王玉尹をして相看せしむるに曰く、「是れ石頭」と。又以爲怠慢とし、其の右脚を砍斷す。武王去世し、共王位に即き、卞和於是玉璞を捧げて荊山の中に於て哭き、三天三夜、眼淚哭き盡くして、繼いで血を流す。共王聞きて、人を派して問う、「天下刑を受くる人多し、您刑を受けて何ぞ哭くことかくのごとく悲しきか」と。答えて曰く、「寶玉卽ち石頭と叫ばれ、貞士卽ち怠慢を以て刑戮せらる、是れ臣の悲哀する所以なり」と。共王曰く、「可惜なるかな、我先王聽信困難にして、石頭を剖開するは卽ち容易く、人の脚を斬る!死せる再生す可からず、斷たる再接す可からず、聽信何等同じからざるか!」と。於是人を派して其の璞を治理して寶を得たり。ゆえに和氏之璧と叫ぶ。ゆえに珠玉是れ人主の看重する所と説く、卞和雖然寶を獻ずも、而して美還りて未だ玉尹に採用せられず。寶を進むる尚お彼のごとく難し、況んや賢人を進めんをや?賢人と奸臣とは、卽ち仇敵のごとく、庸君と心意合せず。奸臣をして其の仇人を心意合せざるの君に進めしめんと欲するは、其の難處和氏之璧に比して萬倍し、又兩脚を砍斷せらるるの臣なくして其の難處を推進せば、卽ち山を拔くがごとく、千年一遇合して、若し接踵して來れば、然る後霸王の君興起す。それらの賢にして任用せられざるは、記載盡くさず、ゆえに道有る人刑戮せられざるは、應に白玉の璞還りて未だ獻上せざるのみ。
刺奢第六
刺奢第六
桀作瑤臺,罷民力,殫民財,為酒池糟堤,縱靡靡之樂,一鼓而牛飲者三千人,群臣相持歌曰:"江水沛沛兮,舟楫敗兮,我王廢兮,趣歸薄兮,薄亦大兮。"又曰:"樂兮樂兮,四牡蹻兮,六轡沃兮,去不善而從善,何不樂兮?"伊尹知天命之至,舉觴而告桀曰:"君王不聽臣之言,亡無日矣。"桀拍然而作,唾然而笑曰:"子何妖言,吾有天下,如天之有日也,日有亡乎?日亡吾亦亡矣。"於是接履而趣,遂適湯,湯立為相。故伊尹去官入殷,殷王而夏亡。
桀瑤台を建造して、民力をして疲憊せしめ、民財をして枯竭せしめ、酒池糟堤を作して、靡靡の樂を放縱し、一擊鼓して牛のごとく喝する三千人有り。群臣互相いに扶持して歌唱す、「江水沛沛たり、舟楫敗壞せり、我王廢棄せり、趕快亳に歸向せよ、亳亦大なり」と。又曰く、「快樂なるかな快樂なるかな、四匹の牡馬驕健なり、六根の轡繩柔潤なり、不善を離れて善に跟隨せば、何ぞ快樂ならざらん?」と。伊尹天命到るを知りて、觴を擧起して桀に告げて曰く、「君王臣の話を聽かざれば、滅亡幾日なからん」と。桀拍然として起き、唾然として笑いて曰く、「您何の妖言を説く、我天下有るは、天太陽有るがごとく、太陽滅亡有らんや?太陽滅亡せば我亦滅亡せん」と。於是鞋子を提げて快走し、於是湯其の處に到りて、湯彼を立てて相を爲さしむ。ゆえに伊尹官職を離れて殷に入りて、殷王と稱して夏滅亡せり。
紂為鹿臺,七年而成,其大三里,高千尺,臨望雲雨。作炮烙之刑,戮無辜,奪民力。冤暴施於百姓,慘毒加於大臣,天下叛之,願臣文王。及周師至,令不行於左右。悲乎!當是時,求為匹夫不可得也,紂自取之也。
紂鹿台を建造して、七年纔かに成り、大きさ三里、高き千尺、雲雨を臨望す。炮烙の刑を作して、無辜を殺戮し、民力を奪取す。冤暴百姓に施加し、慘毒大臣に加うれば、天下反叛して、文王に臣服せんと願う。周師到るに及びて、命令能く左右に推行せず。悲哀なるかな!其の時候に在りて、匹夫を爲らんと求むるも亦得る可からず、是れ紂自己の取れるなり。
魏王將起中天台,令曰:"敢諫者死。"許綰負虆操鍤入曰:"聞大王將起中天台,臣願加一力。"王曰:"子何力有加?"綰曰:"雖無力,能商臺。"王曰:"若何?"曰:"臣聞天與地相去萬五千裡,今王因而半之,當起七千五百里之臺,高既如是,其趾須方八千里,盡王之地,不足以為臺趾。古者堯舜建諸侯,地方五千裡,王必起此臺,先以兵伐諸侯,盡有其地猶不足,又伐四夷,得方八千里乃足以為臺趾,材木之積,人徒之眾,倉廩之儲,數以萬億度。八千里以外,當盡農畝之地,足以奉給王之臺者,臺具以備,乃可以作。"魏王默然無以應,乃罷起臺。
魏王將に中天台を建造せんとして、下令す、「敢えて進諫するは處死す」と。許綰土を盛るの筐を背負い鐵鍬を持ちて進み入りて曰く、「聞く大王將に中天台を建造せんとす、臣願わくは一份の力を加えん」と。王曰く、「您何の力か加う可き有らんか」と。許綰曰く、「雖然力なけれど、能く台を商量せん」と。王曰く、「如何」と。曰く、「臣聞く天と地と相距ること一萬五千里、如今王因りて一半を取れば、該に七千五百里の台を建造すべし。高き已にかくのごとき、台基須く方圓八千里なるべし、王の地を盡くすも、台基を爲るに足らず。古代堯舜諸侯を封建して、土地方圓五千里、王一定此の台を建造せんと欲せば、先用ちて兵諸侯を伐ちて、彼らの地を盡有しても還りて足らず、再び四夷を伐ちて、方圓八千里を得て纔かに台基を爲るに足らん。材木の積蓄・人徒の衆多・倉廩の儲備は、萬億を以て度量す。八千里以外は、該に農畝の地を盡くして、纔かに足りて王の台を供給せん。台の器具備齊して、纔かに動工す可し」と。魏王沈默して對す可き話なく、於是台を建造するを停止す。
衛靈公以天寒鑿池,宛春諫曰:"天寒起役,恐傷民。"公曰:"天寒乎?"宛春曰:"君衣狐裘,坐熊席,隩隅有灶,是以不寒,今民衣弊不補,履決不苴。君則不寒,民則寒矣。"公曰:"善。"令罷役。左右諫曰:"君鑿池不知天寒,以宛春知而罷役,是德歸宛春,怨歸於君。"公曰:"不然。宛春,魯國之匹夫,吾舉之,民未有見焉,今將令民,以此見之。且春也有善,寡人有春之善,非寡人之善與?"靈公論宛春,可謂知君之道矣。
衞靈公因りて天寒池を開鑿す、宛春進諫して曰く、「天寒役を興せば、恐怕民を傷つけん」と。公曰く、「天寒なるか」と。宛春曰く、「君狐裘を穿きて、熊席に坐し、溫暖の角落竈有り、此に因りて寒からず。如今民衣服破れて補せず、鞋子裂けて縫わず。君則ち寒からず、民則ち寒し」と。公曰く、「好し」と。下令して役を停止す。左右進諫して曰く、「君池を開鑿して天寒を知らず、因りて宛春知りて役を停止す、かくのごとくば德宛春に歸し、怨君に歸せん」と。公曰く、「不對。宛春是れ魯國の匹夫、我彼を擧用して、民還りて未だ彼を見ず、如今將に民をして此を以て彼を見しめん。況んや宛春善有れば、寡人宛春の善有り、卽ち寡人の善ならずや」と。靈公宛春を評論するは、君を爲るの道理を知ると稱する可し。
齊宣王為大室,大蓋百畝,堂上三百戶,以齊國之大,具之三年而未能成,群臣莫敢諫者。香居問宣王曰:"荊王釋先王之禮樂而為淫樂,敢問荊邦為有主乎?"王曰:"為無主。""敢問荊邦為有臣乎?"王曰:"為無臣。"居曰:"今主為大室,三年不能成,而群臣莫敢諫者,敢問王為有臣乎?"王曰:"為無臣。"香居曰:"臣請避矣。"趨而出。王曰:"香子留,何諫寡人之晚也?"遽召尚書曰:"書之,寡人不肖,為大室,香子止寡人也。"
齊宣王大室を建造して、大きさ蓋し百畝、堂上三百戸、齊國かくのごとき大を憑るも、備辦三年して還りて未だ能く成らず、群臣敢えて進諫するなし。香居宣王に問う、「荊王先王の禮樂を放下して淫樂を爲す、敢えて問う荊邦算して主有るか」と。王曰く、「算して主なし」と。「敢えて問う荊邦算して臣有るか」と。王曰く、「算して臣なし」と。香居曰く、「如今主大室を建造して、三年能く成らずして、而して群臣敢えて進諫するなし、敢えて問う王算して臣有るか」と。王曰く、「算して臣なし」と。香居曰く、「臣請う囘避せん」と。快步して出去る。王曰く、「香子留下せよ、何ぞ寡人に進諫することかくのごとく晚きか」と。立刻尙書を召して曰く、「記下せよ、寡人不肖にして、大室を建造す、香子寡人を制止せり」と。
趙襄子飲酒五日五夜,不廢酒,謂侍者曰:"我誠邦士也。夫飲酒五日五夜矣,而殊不病。"優莫曰:"君勉之,不及紂二日耳。紂七日七夜,今君五日。"襄子懼,謂優莫曰:"然則吾亡乎?"優莫曰:"不亡。"襄子曰:"不及紂二日耳,不亡何待?"優莫曰:"桀紂之亡也遇湯武,今天下盡桀也,而君紂也,桀紂並世,焉能相亡,然亦殆矣。"
趙襄子酒を飲むこと五天五夜、酒を停止せず、侍者に對して曰く、「我確かに是れ邦國の士。酒を飲むこと五天五夜なりて、卽ち一點も病せず」と。優莫曰く、「君勉力せよ、只差紂に兩天のみ。紂七天七夜、如今君五天」と。襄子恐懼して、優莫に對して曰く、「然らば我將に滅亡せんか」と。優莫曰く、「滅亡せず」と。襄子曰く、「只差紂に兩天のみ、滅亡せずして還りて何を待たんか」と。優莫曰く、「桀紂の滅亡するは是れ湯武に遇上せり、如今天下皆是れ桀にして、而して君是れ紂、桀紂同時に世に在りて、何處にか能く互相いに滅亡せん、可是亦危險なり」と。
齊景公飲酒而樂,釋衣冠自鼓缶,謂侍者曰:"仁人亦樂是夫?"梁丘子曰:"仁人耳目亦猶人也?奚為獨不樂此也。"公曰:"速駕迎晏子。"晏子朝服以至。公曰:"寡人甚樂此樂也,願與夫子共之,請去禮。"晏子對曰:"君之言過矣,齊國五尺之童子,力盡勝嬰而又勝君,所以不敢亂者,畏禮也。上若無禮,無以使其下;下若無禮,無以事其上。夫麋鹿唯無禮,故父子同塵。人之所以貴於禽獸者,以有禮也,詩曰:'人而無禮,胡不遄死?’故禮不可去也。"公曰:"寡人無良,左右淫琨寡人,以至於此,請殺之。"晏子曰:"左右無罪,君若好禮,左右有禮者至,無禮者去。君若惡禮,亦將如之。"公曰:"善。請革衣冠,更受命。"乃廢酒而更尊朝服而坐,觴三行,晏子趨出。
齊景公酒を飲みて快樂し、衣冠を脫下して自己缶を敲きて、侍者に對して曰く、「仁人亦此を快樂するか」と。梁丘子曰く、「仁人の耳目還りて是れ人なるか?何ぞ獨自此を快樂せざらん」と。公曰く、「趕快車を駕りて晏子を迎接せよ」と。晏子朝服を穿きて到來す。公曰く、「寡人甚だ此の快樂を快樂す、願わくは夫子と共享せん、請う禮を去掉せよ」と。晏子答えて曰く、「君の話錯なり。齊國五尺の童子は、力氣盡く婴に勝ち又君に勝つ可きも、敢えて作亂せざる所以は、是れ禮を怕るるなり。上若し禮なければ、以て下を役使するなく;下若し禮なければ、以て上を事奉するなし。麋鹿只因りて禮なきが、ゆえに父子同處す。人の禽獸より貴き所以は、是れ因りて禮有るなり。『詩經』に曰く、『人而禮なからば、何ぞ趕快死せざらん?』と。ゆえに禮去掉す可からず」と。公曰く、「寡人好からず、左右淫亂を以て寡人を迷惑して、以致此に至れり、請う彼らを殺掉せん」と。晏子曰く、「左右罪なし。君若し禮を愛好せば、左右禮有る來りて、禮なき離去す。君若し禮を厭惡せば、亦將に此のごとくならん」と。公曰く、「好し。請う衣冠を更換して、再び命を受けん」と。於是酒を廢して尊位を更換し、朝服を穿きて坐下して、觴行三次して、晏子快步して出去る。
魏文侯見箕季其牆壞而不築,文侯曰:"何為不築?"對曰:"不時,其牆枉而不端。"問曰:"何不端?"曰:"固然。"從者食其園之桃,箕季禁之。少焉日晏,進糲餐之食,瓜瓠之羹。文侯出,其僕曰:"君亦無得於箕季矣。曩者進食,臣竊窺之,糲餐之食,瓜瓠之羹。"文侯曰:"吾何無得於季也?吾一見季而得四焉。其牆壞不築,雲待時者,教我無奪農時也。牆枉而不端,對曰固然者,是教我無侵封疆也。從者食園桃,箕季禁之,豈愛桃哉!是教我下無侵上也。食我以糲餐者,季豈不能具五味哉!教我無多歛於百姓,以省飲食之養也。"
魏文侯箕季を見るに、其の墻壞れて卽ち修築せず。文侯曰く、「何ぞ修築せざるか」と。答えて曰く、「時節に到らず。其の墻彎曲して端正ならず」と。問う、「何ぞ端正ならざるか」と。曰く、「本來かくのごとし」と。隨從其の園裏の桃を喫す、箕季禁止す。一會兒天晚くなりて、粗糙の飯・瓜瓠の羹を進上す。文侯出去りて、僕人曰く、「君亦箕季其の處より何を得たるなし。剛才食を進むるに、臣私下窺看せば、是れ粗糙の飯・瓜瓠の羹なり」と。文侯曰く、「我何を以て季其の處より得ざらん?我一見季すれば卽ち四樣を得たり。墻壞れて修築せず、時節を等待すと説くは、是れ我に教えて農時を奪取する勿れと。墻彎曲して端正ならず、本來かくのごとしと答えたるは、是れ我に教えて封疆を侵奪する勿れと。隨從園桃を喫するに、箕季禁止す、何處にか是れ桃を愛せんや!是れ我に教えて下面上を侵する勿れと。粗糙の飯を以て我に喫せしむるは、季何處にか能く五味を具備せざらんや!是れ我に教えて百姓に對して賦斂を多收する勿れ、以て飲食の供養を減省せよと」と。
士尹池為荊使於宋,司城子罕止而觴之,南家之牆,擁於前而不直,西家之潦,經其宮而不止。士尹池問其故,司城子罕曰:"南家,工人也,為鞔者也,吾將徙之,其父曰:'吾特為鞔,已食三世矣,今徙,是宋邦之束鞔者,不知吾處也,吾將不食,願相國之憂吾不食也。’為是故吾不徙。西家高,吾宮卑,潦之經吾宮也利,為是故不禁也。"士尹池歸荊,適興兵欲攻宋,士尹池諫於王曰:"宋不可攻也,其主賢,其相仁。賢者能得民,仁者能用人,攻之無功,為天下笑。"楚釋宋而攻鄭。孔子聞之曰:"夫修之於廟堂之上,而折沖於千里之外者,司城子罕之謂也"。
士尹池荊のため宋に出使して、司城子罕留下して彼に酒を請う。南家の墻擁して前にして直ならず、西家の積水其の宮を經過して停止せず。士尹池緣故を問う、司城子罕曰く、「南家是れ工人、鞔を爲る。我將に彼らを遷徙せんとす、其の父曰く、『我只鞔を爲り、已に此の行を喫すること三世、如今遷徙せば、宋邦鞔を買う人我が住處を知らず、我將に喫するなからん、願わくは相國我の喫するなきを憂慮せん』と。此の緣故に因りて我遷徙せず。西家高く、我が宮低く、積水我が宮を經過して彼らに對して利有り、此の緣故に因りて禁止せず」と。士尹池荊に囘りて、正に兵を起こして宋を攻めんと欲するに遇上し、士尹池王に向かいて進諫して曰く、「宋攻む可からず、其の主賢く、其の相仁なり。賢者能く民を得、仁者能く人を用う、之を攻めて功なく、天下に笑われん」と。楚宋を放下して鄭を攻む。孔子聞きて後曰く、「廟堂の上に於て修治して、而して千里の外に於て折衝するは、是れ司城子罕を説くなり」と。
魯孟獻子聘於晉,宣子觴之三徙,鍾石之縣,不移而具。獻子曰:"富哉冢!"宣子曰:"子之家庸與我家富?"獻子曰:"吾家甚貧,惟有二士,曰顏回,茲無靈者,使吾邦家安平,百姓和協,惟此二者耳!吾盡於此矣。"客出,宣子曰:"彼君子也,以養賢為富。我鄙人也,以鍾石金玉為富。"孔子曰:"孟獻子之富,可著於春秋。"
魯孟獻子晉に到りて聘問す、宣子彼に酒を請うて三次席を遷し、鍾石の懸挂移動せずして卽ち齊備す。獻子曰く、「富なるかな此の家族!」と。宣子曰く、「您の家何處にか我が家と富同じくせんや」と。獻子曰く、「我が家甚だ貧く、只有りて兩個の士、顏囘・茲無靈と叫び、我らの邦家をして安平せしめ、百姓和協せしむ、只此の兩個人のみ!我盡く此處に在り」と。客人出去りて、宣子曰く、「彼是れ君子、賢を養うを以て富と爲す。我是れ鄙人、鍾石金玉を以て富と爲す」と。孔子曰く、「孟獻子の富は、『春秋』に著錄す可し」と。
鄒穆公有令食鳧鷹必以秕,無得以粟,於是倉無秕,而求易於民,二石粟而得一石秕,吏以為費,請以粟食之。穆公曰:"去,非汝所知也!夫百姓飽牛而耕,暴背而耘,勤而不惰者,豈為鳥獸哉?粟米,人之上食,奈何其以養鳥?且爾知小計,不知大會。周諺曰:'囊漏貯中。’而獨不聞歟?夫君者,民之父母,取食之粟,移之於民,此非吾之粟乎?鳥苟食鄒之秕,不害鄒之粟也,粟之在倉與在民,於我何擇?"鄒民聞之,皆知私積與公家為一體也,此之謂知富邦。
鄒穆公令有りて、鴨鷹を餧うに一定秕を用い、粟を用いるを得ず。於是倉裏秕なく、民に向かいて交換すれば、兩石の粟纔かに一石の秕を得、吏以爲浪費とし、粟を以て餧わんを請求す。穆公曰く、「去れ、是れ你らの知る所にあらず!百姓牛を餧い飽かして以て耕し、背を曬して以て耘し、勤勞して懶惰せず、豈是れ鳥獸のためならんや?粟米是れ人の上等の食物、何を以て鳥を養わんや?況んや你ら小計算を知るも、大合計を知らず。周の諺語曰く、『口袋漏れても還りて倉庫の裏に在り』と。你ら豈聞かざらんや?君是れ民の父母、喫する粟を取りて來りて民に轉移す、此れ卽ち我が粟ならずや?鳥若し鄒の秕を喫せば、鄒の粟を害せず。粟倉に在ると民に在るとは、我に對して何の分別か有らん?」鄒民聞きて、皆私積と公家と是れ一體なるを知る、此れ卽ち邦を富ますを知ると叫ぶなり。
節士第七
節士第七
堯治天下,伯成子高立為諸侯焉。堯授舜,舜授禹,伯成子高辭為諸侯而耕,禹往見之,則耕在野,禹趨就下位而問焉,曰:"昔者堯治天下,吾子立為諸侯焉,堯授舜,吾子猶存焉。及吾在位,子辭諸侯而耕,何故?"伯成子高曰:"昔堯之治天下,舉天下而傳之他人,至無慾也,擇賢而與之其位,至公也。以至無慾至公之行示天下,故不賞而民勸,不罰而民畏,舜亦猶然。今君賞罰而民欲且多私,是君之所懷者私也,百姓知之,貪爭之端,自此始矣。德至此衰,刑自此繁矣,吾不忍見,以是野處也。今君又何求而見我?君行矣,無留吾事。"耕而不顧。書曰:"旁施象,刑維明,及禹不能。"春秋曰:"五帝不告誓。"信厚也。
堯天下を治理す、伯成子高立ちて諸侯を爲る。堯舜に授給し、舜禹に授給す、伯成子高諸侯を辭去して田を耕す。禹往きて彼を見るに、彼卽ち野裏に於て耕す、禹快步して低下の位子に就きて問う、「從前堯天下を治理するに、您立ちて諸侯を爲る、堯舜に授給す、您還りて在り。我位に在るに及びて、您諸侯を辭去して耕す、何ぞや」と。伯成子高曰く、「從前堯天下を治理するに、天下を擧げて別人に傳へるは、是れ至りて欲なし;賢人を選擇して彼に位子を給するは、是れ至りて公なり。至りて欲なし・至りて公の行爲を以て天下に看せしむ、ゆえに賞せずして民勤勉し、罰せずして民畏懼す、舜亦還りて是れかくのごとし。如今君賞罰して而して民欲望して并せて私多し、是れ君の懷抱する是れ私、百姓知之、貪爭の端緒此より開始す。德此處に到りて衰落し、刑此より繁多す、我忍びて見ず、此に因りて野裏に處る。如今君又何を求めて以て我を見るか?君走れ、留下して我が事を耽誤する勿れ」と。田を耕して頭を囘さず。『尙書』に曰く、「普遍に象刑を施加して、刑罰纔かに明なり、禹に至るも能わず」と。『春秋』に曰く、「五帝告誓せず」と。是れ誠信厚きなり。
桀為酒池,足以鉉舟,糟丘,足以望七里,一鼓而牛飲者三千人。關龍逢進諫曰:"為人君,身行禮義,愛民節財,故國安而身壽也。今君用財若無盡,用人恐不能死,不革,天禍必降,而誅必至矣,君其革之。"立而不去朝,桀因囚拘之,君子聞之曰:"天之命矣夫。"
桀酒池を作して、足りて船を浮起す、糟丘足りて七里を望見す、一擊鼓して牛のごとく喝する三千人有り。關龍逢進諫して曰く、「人君を爲るは、自身禮義を實行し、民を愛し財を節省す、ゆえに國安くして自身長壽す。如今君財を用うること盡頭なきがごとく、人を用いて彼らの能く死せざるを怕る、改正せざれば、天禍一定降下して、而して誅一定到らん、君還りて改正せよ」と。立ちて朝を離れず、桀此に因りて彼を囚禁す。君子聞きて後曰く、「此れ是れ天の命なり」と。
紂作炮烙之刑,王子比干曰:"主暴不諫,非忠臣也;畏死不言,非勇士也。見過則諫,不用則死,忠之至也。"遂進諫,三日不去朝,紂因而殺之。詩曰:"昊天太憮,予慎無辜。"無辜而死,不亦哀哉!
紂炮烙の刑を作す、王子比干曰く、「主暴虐して進諫せざるは、是れ忠臣にあらず;死を怕れて説話せざるは、是れ勇士にあらず。過失を見れば卽ち進諫し、用いられざれば卽ち死するは、是れ忠の極致なり」と。於是進諫して、三天朝を離れず、紂此に因りて彼を殺せり。『詩經』に曰く、「昊天太だ糊涂なり、我謹愼して卽ち辜なし」と。辜なくして死するは、亦悲哀ならずや!
