Libo

荀子

战国 · 荀况

解蔽篇第二十一 正名篇第二十二

儒家典籍

初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。

荀子

荀子

勧学篇第一 脩身篇第二

不苟篇第三 栄辱篇第四

非相篇第五 非十二子篇第六

仲尼篇第七 儒效篇第八

王制篇第九 富国篇第十

王覇篇第十一 君道篇第十二

臣道篇第十三 致士篇第十四

議兵篇第十五 強国篇第十六

天論篇第十七 正論篇第十八

礼論篇第十九 楽論篇第二十

解蔽篇第二十一 正名篇第二十二

性悪篇第二十三 君子篇第二十四

成相篇第二十五 賦篇第二十六

大略篇第二十七 宥坐篇第二十八

子道篇第二十九 法行篇第三十

哀公篇第三十一 尭問篇第三十二

勧学篇第一

君子曰:學不可以已。青、取之於藍,而青於藍;冰、水為之,而寒於水。木直中繩,輮以為輪,其曲中規,雖有槁暴,不復挺者,輮使之然也。故木受繩則直,金就礪則利,君子博學而日參省乎己,則知明而行無過矣。故不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也;不聞先王之遺言,不知學問之大也。幹、越、夷、貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。詩曰:"嗟爾君子,無恆安息。靖共爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。"神莫大於化道,福莫長於無禍。

君子は言う。学ぶことは止めてはならない。藍の青は藍草から採るが、藍草よりも青い。氷は水が結んでできたものだが、水よりも冷たい。木材は直くて墨縄に合うが、火で焙って曲げて車輪にすれば、その曲がり具合は円規に合い、たとえ枯れて日に曝されても、再びまっすぐに戻ることはない。揉み焙りがそうさせたのである。だから木材は墨縄にかければ直くなり、金属は砥石にかければ鋭くなる。君子が広く学び、日々自分を省察すれば、知は明らかになり行いに過ちがなくなる。だから高山に登らなければ天の高さを知らず、深い渓に臨まなければ地の厚さを知らず、先王の遺した言葉を聞かなければ学問の大きさを知らない。干・越・夷・貉の子は、生まれた時は同じ声だが、育てば習俗が異なる。教化がそうさせるのである。『詩経・小雅・小明』に言う。「ああ君子よ、常に安らぐな。おのが位を静かに敬い、この正しきを好め。神はこれを聴きて、大きな福を与えん」と。神は道に化されるより大きいものはなく、福は禍なきより長きものはない。

吾嘗終日而思矣,不如須臾之所學也。吾嘗跂而望矣,不如登高之博見也。登高而招,臂非加長也,而見者遠;順風而呼,聲非加疾也,而聞者彰。假輿馬者,非利足也,而致千里;假舟楫者,非能水也,而絕江河。君子生非異也,善假於物也。

私はかつて終日思い巡らしたが、片時の学びに及ばなかった。かつて爪先立ちして遠くを望んだが、高い所に登って見渡すほど広くは見えなかった。高い所に登って手を招けば、腕は長くなっていないのに、見る人は遠くまで届く。風に順って呼べば、声は速くなっていないのに、聴く人にははっきり聞こえる。車馬を凭りにする者は、足が速いわけではないが千里に至る。舟船を凭りにする者は、泳げるわけではないが江河を横断できる。君子は生まれつき人と異なるのではなく、外物をよく凭借するだけである。

南方有鳥焉,名曰蒙鳩,以羽為巢,而編之以發,系之葦苕,風至苕折,卵破子死。巢非不完也,所繫者然也。西方有木焉,名曰射干,莖長四寸,生於高山之上,而臨百仞之淵,木莖非能長也,所立者然也。蓬生麻中,不扶而直;白沙在涅,與之俱黑。蘭槐之根是為芷,其漸之滫,君子不近,庶人不服。其質非不美也,所漸者然也。故君子居必擇鄉,遊必就士,所以防邪辟而近中正也。

南方に蒙鳩という鳥がいる。羽毛で巣を作り、髪の毛で編んで葦の穂に結びつける。風が来て穂が折れ、卵は割れ雛は死ぬ。巣が完全でなかったのではなく、結びつけた場所がそうさせたのである。西方に射干という木がある。茎は四寸ほどで高山の上に生え、下に百仞の深淵に臨む。木の茎がよく伸びたのではなく、立つ場所がそうさせたのである。蓬草が麻の中に生えれば、支えなくても直くなる。白砂を黒泥に置けば、ともに黒くなる。蘭槐の根は芷であるが、臭い水に浸せば、君子は近づかず、庶人も佩びない。その質が美しくなかったのではなく、浸したものがそうさせたのである。だから君子は住むに必ず郷里を選び、交游に必ず士に近づく。邪僻を防ぎ中正に近づくためである。

物類之起,必有所始。榮辱之來,必象其德。肉腐出蟲,魚枯生蠹。怠慢忘身,禍災乃作。強自取柱,柔自取束。邪穢在身,怨之所構。施薪若一,火就燥也,平地若一,水就溼也。草木疇生,禽獸群焉,物各從其類也。是故質的張,而弓矢至焉;林木茂,而斧斤至焉;樹成蔭,而眾鳥息焉。醯酸,而蚋聚焉。故言有招禍也,行有招辱也,君子慎其所立乎!

物類の興起には必ず始まりがある。栄辱の到来は必ずその徳に応じる。肉が腐れば虫が生じ、魚が枯れれば蠹が生じる。怠慢で身を忘れれば、禍災が発する。剛強なものは自ら折れることを招き、柔軟なものは自ら束ねられることを招く。邪穢が身にあれば、怨みはここに構える。薪を並べて置けば同じようでも、火は乾いた方に向かう。平地は同じようでも、水は湿った方に向かう。草木は叢をなして生え、禽獣は群れをなして集まる。物はそれぞれその類に従うのである。それゆえ的を張り設ければ弓矢が至り、林が茂れば斧斤が至る。木が陰を成せば衆鳥が棲み、酢が酸くなれば蚋が集まる。だから言論には禍を招くものがあり、行いには辱を招くものがある。君子はその立つ所を慎まねばならない。

積土成山,風雨興焉;積水成淵,蛟龍生焉;積善成德,而神明自得,聖心備焉。故不積蹞步,無以致千里;不積小流,無以成江海。騏驥一躍,不能十步;駑馬十駕,功在不捨。鍥而舍之,朽木不折;鍥而不捨,金石可鏤。螾無爪牙之利,筋骨之強,上食埃土,下飲黃泉,用心一也。蟹八跪而二螯,非蛇蟺之穴,無可寄託者,用心躁也。是故無冥冥之志者,無昭昭之明;無惛惛之事者,無赫赫之功。行衢道者不至,事兩君者不容。目不能兩視而明,耳不能兩聽而聰。螣蛇無足而飛,梧鼠五技而窮。詩曰:"尸鳩在桑,其子七兮。淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮。"故君子結於一也。

土を積んで山になれば、風雨はそこに興る。水を積んで深淵になれば、蛟竜はそこに生まれる。善を積んで徳になれば、神明は自ずから得られ、聖心が備わる。だから半步を積まなければ千里に至る術なく、小流を積まなければ江海を成す術ない。騏驥が一躍しても十歩に及ばず、駑馬が十日走れば成功は捨てないことにある。一刻して止めれば朽木も折れず、刻み続けて捨てなければ金石も鏤められる。蚯蚓は鋭い爪牙も強健な筋骨もないが、上は埃土を食み、下は黄泉を飲む。心を一にするからである。蟹は八本の脚と二つの螯があるが、蛇や鱔の穴がなければ託する所がない。心が躁るからである。それゆえ黙々たる専一の志なければ昭昭たる明察なく、昏昏たる専一の事なければ赫赫たる功績ない。岐路を行く者は至らず、二君に事える者は容れられない。目は両方を同時に見て明らかならず、耳は両方を同時に聴いて聡くない。螣蛇は足なくして飛び、梧鼠は五技あるのに窮する。『詩経・曹風・鳲鳩』に言う。「鳲鳩は桑に在り、その子は七つ。善人君子、その儀は一つ。儀が一なれば、心は結びのごとし」と。だから君子は心を専一に結びつけるのである。

昔者瓠巴鼓瑟,而流魚出聽;伯牙鼓琴,而六馬仰秣。故聲無小而不聞,行無隱而不形。玉在山而草木潤,淵生珠而崖不枯。為善不積邪,安有不聞者乎!

昔、瓠巴が瑟を鼓すと、沈んでいた魚がみな出て聴いた。伯牙が琴を鼓すと、車を駕す六馬が首を仰いで秣を食んだ。だから音は小さくても聞こえないことはなく、行いは隠れても形を現さないことはない。玉が山にあれば草木は潤い、淵に珠が生まれれば崖岸は枯れない。善をなしてまだ積まないだけであろう。どうして聞こえないことがあろうか。

學惡乎始?惡乎終?曰:其數則始乎誦經,終乎讀禮;其義則始乎為士,終乎為聖人。真積力久則入。學至乎沒而後止也。故學數有終,若其義則不可須臾舍也。為之人也,舍之禽獸也。故書者、政事之紀也;詩者、中聲之所止也;禮者、法之大兮,類之綱紀也。故學至乎禮而止矣。夫是之謂道德之極。禮之敬文也,樂之中和也,詩書之博也,春秋之微也,在天地之間者畢矣。

学びはどこから始まり、どこで終わるのか。曰く、学びの課程で言えば、経を誦読することに始まり、礼を読むことに終わる。学びの意義で言えば、士となることに始まり、聖人となることに終わる。誠実に積み、力を久しく用いれば入ることができる。学びは死して後やむ。だから学びの課程には終わりがあるが、その意義は片時も捨ててはならない。これを為せば人であり、これを捨てれば禽獣である。『書』は政事の記載であり、『詩』は中正の声が止まる所であり、礼は法の大分(底本は「大兮」、兮は分の誤り)、類の綱紀である。だから学びは礼に至って止まる。これを道徳の極致という。礼の恭敬と文飾、楽の中和、詩書の広博、春秋の微言、天地の間にあるものは皆備わっている。

君子之學也,入乎耳,著乎心,布乎四體,形乎動靜。端而言,蝡而動,一可以為法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者為己,今之學者為人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以為禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也;君子如向矣。

君子の学びは、耳に入り、心に現れ、四肢に布かれ、動静に表れる。極めて細かい言や蠕動も、法則とすることができる。小人の学びは、耳に入って口から出る。口と耳の間は四寸に過ぎず、どうして七尺の身を美しくするに足りようか。古の学ぶ者は己のためであり、今の学ぶ者は人のためである。君子の学びは己を美しくするためであり、小人の学びはそれを禽犢のような贈り物にするのである。だから人が問わないのに告げることを傲といい、一つを問えば二つを告げることを囂噪という。傲は非であり、囂噪も非である。君子は回声のごとく応える。

學莫便乎近其人。禮樂法而不說,詩書故而不切,春秋約而不速。方其人之習君子之說,則尊以遍矣,周於世矣。故曰:學莫便乎近其人。

学びにはその人に近づくより便なるものはない。礼楽は法度があっても詳しく説かず、詩書は旧事であって切実でなく、春秋は簡約であって速やかに要領を得られない。その人に倣って君子の学説に熟習すれば、尊くもあり周遍もし、世に通達する。だから言う。学びにはその人に近づくより便なるものはないと。

學之經莫速乎好其人,隆禮次之。上不能好其人,下不能隆禮,安特將學雜識志,順詩書而已耳。則末世窮年,不免為陋儒而已。將原先王,本仁義,則禮正其經緯蹊徑也。若挈裘領,詘五指而頓之,順者不可勝數也。不道禮憲,以詩書為之,譬之猶以指測河也,以戈舂黍也,以錐餐壺也,不可以得之矣。故隆禮,雖未明,法士也;不隆禮,雖察辯,散儒也。

学びの途はその人を好むより速いものはなく、礼を崇むのがその次である。上にその人を好むことができず、下に礼を崇むことができなければ、ただ雑記を学び、詩書に順って説くのみである。そうなれば末世窮年に至っても、陋儒に過ぎない。先王を推し原め仁義に本づくには、礼こそがその経緯の路である。皮衣の襟を提げて五指を屈めて払えば、順うものは数え切れない。礼法に遵わず詩書のみで為すのは、指で河を測り、戈で黍を舂き、錐で壺の飯を食うようなもので、得ることはできない。だから礼を崇めば、まだ明達でなくとも法を守る士であり、礼を崇めなければ、明察善弁でも散儒である。

問楛者,勿告也;告楛者,勿問也;說楛者,勿聽也。有爭氣者,勿與辯也。故必由其道至,然後接之;非其道則避之。故禮恭,而後可與言道之方;辭順,而後可與言道之理;色從而後可與言道之致。故未可與言而言,謂之傲;可與言而不言,謂之隱;不觀氣色而言,謂瞽。故君子不傲、不隱、不瞽,謹順其身。詩曰:"匪交匪舒,天子所予。"此之謂也。

粗悪な事を問う者には告げるな。粗悪な事を告げる者には問うな。粗悪な事を説く者には聴くな。争競の気ある者とは弁論するな。必ず道に順って来る者を待って後に接待し、その道でなければ避ける。だから礼節が恭敬して後、道の方向を語ることができ、言辞が順して後、道の条理を語ることができ、神色が従順して後、道の極致を語ることができる。語るべからざるに語れば傲といい、語るべきに語らなければ隠といい、気色を観ずに語れば瞽という。だから君子は傲せず、隠さず、瞽せず、慎んで相手そのものに順う。『詩経・小雅・采菽』に言う。「急がず怠らず、天子の賜う所」と。これを言うのである。

百發失一,不足謂善射;千里蹞步不至,不足謂善御;倫類不通,仁義不一,不足謂善學。學也者,固學一之也。一齣焉,一入焉,塗巷之人也;其善者少,不善者多,桀紂盜跖也;全之盡之,然後學者也。

射を百回して一回外しても、善く射るとは言えない。千里を行って半步足りなければ、善く御するとは言えない。倫類を貫通できず、仁義を一にできなければ、善く学ぶとは言えない。学びとはもとよりその一を学ぶことである。出たり入ったりするのは街巷の普通人であり、善が少なく不善が多いのは桀・紂・盗跖の類である。それを全く備え、それを窮めて、後に学者となるのである。

君子知夫不全不粹之不足以為美也,故誦數以貫之,思索以通之,為其人以處之,除其害者以持養之。使目非是無慾見也,使口非是無慾言也,使心非是無慾慮也。及至其致好之也,目好之五色,耳好之五聲,口好之五味,心利之有天下。是故權利不能傾也,群眾不能移也,天下不能蕩也。生乎由是,死乎由是,夫是之謂德操。德操然後能定,能定然後能應。能定能應,夫是之謂成人。天見其明,地見其光,君子貴其全也。

君子は完備し純粋でないものが美を成すに足りないことを知っている。だから誦読して数えてそれを貫通し、思索してそれを疎通し、その人に倣って身を処して実践し、害するものを除いてそれを持養する。目はこれでなければ見たがらず、口はこれでなければ言いたがらず、心はこれでなければ慮りたがらない。その好むところが極致に至れば、目は五色のごとくそれを好み、耳は五声のごとくそれを好み、口は五味のごとくそれを好み、心は天下を有するがごとくそれを利とする。ゆえに権利も彼を傾覆できず、衆人も彼を動かせず、天下も彼を揺るがせない。生きてもこれに由り、死してもこれに由る。これを徳操という。徳操あれば後に定まることができ、定まれば後に応じることができる。能く定まり能く応ずれば、これを成人という。天はその明を現し、地はその光を現し、君子はその全を重んずるのである。

脩身篇第二

見善,修然必以自存也;見不善,愀然必以自省也。善在身,介然必以自好也;不善在身,菑然必以自惡也。故非我而當者,吾師也;是我而當者,吾友也;諂諛我者,吾賊也。故君子隆師而親友,以致惡其賊。好善無厭,受諫而能誡,雖欲無進,得乎哉!小人反是:致亂而惡人之非己也;致不肖而欲人之賢己也;心如虎狼,行如禽獸,而又惡人之賊己也。諂諛者親,諫爭者疏,修正為笑,至忠為賊,雖欲無滅亡,得乎哉!詩曰:"嗡嗡呰呰,亦孔之哀。謀之其臧,則具是違;謀之不臧,則具是依。"此之謂也。

善を見れば整然として必ず自ら存するのに用い、不善を見れば憂惧して必ず自ら省察するのに用いる。善が身にあれば堅固に必ず自ら好み、不善が身にあれば災害のごとく必ず自ら悪む。だから私を批評して当を得る者は我が師であり、私を是として当を得る者は我が友であり、私に諂い阿谀する者は我を賊害する者である。君子は師を尊び友に親しみ、賊害する者を極めて悪む。善を好むこと満足せず、勧諫を受けて戒めることができれば、進まないようにしようとしてもできるものか。小人はその反対である。自ら極めて昏乱しながら人が己を批評するのを悪み、自ら極めて不肖でありながら人が己を賢人とするのを欲し、心は虎狼のごとく行は禽獣のごとくでありながら、人が己を賊害と指摘するのを悪む。諂谀する者には親しみ、諫争する者には疎んじ、修正の言を笑話とし、至忠を賊害とする。亡びないようにしようとしてもできるものか。『詩経・小雅・小旻』に言う。「翕翕として訾訾、亦た哀れむべきかな。謀を善くすれば皆これに違い、謀を不善にすれば皆これに依る」と。これを言うのである。

扁善之度--以治氣養生,則後彭祖;以修身自名,則配堯禹。宜於時通,利以處窮,禮信是也。凡用血氣、志意、知慮,由禮則治通,不由禮則勃亂提僈;食飲,衣服、居處、動靜,由禮則和節,不由禮則觸陷生疾;容貌、態度、進退、趨行,由禮則雅,不由禮則夷固、僻違、庸眾而野。故人無禮則不生,事無禮則不成,國家無禮則不寧。詩曰:"禮儀卒度,笑語卒獲。"此之謂也。

遍く善を為す法度――これを以て気を治め生を養えば彭祖に後れず、これを以て身を修め名を求めば堯禹に匹敵する。時運の達するに宜しく、窮困に処るにも利あるは、礼と信である。およそ血気・志意・智慮を用いるに、礼に由れば通達整治し、礼に由らなければ悖乱怠慢となる。飲食・衣服・居処・動静は、礼に由れば和諧して節あり、礼に由らなければ触れ陷り病を生ずる。容貌・態度・進退・趨行は、礼に由れば雅正であり、礼に由らなければ倨傲固陋・邪僻背理・平庸粗野となる。だから人は礼なくして生きられず、事は礼なくして成らず、国家は礼なくして安寧を得ない。『詩経・小雅・楚茨』に言う。「礼儀は度に尽く合い、笑語は宜しきを尽く得たり」と。これを言うのである。

以善先人者謂之教,以善和人者謂之順;以不善先人者謂之諂,以不善和人者謂之諛。是是非非謂之知,非是是非謂之愚。傷良曰讒,害良曰賊。是謂是,非謂非曰直。竊貨曰盜,匿行曰詐,易言曰誕。趣舍無定謂之無常。保利棄義謂之至賊。多聞曰博,少聞曰淺。多見曰閒,少見曰陋。難進曰偍,易忘曰漏。少而理曰治,多而亂曰秏。

善を以て人を導くを教といい、善を以て人に応和するを順という。不善を以て人を導くを諂といい、不善を以て人に応和するを谀という。是を是とし非を非とするを知といい、是を非とし非を是とするを愚という。良人を傷つけるを讒といい、良人を残害するを賊という。是なれば是と言い、非なれば非と言うを直という。財物を偸むを盗といい、行いを隠匿するを詐といい、軽々しく言うを誕という。取捨に定まりなきを無常という。利を保ち義を棄てるを至賊という。多く聴くを博といい、少なく聴くを浅という。多く見るを嫻習といい、少なく見るを陋という。進み難きを遅緩といい、忘れ易きを漏という。少なくして条理あるを治といい、多くして混乱するを耗乱という。

治氣養心之術:血氣剛強,則柔之以調和;知慮漸深,則一之以易良;勇膽猛戾,則輔之以道順;齊給便利,則節之以動止;狹隘褊小,則廓之以廣大;卑溼重遲貪利,則抗之以高志;庸眾駑散,則劫之以師友;怠慢僄棄,則照之以禍災;愚款端愨,則合之以禮樂,通之以思索。凡治氣養心之術,莫徑由禮,莫要得師,莫神一好。夫是之謂治氣養心之術也。

気を治め心を養う術――血気が剛強なら調和を以てこれを柔らかくし、智慮が深沈に過ぎれば平易良善を以てこれを一にし、勇猛暴戻なら道順を以てこれを輔け、敏捷便利なら動止を以てこれを節し、狭隘褊小なら広大を以てこれを開き、卑下遅緩貪利なら高志を以てこれを抗挙し、平庸駑散なら師友を以てこれを約束し、怠慢軽忽拋棄なら禍災を以てこれを照鑑し、愚拙朴素端謹なら礼楽を以てこれに合し、思索を以てこれを通ず。およそ気を治め心を養う術は、礼に由るより直接なるはなく、師を得るより緊要なるはなく、所好を一にするより神妙なるはない。これを気を治め心を養う術という。

志意修則驕富貴,道義重則輕王公;內省而外物輕矣。傳曰:"君子役物,小人役於物。"此之謂矣。身勞而心安,為之;利少而義多,為之;事亂君而通,不如事窮君而順焉。故良農不為水旱不耕,良賈不為折閱不市,士君子不為貧窮怠乎道。

志意が修まれば富貴を傲視し、道義が重んぜられれば王公を軽んず。内に省察すれば外物は軽くなる。伝記に言う。「君子は物を役し、小人は物に役せられる」と。これを言うのである。身は労苦して心安らかならば為し、利少なく義多ければ為す。乱君に事えて顕達するは、窮君に事えて道に順うに如かず。だから良い農夫は水旱のために耕さざるなく、良い商人は損亏のために売買せざるなく、士君子は貧窮のために道に怠らざるなし。

體恭敬而心忠信,術禮義而情愛人;橫行天下,雖困四夷,人莫不貴。勞苦之事則爭先,饒樂之事則能讓,端愨誠信,拘守而詳;橫行天下,雖困四夷,人莫不任。體倨固而心埶詐,術順墨而精雜汙;橫行天下,雖達四方,人莫不賤。勞苦之事則偷儒轉脫,饒樂之事則佞兌而不曲,辟違而不愨,程役而不錄:橫行天下,雖達四方,人莫不棄。

身は恭敬して心は忠信、礼義に取法して性は人を愛する。天下を横行し、四夷に困んでも、人は重んざらざるなし。労苦の事には争って先んじ、豊饒安楽の事には譲ることができ、端謹誠信、拘守して周詳である。天下を横行し、四夷に困んでも、人は信ぜざるなし。身は倨傲頑固にして心は勢利欺詐、慎到・墨翟に取法して精神は駁雑汚穢である。天下を横行し、四方に通達しても、人は賤しめざるなし。労苦の事には偷安懦弱して輾転逃脱し、豊饒安楽の事には巧佞敏捷にして譲らず、邪僻背理して端謹せず、事務を度量しても檢束せず。天下を横行し、四方に通達しても、人は棄てざるなし。

行而供冀,非漬淖也;行而俯項,非擊戾也;偶視而先俯,非恐懼也。然夫士欲獨修其身,不以得罪於比俗之人也。

歩くに恭敬謹慎なのは、泥淖に沾るを怕れるが故ではない。歩くに頸項を低くするのは、碰撞を怕れるが故ではない。対視するに自ら先に頭を低くするのは、恐懼するが故ではない。これは士が独り己の身を修めようとするのであって、流俗に比する者に罪を犯すを怕れるのではない。

夫驥一日而千里,駑馬十駕,則亦及之矣。將以窮無窮,逐無極與?其折骨絕筋,終身不可以相及也。將有所止之,則千里雖遠,亦或遲、或速、或先、或後,胡為乎其不可以相及也!不識步道者,將以窮無窮,逐無極與?意亦有所止之與?夫"堅白"、"同異"、"有厚無厚"之察,非不察也,然而君子不辯,止之也。倚魁之行,非不難也,然而君子不行,止之也。故學曰遲。彼止而待我,我行而就之,則亦或遲、或速、或先、或後,胡為乎其不可以同至也!故蹞步而不休,跛鱉千里;累土而不輟,丘山崇成。厭其源,開其瀆,江河可竭。一進一退,一左一右,六驥不致。彼人之才性之相縣也,豈若跛鱉之與六驥足哉!然而跛鱉致之,六驥不致,是無它故焉,或為之,或不為爾!道雖邇,不行不至;事雖小,不為不成。其為人也多暇日者,其出入不遠矣。

あの騏驥は一日に千里を走るが、駑馬が十日の路程を行けば追いつく。これを以て無窮を窮め、無極を追逐せんとするか。ならば骨を折り筋を絶ち、終身相い追いつくことはできない。止境を有せば、千里は遠いと雖も、或いは遅く或いは速く、或いは先に或いは後に、どうして互いに追いつけないことがあろうか。あの行く者が、これを以て無窮を窮め無極を逐うのか、それとも止境を有するのかを知らない。「堅白」「同異」「有厚無厚」の察辨は、明察でないことはないが、君子は辨わない。止まる所有りである。怪異極端の行いは、容易でないことはないが、君子は為さない。止まる所有りである。だから学びを為すを遅れて前行するという。あの止境がそこに在って我を待ち、我が往きてこれに近づけば、或いは遅く或いは速く、或いは先に或いは後に、どうして同じく到達できないことがあろうか。だから半步を停めなければ跛けた鼈も千里を行き、累土を止めなければ丘山も堆み成る。その源を塞ぎ、その溝瀆を開けば、江河も竭きる。一進一退、一左一右では、六匹の驥も到達できない。人の才性の差が、跛鼈と六驥の脚のごとく懸殊であることはあろうか。然るに跛鼈は至ることができ、六驥は至ることができない。他の故なく、ある者は為しある者は為さないだけである。道は近くとも行かなければ至らず、事は小さくとも為さなければ成らない。人として暇日の多い者は、その出入の成就もまた遠くないのである。

好法而行,士也;篤志而體,君子也;齊明而不竭,聖人也。人無法,則倀倀然;有法而無志其義,則渠渠然;依乎法,而又深其類,然後溫溫然。

法を好みてこれを行うは士であり、志が篤実にして身を以て行うは君子であり、斉粛明察して竭きないは聖人である。人は法なければ茫茫然とし、法ありてその義を識らなければ局促不安となり、法に依りてまたその類に深く通ずれば、後に温温然となるのである。

禮者、所以正身也,師者、所以正禮也。無禮何以正身?無師吾安知禮之為是也?禮然而然,則是情安禮也;師云而云,則是知若師也。情安禮,知若師,則是聖人也。故非禮,是無法也;非師,是無師也。不是師法,而好自用,譬之是猶以盲辨色,以聾辨聲也,舍亂妄無為也。故學也者,禮法也。夫師、以身為正儀,而貴自安者也。詩云:"不識不知,順帝之則。"此之謂也。

礼は身を正すものであり、師は礼を正すものである。礼なくして何を以て身を正さん。師なくして何を以て礼がこのようであることを知らん。礼の定めるごとく為せば、それは性情が礼に安んじているのであり、師の言うごとく言えば、それは智識が師に似ているのである。性情が礼に安んじ、智識が師に似ていれば、それが聖人である。だから礼に背けば法なきであり、師に背けば師なきである。師法を是とせずして自ら是を好むは、瞽者を以て色を辨え、聾者を以て声を辨えるようなもので、昏乱妄為のほか為す所なし。だから学びとは礼法である。あの師は、身を以て正しい儀法となし、自らこれに安んずるを貴ぶ者である。『詩経・大雅・皇矣』に言う。「識らず知らず、天帝の則に順う」と。これを言うのである。

端愨順弟,則可謂善少者矣;加好學遜敏焉,則有鈞無上,可以為君子者矣。偷儒憚事,無廉恥而嗜乎飲食,則可謂惡少者矣;加愓悍而不順,險賊而不弟焉,則可謂不詳少者矣,雖陷刑戮可也。老老而壯者歸焉,不窮窮而通者積焉,行乎冥冥而施乎無報,而賢不肖一焉。人有此三行,雖有大過,天其不遂乎!

端謹にして悌道に順えば、好い少年と言うことができる。これに好学謙遜敏捷を加えれば、それに相等するものはあれどその上に立つものはなく、君子となることができる。偷懒して懦弱、事を怕れ、廉恥なく飲食を嗜めば、悪い少年と言うことができる。これに放蕩凶悍にして順わず、険険にして賊害し悌せずを加えれば、不祥の少年と言うことができる(底本は「不詳」、詳は祥の誤り)。刑戮に陷っても当然である。老人を尊敬すれば壮年の者が帰附し、窮困する者を窮めなければ通達する者が集まり、闇中に行い施して報いを求めなければ、賢も不肖も斉一する。人にこの三つの徳行があれば、大きな過失があっても、天はおそらく彼を敗らせないであろう。

君子之求利也略,其遠害也早,其避辱也懼,其行道理也勇。君子貧窮而志廣,富貴而體恭,安燕而血氣不惰,勞倦而容貌不枯,怒不過奪,喜不過予。君子貧窮而志廣,隆仁也;富貴而體恭,殺埶也;安燕而血氣不衰,柬理也;勞倦而容貌不枯,好交也;怒不過奪,喜不過予,是法勝私也。書曰:"無有作好,遵王之道。無有作惡,遵王之路。"此言君子之能以公義勝私慾也。

君子の利を求めるは簡略であり、禍害を遠ざけるは早く、恥辱を避けるは畏れ、道理を行うは勇敢である。君子は貧窮して志は広大、富貴して身は恭敬、安閑にして血気は怠らず、労倦にして容貌は枯槁せず、怒りは奪うに過ぎず、喜びは賜うに過ぎない。君子が貧窮して志が広大なのは仁を崇ぶからであり、富貴して身が恭敬なのは勢を減殺するからであり、安閑にして血気が衰えないのは理を選ぶからであり、労倦にして容貌が枯槁しないのは文を好むからであり(底本は「交」、交は文の誤り)、怒りが奪うに過ぎず喜びが賜うに過ぎないのは、法が私に勝つからである。『書』に言う。「私好なく、王の道に遵え。私悪なく、王の路に遵え」と。これは君子が公義を以て私欲に勝つことができるを言うのである。

不苟篇第三

君子行不貴苟難,說不貴苟察,名不貴苟傳,唯其當之為貴。故懷負石而投河,是行之難為者也,而申徒狄能之;然而君子不貴者,非禮義之中也。"山淵平","天地比","齊秦襲","入乎耳,出乎口","鉤有須","卵有毛",是說之難持者也,而惠施鄧析能之。然而君子不貴者,非禮義之中也。盜跖貪兇,名聲若日月,與舜禹俱傳而不息;然而君子不貴者,非禮義之中也。故曰:君子行不貴苟難,說不貴苟察,名不貴苟傳,唯其當之為貴。詩曰:"物其有矣,惟其時矣。"此之謂也。

君子の行いは苟且の難能を以て貴しとせず、学説は苟且の明察を以て貴しとせず、名声は苟且の流伝を以て貴しとせず、ただ恰当を以て貴しとする。だから石を懐に抱いて河に投じるは、行いの中の難きところで、申徒狄はこれを能くした。しかし君子は貴ばない。礼義の中にないからである。「山と淵は平し」「天と地は比し」「斉と秦は合す」「耳より入り口より出づ」「婦に須あり」「卵に毛あり」は、学説の中の持ち難きところで、恵施・鄧析はこれを持つことができた。しかし君子は貴ばない。礼義の中にないからである。盗跖は貪婪凶悪で、名声は日月のごとく、舜禹とともに流伝して息まない。しかし君子は貴ばない。礼義の中にないからである。だから言う。君子の行いは苟且の難能を以て貴しとせず、学説は苟且の明察を以て貴しとせず、名声は苟且の流伝を以て貴しとせず、ただ恰当を以て貴しとする。『詩経・小雅・魚麗』に言う。「物は已にあり、ただ時に適うに在り」と。これを言うのである。

君子易知而難狎,易懼而難脅,畏患而不避義死,欲利而不為所非,交親而不比,言辯而不辭,蕩蕩乎其有以殊於世也。

君子は交わり易くして狎れ難く、戒め易くして脅迫し難く、禍患を畏れながら義のための死を避けず、利を欲しながら為すべからざるを為さず、交遊親近しながら勾結せず、言辞は善弁ながら言辞に流れない。坦荡たり、彼には世俗と異なる所以があるのである。

君子能亦好,不能亦好;小人能亦醜,不能亦醜。君子能則寬容易直以開道人,不能則恭敬繜絀以畏事人;小人能則倨傲僻違以驕溢人,不能則妒嫉怨誹以傾覆人。故曰:君子能則人榮學焉,不能則人樂告之;小人能則人賤學焉,不能則人羞告之。是君子小人之分也。

君子は才能あれば好く、才能なくとも好い。小人は才能あっても醜く、才能なくても醜い。君子は才能あれば寛容易直にして人を開導し、才能なければ恭敬謙退にして人を敬事する。小人は才能あれば倨傲邪僻にして人に驕り、才能なければ嫉妬怨誹にして人を傾覆する。だから言う。君子に才能あれば、人は彼に学ぶを栄とし、才能なくとも、人は彼に告げるを楽しむ。小人に才能あれば、人は彼に学ぶを賤とし、才能なければ、人は彼に告げるを羞じる。これが君子と小人の分別である。

君子寬而不僈,廉而不劌,辯而不爭,察而不激,直立而不勝,堅強而不暴,柔從而不流,恭敬謹慎而容。夫是之謂至文。詩曰:"溫溫恭人,惟德之基。"此之謂也。

君子は寛緩ながら怠慢せず、棱角あっても傷つけず、善弁ながら争競せず、明察ながら偏激せず、身を立てて正直ながら盛気凌人せず、堅強ながら暴虐せず、柔従ながら波に随わず、恭敬謹慎にして容れる所あり。これを至文という。『詩経・大雅・抑』に言う。「温恭の人は、徳の基なり」と。これを言うのである。

君子崇人之德,揚人之美,非諂諛也;正義直指,舉人之過,非毀疵也;言己之光美,擬於舜禹,參於天地,非夸誕也;與時屈伸,柔從若蒲葦,非懾怯也;剛強猛毅,靡所不信,非驕暴也;以義變應,知當曲直故也。詩曰:"左之左之,君子宜之;右之右之,君子有之。"此言君子以義屈信變應故也。

君子が人の徳を推し崇め、人の美を表揚するは、諂谀ではない。正誼を持し直指し、人の過ちを挙げるは、毀謗挑剔ではない。己の光美を称説し、舜禹に比擬し、天地に参配するは、夸誕ではない。時勢に随って屈伸し、蒲葦のごとく柔従するは、慑怯ではない。剛強猛毅にして伸びざる所なきは、驕暴ではない。義を以て変に応じ、当に曲すべきか直すべきかの故を知るのである。『詩経・小雅・裳裳者華』に言う。「左にすれば左、君子はこれに宜しく、右にすれば右、君子はこれを有す」と。これは君子が義を以て屈伸し変に応ずる故を言うのである。

君子小人之反也:君子大心則敬天而道,小心則畏義而節;知則明通而類,愚則端愨而法;見由則恭而止,見閉則敬而齊;喜則和而理,憂則靜而理;通則文而明,窮則約而詳。小人則不然:大心則慢而暴,小心則淫而傾;知則攫盜而漸,愚則毒賊而亂;見由則兌而倨,見閉則怨而險;喜則輕而翾,憂則挫而懾;通則驕而偏,窮則棄而儑。傳曰:"君子兩進,小人兩廢。"此之謂也。

君子と小人は相反する。君子は心志が大きければ天を敬い道に遵い、心志が小さければ義を畏れて節制あり、智なれば明通にして類を推すことができ、愚なれば端謹にして法を守り、進用されれば恭敬にして止まる所あり、閉拒されれば敬慎にして整斉し、喜べば和諧にして条理あり、憂えば安静にして条理あり、通達すれば文ありて顕明、窮困すれば簡約にして周詳である。小人は然らず。心志が大きければ傲慢にして暴虐、心志が小さければ淫邪にして傾危、智なれば攫取盗竊にして欺詐、愚なれば毒害賊乱し、進用されれば巧悦にして倨傲、閉拒されれば怨恨にして険険、喜べば軽佻にして軽挙、憂えば挫折して慑惧、通達すれば驕縦にして偏頗、窮困すれば自棄にして困窘する。伝記に言う。「君子は両境遇にも増進し、小人は両境遇にも廃壊す」と。これを言うのである。

君子治治,非治亂也。曷謂邪?曰:禮義之謂治,非禮義之謂亂也。故君子者,治禮義者也,非治非禮義者也。然則國亂將弗治與?曰:國亂而治之者,非案亂而治之之謂也。去亂而被之以治。人汙而修之者,非案汙而修之之謂也,去汙而易之以修。故去亂而非治亂也,去汙而非修汙也。治之為名,猶曰君子為治而不為亂,為修而不為汙也。

君子の治めるは治であって、乱を治めるのではない。どういうことか。曰く、礼義を治と言い、礼義ならざるを乱という。だから君子は礼義を治める者であって、礼義ならざるを治める者ではない。では国家が乱れたら治めないのか。曰く、国家が乱れてこれを治めるは、乱に就いて乱を治めるの義ではない。乱を去ってこれに治を覆うのである。人が汚穢してこれを修整するは、汚穢に就いて汚穢を修めるの義ではなく、汚穢を去って修整に換えるのである。だから乱を去るは乱を治めるにあらず、汚穢を去るは汚穢を修めるにあらず。治の名称として、君子は治を為して乱を為さず、修整を為して汚穢を為さずと言うがごとし。

君子絜其身而同焉者合矣,善其言而類焉者應矣。故馬鳴而馬應之,牛鳴而牛應之,非知也,其埶然也。故新浴者振其衣,新沐者彈其冠,人之情也。其誰能以己之潐潐,受人之掝掝者哉!

君子は身を潔くすれば同類が来り会し、その言辞を完善すれば同類が来り応ず。だから馬が鳴けば馬がこれに応え、牛が鳴けば牛がこれに応えるは、智ではなく、勢いが然らしめるのである。だから新たに浴した者はその衣を払い、新たに頭を洗った者はその冠を弾くは、人の常情である。誰が己の洁白を以て、人の汚濁を受け入れようか。

君子養心莫善於誠,致誠則無它事矣。惟仁之為守,惟義之為行。誠心守仁則形,形則神,神則能化矣。誠心行義則理,理則明,明則能變矣。變化代興,謂之天德。天不言而人推其高焉,地不言而人推其厚焉,四時不言而百姓期焉。夫此有常,以至其誠者也。君子至德,嘿然而喻,未施而親,不怒而威:夫此順命,以慎其獨者也。善之為道者,不誠則不獨,不獨則不形,不形則雖作於心,見於色,出於言,民猶若未從也;雖從必疑。天地為大矣,不誠則不能化萬物;聖人為知矣,不誠則不能化萬民;父子為親矣,不誠則疏;君上為尊矣,不誠則卑。夫誠者,君子之所守也,而政事之本也,唯所居以其類至。操之則得之,舍之則失之。操而得之則輕,輕則獨行,獨行而不捨,則濟矣。濟而材盡,長遷而不反其初,則化矣。

君子が心を養うに誠より善きはなく、誠を極致に致せば他の事はない。ただ仁を守り、ただ義を行うのみ。誠心に仁を守れば現れ、現れば神妙となり、神妙なれば化育することができる。誠心に義を行えば条理あり、条理あれば顕明となり、顕明なれば変えることができる。変化迭り興るを天徳という。天は言わずして人はその高を推許し、地は言わずして人はその厚を推許し、四時は言わずして百姓は期して待つ。これらに常あるは、誠を極致に致したからである。君子の至徳は、黙然としても人を暁喻し、未だ施さずして人を親しませ、怒らずして威ある。これは天命に順い、慎んでその独り居る所の者である。善を道と為す者は、誠なくして独り居て審らかにすることができず、独り居て審らかにすることができなければ現れず、現れなければ、たとえ心に発し、臉色に表れ、言語に出しても、民はなお従わないがごとく、たとえ従っても必ず疑惑する。天地は大きいと雖も、誠なくして万物を化育すること能わず。聖人は智あると雖も、誠なくして万民を化育すること能わず。父子は親しいと雖も、誠なくては疎んじられる。君上は尊いと雖も、誠なくては卑しめられる。あの誠は、君子の守る所にして、また政事の根本である。ただ居処する所を見れば、その同類が至る。これを操ればこれを得、これを捨てればこれを失う。操りてこれを得れば軽便となり、軽便なれば独り行い、独り行いて捨てなければ成り就く。成り就きて才性を尽くし、長く迁化して初めに返らなければ、化するのである。

君子位尊而志恭,心小而道大;所聽視者近,而所聞見者遠。是何邪?則操術然也。故千人萬人之情,一人之情也。天地始者,今日是也。百王之道,后王是也。君子審后王之道,而論百王之前,若端拜而議。推禮義之統,分是非之分,總天下之要,治海內之眾,若使一人。故操彌約,而事彌大。五寸之矩,盡天下之方也。故君子不下室堂,而海內之情舉積此者,則操術然也。

君子は地位が尊貴にして志は恭謹、心は小さくして道は大きい。聴く所見る所は近く、聞く所知る所は遠い。これは何ゆえか。操持する術が然らしめるのである。だから千人万人の情は一人の情であり、天地の始まりの情は今日このようであり、百王の道は後王このようである。君子は後王の道を審察して百王の前に論列するは、拜揖を端正して議論するがごとし。礼義の統紀を推し広め、是非の分際を分かち清め、天下の要約を総括し、海内の民衆を治めるは、一人を役使するがごとし。だから操持は越えて簡約なほど、事業は大きい。五寸の矩尺は天下の方形を窮めることができる。だから君子は堂を下らずして海内の情状は皆ここに聚まる。操持する術が然らしめるのである。

有通士者,有公士者,有直士者,有愨士者,有小人者。上則能尊君,下則能愛民,物至而應,事起而辨,若是則可謂通士矣。不下比以闇上,不上同以疾下,分爭於中,不以私害之,若是則可謂公士矣。身之所長,上雖不知,不以悖君;身之所短,上雖不知,不以取賞;長短不飾,以情自竭,若是則可謂直士矣。庸言必信之,庸行必慎之,畏法流俗,而不敢以其所獨甚,若是則可謂愨士矣。言無常信,行無常貞,唯利所在,無所不傾,若是則可謂小人矣。

通士あり、公士あり、直士あり、愨士あり、小人あり。上に能く君を尊び、下に能く民を愛し、物至れば能く応じ、事興れば能く辨別する。かくのごとくなれば通士と言うべし。下に勾結して上を蒙蔽せず、上に迎合して下を忌害せず、中に争訟を分別して私を以てこれを害せず。かくのごとくなれば公士と言うべし。身の長所は、上たとえ知らずとも、これを以て君に悖らず。身の短所は、上たとえ知らずとも、これを以て賞を求めず。長短に文飾を加えず、実情を自ら竭くして言う。かくのごとくなれば直士と言うべし。平常の言は必ず信守し、平常の行は必ず謹慎し、流俗に效うを畏れ、己れ独り是とする所を敢えて人に強いない。かくのごとくなれば愨士と言うべし。言に常信なく、行に常貞なく、ただ利の在る所を見て傾側せざるなし。かくのごとくなれば小人と言うべし。

公生明,偏生闇,端愨生通,詐偽生塞,誠信生神,夸誕生惑。此六生者,君子慎之,而禹桀所以分也。

公正は明察を生じ、偏私は昏暗を生じ、端謹は通達を生じ、詐偽は壅塞を生じ、誠信は神妙を生じ、夸誕は惑乱を生ず。この六つの生ずる所、君子はこれを慎むべし。禹と桀の分かれる所以でもある。

欲惡取捨之權:見其可欲也,則必前後慮其可惡也者;見其可利也,則必前後慮其可害也者,而兼權之,孰計之,然後定其欲惡取捨。如是則常不失陷矣。凡人之患,偏傷之也。見其可欲也,則不慮其可惡也者;見其可利也,則不慮其可害也者。是以動則必陷,為則必辱,是偏傷之患也。

欲悪取捨の権衡――その欲すべきを見れば、必ず前後してその悪すべきを慮り、その利すべきを見れば、必ず前後してその害すべきを慮る。両方面に権衡し、仔細に計算して、後に欲悪取捨を決定する。かくのごとくすれば常に失陷に陷らない。凡人の禍患は、偏頗が彼を傷つけることである。その欲すべきを見ればその悪すべきを慮らず、その利すべきを見ればその害すべきを慮らない。それゆえ一動すれば必ず陷り、一為せば必ず辱められる。これが偏頗傷害の禍患である。

人之所惡者,吾亦惡之。夫富貴者,則類傲之;夫貧賤者,則求柔之。是非仁人之情也,是奸人將以盜名於晻世者也,險莫大焉。故曰:盜名不如盜貨。田仲史不如盜也。

人の悪む所を、我もまたこれを悪む。あの富貴の者には一概に傲視し、あの貧賤の者には一概に柔順する。これは仁人の情ではなく、奸人が昏暗の世に名を盗まんとする者で、険悪これより大なるはなし。だから言う。名を盗むは貨を盗むに如かず。田仲・史鰌(底本この字は生僻字、転写後に失落)は盗賊に如かずと。

栄辱篇第四

憍洩者,人之殃也;恭儉者,偋五兵也。雖有戈矛之刺,不如恭儉之利也。故與人善言,暖於布帛;傷人之言,深於矛戟。故薄薄之地,不得履之,非地不安也,危足無所履者,凡在言也。巨塗則讓,小塗則殆,雖欲不謹,若雲不使。

驕傲軽慢は人の災殃であり、恭敬節倹は兵器を避けるものである。たとえ戈矛の鋒刺があっても、恭敬節倹の鋭さには及ばない。だから人に善言を説けば布帛より暖かく、人を傷つける言は矛戟より深い。だから薄薄たる土地は踏むことができない。地が安穏でないのではなく、足を側せば踏む所がないので、全て言語に在り。大路なら譲り、小路なら危ない。たとえ慎まないよう願っても、何かがそうさせないようだ。

快快而亡者、怒也,察察而殘者、忮也,博而窮者、訾也,清之而俞濁者、口也,豢之而俞瘠者、交也,辯而不說者、爭也,直立而不見知者、勝也,廉而不見貴者、劌也,勇而不見憚者、貪也,信而不見敬者、好剸行也。此小人之所務,而君子之所不為也。

一時の痛快で亡ぶは怒であり、明察苛細にして残害するは忌恨であり、広博にして窮するは詆毀であり、澄まそうとして却って濁るは口であり、豢って却って瘠せるは交遊であり、善弁にして説得できないは争いであり、身を正しく立てて了解されないは好勝であり、棱角あって重んぜられないは人を割傷することであり、勇猛にして忌まれないは貪であり、信を守りて敬われないは専断自行を好むことである。これらは小人の務め求める所にして、君子の為さない所である。

鬥者,忘其身者也,忘其親者也,忘其君者也。行其少頃之怒,而喪終身之軀,然且為之,是忘其身也;家室立殘,親戚不免乎刑戮,然且為之,是忘其親也;君上之所惡也,刑法之所大禁也,然且為之,是忘其君也。憂忘其身,內忘其親,上忘其君,是刑法之所不捨也,聖王之所不畜也。乳彘觸虎,乳狗不遠遊,不忘其親也。人也,憂忘其身,內忘其親,上忘其君,則是人也,而曾狗彘之不若也。

争い闘う者は、己の身を忘れた者であり、親を忘れた者であり、君を忘れた者である。その片時の怒りを行って、終身の躯を喪うに、なおかつ為す。これは身を忘れたのである。家室はたちまち残破し、親戚は刑戮を免れないに、なおかつ為す。これは親を忘れたのである。これは君上の悪む所であり、刑法の大いに禁ずる所であるに、なおかつ為す。これは君を忘れたのである。己において身を忘れ、内において親を忘れ、上において君を忘れるは、刑法の赦さない所、聖王の畜わない所である。乳をやる牝豚は虎に触れ、乳をやる牝犬は遠く遊ばない。親を忘れないからである。人として、己において身を忘れ、内において親を忘れ、上において君を忘れるならば、その人は犬豚にも及ばないではないか。

凡鬥者,必自以為是,而以人為非也。己誠是也,人誠非也,則是己君子,而人小人也;以君子與小人相賊害也,憂以忘其身,內以忘其親,上以忘其君,豈不過甚矣哉!是人也,所謂以狐父之戈钃牛矢也。將以為智邪?則愚莫大焉;將以為利邪?則害莫大焉;將以為榮邪?則辱莫大焉;將以為安邪?則危莫大焉。人之有鬥,何哉?我欲屬之狂惑疾病邪?則不可,聖王又誅之。我欲屬之鳥鼠禽獸邪?則又不可,其形體又人,而好惡多同。人之有鬥,何哉?我甚醜之。

およそ争い闘う者は、必ず自らを是とし、人を以て非とする。己が誠に是で人が誠に非ならば、己は君子で人は小人である。君子を以て小人と互いに賊害すれば、己においてこれに因りて身を忘れ、内においてこれに因りて親を忘れ、上においてこれに因りて君を忘れる。過分の甚だしきではないか。このような者は、いわゆる狐父の戈を以て牛屎を斬るようなものである。これを以て智と為さんとするか。ならば愚これより大なるはなし。これを以て利と為さんとするか。ならば害これより大なるはなし。これを以て栄と為さんとするか。ならば辱これより大なるはなし。これを以て安と為さんとするか。ならば危これより大なるはなし。人に争闘あるは何ゆえか。私はこれを狂惑の疾病に帰さんと欲するも不可ならず、聖王また彼を誅殺せんとする。私はこれを鳥鼠禽獣に帰さんと欲するもまた不可ならず、その形体はまた人で、好悪もまた多く同じである。人に争闘あるは何ゆえか。私は甚だこれを醜しと思う。

有狗彘之勇者,有賈盜之勇者,有小人之勇者,有士君子之勇者。爭飲食,無廉恥,不知是非,不闢死傷,不畏眾強,牟牟然惟利飲食之見,是狗彘之勇也。為事利,爭貨財,無辭讓,果敢而振,猛貪而戾,牟牟然惟利之見,是賈盜之勇也。輕死而暴,是小人之勇也。義之所在,不傾於權,不顧其利,舉國而與之不為改視,重死持義而不橈,是士君子之勇也。

狗彘の勇あり、商賈盗賊の勇あり、小人の勇あり、士君子の勇あり。飲食を争奪し、廉恥なく、是非を知らず、死傷を避けず、衆強を畏れず、貪貪然としてただ飲食の利のみ見る。これは狗彘の勇である。事利のために貨財を争奪し、辞譲なく、果敢にして振奮し、猛貪にして暴戻、貪貪然としてただ利のみ見る。これは商賈盗賊の勇である。死を軽く見て暴虐なは、小人の勇である。義の在る所にあって、権勢に傾側せず、その利を顧みず、国を挙げて彼に与えてもこれに因りて見を改めず、死を重んじ義を持守して橈屈しない。これは士君子の勇である。

鯈魾者,浮陽之魚也,胠於沙而思水,則無逮矣。掛於患而思謹,則無益矣。自知者不怨人,知命者不怨天;怨人者窮,怨天者無志。失之己,反之人,豈不迂乎哉!

浮陽の魚は、沙上に擱いて後に水を想えば及ばない。禍患に牽绊されて後に謹慎を想えば益なし。己を知る者は人を怨まず、命を知る者は天を怨まない。人を怨む者は窮し、天を怨む者は志なし。過失は己に在るのに、反って人に求めるは、迂闊ではないか。

榮辱之大分,安危利害之常體:先義而後利者榮,先利而後義者辱;榮者常通,辱者常窮;通者常制人,窮者常制於人:是榮辱之大分也。材愨者常安利,蕩悍者常危害;安利者常樂易,危害者常憂險;樂易者常壽長,憂險者常夭折:是安危利害之常體也。

栄辱の大きな分際、安危利害の常体――先に義して後に利するは栄、先に利して後に義するは辱。栄の者は常に通達し、辱の者は常に窮困す。通達する者は常に人を制し、窮困する者は常に人に制せられる。これが栄辱の大きな分際である。材性端謹の者は常に安くして利を得、放蕩凶悍の者は常に危うくして害を受く。安くして利を得る者は常に和楽平易、危うくして害を受くる者は常に憂惧険阻。和楽平易の者は常に寿命長く、憂惧険阻の者は常に夭折す。これが安危利害の常体である。

夫天生蒸民,有所以取之:志意致修,德行致厚,智慮致明,是天子之所以取天下也。政令法,舉措時,聽斷公,上則能順天子之命,下則能保百姓,是諸侯之所以取國家也。志行修,臨官治,上則能順上,下則能保其職,是士大夫之所以取田邑也。循法則、度量、刑辟、圖籍、不知其義,謹守其數,慎不敢損益也;父子相傳,以持王公,是故三代雖亡,治法猶存,是官人百吏之所以取祿職也。孝弟原愨,軥錄疾力,以敦比其事業,而不敢怠傲,是庶人之所以取暖衣飽食,長生久視,以免於刑戮也。飾邪說,文奸言,為倚事,陶誕突盜,惕悍憍暴,以偷生反側於亂世之間,是奸人之所以取危辱死刑也。其慮之不深,其擇之不謹,其定取捨楛僈,是其所以危也。

あの天が衆民を生むや、各々取る所以あり。志意極めて修整、德行極めて厚く、智慮極めて明なは、天子の天下を取る所以である。政令法に合し、挙措時に合し、聴断公正にして、上に能く天子の命に順い、下に能く百姓を保つは、諸侯の国家を取る所以である。志行修整にして官に臨みて治め、上に能く上に順い、下に能く職事を保つは、士大夫の田邑を取る所以である。法則・度量・刑辟・図籍に遵循してその義を知らずも、謹んでその数を守り、慎んで増減敢えてせず、父子相伝えて王公を持守す。それゆえ三代たとえ亡んでも治法はなお在るは、官人百吏の俸禄職事を取る所以である。孝悌朴素端謹にして、劬労して力を尽くし、その事業を敦勉して怠慢驕傲敢えてせざるは、庶人の暖衣飽食・長生久視を取りて刑戮を免れる所以である。邪説を文飾し、奸言を粉飾し、怪異の事を為し、荒誕強横盗竊、放蕩驕暴にして、乱世の間に偷生反側するは、奸人の危辱死刑を取る所以である。彼の思慮は深からず、選択は慎まず、取捨の決定は粗慢なり。これが彼の危殆なる所以である。

材性知能,君子小人一也;好榮惡辱,好利惡害,是君子小人之所同也;若其所以求之之道則異矣:小人也者,疾為誕而欲人之信己也,疾為詐而欲人之親己也,禽獸之行而欲人之善己也;慮之難知也,行之難安也,持之難立也,成則必不得其所好,必遇其所惡焉。故君子者,信矣,而亦欲人之信己也;忠矣,而亦欲人之親己也;修正治辨矣,而亦欲人之善己也;慮之易知也,行之易安也,持之易立也,成則必得其所好,必不遇其所惡焉。是故窮則不隱,通則大明,身死而名彌白。小人莫不延頸舉踵而願曰:"知慮材性,固有以賢人矣。"夫不知其與己無以異也。則君子注錯之當,而小人注錯之過也。故孰察小人之知能,足以知其有餘,可以為君子之所為也。譬之越人安越,楚人安楚,君子安雅。是非知能材性然也,是注錯習俗之節異也。仁義德行,常安之術也,然而未必不危也;汙僈突盜,常危之術也,然而未必不安也。故君子道其常,而小人道其怪。

材性知能は君子小人一様である。栄を好み辱を悪み、利を好み害を悪むは、君子小人の同じき所である。その取り求めるに用いる道に至っては同じからず。小人は誕妄の事を為すに急なるに人に己を信ぜしめんと欲し、欺詐の事を為すに急なるに人に己を親しましめんと欲し、禽獣の行いにして人に己を善と為さしめんと欲す。思慮は人を知らしめ難く、行いは安んじ難く、持守は立ち難い。終に必ず好む所を得ず、必ず悪む所に遇う。だから君子は信なりてまた人に己を信ぜしめんと欲し、忠なりてまた人に己を親しましめんと欲し、修正治辨にしてまた人に己を善と為さしめんと欲す。思慮は人を知らしめ易く、行いは安んじ���く、持守は立ち易い。終に必ず好む所を得、必ず悪む所に遇わない。それゆえ窮困しても隠没せず、通達すれば大いに顕明となり、身死して名声はいよいよ白し。小人は頸を伸ばし踵を踮げて願い言わざるなし。「智慮材性は、もとより人に勝る所以あるなり」と。しかし彼と己に異なるなきを知らず。然らば君子は措置宜しきを得、小人は措置に過ちあるのである。だから小人の知能を熟く察すれば、余力ありて君子の為す所を為すに足るを知るに足る。越人の越に安んじ、楚人の楚に安んじ、君子の雅正に安んずるがごとし。これは知能材性の然らしむるにあらず、措置習俗の節度の同じからざるである。仁義德行は常に安き方なれど、必ずしも危うからざるにあらず。污漫強横盗竊は常に危うき方なれど、必ずしも安からざるにあらず。だから君子はその常道を行き、小人はその怪道を行く。

凡人有所一同:飢而欲食,寒而欲暖,勞而欲息,好利而惡害,是人之所生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。目辨白黑美惡,耳辨聲音清濁,口辨酸鹹甘苦,鼻辨芬芳腥臊,骨體膚理辨寒暑疾養,是又人之所常生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。可以為堯禹,可以為桀蹠,可以為工匠,可以為農賈,在埶注錯習俗之所積耳。是又人之所生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。為堯禹則常安榮,為桀蹠則常危辱;為堯禹則常愉佚,為工匠農賈則常煩勞;然而人力為此,而寡為彼,何也?曰:陋也。堯禹者,非生而具者也,夫起於變故,成乎修為,待盡而後備者也。人之生固小人,無師無法則唯利之見耳。人之生固小人,又以遇亂世,得亂俗,是以小重小也,以亂得亂也。君子非得埶以臨之,則無由得開內焉。今是人之口腹,安知禮義?安知辭讓?安知廉恥隅積?亦呥呥而嚼,鄉鄉而飽已矣。人無師無法,則其心正其口腹也。今使人生而未嘗睹芻豢稻粱也,惟菽藿糟糠之為睹,則以至足為在此也,俄而粲然有秉芻豢稻梁而至者,則瞲然視之曰:此何怪也?彼臭之而嗛於鼻,嘗之而甘於口,食之而安於體,則莫不棄此而取彼矣。今以夫先王之道,仁義之統,以相群居,以相持養,以相藩飾,以相安固邪。以夫桀蹠之道,是其為相縣也,幾直夫芻豢稻梁之縣糟糠爾哉!然而人力為此,而寡為彼,何也?曰:陋也。陋也者,天下之公患也,人之大殃大害也。故曰:仁者好告示人。告之、示之、靡之、儇之、鈆之、重之,則夫塞者俄且通也,陋者俄且僩也,愚者俄且知也。是若不行,則湯武在上曷益?桀紂在上曷損?湯武存,則天下從而治,桀紂存,則天下從而亂。如是者,豈非人之情,固可與如此,可與如彼也哉!

およそ人に同じき所有り。飢えれば食を欲し、寒ければ暖を欲し、労すれば息を欲し、利を好み害を悪むは、人生まれて有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。目は白黑美悪を辨え、耳は声音の清濁を辨え、口は酸鹹甘苦を辨え、鼻は芬芳腥臊を辨え、骨体肤理は寒暑痛痒を辨える。これもまた人生まれて常有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。堯禹と為るべく、桀跖と為るべく、工匠と為るべく、農賈と為るべく、勢・措置・習俗の積む所に在るのみ。これもまた人生まれて有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。堯禹と為れば常に安栄し、桀跖と為れば常に危辱す。堯禹と為れば常に愉楽安逸し、工匠農賈と為れば常に煩労す。しかるに人はこのを為すに力むも彼を為すは少ない。何ゆえか。曰く、固陋なり。堯禹は生まれて具わるにあらず、故習を変えて興り、修为に成り、窮めて後に備わるのである。人生まれてもとより小人、師なく法なくばただ利を見るのみ。人生まれてもとより小人、また乱世に遇い乱俗を得れば、それゆえ小に小を加え、乱を以て乱を得る。君子もし権勢を得てこれに臨まざれば、開導し納入する由なし。今人の口腹は、どうして礼義を知らん。どうして辞譲を知らん。どうして廉恥と局部整体を知らん。ただ咀嚼して香甜に飽くのみ。人に師なく法なくば、その心はただその口腹のみ。たとえ人生まれて未だ肉食稻粱を見ず、ただ豆葉糟糠のみ見たれば、至足ここに在りと為さん。忽然として鮮明に人の肉食稻粱を持ちて至る有れば、驚視して曰わん、これは何の怪物ぞと。彼これを聞けば鼻は満足し、嘗めれば口は甘美し、食えば身は安適なれば、これを棄てて彼を取らざるなし。今あの先王の道・仁義の統紀を以て、互いに群居し、互いに持養し、互いに藩飾し、互いに安固せん。あの桀跖の道を以てすれば、その相差は、豈に肉食稻粱と糟糠の相差のみならんや。しかるに人はこのを為すに力むも彼を為すは少ない。何ゆえか。曰く、固陋なり。固陋は天下の公患、人の大殃大害なり。だから言う。仁者は人に告げ示すを好む。彼に告げ、彼に示し、彼に順習し、彼に積漸し、彼に導引し、彼に重複すれば、塞がる者は久しからずして通じ、固陋なる者は久しからずして広くなり、愚なる者は久しからずして智となる。これらもし行わざれば、湯武上に在りて何の益かあらん、桀紂上に在りて何の損かあらん。湯武在れば天下は従って治まり、桀紂在れば天下は従って乱れる。かくのごとくなれば、人情はもとよりこのようになることもでき、あのようになることもできるではないか。

人之情,食慾有芻豢,衣欲有文繡,行欲有輿馬,又欲夫餘財蓄積之富也;然而窮年累世不知不足,是人之情也。今人之生也,方知畜雞狗豬彘,又蓄牛羊,然而食不敢有酒肉;餘刀布,有囷窌,然而衣不敢有絲帛;約者有筐篋之藏,然而行不敢有輿馬。是何也?非不欲也,幾不長慮顧後,而恐無以繼之故也?於是又節用御欲,收斂蓄藏以繼之也。是於己長慮顧後,幾不甚善矣哉!今夫偷生淺知之屬,曾此而不知也,糧食大侈,不顧其後,俄則屈安窮矣。是其所以不免於凍餓,操瓢囊為溝壑中瘠者也。況夫先王之道,仁義之統,詩書禮樂之分乎!彼固為天下之大慮也,將為天下生民之屬,長慮顧後而保萬世也。其流長矣,其溫厚矣,其功盛姚遠矣,非順孰修為之君子,莫之能知也。故曰:短綆不可以汲深井之泉,知不幾者不可與及聖人之言。夫詩書禮樂之分,固非庸人之所知也。故曰:一之而可再也,有之而可久也,廣之而可通也,慮之而可安也,反鈆察之而俞可好也。以治情則利,以為名則榮,以群則和,以獨則足,樂意者其是邪!

人の情――食は肉食を欲し、衣は文繍を欲し、出行は車馬を欲し、また余財貨貨蓄積の富を欲す。しかるに窮年累世も足らざるを知らず。これは人の情である。今人は生きて、初めて鶏狗猪彘を畜養することを知り、また牛羊を蓄養す。しかるに食は酒肉敢えてせず。余の刀布銭幣は、糧倉地窖あり。しかるに衣は糸帛敢えてせず。節約する者は筐篋の儲蔵あり。しかるに出行は車馬敢えてせず。これは何ゆえか。欲せざるにあらず。長遠に慮り後を顧みて、以て接続する無きを恐れる故ではないか。そこでまた用度を節約し欲望を制御し、収斂蓄蔵してこれを接続する。これは己に対し長遠に慮り後を顧むる、豈に善からざらんや。今あの偷生浅知の類は、このをも知らず、糧食を大いに奢侈し、後を顧みず、久しからずして窮尽して窮に陷る。これが彼の凍餓を免れず、瓢囊を持ちて溝壑の餓死者と為る所以である。況んやあの先王の道・仁義の統紀・詩書礼楽の分際をや。それはもとより天下の大慮を為し、天下の生民を類とし、長遠に慮り後を顧みて万世を保せんとするものである。その流沢は長く、その温厚は厚く、その功業は盛大にして遠い。精熟修为の君子に順わずして能く知る者なし。だから言う。短き縄は以て深井の泉を汲むべからず、智識及ばざる者は以て聖人の言を論ずべからず。あの詩書礼楽の分際は、もとより庸人の知る能く所にあらず。だから言う。これを一にすれば以て再来すべく、これ有れば以て長久すべく、これを推広すれば以て貫通すべく、これを慮及すれば以て安定すべく、これを反復循察すれば益々喜好すべしと。以て情を治めれば利あり、以て名を求めれば栄あり、以て群居すれば和あり、以て独処すれば足るあり。楽しむ所はおそらくこれであろう。

夫貴為天子,富有天下,是人情之所同欲也;然則從人之慾,則埶不能容,物不能贍也。故先王案為之制禮義以分之,使有貴賤之等,長幼之差,知愚能不能之分,皆使人載其事,而各得其宜。然後使谷祿多少厚薄之稱,是夫群居和一之道也。故仁人在上,則農以力盡田,賈以察盡財,百工以巧盡械器,士大夫以上至於公侯,莫不以仁厚知能盡官職。夫是之謂至平。故或祿天下,而不自以為多,或監門御旅,抱關擊柝,而不自以為寡。故曰:"斬而齊,枉而順,不同而一。"夫是之謂人倫。詩曰:"受小共大共,為下國駿蒙。"此之謂也。

あの尊貴は天子に至り、富は天下を有す。これは人情の共に欲する所である。しかるにもし人の欲を放縦せば、勢い容れること能わず、物も供養すること能わず。だから先王はここに彼らのために礼義を制してこれを分かち、貴賤の等級、長幼の差別、智愚能与不能の分際あらしめ、皆人にその事を担わしめて、各々宜しきを得しめた。然る後に谷禄の多少厚薄を相称えらしむ。これが群居和一の道である。だから仁人上に在れば、農夫は力を以て田に尽くし、商人は明察を以て財に尽くし、百工は巧を以て器械に尽くし、士大夫以上公侯に至るまで、仁厚知能を以て官職に尽くさざるなし。これを至平という。だからある者は禄天下に及ぶも自ら多しと為さず、ある者は門を守り客を迎え、関を抱き柝を撃つも自ら少しと為さず。だから言う。「斉からずして斉しく、枉れて順い、同じからずして一つ」と。これを人倫という。『詩経・商頌・長発』に言う。「小法を受け大法を受け、下国の庇を為す」と。これを言うのである。

非相篇第五

相人,古之人無有也,學者不道也。古者有姑布子卿,今之世梁有唐舉,相人之形狀顏色,而知其吉凶妖祥,世俗稱之。古之人無有也,學者不道也。故相形不如論心,論心不如擇術;形不勝心,心不勝術;術正而心順之,則形相雖惡而心術善,無害為君子也。形相雖善而心術惡,無害為小人也。君子之謂吉,小人之謂兇。故長短小大,善惡形相,非吉凶也。古之人無有也,學者不道也。

人を相するは、古の人にはなく、学者はこれを称し道わない。古に姑布子卿あり、今の世に梁の唐挙あり。人の形状顔色を相看てその吉凶妖祥を知るを、世俗はこれを称し道う。古の人にはなく、学者はこれを称し道わない。だから形状を相看るは心を論ずるに如かず、心を論ずるは術を選ぶに如かず。形状は心に勝たず、心は術に勝たず。術正しくして心これに順えば、形相たとえ悪くとも心術善ければ、君子と為るを妨害せず。形相たとえ善くとも心術悪ければ、小人と為るを妨げず。君子を吉といい、小人を凶という。だから長短小大・善悪の形相は吉凶にあらず。古の人にはなく、学者はこれを称し道わない。

蓋帝堯長,帝舜短;文王長,周公短;仲尼長,子弓短。昔者衛靈公有臣曰公孫呂,身長七尺,面長三尺,焉廣三寸,鼻目耳具,而名動天下。楚之孫叔敖,期思之鄙人也,突禿長左,軒較之下,而以楚霸。葉公子高,微小短瘠,行若將不勝其衣然。白公之亂也,令尹子西,司馬子期,皆死焉,葉公子高入據楚,誅白公,定楚國,如反手爾,仁義功名善於後世。故事不揣長,不揳大,不權輕重,亦將志乎爾。長短大小,美惡形相,豈論也哉!且徐偃王之狀,目可瞻馬。仲尼之狀,面如蒙倛。周公之狀,身如斷菑。皋陶之狀,色如削瓜。閎夭之狀,面無見膚。傅說之狀,身如植鰭。伊尹之狀,面無須麋。禹跳湯偏。堯舜參牟子。從者將論志意,比類文學邪?直將差長短,辨美惡,而相欺傲邪?

帝堯は高く、帝舜は矮い。文王は高く、周公は矮い。仲尼は高く、子弓は矮い。昔衛の霊公に臣の公孫呂あり。身の長さ七尺、面の長さ三尺、額の広さ三寸、鼻目耳皆具われど、名声は天下を震動す。楚の孫叔敖は期思の鄙人で、髪は短く秃げ、左手は長く、身材は軒較の下に在りしかど、楚をして覇を成さしめた。葉公子高は微小矮瘦にして、歩くこと衣を支えられざらんとするがごとし。白公乱を為し、令尹子西・司馬子期皆死せり。葉公子高入りて楚を據り、白公を誅殺し楚国を安定す。手を反すがごときのみ。仁義功名は後世に称善せり。だから事に対して長短を揣度せず、大小を度量せず、軽重を称量せず、また志向を見るのみ。長短大小・美悪の形相は、何ぞ論ずるに足らん。況んや徐偃王の形状は、目は馬を見るべし。仲尼の形状は、面は蒙ぎの仮面のごとし。周公の形状は、身は断折の枯木のごとし。皐陶の形状は、臉色は削りたる瓜のごとし。閎夭の形状は、面上肌膚を見ず。傅説の形状は、身は竪てたる鰭のごとし。伊尹の形状は、面上須眉なし。禹は跛脚し、湯は半身偏枯す。堯舜は重瞳あり。従う者は志向を論じ文学を比類せんとするか、それともただ長短を比べ美悪を辨えて、互いに欺傲せんとするか。

古者桀紂長巨姣美,天下之傑也。筋力越勁,百人之敵也,然而身死國亡,為天下大僇,後世言惡,則必稽焉。是非容貌之患也,聞見之不眾,議論之卑爾。今世俗之亂君,鄉曲之儇子,莫不美麗姚冶,奇衣婦飾,血氣態度擬於女子;婦人莫不願得以為夫,處女莫不願得以為士,棄其親家而欲奔之者,比肩並起;然而中君羞以為臣,中父羞以為子,中兄羞以為弟,中人羞以為友;俄則束乎有司,而戮乎大市,莫不呼天啼哭,苦傷其今,而後悔其始,是非容貌之患也,聞見之不眾,議論之卑爾!然則,從者將孰可也!

古に桀紂は高大姣美にして、天下の杰出者なり。筋力敏捷強勁にして、百人の敵手なり。しかるに身死し国亡び、天下の大恥辱と為る。後世悪を説くや必ず彼らを稽考す。これは容貌の禍患にあらず、聞見広からず議論卑下なるのみ。今世俗の乱君、郷里の軽薄子弟は、美麗妖冶ならざるなし。奇異の衣服、婦人の妝飾、血気態度は女子に比擬す。婦人は彼を得て夫と為さんと願わざるなし、処女は彼を得て士と為さんと願わざるなし。親家を棄てて彼に投奔せんと欲する者は比肩并起す。しかるに中等の君主は彼を臣と為すを羞じ、中等の父は彼を子と為すを羞じ、中等の兄は彼を弟と為すを羞じ、中等の人は彼を友と為すを羞じる。久しからずして有司に捆绑せられ、大市に戮せられ、天を呼び啼哭し、今日を苦傷して初めを後悔せざるなし。これは容貌の禍患にあらず、聞見広からず議論卑下なるのみ。然らば従う者はどれを以て可とせん。

人有三不祥:幼而不肯事長,賤而不肯事貴,不肖而不肯事賢,是人之三不祥也。人有三必窮:為上則不能愛下,為下則好非其上,是人之一必窮也;鄉則不若,偝則謾之,是人之二必窮也;知行淺薄,曲直有以相縣矣,然而仁人不能推,知士不能明,是人之三必窮也。--人有此三數行者,以為上則必危,為下則必滅。詩曰:"雨雪瀌瀌,宴然聿消,莫肯下隧,式居屢驕。"此之謂也。

人に三つの不祥あり。年幼にして長上に事えるを肯んぜず、低賤にして尊貴に事えるを肯んぜず、不肖にして賢人に事えるを肯んぜず。これは人の三つの不祥である。人に三つの必窮あり。上を為して下を愛すること能わず、下を為して上を非議するを好む。これは人の第一の必窮である。面は人に如かずして、背は彼を毀謗す。これは人の第二の必窮である。知行浅薄にして曲直已にこれに因りて相差る。しかるに仁人を推挙すること能わず、智士を顕明すること能わず。これは人の第三の必窮である。――人にこれらの德行あれば、上を為れば必ず危うく、下を為れば必ず亡ぶ。『詩経・小雅・角弓』に言う。「雨雪は紛紛たり、太陽出でれば消融す。降りて相随うを肯んぜず、安居して屡々驕傲なり」と。これを言うのである。

人之所以為人者何已也?曰:以其有辨也。飢而欲食,寒而欲暖,勞而欲息,好利而惡害,是人之所生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。然則人之所以為人者,非特以二足而無毛也,以其有辨也。今夫狌狌形狀亦二足而無毛也,然而君子啜其羹,食其胾。故人之所以為人者,非特以其二足而無毛也,以其有辨也。夫禽獸有父子,而無父子之親,有牝牡而無男女之別。故人道莫不有辨。

人の人たる所以は何を以てするか。曰く、分辯あるを以てす。飢えれば食を欲し、寒ければ暖を欲し、労すれば息を欲し、利を好み害を悪むは、人生まれて有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。然らば人の人たる所以は、ただ両足ありて毛なきに因るのみにあらず、分辯有るに因る。今猩猩の形状もまた両足ありて毛なし。しかるに君子はその羹を啜りその肉を食う。だから人の人たる所以は、両足ありて毛なきに因るのみにあらず、分辯有るに因る。あの禽獣は父子有れど父子の親なく、牝牡有れど男女の別なし。だから人道は分辯なきなし。

辨莫大於分,分莫大於禮,禮莫大於聖王;聖王有百,吾孰法焉?曰:文久而滅,節族久而絕,守法數之有司,極禮而褫。故曰:欲觀聖王之跡,則於其粲然者矣,后王是也。彼后王者,天下之君也;舍后王而道上古,譬之是猶捨己之君,而事人之君也。故曰:欲觀千歲,則數今日;欲知億萬,則審一二;欲知上世,則審周道;欲審周道,則審其人所貴君子。故曰:以近知遠,以一知萬,以微知明,此之謂也。

分辯は分際より大なるなく、分際は礼より大なるなく、礼は聖王より大なるなし。聖王は百あり、我はどれに取法せん。曰く、文彩は久しければ滅び、節奏は久しければ絶え、法数を守る有司は、礼極まれば褫奪せらる。だから言う。聖王の事跡を観んと欲せば、その鮮明なるを観よ。即ち後王である。あの後王は天下の君なり。後王を捨てて上古を称道するは、己の君を捨てて人の君に事えるがごとし。だから言う。千年を観んと欲せば今日を数えよ、億万を知らんと欲せば一二を審察せよ、上世を知らんと欲せば周の道を審察せよ、周の道を審察せんと欲せばその人の重んずる君子を審察せよ。だから言う。近を以て遠を知り、一を以て万を知り、微を以て明を知る。これを言うのである。

夫妄人曰:"古今異情,其所以治亂者異道。"而眾人惑焉。彼眾人者,愚而無說,陋而無度者也。其所見焉,猶可欺也,而況於千世之傳也?妄人者,門庭之間,猶可誣欺也,而況於千世之上乎?聖人何以不可欺?曰:聖人者,以己度者也。故以人度人,以情度情,以類度類,以說度功,以道觀盡,古今一也。類不悖,雖久同理,故鄉乎邪曲而不迷,觀乎雜物而不惑,以此度之。五帝之外無傳人,非無賢人也,久故也。五帝之中無傳政,非無善政也,久故也。禹湯有傳政而不若周之察也,非無善政也,久故也。傳者久則論略,近則論詳,略則舉大,詳則舉小。愚者聞其略而不知其詳,聞其詳而不知其大也。是以文久而滅,節族久而絕。

あの妄人は言う。「古今の情形は同じからず、それらの治乱する所以の道もまた同じからず」と。衆人はこれに迷惑す。あの衆人は愚昧にして解説なく、固陋にして法度なき者である。彼らの親く見た所すら欺くべき、況んや千年の伝聞をや。妄人は門庭の間すら誣骗すべき、況んや千年の上をや。聖人は何ゆえ欺かるべからざるか。曰く、聖人は己を以て度る者なり。だから人を以て人を度り、情を以て情を度り、類を以て類を度り、学説を以て功業を度り、道を以て窮尽を観る。古今は一つの事である。類は悖乱せず、たとえ久しくとも理は同じ。それゆえ邪曲に面向して迷わず、雑物を観て惑わず。これを以て度るのである。五帝の外に伝わる人なきは、賢人なきにあらず、久しき故なり。五帝の中に伝わる政なきは、善政なきにあらず、久しき故なり。禹湯に伝わる政ありて周の詳察に如かざるは、善政なきにあらず、久しき故なり。伝聞久しければ論説は簡略となり、近ければ論説は詳備となる。簡略なれば大を挙げ、詳備なれば小を挙ぐ。愚なる者は簡略を聞きて詳備を知らず、詳備を聞きて大を知らず。それゆえ文彩は久しければ滅び、節奏は久しければ絶ゆ。

凡言不合先王,不順禮義,謂之奸言;雖辯,君子不聽。法先王,順禮義,黨學者,然而不好言,不樂言,則必非誠士也。故君子之於言也,志好之,行安之,樂言之,故君子必辯。凡人莫不好言其所善,而君子為甚。故贈人以言,重於金石珠玉;觀人以言,美於黼黻文章;聽人以言,樂於鐘鼓琴瑟。故君子之於言無厭。鄙夫反是:好其實不恤其文,是以終身不免埤汙傭俗。故易曰:"括囊無咎無譽。"腐儒之謂也。

およそ言論の先王に合せず礼義に順わざるを奸言という。たとえ善弁でも君子は聴かず。先王に取法し礼義に順い学者に親しむも、言説を好まず言説を楽しまざれば、必ず誠士にあらず。だから君子は言説に対し、心これを好み、行これに安んじ、楽しんでこれを説く。それゆえ君子は必ず辨す。凡人はその善と為す所を説くを好まざるなし。君子はなお甚だし。だから言を以て人に贈るは金石珠玉より重く、言辞を以て人に観せるは黼黻文章より美しく、言を以て人に聴かせるは鐘鼓琴瑟より楽し。だから君子は言説に対し厭倦なし。鄙夫はこれに反す。実質を好みて文彩を顧みず。それゆえ終身卑污庸俗を免れず。だから『周易』に言う。「囊を括む、咎なく誉なし」と。腐儒を言うのである。

凡說之難,以至高遇至卑,以至治接至亂。未可直至也,遠舉則病繆,近世則病傭。善者於是間也,亦必遠舉而不繆,近世而不傭,與時遷徙,與世偃仰,緩急嬴絀,府然若渠匽檃栝之於己也。曲得所謂焉,然而不折傷。故君子之度己則以繩,接人則用抴。度己以繩,故足以為天下法則矣;接人用抴,故能寬容,因眾以成天下之大事矣。故君子賢而能容罷,知而能容愚,博而能容淺,粹而能容雜,夫是之謂兼術。詩曰:"徐方既同,天子之功。"此之謂也。

およそ游説の難きは、至高を以て至卑に遇い、至治を以て至乱に接するである。直接到達すべからず。遠く上古を挙げれば謬誤に病み、近く近世を挙げれば庸俗に病む。游説に善き者はこの中間に在りても、必ず遠く挙げて謬誤せず、近く挙げて庸俗せず、時勢に随って遷徙し、世俗に随って俯仰し、緩急伸屈し、渠堰・檃栝の己に対するがごとく贴合し、曲折して説く所を得て、然るに折傷せず。だから君子は己を度量するに墨縄を用い、人を接待するに舟楫を以て引導す。墨縄を以て己を度量すれば、それゆえ天下の法則を為すに足る。引導を以て人を接待すれば、それゆえ寛容して衆人を凭借して天下の大事を成就することができる。だから君子は賢にして疲弱を容れ、智にして愚を容れ、博にして浅を容れ、純粋にして駁雑を容る。これを兼術という。『詩経・大雅・常武』に言う。「徐方已に会同せり、天子の功なり」と。これを言うのである。

談說之術:矜莊以蒞之,端誠以處之,堅強以持之,譬稱以喻之,分別以明之,欣驩芬薌以送之,寶之,珍之,貴之,神之。如是則說常無不受。雖不說人,人莫不貴。夫是之謂為能貴其所貴。傳曰:"唯君子為能貴其所貴。"此之謂也。

談説の術――矜庄を以て臨対し、端誠を以て身を処し、堅強を以て持守し、譬喻称引を以て曉喻し、分別を以て顕明にし、欣喜芬芳を以て送出し、これを宝し、これを惜しみ、これを重んじ、これを神化す。かくのごとくすれば游説は常に受けられざるなし。たとえ人を説得せずとも、人は重んざらざるなし。これをその重んずる所を重んずること能くするという。伝記に言う。「君子のみその重んずる所を重んずること能くす」と。これを言うのである。

君子必辯。凡人莫不好言其所善,而君子為甚焉。是以小人辯言險,而君子辯言仁也。言而非仁之中也,則其言不若其默也,其辯不若其吶也。言而仁之中也,則好言者上矣,不好言者下也。故仁言大矣:起於上所以道於下,政令是也;起於下所以忠於上,謀救是也。故君子之行仁也無厭、志好之、行安之,樂言之;故言君子必辯。小辯不如見端,見端不如見本分。小辯而察,見端而明,本分而理;聖人士君子之分具矣。有小人之辯者,有士君子之辯者,有聖人之辯者:不先慮,不早謀,發之而當,成文而類,居錯遷徙,應變不窮,是聖人之辯者也。先慮之,早謀之,斯須之言而足聽,文而致實,博而黨正,是士君子之辯者也。聽其言則辭辯而無統,用其身則多詐而無功,上不足以順明王,下不足以和齊百姓,然而口舌之均,應唯則節,足以為奇偉偃卻之屬,夫是之謂奸人之雄。聖王起,所以先誅也,然後盜賊次之。盜賊得變,此不得變也。

君子は必ず辨す。凡人はその善と為す所を説くを好まざるなし。君子はなお甚だし。それゆえ小人は険悪を辨説し、君子は仁を辨説す。言論もし仁の中にあらざれば、彼の言うは沈黙に如かず、彼の善弁は吃に如かず。言論もし仁の中にあれば、説くを好むは上に在り、説くを好まざるは下に在り。だから仁の言論は大きい。上より興りて下を引導するは政令であり、下より興りて上に忠なるは謀救である。だから君子は仁を行うに厭倦なし。心これを好み、行これに安んじ、楽しんでこれを説く。それゆえ君子は必ず辨すという。小さき辨説は端緒を見るに如かず、端緒を見るは本分を見るに如かず。小さき辨説にして明察、端緒を見て顕明、本分にして条理あり。聖人・士君子の分際は具わる。小人の辨あり、士君子の辨あり、聖人の辨あり。先だって慮らず、早めに謀らず、発すれば恰当、文を成して類推し、措置遷徙し、変に応じて窮まりなし。これは聖人の辨である。先だってこれを慮り、早めにこれを謀り、片刻の言も聴くに足り、文ありて実に帰り、広博にして正直。これは士君子の辨である。その言を聴けば言辞善弁にして統紀なく、その身を用いれば欺詐多くして功なく、上は明王に順うに足らず、下は百姓を和斉するに足らず。しかるに口舌調匀にして応対唯喏に節あり、奇偉偃蹇の類を為すに足る。これを奸人の中の雄傑という。聖王興れば、まずこの種の人を誅殺して、然る後に盗賊はその次である。盗賊はなお改変すべきも、こういう人は改変すべからず。

非十二子篇第六

假今之世,飾邪說,文奸言,以梟亂天下,矞宇嵬瑣使天下混然不知是非治亂之所在者,有人矣。

今の世、邪説を文飾し、奸言を粉飾して天下を撓乱し、詭詐瑣碎にして天下を混然として是非治乱の在る所を知らしめざる者は、已にこのような人あり。

縱情性,安恣孳,禽獸行,不足以合文通治;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾;是它囂魏牟也。

情性を放縦し、恣肆に安んじ、禽獣の行いにして、文に合し治に通ずるに足らず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは它嚣・魏牟である。

忍情性,綦谿利跂,苟以分異人為高,不足以合大眾,明大分,然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是陳仲史也。

情性を抑制し、極めて深く人を離れ、跂きて人と異なるを顯し、苟且に人と別れるを以て高しと為す。大衆を会合し大分を顯明にするに足らず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは陳仲・史鰌(底本この字は生僻字、転写後に失落)である。

不知壹天下建國家之權稱,上功用,大儉約,而僈差等,曾不足以容辨異,縣君臣;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是墨翟宋鈃也。

天下を統一し国家を建立する権衡を知らず、功用を崇尚し、大いに倹約して差等を慢する。竟に差異を容れ君臣を分別するに足らず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは墨翟・宋鈃である。

尚法而無法,下修而好作,上則取聽於上,下則取從於俗,終日言成文典,反紃察之,則倜然無所歸宿,不可以經國定分;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是慎到田駢也。

法を尚びて法なく、修为を貶めて創作を好み、上に於ては上を聴取し、下に於ては世俗に従う。終日言して文典を成すも、反ってこれを循察すれば超然として帰宿なく、国家を経営し分際を定むべからず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは慎到・田駢である。

不法先王,不是禮義,而好治怪說,玩琦辭,甚察而不惠,辯而無用,多事而寡功,不可以為治綱紀;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾;是惠施鄧析也。

先王に取法せず、礼義を是とせず、而るに怪説を整治し奇辞を玩弄するを好む。甚だ明察なれど順わず、善弁なれど用なく、事多くして功少なく、以て治の綱紀を為すべからず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは恵施・鄧析である。

略法先王而不知其統,猶然而猶材劇志大,聞見雜博。案往舊造說,謂之五行,甚僻違而無類,幽隱而無說,閉約而無解。案飾其辭,而只敬之,曰:此真先君子之言也。子思唱之,孟軻和之。世俗之溝猶瞀儒、嚾嚾然不知其所非也,遂受而傳之,以為仲尼子弓為茲厚於後世:是則子思孟軻之罪也。

粗略先王に取法してその統紀を知らず、還ってこのように材多く志大きく、聞見雑博なり。往旧に就いて学説を造り、之を五行という。甚だ邪僻背理にして類なく、幽隠にして解説なく、閉塞簡約にして解釈なし。その言辞を文飾するに就いて、而もこれを敬するのみ。曰く、これ真に先君子の言なりと。子思これを唱導し、孟軻これに応和す。世俗のあの愚昧の儒者は、喧喧然として彼らの非なるを知らず、すなわち受けて伝授し、仲尼・子弓これに因りて後世に重んぜられたりと為す。これが子思・孟軻の罪である。

若夫總方略,齊言行,壹統類,而群天下之英傑,而告之以大古,教之以至順,奧窔之間,簟席之上,斂然聖王之文章具焉,佛然平世之俗起焉,六說者不能入也,十二子者不能親也。無置錐之地,而王公不能與之爭名,在一大夫之位,則一君不能獨畜,一國不能獨容,成名況乎諸侯,莫不願以為臣,是聖人之不得埶者也,仲尼子弓是也。一天下,財萬物,長養人民,兼利天下,通達之屬莫不從服,六說者立息,十二子者遷化,則聖人之得埶者,舜禹是也。

至りて方略を総括し、言行を斉一にし、統類を統一して、天下の英傑を会合し、彼らに遠古を告げ、彼らに至順を教う。室奥簟席の上に在りて、収斂の間に聖王の文章は具わり、勃然として治平の世の習俗は興り、六家の学説は入ること能わず、十二子は親しむこと能わず。錐を立つる地なくして、王公も彼と名を争うこと能わず。一夫の大夫の位に在れば、一君も独り畜うこと能わず、一国も独り容るること能わず。成名は諸侯に比況し、彼を臣と為さんと願わざるなし。これは聖人の権勢を得ざる者、仲尼・子弓がこれである。天下を統一し、万物を裁成し、人民を長養し、天下を兼ねて利し、通達する所は従服せざるなし。六家の学説はたちまち止息し、十二子は迁化す。あれは聖人の権勢を得たる者、舜禹がこれである。

今夫仁人也,將何務哉?上則法舜禹之制,下則法仲尼子弓之義,以務息十二子之說。如是則天下之害除,仁人之事畢,聖王之跡著矣。

今仁人は何を務め求めんとするか。上は舜禹の制度に取法し、下は仲尼・子弓の義に取法して、以て十二子の学説を止息せしむるを務め求める。かくのごとくすれば天下の害は除かれ、仁人の事は畢わり、聖王の事跡は著わるるのである。

信信、信也,疑疑、亦信也。貴賢、仁也,賤不肖、亦仁也。言而當、知也,默而當,亦知也,故知默猶知言也。故多言而類,聖人也;少言而法,君子也;多言無法,而流湎然,雖辯,小人也。故勞力而不當民務,謂之奸事,勞知而不律先王,謂之奸心;辯說譬諭,齊給便利,而不順禮義,謂之奸說。此三奸者,聖王之所禁也。知而險,賊而神,為詐而巧,言無用而辯,辯不惠而察,治之大殃也。行闢而堅,飾非而好,玩奸而澤,言辯而逆,古之大禁也。知而無法,勇而無憚,察辯而操僻,淫大而用之,好奸而與眾,利足而迷,負石而墜,是天下之所棄也。

信ずべきを信ずるは信であり、疑うべきを疑うもまた信である。賢人を重んずるは仁であり、不肖を賤しむもまた仁である。言して恰当なるは知であり、黙して恰当なるもまた知である。だから黙を知るは言を知るがごとし。それゆえ言多くして能く類するは聖人、言少なくして法あるは君子、言多くして法なく、沈湎の状あるは、たとえ善弁でも小人である。だから力を労して民事に合せざるを奸事といい、智を労して先王に取法せざるを奸心といい、辨説譬喻して敏捷便利なれど礼義に順わざるを奸説という。この三つの奸は、聖王の禁ずる所である。智にして険険、賊害にして神妙、詐を為して巧く、言論用なくして善弁、辨説順わずして明察は、治の大殃である。行い邪僻にして堅く、過ちを文飾して美しく、奸を玩弄して潤沢、言論善弁にして理に背くは、古の大禁である。智にして法なく、勇にして忌憚なく、明察善弁にして操守邪僻、淫侈にして任用を加え、奸を好みて党与衆多、腿脚疾くして迷路し、石を背負いて墜落すは、天下の棄てる所である。

兼服天下之心:高上尊貴,不以驕人;聰明聖知,不以窮人;齊給速通,不爭先人;剛毅勇敢,不以傷人;不知則問,不能則學,雖能必讓,然後為德。遇君則修臣下之義,遇鄉則修長幼之義,遇長則修子弟之義,遇友則修禮節辭讓之義,遇賤而少者,則修告導寬容之義。無不愛也,無不敬也,無與人爭也,恢然如天地之苞萬物。如是,則賢者貴之,不肖者親之;如是,而不服者,則可謂訞怪狡猾之人矣,雖則子弟之中,刑及之而宜。詩云:"匪上帝不時,殷不用舊;雖無老成人,尚有典刑;曾是莫聽,大命以傾。"此之謂也。

天下の心を兼ね服する――高上尊貴にして、これを以て人に驕らず。聡明聖智にして、これを以て人を窮せしめず。敏捷迅速通達にして、人と先を争わず。剛毅勇敢にして、これを以て人を傷つけず。知らざれば問い、能わざれば学び、たとえ能くとも必ず謙譲して後に徳と為る。君主に遇えば臣下の義を修め、郷里に遇えば長幼の義を修め、長上に遇えば子弟の義を修め、朋友に遇えば礼節辞譲の義を修め、低賤にして年少の者に遇えば、告導寛容の義を修む。愛せざるなく、敬せざるなく、人と争うことなし。恢廓として天地の万物を包裹するがごとし。かくのごとくなれば、賢なる者は彼を重んじ、不肖なる者は彼に親しむ。かくのごとくしてなお服せざるは、以て妖怪狡猾の人と言うべし。たとえ子弟の中に在りても、刑罰を彼に加えるは宜しし。『詩経・大雅・蕩』に言う。「上帝の不善にあらず、殷は旧法を用いず。たとえ老成人なくとも、なお典刑あり。竟にこれを聴かざれば、大命これに因りて傾覆す」と。これを言うのである。

古之所謂仕士者,厚敦者也,合群者也,樂富貴者也,樂分施者也,遠罪過者也,務事理者也,羞獨富者也。今之所謂仕士者,汙漫者也,賊亂者也,恣孳者也,貪利者也;觸抵者也,無禮義而唯權埶之嗜者也。

古のいわゆる仕士は、敦厚の人であり、群體を会合する人であり、正当の富貴を楽しむ人であり、分施を楽しむ人であり、罪過を遠ざける人であり、事理を務め求める人であり、独り富むを以て羞と為す人である。今のいわゆる仕士は、污漫の人であり、賊乱の人であり、恣肆の人であり、貪利の人であり、抵触の人であり、礼義なくしてただ権勢を嗜む人である。

古之所謂處士者,德盛者也,能靜者也,修正者也,知命者也,箸是者也。今之所謂處士者,無能而云能者也,無知而云知者也,利心無足,而佯無慾者也,行偽險穢,而強高言謹愨者也,以不俗為俗,離縱而跂訾者也。

古のいわゆる処士は��徳盛の人であり、能く静なる人であり、修正の人であり、命を知る人であり、是を顯明にする人である。今のいわゆる処士は、才能なくして才能有りと称する人であり、知識なくして知識有りと称する人であり、利心満足せずして無欲を装う人であり、行い虚偽険穢にして強いて謹愨を高談する人であり、世俗に異なるを以て世俗と為し、正道を離れて跂きて自ら異と為す人である。

士君子之所能不能為:君子能為可貴,而不能使人必貴己;能為可信,而不能使人必信己;能為可用,而不能使人必用己。故君子恥不修,不恥見汙;恥不信,不恥不見信;恥不能,不恥不見用。是以不誘於譽,不恐於誹,率道而行,端然正己,不為物傾側:夫是之謂誠君子。詩云:"溫溫恭人,維德之基。"此之謂也。

士君子の能くすると能くせざる所――君子は貴ぶべきを能くするも、人に必ず己を重んぜしむること能わず。信ずべきを能くするも、人に必ず己を信ぜしむること能わず。用うべきを能くするも、人に必ず己を任用せしむること能わず。だから君子は修せざるを以て恥と為し、污せらるるを以て恥と為さず。信ならざるを以て恥と為し、信ぜられざるを以て恥と為さず。能あらざるを以て恥と為し、任用せられざるを以て恥と為さず。それゆえ名誉に誘引せられず、誹謗に恐嚇せられず、道に循いて行い、端然として己を端正し、外物に傾側せられず。これを誠君子という。『詩経・大雅・抑』に言う。「温恭の人は、徳の基なり」と。これを言うのである。

士君子之容:其冠進,其衣逢,其容良;儼然,壯然,祺然,蕼然,恢恢然,廣廣然,昭昭然,蕩蕩然-是父兄之容也。其冠進,其衣逢,其容愨;儉然,恀然,輔然,端然,訾然,洞然,綴綴然,瞀瞀然--是子弟之容也。

士君子の容貌――冠は高く、衣は寛大、面容は和善。荘厳の状、壮盛の状、安詳の状、寛舒の状、恢廓の状、広大の状、昭明の状、坦荡の状。これは父兄の容貌である。冠は高く、衣は寛大、面容は端謹。謙倹の状、柔順の状、親附の状、端正の状、審慎の状、恭敬の状、追随の状、柔和の状。これは子弟の容貌である。

吾語汝學者之嵬容:其冠絻,其纓禁緩,其容簡連;填填然,狄狄然,莫莫然,瞡瞡然,瞿瞿然,儘儘然,盱盱然;酒食聲色之中,則瞞瞞然,瞑瞑然;禮節之中,則疾疾然,訾訾然;勞苦事業之中,則儢儢然,離離然,偷儒而罔,無廉恥而忍謑詬--是學者之嵬也。

我が汝に学者の怪異の容貌を告げん。冠は低俯し、帽纓衣帯は松緩、面容は傲慢。自満の状、跳躍の状、冷漠の状、窺視の状、張皇の状、消沉の状、眼を睜きて直視する状。酒食声色の中に在れば、沉迷の状、昏昧の状。礼節の中に在れば、憎疾の状、詆毀の状。労苦事業の中に在れば、懈怠の状、離散の状。偷懒懦弱にして定準なく、廉恥なくして詬罵を忍ぶ。これは学者の怪異である。

弟陀其冠,衶禫其辭,禹行而舜趨:是子張氏之賤儒也。正其衣冠,齊其顏色,嗛然而終日不言、是子夏氏之賤儒也。偷儒憚事,無廉恥而耆飲食,必曰君子固不用力:是子游氏之賤儒也。彼君子則不然:佚而不惰,勞而不僈,宗原應變,曲得其宜,如是然後聖人也。

冠は頽唐、言辞は淡薄、禹の走法を模倣し舜の趨歩を模倣す。これは子張氏の賤儒である。衣冠を端正し、臉色を斉整し、謙退して終日言わず。これは子夏氏の賤儒である。偷懒懦弱して事を怕れ、廉恥なくして飲食を嗜み、必ず君子はもとより力を用いずと説く。これは子游氏の賤儒である。あの君子は然らず。安逸にして怠惰せず、労苦にして怠慢せず、本原を宗守して変化に応対し、曲折して皆宜しきを得る。かくのごとくして後に聖人となる。

仲尼篇第七

仲尼之門,五尺之豎子,言羞稱乎五伯。是何也?曰:然!彼誠可羞稱也。齊桓五伯之盛者也,前事則殺兄而爭國;內行則姑姊妹之不嫁者七人,閨門之內,般樂奢汏,以齊之分奉之而不足;外事則詐邾襲莒,並國三十五。--其事行也若是其險汙淫汏也。彼固曷足稱乎大君子之門哉!

