春秋穀梁传
(此の段は《春秋》「元年、春、王正月」を解す)この年は記すべき事がなくとも、必ず「正月」を書き挙げるのは、始まりを謹み重んじるためである。な…
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
隠公
雖無事,必舉正月,謹始也。公何以不言即位?成公志也。焉成之?言君之不取為公也。君之不取為公,何也?將以讓桓也。讓桓正乎?曰:不正。《春秋》成人之美,不成人之惡。隱不正而成之,何也?將以惡桓也。其惡桓,何也?隱將讓而桓弒之,則桓惡矣;桓弒而隱讓,則隱善矣。善則其不正焉,何也?《春秋》貴義而不貴惠,信道而不信邪。孝子揚父之美,不揚父之惡。先君之慾與桓,非正也,邪也;雖然,既勝其邪心以與隱矣。己探先君之邪志,而遂以與桓,則是成父之惡也。兄弟,天倫也。為子受之父,為諸侯受之君。己廢天倫,而忘君父,以行小惠,曰小道也。若隱者,可謂輕千乘之國。蹈道,則未也。
(此の段は《春秋》「元年、春、王正月」を解す)この年は記すべき事がなくとも、必ず「正月」を書き挙げるのは、始まりを謹み重んじるためである。なぜ隠公の「即位」を記さないのか。隠公の志を成し遂げさせるためである。どうしてそれが志を成すことになるのか。隠公自身が国君になろうとは思わなかったことを示すのである。君位を取ろうとしなかったのはなぜか。桓公に譲ろうとしたからである。桓公に譲るのは正しいことか。答えて曰く、正しくない。《春秋》は人の美を成し、人の悪を成さない。隠公が正しくないのにこれを成したのはなぜか。桓公の悪をあらわにするためである。どうして桓公の悪をあらわにするのか。隠公が譲ろうとしたのに桓公がこれを弑したれば、桓公は悪となる。桓公が弑し、隠公が譲らんとしたれば、隠公は善となる。善であるのになぜ正しくないとするのか。《春秋》は義を貴んで恵を貴ばず、道を信じて邪を信じない。孝子は父の美を揚げ、父の悪を揚げない。先君が位を桓に与えんと欲したのは正ではなく邪である。とはいえ、既にその邪心に勝ちて隠に与えたのである。隠公が先君の邪志を探り、遂に桓に与えんとするは、すなわち父の悪を成すことである。兄弟は天倫である。子たる者は父よりこれを受け、諸侯たる者は君よりこれを受ける。己が天倫を廃し君父を忘れて小恵を行うは、小道というのみ。隠のごときは、千乗の国を軽んずるというべきか。道を蹈むには至らざるなり。
及者何?內為志焉爾。儀,字也。父,猶傅也,男子之美稱也。其不言邾子,何也?邾之上古微,未爵命於周也。不日,其盟渝也。眛,地名也。
(此の段は《春秋》「三月、公及び邾儀父、眛に盟す」を解す)「及」とは何か。この事は魯の側から求めて為したことを示す。「儀」はその字である。「父」は「傅」に当たり、男子の美称である。なぜ「邾子」と称さないのか。邾国は上古に地位が微しく、未だ周の天子より爵命を受けていなかったからである。日を記さないのは、この盟が後に毀棄されたからである。眛は地名である。
克者何?能也。何能也?能殺也。何以不言殺?見段之有徒眾也。段,鄭伯弟也。何以知其為弟也?殺世子母弟目君,以其目君,知其為弟也。段,弟也,而弗謂弟;公子也,而弗謂公子
(此の段は《春秋》「夏五月、鄭伯、段を鄢に克つ」を解す)「克」とは何か。「よくす」である。よく何をするか。よく彼を殺すのである。なぜ直に「殺」と書かないのか。段の手下に党与があって、殺すのが容易でなかったことをあらわにするためである。段は鄭伯の弟である。どうして弟と知るのか。およそ太子または同母弟を殺すときは、経文は国君の名分を挙げて記す。ここに「鄭伯」の名分を挙げているゆえ、段がその弟と知れるのである。段は明らかに弟なのに経文は「弟」と称せず、明らかに公子なのに「公子」と称さない――
貶之也。段失子弟之道矣,賤段而甚鄭伯也。何甚乎鄭伯?甚鄭伯之處心積慮,成於殺也。於鄢,遠也,猶曰取之其母之懷中而殺之云爾,甚之也。然則為鄭伯者宜奈何?緩追逸賊,親親之道也。
――これは彼を貶めるのである。段はすでに子たり弟たるの本分を失っているゆえ、経文は段を賤しめ、鄭伯への責めをより重くする。なぜ鄭伯への責めが重いのか。鄭伯が心を積み慮り、弟を殺しうるに至るまで待ったからである。「于鄢」と書くのは、遠くまで追い及んだということで、母の懐より弟を奪い出して殺したに等しいといい、これはこの事を一層重く言うのである。然らば鄭伯たる者はどうすればよかったのか。追うときは歩を緩め、逃げる者を遁れさせるのが、親を親とするの道である。
秋,七月,天王使宰咺來歸惠公、仲子之賵。
秋七月、周の天子は宰咺を遣わして、恵公と仲子の喪に用いる車馬を贈らしめたり。
母以子氏,仲子者何?惠公之母、孝公之妾也。禮,賵人之母則可,賵人之妾則不可。君子以其可辭受之,其志,不及事也。賵者,何也?乘馬曰賵,衣衾曰襚,貝玉曰含,錢財曰賻。
母は子の氏号に随って称せられる。仲子とは何者か。恵公の母にして孝公の妾である。礼によりて、人の母の喪に車馬を贈るは可なり、人の妾の喪に車馬を贈るは不可なり。君子はその通るべき面を取りて物を受けたり。経文がこの条を記すのは、物が届いたとき喪は既に過ぎていたからである。「賵」とは何か。車馬を贈るを賵といい、衣被を贈るを襚といい、珠玉を贈るを含といい、財貨を贈るを賻という。
及者何?內卑者也。宋人,外卑者也。卑者之盟不日。宿,邑名也。
(此の段は《春秋》「九月、宋人と宿に盟す」を解す)「及」とは誰を指すか。魯の側の地位の微しい者を指す。「宋人」は宋の側の地位の微しい者である。微しい者が盟を結ぶとき、経文は日を記さない。宿は地名である。
來者,來朝也,其弗謂朝,何也?寰內諸侯,非有天子之命,不得出會諸侯,不正其外交,故弗與朝也。聘弓鍭矢,不出竟埸。束脩之肉,不行竟中。有至尊者,不貳之也。
(此の段は《春秋》「冬、十有二月、祭伯來る」を解す)「來」は朝見に來たことをいう。なぜ直に「朝」と言わないのか。王畿の内の諸侯は天子の命なくして境外に出で外の諸侯と会することを得ず。経文はこの私の外交を認めざるがゆえ、彼に「朝」の言を与えないのである。聘問の礼に用いる弓矢は国境を出ることを許されず、一束の乾肉のごとき薄礼も畿内に私相往来することを許されない。上に至尊の天子あるがゆえ、臣下は二心あるべからず。
會者,外為主焉爾。知者慮,義者行,仁者守。有此三者,然後可以出會。會戎,危公也。
(此の段は《春秋》「二年春、公、戎と潜に会す」を解す)「会」の字を用うるは、この相会が相手の求めによることを示す。智ある者は謀慮し、義ある者は行い、仁ある者は守る。三つを具えて、然る後に境を出で人と会すべし。隠公が戎と会するに往きしを、経文はかく書きて彼のために危ぶむのである。
入者,內弗受也。極,國也。茍焉以入人為志者,人亦入之矣。不稱氏者,滅同姓,貶也。
(此の段は《春秋》「無駭、師を帥い極に入る」を解す)「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。極は一国なり。もし人が一心に他国の土に入らんことのみを思わば、人もまたその国の土に入らん。経文が無駭の氏を書かざるは、彼が滅ぼしたるが同姓の国なるがゆえ、彼を貶む。
逆女,親者也。使大夫,非正也。以國氏者,為其來交接於我,故君子進之也。
(此の段は《春秋》「九月、紀裂繻、來たりて女を逆ぐ」を解す)新婦を迎うるは、本より夫君自ら行くべきなり。大夫をして來らしむるは正にあらず。経文が国名をその名に冠して「紀裂繻」と称するは、彼が我が魯国と交接するに來れるがゆえ、君子これを一等挙げて重んずるなり。
禮:婦人謂嫁曰歸,反曰來歸。從人者也。婦人在家,制於父;既嫁,制於夫;夫死,從長子。婦人不專行,必有從也。「伯姬歸於紀」,此其如專行之辭,何也?曰:非專行也。吾伯姬歸於紀,故志之也。其不言使,何也?逆之道微,無足道焉爾。
礼によりて、婦人が嫁ぐを「歸」といい、遣られて実家に返るを「來歸」という。彼女は人に従う者なればなり。婦人は未嫁のときは父に命を聴き、嫁して後は夫に聴き、夫死せば長子に従う。婦人は自ら主張せず、常に従うところあり。経文に「伯姬、紀に歸く」と書くは、彼女が自ら主を為すがごとく聞こゆるはなぜか。答えて曰く、自ら主を為すにあらず。我が魯国の伯姬が紀国に嫁ぐゆえ、ここにこの条を記すなり。なぜ紀国の人を遣わして迎娶せしむると書かざるか。この迎親の格が甚だ低く、言うに足らざればなり。
或曰紀子伯,莒子而與之盟,或曰年同爵同,故紀子以伯先也。
(此の段は《春秋》「紀子伯・莒子、密に盟す」を解す)一説に、紀子が諸侯の長たりしゆえ莒子が彼と盟したといい、別の説に、二人の年相同じく爵位相同じきゆえ、紀子は「伯」という長者の名分をもって前に列したるという。
夫人薨,不地。夫人者,隱之妻也。卒而不書葬,夫人之義,從君者也。
(此の段は《春秋》「十有二月乙卯、夫人子氏薨ず」を解す)夫人の死に、経文は地を記さず。この夫人は隠公の妻なり。その死を記して葬を記さざるは、夫人の名分は国君に随うがゆえなり(隠公自ら正の国君とならざりしかば、彼女もまた正の夫人とならざりき)。
言日不言朔。食,晦日也。其「日有食之」,何也?吐者外壤,食者內壤;闕然不見其壤,「有食之」者也。「有」,內辭也,或外辭也。「有食之」者,內於日也。其不言食之者,何也?知其不可知,知也。
(此の段は《春秋》「三年春、王二月己巳、日これを食すあり」を解す)経文は日を記して「朔」を記さず。この日食は晦日、すなわち月の末に起これり。なぜ「日これを食すあり」と書くか。譬えていわば、吐き出したるものは屑を外に落とし、食い入れたるものは屑を内に留む。日の面が一塊欠けたれど、欠けたる部分のどこに落ちたか見えざるゆえ、「ものこれを食えり」と言うなり。「有」という字は、あるときは内について言い、あるときは外について言う。「これを食すあり」と言うは、日面の内について言うなり。なぜ何物かこれを食えりと明言せざるか。この事の知るべからざるを知る、これ正に明なるがゆえなり。
高曰崩,厚曰崩,尊曰崩。天子之崩,以尊也。其崩之,何也?以其在民上,故崩之。其不名,何也?大上,故不名也。
(此の段は《春秋》「三月庚戌、天王崩ず」を解す)高きものの倒るるを「崩」といい、厚きものの壊るるを「崩」といい、尊き人の去世をも「崩」という。天子の去世に「崩」を用うるは、尊貴の一層を取るなり。なぜ「崩」の字を用うるか。彼が万民の上に高居すれば、山の崩るるをもって彼を言うなり。なぜその名を書き出さざるか。彼は至りて尊大にして、尊大にして名を称するに及ばざればなり。
尹氏者,何也?天子之大夫也。外大夫不卒,此何以卒之也?於天子之崩為魯主,故隱而卒之。
(此の段は《春秋》「夏四月辛卯、尹氏卒す」を解す)尹氏とは何者か。周の天子の大夫なり。外国の大夫の死は、《春秋》は例により記さず。ここになぜその死を記すか。天子の去世のとき、彼が魯国のために弔喪の事を主り、魯国これを哀痛せしゆえ、その死を記すなり。
武氏子者,何也?天子之大夫也。天子之大夫,其稱武氏子,何也?未畢喪,孤未爵;未爵使之,非正也。其不言使,何也?無君也。歸死者曰賵,歸生者曰賻。曰歸之者,正也;求之者,非正也。周雖不求,魯不可以不歸;魯雖不歸,周不可以求之。求之為言,得不得,未可知之辭也。交譏之。
(此の段は《春秋》「秋、武氏子、來たりて賻を求む」を解す)武氏子とは何者か。周の天子の大夫なり。天子の大夫たるに、なぜただ「武氏子」と称するか。先王の喪期未だ満たず、嗣王は喪中にありて、未だ臣下に爵を授くるに及ばず。爵を授けずして彼を出使せしむるは正にあらず。なぜ「天王使」と書かざるか。喪期の中は未だ正の君なければなり。死者に送るを「賵」といい、生者に送るを「賻」という。人が自ら送り來るは正道に合し、口を開きて讨うは正道に合せず。周室たとえ來りて讨わずとも、魯国は送らざるべからず。魯国たとえ送らずとも、周室は口を開きて讨うべからず。「求」という字自体に「讨い得るや得ざるや未定なり」の意を帯ぶ。経文は両方を併せて譏刺するなり。
冬,十有二月,齊侯、鄭伯盟於石門。癸未,葬宋繆公。
冬十二月、斉侯と鄭伯、石門に会盟す。癸未の日、宋繆公を葬る。
四年春,王二月,莒人伐杞,取牟婁。傳曰:言伐言取,所惡也。諸侯相伐、取地於是始。故謹而志之也。
四年春、周歴二月、莒国の人杞国を伐ち、牟婁を取る。伝文に曰く、「伐」を書きまた「取」を書くは、憎悪を示すなり。諸侯の互いに攻伐し土地を侵奪するは、この一事より始まる。ゆえに経文はこれを鄭重に記したり。
戊申,衛祝籲弒其君完。大夫弒其君,以國氏者,嫌也。弒而代之也。
戊申の日、衛国の祝吁、その君完を弑す。大夫がその君を弑するに、経文はかえって国名「衛」をその名に冠するは、ここに指し示すべき一層の嫌疑あるがゆえなり――彼が君を弑して後、自らこれに代わりたるなり。
夏,公及宋公遇於清。及者,內為志焉爾。遇者,志相得也。
夏、隠公、宋公と清の地に遇う。「及」の字を用うるは、これが魯の側の主動なるを示す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。
秋,翬帥師會宋公、陳侯、蔡人、衛人伐鄭。翬者,何也?公子翬也。其不稱公子,何也?貶之也。何為貶之也?與於弒公,故貶也。
秋、翬、軍を帥い、宋公・陳侯・蔡国の人・衛国の人に会して鄭国を伐つ。翬とは何者か。公子翬なり。なぜ「公子」と称せざるか。彼を貶むるなり。なぜ貶むるか。彼が隠公を殺す事に与りしゆえ、貶むるなり。
九月,衛人殺祝籲於濮。稱人以殺,殺有罪也。祝籲之挈,失嫌也。其月,謹之也。於濮者,譏失賊也。
九月、衛国の人、濮の地に祝吁を殺す。「某国の人殺す」と書くは、殺されたる者が罪あるを示す。ここに「祝吁」を単に挙げて直にその名を呼ぶは、彼の篡位の嫌疑は既に再び指すを要せざればなり。月を記し出すは鄭重に事を為すなり。濮の地に在りと明らかに書くは、衛国がこの乱賊を外に走らせて後、ようやく捕えたるを譏刺するなり。
冬,十有二月,衛人立晉。衛人者,眾辭也。立者不宜立也。晉之名惡也,其稱人以立之,何也?得眾也,得眾則是賢也。賢則其曰不宜立,何也?《春秋》之義:諸侯與正而不與賢也。
冬十二月、衛国の人、公子晋を立てて君と為す。「衛人」は衆人の言を示すなり。「立」の字を用うるは、この人本より立つべからざるを示す。直に「晋」の名を呼ぶは、是とせざるを示すなり。然りと雖も、なぜまた衆人彼を立てりと言うか。彼が衆人の擁護を得たればなり。衆人の擁護を得るは、彼の賢なるを説明す。賢なるに、なぜまた立つべからずと言うか。《春秋》の義例は、諸侯の継位はただ名分の正を認め、賢不賢を認めざるなり。
五年春,公觀魚於棠。傳曰:常事曰事,非常曰觀。禮:尊不親小事,卑不屍大功。魚,卑者之事也,公觀之,非正也。
五年春、隠公、棠の地に至りて魚捕りを観る。伝文に曰く、例の事は「事」と書き、常規に合せざる事をば「観」と書く。礼によりて、尊貴なる者は自ら小事を管せず、卑下なる者は大功を担わず。魚捕りは卑下の者の為す事にして、隠公自ら往きて観るは正道に合せず。
秋,衛師入郕。入者,內弗受也。郕,國也。將卑師眾曰師。
秋、衛国の軍、郕国に入る。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。郕は一国なり。兵を帯ぶる将の地位低くして人馬衆多なるをば「師」と称す。
九月,考仲子之宮。考者,何也?考者,成之也,成之為夫人也。禮:庶子為君。為其母築宮,使公子主其祭也。於子祭,於孫止。仲子者,惠公之母,隱孫而修之,非隱也。
九月、仲子の廟落成す。「考」とは何か。「考」はすなわち完成、ここは仲子の名分を夫人と為し成すをいう。礼によりて、庶子が国君たるを為せば、その母のために別に廟を立て、公子にこの祭祀を主らしめ、子の輩に至るまで祭り、孫の輩に至れば止む。仲子は恵公の母にして、隠公は既にその孫輩なるに、なお彼女のために廟を修むるは、隠公の為すべきにあらず。
初獻六羽。初,始也。穀梁子曰:「舞《夏》,天子八佾,諸公六佾,諸侯四佾。初獻六羽,始僭樂矣。」屍子曰:「舞《夏》,自天子至諸侯,皆用八佾。初獻六羽,始厲樂矣。」
初めて六行の羽舞を用う。「初」はすなわち開始なり。穀梁子曰く、「《夏》の舞を踊るに、天子は八佾を用い、公は六佾を用い、諸侯は四佾を用う。魯国の初めて六羽を用うるは、すなわち楽制を僭越するの始めなり」と。尸子曰く、「《夏》の舞を踊るに、天子より諸侯に至るまで皆八佾を用う。魯国の初めて六羽を用うるは、すなわち楽制を削減するの始めなり」と。
冬,十有二月辛巳,公子彄卒。隱不爵命大夫,其曰公子彄,何也?先君之大夫也。
冬十二月辛巳、公子𫸩卒す。隠公は大夫に爵命を授けず、ここに彼を「公子𫸩」と称するはなぜか。彼は先君在世の時既に命を受けたる大夫なればなり。
宋人伐鄭,圍長葛。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?久之也。伐不逾時,戰不逐奔,誅不填服。苞人民、毆牛馬,曰侵;斬樹木、壞宮室,曰伐。
宋国の人、鄭国を伐ち、長葛を囲む。一国を攻むるに、経文は例によりその城邑を囲むと書かず。ここに「囲」を書けるはなぜか。囲みの久しきをあらわにせんがためなり。規矩によりて、兵を出すは一季を過ぎず、戦うは逃兵を追わず、討つは既に降服せる者に加えず。百姓を擄掠し牛馬を駆り去るを「侵」といい、樹木を砍伐し房屋を毀壊するを「伐」という。
六年春,鄭人來輸平。輸者,墮也。平之為言,以道成也。來輸平者,不果成也。
六年春、鄭国の人、來りて旧約を毀棄す。「輸」はすなわち毀堕なり。「平」という字は、双方正道によりて和を講ずるをいう。「來輸平」と言うは、この講和はついに成らざりしをいう。
冬,宋人取長葛。外取邑不志,此其志,何也?久之也。
冬、宋国の人、長葛を取る。外国の間に城邑を奪取するは、《春秋》例により記さず。ここに記せるはなぜか。囲みの久しきがゆえなり。
七年春,王三月,叔姬歸於紀。其不言逆,何也?逆之道微,無足道焉爾。
七年春、周歴三月、叔姬、紀国に嫁ぐ。なぜ紀国の來りて親を迎うと書かざるか。この迎親の格が甚だ低く、言うに足らざればなり。
夏,城中丘。城,為保民為之也。民眾城小,則益城。益城無極。凡城之志,皆譏也。
夏、中丘に城を築く。城を築くは百姓を保護せんがために為すなり。百姓多くして城小さければ拡建すべしと雖も、拡建に止境なし。およそ《春秋》が城を築く事を記すは皆譏刺なり。
齊侯使其弟年來聘。諸侯之尊,弟兄不得以屬通。其弟雲者,以其來接於我,舉其貴者也。
斉侯、その弟年を遣わして魯国に聘問せしむ。諸侯は地位尊貴なれば、兄弟の間は親属の名分をもって相称えず。ここに「其弟」と称するは、彼が我が魯国と交接するに來れるがゆえ、その最も尊貴なる身分を挙げて言うなり。
冬,天王使凡伯來聘,戎伐凡伯於楚丘以歸。凡伯者,何也?天子之大夫也。國而曰伐,此一人而曰伐,何也?大天子之命也。戎者,衛也;戎衛者,為其伐天子之使,貶而戎之也。楚丘,衛之邑也。以歸,猶愈乎執也。
冬、周の天子、凡伯を遣わして魯国に聘問せしめ、戎人、楚丘に凡伯を攻撃してこれを擄えて帰りぬ。凡伯とは何者か。天子の大夫なり。「伐」は本より一国に対して用うる字なるに、ここに一人に対しても「伐」を用うるはなぜか。天子の使命を尊大ならしめんがためなり。ここに言う「戎」は実は衛国なり。衛国を戎と称するは、それが天子の使臣を攻撃せしゆえ、これを貶めて戎狄として遇するなり。楚丘は衛国の城邑なり。「以帰」と書くは、「執」と書くよりなお稍勝れり。
八年春,宋公、衛侯遇於垂。不期而會曰遇。遇者,志相得也。
八年春、宋公と衛侯、垂の地に遇う。約なくして相会うを「遇」という。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。
三月,鄭伯使宛來歸邴。名宛,所以貶鄭伯,惡與地也。
三月、鄭伯、宛を遣わして邴の地を交還せしむ。直に宛の名を呼ぶは、鄭伯を貶め、彼が私に土地を人に送るを憎むるを示すに用う。
庚寅,我入邴。入者,內弗受也。日入,惡入者也。邴者,鄭伯所受命於天子,而祭泰山之邑也。
庚寅の日、我が魯国、邴の地に入る。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。日を記し出すは、この入った者を憎むるなり。邴は本より鄭伯が天子より命を受け、泰山の祭の費に供するための城邑なり。
夏,六月己亥,蔡侯考父卒。諸侯日卒,正也。
夏六月己亥、蔡侯考父卒す。諸侯の去世に日を記し出すは、常規に合するなり。
辛亥,宿男卒。宿,微國也。未能同盟,故男卒也。
辛亥、宿男卒す。宿は小国なり。それ未だ人と同盟せざりしかば、ただ「男」の爵称によりてその死を記すなり。
秋,七月庚午,宋公、齊侯、衛侯盟於瓦屋。外盟不日,此其日,何也?諸侯之參盟於是始,故謹而日之也。誥誓不及五帝,盟詛不及三王,交質子不及二伯。
秋七月庚午、宋公・斉侯・衛侯、瓦屋に会盟す。外国の間の盟会は、経文は日を記さず。ここに日を記せるはなぜか。三国の共に盟するはこの一回より始まるがゆえ、鄭重に日を記し出すなり。誥誓をもって人を約束するは五帝の時になく、盟誓の詛咒をもって人を約束するは三王の時になく、互いに人質を交換するは斉桓・晋文の二霸主の前になし。
九月辛卯,公及莒人盟於包來。可言公及人,不可言公及大夫。
九月辛卯、隠公、莒国の人と包來に会盟す。経文は「公某国の人に及ぶ」と書くべく、「公某国の大夫に及ぶ」と書くべからず――国君は別国の大夫と並列しえざればなり。
冬,十有二月,無侅卒。無侅之名,未有聞焉。或曰隱不爵大夫也,或說曰故貶之也。
冬十二月、無侅卒す。直に無侅の名を書くはなぜか、確かなる説を聞かず。一説に隠公が大夫に爵を授けざるといい、別の説に意をもって彼を貶むという。
九年春,天王使南季來聘。南,氏姓也。季,字也。聘,問也。聘諸侯,非正也。
九年春、周の天子、南季を遣わして魯国に聘問せしむ。「南」はその氏にして、「季」はその字なり。「聘」はすなわち問候なり。天子が人をして諸侯に聘問せしむるは正にあらず。
三月癸酉,大雨,震電。震,雷也。電,霆也。
三月癸酉、大雨降り、また雷霆し電光す。「震」はすなわち雷、「電」はすなわち霹靂なり。
庚辰,大雨雪。志疏數也。八日之間,再有大變,陰陽錯行,故謹而日之也。雨月,志正也。
庚辰、大雪降る。この条を記すは二度の天変の相隔たる疏密をあらわにせんがためなり。八日の内に相続いで二度の大きな変異あらわれ、陰陽の運行錯乱せしかば、鄭重に日を記し出すなり。雨に至ってはただ月を記すは、常例に合する書き方なり。
俠卒。俠者,所俠也。弗大夫者,隱不爵大夫也。隱之不爵大夫,何也?曰:不成為君也。
侠卒す。この「侠」は、すなわちあの侠という名の人なり。彼を大夫と称せざるは、隠公が大夫に爵を授けざればなり。隠公なぜ大夫に爵を授けざるか。答えて曰く、彼自ら正の国君と為さざればなり。
六月壬戌,公敗宋師於菅。內不言戰,舉其大者也。
六月壬戌、隠公、菅の地に宋国の軍を敗る。およそ魯国自らの战事は、経文は「戦」と書かず、分量のより重き一面を挙げて書く。
辛未取郜,辛巳取防。取邑不日,此其日,何也?不正其乘敗人而深為利,取二邑,故謹而日之也。
辛未の日郜邑を取り、辛巳の日防邑を取る。城邑を奪取するは本より日を記さず、ここに記せるはなぜか。彼が人を敗るに乗じて大いに利を捞い、一連に二つの城邑を拿下したるに満たざるゆえ、鄭重に日を記し出すなり。
宋人、蔡人、衛人伐載,鄭伯伐取之。不正其因人之力而易取之,故主其事也。
宋国の人・蔡国の人・衛国の人、載国を攻め、鄭伯これに随いて兵を出してこれを拿下せり。経文は彼が人の力を借りて軽々しく手に入れたるに満たざるゆえ、この事の主責を彼の身に帰すなり。
冬,十月壬午,齊人、鄭人入郕。入者,內弗受也。日入,惡入者也。郕,國也。
冬十月壬午、斉国の人・鄭国の人、郕国に攻入る。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。日を記し出すは、これら入った者どもを憎むるなり。郕は一国なり。
十有一年春,滕侯、薛侯來朝。天子無事,諸侯相朝,正也。考禮修德,所以尊天子也。諸侯來朝,時正也。特言,同時也。累數,皆至也。
十一年春、滕侯・薛侯、魯国に來り朝見す。天子に征伐の事なきとき、諸侯の互いに朝見するは正道に合す。彼此礼儀を考校し德行を砥礪するは、正に天子を尊崇するに用うるなり。諸侯の來朝は季によりて記すは常例に合す。一人一人分かちて言うは、彼らの同時に至りしを示す。連ねて数え下すは、彼らの皆到りたるを示す。
冬,十有一月壬辰,公薨。公薨不地,故也。隱之,不忍地也。其不言葬,何也?君弒賊不討,不書葬,以罪下也。隱十年無正,隱不自正也;元年有正,所以正隱也。
冬十一月壬辰、隠公卒す。国君の去世は本より地を記すべきに、ここに記さざるは、彼の死に変故あるがゆえなり。彼を哀憐して、彼のどこに死せしかを書き出すに忍びず。なぜ安葬を記さざるか。国君弑されて凶手討たれざれば、経文は葬礼を記さず、もって臣下に罪を帰するなり。隠公在位十年皆「正月」を書かざるは、隠公自ら名分を正さざりしかばなり。ただ元年のみ「正月」を書けり、これは隠公のために名分を正さんとするなり。
(闕文)
(闕文)
桓公
桓無王,其曰王,何也?謹始也。其曰無王,何也?桓弟弒兄、臣弒君,天子不能定,諸侯不能救,百姓不能去,以為無王之道,遂可以至焉爾。元年有王,所以治桓也。
(此の段は《春秋》「元年、春、王正月」を解す)桓公の年間、経文は通常「王」の字を書かず、ここにかえって「王」を書けるはなぜか。始まりを謹み重んずるためなり。彼が「王なし」というはなぜか。桓公は弟の身分をもって兄を殺し、臣子の身分をもって国君を殺し、天子も局面を安んずること能わず、諸侯も救援すること能わず、百姓も彼を除くこと能わず、人々このゆえに天子の法度なしと為し、乃ちこの地步に至りしを得たり。元年に「王」を書くは、正にこれをもって桓公の罪を追究せんとするなり。
繼故不言即位,正也。繼故不言即位之為正,何也?曰:先君不以其道終,則子弟不忍即位也。繼故而言即位,則是與聞乎弒也。繼故而言即位,是為與聞乎弒,何也?曰:先君不以其道終,己正即位之道而即位,是無恩於先君也。
(此の段はなお「即位」を書かざるを解す)先君、変故に死して後継位するに、経文は「即位」を書かず、これ正例なり。なぜこれを正例というか。答えて曰く、先君が善終を得ざれば、子弟は即位の礼を行うに忍びざればなり。先君変故に死したるに経文かえって「即位」を書けば、すなわち新君が弑君の事に参与せしを示す。なぜ「即位」を書けば弑君に参与せしに等しきか。答えて曰く、先君が善終を得ざるに、自ら正常に即位の礼によりて位につくは、これ先君に対し恩義なきなり。
假不言以,言以非假也。非假而曰假,諱易地也。禮,天子在上,諸侯不得以地相與也。無田則無許可知矣。不言許,不與許也。許田者,魯朝宿之邑也。邴者,鄭伯之所受命而祭泰山之邑也。用見魯之不朝於周,而鄭之不祭泰山也。
(此の段は《春秋》「鄭伯、璧をもって許田を仮ぐ」を解す)真に借貸ならば経文は「以」を書かざるなり。「以」を書けば、これ借にあらざるを説明す。本より借にあらざるに、かえって「仮」と書くは、双方の土地を交換するを隠諱するなり。礼によりて、天子上にあれば、諸侯は私に土地をもって互いに授受することを得ず。田なければすなわち「許」なし――これは知るべきなり。「許」を書かざるは、許田を人に与うるを是とせざればなり。許田は魯国が天子に朝見するに住宿する城邑なり。邴は鄭伯が命を受けて泰山の祭に供する城邑なり。かく書くは、魯国が既に周の天子に朝見せず、鄭国もまた泰山を祭らざるに至れるをあらわにせんがためなり。
無事焉,何以書?不遺時也。《春秋》編年,四時具而後為年。
(此の段は《春秋》「夏、四月」を解す)この季に記すべき一事なきに、なぜなお書くか。一季を漏らさざらんがためなり。《春秋》は年によりて編排し、四季写し全うして、乃ち完整なる一年と為す。
二年春,王正月戊申,宋督弒其君與夷。桓無王,其曰王,何也?正與夷之卒也。及其大夫孔父。孔父先死,其曰及,何也?書尊及卑,《春秋》之義也。孔父之先死,何也?督欲弒君而恐不立,於是乎先殺孔父,孔父閒也。何以知其先殺孔父也?曰:子既死,父不忍稱其名;臣既死,君不忍稱其名,以是知君之累之也。孔氏父字,諡也。或曰:其不稱名,蓋為祖諱也。孔子故宋也。
二年春、周歴正月戊申、宋国の督、その君与夷を弑す。桓公の年間は本より「王」を書かず、ここに「王」を書けるはなぜか。与夷の死を正当に鄭重に書かんがためなり。下文にまた「其の大夫孔父に及ぶ」と書く。孔父は国君より先に死せり、なぜなお「及」の字を用うるか。先に尊者を書き、再び「及」をもって卑者に連ねるは、《春秋》の義例なり。孔父なぜ先に死せしか。督、君を弑せんと欲して事の成らざらんを畏れ、まず孔父を殺せり。孔父は中に遮りて国君を護衛する者なればなり。どうして彼の先に殺せるが孔父と知るか。答えて曰く、子既に死せば父は忍びて再び子の名を称せず、臣既に死せば君は忍びて再び臣の名を称せず。これによりて国君の連累せられ併せて遇害せしを知る。「孔氏」にして「父」と称するは、「父」はその字、すなわち諡なり。別の説に、経文がその名を称せざるは祖先のために諱を避くるなり。孔子の祖先は宋国の人なり。
三月,公會齊侯、陳侯、鄭伯於稷,以成宋亂。以者,內為志焉爾。公為志乎成是亂也,此成矣,取不成事之辭而加之焉。於內之惡,而君子無遺焉爾。
三月、桓公、斉侯・陳侯・鄭伯と稷の地に相会し、もって宋国の乱事を成就せんとす。「以」の字を用うるは、これ魯国の側の主動して為さんと欲するを示す。桓公は心にこの乱事を成就せんと存せり。乱事は実は既に成りたれど、経文はかえって「事を為し成す」という此所に用うべからざる措辞を彼の頭に按ず。魯国自らの悪に対しては、君子は一点も見逃さざるなり。
夏,四月,取郜大鼎於宋。戊申,納於太廟。桓內弒其君,外成人之亂,受賂而退,以事其祖,非禮也。其道以周公為弗受也。郜鼎者,郜之所為也。曰宋,取之宋也,以是為討之鼎也。孔子曰:「名從主人,物從中國。」故曰郜大鼎也。
夏四月、宋国より郜国の大鼎を取る。戊申の日、これを太廟に安置す。桓公は内には自らの国君を殺し、外にはまた人の乱事を成就し、賄賂を受けて乃ち兵を退き、取りて來りて自らの祖先を祭るは礼に合せず。正道をもって言えば、周公はこの物を受けざらん。郜鼎は本より郜国の鋳造せしなり。経文はかえって「宋」と言うは、それが宋国より取られたればなり、この鼎を討伐して得たる贓物と為すなり。孔子曰く、「名称は元の主に従い、器物は中原の称呼に従う」と。ゆえにこれを「郜大鼎」と呼ぶ。
秋,七月,紀侯來朝。朝時,此其月,何也?桓內弒其君,外成人之亂,於是為齊侯、陳侯、鄭伯討。數日以賂,己即是事而朝之。惡之,故謹而月之也。
秋七月、紀侯、魯国に來り朝見す。朝見は本より季によりて記すに、ここに月を記し出すはなぜか。桓公は内には自らの国君を殺し、外にはまた人の乱事を成就し、ここに斉侯・陳侯・鄭伯、來りて彼を討たんと欲す。紀侯は日を算えて、この賄賂の事に就きて朝見に來れり。経文は彼を憎み、ゆえに鄭重に月を記し出すなり。
公及戎盟於唐。冬,公至自唐。桓無會而其致,何也?遠之也。
桓公、戎人と唐の地に会盟す。冬、桓公、唐の地より帰る。桓公は本より記すべき会盟なきに、ここにかえって彼の国に帰るを書くはなぜか。行きて遠きに過ぎ、彼のために心配すればなり。
夏,齊侯、衛侯胥命於蒲。胥之為言猶相也。相命而信諭,謹言而退,以是為近古也。是必一人先,其以相言之,何也?不以齊侯命衛侯也。
夏、斉侯と衛侯、蒲の地に相約誓す。「胥」の意はすなわち「互いに」なり。双方約し定め、信義明らかにして、言を謹みて退き返るは、上古の做法に近しと見なす。その中必ず一人の先に口を開く者あれど、経文はかえって「相」をもって言うはなぜか。斉侯が衛侯を命令するがごとく書きたからざればなり。
秋,七月壬辰朔,日有食之,既。言日言朔,食正朔也。既者,盡也,有繼之辭也。
秋七月壬辰の朔、日食起こり、日面完全に見えず。日を記しまた「朔」を記すは、日食の正に初一に発生せしを示す。「既」はすなわち尽くるなり、日食尽きて後なお接続あるを言う――太陽また再び出づべしと。
公子翬如齊逆女。逆女,親者也。使大夫,非正也。
公子翬、斉国に至りて新婦を迎娶す。新婦を迎娶するは、本より夫君自ら行くべきなり。大夫をして往かしむるは正にあらず。
九月,齊侯送姜氏於讙。禮送女,父不下堂,母不出祭門,諸母兄弟不出闕門。父戒之曰:「謹慎從爾舅之言。」母戒之曰:「謹慎從爾姑之言。」諸母般申之曰:「謹慎從爾父母之言。」送女逾竟,非禮也。
九月、斉侯、姜氏を譲の地に送る。礼によりて娘を嫁がせ送るに、父は堂を下りず、母は祭門を出でず、庶母と兄弟は宮門を出でず。父は彼女を戒めて曰く、「謹みて汝が舅の言に聴け」と。母は彼女を戒めて曰く、「謹みて汝が姑の言に聴け」と。庶母は再び彼女に叮嘱して曰く、「謹みて汝が父母の言に聴け」と。娘を直に国境の外まで送るは礼に合せず。
公會齊侯於讙。無譏乎,曰:為禮也。齊侯來也,公之逆而會之可也。
桓公、譲の地に斉侯と相会す。これ豈に譏刺すべきなきや。答えて曰く、これ礼を成さんがためなり。斉侯既に來りたれば、桓公出で迎えて彼と相会するは可なり。
夫人姜氏至自齊。其不言翬之以來,何也?公親受之於齊侯也。子貢曰:「冕而親迎,不已重乎?」孔子曰:「合二姓之好,以繼萬世之後,何謂已重乎!」
夫人姜氏、斉国より魯国に至る。なぜ翬の彼女を帶し來りしと書かざるか。桓公自ら斉侯の手より彼女を接し下したればなり。子貢曰く、「冕を戴きて自ら親を迎うるは、隆重に過ぐるにあらずや」と。孔子曰く、「二つの姓氏の姻好を結合し、もって万世以後の祭祀を接続せんとす、何をか隆重に過ぐると言わん」と。
四年春,正月,公狩於郎。四時之田,皆為宗廟之事也。春曰田,夏曰苗,秋曰搜,冬曰狩。四時之田用三焉,唯其所先得,一為幹豆,二為賓客,三為充君之庖。
四年春正月、桓公、郎の地に冬狩す。四季の田猟は皆宗廟祭祀の事のためなり。春猟を「田」といい、夏猟を「苗」といい、秋猟を「捜」といい、冬猟を「狩」という。四季の田猟は、猟獲を三項の用場に分かち、先に得たるに随いて安排す。第一項は風乾の祭肉と為して豆器に盛りて供祭し、第二項は賓客を招待するに用い、第三項は国君の庖厨を充実す。
五年春,正月甲戌、己丑,陳侯鮑卒。鮑卒何為以二日卒之?《春秋》之義:信以傳信,疑以傳疑。陳侯以甲戌之日出,己丑之日得,不知死之日,故舉二日以包也。
五年春正月甲戌・己丑、陳侯鮑卒す。鮑の死になぜ二つの日をもって記するか。《春秋》の義例は、確かなるは確かのままに伝え、疑わしきは疑わしきのままに伝う。陳侯は甲戌の日に外出し、己丑の日に乃ち遺体を見つけたれば、究竟いずれの日に死せしか知らず。ゆえにこの二つの日を挙げてこの期間を包み入る。
天王使任叔之子來聘。任叔之子者,錄父以使子也。故微其君臣而著其父子,不正父在子代仕之辭也。
周の天子、任叔の子を遣わして魯国に聘問せしむ。「任叔之子」と称するは、父の名を記して、子をして事を弁ぜしむるを記すなり。ゆえに君臣の名分を低微に書き、父子の関係を凸顕す。これは父なお在るに子が彼に代わりて職に任ずるを満たざる書き方なり。
秋,蔡人、衛人、陳人從王伐鄭。舉從者之辭也。其舉從者之辭,何也?為天王諱伐鄭也。鄭,同姓之國也,在乎冀州,於是不服,為天子病矣。
秋、蔡国の人・衛国の人・陳国の人、周の天子に従いて鄭国を攻む。これは随従する人を提出して書く措辞なり。なぜかく書くか。天子のために彼自ら鄭を伐ちに往きしを隠諱せんがためなり。鄭は同姓の国にしてまた冀州の辺にあり、この時に至るまでなお服従せず、これ正に天子の心病なり。
冬,州公如曹。外相如不書,此其書,何也?過我也。
冬、州公、曹国に至る。外国の諸侯の互いに往来するは、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼が我が魯国を路過せしがゆえなり。
六年春,正月,寔來。寔來者,是來也。何謂是來?謂州公也。其謂之是來,何也?以其畫我,故簡言之也,諸侯不以過相朝也。
六年春正月、経文はただ「寔來」と書く。「寔來」はすなわち「この人來れり」。言うところは誰の來れしか。言うところは州公なり。なぜただ「この人來れり」と言うか。彼はただ我が魯国を路過せしのみなるがゆえ、簡に従いて書く。諸侯は路過をもって互いの朝見と為すこと能わず。
秋,八月壬午,大閱。大閱者何?閱兵車也。修教明諭,國道也。平而修戎事,非正也。其日以為崇武,故謹而日之,蓋以觀婦人也。
秋八月壬午、大閲を行う。「大閲」とは何か。すなわち兵車を検閲するなり。教訓を修め明らかにし、号令を講じ明らかにするは、国を治むるの正道なり。天下太平なるに軍備を整治するは正にあらず。日を記し出すは、これを武力を尚ぶと見なすがゆえ、鄭重にこの日を記すなり。曰く、また婦人に見せんがためなりと。
蔡人殺陳佗。陳佗者,陳君也,其曰陳佗,何也?匹夫行,故匹夫稱之也。其匹夫行奈何?陳侯喜獵,淫獵於蔡,與蔡人爭禽。蔡人不知其是陳君也而殺之。何以知其是陳君也?兩下相殺不道;其不地,於蔡也。
蔡国の人、陳佗を殺す。陳佗は実は陳国の国君なるに、経文は彼を「陳佗」と称するはなぜか。彼が匹夫の方式によりて行いしゆえ、匹夫をもって彼を称するなり。彼はどうして匹夫によりて行いしか。陳侯は打猟を好み、蔡国の境内に放縦に打猟し、蔡国の人と猟物を争いき。蔡人は彼が陳国の国君なるを知らずして、彼を殺せり。どうして彼が陳国の国君と知るか。地位相当なる者の互いに殺すは、経文例により記さず。ここに地を記さざるは、事が蔡国に発生せしがゆえなり。
九月丁卯,子同生。疑故志之,時曰同乎人也。
九月丁卯、公子同生まる。当時疑慮ありしがゆえ記したり。時の人曰く、この子は普通の人と同じ(桓公の子のごとし)と。
七年春,二月己亥,焚鹹丘。其不言邾鹹丘,何也?疾其以火攻也。
七年春二月己亥、火を放ちて咸丘を焼く。なぜ「邾国の咸丘」と書かざるか。彼らの火攻を用いしを痛恨すればなり。
夏,谷伯綏來朝。鄧侯吾離來朝。其名,何也?失國也。失國則其以朝言之,何也?嘗以諸侯與之接矣。雖失國,弗損吾異日也。
夏、穀伯綏、來り朝見し、鄧侯吾離、來り朝見す。なぜ直に彼らの名を称するか。彼ら既に自らの国を失いしかばなり。国を失えりと雖も、なぜなお「朝」をもって言うか。従前かつて諸侯の身分をもって彼らと交接せしがゆえなり。今国を失えりと雖も、我が魯国の往日彼らを待遇せし礼数を減損せず。
八年春,正月己卯,烝。烝,冬事也,春興之,志不時也。
八年春正月己卯、烝祭を行う。烝は本より冬の祭事なるに、春にこれを為すは、それの時令に合せざるを記すなり。
夏,五月丁丑,烝。烝,冬事也,春、夏興之,黷祀也。志不敬也。
夏五月丁丑、また烝祭を行う。烝は本より冬の祭事なるに、春・夏に相続いでこれを為すは、すなわち祭祀を濫用するなり。この事を記すは、彼の敬わざるを記すなり。
祭公來,遂逆王后於紀。其不言使焉,何也?不正。其以宗廟之大事,即謀於我,故弗與使也。遂,繼事之辭也。其曰「遂逆王后」,故略之也。或曰天子無外,王命之則成矣。
祭公、魯国に來り、続いて紀国に至りて王后を迎娶す。なぜ「天王使」と書かざるか。これが正道に合せざればなり。彼は宗廟の大事を我が魯国に持ち來りて謀劃せしゆえ、彼に「使」の言を与えず。「遂」は続きて事を弁ずる措辞なり。「遂に王后を逆ぐ」と書き成すは、この事を簡略に書くなり。別の説に、天子は外なく、天子一旦命令を下せば事すなわち成立すと。
九年春,紀季姜歸於京師。為之中者歸之也。
九年春、紀国の季姜、京師に嫁ぐ。魯国その中より主を為し、彼女を送り出せしなり。
冬,曹伯使其世子射姑來朝。朝不言使,言使非正也。使世子伉諸侯之禮而來朝,曹伯失正矣!諸侯相見曰朝,以待人父之道待人之子,以內為失正矣!內失正,曹伯失正,世子可以已矣!則是故命也。屍子曰:「夫已,多乎道。」
冬、曹伯、その太子射姑を遣わして魯国に朝見せしむ。朝見は例により「使」を書かず、「使」を書けばすなわち正道に合せず。太子をして諸侯に匹敵する礼を用いて朝見せしむるは、曹伯既に正道を失えり。諸侯相見するを乃ち「朝」と言う。人の父を待遇する礼をもって人の子を待遇するは、我が魯国の側もまた正道を失えり。魯国正を失い、曹伯正を失い、太子は本より止めて來らざるべきかりしを。彼來れり、すなわち父のあの乱命を受けたり。尸子曰く、「止むるを得ば、更に道に近し」と。
十年春,王正月庚申,曹伯終生卒。桓無王,其曰王,何也?正終生之卒也。
十年春、周歴正月庚申、曹伯終生卒す。桓公の年間は本より「王」を書かず、ここに「王」を書けるはなぜか。終生の死を正当に鄭重に書かんがためなり。
秋,公會衛侯於桃丘。弗遇。弗遇者,志不相得也。弗,內辭也。
秋、桓公、桃丘に衛侯と相会せんと欲す。遇わざりき。「弗遇」は双方の心意投合せざるを言う。「弗」は魯国の側について言う措辞なり。
冬,十有二月丙午,齊侯、衛侯、鄭伯來戰於郎。來戰者,前定之戰也。內不言戰,言戰則敗也。不言其人,以吾敗也。不言及者,為內諱也。
冬十二月丙午、斉侯・衛侯・鄭伯、前來して郎の地に交戦す。「來戦」と言うは、事あらかじめ約せし战事なり。およそ魯国自らの战事は、経文は「戦」を書かず。「戦」を書けば、すなわち魯国の敗れしを示す。相手方の将の名を書き出さざるは、我が魯国の敗戦せしがゆえなり。「及」の字を用いざるは、魯国のために隠諱するなり。
十有一年春,正月,齊人、衛人、鄭人盟於惡曹。
十一年春正月、斉国の人・衛国の人・鄭国の人、悪曹に会盟す。
九月,宋人執鄭祭仲。宋人者,宋公也,其曰人,何也?貶之也。
九月、宋国の人、鄭国の祭仲を捉う。「宋人」は実は宋公なるに、経文「人」と称するはなぜか。彼を貶むるなり。
突歸於鄭。曰突,賤之也。曰歸,易辭也。祭仲易其事,權在祭仲也。死君難,臣道也,今立惡而黜正,惡祭仲也。
突、鄭国に帰る。彼を「突」と称するは、彼を賤視するなり。「歸」の字を用うるは、この事の來ること容易なりしを言う。祭仲、事を軽々しく翻し、権柄祭仲の手に在り。国君の危難のために死するは、乃ち臣子の本分なり。今悪人を立て嫡正を廃するは、経文は祭仲を憎む。
鄭忽出奔衛。鄭忽者,世子忽也。其名,失國也。
鄭忽、衛国に逃亡す。鄭忽はすなわち太子忽なり。直にその名を称するは、彼が自らの国を失いしかばなり。
柔會宋公、陳侯、蔡叔盟於折。柔者何?吾大夫之未命者也。
柔、宋公・陳侯・蔡叔と折の地に会盟す。柔とは何者か。我が魯国の未だ爵命を受けざる大夫なり。
十有二月,及鄭師伐宋;丁未,戰於宋。非與所與伐戰也。不言與鄭戰,恥不和也。於伐與戰,敗也。內諱敗,舉其可道者也。
十二月、鄭国の軍隊とともに宋国を攻め、丁未の日、宋国の境内に交戦す。本よりともに兵を出す人と打ち合うべからず。「鄭と戦う」と書かざるは、自らの側の不和なるを恥じればなり。正に宋を伐つにまた打ち合い起これり、魯国の敗れしを説明す。魯国は自らの敗績を隠諱し、ただなお言い出しうる一面を挙げて書く。
己巳,及齊侯、宋公、衛侯、燕人。戰齊師、宋師、衛師、燕師。敗績。其言及者,由內及之也。其曰戰者,由外言之也。戰稱人,敗稱師,重眾也。其不地,於紀也。
己巳の日、桓公、斉侯・宋公・衛侯・燕国の人と交戦す。斉国・宋国・衛国・燕国の軍隊大敗す。「及」の字を用うるは、魯国の側より言い出せしなり。「戦」の字を用うるは、外辺の一面より言えるなり。交戦のときは「人」と称し、敗績を書くときは「師」と称するは、士兵人衆を重んずればなり。地を記さざるは、战事が紀国に発生せしがゆえなり。
夏五。鄭伯使其弟御來盟。諸侯之尊,弟兄不得以屬通。其弟雲者,以其來我舉其貴者也。來盟,前定也。不日,前定之盟不日。孔子曰:「聽遠音者,聞其疾而不聞其舒;望遠者,察其貌而不察其形。立乎定、哀,以指隱、桓,隱、桓之日遠矣。『夏五』傳疑也。」
夏、経文はただ「五」と書けり。鄭伯、その弟御を遣わして魯国に來り結盟せしむ。諸侯は地位尊貴なれば、兄弟の間は親属の名分をもって相称えず。ここに「其弟」と称するは、彼が我が魯国と交接するに來れるがゆえ、その最も尊貴なる身分を挙げて言うなり。「來盟」と言うは、事あらかじめ約せしなり。日を記さず、あらかじめ約せし盟会は日を記さず。孔子曰く、「遠き声を聴くに、急促なるを聴き得て舒緩なるを聴き得ず。遠き人を見るに、輪郭を見清め得て形状を見清め得ず。定公・哀公の時代に立ちて隠公・桓公の事を指すに、隠公・桓公の日子既に遠し。『夏五』の二字は、疑わしきところを原様のままに伝え下せしなり」と。
秋,八月壬申,御廩災。乙亥,嘗。御廩之災不志,此其志何也?以為唯未易災之餘,而嘗可也,志不敬也。天子親耕,以共粢盛;王后親蠶,以共祭服。國非無良農工女也,以為人之所盡,事其祖禰,不若以己所自親者也。何用見其未易災之餘而嘗也?曰甸粟,而內之三宮;三宮米,而藏之御廩。夫嘗必有兼甸之事焉。壬申,御廩災;乙亥,嘗。以為未易災之餘而嘗也。
秋八月壬申、祭粮を蔵する御廩失火す。乙亥、嘗祭を行う。御廩失火は、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼らの見るところにては、たとえ未だ火災後の残りの粮を換えざるとも、嘗祭を行うは可なりとせしがゆえなり。この事を記すは、彼の敬わざるを記すなり。天子は自ら耕種してもって祭粮を供給し、王后は自ら養蚕してもって祭服を供給す。国家は良農夫・良女工なきにあらず、ただ以為らく、他人の力を尽くして為せる物を取りて祖先を祭祀するは、終に自ら親手に作り出せるに如かずと。何を凭じて彼らの用いしが未だ換えざる火災後の残粮と見出すか。答えて曰く、甸地より収めたる粟は三宮に送り入れ、三宮にて米に碾き、御廩に蔵め入る。嘗祭を行うに、必ずなお甸地に粮を備うる这一の工序を経るべし。壬申に御廩失火し、乙亥にすなわち嘗祭を行えり。ゆえに彼らの用いしが未だ換えざる火災後の残粮と認定す。
宋人以齊人、蔡人、衛人、陳人伐鄭。以者,不以者也。民者,君之本也。使人以其死,非正也。
宋国の人、斉国の人・蔡国の人・衛国の人・陳国の人を帶して鄭国を攻めに往く。「以」の字を用うるは、正にかく彼らを用うべからざるを示す。百姓は国君の根本なり。他人をして自らのために命を賭せしむるは正道に合せず。
十有五年春,二月,天王使家父來求車。古者諸侯時獻於天子,以其國之所有,故有辭讓,而無徵求。求車,非禮也;求金,甚矣!
