Libo

说苑

西汉 · 刘向

『説苑』[前漢]劉向

儒家典籍

初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。

說苑[西漢]劉向

『説苑』[前漢]劉向

卷一君道

巻一 君道

晉平公問於師曠曰:“人君之道如何?”對曰:“人君之道清淨無為,務在博愛,趨在任賢;廣開耳目,以察萬方;不固溺於流俗,不拘繫於左右;廓然遠見,踔然獨立;屢省考績,以臨臣下。此人君之操也。”平公曰:“善!”

晋の平公が師曠に問うた。「人君たるの道はどうあるべきか。」師曠は答えた。「人君たるの道は清浄無為にして、心を博愛に専らにし、向かうところは賢人の任用にあります。耳目を広く開いて諸方を考察し、流俗に溺れず、左右の者に繋がれず、広く開けて遠くを見、超然として独立し、たびたび政績を省察考覈して臣下を臨視します。これが人君の操です。」平公は言った。「よい!」

齊宣王謂尹文曰:“人君之事何如?”尹文對曰:“人君之事,無為而能容下。夫事寡易從,法省易因;故民不以政獲罪也。大道容眾,大德容下;聖人寡為而天下理矣。書曰:‘睿作聖’。詩人曰:‘岐有夷之行,子孫其保之!’”宣王曰:“善!”

斉の宣王が尹文に言った。「人君の職事はどうあるべきか。」尹文は答えた。「人君の職事は、無為にして下にいる者を容れることです。事が少なければ従いやすく、法令が簡なら循いやすい。ゆえに百姓は政令によって罪を得ることがありません。大道は衆を容れ、大徳は下にいる者を容れます。聖人は為すことが少なくて天下は治まります。『尚書』にいう。『叡智あれば聖明を成す』と。詩人はいう。『岐山に平坦の道あり、子孫これを保て』と。」宣王は言った。「よい!」

成王封伯禽為魯公,召而告之曰:“爾知為人上之道乎?凡處尊位者必以敬,下順德規諫,必開不諱之門,撙節安靜以借之,諫者勿振以威,毋格其言,博採其辭,乃擇可觀。夫有文無武,無以威下,有武無文,民畏不親,文武俱行,威德乃成;既成威德,民親以服,清白上通,巧佞下塞,諫者得進,忠信乃畜。”伯禽再拜受命而辭。

成王は伯禽を魯公に封じ、召して告げて言った。「上に立つ者の道を知っているか。凡そ尊位に処る者は必ず敬慎し、下には道徳の規諫に順い、必ず直言忌憚なき門を開き、撙節安静をもってこれに拠る。諫める者に威勢をもって震攝せず、その言を拒まず、広くその言辞を採り、さらに見るに足る者を選べ。文あって武なければ下を威服することができず、武あって文なければ百姓は畏れて親しまない。文武を並び施して、威と徳と乃ち成る。威徳すでに成れば、百姓は親しみ服い、清白の気は上に通じ、巧佞は塞がれ、諫める者は上ることができ、忠信は乃ち蓄え得る。」伯禽は再拝して命を受けて辞去した。

陳靈公行僻而言失,洩冶曰:“陳其亡矣!吾驟諫君,君不吾聽而愈失威儀。夫上之化下,猶風靡草,東風則草靡而西,西風則草靡而東,在風所由而草為之靡,是故人君之動不可不慎也。夫樹曲木者惡得直景,人君不直其行,不敬其言者,未有能保帝王之號,垂顯令之名者也。易曰:‘夫君子居其室,出其言善,則千里之外應之,況其邇者乎?居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎?言出於身,加於民;行發乎邇,見乎遠。言行君子之樞機,樞機之發,榮辱之主,君子之所以動天地,可不慎乎?’天地動而萬物變化。詩曰:‘慎爾出話,敬爾威儀,無不柔嘉。’此之謂也。今君不是之慎而縱恣焉,不亡必弒。”靈公聞之,以洩冶為妖言而殺之,後果弒於徵舒。

陳の霊公は行いが邪僻で言葉に失があった。泄冶は言った。「陳はほぼ亡びるでしょう。私は屢々国君に諫めたが、国君は聴かず、威儀の喪失はいよいよ甚だしい。上の者が下を感化するのは、風が草を靡かせるようなものです。東風が来れば草は西に倒れ、西風が来れば草は東に倒れ、草は風の来る向きに随って仆れます。ゆえに人君の挙動は慎まざるを得ません。曲がった木を植えて、どうして直い影を得られましょう。人君みずからの行いが直くなく、言葉が敬慎でなくて、帝王の名号を保ち、顕赫美好の名を後に伝え得た者はかつてありません。『周易』にいう。『君子が室に居り、言い出す言が善ければ、千里之外もこれに応じ、いわんや近きの者をや。室に居り、言い出す言が不善ならば、千里之外もこれに違い、いわんや近きの者をや。言は身より出で、民に加わり、行は近きより発し、遠きに見ゆ。言行は君子の枢機、枢機の発するや、荣辱の主なり。君子のもって天地を感動するもの、慎まざるべけんや』と。天地が一たび動けば万物は変化します。『詩経』にいう。『なんじの出だす言を慎み、なんじの威儀を敬せよ。柔嘉ならざるなし』と。これをいうのです。いま君はこれらの事に慎まず、放纵恣意であり、亡びずとも必ず殺されるでしょう。」霊公はこれを聞き、泄冶の言を妖言として彼を殺した。後に果たして夏征舒の手に死んだ。

魯哀公問於孔子曰:“吾聞君子不博,有之乎?”孔子對曰:“有之。”哀公曰:“何為其不博也?”孔子對曰:“為其有二乘。”哀公曰:“有二乘則何為不博也?”孔子對曰:“為行惡道也。”哀公懼焉。有間曰:“若是乎君子之惡惡道之甚也!”孔子對曰:“惡惡道不能甚,則其好善道亦不能甚;好善道不能甚,則百姓之親之也,亦不能甚。”詩云:‘未見君子,憂心惙惙,亦既見止,亦既覯止,我心則說。’詩之好善道之甚也如此。哀公曰:“善哉!吾聞君子成人之美,不成人之惡。微孔子,吾焉聞斯言也哉?”

魯の哀公が孔子に問うた。「君子は博戯をしないと聞くが、そのことはあるか。」孔子は答えた。「あります。」哀公は言った。「なぜ博戯をしないのか。」孔子は答えた。「それに二乗あるがゆえです。」哀公は言った。「二乗あるのに、なぜ博戯をしないのか。」孔子は答えた。「それは悪道を行くものだからです。」哀公は恐れた。しばらくして言った。「君子が悪道を悪むこと、こうまで至るものか。」孔子は答えた。「悪道を悪むこと極まる能わざれば、善道を好むことも極まる能わず。善道を好むこと極まる能わざれば、百姓の彼を親しむも極まる能わざるなり。」『詩経』にいう。『君子を見ざれば、心は惙惙として憂う。すでに見、すでに遘えば、わが心は説ぶ』と。詩に善道を好むこと極まるとは、これです。哀公は言った。「よいなあ!君子は人の美を成し、人の悪を成さずと聞く。孔子なくんば、われどうしてこの言を聞かんや。」

河間獻王曰:“堯存心於天下,加志於窮民,痛萬姓之罹罪,憂眾生之不遂也。有一民飢,則曰此我飢之也;有一人寒,則曰此我寒之也;一民有罪,則曰此我陷之也。仁昭而義立,德博而化廣;故不賞而民勸,不罰而民治。先恕而後教,是堯道也。當舜之時,有苗氏不服,其所以不服者,大山在其南,殿山在其北;左洞庭之波,右彭蠡之川;因此險也,所以不服,禹欲伐之,舜不許,曰:‘諭教猶未竭也,究諭教焉,而有苗氏請服,天下聞之,皆非禹之義,而歸舜之德。’”

河間献王は言った。「堯は心を天下に置き、意を窮苦の百姓に加え、万民の罪罰を被るを痛み、衆生の順長せざるを憂えた。一人の百姓飢うるあれば、これわれが飢えさせたなりと言い、一人の人凍ゆるあれば、これわれが凍えさせたなりと言い、一民罪あれば、これわれが陥れたなりと言った。仁は顕明にして義は樹ち、徳は広博にして教化は広し。ゆえに賞せずして百姓自ら勤勉し、刑せずして百姓自ら治まる。先ず寛恕し、然る後に教う。これが堯の道なり。舜の時、有苗氏服せず。その服せざる所以は、大山は南にあり、殿山は北にあり、左は洞庭の水、右は彭蠡の河にして、これらの険阻に憑り、ゆえに服せざるなり。禹これを伐たんと欲すれど、舜許さずして曰く、『曉諭の教化、未だ尽きず』と。曉諭の教化を尽くして、有苗氏服を請う。天下これを聞き、皆禹の義を非とし、舜の徳に帰した。」

周公踐天子之位布德施惠,遠而逾明,十二牧,方三人,出舉遠方之民,有飢寒而不得衣食者,有獄訟而失職者,有賢才而不舉者,以入告乎天子,天子於其君之朝也,攝而進之曰:“意朕之政教有不得者與!何其所臨之民有飢寒不得衣食者,有獄訟而失職者,有賢才而不舉者?”其君歸也,乃召其國大夫,告用天子之言,百姓聞之皆喜曰:“此誠天子也!何居之深遠而見我之明也,豈可欺哉!”故牧者所以闢四門,明四目,達四聰也,是以近者親之,遠者安之。詩曰:“柔遠能邇,以定我王”,此之謂矣。

周公は天子の位に登り、徳を布き恵を施して、遠ければ遠いほどいよいよ明らかであった。十二州牧、辺ごとに三人ずつ、出でて遠方の百姓を挙発した。飢寒にして衣食を得ざる者あり、獄訟にして職事錯乱する者あり、賢才にして挙げられざる者あり、帰りて天子に報告した。天子はその国君の来朝する時、引きて前に進めて言った。「おそらくはわが政教の至らざるところあらん。なんぞなんじらの治むるところの百姓に、飢寒にして衣食を得ず、獄訟にして職事錯乱し、賢才にして挙げられざる者あらんや。」その国君ら帰りて、すなわち本国の大夫を集め、天子の言を告げた。百姓これを聞きて皆喜んで曰く、「これ真に天子なり!居ることはるか深遠にして、われらを見ることかくの如く明らかなり、どうして欺くべからんや。」ゆえに牧を設くるは、四方の門を闢き、四方の目を明らかにし、四方の聴を通ずるをもってなり。これにより近き者は彼を親しみ、遠き者は安んず。『詩経』にいう。「遠きを柔ぎ近きを睦み、もってわが王を定めん」と。これをいうのである。

河間獻王曰:“禹稱民無食,則我不能使也;功成而不利於人,則我不能勸也;故疏河以導之,鑿江通於九派,灑五湖而定東海,民亦勞矣,然而不怨者,利歸於民也。”

河間献王は言った。「禹が称して曰く、百姓食なくんば、われこれを役使すること能わず。事成りて人に利なくんば、われこれを勧勉すること能わず。ゆえに黄河を疏濬して導き、江水を鑿ちて九河に通じ、五湖を分泄して東海を定めたり。百姓亦労苦したれど怨まず、利は百姓の身に帰せばなり。」

禹出見罪人,下車問而泣之,左右曰:“夫罪人不順道,故使然焉,君王何為痛之至於此也?”禹曰:“堯舜之人,皆以堯舜之心為心;今寡人為君也,百姓各自以其心為心,是以痛之。”書曰:“百姓有罪,在予一人。”

禹が出でて罪人を見、車を下りて問い、彼のために泣いた。左右の人が言った。「罪人が正道に順わざるがゆえに、ここに至ったのです。君王はなぜかくまで痛心なさるのですか。」禹は言った。「堯舜の時の人は、皆堯舜の心をもって心となした。いまわれ君たり、百姓は各おのが心をもって心となす。ゆえに痛心するなり。」『尚書』にいう。「百姓罪あらば、われ一人に在り」と。

虞人與芮人質其成於文王,入文王之境,則見其人民之讓為士大夫;入其國則見其士大夫讓為公卿;二國者相謂曰:“其人民讓為士大夫,其士大夫讓為公卿,然則此其君亦讓以天下而不居矣。”二國者,未見文王之身,而讓其所爭以為閒田而反。孔子曰:“大哉文王之道乎!其不可加矣!不動而變,無為而成,敬慎恭己而虞芮自平。”故書曰:“惟文王之敬忌。”此之謂也。

虞人と芮人はその和解を文王の裁断に委ねた。文王の境界に入れば、そこの人民が互いに譲りて士大夫となり、国都に入れば、士大夫が互いに譲りて公卿となるを見た。両国の人は相謂って言った。「人民は譲りて士大夫となり、士大夫は譲りて公卿となる。然らばその国君もまた天下を譲りて自ら占めざるならん。」両国の人は文王本人を見ざるに及ばずして、争うところを譲りて間田となして返った。孔子は曰く、「大いなるかな、文王の道!加うべからず!行わずして化し、為さずして成り、敬慎恭己して、虞芮おのずから平ぐ。」ゆえに『尚書』にいう。「惟れ文王の敬忌に在り」と。これをいうのである。

成王與唐叔虞燕居,剪梧桐葉以為圭,而授唐叔虞曰:“餘以此封汝。”唐叔虞喜,以告周公,周公以請曰:“天子封虞耶?”成王曰:“餘一與虞戲也。”周公對曰:“臣聞之,天子無戲言,言則史書之,工誦之,士稱之。”於是遂封唐叔虞於晉,周公旦可謂善說矣,一稱而成王益重言,明愛弟之義,有輔王室之固。

成王が唐叔虞と閑居し、梧桐の葉を剪りて圭を作り、唐叔虞に与えて言った。「われこれをもってなんじを封ず。」唐叔虞は喜び、往きて周公に告げた。周公は因りて請いていう。「天子は虞を封じましたか。」成王は言った。「われ虞と戯れたのみ。」周公は答えていう。「臣聞く、天子に戯言なし。言出づれば、史はこれを書し、楽工はこれを誦し、士はこれを称す。」遂に唐叔虞を晋に封じた。周公旦は善く進説するを称すべし。一たび称引して、成王はいよいよ己の言を重んじ、弟を愛するの義を顕明にし、又王室を輔けるの固きあり。

當堯之時,舜為司徒,契為司馬,禹為司空,后稷為田疇,夔為樂正,倕為工師,伯夷為秩宗,皋陶為大理,益掌驅禽,堯體力便巧不能為一焉,堯為君而九子為臣,其何故也?堯知九職之事,使九子者各受其事,皆勝其任以成九功,堯遂成厥功以王天下,是故知人者王道也,知事者臣道也,王道知人,臣道知事,毋亂舊法而天下治矣。

堯の時、舜は司徒となり、契は司馬となり、禹は司空となり、后稷は田畮を管り、夔は楽正となり、倕は工師となり、伯夷は秩宗となり、皐陶は大理となり、益は禽獣を駆るを掌った。堯は体力・灵巧を論ずれば、一つとして能わざるなり。堯君となりて九人臣となるは、何の故ぞ。堯は九つの職事を知り、この九人をして各々職事を受けしめ、皆勝任して九功を成し、堯は乃ちその功業を成して天下に王たる。ゆえに人を知るは王の道、事を知るは臣の道なり。王道は人を知るに在り、臣道は事を知るに在り。旧法を乱らざれば、天下治まる。

湯問伊尹曰:“三公九卿,二十七大夫,八十一元士,知之有道乎?”伊尹對曰:“昔者堯見人而知,舜任人然後知,禹以成功舉之。夫三君之舉賢,皆異道而成功,然尚有失者,況無法度而任己,直意用人,必大失矣。故君使臣自貢其能,則萬一之不失矣,王者何?以選賢。夫王者得賢材以自輔,然後治也,雖有堯舜之明,而股肱不備,則主恩不流,化澤不行,故明君在上,慎於擇士,務於求賢,設四佐以自輔,有英俊以治官,尊其爵,重其祿,賢者進以顯榮,罷者退而勞力,是以主無遺憂,下無邪慝,百官能治,臣下樂職,恩流群生,潤澤草木,昔者虞舜左禹右皋陶,不下堂而天下治,此使能之效也。”

湯が伊尹に問うた。「三公九卿、二十七大夫、八十一元士、これらを知るに術あらんや。」伊尹は答えていう。「昔、堯は人を見れば知り、舜は任せて後に知り、禹は成せる事をもって挙用した。三君の賢を挙ぐる、道は同じからざれど皆成功した。なおかつ失うところあり。いわんや法度なく、己のみに憑り、意のままに人を用いんや、必ず大いに失わん。ゆえに君は臣をして自ら才能を献せしめば、万分の一も失われず。王者は何をもってか。賢を選ぶをもってす。王者は賢才を得て自らを輔けしめ、然る後に能く治む。堯舜の明察あると雖も、股肱備わらざれば、主上の恩は流布せず、教化の沢は行き渡らず。ゆえに明君上にあり、士を慎み選び、賢を求むるに専らにし、四佐を設けて自らを輔けしめ、英俊の人官を治むる有りて、その爵を尊び、その禄を重くすれば、賢なる者は進みて顕栄し、疲弱の者は退きて労力に従事す。これにより主上に遺留の憂なく、下に邪慝なく、百官能く治まり、臣下職事を楽しみ、恩惠は群生に流れ、草木を潤す。昔、虞舜は左に禹、右に皐陶、堂を下らずして天下治まる。これ能人を用いるの功なり。」

武王問太公曰:“舉賢而以危亡者,何也?”太公曰:“舉賢而不用,是有舉賢之名,而不得真賢之實也。”武王曰:“其失安在?”太公望曰:“其失在君好用小善而已,不得真賢也。”武王曰:“好用小善者何如?”太公曰:“君好聽譽而不惡讒也,以非賢為賢,以非善為善,以非忠為忠,以非信為信;其君以譽為功,以毀為罪;有功者不賞,有罪者不罰;多黨者進,少黨者退;是以群臣比周而蔽賢,百吏群黨而多奸;忠臣以誹死於無罪,邪臣以譽賞於無功。其國見於危亡。”武王曰:“善!吾今日聞誹譽之情矣。”

武王が太公に問うた。「賢人を挙用して、かえって危亡するは何ぞ。」太公は言った。「賢を挙げて用いざるは、賢を挙ぐるの名有りて、真の賢の実を得ざるなり。」武王は言った。「過は何に在る。」太公望は言った。「過は君がただ小善を用いるを好むに在るのみ。真の賢を得ざるなり。」武王は言った。「小善を用いるを好む者は如何。」太公は言った。「君は称誉を聞くを好みて、讒言を悪まず。賢ならざるを賢となし、善ならざるを善となし、忠ならざるを忠となし、信ならざるを信となす。その君は称誉をもって功となし、毀謗をもって罪となし、功ある者を賞せず、罪ある者を罰せず。党与多き者は進用し、党与少なき者は斥退す。これにより群臣相結びて賢人を遮蔽し、百吏党を結びて奸多し。忠臣は誹謗せられて罪なくして死し、邪臣は称誉せられて功なくして賞せらる。その国は危亡を現す。」武王は言った。「よい!われ今日、誹謗と称誉の実を聞けり。」

武王問太公曰:“得賢敬士,或不能以為治者,何也?”太公對曰:“不能獨斷,以人言斷者殃也。”武王曰:“何為以人言斷?”太公對曰:“不能定所去,以人言去;不能定所取,以人言取;不能定所為,以人言為;不能定所罰,以人言罰;不能定所賞,以人言賞。賢者不必用,不肖者不必退,而士不必敬。”武王曰:“善,其為國何如?”太公對曰:“其為人惡聞其情,而喜聞人之情;惡聞其惡,而喜聞人之惡;是以不必治也。”武王曰:“善。”

武王が太公に問うた。「賢人を得、士を敬い、或いはこれをもって治まらざるは何ぞ。」太公は答えていう。「独りで決断すること能わず、他人の言に憑りて決断する者は、殃を被るなり。」武王は言った。「何を他人の言に憑りて決断すると謂う。」太公は答えていう。「誰を去るかを決する能わずして、他人の言に憑りて去り、誰を取るかを決する能わずして、他人の言に憑りて取り、何を為すかを決する能わずして、他人の言に憑りて為し、誰を罰するかを決する能わずして、他人の言に憑りて罰し、誰を賞するかを決する能わずして、他人の言に憑りて賞す。賢なる者は必ずしも用いられず、不肖の者は必ずしも斥退せられず、士も必ずしも敬われず。」武王は言った。「よい。かく国を治めば如何。」太公は答えていう。「かくの如き者は己の実情を聞くを悪み、他人の実情を聞くを好み、己の悪を聞くを悪み、他人の悪を聞くを好む。ゆえに必ずしも治まらず。」武王は言った。「よい。」

齊桓公問於甯戚曰:“筦子今年老矣,為棄寡人而就世也,吾恐法令不行,人多失職,百姓疾怨,國多盜賊,吾何如而使奸邪不起,民衣食足乎?”甯戚對曰:“要在得賢而任之。”桓公曰:“得賢奈何?”甯戚對曰:“開其道路,察而用之,尊其位,重其祿,顯其名,則天下之士騷然舉足而至矣。”桓公曰:“既以舉賢士而用之矣,微夫子幸而臨之,則未有布衣屈奇之士踵門而求見寡人者。”甯戚對曰:“是君察之不明,舉之不顯;而用之疑,官之卑,祿之薄也;且夫國之所以不能士者,有五阻焉:主不好士,諂諛在旁,一阻也;言便事者,未嘗見用,二阻也;壅塞掩蔽,必因近習,然後見察,三阻也;訊獄詰窮其辭,以法過之,四阻也;執事適欲,擅國權命,五阻也。去此五阻,則豪俊並興,賢智求處;五阻不去,則上蔽吏民之情,下塞賢士之路;是故明王聖主之治,若夫江海無不受,故長為百川之主;明王聖君無不容,故安樂而長久。因此觀之,則安主利人者,非獨一士也。”桓公曰:“善,吾將著夫五阻以為戒本也。”

斉の桓公が寧戚に問うた。「管子(管仲)今年老い、寡人を捨てて逝去せんとす。われ法令の行われず、人の職を失う多く、百姓怨嗟し、国中盗賊多きを恐る。われどうすれば奸邪をして起こらざらしめ、百姓の衣食足らしめん。」寧戚は答えていう。「要は賢人を得て用いるに在り。」桓公は言った。「どうして賢人を得ん。」寧戚は答えていう。「道路を開き、考察して任じ、その位を尊び、その禄を重くし、その名を顕揚せば、天下の士は騒ぎて足を擡げて至らん。」桓公は言った。「すでに賢士を挙用せり。夫子の幸に来たるに非ざれば、なお布衣を穿ち、才具秀出の士、門に登りて寡人を見んとするもの未だあらず。」寧戚は答えていう。「これ君の考察明らかならず、挙用顕れたらざるなり。任ずるに疑い、官位低く、俸禄薄し。且つ国の士を得ざる所以は、五つの阻隔あり。主上士を好まず、諂諛の者旁に在るは、一の阻。便なる政事を講る者は未だかつて用いられざるは、二の阻。壅塞掩蔽して、必ず近習に因り、然る後に察せらるるは、三の阻。獄訟を訊審して言を問い尽くし、復た刑法をもってこれを圧するは、四の阻。事を管る者私欲に順い、国の権命を専擅するは、五の阻。この五阻を去れば、豪俊は一斉に興り、賢智の人は処を求めて至らん。五阻去らざれば、上は吏民の実情を蔽い、下は賢士の路を塞ぐ。ゆえに明王聖主の治めるや、江海の受けざるなきが如し。ゆえに長く百川の主たり。明王聖君の容れざるなし。ゆえに安楽にして長久なり。これを以て見れば、主上を安んじ人に利するは、一士のみにあらず。」桓公は言った。「よい。われ将にこの五阻を書して警戒の本と為さん。」