仲尼の門下は、五尺の童子も、言って五伯を称し道うを羞じる。これは何ゆえか。曰く、然り。彼らは誠に称し道うを羞じるべし。斉桓公は五伯の中の興盛者なり。昔の事は兄を殺して国を争奪せり。内行は姑姉妹嫁がざる七人あり、閨門の内、逸楽奢侈して、斉の半を以て彼を供奉してなお足らず。外の事は邾を欺詐し莒を襲撃し、国家を呑併する三十五あり。――その事行はかくのごとく険污淫侈なり。彼らはもとよりどうして大君子の門下に称し道わるるに足ら��。

若是而不亡,乃霸,何也?曰:於乎!夫齊桓公有天下之大節焉,夫孰能亡之?倓然見管仲之能足以托國也,是天下之大知也。安忘其怒,出忘其讎,遂立為仲父,是天下之大決也。立以為仲父,而貴戚莫之敢妒也;與之高國之位,而本朝之臣莫之敢惡也;與之書社三百,而富人莫之敢距也;貴賤長少,秩秩焉,莫不從桓公而貴敬之,是天下之大節也。諸侯有一節如是,則莫之能亡也;桓公兼此數節者而盡有之,夫又何可亡也!其霸也,宜哉!非幸也,數也。

かくのごとくして亡びず、竟に覇を称すは、何ゆえか。曰く、嗚呼。あの斉桓公に天下の大節あり、誰か彼を亡ぼさん。恬然として管仲の才が以て国家を託すに足るを看出す。これは天下の大智である。ここにその怒りを忘れ、出でてその仇を忘れ、ここに立てて仲父と為す。これは天下の大決断である。彼を立てて仲父と為すに、貴戚嫉妬敢えてするなし。彼に高氏・国氏の位を与うるに、本朝の臣悪む敢えてするなし。彼に書社三百を与うるに、富人抗拒敢えてするなし。貴賤長少、秩秩然として、桓公に従い彼を貴敬せざるなし。これは天下の大節である。諸侯に一節かくのごときあれば、彼を亡ぼすこと能わず。桓公は兼ねてこれらの節を有して全く有す。またどうして亡びん。彼の覇を称すは、宜なるかな。僥倖にあらず、数なり。

然而仲尼之門,五尺之豎子,言羞稱五伯,是何也?曰:然!彼非本政教也,非致隆高也,非綦文理也,非服人之心也。鄉方略,審勞佚,畜積修鬥,而能顛倒其敵者也。詐心以勝矣。彼以讓飾爭,依乎仁而蹈利者也,小人之傑也,彼固曷足稱乎大君子之門哉!

然るに仲尼の門下は、五尺の童子も言って五伯を称し道うを羞じるは、何ゆえか。曰く、然り。彼らは政教に本づかず、崇高を極致に推さず、文理を極致に推さず、人心を服せしめず。ただ方略に趨り、労逸を審察し、畜積し、戦闘を修習して、その敵を顛倒すること能くすのみ。詐心を以て勝を取ったのである。彼らは争奪を謙譲を以て文飾し、仁に依傍して利を踏むは、小人の中の杰出者である。彼らはもとよりどうして大君子の門下に称し道わるるに足らん。

彼王者則不然:致賢而能以救不肖,致強而能以寬弱,戰必能殆之而羞與之鬥,委然成文,以示之天下,而暴國安自化矣。有災繆者,然後誅之。故聖王之誅也綦省矣。文王誅四,武王誅二,周公卒業,至於成王,則安以無誅矣。故道豈不行矣哉!文王載百里地,而天下一;桀紂舍之,厚於有天下之埶,而不得以匹夫老。故善用之,則百里之國足以獨立矣;不善用之,則楚六千里而為讎人役。故人主不務得道,而廣有其埶,是其所以危也。

あの王者は然らず。賢極まりて不肖を救済するに用い、強極まりて弱を寛容するに用い、戦えば必ず相手を危殆にすることができて彼と争闘するを羞じ、文彩ありて文徳を成し、以て天下に明示すれば、暴国は自ら化する。禍害謬誤ある者を然る後に誅殺す。だから聖王の誅殺は極めて少ない。文王は四人を誅殺し、武王は二人を誅殺し、周公は事業を完成し、成王に至れば安然として誅殺なし。だから道は豈に行われざらんや。文王は百里の地を凭りて天下を一にす。桀紂はこれを捨て、天下の権勢を有するに厚くして、匹夫を以て終わること能わず。だからこれを善く用いれば百里の国も以て独立するに足り、これを善く用いなければ楚は六千里あっても仇人に役使せらる。だから人主が道を務め得ずして広く権勢を有するは、危殆の所以である。

持寵處位,終身不厭之術:主尊貴之,則恭敬而僔;主信愛之,則謹慎而嗛;主專任之,則拘守而詳:主安近之,則慎比而不邪;主疏遠之,則全一而不倍;主損絀之,則恐懼而不怨。貴而不為誇,信而不處謙,任重而不敢專。財利至,則善而不及也,必將盡辭讓之義,然後受。福事至則和而理,禍事至則靜而理。富則廣施,貧則用節。可貴可賤也,可富可貧也,可殺而不可使為奸也:是持寵處位終身不厭之術也。雖在貧窮徒處之埶,亦取象於是矣。夫是之謂吉人。詩云:"媚茲一人,應侯順德,永言孝思,昭哉嗣服。"此之謂也。

寵愛を持守し位に処りて、終身人を厭倦せしめざる術――君主が彼を尊貴すれば恭敬にして謙退し、君主が彼を信任愛すれば謹慎にして謙虚し、君主が彼を専任すれば拘守して周詳にし、君主が彼を安近すれば謹慎親比して邪せず、君主が彼を疏遠すれば専一にして背叛せず、君主が彼を貶退すれば恐懼して怨まず。貴くして夸誕せず、信ぜられて嫌疑に処らず、任重くして専擅敢えてせず。財利至れば、善を以て己に及ばざると為し、必ず辞譲の義を尽くして後に受く。福事至れば和諧して料理し、禍事至れば安静にして料理す。富めば広く施予し、貧すれば用度を節約す。貴くもすべく賤しくもすべく、富むべく貧すべく、殺すべしも彼に奸を為さしむべからず。これが寵愛を持守し位に処りて終身人を厭倦せしめざる術である。たとえ貧窮独処の勢に在りても、これに取法す。これを吉人という。『詩経・大雅・下武』に言う。「この一人を愛悦し、徳に順うべく、永く孝を思い、明らかに嗣ぎて事功を継ぐ」と。これを言うのである。

求善處大重,理任大事,擅寵於萬乘之國,必無後患之術,莫若好同之,援賢博施,除怨而無妨害人。能耐任之,則慎行此道也;能而不耐任,且恐失寵,則莫若早同之,推賢讓能,而安隨其後。如是,有寵則必榮,失寵則必無罪。是事君者之寶,而必無後患之術也。故知者之舉事也,滿則慮嗛,平則慮險,安則慮危,曲重其豫,猶恐及其禍,是以百舉而不陷也。孔子曰:"巧而好度,必節;勇而好同,必勝;知而好謙,必賢。"此之謂也。愚者反是:處重擅權,則好專事而妒賢能,抑有功而擠有罪,志驕盈而輕舊怨,以吝嗇而不行施,道乎上為重,招權於下以妨害人。雖欲無危,得乎哉!是以位尊則必危,任重則必廢,擅寵則必辱,可立而待也,可炊而竟也。是何也?則墮之者眾,而持之者寡矣。天下之行術,以事君則必通,以為仁則必聖,立隆而勿貳也。然後恭敬以先之,忠信以統之,慎謹以行之,端愨以守之,頓窮則從之疾力以申重之。君雖不知,無怨疾之心;功雖甚大,無伐德之色;省求多功,愛敬不倦;如是則常無不順矣。以事君則必通,以為仁則必聖,夫之謂天下之行術。

善く大位に処り、大事を担任し、万乗の国に寵愛を独擅して、必ず後患なき術は、会同を好むより善きはなし。賢人を援引し、広く施予し、怨恨を除去して人を妨害せず。能力勝任するに足れば、謹んでこの道を行う。能力あれど勝任するに足らず、かつ寵愛を失うを恐れれば、早く会同し、賢人を推挙し能者に譲りて、安然として後に従うに如かず。かくのごとくなれば、寵有れば必ず栄え、寵を失えば必ず罪なし。これは君主に事える者の宝物にして、また必ず後患なき術である。だから智者は事を挙げるに、満ちれば不足を慮り、平かなれば険を慮り、安ければ危を慮り、周遍して重ねて予備し、なお禍に及ぶを恐る。それゆえ百の挙動も陷ることなし。孔子は言う。「巧にして法度を好めば必ず節あり、勇にして会同を好めば必ず勝任し、智にして謙を好めば必ず賢なり」と。これを言うのである。愚なる者はこれに反す。重位に処り権力を独擅すれば、専擅行事を好みて賢能を嫉妬し、功ある者を抑制し罪ある者を排擠し、志は驕盈にして旧怨を軽んじ、吝嗇なるが故に施予を行わず、上に在って権重の路を行き、下に在って権力を招攬して人を妨害す。危うからざらんと欲するも、能く成らんや。それゆえ位尊ければ必ず危うく、任重ければ必ず廃壊し、寵愛を独擅すれば必ず辱められる。立ちて待つべく、一飯の工夫にして畢わるべし。これは何ゆえか。彼を毀堕する者多く、彼を扶持する者少なきが故なり。天下の通行の術――以て君主に事えれば必ず通達し、以て仁を為せば必ず聖なり。隆重を樹立して二心なし。然る後に恭敬を以て引導し、忠信を以て統領し、慎謹を以て実行し、端愨を以て持守す。困頓窮急すればこれに従い、力を尽くしてこれを申重す。君主たとえ知らずとも怨恨の心なく、功労たとえ大きくとも夸伐の神色なく、少なく求め多く功を立て、愛敬して厭倦せず。かくのごとくなれば常に順わざるなし。以て君主に事えれば必ず通達し、以て仁を為せば必ず聖なり。これを天下の通行の術という。

少事長,賤事貴,不肖事賢,是天下之通義也。有人也,埶不在人上,而羞為人下,是奸人之心也。志不免乎奸心,行不免乎奸道,而求有君子聖人之名,闢之,是猶伏而咶天,救經而引其足也。說必不行矣,俞務而俞遠。故君子時詘則詘,時伸則伸也。

年少の者は年長に事え、低賤の者は尊貴に事え、不肖の者は賢に事えるは、天下の通義である。このような人ありて、権勢人の上にあらざるに、人の下と為るを羞じるは、奸人の心である。志は奸心を免れず、行は奸道を免れずして、君子聖人の名を求むるは、趴きて天を舐め、縊れる人を救いてその脚を拉くがごとし。この説は必ず行われず、務め求むるほど越えて遠し。だから君子は時勢該に屈すれば屈し、時勢該に伸べば伸ぶ。

儒效篇第八

大儒之效:武王崩,成王幼,周公屏成王而及武王,以屬天下,惡天下之倍周也。履天子之籍,聽天下之斷,偃然如固有之,而天下不稱貪焉。殺管叔,虛殷國,而天下不稱戾焉。兼制天下,立七十一國,姬姓獨居五十三人,而天下不稱偏焉。教誨開導成王,使諭於道,而能揜跡於文武。周公歸周,反籍於成王,而天下不輟事周;然而周公北面而朝之。天子也者,不可以少當也,不可以假攝為也;能則天下歸之,不能則天下去之,是以周公屏成王而及武王,以屬天下,惡天下之離周也。成王冠,成人,周公歸周,反籍焉,明不滅主之義也。周公無天下矣;鄉有天下,今無天下,非擅也;成王鄉無天下,今有天下,非奪也;變埶次序節然也。故以枝代主而非越也;以弟誅兄而非暴也;君臣易位而非不順也。因天下之和,遂文武之業,明主枝之義,抑亦變化矣,天下厭然猶一也。非聖人莫之能為。夫是之謂大儒之效。

大儒の効験――武王崩じ、成王年幼し。周公は成王を屏けて武王に接続し、天下を繋維す。天下の周に叛くを悪むが故なり。天子の位を履み、天下を聴断す。安然としてもとより有するがごとくして、天下は彼を貪と称せず。管叔を殺し、殷国を空虚にせしむも、天下は彼を暴戻と称せず。天下を兼制し、七十一国を建立し、姫姓独り五十三人を占むるも、天下は彼を偏私と称せず。成王を教誨開導して、道に曉喻せしめ、文王・武王の事跡を承継すること能くす。周公は周の政権を帰還し、位を成王に返すも、天下は周に事えるを止めず。然るに周公は北面して彼に朝見す。天子は、年少を以て担当すべからず、仮代して攝行すべからず。能なれば天下は彼に帰し、能ならざれば天下は彼を離る。それゆえ周公は成王を屏けて武王に接続し、天下を繋維す。天下の周を離るるを悪むが故なり。成王冠礼を行い成人と為り、周公は周の政権を帰還し位を返すは、主を滅せざる義を明らかにするなり。周公は天下を有せず。昔は天下有り、今は天下なきは、禅譲にあらず。成王は昔は天下なく、今は天下有るは、奪取にあらず。権勢の変化・次序節度の然らしむるなり。だから旁支を以て主上に代るは僭越にあらず、弟を以て兄を誅殺するは暴にあらず、君臣位を交換するは順ならざるにあらず。天下の和を凭借し、文王・武王の事業を完成し、主と旁支の義を顯明にするは、亦た変化なり。天下安然としてなお一回事なり。聖人にあらざれば能くする者なし。これを大儒の効験という。

秦昭王問孫卿子曰:"儒無益於人之國。"

秦の昭王、孫卿子に問いて曰く、「儒は人の国家に益なし」と。

孫卿子曰:"儒者法先王,隆禮義,謹乎臣子而致貴其上者也。人主用之,則埶在本朝而宜;不用,則退編百姓而愨;必為順下矣。雖窮困凍餧,必不以邪道為貪。無置錐之地,而明於持社稷之大義。嘄呼而莫之能應,然而通乎財萬物,養百姓之經紀。埶在人上,則王公之材也;在人下,則社稷之臣,國君之寶也;雖隱於窮閻漏屋,人莫不貴之,道誠存也。

孫卿子曰く、「儒者は先王に取法し、礼義を尊崇し、慎んで臣子を為して極力その上を重んず。人主彼を任用すれば、権勢本朝に在りて宜しく、任用せざれば退きて百姓に編入して端謹。必ず順従の下民を為す。たとえ窮困凍餓すとも、必ず邪道を以て貪らず。錐を立つる地なくしても、社稷を持守するの大義に明なり。呼びて応和する能くするなきも、万物を裁成し百姓を養うの経紀に通達す。権勢人の上に在れば、すなわち王公の材。人の下に在れば、すなわち社稷の臣、国君の宝なり。たとえ窮巷漏屋に隠居すとも、人は重んざらざるなし。道実に存するが故なり」。

"仲尼將為司寇,沉猶氏不敢朝飲其羊,公慎氏出其妻,慎潰氏踰境而徙,魯之粥牛馬者不豫賈,修正以待之也。居於闕黨,闕黨之子弟罔不分,有親者取多,孝弟以化之也。儒者在本朝則美政,在下位則美俗。儒之為人下如是矣。"

「仲尼まさに司寇と為らんとするや、沈猶氏は羊に朝水を飲ませる敢えてせず、公慎氏はその妻を出し、慎潰氏は境を越えて遷走し、魯国の牛馬を売る者は虚価を擡げず。修正して彼を待つなり。闕党に住すれば、闕党の子弟は捕獲分配して親ある者は多く取る。孝悌を以て彼らを教化するなり。儒者は本朝に在れば政を美化し、下位に在れば俗を美化す。儒の人の下と為るはこのごとし」。

王曰:"然則其為人上何如?"

王曰く、「然らば彼の人の上と為るは如何」。

孫卿曰:"其為人上也,廣大矣!志意定乎內,禮節修乎朝,法則度量正乎官,忠信愛利形乎下。行一不義,殺一無罪,而得天下,不為也。此若義信乎人矣,通於四海,則天下應之如讙。是何也?則貴名白而天下治也。故近者歌謳而樂之,遠者竭蹶而趨之,四海之內若一家,通達之屬莫不從服。夫是之謂人師。詩曰:'自西自東,自南自北,無思不服。'此之謂也。夫其為人下也如彼,其為人上也如此,何謂其無益於人之國也!"

孫卿曰く、「彼の人の上と為るは、広大なり。志意は内里に安んじ、礼節は朝廷に修整し、法則度量は官府に端正し、忠信愛利は下に顕わる。一件の不義の事を為し、一人の罪なき者を殺して天下を得るとも、為さず。このような義は人に信ぜられ、四海に通達すれば、天下は喧嘩のごとく彼に応和す。これは何ゆえか。貴名顕白にして天下治まるが故なり。だから近き者は歌謳して彼を楽しみ、遠き者は力を竭くして趨走して来り、四海の内一家のごとく、通達する所は従服せざるなし。これを人師という。『詩経・大雅・文王有声』に言う。『西より東より、南より北より、服せざるを思うなし』と。これを言うのである。彼の人の下と為るは彼のごとく、人の上と為るはこのごとし。どうして彼が人の国家に益なしと言えんや」。

昭王曰:"善!"

昭王曰く、「善し」。

先王之道,人之隆也,比中而行之.曷謂中?曰:禮義是也.道者,非天之道,非地之道,人之所以道也,君子之所道也.君子之所謂賢者,非能遍能人之所能之謂也;君子之所謂知者,非能遍知人之所知之謂也;君子之所謂辯者,非能遍辯人之所辯之謂也;君子之所謂察者,非能遍察人之所察之謂也;有所止矣。相高下,視磽肥,序五種,君子不如農人;通貨財,相美惡,辯貴賤,君子不如賈人;設規矩,陳繩墨,便備用,君子不如工人;不恤是非然不然之情,以相薦樽,以相恥怍,君子不若惠施、鄧析。若夫譎德而定次,量能而授官,使賢不肖皆得其位,能不能皆得其官,萬物得其宜,事變得其應,慎墨不得進其談,惠施、鄧析不敢竄其察,言必當理,事必當務,是然後君子之所長也。

先王の道は、人の尊崇する所にして、中に比照してこれを行う。何を中と謂うか。曰く、礼義即ちこれ。道は、天の道にあらず、地の道にあらず、人の以て行う所にして、君子の行う所である。君子の謂うところの賢は、人の為し能く所を遍く為す能くの義にあらず。君子の謂うところの知は、人の知る所を遍く知る能くの義にあらず。君子の謂うところの辨は、人の辨る所を遍く辨ずる能くの義にあらず。君子の謂うところの察は、人の察する所を遍く察する能くの義にあらず。止まる所有るなり。高下を察看し、瘠肥を審視し、五种の谷物を序列するは、君子は農人に如かず。貨財を流通し、美悪を察看し、貴賤を辨別するは、君子は商人に如かず。規矩を設置し、繩墨を陳列し、便利備用するは、君子は工人に如かず。是非然不然の実情を顧みずして、互いに圧制し互いに恥愧せしむるは、君子は恵施・鄧析に如かず。至りて徳を評定して等次を排定し、才能を衡量して官職を授与し、賢と不肖をして皆位を得、能と不能をして皆官職を得せしめ、万物宜しきを得、事変応対を得るは、慎到・墨翟はその談説を推進すること能わず、恵施・鄧析は敢えてその察辨に窜入せず、言論は必ず理に合し、事は必ず当務に合す。これが然る後に君子の長ずる所である。

凡事行,有益於理者,立之;無益於理者,廢之。夫是之謂中事。凡知說,有益於理者,為之;無益於理者,舍之。夫是之謂中說。事行失中,謂之奸事;知說失中,謂之奸道。奸事、奸道,治世之所棄,而亂世之所從服也。若夫充虛之相施易也,"堅白""同異"之分隔也,是聰耳之所不能聽也,明目之所不能見也,辯士之所不能言也,雖有聖人之知,未能僂指也。不知無害為君子,知之無損為小人。工匠不知,無害為巧;君子不知,無害為治。王公好之則亂法,百姓好之則亂事。而狂惑戇陋之人,乃始率其群徒,辯其談說,明其闢稱,老身長子,不知惡也。夫是之謂上愚,曾不如相雞狗之可以為名也。詩曰:"為鬼為蜮,則不可得,有靦面目,視人罔極。作此好歌,以極反側。"此之謂也。

およそ事行は、理に益あるはこれを設立し、理に益なきはこれを廢する。これを中事という。およそ知説は、理に益あるはこれを為し、理に益なきはこれを捨棄す。これを中説という。事行中を失えば奸事といい、知説中を失えば奸道という。奸事・奸道は、治世の棄てる所にして、乱世の従服する所である。至りて虚実の互相移易、「堅白」「同異」の分隔は、聡耳の聴く能く所にあらず、明目の見る能く所にあらず、辨士の説く能く所にあらず。たとえ聖人の智ありとも、能く速やかに指説せず。知らざれば君子を為るを妨害せず、知れば小人を為るを減損せず。工匠は知らずとも巧を為るを妨げず、君子は知らずとも治を為るを妨げず。王公これを好めば法を乱り、百姓これを好めば事を乱る。而るに狂惑戆陋の人は、乃ちその群徒を率領し、その談説を辨説し、その譬称を顯明にして、身老いて子長ずるも、なお厭悪を知らず。これを上愚という。竟に鶏狗を相するにも如かず、なお成名すべし。『詩経・小雅・何人斯』に言う。「鬼と為り蜮と為れば、得ること能わず。面目ありて人に見え、人を視るに準則なし。この好歌を作して、以て反側を窮めん」と。これを言うのである。

我欲賤而貴,愚而智,貧而富,可乎?

我は賤より貴と為り、愚より智と為り、貧より富と為らんと欲す。可なりや。

曰:其唯學乎。彼學者,行之,曰士也;敦慕焉,君子也;知之,聖人也。上為聖人,下為士、君子,孰禁我哉!鄉也混然塗之人也,俄而並乎堯禹,豈不賤而貴矣哉!鄉也效門室之辨,混然曾不能決也,俄而原仁義,分是非,圓迴天下於掌上,而辯黑白,豈不愚而知矣哉!鄉也胥靡之人,俄而治天下之大器舉在此,豈不貧而富矣哉!今有人於此,屑然藏千溢之寶,雖行貣而食,人謂之富矣。彼寶也者,衣之不可衣也,食之不可食也,賣之不可僂售也,然而人謂之富,何也?豈不大富之器誠在此也?是杅杅亦富人已,豈不貧而富矣哉!故君子無爵而貴,無祿而富,不言而信,不怒而威,窮處而榮,獨居而樂!豈不至尊、至富、至重、至嚴之情舉積此哉!

曰く、おそらく学のみか。あの学ぶ者、これを実行するを士といい、敦勉して仰慕するを君子といい、これを知るを聖人という。上は聖人を為り、下は士・君子を為る。誰か我を禁ずること能わん。昔は混然として路途上の人、久しからずして堯禹に并列す。豈に賤より貴と為るにあらざらんや。昔は門室の分辯に效法して、混然として竟に決断する能わず。久しからずして仁義を推原し、是非を分別し、天下を手掌の上に円転して白黑を辨別す。豈に愚より智と為るにあらざらんや。昔は空無所有の人、久しからずして天下の大器を治むること皆ここに在り。豈に貧より富と為るにあらざらんや。今人ここにありて、瑣瑣然として千鎰の宝を蔵す。たとえ行乞して食に依るとも、人は彼を富と呼ぶ。あの宝物は、穿つこともできず、食うこともできず、売りても速やかに售出すこと能わず。然るに人は彼を富と呼ぶ。何ゆえか。豈に大富の器物実にここに在るにあらざらんや。これもまた富人なり。豈に貧より富と為るにあらざらんや。だから君子は爵なくして貴く、禄なくして富み、言わずして信ぜられ、怒らずして威あり、窮処して栄え、独居して楽しむ。豈に至尊・至富・至重・至厳の情皆ここに聚まるにあらざらんや。

故曰:貴名不可以比周爭也,不可以夸誕有也,不可以埶重脅也,必將誠此然後就也。爭之則失,讓之則至;遵道則積,夸誕則虛。故君子務修其內,而讓之於外;務積德於身,而處之以遵道。如是,則貴名起如日月,天下應之如雷霆。故曰:君子隱而顯,微而明,辭讓而勝。詩曰:"鶴鳴於九皋,聲聞於天。"此之謂也。鄙夫反是:比周而譽俞少,鄙爭而名俞辱,煩勞以求安利,其身俞危。詩曰:"民之無良,相怨一方,受爵不讓,至於己斯亡。"此之謂也。

だから言う。貴名は比周を以て争うべからず、夸誕を以て占有すべからず、権勢を以て脅迫すべからず。必ず真誠ここに在りて後に成る。これを争えば失い、これを譲れば至る。道に遵循すれば積累し、夸誕すれば空虚となる。だから君子は内に向かって修整を務め、外に在って謙譲す。徳を身に積累するを務め、道に遵循するを以て身を処す。かくのごとくなれば、貴名は日月のごとく興り、天下は雷霆のごとく応和す。だから言う。君子は隠れて顯れ、微れて明らか、辞譲して勝る。『詩経・小雅・鶴鳴』に言う。「鶴は九皋に鳴き、声は天に聞こゆ」と。これを言うのである。鄙夫はこれに反す。比周して名誉は愈々少なく、鄙陋争奪して名声は愈々辱められ、煩労して安利を求めて、身は愈々危うし。『詩経・小雅・角弓』に言う。「民に良善なく、一方に在りて互いに怨恨し、爵位を受けて譲らず、己に至りて灭亡す」と。これを言うのである。

故能小而事大,闢之是猶力之少而任重也,舍粹折無適也。身不肖而誣賢,是猶傴伸而好升高也,指其頂者愈眾。故明主譎德而序位,所以為不亂也;忠臣誠能然後敢受職,所以為不窮也。分不亂於上,能不窮於下,治辯之極也。詩曰:"平平左右,亦是率從。"是言上下之交不相亂也。

だから才能小さくして大事を為すは、力少なくして担い重きがごとく、破碎折断のほか路なし。身不肖にして賢を誣称するは、駝背にして升高を好むがごとく、彼の頭頂を指す者は愈々多し。だから明主は徳を評定して位を排列するは、以て乱れざらんとするなり。忠臣は実に才能有りて後に敢えて職事を受くるは、以て窮せざらんとするなり。分際は上に在りて乱れず、才能は下に在りて窮せず。これは治辨の極致である。『詩経・小雅・采菽』に言う。「平平たる左右も、亦た相率い従う」と。これは上下の交接乱れざるを言う。

以從俗為善,以貨財為寶,以養生為己至道,是民德也。行法至堅,不以私慾亂所聞:如是,則可謂勁士矣。行法至堅,好修正其所聞,以橋飾其情性;其言多當矣,而未諭也;其行多當矣,而未安也;其知慮多當矣,而未周密也;上則能大其所隆,下則能開道不己若者:如是,則可謂篤厚君子矣。修百王之法,若辨白黑;應當時之變,若數一二;行禮要節而安之,若生四枝;要時立功之巧,若詔四時;平正和民之善,億萬之眾而搏若一人:如是,則可謂聖人矣。

世俗に従うを以て善と為し、貨財を以て宝と為し、養生を以て己の至道と為すは、民の徳である。法を实行して堅定極致、私欲を以て聞く所を乱らざる――かくのごとくなれば、以て勁士と言うべし。法を实行して堅定極致、聞く所を修正するを好みて、以てその情性を矯飾す。その言論は大半恰当なるも、いまだ曉喻せず。その行為は大半恰当なるも、いまだ安適せず。その智慮は大半恰当なるも、いまだ周密ならず。上に能くその尊崇する所を拡大し、下に能く己に如かざる者を開導す――かくのごとくなれば、以て篤厚君子と言うべし。百王の法を修習するは白黑を辨別するがごとく、当時の変化に応対するは一二を数うるがごとく、礼を实行し要約節してこれに安んずるは四肢を生长するがごとく、時機を要約し功を立つるの巧は四時を詔告するがごとく、平正にして民を和するの善は億万の民衆一人のごとく搏合す――かくのごとくなれば、以て聖人と言うべし。

井井兮其有理也,嚴嚴兮其能敬己也,分分兮其有終始也,猒猒兮其能長久也,樂樂兮其執道不殆也,照照兮其用知之明也,修修兮其用統類之行也,綏綏兮其有文章也,熙熙兮其樂人之臧也,隱隱兮其恐人之不當也:如是,則可謂聖人矣。此其道出乎一。曷謂一?曰:執神而固。曷謂神?曰:盡善挾治之謂神,萬物莫足以傾之之謂固。神固之謂聖人。

井井然として条理あり、厳厳然として身を敬すること能くし、分々然として終始あり、厭足然として長久すること能くし、楽楽然として道を執持して怠らず、昭昭然として智の明を用い、修修然として統類の行為を用い、綏綏然として文章あり、熙熙然として人の善を楽しみ、隠隠然として人の恰当ならざるを恐る――かくのごとくなれば、以て聖人と言うべし。この道は一より出づ。何を一と謂うか。曰く、神妙を執持して堅固なり。何を神と謂うか。曰く、善を尽くして治に周るを神といい、万物も以てこれを傾覆するに足らざるを固という。神にして固を聖人という。

聖人也者,道之管也:天下之道管是矣,百王之道一是矣。故詩書禮樂之道歸是矣。詩言是其志也,書言是其事也,禮言是其行也,樂言是其和也,春秋言是其微也,故風之所以為不逐者,取是以節之也,小雅之所以為小雅者,取是而文之也,大雅之所以為大雅者,取是而光之也,頌之所以為至者,取是而通之也。天下之道畢是矣。鄉是者臧,倍是者亡;鄉是如不臧,倍是如不亡者,自古及今,未嘗有也。

聖人は道の総管である。天下の道はここに総管し、百王の道はここに統一す。だから詩書礼楽の道は皆ここに帰す。『詩』が言うはこの志向、『書』が言うはこの事、『礼』が言うはこの行為、『楽』が言うはこの和、『春秋』が言うはこの微言である。だから国風の放縦せざる所以は、このを取りてこれを節制するなり。小雅の小雅たる所以は、このを取りてこれを文飾するなり。大雅の大雅たる所以は、このを取りてこれを光大するなり。頌の極致たる所以は、このを取りてこれを貫通するなり。天下の道はここに完備す。これに向かうは善、これに背くは灭亡す。これに向かいて善ならず、これに背いて灭亡せざるは、古より今に至りて、未だ嘗て有らず。

客有道曰:孔子曰:"周公其盛乎!身貴而愈恭,家富而愈儉,勝敵而愈戒。"

客人ありて称して曰く、孔子は言う。「周公は甚だ盛なり。身貴くして愈々恭敬し、家富みて愈々倹節し、敵に勝ちて愈々戒備す」と。

應之曰:是殆非周公之行,非孔子之言也。武王崩,成王幼,周公屏成王而及武王,履天子之籍,負扆而立,諸侯趨走堂下。當是時也,夫又誰為恭矣哉!兼制天下立七十一國,姬姓獨居五十三人焉;周之子孫,苟不狂惑者,莫不為天下之顯諸侯。孰謂周公儉哉!武王之誅紂也,行之日以兵忌,東面而迎太歲,至泛而泛,至懷而壞,至共頭而山隧。霍叔懼曰:"出三日而五災至,無乃不可乎?"周公曰:"刳比干而囚箕子,飛廉、惡來知政,夫又惡有不可焉!"遂選馬而進,朝食於戚,暮宿於百泉,旦厭於牧之野。鼓之而紂卒易鄉,遂乘殷人而誅紂。蓋殺者非周人,因殷人也。故無首虜之獲,無蹈難之賞。反而定三革,偃五兵,合天下,立聲樂,於是武象起而韶護廢矣。四海之內,莫不變心易慮以化順之。故外闔不閉,跨天下而無蘄。當是時也,夫又誰為戒矣哉!

これに応対して曰く、これはおそらく周公の行いにあらず、孔子の言にあらず。武王崩じ、成王年幼し。周公は成王を屏けて武王に接続し、天子の位を履み、屏風に背いて立ち、諸侯は堂下に趨走す。この時に当たりて、また誰に恭敬せん。天下を兼制して七十一国を建立し、姫姓独り五十三人を占む。周の子孫は、狂惑にあらざれば、天下の顕赫たる諸侯と為らざるなし。誰か周公を倹と言わん。武王は紂を誅殺し、出行の日は兵家の忌日に当たり、東に向かいて太歳に迎え、汜水に至れば河水氾濫し、懐城に至れば懐城壊れ、共頭山に至れば山崩れす。霍叔懼れて曰く、「出発三日にして災五たび至る。おそらく不可ならん」と。周公曰く、「比干を剖き箕子を囚え、飛廉・悪来政を執る。また何の不可かあらん」と。ここに馬を択びて前進し、朝に戚に飯し、夕に百泉に宿り、旦に牧野に逼る。鼓を撃てば紂の士卒向きを改め、ここに殷人に凭借して紂を誅殺す。およそ人を殺すは周人にあらず、殷人に凭借せり。だから首級俘虜の獲なく、難に赴くの賞賜なし。返りて三種の甲を安定し、五种の兵器を収蔵し、天下を会合して声楽を設立す。ここに武象興りて韶護廃止せり。四海の内、意を変えて化し従わざるなし。だから外の門は閉ざされず、天下を跨ぎて彊界なし。この時に当たりて、また誰に戒備せん。

造父者,天下之善御者也,無輿馬則無所見其能。羿者,天下之善射者也,無弓矢則無所見其巧。大儒者,善調一天下者也,無百里之地,則無所見其功。輿固馬選矣,而不能以至遠,一日而千里,則非造父也。弓調矢直矣,而不能射遠中微,則非羿也。用百里之地,而不能以調一天下,制強暴,則非大儒也。

造父は天下の善く御する者、車馬なくしてその才能を顯す由なし。羿は天下の善く射る者、弓矢なくしてその巧を顯す由なし。大儒は天下を調一するに善き者、百里の地なくしてその功を顯す由なし。車は堅く馬は択びたれど、以て遠方に至ること能わず、一日に千里を走れば、則ち造父にあらず。弓調い矢直きも、遠く射て微に中ること能わざれば、則ち羿にあらず。百里の地を用いて、以て天下を調一し強暴を制服すること能わざれば、則ち大儒にあらず。

彼大儒者,雖隱於窮閻漏屋,無置錐之地,而王公不能與之爭名;在一大夫之位,則一君不能獨畜,一國不能獨容,成名況乎諸侯,莫不願得以為臣。用百里之地,而千里之國莫能與之爭勝;笞棰暴國,齊一天下,而莫能傾也。是大儒之徵也。其言有類,其行有禮,其舉事無悔,其持險應變曲當。與時遷徙,與世偃仰,千舉萬變,其道一也。是大儒之稽也。其窮也俗儒笑之;其通也英傑化之,嵬瑣逃之,邪說畏之,眾人媿之。通則一天下,窮則獨立貴名,天不能死,地不能埋,桀蹠之世不能汙,非大儒莫之能立,仲尼、子弓是也。

あの大儒は、たとえ窮巷漏屋に隠居し、錐を立つる地なくとも、王公も彼と名を争うこと能わず。一夫の大夫の位に在れば、一君も独り畜うこと能わず、一国も独り容るること能わず。成名は諸侯に比況し、彼を得て臣と為さんと願わざるなし。百里の地を用いて、千里の国彼と勝を争う能くするなし。暴国を笞撻し、天下を斉一にして、傾覆する能くするなし。これが大儒の征験である。その言論類あり、その行為礼あり、事を挙げるに悔いなく、険難を持守し変化に応対して曲折恰当なり。時勢に随って遷徙し、世俗に随って俯仰し、千挙万変するも、その道は一なり。これが大儒の考核である。彼が窮困すれば俗儒は彼を嘲笑し、彼が通達すれば英傑は彼に感化され、瑣瑣の者は逃走し、邪説は彼を畏れ、衆人は彼に愧じる。通達すれば天下を統一し、窮困すれば独り貴名を立つ。天は彼を死せしむること能わず、地は彼を埋没すること能わず、桀跖の世も彼を汚穢すること能わず。大儒にあらざれば立つ能くするなし。仲尼・子弓がこれである。

故有俗人者,有俗儒者,有雅儒者,有大儒者。不學問,無正義,以富利為隆,是俗人者也。逢衣淺帶,解果其冠,略法先王而足亂世術,繆學雜舉,不知法后王而一制度,不知隆禮義而殺詩書;其衣冠行偽已同於世俗矣,然而不知惡;其言議談說已無異於墨子矣,然而明不能別;呼先王以欺愚者而求衣食焉;得委積足以揜其口,則揚揚如也;隨其長子,事其便辟,舉其上客,億然若終身之虜而不敢有他志:是俗儒者也。法后王,一制度,隆禮義而殺詩書;其言行已有大法矣,然而明不能齊法教之所不及,聞見之所未至,則知不能類也;知之曰知之,不知曰不知,內不自以誣,外不自以欺,以是尊賢畏法而不敢怠傲:是雅儒者也。法先王,統禮義,一制度;以淺持博,以古持今,以一持萬;苟仁義之類也,雖在鳥獸之中,若別白黑;倚物怪變,所未嘗聞也,所未嘗見也,卒然起一方,則舉統類而應之,無所儗作;張法而度之,則晻然若合符節:是大儒者也。

だから俗人あり、俗儒あり、雅儒あり、大儒あり。学問せず、正義なく、富利を以て尊崇と為すは、俗人である。衣服寛大、帯は浅窄、冠は中高両低、粗略先王に取法して世術を乱るに足り、謬誤に学び駁雑に挙説し、後王に取法して制度を統一するを知らず、礼義を尊崇して詩書を減殺するを知らず。その衣冠行為已に世俗に同じく、然るに厭悪を知らず。その言議談説已に墨子と異なるなし、然るに明察して辨別する能わず。先王を呼叫して愚人を欺き衣食を求め、委積を得て糊口するに足れば、揚揚として意を得たり。あの長子に跟従し、あの便辟に事え、あの上客を抬挙し、安然として終身の虜のごとくして他の志敢えてせず。これは俗儒である。後王に取法し、制度を統一し、礼義を尊崇して詩書を減殺す。その言行已に大法あり、然るに明察して法教の及ばざる所・聞見の至らざる所を斉一する能わざれば、智は類推する能わず。知れば知ると言い、知らざれば知らずと言い、内は以て己を誣わず、外は以て人を欺かず。それゆえ賢を尊び法を畏れて怠慢驕傲敢えてせず。これは雅儒である。先王に取法し、礼義を統領し、制度を統一す。浅を以て博を持守し、古を以て今を持守し、一を以て万を持守す。もし仁義の類なれば、たとえ鳥獣の中に在りても、白黑を辨別するがごとし。奇物怪変、未だ嘗て聞かざる所、未だ嘗て見ざる所、卒然として一方より興れば、統類を挙げて応対し、疑滞なく、法度を張設してこれを度量すれば、符節に合するがごとく暗合す。これは大儒である。

故人主用俗人,則萬乘之國亡;用俗儒,則萬乘之國存;用雅儒,則千乘之國安;用大儒,則百里之地,久而後三年,天下為一,諸侯為臣;用萬乘之國,則舉錯而定,一朝而伯。

だから人主が俗人を用いれば万乗の国は亡び、俗儒を用いれば万乗の国は僅かに存し、雅儒を用いれば千乗の国は安んじ、大儒を用いれば百里の地、久しくして後に三年、天下統一し、諸侯臣を為す。万乗の国に用いれば、挙措すれば安んじ、一朝にして覇を称す。

不聞不若聞之,聞之不若見之,見之不若知之,知之不若行之。學至於行之而止矣。行之,明也;明之為聖人。聖人也者,本仁義,當是非,齊言行,不失豪釐,無他道焉,已乎行之矣。故聞之而不見,雖博必謬;見之而不知,雖識必妄;知之而不行,雖敦必困。不聞不見,則雖當,非仁也。其道百舉而百陷也。

聞かざるは聞くに如かず、聞くは見るに如かず、見るは知るに如かず、知るは行うに如かず。学は行うに至りて止まる。行うは、即ち明なり。明なれば聖人と為る。聖人は、仁義に本づき、是非に恰当し、言行を斉一にし、毫厘の差なく(底本は「豪厘」、豪は毫の誤り)、他の道なく、行うに在るのみ。だから聞いても見ざれば、たとえ広博でも必ず謬誤。見ても知らざれば、たとえ記しても必ず虚妄。知っても行わざれば、たとえ敦厚でも必ず困窮。聞かず見ざれば、たとえ恰当でも仁にあらず。あの道は百挙すれば百陷る。

故人無師無法而知,則必為盜,勇則必為賊,雲能則必為亂,察則必為怪,辯則必為誕;人有師有法,而知則速通,勇則速畏,雲能則速成,察則速盡,辯則速論。故有師法者,人之大寶也;無師法者,人之大殃也。人無師法,則隆性矣;有師法,則隆積矣。而師法者,所得乎積,非所受乎性。性不足以獨立而治。性也者,吾所不能為也,然而可化也。積也者,非吾所有也,然而可為也。注錯習俗,所以化性也;並一而不二,所以成積也。習俗移志,安久移質。並一而不二,則通於神明,參於天地矣。

だから人に師なく法なくして智あれば、必ず盗を為し、勇あれば必ず賊を為し、才能あるを称すれば必ず乱を為し、明察あれば必ず怪を為し、善弁あれば必ず誕妄を為す。人に師あり法あれば、智あれば速やかに通達し、勇あれば速やかに畏れを知り、才能あるを称すれば速やかに成就し、明察あれば速やかに窮尽し、善弁あれば速やかに論定す。だから師あり法ありは、人の大宝物。師なく法なきは、人の大殃。人に師なく法なければ、則ち性を崇ぶ。師あり法あれば、則ち積を崇ぶ。而も師と法は、積より得る所にして、性���り承受するにあらず。性は以て独立して治むるに足らず。性は、我の造作し能く所にあらざるも、化すべし。積は、我の有する所にあらざるも、為すべし。措置習俗は、以て性を化するなり。専一にして二なきは、以て積を成就するなり。習俗は志向を改め、安久すれば資質を改む。専一にして二なければ、神明に通達し、天地に参配す。

故積土而為山,積水而為海,旦暮積謂之歲,至高謂之天,至下謂之地,宇中六指謂之極,塗之人--百姓,積善而全盡,謂之聖人。彼求之而後得,為之而後成,積之而後高,盡之而後聖,故聖人也者,人之所積也。人積耨耕而為農夫,積斲削而為工匠,積反貨而為商賈,積禮義而為君子。工匠之子,莫不繼事,而都國之民安習其服,居楚而楚,居越而越,居夏而夏,是非天性也,積靡使然也。故人知謹注錯,慎習俗,大積靡,則為君子矣。縱情性而不足問學,則為小人矣;為君子則常安榮矣,為小人則常危辱矣。凡人莫不欲安榮而惡危辱,故唯君子為能得其所好,小人則日徼其所惡。詩曰:"維此良人,弗求弗迪;唯彼忍心,是顧是復。民之貪亂,寧為荼毒。"此之謂也。

だから土を積めば山と為り、水を積めば海と為り、旦暮累積するを歳といい、最高を天といい、最低を地といい、宇中の六方向を極という。路途上の人――百姓、善を積して全備窮尽するを聖人という。あれは求めて後に得、為して後に成り、積累して後に高く、窮尽して後に聖なり。だから聖人は人の積みて成る所である。人は耕耨を積累すれば農夫と為り、斫削を積累すれば工匠と為り、貨を販るを積累すれば商賈と為り、礼義を積累すれば君子と為る。工匠の子は、事業を継承せざるなし。都城の民はその事務に熟習安んじ、楚に住めば楚のごとく、越に住めば越のごとく、夏に住めば夏のごとし。これは天性にあらず、積累漸靡の然らしむるなり。だから人は謹んで措置し、習俗を慎み、大いに積累漸靡すれば、則ち君子を為る。情性を放縦して問学するに足らざれば、則ち小人を為る。君子を為れば常に安栄し、小人を為れば常に危辱す。凡人は安栄を欲して危辱を悪まざるなし。だから君子のみその好む所を得ること能くし、小人は日々その悪む所を招く。『詩経・大雅・桑柔』に言う。「この良人は、進を求めず挙げず。あの残忍の心は、却って反復を顧念す。民は乱に貪り、寧ろ荼毒を為さん」と。これを言うのである。

人論:志不免於曲私,而冀人之以己為公也;行不免於汙漫,而冀人之以己為修也;甚愚陋溝瞀,而冀人之以己為知也:是眾人也。志忍私,然後能公;行忍情性,然後能修;知而好問,然後能才;公修而才,可謂小儒矣。志安公,行安修,知通統類:如是則可謂大儒矣。大儒者,天子三公也;小儒者,諸侯、大夫、士也;眾人者,工農商賈也。禮者、人主之所以為群臣寸尺尋丈檢式也。人倫盡矣。

人の倫類――志向は曲私を免れずして、人に己を公と為さしめんと望み、行為は污漫を免れずして、人に己を修整と為さしめんと望み、甚だ愚陋昏昧にして、人に己を智と為さしめんと望む。これは衆人である。志向は私を克制して後に能く公と為り、行為は情性を克制して後に能く修整と為り、智にして問うを好んで後に能く才を有す。公・修整にしてまた才有れば、以て小儒と言うべし。志向は公に安んじ、行為は修整に安んじ、智は統類に通達す。かくのごとくなれば以て大儒と言うべし。大儒は天子の三公、小儒は諸侯・大夫・士、衆人は工農商賈である。礼は、人主の以て群臣のために寸尺尋丈の検式を為す所である。人倫は就りて備わる。

君子言有壇宇,行有防表,道有一隆。言政治之求,不下於安存;言志意之求,不下於士;言道德之求,不二后王。道過三代謂之蕩,法二后王謂之不雅。高之下之,小之巨之,不外是矣。是君子之所以騁志意於壇宇宮廷也。故諸侯問政,不及安存,則不告也。匹夫問學,不及為士,則不教也。百家之說,不及后王,則不聽也。夫是之謂君子言有壇宇,行有防表也。

君子は言に壇宇の界限あり、行に防表あり、道は崇む所一あり。政治の求取を説くは、安存に低らず。志意の求取を説くは、士に低らず。道徳の求取を説くは、後王に背かず。道は三代を超ゆれば放蕩といい、法は後王に背けば不雅という。これを抬げ、これを壓し、これを縮め、これを拡げるも、このを出でず。これが君子の壇宇宮廷の裡に志意を馳騁する所以である。だから諸侯が政を問うに、安存に及ばざれば告げず。匹夫が学を問うに、士と為るに及ばざれば教えず。百家の学説、後王に及ばざれば聴かず。これを君子は言に壇宇の界限あり、行に防表ありという。

王制篇第九

請問為政?曰:賢能不待次而舉,罷不能不待須而廢,元惡不待教而誅,中庸不待政而化。分未定也,則有昭繆。雖王公士大夫之子孫也,不能屬於禮義,則歸之庶人。雖庶人之子孫也,積文學,正身行,能屬於禮義,則歸之卿相士大夫。故奸言,奸說,奸事,奸能,遁逃反側之民,職而教之,須而待之,勉之以慶賞,懲之以刑罰。安職則畜,不安職則棄。五疾,上收而養之,材而事之,官施而衣食之,兼覆無遺。才行反時者死無赦。夫是之謂天德,是王者之政也。

請う、如何にして政を為さん。曰く、賢能は等次を待たずに挙用し、疲弱不能は片刻を待たずに廃し、元悪は教化を待たずに誅殺し、中庸は政教を待たずに教化す。分際いまだ定まらざるに、則ち昭穆の別あり。たとえ王公士大夫の子孫でも、礼義に帰属する能わざれば、庶人に帰す。たとえ庶人の子孫でも、文学を積累し、身行を端正し、礼義に帰属する能くすれば、卿相士大夫に帰す。だから奸言・奸説・奸事・奸能・遁逃反側の民は、職事を与えてこれを教化し、待ちてこれを待ち、慶賞を以て勉励し、刑罰を以て懲戒す。職事に安んずれば畜養し、職事に安んぜざれば拋棄す。五種の疾疾は、上これを収容して養い、材に按じて事を与え、官府施予して衣食を与え、兼覆して遺漏なし。才行時宜に反するは死して赦さず。これを天徳という。王者の政である。

聽政之大分:以善至者待之以禮,以不善至者待之以刑。兩者分別,則賢不肖不雜,是非不亂。賢不肖不雜,則英傑至,是非不亂,則國家治。若是,名聲日聞,天下願,令行禁止,王者之事畢矣。

政を聴くの大分際――善を帯びて至るは礼を以て対待し、不善を帯びて至るは刑を以て対待す。両者分別せば、則ち賢と不肖は混雑せず、是と非は混乱せず。賢と不肖混雑せざれば英傑至り、是と非混乱せざれば国家治まる。かくのごとくなれば、名声は日々に伝聞し、天下仰慕し、令行禁止すれば、王者の事は畢わる。

凡聽:威嚴猛厲,而不好假道人,則下畏恐而不親,周閉而不竭。若是,則大事殆乎弛,小事殆乎遂。和解調通,好假道人,而無所凝止之,則奸言並至,嘗試之說鋒起。若是,則聽大事煩,是又傷之也。故法而不議,則法之所不至者必廢。職而不通,則職之所不及者必隊。故法而議,職而通,無隱謀,無遺善,而百事無過,非君子莫能。故公平者,聽之衡也;中和者,聽之繩也。其有法者以法行,無法者以類舉,聽之盡也。偏黨而不經,聽之闢也。故有良法而亂者,有之矣,有君子而亂者,自古及今,未嘗聞也。傳曰:"治生乎君子,亂生乎小人。"此之謂也。

およそ政を聴く――威厳猛厲にして、寛假し人を引導するを好まざれば、則ち下は畏恐して親しまず、周密閉塞して言を尽くさず。かくのごとくなれば、大事は廃弛に近く、小事は潰散に近し。和解調通して、寛假し人を引導するを好むも、凝止の処なければ、則ち奸言斉しく至り、嘗試の説は蜂起す。かくのごとくなれば、聴断の大事は煩雑となり、これまたそれを傷つく。だから法あ���て議論せざれば、法の及ばざる所は必ず廃壊す。職事ありて貫通せざれば、職事の及ばざる所は必ず墜落す。だから法ありて議論し、職事ありて貫通し、隠匿の謀なく、遺漏の善なくして、百事過なくんば、君子にあらざれば能わず。だから公平は聴政の衡であり、中和は聴政の繩である。あの法あるは法を以てこれを行い、法なきは類を以てこれを挙ぐるは、聴政の窮尽である。偏党して経常に合せざるは、聴政の邪僻である。だから良法ありて乱るるは、有りて之を過ぐるなり。君子ありて乱るるは、古より今に至りて、未だ嘗て聞かず。伝記に言う。「治は君子より生じ、乱は小人より生ず」と。これを言うのである。

分均則不偏,埶齊則不壹,眾齊則不使。有天有地,而上下有差;明王始立,而處國有制。夫兩貴之不能相事,兩賤之不能相使,是天數也。埶位齊,而欲惡同,物不能澹則必爭;爭則必亂,亂則窮矣。先王惡其亂也,故制禮義以分之,使有貧富貴賤之等,足以相兼臨者,是養天下之本也。書曰:"維齊非齊。"此之謂也。

分際平均なれば偏する所有る能わず、権勢斉等なれば統一する能わず、衆人斉等なれば役使する能わず。天あり地ありて上下差別あり、明王始めて位を立つるに、国に処るに制度あり。あの両貴は相い事えること能わず、両賤は相い役使すること能わざるは、天数なり。権勢位子斉等にして欲恶相同じければ、物は供養すること能わずして必ず争う。争えば必ず乱り、乱れば窮す。先王はあの乱を悪む。だから礼義を制してこれを分かち、貧富貴賤の等級あらしめ、以て相い兼臨するに足らしむ。これは天下を養うの根本である。『書』に言う。「いわゆる斉正はその斉からざるなり」と。これを言うのである。

馬駭輿,則君子不安輿;庶人駭政,則君子不安位。馬駭輿,則莫若靜之;庶人駭政,則莫若惠之。選賢良,舉篤敬,興孝弟,收孤寡,補貧窮。如是,則庶人安政矣。庶人安政,然後君子安位。傳曰:"君者、舟也,庶人者、水也;水則載舟,水則覆舟。"此之謂也。故君人者,欲安、則莫若平政愛民矣;欲榮、則莫若隆禮敬士矣;欲立功名、則莫若尚賢使能矣。-是人君之大節也。三節者當,則其餘莫不當矣。三節者不當,則其餘雖曲當,猶將無益也。孔子曰:"大節是也,小節是也,上君也;大節是也,小節一齣焉,一入焉,中君也;大節非也,小節雖是也,吾無觀其餘矣。"

馬が車を驚かせば、則ち君子は車上に安んぜず。庶人が政を驚かせば、則ち君子は位に安んぜず。馬が車を驚かせば、それを静めるに如かず。庶人が政を驚かせば、恵を施すに如かず。賢良を選択し、篤敬を挙用し、孝悌を興し、孤寡を収恤し、貧窮を補救す。かくのごとくなれば庶人は政に安んず。庶人が政に安んじて後に君子は位に安んず。伝記に言う。「君は舟なり、庶人は水なり。水は舟を載すること能く、水は舟を覆すこと能くす」と。これを言うのである。だから人君と為るは、安からんと欲せば、政を平かにし民を愛するに如かず。栄えんと欲せば、礼を尊崇し士を敬重するに如かず。功名を立てんと欲せば、賢を崇尚し能を使用するに如かず。――これは人君の大節である。三節恰当なれば、その余は恰当ならざるなし。三節恰当ならざれば、その余たとえ曲折恰当でも、また益なからん。孔子は言う。「大節是なれば小節も是なりは上等の君、大節是なれど小節出たり入ったりするは中等の君、大節是ならざれば小節たとえ是でも、我はその余を観ず」と。

成侯、嗣公聚斂計數之君也,未及取民也。子產取民者也,未及為政也。管仲為政者也,未及修禮也。故修禮者王,為政者強,取民者安,聚斂者亡。故王者富民,霸者富士,僅存之國富大夫,亡國富筐篋,實府庫。筐篋已富,府庫已實,而百姓貧:夫是之謂上溢而下漏。入不可以守,出不可以戰,則傾覆滅亡可立而待也。故我聚之以亡,敵得之以強。聚斂者,召寇、肥敵、亡國、危身之道也,故明君不蹈也。

成侯・嗣公は聚斂計数の君、いまだ民心を取得するに至らず。子産は民心を取得する者、いまだ政を為すに至らず。管仲は政を為す者、いまだ礼を修むるに至らず。だから礼を修むるは王と称し、政を為すは強し、民心を取得するは安んじ、聚斂は亡ぶ。だから王者は民を富ましめ、覇者は士を富ましめ、僅かに存する国は大夫を富ましめ、亡国は筐篋を富ましめ府庫を充実せしむ。筐篋已に富み府庫已に充実して、百姓貧し。これを上満溢して下漏泄すという。入りて守るべからず、出でて戦うべからず、則ち傾覆灭亡は立ちて待つべし。だから我がこれを聚斂して亡ぶは、敵のこれを得て強まるなり。聚斂は、寇を招き敵を肥やし国を亡ぼし身を危うくするの道路。だから明君は蹈まず。

王奪之人,霸奪之與,強奪之地。奪之人者臣諸侯,奪之與者友諸侯,奪之地者敵諸侯。臣諸侯者王,友諸侯者霸,敵諸侯者危。

王が奪うは人、覇が奪うは与国、強が奪うは土地である。人を奪うは諸侯を臣と称せしめ、与国を奪うは諸侯と友を為し、土地を奪うは諸侯と敵を為す。諸侯を臣と称せしむるは王と称し、諸侯と友を為すは覇と称し、諸侯と敵を為すは危うし。

用強者:人之城守,人之出戰,而我以力勝之也,則傷人之民必甚矣;傷人之民甚,則人之民必惡我甚矣;人之民惡我甚,則日欲與我鬥。人之城守,人之出戰,而我以力勝之,則傷吾民必甚矣;傷吾民甚,則吾民之惡我必甚矣;吾民之惡我甚,則日不欲為我鬥。人之民日欲與我鬥,吾民日不欲為我鬥,是強者之所以反弱也。地來而民去,累多而功少,雖守者益,所以守者損,是以大者之所以反削也。諸侯莫不懷交接怨,而不忘其敵,伺強大之間,承強大之敝,此強大之殆時也。

強を用うる者――人の城は守備し、人は出でて戦い、我は力を以て彼に勝たんとすれば、則ち人の民を傷つくること必ず甚だし。人の民を傷つくること甚だしければ、則ち人の民の我を悪むこと必ず甚だし。人の民の我を悪むこと甚だしければ、則ち日々我と闘わんと欲す。人の城は守備し、人は出でて戦い、我は力を以て彼に勝たんとすれば、則ち我が民を傷つくること必ず甚だし。我が民を傷つくること甚だしければ、則ち我が民の我を悪むこと必ず甚だし。我が民の我を悪むこと甚だしければ、則ち日々我がために闘わんと欲せず。人の民は日々我と闘わんと欲し、我が民は日々我がために闘わんと欲せず。これは強者の反って弱る所以なり。土地来りて民離れ、牽累多くして功少なし。たとえ守る所増すとも、以て守るは減損す。これは大者の反って削がるる所以なり。諸侯は交接の怨を懐かざるなく、しかもその敵を忘れず、強大の隙を窺伺し、強大の敝敗に乗ず。これは強大の危殆の時である。

知強大者不務強也,慮以王命,全其力,凝其德。力全則諸侯不能弱也,德凝則諸侯不能削也,天下無王霸主,則常勝矣:是知強道者也。

強を知る者は強を務めず、王命を用うるを慮り、その力を保全し、その徳を凝聚す。力保全すれば諸侯は彼を弱めること能わず、徳凝聚すれば諸侯は彼を削ぐこと能わず。天下に王覇の主なければ、則ち常に勝つ。これは強道を知る者である。

彼霸者則不然:闢田野,實倉廩,便備用,案謹募選閱材伎之士,然後漸慶賞以先之,嚴刑罰以糾之。存亡繼絕,衛弱禁暴,而無兼幷之心,則諸侯親之矣。修友敵之道,以敬接諸侯,則諸侯說之矣。所以親之者,以不幷也;幷之見,則諸侯疏矣。所以說之者,以友敵也;臣之見,則諸侯離矣。故明其不幷之行,信其友敵之道,天下無王霸主,則常勝矣。是知霸道者也。

あの覇者はこれにあらず――田野を開墾し、倉廩を充実し、備えの器用を便利にし、ここに材技ある士を謹んで招募・択択・検閲し、然る後に慶賞を以て漸々に彼らを引導し、厳刑罰を以て彼らを糾正す。亡びるを存し絶えたるを継ぎ、弱を衛護し暴を禁止して、兼并の心なく、則ち諸侯は彼に親しむ。対等友邦の道を修習し、恭敬を以て諸侯に交接すれば、則ち諸侯は彼を悦ぶ。だから彼に親しむは、彼が兼并せざるなり。兼并現るれば、則ち諸侯は疎遠となる。だから彼を悦ぶは、対等にして友たればなり。臣を称すること現るれば、則ち諸侯は離る。だから彼が兼并せざるの行為を顕明にし、彼が対等にして友たるの道を信守し、天下に王覇の主なければ、則ち常に勝つ。これは覇道を知る者である。

閔王毀於五國,桓公劫於魯莊,無它故焉,非其道而慮之以王也。

斉の閔王は五国に毁敗され、桓公は魯の荘公に劫迫せられたるは、他の故なし、あの道に合わずして王者を以て謀ったなり。

彼王者不然:仁眇天下,義眇天下,威眇天下。仁眇天下,故天下莫不親也;義眇天下,故天下莫不貴也;威眇天下,故天下莫敢敵也。以不敵之威,輔服人之道,故不戰而勝,不攻而得,甲兵不勞而天下服,是知王道者也。知此三具者,欲王而王,欲霸而霸,欲強而強矣。

あの王者はこれにあらず――仁は天下に高く出で、義は天下に高く出で、威は天下に高く出ず。仁天下に高く出ずれば、だから天下に親しまざるなし。義天下に高く出ずれば、だから天下に貴ばざるなし。威天下に高く出ずれば、だから天下に敢えて敵と為るなし。敵に当たられざるの威を以て、人を服従せしむるの道を輔助す。だから戦わずして勝ち、攻めずして得、甲兵労せずして天下服従す。これは王道を知る者である。この三具備を知るは、王と称さんと欲すれば王と称し、覇と称さんと欲すれば覇と称し、強あらんと欲すれば強し。

王者之人:飾動以禮義,聽斷以類,明振毫末,舉措應變而不窮,夫是之謂有原。是王者之人也。

王者の人――礼義を以て挙動を文飾し、類を以て聴断し、明察は毫末に振動し、挙措は変に応えて窮尽なし。これを有本原という。これは王者の人である。

王者之制:道不過三代,法不二后王;道過三代謂之蕩,法二后王謂之不雅。衣服有制,宮室有度,人徒有數,喪祭械用皆有等宜。聲、則非雅聲者舉廢,色、則凡非舊文者舉息,械用,則凡非舊器者舉毀,夫是之謂復古,是王者之制也。

王者の制度――道は三代を超えず、法は後王に背かず。道三代を超ゆれば放蕩といい、法後王に背けば不雅という。衣服は制度あり、宮室は度あり、人徒は数あり、喪祭の器械用具は皆等級の宜しき所有り。声音は、雅声にあらざるは皆廃し、顏色は、旧文にあらざるは皆止息し、器械用具は、旧器にあらざるは皆毁去す。これを復古という。王者の制度である。

王者之論:無德不貴,無能不官,無功不賞,無罪不罰。朝無幸位,民無幸生。尚賢使能,而等位不遺;析願禁悍,而刑罰不過。百姓曉然皆知夫為善於家,而取賞於朝也;為不善於幽,而蒙刑于顯也。夫是之謂定論。是王者之論也。

王者の論定――徳なきは貴ばず、才能なきは官を任ぜず、功なきは賞せず、罪なきは罰せず。朝廷に僥幸の位なく、民に僥幸の生路なし。賢を崇尚し能を使用して、等級位子に遺漏なく、愿良を分別し凶悍を禁止して、刑罰は過分ならず。百姓は明白に皆家に在りて善を為し、朝廷に在りて賞を取得し、幽暗に在りて不善を為し、顯明に在りて刑を蒙るを知る。これを定論という。王者の論定である。

王者之法:等賦、政事、財萬物,所以養萬民也。田野什一,關市幾而不徵,山林澤梁,以時禁發而不稅。相地而衰政。理道之遠近而致貢。通流財物粟米,無有滯留,使相歸移也,四海之內若一家。故近者不隱其能,遠者不疾其勞,無幽閒隱僻之國,莫不趨使而安樂之。夫是之為人師。是王者之法也。

王者の法――賦税を分別し、民事を治理し、万物を裁成するは、以て万民を養わんがためなり。田野は十分に一を取り、関市は稽査して征せず、山林沢梁は時候に按じて禁止開放して税を収めず。土地を察して等差に按じて徴収し、道路の遠近を料理して貢賦を致送せしむ。財物粟米を流通して滞留なく、互相いに転移せしめ、四海の内一家のごとし。だから近きはその才能を隠匿せず、遠きはその労苦を恨まず、幽閑隠僻の国なく、趨使して安楽せざるなし。これを人師という。王者の法である。

北海則有走馬吠犬焉,然而中國得而畜使之。南海則有羽翮、齒革、曾青、丹干焉,然而中國得而財之。東海則有紫紶、魚鹽焉,然而中國得而衣食之。西海則有皮革、文旄焉,然而中國得而用之。故澤人足乎木,山人足乎魚,農夫不斲削、不陶冶而足械用,工賈不耕田而足菽粟。故虎豹為猛矣,然君子剝而用之。故天之所覆,地之所載,莫不盡其美,致其用,上以飾賢良,下以養百姓而安樂之。夫是之謂大神。詩曰:"天作高山,大王荒之;彼作矣,文王康之。"此之謂也。

北海には走馬吠犬あり、然りて中国は得てこれを畜使す。南海には羽翮・歯革・曾青・丹干あり、然りて中国は得てこれを裁成す。東海には紫綌・魚鹽あり、然りて中国は得て衣食す。西海には皮革・文旄あり、然りて中国は得て使用す。だから沢中の人は木に足り、山中の人は魚に足り、農夫は斫削せず陶冶せずして器械用具足り、工賈は田を耕さずして豆粟足る。だから虎豹は猛きに足るも、然りて君子は剥取してこれを用いる。だから天の覆う所、地の載する所、尽くその美を致さざるなく、その用を致さざるなく、上は以て賢良を文飾し、下は以て百姓を養いてこれを安楽せしむ。これを大神という。『詩経・周頌・天作』に言う。「天は高山を生じ、太王これを開墾し、あれ已に興起せり、文王これを安定せり」と。これを言うのである。

以類行雜,以一行萬。始則終,終則始,若環之無端也,舍是而天下以衰矣。天地者,生之始也;禮義者,治之始也;君子者,禮義之始也;為之,貫之,積重之,致好之者,君子之始也。故天地生君子,君子理天地;君子者,天地之參也,萬物之摠也,民之父母也。無君子,則天地不理,禮義無統,上無君師,下無父子,夫是之謂至亂。君臣、父子、兄弟、夫婦,始則終,終則始,與天地同理,與萬世同久,夫是之謂大本。故喪祭、朝聘、師旅一也;貴賤、殺生、與奪一也;君君、臣臣、父父、子子、兄兄、弟弟一也;農農、士士、工工、商商一也。

類を以て駁雑を行い、一を以て万を行う。始めは即ち終わり、終わりは即ち始め、環の端なきがごとし。これを捨てれば天下はこれに因って衰う。天地は生の始め、礼義は治の始め、君子は礼義の始め。これを為し、これを貫通し、これを積累加重し、これを愛好して極に至るは、君子の始めなり。だから天地は君子を生じ、君子は天地を料理す。君子は、天地の参配、万物の総管、民の父母なり。君子なくんば、則ち天地は料理なく、礼義は統紀なく、上は君師なく、下は父子なし。これを至乱という。君臣・父子・兄弟・夫婦は、始めは即ち終わり、終わりは即ち始め、天地と同理、万世と同久。これを大本という。だから喪祭・朝聘・師旅は一事なり、貴賤・殺生・与奪は一事なり、君は君のごとく臣は臣のごとく父は父のごとく子は子のごとく兄は兄のごとく弟は弟のごときは一事なり、農は農のごとく士は士のごとく工は工のごとく商は商のごときは一事なり。

水火有氣而無生,草木有生而無知,禽獸有知而無義,人有氣、有生、有知,亦且有義,故最為天下貴也。力不若牛,走不若馬,而牛馬為用,何也?曰:人能群,彼不能群也。人何以能群?曰:分。分何以能行?曰:義。故義以分則和,和則一,一則多力,多力則強,強則勝物;故宮室可得而居也。故序四時,裁萬物,兼利天下,無它故焉,得之分義也。

水火は気ありて生命なく、草木は生命ありて知なく、禽獣は知ありて義なく、人は気あり、生命あり、知あり、かつ義あり。だから最も天下に貴し。力は牛に如かず、走るは馬に如かずして、牛馬は人に用いらるるは何ぞ。曰く、人は群ること能く、彼らは群ること能わず。人は何を以て群ること能くする。曰く、分際。分際は何を以て行うこと能くする。曰く、義。だから義を以て分別すれば和し、和すれば一となり、一となれば力多く、力多ければ強し、強ければ物に勝つ。だから宮室は得て居るべし。だから四時を序列し、万物を裁成し、天下を兼利するは、他の故なし、分際と義より得るなり。

故人生不能無群,群而無分則爭,爭則亂,亂則離,離則弱,弱則不能勝物;故宮室不可得而居也,不可少頃舍禮義之謂也。能以事親謂之孝,能以事兄謂之弟,能以事上謂之順,能以使下謂之君。

だから人は生まれて群なくんばあるべからず、群ありて分際なくんば争い、争えば乱れ、乱れば离散し、离散すれば弱し、弱ければ物に勝つこと能わず。だから宮室は得て居るべからず。これは片刻も礼義を捨てるべからずと言うなり。以て父母に事えること能くするを孝といい、以て兄に事えること能くするを悌といい、以て上に事えること能くするを順といい、以て下を役使すること能くするを君という。

君者,善群也。群道當,則萬物皆得其宜,六畜皆得其長,群生皆得其命。故養長時,則六畜育;殺生時,則草木殖;政令時,則百姓一,賢良服。

君は、人を群聚せしむるに善き者なり。群の道恰当なれば、則ち万物は皆その宜に得、六畜は皆生長を得、群生は皆性命を得る。だから養長時に合せば、則ち六畜蕃育し、殺生時に合せば、則ち草木繁殖し、政令時に合せば、則ち百姓斉一にして賢良服従す。

聖王之制也:草木榮華滋碩之時,則斧斤不入山林,不夭其生,不絕其長也。黿鼉魚鱉鰍鱣孕別之時,罔罟毒藥不入澤,不夭其生,不絕其長也。春耕、夏耘、秋收、冬藏,四者不失時,故五穀不絕,而百姓有餘食也。汙池淵沼川澤,謹其時禁,故魚鱉優多,而百姓有餘用也。斬伐養長不失其時,故山林不童,而百姓有餘材也。

聖王の制度――草木の花開き実結ぶの時は、則ち斧斤は山林に入らず、その生を夭折せず、その長を断絶せず。黿鼉魚鱉鰍鱣の孕育分別する時は、網罟毒薬は沢に入らず、その生を夭折せず、その長を断絶せず。春耕・夏耘・秋收・冬蔵、四者時を失わず。だから五谷絶えずして、百姓に余りの食あり。汚池淵沼川沢は、あの時に按じるの禁止を謹む。だから魚鱉豊足して、百姓に余りの用度あり。斬伐養長時を失わず。だから山林は光禿せずして、百姓に余りの木材あり。

聖王之用也:上察於天,下錯於地,塞備天地之間,加施萬物之上,微而明,短而長,狹而廣,神明博大以至約。故曰:一與一是為人者,謂之聖人。

聖王の施用――上は天に察し、下は地に措置し、天地の間に充満具備し、万物の上に施加す。微にして明、短にして長、狭にして広、神明博大にして極めて簡約なり。だから言う、一より一にして人を為すを、聖人という、と。

序官:宰爵知賓客、祭祀、響食犧牲之牢數。司徒知百宗、城郭、立器之數。司馬知師旅、甲兵、乘白之數。修憲命,審詩商,禁淫聲,以時順修,使夷俗邪音不敢亂雅,大師之事也。修堤梁,通溝澮,行水潦,安水臧,以時決塞,歲雖兇敗水旱,使民有所耘艾,司空之事也。相高下,視肥磽,序五種,省農功,謹蓄藏,以時順修,使農夫樸力而寡能,治田之事也。修火憲,養山林藪澤草木、魚鱉、百索,以時禁發,使國家足用,而財物不屈,虞師之事也。順州里,定廛宅,養六畜,閒樹藝,勸教化,趨孝弟,以時順修,使百姓順命,安樂處鄉,鄉師之事也。論百工,審時事,辨功苦,尚完利,便備用,使雕琢文采不敢專造於家,工師之事也。相陰陽,占祲兆,鑽龜陳卦,主攘擇五卜,知其吉凶妖祥,傴巫跛擊之事也。修採清,易道路,謹盜賊,平室律,以時順修,使賓旅安而貨財通,治市之事也。抃急禁悍,防淫除邪,戮之以五刑,使暴悍以變,奸邪不作,司寇之事也。本政教,正法則,兼聽而時稽之,度其功勞,論其慶賞,以時慎修,使百吏免盡,而眾庶不偷,冢宰之事也。論禮樂,正身行,廣教化,美風俗,兼覆而調一之,闢公之事也。全道德,致隆高,綦文理,一天下,振毫末,使天下莫不順比從服,天王之事也。故政事亂,則冢宰之罪也;國家失俗,則闢公之過也;天下不一,諸侯俗反,則天王非其人也。

官職を序列す――宰爵は賓客・祭祀・饗食犧牲の牢数を掌管し、司徒は百宗・城郭・陳設器具の数を掌管し、司馬は師旅・甲兵・車馬の数を掌管す。憲命を修整し、詩章を審察し、淫声を禁止し、時に按じて従順に修整し、夷俗邪音をして雅を乱攪するを敢えてせしめざるは、太師の事なり。堤梁を修整し、溝澮を開通し、水潦を疏導し、水蔵を安定し、時に按じて決開し堵塞し、年歳たとえ凶敗水旱なりとも、民をして耕耘収獲する所有らしむるは、司空の事なり。高下を察看し、肥瘠を審視し、五种の穀物を序列し、農功を省察し、蓄蔵を謹慎し、時に按じて従順に修整し、農夫をして専力にして兼能少なからしむるは、治田の事なり。防火の法令を修整し、山林薮沢の草木・魚鱉・百蔬を養い、時に按じて禁止開放し、国家の用度を充足せしめて、財物枯竭せざらしむるは、虞師の事なり。州里を和順し、廛宅を確定し、六畜を養い、樹藝を熟習し、教化を勧勉し、孝悌に趨赴し、時に按じて従順に修整し、百姓をして命令に従順にして、郷里に安楽に処らしむるは、郷師の事なり。百工を評定し、時事を審察し、精粗を辨別し、完好便利を崇尚し、備えの器用を便利にし、雕琢文采をして家に在りて専造するを敢えてせしめざるは、工師の事なり。陰陽を察看し、祲兆を観察し、亀を鑽き卦を陳べ、攘除を主持して五种の卜問を択び、吉凶妖祥を知るは、駝背の巫・跛脚の覡の事なり。墳墓廁所を修整し、道路を整治し、盗賊を謹備し、室屋の律令を平定し、時に按じて従順に修整し、賓旅をして安定にして貨財流通せしむるは、治市の事なり。急悍を禁止し、淫邪を防止し、五刑を以て戮し、暴悍をしてこれに因って改め、奸邪発作せざらしむるは、司寇の事なり。政教に根本づき、法則を端正し、兼聴して時に按じて稽考し、功労を度量し、慶賞を論定し、時に按じて謹慎に修整し、百吏をして勉力して職を尽くさしめ、衆庶をして偷惰ならざらしむるは、冢宰の事なり。礼楽を論定し、身行を端正し、教化を推広し、風俗を美化し、兼覆してこれらを調一せしむるは、諸侯の事なり。道徳を保全し、崇高を極に推し、文理を極に推し、天下を統一し、毫末を振動し、天下をして順比從服せざるなからしむるは、天王の事なり。だから政事乱るれば、則ち冢宰の罪。国家は風俗を失えば、則ち諸侯の過ち。天下統一せず、諸侯は反叛に慣れれば、則ち天王はその人にあらず。