十五年春二月、周の天子、家父を遣わして車子を索取せしむ。古時、諸侯は時に按じて本国の所有する物を天子に進献せしゆえ、ただ辞譲ありて征求なかりき。來りて車子を要するは既に礼に合せず、來りて金銭を要するは更に過分なり。
許叔入於許。許叔,許之貴者也,莫宜乎許叔。其曰入,何也?其歸之道,非所以歸也。
許叔、許国に入る。許叔は許国の尊貴なる人にして、許叔より帰るべき者なし。経文はかえって「入」の字を用うるはなぜか。彼の帰り來れる路数は、用いるべき帰国の路数にあらざればなり。
冬,十有一月,公會宋公、衛侯、陳侯、於袲伐鄭。地而後伐,疑辭也,非其疑也。
冬十一月、桓公、宋公・衛侯・陳侯に会合し、袲の地に在りて、然る後に鄭国を攻めに往く。先に地点を書き後に攻むるを書くは、遅疑あるを帯ぶる措辞なり。経文は彼らの遅疑すべからざると為す。
十有六年春,正月,公會宋公、蔡侯、衛侯於曹。
十六年春正月、桓公、宋公・蔡侯・衛侯と曹の地に相会す。
夏,四月,公會宋公、衛侯、陳侯、蔡侯伐鄭。
夏四月、桓公、宋公・衛侯・陳侯・蔡侯に会合して鄭国を攻む。
秋,七月,公至自伐鄭。桓無會,其致何也?危之也。
秋七月、桓公、鄭を伐つ軍より帰る。桓公は本より記すべき会盟なきに、ここにかえって彼の国に帰るを書くはなぜか。彼のために心配すればなり。
十有一月,衛侯朔出奔齊。朔之名,惡也,天子召而不往也。
十一月、衛侯朔、斉国に逃亡す。直に朔の名を書くは、是とせざるを示す。彼が天子に召見されて往かざりしかばなり。
十有七年春,正月丙辰,公會齊侯、紀侯盟於黃。
十七年春正月丙辰、桓公、斉侯・紀侯と黄の地に会盟す。
夏,五月丙午,及齊師戰於郎。內諱敗,舉其可道者也。不言其人,以吾敗也。不言及之者,為內諱也。
夏五月丙午、斉国の軍隊と郎の地に交戦す。魯国は自らの敗績を隠諱し、ただなお言い出しうる一面を挙げて書く。相手方の将の名を書き出さざるは、我が魯国の敗戦せしがゆえなり。「斉侯に及ぶ」と言わざるは、魯国のために隠諱するなり。
秋,八月,蔡季自陳歸於蔡。蔡季,蔡之貴者也。自陳,陳有奉焉爾。
秋八月、蔡季、陳国より蔡国に帰る。蔡季は蔡国の尊貴なる人なり。「陳より」と書くは、陳国の彼に対し護送・帮助ありしを示す。
冬,十月朔,日有食之。言朔不言日,食既朔也。
冬十月初一、日食発生す。ただ「朔」を書きて干支の日子を書かざるは、日食の初一已に過ぎ去りて後に発生せしがゆえなり。
十有八年春,王正月,公會齊侯於濼。公與夫人姜氏遂如齊。濼之會,不言及夫人,何也?以夫人之伉,弗稱數也。
十八年春、周歴正月、桓公、濼の地に斉侯と相会す。桓公、夫人姜氏と続いて斉国に至る。濼の地のあの相会に、なぜ「夫人に及ぶ」と書かざるか。夫人が国君と匹敵する架子を摆出せしゆえ、彼女を列に入れて数えず。
夏,四月丙子,公薨於齊。其地,於外也。薨稱公,舉上也。
夏四月丙子、桓公、斉国にて卒す。地点を記し出すは、彼が国外に死せしがゆえなり。去世になお「公」と称するは、彼の上位に在る名分を挙げて言うなり。
冬,十有二月,己丑,葬我君桓公。葬我君,接上下也。君弒,賊不討不書葬,此其言葬,何也?不責逾國而討於是也。桓公葬而後舉諡,諡所以成德也,於卒事乎加之矣。知者慮,義者行,仁者守。有此三者備,然後可以會矣。
冬十二月己丑、我が魯国の君桓公を安葬す。「我君を葬る」と書くは、上下を皆接ぎ合せしなり。国君弑されて凶手討たれざれば、経文例により葬礼を記さず。ここに葬礼を記せるはなぜか。臣下の国界を越えて斉国に至りて賊を討ちしを責めざればなり。桓公安葬して後に乃ち諡号を標出す。諡は彼の一生の名徳を成就するに用い、喪事弁じ畢るを待ちて乃ち加え上ぐ。智ある者は謀慮し、義ある者は行い、仁ある者は守る。三つを具えて、然る後に境を出で人と会すべし。
(闕文)
(闕文)
荘公
元年春,王正月。繼弒君不言即位,正也。繼弒君不言即位之為正,何也?曰:先君不以其道終,則子不忍即位也。
元年春、周歴正月。弑されたる国君の後に接するに、経文は「即位」を書かず、これ正例なり。なぜこれを正例というか。答えて曰く、先君が善終を得ざれば、子は即位の礼を行うに忍びざればなり。
三月,夫人孫於齊。孫之為言猶孫也。諱奔也。接練時,錄母之變,始人之也。不言氏姓,貶之也。人之於天也,以道受命;於人也,以言受命。不若於道者,天絕之也;不若於言者,人絕之也。臣子大受命。
三月、夫人、斉国に逃げ往く。「孫」の意は「遜」のごとく、彼女の実は出奔なるを隠諱するなり。練祭の時に至りて、母の身分の変故を記し、始めて彼女を普通の人として遇す。彼女の氏姓を書かざるは、彼女を貶むるなり。人は天に対しては正道によりて天命を受け、人に対しては言辞によりて使命を受く。道に順わざるは天これを棄て、言に順わざるは人これを棄つ。臣子は大いに君父より命を受くるなり。
夏,單伯逆王姬。單伯者何?吾大夫之命乎天子者也。命大夫,故不名也。其不言如,何也?其義不可受於京師也。其義不可受於京師,何也?曰:躬君弒於齊,使之主婚姻,與齊為禮,其義固不可受也。
夏、単伯、王姫を迎娶す。単伯とは何者か。我が魯国の天子より任命を受けたる大夫なり。天子の任命せる大夫なるがゆえ名を称せず。なぜ「京師に如く」と書かざるか。道理によりこの事は京師にて受くべからざればなり。なぜ京師にて受くべからざるか。答えて曰く、国君本人が先ほど斉国にて殺害されしに、魯国をしてこの婚事を主し、斉国と礼を行わしむるは、道理により本より受くべからざればなり。
秋,築王姬之館於外。築,禮也。於外,非禮也。築之為禮,何也?主王姬者,必自公門出。於廟則已尊,於寢則已卑。為之築,節矣。築之外,變之正也。築之外,變之為正,何也?仇讎之人非所以接婚姻也,衰麻非所以接弁冕也。其不言齊侯之來逆,何也?不使齊侯得與吾為禮也。
秋、城外に王姫の館舎を修建す。館舎を修建するは礼に合す。城外に修するは礼に合せず。なぜ修建するが礼に合すというか。王姫の出嫁を主るは、必ず公宮の門より送り出すべし。太廟に置けば尊に過ぎ、路寝に置けばまた卑に過ぎ、彼女に別に一所を建つるを乃ち得体と為す。城外に修するは変通の中の正道なり。なぜこの変通がなお正道というか。仇敵の人はもって婚姻を交接するに用いず、衰麻を著るもまた冕服を著る人を交接するに用いざればなり。なぜ斉侯の前來して迎娶すると書かざるか。斉侯をして我が魯国と礼を行うを得しめざればなり。
冬,十月乙亥,陳侯林卒。諸侯日卒,正也。
冬十月乙亥、陳侯林卒す。諸侯の去世に日を記し出すは、常規に合するなり。
王使榮叔來錫桓公命。禮有受命,無來錫命;錫命非正也。生服之,死行之,禮也。生不服,死追錫之,不正甚矣。
周の天子、栄叔を遣わして來りて桓公の命服を追賜せしむ。礼によりて、ただ親身に往きて任命を受くるあり、天子の門に送り來りて命を賜うなし。命を賜うこの事自体すなわち正道に合せず。生ける時これを著て、死して後これに按じて喪を行うを乃ち礼に合す。生ける時著ず、死して後に乃ち追賜するは、更に正道に合せず。
齊師遷紀,郱、鄑、郚。紀,國也。郱、鄑、郚,國也。或曰遷紀於郱、鄑、郚。
斉国の軍隊、紀国及び郱・鄑・郚を遷す。紀は一国なり。郱・鄑・郚もまた国なり。別の説に、紀国を郱・鄑・郚に遷せしなりと。
夏,公子慶父帥師,伐於餘丘。國而曰伐。於餘丘,邾之邑也。其曰伐何也?公子貴矣,師重矣。而敵人之邑,公子病矣。病公子,所以譏乎公也。其一曰君在而重之也。
夏、公子慶父、軍隊を帥いて余丘を攻む。一国に対して乃ち「伐」を用う。余丘は邾国の城邑なり。ここになぜ「伐」を用うるか。公子の地位既に貴く軍隊も足りて大なるに、人の一座の城邑と対敵しに往くは、公子は難堪を顯す。公子を難堪ならしむるは、正に莊公を譏刺するに用うるなり。別の説に、相手方の国君彼処に在るがゆえ、この事を重く書けりと。
冬,十有二月,夫人姜氏會齊侯於禚。婦人既嫁不逾竟,逾竟非正也。婦人不言會,言會非正也。饗甚矣。
冬十二月、夫人姜氏、禚の地に斉侯と相会す。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。婦人は例により「会」を書かず、「会」を書けばすなわち正道に合せず。若し更に宴を設けて招待せば、更に過分なり。
三年春,王正月。溺會齊侯伐衛。溺者何也?公子溺也。其不稱公子,何也?惡其會仇讎而伐同姓,故貶而名之也。
三年春、周歴正月。溺、斉侯に会合して衛国を攻む。溺とは何者か。すなわち公子溺なり。なぜ彼を「公子」と称せざるか。彼が仇敵に会合し同姓の国を攻めしを憎み、ゆえに彼を貶めてただ名を称す。
五月,葬桓王。傳曰:改葬也。改葬之禮緦,舉下,緬也。或曰卻屍以求諸侯。天子志崩不志葬,必其時也。何必焉?舉天下而葬一人,其義不疑也。志葬,故也,危不得葬也。曰:近不失崩。不志崩,失天下也。獨陰不生,獨陽不生,獨天不生,三合然後生。故曰:母之子也可,天之子也可。尊者取尊稱焉,卑者取卑稱焉。其曰王者,民之所歸往也。
五月、桓王を安葬す。伝文に曰く、これ改葬なり。改葬の喪服はただ緦麻を用い、最も軽き一等を挙ぐるは、遥かに追念するなり。別の説に、遺体を停め置きて、諸侯の皆到り齐うを待つなりと。天子は「崩」を記して葬礼を記さず、葬礼の時日は一定なればなり。なぜ一定か。全天下ただこの一人を葬るのみ、疑うべきところなし。ここに葬礼を記すは、変故ありて、時に按じて葬を報ずること能わざらんを憂うればなり。また言うべし、近代以來「崩」は漏れ記することなし。「崩」を記さざれば、すなわち天下を失うに等し。単に陰のみにては生ぜず、単に陽のみにても生ぜず、単に天のみにても生ぜず、三つ合いまさりて然る後に乃ち生ず。ゆえに曰く、「母の子」と称するも可、「天の子」と称するも可。尊貴なるは尊貴の称呼を取り、卑下なるは卑下の称呼を取る。「王」と称するは、百姓皆彼に帰往すればなり。
秋,紀季以酅入於齊。酅,紀之邑也。入於齊者,以酅事齊也。入者,內弗受也。
秋、紀季、酅邑を帶して斉国に帰入す。酅は紀国の城邑なり。「斉に入る」と言うは、酅邑を取りて斉国に事えに往くなり。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。
冬,公次於郎。次,止也,有畏也。欲救紀而不能也。
冬、莊公、郎の地に駐扎す。「次」はすなわち停止するなり、畏るるところあるがゆえなり。紀国を救わんと欲すれど、弁ずること能わず。
四年春,王二月,夫人姜氏饗齊侯於祝丘。饗,甚矣。饗齊侯,所以病齊侯也。
四年春、周歴二月、夫人姜氏、祝丘に斉侯を設宴して招待す。宴を設けて招待するは既に過分なり。「斉侯を饗す」と書くは、正に斉侯を難堪ならしむるに用うるなり。
三月,紀伯姬卒。外夫人不卒,此其言卒,何也?吾女也。適諸侯則尊同,以吾為之變,卒之也。
三月、紀伯姬卒す。外国の夫人の去世は、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼女は我が魯国の娘なればなり。諸侯に嫁ぐは、尊貴すなわち諸侯と相同じ。魯国彼女のために服喪して礼を変ず。ゆえに彼女の死を記す。
紀侯大去其國。大去者,不遺一人之辭也,言民之從者四年而後畢也。紀侯賢而齊侯滅之。不言滅,而曰大去其國者,不使小人加乎君子。
紀侯、大いにその国を去る。「大去」は一人も留め置かざるの言にして、彼に随いて去る百姓、四年を過ぎて乃ち尽く去るを言う。紀侯賢明なるに、斉侯かえってその国を滅ぼせり。「滅」を書かずして「大いにその国を去る」と書くは、小人をして君子の上に加わらしめざればなり。
六月乙丑,齊侯葬紀伯姬。外夫人不書葬,此其書葬,何也?吾女也。失國,故隱而葬之。
六月乙丑、斉侯、紀伯姬を安葬す。外国の夫人は、経文例により葬礼を記さず。ここに記せるはなぜか。彼女は我が魯国の娘なればなり。彼女の国既になくなりしかば、彼女を哀憐して安葬を記す。
冬,公及齊人狩於郜。齊人者,齊侯也,其曰人何也?卑公之敵,所以卑公也。何為卑公也?不復讎,而怨不釋,刺釋怨也。
冬、莊公、斉国の人と郜の地に打猟す。「斉人」は実は斉侯なるに、経文「人」と称するはなぜか。莊公の对手を卑しく書くは、すなわち莊公を卑しく書くなり。なぜ莊公を卑しく書くか。仇未だ報ぜられず怨未だ解かれざるに、かえって仇人とともに打猟に往くは、これ彼の解くべからざる怨を解きしを譏刺するなり。
夏,夫人姜氏如齊師。師而曰如,眾也。婦人既嫁不逾竟,逾竟非禮也。
夏、夫人姜氏、斉国の軍隊のところに至る。一支の軍隊に対しても「如」を用うるは、人の衆多なるがゆえなり。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは礼に合せず。
秋,郳黎來來朝。郳,國也。黎來,微國之君,未爵命者也。
秋、郳国の黎來、來り朝見す。郳は一国なり。黎來は小国の国君にして、未だ周の天子より爵命を得ざるなり。
冬,公會齊人、宋人、陳人、蔡人伐衛。是齊侯、宋公也,其曰人何也?人諸侯,所以人公也。其人公何也?逆天王之命也。
冬、莊公、斉国の人・宋国の人・陳国の人・蔡国の人に会合して衛国を攻む。ここの「斉人」「宋人」は実は斉侯・宋公なるに、経文「人」と称するはなぜか。諸侯を「人」と書き成すは、すなわち莊公を「人」と書き成すなり。なぜ莊公を「人」と書き成すか。彼が周の天子の命令に違逆せしがゆえなり。
六年春,王二月,王人子突救衛。王人,卑者也。稱名,貴之也。善救衛也。救者善,則伐者不正矣。
六年春、周歴二月、周王室の人子突、衛国を救いに往く。「王人」は地位低微の人なり。その名を称し出すは、彼を抬擧するなり。経文は衛を救うを賛成す。救う人正しければ、攻めに往く人は正道に合せず。
夏,六月,衛侯朔,入於衛。其不言伐衛納朔,何也?不逆天王之命也。入者,內弗受也。何用弗受也?為以王命絕之也。朔之名惡也,朔入逆,則出順矣;朔出入名,以王命絕之也。
夏六月、衛侯朔、衛国に入る。なぜ「衛を伐ち朔を送り入る」と書かざるか。魯国が天子の命令に違逆するがごとく書きたからざればなり。「入」の字を用うるは、衛国が受け入れざるを示す。何を凭じて受け入れざるか。天子既に王命をもって彼を断絶せしがゆえなり。直に朔の名を書くは、是とせざるを示す。朔のこの入るは逆なれば、彼の従前の出づるは順なるなり。朔の出づる・入る皆名を称するは、天子既に王命をもって彼を断絶せしがゆえなり。
秋,公至自伐衛。惡事不致,此其致,何也?不致,則無用見公之惡、事之成也。
秋、莊公、衛を伐つ軍より帰る。悪事は例により回国を書かず。ここに書けるはなぜか。回国を書かざれば、莊公の悪を見出すに従なく、またこの事の既に為し成されしを見出すに従なし。
冬,齊人來歸衛寶。以齊首之分惡於齊也。使之如下齊而來我然,惡戰則殺矣。
冬、斉国の人、來りて衛国の宝器を帰還す。斉国を頭に書くは、悪を一部分斉国に分け与え、この事を斉国の主動に下り來りて我が魯国に送りしがごとく見せしむるなり。かくすれば、あの战事への憎悪減軽せらる。
七年春,夫人姜氏會齊侯於防。婦人不會,會非正也。
七年春、夫人姜氏、防の地に斉侯と相会す。婦人は例により相会せず、相会すればすなわち正道に合せず。
夏,四月辛卯,昔,恆星不見。恆星者,經星也。日入至於星出謂之昔。不見者,可以見也。
夏四月辛卯、黄昏の時分、恒星見えず。恒星はすなわち経星、すなわち常年見うべきあの星どもなり。太陽落ちて星出づるまで、この時間を「昔」と言う。「見えず」と言うは、本来見うべきなればなり。
夜中星隕如雨。其隕也如雨,是夜中與?《春秋》著以傳著,疑以傳疑。中之,幾也;而曰夜中,著焉爾。何用見其中也?失變而錄其時,則夜中矣!其不曰恆星之隕何也?我知恆星之不見,而不知其隕也。我見其隕而接於地者,則是雨說也。著於上,見於下,謂之雨;著於下,不見於上,謂之隕。豈雨說哉!
夜半、星墜ちて雨の下るがごとし。墜ちて雨の下るがごときは、あれ真に夜半なりや。《春秋》は確かなるを確かのままに伝え、疑わしきを疑わしきのままに伝う。正中と言うは本より約略の言にして、「夜中」と書き成すはこれを説き定めたるなり。何を凭じて正中と見出すか。変異既に消失せり、当時の時刻を記せば、すなわち夜半なり。なぜ「恒星陨落」と言わざるか。我ただ恒星の見えざりしを知りて、彼らの墜ち下りしを知らず。我墜ち下りて地上に接するを見たる、それ乃ち「雨」という言い方なり。先に天上に顯現し再び地下に落つるを見るを「雨」といい、ただ地下に在るを見てかつて天上より墜つるを見ざるを「陨」という。これ豈に「雨」の言い方ならんや。
冬,夫人姜氏會齊侯於谷。婦人不會,會非正也。
冬、夫人姜氏、穀の地に斉侯と相会す。婦人は例により相会せず、相会すればすなわち正道に合せず。
八年春,王正月,師次於郎,以俟陳人、蔡人。次,止也。俟,待也。
八年春、周歴正月、軍隊、郎の地に駐扎して陳国の人・蔡国の人を待つ。「次」はすなわち停止するなり。「俟」はすなわち等待するなり。
甲午,治兵。出曰治兵,習戰也。入曰振旅,習戰也。治兵而陳、蔡不至矣。兵事以嚴終,故曰善陳者不戰,此之謂也。善為國者不師,善師者不陳,善陳者不戰,善戰者不死,善死者不亡。
甲午、治兵を行う。兵を出すとき「治兵」と言うは、作戦を演習するなり。帰り來るとき「振旅」と言うも、また作戦を演習するなり。治兵の後、陳国・蔡国しかし來らず。兵を用うる事は厳整をもって収場すべし。ゆえに曰く、陣を布くに善き者は交戦するを要せず、この意なり。国を治むるに善き者は師を興すを用いず、兵を用うるに善き者は陣を布くを必せず、陣を布くに善き者は交戦するを必せず、戦うに善き者は軽々しく死を送らず、死に赴くに善き者は国を亡ぼさず。
夏,師及齊師圍郕。郕降於齊師。其曰降於齊師何?不使齊師加威於郕也。
夏、魯国の軍隊と斉国の軍隊、郕国を包囲す。郕国、斉国の軍隊に投降す。なぜ「斉師に降る」と書き成すか。斉国の軍隊をして郕国に威勢を施加せしがごとく見せしめざればなり。
冬,十有一月癸未,齊無知弒其君諸兒。大夫弒其君,以國氏者,嫌也。弒而代之也。
冬十一月癸未、斉国の無知、その君諸児を殺す。大夫がその君を弑するに、経文はかえって国名「斉」をその名に冠するは、ここに指し示すべき一層の嫌疑あるがゆえなり――彼が君を弑して後、自らこれに代わりたるなり。
九年春,齊人殺無知。無知之挈,失嫌也。稱人以殺大夫,殺有罪也。
九年春、斉国の人、無知を殺す。ここに「無知」を単に挙げて直にその名を呼ぶは、彼の篡位の嫌疑は既に再び指すを要せざればなり。「某国の人大夫を殺す」と書くは、殺されたる者が罪あるを示す。
公及齊大夫盟於暨。公不及大夫,大夫不名,無君也。盟納子糾也。不日,其盟渝也。當齊無君,制在公矣。當可納而不納,故惡內也。
莊公、斉国の大夫と暨の地に会盟す。国君は別国の大夫と「及」をもって並列しえず。大夫の名を称せざるは、斉国当時国君なかりしがゆえなり。この会盟は、子糾を斉国に送り入れんがためなり。日を記さざるは、この盟約が後に毀棄されたればなり。正に斉国に国君なきに当たりて、裁断の権は本より莊公の手に在り。送り入るべきときに送らざりしかば、ゆえに経文は魯国の側を憎む。
夏,公伐齊,納糾。當可納而不納,齊變而後伐,故干時之戰不諱敗,惡內也。
夏、莊公、斉国を攻めて糾を送り入れんと欲す。送り入るべきときに送らず、斉国の局勢変わりて後に乃ち兵を出せしかば、干時のあの一戦に魯国の敗績を隠諱せざるは、魯国の側を憎めばなり。
齊小白入於齊。大夫出奔反,以好曰歸,以惡曰入。齊公孫無知弒襄公,公子糾、公子小白不能存,出亡。齊人殺無知,而迎公子糾於魯,公子小白不讓公子糾,先入,又殺之於魯。故曰齊小白入於齊,惡之也。
斉国の小白、斉国に入る。大夫出奔して後再び帰るに、善意の帰るを「歸」といい、悪意の帰るを「入」という。斉国の公孫無知、襄公を殺し、公子糾・公子小白自ら存すること能わず、国外に逃げたり。斉国の人無知を殺し、魯国に來りて公子糾を迎えんとすに、公子小白、公子糾に譲らずして自ら先一步入り、後にまた公子糾を魯国にて殺せり。ゆえに「斉小白斉に入る」と書き成すは、彼を憎むるなり。
九月,齊人取子糾殺之。外不言取,言取,病內也。取,易辭也,猶曰取其子糾而殺之云爾。十室之邑,可以逃難;百室之邑,可以隱死。以千乘之魯,而不能存子糾,以公為病矣。
九月、斉国の人、子糾を取り去りて殺す。外国の事は例により「取」を書かず。「取」を書けるは、魯国の側を責むるなり。「取」はこの事の來ること容易なりを言う、彼らが子糾を取り來りて殺せしのみに等し。十戸の城邑もなお難を逃るべく、百戸の城邑もなお死なんとする一人を蔵め得べし。魯国のごとき千乗の国を凭じて、子糾を保全すること能わず。経文は莊公を病あると見なすなり。
十年春,王正月,公敗齊師於長勺。不日,疑戰也。疑戰而曰敗,勝內也。
十年春、周歴正月、莊公、長勺に斉国の軍隊を敗る。日を記さざるは、これ約束なき遭遇戦なればなり。約束なくして「敗」と書き成すは、勝利の魯国の側に在るを示す。
二月,公侵宋。侵時,此其月何也?乃深其怨於齊,又退侵宋以眾其敵,惡之。故謹而月之。
二月、莊公、宋国に侵入す。侵入は本より季によりて記すに、ここに月を記し出すはなぜか。彼は先ほど斉国と深怨を結び、また退き返りて宋国に侵入し、自らの敵人を更に多くせり。経文彼を憎み、ゆえに鄭重に月を記し出すなり。
三月,宋人遷宿。遷,亡辭也。其不地,宿不復見也。遷者,猶未失其國家以往者也。
三月、宋国の人、宿国を遷す。「遷」は亡国の措辞なり。どこに遷せしかを記さざるは、宿国これより再びあらわれざればなり。「遷」と言うは、未だ完全に自らの国家を失わずして去りしという情形なり。
夏,六月,齊師、宋師次於郎。次,止也。畏我也。
夏六月、斉国の軍隊・宋国の軍隊、郎の地に駐扎す。「次」はすなわち停止するなり、我が魯国を畏るればなり。
公敗宋師於乘丘。不日,疑戰也。疑戰而曰敗,勝內也。
莊公、乘丘に宋国の軍隊を敗る。日を記さざるは、これ約束なき遭遇戦なればなり。約束なくして「敗」と書き成すは、勝利の魯国の側に在るを示す。
秋,九月,荊敗蔡師於莘,以蔡侯獻武歸。荊者,楚也。何為謂之荊?狄之也。何為狄之?聖人立,必後至;天子弱,必先叛。故曰荊,狄之也。蔡侯何以名也?絕之也。何為絕之?獲也。中國不言敗,此其言敗何也?中國不言敗,蔡侯其見獲乎!其言敗何也?釋蔡侯之獲也。以歸,猶愈乎執也。
秋九月、荊、莘の地に蔡国の軍隊を敗り、蔡侯献武を帶し帰る。「荊」はすなわち楚なり。なぜ「荊」と称するか。これを狄人として遇すればなり。なぜ狄人として遇するか。聖人在位すれば彼ら必ず最後に至り、天子衰弱すれば彼ら必ず最先に反叛す。ゆえに「荊」と称するは、これを狄人として遇するなり。蔡侯なぜ名を称するか。彼を断絶するなり。なぜ断絶するか。彼が俘獲されたればなり。中原の国の交戦は、経文例により「敗」を書かず。ここに「敗」を書けるはなぜか。中原の国に「敗」を書かざれば、蔡侯俘獲されたるこの事は何をもって交代せん。蔡侯俘獲されたるを記すはなぜか。この事を解き釋さんがためなり。「以歸」と書くは、「執」と書くよりなお稍勝れり。
夏,五月戊寅,公敗宋師於鄑。內事不言戰,舉其大者,其日,成敗之也。宋萬之獲也。
夏五月戊寅、莊公、鄑の地に宋国の軍隊を敗る。およそ魯国自らの战事は、経文は「戦」と書かず、分量のより重き一面を挙げて書く。日を記し出すは、勝利を説き定めたるなり。この一仗は、なお宋万を俘獲せり。
秋,宋大水。外災不書,此何以書?王者之後也。高下有水災曰大水。
秋、宋国、大水を発す。外国の災害は、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。宋は先王の後なればなり。高きところ低きところ皆水災あるを乃ち「大水」と言う。
十有二年春,王三月,紀叔姬歸於酅。國而曰歸,此邑也,其曰歸何也?吾女也,失國喜得其所,故言歸焉爾。
十二年春、周歴三月、紀叔姬、酅邑に帰る。一国に対して乃ち「歸」を用う。ここは城邑なるに、なぜまた「歸」を用うるか。彼女は我が魯国の娘にして、国既になくなれり。彼女がなお安身の処を得たるを幸いす。ゆえに「歸」をもって言う。
秋,八月甲午,宋萬弒其君捷。宋萬,宋之卑者也。卑者以國氏,及其大夫仇牧以尊及卑也。仇牧,閒也。
秋八月甲午、宋万、その君捷を殺す。宋万は宋国の地位低微の人なり。地位低微の人は国名を名に冠す。また「其の大夫仇牧に及ぶ」と書くは、先に尊者を書き再び「及」をもって卑者に連ねるなり。仇牧は中に遮りて国君を護衛する者なり。
十有三年春,齊人、宋人、陳人、蔡人、邾人會於北杏。是齊侯、宋公也,其曰人何也?始疑之。何疑焉?桓非受命之伯也,將以事授之者也。曰:可矣乎?未乎?舉人,眾之辭也。
十三年春、斉国の人・宋国の人・陳国の人・蔡国の人・邾国の人、北杏に相会す。ここの「斉人」「宋人」は実は斉侯・宋公なるに、経文「人」と称するはなぜか。彼に対し疑慮を始めたればなり。何を疑慮するか。斉桓公は天子の任命を受けたる霸主にあらざるに、盟会の事を彼に交托せんと欲す。問うところは、可なりや、未だ可ならずや。「人」と称するは、衆人の言を示すなり。
夏,六月,齊人滅遂。遂,國也。其不日,微國也。
夏六月、斉国の人、遂国を滅ぼす。遂は一国なり。日を記さざるは、それ小国なればなり。
冬,公會齊侯盟於柯。曹劌之盟也,信齊侯也。桓盟雖內與,不日,信也。
冬、莊公、斉侯と柯の地に会盟す。これすなわち曹劌のあの訂盟にして、斉侯を信任するなり。斉桓公の主せし盟会は、たとえ魯国参加すとも日を記さず、彼を信任すればなり。
秋,七月,荊入蔡。荊者,楚也,其曰荊何也?州舉之也。州不如國,國不如名,名不如字。
秋七月、荊、蔡国に攻入す。「荊」はすなわち楚、なぜ「荊」と称するか。州名をもってこれを称するなり。州名をもって称するは国名を用うるに如かず、国名を用うるは名を称するに如かず、名を称するは字を称するに如かず。
冬,單伯會齊侯、宋公、衛侯、鄭伯於鄄。復同會也。
冬、単伯、鄄の地に斉侯・宋公・衛侯・鄭伯に会合す。これ再びの共同集会なり。
十有五年春,齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯會於鄄。復同會也。
十五年春、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯、鄄の地に相会す。これ再びの共同集会なり。
夏,夫人姜氏如齊。婦人既嫁不逾竟,逾竟非禮也。
夏、夫人姜氏、斉国に至る。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは礼に合せず。
冬,十有二月,會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯、滑伯、滕子,同盟於幽。同者,有同也,同尊周也。不言公,外內寮一,疑之也。
冬十二月、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯・滑伯・滕子に会合して、幽の地に同盟す。「同」は共同の目標あるを言う、すなわち共同に周室を尊奉するなり。「公」を書かざるは、外の諸侯と内の魯君を同一層級に書き、彼に対し疑慮あるを示すなり。
十有七年春,齊人執鄭詹。入者,眾辭也。以人執,與之辭也。鄭詹,鄭之卑者。卑者不志,此其志何也?以其逃來志之也。逃來則何志焉?將有其末,不得不錄其本也。鄭詹,鄭之佞人也。
十七年春、斉国の人、鄭詹を捉う。「人」と称するは、衆人の言を示すなり。「人」をもって人を捉うを記すは、相手方にこの権利あるを承認する措辞なり。鄭詹は鄭国の地位低微の人なり。地位低微の人は経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼が後に魯国に逃げ來りしかば、記するを要す。逃げ來るもなぜ記するか。後に結果あれば、前の根由は記さざるべからず。鄭詹は鄭国のあの言うべく討好すべき人なり。
夏,齊人殲於遂。殲者,盡也。然則何為不言遂人?盡齊人也,無遂之辭也。無遂則何為言遂?其猶存遂也。存遂奈何?曰:齊人滅遂,使人戍之,遂之因氏飲戍者酒而殺之,齊人殲焉。此謂狎敵也。
夏、斉国の人、遂国にて殺し尽くさる。「殲」はすなわち尽くるなり。然らばなぜ「遂人」と書かざるか。殺し尽くされたるは斉国の人なるがゆえ、これは遂国を既に存在せずと為す措辞なり。遂国既に存在せず、なぜなお「遂」と言うか。あれはなお遂国を存留させんと欲すればなり。どうして遂国を存留するというか。答えて曰く、斉国の人遂を滅ぼし、人を遣わして戍守せしめたり。遂国の因氏、戍守の人に酒を請いこれを殺し、斉国の人すなわち彼処に殺し尽くされり。これすなわち言うところの敵人を見ること軽しとせるなり。
十有八年春,王三月,日有食之。不言日,不言朔,夜食也。何以知其夜食也?曰:王者朝日,故雖為天子,必有尊也;貴為諸侯,必有長也。故天子朝日,諸侯朝朔。
十八年春、周歴三月、日食発生す。干支の日子を記さず、また「朔」を記さざるは、日食の夜に発生せしがゆえなり。どうして夜に食えりと知るか。答えて曰く、天子は每日の朝に太陽を朝拜す。ゆえにたとえ天子と為るとも、上に必ずなお敬うべきあり。たとえ諸侯と為るとも、上に必ずなお尊長すべきあり。このゆえに天子は日に朝し、諸侯は朔に朝す。
夏,公追戎於濟西。其不言戎之伐我,何也?以公之追之,不使戎邇於我也。於濟西者,大之也。何大焉?為公之追之也。
夏、莊公、戎人を追撃し、済水の西に至るまで追う。なぜ戎人の來りて我が魯国を攻めしと書かざるか。経文は莊公の彼らを追いに往きしに就きて書き、戎人をして既に我が魯国に逼近せしがごとく見せしめざればなり。「済西にて」と書くは、この事を大に書くなり。なぜ大に書くか。ただ莊公自ら追いに往きしがゆえなり。
秋,公子結媵陳人之婦於鄄,遂及齊侯、宋公盟。媵,淺事也,不志;此其志何也?闢要盟也。何以見其闢要盟也?媵,禮之輕者也;盟,國之重也。以輕事遂乎國重無說,其曰陳人之婦,略之也。其不日,數渝,惡之也。
秋、公子結、陪嫁の女子を送り、鄄の地に至りて陳国の人の新婦のために媵と為し、続いて斉侯・宋公と結盟す。媵を送るは浅き事にして、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。脅迫されて訂盟せし事を避くればなり。何を凭じて脅迫の訂盟を避けしと見出すか。媵を送るは礼の最も軽き事にして、結盟は国家の最も重き事なり。軽き事を「続きて」弁じて国家の重事と為すは、説き通らず。「陳人之婦」と称するは、彼女を簡略に書くなり。日を記さざるは、この盟約が多次毀棄されたるがゆえ、これを憎むるなり。
夫人姜氏如莒。婦人既嫁不逾竟,逾竟非正也。
夫人姜氏、莒国に至る。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。
冬,齊人、宋人、陳人伐我西鄙。其曰鄙,遠之也。其遠之何也?不以難邇我國也。
冬、斉国の人・宋国の人・陳国の人、我が魯国の西部の辺邑を攻む。「鄙」と称するは、战事を国都より遠くに言うなり。なぜ遠くに言うか。禍難をして既に我が魯国の腹地に逼近せしがごとく見せしめざればなり。
二十年春,王二月,夫人姜氏如莒。婦人既嫁不逾竟,逾竟非正也。
二十年春、周歴二月、夫人姜氏、莒国に至る。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。
二十有二年春,王正月,肆大眚。肆,失也。眚,災也。災紀也,失故也,為嫌天子之葬也。
二十二年春、周歴正月、罪過を大赦す。「肆」はすなわち放免、「眚」はすなわち災禍なり。災禍を記すは紀事なり。旧悪を放免するは、「天子の葬を弁ずるがごとし」のあの一層の嫌疑を避けんがためなり。
癸丑,葬我小君文姜。小君非君也,其曰君何也?以其為公配,可以言小君也。
癸丑、我が魯国の小君文姜を安葬す。小君は国君にあらざるに、なぜまた「君」と称するか。彼女は国君の配偶なるがゆえ、小君と称すべし。
陳人殺其公子禦寇。言公子而不言大夫,公子未命為大夫也;其曰公子,何也?公子之重視大夫,命以執公子。
陳国の人、その公子御寇を殺す。「公子」と称して「大夫」と称せざるは、この公子未だ命を受けて大夫と為らざればなり。なぜなお「公子」と称するか。公子の貴重は大夫と同じ。命を受けて來りて彼を処決するに、なお公子に按じて書く。
秋,七月丙申,及齊高傒盟於防。不言公,高傒伉也。
秋七月丙申、斉国の高傒と防の地に会盟す。「公」を書かざるは、高傒が国君と匹敵する架子を摆出せしがゆえなり。
冬,公如齊納幣。納幣,大夫之事也。禮有納采,有問名,有納徵,有告期,四者備而後娶,禮也。公之親納幣,非禮也,故譏之。
冬、莊公、斉国に至りて聘礼を送る。聘礼を送るは本より大夫の為す事なり。礼に納采あり、問名あり、納征あり、告期あり、四样斉備して然る後に迎娶するを乃ち礼に合す。莊公自ら往きて聘礼を送るは礼に合せず。ゆえに彼を譏刺す。
祭叔來聘。其不言使,何也?天子之內臣也。不正其外交,故不與使也。
祭叔、魯国に來り聘問す。なぜ「天王使」と書かざるか。彼は天子の畿内の臣なればなり。経文は彼のこの私の外交を認めず、ゆえに彼に「使」の言を与えず。
夏,公如齊觀社。常事曰視,非常曰觀。觀,無事之辭也,以是為屍女也,無事不出竟。公至自齊。公如,往時,正也。致月,故也。如往月致,月有懼焉爾。
夏、莊公、斉国に至りて社祭を観看す。例の事は「視」と書き、常規に合せざるを乃ち「観」と書く。「観」は並びに弁ずべき公事なしと言うにして、この出行を彼が女人を看に往きしと見なすなり。公事なくしては国境を出でるべからず。莊公、斉国より帰る。国を出ずるに季によりて來を記し季によりて回を記するは正例なり。回国に月を記し出すは、すなわち変故あるがゆえなり。出ずるに月に按じて記し帰るにまた月に按じて記せば、その一月の中に懼るべき事あり。
荊人來聘。善累而後進之。其曰人何也?舉道不待再。
荊人、來り聘問す。善事一件一件積累して、然る後に乃ち彼を上に進め一等す。「人」と称するはなぜか。一旦彼の上進の路を挙げれば、必ずしも再び下次を待たず。
公及齊侯遇於谷。及者,內為志焉爾。遇者,志相得也。