齊景公問於晏子曰:“寡人慾從夫子而善齊國之政。”對曰:“嬰聞之,國具官而後政可善。”景公作色曰:“齊國雖小,則何為不具官乎?”對曰:“此非臣之所復也。昔先君桓公,身體墮懈,辭會不給,則隰朋侍;左右多過,刑罰不中,則弦章侍;居處肆縱,左右懾畏,則東郭牙侍;田野不修,人民不安,則甯戚侍;軍吏怠,戎士偷,則王子成父侍;德義不中,信行衰微,則筦子侍;先君能以人之長續其短,以人之厚補其薄;是以辭令窮遠而不逆,兵加於有罪而不頓;是故諸侯朝其德而天子致其胙。今君之失多矣,未有一士以聞者也,故曰未具。”景公曰:“善。吾聞高繚與夫子遊,寡人請見之。”晏子曰:“臣聞為地戰者不能成王,為祿仕者不能成政;若高繚與嬰為兄弟久矣,未嘗幹嬰之過,補嬰之闕,特進仕之臣也,何足以補君。”

斉の景公が晏子に問うた。「寡人は夫子に従い、斉国の政を善くせんと欲す。」晏子は答えていう。「嬰聞く、国の官職斉備して、然る後に政善くし得べしと。」景公は色を変えて言った。「斉国小なりと雖も、何ぞ官職斉備せずと言わん。」答えていう。「これ臣の回復せんと欲する所に非ず。昔、先君桓公は、身体懶惰懈怠にして辞令の応对接わらざれば、すなわち隰朋を旁に在らしめ、左右過失多く刑罰当たらざれば、すなわち弦章を旁に在らしめ、起居放縦にして左右畏懼せば、すなわち東郭牙を旁に在らしめ、田野治まらず人民安んぜざれば、すなわち寧戚を旁に在らしめ、軍吏怠惰にして戦士苟且なれば、すなわち王子成父を旁に在らしめ、徳義当たらず信行衰微なれば、すなわち管子を旁に在らしめたり。先君は能く人の長をもって己の短に接ぎ、人の厚をもって己の薄を補えり。ゆえに辞令は遠く伝えて違わず、軍隊は有罪の身に加えて挫けず。これにより諸侯はその徳に朝し、天子はその胙を致せり。いま君の過失多くして、一人の士も君をして聞かしむる者なし。ゆえに未だ斉備せずと曰うなり。」景公は言った。「よい。われ聞く、高繚は夫子と交游すと。寡人彼を見んことを請う。」晏子は言った。「臣聞く、土地のために戦う者は王業を成す能わず、俸禄のために官たる者は政績を成す能わず。高繚の如きは、嬰と兄弟を為すこと久しきも、曾て嬰の過失を指摘し、嬰の缺漏を補わず、ただ進み官を求むるの臣のみ。どうして足りて君を補わんや。」

燕昭王問於郭隗曰:“寡人地狹人寡,齊人削取八城,匈奴驅馳樓煩之下,以孤之不肖,得承宗廟,恐危社稷,存之有道乎?”郭隗曰:“有,然恐王之不能用也。”昭王避席請聞之,郭隗曰:“帝者之臣,其名,臣也,其實,師也;王者之臣,其名,臣也,其實,友也;霸者之臣,其名,臣也,其實,賓也;危國之臣,其名,臣也,其實,虜也。今王將東面,目指氣使以求臣,則廝役之材至矣;南面聽朝,不失揖讓之禮以求臣,則人臣之材至矣;西面等禮相亢,下之以色,不乘勢以求臣,則朋友之材至矣;北面拘指,逡巡而退以求臣,則師傅之材至矣。如此則上可以王,下可以霸,唯王擇焉。”燕王曰:“寡人願學而無師。”郭隗曰:“王誠欲興道,隗請為天下之士開路。”於是燕王常置郭隗上坐南面,居三年,蘇子聞之,從周歸燕;鄒衍聞之,從齊歸燕;樂毅聞之,從趙歸燕;屈景聞之,從楚歸燕。四子畢至,果以弱燕幷強齊;夫燕齊非均權敵戰之國也,所以然者,四子之力也。詩曰:“濟濟多士,文王以寧。”此之謂也。

燕の昭王が郭隗に問うた。「寡人地は窄く人は少なく、斉人は八城を削取し、匈奴は楼煩の下に馳騁す。孤のかくの如き不肖をもって、宗廟を承継し得たれど、社稷を危うくするを恐る。これを存するに術あらんや。」郭隗は言った。「あり。ただ王の用いる能わざるを恐る。」昭王は席を離れて聴かんことを請う。郭隗は言った。「帝者の臣は、名義上は臣にして実は師なり。王者の臣は、名義上は臣にして実は友なり。覇者の臣は、名義上は臣にして実は賓なり。危国の臣は、名義上は臣にして実は俘虜なり。いま王将に東を向き、眼神気色をもって指使して臣を求めんとすれば、厮役の才至らん。南を向きて朝を聴き、揖譲の礼を失わずして臣を求めば、人臣の才至らん。西を向きて対等の礼を行い、相抗礼して、脸色を低くし、勢に憑らずして臣を求めば、朋友の才至らん。北を向き、手を斂めて指示し、遅疑後退して臣を求めば、師傅の才至らん。かくすれば上は王と称し、下は覇を称さん。ただ王の選択せんことを請うのみ。」燕王は言った。「寡人学ばんと願うも師なし。」郭隗は言った。「王果たして道を興さんと欲せば、隗請う、天下の士の為に路を開かん。」於是燕王は常に郭隗を上座に置き、南を向かしめた。三年を過ぎて、蘇子これを聞き、周より燕に帰し、鄒衍これを聞き、斉より燕に帰し、楽毅これを聞き、趙より燕に帰し、屈景これを聞き、楚より燕に帰す。四子皆至りて、果たして弱燕をもって強斉を兼併せり。燕と斉は権勢均等、対等に戦うべき国に非ず。能くかくの如くなる所以は、四子の力なり。『詩経』にいう。「済済多士、文王以って寧んず」と。これをいうのである。

楚莊王既服鄭伯,敗晉師,將軍子重,三言而不當,莊王歸,過申侯之邑,申侯進飯,日中而王不食,申侯請罪,莊王喟然嘆曰:“吾聞之,其君賢者也,而又有師者王;其君中君也,而又有師者霸;其君下君也,而群臣又莫若君者亡。今我,下君也,而群臣又莫若不穀恐亡,且世不絕聖,國不絕賢;天下有賢而我獨不得,若吾生者,何以食為?”故戰服大國義從諸侯,戚然憂恐聖知不在乎身,自惜不肖,思得賢佐,日中忘飯,可謂明君矣。

楚の荘王はすでに鄭伯を服せしめ、晋軍を破った。将軍子重は三たび言を進むれど皆当たらず。荘王は帰りて、申侯の城邑を過ぎ、申侯は飯を進め、正午に至るも王いまだ食せず。申侯罪を請う。荘王は嘆息して言った。「われ聞く、その君賢君にして師ある者は王たり、その君中等の君にして師ある者は覇たり、その君下等の君にして群臣また君に及ばざる者は亡ぶ。いまわれは下等の君にして、群臣また不穀に及ばざるなり。亡びんことを恐る。且つ世に聖人を絶たず、国に賢人を絶たず。天下に賢人ありてわれ独り得ざれば、わが如く生きて、なにを食わん。」ゆえに大国に勝ち、義をもって諸侯を従わしむるも、聖智の己に在らざるを憂惧し、己の不肖を痛惜し、賢人を得て輔佐せんことを欲して、正午にして食を忘る。明君と称すべし。

明主者有三懼,一曰處尊位而恐不聞其過,二曰得意而恐驕,三曰聞天下之至言而恐不能行,何以識其然也?越王勾踐與吳人戰,大敗之,兼有九夷,當是時也,南面而立,近臣三,遠臣五,令群臣曰聞吾過而不告者其罪刑,此處尊位而恐不聞其過者也。昔者晉文公與楚人戰,大勝之,燒其軍,火三日不滅,文公退而有憂色,侍者曰:“君大勝楚,今有憂色,何也?”文公曰:“吾聞能以戰勝而安者,其唯聖人乎!若夫詐勝之徒,未嘗不危也,吾是以憂。”此得意而恐驕也。昔齊桓公得筦仲隰朋,辯其言,說其義,正月之朝,令具太牢進之先祖,桓公西面而立,筦仲隰朋東面而立,桓公贊曰:“自吾得聽二子之言,吾目加明,耳加聰,不敢獨擅,願薦之先祖。”此聞天下之至言而恐不能行者也。齊景公出獵,上山見虎,下澤見蛇,歸召晏子而問之曰:“今日寡人出獵,上山則見虎,下澤則見蛇,殆所謂之不祥也。”晏子曰:“國有三不祥,是不與焉,夫有賢而不知,一不祥;知而不用,二不祥;用而不任,三不祥也;所謂不祥乃若此者也。今山上見虎,虎之室也,下澤見蛇,蛇之穴也,如虎之室,如蛇之穴而見之,曷為不祥也。”

明主に三つの懼れあり。一は尊位に処りて己の過を聞かざるを懼れ、二は得意にして驕るを懼れ、三は天下の至言を聞きて行う能わざるを懼る。何をもってかくの如くなるを見る。越王勾践は呉人と戦い、大いに呉人を敗り、九夷を兼ねたり。まさにこの時、彼は南面して立ち、近臣三、遠臣五、群臣に令して曰く、わが過を聞きて告げざる者、その罪は刑せよと。これ尊位に処りて過を聞かざるを懼るなり。昔、晋文公は楚人と戦い、大いに勝ち、楚軍を焼き、火三日して滅せず。文公退きて憂色あり。侍者曰く、「君は大いに楚に勝ちて、いま憂色あり、何ぞ。」文公曰く、「われ聞く、能く戦勝して安き者は、それ聖人のみとせん。詐をもって勝つ者に至りては、危うからざるなし。われこれを以て憂う。」これ得意にして驕るを懼るなり。昔、斉桓公は管仲・隰朋を得て、その言を辨明し、その義を喜悦す。正月朝見し、太牢を備えて先祖に進献す。桓公は西面して立ち、管仲・隰朋は東面して立つ。桓公は称して曰く、「われ二子の言を聴くを得てより、わが目はいよいよ明、わが耳はいよいよ聡なり。敢えて独り専せず、願わくはこれを先祖に進献せん。」これ天下の至言を聞きて行う能わざるを懼るなり。斉の景公出でて獵し、山に上りて虎を見、沢に下りて蛇を見、帰りて晏子を召して問うて曰く、「今日寡人出でて獵し、山に上れば則ち虎を見、沢に下れば則ち蛇を見る。ほぼ所謂不祥なるか。」晏子曰く、「国に三つの不祥あり。これその中にあらず。賢人ありて知らざるは一の不祥、知りて用いざるは二の不祥、用いていたださざるは三の不祥。所謂不祥は、これの如きなり。いま山に上りて虎を見るは、これ虎の巢穴なり。沢に下りて蛇を見るは、これ蛇の洞穴なり。虎の巢穴、蛇の洞穴の如きにして彼らを見る、何ぞ不祥せん。」

楚莊王好獵,大夫諫曰:“晉楚敵國也,楚不謀晉,晉必謀楚,今王無乃耽於樂乎?”王曰:“吾獵將以求士也,其榛藂刺虎豹者,吾是以知其勇也;其攫犀搏兕者,吾是以知其勁有力也;罷田而分所得,吾是以知其仁也。因是道也而得三士焉,楚國以安。”故曰:苟有志則無非事者,此之謂也。湯之時大旱七年,雒坼川竭,煎沙爛石,於是使人持三足鼎,祝山川,教之祝曰:政不節耶?使人疾耶?苞苴行耶?讒夫昌耶?宮室營耶?女謁盛耶?何不雨之極也,蓋言未已而天大雨,故天之應人,如影之隨形,響之效聲者也。詩云:“上下奠瘞,靡神不宗。”言疾旱也。

楚の荘王は打獵を好んだ。大夫諫めていう。「晋と楚は敵国なり。楚は晋に対し謀らず、晋は必ず楚に謀らん。いま王はほぼ快楽に耽溺せるか。」王曰く、「わが獵するは士を求めんがためなり。あの叢榛の中に虎豹を刺殺する者、われこれを以てその勇を知る。あの犀牛を抓み兕を搏つ者、われこれを以てその強勁有力を知る。獵終わりて所得を分配する、われこれを以てその仁を知る。この路を以て三士を得、楚国これを以て安し。」ゆえに曰く、志あるのみ、事ならざるなし、これをいうなり。湯の時大旱七年、洛水は裂涸し河流は枯竭し、沙石煎爛するが如し。於是人をして三足鼎を捧げ、山川に祝禱せしめ、その祝詞を教えて曰く、政令節度なきか、人民を役使すること苦きか、苞苴賄賂通行するか、讒人昌盛するか、宮室營造多きか、女謁盛んなるか。何ぞ旱極まりて雨せざる。言ほぼ尽きざるに、天すなわち大雨を降らす。ゆえに天の人に応ずるや、影の形に随い、響の声に応ずるが如し。『詩経』にいう。「上下奠瘞、神を尊ばざるなし」と。これ雨を求むる旱災をいうなり。

殷太戊時,有桑谷生於庭,昏而生,比旦而拱,史請卜之湯廟,太戊從之,卜者曰:“吾聞之,祥者福之先者也,見祥而為不善,則福不生;殃者禍之先者也,見殃而能為善,則禍不至。”於是乃早朝而晏退,問疾弔喪,三日而桑谷自亡。

殷の太戊の時、桑と穀、庭中に生じ、黄昏に生い出でて、明に及んで已に両手を合わせるほどの太さなり。史官は湯廟に往きて卜を問わんことを請う。太戊これに従う。占いの人曰く、「われ聞く、祥兆は福の先導、祥兆を見て不善の事を為せば福は生ぜず。殃兆は禍の先導、殃兆を見て能く善事を為せば禍は至らず。」於是早朝晩退し、疾病を探問し喪事を弔唁す。三日にして桑穀自ら消亡す。

高宗者,武丁也,高而宗之,故號高宗,成湯之後,先王道缺,刑法違犯,桑谷俱生乎朝,七日而大拱,武丁召其相而問焉,其相曰:“吾雖知之,吾弗得言也。聞諸祖己,桑谷者野草也,而生於朝,意者國亡乎?”武丁恐駭,飭身修行,思先王之政,興滅國,繼絕世;舉逸民,明養老。三年之後,蠻夷重譯而朝者七國,此之謂存亡繼絕之主,是以高而尊之也。

高宗は即ち武丁なり。これを尊崇するがゆえに高宗と称す。成湯の後、先王の道缺失し、刑法違犯し、桑と穀俱に朝廷に生じ、七日にして両手を合わせるほどに大なり。武丁その相を召して問う。相曰く、「われ知ると雖も、われ言う能わず。祖己より聞く。桑穀は野草なり、しかして朝廷に生ず。ほぼ国家亡びんとするか。」武丁恐懼し、身を整饬し徳を修養し、先王の政を思い、亡ぶ国を興し絶えたる世を継ぎ、隠逸の民を挙用し、養老を顕明す。三年の後、蛮夷は重訳を経て朝するもの七国なり。これ所謂存亡継絶の主、これによりこれを尊崇す。

宋大水,魯人吊之曰:“天降淫雨,溪谷滿盈,延及君地,以憂執政,使臣敬吊。”宋人應之曰:“寡人不佞,齋戒不謹,邑封不修,使人不時,天加以殃,又遺君憂,拜命之辱。”君子聞之曰:“宋國其庶幾乎!”問曰:“何謂也?”曰:“昔者夏桀殷紂不任其過,其亡也忽焉;成湯文武知任其過,其興也勃焉;夫過而改之,是猶不過。故曰其庶幾乎!”宋人聞之,夙興夜寐,早朝晏退,弔死問疾,戮力宇內。三年,歲豐政平,向使宋人不聞君子之語,則年穀未豐而國未寧,詩曰:“佛時仔肩,示我顯德行。”此之謂也。

宋国大水を發す。魯人弔問して曰く、「天は過量の雨を降し、谿谷満溢し、君の土地に延及し、執政をして憂えしめ、臣をして恭しく弔問せしむ。」宋人応答して曰く、「寡人無才にして斎戒謹まず、城邑封疆治まらず、人民を役使すること時に合わず、天は禍殃を加え、また君に憂を遺す。拝して屈尊の使命を受く。」君子これを聞きて曰く、「宋国はほぼ幾ならん!」或る人問うて曰く、「何を謂う。」彼は曰く、「昔、夏桀・殷紂は己の過を担わず、亡ぶこと速やかなり。成湯・文王・武王は己の過を担うを知り、興ること速やかなり。過ありて改めば、過なきが若し。ゆえにほぼ幾ならんと曰うなり。」宋人これを聞き、夙興夜寐し、早朝晩退し、死者を弔い病人を問い、合力して境内を治む。三年、年成豊かにして政平なり。もし宋人君子の言を聞かざらば、年谷豊かならず国家安んぜざらん。『詩経』にいう。「この任を荷うを助け、顕明の徳をわれに示せ」と。これをいうなり。

楚昭王有疾,卜之曰:“河為祟。”大夫請用三牲焉。王曰:“止,古者先王割地制土,祭不過望;江、漢、睢、漳,楚之望也;禍福之至,不是過也。不穀雖不德,河非所獲罪也。”遂不祭焉。仲尼聞之曰:“昭王可謂知天道矣,其不失國,宜哉!”

楚の昭王病あり。卜して曰く、「黄河祟りを為す。」大夫は三牲をもって祭祀せんことを請う。王曰く、「止めよ。古の先王は土地を画し疆土を制し、祭祀は望祭を過ぎず。江・漢・睢・漳は楚の望なり。禍福の至るや、これらを過ぎず。不穀徳なしと雖も、黄河はわが獲罪の対象にあらず。」於是祭祀せず。仲尼これを聞きて曰く、「昭王は天道を知ると称すべし。其の国を失わざるは宜なり。」

楚昭王之時,有云如飛鳥,夾日而飛三日,昭王患之,使人乘驛東而問諸太史州黎,州黎曰:“將虐於王身,以令尹司馬說焉則可。”令尹司馬聞之,宿齋沐浴,將自以身禱之焉。王曰:“止,楚國之有不穀也,由身之有匈脅也;其有令尹司馬也,由身之有股肱也。匈脅有疾,轉之股肱,庸為去是人也?”

楚の昭王の時、雲の飛鳥の如きもの、日を夾みて三日飛ぶ。昭王これを憂え、人をして駅馬を乗り東の太史州黎に問わしむ。州黎曰く、「将に王の身に虐害せんとす。令尹・司馬をもって解説せば可なり。」令尹・司馬これを聞き、夜を隔てて斎戒沐浴し、将に己の身をもって禱告せんとす。王曰く、「止めよ。楚国に不穀あるは、身に胸脅あるが如し。令尹・司馬あるは、身に股肱あるが如し。胸脅病ありて、股肱に移す、どうしてこの人を去らんや。」

邾文公卜徙於繹,史曰:“利於民不利於君。”君曰:“苟利於民,寡人之利也,天生烝民而樹之君,以利之也,民既利矣,孤必與焉!”侍者曰:“命可長也,君胡不為?”君曰:“命在牧民,死之短長,時也;民苟利矣,吉孰大焉。”遂徙於繹。

邾の文公卜に問い、繹に遷らんとす。史官曰く、「民に利あり、君に利あらず。」君曰く、「若し民に利あらば、即ち寡人の利なり。天衆民を生じて国君を設くるは、彼らに利せむがためなり。民すでに利を得、孤必ずその中に在らん。」侍者曰く、「寿命延長すべし。君何ぞかくせざる。」君曰く、「使命は人民を牧養するに在り。死の短長は時運なり。民若し利を得ば、何の吉利かこれより大きならん。」於是繹に遷る。

楚莊王見天不見妖,而地不出孽,則禱于山川曰:“天其忘予歟?”此能求過於天,必不逆諫矣,安不忘危,故能終而成霸功焉。

楚の荘王は天上妖異を現せず、地上災孽を生ぜざるを見て、乃ち山川に禱告して曰く、「天はわれを忘れたるか。」これ能く上天に己の過を求むるなり。必ず進諫を違逆せず、安にして危を忘れず。ゆえに能く終に覇業を成す。

湯曰:“藥食先嚐於卑,然後至於貴;藥言先獻於貴,然後聞於卑。”故藥嘗乎卑,然後至乎貴,教也;藥言獻於貴,然後聞於卑,道也。故使人味食然後食者,其得味也多;使人味言然後聞言者,其得言也少。是以明王之言,必自他聽之,必自他聞之,必自他擇之,必自他取之,必自他聚之,必自他藏之,必自他行之;故道以數取之為明,以數行之為章,以數施之萬物為藏。是故求道者不以目而以心,取道者不以手而以耳。

湯曰く、「薬と食物は先ず地位低き者に嘗めしめ、然る後に尊貴の者に至る。薬石の言は先ず尊貴の者に献じ、然る後に地位低き者をして聞かしむ。」ゆえに薬は地位低き者をして先に嘗めしめ、復た尊貴の者に至るは、教なり。薬石の言を尊貴の者に献じ、復た地位低き者をして聞かしむるは、道なり。ゆえに人をして先ず味を辨ぜしめて自ら食う者は、味を得ること多し。人をして先ず言を辨ぜしめて自ら聴く者は、言を得ること少なし。これにより明王の言は必ず人より聴き、必ず人より聞き、必ず人より選択し、必ず人より取り、必ず人より聚め、必ず人より蔵し、必ず人より行う。ゆえに道は数取るを用いれば即ち明に、数行うを用いれば即ち彰明に、数万物に施すを用いれば即ち蔵なり。これにより道を求むる者は目を用いずして心地を用い、道を取る者は手を用いずして耳を用う。

楚文王有疾,告大夫曰:“筦饒犯我以義,違我以禮,與處不安,不見不思,然吾有得焉,必以吾時爵之;申侯伯,吾所欲者,勸我為之;吾所樂者,先我行之。與處、則安,不見、則思,然吾有喪焉,必以吾時遺之。”大夫許諾,乃爵筦饒以大夫,贈申侯伯而行之。申侯伯將之鄭,王曰:“必戒之矣,而為人也不仁,而欲得人之政,毋以之魯、衛、宋、鄭。”不聽,遂之鄭,三年而得鄭國之政,五月而鄭人殺之。

楚の文王病あり、大夫に告げて曰く、「筦饒は義をもってわれを犯し、礼をもってわれに逆う。彼と処れば安寧ならず、見ざれば念わざれど、然れどわれ得るところあり。必ずわれ存せる時に彼に爵を与えよ。申侯伯は、わが欲する所、われを勧めて為さしめ、わが楽しむ所、先んじてわれに為さしむ。彼と処れば即ち安寧に、見ざれば即ち想念すれど、然れどわれ失うところあり。必ずわれ存せる時に彼を遣送せよ。」大夫は承諾し、すなわち筦饒に大夫の爵を与え、申侯伯に贈りて彼を去らしめた。申侯伯将に鄭に行かんとす。王曰く、「必ず警戒せよ。なんじの為人、仁なくして、しかして人の政を得んと欲す。魯・衛・宋・鄭に往くなかれ。」彼は聴かず、遂に鄭に至り、三年にして鄭国の政を得、五箇月にして鄭人彼を殺す。

趙簡子與欒激遊,將沈於河,曰:“吾嘗好聲色矣,而欒激致之;吾嘗好宮室臺榭矣,而欒激為之;吾嘗好良馬善御矣,而欒激求之。今吾好士六年矣,而欒激未嘗進一人,是進吾過而黜吾善也。”

趙簡子は欒激と交游し、将に彼を河に沈めんとし、曰く、「われ曾て声色を好めば、欒激は送りて来り。われ曾て宮室台榭を好めば、欒激は成せり。われ曾て良馬と好御者を好めば、欒激は訪求せり。いまわれ士を好むこと已に六年、欒激は曾て一人をも挙薦せず。これわが過を助長し、わが善を廃黜するなり。」