具具而王,具具而霸,具具而存,具具而亡。用萬乘之國者,威強之所以立也,名聲之所以美也,敵人之所以屈也,國之所以安危臧否也,制與在此,亡乎人。王、霸、安存、危殆、滅亡,制與在我,亡乎人。夫威強未足以殆鄰敵也,名聲未足以縣天下也,則是國未能獨立也,豈渠得免夫累乎?天下脅於暴國,而黨為吾所不欲於是者,日與桀同事同行,無害為堯。是非功名之所就也,非存亡安危之所墮也。功名之所就,存亡安危之所墮,必將於愉殷赤心之所。誠以其國為王者之所亦王,以其國為危殆滅亡之所亦危殆滅亡。殷之日,案以中立,無有所偏,而為縱橫之事,偃然案兵無動,以觀夫暴國之相卒也。案平政教,審節奏,砥礪百姓,為是之日,而兵剸天下勁矣。案然修仁義,伉隆高,正法則,選賢良,養百姓,為是之日,而名聲剸天下之美矣。權者重之,兵者勁之,名聲者美之。夫堯舜者一天下也,不能加毫末於是矣。

条件具備すれば王と称し、条件具備すれば覇と称し、条件具備すれば存在し、条件具備すれば滅亡す。万乗の国の人を用うるは、威強の立つ所以、名声の美なる所以、敵人の屈服する所以、国の安危好壞は、制御は皆これに在りて、他人に在らず。王・覇・安存・危殆・滅亡は、制御は皆我に在りて、他人に在らず。あの威強いまだ以て隣敵を危殆にするに足らず、名声いまだ以て天下を維係するに足らざれば、則ちこの国はいまだ独立する能わず。どうしてすなわち牽累を免れんや。天下は暴国に脅迫されて、而ももし我のこの時に為したくなく所を為せば、日々桀と同事同行しても、尭を為すを妨害せず。これは功名の成就する所以にあらず、存亡安危の落つる所以にあらず。功名の成就する所以、存亡安危の落つる所以は、必ず將に愉楽殷盛赤心の在る所ならん。確かにその国を王者の在る所と為せば即ち王と称し、その国を危殆滅亡の在る所と為せば即ち危殆滅亡す。殷盛の日、ここに中立を保ち、偏頗なくして、合縱連横の事を為し、安然として兵を按じて動かず、以てあの暴国の互相いに衝突するを観る。ここに政教を平定し、節奏を審察し、百姓を砥礪し、この日に之を為せば、而して兵力は天下の強勁を専有す。ここに仁義を修習し、崇高を抗挙し、法則を端正し、賢良を選択し、百姓を養い、この日に之を為せば、而して名声は天下の美を専有す。権はこれを加重し、兵はこれを強勁にし、名声はこれを美しくすべし。あの尭舜の天下を統一するも、この上に一毫末を加うること能わざるなり。

權謀傾覆之人退,則賢良知聖之士案自進矣。刑政平,百姓和,國俗節,則兵勁城固,敵國案自詘矣。務本事,積財物,而勿忘棲遲薛越也,是使群臣百姓皆以制度行,則財物積,國家案自富矣。三者體此而天下服,暴國之君案自不能用其兵矣。何則?彼無與至也。彼其所與至者,必其民也。其民之親我,歡若父母,好我芳如芝蘭,反顧其上則若灼黥,若仇讎;彼人之情性也雖桀蹠,豈有肯為其所惡,賊其所好者哉!彼以奪矣。故古之人,有以一國取天下者,非往行之也,修政其所,天下莫不願,如是而可以誅暴禁悍矣。故周公南征而北國怨,曰:"何獨不來也!"東征而西國怨,曰:"何獨後我也!"孰能有與是鬥者與?安以其國為是者王。殷之日,安以靜兵息民,慈愛百姓,闢田野,實倉廩,便備用,安謹募選閱材伎之士,然後漸賞慶以先之,嚴刑罰以防之,擇士之知事者,使相率貫也,是以厭然畜積修飾,而物用之足也。兵革器械者,彼將日日暴露毀折之中原;我將修飾之,拊循之,掩蓋之於府庫。貨財粟米者,彼將日日棲遲薛越之中野,我今將畜積幷聚之於倉廩。材伎股肱健勇爪牙之士,彼將日日挫頓竭之於仇敵,我今將來致之,幷閱之,砥礪之於朝廷。如是,則彼日積敝,我日積完;彼日積貧,我日積富;彼日積勞,我日積佚。君臣上下之間者,彼將厲厲焉日日相離疾也,我將頓頓焉日日相親愛也,以是待其敝。安以其國為是者霸。立身則從傭俗,事行則遵傭故,進退貴賤則舉傭士,之所以接下之人百姓者則庸寬惠,如是者則安存。立身則輕楛,事行則蠲疑,進退貴賤則舉佞侻,之所以接下之人百姓者則好取侵奪,如是者危殆。立身則憍暴,事行則傾覆,進退貴賤則舉幽險詐故,之所以接下之人百姓者,則好用其死力矣,而慢其功勞,好用其籍斂矣,而忘其本務,如是者滅亡。

権謀傾覆の人退けば、則ち賢良智聖の士はここに自ら進み入る。刑政平かにして百姓和し、国俗に節あれば、則ち兵勁く城固くして、敵国はここに自ら屈服す。本事を務求し、財物を積聚して、散棄遺棄を忘れざるは、これ群臣百姓をして皆制度に按じて行わしむるなり。則ち財物積聚して、国家はここに自ら富む。三者これを體現すれば天下服従し、暴国の君はここに自らその兵を用うること能わず。何ぞや。彼に従って到来する者なければなり。彼の従って到来する所の者は、必ずその民なり。その民は我に親しみ、歡喜すること父母のごとく、我が芬芳を好むこと芝蘭のごとし。反ってその上を顧みれば灼焼黥面のごとく、仇敵のごとし。あの人の情性たとえ桀跖なりとも、どうして肯んじてその悪む所のために、好む所を賊害せんや。彼は已に奪取せられたり。だから古代の人は、一国を用いて天下を取得する者あり。並びに前往して行うにあらず、彼の在る所に在りて政を修むるなり。天下に仰慕せざるなく、これのごとくなれば以て暴を誅し悍を禁ずべし。だから周公は南征して北方の国は怨望して曰く、「何ぞ単に来たらざる」と。東征して西方の国は怨望して曰く、「何ぞ単に我を後に置く」と。誰か能くこのと闘う者あらん。ここにその国をこのごとく為して王と称す。殷盛の日、ここに兵を安んじ民を休息し、百姓を慈愛し、田野を開墾し、倉廩を充実し、備えの器用を便利にし、ここに材技ある士を謹んで招募・択択・検閲し、然る後に賞慶を以て漸々に彼らを引導し、厳刑罰を以て彼らを防備し、士の中の事を知る者を選択して、彼らをして相率い貫通せしめ、これに因って安然として畜積修飾して、物用充足す。兵革器械は、彼方は將に日々中原に暴露毁折せん。我は將にこれを修飾し、これを撫循し、府庫に掩蓋せん。貨財粟米は、彼方は將に日々田野中に散棄せん。我今は將にこれを畜積併聚して倉廪に在らしめん。材技股肱健勇爪牙の士は、彼方は將に日々仇敵の所に挫頓窮尽せん。我今は將に彼らを招来し、併せて検閲し、朝廷に砥礪せん。これのごとくなれば、則ち彼方は日々敝敗を積累し、我は日々完好を積累し、彼方は日々貧を積累し、我は日々富を積累し、彼方は日々労を積累し、我は日々安逸を積累す。君臣上下の間は、彼方は將に厳厲に日々互相いに離棄憎疾せん。我は將に敦厚に日々互相いに親愛して、このを以て彼の敝敗を待たん。ここにその国をこのごとく為して覇と称す。身を立つれば平庸の習俗に従い、事を行えば平庸の旧例を遵循し、進退貴賤は平庸の士を挙用し、以て下層の百姓に接するは平常の寛恵。これのごときは則ち安存。身を立つれば軽率粗悪、事を行えば疑いて決せず、進退貴賤は巧佞を挙用し、以て下層の百姓に接するは侵奪を好む。これのごとき状態は危険。身を立つれば驕暴、事を行えば傾覆、進退貴賤は幽險詐僞を挙用し、以て下層の百姓に接するは、則ち彼らの死力を用いるを好みて、彼らの功労を怠慢し、彼らの賦斂を用いるを好みて、本事を忘る。これのごときは滅亡す。

--此五等者,不可不善擇也,王、霸、安存、危殆、滅亡之具也。善擇者制人,不善擇者人制之。善擇之者王,不善擇之者亡。夫王者之與亡者,制人之與人制之也,是其為相縣也亦遠矣。

――この五等は、好好しく択択せざるべからず。王・覇・安存・危殆・滅亡の条件なり。択択に善きは人を制し、択択に善からざるは人に制せらる。択択に善きは王と称し、択択に善からざるは滅亡す。あの王者と滅亡する者、人を制するに人に制せらるるは、その差遠きこと甚だし。

富国篇第十

萬物同宇而異體,無宜而有用為人,數也。人倫並處,同求而異道,同欲而異知,生也。皆有可也,知愚同;所可異也,知愚分。埶同而知異,行私而無禍,縱慾而不窮,則民心奮而不可說也。如是,則知者未得治也;知者未得治,則功名未成也;功名未成,則群眾未縣也;群眾未縣,則君臣未立也。無君以制臣,無上以制下,天下害生縱慾。欲惡同物,欲多而物寡,寡則必爭矣。故百技所成,所以養一人也。而能不能兼技,人不能兼官。離居不相待則窮,群居而無分則爭;窮者患也,爭者禍也,救患除禍,則莫若明分使群矣。強脅弱也,知懼愚也,民下違上,少陵長,不以德為政:如是,則老弱有失養之憂,而壯者有分爭之禍矣。事業所惡也,功利所好也,職業無分:如是,則人有樹事之患,而有爭功之禍矣。男女之合,夫婦之分,婚姻娉內,送逆無禮:如是,則人有失合之憂,而有爭色之禍矣。故知者為之分也。

万物は同一の宇裏に在りて而して形體は同じからずして、固定の所宜なくして而して用は人に為るは、数なり。人倫は竝處して、求取は相同じくして而して道路は同じからず、欲望は相同じくして而して智は同じからざるは、生なり。皆い以て可と為す所有るは、智と愚とは相同じし。以て可と為す所は同じからざれば、智と愚は則ち分別す。権勢は相同じくして而して智は同じからざれば、私を行いて而して禍なく、欲望を放縱して而して窮尽なければ、則ち民心は奮起して而して以て説服すべからず。このごとくなれば、則ち智の人は未だ治理を得ず。智の人は未だ治理を得ざれば、則ち功名は未だ成就せず。功名は未だ成就せざれば、則ち群衆は未だ分別せず。群衆は未だ分別せざれば、則ち君臣は未だ建立せず。君なくして臣を制約せず、上なくして下を制約せざれば、天下の害は放縱欲望より生出す。欲惡は同樣の物に針對して、欲望は多くして而して物は少く、少ければ則ち必ず争う。だから百種の技藝の成就する所は、以て一人を養うなり。而して能く技藝を兼通せざれば、人は能く官職を兼為せず。離散居住して互相いに依頼せざれば則ち窮し、群居して而して分際なければ則ち争う。窮は患にして、争は禍なり。患を救い禍を除かば、則ち分際を顯明して、人をして群聚せしむるに如かず。強は弱を脅迫し、智は愚を懼れ、民は下に在りて上に違逆し、年少は年長を陵駕して、徳を用いて政を為さざれば、このごとく、則ち老弱は失養の憂有りて、而して壯年は分争の禍有り。事業は厭惡する所にして、功利は喜好する所にして、職業に分際なければ、このごとく、則ち人は事業を樹立するの患有りて、而して功を争うの禍有り。男女の配合・夫婦の分際・婚姻聘納・迎送に礼なければ、このごとく、則ち人は配合を失うの憂有りて、而して色を争うの禍有り。だから智の人は彼らのために分別す。

足國之道:節用裕民,而善臧其餘。節用以禮,裕民以政。彼裕民,故多餘。裕民則民富,民富則田肥以易,田肥以易則出實百倍。上以法取焉,而下以禮節用之,餘若丘山,不時焚燒,無所臧之。夫君子奚患乎無餘?故知節用裕民,則必有仁聖賢良之名,而且有富厚丘山之積矣。此無他故焉,生於節用裕民也。不知節用裕民則民貧,民貧則田瘠以穢,田瘠以穢則出實不半;上雖好取侵奪,猶將寡獲也。而或以無禮節用之,則必有貪利糾譑之名,而且有空虛窮乏之實矣。此無他故焉,不知節用裕民也。康誥曰:"弘覆乎天,若德裕乃身。"此之謂也。

国を充足せしむるの道は、用度を節約して、民を寬裕せしめて、而して善く其余を貯蔵す。礼を以て用度を節約して、政を以て民を寬裕せしむ。あの民を寬裕せしむるは、以て多余有る所以なり。民を寬裕せしめば則ち民は富み、民は富めば則ち田は肥えて而して治理し易く、田は肥えて而して治理し易ければ則ち出產の果實は百倍す。上は法に按じて取用して、而して下は礼に按じて節約使用して、其余は丘山のごとくして、時に焚燒するも、貯蔵するの地方なし。あの君子はどうして其余なきを憂患せん。だから知る、用度を節約して民を寬裕せしむれば、則ち必ず仁聖賢良の名有りて、而して富厚丘山の積蓄有り。これに別の緣故なし。是れ用度を節約して民を寬裕せしむるより生出す。知らずして用度を節約して民を寬裕せしめざれば則ち民は貧して、民は貧すれば則ち田は瘠して而して荒穢し、田は瘠して而して荒穢すれば則ち出產の果實は一半に到らず。上はたとえ侵奪を喜好するも、還將に獲得するは少し。而して人あるいは礼節に按じて使用せざれば、則ち必ず貪利糾察の名有りて、而して空虚窮乏の實有り。これに別の緣故なし。是れ用度を節約して民を寬裕せしむるを知らざるなり。『康誥』に言う。「弘大に覆蓋するは天のごとく、徳に順從すれば則ち汝自身を寬裕せしめん」と。是れこれを言うなり。

禮者,貴賤有等;長幼有差,貧富輕重皆有稱者也。故天子袾裷衣冕,諸侯玄裷衣冕,大夫裨冕,士皮弁服。德必稱位,位必稱祿,祿必稱用,由士以上則必以禮樂節之,眾庶百姓則必以法數制之。量地而立國,計利而畜民,度人力而授事,使民必勝事,事必出利,利足以生民,皆使衣食百用出入相揜,必時臧餘,謂之稱數。故自天子通於庶人,事無大小多少,由是推之。故曰:"朝無幸位,民無幸生。"此之謂也。輕田野之賦,平關市之徵,省商賈之數,罕興力役,無奪農時,如是則國富矣。夫是之謂以政裕民。

礼は、貴賤に等級あり、長幼に差別あり、貧富軽重は皆相称なるものあり。だから天子は朱紅の衣冕、諸侯は玄色の衣冕、大夫は裨冕、士は皮弁服。徳は必ず位子と相称し、位子は必ず俸禄と相称し、俸禄は必ず用度と相称す。士より以上は必ず礼楽を以て節制し、衆庶百姓は必ず法数を以て制約す。土地を衡量して国を建立し、利を計算して民を畜養し、人力を度量して事を授予し、民をして必ず事に勝任せしめ、事をして必ず利を出さしめ、利は民を養うに足らしめ、皆衣食百用の出入を相い抵え、必ず時に按じてその余りを貯蔵す。これを数に称すという。だから天子より庶人に通ずるまで、事は大小多少を問わず、皆ここより類推す。だから言う、「朝廷に僥幸の位なく、民に僥幸の生路なし」と。これを言うのである。田野の賦を軽減し、関市の征を平定し、商賈の数を減省し、力役を興すこと稀少にして、農時を奪わず。これのごとくなれば則ち国富む。これを政を以て民を裕にするという。

人之生不能無群,群而無分則爭,爭則亂,亂則窮矣。故無分者,人之大害也;有分者,天下之本利也;而人君者,所以管分之樞要也。故美之者,是美天下之本也;安之者,是安天下之本也;貴之者,是貴天下之本也。古者先王分割而等異之也,故使或美,或惡,或厚,或薄,或佚或樂,或劬或勞,非特以為淫泰夸麗之聲,將以明仁之文,通仁之順也。故為之雕琢、刻鏤、黼黻文章,使足以辨貴賤而已,不求其觀;為之鐘鼓、管磬、琴瑟、竽笙,使足以辨吉凶、合歡、定和而已,不求其餘;為之宮室、臺榭,使足以避燥溼、養德、辨輕重而已,不求其外。詩曰:"雕琢其章,金玉其相,亹亹我王,綱紀四方。"此之謂也。

人は生まれて群なくんばあるべからず。群ありて分際なくんば争い、争えば乱れ、乱れば窮す。だから分際なきは人の大害、分際あるは天下の根本の利益、而して人君は以て分際を掌管するの枢要なり。だから彼を讃美するは、天下の根本を讃美するなり。彼を安定するは、天下の根本を安定するなり。彼を看重するは、天下の根本を看重するなり。古代の先王は分割して等級に按じて彼らを区別し、だからあるを美しく、あるを悪しく、あるを厚く、あるを薄く、あるを安逸あるいは楽しませ、あるを劬労あるいは労苦せしむ。並びに以て淫泰夸麗の声名を為すのみならず、將に以て仁の文を顕明にし、仁の順を通達せしめんとす。だから彼らのために雕琢・刻鏤・黼黻文章を為して、貴賤を辨別するに足らしむるのみ、その外観を求めず。彼らのために鐘鼓・管磬・琴瑟・竽笙を為して、吉凶・合歡・定和を辨別するに足らしむるのみ、その余を求めず。彼らのために宮室・台榭を為して、燥湿を躲避し、徳を養い、軽重を辨別するに足らしむるのみ、その外を求めず。『詩経・大雅・棫朴』に言う。「あの文章を雕琢し、金玉あの質地、勤勉なる我が王、四方を綱紀す」と。これを言うのである。

若夫重色而衣之,重味而食之,重財物而制之,合天下而君之,非特以為淫泰也,固以為主天下,治萬變,材萬物,養萬民,兼制天下者,為莫若仁人之善也夫。故其知慮足以治之,其仁厚足以安之,其德音足以化之,得之則治,失之則亂。百姓誠賴其知也,故相率而為之勞苦以務佚之,以養其知也;誠美其厚也,故為之出死斷亡以覆救之,以養其厚也;誠美其德也,故為之雕琢、刻鏤、黼黻、文章以藩飾之,以養其德也。故仁人在上,百姓貴之如帝,親之如父母,為之出死斷亡而愉者,無它故焉,其所是焉誠美,其所得焉誠大,其所利焉誠多。詩曰:"我任我輦,我車我牛,我行既集,蓋雲歸哉!"此之謂也。

顏色を重畳して衣とし、滋味を重畳して食とし、財物を重畳して制約とし、天下を会合して君を為すは、並びに以て淫泰を為すのみならず、本來は天下を主持し、万変を治理し、万物を裁成し、万民を養い、天下を兼制するに因るなり。仁人に比するはなし。だからその智慮は以て治理するに足り、その仁厚は以て安定するに足り、その徳音は以て教化するに足る。彼を得れば治まり、彼を失えば乱る。百姓は確かにその智に依頼す。だから相率い彼に労苦を与えて、彼を安逸ならしめんことを務求し、以てその智を養う。確かにその厚を讃美す。だから彼に出死断亡を与えて彼を覆救し、以てその厚を養う。確かにその徳を讃美す。だから彼に雕琢・刻鏤・黼黻・文章を与えて彼を藩飾し、以てその徳を養う。だから仁人上に在れば、百姓は彼を看重すること帝のごとく、彼に親しむこと父母のごとく、彼に出死断亡を与えて愉楽す。他の故なし、彼の肯定する所は確かに美しく、彼の獲得する所は確かに大きく、彼の利する所は確かに多し。『詩経・小雅・黍苗』に言う。「我らは負い我らは車を挽き、我らの車我らの牛、我らの行程は已に成就し、ほぼ帰るべし」と。これを言うのである。

故曰:君子以德,小人以力;力者,德之役也。百姓之力,待之而後功;百姓之群,待之而後和;百姓之財,待之而後聚;百姓之埶,待之而後安;百姓之壽,待之而後長;父子不得不親,兄弟不得不順,男女不得不歡。少者以長,老者以養。故曰:"天地生之,聖人成之。"此之謂也。

だから言う、君子は徳を用い、小人は力を用いる。力は徳の役使する所なり。百姓の力は、彼を待ちて後に功あり。百姓の群は、彼を待ちて後に和す。百姓の財は、彼を待ちて後に聚まる。百姓の勢は、彼を待ちて後に安んず。百姓の寿は、彼を待ちて後に長し。父子は彼を得ずんば親しむこと能わず、兄弟は彼を得ずんば順うこと能わず、男女は彼を得ずんば歡ぶこと能わず。年少はこれに因って成長し、年老はこれに因って養いを得る。だから言う、「天地は彼を生じ、聖人は彼を成就す」と。これを言うのである。

今之世而不然:厚刀布之斂,以奪之財;重田野之賦,以奪之食;苛關市之徵,以難其事。不然而已矣:有掎絜伺詐,權謀傾覆,以相顛倒,以靡敝之。百姓曉然皆知其汙漫暴亂,而將大危亡也。是以臣或弒其君,下或殺其上,粥其城,倍其節,而不死其事者,無他故焉,人主自取之。詩曰:"無言不讎,無德不報。"此之謂也。

如今の世はこれにあらず――刀布の聚斂を加重して、以て彼らの財を奪い、田野の賦を加重して、以て彼らの食を奪い、関市の征を苛細にして、以て彼らの事を為難す。これのみならず、また掎挈伺察して欺詐し、権謀傾覆して、以て互相いに顛倒し、以て彼らを毁敝す。百姓は明白に皆彼が污漫暴乱にして、將に大いに危亡せんとするを知る。これに因って臣あるはその君を弑し、下あるはその上を殺し、城を売り、節を背叛して、あの事のために死せざるは、他の故なし、人主自ら取るなり。『詩経・大雅・抑』に言う。「話に酬答せざるなく、徳に回報せざるなし」と。これを言うのである。

兼足天下之道在明分:掩地表畝,刺屮殖穀,多糞肥田,是農夫眾庶之事也。守時力民,進事長功,和齊百姓,使人不偷,是將率之事也。高者不旱,下者不水,寒暑和節,而五穀以時孰,是天之事也。若夫兼而覆之,兼而愛之,兼而制之,歲雖兇敗水旱,使百姓無凍餧之患,則是聖君賢相之事也。

天下を兼ねて充足せしむるの道は、分際を顕明にするに在り――土壤を掩盖し、田畝を標明し、草菜を除去し、穀物を種植し、糞を多くして田を肥やすは、農夫衆庶の事なり。時を守り民をして力を尽くさしめ、事業を推進し功労を増長し、百姓を和斉し、人をして偷惰ならざらしむるは、將帥の事なり。高き所は旱せず、低き所は澇れず、寒暑は和諧して節あり、而して五谷は時に按じて成熟すは、天の事なり。彼らを兼覆し、彼らを兼愛し、彼らを兼制すれば、年歳たとえ凶敗水旱なりとも、百姓をして凍餓の患なからしむるは、則ち聖君賢相の事なり。

墨子之言昭昭然為天下憂不足。夫不足非天下之公患也,特墨子之私憂過計也。今是土之生五穀也,人善治之,則畝數盆,一歲而再獲之。然後瓜桃棗李一本數以盆鼓;然後葷菜百疏以澤量;然後六畜禽獸一而剸車;黿、鼉、魚、鱉、鰍、鱣以時別,一而成群;然後飛鳥、鳧、雁若煙海;然後昆蟲萬物生其間,可以相食養者,不可勝數也。夫天地之生萬物也,固有餘,足以食人矣;麻葛繭絲、鳥獸之羽毛齒革也,固有餘,足以衣人矣。夫有餘不足,非天下之公患也,特墨子之私憂過計也。

墨子の言は昭昭然として天下の不足を憂慮す。あの不足は天下の公患にあらず、ただ墨子の私憂過慮のみ。如今この土地は五谷を生じ、人はこれを治理するに善ければ、則ち一畝幾盆、一年に二度収獲す。然る後に瓜桃棗李は一棵に盆鼓を以て計数し、然る後に葷菜百蔬は沢を以て量り、然る後に六畜禽獣は一只に一車を装満し、黿・鼉・魚・鱉・鰍・鱣は時に按じて分別して一処に群を成し、然る後に飛鳥・鳧・雁は煙と海のごとく、然る後に昆虫万物はその間に生じ、以て互相いに食養すべきは数え尽くすべからず。あの天地の万物を生ずるは、本來余りあり、以て人に食を与うるに足る。麻葛繭糸・鳥獣の羽毛歯革は、本來余りあり、以て人に衣を与うるに足る。あの有余不足は、天下の公患にあらず、ただ墨子の私憂過慮のみ。

天下之公患,亂傷之也。胡不嘗試相與求亂之者誰也?我以墨子之"非樂"也,則使天下亂;墨子之"節用"也,則使天下貧,非將墮之也,說不免焉。墨子大有天下,小有一國,將蹙然衣粗食惡,憂戚而非樂。若是則瘠,瘠則不足欲;不足欲則賞不行。墨子大有天下,小有一國,將少人徒,省官職,上功勞苦,與百姓均事業,齊功勞。若是則不威;不威則罰不行。賞不行,則賢者不可得而進也;罰不行,則不肖者不可得而退也。賢者不可得而進也,不肖者不可得而退也,則能不能不可得而官也。若是,則萬物失宜,事變失應,上失天時,下失地利,中失人和,天下敖然,若燒若焦,墨子雖為之衣褐帶索,嚽菽飲水,惡能足之乎?既以伐其本,竭其原,而焦天下矣。

天下の公患は、乱のこれを傷害するなり。何ぞ試みに互相いにあの乱を作す者は誰ぞを求めざる。我は墨子の「非楽」は、即ち天下を乱らしめ、墨子の「節用」は、即ち天下を貧しくすと謂う。並びに將にこれを毁堕せんとするにあらず、あの学説は免れずしてこのごとし。墨子大にすれば天下を有し、小にすれば一国を有す。將に蹙然として粗を穿ち惡を食らい、憂戚して楽を非とせんとす。これのごとくなれば瘠薄し、瘠薄すれば欲望足らず。欲望足らざれば則ち賞は行うこと能わず。墨子大にすれば天下を有し、小にすれば一国を有す。將に人徒を減少し、官職を減省し、上は功労労苦して、百姓と事業を均しくし、功労を斉しくせんとす。これのごとくなれば威なく、威なければ則ち罰は行うこと能わず。賞行うこと能わざれば、則ち賢の人は得て進用するべからず。罰行うこと能わざれば、則ち不肖の人は得て斥退するべからず。賢の人は得て進用するべからず、不肖の人は得て斥退するべからざれば、則ち能と不能は得て任官するべからず。これのごとくなれば、則ち万物は適宜を失い、事変は応対を失い、上は天時を失い、下は地利を失い、中は人和を失い、天下熬熱して、焼くがごとく焦がるがごとし。墨子たとえ彼らに褐を穿ち索を束ね、豆粥を啜り水を飲ましむとも、どうして彼らを充足せしめんや。已にあの根本を砍伐し、あの源頭を枯竭して、天下を焦灼せり。

故先王聖人為之不然:知夫為人主上者,不美不飾之不足以一民也,不富不厚之不足以管下也,不威不強之不足以禁暴勝悍也,故必將撞大鐘,擊鳴鼓,吹笙竽,彈琴瑟,以塞其耳;必將錭琢刻鏤,黼黻文章,以塞其目;必將芻豢稻粱,五味芬芳,以塞其口。然後眾人徒,備官職,漸慶賞,嚴刑罰,以戒其心。使天下生民之屬,皆知己之所願欲之舉在是於也,故其賞行;皆知己之所畏恐之舉在是於也,故其罰威。賞行罰威,則賢者可得而進也,不肖者可得而退也,能不能可得而官也。若是則萬物得宜,事變得應,上得天時,下得地利,中得人和,則財貨渾渾如泉源,汸汸如河海,暴暴如丘山,不時焚燒,無所臧之。夫天下何患乎不足也?故儒術誠行,則

だから先王聖人はこのためこれにあらず――あの人主の上に在るを為すは、美しく文飾せざれば以て民を斉一にするに足らず、富み厚からざれば以て下を掌管するに足らず、威あって強からざれば以て暴を禁止し悍に勝つに足らずと知る。だから必ず將に大鐘を撞き、鳴鼓を撃ち、笙竽を吹き、琴瑟を彈じて、以てその耳を充満せんとす。必ず將に雕琢刻鏤し、黼黻文章して、以てその目を充満せんとす。必ず將に肉食稻粱、五味芬芳して、以てその口を充満せんとす。然る後に人徒を增多し、官職を具備し、慶賞を以て漸々に引導し、厳刑罰を以て、その心を警戒す。天下の生民をして一類ならしめ、皆その願欲する所のここに在るを知らしむ。だからその賞は行うこと能く、皆その畏恐する所のここに在るを知る。だからその罰は威あり。賞行うこと能く罰威あれば、則ち賢の人は得て進用すべく、不肖の人は得て斥退すべく、能と不能は得て任官すべし。これのごとくなれば則ち万物は適宜を得、事変は応対を得、上は天時を得、下は地利を得、中は人和を得る。則ち財貨は渾渾として泉源のごとく、滂滂として河海のごとく、暴暴として丘山のごとく、時ならずして焚燒し、貯蔵する所なし。あの天下はどうして不足を憂慮せんや。だから儒術確かに行わるれば、則ち

(缺兩行)

底本ここに二行を缺く。

撞鐘擊鼓而和。詩曰:"鐘鼓喤喤,管磬瑲瑲,降福穰穰,降福簡簡,威儀反反。既醉既飽,福祿來反。"此之謂也。故墨術誠行,則天下尚儉而彌貧,非鬥而日爭,勞苦頓萃,而愈無功,愀然憂戚非樂,而日不和。詩曰:"天方薦瘥,喪亂弘多,民言無嘉,憯莫懲嗟。"此之謂也。

(続いて言う:)鐘を撞き鼓を撃ちて和諧す。『詩経・周頌・執競』に言う。「鐘鼓喤喤、管磬瑲瑲、福を降すこと衆多、福を降すこと大大、威儀安詳。已に醉い已に飽き、福禄また来たる」と。これを言うのである。だから墨術確かに行わるれば、則ち天下は節儉を崇尚して却って益々貧しく、鬪を非として却って日々に争い、労苦困頓憔悴して、却って益々功なく、愀然として憂戚し楽を非として、却って日々に和せず。『詩経・小雅・節南山』に言う。「天はまさに疫病を降し、喪乱はまた大きく多く、民は嘉言なく、竟に懲戒せず嗟嘆す」と。これを言うのである。

垂事養民,拊循之,唲嘔之,冬日則為之饘粥,夏日則為之瓜麮,以偷取少頃之譽焉,是偷道也。可以少頃得奸民之譽,然而非長久之道也;事必不就,功必不立,是奸治者也。傮然要時務民,進事長功,輕非譽而恬失民,事進矣,而百姓疾之,是又偷偏者也。徙壞墮落,必反無功。故垂事養譽,不可;以遂功而忘民,亦不可。皆奸道也。

正事を放下して以て民を養い、彼らを撫循し、彼らを噢休し、冬は即ち彼らに稠粥を与え、夏は即ち彼らに瓜麦粥を与えて、以て片刻の名誉を偷取するは、これ偷惰の道なり。片刻に奸民の誉を得るべきも、然りて長久の道にあらず。事は必ず成就せず、功は必ず立たず。これは奸治なり。倉猝に要約して時機に民を役使し、事業を推進し功労を増長し、毁誉を看輕して失民に安んずれば、事は推進せりとて、而して百姓は彼を憎疾す。これまた偷惰にして偏頗なり。毁壊墮落して、必ず反って功なし。だから正事を放下して以て名誉を養うは、可ならず。功を成就するに因って民を忘るるも、また可ならず。皆奸道なり。

故古人為之不然:使民夏不宛喝,冬不凍寒,急不傷力,緩不後時,事成功立,上下俱富;而百姓皆愛其上,人歸之如流水,親之歡如父母,為之出死斷亡而愉者,無它故焉,忠信、調和、均辨之至也。故國君長民者,欲趨時遂功,則和調累解,速乎急疾;忠信均辨,說乎慶賞矣;必先修正其在我者,然後徐責其在人者,威乎刑罰。三德者誠乎上,則下應之如景向,雖欲無明達,得乎哉!書曰:"乃大明服,惟民其力懋,和而有疾。"此之謂也。

だから古代の人はこのためこれにあらず――民をして夏は中暑せず、冬は凍寒せず、急は力を傷害せず、緩は時に落后せずして、事成り功立ち、上下皆富ましむ。而して百姓は皆その上を愛し、人の彼に歸向するは流水のごとく、彼に親しみ歡喜するは父母のごとく、彼に出死断亡を与えて愉楽す。他の故なし、忠信・調和・均辨の極致に至るなり。だから国君の民を長とするは、時機に趨赴して功を成就せんと欲せば、則ち和調寛緩は、急疾よりも速し。忠信均辨は、慶賞よりも人を喜悅せしむ。必ず先ずあの我に在るを修正して、然る後に徐々にあの人に在るを責求するは、刑罰よりも威あり。三徳確かに上に在れば、則ち下の応えるは影子と回声のごとし。たとえ顯明通達せんと欲せずとも、能くするを得んや。『書』に言う。「ここに大大に明服し、民は力を尽くし勉励し、和諧して迅速なり」と。これを言うのである。

故不教而誅,則刑繁而邪不勝;教而不誅,則奸民不懲;誅而不賞,則勤厲之民不勸;誅賞而不類,則下疑俗險而百姓不一。故先王明禮義以壹之,致忠信以愛之,尚賢使能以次之,爵服慶賞以申重之,時其事,輕其任,以調齊之,潢然兼覆之,養長之,如保赤子。若是,故奸邪不作,盜賊不起,而化善者勸勉矣。是何邪?則其道易,其塞固,其政令一,其防表明。故曰:上一則下一矣,上二則下二矣。闢之若屮木枝葉必類本。此之謂也。

だから教化せずして誅殺すれば、則ち刑は繁多にして邪は勝つこと能わず。教化して誅殺せざれば、則ち奸民は懲戒せず。誅殺して賞せざれば、則ち勤勉の民は勧勉せず。誅賞して類に合せざれば、則ち下は疑惑して習俗險惡にして百姓斉一せず。だから先王は礼義を顕明にして以て彼らを斉一にし、忠信を極尽して以て彼らを愛し、賢を崇尚し能を使用して以て彼らを排列し、爵服慶賞を以て彼らを申重し、時に按じて彼らの事を安排し、彼らの担いを軽減して、以て彼らを調斉し、広大に彼らを兼覆し、彼らを養長するは、赤子を保護するがごとし。これのごとく、だから奸邪発作せず、盗賊興起せずして、善に化する人は勧勉せらる。これは何ぞや。彼の道は平易、彼の充塞は堅固、彼の政令は斉一、彼の防表は顯明なればなり。だから言う、上は一なれば下は一、上は二なれば下は二。譬えば草木の枝葉の必ず根本に似るがごとし。これを言うのである。

不利而利之,不如利而後利之之利也。不愛而用之,不如愛而後用之之功也。利而後利之,不如利而不利者之利也。愛而後用之,不如愛而不用者之功也。利而不利也,愛而不用也者,取天下者也。利而後利之,愛而後用之者,保社稷者也。不利而利之,不愛而用之者,危國家者也。

人に利を与えずして彼より利を取るは、先ず人に利を与えて然る後に彼より利を取るの利あるに如かず。愛さずして彼を用いるは、先ず愛して然る後に彼を用いるの功あるに如かず。先ず人に利を与えて然る後に彼より利を取るは、人に利を与えて彼より利を取らざるの益々利あるに如かず。先ず愛して然る後に彼を用いるは、愛して彼を用いざるの益々功あるに如かず。人に利を与えて彼より利を取らず、愛して彼を用いざるは、天下を取得する者なり。先ず人に利を与えて然る後に彼より利を取り、先ず愛して然る後に彼を用いるは、社稷を保全する者なり。人に利を与えずして彼より利を取り、愛さずして彼を用いるは、国家を危害する者なり。

觀國之治亂臧否,至於疆易而端已見矣。其候繳支繚,其竟關之政盡察--是亂國已。入其境,其田疇穢,都邑露--是貪主已。觀其朝廷,則其貴者不賢;觀其官職,則其治者不能;觀其便嬖,則其信者不愨--是闇主已。凡主相臣下百吏之屬,其於貨財取與計數也,順孰盡察;其禮義節奏也,芒軔僈楛--是辱國已。其耕者樂田,其戰士安難,其百吏好法,其朝廷隆禮,其卿相調議--是治國已。觀其朝廷,則其貴者賢;觀其官職,則其治者能;觀其便嬖,則其信者愨--是明主已。凡主相臣下百吏之屬,其於貨財取與計數也,寬饒簡易;其於禮義節奏也,陵謹盡察--是榮國已。賢齊則其親者先貴,能齊則其故者先官,其臣下百吏,汙者皆化而修,悍者皆化而願,躁者皆化而愨--是明主之功已。

国の治乱好壞を観るに、疆界に至りて端緒已に見ゆ。あの斥候は繳繞支離にして、あの辺境關隘の政は皆苛察。――これ已に乱国なり。その境に入れば、あの田疇は荒秽し、都邑は敗露す。――これ已に貪主なり。その朝廷を観れば、則ちあの貴き者は賢ならず。その官職を観れば、則ちあの治理する者は能ならず。その便嬖を観れば、則ちあの信任せらるる者は端謹ならず。――これ已に昏主なり。およそ主相臣下百吏一類は、彼らの貨財の取与計数に於いては、精熟皆苛察。礼義節奏に於いては、茫昧緩慢粗悪。――これ已に辱国なり。あの耕種する者は田を楽しみ、あの戦士は難に安んじ、あの百吏は法を好み、あの朝廷は礼を尊崇し、あの卿相は調議す。――これ已に治国なり。その朝廷を観れば、則ちあの貴き者は賢。その官職を観れば、則ちあの治理する者は能。その便嬖を観れば、則ちあの信任せらるる者は端謹。――これ已に明主なり。およそ主相臣下百吏一類は、彼らの貨財の取与計数に於いては、寛饒簡易。礼義節奏に於いては、厳謹皆審察。――これ已に栄国なり。賢相もと等しければ則ちあの親しき者は先ず貴び、能もと等しければ則ちあの故旧は先ず任官す。あの臣下百吏は、污きは皆化して修整し、悍なるは皆化して謹愿し、浮躁なるは皆化して端謹す。――これ已に明主の功なり。

觀國之強弱貧富有徵驗:上不隆禮則兵弱,上不愛民則兵弱,已諾不信則兵弱,慶賞不漸則兵弱,將率不能則兵弱。上好功則國貧,上好利則國貧,士大夫眾則國貧,工商眾則國貧,無制數度量則國貧。下貧則上貧,下富則上富。故田野縣鄙者,財之本也;垣窌倉廩者,財之末也。百姓時和,事業得敘者,貨之源也;等賦府庫者,貨之流也。故明主必謹養其和,節其流,開其源,而時斟酌焉。潢然使天下必有餘,而上不憂不足。如是,則上下俱富,交無所藏之。是知國計之極也。故禹十年水,湯七年旱,而天下無菜色者,十年之後,年穀復熟,而陳積有餘。是無它故焉,知本末源流之謂也。故田野荒而倉廩實,百姓虛而府庫滿,夫是之謂國蹶。伐其本,竭其源,而並之其末,然而主相不知惡也,則其傾覆滅亡可立而待也。以國持之,而不足以容其身,夫是之謂至貧,是愚主之極也。將以取富而喪其國,將以取利而危其身,古有萬國,今有十數焉,是無它故焉,其所以失之一也。君人者亦可以覺矣。百里之國,足以獨立矣。

国の強弱貧富を観るに征験あり――上は礼を尊崇せざれば則ち兵弱く、上は民を愛せざれば則ち兵弱く、已に承諾して信なければ則ち兵弱く、慶賞漸積せざれば則ち兵弱く、將帥能なければ則ち兵弱し。上は功を好めば則ち国貧しく、上は利を好めば則ち国貧しく、士大夫多ければ則ち国貧しく、工商多ければ則ち国貧しく、制度数度量なければ則ち国貧し。下貧しければ則ち上貧しく、下富めば則ち上富む。だから田野縣鄙は財の根本、墻垣地窖倉廩は財の末なり。百姓は時を得て和諧し、事業は序列を得るは、貨の源頭。等に按じる賦税・府庫は、貨の流なり。だから明主は必ずあの和を謹慎養護し、あの流を節制し、あの源頭を開通して、時に按じて斟酌す。広大に天下をして必ず余りあらしめて、上は不足を憂慮せず。これのごとくなれば、則ち上下皆富み、交互に貯蔵する所なし。これは国計を知るの極致なり。だから禹は十年水にして湯は七年旱すれど、而して天下に菜色の人なく、十年の後、年穀また成熟して、陳積に余りあり。これ他の故なし、本末源流の意を知るなり。だから田野荒れて倉廩充実し、百姓空虚にして府庫満つるは、これを国の跌倒するという。あの根本を砍伐し、あの源頭を枯竭して、併せてあの末に至り、然りて主相は悪むを知らざれば、則ちその傾覆滅亡は立ちて待つべし。国を以て持守するも、自身を容納するに足らざれば、これを至貧という。愚主の極致なり。將に以て富を取らんとしてその国を喪失し、將に以て利を取らんとしてその身を危害す。古代に万国あり、如今に十数国あり。これ他の故なし、彼らの失う所のは一事なり。人君と為るもまた覚悟すべし。百里の国は、以て独立するに足る。

凡攻人者,非以為名,則案以為利也;不然則忿之也。仁人之用國,將修志意,正身行,伉隆高,致忠信,期文理。布衣紃屨之士誠是,則雖在窮閻漏屋,而王公不能與之爭名;以國載之,則天下莫之能隱匿也。若是則為名者不攻也。將闢田野,實倉廩,便備用,上下一心,三軍同力,與之遠舉極戰則不可;境內之聚也保固;視可,午其軍,取其將,若撥麷。彼得之,不足以藥傷補敗。彼愛其爪牙,畏其仇敵,若是則為利者不攻也。將修大小強弱之義,以持慎之,禮節將甚文,圭璧將甚碩,貨賂將甚厚,所以說之者,必將雅文辯慧之君子也。彼苟有人意焉,夫誰能忿之?若是,則忿之者不攻也。為名者否,為利者否,為忿者否,則國安於盤石,壽於旗翼。人皆亂,我獨治;人皆危,我獨安;人皆喪失之,我按起而治之。故仁人之用國,非特將持其有而已也,又將兼人。詩曰:"淑人君子,其儀不忒;其儀不忒,正是四國。"此之謂也。

およそ人を攻打するは、名を以て為すか、利を以て為すか、然らざれば即ち彼を忿恨するなり。仁人は国を用いて、將に志意を修整し、身行を端正し、崇高を抗挙し、忠信を極尽し、文理を期求せんとす。布衣繩鞋の士確かにこれのごとくなれば、則ちたとえ窮巷漏屋の裡に在りても、而して王公は彼と名を争うこと能わず。国を用いて彼を承載すれば、則ち天下に彼を隠匿すること能くするなし。これのごとくなれば則ち名の為にするは攻打せず。將に田野を開墾し、倉廩を充実し、備えの器用を便利にし、上下一心にして三軍同力、彼と遠挙極戦すれば則ち可ならず。境内の聚集は保固し、可を看て、彼の軍を迎撃し、彼の將を奪取するは、麦芽を撥くがごとし。彼はこれらを得るも、以て傷を療し敗を補うに足らず。彼はその爪牙を愛し、その仇敵を畏懼す。これのごとくなれば則ち利の為にするは攻打せず。將に大小強弱の義を修習して、以て持守謹慎し、礼節は將に甚だ文あり、圭璧は將に甚だ碩大に、貨賂は將に甚だ厚く、以て游説するは、必ず將に雅文辯慧の君子ならん。彼もし人意あらば、誰か彼を忿恨せん。これのごとくなれば、則ち忿恨するは攻打せず。名の為にするは来たらず、利の為にするは来たらず、忿の為にするは来たらざれば、則ち国は磐石に安んじ、寿は箕星・翼星に比す。他人は皆乱るるに、我は独り自治し、他人は皆危うきに、我は独り安んじ、他人は皆喪失するに、我は按じて起きて治む。だから仁人は国を用いて、並びに將にその有するを持守するのみならず、また將に人を兼有せんとす。『詩経・曹風・鳲鳩』に言う。「善人君子、その儀度に差錯なく、儀度に差錯なく、この四国を端正す」と。これを言うのである。

持國之難易:事強暴之國難,使強暴之國事我易。事之以貨寶,則貨寶單,而交不結;約信盟誓,則約定而畔無日;割國之錙銖以賂之,則割定而欲無厭。事之彌煩,其侵人愈甚,必至於資單國舉然後已。雖左堯而右舜,未有能以此道得免焉者也。譬之是猶使處女嬰寶珠,佩寶玉,負戴黃金,而遇中山之盜也,雖為之逢蒙視,詘要撓膕,君盧屋妾,由將不足以免也。故非有一人之道也,直將巧繁拜請而畏事之,則不足以持國安身。故明君不道也。必將修禮以齊朝,正法以齊官,平政以齊民;然後節奏齊於朝,百事齊於官,眾庶齊於下。如是,則近者競親,遠方致願,上下一心,三軍同力,名聲足以暴炙之,威強足以捶笞之,拱揖指揮,而強暴之國莫不趨使,譬之是猶烏獲與焦僥搏也。故曰:事強暴之國難,使強暴之國事我易。此之謂也。

国を持守するの難易――強暴の国に事えるは難く、強暴の国をして我に事えしむるは易し。貨宝を以て彼に事えれば、則ち貨宝は用尽するも、而して交情は結ばれず。約信盟誓すれば、則ち約定せるも背叛するは数日ならず。国の錙銖を割きて以て彼を賄賂すれば、則ち割定せるも欲望は満足せず。彼に事えること愈々煩ければ、彼の侵入は愈々厲しく、必ず資用尽き国挙げて送るに至りて然る後に止まる。たとえ左に尭右に舜ありとも、能くこの道を以て禍を免るるを得るなし。譬えば処女に頸に宝珠を繫ぎ、宝玉を佩び、黄金を背負わしめて、中山の盗に遇わしむれば、たとえ彼に斜めに眼を看らしめ、腰を彎曲し腿を彎げ、人家の屋裡の妾のごとくとも、將に以て禍を免るるに足らず。だから斉一の人の道あるにあらず、ただ將に巧言繁請して畏懼して彼に事えんとするは、則ち以て国を持守し身を安定するに足らず。だから明君はこの道を走らず。必ず將に礼を修して以て朝廷を斉一にし、法を端正して以て官府を斉一にし、政を平かにして以て民を斉一にせんとす。然る後に節奏は朝廷に斉一にし、百事は官府に斉一にし、衆庶は下に斉一す。これのごとくなれば、則ち近き者は争いて親しみ、遠方は意願を致送し、上下一心にして三軍同力、名声は以て彼を暴炙するに足り、威強は以て彼を捶笞するに足り、拱手作揖して指揮すれば、而して強暴の国は趨使せざるなし。譬えば烏獲と焦僥の搏闘するがごとし。だから言う、強暴の国に事えるは難く、強暴の国をして我に事えしむるは易し、と。これを言うのである。

王覇篇第十一

國者,天下之利用也;人主者,天下之利埶也。得道以持之,則大安也,大榮也,積美之源也;不得道以持之,則大危也,大累也,有之不如無之;及其綦也,索為匹夫不可得也,齊愍、宋獻是也。故人主天下之利埶也,然而不能自安也,安之者必將道也。

国は天下の便利な器具、人主は天下の便利な権勢。道を得てこれを持守すれば、則ち大安にして大栄、美を積聚する源頭なり。道を得ずしてこれを持守すれば、則ち大危にして大牽累、これ有るは無きに如かず。極に至れば、匹夫を為さんと求めても得るべからず。斉の愍王・宋の献がこれである。だから人主は天下の便利な権勢なれど、然りて自ら安定すること能わず。彼を安定するは必ず將に道ならん。

故用國者,義立而王,信立而霸,權謀立而亡。--三者明主之所謹擇也,仁人之所務白也。絜國以呼禮義,而無以害之,行一不義,殺一無罪,而得天下,仁者不為也。擽然扶持心國,且若是其固也。之所與為之者,之人則舉義士也;之所以為布陳於國家刑法者,則舉義法也;主之所極然帥群臣而首鄉之者,則舉義志也。如是則下仰上以義矣,是綦定也;綦定而國定,國定而天下定。仲尼無置錐之地,誠義乎志意,加義乎身行,箸之言語,濟之日,不隱乎天下,名垂乎後世。今亦以天下之顯諸侯,誠義乎志意,加義乎法則度量,箸之以政事,案申重之以貴賤殺生,使襲然終始猶一也。如是,則夫名聲之部發於天地之間也,豈不如日月雷霆然矣哉!故曰:以國齊義,一日而白,湯武是也。湯以亳,武王以鄗,皆百里之地也,天下為一,諸侯為臣,通達之屬,莫不從服,無它故焉,以義濟矣。--是所謂義立而王也。

だから国を用うるは、義立ち住まれば王と称し、信立ち住まれば覇と称し、権謀立ち住まれば滅亡す。――三者は明主の謹慎択択する所にして、仁人の務求顯白する所なり。国を整飭して以て礼義を呼喚し、而して以てこれを傷害するなく、一件の不義の事を為し、一人の無罪の人を殺して、而して天下を得るは、仁者は為さず。牢牢として心と国を扶持して、且つこれのごとく堅固なり。彼とともに為す所の者は、あの人は皆義士。以て国家の刑法に布陳する所は、皆義法。君主の極力に群臣を率領して帯頭して趨向する所は、皆義の志向。これのごとくなれば則ち下は義を以て上を仰望す。これ極点の安定。極点の安定にして国定まり、国定まりて天下定まる。仲尼は錐を立つる地なく、真誠に義を志意に置き、義を身行に加え、言語に顯明にして、成就の日、天下に隱没せず、名声は後世に垂る。如今もまた天下顯赫の諸侯を以て、真誠に義を志意に置き、義を法則度量に加え、政事に顯明にして、ここに貴賤殺生を以てこれを申重し、相い因って終始して一回事のごとくせしむ。これのごとくなれば、則ちあの名声は天地の間に勃發す。豈に日月雷霆のごとくならざらんや。だから言う、国を以て義に斉しくすれば、一日にして顯白す。湯武は即ちこれなり。湯は亳に凭借し、武王は鎬に凭借し、皆百里の地にして天下統一し、諸侯臣を為し、通達の所は從服せざるなし。他の故なし、義を以て成就するなり。――これ即ち所謂義立ち住まりて王と称すなり。

德雖未至也,義雖未濟也,然而天下之理略奏矣,刑賞已諾信乎天下矣,臣下曉然皆知其可要也。政令已陳,雖睹利敗,不欺其民;約結已定,雖睹利敗,不欺其與。如是,則兵勁城固,敵國畏之;國一綦明,與國信之;雖在僻陋之國,威動天下,五伯是也。非本政教也,非致隆高也,非綦文理也,非服人之心也,鄉方略,審勞佚,謹畜積,修戰備,齺然上下相信,而天下莫之敢當。故齊桓、晉文、楚莊、吳闔閭、越勾踐,是皆僻陋之國也,威動天下,強殆中國,無它故焉,略信也。--是所謂信立而霸也。

徳はいまだ極致に至らず、義はいまだ成就せざるも、然りて天下の理は大略湊集し、刑賞承諾は已に天下に取信し、臣下は明白に皆以て要約すべしを知る。政令已に陳布せば、たとえ利敗を見るとも、その民を欺かず。約結已に確定せば、たとえ利敗を見るとも、その与国を欺かず。これのごとくなれば、則ち兵勁く城固くして敵国は彼を畏懼し、国斉一にして極点顯明にして与国は彼を相信す。たとえ僻陋の国に在りても、威は能く天下を震動す。五伯は即ちこれなり。政教に根本づくにあらず、崇高を極に推すにあらず、文理を極に推すにあらず、人心を服せしむるにあらず、ただ方略に趨向し、労逸を審察し、畜積を謹慎し、戦備を修習して、上下相い歯して信任し、而して天下に敢えて抵当するなし。だから斉桓・晋文・楚荘・呉闔閭・越勾踐は、これら皆僻陋の国にして、威は天下を震動し、強は中国を危殆にす。他の故なし、大略に信あるなり。――これ即ち所謂信立ち住まりて覇と称すなり。

絜國以呼功利,不務張其義,齊其信,唯利之求,內則不憚詐其民,而求小利焉;外則不憚詐其與,而求大利焉,內不修正其所以有,然常欲人之有。如是,則臣下百姓莫不以詐心待其上矣。上詐其下,下詐其上,則是上下析也。如是,則敵國輕之,與國疑之,權謀日行,而國不免危削,綦之而亡,齊閔、薛公是也。故用強齊,非以修禮義也,非以本政教也,非以一天下也,綿綿常以結引馳外為務。故強、南足以破楚,西足以詘秦,北足以敗燕,中足以舉宋。及以燕趙起而攻之,若振槁然,而身死國亡,為天下大戮,後世言惡,則必稽焉。是無它故焉,唯其不由禮義,而由權謀也。

国を整飭して以て功利を呼喚し、その義を張開し、その信を斉一にすることを務求せず、ただ利を求め、内は即ちその民を欺詐するを怕れずして、以て小利を求め、外は即ちその与国を欺詐するを怕れずして、以て大利を求め、内はその有する所以を修正せずして、却って常に他人の有するを欲す。これのごとくなれば、則ち臣下百姓は詐心を以てその上に対待せざるなし。上は下を欺詐し、下は上を欺詐すれば、則ち上下分裂す。これのごとくなれば、則ち敵国は彼を軽視し、与国は彼を懐疑し、権謀は日々に實行して、而して国は危削を免れず、極に至れば滅亡す。斉の閔王・薛公は即ちこれなり。だから強斉を用いても、以て礼義を修するにあらず、以て政教に根本づくにあらず、以て天下を統一するにあらず、綿綿として常に結交牽引して外に馳騁するを以て事務と為す。だから強なれば、南は以て楚を破るに足り、西は以て秦を屈服するに足り、北は以て燕を敗るに足り、中は以て宋を攻取するに足る。燕趙の起きて彼を攻打するに及べば、枯葉を振落とすがごとくして、而して身死に国亡び、天下の大耻辱と為り、後世は惡を言い起こせば、必ず彼を稽考す。これ他の故なし、ただ彼が礼義を経由せずして、権謀を経由するなり。

三者明主之所以謹擇也,而仁人之所以務白也。善擇者制人,不善擇者人制之。

三者は明主の謹慎択択する所以にして、また仁人の務求顯白する所以なり。択択に善きは人を制し、択択に善からざるは人に制せらる。

國者、天下之大器也,重任也,不可不善為擇所而後錯之,錯險則危;不可不善為擇道然後道之,塗薉則塞;危塞則亡。彼國錯者,非封焉之謂也,何法之道,誰子之與也。故道王者之法,與王者之人為之,則亦王;道霸者之法,與霸者之人為之,則亦霸;道亡國之法,與亡國之人為之,則亦亡。--三者明主之所以謹擇也,而仁人之所以務白也。

国は天下の大器にして重任なり。好好しくその所在を択択して然る後にこれを安置せざるべからず。險處に安置すれば危険なり。好好しく道を択択して然る後にこれを引導せざるべからず。道路荒秽すれば壅塞す。危険壅塞すれば滅亡す。あの国の安置は、並びに封疆の意にあらず、何の法の道を走るか、誰とともに在るかなり。だから王者の法を行い、王者の人とともに為せば、即ち王と称し、覇者の法を行い、覇者の人とともに為せば、即ち覇と称し、亡国の法を行い、亡国の人とともに為せば、即ち滅亡す。――三者は明主の謹慎択択する所以にして、また仁人の務求顯白する所以なり。

故國者、重任也,不以積持之則不立。故國者,世所以新者也,是憚,憚、非變也,改王改行也。故一朝之日也,一日之人也,然而厭焉有千歲之國,何也?曰:援夫千歲之信法以持之也,安與夫千歲之信士為之也。人無百歲之壽,而有千歲之信士,何也?曰:以夫千歲之法自持者,是乃千歲之信士矣。故與積禮義之君子為之則王,與端誠信全之士為之則霸,與權謀傾覆之人為之則亡。--三者明主之所以謹擇也,仁人之所以務白也。善擇之者制人,不善擇之者人制之。

だから国は重任、積累を用いてこれを持守せずんば立つこと能わず。だから国は、世代を以て更新する所なり。これは禪代にして、禪代は並びに變乱にあらず、王を改換し行を改換するなり。だから一朝の日、一日の人にして、然りて安然として千年の国あり。何ぞや。曰く、あの千年の信法を援引して以てこれを持守し、ここにあの千年の信士とともに為すなり。人は百歳の寿命なくして、而も千年の信士あり。何ぞや。曰く、あの千年の法を以て自ら持守するは、これ即ち千年の信士なり。だから積累礼義の君子とともに為せば王と称し、端誠信全の士とともに為せば覇と称し、権謀傾覆の人とともに為せば滅亡す。――三者は明主の謹慎択択する所以にして、仁人の務求顯白する所以なり。択択に善きは人を制し、択択に善からざるは人に制せらる。

彼持國者,必不可以獨也,然則強固榮辱在於取相矣。身能相能,如是者王,身不能,知恐懼而求能者,如是者強;身不能,不知恐懼而求能者,安唯便僻左右親比己者之用,如是者危削;綦之而亡。國者,巨用之則大,小用之則小;綦大而王,綦小而亡,小巨分流者存。巨用之者,先義而後利,安不恤親疏,不恤貴賤,唯誠能之求,夫是之謂巨用之。小用之者,先利而後義,安不恤是非,不治曲直,唯便僻親比己者之用,夫是之謂小用之。巨用之者若彼,小用之者若此,小巨分流者,亦一若彼,一若此也。故曰:"粹而王,駁而霸,無一焉而亡。"此之謂也。

あの国を持守するは、必ず独りではあるべからず。然れば則ち強固栄辱は相を選取するに在り。自身能にして相も能なれば、これのごときは王と称す。自身能ならずして、恐懼を知りて能ある者を求むれば、これのごときは強し。自身能ならずして、恐懼を知らずして能ある者を求めざれば、ここにただ便辟左右の己に親附するを任用す。これのごときは危削し、極に至れば滅亡す。国は、大處に向かいてこれを用いれば大に、小處に向かいてこれを用いれば小に。大の極に至れば王と称し、小の極に至れば滅亡す。小と大は分流して存在す。大處に向かいてこれを用うるは、義を先にして利を後にし、ここに親疎を顧みず、貴賤を顧みず、ただ真に才能あるを求む。これを大處に向かいて用うという。小處に向かいてこれを用うるは、利を先にして義を後にし、ここに是非を顧みず、曲直を治理せず、ただ便辟の己に親附するを任用す。これを小處に向かって用うという。大處に向かって用うるはあのごとく、小處に向かって用うるはこのごとく、小と大は分流するは、また一はあのごとく、一はこのごとし。だから言う、「純粹なれば王と称し、駁雜なれば覇と称し、一樣もなくんば滅亡す」と。これを言うのである。

國無禮則不正。禮之所以正國也,譬之:猶衡之於輕重也,猶繩墨之於曲直也,猶規矩之於方圓也,既錯之而人莫之能誣也。詩云:"如霜雪之將將,如日月之光明,為之則存,不為則亡。"此之謂也。

国は礼なくんば端正する能わず。礼の国を端正する所以は、譬えば衡の軽重に於けるがごとく、繩墨の曲直に於けるがごとく、規矩の方圓に於けるがごとく、已に安置せられて人の誣う能くするなし。『詩経』に言う。「霜雪の嚴整のごとく、日月の光明のごとく、これを為せば存在し、為さざれば滅亡す」と。これを言うのである。

國危則無樂君,國安則無憂民。亂則國危,治則國安。今君人者,急逐樂而緩治國,豈不過甚矣哉!譬之是由好聲色,而恬無耳目也,豈不哀哉!夫人之情,目欲綦色,耳欲綦聲,口欲綦味,鼻欲綦臭,心欲綦佚。--此五綦者,人情之所必不免也。養五綦者有具。無其具,則五綦者不可得而致也。萬乘之國,可謂廣大富厚矣,加有治辨強固之道焉,若是則恬愉無患難矣,然後養五綦之具具也。故百樂者,生於治國者也;憂患者,生於亂國者也。急逐樂而緩治國者,非知樂者也。故明君者,必將先治其國,然後百樂得其中。闇君者,必將急逐樂而緩治國,故憂患不可勝校也,必至於身死國亡然後止也,豈不哀哉!將以為樂,乃得憂焉;將以為安,乃得危焉;將以為福,乃得死亡焉,豈不哀哉!於乎!君人者,亦可以察若言矣。故治國有道,人主有職。若夫貫日而治詳,一日而曲列之,是所使夫百吏官人為也,不足以是傷遊玩安燕之樂。若夫論一相以兼率之,使臣下百吏莫不宿道鄉方而務,是夫人主之職也。若是則一天下,名配堯禹。之主者,守至約而詳,事至佚而功,垂衣裳,不下簟席之上,而海內之人莫不願得以為帝王。夫是之謂至約,樂莫大焉。

国危うければ楽しみの君なく、国安ければ憂いの民なし。乱れば則ち国危うく、治まれば則ち国安し。如今人君と為るは、楽を追逐するに急にして国を治むるに緩し。豈に過分甚だしきにあらざらんや。譬えば声色を喜好して、耳目なきに安んずるがごとし。豈に哀むべからざらんや。あの人の情は、目は極致の色を欲し、耳は極致の声を欲し、口は極致の味を欲し、鼻は極致の気味を欲し、心は極致の安逸を欲す。――この五种の極致は、人情の一定に免れざる所なり。この五种の極致を養うに条件あり。あの条件なければ、則ち五种の極致は得て致すべからず。万乗の国は、以て広大富厚と称すべし。これに治辨強固の道を加えれば、これのごとくなれば則ち安恬愉楽して患難なく、然る後に五种の極致を養うの条件は始めて具備す。だから百种の楽は、治国より生ずるなり。憂患は、乱国より生ずるなり。楽を追逐するに急にして国を治むるに緩きは、楽を知る者にあらず。だから明君は、必ず將に先ずその国を治理して、然る後に百种の楽はその中に在ることを得んとす。昏君は、必ず將に楽を追逐するに急にして国を治むるに緩し。だから憂患は計って勝つべからず、必ず身死に国亡ぶに至りて然る後に止まる。豈に哀むべからざらんや。將に以て楽と為さんとして、却って憂を得、將に以て安と為さんとして、却って危を得、將に以て福と為さんとして、却って死亡を得る。豈に哀むべからざらんや。嗚呼。人君と為るも、またこれらの言を審察すべし。だから国を治むるに道あり、人主に職あり。連日詳細に治理して、一日に曲折列挙するに至るは、あの百吏官人をして為さしむる所にして、以てこの游玩安燕の楽を傷害するに足らず。一つの相を選定して以て彼らを兼率い、臣下百吏をして道に宿り方に趨向して務求せざるなからしむるに至るは、これ人主の職なり。これのごとくなれば則ち天下を統一して、名声は尭禹に匹配す。このごときの主は、極めて簡約を持守して詳備にして、事は極めて安逸して功あり。衣裳を垂れて、簟席の上を下らずして、而して海内の人は彼を得て帝王と為さんことを願わざるなし。これを至約という。楽はこれより大きなるなし。

人主者,以官人為能者也;匹夫者,以自能為能者也。人主得使人為之,匹夫則無所移之。百畝一守,事業窮,無所移之也。今以一人兼聽天下,日有餘而治不足者,使人為之也。大有天下,小有一國,必自為之然後可,則勞苦秏(卒頁)莫甚焉。如是,則雖臧獲不肯與天子易埶業。以是縣天下,一四海,何故必自為之?為之者,役夫之道也,墨子之說也。論德使能而官施之者,聖王之道也,儒之所謹守也。傳曰:農分田而耕,賈分貨而販,百工分事而勸,士大夫分職而聽,建國諸侯之君分土而守,三公摠方而議,則天子共己而已矣。出若入若,天下莫不平均,莫不治辨,是百王之所同也,而禮法之大分也。

人主は、人をして任官せしむるを以て能と為す者なり。匹夫は、己が能く為すを以て能と為す者なり。人主は别人を役使して為さしむること能く、匹夫は移開する所なし。百畝は一人これを守り、事業窮尽するは、移開する所なきなり。如今一人を以て天下を兼聴して、日は余りありて治むべきは足らざるは、别人を役使して為さしむるなり。大にすれば天下を有し、小にすれば一国を有す。必ず自ら為して然る後に可ならんとすれば、則ち労苦耗悴これより甚だしきなし。これのごとくなれば、則ちたとえ奴婢でも肯んじて天子と権勢事業を交換せざるなり。このを以て天下を維係し、四海を斉一にせんには、何ぞ必ず自ら為さん。自ら為すは、役夫の道にして、墨子の説法なり。徳を論定し、能を使用して任官施予するは、聖王の道にして、儒の謹慎持守する所なり。傳記に言う、農は田を分別して耕し、賈は貨を分別して販り、百工は事を分別して勧勉し、士大夫は職を分別して聴断し、建国の諸侯の君は土を分別して守り、三公は各方を總管して議論すれば、則ち天子は己を恭敬するのみ。出でてはこのごとく、入りてはこのごとくして、天下に平均せざるなく、治辨せざるなし。これは百王の相同じき所にして、また礼法の大分際なり。

百里之地,可以取天下。--是不虛;其難者在人主之知之也。取天下者,非負其土地而從之之謂也,道足以壹人而已矣。彼其人苟壹,則其土地奚去我而適它?故百里之地,其等位爵服,足以容天下之賢士矣;其官職事業,足以容天下之能士矣;循其舊法,擇其善者而明用之,足以順服好利之人矣。賢士一焉,能士官焉,好利之人服焉,三者具而天下盡,無有是其外矣。故百里之地,足以竭埶矣。致忠信,箸仁義,足以竭人矣。兩者合而天下取,諸侯後同者先危。詩曰:"自西自東,自南自北,無思不服。"一人之謂也。

百里の地は、以て天下を取得すべし。――これ虚ならず。難きは人主のこれを知るに在り。天下を取得するは、並びにその土地を背負いて来たりて従うの意にあらず、道は以て人を斉一にするに足るのみ。あの人もし斉一なれば、則ちその土地はどうして我を離れて別處に去らん。だから百里の地は、その等位爵服は、以て天下の賢士を容納するに足り、その官職事業は、以て天下の能士を容納するに足り、旧法を遵循して、あの善きを択択して顯明に使用すれば、以て利を好む人を順服せしむるに足る。賢士斉一し、能士任官し、利を好む人服従せば、三者具備して天下窮尽し、これの外に在るなし。だから百里の地は、以て権勢を窮尽するに足る。忠信を極尽し、仁義を顯明にすれば、以て人を窮尽するに足る。両者会合して天下取得せば、諸侯の後に会同するは先ず危うし。『詩経・大雅・文王有声』に言う。「西より東より、南より北より、服従せざるを想うなし」と。これは人を斉一にするの意なり。

羿、蜂門者,善服射者也;王良、造父者,善服馭者也。聰明君子者,善服人者也。人服而埶從之,人不服而埶去之,故王者已於服人矣。故人主欲得善射--射遠中微,則莫若羿、蜂門矣;欲得善馭--及速致遠,則莫若王良、造父矣。欲得調壹天下,制秦楚,則莫若聰明君子矣。其用知甚簡,其為事不勞,而功名致大,甚易處而極可樂也。故明君以為寶,而愚者以為難。夫貴為天子,富有天下,名為聖王,兼制人,人莫得而制也,是人情之所同欲也,而王者兼而有是者也。重色而衣之,重味而食之,重財物而制之,合天下而君之,飲食甚厚,聲樂甚大,臺謝甚高,園囿甚廣,臣使諸侯,一天下,是又人情之所同欲也,而天子之禮制如是者也。制度以陳,政令以挾,官人失要則死,公侯失禮則幽,四方之國,有侈離之德則必滅,名聲若日月,功績如天地,天下之人應之如景向,是又人情之所同欲也,而王者兼而有是者也。故人之情,口好味,而臭味莫美焉;耳好聲,而聲樂莫大焉;目好色,而文章致繁,婦女莫眾焉;形體好佚,而安重閒靜莫愉焉;心好利,而谷祿莫厚焉。合天下之所同願兼而有之,睪牢天下而制之若制子孫,人苟不狂惑戇陋者,其誰能睹是而不樂也哉!欲是之主,並肩而存;能建是之士,不世絕;千歲而不合,何也?曰:人主不公,人臣不忠也。人主則外賢而偏舉,人臣則爭職而妒賢,是其所以不合之故也。人主胡不廣焉,無恤親疏,無偏貴賤,惟誠能之求?若是,則人臣輕職業讓賢,而安隨其後。如是,則舜禹還至,王業還起;功壹天下,名配舜禹,物由有可樂,如是其美焉者乎!嗚呼!君人者,亦可以察若言矣。楊朱哭衢塗,曰:"此夫過舉蹞步,而覺跌千里者夫!"哀哭之。此亦榮辱、安危、存亡之衢已,此其為可哀,甚於衢塗。嗚呼!哀哉!君人者,千歲而不覺也。

羿・逢蒙は、射を服従せしむるに善き者なり。王良・造父は、駕御を服従せしむるに善き者なり。聰明君子は、人を服従せしむるに善き者なり。人服従すれば権勢從い、人服従せざれば権勢離る。だから王者は人を服従せしむるに止まる。だから人主が射に善きを得んと欲する――遠く射て微に中るは、羿・逢蒙に如かず。駕御に善きを得んと欲する――迅速に趕上して遠方に到達するは、王良・造父に如かず。天下を調一し秦楚を制服するを得んと欲すれば、聰明君子に如かず。彼の智を用うるは甚だ簡約にして、彼の事を為すは労苦せずして、而して功名極大、甚だ処り易くして極めて楽すべし。だから明君はこれを以て宝と為し、而して愚の者はこれを以て難と為す。あの尊貴は天子を為し、富は天下を有し、名は聖王と為り、人を兼制して、人の彼を制約する能くするなし。これは人情の共同に欲する所にして、而して王者はこれらを兼有す。顏色を重畳して衣とし、滋味を重畳して食とし、財物を重畳して制約とし、天下を会合して君を為し、飲食甚だ厚く、声楽甚だ大きく、台榭甚だ高く、園囿甚だ広く、諸侯を臣使して、天下を統一す。これまた人情の共同に欲する所にして、而して天子の礼制はこのごとし。制度已に陳布し、政令已に周備し、官人は要約を失えば死し、公侯は礼を失えば幽禁せられ、四方の国は、侈離の徳あれば必ず滅ぶ。名声は日月のごとく、功績は天地のごとく、天下の人の彼に應和するは影子と回声のごとし。これまた人情の共同に欲する所にして、而して王者はこれらを兼有す。だから人の情は、口は味を好みて気味はこれより美きなく、耳は声を好みて声楽はこれより大きなるなく、目は色を好みて文章極めて繁にして婦女はこれより多きなく、形體は安逸を好みて安重閑靜はこれより愉きなく、心は利を好みて穀禄はこれより厚きなし。天下の共同に願望する所を会合してこれを兼有し、天下を包絡してこれを制約するは子孫を制約するがごとし。人もし狂惑戇陋にあらざれば、誰か能くこれを見て楽しまざらん。これを欲する主は、肩を並べて存在し、これを建立する能くする士は、世代絶えず、千年にして合せざるは何ぞや。曰く、人主は公ならず、人臣は忠ならず。人主は則ち賢を排斥して偏擧し、人臣は則ち職を争奪して賢を嫉妒す。これは彼らの合せざる所以なり。人主は何ぞ廣大なるせざる、親疎を顧みず、貴賤を偏らず、ただ真に才能あるを求めざる。これのごとくなれば、則ち人臣は職業を看輕して賢に譲り、而して安然として後に従う。これのごとくなれば、則ち舜禹は立刻に到来し、王業は立刻に興起す。功は天下を統一し、名声は舜禹に匹配す。物にまた楽すべきあらば、このごとく美しきあらんや。嗚呼。人君と為るも、またこれらの言を審察すべし。楊朱は岔路に對して哭いて曰く、「これは半步を走り錯りて、發覚する時已に千里を差れたるなり」と。悲哀してこれを哭す。これもまた栄辱・安危・存亡の岔路なり。その哀むべきは、岔路に超過す。嗚呼。哀なるかな。人君と為るは、千年にして覺悟せず。

無國而不有治法,無國而不有亂法;無國而不有賢士,無國而不有罷士;無國而不有願民,無國而不有悍民;無國而不有美俗,無國而不有惡俗。兩者並行而國在,上偏而國安,在下偏而國危;上一而王,下一而亡。故其法治,其佐賢,其民願,其俗美,而四者齊,夫是之謂上一。如是則不戰而勝,不攻而得,甲兵不勞而天下服。故湯以亳,文王以鄗,皆百里之地也,天下為一,諸侯為臣,通達之屬,莫不從服,無它故焉,四者齊也。桀紂即厚有天下之埶,索為匹夫而不可得也,是無它故焉,四者並亡也。故百王之法不同,若是所歸者一也。

国なく治法なきなく、国なく乱法なきなし。国なく賢士なきなく、国なく疲弱の士なきなし。国なく謹愿の民なきなく、国なく凶悍の民なきなし。国なく美俗なきなく、国なく惡俗なきなし。両者並行して国は猶在り。上は治に偏すれば国安く、下は乱に偏すれば国危うし。上斉一すれば王と称し、下斉一すれば滅亡す。だからその法は治、その輔佐は賢、その民は謹愿、その俗は美にして、而して四者斉しく備わる。これを上斉一すという。これのごとくなれば則ち戦わずして勝ち、攻めずして得、甲兵労せずして天下服從す。だから湯は亳に凭借し、文王は鎬に凭借し、皆百里の地にして天下統一し、諸侯臣を為し、通達の所は從服せざるなし。他の故なし、四者斉しく備わるなり。桀紂たとえ天下の権勢を厚く有するとも、匹夫を為さんと求めても得るべからず。これ他の故なし、四者併せて滅亡するなり。だから百王の法は同じからざるも、これのごとく歸向する所は一事なり。

上莫不致愛其下,而制之以禮。上之於下,如保赤子,政令制度,所以接下之人百姓,有不理者如豪末,則雖孤獨鰥寡必不加焉。故下之親上,歡如父母,可殺而不可使不順。君臣上下,貴賤長幼,至於庶人,莫不以是為隆正;然後皆內自省,以謹於分。是百王之所同也,而禮法之樞要也。然後農分田而耕,賈分貨而販,百工分事而勸,士大夫分職而聽,建國諸侯之君分土而守,三公總方而議,則天子共己而止矣。出若入若,天下莫不均平,莫不治辨。是百王之所同,而禮法之大分也。若夫貫日而治平,權物而稱用,使衣服有制,宮室有度,人徒有數,喪祭械用皆有等宜,以是用挾於萬物,尺寸尋丈,莫得不循乎制度數量然後行,則是官人使吏之事也,不足數於大君子之前。故君人者,立隆政本朝而當,所使要百事者誠仁人也,則身佚而國治,功大而名美,上可以王,下可以霸。立隆正本朝而不當,所使要百事者非仁人也,則身勞而國亂,功廢而名辱,社稷必危,是人君者之樞機也。故能當一人而天下取,失當一人而社稷危。不能當一人,而能當千百人者,說無之有也。既能當一人,則身有何勞而為?垂衣裳而天下定。故湯用伊尹,文王用呂尚,武王用召公,成王用周公旦。卑者五伯,齊桓公閨門之內,縣樂、奢泰、遊抏之修,於天下不見謂修,然九合諸侯,一匡天下,為五伯長,是亦無他故焉,知一政於管仲也,是君人者之要守也。知者易為之興力,而功名綦大。舍是而孰足為也?故古之人,有大功名者,必道是者也。喪其國危其身者,必反是者也。故孔子曰:"知者之知,固以多矣,有以守少,能無察乎?愚者之知,固以少矣,有以守多,能無狂乎?"此之謂也。

上はその下を極愛せざるなくして、礼を以てこれを制約す。上の下に於けるは、赤子を保護するがごとく、政令制度は以て下層の百姓に接し、合理ならざるはたとえ毫末のごときでも、則ちたとえ孤獨鰥寡でも必ず彼らの身に加えず。だから下は上に親しみ、歡喜すること父母のごとく、殺すべしとも彼をして不順從せしむべからず。君臣上下・貴賤長幼、庶人に至るまで、このを以て隆正と為さざるなし。然る後に皆内に向かいて自我省察して、分際に謹慎す。これは百王の相同じき所にして、また礼法の樞要なり。然る後に農は田を分別して耕し、賈は貨を分別して販り、百工は事を分別して勧勉し、士大夫は職を分別して聴断し、建国の諸侯の君は土を分別して守り、三公は各方を總管して議論すれば、則ち天子は己を恭敬して止まる。出でてはこのごとく、入りてはこのごとくして、天下に均平せざるなく、治辨せざるなし。これは百王の相同じき所にして、また礼法の大分際なり。連日平治して、物を権衡してその用を称し、衣服をして制度あらしめ、宮室をして度あらしめ、人徒をして数あらしめ、喪祭の器械用具をして皆等級の宜しきあらしめ、このを以て万物に周遍して、尺寸尋丈、制度数量を遵循せずして實行する能くするなきに至るは、則ち官人使吏の事にして、大君子の面前に計数するに足らず。だから人君と為るは、本朝に隆正を樹立して恰当なれば、総攬百事せしむる所は確かに仁人なれば、則ち自身安逸にして国治まり、功大にして名美し。上は王と称すべく、下は覇と称すべし。本朝に隆正を樹立して恰当ならざれば、総攬百事せしむる所は仁人にあらざれば、則ち自身労苦にして国乱れ、功廃れて名辱かしむ。社稷必ず危うし。これは人君の樞機なり。だから一人を恰当にして天下取得する能くし、一人を失当にして社稷危うし。一人を恰当にすること能わずして、千百人を恰当にする能くするは、この説法なし。已に一人を恰当にすること能くすれば、則ち自身に何の労苦の為すべきあらん。衣裳を垂れて天下安定す。だから湯は伊尹を用い、文王は呂尚を用い、武王は召公を用い、成王は周公旦を用いたり。低下するは五伯。斉桓公は閨門の内に、懸樂・奢泰・游玩の修習して、天下に修習と称せられざるも、然りて九合諸侯して天下を一匡し、五伯の長を為す。これもまた他の故なし、政を管仲に專一せしむるを知るなり。これは人君と為るの要約持守なり。智の者は彼のために力を興起し易くして、而して功名極大なり。これを捨ててまた何の以て為すに足らんや。だから古代の人の、大功名あるは、必ずこのを走る。その国を喪失しその身を危害するは、必ず相反る。だから孔子は言う、「智者の知は、本來已に多きに、また以て少を持守す。能く明察せざらんや。愚者の知は、本來已に少なきに、また以て多を持守す。能く狂乱せざらんや」と。これを言うのである。

治國者分已定,則主相臣下百吏,各謹其所聞,不務聽其所不聞;各謹其所見,不務視其所不見。所聞所見誠以齊矣。則雖幽閒隱闢,百姓莫敢不敬分安制,以化其上,是治國之徵也。

治国の分際已に確定せば、則ち主相臣下百吏は、各自その聞く所を謹慎して、その聞かざる所を聴くを務求せず、各自その見る所を謹慎して、その見ざる所を看るを務求せず。聞く所見る所は確かにこれに因って斉一せり。則ちたとえ幽閑隱僻なりとも、百姓は分際を敬せず、制度に安んぜずして、以て上に同化するを敢えてするなし。これは治国の征験なり。

主道治近不治遠,治明不治幽,治一不治二。主能治近則遠者理,主能治明則幽者化,主能當一則百事正。夫兼聽天下,日有餘而治不足者,如此也,是治之極也。既能治近,又務治遠;既能治明,又務見幽;既能當一,又務正百,是過者也,過猶不及也。闢之是猶立直木而求其影之枉也。不能治近,又務治遠;不能察明,又務見幽;不能當一,又務正百,是悖者也。闢之是猶立枉木而求其影之直也。故明主好要,而闇主好詳;主好要則百事詳,主好詳則百事荒。君者、論一相,陳一法,明一指,以兼覆之,兼照之,以觀其盛者也。相者,論列百官之長,要百事之聽,以飾朝廷臣下百吏之分,度其功勞,論其慶賞,歲終奉其成功以效於君。當則可,不當則廢。故君人勞於索之,而休於使之。

主の道――近きを治理して遠きを治理せず、顯明を治理して幽暗を治理せず、一を治理して二を治理せず。主は能く近きを治理すれば則ち遠きは料理せられ、主は能く顯明を治理すれば則ち幽暗は教化せられ、主は能く一を恰当にすれば則ち百事端正す。あの天下を兼聴して、日は余りありて治むべきは足らざるは、このごとくなり。これは治の極致なり。已に能く近きを治理して、また遠きを治理せんことを務求し、已に能く顯明を治理して、また幽暗を看見せんことを務求し、已に能く一を恰当にして、また百を端正せんことを務求するは、これは過分にして、過分は達せざるがごとし。譬えば直木を立ててその影の彎曲を求むるがごとし。能く近きを治理せずして、また遠きを治理せんことを務求し、能く顯明を察看せずして、また幽暗を看見せんことを務求し、能く一を恰当にせずして、また百を端正せんことを務求するは、これは悖乱なり。譬えば彎木を立ててその影の直きを求むるがごとし。だから明主は要約を喜好して、昏主は詳備を喜好す。主は要約を喜好すれば則ち百事詳備し、主は詳備を喜好すれば則ち百事荒廃す。君は、一つの相を選定し、一つの法を陳布し、一つの宗旨を顯明にして、以てこれを兼覆し、これを兼照して、以てあの盛んなる者を観る。相は、百官の長を論列し、百事の聴断を総攬して、以て朝廷臣下百吏の分際を整飭し、功労を度量し、慶賞を論定し、年終に成功を奉上して君に効験す。恰当なれば即可とし、恰当ならざれば廢す。だから人君と為るは、彼を求索するに労して、彼を役使するに安んず。

用國者,得百姓之力者富,得百姓之死者強,得百姓之譽者榮。--三得者具而天下歸之,三得者亡而天下去之;天下歸之之謂王,天下去之之謂亡。湯武者,修其道,行其義,興天下同利,除天下同害,天下歸之。故厚德音以先之,明禮義以道之,致忠信以愛之,賞賢使能以次之,爵服賞慶以申重之,時其事,輕其任,以調齊之,潢然兼覆之,養長之,如保赤子。生民則致寬,使民則綦理,辯政令制度,所以接天下之人百姓,有非理者如豪末,則雖孤獨鰥寡,必不加焉。是故百姓貴之如帝,親之如父母,為之出死斷亡而不愉者,無它故焉,道德誠明,利澤誠厚也。亂世則不然,汙漫突盜以先之,權謀傾覆以示之,俳優、侏儒、婦女之請謁以悖之,使愚詔知,使不肖臨賢,生民則致貧隘,使民則極勞苦。是故,百姓賤之如尪,惡之如鬼,日欲司間而相與投借之,去逐之。卒有寇難之事,又望百姓之為己死,不可得也,說無以取之焉。孔子曰:"審吾所以適人,適人之所以來我也。"此之謂也。

国を用うるは、百姓の力を得るの富、百姓の死を肯んずるを得るの強、百姓の誉を得るの栄なり。――三得具備して天下は彼に歸向し、三得滅亡して天下は彼を離る。天下彼に歸向するを王といい、天下彼を離るるを亡という。湯武は、その道を修習し、その義を實行し、天下の共同の利を興起し、天下の共同の害を除去して、天下は彼に歸向す。だから徳音を加厚して以て彼らを引導し、礼義を顯明にして以て彼らを開導し、忠信を極尽して以て彼らを愛し、賢を賞し能を使して以て彼らを排列し、爵服賞慶を以て彼らを申重し、時に按じて彼らの事を安排し、彼らの担いを軽減して、以て彼らを調斉し、広大に彼らを兼覆し、彼らを養長するは、赤子を保護するがごとし。民を養活すれば極めて寛にして、民を役使すれば極めて有理あり。政令制度を辨別して、以て天下の百姓に接し、合理ならざるはたとえ毫末のごときでも、則ちたとえ孤獨鰥寡でも必ず彼らの身に加えず。これに因って百姓は彼を看重すること帝のごとく、彼に親しむこと父母のごとく、彼に出死断亡を与えて改変せず。他の故なし、道徳確かに顯明にして、利澤確かに厚し。乱世は則ちこれにあらず。污漫強橫盗竊を以て引導し、権謀傾覆を以て明示し、俳優・侏儒・婦女の請謁を以て悖乱し、愚をして智を詔告せしめ、不肖をして賢に臨駕せしめ、民を養活すれば極めて貧隘にして、民を役使すれば極めて労苦なり。これに因って、百姓は彼を賤視するは殘廢のごとく、彼を惡むは鬼のごとく、日々間隙を窺伺して互相いに彼を投擲踐踏せんと欲し、離去して彼を駆逐す。突然寇難の事あらば、また百姓の己のために死せんを指望するは、得るべからず。取りて用いべきの説法なし。孔子は言う、「我の人に到る所以を審察せば、即ち人の我に到る所以なり」と。これを言うのである。

傷國者,何也?曰:以小人尚民而威,以非所取於民而巧,是傷國之大災也。大國之主也,而好見小利,是傷國。其於聲色、臺榭、園囿也,愈厭而好新,是傷國。不好修正其所以有,啖啖常欲人之有,是傷國。三邪者在匈中,而又好以權謀傾覆之人,斷事其外,若是,則權輕名辱,社稷必危,是傷國者也。大國之主也,不隆本行,不敬舊法,而好詐故,若是,則夫朝廷群臣,亦從而成俗於不隆禮義而好傾覆也。朝廷群臣之俗若是,則夫眾庶百姓亦從而成俗於不隆禮義而好貪利矣。君臣上下之俗,莫不若是,則地雖廣,權必輕;人雖眾,兵必弱;刑罰雖繁,令不下通。夫是之謂危國,是傷國者也。

国を傷害するは、何ぞや。曰く、小人を以て民の上に在りて威を作し、以て民より取るべからざるを取巧するは、これは国を傷害するの大災なり。大国の主が、却って小利を看見するを喜好するは、国を傷害す。彼の声色・台榭・園囿に於いて、愈々満足して愈々新を喜好するは、国を傷害す。その有する所以を修正するを喜好せずして、貪饞として常に他人の有するを欲するは、国を傷害す。三种の邪は胸中に在りて、而又権謀傾覆の人を用いるを喜好して、外に在りて事を決断す。これのごとくなれば、則ち権軽く名辱かしめられて、社稷必ず危うし。これは国を傷害する者なり。大国の主が、根本の徳行を尊崇せず、旧法を敬重せずして、詐僞を喜好すれば、これのごとくなれば、則ちあの朝廷群臣も、また従って礼義を尊崇せずして傾覆を喜好する習俗を形成す。朝廷群臣の習俗これのごとくなれば、則ちあの衆庶百姓もまた従って礼義を尊崇せずして貪利を喜好する習俗を形成す。君臣上下の習俗、このごとくならざるなくんば、則ち土地たとえ広くとも権必ず軽く、人たとえ衆くとも兵必ず弱く、刑罰たとえ繁多なりとも命令は下通する能わず。これを危国という。国を傷害する者なり。