莊公、斉侯と穀の地に相遇す。「及」の字を用うるは、これ魯国の側の主動なるを示す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。
蕭叔朝公。微國之君,未爵命者,其不言來,於外也。朝於廟,正也;於外,非正也。
蕭叔、莊公を朝見す。彼は小国の国君にして、未だ爵命を受けず。「來」を書かざるは、朝見が国外に発生せしがゆえなり。太廟に朝見するを乃ち正道に合し、外に朝見するは正道に合せず。
秋,丹桓宮楹。禮:天子、諸侯黝堊,大夫倉,士黈。丹楹,非禮也。
秋、桓公廟の柱を紅色に漆す。礼によりて、天子・諸侯の柱は黒と白を用い、大夫は青を用い、士は黄を用う。柱を紅く漆するは礼に合せず。
二十有四年春,王三月,刻桓宮桷。禮:天子之桷,斲之礱之,加密石焉;諸侯之桷,斲之礱之。大夫斲之,士斲木刻桷,非正也。夫人,所以崇宗廟也。取非禮與非正,而加之於宗廟,以飾夫人,非正也。刻桓宮桷,丹桓宮楹,斥言桓宮,以惡莊也。
二十四年春、周歴三月、桓公廟の椽子に花を彫る。礼によりて、天子の椽子は砍き磨き更に細石をもって打光し、諸侯の椽子は砍き磨く。大夫はただ砍き、士はただ木を砍く。椽子に花を彫るは正道に合せず。夫人は本より宗廟を尊崇するに用うるなり。礼に合せず正道に合せざる做法を宗廟に加えて、もって夫人を妝飾するは正道に合せず。桓公廟の椽を刻み桓公廟の柱を漆するに、特に「桓宮」を點出するは、莊公を憎むるなり。
夏,公如齊逆女。親迎,恆事也,不志,此其志何也?不正其親迎於齊也。
夏、莊公、斉国に至りて新婦を迎娶す。自ら親を迎うるは常事にして、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼が斉国に至りて自ら親を迎えしに満たざればなり。
秋,公至自齊。迎者,行見諸,舍見諸。先至,非正也。
秋、莊公、斉国より帰る。親を迎いに往く人は、路を行くに彼女を見、住み止まるにも彼女を見るべし。自ら先に帰るは正道に合せず。
八月丁丑,夫人姜氏入。入者,內弗受也。日入,惡入者也。何用不受也?以宗廟弗受也。其以宗廟弗受,何也?娶仇人子弟,以薦舍於前,其義不可受也。
八月丁丑、夫人姜氏、入り來る。「入」の字を用うるは、魯国が受け入れざるを示す。日を記し出すは、この入った人を憎むるなり。何を凭じて受け入れざるか。宗廟の受け入れざるがゆえなり。宗廟なぜ受け入れざるか。仇人の娘を娶り、彼女を進献し先君の面前に安置するは、道理により受け入るべからざればなり。
戊寅,大夫宗婦,覿用幣。覿,見也。禮:大夫不見夫人,不言及不正,其行婦道,故列數之也。男子之贄,羔雁雉腒;婦人之贄,棗栗鍛修。用幣,非禮也。用者,不宜用者也。大夫,國體也,而行婦道,惡之,故謹而日之也。
戊寅、大夫と同宗の婦人、進見し、幣帛をもって見面の礼と為す。「覿」はすなわち進見なり。礼によりて、大夫は夫人に見えず。ここに「及」を書かざるは、彼らのかく為すが本より正道に合せざるに、婦人の礼数を履行しに往きしかば、彼らを一個一個数え出すなり。男子の見面の礼は羔・雁・雉・干肉、婦人の見面の礼は棗・栗・捶干の肉脯なり。幣帛を用うるは礼に合せず。「用」の字を用うるは、正に用うべからざるを示す。大夫は国家の躯干なるに、婦人の礼数を履行しに往く。経文はこの事を憎み、ゆえに鄭重に日を記し出すなり。
赤歸於曹郭公。赤蓋,郭公也,何為名也?禮:諸侯無外歸之義。外歸,非正也。
赤、曹国に帰る――郭公。赤はおそらく郭公なり。なぜ名を称するか。礼によりて、諸侯に外に投奔し別国を帰宿とするの道理なし。外に投奔するは正道に合せず。
二十有五年春,陳侯使女叔來聘。其不名,何也?天子之命大夫也。
二十五年春、陳侯、女叔を遣わして魯国に聘問せしむ。なぜ名を称せざるか。彼は天子の任命せる大夫なればなり。
六月辛未朔,日有食之。言日言朔,食正朔也。
六月辛未の朔、日食発生す。日を記しまた「朔」を記すは、日食の正に初一に発生せしを示す。
鼓用牲於社。鼓,禮也;用牲,非禮也。天子救日,置五麾,陳五兵、五鼓;諸侯置三麾,陳三鼓、三兵;大夫擊門,士擊柝,言充其陽也。
鼓を撃ち、犠牲をもって社を祭る。鼓を撃つは礼に合す。犠牲を用うるは礼に合せず。天子の日食を搶救するは、五面の旌旗を設立し、五種の兵器・五面の鼓を陳列す。諸侯は三面の旌旗を設立し、三面の鼓・三種の兵器を陳列す。大夫は大門を敲き、士は梆子を敲く。皆陽気を充盛ならしめんと言うなり。
伯姬歸於杞。其不言逆,何也?逆之道微,無足道焉爾。
伯姬、杞国に嫁ぐ。なぜ相手方の來りて親を迎うと書かざるか。この迎親の格が甚だ低く言うに足らざればなり。
秋,大水,鼓用牲於社於門。高下有水災曰大水。既戒鼓而駭眾,用牲可以已矣。救日以鼓兵,救水以鼓眾。
秋、大水を発し、鼓を撃ち、社壇と城門に犠牲をもって祭祀す。高きところ低きところ皆水災あるを乃ち「大水」と言う。既に鼓を敲きて警戒し衆人を驚動せしむれば、犠牲をもって止むべし。日食を搶救するに鼓と兵器を用い、水災を搶救するに鼓をもって衆人を聚合す。
曹殺其大夫。言大夫而不稱名姓,無命大夫也。無命大夫而曰大夫,賢也。為曹羈崇也。
曹国の人、その大夫を殺す。「大夫」と称して名姓を称せざるは、曹国に周の天子の爵命を受けたる大夫なければなり。命の大夫なくして「大夫」と称するは、彼の賢なるがゆえなり。これは曹羈を推崇せんがためなり。
夏,六月,公會齊侯、宋公、陳侯、鄭伯,同盟於幽。同者,有同也,同尊周也,於是而後授之諸侯也。其授之諸侯何也?齊侯得眾也。桓會不致,安之也。桓盟不日,信之也。信其信,仁其仁。衣裳之會十有一,未嘗有歃血之盟也
夏六月、莊公、斉侯・宋公・陳侯・鄭伯に会合して幽の地に同盟す。「同」は共同の目標あるを言う、すなわち共同に周室を尊奉するなり。この時以後に至りて、乃ち諸侯の事を彼に交托す。なぜ彼に交托するか。斉侯が衆人の擁護を得たればなり。斉桓公の主せし会は、魯君の回国を書かず、心安んずべしと為せばなり。彼の主せし盟会は日を記さず、彼を信任すればなり。彼の信を信とし、彼の仁を仁とす。衣裳の会十一次あり、皆かつて歃血の盟なかりき。
秋,公子友如陳,葬原仲。言葬不言卒,不葬者也。不葬而曰葬,諱出奔也。
秋、公子友、陳国に至りて原仲の葬礼に参列す。ただ葬を書きて去世を書かざるは、本より彼の葬礼を記すべからざるを説明す。記すべからざるに「葬」と書き成すは、公子友の実は出奔なるを隠諱するなり。
莒慶來逆叔姬。諸侯之嫁子於大夫,主大夫以與之。來者接內也,不正其接內,故不與夫婦之稱也。
莒慶、來りて叔姬を迎娶す。諸侯が娘を大夫に嫁がするは、大夫を主として交接するを由とす。相手方が門に上り來るは、直に魯国の公室と交接するなり。経文はこの交接に満たざるゆえ、彼らに夫婦の称呼を与えず。
二十有八年春,王三月甲寅,齊人伐衛,衛人及齊人戰。衛人敗績。於伐與戰,安戰也。戰衛,戰則是師也,其曰人,何也?微之也。何為微之也?今授之諸侯,而後有侵伐之事,故微之也。其人衛,何也?以其人齊,不可不人衛也。衛小齊大,其以衛及之,何也?以其微之,可以言及也。其稱人以敗,何也?不以師敗於人也。
二十八年春、周歴三月甲寅、斉国の人、衛国を攻め、衛国の人、斉国の人と交戦し、衛国の人大敗す。正に攻伐の中にまた交戦を書くは、この仗がどこに打たれしかを問うなり。既に衛国の作戦せるなれば、軍隊なるべきに、経文はかえって「人」と称するはなぜか。彼らを低微に書くなり。なぜ低微に書くか。先ほど諸侯の事を斉侯に交托せしに、続いて侵伐の事あり。ゆえに彼を低微に書く。衛国をも「人」と称するはなぜか。既に斉国を「人」と書き成せりしかば、衛国をも「人」と書かざるべからず。衛国小さく斉国大なるに、衛国をもって斉国に「及」ぶるはなぜか。既に斉国を低微に書けりしかば、「及」を用うべきなり。「人」を書きて敗績を記すはなぜか。軍隊が「人」に敗れたりと書きたからざればなり。
秋,荊伐鄭。荊者,楚也。其曰荊,州舉之也。
秋、荊、鄭国を攻む。「荊」はすなわち楚なり。「荊」と称するは、州名をもってこれを称するなり。
冬,築微。山林藪澤之利,所以與民共也。虞之,非正也。
冬、微の地に城を築く。山林湖沢の物産は、本より百姓と共享するに用うるなり。人を遣わして守り独占せしむるは正道に合せず。
大無麥禾。大者,有顧之辭也,於無禾及無麥也。
麦と禾、皆大いに収穫なし。「大」を用うるは、顧及する所ある措辞にして、禾なきより麦なきに及べるを言うなり。
臧孫辰告糴於齊。國無三年之畜,曰國非其國也。一年不升,告糴諸侯。告,請也。糴,糴也。不正,故舉臧孫辰以為私行也。國無九年之畜,曰不足;無六年之畜,曰急;無三年之畜,曰國非其國也。諸侯無粟,諸侯相歸粟,正也。臧孫辰告糴於齊,告,然後與之,言內之無外交也。古者稅什一,豐年補敗,不外求而上下皆足也,雖累凶年民弗病也。一年不艾而百姓飢,君子非之。不言如,為內諱也。
臧孫辰、斉国に向かい粮を買うを請う。一国に三年の積蓄なければ、この国は既に国に似ずと言う。一年収成好からずして、諸侯に向かい粮を買うを請う。「告」はすなわち請求、「糴」はすなわち粮食を買い入るなり。この事正道に合せず、ゆえに臧孫辰の名を提出してこれを私人の行為と書き成す。国家に九年の積蓄なくば「不足」と言い、六年の積蓄なくば「急」と言い、三年の積蓄なくばこの国は既に国に似ずと言う。諸侯に粮食なくば、諸侯互いに粮を送るを乃ち正道に合す。臧孫辰、斉国に向かい粮を買うを請い、請いて然る後に与えられしは、魯国の外に邦交なきを見べし。古時十分之一の税を収め、豊年をもって歉年を補い、外に求援するを必せず、上下皆足り用う。たとえ連ねて災年なるとも、百姓は困病せず。一年收割せざれば、百姓すなわち飢餓す。君子この事を責む。「斉に如く」と書かざるは、魯国のために隠諱するなり。
二十有九年春,新延廄。延廄者,法廄也。其言新有故也。有故則何為書也?古之君人者,必時視民之所勤。民勤於力,則功築罕;民勤於財,則貢賦少;民勤於食,則百事廢矣。冬築微,春新延廄,以其用民力為已悉矣!
二十九年春、延厩を翻新す。延厩は制度に按じて設置せる馬厩なり。「新」と言うは、元來旧ありしがゆえなり。旧あればなぜ記するか。古時人君たる者は、必ず時に按じて百姓の何のために労苦するかを看に往く。百姓の劳力足らざれば少なく土木を興し、百姓の財力足らざれば少なく貢賦を征し、百姓の粮食足らざれば百事皆停す。冬先ほど微の地に城を築き、春また延厩を翻新す、民力を用うること尽くし過ぎたるがゆえなり。
夏,師次於成。次,止也,有畏也。欲救鄣而不能也。不言公恥,不能救鄣也。
夏、軍隊、成の地に駐扎す。「次」はすなわち停止するなり、畏るるところあるがゆえなり。鄣を救わんと欲すれど弁ずること能わず。「公」を書かざるは、鄣を救うこと能わざるを恥じればなり。
秋,七月,齊人降鄣。降,猶下也。鄣,紀之遺邑也。
秋七月、斉国の人、鄣を降服せしむ。「降」は「攻め下る」に似たり。鄣は紀国の残れる城邑なり。
八月癸亥,葬紀叔姬。不日卒而日葬,閔紀之亡也。
八月癸亥、紀叔姬を安葬す。去世に日を記さず、安葬にかえって日を記すは、紀国の滅亡を哀憐するなり。
冬,公及齊侯遇於魯濟。及者,內為志焉爾。遇者,志相得也。
冬、莊公、斉侯と魯済に相遇す。「及」の字を用うるは、これ魯国の側の主動なるを示す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。
齊人伐山戎。齊人者,齊侯也,其曰人,何也?愛齊侯乎!山戎也,其愛之何也?桓內無因國,外無從諸侯,而越千里之險,北伐山戎,危之也,則非之乎,善之也。何善乎爾?燕,周之分子也;貢職不至,山戎為之伐矣。
斉国の人、山戎を攻む。「斉人」は実は斉侯なるに、経文「人」と称するはなぜか。斉侯を愛惜するなり。山戎に対し「人」をもって斉侯を称するは、なぜ彼を愛惜するというか。桓公は内に依托すべき属国なく、外に跟従の諸侯なくして、千里の険阻を越え北に山戎を攻む。経文は彼のために心配す。然らば彼を責むるか。彼を賛成するなり。彼の何を賛成するか。燕は周室より分かち出でたる子孫なり。職貢送り届かず、山戎これがために遮り挡げり。ゆえに攻めに往けり。
六月,齊侯來獻戎捷。齊侯來獻捷者,內齊侯也。不言使,內與同,不言使也。獻戎捷,軍得曰捷,戎菽也。
六月、斉侯、來りて山戎を攻ちし俘獲を奉献す。斉侯自ら來りて捷を献ずるは、斉侯を自己人と為すなり。「使」を書かざるは、自己人と為して共同に事を為せば、「使」を書かざるなり。戎人の俘獲を奉献す、軍中の得るところを「捷」と言い、ここに指すは戎地の豆子なり。
秋,築臺於秦。不正罷民三時,虞山林藪澤之利。且財盡則怨,力盡則懟,君子危之,故謹而志之也。或曰倚諸桓也。桓外無諸侯之變,內無國事,越千里之險,北伐山戎,為燕闢地。魯外無諸侯之變,內無國事,一年罷民三時,虞山林藪澤之利,惡內也。
秋、秦の地に台を築く。正道に合せざるは、百姓をして三季の内皆休息を得せず、山林湖沢の物産を独占せしめしなり。況んや財用尽くれば人は怨み、力尽くれば人は恨む。君子彼のために心配し、ゆえに鄭重に記したり。別の説に、斉桓公を取りて陪衬と為すなり。桓公は外に諸侯の変故なく、内に国事の身に纏うなく、千里の険阻を越え北に山戎を伐ち、燕国のために土地を開闢せり。魯国は外にも諸侯の変故なく、内にも国事なきに、一年の中に百姓をして三季休息を得せず、山林湖沢の物産を独占せしむ。経文は魯国の側を憎むるなり。
夏,宋公、齊侯遇於梁丘。遇者,志相得也。梁丘在曹、邾之間,去齊八百里,非不能從諸侯而往也。辭所遇,遇所不遇,大齊桓也。
夏、宋公、斉侯と梁丘に相遇す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。梁丘は曹国・邾国の間にあり、斉国を離るること八百里、斉侯の諸侯を約集してともに往くこと能わざるにあらず。彼は遇うべきを辞し去りて、本より遇い易からざるを遇いに往けり。これは斉桓公を大に書くなり。
八月癸亥,公薨於路寢。路寢,正寢也。寢疾居正寢,正也。男子不絕於婦人之手,以齊終也。
八月癸亥、莊公、路寝にて卒す。路寝はすなわち正寝なり。病重きとき正寝に住するは正例なり。男子は婦人の手に気絶せず、整粛に一生を終えんがためなり。
冬,十月乙未,子般卒。子卒日,正也;不日,故也。有所見則日。
冬十月乙未、子般卒す。子の去世に日を記し出すは正例なり。日を記さざれば、すなわち変故あるがゆえなり。人に見せしむべき事あれば、日を記す。
公子慶父如齊。此奔也,其曰如,何也?諱莫如深,深則隱。茍有所見,莫如深也。
公子慶父、斉国に至る。これ実は出奔なるに、なぜ「如」と書き成すか。隠諱は深藏不露より甚だしきなし。深藏すればすなわち事を遮り住む。もし人に見せしむべき事あらば、隠諱もまたこの次より深きなし。
(闕文)
(闕文)
閔公
元年春,王正月。繼弒君不言即位,正也。親之非父也,尊之非君也,繼之如君父也者,受國焉爾。
元年春、周歴正月。弑されたる国君の後に接するに、経文は「即位」を書かず、これ正例なり。親を論ずればあの人は彼の父にあらず、尊を論ずればあの人はなお彼の国君にあらず。しかるに君父を待遇するがごとく彼を継承するは、国家が彼より受け來れればなり。
夏,六月辛酉,葬我君莊公。莊公葬而後舉諡,諡所以成德也,於卒事乎加之矣。
夏六月辛酉、我が魯国の君莊公を安葬す。莊公安葬して後に乃ち諡号を標出す。諡は彼の一生の名徳を成就するに用い、喪事弁じ畢るを待ちて乃ち加え上ぐ。
秋,八月,公及齊侯盟於洛姑。盟納季子也。
秋八月、閔公、斉侯と洛姑に会盟す。この会盟は、季子を接し帰らんがためなり。
季子來歸。其曰季子,貴之也。其曰來歸,喜之也。
季子、国に帰り來る。彼を「季子」と称するは、彼を抬擧するなり。「來歸」と書くは、彼のために喜ぶなり。
冬,齊仲孫來。其曰齊仲孫,外之也。其不目而曰仲孫,疏之也。其言齊,以累桓也。
冬、斉国の仲孫來る。「斉仲孫」とかく書くは、彼を外人と為すなり。いずれの一位なるかを點明せずただ「仲孫」と称するは、彼を疏遠するなり。「斉」を點出するは、この事を斉桓公の身に牽累するなり。
夏,五月乙酉,吉禘於莊公。吉禘者,不吉者也。喪事未畢而舉吉祭,故非之也。
夏五月乙酉、莊公のために吉禘を行う。「吉禘」と言うも、実は不吉なり。喪事未だ弁じ畢らざるに吉祭を行う。ゆえにこの事を責む。
秋,八月辛丑,公薨。不地,故也。其不書葬,不以討母葬子也。
秋八月辛丑、閔公卒す。地を記さざるは、彼の死に変故あるがゆえなり。安葬を記さざるは、「既に母を討伐せり」をもって子の葬礼を弁まざるがためなり――母の罪未だ清算せられざれば、子のために葬を書くこと能わず。
九月,夫人姜氏孫於邾。孫之為言猶孫也。諱奔也。
九月、夫人姜氏、邾国に逃げ往く。「孫」の意は「遜」のごとく、彼女の実は出奔なるを隠諱するなり。
公子慶父出奔莒。其曰出,絕之也,慶父不復見矣。
公子慶父、莒国に逃亡す。「出」を書くは、彼を断絶するなり。慶父これより再びあらわれず。
冬,齊高子來盟。其曰來,喜之也。其曰高子,貴之也。盟立僖公也,不言使,何也?不以齊侯使高子也。
冬、斉国の高子、來りて結盟す。「來」を書くは、彼のために喜ぶなり。彼を「高子」と称するは、彼を抬擧するなり。この会盟は僖公を立定せんがためなり。なぜ「斉侯使」と書かざるか。斉侯が高子を使嗾するがごとく書きたからざればなり。
鄭棄其師。惡其長也,兼不反其眾,則是棄其師也。
鄭国、自らの軍隊を棄てたり。その将を憎み、加うるに部下を帰さざれば、すなわち自らの軍隊を棄てたるなり。
(闕文)
(闕文)
僖公
齊師、宋師、曹師次於聶北,救邢。救不言次,言次非救也,非救而曰救,何也?遂齊侯之意也。是齊侯與?齊侯也。何用見其是齊侯也?曹無師。曹師者,曹伯也,其不言曹伯,何也?以其不言齊侯,不可言曹伯也。其不言齊侯,何也?以其不足乎揚,不言齊侯也。
斉国の軍隊・宋国の軍隊・曹国の軍隊、聶北に駐扎して邢国を救いに往く。人を救うは本より「次」を書かず、「次」を書けばすなわち真の救にあらず。真の救にあらざるに「救」と書き成すはなぜか。斉侯の心意を成就せんがためなり。ここに言うところは斉侯か。斉侯なり。何を凭じて斉侯と見出すか。曹国に「師」と称しうる軍隊なし。「曹師」と称するは実は曹伯なり。なぜ曹伯と書かざるか。斉侯を書かざれば、曹伯をも書くこと能わず。なぜ斉侯を書かざるか。彼の功労がなお称揚に足らざれば、斉侯を書かざるなり。
夏,六月,邢遷於夷儀。遷者,猶得其國家以往者也。其地,邢復見也。
夏六月、邢国、夷儀に遷る。「遷」と言うは、なお自らの国家を保有して去りしという情形なり。地点を記し出すは、邢国が後になお再びあらわるべきがゆえなり。
齊師、宋師、曹師城邢。是向之師也,使之如改事然,美齊侯之功也。
斉国の軍隊・宋国の軍隊・曹国の軍隊、邢国のために城を築く。これなお先前のあの軍隊なるに、経文はかえって別に一事を為せしがごとく書くは、斉侯の功労を賛美せんがためなり。
秋,七月戊辰,夫人姜氏薨於夷。夫人薨不地。地,故也。
秋七月戊辰、夫人姜氏、夷の地にて卒す。夫人の去世は本より地を記さず。ここに地を記せるは、死に変故ありしがゆえなり。
齊人以歸。不言以喪歸,非以喪歸也。加喪焉,諱以夫人歸也。其以歸,薨之也。
斉国の人、彼女を帶し帰る。「喪を帶し帰る」と書かざるは、喪礼によりて送り帰せしにあらざればなり。経文に「薨」の字を加うるは、斉国の夫人を帶し去りしを隠諱するなり。「以歸」と書くは、実は彼女これがために死せり。
八月,公會齊侯、宋公、鄭伯、曹伯、邾人於檉。
八月、僖公、斉侯・宋公・鄭伯・曹伯・邾国の人に会合して柽の地に在り。
九月,公敗邾師於偃。不日,疑戰也。疑戰而曰敗,勝內也。
九月、僖公、偃の地に邾国の軍隊を敗る。日を記さざるは、これ約束なき遭遇戦なればなり。約束なくして「敗」と書き成すは、勝利の魯国の側に在るを示す。
冬,十月壬午,公子友帥師,敗莒師於麗。獲莒挐。莒無大夫,其曰莒挐,何也?以吾獲之目之也。內不言獲,此其言獲,何也?惡公子之紿。紿者奈何?公子友謂莒挐曰:「吾二人不相說,士卒何罪?」屏左右而相搏。公子友處下。左右曰:「孟勞。」孟勞者,魯之寶刀也。公子友以殺之。然則何以惡乎紿也?曰:棄師之道也。
冬十月壬午、公子友、軍隊を帥いて麗の地に莒国の軍隊を敗り、莒挐を俘獲せり。莒国に命の大夫なし。ここに「莒挐」と称するはなぜか。我が魯国が彼を俘獲せしがゆえ、彼を點出するなり。魯国自らの战事は例により「獲」を書かず。ここに書けるはなぜか。公子友の欺騙を用いしを憎めばなり。どう欺騙せしか。公子友、莒挐に対して曰く、「我ら二人彼此相い合わず、士兵何の罪かあらん」と。左右を退けて二人搏斗す。公子友、下風に落ちたり。左右喊びて曰く、「孟労」と。孟労は魯国の宝刀なり。公子友これをもって莒挐を殺せり。然らばなぜこの欺騙を憎むか。答えて曰く、これ自らの軍隊を棄てるの做法なり。
十有二月丁巳,夫人氏之喪至自齊。其不言姜,以其殺二子,貶之也。或曰為齊桓諱殺同姓也。
十二月丁巳、夫人氏の霊柩、斉国より至る。「姜」を書かざるは、彼女が二人の子を殺せしゆえ彼女を貶む。別の説に、斉桓公のために彼が同姓を殺せしを隠諱するなりと。
二年春,王正月,城楚丘。楚丘者何?衛邑也。國而曰城;此邑也,其曰城,何也?封衛也。則其不言城衛,何也?衛未遷也。其不言衛之遷焉,何也?不與齊侯專封也。其言城之者,專辭也。故非天子不得專封諸侯,諸侯不得專封諸侯。雖通其仁,以義而不與也。故曰:仁不勝道。
二年春、周歴正月、楚丘を修築す。楚丘とは何か。衛国の城邑なり。一国に対して乃ち「城」を用う。ここは城邑なるに、なぜまた「城」を用うるか。衛国のために改めて封建するなり。然らばなぜ「衛を城む」と書かざるか。衛国未だ遷り往かざればなり。なぜ衛国の遷都を書かざるか。斉侯の擅に諸侯を封建するを賛成せざればなり。「某を城む」と書き成すは、独自作主の措辞なり。ゆえに曰く、天子にあらざれば擅に諸侯を封建することを得ず、諸侯もまた擅に諸侯を封建することを得ず。たとえ彼の仁心を承認すとも、義によりては賛成せず。ゆえに曰く、仁は道に勝たず。
虞師、晉師滅夏陽。非國而曰滅,重夏陽也。虞無師,其曰師,何也?以其先晉,不可以不言師也。其先晉,何也?為主乎滅夏陽也。夏陽者,虞、虢之塞邑也,滅夏陽而虞、虢舉矣;虞之為主乎滅夏陽,何也?晉獻公欲伐虢。荀息曰:「君何不以屈產之乘,垂棘之璧,而借道乎虞也?」公曰:「此晉國之寶也。如受吾幣而不借吾道,則如之何?」荀息曰:「此小國之所以事大國也。彼不借吾道,必不敢受吾幣。如受吾幣而借吾道,則是我取之中府,而藏之外府;取之中廄,而置之外廄也。」公曰:「宮之奇存焉,必不使受之也。」荀息曰:「宮之奇之為人也,達心而懦,又少長於君。達心則其言略,懦則不能強諫,少長於君,則君輕之。且夫玩好在耳目之前,而患在一國之後,此中知以上,乃能慮之。臣料虞君,中知以下也。」公遂借道而伐虢。宮之奇諫曰:「晉國之使者,其辭卑而幣重,必不便於虞。」虞公弗聽,遂受其幣而借之道。宮之奇諫曰:「語曰:『唇亡則齒寒』,其斯之謂與!」挈其妻子以奔曹。獻公亡虢,五年而後舉虞,荀息牽馬操璧而前曰:「璧則猶是也,而馬齒加長矣。」
虞国の軍隊・晋国の軍隊、夏夏陽を滅ぼす。一つの国家にあらざるに「滅」を用うるは、夏陽を甚だ重く見るなり。虞国に「師」と称しうる軍隊なきに、経文かえって「師」と称するはなぜか。それが晋国の前に書かれりしかば、「師」と称せざるべからず。なぜ晋国の前に書くか。それが夏陽を滅ぼすの主謀なればなり。夏陽は虞国・虢国の要塞なり。夏陽を滅ぼせば、虞国・虢国は皆手の中に拿げらる。虞国を夏陽を滅ぼすの主謀と言うはなぜか。晋献公、虢国を攻めんと欲す。荀息曰く、「君王何ぞ屈地の出産する馬・垂棘の璧を取りて、虞国に路を借らざるや」と。献公曰く、「これ晋国の宝物なり。もし彼らが我が礼物を収めて路を借さざらば、如何せん」と。荀息曰く、「小国の大国に事うるは、これらを赖りとす。彼ら若し路を借さざれば、必ず敢えて我が礼物を収めず。若し礼物を収めまた路を借さば、ただ我が内庫より取り出し外庫に蔵め、内厩より牽き出して外厩に放つのみ」と。献公曰く、「宮之奇彼処に在り、必ず国君をして収めしめざらん」と。荀息曰く、「宮之奇の人となり、心は明白なれど性格懦弱にして、また小より国君の長ずるを看て大となれり。心明白なれば、話は簡略に言い出でん。懦弱なれば、強諫すること能わず。小より国君の長大を看れば、国君は彼を軽視せん。況んや玩好は耳目の跟前に擺れど、禍患は一国の後に在り。これ中以上の見識の人をして思慮せしむべし。我料るに虞君は中以下の見識の人なり」と。献公、ここに路を借りて虢を伐つ。宮之奇、勧諫して曰く、「晋国の使者、言辞谦卑にして礼物甚だ重し、必ず虞国に不利あらん」と。虞公聴かず、礼物を収め、路を彼らに借せり。宮之奇また勧諫して曰く、「俗に『唇亡びて歯寒し』と言うは、このことを言うか」と。ここに妻子児女を帶して曹国に逃げたり。献公、虢を滅ぼし、五年後に虞を打下せり。荀息、馬を牽き璧を持ちて前に走上りて曰く、「璧はなおあの璧なれど、馬の歯は加長せり」と。
秋,九月,齊侯、宋公、江人、黃人盟於貫。貫之盟,不期而至者,江人、黃人也。江人、黃人者,遠國之辭也。中國稱齊、宋,遠國稱江、黃,以為諸侯皆來至也。
秋九月、斉侯・宋公・江国の人・黄国の人、貫の地に会盟す。貫の地のこの会盟に、事前の約束なきに至れるは江国の人・黄国の人なり。「江人」「黄人」と称するは、遠方の国を称呼する措辞なり。中原は斉・宋を挙げ、遠方は江・黄を挙げ、これをもって諸侯の皆到りたるを示す。
夏,四月,不雨。一時言不雨者,閔雨也。閔雨者,有志乎民者也。
夏四月、雨降らず。一季の内にただ「不雨」と書くは、雨なきを哀憐するなり。雨なきを哀憐するは、すなわち心に百姓を念うなり。
六月,雨。雨雲者,喜雨也。喜雨者,有志乎民者也。
六月、雨降る。かく「雨」と書くは、雨降るを喜ぶなり。雨降るを喜ぶは、すなわち心に百姓を念うなり。
秋,齊侯、宋公、江人、黃人會於陽穀。陽穀之會,桓公委端搢笏而朝諸侯,諸侯皆諭乎桓公之志。
秋、斉侯・宋公・江国の人・黄国の人、陽穀に相会す。陽穀のこの会に、桓公は玄端を著し笏板を插して諸侯に朝見す。諸侯皆桓公の心意を明白せり。
冬,公子季友如齊蒞盟。蒞者位也。其不日,前定也。不言及者,以國與之也。不言其人,亦以國與之也。
冬、公子季友、斉国に至りて盟会に出席す。「莅」はすなわち就位するなり。日を記さざるは、事あらかじめ約せしがゆえなり。「及」を用いざるは、国家を相手方に交托するなり。相手方の人を書き出さざるも、また国家を相手方に交托するなり。
四年春,王正月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯侵蔡。蔡潰。潰之為言,上下不相得也。侵,淺事也。侵蔡而蔡潰,以桓公為知所侵也。不土其地,不分其民,明正也。遂伐楚,次於陘。遂,繼事也。次,止也。
四年春、周歴正月、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯に会合して蔡国に侵入す。蔡国潰散す。「潰」は上下相い得ざるを言う。侵入は浅き事なり。蔡国に侵入して蔡国すなわち潰散す、桓公のどこに侵入すべきかを知れるを見べし。その土地を占領せず、その百姓を分割せず、これ端正の做法なるを顯す。続いて楚国を攻め、陘に駐扎す。「遂」は続きて事を弁ずるなり。「次」はすなわち停止するなり。
夏,許男新臣卒。諸侯死於國,不地;死於外,地。死於師,何為不地?內桓師也。
夏、許男新臣卒す。諸侯が本国に死するは地を記さず、国外に死するは地を記す。軍中に死するに、なぜ地を記さざるか。桓公の軍隊を自己人と為せばなり。
楚屈完來盟於師,盟於召陵。楚無大夫,其曰屈完,何也?以其來會桓,成之為大夫也。其不言使,權在屈完也,則是正乎?曰:非正也。以其來會諸侯,重之也。來者何?內桓師也。於師,前定也。於召陵,得志乎桓公也。得志者,不得志也,以桓公得志為僅矣。屈完曰:「大國之以兵向楚,何也?」桓公曰:「昭王南征不反,菁茅之貢不至,故周室不祭。」屈完曰:「菁茅之貢不至,則諾,昭王南征不反,我將問諸江。」
楚国の屈完、軍中に來りて結盟し、盟約を召陵に訂す。楚国に命の大夫なし。ここに「屈完」と称するはなぜか。彼が來りて桓公と会するがゆえ、彼を大夫と為すなり。「使」を書かざるは、権柄屈完の手に在るがゆえなり。然らばこれ正道に合するか。答えて曰く、合せず。彼が來りて諸侯と会するがゆえ、彼を重く書く。「來」とは何の意か。桓公の軍隊を自己人と為すなり。「師にて」と書くは、事あらかじめ約せしなり。「召陵にて」と書くは、桓公の志を得たりと言うなり。彼の志を得たりと言うは、実は彼の真に志を得たるにあらずと言うにして、桓公のこの得志を僅かこれのみと見なすなり。屈完曰く、「大国、軍隊を取りて楚国に対するはなぜか」と。桓公曰く、「昭王南征して帰らず、菁茅の貢品も送り届かず、周室これがために祭祀すること能わず」と。屈完曰く、「菁茅の貢品届かざるは、これ我ら許諾す。昭王南征して帰らざるは、我江水に向かいて問わん」と。
齊人執陳袁濤塗。齊人者,齊侯也,其人之,何也?於是哆然外齊侯也。不正其逾國而執也。
斉国の人、陳国の袁濤塗を捉う。「斉人」は実は斉侯なるに、彼を「人」と書き成すはなぜか。この時に至りて、人々已に口を敞きて彼を外人として看れり。彼が別国を越えて人を捉えしに満たざればなり。
秋,及江人、黃人伐陳。不言其人及之者何?內師也。
秋、江国の人・黄国の人と陳国を攻む。誰なるかを書き出さずただ「及」を用うるはなぜか。魯国自らの軍隊なればなり。
八月,公至自伐楚。有二事偶,則以後事致。後事小,則以先事致。其以伐楚致,大伐楚也。
八月、僖公、楚を伐つ軍より帰る。二つの事連なり合えば、後の一事に按じて回国を書く。後の一事小なれば、前の一事に按じて回国を書く。ここに「楚を伐つ」に按じて回国を書くは、楚を伐つを更大に見ればなり。
冬,十有二月,公孫茲帥師,會齊人、宋人、衛人、鄭人、許人、曹人,侵陳。
冬十二月、公孫茲、軍隊を帥い、斉国の人・宋国の人・衛国の人・鄭国の人・許国の人・曹国の人に会合して陳国に侵入す。
五年春,晉侯殺其世子申生。目晉侯斥殺,惡晉侯也。
五年春、晋侯、その太子申生を殺す。「晋侯」を點出し直に「殺」と書くは、晋侯を憎むるなり。
杞伯姬來朝其子。婦人既嫁,不逾竟;逾竟非正也。諸侯相見曰朝,伯姬為志乎朝其子也。伯姬為志乎朝其子,則是杞伯失夫之道矣!諸侯相見曰朝,以待人父之道待人之子,非正也。故曰「杞伯姬來朝其子」,參譏也。
杞伯姬、子を帶して來り朝見す。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。諸侯相見するを乃ち「朝」と言う。伯姬は心に子をして朝見せしめんと存せり。伯姬が心に子をして朝見せしめんと存せば、すなわち杞伯は丈夫たるの道理を失えり。諸侯相見するを乃ち「朝」と言うに、人の父を待遇する礼をもって人の子を待遇するは正道に合せず。ゆえに「杞伯姬來りてその子を朝す」と書き成すは、三つの方面を併せて譏刺するなり。
公及齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯,會王世子於首戴。及以會,尊之也。何尊焉?王世子云者,唯王之貳也。雲可以重之存焉,尊之也。何重焉?天子世子世天下也。
僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と、首戴に周の天子の太子に会見す。先に「及」を書き再び「会」を書くは、彼を尊崇するなり。何を尊崇するか。「王世子」と称するは、彼が天子唯一の副貳なればなり。彼の甚だ重き托付を担负しうるを言う。ゆえに彼を尊崇す。重きはどこに在るか。天子の太子は世代天下を承受すべきなり。
秋,八月,諸侯盟於首戴。無中事而復舉諸侯,何也?尊王世子,而不敢與盟也。尊則其不敢與盟,何也?盟者,不相信也,故謹信也。不敢以所不信而加之尊者,桓諸侯也。不能朝天子,是不臣也。王世子,子也,塊然受諸侯之尊己,而立乎其位,是不子也。桓不臣,王世子不子,則其所善焉何也?是則變之正也。天子微,諸侯不享覲。桓控大國,扶小國;統諸侯不能以朝天子,亦不敢致天王。尊王世子於首戴,乃所以尊天王之命也。世子含王命會齊桓,亦所以尊天王之命也。世子受之可乎?是亦變之正也。天子微,諸侯不享覲。世子受諸侯之尊己,而天王尊矣,世子受之可也。
秋八月、諸侯、首戴に会盟す。中間に別に一事を立てざるに、再び「諸侯」を挙げ出すはなぜか。天子の太子を尊崇して、彼を盟誓に参与せしむるを敢えてせず。彼を尊崇せりと雖も、なぜまた彼を盟誓に参与せしむるを敢えてせざるか。盟誓は彼此相い信任せざるがゆえ、鄭重に信を求むるなり。敢えてこの不信任を尊者の身に加えず。桓公は諸侯なり。天子に朝見しに往くこと能わざるは、これ臣に似ず。天子の太子は子なるに、安然と諸侯の彼に対する尊崇を接受してあの位子に立つは、これ子に似ず。桓公子に似ず、太子臣に似ずと言うべく――然らば経文の彼らを賛成するは何か。これすなわち変通の中の正道なり。天子衰微にして、諸侯は進貢朝見せず。桓公は大国を控制し小国を扶持し、諸侯を統領するも彼らを帶して天子に朝見すること能わず、また天子を召し來るを敢えてせず。首戴に天子の太子を尊崇するは、正に天子の命令を尊崇するに用うるなり。太子、王命を帶して來りて斉桓公に会するも、また天子の命令を尊崇するに用うるなり。太子、これらを接受して可なりや。これもまた変通の中の正道なり。天子衰微にして、諸侯は進貢朝見せず。太子、諸侯の彼に対する尊崇を接受せば、天子かえって更に尊崇せらる。太子の接受するは可なり。
楚人滅弦,弦子奔黃。弦,國也;其不日,微國也。
楚国の人、弦国を滅ぼし、弦子、黄国に逃げたり。弦は一国なり。日を記さざるは、それ小国なればなり。
冬,晉人執虞公。執不言所於地,縕於晉也。其曰公,何也?猶曰其下執之之辭也。其猶下執之之辭,何也?晉命行乎虞民矣。虞、虢之相救,非相為賜也。今日亡虢,而明日亡虞矣!