曹公子喜時,字子臧,曹宣公子也。宣公與諸侯伐秦,卒於師,曹人使子臧迎喪,使公子負芻,與太子留守,負芻殺太子而自立,子臧見負芻之當主也,宣公即葬,子臧將亡,國人皆從之,負芻立,是為曹成公,成公懼,告罪,且請子臧,子臧乃返,成公遂為君。其後晉侯會諸侯,執曹成公,歸之京師,將見子臧於周天子而立之。子臧曰:"前記有之,聖達節,次守節,下失節,為君非吾節也,雖不能聖,敢失守乎?"遂亡奔宋,曹人數請晉侯謂:"子臧返國,吾歸爾君。"於是子臧返國,晉乃言天子歸成公於曹,子臧遂以國致成公,成公為君,子臧不出,曹國乃安,子臧讓千乘之國,可謂賢矣,故春秋賢而褒其後。
曹公子喜時、字子臧、是れ曹宣公の兒子。宣公諸侯と秦を伐ちて、軍中に死す、曹人子臧をして喪を迎接せしめ、公子負芻と太子とをして留守せしむ、負芻太子を殺して自立す。子臧負芻の當に主を爲るべきを見て、宣公已に安葬せられて、子臧將に出亡せんとす、國人皆彼に跟隨す。負芻位に即く、此れ卽ち曹成公なり。成公恐懼して、罪を告げ、并せて子臧を請求す、子臧纔かに返囘して、成公於是君を爲る。後來晉侯諸侯を會し、曹成公を捉住して、京師に送りて、將に子臧をして周天子に進見して彼を立てしめんとす。子臧曰く、「前代記載有りて曰く、聖人節に通達し、其次節を守り、下等節を失うと。君を爲るは是れ我が節にあらず、雖然能く聖せざるとも、敢えて守を失わんか」と。於是出亡して宋に奔る。曹人屢々晉侯に請求して曰く、「子臧國に返回せば、我ら你らの君を歸還せん」と。於是子臧國に返回して、晉纔かに天子に對して成公を曹に歸還すと説き、子臧卽ち國を成公に交給して、成公君を爲り、子臧出でず、曹國纔かに安定す。子臧千乘の國を讓るは、賢と稱する可し、ゆえに『春秋』彼を賢として其の後代を褒揚す。
延陵季子者,吳王之子也,嫡同母昆弟四人,長曰遏,次曰餘祭,次曰夷昧,次曰札。札即曰季子,最小而賢,兄弟皆愛之。既除喪,將立季子,季子辭曰:"曹宣公之卒也,諸侯與曹人不義曹君,將立子臧,子臧去之,遂不為也,以成曹君,君子曰能守節義。君義嗣也,誰敢幹君?有國非吾節也。札雖不才,願附臧,以無失節。"固立之,棄其室而耕,乃舍之。遏曰:"今若是迮而與季子,季子必不受,請無與子而與弟,弟兄迭為君而致諸侯乎季子。"皆曰:"諾。"故諸其為君者皆輕死為勇,飲食必祝曰:"天若有吾國,必疾有禍於身。"故遏也死,餘祭立;餘祭死,夷昧立;夷昧死,而國宜之季子也,季子使而未還。僚者,長子之庶兄也,自立為吳王,季子使而還,至則君適之。遏之子曰王子光,號曰闔閭。不悅曰:"先君所為,不與子而與弟者,凡為季子也,將從先君之命,則國宜之季子也,如不從先君之命而與子,我宜當立者也,僚惡得為君?"於是使專諸刺僚,而致國乎季子。季子曰:"爾殺吾君,吾授爾國,是吾與爾為亂也。爾殺我兄,吾又殺爾,是父子兄弟相殺,終身無已也。"去而之延陵,終身不入吳國,故號曰延陵季子。君子以其不受國為義,以其不殺為仁,是以春秋賢季子而尊貴之也。
延陵季子是れ吳王の兒子、嫡出同母兄弟四人、長き遏と叫び、其次余祭と叫び、其次夷昧と叫び、其次札と叫ぶ。札卽ち季子、最も小にして賢く、兄弟皆彼を愛す。已に喪を除去して、將に季子を立てんとす、季子推辭して曰く、「曹宣公死するの時候、諸侯と曹人と曹君を以て不義と爲して、將に子臧を立てんとし、子臧離去して、於是爲さずして、以て曹君を成就せり、君子能く節義を守ると説く。君是れ義の繼承人、誰か敢えて君に觸犯せん?國有るは是れ我が節にあらず。札雖然不才なれど、願わくは子臧に依附して、以て節を失去せざらん」と。堅決に彼を立てんとす、彼家室を拋棄して田を耕しに往きて、於是放下す。遏曰く、「如今かくのごとく急切に季子に給せば、季子一定接受せず、請う兒子に給せずして弟弟に給せん、弟兄輪流して君を爲りて諸侯の位を季子に送らん」と。皆曰く、「是れ」と。ゆえにそれらの君を爲る皆死を看輕し勇を爲して、飲食一定祝禱して曰く、「天若し我が國を保有せば、一定趕快禍を我が身に加えよ」と。ゆえに遏死せば、余祭立ち;余祭死せば、夷昧立ち;夷昧死せば、而して國應に季子に到るべきも、季子出使して還りて未だ囘來らず。僚是れ長子の庶兄、自立して吳王を爲る。季子出使囘來して、到れば卽ち君禮を以て彼に對待す。遏の兒子王子光と叫び、號闔閭。高興せずして曰く、「先君兒子に給せずして弟弟に給する所以は、皆爲りて季子なり。將に先君の命を遵循せば、則ち國應に季子に到るべし;若し先君の命を遵循せずして兒子に給せば、我當に立つべし、僚何處にか能く君を爲らんや?」と。於是專諸を派して僚を刺さしめて、而して國を季子に交給す。季子曰く、「你我が君を殺し、我你に國を授給す、是れ我你と作亂するなり。你我が兄を殺し、我又你を殺せば、是れ父子兄弟相殺して、終身停止なからん」と。離去して延陵に到りて、終身吳國に進入せず、ゆえに延陵季子と號稱す。君子因りて彼の國を接受せざるを以て義と爲し、因りて彼の人を殺さざるを以て仁と爲す、此に因りて『春秋』季子を賢として彼を尊貴す。
延陵季子將西聘晉,帶寶劍以過徐君,徐君觀劍,不言而色慾之。延陵季子為有上國之使,未獻也,然其心許之矣,使於晉,顧反,則徐君死於楚,於是脫劍致之嗣君。從者止之曰:"此吳國之寶,非所以贈也。"延陵季子曰:"吾非贈之也,先日吾來,徐君觀吾劍,不言而其色慾之,吾為上國之使,未獻也。雖然,吾心許之矣。今死而不進,是欺心也。愛劍偽心,廉者不為也。"遂脫劍致之嗣君。嗣君曰:"先君無命,孤不敢受劍。"於是季子以劍帶徐君墓即去。徐人嘉而歌之曰:"延陵季子兮不忘故,脫千金之劍兮帶丘墓。"
延陵季子將に西行して晉を聘問せんとして、寶劍を帶びて徐君を經過す。徐君劍を看て、説話せずして神色欲しがる。延陵季子因りて上國の出使有るを以て、獻上せず、可是心裏已に許諾せり。晉に出使して、囘頭囘來して、徐君已に楚に於て死せり、於是劍を解下して嗣君に交給す。隨從制止して曰く、「此れ是れ吳國の寶、是れ以て贈送するに用うるにあらず」と。延陵季子曰く、「我是れ贈送するにあらず。前些日子我來るに、徐君我が劍を看て、説話せずして神色欲しがり、我因りて是れ上國の使者、獻上せず。然るにと雖も、我心裏已に許諾せり。如今死して卽ち進上せざれば、是れ心を欺騙す。劍を愛して心に於て作僞するは、廉潔の人爲さず」と。於是劍を解下して嗣君に交給す。嗣君曰く、「先君命令なし、孤敢えて劍を受けず」と。於是季子劍を以て徐君墓上に繫いで卽ち離去す。徐人讚美して歌唱す、「延陵季子や故舊を忘れず、千金の劍を解下してや丘墓に繫ぐ」と。
許悼公疾瘧,飲藥毒而死,太子止自責不嘗藥,不立其位。與其弟緯專哭泣,啜餰粥,嗌不容粒,痛己之不嘗藥,未逾年而死,故春秋義之。
許悼公瘧疾を患えて、藥を喝みて中毒して死す。太子止自ら責めて藥を嘗めざりしを、君位に即かず。其の弟弟緯と專心哭泣し、稀粥を喝みて、咽喉米粒を容下せず、自己藥を嘗めざりしを痛心して、一年を過ぎずして死す、ゆえに『春秋』彼を以て義と爲す。
衛宣公之子急也,壽也,朔也。急前母子也。壽與朔後母子也,壽之母與朔謀,欲殺太子急而立壽,使人與急乘舟於河中,將沈而殺之,壽知不能止也,因與之同舟,舟人不得殺急。方乘舟時,急傅母恐其死也,閔而作詩,二子乘舟之詩是也。其詩曰:"二子乘舟,泛泛其景,顧言思子,中心養養。"於是壽閔其兄之且見害,作憂思之詩,黍離之詩是也。其詩曰:"行邁靡靡,中心搖搖,知我者謂我心憂;不知我者,謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?"又使急之齊,將使,盜見載旌,要而殺之,壽止急,急曰:"棄父之節,非子道也,不可。"壽又與之偕行,壽之母不能止也,因戒之曰:"壽無為前也。"壽又為前,竊急旌以先行,幾及齊矣,盜見而殺之,急至,見壽之死,痛其代己死,涕泣悲哀,遂載其屍還,至境而自殺,兄弟俱死,故君子義此二人,而傷宣公之聽讒也。
衞宣公の兒子急・壽・朔有り。急是れ前母の兒子。壽と朔とは是れ後母の兒子。壽の母親朔と謀劃して、太子急を殺して壽を立てんと欲し、人を派して急をして河中に於て船に乘らしめ、將に船を沈めて彼を殺さんとす。壽能く制止せざるを知りて、於是彼と同船す、舟人能く急を殺さず。正に船に乘る時、急の傅母彼の死せんを怕れて、憫惜して詩を作る、『二子乘舟』此の詩卽ち是れ。其の詩曰く、「兩個の兒子船に乘りて、影子漂漂蕩蕩たり、頭を囘して兒子を思念して、心裏憂愁定まらず」と。於是壽其の兄將に害せられんとするを憫惜して、憂思の詩を作る、『黍離』此の詩卽ち是れ。其の詩曰く、「路を走ること遲遲たり、心裏搖搖たり、我を知るは我が心憂えると説き;我を知らざるは、我何を求めると説く?悠悠たる蒼天、此れ是れ何の人か?」と。又急を派して齊に到らしめ、將に盜をして所載の旌旗を見せて、路を攔りて殺掉せんとす。壽急を制止す、急曰く、「父親の節を拋棄するは、是れ子を爲るの道にあらず、不可」と。壽又彼と同行す。壽の母親能く制止せず、於是告誡して曰く、「壽前に走る勿れ」と。壽又前に走りて、急の旌旗を偷して先行し、幾乎として齊に到らんとす、盜見て彼を殺掉す。急到りて、壽死するを見て、彼の自己を代替して死するを痛心して、涕泣悲哀して、於是屍體を載せて囘來りて、邊境に到りて自殺す。兄弟皆死せり、ゆえに君子此の兩人を以て義と爲して、而して宣公の讒言を聽信したるを傷痛す。
魯宣公者,魯文公之子也,文公薨,文公之子赤立,為魯侯。宣公殺子赤而奪之國,立為魯侯。公子肸者,宣公之同母弟也,宣公殺子赤而肸非之,宣公與之祿,則曰:"我足矣!何以兄之食為哉?"織履而食,終身不食宣公之食,其仁恩厚矣,其守節固矣,故春秋美而貴之。
魯宣公是れ魯文公の兒子。文公去世して、文公の兒子赤立ちて魯侯を爲る。宣公子赤を殺して國を奪取して、立ちて魯侯を爲る。公子肸是れ宣公の同母弟、宣公子赤を殺して肸非議す、宣公彼に俸祿を給すれば、彼卽ち曰く、「我足れり!兄の食を要して何を爲さん?」と。鞋を織りて以て喫し、終身宣公の食を喫せず。其の仁恩厚く、其の節を守る堅固なり、ゆえに『春秋』讚美して彼を看重す。
晉獻公太子之至靈臺,蛇繞左輪,御曰:"太子下拜。吾聞國君之子蛇,繞左輪者速得國。"太子遂不行,返乎舍。御人見太子,太子曰:"吾聞為人子者,盡和順於君,不行私慾;恭嚴承命,不逆君安。今吾得國,是君失安也,見國之利而忘君安,非子道也;聞得國而拜其孽,非君欲也。廢子道,不孝;逆君欲,不忠。而使我行之,殆欲吾國之危明也。"拔劍將死。御止之曰:"夫禨祥妖孽天之道也;恭嚴承命,人之行也。拜祥戒孽,禮也;恭嚴承命,不以身恨君,孝也。今太子見福不拜,失禮;殺身恨君,失孝。從僻心,棄正行,非臣之所聞也。"太子曰:"不然,我得國,君之孽也。拜君之孽,不可謂禮。見禨祥而忘君之安,國之賊也,懷賊心以事國,不可謂孝。挾偽意以御天下,懷賊心以事君,邪之大者也,而使我行之,是欲國之危明也。"遂伏劍而死。君子曰:"晉太子徒御使之拜蛇,祥猶惡之,至於自殺者,為見疑於欲國也,己之不欲國以安君,亦以明矣。為一愚御過言之故,至於身死,廢子道,絕祭祀,不可謂孝,可謂遠嫌,一節之士也。"
晉獻公の太子靈台に到りて、蛇左邊の車輪を繞く。御者曰く、「太子車を下りて拜せよ。我聞く國君の兒子蛇左邊の車輪を繞く有るは、疾く國を得」と。太子於是前行せず、館舍に返回す。御者太子に進見す、太子曰く、「我聞く人子を爲るは、君に對して和順を盡くし、私欲を實行せず;恭敬嚴肅に命令を承受して、君の安に違逆せず。如今我國を得るは、是れ君安を失去す。國の利を見て君の安を忘記するは、是れ子を爲るの道にあらず;國を得るを聞きて其の妖孽を拜するは、是れ君の願望にあらず。子道を廢するは、不孝;君の願望に違逆するは、不忠。而して我をして實行せしむるは、大概是れ我が國危險ならんと欲するの明證なり」と。劍を拔きて將に死せんとす。御者制止して曰く、「禨祥妖孽是れ天の道;恭敬嚴肅に命令を承受するは是れ人の行爲。祥を拜し孽を警戒するは是れ禮;恭敬嚴肅に命令を承受して、自身を用いて君を怨恨せざるは、是れ孝。如今太子福を見て拜せざるは、禮を失う;身を殺して君を怨恨するは、孝を失う。偏僻の心に跟隨して、正直の行を拋棄するは、是れ臣の聽聞する所にあらず」と。太子曰く、「不對。我國を得るは、是れ君の孽。君の孽を拜するは、禮と叫ぶ可からず。禨祥を見て君の安を忘記するは、是れ國の賊、賊心を懷きて以て國を事奉するは、孝と叫ぶ可からず。僞意を挾持して以て天下を駕馭し、賊心を懷きて以て君を事奉するは、是れ邪の中の最大、而して我をして實行せしむるは、是れ國危險ならんと欲するの明證なり」と。於是劍に伏して死す。君子曰く、「晉太子の御者彼をして蛇を拜せしむ、祥尚お厭惡して、自殺するに至るは、是れ因りて國を欲すると懷疑せられたるなり。自己國を欲せずして以て君を安定するは、亦已に明白なり。因りて一個の愚御説話錯過するの緣故、身死するに至りて、子道を廢し、祭祀を絕つ、孝と叫ぶ可からず、嫌疑を遠離すると叫ぶ可し、是れ一節を守るの士なり」と。
申包胥者,楚人也。吳敗楚兵於柏舉,遂入郢,昭王出亡在隨,申包胥不受命而赴於秦乞師,曰:"吳為無道行,封豕長蛇,蠶食天下,從上國始於楚,寡君失社稷,越在草莽,使下臣告急曰:'吳,夷狄也。夷狄之求無厭,滅楚則西與君接境,若鄰於君,疆埸之患也,逮吳之未定,君其圖之,若得君之靈,存撫楚國,世以事君。’"秦伯使辭焉。曰:"寡君聞命矣,子其就館,將圖而告子。"對曰:"寡君越在草莽,未獲所休,下臣何敢即安。"倚於庭牆立哭,日夜不絕聲,水漿不入口,七日七夜。秦哀公為賦無衣之詩,言兵今出。包胥九頓首而坐,秦哀公曰:"楚有臣若此而亡,吾無臣若此,吾亡無日矣。"於是乃出師救楚。申包胥以秦師至楚,秦大夫子滿,子虎帥車五百乘,子滿曰:"吾未知吳道。"使楚人先與吳人戰而會之。大敗吳師,吳師既退,昭王復國,而賞始於包胥。包胥曰:"輔君安國,非為身也;救急除害,非為名也,功成而受賞,是賣勇也。君既定,又何求焉?"遂逃賞,終身不見。君子曰:"申子之不受命赴秦,忠矣,七日七夜不絕聲,厚矣,不受賞,不伐矣。然賞所以勸善也,辭賞,亦非常法。"
申包胥是れ楚人。吳柏擧に於て楚兵を打敗して、於是郢に進入し、昭王出亡して隨に在り。申包胥命令を接受せずして秦に奔赴して軍隊を乞求して、曰く、「吳無道の行爲を爲す、大豬長蛇のごとく、天下を蠶食して、上國より楚に於て開始す。寡君社稷を失去して、草莽に流落し、下臣を派して急を告げて曰く、『吳是れ夷狄。夷狄の求取滿足なく、楚を滅せば則ち西面君と境を接し、若し君と相鄰せば、是れ疆埸の患。吳未だ安定せざるに趁りて、君還りて謀劃せよ。若し君の威靈を得て、楚國を存撫せば、世世代代君を事奉せん』と」と。秦伯人を派して推辭す。曰く、「寡君命令を聽到せり、您館舍に到れ、將に謀劃して後您に告げん」と。答えて曰く、「寡君草莽に流落して、還りて未だ休息の地方を得ず、下臣何處にか敢えて安に就かんや」と。庭墻に靠りて立ちて哭きて、日夜聲音斷えず、水漿口に入れず、七天七夜。秦哀公彼のため『無衣』此の詩を賦して、曰く兵如今卽ち出づと。包胥九次頭を叩きて然る後坐下す。秦哀公曰く、「楚臣かくのごとき有りて卽ち亡ぶ、我臣かくのごときなく、我滅亡幾日なからん」と。於是師を出して楚を救う。申包胥秦師を帶びて楚に到りて、秦大夫子滿・子虎戰車五百乘を率領す。子滿曰く、「我還りて吳の戰法を知らず」と。楚人をして先に吳人と交戰して再び會合せしむ。大いに吳師を敗りて、吳師已に退く、昭王國を恢復して、賞賜包胥より開始す。包胥曰く、「君を輔助して國を安定するは、是れ自身のためならず;急を救い害を除くは、是れ名のためならず。功成りて賞を受くるは、是れ勇を出賣す。君已に安定せり、又何を求めんか?」と。於是賞賜を逃避して、終身出現せず。君子曰く、「申子命令を接受せずして秦に奔赴するは、是れ忠;七天七夜聲音斷えざるは、是れ厚;賞を接受せざるは、是れ自誇せざるなり。可是賞是れ以て還りて善を鼓勵するを用う、賞を推辭するは、亦常法にあらず」と。
齊崔杼者,齊之相也,弒莊公。止太史無書君弒及賊,太史不聽,遂書賊曰:"崔杼弒其君。"崔子殺之,其弟又嗣書之,崔子又殺之,死者二人,其弟又嗣復書之,乃舍之。南史氏是其族也,聞太史盡死,執簡以往,將復書之,聞既書矣,乃還。君子曰:"古之良史。"
齊崔杼是れ齊の相、莊公を弑殺す。太史を制止して君弑せらるおよび賊人を寫る勿れとす、太史聽かず、於是賊を寫りて曰く、「崔杼其の君を弑す」と。崔子彼を殺せり。其の弟弟又接着して寫る、崔子又殺して、死する兩人有り。其の弟弟又接着して再び寫る、纔かに放過す。南史氏是れ其の族人、太史皆死せりを聞きて、簡を持ちて前往して、將に再び寫らんとし、已に寫られりを聞きて、纔かに囘來る。君子曰く、「此れ是れ古代の良史なり」と。
齊攻魯,求岑鼎,魯公載他鼎往,齊侯不信而反之,以為非也,使人告魯君,柳下惠以為是,因請受之,魯君請於柳下惠,柳下惠對曰:"君子欲以為岑鼎也,以免國也,臣亦有國於此,破臣之國,以免君之國,此臣所難也。"魯君乃以真鼎往。柳下惠可謂守信矣,非獨存己之國也,又存魯君之國。信之於人,重矣,猶輿之輗軏也。故孔子曰:"大車無輗,小車無軏,其何以行之哉!"此之謂也。
齊魯を攻めて、岑鼎を求取す。魯公別の鼎を載せて前往す、齊侯信ぜずして退回して、以爲是ならずとし、人を派して魯君に告げて、柳下惠以爲是とす、於是接受を請求す。魯君柳下惠に向かいて請求す、柳下惠答えて曰く、「君子此を以て岑鼎と當てんと想う、以て國難を免れんと。臣此處に於て亦國有り、臣の國を破壞して、以て君の國を免れんは、是れ臣の難とする所なり」と。魯君於是眞鼎を以て前往す。柳下惠信を守ると稱する可し、不只自己の國を保存し、又魯君の國を保存す。信人に對して、重要なるかな、卽ち車子の轅銷のごとし。ゆえに孔子曰く、「大車轅銷なく、小車轅銷なければ、何を憑りて行走せんや!」と。是れ此を説くなり。
宋人有得玉者,獻諸司城子罕,子罕不受。獻玉者曰:"以示玉人,玉人以為寶,故敢獻之。"子罕曰:"我以不貪為寶,爾以為寶,若與我者,皆喪寶也,不若人有其寶。"故宋國之長者曰:"子罕非無寶也,所寶者異也。今以白金與摶黍以示兒子,兒子必取摶黍矣;以和氏之璧與百金以示鄙人,鄙人必取百金矣,以和氏之璧與道德之至言,以示賢者,賢者必取至言矣。其知彌精,其取彌精;其知彌觕,其取彌觕。子罕之所寶者至矣。"
宋人玉を得る有りて、司城子罕に獻ず、子罕接受せず。玉を獻ずる人曰く、「拿して玉人に看さば、玉人以爲寶とせり、ゆえに敢えて獻ず」と。子罕曰く、「我貪ならざるを以て寶と爲し、你玉を以て寶と爲す、若し我に給せば、皆寶を喪失す、各々人各々其の寶有るに如かず」と。ゆえに宋國の長者曰く、「子罕是れ寶なきにあらず、寶とする所同じからず。如今白金と摶成するの黍とを以て小孩に看さば、小孩一定摶黍を取らん;和氏璧と百金とを以て鄙人に看さば、鄙人一定百金を取らん;和氏璧と道德の至言とを以て賢者に看さば、賢者一定至言を取らん。其の知愈精なれば、其の取る所愈精なり;其の知愈粗なれば、其の取る所愈粗なり。子罕の寶とする所極點に到れり」と。
昔者,有饋魚於鄭相者,鄭相不受。或謂鄭相曰:"子嗜魚,何故不受?"對曰:"吾以嗜魚,故不受魚。受魚失祿,無以食魚;不受得祿,終身食魚。"
從前、人鄭相に魚を送る有り、鄭相接受せず。人鄭相に對して曰く、「您魚を嗜好す、何ぞ接受せざるか」と。答えて曰く、「我因りて魚を嗜好す、ゆえに魚を接受せず。魚を接受せば卽ち俸祿を失去して、以て魚を喫するに用うるなし;接受せずして俸祿を得て、終身魚を喫す」と。
原憲居魯,環堵之室,茨以生蒿,蓬戶甕牖,揉桑以為樞,上漏下溼,匡坐而絃歌。子髖聞之,乘肥馬,衣輕裘,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。原憲冠桑葉冠,杖藜杖而應門,正冠則纓絕,衽襟則肘見,納履則踵決。子髖曰:"嘻,先生何病也?"原憲仰而應之曰:"憲聞之無財謂之貧,學而不能行謂之病。憲貧也,非病也。若夫希世而行,此周而交,學以為人,教以為己,仁義之慝,輿馬之飭,憲不忍為也。"子髖逡巡,面有愧色,不辭而去。原憲曳杖拖履,行歌商頌而反,聲滿天地,如出金石,天子不得而臣也,諸侯不得而友也。故養志者忘身,身且不愛,庸能累之。詩曰:"我心匪石,不可轉也;我心匪席,不可卷也。"此之謂也。
原憲魯に住し、環堵の屋子、生蒿を以て頂を蓋い、蓬を以て門を爲り瓮を以て窗を爲り、桑を揉みて門樞を爲り、上漏り下濕れど、端正に坐して弦歌す。子貢聞きて、肥馬に乘りて、輕裘を穿きて、裏面紺色外面素色、軒車巷に容下せず、原憲を見に往く。原憲桑葉冠を戴きて、藜杖を拄きて門に應じ、冠を正せば則ち帽纓斷え、衣襟を整えば則ち肘露出し、鞋を穿けば則ち脚跟裂開す。子貢曰く、「嘻、先生何の病か有らんか」と。原憲頭を擡げて應答す、「憲聞く財なきを貧と叫び、學して能く實行せざるを病と叫ぶと。憲是れ貧、是れ病にあらず。至りて世道に迎合して行い、黨を結びて交わり、學習爲りて人に看さんとし、教導爲りて自己のため、仁義の奸慝、車馬の修飾は、憲忍びて爲さず」と。子貢遲疑して後退して、臉上愧色有り、告辭せずして卽ち離去す。原憲杖を拖き鞋を拉きて、走りながら『商頌』を唱して返囘して、聲音天地に充滿して、金石より發出するがごとく、天子能く彼を臣服せず、諸侯能く彼と交友せず。ゆえに志を養う人自身を忘記し、自身尚お愛せず、何處にか能く彼を牽累せんや。『詩經』に曰く、「我が心是れ石頭にあらず、轉動す可からず;我が心是れ席子にあらず、卷起す可からず」と。是れ此を説くなり。
晏子之晉,見披裘負芻息於途者,以為君子也,使人問焉。曰:"曷為而至此?"對曰:"齊人累之。吾名越石甫。"晏子曰:"嘻。"遽解左驂以贖之,載而與歸,至舍,不辭而入,越石甫怒而請絕,晏子使人應之曰:"嬰未嘗得交也,今免子於患,吾於子猶未可邪?"越石甫曰:"吾聞君子詘乎不知己,而信乎知己者,吾是以請絕也。"晏子乃出見之曰:"向也見客之容,而今見客之意。嬰聞察實者不留聲,觀行者不幾辭,嬰可以辭而無棄乎?"越石甫曰:"夫子禮之,敢不敬從。"晏子遂以為上客。俗人之有功則德,德則驕。晏子有功,免人於危,而反詘下之,其去俗亦遠矣,此全功之道也。
晏子晉に到りて、裘を披きて芻草を背負いて路上に於て休息する人を見て、以爲君子とし、人を派して問う。曰く、「何を以て此處に到りたるか」と。答えて曰く、「齊人我を牽累せり。我名越石甫と叫ぶ」と。晏子曰く、「嘻」と。立刻左邊の驂馬を解下して以て彼を贖い、載せて一起に囘去る。館舍に到りて、告辭せずして卽ち進み入る、越石甫發怒して絕交を請求す。晏子人を派して應答す、「嬰曾て交を結ぶを得ず、如今您を患より免れしむ、我您に對して還りて可ならずや」と。越石甫曰く、「我聞く君子己を知らざる人其の處に於て屈を受け、己を知る人其の處に於て伸直す、我此に因りて絕交を請求す」と。晏子於是出でて彼を見て曰く、「剛才客人の容貌を見て、如今客人の心意を見る。嬰聞く實際を察看する聲音に停留せず、品行を觀察する言辭を在意せず、嬰告辭して拋棄せられざる可きか」と。越石甫曰く、「夫子禮を以て對待す、敢えて敬從せざらん」と。晏子於是彼を以て上客と當てる。俗人功有れば卽ち自ら以爲德有りとし、德有れば卽ち驕傲す。晏子功有りて、人を危より免れしめ、反つて屈下す、流俗を距離ること亦遠し、此れ是れ功を保全するの道理なり。
子列子窮容貌,有飢色。客有言於鄭子陽者曰:"子列子禦寇,蓋有道之士也,居君之國而窮,君乃為不好士乎?"子陽令官遺之粟數十秉,子列子出見使者,再拜而辭。使者去,子列子入,其妻望而拊心曰:"聞為有道者,妻子皆佚樂,今妻皆有飢色矣,君過而遺先生食,先生又辭,豈非命也哉!"子列子笑而謂之曰:"君非自知我者也,以人之言而知我,以人之言以遺我粟也,其罪我也,又將以人之言,此吾所以不受也。且受人之養,不死其難,不義也;死其難,是死無道之人,豈義哉!"其後,民果作難,殺子陽。子列子之見微除不義遠矣。且子列子內有飢寒之憂,猶不苟取,見得思義,見利思害,況其在富貴乎?故子列子通乎性命之情,可謂能守節矣。