儒者為之不然,必將曲辨:朝廷必將隆禮義而審貴賤,若是、則士大夫莫不敬節死制者矣。百官則將齊其制度,重其官秩,若是、則百吏莫不畏法而遵繩矣。關市幾而不徵,質律禁止而不偏,如是、則商賈莫不敦愨而無詐矣。百工將時斬伐,佻其期日,而利其巧任,如是,則百工莫不忠信而不楛矣。縣鄙則將輕田野之稅,省刀布之歛,罕舉力役,無奪農時,如是、農夫莫不樸力而寡能矣。士大夫務節死制,然而兵勁。百吏畏法循繩,然後國常不亂。商賈敦愨無詐,則商旅安,貨通財,而國求給矣。百工忠信而不楛,則器用巧便而財不匱矣。農夫樸力而寡能,則上不失天時,下不失地利,中得人和,而百事不廢。是之謂政令行,風俗美,以守則固,以徵則強,居則有名,動則有功。此儒之所謂曲辨也。

儒者はこのためこれにあらず。必ず將に周遍辨治せんとす――朝廷は必ず將に礼義を尊崇して貴賤を審察せんとす。これのごとくなれば、則ち士大夫は節を敬し制度のために死せざるなし。百官は則ち將に制度を斉一にし、官秩を看重せんとす。これのごとくなれば、則ち百吏は法を畏れて繩墨を遵循せざるなし。関市は稽査して征せず、質劑律令は禁止して偏らず。これのごとくなれば、則ち商賈は敦厚端謹にして欺詐なからざるなし。百工は將に時に按じて斬伐し、期限を寛緩して、而して彼らの巧任を便利せんとす。これのごとくなれば、則ち百工は忠信にして粗悪なからざるなし。縣鄙は則ち將に田野の税を軽減し、刀布の聚斂を減省し、力役を舉行すること稀少にして、農時を奪わざらんとす。これのごとくなれば、農夫は専力にして兼能少なからざるなし。士大夫は節操を務求して制度のために死して、然る後に兵は強勁なり。百吏は法を畏れて繩墨を遵循して、然る後に国の常規は乱れず。商賈は敦厚端謹にして欺詐なければ、則ち商旅は安定して貨は財を通じて、而して国の需求は供給さる。百工は忠信にして粗悪なければ、則ち器用は巧便にして財は匱乏せず。農夫は専力にして兼能少なければ、則ち上は天時を失わず、下は地利を失わず、中は人和を得て、而して百事廃れず。これを政令實行して風俗美しきという。以て守れば固く、以て征せば強く、居れば名あり、動けば功あり。これは儒の所謂周遍辨治なり。

君道篇第十二

有亂君,無亂國;有治人,無治法,羿之法非亡也,而羿不世中;禹之法猶存,而夏不世王。故法不能獨立,類不能自行;得其人則存,失其人則亡。法者、治之端也;君子者、法之原也。故有君子,則法雖省,足以遍矣;無君子,則法雖具,失先後之施,不能應事之變,足以亂矣。不知法之義,而正法之數者,雖博臨事必亂。故明主急得其人,而闇主急得其埶。急得其人,則身佚而國治,功大而名美,上可以王,下可以霸;不急得其人,而急得其埶,則身勞而國亂,功廢而名辱,社稷必危。故君人者,勞於索之,而休於使之。書曰:"惟文王敬忌,一人以擇。"此之謂也。

乱君ありて、乱国なし。治人ありて、治法なし。羿の法は並びに亡びざるも、而して羿は世代皆射中すること能わず。禹の法は猶在るも、而して夏は世代王と称すること能わず。だから法は独立する能わず、類は自ら行う能わず。あの人を得れば存在し、あの人を失えば滅亡す。法は治の端緒、君子は法の本原なり。だから君子あれば、則ち法たとえ簡省なりとも、以て周遍するに足る。君子なくんば、則ち法たとえ具備すとも、先後の施行を失い、事変に應對する能わず、以て乱るに足る。法の義を知らずして、法の数を端正するは、たとえ広博に事に臨むとも必ず乱る。だから明主はあの人を得るに急にして、昏主は権勢を得るに急なり。あの人を得るに急なれば、則ち自身安逸にして国治まり、功大にして名美し。上は王と称すべく、下は覇と称すべし。あの人を得るに急ならずして、権勢を得るに急なれば、則ち自身労苦にして国乱れ、功廃れて名辱かしむ。社稷必ず危うし。だから人君と為るは、彼を求索するに労して、彼を役使するに安んず。『書』に言う。「ただ文王は敬畏忌憚し、一人を以て択択せり」と。これを言うのである。

合符節,別契券者,所以為信也;上好權謀,則臣下百吏誕詐之人乘是而後欺。探籌、投鉤者,所以為公也;上好曲私,則臣下百吏乘是而後偏。衡石稱縣者,所以為平也;上好覆傾,則臣下百吏乘是而後險。鬥斛敦概者,所以為嘖也;上好貪利,則臣下百吏乘是而後豐取刻與,以無度取於民。故械數者,治之流也,非治之原也;君子者,治之原也。官人守數,君子養原;原清則流清,原濁則流濁。故上好禮義,尚賢使能,無貪利之心,則下亦將綦辭讓,致忠信,而謹於臣子矣。如是則雖在小民,不待合符節,別契券而信,不待探籌投鉤而公,不待沖石稱縣而平,不待鬥斛敦概而嘖。故賞不用而民勸,罰不用而民服,有司不勞而事治,政令不煩而俗美。百姓莫敢不順上之法,象上之志,而勸上之事,而安樂之矣。故借斂忘費,事業忘勞,寇難忘死,城郭不待飾而固,兵刃不待陵而勁,敵國不待服而詘,四海之民不待令而一,夫是之謂至平。詩曰:"王猶允塞,徐方既來。"此之謂也。

符節を合し契券を分別するは、以て信を為すなり。上は権謀を好めば、則ち臣下百吏の誕詐の人はこれに乗じて然る後に欺詐す。簽を抽き鉤を投ぐるは、以て公を為すなり。上は曲私を好めば、則ち臣下百吏はこれに乗じて然る後に偏頗す。衡石の稱懸は、以て平を為すなり。上は傾覆を好めば、則ち臣下百吏はこれに乗じて然る後に險陂す。斗斛敦概は、以て斉を為すなり。上は貪利を好めば、則ち臣下百吏はこれに乗じて然る後に多取少給して、法度なく民より取る。だから器械度数は治の流にして、治の本原にあらず。君子は治の本原なり。官人は数を守り、君子は本原を養う。本原清ければ則ち流清く、本原濁れば則ち流濁る。だから上は礼義を喜好し、賢を崇尚し能を使用して、貪利の心なければ、則ち下もまた將に辭讓を極尽し、忠信を極尽して、謹慎して臣子を為さん。これのごとくなれば則ちたとえ小民に在りても、符節を合し契券を分別するを待たずして信あり、簽を抽き鉤を投ぐるを待たずして公あり、衡石の稱懸を待たずして平あり、斗斛敦概を待たずして斉あり。だから賞を用いずして民は勸勉し、罰を用いずして民は服從し、有司労せずして事は治まり、政令煩わずして俗は美し。百姓は上の法に順從せず、上の志向を仿效して、上の事を勸勉して、安楽せざるを敢えてするなし。だから斂を借りて耗費を忘れ、事業は労苦を忘れ、寇難は死を忘れ、城郭は修飾を待たずして固く、兵刃は磨礪を待たずして勁く、敵国は征服を待たずして屈服し、四海の民は命令を待たずして斉一す。これを至平という。『詩経・大雅・常武』に言う。「王の謀劃は確かに充實し、徐方は已に到来せり」と。これを言うのである。

請問為人君?曰:以禮分施,均遍而不偏。請問為人臣?曰:以禮侍君,忠順而不懈。請問為人父?曰:寬惠而有禮。請問為人子?曰:敬愛而致文。請問為人兄?曰:慈愛而見友。請問為人弟?曰:敬詘而不苟。請問為人夫?曰:致功而不流,致臨而有辨。請問為人妻?曰:夫有禮則柔從聽侍,夫無禮則恐懼而自竦也。此道也,偏立而亂,俱立而治,其足以稽矣。請問兼能之奈何?曰:審之禮也。古者先王審禮以方皇周浹於天下,動無不當也。故君子恭而不難,敬而不鞏,貧窮而不約,富貴而不驕,並遇變態而不窮,審之禮也。故君子之於禮,敬而安之;其於事也,徑而不失;其於人也,寡怨寬裕而無阿;其為身也,謹修飾而不危;其應變故也,齊給便捷而不惑;其於天地萬物也,不務說其所以然,而致善用其材;其於百官之事伎藝之人也,不與之爭能,而致善用其功;其待上也,忠順而不懈;其使下也,均遍而不偏;其交遊也,緣類而有義;其居鄉里也,容而不亂。是故窮則必有名,達則必有功,仁厚兼覆天下而不閔,明達用天地理萬變而不疑,血氣和平,志意廣大,行義塞於天地之間,仁智之極也。夫是之謂聖人;審之禮也。

請う、如何にして人君と為らん。曰く、礼を以て分施し、均遍して偏らず。請う、如何にして人臣と為らん。曰く、礼を以て君に事え、忠順して懈怠せず。請う、如何にして人父と為らん。曰く、寛恵にして礼あり。請う、如何にして人子と為らん。曰く、敬愛して文を極尽す。請う、如何にして人兄と為らん。曰く、慈愛して友愛を表現す。請う、如何にして人弟と為らん。曰く、敬屈して苟且せず。請う、如何にして人夫と為らん。曰く、功を極尽して放蕩せず、臨對を極尽して分別あり。請う、如何にして人妻と為らん。曰く、夫に礼あれば柔從して聽侍し、夫に礼なければ恐懼して自ら肅敬す。この道は、偏立すれば乱り、皆立てば治まる。以て稽考するに足る。請う、如何にしてこれらを兼能せん。曰く、礼に審察す。古代の先王は礼を審察して以て天下に広大周遍し、挙動は恰当せざるなし。だから君子は恭して難を畏れず、敬して恐懼せず、貧窮して卑屈せず、富貴して驕傲せず、併せて變態に遇上して窮尽なし。これは礼に審察するなり。だから君子の礼に於いては、敬してこれに安んじ、事に於いては、直截して過失なく、人に於いては、怨少なく寛裕して阿私なく、自身の為には、謹慎修飾して險なく、變故に應對しては、敏捷便利して惑わず、天地万物に於いては、所以然を解説するを務求せずして、極めてその材を用いるに善く、百官の事・伎藝の人に於いては、彼らと能を争わずして、極めてその功を用いるに善く、上に對待しては、忠順して懈怠せず、下を役使しては、均遍して偏らず、交游は、類に縁って義あり、郷里に住しては、寛容して乱れず。これに因って窮困すれば必ず名あり、通達すれば必ず功あり、仁厚は天下を兼覆して憂悶せず、明達は天地を用いて万変を料理して疑惑せず、血気は和平し、志意は広大にして、行義は天地の間に充塞す。これは仁智の極致なり。これを聖人という。礼に審察するなり。

請問為國?曰聞修身,未嘗聞為國也。君者儀也,民者景也,儀正而景正。君者盤也,民者水也,盤圓而水圓。君者盂也,盂方而水方。君射則臣決。楚莊王好細腰,故朝有餓人。故曰:聞修身,未嘗聞為國也。

請う、如何にして国を為さん。曰く、ただ身を修むるを聞くのみ、未だ嘗て国を為すを聞かず。君は儀表、民は影子なり。儀表正しければ而して影子正し。君は盤、民は水なり。盤圓なれば而して水圓なり。君は盂なり。盂方なれば而して水方なり。君射れば則ち臣は扳指を套す。楚荘王は細腰を喜好す。だから朝廷に餓を忍ぶ者あり。だから言う、ただ身を修むるを聞くのみ、未だ嘗て国を為すを聞かず、と。

君者,民之原也;原清則流清,原濁則流濁。故有社稷者而不能愛民,不能利民,而求民之親愛己,不可得也。民不親不愛,而求為己用,為己死,不可得也。民不為己用,不為己死,而求兵之勁,城之固,不可得也。兵不勁,城不固,而求敵之不至,不可得也。敵至而求無危削,不滅亡,不可得也。危削滅亡之情,舉積此矣,而求安樂,是狂生者也。狂生者,不胥時而落。故人主欲強固安樂,則莫若反之民;欲附下一民,則莫若反之政;欲修政美俗,則莫若求其人。彼或蓄積而得之者不世絕。彼其人者,生乎今之世,而志乎古之道。以天下之王公莫好之也,然而是子獨好之;以天下之民莫為之也,然而是子獨為之。好之者貧,為之者窮,然而是子猶將為之也,不為少頃輟焉。曉然獨明於先王之所以得之,所以失之,知國之安危臧否,若別白黑。是其人也,大用之,則天下為一,諸侯為臣;小用之,則威行鄰敵;縱不能用,使無去其疆域,則國終身無故。故君人者,愛民而安,好士而榮,兩者無一焉而亡。詩曰:"介人維藩,大師為垣。"此之謂也。

君は、民の本原なり。本原清ければ則ち流清く、本原濁れば則ち流濁る。だから社稷ありて能く民を愛せず、能く民を利せずして、民の己を親愛するを求めば、得るべからず。民は親しまず愛さざれば、己のために用い、己のために死せんことを求めば、得るべからず。民は己のために用いず、己のために死せざれば、兵の強勁、城の堅固を求めば、得るべからず。兵強勁ならず、城堅固ならざれば、敵の到来せざるを求めば、得るべからず。敵到来して危削なく、滅亡せざるを求めば、得るべからず。危削滅亡の情状は、皆ここに聚集せり。而して安楽を求むるは、狂生なり。狂生は時を待たずして凋落す。だから人主は強固安楽せんと欲せば、反ってこれを民に求むるに如かず。下を親附し民を斉一せんと欲せば、反ってこれを政に求むるに如かず。政を修め俗を美しくせんと欲せば、あの人を求むるに如かず。あのあるいは蓄積してこのごときの人を得れば世代絶えず。あの人は、如今の世に生まれて、而して志向は古代の道に在り。天下の王公はこれを好むなく、然りてこの人独りこれを好む。天下の民はこれを為すなく、然りてこの人独りこれを為す。これを好むの貧しく、これを為すの窮するも、然りてこの人は將にこれを為さんとして、これがため片刻も停止せず。明白に独り先王の得る所以・失う所以を明了し、国の安危好壞を知ること、白黑を辨別するがごとし。このごときの人を、大處に向かいて彼を用いれば、則ち天下統一して諸侯臣を為し、小處に向かいて彼を用いれば、則ち威は鄰敵に行わる。たとえ用うること能わずとも、彼をして疆域を離れざらしめば、則ち国は終身事故なし。だから人君と為るは、民を愛して安んじ、士を好みて栄え、両者一樣もなくんば滅亡す。『詩経・大雅・板』に言う。「甲士は藩籬、大衆は垣墻」と。これを言うのである。

道者,何也?曰:君之所道也。君者,何也?曰:能群也。能群也者,何也?曰:善生養人者也,善班治人者也,善顯設人者也,善藩飾人者也。善生養人者人親之,善班治人者人安之,善顯設人者人樂之,善藩飾人者人榮之。四統者俱,而天下歸之,夫是之謂能群。不能生養人者,人不親也;不能班治人者,人不安也;不能顯設人者,人不樂也;不能藩飾人者,人不榮也。四統者亡,而天下去之,夫是之謂匹夫。故曰:道存則國存,道亡則國亡。省工賈,眾農夫,禁盜賊,除奸邪:是所以生養之也。天子三公,諸侯一相,大夫擅官,士保職,莫不法度而公:是所以班治之也。論德而定次,量能而授官,皆使人載其事,而各得其所宜,上賢使之為三公,次賢使之為諸侯,下賢使之為士大夫:是所以顯設之也。修冠弁衣裳,黼黻文章,琱琢刻鏤,皆有等差:是所以藩飾之也。故由天子至於庶人也,莫不騁其能,得其志,安樂其事,是所同也;衣暖而食充,居安而遊樂,事時制明而用足,是又所同也。若夫重色而成文章,重味而成珍備,是所衍也。聖王財衍,以明辨異,上以飾賢良而明貴賤,下以飾長幼而明親疏。上在王公之朝,下在百姓之家,天下曉然皆知其所以為異也,將以明分達治而保萬世也。故天子諸侯無靡費之用,士大夫無流淫之行,百吏官人無怠慢之事,眾庶百姓無奸怪之俗,無盜賊之罪,其能以稱義遍矣。故曰:治則衍及百姓,亂則不足及王公。此之謂也。

道とは、何ぞや。曰く、君の行う所なり。君とは、何ぞや。曰く、能く群する者なり。能く群するとは、何ぞや。曰く、人を生養するに善く、人を治理するに善く、人を顯設するに善く、人を藩飾するに善きなり。人を生養するに善きは人彼に親しみ、人を治理するに善きは人彼に安んじ、人を顯設するに善きは人彼を楽しみ、人を藩飾するに善きは人彼を栄とす。四統皆具備して、而して天下は彼に歸向す。これを能く群するという。人を生養する能わざれば、人親しまず。人を治理する能わざれば、人安んぜず。人を顯設する能わざれば、人楽しまず。人を藩飾する能わざれば、人栄えず。四統滅亡して、而して天下は彼を離る。これを匹夫という。だから言う、道存在すれば則ち国存在し、道滅亡すれば則ち国滅亡す、と。工賈を減省し、農夫を增多し、盗賊を禁止し、奸邪を除去す。これは以て生養するなり。天子に三公あり、諸侯に一つの相あり、大夫は官職を專擅し、士は職事を保守して、法度ならざるなくして公なり。これは以て治理するなり。徳を論定して等次を排定し、才能を衡量して官職を授予し、皆人をしてその事を擔負せしめて、各自適宜を得しむ。上等の賢は彼をして三公と為らしめ、次等の賢は彼をして諸侯と為らしめ、下等の賢は彼をして士大夫と為らしむ。これは以て顯設するなり。冠弁衣裳を修整し、黼黻文章、雕琢刻鏤は、皆等差あり。これは以て藩飾するなり。だから天子より庶人に至るまで、才能を馳騁せざるなく、志向を得ざるなく、事に安楽せざるなし。これは相同じき所なり。衣暖かにして食充足し、居安くして游楽し、事は時に合し制度明らかにして用度充足す。これまた相同じき所なり。顏色を重畳して文章を成就し、滋味を重畳して珍備を成就するに至るは、余りある所なり。聖王は余りを裁成して、以て差異を顯明辨別し、上は以て賢良を文飾して貴賤を顯明にし、下は以て長幼を文飾して親疎を顯明にす。上は王公の朝廷に在り、下は百姓の家に在りて、天下は明白に皆異なる所以を知る。將に以て分際を顯明にし、治に達致して万世を保全せんとす。だから天子諸侯に靡費の用度なく、士大夫に流淫の行為なく、百吏官人に怠慢の事なく、衆庶百姓に奸怪の習俗なく、盗賊の罪なし。これのごとくなれば以て義に称して周遍する能くす。だから言う、治まれば則ち余りは百姓に達し、乱れば則ち不足は王公に達す、と。これを言うのである。

至道大形:隆禮至法則國有常,尚賢使能則民知方,纂論公察則民不疑,賞克罰偷則民不怠,兼聽齊明則天下歸之;然後明分職,序事業,材技官能,莫不治理,則公道達而私門塞矣,公義明而私事息矣:如是,則德厚者進而佞說者止,貪利者退而廉節者起。書曰:"先時者殺無赦,不逮時者殺無赦。"人習其事而固,人之百事,如耳目鼻口之不可以相借官也。故職分而民不慢,次定而序不亂,兼聽齊明而百姓不留:如是,則臣下百吏至於庶人,莫不修己而後敢安止,誠能而後敢受職;百姓易俗,小人變心,奸怪之屬莫不反愨:夫是之謂政教之極。故天子不視而見,不聽而聰,不慮而知,不動而功,塊然獨坐而天下從之如一體,如四胑之從心:夫是之謂大形。詩曰:"溫溫恭人,維德之基。"此之謂也。

至道の大形――礼を尊崇し、法則を極尽すれば則ち国に常規あり。賢を崇尚し、能を使用すれば則ち民は方向を知る。公論を聚集して明察すれば則ち民は疑惑せず。克盡を賞し、偷惰を罰すれば則ち民は怠らず。兼聴斉明すれば則ち天下歸向す。然る後に分職を顯明にし、事業を序列し、材技に按じて官能を任じ、治理せざるなければ、則ち公道は通達して私門は堵塞し、公義は顯明にして私事は止息す。これのごとくなれば、則ち徳厚は進み入りて佞説は停止し、貪利は退去して廉節は興起す。『書』に言う。「時に先んずるは殺して赦さず、時に趕上せざるは殺して赦さず」と。人はその事を熟習して堅固なれば、人の百事は、耳目鼻口の互いに官能を借用すべからざるがごとし。だから職は分れて民は怠慢せず、等次は確定して序列は乱れず、兼聴斉明して百姓は滞留せず。これのごとくなれば、則ち臣下百吏は庶人に至るまで、自ら修整して然る後に敢えて止に安んぜざるなく、確かに才能あって然る後に敢えて職を受けざるなし。百姓は習俗を改變し、小人は心を改變して、奸怪一類は端謹に返回せざるなし。これを政教の極致という。だから天子は看ずして能く見、聴かずして能く聰く、慮らずして能く知り、動かずして功あり。塊然として独り坐して天下は彼に從うこと一體のごとく、四肢の心に従うがごとし。これを大形という。『詩経・大雅・抑』に言う。「溫和恭敬の人は、徳の根基なり」と。これを言うのである。

為人主者,莫不欲強而惡弱,欲安而惡危,欲榮而惡辱,是禹桀之所同也。要此三欲,闢此三惡,果何道而便?曰:在慎取相,道莫徑是矣。故知而不仁,不可;仁而不知,不可;既知且仁,是人主之寶也,王霸之佐也。不急得,不知;得而不用,不仁。無其人而幸有其功,愚莫大焉。今人主有大患:使賢者為之,則與不肖者規之;使知者慮之,則與愚者論之;使修士行之,則與汙邪之人疑之,雖欲成功,得乎哉!譬之,是猶立直木而恐其景之枉也,惑莫大焉!語曰:好女之色,惡者之孽也;公正之士,眾人之痤也;修道之人,汙邪之賊也。今使汙邪之人,論其怨賊,而求其無偏,得乎哉!譬之,是猶立枉木而求其景之直也,亂莫大焉。

人主と為るは、強を想わずして弱を惡まざるなく、安を想わずして危を惡まざるなく、栄を想わずして辱を惡まざるなし。これは禹と桀の相同じき所なり。この三欲を要約し、この三惡を避开するは、究竟何の道か便利なる。曰く、相を謹慎選取するに在り。道はこれより直接なるなし。だから智にして仁ならざれば、可ならず。仁にして智ならざれば、可ならず。已に智にして又仁なれば、人主の宝物にして、王覇の輔佐なり。得るに急ならざるは、不智なり。得て用いざるは、不仁なり。あの人なくして僥幸にあの功あらんは、愚はこれより大きなるなし。如今人主に大患あり――賢の人をして為さしめて、而して不肖の人と規劃し、智の人をして慮らしめて、而して愚の人と評論し、修整の士をして實行せしめて、而して污邪の人と懐疑す。たとえ成功せんと欲するも、能くするを得んや。譬えば直木を立ててその影の彎曲を恐怕するがごとし。惑はこれより大きなるなし。俗に言う、美好女子の容色は、醜陋の者の禍孽、公正の士は、衆人の瘡痤、修道の人は、污邪の賊害、と。如今污邪の人をして、その怨恨する賊害を評論せしめて、その偏頗なきを求むれば、能くするを得んや。譬えば彎木を立ててその影の直きを求むるがごとし。乱はこれより大きなるなし。

故古之人為之不然:其取人有道,其用人有法。取人之道,參之以禮;用人之法,禁之以等。行義動靜,度之以禮;知慮取捨,稽之以成;日月積久,校之以功,故卑不得以臨尊,輕不得以縣重,愚不得以謀知,是以萬舉而不過也。故校之以禮,而觀其能安敬也;與之舉措遷移,而觀其能應變也;與之安燕,而觀其能無流慆也;接之以聲色、權利、忿怒、患險,而觀其能無離守也。彼誠有之者,與誠無之者,若白黑然,可詘邪哉!故伯樂不可欺以馬,而君子不可欺以人,此明王之道也。

だから古代の人はこのためこれにあらず――彼の人を取るに道あり、彼の人を用うるに法あり。人を取るの道は、礼を以て參驗す。人を用うるの法は、等級を以て禁止す。行義動靜は、礼を以て度量す。智慮取舍は、成就を以て稽考す。日月積累長久は、功を以て校核す。だから卑は尊に臨駕する能わず、輕は重を稱量する能わず、愚は智を謀劃する能わず。これに因って万次の挙動は皆過錯なし。だから礼を以て校核して、而して彼の能く敬に安んずるや否やを観る。彼と挙措遷移して、而して彼の能く変に應ずるや否やを観る。彼と安燕して、而して彼の能く放蕩なきや否やを観る。声色・権利・忿怒・患險を以て彼に接触して、而して彼の能く職守を離れざるや否やを観る。あの確かにこれら有ると、確かにこれら無きとは、白黑のごとし。以て屈服すべけんや。だから伯楽は馬を以て欺くべからずして、君子は人を以て欺くべからず。これは明王の道なり。

人主欲得善射--射遠中微者,縣貴爵重賞以招致之。內不可以阿子弟,外不可以隱遠人,能中是者取之;是豈不必得之之道也哉!雖聖人不能易也。欲得善馭--及速致遠者,一日而千里,縣貴爵重賞以招致之。內不可以阿子弟,外不可以隱遠人,能致是者取之;是豈不必得之之道也哉!雖聖人不能易也。欲治國馭民,調壹上下,將內以固城,外以拒難,治則制人,人不能制也;亂則危辱滅亡,可立而待也。然而求卿相輔佐,則獨不若是其公也,案唯便嬖親比己者之用也,豈不過甚矣哉!故有社稷者,莫不欲強,俄則弱矣;莫不欲安,俄則危矣;莫不欲存,俄則亡矣。古有萬國,今有十數焉,是無他故,莫不失之是也。故明主有私人以金石珠玉,無私人以官職事業,是何也?曰:本不利於所私也。彼不能而主使之,則是主闇也;臣不能而誣能,則是臣詐也。主闇於上,臣詐於下,滅亡無日,俱害之道也。夫文王非無貴戚也,非無子弟也,非無便嬖也,倜然乃舉太公於州人而用之,豈私之也哉!以為親邪?則周姬姓也,而彼姜姓也;以為故邪?則未嘗相識也;以為好麗邪?則夫人行年七十有二,(齒軍)然而齒墮矣。然而用之者,夫文王欲立貴道,欲白貴名,以惠天下,而不可以獨也。非於是子莫足以舉之,故舉是子而用之。於是乎貴道果立,貴名果白,兼制天下,立七十一國姬姓獨居五十三人。周之子孫,苟非狂惑者,莫不為天下之顯諸侯,如是者能愛人也。故舉天下之大道,立天下之大功,然後隱其所憐所愛,其下猶足以為天下之顯諸侯。故曰:唯明主為能愛其所愛,闇主則必危其所愛。此之謂也。

人主が射に善きを得んと欲する――遠く射て微に中るは、貴爵重賞を懸挂して以て彼らを招致す。内は子弟を偏袒すべからず、外は遠人を隱没すべからず。能くこれに射中するは即ち取用す。これ豈に一定に得るの道ならざらんや。たとえ聖人でも改變する能わず。駕御に善きを得んと欲する――迅速に趕上して遠方に到達し、一日に千里を走るは、貴爵重賞を懸挂して以て彼らを招致す。内は子弟を偏袒すべからず、外は遠人を隱没すべからず。能くこれを致すは即ち取用す。これ豈に一定に得るの道ならざらんや。たとえ聖人でも改變する能わず。国を治め民を馭し、上下を調一して、將に内は以て城を堅固にし、外は以て難を抗拒せんとすれば、治まれば人を制約し、人は制約する能わず。乱れば危辱滅亡して、立ちて待つべし。然りて卿相輔佐を求むるに、却って独りこのごとく公正ならざれば、ここにただ便嬖の己に親附するを任用す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。だから社稷有るは、強を想わざるなく、久しからずして弱く、安を想わざるなく、久しからずして危うく、存を想わざるなく、久しからずして滅亡す。古代に万国あり、如今に十数国あり。これ他の故なし、これに在りて失わざるなし。だから明主は金石珠玉を以て人に私す有るも、官職事業を以て人に私するはなし。これは何ぞや。曰く、根本上は私する所の人に利せず。彼能ならずして主彼を役使せば、則ちこれは主昏暗なり。臣能ならずして能と誣稱せば、則ちこれは臣欺詐なり。主は上に在りて昏暗し、臣は下に在りて欺詐すれば、滅亡は数日ならず。これは皆害を受くるの道なり。あの文王は並びに貴戚なきにあらず、並びに子弟なきにあらず、並びに便嬖なきにあらず、超然として竟に州人の裡より太公を挙用す。どうしてこれは彼を私せんや。以て親と為さんか。則ち周は姫姓にして、而して彼は姜姓なり。以て故旧と為さんか。則ち未だ嘗て相識らず。以て美好と為さんか。則ちあの人は年紀七十二にして歯已に脫落せり。然りて彼を用うるは、文王は貴道を樹立し、貴名を顯白にして、以て天下に施惠せんと欲して、而して独りでは可ならず。ここに貴道は果して樹立し、貴名は果して顯白にして、天下を兼制し、七十一国を建立して、姫姓は独り五十三人を占む。周の子孫は、狂惑にあらざれば、天下の顯赫諸侯と為らざるなし。これのごときは能く人を愛するなり。だから天下の大道を擧げ、天下の大功を樹立して、然る後に憐み愛する所を隱恤すれば、あの下は猶以て天下の顯赫の諸侯を為すに足る。だから言う、ただ明主のみ能くその愛する所を愛し、昏主は則ち必ずその愛する所を危害す、と。これを言うのである。

牆之外,目不見也;裡之前,耳不聞也;而人主之守司,遠者天下,近者境內,不可不略知也。天下之變,境內之事,有弛易齵差者矣,而人主無由知之,則是拘脅蔽塞之端也。耳目之明,如是其狹也;人主之守司,如是其廣也;其中不可以不知也,如是其危也。然則人主將何以知之?曰:便嬖左右者,人主之所以窺遠收眾之門戶牖向也,不可不早具也。故人主必將有便嬖左右足信者,然後可。其知惠足使規物,其端誠足使定物,然後可;夫是之謂國具。人主不能不有遊觀安燕之時,則不得不有疾病物故之變焉。如是,國者,事物之至也如泉原,一物不應,亂之端也。故曰:人主不可以獨也。卿相輔佐,人主之基杖也,不可不早具也。故人主必將有卿相輔佐足任者,然後可。其德音足以填撫百姓,其知慮足以應待萬變,然後可;夫是之謂國具。四鄰諸侯之相與,不可以不相接也,然而不必相親也,故人主必將有足使喻志決疑於遠方者,然後可。其辯說足以解煩,其知慮足以決疑,其齊斷足以距難,不還秩,不反君,然而應薄扞患,足以持社稷,然後可,夫是之謂國具。故人主無便嬖左右足信者,謂之闇;無卿相輔佐足任使者,謂之獨;所使於四鄰諸侯者非其人,謂之孤;孤獨而晻,謂之危。國雖若存,古之人曰亡矣。詩曰:"濟濟多士,文王以寧。"此之謂也。

墻の外面は、目は見る能わず。里巷の前面は、耳は聞く能わず。而して人主の守司する所は、遠きは天下、近きは境内なり。略微して知らざるべからず。天下の變化、境内の事、已に弛緩差失あるに、而して人主は知る由なければ、則ちこれは拘脅蔽塞の端緒なり。耳目の明は、このごとく狹窄にして、人主の守司する所は、このごとく廣大にして、その中は知らざるべからざるは、このごとく危險なり。然れば則ち人主は將に何を以て知らん。曰く、便嬖左右は、人主の以て遠を窺い衆を收むる所以の門戸窗户にして、早く具備せざるべからず。だから人主は必ず將に便嬖左右の信任するに足る有らんとして、然る後に可なり。その智惠は以て物を規劃するに足り、その端誠は以て物を安定するに足らんとして、然る後に可なり。これを国の器具という。人主は游觀安燕の時なくんば能わざれば、疾病死亡の變故あらざるべからず。これのごときは、国は、事物の到来するは泉源のごとく、一物應對せざれば、即ち乱の端緒なり。だから言う、人主は独りでは可ならず、と。卿相輔佐は、人主の基杖にして、早く具備せざるべからず。だから人主は必ず將に卿相輔佐の勝任するに足る有らんとして、然る後に可なり。その徳音は以て百姓を鎮撫するに足り、その智慮は以て万變に應對するに足らんとして、然る後に可なり。これを国の器具という。四鄰の諸侯は互相いに交往すれば、相接せざるべからざるも、然りて必ずしも相親しまず。だから人主は必ず將に遠方に在りて志を喻し疑を決するに足る有らんとして、然る後に可なり。その辯説は以て煩難を解開するに足り、その智慮は以て疑を決するに足り、その斉斷は以て患難を抗拒するに足り、私秩を還報せず、君に反せずして、然りて緊迫に應對し、禍患を捍御して、以て社稷を持守するに足らんとして、然る後に可なり。これを国の器具という。だから人主は便嬖左右の信任するに足るなきを、昏という。卿相輔佐の任使するに足るなきを、獨という。四鄰の諸侯に使する所のあの人ならざるを、孤という。孤獨にして昏暗なるを、危という。国たとえ猶在るがごとくとも、古代の人は已に滅亡せりと言う。『詩経・大雅・文王』に言う。「濟濟たる多士、文王はこれに因って安寧せり」と。これを言うのである。

材人:願愨拘錄,計數纖嗇,而無敢遺喪,是官人使吏之材也。修飭端正,尊法敬分,而無傾側之心,守職修業,不敢損益,可傳世也,而不可使侵奪,是士大夫官師之材也。知隆禮義之為尊君也,知好士之為美名也,知愛民之為安國也,知有常法之為一俗也,知尚賢使能之為長功也,知務本禁末之為多材也,知無與下爭小利之為便於事也,知明制度,權物稱用之為不泥也,是卿相輔佐之材也,未及君道也。能論官此三材者而無失其次,是謂人主之道也。若是則身佚而國治,功大而名美,上可以王,下可以霸,是人主之要守也。人主不能論此三材者,不知道此道,安值將卑埶出勞,並耳目之樂,而親自貫日而治詳,一日而曲辨之,慮與臣下爭小察而綦偏能,自古及今,未有如此而不亂者也。是所謂視乎不可見,聽乎不可聞,為乎不可成,此之謂也。

材を量って人を用う――謹愿端謹劬労にして、計数細密吝嗇して、而して遺漏喪失を敢えてせざるは、官人使吏の材なり。修飭端正して、法を尊び分を敬して、而して傾側の心なく、職を守り業を修して、増減を敢えてせず、以て世に傳うべくして、而して侵奪せらるるを得ざらしむるは、士大夫官師の材なり。礼義を尊崇するは以て君を尊ぶなりと知り、士を好むは以て美名を成すなりと知り、民を愛するは以て国を安んずるなりと知り、常法あるは以て習俗を斉一にするなりと知り、賢を崇尚し能を使用するは以て功を増長するなりと知り、根本を務求し末業を禁止するは以て材を增多するなりと知り、下と小利を争わざるは以て事を便利にするなりと知り、制度を顯明にし物を権衡してその用を称するは以て拘泥せざるなりと知るは、卿相輔佐の材にして、いまだ君道に達せず。能くこの三种の材を論定任官して等次を失わざれば、これを人主の道という。これのごとくなれば則ち自身安逸にして国治まり、功大にして名美し。上は王と称すべく、下は覇と称すべし。これは人主の要約持守なり。人主は能くこの三种の材を論定せず、この道を走るを知らずして、ここにただ將に権勢を降低し、労苦を親らし、耳目の楽を擯棄して、而して親ら連日詳細に治理し、一日に曲折辨治して、思慮は臣下と小察を争いて偏能を極尽す。古より今に至るまで、このごとくして乱れざるなし。これ即ち所謂あの見るべからざるを看、あの聞くべからざるを聴き、あの成すべからざるを為す。これを言うのである。

臣道篇第十三

人臣之論:有態臣者,有篡臣者,有功臣者,有聖臣者。--內不足使一民,外不足使距難,百姓不親,諸侯不信;然而巧敏佞說,善取寵乎上,是態臣者也。上不忠乎君,下善取譽乎民,不恤公道通義,朋黨比周,以環主圖私為務,是篡臣者也。內足使以一民,外足使以距難,民親之,士信之,上忠乎君,下愛百姓而不倦,是功臣者也。上則能尊君,下則能愛民,政令教化,刑下如影,應卒遇變,齊給如響,推類接譽,以待無方,曲成制象,是聖臣者也。故用聖臣者王,用功臣者強,用篡臣者危,用態臣者亡。態臣用則必死,篡臣用則必危,功臣用則必榮,聖臣用則必尊。故齊之蘇秦,楚之州侯,秦之張儀,可謂態臣者也。韓之張去疾,趙之奉陽,齊之孟嘗,可謂篡臣也。齊之管仲,晉之咎犯,楚之孫叔敖,可謂功臣矣。殷之伊尹,周之太公,可謂聖臣矣。--是人臣之論也,吉凶賢不肖之極也。必謹志之!而慎自為擇取焉,足以稽矣。

人臣の倫類――態臣あり、篡臣あり、功臣あり、聖臣あり。――内は以て民を斉一にするに足らず、外は以て患難を抗拒するに足らず、百姓は親しまず、諸侯は相信せず。然りて巧敏佞説して、上より寵を取るに善し。これは態臣なり。上に對して君に忠ならず、下に對して民より誉を取るに善く、公道通義を顧みず、朋黨比周して、君主を環繞して私を圖謀するを以て事務と為す。これは篡臣なり。内は以て民を斉一にするに足り、外は以て難を抗拒するに足り、民は彼に親しみ、士は彼を信じ、上に對して君に忠にして、下に對して百姓を愛して厭倦せず。これは功臣なり。上に對して能く君を尊び、下に對して能く民を愛し、政令教化は、下に形るるは影子のごとく、突然に應對し變化に遇上するは、敏捷なること回声のごとく、類を推して誉に接して、以て定方なきを對待し、曲折して制度法象を成就す。これは聖臣なり。だから聖臣を用いれば王と称し、功臣を用いれば強く、篡臣を用いれば危険にして、態臣を用いれば滅亡す。態臣用いらるれば必ず死し、篡臣用いらるれば必ず危うく、功臣用いらるれば必ず栄え、聖臣用いらるれば必ず尊し。だから斉の蘇秦、楚の州侯、秦の張儀は、以て態臣と称すべし。韓の張去疾、趙の奉陽、斉の孟嘗は、以て篡臣と称すべし。斉の管仲、晋の咎犯、楚の孫叔敖は、以て功臣と称すべし。殷の伊尹、周の太公は、以て聖臣と称すべし。――これは人臣の倫類にして、吉凶賢不肖の極致なり。必ず謹慎に記住し、而して慎重に自ら択択取用すれば、以て稽考するに足る。

從命而利君謂之順,從命而不利君謂之諂;逆命而利君謂之忠,逆命而不利君謂之篡;不恤君之榮辱,不恤國之臧否,偷合苟容以持祿養交而已耳,謂之國賊。君有過謀過事,將危國家隕社稷之懼也;大臣父兄,有能進言於君,用則可,不用則去,謂之諫;有能進言於君,用則可,不用則死,謂之爭;有能比知同力,率群臣百吏而相與強君撟君,君雖不安,不能不聽,遂以解國之大患,除國之大害,成於尊君安國,謂之輔;有能抗君之命,竊君之重,反君之事,以安國之危,除君之辱,功伐足以成國之大利,謂之拂。故諫爭輔拂之人,社稷之臣也,國君之寶也,明君之所尊厚也,而闇主惑君以為己賊也。故明君之所賞,闇君之所罰也;闇君之所賞,明君之所殺也。伊尹箕子可謂諫矣,比干子胥可謂爭矣,平原君之於趙可謂輔矣,信陵君之於魏可謂拂矣。傳曰:"從道不從君。"此之謂也。故正義之臣設,則朝廷不頗;諫爭輔拂之人信,則君過不遠;爪牙之士施,則仇讎不作;邊境之臣處,則疆垂不喪,故明主好同而闇主好獨,明主尚賢使能而饗其盛,闇主妒賢畏能而滅其功,罰其忠,賞其賊,夫是之謂至闇,桀紂所以滅也。

命に從いて君に利あるを順といい、命に從いて君に利なきを諂という。命に逆いて君に利あるを忠といい、命に逆いて君に利なきを篡という。君の栄辱を顧みず、国の好壞を顧みず、偷合苟容して以て俸禄を持守し、私交を豢養するのみを、国賊という。君に錯誤の謀劃・錯誤の事あれば、將に国家を危害し社稷を隕落するの恐懼あらん。大臣父兄、能く君に進言して、用いれば即可とし、用いざれば離去するを、諫という。能く君に進言して、用いれば即可とし、用いざれば死するを、争という。能く智を比合し力を会同して、群臣百吏を率領して互相いに君を強め君を矯め、君たとえ安んぜずとも、聽かざる能わずして、ここに以て国の大患を解除し、国の大害を除去し、君を尊び国を安んずるに成就するを、輔という。能く君の命令に抗拒し、君の権重を竊取して、反って君の事を為して、以て国の危を安定し、君の辱を除去して、功伐は以て国の大利を成就するに足るを、拂という。だから諫争輔拂の人は、社稷の臣にして、国君の宝物にして、明君の尊厚する所にして、而して昏主惑君は彼らを以て己の賊害と為す。だから明君の賞する所は、昏君の罰する所なり。昏君の賞する所は、明君の殺す所なり。伊尹・箕子は以て諫と称すべし。比干・子胥は以て争と称すべし。平原君は趙に於いて以て輔と称すべし。信陵君は魏に於いて以て拂と称すべし。傳記に言う、「道に從いて君に從わず」と。これを言うのである。だから正義の臣設立すれば、則ち朝廷は偏頗せず。諫争輔拂の人信任せらるれば、則ち君の過錯は遠からず。爪牙の士施用せらるれば、則ち仇敵は發作せず。辺境の臣はそこに處すれば、則ち疆垂は喪失せず。だから明主は会同を喜好して昏主は獨自を喜好し、明主は賢を崇尚し能を使用してあの盛んを享受し、昏主は賢を嫉妒し能を畏懼して彼らの功を滅し、忠のを懲罰し賊のを賞賜す。これを至昏という。桀紂の滅亡する所以なり。

事聖君者,有聽從無諫爭;事中君者,有諫爭無諂諛;事暴君者,有補削無撟拂。迫脅於亂時,窮居於暴國,而無所避之,則崇其美,揚其善,違其惡,隱其敗,言其所長,不稱其所短,以為成俗。詩曰:"國有大命,不可以告人,妨其躬身。"此之謂也。

聖君に事えるは、聽從ありて諫争なし。中君に事えるは、諫争ありて諂諛なし。暴君に事えるは、補削ありて矯拂なし。乱時に迫脅せられ、暴国に窮居して、而して避开する所なければ、則ちその美を推崇し、その善を表揚し、その惡を避开し、その敗を隱藏し、その長ずる所を言いて、その短き所を称せずして、以て習俗を成就す。『詩経』に言う。「国に大命ありて、人に吿ぐべからず。自身を妨害す」と。これを言うのである。

恭敬而遜,聽從而敏,不敢有以私決擇也,不敢有以私取與也,以順上為志,是事聖君之義也。忠信而不諛,諫爭而不諂,撟然剛折端志而無傾側之心,是案曰是,非案曰非,是事中君之義也。調而不流,柔而不屈,寬容而不亂,曉然以至道而無不調和也,而能化易,時關內之,是事暴君之義也。若馭樸馬,若養赤子,若食餧人。故因其懼也而改其過,因其憂也而辨其故,因其喜也而入其道,因其怒也而除其怨,曲得所謂焉。書曰:"從命而不拂,微諫而不倦,為上則明,為下則遜。"此之謂也。

恭敬して謙遜し、聽從して敏捷にして、私に因って決択するを敢えてせず、私に因って取与するを敢えてせず、上に順從するを以て志向と為す。これは聖君に事えるの義なり。忠信して阿諛せず、諫争して諂わず、矯然として剛折し志向端正して傾側の心なし、是なれば是と言い、非なれば非と言う。これは中君に事えるの義なり。調和して放蕩せず、柔にして屈服せず、寛容して乱れず、明白に至道を以て調和せざるなくして、而して能く化易し、時時に關納して内に入る。これは暴君に事えるの義なり。未だ調ならざる馬を駕馭するがごとく、赤子を養うがごとく、飢餓の人を餧うがごとし。だからその懼に因って來りて過錯を改正し、その憂に因って來りて緣故を辨別し、その喜に因って來りて道に納入し、その怒に因って來りて怨を除去す。曲折して言う所を得る。『書』に言う。「命に從いて違逆せず、微諫して厭倦せず、上と為れば明、下と為れば遜」と。これを言うのである。

事人而不順者,不疾者也;疾而不順者,不敬者也;敬而不順者,不忠者也;忠而不順者,無功者也;有功而不順者,無德者也。故無德之為道也,傷疾、墮功、滅苦,故君子不為也。

人に事えて順從せざるは、敏捷ならざる人なり。敏捷して順從せざるは、敬ならざる人なり。敬して順從せざるは、忠ならざる人なり。忠して順從せざるは、功なき人なり。功ありて順從せざるは、徳なき人なり。だから徳なきを以て道と為すは、敏捷を傷害し、功を毁堕し、労苦を滅尽す。だから君子は為さず。

有大忠者,有次忠者,有下忠者,有國賊者:以德覆君而化之,大忠也;以德調君而輔之,次忠也;以是諫非而怒之,下忠也;不恤君之榮辱,不恤國之臧否,偷合苟容以持祿養交而已耳,國賊也。若周公之於成王也,可謂大忠矣;若管仲之於桓公,可謂次忠矣;若子胥之於夫差,可謂下忠矣;若曹觸龍之於紂者,可謂國賊矣。

大忠あり、次忠あり、下忠あり、国賊あり――徳を以て君を覆罩して彼を教化するは、大忠なり。徳を以て君を調適して彼を輔助するは、次忠なり。是を以て非を諫めて彼を發怒せしむるは、下忠なり。君の栄辱を顧みず、国の好壞を顧みず、偷合苟容して以て俸禄を持守し私交を豢養するのみは、国賊なり。周公の成王に於けるがごときは、以て大忠と称すべし。管仲の桓公に於けるがごときは、以て次忠と称すべし。子胥の夫差に於けるがごときは、以て下忠と称すべし。曹觸龍の紂に於けるがごときは、以て国賊と称すべし。

仁者必敬人。凡人非賢,則案不肖也。人賢而不敬,則是禽獸也;人不肖而不敬,則是狎虎也。禽獸則亂,狎虎則危,災及其身矣。詩曰:"不敢暴虎,不敢馮河。人知其一,莫知其它。戰戰兢兢--如臨深淵,如履薄冰。"此之謂也。故仁者必敬人。敬人有道,賢者則貴而敬之,不肖者則畏而敬之;賢者則親而敬之,不肖者則疏而敬之。其敬一也,其情二也。若夫忠信端愨,而不害傷,則無接而不然,是仁人之質也。忠信以為質,端愨以為統,禮義以為文,倫類以為理,喘而言,臑而動,而一可以為法則。詩曰:"不僭不賊,鮮不為則。"此之謂也。

仁者は必ず人を尊敬す。凡人は賢にあらざれば、即ち不肖なり。人賢にして尊敬せざれば、則ち禽獣なり。人不肖にして尊敬せざれば、則ち虎を狎るなり。禽獣すれば乱り、虎を狎れば危険にして、災はその自身に到る。『詩経・小雅・小旻』に言う。「敢えて徒手で虎を搏たず、敢えて徒歩で河を渡らず。人はこれ一樣を知りて、其他を知らず。戦戦兢兢――深淵に臨むがごとく、薄冰を履むがごとし」と。これを言うのである。だから仁者は必ず人を尊敬す。人を尊敬するに道あり――賢は則ち看重して尊敬し、不肖は則ち畏懼して尊敬し、賢は則ち親近して尊敬し、不肖は則ち疎遠して尊敬す。尊敬は一事にして、情は両事なり。忠信端謹して傷害せざるに至れば、則ち交接してこのごとくならざるなし。これは仁人の質なり。忠信を以て質と為し、端謹を以て統紀と為し、礼義を以て文と為し、倫類を以て理と為せば、たとえ極めて細微の説話・蠕動なるとも、以て法則を為すべし。『詩経・大雅・抑』に言う。「僭越せず賊害せざれば、法則を為さざること稀なり」と。これを言うのである。

恭敬、禮也;調和、樂也;謹慎、利也;鬥怒、害也。故君子安禮樂利,謹慎而無鬥怒,是以百舉而不過也。--小人反是。

恭敬は礼なり、調和は楽なり、謹慎は利なり、争鬥忿怒は害なり。だから君子は礼楽利に安んじて謹慎にして争鬥忿怒なく、これに因って百次の挙動は皆過錯なし。――小人は相反る。

通忠之順,權險之平,禍亂之從聲,三者非明主莫之能知也。爭然後善,戾然後功,生死無私,致忠而公,夫是之謂通忠之順,信陵君似之矣。奪然後義,殺然後仁,上下易位然後貞,功參天地,澤被生民,夫是之謂權險之平,湯武是也。過而通情,和而無經,不恤是非,不論曲宜,偷合苟容,迷亂狂生,夫是之謂禍亂之從聲,飛廉惡來是也。傳曰:"斬而齊,枉而順,不同而一。"詩曰:"受小球大球,為下國綴旒。"此之謂也。

忠を貫通して順に達し、變を権して險を平に達し、禍乱に聲に從って附和す。三者は明主にあらざれば知る能くするなし。争いて然る後に善く、乖戾して然る後に功あり、生死に私なく、忠を極尽して公なり。これを忠を貫通して順に達すという。信陵君は近似せり。奪取して然る後に義、殺して然る後に仁、上下は位子を交換して然る後に貞なり。功は天地に參配し、恩澤は生民を覆蓋す。これを變を権して險を平に達すという。湯武は即ちこれなり。過錯あれど通融し、應和して經常なく、是非を顧みず、曲直の宜しきを論ぜず、偷合苟容して迷乱狂生す。これを禍乱に聲に從って附和すという。飛廉・惡來は即ちこれなり。傳記に言う、「斉からざれど斉く、彎曲せれど順い、不同なれど一なり」と。『詩経・商頌・長發』に言う。「小の法・大の法を受けて、下国の綴旒を為せり」と。これを言うのである。

致士篇第十四

衡聽、顯幽、重明、退奸、進良之術:朋黨比周之譽,君子不聽;殘賊加累之譖,君子不用;隱忌雍蔽之人,君子不近;貨財禽犢之請,君子不許。凡流言、流說、流事、流謀、流譽、流愬,不官而衡至者,君子慎之,聞聽而明譽之,定其當而當,然後士其刑賞而還與之;如是則奸言、奸說、奸事、奸謀、奸譽、奸愬,莫之試也;忠言、忠說、忠事、忠謀、忠譽、忠愬、莫不明通,方起以尚盡矣。夫是之謂衡聽、顯幽、重明、退奸、進良之術。

衡聴・顯幽・重明・退奸・進良の方法――朋黨比周の誉は、君子は聴かず。殘賊加累の讒言は、君子は用いず。隱忌壅蔽の人は、君子は近づかず。貨財禽犢の請託は、君子は許さず。およそ流言・流説・流事・流謀・流誉・流訴は、官府を經由せずして横に来たるは、君子は謹慎に對待し、聽聞して明白にこれを稱説し、それを確定して恰当と不恰当として、然る後に彼に刑賞を與えて還報して彼に與う。これのごとくなれば則ち奸言・奸説・奸事・奸謀・奸誉・奸訴は、來りて嘗試するなし。忠言・忠説・忠事・忠謀・忠誉・忠訴は、顯明通達せざるなく、併せて起きて上に窮尽す。これを衡聴・顯幽・重明・退奸・進良の方法という。

川淵深而魚鱉歸之,山林茂而禽獸歸之,刑政平而百姓歸之,禮義備而君子歸之。故禮及身而行修,義及國而政明,能以禮挾而貴名白,天下願,令行禁止,王者之事畢矣。詩曰:"惠此中國,以綏四方。"此之謂也。川淵者,魚龍之居也,山林者、鳥獸之居也,國家者、士民之居也。川淵枯、則魚龍去之,山林險,則鳥獸去之,國家失政、則士民去之。無土則人不安居,無人則土不守,無道法則人不至,無君子則道不舉。故土之與人也,道之與法也者,國家之本作也。君子也者,道法之摠要也,不可少頃曠也。得之則治,失之則亂;得之則安,失之則危;得之則存,失之則亡,故有良法而亂者有之矣,有君子而亂者,自古及今,未嘗聞也,傳曰:"治生乎君子,亂生於小人。"此之謂也。

河川深淵は深くして魚鱉は彼に歸向し、山林は茂にして禽獣は彼に歸向し、刑政平かにして百姓は彼に歸向し、礼義は完備して君子は彼に歸向す。だから礼を身に加えれば行為修整し、義を国に加えれば政顯明にして、能く礼を以て周遍して貴名顯白にすれば、天下仰慕して令行禁止し、王者の事は畢わる。『詩経・大雅・民労』に言う。「この中国に惠を施して、以て四方を安定せん」と。これを言うのである。河川深淵は、魚龍の居住する所。山林は、鳥獣の居住する所。国家は、士民の居住する所なり。河川深淵枯竭すれば、則ち魚龍離去し、山林險惡なれば、則ち鳥獣離去し、国家は政を失えば、則ち士民離去す。土なくんば則ち人は安居する能わず、人なくんば則ち土は守る能わず、道法法則なくんば則ち人は到来せず、君子なくんば則ち道は擧げる能わず。だから土と人、道と法は、国家の本作なり。君子は、道法の總要約にして、片刻も空缺すべからず。彼を得れば治まり、彼を失えば乱り、彼を得れば安んじ、彼を失えば危うく、彼を得れば存し、彼を失えば亡ぶ。だから良法ありて乱るるは有りて之を過ぐれど、君子ありて乱るるは、古より今に至りて、未だ嘗て聞かず。傳記に言う。「治は君子より生じ、乱は小人より生ず」と。これを言うのである。

得眾動天。美意延年。誠信如神,夸誕逐魂。

衆を得れば能く天を感動す。心意美しければ能く年壽を延長す。誠信は神のごとく、誇誕は魂を駆逐す。

人主之害,不在乎不言用賢,而在乎不誠必用賢。夫言用賢者,口也;卻賢者,行也,口行相反,而欲賢者之至,不肖者之退也,不亦難乎!夫耀蟬者,務在明其火,振其樹而已;火不明,雖振其樹,無益也。今人主有能明其德者,則天下歸之,若蟬之歸明火也。

人主の害は、賢を任用すると言わざるに在らずして、真誠に必ず賢を任用せざるに在り。あの賢を任用するを言うは、口なり。賢を退却するは、行為なり。口と行為相反りて、而して賢の到来、不肖の退去を欲すれば、また難からずや。あの蟬を照す者は、務求はその火を明亮にし、あの樹を振動するに在るのみ。火亮せざれば、たとえあの樹を振動するとも、益処なし。如今人主は能くその徳を顯明にする有れば、則ち天下は彼に歸向するは、蟬の明亮なる火に歸向するがごとし。

臨事接民,而以義變應,寬裕而多容,恭敬以先之,政之始也。然後中和察斷以輔之,政之隆也。然後進退誅賞之,政之終也。故一年與之始,三年與之終。用其終為始,則政令不行,而上下怨疾,亂所以自作也。書曰:"義刑義殺;勿庸以即,女惟曰:未有順事。"言先教也。

事に臨み民に接して、而して義を用いて變に應じ、寛裕して多く容納し、恭敬を以て引導するは、政の始めなり。然る後に中和察斷を以て輔助するは、政の隆盛なり。然る後に進退誅賞するは、政の終結なり。だから一年は彼に始めを與え、三年は彼に終結を與う。終結を以て始めと為せば、則ち政令は實行する能わずして、而して上下怨恨して、乱は自ら發作する所以なり。『書』に言う。「義の刑、義の殺。以て即座にするなかれ。汝ただ言う、いまだ順從の事有らず、と」。これは先ず教化を言うなり。

程者、物之準也,禮者、節之準也;程以立數,禮以定倫;德以敘位,能以授官。凡節奏欲陵,而生民欲寬;節奏陵而文,生民寬而安;上文下安,功名之極也,不可以加矣。

程は、物の準則なり。礼は、節の準則なり。程は以て数を建立し、礼は以て倫を確定す。徳は以て位子を序列し、能は以て官職を授予す。およそ節奏は嚴峻を欲し、而して民を養活するは寛を欲す。節奏嚴峻なれば文あり、民を養活して寛なれば安んず。上は文ありて下安んずるは、功名の極致にして、再加うべからず。

君者、國之隆也,父者、家之隆也。隆一而治,二而亂。自古及今,未有二隆爭重,而能長久者。

君は、国の尊崇する所。父は、家の尊崇する所なり。尊崇一なれば治まり、二なれば乱る。古より今に至りて、未だ嘗て兩個の尊崇が権重を争奪して、而して能く長久なりしはあらず。

師術有四--而博習不與焉:尊嚴而憚,可以為師;耆艾而信,可以為師;誦說而不陵不犯,可以為師;知微而論,可以為師:故師術有四--而博習不與焉。水深而回,樹落則糞本,弟子通利則思師。詩曰:"無言不讎,無德不報。"此之謂也。

師と為るの方法は四あり――而して広博学習はその中に在らず。尊嚴にして人を忌憚せしむるは、以て師と為すべし。年高くして信あるは、以て師と為すべし。誦説して陵越せず違犯せざるは、以て師と為すべし。細微を知りて能く論ずるは、以て師と為すべし。だから師と為るの方法は四あり――而して広博学習はその中に在らず。水深ければ則ち迴旋し、樹葉落ちれば則ち根本を肥やし、弟子は通達利を得れば則ち師を思念す。『詩経・大雅・抑』に言う。「話に酬答せざるなく、徳に回報せざるなし」と。これを言うのである。

賞不欲僭,刑不欲濫。賞僭則利及小人,刑濫則害及君子。若不幸而過,寧僭勿濫。與其害善,不若利淫。

賞は僭越を想わず、刑は濫を想わず。賞僭越すれば則ち利は小人に達し、刑濫なれば則ち害は君子に達す。もし不幸にして過分ならば、寧ろ僭越して濫あるなかれ。善を傷害するよりは、淫に利あるに如かず。

議兵篇第十五

臨武君與孫卿子議兵於趙孝成王前,王曰:請問兵要?

臨武君と孫卿子は趙の孝成王の面前に在りて兵を議論す。王曰く、請う、兵を用うるの要約は。

臨武君對曰:上得天時,下得地利,觀敵之變動,後之發,先之至,此用兵之要術也。

臨武君回答して曰く、上は天時を得、下は地利を得、敵人の變動を観看して、彼より後に發動し、彼より先に到達す。これは兵を用うるの要約方法なり。

孫卿子曰:不然!臣所聞古之道,凡用兵攻戰之本,在乎壹民。弓矢不調,則羿不能以中微;六馬不和,則造父不能以致遠;士民不親附,則湯武不能以必勝也。故善附民者,是乃善用兵者也。故兵要在乎善附民而已。

孫卿子曰く、これにあらず。臣の聽聞する所の古代の道は、およそ兵を用いて攻戰するの根本は、民を斉一にするに在り。弓矢調わざれば、則ち羿は以て細微を射中する能わず。六馬和せざれば、則ち造父は以て遠方に到達する能わず。士民親附せざれば、則ち湯武は以て一定に勝利する能わず。だから民に親附するに善きは、これ即ち兵を用うるに善き人なり。だから兵を用うるの要約は、民に親附するに善きに在るのみ。

臨武君曰:不然。兵之所貴者埶利也,所行者變詐也。善用兵者,感忽悠闇,莫知其所從出。孫吳用之無敵於天下,豈必待附民哉!

臨武君曰く、これにあらず。兵の看重する所は権勢便利にして、實行する所は變詐なり。兵を用うるに善きは、感忽幽暗にして、彼の何處より出づるを知るなし。孫武・呉起はこれを用いて天下に敵なし。どうして必ず民に親附するを待たんや。

孫卿子曰:不然。臣之所道,仁者之兵,王者之志也。君之所貴,權謀埶利也;所行,攻奪變詐也;諸侯之事也。仁人之兵,不可詐也;彼可詐者,怠慢者也,路亶者也,君臣上下之間,渙然有離德者也。故以桀詐桀,猶巧拙有幸焉。以桀詐堯,譬之:若以卵投石,以指撓沸;若赴水火,入焉焦沒耳。故仁人上下,百將一心,三軍同力;臣之於君也,下之於上也,若子之事父,弟之事兄,若手臂之扞頭目而覆胸腹也,詐而襲之,與先驚而後擊之,一也。且仁人之用十里之國,則將有百里之聽;用百里之國,則將有千里之聽;用千里之國,則將有四海之聽,必將聰明警戒和傳而一。故仁人之兵,聚則成卒,散則成列,延則若莫邪之長刃,嬰之者斷;兌則若莫邪之利鋒,當之者潰,圜居而方止,則若盤石然,觸之者角摧,案角鹿埵隴種東籠而退耳。且夫暴國之君,將誰與至哉?彼其所與至者,必其民也,而其民之親我歡若父母,其好我芬若椒蘭,彼反顧其上,則若灼黥,若讎仇;人之情,雖桀蹠,豈又肯為其所惡,賊其所好者哉!是猶使人之子孫自賊其父母也,彼必將來告之,夫又何可詐也!故仁人用國日明,諸侯先順者安,後順者危,慮敵之者削,反之者亡。詩曰:"武王載發,有虔秉鉞;如火烈烈,則莫我敢遏。"此之謂也。

孫卿子曰く、これにあらず。臣の稱道する所は、仁者の兵にして、王者の志向なり。君の看重する所は、権謀権勢便利。實行する所は、攻奪變詐。これは諸侯の事なり。仁人の兵は、以て詐るべからず。あの以て詐るべきは、怠慢の人にして、羸弱疲憊の人にして、君臣上下の間渙然として離徳ある人なり。だから桀を以て桀を詐れば、猶巧拙の上に僥幸あり。桀を以て尭を詐れば、譬えば卵を拿て石に投ずるがごとく、手指を以て開水を攪くがごとく、水火に奔赴するがごとく、一たび入れば焦没するのみ。だから仁人上下は、百將一心にして三軍同力。臣の君に於ける、下の上に於けるは、子の父に事え、弟の兄に事えるがごとく、手臂の頭目を捍護して胸腹を覆蓋するがごとし。詐を以て彼を襲擊するは、先に驚動して然る後に彼を撃打すると、一事なり。況んや仁人は十里の国を用いれば、則ち將に百里の聽聞あらん。百里の国を用いれば、則ち將に千里の聽聞あらん。千里の国を用いれば、則ち將に四海の聽聞あらん。必ず將に聰明警戒して、傳を和して斉一ならん。だから仁人の兵は、聚集すれば卒と成り、分散すれば列と成り、延長すれば莫邪の長刃のごとくして、それに觸犯するは斷れ、尖銳すれば莫邪の利鋒のごとくして、それに抵当するは潰し、圓居して方止すれば、則ち磐石のごとくして、それに觸犯するは角は摧折し、ここに角は摧れ、披靡して東倒西歪に退去するのみ。況んやあの暴国の君は、將に誰とともに來らん。彼の從って到來する所の者は、必ずその民なり。而してその民は我に親しみ歡喜すること父母のごとく、我が芬芳を好むこと椒蘭のごとし。彼は反ってその上を顧みれば、則ち灼燒黥面のごとく、仇敵のごとし。人の情は、たとえ桀跖なりとも、どうしてまた肯んじてその惡む所のために、好む所を賊害せんや。これは人の子孫をして自らその父母を賊害せしむるがごとく、彼は必ず將に來りて吿げん。またどうして詐を以てせんや。だから仁人は国を用いて日々に顯明し、諸侯は先に順從するは安んじ、後に順從するは危うく、謀劃して敵を為すは削られ、反叛するは滅亡す。『詩経・商頌・長發』に言う。「武王は旌旗を載せ、虔敬に鉞を持てり。火の烈烈たるがごとく、則ち敢えて我を遏止するなし」と。これを言うのである。

孝成王、臨武君曰:善!請問王者之兵,設何道何行而可?

孝成王・臨武君曰く、善し。請う、王者の兵は、何の道を設置し何を實行してしかるべき。

孫卿子曰:凡在大王,將率末事也。臣請遂道王者諸侯強弱存亡之效,安危之埶:君賢者其國治,君不能者其國亂;隆禮貴義者其國治,簡禮賤義者其國亂;治者強,亂者弱,是強弱之本也。上足卬則下可用也,上不卬則下不可用也;下可用則強,下不可用則弱,是強弱之常也。隆禮效功,上也;重祿貴節,次也;上功賤節,下也,是強弱之凡也。好士者強,不好士者弱;愛民者強,不愛民者弱;政令信者強,政令不信者弱;民齊者強,民不齊者弱;賞重者強,賞輕者弱;刑威者強,刑侮者弱;械用兵革攻完便利者強,械用兵革窳楛不便利者弱。重用兵者強,輕用兵者弱;權出一者強,權出二者弱,是強弱之常也。

孫卿子曰く、およそ大王に在りて、將帥は末事なり。臣はここに王者諸侯の強弱存亡の效驗、安危の情勢を稱道せんを請う――君賢なるはその国治まり、君不能なるはその国乱る。礼を尊崇し義を看重するはその国治まり、礼を簡慢し義を賤視するはその国乱る。治むは強く、乱るは弱し。これは強弱の根本なり。上は以て仰望するに足れば則ち下は用うべく、上は以て仰望するに足らざれば則ち下は用うべからず。下用うべければ則ち強く、下用うべからざれば則ち弱し。これは強弱の常理なり。礼を尊崇し功を核驗するは、上なり。禄を看重し節を看重するは、次なり。功を崇尚し節を賤視するは、下なり。これは強弱の大凡なり。士を好むは強く、士を好まざるは弱し。民を愛するは強く、民を愛せざるは弱し。政令に信あるは強く、政令に信なきは弱し。民斉一なるは強く、民斉一ならざるは弱し。賞重きは強く、賞軽きは弱し。刑に威あるは強く、刑侮せらるるは弱し。械用兵革は堅固完好便利なるは強く、械用兵革は粗惡不便利なるは弱し。慎重に兵を用うるは強く、輕率に兵を用うるは弱し。権は一より出づるは強く、権は兩より出づるは弱し。これは強弱の常理なり。

齊人隆技擊,其技也,得一首者,則賜贖錙金,無本賞矣。是事小敵毳,則偷可用也,事大敵堅,則渙然離耳。若飛鳥然,傾側反覆無日,是亡國之兵也,兵莫弱是矣。是其去賃市傭而戰之幾矣。

斉人は技擊を尊崇す。あの技能は、一個の首級を得れば、則ち贖罪の錙金を賜給して、根本の賞なし。こ事小にして敵人脆弱なれば、猶以て苟且に用うべし。事大にして敵人堅固なれば、則ち渙然として离散するのみ。飛鳥のごとく、傾側反覆して数日ならず。これは亡国の兵にして、兵はこれより弱きなし。これは市上の傭工を雇いて以て作戰するに差不多し。

魏氏之武卒,以度取之,衣三屬之甲,操十二石之弩,負服矢五十個,置戈其上,冠冑帶劍,贏三日之糧,日中而趨百里,中試則復其戶,利其田宅,是數年而衰,而未可奪也,改造則不易周也,是故地雖大,其稅必寡,是危國之兵也。

魏氏の武卒は、標準に按じて選取して、三屬の甲を穿ち、十二石の弩を拿ち、盛矢五十個を背負い、戈をその上に把り、胄を戴き劍を帯び、三日の糧を携帯して、一日の中に百里を趨走す。考試に中れば則ちその戸役を免除し、その田宅を便利にす。これ几年にして衰うるも、然りて奪取すべからず、改選すれば則ち周遍し易からず。これに因って土地たとえ大なりとも、税は必ず少なし。これは危国の兵なり。

秦人其生民郟阨,其使民也酷烈,劫之以埶,隱之以阨,忸之以慶賞,酋之以刑罰,使天下之民,所以要利於上者,非鬥無由也。阨而用之,得而後功之,功賞相長也,五甲首而隸五家,是最為眾強長久,多地以正,故四世有勝,非幸也,數也。

秦人は民を養活するに狹隘困窮にして、民を役使するに酷烈にして、権勢を以て脅迫し、困窮を以て隱藏し、慶賞を以て習慣し、刑罰を以て逼迫し、天下の民をして上に利を求むる所以を、戰鬥にあらざれば路なからしむ。困窮にして彼らを用いて、得て然る後に功を記して、功と賞は互相いに増長し、五個の甲首は五���を隸役す。これ最も衆強長久にして、土地多くして税を徴収す。だから四世勝あるは、僥幸にあらず、数なり。

故齊之技擊,不可以遇魏氏之武卒;魏氏之武卒,不可以遇秦之銳士;秦之銳士,不可以當桓文之節制;桓文之節制,不可以敵湯武之仁義;有遇之者,若以焦熬投石焉。兼是數國者,皆幹賞蹈利之兵也,傭徒鬻賣之道也,未有貴上安制綦節之理也。諸侯有能微妙之以節,則作而兼殆之耳。故招近募選,隆埶詐,尚功利,是漸之也;禮義教化,是齊之也。故以詐遇詐,猶有巧拙焉;以詐遇齊,闢之猶以錐刀墮太山也,非天下之愚人莫敢試。故王者之兵不試。湯武之誅桀紂也,拱挹指麾,而強暴之國莫不趨使,誅桀紂若誅獨夫。故泰誓曰:"獨夫紂。"此之謂也。故兵大齊則制天下,小齊則治鄰敵。若夫招近募選,隆埶詐,尚功利之兵,則勝不勝無常,代翕代張,代存代亡,相為雌雄耳矣。夫是之謂盜兵,君子不由也。

だから斉の技擊は、以て魏氏の武卒に遇上すべからず。魏氏の武卒は、以て秦の銳士に遇上すべからず。秦の銳士は、以て桓・文の節制に抵当すべからず。桓・文の節制は、以て湯・武の仁義に敵當すべからず。遇上する有らば、焦熬の物を拿て石に投ずるがごとし。これらの幾国を兼ぬるは、皆賞を求め利を蹈むの兵にして、傭徒買賣の道なり。未だ嘗て上を看重し、制度に安んじ、節を極尽するの理有らず。諸侯は能く精微に節を以て對待する有れば、則ち起きて併せて彼らを危殆にするのみ。だから招來募選して、権勢詐を尊崇し、功利を崇尚するは、漸染なり。礼義教化は、斉一なり。だから詐を以て詐に遇上すれば、猶巧拙あり。詐を以て斉一に遇上すれば、譬えば錐刀を以て泰山を毁堕するがごとし。天下の愚人にあらざれば敢えて嘗試するなし。だから王者の兵は嘗試せず。湯武は桀紂を誅殺するに、拱手作揖して指揮して、而して強暴の国は趨使せざるなし。桀紂を誅殺するは獨夫を誅殺するがごとし。だから『泰誓』に言う、「獨夫紂」と。これを言うのである。だから兵は大いに斉一すれば則ち天下を制約し、小に斉一すれば則ち鄰敵を治理す。招來募選して、権勢詐を尊崇し、功利を崇尚する兵に至れば、則ち勝と不勝は常規なく、代わり代わり收斂し代わり代わり擴張し、代わり代わり存し代わり代わり亡び、互相いに雌雄を為すのみ。これを盗兵という。君子は走らず。

故齊之田單,楚之莊蹻,秦之衛鞅,燕之繆蟣,是皆世俗所謂善用兵者也,是其巧拙強弱,則未有以相君也。若其道一也,未及和齊也;掎契司詐,權謀傾覆,未免盜兵也。齊桓、晉文、楚莊、吳闔閭、越勾踐是皆和齊之兵也,可謂入其域矣,然而未有本統也,故可以霸而不可以王;是強弱之效也。

だから斉の田単、楚の荘蹻、秦の衛鞅、燕の繆蟣は、これら皆世俗の所謂兵を用うるに善き者なり。彼らの巧拙強弱は、則ち未だ嘗て以て互相いに君を為す有らず。彼らの道は一事に至れば、いまだ和斉に達せず。掎挈伺詐して、権謀傾覆して、免れずして盗兵なり。斉桓・晋文・楚荘・呉闔閭・越勾踐はこれら皆和斉の兵にして、以てあの領域に進入したりと称すべし。然りて未だ嘗て本統有らず。だから以て覇と称すべくして以て王と称すべからず。これは強弱の效驗なり。

孝成王、臨武君曰善!請問為將?

孝成王・臨武君曰く、善し。請う、如何にして將を為さん。

孫卿子曰:知莫大乎棄疑,行莫大乎無過,事莫大乎無悔,事至無悔而止矣,成不可必也。故制號政令欲嚴以威,慶賞刑罰欲必以信,處舍收藏欲周以固,徙舉進退欲安以重,欲疾以速;窺敵觀變欲潛以深,欲伍以參;遇敵決戰必道吾所明,無道吾所疑:夫是之謂六術。無慾將而惡廢,無急勝而忘敗,無威內而輕外,無見利而不顧其害,凡慮事欲孰而用財欲泰:夫是之謂五權。所以不受命於主有三:可殺而不可使處不完,可殺而不可使擊不勝,可殺而不可使欺百姓:夫是之謂三至。凡受命於主而行三軍,三軍既定,百官得序,群物皆正,則主不能喜,敵不能怒:夫是之謂至臣。慮必先事,而申之以敬,慎終如始,終始如一:夫是之謂大吉。凡百事之成也,必在敬之;其敗也,必在慢之。故敬勝怠則吉,怠勝敬則滅;計勝欲則從,欲勝計則兇。戰如守,行如戰,有功如幸,敬謀無壙,敬事無壙,敬吏無壙,敬眾無壙,敬敵無壙:夫是之謂五無壙。謹行此六術、五權、三至,而處之以恭敬無壙,夫是之謂天下之將,則通於神明矣。

孫卿子曰く、智は疑惑を拋棄するより大きなるなし、行は過錯なきより大きなるなし、事は後悔なきより大きなるなし。事は後悔なきに至りて止まる。成功は以て一定すべからず。だから制號政令は嚴にして威あらんと欲し、慶賞刑罰は一定にして信あらんと欲し、處舍收蔵は周密にして堅固あらんと欲し、遷徙進退は安にして重く、疾にして速ならんと欲し、敵を窺い變を觀るは潜にして深く、錯綜參驗せんと欲す。敵人に遇上して決戰するは必ず我が明なる所を走り、我が疑う所を走らず。これを六術という。將を為るを想うて廢せらるるを惡むなかれ、勝に急にして敗を忘るるなかれ、内に威ありて外に輕忽するなかれ、利を見てあの害を顧みざるなかれ、およそ事を慮るは精熟を欲して財を用うるは寛泰を欲す。これを五権という。だから君主より命令を受けずするは三あり――殺すべしとも彼をして完固ならざるの處に處らしむべからず、殺すべしとも彼をして能く勝たざるを攻撃せしむべからず、殺すべしとも彼をして百姓を欺かしむべからず。これを三至という。およそ君主より命令を受けて三軍を行使し、三軍已に確定し、百官は序列を得、群物皆正しければ、則ち君主は彼を喜ばしむる能わず、敵人は彼を怒らしむる能わず。これを至臣という。慮は必ず事の先に在りて、敬を以て申重し、慎重に終結するは開始のごとく、終始は一回事のごとし。これを大吉という。およそ百事の成就は、必ずそれを敬するに在り。その敗は、必ずそれを怠慢するに在り。だから敬は怠に勝てば吉し、怠は敬に勝てば滅し、計は欲に勝てば順い、欲は計に勝てば凶なり。戰は守のごとく、行は戰のごとく、功あるは僥幸のごとし。敬謀に空隙なく、敬事に空隙なく、敬吏に空隙なく、敬衆に空隙なく、敬敵に空隙なし。これを五無空隙という。謹慎にこの六術・五権・三至を實行して、而して恭敬にして空隙なきを以て處すれば、これを天下の將という。則ち神明に通達す。

臨武君曰:善!請問王者之軍制?

臨武君曰く、善し。請う、王者の軍制は。

孫卿子曰:將死鼓,御死轡,百吏死職,士大夫死行列。聞鼓聲而進,聞金聲而退,順命為上,有功次之;令不進而進,猶令不退而退也,其罪惟均。不殺老弱,不獵禾稼,服者不禽,格者不捨,奔命者不獲。凡誅,非誅其百姓也,誅其亂百姓者也;百姓有扞其賊,則是亦賊也。以故順刃者生,蘇刃者死,奔命者貢。微子開封於宋,曹觸龍斷于軍,殷之服民,所以養生之者也,無異周人。故近者歌謳而樂之,遠者竭蹙而趨之,無幽閒闢陋之國,莫不趨使而安樂之,四海之內若一家,通達之屬莫不從服,夫是之謂人師。詩曰:"自西自東,自南自北,無思不服。"此之謂也。王者有誅而無戰,城守不攻,兵格不擊,上下相喜則慶之,不屠城,不潛軍,不留眾,師不越時。故亂者樂其政,不安其上,欲其至也。

孫卿子曰く、將は鼓のために死し、御者は轡のために死し、百吏は職のために死し、士大夫は行列のために死す。鼓聲を聞けば即ち進み、金聲を聞けば即ち退く。順從は命令を代えて上と為し、功あるはその次なり。命令進めとせずして進むは、命令退けとせずして退くがごとく、あの罪は一なり。老弱を殺さず、禾稼を踐踏せず、服從するは擒獲せず、格鬥するは舍棄せず、奔命して歸來するは抓獲せず。およそ誅は、あの百姓を誅するにあらず、あの百姓を擾乱する人を誅するなり。百姓はあの賊を捍護する有れば、則ちこれもまた賊なり。これに因って刃に順うは生き、刃に逆うは死し、奔命して歸來するは獻上す。微子は開封して宋に在り、曹觸龍は軍中に斬られ、殷の服從の民は、彼らを養生する所以は、周人と不同ならず。だから近き者は歌謳して彼を樂しみ、遠き者は力を竭くして趨走して來る。幽閑僻陋の国なく、趨使して安楽せざるなし。四海の内一家のごとく、通達の所は從服せざるなし。これを人師という。『詩経・大雅・文王有声』に言う。「西より東より、南より北より、服從せざるを想うなし」と。これを言うのである。王者は誅ありて戰なし。城守れば則ち攻めず、兵格鬥すれば則ち撃たず、上下互相いに喜悅すれば則ち慶賀す。城を屠らず、軍を潜めず、衆を留めず、師は時を超えず。だから乱の人はその政を樂しみて、その上に安んぜずして、彼の到来を欲す。

臨武君曰:善!