冬、晋国の人、虞公を捉う。人を捉うるに地点を書き出さざるは、彼既に晋国の内に陥り在ればなり。彼を「公」と称するはなぜか。彼の下の人が彼を捉え起したるがごとき措辞なり。なぜ下の人の彼を捉えしに似たるか。晋国の命令已に虞国の百姓の中間に施行せられりしかばなり。虞国・虢国、互いに救援するは、彼此好処を贈送するにあらず。今日虢を滅ぼせば、明日すなわち虞を滅ぼさんとす。
夏,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、曹伯伐鄭,圍新城。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?病鄭也。著鄭伯之罪也。
夏、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・曹伯に会合して鄭国を攻め、新城を包囲す。一国を攻むるに、経文例によりその城邑を囲むと書かず。ここに「囲」を書けるはなぜか。鄭国を責め、鄭伯の罪を顯し出さんがためなり。
冬,公至自伐鄭。其不以救許致,何也?大伐鄭也。
冬、僖公、鄭を伐つ軍より帰る。なぜ「許を救う」に按じて回国を書かざるか。鄭を伐つを更大に見ればなり。
鄭,殺其大夫申侯。稱國以殺大夫,殺無罪也。
鄭国、その大夫申侯を殺す。国名をもって大夫を殺すを記すは、殺されたる者が罪なきを示す。
秋,七月,公會齊侯、宋公、陳世子款、鄭世子華,盟於寧母。衣裳之會也。
秋七月、僖公、斉侯・宋公・陳国の太子款・鄭国の太子華に会合して寧母に会盟す。これ衣裳の会なり。
八年春,王正月,公會王人、齊侯、宋公、衛侯、許男、曹伯、陳世子款,盟於洮。王人之先諸侯,何也?貴王命也。朝服雖敝,必加於上;弁冕雖舊,必加於首;周室雖衰,必先諸侯。兵車之會也。
八年春、周歴正月、僖公、周王室の人・斉侯・宋公・衛侯・許男・曹伯・陳国の太子款に会合して洮の地に会盟す。王室の人を諸侯の前に書くはなぜか。天子の命令を尊貴するなり。朝服はたとえ破れたるとも必ず身に加え、弁冕はたとえ旧きとも必ず頭に加え、周室はたとえ衰微せるとも必ず諸侯の前に書く。これ兵車の会なり。
鄭伯乞盟。以向之逃歸乞之也。乞者,重辭也,重是盟也。乞者,處其所而請與也。蓋汋之也。
鄭伯、盟会に参加せんことを請う。彼の先前逃げ帰りしあの事に就きて請うなり。「乞」は分量甚だ重き字にして、この盟会を甚だ重く見るなり。「乞」は人なお自らのところに在りて、自らを参加せしむるを請うなり。おそらく人に斟酌されて拉し入れられたるなり。
秋,七月,禘於太廟。用致夫人。用者,不宜用者也。致者,不宜致者也。言夫人必以其氏姓。言夫人而不以氏姓,非夫人也,立妾之辭也,非正也。夫人之,我可以不夫人之乎?夫人卒葬之,我可以不卒葬之乎?一則以宗廟臨之而後貶焉,一則以外之弗夫人而見正焉。
秋七月、太廟に禘祭を行い、夫人を廟に送り入れて祭祀を享受せしむ。「用」の字を用うるは、正に用うべからざるを示す。「致」の字を用うるは、正に送り入るべからざるを示す。夫人を称するに必ず氏姓を帶すべし。夫人を称して氏姓を帶せざれば、すなわち夫人にあらず、妾を立てて夫人と為すの措辞にして正道に合せず。既に彼女を夫人と為せば、我なお彼女を夫人と為さざるべきか。夫人死せば卒を記し葬を記す、我なお彼女に卒を記し葬を記さざるべきか。一方に彼女をして宗廟に面対せしめ、然る後に彼女を貶め、一方に外が彼女を夫人と承認せざるに借りて、正道を顯し出すなり。
夏,公會宰周公、齊侯、宋子、衛侯、鄭伯、許男、曹伯於葵丘。天子之宰,通於四海,宋其稱子,何也?未葬之辭也。禮:柩在堂上,孤無外事。今背殯而出會,以宋子為無哀矣!
夏、僖公、宰周公・斉侯・宋子・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と葵丘に会す。天子の太宰は、政令四海に通ず。宋君を「子」と称するは何ぞや。いまだ葬らざるの辞なり。礼に拠れば、柩なほ堂上に在るときは、孤子に外の事なし。今、殯の事を捨てて出でて会す。経文は宋子を哀痛なき者と見做せるなり。
秋,七月乙酉,伯姬卒。內女也,未適人不卒,此何以卒也?許嫁笄而字之,死則以成人之喪治之。
秋七月乙酉、伯姬卒す。彼女は魯の女にして、いまだ嫁がざれば、例に卒を記さず。ここに記するは何ぞや。すでに許嫁し、笄礼を行い、字を取り、死せば成人の喪礼を以てこれを処す。
九月戊辰,諸侯盟於葵丘。桓盟不日,此何以日?美之也。為見天子之禁,故備之也。葵丘之會,陳牲而不殺,讀書加於牲上,壹明天子之禁,曰:毋雍泉,毋訖糴,毋易樹子,毋以妾為妻,毋使婦人與國事。
九月戊辰、諸侯、葵丘に盟す。桓公の主せし盟会は本より日を記さず。ここに記するは何ぞや。彼を美とするなり。天子の禁令を顕わさんがため、書き具えたり。葵丘のこの会は、犠牲を陳べて殺さず、盟書を犠牲の上に加え、もっぱら天子の禁令を申明す。曰く、泉を壅塞するなかれ、糴を禁ずるなかれ、すでに立てたる太子を易うるなかれ、妾を以て妻と為すなかれ、婦人をして国事に干らしむるなかれ、と。
冬,晉裡克殺其君之子奚齊。其君之子云者,國人不子也。國人不子,何也?不正其殺世子申生而立之也。
冬、晋の里克、その君の子奚斉を殺す。「其君之子」と称するは、国中の人、彼を子と為さざるがためなり。国中の人、何を以て彼を子と為さざるか。晋侯、太子申生を殺してこの人を立つるに、人の心服せざるがためなり。
晉裡克弒其君卓,及其大夫荀息。以尊及卑也,荀息閒也。
晋の里克、その君卓とその大夫荀息とを殺す。先ず尊者を書き、次いで「及」を以て卑者に及ぼす。荀息は、中に横はりて君を衛る者なり。
晉殺其大夫裡克。稱國以殺,罪累上也。裡克弒二君與一大夫,其以累上之辭言之,何也?其殺之不以其罪也。其殺之不以其罪,奈何?裡克所為弒者,為重耳也。夷吾曰:「是又將殺我乎?」故殺之,不以其罪也。其為重耳弒,奈何?晉獻公伐虢,得麗姬,獻公私之。有二子,長曰奚齊,稚曰卓子。麗姬欲為亂,故謂君曰:「吾夜者夢夫人趨而來,曰:『吾苦畏。』胡不使大夫將衛士而衛冢乎?」公曰:「孰可使?」曰:「臣莫尊於世子,則世子可。」故君謂世子曰:「麗姬夢夫人趨而來曰『吾苦畏』,女其將衛士而往衛冢乎?」世子曰:「敬諾。」築宮。宮成,麗姬又曰:「吾夜者夢夫人趨而來,曰:『吾苦飢。』世子之宮已成,則何為不使祠也?」故獻公謂世子曰:「其祠。」世子祠。已祠,致福於君。君田而不在,麗姬以酖為酒,藥脯以毒。獻公田來,麗姬曰:「世子已祠。故致福於君。」君將食,麗姬跪曰:「食自外來者,不可不試也。」覆酒於地而地賁,以脯與犬,犬死。麗姬下堂而啼呼曰:「天乎!天乎!國子之國也,子何遲於為君?」君喟然嘆曰:「吾與女未有過切,是何與我之深也!」使人謂世子曰:「爾其圖之。」世子之傅裡克謂世子曰:「入自明。入自明,則可以生;不入自明,則不可以生。」世子曰:「吾君已老矣,已昏矣。吾若此而入自明,則麗姬必死。麗姬死,則吾君不安。所以使吾君不安者,吾不若自死。吾寧自殺以安吾君。」以重耳為寄矣,刎脰而死。故里克所為弒者,為重耳也。夷吾曰:「是又將殺我也。」
晋、その大夫里克を殺す。国を称して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。里克、二君と一大夫とを殺したるに、上に累する辞を以て言うは何ぞや。彼を殺すこと、その罪に拠りて殺したるにあらざればなり。如何にしてその罪に拠りて殺すにあらざるか。里克の彼らを殺さんとしたる所以は、重耳のためなり。夷吾曰く、「この人またわれを殺さんとするか」と。故に彼を殺したるは、その罪に拠るにあらざるなり。彼、重耳のために殺したりと言うは、如何なるか。晋献公、虢を伐ちて麗姫を得、献公これを寵愛す。彼女二子を生む。長は奚斉といい、次は卓子という。麗姫乱を為さんと欲し、すなわち君に曰く、「われ夜にあの夫人の歩み疾く来たるを夢見、曰く『われ懼るること甚し』と。大夫に衛士を率いさせて陵墓を守らしめんには如何」と。献公曰く、「誰をか遣るべき」と。彼女曰く、「臣の中に太子より尊きはなし。太子行けば可なり」と。ここにおいて君、太子に曰く、「麗姫、あの夫人の歩み疾く来たりて『われ懼るること甚し』と曰うを夢見たり。汝、衛士を率いて陵墓を守れ」と。太子曰く、「敬して命に従う」と。すなわち一宮を修む。宮成りて、麗姫また曰く、「われ夜にあの夫人の歩み疾く来たるを夢見、曰く『われ飢るること甚し』と。太子の宮すでに成れり。彼をして祭らしめざるは何ぞや」と。ここにおいて献公、太子に曰く、「往きて祭れ」と。太子祭り畢り、祭肉・祭酒を君に進献す。君、狩りにて在らず。麗姫、鴆を酒に入れ、また毒を脯に塗る。献公、狩りより帰り、麗姫曰く、「太子すでに祭りたり。ゆえに福食を君王に進献す」と。君まさに食せんとす。麗姫跪きて曰く、「外より送り来たる食物、試みざるべからず」と。酒を地に注げば、地墳起り、脯を犬に与えれば、犬死す。麗姫、堂を下りて哭呼びて曰く、「天なるかな!天なるかな!国はもと子の国なり。子、何ぞ遲遲として君と為らざるか」と。君長嘆して曰く、「われ汝と未だかつて刻薄なることなし。汝、何ぞわれと結ぶことの深きや」と。人をして太子に曰はしめて曰く、「汝自ら圖れ」と。太子の傅里克、太子に曰く、「入りて自ら明らめよ。入りて明らむれば、すなわち生くべし。入りて明らめざれば、生くるべからず」と。太子曰く、「わが君老いたり。すでに昏けり。われ若しこのごとく入りて明らめば、麗姫必ず死せん。麗姫死せば、わが君安からざらん。君をして安からざらしむるは、われ自ら死するに如かず。われ自ら殺して以て君を安んぜんと欲す」と。彼、後事を重耳に托し、頸を割きて死す。ゆえに里克の殺さんと欲せし者は、重耳のためなり。夷吾曰く、「この人またわれを殺さんとするか」と。
十有一年春,晉殺其大夫丕鄭父。稱國,以殺罪累上也。
十一年春、晋、その大夫丕鄭父を殺す。国を称して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。
秋,八月,大雩。雩,月正也。雩,得雨曰雩,不得雨曰旱。
秋八月、大雩を行う。雩祭、月を以て記するは正例なり。雨を求めて雨を得るを「雩」と曰い、雨を求めて雨を得ざるを「旱」と曰う。
夏,楚人滅黃。貫之盟,管仲曰:「江、黃遠齊而近楚,楚為利之國也。若伐而不能救,則無以宗諸侯矣!」桓公不聽,遂與之盟。管仲死,楚伐江、滅黃,桓公不能救。故君子閔之也。
夏、楚人、黄を滅ぼす。貫のあの盟にて、管仲曰く、「江・黄、斉に遠く楚に近し。楚はこれを利の国と視るなり。往きて伐ちて斉救う能わざれば、諸侯の宗主と為るの資格なし」と。桓公聽かず、ついに彼らと盟す。管仲死したる後、楚、江を伐ち黄を滅ぼし、桓公救う能わず。ゆえに君子この事を哀れむ。
公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯於鹹。兵車之會也。
僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と咸に会す。これ兵車の会なり。
十有四年春,諸侯城緣陵。其曰諸侯,散辭也。聚而曰散,何也?諸侯城,有散辭也。桓德衰矣。
十四年春、諸侯、緣陵を築く。「諸侯」と称するは、散れるの辞なり。人明らかに聚まるに、何を以て散れるの辞を用うるか。諸侯城を築きて散れるの言を用うるは、桓公の德すでに衰えたればなり。
夏,六月,季姬及繒子遇於防,使繒子來朝。遇者,同謀也。來朝者,來請己也。朝不言使,言使,非正也。以病繒子也。
夏六月、季姬、繒子と防に遇う。繒子をして來朝せしむ。「遇」は双方同じく謀るを言うなり。來朝するは、己を娶らんことを請いに來るなり。朝するに例により「使」を書かず。「使」を書けば正の道に合せず。これ以て繒子を責むるなり。
秋,八月辛卯,沙鹿崩。林屬於山為鹿。沙,山名也。無崩道而崩,故志之也。其日,重其變也。
秋八月辛卯、沙鹿崩る。林、山に連なるを「鹿」と曰う。沙は山の名なり。崩るべきの理なくして崩れたり。ゆえにこれを記す。日を記し出だすは、この變異を重しと視ればなり。
三月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯,盟於牡丘。兵車之會也。
三月、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と會い、牡丘に盟す。これ兵車の會なり。
遂次於匡。遂,繼事也。次,止也,有畏也。
次いで匡に次る。「遂」は事に次ぐなり。「次」は止まるを曰う。畏るるところ有ればなり。
公孫敖帥師,及諸侯之大夫救徐。善救徐也。
公孫敖、師を率い、諸侯の大夫とともに徐を救う。經文は徐を救うを美とす。
八月,螽。螽,蟲災也。甚則月,不甚則時。
八月、螽あり。螽は蟲の災なり。甚しければ月を記し、甚しからざれば時を記す。
己卯,晦,震夷伯之廟。晦,冥也。震,雷也。夷伯,魯大夫也。因此以見天子至於士,皆有廟。天子七廟,諸侯五,大夫三,士二。故德厚者流光,德薄者流卑。是以貴始德之本也。始封必為祖。
己卯、晦く、夷伯の廟を震う。「晦」は暗きを曰い、「震」は雷なり。夷伯は魯の大夫なり。これを以て見べし、天子より士に至るまで、みな廟あり。天子七廟、諸侯五廟、大夫三廟、士二廟。ゆえに德厚き者はその澤流るること遠く、德薄き者はその澤流るること卑し。この故に始めを重んず。それ德の本なり。始めて封を受けし者は、必ず始祖と為さる。
十有一月壬戌,晉侯及秦伯戰於韓。獲晉侯。韓之戰,晉侯失民矣。以其民未敗而君獲也。
十一月壬戌、晋侯、秦伯と韓に戰い、晋侯獲らる。韓のこの戰い、晋侯すでに百姓を失えり。百姓いまだ敗れざるに、君獲られたればなり。
十有六年春,王正月戊申朔,隕石於宋,五。先隕而後石,何也?隕而後石也。於宋,四竟之內曰宋。後數,散辭也,耳治也。
十六年春、王正月戊申朔、宋に石隕ること五。先ず「隕」を言いて後「石」を言うは何ぞや。先ず墜つるを見て、後に石なるを知ればなり。「于宋」と書くは、国境の内、皆宋と曰うなり。數を後に書くは、散れるの辭にして、耳を以て知れるなり。
是月,六鶂退飛,過宋都。是月者,決不日而月也。六鶂退飛過宋都,先數,聚辭也,目治也。子曰:「石,無知之物;鶂微,有知之物。石無知,故日之;鶂微,有知之物,故月之。君子之於物,無所茍而已。石、鶂且猶盡其辭,而況於人乎!故五石六鶂之辭不設,則王道不亢矣!」民所聚曰都。
是月、鶂六つ退飛して宋都を過ぐ。「是月」と書くは、決して日を記さずして月を記するのみなり。鶂六つ退飛して宋都を過ぐるは、數を先に書くは、聚まれるの辭にして、目を以て見たるなり。孔子曰く、「石は知覺なき物なり。鶂は小と雖ども、知覺有る物なり。石知覺なし。ゆえに日を記す。鶂小なりと雖ども知覺有り。ゆえに月を記するのみ。君子の物に對するや、ただ少しも苟且ならざるのみ。石と鶂とすらなほ辭を盡くさんとす。況んや人に於いてをや。ゆえに五石・六鶂の辭、設けざれば、王道擧げる能わざるなり」と。百姓聚居する所を「都」と曰う。
三月壬申,公子季友卒。大夫日卒,正也。稱公弟叔仲,賢也。大夫不言公子公孫,疏之也。
三月壬申、公子季友卒す。大夫卒するに日を記するは正例なり。「公弟叔仲」と稱するは、彼賢なればなり。大夫に公子・公孫を稱せざるは、彼を疎んずるなり。
秋,七月甲子,公孫茲卒。大夫日卒,正也。
秋七月甲子、公孫茲卒す。大夫卒するに日を記するは正例なり。
冬,十有二月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、邢侯、曹伯於淮。兵車之會也。
冬十二月、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・邢侯・曹伯と淮に會す。これ兵車の會なり。
夏,滅項。孰滅之?桓公也。何以不言桓公也?為賢者諱也。項,國也,不可滅而滅之乎,桓公知項之可滅也,而不知己之不可以滅也。既滅人之國矣,何賢乎?君子惡惡疾其始,善善樂其終。桓公嘗有存亡繼絕之功,故君子為之諱也。
夏、項を滅ぼす。滅ぼしたるは誰ぞ。桓公なり。桓公を書かざるは何ぞや。賢者のために諱するなり。項は一國なり。滅ぼすべからざるを滅ぼしたるか。桓公、項の滅ぼすべきを知れりと雖ども、己が滅ぼすべからざるを知らざりき。すでに人の國を滅ぼして、何の賢かあらん。君子は惡を惡み、その始めを疾む。善を稱し、その始め有りて終わるを樂しむ。桓公かつて亡國を存し繼絕の功あり。ゆえに君子彼のために諱す。
秋,夫人姜氏會齊侯於卞。九月,公至自會。
秋、夫人姜氏、卞にて齊侯と會す。九月、僖公、會より至る。
冬,十有二月乙亥,齊侯小白卒。此不正,其日之,何也?其不正前見矣。其不正之前見,何也?以不正入虛國,故稱嫌焉爾。
冬十二月乙亥、齊侯小白卒す。彼の繼位は本より正の道に合せず。ここに日を記すは何ぞや。彼正の道に合せざること、前にすでに顯れたり。前に如何に顯れたるか。彼正ならざるを以て虛の國に入る。ゆえにあの時すでにあの嫌疑を點出せり。
十有八年春,王正月,宋公、曹伯、衛人、邾人伐齊。非伐喪也。
十八年春、王正月、宋公・曹伯・衛人・邾人、齊を伐つ。これ齊に喪有る時に往きて伐つべきにあらざるなり。
五月戊寅,宋師及齊師戰於甗。齊師敗績。戰不言伐,客不言及。言及,惡宋也。
五月戊寅、宋師、齊師と甗に戰い、齊師敗績す。すでに戰えば別に伐を書かず。客たる者、例により「及」を用ゐず。ここに「及」を用うるは、宋を惡めばなり。
冬,邢人、狄人伐衛。狄其稱人,何也?善累而後進之。伐衛,所以救齊也。
冬、邢人・狄人、衛を伐つ。狄を「人」と稱するは何ぞや。善事一件一件積みて、後に始めて彼を上に一等進むるなり。衛を伐つは、齊を救うがためなり。
己酉,邾人執繒子,用之。微國之君,因邾以求與之盟。人因己以求與之盟,己迎而執之
己酉、邾人、繒子を執えて彼を用う。彼は小國の君にして、邾に倚りて盟を求めんと欲す。人己に倚りて盟を求めんと欲するに、己迎えて彼を執う。
惡之,故謹而日之也。用之者,叩其鼻以衈社也。
(傳文續きて曰く:)この事を惡む。ゆえに鄭重に日を記す。謂うところの「用」は、彼の鼻を敲き破り、鼻血を取りて社を衅るなり。
梁亡。自亡也。湎於酒,淫於色,心昏,耳目塞;上無正長之治,大臣背叛,民為寇盜。梁亡,自亡也。如加力役焉,湎不足道也。梁亡,鄭棄其師,我無加損焉,正名而已矣!梁亡,出惡正也。鄭棄其師,惡其長也。
梁亡ぶ。自ら滅亡せるなり。酒に沈湎し、色に放縱し、心昏く、耳目皆塞がる。上に正直の官長の治なく、大臣背叛し、百姓盜寇と為る。梁亡ぶとは、自ら滅亡せるなり。假令へば人の役使に加はらば、酒に沈湎するも言うに足らず。梁亡、鄭其の師を棄つ。われ辭を加減するなく、ただ名稱を擺正せるのみ。「梁亡」は、惡を以て正面の名稱として書き出だすなり。「鄭棄其師」は、その將を惡むなり。
二十年春,新作南門。作,為也,有加其度也。言新,有故也,非作也。南門者,法門也。
二十年春、南門を新作す。「作」は為すなり。規模を加大せるなり。「新」と曰うは、もと舊有るが故にして、無より有にあらず。南門は、制度に拠りて設くる門なり。
五月乙巳,西宮災。謂之新宮,則近為禰宮;以諡言之,則如疏之然。以是為閔宮也。
五月乙巳、西宮災す。若し「新宮」と稱せば、父の禰廟に近し。若し諡號を以て言わば、また彼を疎んずるに似たり。ゆえにこれを閔公の廟と見做す。
秋,齊人、狄人盟於邢。邢為主焉爾。邢小,其為主,何也?其為主乎救齊。
秋、齊人・狄人、邢に盟す。邢國、この次の主なり。邢國小なり。何を以て主と為るを得るか。齊を救うの事に於いて主なればなり。
秋,宋公、楚子、陳侯、蔡侯、鄭伯、許男、曹伯會於雩,執宋公以伐宋。以,重辭也。
秋、宋公・楚子・陳侯・蔡侯・鄭伯・許男・曹伯、雩に會し、宋公を執えて以て宋を伐つ。「以」の字を用うるは、分量甚だ重きの辭なり。
楚人使宜申來獻捷。捷,軍得也。其不曰宋捷,何也?不與楚捷於宋也。
楚人、宜申をして捷を獻せしむ。「捷」は軍中の所得なり。「宋捷」と書かざるは何ぞや。楚の宋に於いて俘獲を得るを贊せざるなり。
十有二月癸丑,公會諸侯盟於薄。會者,外為主焉爾。
十二月癸丑、僖公、諸侯に會し、薄に盟す。「會」の字を用うるは、この相會は彼方の主動なるを表す。
釋宋公。外釋不志,此其志,何也?以公之與之盟目之也。不言楚,不與楚專釋也。
宋公を釋す。外國の人を釋するに、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。僖公あの盟會に與りたれば、故に點出す。楚を書かざるは、楚の獨り作主にて釋するを贊せざるなり。
秋,八月丁未,及邾人戰於升陘。內諱敗,舉其可道者也。不言其人,以吾敗也。不言及之者,為內諱也。
秋八月丁未、邾人と升陘に戰う。魯は己が敗敗績を隱諱し、ただなほ言い出だすべきの面を擧げて書く。敵方の將の名を書かざるは、わが魯、敗戰せしがためなり。「及邾子」と言わざるは、魯のために隱諱するなり。
冬,十有一月己巳朔,宋公及楚人戰於泓。宋師敗績。日事遇朔曰朔。《春秋》三十有四戰,未有以尊敗乎卑、以師敗乎人者也。以尊敗乎卑、以師敗乎人,則驕其敵。襄公以師敗乎人,而不驕其敵,何也?責之也。泓之戰,以為復雩之恥也。雩之恥,宋襄公有以自取之。伐齊之喪,執滕子,圍曹,為雩之會,不顧其力之不足,而致楚成王。成王怒而執之,故曰:禮人而不答,則反其敬;愛人而不親,則反其仁;治人而不治,則反其知。過而不改,又之,是謂之過。襄公之謂也。古者被甲嬰胄,非以興國也,則以徵無道也。豈曰以報其恥哉!宋公與楚人戰於泓水之上,司馬子反曰:「楚眾我少,鼓險而擊之,勝無幸焉!」襄公曰:「君子不推人危,不攻人厄,須其出。」既出,旌亂於上,陳亂於下。子反曰:「楚眾我少,擊之,勝無幸焉!」襄公曰:「不鼓不成列,須其成列而後擊之。」則眾敗而身傷焉,七月而死。倍則攻,敵則戰,少則守。人之所以為人者,言也;人而不能言,何以為人?言之所以為言也,信也;言而不信,何以為言?信之所以為信者,道也;信而不道,何以為道?道之貴者時,其行勢也。
冬十一月己巳朔、宋公、楚人と泓に戰い、宋師敗績す。事朔に當れば、すなわち「朔」と書く。『春秋』、戰事三十四を記し、いまだかつて尊者を以て卑者に敗れ、師を以て「人」に敗れたることなし。尊者を以て卑者に敗れ、師を以て「人」に敗るるは、己が敵を視ること驕慢なり。宋襄公、師を以て「人」に敗るれども、敵を視ること驕慢にあらず。何ぞや。彼を責むるなり。泓のこの戰い、本より雩に執えられし恥を報いんと欲せり。雩の恥は、宋襄公自ら求めたるなり。齊に喪あるに乘じて伐ち、滕子を執え、曹を圍み、雩の會を招き、己が力足らざるを顧みずして、楚成王を招來せり。成王怒りて、彼を執う。ゆえに曰く、人に禮有りて彼應えざれば、反りて己が敬を察べよ。人を愛して彼親しまざれば、反りて己が仁を察べよ。人を治めて治まらざれば、反りて己が智を察べよ。過ち有りて改めず、再び犯す。これを真の過ちと謂うなり。言うところは襄公なり。古、甲を披き胄を戴くは、以て己が國を振興するか、以て無道を征討するかなり。何ぞ以て私の恥を報いるに用いんや!宋公、楚人と泓水のほとりに戰う。司馬子反曰く、「楚衆く、我寡し。彼の險なるに趁ひて、鼓して擊てば、勝は僥倖にあらず」と。襄公曰く、「君子、人の危うきに推さず、人の困阨なるに攻めず。彼の出づるを俟て」と。彼出づるを俟ちて、上旌旗すでに亂れ、下陳列すでに亂る。子反曰く、「楚衆く、我寡し。今擊てば、勝は僥倖にあらず」と。襄公曰く、「いまだ陳列成らざる者に鼓せず。彼の陳列成るを俟ちて後攻めよ」と。ここにおいて部下敗れ、己も傷を受け、七月過ぎて死す。倍すればすなわち擊ち、敵すればすなわち戰い、少なければすなわち守る。人の人たる所以は、言辭に依る。人、言う能わざれば、何を以て人と為らん。言辭の言辭たる所以は、信に依る。言うて信ならざれば、何を以て言と謂わん。信の信たる所以は、道に依る。信にして道に合わざれば、何を以て道と謂わん。道の重んずる所は時機に在りて、之を行うに形勢を視る。
二十有三年春,齊侯伐宋,圍閔。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?不正其以惡報惡也。
二十三年春、齊侯、宋を伐ち、閔を圍む。一國を伐つに、經文例によりその城邑を圍むを書かず。ここに「圍」を書くは何は何ぞや。惡を以て惡に報ゆるを滿とせざるなり。
夏,五月庚寅,宋公茲父卒。茲父之不葬,何也?失民也。其失民,何也?以其不教民戰,則是棄其師也。為人君而棄其師,其民孰以為君哉!
夏五月庚寅、宋公茲父卒す。茲父、葬を記さざるは何ぞや。彼百姓を失えればなり。如何にして百姓を失えりや。彼百姓に戰いを敎練せざれば、すなわち己が軍隊を棄てたるなり。國君たりて己が軍隊を棄つれば、百姓誰か彼を以て國君と爲さんや!
冬,天王出居於鄭。天子無出。出,失天下也。居者,居其所也。雖失天下,莫敢有也。
冬、周天子出でて、鄭に居る。天子に「出」の言なし。「出」と書くは、すなわち天下を失えり。「居」はその當に居るべき所に居るなり。天下を失うと雖ども、敢えて以て己が物と爲す者なし。
二十有五年春,王正月丙午,衛侯毀滅邢。毀之名何也?不正其伐本而滅同姓也。
二十五年春、王正月丙午、衛侯、邢を毀滅す。毀、名を稱するは何ぞや。彼が己が根本を斫斷し、同姓之國を滅ぼせるを滿とせざるなり。
宋蕩伯姬來逆婦。婦人既嫁,不逾竟。宋蕩伯姬來逆婦,非正也。其曰婦,何也?緣姑言之之辭也。
宋の蕩氏の伯姬、婦を迎え娶りに來る。婦人嫁して後、再び國境を出ずべからず。宋蕩伯姬の婦を迎え娶りに來る、正の道に合せず。「婦」と稱するは何ぞや。姑の面に順りて言うの辭なり。
宋殺其大夫。其不稱名姓,以其在祖之位,尊之也。
宋、その大夫を殺す。名姓を稱せざるは、彼祖先の位に在れば、故に彼を尊崇するなり。
秋,楚人圍陳,納頓子於頓。納者,內弗受也。圍,一事也;納,一事也;而遂言之,蓋納頓子者,陳也。
秋、楚人、陳を圍み、頓子を頓に納る。「納」は彼方接纳せざるを表す。「圍」是一事、「納」是一事、連ねて言い下せども、頓子を送入れたるは、實は陳なり。
冬,十有二月癸亥,公會衛子、莒慶,盟於洮。莒無大夫,其曰莒慶,何也?以公之會目之也。
冬十二月癸亥、僖公、衛子・莒慶に會し、洮に盟す。莒國に命大夫なし。ここに「莒慶」と稱するは何ぞや。國君彼と會するがゆえに點出すなり。
二十有六年春,王正月己未,公會莒子、衛寧速盟於向。公不會大夫,其曰寧速,何也?以其隨莒子可以言會也。
二十六年春、王正月己未、僖公、莒子・衛の寧速に會し、向に盟す。國君、大夫と會せず。ここに「寧速」と稱するは何ぞや。彼莒子に隨從すれば、「會」と書くを得るなり。
齊人侵我西鄙,公追齊師至巂,弗及。人,微者也。侵,淺事也。公之追之,非正也。至巂,急辭也。弗及者,弗與也,可以及而不敢及也。其侵也,曰人;其追也,曰師。以公之弗及,大之也。弗及,內辭也。
齊人、我が魯の西鄙に侵し、僖公、齊師を追いて巂に至るも、及ばず。「人」と稱するは、地位低微の人なり。侵入は淺き事なり。國君自ら追うは、正の道に合せず。「至巂」と書くは、急ぎの辭なり。「弗及」は戰わざるを言う。本より追及すべきを、敢えて追はざるなり。彼らの侵入を書くに「人」と稱し、追趕を書くに「師」と稱するは、國君及ばざれば、彼方を大に書くなり。「弗及」は魯の方に就きて言うの辭なり。
衛人伐齊。公子遂如楚乞師。乞,重辭也。何重焉?重人之死也,非所乞也。師出,不必反;戰,不必勝,故重之也。
衛人、齊を伐つ。公子遂、楚に往きて兵を乞う。「乞」は分量重きの字なり。重きは何に在るか。人の死を重んずるに在り。これ求むべきにあらざるなり。軍隊出づれば、必ずしも歸るを得ず。戰えば、必ずしも勝つ能わず。ゆえにこの事を重く書くなり。
秋,楚人滅夔,以夔子歸。夔,國也。不日,微國也。以歸,猶愈乎執也。
秋、楚人、夔を滅ぼし、夔子を以て歸る。夔は一國なり。日を記さざるは、彼小國なればなり。「以歸」と書くは、「執」を書くよりなほ少し勝れるなり。
冬,楚人伐宋圍閔。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?以吾用其師、目其事也,非道用師也。
冬、楚人、宋を伐ち、閔を圍む。一國を伐つに、經文例によりその城邑を圍むを書かず。ここに「圍」を書くは何ぞや。わが魯、彼らの軍隊を用ゐたれば、故にこの事を點出す。かくのごとく兵を用うるは、正の道に合せず。
公以楚師伐齊,取谷。以者,不以者也。民者,君之本也。使民以其死,非其正也。
僖公、楚師を以て齊を伐ち、穀を取る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼らを用うべからざるを表す。百姓は國君の本なり。百姓をして己がために命を賭けしむるは、正の道に合せず。
公至自伐齊。惡事不致,此其致之,何也?危之也。
僖公、伐齊の軍中より至る。惡事、例により歸國を書かず。ここに書くは何ぞや。彼のために心配するなり。
冬,楚人、陳侯、蔡侯、鄭伯、許男圍宋。楚人者,楚子也,其曰人,何也?人楚子,所以人諸侯也。其人諸侯,何也?不正其信夷狄而伐中國也。
冬、楚人・陳侯・蔡侯・鄭伯・許男、宋を圍む。「楚人」は實は楚子なり。經文「人」と稱するは何ぞや。楚子を「人」と書くは、すなわち諸侯を「人」と書くなり。何を以て諸侯を「人」と書くか。彼らの夷狄を聽信して中原を伐つを滿とせざるなり。
公子買戍衛,不卒戍,刺之。先名後刺,殺有罪也。公子啟曰:「不卒戍者,可以卒也。」可以卒而不卒,譏在公子也,刺之可也。
公子買、衛を戍りに往き、戍守卒えずして殺さる。先ず名を稱して後「刺」を書くは、殺せるは罪有る人なるを表す。公子啟曰く、「謂うところの戍守卒えずは、本より卒うべきなり」と。卒うべくして卒えざれば、譏刺公子買に在り。彼を殺すは可なり。
三月丙午,晉侯入曹,執曹伯,畀宋人。入者,內弗受也。日入,惡入者也。以晉侯而斥執曹伯,惡晉侯也。畀,與也。其曰人,何也?不以晉侯畀宋公也。
三月丙午、晋侯、曹に入り、曹伯を執えて宋人に畀る。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。日を記するは、この入る者を惡むなり。晋侯の身分を以て直に曹伯を執うを書くは、晋侯を惡むなり。「畀」は與うなり。「人」と稱するは何ぞや。晋侯が人を宋公に交與すと書くを願わざるなり。
夏,四月己巳,晉侯、齊師、宋師、秦師,及楚人戰於城濮,楚師敗績。
夏四月己巳、晋侯・齊師・宋師・秦師、楚人と城濮に戰い、楚師敗績す。
五月癸丑,公會晉侯、齊侯、宋公、蔡侯、鄭伯、衛子、莒子,盟於踐土。諱會天王也。
五月癸丑、文公、晋侯・齊侯・宋公・蔡侯・鄭伯・衛子・莒子に會し、踐土に盟す。これ實に天子に會見せしを隱諱するなり。
公朝於王所。朝不言所;言所者,非其所也。
僖公、天子の所在に往きて朝す。朝するに例により地を書かず。地を書くは、そこ朝すべきの所にあらざればなり。
六月,衛侯鄭自楚復歸於衛。自楚,楚有奉焉爾。復者,復中國也。歸者,歸其所也。鄭之名,失國也。
六月、衛侯鄭、楚より衛に復歸す。「自楚」と書くは、楚彼に護送・幇助有るを表す。「復」は中原に歸るなり。「歸」はその當に歸るべき所に歸るなり。直に鄭の名を書くは、彼己が國を丟てたればなり。
冬,公會晉侯、宋公、蔡侯、鄭伯、陳子、莒子、邾子、秦人於溫。諱會天王也。
冬、僖公、晋侯・宋公・蔡侯・鄭伯・陳子・莒子・邾子・秦人と温に會す。これ實に天子に會見せしを隱諱するなり。
天王守於河陽。全天王之行也,為若將守而遇諸侯之朝也,為天王諱也。水北為陽,山南為陽。溫,河陽也。
天子、河陽に狩す。これ天子出行の體面を成すに、彼まさに狩せんとし、諸侯の來朝に遇うがごとく書くは、天子のために隱諱するなり。水北を陽と曰い、山南を陽と曰う。温はすなわち河陽なり。
壬申,公朝於王所。朝於廟,禮也;於外,非禮也。獨公朝,與諸侯盡朝也。其日,以其再致天子,故謹而日之。主善以內,目惡以外。言曰公朝,逆辭也,而尊天子。會於溫,言小諸侯。溫,河北地,以河陽言之,大天子也。日系於月,月繫於時,「壬申,公朝於王所」,其不月,失其所繫也。以為晉文公之行事,為已傎矣!
壬申、僖公、天子の所在に往きて朝す。太廟に朝するは禮に合す。外に朝するは禮に合せず。僖公の朝するのみを書けども、實は諸侯皆朝せり。日を記すは、彼再び天子を招きしがゆえに、鄭重にこの日を記す。善を魯の方に歸し、惡を外に指す。「公朝」と書くは、本より顚倒の辭なれども、また以て天子を尊崇す。「會于温」と書くは、諸侯を小に書くなり。温は河北に在るに、改めて「河陽」を以て言うは、天子を大に書くなり。日は月に係り、月は季節に係る。「壬申、公朝于王所」と月を記さざるは、係るべきの一層を失えり。經文、晋文公の爲せるこれらの事、すでに太だ顚倒せりと見做す!
晉人執衛侯,歸之於京師。此入而執,其不言入,何也?不外王命於衛也。歸之於京師,緩辭也,斷在京師也。
晋人、衛侯を執えて、彼を京師に歸す。これ衛に入りて後執えたるに、何を以て「入」を書かざるか。王命を衛に於いて外來のごとく顯れしめざるがためなり。「歸之于京師」と書くは、舒緩の辭にして、裁斷京師に在るなり。
衛元咺自晉復歸於衛。自晉,晉有奉焉爾。復者,復中國也。歸者,歸其所也。
衛の元咺、晋より衛に復歸す。「自晋」と書くは、晋彼に護送・幇助有るを表す。「復」は中原に歸るなり。「歸」はその當に歸るべき所に歸るなり。
曹伯襄復歸於曹。復者,復中國也。天子免之,因與之會。其曰復,通王命也。
曹伯襄、曹に復歸す。「復」は中原に歸るなり。天子彼を赦したり。彼これに因りて盟會に與れり。「復」と書くは、天子の命を貫通するなり。
二十有九年春,介葛盧來。介,國也。葛盧,微國之君,未爵者也。其曰來,卑也。
二十九年春、介の葛盧來る。介は一國なり。葛盧は小國の君にして、いまだ爵命なし。「來」と書くは、彼の地位低ければなり。
夏,六月,公會王人、晉人、宋人、齊人、陳人、蔡人、秦人,盟於翟泉。
夏六月、僖公、周王室の人・晋人・宋人・齊人・陳人・蔡人・秦人に會し、翟泉に盟す。
秋,衛殺其大夫元咺。稱國以殺,罪累上也,以是為訟君也。衛侯在外,其以累上之辭言之,何也?待其殺而後入也。
秋、衛、その大夫元咺を殺す。國を稱して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。この事を彼が國君と爭訟するに見做す。衛侯なほ外に在るに、上に累する辭を以て言うは何ぞや。彼元咺の殺されしを俟ちて後入れたればなり。
冬,天王使宰周公來聘。天子之宰,通於四海。
冬、周天子、宰周公をして來聘せしむ。天子の太宰は、政令四海に通ず。
公子遂如京師。遂如晉。以尊遂乎卑,此言不敢叛京師也。
公子遂、京師に往き、次いで晋に往く。尊處より卑處に次ぎて事を辦ず。これ京師を背叛せざる敢えなきを言うなり。
夏,四月,四卜郊。不從,乃免牲,猶三望。「夏,四月」,不時也。四卜,非禮也。免牲者,為之緇衣燻裳。有司玄端奉送,至於南郊。免牛亦然。乃者,亡乎人之辭也。猶者,可以已之辭也。
夏四月、郊祭を四卜す。從わず。すなわち犧牲を免じて、なほ望祭を三たび行う。「夏、四月」と書くは、時令に合せず。四卜するは、禮に合せず。謂うところの免牲は、彼に玄の上衣・纁の下裳を着せ、有司玄端を服して恭く送り、南郊に至る。免牛もまたかくのごとし。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。「猶」は止むべきにしてなほ爲すを言うの辭なり。
冬,杞伯姬來求婦。婦人既嫁,不逾竟。杞伯姬來求婦,非正也。
冬、杞伯姬、婦を求め娶りに來る。婦人嫁して後、再び國境を出ずべからず。杞伯姬の婦を求め娶りに來る、正の道に合せず。
三十有三年春,王二月,秦人入滑。滑,國也。
三十三年春、王二月、秦人、滑に入る。滑は一國なり。
夏,四月辛巳,晉人及姜戎敗秦師於殽。不言戰而言敗,何也?狄秦也。其狄之,何也?秦越千里之險,入虛國,進不能守,退敗其師徒,亂人子女之教,無男女之別。秦之為狄,自殽之戰始也。秦伯將襲鄭,百里子與蹇叔子諫曰:「千里而襲人,未有不亡者也。」秦伯曰:「子之冢木已拱矣,何知!」師行。百里子與蹇叔子送其子而戒之曰:「女死,必於殽之巖唫之下。我將屍女於是。」師行,百里子與蹇叔子隨其子而哭之。秦伯怒曰:「何為哭吾師也?」二子曰:「非敢哭師也,哭吾子也。我老矣!彼不死,則我死矣!」晉人與姜戎要而擊之殽,匹馬倚輪無反者。晉人者,晉子也,其曰人,何也?微之也。何為微之?不正其釋殯,而主乎戰也。
夏四月辛巳、晋人・姜戎、殽に秦師を敗る。「戰」と書かずして「敗」と書くは何ぞや。秦を狄人と爲せばなり。何を以て狄人と爲すか。秦、千里の險阻を越えて、虛の國に入り、進んでは守る能わず、退けば部下をして戰に敗れしめ、人の子女の敎養を亂りて、男女の分別なし。秦の狄と爲さるるは、殽の戰いより始まる。秦伯、鄭を襲わんと將にす。百里子・蹇叔子、諫めて曰く、「千里を走りて人を襲うに、亡びざるはなし」と。秦伯曰く、「爾らの壟上の木、すでに拱抱すべし。何を知らんや」と。軍隊出發す。百里子・蹇叔子、その子を送りて誡めて曰く、「爾ら若し死せば、必ず殽の岩下に死せん。われあそこに於いて爾らの尸を收めん」と。軍隊行き去り、百里子・蹇叔子、その子に從いて哭く。秦伯怒りて曰く、「何を以てわが軍隊を哭するか」と。二人曰く、「敢えて軍隊を哭せず。われらの子を哭するなり。われら老いたり!彼ら死せざれば、すなわちわれら死せり」と。晋人・姜戎、殽に邀擊し、一隻の馬・一隻の輪も歸る者なし。謂うところの「晋人」は、實は晋子なり。經文「人」と稱するは何ぞや。彼を低微に書くなり。何を以て低微に書くか。彼が殯事を放下して戰事を主要と爲せるを滿とせざるなり。
隕霜不殺草。未可殺而殺,舉重也。可殺而不殺,舉輕也。
霜降りて草を凍死せず。いまだ凍死すべからざるに凍死せば、分量重きを擧げて言う。凍死すべきにして凍死せざれば、分量輕きを擧げて言う。
(闕文)
(闕文)
文公
元年春,王正月,公即位。繼正即位,正也。
元年春、王正月、文公卽位す。正に卒したる君の後に接ぎて卽位するは、正例なり。
天王使叔服來會葬。葬曰會,其志重天子之禮也。
周天子、叔服をして葬に會せしむ。葬に「會」と書きてこの事を記するは、天子の禮を重んずるなり。
夏,四月丁巳,葬我君僖公。薨稱公,舉上也。葬我君,接上下也。僖公葬而後舉諡,諡所以成德也。於卒事乎加之矣!