子列子窮困して、容貌飢色有り。客人鄭子陽に對して曰く、「子列子御寇大概是れ道有るの士、君の國に住して卽ち窮す、君竟に是れ士を好まざるか」と。子陽官吏に命令して彼に粟幾十秉を送らしむ。子列子出でて使者を見て、再拜推辭す。使者離去して、子列子進み入りて、妻子望みて心を按じて曰く、「聞く道有る人を爲るは、妻子皆安逸快樂すと、如今妻子皆飢色有り、君過來して先生に食物を送るに、先生又推辭す、豈是れ命ならずや!」と。子列子笑いて彼女に對して曰く、「君是れ自己我を知る人にあらず、因りて別人の話纔かに我を知り、因りて別人の話纔かに我に粟を送る、彼我に罪を加えんは、又將に因りて別人の話、是れ我の接受せざる所以なり。況んや人の供養を接受して、其の難のため死せざるは、不義;其の難のため死するは、是れ無道の人のため死するなり、何處にか是れ義ならんや!」と。後來、民果然として作難して、子陽を殺せり。子列子微兆を見て不義を除去す、遠し。況んや子列子內飢寒の憂有りて、還りて苟取せず、得を見て義を想い、利を見て害を想う、況んや彼富貴に在らんをや?ゆえに子列子性命の實情に通達す、能く節を守ると稱する可し。
屈原者,名平,楚之同姓大夫。有博通之知,清潔之行,懷王用之。秦欲吞滅諸侯,幷兼天下。屈原為楚東使於齊,以結強黨。秦國患之,使張儀之楚,貨楚貴臣上官大夫靳尚之屬,上及令子闌,司馬子椒;內賂夫人鄭袖,共譖屈原。屈原遂放於外,乃作離騷。張儀因使楚絕齊,許謝地六百里,懷王信左右之奸謀,聽張儀之邪說,遂絕強齊之大輔。楚既絕齊,而秦欺以六里。懷王大怒,舉兵伐秦,大戰者數,秦兵大敗楚師,斬首數萬級。秦使人願以漢中地謝懷王,不聽,願得張儀而甘心焉。張儀曰:"以一儀而易漢中地,何愛儀!"請行,遂至楚,楚囚之。上官大夫之屬共言之王,王歸之。是時懷王悔不用屈原之策,以至於此,於是複用屈原。屈原使齊,還聞張儀已去,大為王言張儀之罪,懷王使人追之,不及。後秦嫁女於楚,與懷王歡,為藍田之會,屈原以為秦不可信,願勿會,群臣皆以為可會,懷王遂會,果見囚拘,客死於秦,為天下笑。懷王子頃襄王,亦知群臣諂誤懷王,不察其罪,反聽群讒之口,復放屈原。屈原疾闇王亂俗,汶汶嘿嘿,以是為非,以清為瘻,不忍見於世,將自投於淵,漁父止之。屈原曰:"世皆醉,我獨醒;世皆瘻,我獨清。吾獨聞之,新浴者必振衣,新沐者必彈冠。又惡能以其冷冷,更世事之嘿嘿者哉?吾寧投淵而死。"遂自投湘水汨羅之中而死。
屈原名を平と叫ぶ、是れ楚の同姓の大夫。博通の知有りて、淸潔の品行、懷王彼を任用す。秦諸侯を吞滅せんと想い、天下を兼倂す。屈原楚のため東齊に使いして、以て強黨を結交せんとす。秦國憂慮して、張儀を派して楚に到らしめ、楚の貴臣上官大夫靳尚一類を賄賂し、上令尹子蘭・司馬子椒に及び;內裏夫人鄭袖を賄賂して、共同に屈原を讒害す。屈原於是放逐せられて外に在り、卽ち『離騷』を作る。張儀於是楚をして齊と交を絕たしめて、謝罪して地六百里を給すと許諾す。懷王左右の奸謀を相信し、張儀の邪説を聽信して、於是強齊此の大輔助を斷絕す。楚已に齊と交を絕ちて、而して秦欺騙して只六里を給す。懷王大怒して、兵を起こして秦を伐ちて、大戰幾次、秦兵大いに楚師を敗りて、首を斬ること幾萬級。秦人を派して漢中地を以て懷王に道歉せんと願う、聽かず、張儀を得て纔かに甘心せんと願う。張儀曰く、「一個の張儀を以て漢中地を換う、儀を愛惜して何を爲さん!」と。前往を請求して、於是楚に到りて、楚彼を囚禁す。上官大夫一類共同に王に對して説く、王彼を放して囘去らしむ。此の時懷王後悔して屈原の策を用いざりしを、以致此に至れり、於是再び屈原を任用す。屈原齊に出使して、囘來りて張儀已に離去せりを聞きて、大力王に張儀の罪を講じて、懷王人を派して追えども、趕上せず。後來秦女兒を以て楚に嫁して、懷王と交好して、藍田の會を爲す。屈原以爲秦信ず可からずとし、會に往く勿れを願う、群臣皆以爲會す可し、懷王於是往きて會して、果然囚禁せられて、秦に於て客死して、天下に笑わる。懷王の兒子頃襄王も、亦群臣の諂以て懷王を誤導したるを知るも、彼らの罪を察せずして、反つて群讒の口を聽信して、再び屈原を放逐す。屈原暗主亂俗を痛恨し、昏昏嘿嘿として、是を以て非と爲し、淸を以て濁と爲し、世上に出現するを忍びず、將に自己淵に投进せんとす、漁父制止す。屈原曰く、「世人皆醉えども、我獨自醒めり;世人皆濁れども、我獨自淸し。我獨自聞く、新たに洗浴する人一定衣を抖い、新たに髮を洗う人一定帽を彈くと。又何を以て自己の淸泠を以て、世事の嘿嘿を更換せんや?我寧ろ淵に投げて死せん」と。於是自己湘水汨羅の中に投进して死す。
楚昭王有士曰石奢,其為人也,公正而好義,王使為理,於是廷有殺人者,石奢追之,則其父也,遂反於廷曰:"殺人者,僕之父也,以父成政,不孝,不行君法,不忠。弛罪廢法而伏其辜,僕之所守也。伏斧鑕命在君。"君曰:"追而不及。庸有罪乎?子其治事矣。"石奢曰:"不私其父,非孝也;不行君法,非忠也;以死罪生,非廉也。君赦之,上之惠也,臣不敢失法,下之行也。"遂不離鈇鑕。刎頭而死於廷中。君子聞之曰:"貞夫法哉!"孔子曰:"子為父隱,父為子隱,直在其中矣。"詩曰:"彼己之子,邦之司直。"石子之謂也。
楚昭王士石奢と叫ぶ有りて、其の爲人公正にして義を好み、王彼をして法官を爲らしむ。於是朝廷人を殺す有りて、石奢追趕すれば、卽ち是れ其の父親、於是朝廷に返回して曰く、「人を殺すは是れ僕の父親。父親を以て政を成就するは、不孝;君法を實行せざるは、不忠。罪を放きて法を廢棄して其の罪過を承擔するは、是れ僕の守る所。斧鑕に伏して、命君に在り」と。君曰く、「追趕して卽ち趕上せざれば、何處にか罪有らん?您還りて事を治理せよ」と。石奢曰く、「父親を偏私せざるは、是れ孝にあらず;君法を實行せざるは、是れ忠にあらず;死罪を以て生を換うは、是れ廉にあらず。君赦免するは、是れ上の恩惠;臣敢えて法を失わざるは、是れ下の品行なり」と。於是鍘刀砧板を離れずして、頸を刎ねて廷中に死す。君子聞きて後曰く、「法を守ること貞固なるかな!」と。孔子曰く、「兒子父親のため隱瞞し、父親兒子のため隱瞞す、直卽ち其の中に在り」と。『詩經』に曰く、「其の人や、是れ邦國の正直を主持する」と。是れ石子を説くなり。
晉文公反國,李離為大理,過殺不辜,自系曰:"臣之罪當死。"文公令之曰:"官有上下,罰有輕重,是下吏之罪也,非子之過也。"李離曰:"臣居官為長,不與下讓位;受祿為多,不與下分利。過聽殺無辜,委下畏死,非義也,臣之罪當死矣。"文公曰:"子必自以為有罪,則寡人亦有過矣。"李離曰:"君量能而授官,臣奉職而任事,臣受印綬之日,君命曰:'必以仁義輔政,寧過於生,無失於殺。’臣受命不稱,壅惠蔽恩,如臣之罪乃當死,君何過之有?且理有法,失生即生,失殺即死,君以臣為能聽微決疑,故任臣以理,今離刻深,不顧仁義,信文墨,不察是非,聽他辭,不精事實,掠服無罪,使百姓怨,天下聞之,必議吾君,諸侯聞之,必輕吾國。積怨於百姓,惡揚於天下,權輕於諸侯,如臣之罪,是當重死。"文公曰:"吾聞之也,直而不枉,不可與往;方而不圓,不可與長存,願子以此聽寡人也。"李離曰:"吾以所私害公法,殺無罪而生當死,二者非所以教於國也,離不敢受命。"文公曰:"子獨不聞管仲之為人臣邪?身辱而君肆,行汙而霸成。"李離曰:"臣無管仲之賢,而有辱汙之名,無霸王之功,而有射鉤之累。夫無能以臨官,借汙名以治人,君雖不忍加之於法,臣亦不敢汙官亂治以生,臣聞命矣。"遂伏劍而死。
晉文公國に返回して、李離大理を爲りて、誤つて無辜を殺し、自己捆綁して曰く、「臣の罪該に處死すべし」と。文公下令して曰く、「官上下有り、罰輕重有り、此れ是れ下吏の罪、是れ您の過失にあらず」と。李離曰く、「臣官に居りて長と爲りて、位子を下に讓らず;祿を受くること多くして、下と利を分かたず。誤聽して無辜を殺し、下に推して死を怕るるは、不義、臣の罪該に處死すべし」と。文公曰く、「您一定自ら以爲罪有りとせば、則ち寡人亦過有らん」と。李離曰く、「君才能を衡量して官を授け、臣職を奉じて事を任ず。臣印綬を接受するの日子、君命令せり、『一定仁義を以て政治を輔助し、寧ろ人を活かすに錯れ、人を殺すに錯る勿れ』と。臣命を受けて相稱せず、恩惠を壅塞す、臣のごとき罪纔かに處死すべし、君何の過か有らん?況んや法官を爲るに法有り、人を活かすに錯れば自己活かし、人を殺すに錯れば自己死す。君以爲臣能く微を聽き疑を決すとし、ゆえに法官を臣に任用せり。如今離刻薄深刻にして、仁義を顧みず、文墨を相信して、是非を察せず、別人の辭を聽きて、事實を精審せず、罪なき人を拷打して服せしめて、百姓をして怨ましむれば、天下聞きて一定吾君を議論し、諸侯聞きて一定我が國を看輕せん。怨を百姓に積み、惡を天下に宣揚し、權諸侯に看輕せらる、臣のごとき罪は、該に死を加重すべし」と。文公曰く、「我聞く、直にして彎曲せざるは、彼と前往す可からず;方にして圓ならざるは、彼と長存す可からず。願わくは您此に因りて寡人を聽け」と。李離曰く、「我所私を以て公法を害し、罪なきを殺して該に死すべきを活かす、此の兩樣是れ以て國を教うるに用うるにあらず、離敢えて命を受けず」と。文公曰く、「您豈聞かざらんや管仲の人臣を爲るを?自身辱を受けて君放縱し、行爲污穢して霸業成就せり」と。李離曰く、「臣管仲の賢なくして、卽ち污辱の名有り;霸王の功なくして、卽ち鉤を射るの牽累有り。能力なくして官に臨み、污名を借りて以て人を治む、君雖然忍びて之に於て法を加えざるとも、臣亦敢えて官を污し治を亂して以て活かず。臣命令を聽到せり」と。於是劍に伏して死す。
晉文公反,酌士大夫酒,召咎犯而將之,召艾陵而相之,授田百萬。介子推無爵齒而就位,觴三行,介子推奉觴而起曰:"有龍繅繅,將失其所,有蛇從之,周流天下,龍既入深淵,得其安所,蛇脂盡幹,獨不得甘雨,此何謂也?"文公曰:"嘻!是寡人之過也。吾為子爵,與待旦之朝也;吾為子田,與河東陽之間。"介子推曰:"推聞君子之道,謁而得位,道士不居也;爭而得財,廉士不受也。"文公曰:"使我得反國者,子也,吾將以成子之名。"介子推曰:"推聞君子之道,為人子而不能成其父者,則不敢當其後;為人臣而不見察於其君者,則不敢立於其朝,然推亦無索於天下矣。"遂去而之介山之上。文公使人求之不得,為之避寢三月,號呼期年。詩曰:"逝將去汝,適彼樂郊,誰之永號。"此之謂也。文公待之不肯出,求之不能得,以謂焚其山宜出,及焚其山,遂不出而焚死。
晉文公返回して、士大夫に酒を斟し、咎犯を召して將に彼を用いんとし、艾陵を召して將に彼を用いて相を爲らしめんとして、田百萬を授けんとす。介子推爵位年齒なくして位に就く。觴行三次して、介子推觴を捧げて起身して曰く、「龍盤旋する有りて、將に住所を失去せんとす、蛇跟隨する有りて、天下を周流す。龍已に深淵に進入して、安定の住所を得て、蛇の脂盡く皆枯竭して、獨自甘雨を得ず、此れ是れ何を説くか」と。文公曰く、「嘻!此れ是れ寡人の過失。我您に爵を給す、天亮くの朝と同じく待たん;我您に田を給す、河東陽の間に在らん」と。介子推曰く、「推聞く君子の道は、見るを求めて位子を得るは、道有るの士居らず;爭奪して財を得るは、廉潔の士接受せず」と。文公曰く、「我をして國に返回するを得しめたる是れ您、我將に您の名を成就せん」と。介子推曰く、「推聞く君子の道は、人子を爲りて能く父親を成就せざれば、則ち敢えて其の後を當てず;人臣を爲りて君に察識せられざれば、則ち敢えて其の朝に立たず。可是推天下に對して亦求索なし」と。於是離去して介山の上に到る。文公公人を派して彼を求めて得ず、此のため正寢を避けること三個月、號呼一年に滿つ。『詩經』に曰く、「將に你を離れて、其の樂郊に到らん、誰か還りて長號せん」と。是れ此を説くなり。文公彼を等待して肯んじて出でず、彼を求めて能く得ずして、以爲其の山を焚燒せば該に出で來らんとし、其の山を焚燒するに及びて、終に出でずして燒死せり。
申徒狄非其世,將自投於河,崔嘉聞而止之曰:"吾聞聖人仁士之於天地之間,民之父母也,今為濡足之故,不救溺人,可乎?"申徒狄曰:"不然。昔者,桀殺關龍逢,紂殺王子比干而亡天下;吳殺子胥,陳殺洩治而滅其國。故亡國殘家,非無聖智也,不用故也。"遂負石沈於河。君子聞之曰:"廉矣乎,如仁與智,吾未見也。"詩曰:"天實為之,謂之何哉?"此之謂也。
申徒狄其の世道を非議して、將に自己河に投げんとす。崔嘉聞きて制止して曰く、「我聞く聖人仁士天地の間に在るは、是れ民の父母、如今因りて脚を濕らすの緣故、水に溺るる人を救わざるは、可なりか」と。申徒狄曰く、「不對。從前、桀關龍逢を殺し、紂王子比干を殺して天下を丟失し;吳子胥を殺し、陳泄冶を殺して其の國を滅亡せり。ゆえに亡國殘家は、是れ聖智なきにあらず、是れ用いざるの緣故なり」と。於是石を負いで河の裏に沈む。君子聞きて後曰く、「廉潔なるかな、至りて仁と智とは、我未だ見ず」と。『詩經』に曰く、「天實に此を爲す、之を何と叫ばんや?」と。是れ此を説くなり。
齊大飢,黔敖為食於路,以待飢者而食之,有飢者蒙袂接履貿貿然來,黔敖左奉食,右執飲曰:"嗟!來食!"餓者揚其目而視之曰:"予唯不食嗟來之食,以至於此也。"從而謝焉,終不食而死。曾子聞之曰:"微與,其嗟也可去,其謝也可食。"
齊大饑して、黔敖路邊に於て食物を作して、以て飢者を等待して彼に喫せしむ。飢者袖を蒙えて鞋を拖きて、迷迷糊糊と走來る有り。黔敖左手食物を捧げて、右手飲を持ちて曰く、「嗟!來りて喫せ!」と。餓える人眼を擡げて彼を看て曰く、「我只因りて嗟來の食を喫せざるが、纔かに此の地步に到れり」と。隨後道歉して、終に喫せずして死す。曾子聞きて後曰く、「此のごとくせんを必ずとせず、其の嗟離去す可く、其の道歉喫す可し」と。
東方有士曰袁旌目,將有所適,而飢於道,孤父之盜丘人也見之,下壺餐以與之。袁旌目三餔而能視,仰而問焉。曰:"子誰也?"曰:"我孤父之盜丘人也。"袁旌目曰:"嘻!汝乃盜也,何為而食我?以吾不食也。"兩手●地而歐之,不出,喀喀然,遂伏地而死。縣名為勝母,曾子不入,邑號朝歌,墨子回車。故孔子席不正不坐,割不正不食,不飲盜泉之水,積正也。旌目不食而死,潔之至也。
東方士袁旌目と叫ぶ有りて、將に往く所有らんとして、路上に於て飢餓す。孤父の盜丘と叫ぶ人彼を見て、壺餐を放下して彼に給す。袁旌目三口を喫して纔かに見る能くして、頭を擡げて問う、「您是れ誰か」と。曰く、「我是れ孤父の盜丘」と。袁旌目曰く、「嘻!你竟に是れ盜、何を以て我に喫せしむるか?因りて我喫せず」と。兩手地を按じて嘔吐す(底本此の字殘缺)、吐き出す能わず、喀喀として、於是地に伏して死す。縣名を勝母と叫ぶは、曾子進入せず;邑號を朝歌と叫ぶは、墨子車子を掉轉す。ゆえに孔子席端正ならざれば坐せず、割端正ならざれば喫せず、盜泉の水を喝まず、是れ端正を積聚す。旌目喫せずして死するは、是れ潔の極致なり。
鮑焦衣弊膚見,挈畚將蔬,遇子貢將於道。子貢曰:"吾子何以至此也?"焦曰:"天下之遺德教者眾矣!吾何以不至於此也。吾聞之,世不己知,而行之不己者,是爽行也;上不己知,而幹之不止者,是毀廉也。行爽廉毀,然且不捨,惑於利者也。"子貢曰:"吾聞之,非其世者不生其利,汙其君者,不履其土。今吾子汙其君而履其土,非其而將其蔬,此諸之有哉?"鮑焦曰:"嗚呼!吾聞賢者重進而輕退,廉者易醜而輕死。"乃棄其蔬而立,槁死於洛水之上。君子聞之曰:"廉夫剛哉!夫山銳則不高,水狹而不深,行特者其德不厚,志與天地疑者,其為人不祥。鮑子可謂不祥矣,其節度深淺,適至而止矣。"詩曰:"已焉哉!天實為之,謂之何哉?"。
鮑焦衣服破れ皮膚露出して、畚を提げて將に蔬を採りに往かんとして、路上子貢に遇見す。子貢曰く、「您何を以て此の地步に到りたるか」と。鮑焦曰く、「天下德教を遺棄する人多し!我何を以て此の地步に到らざらん。我聞く、世道自己を知らずして、而行爲停止せざるは、是れ品行に違背す;上に在りて自己を知らずして、而して進を求めて停止せざるは、是れ廉潔を毀壞す。品行違背し廉潔毀壞して、卽ち還りて舍棄せざるは、是れ利に迷惑せらるる人なり」と。子貢曰く、「我聞く、其の世道を非議するは之を靠りて利を生ぜず、其の君を污穢するは其の土を踏まずと。如今您君を污穢して卽ち其の土を踏み、世道を非議して卽ち蔬を採りに往く、此の道理何處にか有らんか」と。鮑焦曰く、「嗚呼!我聞く賢者進用を看重して退を看輕し、廉潔の人羞恥を容易しとして死を看輕すと」。於是蔬菜を拋棄して立ちて、洛水の上に於て枯死す。君子聞きて後曰く、「廉潔剛強なるかな!山尖鋭なれば卽ち高からず、水狹窄なれば卽ち深からず、行爲獨特の人德厚からず、志向天地と相比擬するは、其の爲人祥ならず。鮑子不祥と稱する可し、其の節度深淺は、適可到れば卽ち停止す」と。『詩經』に曰く、「罷了なるかな!天實に此を爲す、之を何と叫ばんや?」と。
公孫杵臼,程嬰者,晉大夫趙朔客也。晉趙穿弒靈公,趙盾時為貴大夫,亡不出境,還不討賊,故春秋責之,以盾為弒君。屠岸賈者,幸於靈公,晉景公時,賈為司寇,欲討靈公之賊,盾已死,欲誅盾之子趙朔,遍告諸將曰:"盾雖不知,猶為賊首,賊乃弒君,子孫在朝,何以懲罰?請誅之。"韓厥曰:"靈公遇賊,趙盾在外,吾先君以為無罪,故不誅。今請君將妄誅,妄誅謂之亂臣,有大事君不聞,是無君也。"屠岸賈不聽,韓厥告趙朔趣亡,趙朔不肯。曰:"子必不絕趙祀,予死不恨。"韓厥許諾,稱疾不出。賈不請而擅與諸將攻趙氏於下宮,殺趙朔,趙同,趙括,趙嬰齊,皆滅其族。趙朔妻成公姊,有遺腹,走公宮匿。公孫杵臼謂程嬰曰:"胡不死。"嬰曰:"朔之妻有遺腹,若幸而男,吾奉之,即女也,吾徐死耳。"無何而朔妻免生男。屠岸賈聞之,索於宮,朔妻置兒□中,祝曰:"趙宗滅乎,若號;即不滅乎,若無聲。"及索,兒竟無聲。已脫,程嬰謂杵臼曰:"今一索不得,後必且復之,奈何?"杵臼曰:"立孤與死,庸難?"嬰曰:"立孤亦難耳!"杵臼曰:"趙氏先君遇子厚,子強為其難者,吾為其易者,吾請先死。"而二人謀取他嬰兒,負以文褓匿山中。嬰謂諸將曰:"嬰不肖,不能立孤,誰能予吾千金,吾告趙氏孤處。"諸將皆喜,許之,發師隨嬰攻杵臼。杵臼曰:"小人哉程嬰!下宮之難不能死,與我謀匿趙氏孤兒,今又賣之。縱不能立孤兒,忍賣之乎?"抱而呼天曰:"趙氏孤兒何罪?請活之,獨殺杵臼也。"諸將不許,遂幷殺杵臼與兒。
公孫杵臼・程嬰是れ晉大夫趙朔の門客。晉趙穿靈公を弑殺して、趙盾當時是れ貴大夫、出亡して國境を出でず、囘來りて賊を討たず、ゆえに『春秋』責備して、盾を以て君を弑すると爲す。屠岸賈靈公に幸せられて、晉景公の時、賈司寇を爲りて、靈公の賊を討伐せんと欲す。盾已に死せり、盾の兒子趙朔を誅殺せんと欲し、遍く各位の將領に告げて曰く、「盾雖然知らざれども、還りて是れ賊首、賊竟に君を弑して、子孫朝に在り、何を以て懲罰せん?請う誅殺せん」と。韓厥曰く、「靈公賊に遇上して、趙盾外に在り、我らの先君以爲罪なしとせり、ゆえに誅せず。如今各位の將領將に妄誅せんとす、妄誅亂臣と叫ぶ。大事有りて君聽聞せざるは、是れ君なきなり」と。屠岸賈聽かず。韓厥趙朔に告げて趕快逃亡せよと、趙朔肯んぜず。曰く、「您一定趙の祭祀をして斷絕せしめざらば、我死する恨なし」と。韓厥許諾して、病と稱して出でず。賈請示せずして擅自各位の將領と下宮に於て趙氏を攻めて、趙朔・趙同・趙括・趙嬰齊を殺し、皆其の族を滅せり。趙朔の妻是れ成公の姐姐、遺腹有りて、公宮に逃げて藏匿す。公孫杵臼程嬰に對して曰く、「何ぞ死せざるか」と。程嬰曰く、「朔の妻遺腹有り、若し幸にして男なれば、我彼を奉養せん;若し是れ女なれば、我慢慢死せん」と。多久を過ぎずして朔の妻分娩して男孩を生む。屠岸賈聞きて、宮中に於て搜索す。朔の妻孩子を以て褲中に放し(底本此の字殘缺)、祝禱して曰く、「趙宗滅亡するか、你就に哭け;若し滅亡せざれば、你就に聲音無かれ」と。搜索するに及びて、孩子竟に聲音なし。已に身を脫して、程嬰杵臼に對して曰く、「如今一次搜索得ざれば、以後一定再び來らん、如何せん」と。杵臼曰く、「孤を立つると死と、哪個難きか」と。程嬰曰く、「孤を立つるは亦難き哉!」と。杵臼曰く、「趙氏先君您に待すること厚し、您勉强其の難きを爲れ、我其の容易きを爲らん、我請う先に死せん」と。兩人謀劃して別人の嬰兒を取りて、文褓を以て背負いて山中に藏す。程嬰各位の將領に對して曰く、「嬰不肖にして、能く孤を立てず、誰か能く我に千金を給せば、我趙氏孤兒の住處を告げん」と。各位の將領皆喜悅して、答應して、兵を發して程嬰に跟隨して杵臼を攻む。杵臼曰く、「小人なるかな程嬰!下宮の災難能く死せずして、我と趙氏孤兒を藏匿すると謀劃して、如今又出賣す。縱然能く孤兒を立てずとも、忍びて出賣するか?」と。抱きて天を呼叫して曰く、「趙氏孤兒何の罪か有らん?請う彼をして活かしめ、只杵臼を殺せ」と。各位の將領許さずして、於是幷せて杵臼と孩子とを殺せり。
諸將以為趙氏孤兒已死,皆喜。然趙氏真孤兒乃在,程嬰卒與俱匿山中,居十五年。晉景公病,卜之,大業之胄者為祟,景公問韓厥,韓厥知趙孤存,乃曰:"大業之後,在晉絕祀者,其趙氏乎?夫自中行衍皆嬴姓也。中行衍人面鳥嶵,降佐帝大戊及周天子,皆有明德,下及幽厲無道,而叔帶去周適晉,事先君繆侯,至於成公,世有立功,未嘗絕祀。今及吾君,獨滅之趙宗,國人哀之,故見龜筴出現,唯君圖之。"景公問趙尚有後子孫乎?韓厥具以實告。景公乃以韓厥謀立趙氏孤兒,召匿之宮中。諸將入問病,景公因韓厥之眾以脅諸將,而見趙氏孤兒,孤兒名武,諸將不得已乃曰:"昔下宮之難,屠岸賈為之,繅以君命,幷命群臣。非然,庸敢作難?微君之病,群臣固將請立趙後,今君有命,群臣願之。"於是乃召趙武,程嬰遍拜諸將,遂俱與程嬰趙氏攻屠岸賈,滅其族。復興趙氏田邑如故。趙武冠為成人,程嬰乃辭大夫,謂趙武曰:"昔下宮之難皆能死,我非不能死,思立趙氏後,今子既立為成人,趙宗復故,我將下報趙孟與公孫杵臼。"趙武號泣,固請曰:"武願苦筋骨以報子至死,而子忍棄我而死乎?"程嬰曰:"不可,彼以我為能成事故,皆先我死,今我不下報之,是以我事為不成也。"遂以殺。趙武服哀三年,為祭邑,春秋祠之,世不絕。君子曰:"程嬰公孫杵臼,可謂信交厚士矣。嬰之自殺下報亦過矣。"
各位の將領以爲趙氏孤兒已に死せりとし、皆喜悅す。可是趙氏眞正の孤兒還りて在り、程嬰終に彼と一起に山中に藏れて、住すこと十五年。晉景公病して、卜を問えば、大業の後裔作祟す。景公韓厥に問う、韓厥趙孤還りて在るを知りて、卽ち曰く、「大業の後代、晉に於て祭祀を斷絕するは、大概是れ趙氏なるか?中衍より皆嬴姓。中衍人臉鳥嘴にして、降りて帝大戊および周天子を輔佐して、皆明德有り、下幽・厲無道に至りて、而して叔帶周を離れて晉に至り、先君繆侯を事奉して、成公に到るまで、世代功を立つ有りて、曾て祭祀を斷絕せず。如今吾君に至りて、獨自趙宗を滅掉し、國人哀痛す、ゆえに龜策より顯現す、只請う君謀劃せん」と。景公問う趙還りて後嗣子孫有るか?韓厥全部實を據りて稟告す。景公於是韓厥と謀劃して趙氏孤兒を立てて、召來して宮中に藏す。各位の將領進み入りて病を問えば、景公韓厥の部衆を靠りて以て各位の將領を脅迫して、而して趙氏孤兒に接見す。孤兒名を武と叫ぶ。各位の將領已に已むを得ずして卽ち曰く、「從前下宮の災難は、是れ屠岸賈の爲す所、君命を假託して、幷せて群臣に命令せり。此のごとくにあらざれば、何處にか敢えて難を作さんや?君の病なくば、群臣本來將に趙の後を立てんを請求せんとす、如今君命有れば、群臣願意なり」と。於是趙武・程嬰を召して遍く各位の將領を拜さしめ、卽ち一起に程嬰・趙氏と屠岸賈を攻めて、其の族を滅せり。重新趙氏の田邑を恢復して從前のごとくす。趙武冠を加えて成人と爲りて、程嬰纔かに大夫に辭別して、趙武に對して曰く、「從前下宮の災難皆能く死す、我是れ能く死せざるにあらず、趙氏の後を立てんと想えり。如今您已に立ちて成人と爲り、趙宗原狀を恢復す、我將に下去りて趙孟と公孫杵臼とに報答せん」と。趙武號哭して、堅決に請求して曰く、「武願わくは筋骨を勞苦して以て您に報答するに死まで、而して您忍びて我を拋棄して死せんか?」と。程嬰曰く、「不可。彼ら以爲我能く事を成就すとし、ゆえに皆我より先に死せり。如今我死せずして下去りて報答せざれば、是れ以爲我が事未だ成就せずとするなり」と。於是自殺す。趙武喪を服すること三年、祭邑を設置して、春秋祭祀して、世代斷絕せず。君子曰く、「程嬰・公孫杵臼は、誠信交誼・厚道の士と稱する可し。程嬰自殺して下去りて報答するは亦過分なり」と。
吳有士曰張胥鄙,譚夫吾,前交而後絕。張胥鄙有罪,拘將死。譚夫吾合徒而取之,出至於道,而後乃知其夫吾也。輟行而辭曰:"義不同於子,故前交而後絕。吾聞之君子不以安肆志,不為危易行,今吾從子,是安則肆志,危則易行也。與吾因子而生,不若反拘而死。"闔閭聞之,令吏釋之。張胥鄙曰:"吾義不同於譚夫吾,故不受其任矣,今吏以是出我,以譚夫吾故免也,吾庸遽受之乎?"遂觸牆而死。譚夫吾聞之曰:"我任而不受,佞也;不知而出之,愚也。佞不可以接士,愚不可以事君,吾行虛矣。人惡以吾力生,吾亦恥以此立於世。"乃絕頸而死。君子曰:"譚夫吾其以失士矣,張胥鄙亦為未得也,可謂剛勇矣,未可謂得節也。"