臨武君曰く、善し。

陳囂問孫卿子曰:先生議兵,常以仁義為本;仁者愛人,義者循理,然則又何以兵為?凡所為有兵者,為爭奪也。

陳囂は孫卿子に問うて曰く、先生は兵を議論して、常に仁義を以て根本と為す。仁者は人を愛し、義者は理を遵循す。然れば則ちまた何のために兵を用いる。およそ兵有る所以は、争奪のためなり。

孫卿子曰:非汝所知也!彼仁者愛人,愛人故惡人之害之也;義者循理,循理故惡人之亂之也。彼兵者所以禁暴除害也,非爭奪也。故仁者之兵,所存者神,所過者化,若時雨之降,莫不說喜。是以堯伐驩兜,舜伐有苗,禹伐共工,湯伐有夏,文王伐崇,武王伐紂,此四帝兩王,皆以仁義之兵,行於天下也。故近者親其善,遠方慕其德,兵不血刃,遠邇來服,德盛於此,施及四極。詩曰:"淑人君子,其儀不忒,其儀不忒,正是四國。"此之謂也。

孫卿子曰く、汝の知る所にあらず。あの仁者は人を愛するは、人を愛するが故に人の彼を傷害するを惡む。義者は理を遵循するは、理を遵循するが故に人の彼を擾乱するを惡む。あの兵は以て暴を禁止し害を除去するなり、争奪にあらず。だから仁者の兵は、存留する所は神妙にして、經過する所は教化す。時雨の降下するがごとくして、喜悅せざるなし。これに因って尭は驩兜を伐ち、舜は有苗を伐ち、禹は共工を伐ち、湯は有夏を伐ち、文王は崇を伐ち、武王は紂を伐ちり。これら四帝両王は、皆仁義の兵を以て、天下に實行せり。だから近き者はその善に親しみ、遠方はその徳を仰慕し、兵は刃を血に濡らさずして、遠近皆來りて服從す。徳盛なるはここに在りて、施は四極に及ぶ。『詩経・曹風・鳲鳩』に言う。「善人君子、その儀度に差錯なく、儀度に差錯なく、この四国を端正す」と。これを言うのである。

李斯問孫卿子曰:秦四世有勝,兵強海內,威行諸侯,非以仁義為之也,以便從事而已。

李斯は孫卿子に問うて曰く、秦は四世勝ありて、兵は海内に強く、威は諸侯に行わる。並びに仁義を以て為すにあらず、ただ便利に從事するのみ。

孫卿子曰:非汝所知也!汝所謂便者,不便之便也;吾所謂仁義者,大便之便也。彼仁義者,所以修政者也;政修則民親其上,樂其君,而輕為之死。故曰:凡在於軍,將率末事也。秦四世有勝,諰諰然常恐天下之一合而軋己也,此所謂末世之兵,未有本統也。故湯之放桀也,非其逐之鳴條之時也;武王之誅紂也,非以甲子之朝而後勝之也,皆前行素修也,所謂仁義之兵也。今女不求之於本,而索之於末,此世之所以亂也。

孫卿子曰く、汝の知る所にあらず。汝の所謂便利は、不便利の便利なり。我の所謂仁義は、大便利の便利なり。あの仁義は、以て政を修するなり。政修整せば則ち民はその上に親しみ、その君を樂しみて、而して彼のために死することを輕くす。だから言う、およそ軍に在りては、將帥は末事なり、と。秦は四世勝あれど、惴惴然として常に天下が一たび会合すれば己を傾軋せんことを恐怕す。これ即ち所謂末世の兵にして、未だ嘗て本統有らず。だから湯は桀を放逐するに、並びに彼を追逐して鳴條に至るの時に在らず。武王は紂を誅殺するに、並びに甲子のあの日の朝に然る後に彼に勝つにあらず。皆先前に實行し、平素に修整す。所謂仁義の兵なり。如今汝はこれを本に求めずして、これを末に求む。これは世の乱るる所以なり。

禮者、治辨之極也,強固之本也,威行之道也,功名之總也,王公由之所以得天下也,不由所以隕社稷也。故堅甲利兵不足以為勝,高城深池不足以為固,嚴令繁刑不足以為威。由其道則行,不由其道則廢。

礼は、治辨の極致にして、強固の根本にして、威行の道にして、功名の總會なり。王公はこれを經由して天下を得る所以にして、經由せざるは社稷を隕落する所以なり。だから堅甲利兵は以て勝を取るに足らず、高城深池は以て堅固に足らず、嚴令繁刑は以て威を成すに足らず。あの道を經由すれば實行し、あの道を經由せざれば廢壞す。

楚人鮫革犀兕以為甲,鞈堅如金石;宛鉅鐵矛,慘如蜂蠆,輕利僄遫,卒如飄風;然而兵殆於垂沙,唐蔑死。莊蹻起,楚分而為三四,是豈無堅甲利兵也哉!其所以統之者非其道故也。汝潁以為險,江漢以為池,限之以鄧林,緣之以方城;然而秦師至,而鄢郢舉,若振槁然,是豈無固塞隘阻也哉!其所以統之者非其道故也。紂刳比干,囚箕子,為炮烙刑,殺戮無時,臣下懍然莫必其命,然而周師至,而令不行乎下,不能用其民,是豈令不嚴,刑不繁也哉!其所以統之者非其道故也。

楚人は鮫革犀兕を以て甲と為し、堅固なること金石のごとし。宛地の鉅鐵矛は、慘毒なること蜂蠆のごとく、輕利迅疾にして、突然たること飄風のごとし。然りて兵は垂沙に危殆し、唐蔑死す。荘蹻興起して、楚は三四に分成す。これ豈に堅甲利兵なきならんや。彼の統領する所以はあの道にあらざるの故なり。汝潁を以て險と為し、江漢を以て池と為し、鄧林を以て限隔と為し、方城を以て緣辺と為す。然りて秦師到来して、而して鄢郢は攻取せられて、枯葉を振落とすがごとし。これ豈に固塞隘阻なきならんや。彼の統領する所以はあの道にあらざるの故なり。紂は比干を剖き、箕子を囚禁し、炮烙の刑を為して、殺戮は定時なく、臣下は懔然として能く性命を一定するなし。然りて周師到来して、而して命令は下に實行する能わず、以てその民を用うる能わず。これ豈に令嚴ならず、刑繁ならざるならんや。彼の統領する所以はあの道にあらざるの故なり。

古之兵,戈矛弓矢而已矣,然而敵國不待試而詘;城郭不辨,溝池不抇,固塞不樹,機變不張;然而國晏然不畏外而固者,無它故焉,明道而鈞分之,時使而誠愛之,下之和上也如影向,有不由令者,然後俟之以刑。故刑一人而天下服,罪人不郵其上,知罪之在己也。是故刑罰省而威流,無它故焉,由其道故也。古者帝堯之治天下也,蓋殺一人,刑二人,而天下治。傳曰:"威厲而不試,刑錯而不用。"此之謂也。

古代の兵は、戈矛弓矢のみ。然りて敵国は嘗試を待たずして屈服す。城郭は修治せず、溝池は挖掘せず、固塞は樹立せず、機變は張開せず。然りて国は安然として外を畏れずして堅固なり。他の故なし、道を顯明にして分際を均平にし、時に按じて役使して真誠に彼らを愛すれば、下は上に應和するは影子と回声のごとく、命令を經由せざる有れば、然る後に刑を以て彼を待つ。だから一人を刑して天下服従し、罪人はその上を怨まず、罪は己に在るを知ればなり。これに因って刑罰は簡省して威は流布す。他の故なし、あの道を經由するの故なり。古代帝尭は天下を治理して、大約一人を殺し二人を刑して、而して天下治まる。傳記に言う。「威は嚴厲にして嘗試せず、刑は設置して用いず」と。これを言うのである。

凡人之動也,為賞慶為之,則見害傷焉止矣。故賞慶、刑罰、埶詐,不足以盡人之力,致人之死。為人主上者也,其所以接下之百姓者,無禮義忠信,焉慮率用賞慶、刑罰、埶詐,除阨其下,獲其功用而已矣。大寇則至,使之持危城則必畔,遇敵處戰則必北,勞苦煩辱則必奔,霍焉離耳,下反制其上。故賞慶、刑罰、埶詐之為道者,傭徒鬻賣之道也,不足以合大眾,美國家,故古之人羞而不道也。故厚德音以先之,明禮義以道之,致忠信以愛之,尚賢使能以次之,爵服慶賞以申之,時其事,輕其任,以調齊之,長養之,如保赤子。政令以定,風俗以一,有離俗不順其上,則百姓莫不敦惡,莫不毒孽,若祓不祥;然後刑于是起矣。是大刑之所加也,辱孰大焉!將以為利邪?則大刑加焉,身苟不狂惑戇陋,誰睹是而不改也哉!然後百姓曉然皆知循上之法,像上之志,而安樂之。於是有能化善、修身、正行、積禮義、尊道德,百姓莫不貴敬,莫不親譽;然後賞於是起矣。是高爵豐祿之所加也,榮孰大焉!將以為害邪?則高爵豐祿以持養之;生民之屬,孰不願也!雕雕焉縣貴爵重賞於其前,縣明刑大辱於其後,雖欲無化,能乎哉!故民歸之如流水,所存者神,所為者化。××××之屬為之化而順,暴悍勇力之屬為之化而願,旁闢曲私之屬為之化而公,矜糾收繚之屬為之化而調,夫是之謂大化至一。詩曰:"王猶允塞,徐方既來。"此之謂也。

およそ人の挙動は、賞慶のためにのみ為せば、則ち傷害を見れば即ち停止す。だから賞慶・刑罰・権勢詐は、以て人の力を窮尽し、人をして死を致せしむるに足らず。人主と為るの上に在るは、彼の以て下層の百姓に接する所は、礼義忠信なく、ここに大都は賞慶・刑罰・権勢詐を用いて、その下を困窮して、功用を獲取するのみ。大寇到来して、彼をして危城を持守せしめば必ず背叛し、敵人に遇上して戰中に處れば必ず敗北し、労苦煩辱すれば必ず奔逃し、霍然として离散するのみ。下は反って上を制約す。だから賞慶・刑罰・権勢詐を以て道と為すは、傭徒買賣の道にして、以て大衆を會合し、国家を美化するに足らず。だから古代の人はこれを稱道せざるを羞とす。だから徳音を加厚して以て引導し、礼義を顯明にして以て開導し、忠信を極尽して以て愛し、賢を崇尚し能を使用して以て排列し、爵服慶賞を以て申重し、時に按じて彼らの事を安排し、彼らの担いを軽減して、以て彼らを調斉し、彼らを長養するは、赤子を保護するがごとし。政令はこれに因って確定し、風俗はこれに因って斉一す。習俗を離れて上に順從せざる有れば、則ち百姓は敦厚に惡まざるなく、毒害して以て孽と為さざるなく、不祥を祓除するがごとし。然る後に刑はここに興起す。これは大刑の加うる所にして、辱はどうしてこれより大きなるあらん。將に以て利と為さんか。則ち大刑は身に加わる。自身もし狂惑戇陋にあらざれば、誰かこれを見て改めざらん。然る後に百姓は明白に皆上の法を遵循し、上の志向を仿效して、安楽す。ここに能く善に化し、身を修め、行為を端正し、礼義を積累し、道徳を尊崇する有れば、百姓は貴敬せざるなく、親近稱誉せざるなし。然る後に賞はここに興起す。これは高爵豊禄の加うる所にして、栄はどうしてこれより大きなるあらん。將に以て害と為さんか。則ち高爵豊禄を用いて持養す。生民一類は、誰か願意せざらん。昭昭然として前に貴爵重賞を懸挂し、後に明刑大辱を懸挂すれば、たとえ化せざらんと欲するも、能くするを得んや。だから民は彼に歸向するは流水のごとく、存留する所は神妙にして、為す所は教化す。(底本ここに四字殘缺)一類の人はこれに因って化して順從し、暴悍勇力一類の人はこれに因って化して謹愿し、邪僻曲私一類の人はこれに因って化して公に、急躁糾繞一類の人はこれに因って化して調和す。これを大化至一という。『詩経・大雅・常武』に言う。「王の謀劃は確かに充實し、徐方は已に到来せり」と。これを言うのである。

凡兼人者有三術:有以德兼人者,有以力兼人者,有以富兼人者。彼貴我名聲,美我德行,欲為我民,故闢門除塗,以迎吾入。因其民,襲其處,而百姓皆安。立法施令,莫不順比。是故得地而權彌重,兼人而兵俞強:是以德兼人者也。非貴我名聲也,非美我德行也,彼畏我威,劫我埶,故民雖有離心,不敢有畔慮,若是則戎甲俞眾,奉養必費。是故得地而權彌輕,兼人而兵俞弱:是以力兼人者也。非貴我名聲也,非美我德行也,用貧求富,用飢求飽,虛腹張口,來歸我食。若是,則必發夫掌窌之粟以食之,委之財貨以富之,立良有司以接之,已期三年,然後民可信也。是故得地而權彌輕,兼人而國俞貧:是以富兼人者也。故曰:以德兼人者王,以力兼人者弱,以富兼人者貧,古今一也。

およそ人を兼有するは三种の方法あり――徳を用いて人を兼有する有り、力を用いて人を兼有する有り、富を用いて人を兼有する有り。彼は我が名声を看重し、我が徳行を讃美し、我が民を為さんと欲す。だから門を開き途を治めて、以て我の進入を迎接す。その民に因り、その處所に沿襲して、而して百姓は皆安定す。法を立て令を施して、順比せざるなし。これに因って地を得て權更に重く、人を兼有して兵更に強し。これは徳を用いて人を兼有するなり。並びに我が名声を看重するにあらず、並びに我が徳行を讃美するにあらず、彼は我が威を畏懼し、我が権勢に脅迫せられて、だから民たとえ離去の心あるも、背叛の慮を敢えてせず。これのごときは則ち戎甲更に多く、奉養は必ず耗費す。これに因って地を得て權更に輕く、人を兼有して兵更に弱し。これは力を用いて人を兼有するなり。並びに我が名声を看重するにあらず、並びに我が徳行を讃美するにあらず、貧を以て富を求め、饑を以て飽を求め、腹を空にして口を張りて、來りて我に歸向して食を求む。これのごときは、則ち必ずあの倉窖の粟を發放して彼らに食を與え、財貨を委積して彼らを富ましめ、良有司を設立して彼らを接待し、已に三年を約定して、然る後に民は以て信任すべし。これに因って地を得て權更に輕く、人を兼有して国更に貧し。これは富を用いて人を兼有するなり。だから言う、徳を用いて人を兼有するは王と称し、力を用いて人を兼有するは弱し、富を用いて人を兼有するは貧し。古今は一事なり。

兼幷易能也,唯堅凝之難焉。齊能幷宋,而不能凝也,故魏奪之。燕能幷齊,而不能凝也,故田單奪之。韓之上地,方數百里,完全富足而趨趙,趙不能凝也,故秦奪之。故能幷之,而不能凝,則必奪;不能幷之,又不能凝其有,則必亡。能凝之,則必能幷之矣。得之則凝,兼幷無強。古者湯以薄,武王以滈,皆百里之地也,天下為一,諸侯為臣,無他故焉,能凝之也。故凝士以禮,凝民以政;禮修而士服,政平而民安;士服民安,夫是之謂大凝。以守則固,以徵則強,令行禁止,王者之事畢矣。

兼并は能くし易く、ただそれを堅固凝聚するは難し。斉は能く宋を兼并するも、然りて凝聚する能わず。だから魏はこれを奪取せり。燕は能く斉を兼并するも、然りて凝聚する能わず。だから田単はこれを奪取せり。韓の上黨の地は、方圓数百里にして、完全富足して趙に趨向すれど、趙は凝聚する能わず。だから秦はこれを奪取せり。だから能く兼并して凝聚する能わざれば、必ず奪わる。能く兼并せず、また能く有するを凝聚せざれば、必ず滅亡す。能く凝聚すれば、則ち必ず能く兼并す。得て凝聚せば、兼并に強敵なし。古代湯は亳に凭借し、武王は鎬に凭借し、皆百里の地にして天下統一し、諸侯臣を為す。他の故なし、能く凝聚するなり。だから礼を以て士を凝聚し、政を以て民を凝聚す。礼修整して士服從し、政平かにして民安定す。士服從して民安定すれば、これを大凝聚という。以て守れば固く、以て征せば強く、令行禁止して、王者の事は畢わる。

強國篇第十六

刑範正,金錫美,工冶巧,火齊得,剖刑而莫邪已。然而不剝脫,不砥厲,則不可以斷繩。剝脫之,砥厲之,則劙盤盂,刎牛馬,忽然耳。彼國者,亦強國之剖刑已。然而不教誨,不調一,則入不可以守,出不可以戰。教誨之,調一之,則兵勁城固,敵國不敢嬰也。彼國者亦有砥厲,禮義節奏是也。故人之命在天,國之命在禮。人君者,隆禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆幽險而亡。

型範正しく、金錫美しく、工冶巧にして、火候斉しく得れば、型範を剖開して莫邪は成る。然りて剥脫せず、砥礪せざれば、則ち以て繩を切断すべからず。それを剥脫し、それを砥礪すれば、則ち盤盂を割り、牛馬を刎るは、忽然の間のみ。あの国も、また強国の剖開する型範なり。然りて教誨せず、調一せざれば、則ち入りて守るべからず、出でて戰うべからず。それを教誨し、それを調一すれば、則ち兵勁く城固くして、敵国は觸犯を敢えてせず。あの国もまた砥礪あり。礼義節奏は即ちこれなり。だから人の命は天に在り、国の命は礼に在り。人君と為るは、礼を尊崇し賢を尊敬すれば王と称し、法を看重し民を愛すれば覇と称し、利を喜好し詐多ければ危険にして、権謀傾覆幽險なれば滅亡す。

威有三:有道德之威者,有暴察之威者,有狂妄之威者--此三威者,不可不孰察也。禮義則修,分義則明,舉錯則時,愛利則形。如是,百姓貴之如帝,高之如天,親之如父母,畏之如神明。故賞不用而民勸,罰不用而威行,夫是之謂道德之威。禮樂則不修,分義則不明,舉錯則不時,愛利則不形;然而其禁暴也察,其誅不服也審,其刑罰重而信,其誅殺猛而必,黭然而雷擊之,如牆厭之。如是,百姓劫則致畏,嬴則敖上,執拘則[最]聚,得間則散,敵中則奪,非劫之以形埶,非振之以誅殺,則無以有其下,夫是之謂暴察之威。無愛人之心,無利人之事,而日為亂人之道,百姓讙敖,則從而執縛之,刑灼之,不和人心。如是,下比周賁潰以離上矣,傾覆滅亡,可立而待也,夫是之謂狂妄之威。--此三威者,不可不孰察也。道德之威成乎安強,暴察之威成乎危弱,狂妄之威成乎滅亡也。

威に三种あり――道徳の威あり、暴察の威あり、狂妄の威あり。――この三种の威は、仔細に審察せざるべからず。礼義は即ち修整し、分義は即ち顯明にして、挙措は即ち時に合し、愛利は即ち顯現す。これのごとくなれば、百姓は彼を看重すること帝のごとく、彼を抬高すること天のごとく、彼に親しむこと父母のごとく、彼を畏懼すること神明のごとし。だから賞を用いずして民は勸勉し、罰を用いずして威は實行す。これを道徳の威という。礼楽は即ち修整せず、分義は即ち顯明せず、挙措は即ち時に合せず、愛利は即ち顯現せず。然りて彼は暴を禁止するに明察にして、彼は服從せざるを誅殺するに審慎にして、その刑罰は重くして信あり、その誅殺は猛にして一定なり。黯然として雷擊のごとく、墻の壓し來るがごとし。これのごとくなれば、百姓は脅迫せられれば畏を致し、寛縱せられれば上に傲り、執拘せられれば聚集し、間隙を得れば离散し、敵人の打中するは奪取す。形勢を以て脅迫せざれば、誅殺を以て震動せざれば、下を保有する由なし。これを暴察の威という。人を愛するの心なく、人を利するの事なくして、而して日々人を乱るの道を為せば、百姓は喧譁傲慢せば、則ち從いて彼らを執縛し、刑を以て彼らを灼燒して、人心を和せず。これのごとくなれば、下は比周奔潰して以て上を離る。傾覆滅亡は、立ちて待つべし。これを狂妄の威という。――この三种の威は、仔細に審察せざるべからず。道徳の威は安強に成就し、暴察の威は危弱に成就し、狂妄の威は滅亡に成就す。

公孫子曰:子發將西伐蔡,克蔡,獲蔡侯,歸致命曰:"蔡侯奉其社稷,而歸之楚;舍屬二三子而治其地。"既,楚發其賞,子發辭曰:"發誡布令而敵退,是主威也;徙舉相攻而敵退,是將威也;合戰用力而敵退,是眾威也。臣舍不宜以眾威受賞。"

公孫子曰く、子發は將に西に向かいて蔡を伐たんとして、蔡を攻克し、蔡侯を獲得して、歸來して致命して曰く、「蔡侯はその社稷を奉じて、而して楚に歸還せり。我は二三子を屬託してあの地を治理せしむ」と。事後、楚は賞を發出す。子發は推辭して曰く、「戒を吿げ令を布きて敵人退けるは、主の威なり。遷徙して相い攻めて敵人退けるは、將の威なり。合戰して力を用いて敵人退けるは、衆の威なり。臣舍は衆の威を凭って賞を受くべからず」と。

譏之曰:子發之致命也恭,其辭賞也固。夫尚賢使能,賞有功,罰有罪,非獨一人為之也,彼先王之道也,一人之本也,善善惡惡之應也,治必由之,古今一也。古者明主之舉大事,立大功也,大事已博,大功已立,則君享其成,群臣享其功,士大夫益爵,官人益秩,庶人益祿。是以為善者勸,為不善者沮,上下一心,三軍同力,是以百事成,而功名大也。今子發獨不然:反先王之道,亂楚國之法,墮興功之臣,恥受賞之屬,無僇乎族黨,而抑卑其後世,案獨以為私廉,豈不過甚矣哉!故曰:子發之致命也恭,其辭賞也固。

彼を譏評して曰く、子發は致命するに恭敬なれど、彼の賞を推辭するは固陋なり。あの賢を崇尚し能を使用し、功あるを賞し、罪あるを罰するは、並びに獨自一人の為す所にあらず。あれは先王の道にして、人を斉一にするの根本にして、善を善し惡を惡しむの應驗にして、治は必ずこれを經由し、古今は一事なり。古代の明主は大事を擧辦し、大功を樹立して、大事已に博取し、大功已に樹立せば、則ち君はあの成を享受し、群臣はあの功を享受し、士大夫は爵を増加し、官人は秩を増加し、庶人は禄を増加す。これに因って善を為すは勸勉し、不善を為すは沮喪し、上下一心にして三軍同力して、これに因って百事成就して、而して功名大なり。如今子發は独りこれにあらず。先王の道を違反し、楚国の法を擾乱し、功を立つの臣を毁堕して、賞を受くる一類をして以て耻と為さしむ。戮は族黨に及ばざるも、然りてその後世を壓抑卑下す。ここに獨自以て私廉と為す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。だから言う、子發は致命するに恭敬なれど、彼の賞を推辭するは固陋なり、と。

荀卿子說齊相曰:處勝人之埶,行勝人之道,天下莫忿,湯武是也。處勝人之埶,不以勝人之道,厚於有天下之埶,索為匹夫不可得也,桀紂是也。然則得勝人之埶者,其不如勝人之道遠矣!夫主相者,勝人以埶也,是為是,非為非,能為能,不能為不能,並己之私慾,必以道,夫公道通義之可以相兼容者,是勝人之道也。今相國上則得專主,下則得專國,相國之於勝人之埶,亶有之矣。然則胡不驅此勝人之埶,赴勝人之道,求仁厚明通之君子而托王焉,與之參國政,正是非!如是,則國孰敢不為義矣!君臣上下,貴賤長少,至於庶人,莫不為義,則天下孰不欲合義矣!賢士願相國之朝,能士願相國之官,好利之民莫不願以齊為歸,是一天下也。相國舍是而不為,案直為是世俗之所以為,則女主亂之宮,詐臣亂之朝,貪吏亂之官,眾庶百姓皆以爭奪貪利為俗,曷若是而可以持國乎?今巨楚縣吾前,大燕(魚酋)吾後,勁魏鉤吾右,西壤之不絕若繩,楚人則乃有襄賁開陽以臨吾左,是一國作謀,則三國必起而乘我。如是,則齊必斷而為四、三,國若假城然耳,必為天下大笑。曷若兩者孰足為也!夫桀紂,聖王之後子孫也,有天下者之世也,埶籍之所存,天下之宗室也,土地之大,封內千里,人之眾數以億萬,俄而天下倜然舉去桀紂而奔湯武,反然舉惡桀紂而貴湯武。是何也?夫桀紂何失?而湯武何得也?曰:是無它故焉,桀紂者善為人所惡也,而湯武者善為人所好也。人之所惡何也?曰:汙漫、爭奪、貪利是也。人之所好者何也?曰:禮義、辭讓、忠信是也。今君人者,譬稱比方則欲自並乎湯武,若其所以統之,則無以異於桀紂,而求有湯武之功名,可乎?故凡得勝者,必與人也;凡得人者,必與道也。道也者,何也?禮義、辭讓、忠信是也。故自四五萬而往者,強勝非眾之力也,隆在信矣。

荀卿子は斉相に游説して曰く、人に勝るの権勢に處り、人に勝るの道を實行して、天下は忿恨せず。湯武は即ちこれなり。人に勝るの権勢に處りて、人に勝るの道を用いず、天下の権勢を擁有するに厚くして、匹夫を為さんと求めても得るべからず。桀紂は即ちこれなり。然れば則ち人に勝る権勢を得るは、人に勝る道に遠く及ばず。あの主相は、権勢を以て人に勝る者にして、是は即ち是、非は即ち非、能は即ち能、不能は即ち不能、己の私欲を屏棄して、必ず道を用い、あの公道通義は以て互相いに兼容すべきは、人に勝るの道なり。如今相國は上に對して能く君主を專有し、下に對して能く国を專有す。相國は人に勝るの権勢に於いて、確かにこれ有り。然れば則ち何ぞこの人に勝るの権勢を駆使して、人に勝るの道に奔赴し、仁厚明通の君子を求めて而して王を彼に托付し、彼と國政に參與して、是非を端正せざる。これのごとくなれば、則ち国は誰か敢えて義を實行せざらん。君臣上下・貴賤長少、庶人に至るまで、義を實行せざるなければ、則ち天下は誰か義に會合せんと欲せざらん。賢士は相國の朝廷に到らんことを願意し、能士は相國の官を為らんことを願意し、利を好む民は斉を以て歸向と為さんと願わざるなし。これは天下を統一するなり。相國はこれを舍棄して為さずして、ここにただこの世俗の為す所を為せば、則ち女主は宮中を擾乱し、詐臣は朝廷を擾乱し、貪吏は官府を擾乱し、衆庶百姓は皆争奪貪利を以て習俗と為す。これのごとくどうして以て国を持守せんや。如今巨大の楚は我らの前に懸り、大燕は後面より逼近し、強勁の魏は我らの右辺を鉤住し、西辺の疆土は斷えずして繩のごとく、楚人は則ちまた襄賁・開陽有りて以て我らの左辺に臨む。こ一個の国が謀劃すれば、則ち三個の国は必ず起きて我らに乘ず。これのごとくなれば、則ち斉は必ず斷裂して三四と成り、国は借來の城のごとくして、必ず天下に大笑せられん。こ両樣はどれか以て為すに足らん。あの桀紂は、聖王の後子孫にして、天下を有する者の世系にして、権勢名籍の在る所にして、天下の宗室にして、土地廣大にして、封内千里にして、人の衆は億万を以て數す。久しからずして天下は超然として皆桀紂を離れて湯武に奔向し、反って皆桀紂を惡みて湯武を看重す。これは何ぞや。桀紂は何を失いたる。湯武は何を得たる。曰く、これ他の故なし、桀紂は人の惡む所を為すに善くして、而して湯武は人の喜好する所を為すに善し。人の惡む所は何ぞ。曰く、污漫・争奪・貪利は即ちこれなり。人の喜好する所は何ぞ。曰く、礼義・辭讓・忠信は即ちこれなり。如今人君と為るは、譬稱比方して即ち己を湯武に並列せんと欲し、彼の統領する所以に至れば、則ち桀紂と不同なくして、而して湯武の功名有らんを求むれば、可ならんや。だからおよそ勝を得るは、必ず人に給し、およそ人を得るは、必ず道に給す。道とは何ぞ。礼義・辭讓・忠信は即ちこれなり。だから四五万より上のは、強勝は並びに衆の力にあらず、尊崇する所は信に在り

自數百里而往者,安固非大之力也,隆在修政矣。今已有數萬之眾者也,陶誕比周以爭與;已有數百里之國者也,汙漫突盜以爭地;然則是棄己之所安強,而爭己之所以危弱也;損己之所不足,以重己之所有餘。若是其悖繆也,而求有湯武之功名,可乎!闢之,是猶伏而咶天,救經而引其足也。說必不行矣,愈務而愈遠。為人臣者,不恤己行之不行,苟得利而已矣,是渠沖入穴而求利也,是仁人之所羞而不為也。故人莫貴乎生,莫樂乎安;所以養生安樂者,莫大乎禮義。人知貴生樂安而棄禮義,闢之,是猶欲壽而歾頸也,愚莫大焉。故君人者,愛民而安,好士而榮,兩者亡一焉而亡。詩曰:"價人維藩,大師維垣。"此之謂也。

(続いて言う:)数百里より上のは、安固は並びに大の力にあらず、尊崇する所は政を修するに在り。如今已に数万の衆有るは、荒誕比周を以て与国を争い、已に数百里の国有るは、污漫強橫盗竊を以て地を争う。然れば則ちこれは己の安強する所以を拋棄して、己の危弱する所以を争うなり。己の足らざる所を減損して、以て己の余り有る所を加重す。これのごとく悖謬して、而して湯武の功名有らんを求むれば、可ならんや。譬えば趴伏して天を舐めに行き、上吊する人を救いて却ってその脚を拉くがごとし。この説法は必ず行うべからず。愈々務求すれば愈々遠し。人臣と為るは、その行為の行わるるや否やを顧みずして、苟且に利を得るのみ。これは城を攻める大衝車を拿て洞穴に入りて利を求むるがごとく、仁人の為さざるを羞とする所なり。だから人は生より貴きなく、安より楽しきなし。だから生を養い安を楽しむるは、礼義より大きなるなし。人は生を貴び安を楽しむるを知りて、而して礼義を拋棄すれば、譬えば長寿を欲して頸を刎るがごとし。愚はこれより大きなるなし。だから人君と為るは、民を愛して安んじ、士を好みて栄え、両者一を缺けば滅亡す。『詩経・大雅・板』に言う。「甲士は藩籬、大衆は垣墻」と。これを言うのである。

力術止,義術行,曷謂也?曰:秦之謂也。威強乎湯武,廣大乎舜禹,然而憂患不可勝校也。諰諰然常恐天下之一合而軋己也,此所謂力術止也。曷謂乎威強乎湯武?湯武也者,乃能使說己者使耳。今楚、父死焉,國舉焉,負三王之廟,而闢於陳蔡之間,視可司間,案欲剡其脛而以蹈秦之腹,然而秦使左案左,使右案右,是乃使讎人役也;此所謂威強乎湯武也。曷謂廣大乎舜禹也?曰:古者百王之一天下,臣諸侯也,未有過封內千里者也。今秦南乃有沙羨與俱,是乃江南也。北與胡貉為鄰,西有巴戎,東在楚者乃界於齊,在韓者踰常山乃有臨慮,在魏者乃據圉津--即去大梁百有二十里耳!其在趙者剡然有苓而據松柏之塞,負西海而固常山,是地遍天下也。威動海內,強殆中國,然而憂患不可勝校也,諰諰然常恐天下之一合而軋己也;此所謂廣大乎舜禹也。然則奈何?曰:節威反文,案用夫端誠信全之君子治天下焉,因與之參國政,正是非,治曲直,聽咸陽,順者錯之,不順者而後誅之。若是,則兵不復出於塞外,而令行於天下矣。若是,則雖為之築明堂於塞外而朝諸侯,殆可矣。假今之世,益地不如益信之務也。

力術停止して義術實行すとは、どう言う。曰く、秦を言うなり。威強は湯武に超過し、廣大は舜禹に超過すれど、然りて憂患は計って勝つべからず。惴惴然として常に天下が一たび会合すれば己を傾軋せんことを恐怕す。これ即ち所謂力術停止すなり。どうして威強は湯武に超過すると言う。湯武は、即ち能く己を喜悅する人をして役使を供せしむるのみ。如今楚は、父はそこに死し、国は攻取せられ、三王の廟を背負いて、陳蔡の間に躲避して、可を看て間隙を窺伺して、ここに小腿を擧げて秦の腹を踩らんと欲するも、然りて秦は彼をして左に向かわしめれば左に向かい、彼をして右に向かわしめれば右に向かう。これ即ち仇人をして役使を供せしむるなり。これ即ち所謂威強は湯武に超過すなり。どうして廣大は舜禹に超過すると言う。曰く、古代百王の天下を統一し諸侯を臣服せしめしに、未だ嘗て封内千里に超過する有らず。如今秦の南辺は即ち沙羨有りて彼とともに在り。これ即ち江南なり。北辺は胡貉と鄰を為し、西辺は巴戎有り、東辺は楚に在りては即ち斉と交界し、韓に在りては常山を越えて即ち臨慮有り、魏に在りては即ち圉津を占據す。大梁を離るるはただ百二十里のみ。それが趙に在りての尖削の地は苓有りて松柏の塞を占據し、西海を背負して常山を固守す。これは地は天下に遍し。威は海内を震動し、強は中国を危殆にすれど、然りて憂患は計って勝つべからず、惴惴然として常に天下が一たび会合すれば己を傾軋せんことを恐怕す。これ即ち所謂廣大は舜禹に超過すなり。然れば則ちどうせん。曰く、威を節制し文に返回して、ここにあの端誠信全の君子を以て天下を治理し、因って彼と國政に參與して、是非を端正し、曲直を治理し、咸陽に在りて政を聴き、順從するは彼を安置し、順從せざるは然る後に彼を誅殺す。これのごとくなれば、則ち兵は再び塞外に出でずして、而して命令は天下に實行さる。これのごとくなれば、則ちたとえ彼のために塞外に明堂を築きて諸侯を朝せしむるも、ほぼ可ならん。如今の世は、土地を増益するは信を増益するよりも當務に如かず。

應侯問孫卿子曰:入秦何見?

應侯は孫卿子に問うて曰く、秦に入りて何を見たる。

孫卿子曰:其固塞險,形埶便,山林川穀美,天材之利多,是形勝也。入境,觀其風俗,其百姓樸,其聲樂不流汙,其服不佻,甚畏有司而順,古之民也。及都邑官府,其百吏肅然,莫不恭儉、敦敬、忠信而不楛,古之吏也。入其國,觀其士大夫,出於其門,入於公門;出於公門,歸於其家,無有私事也;不比周,不朋黨,倜然莫不明通而公也,古之士大夫也。觀其朝廷,其朝閒,聽決百事不留,恬然如無治者,古之朝也。故四世有勝,非幸也,數也。是所見也。故曰:佚而治,約而詳,不煩而功,治之至也,秦類之矣。雖然,則有其諰矣。兼是數具者而盡有之,然而縣之以王者之功名,則倜倜然其不及遠矣!是何也?則其殆無儒邪!故曰粹而王,駁而霸,無一焉而亡。此亦秦之所短也。

孫卿子曰く、あの固塞は險要にして、形勢便利にして、山林谿谷美しく、天材の利多し。これは形勝なり。境に入りて、風俗を観れば、あの百姓は樸實にして、あの声楽は放蕩汚穢せず、あの衣服は輕佻せず、甚だ有司を畏懼して順從す。これは古代の民なり。都邑官府に至れば、あの百吏は肅然として、恭儉・敦敬・忠信にして粗惡ならざるなし。これは古代の吏なり。国都に入りて、士大夫を観れば、その門より出でて、公門に入り、公門より出でて、その家に歸り、私事なく、比周せず、朋黨せず、超然として明通にして公ならざるなし。これは古代の士大夫なり。その朝廷を観れば、あの朝は閑暇にして、百事を聴決して滞留せず、恬然として治理する人なきがごとし。これは古代の朝廷なり。だから四世勝あるは、僥幸にあらず、数なり。これは見る所なり。だから言う、安逸にして治まり、簡約にして詳備、煩わずして功ありは、治の極致なり。秦は類似せり、と。然りと雖も、あの憂懼あり。これらの幾項を兼ねて全て有するも、然りて王者の功名を以て衡量すれば、則ち超然として差遠きこと甚だし。これは何ぞや。ほぼ儒なきならん。だから言う、純粹なれば王と称し、駁雜なれば覇と称し、一樣もなくんば滅亡す、と。これもまた秦の短ずる所なり。

積微:月不勝日,時不勝月,歲不勝時。凡人好敖慢小事,大事至然後興之務之,如是,則常不勝夫敦比於小事者矣。是何也?則小事之至也數,其縣日也博,其為積也大;大事之至也希,其縣日也淺,其為積也小。故善日者王,善時者霸,補漏者危,大荒者亡。故王者敬日,霸者敬時,僅存之國危而後戚之。亡國至亡而後知亡,至死而後知死,亡國之禍敗,不可勝悔也。霸者之善箸焉,可以時托也;王者之功名,不可勝日誌也。財物貨寶以大為重,政教功名反是--能積微者速成。詩曰:"德輶如毛,民鮮克舉之。"此之謂也。

微細を積累す――月は日に勝る能わず、時は月に勝る能わず、歳は時に勝る能わず。凡人は小事を傲慢を喜好し、大事到来して然る後に興起して務求す。これのごとく、則ち常にあの小事に敦勉して從事する人に勝る能わず。これは何ぞや。則ち小事の到来するは頻繁にして、それの懸挂する日は廣博にして、それの積累と為すは大なり。大事の到来するは稀少にして、それの懸挂する日は淺くして、それの積累と為すは小なり。だから日に善きは王と称し、時に善きは覇と称し、漏を補うは危うく、大いに荒廢するは滅亡す。だから王者は日を敬し、覇者は時を敬し、僅かに存在する国は危険なりて然る後に憂戚す。亡国は滅亡に至りて然る後に亡を知り、死に至りて然る後に死を知る。亡国の禍敗は、後悔は來り及ばざるなり。覇者の善は顯著にして、以て時候に按じて托付すべし。王者の功名は、以て日を勝べく記すべからず。財物貨宝は大を以て重と為し、政教功名は相反る。能く微細を積累するは迅速に成就す。『詩経・大雅・烝民』に言う。「徳は毛のごとく輕く、民はそれを擧げる能くすること稀なり」と。これを言うのである。

凡奸人之所以起者,以上之不貴義,不敬義也。夫義者,所以限禁人之為惡與奸者也。今上不貴義,不敬義,如是,則天下之人百姓,皆有棄義之志,而有趨奸之心矣,此奸人之所以起也。且上者下之師也,夫下之和上,譬之猶響之應聲,影之像形也。故為人上者,不可不順也。夫義者,內節於人,而外節於萬物者也;上安於主,而下調於民者也;內外上下節者,義之情也。然則凡為天下之要,義為本,而信次之。古者禹湯本義務信而天下治,桀紂棄義倍信而天下亂。故為人上者,必將慎禮義,務忠信,然後可。此君人者之大本也。堂上不糞,則郊草不瞻曠芸;白刃扞乎胸,則目不見流矢;拔戟加乎首,則十指不辭斷;非不以此為務也,疾養緩急之有相先者也。

およそ奸人の興起する所以は、上が義を看重せず、義を敬せざるに因るなり。あの義は、以て人を限禁して惡と奸を為さしめざるなり。如今上が義を看重せず、義を敬せざれば、これのごとくなれば、則ち天下の百姓は��皆義を拋棄の志向有りて、奸に趨向の心有り。これは奸人の興起する所以なり。況んや上は下の老師なり。あの下の上に應和するは、譬えば回声の声に應和し、影子の形體に似るがごとし。だから人の上と為るは、順は、順從せざるべからず。あの義は、内は人を節制し、而外は万物を節制し、上は主を安定し、而して下は民を調適す。内外上下に節ありは、義の情なり。然れば則ちおよそ天下の要約を為すは、義は根本にして、而して信はその次なり。古代禹湯は義に本づき信を務求して天下治まり、桀紂は義を拋棄し信を背叛して天下乱る。だから人の上と為るは、必ず將に礼義を謹慎し、忠信を務求して、然る後に可ならん。これは人君と為るの大根本なり。堂上掃除せざれば、則ち郊野の草は除くに及ばず。白刃は胸前に横たわれば、則ち目は飛來の矢を見ず。拔出の戟は頭上に加われば、則ち十指は斬斷せらるるを辭せず。並びにあれらを事務と為さざるにあらず、痛痒緩急に互相いに先在する有るなり。

天論篇第十七

天行有常,不為堯存,不為桀亡。應之以治則吉,應之以亂則兇。強本而節用,則天不能貧;養備而動時,則天不能病;修道而不貳,則天不能禍。故水旱不能使之飢,寒暑不能使之疾,祆怪不能使之兇。本荒而用侈,則天不能使之富;養略而動罕,則天不能使之全;倍道而妄行,則天不能使之吉。故水旱未至而飢,寒暑未薄而疾,祆怪未至而兇--受時與治世同,而殃禍與治世異,不可以怨天,其道然也。故明於天人之分,則可謂至人矣。

天の運行は常規あり。尭を以て存せず、桀を以て亡ばず。治を以て應ずれば吉し、乱を以て應ずれば凶なり。根本を加強して用度を節約すれば、則ち天は彼を貧しくする能わず。給養は完備して挙動は時に合せば、則ち天は彼を病しくする能わず。道を修整して二心せざれば、則ち天は彼に禍を與うる能わず。だから水旱は彼を饑えしむる能わず、寒暑は彼を疾病せしむる能わず、妖怪は彼を凶ならしむる能わず。根本は荒廢して用度は奢侈すれば、則ち天は彼を富ましむる能わず。給養は簡略にして挙動は稀少なれば、則ち天は彼を保全する能わず。道を背叛して妄行すれば、則ち天は彼を吉ならしむる能わず。だから水旱いまだ至らずして饑え、寒暑いまだ迫近せずして疾病し、妖怪いまだ至らずして凶なり。承受する所の時は治世と相同じくして、而して殃禍は治世と相同じからず。天を怨むべからず、あの道の然らしむるなり。だから天と人の分際を明了すれば、以て至人と称すべし。

不為而成,不求而得,夫是之謂天職。如是者,雖深、其人不加慮焉;雖大、不加能焉;雖精、不加察焉,夫是之謂不與天爭職。天有其時,地有其財,人有其治,夫是之謂能參。舍其所以參,而願其所參,則惑矣。

為さずして成就し、求めずして得到す。これを天職という。これのごときは、たとえ深しとも、あの人は思慮を加えず。たとえ大なりとも、才能を加えず。たとえ精なりとも、察辨を加えず。これを天と職を争わずという。天はその時あり、地はその財あり、人はその治あり。これを能く參配するという。參配する所以を舍棄して、而してあの參配する所を願望すれば、則ち惑う。

列星隨旋,日月遞照,四時代御,陰陽大化,風雨博施,萬物各得其和以生,各得其養以成,不見其事,而見其功,夫是之謂神。皆知其所以成,莫知其無形,夫是之謂天功。唯聖人為不求知天。

列星は旋轉に随い、日月は更迭して照臨し、四時は更迭して駕御し、陰陽は大いに化育し、風雨は廣博に施予して、万物は各自和を得て生じ、各自養を得て成就す。あの事を見ずして、あの功を見る。これを神という。皆成就する所以を知りて、あの無形を知るなし。これを天功という。ただ聖人のみ天を知らんことを求めず。

天職既立,天功既成,形具而神生,好惡喜怒哀樂臧焉,夫是之謂天情。耳目鼻口形能各有接而不相能也,夫是之謂天官。心居中虛,以治五官,夫是之謂天君。財非其類以養其類,夫是之謂天養。順其類者謂之福,逆其類者謂之禍,夫是之謂天政。暗其天君,亂其天官,棄其天養,逆其天政,背其天情,以喪天功,夫是之謂大凶。聖人清其天君,正其天官,備其天養,順其天政,養其天情,以全其天功。如是,則知其所為,知其所不為矣;則天地官而萬物役矣。其行曲治,其養曲適,其生不傷,夫是之謂知天。

天職已に立ち、天功已に成り、形體具備して神生出す。好惡喜怒哀楽はそこに藏る。これを天情という。耳目鼻口形體の官能は各自接する所有りて互相いに替代する能わず。これを天官という。心は中間の虚處に居りて、以て五官を治理す。これを天君という。己の類にあらざるを裁成して以て己の類を養う。これを天養という。その類に順從するを福といい、その類に違逆するを禍という。これを天政という。あの天君を昏暗し、あの天官を擾乱し、あの天養を拋棄し、あの天政に違逆し、あの天情に背離して、以て天功を喪失す。これを大凶という。聖人は天君を清明にし、天官を端正し、天養を具備し、天政に順從し、天情を養護して、以て天功を保全す。これのごとくなれば、則ち為す所を知り、為さざる所を知る。則ち天地は任官せられて万物は役使せらる。彼の行為の曲折は皆治まり、彼の養の曲折は皆適宜し、彼の生は傷害せられず。これを天を知るという。

故大巧在所不為,大智在所不慮。所志於天者,已其見象之可以期者矣;所志於地者,已其見宜之可以息者矣:所志於四時者,已其見數之可以事者矣;所志於陰陽者,已其見和之可以治者矣。官人守天,而自為守道也。

だから大巧は為さざる所に在り、大智は慮らざる所に在り。天に於いて志向する所は、已にあの顯現する天象は以て預期すべし。地に於いて志向する所は、已にあの顯現する宜しき所は以て蕃息すべし。四時に於いて志向する所は、已にあの顯現する数は以て從事すべし。陰陽に於いて志向する所は、已にあの顯現する和は以て治理すべし。官人は天を守りて、而して己は道を守るを為す。

治亂,天邪?曰:日月星辰瑞歷,是禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非天也。

治乱は天か。曰く、日月星辰瑞暦は、禹と桀の相同じき所にして、禹はこれに因って治まり、桀はこれに因って乱る。治乱は天にあらず。

時邪?曰:繁啟蕃長於春夏,畜積收臧於秋冬,是禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非時也。

時か。曰く、春夏に在りては繁衍生發蕃長し、秋冬に在りては畜積收蔵す。これは禹と桀の相同じき所にして、禹はこれに因って治まり、桀はこれに因って乱る。治乱は時にあらず。

地邪?曰:得地則生,失地則死,是又禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非地也。詩曰:"天作高山,大王荒之。彼作矣,文王康之。"此之謂也。

���か。曰く、地を得れば生き、地を失えば死す。これまた禹と桀の相同じき所にして、禹はこれに因って治まり、桀はこれに因って乱る。治乱は地にあらず。『詩経・周頌・天作』に言う。「天は高山を生じ、太王これを開墾し、あれ已に興起せり、文王これを安定せり」と。これを言うのである。

天不為人之惡寒也輟冬,地不為人之惡遼遠也輟廣,君子不為小人之匈匈也輟行。天有常道矣,地有常數矣,君子有常體矣。君子道其常,而小人計其功。詩曰:"禮義之不愆,何恤人之言兮!"此之謂也。

天は人の寒を惡むを以て冬を停止せず、地は人の遼遠を惡むを以て廣を停止せず、君子は小人の喧譁を以て行を停止せず。天に常道有り、地に常数有り、君子に常體有り。君子はあの常道を走りて、而して小人はあの功を計算す。『詩経』に言う。「礼義に愆過なければ、何ぞ必ず人の話を憂慮せん」と。これを言うのである。

楚王后車千乘,非知也;君子啜菽飲水,非愚也;是節然也。若夫志意修,德行厚,知慮明,生於今而志乎古,則是其在我者也。故君子敬其在己者,而不慕其在天者;小人錯其在己者,而慕其在天者。君子敬其在己者,而不慕其在天者,是以日進也;小人錯其在己者,而慕其在天者,是以日退也。故君子之所以日進,與小人之所以日退,一也。君子小人之所以相縣者,在此耳。

楚王の後面の車は千乘なれど、並びに智にあらず。君子は豆粥を啜り水を飲むも、並びに愚にあらず。これは節度の然らしむるなり。志意修整し、徳行厚く、智慮明らかにして、如今に生まれて志向は古に在るに至れば、則ちこれは我に在るなり。だから君子はあの己に在るを敬重して、あの天に在るを羨慕せず。小人はあの己に在るを放下して、あの天に在るを羨慕す。君子はあの己に在るを敬重して、あの天に在るを羨慕せざれば、これに因って日々に進步す。小人はあの己に在るを放下して、あの天に在るを羨慕すれば、これに因って日々に退步す。だから君子の日々に進步する所以と、小人の日々に退步する所以は、一事なり。君子小人の相差する所以は、ここに在るのみ。

星隊木鳴,國人皆恐。曰:是何也?曰:無何也!是天地之變,陰陽之化,物之罕至者也。怪之,可也;而畏之,非也。夫日月之有蝕,風雨之不時,怪星之黨見,是無世而不常有之。上明而政平,則是雖並世起,無傷也;上闇而政險,則是雖無一至者,無益也。夫星之隊,木之鳴,是天地之變,陰陽之化,物之罕至者也;怪之,可也;而畏之,非也。

星墜落し、樹木鳴叫すれば、国人は皆恐懼す。曰く、これは何ぞ。曰く、何もなし。これは天地の變、陰陽の化にして、物中の罕見して到来するなり。以て怪と為すは、可なり。而してこれを畏懼するは、然らず。あの日月の蝕有り、風雨は時に合せず、怪星は偶爾出現するは、世代に常々有らざるなし。上明にして政平かなれば、則ちこれらたとえ併せて世に興起するとも、傷害なし。上昏にして政險なれば、則ちこれらたとえ一個も至らずとも、益処なし。あの星の墜落、樹木の鳴叫は、天地の變、陰陽の化にして、物中の罕見して到来するなり。以て怪と為すは、可なり。而してこれを畏懼するは、然らず。

物之已至者,人祆則可畏也:楛耕傷稼,楛耨失歲,政險失民;田薉稼惡,糴貴民飢,道路有死人:夫是之謂人祆。政令不明,舉錯不時,本事不理,勉力不時,則牛馬相生,六畜作祆:夫是之謂人祆。禮義不修,內外無別,男女淫亂,則父子相疑,上下乖離,寇難並至:夫是之謂人祆。祆是生於亂。三者錯,無安國。其說甚爾,其菑甚慘。勉力不時,則牛馬相生,六畜作祆,可怪也,而亦可畏也。傳曰:"萬物之怪書不說。"無用之辯,不急之察,棄而不治。若夫君臣之義,父子之親,夫婦之別,則日切瑳而不捨也。

物の已に到来するは、人の妖の長じて畏るべきなり。耕作粗惡して稼を傷害し、除草粗惡して年成を失い、政險にして民を失う。田地は荒秽して稼惡しく、糴貴くして民饑え、道路に死人あり。これを人妖という。政令顯明ならず、挙措は時に合せず、本事は料理せず、勉力は時に合せざれば、則ち牛馬は互相いに生じ、六畜は妖を發作す。これを人妖という。礼義修整せず、内外は分別なく、男女淫乱すれば、則ち父子は互相いに懐疑し、上下乖離して、寇難は併せて到來す。これを人妖という。妖は乱より生出するなり。三者交錯すれば、安定の国なし。あの説法は甚だ淺近にして、あの災害は甚だ慘なり。勉力は時に合せざれば、則ち牛馬は互相いに生じ、六畜は妖を發作す。以て怪とすべくして、而してまた畏るべし。傳記に言う。「万物の怪は、書は解説せず」と。用なきの辯、急ならざるの察は、拋棄して治理せず。君臣の義、父子の親、夫婦の分別に至れば、則ち日々切磋して舍棄せず。

雩而雨,何也?曰:無何也,猶不雩而雨也。日月食而救之,天旱而雩,卜筮然後決大事,非以為得求也,以文之也。故君子以為文,而百姓以為神。以為文則吉,以為神則兇也。

雩祭を擧行して雨降るは、何ぞや。曰く、何もなし。雩祭を擧行せずして雨降るがごとし。日月食して往きて救い、天旱して雩祭を擧行し、卜筮を問いて然る後に大事を決斷するは、並びに以て求得と為すにあらず、以て文を為すなり。だから君子はこれを以て文と為して、而して百姓はこれを以て神と為す。以て文と為せば吉し、以て神と為せば凶なり。

在天者莫明於日月,在地者莫明於水火,在物者莫明於珠玉,在人者莫明於禮義。故日月不高,則光明不赫;水火不積,則暉潤不博;珠玉不睹乎外,則王公不以為寶;禮義不加於國家,則功名不白。故人之命在天,國之命在禮。君人者,隆禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆幽險而亡矣。

天に在りては日月より明なるなく、地に在りては水火より明なるなく、物に在りては珠玉より明なるなく、人に在りては礼義より明なるなし。だから日月高からざれば、則ち光明は顯赫せず。水火積累せざれば、則ち光暉潤澤は廣博せず。珠玉は外に顯現せざれば、則ち王公はこれを以て宝と為さず。礼義は国家に加えざれば、則ち功名は顯白ならず。だから人の命は天に在り、国の命は礼に在り。人君と為るは、礼を尊崇し賢を尊敬すれば王と称し、法を看重し民を愛すれば覇と称し、利を喜好し詐多ければ危険にして、権謀傾覆幽險なれば滅亡せり。

大天而思之,孰與物畜而制之!從天而頌之,孰與制天命而用之!望時而待之,孰與應時而使之!因物而多之,孰與騁能而化之!思物而物之,孰與理物而勿失之也!願於物之所以生,孰與有物之所以成!故錯人而思天,則失萬物之情。

大いなる天を尊崇してこれを思慕するは、どうして物を畜養してこれを制約するに及ばん。天に順從してこれを頌美するは、どうして天命を制約してこれを用うるに及ばん。時を盼望してこれを待つは、どうして時に應じてこれを役使するに及ばん。物に因ってこれを増多するは、どうして才能を馳騁してこれを化するに及ばん。物を思慕して物を役使するは、どうして物を料理してこれを失わざるに及ばん。物の生ずる所以に願望するは、どうして物の成る所以を持有するに及ばん。だから人を放下して天を思慕すれば、則ち万物の情を失う。

百王之無變,足以為道貫。一廢一起,應之以貫,理貫不亂。不知貫,不知應變。貫之大體未嘗亡也。亂生其差,治盡其詳。故道之所善,中則可從,畸則不可為,匿則大惑。水行者表深,表不明則陷。治民者表道,表不明則亂。禮者,表也。非禮,昏世也;昏世,大亂也。故道無不明,外內異表,隱顯有常,民陷乃去。

百王の改變せざる所は、以て道の貫と為すに足る。一廢一擧、貫を以て應対し、貫を料理すれば乱れず。貫を知らざれば、変に應ずるを知らず。貫の大体は未だ嘗て滅亡せず。乱はあの差失より生じ、治はあの詳備を窮尽す。だから道の善くする所は、中なれば以て從うべく、偏斜なれば以て為すべからず、差錯なれば大いに惑う。水路を走る者は深度を表出し、表顯明ならざれば陷入す。民を治むる者は道を表出し、表顯明ならざれば乱る。礼は表なり。礼にあらざれば、昏世なり。昏世は大乱なり。だから道は顯明ならざるなく、外内に不同の表あり、隱顯に常規あれば、民の陷入は去る。

萬物為道一偏,一物為萬物一偏。愚者為一物一偏,而自以為知道,無知也。慎子有見於後,無見於先。老子有見於詘,無見於信。墨子有見於齊,無見於畸。宋子有見於少,無見於多。有後而無先,則群眾無門。有詘而無信,則貴賤不分。有齊而無畸,則政令不施,有少而無多,則群眾不化。書曰:"無有作好,遵王之道;無有作惡,遵王之路。"此之謂也。

万物は道の一偏、一物は万物の一偏。愚の者は一物の一偏にして、却って自ら道を知ると以為す。これは無知なり。慎子は後に見有りて、先に見なし。老子は屈に見有りて、伸に見なし。墨子は斉に見有りて、不斉に見なし。宋子は少に見有りて、多に見なし。後有りて先なければ、則ち群衆は門なし。屈有りて伸なければ、則ち貴賤は分別せず。斉有りて不斉なければ、則ち政令は施行する能わず。少有りて多なければ、則ち群衆は教化せられず。『書』に言う。「私好有るなかれ、王の道を遵循せよ。私惡有るなかれ、王の路を遵循せよ」と。これを言うのである。

正論篇第十八

世俗之為說者曰:"主道利周。"

世俗に説法を為す者は言う、「主の道は周密を以て利と為す」と。

是不然。主者、民之唱也,上者、下之儀也。彼將聽唱而應,視儀而動;唱默則民無應也,儀隱則下無動也;不應不動,則上下無以相有也。若是,則與無上同也!不祥莫大焉。故上者、下之本也。上宣明,則下治辨矣;上端誠,則下願愨矣;上公正,則下易直矣。治辨則易一,願愨則易使,易直則易知。易一則強,易使則功,易知則明,是治之所由生也。上週密,則下疑玄矣;上幽險,則下漸詐矣;上偏曲,則下比周矣。疑玄則難一,漸詐則難使,比周則難知。難一則不強,難使則不功,難知則不明,是亂之所由作也。故主道利明不利幽,利宣不利周。故主道明則下安,主道幽則下危。故下安則貴上,下危則賤上。故上易知,則下親上矣;上難知,則下畏上矣。下親上則上安,下畏上則上危。故主道莫惡乎難知,莫危乎使下畏己。傳曰:"惡之者眾則危。"書曰:"克明明德。"詩曰:"明明在下。"故先王明之,豈特玄之耳哉!

これ然らず。主は、民の倡導。上は、下の儀表なり。彼は將に倡導を聴きて應和し、儀表を看て動かんとす。倡導沉默せば則ち民は應和なく、儀表隱藏せば則ち下は動なし。應和なく動なくんば、則ち上下は互相いに保有する由なし。これのごとくなれば、即ち上なきと同じ。不祥はこれより大きなるなし。だから上は下の根本なり。上宣明なれば、則ち下は治辨す。上端誠なれば、則ち下は謹愿端謹す。上公正なれば、則ち下は平易正直す。治辨すれば則ち斉一し易く、謹愿端謹すれば則ち役使し易く、平易正直すれば則ち知り易し。斉一し易ければ強く、役使し易ければ功あり、知り易ければ明なり。これは治の生出する所以なり。上周密なれば、則ち下は疑惑昏眩す。上幽險なれば、則ち下は漸染欺詐す。上偏曲なれば、則ち下は比周す。疑惑昏眩すれば則ち斉一し難く、漸染欺詐すれば則ち役使し難く、比周すれば則ち知り難し。斉一し難ければ強からず、役使し難ければ功なく、知り難ければ明ならず。これは乱の發作する所以なり。だから主の道は明を以て利と為して幽を以て利と為さず、宣を以て利と為して周密を以て利と為さず。だから主の道明なれば則ち下安んじ、主の道幽なれば則ち下危うし。だから下安んずれば上を看重し、下危うければ上を賤視す。だから上知り易ければ、則ち下は上に親しみ、上知り難ければ、則ち下は上を畏懼す。下上に親しめば則ち上安んじ、下上を畏懼すれば則ち上危うし。だから主の道は知り難きより惡きなく、下をして己を畏懼せしむるより危きなし。傳記に言う。「彼を惡む者は衆ければ則ち危うし」と。『書』に言う。「能く明德を顯明す」と。『詩経』に言う。「明明として下に在り」と。だから先王はこれを顯明にす。どうしてただこれを幽玄にするのみならんや。

世俗之為說者曰:"桀紂有天下,湯武篡而奪之。"

世俗に説法を為す者は言う、「桀紂は天下を有し、湯武は篡奪してこれを奪取せり」と。

是不然。以桀紂為常有天下之籍則然,親有天下之籍則不然,天下謂在桀紂則不然。古者天子千官,諸侯百官。以是千官也,令行於諸夏之國,謂之王。以是百官也,令行於境內,國雖不安,不至於廢易遂亡,謂之君。聖王之子也,有天下之後也,埶籍之所在也,天下之宗室也,然而不材不中,內則百姓疾之,外則諸侯叛之,近者境內不一,遙者諸侯不聽,令不行於境內,甚者諸侯侵削之,攻伐之。若是,則雖未亡,吾謂之無天下矣。聖王沒,有埶籍者罷不足以縣天下,天下無君;諸侯有能德明威積,海內之民莫不願得以為君師;然而暴國獨侈,安能誅之,必不傷害無罪之民,誅暴國之君,若誅獨夫。若是,則可謂能用天下矣。能用天下之謂王。湯武非取天下也,修其道,行其義,興天下之同利,除天下之同害,而天下歸之也。桀紂非去天下也,反禹湯之德,亂禮義之分,禽獸之行,積其兇,全其惡,而天下去之也。天下歸之之謂王,天下去之之謂亡。故桀紂無天下,湯武不弒君,由此效之也。湯武者,民之父母也;桀紂者、民之怨賊也。今世俗之為說者,以桀紂為君,而以湯武為弒,然則是誅民之父母,而師民之怨賊也,不祥莫大焉。以天下之合為君,則天下未嘗合於桀紂也。然則以湯武為弒,則天下未嘗有說也,直墮之耳。

これ然らず。以て桀紂は常に天下の名籍を有すと為せば則ちこのごとく、親ら天下の名籍を有すと為せば則ちこのごとくならず、天下は桀紂に在りと言えば則ちこのごとくならず。古代天子は千官有り、諸侯は百官有り。この千官を以て、命令は諸夏の国に實行するを、王という。この百官を以て、命令は境内に實行し、国たとえ安んぜずとも、廢易滅亡に至らずを、君という。聖王の子は、天下の後嗣有りて、権勢名籍の在る所にして、天下の宗室なり。然りて不材不中にして、内は則ち百姓は彼を憎疾し、外は則ち諸侯は彼に反叛し、近きは境内は斉一せず、遠きは諸侯は聴かず、命令は境内に實行する能わず、厲きは諸侯は彼を侵削し、彼を攻伐す。これのごとくなれば、則ちたとえいまだ滅亡せずとも、我は彼を天下なしと言う。聖王沒して、権勢名籍有るは疲弱して以て天下を維係するに足らず、天下に君なし。諸侯は能く徳明威積なる有れば、海内の民は彼を得て君師と為さんことを願わざるなし。然りて暴国は独り奢侈すれば、ここに能く彼を誅殺して、必ず無罪の民を傷害せず、暴国の君を誅殺するは、獨夫を誅殺するがごとし。これのごとくなれば、則ち以て天下を用うる能くすると称すべし。能く天下を用うるを王という。湯武は並びに天下を奪取するにあらず、その道を修習し、その義を實行し、天下の共同の利を興起し、天下の共同の害を除去して、而して天下は彼に歸向せり。桀紂は並びに天下を離去するにあらず、禹湯の徳に違反し、礼義の分際を擾乱し、禽獣の行為を積累し、凶を全備し、惡を成就して、而して天下は彼を離れたり。天下彼に歸向するを王といい、天下彼を離るるを亡という。だから桀紂は天下を有せずして、湯武は君を弑せず。ここより效驗す。湯武は、民の父母。桀紂は、民の怨賊なり。如今世俗に説法を為す者は、桀紂を以て君と為して、而して湯武を以て弑と為す。然れば則ちこれは民の父母を誅殺して、而して民の怨賊を效法す。不祥はこれより大きなるなし。天下の會合を以て君と為せば、則ち天下は未だ嘗て桀紂に會合せず。然れば則ち湯武を以て弑と為すは、則ち天下は未だ嘗てこの説法有らず、ただ彼らを毁堕するのみ。

故天子唯其人。天下者,至重也,非至強莫之能任;至大也,非至辨莫之能分;至眾也,非至明莫之能和。此三至者,非聖人莫之能盡。故非聖人莫之能王。聖人備道全美者也,是縣天下之權稱也。桀紂者、其志慮至險也,其志意至闇也,其行為至亂也;親者疏之,賢者賤之,生民怨之。禹湯之後也,而不得一人之與;刳比干,囚箕子,身死國亡,為天下之大僇,後世之言惡者必稽焉,是不容妻子之數也。故至賢疇四海,湯武是也;至罷不能容妻子,桀紂是也。今世俗之為說者,以桀紂為有天下,而臣湯武,豈不過甚矣哉!譬之,是猶傴巫跛匡大自以為有知也。

だから天子はただあの人に在るのみ。天下は至重にして、至強にあらざれば擔任する能くするなし。至大にして、至辨にあらざれば分別する能くするなし。至衆にして、至明にあらざれば和する能くするなし。この三至は、聖人にあらざれば窮尽する能くするなし。だから聖人にあらざれば王と称する能くするなし。聖人は道を備え美を全うする人にして、天下を維係するの権衡なり。桀紂は、その志慮は至險にして、その志意は至昏にして、その行為は至乱なり。親の者は彼を疎遠し、賢の者は彼を賤視し、生民は彼を怨恨す���これは禹湯の後嗣なれど、一人の黨与を得ず。比干を剖き、箕子を囚禁して、身死に国亡びて、天下の大耻辱と為り、後世は惡を言い起こせば必ず彼らを稽考す。これは妻子を容下する能わざるの数なり。だから至賢は四海を疇有す。湯武は即ちこれなり。至疲弱は妻子を容納する能わず。桀紂は即ちこれなり。如今世俗に説法を為す者は、以て桀紂は天下を有して、而して湯武を臣服せしむと為す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。譬えば駝背の巫・跛脚の匡が大大に自ら知あると以為すがごとし。

故可以有奪人國,不可以有奪人天下;可以有竊國,不可以有竊天下也。可以奪之者可以有國,而不可以有天下;竊可以得國,而不可以得天下。是何也?曰:國、小具也,可以小人有也,可以小道得也,可以小力持也;天下者、大具也,不可以小人有也,不可以小道得也,不可以小力持也。國者、小人可以有之,然而未必不亡也;天下者,至大也,非聖人莫之能有也。

だから以て人の国を奪取する有るべくして、以て人の天下を奪取する有るべからず。以て国を竊むる有るべくして、以て天下を竊むる有るべからず。以て奪取するは以て国を有るべくして、以て天下を有るべからず。竊むるは以て国を得べくして、以て天下を得べからず。これは何ぞや。曰く、国は小器具にして、以て小人に有らしむべく、以て小道に得べく、以て小力に持守すべし。天下は大器具にして、以て小人に有らしむべからず、以て小道に得べからず、以て小力に持守すべからず。国は小人はこれを有るべくも、然りて必ずしも滅亡せざらず。天下は至大にして、聖人にあらざれば有る能くするなし。

世俗之為說者曰:"治古無肉刑,而有象刑:墨黥,慅嬰,共、艾畢,剕、枲屨,殺、赭衣而不純。治古如是。"

世俗に説法を為す者は言う、「治古は肉刑なくして、而して象刑有り――墨黥は、草を以て帽纓と為し、衣の蔽膝を割去り、脚を砍ぎ、麻鞋を穿ち、殺は、紅衣を穿ちて鑲辺せず。治古はこのごとし」と。

是不然。以為治邪?則人固莫觸罪,非獨不用肉刑,亦不用象刑矣。以為人或觸罪矣,而直輕其刑,然則是殺人者不死,傷人者不刑也。罪至重而刑至輕,庸人不知惡矣,亂莫大焉。凡刑人之本,禁暴惡惡,且懲其未也。殺人者不死,而傷人者不刑,是謂惠暴而寬賊也,非惡惡也。故象刑殆非生於治古,並起於亂今也。

これ然らず。以て治と為さんか。則ち人本來罪に觸るるなく、並びにただ肉刑を用いざるのみならず、象刑もまた用いず。以て人あるいは罪に觸れたりと為さんか。然りてただその刑を軽減するのみ。然れば則ちこれは人を殺すの不死、人を傷るの刑を受けざるなり。罪至重にして刑至輕ければ、庸人は惡を知らずして、乱はこれより大きなるなし。およそ人を刑するの根本は、暴を禁止し惡を惡み、且つあのいまだ為さざるを懲戒するなり。人を殺すの不死にして、而して人を傷るの刑を受けざれば、これを暴に惠を施して賊を寛容すという。惡を惡むにあらず。だから象刑はほぼ治古より生ずるにあらずして、併せて乱今より興起せり。

治古不然。凡爵列、官職、賞慶、刑罰,皆報也,以類相從者也。一物失稱,亂之端也。夫德不稱位,能不稱官,賞不當功,罰不當罪,不祥莫大焉。昔者武王伐有商,誅紂,斷其首,縣之赤旆。夫徵暴誅悍,治之盛也。殺人者死,傷人者刑,是百王之所同也,未有知其所由來者也。

治古はこれにあらず。およそ爵列・官職・賞慶・刑罰は、皆報にして、類に按じて相從するなり。一物は相称を失えば、乱の端緒なり。あの徳は位子と相称せず、才能は官と相称せず、賞は功と相當せず、罰は罪と相當せざれば、不祥はこれより大きなるなし。從前武王は有商を伐ち、紂を誅殺して、その首を斬斷して、赤旗に懸挂せり。あの暴を征討し悍を誅殺するは、治の隆盛なり。人を殺すの死、人を傷るの刑を受くるは、百王の相同じき所にして、未だ嘗てそれの何處より來るを知るなし。

刑稱罪,則治;不稱罪,則亂。故治則刑重,亂則刑輕,犯治之罪固重,犯亂之罪固輕也。書曰:"刑罰世輕世重。"此之謂也。

刑は罪と相称すれば、則ち治まり、罪と相称せざれば、則ち乱る。だから治まれば則ち刑重く、乱れば則ち刑軽し。治世の罪に觸るるは本來重く、乱世の罪に觸るるは本來軽し。『書』に言う。「刑罰は世代に軽重あり」と。これを言うのである。

世俗之為說者曰:"湯武不善禁令。"曰:"是何也?"曰:"楚越不受制。"

世俗に説法を為す者は言う、「湯武は禁令に善からず」と。問う、「これは何ぞや」。曰く、「楚越は制約を接受せず」と。

是不然。湯武者、至天下之善禁令者也。湯居亳,武王居鄗,皆百里之地也,天下為一,諸侯為臣,通達之屬,莫不振動從服以化順之,曷為楚越獨不受制也!

これ然らず。湯武は、天下の禁令に最も善き者なり。湯は亳に住し、武王は鎬に住し、皆百里の地にして天下統一し、諸侯臣を為し、通達の所は震動從服して化し従わざるなし。どうして楚越は独り制約を接受せざらんや。

彼王者之制也,視形埶而制械用,稱遠邇而等貢獻,豈必齊哉!故魯人以榶,衛人用柯,齊人用一革,土地刑制不同者,械用、備飾不可不異也。故諸夏之國同服同儀,蠻、夷、戎、狄之國同服不同制。封內甸服,封外侯服,侯衛賓服,蠻夷要服,戎狄荒服。甸服者祭,侯服者祀,賓服者享,要服者貢,荒服者終王。日祭、月祀、時享、歲貢、終王,夫是之謂視形埶而制械用,稱遠近而等貢獻;是王者之制也。

あの王者の制度は、形勢を観て器械用具を制約し、遠近を稱量して貢獻の等次を分別す。どうして必ず斉一ならんや。だから魯人は榶を用い、衛人は柯を用い、斉人は一革を用いる。土地形制の同じからざるは、器械用具・備飾は異ならざるべからず。だから諸夏の国は同じく服事して同じく儀度し、蠻・夷・戎・狄の国は同じく服事して同じからず制度す。封内は甸服、封外は侯服、侯衛は賓服、蠻夷は要服、戎狄は荒服。甸服の人は祭し、侯服の人は祀し、賓服の人は享し、要服の人は貢し、荒服の人は終生に一度王を朝す。日祭・月祀・時享・歳貢・終王。これを形勢を観て器械用具を制約し、遠近を稱量して貢獻の等次を分別すという。王者の制度なり。

彼楚越者,且時享、歲貢,終王之屬也,必齊之日祭月祀之屬,然後曰受制邪?是規磨之說也。溝中之瘠也,則未足與及王者之制也。語曰:"淺不足與測深,愚不足與謀智,坎井之蛙,不可與語東海之樂。"此之謂也。

あの楚越は、尚お時享・歳貢・終王一類なれば、必ず日祭月祀一類に斉同して、然る後に制約を接受すと称せらるべけんや。これは規磨の説法なり。溝中に餓死する人は、則ち彼と王者の制度を論及するに足らず。俗に言う、「淺は以て深を測量するに足らず、愚は以て智を謀劃するに足らず、淺井の蛙は、彼と東海の楽を講ずべからず」と。これを言うのである。

世俗之為說者曰:"堯舜擅讓。"

世���に説法を為す者は言う、「尭舜は禪讓せり」と。

是不然。天子者,埶位至尊,無敵於天下,夫有誰與讓矣?道德純備,智惠甚明,南面而聽天下,生民之屬莫不震動從服以化順之。天下無隱士,無遺善,同焉者是也,異焉者非也。夫有惡擅天下矣。

これ然らず。天子は、権勢位子至尋にして、天下に敵なし。また誰と禪讓せん。道徳は純粹完備にして、智惠は甚だ明にして、南に面して天下を聴き、生民一類は震動從服して化し從わざるなし。天下に隱士なく、遺漏の善なく、これに同じは是にして、これに同じからざるは非なり。また惡んで天下を禪讓して何を為さん。

曰:"死而擅之。"

曰く、「死して然る後に禪讓す」と。

是又不然。聖王在上,決德而定次,量能而授官,皆使民載其事而各得其宜。不能以義制利,不能以偽飾性,則兼以為民。聖王已沒,天下無聖,則固莫足以擅天下矣。天下有聖,而在後子者,則天下不離,朝不易位,國不更制,天下厭然,與鄉無以異也;以堯繼堯,夫又何變之有矣!聖不在後子而在三公,則天下如歸,猶復而振之矣。天下厭然,與鄉無以異也;以堯繼堯,夫又何變之有矣!唯其徙朝改製為難。故天子生則天下一隆,致順而治,論德而定次,死則能任天下者必有之矣。夫禮義之分盡矣,擅讓惡用矣哉!

これまた然らず。聖王上に在りて、徳を評定して等次を排定し、才能を衡量して官職を授予して、皆民をしてその事を擔負せしめて各自適宜を得しむ。能く義を以て利を制約せず、能く文を以て性を飾らざれば、則ち併せて民と為す。聖王已に沒して、天下に聖なければ、則ち本來以て天下を禪讓するに足るなし。天下に聖有りて、而して後嗣兒子に在れば、則ち天下は离散せず、朝廷は位子を改換せず、国は制度を更改せず、天下は安然として、從前と不同なし。尭を以て尭に接續せば、また何の改變かあらん。聖は後嗣兒子に在らずして三公に在れば、則ち天下は歸向するがごとくして、猶回复して振興せり。天下は安然として、從前と不同なし。尭を以て尭に接續せば、また何の改變かあらん。ただ朝廷を遷徙し制度を更改するは難し。だから天子生きて在れば則ち天下は一個を尊崇して、順を極尽して治め、徳を論定して等次を排定し、死せば則ち能く天下を擔任するは必ず有り。あの礼義の分際は窮尽せり。禪讓はどうして用いられんや。

曰:"老衰而擅。"

曰く、「老いて衰えて然る後に禪讓す」と。

是又不然。血氣筋力則有衰,若夫智慮取捨則無衰。

これまた然らず。血気筋力は則ち衰あれど、智慮取舍に至れば則ち衰なし。

曰:"老者不堪其勞而休也。"

曰く、「老の人は労苦を承受する能わずして休息す」と。

是又畏事者之議也。天子者埶至重而形至佚,心至愉而志無所詘,而形不為勞,尊無上矣。衣被則服五采,雜間色,重文繡,加飾之以珠玉;食飲則重大牢而備珍怪,期臭味,曼而饋,伐皋而食,雍而徹乎五祀,執薦者百餘人,侍西房;居則設張容,負依而坐,諸侯趨走乎堂下;出戶而巫覡有事,出門而宗祝有事,乘大路趨越席以養安,側載睪芷以養鼻,前有錯衡以養目,和鸞之聲,步中武象,趨中韶護以養耳,三公奉軶、持納,諸侯持輪、挾輿、先馬,大侯編後,大夫次之,小侯元士次之,庶士介而夾道,庶人隱竄,莫敢視望。居如大神,動如天帝。持老養衰,猶有善於是者與?不老者、休也,休猶有安樂恬愉如是者乎?故曰:諸侯有老,天子無老。

これまた事を怕れる人の議論なり。天子は権勢至重にして形體至安逸にして、心至愉にして志向は屈せられず、而して形體は労苦を為さず。尊は上に在るなし。衣被すれば則ち五采を穿ち、間色を間雑し、文繡を重疊して、珠玉を加うるに文飾す。食飲すれば則ち太牢を重疊して珍怪を具備し、氣味を期求して、曼延して進獻し、鼓を擊ちて吃し、雍を奏でて五祀に徹り、薦を執るは百余人にして、西房に侍候す。居住すれば則ち帳容を設置して、屏風を背負して坐し、諸侯は堂下に趨走す。戸を出れば巫覡に事有り、門を出れば宗祝に事有り、大路に乘り蒲席を踏みて以て安を養い、旁に香草を載せて以て鼻を養い、前に錯衡有りて以て目を養い、和鸞の聲は、慢歩は武象に合し、趨歩は韶護に合して以て耳を養い、三公は軛を捧げ轡を持ち、諸侯は輪を持ち車を挾み馬の前に在り、大侯は後に編し、大夫はその次に在り、小侯元士はその次に在り、庶士は甲を披き道に挾り、庶人は隱竄して、視望を敢えてするなし。居住するは大神のごとく、挙動するは天帝のごとし。老を持守し衰を養護するは、またこれより善き有らんや。老ならざるは休息す。休息はまた安楽恬愉このごとき有らんや。だから言う、諸侯に老有り、天子に老なし、と。

有擅國,無擅天下,古今一也。夫曰堯舜擅讓,是虛言也,是淺者之傳,陋者之說也,不知逆順之理,小大、至不至之變者也,未可與及天下之大理者也。

禪讓国あり、禪讓天下なし。古今は一事なり。あの尭舜禪讓と言うは、虚言にして、淺の人の傳聞にして、陋の人の説法にして、逆順の理を知らず、小大・至と不至の變化の人にして、彼と天下の大理を論及すべからず。

世俗之為說者曰:"堯舜不能教化。"是何也?曰:"朱象不化。"

世俗に説法を為す者は言う、「尭舜は能く教化せず」と。これは何ぞや。曰く、「丹朱・象は教化せられず」と。

是不然也:堯舜至天下之善教化者也。南面而聽天下,生民之屬莫不振動從服以化順之。然而朱象獨不化,是非堯舜之過,朱象之罪也。堯舜者、天下之英也;朱象者、天下之嵬,一時之瑣也。今世俗之為說者,不怪朱象,而非堯舜,豈不過甚矣哉!夫是之謂嵬說。羿蜂門者、天下之善射者也,不能以撥弓曲矢中微;王梁造父者、天下之善馭者也,不能以闢馬毀輿致遠。堯舜者、天下之善教化者也,不能使嵬瑣化。何世而無嵬?何時而無瑣?自太皞燧人莫不有也。故作者不祥,學者受其殃,非者有慶。詩曰:"下民之孽,匪降自天。噂沓背憎,職競由人。"此之謂也。

これ然らず。尭舜は天下の教化に最も善き者なり。南に面して天下を聴き、生民一類は震動從服して化し從わざるなし。然りて丹朱・象は独り教化せられず。これは尭舜の過錯にあらず、丹朱・象の罪なり。尭舜は、天下の英傑なり。丹朱・象は、天下の怪異にして、一時の瑣碎なり。如今世俗に説法を為す者は、丹朱・象を怪しまずして、而して尭舜を非議す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。これを怪異の説法という。羿・逢蒙は、天下の射に善き者にして、以て彎弓曲矢に細微を射中する能わず。王良・造父は、天下の駕御に善き者にして、以て瘸馬毀車に遠方に到達する能わず。尭舜は、天下の教化に善き者にして、能く怪異瑣碎の人をして教化せしむる能わず。どの世代か怪異なき。どの時か瑣碎なき。太皞・燧人より無きことなし。だからこの説法を為すは不祥にして、学ぶ者はあの殃を受け、非議する者は慶有り。『詩経・小雅・十月之交』に言う。「下民の孽は、天より降るにあらず。當面は談笑して背後は憎恨す。職競は人に由る」と。これを言うのである。

世俗之為說者曰:"太古薄背,棺厚三寸,衣衾三領,葬田不妨田,故不掘也;亂今厚葬飾棺,故抇也。"

世俗に説法を為す者は言う、「太古は薄葬にして、棺は厚三寸、衣衾は三領、田里に葬りて田を妨害せず。だから挖掘せられず。乱今は厚葬して棺を文飾す。だから挖掘せらる」と。

是不及知治道,而不察於抇不抇者之所言也。凡人之盜也,必以有為,不以備不足,則以重有餘也。而聖王之生民也,皆使富厚優猶知足,而不得以有餘過度。故盜不竊,賊不刺,狗豕吐菽粟,而農賈皆能以貨財讓。風俗之美,男女自不取於塗,而百姓羞拾遺。故孔子曰:"天下有道,盜其先變乎!"雖珠玉滿體,文繡充棺,黃金充槨,加之以丹矸,重之以曾青,犀象以為樹,琅玕、龍茲、華覲以為實,人猶莫之抇也。是何故也?則求利之詭緩,而犯分之羞大也。

これは治道を知るに足らずして、而して挖掘と不挖掘を審察する人の言う所にあらざるなり。凡人の盗竊は、必ず為す所有り、以て不足を具備するに用い、即ち有余を看重す。而して聖王は民を養活して、皆彼らを富厚寛裕知足にして、而して有余過度を得ざらしむ。だから盗は竊まず、賊は刺さず、狗豬は豆粟を吐出して、而して農賈は皆能く貨財を以て謙讓す。風俗の美は、男女は自ら路上に娶せずして、而して百姓は遺を拾うを羞とす。だから孔子曰く、「天下道有れば、盗はほぼ先に改變せんや」と。たとえ珠玉身に滿ち、文繡棺に充滿し、黄金は椁に充滿して、丹干を加え、曾青を重疊し、犀象を以て樹と為し、琅玕・龍兹・華覲を以て果實と為すとも、人は猶これを挖掘するなし。これは何の故ぞや。利を求むるの詭詐は緩みて、而して分際に觸犯するの羞は大なり。

夫亂今然後反是。上以無法使,下以無度行;知者不得慮,能者不得治,賢者不得使。若是,則上失天性,下失地利,中失人和。故百事廢,財物詘,而禍亂起。王公則病不足於上,庶人則凍餧羸瘠於下。於是焉桀紂群居,而盜賊擊奪以危上矣。安禽獸行,虎狼貪,故脯巨人而炙嬰兒矣。若是則有何尤抇人之墓,抉人之口而求利矣哉!雖此裸而薶之,猶且必抇也,安得葬薶哉!彼乃將食其肉而齕其骨也。

あの乱今は然る後に相反る。上は法度以外を以て役使し、下は量度以外を以て實行す。智の者は慮を得ず、能の者は治を得ず、賢の者は使を得ず。これのごとくなれば、則ち上は天性を失い、下は地利を失い、中は人和を失う。だから百事廢し、財物は屈尽して、而して禍乱興起す。王公は則ち上に在りて不足を病み、庶人は則ち下に在りて凍餓羸瘠す。ここに桀紂は群を成して居り、而して盗賊は撃奪して以て上を危害す。ここに禽獣の行為、虎狼の貪にして、巨人を脯にし嬰兒を炙る所以なり。これのごとくなれば則ちまた何ぞ必ず人の墓を挖掘し、人の口を抉開して以て利を求むるを怨まんや。たとえこのごとく裸にして彼を埋めんとも、將に必ず挖掘せられん。どうして能く葬埋せんや。彼は即ち將にあの肉を喫してあの骨を啃まんとす。

夫曰:太古薄背,故不抇也;亂今厚葬,故抇也。是特奸人之誤於亂說,以欺愚者而淖陷之,以偷取利焉。夫是之謂大奸。傳曰:"危人而自安,害人而自利。"此之謂也。

あの言う、太古は薄葬にして、だから挖掘せられず。乱今は厚葬にして、だから挖掘せらる、とは。これはただ奸人が乱説に誤せられて、以て愚人を欺きて彼を陷溺せしめ、以て利を偷取するなり。これを大奸という。傳記に言う。「人を危害して己は安んじ、人を傷害して己は利す」と。これを言うのである。

子宋子曰:"明見侮之不辱,使人不鬥。人皆以見侮為辱,故鬥於也;知見侮之為不辱,則不鬥矣。"

子宋子曰く、「明白に侮を見るも辱と以為せざれば、人をして争鬥せざらしむ。人は皆侮を見るを以て辱と為す。だから争鬥す。侮を見るは辱ならざるを知れば、則ち争鬥せず」と。

應之曰:然則以人之情為不惡侮乎?

彼に應対して曰く、然れば則ち以て人の情は侮を惡まざると為すか。

曰:"惡而不辱也。"

曰く、「惡めども辱と以為せず」と。

曰:若是,則必不得所求焉。凡人之鬥也,必以其惡之為說,非以其辱之為故也。今俳優、侏儒、狎徒詈侮而不鬥者,是豈鉅知見侮之為不辱哉。然而不鬥者,不惡故也。今人或入其央瀆,竊其豬彘,則援劍戟而逐之,不避死傷。是豈以喪豬為辱也哉!然而不憚鬥者,惡之故也。雖以見侮為辱也,不惡則不鬥;雖知見侮為不辱,惡之則必鬥。然則鬥與不鬥邪,亡於辱之與不辱也,乃在於惡之與不惡也。夫今子宋子不能解人之惡侮,而務說人以勿辱也,豈不過甚矣哉!金舌弊口,猶將無益也。不知其無益,則不知;知其無益也,直以欺人,則不仁。不仁不知,辱莫大焉。將以為有益於人,則與無益於人也,則得大辱而退耳!說莫病是矣。

曰く、これのごとくなれば、則ち必ず求むる所を得ざらん。およそ人の争鬥は、必ずあの惡を以て説法と為して、あの辱を以て故と為すにあらず。如今俳優・侏儒・狎徒は侮を罵るも争鬥せず。これはどうして大大に侮を見るは辱ならざるを知るならんや。然りて争鬥せざるは、惡まざるの故なり。如今人はあの溝瀆に入りて、あの豬を偷えば、則ち劍戟を拿て往���て追逐して、死傷を躲避せず。これ豈に豬を喪失するを以て辱と為さんや。然りて争鬥を怕れざるは、惡の故なり。たとえ侮を見るを以て辱と為すとも、惡まざれば則ち争鬥せず。たとえ侮を見るは辱ならざるを知るとも、惡めば則ち必ず争鬥す。然れば則ち争鬥と不争鬥は、辱と不辱に在らず、即ち惡と不惡に在り。あの如今子宋子は能く人の侮を惡むを解除せずして、而して人をして辱と以為せざるを務求説服す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。金舌頭は嘴を磨破しても、將に益処なからん。それの益処なきを知らざれば、則ち不智なり。それの益処なきを知りて、ただ以て人を欺かんとするは、則ち不仁なり。不仁不智は、辱はこれより大きなるなし。將に以て人に有益と為さんとして、却って人に无益なきと同じれば、則ち大辱を得て退去するのみ。説法はこれより病あるなし。

子宋子曰:"見侮不辱。"

子宋子曰く、「侮を見るも辱と以為せず」と。

應之曰:凡議必先立隆正,然後可也。無隆正則是非不分,而辨訟不決,故所聞曰:"天下之大隆,是非之封界,分職名象之所起,王制是也。"故凡言議期命是非,以聖王為師。而聖王之分,榮辱是也。

彼に應対して曰く、およそ議論は必ず先ず隆正を樹立して、然る後に可ならん。隆正なければ則ち是非は分別せずして、而して辯訟は決斷せず。だから聽聞する所に言う、「天下の大隆正、是非の封界、分職名象の興起する所は、王制なり」と。だからおよそ言議期命是非は、聖王を以て老師と為す。而して聖王の分際は、榮辱なり。

是有兩端矣。有義榮者,有埶榮者;有義辱者,有埶辱者。志意修,德行厚,知慮明,是榮之由中出者也,夫是之謂義榮。爵列尊,貢祿厚,形埶勝,上為天子諸侯,下為卿相士大夫,是榮之從外至者也,夫是之謂埶榮。流淫汙僈,犯分亂理,驕暴貪利,是辱之由中出者也,夫是之謂義辱。詈侮捽搏,捶笞臏腳,斬斷枯磔,借靡後縛,是辱之由外至者也,夫是之謂埶辱。是榮辱之兩端也。

これに両端あり。義の榮あり、勢の榮あり。義の辱あり、勢の辱あり。志意修整し、徳行厚く、智慮明らかは、榮の内より出づるなり。これを義榮という。爵列尊く、貢禄厚く、形勢勝りて、上は天子諸侯を為り、下は卿相士大夫を為るは、榮の外より來るなり。これを勢榮という。流淫污漫して、分際に觸犯し理を擾乱し、驕暴貪利するは、辱の内より出づるなり。これを義辱という。侮を罵り捽搏し、捶笞臏脚し、斬斷枯磔し、繩索で反綁するは、辱の外より來るなり。これを勢辱という。これは榮辱の両端なり。

故君子可以有埶辱,而不可以有義辱;小人可以有埶榮,而不可以有義榮。有埶辱無害為堯,有埶榮無害為桀。義榮埶榮,唯君子然後兼有之;義辱埶辱,唯小人然後兼有之。是榮辱之分也。聖王以為法,士大夫以為道,官人以為守,百姓以成俗,萬世不能易也。

だから君子は勢辱有るべくして、而して義辱有るべからず。小人は勢榮有るべくして、而して義榮有るべからず。勢辱有るは尭を為るを妨害せず、勢榮有るは桀を為るを妨害せず。義榮勢榮は、ただ君子のみ然る後に兼有す。義辱勢辱は、ただ小人のみ然る後に兼有す。これは榮辱の分際なり。聖王はこれを以て法と為し、士大夫はこれを以て道と為し、官人はこれを以て持守と為し、百姓はこれを成就して習俗と為す。万世は改變する能わず。

今子宋子則不然,獨詘容為己,慮一朝而改之,說必不行矣。譬之,是猶以磚塗塞江海也,以焦僥而戴太山也,蹎跌碎折,不待頃矣。二三子之善於子宋子者,殆不若止之,將恐得傷其體也。

如今子宋子は却ってこれにあらず、獨自に委曲容納して己を為り、一朝を考慮してこれを改變せんとす。説法は必ず行うべからず。譬えば磚泥を以て江海を堵塞し、焦僥を以て太山を頂くがごとし。跌倒碎折するは、片刻を待たず。二三子の中に子宋子を喜好するは、ほぼ彼を制止するに如かず。將に彼の身身體を傷害を得んことを恐怕す。

子宋子曰:"人之情,欲寡,而皆以己之情,為欲多,是過也。"故率其群徒,辨其談說,明其譬稱,將使人知情之慾寡也。

子宋子曰く、「人の情は、欲望は少なし。然りて皆己の情を以て欲望多しと為す。これは過錯なり」と。だからその群徒を率領して、その談説を辯説し、その譬稱を顯明にして、將に人をして情の欲望は少なるを知らしめんとす。

應之曰:然則亦以人之情為目不欲綦色,耳不欲綦聲,口不欲綦味,鼻不欲綦臭,形不欲綦佚--此五綦者,亦以人之情為不欲乎?

彼に應対して曰く、然れば則ちまた以て人の情は目は極致の色を欲せず、耳は極致の聲を欲せず、口は極致の味を欲せず、鼻は極致の氣味を欲せず、形體は極致の安逸を欲せずと為すか――この五种の極致は、また以て人の情は欲せざると為すか。

曰:"人之情,欲是已。"

曰く、「人の情は、これらを欲す」と。

曰:若是,則說必不行矣。以人之情為欲,此五綦者而不欲多,譬之,是猶以人之情為欲富貴而不欲貨也,好美而惡西施也。古之人為之不然。以人之情為欲多而不欲寡,故賞以富厚而罰以殺損也。是百王之所同也。故上賢祿天下,次賢祿一國,下賢祿田邑,願愨之民完衣食。今子宋子以是之情為欲寡而不欲多也,然則先王以人之所不欲者賞,而以人之慾者罰邪?亂莫大焉。今子宋子嚴然而好說,聚人徒,立師學,成文典,然而說不免於以至治為至亂也,豈不過甚矣哉!