夏四月丁巳、我が君僖公を葬る。卒を「公」と稱するは、彼が上位の名分を擧げて言うなり。「葬我君」と書くは、上下皆接ぐるなり。僖公葬りて後、諡號を標出す。諡は彼が一生の名德を成すに用ゐ、喪事辦じ畢るを俟ちて加上す。
天王使毛伯來錫公命。禮,有受命,無來錫命。錫命,非正也。
周天子、毛伯をして文公に命服を賜はらしむ。禮に拠れば、ただ自ら往きて任命を受くる有りて、天子の上門して賜命するを聽かず。賜命、正の道に合せず。
冬,十月丁未,楚世子商臣弒其君髡。日髡之卒,所以謹商臣之弒也。夷狄不言正不正。
冬十月丁未、楚の太子商臣、その君髡を殺す。髡の死の日を記すは、商臣の君を弑するを鄭重に對するがためなり。夷狄に對しては、正と不正を談ぜず。
二年春,王二月甲子,晉侯及秦師戰於彭衙。秦師敗績。
二年春、王二月甲子、晋侯、秦師と彭衙に戰い、秦師敗績す。
丁丑,作僖公主。作,為也,為僖公主也。立主,喪主於虞。吉主於練,作僖公主,譏其後也。作主壞廟,有時日於練焉!壞廟,壞廟之道,易簷可也,改塗可也。
丁丑、僖公の神主を作す。「作」は爲すなり。僖公のために神主を爲すなり。神主を立つるや、喪の主は虞祭に立て、吉の主は練祭に立つ。この時に始めて僖公の神主を作するは、爲すこと遲きを譏刺するなり。神主を作し舊廟を遷毀するは、練祭に定期有り。舊廟を遷毀するの法、屋檐を換ふるは可なり、涂飾を改むるも可なり。
三月乙巳,及晉處父盟。不言公,處父伉也,為公諱也。何以知其與公盟?以其日也。何以不言公之如晉?所恥也。出不書,反不致也。
三月乙巳、晋の處父と盟す。「公」を書かざるは、處父、國君に匹敵するの架子を擺ければ、また文公のために隱諱するなり。如何にして國君と盟せしと知るや。日を記し出だせばなり。何を以て文公の晋に往けるを書かざるか。これを恥と爲せばなり。出づるを記さず、歸るも歸國を書かず。
夏,六月,公孫敖會宋公、陳侯、鄭伯、晉士谷,盟於垂斂。內大夫可以會外諸侯。
夏六月、公孫敖、宋公・陳侯・鄭伯・晋の士穀に會し、垂斂に盟す。魯の大夫、外の諸侯と會すを得るなり。
自十有二月不雨,至於秋七月。歷時而言不雨,文不憂雨也。不憂雨者,無志乎民也。
十二月より雨降らざること、秋七月に至る。幾季節を經て「不雨」を書くは、文公、雨なきを愁えざればなり。雨なきを愁えざれば、すなわち心に百姓を惦記せざるなり。
八月丁卯,大事於太廟,躋僖公。大事者何?大是事也,著祫嘗。祫祭者,毀廟之主。陳於太祖,未毀廟之主,皆升合祭於太祖。躋,升也,先親而後祖也,逆祀也。逆祀,則是無昭穆也。無昭穆,則是無祖也。無祖,則無天也。故曰:文無天。無天者,是無天而行也。君子不以親親害尊尊,此《春秋》之義也。
八月丁卯、太廟に大事を行い、僖公の神主を躋げ升る。「大事」は何ぞや。この事を大に書きて、合祭の祫嘗なるを點明す。祫祭は、すでに遷毀せし廟主を太祖廟に陳べ、いまだ遷毀せざる廟主も皆升りて、太祖に於いて合祭す。「躋」はすなわち升るなり。父を祖父の前に排するは、顚倒の祭祀なり。祭祀を顚倒すれば、すなわち昭穆なし。昭穆なければ、すなわち祖先なし。祖先なければ、すなわち天なし。ゆえに曰く、文公は天なし。天なきは、天なくしてなほ事を行うなり。君子、親親を以て尊尊を傷つけず。これ『春秋』の義なり。
三年春,王正月,叔孫得臣會晉人、宋人、陳人、衛人、鄭人伐沈。沈潰。
三年春、王正月、叔孫得臣、晋人・宋人・陳人・衛人・鄭人に會して沈を伐つ。沈國潰散す。
夏,五月,王子虎卒。叔服也,此不卒者也,何以卒之?以其來會葬,我卒之也。或曰以其嘗執重以守也。
夏五月、王子虎卒す。彼はすなわち叔服なり。これ本より卒を記すべからざる人なり。何を以て記すか。彼來りて葬に與りしがゆえに、魯、彼の死を記す。一説曰く、彼かつて重任を負い、王室に留守せしがためなりと。
雨螽於宋。外災不志,此何以志也?曰:災甚也。其甚奈何?茅茨盡矣!著於上,見於下,謂之雨。
螽、雨のごとく宋に落つ。外國の災害は、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。答えて曰く、災甚だ重し。重きこと何の地步に至るか。茅屋の頂をも食らい盡くす!先ず天上に顯れ、後に地下に落つるを見るを、「雨」と曰う。
晉陽處父帥師伐楚,救江。此伐楚,其言救江,何也?江遠楚近,伐楚所以救江也。
晋の陽處父、師を率いて楚を伐ち、江を救う。これ楚を伐つなり。何を以て江を救うと言うか。江國遠く、楚國近し。楚を伐つは、正に以て江を救うなり。
夏,逆婦姜於齊。其曰婦姜,為其禮成乎齊也。其逆者誰也?親逆而稱婦。或者公與,何其速婦之也?曰:公也。其不言公,何也?非成禮於齊也。曰婦,有姑之辭也;其不言氏,何也?貶之也。何為貶之也?夫人與有貶也。
夏、齊に往きて婦姜を逆え娶る。「婦姜」と稱するは、婚禮齊に於いて成れればなり。往きて逆うるは誰ぞ。自ら親迎すれども「婦」と稱す。國君なるか、何を以てかくも速やかに彼女を以て婦と爲すや。答えて曰く、國君なり。何を以て「公」を書かざるか。齊に於いて禮を成せしにあらざればなり。「婦」と稱するは、姑有るの辭なり。氏を書かざるは何ぞや。彼女を貶すなり。何を以て彼女を貶すか。夫人も併せて貶さる。
五年春,王正月,王使榮叔歸含且賵。含,一事也;賵,一事也;兼歸之,非正也。其曰且,志兼也。其不言來,不周事之用也。賵以早,而含己晚。
五年春、王正月、周天子、榮叔をして含玉を歸せしめ、併せて賵を歸せしむ。「含」は一事、「賵」は一事、合併して歸すは、正の道に合せず。「且」の字を用うるは、合併の事を記するなり。「來」を書かざるは、物派用に趕わざればなり。賵の來ること早く、含の來ることすでに遲し。
晉殺其大夫陽處父。稱國以殺,罪累上也。襄公已葬,其以累上之辭言之,何也?君漏言也。上洩則下暗,下暗則上聾。且暗且聾,無以相通,夜姑殺者也。夜姑之殺奈何?曰:晉將與狄戰,使狐夜姑為將軍,趙盾佐之,陽處父曰:「不可!古者君之使臣也,使仁者佐賢者,不使賢者佐仁者。今趙盾賢,夜姑仁,其不可乎?」襄公曰:「諾。」謂夜姑曰:「吾始使盾佐女。今女佐盾矣!」夜姑曰:「敬諾。」襄公死,處父主竟上事,夜姑使人殺之。君漏言也,故士造闢而言,詭辭而出,曰:「用我則可,不用我則無亂其德。」
晋、その大夫陽處父を殺す。國を稱して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。襄公すでに葬られたるに、なほ上に累する辭を以て言うは何ぞや。國君、話を漏洩せしがためなり。上漏洩すれば、下閉口す。下閉口すれば、上卽聾子と成る。又閉口し又耳聾すれば、相通ずるの法なし。彼を殺せしは夜姑なり。夜姑如何にして彼を殺せしか。答えて曰く、晋、狄と戰わんと將にして、狐夜姑を將軍と爲し、趙盾、彼を輔佐せしむ。陽處父曰く、「不可なり!古、國君臣下を使用するや、仁者をして賢者を輔佐せしめ、賢者をして仁者を輔佐せしめず。今趙盾賢にして、夜姑仁なり。かくのごとくは恐らく不可ならん」と。襄公曰く、「善し」と。夜姑に曰く、「われ初め盾をして汝を輔佐せしめんとせしが、今改めて汝をして盾を輔佐せしむ」と。夜姑曰く、「敬して命に從う」と。襄公死して後、處父、邊境の事を主り、夜姑、人をして彼を殺せしむ。これすなわち國君、話を漏洩せしなり。ゆえに士人、國君に近づきて言うに、出づれば含糊の辭に改めて曰く、「わが言を用ゐれば可なり。わが言を用ゐずとも、わが操守を攪亂するなかれ」と。
閏月不告月,猶朝於廟。不告月者,何也?不告朔也。不告朔,則何為不言朔也?閏月者,附月之餘日也,積分而成於月者也。天子不以告朔,而喪事不數也。猶之為言,可以已也。
閏月、告月を行わずして、なほ廟に朝す。不告月は何の謂いか。すなわち不告朔なり。不告朔、何を以て直に「朔」を書かざるか。閏月は、月に附する餘りの日にして、一點一點積みて始めて一月を成す。天子、閏月を以て告朔せず、喪事を辦ずるも閏月を算え入れず。「猶」の字は、止むべきにしてなほ爲すを言うなり。
七年春,公伐邾。三月甲戌,取須句。取邑不日,此其日,何也?不正其再取,故謹而日之也。
七年春、文公、邾を伐つ。三月甲戌、須句を取る。城邑を取るに本より日を記さず。ここに記すは何ぞや。彼の再び取るを滿とせず、故に鄭重に日を記す。
晉先蔑奔秦。不言出,在外也。輟戰而奔秦,以是為逃軍也。
晋の先蔑、秦に奔す。「出」を書かざるは、彼すでに外に在ればなり。戰いを停めて秦に奔る。これを逃軍と見做す。
秋,八月,公會諸侯、晉大夫,盟於扈。其曰諸侯,略之也。
秋八月、文公、諸侯・晋の大夫に會し、扈に盟す。「諸侯」と稱するは、彼らを簡略に書くなり。
公孫敖如莒蒞盟。蒞,位也。其曰位,何也?前定也。其不日,前定之盟不日也。
公孫敖、莒に往きて盟に莅む。「莅」はすなわち位に就くなり。何を以て位に就くと言うか。事先に約し定めたればなり。日を記さず。事先に約し定めたる盟は日を記さず。
冬,十月壬午,公子遂會晉趙盾,盟于衡雍。乙酉,公子遂會雒戎,盟於暴。
冬十月壬午、公子遂、晋の趙盾に會見し、衡雍に盟す。乙酉、公子遂、雒戎に會見し、暴に盟す。
公孫敖如京師。不至而復,丙戌,奔莒。不言所至,未如也。未如則未復也。未如而曰如,不廢君命也。未復而曰復,不專君命也。其如非如也,其復非復也。唯奔莒之為信,故謹而日之也。
公孫敖、京師に如く、至らずして復り、丙戌、莒に逃亡す。何處に至れりを書かざるは、彼實に往かざればなり。實に往かざれば、すなわち實に歸ることもなし。實に往かざるに「如」を書くは、國君の命を廢せざるなり。實に歸らざるに「復」を書くは、國君の命を以て自ら作主すべきと爲さざるなり。彼の「如」は真如にあらず、彼の「復」は真復にあらず。ただ莒に逃亡せるのみ確實なり。ゆえに鄭重に日を記す。
宋人殺其大夫司馬。司馬,官也。其以官稱,無君之辭也。
宋人、彼らの大夫司馬を殺す。司馬は官名なり。官名を以て稱呼するは、國君なきの辭なり。
宋司城來奔。司城,官也。其以官稱,無君之辭也。來奔者不言出,舉其接我也。
宋の司城、來奔す。司城は官名なり。官名を以て稱呼するは、國君なきの辭なり。來奔するに「出」を書かざるは、彼がわが魯と交接するの面を擧げて言うなり。
九年春,毛伯來求金。求車猶可,求金甚矣。
九年春、毛伯、金錢を求めに來る。車子を要るは猶ほ罷る。金錢を要るは太だ過ぎたり。
二月,叔孫得臣如京師。京,大也;師,眾也。言周,必以眾與大言之也。
二月、叔孫得臣、京師に往く。「京」は大なり、「師」は人衆なり。周を說くに、必ず人衆と高大を以て之を稱呼す。
辛丑,葬襄王。天子志崩不志葬,舉天下而葬一人,其道不疑也。志葬,危不得葬也。日之,甚矣!其不葬之辭也。
辛丑、襄王を葬る。天子は「崩」を記して葬禮を記さず。全天下この一人を葬るのみ、可疑の處なし。葬禮を記するは、時に按じて葬を報ずる能わざるを擔憂するなり。日を記すは、更に甚し。これ葬らざるに近きの辭なり。
三月,夫人姜氏至自齊。卑以尊致,病文公也。
三月、夫人姜氏、齊より至る。卑者を尊者歸國の寫法に按じて記するは、文公を責むるなり。
晉人殺其大夫士縠,及箕鄭父。稱人以殺,誅有罪也,鄭父累也。
晋人、彼らの大夫士縠と箕鄭父とを殺す。「某國人殺」と書くは、誅殺せるは罪有る人なるを表す。鄭父は牽連せられたるなり。
九月癸酉,地震。震,動也。地,不震者也;震,故謹而日之也。
九月癸酉、地震す。「震」はすなわち動なり。地は本より震うべからざるなり。震いたれば、故に鄭重に日を記す。
冬,楚子使萩來聘。楚無大夫,其曰萩,何也?以其來我,褒之也。
冬、楚子、萩をして來聘せしむ。楚國に命大夫なし。ここに「萩」と稱するは何ぞや。彼來りてわが魯と交接すれば、故に彼を褒獎す。
秦人來歸僖公、成風之襚。秦人弗夫人也,即外之弗夫人而見正焉。
秦人、僖公・成風の喪事に用ふべき衣被を贈りに來る。秦人、成風を以て夫人と爲さず。外の彼女を夫人と承認せざるに藉りて、正の道を顯出す。
自正月不雨,至於秋七月。歷時而言不雨,文不閔雨也。不閔雨者,無志乎民也。
正月より雨降らざること、秋七月に至る。幾季節を經て「不雨」を書くは、文公、雨なきを哀れまざればなり。雨なきを哀れまざれば、すなわち心に百姓を惦記せざるなり。
冬,十月甲午,叔孫得臣敗狄於鹹。不言帥師而言敗,何也?直敗,一人之辭也。一人而曰敗,何也?以眾焉言之也。傳曰:長狄也。兄弟三人,佚宕中國,瓦石不能害。叔孫得臣,最善射者也。射其目,身橫九畝,斷其首而載之,眉見於軾。然則何為不言獲也?曰:古者不重創,不禽二毛,故不言獲,為內諱也。其之齊者,王子成父殺之,則未知其之晉者也。
冬十月甲午、叔孫得臣、咸に狄人を敗る。師を率ゐるを書かずして「敗」を書くは何ぞや。これ一人の身にて敗りたるの辭なり。一人、何を以てもまた「敗」と稱するや。彼方の人衆に就きて言うがためなり。傳文曰く、これ長狄なり。兄弟三人、中原に放縱し、瓦石も彼らを傷害する能わず。叔孫得臣は最も射を善くする者なり。彼の目を射中て、身橫たわること九畝の長さ有り。頭を斫りて車に裝せば、眉毛なほ車軾の上に露出す。然らば何を以て「獲」を書かざるか。答えて曰く、古、傷口に再び一創を加えず、頭髮花白の人を擒拿せず。ゆえに「獲」を書かず。また魯のために隱諱するなり。あの齊に往きし者は、王子成父に殺されたり。あの晋に往きし者は、知るべからず。
二月庚子,子叔姬卒。其曰子叔姬,貴也,公之母姊妹也。其一傳曰:許嫁,以卒之也。男子二十而冠,冠而列丈夫;三十而娶。女子十五而許嫁,二十而嫁。
二月庚子、子叔姬卒す。「子叔姬」と稱するは、彼女貴く、文公の同母の姊妹なればなり。一の傳說曰く、すでに許嫁せしがゆえに、彼女の死を記すと。男子は二十にして冠禮を行い、冠禮を行えばすなわち丈夫の中に列す。三十にして妻を娶る。女子は十五にして許嫁し、二十にして出嫁す。
冬,十有二月戊午,晉人秦人戰於河曲。不言及,秦晉之戰已亟,故略之也。
冬十二月戊午、晋人・秦人、河曲に戰う。「及」を用ゐざるは、秦・晋の間の戰事すでに太だ頻繁なれば、故に簡略に書くなり。
季孫行父帥師,城諸及鄆。稱帥師,言有難也。
季孫行父、師を率い、諸と鄆とを築く。「帥師」と書くは、禍難有るを言うなり。
大室屋壞。大室屋壞者,有壞道也,譏不修也。大室猶世室也。周公曰「大廟」,伯禽曰「大室」,群公曰「宮」。禮,宗廟之事。君親割,夫人親舂,敬之至也。為社稷之主,而先君之廟壞,極稱之,志不敬也。
大室の屋壞る。大室の屋壞るるは、敗壞の理有るに於いて、彼らの修繕せざるを譏刺するなり。大室は世室のごとし。周公のを「大廟」と曰い、伯禽のを「大室」と曰い、その餘各位の國君のを「宮」と曰う。禮に拠れば、宗廟の事、國君自ら牲を割き、夫人自ら米を舂く。これ恭敬極まるなり。社稷の主と爲して、先君の廟壞る。最重の字を以て言うは、彼の不敬を記するなり。
十有二月己丑,公及晉侯盟,還自晉。還者,事未畢也。自晉,事畢也。
十二月己丑、文公、晋侯と盟し、晋より還る。「還」は事いまだ辦じ畢らざるを言う。「自晋」と書くは、事すでに辦じ畢れたるなり。
六月,公會宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許伯、曹伯、晉趙盾。癸酉,同盟於新城。同者,有同也,同外楚也。
六月、文公、宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許伯・曹伯・晋の趙盾に會す。癸酉、新城に同盟す。「同」は共の目標有るを言う。すなわち共に楚を抵禦するなり。
秋,七月,有星孛入於北斗。孛之為言猶茀也。其曰入北斗,鬥有環域也。
秋七月、孛星有りて北斗に入る。「孛」の意は「茀」のごとく、光芒亂生の星なり。「入北斗」と言うは、北斗に環繞の區域有ればなり。
晉人納捷菑於邾,弗克納。是郤克也,其曰人,何也?微之也。何為微之也?長轂五百乘,綿地千里,過宋、鄭、滕、薛,夐入千乘之國,欲變人之主。至城下,然後知。何知之晚也!弗克納。未伐而曰弗克,何也?弗克其義也。捷菑,晉出也;貜且,齊出也。貜且,正也;捷菑,不正也。
晋人、捷菑を邾に納れんと將にして、納るる能わず。この人は郤克なり。經文「人」と稱するは何ぞや。彼を低微に書くなり。何を以て低微に書くか。兵車五百乘、綿延千里、宋・鄭・滕・薛を經て、遙かに千乘有る國に入り、人の國君を改換せんと欲す。城下に至りて、後に明白す。明白すること何の遲きや!「弗克納」と書く。いまだ攻めざるに「弗克」と言うは何ぞや。彼義理に於いて勝る能わざるなり。捷菑は晋の女の生みしなり。貜且は齊の女の生みしなり。貜且は正支にして、捷菑は正支にあらず。
九月甲申,公孫敖,卒於齊。奔大夫不言卒,而言卒,何也?為受其喪,不可不卒也。其地於外也。
九月甲申、公孫敖、齊に於いて卒す。逃亡の大夫は例により卒を記さず。ここに記すは何ぞや。魯、彼の喪事を接受せば、記さざるを得ず。地を記すは、彼外國に死せればなり。
齊公子商人弒其君舍。舍未逾年,其曰君,何也?成舍之為君,所以重商人之弒也。商人其不以國氏,何也?不以嫌代嫌也。舍之不日,何也?未成為君也。
齊の公子商人、その君舍を殺す。舍いまだ年を過ごさざるに、何を以て「君」と稱するや。舍を以て國君と成すは、以て商人の君を弑するの罪を加重す。商人、何を以て國名を名の上に冠せざるか。一層の嫌疑を以て一層の嫌疑に代替せざるなり。舍の死、日を記さざるは何ぞや。彼いまだ正式の國君と爲らざればなり。
齊人執單伯。私罪也。單伯淫於齊,齊人執之。
齊人、單伯を執う。これ私罪なり。單伯、齊に於いて淫亂し、齊人彼を執う。
三月,宋司馬華孫來盟。司馬,官也。其以官稱,無君之辭也。來盟者何?前定也。不言及者,以國與之也。
三月、宋の司馬華孫、來りて盟す。司馬は官名なり。官名を以て稱呼するは、國君なきの辭なり。「來盟」は何の謂いか。事先に約し定めたるなり。「及」を用ゐざるは、國家を彼方に交托するなり。
單伯至自齊。大夫執則致,致則名;此其不名,何也?天子之命大夫也。
單伯、齊より至る。大夫執えられればすなわち歸國を書き、歸國を書けばすなわち名を稱す。ここに名を稱せざるは何ぞや。彼天子任命の大夫なればなり。
秋,齊人侵我西鄙。其曰鄙,遠之也。其遠之,何也?不以難介我國也。
秋、齊人、我が魯の西鄙に侵す。「鄙」と稱するは、戰事を國都より遠く言うなり。何を以て遠く言うか。禍難をしてわが魯の腹地に夾在せしめざるがためなり。
十有二月,齊人來歸子叔姬。其曰子叔姬,貴之也。其言來歸,何也?父母之於子,雖有罪,猶欲其免也。
十二月、齊人、子叔姬を娘家に歸す。「子叔姬」と稱するは、彼女を擡舉するなり。「來歸」と書くは何ぞや。父母の子女に於ては、罪有りと雖ども、なほ彼女をして罪を免れしめんと欲すなり。
十有六年春,季孫行父會齊侯於陽穀。齊侯弗及盟。弗及者,內辭也。行父失命矣,齊得內辭也。
十六年春、季孫行父、陽谷に齊侯を會見す。齊侯、彼と盟せず。「弗及」は魯の方に就きて言うの辭なり。行父すでに使命を失えり、齊は反りてこの魯の方に就きて言うの寫法を得たり。
夏,五月,公四不視朔。天子告朔於諸侯,諸侯受乎禰廟,禮也。公四不視朔,公不臣也。以公為厭政以甚矣。
夏五月、文公、四たび朔を視ず。天子、朔政を諸侯に告げ、諸侯父の禰廟に於いて受くるは、これ禮に合す。文公、四たび朔を視ざれば、すなわち臣に似ず。經文は文公、政事を厭倦することすでに太だ過ぎたりと見做す!
六月戊辰,公子遂及齊侯盟於師丘。復行父之盟也。
六月戊辰、公子遂、齊侯と師丘に盟す。これ行父のあの訂まり成らざりし盟を再び訂めたるなり。
毀泉臺。喪不貳事;貳事,緩喪也。以文為多失道矣!自古為之,今毀之,不如勿處而已矣。
泉台を毀す。喪事を辦ずるに同時に第二の事を爲す能わず。第二の事を爲せば、すなわち喪事を後に拖くなり。經文は文公の正の道を失える處、太だ多しと見做す!この台は古人の造れしなり。今之を拆くは、そこに住まざれば罷むるに如かず。
十有七年春,晉人、衛人、陳人、鄭人伐宋。
十七年春、晋人・衛人・陳人・鄭人、宋を伐つ。
十有八年春,王二月丁丑,公薨於臺下。臺下,非正也。
十八年春、王二月丁丑、文公、台下に薨す。台下に死するは、正の道に合せず。
秋,公子遂、叔孫得臣如齊。使舉上客,而不稱介。不正其同倫而相介,故列而數之也。
秋、公子遂・叔孫得臣、齊に如く。使いを出すに正使のみを擧げ、副使を稱せず。彼ら本より同一等の人なるに互いに副使と爲せるを滿とせず、故に一箇一箇數え出だす。
夫人姜氏歸於齊。惡宣公也。有不待貶絕,而罪惡見者;有待貶絕,而惡從之者。侄娣者,不孤子之意也。一人有子,三人緩帶。一曰:就賢也。
夫人姜氏、齊に歸る。これ宣公を惡むなり。罪惡或いは貶斥・斷絕を俟たずして自ら顯れ出づること有り、或いは貶斥・斷絕を俟ちて、罪惡ついに顯れ出づること有り。侄娣跟嫁するは、本より嫡子をして孤單ならしめざるの意なり。一人に子有れば、三人皆衣帶を放寬す可し。一説曰く、賢者に投奔しに往くなりと。
(闕文)
(闕文)
宣公
元年春,王正月,公即位。繼故而言即位,與聞乎故也。
元年春、王正月、宣公卽位す。先君の變故に死せし後に接ぎて「卽位」と書くは、彼あの變故に參與せるを表す。
公子遂如齊逆女。三月,遂以夫人婦姜至自齊。其不言氏,喪未畢,故略之也。其曰婦,緣姑言之之辭也。遂之挈,由上致之也。
公子遂、齊に往きて新婦を逆え娶る。三月、遂、夫人婦姜を以て齊より至る。氏を書かざるは、喪事いまだ辦じ畢らざれば、故に簡略に書くなり。「婦」と稱するは、姑の面に順りて言うの辭なり。「遂」を單に提け出だして直呼するは、上すでに彼を送り來たればなり。
晉放其大夫胥甲父於衛。放,猶屏也。稱國以放,放無罪也。
晋、大夫胥甲父を衛に放つ。「放」は屏退のごとし。國を稱して放逐を記するは、放たれたるは罪なき人なるを表す。
公會齊侯於平州。公子遂如齊。六月,齊人取濟西田。內不言取,言取,授之也。以是為賂齊也。
宣公、平州に齊侯と會す。公子遂、齊に往く。六月、齊人、濟西の田を取る。魯、己が事は例により「取」を書かず。「取」を書くは、魯、田を彼らに交與するなり。これを以て齊に賄賂するに見做す。
宋公、陳侯、衛侯、曹伯會晉師於棐林,伐鄭。列數諸侯而會晉趙盾,大趙盾之事也。其曰師,何也?以其大之也。於棐林地,而後伐鄭,疑辭也。此其地何?則著其美也。
宋公・陳侯・衛侯・曹伯、棐林に晋師を會合し、鄭を伐つ。一箇一箇諸侯を列出して晋の趙盾に會せしめたるは、趙盾の事を大に書くなり。「師」と稱するは何ぞや。すでに彼を大に書ければなり。先ず棐林のこの地を書き、後に鄭を伐つを書くは、遲疑帶するの辭なり。ここに何を以て地を記すや。反りて彼の好の好處を顯出せんと欲するなり。
二年春,王二月,壬子,宋華元帥師,及鄭公子歸生帥師,戰於大棘。宋師敗績,獲宋華元。獲者,不與之辭也。言盡其眾,以救其將也。以三軍敵華元,華元雖獲,不病矣。
二年春、王二月壬子、宋の華元、師を率いて、鄭の公子歸生の率ゐる師と大棘に戰う。宋師敗績し、華元獲らる。「獲」は贊成せざるの辭なり。部下、人馬を盡くして以て彼らの將を救うを言う。三軍を以て華元に抵擋すれば、華元獲られたりと雖ども、また恥を含まざるなり。
秋,九月乙丑,晉趙盾弒其君夷皋。穿弒也,盾不弒,而曰盾弒,何也?以罪盾也。其以罪盾,何也?曰:靈公朝諸大夫而暴彈之,觀其闢丸也。趙盾入諫,不聽。出亡,至於郊,趙穿弒公,而後反趙盾。史狐書賊曰:「趙盾弒公。」盾曰:「天乎!天乎!予無罪。孰為盾而忍弒其君者乎?」史狐曰:「子為正卿,入諫不聽。出亡不遠,君弒,反不討賊,則志同。志同則書重,非子而誰?故書之曰『晉趙盾弒其君夷皋』者,過在下也。」曰:於盾也,見忠臣之至;於許世子止,見孝子之至。
秋九月乙丑、晋の趙盾、その君夷皋を殺す。人を殺せしは趙穿なり。趙盾併せて殺さざるに、趙盾の君を弑すと寫成するは何ぞや。罪を盾の身上に加うるなり。何を以て罪を盾の身上に加うるか。答えて曰く、靈公、大夫たちを朝見するに、忽に彈丸を以て彼らを彈き、彼らの彈丸を躲避するを視る。趙盾入りて勸諫す。靈公聽かず。盾出奔し、郊外に走り至りて、趙穿、靈公を殺し、後に趙盾始めて歸る。太史狐、凶を記して曰く、「趙盾、公を弑す」と。盾曰く、「天なるかな!天なるかな!われ罪なし。誰か趙盾なる、何ぞ忍びて己が國君を殺さんや」と。太史狐曰く、「汝は正卿なり。入りて勸諫して、國君聽かず。出奔するもまた走ること遠からず。國君弑されて、歸りて賊を討たず。すなわち心意相同なり。心意相同なれば、すなわち分量更重なるを記す。汝ならずして誰か!ゆえに『晋趙盾其の君夷皋を弑す』と寫成す。過ちは下のこの人に在り」と。また言うべし、趙盾の身より、忠臣の極致を見、許國の太子止の身より、孝子の極致を見ん、と。
三年春,王正月,郊牛之口傷。之口,緩辭也,傷自牛作也。
三年春、王正月、郊祭に用ゐる牛、口傷つきたり。「之口」と寫成するは、舒緩の辭にして、傷は牛の自身より起これり。
改卜牛,牛死,乃不郊。事之變也。乃者,亡乎人之辭也。
別に占いて牛を換え、牛また死す。すなわち郊祭を行わず。これ事の變故なり。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。
四年春,王正月,公及齊侯平莒及郯,莒人不肯。及者,內為志焉爾。平者,成也。不肯者,可以肯也。
四年春、王正月、宣公、齊侯と莒・郯とを調停す。莒人肯んぜず。「及」の字を用うるは、これ魯の方主動なるを表す。「平」はすなわち講和なり。「不肯」と言うは、本より肯んずべければなり。
公伐莒取向。伐猶可,取向甚矣,莒人辭不受治也。伐莒,義兵也;取向,非也,乘義而為利也。
宣公、莒を伐ち、向を取る。伐つは猶ほ罷る。向を取るは太だ過ぎたり。莒人この處治を拒み受けず。莒を伐つは義兵なり。向を取ればすなわち對せず。義に藉りて利を謀るなり。
秋,九月,齊高固來逆子叔姬。諸侯之嫁子於大夫,主大夫以與之。來者,接內也;不正其接內,故不與夫婦之稱也。
秋九月、齊の高固、來りて子叔姬を逆え娶る。諸侯、女を大夫に嫁するに、大夫主と爲りて交接す。彼方上門して來るは、直に魯の公室と交接するなり。經文この交接を滿とせず、故に彼らに夫婦の稱呼を與えず。
冬,齊高固及子叔姬來。及者,及吾子叔姬也。為使來者,不使得歸之意也。
冬、齊の高固、子叔姬と來る。「及」を用うるは、わが魯の子叔姬に「及」するなり。彼らを奉使して來ると寫成するは、彼女をして娘家に遣歸せられたるに顯れざらしめんがためなり。
六年春,晉趙盾、衛孫免侵陳。此帥師也,其不言帥師,何也?不正其敗前事,故不與帥師也。
六年春、晋の趙盾・衛の孫免、陳に侵す。これ本より師を率ゐるなり。何を以て「帥師」を書かざるか。彼が先前の事を敗壞せるを滿とせず、故に彼に「帥師」の說を與えず。
七年春,衛侯使孫良夫來盟。來盟,前定也。不言及者,以國與之。不言其人,亦以國與之。不日,前定之盟不日。
七年春、衛侯、孫良夫をして來りて盟せしむ。來盟するは、事先に約し定めたるなり。「及」を用ゐざるは、國家を彼方に交托するなり。彼方の人を書き出ださざるも、また國家を彼方に交托するなり。日を記さず。事先に約し定めたる盟會は日を記さず。
冬,公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯於黑壤。
冬、宣公、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯と黑壤に會す。
夏,六月,公子遂如齊,至黃乃復。乃者,亡乎人之辭也。復者,事畢也,不專公命也。
夏六月、公子遂、齊に往き、黄に至りて乃ち復る。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。「復」は事辦じ畢れり。併せて國君の命を以て自ら作主すべきと爲さざるなり。
仲遂卒於垂。為若反命而後卒也。此公子也,其曰仲,何也?疏之也。何為疏之也?是不卒者也。不疏,則無用見其不卒也,則其卒之,何也?以譏乎宣也。其譏乎宣,何也?聞大夫之喪,則去樂卒事。
仲遂、垂に於いて卒す。經文、彼すでに復命し歸りて後に死せるがごとく書く。彼は公子なり。何を以て「仲」と稱するか。彼を疎んずるなり。何を以て彼を疎んずるか。彼本より卒を記すべからざる人なり。若し疎まざれば、彼の記さるべからざるを視るに由無し。然らば何を以てなほ彼の死を記すか。以て宣公を譏刺するなり。宣公の何を譏刺するか。大夫の喪事を聞けば、すなわち音樂を撤し、事を辦じ畢るべし。
壬午,猶繹。猶者,可以已之辭也。繹者,祭之旦日之享賓也。
壬午、なほ繹祭を行う。「猶」は止むべきにしてなほ爲すを言うの辭なり。「繹」は正祭の明日に賓客を宴するの祭なり。
冬,十月己丑,葬我小君頃熊。雨不克葬。葬既有日,不為雨止,禮也。雨不克葬,喪不以制也。
冬十月己丑、我が小君頃熊を葬る。雨降りて、葬る能わず。葬の日すでに定まりて、雨に因りて止めざるは、これ禮に合す。雨降れば葬る能わざるは、喪事、制度に按じて辦ぜざるなり。
庚寅,日中而克葬。而,緩辭也,足乎日之辭也。
庚寅、日中に至りて始めて葬るを得たり。「而」の字を用うるは、舒緩の辭にして、またこの日の時間なほ足るを言うなり。
九月,晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯會於扈。
九月、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯、扈に相會す。
辛酉,晉侯黑臀卒於扈。其地於外也,其日未逾竟也。
辛酉、晋侯黑臀、扈に於いて卒す。地を記すは、彼外國に死せればなり。日を記すは、いまだ國境を走出でざればなり。
冬,十月癸酉,衛侯鄭卒。宋人圍滕。楚子伐鄭。晉郤缺帥師救鄭。
冬十月癸酉、衛侯鄭卒す。宋人、滕を圍む。楚子、鄭を伐つ。晋の郤缺、師を率いて鄭を救う。
陳殺其大夫洩冶。稱國以殺其大夫,殺無罪也。洩冶之無罪如何?陳靈公通於夏徵舒之家,公孫寧、儀行父,亦通其家。或衣其衣,或衷其襦,以相戲於朝。洩冶聞之,入諫曰:「使國人聞之則猶可,使仁人聞之則不可。」君愧於洩冶,不能用其言而殺之。
陳、その大夫泄冶を殺す。國を稱して大夫の殺を記するは、殺されたるは罪なき人なるを表す。泄冶、如何にして罪なきや。陳靈公、夏徵舒の家と通姦し、公孫寧・儀行父もまたあの家と通ず。或いは彼女の衣を服し、或いは身に彼女の短衣を貼着して、朝廷に於いて互いに戲弄す。泄冶之を聞きて、入りて勸諫して曰く、「國人に聞かせば、猶ほ勉强可なり。仁人に聞かせば、不可なり」と。國君、泄冶の面前に於いて慚愧を覺えれども、彼の言を用ゐる能わずして、反りて彼を殺せり。
十年春,公如齊。公至自齊。齊人歸我濟西田。公娶齊,齊由以為兄弟,反之,不言來。公如齊,受之也。
十年春、宣公、齊に如く。宣公、齊より至る。齊人、濟西の田を我が魯に歸す。宣公、齊の女子を娶り、齊これに因りて彼を以て兄弟と爲し、田を歸し來れり。「來」を書かざるは、宣公、齊に往きて接受せしがためなり。
秋,天王使王季子來聘。其曰王季,王子也。其曰子,尊之也。聘,問也。
秋、周天子、王季子をして來聘せしむ。「王季」と稱するは、彼天子の子なればなり。「子」と稱するは、彼を尊崇するなり。「聘」はすなわち問候なり。
冬,十月,楚人殺陳夏徵舒。此入而殺也,其不言入,何也?外徵舒於陳也。其外徵舒於陳,何也?明楚之討有罪也。
冬十月、楚人、陳の夏徵舒を殺す。これ陳に入りて後殺せしに、何を以て「入」を書かざるか。徵舒を陳國の外に排除するなり。何を以て陳國の外に排除するか。以て楚の討伐せるは罪有る人なるを表明せんと欲するなり。
丁亥,楚子入陳。入者,內弗受也。日入,惡入者也。何用弗受也?不使夷狄為中國也。
丁亥、楚子、陳に入る。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。日を記するは、この入る者を惡むなり。何を以て接纳せざるか。夷狄をして中原の主と爲らしめざるがためなり。
納公孫寧、儀行父於陳。納者,內弗受也。輔人之不能民而討,猶可;入人之國,制人之上下,使不得其君臣之道,不可。
公孫寧・儀行父を陳に納る。「納」は彼方接纳せざるを表す。人を幇けて百姓を安撫する能わざるを討伐するは、猶ほ勉强可なり。人の國に入り、人の上下を控制し、彼らをして君臣の道理に按じて相處する能わざらしむるは、不可なり。
夏,六月乙卯,晉荀林父帥師,及楚子戰於邲。晉師敗績。
夏六月乙卯、晋の荀林父、師を率いて、楚子と邲に戰い、晋師敗績す。
夏,五月,宋人及楚人平。平者,成也,善其量力而反義也。人者,眾辭也。平稱眾,上下欲之也。外平不道,以吾人之存焉道之也。
夏五月、宋人、楚人と平す。「平」はすなわち講和なり。彼らの己が力を量りて義に歸るを贊成す。「人」と稱するは、衆人の說を表すなり。講和して衆人と稱するは、上下皆願えり。外國の間の講和は、經文例により記さず。わが魯の人あそこに在るがゆえに、記すなり。
六月,癸卯,晉師滅赤狄潞氏,以潞子嬰兒歸。滅國有三術:中國謹日,卑國月,夷狄不日。其日潞子嬰兒,賢也。
六月癸卯、晋師、赤狄潞氏を滅ぼし、潞子嬰兒を以て歸る。國を滅ぼすに三種の記法有り。中原之國は鄭重に日を記し、低微の國は月を記し、夷狄は日を記さず。ここに潞子嬰兒に日を記すは、彼賢なればなり。
王札子殺召伯、毛伯。王札子者,當上之辭也。殺召伯、毛伯,不言其,何也?兩下相殺也。兩下相殺,不志乎《春秋》,此其志,何也?矯王命以殺之,非忿怒相殺也,故曰:以王命殺也。以王命殺,則何志焉?為天下主者,天也;繼天者,君也;君之所存者,命也。為人臣而侵其君之命而用之,是不臣也;為人君而失其命,是不君也。君不君,臣不臣,此天下所以傾也。
王札子、召伯・毛伯を殺す。「王札子」は君上の位に處するの辭なり。召伯・毛伯を殺すに、何を以て「其」を書かざるか。地位相當の人互いに殺し合えばなり。地位相當の人互いに殺し合うは、『春秋』例により記さず。ここに記すは何ぞや。彼王命を假托して殺せしなり。併せて一時の忿怒に互いに殺し合うにあらず。ゆえに曰く、王命を以て殺せるなり。王命を以て殺すに、何を以てまた記すか。天下のために主と爲るは天にして、天を繼承するは君にして、君の依りて存在する所は命令なり。臣子たりて國君の命令を侵奪して使用するは、これ臣に似ず。國君たりて己が命令を丟棄するは、これ君に似ず。君臣に似ず、臣臣に似ざれば、天下このに因りて傾覆するなり。