或謂趙簡子曰:“君何不更乎?”簡子曰:“諾。”左右曰:“君未有過,何更?”君曰:“吾謂是諾,未必有過也,吾將求以來諫者也,今我卻之,是卻諫者,諫者必止,我過無日矣。”

或る人趙簡子に曰く、「君は何ぞ更改せざる。」簡子曰く、「よし。」左右の人曰く、「君過失なし。何を改めん。」簡子曰く、「わがこの『よし』を言う、未だ必ずしも過失あるに非ず。われ将に来りて諫める者を求めんとす。いまわれ彼を拒めば、即ち諫める者を拒むなり。諫める者必ず止み、わが過は数日出でず。」

韓武子田,獸已聚矣,田車合矣,傳來告曰:“晉公薨。”武子謂欒懷子曰:“子亦知君好田獵也,獸已聚矣,田車合矣,吾可以卒獵而後吊乎?”懷子對曰:“范氏之亡也,多輔而少拂,今臣於君,輔也;畾於君,拂也,君胡不問於畾也?”武子曰:“盈而欲拂我乎?而拂我矣,何必畾哉?”遂輟田。

韓武子獵す。野獣すでに聚斉し、獵車已に会合し、伝えて報じて曰く、「晋公卒せり。」武子欒懐子に曰く、「なんじ亦君の田獵を好むを知る。野獣すでに聚斉し、獵車已に会合す。われ先ず獵を打ち終わりて後、弔唁に往くべきか。」懐子答えて曰く、「范氏の亡ぶるは、輔佐する者の多く、拂逆する者の少なきを以てなり。いま臣は君に於ては輔佐なり。畾は君に於ては拂逆なり。君何ぞ畾に問わざる。」武子曰く、「盈はわれを拂逆せんとするか。なんじすでにわれを拂逆せり。何ぞ必ずしも畾を須いん。」於是獵を止む。

師經鼓琴,魏文侯起舞,賦曰:“使我言而無見違。”師經援琴而撞文侯不中,中旒潰之,文侯謂左右曰:“為人臣而撞其君,其罪如何?”左右曰:“罪當烹。”提師經下堂一等。師經曰:“臣可一言而死乎?”文侯曰:“可。”師經曰:“昔堯舜之為君也,唯恐言而人不違;桀紂之為君也,唯恐言而人違之。臣撞桀紂,非撞吾君也。”文侯曰:“釋之!是寡人之過也,懸琴於城門以為寡人符,不補旒以為寡人戒。”

師経琴を弾く。魏文侯起ちて舞い、吟誦して曰く、「わが言をして人の違逆せざらしめよ。」師経琴を取りて文侯を撞き、中たらず、冕旒に撞き、旒散ず。文侯左右に曰く、「臣たる者がその君を撞く、罪は如何。」左右曰く、「罪は烹るべし。」師経を提げて堂下一級の階に至る。師経曰く、「臣一言を講じて死すべきか。」文侯曰く、「可。」師経曰く、「昔堯舜君たりし時、ただ言出でて人の違逆せざるを恐る。桀紂君たりし時、ただ言出でて人の違逆するを恐る。臣の撞くは桀紂なり。わが君を撞くに非ず。」文侯曰く、「彼を釈せ。これ寡人の過なり。琴を城門に懸けて寡人の符信と為し、冕旒を修補せざるをもって寡人の警戒と為せ。」

齊景公遊於蔞,聞晏子卒,公乘輿素服,驛而驅之,自以為遲,下車而趨,知不若車之速,則又乘,比至於國者四下而趨,行哭而往矣,至伏屍而號曰:“子大夫日夜責寡人,不遺尺寸,寡人猶且淫泆而不收,怨罪重積於百姓。今天降禍於齊國,不加寡人而加夫子,齊國之社稷危矣,百姓將誰告矣?”

斉の景公蔞に遊び、晏子の死せるを聞く。公車に乗り素服を著け、駅馬をもって駆馳し、自らなお遅しと覚え、車を下りて小走りす。車の如く速からざるを知りて、復た車に上る。国都に達するを及び、四たび車を下りて小走りし、辺り行き辺り哭いて往く。至りて、屍に伏して号哭して曰く、「子大夫は日夜寡人を責め、一尺一寸も放さず、寡人なお放縦にして収斂せず、怨罪は重々百姓の身に積む。いま天降禍を斉国に、寡人の身に加えずして夫子の身に加えたり。斉国の社稷危し。百姓は将に誰に訴えん。」

晏子沒十有七年,景公飲諸大夫酒,公射出質,堂上唱善,若出一口,公作色太息,播弓矢。弦章入,公曰:“章,自吾失晏子,於今十有七年,未嘗聞吾過不善,今射出質而唱善者,若出一口。”弦章對曰:“此諸臣之不肖也,知不足知君之善,勇不足以犯君之顏色。然而有一焉,臣聞之:君好之,則臣服之;君嗜之,則臣食之。夫尺蠖食黃,則其身黃,食蒼則其身蒼;君其猶有陷人言乎?”公曰:“善!今日之言,章為君,我為臣。”是時海人入魚,公以五十乘賜弦章歸,魚乘塞塗,撫其御之手,曰:“曩之唱善者,皆欲若魚者也。”昔者晏子辭賞以正君,故過失不掩,今諸臣諂諛以幹利,故出質而唱善如出一口,今所輔於君,未見眾而受若魚,是反晏子之義而順諂諛之慾也,固辭魚不受。君子曰:弦章之廉,乃晏子之遺訓也。夫天之生人也,蓋非以為君也;天之立君也,蓋非以為位也。夫為人君行其私慾而不顧其人,是不承天意忘其位之所以宜事也,如此者,春秋不予能君而夷狄之,鄭伯惡一人而兼棄其師,故有夷狄不君之辭,人主不以此自省,惟既以失實,心奚因知之,故曰:有國者不可以不學春秋,此之謂也。

晏子死して十七年、景公諸大夫を請じて酒を飲ましむ。公射て靶を出づ。堂上叫好し、一の口より出づるが如し。公色を変えて長嘆し、弓矢を放下す。弦章入り来たる。公曰く、「章、われ晏子を失いてより、いまに至る十七年、曾てわが過失不善を聞かず。いま射て靶を出づるに、叫好する者は一の口より出づるが如し。」弦章答えて曰く、「これ諸臣の不肖、智は君の善を知るに足らず、勇は君の脸色を犯すに足らざるなり。然れど尚一点あり。臣聞く、君の好む所、臣は則ち服飾し、君の嗜愛する所、臣は則ち食す。尺蠖黄なるを食らえば身は則ち黄、蒼なるを食らえば身は則ち蒼。君はほぼなお人の言に陥るところあるか。」公曰く、「よい。今日の言、章は君と為り、われは臣と為らん。」この時海上の人魚を送り進め来たる。公五十車をもって弦章に賜いて帰らしむ。魚を装める車路を塞ぐ。弦章御者の手を按じて曰く、「さきの叫好する者は、皆これらの魚の如きを欲する者なり。」昔晏子賞賜を推辞して国君を匡正せしがゆえに、過失掩蓋せられず。いま諸臣諂諛して利を求むるがゆえに、靶を出でて尚叫好して一の口より出づるが如し。いま君を輔佐して、未だ衆人を見ざるに、これらの魚の如き賞を受くるは、晏子の義を違えて諂諛の欲に順うなり。堅く辞して魚を受けず。君子曰く、弦章の廉潔は晏子の遺訓なり。天は人を生育するに、君たらむがための為に非ず。天は君を立つるに、位の為に非ず。人君たる者が私欲を放行して其の人を顧みざるは、天意を承奉せず、位の当に為すべき事を忘るるなり。かくの如きは『春秋』其の君たるを承認せずして、これを夷狄と為す。鄭伯は一人を悪みて併せて其の軍を棄つ。ゆえに夷狄・君に似ざるの措辞あり。人主これを以て自ら反省せざれば、すでに実情を失いて、心また何を以て知らん。ゆえに曰く、国ある者は『春秋』を学ばざるべからず。これをいうなり。

齊人弒其君,魯襄公援戈而起曰:“孰臣而敢殺其君乎?”師懼曰:“夫齊君治之不能,任之不肖,縱一人之慾以虐萬夫之性,非所以立君也。其身死自取之也;今君不愛萬夫之命而傷一人之死,奚其過也。其臣已無道矣,其君亦不足惜也。”

斉人その国君を殺す。魯襄公戈を執りて起ちて曰く、「どの臣子か敢えて其の国君を殺す。」師懼曰く、「斉君治むる能わず、用いるは不肖の人、一人の欲を放縦して万民の性を虐ぐ。これ国君を設くる所以に非ず。其の身の死するは、自ら取るなり。いま君万民の性命を愛惜せずして、一人の死の為に傷心す。何の過分ぞ。其の臣すでに無道、其の君も亦惜しむに足らず。」

孔子曰:“文王似元年,武王似春王,周公似正月,文王以王季為友,以太任為母,以太姒為妃,以武王周公為子,以泰顛閎夭為臣,其本美矣。武王正其身以正其國,正其國以正天下,伐無道,刑有罪,一動天下正,其事正矣。春致其時,萬物皆及生,君致其道,萬人皆及治,周公戴己而天下順之,其誠至矣。”

孔子曰く、「文王は『元年』の如く、武王は『春王』の如く、周公は『正月』の如し。文王は王季を以て父輩の友人となし、太任を以て母となし、太姒を以て妃となし、武王・周公を以て子となし、泰顛・閎夭を以て臣となす。其の根本は美なり。武王は身を正して其の国を正し、其の国を正して天下を正し、無道を討ち有罪を罰す。一たび動けば天下正し。其の事は正なり。春其の時令に至れば、万物皆生ずるに及ぶ。君其の道を尽くせば、万人皆治まるに及ぶ。周公自ら承当して天下彼に順う。其の誠極点に至る。」

尊君卑臣者,以勢使之也。夫勢失則權傾,故天子失道,則諸侯尊矣;諸侯失政,則大夫起矣;大夫失官,則庶人興矣。由是觀之,上不失而下得者,未嘗有也。

君を尊く臣を卑くするのは、勢いを用いて彼らを役使するからです。勢いを一たび失えば権は即座に傾覆します。ゆえに天子が道を失えば諸侯が尊くなり、諸侯が政を失えば大夫が起こり、大夫が官を失えば庶人が興ります。これを見れば、上が失わずに下が得たことは、かつてありません。

孔子曰:夏道不亡,商德不作;商德不亡,周德不作;周德不亡,春秋不作;春秋作而後君子知周道亡也。故上下相虧也,猶水火之相滅也,人君不可不察而大盛其臣下,此私門盛而公家毀也,人君不察焉,則國家危殆矣。筦子曰:權不兩錯,政不二門。故曰:脛大於股者難以步,指大於臂者難以把,本小末大,不能相使也。

孔子は言った。「夏の道が亡びなければ商の徳は興らず、商の徳が亡びなければ周の徳は興らず、周の徳が亡びなければ『春秋』は著されない。『春秋』が著されて後、君子はやっと周の道が亡びたと知るのです。ゆえに上と下が互いに損うのは、水と火が互いに滅ぼし合うようなものです。人君は察知せざるを得ないのに、かえって臣下を大いに盛んにしてしまう。これは私門が盛んで公家が毀れることです。人君がこれを察知しなければ国家は危うい。管子は言う、権は両辺に置くことができず、政は二つの門から出ることができない、と。ゆえに言う、ふくらはぎが太ももより大きい者は歩きにくく、指が腕より大きい者は握りにくい。根本が小さく末梢が大きければ、互いに役使することができない。」

司城子罕相宋,謂宋君曰:“國家之危定,百姓之治亂,在君行之賞罰也;賞當則賢人勸,罰得則奸人止;賞罰不當,則賢人不勸,奸人不止,奸邪比周,欺上蔽主,以爭爵祿,不可不慎也。夫賞賜讓與者,人之所好也,君自行之;刑罰殺戮者,人之所惡也,臣請當之。”君曰:“善,子主其惡,寡人行其善,吾知不為諸侯笑矣。”於是宋君行賞賜而與子罕刑罰,國人知刑戮之威,專在子罕也,大臣親也,百姓附之,居期年,子罕逐其君而尊其政,故曰:無弱君無強大夫。老子曰:“魚不可脫於淵,國之利器,不可以借人。”此之謂也。

司城子罕が宋の相となり、宋の君に言った。「国家の安危と百姓の治乱は、君の行う賞罰にあります。賞が当たれば賢人は勤勉し、罰が当たれば奸人は止みます。賞罰が当たらなければ賢人は勤勉せず、奸人は止まず、奸邪は結合して上を欺き主を蔽い、爵禄を争います。慎まざるを得ません。賞賜の給与は人の好むことですから、君みずから行ってください。刑罰殺戮は人の嫌うことですから、臣に担当させてください。」君は言った。「よい。あなたは悪い方を司り、寡人は善い方を行おう。私は諸侯に笑われないと分かる。」そこで宋の君は賞賜を行い、刑罰を子罕に任せた。国人は刑戮の威がもっぱら子罕にあると知り、大臣は彼に親しみ、百姓は彼に帰服した。一周年を過ぎ、子罕はその君を逐い、その政を独り占めにした。ゆえに言う、弱い君がなければ強い大夫はいない。老子は言う。「魚は深淵を離れてはならず、国の利器は人に貸してはならない。」これを言うのです。

卷二臣術

巻二 臣術

人臣之術,順從而覆命,無所敢專,義不苟合,位不苟尊;必有益於國,必有補於君;故其身尊而子孫保之。故人臣之行有六正六邪,行六正則榮,犯六邪則辱,夫榮辱者,禍福之門也。何謂六正六邪?六正者:一曰萌芽未動,形兆未見,昭然獨見存亡之幾,得失之要,預禁乎不然之前,使主超然立乎顯榮之處,天下稱孝焉,如此者聖臣也。二曰虛心白意,進善信道,勉主以體誼,諭主以長策,將順其美,匡救其惡,功成事立,歸善於君,不敢獨伐其勞,如此者良臣也。三曰卑身賤體,夙興夜寐,進賢不解,數稱於往古之德行事以厲主意,庶幾有益,以安國家社稷宗廟,如此者忠臣也。四曰明察幽,見成敗早,防而救之,引而復之,塞其間,絕其源,轉禍以為福,使君終以無憂,如此者智臣也。五曰守文奉法,任官職事,辭祿讓賜,不受贈遺,衣服端齊,飲食節儉,如此者貞臣也。六曰國家昏亂,所為不道,然而敢犯主之顏面,言君之過失,不辭其誅,身死國安,不悔所行,如此者直臣也,是為六正也。六邪者:一曰安官貪祿,營於私家,不務公事,懷其智,藏其能,主飢於論,渴於策,猶不肯盡節,容容乎與世沈浮上下,左右觀望,如此者具臣也。二曰主所言皆曰善,主所為皆曰可,隱而求主之所好即進之,以快主耳目,偷合苟容與主為樂,不顧其後害,如此者諛臣也。三曰中實頗險,外容貌小謹,巧言令色,又心嫉賢,所欲進則明其美而隱其惡,所欲退則明其過而匿其美,使主妄行過任,賞罰不當,號令不行,如此者奸臣也。四曰智足以飾非,辯足以行說,反言易辭而成文章,內離骨肉之親,外妒亂朝廷,如此者讒臣也。五曰專權擅勢,持招國事以為輕重於私門,成黨以富其家,又復增加威勢,擅矯主命以自顯貴,如此者賊臣也。

人臣たるの方法は、順従してから成命を報告し、敢えて専断せず、義において苟且に附和せず、位において苟且に尊さを求めず、必ず国家に益があり、必ず君の補佐となることを期すものです。ゆえに身は尊貴であり子孫はそれを保ちます。ゆえに人臣の行いには六正と六邪があります。六正を行えば栄え、六邪を犯せば辱められます。栄辱は禍福の門です。六正六邪とは何か。六正とは:一、萌芽がまだ動かず形兆がまだ現れないうちに、昭然と独り存亡の幾微と得失の要害を見て、まだそうならない先に予め禁じ、主上を超然と顕栄の地に立たせ、天下がその孝を称える。こういう者が聖臣です。二、虚心潔意で、善を進め道を信従し、礼義をもって主上を勉励し、長遠の計策をもって主上に曉諭し、順ってその美を助成し、匡正してその悪を補救し、功成り事立って、善を君に帰し、敢えて独り自分の労苦を誇らない。こういう者が良臣です。三、身を低くし形を軽んじ、早起きし夜遅く寝て、賢人の挙薦を怠らず、しばしば往古の徳行事跡を引いて主上の心意を砥礪し、益あらんことを願い、国家社稷宗廟を安んじる。こういう者が忠臣です。四、幽隠を明察し、早く成敗を見て、防ぎ止めて補い、引き戻して回復させ、継ぎ目を塞ぎ源を絶ち、禍を転じて福となし、君に終始憂慮がないようにする。こういう者が智臣です。五、文を守り法を奉じ、官職を務めて事を行い、俸禄賞賜を辞譲し、贈り物を受けず、衣服は端正に整い、飲食は節倹する。こういう者が貞臣です。六、国家が昏乱で行いが道に合わなくても、敢えて主上の顔色を犯して君の過失を言い出し、誅殺されることを辞さず、身が死んで国家が安んじ、したことを悔いない。こういう者が直臣です。これを六正といいます。六邪とは:一、官位に安んじて俸禄を貪り、私家を営み、公事に従事せず、智を抱え能を隠し、主上が議論に飢え計策に渇いても、なお節を尽くすことを肯んじず、流れに随い世事と共に浮沈し、左右を見渡す。こういう者が具臣です。二、主上の言うことはすべて善しと言い、主上のすることはすべて可と言い、密かに主上の好むものを求めて進献し、主上の耳目を快くさせ、苟且に迎合して容を求め、主上とともに楽しみ、後の害を顧みない。こういう者が諛臣です。三、内心は実に偏邪険悪で、外見の容貌は小心謹慎、巧言令色で、心はまた賢人を嫉妬し、進用したい者はその美を顕してその悪を隠し、斥退したい者はその過を顕してその美を隠し、主上を妄行させ、用人を過分にし、賞罰を不当にし、号令を行わせない。こういう者が奸臣です。四、智は過を掩飾するに足り、弁は遊説を行うに足り、話を逆に言い辞を替えて文章に書き、内では骨肉の親を離散させ、外では朝廷を攪乱させる。こういう者が讒臣です。五、権を専らにし勢いを擅にし、国事を把持し、私門の内で軽重を定め、党羽を結んで自分の家を富ませ、また威勢を増し、勝手に主の命を仮託して己を顕貴にする。こういう者が賊臣です。

六曰諂言以邪,墜主不義,朋黨比周,以蔽主明,入則辯言好辭,出則更復異其言語,使白黑無別,是非無間,伺侯可推,而因附然,使主惡佈於境內,聞於四鄰,如此者亡國之臣也,是謂六邪。賢臣處六正之道,不行六邪之術,故上安而下治,生則見樂,死則見思,此人臣之術也。

六、邪僻の言で諂媚し、主上を不義に堕とし、朋党を結んで主上の明察を蔽い、入れば巧弁好辞を用い、出ればまたその言葉を変えて、白黒に区別がなく是非に隙間がないようにし、推戴できる時機を窺って勢いに乗じて依附し、主上の悪を境内に散布し四隣に伝える。こういう者が亡国の臣です。これを六邪といいます。賢臣は六正の道に処り、六邪の路を行きません。ゆえに上は安く下は治まり、生きては人に喜ばれ、死しては人に慕われます。これが人臣たるの方法です。

湯問伊尹曰:“三公九卿大夫列士,其相去何如?”伊尹對曰:“三公者,知通於大道,應變而不窮,辯於萬物之情,通於天道者也;其言足以調陰陽,正四時,節風雨,如是者舉以為三公,故三公之事,常在於道也。九卿者,不失四時通於溝渠,修堤防,樹五穀,通於地理者也;能通不能通,能利不能利,如此者舉以為九卿,故九卿之事,常在於德也。大夫者,出入與民同眾,取去與民同利,通於人事,行猶舉繩,不傷於言,言之於世,不害於身,通於關梁,實於府庫,如是者舉以為大夫,故大夫之事常在於仁也。列士者,知義而不失其心,事功而不獨專其賞,忠政強諫而無有奸詐,去私立公而言有法度,如是者舉以為列士,故列士之事,常在於義也。故道德仁義定而天下正,凡此四者明王臣而不臣。”湯曰:“何謂臣而不臣?”伊尹對曰:“君之所不名臣者四:諸父、臣而不名,諸兄、臣而不名,先生之臣、臣而不名,盛德之士、臣而不名,是謂大順。”

湯が伊尹に問うた。「三公・九卿・大夫・列士、それらの差はどのようなものか。」伊尹は答えた。「三公とは、智が大道に通じ、変に応じて窮まらず、万物の実情を分別でき、天道に通達する者です。その言は陰陽を調和し、四時を正し、風雨を節制するに足ります。こういう者を挙げて三公とします。ゆえに三公の事は常に道にあります。九卿とは、四時を誤らず、溝洫に通暁し、堤防を修治し、五穀を植え、地理に通達する者です。通ずべきを通じ、便にすべきを便にできます。こういう者を挙げて九卿とします。ゆえに九卿の事は常に徳にあります。大夫とは、出入は民とともにし、取捨は民と利を同じくし、人事に通達し、行いは引き延ばした縄のようで、言に傷を与えず、世に説いて身に害せず、関梁は通じ、府庫は充実する。こういう者を挙げて大夫とします。ゆえに大夫の事は常に仁にあります。列士とは、義を知って本心を失わず、事を成し功を立てて独り賞賜を占めず、忠正強諫で奸詐なく、私を去り公を立てて言に法度がある。こういう者を挙げて列士とします。ゆえに列士の事は常に義にあります。ゆえに道徳仁義が定まって天下は正しくなります。凡そこの四種は、明王は彼らを臣としながらも臣とは称しないのです。」湯は言った。「臣としながら臣と称しないとはどういうことか。」伊尹は答えた。「君が臣と称さないものに四種あります。諸父は臣ですが名を呼びません。諸兄は臣ですが名を呼びません。先生の臣は臣ですが名を呼びません。盛徳の士は臣ですが名を呼びません。これを大順といいます。」

湯問伊尹曰:“古者所以立三公、九卿、大夫、列士者,何也?”伊尹對曰:“三公者,所以參五事也;九卿者,所以參三公也;大夫者,所以參九卿也;列士者,所以參大夫也。故參而有參,是謂事宗;事宗不失,外內若一。”

湯が伊尹に問うた。「古人が三公・九卿・大夫・列士を設けたのは何のためか。」伊尹は答えた。「三公は五事を参佐するため、九卿は三公を参佐するため、大夫は九卿を参佐するため、列士は大夫を参佐するためです。ゆえに参佐の上にさらに参佐がある。これを事宗といいます。事宗を失わなければ、内外は一体のようになります。」

子貢問孔子曰:“今之人臣孰為賢?”孔子曰:“吾未識也,往者齊有鮑叔,鄭有子皮,賢者也。”子貢曰:“然則齊無筦仲,鄭無子產乎?”子曰:“賜,汝徒知其一,不知其二,汝聞進賢為賢耶?用力為賢耶?”子貢曰:“進賢為賢?”子曰:“然,吾聞鮑叔之進筦仲也,聞子皮之進子產也,未聞筦仲子產有所進也。”魏文侯且置相,召李克而問焉,曰:“寡人將置相,置於季成子與翟觸,我孰置而可?”李克曰:“臣聞之,賤不謀貴,外不謀內,疏不謀親,臣者疏賤,不敢聞命。”文侯曰:“此國事也,願與先生臨事而勿辭。”李克曰:“君不察故也,可知矣,貴視其所舉,富視其所與,貧視其所不取,窮視其所不為,由此觀之,可知矣。”文侯曰:“先生出矣,寡人之相定矣。”李克出,過翟黃,翟黃問曰:“吾聞君問相於先生,未知果孰為相?”李克曰:“季成子為相。”翟黃作色不說曰:“觸失望於先生。”李克曰:“子何遽失望於我,我於子之君也,豈與我比周而求大官哉?君問相於我,臣對曰:‘君不察故也,貴視其所舉,富視其所與,貧視其所不取,窮視其所不為,由此觀之可知也。’君曰:‘出矣,寡人之相定矣。’以是知季臣子為相。”翟黃不說曰:“觸何遽不為相乎?西河之守,觸所任也;計事內史,觸所任也;王欲攻中山,吾進樂羊;無使治之臣,吾進先生;無使傅其子,吾進屈侯附。觸何負於季成子?”李克曰:“不如季成子,季成子食採千鍾,什九居外一居中;是以東得卜子夏,田子方,段幹木,彼其所舉人主之師也,子之所舉,人臣之才也。”翟黃方然而慚曰:“觸失對於先生,請自修,然後學。”言未卒,而左右言季成子立為相矣,於是翟黃默然變色內慚,不敢出,三月也。