曰く、これのごとくなれば、則ち説法は必ず行うべからず。以て人の情はこの五种の極致を欲するも而して多を欲せざると為すは、譬えば以て人の情は富貴を欲するも而して貨を欲せず、美を喜好するも而して西施を惡むがごとし。古代の人はこれのためこれにあらず。以て人の情は多を欲して而して少を欲せずと為して、だから富厚を以て賞し、減損を以て罰す。これは百王の相同じき所なり。だから上等賢は禄は天下に及び、次等賢は禄は一国に及び、下等賢は禄は田邑に及び、謹愿端謹の民は衣食を完備す。如今子宋子はこのごとき情を以て少を欲して多を欲せざると為す。然れば則ち先王は欲せざる所を以て賞して、欲する所を以て罰するか。乱はこれより大きなるなし。如今子宋子は儼然として説法を喜好し、人徒を聚集して、師学を設立して、文典を成就す。然りて説法は免れずして至治を以て至乱と為す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。

禮論篇第十九

禮起於何也?曰:人生而有欲,欲而不得,則不能無求。求而無度量分界,則不能不爭;爭則亂,亂則窮。先王惡其亂也,故制禮義以分之,以養人之慾,給人之求。使欲必不窮於物,物必不屈於欲。兩者相持而長,是禮之所起也。

礼は何處より興起する。曰く、人は生まれ來れば則ち欲望有り、欲望して得ざれば、則ち求取なかるべからず。求取して度量分界なくんば、則ち争なかるべからず。争えば乱り、乱れば窮す。先王はあの乱を惡みて、だから礼義を制定して以て分別し、以て人の欲望を養い、人の求取を供給す。欲望をして必ず物の上に窮尽せざらしめ、物をして必ず欲望の上に枯竭せざらしむ。両者は互相いに持守して増長す。これは礼の興起する所なり。

故禮者養也。芻豢稻梁,五味調香,所以養口也;椒蘭芬苾,所以養鼻也;雕琢刻鏤,黼黻文章,所以養目也;鐘鼓管磬,琴瑟竽笙,所以養耳也;疏房檖貌,越席床笫几筵,所以養體也。故禮者養也。

だから礼は養なり。肉食稻粱は、五味は調和して芳香なりは、以て口を養うなり。椒蘭芬苾は、以て鼻を養うなり。雕琢刻鏤・黼黻文章は、以て目を養うなり。鐘鼓管磬・琴瑟竽笙は、以て耳を養うなり。疏朗の房屋・深邃の廟貌・蒲席・床笫・几筵は、以て體を養うなり。だから礼は養なり。

君子既得其養,又好其別。曷謂別?曰:貴賤有等,長幼有差,貧富輕重皆有稱者也。故天子大路越席,所以養體也;側載睪芷,所以養鼻也;前有錯衡,所以養目也;和鸞之聲,步中武象,趨中韶護,所以養耳也;龍旗九斿,所以養信也;寢兕持虎,蛟韅、絲末、彌龍,所以養威也;故大路之馬必信至,教順,然後乘之,所以養安也。孰知夫出死要節之所以養生也!孰知夫出費用之所以養財也!孰知夫恭敬辭讓之所以養安也!孰知夫禮義文理之所以養情也!故人苟生之為見,若者必死;苟利之為見,若者必害;苟怠惰偷懦之為安,若者必危;苟情說之為樂,若者必滅。故人一之於禮義,則兩得之矣;一之於情性,則兩喪之矣。故儒者將使人兩得之者也,墨者將使人兩喪之者也,是儒墨之分也。

君子は既に養を得、またあの分別を喜好す。何を分別という。曰く、貴賤に等級あり、長幼に差別あり、貧富輕重は皆相称する有り。だから天子は大路蒲席は、以て體を養うなり。旁に香草を載せるは、以て鼻を養うなり。前に錯衡有るは、以て目を養うなり。和鸞の聲は、慢歩は武象に合し、趨歩は韶護に合すは、以て耳を養うなり。龍旗九斿は、以て信を養うなり。寢兕持虎・蛟韅・絲末・彌龍は、以て威を養うなり。だから大路の馬は必ず訓練して極致し、教て順從せしめて、然る後に乘ずは、以て安を養うなり。誰かあの出死要約節は生を養う所以なるを知らんや。誰かあの費用を支出するは財を養う所以なるを知らんや。誰かあの恭敬辭讓は安を養う所以なるを知らんや。誰かあの礼義文理は情を養う所以なるを知らんや。だから人もし生のみ見れば、このごとく必ず死せん。利のみ見れば、このごとく必ず害せん。怠惰偷懦を以て安と為せば、このごとく必ず危うからん。情欲喜悅を以て楽と為せば、このごとく必ず滅せん。だから人は礼義に専一すれば、則ち両樣は皆得たり。情性に専一すれば、則ち両樣は皆喪失せり。だから儒者は將に人をして両樣を得しめんとし、墨者は將に人をして両樣を喪失せしめんとす。これは儒墨の分際なり。

禮有三本:天地者,生之本也;先祖者,類之本也;君師者,治之本也。無天地,惡生?無先祖,惡出?無君師,惡治?三者偏亡,焉無安人。故禮、上事天,下事地,尊先祖,而隆君師。是禮之三本也。

礼に三個の根本あり――天地は、生の根本なり。先祖は、類の根本なり。君師は、治の根本なり。天地なければ、何處より生ぜん。先祖なければ、何處より出でん。君師なければ、何處より治めん。三者は偏亡して一樣なれば、則ち安定の人なし。だから礼は、上は天に事え、下は地に事え、先祖を尊敬して、而して君師を尊崇す。これは礼の三個の根本なり。

故王者天太祖,諸侯不敢壞,大夫士有常宗,所以別貴始;貴始得之本也。郊止乎天子,而社止於諸侯,道及士大夫,所以別尊者事尊,卑者事卑,宜大者巨,宜小者小也。故有天下者事七世,有一國者事五世,有五乘之地者事三世,有三乘之地者事二世,持手而食者不得立宗廟,所以別積厚,積厚者流澤廣,積薄者流澤狹也。

だから王者は太祖を以て天に配して、諸侯は毁壞を敢えてせず、大夫士は常宗有りは、以て始祖を分别看重す。始祖を看重するは得の根本なり。郊は天子に止まりて、而して社は諸侯に止まり、道祭は士大夫に達するは、以て尊は尊に事え、卑は卑に事え、宜しく大なるは巨大、宜しく小なるは小と分別す。だから天下有るは七世に事え、一国を有するは五世に事え、五乘の地有るは三世に事え、三乘の地有るは二世に事え、手に凭て飯を喫するは宗廟を立つるを得ずは、以て積の厚を分別す。積厚は流澤廣く、積薄は流澤狹し。

大饗,尚玄尊,俎生魚,先大羹,貴食飲之本也。饗,尚玄尊而用酒醴,先黍稷而飯稻粱。祭,齊大羹而飽庶羞,貴本而親用也。貴本之謂文,親用之謂理,兩者合而成文,以歸大一,夫是之謂大隆。故尊之尚玄酒也,俎之尚生魚也,豆之先大羹也,一也。利爵之不醮也,成事之俎不嘗也,三臭之不食也,一也。大昏之未發齊也,太廟之未入屍也,始卒之未小斂也,一也。大路之素未集也,郊之麻絻也,喪服之先散麻也,一也。三年之喪,哭之不反也,清廟之歌,一唱而三嘆也,縣一鍾,尚拊膈,朱弦而通越也,一也。

大饗は、玄酒尊を崇尚し、俎上に生魚を放ち、先ず大羹を上るは、食飲の根本を看重するなり。饗は、玄酒尊を崇尚して而して酒醴を用い、先ず黍稷して然る後に飯稻粱を食す。祭は、大羹を進上して庶羞を飽せしむるは、根本を看重して而して用に親しむなり。根本を看重するを文といい、用に親しむを理といい、両者は會合して文を成就して、以て太一に歸向す。これを大隆という。だから尊は玄酒を崇尚し、俎は生魚を崇尚し、豆は先ず大羹を上るは、一事なり。利爵は飲み尽くさず、事を成す俎は嘗せず、三たび食を獻して食わざるは、一事なり。大昏はいまだ齊を發せず、太廟はいまだ尸を入れず、始卒はいまだ小斂せざるは、一事なり。大路の素はいまだ聚集せず、郊の麻冕は、喪服は先ず散麻するは、一事なり。三年の喪は、哭聲は曲折せず、清廟の歌は、一人唱して三人嘆き、一口の鐘を懸挂して、拊膈を崇尚し、朱弦して通越するは、一事なり。

凡禮,始乎梲,成乎文,終乎悅校。故至備,情文俱盡;其次,情文代勝;其下復情以歸大一也。天地以合,日月以明,四時以序,星辰以行,江河以流,萬物以昌,好惡以節,喜怒以當,以為下則順,以為上則明,萬變不亂,貳之則喪也。禮豈不至矣哉!立隆以為極,而天下莫之能損益也。本末相順,終始相應,至文以有別,至察以有說,天下從之者治,不從者亂,從之者安,不從者危,從之者存,不從者亡,小人不能測也。

およそ礼は、簡略に始めて、文に成就して、悅校に終結す。だから至備は、情と文は皆窮尽す。その次は、情と文は更迭して勝つ。その下は情に回复して以て太一に歸向す。天地はこれに因って合し、日月はこれに因って明らかに、四時はこれに因って序あり、星辰はこれに因って運行し、江河はこれに因って流れ、万物はこれに因って昌盛し、好惡はこれに因って節あり、喜怒はこれに因って恰当なり。以て下と為れば則ち順い、以て上と為れば則ち明らかに、万變して乱れず、二心すれば則ち喪失す。礼は豈に至極ならざらんや。隆盛を樹立して以て極致と為して、而して天下は能くこれを増減するなし。本末は相順い、終始は相應じ、至文は因って分別有り、至察は因って解説有り。天下はその治に從い、從わざるは乱り、從うは安んじ、從わざるは危うく、從うは存し、從わざるは亡ぶ。小人は測量する能わず。

禮之理誠深矣,"堅白""同異"之察入焉而溺;其理誠大矣,擅作典制闢陋之說入焉而喪;其理誠高矣,暴慢恣孳輕俗以為高之屬入焉而隊。故繩墨誠陳矣,則不可欺以曲直;衡誠縣矣,則不可欺以輕重;規矩誠設矣,則不可欺以方圓;君子審於禮,則不可欺以詐偽。故繩者,直之至;衡者,平之至;規矩者,方圓之至;禮者,人道之極也。然而不法禮,不足禮,謂之無方之民;法禮,足禮,謂之有方之士。禮之中焉能思索,謂之能慮;禮之中焉能勿易,謂之能固。能慮、能固,加好者焉,斯聖人矣。故天者,高之極也;地者,下之極也;無窮者,廣之極也;聖人者,人道之極也。故學者,固學為聖人也,非特學無方之民也。

礼の理は確かに深し。「堅白」「同異」の察辨は入りて沈溺す。その理は確かに大なり。擅自に典制を制作し、僻陋の説法は入りて喪失す。その理は確かに高し。暴慢恣肆して、世俗を輕視するを以て高き一類と為すは入りて墜落す。だから繩墨は確かに陳設せば、則ち以て曲直に欺くべからず。衡は確かに懸挂せば、則ち以て輕重に欺くべからず。規矩は確かに設置せば、則ち以て方圓に欺くべからず。君子は礼に審察すれば、則ち以て詐僞に欺くべからず。だから繩は、直の極致。衡は、平の極致。規矩は、方圓の極致。礼は、人道の極致なり。然りて礼に取法せず、礼に足らざるは、これを方向なきの民という。礼に取法し、礼に足れるは、これを方向あるの士という。礼の中に能く思索するは、これを能慮という。礼の中に能く改變せざるは、これを能固という。能慮・能固して、喜好を加うれば、これ即ち聖人なり。だから天は、高の極致。地は、下の極致。無窮は、廣の極致。聖人は、人道の極致なり。だから学ぶ者は、本來は聖人を為るを学ぶにして、並びにただ方向なきの民を為るを学ぶにあらず。

禮者,以財物為用,以貴賤為文,以多少為異,以隆殺為要。文理繁,情用省,是禮之隆也。文理省,情用繁,是禮之殺也。文理情用相為內外表墨,並行而雜,是禮之中流也。故君子上致其隆,下盡其殺,而中處其中。步驟馳騁厲鶩不外是矣。是君子之壇宇宮廷也。人有是,士君子也;外是,民也;於是其中焉,方皇周挾,曲得其次序,是聖人也。故厚者,禮之積也;大者,禮之廣也;高者,禮之隆也;明者,禮之盡也。詩曰:"禮儀卒度,笑語卒獲。"此之謂也。

礼は、財物を以て用と為し、貴賤を以て文と為し、多少を以て差異と為し、隆殺を以て要約と為す。文理繁くして、情用省なるは、礼の隆なり。文理省にして、情用繁なるは、礼の殺なり。文理情用は互相いに内外表裏と為して、併行して交錯するは、礼の中流なり。だから君子は上に對してその隆を致し、下に對してその殺を尽くして、而して中間に在りて中に處す。歩驟馳騁疾馳はこれを超出せず。これは君子の壇宇宮廷なり。人はこれ有れば、これは士君子なり。これの外に在れば、これは民なり。これの中間に在りて、廣大周遍して、曲折はその次序を得るは、聖人なり。だから厚は、礼の積累なり。大は、礼の廣なり。高は、礼の隆なり。明は、礼の窮尽なり。『詩経・小雅・楚茨』に言う。「礼儀は尽く度に合し、笑語は尽く宜を得し」と。これを言うのである。

禮者,謹於治生死者也。生、人之始也,死、人之終也,終始俱善,人道畢矣。故君子敬始而慎終,終始如一,是君子之道,禮義之文也。夫厚其生而薄其死,是敬其有知,而慢其無知也,是奸人之道而倍叛之心也。君子以倍叛之心接臧谷,猶且羞之,而況以事其所隆親乎!故死之為道也,一而不可得再復也,臣之所以致重其君,子之所以致重其親,於是盡矣。故事生不忠厚,不敬文,謂之野;送死不忠厚,不敬文,謂之瘠。君子賤野而羞瘠,故天子棺槨七重,諸侯五重,大夫三重,士再重。然後皆有衣衾多少厚薄之數,皆有翣菨文章之等,以敬飾之,使生死終始若一;一足以為人願,是先王之道,忠臣孝子之極也。天子之喪動四海,屬諸侯;諸侯之喪動通國,屬大夫;大夫之喪動一國,屬修士;修士之喪動一鄉,屬朋友;庶人之喪合族黨,動州里;刑餘罪人之喪,不得合族黨,獨屬妻子,棺槨三寸,衣衾三領,不得飾棺,不得晝行,以昏殣,凡緣而往埋之,反無哭泣之節,無衰麻之服,無親疏月數之等,各反其平,各復其始,已葬埋,若無喪者而止,夫是之謂至辱。

礼は、謹慎に生死を治理するなり。生は、人の開始。死は、人の終結なり。終始皆善ければ、人道は完備せり。だから君子は開始を敬して終結を慎みて、終始は一回事のごとし。これは君子の道にして、礼義の文なり。あの生を看重して死を看輕するは、彼の知あるを敬して、而して彼の知なきを怠慢す。これは奸人の道にして背叛の心なり。君子は背叛の心を以て奴僕孩童に接待するも、尚お以て羞と為す。況んや以て尊崇する所の親に事えるをや。だから死を以て道と為すは、一度にして再び得べからず。臣の極尽にその君を看重する所以、子の極尽にその親を看重する所以は、ここに窮尽す。だから生に事えて忠厚ならず、敬文ならざるは、これを野という。死を送りて忠厚ならず、敬文ならざるは、これを瘠という。君子は野を賤視して瘠を羞とする。だから天子は棺椁七重、諸侯五重、大夫三重、士兩重なり。然る後に皆衣衾多少厚薄の数有り、皆翣菨文章の等次有りて、以て敬飾して、生死終始をして一樣のごとくせしむ。一樣は以て人の願望を為すに足る。これは先王の道にして、忠臣孝子の極致なり。天子の喪は四海を震動して、諸侯に連屬す。諸侯の喪は通国を震動して、大夫に連屬す。大夫の喪は一国を震動して、修士に連屬す。修士の喪は一鄕を震動して、朋友に連屬す。庶人の喪は族黨を會合して、州里を震動す。刑余罪人の喪は、族黨を會合するを得ず、ただ妻子に連屬し、棺椁は三寸、衣衾は三領にして、棺を文飾するを得ず、白天に行走するを得ず、黄昏に埋葬して、平常の衣服を以て往きて埋め、返回して哭泣の節なく、衰麻の服なく、親疎月数の等次なく、各自平常に返回して、各自起初に回复して、已に葬埋せば、喪なきの人のごとくして止まる。これを至辱という。

禮者,謹于吉兇不相厭者也。紸纊聽息之時,則夫忠臣孝子亦知其閔矣,然而殯斂之具,未有求也;垂涕恐懼,然而幸生之心未已,持生之事未輟也。卒矣,然後作具之。故雖備家必踰日然後能殯,三日而成服。然後告遠者出矣,備物者作矣。故殯久不過七十日,速不損五十日。是何也?曰:遠者可以至矣,百求可以得矣,百事可以成矣;其忠至矣,其節大矣,其文備矣。然後月朝卜日,月夕卜宅,然後葬也。當是時也,其義止,誰得行之?其義行,誰得止之?故三月之葬,其貌以生設飾死者也,殆非直留死者以安生也,是致隆思慕之義也。

礼は、謹慎に吉凶は相壓せざるなり。絲綿を放ちて氣息を聴くの時は、則ちあの忠臣孝子もまた危殆を知る。然りて殯斂の器具は、いまだ求取せず。淚を垂れて恐懼するも、然りて幸いに生の心はいまだ停止せず、生を持守するの事はいまだ輟まず。死して、然る後に制作具備す。だからたとえ具備の家なりとも必ず日を過して乃ち殯し、三日にして然る後に服を成す。然る後に遠方の人に吿げて出發すれば、物を具備する者は興起す。だから殯は久しくして七十日に超えず、快くして五十日を少くせず。これは何ぞや。曰く、遠き者は以て到るべく、百求は以て得べく、百事は以て成すべし。彼の忠は極致し、彼の節は大にして、彼の文は完備せり。然る後に月初は日期を問卜し、月末は宅兆���問卜して、然る後に葬す。あの時に當りて、あの義は止まるべければ、誰か能く實行せん。あの義は行うべければ、誰か能く止止せん。だから三月の葬は、あの形貌は生の陳設を以て死を文飾するにして、ほぼ並びにただ死者を留りて生者を安定するにあらず、極尽隆盛思慕の義なり。

喪禮之凡,變而飾,動而遠,久而平。故死之為道也,不飾則惡,惡則不哀;尒則翫,翫則厭,厭則忘,忘則不敬。一朝而喪其嚴親,而所以送葬之者,不哀不敬,則嫌於禽獸矣,君子恥之。故變而飾,所以滅惡也;動而遠,所以遂敬也;久而平,所以優生也。

喪礼の大凡は、變化して文飾し、挙動して疎遠にして、久しくして平かなり。だから死を以て道と為すは、文飾せざれば則ち惡しく、惡ければ則ち哀らず。近ければ則ち狎玩して、狎玩すれば則ち厭き、厭ければ則ち忘れ、忘れば則ち敬せず。一個の朝に莊嚴の親を喪失して、而して葬を送る所以は、哀らず敬せざれば、則ち近似して禽獣なり。君子は以て耻と為す。だから變化して文飾するは、以て惡を滅するなり。挙動して疎遠にするは、以て敬を成就するなり。久しくして平かにするは、以て生者を優待するなり。

禮者、斷長續短,損有餘,益不足,達愛敬之文,而滋成行義之美者也。故文飾、麤惡,聲樂、哭泣,恬愉、憂戚;是反也;然而禮兼而用之,時舉而代御。故文飾、聲樂、恬愉,所以持平奉吉也;麤惡、哭泣、憂戚,所以持險奉兇也。故其立文飾也,不至於窕冶;其立麤惡也,不至於瘠棄;其立聲樂、恬愉也,不至於流淫、惰慢;其立哭泣、哀慼也,不至於隘懾傷生,是禮之中流也。

礼は、長を截りて短を補い、有余を減損して、不足を増益して、愛敬の文に達致して、而して義を行うの美を滋養成就するなり。だから文飾と粗惡、声楽と哭泣、恬愉と憂戚は、相反るなり。然りて礼は彼らを兼用して、時に按じて擧起して更迭して駕御す。だから文飾・声楽・恬愉は、以て平を持守し吉を奉事するなり。粗惡・哭泣・憂戚は、以て險を持守し凶を奉事するなり。だからそれの樹立する文飾は、妖冶に至らず。樹立する粗惡は、瘠棄に至らず。樹立する声楽・恬愉は、流淫・惰慢に至らず。樹立する哭泣・哀戚は、狹隘懾懼して生を傷害するに至らず。これは礼の中流なり。

故情貌之變,足以別吉凶,明貴賤親疏之節,期止矣。外是,奸也;雖難,君子賤之。故量食而食之,量要而帶之,相高以毀瘠,是奸人之道,非禮義之文也,非孝子之情也,將以有為者也。故說豫、娩澤,憂戚、萃惡,是吉凶憂愉之情發於顏色者也。歌謠、謷笑、哭泣、諦號,是吉凶憂愉之情發於聲音者也。芻豢、稻梁、酒醴,餰鬻、魚肉、菽藿、酒漿,是吉凶憂愉之情發於食飲者也。卑絻、黼黻、文織,資麤、衰絰、菲繐、菅屨,是吉凶憂愉之情發於衣服者也。疏房、檖貌、越席、床笫、几筵,屬茨、倚廬、席薪、枕塊,是吉凶憂愉之情發於居處者也。兩情者,人生固有端焉。若夫斷之繼之,博之淺之,益之損之,類之盡之,盛之美之,使本末終始,莫不順比,足以為萬世則,則是禮也。非順孰修為之君子,莫之能知也。

だから情貌の變化は、以て吉凶を分別し、貴賤親疎の節を顯明にするに足りて、期望はここに止まる。これの外は奸なり。たとえ難しくとも、君子はこれを賤視す。だから食を量りて吃し、腰を量りて帶を系き、毁瘠を以て高に比すは、奸人の道にして、礼義の文にあらず、孝子の情にあらず。將に為す所有らんとす。だから喜悅豫楽して顔色潤澤と、憂戚・憔悴惡とは、吉凶憂愉の情の顔色に發するなり。歌謡・戲笑・哭泣・啼號は、吉凶憂愉の情の聲音に發するなり。肉食・稻粱・酒醴と、稀粥・魚肉・豆藿・酒漿とは、吉凶憂愉の情の食飲に發するなり。卑冕・黼黻・文織と、粗惡・衰絰・菲繐・菅屨とは、吉凶憂愉の情の衣服に發するなり。疏朗の房屋・深邃の廟貌・蒲席・床笫・几筵と、編茅・倚廬・席薪・枕塊とは、吉凶憂愉の情の居愉の情の居處に發するなり。兩種の情は、人は生まれ來りて本來端緒有り。それを截斷し、それを接續し、それを加廣し、それを減淺し、それを増益し、それを減損し、それを類推し、それを窮尽し、それを盛んにし、それを美にして、本末終始をして順比せざるなからしめ、以て万世の法則と為すに足れば、則ちこれは礼なり。順從精熟して修為する君子にあらざれば、知る能くするなし。

故曰:性者、本始材樸也;偽者、文理隆盛也。無性則偽之無所加,無偽則性不能自美。性偽合,然後成聖人之名,一天下之功於是就也。故曰:天地合而萬物生,陰陽接而變化起,性偽合而天下治。天能生物,不能辨物也,地能載人,不能治人也;宇中萬物生人之屬,待聖人然後分也。詩曰:"懷柔百神,及河喬嶽。"此之謂也。

だから言う、性は、本始の材樸。僞は、文理の隆盛なり。性なければ則ち僞は加うるの地方なし。僞なければ則ち性は能く自ら美ならず。性と僞は會合して、然る後に聖人の名を成就して、天下を統一するの功はここに成就す。だから言う、天地は會合して万物生じ、陰陽は交接して變化興起し、性と僞は會合して天下治まる、と。天は能く物を生ずるも、能く物を辨えず。地は能く人を載するも、能く人を治めず。宇中の万物生の人一類は、聖人を待ちて然る後に分別す。『詩経・周頌・時邁』に言う。「百神を安撫して、河と高山に及ぶ」と。これを言うのである。

喪禮者,以生者飾死者也,大象其生以送其死也。故事死如生,事亡如存,終始一也。始卒,沐浴、鬠體、飯唅,象生執也。不沐則濡櫛三律而止,不浴則濡巾三式而止。充耳而設瑱,飯以生稻,唅以槁骨,反生術矣。設褻衣,襲三稱,縉紳而無鉤帶矣。設掩面儇目,鬠而不冠笄矣。書其名,置於其重,則名不見而柩獨明矣。薦器:則冠有鍪而毋縰,甕廡虛而不實,有簟席而無床笫,木器不成斲,陶器不成物,薄器不成內,笙竽具而不和,琴瑟張而不均,輿藏而馬反,告不用也。具生器以適墓,象徙道也。略而不盡,貌而不功,趨輿而藏之,金革轡靷而不入,明不用也。象徙道,又明不用也,是皆所以重哀也。故生器文而不功,明器貌而不用。凡禮,事生,飾歡也;送死,飾哀也;祭祀,飾敬也;師旅,飾威也。是百王之所同,古今之所一也,未有知其所由來者也。故壙壟、其貌象室屋也;棺槨、其貌象版蓋斯象拂也;無帾絲歶縷翣,其貌以象菲帷幬尉也。抗折,其貌以象槾茨番閼也。故喪禮者,無他焉,明死生之義,送以哀敬,而終周藏也。故葬埋,敬藏其形也;祭祀,敬事其神也;其銘誄繫世,敬傳其名也。事生,飾始也;送死,飾終也;終始具,而孝子之事畢,聖人之道備矣。刻死而附生謂之墨,刻生而附死謂之惑,殺生而送死謂之賊。大象其生以送其死,使死生終始莫不稱宜而好善,是禮義之法式也,儒者是矣。

喪礼は、生者を以て死者を文飾するにして、大略彼の生きているがごとくして彼の死を送るなり。だから死に事えるは生のごとく、亡に事えるは存のごとく、終始は一事なり。剛に死せば、沐浴・束髪・飯含するは、生きて執持する所のごとし。沐せざれば則ち濕梳を以て三下して止め、浴せざれば則ち濕巾を以て三拭して止む。耳を充して瑱を設置し、生稻を以て飯し、貝を以て含ますは、生の方法に違反せり。内衣を設置して、襲は三称して、笏を插して而して鈎帶なし。掩面を設置して目を覆蓋し、髮を束して而して冠笄を加えず。その名を寫して、あの重に放てば、則ち名は見えずして柩は独り顯明なり。明器を進上すれば、則ち冠は頭盔有りて包髪巾なく、瓮庑は空虚して充實せず、簟席有りて床笫なく、木器は砍削を完成せず、陶器は器物を完成せず、薄器は内部を完成せず、笙竽は具備して而して調和せず、琴瑟は張開して而して均平せず、車子は藏して馬は返回すは、用いざるを吿ぐるなり。生器を具備して墓に送るは、遷徙の道路のごとし。簡略して窮尽せず、形貌有りて功用を求めず、車子を趕りてそれを藏し、金革轡靷は進入せざるは、用いざるを表明す。遷徙の道路のごとくして、また用いざるを表明するは、これら皆以て哀を加重するなり。だから生器は文有りて功用を求めず、明器は形貌有りて用いず。およそ礼は、生に事えるは、歡を文飾するなり。死を送るは、哀を文飾するなり。祭祀は、敬を文飾するなり。師旅は、威を文飾するなり。これは百王の相同じき、古今の斉一する所にして、未だ嘗てそれの何處より來るを知るなし。だから墳壟は、その形貌は室屋のごとし。棺椁は、その形貌は版蓋と屏障のごとし。無帾絲縷翣は、その形貌は以て菲帷帳尉に似す。抗折は、その形貌は以て涂茨藩籬に似す。だから喪礼は、別れなく、死生の義を顯明にして、哀敬を以て送りて、而して周遍に埋藏に終わるなり。だから葬埋は、あの形を敬藏するなり。祭祀は、あの神を敬事するなり。あの銘誄系世は、あの名を敬傳するなり。生に事えるは、開始を文飾するなり。死を送るは、終結を文飾するなり。終始具備して、而して孝子の事は畢わり、聖人の道は完備せり。死を刻削して生に附益するを墨といい、生を刻削して死に附益するを惑といい、生を殺して死を送るを賊という。大略彼の生きているがごとくして彼の死を送りて、死生終始をして相称して適宜して好善せざるなからしむるは、これは礼義の法式にして、儒者は即ちこのごとし。

三年之喪,何也?曰:稱情而立文,因以飾群,別親疏貴賤之節,而不可益損也。故曰:無適不易之術也。創鉅者其日久,痛甚者其愈遲,三年之喪,稱情而立文,所以為至痛極也。齊衰、苴杖、居廬、食粥、席薪、枕塊,所以為至痛飾也。三年之喪,二十五月而畢,哀痛未盡,思慕未忘,然而禮以是斷之者,豈不以送死有已,復生有節也哉!凡生天地之間者,有血氣之屬必有知,有知之屬莫不愛其類。今夫大鳥獸則失亡其群匹,越月踰時,則必反鉛;過故鄉,則必徘徊焉,鳴號焉,躑躅焉,踟躕焉,然後能去之也。小者是燕爵,猶有啁焦之頃焉,然後能去之。故有血氣之屬莫知於人,故人之於其親也,至死無窮。將由夫愚陋淫邪之人與,則彼朝死而夕忘之;然而縱之,則是曾鳥獸之不若也,彼安能相與群居而無亂乎!將由夫修飾之君子與,則三年之喪,二十五月而畢,若駟之過隙,然而遂之,則是無窮也。故先王聖人安為之立中制節,一使足以成文理,則舍之矣。

三年の喪は、何ぞや。曰く、情を稱量して文を樹立して、因って以て群類を文飾し、親疎貴賤の節を分別して、而して増減すべからず。だから言う、何處に至りても改變せざるの方法なし、と。創傷巨大なるは日は久しく、痛い厲きは痊愈遅し。三年の喪は、情を稱量して文を樹立するは、以て至痛の極致を為すなり。齊衰・苴杖・居廬・吃粥・席薪・枕塊は、以て至痛の文飾を為すなり。三年の喪は、二十五月にして畢われど、哀痛はいまだ窮尽せず、思慕はいまだ忘れざれど、然りて礼はこれを以て截斷す。豈に以て死を送るに已止あり、生に回复するに節有るにあらざらんや。およそ天地の間に生あるは、血気一類は必ず知有り、知一類はあの類を愛せざるなし。如今あの大鳥獣はその群匹を喪失亡失せば、月を越え時を超えて、則ち必ず返回して盤旋し、故郷を經過せば、則ち必ず徘徊して、鳴號して、踯躅して、踟躕して、然る後に能く離去す。小なるは燕雀なりとも、猶片刻の啁啾有りて、然る後に能く離去す。だから血気一類は人より智なるなく、だから人はその親に於いては、死に至りて窮尽なし。將にあの愚陋淫邪の人に由らんとするか、則ち彼は朝に死して晚に忘れん。然りて彼を放縱せば、則ちこれは竟に連れ鳥獣にも比ぶべからず。彼はどうして能く互相いに群居して乱なからん。將にあの修飾の君子に由らんとするか、則ち三年の喪は、二十五月にして畢わるは、駟馬の隙を過ぐるがごとし。然りてこれに順えば、則ち是れ無窮なり。だから先王聖人はここに彼らのために中道を樹立して節を制約して、一をして以て文理を成就するに足らしめれば、則ち舍棄せり。

然則何以分之?曰:至親以期斷。是何也?曰:天地則已易矣,四時則已無矣,其在宇中者莫不更始矣,故先王案以此象之也。然則三年何也?曰:加隆焉,案使倍之,故再期也。由九月以下何也?曰:案使不及也。故三年以為隆,緦麻、小功以為殺,期、九月以為間。上取象於天,下取象於地,中取則於人,人所以群居和一之理盡矣。故三年之喪,人道之至文者也,夫是之謂至隆。是百王之所同也,古今之所一也。

然れば則ち何を凭って分別せん。曰く、至親は一年を以て截斷す。これは何ぞや。曰く、天地は已に變易して、四時は已に終了して、あの宇中に在るは重新開始せざるなし。だから先王はここにこれを以てそれに像す。然れば則ち三年は何ぞ。曰く、更に隆盛にして、ここにそれを加倍せしむ。だから更に一年を過す。九月以下よりは何ぞ。曰く、ここにそれを達到せざらしむ。だから三年を以て隆と為し、緦麻・小功を以て殺と為し、期・九月を以て中間と為す。上は天に取象し、下は地に取象し、中は人に取則す。人の群居和一する所以の理は窮尽せり。だから三年の喪は、人道の至文にして、これを至隆という。これは百王の相同じき、古今の斉一する所なり。

君之喪,所以取三年,何也?曰:君者、治辨之主也,文理之原也,情貌之盡也,相率而致隆之,不亦可乎?詩曰:"愷悌君子,民之父母。"彼君子者,固有為民父母之說焉。父能生之,不能養之;母能食之,不能教誨之;君者,已能食之矣,又善教誨之者也。三年畢矣哉!乳母、飲食之者也,而三月;慈母、衣被之者也,而九月;君曲備之者也,三年畢乎哉!得之則治,失之則亂,文之至也。得之則安,失之則危,情之至也。兩至者俱積焉,以三年事之,猶未足也,直無由進之耳。故社,祭社也;稷、祭稷也;郊者,並百王於上天而祭祀之也。

君の喪は、三年を取る所以は、何ぞや。曰く、君は、治辨の主にして、文理の本原にして、情貌の窮尽なり。相率いて極尽に彼を尊崇するは、また可ならずや。『詩経・大雅・泂酌』に言う。「愷悌君子は、民の父母」と。あの君子は、本來民の父母と為るの説法有り。父は彼を生む能くも、彼を養う能わず。母は彼に食を與うる能くも、彼を教誨する能わず。君は、已に能く彼に食を與えて、また彼を教誨するに善し。三年にして畢わらんや。乳母は、彼に飲食を與うるにして、而して三月なり。慈母は、彼に衣被を與うるにして、而して九月なり。君は周遍具備するにして、三年にして畢わらんや。それを得れば治まり、それを失えば乱るは、文の極致なり。それを得れば安んじ、それを失えば危うきは、情の極致なり。兩至は皆ここに積累して、三年を以て事えるも、猶足らず、ただ再び增加する由なきのみ。だから社は、社を祭るなり。稷は、稷を祭るなり。郊は、併せて百王を上天に於いて祭祀するなり。

三月之殯,何也?曰:大之也,重之也。所致隆也,所致親也,將舉措之,遷徙之,離宮室而歸丘陵也,先王恐其不文也,是以繇其期,足之日也。故天子七月,諸侯五月,大夫三月,皆使其須足以容事,事足以容成,成足以容文,文足以容備,曲容備物之謂道矣。

三月の殯は、何ぞや。曰く、これはそれを大にし、それを重にするなり。極尽隆盛する所、極尽親近する所は、將にそれを挙措し、それを遷徙して、宮室を離れて丘陵に歸向せんとす。先王はそれに文なからんことを恐れて、これに因ってあの期限を延長して、日子を充足せしむ。だから天子七月、諸侯五月、大夫三月にして、皆彼らをして以て事を容納するに足り、事は以て成就を容納するに足り、成就は以て文を容納するに足り、文は以て完備を容納するに足りて、周遍容納して完備物を為るを道という。

祭者、志意思慕之情也。愅詭唈僾而不能無時至焉。故人之歡欣和合之時,則夫忠臣孝子亦愅詭而有所至矣。彼其所至者,甚大動也;案屈然已,則其於志意之情者惆然不嗛,其於禮節者闕然不具。故先王案為之立文,尊尊親親之義至矣。故曰:祭者、志意思慕之情也。忠信愛敬之至矣,禮節文貌之盛矣,苟非聖人,莫之能知也。聖人明知之,士君子安行之,官人以為守,百姓以成俗;其在君子以為人道也,其在百姓以為鬼事也。故鐘鼓管磬,琴瑟竽笙,韶夏護武,汋桓箾簡象,是君子之所以為愅詭其所喜樂之文也。齊衰、苴杖、居廬、食粥、席薪、枕塊,是君子之所以為愅詭其所哀痛之文也。師旅有制,刑法有等,莫不稱罪,是君子之所以為愅詭其所敦惡之文也。卜筮視日、齋戒、修塗、几筵、饋薦、告祝,如或饗之。物取而皆祭之,如或嘗之。毋利舉爵,主人有尊,如或觴之。賓出,主人拜送,反易服,即位而哭,如或去之。哀夫!敬夫!事死如事生,事亡如事存,狀乎無形,影然而成文。

祭は、志意思慕の情なり。感動は欝結して時の到来なくんばならず。だから人の歡欣和合するの時は、則ちあの忠臣孝子もまた感動して到来する所有り。彼の到来する所は、甚だ大なる發動なり。ここに空屈停止すれば、則ち彼は志意の情に於いて惆然として満足せず、礼節に於いて闕然として具備せず。だから先王はここに彼らのために文を樹立して、尊々親々の義は極致せり。だから言う、祭は、志意思慕の情なり。忠信愛敬の極致にして、礼節文貌の隆盛にして、聖人にあらざれば、知る能くするなし。聖人は明白に知りて、士君子は安然として實行し、官人はこれを以て持守と為し、百姓はこれを成就して習俗と為す。それは君子に在りては人道と為し、百姓に在りては鬼事と為す。だから鐘鼓管磬・琴瑟竽笙・韶夏護武・汋桓箾簡象は、君子の彼の喜楽する所の感動のために文を為す所以なり。齊衰・苴杖・居廬・吃粥・席薪・枕塊は、君子の彼の哀痛する所の感動のために文を為す所以なり。師旅に制度有り、刑法に等次有りて、罪と相称せざるなきは、君子の彼の敦厚に惡む所の感動のために文を為す所以なり。卜筮を問い、日子を看て、齋戒し、道路を修治し、几筵・饋薦・吿祝するは、神の來りて享用するがごとし。物は取りて皆祭るは、神の來りて嘗するがごとし。利者に爵を擧げさせず、主人に尊あるは、神の來りて酒を飲むがごとし。賓出でて、主人は拜送して、返回して服を換え、位に即きて哭くは、神の離去するがごとし。哀れなり。敬なり。死に事えるは生に事えるがごとく、亡に事えるは存に事えるがごとし。狀貌は無形に在りて、影然として文を成就す。

樂論篇第二十

夫樂者、樂也,人情之所必不免也。故人不能無樂,樂則必發於聲音,形於動靜;而人之道,聲音動靜,性術之變盡是矣。故人不能不樂,樂則不能無形,形而不為道,則不能無亂。先王惡其亂也,故制雅頌之聲以道之,使其聲足以樂而不流,使其文足以辨而不諰,使其曲直繁省廉肉節奏,足以感動人之善心,使夫邪汙之氣無由得接焉。是先王立樂之方也,而墨子非之奈何!

あの楽は、快楽にして、人情の一定に免れざる所なり。だから人は楽なくんばならず、楽あれば則ち必ず聲音に發して、動静に形す。而して人の道は、聲音動静は、性術の變化はここに窮尽す。だから人は楽なくんばならず、楽あれば則ち形なかるべからず、形して而して引導を為さざれば、則ち乱なかるべからず。先王はあの乱を惡みて、だから雅頌の聲を制作して以て引導して、あの聲をして以て楽しくして放蕩せざるに足らしめ、あの文をして以て辨別して憂懼せざるに足らしめ、あの曲直繁省廉肉節奏をして、以て人の善心を感動するに足らしめ、あの邪污の氣をして從て接觸を得ざらしむ。これは先王の楽を設立するの方なり。而して墨子はこれを非議す。これをどうせん。

故樂在宗廟之中,君臣上下同聽之,則莫不和敬;閨門之內,父子兄弟同聽之,則莫不和親;鄉里族長之中,長少同聽之,則莫不和順。故樂者審一以定和者也,比物以飾節者也,合奏以成文者也;足以率一道,足以治萬變。是先王立樂之術也,而墨子非之奈何!

だから楽は宗廟の中に在りて、君臣上下は一同聴けば、則ち和敬せざるなし。閨門の内に在りて、父子兄弟は一同聴けば、則ち和親せざるなし。鄕里族長の中に在りて、長少は一同聴けば、則ち和順せざるなし。だから楽は一を審察して以て和を確定し、物を比次して以て節を文飾し、合奏して以て文を成就す。以て一道を統率するに足りて、以て万變を治理するに足る。これは先王の楽を設立するの方法なり。而して墨子はこれを非議す。これをどうせん。

故聽其雅頌之聲,而志意得廣焉;執其干鏚,習其俯仰屈伸,而容貌得莊焉;行其綴兆,要其節奏,而行列得正焉,進退得齊焉。故樂者、出所以徵誅也,入所以揖讓也;徵誅揖讓,其義一也。出所以徵誅,則莫不聽從;入所以揖讓,則莫不從服。故樂者、天下之大齊也,中和之紀也,人情之所必不免也。是先王立樂之術也,而墨子非之奈何!

だからあの雅頌の聲を聴けば、而して志意は廣大を得る。干戚を拿て、あの俯仰屈伸を熟習せば、而して容貌は莊重を得る。あの綴兆を走りて、あの節奏を要約せば、而して行列は正を得、進退は斉を得る。だから楽は、出づれば以て征誅を為し、入れば以て揖讓を為す。征誅揖讓は、あの義は一事なり。出でて以て征誅すれば、則ち聽從せざるなし。入りて以て揖讓すれば、則ち從服せざるなし。だから楽は、天下の大斉一にして、中和の紀にして、人情の一定に免れざる所なり。これは先王の楽を設立するの方法なり。而して墨子はこれを非議す。これをどうせん。

且樂者、先王之所以飾喜也;軍旅鈇鉞者,先王之所以飾怒也。先王喜怒皆得其齊焉。是故喜而天下和之,怒而暴亂畏之。先王之道,禮樂正其盛者也。而墨子非之。故曰:墨子之於道也,猶瞽之於白黑也,猶聾之於清濁也,猶欲之楚而北求之也。

況んや楽は、先王の以て喜を文飾する所なり。軍旅斧鉞は、先王の以て怒を文飾する所なり。先王の喜怒は皆斉一を得たり。これに因って喜べば天下應和し、怒れば暴乱は畏懼す。先王の道は、礼楽は正にあの隆盛なり。而して墨子はこれを非議す。だから言う、墨子は道に於いては、瞎子の黑白に於けるがごとく、聾子の清濁に於けるがごとく、楚に往かんと欲して却って北に求むるがごとし、と。

夫聲樂之入人也深,其化人也速,故先王謹為之文。樂中平則民和而不流,樂肅莊則民齊而不亂。民和齊則兵勁城固,敵國不敢嬰也。如是,則百姓莫不安其處,樂其鄉,以至足其上矣。然後名聲於是白,光輝於是大,四海之民莫不願得以為師,是王者之始也。樂姚冶以險,則民流僈鄙賤矣;流僈則亂,鄙賤則爭;亂爭則兵弱城犯,敵國危之如是,則百姓不安其處,不樂其鄉,不足其上矣。故禮樂廢而邪音起者,危削侮辱之本也。故先王貴禮樂而賤邪音。其在序官也,曰:"修憲命,審詩商,禁淫聲,以時順修,使夷俗邪音不敢亂雅,太師之事也。"

聲音和楽は人に入ること深くして、人を感化すること速し。だから先王は謹慎にそれのために文飾を為す。楽は中正平和なれば、則ち民は和順して放蕩せず。楽は肅敬莊重なれば、則ち民は斉一して乱れず。民は和順斉一なれば、則ち兵力は強く城池は固くして、敵国は觸犯を敢えてせず。これのごとくなれば、則ち百姓はその處所に安んじ、その鄕里を樂しみて、以てその上に在る者に充分供給せざるなし。然る後に名声はここに顯白にして、光輝はここに盛大なり。四海の民は彼を得て師と為さんことを願意せざるなし。これは王者の開始なり。楽は妖冶して險陂なれば、則ち民は放蕩怠慢して鄙陋下賤す。放蕩怠慢すれば乱り、鄙陋下賤すれば争い、乱と争は則ち兵力は弱く城池は侵犯せられて、敵国はこれを危害す。これのごとくなれば、則ち百姓はその處所に安んぜず、その鄕里を樂しまずして、その上に在る者に充分供給する能わず。だから礼楽廢棄して邪音興起するは、危殆・削奪・侮辱の根本なり。だから先王は礼楽を看重して邪音を賤視す。それは序官に言う、「法令を修治し、詩章を審察し、淫聲を禁止し、時に按じて修治に順い、夷俗邪音をして雅正を擾乱を敢えてせざらしむるは、太師の職事なり」と。

墨子曰:"樂者、聖王之所非也,而儒者為之過也。"君子以為不然。樂者,聖王之所樂也,而可以善民心,其感人深,其移風易俗。故先王導之以禮樂,而民和睦。夫民有好惡之情,而無喜怒之應則亂;先王惡其亂也,故修其行,正其樂,而天下順焉。故齊衰之服,哭泣之聲,使人之心悲。帶甲嬰胄,歌於行伍,使人之心傷;姚冶之容,鄭衛之音,使人之心淫;紳、端、章甫,舞韶歌武,使人之心莊。故君子耳不聽淫聲,目不視邪色,口不出惡言,此三者,君子慎之。

墨子曰く、「楽は、聖王の非議する所にして、而して儒者はこれを為すは過錯なり」と。君子は以てこれにあらずと為す。楽は、聖王の喜悅する所にして、而して以て民心を善に向かわしむべし。それは人を感じること深く、それは風を移り俗を易う。だから先王は礼楽を以て引導して、而して民は和睦す。民は好惡の情有りて、而して喜怒の應和なければ乱る。先王はあの乱を惡みて、だからその徳行を修治し、その楽を端正して、而して天下は順從せり。だから齊衰の喪服と哭泣の聲音は、人心を悲哀せしむ。甲を披き胄を戴きて、行伍の中に歌唱すれば、人心を悲壯せしむ。妖冶の容貌と鄭衛の聲音は、人心を放蕩せしむ。大帶・玄端・章甫之冠と、韶を舞い武を歌えば、人心を莊重せしむ。だから君子は耳は淫聲を聴かず、目は���色を看ず、口は惡言を説かず。こ三樣は、君子は謹慎に對待す。

凡奸聲感人而逆氣應之,逆氣成象而亂生焉;正聲感人而順氣應之,順氣成象而治生焉。唱和有應,善惡相象,故君子慎其所去就也。君子以鐘鼓道志,以琴瑟樂心;動以干鏚,飾以羽旄,從以磬管。故其清明象天,其廣大象地,其俯仰周旋有似於四時。故樂行而志清,禮修而行成,耳目聰明,血氣和平,移風易俗,天下皆寧,美善相樂。故曰:樂者、樂也。君子樂得其道,小人樂得其欲;以道制欲,則樂而不亂;以欲忘道,則惑而不樂。故樂者,所以道樂也,金石絲竹,所以道德也;樂行而民鄉方矣。故樂也者,治人之盛者也,而墨子非之。

およそ奸邪の聲音は人を感じて逆氣はそれに應和して、逆氣は氣象を形成して乱は即ち產生す。純正の聲音は人を感じて順氣はそれに應和して、順氣は氣象を形成して治は即ち產生す。唱和は應ありて、善惡は互相いに氣象を形成す。だから君子はその離去と趨就する所を謹慎す。君子は鐘鼓を以て志を引導し、琴瑟を以て心を娯楽し、干戚を以て動作し、羽旄を以て文飾し、磬管を以て隨從す。だからその清明は天に象り、その廣大は地に象り、その俯仰周旋は四時に似り。だから楽は實行して志は清明にし、礼は修治して徳行は成就し、耳目は聰明にし、血氣は和平にして、風を移り俗を易え、天下は皆安寧にして、美と善は互相いに歓楽す。だから言う、楽は、即ち快楽なり。君子はあの道を得るを楽しみ、小人はあの欲望を得るを楽しむ。道を以て欲望を制約すれば、則ち楽しくして乱れず。欲望に因って道を忘れれば、則ち迷惑して楽しまず。だから楽は、以て快楽を引導するなり。金石絲竹は、以て徳を引導するなり。楽實行して民は即ち正道に向かう。だから楽は、人を治理するの隆盛にして、而して墨子はこれを非議す。

且樂也者,和之不可變者也;禮也者,理之不可易者也。樂合同,禮別異,禮樂之統,管乎人心矣。窮本極變,樂之情也;著誠去偽,禮之經也。墨子非之,幾遇刑也。明王已沒,莫之正也。愚者學之,危其身也。君子明樂,乃其德也。亂世惡善,不此聽也。於乎哀哉!不得成也。弟子勉學,無所營也。

況んや楽は、和の變易すべからざるなり。礼は、理の改易すべからざるなり。楽は同を會合し、礼は異を分別す。礼楽の統攝は、人心を管る。本原を窮究して變化を極尽するは、楽の情なり。誠を顯明にして僞を去掉するは、礼の經常なり。墨子はこれを非議す。ほぼ刑罰に遇上せんとす。明王已に沒して、これを端正する人なし。愚者はこれを学びて、その身を危害す。君子は楽を彰明して、乃ちその徳なり。乱世は善を惡みて、これを聴かず。嗚呼悲哀なり。成就する能わず。弟子は努力学習して、營求有るなかれ。

聲樂之象:鼓大麗,鍾統實,磬廉制,竽笙簫和,筦鑰發猛,壎篪翁博,瑟易良,琴婦好,歌清盡,舞意天道兼。鼓其樂之君邪。故鼓似天,鍾似地,磬似水,竽笙簫和筦鑰,似星辰日月,鼗柷、拊鞷、椌楬似萬物。曷以知舞之意?曰:目不自見,耳不自聞也,然而治俯仰、詘信、進退、遲速,莫不廉制,盡筋骨之力,以要鐘鼓俯會之節,而靡有悖逆者,眾積意謘謘乎!

聲音和楽の象征は、鼓は大にして華麗にして、鐘は統括して充實し、磬は棱角有りて節制有り、竽笙簫は和暢し、管籥は發揚猛厲し、塤篪は涵容廣博し、瑟は平易温良し、琴は柔婉美好し、歌唱は清澈窮尽し、舞の意は天道を兼有す。鼓はほぼ楽の君ならん。だから鼓は天に象り、鐘は地に象り、磬は水に象り、竽笙簫と管籥は、星辰日月に象り、鞀柷・拊鞷・椌楬は万物に象る。何を凭って舞の意を知らん。曰く、目は己を見る能わず、耳は己を聴く能わざるも、然りて俯仰・屈伸・進退・遅速を治理するは、棱角有りて節制せざるなく、筋骨の力を用尽して、以て鐘鼓に要約して俯就して會合の節にして、而して悖逆なし。衆人積聚の意はあれほど嚴整なり。

吾觀於鄉,而知王道之易易也。主人親速賓及介,而眾賓皆從之。至於門外,主人拜賓及介,而眾賓皆入;貴賤之義別矣。三揖至於階,三讓以賓升。拜至、獻、酬,辭讓之節繁,及介省矣。至於眾賓,升受、坐祭、立飲,不酢而降;隆殺之義辨矣。工入,升歌三終,主人獻之;笙入三終,主人獻之;間歌三終,合樂三終,工告樂備,遂出。二人揚觶,乃立司正,焉知其能和樂而不流也。賓酬主人,主人酬介,介酬眾賓,少長以齒,終於沃洗者,焉知其能弟長而無遺也。降,說屨升坐,修爵無數。飲酒之節,朝不廢朝,莫不廢夕。賓出,主人拜送,節文終遂,焉知其能安燕而不亂也。貴賤明,隆殺辨,和樂而不流,弟長而無遺,安燕而不亂,此五行者,足以正身安國矣。彼國安而天下安。故曰:吾觀於鄉,而知王道之易易也。

我は鄕飲酒礼を觀察して、而して王道は甚だ容易なるを知る。主人は親ら賓と介を邀請して、而して衆賓は皆彼らに隨從す。門外に至りて、主人は賓と介を拜して、而して衆賓は皆進入す。貴賤の義は分別せり。三たび揖讓して階に至り、三たび謙讓して賓をして堂に升らしむ。拜至・獻・酬の辭讓の節は繁多にして、介に至れば則ち減省す。衆賓に至れば、堂に升りて接受して、坐して祭して、立ちて飲して、回りて酒を敬せずして階に降る。隆殺の義は辨別せり。楽工進入して、堂に升りて歌して三終して、主人は酒を獻す。笙進入して奏して三終して、主人は酒を獻す。間隔して歌して三終して、合楽三終して、楽工は樂具備せりを報告して、ここに出でず。二人は觶を擧げて、ここに司正を設立す。ここよりそれの能く和楽して放蕩せざるを知る。賓は主人を酬し、主人は介を酬し、介は衆賓を酬して、少長は年齢に按じて、沃洗の人に終結す。ここよりそれの能く悌と長を分別して遺漏せざるを知る。階に降りて、鞋を脫ぎて坐に升りて、爵を行うは次数なし。飲酒の節は、朝は朝事を廢棄せず、黄昏は夕事を廢棄せず。賓出でて、主人は拜送して、節文は終結完成す。ここよりそれの能く燕飲に安んじて乱れざるを知る。貴賤顯明にし、隆殺辨別し、和楽して放蕩せず、悌長して遺漏せず、安燕して乱れず。こ五件事は、以て身を端正して国を安定するに足る。あの国安んずれば天下安んず。だから言う、我は鄕飲酒礼を觀察して、而して王道は甚だ容易なるを知る、と。

亂世之徵:其服組,其容婦。其俗淫,其志利,其行雜,其聲樂險,其文章匿而採,其養生無度,其送死瘠墨,賤禮義而貴勇力,貧則為盜,富則為賊;治世反是也。

乱世の征象は、その衣服は華麗繁組にして、その容貌は婦人に象り、その習俗は放蕩にして、その志向は利を逐いて、その行為は駁雜にして、その声楽は險陂にして、その文章は隱匿して文采有り、その養生は限度なく、その死を送るは瘠薄して墨家のごとく、礼義を賤視して勇力を看重し、貧なれば即ち盗にして、富なれば即ち賊なり。治世はこれと相反る。

解蔽篇第二十一

凡人之患,蔽於一曲,而闇於大理。治則復經,兩疑則惑矣。天下無二道,聖人無兩心。今諸侯異政,百家異說,則必或是或非,或治或亂。亂國之君,亂家之人,此其誠心,莫不求正而以自為也。妒繆於道,而人誘其所迨也。私其所積,唯恐聞其惡也。倚其所私,以觀異術,唯恐聞其美也。是以與治雖走,而是己不輟也。豈不蔽於一曲,而失正求也哉!心不使焉,則白黑在前而目不見,雷鼓在側而耳不聞,況於使者乎?德道之人,亂國之君非之上,亂家之人非之下,豈不哀哉!

およそ人の禍患は、一偏に蒙蔽せられて、而して大理を明白せず。治まれば則ち經常に回复し、両端皆疑えば則ち迷惑せり。天下に両条の道���く、聖人に両樣の心なし。如今諸侯は政教同じからず、百家は学説同じからざれば、則ち必ずあるもの是あるもの非あり、あるもの治あるもの乱あり。乱国の君、乱家の人は、彼らの誠心は、正を求めずして自ら為すなし。道に對して妒嫉謬誤して、而して别人はその接近する所を引誘す。その積累する所を偏私して、その惡を聞かんことを唯恐れ、その偏私する所に倚靠して、不同の方術を看て、その美を聞かんことを唯恐る。これに因って治と背道而馳して、而して自ら是と為して停止せず。豈に一偏に蒙蔽せられて、而して正求を失うにあらざらんや。心はこの上に役使せざれば、則ち黑白は面前に在りて而して目は見ず、雷鼓は旁边に在りて而して耳は聴かず。況んやあの心を役使するに於いてをや。道を得る人は、乱国の君は上に在りて彼を非議し、乱家の人は下に在りて彼を非議す。豈に悲哀ならざらんや。

故為蔽:欲為蔽,惡為蔽,始為蔽,終為蔽,遠為蔽,近為蔽,博為蔽,淺為蔽,古為蔽,今為蔽。凡萬物異則莫不相為蔽,此心術之公患也。

だから蔽と為るは、欲は蔽と為り、惡は蔽と為り、始は蔽と為り、終は蔽と為り、遠は蔽と為り、近は蔽と為り、博は蔽と為り、淺は蔽と為り、古は蔽と為り、今は蔽と為る。およそ万物に差異有れば則ち互相いに蔽と為らざるなし。これは心術の公共禍患なり。

昔人君之蔽者,夏桀殷紂是也。桀蔽於末喜斯觀,而不知關龍逢,以惑其心,而亂其行。桀蔽於妲己、飛廉,而不知微子啟,以惑其心,而亂其行。故群臣去忠而事私,百姓怨非而不用,賢良退處而隱逃,此其所以喪九牧之地,而虛宗廟之國也。桀死於鬲山,紂縣於赤旆。身不先知,人又莫之諫,此蔽塞之禍也。成湯監於夏桀,故主其心而慎治之,是以能長用伊尹,而身不失道,此其所以代夏王而受九有也。文王監於殷紂,故主其心而慎治之,是以能長用呂望,而身不失道,此其所以代殷王而受九牧也。遠方莫不致其珍;故目視備色,耳聽備聲,口食備味,形居備宮,名受備號,生則天下歌,死則四海哭。夫是之謂至盛。詩曰:"鳳凰秋秋,其翼若干,其聲若簫。有鳳有凰,樂帝之心。"此不蔽之福也。

從前人君は蒙蔽せられしは、夏桀殷紂は即ちこれなり。桀は末喜・斯觀に蒙蔽せられて、而して關龍逢を知らず、因ってその心を迷惑して、而してその行為を擾乱せり。紂は妲已・飛廉に蒙蔽せられて、而して微子啓を知らず(底本は後の一句を「桀蔽于妲已」と作るも、「桀」は「紂」の訛り)、因ってその心を迷惑して、而してその行為を擾乱せり。だから群臣は忠を離れて私に事え、百姓は怨恨非議して用いられず、賢良は退處して隱逃す。これは彼らの九州牧守の地を喪失して、而して宗廟の国を空虚にする所以なり。桀は鬲山に死し、紂の頭は赤旗に懸挂せり。自身は能く預かり知らず、别人はまた彼を勸諫せず。これは蔽塞の禍なり。成湯は夏桀に鑑戒して、だからその心を主宰して謹慎に治理して、これに因って能く伊尹を長久に任用して、而して自身は道を失わず。これは彼の夏王に代替して九州を接受する所以なり。文王は殷紂に鑑戒して、だからその心を主宰して謹慎に治理して、これに因って能く呂望を長久に任用して、而して自身は道を失わず。これは彼の殷王に代替して九州牧守を接受する所以なり。遠方は珍宝を送來せざるなし。だから目は完備の色彩を看、耳は完備の聲音を聴き、口は完備の滋味を吃し、形體は完備の宮室に居り、名號は完備の称号を受く。生きれば則ち天下は歌唱し、死せば則ち四海は哭泣す。これを至盛という。『詩経』に言う。「鳳凰は翩翩として、その翅膀は盾牌のごとく、その聲音は簫のごとし。鳳あり凰あり、帝の心を娯楽す」と。これは不蔽の福なり。

昔人臣之蔽者,唐鞅奚齊是也。唐鞅蔽於欲權而逐載子,奚齊蔽於欲國而罪申生;唐鞅戮於宋,奚齊戮於晉。逐賢相而罪孝兄,身為刑戮,然而不知,此蔽塞之禍也。故以貪鄙、背叛、爭權而不危辱滅亡者,自古及今,未嘗有之也。鮑叔、甯戚、隰朋仁知且不蔽,故能持管仲,而名利福祿與管仲齊。召公、呂望仁知且不蔽,故能持周公而名利福祿與周公齊。傳曰:"知賢之為明,輔賢之謂能,勉之強之,其福必長。"此之謂也。此不蔽之福也。

從前人臣は蒙蔽せられしは、唐鞅・奚齊は即ちこれなり。唐鞅は権を欲するに蒙蔽せられて載子を放逐し、奚齊は国を欲するに蒙蔽せられて申生に罪を加えり。唐鞅は宋に殺され、奚齊は晋に殺さる。賢相を放逐して孝兄に罪を加えて、自身は刑戮せられて、然りて知らず。これは蔽塞の禍なり。だから貪鄙・背叛・争権に因って危辱滅亡せざるは、古より今に至りて、未だ嘗て有らず。鮑叔・寧戚・隰朋は仁智にして而且不蔽にして、だから能く管仲を持守して、而して名利福禄は管仲と斉等なり。召公・呂望は仁智にして而且不蔽にして、だから能く周公を持守して、而して名利福禄は周公と斉等なり。傳記に言う。「賢を知るを明といい、賢を輔佐するを能といい、それを勉勵してそれを強固にすれば、あの福は必ず長久なり」と。これを言うのである。これは不蔽の福なり。

昔賓孟之蔽者,亂家是也。墨子蔽於用而不知文。宋子蔽於欲而不知得。慎子蔽於法而不知賢。申子蔽於埶而不知知。惠子蔽於辭而不知實。莊子蔽於天而不知人。故由用謂之道,盡利矣。由欲謂之道,盡嗛矣。由法謂之道,盡數矣。由埶謂之道,盡便矣。由辭謂之道,盡論矣。由天謂之道,盡因矣。此數具者,皆道之一隅也。夫道者體常而盡變,一隅不足以舉之。曲知之人,觀於道之一隅,而未之能識也。故以為足而飾之,內以自亂,外以惑人,上以蔽下,下以蔽上,此蔽塞之禍也。孔子仁知且不蔽,故學亂術足以為先王者也。一家得周道,舉而用之,不蔽於成積也。故德與周公齊,名與三王並,此不蔽之福也。

從前游士は蒙蔽せられしは、乱家は即ちこれなり。墨子は「用」に蒙蔽せられて文を知らず。宋子は「欲」に蒙蔽せられて得を知らず。慎子は「法」に蒙蔽せられて賢を知らず。申子は「勢」に蒙蔽せられて智を知らず。惠子は「辭」に蒙蔽せられて實を知らず。荘子は「天」に蒙蔽せられて人を知らず。だから用より道を說けば、即ち全是利なり。欲より道を說けば、即ち全是滿足なり。法より道を說けば、即ち全是数なり。勢より道を說けば、即ち全是便利なり。辭より道を說けば、即ち全是論辯なり。天より道を說けば、即ち全是因任なり。これら幾項は、皆道の一隅なり。道は體常にして變化を窮尽するにして、一隅は以てそれを擧出するに足らず。一偏の知の人は、道の一隅を見て、而して未だそれを認識する能わず。だから以て充足と為してそれを文飾して、内は以て自ら擾乱し、外は以て人を迷惑し、上は以て下を蒙蔽し、下は以て上を蒙蔽す。これは蔽塞の禍なり。孔子は仁智にして而且不蔽にして、だから治理の方術を学习して以て先王のごとき人を為すに足る。一家は周備の道を得て、それを擧起してそれを任用して、已成の積習に蒙蔽せられず。だから徳は周公と斉等にして、名は三王と並列す。これは不蔽の福なり。

聖人知心術之患,見蔽塞之禍,故無慾、無惡、無始、無終、無近、無遠、無博、無淺、無古、無今,兼陳萬物而中縣衡焉。是故眾異不得相蔽以亂其倫也。

聖人は心術の禍患を知りて、蔽塞の禍を見て、だから欲なく、惡なく、始なく、終なく、近なく、遠なく、博なく、淺なく、古なく、今なくして、兼ねて万物を陳列して中間に衡器を懸挂す。これに因って衆多の差異は能く互相いに蒙蔽してあの倫類を擾乱する能わず。

何謂衡?曰:道。故心不可以不知道;心不知道,則不可道,而可非道。人孰欲得恣,而守其所不可,以禁其所可?以其不可道之心取人,則必合於不道人,而不合於道人。以其不可道之心與不道人論道人,亂之本也。夫何以知?曰:心知道,然後可道;可道然後守道以禁非道。以其可道之心取人,則合於道人,而不合於不道之人矣。以其可道之心與道人論非道,治之要也。何患不知?故治之要在於知道。

何を衡という。曰く、道なり。だから心は知らざるべからず。心知らざれば、則ち道を認可せずして、而して非道を認可す。人は誰か放縱を得んと欲して、却ってその認可せざる所を守りて、以てその認可する所を禁止せんや。あの道を認可せざるの心を以て人を選取すれば、則ち必ず不道の人に合して、而して有道の人に合せず。あの道を認可せざるの心を以て不道の人と有道の人を議論するは、乱の根本なり。何を凭って知らん。曰く、心知れば、然る後に以て道を認可すべし。道を認可して然る後に道を守りて以て非道を禁止す。あの道を認可するの心を以て人を選取すれば、則ち有道の人に合して、而して不道の人に合せず。あの道を認可するの心を以て有道の人と非道を議論するは、治の要約なり。何ぞ必ずしも知らざるを憂患せん。だから治の要約は知に在り。

人何以知道?曰:心。心何以知?曰:虛壹而靜。心未嘗不臧也,然而有所謂虛;心未嘗不兩也,然而有所謂壹;心未嘗不動也,然而有所謂靜。人生而有知,知而有志;志也者,臧也;然而有所謂虛;不以所已臧害所將受謂之虛。心生而有知,知而有異;異也者,同時兼知之;同時兼知之,兩也;然而有所謂一;不以夫一害此一謂之壹。心臥則夢,偷則自行,使之則謀;故心未嘗不動也;然而有所謂靜;不以夢劇亂知謂之靜。未得道而求道者,謂之虛壹而靜。作之:則將須道者之虛則人,將事道者之壹則盡,盡將思道者靜則察。知道察,知道行,體道者也。虛壹而靜,謂之大清明。萬物莫形而不見,莫見而不論,莫論而失位。坐於室而見四海,處於今而論久遠。疏觀萬物而知其情,參稽治亂而通其度,經緯天地而材官萬物,制割大理而宇宙裡矣。恢恢廣廣,孰知其極?睪睪廣廣,孰知其德?涫涫紛紛,孰知其形?明參日月,大滿八極,夫是之謂大人。夫惡有蔽矣哉!

人は何を凭って知る。曰く、心なり。心は何を凭って知る。曰く、虚・壹・静なり。心は未だ嘗て藏せざらざるなく、然りて所謂虚有り。心は未だ嘗て両端なからざるなく、然りて所謂壹有り。心は未だ嘗て動かざるなく、然りて所謂静有り。人は生まれ來れば則ち知有り、知して而して記憶有り。記憶は、即ち藏なり。然りて所謂虚有り。已に藏する所に因って將に接受せんとするを妨害せざるを虚という。心は生まれ來れば則ち知有り、知して而して差異有り。差異は、同時に彼らを兼知するなり。同時に彼らを兼知するは、即ち両端なり。然りて所謂一有り。あの一個に因ってこ一個を妨害せざるを壹という。心は睡れば則ち夢を為し、鬆懈すれば則ち自行し、それを役使すれば則ち謀劃す。だから心は未だ嘗て動かざるなし。然りて所謂静有り。夢と劇烈に因って知を擾乱せざるを静という。未だ嘗て道を得ずして道を求むるは、虚・壹・静せんと要す。之を作さば、將に道を待たんとする者は、虚なれば則ち能く進入す。將に道に事えんとする者は、壹なれば則ち能く窮尽す。將に道を思索せんとする者は、静なれば則ち能く察す。知りて察して、知りて行うは、體道の人なり。虚・壹・静は、これを大清明という。万物は形有りて見えざるなく、見えて論列せられざるなく、論列せられて位置を失うなし。室中に坐して四海を見て、當今に處りて久遠を論列す。疏通して万物を觀察してその情を知り、治乱を參驗考核してあの度を通達し、天地を經緯して万物を裁成し、大理を裁制して而して宇宙の理は得たり。(底本は「里」と作るも、「里」は「理」の訛り。)恢恢廣廣として、誰かその極致を知らん。浩浩廣廣として、誰かその徳を知らん。滾滾紛紛として、誰かその形を知らん。光明は日月に比して、盛大は八極に充滿す。これを大人という。どうしてまた蔽かあらん。

心者,形之君也,而神明之主也,出令而無所受令。自禁也,自使也,自奪也,自取也,自行也,自止也。故口可劫而使墨云,形可劫而使詘申,心不可劫而使易意,是之則受,非之則辭。故曰:心容--其擇也無禁,必自現,其物也雜博,其情之至也不貳。詩云:"采采卷耳,不盈傾筐。嗟我懷人,寘彼周行。"傾筐易滿也,卷耳易得也,然而不可以貳周行。故曰:心枝則無知,傾則不精,貳則疑惑。以贊稽之,萬物可兼知也。身盡其故則美。類不可兩也,故知者擇一而壹焉。

心は、形體の君にして、神明の主宰なり。命令を發出して命令を接受せず。自ら禁止し、自ら役使し、自ら奪い、自ら取り、自ら行い、自ら止む。だから口は脅迫して以てそれを沉默あるいは説話せしむべく、形體は脅迫して以てそれを屈伸せしむべく、心は脅迫して以てそれの意を改變せしむべからず。以て是と為せば接受し、以て非と為せば辭謝す。だから言う、心の狀態――その選擇は禁止なく、必ず自ら顯現し、その對象は駁雜廣博にして、その情は極致すれば則ち貳せず、と。『詩経・周南・卷耳』に言う。「采んでまた采る卷耳は、斜口筐に充滿せず。嘆息する我が想念する人を、彼を周朝の行列に置く」と。斜口筐は滿ち易く、卷耳は得易し。然りて以て周朝の行列に貳心すべからず。だから言う、心は分枝すれば則ち無知にして、傾斜すれば則ち精ならず、貳すれば則ち疑惑す、と。輔助を以て考核すれば、万物は以て兼知すべし。自身はあの故を窮尽すれば美なり。類は以て両屬すべからず。だから智者は一個を選擇してそれに専一す。

農精於田,而不可以為田師;賈精於市,而不可以為市師;工精於器,而不可以為器師。有人也,不能此三技,而可使治三官。曰:精於道者也。精於物者也。精於物者以物物,精於道者兼物物。故君子壹於道,而以贊稽物。壹於道則正,以贊稽物則察;以正志行察論,則萬物官矣。昔者舜之治天下也,不以事詔而萬物成。處一危之,其榮滿側;養一之微,榮矣而未知。故道經曰:"人心之危,道心之微。"危微之幾,惟明君子而後能知之。故人心譬如盤水,正錯而勿動,則湛濁在下,而清明在上,則足以見鬒眉而察理矣。微風過之,湛濁動乎下,清明亂於上,則不可以得大形之正也。心亦如是矣。故導之以理,養之以清,物莫之傾,則足以定是非決嫌疑矣。小物引之,則其正外易,其心內傾,則不足以決麤理矣。故好書者眾矣,而倉頡獨傳者,壹也;好稼者眾矣,而後稷獨傳者,壹也。好樂者眾矣,而夔獨傳者,壹也;好義者眾矣,而舜獨傳者,壹也。倕作弓,浮游作矢,而羿精於射;奚仲作車,乘杜作乘馬,而造父精於御:自古及今,未嘗有兩而能精者也。曾子曰:"是其庭可以搏鼠,惡能與我歌矣!"

農人は田に精するも、而して以て田師と為すべからず。商人は市に精するも、而して以て市師と為すべからず。工人は器に精するも、而して以て器師と為すべからず。一種の人有りて、この三種の技能を能くせずして、而して彼をしてこの三種の官職を治理せしむべし。曰く、これは道に精する者なり。これは物に精する者なり。物に精する者は物を以て物を物使して、道に精する者は兼ねて能く物を物使す。だから君子は道に専一して、而して以て物を輔助考核す。道に専一すれば則ち正しく、以て物を輔助考核すれば則ち察す。正の志を以て察の論を實行すれば、則ち万物は皆官任を得たり。從前舜は天下を治理して、事事に詔吿を用いずして万物は成就せり。専一に處りてそれを戒懼せば、あの栄は身旁に充滿す。専一を養護して隱微なれば、栄えて而して己は猶知らず。だから『道經』に言う。「人心は危殆にして、道心は隱微なり」と。危と微の幾兆は、ただ明君子のみ然る後に能く知る。だから人心は盤中の水のごとく、端正に放置して動かざれば、則ち沉濁は下に在りて、而して清明は上に在りて、以て鬢眉を見て肌理を觀察するに足る。微風はそれを經過せば、沉濁は下に動き、清明は上に乱れば、則ち以て大形の正を得べからず。心もまたこのごとし。だから理を以てそれを引導し、清を以てそれを養護して、物はそれを傾斜せしむる能くするなければ、則ち以て是非を判定し嫌疑を決斷するに足る。小物はそれを牽引すれば、則ちその正外表は改變し、その心は内部に傾斜して、則ち以て粗淺の理を決斷するに足らず。だから書を喜好する者は多しとも、而して倉頡は独り流傳す。これは専一なり。稼穡を喜好する者は多しとも、而して后稷は独り流傳す。これは専一なり。楽を喜好する者は多しとも、而して夔は独り流傳す。これは専一なり。義を喜好する者は多しとも、而して舜は独り流傳す。これは専一なり。倕は弓を為し、浮游は箭を為して、而して羿は射に精す。奚仲は車を為し、乘杜は乘馬を發明して、而して造父は駕馭に精す。古より今に至りて、未だ嘗て両樣皆精なる有らず。曾子曰く。「あの庭院を看れば鼠を打つべし。どうして能く我とともに歌唱せんや」と。

空石之中有人焉,其名曰觙。其為人也,善射以好思。耳目之欲接,則敗其思;蚊虻之聲聞,則挫其精。是以闢耳目之欲,而遠蚊虻之聲,閒居靜思則通。思仁若是,可謂微乎?孟子惡敗而出妻,可謂能自強矣,未及思也;有子惡臥而焠掌,可謂能自忍矣;未及好也。闢耳目之欲,遠蚊虻之聲,可謂危矣;未可謂微也。夫微者,至人也。至人也,何忍!何強!何危!故濁明外景,清明內景,聖人縱其欲,兼其情,而制焉者理矣;夫何強!何忍!何危!故仁者之行道也,無為也;聖人之行道也,無強也。仁者之思也恭,聖者之思也樂。此治心之道也。

空石の中に人有り。その名は觙という。彼の人と為りは、射に善くして思索を喜好す。耳目の欲望は一たび接觸すれば、則ち彼の思を敗壞し、蚊虻の聲音は一たび聽聞すれば、則ち彼の精を挫折す。これに因って耳目の欲望を避開して、而して蚊虻の聲音を遠離して、閑居静思すれば則ち通達す。仁を思索するはこのごとく、以て微と称すべけんや。孟子は敗壞を厭惡して妻を休したり。以て能く自ら強と言うべくも、いまだ思の地步に至らず。有子は睡るを厭惡して手掌を燙したり。以て能く自ら忍と言うべくも、いまだ喜好の地步に至らず。耳目の欲望を避開して、蚊虻の聲音を遠離するは、以て危と言うべくも、いまだ以て微と言うべからず。あの微は、至人なり。至人は、また何を忍ばん。また何を強せん。また何を危せん。だから濁の明は外光にして、清の明は内光なり。聖人はその欲望を放縱し、その情を兼用して、而してそれを制約するは理なり。また何を強せん。また何を忍ばん。また何を危せん。だから仁者は道を實行するは、無為なり。聖人は道を實行するは、勉强なし。仁者の思索は恭敬にして、聖者の思索は快楽なり。これは心を治理するの道なり。

凡觀物有疑,中心不定,則外物不清。吾慮不清,未可定然否也。冥冥而行者,見寢石以為伏虎也,見植林以為後人也:冥冥蔽其明也。醉者越百步之溝,以為蹞步之澮也;俯而出城門,以為小之閨也:酒亂其神也。厭目而視者,視一為兩;掩耳而聽者,聽漠漠而以為哅哅:埶亂其官也。故從山上望牛者若羊,而求羊者不下牽也:遠蔽其大也。從山下望木者,十仞之木若箸,而求箸者不上折也:高蔽其長也。水動而景搖,人不以定美惡:水埶玄也。瞽者仰視而不見星,人不以定有無:用精惑也。有人焉以此時定物,則世之愚者也。彼愚者之定物,以疑決疑,決必不當。夫苟不當,安能無過乎?

およそ物を觀察するに疑惑有りて、心中定まらざれば、則ち外物は清楚ならず。我が思慮は清楚ならざれば、以て然否を判定すべからず。昏暗中に行走する者は、躺臥の石を見て以て趴著の虎と為し、直立の樹林を見て以て後面の人と為す。昏暗は彼の明を蒙蔽せり。酔に醉たる者は百歩の溝を跨越して、以て半歩の小溝と為し、頭を俯して城門を走出して、以て小の閨門と為す。酒は彼の神を擾乱せり。目を按じて看る者は、一個を看成して二個と為し、耳を捂じて聴く者は、寂静を聴きて以て喧譁と為す。勢は彼の感官を擾乱せり。だから山上より牛を望むは羊に象りて、而して羊を求むる者は下山して牽引せず。遠はその大を蒙蔽せり。山下より樹を望む者は、十仞の樹は筷子に象りて、而して筷子を求むる者は上山して折らず。高はその長を蒙蔽せり。水動きて影子搖れど、人はこれを以て美惡を判定せず。水勢は眩乱なり。盲人は頭を擡げて星を見ずとも、人はこれを以て有無を判定せず。用は精明を迷惑せり。人あるいはこの種の時に物を判定すれば、則ち是れ世の愚者なり。あの愚者は物を判定するに、疑惑を以て疑惑を決斷して、決斷は必ず當ならず。もし當ならざれば、どうして能く過錯なからん。

夏首之南有人焉;曰涓蜀梁。其為人也,愚而善畏。明月而宵行,俯見其影,以為伏鬼也;仰視其發,以為立魅也。背而走,比至其家,失氣而死。豈不哀哉!凡人之有鬼也,必以其感忽之間,疑玄之時定之。此人之所以無有而有無之時也,而己以定事。故傷於溼而痺,痺而擊鼓烹豚,則必有敝鼓喪豚之費矣,而未有俞疾之福也。故雖不在夏首之南,則無以異矣。

夏首の南辺に人有り。涓蜀梁と名づく。彼の人と為りは、愚にして怕れ易し。明月下に夜行走して、頭を俯してその影子を見れば、以て趴著の鬼と為し、頭を擡げてその頭髮を見れば、以て站著の魅と為す。身を背轉して跑りて、家に回到るを待てば、氣を斷たれて死せり。豈に悲哀ならざらんや。およそ人は以て鬼有りと為すは、必ず彼の恍惚の間、疑惑眩乱の時に判定するなり。これは人の以て無を以て有と為し、有を以て無と為する時に���て、而して自ら以て事情を判定するなり。だから濕に傷られて麻痺せば、麻痺すれば則ち鼓を擊ち豬を煮る。則ち必ず鼓を打破し豬を喪失するの花費有りて、而して病愈の福なし。だからたとえ夏首の南辺に在らずとも、不同なからず。

凡以知,人之性也;可以知,物之理也。以可以知人之性,求可以知物之理,而無所疑止之,則沒世窮年不能無也。其所以貫理焉雖億萬,已不足浹萬物之變,與愚者若一。學、老身長子,而與愚者若一,猶不知錯,夫是之謂妄人。故學也者,固學止之也。惡乎止之?曰:止諸至足。曷謂至足?曰:聖王。聖也者,盡倫者也;王也者,盡制者也;兩盡者,足以為天下極矣。故學者以聖王為師,案以聖王之製為法,法其法以求其統類,以務象效其人。向是而務,士也;類是而幾,君子也;知之,聖人也。故有知非以慮是,則謂之懼;有勇非以持是,則謂之賊;察孰非以分是,則謂之篡;多能非以修蕩是,則謂之知;辯利非以言是,則謂之詍。傳曰:"天下有二:非察是,是察非。"謂合王制不合王制也。天下不以是為隆正也,然而猶有能分是非、治曲直者邪?