初稅畝。初者,始也。古者什一,藉而不稅。初稅畝,非正也。古者三百步為裡,名曰井田。井田者,九百畝,公田居一。私田稼不善,則非吏;公田稼不善,則非民。初稅畝者,非公之去公田,而履畝十取一也,以公之與民為已悉矣!古者公田為居,井灶蔥韭盡取焉。
始めて田畝に按じて稅を收む。「初」はすなわち始めなり。古、十分の一を收め、民力を借りて公田を耕し、併せて別に田稅を收めず。始めて畝に按じて稅を收むるは、正の道に合せず。古、三百步を一里と爲し、井田と名づく。井田九百畝、公田その中の一份を占む。私田の莊稼良からざれば、官吏を責む。公田の莊稼良からざれば、百姓を責む。始めて畝に按じて稅を收むるは、併せて國君の公田を廢して、畝に按じて十分の一を抽取するに改めたるにあらず。國君の百姓に索取することすでに太だ盡きたるなり!古、公田にもまた人住み、井・竈・葱・韭菜皆そこより取りて用ゐたり。
冬,蝝生。蝝,非災也。其曰蝝,非稅畝之災也。
冬、蝝生まる。蝝は併せて災害にあらず。經文「蝝」を書くは、これ併せて畝に按じて稅を收むるが帶來せし災害にあらざるを言うなり。
十有六年春,王正月,晉人滅赤狄甲氏,及留籲。
十六年春、王正月、晋人、赤狄甲氏と留吁とを滅ぼす。
夏,成周宣榭災。周災,不志也;其曰宣榭,何也?以樂器之所藏目之也。
夏、成周の宣榭災す。周室の災害は、經文例により記さず。ここに「宣榭」と稱するは何ぞや。彼樂器を藏する所なれば、故に點出す。
己未,公會晉侯、衛侯、曹伯、邾子,同盟於斷道。同者,有同也,同外楚也。
己未、宣公、晋侯・衛侯・曹伯・邾子に會し、斷道に同盟す。「同」は共の目標有るを言う。すなわち共に楚を抵禦するなり。
冬,十有一月壬午,公弟叔肹卒。其曰公弟叔肹,賢之也。其賢之,何也?宣弒而非之也。非之,則胡為不去也?曰:兄弟也,何去而之?與之財,則曰:「我足矣!」織屨而食,終身不食宣公之食。君子以是為通恩也,以取貴乎《春秋》。
冬十一月壬午、宣公の弟叔肸卒す。「公弟叔肸」と稱するは、彼を賢と認むるなり。何を以て彼を賢と認めるか。宣公君を弑するに、彼贊成せず。贊成せざれば、何を以てなほ離去せざるか。答えて曰く、兄弟なり。離去せば何處か往かんや。彼に財物を與えれば、彼すなわち曰く、「われ足れり!」と。草鞋を織りて以て日子を過ごし、終身宣公の飯を食らわず。君子これを恩義を通做せるに見做し、これに因りて彼『春秋』に於いて尊貴を取得せり。
秋,七月,邾人戕繒子於繒。戕,猶殘也,梲殺也。
秋七月、邾人、繒に於いて繒子を戕殺す。「戕」は「殘」のごとく、猝に虐殺するなり。
甲戌,楚子呂卒。夷狄不卒;卒,少進也。卒而不日;日,少進也。日而不言正;不正,簡之也。
甲戌、楚子呂卒す。夷狄は例により卒を記さず。記せば、すなわち稍稍一等を進めたり。卒を記して日を記さず。日を記せば、また稍稍一等を進めたり。日を記して正と不正を言わざるは、彼を簡略に書くなり。
歸父還自晉。還者,事未畢也。自晉,事畢也。與人之子,守其父之殯。捐殯而奔其父之使者,是以奔父也。
歸父、晋より還る。「還」は事いまだ辦じ畢らざるを言う。「自晋」と書くは、事すでに辦じ畢れたるなり。人の兒子をして父の靈柩を守らせ、己殯事を拋棄し、また父の使者をして出奔せしむるに逼る。これ卽父を避けて出奔するに等し。
(闕文)
(闕文)
成公
無冰。終時無冰則志,此未終時而言無冰,何也?終無冰矣。加之寒之辭也。
冰結せず。一季節、頭より尾まで冰なきを記す。ここに季節いまだ過ぎ畢らざるに「無冰」を書くは何ぞや。すでに斷じて終に冰なからんとすべければなり。これ「寒」の一層を加上するの辭なり。
三月,作丘甲。作,為也。丘,為甲也。丘甲,國之事也。丘作甲,非正也。丘作甲之為非正,何也?古者立國家,百官具,農工皆有職以事上。古者有四民:有士民,有商民、有農民、有工民。夫甲,非人人之所能為也。丘作甲,非正也。
三月、始めて丘に按じて鎧甲を出す。「作」は爲すなり。丘に按じて甲を出す。甲を出すは本より國家の事なり。丘に按じて甲を出すは、正の道に合せず。何を以て正の道に合せざるか。古、國家を建立するに、百官齊備し、農工皆職事有りて以て上に侍奉す。古に四民有り。士民有り、商民有り、農民有り、工民有り。鎧甲は併せて人人の能く爲す所にあらず。丘に按じて甲を出すは、正の道に合せず。
秋,王師敗績於貿戎。不言戰,莫之敢敵也。為尊者諱,敵不諱敗;為親者諱,敗不諱敵。尊尊親親之義也。然則孰敗之?晉也。
秋、周天子の軍隊、貿戎に敗績す。「戰」を書かざるは、敢えて天子と敵と爲る者なければなり。尊者のために隱諱するに、彼に對手有るを隱諱して、彼の戰に敗れたるを隱諱せず。親者のために隱諱するに、彼の戰に敗れたるを隱諱して、彼に對手有るを隱諱せず。これ尊尊・親親の義なり。然らば彼を敗りたるは誰ぞ。晋なり。
冬,十月。季孫行父禿,晉郤克眇,衛孫良夫跛,曹公子手僂,同時而聘於齊。齊使禿者御禿者,使眇者御眇者,使跛者御跛者,使僂者御僂者。蕭同侄子處臺上而笑之;聞於客,客不說而去。相與立胥閭而語,移日不解。齊人有知之者,曰:「齊之患,必自此始矣!」
冬十月。季孫行父は秃なり、晋の郤克は隻眼なり、衛の孫良夫は跛なり、曹の公子手は駝背なり。同時に齊に聘問す。齊、秃を遣りて秃を接待し、隻眼を遣りて隻眼を接待し、跛を遣りて跛を接待し、駝背を遣りて駝背を接待す。蕭同侄子、台上に於いて彼らを笑話す。聲賓客の耳に傳はり、賓客喜ばずして去る。彼ら共に胥閭に立ちて言うに、日位を挪かしてなほ散ぜず。齊に明白の人有りて曰く、「齊國の禍患、必ずここより始まらん」と。
夏,四月丙戌,衛孫良夫帥師,及齊師戰於新築。衛師敗績。
夏四月丙戌、衛の孫良夫、師を率いて、齊師と新築に戰い、衛師敗績す。
六月癸酉,季孫行父、臧孫許、叔孫僑如、公孫嬰齊帥師,會晉郤克、衛孫良夫、曹公子手,及齊侯戰於鞍。齊師敗績。其日,或曰日,其戰也;或曰日,其悉也。曹無大夫,其曰公子,何也?以吾之四大夫在焉,舉其貴者也。
六月癸酉、季孫行父・臧孫許・叔孫僑如・公孫嬰齊、師を率い、晋の郤克・衛の孫良夫・曹の公子手に會して、齊侯と鞌に戰い、齊師敗績す。日を記す。一の說はこの戰を記するがためなり。一の說は人の齊に到りしを記するがためなり。曹國に命大夫なし。ここに「公子」と稱するは何ぞや。わが魯に四位の大夫場に在れば、故に彼の尊貴の身分を擧げて言うなり。
秋,七月,齊侯使國佐如師。己酉,及國佐盟於爰婁。鞍,去國五百里。爰婁,去國五十里。一戰綿地五百里,焚雍門之茨,侵車東至海。君子聞之曰:「夫甚甚之辭焉。齊有以取之也。」齊之有以取之,何也?敗衛師於新築,侵我北鄙,敖郤獻子,齊有以取之也。爰婁在師之外,郤克曰:「反魯、衛之侵地,以紀侯之甗來,以蕭同侄子之母為質,使耕者皆東其畝,然後與子盟。」國佐曰:「反魯、衛之侵地,以紀侯之甗來,則諾。以蕭同侄子之母為質,則是齊侯之母也。齊侯之母猶晉君之母也,晉君之母猶齊侯之母也。使耕者盡東其畝,則是終土齊也。不可,請一戰。一戰不克,請再。再不克,請三。三不克,請四。四不克,請五。五不克,舉國而授。」於是而與之盟。
秋七月、齊侯、國佐をして軍中に如かしむ。己酉、國佐と爰婁に盟す。鞌は齊の國都を離るること五百里、爰婁は國都を離るること五十里。一仗打ち下せば、綿延五百里、雍門上の茅を燒掉し、侵掠の兵車東に海邊に至るまで。君子之を聞きて曰く、「これ事を太だ過ぎたると言うの辭なり。齊國もまた自ら招來せるなり」と。齊國如何にして自ら招來せしか。新築に衛師を敗り、我が魯の北鄙に侵し、また郤獻子を傲視せり。齊國、卽かくのごとく自ら招來せり。爰婁は軍營の外に在り。郤克曰く、「魯・衛を侵占せし土地を歸還し、紀侯の甗を送り來り、蕭同侄子の母を以て人質と爲し、耕田の人をして皆田壟を東西向に改成せしめ、後に始めて汝と盟せん」と。國佐曰く、「魯・衛を侵占せし土地を歸還し、紀侯の甗を送り來るは、これ可なり。蕭同侄子の母を以て人質と爲さば、すなわち齊侯の母なり。齊侯の母は晋君の母のごとく、晋君の母は齊侯の母のごとし。耕田の人をして皆田壟を東西向に改成せしめば、すなわち齊國の土地を以て己が物と爲すなり。不可なり。請う、再び一戰せん。一戰勝たざれば、請う、第二戰せん。第二戰勝たざれば、請う、第三戰せん。第三戰勝たざれば、請う、第四戰せん。第四戰勝たざれば、請う、第五戰せん。第五戰なほ勝たざれば、全國を交與せん」と。すなわち彼と盟す。
十有一月,公會楚公子嬰齊於蜀。楚無大夫,其曰公子,何也?嬰齊,亢也。
十一月、成公、蜀に楚の公子嬰齊を會見す。楚國に命大夫なし。ここに「公子」と稱するは何ぞや。嬰齊、匹敵の架子を擺ければなり。
丙申,公及楚人、秦人、宋人、陳人、衛人、鄭人、齊人、曹人、邾人、薛人、繒人盟於蜀。楚其稱人,何也?於是而後,公得其所也。會與盟同月,則地會,不地盟。不同月,則地會,地盟。此其地會,地盟,何也?以公得其所,申其事也。今之屈,向之驕也。
丙申、成公、楚人・秦人・宋人・陳人・衛人・鄭人・齊人・曹人・邾人・薛人・繒人と蜀に盟す。楚を「人」と稱するは何ぞや。この時に到りて後、成公始めて彼の當に在るべき位置を得たり。會と盟、同月に在れば、ただ會の地を記して盟の地を記さず。同月に在らざれば、會も盟も皆地を記す。ここに會も地を記し盟も地を記すは何ぞや。成公、彼の當に在るべき位置を得たれば、以てこの事を申明せんとす。今の屈服は、正に先前の驕慢に對應す。
三年春,王正月,公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯伐鄭。
三年春、王正月、成公、晋侯・宋公・衛侯・曹伯に會して鄭を伐つ。
甲子,新宮災,三日哭。新宮者,禰宮也。三日哭,哀也。其哀,禮也。迫近不敢稱禰,恭也。其辭恭且哀,以成公為無譏矣。
甲子、新宮災し、三日哭す。新宮はすなわち父の禰廟なり。三日哭するは、哀痛なり。かくのごとく哀痛するは、禮に合す。迫近なれば、敢えて「禰」と稱せず。恭敬なり。辭また恭くまた哀なり。經文、成公に譏刺すべきなしと見做す。
衛侯使孫良夫來聘。丙午,及荀庚盟。丁未,及孫良夫盟。其日,公也,來聘而求盟。不言及者,以國與之也。不言其人,亦以國與之也。不言求,兩欲之也。
衛侯、孫良夫をして來聘せしむ。丙午、荀庚と盟す。丁未、孫良夫と盟す。日を記すは、國君在ればなり。來聘して卽盟を求む。「及」を用ゐざるは、國家を彼方に交托するなり。彼方の人を書き出ださざるも、また國家を彼方に交托するなり。「求」を書かざるは、兩邊皆願えればなり。
五年春,王正月,杞叔姬來歸。婦人之義,嫁曰歸,反曰來歸。
五年春、王正月、杞叔姬、娘家に遣歸せらる。婦人の名分、出嫁を「歸」と曰い、遣歸せられて「來歸」と曰う。
梁山崩。不日,何也?高者有崩道也。有崩道,則何以書也?曰:梁山崩,壅遏河三日不流,晉君召伯尊而問焉。伯尊來遇輦者,輦者不闢,使車右下而鞭之。輦者曰:「所以鞭我者,其取道遠矣。」伯尊下車而問焉,曰:「子有聞乎?」對曰:「梁山崩,壅遏河三日不流。」伯尊曰:「君為此召我也,為之奈何?」輦者曰:「天有山,天崩之;天有河,天壅之。雖召伯尊如之何?」伯尊由忠問焉。輦者曰:「君親素縞、帥群臣而哭之,既而祠焉,斯流矣。」伯尊至,君問之曰:「梁山崩,壅遏河三日不流,為之奈何?」伯尊曰:「君親素縞、帥群臣而哭之,既而祠焉,斯流矣。」孔子聞之曰:「伯尊其無績乎!攘善也。」
梁山崩る。日を記さざるは何ぞや。高き物、本より崩壞の理有り。崩壞の理有れば、何を以てまた記すか。答えて曰く、梁山崩れ、黄河を壅塞し、三日流れず。晋君、伯尊を召して問わんとす。伯尊の來るの途、輦を輓く人に遇う。輦を輓く人、路を讓らず。伯尊、車右をして下りて彼を鞭打せしむ。輦を輓く人曰く、「子の我を鞭打するに用ゐるこの法、祗怕なほ遠き路を走らん」と。伯尊、車を下りて彼に問うて曰く、「子聞く所ありや」と。答えて曰く、「梁山崩れ、黄河を壅塞し、三日流れず」と。伯尊曰く、「國君この事のために我を召す。當に如何なすべきか」と。輦を輓く人曰く、「天に山有り、天之を崩せしむ。天に河有り、天之を壅せしむ。伯尊を召來すと雖ども、また如何にせん」と。伯尊、誠心に再び問う。輦を輓く人曰く、「國君自ら素縞を服して、群臣を率いて往きて哭し、哭し畢りて祭祀せば、河流れん」と。伯尊至り、國君彼に問うて曰く、「梁山崩れ、黄河を壅塞し、三日流れず。當に如何なすべきか」と。伯尊曰く、「國君自ら素縞を服して、群臣を率いて往きて哭し、哭し畢りて祭祀せば、河流れん」と。孔子之を聞きて曰く、「伯尊、祗怕功績なからん!これ他人の好處を以て己が物と爲すなり」と。
十有二月己丑,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、邾子、杞伯,同盟於蟲牢。
十二月己丑、成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・邾子・杞伯に會し、蟲牢に同盟す。
七年春,王正月,鼷鼠食郊牛角。不言日,急辭也,過有司也。郊牛日,展觓角而知傷,展道盡矣!其所以備災之道不盡也。
七年春、王正月、鼷鼠、郊祭用牛の角を嚙食す。日を記さざるは、急ぎの辭にして、過ち有司に在り。郊牛、日ごとに彎角を察看し、傷有るを發見す。察看の程序、すでに盡くせり!以て災害を防備するの法は盡くさざれり。
改卜牛,鼷鼠又食其角。又,有繼之辭也。其緩辭也,曰:亡乎人矣!非人之所能也。所以免有司之過也。
別に占いて牛を換え、鼷鼠またその角を嚙食す。「又」は接續有るの辭なり。ここに舒緩の辭を用うるは、人の意願に在らず!人の能く爲す所にあらざるを言う。以て有司の過ちを免除す。
乃免牛。乃者,亡乎人之辭也。免牲者,為之緇衣纁裳,有司玄端,奉送至於南郊。免牛亦然。免牲不曰不郊,免牛亦然。
すなわちこの牛を免ず。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。謂うところの免牲は、彼に玄の上衣・纁の下裳を着せ、有司玄端を服して恭く送り、南郊に至る。免牛もまたかくのごとし。免牲、更に「不郊」を言うを要せず。免牛もまたかくのごとし。
公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、曹伯、莒子、邾子、杞伯,救鄭。
成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・曹伯・莒子・邾子・杞伯に會して鄭を救う。
冬,大雩。雩不月而時,非之也。冬無為雩也。
冬、大雩を行う。雩祭、月を記さずして季節を記するは、この事を責むるなり。冬に雩祭を行うの理由なし。
八年春,晉侯使韓穿來言汶陽之田,歸之於齊。於齊,緩辭也。不使盡我也。
八年春、晋侯、韓穿をして汶陽の田を言いに來らしめ、之を齊に歸せしむ。「于齊」と書くは、舒緩の辭にして、晋をしてわが魯の事を辦じ盡くせるに顯れざらしめざるなり。
秋,七月,天子使召伯來錫公命。禮有受命,無來錫命,錫命非正也。曰「天子」,何也?曰:見一稱也。
秋七月、天子、召伯をして來りて成公に命服を賜はらしむ。禮に拠れば、ただ自ら往きて任命を受くる有りて、天子の上門して賜命するを聽かず。賜命、正の道に合せず。何を以て「天子」と稱するか。答えて曰く、人をしてなほこの一種の稱呼有るを見せしめんと欲すなり。
衛人來媵。媵,淺事也,不志;此其志,何也?以伯姬之不得其所,故盡其事也。
衛人、陪嫁の女子を送り來る。媵を送るは淺き事にして、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。伯姬後に其の所を得ざれば、故に相關の事を寫し全くす。
九年春,王正月,杞伯來逆叔姬之喪以歸。傳曰:夫無逆出妻之喪而為之也。
九年春、王正月、杞伯、來りて叔姬の靈柩を迎えて歸る。傳文曰く、丈夫、遣棄せられたる妻の靈柩を迎え歸りて再び彼女のために喪を辦ずるの理なし、と。
公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、杞伯,同盟於蒲。公至自會。
成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・杞伯に會し、蒲に同盟す。成公、會より至る。
夏,季孫行父如宋致女。致者,不致者也。婦人在家制於父,既嫁制於夫。如宋致女,是以我盡之也。不正,故不與內稱也。逆者微,故致女。詳其事,賢伯姬也。
夏、季孫行父、宋に往きて女を致す。「致」は本より致すべからざるなり。婦人、未嫁の時は父に聽命し、出嫁して後は夫に聽命す。宋に往きて女を致すは、なほわが魯彼女を底まで管するがごとし。正の道に合せず。故に行父に國内の稱呼を與えず。往きて親迎する人の地位低微なれば、故に女を致すを要す。この事を寫すこと詳細なるは、伯姬を賢と認めればなり。
晉人來媵。媵,淺事也,不志;此其志,何也?以伯姬之不得其所,故盡其事也。
晋人、陪嫁の女子を送り來る。媵を送るは淺き事にして、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。伯姬後に其の所を得ざれば、故に相關の事を寫し全くす。
晉欒書帥師伐鄭。不言戰,以鄭伯也。為尊者諱恥,為賢者諱過,為親者諱疾。
晋の欒書、師を率いて鄭を伐つ。「戰」を書かざるは、鄭伯に就きて言うなり。尊者のために恥辱を隱諱し、賢者のために過失を隱諱し、親者のために毛病を隱諱す。
庚申,莒潰。其日,莒雖夷狄,猶中國也。大夫潰莒而之楚,是以知其上為事也。惡之,故謹而日之也。
庚申、莒潰す。日を記すは、莒國夷狄なりと雖ども、なほ中原之國に似たればなり。大夫、莒國を潰散せしめて自ら楚に走る。これを以て彼らの己が上司を以て事を爲すの工具と爲せるを知る。を知るべし。この事を惡む。ゆえに鄭重に日を記す。
夏,四月,五卜郊不從,乃不郊。「夏,四月」,不時也。五卜,強也。乃者,亡乎人之辭也。
夏四月、郊祭を五卜して皆從わず。すなわち郊祭を行わず。「夏、四月」と書くは、時令に合せず。五卜するは、勉强なり。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。
五月,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、曹伯伐鄭。
五月、成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・曹伯に會して鄭を伐つ。
十有二年春,周公出奔晉。周有入無出,其曰出,上下一見之也。言其上下之道,無以存也。上雖失之,下孰敢有之?今上下皆失之矣!
十二年春、周公、晋に逃亡す。周室は「入」有りて「出」なし。ここに「出」を書くは、上と下とに一度見せしむるなり。彼ら上下の道理、すでに自ら存すべきなきを言うなり。上すでに失うと雖ども、下誰か敢えて以て己が物と爲さんや。今上下皆失えり!
秋,晉人敗狄於交剛。中國與夷狄不言戰,皆曰敗之,夷狄不日。
秋、晋人、交剛に狄人を敗る。中原と夷狄、經文「戰」を書かず、皆「敗之」と曰う。夷狄は日を記さず。
十有三年春,晉侯使郤錡來乞師。乞,重辭也。古之人重師,故以乞言之也。
十三年春、晋侯、郤錡をして來りて出兵を請はしむ。「乞」は分量重きの字なり。古人軍隊を重んず。ゆえに「乞」を以て言う。
三月,公如京師。公如京師不月,月非如也。非如而曰如,不叛京師也。
三月、成公、京師に如く。國君京師に至るに、例により月を記さず。月を記せば、すなわち真に朝見しに往くにあらず。真に朝見しに往かざるに「如」と寫成するは、京師を背叛せざるを表す。
夏,五月,公至自京師,遂會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、邾人、滕人,伐秦。言受命,不敢叛周也。
夏五月、成公、京師より至り、次いで晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・邾人・滕人に會して秦を伐つ。これ彼が王命を接受して、敢えて周室を背叛せざるを言うなり。
曹伯廬卒於師。傳曰:閔之也。公大夫在師曰師,在會曰會。
曹伯廬、軍中に於いて卒す。傳文曰く、これ彼を哀れむなりと。國君の大夫、軍中に在ればすなわち「師」と稱し、會上に在ればすなわち「會」と稱す。
九月,僑如以夫人婦姜氏至自齊。大夫不以夫人;以夫人,非正也。刺不親迎也。僑如之挈,由上致之也。
九月、僑如、夫人婦姜氏を以て齊より至る。大夫、「以」を以て夫人を帶る能わず。「以」を用ゐれば、正の道に合せず。これ國君の自ら親迎せざるを譏刺するなり。「僑如」を單に提け出だして直呼するは、上すでに彼を送り來たればなり。
十有五年春,王二月,葬衛定公。三月乙巳,仲嬰齊卒。此公孫也,其曰仲,何也?子由父疏之也。
十五年春、王二月、衛定公を葬る。三月乙巳、仲嬰齊卒す。彼は公孫なり。何を以て「仲」と稱するか。子、父に因りて疎まる。
癸丑,公會晉侯、衛侯、鄭伯、曹伯、宋世子成、齊國佐、邾人,同盟於戚。晉侯執曹伯,歸於京師。以晉侯而斥執曹伯,惡晉侯也,不言之急辭也,斷在晉侯也。
癸丑、成公、晋侯・衛侯・鄭伯・曹伯・宋の太子成・齊の國佐・邾人に會し、戚に同盟す。晋侯、曹伯を執えて京師に送る。晋侯の身分を以て直に曹伯を執うを書くは、晋侯を惡むなり。「以歸之于」を書かざるは、急促の辭にして、裁斷晋侯に在るなり。
秋,八月庚辰,葬宋共公。月卒日葬,非葬者也,此其言葬,何也?以其葬共姬,不可不葬共公也。葬共姬則其不可不葬共公,何也?夫人之義,不逾君也,為賢者崇也。
秋八月庚辰、宋共公を葬る。卒するに月を記し、葬るに日を記す。本より葬禮を記すべからざる人なり。ここに葬禮を記すは何ぞや。共姬の葬禮を記し下せば、共公の葬禮を記さざるを得ず。共姬を記せば共公を記さざるを得ざるは何ぞや。夫人の名分、國君を超過する能わず。これまた賢者のために推祟するなり。
冬,十有一月,叔孫僑如會晉士燮、齊高無咎、宋華元、衛孫林父、鄭公子鰍、邾人,會吳於鍾離。會又會,外之也。
冬十一月、叔孫僑如、晋の士燮・齊の高無咎・宋の華元・衛の孫林父・鄭の公子䲡・邾人に會して、鍾離に呉を會見す。會してまた會すは、之を外人と爲すなり。
許遷於葉。遷者,猶得其國家以往者也。其地,許復見也。
許、葉に遷す。「遷」と言うは、なほ己が國家を保有して去るのごときの情形なり。地を記すは、許國後にまた再び現れんがためなり。
十有六年春,王正月,雨木冰。雨而木冰也,誌異也。傳曰:根枝折。
十六年春、王正月、雨降りて木冰す。雨降りて木をして冰結せしむるは、變異を記するなり。傳文曰く、根と枝と皆折れたりと。
甲午,晦,晉侯及楚子、鄭伯戰於鄢陵。楚子、鄭師敗績。日事遇晦曰晦,四體偏斷曰敗。此其敗則目也。楚不言師,君重於師也。
甲午、晦、晋侯、楚子・鄭伯と鄢陵に戰い、楚子・鄭師敗績す。事晦に當れば、すなわち「晦」と書く。四肢偏斷するを「敗」と曰う。今番の敗、指す所は眼睛なり。楚に「師」を稱せざるは、國君軍隊より重ければなり。
楚殺其大夫公子側。秋,公會晉侯、齊侯、衛侯、宋華元、邾人於沙隨。不見公。不見公者,可以見公也。可以見公而不見公,譏在諸侯也。
楚、その大夫公子側を殺す。秋、成公、沙隨に晋侯・齊侯・衛侯・宋の華元・邾人を會合す。成公を會見せず。「不見公」と言うは、本より見るべければなり。見るべくして見ざれば、譏刺諸侯の身上に在り。
曹伯歸自京師。不言所歸,歸之善者也。出入不名,以為不失其國也。歸為善,自某歸次之。
曹伯、京師より歸る。何處に歸れりを書かざるは、これ歸るの中の最も好き一種なり。出づる・歸る皆名を稱せず。彼併せて己が國を丟棄せざりしと認むるなり。「歸」と書くは善なり。「自某歸」と書くは之より一等差し。
九月,晉人執季孫行父,舍之於苕丘。執者不捨;而舍,公所也。執者致;而不致,公在也。何其執而辭也?猶在公也。存意公亦存也。公存也。
九月、晋人、季孫行父を執えて、彼を苕丘に安置す。執えられたる人、例により「舍」を書かず。ここに「舍」を書くは、そこ國君の在る所なればなり。執えられたる人、例により歸國を書くべし。ここに歸國を書かざるは、國君在ればなり。何を以て執の辭を用ゐるか。彼なほ國君の身邊に在ればなり。國君の意を存すれば、國君もなほ在り。國君在り。
乙酉,刺公子偃。大夫日卒,正也。先刺後名,殺無罪也。
乙酉、公子偃を殺す。大夫卒するに日を記するは正例なり。先ず「刺」を書きて後名を稱するは、殺せるは罪なき人なるを表す。
夏,公會尹子、單子、晉侯、齊侯、宋公、衛侯、曹伯、邾人,伐鄭。六月乙酉,同盟於柯陵。柯陵之盟,謀復伐鄭也。
夏、成公、尹子・單子・晋侯・齊侯・宋公・衛侯・曹伯・邾人に會して鄭を伐つ。六月乙酉、柯陵に同盟す。柯陵のこの會盟は、再び鄭を伐たんことを謀るなり。
秋,公至自會。不曰至自伐鄭也,公不周乎伐鄭也。何以知公之不周乎伐鄭?以其以會致也。何以知其盟復伐鄭也?以其後會之人盡盟者也。不周乎伐鄭,則何為日也?言公之不背柯陵之盟也。
秋、成公、會より至る。「至自伐鄭」を書かざるは、成公併せて伐鄭のこの事を爲し周全せざればなり。如何にして彼の爲し周全せざるを知るや。「會」に按じて歸國を書けばなり。如何にしてこの會盟の再び鄭を伐たんがためなるを知るか。後に會に參加せし人、皆盟せし者なればなり。伐鄭を爲し周全せざれば、何を以てなほ日を記すか。成公併せて柯陵の盟約を背棄せざるを言うなり。
九月辛丑,用郊。夏之始可以承春,以秋之末承春之始,蓋不可矣!九月用郊,用者不宜用也。宮室不設,不可以祭;衣服不修,不可以祭;車馬器械不備,不可以祭;有司一人不備其職,不可以祭。祭者,薦其時也,薦其敬也,薦其美也,非享味也。
九月辛丑、郊祭を行う。夏の始め、なほ春に接續す可し。秋の末尾を以て春の開頭に接ぐるは、大概不可ならん!九月に郊祭を行うに「用」の字を用うるは、正に用ゐべからざるを表す。宮室設けずんば祭るべからず。衣服整えざれば祭るべからず。車馬器械備わらざれば祭るべからず。有司一人の職守を盡くさざる者有れば、また祭るべからず。祭祀は、時令を進獻し、恭敬を進獻し、美好を進獻するにして、併せて滋味を享受しに往くにあらず。
冬,公會單子、晉侯、宋公、衛侯、曹伯、齊人、邾人,伐鄭。言公不背柯陵之盟也。
冬、成公、單子・晋侯・宋公・衛侯・曹伯・齊人・邾人に會して鄭を伐つ。これ成公の柯陵の盟約を背棄せざるを言うなり。
壬申,公孫嬰齊,卒於貍蜃。十一月無壬申,壬申乃十月也。致公而後錄,臣子之義也。其地,未逾竟也。
壬申、公孫嬰齊、狸蜃に於いて卒す。十一月に壬申なし。壬申は實は十月なり。國君歸國して後始めて記下す。これ臣子の義なり。地を記すは、いまだ國境を走出でざればなり。
晉殺其大夫郤錡、郤犨、郤至。自禍於是起矣!
晋、その大夫郤錡・郤犨・郤至を殺す。災禍、卽ここより起これり!
十有八年春,王正月,晉殺其大夫胥童。庚申,晉弒其君州蒲。稱國以弒其君,君惡甚矣!
十八年春、王正月、晋、その大夫胥童を殺す。庚申、晋、その君州蒲を殺す。國を稱して弑君を記するは、この國君の惡太だ甚し!
築鹿囿。築,不志;此其志,何也?山林藪澤之利,所以與民共也;虞之,非正也。
鹿囿を築く。築造は例により記さず。ここに記すは何ぞや。山林湖澤の物産は、本より以て百姓と共享するなり。人を遣りて往きて守らせて獨占するは、正の道に合せず。
己丑,公薨於路寢。路寢,正也。男子不絕婦人之手,以齊終也。
己丑、成公、路寢に薨す。路寢に死するは正例なり。男子、婦人の手裡に於いて氣絶せず。整肅に一生を結束せんがためなり。
十有二月,仲孫蔑會晉侯、宋公、衛侯、邾子、齊崔杼,同盟於虛朾。
十二月、仲孫蔑、晋侯・宋公・衛侯・邾子・齊の崔杼に會し、虛朾に同盟す。
(闕文)
(闕文)
襄公
元年春,王正月,公即位。繼正即位,正也。
元年春、王正月、襄公卽位す。正に卒したる君の後に接ぎて卽位するは、正例なり。
仲孫蔑會晉欒黶、宋華元、衛寧殖、曹人、莒人、邾人、滕人、薛人,圍宋彭城。系彭城於宋者,不與魚石,正也。
仲孫蔑、晋の欒黶・宋の華元・衛の寧殖・曹人・莒人・邾人・滕人・薛人に會して宋の彭城を圍む。彭城を宋國の下に係するは、魚石を贊成せざるなり。これ正道なり。
仲孫蔑會齊崔杼、曹人、邾人、杞人,次於鄫。
仲孫蔑、齊の崔杼・曹人・邾人・杞人に會して、鄫に次る。
晉師、宋師、衛寧殖侵鄭。其曰衛寧殖,如是而稱於前事也。
晋師・宋師・衛の寧殖、鄭に侵す。「衛寧殖」と稱するは、先前のごとく前の事に按じて彼を稱呼するなり。
秋,七月,仲孫蔑會晉荀罃、宋華元、衛孫林父、曹人、邾人於戚。
秋七月、仲孫蔑、戚に晋の荀䓨・宋の華元・衛の孫林父・曹人・邾人に會す。
冬,仲孫蔑會晉荀罃、齊崔杼、宋華元、衛孫林父、曹人、邾人、滕人、薛人、小邾人於戚,遂城虎牢。若言中國焉,內鄭也。
冬、仲孫蔑、戚に晋の荀䓨・齊の崔杼・宋の華元・衛の孫林父・曹人・邾人・滕人・薛人・小邾人に會し、次いで虎牢を築く。かくのごとく書くは、中原己が事を言うがごとくにして、鄭國を以て己が人と爲すなり。
六月,公會單子、晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、莒子、邾子、齊世子光。己未,同盟於雞澤。同者,有同也,同外楚也。
六月、襄公、單子・晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・莒子・邾子・齊の太子光に會す。己未、雞澤に同盟す。「同」は共の目標有るを言う。すなわち共に楚を抵禦するなり。
陳侯使袁僑如會。如會,外乎會也,於會受命也。
陳侯、袁僑をして會に如かしむ。「如會」は、彼なほ會外に在りて、會に到りて命令を接受するなり。
戊寅,叔孫豹及諸侯之大夫,及陳袁僑盟。及以及,與之也。諸侯以為可與則與之,不可與則釋之。諸侯盟,又大夫相與私盟,是大夫張也。故雞澤之會,諸侯始失正矣!大夫執國權,曰袁僑,異之也。
戊寅、叔孫豹、諸侯の大夫と、また陳の袁僑と盟す。「及」を以て再び「及」するは、彼らを贊成するなり。諸侯、結交すべしと認めればすなわち結交し、結交すべからずと認めればすなわち放下す。諸侯盟を訂めて後、大夫また私下に互いに結盟す。これ大夫の擴張するなり。ゆえに雞澤のこの會は、諸侯始めて正道を失えり!大夫、國家の權柄を執掌す。單に「袁僑」と稱するは、彼を以て一樣ならざると視るなり。
叔孫豹、繒世子巫如晉。外不言如,而言如,為我事往也。
叔孫豹・繒の太子巫、晋に如く。外國の事、例により「如」を書かず。ここに「如」を書くは、わが魯の事のために往けばなり。
仲孫蔑、衛孫林父會吳於善稻。吳謂善伊,謂稻緩,號從中國,名從主人。
仲孫蔑・衛の孫林父、善稻に呉を會見す。呉人、「善」を「伊」と叫び、「稻」を「緩」と叫ぶ。名號は中原に跟從し、名稱は主人に跟從す。
公會晉侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、齊世子光、吳人、繒人於戚。公至自會。
襄公、晋侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・齊の太子光・呉人・繒人と戚に會す。襄公、會より至る。
公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、齊世子光,救陳。十有二月,公至自救陳。善救陳也。
襄公、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・齊の太子光に會して陳を救う。十二月、襄公、救陳の軍中より至る。經文、陳を救うを贊成す。
莒人滅繒。非滅也。中國日,卑國月,夷狄時。繒,中國也,而時,非滅也。家有既亡,國有既滅,滅而不自知,由別之而不別也。莒人滅繒,非滅也。非立異姓以蒞祭祀,滅亡之道也。
莒人、繒を滅ぼす。併せて滅にあらず。中原之國は日を記し、低微の國は月を記し、夷狄は季節を記す。繒は中原之國なるに、季節に按じて記す。見るべし、併せて滅にあらざるを。家にすでに亡びてなほ覺えざる有り、國にもすでに滅びてなほ覺えざる有り。己を滅ぼして知らざるは、分別すべきを分別せざればなり。莒人の繒を滅ぼすは、併せて滅にあらず。異姓を立てて祭祀を主持せしむるは、それ乃ち滅亡の路なり。
夏,四月,三卜郊;不從,乃免牲。夏四月,不時也。三卜,禮也。乃者,亡乎人之辭也。
夏四月、郊祭を三卜す。從わず。すなわち犧牲を免ず。夏四月は、時令に合せず。三卜するは、禮に合す。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。
冬,十月,衛侯使孫林父來聘。壬戌,及孫林父盟。
冬十月、衛侯、孫林父をして來聘せしむ。壬戌、孫林父と盟す。
十有二月,公會晉侯、宋公、陳侯、衛侯、曹伯、莒子、邾子於鄬。鄭伯髡原如會。未見諸侯。丙戌,卒於操。未見諸侯,其曰如會,何也?致其志也。禮,諸侯不生名,此其生名,何也?卒之名也。卒之名,則何為加之如會之上?見以如會卒也。其見以如會卒,何也?鄭伯將會中國,其臣欲從楚;不勝其臣,弒而死。其不言弒,何也?不使夷狄之民加乎中國之君也。其地,於外也;其日,未逾竟也。日卒時葬,正也。
十二月、襄公、晋侯・宋公・陳侯・衛侯・曹伯・莒子・邾子と鄬に會す。鄭伯髡原、會に赴き、いまだ諸侯を見ず。丙戌、操に於いて卒す。いまだ諸侯を見ざるに、何を以て「如會」を書くか。彼の心意を成全するなり。禮に拠れば、諸侯生きる時は名を稱せず。ここに生きて名を稱するは何ぞや。卒に按じて名を稱するなり。卒に按じて名を稱するに、何を以て「如會」の上に加うるか。以て彼が赴會に因りて死せるを顯出せんと欲するなり。何を以て彼が赴會に因りて死せるを顯出するか。鄭伯、中原と會せんと將にして、彼の臣下は楚に跟從せんと欲す。彼臣下を制する能わずして、弑されて死す。何を以て「弑」を書かざるか。夷狄の民をして中原之君の上頭に加えられしめざるがためなり。地を記すは、彼外國に死せればなり。日を記すは、いまだ國境を走出でざればなり。卒するに日を記し、葬るに季節を記するは正例なり。
鄭人侵蔡,獲蔡公子溼。人,微者也。侵,淺事也。而獲公子,公子病矣!
鄭人、蔡に侵し、蔡の公子溼を俘獲す。「人」と稱するは、地位低微の人なり。侵入は淺き事なり。しかるに公子を俘獲せり。公子、難堪を顯出せり!