子貢が孔子に問うた。「いまの人臣で誰が賢と数えられますか。」孔子は言った。「私はまだ知らない。昔、斉に鮑叔、鄭に子皮がいて、あれが賢者だ。」子貢は言った。「では斉に管仲はなく、鄭に子産はなかったのですか。」孔子は言った。「賜よ、お前はその一を知ってその二を知らない。賢人を挙薦するのが賢か、気力を出すのが賢か、どちらと聞いた。」子貢は言った。「賢人を挙薦するのが賢です。」孔子は言った。「そうだ。鮑叔が管仲を挙げ、子皮が子産を挙げたと聞いた。管仲・子産が誰かを挙げたとは聞かない。」魏文侯が相を置こうとし、李克を召して問うて言った。「寡人は相を置こうとし、季成子と翟触のあいだで迷っている。誰にすればよいか。」李克は言った。「臣が聞くに、賤は貴を謀らず、外は内を謀らず、疎は親を謀りません。臣はまた疎で賤です。命を承ることを敢えてしません。」文侯は言った。「これは国事だ。先生には臨んで推辞しないでほしい。」李克は言った。「君が考察しないだけで、実は知ることができます。貴はその挙げた者を見、富はその与えたものを見、貧はその取らないものを見、窮はそのしないことを見る。これで分かります。」文侯は言った。「先生は出なさい。寡人の相はもう決まった。」李克が出て翟黄に遇った。翟黄が問うた。「君が先生に相を問うたと聞いた。誰が相になるのか。」李克は言った。「季成子が相になる。」翟黄は色を変えて喜ばず言った。「触は先生に失望した。」李克は言った。「どうしてすぐ私に失望するのですか。私があなたの君に対して、結託して大官を求めたというのですか。君が私に相を問い、臣は答えた。『君が考察しないだけで、貴はその挙げた者を見、富はその与えたものを見、貧はその取らないものを見、窮はそのしないことを見る。これで分かる』と。君は言った。『出なさい。寡人の相はもう決まった』と。これによって季成子が相になると知ったのです。」翟黄は喜ばず言った。「触が相になれないとはどうしてか。西河の守は触の任じた者、計事の内史は触の任じた者、王が中山を攻めようとした時、私は楽羊を挙げ、治める臣がいなければ私は先生を挙げ、その子に傅する者がいなければ屈侯附を挙げた。触がどこで季成子に及ばないのか。」李克は言った。「季成子に及ばない。季成子は采邑千钟を食み、十分の九は外に住み一分は内に住して、東に卜子夏・田子方・段干木を得た。彼の挙げたのは人主の師であり、あなたの挙げたのは人臣の才です。」翟黄ははじめて慚じて言った。「触は先生にお答えして誤りました。自ら修養してから学ばせてください。」言い終わらないうちに、左右はすでに季成子が相に立ったと伝えた。そこで翟黄は沈黙して色を変え、心に慚愧し、三箇月出てこなかった。

楚令尹死,景公遇成公幹曰:“令尹將焉歸?”成公幹曰:“殆於屈春乎!”景公怒曰:“國人以為歸於我。”成公幹曰:“子資少,屈春資多,子義獲天下之至憂也,而以為友;鳴鶴與芻狗,其知甚少,而子玩之。鴟夷子皮日侍於屈春,損頗為友,二人者之智,足以為令尹,不敢專其智而委之屈春,故曰:政其歸於屈春乎!”

楚の令尹が死んだ。景公が成公干に遇い、言った。「令尹は誰になるか。」成公干は言った。「おそらく屈春でしょう。」景公は怒って言った。「国人は私になると思っている。」成公干は言った。「あなたの資望は少なく、屈春の資望は多い。あなたは天下最も憂うべきことを義と心得ながら、それを朋友として扱い、鳴鶴と芻狗のように智の少ないものを玩賞しています。鴟夷子皮は日々屈春に仕え、損頗を友としています。この二人の智は令尹となるに足るのに、敢��てその智を専有せず屈春に任せています。ゆえに言う、政はおそらく屈春に帰するだろう。」

田子方渡西河,造翟黃,翟黃乘軒車,載華蓋黃金之勒,約鎮簟席,如此者其駟八十乘,子方望之以為人君也,道狹下抵車而待之,翟黃至而睹其子方也,下車而趨,自投下風,曰:“觸”,田子方曰:“子與!吾曏者望子疑以為人君也,子至而人臣也,將何以至此乎?”翟黃對曰:“此皆君之所以賜臣也,積三十歲故至於此,時以間暇祖之曠野,正逢先生。”子方曰:“何子賜車轝之厚也?”翟黃對曰:“昔者西河無守,臣進吳起;而西河之外,寧鄴無令,臣進西門豹;而魏無趙患,酸棗無令,臣進北門可;而魏無齊憂,魏欲攻中山,臣進樂羊而中山拔;魏無使治之臣,臣進李克而魏國大治。是以進此五大夫者,爵祿倍以故至於此。”子方曰:“可,子勉之矣,魏國之相不去子而之他矣。”翟黃對曰:“君母弟有公孫季成者,進子夏而君師之,進段幹木而君友之,進先生而君敬之,彼其所進,師也,友也,所敬者也,臣之所進者,皆守職守祿之臣也,何以至魏國相乎?”子方曰:“吾聞身賢者賢也,能進賢者亦賢也,子之五舉者盡賢,子勉之矣,子終其次也。”

田子方が西河を渡り、翟黄を訪ねた。翟黄は軒車に座り、華蓋・黄金の轡を載せ、席上に鎮簟席を敷き、このような駟車が八十乗あった。子方は望見して人君と思い、道が狭いので車を路傍に退けて待った。翟黄が到り、田子方と見て車を下りて小走りし、自ら下風に立ち「触」と名乗った。田子方は言った。「あなたか。さきほどあなたを望見して人君かと疑ったが、来てみれば人臣だった。何によってこの域に至ったのか。」翟黄は答えた。「これらはみな君が臣に賜ったもので、三十年積み重ねてこの域に至りました。暇に乗じて曠野で祖先を祭る途中、ちょうど先生に遇いました。」子方は言った。「どうしてこれほど車輿を厚く賜ったのか。」翟黄は答えた。「昔、西河に守がなく、臣は呉起を挙げて西河の外は安寧となりました。鄴に令がなく、臣は西門豹を挙げて魏に趙の患がなくなりました。酸棗に令がなく、臣は北門可を挙げて魏に斉の憂いがなくなりました。魏が中山を攻めようとし、臣は楽羊を挙げて中山は攻め落とされました。魏に治める臣がなく、臣は李克を挙げて魏国は大いに治まりました。ゆえにこの五大夫を挙げて、爵禄は倍加しました。ゆえにこの域に至ったのです。」子方は言った。「よい。あなたは励め。魏の相はあなたを離れて他人には行かない。」翟黄は答えた。「君の母弟に公孫季成がいます。子夏を挙げて君は彼を師とし、段干木を挙げて君は彼を友とし、先生を挙げて君は彼を敬重しています。彼の挙げるのは師であり、友であり、敬う人です。臣の挙げるのはすべて職を守り禄を守る臣です。何によって魏の相に至りましょう。」子方は言った。「身が賢いのは賢であり、賢を挙げられるのもまた賢です。あなたが五たび挙げたのは皆賢です。励め。あなたはついに次になる。」

齊威王遊於瑤臺,成侯卿來奏事,從車羅綺甚眾,王望之謂左右曰:“來者何為者也?”左右曰:“成侯卿也。”王曰:“國至貧也,何出之盛也?”左右曰:“與人者有以責之也,受人者有以易之也。”王試問其說,成侯卿至,上謁曰:“忌也。”王不應。又曰:“忌也。”王不應。又曰:“忌也。”王曰:“國至貧也,何出之盛也?”成侯卿曰:“赦其死罪,使臣得言其說。”王曰:“諾”。對曰:“忌舉田居子為西河而秦梁弱,忌舉田解子為南城,而楚人抱羅綺而朝,忌舉黔涿子為冥州,而燕人給牲,趙人給盛,忌舉田種首子為即墨,而於齊足究,忌舉北郭刁勃子為大士,而九族益親,民益富,舉此數良人者,王枕而臥耳,何患國之貧哉?”

斉威王が瑤台で遊んだ。成侯卿が来て事を奏す。随従の車と羅綺が非常に多い。王は望見して左右に言った。「来るのは何をする者か。」左右は言った。「成侯卿です。」王は言った。「国家が窮しているのに、どうして出行がこうも盛大なのか。」左右は言った。「人に給する者には責求すべきものがあり、受ける者には交換すべきものがあるのです。」王は試しにその説を問うた。成侯卿が至り、前に進み謁見して「忌」と言った。王は応えず。また「忌」と言った。王は応えず。また「忌」と言った。王は言った。「国家が窮しているのに、どうして出行がこうも盛大なのか。」成侯卿は言った。「死罪を赦して、臣に己の説を述べさせてください。」王は言った。「よい。」答えて言った。「忌が田居子を挙げて西河を守らせれば秦・梁は弱くなり、田解子を挙げて南城を守らせれば楚人は羅綺を抱いて来朝し、黔涿子を挙げて冥州を守らせれば燕人は犠牲を供給し趙人は盛器を供給し、田種首子を挙げて即墨を守らせれば斉に十分足り、北郭刁勃子を挙げて大士とすれば九族はいよいよ親しみ民はいよいよ富みます。この数人の好人を挙げて用いれば、王は枕に頭を置いて眠るだけでよい。どうして国家の貧窮を憂慮する必要がありましょうか。」

秦穆公使賈人載鹽,徵諸賈人,賈人買百里奚以五羖羊之皮,使將車之秦,秦穆公觀鹽,見百里奚牛肥,曰:“任重道遠以險,而牛何以肥也?”對曰:“臣飲食以時,使之不以暴;有險,先後之以身,是以肥也。”穆公知其君子也,令有司其沐浴為衣冠與坐,公大悅,異日與公孫支論政,公孫支大不寧曰:“君耳目聰明,思慮審察,君其得聖人乎!”公曰:“然,吾悅夫奚之言,彼類聖人也。”公孫支遂歸取鴈以賀曰:“君得社稷之聖臣,敢賀社稷之福。”公不辭,再拜而受,明日,公孫支乃致上卿以讓百里奚曰:“秦國處僻,民陋以愚無知,危亡之本也,臣自知不足以處其上,請以讓之。”公不許,公孫支曰:“君不用賓相而得社稷之聖臣,君之祿也;臣見賢而讓之,臣之祿也。今君既得其祿矣,而使臣失祿可乎?請終致之!”公不許。公孫支曰:“臣不肖而處上位是君失倫也,不肖失倫,臣之過,進賢而退不肖,君之明也,今臣處位,廢君之德而逆臣之行也,臣將逃。”公乃受之。故百里奚為上卿以制之,公孫支為次卿以佐之也。

秦穆公が商人に塩を運ばせ、商人から徴取した。商人は黒い牡羊皮五枚で百里奚を買い、彼に車を駆らせて秦に至らせた。秦穆公が塩を視察し、百里奚の牛が肥えているのを見て言った。「荷は重く道は遠くて険しいのに、牛はどうして肥えているのか。」答えた。「臣は時に応じて彼に飲食を与え、彼を役しても暴虐にしません。険しい所があれば、自ら前後して身をもって彼を守ります。ゆえに肥えています。」穆公は彼が君子であると知り、関係官吏に命じて沐浴・衣冠を整えさせ、彼と同座した。公は非常に喜んだ。別の日、公孫支と政を談じた。公孫支はとても安らかでなく言った。「君の耳目は聡明で思慮は審察です。君はほぼ聖人を得たのでしょう。」公は言った。「そうだ。私は奚の言を喜ぶ。彼は聖人に似ている。」公孫支は帰って雁を取り、来て祝って言った。「君は社稷の聖臣を得ました。大胆に社稷の福を祝います。」公は辞せず、再拝して受けた。翌日、公孫支は上卿を差し出して百里奚に譲って言った。「秦国は辺鄙の地にあり、民は鄙陋で愚かです。これが危亡の根本です。臣は自ら彼の上に処るに足らないと知っています。彼に譲りたい。」公は許さなかった。公孫支は言った。「君が賓相を用いずに社稷の聖臣を得たのは君の福です。臣が賢人を見て彼に譲るのは臣の福です。いま君はすでに福を得たのに、臣に福を失わせるのはよいでしょうか。最後まで差し出させてください。」公は許さなかった。公孫支は言った。「臣が不肖で上位にいるのは、君が倫次を乱したことです。不肖で倫を乱すのは臣の過です。賢を進め不肖を退けるのは君の明です。いま臣が位を占めるのは、君の徳を廃し臣の行いを違えることです。臣は逃げようとしています。」公はようやく受けた。ゆえに百里奚は上卿となり裁制し、公孫支は次卿となり輔佐した。

趙簡主從晉陽之邯鄲,中路而止,引車吏進問何為止,簡主曰:“董安於在後。”吏曰:“此三軍之事也,君奈何以一人留三軍也?”簡主曰:“諾。”驅之百步又止,吏將進諫,董安於適至,簡主曰:“秦道之與晉國交者,吾忘令人塞之。”董安於曰:“此安於之所為後也。”簡主曰:“官之寶璧吾忘令人載之。”對曰:“此安於之所為後也。”簡主可謂內省外知人矣哉!故身佚國安,御史大夫周昌曰:“人主誠能如趙簡主,朝不危矣。”

趙簡主が晋陽から邯鄲へ行く途中、半ばで止まった。車を引く吏が進んでなぜ止まったかを問うた。簡主は言った。「董安于が後ろにいる。」吏は言った。「これは三軍の事です。君はどうして一人のために三軍を留めるのですか。」簡主は言った。「よし。」百歩行ってまた止まった。吏が進諫しようとした時、董安于がちょうど着いた。簡主は言った。「秦地の道路と晋に交接する所、人を呼んで塞ぐのを忘れた。」董安于は言った。「これがまさに安于が後れた理由です。」簡主は言った。「官にある宝璧、人を呼んで載せるのを忘れた。」答えた。「これもまた安于が後れた理由です。」簡主は内に反省し外に人を知ると称すべきでした。ゆえに自身は安逸で国家は安定しました。御史大夫周昌は言った。「人主が果たして趙簡主のようであれば、朝廷は危なくない。」

晏子侍於景公,朝寒請進熱食,對曰:“嬰非君之廚養臣也,敢辭。”公曰:“請進服裘。”對曰:“嬰非田澤之臣也,敢辭。”公曰:“然,夫子於寡人奚為者也?”對曰:“社稷之臣也。”公曰:“何謂社稷之臣?”對曰:“社稷之臣,能立社稷,辨上下之宜,使得其理;制百官之序,使得其宜;作為辭令,可分佈於四方。”自是之後,君不以禮不見晏子也。

晏子が景公に仕えた。早朝寒く、熱食を賜るよう請うた。晏子は答えた。「嬰は君の厨房に養われている臣ではありません。大胆に辞します。」公は言った。「裘衣を進めよう。」答えた。「嬰は田沢を司る臣ではありません。大胆に辞します。」公は言った。「では、夫子は寡人にとって何をする者か。」答えた。「社稷の臣です。」公は言った。「社稷の臣とは何か。」答えた。「社稷の臣は、社稷を立て、上下の適宜を弁え、それぞれがその理を得るようにし、百官の次序を定め、それぞれがその宜を得るようにし、辞令を作り、四方に分布できる者です。」これ以後、君は礼を用いなければ晏子を召さなかった。

齊侯問於晏子曰:“忠臣之事其君何若?”對曰:“有難不死,出亡不送。”君曰:“裂地而封之,疏爵而貴之;吾有難不死,出亡不送,可謂忠乎?”對曰:“言而見用,終身無難,臣何死焉;謀而見從,終身不亡,臣何送焉。若言不見用,有難而死之,是妄死也;諫而不見從,出亡而送,是詐為也。故忠臣者能納善於君而不能與君陷難者也。”

斉侯が晏子に問うた。「忠臣がその君に仕えるのはどうあるべきか。」答えた。「危難があっても死せず、出亡があっても送らない。」君は言った。「地を分けて彼に封じ、爵位を通じて彼を貴くした。私に危難があっても彼は死せず、出亡しても彼は送らない。忠と呼べるか。」答えた。「言が出て用いられれば終身危難はなく、臣は何のために死にましょう。謀が聴かれれば終身出亡はなく、臣は何のために送りましょう。もし言が用いられず危難があって死するのは妄死であり、進諫が聴かれず出亡があって送るのは詐偽です。ゆえに忠臣は善を君に納めることができる者であり、君とともに危難に陥る者ではありません。」

晏子朝,乘敝車,駕駑馬,景公見之曰:“嘻!夫子之祿寡耶!何乘不任之甚也!”晏子對曰:“賴君之賜,得以壽三族及國交遊皆得生焉,臣得暖衣飽食,敝車駑馬,以奉其身,於臣足矣。”晏子出,公使梁丘據遺之輅車乘馬,三返不受,公不悅,趣召晏子,晏子至,公曰:“夫子不受,寡人亦不乘。”晏子對曰:“君使臣臨百官之吏,節其衣服飲食之養,以先齊國之人,然猶恐其侈靡而不顧其行也;今輅車乘馬,君乘之上,臣亦乘之下,民之無義,侈其衣食而不顧其行者,臣無以禁之。”遂讓不受也。

晏子が上朝した。破れた車に乗り劣馬を駕した。景公はこれを見て言った。「ああ、夫子の俸禄は少ないのか。どうしてこんなに不堪な車に乗っているのか。」晏子は答えた。「君の賞賜に頼り、三族を養い、国中の交游する人々も生存を得ています。臣は暖衣飽食でき、破車劣馬で身を奉養しています。臣にとって十分です。」晏子が出ると、公は梁丘據を遣わして輅車と乗馬を贈らせた。三たび送ったが受けなかった。公は喜ばず、急いで晏子を召した。晏子が至ると公は言った。「夫子が受けないなら、寡人も乗らない。」晏子は答えた。「君が臣に百官の吏を臨視させ、その衣服飲食の供養を節制させ、斉国人の先導とさせています。なお彼らが侈靡で己の行いを顧みないことを恐れます。いま輅車乗馬で君は上に乗り臣も下に乗れば、百姓のうち義がなく衣食を奢侈に使い行いを顧みない者を、臣は止めることができません。」そこで辞譲して受けなかった。

景公飲酒,陳桓子侍,望見晏子而復於公曰:“請浮晏子。”公曰:“何故也?”對曰:“晏子衣緇布之衣,糜鹿之裘,棧軫之車,而駕駑馬以朝,是隱君之賜也。”公曰:“諾。”酌者奉觴而進之曰:“君命浮子。”晏子曰:“何故也?”陳桓子曰:“君賜之卿位以尊其身,寵之百萬以富其家,群臣之爵,莫尊於子,祿莫厚於子;今子衣布衣之衣,糜鹿之裘,棧軫之車而駕駑馬以朝,則是隱君之賜也,故浮子。”晏子避席曰:“請飲而後辭乎?其辭而後飲乎?”公曰:“辭然後飲。”晏子曰:“君賜卿位以顯其身,嬰不敢為顯受也,為行君令也;寵之百萬以富其家,嬰不敢為富受也,為通君賜也;臣聞古之賢臣有受厚賜而不顧其國族,則過之;臨事守職不勝其任,則過之;君之內隸,臣之父兄,若有離散在於野鄙者,此臣之罪也;君之外隸,臣之所職,若有播亡在四方者,此臣之罪也;兵革不完,戰車不修,此臣之罪也。若夫敝車駑馬以朝主者,非臣之罪也,且臣以君之賜,臣父之黨無不乘車者,母之黨無不足以衣食者,妻之黨無凍餒者,國之簡士待臣而後舉火者數百家,如此為隱君之賜乎?彰君之賜乎?”公曰:“善,為我浮桓子也。”

景公が酒を飲み、陳桓子が侍していた。晏子を望見し、公に報告して言った。「晏子に酒を罰してください。」公は言った。「なぜか。」答えた。「晏子は緇布の衣・糜鹿の裘を着、棧軫の車に劣馬を駕して朝に来ました。これは君の賞賜を隠しているのです。」公は言った。「よし。」酒を注ぐ者が觴を捧げて進んで言った。「君の命であなたに酒を罰します。」晏子は言った。「なぜか。」陳桓子は言った。「君は卿位を賜ってその身を尊び、百万を寵賜してその家を富ませました。群臣の爵であなたより尊い者はなく、俸禄であなたより厚い者はありません。いまあなたは布衣・糜鹿裘を着、棧軫の車に劣馬を駕して朝に来ました。すなわち君の賞賜を隠しているのです。ゆえに酒を罰します。」晏子は席を離れて言った。「先に飲んでから弁解しますか、先に弁解してから飲みますか。」公は言った。「先に弁解してから飲め。」晏子は言った。「君が卿位を賜ってその身を顕すのは、嬰は顕すために受けたのではなく、君の命令を行うためです。百万を寵賜してその家を富ますのは、嬰は富のために受けたのではなく、君の賞賜を通じるためです。臣が聞くに、古の賢臣で厚賜を受けてその国族を顧みない者は過であり、事に臨み職を守って勝任しない者は過です。君の内隷・臣の父兄が郊野辺地に離散していれば、これは臣の罪です。君の外隷・臣の掌る所が四方に流亡していれば、これは臣の罪です。兵器甲冑が完備せず、戦車が整わなければ、これは臣の罪です。破車に乗り劣馬を駕して主上に朝見するのは、臣の罪ではありません。さらに臣は君の賞賜に頼り、父の党は車に乗らない者がなく、母の党は衣食の足りない者がなく、妻子の党は凍餒する者がなく、国中の寒士で臣を待ってから火を起こして飯を炊く者が数百家あります。このようなのは、君の賞賜を隠しているのでしょうか、それとも君の賞賜を顕しているのでしょうか。」公は言った。「よい。私のために桓子に酒を罰せよ。」

晏子方食,君之使者至,分食而食之,晏子不飽,使者返言之景公,景公曰:“嘻,夫子之家若是其貧也,寡人不知也,是寡人之過也。”令吏致千家之縣一於晏子,晏子再拜而辭,曰:“嬰之家不貧,以君之賜,澤覆三族,延及交遊,以振百姓,君之賜也厚矣,嬰之家不貧也!嬰聞之,厚取之君而厚施之人,代君為君也,忠臣不為也;厚取之君而藏之,是筐筴存也,仁人不為也;厚取之君而無所施之,身死而財遷,智者不為也。嬰也聞為人臣,進不事上以為忠,退不克下以為廉,八升之布,一豆之食,足矣。”使者三返,遂辭不受也。