およそ以て知る所は、人の性なり。以て知られべきは、物の理なり。以て知る人の性を以て、以て知る物の理を求めて、而して疑止するの地方なければ、則ち終身窮年して窮尽する能わず。彼の以て理を貫通する所はたとえ億万なりとも、已に以て万物の變化を周遍するに足らずして、愚者と一樣のごとし。学習して己老い子長く成るに至りて、而して愚者と一樣のごとく、猶放下を知らざれば、これを妄人という。だから学は、本來はあの止る所を学ぶなり。止るは何處に在る。曰く、至足に止まる。何を至足という。曰く、聖王なり。聖は、倫を窮尽するなり。王は、制を窮尽するなり。両樣皆窮尽すれば、以て天下の極致と為すに足る。だから学者は聖王を以て師と為し、ここに聖王の制を以て法と為し、あの法を取法してあの統類を求めて、あの人を努力仿效す。これに向かいて努力するは、士なり。これに類似して接近するは、君子なり。これを知るは、聖人なり。だから知有りて以てこれを思慮せざるは、これを懼という。勇有りて以てこれを持守せざるは、これを賊という。察辨精熟有りて以てこれを分別せざるは、これを篡という。多能有りて以てこれを修治發揚せざるは、これを巧智という。辯説流利好りて以てこれを言説せざるは、これを多嘴という。傳記に言う。「天下に両面あり――非を以て是を察し、是を以て非を察す」と。言う所は王制に合するか王制に合せざるかなり。天下はこれを以て隆盛の準則と為さざれば、然りて猶能く是非を分別し曲直を治理せんや。

若夫非分是非,非治曲直,非辨治亂,非治人道,雖能之無益於人,不能無損於人;案直將治怪說,玩奇辭,以相撓滑也;案強鉗而利口,厚顏而忍詬,無正而恣孳,妄辨而幾利;不好辭讓,不敬禮節,而好相推擠:此亂世奸人之說也,則天下之治說者,方多然矣。傳曰:"析辭而為察,言物而為辨,君子賤之。博聞強志,不合王制,君子賤之。"此之謂也。

是非を分別せず、曲直を治理せず、治乱を辨別せず、人道を治理せずに至れば、たとえ能くするも人に益なく、能くせざるも人に損なし。ただ將に怪説を治理して、奇辭を玩弄して、以て互相いに擾乱せんとす。強橫鉗制して口齒鋒利にして、厚顔面皮して詬罵を忍受し、正なくして放縱孳生し、妄りに辯説を加えて而して利を求むるに近し。辭讓を喜好せず、礼節を敬せずして、而して互相いに排擠するを喜好す。これは乱世奸人の説法にして、而して天下の学説を治理する人は、正に多くはこのごとし。傳記に言う。「辭句を分析して以て察と為し、名物を言説して以て辨と為すは、君子はこれを賤視す。見聞は廣博して記憶は強くとも、王制に合せざれば、君子はこれを賤視す」と。これを言うのである。

為之無益於成也,求之無益於得也,憂戚之無益於幾也,則廣焉能棄之矣,不以自妨也,不少頃幹之胸中。不慕往,不閔來,無邑憐之心,當時則動,物至而應,事起而辨,治亂可否,昭然明矣。

それを為しても成就に益なく、それを求めても得到に益なく、それを憂戚しても危殆の幾兆に益なければ、則ち遠くして能くこれを拋棄せり。以て己を妨害せず、片刻胸中に干預せず。以往を羨慕せず、未來を憫惜せず、悒郁憐惜の心なくして、時機に當れば則ち動き、物到来すれば則ち應じ、事興起すれば則ち辨別す。治乱可否は、昭然として明白せり。

周而成,洩而敗,明君無之有也。宣而成,隱而敗,闇君無之有也。故人君者,周則讒言至矣,直言反矣;小人邇而君子遠矣!詩云:"墨以為明,狐狸而蒼。"此言上幽而下險也。君人者,宣則直言至矣,而讒言反矣;君子邇而小人遠矣!詩云:"明明在下,赫赫在上。"此言上明而下化也。

隱密して成功し、泄漏して失敗するは、明君はこの事なし。公開して成功し、隱藏して失敗するは、昏君はこの事なし。だから人君と為るは、隱密すれば則ち讒言は到來して、直言は返回去し、小人近くして君子遠し。『詩経』に言う。「黑暗を以て光明と為せば、狐狸もまた蒼色と成る」と。これは言う、上幽暗にして下險詐なり、と。人君と為るは、公開すれば則ち直言は到來して、而して讒言は返回去し、君子近くして小人遠し。『詩経・大雅・大明』に言う。「下に在りて明明として、上に在りて赫赫たり」と。これは言う、上光明にして下感化す、と。

正名篇第二十二

后王之成名:刑名從商,爵名從周,文名從禮,散名之加於萬物者,則從諸夏之成俗曲期,遠方異俗之鄉,則因之而為通。

後王の既定の名称は、刑罰の名称は商に依從し、爵位の名称は周に依從し、礼儀文飾の名称は礼に依從し、万物の上に加うるの散名称は、則ち諸夏の既成の習俗と共同約定に依從して、遠方の習俗同じからざる鄕は、則ちこれを憑借して以て溝通す。

散名之在人者:生之所以然者謂之性;性之和所生,精合感應,不事而自然謂之性。性之好、惡、喜、怒、哀、樂謂之情。情然而心為之擇謂之慮。心慮而能為之動謂之偽;慮積焉,能習焉,而後成謂之偽。正利而為謂之事。正義而為謂之行。所以知之在人者謂之知;知有所合謂之智。所以能之在人者謂之能;能有所合謂之能。性傷謂之病。節遇謂之命:是散名之在人者也,是后王之成名也。

人の身の上に在るの散名称は、生まれ來りてこのごとくなる所以をこれを性という。性の和氣の生ずる所、精神の相合感應して、作為を經ずして自然なるをこれを性という。性の好・惡・喜・怒・哀・楽をこれを情という。情はこのごとくして心はそれのために選擇するをこれを慮という。心慮して能くそれのために動作するをこれを僞という。慮は積累して、能は練習して、然る後に成就するをこれを僞という。正当の利のために為すをこれを事という。正当の義のために為すをこれを行という。以て知る人の身の上に在るをこれを知という。知は符合する所有るをこれを智という。以て能くする人の身の上に在るをこれを能という。能は符合する所有るもまた���れを能という。性は傷害を受くるをこれを病という。時運は遭遇するをこれを命という。これは人の身の上に在るの散名称にして、これは後王の既定の名称なり。

故王者之制名,名定而實辨,道行而志通,則慎率民而一焉。故析辭擅作名,以亂正名,使民疑惑,人多辨訟,則謂之大奸。其罪猶為符節度量之罪也。故其民莫敢托為奇辭以亂正名,故其民愨;愨則易使,易使則公。其民莫敢托為奇辭以亂正名,故壹於道法,而謹於循令矣。如是則其跡長矣。跡長功成,治之極也。是謹於守名約之功也。今聖王沒,名守慢,奇辭起,名實亂,是非之形不明,則雖守法之吏,誦數之儒,亦皆亂也。若有王者起,必將有循於舊名,有作於新名。然則所為有名,與所緣以同異,與制名之樞要,不可不察也。

だから王者は名称を制定して、名称は確定して實物は辨別し、道は實行して意志は通達して、則ち謹慎に民を率領して斉一す。だから辭句を分析して擅自に名称を制作して、以て正名を擾乱して、民をして疑惑せしめ、人は多く辯訟するを、これを大奸という。その罪は僞造符節度量の罪のごとし。だからその民は敢えて奇僻の辭を假託して以て正名を擾乱するなし。だからその民は樸實にして、樸實なれば則ち役使し易く、役使し易ければ則ち公正なり。その民は敢えて奇僻の辭を假託して以て正名を擾乱するなし。だから道法に専一して、而して謹慎に命令を遵循せり。これのごとくなれば則ち功業は長久なり。功業長久して功績成就するは、治の極致なり。これは謹慎に名称の約定を守住するの功效なり。如今聖王沒して、名を守るは怠慢にして、奇僻の辭は興起し、名と實は混乱して、是非の形は顯明ならざれば、則ちたとえ法を守るの吏、度数を誦習するの儒なりとも、皆乱れたり。もし王者の興起有らば、必ず將に旧名に於いて遵循する所有り、新名に於いて制作する所有らん。然れば則ち以て名称有る所以と、以て同異と為るの憑借と、名称を制定するの樞要は、審察せざるべからず。

異形離心交喻,異物名實玄紐,貴賤不明,同異不別;如是,則志必有不喻之患,而事必有困廢之禍。故知者為之分別制名以指實,上以明貴賤,下以辨同異。貴賤明,同異別,如是則志無不喻之患,事無困廢之禍,此所為有名也。

不同の形狀は心を離れて互相いに説明し、不同の物名と實は昏乱紐結して、貴賤は顯明せず、同異は分別せず。これのごとくなれば、則ち意志は必ず曉喻する能わざるの禍患有りて、而して事情は必ず困頓廢棄の禍有り。だから智者は彼らのために分別して名称を制定して以て實を指称して、上は以て貴賤を顯明にし、下は以て同異を辨別す。貴賤顯明にして、同異分別して、これのごとくなれば則ち意志は曉喻する能わざるの禍患なく、事情は困頓廢棄の禍なし。これは以て名称有る所以なり。

然則何緣而以同異?曰:緣天官。凡同類同情者,其天官之意物也同。故比方之疑似而通,是所以共其約名以相期也。形體、色理以目異;聲音清濁、調竽、奇聲以耳異;甘、苦、鹹、淡、辛、酸、奇味以口異;香、臭、芬、鬱、腥、臊、漏庮、奇臭以鼻異;疾、癢、凔、熱、滑、鈹、輕、重以形體異;說、故、喜、怒、哀、樂、愛、惡、欲以心異。心有徵知。徵知,則緣耳而知聲可也,緣目而知形可也。然而徵知必將待天官之當簿其類,然後可也。五官簿之而不知,心徵知而無說,則人莫不然謂之不知。此所緣而以同異也。

然れば則ち何を凭って而して同異有らん。曰く、天生の感官に憑借す。およそ同類同情のは、彼らの天生感官は物を意會するは相同じし。だからあの疑似を比方すれば則ち以て相通ず。これは以て共同にあの約定の名称をして以て互相いに期會する所以なり。形體・色澤文理は目を以て差異し、聲音清濁・和諧の楽音・奇異の聲音は耳を以て差異し、甘・苦・鹹・淡・辛・酸・奇異の味は口を以て差異し、香・臭・芬・郁・腥・臊・漏臭・奇異の氣味は鼻を以て差異し、痛・痒・冷・熱・滑・澁・輕・重は形體を以て差異し、悅・故・喜・怒・哀・楽・愛・惡・欲は心を以て差異す。心は驗證して而して知る。驗證して而して知れば、則ち耳を憑借して而して聲音を知れば即ち可なり、目を憑借して而して形狀を知れば即ち可なり。然りて驗證して而して知るは必ず天生感官の恰当にあの一類を記錄するを待ちて、然る後に可ならん。五官は記錄して而して知らざれば、心は驗證して而して知るも而して説辭なければ、則ち人は彼を不知と言わざるなし。これは以て憑借して而して同異有る所以なり。

然後隨而命之,同則同之,異則異之。單足以喻則單,單不足以喻則兼;單與兼無所相避則共;雖共不為害矣。知異實者之異名也,故使異實者莫不異名也,不可亂也,猶使同實者莫不同名也。

然る後に随いてそれに命名して、相同なれば則ち相同の名を給し、相異なれば則ち相異の名を給す。單名は以て曉喻するに足れば則ち單名を用い、單名は以て曉喻するに足らざれば則ち複名を用い、單名と複名は互相いに回避するなければ則ち共用す。たとえ共用するも為害と為さず。不同の實は不同の名有るべきを知りて、だから不同の實をして不同の名なからしむるは、以て乱るべからず、相同の實をして不同の名なからしむるがごとし。

故萬物雖眾,有時而欲無舉之,故謂之物;物也者,大共名也。推而共之,共則有共,至於無共然後止。有時而欲偏舉之,故謂之鳥獸。鳥獸也者,大別名也。推而別之,別則有別,至於無別然後至。

だから万物はたとえ衆多なりとも、時にそれらを遺漏なく擧出せんと欲するは、だからこれを物という。物は、大共名なり。推開して共用して、共して而して猶共有りて、共なきに至りて然る後に止まる。時にそれらを偏擧せんと欲するは、だからこれを鳥獣という。鳥獣は、大別名なり。推開して分別して、分別して而して猶分別有りて、分別なきに至りて然る後に止まる。

名無固宜,約之以命,約定俗成謂之宜,異於約則謂之不宜。名無固實,約之以命實,約定俗成,謂之實名。名有固善,徑易而不拂,謂之善名。

名称は本來適宜なるなく、約定して以て命名して、約定俗成してこれを適宜といい、約定と同じからざれば則ちこれを不適宜という。名称は本來對應する實なく、約定して以てあの實を命名して、約定俗成して、これを實名という。名称は本來善き有りて、直接平易して違背せざるを、これを善名という。

物有同狀而異所者,有異狀而同所者,可別也。狀同而為異所者,雖可合,謂之二實。狀變而實無別而為異者,謂之化。有化而無別,謂之一實。此事之所以稽實定數也。此制名之樞要也。后王之成名,不可不察也。

物は形狀同じくして處所同じからざる有り、形狀同じからずして處所同じき有りて、以て分別すべし。形狀同じくして處所同じからざるは、たとえ以て合称すべくとも、これを兩個の實という。形狀は變じて實は分別せずして而して不同と成るを、これを化という。化有りて而して分別なきは、これを一個の實という。これは事の以て實を考核し数を確定する所以なり。これは名称を制定するの樞要なり。後王の既定の名称は、審察せざるべからず。

"見侮不辱","聖人不愛己","殺盜非殺人也",此惑於用名以亂名者也。驗之所為有名,而觀其孰行,則能禁之矣。"山淵平","情慾寡","芻豢不加甘,大鐘不加樂",此惑於用實,以亂名者也。驗之所緣以同異,而觀其孰調,則能禁之矣。"非而謁楹","有牛馬非馬也,"此惑於用名以亂實者也。驗之名約,以其所受,悖其所辭,則能禁之矣。

「欺侮せられて而して辱と以為せず」、「聖人は己を愛せず」、「盗を殺すは人を殺すにあらず」。これらは用を以て名を擾乱するに迷惑するなり。これを以て名称有る所以に驗して、而してどの一種か行い通ずるを看れば、則ち能くこれを禁止せり。「山と淵は一樣に平なり」、「情欲は少なり」、「肉食は加えて更に甘ならず、大鐘は加えて更に楽ならず」。これらは實を以て名を擾乱するに迷惑するなり。これを以て同異の憑借に驗して、而してどの一種か調適するを看れば、則ち能くこれを禁止せり。「非して楹を謁し」、「牛馬有りて馬にあらず」。これらは名を以て實を擾乱するに迷惑するなり。これを名称の約定に驗して、彼の接受する所を以て、以て彼の推辭する所に悖反せば、則ち能くこれを禁止せり。

凡邪說辟言之離正道而擅作者,無不類於三惑者矣。故明君知其分而不與辨也。夫民易一以道,而不可與共故。故明君臨之以埶,道之以道,申之以命,章之以論,禁之以刑。故民之化道也如神,辨說惡用矣哉!今聖王沒,天下亂,奸言起,君子無埶以臨之,無刑以禁之,故辨說也。實不喻,然後命,命不喻,然後期,期不喻,然後說,說不喻,然後辨。故期命辨說也者,用之大文也,而王業之始也。名聞而實喻,名之用也。累而成文,名之麗也。用麗俱得,謂之知名。名也者,所以期累實也。辭也者,兼異實之名以論一意也。辨說也者,不異實名以喻動靜之道也。期命也者,辨說之用也。辨說也者,心之象道也。心也者,道之工宰也。道也者,治之經理也。心合於道,說合於心,辭合於說。正名而期,質請而喻,辨異而不過,推類而不悖。聽則合文,辨則盡故。以正道而辨奸,猶引繩以持曲直。是故邪說不能亂,百家無所竄。有兼聽之明,而無矜奮之容;有兼覆之厚,而無伐德之色。說行則天下正,說不行則白道而冥窮。是聖人之辨說也。詩曰:"顒顒卬卬,如圭如璋,令聞令望,豈弟君子,四方為綱。"此之謂也。

およそ邪説僻言は正道を離れて擅自に制作するは、こ三种の迷惑に類似せざるなし。だから明君はあの分際を知りて彼らと辯せず。民は以て道に斉一し易くして、而して彼らと故を共論すべからず。だから明君は勢を以て彼らに臨照し、道を以て彼らを引導し、命令を以て申明し、議論を以て彰明し、刑罰を以て禁止す。だから民は道に感化するは神のごとし。辯説はどうしてまた用いられんや。如今聖王沒して、天下乱り、奸言興起して、君子は勢なくて以て臨照し、刑なくて以て禁止せず。だから乃ち辯説す。實は能く曉喻せざれば、然る後に命名し、名は能く曉喻せざれば、然る後に期會し、期會は能く曉喻せざれば、然る後に解説し、解説は能く曉喻せざれば、然る後に辯す。だから期會・命名・辯説は、用の大文にして、而して王業の開始なり。名称は聞かれて而して實は曉喻せらるるは、名の用なり。積累して文辭と成るは、名の配合なり。用と配合は皆恰当なるを、これを名を知るという。名は、以て實を期會積累するなり。辭は、兼ねて不同實の名を用いて以て一個の意思を論説するなり。辯説は、實名を差異せしめずして以て動静の道を曉喻するなり。期會と命名は、辯説の用なり。辯説は、心の道に對する效法なり。心は、道の主宰なり。道は、治の經常條理なり。心は道に合し、説は心に合し、辭は説に合す。名称を端正して期會して、實情に質して曉喻して、差異を辨別して而して過分せず、類推して而して悖乱せず。聴けば則ち文に合し、辯すれば則ち故を窮尽す。正道を以て奸を辨別するは、繩墨を拉して以て曲直を持守するがごとし。これに因って邪説は能く擾乱せず、百家は逃竄する處なし。兼聴の明有りて、而して驕矜奮發の容なく、兼覆の厚有りて、而して徳を誇耀するの神色なし。説實行せば則ち天下正しく、説説實行せざれば則ち道を彰明して自ら隱居窮處す。これは聖人の辯説なり。『詩経・大雅・卷阿』に言う。「温恭昂揚として、圭のごとく璋のごとく、美好の名声と威望、愷悌君子は、四方の準則」と。これを言うのである。

辭讓之節得矣,長少之理順矣;忌諱不稱,祅辭不出。以仁心說,以學心聽,以公心辨。不動乎眾人之非譽,不治觀者之耳目,不賂貴者之權埶,不利傳闢者之辭。故能處道而不貳,咄而不奪,利而不流,貴公正而賤鄙爭,是士君子之辨說也。詩曰:"長夜漫兮,永思騫兮,大古之不慢兮,禮義之不愆兮,何恤人之言兮!"此之謂也。

辭讓の節は得当せば、長少の理は順從す。忌諱は称説せず、妖邪の辭は口に出でず。仁心を以て説し、学心を以て聴き、公心を以て辯す。衆人の非議称誉に動搖せられず、傍觀者の耳目に修飾して看せず、貴者の権勢に賄賂せず、僻言者の辭を傳布せんと貪図せず。だから能く道に處りて貳せず、困頓して奪せられず、順利して放蕩せず、公正を看重して鄙陋の争を賤視す。これは士君子の辯説なり。『詩経』に言う。「長夜漫漫として、長久にあの虧損を思索し、遠古の怠慢ならざる、礼義の愆過なからざる、何ぞ必ず别人の話を憂慮せん」と。これを言うのである。

君子之言,涉然而精,俛然而類,差差然而齊。彼正其名,當其辭,以務白其志義者也。彼名辭也者,志義之使也,足以相通,則舍之矣。苟之,奸也。故名足以指實,辭足以見極,則舍之矣。外是者,謂之訒,是君子之所棄,而愚者拾以為己寶。故愚者之言,芴然而粗,嘖然而不類,誻誻然而沸,彼誘其名,眩其辭,而無深於其志義者也。故窮借而無極,甚勞而無功,貪而無名。故知者之言也,慮之易知也,行之易安也,持之易立也,成則必得其所好,而不遇其所惡焉。而愚者反是。詩曰:"為鬼為蜮,則不可得。有靦面目,視人罔極。作此好歌,以極反側。"此之謂也。

君子の言は、深入して精しく、俯就して倫類有り、參差して而して斉整なり。彼はあの名称を端正して、あの辭を得当にして、以てその志義を顯白することを努力す。あの名称と辭は、志義の使者にして、以て相通ずるに足れば、則ち止まる。苟且に多を求むるは、奸なり。だから名称は以て實を指称するに足りて、辭は以て極致を見るに足れば、則ち止まる。これの外のは、これを言出し遅難という。これは君子の拋棄する所にして、而して愚者はこれを拾集して以て己の宝貝と為す。だから愚者の言は、恍惚して粗く、喧鬧して倫類なく、嘈雑して沸騰して、彼はあの名称を誘乱し、あの辭を眩惑して、而してその志義に深きなし。だから假借を窮尽して極致なく、非常に労苦して功なく、貪求して名なし。だから智者の言は、それを思慮すれば知り易く、それを實行すれば安んじ易く、それを持守すれば立ち易く、成就すれば則ち必ずその喜好する所を得て、而してその厭惡する所に遇上せず。而して愚者はこれと相反る。『詩経・小雅・何人斯』に言う。「是れ鬼か蜮か、則ち得べからず。あの靦靦の面目有りて、人を看れば準則なし。この好歌を作して、以てあの反側を窮尽せん」と。これを言うのである。

凡語治而待去欲者,無以道欲而困於有欲者也。凡語治而待寡慾者,無以節慾而困於多欲者也。有欲無慾,異類也,生死也,非治亂也。欲之多寡,異類也,情之數也,非治亂也。欲不待可得,而求者從所可。欲不待可得,所受乎天也;求者從所可,所受乎心也。所受乎天之一欲,制於所受乎心之多,固難類所受乎天也。人之所欲生甚矣,人之惡死甚矣;然而人有從生成死者,非不欲生而欲死也,不可以生而可以死也。故欲過之而動不及,心止之也。心之所可中理,則欲雖多,奚傷於治?欲不及而動過之,心使之也。心之所可失理,則欲雖寡,奚止於亂?故治亂在於心之所可,亡於情之所欲。不求之其所在,而求之其所亡,雖曰我得之,失之矣。

およそ治を談論して欲望を去掉せんを待つは、以て欲望を引導するなきにして、而して欲望有るに困るなり。およそ治を談論して欲望を減少せんを待つは、以て欲望を節制するなきにして、而して多欲望に困るなり。欲望有ると欲望なきとは、不同類にして、生と死なり。治と乱にあらず。欲望の多少は、不同類にして、情の数なり。治と乱にあらず。欲望は以て得べくを待たずして、而して求取する者は認可する所に隨從す。欲望は以て得べくを待たざるは、天より接受するなり。求取する者は認可する所に隨從するは、心より接受するなり。天より接受するあの一種の欲望は、心より接受するの許多に制約せられて、本來天より接受するに類似し難し。人の欲望する生は甚だ厲しく、人の厭惡する死は甚だ厲し。然りて人は生に從いて而して死に走向する有りて、生を欲望せざる而して死を欲望するにあらずして、以て生くべからずして以て死すべきなり。だから欲望は超過して而して動作は趕不上するは、心はそれを制止せり。心の認可する所は理に合せば、則ち欲望はたとえ多しとも、どうして治を妨害せん。欲望は趕不上して而して動作は超過するは、心はそれを役使せり。心の認可する所は理を失えば、則ち欲望はたとえ少しとも、どうして能く乱を制止せん。だから治乱は心の認可する所に在りて、情の欲望する所に在らず。それの在る所に求めずして、而してそれの在らざる所に求むれば、たとえ我は得之と言うとも、亦失えり。

性者、天之就也;情者、性之質也;欲者、情之應也。以所欲為可得而求之,情之所必不免也。以為可而道之,知所必出也。故雖為守門,欲不可去,性之具也。雖為天子,欲不可盡。欲雖不可盡,可以近盡也。欲雖不可去,求可節也。所欲雖不可盡,求者猶近盡;欲雖不可去,所求不得,慮者欲節求也。道者、進則近盡,退則節求,天下莫之若也。

性は、天の成就する所。情は、性の質地。欲は、情の應和なり。欲望する所を以て以て得べきと為してそれを求取するは、情の一定に免れざる所なり。以て可と為してそれを引導するは、知の一定に發する所なり。だからたとえ門人を為るとも、欲望は以て去掉すべからず。これは性の具備する所なり。たとえ天子を為るとも、欲望は以て窮尽すべからず。欲望はたとえ以て窮尽すべからずとも、以て窮尽に接近すべし。欲望はたとえ以て去掉すべからずとも、求取は以て節制すべし。欲望する所はたとえ以て窮尽すべからずとも、求取する者は猶窮尽に接近す。欲望はたとえ以て去掉すべからずとも、求取する所は得られざれば、思慮する者は求取を節制せんと欲す。道は、進めば則ち窮尽に接近し、退けば則ち求取を節制す。天下は以てそれに比敵するなし。

凡人莫不從其所可,而去其所不可。知道之莫之若也,而不從道者,無之有也。假之有人而欲南,無多;而惡北,無寡,豈為夫南之不可盡也,離南行而北走也哉!今人所欲,無多;所惡,無寡,豈為夫所欲之不可盡也,離得欲之道,而取所惡也哉!故可道而從之,奚以損之而亂?不可道而離之,奚以益之而治?故知者論道而已矣,小家珍說之所願者皆衰矣。凡人之取也,所欲未嘗粹而來也;其去也,所惡未嘗粹而往也。故人無動而不可以不與權俱。衡不正,則重縣於仰,而人以為輕;輕縣於俛,而人以為重;此人所以惑於輕重也。權不正,則禍托於欲,而人以為福;福托於惡,而人以為禍;此亦人所以惑於禍福也。道者,古今之正權也;離道而內自擇,則不知禍福之所託。易者,以一易一,人曰:無得亦無喪也,以一易兩,人曰:無喪而有得也。以兩易一,人曰:無得而有喪也。計者取所多,謀者從所可。以兩易一,人莫之為,明其數也。從道而出,猶以一易兩也,奚喪!離道而內自擇,是猶以兩易一也,奚得!其累百年之慾,易一時之嫌,然且為之,不明其數也。

およそ人はその認可する所に隨從せざるなく、而してその認可せざる所を離去す。道を知りて以て比敵するなく、而して道に隨從せざるは、これは有らざるなり。假如人あるいは南に向かわんと欲して、多を嫌まず。而して北に向かうを厭惡して、少を嫌まず。豈に南に向かうは以て窮尽すべからざるに因って、則ち南に向かいて走るを離れて北に奔向せんや。如今人の欲望する所は、多を嫌まず。厭惡する所は、少を嫌まず。豈に欲望する所は以て窮尽すべからざるに因って、則ち欲望を得るの道を離れて、而して厭惡する所を取らんや。だから以て道を認可してそれに隨從すれば、どうしてそれを減損して乱らん。以て道を認可すべからずしてそれを離去すれば、どうしてそれを増益して治まらん。だから智者はただ道を論ずるのみ。小家珍奇の説法の願望する所は皆衰微せり。およそ人の取は、欲望する所は未だ嘗て純粹して來らず。その去は、厭惡する所は未だ嘗て純粹して往かず。だから人は動作して而して権衡とともに在らざるべからず。衡は端正ならざれば、則ち重の懸挂は却って揚起して、而して人は以て輕と為し、輕の懸挂は却って低下して、而して人は以て重と為す。これは人の輕重に迷惑する所以なり。権は端正ならざれば、則ち禍は欲望の上に寄托して、而して人は以て福と為し、福は厭惡の上に寄托して、而して人は以て禍と為す。これもまた人の禍福に迷惑する所以なり。道は、古今の正権なり。道を離れて内心自ら選擇すれば、則ち禍福の寄托する所を知らず。交換は、一を以て一を換うれば、人は言う、得なく喪なしと。一を以て兩を換うれば、人は言う、喪なくして得有りと。兩を以て一を換うれば、人は言う、得なくして喪有りと。計算する者は多き所を取り、謀劃する者は認可する所に從う。兩を以て一を換うるは、人は為すなし。これはあの数を明白するなり。道より出發するは、一を以て兩を換うるがごとし。どうして喪かあらん。道を離れて内心自ら選擇するは、兩を以て一を換うるがごとし。どうして得かあらん。百年の欲望を積累して、一時の嫌惡を換うるも、然りて猶それを為すは、あの数を明白せざるなり。

有嘗試深觀其隱而難者:志輕理而不重物者,無之有也;外重物而不內憂者,無之有也;行離理而不外危者,無之有也;外危而不內恐者,無之有也。心憂恐,則口銜芻豢而不知其味,耳聽鐘鼓而不知其聲,目視黼黻而不知其狀,輕暖平簟而體不知其安。故向萬物之美而不能嗛也。假而得間而嗛之,則不能離也。故向萬物之美而盛憂,兼萬物之美而盛害,如此者,其求物也,養生也?粥壽也?故欲養其欲而縱其情,欲養其性而危其形,欲養其樂而攻其心,欲養其名而亂其行,如此者,雖封侯稱君,其與夫盜無以異;乘軒戴絻,其與無足無以異。夫是之謂以己為物役矣。

我は嘗て試みにあの隱微にして難きを深入觀察せり。志向は理を輕視して物を看重せざるは、これは有らざるなり。外は物を看重して内心は憂えざるは、これは有らざるなり。行為は理を離れて外は危ならざるは、これは有らざるなり。外は危うくして内心は恐れざるは、これは有らざるなり。心は憂恐すれば、則ち口は肉食を含みて而してその味を知らず、耳は鐘鼓を聴きて而してその聲を知らず、目は���黻を看て而してその狀を知らず、輕暖平且の席にして身體はその安を知らず。だから万物の美を享有して而して能く滿足せず。たとえ間断して滿足を得るとも、能く離去せず。だから万物の美を享有して盛憂して、万物の害を兼有して盛害するは、このごときは、彼は物を求むるは、生を養うか。それとも壽を出賣するか。だからその欲望を養わんと欲してその情を放縱し、その性を養わんと欲してその形を危害し、その楽を養わんと欲してその心を攻撃し、その名を養わんと欲してその行為を擾乱す。このごときは、たとえ侯を封じ君と称するとも、彼はあの盗と不同なし。軒車に乘り冕を戴くも、彼は足を立足するの地なきと不同なし。これを己をして物に役使せしむるという。

心平愉,則色不及傭而可以養目,聲不及傭而可以養耳,蔬食菜羹而可以養口,麤布之衣,麤紃之履,而可以養體。局室、蘆簾、稿蓐、敝機筵,而可以養形。故雖無萬物之美而可以養樂,無埶列之位而可以養名。如是而加天下焉,其為天下多,其私樂少矣。夫是之謂重己役物。

心は平正愉悅なれば、則ち色彩は平常に及ばざるも以て目を養うべし。聲音は平常に及ばざるも以て耳を養うべし。蔬食菜羹は以て口を養うべし。粗布の衣・粗繩の鞋は、而して以て體を養うべし。狹小の室・蘆葦の簾・稻草の墊・破損の几筵は、而して以て形を養うべし。だからたとえ万物の美なくとも以て楽を養うべし。勢位の列なくとも以て名を養うべし。このごとくして而して天下を彼に加えば、彼は天下のために多く、彼は私人の楽を少くす。これを己を看重して物を役使するという。

無稽之言,不見之行,不聞之謀,君子慎之。

考核なきの言論、見れどなきの行為、聴説なきの謀劃は、君子は謹慎に對待す。

性惡篇第二十三

人之性惡,其善者偽也。--今人之性,生而有好利焉,順是,故爭奪生而辭讓亡焉;生而有疾惡焉,順是,故殘賊生而忠信亡焉;生而有耳目之欲,有好聲色焉,順是,故淫亂生而禮義文理亡焉。然則從人之性,順人之情,必出於HTTP/1.0502犯分亂理,而歸於暴。故必將有師法之化,禮義之道,然後出於辭讓,合於文理,而歸於治。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。

人の性は惡なり。あの善は僞なり。如今人の性は、生まれ來れば則ち利を好みて、これに順えば、だから争奪は產生して辭讓は亡失す。生まれ來れば則ち嫉惡有りて、これに順えば、だから殘賊は產生して忠信は亡失す。生まれ來れば則ち耳目の欲望有りて、聲色を喜好して、これに順えば、だから淫乱は產生して礼義文理は亡失す。既にこのごとく、人の性を放縱し、人の情に順えば、則ち必ず争奪より出でて、名分を冒犯して條理を擾乱して、而して暴乱に歸結す。(底本は「HTTP/1.0502」と作るも、抓取の殘渣なり。當に「争奪」に從うべし。)だから必ず將に師法の教化、礼義の引導有りて、然る後に辭讓より出でて、文理に合して、而して治に歸結す。これより觀れば、人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。

故枸木必將待檃栝、烝矯然後直;鈍金必將待礱厲然後利;今人之性惡,必將待師法然後正,得禮義然後治,今人無師法,則偏險而不正;無禮義,則悖亂而不治,古者聖王以人性惡,以為偏險而不正,悖亂而不治,是以為之起禮義,製法度,以矯飾人之情性而正之,以擾化人之情性而導之也,始皆出於治,合於道者也。今人之化師法,積文學,道禮義者為君子;縱性情,安恣孳,而違禮義者為小人。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。

だから彎曲の木は必ず矯正器・蒸烤矯揉を待ちて然る後に直なり。鈍の金屬は必ず磨礪を待ちて然る後に利なり。如今人の性惡は、必ず師法を待ちて然る後に正しく、礼義を得て然る後に治まる。如今人は師法なければ、則ち偏邪險して正ならず。礼義なければ、則ち悖乱して治まらず。古時聖王は人性惡に因って、以て偏邪險して正ならず、悖乱して治まらずと為して、これに因って彼らのために礼義を興起し、法度を制定して、以て人の情性を矯飾してそれを端正にし、以て人の情性を馴化してそれを引導して、乃ち皆治より出でて、道に合せしむ。如今人は師法に感化し、文学を積累して、礼義を實行するは君子なり。性情を放縱して、恣肆に安んじて、而して礼義に違背するは小人なり。これより觀れば、人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。

孟子曰:"今之學者,其性善。"

孟子曰く、「如今学を求むる人は、彼らの性は善なり」と。

曰:是不然。是不及知人之性,而不察乎人之性偽之分者也。凡性者,天之就也,不可學,不可事。禮義者,聖人之所生也,人之所學而能,所事而成者也。不可學,不可事,而在人者,謂之性;可學而能,可事而成之在人者,謂之偽。是性偽之分也。今人之性,目可以見,耳可以聽;夫可以見之明不離目,可以聽之聰不離耳,目明而耳聰,不可學明矣。

曰く、これはこれにあらず。これはいまだ人の性を知るに至らずして、而して人の性と僞の分別を審察せざるなり。およそ性は、天の成就する所にして、以て学ぶべからず、以て作為すべからず。礼義は、聖人の生ずる所にして、人の学びて能くして作為して成就する所なり。以て学ぶべからず、以て作為すべからずして、而して人の身の上に在るを、これを性という。以て学びて能くし、以て作為して成就して人の身の上に在るを、これを僞という。これは性と僞の分別なり。如今人の性は、目は以て見るべく、耳は以て聴くべし。あの以て見るべき明は目を離れず、以て聴くべき聰は耳を離れず、目明にして耳聰なるは、以て学ぶべからざるは明白なり。

孟子曰:"今人之性善,將皆失喪其性故也。"

孟子曰く、「如今人の性善は、將に皆その性を喪失するの故なり」と。

曰:若是則過矣。今人之性,生而離其樸,離其資,必失而喪之。用此觀之,然則人之性惡明矣。所謂性善者,不離其樸而美之,不離其資而利之也。使夫資樸之於美,心意之於善,若夫可以見之明不離目,可以聽之聰不離耳,故曰目明而耳聰也。今人之性,飢而欲飽,寒而欲暖,勞而欲休,此人之情性也。今人見長而不敢先食者,將有所讓也;勞而不敢求息者,將有所代也。夫子之讓乎父,弟之讓乎兄,子之代乎父,弟之代乎兄,此二行者,皆反於性而悖於情也;然而孝子之道,禮義之文理也。故順情性則不辭讓矣,辭讓則悖於情性矣。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。

曰く、このごとくなれば則ち錯えり。如今人の性は、生まれ來れば則ちその樸を離れ、その資質を離れて、必ずそれを喪失す。これより觀れば、然れば則ち人の性惡は明白なり。所謂性善は、その樸を離れずしてそれを美にし、その資質を離れずしてそれを利にするなり。あの資質樸をして美に於いて、心意をして善に於いて、以て見るべき明は目を離れず、以て聴くべき聰は耳を離れざるがごとくせしむれば、だから言う、目明にして耳聰なり、と。如今人の性は、餓えれば則ち飽を想い、冷えれば則ち暖を想い、労累すれば則ち休息を想う。これは人の情性なり。如今人は長���を見て而して先に吃を敢えてせざるは、將に謙讓する所有らんとす。労累して而して休息を求めを敢えてせざるは、將に代労する所有らんとす。兒子は父に對して謙讓し、弟弟は兄長に對して謙讓し、兒子は父に代りて労し、弟弟は兄長に代りて労す。こ兩樣の行為は、皆性に違反而情に悖る。然りて是れ孝子の道にして、礼義の文理なり。だから情性に順えば則ち辭讓せずして、辭讓すれば則ち情性に悖る。これより觀れば、人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。

問者曰:"人之性惡,則禮義惡生?"

問う者は曰く、「人の性は惡なり。然れば則ち礼義は何處より生ぜん」と。

應之曰:凡禮義者,是生於聖人之偽,非故生於人之性也。故陶人埏埴而為器,然則器生於陶人之偽,非故生於人之性也。故工人斲木而成器,然則器生於工人之偽,非故生於人之性也。聖人積思慮,習偽故,以生禮義而起法度,然則禮義法度者,是生於聖人之偽,非故生於人之性也。若夫目好色,耳好聽,口好味,心好利,骨體膚理好愉佚,是皆生於人之情性者也;感而自然,不待事而後生之者也。夫感而不能然,必且待事而後然者,謂之生於偽。是性偽之所生,其不同之徵也。

彼に回答して曰く、およそ礼義は、聖人の僞より生ずるにして、本來人の性より生ずるにあらず。だから陶人は粘土を揉ねて而して器を做成すれば、則ち器は陶人の僞より生じて、本來人の性より生ずるにあらず。だから工人は木頭を砍きて而して器を做成すれば、則ち器は工人の僞より生じて、本來人の性より生ずるにあらず。聖人は思慮を積累して、人為の故事を熟習して、以て礼義を生出して法度を興起せば、則ち礼義法度は、聖人の僞より生じて、本來人の性より生ずるにあらず。目は色を喜好し、耳は聴を喜好し、口は味を喜好し、心は利を喜好し、骨體膚理は安逸を喜好するに至れば、これら皆人の情性より生ずるなり。感應して自然にして、作為を待たずして然る後に生出するなり。あの感應して能くこのごとくせざるは、必ず作為を待ちて然る後にこのごとくなるを、これを僞より生ずるという。これは性と僞の生出する所にして、彼らの同じからざるの征驗なり。

故聖人化性而起偽,偽起而生禮義,禮義生而製法度;然則禮義法度者,是聖人之所生也。故聖人之所以同於眾,其不異於眾者,性也;所以異而過眾者,偽也。夫好利而欲得者,此人之情性也。假之有弟兄資財而分者,且順情性,好利而欲得,若是,則兄弟相拂奪矣;且化禮義之文理,若是,則讓乎國人矣。故順情性則弟兄爭矣,化禮義則讓乎國人矣。

だから聖人は性を變化して僞を興起して、僞興起して礼義を生出し、礼義生出して法度を制定す。然れば則ち礼義法度は、聖人の生ずる所なり。だから聖人の衆人に同じき所以、彼の衆人に異ならざるは、性なり。同じからずして衆人に超過するは、僞なり。あの利を好みて得んと欲するは、これは人の情性なり。假如兄弟は財產を分かたんとすれば、もし情性に順い、利を好みて得んと欲せば、このごとくなれば、則ち兄弟は互相いに争奪せり。もし礼義の文理に化せば、このごとくなれば、則ち国人に對しても皆謙讓せり。だから情性に順えば則ち兄弟は争えり。礼義に化せば則ち国人に對して謙讓せり。

凡人之慾為善者,為性惡也。夫薄願厚,惡願美,狹願廣,貧願富,賤願貴,苟無之中者,必求於外。故富而不願財,貴而不願埶,苟有之中者,必不及於外。用此觀之,人之慾為善者,為性惡也。今人之性,固無禮義,故強學而求有之也;性不知禮義,故思慮而求知之也。然則性而已,則人無禮義,不知禮義。人無禮義則亂,不知禮義則悖。然則性而已,則悖亂在己。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。

およそ人は善を為さんと欲するは、性惡に因るなり。あの薄のは厚を愿望し、惡のは美を愿望し、狹のは廣を愿望し、貧のは富を愿望し、賤のは貴を愿望するは、もし自身の中になければ、必ず外にこれを求む。だから富ければ則ち財を愿望せず、貴ければ則ち勢を愿望せず。もし自身の中に有れば、必ず外にこれを求めず。これより觀れば、人は善を為さんと欲するは、性惡に因るなり。如今人の性は、本來礼義なし。だから努力学習して而してそれを擁有せんと求む。性は礼義を知らず。だから思慮して而してそれを知らんと求む。然れば則ちただ性のみは、則ち人は礼義なく、礼義を知らず。人は礼義なければ乱り、礼義を知らざれば悖る。然れば則ちただ性のみは、則ち悖乱は己に在り。これより觀れば、人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。

孟子曰:"人之性善。"

孟子曰く、「人の性は善なり」と。

曰:是不然。凡古今天下之所謂善者,正理平治也;所謂惡者,偏險悖亂也:是善惡之分也矣。今誠以人之性固正理平治邪,則有惡用聖王,惡用禮義哉?雖有聖王禮義,將曷加於正理平治也哉?今不然,人之性惡。故古者聖人以人之性惡,以為偏險而不正,悖亂而不治,故為之立君上之埶以臨之,明禮義以化之,起法正以治之,重刑罰以禁之,使天下皆出於治,合於善也。是聖王之治而禮義之化也。今當試去君上之埶,無禮義之化,去法正之治,無刑罰之禁,倚而觀天下民人之相與也。若是,則夫強者害弱而奪之,眾者暴寡而譁之,天下悖亂而相亡,不待頃矣。用此觀之,然則人之性惡明矣,其善者偽也。

曰く、これはこれにあらず。およそ古今天下の所謂善は、正理平治なり。所謂惡は、偏邪險悖乱なり。これは善惡の分別なり。如今真に以て人の性は本來即ち正理平治ならんか。然れば則ち何ぞ必ずしも聖王を用いん、何ぞ必ずしも礼義を用いん。たとえ聖王礼義有るとも、將に何を正理平治の上に添加せん。如今はこれにあらず、人の性惡なり。だから古時聖人は人の性惡に因って、以て偏邪險して正ならず、悖乱して治まらずと為して、だから彼らのために君上の勢を設立して以て臨照し、礼義を彰明にして以て教化し、法正を興起して以て治理し、刑罰を加重して以て禁止して、天下をして皆治より出でて、善に合せしむ。これは聖王の治にして礼義の教化なり。如今試みに君上の勢を去掉し、礼義の教化なく、法正の治理を去掉し、刑罰の禁止なくして、倚りて天下の民人の相處を觀看せん。このごとくなれば、則ちあの強のは弱を侵害して奪取し、人多のは人少を暴虐して喧譁して、天下は悖乱して互相いに滅亡して、片刻を待たず。これより觀れば、然れば則ち人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。

故善言古者,必有節於今;善言天者,必有徵於人。凡論者貴其有辨合,有符驗。故坐而言之,起而可設,張而可施行。今孟子曰:"人之性善。"無辨合符驗,坐而言之,起而不可設,張而不可施行,豈不過甚矣哉!故性善則去聖王,息禮義矣。性惡則與聖王,貴禮義矣。故檃栝之生,為枸木也;繩墨之起,為不直也;立君上,明禮義,為性惡也。用此觀之,然則人之性惡明矣,其善者偽也。

だから古を説くに善きは、必ず今に驗證有り。天を説くに善きは、必ず人に征驗有り。およそ議論はそれに合符の辨別有り、符節の驗證有るを看重す。だから坐して説きて、起ちて以て設置すべく、張開して以て施行すべし。如今孟子曰く、「人の性は善なり」と。合符の辨別と驗證なく、坐して説きて、起ちて以て設置すべからず、張開して以て施行すべからず。豈に錯の過分甚だしきにあらざらんや。だから性善なれば則ち聖王を去掉し、礼義を止息せり。性惡なれば則ち聖王を許贊し、礼義を看重せり。だから矯正器の產生は、彎曲の木のためなり。繩墨の興起は、不直のためなり。君上を設立し、礼義を彰明にするは、性惡に因るなり。これより觀れば、然れば則ち人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。

直木不待檃栝而直者,其性直也。枸木必將待檃栝烝矯然後直者,以其性不直也。今人之性惡,必將待聖王之治,禮義之化,然後始出於治,合於善也。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。

直の木は矯正器を待たずして直なるは、その性は直なり。彎曲の木は必ず矯正器・蒸烤矯揉を待ちて然る後に直なるは、その性は直ならざるに因るなり。如今人の性惡は、必ず聖王の治理、礼義の教化を待ちて、然る後に治より出でて、善に合す。これより觀れば、人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。

問者曰:"禮義積偽者,是人之性,故聖人能生之也。"

問う者は曰く、「礼義と積累の人為は、人の性なり。だから聖人は能くそれを生出す」と。

應之曰:是不然。夫陶人埏埴而生瓦,然則瓦埴豈陶人之性也哉?工人斲木而生器,然則器木豈工人之性也哉?夫聖人之於禮義也,闢則陶埏而生之也。然則禮義積偽者,豈人之本性也哉!凡人之性者,堯舜之與桀蹠,其性一也;君子之與小人,其性一也。今將以禮義積偽為人之性邪?然則有曷貴堯禹,曷貴君子矣哉!凡貴堯禹君子者,能化性,能起偽,偽起而生禮義。然則聖人之於禮義積偽也,亦猶陶埏而為之也。用此觀之,然則禮義積偽者,豈人之性也哉!所賤於桀蹠小人者,從其性,順其情,安恣孳,以出乎貪利爭奪。故人之性惡明矣,其善者偽也。天非私曾騫孝己而外眾人也,然而曾騫孝己獨厚於孝之實,而全於孝之名者,何也?以綦於禮義故也。天非私齊魯之民而外秦人也,然而於父子之義,夫婦之別,不如齊魯之孝具敬文者,何也?以秦人從情性,安恣孳,慢於禮義故也,豈其性異矣哉!

彼に回答して曰く、これはこれにあらず。陶人は粘土を揉ねて而して瓦を生出すれば、則ち瓦と粘土は豈に陶人の性ならんや。工人は木頭を砍きて而して器を生出すれば、則ち器と木頭は豈に工人の性ならんや。聖人は礼義に於いては、比方すれば則ち陶人の粘土を揉ねて而してそれを生出するがごとし。然れば則ち礼義積累の人為は、豈に人の本性ならんや。およそ人の性は、尭舜と桀跖とは、その性は一樣なり。君子と小人とは、その性は一樣なり。如今將に礼義積累の人為を以て人の性と為さんとするか。然れば則ちまた何ぞ必ずしも尭禹を看重し、何ぞ必ずしも君子を看重せんや。およそ尭禹君子を看重するは、能く性を變化し、能く人為を興起し、人為興起して而して礼義を生出するに因るなり。然れば則ち聖人は礼義積累の人為に於いても、また陶人の粘土を揉ねて而してそれを為すがごとし。これより觀れば、然れば則ち礼義積累の人為は、豈に人の性ならんや。だから桀跖小人を賤視するは、彼らの性を放縱し、彼らの情に順い、恣肆に安んじて、以て貪利争奪より出づるに因るなり。だから人の性惡は明白なり。あの善は僞なり。天は並びに曾參・閔子騫・孝己を偏私して衆人を疎遠するにあらざれど、然りて曾參・閔子騫・孝己は独り孝の實際に豊厚にして、而して孝の名声に保全せり。何ぞや。礼義に極力するの故なり。天は並びに齊魯の民を偏私して秦人を疎遠するにあらざれど、然りて父子の義・夫婦の分別に於いては、齊魯のごとき孝道具備して恭敬に文あるに如かず。何ぞや。秦人は情性を放縱して、恣肆に安んじて、礼義に怠慢するの故なり。豈に彼らの性は同じからざらんや。

"塗之人可以為禹。"曷謂也?

「路上の人は以て禹を為すべし」。この句話はどう講ずる。

曰:凡禹之所以為禹者,以其為仁義法正也。然則仁義法正有可知可能之理。然而塗之人也,皆有可以知仁義法正之質,皆有可以能仁義法正之具,然則其可以為禹明矣。今以仁義法正為固無可知可能之理邪?然則唯禹不知仁義法正,不能仁義法正也。將使塗之人固無可以知仁義法正之質,而固無可以能仁義法正之具邪?然則塗之人也,且內不可以知父子之義,外不可以知君臣之正。今不然。塗之人者,皆內可以知父子之義,外可以知君臣之正,然則其可以知之質,可以能之具,其在塗之人明矣。今使塗之人者,以其可以知之質,可以能之具,本夫仁義法正之可知可能之理,可能之具,然則其可以為禹明矣。今使塗之人伏術為學,專心一志,思索孰察,加日縣久,積善而不息,則通於神明,參於天地矣。故聖人者,人之所積而致矣。

曰く、およそ禹の禹と成る所以は、彼が仁義法正を實行するに因るなり。然れば則ち仁義法正は以て知るべく以て為るべきの理有り。然りて路上の人は、皆以て仁義法正を知るべきの資質有りて、皆以て仁義法正を為るべきの器具有れば、則ち彼は以て禹を為すべきは明白なり。如今以て仁義法正は本來以て知るべく以て為るべきの理なしと為さんか。然れば則ち禹なりとも仁義法正を知らずして、能く仁義法正を實行せざらん。將に路上の人をして本來以て仁義法正を知るべきの資質なく、而して本來以て仁義法正を為るべきの器具なからしめんか。然れば則ち路上の人は、内は將に以て父子の義を知るべからず、外は將に以て君臣の正を知るべからず。如今はこれにあらず。路上の人は、皆内は以て父子の義を知るべく、外は以て君臣の正を知るべし。然れば則ちあの以て知るべきの資質、以て為るべきの器具は、路上の人の身の上に明白なり。如今路上の人をして方術を伏習して学習せしめて、心を専一して志を一にし、思索して精察して、日は一日を復して積得長久にして、善を積累して停息せざれば、則ち神明に通達して、天地と相參す。だから聖人は、人の積累して到達する所なり。

曰:"聖可積而致,然而皆不可積,何也?"

曰く、「聖人は以て積累して到達すべくも、然りて人們は皆能く積累せず。何ぞや」と。

曰:可以而不可使也。故小人可以為君子,而不肯為君子;君子可以為小人,而不肯為小人。小人君子者,未嘗不可以相為也,然而不相為者,可以而不可使也。故塗之人可以為禹,則然;塗之人能為禹,則未必然也。雖不能為禹,無害可以為禹。足可以遍行天下,然而未嘗有遍行天下者也。夫工匠農賈,未嘗不可以相為事也,然而未嘗能相為事也。用此觀之,然則可以為,未必能也;雖不能,無害可以為。然則能不能之與可不可,其不同遠矣,其不可以相為明矣。

曰く、可なり。而して以て強迫して為らしむべからず。だから小人は以て君子を為すべくも、而して君子を為るを肯んぜず。君子は以て小人を為すべくも、而して小人を為るを肯んぜず。小人君子は、未だ嘗て以て互相いに為るべからざるなく、然りて互相いに為らざるは、可にして而して以て強迫して為らしむべからざるなり。だから路上の人は以て禹を為すべきは、これのごとし。路上の人は能く禹を為成せば、則ち必ずしもこのごとくならず。たとえ能く禹を為成せずとも、以て禹を為すべきを妨害せず。脚は以て天下を走遍すべくも、然りて未だ嘗て天下を走遍する人有らず。工匠農商は、未だ嘗て以て互相いに事を為るべからざるなく、然りて未だ嘗て能く互相いに事を為らず。これより觀れば、然れば則ち以て為すべきは、未必能く為成せず。たとえ能く為成せずとも、以て為すべきを妨害せず。然れば則ち能と不能と、可と不可とは、彼らの同じからざるは遠し。彼らは以て互相いに替代すべからざるは明白なり。

堯問於舜曰:"人情何如?"舜對曰:"人情甚不美,又何問焉!妻子具而孝衰於親,嗜慾得而信衰於友,爵祿盈而忠衰於君。人之情乎!人之情乎!甚不美,又何問焉!唯賢者為不然。"

尭は舜に問うて曰く、「人情は如何ぞや」と。舜は回答して曰く、「人情は甚だ美ならず。またそれを問うて何を為さん。妻子は具備せば、則ち雙親に對する孝は衰減す。嗜欲は得れば、則ち朋友に對する信は衰減す。爵禄は滿れば、則ち君に對する忠は衰減す。人の情や。人の情や。甚だ美ならず。またそれを問うて何を為さん。ただ賢者のみはこれにあらず」と。

有聖人之知者,有士君子之知者,有小人之知者,有役夫之知者。多言則文而類,終日議其所以,言之千舉萬變,其統類一也:是聖人之知也。少言則徑而省,論而法,若佚之以繩:是士君子之知也。其言也諂,其行也悖,其舉事多悔:是小人之知也。齊給便敏而無類,雜能旁魄而無用,析速粹孰而不急,不恤是非,不論曲直,以期勝人為意,是役夫之知也。

聖人の智有り、士君子の智有り、小人の智有り、役夫の智有り。話は多くして而して文有りて倫類有りて、終日にあのこのごとくなるの故を議論して、説きて千擧万變すとも、あの統類は一貫なり。これは聖人の智なり。話は少なくして則ち直接して簡省して、議論して而して法有りて、繩墨を以て牽引するがごとし。これは士君子の智なり。その言は諂媚して、その行は悖乱して、彼は事を為して後悔多し。これは小人の智なり。口齒敏捷して而して倫類なく、雜能は廣博して而して用なく、分析は迅速精熟して而して切急務にあらず、是非を顧みず、曲直を論ぜず、以て别人に勝るを期望するを以て心意と為す。これは役夫の智なり。

有上勇者,有中勇者,有下勇者。天下有中,敢直其身;先王有道,敢行其意;上不循於亂世之君,下不俗於亂世之民;仁之所在無貧窮,仁之所亡無富貴;天下知之,則欲與天下同苦樂之;天下不知之,則傀然獨立天地之間而不畏:是上勇也。禮恭而意儉,大齊信焉,而輕貨財;賢者敢推而尚之,不肖者敢援而廢之:是中勇也。輕身而重貨,恬禍而廣解苟免,不恤是非然不然之情,以期勝人為意:是下勇也。

上等の勇有り、中等の勇有り、下等の勇有り。天下に中正有れば、敢えてその身を挺直す。先王に道有れば、敢えてその意を實行す。上は亂世の君に因循せず、下は亂世の民に混同せず。仁の在る所は以て貧窮と為さず、仁の亡失する所は以て富貴と為さず。天下は彼を知れば、則ち天下と苦楽を同じくせんと欲す。天下は彼を知らざれば、則ち巋然として天地の間に獨立して畏懼せず。これは上等の勇なり。礼は恭敬して意は謙儉にして、大いに斉一誠信して、而して貨財を看輕す。賢者に對しては敢えて推擧して彼を上に在らしめ、不肖者に對しては敢えて牽引して彼を廢す。これは中等の勇なり。身を看輕して貨を看重し、禍に安んじて廣く解脱して苟且に免��求め、是非然否の實情を顧みず、以て别人に勝るを期望するを以て心意と為す。これは下等の勇なり。

繁弱、鉅黍古之良弓也;然而不得排檠則不能自正。桓公之蔥,太公之闕,文王之錄,莊君之曶,闔閭之干將、莫邪、鉅闕、闢閭,此皆古之良劍也;然而不加砥厲則不能利,不得人力則不能斷。驊騮、騹驥、纖離、綠耳,此皆古之良馬也;然而必前有銜轡之制,後有鞭策之威,加之以造父之駛,然後一日而致千里也。夫人雖有性質美而心辯知,必將求賢師而事之,擇良友而友之。得賢師而事之,則所聞者堯舜禹湯之道也;得良友而友之,則所見者忠信敬讓之行也。身日進於仁義而不自知也者,靡使然也。今與不善人處,則所聞者欺誣詐偽也,所見者汙漫淫邪貪利之行也,身且加於刑戮而不自知者,靡使然也。傳曰:"不知其子視其友,不知其君視其左右。"靡而已矣!靡而已矣!

繁弱・鉅黍は古時の良弓なり。然りて矯正器を得ざれば則ち自ら正する能わず。桓公の葱・太公の闕・文王の録・荘君の曶・闔閭の干將・莫邪・鉅闕・辟閭は、これら皆古時の良劍なり。然りて磨礪を加えざれば則ち能く利ならず、人力を得を得ざれば則ち能く斷たず。驊騮・騏驥・纖離・綠耳は、これら皆古時の良馬なり。然りて必ず前に銜轡の制約有りて、後に鞭策の威有りて、造父の駕馭を加えて、然る後に一日は千里に到達す。人はたとえ性質美好して而して心は辯知能あるとも、必ず將に賢師を求めて彼に事えて、良友を選擇して彼と交友す。賢師を得て彼に事えれば、則ち聽聞する所は尭舜禹湯の道なり。良友を得て彼と交友すれば、則ち看見する所は忠信敬讓の行為なり。自身は日々に仁義に進入して而して自ら知らずは、漸染は彼をこのごとくせしむるなり。如今不善の人と相處すれば、則ち聽聞する所は欺誣詐僞にして、看見する所は污漫淫邪貪利の行為にして、自身は將に刑戮を加上せられて而して自ら知らずは、漸染は彼をこのごとくせしむるなり。傳記に言う。「子を知らざればその友を看よ、君を知らざればその左右を看よ」と。ただ漸染のみ。ただ漸染のみ。

君子篇第二十四

天子無妻,告人無匹也。四海之內無客禮,告無適也。足能行,待相者然後進;口能言,待官人然後詔。不視而見,不聽而聰,不言而信,不慮而知,不動而功,告至備也。天子也者,埶至重,形至佚,心至愈,志無所詘,形無所勞,尊無上矣。詩曰:"普天之下,莫非王土;率土之濱,莫非王臣。"此之謂也。

天子は對等なくして妻を娶るは、匹與する人なきを言うなり。四海の内の客禮無きは、臣禮を以て對待する主人なきを言うなり。口は能く人を噙むも、人は能く彼を噙まずして、當に人に為られざるべからざるを為す。足は能く人を行うも、人は能く彼を行わずして、當に人に為られざるべからざるを為す。臣は君に事えて、下は以て食と為るのみ。

聖王在上,分義行乎下,則士大夫無流淫之行,百吏官人無怠慢之事,眾庶百姓無奸怪之俗,無盜賊之罪,莫敢犯上之大禁,天下曉然皆知夫盜竊之不可以為富也,皆知夫賊害之不可以為壽也,皆知夫犯上之禁不可以為安也。由其道則人得其所好焉,不由其道則必遇其所惡焉。是故刑罰綦省而威行如流,世曉然皆知夫為奸則雖隱竄逃亡之由不足以免也,故莫不服罪而請。書云:"凡人自得罪。"此之謂也。

聖王は上に在りて、分義は下に行われて、則ち士大夫は流湎の行なく、百吏は怠慢の事なく、衆庶は姦怪の俗なく、盜賊の罪なく、此は上の安ぜらるる所なり。

故刑當罪則威,不當罪則侮;爵當賢則貴,不當賢則賤。古者刑不過罪,爵不踰德。故殺其父而臣其子,殺其兄而臣其弟。刑罰不怒罪,爵賞不踰德,分然各以其誠通。是以為善者勸,為不善者沮;刑罰綦省,而威行如流,政令致明,而化易如神。傳曰:"一人有慶,兆民賴之。"此之謂也。

だから刑罰は罪に稱應して、爵禄は賢に稱應す。罪を殺して而して罪に當たらず、賢を爵して而して賢に當たらざるは、治の亂なり。

亂世則不然:刑罰怒罪,爵賞踰德,以族論罪,以世舉賢。故一人有罪,而三族皆夷,德雖如舜,不免刑均,是以族論罪也。先祖當賢,後子孫必顯,行雖如桀紂,列從必尊,此以世舉賢也。以族論罪,以世舉賢,雖欲無亂,得乎哉!詩曰:"百川沸騰,山冢崒崩,高岸為谷,深谷為陵。哀今之人,胡憯莫懲!"此之謂也。論法聖王,則知所貴矣;以義制事,則知所利矣。論知所貴,則知所養矣;事知所利,則動知所出矣。--二者是非之本,得失之原也。故成王之於周公也,無所往而不聽,知所貴也。桓公之於管仲也,國事無所往而不用,知所利也。吳有伍子胥而不能用,國至於亡,倍道失賢也。故尊聖者王,貴賢者霸,敬賢者存,慢賢者亡,古今一也。故尚賢,使能,等貴賤,分親疏,序長幼,此先王之道也。故尚賢使能,則主尊下安;貴賤有等,則令行而不流;親疏有分,則施行而不悖;長幼有序,則事業捷成而有所休。故仁者,仁此者也;義者,分此者也;節者,死生此者也;忠者,惇慎此者也;兼此而能之備矣;備而不矜,一自善也,謂之聖。不矜矣,夫故天下不與爭能,而致善用其功。有而不有也,夫故為天下貴矣。詩曰:"淑人君子,其儀不忒;其儀不忒,正是四國。"此之謂也。

乱世は則ちこれにあらず。刑罰は罪を怒り、爵禄は近習を賜うて、一族を以て罪とし、世を擧げて以て賢と為す。故に雖りたりとも能く免れざらんと欲するも得能わざるなり。

成相篇第二十五

請成相:世之殃,愚闇愚闇墮賢良!人主無賢,如瞽無相,何倀倀!請布基,慎聖人,愚而自專事不治。主忌苟勝,群臣莫諫,必逢災。論臣過,反其施,尊主安國尚賢義。拒諫飾非,愚而上同,國必禍。曷謂"罷"?國多私,比周還主黨與施。遠賢近讒,忠臣蔽塞主埶移。曷謂"賢"?明君臣,上能尊主下愛民。主誠聽之,天下為一海內賓。主之孽,讒人達,賢能遁逃國乃蹙。愚以重愚,闇以重闇,成為桀。世之災,妒賢能,飛廉知政任惡來。卑其志意,大其園圃高其臺。武王怒,師牧野,紂卒易鄉啟乃下。武王善之,封之於宋立其祖。世之衰,讒人歸,比干見刳箕子累。武王誅之,呂尚招麾殷民懷。世之禍,惡賢士,子胥見殺百里徙。穆公任之,強配五伯六卿施。世之愚,惡大儒,逆斥不通孔子拘。展禽三絀,春申道綴,基畢輸。請牧基,賢者思,堯在萬世如見之。讒人罔極,險陂傾側此之疑。基必施,辨賢罷,文武之道同伏戲,由之者治,不由者亂,何疑為?凡成相,辨法方,至治之極復后王。慎墨季惠,百家之說欺不詳。治復一,修之吉,君子執之心如結,眾人貳之,讒夫棄之,形是詰。水至平,端不傾,心術如此象聖人。人而有埶,直而用抴必參天。世無王,窮賢良,暴人芻豢,仁人糟糠;禮樂息滅,聖人隱伏,墨術行。治之經,禮與刑,君子以修百姓寧。明德慎罰,國家既治四海平。治之志,後埶富,君子誠之好以待。處之敦固,有深藏之,能遠思。思乃精,志之榮,好而壹之神以成。精神相反,一而不貳、為聖人。治之道,美不老,君子由之佼以好。下以教誨子弟,上以事祖考。成相竭,辭不蹙,君子道之順以達。宗其賢良,辨其殃孽,□□□。

請う、成相を唱わん――世の殃禍は、愚暗にして善を墮落するの賢良なり。人主は賢能なきは、飛鳥のごとくして亡滅す。――のごとく、のごとく。

請成相,道聖王,堯舜尚賢身辭讓,許由善卷,重義輕利行顯明。堯讓賢,以為民,泛利兼愛德施均。辨治上下,貴賤有等明君臣。堯授能,舜遇時,尚賢推德天下治。雖有聖賢,適不遇世,孰知之?堯不德,舜不辭,妻以二女任以事。大人哉舜,南面而立萬物備。舜授禹,以天下,尚得推賢不失序。外不避仇,內不阿親,賢者予。禹勞心力,堯有德,干戈不用三苗服。舉舜甽畝,任之天下,身休息。得后稷,五穀殖;夔為樂正鳥獸服;契為司徒,民知孝弟尊有德。禹有功,抑下鴻,闢除民害逐共工。北決九河,通十二渚,疏三江。禹傅土,平天下,躬親為民行勞苦。得益、皋陶、橫革、直成、為輔。契玄王,生昭明,居於砥石遷於商,十有四世,乃有天乙是成湯。天乙湯,論舉當,身讓卞隨舉牟光。□□□□,道古賢聖基必張。

請う、成相を唱い、稱説聖王。尭舜は賢を崇尚して自ら辭讓して、許由・善巻は義を看重して利を看輕して行為は顯明なり。尭は位を賢に讓るは、民のためを為して、普遍に利を施して兼ねて愛して徳の施与は均平なり。治理上下を辨別して、貴賤は等次有りて君臣を彰明す。尭は能者に授与して、舜は時運に遇上して、賢を崇尚して徳を推擧して天下は治まり。たとえ賢聖有るとも、恰好世に遇上せざれば、誰か彼を知らん。尭は自ら以て徳有りと為さず、舜は推辭せずして、二女を以て彼に嫁がせ、事を以て彼に委任す。大人なるかな舜、南面して立ちて万物具備せり。舜は禹に授与して、天下を以て彼に授与して、徳を崇尚して賢を推擧して次序を失わず。外は仇人を避開せず、内は親人を偏私せずして、賢者は則ち給与す。禹は心力を労費して、尭は徳有りて、干戈を用いずして三苗は則ち服從す。田畝の中より舜を擧用して、天下を以て彼に委任して、自身は休息す。后稷を得て、五谷は繁殖し。夔は楽正を為して、鳥獸は馴服し。契は司徒を為して、民は孝悌を知りて徳有る人を尊崇す。禹は功有りて、下流の洪水を遏抑して、民害を排除して共工を放逐す。北邊は九河を開決して、十二渚を溝通して、三江を疏通す。禹は土地を分布して、天下を平定して、親ら民のために劳苦の事を為す。益・皋陶・横革・直成を得て、輔佐を為す。契は玄王にして、昭明を生みて、砥石に住在して商に遷りて、十四世を經て、乃ち天乙有りて則ち成湯なり。天乙成湯は、論説擧用して得当して、自身は位を卞隨に讓り、務光を推擧す。(底本ここに四字殘缺。)古代の賢聖を稱説するは根基は一定して張大す。

願陳辭,□□□,世亂惡善不此治。隱過疾賢,長由奸詐鮮無災。患難哉!阪為先,聖知不用愚者謀。前車已覆,後未知更,何覺時?不覺悟,不知苦,迷惑失指易上下。中不上達,蒙揜耳目塞門戶。門戶塞,大迷惑,悖亂昏莫不終極;是非反易,比周欺上惡正直。正直惡,心無度,邪枉闢回失道途。己無郵人,我獨自美,豈獨無故?不知戒,後必有,恨後遂過不肯悔。讒夫多進,反覆言語生詐態。人之態,不如備,爭寵嫉賢利惡忌;妒功毀賢,下斂黨與上蔽匿。上壅蔽,失輔埶,任用讒夫不能制。郭公長父之難,厲王流於彘。周幽厲,所以敗,不聽規諫忠是害。嗟我何人,獨不遇時當亂世!欲衷對,言不從,恐為子胥身離兇;進諫不聽,剄而獨鹿棄之江。觀往事,以自戒,治亂是非亦可識。□□□□,托於成相以喻意。

請う、辭を陳述せん。(底本ここに三字殘缺。)世乱れて善を厭惡して、この道を治せんと欲する人はなし。已に成相を唱じて、以て意を表わす。

請成相,言治方,君論有五約以明。君謹守之,下皆平正,國乃昌。臣下職,莫遊食,務本節用財無極。事業聽上,莫得相使,一民力。守其職,足衣食,厚薄有等明爵服。利往卬上,莫得擅與,孰私得?君法明,論有常,表儀既設民知方。進退有律,莫得貴賤、孰私王?君法儀,禁不為,莫不說教名不移。修之者榮,離之者辱,孰它師?刑稱陳,守其銀,下不得用輕私門。罪禍有律,莫得輕重威不分。請牧基,明有祺,主好論議必善謀。五聽修領,莫不理續主執持。聽之經,明其請,參伍明謹施賞刑。顯者必得,隱者復顯,民反誠。言有節,稽其實,信誕以分賞刑必。下不欺上,皆以情言,明若日。上通利,隱遠至,觀法不法見不視。耳目既顯,吏敬法令莫敢恣。君教出,行有律,吏謹將之無鈹滑。下不私請,各以宜,舍巧拙。臣謹修,君制變,公察善思論不亂。以治天下,後世法之成律貫。

請う、成相を唱い、治理の方を講じん。君と為るの條目は五條有りて、簡要にして明らかなり。臣謹みて修して、君は制して變らず。公平して聽斷して、天下を經綸して姦邪を滅す。

賦篇第二十六

爰有大物,非絲非帛,文理成章;非日非月,為天下明。生者以壽,死者以葬。城郭以固,三軍以強。粹而王,駁而伯,無一焉而亡。臣愚不識,敢請之王?

ここに一件の大物有りて、絲帛にあらずして而して文理を成し。寒と暑にあらずして而して晝夜を成し。它は生を產して而して、它は死を致して、它は精氣神明を兼備して、文彩を以て世に顯わる。世間は之を用いて而して始終たり。――礼なり。

王曰:此夫文而不採者歟?簡然易知,而致有理者歟?君子所敬,而小人所不者歟?性不得則若禽獸,性得之則甚雅似者歟?匹夫隆之則為聖人,諸侯隆之則一四海者歟?致明而約,甚順而體,請歸之禮。--禮。

王曰く、「これは文の采を言うや」と。対答して曰く、「これはあの純粹の賞にあらず。これはあの廓達の内にあらず。小人はこれを夸うて威を張るも、君子はこれを積して徳を成す。これを推して、萬世に重く厚くして、約して而して放縱せず。下に在りては以て後世を開明し、上に在りては以て亂世を治理す。恭敬謹慎して、臣はただこれを聞くのみ」と。

皇天隆物,以示施下民,或厚或薄,常不齊均。桀紂以亂,湯武以賢。涽涽淑淑,皇皇穆穆。周流四海,曾不崇日。君子以修,蹠以穿室。大參乎天,精微而無形,行義以正,事業以成。可以禁暴足窮,百姓待之而後泰寧。臣愚不識,願問其名。

皇天は物を賜降して、以て下民に施给を顯示して、あるものは厚くあるものは薄くして、常は斉一均平せず。桀紂はこれに因って乱り、湯武はこれに因って賢し。昏昏として、清明として、堂堂として、穆穆として。四海を周流して、竟に一日に至らず。君子は以て修治して、盗跖は以て室に入るを打洞す。大は天と相參し、精微して而して形なく、實行義に用いて以て正しく、事業に用いて以て成就す。以て暴虐を禁止し、窮者を充足せしむべく、百姓はそれを待ちて然る後に安泰寧静す。臣は愚昧して認識せず。その名を問わんを願う。——智。

曰:此夫安寬平而危險隘者邪?修潔之為親,而雜汙之為狄者邪?甚深藏而外勝敵者邪?法禹舜而能弇跡者邪?行為動靜待之而後適者邪?血氣之精也,志意之榮也,百姓待之而後寧也,天下待之而後平也,明達純粹而無疵也,夫是之謂君子之知--知。

曰く、これはあの寬平に安んじて險隘に危うくするか。修潔を以て親近と為して、而して雜污を以て疎遠と為すか。甚だ深くして藏して而して外は敵に勝つか。禹舜を取法して而して能く彼らの足迹を掩上するか。行為動静はそれを待ちて然る後に適宜なるか。是れ血氣の精にして、志意の栄にして、百姓はそれを待ちて然る後に安寧して、天下はそれを待ちて然る後に平なり。明達純粹して疵点なきは、これを君子の智という。——智。

有物於此,居則周靜致下,動則綦高以鉅,圓者中規,方者中矩,大參天地,德厚堯禹,精微乎毫毛,而充盈乎大寓。忽兮其極之遠也,攭兮其相逐而反也,卬卬兮天下之鹹蹇也。德厚而不捐,五采備而成文,往來惛憊,通於大神,出入甚極,莫知其門。天下失之則滅,得之則存。弟子不敏,此之願陳,君子設辭,請測意之。

一件の物をここに有りて、留まれば則ち周遍沉静して下に極尽し、動けば則ち極高にして巨大にして、圓は規に合して、方は矩に合して、大は天地と相參し、徳は尭禹よりも厚く、毫毛に精微して、而して大宇に充盈す。忽然としてそれは到達の遠く、回旋としてそれらは互相いに追逐して而して返回し、高高として天下は皆困蹇す。徳厚くして拋棄せず、五色具備して文と成りて、往來昏昧疲憊して、大神に通達し、出入は甚だ急速にして、人はその門を知らず。天下はそれを失えば則ち滅して、それを得れば則ち存す。弟子は聰敏ならず。これを陳述せんを願う。君子は辭を設立して、その意を猜測せんを請う。——雲。

曰:此夫大而不塞者與?充盈大宇而不窕,入卻穴而不偪者與?行遠疾速,而不可托訊者與?往來惛憊,而不可為固塞者與?暴至殺傷,而不億忌者與?功被天下,而不私置者與?托地而遊宇,友風而子雨,冬日作寒,夏日作暑,廣大精神,請歸之雲--雲。

曰く、これはあの大にして堵塞せざるか。大宇に充盈して而して細縫空隙なく、孔隙に進入して而して逼仄せざるか。走ること遠く疾速して、而して以て音訊を寄托すべからざるか。往來昏昧疲憊して、而して以て堅固堵塞と為すべからざるか。突然到來して殺傷して、而して疑忌せざるか。功は天下を覆蓋して、而して私自に安置せざるか。地に寄托して宇に游びて、風を以て友と為して而して雨を以て子と為し、冬日は寒を興起し、夏日は暑を興起す。廣大して而して精神有り。請う、雲に歸結せん。——雲。

有物於此,(人蠡)(人蠡)兮其狀,屢化如神,功被天下,為萬世文。禮樂以成,貴賤以分,養老長幼,待之而後存。名號不美,與"暴"為鄰。功立而身廢,事成而家敗。棄其耆老,收其後世。人屬所利,飛鳥所害。臣愚不識,請占之五泰。

一件の物をここに有りて、身體は蜷曲としてその形狀にして、屢屢變化するは神のごとく、功は天下を覆蓋して、万世の文と為る。礼楽はそれに靠って成就して、貴賤はそれに靠って分別し、養老して幼小を撫育して、それを待ちて然る後に存す。名號は美ならずして、「暴」と隣居を做す。功は建立して而して自身は廢棄して、事は成就して而して家は敗壞す。あの耆老を拋棄して、あの後代を收養す。人類の利用する所にして、飛鳥の傷害する所なり。臣は愚昧して認識せず。五泰を請うて以て問卜せん。——蠶。

五泰占之曰:此夫身女好,而頭馬首者與?屢化而不壽者與?善壯而拙老者與?有父母而無牝牡者與?冬伏而夏遊,食桑而吐絲,前亂而後治,夏生而惡暑,喜溼而惡雨,蛹以為母,蛾以為父,三俯三起,事乃大已,夫是之謂蠶理。--蠶

五泰は問卜の後に曰く、これはあの身體は女子のごとく美好して、而して頭は馬頭に象るか。屢屢變化して而して長壽せざるか。壯年に善くして而して衰老に拙きか。父母有りて而して雌雄なきか。冬天は潛伏して夏天は活動して、桑を喫して而して絲を吐きて、先前は乱りて而して後は治まりて、夏天は生長して而して暑を厭惡し、濕を喜好して而して雨を厭惡し、蛹を以て母と為して、蛾を以て父と為す。三たび俯伏して三たび起きて、事は乃ち大いに畢了す。これを蠶の理という。——蠶。

有物於此,生於山阜,處於室堂。無知無巧,善治衣裳。不盜不竊,穿窬而行。日夜合離,以成文章。以能合從,又善連衡。下覆百姓,上飾帝王。功業甚博,不見賢良。時用則存,不用則亡。臣愚不識,敢請之王。

一件の物をここに有りて、山阜に生れて、室堂に處る。知なく巧なくして、衣裳を整治するに善し。盗せず竊せずして、洞を打ちて穿てて行く。日夜分離したるを合せしめて、以て文采を成就す。既に能く合縱して、また連横に善し。下は百姓を覆蓋して、上は帝王を文飾す。功業は甚だ博大にして、己の賢良を顯露せず。時はそれを用いれば則ち存在し、用いざれば則ち亡失す。臣は愚昧して認識せず。敢えて王に請問せん。——鍼。

王曰:此夫始生鉅,其成功小者邪?長其尾而銳其剽者邪?頭銛達而尾趙繚者邪?一往一來,結尾以為事。無羽無翼,反覆甚極。尾生而事起,尾邅而事已。簪以為父,管以為母。既以縫表,又以連裡:夫是之謂箴理。--箴

王曰く、これはあの開始生まれ出づるは巨大にして、それは成りて後は却って小なるか。その尾を長くしてその末梢を尖鋭せしむるか。頭は鋒利通達して而して尾は纏繞するか。一往一來して、尾を收結して以て事と為す。羽毛なく翅翼なくして、反覆は甚だ急速なり。尾は生出して而して事は興起し、尾は盤繞して而して事は畢了す。簪を以て父と為して、管を以て母と為す。既に以て外表を縫い、また以て裏子を連ねる。これを鍼の理という。——鍼。

天下不治,請陳佹詩:天地易位,四時易鄉。列星殞墜,旦暮晦盲。幽闇登昭,日月下藏。公正無私,見謂從橫。志愛公利,重樓疏堂。無私罪人,憼革貳兵。道德純備,讒口將將。仁人絀約,敖暴擅強。天下幽險,恐失世英。螭龍為蝘蜓,鴟梟為鳳凰。比干見刳,孔子拘匡。昭昭乎其知之明也,鬱郁乎其遇時之不祥也,拂乎其欲禮義之大行也,闇乎天下之晦盲也,皓天不復,憂無疆也。千歲必反,古之常也。弟子勉學,天不忘也。聖人共手,時幾將矣。與愚以疑,願聞反辭。

天下は治まらず。請う、詭異の詩を陳述せん。天地は位置を改換して、四時は方向を改換す。列星は隕落して、旦暮は昏暗不明なり。幽暗は顯明に登上して、日月は下に藏す。公正して私なきは、縱横と説かれり。志向は公利を愛するは、却って樓台疏朗の堂を看重と説かれり。私心なくて人に罪を加うるは、却って軍を整え兵を備うると説かれり。道徳は純粹完備して、讒言の口は鏘鏘たり。仁人は黜退約困して、傲暴の人は專擅強橫す。天下は幽暗險惡にして、恐怕らくは當世の英を失わん。螭龍は壁虎と為されて、鴟梟は鳳凰と為さる。比干は心を剖かれて、孔子は匡に拘せらる。昭昭としてその智の明、郁郁として彼は時運の不祥に遇上し、拂逆として彼は礼義の大いに實行せんことを欲し、昏暗として天下は晦盲す。皓天は返回せずして、憂愁は疆界なし。千年は必ず返回す。是れ古來の經常なり。弟子は努力学習せよ。天は忘れざらん。聖人は手を拱きて、時運はほぼ將に至らん。愚者に疑惑を帶來して、反向の辭を聴かんを願う。

其小歌曰:念彼遠方,何其塞矣,仁人絀約,暴人衍矣。忠臣危殆,讒人服矣。

あの小歌は曰く、あの遠方を想念するは、何とも堵塞せり。仁人は黜退約困して、暴人は盈衍せり。忠臣は危殆にして、讒人は任用せらる。

琁、玉、瑤、珠,不知佩也,雜布與帛,不知異也。閭娵子奢,莫之媒也;嫫母力父,是之喜也。以盲為明,以聾為聰,以危為安,以吉為兇。嗚呼!上天!曷維其同!

美玉瑶珠は、以て佩带するを知らず。雜布と帛とは、以て分別するを知らず。閭娵・子奢は、人は彼らに媒を為すなし。嫫母・力父は、却って喜好せらる。盲を以て明と為して、聾を以て聰と為して、危を以て安と為して、吉を以て凶と為す。嗚呼。上天。どう���て能く彼らと同じくせん。

大略篇第二十七

君人者,隆禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危。欲近四旁,莫如中央,故王者必居天下之中,禮也。

人君と為るは、礼を尊崇して賢を尊敬すれば則ち能く王と称し、法を看重して民を愛すれば則ち能く覇と称し、利を好み詐を多くすれば則ち危殆なり。四旁に接近せんと欲せば、中央に比敵するなし。だから王者は必ず天下の中央に居る。これは礼なり。

天子外屏,諸侯內屏,禮也。外屏、不欲見外也;內屏、不欲見內也。

天子は門外に屏を設け、諸侯は門内に屏を設く。これは礼なり。門外に屏を設くるは、外面を見えんと欲せざるなり。門内に屏を設くるは、里面を見えんと欲せざるなり。

諸侯召其臣,臣不俟駕,顛倒衣裳而走,禮也。詩曰:"顛之倒之,自公召之。"天子召諸侯,諸侯輦輿就馬,禮也。詩曰:"我出我輿,於彼牧矣。自天子所,謂我來矣。"

諸侯はその臣を召喚して、臣は車を套するを待たずして、衣裳を顛倒して跑る。これは礼なり。『詩経・齊風・東方未明』に言う。「顛けり倒けり、公のそこより彼を召喚す」と。天子は諸侯を召喚して、諸侯は人をして車を推して馬に湊近せしむ。これは礼なり。『詩経・小雅・出車』に言う。「我は我が車を推出して、あの牧地に到れり。天子のそこより、我をして來らしめり」と。

天子山冕,諸侯玄冠,大夫裨冕,士韋弁,禮也。

天子は山冕を用い、諸侯は玄冠を用い、大夫は裨冕を用い、士は韋弁を用う。これは礼なり。

天子御珽,諸侯御荼,大夫服笏,禮也。

天子は珽を用い、諸侯は荼を用い、大夫は笏を用う。これは礼なり。

天子雕弓,諸侯彤弓,大夫黑弓,禮也。

天子は雕弓を用い、諸侯は彤弓を用い、大夫は黑弓を用う。これは礼なり。

諸侯相見,卿為介,以其教士畢行,使仁居守。

諸侯は相見えば、卿は介と為して、その教士を帶びて全部出行して、仁者をして留めて国を守らしむ。

聘人以圭,問士以璧,召人以瑗,絕人以玦,反絕以環。

使者を派るは圭を用い、士を慰問するは璧を用い、人を召見するは瑗を用い、人と絕交するは玦を用い、絕交を恢复するは環を用う。

人主仁心設焉,知其役也,禮其盡也,故王者先仁而後禮,天施然也。

人主は仁心を設立せば、知はそれを役使して、礼はそれを窮尽す。だから王者は先に仁して而して後に礼す。天の施与はこのごとし。

聘禮志曰:"幣厚則傷德,財侈則殄禮。"禮雲禮云,玉帛云乎哉!詩曰:"物其指矣,唯其偕矣。"不時宜,不敬文,不驩欣,雖指非禮也。

聘礼の記載は曰く、「幣帛は過厚なれば則ち徳を傷害して、財用は奢侈なれば則ち礼を滅絶す」と。礼や礼や。豈にただ玉帛のみを言わんや。『詩経・小雅・魚麗』に言う。「物はあれほど美しきは、ただそれが合宜するに因る」と。時宜に合せず、あの文を敬せず、歡欣せざれば、たとえ美なるも礼にあらず。

水行者表深,使人無陷;治民者表亂,使人無失,禮者,其表也。先王以禮義表天下之亂;今廢禮者,是棄表也,故民迷惑而陷禍患,此刑罰之所以繁也。

水中に行走する人は深淺を標明して、人をして陷溺せざらしむ。民を治理する人は乱の界限を標明して、人をして失誤せざらしむ。礼は、則ちあの標志なり。先王は礼義を以て天下の乱を標明せり。如今礼を廢棄するは、標志を拋棄するなり。だから民は迷惑して禍患に陷入す。これは刑罰の繁多する所以なり。

舜曰:"維予從欲而治。"故禮之生,為賢人以下至庶民也,非為成聖也;然而亦所以成聖也,不學不成;堯學於君疇,舜學於務成昭,禹學於西王國。

舜曰く、「ただ我は欲望に順いて以て治理するのみ」と。だから礼の產生は、賢人より下は庶民に至るのためなりて、聖人を成就するのためにあらず。然りてもまた聖人を成就する所以なり。学ばざれば則ち能く成就せず。尭は君疇に学びて、舜は務成昭に学びて、禹は西王國に学べり。

五十不成喪,七十唯衰存。

五十歲は喪礼の全部儀節を完成せずして、七十歲はただ衰服を保留す。

親迎之禮,父南向而立,子北面而跪,醮而命之:"往迎爾相,成我宗事,隆率以敬先妣之嗣,若則有常。"子曰:"諾!唯恐不能,敢忘命矣!"

親迎の礼は、父は南に向かいて站ち、兒子は北に向かいて跪きて、酒を醮して而して彼に命じて曰く、「去りてなんじの配偶を迎接して、我が宗廟の事を成就して、盛大に彼女を率領して來りて敬んで先母の嗣を繼げ。なんじは常規有るべし」と。兒子曰く、「諾。ただ恐怕らくは能く為到せざらん。敢えて命令を忘れんや」と。

夫行也者,行禮之謂也。禮也者,貴者敬焉,老者孝焉,長者弟焉,幼者慈焉,賤者惠焉。

所謂行は、礼を實行するを言うなり。礼は、貴者に對しては敬し、老者に對しては孝し、長者に對しては悌し、幼者に對しては慈し、賤者に對しては惠を施す。

賜予其宮室,猶用慶賞於國家也;忿怒其臣妾,猶用刑罰於萬民也。

彼に宮室の中の人を賜与するは、国家に慶賞を用うるがごとし。その臣妾を忿怒するは、万民に刑罰を用うるがごとし。

君子之於子,愛之而勿面,使之而勿視,道之以道而勿強。

君子は兒子に於いては、彼を愛して而して臉面に表せず、彼を役使して而して盯看せず、道を用いて引導して而して強迫せず。

禮以順人心為本,故亡於禮經而順於人心者,皆禮也。

礼は人心に順從するを以て根本と為す。だから礼經の裏に在らずして而して人心に順從するは、皆礼なり。

禮之大凡:--事生、飾驩也,送死、飾哀也,軍旅、施威也。

礼の大凡は、生に事えるは、歡を文飾するなり。死を送るは、哀を文飾するなり。軍旅は、威を施加するなり。

親親、故故、庸庸、勞勞,仁之殺也;貴貴、尊尊、賢賢、老老、長長、義之倫也。行之得其節,禮之序也。仁、愛也,故親;義、理也,故行;禮、節也,故成。仁有裡,義有門;仁、非其裡而處之,非仁也;義,非其門而由之,非義也。推恩而不理,不成仁;遂理而不敢,不成義;審節而不和,不成禮;和而不發,不成樂。故曰:仁義禮樂,其致一也。君子處仁以義,然後仁也;行義以禮,然後義也;制禮反本成末,然後禮也。三者皆通,然後道也。

親愛は親當し、故旧は故當し、酬報は功有り、酬勞は勞有るは、仁の差等なり。尊貴は貴當し、尊敬は尊當し、尊賢は賢當し、敬老は老當し、尊長は長當するは、義の倫類なり。それを實行してあの節を得るは、礼の次序なり。仁は愛にして、だから親し。義は理にして、だから行う。礼は節にして、だから成す。仁に里有り、義に門有り。仁は、その里にあらずしてそこに處るは、仁にあらず。義は、その門にあらずしてそこより走るは、義にあらず。恩を推しげて而して理なきは、仁と成らず。理に順いて而して為すを敢えてせざるは、義と成らず。節を審察して而して和せざるは、礼と成らず。和して而して發揚せざるは、楽と成らず。だから言う、仁義礼楽は、彼らの到達する所は一事なり。君子は義を以て仁に處して、然る後に仁と為す。礼を以て義を行い、然る後に義と為す。礼を制定して根本に返回して末節を成就して、然る後に礼と為す。三樣皆通達して、然る後に道と為す。

貨財曰賻,輿馬曰賵,衣服曰襚,玩好曰贈,玉貝曰唅。賻賵、所以佐生也,贈襚、所以送死也。送死不及柩屍,吊生不及悲哀,非禮也。故吉行五十,奔喪百里,賵贈及事,禮之大也。

貨財をこれを賻といい、車馬をこれを賵といい、衣服をこれを襚といい、玩好をこれを贈といい、玉貝をこれを含という。賻と賵とは、以て生者を輔助するなり。贈と襚とは、以て死者を送るなり。死を送るは柩尸に趕不上して、生者を吊慰するは悲哀に趕不上するは、礼にあらず。だから吉事は五十里を走り、奔喪は一百里を走りて、賵贈は事に趕上するは、礼の大節なり。

禮者、政之挽也;為政不以禮,政不行矣。

礼は、政を為るの牽引なり。政を為るに礼を用いざれば、政は則ち能く實行せざるなり。

天子即位,上卿進曰:"如之何憂之長也?能除患則為福,不能除患則為賊。"授天子一策。中卿進曰:"配天而有下土者,先事慮事,先患慮患。先事慮事謂之接,接則事優成。先患慮患謂之豫,豫則禍不生。事至而後慮者謂之後,後則事不舉。患至而後慮者謂之困,困則禍不可御。"授天子二策。下卿進曰:"敬戒無怠,慶者在堂,吊者在閭。禍與福鄰,莫知其門。豫哉!豫哉!萬民望之。"授天子三策。

天子は位に即けば、上卿は進み前りて曰く、「如何せん。憂患は長久なりや。能く患を除去せば則ち福にして、能く患を除去せざれば則ち賊なり」と。天子に第一策を授给す。中卿は進み前りて曰く、「天に相配して而して下土有る人は、事に先んじて事を思慮し、患に先んじて患を思慮す。事に先んじて事を思慮するをこれを接といい、接すれば則ち事情は從容成就す。患に先んじて患を思慮するをこれを豫といい、豫すれば則ち禍は產生せず。事到りて然る後に思慮するをこれを後といい、後すれば則ち事情は辦成せず。患到りて然る後に思慮するをこれを困といい、困すれば則ち禍は以て抵禦すべからず」と。天子に第二策を授给す。下卿は進み前りて曰く、「敬慎戒備して怠惰するなかれ。慶賀する人は堂上に在りて、吊問する人は里門に在り。禍と福とは相隣して、人はその門を知らず。豫備せよ。豫備せよ。万民は仰望す」と。天子に第三策を授给す。

禹見耕者耦、立而式,過十室之邑、必下。

禹は耕地する人の竝耕を見れば、則ち站ちて軾を扶いて致敬して、十戸の邑を經過せば、必ず下車す。

殺大蚤,朝大晚,非禮也。治民不以禮,動斯陷矣。

田獵は早すぎ、上朝は晚すぎるは、礼にあらず。民を治理するに礼を用いざれば、一動けば則ち陷溺せり。

平衡曰拜,下衡曰稽首,至地曰稽顙。

手と心平しきをこれを拜といい、手は下垂するをこれを稽首といい、頭は地に到るをこれを稽顙という。

大夫之臣,拜不稽首,非尊家臣也,所以闢君也。

大夫の臣は、拜して而して稽首せずは、家臣を尊崇するにあらずして、以て国君の礼を避開するなり。

一命齒於鄉,再命齒於族,三命,族人雖七十不敢先。上大夫,中大夫,下大夫。

一命の官は鄕里に在りては年齢に按じて排位し、再命の官は族裏に在りては年齢に按じて排位し、三命の官は、族人はたとえ七十歲なるも彼の前に敢えて在らず。上��夫有り、中大夫有り、下大夫有り。

吉事尚尊,喪事尚親。

吉事は尊者を崇尚し、喪事は親者を崇尚す。

聘、問也。享、獻也。私覿、私見也。

聘は、問なり。享は、獻なり。私覿は、私見なり。

言語之美,穆穆皇皇。朝廷之美,濟濟鎗鎗。

言語の美は、穆穆皇皇なり。朝廷の美は、濟濟鏘鏘なり。

為人臣下者,有諫而無訕,有亡而無疾,有怨而無怒。

臣下と為るは、勸諫有りて而して毁謗なく、離去有りて而して嫉恨なく、怨有りて而して怒なし。

君於大夫,三問其疾,三臨其喪;於士,一問,一臨。諸侯非問疾弔喪不之臣之家。

君は大夫に對しては、三たびその病を問い、三たび親らその喪に臨み、士に對しては、一たび問い、一たび親臨す。諸侯は病を問い喪を吊らざれば則ち臣の家に到らず。

既葬,君若父之友食之則食矣,不闢梁肉,有醴酒則辭。

已に葬せし後、君あるいは父の朋友は彼に吃を給えば則ち吃し、稻粱肉を避開せず。醴酒有れば則ち辭謝す。

寢不踰廟,燕衣不踰祭服,禮也。

居室は廟を超過せず、燕居の衣服は祭服を超過せず。これは礼なり。

湯之鹹,見夫婦。夫婦之道,不可不正也,君臣父子之本也。鹹、感也,以高下下,以男下女,柔上而剛下。

『周易』の咸卦は、夫婦を見る。(底本は「湯之咸」と作るも、「湯」は「易」の訛り。)夫婦の道は、端正せざるべからず。是れ君臣父子の根本なり。咸は、即ち感なり。高を以て下の下に居り、男を以て女の下に居り、柔は上に在りて剛は下に在り。

聘士之義,親迎之道,重始也。

聘士の義・親迎の道は、開始を看重するなり。

禮者,人之所履也,失所履,必顛蹶陷溺。所失微而其為亂大者,禮也。

礼は、人の踐履する所にして、踐履する所を失えば、必ず顛僕陷溺す。失う所は微細にして而して造成する乱は大なるは、即ち礼なり。

禮之於正國家也,如權衡之於輕重也,如繩墨之於曲直也。故人無禮不生,事無禮不成,國家無禮不寧。君臣不得不尊,父子不得不親,兄弟不得不順,夫婦不得不驩,少者以長,老者以養。故天地生之,聖人成之。

礼は国家を端正するに於いては、権衡の輕重に於けるがごとく、繩墨の曲直に於けるがごとし。だから人は礼なくば則ち能く生きず、事は礼なくば則ち能く成さず、国家は礼なくば則ち能く安寧せず。君臣はそれなくして以て尊くする能わず、父子はそれなくして以て親しくする能わず、兄弟はそれなくして以て順しくする能わず、夫婦はそれなくして以て歡しくする能わず、年少のはそれに靠って成長し、年老のはそれに靠って養を得る。だから天地は人を生出して、聖人は人を成就す。

和鸞之聲,步中武象,趨中韶護。君子聽律習容而後出。

和鸞の聲は、慢步は武象に合して、趨步は韶護に合す。君子は楽律を聴準して、儀容を熟習して然る後に出門す。

霜降逆女,冰泮殺止,十日一御。

霜降は女子を迎娶して、冰は融化して婚娶を停止し、十日は一たび侍御す。

坐視膝,立視足,應對言語視面。立視前六尺而大之--六六三十六,三丈六尺。

坐しては對方の膝を看、站しては對方の脚を看、應對言語は對方の臉を看る。站して前面六尺を看て更に放大す――六六三十六、三丈六尺なり。

文貌情用,相為內外表裡。禮之中焉,能思索謂之能慮。

文貌と情用とは、互相いに内外表裏を為す。礼の中に在りて、能く思索するをこれを能慮という。

禮者,本末相順,終始相應。

礼は、本末は互相いに順從し、終始は互相いに應和す。

禮者,以財物為用,以貴賤為文,以多少為異。

礼は、財物を以て用と當て、貴賤を以て文と當て、多少を以て差異と當つ。

下臣事君以貨,中臣事君以身,上臣事君以人。

下等の臣は君に事えるに貨財を用い、中等の臣は君に事えるに自身を用い、上等の臣は君に事えるに人才を用う。

易曰:"復自道,何其咎?"春秋賢穆公,以為能變也。

『周易』に曰く、「道より返回して、何の過錯か有らん」と。『春秋』は秦穆公を以て賢と為して、以て能く改變するを為す。

士有妒友,則賢交不親;君有妒臣,則賢人不至。蔽公者謂之昧,隱賢者謂之妒,奉妒昧者謂之交譎。交譎之人,妒昧之臣,國之薉孽也。

士は妒嫉の朋友有れば、則ち賢者の交情は親ならず。君は妒嫉の臣有れば、則ち賢人は到來せず。公正を蒙蔽するをこれを昧といい、賢を隱没するをこれを妒といい、妒昧を奉行するをこれを交相詭詐という。交相詭詐の人・妒昧の臣は、国家の污穢災孽なり。

口能言之,身能行之,國寶也。口不能言,身能行之,國器也。口能言之,身不能行,國用也。口言善,身行惡,國妖也。治國者敬其寶,愛其器,任其用,除其妖。

口は能くそれを説して、身は能くそれを實行するは、国宝なり。口は能く説せずして、身は能くそれを實行するは、国器なり。口は能くそれを説して、身は能く實行せざるは、国用なり。口は善を説して、身は惡を行うは、国妖なり。国を治める人はあの宝を敬重し、あの器を愛惜し、あの用を任用して、あの妖を除去す。

不富無以養民情,不教無以理民性。故家五畝宅,百畝田,務其業,而勿奪其時,所以富之也。立大學,設庠序,修六禮,明七教,所以道之也。詩曰:"飲之食之,教之誨之。"王事具矣。

富まざれば則ち以て民情を養うなく、教えざれば則ち以て民性を治理するなし。だから家は毎に五畝の宅地・百畝の田を有ち、その業に專力して、而してその時令を侵奪せざるは、以て彼を富ましむるなり。大学を設立して、庠序を設置して、六礼を修治して、七教を顯明にするは、以て彼を引導するなり。『詩経・小雅・綿蠻』に言う。「彼に飲ましめ彼に食わしめ、彼を教え彼を誨ゆ」と。王者の事は則ち具備せり。

武王始入殷,表商容之閭,釋箕子之囚,哭比干之墓,天下鄉善矣。

武王は剛て殷に進入して、商容の里巷を旌表し、箕子の囚禁を釋放し、比干の墓の前に哭泣して、天下は則ち善に向かえり。

天下國有俊士,世有賢人。迷者不問路,溺者不問遂,亡人好獨。詩曰:"我言維服,勿用為笑。先民有言,詢於芻蕘。"言博問也。

天下の国は俊士有り、世々に賢人有り。迷路の人は路を問わず、溺水の人は以て渉るべき道を問わず、逃亡の人は独りを喜好す。『詩経・大雅・板』に言う。「我が話はただ切要の事にして、以て笑と為すなかれ。先民に話有りて、柴を砍る人に詢問す」と。是れ以て廣博に問うを言うなり。

有法者以法行,無法者以類舉。以其本知其末,以其左知其右,凡百事異理而相守也。慶賞刑罰,通類而後應;政教習俗,相順而後行。

法有るは法に按じて實行し、法なきは類に按じて擧出す。あの本を以てあの末を知り、あの左を以てあの右を知る。およそ百事は道理同じからずして而して互相いに持守す。慶賞刑罰は、類に通じて然る後に應驗し、政教習俗は、互相いに順從して然る後に實行す。

八十者一子不事,九十者舉家不事,廢疾非人不養者,一人不事,父母之喪,三年不事,齊衰大功,三月不事,從諸侯來,與新有昏,期不事。

八十歲の人は一個の兒子は服役せず、九十歲の人は全家は服役せず、殘疾は别人なければ則ち能く養われざるは、一個の人は服役せず。父母の喪は、三年は服役せず。齊衰大功は、三個月は服役せず。諸侯のそこより來たると、新たに結婚したるとは、一年は服役せず。

子謂子家駒續然大夫,不如晏子;晏子功用之臣也,不如子產;子產惠人也,不如管仲;管仲之為人,力功不力義,力知不力仁,野人也,不可為天子大夫。

孔子は子家駒を補充の大夫と言うて、晏子に如かず。晏子は功用の臣にして、子産に如かず。子産は惠を施す人にして、管仲に如かず。管仲の人と為りは、力を功に用いて而して力を義に用いず、力を智に用いて而して力を仁に用いざるは、野人にして、以て天子の大夫と為すべからず。

孟子三見宣王,不言事。門人曰:"曷為三遇齊王而不言事?"孟子曰:"吾先攻其邪心。"

孟子は三たび宣王に見えて、国事を談ぜず。門人曰く、「何を以て三たび齊王に遇見して而して国事を談ぜざる」と。孟子曰く、「我は先ず彼の邪心を攻む」と。

公行子之之燕,遇曾元於塗,曰:"燕君何如?"曾元曰:"志卑。志卑者輕物,輕物者不求助;苟不求助,何能舉?氐羌之虜也,不憂其系壘也,而憂其不焚也。利夫秋毫,害靡國家,然且為之,幾為知計哉!"