季孫宿會晉侯、鄭伯、齊人、宋人、衛人、邾人於邢丘。見魯之失正也。公在而大夫會也。
季孫宿、晋侯・鄭伯・齊人・宋人・衛人・邾人と邢丘に會す。これ魯國の正道を失えりを顯出す。國君なほ在るに、大夫往きて人と會す。
九年春,宋災。外災不志,此其志,何也?故宋也。
九年春、宋國、火災發生す。外國の災害は、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。孔子の祖先、宋國人なればなり。
冬,公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子、齊世子光,伐鄭。十有二月,己亥,同盟於戲。不異鄭,善得鄭也。不致,恥不能據鄭也。
冬、襄公、晋侯・宋公・衛侯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子・齊の太子光に會して鄭を伐つ。十二月己亥、戲に同盟す。鄭國を另眼看待せざるは、鄭國を得たるを贊成するなり。歸國を書かざるは、鄭國を穩住する能わざるを恥とす。
十年春,公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子、齊世子光,會吳於柤。會又會,外之也。
十年春、襄公、晋侯・宋公・衛侯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子・齊の太子光に會し、柤に呉を會見す。會してまた會すは、之を外人と爲すなり。
夏,五月甲午,遂滅傅陽。遂,直遂也;其曰遂何?不以中國從夷狄也。
夏五月甲午、次いで傅陽を滅ぼす。「遂」はすなわち一直に爲し往くなり。何を以て「遂」を書くか。中原をして夷狄に跟從せしめざるがためなり。
公至自會。會夷狄不致,惡事不致,此其致,何也?存中國也。中國有善事,則並焉;無善事,則異之存之也。汲鄭伯,逃歸陳侯。致柤之會,存中國也。
襄公、會より至る。夷狄と相會すれば例により歸國を書かず、惡事も例により歸國を書かず。ここに書くは何ぞや。以て中原を保存せんと欲するなり。中原に好事有れば、合併して書く。好事なければ、分開して書く。以て之を保存せんがためなり。鄭伯を拉住し、陳侯逃げ歸れり。柤の會に按じて歸國を書くは、中原を保存するなり。
公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯、莒子、邾子、齊世子光、滕子、薛伯、杞伯、小邾子,伐鄭。
襄公、晋侯・宋公・衛侯・曹伯・莒子・邾子・齊の太子光・滕子・薛伯・杞伯・小邾子に會して鄭を伐つ。
冬,盜殺鄭公子斐、公子發、公孫輒。稱盜以殺大夫,弗以上下道,惡上也。
冬、盜賊、鄭の公子斐・公子發・公孫輒を殺す。「盜」と稱して大夫の殺を記するに、上下の層次に按じて言わざるは、上の人を惡むなり。
十有一年春,王正月,作三軍。作,為也。古者天子六師,諸侯一軍。作三軍,非正也。
十一年春、王正月、三軍を作す。「作」は爲すなり。古、天子六軍、諸侯一軍。三軍を作すは、正の道に合せず。
夏,四月,四卜郊。不從,乃不郊。夏四月,不時也。四卜,非禮也。
夏四月、郊祭を四卜す。從わず。すなわち郊祭を行わず。夏四月は、時令に合せず。四卜するは、禮に合せず。
公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯、齊世子光、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子,伐鄭。
襄公、晋侯・宋公・衛侯・曹伯・齊の太子光・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子に會して鄭を伐つ。
公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯、齊世子光、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子伐鄭,會於蕭魚。公至自會。伐而後會,不以伐鄭致,得鄭伯之辭也。
襄公、晋侯・宋公・衛侯・曹伯・齊の太子光・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子に會して鄭を伐ち、蕭魚に相會す。襄公、會より至る。先ず伐ちて後に相會するに、「伐鄭」に按じて歸國を書かざるは、これすでに鄭伯を得たるの辭なり。
十有二年春,王三月,莒人伐我東鄙,圍邰。伐國不言圍邑,舉重也;取邑不書圍,安足書也。
十二年春、王三月、莒人、我が魯の東鄙に侵し、邰を圍む。一國を伐つに、別に城邑を圍むを書かざるは、分量更重なるの面を擧ぐるなり。城邑を取るに皆圍を書かず。圍、なほ書くに値せんや。
季孫宿帥師救邰,遂入鄆。遂,繼事也。受命而救邰,不受命而入鄆,惡季孫宿也。
季孫宿、師を率いて邰を救い、次いで鄆に攻入る。「遂」は事に次ぐなり。命を受けて邰を救うに往き、命を受けずして鄆に攻入るは、季孫宿を惡むなり。
十有四年春,王正月,季孫宿、叔老會晉士丐、齊人、宋人、衛人、鄭公孫蠆、曹人、莒人、邾人、滕人、薛人、杞人、小邾人,會吳於向。
十四年春、王正月、季孫宿・叔老、晋の士丐・齊人・宋人・衛人・鄭の公孫蠆・曹人・莒人・邾人・滕人・薛人・杞人・小邾人に會し、向に呉を會見す。
夏,四月,叔孫豹會晉荀偃、齊人、宋人、衛北宮括、鄭公孫蠆、曹人、莒人、邾人、滕人、薛人、杞人、小邾人,伐秦。
夏四月、叔孫豹、晋の荀偃・齊人・宋人・衛の北宮括・鄭の公孫蠆・曹人・莒人・邾人・滕人・薛人・杞人・小邾人に會して秦を伐つ。
冬,季孫宿會晉士丐、宋華閱、衛孫林父、鄭公孫蠆、莒人、邾人於戚。
冬、季孫宿、晋の士丐・宋の華閲・衛の孫林父・鄭の公孫蠆・莒人・邾人と戚に會す。
十有五年春,宋公使向戌來聘。二月己亥,及向戌盟於劉。
十五年春、宋公、向戌をして來聘せしむ。二月己亥、向戌と劉に盟す。
三月,公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、薛伯、杞伯、小邾子於湨梁。戊寅,大夫盟。湨梁之會,諸侯失正矣!諸侯會而曰大夫盟,正在大夫也。諸侯在而不曰諸侯之大夫,大夫不臣也。
三月、襄公、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・薛伯・杞伯・小薛伯・杞伯・小邾子と湨梁に會す。戊寅、大夫盟す。湨梁のこの會は、諸侯正道を失えり!諸侯相會するに、大夫盟すと寫成するは、正道すでに大夫の手裡に落ちたり。諸侯なほ在るに、「諸侯之大夫」を書かざるは、大夫、臣に似ざるなり。
叔老會鄭伯、晉荀偃、衛寧殖、宋人,伐許。
叔老、鄭伯・晋の荀偃・衛の寧殖・宋人に會して許を伐つ。
秋,齊侯伐我北鄙,圍桃。齊高厚帥師伐我北鄙,圍防。
秋、齊侯、我が魯の北鄙に侵し、桃を圍む。齊の高厚、師を率いて我が魯の北鄙を伐ち、防を圍む。
夏,晉人執衛行人石買。稱行人,怨接於上也。
夏、晋人、衛の行人石買を執う。「行人」と稱するは、怨が上に接ぐるなり。
冬,十月,公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子,同圍齊。非圍而曰圍,齊有大焉,亦有病焉。非大而足同與,諸侯同罪之也,亦病矣。
冬十月、襄公、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と、同じく齊を圍む。併せて圍にあらざるに「圍」と寫成するは、齊國、大に視られるの面有り、また病を視られるの面有り。若し大に視られざれば、何處に「同じく」に値せんや。諸侯共同して彼に罪名を加上するは、これまた彼の病なり。
公至自伐齊。《春秋》之義,已伐而盟,復伐者,則以伐致;盟不復伐者,則以會致。祝柯之盟,盟復伐齊與?曰:非也。然則何為以伐致也?曰:與人同事,或執其君,或取其地。
襄公、伐齊の軍中より至る。『春秋』の義例、すでに攻伐して再び結盟し、結盟して後再び攻伐するは、すなわち「伐」に按じて歸國を書く。結盟して後、攻伐せざるは、すなわち「會」に按じて歸國を書く。祝柯の盟は、結盟して後再び齊を伐ちしに往けるか。答えて曰く、あらず。然らば何を以て「伐」に按じて歸國を書くか。答えて曰く、人と同じ一の事を爲すに、或いは人の國君を執え、或いは人の土地を奪取せり。
晉士丐帥師侵齊。至谷,聞齊侯卒,乃還。還者,事未畢之辭也。受命而誅,生死無所加其怒,不伐喪,善之也。善之,則何為未畢也?君不屍小事,臣不專大名。善則稱君,過則稱己,則民作讓矣!士丐外專君命,故非之也。然則為士丐者宜奈何?宜墠帷而歸命乎介。
晋の士丐、師を率いて齊に侵し、穀に至りて、齊侯卒すを聞き、乃ち還る。「還」は事いまだ辦じ畢らざるの辭なり。命を受けて誅討しに往くに、彼方の生き死にに、怒氣の上に一等を加えず、喪事に趁りて攻めざるは、これ彼を贊成するなり。すでに贊成すれば、何を以てなほ事の辦じ畢らざるを言うか。國君、自ら小事を爲さず。臣子、大き名声を獨占せず。好事を國君に歸し、過失を己に歸せば、百姓卽謙讓を興さん!士丐、外に於いて獨り國君の命を決定す。ゆえに彼を責む。然らば士丐たる者、當に如何にすべきか。當に地に就きて帷を設け、命を副使に交還して帶り歸りて請示せしむべし。
二十年春,王正月辛亥,仲孫速會莒人,盟於向。
二十年春、王正月辛亥、仲孫速、莒人に會し、向に盟す。
夏,六月庚申,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子,盟於澶淵。秋,公至自會。
夏六月庚申、襄公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子に會し、澶淵に盟す。秋、襄公、會より至る。
陳侯之弟光出奔楚。諸侯之尊,弟兄不得以屬通。其弟雲者,親之也。親而奔之,惡也。
陳侯の弟光、楚に逃亡す。諸侯地位尊貴なり。兄弟の間、親屬の名分を以て相稱する能わず。ここに「其弟」と稱するは、彼を親しむなり。彼を親しむるに、他出奔せり。卽これ惡なり。
邾庶其以漆閭丘來奔。以者,不以者也。來奔者,不言出,舉其接我者也。漆閭丘不言及,小大敵也。
邾の庶其、漆と閭丘とを以て來奔す。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼らを用ゐべからざるを表す。來奔するに「出」を書かざるは、彼がわが魯と交接するの面を擧げて言うなり。漆・閭丘の間、「及」を用ゐざるは、大小相當なればなり。
公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子於商任。庚子,孔子生。
襄公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子と商任に會す。庚子の日、孔子生まる。
冬,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子於沙隨。公至自會。
冬、襄公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と沙隨に會す。襄公、會より至る。
陳殺其大夫慶虎,及慶寅。稱國以殺,罪累上也。及慶寅,慶寅累也。
陳、その大夫慶虎と慶寅とを殺す。國を稱して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。「及慶寅」と書くは、慶寅は牽連せられたるなり。
八月,叔孫豹帥師救晉,次於雍渝。言救後次,非救也。
八月、叔孫豹、師を率いて晋を救い、雍渝に次る。先ず救を書きて後次を書けば、すなわち真救にあらず。
冬,十月乙亥,臧孫紇出奔邾。其日,正臧孫紇之出也。蘧伯玉曰:「不以道事其君者,其出乎!」
冬十月乙亥、臧孫紇、邾に逃亡す。日を記すは、臧孫紇の出走を正當に寫すなり。蘧伯玉曰く、「正道に按じて國君に侍奉せざる者は、大概卽出走せんとする者ならん」と。
公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子於夷儀。
襄公、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と夷儀に會す。
大飢。五穀不升為大飢。一谷不升謂之嗛,二谷不升謂之飢,三谷不升謂之饉,四谷不升謂之康,五穀不升謂之大侵。大侵之禮,君食不兼味,臺榭不塗,弛侯,廷道不除,百官布而不制,鬼神禱而不祀。此大侵之禮也。
大饑荒。五種の穀物皆熟せざるを、大饑と曰う。一種熟せざるを嗛と曰い、二種熟せざるを饑と曰い、三種熟せざるを饉と曰い、四種熟せざるを康と曰い、五種皆熟せざるを大侵と曰う。大侵の禮、國君食に二の滋味を兼ねず、台榭更に涂飾せず、守望を放鬆し、庭中の路修治を加えず、百官照舊排列して更に新たなりを制作せず、鬼神に對してはただ禱告して祭祀せず。これ卽大侵の禮なり。
夏,五月乙亥,齊崔杼弒其君光。莊公失言,淫於崔氏。
夏五月乙亥、齊の崔杼、その君光を殺す。莊公、言語撿點せず、また崔氏と通姦す。
公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子於夷儀。
襄公、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と夷儀に會す。
十有二月,吳子謁伐楚門於巢,卒。以伐楚之事門於巢,卒也。於巢者,外乎楚也。門於巢,乃伐楚也。諸侯不生名,取卒之名,加之「伐楚」之上者,見以伐楚卒也。其見以伐楚卒,何也?古者大國過小邑,小邑必飾城而請罪,禮也。吳子謁伐楚至巢,入其門,門人射吳子,有矢創,反舍而卒。古者雖有文事,必有武備。非巢之不飾城而請罪,非吳子之自輕也。
十二月、呉子謁、楚を伐ち、巢に於いて門を攻めて、卒す。これ伐楚のこの事に就きて、巢に於いて門を攻めて死せるなり。「于巢」と書くは、巢を楚國の外に放くなり。巢に於いて門を攻めてこそ、楚を伐ちに往けるなり。諸侯生きる時は名を稱せず。卒するに用ゐる名を「伐楚」の上に加うるは、以て彼が伐楚に因りて死せるを顯出せんと欲するなり。何を以て彼が伐楚に因りて死せるを顯出するか。古、大國小邑を經過するに、小邑必ず城防を整治して請罪す。これ禮に合す。呉子謁、楚を伐ち、巢に走り至りて、その門に入る。守門人、呉子を射中て、箭傷有り。處に歸りて卽死す。古、文事有ると雖ども、亦必ず武備有り。巢の城防を整治せず請罪せざるを責め、また呉子の太だ己が身を當然の事と爲さざるを責む。
二十有六年春,王二月辛卯,衛寧喜弒其君剽。此不正,其日何也?殖也立之,喜也君之,正也。
二十六年春、王二月辛卯、衛の寧喜、その君剽を殺す。この人の繼位は本より正の道に合せず。ここに日を記すは何ぞや。殖彼を立てしなり、喜彼を以て國君と爲せしなり。故に正例に按じて記す。
衛孫林父入於戚以叛。甲午,衛侯衎復歸於衛。日歸,見知弒也。
衛の孫林父、戚に入りて叛す。甲午、衛侯衎、衛に復歸す。歸るの日を記すは、彼が弑君の事を知れるを顯出するなり。
夏,叔孫豹會晉趙武、楚屈建、蔡公孫歸生、衛石惡、陳孔奐、鄭良霄、許人、曹人於宋。
夏、叔孫豹、晋の趙武・楚の屈建・蔡の公孫歸生・衛の石惡・陳の孔奐・鄭の良霄・許人・曹人と宋に會す。
衛殺其大夫寧喜。稱國以殺,罪累上也。寧喜弒君,其以累上之辭言之,何也?嘗為大夫,與之涉公事矣!寧喜由君弒君,而不以弒君之罪罪之者,惡獻公也。
衛、その大夫寧喜を殺す。國を稱して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。寧喜、國君を弑したるに、上に累する辭を以て言うは何ぞや。彼かつて大夫を爲して、すでに國君と一緒に公事を辦ぜしがためなり。寧喜、國君の指使を受けて弑君せしに、弑君の罪を以て彼の罪を定めざるは、これ獻公を惡むなり。
衛侯之弟專出奔晉。專,喜之徒也。專之為喜之徒,何也?己雖急納其兄,與人之臣謀弒其君,是亦弒君者也。專其曰弟,何也?專有是信者,君賂不入乎喜而殺喜,是君不直乎喜也,故出奔晉。織絇邯鄲,終身不言衛。專之去,合乎《春秋》。
衛侯の弟專、晋に逃亡す。專は喜の黨徒なり。彼を喜の黨徒と言うは何ぞや。彼自ら雖ほ急ぎて兄を送入れんとすれども、人の臣子と弑君を謀劃せり。卽これ弑君の人なり。專に「弟」を稱するは何稱するは何ぞや。專、かくのごとき信用有り。國君の賄賂、喜の處に送り届けざれども、卻て喜を殺せり。これ國君、喜に對して正直ならず。ゆえに彼、晋に逃亡す。邯鄲に於いて鞋頭の繩を織り、終身衛國を談ぜず。專の離去は、『春秋』に合す。
秋,七月辛巳,豹及諸侯之大夫盟於宋。湨梁之會,諸侯在而不曰諸侯之大夫,大夫不臣也。晉趙武恥之。豹雲者,恭也。諸侯不在而曰諸侯之大夫,大夫臣也。其臣恭也,晉趙武為之會也。
秋七月辛巳、豹、諸侯の大夫と宋に盟す。湨梁のあの會は、諸侯なほ在るに「諸侯之大夫」を書かざるは、大夫、臣に似ざるなり。晋の趙武、この事を以て恥と爲す。ただ「豹」を稱するは、恭敬なり。諸侯場に在らざるに「諸侯之大夫」を書くは、大夫、臣に似るなり。これらの臣子恭敬なり。晋の趙武、この會を主持すればなり。
夏,五月,公至自楚。喜之也。致君者,殆其往;而喜其反,此致君之意義也。
夏五月、襄公、楚より至る。これ彼のために歡喜するなり。國君歸國を書くは、彼の出づるを心配し、また彼の歸るを歡喜する。これ卽國君歸國を書くの意義なり。
閽弒吳子餘祭。閽,門者也,寺人也。不稱名姓,閽不得齊於人;不稱其君,閽不得君其君也。禮:君不使無恥,不近刑人,不狎敵,不邇怨。賤人非所貴也,貴人非所刑也,刑人非所近也。舉至賤而加之吳子,吳子近刑人也。閽弒吳子餘祭,仇之也。
守門人、呉子餘祭を殺す。閽は卽門を守る人にして、卽寺人なり。名姓を稱せざるは、閽、普通の人と並列する能わざればなり。「其君」を稱せざるは、閽、あの國君を以て己が君と爲す能わざればなり。禮に曰く、國君、廉恥なき人を使用せず、刑を受けし人を親近せず、敵を太だ輕く視ず、怨恨有る人を靠近せず、と。低賤の人、貴く視らるべからず。貴重の人、刑を受くべからず。刑を受けし人、親近せらるべからず。最も賤き人を擧げて呉子の頭上に加うるは、呉子、刑を受けし人を親近せしがためなり。閽の呉子餘祭を殺すは、仇を報ずるなり。
仲孫羯會晉荀盈、齊高止、宋華定、衛世叔儀、鄭公孫段、曹人、莒人、邾人、滕人、薛人、小邾人,城杞。古者天子封諸侯,其地足以容其民,其民足以滿城以自守也。杞危而不能自守,故諸侯之大夫,相帥以城之。此變之正也。
仲孫羯、晋の荀盈・齊の高止・宋の華定・衛の世叔儀・鄭の公孫段・曹人・莒人・邾人・滕人・薛人・小邾人に會して、杞のために城を築く。古、天子諸侯を封建するに、土地、彼の百姓を容納するに足るを要し、百姓、城池を填滿して以て自ら守るに足るを要す。杞國危急にして、自ら守る能わず。ゆえに諸侯の大夫、彼此率ゐて往きて彼のために城を築く。これ變通の中の正道なり。
吳子使札來聘。吳其稱子,何也?善使延陵季子,故進之也。身賢,賢也;使賢,亦賢也。延陵季子之賢,尊君也。其名,成尊於上也。
呉子、札をして來聘せしむ。呉國に「子」を稱するは何ぞや。彼が延陵季子を派遣せるを贊成し、故に彼を上に一等進めるなり。己が賢なるは賢なり。能く賢人を使用するも、また賢なり。延陵季子の賢は、國君を尊崇するに在り。彼の名を稱するは、上の尊を成就するなり。
夏,四月,蔡世子般弒其君固。其不日,子奪父政,是謂夷之。
夏四月、蔡の太子般、その君固を殺す。日を記さざるは、子、父の權位を奪取するは、これ彼を以て夷狄と爲せばなり。
五月甲午,宋災,伯姬卒。取卒之日,加之災上者,見以災卒也。其見以災卒奈何?伯姬之舍失火,左右曰:「夫人少闢火乎?」伯姬曰:「婦人之義,傅母不在,宵不下堂。」左右又曰:「夫人少闢火乎?」伯姬曰:「婦人之義,保母不在,宵不下堂。」遂逮乎火而死。婦人以貞為行者也,伯姬之婦道盡矣!詳其事,賢伯姬也。
五月甲午、宋國、火災發生し、伯姬卒す。卒の日を火災の上に加うるは、以て彼女が火災に因りて死せるを顯出せんと欲するなり。如何にして彼女が火災に因りて死せるを顯出するか。伯姬の住處失火し、左右曰く、「夫人、少し火を避けられんや」と。伯姬曰く、「婦人の道理、傅母在らざれば、夜堂を下りず」と。左右また曰く、「夫人、少し火を避けられんや」と。伯姬曰く、「婦人の道理、保母在らざれば、夜堂を下りず」と。すなわち火に燒き至られて死す。婦人、貞を以て行事の準則と爲す。伯姬の爲婦之道、盡くせり!この事を寫すこと詳細なるは、伯姬を賢と認めればなり。
天王殺其弟佞夫。傳曰:諸侯且不首惡,況於天子乎!君無忍親之義,天子、諸侯所親者,唯長子母弟耳。天王殺其弟佞夫,甚之也!
周天子、その弟佞夫を殺す。傳文曰く、諸侯なほ惡を帶頭せず。況んや天子をや!國君、親人に狠手を下すの理なし。天子・諸侯の親とする所、ただ長子と同母弟のみなり。天子、己が弟佞夫を殺せり。これ事を甚だ重く言うなり!
秋,七月,叔弓如宋,葬共姬。外夫人不書葬,此其言葬,何也?吾女也。卒災,故隱而葬之也。
秋七月、叔弓、宋に往きて共姬の葬禮に參加す。外國の夫人は、經文例により葬禮を記さず。ここに記すは何ぞや。彼女わが魯の女なればなり。火災に因りて死せれば、故に彼女を哀れみて安葬を記す。
鄭良霄出奔許,自許入於鄭。鄭人殺良霄。不言大夫,惡之也。
鄭の良霄、許に逃亡し、また許より鄭に入る。鄭人、良霄を殺す。大夫を稱せざるは、彼を惡むなり。
冬,十月,葬蔡景公。不日卒而月葬,不葬者也。卒而葬之,不忍使父失民於子也。
冬十月、蔡景公を葬る。卒するに日を記さず、葬るに月のみを記す。本より葬禮を記すべからざる人なり。卒を記しまた葬を記するは、父をして子に因りて百姓を失わしむるを忍びざるなり。
晉人、齊人、宋人、衛人、鄭人、曹人、莒人、邾人、滕人、薛人、杞人、小邾人,會於澶淵,宋災故。會不言其所為,其曰「宋災故」,何也?不言災故,則無以見其善也。其曰人,何也?救災以眾。何救焉?更宋之所喪財也。澶淵之會,中國不侵伐夷狄,夷狄不入中國,無侵伐八年,善之也。晉趙武、楚屈建之力也。
晋人・齊人・宋人・衛人・鄭人・曹人・莒人・邾人・滕人・薛人・杞人・小邾人、澶淵に相會す。宋國、火災發生せしがためなり。會盟、例により何がためかを書かず。ここに「宋災故」と書くは何ぞや。火災に因るを書かざれば、彼らの善を視るに由無し。「人」と稱するは何ぞや。災を救うは衆人に靠るなり。救うところは何ぞや。宋國の喪失せし財物を補うなり。澶淵のこの會より後、中原、夷狄を侵伐せず、夷狄、中原に進入せず。八年侵伐なし。經文この事を贊成す。これ晋の趙武・楚の屈建の出しし力なり。
夏,六月辛巳,公薨於楚宮。楚宮,非正也。
夏六月辛巳、襄公、楚宮に薨す。楚宮に死するは、正の道に合せず。
冬,十月,滕子來會葬。癸酉,葬我君襄公。
冬十月、滕子、來りて葬禮に參加す。癸酉、我が君襄公を葬る。
(闕文)
(闕文)
昭公
元年春,王正月,公即位。繼正即位,正也。
元年春、王正月、昭公卽位す。正に卒したる君の後に接ぎて卽位するは、正例なり。
叔孫豹會晉趙武、楚公子圍、齊國弱、宋向戌、衛齊惡、陳公子招、蔡公孫歸生、鄭罕虎、許人、曹人於郭。三月,取鄆。
叔孫豹、晋の趙武・楚の公子圍・齊の國弱・宋の向戌・衛の齊惡・陳の公子招・蔡の公孫歸生・鄭の罕虎・許人・曹人と郭に會す。三月、鄆を取る。
夏,秦伯之弟針出奔晉。諸侯之尊,弟兄不得以屬通。其弟雲者,親之也。親而奔之,惡也。
夏、秦伯の弟鍼、晋に逃亡す。諸侯地位尊貴なり。兄弟の間、親屬の名分を以て相稱する能わず。ここに「其弟」と稱するは、彼を親しむなり。彼を親しむるに、他出奔せり。卽これ惡なり。
晉荀吳帥師,敗狄於太原。傳曰:中國曰太原,夷狄曰太滷。號從中國,名從主人。
晋の荀呉、師を率いて、太原に狄人を敗る。傳文曰く、中原は太原と叫び、夷狄は太鹵と叫ぶ。名號は中原に跟從し、名稱は主人に跟從す。
冬,公如晉,至河乃復。恥如晉,故著有疾也。
冬、昭公、晋に如く、黄河に至りて乃ち復る。晋に往くを恥とす。ゆえに彼の病有るを書き出だす。
季孫宿如晉。公如晉而不得入,季孫宿如晉而得入,惡季孫宿也。
季孫宿、晋に往く。昭公、晋に往きて入るを得ず。季孫宿、晋に往きて入るを得るは、季孫宿を惡むなり。
夏,楚子、蔡侯、陳侯、鄭伯、許男、徐子、滕子、頓子、鬍子、沈子、小邾子、宋世子佐、淮夷會於申。楚人執徐子。
夏、楚子・蔡侯・陳侯・鄭伯・許男・徐子・滕子・頓子・胡子・沈子・小邾子・宋の太子佐・淮夷、申に相會す。楚人、徐子を執う。
秋,七月,楚子、蔡侯、陳侯、許男、頓子、鬍子、沈子、淮夷伐吳。執齊慶封殺之。此入而殺,其不言入,何也?慶封封乎吳鍾離。其不言伐鍾離,何也?不與吳封也。慶封其以齊氏,何也?為齊討也。靈王使人以慶封令于軍中曰:「有若齊慶封弒其君者乎?」慶封曰:「子一息,我亦且一言,曰:『有若楚公子圍弒其兄之子,而代之為君者乎?』」軍人粲然皆笑。慶封弒其君,而不以弒君之罪罪之者,慶封不為靈王服也,不與楚討也。《春秋》之義,用貴治賤,用賢治不肖,不以亂治亂也。孔子曰:「懷惡而討,雖死不服,其斯之謂與?」(經四
秋七月、楚子・蔡侯・陳侯・許男・頓子・胡子・沈子・淮夷、呉を伐ち、齊の慶封を執えて、彼を殺す。これ呉に入りて後殺せしに、何を以て「入」を書かざるか。慶封、呉の鍾離に封ぜられたればなり。何を以て「伐鍾離」を書かざるか。呉の封建を贊成せざるなり。慶封、齊の氏を名の上に冠するは何ぞや。齊のために討伐せばなり。靈王、人をして慶封を以て軍中に號令せしめて曰く、「齊の慶封のごとく國君を弑せし者有るか」と。慶封曰く、「汝、停まれ。われも一句言わん。『楚の公子圍のごとく兄の子を殺して、自ら彼に代はりて國君と爲せる者有るか』」と。軍中の人、一下子に皆笑えり。慶封、國君を弑したるに、弑君の罪を以て彼の罪を定めざるは、慶封、併せて靈王に服せざれば、經文もまた楚の討伐するを贊成せず。『春秋』の義は、貴を以て賤を治め、賢を以て不肖を治め、亂を以て亂を治めず。孔子曰く、「己が惡を懷きて討伐すれば、彼方死すと雖ども服せず。言うところはこのことか」と。底本此段の末尾、殘存して「(經四」の字樣有り。今照錄して補わず。
夏,莒牟夷以牟婁及防茲來奔。以者,不以者也。來奔者,不言出。及防茲,以大及小也。莒無大夫,其曰牟夷,何也?以其地來也。以地來,則何以書也?重地也。
夏、莒の牟夷、牟婁および防・茲を以て來奔す。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼らを用ゐべからざるを表す。來奔するに「出」を書かず。「及防茲」と書くは、大を以て小に連るなり。莒國に命大夫なし。ここに「牟夷」と稱するは何ぞや。彼、土地を帶びて來ればなり。土地を帶びて來るに、何を以て記すか。土地を重んずればなり。
戊辰,叔弓帥師,敗莒師於賁泉。狄人謂賁泉失臺,號從中國,名從主人。
戊辰、叔弓、師を率いて、賁泉に莒師を敗る。狄人、賁泉を失臺と叫ぶ。名號は中原に跟從し、名稱は主人に跟從す。
冬,楚子、蔡侯、陳侯、許男、頓子、沈子、徐人、越人伐吳。
冬、楚子・蔡侯・陳侯・許男・頓子・沈子・徐人・越人、呉を伐つ。
七年春,王正月,暨齊平。平者,成也。暨,猶暨暨也。暨者,不得已也。以外及內曰暨。
七年春、王正月、齊と平す。「平」はすなわち講和なり。「暨」は「暨暨」のごとく、迫不得已然り。外より內に連るを「暨」と曰う。
叔孫婼如齊蒞盟。蒞,位也。內之前定之辭謂之蒞,外之前定之辭謂之來。
叔孫婼、齊に往きて盟會に出席す。「莅」はすなわち位に就くなり。魯の方、事先に約し定めたるの說を「莅」と曰い、外、事先に約し定めたるの說を「來」と曰う。
秋,八月戊辰,衛侯惡卒。鄉曰衛齊惡,今曰衛侯惡,此何為君臣同名也?君子不奪人名,不奪人親之所名,重其所以來也。王父名子也。
秋八月戊辰、衛侯惡卒す。先前は「衛齊惡」と稱し、今は「衛侯惡」と稱す。君臣、何を以て同名なるか。君子、人の名字を剝奪せず、人の父母の起こせし名を剝奪せず。此の名字の來歷を重んずるなり。祖父が子に起こせし名なり。
冬,十有一月癸未,季孫宿卒。十有二月癸亥,葬衛襄公。
冬十一月癸未、季孫宿卒す。十二月癸亥、衛襄公を葬る。
八年春,陳侯之弟招殺陳世子偃師。鄉曰陳公子招,今曰陳侯之弟招,何也?曰:盡其親,所以惡招也。兩下相殺,不志乎《春秋》,此其志,何也?世子云者,唯君之貳也。雲可以重之存焉志之也。諸侯之尊兄弟不得以屬通,其弟雲者,親之也。親而殺之,惡也。
八年春、陳侯の弟招、陳の太子偃師を殺す。先前は「陳公子招」と稱し、今は「陳侯之弟招」と稱するは何ぞや。答えて曰く、彼の親を盡頭に寫すは、正に以て招を惡むるなり。地位相當の人互いに殺し合うは、『春秋』例により記さず。ここに記すは何ぞや。「世子」と稱するは、彼國君唯一の副貳なればなり。彼甚だ重き托付を擔負す可しと言う。ゆえに記す。諸侯地位尊貴なり。兄弟、親屬の名分を以て相稱する能わず。ここに「其弟」と稱するは、彼を親しむなり。彼を親しむるに、他人を殺せり。卽これ惡なり。
楚人執陳行人幹徵師,殺之。稱人以執大夫,執有罪也。稱行人,怨接於上也。
楚人、陳の行人干徵師を執えて、彼を殺す。「某國人捉大夫」と書くは、執えられたるは罪有る人なるを表す。「行人」と稱するは、怨が上に接ぐるなり。
秋,搜於紅。正也。因搜狩以習用武事,禮之大者也。艾蘭以為防,置旃以為轅門,以葛覆質以為槷。流旁握,御轚者不得入。車軌塵,馬候蹄,揜禽旅,御者不失其馳,然後射者能中。過防弗逐,不從奔之道也。面傷不獻,不成禽不獻。禽雖多,天子取三十焉,其餘與士眾。以習射於射宮,射而中,田不得禽,則得禽;田得禽而射不中,則不得禽。是以知古之貴仁義,而賤勇力也。
秋、紅に於いて秋獵を舉行す。これ正例なり。田獵に藉りて武事を演習するは、禮の中の重大の一項なり。蘭草を割きて以て界限と爲し、旌旗を插して以て轅門と爲し、葛藤を以て木樁を蓋えて門橛と爲す。車輪外側と門橛との間、ただ一握の空隙を留め、車轂門橛に碰着する者は入るを得ず。車轍亂れず塵を揚げず、馬蹄節拍に按じて走り、成群の禽獸を圍住し、駕車の人、馳驅の法度を失わず、後に射る者始めて射中つるを得ん。界限を越ゆれば卽追わず。これ逃獸を追趕せざるの理なり。面部傷つきたるは進獻せず。いまだ長成せざるは進獻せず。禽獸卽多しと雖ども、天子ただ三十只を取り、餘りは士衆に給す。更に射宮に往きて射を習う。射中てば、田獵時に禽獸を得ざるも、亦得るを得。田獵時に得たるも、射中たざれば、得る能わず。これを以て古人の仁義を重んじて勇力を輕んずるを知るべし。
冬,十月壬午,楚師滅陳,執陳公子招,放之於越。殺陳孔奐。惡楚子也。
冬十月壬午、楚師、陳を滅ぼし、陳の公子招を執えて彼を越に放逐し、陳の孔奐を殺す。これ楚子を惡むなり。
夏,四月,陳火。國曰災,邑曰火。火不志,此何以志?閔陳而存之也。
夏四月、陳災す。一國に對しては「災」と曰い、城邑に對しては「火」と曰う。火は例により記さず。ここに何を以て記すか。陳國を哀れみて、之を保存せんと欲するなり。
秋,七月,季孫意如、叔弓、仲孫貜帥師伐莒。
秋七月、季孫意如・叔弓・仲孫貜、師を率いて莒を伐つ。
十有一年春,王二月,叔弓如宋,葬宋平公。
十一年春、王二月、叔弓、宋に往きて宋平公の葬禮に參加す。
夏,四月丁巳,楚子虔誘蔡侯般,殺之於申。何為名之也?夷狄之君,誘中國之君而殺之,故謹而名之也。稱時、稱月、稱日、稱地,謹之也。
夏四月丁巳、楚子虔、蔡侯般を誘引し、申に於いて彼を殺す。何を以て名を稱するか。夷狄の國君、中原の國君を誘引して彼を殺掉せり。ゆえに鄭重に名字を稱出す。季節・月・日・地を寫き出だすは、皆鄭重その事なり。
秋,季孫意如會晉韓起、齊國弱、宋華亥、衛北宮佗、鄭罕虎、曹人、杞人於厥憖。
秋、季孫意如、晋の韓起・齊の國弱・宋の華亥・衛の北宮佗・鄭の罕虎・曹人・杞人と厥慭に會す。
冬,十有一月丁酉,楚師滅蔡,執蔡世子友以歸,用之。此子也,其曰世子,何也?不與楚殺也。一事注乎志,所以惡楚子也。
冬十一月丁酉、楚師、蔡を滅ぼし、蔡の太子友を執えて帶り歸り、彼を以て用う。彼は子なり。何を以て「世子」と稱するか。楚の彼を殺すを贊成せざるなり。二事を合して一條に記すは、正に以て楚子を惡むるなり。
十有二年春,齊高偃帥師,納北燕伯於陽。納者,內不受也。燕伯之不名,何也?不以高偃挈燕伯也。
十二年春、齊の高偃、師を率いて、北燕伯を陽に納る。「納」は彼方接受せざるを表す。燕伯名を稱せざるは何ぞや。高偃を以て燕伯を提起することを願わざるなり。
公如晉。至河,乃復。季孫氏不使遂乎晉也。
昭公、晋に如く、黄河に至りて乃ち復る。季孫氏、彼をして晋に往くのこの事を爲し畢らしめざるなり。
晉伐鮮虞。其曰晉,狄之也。其狄之,何也?不正其與夷狄交伐中國,故狄稱之也。
晋、鮮虞を伐つ。ただ「晋」と稱するは、之を狄人と爲せばなり。何を以て狄人と爲すか。彼が夷狄と輪番に中原を伐つを滿とせず。ゆえに狄の稱呼を以て之を稱す。
夏,四月,楚公子比自晉歸於楚,弒其君虔於乾溪。自晉,晉有奉焉爾。歸而弒,不言歸,言歸非弒也。歸一事也,弒一事也,而遂言之,以比之歸弒,比不弒也。弒君者日;不日,比不弒也。
夏四月、楚の公子比、晋より楚に歸り、干谿に於いてその君虔を殺す。「自晋」と書くは、晋彼に護送・幇助有るを表す。歸りて卽君を弑するは、例により「歸」を書かず。「歸」を書けば、すなわち彼の弑せるにあらず。歸るは一事、君を弑するは一事、連ねて言い下せども、比の歸ると弑君とを連なり繋ぐるは、正に比併せて弑せざるを明らかにす。君を弑するに日を記す。ここに日を記さざるも、また比併せて弑せざるを明らかにす。
楚公子棄疾殺公子比。當上之辭也。當上之辭者,謂不稱人以殺,乃以君殺之也。討賊以當上之辭,殺非弒也。比之不弒有四。取國者稱國以弒,楚公子棄疾殺公子比,比不嫌也。《春秋》不以嫌代嫌,棄疾主其事,故嫌也。
楚の公子棄疾、公子比を殺す。これ君上の位に處するの辭なり。謂うところの君上の位に處するは、「某人殺」と書かずして、國君の人を殺すに按じて書くなり。賊を討つに君上の位に處するの辭を用ゐれば、この殺は卽弑にあらず。比併せて弑せざるは、四方面より見るべし。國家を奪取する者、國を稱して弑を記す。楚の公子棄疾、公子比を殺すに、比併せてあの嫌疑なし。『春秋』、一層の嫌疑を以て一層の嫌疑に代替せず。棄疾この事を主持す。ゆえに嫌疑彼に在り。
秋,公會劉子、晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子於平丘。
秋、昭公、劉子・晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と平丘に會す。
八月申戌,同盟於平丘。公不與盟。同者,有同也,同外楚也。公不與盟者,可以與而不與,譏在公也。其日,善是盟也。
八月甲戌、平丘に同盟す。昭公、盟誓に與らず。「同」は共の目標有るを言う。すなわち共に楚を抵禦するなり。昭公與らずと言うは、彼與るべくして與らざれば、譏刺昭公に在るなり。日を記すは、この盟を贊成するなり。
蔡侯廬歸於蔡。陳侯吳歸於陳。善其成之會而歸之,故謹而日之。此未嘗有國也,使如失國辭然者,不與楚滅也。
蔡侯廬、蔡に歸る。陳侯呉、陳に歸る。彼ら會後に成就せられて歸るを贊成す。ゆえに鄭重に日を記す。彼ら實はなほかつてこれらの國を擁有せしことあらざるに、失國者の歸國するがごとく寫成するは、楚の彼らを滅ぼせるを贊成せざるなり。
冬,十月,葬蔡靈公。變之不葬有三:失德不葬,弒君不葬,滅國不葬。然且葬之,不與楚滅,且成諸侯之事也。
冬十月、蔡靈公を葬る。變例、葬禮を記さざるに三種有り。德を失せば葬らず、君を弑すれば葬らず、國を滅ぼせば葬らず。ここになほ安葬を記下するは、楚の蔡を滅ぼせるを贊成せず、併せて諸侯の事を成就するなり。
十有四年春,意如至自晉。大夫執則致,致則名,意如惡,然而致,見君臣之禮也。
十四年春、意如、晋より至る。大夫執えられればすなわち歸國を書き、歸國を書けばすなわち名を稱す。意如惡有るに、なほ歸國を書くは、以て君臣之禮を顯出せんと欲するなり。
冬,莒殺其公子意恢。言公子而不言大夫,莒無大夫也。莒無大夫而曰公子意恢,意恢賢也。曹、莒皆無大夫,其所以無大夫者,其義異也。
冬、莒、その公子意恢を殺す。公子を稱して大夫を稱せざるは、莒國に命大夫なければなり。莒國に命大夫なきに「公子意恢」を稱するは、意恢賢なればなり。曹・莒皆命大夫なし。彼らに命大夫なき所以、義例併せて相同ならず。
二月癸酉,有事於武宮,龠入叔弓卒,去樂卒事。君在祭樂之中,聞大夫之喪,則去樂卒事,禮也。君在祭樂之中,大夫有變以聞可乎。大夫,國體也。古之人重死,君命無所不通。
二月癸酉、武宮に祭祀有り。籥舞剛く入りて、叔弓卒す。すなわち音樂を撤し、事を辦じ畢る。國君、正に祭樂の中に在りて、大夫の喪事を聞けば、すなわち音樂を撤し、事を辦じ畢る。これ禮なり。國君、正に祭樂の中に在りて、大夫に變故有れば、彼に聞かしむべきか。大夫は國家の軀幹なり。古人、死を重んず。國君の命令、通達せざる所なし。
十有六年春,齊侯伐徐。楚子誘戎蠻子殺之。夏,公至自晉。
十六年春、齊侯、徐を伐つ。楚子、戎蠻子を誘引して、彼を殺す。夏、昭公、晋より至る。
冬,有星孛於大辰。一有一亡曰有。於大辰者,濫於大辰也。
冬、孛星有りて大辰に出づ。一現一隱するを「有」と曰う。「于大辰」と書くは、彼が大辰に蔓延し至れるを言うなり。
楚人及吳戰於長岸。兩夷狄曰敗,中國與夷狄亦曰敗。楚人及吳戰於長岸,進楚子,故曰戰。
楚人、呉と長岸に戰う。兩箇の夷狄はただ「敗」を書き、中原と夷狄もまたただ「敗」を書く。楚人、呉と長岸に戰うは、楚子を上に一等進めたれば、故に「戰」を書く。
夏,五月壬午,宋、衛、陳、鄭災。其志,以同日也;其日,亦以同日也。或曰,人有謂鄭子產曰:「某日有災。」子產曰:「天者神,子惡知之?是人也。」同日為四國災也。
夏五月壬午、宋・衛・陳・鄭、火災發生す。記下するは、同一日なればなり。日を記すも、また同一日なればなり。一の說曰く、或人、鄭の子產に對して曰く、「某日、災有らん」と。子產曰く、「天は神なり。汝何ぞ知るを得んや。これ人の言うなり」と。同一日にして四國の火災と成れり。
夏,五月戊辰,許世子止弒其君買。日弒,正卒也。正卒,則止不弒也。不弒而曰弒,責止也。止曰:「我與夫弒者,不立乎其位。」以與其弟虺。哭泣歠飦粥,嗌不容粒。未逾年而死,故君子即止自責而責之也。
夏五月戊辰、許の太子止、その君買を殺す。「弑」の日を記し出だすは、實は正常の卒なり。すでに正常の卒なれば、止併せて弑せず。弑せざるに弑と寫成するは、止を責むるなり。止曰く、「われあの弑君の事に參與せり。此の位に立つ能わず」と。位を弟虺に讓る。哭泣して厚粥を飲むに、咽喉一粒の米をも容納する能わず。いまだ年を過ごさずして死す。ゆえに君子、止の自責に就きて彼を責む。
冬,葬許悼公。日卒時葬,不使止為弒父也。曰:子既生,不免乎水火,母之罪也。羈貫成童,不就師傅,父之罪也。就師學問無方,心志不通,身之罪也。心志既通,而名譽不聞,友之罪也。名譽既聞,有司不舉,有司之罪也。有司舉之,王者不用,王者之過也。許世子不知嘗藥,累及許君也。
冬、許悼公を葬る。卒するに日を記し、葬るに季節を記するは、止をして父を弑する者と爲らしめざるなり。曰く、兒子すでに生み下されて、水火を免るる能わざるは、母の罪なり。頭髮束ねて兒童に長成して、なほ師傅に跟ざざるは、父の罪なり。師傅に跟いて、學問に方法なく、心通ぜざるは、己の罪なり。心すでに通じて、名譽傳開せざるは、朋友の罪なり。名譽すでに傳開して、有司擧薦せざるは、有司の罪なり。有司擧薦して、王者用ゐざるは、王者の過失なり。許の太子、先に藥を嘗むるを曉らずして、許の國君に牽連せり。
夏,曹公孫會自夢出奔宋。自夢者,專乎夢也。曹無大夫,其曰公孫,何也?言其以貴取之,而不以叛也。
夏、曹の公孫會、夢より宋に出奔す。「自夢」と書くは、彼夢邑に於いて專權せればなり。曹國に命大夫なし。ここに「公孫」と稱するは何ぞや。彼貴重に憑りてこの地方を取得して、併せて叛せざるを言うなり。
秋,盜殺衛侯之兄輒。盜賤也。其曰兄,母兄也。目衛侯,衛侯累也。然則何為不為君也?曰:有天疾者,不得入乎宗廟。輒者,何也?曰:兩足不能相過,齊謂之綦,楚謂之踂,衛謂之輒。
秋、盜賊、衛侯の兄輒を殺す。盜は低賤なり。「兄」と稱するは、同母兄なり。衛侯を點出するは、衛侯は牽連せられたるなり。然らば彼、何を以て國君たる能わざるか。答えて曰く、天生疾病有る者は、宗廟に進入する能わず。輒は何ぞや。答えて曰く、兩隻の脚、交錯して邁過する能わず。齊は之を綦と叫び、楚は之を踂と叫び、衛は之を輒と叫ぶ、と。
宋華亥、向寧、華定自陳入於宋南里以叛。自陳,陳有奉焉爾。入者,內弗受也。其曰宋南里,宋之南鄙也。以者,不以者也。叛,直叛也。
宋の華亥・向寧・華定、陳より宋の南里に入りて叛す。「自陳」と書くは、陳彼らに護送・幇助有るを表す。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。「宋南里」と稱するは、宋國南部の邊邑なり。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。謂うところの叛は、卽直截了當の叛なり。
冬,蔡侯東出奔楚。東者,東國也。何為謂之東也?王父誘而殺焉,父執而用焉。奔而又奔之。曰東,惡之而貶之也。
冬、蔡侯東、楚に逃亡す。「東」はすなわち東國なり。何を以て彼を「東」と稱するか。祖父誘引されて殺害せられ、父執えられて社を祭るに用ゐられき。逃亡してまたそこに逃げ往けり。「東」と稱するは、彼を惡み彼を貶すなり。
宋華亥、向寧、華定自宋南里出奔楚。自宋南里者,專也。
宋の華亥・向寧・華定、宋の南里より楚に逃亡す。「自宋南里」と書くは、彼らそこに於いて專權せればなり。
大搜於昌間。秋而曰搜,此春也,其曰搜,何也?以搜事也。
昌間に於いて大蒐を舉行す。秋にして始めて「蒐」と曰う。これ春なり。何を以てまた「蒐」と稱するか。蒐獵のあの一套の做法を用ゐればなり。
劉子、單子以王猛居於皇。以者,不以者也。王猛,嫌也。
劉子・單子、王猛を以て皇に居る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼を用ゐべからざるを表す。「王猛」と稱するは、ここに一層の嫌疑有ればなり。
秋,劉子、單子以王猛入於王城。以者,不以者也。入者,內弗受也。
秋、劉子・單子、王猛を以て王城に入る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼を用ゐべからざるを表す。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。
冬,十月,王子猛卒。此不卒者也。其曰卒,失嫌也。
冬十月、王子猛卒す。これ本より卒を記すべからざる人なり。ここに「卒」を記するは、彼のあの嫌疑、すでに更に點ずるを要せざればなり。
戊辰,吳敗頓、胡、沈、蔡、陳、許之師於雞甫。鬍子髡、沈子盈滅。中國不言敗,此其言敗,何也?中國不敗,鬍子髡、沈子盈,其滅乎?其言敗,釋其滅也。
戊辰、呉、雞甫に頓・胡・沈・蔡・陳・許の軍隊を敗る。胡子髡・沈子盈滅亡す。中原之國の交戰は、經文例により「敗」を書かず。ここに書くは何ぞや。中原之國、若し「敗」を書かざれば、胡子髡・沈子盈の滅亡せるこの事、なほ如何に交代せんや。「敗」を書くは、彼らの滅亡を解釋し開くなり。
獲陳夏齧。獲者,非與之辭也,上下之稱也。
陳の夏齧を俘獲す。「獲」は贊成の辭にあらず。上下の名分に就きて言うなり。
天王居於狄泉。始王也。其曰天王,因其居而王之也。
天子、狄泉に居る。これ彼の始めて王を爲すなり。「天王」と稱するは、彼がそこに居るに就きて、彼を以て王と成すなり。
尹氏立王子朝。立者,不宜立者也。朝之不名,何也?別嫌乎尹氏之朝也。
尹氏、王子朝を立つ。「立」の字を用うるは、此人本より立つべからざるを表す。朝に名を稱せざるは何ぞや。「尹氏之朝」のあの一層の嫌疑と分開せんと欲するなり。
冬,公如晉。至河,公有疾,乃復。疾不志,此其志,何也?釋不得入乎晉也。
冬、昭公、晋に如く、黄河に至りて、昭公病有りて、乃ち還る。病は例により記さず。ここに記すは何ぞや。彼の何を以て晋に進入する能わざりしかを解釋するなり。
婼至自晉。大夫執則致,致則挈。由上致之也。
婼、晋より至る。大夫執えられればすなわち歸國を書き、歸國を書けば卽名字を單に提け出だす。上彼を送り歸れしなり。
夏,叔倪會晉趙鞅、宋樂大心、衛北宮喜、鄭遊吉、曹人、邾人、滕人、薛人、小邾人於黃父。
夏、叔倪、晋の趙鞅・宋の樂大心・衛の北宮喜・鄭の游吉・曹人・邾人・滕人・薛人・小邾人と黄父に會す。
有鴝鵒來巢。一有一亡曰有。來者,來中國也。鴝鵒穴者而曰巢,或曰增之也。
鴝鵒有りて飛び來りて巢を爲す。一現一隱するを「有」と曰う。「來」は中原に來至するを言うなり。鴝鵒は本より洞穴の中に住むなり。ここに卻て「巢」と言う。一の說曰く、事を更に重く言うなりと。
秋,七月上辛,大雩。季辛,又雩。季者,有中之辭也。又,有繼之辭也。
秋七月上辛、大雩を行う。季辛、また雩祭を行う。「季」と稱するは、中間にまた有るを言うの辭なり。「又」は接續有るの辭なり。
九月乙亥,公孫於齊。孫之為言猶孫也。諱奔也。
九月乙亥、昭公、齊に孫す。「孫」の意は「遜」のごとく、彼の實は出奔なるを隱諱するなり。
齊侯唁公於野井。吊失國曰唁。唁公不得入於魯也。
齊侯、野井に昭公を慰問す。國を失せし人に對して慰問を表示するを「唁」と曰う。これ昭公の魯に進入する能わざるを慰問するなり。
十有二月,齊侯取鄆。取,易辭也。內不言取,以其為公取之,故易言之也。
十二月、齊侯、鄆を奪取す。「取」はこの事の來ること容易を言うなり。魯、己が事は例により「取」を書かず。昭公のために奪回せしがゆえに、容易の字眼を以て言うなり。
三月,公至自齊,居於鄆。公次於陽州,其曰至自齊,何也?以齊侯之見公,可以言至自齊也。居於鄆者,公在外也。至自齊,道義不外公也。
三月、昭公、齊より至り、鄆に居る。昭公本より陽州に駐在す。何を以て「至自齊」を書くか。齊侯彼を會見せれば、齊より至ると言う可し。「居于鄆」と書くは、國君外に在ればなり。「至自齊」と書くは、道義に按じて國君を外に排除せざるなり。
夏,公圍成。非國不言圍,所以言圍者,以大公也。
夏、昭公、成を圍む。一箇の國家にあらざれば例により「圍」を書かず。ここに「圍」を書くは、昭公を大に書くなり。
秋,公會齊侯、莒子、邾子、杞伯,盟於鄟陵。公至自會,居於鄆。公在外也。至自會,道義不外公也。
秋、昭公、齊侯・莒子・邾子・杞伯に會し、鄆陵に盟す。昭公、會より至り、鄆に居る。國君外に在り。「至自會」と書くは、道義に按じて國君を外に排除せざるなり。
尹氏、召伯、毛伯,以王子朝奔楚。遠矣非也。奔,直奔也。
尹氏・召伯・毛伯、王子朝を以て楚に逃亡す。走ること太だ遠し。これ對せず。謂うところの奔は、卽直截了當の奔なり。
二十有七年春,公如齊。公至自齊,居於鄆。公在外也。
二十七年春、昭公、齊に如く。昭公、齊より至り、鄆に居る。國君外に在り。
秋,晉士鞅、宋樂祁犁、衛北宮喜、曹人、邾人、滕人會於扈。
秋、晋の士鞅・宋の樂祁犁・衛の北宮喜・曹人・邾人・滕人、扈に相會す。
夏,四月庚子,叔倪卒。季孫意如曰:「叔倪無病而死,此皆無公也。是天命也,非我罪也。」
夏四月庚子、叔倪卒す。季孫意如曰く、「叔倪、病なくして死せり。これら皆國君なきの兆頭なり。これ天命なり。わが罪にあらず」と。
冬,十月,鄆潰。潰之為言,上下不相得也。上下不相得則惡矣,亦譏公也。昭公出奔,民如釋重負。
冬十月、鄆潰す。「潰」は上下相得ざるを言うなり。上下相得ざれば、すでに惡なり。また昭公を譏刺す。昭公出奔して、百姓重擔を放下せるがごとし。
三十年春,王正月,公在幹侯。中國不存公,存公故也。
三十年春、王正月、昭公、乾侯に在り(底本此の字を乾坤之乾と作す)。中原之國、例により國君なほ在るを書かず。ここに「公在」と書くは、變故有れば、以て彼を保存せんがためなり。
晉侯使荀櫟唁公於幹侯。唁公不得入於魯也。曰:「既為君言之矣,不可者意如也」。
晋侯、荀櫟をして乾侯に往きて昭公を慰問せしむ。これ彼の魯に進入する能わざるを慰問するなり。曰く、「すでに國君のために言いたり。肯んぜざるは意如なり」と。
冬,黑肱以濫來奔。其不言邾黑肱何也?別乎邾也。其不言濫子,何也?非天子所封也。來奔內,不言叛也。
冬、黑肱、濫を以て來奔す。何を以て「邾黑肱」と稱せざるか。邾國と分開せんと欲するなり。何を以て「濫子」と稱せざるか。天子の封ずる所にあらざればなり。來りて魯に奔するに、卽叛する所以を書かず。
冬,仲孫何忌會晉韓不信、齊高張、宋仲幾、衛太叔申、鄭國參、曹人、莒人、邾人、薛人、杞人、小邾人,城成周。天子微,諸侯不享覲。天子之在者,惟祭與號。故諸侯之大夫,相帥以城之。此變之正也。
冬、仲孫何忌、晋の韓不信・齊の高張・宋の仲幾・衛の太叔申・鄭の國參・曹人・莒人・邾人・薛人・杞人・小邾人に會して成周を築く。天子衰微し、諸侯進貢朝見に往かず。天子なほ在る所、ただ祭祀と名號のみ殘れり。ゆえに諸侯の大夫、彼此率ゐて往きて城を築く。これ變通の中の正道なり。
(闕文)
(闕文)
定公
元年春王。不言正月,定無正也。定之無正,何也?昭公之終,非正終也。定之始,非正始也。昭無正終,故定無正始。不言即位,喪在外也。
元年春、ただ「王」のみを書く。「正月」を書かざるは、定公に「正」なければなり。定公、何を以て「正」なきか。昭公の終結は、正當の終結にあらず。定公の開始は、正當の開始にあらず。昭公に正當の終結なければ、故に定公に正當の開始なし。「卽位」を書かざるは、喪事なほ國外に在ればなり。
三月,晉人執宋仲幾於京師。此其大夫。其曰人,何也?微之也。何為微之?不正其執人於尊者之所也,不與大夫之伯討也。
三月、晋人、京師に於いて宋の仲幾を執う。此人は晋の大夫なり。「人」と稱するは何ぞや。彼を低微に書くなり。何を以て低微に書くか。彼が尊者の在る所に於いて人を執えしを滿とせず。大夫の霸主の方式を以て討つを贊成せざるなり。
夏,六月癸亥,公之喪至自幹侯。戊辰,公即位。殯,然後即位也。定無正,見無以正也。逾年不言即位,是有故公也。言即位,是無故公也。即位,授受之道也。先君無正終,則後君無正始也。先君有正終,則後君有正始也。「戊辰,公即位」,謹之也。定之即位,不可不察也。公即位,何以日也?戊辰之日,然後即位也。癸亥,公之喪至自幹侯,何為戊辰之日,然後即位也?正君乎國,然後即位也。沈子曰:「正棺乎兩楹之間,然後即位也。」內之大事日,即位,君之大事也,其不日,何也?以年決者,不以日決也。此則其日,何也?著之也。何著焉?逾年即位,厲也。於厲之中,又有義焉!未殯,雖有天子之命猶不敢,況臨諸臣乎!周人有喪,魯人有喪,周人吊,魯人不弔。周人曰:「固吾臣也,使人可也。」魯人曰:「吾君也,親之者也,使大夫則不可也。」故周人吊,魯人不弔,以其下成康為未久也。君至尊也,去父之殯而往吊,猶不敢,況未殯而臨諸臣乎!