晏子が食事中、君の使者が着いた。食物を分けて彼に食べさせたが、晏子自身は飽きなかった。使者は帰って景公に告げた。景公は言った。「ああ、夫子の家がこんなに窮しているとは、寡人は知らなかった。これは寡人の過ちだ。」官吏に命じて千家の県を晏子に贈らせた。晏子は再拝して辞して言った。「嬰の家は窮していません。君の賞賜に頼り、恩沢は三族を覆い、交游に及び、百姓を救済しています。君の賞賜はすでに厚い。嬰の家は窮していません。嬰が聞くに、君から厚く取って人に厚く施すのは、君に代わって君になることで、忠臣はしません。君から厚く取って蔵めるのは、筐匣を溜めることで、仁人はしません。君から厚く取って施す所がなく、身が死ねば財は移るのは、智者はしません。嬰はまた聞くに、人臣たるに、進んで事上を以て忠とせず、退いて下に苛刻を以て廉としません。八升の布、一豆の食で十分です。」使者は三たび往復したが、ついに辞して受けなかった。

陳成子謂鴟夷子皮曰:“何與常也?”對曰:“君死吾不死,君亡吾不亡。”陳成子曰:“然子何以與常?”對曰:“未死去死,未亡去亡,其有何死亡矣!從命利君謂之順,從命病君謂之諛,逆命利君謂之忠,逆命病君謂之亂,君有過不諫諍,將危國殞社稷也,有能盡言於君,用則留之,不用則去之,謂之諫;用則可生,不用則死,謂之諍;有能比和同力,率群下相與強矯君,君雖不安,不能不聽,遂解國之大患,除國之大害,成於尊君安國謂之輔;有能亢君之命,反君之事,竊君之重以安國之危,除主之辱攻伐足以成國之大利,謂之弼。故諫諍輔弼之人,社稷之臣也,明君之所尊禮,而闇君以為己賊;故明君之所賞,闇君之所殺也。明君好問,闇君好獨,明君上賢使能而享其功;闇君畏賢妒能而減其業,罰其忠,而賞其賊,夫是之謂至闇,桀紂之所以亡也。詩云:‘曾是莫聽,大命以傾’,此之謂也。”

陳成子が鴟夷子皮に言った。「あなたはどうして常に親しいのか。」答えた。「君が死んでも私は死なず、君が亡びても私は亡びない。」陳成子は言った。「ではあなたはどうして常に親しいのか。」答えた。「まだ死なないうちに死を離れ、まだ亡びないうちに亡を離れれば、どこに死亡がありましょう。命令に従って君に利があるのを順といい、命令に従って君を害するのを諛といい、命令に逆らって君に利があるのを忠といい、命令に逆らって君を害するのを乱といいます。君に過失があって諫諍しなければ、国家を危うくし社稷を滅ぼすでしょう。君に言い尽くせる者がいて、用いられれば留まり、用いられなければ離れるのを諫といいます。用いられれば生き、用いられなければ死ぬのを諍といいます。心を一つに力を合わせ、群下を率いて強く君を矯正し、君は安からなくても聴かざるを得ず、国家の大患を除き大害を去り、君を尊び国を安くするのを輔といいます。君の命令に抗して、かえって君の事を行い、君の権柄を借りて国家の危を安くし、主上の辱を除き、攻伐して国家の大利を成すに足るのを弼といいます。ゆえに諫諍輔弼の人は社稷の臣で、明君が尊礼する者であり、昏君はかえって己の賊とみなします。ゆえに明君の賞する者は昏君の殺す者です。明君は問うことを好み、昏君は独断を好みます。明君は賢を尊び能を用いてその功を享受し、昏君は賢を畏れ能を妬みその事業を損ない、忠なる者を罰し賊なる者を賞します。これを極昏といい、桀紂が滅びた所以です。『詩経』に言う。『ついにこれを聴かず、大命はこれによって覆る』と。これを言うのです。」

簡子有臣尹綽、赦厥。簡子曰:“厥愛我,諫我必不於眾人中;綽也不愛我,諫我必於眾人中。”尹綽曰:“厥也愛君之醜而不愛君之過也,臣愛君之過而不愛君之醜。”孔子曰:“君子哉!尹綽,面訾不譽也。”

簡子に臣の尹綽と赦厥がいた。簡子は言った。「厥は��を��して、進諫するとき必ず衆人の中ではしない。綽は私を愛さず、進諫するとき必ず衆人の中でする。」尹綽は言った。「厥が愛するのは君の醜で、君の過失を愛しない。臣が愛するのは君の過失で、君の醜を愛しない。」孔子は言った。「君子だな、尹綽は。面と向かって責め、誉めない。」

高繚仕於晏子,晏子逐之,左右諫曰:“高繚之事夫子,三年曾無以爵位,而逐之,其義可乎?”晏子曰:“嬰仄陋之人也,四維之然後能直,今此子事吾三年,未嘗弼吾過,是以逐之也。”

高繚が晏子のもとで官をしていたが、晏子は彼を逐った。左右が進諫して言った。「高繚は夫子に三年仕えて、まだ一度も爵位を与えなかったのに、彼を逐うのは義としてよいのでしょうか。」晏子は言った。「嬰は褊狭浅陋の人で、四維で繋ぎ止めなければ正せない。いまこの人が私に三年仕えて、まだ一度も私の過失を輔正しなかった。ゆえに彼を逐った。」

子貢問孔子曰:“賜為人下,而未知所以為人下之道也?”孔子曰:“為人下者,其猶土乎!種之則五穀生焉,掘之則甘泉出焉,草木植焉,禽獸育焉,生人立焉,死人入焉,多其功而不言,為人下者,其猶土乎!”

子貢が孔子に問うた。「賜は人の下に処りながら、人の下に処る道理をまだ知りません。」孔子は言った。「人の下に処るというのは、土のようなものだろう。種を下せば五穀が生じ、掘り開けば甘泉が湧き、草木がその上に植わり、禽獣がその上に育ち、生きた人がその上に立ち、死んだ人がその中に埋まる。功労は多いのに言わない。人の下に処るというのは、土のようなものだろう。」

孫卿曰:“少使長,賤事貴,不肖事賢,此天下之通義也。有人貴而不能為人上,賤而羞為人下,此奸人之心也,身不離奸心,而行不離奸道,然而求見譽於眾,不亦難乎?”

孫卿は言った。「年少が年長を役し、低賤が尊貴に仕え、不肖が賢に仕えるのは、天下の通る義です。ある人は貴であっても人の上に立てず、賤であって人の下になることを恥ずかしがる。これは奸心の人です。自身が奸心を離れず、行いが奸道を離れず、それでいて衆人に称誉されようと求めるのは、難しくないでしょうか。」

公叔文子問於史叟曰:“武子勝事趙簡子久矣,其寵不解,奚也?”史叟曰:“武子勝,博聞多能而位賤,君親而近之,致敏以愻,藐而疏之,則恭而無怨色,入與謀國家,出不見其寵,君賜之祿,知足而辭,故能久也。”

公叔文子が史叟に問うた。「武子勝が趙簡子に仕えて久しく、寵愛が衰えないのはなぜか。」史叟は言った。「武子勝は見聞が広く才能が多いのに、位は低賤です。君が彼に親しめば彼は極めて恭敬に順遜し、疎んじれば彼は恭敬して怨色がありません。入って国家を謀り、出て彼の寵は見えません。君が彼に俸禄を賜えば、彼は足るを知って辞します。ゆえに長く続くのです。」

泰誓曰:“附下而罔上者死,附上而罔下者刑;與聞國政而無益於民者退,在上位而不能進賢者逐。”此所以勸善而黜惡也。故傳曰:“傷善者國之殘也,蔽善者國之讒也,愬無罪者國之賊也。”

『泰誓』に言う。「下に附和して上を欺罔する者は処刑し、上に附和して下を欺罔する者は用刑する。国政に参与して民に益のない者は斥退し、上位にありながら賢人を挙げられない者は逐う。」これは善を勧め悪を黜するためです。ゆえに伝記に言う。「善人を傷つけるのは国家の残賊、善人を蔽うのは国家の讒人、無罪を誣告するのは国家の賊である。」

王制曰:“假於鬼神時日卜筮以疑於眾者殺也。”子路為蒲令,備水災,與民春修溝瀆,為人煩苦,故予人一簞食,一壺漿,孔子聞之,使子貢復之,子路忿然不悅,往見夫子曰:“由也以暴雨將至,恐有水災,故與人修溝瀆以備之,而民多匱於食,故與人一簞食一壺漿,而夫子使賜止之,何也?夫子止由之行仁也,夫子以仁教而禁其行仁也,由也不受。”子曰:“爾以民為餓,何不告於君,發倉廩以給食之;而以爾私饋之,是汝不明君之惠,見汝之德義也,速已則可矣,否則爾之受罪不久矣。”子路心服而退也。

『王制』に言う。「鬼神・時日・卜筮を仮借して衆人を惑乱する者は殺せ。」子路が蒲の県令となった。水災を防ぐため、百姓と春に溝洫を修治した。人々は苦しんだので、一人ずつに一簞の食と一壺の漿を与えた。孔子がこれを聞き、子貢を遣わして止めさせた。子路は憤然と喜ばず、夫子に会って言った。「由は暴雨が来ると思い水災を恐れ、人々と溝洫を修めて防ぎました。百姓は食べ物が乏しいので、一簞の食と一壺の漿を与えました。夫子は賜を遣わして止めさせました。なぜですか。夫子は由が仁を行うのを止め、仁を教えながら仁の実行を禁じます。由は受け入れません。」孔子は言った。「お前は百姓が飢えていると思うなら、どうして君に告げて倉廩を開いて彼らに食べさせなかったのか。お前が私物で饋贈するのは、君の恩惠を顕さず、ただお前の徳義を示すだけだ。すぐ止めればまだよい。さもなければお前はすぐ罪を受ける。」子路は心の中で服し、退いた。

卷三建本

巻三 建本

孔子曰:“君子務本,本立而道生。”夫本不正者末必倚,始不盛者終必衰。詩云:“原隰既平,泉流既清”。本立而道生,春秋之義;有正春者無亂秋,有正君者無危國,易曰:“建其本而萬物理,失之毫釐,差以千里”。是故君子貴建本而重立始。

孔子は言った。「君子は根本に力を尽くす。根本が立てば道は生じる。」根本が正しくなければ末梢は必ず歪む。始めが盛んでなければ終わりは必ず衰える。『詩経』に言う。「高地も窪地もすでに平らかに整い、泉流もすでに清い。」根本が立てば道は生じる。これが『春秋』の義です。正しい春があれば乱れた秋はなく、正しい君があれば危険な国はありません。『周易』に言う。「根本を立てれば万物に条理がある。毫厘を失えば千里を誤る。」ゆえに君子は根本を立てることを重んじ、端緒を立てることを重視するのです。

魏武侯問元年於吳子,吳子對曰:“言國君必慎始也。”“慎始奈何?”曰:“正之”,“正之奈何?”曰:“明智,智不明,何以見正,多聞而擇焉,所以明智也。是故古者君始聽治,大夫而一言,士而一見,庶人有謁必達,公族請問必語,四方至者勿距,可謂不壅蔽矣;分祿必及,用刑必中,君心必仁,思君之利,除民之害,可謂不失民眾矣;君身必正,近臣必選,大夫不兼官,執民柄者不在一族,可謂不權勢矣。此皆春秋之意,而元年之本也。”

魏武侯が呉子に「元年」を問うた。呉子は答えた。「国君は必ず端緒を謹むべきだということです。」「端緒を謹むとはどういうことか。」言った。「それを正しくする。」「それを正しくするとはどういうことか。」言った。「智を明らかにする。智が明らかでなければ、何によって正を見ようか。多く聴いて選ぶ。ゆえに智を明らかにする。ゆえに古の君は初めて政を聴き治めるとき、大夫は一言を進め、士は一面を見せ、庶人の謁見は必ず通達し、公族の請問は必ず答え、四方から来る人を拒絶しなかった。壅蔽しないと称すべきです。俸禄を分けるとき必ず及ばせ、刑を用いるとき必ず適中にし、君の心は必ず仁で、君の利を思い、民の害を除く。民衆を失わないと称すべきです。君自身は必ず正しく、近臣は必ず選び、大夫は兼官せず、治民の権柄を執る者は一族にいない。権勢を集中しないと称すべきです。これらはすべて『春秋』の意であり、また元年の根本です。」

孔子曰:行身有六本,本立焉,然後為君子立體有義矣,而孝為本;處喪有禮矣,而哀為本;戰陣有隊矣,而勇為本;政治有理矣,而能為本;居國有禮矣,而嗣為本;生才有時矣,而力為本。置本不固,無務豐末;親戚不悅,無務外交;事無終始,無務多業;聞記不言,無務多談;比近不說,無務修遠。是以反本修邇,君子之道也。天之所生,地之所養,莫貴乎人人之道,莫大乎父子之親,君臣之義;父道聖,子道仁,君道義,臣道忠。賢父之於子也,慈惠以生之,教誨以成之,養其誼,藏其偽,時其節,慎其施;子年七歲以上,父為之擇明師,選良友,勿使見惡,少漸之以善,使之早化。故賢子之事親,發言陳辭,應對不悖乎耳;趣走進退,容貌不悖乎目;卑體賤身,不悖乎心。君子之事親以積德,子者親之本也,無所推而不從命,推而不從命者,惟害親者也,故親之所安子皆供之。賢臣之事君也,受官之日,以主為父,以國為家,以士人為兄弟;故苟有可以安國家,利人民者不避其難,不憚其勞,以成其義;故其君亦有助之以遂其德。夫君臣之與百姓,轉相為本,如循環無端,夫子亦云,人之行莫大於孝;孝行成於內而嘉號佈於外,是謂建之於本而榮華自茂矣。君以臣為本,臣以君為本;父以子為本,子以父為本,棄其本,榮華槁矣。

孔子は言った。立身行事に六つの根本がある。根本が立ってから君子となる。立身处世には義があり、孝を根本とする。処喪には礼があり、哀を根本とする。戦陣には隊列があり、勇を根本とする。政治には条理があり、能を根本とする。居国には礼があり、継嗣を根本とする。生長才性には時令があり、力を根本とする。根本を固く置かなければ、盛んな末梢に従事してはならない。親戚が喜ばなければ外交に従事してはならない。事に終始がなければ多くの産業に従事してはならない。聞き記憶して言わなければ多くの談に従事してはならない。近くの人が喜ばなければ遠方の経営に従事してはならない。ゆえに根本に帰り近くを修めるのが君子の道です。天の生ずる所・地の養う所で、人より貴いものはない。人たるの道で、父子の親・君臣の義より大きいものはない。父の道は聖、子の道は仁、君の道は義、臣の道は忠です。賢父は子に対して、慈恵で彼を生み育て、教誨で彼を成し、その誼を培い、その偽を収め、時に適って彼を節制し、その施為を慎む。子が七歳以上になれば、父は明師を選び良友を選び、悪を見せず、小さいうちから善で浸し、早く感化させる。ゆえに賢子が両親に仕えるには、発言陳辞・応対は耳に違わず、趨走進退・容貌は目に違わず、形体を低くし身を軽んじて心に違わない。君子は両親に仕えて徳を積む。子は両親の根本で、押し退けて命に従わないことはない。押し退けて命に従わないのは、ただ両親を害する人だけです。ゆえに両親が安んずる所は、子はすべて供奉する。賢臣が君に仕えるには、官職を受けた日に、主上を父とし、国を家とし、士人を兄弟とする。ゆえに国家を安くし人民に利があることなら、その難を避けず、その労を恐れず、その義を成す。ゆえにその君もまた助けられてその徳を成す。君臣と百姓は互いに転じて根本となる。循環して尽きない。夫子も言った、人の行いで孝より大きいものはない。孝行が内に成って美名が外に布く。これを根本の上に建てて栄華が自ら盛んになるという。君は臣を根本とし、臣は君を根本とする。父は子を根本とし、子は父を根本とする。根本を棄てれば、栄華は枯れる。

子路曰:負重道遠者,不擇地而休;家貧親老者,不擇祿而仕。昔者由事二親之時,常食藜藿之實而為親負米百里之外,親沒之後,南遊於楚,從車百乘,積粟萬鍾,累茵而坐,列鼎而食,願食藜藿負米之時不可復得也;枯魚銜索,幾何不蠹,二親之壽,忽如過隙,草木欲長,霜露不使,賢者欲養,二親不待,故曰:家貧親老不擇祿而仕也。

子路は言った。荷が重く道が遠い人は、休む場所を選ばない。家が貧しく両親が老いた人は、俸禄を選んで官をしない。昔、由が両親に仕えた時、いつも藜藿の実を食べ、両親のために百里の外まで米を背負った。両親が亡くなった後、南に楚へ遊び、従う車は百乗、蓄えた粟は万钟、茵褥を重ねて座り、鼎を並べて食事した。もう一度藜藿を食べ米を背負う時に戻りたいと思っても、もう得られない。枯れた魚を縄で穿つ。あとどれほど虫に蛀まれずにいられるか。両親の寿命は、隙を越えるように速い。草木は生えたいと思っても霜露が許さず、賢者は奉養したいと思っても両親は待ってくれない。ゆえに言う、家が貧しく両親が老いたら、俸禄を選んで官をしない。

伯禽與康叔封朝於成王,見周公三見而三笞,康叔有駭色,謂伯禽曰:“有商子者,賢人也,與子見之。”康叔封與伯禽見商子曰:“某某也,日吾二子者朝乎成王,見周公三見而三笞,其說何也?”商子曰:“二子盍相與觀乎南山之陽有木焉,名曰橋。”二子者往觀乎南山之陽,見橋竦焉實而仰,反以告乎商子,商子曰:“橋者父道也。”商子曰:“二子盍相與觀乎南山之陰,有木焉,名曰梓。”二子者往觀乎南山之陰,見梓勃焉實而俯,反以告商子,商子曰:“梓者、子道也。”二子者明日見乎周公,入門而趨,登堂而跪,周公拂其首,勞而食之曰:“安見君子?”二子對曰:“見商子。”周公曰:“君子哉!商子也。”

伯禽と康叔封が成王に朝見し、周公に会って、三度進見して三度鞭打たれた。康叔は驚駭の色を見せ、伯禽に言った。「商子という者がいる。あれは賢人だ。あなたと彼に会いに行こう。」康叔封と伯禽が商子に会って言った。「この前、私たち二人は成王に朝見し、周公に会って三度進見して三度鞭打たれました。これはどういうことでしょう。」商子は言った。「二人で南山の南側を見に行ってはどうか。橋という名の木がある。」二人が南山の南側を見に行くと、橋がそそり立ち、充実して上を向いているのを見た。帰って商子に告げた。商子は言った。「橋は父の道だ。」商子はまた言った。「二人で南山の北側を見に行ってはどうか。梓という名の木がある。」二人が南山の北側を見に行くと、梓が勃然として充実し下に俯いているのを見た。帰って商子に告げた。商子は言った。「梓は子の道だ。」二人は翌日周公に会いに行き、門に入って小走りし、堂に登って跪いた。周公は彼らの頭を撫で、慰労して食事を与えて言った。「どこで君子に会ったのか。」二人は答えた。「商子に会いました。」周公は言った。「君子だな、商子は。」

曾子芸瓜而誤斬其根,曾皙怒,援大杖擊之,曾子仆地;有頃蘇,蹶然而起,進曰:“曩者參得罪於大人,大人用力教參,得無疾乎!”退屏鼓琴而歌,欲令曾皙聽其歌聲,令知其平也。孔子聞之,告門人曰:“參來勿內也!”曾子自以無罪,使人謝孔子,孔子曰:“汝聞瞽叟有子名曰舜,舜之事父也,索而使之,未嘗不在側,求而殺之,未嘗可得;小棰則待,大棰則走,以逃暴怒也。今子委身以待暴怒,立體而不去,殺身以陷父,不義不孝,孰是大乎?汝非天子之民邪?殺天子之民罪奚如?”以曾子之材,又居孔子之門,有罪不自知處義,難乎!

曾子が瓜を鍬いていた時、誤って根を切った。曾皙が怒り、大きな杖を取って彼を打った。曾子は地に倒れた。しばらくして意識を取り戻し、ふと起き上がり、進んで言った。「さきほど参は大人に罪を犯しました。大人が力を参を教えるのに費やされて、傷ついていないでしょうか。」屏風の陰に���いて琴を弾き歌った。曾皙に歌声を聞かせて、自分が無事だと知らせたかったのです。孔子がこれを聞き、門人に告げた。「参が来たら入れてはならない。」曾子は自分に罪がないと思い、人を遣わして孔子に謝罪した。孔子は言った。「お前は瞽叟に舜という子があったのを聞かないか。舜は父に仕え、彼を探して使おうとすれば側にいないことはなかったが、殺そうと求めても得られなかった。小さい鞭なら待ち、大きい鞭なら逃げて暴怒を避けた。いまお前は身を暴怒に任せ、立って離れず、身を殺して父を不義不孝に陥れる。どちらが大きいか。お前は天子の民ではないか。天子の民を殺すのはどんな罪か。」曾子の才に頼り、また孔子の門下にいたのに、罪があるのに自ら義に処ることを知らなかった。難しいことだ。

伯俞有過,其母笞之泣,其母曰:“他日笞子未嘗見泣,今泣何也?”對曰:“他日俞得罪笞嘗痛,今母力不能使痛,是以泣。”故曰父母怒之,不作於意,不見於色,深受其罪,使可哀憐,上也;父母怒之,不作於意,不見其色,其次也;父母怒之,作於意,見於色,下也。

伯俞に過失があり、母が彼を鞭打つと彼は泣いた。母は言った。「以前お前を打った時には泣くのを見なかったが、いま泣くのはなぜか。」答えた。「以前、兪が罪を犯して打たれた時は、痛みがありました。いま母の力は私を痛められません。だから泣きます。」ゆえに言う、父母が怒る時、意の上に発作せず顔色に表さず、深く自分の罪を受け、自分を哀れみ可憐にするのが上等。父母が怒る時、意の上に発作せず顔色に表さないのが次等。父母が怒る時、意の上に発作し顔色に表すのが下等。

成人有德,小子有造,大學之教也;時禁於其未發之曰預,因其可之曰時,相觀於善之曰磨,學不陵節而施之曰馴。發然後禁,則扞格而不勝;時過然後學,則勤苦而難成;雜施而不遜,則壞亂而不治;獨學而無友,則孤陋而寡聞。故曰有昭辟雍,有賢泮宮,田裡周行,濟濟鏘鏘,而相從執質,有族以文。

成人には徳があり、小子には造就がある。これが大学の教えです。まだ動かないうちに禁じるのを預といい、できる時に従うのを時といい、互いに見習って善くするのを磨といい、学習が節度を超えずに行われるのを馴といいます。動いてから禁じれば抵觸して勝てません。時機が過ぎてから学べば勤苦して成りにくい。乱雑に行い順わなければ壊乱して治められません。独りで学び友がいなければ孤陋寡聞になります。ゆえに言う、昭明の辟雍があり、賢明の泮宮があり、田里の大道の上で、済済鏘鏘、互いに従って質を執り、族人が文で集まるのです。

周召公年十九,見正而冠,冠則可以為方伯諸侯矣。人之幼稚童蒙之時,非求師正本,無以立身全性。夫幼者必愚,愚者妄行;愚者妄行,不能保身,孟子曰:人皆知以食愈飢,莫知以學愈愚,故善材之幼者必勤於學問以修其性。今人誠能砥礪其材,自誠其神明,睹物之應,信道之要,觀始卒之端,覽無外之境,逍遙乎無方之內,彷徉乎塵埃之外,卓然獨立,超然絕世,此上聖之所遊神也。然晚世之人,莫能閒居心思,鼓琴讀書,追觀上古,友賢大夫;學問講辯日以自虞,疏遠世事分明利害,籌策得失,以觀禍福,設義立度,以為法式;窮追本末,究事之情,死有遺業,生有榮名;此皆人材之所能建也,然莫能為者,偷慢懈墮,多暇日之故也,是以失本而無名。夫學者,崇名立身之本也,儀狀齊等而飾貌者好,質性同倫而學問者智;是故砥礪琢磨非金也,而可以利金;詩書壁立,非我也,而可以厲心。夫問訊之士,日夜興起,厲中益知,以分別理,是故處身則全,立身不殆,士苟欲深明博察,以垂榮名,而不好問訊之道,則是伐智本而塞智原也,何以立軀也?騏驥雖疾,不遇伯樂,不致千里;干將雖利,非人力不能自斷焉;烏號之弓雖良,不得排檠,不能自任;人才雖高,不務學問,不能致聖。水積成川,則蛟龍生焉;土積成山,則豫樟生焉;學積成聖,則富貴尊顯至焉。千金之裘,非一狐之皮;臺廟之榱,非一木之枝;先王之法,非一士之智也。故曰:訊問者智之本,思慮者智之道也。中庸曰:“好問近乎智,力行近乎仁,知恥近乎勇。”積小之能大者,其惟仲尼乎!學者所以反情治性盡才者也,親賢學問,所以長德也;論交合友,所以相致也。詩云:“如切如磋,如琢如磨”,此之謂也。