吳士張胥鄙・譚夫吾と叫ぶ有りて、先前交を結びて後來絕交す。張胥鄙罪有りて、拘せられて將に死せんとす。譚夫吾徒衆を會合して來りて彼を奪取して、出でて路上に到りて、然る後纔かに是れ夫吾なるを知る。脚步を停下して推辭して曰く、「義您と同じくせず、ゆえに先前交を結びて後來絕交せり。我聞く君子因りて安して志向を放縱せず、因りて危して品行を改變せずと。如今我您に跟隨するは、是れ安なれば卽ち志向を放縱し、危なれば則ち品行を改變す。其れ我您を靠りて生くるより、返回して拘せられて死するに如かず」と。闔閭聞きて、吏に命令して釋放せしむ。張胥鄙曰く、「我が義譚夫吾と同じくせず、ゆえに其の擔當を接受せず。如今吏此に因りて我を放出するは、是れ因りて譚夫吾の緣故免れたるなり、我何處にか能く接受せんや?」と。於是墻に碰つて死す。譚夫吾聞きて後曰く、「我擔當して卽ち接受せられざるは、是れ佞;知らずして彼を放出するは、是れ愚。佞以て士を交接す可からず、愚以て君を事奉す可からず、我が行爲落空せり。別人我が力を靠りて活くるを厭惡す、我亦此を憑りて世上に立つを恥とす」と。於是頸を割きて死す。君子曰く、「譚夫吾大概此に因りて士を失えり、張胥鄙亦算して得ず、剛勇と稱する可し、節を得ると稱する可からず」と。
蘇武者,故右將軍平陵侯蘇建子也。孝武皇帝時,以武為栘中監使匈奴,是時匈奴使者數降漢,故匈奴亦欲降武以取當。單于使貴人故漢人衛律說武,武不從,乃設以貴爵,重祿尊位,終不聽,於是律絕不與飲食,武數日不降。又當盛暑,以旃厚衣幷束之日暴,武心意愈堅,終不屈撓。稱曰:"臣事君,由子事父也。子為父死無所恨,守節不移,雖有鈇鉞湯鑊之誅而不懼也,尊官顯位而不榮也。"匈奴亦由此重之。武留十餘歲,竟不降下,可謂守節臣矣。詩云:"我心匪石,不可轉也;我心匪席,不可卷也。"蘇武之謂也。匈奴紿言武死,其後漢聞武在,使使者求武,匈奴欲慕義歸武,漢尊武為典屬國,顯異於他臣也。
蘇武是れ從前右將軍平陵侯蘇建の兒子。孝武皇帝の時、蘇武を用いて栘中監を爲して匈奴に出使せしむ。此の時匈奴使者屢々漢に投降す、ゆえに匈奴亦蘇武をして投降せしめて以て相抵せんと欲す。單于貴人・從前の漢人衞律を派して蘇武を游說せしむ、蘇武從わず、於是貴爵・重祿尊位を設置するも、始終聽かず。於是衞律斷絕して彼に飲食を給せず、蘇武幾日投降せず。又正に盛暑に當たりて、氈厚衣を以て幷せて捆束して太陽の下に於て暴曬す、蘇武心意更加に堅定して、始終屈撓せず。宣稱す、「臣君を事奉するは、卽ち兒子の父親を事奉するがごとし。兒子父親のため死する恨なく、節を守りて移らず、たとい斧鉞湯鑊の誅殺有るとも懼れず、尊官顯位も亦以て榮と爲さず」と。匈奴亦此に因りて彼を看重す。蘇武留下十餘年して、竟に降下せず、節を守るの臣と稱する可し。『詩經』に曰く、「我が心是れ石頭にあらず、轉動す可からず;我が心是れ席子にあらず、卷起す可からず」と。是れ蘇武を説くなり。匈奴欺騙して蘇武死せりと説く、後來漢蘇武還りて在るを聞きて、使者を派して蘇武を求む、匈奴義を慕いて蘇武を歸還せんと想う。漢蘇武を尊して典屬國と爲して、其の他の臣に比して顯異なり。
義勇第八
義勇第八
陳恆弒簡公而盟,盟者皆完其家,不盟者殺之。石他人曰:"昔之事其君者,皆得其君而事之,今謂他人曰:'舍而君而事我。’他人不能,雖然,不盟則殺父母也,從而盟,是無君臣之禮也。生於亂世,不得正行;劫於暴上,不得道義。故雖盟,不以父母之死,不如退而自殺,以禮其君。"乃自殺。
陳恒簡公を弑殺して結盟す、結盟するは皆其の家を保全し、結盟せざるは殺掉す。石他人曰く、「從前君を事奉するは、皆其の君を得て事奉せり。如今他人に對して曰く、『你の君を拋棄して我を事奉せよ』と。他人能わず。然るにと雖も、結盟せざれば則ち父母を殺す、從りて結盟するは、是れ君臣の禮なし。亂世に生れて、能く品行を端正せず;暴上に脅迫せられて、能く道義を實行せず。ゆえにたとい結盟するも、因りて父母の死せず、退きて自殺するに如かず、以て君を禮待せん」と。於是自殺す。
陳恆弒君,使勇士六人劫子淵棲,子淵棲曰:"子之慾與我,以我為知乎?臣弒君,非知也!以我為仁乎?見利而背君,非仁也!以我為勇乎?劫我以兵,懼而與子,非勇也。使吾無此三者,與何補於子?若吾有此三者,終不從子矣!"乃舍之。
陳恒君を弑して、勇士六人を派して子淵棲を劫持せしむ。子淵棲曰く、「您我と在一起せんと欲するは、以爲我知有るか?臣君を弑するは、是れ知にあらず!以爲我仁なるか?利を見て君を背叛するは、是れ仁にあらず!以爲我勇なるか?兵を用いて我を劫持して、恐懼して您に跟從するは、是れ勇にあらず。假如我此の三樣なからんば、跟從する您に對して何の補益か有らん?若し我此の三樣有れば、終に您に跟從せざらん!」と。於是彼を放過す。
宋閔公臣長萬以勇力聞,萬與魯戰,師敗,為魯所獲,囚之宮中,數月歸之宋。與閔公搏,婦人皆在側,公謂萬曰:"魯君庸與寡人美?"萬曰:"魯君美。天下諸侯,唯魯君耳。宜其為君也。"閔公矜,婦人妒,其言曰:"爾魯之囚虜爾,何知?"萬怒,遂搏閔公頰,齒落於口,絕吭而死。仇牧聞君死,趨而至,遇萬於門,衛劍而叱之,萬臂擊仇牧而殺之,齒著於門闔。仇牧可謂不畏強禦矣,趨君之難,顧不旋踵。
宋閔公の臣長萬勇力を以て聞名す。萬魯と交戰して、軍隊戰敗して、魯に俘獲せられ、宮中に囚禁せられて、幾個月後宋に歸還す。閔公と搏戲して、婦人皆旁邊に在り。公萬に對して曰く、「魯君と寡人と誰か美なるか」と。萬曰く、「魯君美なり。天下諸侯、只魯君のみ。彼君を爲るは是れ應然なり」と。閔公矜持し、婦人嫉妒して、其の話曰く、「你是れ魯の囚虜のみ、何を知るか?」と。萬發怒して、於是閔公の臉頰を打ちて、牙齒口裏に落ちて、喉嚨を切斷して死す。仇牧君死せりを聞きて、快步到來して、門に於て萬に遇見して、劍を持ちて呵叱す、萬手臂を以て仇牧を擊殺して、牙齒門扇上に嵌る。仇牧強御を畏懼せずと稱する可し、君の難に奔赴して、頭を囘して身を轉ぜず。
崔杼弒莊公,令士大夫盟者,皆脫劍而入,言不疾指不至血者死,所殺十人。次及晏子,晏子奉桮血仰天嘆曰:"惡乎崔子,將為無道,殺其君。"盟者皆視之。崔杼謂晏子曰:"子與我,我與子分國;子不吾與,吾將殺子。直兵將推之,曲兵將勾之,唯子圖之。"晏子曰:"嬰聞回以利而背其君者,非仁也;劫以刃而失其志者,非勇也。"詩云:"愷悌君子,求福不回。"嬰可謂不回矣。直兵推之,曲兵鉤之,嬰之不回也。崔子舍之,晏子趨出,授綏而乘,其僕將馳,晏子拊其手曰:"虎豹在山林,其命在庖□,馳不益生,緩不益死,按行成節,然後去之。"詩云:"彼己之子,捨命不渝。"晏子之謂也。
崔杼莊公を弑殺して、結盟の士大夫に命令して皆劍を解下して進入せしめ、説話急ならず手指血に到らざるは處死す、殺す所十人。晏子に輪到して、晏子杯血を捧げて天を仰いで歎息して曰く、「可恨なるかな崔子、將に無道の事を爲して、其の君を殺さんとす」と。結盟する人皆看る。崔杼晏子に對して曰く、「您我に跟從せば、我您と國を分かたん;您我に跟從せざれば、我將に您を殺さん。直兵將に推さん、曲兵將に鉤さん、只請う您謀劃せん」と。晏子曰く、「嬰聞く囘轉因りて利して君を背叛するは、是れ仁にあらず;刃に劫持せられて志向を失去するは、是れ勇にあらずと。『詩經』に曰く、『和樂平易の君子、福を求めて邪僻ならず』と。嬰邪僻ならずと稱する可し。直兵推せ、曲兵鉤せ、嬰邪僻ならず」と。崔子彼を放過す。晏子快步して出去りて、綏帶を接過して車に上りて、僕人將に奔馳せんとす、晏子其の手を按住して曰く、「虎豹山林に在るは、其の命庖廚に在り(底本此の字殘缺)。奔馳更に生を增加せず、緩慢更に死を增加せず、行列を按じて節を成就して、然る後離去す」と。『詩經』に曰く、「其の人や、命を舍てて改變せず」と。是れ晏子を説くなり。
佛肸以中牟叛,置鼎於庭,致士大夫曰:"與我者受邑,不吾與者烹。"大夫皆從之。至於田卑,田卑,中牟之邑人也。曰:"義死不避斧鉞之罪,義窮不受軒冕之服。無義而生,不仁而富,不如烹。"褰衣將就鼎,佛肸脫屨而生之。趙氏聞其叛也,攻而取之;聞田卑不肯與也,求而賞之。田卑曰:"不可也,一人舉而萬夫俛首,智者不為也。賞一人以慚萬夫,義者不取也。我受賞,使中牟之士,懷恥不義。"辭賞徙處曰:"以行臨人,不道,吾去矣。"遂南之楚。
佛肸中牟を憑りて反叛して、庭中に於て鼎を放置し、士大夫を招致して曰く、「我に跟從するは邑を受け、我に跟從せざるは烹らる」と。大夫皆跟從す。田卑に到りて、田卑是れ中牟の邑人。曰く、「義のため死する斧鉞の罪を躲避せず、義のため窮する軒冕の服を接受せず。義なくして生き、不仁にして富むは、烹らるるに如かず」と。衣服を提起して將に鼎に就かんとす、佛肸鞋子を脫下して彼を救活す。趙氏其の反叛を聞きて、中牟を攻取せり;田卑肯んじて跟從せざるを聞きて、求來して賞賜す。田卑曰く、「不可。一個人被擧して萬夫頭を低くするは、智者爲さず。一個人を賞して以て萬夫をして慚愧せしむるは、義者取らず。我賞を受けば、中牟の士をして不義の恥を懷かしむ」と。賞賜を推辭して遷居して曰く、「品行を以て人に臨視す、道に合せず、我離去す」と。於是南行して楚に到る。
楚太子建以費無極之譖見逐。建有子曰勝,在外,子西召勝,使治白,號曰白公。勝怨楚逐其父,將弒惠王及子西,欲得易甲,陳士勒兵,以示易甲曰:"與我,無患不富貴;不吾與,則此是也。"易甲笑曰:"嘗言吾義矣,吾子忘之乎?立得天下,不義,吾不敢也;威吾以兵,不義,吾不從也。今子將弒子之君,而使我從子,非吾前義也。子雖告我以利,威我以兵,吾不忍為也。子行子之威,則吾亦得明吾義也。逆子以兵爭也,應子以聲鄙也,吾聞士立義不爭,行死不鄙,拱而待兵,顏色不變也。"
楚太子建因りて費無極の讒言驅逐せらる。建兒子勝と叫ぶ有りて、外に在り。子西勝を召して、彼をして白を治理せしめ、白公と號稱す。勝楚の其の父親を驅逐したるを怨恨して、將に惠王と子西とを弑殺せんとし、易甲を得んと欲し、士卒を陳列して軍隊を整頓し、易甲に看て曰く、「我に跟從せば、富貴せざるを怕れず;我に跟從せざれば、卽ち此のごとくならん」と。易甲笑いて曰く、「曾て我義なるを説く、您忘記せしか?立刻天下を得るとも、不義なれば、我敢えてせず;兵を用いて我を威嚇するも、不義なれば、我從わず。如今您將に您の君を弑せんとして、而して我をして您に跟從せしめんは、是れ我先前の義にあらず。您雖然利を以て我に告ぐとも、兵を用いて我を威嚇するも、我忍びて爲さず。您您の威を施行せば、則ち我亦以て我が義を顯明するを得ん。兵を用いて您に違逆するは是れ爭、聲音を以て您に應答するは是れ鄙。我聞く士義を立てて爭わず、死に去りて鄙せず、拱手して兵を等待して、顏色變せず」と。
白公勝將弒楚惠王,王出亡,令尹司馬皆死,拔劍而屬之於屈廬曰:"子與我,將舍之;子不與我,將殺子。"屈廬曰:"詩有之,曰:'莫莫葛藟,肆於條枝,愷悌君子,求福不回。’今子殺子叔父西求福於廬也,可乎?且吾聞知命之士,見利不動,臨危不恐。為人臣者,時生則生,時死則死,是謂人臣之禮。故上知天命,下知臣道,其有可劫乎?子胡不推之?"白公勝乃內其劍。
白公勝將に楚惠王を弑殺せんとして、王出亡し、令尹・司馬皆死せり。劍を拔きて屈廬を指して曰く、「您我に跟從せば、將に放過せん;您我に跟從せざれば、將に您を殺さん」と。屈廬曰く、「『詩經』有りて、説く、『茂密の葛藟、枝條上に蔓延し、和樂平易の君子、福を求めて邪僻ならず』と。如今您您の叔父子西を殺して以て廬に向かいて福を求むるは、可なりか?況んや我聞く命を知るの士は、利を見て動かず、危に面臨して恐れず。人臣を爲るは、時該に生すべければ則ち生き、時該に死すべければ則ち死す、此れ人臣の禮と叫ぶなり。ゆえに上天命を知り、下臣道を知る、何處にか劫持す可き有らんや?您何ぞ推開せざるか?」と。白公勝於是劍を收進す。
白公勝既殺令尹司馬,欲立王子閭以為王。王子閭不肯,劫之以刃,王子閭曰:"王孫輔相楚國,匡正王室,而後自庇焉,閭之願也。今子假威以暴王室,殺伐以亂國家,吾雖死,不子從也。"白公勝曰:"楚國之重,天下無有。天以與子,子何不受?"王子閭曰:"吾聞辭天下者,非輕其利也,以明其德也;不為諸侯者,非惡其位也,以潔其行為。今吾見國而忘主,不仁也;劫白刃而失義,不勇也。子雖告我以利,威我以兵,吾不為也。"白公強之,不可,遂殺之。葉公高率眾誅白公,而反惠王於國。
白公勝已に令尹・司馬を殺して、王子閭を立てて王を爲らんと欲す。王子閭肯んぜず、刃を以て劫持す。王子閭曰く、「王孫楚國を輔相して、王室を匡正して、然る後自己庇護するは、是れ閭の願望なり。如今您威を假借して以て王室に暴を施し、殺伐して以て國家を亂す、我たとい死するも、您に跟從せず」と。白公勝曰く、「楚國の重要は、天下なし。天您に給せり、您何ぞ接受せざるか」と。王子閭曰く、「我聞く天下を辭去するは、是れ其の利を看輕するにあらず、是れ以て其の德を顯明するを用う;諸侯を爲らざるは、是れ其の位子を厭惡するにあらず、是れ以て其の品行を淸潔するを用う。如今我國を見て主を忘記するは、不仁;白刃に劫持せられて義を失去するは、不勇。您雖然利を以て我に告ぐとも、兵を用いて我を威嚇するも、我爲さず」と。白公強迫す、可ならず、於是彼を殺せり。葉公高衆人を率領して白公を誅殺して、惠王を國內に送回す。
白公之難,楚人有莊善者,辭其母將往死之,其母曰:"棄其親而死其君,可謂義乎?"莊善曰:"吾聞事君者,內其祿而外其身,今所以養母者,君之祿也。身安得無死乎!"遂辭而行,比至公門,三廢車中,其僕曰:"子懼矣。"曰:"懼。""既懼,何不返?"莊善曰:"懼者,吾私也;死義,吾公也。聞君子不以私害公。"及公門,刎頸而死。君子曰:"好義乎哉!"
白公の災難に、楚人莊善と叫ぶ有りて、母親に辭別して將に前往して難に死せんとす。母親曰く、「親人を拋棄して君のため死するは、義と稱する可きか」と。莊善曰く、「我聞く君を事奉するは、內裏其の祿を受けて外面自身を獻出す。如今以て母を養うは、是れ君の祿なり。自身何處にか能く死せざらんや!」と。於是辭別して前行し、公門に到るに及びて、三次車中より落下す。僕人曰く、「您怕れり」と。曰く、「怕れり」と。「已に怕れば、何ぞ返回せざるか」と。莊善曰く、「怕是れ我が私;義のため死するは是れ我が公。聞く君子私を用いて公を害せずと」。公門に到りて、頸を刎ねて死す。君子曰く、「義を好めるかな!」
齊崔杼弒莊公也,有陳不占者,聞君難,將赴之,比去,餐則失匕,上車失軾。御者曰:"怯如是,去有益乎?"不占曰:"死君,義也;無勇,私也。不以私害公。"遂往,聞戰鬥之聲,恐駭而死。人曰:"不占可謂仁者之勇也。"
齊崔杼莊公を弑殺す、陳不占と叫ぶ有りて、君難有るを聞きて、將に奔赴せんとす。離去するに及びて、飯を喫すれば卽ち匕を失落し、車に上れば轼を失落す。御者く「怯懦かくのごとき、往きて益處有らんか」と。不占曰く、「君のため死するは是れ義;勇なきは是れ私。私を用いて公を害せず」と。於是前往して、戰鬥の聲音を聽見して、恐懼驚嚇して死す。人曰く、「不占仁者の勇と稱する可し」と。
知伯囂之時,有士曰長兒子魚,絕知伯而去之。三年,將東之越,而道聞知伯囂之見殺也,謂御曰:"還車反,吾將死之。"御曰:"夫子絕知伯而去之三年矣,今反死之,是絕屬無別也。"長兒子魚曰:"不然,吾聞仁者無餘愛,忠臣無餘祿。吾聞知伯之死而動吾心,餘祿之加於我者,至今尚存,吾將往依之。"反而死。
知伯囂の時候、士長兒子魚と叫ぶ有りて、知伯と交を絕ちて離去す。三年、將に東行して越に到らんとして、路上に於て知伯囂殺せらるを聞きて、御者に對して曰く、「車子を掉轉して返回せよ、我將に彼のため死せん」と。御者曰く、「夫子知伯と交を絕ちて離去して三年、如今返回して彼のため死するは、是れ絕交と隸屬と分別なし」と。長兒子魚曰く、「不對。我聞く仁者餘の愛なく、忠臣餘の祿なしと。我知伯死するを聞きて心動す、餘の祿我が身上に加わるは、至今還りて在り、我將に前往して依從せん」と。返回して死す。
衛懿公有臣曰弘演,遠使未還。狄人攻衛,其民曰:"君之所與祿位者,鶴也;所富者,宮人也。君使宮人與鶴戰,呈焉能戰?"遂潰而去。狄人追及懿公於滎澤,殺之,盡食其肉,獨舍其肝。弘演至,報使於肝畢,呼天而號,盡哀而止。曰:"臣請為表。"因自刺其腹,內懿公之肝而死。齊桓公聞之曰:"衛之亡也以無道,今有臣若此,不可不存。"於是救衛於楚丘。
衞懿公臣弘演と叫ぶ有りて、遠く出使して還りて未だ囘來らず。狄人衞を攻めて、其の民曰く、「君祿位を給する所是れ鶴;富にする所是れ宮人。君宮人と鶴とをして往きて戰わしめよ、我ら何處にか能く戰わんや?」と。於是潰散して離去す。狄人滎澤に於て懿公に追上到りて、彼を殺し、其の肉を喫盡くして、只肝を留下す。弘演到りて、肝に向かいて出使完畢を報告して、天を呼叫して號哭して、哀を盡くして纔かに停止す。曰く、「臣請う外表を爲らん」と。於是自己腹部を刺開して、懿公の肝を放進して死す。齊桓公聞きて後曰く、「衞滅亡するは是れ因りて無道、如今臣かくのごとき有るは、保存せざる可からず」と。於是楚丘に於て衞を救う。
芊尹文者,荊之歐鹿彘者也。司馬子期獵於雲夢,載旗之長拽地。芊尹文拔劍齊諸軾而斷之,貳車抽弓於韔,援矢於筩,引而未發也。司馬子期伏軾而問曰:"吾有罪於夫子乎?"對曰:"臣以君旗拽地故也。國君之旗齊於軫,大夫之旗齊於軾。今子荊國有名大夫而減三等,文之斷也,不亦可乎?"子期悅,載之王所,王曰:"吾聞有斷子之旗者,其人安在?吾將殺之。"子期以文之言告,王悅,使為江南令,而大治。
芊尹文是れ荊國鹿彘を毆擊する人。司馬子期雲夢に於て獵を打ちて、所載の旗幟長きこと地上に拖到す。芊尹文劍を拔きて轼に齊えて砍斷し、副車韔裏より弓を抽出し、筒裏より箭を取出して、拉開するも卽ち發射せず。司馬子期轼上に伏して問う、「我夫子に對して罪有るか」と。答えて曰く、「臣因りて君の旗地上に拖到するの緣故。國君の旗轸に齊え、大夫の旗轼に齊う。如今您是れ荊國有名の大夫にして卽ち三等を減ず、文砍斷す、亦不可ならずや?」と。子期喜悅して、彼を載せて王其の處に到る。王曰く、「我聞く您の旗幟を砍斷する有ると、其の人何處に在るか?我將に彼を殺さん」と。子期文の話を以て告げて、王喜悅して、彼をして江南令を爲らしめて、而して大いに治理せり。
卞莊子好勇,養母,戰而三北,交遊非之,國君辱之,及母死三年,齊與魯戰,卞莊子請從,見於魯將軍曰:"初與母處,是以三北,今母死,請塞責而神有所歸。"遂赴敵,役一甲首而獻之。曰:"此塞一北。"又入,獲一甲首而獻之。曰:"此塞再北。"又入,獲一甲首而獻之。曰:"此塞三北。"將軍曰:"毋沒爾家,宜止之,請為兄弟。"莊子曰:"三北以養母也,是子道也,今士節小具而塞責矣。吾聞之節士不以辱生。"遂反敵殺十人而死。君子曰:"三北已塞責,滅世斷宗,於孝未終也。"
卞莊子勇を好みて、母親を奉養し、作戰三次敗北して、交游彼を非議し、國君彼を羞辱す。母親死する三年に及びて、齊と魯と交戰して、卞莊子跟隨を請求して、魯將軍に進見して曰く、「起初母親と相處せり、此に因りて三次敗北せり。如今母親死せり、請う罪罪責を彌補して神をして歸る所有らしめん」と。於是敵人に奔赴して、一個の甲士の首級を斬獲して獻上す。曰く、「此れ一次敗北を彌補す」と。又進み入りて、一個の甲士の首級を斬獲して獻上す。曰く、「此れ第二次敗北を彌補す」と。又進み入りて、一個の甲士の首級を斬獲して獻上す。曰く、「此れ第三次敗北を彌補す」と。將軍曰く、「您の家を滅絕せしむる勿れ、應に停止すべし、請う兄弟を爲らん」と。莊子曰く、「三次敗北するは是れ爲りて母を養わんと、是れ子を爲るの道。如今士の節稍微具備して罪責を彌補せり。我聞く節士辱を帶びて生きることなしと」。於是敵陣に返回して十人を殺して死す。君子曰く、「三次敗北已に罪責を彌補せり、世代を滅絕し宗祀を斷絕するは、孝に對して還りて未だ終結せず」と。
善謀第九
善謀第九
齊桓公時,江國,黃國,小國也,在江淮之間。近楚,楚,大國也,數侵伐,欲滅取之;江人黃人患楚。齊桓公方存亡繼絕,救危扶傾;尊周室,攘夷狄,為陽穀之會,貫澤之盟,與諸侯方伐楚。江人。黃人慕桓公之義,來會盟於貫澤。管仲曰:"江。黃遠齊而近楚,楚為利之國也,若伐而不能救,無以宗諸侯,不可受也。"桓公不聽,遂與之盟。管仲死,楚人伐江滅黃,桓公不能救,君子閔之。是後桓公信壞德衰,諸侯不附,遂陵遲不能復興。夫仁智之謀,即事有漸,力所不能救,未可以受其質,桓公之過也,管仲可謂善謀矣。詩云:"曾是莫聽,大命以傾。"此之謂也。
齊桓公の時候、江國・黃國是れ小國、江淮の間に在り。楚に靠近し、楚是れ大國、屢々侵伐して、滅亡奪取せんと欲す;江人・黃人楚を憂慮す。齊桓公正に存亡繼絕して、危を救い傾を扶け;周室を尊し、夷狄を攘い、陽谷の會・貫澤の盟を爲りて、諸侯と正に楚を伐たんとす。江人・黃人桓公の義を仰慕して、來りて貫澤に於て會盟す。管仲曰く、「江・黃齊を遠離して楚に靠近す、楚是れ以て彼らを利と爲すの國。若し攻伐して能く救わざれば、以て諸侯の宗主を爲るに用うるなし、接受す可からず」と。桓公聽かず、於是彼らと結盟す。管仲死して、楚人江を伐ち黃を滅して、桓公能く救わず、君子憫惜す。此の以後桓公信用敗壞し德衰落して、諸侯親附せず、於是衰微して能く復興せず。仁智の謀劃は、卽ち事情漸進有り、力量の救う能くする所にあらざれば、彼らの質を接受す可からず。此れ是れ桓公の過失、管仲善く謀劃すると稱する可し。『詩經』に曰く、「竟然此のごとく聽かず、大命因りて傾覆す」と。是れ此を説くなり。
晉文公時,周襄王有弟太叔之難,出亡居於鄭,不得入,使告難於魯。於晉。於秦。其明年春,秦伯師入河上,將納王。狐偃言於晉文公曰:"求諸侯,莫如勤王,且大義也,諸侯信之,繼文之業,而信宣於諸侯,今為可矣。"卜,偃卜之曰:"吉。遇黃帝戰於阪泉之兆。"公曰:"吾不堪也。"對曰:"周禮未改,今之王,古之帝也。"公曰:"筮之。"筮之,遇大有之暌,曰:"吉。遇公用享於天子之卦,戰克而王亨,吉庸大焉。且是卦也,天為澤以當日,天子降心以迎公,不亦可乎?大有去暌而復,亦其所也。"晉侯辭秦師而下,三月甲辰,次於陽樊,右師圍溫,左師逆王。夏,四月刃巳,王入於王城。取太叔於溫,而殺之於隰城。戊午,晉侯朝王,王享醴,命之侑,予之陽樊,溫原。攢矛之田。晉於是始開南陽之地。其後三年,文公遂再會諸侯以朝天子,天子錫之弓矢秬鬯,以為方伯。晉文公之命是也,卒成霸道,狐偃之善謀也。夫秦。魯皆疑晉有狐偃之善謀以成霸功。故謀得於帷幄,則功施於天下,狐偃之謂也。
晉文公の時候、周襄王弟弟太叔の災難有りて、出亡して鄭に住し、能く國に入らず、人を派して魯・晉・秦に向かいて災難を報告す。第二年春、秦伯の軍隊河上に到りて、將に王を接納せんとす。狐偃晉文公に對して曰く、「諸侯を求取するに、勤王より好きなし、并せて是れ大義、諸侯相信して、文侯の事業を接續して、而して信用諸侯に於て宣揚す、如今可なり」と。占卜す、卜偃卜問して曰く、「吉。黃帝阪泉に於て作戰するの兆に遇上す」と。文公曰く、「我擔當起こせず」と。答えて曰く、「周禮還りて未だ改せず、如今の王、卽ち古代の帝」と。文公曰く、「再び筮せよ」と。筮して、大有睽に變るに遇上して、曰く、「吉。公天子に宴享せらるの卦に遇上す。戰克して王宴享す、吉何處にか更大なる有らん。況んや此の卦は、天澤と爲りて以て日に對す、天子心意を降低して以て公を迎接す、亦不可ならずや?大有睽を離れて囘復す、亦是れ其の在る所なり」と。晉侯辭謝して秦師を下りて、三月甲辰、陽樊に駐扎し、右師溫を圍し、左師王を迎接す。夏四月丁巳、王王城に進入す。溫に於て太叔を捉住して、隰城に於て殺掉す。戊午、晉侯王を朝見して、王醴を以て宴享し、勸侑を命令して、陽樊・溫・原・攅茅の田を給與す。晉於是始めて南陽の地を開辟す。此の以後三年、文公卽ち再次諸侯を會して以て天子を朝し、天子弓矢秬鬯を賜給して、以て方伯を爲さしむ。晉文公の命卽ち是れ此、終に霸道を成就す、是れ狐偃の善謀なり。秦・魯皆懷疑し、晉狐偃の善謀有りて以て霸功を成就せり。ゆえに謀劃帷幄に得れば、則ち功勞天下に施す、是れ狐偃を説くなり。