公行子之は燕に到りて、路上に於いて曾元に遇見して曰く、「燕君は如何ぞや」と。曾元曰く、「志向は卑下なり。志向卑下の人は事物を看輕して、事物を看輕する人は幫助を求めず。もし幫助を求めざれば、どうして能く辦成せん。氐羌の俘虜は、捆绑せらるるを憂愁せずして、而して死後焚燒せられざるを憂愁す。利はただ秋毫に在りて、害は却って国家に遍及して、然りて猶それを為す。どうして以て計算を知ると算せんや」と。

今夫亡箴者,終日求之而不得;其得之也,非目益明也,眸而見之也。心之於慮亦然。

如今あの鍼を丢失する人は、整天それを求めて而して得られず。彼はそれを得るは、眼睛が更に明るくなるにあらずして、細看して乃ちそれを見るなり。心は思慮に於いてもまたこのごとし。

"義"與"利"者,人之所兩有也。雖堯舜不能去民之慾利;然而能使其欲利不克其好義也。雖桀紂不能去民之好義;然而能使其好義不勝其欲利也。故義勝利者為治世,利克義者為亂世。上重義則義克利,上重利則利克義。故天子不言多少,諸侯不言利害,大夫不言得喪,士不通貨財。有國之君不息牛羊,錯質之臣不息雞豚,冢卿不修幣,大夫不為場園,從士以上皆羞利而不與民爭業,樂分施而恥積藏;然故民不困財,貧窶者有所竄其手。

「義」と「利」とは、人の両樣皆有する所なり。たとえ尭舜なりとも民の欲利を去掉する能わず。然りて能く彼らの欲利をして彼らの好義に勝過せざらしむべし。たとえ桀紂なりとも民の好義を去掉する能わず。然りて能く彼らの好義をして彼らの欲利に勝過せざらしむべし。だから義は利に勝過するは治世にして、利は義に勝過するは乱世なり。上に在るは義を看重すれば則ち義は利に勝過し、上に在るは利を看重すれば則ち利は義に勝過す。だから天子は多少を談ぜず、諸侯は利害を談ぜず、大夫は得喪を談ぜず、士は貨財を流通せず。国有るの君は牛羊を繁殖せず、委質の臣は鶏豬を繁殖せず、冢卿は貨幣を經營せず、大夫は場園を為さず。士より上は皆利を羞恥として而して民と業を争わずして、分施を楽として而して积蔵を恥とす。これに因って民は財に困窮せずして、貧苦の人は手を插して事を為すの地方有り。

文王誅四,武王誅二,周公卒業,至成康則案無誅已。

文王は四個を誅滅して、武王は兩個を誅滅して、周公はあの事業を完成して、成王康王に至れば則ち誅伐なし。

多積財而羞無有,重民任而誅不能,此邪行之所以起,刑罰之所以多也。

多く財を積而して無きを羞恥とし、民の負担を加重して勝任せざるを誅殺するは、これは邪行の興起する所以・刑罰の多き所以なり。

上好義,則民闇飾矣!上好富,則民死利矣!二者治亂之衢也。民語曰:"欲富乎?忍恥矣!傾絕矣!絕故舊矣!與義分背矣!"上好富,則人民之行如此,安得不亂!

上に在るは義を好めば、則ち民は暗中に己を修治せり。上に在るは富を好めば、則ち民は利のために死せり。こ兩樣は治乱の路口なり。民の諺曰く、「富まんと欲するか。耻辱を忍受せよ。家を傾き命を絶て。故旧を斷絶せよ。義と道を分かて背驰せよ」と。上に在るは富を好めば、則ち人民の行為はこのごとくなる。どうして能く乱れざらん。

湯旱而禱曰:"政不節與?使民疾與?何以不雨至斯極也!宮室榮與?婦謁盛與?何以不雨至斯之極也!苞苴行與?讒夫興與?何以不雨至斯極也!"

湯は旱に因って祈禱して曰く、「政は節制なからんや。民を役使するは急きすぎたるか。どうして雨を下さざるがこ極に至る。宮室は華麗すぎたるか。婦人の請托は盛きすぎたるか。どうして雨を下さざるがこ極に至る。賄賂は流行するか。讒人は興起するか。どうして雨を下さざるがこ極に至る」と。

天之生民,非為君也;天之立君,以為民也。故古者,列地建國,非以貴諸侯而已;列官職,差爵祿,非以尊大夫而已。

天は民を生ずるは、君のためにあらず。天は君を設立するは、民のためなり。だから古時は、土地を劃分して国家を建立するは、ただ以て諸侯を貴からしむるにあらず。官職を排列して、爵禄を分別するは、ただ以て大夫を尊からしむるにあらず。

主道知人,臣道知事。故舜之治天下,不以事詔而萬物成。農精於田,而不可以為田師,工賈亦然。

主の道は人を知るなり、臣の道は事を知るなり。だから舜は天下を治理して、事事に詔吿を用いずして万物は成就せり。農人は田に精するも、而して以て田師と為すべからず。工人商人もまたこのごとし。

以賢易不肖,不待卜而後知吉。以治伐亂,不待戰而後知克。

賢を用いて不肖を替換するは、問卜を待たずして然る後に吉を知る。治を以て乱を討伐するは、交戦を待たずして然る後に能く勝を知る。

齊人慾伐魯,忌卞莊子,不敢過卞。晉人慾伐衛,畏子路,不敢過蒲。

齊人は魯を討伐せんと欲して、卞荘子を忌憚して、敢えて卞を經過せず。晋人は衛を討伐せんと欲して、子路を畏懼して、敢えて蒲を經過せず。

不知而問堯舜,無有而求天府。--曰:先王之道,則堯舜已;六貳之博,則天府已。

知らずして尭舜に問い、無くして天府を求む。――曰く、先王の道は、則ち尭舜なり。六藝の廣博は、則ち天府なり。

君子之學如蛻,翻然遷之。故其行效,其立效,其置顏色、出辭氣效。無留善,無宿問。

君子の学は脱皮のごとくして、翻然として遷變す。だから彼の行走は效法し、彼の站立は效法し、彼の顔色を設置し辭氣を發出するは皆效法す。留れし善は為さざるなく、隔夜の疑問は問わざるなし。

善學者盡其理,善行者究其難。

学に善きはあの理を窮尽し、行に善きはあの難を追究す。

君子立志如窮,雖天子三公問正,以是非對。

君子は志を立つるは窮困に處るがごとくして、たとえ天子三公は正事を問うとも、是非に按じて對答す。

君子隘窮而不失,勞倦而不苟,臨患難而不忘細席之言。歲不寒無以知松柏,事不難無以知君子無日不在是。

君子は困窮して而して喪失せず、労倦して而して苟且せず、患難に臨んで而して茵席上の話を忘れず。年歲は寒冷せざれば則ち松柏を知る無し、事情は艱難せざれば則ち君子��一日ならずとも正道上に在らざるなきを知る無し。

雨小,漢故潛。夫盡小者大,積微者箸,德至者色澤洽,行盡而聲問遠,小人不誠於內而求之於外。

雨は小さけれど、漢水は仍お深し。小を窮尽すれば則ち大と成りて、微を積累すれば則ち顯明なり。徳は極致に至る人は色澤は和洽して、徳行は窮尽して聲聞は遠し。小人は内に於いて誠実ならずして而して外に於いてこれを求む。

言而不稱師謂之畔,教而不稱師謂之倍。倍畔之人,明君不內,朝士大夫遇諸塗不與言。

説話して而して師を称引せざるをこれを叛といい、人を教えて而して師を称引せざるをこれを背という。背叛の人は、明君は接纳せずして、朝中の士大夫は路上に遇見して彼と説話せず。

不足於行者,說過;不足於信者,誠言。故春秋善胥命,而詩非屢盟,其心一也。善為詩者不說,善為易者不占,善為禮者不相,其心同也。

以て實行するに足らざる人は、話は過分に説き、以て誠信するに足らざる人は、話は誠懇に説く。だから『春秋』は口頭の約定を称許して、而して『詩経』は屢屢たる盟誓を非議す。彼らの心は一樣なり。『詩経』に善きは空説せず、『周易』に善きは問卜せず、礼に善きは儐相を為さず。彼らの心は相同じし。

曾子曰:"孝子言為可聞,行為可見。言為可聞,所以說遠也;行為可見,所以說近也;近者說則親,遠者悅則附;親近而附遠,孝子之道也。"

曾子曰く、「孝子の話は、以て人に聴かしむべく、行為は以て人に見せしむべし。話は人に聴かしむべきは、以て遠方を取悦するなり。行為は人に見せしむべきは、以て近處を取悦するなり。近處は喜悦すれば則ち親しく、遠方は喜悦すれば則ち歸附す。近處に親近して遠方を招附するは、孝子の道なり」と。

曾子行,晏子從於郊,曰:"嬰聞之:君子贈人以言,庶人贈人以財。嬰貧無財,請假於君子,贈吾子以言:乘輿之輪,太山之木也,示諸檃栝,三月五月,為幬採,敝而不反其常。君子之檃栝,不可不謹也。慎之!蘭茞槁本,漸於蜜醴,一佩易之。正君漸於香酒,可讒而得也。君子之所漸,不可不慎也。"

曾子は出行して、晏子は郊に送りて曰く、「嬰は聞く、君子は人に言を以て贈し、庶人は財を以て贈す。嬰は貧して財なし。請う、君子の名義を借りて、言を以て吾子に贈らん。乘車の輪は、泰山の木頭なり。これを矯正器の上に放ちて、三五個月を經て、車輞を為成して密致して、破舊するもその原來の彎曲に返回せず。君子の矯正器は、謹慎せざるべからず。謹慎せよ。蘭茞槁本は、蜜酒に浸泡せば、佩带一たびして則ち換わる。正派の君は香酒に浸泡せば、また讒言に得らるべし。君子の漸染する所は、謹慎せざるべからず」と。

人之於文學也,猶玉之於琢磨也。詩曰:"如切如磋,如琢如磨。"謂學問也。和之璧,井裡之厥也,玉人琢之,為天子寶。子贛季路故鄙人也,被文學,服禮義,為天下列士。

人は文学に於いては、玉の琢磨に於けるがごとし。『詩経・衛風・淇奥』に言う。「切のごとく磋のごとく、琢のごとく磨のごとく」と。是れ学問を言うなり。卞和の璧は、里巷の石頭なり。玉人はそれを琢して、天子の宝と為る。子貢・季路は本來鄙野の人にして、文学を披きて、礼義を服習して、天下の列士と為る。

學問不厭,好士不倦,是天府也。

学問は厭倦せず、士を喜好して倦怠せざるは、是れ則ち天府なり。

君子疑則不言,未問則不言,道遠日益矣。

君子は疑有れば則ち説かず、未だ嘗て問わざれば則ち説かずして、道は長遠して日々に增益せり。

多知而無親,博學而無方,好多而無定者,君子不與。

知ること多くして而して親疎なく、学ぶこと廣くして而して方向なく、喜好すること多くして而して確定なきは、君子は結交せず。

少不諷誦,壯不論議,雖可,未成也。

年少に諷誦せず、壯年に議論せざれば、たとえ以てなるとも、成就なし。

君子壹教,弟子壹學,亟成。

君子は専一して教え、弟子は専一して学べば、則ち迅速に成就す。

君子進則益上之譽,而損下之憂。不能而居之,誣也;無益而厚受之,竊也。學者非必為仕,而仕者必如學。

君子は進用すれば則ち上の聲誉を增益して、而して下の憂を減損す。勝任せざるに位置を占據するは、誣なり。益處なくして俸禄を厚受するは、竊なり。学を求むる人は必ずしも官を為るのためならずして、而して官を為る人は必ず学を求めしごとくすべし。

子貢問於孔子曰:"賜倦於學矣,願息事君。"孔子曰:"詩云:'溫恭朝夕,執事有恪。'事君難,事君焉可息哉!""然則,賜願息事親。"孔子曰:"詩云:'孝子不匱,永錫爾類。'事親難,事親焉可息哉!""然則賜願息於妻子。"孔子曰:"詩云:'刑于寡妻,至於兄弟,以御於家邦。'妻子難,妻子焉可息哉!""然則賜願息於朋友。"孔子曰:"詩云:'朋友攸攝,攝以威儀。'朋友難,朋友焉可息哉!""然則賜願息耕。"孔子曰:"詩云:'晝爾於茅,宵爾索綯,亟其乘屋,其始播百穀。'耕難,耕焉可息哉!""然則賜無息者乎?"孔子曰:"望其壙,皋如也,顛如也,鬲如也,此則知所息矣。"子貢曰:"大哉!死乎!君子息焉,小人休焉。"

子貢は孔子に問うて曰く、「賜は學習に厭倦して、停止して君に事えんを願う」と。孔子曰く、「『詩経・商頌・那』に言う。『温恭して早より晚に至り、事を辦するに恭敬有り』と。君に事えるは難く、君に事えるは何處か以て停止せん」と。子貢曰く、「然れば則ち賜は停止して雙親に事えんを願う」と。孔子曰く、「『詩経・大雅・既醉』に言う。『孝子は窮尽なく、長久に汝の同類に賜わらん』と。雙親に事えるは難く、雙親に事えるは何處か以て停止せん」と。子貢曰く、「然れば則ち賜は停止して妻子兒女に在らんを願う」と。孔子曰く、「『詩経・大雅・思齊』に言う。『嫡妻に示範して、兄弟に推及して、以て家と邦を治理せん』と。妻子兒女は難く、妻子兒女は何處か以て停止せん」と。子貢曰く、「然れば則ち賜は停止して朋友に在らんを願う」と。孔子曰く、「『詩経・大雅・既醉』に言う。『朋友は互相いに輔助して、威儀を以て輔助せん』と。朋友は難く、朋友は何處か以て停止せん」と。子貢曰く、「然れば則ち賜は停止して耕種せんを願う」と。孔子曰く、「『詩経・豳風・七月』に言う。『白天は茅を割りに往きて、夜裏は繩を搓きて、疾く屋を修好して、百谷を播種を始めん』と。耕種は難く、耕種は何處か以て停止せん」と。子貢曰く、「然れば則ち賜は停止するの地方なからんや」と。孔子曰く、「あの坟壙を望めば、高くして、山頂のごとく、鼎鬲のごとし。これを以て停止するの地方を知る」と。子貢曰く、「大なりや。死や。君子はここに安息して、小人はここに完結す」と。

國風之好色也,傳曰:"盈其欲而不愆其止。其誠可比於金石,其聲可內於宗廟。"小雅不以於汙上,自引而居下,疾今之政以思往者,其言有文焉,其聲有哀焉。

国風の好色は、傳記に言う、「あの欲望を滿足して而してあの止境を越えず。その誠は以て金石に比すべく、その聲は以て宗廟に納入すべし」と。小雅は污濁の上に在るに迎合せず、自ら引退して下に處りて、當今の政を痛恨して以往を思念するは、その言は文有りて、その聲は哀有り。

國將興,必貴師而重傅,貴師而重傅,則法度存。國將衰,必賤師而輕傅;賤師而輕傅,則人有快;人有快則法度壞。

国家は將に興らんとすれば、必ず師を尊重して傅を看重す。師を尊重して傅を看重すれば、則ち法度は存在す。国家は將に衰えんとすれば、必ず師を賤視して傅を看輕す。師を賤視して傅を看輕すれば、則ち人は放縱有り。人は放縱有れば則ち法度は敗壞す。

古者匹夫五十而士。天子諸侯子十九而冠,冠而聽治,其教至也。

古時は匹夫は五十歲にして乃ち士と為る。天子諸侯の兒子は十九歲にして冠礼を行い、冠礼を行いて而して政治事を聽くは、教化の極致に至るなり。

君子也者而好之,其人也;其人而不教,不祥。非君子而好之,非其人也;非其人而教之,齎盜糧,借賊兵也。

是れ君子にして而して彼を喜好するは、則ちあの正当の人なり。是れあの正当の人にして而して教えざるは、不祥なり。君子にあらずして而して彼を喜好するは、あの正当の人にあらず。あの正当の人にあらずして而して彼を教えるは、是れ盗に粮食を送し、賊に兵器を借給するなり。

不自嗛其行者,言濫過。古之賢人,賤為布衣,貧為匹夫,食則饘粥不足,衣則豎褐不完;然而非禮不進,非義不受,安取此?

己はその徳行に滿足せざる人は、話は過分に説く。古時の賢人は、賤しくして布衣を為り、貧しくして匹夫を為りて、吃するは則ち稠粥は足らずして、穿するは則ち粗衣は完整せず。然りて礼にあらざれば則ち進まず、義にあらざれば則ち受けず。どうしてこの種の過分の話を取らんや。

子夏家貧,衣若縣鶉。人曰:"子何不仕?"曰:"諸侯之驕我者,吾不為臣;大夫之驕我者,吾不復見。柳下惠與後門者同衣,而不見疑,非一日之聞也。爭利如蚤甲,而喪其掌。"

子夏は家裏貧しくして、衣服は懸挂せる鵪鶉のごとし。人あるいは言��、「なんぢは何を以て官を為さざる」と。曰く、「諸侯は我に對して驕慢するは、我は彼の臣と為らず。大夫は我に對して驕慢するは、我は再び彼に見えず。柳下惠と後門を守る人とは衣服相同じくして、而して懷疑せられざるは、一日の名声にあらず。利を争うは指甲を争うがごとくして、而して手掌を喪失せり」と。

君人者不可以不慎取臣,匹夫不可不慎取友。友者、所以相有也。道不同,何以相有也?均薪施火,火就燥;平地注水,水流溼。夫類之相從也,如此其著也,以友觀人,焉所疑?取友善人,不可不慎,是德之基也。詩曰:"無將大車,維塵冥冥。"言無與小人處也。

人君と為るは臣を選取するに謹慎せざるべからずして、匹夫は友を選取するに謹慎せざるべからず。友は、以て互相いに親助するなり。道は同じからざれば、何を凭って互相いに親助せん。柴を均勻に放ちて火を點せば、火は則ち乾燥に趨向す。平地に水を灌げば、水は則ち濕に流向す。あの同類は相從するは、このごとく顯明にして、友を以て人を觀察すれば、どうして還って疑かあらん。友を選取して善人に親近するは、謹慎せざるべからず。これは徳の根基なり。『詩経・小雅・無將大車』に言う。「大車を扶けるなかれ、あの塵土は冥冥たり」と。是れ小人と相處するなかれを言うなり。

藍苴路作,似知而非。懦弱易奪,似仁而非。悍戇好鬥,似勇而非。

行為は粗率して道路上に造作するは、智有るに象るも是にあらず。懦弱して志を奪せられ易きは、仁に象るも是にあらず。凶悍戇直して争鬥を喜好するは、勇に象るも是にあらず。

仁義禮善之於人也,闢之若貨財粟米之於家也,多有之者富,少有之者貧,至無有者窮。故大者不能,小者不為,是棄國捐身之道也。

仁義礼善は人に於いては、比方すれば則ち貨財粟米の家に於けるがごとくして、多有るは則ち富にして、少有るは則ち貧にして、無きに至るは則ち窮なり。だから大のは能く為さずして、小のはまた為さざるは、これは国家を拋棄して自身を捐棄するの道なり。

凡物有乘而來,乘其出者,是其反也。

およそ物に憑借して來る有れば、それに憑借して去るは、即ちそれの返回するなり。

流言滅之,貨色遠之。禍之所由生也,生自纖纖也。是故君子蚤絕之。

流言はそれを滅掉して、貨色はそれを遠離す。禍の從て生出する所は、細微より生ず。これに因って君子は早くしてそれを斷絶す。

言之信者,在乎區蓋之間。疑則不言,未問則不言。

話は誠信する人は、疑信の間に在り。疑有れば則ち説かず、未だ嘗て問わざれば則ち説かず。

知者明於事,達於數,不可以不誠事也。故曰:"君子難說,說之不以道,不說也。"

智者は事に於いて明白して、数に於いて通達して、以て誠実に事を辦せざるべからず。だから言う、「君子は取悦し難し。彼を取悦するに道を用いざれば、彼は喜悦せず」と。

語曰:"流丸止於甌臾,流言止於知者。"此家言邪說之所以惡儒者也。是非疑,則度之以遠事,驗之以近物,參之以平心,流言止焉,惡言死焉。

俗に曰く、「滾動の彈丸は盆盂に停止し、流言は智者に停止す」と。これは私家邪説の儒者を厭惡する所以なり。是非に疑有れば、則ち遠事を以て度量し、近物を以て驗證し、平心を以て參驗せば、流言は則ち停止して、惡言は則ち死滅す。

曾子食魚,有餘,曰:"泔之。"門人曰:"泔之傷人,不若奧之。"曾子泣涕曰:"有異心乎哉!"傷其聞之晚也。

曾子は魚を吃して、余剩有りて曰く、「米汁を以てそれを浸泡せよ」と。門人曰く、「米汁に浸泡するは人を傷害して、鹽に以てそれを腌するに如かず」と。曾子は哭泣して曰く、「我は異心有るか」と。彼がこの話を聞くの晚きを傷感す。

無用吾之所短,遇人之所長。故塞而避所短,移而從所仕。疏知而不法,辨察而操僻,勇果而無禮,君子之所憎惡也。

我が短き所を以て、别人の長き所に遇うるなかれ。だから堵塞して短き所を避開して、轉移して能くする所に從う。智識は疎闊して而して法なく、辯察して而して僻を操持し、勇果して而して礼なきは、君子の憎惡する所なり。

多言而類,聖人也;少言而法,君子也;多言無法,而流湎然,雖辯,小人也。

話は多くして而して倫類有るは、聖人なり。話は少なくして而して法有るは、君子なり。話は多くして法なくして、而して放縱沉湎するは、たとえ辯に善くとも、小人なり。

國法禁拾遺,惡民之串以無分得也,有夫分義,則容天下而治;無分義,則一妻一妾而亂。

国法は拾取遺失物を禁止するは、民が分際なく得到するに習慣するを厭惡するなり。あの分際と義有れば、則ち天下を容納して而して能く治め、分際と義なければ、則ち一妻一妾なりとも亦乱れん。

天下之人,唯各特意哉,然而有所共予也。言味者予易牙,言音者予師曠,言治者予三王。三王既以定法度,制禮樂而傳之,有不用而改自作,何以異於變易牙之和,更師曠之律?無三王之法,天下不待亡,國不待死。

天下の人は、たとえ各々独特の意有るとも、然りて共同の称許有り。滋味を談ずるは易牙を称許し、音楽を談ずるは師曠を称許し、治理を談ずるは三王を称許す。三王は已に法度を確定して、礼楽を制定して而して流傳して來たり。人あるいはこれを用いずして自ら改作するは、易牙の調和を改變し、師曠の楽律を更換するとなんの異有らん。三王の法なければ、天下は己を亡ぼすを待たずして、国家は己を死せるを待たず。

飲而不食者,蟬也;不飲不食者,浮蝣也。

ただ飲みて吃せざるは、蟬なり。飲まず吃せざるは、浮蝣なり。

虞舜、孝己孝而親不愛,比干、子胥忠而君不用,仲尼、顏淵知而窮於世。劫迫於暴國而無所闢之,則崇其善,揚其美,言其所長,而不稱其所短也。

虞舜・孝己は孝して而して雙親は愛さず、比干・子胥は忠して而して君は任用せず、仲尼・顔淵は智して而して世上に窮困す。暴国に脅迫せられて而して避開する處なければ、則ちその善を崇尚し、その美を發揚して、その長ずる所を説きて、而してその短き所を称説せず。

惟惟而亡者,誹也;博而窮者,訾也;清之而俞濁者,口也。

唯唯諾諾して而して滅亡するは、誹謗に因るなり。廣博して而して困窮するは、詆毀に因るなり。それを澄清して而して更に渾濁するは、口に因るなり。

君子能為可貴,不能使人必貴己;能為可用,不能使人必用己。

君子は能く貴くすべきを為して、能く人をして必ず己を看重せしむる能わず。能く用いるべきを為して、能く人をして必ず己を任用せしむる能わず。

誥誓不及五帝,盟詛不及三王,交質子不及五伯。

誥誓は五帝の時代に到らず、盟詛は三王の時代に到らず、人質を交換するは五霸の時代に到らず。

宥坐篇第二十八

孔子觀於魯桓公之廟,有欹器焉,孔子問於守廟者曰:"此為何器?"守廟者曰:"此蓋為宥坐之器,"孔子曰:"吾聞宥坐之器者,虛則欹,中則正,滿則覆。"孔子顧謂弟子曰:"注水焉。"弟子挹水而注之。中而正,滿而覆,虛而欹,孔子喟然而嘆曰:"籲!惡有滿而不覆者哉!"子路曰:"敢問持滿有道乎?"孔子曰:"聰明聖知,守之以愚;功被天下,守之以讓;勇力撫世,守之以怯,富有四海,守之以謙:此所謂挹而損之之道也。"

孔子は魯桓公の廟を觀看して、一件の傾斜の器有り。孔子は廟を守る人に問うて曰く、「これは何の器ぞ」と。廟を守る人曰く、「これはほぼ宥坐の器ならん」と。孔子曰く、「我は聞く、宥坐の器は、空なれば則ち傾斜し、適中なれば則ち正しく、滿なれば則ち翻覆す」と。孔子は頭を回らして弟子に對して曰く、「水を注ぎて進入せよ」と。弟子は水を舀いて注入す。適中なれば則ち正しく、滿なれば則ち翻覆し、空なれば則ち傾斜す。孔子は嘆息して曰く、「嗚呼。どうして滿して而して翻覆せざる有らんや」と。子路曰く、「敢えて問う、滿を保持するに道有るか」と。孔子曰く、「聰明聖智は、愚を以て持守し、功は天下を覆蓋するは、謙讓を以て持守し、勇力は世を蓋うは、怯を以て持守し、富は四海を有するは、謙を以て持守す。これは則ち所謂挹取して減損するの道なり」と。

孔子為魯攝相,朝七日而誅少正卯。門人進問曰:"夫少正卯魯之聞人也,夫子為政而始誅之,得無失乎,"孔子曰:"居,吾語女其故。人有惡者五,而盜竊不與焉:一曰:心達而險;二曰:行闢而堅;三曰:言偽而辯;四曰:記醜而博;五曰:順非而澤--此五者有一於人,則不得免於君子之誅,而少正卯兼有之。故居處足以聚徒成群,言談足飾邪營眾,強足以反是獨立,此小人之桀雄也,不可不誅也。是以湯誅尹諧,文王誅潘止,周公誅管叔,太公誅華仕,管仲誅付裡乙,子產誅鄧析史付,此七子者,皆異世同心,不可不誅也。詩曰:'憂心悄悄,慍於群小。'小人成群,斯足憂也。"

孔子は魯の代理相を為して、上朝七日にして則ち少正卯を誅殺す。門人は進み前りて問うて曰く、「少正卯は魯の有名の人にして、夫子は政を執りて開始に彼を誅殺すは、該り過失あらざらんか」と。孔子曰く、「坐せ。我はなんぢに緣故を吿げん。人に五种の惡有りて、而して盗竊はその中に在らず。一は、心は通達して而して險し。二は、行為は僻にして而して堅定なり。三は、言は虚僞して而して辯に善し。四は、記述は醜惡して而して廣博なり。五は、錯誤に順從して而して潤澤す。こ五樣の人は一樣有れば、則ち能く君子の誅殺を免れずして、而して少正卯はそれらを兼有す。だから居處は以て徒衆を聚集して群と成すに足り、言談は以て邪説を文飾して衆人を迷惑するに足り、強は以て正道に反對して獨立するに足る。これは小人の中の豪雄にして、以て誅殺せざるべからず。これに因って湯は尹諧を誅殺し、文王は潘止を誅殺し、周公は管叔を誅殺し、太公は華仕を誅殺し、管仲は付里乙を誅殺し、子産は鄧析・史付を誅殺す。こ七個の人は、皆世代を同じくせずして而して心は相同じくして、以て誅殺せざるべからず。『詩経・邶風・柏舟』に言う。「憂心は悄悄として、群小に怨怒せらる」と。小人は群と成れば、これは以て憂うに値するなり」と。

孔子為魯司寇,有父子訟者,孔子拘之,三月不別。其父請止,孔子舍之。季孫聞之,不說,曰:"是老也欺予。語予曰:為國家必以孝。今殺一人以戮不孝!又舍之。"冉子以告。孔子慨然嘆曰:"嗚呼!上失之,下殺之,其可乎?不教其民,而聽其獄,殺不辜也。三軍大敗,不可斬也;獄犴不治,不可刑也,罪不在民故也。嫚令謹誅,賊也。今生也有時,斂也無時,暴也;不教而責成功,虐也。--已此三者,然後刑可即也。書曰:'義刑義殺,勿庸以即,予維曰未有順事。'言先教也。故先王既陳之以道,上先服之;若不可,尚賢以綦之;若不可,廢不能以單之;綦三年而百姓從風矣。邪民不從,然後俟之以刑,則民知罪矣。詩曰:'尹氏大師,維周之氐;秉國之均,四方是維;天子是庳,卑民不迷。'是以威厲而不試,刑錯而不用,此之謂也。今之世則不然:亂其教,繁其刑,其民迷惑而墮焉,則從而制之,是以刑彌繁,而邪不勝。三尺之岸而虛車不能登也,百仞之山任負車登焉,何則?陵遲故也。數仞之牆而民不踰也,百仞之山而豎子馮而遊焉,陵遲故也。今之世陵遲已久矣,而能使民勿踰乎,詩曰:'周道如砥,其直如矢。君子所履,小人所視。眷焉顧之,潸焉出涕。'豈不哀哉!"

孔子は魯の司寇を為して、父子の訴訟有るに、孔子は彼を拘留して、三個月は判決せず。その父は停止を請求して、孔子は彼を釋放せり。季孫は聴聞して、喜悅せずして曰く、「この老頭子は我を欺騙す。我に吿曰く、国家を治理するは必ず孝を用うと。如今一人を殺して以て不孝を懲戒せんとすれど、却って彼を釋放せり」と。冉子はこの話を以て孔子に吿げり。孔子は感慨嘆息して曰く、「嗚呼。上は教化を失うて、下は殺戮するは、豈に以て可ならんや。その民を教育せずして、而して��の獄訟を聽斷するは、無辜を殺すなり。三軍は大敗せば、以て斬殺すべからず。監獄は治理せざれば、以て刑を動かすべからず。罪は民に在らざるの故なり。法令は怠慢して而して誅殺は急迫なるは、賊なり。如今生產に時節有りて、斂取に時節なきは、暴なり。教育せずして而して成功を責求するは、虐なり。――こ三樣を止息して、然る後に刑は乃ち以て就近使用すべし。『尚書』に言う。「正当の刑・正当の殺は、就きて以て即ち施行するなかれ。我はただいまだ事情を理順せずと言う」と。是れ先に教育するを言うなり。だから先王は已に道を陳列して、上は先ず自ら實行す。もし猶行はれざれば、則ち賢を崇尚して極力に引導す。もし猶行はれざれば、則ち不能のを廢して以て彼らを警惕す。三年を滿して而して百姓は風に從えり。邪民は猶從わざれば、然る後に刑を以て彼らを待てば、則ち民は罪を知る。『詩経・小雅・節南山』に言う。「尹氏太師は、周の根基にして、国家の均平を執掌して、四方は彼に靠って維繫して、天子は彼に靠って輔佐して、民をして迷惑せざらしむ」と。これに因って威厳は厲にして而して試用せず、刑罰は擱置して而して用いず。言う所はこれなり。如今の世道は則ちこれにあらず。あの教化を擾乱して、あの刑罰を繁多して、民は迷惑して堕落せば、則ち從りて彼らを制裁す。これに因って刑は更に繁多して、而して邪は能く勝えず。三尺の陡岸にして而して空車は能く登上せず、百仞の山にして負重の車は能く登上するは、何ぞや。坡度は平緩なるに因るなり。幾仞の牆にして而して民は越えず、百仞の山にして而して孩子は登上去して游玩するは、坡度は平緩なるに因るなり。如今の世道は平緩なりて已に久し。還って能く民をして越えざらしめんや。『詩経・小雅・大東』に言う。「周道は磨石のごとく、その直は箭のごとし。君子の踐履する所にして、小人の注視する所なり。頭を回らしてそれを看れば、眼淚は落下す」と。豈に悲哀ならざらんや」と。

詩曰:"瞻彼日月,悠悠我思。道之雲遠,曷雲能來。"子曰:"伊稽首不其有來乎?"

『詩経・邶風・雄雉』に言う。「あの日月を看れば、悠悠として我は想念す。道路はあれほど遠くして、どうして能く來らん」と。孔子曰く、「もし能く本原を稽考せば、豈に來る有らざらんや」と。

孔子觀於東流之水。子貢問於孔子曰:"君子之所以見大水必觀焉者,是何?"孔子曰:"夫水遍與諸生而無為也,似德。其流也埤下,裾拘必循其理,似義,其洸洸乎不淈盡,似道。若有決行之,其應佚若聲響,其赴百仞之谷不懼,似勇。主量必平,似法。盈不求概,似正。淖約微達,似察。以出以入以就鮮絜,似善化。其萬折也必東,似志。是故見大水必觀焉。

孔子は東に向かいて流るる水を觀看す。子貢は孔子に問うて曰く、「君子の大水を見れば必ず觀看する所以は、何を為とす」と。孔子曰く、「水は普遍に各種の生物に給与して而して己は無為にして、徳に象る。それは流るれば則ち低下に向かいて、彎彎曲曲して必ずあの理に順いて、義に象る。それは浩浩して枯竭せずして、道に象る。もし決開して而してそれを行かしむ有れば、それは應和奔放するは聲響のごとくして、それは百仞の山谷に奔赴して懼れずして、勇に象る。容器に注入すれば必ず平にして、法に象る。滿ちて而して概を以て刮平を求めずして、正に象る。柔弱細微して而して能く通達して、察に象る。出去進來して而して鮮潔に就て、教化に善きに象る。それは万次曲折するも必ず東に向かうて、志に象る。これに因って大水を見れば必ず觀看す」と。

孔子曰:"吾有恥也,吾有鄙也,吾有殆也:幼不能強學,老無以教之,吾恥之,去其故鄉,事君而達,卒遇故人曾無舊言,吾鄙之;與小人處者,吾殆之也。"

孔子曰く、「我は以て恥と為す有り、我は以て鄙と為す有り、我は以て危殆と為す有り。年幼して努力学習せず、老して以て人を教えるなきは、我は以て恥と為す。その故郷を離れて、君に事えて顯達して、突然故人に遇見して竟に旧日の話なきは、我は以て鄙と為す。小人と相處するは、我は以て危殆と為す」と。

孔子曰:"如垤而進,吾與之;如丘而止,吾已矣。"今學曾未如(月尤)贅,則具然欲為人師。

孔子曰く、「螻蟻塚のごとく前進するは、我は彼を許贊す。山丘のごとく停止するは、我は完了せり」と。如今学問は還って贅疣に如かずして、却って自滿して人の老師を為さんと欲す。

孔子南適楚,厄於陳蔡之間,七日不火食,藜羹不糝,弟子皆有飢色。子路進而問之曰:"由聞之:為善者天報之以福,為不善者天報之以禍,今夫子累德積義懷美,行之日久矣,奚居之隱也?"孔子曰:"由不識,吾語女。女以知者為必用邪?王子比干不見剖心乎!女以忠者為必用邪?關龍逢不見刑乎!女以諫者為必用邪?吳子胥不磔姑蘇東門外乎!夫遇不遇者,時也;賢不肖者,材也;君子博學深謀,不遇時者多矣!由是觀之,不遇世者眾矣,何獨丘也哉!且夫芷蘭生於深林,非以無人而不芳。君子之學,非為通也,為窮而不困,憂而意不衰也,知禍福終始而心不惑也。夫賢不肖者,材也;為不為者,人也;遇不遇者,時也;死生者,命也。今有其人,不遇其時,雖賢,其能行乎?苟遇其時,何難之有!故君子博學深謀,修身端行,以俟其時。"孔子曰:"由!居!吾語女。昔晉公子重耳霸心生於曹,越王句踐霸心生於會稽,齊桓公小白霸心生於莒。故居不隱者思不遠,身不佚者志不廣;女庸安知吾不得之桑落之下?"

孔子は南して楚に至りて、陳蔡の間に困窮して、七日は火を燒いて飯を為さずして、藜菜の湯は米粒なくして、弟子は皆飢色有り。子路は進み前りて彼に問うて曰く、「由は聞く、善を為すは天は福を以て彼に報い、不善を為すは天は禍を以て彼に報うと。如今夫子は徳を積累して義を積累して美を懷抱して、實行して已に日子久し。どうして處境はこのごとく困窮する」と。孔子曰く、「由は明白せず。我はなんぢに吿げん。なんぢは以て智者は必ず任用せらるると為すか。王子比干は心を剖かれたるにあらずや。なんぢは以て忠者は必ず任用せらるると為すか。關龍逢は刑を受けたるにあらずや。なんぢは以て勸諫する人は必ず任用せらるると為すか。呉国の子胥は姑蘇東門の外に肢體を分裂せられたるにあらずや。遇上するやせざるやは、時運なり。賢と不肖とは、材料なり。君子は博学深謀して、時運に遇上せざるは多し。これより觀れば、世に遇上せざる人は多し。どうしてただ丘のみならん。況んや芷蘭は深林に生るるは、並びに人なきに因って香ならざらず。君子の学は、顯達のためならずして、窮困して而して困窘せざるのため、憂愁して而して意は衰減せざるのため、禍福終始を知りて而して心は迷惑せざるのためなり。賢と不肖とは、材料なり。為すと為さざるとは、人なり。遇上するやせざるやは、時運なり。死生は、命なり。如今あのごとき人にして、あのごとき時運に遇上せざれば、たとえ賢なるも、彼は能く實行せんや。もしあのごとき時運に遇上せば、何の難有らん。だから君子は博学深謀して、身を修め行を端正して、以てその時運を待つ」と。孔子曰く、「由。坐せ。我はなんぢに吿げん。從前晋公子重耳の覇心は曹に生じ、越王勾践の覇心は會稽に生じ、齊桓公小白の覇心は莒に生じたり。だから處境困窮せざる人は思慮は深遠ならず、自身は逃逸せざる人は志向は廣大ならず。なんぢはどうして我は能く桑落の下に得る所有るを知らんや」と。

子貢觀於魯廟之北堂,出而問於孔子曰:"鄉者賜觀於太廟之北堂,吾亦未輟,還復瞻被九蓋皆繼,被有說邪?匠過絕邪?"孔子曰:"太廟之堂亦嘗有說,官致良工,因麗節文,非無良材也,蓋曰貴文也。"

子貢は魯廟の北堂を觀看して、出でて孔子に問うて曰く、「さっき賜は太廟の北堂を觀看して、我は亦停止せずして、回来して再びあの門扇を看れば皆拼接にして、あの説法有るか。是れ工匠は過失にて截斷したるか」と。孔子曰く、「太廟の堂もまた嘗て説法有りて、官府は良工を招來して、華麗に就着して文飾を節制したり。良材なきにあらずして、ほぼ文を看重するを言うならん」と。

子道篇第二十九

入孝出弟,人之小行也。上順下篤,人之中行也;從道不從君,從義不從父,人之大行也。若夫志以禮安,言以類使,則儒道畢矣。雖堯舜不能加毫末於是矣。孝子所不從命有三:從命則親危,不從命則親安,孝子不從命乃衷;從命則親辱,不從命則親榮,孝子不從命乃義;從命則禽獸,不從命則修飾,孝子不從命乃敬。故可以從命而不從,是不子也;未可以從而從,是不衷也;明於從不從之義,而能致恭敬,忠信、端愨、以慎行之,則可謂大孝矣。傳曰:"從道不從君,從義不從父。"此之謂也。故勞苦、雕萃而能無失其敬,災禍、患難而能無失其義,則不幸不順見惡而能無失其愛,非仁人莫能行。詩曰:"孝子不匱。"此之謂也。

家に在りて孝して、門を出でて悌するは、人の小行なり。上に對して順從して下に對して篤厚するは、人の中行なり。道に從いて君に從わず、義に從いて父に從わざるは、人の大行なり。志向は礼を以て安んじ、言語は類に按じて使用するに至れば、則ち儒者の道は完備せり。たとえ尭舜なりともこの上に毫末を增加する能わず。孝子の從命せざる所以は三樣有りて、從命すれば則ち雙親は危うく、從命せざれば則ち雙親は安んず。孝子は從命せずして乃ち衷心なり。從命すれば則ち雙親は辱められ、從命せざれば則ち雙親は栄す。孝子は從命せずして乃ち義なり。從命すれば則ち禽獸と成りて、從命せざれば則ち修治文飾す。孝子は從命せずして乃ち敬なり。だから以て從命すべくして而して從わざるは、兒子に象らず。未だ以て從うべからざるに却って從うは、衷心ならず。從うと從わざるの義を明白して、而して能く恭敬・忠信・端謹を極尽して、以て謹慎に實行せば、則ち以て大孝と称すべし。傳記に言う。「道に從いて君に從わず、義に從いて父に從わず」と。これを言うのである。だから労苦・憔悴して而して能くあの敬を失わず、災禍・患難して而して能くあの義を失わず、たとえ不幸にして順ならずして厭惡せられても能くあの愛を失わざるは、仁人にあらざれば能く實行するなし。『詩経・大雅・既醉』に言う。「孝子は窮尽なし」と。これを言うのである。

魯哀公問於孔子曰:"子從父命,孝乎?臣從君命,貞乎?"三問,孔子不對。孔子趨出以語子貢曰:"鄉者,君問丘也,曰:'子從父命,孝乎?臣從君命,貞乎?'三問而丘不對,賜以為何如?"子貢曰:"子從父命,孝矣。臣從君命,貞矣,夫子有奚對焉?"孔子曰:"小人哉!賜不識也!昔萬乘之國,有爭臣四人,則封疆不削;千乘之國,有爭臣三人,則社稷不危;百乘之家,有爭臣二人,則宗廟不毀。父有爭子,不行無禮;士有爭友,不為不義。故子從父,奚子孝?臣從君,奚臣貞?審其所以從之之謂孝、之謂貞也。"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「兒子は父の命に聽從するは、孝なるか。臣は君の命に聽從するは、貞なるか」と。三たび問うて、孔子は回答せず。孔子は快步して出でて子貢に吿げて曰く、「さっき、君は丘に問うて曰く、『兒子は父の命に聽從するは、孝なるか。臣は君の命に聽從するは、貞なるか』と。三たび問うて而して丘は回答せず。賜は以て如何ぞや」と。子貢曰く、「兒子は父の命に聽從するは、孝なり。臣は君の命に聽從するは、貞なり。夫子はまた何の對答か有らん」と。孔子曰く、「小人なりや。賜は明白せず。從前万乘の国は、諫争の臣四個有れば、則ち疆界は削られず。千乘の国は、諫争の臣三個有れば、則ち社稷は危ならず。百乘の家は、諫争の臣兩個有れば、則ち宗廟は毁られず。父は諫争の兒子有れば、无礼を實行せず。士は諫争の朋友有れば、不義を為さず。だから兒子は父に聽從するは、どうして則ち兒子は孝ならん。臣は君に聽從するは、どうして則ち臣は貞ならん。聽從する所以を審察して乃ちこれを孝といい貞という」と。

子路問於孔子曰:"有人於此,夙興夜寐,耕耘樹藝,手足胼胝,以養其親,然而無孝之名,何也?"孔子曰:"意者身不敬與?辭不遜與?色不順與?古之人有言曰:'衣與!繆與!不女聊。'今夙興夜寐,耕耘樹藝,手足胼胝,以養其親,無此三者,則何為而無孝之名也?意者所友非人邪?"孔子曰:"由志之,吾語女。雖有國士之力,不能自舉其身。非無力也,勢不可也。故入而行不修,身之罪也;出而名不章,友之過也。故君子入則篤行,出則友賢,何為而無孝之名也!"

子路は孔子に問うて曰く、「人あるいはここに在りて、早起きて晚睡して、耕耘種植して、手脚は繭を磨出して、以てその雙親を養活して、然りて孝の名声なし。何ぞや」と。孔子曰く、「想来は自身は敬ならざるか。言辭は遜ならざるか。臉色は順ならざるか。古時の人に話有りて曰く、「衣服や。綢繆や。汝に靠って過活せず」と。如今早起きて晚睡して、耕耘種植して、手脚は繭を磨出して、以てその雙親を養活して、こ三樣の缺失なければ、則ちどうして孝の名声なからんや。想来は交る友は人にあらざるか」と。孔子曰く、「由は記住せよ。我はなんぢに吿げん。たとえ国士の力氣有るとも、能く自ら自身を擧起せず。力氣なきにあらずして、勢は以て可ならず。だから家に在りて徳行は修治せざるは、自身の罪なり。門を出でて名声は顯明ならざるは、朋友の過錯なり。だから君子は家に在れば則ち篤行して、門を出でば則ち賢友を交る。どうして孝の名声なからんや」と。

子路問於孔子曰:"魯大夫練而床,禮邪?"孔子曰:"吾不知也。"子路出,謂子貢曰:"吾以為夫子無所不知,夫子徒有所不知。"子貢曰:"汝何問哉?"子路曰:"由問:'魯大夫練而床,禮邪?'夫子曰:'吾不知也。'"子貢曰:"吾將為女問之。"子貢問曰:"練而床,禮邪?"孔子曰;"非禮也。"子貢出,謂子路曰:"女謂夫子為有所不知乎!夫子徒無所不知。女問非也。禮:居是邑不非其大夫。"

子路は孔子に問うて曰く、「魯大夫は練祭して而して床に睡るは、礼なるか」と。孔子曰く、「我は知らず」と。子路は出でて、子貢に對して曰く、「我は以て夫子は知らざるなしと為すも、夫子はただ知らざる有り」と。子貢曰く、「なんぢは何を問いてし」と。子路曰く、「由は問う、『魯大夫は練祭して而して床に睡るは、礼なるか』と。夫子曰く、『我は知らず』と」と。子貢曰く、「我は將になんぢのために問わん」と。子貢は問うて曰く、「練祭して而して床に睡るは、礼なるか」と。孔子曰く、「礼にあらず」と。子貢は出でて、子路に對して曰く、「なんぢは言う、夫子は知らざる有るかと。夫子はただ知らざるなし。なんぢの問うは不對なり。礼は、この邑に住めばその大夫を非議せず」と。

子路盛服而見孔子,孔子曰:"由,是裾裾何也?昔者江出於岷山,其始出也,其源可以濫觴,及其至江之津也,不放舟,不避風,則不可涉也。非維下流水多邪?今女衣服既盛,顏色充盈,天下且孰肯諫女矣!子路趨而出,改服而入,蓋猶若也。孔子曰:"由志之!吾語汝:奮於言者華,奮於行者伐,色知而有能者,小人也。故君子知之曰知之,不知曰不知,言之要也;能之曰能之,不能曰不能,行之至也。言要則知,行至則仁;既仁且知,夫惡有不足矣哉!"

子路は衣服は盛大にして孔子に見えり。孔子曰く、「由。このごとく衣服斉整するは何を為とす。從前江は岷山より出でて、それ剛て出づるは、あの源頭は以て酒杯を浮起すべく、それは江の渡口に到るを待てば、船を竝せず、風を避開せざれば、則ち以て渉るべからず。下游の水は多きにあらずや。如今なんぢは衣服已に盛大にして、臉色は充盈して、天下は將に誰かなんぢを勸諫せんを肯んずん」と。子路は快步して出でて、衣服を改換して再び進入して、ほぼ舒緩の樣子なり。孔子曰く、「由は記住せよ。我はなんぢに吿げん。言語の上に奮發するは浮華にして、行為の上に奮發するは自誇にして、臉色の上に知有りて能有るを顯するは、小人なり。だから君子は知れば則ち知ると説き、知らざれば則ち知らずと説くは、言の要約なり。能ければ則ち能くと説き、能くせざれば則ち能くせずと説くは、行の極致なり。言は要約を得れば則ち智にして、行は極致に至れば則ち仁なり。既に仁して而して智なるは、どうして還って不足か有らん」と。

子路入,子曰:"由!知者若何?仁者若何?"子路對曰:"知者使人知己,仁者使人愛己。"子曰:"可謂士矣。"子貢入,子曰:"賜!知者若何?仁者若何?"子貢對曰:"知者知人,仁者愛人。"子曰:"可謂士君子矣。"顏淵入,子曰:"回!知者若何?仁者若何?"顏淵對曰:"知者自知,仁者自愛。"子曰:"可謂明君子矣。"

子路は進入して、孔子曰く、「由。智者は如何ぞ。仁者は如何ぞ」と。子路は對答して曰く、「智者は人をして己を知らしめ、仁者は人をして己を愛せしむ」と。孔子曰く、「以て士と称すべし」と。子貢は進入して、孔子曰く、「賜。智者は如何���。仁者は如何ぞ」と。子貢は對答して曰く、「智者は人を知りて、仁者は人を愛す」と。孔子曰く、「以て士君子と称すべし」と。顔淵は進入して、孔子曰く、「回。智者は如何ぞ。仁者は如何ぞ」と。顔淵は對答して曰く、「智者は自ら知りて、仁者は自ら愛す」と。孔子曰く、「以て明君子と称すべし」と。

子路問於孔子曰:"君子亦有憂乎?"孔子曰:"君子其未得也,則樂其意,既已得之,又樂其治。是以有終生之樂,無一日之憂。小人者其未得也,則憂不得;既已得之,又恐失之。是以有終身之憂,無一日之樂也。"

子路は孔子に問うて曰く、「君子もまた憂有るか」と。孔子曰く、「君子は未だ得ざるの時に在りては、則ちその意を楽しみ、已に得之ば、またその治を楽しむ。これに因って終生の乐有りて、一日の憂なし。小人は未だ得ざるの時に在りては、則ち得られざるを憂愁して、已に得之ば、また失わんを恐怕る。これに因って終身の憂有りて、一日の乐なし」と。

法行篇第三十

公輸不能加於繩墨,聖人不能加於禮。禮者,眾人法而不知,聖人法而知之。

公輸は能く繩墨を超過せず、聖人は能く礼を超過せず。礼は、衆人は取法して而して知らず、聖人は取法して而してそれを知る。

曾子曰:"無內人之疏而外人之親,無身不善而怨人,無刑己至而呼天。內人之疏而外人之親,不亦反乎!身不善而怨人,不亦遠乎!刑己至而呼天,不亦晚乎!詩曰:'涓涓源水,不雝不塞。轂已破碎,乃大其輻。事已敗矣,乃重太息。'其雲益乎!"

曾子曰く、「家裏の人に對して疎遠して而して外面の人に對して親近するなかれ。自身は不善にして而して人を怨むるなかれ。刑罰は已に到りて而して乃ち天を呼ぶなかれ。家裏の人に對して疎遠して而して外面の人に對して親近するは、亦反るにあらずや。自身は不善にして而して人を怨むるは、亦題を離れ遠きにあらずや。刑罰は已に到りて而して乃ち天を呼ぶは、亦晚きにあらずや。『詩経』に言う。「涓涓の源水は、壅塞せざらず。車轂已に破碎して、乃ちあの輻を加大す。事情已に失敗して、乃ち長嘆を重复す」と。あのまた何の増益か有らん」と。

曾子病,曾元持足,曾子曰:"元!志之!吾語汝。夫魚鱉黿鼉猶以淵為淺而堀其中,鷹鳶猶以山為卑而增巢其上,及其得也必以餌。故君子能無以利害義,則恥辱亦無由至矣。"

曾子は病えり。曾元はその脚を握りて、曾子曰く、「元。記住せよ。我はなんぢに吿げん。魚鱉黿鼉は猶以て淵は淺すぎと為してその中に洞を打ちて、鷹鳶は猶以て山は低すぎと為してその上に巢を加高して、彼らの捕獲せらるるを待てば必ず誘餌に因る。だから君子は能く利に因って義を害せざれば、則ち耻辱もまた來るの無し」と。

子貢問於孔子曰:"君子之所以貴玉而賤(王民)者,何也?為夫玉之少而(王民)之多邪?"孔子曰:"惡!賜!是何言也!夫君子豈多而賤之,少而貴之哉!夫玉者,君子比德焉。溫潤而澤,仁也;栗而理,知也;堅剛而不屈,義也;廉而不劌,行也;折而不撓,勇也;瑕適並見,情也;扣之,其聲清揚而遠聞,其止輟然,辭也。故雖有(王民)之雕雕,不若玉之章章。詩曰:'言念君子,溫其如玉。'此之謂也。"

子貢は孔子に問うて曰く、「君子の玉を看重して珉を賤視する所以は、何を為とす。是れ玉は少くして珉は多きに因るか」と。孔子曰く、「惡。賜。これは何の話ぞ。君子は豈に多ければ則ちそれを賤視し、少ければ則ちそれを看重せんや。玉は、君子は以て徳を比ぶるなり。温潤して而して光澤有るは、仁なり。堅實して而して紋理有るは、智なり。堅剛して而して屈曲せざるは、義なり。棱角有りて而して割傷せざるは、行なり。折斷して而して撓曲せざるは、勇なり。瑕疵と美好とは一竝して顯現するは、情なり。それを敲けば、あの聲音は清揚して而して遠く傳ぇて、停止の時は截然たるは、辭なり。だからたとえ珉の雕琢文飾有るとも、玉の彰明に如かず。『詩経・秦風・小戎』に言う。「君子を想念するは、温和し���玉のごとし」と。これを言うのである」と。

曾子曰:"同遊而不見愛者,吾必不仁也;交而不見敬者,吾必不長也;臨財而不見信者,吾必不信也。三者在身曷怨人!怨人者窮,怨天者無識。失之己而反諸人,豈不亦迂哉!"

曾子曰く、「一同游處して而して愛せられざるは、我は必ず不仁なり。交往して而して敬せられざるは、我は必ず能く長と為るなし。財に面對して而して信任せられざるは、我は必ず信ならず。三樣は自身に在りて何ぞ必ずしも人を怨まん。人を怨むるは窮困にして、天を怨むるは見識なし。過失は己に在りて却って别人を求むるは、豈に亦迂闊ならざらんや」と。

南郭惠子問於子貢曰:"夫子之門何其雜也?"子貢曰:"君子正身以俟,欲來者不距,欲去者不止。且夫良醫之門多病人,檃栝之側多枉木,是以雜也。"

南郭惠子は子貢に問うて曰く、「夫子の門はどうしてあれほど雜なるか」と。子貢曰く、「君子は自身を端正して以て待ちて、來らんと欲するは拒絕せず、去らんと欲するは阻止せず。況んや良医の門の前は病人は多く、矯正器の旁边は彎曲の木は多し。これに因って雜なり」と。

孔子曰:"君子有三恕:有君不能事,有臣而求其使,非恕也;有親不能報,有子而求其孝,非恕也;有兄不能敬,有弟而求其聽令,非恕也。士明於此三恕,則可以端身矣。"

孔子曰く、「君子に三恕有りて、君有りて能く事奉せずして、臣有りて却って彼に役使を求むるは、恕にあらず。雙親有りて能く報答せずして、兒子有りて却って彼に孝を求むるは、恕にあらず。兄有りて能く敬せずして、弟有りて却って彼に聽令を求むるは、恕にあらず。士はこ三恕を明白せば、則ち以て身を端正すべし」と。

孔子曰:"君子有三思而不可不思也:少而不學,長無能也;老而不教,死無思也;有而不施,窮無與也。是故君子少思長,則學;老思死,則教;有思窮,則施也。"

孔子曰く、「君子に三思して而して以て想わざるべからざる有り。年少にして学ばざれば、長大すれば則ち能なし。老了して而して教えざれば、死すれば則ち人の思念するなし。有して而して施与せざれば、窮困すれば則ち人の幫助するなし。これに因って君子は年少の時は長大を想到して、則ち学び、老了の時は死を想到して、則ち教え、有の時は窮困を想到して、則ち施与す」と。

哀公篇第三十一

魯哀公問於孔子曰:"吾欲論吾國之士,與之治國,敢問如何取之邪?"孔子對曰:"生今之世,志古之道:居今之俗,服古之服;舍此而為非者,不亦鮮乎!"哀公曰:"然則夫章甫絇屨,紳帶而搢笏者,此賢乎?"孔子對曰:"不必然,夫端衣玄裳,絻而乘路者,志不在於食葷;斬衰菅屨,杖而啜粥者,志不在於酒肉。生今之世,志古之道;居今之俗,服古之服;舍此而為非者,雖有,不亦鮮乎!"哀公曰:"善!"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「我は我が国の士を論選して、彼らと国家を治理せんと欲す。敢えて問う、どうして彼らを選取せん」と。孔子は對答して曰く、「當今の世に生れて、志向は古代の道に在り。當今の習俗に處りて、古代の衣服を穿す。これを舍てて而して壊事を為すは、亦少からざらん」と。哀公曰く、「然れば則ちあの章甫を戴き、鈎有る鞋を穿し、大帶して笏を插すは、これは則ち賢なるか」と。孔子は對答して曰く、「必ずしもならず。あの端衣玄裳を穿し、冕を戴いて而して大路車に乘るは、志向は葷を吃するに在らず。斬衰菅履を穿し、杖を拄して而して粥を喝するは、志向は酒肉に在らず。當今の世に生れて、志向は古代の道に在り。當今の習俗に處りて、古代の衣服を穿す。これを舍てて而して壊事を為すは、たとえ有るとも、亦少からざらん」と。哀公曰く、「善し」と。

孔子曰:"人有五儀:有庸人,有士,有君子,有賢人,有大聖。"哀公曰:"敢問何如斯可謂庸人矣?"孔子對曰:"所謂庸人者,口不道善言,心不知邑邑;不知選賢人善士托其身焉以為己憂;動行不知所務,止立不知所定;日選擇於物,不知所貴;從物如流,不知所歸;五鑿為正,心從而壞:如此則可謂庸人矣。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂士矣?"孔子對曰:"所謂士者,雖不能盡道術,必有率也;雖不能遍美善,必有處也。是故知不務多,務審其所知;言不務多,務審其所謂;行不務多,務審其所由。故知既已知之矣,言既已謂之矣,行既已由之矣,則若性命肌膚之不可易也。故富貴不足以益也,卑賤不足以損也:如此則可謂士矣。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂之君子矣?"孔子對曰:"所謂君子者,言忠信而心不德,仁義在身而色不伐,思慮明通而辭不爭,故猶然如將可及者,君子也。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂賢人矣?"孔子對曰:"所謂賢人者,行中規繩而不傷於本,言足法於天下而不傷於身,富有天下而無怨財,佈施天下而不病貧:如此則可謂賢人矣。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂大聖矣?"孔子對曰:"所謂大聖者,知通乎大道,應變而不窮,辨乎萬物之情性者也。大道者,所以變化遂成萬物也;情性者,所以理然不取捨也。是故其事大辨乎天地,明察乎日月,總要萬物於風雨,繆繆肫肫,其事不可循,若天之嗣,其事不可識,百姓淺然不識其鄰:若此則可謂大聖矣。"哀公曰:"善!"

孔子曰く、「人に五种の儀則有りて、庸人有り、士有り、君子有り、賢人有り、大聖有り」と。哀公曰く、「敢えて問う、どうして以て庸人と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂庸人は、口は善言を説かず、心は憂郁を知らず。賢人善士を選擇して自身を托付して以て己のために憂を分けるを知らず。動作行事は專力する所を知らず、停止站立は定まる所を知らず。天天に物の上に選擇して、看重する所を知らず。物に隨從するは流水のごとくして、歸向する所を知らず。五官の欲望は主を為して、心は從りて敗壞す。これのごとく以て庸人と称すべし」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て士と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂士は、たとえ能く道術を窮尽せずとも、必ず遵循する所有り。たとえ能く美善を周遍せずとも、必ず處守する所有り。これに因って知は多を求めずして、彼の知る所を審察せんと求め、言は多を求めずして、彼の説く所を審察せんと求め、行は多を求めずして、彼の由る所を審察せんと求む。だから知は已に知りて、言は已に説きて、行は已に由れば、則ち性命肌膚の以て改易すべからざるがごとし。だから富貴は以て増益するに足らず、卑賤は以て減損するに足らず。これのごとく以て士と称すべし」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て君子と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂君子は、言は忠信して而して心里は自ら以て徳有りと為さず、仁義は身に在りて而して神色は自誇せず、思慮は明通して而して辭は争わずして、だから舒緩なるは將に趕上すべきのごとくなるは、君子なり」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て賢人と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂賢人は、行為は規矩繩墨に合して而して本を傷害せず、言論は以て天下に取法せらるるに足りて而して自身を傷害せず、富は天下を有して而して囤積の財なく、布施は天下して而して貧を憂えず。これのごとく以て賢人と称すべし」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て大聖と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂大聖は、智は大道に通達して、應變して而して窮尽せず、万物の情性を辨別する人なり。大道は、以て萬物を變化成就する所以にして、情性は、以て然否取舍を治理する所以なり。これに因ってその事は廣大して天地に於いて辨別し、日月に於いて明察して、万物を風雨に於いて總括要約して、穆穆純純として、その事は以て循りて為すべからずして、天の嗣續のごとく、その事は以て識破すべからずして、百姓は淺薄してその隣近を認識せず。これのごとく以て大聖と称すべし」と。哀公曰く、「善し」と。

魯哀公問舜冠於孔子,孔子不對。三問不對。哀公曰:"寡人問舜冠於子,何以不言也?"孔子曰:"古之王者,有務而拘領者矣,其政好生而惡殺焉。是以鳳在列樹,麟在郊野,烏鵲之巢可俯而窺也。君不此問,而問舜冠,所以不對也。"

魯哀公は孔子に舜の冠を問うて、孔子は回答せず。三たび問うて回答せず。哀公曰く、「寡人は汝に舜の冠を問う。何を以て話せざる」と。孔子曰く、「古時の王者は、ただ帽を戴きて曲領なる有りて、彼らの政は生を喜好して殺を厭惡せり。これに因って鳳凰は列樹に在り、麒麟は郊野に在り、烏鴉喜鵲の巢は頭を俯せば窺看すべし。君はこれを問わずして、而して舜の冠を問う。だから回答せず」と。

魯哀公問於孔子曰:"寡人生於深宮之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知勞也,未嘗知懼也,未嘗知危也。"孔子曰:"君之所問,聖君之問也,丘、小人也,何足以知之?"曰:"非吾子無所聞之也。"孔子曰:"君入廟門而右,登自胙階,仰視榱棟,俯見幾筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀將焉而不至矣?君昧爽而櫛冠,平明而聽朝,一物不應,亂之端也,君以此思憂,則憂將焉而不至矣?君平明而聽朝,日昃而退,諸侯之子孫必有在君之末庭者,君以思勞,則勞將焉而不至矣?君出魯之四門,以望魯四郊,亡國之虛則必有數蓋焉,君以此思懼,則懼將焉而不至矣?且丘聞之,君者,舟也;庶人者,水也。水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危將焉而不至矣?"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「寡人は深宮の中に生れて、婦人の手裏に長く、寡人は未だ嘗て哀を知らず、未だ嘗て憂を知らず、未だ嘗て労を知らず、未だ嘗て懼を知らず、未だ嘗て危を知らず」と。孔子曰く、「君の問う所は、聖君の問にして、丘は小人にして、どうして以て知るに足らん」と。哀公曰く、「吾子にあらざれば則ち聞くの無し」と。孔子曰く、「君は廟門に進入して而して右に向かいて、阼階より登上して、頭を擡げて椽棟を看、頭を俯して几筵を看見せば、あの器は猶在りて、あの人は亡せり。君はこれを以て哀を想えば、則ち哀は將にどうして到來せざらん。君は天未だ亮まざれば則ち梳冠して、天明して而して朝を聴きて、一件事は應せざれば、則ち乱の端緒なり。君はこれを以て憂を想えば、則ち憂は將にどうして到來せざらん。君は天明して而して朝を聴きて、日は偏西して乃ち退朝して、諸侯の子孫は必ず君の末庭に在る有りて、君は以て労を想えば、則ち労は將にどうして到來せざらん。君は魯の四門を出でて、以て魯の四郊を望めば、亡国の廢墟は則ち必ず幾處の草屋有りて、君はこれを以て懼を想えば、則ち懼は將にどうして到來せざらん。況んや丘は聞く、君は、船なり。庶人は、水なり。水は能く船を載し、水は能く船を翻す。君はこれを以て危を想えば、則ち危は將にどうして到來せざらん」と。

魯哀公問於孔子曰:"紳委章甫有益於仁乎?"孔子蹴然曰:"君號然也?資衰苴杖者不聽樂,非耳不能聞也,服使然也。黼衣黼裳者不茹葷,非口不能味也,服使然也。且丘聞之,好肆不守折,長者不為市。竊其有益與其無益,君其知之矣。"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「大帶・委貌・章甫は仁に益有るか」と。孔子は肅然として曰く、「君はどうしてこのごとく問う。齊衰を穿し苴杖を拄する人は音楽を聴かずは、耳は能く聴かざるにあらずして、喪服は彼をこのごとくせしむるなり。黼衣黼裳を穿する人は葷を吃せずは、口は能く味を辨せざるにあらずして、祭服は彼をこのごとくせしむるなり。況んや丘は聞く、商販を喜好する人は折本を守らずして、長者は市買を為さず。あの有益とあの無益を察看せば、君は當に知るべし」と。

魯哀公問於孔子曰:"請問取人。"孔子對曰:"無取健,無取詌,無取口啍。健、貪也;詌、亂也;口啍、誕也。故弓調而後求勁焉,馬服而後求良焉,士信愨而後求知能焉。士不信尒而有多知能,譬之其豺狼也,不可以身尒也。語曰:'桓公用其賊,文公用其盜。故明主任計不信怒,闇主信怒不任計。計勝怒則強,怒勝計則亡。"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「請う、人を選取せん」と。孔子は對答して曰く、「強健貪求を取るなかれ、鉗制を取るなかれ、口甜を取るなかれ。強健は、貪なり。鉗制は、乱なり。口甜は、誕妄なり。だから弓は調順して然る後に強勁を求め、馬は馴服して然る後に良を求め、士は誠信端謹して然る後に智と能を求む。士は誠信ならずして而して智と能は多ければ、比方すれば則ち豺狼のごとくして、以て自身は接近し往くべからず。俗に曰く、「桓公はその賊を任用して、文公はその盗を任用す。だから明主は計算を任用して怒を聽任せず、昏主は怒を聽任して計算を任用せず。計算は怒に勝れば則ち強く、怒は計算に勝れば則ち亡ぶ」と」と。

定公問於顏淵曰:"子亦聞東野畢之善馭乎?"顏淵對曰:"善則善矣,雖然,其馬將失。"定公不悅,入謂左右曰:"君子固讒人乎!。"三日而校來謁,曰:"東野畢之馬失。兩驂列,兩服入廄。"定公越席而起曰:"趨駕召顏淵!"顏淵至,定公曰:"前日寡人問吾子,吾子曰:'東野畢之駛善則善矣,雖然,其馬將失。'不識吾子何以知之?"顏淵對曰:"臣以政知之。昔舜巧於使民,而造父巧於使馬;舜不窮其民,造父不窮其馬;是以舜無失民,造父無失馬。今東野畢之馭,上車執轡銜,體正矣;步驟馳騁,朝禮畢矣;歷險致遠,馬力盡矣;然猶求馬不已,是以知之也。"定公曰:"善,可得少進乎?"顏淵對曰:"臣聞之,鳥窮則啄,獸窮則攫,人窮則詐。自古及今,未有窮其下而能無危者也。"

定公は顔淵に問うて曰く、「なんぢもまた聞く、東野畢は駕馭に善きか」と。顔淵は對答して曰く、「善きは善きなり。然りても、彼の馬は將に逃失せんとす」と。定公は喜悅せずして、進入して左右に對して曰く、「君子は本來讒人なるか」と。三日の後、校人は謁見に來りて曰く、「東野畢の馬は逃失せり。兩匹の驂馬は斷裂して、兩匹の服馬は馬廄に進入せり」と。定公は席を離れて站起して曰く、「疾く車を套して顔淵を召せ」と。顔淵は到りて、定公曰く、「前天に寡人は吾子に問うて、吾子曰く、「東野畢の駕馭は善きは善きなり。然りても、彼の馬は將に逃失せんとす」と。吾子は何を凭って知るを知らず」と。顔淵は對答して曰く、「臣は政を為るより知る。從前舜は民を役使するに巧みにして、而して造父は馬を役使するに巧みなり。舜はその民を窮尽せず、造父はその馬を窮尽せず。これに因って舜は逃失の民なく、造父は逃失の馬なし。如今東野畢の駕馭は、車に上りて手は轡銜を握りて、體態は正し。步驟馳騁して、朝見の礼は畢了す。險阻を經歴して遠方に到達して、馬力は窮尽せり。然りて還って馬を求めて停まず。これに因って知る」と。定公曰く、「善し。以て稍微進みて説かんか」と。顔淵は對答して曰く、「臣は聞く、鳥は窮すれば則ち啄し、獸は窮すれば則ち抓り、人は窮すれば則ち欺詐す。古より今に至りて、未だ嘗てその下民を窮尽して而して能く危ならざる有らず」と。

尭問篇第三十二

堯問於舜曰:"我欲致天下,為之奈何?"對曰:"執一無失,行微無怠,忠信無倦,而天下自來。執一如天地,行微如日月,忠誠盛於內,賁於外,形於四海,天下其在一隅邪!夫有何足致也!"

尭は舜に問うて曰く、「我は天下を招致せんと欲す。當に如何せん」と。對答して曰く、「専一を執持して過失なく、隱微を實行して怠惰なく、忠信して厭倦なくして、而して天下は自ら到來す。専一を執持するは天地のごとく、隱微を實行するは日月のごとく、忠誠は盛滿して内に在りて、文飾して外に在りて、四海に顯現して、天下は豈に則ち一個の角落裏に在らざらんや。また何の招致しに往くに値せんや」と。

魏武侯謀事而當,群臣莫能逮,退朝而有喜色。吳起進曰:"亦嘗有以楚莊王之語,聞於左右者乎?"武侯曰:"楚莊王之語何如?"吳起對曰:"楚莊王謀事而當,群臣莫能逮,退朝有憂色。申公巫臣進問曰:'王朝而有憂色,何也?'莊王曰:'不穀謀事而當,群臣莫能逮,是以憂也。其在中蘬之言也,曰:"諸侯自為得師者王,得友者霸,得疑者存,自為謀而莫己若者亡。"今以不穀之不肖,而群臣莫能逮,吾國幾於亡乎!是以憂也。'楚莊王以憂,而君以喜。"武侯逡巡再拜曰:"天使夫子振寡人之過也。"

魏武侯は事情を謀劃して得当して、群臣は能く趕上するなし。退朝して而して喜色有り。呉起は進み前りて曰く、「亦嘗て楚荘王の話を以て、左右に説きて聴かせし有るか」と。武侯曰く、「楚荘王の話は如何ぞや」と。呉起は對答して曰く、「楚荘王は事情を謀劃して得当して、群臣は能く趕上するなし。退朝して憂色有り。申公巫臣は進み前りて問うて曰く、『王は上朝して而して憂色有るは、何ぞや』と。荘王曰く、『不穀は事情を謀劃して得当して、群臣は能く趕上するなし。これに因って憂愁す。あの仲虺の話の裏に在りて、曰く、「諸侯は自ら師を得るは王と称し、友を得るは覇と称し、疑丞を得るは生存し、自ら謀劃して而して己に如くなきは滅亡す」と。如今不穀の不肖を以て、而して群臣は能く趕上するなし。我が国は滅亡に接近せんか。これに因って憂愁す』と。楚荘王はこれに因って憂えて、而して君はこれに因って喜ぶ」と。武侯は遲疑して再拜して曰く、「天は夫子をして寡人の過錯を挽救せしめり」と。

伯禽將歸於魯,周公謂伯禽之傅曰:"汝將行,盍志而子美德乎?"對曰:"其為人寬,好自用以慎。此三者,其美德也。"周公曰:"嗚呼!以人惡為美德乎?君子好以道德,故其民歸道。彼其寬也,出無辨矣,女又美之!彼其好自用也,是所以窶小也。君子力如牛,不與牛爭力;走如馬,不與馬爭走;知如士,不與士爭知。彼爭者均者之氣也,女又美之!彼其慎也,是其所以淺也。聞之曰:'無越踰不見士。'見士問曰:'無乃不察乎?'不聞即物少至,少至則淺。彼淺者,賤人之道也,女又美之!吾語女:我、文王之為子,武王之為弟,成王之為叔父,吾於天下不賤矣;然而吾所執贄而見者十人,還贄而相見者三十人,貌執之士者百有餘人,欲言而請畢事者千有餘人,於是吾僅得三士焉,以正吾身,以定天下。吾所以得三士者,亡於十人與三十人中,乃在百人與千人之中。故上士吾薄為之貌,下士吾厚為之貌,人人皆以我為越踰好士,然故士至;士至而後見物,見物然後知其是非之所在。戒之哉!女以魯國驕人,幾矣!夫仰祿之士猶可驕也,正身之士不可驕也。彼正身之士,舍貴而為賤,舍富而為貧,舍佚而為勞,顏色黎黑而不失其所,是以天下之紀不息,文章不廢也。"

伯禽は將に魯に回到らんとして、周公は伯禽の傅に對して曰く、「なんぢは將に行かんとす。何ぞなんぢの學生の美徳を記下せざる」と。對答して曰く、「彼の人と為りは寬にして、自用を喜好して而して謹慎なり。こ三樣は、彼の美徳なり」と。周公曰く、「嗚呼。別人の惡を以て美徳と為すか。君子は道徳を用いるを喜好して、だからその民は道に歸向す。彼のあの寬は、發出去すれば則ち分別なし。なんぢはまたそれを美とす。彼のあの自用を喜好するは、以て寒儉狹小する所以なり。君子は力氣は牛のごとくして、牛と力氣を争わず。跑るるは馬のごとくして、馬と跑を争わず。智は士のごとくして、士と智を争わず。あの争は對等者の氣なり。なんぢはまたそれを美とす。彼のあの謹慎は、以て淺きする所以なり。聞く、「級を越えて士に見えるなかれ」と。士に見えて問うて曰く、「該り審察せざらんか」と。廣く請教せざれば則ち事物は少くして到來して、少くして到來すれば則ち淺し。あの淺は、賤人の道なり。なんぢはまたそれを美とす。我はなんぢに吿げん。我は文王の兒子にして、武王の弟弟にして、成王の叔父なり。我は天下に於いて賤ならず。然りて我は贄見を拿着するは十個の人、贄を還して相見するは三十個の人、礼を以て接待する士は一百多の人、話せんと欲して彼をして事を説完せしむるは一千多の人にして、ここに我は僅かに三個の士を得て、以て我が身を端正にし、以て天下を安定す。我が三個の士を得る所以は、あの十人と三十人の中に在らずして、却って百人と千人の中に在り。だから上士は我は薄くして彼に礼貌を給し、下士は我は厚くして彼に礼貌を給して、人人は皆我を以て級を越えて士を喜好すと為して、これに因って士は到來す。士は到來して然る後に事物を看見して、事物を看見して然る後に是非の所在を知る。戒備せよ。なんぢは魯国を憑に人に對して驕慢せば、則ち危うし。あの俸禄を仰望する士は還って以て驕慢すべく、自身を端正する士は以て驕慢すべからず。あの自身を端正する士は、貴を舍てて賤を為し、富を舍てて貧を為し、安逸を舍てて労苦を為して、臉色は黎黑して而してその守る所を失わず。これに因って天下の紀綱は停止せず、文章は廢棄せず」と。

語曰:繒丘之封人,見楚相孫叔敖曰:"吾聞之也:處官久者士妒之,祿厚者民怨之,位尊者君恨之。為相國有此三者,而不得罪於楚之士民何也?"孫叔敖曰:"吾三相楚而心愈卑,每益祿而施愈博,位滋尊而禮愈恭,是以不得罪於楚之士民也。"

俗に曰く、繒丘の封人は、楚相孫叔敖に見えて曰く、「我は聞く、官を為ること久しきは士は彼を妒嫉し、俸禄は厚きは民は彼を怨恨し、位置は尊きは君は彼を忌恨す。相國を為るにこ三樣有りて、而して楚の士民に得罪せざるは、何ぞや」と。孫叔敖曰く、「我は三たび楚相を為して而して心は更に卑下して、毎に俸禄を增加して而して施与は更に廣博して、位置は更に尊くして而して礼は更に恭敬す。これに因って楚の士民に得罪せず」と。

子貢問於孔子曰:"賜為人下而未知也。"孔子曰:"為人下者乎?其猶土也。深抇之而得甘泉焉,樹之而五穀蕃焉,草木殖焉,禽獸育焉;生則立焉,死則入焉;多其功,而不"息"德。為人下者其猶土也。"

子貢は孔子に問うて曰く、「賜は人の下屬を為るに而して該当如何するを知らず」と。孔子曰く、「人の下屬を為るか。則ち土のごとし。深くしてそれを挖掘して而して甘泉を得て、それを種植して而して五谷は蕃盛して、草木は繁殖して、禽獸は生育す。生きれば則ちその上に站ちて、死せば則ちその裏に進入す。その功は多くして、而して自らその徳に居らず。(底本「息」字は疑は衍なり。)人の下屬を為るは則ち土のごとし」と。

昔虞不用宮之奇而晉幷之,萊不用子馬而齊幷之,紂刳王子比干而武王得之。不親賢用知,故身死國亡也。

從前虞は宮之奇を用いずして而して晋はそれを兼併し、萊は子馬を用いずして而して齊はそれを兼併し、紂は王子比干を剖開して而して武王は天下を得たり。賢に親近せずして智を任用せざれば、だから自身は死して国家は亡ぶ。

為說者曰:"孫卿不及孔子。"是不然。孫卿迫於亂世,遒於嚴刑,上無賢主,下遇暴秦,禮義不行,教化不成,仁者絀約,天下冥冥,行全刺之,諸侯大傾。當是時也,知者不得慮,能者不得治,賢者不得使。故君上蔽而無睹,賢人距而不受。然則孫卿懷將聖之心,蒙佯狂之色,視天下以愚。詩曰:"既明且哲,以保其身。"此之謂也。是其所以名聲不白,徒與不眾,光輝不博也。今之學者,得孫卿之遺言餘教,足以為天下法式表儀。所存者神,所過者化,觀其善行,孔子弗過。世不詳察,雲非聖人,奈何!天下不治,孫卿不遇時也。德若堯禹,世少知之;方術不用,為人所疑;其知至明,循道正行,足以為紀綱。嗚呼!賢哉!宜為帝王。天地不知,善桀紂,殺賢良,比干剖心,孔子拘匡,接輿避世,箕子佯狂,田常為亂,闔閭擅強。為惡得福,善者有殃。今為說者,又不察其實,乃信其名。時世不同,譽何由生?不得為政,功安能成?志修德厚,孰謂不賢乎!

議論を為す人曰く、「孫卿は孔子に比べず」と。これはこれにあらず。孫卿は乱世に迫せられて、嚴刑に迫蹙せられて、上は賢主なく、下は暴秦に遇上して、礼義は實行せず、教化は成就せず、仁者は黜退約困して、天下は昏暗して、徳行は完備して而して譏刺せられて、諸侯は大いに傾危す。正にこの時に當りて、智者は能く思慮せず、能者は能く治理せず、賢者は能く役使せられず。だから君上は蒙蔽して而して看見せず、賢人は拒せられて而して接受せられず。然れば則ち孫卿は聖に近きの心を懷いて、佯狂の神色を蒙いで、愚を以て天下に顯示せり。『詩経・大雅・烝民』に言う。「既に明哲して而して智有りて、以てその身を保全す」と。これを言うのである。これはその名声は顯白せず、門徒は衆多ならず、光輝は廣博ならざる所以なり。如今の学者は、孫卿の留下する言論と其余の教化を得て、以て天下の法式表儀を為すに足る。彼の停留する所は神效有りて、彼の經過する所は感化せられて、彼の善行を看れば、孔子は能く超過せず。世人は審察せずして、声に聖人にあらずと称す。如何せん。天下は治まらず。是れ孫卿は時運に遇上せざるなり。徳は尭禹のごとくして、世上はこれを知る少く、方術は用��られずして、人に懷疑せられり。その智は極明にして、道を遵循して行為を端正して、以て紀綱を為すに足る。嗚呼。賢なり。當に帝王を為すべし。天地は智ならずして、桀紂を善待して、賢良を殺害して、比干は心を剖かれ、孔子は匡に拘せられ、接輿は世を避け、箕子は佯狂して、田常は乱を為し、闔閭は專擅強橫す。惡を為すは福を得て、善は殃有り。如今議論を為す人は、またあの實を審察せずして、却ってあの名を信ず。時世は同じからざれば、聲誉は何處より生ぜん。能く政を執らざれば、功はどうして能く成就せん。志向は修治して徳は厚ければ、誰か賢ならずと説かんや

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