周の召公は十九歳で、正を見て冠を加えた。冠を加えれば方伯諸侯になれる。人が幼稚童蒙の時、師を求めて根本を正さなければ、立身して本性を保つ方法はない。幼小な者は必ず愚かで、愚かな人は妄行する。愚かな人が妄行すれば、自身を保てない。孟子は言った、人は皆食物で飢餓を治めることを知るが、学で愚を治めることを知らない。ゆえに良い材料は幼いうちに必ず学問に励んで本性を養う。いまの人が果たして己の才を磨き、神明精誠を致し、物の応験を見、道の要害を信じ、始終の端緒を観察し、外なき境を覧視し、方位なき内に逍遥し、塵埃の外に徘徊し、卓然として独立し、超然として世と隔絶できるならば、これが上聖の神遊する所です。しかし末世の人は、閑居して心を用いて思考し、琴を弾き書を読み、上古を追い眺め、賢大夫と交わることができない。学問講弁を日々自ら楽しみ、世事を疎遠にし利害を明らかにし、得失を算えて禍福を観察し、義を設け法度を立てて法式とし、本末を窮め事の実情を推究し、死して遺業あり、生きて栄名がある。これらはすべて人材が建てられることだが、それができないのは、苟且怠慢・懈惰堕落・暇な日が多いからです。ゆえに根本を失って名がない。学とは名を尊び身を立てる根本です。儀容形状が等しければ、外貌を飾る者が美しい。質性が同類なら、学問する者が智です。ゆえに砥礪琢磨は金ではないが、金を鋭くできる。詩書は壁のように立っていて��ではないが、心を磨ける。問を重ねる士は日夜奮起し、内心を磨き知識を増やして条理を分かつ。ゆえに身を処せば保たれ、身を立てて危なくない。士がもし深く明らかに広く察して栄名を垂れようと思いながら、問う道を好まなければ、智の根本を伐り智の源を塞ぐことになる。何によって身を立てようか。騏驥は速いが伯楽に遇わなければ千里を致せない。干将は利でも人力がなければ自ら断てない。烏号の弓は良いが矯正する具がなければ自ら任に堪えない。人材は高くても学問に従事しなければ聖に達しない。水が積もって河になれば蛟龍が生まれ、土が積もって山になれば豫樟が生まれ、学が積もって聖になれば富貴尊顕が至る。千金の裘は一匹の狐の皮ではなく、台廟の椽は一本の木の枝ではなく、先王の法は一人の士の智ではない。ゆえに言う、訊問は智の根本、思慮は智の道です。『中庸』に言う。「問うことを好むは智に近く、力を行うは仁に近く、恥を知るは勇に近い。」小を積んで大となれるのは、ほぼ仲尼だけでしょう。学は性情に帰り本性を治め己の才を尽くすため、賢人を親しみ学問するのは徳を増すため、交を論じ友を合わせるのは互いに招き合うためです。『詩経』に言う。「切るが如く磋るが如く、琢るが如く磨くが如し。」これを言うのです。

今夫闢地殖穀,以養生送死,銳金石,雜草藥以攻疾,各知構室屋以避暑雨,累臺榭以避潤溼,入知親其親,出知尊其君,內有男女之別,外有朋友之際,此聖人之德教,儒者受之傳之,以教誨於後世。今夫晚世之惡人,反非儒者曰:何以儒為?如此人者,是非本也,譬猶食谷衣絲,而非耕織者也;載於船車,服而安之,而非主匠者也;食於釜甑,須以生活,而非陶冶者也;此言違於情而行蒙於心者也。如此人者,骨肉不親也,秀士不友也,此三代之棄民也,人君之所不赦也。故詩云:“投畀豺虎,豺虎不食,投畀有北,有北不受,投畀有昊。”此之謂也。

土地を開墾して穀物を植えるのは、生を養い死を送るため、金石を磨き草薬を合わせるのは病を治すため、それぞれ家屋を建てて暑雨を避け、台榭を累ねて湿気を避けることを知る。入っては己の親を親しみ、出ては己の君を尊ぶことを知る。内には男女の別があり、外には朋友の交際がある。これが聖人の徳教で、儒者はこれを受けこれを伝えて後世を教えます。いま末世の悪人は、かえって儒者を非難して言う、儒を何に使うのか、と。こういう人は根本を非難するのです。譬えるなら、穀を食い絹を着ながら耕織する人を非難し、船車に乗って安穏としながら船車を造る工匠を非難し、釜甑で飯を食べそれに頼って生きながら陶冶する人を非難するようなものです。これは話が実情に背き、行いが心に蒙われた人です。こういう人は、骨肉は親しまず、秀士は交わらず、三代に棄てられた民、人君が赦さない者です。ゆえに『詩経』に言う。「彼を豺虎に投げ与えよ、豺虎も食わない。彼を北の辺に投げよ、北の辺も受けない。彼を上天に投げよ。」これを言うのです。

孟子曰:人知糞其田,莫知糞其心;糞田莫過利曲得粟,糞心易行而得其所欲。何謂糞心?博學多聞;何謂易行?一性止淫也。

孟子は言った、人は田に肥を施すことを知るが、心に肥を施すことを知らない。田に肥を施すのは、ただ畝に沿って粟を得るだけだ。心に肥を施すのは、行いを変えて欲するものを得ることだ。心に肥を施すとは何か。博学多聞である。行いを変えるとは何か。本性を専らにし淫欲を止めることです。

子思曰:學所以益才也,礪所以致刃也,吾嘗幽處而深思,不若學之速;吾嘗跂而望,不若登高之博見。故順風而呼,聲不加疾而聞者眾;登丘而招,臂不加長而見者遠。故魚乘於水,鳥乘於風,草木乘於時。

子思は言った、学は才を増すため、磨は刃を鋭くするためだ。私はかつて幽居して深く思ったが、学ぶほど速くはなかった。かつて背伸びして遠くを望んだが、高く登って見るほど広くはなかった。ゆえに風に順って呼べば、声を急がなくても聞く人は多い。丘陵に登って手を招けば、腕を長くしなくても見る人は遠い。ゆえに魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時令に乗る。

孔子曰:可以與人終日而不倦者,其惟學乎!其身體不足觀也,其勇力不足憚也,其先祖不足稱也,其族姓不足道也;然而可以聞四方而昭於諸侯者,其惟學乎!詩曰:“不僭不亡,率由舊章”,夫學之謂也。

孔子は言った。人と終日ともにいて倦まないものは、おそらく学だけでしょう。体は見るに足らず、勇力は人を怕れさせるに足らず、先祖は称揚するに足らず、族姓は称道するに足りない。しかし四方に聞こえ、諸侯に昭顕され得るものは、おそらく学だけでしょう。『詩経』に言う。「差い違えず、忘れず、旧い章程に従う。」これは学を言うのです。

孔子曰:鯉,君子不可以不學,見人不可以不飾;不飾則無根,無根則失理;失理則不忠,不忠則失禮,失禮則不立。夫遠而有光者,飾也;近而逾明者,學也。譬之如汙池,水潦注焉,菅蒲生之,從上觀之,知其非源也。

孔子は言った。「鯉よ、君子は学ばなければならず、人に会うには飾らなければならない。飾らなければ根がなく、根がなければ理を失い、理を失えば忠でなく、忠でなければ礼を失い、礼を失えば身を立てられない。遠く見て光があるのは飾りであり、近く見ていよいよ明るいのは学です。譬えば汚い水池に雨水が注ぎ込み、菅蒲がその上に生えているのを上から見れば、それが源でないと分かります。」

公扈子曰:有國者不可以不學,春秋,生而尊者驕,生而富者傲,生而富貴,又無鑑而自得者鮮矣。春秋,國之鑑也,春秋之中,弒君三十六,亡國五十二,諸侯奔走不得保社稷者甚眾,未有不先見而後從之者也。

公扈子は言った。国を持つ者は学ばなければならない。『春秋』において、生まれながら尊い者は驕り、生まれながら富む者は傲慢で、生まれながら富貴で鑑戒がなくて自ら得当した者は少ない。『春秋』は国の鏡で、『春秋』の中に君を弑したものが三十六、国を亡ぼしたものが五十二、諸侯が奔走して社稷を保てなかった者が多く、先に見て後に従ったことのないものはありません。

晉平公問於師曠曰:“吾年七十欲學,恐已暮矣。”師曠曰:“何不炳燭乎?”平公曰:“安有為人臣而戲其君乎?”師曠曰:“盲臣安敢戲其君乎?臣聞之,少而好學,如日出之陽;壯而好學,如日中之光;老而好學,如炳燭之明。炳燭之明,孰與昧行乎?”平公曰:“善哉!”

晋平公が師曠に問うて言った。「私は七十歳で学びたいが、すでに遅いのではないかと恐れる。」師曠は言った。「どうして火燭をともさないのですか。」平公は言った。「人臣たる者がその君を戯弄することがあろうか。」師曠は言った。「盲いた臣がどうしてその君を戯弄しましょう。臣が聞くに、年少にして学を好むは日の出の光の如く、壮年にして学を好むは日中の光の如く、老年にして学を好むは火燭をともす明るさの如し。火燭をともす明るさと、暗がりを摸って歩くのとどちらが勝れますか。」平公は言った。「よいなあ!」

河間獻王曰:“湯稱學聖王之道者,譬如日焉;靜居獨思,譬如火焉。夫舍學聖王之道,若舍日之光,何乃獨思火之明也;可以見小耳,未可用大知,惟學問可以廣明德慧也。”

河間献王は言った。「湯が聖王の道を学ぶ者を称えたのは、太陽のようです。静かに居て独り考えるのは、火のようです。聖王の道を学ぶことを捨てるのは、太陽の光を捨てて、独り火の明るさを考えるようなものです。小さいものしか見ることができず、大いなる智を求めることはできません。ただ学問だけが明德と智を広められます。」

梁丘據謂晏子曰:“吾至死不及夫子矣。”晏子曰:“嬰聞之,為者常成,行者常至;嬰非有異於人也,常為而不置,常行而不休者,故難及也。”

梁丘據が晏子に言った。「私は死んでも夫子に及びません。」晏子は言った。「嬰が聞くに、行う者は常に成し、歩く者は常に至ります。嬰は他人と違うのではなく、常に行い放さず、常に歩き止まない者です。ゆえに及びにくいのです。」

甯越,中牟鄙人也,苦耕之勞,謂其友曰:“何為而可以免此苦也?”友曰:“莫如學,學二十年則可以達矣。”甯越曰:“請十五歲,人將休,吾將不休;人將臥,吾不敢臥。”十五歲學而周威公師之。夫走者之速也,而過二里止;步者之遲也,而百里不止。今甯越之材而久不止,其為諸侯師,豈不宜哉!

寧越は中牟の鄙野の人で、耕作の労苦に苦しみ、その友に言った。「どうすればこの苦しみを免れられるか。」友は言った。「学に勝るものはない。二十年学べば顕達できる。」寧越は言った。「十五年でいたします。人が休もうとするとき、私は休みません。人が臥そうとするとき、私は敢えて臥しません。」十五年学び、周威公は彼を師とした。走る者は速いが二里で止まり、歩く者は遅いが百里でも止まらない。いま寧越の才が長く止まらなかったのだから、彼が諸侯の師となるのは当然ではないか!

孔子謂子路曰:“汝何好?”子路曰:“好長劍。”孔子曰:“非此之問也,請以汝之所能,加之以學,豈可及哉!”子路曰:“學亦有益乎?”孔子曰:“夫人君無諫臣則失政;士無教交,則失德;狂馬不釋其策,操弓不返於檠;木受繩則直,人受諫則聖;受學重問,孰不順成;毀仁惡士,且近於刑。君子不可以不學。”子路曰:“南山有竹,弗揉自直,斬而射之,通於犀革,又何學為乎?”孔子曰:“括而羽之,鏃而砥礪之,其入不益深乎?”子路拜曰:“敬受教哉!”

孔子が子路に言った。「お前は何を好むか。」子路は言った。「長剣を好みます。」孔子は言った。「問うのはそれではない。お前のできることに学を加えれば、どこに及ぶ者がいようか!」子路は言った。「学にも益があるのですか。」孔子は言った。「人君に諫臣がなければ政を失い、士に教える友がなければ徳を失う。狂馬は鞭を放さず、操弓は檠を離さない。木は墨縄を受ければ直く、人は諫を受ければ聖となる。学問を受け問を重んずれば、誰が成就せずにおれよう。仁を毀り士を悪めば、刑罰に近づく。君子は学ばなければならない。」子路は言った。「南山に竹があり、揉まなくても自ら直い。切って射れば犀革を貫く。どうしてまた学ぶ必要があるのですか。」孔子は言った。「括を装い羽毛をつけ、鏃を装って磨けば、入るのが一層深くないか。」子路は拝して言った。「敬って教えを受けます!」

子路問於孔子曰:“請釋古之學而行由之意,可乎?”孔子曰:“不可,昔者東夷慕諸夏之義,有女,其夫死,為之內私婿,終身不嫁,不嫁則不嫁矣,然非貞節之義也;蒼梧之弟,娶妻而美好,請與兄易,忠則忠矣,然非禮也。今子欲釋古之學而行子之意,庸知子用非為是,用是為非乎!不順其初,雖欲悔之,難哉!”

子路が孔子に問うて言った。「古の学を置いて由の心意に従って行ってもよいですか。」孔子は言った。「いけない。昔、東夷が諸夏の義を慕い、ある女子は夫が死ぬと内室で私に婿を招き、終身嫁がなかった。嫁がないのは確かに嫁がなかったが、貞節の義ではなかった。蒼梧の弟は妻を娶ってとても美しく、兄と交換するよう請うた。忠は確かに忠だが、礼ではなかった。いまお前が古の学を置いて心のままに行おうとするなら、お前が正しくないものを正しいとし、正しいものを正しくないとすることをどうして知ろう。始めから順わなければ、悔いようと思っても難しい!」

豐牆磽下未必崩也,流行潦至,壞必先矣;樹本淺,根垓不深,未必橛也,飄風起,暴雨至,拔必先矣。君子居於是國,不崇仁義,不尊賢臣,未必亡也;然一旦有非常之變,車馳人走,指而禍至,乃始幹喉燋唇,仰天而嘆,庶幾焉天其救之,不亦難乎?孔子曰:“不慎其前,而悔其後,雖悔無及矣。”詩曰:“啜其泣矣,何嗟及矣”?言不先正本而成憂於末也。

牆が厚く豊かでも基礎が痩せていれば、必ずしも崩れない。しかし流水や積潦が来れば、壊れるのは必ず先です。木の本が浅く根垓が深くなければ、必ずしも折れない。しかし大風が起こり暴雨が来れば、抜けるのは必ず先です。君子がこの国に住み、仁義を尊ばず賢臣を重んじなければ、必ずしも亡びない。しかし一旦非常の変故があれば、車は馳せ人は走り、指の間に禍が至る。これが喉を涸らし唇を焦がし、天を仰いで嘆息し、天に救いを願うのは難しくないでしょうか。孔子は言った。「事前に慎まず、事後に悔いる。悔いても間に合わない。」『詩経』に言う。「啜り泣いても、嘆息して何の用があるか。」これは根本を先に正さず末梢で憂患を成したことを言うのです。

虞君問盆成子曰:“今工者久而巧,色者老而衰;今人不及壯之時,益積心技之術,以備將衰之色,色者必盡乎老之前,知謀無以異乎幼之時。可好之色,彬彬乎且盡,洋洋乎安托無能之軀哉!故有技者不累身而未嘗滅,而色不得以常茂。”

虞の君が盆成子に問うて言った。「いま工匠は久しくやれば巧くなり、美色は老いれば衰える。いま人が壮年の時に及ばないなら、多く心智技芸の術を積み、衰えゆく美色に備えるべきです。美色は必ず老いる前に尽きるが、智謀は幼年と変わらない。愛すべき美色は彬彬として尽きようとし、洋洋として無能の躯体をどこに託すのか!ゆえに技芸ある者は身を累わさず未だ滅びず、美色は常に茂ることができない。」

齊桓公問管仲曰:“王者何貴?”曰:“貴天。”桓公仰而視天,管仲曰:“所謂天者,非謂蒼蒼莽莽之天也;君人者以百姓為天,百姓與之則安,輔之則強,非之則危,背之則亡。”詩云:“人而無良,相怨一方”。民怨其上,不遂亡者,未之有也。

斉桓公が管仲に問うて言った。「王者は何を重んずるか。」答えた。「天を重んじます。」桓公��顔を上げて天を見た。管仲は言った。「いう天とは、蒼蒼莽莽の天ではありません。人君たる者は百姓を天とします。百姓が親しめば安く、輔けば強く、議せば危うく、背けば亡びます。」『詩経』に言う。「人に良善なきは、一方で互いに怨む。」民が上の者を怨むなら、従って亡びないことは、かつてありません。

河間獻王曰:“管子稱倉廩實,知禮節;衣食足,知榮辱。”夫谷者,國家所以昌熾,士女所以姣好,禮義所以行,而人心所以安也。尚書五福以富為始,子貢問為政,孔子曰:富之,既富乃教之也,此治國之本也。

河間献王は言った。「管子が言うには、倉廩が充実して初めて礼節を知り、衣食が足りて初めて栄辱を知る、と。穀物は、国家を昌えさせ、士女を美しくし、礼義を行わせ、人心を安くするものです。『尚書』の五福は富を始めとし、子貢が政を問うと孔子は言った、彼らを富ませ、富んだ後に教えよ、と。これが治国の根本です。」

文公見咎季,其廟傅於西牆,公曰:“孰處而西?”對曰:“君之老臣也。”公曰:“西益而宅。”對曰:“臣之忠,不如老臣之力,其牆壞而不築。”公曰:“何不築?”對曰:“一日不稼,百日不食。”公出而告之僕,僕●首於軫曰:“呂刑云:‘一人有慶,兆民賴之。’君之明,群臣之福也,乃令於國曰:毋淫宮室,以妨人宅,板築以時,無奪農功。”

文公が咎季を見た。彼の廟は西の牆に近かった。公は言った。「誰が西に住むのか。」答えた。「君の老臣です。」公は言った。「西にあなたの住宅を広げなさい。」答えた。「臣の忠は、老臣の力に及びません。その牆が壊れても築きません。」公は言った。「どうして築かない。」答えた。「一日耕さなければ百日食べるものがありません。」公が出て御者に告げると、御者は車軫の上で頭を下げて言った。「『呂刑』に言う。『一人に善慶あれば、億万の民は彼に頼る』と。君の明は群臣の福です。」そこで全国に令して言った。宮室を過度に築いて人の住宅を妨げるな、牆を築くには時令に従い、農功を奪うな、と。

楚恭王多寵子,而世子之位不定。屈建曰:“楚必多亂。夫一兔走於街,萬人追之;一人得之,萬人不復走。分未定,則一兔走,使萬人擾;分已定,則雖貪夫知止。今楚多寵子而嫡位無主,亂自是生矣。夫世子者,國之基也,而百姓之望也;國既無基,又使百姓失望,絕其本矣。本絕則撓亂,猶兔走也。”恭王聞之,立康王為太子,其後猶有令尹圍,公子棄疾之亂也。

楚恭王に寵愛する子が多く、世子の位が定まらなかった。屈建は言った。「楚は必ず多く乱れる。一匹の兎が街を走れば万人が追い、一人が得れば万人は走らなくなる。名分が未定なら、一匹の兎が走って万人を乱させる。名分が定まれば、貪欲な者でも止まることを知る。いま楚は寵子が多く嫡位に主がない。乱はここから生ずる。世子は国の根基であり、百姓の期待です。国はすでに根基がなく、百姓を失望させる。根本が絶たれた。根本が絶たれれば撓乱し、兎の走るが如し。」恭王はこれを聞き、康王を太子に立てた。この後もなお令尹囲と公子棄疾の乱があった。

晉襄公薨,嗣君少,趙宣子相,謂大夫曰:“立少君,懼多難,請立雍;雍長,出在秦,秦大,足以為援。”賈季曰:“不若公子樂,樂有寵於國,先君愛而仕之翟,翟是以為援。”穆嬴抱太子以呼於庭曰:“先君奚罪,其嗣亦奚罪,舍嫡嗣不立而外求君子。”出朝抱以見宣子曰:“惡難也,故欲立長君,長君立而少君壯,難乃至矣。”宣子患之,遂立太子也。

晋襄公が亡くなり、継ぐ君は年少で、趙宣子が相となり、大夫に言った。「年少の君を立てると多難を恐れる。雍を立てよう。雍は年長で、秦に出居し、秦は大きいから外援に足る。」賈季は言った。「公子楽に及ばない。楽は国に寵があり、先君は彼を愛して翟に官させた。翟はゆえに外援にできる。」穆嬴が太子を抱いて庭中で呼んだ。「先君に何の罪があり、その嗣子に何の罪があるのか。嫡嗣を捨てて立てず、外に君を求めるとは。」朝を出て抱いて宣子に会いに行き言った。「災難を悪むがゆえに年長の君を立てようとした。年長の君が立ち年少の君が大きくなれば、災難が至ります。」宣子はこれを憂え、そこで太子を立てた。

趙簡子以襄子為後,董安於曰:“無恤不才,今以為後,何也?”簡子曰:“是其人能為社稷忍辱。”異日,智伯與襄子飲,而灌襄子之首,大夫請殺之,襄子曰:“先君之立我也,曰能為社稷忍辱,豈曰能刺人哉!”處十月,智伯圍襄子於晉陽,襄子疏隊而擊之,大敗智伯,漆其首以為酒器。

趙簡子が襄子を後継とした。董安于は言った。「無恤に才がないのに、いま彼を後とするのはなぜですか。」簡子は言った。「この人は社稷のために恥辱を忍ぶことができる。」後のある日、智伯と襄子が飲酒し、酒を襄子の頭に灌いだ。大夫が智伯を殺そうと請うたが、襄子は言った。「先君は私を立て、社稷のために辱を忍べると言った。どこに人を刺殺せよと言ったか!」十箇月後、智伯が襄子を晋晋陽に囲んだ。襄子は隊伍を疎開して彼を撃ち、智伯を大敗させ、その頭に漆を塗って酒器とした。

卷四立節

巻四 立節

士君子之有勇而果於行者,不以立節行誼,而以妄死非名,豈不痛哉!士有殺身以成仁,觸害以立義,倚於節理而不議死地;故能身死名流於來世,非有勇斷,孰能行之?子路曰:“不能勤苦,不能恬貧窮,不能輕死亡;而曰我能行義,吾不信也。”昔者申包胥立於秦庭,七日七夜喪不絕聲,遂以存楚,不能勤苦,安能行此!曾子布衣縕袍未得完,糟糠之食,藜藿之羹未得飽,義不合則辭上卿,不恬貧窮,安能行此!比干將死而諫逾忠,伯夷叔齊餓死於首陽山而志逾彰,不輕死亡,安能行此!故夫士欲立義行道,毋論難易而後能行之;立身著名,無顧利害而後能成之。詩曰:“彼其之子,碩大且篤。”非良篤修激之君子,其誰能行之哉?王子比干殺身以作其忠,伯夷叔齊殺身以成其廉,此三子者,皆天下之通士也,豈不愛其身哉?以為夫義之不立,名之不著是士之恥也,故殺身以遂其行。因此觀之,卑賤貧窮,非士之恥也。夫士之所恥者,天下舉忠而士不與焉,舉信而士不與焉,舉廉而士不與焉;三者在乎身,名傳於後世,與日月並而不息,雖無道之世不能汙焉。然則非好死而惡生也,非惡富貴而樂貧賤也,由其道,遵其理,尊貴及己,士不辭也。孔子曰:“富而可求,雖執鞭之士,吾亦為之;富而不可求,從吾所好。”大聖之操也。詩云:“我心匪石,不可轉也,我心匪席,不可卷也。”言不失己也;能不失己,然後可與濟難矣,此士君子之所以越眾也。