虞。虢,皆小國也。虞有夏陽之阻塞,虞。虢共守之,晉不能禽也。故晉獻公欲伐虞。虢,荀息曰:"君胡不以屈產之乘,與垂棘之璧,假道於虞?"公曰:"此晉國之寶也,彼受吾璧,不借吾道,則如之何?"荀息曰:"此小國之所以事大國也彼不借吾道,必不敢受吾幣。受吾幣而借吾道,則是我取之中府,置之外府;取之中廄,置之外廄。"公曰:"宮之奇存焉,必不使受也。"荀息曰:"宮之奇知固知矣,雖然,其為人也,通心而懦,又少長於君。通心則其言之略,懦則不能強諫,少長於君,則君輕之,且夫玩好在耳目之前,而患在一國之後。中知以上,乃能慮之,臣料虞君中知之下也。"公遂借道而伐虢。宮之奇諫曰:"晉之使者,其幣重,其辭微,必不便於虞。語曰:'宴亡則齒寒矣。’故虞。虢相救,非相為賜也。今日亡虢;而明日亡虞矣。"公不聽,遂受其幣而借之道,旋歸。四年,反取虞。荀息牽馬抱璧而前曰:"臣之謀如何?"獻公曰:"璧則猶是,而吾馬之齒加長矣。"晉獻公用荀息之謀而禽虞,虞不用宮之奇而亡,故荀息非霸王之佐,戰國幷兼之臣也,若宮之奇則可謂忠臣之謀也。
虞・虢皆是れ小國。虞夏陽の阻塞有りて、虞・虢共同に守住して、晉能く擒獲せず。ゆえに晉獻公虞・虢を伐たんと想い、荀息曰く、「君何ぞ屈地の出產する馬と垂棘の璧とを用いて、虞に向かいて路を借りざるか」と。公曰く、「此れ是れ晉國の寶。彼我が璧を接受して、我に路を借さざれば、則ち如何せん」と。荀息曰く、「此れ是れ小國の以て大國を事奉するに用う。彼我らに路を借さざれば、一定敢えて我らの幣を接受せず。我らの幣を接受して我らに路を借せば、則ち是れ我中府より取出して、外府に放し;中廐より取出して、外廐に放つなり」と。公曰く、「宮之奇其の處に在りて、一定受けざらしめん」と。荀息曰く、「宮之奇の知固然として知れり、然るにと雖も、其の爲人通達にして懦弱、又小より君家に於て長大せり。通達なれば則ち其の話簡略し、懦弱なれば則ち能く強諫せず、小より君家に於て長大すれば則ち君彼を看輕す。況んや玩好耳目の前に在りて、而して患一國の後に在るを。中等以上の知纔かに能く考慮す、臣料想す虞君中等の知以下に在り」と。公於是路を借りて虢を伐つ。宮之奇進諫して曰く、「晉の使者、幣重く、辭微く、一定虞に對して不便なり。俗話に曰く、『嘴唇なくなれば、牙齒卽ち寒し』と。ゆえに虞・虢互相いに救援するは、是れ互相いに賜與するにあらず。今天虢を滅ぼせば、明天卽ち虞を滅ぼさん」と。公聽かず、於是幣を接受して路を借し與う。軍隊囘來る。四年、反つて虞を奪取す。荀息馬を牽き璧を抱きて上前して曰く、「臣の謀劃如何」と。獻公曰く、「璧還りて是れかくのごとくして、而して我が馬の年齒加長せり」と。晉獻公荀息の謀劃を用いて虞を擒獲し、虞宮之奇を用いずして滅亡せり。ゆえに荀息是れ霸王の輔佐にあらず、是れ戰國兼倂の臣;宮之奇のごときは則ち忠臣の謀劃と稱する可し。
晉文公。秦穆公共圍鄭,以其無禮而附於楚,鄭大夫佚之狐言於鄭君曰:"若使燭之武見秦君,圍必解。"鄭君從之,召燭之武;使之,辭曰:"臣之壯也,猶不如人,今老矣,無能為也。"鄭君曰:"吾不能蚤用子,今急而求子,是寡人之過也。然鄭亡,子亦有不利焉。"燭之武許諾。夜出見秦君曰:"秦晉圍鄭,鄭知亡矣,若亡鄭而有益於君,敢以煩執事。鄭在晉之東,秦在晉之西,越晉而取鄭,君知其難也,焉用亡鄭以陪晉。晉,秦之鄰也,鄰之強,君之憂也。若舍鄭以為東道主,行李之往來,共其資糧,亦無所害。且君立晉君,晉君許君焦瑕,朝得入,夕設版而畫界焉,君之所知也。夫晉何厭之有,既東取鄭,又欲廣其西境,不闕秦將焉取之?闕秦而利晉,願君圖之。"秦君說,引兵而還。晉咎犯請擊之,文公曰:"不可,微夫人之力不能弊鄭,因人之力以弊,不仁;失其所與,不知;以亂易整,不武。吾其還矣。"亦去鄭,鄭圍遂解。燭之武可謂善謀,一言而存鄭安秦。鄭君不蚤用善謀,所以削國也,困而覺焉,所以得存。
晉文公・秦穆公共同に鄭を圍して、因りて其の禮なくして楚に親附せり。鄭大夫佚之狐鄭君に對して曰く、「若し燭之武を派して秦君に進見せしめば、包圍一定解除せん」と。鄭君聽從して、燭之武を召す;彼を派せば、推辭して曰く、「臣壯年還りて人に如かず、如今老いたり、能く作爲有らず」と。鄭君曰く、「我能く早く您を用いず、如今緊急纔かに您を求む、是れ寡人の過失。可是鄭滅亡せば、您亦不利有らん」と。燭之武許諾す。夜裏出去りて秦君を見て曰く、「秦・晉鄭を圍す、鄭將に亡ばんとするを知れり。若し鄭を滅亡して君に對して益有らば、敢えて此を以て執事を煩勞せん。鄭晉の東面に在り、秦晉の西面に在り、晉を越えて鄭を取るは、君其の難處を知る、何處にか鄭を滅亡して以て晉を增加するを用いん。晉是れ秦の鄰、鄰の強は是れ君の憂。若し鄭を放下して以て東道の主人を爲さば、使者往來して、資糧を供給するも、亦害處なし。況んや君晉君を立てし、晉君臣に焦・瑕を給すと許諾して、早晨國に入るを得て、傍晚卽ち版を設けて畫界す、是れ君の知る所。晉何處にか滿足有らん、已に東鄭を取りて、又想く西境を擴大せんと、秦を虧損せずんば將に何處よりか取らん?秦を虧損して晉を利するは、願わくは君謀劃せん」と。秦君喜悅して、兵を撤して囘去る。晉咎犯攻擊を請求す、文公曰く、「不可。其の人の力なくば能く鄭を困敝せず、人の力を靠りて以て困敝するは、不仁;同盟を失去するは、不智;亂を以て整を換うるは、不武。我ら還りて囘去らん」と。亦鄭を離れて、鄭の包圍於是解除す。燭之武善く謀劃すると稱する可し、一句の話にして鄭を保存し秦を安定す。鄭君早く善謀を用いざりしゆえに國を削弱し;困窘して纔かに覺悟せり、ゆえに以て保存を得たり。
楚靈王即位,欲為霸,五會諸侯,使椒舉如晉求諸侯。椒舉致命曰:"寡君使舉曰:君有惠,賜盟於宋。曰:'晉。楚之從,交相見也。’以歲之不易,寡人願結驩於二三君。使舉請間,君苟無四方之虞,則願假寵以請於諸侯。"晉君欲勿許。司馬侯曰:"不可。楚王方侈,天其或者欲盈其心,以厚其毒而降之罰,未可知也。其使能終,亦未可知也。唯天所相,不可與爭,況諸侯乎?若適淫虐,楚將棄之,吾誰與爭?"公曰:"晉有三不殆,其何敵之有?國險而多馬,齊。楚多難,有是三者,何向而不濟?"對曰:"恃馬與險,而虞鄰之難,是三殆也。四嶽三塗,陽城大室,荊山終南,九州之險也,是不一姓,冀之北土,馬之所生也,無興國焉。恃險與馬,不足以為固也,從古以然,是先王務德音以亨神人,不聞其務險與馬也,鄰國之難不可虞也。或多難以固其國,或無難以喪其國,失其守宇,若何虞難?齊有仲孫之難而獲桓公,至今賴之;晉有裡克之難而獲文公,是以為盟主。衛。邢無難,狄亦喪之,故人之難不可虞也。特此三者而不修政德,亡於不暇,有何能濟,君其許之。紂作淫虐,文王惠和,殷是以霣,周是以興,夫豈爭諸侯哉?"乃許楚靈王,遂為申之會,與諸侯伐吳,起章華之臺,為乾溪之役,百姓罷勞怨懟於下,群臣倍畔於上,公子棄疾作亂,靈王亡逃,卒死於野。故曰:"晉不頓一戟,而楚人自亡。"司馬侯之謀也。
楚靈王位に即きて、霸を稱せんと想い、五次諸侯を會し、椒舉を派して晉に到りて諸侯を求取せしむ。椒舉辭を致して曰く、「寡君舉を派して曰く、君恩惠有りて、宋に於て盟を賜う。曰く、『晉・楚の跟從する者、互相いに朝見せん』と。因りて年歲容易ならず、寡人願わくは二三位の君と歡好を結交せんと。舉を派して空閒を得んを請う。君若し四方の憂慮なくば、則ち願わくは寵を借りて以て諸侯に向かいて請求せん」と。晉君答應せざらんと想う。司馬侯曰く、「不可。楚王正に奢侈す、天或くは其の心をして盈滿せしめて、以て其の毒を加厚して懲罰を降下せんと欲するか、還りて知る可からず。彼をして能く善終せしめんかも、亦還りて知る可からず。只是天の輔助する所、之と爭う可からず、況んや諸侯をや?若し正好淫虐せば、楚將に彼を拋棄せん、我ら誰と爭わんか?」と。公曰く、「晉三樣の危險なき有り、何の敵か有らん?國險にして馬多く、齊・楚災難多し、此の三樣有りて、向かう處に成功せざる有らん?」と。答えて曰く、「馬と險とに依仗して、而して鄰國の難を慶幸するは、此れ是れ三樣の危險。四岳・三涂・陽城・太室・荊山・終南は、是れ九州の險、幷せて一姓に屬せず。冀の北土是れ馬の生ずる所の地方、興起する國なし。險と馬とに依仗するは、以て堅固と爲すに足らず、古より是れかくのごとし。此に因りて先王德音に從事して以て神人を享く、險と馬とに從事するを聞かず。鄰國の難慶幸す可からず。或るは多難以て國を鞏固し、或るは難なくして國を喪失し、守宇を失去して、何を以て難を慶幸せんか?齊仲孫の難有りて桓公を獲得して、至今依賴す;晉里克の難有りて文公を獲得して、此に因りて盟主を爲る。衞・邢難なく、狄亦彼らをして喪亡せしむ、ゆえに別人の難慶幸す可からず。此の三樣に依仗して政德を修めざれば、滅亡還りて及ばず、何の能く成功せんや、君還りて答應せよ。紂淫虐を爲し、文王惠和して、殷因りて隕落し、周因りて興起す、何處にか是れ諸侯を爭わんや?」と。於是楚靈王に答應して、卽ち申の會を爲して、諸侯と吳を伐ちて、章華台を建造して、乾溪の役を爲して、百姓疲憊勞苦して怨懟下に在り、群臣背叛上に在り、公子棄疾亂を作して、靈王逃亡して、終に野外に於て死せり。ゆえに曰く、「晉一件の戟を損耗せずして、而して楚人自己滅亡す」と。是れ司馬侯の謀劃なり。
楚平王殺伍子胥之父,子胥出亡,挾弓而幹闔閭,闔閭曰:"大之甚,勇之甚。"為是而欲興師伐楚。子胥諫曰:"不可,臣聞之,君子不為匹夫興師,且事君猶事父也,虧君之義,復父之讎,臣不為也。"於是止。蔡昭公朝於楚,有美裘,楚令尹囊瓦求之,昭公不予,於是拘昭公於郢。數年而後歸之,昭公濟濮水,沈璧曰:"諸侯有伐楚者,寡人請為前列。"楚人聞之怒,於是興兵伐蔡,蔡請救於吳,子胥諫曰:"蔡非有罪也,楚人無道也,君若有憂中國之心,則若此時可矣。"於是興兵伐楚,遂敗楚人於柏舉而成霸道,子胥之謀也。故春秋美而褒之。
楚平王伍子胥の父親を殺し、子胥出亡して、弓を挾みて闔閭を求見す。闔閭曰く、「大なること甚だし、勇なること甚だし」と。此に因りて兵を起こして楚を伐たんと想起す。子胥進諫して曰く、「不可。臣聞く、君子匹夫のため兵を起こさず、況んや君を事奉する卽ち父親を事奉するがごとく、君の義を虧損して、父親の仇を報復するは、臣爲さず」と。於是停止す。蔡昭公楚に到りて朝見し、美裘有りて、楚令尹囊瓦求取す、昭公給せず、於是昭公を以て郢に拘す。幾年後纔かに歸還す。昭公濮水を渡りて、璧を沈めて曰く、「諸侯楚を伐つ有らば、寡人請う前列を爲らん」と。楚人聞きて發怒して、於是兵を起こして蔡を伐つ。蔡吳に向かいて救を求む、子胥進諫して曰く、「蔡是れ罪有るにあらず、是れ楚人無道なり。君若し中國を憂慮する心有れば、則ち此の時のごとく可なり」と。於是兵を起こして楚を伐ちて、終に柏擧に於て楚人を打敗して霸道を成就す、是れ子胥の謀劃。ゆえに『春秋』讚美して褒揚す。
秦孝公欲用衛鞅之言,更為嚴刑峻法,易古三代之制度,恐大臣不從,於是召衛鞅,甘龍。杜摯三大夫御於君,慮世事之變計,正法之本,使民道。君曰:"代位不亡社稷,君之道也;錯法務明主,長臣之行也。今吾欲更法以教民,吾恐天下之議我也。"公孫鞅曰:"臣聞疑行無名,疑事無功,君前定變法之慮,行之無疑,殆無顧天下之議,且夫有高人之行者,固負非於世;有獨知之虞者,必見謷於民。語曰:'愚者晤成事,知者見未萌。’民不可與慮始,可與樂成功。郭偃之法曰:'論至德者,不和於俗;成大功者,不謀於眾。’法者所以愛民也,禮者所以便事也。是以聖人苟可以治國,不法其故;苟可以利民,不循其禮。"孝公曰:"善。"甘龍曰:"不然。臣聞聖人不易民而教,知者不變法而治。因民而教者,不勞而功成,據法而治者,吏習而民安之。今君變法不循故,更禮以教民,臣恐天下之議君,願君熟慮之。"公孫鞅曰:"子之所言者,世俗之所知也。常人安於所習,學者溺於所聞,此兩者所以居官而守法也,非所與論於典法之外也。三代不同道而王,五霸不同法而霸。知者作法,而愚者制焉;賢者更禮,不肖者拘焉。拘禮之人,不足與言事;製法之人,不足與論治。君無疑矣。"杜摯曰:"利不百不變法,攻不什不易器。臣聞之法古無過,循禮無邪,君其圖之。"公孫鞅曰:"前世不同教,何古之法?帝王者不相復,何禮之循?伏犧神農,教而不誅;黃帝堯舜,誅而不怒;及至文武,各當其時而立法因事制禮。禮法兩定,制令各宜,甲兵器備,各便其用。臣故曰治世不一道,便國不必古。故湯武之王也不循古,殷夏之滅也不易禮。然則反古者未可非也,循禮者未足多也,君無疑矣。"孝公曰:"善。吾聞窮鄉多怪,曲學多辯。愚者之笑,和者哀焉;狂夫之樂,賢者憂焉。
秦孝公衞鞅の話を用いんと想い、別外嚴刑峻法を制定して、古代三代の制度を改變せんとし、大臣從わざらんを怕れて、於是衞鞅・甘龍・杜摯三位の大夫を召して君前に侍奉せしめ、世事の變化計謀を考慮して、法の根本を端正して、民をして道路有らしむ。君曰く、「位子を替代して社稷を丟失せざるは、是れ君の道;法を設置して務めて主を顯明するは、是れ長臣の品行。如今我法を變えて以て民を教えんと想う、我怕れて天下我を議論せんとす」と。公孫鞅曰く、「臣聞く行爲遲疑すれば名なく、事を爲るに遲疑すれば功なしと。君先前法を變えんの考慮を確定して、實行懷疑する勿れ、大概天下の議論を顧慮する勿れ。況んや人より高出るの品行有るは、固然世上に於て非議を擔負し;獨自知曉の謀慮有るは、一定民に詆毀せらる。俗話に曰く、『愚人事成る後纔かに醒悟し、智者未だ萌えざる時卽ち看見す』と。民彼らと開始を考慮す可からず、彼らと成功を樂しむ可し。郭偃の法曰く、『至德を論ずるは、俗と和せず;大功を成すは、衆人と謀劃せず』と。法是れ以て民を愛するを用い、禮是れ以て事を方便するを用う。此に因りて聖人若し以て國を治む可ければ、舊を效法せず;若し以て民を利す可ければ、其の禮を遵循せず」と。孝公曰く、「好し」と。甘龍曰く、「不對。臣聞く聖人民を變易せずして教え、智者法を變えずして治むと。民に順いて教えるは、勞せずして功成る;法に根據して治むるは、吏熟習して民安定す。如今君法を變えて舊を遵循せず、禮を更改して以て民を教えれば、臣怕れて天下君を議論せんとす、願わくは君仔細考慮せん」と。公孫鞅曰く、「您の説く所は、是れ世俗の知る所。常人其の熟習する所に安んじ、學者其の聽聞する所に沉溺す、此の兩樣是れ以て官に居り法を守るを用い、是れ以て典法の外に於て議論するを用うるにあらず。三代道同じからずして王と稱し、五霸法同じからずして霸を稱す。智者法を作して、而して愚者制約を受く;賢者禮を更改して、不肖の人拘泥せらる。禮に拘泥する人は、以て彼と事を談ずるに足らず;法に制約せらるる人は、以て彼と治を論ずるに足らず。君懷疑する勿れ」と。杜摯曰く、「利百倍に到らざれば法を變えず、功效十倍に到らざれば器具を更換せず。臣聞く古を效法して過なく、禮を遵循して邪なしと、君還りて謀劃せよ」と。公孫鞅曰く、「前世教化同じからず、何の古を效法せんか?帝王相重複せず、何の禮を遵循せんか?伏羲・神農は、教えて誅せず;黃帝・堯・舜は、誅して怒らず;文・武に至りて、各々時勢に當たりて法を立て、事に根據して禮を制定す。禮法兩方面確定し、制令各々適宜し、甲兵器備えて、各々使用を方便す。臣ゆえに世道を治むるは一條の道にあらず、國を方便するは必ず古を用いずと説く。ゆえに湯・武王と稱して古を遵循せず、殷・夏滅亡して禮を改變せず。然らば則ち古に違反するは非議す可からず、禮を遵循するは以て稱讚するに足らず、君懷疑する勿れ」と。孝公曰く、「好し。我聞く窮鄉怪多く、偏曲の學辯多し。愚人の笑は、和悅の人悲哀し;狂夫の樂は、賢者憂慮す。世に拘泥するの議論、人心再び懷疑せざらん」と。
拘世之議,人心不疑矣。"於是孝公違龍摯之善謀,遂從衛鞅之過言,法嚴而酷刑深,而必守之以公,當時取強,遂封鞅為商君。及孝公死,國人怨商君,至於車裂之,其患流漸,至始皇赤衣塞路,群盜滿山,卒以亂亡,削刻無恩之所致也。三代積德而王,齊桓繼絕而霸,秦項嚴暴而亡,漢王垂仁而帝,故仁恩,謀之本也。
於是孝公甘龍・杜摯の善謀を違背して、終に衞鞅の錯話を聽從して、法嚴にして刑酷深刻、并せて一定公を以て守りて、當時強を取得す、於是鞅を封じて商君と爲す。孝公死するに及びて、國人商君を怨恨して、彼を車裂するに至る、其の禍患流衍漸進して、始皇に到りて赤衣を穿つ人路に塞滿し、群盜山に滿ちて、終に亂に因りて滅亡す、是れ削刻して恩なきの致す所。三代德を積みて王と稱し、齊桓絕世を接續して霸を稱し、秦・項嚴暴にして滅亡し、漢王仁を垂れて帝を稱す、ゆえに仁恩是れ謀劃の根本なり。
秦惠王時蜀亂,國人相攻擊,告急於秦。秦惠王欲發兵伐蜀,以為道險狹難至,而韓人侵秦。秦惠王欲先伐韓,恐蜀亂;先伐蜀,恐韓襲秦之弊,猶與未決。司馬錯與張子爭論於惠王之前,司馬錯欲伐蜀,張子曰:"不如伐韓。"王曰:"請聞其說。"對曰:"親魏善楚,下兵三川,塞什谷之口,當屯留之道;魏絕南陽,楚臨南鄭,秦攻新城,宜陽,以臨二週之郊,誅周王之罪,侵楚。魏之地。周自知不救,九鼎寶器必出。據九鼎,按圖籍,挾天子以令於天下,天下莫敢不聽,此王業也,今夫蜀西僻之國,而戎狄之倫也,弊兵勞眾,不足以成名,得其地不足以為利,臣聞爭名者於朝,爭利者於市,今三川周室,天下之朝市也,而王不爭焉,顧爭於戎狄,去王遠矣。"司馬錯曰:"不然。臣聞之慾富者務廣其地,欲強者務富其民,欲王者務博其德,三資者備而王隨之矣。今王地小民貧,故臣願先從事於易。夫蜀西僻之國,而戎狄之長也,有桀紂之亂,以秦攻之,譬如以豺狼逐群羊也。得其地足以廣國,取其財足以富民繕兵,不傷眾而服焉。服一國而天下不以為暴,利盡西海而諸侯不以為貪,是我一舉而名實附也,又有禁暴正亂之名。今攻韓劫天子,劫天子,惡名也,而未必利也。有不義之名,而攻天下所不欲,危矣。臣請竭其故:周,天下之宗室也;齊,韓之與國也。周自知失九鼎,韓自知亡三川,將二國幷力合謀,以因乎齊,趙,而求解乎楚。魏,以鼎予楚,以地予魏;以鼎予楚,以地予魏,王不能止,此臣所謂危也,不如伐蜀完秦。"惠王曰:"善。寡人請聽子。"卒起兵伐蜀,十月取之,遂定蜀,蜀王更號為諸侯,而使陳叔相蜀,蜀既屬秦,秦日益強富厚而制諸侯,司馬錯之謀也。
秦惠王の時蜀亂れて、國人相攻擊して、秦に向かいて急を告ぐ。秦惠王兵を發して蜀を伐たんと想うも、以爲路險狹にして到り難く、而して韓人秦を侵す。秦惠王先に韓を伐たんと想えば、蜀の亂を怕れ;先に蜀を伐たんとすれば、韓の秦の敝を襲擊するを怕れて、猶豫未決す。司馬錯と張儀と惠王の面前に於て爭論し、司馬錯蜀を伐たんと想い、張儀曰く、「韓を伐つに如かず」と。王曰く、「請う説法を聽かん」と。張儀答えて曰く、「魏に親しみ楚に善くして、兵を出して三川し、什谷の口を堵塞し、屯留の路を擋住し;魏南陽を斷絕し、楚南鄭に臨近し、秦新城・宜陽を攻めて、以て二周の郊に臨近し、周王の罪を誅して、楚・魏の地を侵占す。周自己救う能わざるを知れば、九鼎寶器一定出で來らん。九鼎を占據して、圖籍を按じて、天子を挾持して以て天下に發令すれば、天下敢えて聽かざるなし、此れ是れ王業。如今蜀是れ西面偏僻の國、是れ戎狄一類、兵をして敝せしめ衆をして勞せしむるも、以て名を成すに足らず、地を得るも以て利を獲るに足らず。臣聞く名を爭うは朝に在り、利を爭うは市に在りと、如今三川・周室是れ天下の朝市、而して王爭わず、反つて戎狄と爭うは、王に距離ること遠し」と。司馬錯曰く、「不對。臣聞く富まんと想うは務めて地を擴大し、強ならんと想うは務めて民を富ましめ、王を稱せんと想うは務めて德を廣博す、三樣の資具備して王跟隨して到來す。如今王地小さく民貧し、ゆえに臣願わくは先に容易のに從事せん。蜀是れ西面偏僻の國、是れ戎狄の首領、桀紂の亂有りて、秦を以て之を攻めれば、比すれば豺狼を以て群羊を追逐するがごとし。地を得て足りて國を擴大し、財を取りて足りて民を富まし兵を修め、衆を傷つけずして降伏す。一國を降伏して天下以爲暴とせず、利西海を盡くして諸侯以爲貪とせず、此れ是れ我一擧して名と實と皆附着し、又禁暴正亂の名有り。如今韓を攻めて天子を劫持すれば、天子を劫持するは是れ惡名、而且未必利有らず。不義の名有りて、而して天下の欲せざる所を攻むるは、危險なり。臣請う緣故を陳述せん:周是れ天下の宗室;齊是れ韓の盟國。周自己九鼎を失去するを知り、韓自己三川を丟失するを知れば、將に兩國力を幷せて謀を合せて、以て齊・趙に依靠して、而して楚・魏に向かいて解を求めん。鼎を楚に給し、地を魏に給し;鼎を楚に給し、地を魏に給せば、王能く制止せず。此れ是れ臣の謂う危險、蜀を伐ちて以て秦を保全するに如かず」と。惠王曰く、「好し。寡人請う您を聽かん」と。終に兵を起こして蜀を伐ちて、十月取り得て、於是蜀を平定して、蜀王號を改めて諸侯を爲り、陳莊を派して蜀相を爲らしむ。蜀已に秦に隸屬して、秦一日一日強く富厚にして諸侯を制御す、是れ司馬錯の謀劃なり。
楚使黃歇於秦,秦昭王使白起攻韓。魏,韓。魏服事秦,秦王方令白起與韓。魏共伐楚。黃歇適至,聞其計,是時秦已使白起攻楚數縣,楚頃襄王東從。黃歇上書於秦昭王,欲使秦遠交楚而攻韓。魏以解楚。其書曰:"天下莫強於秦。楚,今聞王欲伐楚,此猶兩虎相與鬥,兩虎相與鬥,而駑犬受其弊也,不如善楚。臣請言其說:臣聞之,物至則反,冬夏是也;致高則危,累棋是也。今大國之地遍天下,有其二垂,此從生民以來,萬乘之地,未嘗有也。今王使盛橋守事於韓,盛橋以其地入秦,是王不用甲不信威,而得百里之地也,王可謂能矣。王又舉甲而攻魏,杜大梁之門,舉河內,攻燕。酸棗。虛。桃。入邢,魏之兵雲翔而不敢救,王之功多矣。王休甲息眾,二年而復之,有取滿。衍。首。垣,以臨仁,平丘,黃,濟陽。甄城,而魏氏服,王又割濮,歷之北,注之齊。秦之要,絕楚。趙之脊,天下五合六聚而不敢相救,王之威亦單矣。
楚黃歇を派して秦に到らしむ、秦昭王白起を派して韓・魏を攻めて、韓・魏秦に服事す。秦王正に白起に命令して韓・魏と共同に楚を伐たんとす。黃歇正好に到りて、其の計謀を聽聞す。此の時秦已に白起を派して楚幾個の縣を攻めて、楚頃襄王東遷す。黃歇書を上して秦昭王に給して、秦をして楚に遠交して韓・魏を攻めて以て楚を解除せしめんと想う。其の書曰く、「天下秦・楚より強き比なし。如今聞く王楚を伐たんと欲すと、此れ比すれば兩虎互相いに鬥い、兩虎互相いに鬱して、而して劣狗其の敝を承受す、楚を善待するに如かず。臣請う説法を講ぜん:臣聞く、物極點に到れば卽ち返回す、冬夏卽ち是れかくのごとし;高に到れば卽ち危險なり、累棋卽ち是れかくのごとし。如今大國の地天下に遍く、兩邊の極有り、此れ是れ民有るより以來、萬乘の地曾て有らざる所。如今王盛橋を派して韓に於て事を守らしめ、盛橋其の地を以て秦に納入す、此れ是れ王甲を用いず威を伸ばさずして百里の地を得るなり、王能と稱する可し。王又甲を擧げて魏を攻めて、大梁の門を堵塞し、河內を攻取して、燕・酸棗・虛・桃を攻めて、邢に進入して、魏の兵雲のごとく飛翔するも卽ち敢えて救わず、王の功多し。王甲士を休整して衆を休息せしめて、兩年再び來りて、又蒲・衍・首・垣を奪取して、以て仁・平丘・黃・濟陽・甄城に臨近して、而して魏氏降伏す。王又濮・歷以北を割きて、灌注して齊・秦の要害に到りて、楚・趙の脊梁を斷絕して、天下五合六聚するも卽ち敢えて相救わず、王の威亦極點に到れり。
王若能恃功守威,挾戰功之心,而肥仁義之地,使無後患,三王不足四,五伯不足六也。王若負人徒之眾,兵革之強,乘毀魏之威,而欲以力臣天下之王,臣恐其有後患也。詩曰:'靡不有動,鮮克有終。’易曰:'狐涉水,濡其尾。’此言始之易終之難也。何以知其然也。智伯見伐趙之利,不知榆次之禍;吳見伐齊之便,而不知幹隧之敗。此二國者,非無大功也,沒利於前,而易患於後也。吳之親越也,從而伐齊,既勝齊人於艾陵,還為越人所禽於三渚之浦。知伯之信韓。魏也,從而伐趙攻晉陽之城,勝有日矣,韓。魏畔之,殺知伯瑤於鑿臺之上。今王妒楚之不毀也,而忘毀楚之強韓。魏也,臣為王慮而不取也。詩曰:'大武遠宅而不涉。’從此觀之,楚國,援也;鄰國,敵也。詩曰:'躍躍毚兔,遇犬獲之。他人有心,予忖度之。’今王中道而信韓。魏之善王也,此吳之親越也。臣聞之,敵不可假,時不可失。臣恐韓。魏卑辭除患,而實欺大國也。何則?王無重世之德於韓。魏,而有累世之怨焉。夫韓。魏父子兄弟,接踵而死於秦者,將十世矣,本國殘,社稷壞,宗廟隳,刳腹絕腸,折顙折頸,身首分離,暴骨草澤,頭顱僵仆,相望於境,系臣束子為群虜者,相及於路,鬼神潢洋無所食,民不聊生,族類離散,流亡為僕妾者,●海內矣,故韓。魏之不亡,秦社稷之憂也。今王齎之與攻楚,不亦過乎!