夏六月癸亥、昭公の靈柩、乾侯より至る。戊辰、定公卽位す。先ず殯して、後に卽位す。定公に「正」なきは、以て正すべきを顯出する無きを顯出すなり。年を過ごしてなほ卽位を書かざるは、先君なほ在ればなり。卽位を書けば、すなわちこの先君なきがごとし。卽位は、授與と受くるの道理なり。先君に正當の終結なければ、後君に正當の開始なし。先君に正當の終結有れば、後君始めて正當の開始有り。「戊辰、公卽位」と書くは、鄭重その事なり。定公の卽位、細看すべからざるなし。國君卽位するに、何を以て日を記すか。戊辰のこの日に到りて、後に始めて卽位す。癸亥、靈柩乾侯より至る。何を以て戊辰に至りて始めて卽位するか。國君を國内に擺正して、後に始めて卽位す。沈子曰く、「棺を兩楹の間に擺正して、後に始めて卽位す」と。國内の大事は日を記す。卽位は國君の大事にして、例により日を記さず。何ぞや。年に按じて決斷するは、日に按じて決斷せざるなり。ここに卻て日を記すは何ぞや。以て之を顯出せんと欲するなり。何を顯出するか。年を過ごして卽位するは、本より凶危なり。卽この凶危の中に在りて、また義有り!いまだ殯せざれば、卽天子の命令有りとも敢えて卽位せず。況んや群臣に面對してをや!周室に喪有り、魯國に喪有り。周室來りて弔うに、魯國往きて弔わず。周室曰く、「本より我が臣なり。人を遣りて往かば可なり」と。魯國曰く、「あれは我が國君なり。わが親とする所なり。大夫を遣りて往かば不可なり」と。ゆえに周室來りて弔うに、魯國往きて弔わず。成王・康王の時代を距ることなほ久しからざればなり。國君は至尊なり。父の殯を離れて弔喪に往くもなほ敢えず。況んやいまだ殯せざるに群臣に面對せんや!
九月,大雩。雩月,雩之正也。秋大雩,非正也。冬大雩,非正也。秋大雩,雩之為非正,何也?毛澤未盡,人力未竭,未可以雩也。雩月,雩之正也。月之為雩之正,何也?其時窮,人力盡,然後雩,雩之正也。何謂其時窮、人力盡?是月不雨,則無及矣;是年不艾,則無食矣,是謂其時窮、人力盡也。雩之必待其時窮、人力盡,何也?雩者,為旱求者也。求者,請也,古之人重請。何重乎請?人之所以為人者,讓也。請道去讓也,則是舍其所以為人也,是以重之,焉請哉?請乎應上公。古之神人有應上公者,通乎陰陽,君親帥諸大夫道之而以請焉。夫請者,非可詒托而往也,必親之者也,是以重之。
九月、大雩を行う。雩祭、月を記するは雩の正例なり。秋に大雩を行うは、正の道に合せず。冬に大雩を行うも、正の道に合せず。秋の大雩、何を以て正の道に合せざるか。草木の潤澤いまだ盡きず、人力いまだ用竭せず。雩すべからず。月を記するは雩の正例なり。何を以て月を記して正例と爲すか。時令窮盡し、人力用盡するに到りて、後に始めて雩す。これこそ雩の正例なり。何を時令窮盡・人力用盡と謂うか。この月再び雨降らざれば、來るに及ばず。この年再び收割せざれば、食う所なし。これを時令窮盡・人力用盡と謂うなり。雩は必ず時令窮盡・人力用盡を俟つは何ぞや。雩は旱のために求むるなり。求は卽請求なり。古人、請求を甚だ重く視たり。何を以て請求を重んずるか。人の人たる所以は、謙讓に靠る。請求のこの路は謙讓を離るるなり。卽人の人たる所以を丟掉せるなり。ゆえに之を重んず。誰に請求するか。應上公に請求す。古に應上公と曰う神人有り。陰陽を通達し、國君自ら大夫を率いて、導引して往きて請求す。請求のこの事、人に托して往くべきにあらず。必ず自ら往かんことを要す。ゆえに之を重んず。
冬,十月,隕霜殺菽。未可以殺而殺,舉重;可殺而不殺,舉輕。其曰菽,舉重也。
冬十月、霜降りて豆を凍死せしむ。いまだ凍死すべからざるに凍死せば、分量重きを擧げて言う。凍死すべきにして凍死せざれば、分量輕きを擧げて言う。ここに「菽」を書くは、分量重きを擧ぐるなり。
夏,五月壬辰,雉門及兩觀災。其不曰「雉門災及兩觀」,何也?災自兩觀始也,不以尊者親災也;先言雉門,尊尊也。
夏五月壬辰、雉門と兩觀災す。何を以て「雉門災及兩觀」を書かざるか。火は兩觀より燒き起これり。尊貴のあの一邊をして火災に親附せしめず。先ず雉門を書くは、尊貴を尊崇するなり。
冬,十月,新作雉門及兩觀。言新,有舊也。作,為也,有加其度也。此不正其以尊者親之,何也?雖不正也,於美猶可也。
冬十月、雉門と兩觀とを新作す。「新」と言うは、もと舊有ればなり。「作」は爲すなり。規模を加大せるなり。ここに本より彼らの尊貴の一邊をしてこの事に親附せしめしを滿とせず。何を以てなほ記すか。卽正の道に合せずとも、美好のあの一面に就きて言えば、なほ可なり。
三月,公會劉子、晉侯、宋公、蔡侯、衛侯、陳子、鄭伯、許男、曹伯、莒子、邾子、頓子、鬍子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子、齊國夏於召陵,侵楚。
三月、定公、劉子・晋侯・宋公・蔡侯・衛侯・陳子・鄭伯・許男・曹伯・莒子・邾子・頓子・胡子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子・齊の國夏と召陵に會して、楚に侵す。
夏,四月庚辰,蔡公孫姓帥師滅沈,以沈子嘉歸,殺之。
夏四月庚辰、蔡の公孫姓、師を率いて沈を滅ぼし、沈子嘉を帶り歸りて、彼を殺す。
五月,公及諸侯盟於皋鼬。後而再會,公志於後會也。後,志疑也。
五月、定公、諸侯と皋鼬に盟す。後にまた再び相會す。定公の心意、後の一次の會に在り。「后」は遲疑を記下すなり。
劉卷卒。此不卒而卒者,賢之也。寰內諸侯也,非列土諸侯,此何以卒也?天王崩,為諸侯主也。
劉卷卒す。これ本より卒を記すべからざる人なり。ここに記すは、彼を賢と認むるなり。彼は王畿以内の諸侯にして、土を受け列封せられたる諸侯にあらず。何を以て彼の死を記すか。天子卒するの時、彼諸侯のために弔喪の事を主持せしなり。
冬,十有一月庚午,蔡侯以吳子及楚人戰於伯舉。楚師敗績。吳其稱子,何也?以蔡侯之以之,舉其貴者也。蔡侯之以之,則其舉貴者,何也?吳信中國而攘夷狄,吳進矣。其信中國而攘夷狄奈何?子胥父誅於楚也,挾弓持矢而幹闔廬,闔廬曰:「大之甚!勇之甚!為是欲興師而伐楚。」子胥諫曰:「臣聞之:君不為匹夫興師。且事君猶事父也,虧君之義,復父之讎,臣弗為也。」於是止。蔡昭公朝於楚,有美裘,正是日,囊瓦求之,昭公不與。為是拘昭公於南郢。數年,然後得歸。歸乃用事乎漢,曰:「茍諸侯有欲伐楚者,寡人請為前列焉!」楚人聞之而怒,為是興師而伐蔡。蔡請救於吳,子胥曰:「蔡非有罪,楚無道也。君若有憂中國之心,則若此時可矣!」為是興師而伐楚。何以不言救也?救大也。
冬十一月庚午、蔡侯、呉子を以て楚人と伯舉に戰い、楚師敗績す。呉に「子」を稱するは何ぞや。蔡侯彼を用ゐれば、故に彼の尊貴の身分を擧げて言うなり。蔡侯彼を用うるに、何を以てなほ彼の貴を擧ぐるか。呉、中原を信從し、夷狄を排斥す。呉、一等を進めたり。彼如何にして中原を信從し夷狄を排斥せしか。子胥の父、楚に於いて殺され、彼弓箭を帶びて闔廬を求見しに往く。闔廬曰く、「仇太だ大なり!勇氣もまた太だ大なり!このために師を興して楚を伐たんと欲す」と。子胥勸諫して曰く、「臣聞く、國君、一箇の匹夫のために師を興さず。況んや國君に侍奉するは父に侍奉するがごとし。國君の義を虧損して、父の仇を報ずるは、臣の爲さざる所なり」と。すなわち停まる。蔡昭公、楚に朝見しに往くに、一件の美麗の裘有り。卽この日、囊瓦來りて求む。昭公與えず。これに因りて昭公を南郢に拘し、幾年を過ごして始めて歸るを得たり。歸ればすなわち漢水のほとりに於いて祭祀して曰く、「假如諸侯に楚を伐たんと欲する者有らば、寡人、前隊と爲らんことを請わん」と。楚人之を聞きて怒り、これに因りて師を興して蔡を伐つ。蔡、呉に救を求む。子胥曰く、「蔡併せて罪なし。楚無道なり。君王、若し中原を憂念するの心有らば、この時、可なり」と。これに因りて師を興して楚を伐つ。何を以て「救」を書かざるか。「救」は更に大なる字なればなり。
庚辰,吳入楚。日入,易無楚也。易無楚者,壞宗廟,徙陳器,撻平王之墓。何以不言滅也?欲存楚也。其欲存楚奈何?昭王之軍敗而逃,父老送之,曰:「寡人不肖,亡先君之邑。父老反矣,何憂無君?寡人且用此入海矣!」父老曰:「有君如此其賢也!」以眾不如吳,以必死不如楚,相與擊之,一夜而三敗吳人,復立。何以謂之吳也?狄之也。何謂狄之也?君居其君之寢,而妻其君之妻;大夫居其大夫之寢,而妻其大夫之妻。蓋有欲妻楚王之母者,不正乘敗人之績而深為利。居人之國,故反其狄道也。
庚辰、呉、楚に入る。入るの日を記すは、楚を以て無きがごとく視るなり。謂うところの無きがごとしは、宗廟を毀壞し、陳設の祭器を搬去し、平王の墳墓を鞭打するなり。何を以て「滅」を書かざるか。楚を保存せんと欲するなり。如何にして楚を保存せんと欲するか。昭王の軍隊、戰敗して走るに、父老彼を送る。彼曰く、「寡人出息なく、先君の城邑を丟掉せり。父老歸れ。何ぞ國君なきを擔憂せんや。寡人將にここより海に入らんとす」と。父老曰く、「かくのごとき賢の國君有り」と。人衆を論ずれば呉に及ばず、死を拼するを論ずれば楚に及ばず。すなわち一起に反擊し、一夜の間に三たび呉人を敗りて、重新に立住れり。何を以て「呉」と稱するか。之を狄人と爲せばなり。何を以て狄人と爲すか。國君、人の國君の寢に住み、人の國君の妻を娶る。大夫、人の大夫の寢に住み、人の大夫の妻を娶る。據説なほ楚王の母を娶らんと欲する者有り。彼らの人を打敗するに趁りて大に好處を撈るを滿とせず、人の國の中に住す。ゆえに之を狄人の路に打ち歸す。
夏,歸粟於蔡。諸侯無粟,諸侯相歸粟,正也。孰歸之?諸侯也。不言歸之者,專辭也,義邇也。
夏、蔡國に糧食を送る。諸侯に糧食なく、諸侯互いに糧を送るは、始めて正の道に合す。送りしは誰ぞ。諸侯なり。誰の送りしかを書き出ださざるは、獨り作主するの辭なり。義に按じて本より身邊の爲すべきなればなり。
六年春,王正月癸亥,鄭遊速帥師滅許,以許男斯歸。
六年春、王正月癸亥、鄭の游速、師を率いて許を滅ぼし、許男斯を帶り歸る。
冬,城中城。城中城者,三家張也。或曰非外民也。
冬、中城を築く。中城を築くは、三家の擴張するなり。一の說曰く、併せて百姓を外に排除せんと欲するにあらずと。
秋,齊侯、鄭伯盟於鹹。齊人執衛行人北宮結以侵衛。以,重辭也。衛人重北宮結。
秋、齊侯・鄭伯、咸に盟す。齊人、衛の行人北宮結を執えて以て衛に侵す。「以」の字を用うるは、分量甚だ重きの辭なり。衛人、北宮結を重んず。
八年春,王正月,公侵齊。公至自侵齊。二月,公侵齊。三月,公至自侵齊。公如,往時致月,危致也;往月致時,危往也;往月致月,惡之也。
八年春、王正月、定公、齊に侵す。定公、侵齊の軍中より至る。二月、定公、また齊に侵す。三月、定公、侵齊の軍中より至る。國を出づるに季節を記し、國に歸るに月を記するは、歸るを心配するなり。出づるに月を記し、歸るに季節を記するは、出づるを心配するなり。出づるに月を記し、歸るにも月を記するは、彼を惡むなり。
盜竊寶玉、大弓。寶玉者,封圭也。大弓者,武王之戎弓也。周公受賜,藏之魯。非其所以與人而與人,謂之亡;非其所取而取之,謂之盜。
盜賊、寶玉・大弓を偷去す。寶玉は、封國の時の圭なり。大弓は、武王の戎弓なり。周公賞賜を受けて、魯國に藏す。人に與うべからざるを人に與うるを、亡と曰い。取るべからざるを取るを、盜と曰う。
得寶玉、大弓。其不地,何也?寶玉、大弓,在家則羞不目羞也。惡得之,得之堤下。或曰陽虎以解眾也。
寶玉・大弓を得たり。何を以て地を記さざるか。寶玉・大弓、若し大夫の家に在らば、卽羞恥なり。經文、この層の羞恥を點明せず。如何にして得たるか。堤の下に於いて得たり。一の說曰く、陽虎の以て衆人を解散せしめしなりと。
夏,公會齊侯於頰谷。公至自頰谷。離會不致,何為致也?危之也。危之則以地致,何也?為危之也。其危奈何?曰:頰谷之會,孔子相焉。兩君就壇,兩相相揖,齊人鼓譟而起,欲以執魯君。孔子歷階而上,不盡一等,而視歸乎齊侯,曰:「兩君合好,夷狄之民,何為來為?」命司馬止之。齊侯逡巡而謝曰:「寡人之過也。」退而屬其二三大夫曰:「夫人率其君與之行古人之道,二三子獨率我而入夷狄之俗,何為?」罷會。齊人使優施舞於魯君之幕下。孔子曰:「笑君者罪當死。」使司馬行法焉,首足異門而出。齊人來歸鄆、讙、龜、陰之田者,蓋為此也。因是以見:雖有文事,必有武備。孔子於頰谷之會見之矣。
夏、定公、頰谷に齊侯を會見す。定公、頰谷より至る。分開の會、例により歸國を書かず。何を以て書けるか。彼のために心配するなり。彼のために心配するに、地に按じて歸國を書くは何ぞや。正に以てこの層の心配を寫き出ださんがためなり。何を心配するか。答えて曰く、頰谷のこの會、孔子、儐相を擔任す。兩位の國君、壇に走上る。兩位の儐相、揖す。齊人、鼓を擊ち諱嘩して立起りて、魯君を執えんと欲す。孔子、一歩一歩階に登り、なほ一級を差して、眼齊侯を視て曰く、「兩國の國君好を合せり。夷狄の民、何を以てここに來るか」と。司馬に命じて彼らを制止せしむ。齊侯、遲疑して謝罪して曰く、「是れ寡人の過なり」と。退き下りて彼の幾位の大夫に曰く、「あの人、彼の國君を率いて、彼とともに古人の路を走る。爾ら卻てただ我を率いて夷狄の習俗に走り入らしむ。何ぞや」と。すなわち散會す。齊人、優施をして魯君の帳幕の下に舞わしむ。孔子曰く、「國君を取笑する者、罪死に當たるべし」と。司馬をして刑法を執行せしめ、頭と脚と不同の門より送出せり。齊人、後に來りて鄆・讙・龜陰の田を歸還す。大概卽このためなり。これを以て見べし。卽文事有るとも、亦必ず武備有るを要す。孔子、頰谷のこの會に於いて人をして此の一點を見せしめたり。
叔孫州仇、仲孫何忌帥師圍郈。秋,叔孫州仇、仲孫何忌帥師圍郈。
叔孫州仇・仲孫何忌、師を率いて郈を圍む。秋、叔孫州仇・仲孫何忌、師を率いて郈を圍む。
入於蕭以叛,入者,內弗受也;以者,不以也;叛,直叛也。
蕭に入りて叛す。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。謂うところの叛は、卽直截了當の叛なり。
十有二月,公圍成。非國言圍。圍成,大公也。
十二月、定公、成を圍む。一箇の國家にあらざるに「圍」を書く。成を圍むは、定公を大に書くなり。
公至自圍成。何以致?危之也。何危爾?邊乎齊也。
定公、圍成の軍中より至る。何を以て歸國を書くか。彼のために心配するなり。何を心配するか。齊に靠近すればなり。
秋,晉趙鞅入於晉陽以叛。以者,不以者也。叛,直叛也。
秋、晋の趙鞅、晋陽に入りて叛す。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。謂うところの叛は、卽直截了當の叛なり。
晉趙鞅歸於晉。此叛也,其以歸言之,何也?貴其以地反也。貴其以地反,則是大利也?非大利也,許悔過也。許悔過,則何以言叛也?以地正國也。以地正國,則何以言叛?其入無君命也。
晋の趙鞅、晋に歸る。これ叛なり。何を以て「歸」を以て言うか。彼が土地を帶び歸れるを重んずるなり。彼が土地を帶び歸れるを重んずれば、卽大貪利にあらずや。併せて大貪利にあらず。彼の悔過を允許するなり。悔過を允許すれば、何を以てなほ「叛」を書くか。彼土地を以て國家を匡正せればなり。土地を以て國家を匡正するに、何を以てなほ「叛」を書くか。彼入るの時、國君の命令なければなり。
二月辛巳,楚公子結、陳公孫佗人帥師滅頓,以頓子牂歸。
二月辛巳、楚の公子結・陳の公孫佗人、師を率いて頓を滅ぼし、頓子牂を帶り歸る。
天王使石尚來歸脤。脤者,何也?俎實也,祭肉也。生曰脤,熟曰膰。其辭石尚,士也。何以知其士也?天子之大夫不名。石尚欲書《春秋》,諫曰:「久矣周之不行禮於魯也!請行脤,貴復正也。」
周天子、石尚をして脴を贈りに來らしむ。「脴」は何ぞや。俎上の祭肉なり。生なるを脴と曰い、熟なるを膰と曰う。石尚の名を稱出するは、彼士なればなり。如何にして彼の士たるを知るか。天子の大夫、名を稱せず。石尚、己をして『春秋』に寫き入れられんことを欲し、勸諫して曰く、「周室、魯國に行禮せざること、すでに久しきなり!請う、脴を送らん。重んずる所は正の道を恢復するなり」と。
秋,七月壬申,弋氏卒。妾辭也,哀公之母也。
秋七月壬申、弋氏卒す。これ妾の辭なり。彼女は哀公の母なり。
九月,滕子來會葬。丁巳,葬我君定公。雨不克葬。葬既有日,不為雨止,禮也。雨不克葬,喪不以制也。
九月、滕子、來りて葬禮に參加す。丁巳、我が君定公を葬る。雨降りて、葬る能わず。葬の日すでに定まりて、雨に因りて止めざるは、これ禮に合す。雨降れば葬る能わざるは、喪事、制度に按じて辦ぜざるなり。
戊午,日下稷,乃克葬。乃,急辭也,不足乎日之辭也。
戊午、日下昃して、始めて葬るを得たり。「乃」の字を用うるは、急促の辭にして、またこの日の時間すでに足らざるを言うなり。
(闕文)
(闕文)
哀公
鼷鼠食郊牛角,改卜牛。夏,四月辛巳,郊。此該之變而道之也。於變之中,又有言焉。「鼷鼠食郊牛角,改卜牛」,志不敬也。郊牛日展觓角而知傷,展道盡矣!郊自正月至於三月,郊之時也。夏四月郊,不時也;五月郊,不時也。夏之始可以承春,以秋之末,承春之始,蓋不可矣!九月用郊,用者,不宜用者也。郊三卜,禮也;四卜,非禮也;五卜,強也。卜免牲者,吉則免之,不吉則否。牛傷,不言傷之者,傷自牛作也,故其辭緩。全曰牲,傷曰牛,未牲曰牛,其牛一也;其所以為牛者異。有變而不郊,故卜免牛也。已牛矣,其尚卜免之,何也?禮,與其亡也寧有。嘗置之上帝矣,故卜而後免之,不敢專也。卜之不吉,則如之何?不免,安置之,系而待六月上甲,始庀牲,然後左右之。子之所言者,牲之變也。而曰:我一該郊之變而道之,何也?我以六月上甲,始庀牲;十月上甲,始系牲。十一月、十二月,牲雖有變,不道也。待正月,然後言牲之變,此乃所以該郊。郊,享道也。貴其時,大其禮,其養牲雖小,不備可也。子不忘三月卜郊,何也?郊自正月至於三月,郊之時也。我以十二月下辛卜正月上辛;如不從,則以正月下辛卜二月上辛;如不從,則以二月下辛卜三月上辛;如不從,則不郊矣!
鼷鼠、郊牛の角を嚙食す。別に卜を問うて牛を換う。夏四月辛巳、郊祭を行う。この一段は、郊祭の諸種の變故を併せて收斂して言うなり。卽これらの變故の中に在りて、なほ言うべきの話有り。「鼷鼠、郊牛の角を嚙食す。別に卜を問うて牛を換う」と書くは、不敬を記下するなり。郊牛、日ごとにあの彎曲の角を察看し、なほ傷を發見す。察看、爲すべきを皆爲し盡くせり!郊祭、正月より三月は、郊の時令なり。夏四月に郊を行うは、時にあらず。五月に郊を行うは、時にあらず。夏の開頭、なほ春に接續す可し。秋の末尾を以て春の開頭に接ぐるは、大概不可ならん!九月「用郊」。「用」は用ゐべからざるを表す。郊祭、卜を三たび問うは、禮に合す。卜を四たび問うは、禮に合せず。卜を五たび問うは、勉强なり。卜してこの牲を免ずべきや否やを問うに、吉利なればすなわち免じ、不吉利なれば免ぜず。牛傷つきて、誰の傷つけしかを書き出ださざるは、傷は牛の自身より來れば、故に辭を寬松す。完好するを「牲」と曰い、傷つきたるを「牛」と曰い、いまだ牲と爲らざるもまた「牛」と曰う。あの牛は同一の牛なれども、之を「牛」と稱する所以は相同ならず。變故出でて郊を行わざれば、故に牛を免ずべきや否やを卜問す。すでにただ「牛」なり。何を以てなほ卜問して彼を免ぜんや。禮に拠れば、なきに與しんより、寧ろ有らん。彼かつて上帝に供奉せられたり。ゆえに卜問して後に免ず。敢えて自ら作主せず。卜問、若し吉利ならざれば、如何せん。免ぜず。彼を安頓し、拴いで六月上甲を俟ち、牲を備辦し始め、後に處置に聽憑す。貴下、剛に牲の變故を言えりと雖ども、卻てまた曰く、「われ郊祭の變故を併せて收斂して言わん」と。何ぞや。われ六月上甲より牲を備辦し始め、十月上甲より牲を拴ぎ始む。十一月・十二月、牲卽變故有るとも、また言わず。正月に至るを俟ちて、後に始めて牲の變故を言う。これ正に以て郊祭を收斂するの辦法なり。郊は、神を饗るの道理なり。時令を重んじ、禮を大に寫き、牲を養うに卽稍も完備せざるとも、なほ可なり。貴下、三月の郊祭を卜問せるを忘掉せず。何ぞや。郊祭、正月より三月は、郊の時令なり。われ十二月下辛を以て正月上辛を卜問し、若し從わざれば、正月下辛を以て二月上辛を卜問し、若し從わざれば、二月下辛を以て三月上辛を卜問し、若し從わざれば、郊を行わざらん!
二年春,王二月,季孫斯、叔孫州仇、仲孫何忌帥師伐邾,取漷東田。漷東未盡也。
二年春、王二月、季孫斯・叔孫州仇・仲孫何忌、師を率いて邾を伐ち、漷東の田を取る。漷東、併せて盡く取り盡くせざりき。
癸巳,叔孫州仇、仲孫何忌及邾子盟於句繹。三人伐而二人盟,何也?各盟其得也。
癸巳、叔孫州仇・仲孫何忌、邾子と句繹に盟す。三人往きて攻伐するに、ただ二人のみ來りて會盟すは何ぞや。各自己が得たる所に就きて結盟するなり。
晉趙鞅帥師,納衛世子蒯瞶於戚。納者,內弗受也。帥師而後納者,有伐也。何用弗受也?以輒不受也。以輒不受父之命,受之王父也。信父而辭王父,則是不尊王父也。其弗受,以尊王父也。
晋の趙鞅、師を率いて、衛の世子蒯瞶を戚に納る。「納」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。師を率いて後に送入れるは、攻伐有ればなり。何を以て接纳せざるか。輒の接纳せざるがためなり。輒、父の命令を接受せずは、すでに祖父の命令を接受せればなり。若し父を信從して祖父を推辭せば、卽祖父を尊敬せざるなり。彼の接纳せざるは、正に以て祖父を尊敬するなり。
秋,八月甲戌,晉趙鞅帥師,及鄭罕達帥師,戰於鐵。鄭師敗績。
秋八月甲戌、晋の趙鞅、師を率いて、鄭の罕達の率ゐる師と鐵に戰い、鄭師敗績す。
三年春,齊國夏、衛石曼姑帥師圍戚。此衛事也,其先國夏,何也?子不圍父也。不繫戚於衛者,子不有父也。
三年春、齊の國夏・衛の石曼姑、師を率いて戚を圍む。これ本より衛國の事なり。何を以て國夏を前に書くか。子、父を圍むべからざればなり。戚を衛國の名下に係せざるは、子、父を以て己が有と爲すべからざればなり。
五月辛卯,桓宮、僖宮災。言及,則祖有尊卑;由我言之,則一也。
五月辛卯、桓宮・僖宮災す。若し「及」の字を以て連結せば、祖廟すなわち尊卑を分かつ。われらの方より言えば、兩座の廟は一樣なり。
四年春,王二月庚戌,盜弒蔡侯申。稱盜以弒君,不以上下道道也。內其君而外弒者,不以弒道道也。《春秋》有三盜:微殺大夫,謂之盜;非所取而取之,謂之盜;闢中國之正道以襲利,謂之盜。
四年春、王二月庚戌、盜賊、蔡侯申を弑す。「盜」と稱して弑君を記するは、上下の名分の路子に按じて言わざるなり。國君を以て己が方に算え、弑君の人を外に算えれば、卽「弑」の路子に按じて言わず。『春秋』に三種の盜有り。地位低微の人、大夫を殺すを、盜と曰い。取るべからざるを取るを、盜と曰い。中原の正道を避けて利益を襲取するを、盜と曰う。
六月,辛丑,亳社災。亳社者,亳之社也。亳,亡國也。亡國之社以為廟,屏戒也。其屋亡國之社,不得達上也。
六月辛丑、亳社災す。亳社は、亳地の社なり。亳は、すでに滅亡せし國なり。亡國の社を宗廟の傍に立てて屛障と爲すは、以て警戒するなり。亡國之社、上に屋有りて、上天に通達するを得ず。
齊陽生入於齊。齊陳乞弒其君荼。陽生入而弒其君,以陳乞主之,何也?不以陽生君荼也。其不以陽生君荼,何也?陽生正,荼不正。不正則其曰君,何也?荼雖不正,已受命矣!入者,內弗受也。荼不正,何用弗受?以其受命,可以言弗受也。陽生其以國氏,何也?取國於荼也。
齊の陽生、齊に入る。齊の陳乞、その君荼を弑す。陽生入りて國君弑さるるに、卻て陳乞を以て主名と作すは何ぞや。陽生をして荼を以て己が國君と爲さしめざるなり。何を以て陽生をして荼を以て國君と爲さしめざるか。陽生は正にして、荼は正ならず。すでに正ならざれば、何を以てなほ「君」と稱するか。荼正ならずと雖ども、すでに任命を接受せり!「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。荼正ならざれば、何を以てなほ接纳せざるか。彼すでに命を受けたれば、接纳せざると言うを得るなり。陽生、國名を以て氏と爲すは何ぞや。彼荼の手裡より國家を取り過ごせればなり。
八月己酉,入邾,以邾子益來。以者,不以者也。益之名,惡也。《春秋》有臨天下之言焉,有臨一國之言焉,有臨一家之言焉。其言來者,有外魯之辭焉。
八月己酉、邾に入り、邾子益を以て歸る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。益の名を稱出するは、彼を惡むなり。『春秋』に天下に臨むの辭有り、一國に臨むの辭有り、一家に臨むの辭有り。ここに「來」を書くは、魯國を以て外邊と爲すの辭有り。
宋皇瑗帥師取鄭師於雍丘。取,易辭也。以師而易取,鄭病矣!
宋の皇瑗、師を率いて雍丘に鄭の軍隊を奪取す。「取」はこの事の來ること容易を言うなり。整支の軍隊なるに容易の字眼を以て「取」と言うは、鄭國、病みたること輕からざるなり!
甲戌,齊國書帥師,及吳戰於艾陵。齊師敗績。獲齊國書。
甲戌、齊の國書、師を率いて、呉と艾陵に戰い、齊師敗績す。齊の國書を俘獲す。
十有二年春,用田賦。古者公田什一。用田賦,非正也。
十二年春、田賦を實行す。古、公田十分に一を取る。田賦を實行するは、正の道に合せず。
夏,五月甲辰,孟子卒。孟子者,何也?昭公夫人也。其不言夫人,何也?諱取同姓也。
夏五月甲辰、孟子卒す。孟子は何人ぞや。昭公の夫人なり。何を以て「夫人」と稱せざるか。同姓を娶れりを隱諱するなり。
十有三年春,鄭罕達帥師取宋師於嵒。取,易辭也。以師而易取,宋病矣。
十三年春、鄭の罕達、師を率いて嵒に宋の軍隊を奪取す。「取」はこの事の來ること容易を言うなり。整支の軍隊なるに容易の字眼を以て「取」と言うは、宋國、病みたること輕からざるなり。
公會晉侯及吳子於黃池。黃池之會,吳子進乎哉!遂子矣。吳,夷狄之國也,祝髮文身,欲因魯之禮,因晉之權,而請冠端而襲。其藉於成周,以尊天王,吳進矣。吳,東方之大國也,累累致小國以會諸侯,以合乎中國。吳能為之,則不臣乎!吳進矣。王,尊稱也;子,卑稱也。辭尊稱而居卑稱,以會乎諸侯,以尊天王。吳王夫差曰:「好冠來。」孔子曰:「大矣哉!夫差未能言冠而欲冠也。」
哀公、晋侯と呉子と黄池に會す。黄池のこの會、呉子、一等を進めたりかな!ここにおいて彼を「子」と稱す。呉は、夷狄之國にして、髮を剪り身を文せども、魯國の禮を借り、晋國の權勢を藉りて、冠を戴き端正の衣裳を穿たんことを請求す。彼成周を憑藉して、以て天子を尊敬す。呉國、一等を進めたり。呉は東方の大國にして、一度又一回小國を帶びて來りて諸侯に會し、中原と相合せんと欲す。呉國能くかくのごとく爲せば、それ臣を稱せざらんや!呉國、一等を進めたり。王は、尊貴の稱呼にして、子は、卑微の稱呼なり。尊稱を推辭して卑稱に處りて、以て諸侯と相會し、以て天子を尊敬す。呉王夫差曰く、「好き冠を來れ」と。孔子曰く、「太だ大なり!夫差、なほ冠を講ずる能わざるに、卻てすでに冠を戴かんと欲す」と。
十有四年春,西狩獲麟。引取之也。狩地,不地不狩也。非狩而曰狩,大獲麟,故大其適也。其不言來,不外麟於中國也。其不言有,不使麟不恆於中國也。
十四年春、西に於いて狩りて、麒麟を獲たり。これ引きて往きて彼を取るなり。狩りは地を記すべし。地を記さざれば卽狩りにあらず。狩りにあらざるに「狩」を書くは、麒麟を獲たるを重んずれば、故にこの出行を大に寫す。「來」を書かざるは、麒麟を中原の外に排除せざるなり。「有」を書かざるは、麒麟をして中原に於いて常有ならざるに顯れざらしめざるなり。
(闕文)
(闕文)