士君子に勇があり果敢に事を行う者が、それを節義を立てるためでなく、妄りに死んで不正な名を求めることに用いるのは、痛ましくないでしょうか。士には身を殺して仁を成し、禍害を犯して義を立て、節理に倚りて死地を計らない者がある。ゆえに身が死んでも名が来世に伝わる。勇と決断がなければ、誰が行えよう。子路は言った。「勤苦できず、貧に安んじられず、死を軽く見られないのに、『私は義を行える』と言う。私は信じない。」昔、申包胥が秦の庭に立ち、七日七夜哭き続けて遂に楚を存した。勤苦できなければどうしてこれができよう。曾子は布衣緼袍を着ても整わず、糟糠の飯・藜藿の羹を食べても飽きず、義が合わなければ上卿を辞した。貧に安んじられなければどうしてこれができよう。比干は死に臨んで進諫してますます忠で、伯夷叔斉は首は首陽山で餓死して志がいよいよ彰明になった。死を軽く見られなければどうしてこれができよう。ゆえに士が義を立て道を行うには、難易を論じて後に行い、身を立て名を成すには利害を顧みずして後に成る。『詩経』に言う。「あの人は、高大にして篤厚。」善良篤厚で修養激切の君子でなければ、誰が行えよう。王子比干は身を殺してその忠を成し、伯夷叔斉は身を殺してその廉を成した。この三人はみな天下���通達した士である。身体を惜しまなかったのか。義が立たず名が顕れないのを士の恥としたから、身を殺してその行を成したのです。これを見れば、卑賤貧窮は士の恥ではない。士の恥ずるところは、天下が忠を挙げても士がその中になく、信を挙げても士がその中になく、廉を挙げても士がその中にないことです。三者が身にあれば名は後世に伝わり、日月と並んで止まない。無道の世でも汚すことができない。ならば死を好み生を悪むのではなく、富貴を悪み貧賤を楽しむのでもない。その道に順いその理に循い、尊貴が己に至れば、士は辞しない。孔子は言った。「富が求められるなら、執鞭の士でも私はする。富が求められなければ、我が好む所に従う。」これが大聖の操守です。『詩経』に言う。「わが心は石ではない、転じられない。わが心は席ではない、巻くことができない。」これは己を失わないことを言い、己を失わずに後に共に難を渡れる。これが士君子の衆を超える所以です。

楚伐陳,陳西門燔,因使其降民修之,孔子過之,不軾,子路曰:“禮過三人則下車,過二人則軾;今陳修門者人數眾矣,夫子何為不軾?”孔子曰:“丘聞之,國亡而不知,不智;知而不爭,不忠;忠而不死,不廉;今陳修門者不行一於此,丘故不為軾也。”

楚が陳を攻め、陳の西門が焼けた。そこで降った民にそれを修めさせた。孔子が通り、軾に凭らなかった。子路は言った。「礼では三人を過ぎれば下車し、二人を過ぎれば軾に凭るとあります。いま陳の門を修める人は数が多い。夫子はどうして軾に凭らないのですか。」孔子は言った。「丘が聞くに、国が亡びても知らないのは不智、知って争諫しないのは不忠、忠であっても死なないのは不廉。いま陳の門を修める者はこれら一つもしていない。丘が彼らのために軾に凭らない所以です。」

孔子見齊景公,景公致廩丘以為養,孔子辭不受,出謂弟子曰:“吾聞君子當功以受祿,今說景公,景公未之行而賜我廩丘,其不知丘亦甚矣!”遂辭而行。曾子衣弊衣以耕,魯君使人往致邑焉,曰:“請以此修衣。”曾子不受,反覆往,又不受,使者曰:“先生非求於人,人則獻之,奚為不受?”曾子曰:“臣聞之,受人者畏人,予人者驕人;縱子有賜不我驕也,我能勿畏乎?”終不受。孔子聞之曰:“參之言,足以全其節也。”子思居於衛,縕袍無表,二旬而九食,田子方聞之,使人遺狐白之裘,恐其不受,因謂之曰:“吾假人,遂忘之;吾與人也,如棄之。”子思辭而不受,子方曰:“我有子無,何故不受?”子思曰:“急聞之,妄與不如棄物於溝壑,急雖貧也,不忍以身為溝壑,是以不敢當也。”

孔子が斉景公に会い、景公は廪丘を贈って供養としたが、孔子は辞して受けず、出て弟子に言った。「君子は功あって禄を受けると聞く��いま景公に遊説して、景公はまだ行わないのに廪丘を賜った。彼は丘を知らなさ過ぎる。」そこで辞して去った。曾子は破れた衣を着て耕していた。魯の君は人を遣わして封邑を贈り、言った。「これで衣服を整えてください。」曾子は受けず、使者は繰り返し行ったが、また受けなかった。使者は言った。「先生は人に求めたのではなく、人が献るのです。どうして受けないのですか。」曾子は言った。「臣が聞くに、人から受ける者は人を怕れ、人に与える者は人に驕る。たとえあなたに賜があっても私に驕らなくとも、私は怕れずにいられようか。」終始受けなかった。孔子はこれを聞いて言った。「参の言は、彼の節を保つに足る。」子思は衛に住み、緼袍で外側がなく、二十日に九度の飯しか食べなかった。田子方はこれを聞き、狐白裘を送り、受けないことを恐れて言った。「私は人に貸せば忘れ、人に与えれば捨てたようにする。」子思は辞して受けなかった。子方は言った。「私にあってあなたにない。どうして受けないのか。」子思は言った。「急が聞くに、妄りに与えるより物を溝壑に捨てるがよい。急は貧しいが、身を溝壑とすることは忍びない。ゆえに敢えて受けない。」

宋襄公茲父為桓公太子,桓公有後妻子,曰公子目夷,公愛之,茲父為公愛之也。欲立之,請於公曰:“請使目夷立,臣為之相以佐之。”公曰:“何故也?”對曰:“臣之舅在衛,愛臣,若終立則不可以往,絕跡於衛,是背母也。且臣自知不足以處目夷之上。”公不許,強以請公,公許之,將立公子目夷,目夷辭曰:“兄立而弟在下,是其義也;今弟立而兄在下,不義也;不義而使目夷為之,目夷將逃。”乃逃之衛,茲父從之。三年,桓公有疾,使人召茲父,若不來,是使我以憂死也,茲父乃反,公復立之以為太子,然後目夷歸也。

宋襄公兹父は桓公の太子で、桓公には後妻の子、公子目夷がいた。公は彼を愛した。兹父は公が彼を愛するので彼を愛した。目夷を立てたいと思い、公に請うて言った。「目夷を立てさせ、臣はその相となり輔佐させてください。」公は言った。「何故か。」答えた。「臣の舅は衛にいて臣を愛しています。もし終に立てば衛に行けず、衛との往来を絶ち、母に背くことになります。さらに臣は自ら目夷の上に処るに足りないと知っています。」公は許さなかった。強く請うと公は許し、公子目夷を立てようとした。目夷は辞して言った。「兄を立て弟が下にいるのは義です。いま弟を立て兄を下にするのは不義です。不義なのに目夷にさせるなら、目夷は逃げます。」そこで衛に逃げ、兹父は彼に従った。三年、桓公が病になり、人を遣わして兹父を召した。来なければ、私を憂いを抱えて死なせることになる。兹父はようやく帰り、公は再び彼を太子に立て、それから目夷も帰った。

晉驪姬譖太子申生於獻公,獻公將殺之,公子重耳謂申生曰:“為此者非子之罪也,子胡不進辭,辭之必免於罪。”申生曰:“不可,我辭之,驪姬必有罪矣,吾君老矣,微驪姬寢不安席,食不甘味,如何使吾君以恨終哉!”重耳曰:“不辭則不若速去矣。”申生曰:“不可,去而免於此,是惡吾君也;夫彰父之過而取美諸侯,孰肯納之?入困於宗,出困於逃,是重吾惡也。吾聞之,忠不暴君,智不重惡,勇不逃死,如是者,吾以身當之。”遂伏劍死。君子聞之曰:“天命矣夫世子!”詩曰:“萋兮斐兮,成是貝錦。彼譖人者,亦已太甚!”

晋の驪姫が献公に太子申生を讒した。献公は彼を殺そうとした。公子重耳が申生に言った。「これはあなたの罪ではない。どうして進んで弁解しない。弁解すれば必ず罪を免れる。」申生は言った。「いけない。私が弁解すれば驪姫は必ず罪になる。吾君は老い、驪姫がいなければ寝ても安らかでなく食べても甘くない。どうして吾君に遺憾を持たせて終わらせられよう。」重耳は言った。「弁解しないなら早く去ったほうがよい。」申生は言った。「いけない。去ってこれを免れるのは吾君を悪むことであり、父の過を顕して諸侯で美名を取る。誰が受け入れよう。入れば宗族に困り、出れば逃亡に困る。私の悪を重ねることだ。私が聞くに、忠は君を暴露させず、智は悪を重ねず、勇は死を避けない。こうして私は身で担う。」そこで剣に伏して死んだ。君子はこれを聞いて言った。「これは天命か、世子!」『詩経』に言う。「文様錯綜して、貝錦を織り成す。讒する人も、あまりに過ぎる!」

晉獻公之時,有士焉,曰狐突,傅太子申生,公立驪姬為夫人,而國多憂,狐突稱疾不出。六年,獻公以譖誅太子,太子將死,使人謂狐突曰:“吾君老矣,國家多難,傅一齣以輔吾君,申生受賜以死不恨。”再拜稽首而死。狐突乃復事獻公,三年,獻公卒,狐突辭於諸大夫曰:“突受太子之詔,今事終矣,與其久生亂世也,不若死而報太子。”乃歸自殺。

晋献公の時、狐突という士がいて、太子申生の傅をしていた。公は驪姫を夫人とし、国には多くの憂患があった。狐突は病を称して出なかった。六年、献公は讒言で太子を殺した。太子が死に臨み、人を遣わして狐突に言った。「吾君は老いて国は多難。傅がいったん出て吾君を輔佐してくれれば、申生は賜を受けて死して恨みなし。」再拝叩頭して死んだ。狐突は再び献公に仕えて三年、献公が亡くなった。狐突は諸大夫に告げて言った。「突は太子の詔命を受けた。いま事が終わった。長く乱世に生きるより、死んで太子に報いるがよい。」そこで帰って自殺した。

楚平王使奮揚殺太子建,未至而遣之,太子奔宋,王召奮揚,使城父人執之以至,王曰:“言出於予口,入於爾耳,誰告建也?”對曰:臣告之,王初命臣曰:“事建如事餘,臣不佞,不能貳也;奉初以還,故遣之,已而悔之,亦無及也。”王曰:“而敢來,何也?”對曰:“使而失命,召而不來,是重過也,逃無所入。”王乃赦之。

楚平王が奮揚を遣わして太子建を殺させた。まだ到らないうちに彼を逃がし、太子は宋に奔った。王は奮揚を召し、城父の人に彼を捉えて送らせた。王は言った。「話は私の口から出てお前の耳に入った。誰が建に告げた。」答えた。「臣が告げました。王は初め臣に命じた。『建に仕えることは私に仕える如く』と。臣は不才で二心を持てません。初めの命を奉じて帰ったので、彼を放ちました。事後に悔いても間に合いません。」王は言った。「お前は敢えて来た。何故か。」答えた。「使いを出て命を失い、召されて来ないのは、過を重ねることです。逃げても行く所がありません。」王はそこで彼を赦した。

晉靈公暴,趙宣子驟諫,靈公患之,使鉏之彌賊之;鉏之彌晨往,則寢門闢矣,宣子盛服將朝,尚早,坐而假寢,之彌退,嘆而言曰:“不忘恭敬,民之主也。賊民之主,不忠;棄君之命,不信。有一於此,不如死也。”遂觸槐而死。

晋靈公が暴虐で、趙宣子が屢々進諫した。靈公はこれを憂え、鉏之弥を遣わして彼を暗殺させた。鉏之弥は朝方に行き、寝殿の門がすでに開いていた。宣子は衣冠を整えて朝に登ろうとし、まだ早いので座して假寐していた。之弥は退き、嘆息して言った。「敬を忘れないのは民の主だ。民の主を害するは不忠。君の命を棄てるは不信。その一つあれば、死するに及ばず。」そこで槐に撞いて死んだ。

齊人有子蘭子者,事白公勝,勝將為難,乃告子蘭子曰:“吾將舉大事於國,願與子共之。”子蘭子曰:“我事子而與子殺君,是助子之不義也;畏患而去子,是遁子於難也。故不與子殺君以成吾義,契領於庭,以遂吾行。”

斉に子蘭子という者がいて、白公勝に仕えた。勝が発難しようとし、子蘭子に告げて言った。「国で大事を挙げよう。あなたと共にいたい。」子蘭子は言った。「私はあなたに仕えながらあなたと君を殺すのは、あなたの不義を助けることです。禍患を怕れてあなたを離れるのは、危難であなたを棄てることです。ゆえにあなたと君を殺さず、私の義を成すため、庭で頸を断ち、私の行を全うします。」

楚有士申鳴者,在家而養其父,孝聞於楚國,王欲授之相,申鳴辭不受,其父曰:“王欲相汝,汝何不受乎?”申鳴對曰:“舍父之孝子而為王之忠臣,何也?”其父曰:“使有祿於國,立義於庭,汝樂吾無憂矣,吾欲汝之相也。”申鳴曰:“諾。”遂入朝,楚王因授之相。居三年,白公為亂,殺司馬子期,申鳴將往死之,父止之曰:“棄父而死,其可乎?”申鳴曰:“聞夫仕者身歸於君而祿歸於親,今既去子事君,得無死其難乎?”遂辭而往,因以兵圍之。白公謂石乞曰:“申鳴者,天下之勇士也,今以兵圍我,吾為之奈何?”石乞曰:“申鳴者,天下之孝子也,往劫其父以兵,申鳴聞之必來,因與之語。”白公曰:“善。”則往取其父,持之以兵,告申鳴曰:“子與吾,吾與子分楚國;子不與吾,子父則死矣。”申鳴流涕而應之曰:“始吾父之孝子也,今吾君之忠臣也;吾聞之也,食其食者死其事,受其祿者畢其能;今吾已不得為父之孝子矣,乃君之忠臣也,吾何得以全身!”援桴鼓之,遂殺白公,其父亦死,王賞之金百斤,申鳴曰:“食君之食,避君之難,非忠臣也;定君之國,殺臣之父,非孝子也。名不可兩立,行不可兩全也,如是而生,何面目立於天下。”遂自殺也。

楚に申鳴という士がいて、家で父を養っていた。孝で楚国に聞こえ、王は彼に相位を授けようとしたが、申鳴は辞して受けなかった。父は言った。「王があなたを相にしたいのに、どうして受けない。」申鳴は答えた。「父の孝子を捨てて王の忠臣になる。なぜですか。」父は言った。「あなたを国で俸禄を得させ、朝廷に義を立たせれば、あなたは楽しみ私は憂いがない。あなたに相をさせたい。」申鳴は言った。「はい。」そこで入朝し、楚王は彼に相位を授けた。三年過ぎ、白公が乱を起こし司馬子期を殺した。申鳴はこれのために死に行こうとした。父は彼を止めて言った。「父を棄てて死ぬのはよいのか。」申鳴は言った。「官となる者は身は君に帰し俸禄は両親に帰すると聞く。いま子の身分を離れて君に仕えた。彼の難に死さずしてよいか。」そこで辞して行き、兵をもって白公を囲んだ。白公は石乞に言った。「申鳴は天下の勇士だ。いま兵をもって私を囲む。どうしよう。」石乞は言った。「申鳴は天下の孝子です。兵を率いて彼の父を劫して、申鳴が聞けば必ず来ます。機に乗じて彼と話しましょう。」白公は言った。「よし。」そこで彼の父を捕え、兵器で挟み、申鳴に告げて言った。「お前が私とすれば、楚を分けよう。お前が私としなければ、お前の父は死ぬ。」申鳴は涙を流して答えた。「初め私は父の孝子だったが、いま私は君の忠臣です。彼の食を食む者は彼の事に死し、彼の禄を受ける者は己の能を尽くすと聞く。いま私は父の孝子となれず、君の忠臣となりました。どうして身を全うできよう。」鼓槌を取り鼓を撃ち、そこで白公を殺した。彼の父も死んだ。王は彼に黄金百斤を賞した。申鳴は言った。「君の食を食んで君の難を避けるは忠臣ではない。君の国を安くして臣の父を殺すは孝子ではない。名は両立できず、行は両全できない。こうして生きて、何の面目で天下に立とう。」そこで自殺した。

齊莊公且伐莒,為車五乘之賓,而杞梁華舟獨不與焉,故歸而不食,其母曰:“汝生而無義,死而無名,則雖非五乘,孰不汝笑也?汝生而有義,死而有名,則五乘之賓盡汝下也。”趣食乃行,杞梁華舟同車侍於莊公而行至莒,莒人逆之,杞梁華舟下鬥,獲甲首三百,莊公止之曰:“子止,與子同齊國。”杞梁華舟曰:“君為五乘之賓,而舟梁不與焉,是少吾勇也;臨敵涉難,止我以利,是汙吾行也;深入多殺者,臣之事也,齊國之利,非吾所知也。”遂進鬥,壞軍陷陣,三軍弗敢當,至莒城下,莒人以炭置地,二人立有間,不能入。隰侯重為右曰:“吾聞古之士,犯患涉難者,其去遂於物也,來,吾踰子。”隰侯重仗楯伏炭,二子乘而入,顧而哭之,華舟後息。杞梁曰:“汝無勇乎?何哭之久也?”華舟曰:“吾豈無勇哉,是其勇與我同也,而先吾死,是以哀之。”莒人曰:“子毋死,與子同莒國。”杞梁華舟曰:“去國歸敵,非忠臣也;去長受賜,非正行也;且雞鳴而期,日中而忘之,非信也。深入多殺者,臣之事也,莒國之利非吾所知也。”遂進鬥,殺二十七人而死。其妻聞之而哭,城為之,而隅為之崩。此非所以起也。

斉荘公が莒を伐とうとし、五乗の賓を設けたが、杞梁・華舟はその中にいなかった。帰って食をしなかった。母は言った。「生きて義なく死して名なければ、五乗でなくとも誰があなたを笑わない。生きて義あり死して名あれば、五乗の賓はみなあなたの下にある。」急いで食して出発した。杞梁・華舟は同車で荘公に侍し莒に至った。莒人が迎え撃ち、杞梁・華舟は車を下りて搏闘し、甲士三百首を斬獲した。荘公は彼らを止めて言った。「お前たちは止まれ。斉を分けよう。」杞梁・華舟は言った。「君が五乗の賓を設けて、舟・梁がその中にいないのは、我らの勇を軽んじたからです。敵に臨み難に臨んで利で止めるのは、我らの行を辱めることです。深く入り多く殺すは臣の事で、斉国の利は我らの知る所ではありません。」そこで進んで搏闘し、敵軍を破り陣地に冲陥し、三軍は当たらなかった。莒城下に至り、莒人は地に炭を敷いた。二人はしばらく立ったが入れなかった。隰侯重が車右として言った。「古の士は、禍患を冒し難を経る者は、去り終に物のために死ぬ。来い、私を踏んで過ぎよ。」隰侯重は盾を持ち炭の上に伏した。二人は踏んで入り、振り返って彼を哭き、華舟が後に止まった。杞梁は言った。「あなたは勇がないのか。どうしてこんなに長く哭く。」華舟は言った。「どうして勇がない。この人の勇は私と同じだったのに、先に死んだ。ゆえに哀しむ。」莒人は言った。「お前たちは死ぬな。莒を分けよう。」杞梁・華舟は言った。「本国を離れ敵に帰するは忠臣ではない。長上を離れ賞を受けるは正行ではない。さらに鶏鳴に約束して日中に忘れるは信ではない。深く入り多く殺すは臣の事で、莒国の利は我らの知る所ではありません。」そこで進んで搏闘し、二十七人を殺して死んだ。その妻はこれを聞き哭き、城牆がそれによって崩れ、城角もそれによって崩れた。これは興すものではない。

越甲至齊,雍門子狄請死之,齊王曰:“鼓鐸之聲未聞,矢石未交,長兵未接,子何務死之?為人臣之禮邪?”雍門子狄對曰:“臣聞之,昔者王田於囿,左轂鳴、車右請死之,而王曰:‘子何為死?’車右對曰:‘為其鳴吾君也。’王曰:‘左轂鳴者工師之罪也,子何事之有焉?’車右曰:‘臣不見工師之乘而見其鳴吾君也。’遂刎頸而死,知有之乎?”齊王曰:“有之。”雍門子狄曰:“今越甲至,其鳴吾君也,豈左轂之下哉?車右可以死左轂,而臣獨不可以死越甲也?”遂刎頸而死。是日越人引甲而退七十里,曰:“齊王有臣,鈞如雍門子狄,擬使越社稷不血食。”遂引甲而歸,齊王葬雍門子狄以上卿之禮。

越の甲兵が斉に至った。雍門子狄はこれのために死ぬことを請うた。斉王は言った。「鼓鐸の音もまだ聞こえず、矢石もまだ交わらず、長兵もまだ触れていない。お前はどうして必ず死ぬのか。これが人臣の礼か。」雍門子狄は答えた。「臣が聞くに、昔、王が苑囿で獵し、左の車轂が鳴り、車右はこれのために死ぬことを請うた。王は言った。『お前は何のために死ぬのか。』車右は答えた。『それが我らの君に鳴ったからです。』王は言った。『左の車轂の鳴るは工師の罪だ。お前に何の関係がある。』車右は言った。『臣は工師が車に乗るのを見ていないが、それが我らの君に鳴るのを見た。』そこで頸を刎ねて死んだ。これがあったのを知っていますか。」斉王は言った。「ある。」雍門子狄は言った。「いま越の甲兵が至った。それが我らの君に鳴るのは、左の車轂より下ではないでしょう。車右は左の車轂のために死ぬことができた。臣は独り越の甲兵のために死ぬことができないのですか。」そこで頸を刎ねて死んだ。その日、越人は甲兵を帯びて七十里退き、言った。「斉王に臣あり。皆雍門子狄のようなら、越の社稷は血食を得られなくなる。」そこで甲兵を帯びて帰った。斉王は上卿の礼で雍門子狄を葬った。

楚人將與吳人戰,楚兵寡而吳兵眾,楚將軍子囊曰:“我擊此國必敗,辱君虧地,忠臣不忍為也。”不復於君,黜兵而退,至於國郊,使人復於君曰:“臣請死!”君曰:“子大夫之遁也,以為利也,而今誠利,子大夫毋死!”子囊曰:“遁者無罪,則後世之為君臣者,皆入不利之名而效臣遁,若是則楚國終為天下弱矣,臣請死。”退而伏劍。君曰:“誠如此,請成子大夫之義。”乃為桐棺三寸,加斧質其上,以■於國。