王若し能く功を依仗して威を守り、戰功の心を挾持して、而して仁義の地を肥厚して、後患なくせしめば、三王以て幷列して四と爲すに足らず、五伯以て幷列して六と爲すに足らず。王若し人徒衆多・兵革強盛に依仗して、魏を毀するの威に乘じて、而して力を用いて天下の王を臣服せんと想えば、臣怕れて後患有らん。『詩經』に曰く、『開始なからざるなく、終結有る能くする少なし』と。『周易』に曰く、『狐狸水を渡りて、尾巴を濕らす』と。此れ是れ開始容易く終結難しと説く。何を憑りてかくのごとくを知るか。智伯趙を伐つの利を見て、榆次の禍を知らず;吳齊を伐つの便を見て、而して干隧の敗を知らず。此の兩國是れ大功なきにあらず、是れ前利に沈沒して後患を看輕せり。吳越に親附して、從りて齊を伐ちて、已に艾陵に於て齊人に戰勝して、囘來りて越人に三渚之浦に於て擒獲せらる。知伯韓・魏を信任して、從りて趙を伐ち晉陽城を攻めて、勝利日子有りて、韓・魏背叛して、鑿台上に於て知伯瑤を殺せり。如今王楚の毀せられざるを嫉妒して、而して楚を毀する韓・魏を增強せんを忘記す、臣王のため考慮して此を取らず。『詩經』に曰く、『大武威遠く宅して涉らず』と。此より觀れば、楚國是れ援助;鄰國是れ敵。『詩經』に曰く、『跳躍の狡兔、狗に遇上すれば卽ち捉えらる。別人心有れば、我之を揣度す』と。如今王半路上に於て韓・魏の王に對して好きを相信す、此れ是れ吳の越に親附せし。臣聞く、敵寬假す可からず、時失去す可からず。臣怕れて韓・魏卑辭を以て患を除去して、而して實際大國を欺騙す。何ぞや?王韓・魏に對して累世の德なくして、卽ち累世の怨有り。韓・魏父子兄弟接踵して秦に於て死する、將近十世なり、本國殘破し、社稷毀壞し、宗廟倒塌し、腹を刳き腸を絕ち、額頭脖子を折斷して、身首分離して、骨頭草澤に暴露し、頭顱僵仆して、境內に於て相望み、系住せらるる臣・捆住せらるる子群虜を爲るは、路上に於て相繼ぎ、鬼神茫茫として食を得る處なく、民聊生せず、族類離散して、流亡して僕妾を爲るは、海內に遍し(底本此の字殘缺)。ゆえに韓・魏滅亡せざるは、是れ秦社稷の憂。如今王彼らを資助して以て楚を攻むは、亦過分ならずや!
且王攻楚,將惡出兵?王將借路於仇讎之韓。魏乎?出兵之日,而王憂其不反也,是王以兵資於仇讎之韓。魏也。王若不借路於仇讎之韓。魏,必攻隨水右壤,隨水右壤,此皆廣川大水,山林溪谷,不食之地也。王雖有之,不為得地,是王有毀楚之名,而無得地之實也。且王攻楚之日,四國必悉起兵以應王,秦之兵構而不離,韓。魏氏將出兵而攻留。方。與銍。胡陵。碭。蕭。相,故宋必盡。齊人南面,泗北必舉,此皆平原四達膏腴之地也,而使獨攻。王破楚以肥韓。魏於中國而勁齊。韓。魏之強,足以校於秦,齊南以泗水為境,東負海,北倚河而無後患。天下之國,莫強於齊。魏,齊。魏得地保利而詳事下吏,一年之後,為帝未能,其于禁王之為帝有餘矣。夫以王壤土之博,人徒之眾,兵革之強,一舉事而樹怨於楚,出令韓。魏歸帝重於齊,是王失計也。臣為主慮,莫若善楚,秦。楚合為一而以臨韓,韓必拱手,王施之以東山之險,帶以曲河之利,韓必為關內之侯,若是而王以十萬伐鄭,梁氏寒心,許鄢陵。嬰城,而上蔡。召陵不往來也,如此而魏亦關內侯矣。王一善楚而關內兩萬乘之主,注入地於齊,齊右壤可拱手而取也。王之地一極兩海,要約天下,是燕。趙無齊。楚;齊。楚無燕。趙,然後危動燕。趙,直搖齊。楚,此四國者,不待痛而服也。"昭王曰:"善。"於是乃止白起,謝韓。魏,發使賂楚,約為與國。黃歇受約歸楚,解楚之禍,全強秦之兵,黃歇之謀也。
況んや王楚を攻むるは、將に何處より兵を出さんか?王將に仇敵韓・魏に向かいて路を借らんか?兵を出すの日子、王卽ち能く返回せざるを憂慮せん、此れ是れ王兵を以て仇敵韓・魏に資助す。王若し仇敵韓・魏に向かいて路を借らざれば、一定隨水右壤を攻めん。隨水右壤此ら皆廣川大水・山林溪谷・糧食を產せざるの地。王雖然之を有すとも、地を得たと算せず。此れ是れ王楚を毀するの名有りて、而して地を得るの實なし。況んや王楚を攻むるの日子、四國一定全部兵を起こして以て王に應和せん。秦の兵交構して離去せざれば、韓・魏氏將に兵を出して留・方與・銍・胡陵・碭・蕭・相を攻めて、故宋一定盡失せん。齊人南向せば、泗北一定攻取せられん。此ら皆平原四達膏腴の地、卽ち彼らをして獨自攻取せしむ。王楚を破りて以て中國に於て韓・魏を肥やして齊を強勁せしむ。韓・魏の強は、足りて秦と較量す。齊南泗水を以て境と爲し、東海に靠り、北河に依りて後患なし。天下の國齊・魏より強き比なし。齊・魏地を得て利を保して假裝下吏を事奉す、一年の後、帝を爲る還りて未だ能わずとも、王の帝を爲るを禁止するに對して卽ち餘有り。王壤土の廣博・人徒の衆多・兵革の強盛を憑りて、一擧事して楚と怨を結びて、卽ち韓・魏をして帝の尊重を以て齊に歸せしむ、此れ是れ王計を失う。臣主のため考慮す、楚を善待するに如かず。秦・楚一體に合して以て韓に臨近せば、韓一定拱手せん。王東山の險を施加して、曲河の利を帶びて、韓一定關內侯を爲らん。此のごとくして王十萬を以て鄭を伐てば、梁氏寒心して、許・鄢陵城を環して自守して、而して上蔡・召陵往來せず、此のごとく魏亦關內侯を爲らん。王一旦楚を善待して關內兩個の萬乘の主有りて、地を以て齊に注入せば、齊の右壤拱手して取得す可し。王の地一頭兩海に到達して、天下を要約して、此のごとく燕・趙齊・楚なく;齊・楚燕・趙なくして、然る後危險に燕・趙を振動し、直接齊・楚を搖動す、此の四國痛みを待たずして降伏す」と。昭王曰く、「好し」と。於是白起を停止して、韓・魏を辭謝して、使者を派して楚を賄賂して、盟國と約す。黃歇盟約を接受して楚に囘りて、楚の禍を解除し、強秦の兵を保全す、是れ黃歇の謀劃なり。
秦。趙戰於長平,趙不勝,亡一都尉。趙王召樓昌與虞卿曰:"軍戰不勝,尉復死,寡人將束甲而赴之。"樓昌曰:"無益也,不如發重使而為構。"虞卿曰:"昌言構者,以為不構,軍必破也,而制構者在秦,且王之論秦也,欲破王之軍乎?不邪?"王曰:"秦不遺餘力矣,必且破趙軍。"虞卿曰:"王聽臣發使,出重寶以附楚。魏,楚。魏欲王之重寶,必內吾使,吾使入楚。魏,秦必疑天下,恐天下之合從必一心,如此,則構乃可為也。"趙王不聽,與平陽君為構,發鄭朱入秦,秦內之。趙王召虞卿曰:"寡人使平陽君為構秦,秦已內鄭朱矣,虞卿以為如何?"對曰:"王不得構,軍必破矣!天下之賀戰勝者皆在秦。鄭朱,貴人也。而入秦,秦王與應侯必顯重以示天下,楚。魏以趙為構,必不救王。秦知天下不救王,則構不可得也。"應侯果顯鄭朱以示天下,賀戰勝者終不肯構,長平大敗,遂圍邯鄲,為天下笑,不從虞卿之謀也。
秦・趙長平に於て交戰して、趙勝たず、一個の都尉を丟失す。趙王樓昌と虞卿とを召して曰く、「軍隊作戰して勝たず、都尉又死せり、寡人將に甲を束ねて奔赴せん」と。樓昌曰く、「益處なし、重要の使者を派して往きて講和せしむるに如かず」と。虞卿曰く、「樓昌講和を説くは、是れ以爲講和せざれば、軍隊一定破れて、而して講和を控制するは秦に在りと。況んや王秦を評論するは、是れ王の軍隊を破らんと欲するか?還りて不か?」と。王曰く、「秦餘力を遺さず、一定將に趙軍を破らん」と。虞卿曰く、「王臣を聽きて使者を派して、重寶を拿出して以て楚・魏に親附せよ。楚・魏王の重寶を欲すれば、一定我らの使者を接納せん。我らの使者楚・魏に進入せば、秦一定天下を懷疑して、天下合從一定一心なるを怕れて、此のごとく、則ち講和纔かに爲す可し」と。趙王聽かず、平陽君と講和して、鄭朱を派して秦に進入せしむ、秦接納す。趙王虞卿を召して曰く、「寡人平陽君を派して秦と講和せしめ、秦已に鄭朱を接納せり、虞卿以爲如何」と。答えて曰く、「王講和を得る能わず、軍隊一定破れん!天下戰勝を祝賀する皆秦に在り。鄭朱是れ貴人にして秦に進入す、秦王と應侯一定顯重して以て天下に看せん。楚・魏以爲趙講和せりとし、一定王を救わず。秦天下王を救わざるを知れば、則ち講和得る可からず」と。應侯果然鄭朱を顯揚して天下に看せしめ、戰勝を祝賀する終に肯んじて講和せず、長平大敗して、於是邯鄲を圍して、天下に笑わる、是れ虞卿の謀劃を聽從せざるなり。
秦既解圍邯鄲,而趙王入朝,使趙郝約事於秦,割六縣而構。虞卿謂趙王曰:"秦之攻王也,倦而歸乎?亡其力尚能進之,愛王而不攻乎?"王曰:"秦之攻我也,不遺餘力矣,必以倦歸也。"虞卿曰:"秦以其力攻其所不能取,倦而歸,王又攻其力之所不能取以送之,是助秦自攻也。來年秦復攻王,王無救矣。"王以虞卿之言告趙郝,趙郝曰:"虞卿能量秦力之所至乎?誠知秦力之所不能進,此彈丸之地不予,令秦年來復攻於王,王得無割其內而構乎?"王曰:"請聽子割矣,子能必來年秦之不復攻乎?"趙郝曰:"此非臣之所敢任也。他日三晉之交於秦相若也,今秦善韓。魏而攻王,王之所以事秦者,必不如魏。韓也。今臣之為足下解負親之攻,開關通弊,齊交韓。魏,至來年而獨取攻於秦,王之所以事秦,必在韓。魏之後也,此非臣之所敢任也。"
秦已に邯鄲に對する包圍を解除して、而して趙王入朝して、趙郝を派して秦に向かいて事を約定して、六縣を割きて以て講和せんとす。虞卿趙王に對して曰く、「秦王を攻むるは、是れ疲倦して歸れるか?還りて其の力還りて能く前進して、王を愛して攻めざるか?」と。王曰く、「秦我を攻むるは、餘力を遺さず、一定是れ疲倦して歸れり」と。虞卿曰く、「秦其の力を用いて其の取る能くざる所を攻めて、疲倦して歸れり、王又其の力の取る能くざる所を送上するは、是れ秦を幫助して自己を攻むるなり。來年秦再び王を攻めば、王救なからん」と。王虞卿の話を以て趙郝に告ぐれば、趙郝曰く、「虞卿能く秦力の到る所の地方を估量するか?若し確かに秦力能く前進せざるを知らば、此の彈丸の地給せざれば、秦をして明年再び來りて王を攻めしめば、王能く內地を割かずして以て講和せんか?」と。王曰く、「請う您を聽きて割かん、您能く一定來年秦再び攻めざらんか」と。趙郝曰く、「此れ是れ臣の敢えて擔當する所にあらず。往日三晉秦と結交して相像せり、如今秦韓・魏を善待して王を攻むるは、王の秦を事奉する所以は、一定魏・韓に如かず。如今臣足下のため背棄親附の攻を解除して、關を開きて弊を溝通し、韓・魏と同等結交して、來年到りて獨自秦に攻められれば、王の秦を事奉する所以は、一定韓・魏の後に在り、此れ是れ臣の敢えて擔當する所にあらず」と。
王以告虞卿,虞卿對曰:"郝言'不構,來年,秦復攻王,王得無復割其內而構乎’。今構,郝又不能必秦之不復攻也,雖割何益?來年復攻,又割其力之所不能取以構,此自盡之術也,不如無構。秦雖善攻,不能取六縣,趙雖不能守,亦不失六城,秦倦而歸,兵必疲,我以六縣收天下以攻罷秦,是我失之於天下,而取償於秦也。吾國尚利,庸與坐而劃地,自弱以強秦?今郝曰'秦善韓。魏而攻趙者,必王之事秦不如韓。魏也’,是使王歲以六城事秦也,坐以地盡,來年,秦復來割,王將予之乎?不予,是棄前功而挑秦禍也,予之,即無地而給之。語曰:'強者善攻,而弱者不能守’。今坐而聽秦,秦兵不弊而多得地,是強秦而弱趙也,以益強之秦,而割愈弱之趙,其計固不止矣。且王之地有盡,而秦之求無已,以有盡之地,給無已之求,其勢必無趙矣。"計未定,樓緩從秦來,趙王與樓緩計之曰:"秦地與無予,庸吉?"緩辭讓曰:"此非臣之所能知也。"王曰:"雖然,試言公之私。"樓緩對曰:"亦聞夫公父文伯母乎,公父文伯仕於魯,病死,女子為自殺於房中者二人,其母聞之,不肯哭也。其相室曰:'焉有子死而不哭者乎?’其母曰:'孔子,賢人也,逐於魯,而是人不隨也。今死而婦人為自殺者二人,若是者必其於長者薄,而於婦人厚也。’故從母言,是為賢母,從妻言,是必不免為妒婦。故其言一也,言者異則人心變矣。今臣新從秦來而言勿予,則非計也:言予之,恐王以臣為秦也,故不敢對。使臣得為大王計,不如予之。"王曰:"諾。"
王此を以て虞卿に告ぐれば、虞卿答えて曰く、「趙郝曰く『講和せざれば、來年秦再び王を攻めて、王能く再び內地を割かずして以て講和せんか』と。如今講和せば、趙郝又一定秦再び攻めざる能わず、たとい割くとも何の益處か有らん?來年再び攻めて、又其の力の取る能くざる所を割きて以て講和すれば、此れ是れ自己盡くすの辦法、講和せざるに如かず。秦雖然攻を善くすとも、能く六縣を取らず;趙雖然守る能わずとも、亦六城を失わず。秦疲倦して歸れば、兵一定疲憊せん、我六縣を以て天下を收めて以て疲憊の秦を攻むれば、此れ是れ我天下に於て失いて、而して秦より補償を取得す。我が國還りて利、何處にか坐して地を劃し、自己弱くして以て秦を強くするに比せんや?如今趙郝曰く『秦韓・魏を善待して趙を攻むるは、一定是れ王秦を事奉する韓・魏に如かず』と、此れ是れ王をして每年六城を以て秦を事奉せしめて、坐して地を以て用盡さん。來年秦再び來りて割かば、王將に給せんか?給せざれば、是れ前功を拋棄して秦禍を挑起す;給せば、則ち給する地なからん。俗話に曰く、『強き善く攻め、而して弱き能く守らず』と。如今坐して秦を聽けば、秦兵敝せずして地を多得んは、是れ秦をして強くして趙を弱くせしむるなり。更加強き秦を以て、愈加弱き趙を割くは、其の計謀本來停止せざらん。況んや王の地盡くる有りて、而して秦の求取停止なく、盡くる有るの地を以て停止なきの求取を供給すれば、其の勢一定趙なからん」と。計謀還りて未だ定まらず、樓緩秦より來りて、趙王樓緩と計議す:「秦地を給するか給せざるか、哪個吉なるか」と。樓緩推辭して曰く、「此れ是れ臣の知る能くする所にあらず」と。王曰く、「然るにと雖も、試みに您の私見を説け」と。樓緩答えて曰く、「亦聞く公父文伯の母親をや?公父文伯魯に於て官を爲して、病死して、女子彼のため房中に於て自殺する兩人有り、其の母親聞きて、肯んじて哭かず。相室曰く、『何處にか兒子死して哭かざる有らん?』と。母親曰く、『孔子是れ賢人、魯より逐い出されて、而して此の人跟隨せず。如今死して婦人彼のため自殺する兩人有り、此のごとき一定是れ長者に對して薄く、而して婦人に對して厚し』と。ゆえに母親の話よりすれば、是れ賢母;妻子の話よりすれば、一定不免是れ妒婦。ゆえに話是れ一樣、説話する人同じからざれば則ち人心變れたり。如今臣剛だちて秦より來りて給する勿れと説かば、則ち計にあらず;給すと説かば、怕れて王以爲臣秦のためとせん、ゆえに敢えて對せず。假如臣得て大王のため謀劃せば、給するに如かず」と。王曰く、「是れ」と。
虞卿聞之曰:"此飾說也,王慎勿予。"樓緩聞之,往見王,王又以虞卿之言告樓緩,樓緩對曰:"不然,虞得其一,不得其二。夫秦。趙構難而天下皆說,何也?曰:'吾且因強而乘弱矣。’今趙兵困於秦,天下之賀戰者,必盡在於秦矣,故不如前割地為和,以疑天下而慰秦之心。不然,天下將因秦之怒,乘趙之弊而瓜分之,趙見亡,何秦之圖乎?故曰虞卿得其一不得其二,願王以此決之,勿復計也。"虞卿聞之,往見王曰:"危哉!樓子之所以為秦者,是愈疑天下,而何慰秦之心哉?獨不言示天下弱乎?且臣言勿予,非固勿予而已也。秦索六城於王,而王以六城賂齊。齊,秦之深讎也。得王之六城,幷力而西擊秦,齊之聽王,不待辭之畢也。則是王失之於齊,而取償於秦也。而齊。趙之讎可以報矣,而示天下有能為也。王以此為發聲,兵未窺於境,臣見秦之重賂,而反構於王。從秦為構,韓。魏聞之,必盡重王,重王,必出重寶以先於王,則是王一舉而結三國之親,而與秦易道也。"趙王曰:"善。"即發虞卿來見齊王,與之謀秦。虞之謀行而趙霸,此存亡之樞機,樞機之發,間不及旋踵,是故虞卿一言,而秦之震懼趁風馳指而請備,故善謀之臣,其於國豈不重哉?微虞卿,趙以亡矣。
虞卿聞きて後曰く、「此れ是れ粉飾の説法、王謹愼して給する勿れ」と。樓緩聞きて、往きて王を見れば、王又虞卿の話を以て樓緩に告ぐ。樓緩答えて曰く、「不對。虞卿其の一を得て、其の二を得ず。秦・趙難を結びて天下皆喜悅す、何ぞや?説く、『我ら將に強きを靠りて以て弱きを乘ぜん』と。如今趙兵秦に困せられて、天下戰勝を祝賀する一定皆秦に在らん、ゆえに先前地を割きて講和して、以て天下をして懷疑せしめて秦の心を安慰するに如かず。不爾なれば、天下將に秦の怒を靠りて、趙の敝を乘じて瓜分せん、趙眼見滅亡せん、還りて秦を何を圖謀せんや?ゆえに虞卿其の一を得て其の二を得ずと説く、願わくは王此を以て決定して、再び計議する勿れ」と。虞卿聞きて、往きて王を見て曰く、「危險なるかな!樓子秦のためとする所以は、是れ更加天下をして懷疑せしむ、又何を以て秦の心を安慰せんか?獨自天下に看るに弱きを給するを説かざるか?況んや臣給する勿れと説くは、是れ固然給せざる而已にあらず。秦王に向かいて六城を索取して、而して王六城を以て齊を賄賂せよ。齊是れ秦の深仇。王の六城を得て、幷力西に秦を擊たば、齊王を聽く、話畢るを待たず。則ち是れ王齊に於て失いて、而して秦より補償を取得す。而して齊・趙の仇報復す可く、而して天下に看るに能力有りと給す。王此を以て發聲と爲せば、兵還りて未だ邊境を窺探せず、臣見る秦重賂を以て反つて王と講和せんと。秦に跟隨して講和すれば、韓・魏聞きて、一定皆王を看重せん;王を看重すれば、一定重寶を拿出して以て搶先王に給せん、則ち是れ王一擧して三國の親を結びて、而して秦と道路を交換す」と。趙王曰く、「好し」と。立刻虞卿を派して來りて齊王を見て、彼と對秦を謀劃せしむ。虞卿の謀劃實行して趙霸を稱す、此れ是れ存亡の樞機。樞機發動せば、間隙脚跟を轉ずるに及ばず、此に因りて虞卿一句の話にして、而して秦の震懼風に趁りて奔馳して來りて防備を請求す。ゆえに善く謀劃する臣は、國に對して豈重要ならずや?虞卿なくば、趙因りて滅亡せり。
魏請為從,趙孝成王,召虞卿謀,過平原君。平原君曰:"願卿之論從也。"虞卿入見。王曰:"魏請為從。"對曰:"魏過。"王曰:"寡人固未之許。"對曰:"王過。"王曰:"魏請從,卿曰魏過;寡人未之許,又曰寡人過,然則從終不可邪?"對曰:"臣聞小國之與大國從事也,有利,大國受福;有敗,小國受禍。今魏以小請其禍,而王以大辭其福,臣故曰王過,魏亦過。竊以為從便。"王曰:"善。"乃合魏為從。使虞卿久用於趙,趙必霸。會虞卿以魏齊之事,棄侯捐相而歸,不用,趙旋亡。
魏合從を請求して、趙孝成王虞卿を召して謀劃して、平原君を經過す。平原君曰く、「願わくは卿合從を論ぜよ」と。虞卿進み入りて見る。王曰く、「魏合從を請求す」と。答えて曰く、「魏錯れり」と。王曰く、「寡人本來還りて未だ答應せず」と。答えて曰く、「王錯れり」と。王曰く、「魏合從を請求すれば、卿魏錯れりと説く;寡人還りて未だ答應せざれば、又寡人錯れりと説く、然らば則ち合從終に不可なりか?」と。答えて曰く、「臣聞く小國大國と共事するは、利有れば、大國福を受け;敗有れば、小國禍を受く。如今魏小を以て其の禍を請求して、而して王大を以て其の福を辭去す、臣ゆえに王錯れりと説き、魏亦錯れり。私下以爲合從便利なり」と。王曰く、「好し」と。於是魏と合從す。假如虞卿長久趙に任用せられば、趙一定霸を稱せん。恰逢虞卿因りて魏齊の事、侯爵を拋棄して相位を捐棄して歸りて、任用せられず、趙隨卽滅亡せり。
善謀下第十
善謀下第十
沛公與項籍,俱受令於楚懷王。曰:"先入咸陽者王之。"沛公將從武關入,至南陽守戰,南陽守齮保宛城,堅守不下,沛公引兵圍宛三匝,南陽守欲自殺,其舍人陳恢止之曰:"死未晚也。"於是恢乃踰城見沛公曰:"臣聞足下約先入咸陽者王之,今足下留兵盡日圍宛,宛,大郡之都也,連城數十,人民眾,蓄積多,其吏民自以為降而死,故皆堅守乘城,足下攻之,死傷者必多,死者未收,傷者未瘳,足下曠日則事留,引兵而去宛,完繕弊甲,砥礪調兵,而隨足下之後,足下前則失咸陽之約,後有強宛之患,竊為足下危之。為足下計者,莫如約宛守降封之,因使止守,引其甲卒,與之西擊,諸城未下者,聞聲爭開門而待,足下通行無所累。"沛公曰:"善。"乃以宛守為殷侯,封陳恢千戶,引兵西,無不下者,遂先入咸陽,陳恢之謀也。
沛公と項籍と皆楚懷王より命令を接受す。曰く、「先に咸陽に進入するは王と稱す」と。沛公將に武關より進入せんとして、南陽守に到りて作戰して、南陽郡守宛城に據りて堅守して、堅守攻め下らず。沛公兵を率いて宛を三圈圍して、南陽守自殺せんと想う、舍人陳恢制止して曰く、「死するは還りて晚からず」と。於是陳恢城を翻えて沛公を見て曰く、「臣聞く足下先に咸陽に進入するは王と稱すと約定せりと。如今足下兵を留めて整日宛を圍す。宛是れ大郡の都、連城幾十、人民衆多、蓄積多し、其の吏民自ら以爲投降すれば卽ち死すとし、ゆえに皆堅守して城に登る。足下之を攻めば、死傷一定多し;死する收殮なく、傷つく痊愈なし。足下日を曠ぐれば則ち事情停留し;兵を率いて宛を離れれば、宛破甲を修繕し兵を砥礪調して足下の後に跟隨して、足下前面則ち咸陽の約を失去して、後面強宛の患有り、私下足下のため危險を感到す。足下のため計謀するに、宛守と投降を約定して彼を封じて、於是彼をして留下して守衛せしめ、其の甲卒を率領して、彼と西進攻擊するに如かず、各城還りて未だ攻め下らざる、聲音を聞きて爭いて門を開きて等待せん、足下通行牽累なし」と。沛公曰く、「好し」と。於是宛守を以て殷侯を爲り、陳恢千戸を封じて、兵を率いて西進して、攻め下らざるなし、終に先に咸陽に進入す、是れ陳恢の謀劃なり。
漢王既用滕公。蕭何之言,擢拜韓信為上將軍,引信上坐,王問曰:"丞相數言將軍,將軍何以教寡人計策?"信謝,因問王曰:"今東向爭權天下,豈非項王耶?曰然,大王自斷勇仁悍強,庸與項王?"漢王默然良久,曰:"不如也!"信再拜賀曰:"唯信亦以為大王不如也。然臣嘗事楚,請言項王為人。項王喑惡叱吒,千人皆廢,然不能任屬賢將,此匹夫之勇耳。項王見人恭謹,言語呴呴,人疾病,涕泣分食飲,至使人有功當封爵,印刓綬弊,忍不能與,此所謂婦人之仁。項王雖霸天下而臣諸侯,不居關中,都彭城,又背義帝約,而以親愛王,諸侯不平。諸侯之見項王頡逐義帝江南,亦皆歸逐其主自王善地。項王所過,無不殘滅多怨,百姓不附,特劫於威強服耳。名雖為霸王,實失民心,故曰其強易弱。今大王誠反其道,任天下武勇,何不誅?以天下城邑封功臣,何不服?以義兵從思東歸之士,何不散?且三秦王為秦將,將秦子弟數歲,所殺亡不可勝計,又欺其眾降諸侯至新安,項王軸坑秦降卒二十餘萬人,唯獨邯。欣。翳脫,秦父兄怨此三人,痛入骨髓。今楚強以威王此三人,秦民莫愛,大王之入武關,秋毫無所害,除秦苛法,與秦民約,法三章,且秦民無不欲得大王王秦者,於諸侯約,大王當王關中,民戶知之,大王失職之蜀,民無不恨者,今大王舉而東,三秦可傳檄而定也。"於是漢王喜,自以為得信晚,遂聽信計,部署諸將所擊。八月,漢王東出,秦民歸漢,漢王遂誅三秦,定其地,收諸侯兵討項王,定帝業,韓信之謀也。
漢王已に滕公・蕭何の話を用いて、提拔して韓信を拜して上將軍を爲らしめ、韓信を引きて上坐せしむ。王問う、「丞相屢々將軍を稱説す、將軍何を以て寡人に計策を教えんか」と。韓信辭謝して、於是王に問う、「如今東に向かいて天下を爭權す、豈是れ項王ならずや?」と。曰く、「是れ」と。「大王自己判斷勇仁悍強、項王と比して如何」と。漢王沈默すること甚だ久しく、曰く、「如かず!」と。韓信再拜祝賀して曰く、「只是信亦以爲大王如かずと。可是臣曾て楚を事奉せり、請う項王の爲人を講ぜん。項王怒喝叱咤すれば、千人皆廢す、卽ち能く屬下の賢將を任用せず、此れ是れ匹夫の勇のみ。項王人を見れば恭謹にして、言語溫和して、人疾病有れば、涕泣して食飲を分給す、人をして功有りて爵を封ずべきに到れば、印磨損して綬帶破敝するも、忍着して能く給せず、此れ卽ち所謂婦人の仁。項王雖然天下に霸を稱して諸侯を臣服すとも、關中に住せずして、彭城に定都して、又義帝の約を違背して、而して親愛する人を用いて王と稱せしめて、諸侯平ならず。諸侯項王義帝を以て江南に驅逐するを見て、亦皆囘去りて彼らの主を驅逐して自己好地に於て王と稱す。項王經過する所、殘滅せざらず多怨なきなし、百姓親附せず、只是威強に脅迫せられて屈服するのみ。名雖然是れ霸王なれど、實際民心を失去す、ゆえに其の強容易く弱と説く。如今大王果然反つて其の道を走りて、天下の武勇を任用せば、何ぞ誅滅せざらん?天下の城邑を以て功臣を封ぜば、何ぞ服從せざらん?義兵を以て東歸せんと想う士に跟隨せしめば、何ぞ離散せざらん?況んや三秦王秦將を爲りて、秦子弟を率領すること幾年、殺亡する所計り勝えず、又部衆を欺騙して諸侯に投降せしめて、新安に到りて、項王詐りて秦降卒二十餘萬人を坑し、只章邯・司馬欣・董翳脫身す、秦父兄此の三人を怨恨して、痛み骨髓に入る。如今楚強威を以て此の三人をして王と稱せしめて、秦民彼らを愛するなし。大王武關に進入して、秋毫害する所なく、秦の苛法を除去して、秦民と法三章を約定して、并せて秦民大王の秦に於て王と稱するを想得ざるなし。諸侯の約に在りては、大王該に關中に於て王と稱すべし、民戸戸知れり。大王職を失いて蜀に到れば、民恨みなきなし。如今大王兵を擧げて東進せば、三秦傳檄を以て定め可し」と。於是漢王喜悅して、自ら以爲韓信を得ること晚しとし、於是韓信の計を聽從して、各位の將領の攻擊する所を部署す。八月、漢王東出して、秦民漢に歸り、漢王於是三秦を誅滅して、其の地を平定して、諸侯兵を收集して項王を討伐して、帝業を奠定す、是れ韓信の謀劃なり。
趙地亂,武臣。張耳。陳餘定趙地,立武臣為趙王,張耳為相,陳餘為將軍。趙王間出,為燕軍所得,燕囚之,欲與三分其地,乃歸王,使者至,燕輒殺之,以固求地。張耳。陳餘患之,有廝養卒謝其舍中人曰:"吾為公說燕,與趙王載歸。"舍中人皆笑之曰:"使者往十輩死,若何以能得王?"廝養卒曰:"非若所知。"乃洗沐往見張耳。陳餘,遣行見燕王,燕王問之,對曰:"賤人希見長者,願請一卮酒。"已飲,又問之。復曰:"賤人希見長者,願復請一卮酒。"與之酒。卒曰:"王知臣何欲?"燕王曰:"欲得而王耳。"卒曰:"君知張耳。陳餘何人也?"燕王曰:"賢人也。"曰:"君知其意何欲?"曰:"欲得其王耳。"趙卒笑曰:"君未知兩人所欲也。夫武臣。張耳。陳餘杖馬策,下趙數十城,此亦各欲南面而王,豈為卿相哉?夫臣與主,豈可同日道哉?顧其勢始定,未敢三分而王。且以少長先立武臣為王,以持趙心,今趙地已服,此兩人亦欲分趙而王,時未可耳。今君囚趙王,此兩人名為求趙王,實欲燕殺之,此兩人分趙自立。夫以一趙尚易燕,況兩賢王左提右挈,執直義而以責不直之弱,燕滅無日矣。"燕王以為然,乃遣趙王,養卒為御而歸,遂得反國,復立為王,趙卒之謀也。
趙地亂れて、武臣・張耳・陳余趙地を平定して、武臣を立てて趙王と爲し、張耳相を爲り、陳余將軍を爲る。趙王私下出去りて、燕軍に獲得せられて、燕彼を囚禁して、彼らと地を三分して纔かに王を歸還せんと欲す。使者到れば、燕卽ち之を殺掉して、以て地を求むるを堅決す。張耳・陳余憂慮す。厮養卒舍中の人に向かいて辭別して曰く、「我你らのため燕を游說して、趙王と載せて囘來らん」と。舍中の人皆彼を笑いて曰く、「使者往きて十批皆死せり、你何を憑りて能く王を得んか?」と。厮養卒曰く、「是れ你らの知る所にあらず」と。於是洗沐して張耳・陳余を見て、派遣して前行して燕王を見る。燕王彼を問えば、答えて曰く、「賤人少く長者を見ず、願わくは請う一杯の酒を」と。已に喝して、又問う。又曰く、「賤人少く長者を見ず、願わくは再び請う一杯の酒を」と。彼に酒を給す。卒曰く、「王臣の欲する何物かを知るか?」と。燕王曰く、「你らの王を得んと欲するのみ」と。卒曰く、「君張耳・陳余是れ何の人かを知るか?」と。燕王曰く、「賢人」と。曰く、「君彼らの心意味する何物を欲するかを知るか?」と。曰く、「彼らの王を得んと欲するのみ」と。趙卒笑いて曰く、「君還りて未だ兩人の欲する所を知らず。武臣・張耳・陳余馬鞭を拄きて、趙幾十座の城を攻下す、此れ亦是れ各々南面して王と稱せんと想う、何處にか是れ卿相を爲らんや?臣と主と、何處にか以て同日に語らんや?只是其の勢剛だちて定まりて、敢えて三分して王と稱せず。并せて少長に按じて先に武臣を立てて王と爲して、以て趙心を穩定す。如今趙地已に服して、此の兩人亦趙を分かちて王と稱せんと想う、時機還りて不可なるのみ。如今君趙王を囚禁せば、此の兩人名義上趙王を求めて、實際燕をして彼を殺掉せしめんと想う、此の兩人趙を分かちて自立せん。一個の趙を憑りて尚お燕を看輕す、況んや兩個の賢王左右に提挈して、直義を執持して以て不直の弱を責備せんをや、燕滅亡幾日なからん」と。燕王以爲對とし、於是趙王を遣送して、養卒御者を爲りて囘來りて、終に國に返回するを得て、再び立てて王を爲る、是れ趙卒の謀劃なり。
酈食其號酈生,說漢王曰:"臣聞之,知天之天者,王事可成;不知天之天者,王事不可成。王者以民為天,而民以食為天。夫敖倉,天下轉輸久矣,臣聞其下乃有藏粟甚多。楚人拔滎陽,不堅守敖倉,乃引而東,令謫過卒分守成皋,此乃天所以資漢。方今楚易取而漢反卻,自奪其便,臣竊以為過矣。且兩雄不俱立,楚。漢久相持不決,百姓騷動,海內搖盪,農夫釋耒,工女下機,天下之心,未有所定也。願陛下急復進兵收取滎陽,據廒倉之粟,塞成皋之險,杜太行之路,距蜚狐之口,守白馬之津,以示諸侯形制之勢,則天下知所歸矣。"漢王曰:"善。"乃從其計劃,復守廒倉,卒糧食不盡,以擒項氏。其後吳。楚反,將軍竇嬰,周亞夫復據廒倉,塞成皋如前,以破吳。楚。皆酈生之謀也。
酈食其號して酈生と稱し、漢王を游說して曰く、「臣聞く、天の天と爲る所以を知るは、王事成る可し;天の天と爲る所以を知らざれば、王事成る可からず。王者民を以て天と爲し、而して民食を以て天と爲す。敖倉は、天下轉運輸送すること久し、臣聞く其の下粟を藏すること甚だ多しと。楚人滎陽を攻下して、敖倉を堅守せずして、卽ち軍を率いて東に去りて、謫罰せらるる卒をして成皋を分守せしむ、此れ是れ天の以て漢を資助す。如今楚容易く取る可くして漢反つて退卻し、自己便利を奪去す、臣私下以爲過分なり。況んや兩雄能く幷立せず、楚・漢長久相持して決せず、百姓騷動して、海內搖蕩して、農夫耒を放下し、工女織機を走下して、天下の心還りて未だ定まる所なし。願わくは陛下急忙再び兵を進めて滎陽を收取し、敖倉の粟を占據し、成皋の險を堵塞し、太行の路を杜塞し、蜚狐の口を把守し、白馬の津を守住して、以て諸侯に看るに形制の勢を給せば、則ち天下歸向を知らん」と。漢王曰く、「好し」と。於是其の計劃を聽從して、再び敖倉を守りて、終に糧食盡きずして、以て項氏を擒獲す。後來吳・楚反叛して、將軍竇嬰・周亞夫再び敖倉を占據して、從前のごとく成皋を堵塞して、以て吳・楚を破れり。皆是れ酈生の謀劃なり。
酈生說漢王曰:"方今燕。趙已復,唯齊未下,今田橫據千里之齊,田閒據二十萬之軍於歷城,諸田宗強,負海岱阻河齊,南近楚,民多變軸,陛下雖遣數十萬師,未可以歲月下也。臣請奉明詔說齊王,令稱東藩。"於是使酈生食其說齊王,曰:"王知天下之所歸乎?"王曰:"不知也。"曰:"王知天下之所歸,則齊國可得而有也,若不知天下之所歸,則齊國未可保也。"齊王曰:"天下何所歸?"曰:"歸漢。"王曰:"先生何以言之?"曰:"漢王與項王,戮力西面擊秦,約先入咸陽者王之。漢王先入咸陽,項王倍約不與而王漢中;項王頡殺義帝,漢王起蜀漢之兵擊三秦,出關而責義帝之處,收天下之兵,立諸侯之後。降城即以侯其將,得賜即以予其士,與天下同其利,豪傑賢人,皆樂為其用。諸侯之兵,四面而至,蜀漢之粟,方船而下。項王有倍約之名,殺義帝之實,於人之功無所記,於人之過無所忘;戰勝而不得其賞,拔城而不得其封;非項氏莫得用事;為人刻印,刓而不能授;攻城得賂,積財而不能賞,天下畔之,賢才怨之,而莫為之用。故天下之事,歸於漢王,可坐而策也。夫漢王發蜀漢,定三秦,涉西河之外,乘上黨之兵,下井陘,誅成安,破北魏,舉三十二城,比送尤之兵,非人之力也。今已據敖倉之粟,塞成皋之險,守白馬之津;杜太行之阪,距蜚狐之口,天下後服者先亡矣。王疾下漢王,齊國社稷,可得而保也;不下漢王,危亡可立而待也。"田橫以為然,即聽酈生,罷歷下兵戰守之備,與酈生日縱酒。此酈生之謀也。及齊人蒯通說韓信曰:"足下受詔擊齊,何故止將三軍之眾,不如一豎儒之功?可因齊無備擊之。"韓信從之,酈生為田橫所害,後信通亦不得其所,由不仁也。
酈生漢王を游說して曰く、「如今燕・趙已に收復して、只齊還りて未だ攻下せず。如今田橫千里の齊を占據して、田閒歷城に於て二十萬の軍隊を占を占據して、諸田宗族強く、海岱を背にして河濟を阻み、南楚に近く、民機變多し、陛下たとい幾十萬の師を派遣するも、以て年月を按じて攻下す可からず。臣請う明詔を奉じて齊王を游說して、彼をして東藩と稱せしめん」と。於是酈生食其を派して齊王を游說せしめて、曰く、「王天下の歸向する所を知るか?」と。王曰く、「知らず」と。曰く、「王天下の歸向する所を知れば、則ち齊國得て保有す可し;若し天下の歸向する所を知らざれば、則ち齊國保全す可からず」と。齊王曰く、「天下何處に歸向するか?」と。曰く、「漢に歸向す」と。王曰く、「先生何を憑りて此のごとく説くか?」と。曰く、「漢王と項王と力を合して西向して秦を擊ちて、先に咸陽に進入するは王と稱すと約定せり。漢王先に咸陽に進入して、項王約を背いて給せずして漢王をして漢中に於て王と稱せしめ;項王義帝を驅逐殺害して、漢王蜀漢の兵を發動して三秦を攻擊して、關を出でて義帝の在る所を責問して、天下の兵を收集して、諸侯の後を立つ。降城卽ち侯を以て其の將に給し、賜を得れば卽ち其の士に給して、天下と利を同じくして、豪傑賢人皆彼に用いられんを樂しむ。諸侯の兵四面より到來し、蜀漢の粟船を幷せて下る。項王約を背くの名・義帝を殺害するの實有りて、人の功に對して記する所なく、人の過に對して忘るる所なし;戰勝して賞を得ず、城を攻下して封を得ず;項氏ならざれば能く事を用いず;人に印を刻んで給して、磨損して卽ち能く授けず;城を攻めて財物を得て、財を積みて卽ち能く賞せず、天下反叛して、賢才怨恨して、而して彼のため用いる人なし。ゆえに天下の事に天下の事漢王に歸す、坐して籌劃す可し。漢王蜀漢より出發して、三秦を平定して、西河の外を渡りて、上黨の兵に乘じて、井陘を下りて、成安を誅し、北魏を破りて、三十二城を攻取す、此れ是れ蚩尤の兵、是れ人の力にあらず。如今已に敖倉の粟を占據して、成皋の險を堵塞し、白馬の津を守住し、太行の坂を杜塞し、蜚狐の口を把守して、天下後に服するは先に滅亡せん。王趕快漢王に降せば、齊國社稷得て保全す可し;漢王に降せざれば、危亡立刻到るを待つ可し」と。田橫以爲對とし、卽ち酈生を聽きて、歷下の兵戰守の防備を罷去して、酈生と日日酒を縱す。此れ是れ酈生の謀劃なり。齊人蒯通韓信を游說して曰く、「足下詔を受けて齊を擊つ、何ぞ停止するか?三軍の衆を率領するは、一個の豎儒の功に如かずや?齊備なきを趁りて攻擊す可し」と。韓信聽從して、酈生田橫に害せらる。後來韓信・蒯通亦其の所を得ず、是れ因りて不仁なり。
漢三年,項羽急圍漢王滎陽,漢王悲憂,與酈生謀撓楚權。酈生曰:"昔湯伐桀,封其後於杞。武王伐紂,封其後於宋。今秦無德棄義,侵伐諸侯社稷,滅六國之後,使無立錐之地。陛下誠復立六國後,畢授印已,此君臣百姓,必戴陛下德,莫不向風慕義,願為臣妾。德義已行,陛下南向稱霸,楚必歛衽而朝。"漢王曰:"善。趣刻印,先生因行佩之矣。"酈生未行,張良從外求謁,漢王方食,曰:"子房前,客有為我計撓楚權者。"具以食其言告之。曰:"其於子房意如何?"良曰:"誰為陛下畫此計者?陛下事去矣。"漢王曰:"何哉?"對曰:"臣請借前箸而籌之。"曰:"昔湯伐桀,而封其後於杞者,斯能制桀之死命也。陛下能制項籍之死命乎?"曰:"未能也。""其不可一也。武王伐紂而封其後於宋者,斯能得紂之頭也。今陛下能得項籍之頭乎?"曰:"未能也。""其不可二矣。武王入殷,表商容之閭,軾箕子之門,封比干之墓。今陛下能封聖人之墓,表賢人之閭,軾智者之門乎?"曰:"未能也。""其不可三矣。發鉅橋之粟,散鹿臺之錢,以賜貧羸。今陛下能散府庫以賜貧羸乎?"曰:"未能也。""其不可四矣。殷事已畢,偃革為軒,倒載干戈,以示天下不復用兵。今陛下能偃革,倒載干戈乎?"曰:"未能也。""其不可五也。休馬於華山之陽,以示無所用。今陛下能休馬無所用乎?"曰:"未能也。""其不可六也。休牛於桃林之陰,以示不復輸糧。今陛下能休牛不復輸糧乎?"曰:"未能也。""其不可七矣。且夫天下游士,捐其親戚,棄墳墓,去故舊,從陛下游者,皆日夜望尺寸之地,今復立韓。魏。燕。趙。齊。楚之後,其王皆復立,遊士各歸事其主,從其親戚;反其故舊墳墓,陛下誰與取天下乎?"曰:"未能也。""其不可八也。
漢三年、項羽急に漢王を滎陽に於て圍して、漢王悲憂して、酈生と楚の權を撓亂するを謀劃す。酈生曰く、「從前湯桀を伐ちて、其の後を杞に封ず。武王紂を伐ちて、其の後を宋に封ず。如今秦德なく義を棄てて、諸侯の社稷を侵伐して、六國の後を滅亡して、錐を立つるの地なくせしむ。陛下果真再び六國の後を立てて、全部印を授けて畢れば、此らの君臣百姓一定陛下の德を感戴して、風を向かい義を慕いて、臣妾を爲らんと願うなからん。德義已に實行せば、陛下南向して霸を稱せば、楚一定衽を斂して朝に來らん」と。漢王曰く、「好し。趕快印を刻め、先生此に就きて佩帶して往け」と。酈生還りて未だ往かず、張良外面より求見す。漢王正に飯を喫して、曰く、「子房上前せよ、客我に楚權を撓亂するを謀劃せる有り」と。全部酈食其の話を以て彼に告ぐ。曰く、「此れ子房に於て看るに如何」と。張良曰く、「誰か陛下のため此の計を畫せしか?陛下の事去れり」と。漢王曰く、「何ぞや?」と。答えて曰く、「臣請う面前の筷子を借用して以て籌劃せん」。曰く、「從前湯桀を伐ちて其の後を杞に封ずるは、是れ能く桀の死命を制御せり。陛下能く項籍の死命を制御するか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第一。武王紂を伐ちて其の後を宋に封ずるは、是れ能く紂の頭を得る。如今陛下能く項籍の頭を得るか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第二。武王殷に進入して、商容の閭を表彰し、箕子の門に於て轼を憑き、比干の墓を封ず。如今陛下能く聖人の墓を封じ、賢人の閭を表彰し、智者の門に於て轼を憑くか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第三。鉅橋の粟を發放し、鹿台の錢を散發して、以て貧弱に賜給す。如今陛下能く府庫を散發して以て貧弱に賜給するか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第四。殷事已に完畢して、兵車を以て軒車に改爲し、干戈を倒載して、以て天下に看るに再び兵を用いずと給す。如今陛下能く兵車を偃め、干戈を倒載するか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第五。華山の南面に於て馬を休息せしめて、以て用處なきを表示す。如今陛下能く馬を休息せしめて用處なからしむるか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第六。桃林の北面に於て牛を休息せしめて、以て再び糧を運ばざるを表示す。如今陛下能く牛を休息せしめて再び糧を運ばざらしむるか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第七。況んや天下の游士親戚を拋棄して、墳墓を離れて、故舊を離れて、陛下に跟隨して交游するは、皆日夜尺寸の地を盼望す。如今再び韓・魏・燕・趙・齊・楚の後を立てば、それらの王皆再び立ちて、游士各々囘去りて彼らの主を事奉して、彼らの親戚に跟隨して、故舊墳墓に返回せば、陛下誰と天下を取らんか?」と。曰く、「還りて能わず」と。「此れ是れ不可の第八。
且夫楚惟無強,六國復撓而從之,陛下焉得而臣之乎?誠用客之計,陛下之事去矣。"漢王輟食吐哺,罵曰:"豎儒幾敗乃公事。"令趣銷印,止不使,遂幷天下之兵,誅項籍,定海內,張子房之謀也。
況んや楚只要更强きなくば、六國再び撓亂して之に跟從せば、陛下何處にか能く之を臣服せんや?果真客人の計を用いれば、陛下の事去れり」と。漢王飯を停止して嘴裏の食を吐出して、罵りて曰く、「豎儒幾乎として你老子の事を敗壞せんとせり」と。命令して趕快印を銷毀して、派するを停止せず、於是天下の兵を合幷して、項籍を誅殺して、海內を平定す、是れ張子房の謀劃なり。
漢五年,追擊項王陽夏南,止軍,與淮陰侯韓信,建成侯彭越期會而擊楚軍,至固陵不會,楚擊漢軍,大破之。漢王復入壁,深塹而守之,謂張子房曰:"諸侯不約,奈何?"對曰:"楚兵且破,而未有分地,其不至固宜,君王能與共天下,今可立致也;則不能,軍未可知也。君王能自陳以東傅海盡與韓信,睢陽以北至穀城盡與彭越,使各自為戰,則楚易敗也。"漢王乃使使者告韓信。彭越曰:"幷力擊楚,楚已破,自陳以東傅海與齊王,睢陽以北至穀城與彭相國。"使者至,韓信。彭越皆喜,報曰:"請今進兵。"韓信乃從齊行,彭越兵自梁至,諸侯來會,遂破楚軍於垓下,追項王,誅之於淮津,二君之功,張子房之謀也。
漢五年、項王を追擊して陽夏南に到りて、軍隊を停止して、淮陰侯韓信・建成侯彭越と會合を約定して以て楚軍を擊たんとす、固陵に到りて來りて會せず。楚漢軍を擊ちて、大いに破る。漢王再び營壁に進入して、深く壕溝を挖きて以て守りて、張子房に對して曰く、「諸侯約に按じず、如何せん」と。答えて曰く、「楚兵將に破れんとして、而して還りて未だ地を分かたず、彼ら到らざるは本來應然なり。君王能く彼らと天下を共有せば、如今立刻招來す可し;若し能わざれば、軍隊還りて知る可からず。君王能く陳以東より海邊に直到るを全部韓信に給し、睢陽以北より穀城に到るを全部彭越に給して、彼らをして各自戰を爲さしめば、則ち楚容易く敗れん」と。漢王於是使者を派して韓信・彭越に告げて曰く、「力を合して楚を擊て、楚已に破れり、陳以東より海邊に直到るを齊王に給し、睢陽以北より穀城に到るを彭相國に給せん」と。使者到れば、韓信・彭越皆喜悅して、回報して曰く、「請う如今兵を進めん」と。韓信於是齊より進發して、彭越の兵梁より到りて、諸侯來りて會して、終に垓下に於て楚軍を破りて、項王を追いて、淮津に於て誅殺す。兩位の君の功は、是れ張子房の謀劃なり。
漢六年,正月,封功臣,張子房未嘗有戰功,高皇帝曰:"鉉籌策帷幄之中,決勝千里之外,子房功也,子房自擇齊三萬戶。"良曰:"始臣起下邳,與上會留,此天以臣授陛下。陛下用臣計,幸而時中,臣願封留足矣,不敢當齊三萬戶。"乃封良為留侯。及蕭何等其餘功臣,皆未封。群臣自疑,恐不得封,鹹不自安,有搖動之心。於是高皇帝在雒陽南宮上臺,見群臣往往相與坐沙中語。上曰:"此何語?"留侯曰:"陛下不知乎?謀反耳。"上曰:"天下屬安,何故而反?"留侯曰:"陛下起布衣,與此屬定天下,陛下已為天子,而所封皆蕭曹故人,所誅皆平生怨仇。今軍吏計功,以天下不足以遍封,此屬畏陛下不能盡封,又見疑平生過失及誅,故即聚謀反耳。"上乃憂,曰:"為將奈何?"留侯曰:"上平生所憎,群臣所共知誰最甚者?"上曰:"雍齒與我有故,數窘辱我,欲殺之,為其功多,故不忍。"留侯曰:"今急,先封雍齒,以示群臣。群臣見雍齒得封,即人人自堅矣。"於是上置酒封雍齒為什方侯,而急詔趣丞相御史定功行封,群臣罷酒,皆喜曰:"雍齒且侯,我屬無患矣。"還倍畔之心,銷邪道之謀,使國家安寧,累世無事無患者,張子房之謀也。
漢六年正月、功臣を封ず。張子房曾て戰功有らず、高皇帝曰く、「帷幄の中に於て籌劃して、千里の外に於て勝負を決するは、是れ子房の功。子房自己齊三萬戸を選擇せよ」と。張良曰く、「起初臣下邳より起きて、上と留に於て會合す、此れ是れ天臣を以て陛下に授給せり。陛下臣の計を用いて、幸にして時常命中す、臣願わくは留を封ぜられば卽ち足れり、敢えて齊三萬戸を當てず」と。於是張良を封じて留侯と爲す。蕭何等其の餘の功臣皆還りて未だ封ぜられずに及びて。群臣自己懷疑して、封を得ざらんを怕れて、皆自安せず、動搖の心有り。於是高皇帝雒陽南宮台上に於て、群臣往往互相いに沙中に坐して説話するを見る。上曰く、「此れ何を説くか」と。留侯曰く、「陛下知らざるか?謀反するのみ」と。上曰く、「天下剛だちて安定せり、何ぞ反するか」と。留侯曰く、「陛下布衣より起きて、此の班の人と天下を平定せり。陛下已に天子を爲りて、而して封ずる所皆蕭・曹故人、誅する所皆平生の怨仇。如今軍吏功を計算して、以爲天下以て普遍に封ずるに足らずとし、此の班の人陛下能く盡く封ぜざるを怕れて、又被懷疑平生の過失および誅せられんを、ゆえに卽ち聚まりて以て謀反す」と。上於是憂慮して、曰く、「將に如何せん」と。留侯曰く、「上平生の憎む所・群臣の共に知る誰か最も甚しきか」と。上曰く、「雍齒我と舊怨有りて、屢々我を窘辱し、彼を殺さんと想うも、因りて其の功多し、ゆえに忍びず」と。留侯曰く、「如今緊急、先に雍齒を封じて、以て群臣に看せよ。群臣雍齒封を得るを見れば、卽ち人人自己安心せん」と。於是上酒を設けて雍齒を封じて什方侯と爲して、而して急に詔して丞相御史を催促して功を定めて封を行わしむ。群臣酒を散じて、皆喜悅して曰く、「雍齒尚且侯を封ぜらる、我ら患なし」と。背叛の心を挽回し、邪道の謀を消除して、國家をして安寧せしめ、累世患なし、是れ張子房の謀劃なり。
高皇帝五年,齊人婁敬戍隴西,過雒陽,脫輅挽,見齊人虞將軍曰:"臣願見上言便宜事。"虞將軍欲以鮮衣。婁敬曰:"臣衣帛,衣帛見;衣褐,衣褐見,不敢易。"虞將軍入言上,上召見,賜食已而問,敬對曰:"陛下都雒陽,豈欲與周室比隆哉?"上曰:"然。"敬曰:"陛下取天下,與周室異。周之先自後稷,堯封之邰,積德累善十餘世,公嬌避桀居邠,大王以狄伐去邠,杖馬策居岐國,人爭歸之,及文王為西伯,斷虞芮訟,始受命,呂望。伯夷自海濱來歸之,武王伐紂,不期而會孟津上八百諸侯,滅殷,成王即位,周公之屬傅相,乃營成周雒邑,以為天下中,諸侯四方,納貢職道里均矣。有德則易以王,無德則易以亡,凡居此者,欲令周務德以致人,不欲恃險阻,令後世驕奢以虐民。及周之衰分為兩,天下莫朝,周不能制,非德薄,形勢弱也。今陛下起豐擊沛,收卒三千人,以之徑往卷蜀漢,定三秦,與項羽大戰七十,小戰四十,使天下民肝腦塗地,父子暴骨中野,不可勝數,哭泣之聲未絕,傷夷者未收,而欲比隆成康周公之時,臣竊以為不侔矣。且夫秦地被山帶河,四塞以為固,卒然有急,百萬之眾可具。因秦之固,資甚美膏腴之地,此謂天府。陛下入關而都,山東雖亂,秦故地可全而有也。夫與人鬥而不搤其亢,拊其背,未全勝也。"
高皇帝五年、齊人婁敬隴西を戍守して、雒陽を經過して、輅車の挽繩を解下して、齊人虞將軍を見て曰く、「臣願わくは上を見て便宜の事を講ぜん」と。虞將軍彼に鮮衣を給せんと想う。婁敬曰く、「臣帛を穿けば、卽ち帛を穿きて見せん;褐を穿けば、卽ち褐を穿きて見せん、敢えて更換せず」と。虞將軍進み入りて上に對して説く、上召見して、食を賜して後問う。婁敬答えて曰く、「陛下雒陽に定都す、豈周室と隆盛を比せんと欲するか?」と。上曰く、「是れ」と。婁敬曰く、「陛下天下を取るは、周室と同じからず。周の先人後稷よりして、堯彼を邰に封じて、德を積み善を累ねること十多世。公劉桀を躲避して豳に住し、大王因りて狄攻伐して豳を離れて、馬鞭を拄きて岐に住して、國人爭いて歸附す。文王西伯を爲るに及びて、虞芮の訟を決斷して、始めて命を受けて、呂望・伯夷海濱より來りて歸附す。武王紂を伐ちて、期せずして孟津上に會する八百諸侯有りて、殷を滅亡す。成王位に即きて、周公一類人傅相して、於是成周雒邑を營建して、以爲天下の中心、諸侯四方貢職を交納する道路里數均等なり。德有れば則ち容易く王と稱し、德なければ則ち容易く滅亡す。凡是れ此處に住するは、周をして德に從事して以て人を招致せしめんと想い、險阻に依仗せざらんと想い、後世をして驕奢して以て民を虐待せしめんと欲せず。周衰落して兩半に分かるに及びて、天下來りて朝せず、周能く制御せず、是れ德薄きにあらず、是れ形勢弱きなり。如今陛下豐より起きて沛を擊ちて、卒三千人を收集して、此を憑りて徑直前往して蜀漢を席巻して、三秦を平定して、項羽と大戰七十、小戰四十して、天下民をして肝腦地に塗らしめ、父子骨頭野中に暴露して、計り勝えず、哭泣の聲音還りて未だ斷えず、傷夷の還りて未だ收殮せず、而して成康周公の時と隆盛を比せんと想うは、臣私下以爲相稱せず。況んや秦地山に被り河を帶びて、四塞以て堅固と爲して、突然急有れば、百萬の衆具備す可し。秦の堅固に靠りて、甚だ美しき膏腴の地を資用す、此れ天府と叫ぶなり。陛下關に入りて定都せば、山東たとい亂れるとも、秦故地保全して保有す可し。人と鬥いて卽ち咽喉を扼せず背を按ぜざれば、還りて未だ全勝せず」と。
高皇帝疑,問左右大臣,皆山東人,多勸上都雒陽,東有成皋,西有餚澠,倍河海,向伊洛,其固亦足恃,且週數百年,秦二世而亡,不如都周。留侯張子房曰:"雒陽雖有此固,國中小不過數百里,田地狹,四面受敵,此非用武之國。夫關中左餚函,右隴蜀,沃野千里,南有巴蜀之饒,北有故宛之利,阻三面,守一隅,東向制諸侯,諸侯安定,河渭漕輓。天下西給京師;諸侯有變,順流而下,足以委輸,此所謂金城千里,天府之國也。婁敬說是也。"於是高皇帝即日駕,西都關中,由是國家安寧。雖彭越。陳狶。盧綰之謀,九江燕代之兵,及吳楚之難,關東之兵,雖百萬之師,猶不能以為害者,由保仁德之惠,守關中之固也。國以永安,婁敬。張子房之謀也。上曰:"本言都秦地者,婁敬也。婁者乃嬌也。"賜姓嬌氏,拜為郎中,號曰奉春君,後卒為建信侯。
高皇帝懷疑して、左右大臣を問えば、皆是れ山東人、多く上に勸めて雒陽に定都せよと:東成皋有り、西崤澠有り、河海を背にして、伊洛に面向して、其の堅固亦足りて依仗す、況んや周幾百年して、秦二世にして亡ぶ、周に定都するに如かずと。留侯張子房曰く、「雒陽雖然此の堅固有るとも、國中小さくして幾百里を過ぎず、田地狹く、四面敵を受く、此れ是れ武を用うるの國にあらず。關中左崤函有り、右隴蜀有り、沃野千里、南巴蜀の富饒有り、北故宛の利有り、三面を阻んで、一隅を守りて、東に向かいて諸侯を制御す。諸侯安定せば、河渭漕運す。天下西に京師を給し;諸侯變有れば、流れに順いて下りて、足りて輸送す、此れ卽ち所謂金城千里・天府の國。婁敬の説法是れ對なり」と。於是高皇帝當日車を駕して、西行して關中に定都して、此より國家安寧す。たとい彭越・陳豨・盧綰の謀、九江燕代の兵、および吳楚の難、關東の兵、たとい百萬の師とも、還りて能く害と爲らず、是れ由りて仁德の惠を保有して關中の堅固を守住せり。國因りて永久安定す、是れ婁敬・張子房の謀劃なり。上曰く、「本來秦地に定都せんを建議するは是れ婁敬。婁卽ち劉」と。姓劉氏を賜して、拜して郎中と爲りて、號して奉春君と稱し、後來終に建信侯を爲る。
留侯張子房,於漢已定,性多疾,即導引不食谷,杜門不出。歲餘,上欲廢太子,立戚氏夫人子趙王如意,大臣多爭,未能得堅決者也。呂后恐,不知所為。人或謂呂后曰:"留侯善畫計策,上信用之。"呂后乃使建成侯呂澤劫留侯曰:"君常為上計,今日欲易太子,君安得高河臥?"留侯曰:"始上數在困急之中,幸用臣,今天下安定,以愛幼欲易太子骨肉間。雖臣等百餘人,何益?"呂澤強要曰:"為我畫計。"留侯曰:"此難以口舌爭也,顧上有所不能致者,天下有四人,園公。綺裡季。夏黃公。角里先生。此四人者年老矣,皆以上慢侮士,故逃匿山中,義不為漢臣,然上高此四人。公誠能無愛金玉璧帛,令太子為書,卑辭以安車迎之,因使辯士固請宜來,來以為客,時時從入朝,令上見之,上見之即必異問之,問之,上知此四人,亦一助也。"於是呂后令呂澤使人奉太子書,卑辭厚禮迎四人。四人至,舍呂澤所。至十二年,上從破黥布軍歸,疾益甚,愈欲易太子,留侯陳不聽,因疾不視事,太傅叔孫通稱說引古,以死爭太子,上佯許之,猶欲易之。及燕,置酒;太子侍,四人者從太子,皆年八十有餘,鬢眉皓白,衣冠甚偉,上怪而問之曰:"何為者?"四人前對,各言其姓名,上乃驚曰:"吾求公數歲,公避逃我,今公何自從吾兒遊乎?"四人皆對曰:"陛下輕士善罵,臣等義不辱,故恐而亡匿,聞太子為人子孝仁。敬愛士,天下莫不延頸,願為太子死者,故來耳。"上曰:"煩公幸卒調護太子。"四人為壽已畢,起去,上目送之,召戚夫人指示四人者曰:"我欲易之,彼四人輔之,羽翼已成,難動矣。呂氏真而主矣。"戚夫人泣下,上曰:"為我楚舞,吾為若楚歌。"歌曰:"檻鵠高蜚,一舉千里,羽翮已就,橫絕四海,當可奈何?雖有矰繳,尚安能施?
留侯張子房、漢已に平定したる後に在りて、生性病多くして、卽ち導引して穀を喫せず、門を閉ぢて出でず。一年餘、上太子を廢して、戚氏夫人の兒子趙王如意を立てんと想う。大臣多く爭うも、還りて未だ堅決を得ず。呂后恐懼して、何を爲すかを知らず。人呂后に對して曰く、「留侯善く計策を畫く、上彼を信用す」と。呂后於是建成侯呂澤を派して留侯を劫持して曰く、「君常常上に謀劃を給す、今日太子を更換せんと想う、君何處にか能く高臥せんや?」と。留侯曰く、「起初上屢々困急の中に在りて、幸にして臣を用いり。如今天下安定して、因りて愛幼して太子を更換せんと想うは、是れ骨肉の間。たとい臣等一百多人とも、何の益處か有らん?」と。呂澤強求して曰く、「我らに計を畫け」と。留侯曰く、「此れ口舌を以て爭うに難し。只是上招致する能くざる所有りて、天下四個人有り:園公・綺里季・夏黃公・角里先生。此の四個人年紀老いて、皆因りて上士を怠慢侮辱す、ゆえに山中に逃匿して、義漢臣を爲らず、可是上此の四人を推重す。您果真金玉璧帛を吝惜せずして、太子をして信を寫らしめて、謙卑の辭・安車を以て迎接して、於是辯士を派して堅決に請求せしめば、該に來らん。來れば卽ち客人と當てて、時時入朝に跟隨せしめて、上をして看しめよ。上看れば一定驚異して詢問し、詢問せば、上此の四人を知る、亦是れ一種の幫助なり」と。於是呂后呂澤をして人を派して太子の書を奉じ、謙卑の辭・厚禮を以て四人を迎接せしむ。四人到りて、呂澤其の處に住す。十二年に到りて、上黥布軍を攻破して囘來りて、病更加に厲しくして、更加太子を更換せんと想う。留侯陳説するも聽かれず、於是病と稱して事を視ず。太傅叔孫通稱説して古事を引用して、死を以て太子を爭う、上假裝答應するも、還りて更換せんと想う。宴飲酒を設くるに及びて、太子陪侍して、四人太子に跟隨して、皆年紀八十多、鬢眉皓白にして、衣冠甚だ偉岸なり。上奇怪して問う、「是れ何を爲すか」と。四人上前對答して、各々姓名を説く。上於是喫驚して曰く、「我公を求むること幾年、公我を躲避せり、如今公何ぞ自己我が兒子に跟隨して交游するか?」と。四人皆答えて曰く、「陛下士を輕して罵を好めば、臣等義辱を受けず、ゆえに恐懼して逃亡藏匿せり。聞く太子人子を爲りて孝仁にして、士を敬愛して、天下伸頸せざらずして、太子のため死せんと願うなし、ゆえに來れり」と。上曰く、「煩勞公幸にして始終太子を調護せん」と。四人壽を爲して畢りて、起身して離去す。上彼らを目送して、戚夫人を召して四人を指着して曰く、「我更換せんと想うも、其の四人輔佐して、羽翼已に成りて、動搖し難し。呂氏眞に是れ你の主なり」と。戚夫人哭泣落下す。上曰く、「我に楚舞を跳べ、我你に楚歌を唱はん」と。歌を唱して曰く、「鴻鵠高飛して、一擧千里、羽翮已に成就して、四海を橫絕す、如何せん?たとい矰繳有るとも、還りて能く何を施加せん?」
"歌數闋,戚夫人唏噓流涕,上起去罷酒,竟不易太子者,留侯召四人之謀也。
歌幾遍して、戚夫人唏噓流涕して、上起身して離去して酒を罷む。終に太子を更換せず、是れ留侯四人を召し來るの謀劃なり。
漢十一年,九江黥布反,高皇帝疾,欲使太子往擊之,是時園公。綺裡季。夏公黃。角里先生,已侍太子,聞太子將擊黥布,四人相謂曰:"凡來者將以存太子,太子將兵事,危矣。"乃說建成侯曰:"太子將兵,有功,則位不益;無功,從此受禍矣。且太子所與俱諸將,皆嘗與上定天下梟將也,乃使太子將之,此無異使羊將狼也,皆不肯為用盡力,其無功必矣。臣聞母愛者子抱,今戚夫人日夜侍御,趙王常居抱前,上終不使不肖子居愛子上。明乎其代太子位必矣。君何不急謂呂后承間為上泣,言黥布天下猛將,善用兵,諸將皆陛下故等倫,乃令太子將此屬,無異使羊將狼,莫為用。且使布聞之,即鼓行而西耳。上雖疾,臥護之,諸將不敢不盡力,雖苦,強為妻子計。載輜車,臥而行。"於是呂澤立夜見呂后,呂后承間為上泣而言,如四人意。上曰:"吾惟豎子,故不足遣,乃公自行耳。"於是上自將東,群臣居守,皆送至霸上。留侯疾,強起至曲郵見上曰:"臣宜從,疾甚,楚人剽疾,願上無與楚人爭鋒。"因說上曰:"令太子為將軍,監關中諸侯兵。"上謂子房雖疾,強起臥而傅太子,是時叔孫通已為太子太傅,留侯行少傅事。漢遂誅黥布,太子安寧,國家晏然,此四公子之謀也。
漢十一年、九江黥布反叛す。高皇帝病して、太子を派して前往して攻擊せしめんと想う。此の時園公・綺里季・夏黃公・角里先生已に太子を侍奉して、太子將に黥布を攻擊せんとするを聞きて、四人互相いに曰く、「凡是れ來るは是れ將に太子を保全せんとす、太子兵を率ゐば、事情危險なり」と。於是建成侯を游說して曰く、「太子兵を率ゐば、功有れば則ち位子增加せず;功なければ、此より禍を受けん。況んや太子の一起する各位の將領は、皆曾て上と天下を平定せる梟將、卽ち太子をして彼らを率領せしむるは、此れ羊をして狼を率領せしむるに異ならず、皆肯んじて力を盡くして用いられず、其の功なき是れ一定なり。臣聞く母の愛せらるる子抱えらると、如今戚夫人日夜侍御して、趙王常常抱前に在りて、上終に不肖子をして愛子の上に處せしめず。彼太子の位を替代する是れ明白なり。君何ぞ急忙呂后に對して説かざるか、空隙に趁りて上のため哭泣して、説く黥布是れ天下の猛將、善く兵を用い、各位の將領皆是れ陛下從前の同輩、卽ち太子をして此の班の人を率領せしむるは、羊をして狼を率領せしむるに異ならず、彼のため力を用いる人なし。況んや黥布をして聞かしめば、卽ち鼓を擊ちて西進せん。上雖然病むとも、臥して監護すれば、各位の將領敢えて力を盡くさざるなし。たとい辛苦すとも、勉强妻子のため謀劃せん。輜車に載せて、臥して前行せよ」と。於是呂澤立刻夜裏呂后を見て、呂后空隙に趁りて上のため哭泣して説く、四人の意思のごとくす。上曰く、「我只當豎子、ゆえに以て派遣するに足らず、乃公自己往くのみ」と。於是上自己軍を率いて東進して、群臣居守して、皆霸上に送る。留侯病して、勉强起身して曲郵に到りて上を見て曰く、「臣應に跟隨すべし、病むこと甚だし、楚人剽疾なり、願わくは上楚人と鋒を爭う勿れ」と。
齊悼王者,孝惠皇帝之兄也。孝惠皇帝二年,悼惠王入朝,孝惠皇與悼惠王燕飲,乃行家人禮,同席。呂太后怒,乃進鴆酒,孝惠皇帝知,欲代飲之,乃止。悼惠王懼不得出城,上車太息,內史參乘怪問其故,悼惠王具以狀語內史,內史曰:"王寧亡十城耶?將亡齊國也?"悼惠王曰:"得全身而已,何敢愛城哉!"內史曰:"魯元公主,太后之女,大王之弟也。大王封國七十餘城,而魯元公主湯沐邑少;大王誠獻十城為魯元公主湯沐邑,內有親親之恩,外有順太后之意,太后必大喜。是亡十城而得六十城也。"悼惠王曰:"善。"至邸上,奏獻十城為魯元公主湯沐邑,太后果大悅受邑,厚賜悼惠王而歸之,國遂安,齊內史之謀也。
齊悼惠王是れ孝惠皇帝の兄。孝惠皇帝二年、悼惠王入朝して、孝惠皇帝と悼惠王と宴飲して、於是家人の禮を行して、同席す。呂太后發怒して、於是鴆酒を進む。孝惠皇帝知りて、代替して喝まんと想う、於是停止す。悼惠王恐懼して能く城を出でずして、車に上りて長歎す。內史陪乘奇怪して緣故を問う、悼惠王全部情況を以て內史に告ぐ。內史曰く、「王寧ろ十城を丟失するか?還りて將に齊國を丟失せんか?」と。悼惠王曰く、「自身を保全するを得るのみ、何處にか敢えて城を愛せんや!」と。內史曰く、「魯元公主是れ太后の女兒・大王の妹妹。大王封國七十多城して、而して魯元公主湯沐邑少なし。大王果真十城を獻して魯元公主湯沐邑を爲さば、內親親の恩有り、外太后の意に順從する有りて、太后一定大喜せん。此れ是れ十城を丟失して六十城を得るなり」と。悼惠王曰く、「好し」と。邸上に到りて、奏を上して十城を獻して魯元公主湯沐邑を爲して、太后果然大悦して邑を接受して、悼惠王を厚賜して彼をして囘去らしめて、國於是安定す、是れ齊內史の謀劃なり。
孝武皇帝時,大行王恢數言擊匈奴之便,可以除邊境之害,欲絕和親之約,御史大夫韓安國以為兵不可動。孝武皇帝召群臣而問曰:"朕飾子女以配單于,幣帛文錦,賂之甚厚,今單于逆命加慢,侵盜無已,邊境數驚,朕甚閔之,今欲舉兵以攻匈奴,如何?"大行臣恢再拜稽首曰:"善。陛下不言,臣固謁之。臣聞全代之時,北未嘗不有強胡之故,內連中國之兵也,然尚得養老長幼,樹種以時,倉廩常實,守禦之備具,匈奴不敢輕侵也。今以陛下之威,海內為一家,天子同任,遣子弟乘邊守塞,轉粟挽輸,以為之備,而匈奴侵盜不休者,無他,不痛之患也。臣以為擊之便。"御史大夫臣安國稽首再拜曰:"不然。臣聞高皇帝嘗圍於平城,匈奴至而投鞍高於城者數所。平城之危,七日不食,天下嘆之。及解圍反位,無忿怨之色,雖得天下,而不報平城之怨者,非以力不能也。夫聖人以天下為度者也,不以己之私怒,傷天下之公義,故遣嬌敬結為私親,至今為五世利。孝文皇帝嘗一屯天下之精兵於常溪廣武,無尺寸之功。天下黔首,約要之民,無不憂者,孝文皇帝悟兵之不可宿也,乃為和親之約,至今為後世利。臣以為兩主之跡,足以為效,臣故曰勿擊便。"
孝武皇帝の時、大行王恢屢々匈奴を攻擊するの便利を講じて、以て邊境の害を除去す可く、和親の約を斷絕せんと想う、御史大夫韓安國以爲兵動かす可からずとす。孝武皇帝群臣を召して問う、「朕子女を修飾して以て單于に匹配して、幣帛文錦賄賂甚だ厚し、如今單于命令に違逆して怠慢を加えて、侵盜停止なく、邊境屢々驚を受く、朕甚だ憫惜す。如今兵を擧げて匈奴を攻めんと想う、如何」と。大行臣恢再拜叩頭して曰く、「好し。陛下説かざるとも、臣本來稟告せんと欲せり。臣聞く全代の時候、北面曾て強胡の緣故なかりしなく、內裏中國の兵を連ねて、可是還りて能く老幼を養い、種植時に按じて、倉廩常常充實して、守御の防備齊備して、匈奴敢えて輕易に侵せず。如今陛下の威を憑りて、海內一家と爲りて、天子同一委任して、子弟を派遣して邊に乘りて塞を守りて、總轉粟輓輸して以て防備を爲るも、而して匈奴侵盜停止せず、別のなし、是れ痛擊せざるの患。臣以爲攻擊便利なり」と。御史大夫臣安國叩頭再拜して曰く、「不對。臣聞く高皇帝曾て平城に於て圍せられて、匈奴到りて扔下する馬鞍城より高き好幾處有り。平城の危は、七天喫せず、天下歎息せり。圍を解きて位子に返回するに及びて、忿怨の神色なし。たとい天下を得るとも、而して平城の怨を報復せず、是れ因りて力能わざるにあらず。聖人是れ以て天下を度量と爲すの人、自己の私怒を用いて天下の公義を傷害せず、ゆえに劉敬を派して和親を結ばしめて、至今是れ五世の利なり。孝文皇帝曾て天下の精兵を以て一次常溪・廣武に屯して、尺寸の功なし。天下黔首・要約の民、憂えざるなし。孝文皇帝覺悟して兵久留す可からずを、於是和親の約を爲して、至今後世の利と爲る。臣以爲兩位の主の事迹足りて以て效驗と爲す、臣ゆえに攻擊せざるを便利と爲すと説く」と。
大行曰:"不然。夫明於形者,分則不過於事;察於動者,用則不失於利;審於靜者,恬則免於患。高帝被堅執銳,以除天下之害,蒙矢石,沾風雨,行幾十年,伏屍滿澤,積首若山,死者什七,存者什三,行者垂泣而倪於兵。夫以天下末力,厭事之民,而蒙匈奴飽佚,其勢不便。故結和親之約者,所以休天下之民。高皇帝明於形而以分事,通於動靜之時。蓋五帝不相同樂,三王不相襲禮者,非政相反也,各因世之宜也。教與時變,備與敵化,守一而不易,不足以子民。今匈奴縱意日久矣,侵盜無已,系虜人民,戍卒死傷,中國道路,槥車相望,此仁人之所哀也。臣故曰擊之便。"御史大夫曰:"不然,臣聞之,利不什不易業,功不百不變常,是故古之人君,謀事必就聖,發政必擇語,重作事也。自三代之盛,遠方夷狄,不與正朔服色,非威不能制,非強不能服也,以為遠方絕域,不牧之民,不足以煩中國也。且匈奴者,輕疾悍前之兵也,畜牧為業,弧弓射獵,逐獸隨草,居處無常,難得而制也。至不及圖,去不可追;來若風雨,解若收電,今使邊郡久廢耕織之業,以支匈奴常事,其勢不權。臣故曰勿擊為便。"
大行曰く、「不對。形に明白なるは、分辨すれば則ち事を超過せず;動に察するは、用いれば則ち利を失去せず;靜に審なるは、恬なれば則ち患を免る。高帝堅を披き銳を執りて、以て天下の害を除去して、矢石を蒙受して、風雨を沾いて、實行幾十年して、伏屍澤に滿ち、首を積みて山のごとくして、死する十分の七、存する十分の三して、行走の人淚を垂れ頭を低くして兵を看る。天下の末力・事を厭える民を憑りて、而して匈奴の飽逸を蒙受するは、其の勢便ならず。ゆえに和親の約を結ぶは、是れ以て天下民をして休息せしむるを用う。高皇帝形に明白して以て事を分辨し、動靜の時機に通達せり。大概五帝相樂を沿用せず、三王相禮を沿襲せず、是れ政治相反するにあらず、各々世の適宜に根據す。教時に隨りて變じ、防備敵に隨りて變化して、一成不變を守れば、以て民を撫育するに足らず。如今匈奴心意を放縱すること日子久しく、侵盜停止なく、人民を系虜し、戍卒死傷して、中國道路の上、殮を裝するの車子相望み、此れ是れ仁人の哀痛する所。臣ゆえに攻擊便利なりと説く」と。御史大夫曰く、「不對。臣聞く、利十倍に到らざれば事業を更換せず、功百倍に到らざれば常規を改變せず、此に因りて古代人君事を謀る一定聖人に就近して、政令を發布する一定話語を選擇す、是れ事を作るを看重せり。三代の盛より、遠方夷狄正朔服色に參與せず、是れ威以て制御す能わざるにあらず、是れ強以て降伏す能わざるにあらず、是れ以爲遠方絕域・牧養せざるの民、以て中國を煩勞するに足らず。況んや匈奴是れ輕捷悍銳の兵、畜牧を業と爲し、弧弓を以て射獵して、獸を追逐して草に隨りて、居處常規なく、制御し難し。到れば卽ち圖謀するに及ばず、去れば卽ち追う可からず;來るは風雨のごとく、解くるは電を收むるがごとし。如今邊郡をして長久耕織の業を廢棄せしめて、以て匈奴の常事を支應するは、其の勢權衡せず。臣ゆえに攻擊せざるを便利と爲すと説く」と。
大行曰:"不然。夫神蛟濟於淵,而鳳鳥乘於風,聖人因於時。昔者,秦繆公都雍郊,地方三百里,知時之變,攻取西戎,闢地千里,幷國十二,隴西北地是也。其後蒙恬為秦侵胡,以河為境,累石為城,積木為寨,匈奴不敢飲馬北河,置烽燧然後敢牧馬。夫匈奴可以力服也,不可以仁畜也。今以中國之大,萬倍之資,遣百分之一以攻匈奴,譬如以千石之弩,射潰疽,必不留行矣。則北發月氏,可得而臣也。臣故曰擊之便。"御史大夫曰:"不然。臣聞善戰者,以飽待飢,安行定舍,以待其勞,整治施德,以待其亂,接兵奮眾,深入伐國墮城,故常坐而役敵國,此聖人之兵也。夫沖風之衰也,不能起毛羽;強弩之末力,不能入魯縞。盛之有衰也,猶朝之必暮也,今卷甲而輕舉,深入而長驅,難以為功。夫橫行則中絕,從行則迫脅;徐則後利,疾則糧乏,不至千里,人馬絕飢,勞以遇敵,正遺人獲也。意者有他詭妙,可以擒之,則臣不知,不然未見深入之利也。臣故曰勿擊之便。"
大行曰く、「不對。神蛟淵に渡りて、而して鳳鳥風に乘ず、聖人時に根據す。從前、秦繆公雍郊に定都して、土地方圓三百里、時の變化を知りて、西戎を攻取して、地を開辟すること千里、十二國を兼倂して、隴西・北地卽ち是れ。後來蒙恬秦のため胡を侵して、河を以て境と爲して、石頭を堆積して城を爲り、木頭を堆積して寨を爲して、匈奴敢えて北河に於て馬を飲ませず、烽燧を設置して然る後敢えて馬を牧す。匈奴以て力を降伏す可く、以て仁を畜養す可からず。如今中國の大・萬倍の資を憑りて、百分の一を派遣して以て匈奴を攻むれば、比すれば千石の弩を以て潰爛の疽を射るがごとく、一定停留せず。則ち北面月氏を招來して、得て臣服す可し。臣ゆえに攻擊便利なりと説く」と。御史大夫曰く、「不對。臣聞く作戰を善くするは、飽を以て飢を等待し、安穩に行走し安定に舍止して、以て其の勞を等待し、整治して德を施して、以て其の亂を等待し、兵を交えて衆を奮わして、深く入りて國を伐ち城を堕して、ゆえに常常坐して敵國を役使す、此れ是れ聖人の兵なり。衝風衰落して、能く毛羽を揚起せず;強弩の末力、能く魯縞を穿入せず。盛衰有るは、卽ち朝一定暮有るがごとし。如今甲を卷起して輕易に擧動し、深く入りて長驅すれば、成功し難し。橫行すれば則ち中間斷えられ、從行すれば則ち脅迫せられ;慢なれば則ち利に落後し、快なれば則ち糧食缺乏して、千里に到らずして、人馬斷絕飢餓して、勞累して以て敵に遇うは、正好人に留められて擒獲せん。心別の詭妙有りて以て擒獲す可くと想う、則ち臣知らず;不然なれば、未だ深く入るの利を見ず。臣ゆえに攻擊する勿れを便利と爲すと説く」と。
大行曰:"不然。夫草木之中霜霧,不可以風過;清水明鏡,不可以形遯也;通方之人,不可以文亂。今臣言擊之者,故非發而深入也,將順因單于之慾,誘而致之邊,吾伏輕卒銳士以待之,險鞍險阻以備之。吾勢以成,或當其左,或當其右;或當其前,或當其後,單于可擒,百必全取。臣以為擊之便。"於是遂從大行之言。孝武皇帝自將師伏兵於馬邑,誘致單于。單于既入塞,道覺之,奔走而去。其後交兵接刃,結怨連禍,相攻擊十年,兵凋民勞,百姓空虛,道殣相望,槥車相屬,寇盜滿山,天下搖動。孝武皇帝后悔之。御史大夫桑弘羊請佃輪臺。詔卻曰:"當今之務,務在禁苛暴,止擅賦。今乃遠西佃,非能以慰民也。朕不忍聞。"封丞相號曰富民侯,遂不復言兵事。國家以寧,繼嗣以定,從韓安國之本謀也。
大行曰く、「不對。草木中間の霜霧は、風をして經過せしむ可からず;淸水明鏡は、形をして隱遁せしむ可からず;方略に通達する人は、以て文を擾亂す可からず。如今臣攻擊するを説くは、本來是れ出發して深く入るにあらず、將に單于の欲望に順って、邊境に引誘して、我ら輕卒銳士を埋伏して以て等待し、險阻を以て防備す。我らの勢已に成れば、或其の左に當たり、或其の右に當たり;或其の前に當たり、或其の後に當たらば、單于擒獲す可く、百發一定全取す。臣以爲攻擊便利なり」と。於是終に大行の話を聽從す。孝武皇帝自己師を率いて馬邑に於て兵を埋伏して、單于を引誘す。單于已に塞に入りて、路上に於て發覺して、奔走して離去す。此の以後兵を交え刃を接して、怨を結び禍を連ねて、互相いに攻擊十年して、兵凋敝し民勞苦し、百姓空虚して、路上餓死する相望み、殮を裝するの車子相繼ぎ、寇盜山に滿ちて、天下搖動す。孝武皇帝後悔す。御史大夫桑弘羊輪台に於て屯田を請求す。詔書卻りて曰く、「當今の事務は、務めて苛暴を禁止し、擅賦を停止す。如今竟に遠く西面に到りて屯田するは、是れ能く以て民を慰むるに用うるにあらず。朕忍びて聽かず」と。丞相を封じて號して富民侯と稱して、於是再び兵事を談ぜず。國家因りて安寧して、繼嗣因りて確定す、是れ韓安國本來の謀劃を聽從せり。
孝武皇帝時,中大夫主父偃為策曰:"古者諸侯地不過百里,強弱之形易制也。今諸侯或連城數十,地方千里,緩則驕,易為淫亂;急則阻其強而合從,謀以逆京師,今以法割之,即逆節萌起,前日晁錯是也。今諸侯子弟或十數,而適嗣代立,餘雖骨肉,無尺地之封,則仁孝之道不宣,顧陛下令諸侯得推恩,分子弟以地侯之,彼人人喜得所願,上以德施,實封其國,而稍自消弱矣。"於是上從其計,因關馬及弩不得出,絕遊說之路,重附益諸侯之法,急詿誤其君之罪,諸侯王遂以弱,而合從之事絕矣,主父偃之謀也。
孝武皇帝の時、中大夫主父偃策を爲して曰く、「古代諸侯地百里を超過せず、強弱の形容易く制御す。如今諸侯或くは城を連ねること幾十、土地方圓千里して、緩なれば則ち驕傲して、淫亂し易く;急なれば則ち強を依仗して合從して、謀劃して以て京師に違逆す。如今法を以て割削せば、則ち逆節萌芽興起す、前日晁錯卽ち是れ。如今諸侯子弟或くは十幾人有りて、而して嫡嗣位を替代する、其の餘雖然骨肉なれど、尺地の封なくば、則ち仁孝の道宣揚せず。願わくは陛下諸侯をして恩を推すを得せしめて、子弟に分給して土地封侯せしめば、彼ら人人喜悅して願う所を得て、上德を以て施予して、實際其の國を封じて、而して漸漸自己削弱せん」と。於是上其の計を聽從して、於是關卡馬と弩と出るを得ず、游說の路を斷絕して、諸侯に附益するの法を加重して、其の君を詿誤するの罪を加急して、諸侯王於是此に因りて弱くして、而して合從の事斷絕せり、是れ主父偃の謀劃なり。