楚人が呉人と交戦しようとした。楚兵は少なく呉兵は多かった。楚の将軍子囊は言った。「この国を攻撃すれば必ず敗れる。君を辱め地を損う。忠臣は忍んでしない。」君に報告せず、兵を収め退いた。国郊に至り、人を遣わして君に報告して言った。「臣は死を請います!」君は言った。「子大夫の退走は、利があると思ってのことだ。いま確かに利がある。子大夫は死ぬな!」子囊は言った。「退く者が罪なければ、後世の君臣を為る者は皆不利の名に落ちて臣の退走を倣う。こうして楚はついに天下に弱く見られます。臣は死を請います。」退いて剣に伏した。君は言った。「果たしてそうなら、子大夫の義を全うさせよう。」そこで桐棺三寸を作り、斧質を上に加え、国中に(���本この字欠)した。

宋康公攻阿,屠單父,成公趙曰:“始吾不自知,以為在千乘則萬乘不敢伐,在萬乘則天下不敢圖。今趙在阿而宋屠單父,則是趙無以自立也。且往誅宋!”趙遂入宋,三月不得見。或曰:“何不因鄰國之使而見之。”成公趙曰:“不可,吾因鄰國之使而刺之,則使後世之使不信,荷節之信不用,皆曰趙使之然也,不可!”或曰:“何不因群臣道徒處之士而刺之。”成公趙曰:“不可,吾因群臣道徒處之士而刺之,則後世之臣不見信,辯士不見顧,皆曰趙使之然也。不可!吾聞古之士怒則思理,危不忘義,必將正行以求之耳。”期年,宋康公病死,成公趙曰:“廉士不辱名,信士不惰行,今吾在阿,宋屠單父,是辱名也;事誅宋王,期年不得,是惰行也。吾若是而生,何面目而見天下之士。”遂立槁於彭山之上。

宋康公が阿を攻め、単父を屠戮した。成公趙は言った。「初め私は知らず、千乗の国にいれば万乗は敢えて伐たず、万乗の国にいれば天下は敢えて謀らないと思っていた。いま趙が阿にいて宋が単父を屠る。ならば趙は自立するものがない。宋を誅しに行く!」趙は宋に入り、三箇月会えなかった。ある人は言った。「隣国の使者を借りて彼に会ってはどうか。」成公趙は言った。「いけない。隣国の使者を借りて彼を刺殺すれば、後世の使者が信じられず、節を持つ信が用いられなくなり、皆趙がそうさせたと言うだろう。いけない!」ある人は言った。「群臣と道路上の閑居の士を借りて彼を刺殺してはどうか。」成公趙は言った。「いけない。群臣と道路上の閑居の士を借りて彼を刺殺すれば、後世の臣が信じられず、弁士が顧みられなくなり、皆趙がそうさせたと言うだろう。いけない!古の士は怒れば理を思い、危くても義を忘れず、必ず行いを正して求めると聞く。」一年満ち、宋康公は病死した。成公趙は言った。「廉士は名を辱めず、信士は行を怠らない。いま私が阿にいて宋が単父を屠ったのは名を辱めた。宋王を誅しに行って一年満ちても得られなかったのは行を怠った。こうして生きて、何の面目で天下の士に会おう。」そこで彭山の上に立って枯死した。

佛肸用中牟之縣畔,設祿邑炊鼎曰:“與我者受邑,不與我者其烹。”中牟之士皆與之。城北餘子田基獨後至,袪衣將入鼎曰:“基聞之,義者軒冕在前,非義弗受;斧鉞於後,義死不避。”遂袪衣將入鼎,佛肸播而之趙,簡子屠中牟,得而取之,論有功者,用田基為始,田基曰:“吾聞廉士不恥人,如此而受中牟之功,則中牟之士終身慚矣。”襁負其母,南徙於楚,楚王高其義待以司馬。

仏肸が中牟の県で反し、禄邑を設け鼎を焼いて言った。「私とする者は封邑を受け、私としない者は烹る。」中牟の士は皆彼に附和した。城北の余子田基だけが後れて至り、衣を撩りて鼎に入ろうとし言った。「基が聞くに、義者は軒冕が前にあっても、義でなければ受けず。斧鉞が後ろにあっても、義のために死して避けない。」そこで衣を撩りて鼎に入ろうとした。仏肸は趙に逃げ、簡子は中牟を屠り、得て占め取った。功ある者を論じ、田基から始めた。田基は言った。「廉士は人を辱めないと聞く。こうして中牟の功を受ければ、中牟の士は終身愧る。」母を背負い、南に楚に遷った。楚王は彼の義を推し、司馬の礼で彼を遇した。

齊崔杼弒莊公,邢蒯瞶使晉而反,其僕曰:“崔杼弒莊公,子將奚如?”邢蒯瞶曰:“驅之,將入死而報君。”其僕曰:“君之無道也,四鄰諸侯莫不聞也,以夫子而死之不亦難乎?”邢蒯瞶曰:“善能言也,然亦晚矣,子早言我,我能諫之,諫不聽我能去,今既不諫又不去;吾聞食其祿者死其事,吾既食亂君之祿矣,又安得治君而死之?”遂驅車入死。其僕曰:“人有亂君,人猶死之;我有治長,可毋死乎?”乃結轡自刎於車上。君子聞之曰:“邢蒯瞶可謂守節死義矣;死者人之所難也,僕伕之死也,雖未能合義,然亦有志之意矣,詩云:‘夙夜匪懈,以事一人,’邢生之謂也。孟子曰:‘勇士不忘喪其元,’僕伕之謂也。”

斉の崔杼が荘公を弑した。邢蒯瞶は晋に使いして帰った。その御者は言った。「崔杼が荘公を弑しました。あなたはどうしますか。」邢蒯瞶は言った。「車を駆れ。入って死して君に報いる。」御者は言った。「君の無道は四隣の諸侯で聞かない者がいません。夫子が彼のために死ぬのは難しくないですか。」邢蒯瞶は言った。「よく言ったが遅い。早く私に言ってくれれば私は進諫し、聞かなければ離れられた。いま諫めず離れもしない。彼の禄を食む者は彼の事に死すと聞く。私はすでに乱君の禄を食んだ。どうして治世の君を待って彼のために死なれよう。」そこで車を駆って入り死んだ。御者は言った。「人に乱君あれば、人は彼のために死ぬ。私に治世の長官あれば、死なずにおれようか。」そこで辔を結んで車上で自刎した。君子はこれを聞いて言った。「邢蒯瞶は節を守り義に死したと称すべきだ。死は人の難しとするところ。御者の死は、義に合わないまでも志の意がある。『詩経』に言う。『朝夕懈らず、一人に仕える』と。これは邢生を言う。孟子に言う。『勇士は頭を喪うことを忘れない』と。これは御者を言う。」

燕昭王使樂毅伐齊,閔王亡,燕之初入齊也,聞蓋邑人王歜賢,令於三軍曰:“環蓋三十里毋入。”以歜之故,已而使人謂歜曰:“齊人多高子之義,吾以子為將,封子萬家。”歜固謝燕人,燕人曰:“子不聽,吾引三軍而屠蓋邑。”王歜曰:“忠臣不事二君,貞女不更二夫;齊王不聽吾諫,故退而耕於野。國既破亡,吾不能存,今又劫之以兵,為君將,是助桀為暴也,與其生而無義,固不如烹。”遂懸其軀於樹枝,自奮絕脰而死,齊亡,大夫聞之曰:“王歜布衣義猶不背齊向燕,況在位食祿者乎?”乃相聚如莒,求諸公子,立為襄王。

燕昭王は楽毅を遣わして斉を伐たせた。閔王は逃亡した。燕が斉に入ったとき、盖邑の人王歜が賢いと聞き、三軍に令して言った。「盖を環る三十里に入るな。」歜のためである。続いて人を遣わして歜に言った。「斉人はあなたの義を多く推す。あなたを将とし万家に封じよう。」歜は固く燕人を絶した。燕人は言った。「聴かなければ、三軍を率いて盖邑を屠る。」王歜は言った。「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫に嫁がない。斉王は私の諫を聴かず、ゆえに退いて野で耕していた。国はすでに破亡し、私は保存できない。いま兵で劫して君の将とするのは、桀を助けて暴を為すことだ。生きて義なきは、むしろ烹られたほうがよい。」そこで身を樹枝に懸け、自ら力で頸を断って死んだ。斉が亡びた後、大夫はこれを聞いて言った。「王歜は布衣でも義で斉を背けず燕に向かわなかった。いわんや位にあり禄を食む者は。」そこで相集まって莒に至り、諸公子を求めて襄王に立てた。

左儒友于杜伯,皆臣周宣王,宣王將殺杜伯而非其罪也,左儒爭之於王,九復之而王弗許也,王曰:“別君而異友,斯汝也。”左儒對曰:“臣聞之,君道友逆,則順君以誅友;友道君逆,則率友以違君。”王怒曰:“易而言則生,不易而言則死。”左儒對曰:“臣聞古之士不枉義以從死,不易言以求生,故臣能明君之過,以死杜伯之無罪。”王殺杜伯,左儒死之。

左儒と杜伯は友好で、ともに周宣王の臣だった。宣王は杜伯を殺そうとしたがその罪ではなかった。左儒は王に争諫し、九度繰り返しても王は許さなかった。王は言った。「君を分かち友を異に見るのはお前だ。」左儒は答えた。「臣が聞くに、君の道が正しく友の道が逆なら、君に従って友を誅する。友の道が正しく君の道が逆なら、友を率いて君に背く。」王は怒って言った。「言を変えれば活かす。変えなければ殺す。」左儒は答えた。「臣が聞くに、古の士は義を枉げて従って死せず、言を変えて活を求めず。ゆえに臣は君の過を顕し、死を以て杜伯の無罪を証す。」王は杜伯を殺し、左儒はこのために死んだ。

莒穆公有臣曰朱厲附,事穆公,不見識焉,冬處於山林食杼栗,夏處於洲澤食菱藕。穆公以難死,朱厲附將往死之。其友曰:“子事君而不見識焉,今君難吾子死之,意者其不可乎!”朱厲附曰:“始我以為君不吾知也,今君死而我不死,是果不知我也;吾將死之,以激天下不知其臣者。”遂往死之。

莒穆公に朱厲附という臣がいて、穆公に仕えたが識られなかった。冬は山林に住み橡栗を食べ、夏は洲沢に住み菱藕を食べていた。穆公は危難で死んだ。朱厲附は彼のために死に行こうとした。その友は言った。「あなたは君に仕えても識られなかった。いま君が難に遭ってあなたが彼のために死ぬのは、およそよくないのでは。」朱厲附は言った。「初め私は君が私を知らないと思っていた。いま君が死んで私が死ななければ、やはり知らなかったことになる。彼のために死んで、天下の彼の臣を知らない者を励まそう。」そこで行って彼のために死んだ。

楚莊王獵於雲夢,射科雉得之,申公子倍攻而奪之,王將殺之,大夫諫曰:“子倍自好也,爭王雉必有說,王姑察之。”不出三月,子倍病而死。邲之戰,楚大勝晉,歸而賞功,申公子倍之弟請賞於王曰:“人之有功也,賞於車下。”王曰:“奚謂也?”對曰:“臣之兄讀故記曰:射科雉者不出三月必死,臣之兄爭而得之,故夭死也。”王命發乎府而視之,於記果有焉,乃厚賞之。

楚荘王が雲夢で獵し、科雉を射て得た。申公子倍がそれを奪い取った。王は彼を殺そうとした。大夫は進諫して言った。「子倍は己を惜しむ人です。王の雉を争うには必ず説法があります。王はしばらく考察してください。」三箇月を出ず、子倍は病死した。邲の戦いで楚は晋に大勝し、帰って功を賞した。申公子倍の弟が王に賞を請うて言った。「人に功あれば、車下で賞を受けます。」王は言った。「どういう意味か。」答えた。「臣の兄は旧い記を読み、科雉を射る者は三箇月を出ず必ず死ぬとありました。臣の兄はそれを争って得たので夭折して死んだのです。」王は府庫を開いて見るよう命じ、記に果たしてあった。そこで厚く彼を賞した。

卷五貴德

巻五 貴徳

聖人之於天下百姓也,其猶赤子乎!飢者則食之,寒者則衣之;將之養之,育之長之;惟恐其不至於大也。詩曰:“蔽芾甘棠,勿剪勿伐,召伯所茇。”傳曰:自陝以東者周公主之,自陜以西者召公主之。召公述職當桑蠶之時,不欲變民事,故不入邑中,舍於甘棠之下而聽斷焉,陜間之人皆得其所。是故後世思而歌誄之,善之,故言之;言之不足,故嗟嘆之;嗟嘆之不足,故歌詠之。夫詩思然後積,積然後滿,滿然後發,發由其道而致其位焉;百姓嘆其美而致其敬,甘棠之不伐也,政教惡乎不行!孔子曰:“吾於甘棠,見宗廟之敬也。”甚尊其人,必敬其位,順安萬物,古聖之道幾哉!仁人之德教也,誠惻隱於中,悃愊於內,不能已於其心;故其治天下也,如救溺人,見天下強陵弱,眾暴寡;幼孤羸露,死傷系虜,不忍其然,是以孔子歷七十二君,冀道之一行而得施其德,使民生於全育,烝庶安土,萬物熙熙,各樂其終,卒不遇,故睹麟而泣,哀道不行,德澤不洽,於是退作春秋,明素王之道,以示後人,恩施其惠,未嘗輟忘,是以百王尊之,志士法焉,誦其文章,傳今不絕,德及之也。詩曰:“載馳載驅,周爰諮謀。”此之謂也。聖王布德施惠,非求報於百姓也;郊望禘嘗,非求報於鬼神也。山致其高,雲雨起焉;水致其深,蛟龍生焉;君子致其道德而福祿歸焉。夫有陰德者必有陽報,有隱行者必有昭名,古者溝防不修,水為人害,禹鑿龍門,闢伊闕,平治水土,使民得陸處;百姓不親,五品不遜,契教以君臣之義,父子之親,夫婦之辨,長幼之序;田野不修,民食不足,后稷教之,闢地墾草,糞土樹谷,令百姓家給人足;故三後之後,無不王者,有陰德也。周室衰,禮義廢,孔子以三代之道,教導於後世,繼嗣至今不絕者,有隱行也。

聖人は天下の百姓を、赤子のように扱うのでしょう!飢える者には食べさせ、寒い者には着せ、彼を扶け養い、大きく育てて成長させます。ただ彼が成長に達しないことを恐れます。『詩経』に言う。「小さな甘棠、剪るな伐るな、召伯はかつてその下に止まった。」伝文に言う。陝より東は周公が主り、陝より西は召公が主る。召公が職を述べるに桑蚕の時に当たり、民事を変えたくなかったので邑中に入らず、甘棠の下に居て訟を聴き決断した。陝の間の人々は各々その所を得た。ゆえに後世は彼を思い歌誄し、善とした。ゆえにこれを言う。言って足りなければ嗟嘆し、嗟嘆して足りなければ歌詠する。詩は思いを積み、積みて充満し、充満して発する。発してその道に順いその位に至る。百姓はその美を嘆じ敬を致し、甘棠は伐られず、政教はどうして行われないことがあろう。孔子は言った。「私は甘棠から宗廟への敬を見る。」その人を崇めれば必ずその位を敬し、順応して万物を安くする。古の聖人の道に近い!仁人の徳教は、惻隠が中にあり、悃愊が内にあり、心に止まることができない。ゆえに彼は天下を治めるに、溺れる人を救うが如く、天下が強を以て弱を陵し、衆を以て寡を暴するのを見た。幼孤は瘦し弱り暴露し、死傷は俘られ囚われる。これを忍びず、ゆえに孔子は七十二君を経歴し、道が一旦行われてその徳を施せることを願い、民生が保全養育を得、衆民が郷土に安んじ、万物が熙熙として各々終わりを楽しむようにしたが、ついに遇わず、麟を見て泣き、道の行われず徳沢の周洽せざるを哀れみ、退いて『春秋』を作り、素王の道を明らかにして後人に見せ、恩惠を施し、忘れることがなかった。ゆえに百王は彼を尊崇し、志士は彼を法とし、その文章を誦して、いまに至って絶えない。徳が至ったのです。『詩経』に言う。「馳せ、駆け、遍く咨謀を求む。」これを言うのです。聖王が徳を布き恵を施すのは、百姓に報答を求めるのではない。郊望禘嘗は、鬼神に報答を求めるのではない。山はその高さに達すれば雲雨がそこから起こり、水はその深さに達すれば蛟龍がそこに生じ、君子はその道徳に達すれば福禄が彼に帰する。陰徳ある者は必ず陽報があり、隠行ある者は必ず昭名がある。古は溝防が修められず、水は人の害となった。禹は龍門を開き伊闕を闢き、水土を平治し、民をして陸地に住ませた。百姓は親しまず、五品は遜順せず。契は彼らに君臣の義・父子の親・夫婦の別・長幼の序を教えた。田野は修められず、民食は足りず。后稷は彼らに教え、土地を闢き荒草を墾し、土に肥を施し穀物を植え、百姓をして家給人足ならしめた。ゆえに三后の後代で、王と称さない者はいない。陰徳があるのです。周室が衰え、礼義が廃れ、孔子は三代の道を以て後世を教え、いまに至って継嗣の絶えないのは、隠行があるのです。

周頌曰:“豐年多黍多稌,亦有高廩,萬億及秭,為酒為醴,烝畀祖妣,以洽百禮,降福孔偕。”禮記曰:“上牲損則用下牲,下牲損則祭不備物。”以其舛之為不樂也。故聖人之於天下也,譬猶一堂之上也,今有滿堂飲酒者,有一人獨索然向隅而泣,則一堂之人皆不樂矣;聖人之於天下也,譬猶一堂之上也,有一人不得其所,則孝子不敢以其物薦進。

『周頌』に言う。「豊年に黍多く稌多く、また高大の倉あり、萬億秭に至り、酒を為し醴を為し、祖妣に進献し、百礼に配合し、福を降らすこと甚だ遍し。」『礼記』に言う。「上牲が損缺すれば下牲を用い、下牲が損缺すれば祭祀の物を具えず。」差錯によってそれを楽しませないのです。ゆえに聖人の天下に対するは、一堂の上にいるが如し。いま満堂に飲酒する人があり、一人が独り索然として隅に向かい泣けば、一堂の人はみな楽しまない。聖人の天下に対するは、一堂の上にいるが如く、一人その所を得なければ、孝子は敢えてその物を進献しないのです。

魏武侯浮西河而下,中流顧謂吳起曰:“美哉乎!河山之固也,此魏國之寶也。”吳起對曰:“在德不在險。昔三苗氏左洞庭,右彭蠡,德義不修,而禹滅之;夏桀之居,左河濟,右太華,伊闕在其南,羊腸在其北,修政不仁,湯放之;殷紂之國,左孟門而右太行,常山在其北,太河經其南,修政不德,武王伐之。由此觀之,在德不在險。若君不修德,船中之人盡敵國也。”武侯曰:“善!”

魏武侯が西河を浮かべて下り、中流に至り回顧して呉起に言った。「美しいなあ!河山の険固、これは魏国の宝だ。」呉起は答えた。「徳にあって険にあらず。昔、三苗氏は左に洞庭、右に彭蠡を有したが、徳義を修治せず、禹がこれを滅ぼした。夏桀の居処は左に河済、右に太華、伊闕が南にあり、羊腸が北にあったが、政を修め仁ならず、湯が彼を放逐した。殷紂の国は左に孟門、右に太行、常山が北にあり、大河が南を経たが、政を修め徳ならず、武王が彼を伐った。これを見れば、徳にあって険にあらず。もし君が徳を修めなければ、船の中の人はみな敵国です。」武侯は言った。「よい!」

武王克殷,召太公而問曰:“將奈其士眾何?”太公對曰:“臣聞愛其人者,兼屋上之烏;憎其人者,惡其餘胥;鹹劉厥敵,使靡有餘,何如?”王曰:“不可。”太公出,邵公入,王曰:“為之奈何?”邵公對曰:“有罪者殺之,無罪者活之,何如?”王曰:“不可。”邵公出,周公入,王曰:“為之奈何?”周公曰:“使各居其宅,田其田,無變舊新,唯仁是親,百姓有過,在予一人!”武王曰:“廣大乎,平天下矣。凡所以貴士君子者,以其仁而有德也!”

武王が殷を克ち、太公を召して問うた。「その士衆をどう扱おうか。」太公は答えた。「臣が聞くに、その人を愛すれば屋上の烏に及び、その人を憎めばその余胥に及ぶと。敵をことごとく殺して余りなからしめるは如何。」王は言った。「いけない。」太公が出て、邵公が入り、王は言った。「どうすべきか。」邵公は答えた。「罪ある者は殺し、罪なき者は生かすは如何。」王は言った。「いけない。」邵公が出て、周公が入り、王は言った。「どうすべきか。」周公は言った。「各々その宅に居らせ、その田を耕させ、旧も新も変えず、ただ仁に親しむ。百姓に過失あれば、我が一人にあり!」武王は言った。「広大なるかな、天下を平げたり。およそ士君子を重んずる所以は、彼が仁にして徳あるがゆえだ!」

孔子曰:“里仁為美,擇不處仁,焉得智!”夫仁者,必恕然後行,行一不義,殺一無罪,雖以得高官大位,仁者不為也。夫大仁者,愛近以及遠,及其有所不諧,則虧小仁以就大仁。大仁者,恩及四海;小仁者,止於妻子。妻子者,以其知營利,以婦人之恩撫之,飾其內情,雕畫其偽,孰知其非真,雖當時蒙榮,然士君子以為大辱,故共工、驩兜、符裡、鄧析,其智非無所識也,然而為聖王所誅者,以無德而苟利也。豎刁、易牙,毀體殺子以幹利,卒為賊於齊。故人臣不仁,篡弒之亂生;人臣而仁,國治主榮;明主察焉,宗廟大寧,夫人臣猶貴仁,況於人主乎!故桀紂以不仁失天下,湯武以積德有海土,是以聖王貴德而務行之。孟子曰:“推恩足以及四海;不推恩不足以保妻子。古人所以大過人者無他焉,善推其所有而已。”

孔子は言った。「里の中に仁あるは美なり。住処を択んで仁に処らざれば、どうして智と言えよう!」仁者は必ず恕を推して後に行う。一つの不義を為し一人の無罪を殺して、これによって高官大位を得ても、仁者は為さない。大仁は、近くを愛し遠くに推し及ぼし、相諧わぬものがあれば小仁を損して大仁を成す。大仁は恩が四海に及び、小仁は妻子に止まる。妻子は、彼によって営利を知り、婦人の恩で撫慰し、内情を飾り、虚偽を雕る。誰がそれが真でないと知ろう。当時は栄を蒙っても、士君子は大辱とする。ゆえに共工・驩兜・符里・鄧析は、彼らの智に見識がないのではなかったが聖王に誅された。徳なくして苟且に利を求めたからである。竪刁・易牙は、身を毀り子を殺して利を求め、ついに斉で賊となった。ゆえに人臣が仁でなければ、篡弑の乱が生ずる。人臣が仁ならば、国は治まり主は栄える。明主がこれを察すれば、宗廟は大いに安んじる。人臣でさえ仁を重んずる。いわんや人主をや!ゆえに桀・紂は不仁で天下を失い、湯・武は徳を積んで海内の土地を据えた。これにより聖王は徳を重んじ務めて行う。孟子は言った。「恩を推し広めれば四海に達するに足る。恩を推し広めなければ妻子を保つに足らず。古人が大いに人に過ぎたのは他なし、よくその有する所を推し広めただけだ。」

晏子飲景公酒,令器必新,家老曰:“財不足,請斂於民。”晏子曰:“止。夫樂者,上下同之,故天子與天下,諸侯與境內,自大夫以下各與其僚,無有獨樂;今上樂其樂,下傷其費,是獨樂者也,不可。”

晏子が景公に酒を請い、器具を必ず新たにせよと命じた。家老は言った。「財物が足りません。民に収斂させてください。」晏子は言った。「止めよ。楽は上下共にするものだ。ゆえに天子は天下と、諸侯は境内と、大夫以下は各々その僚属と楽を共にし、独り楽しむことなし。いま上はその楽を享け、下は費用を損なわれる。これは独り楽しむことであり、いけない。」

齊桓公北伐山戎氏,其道過燕,燕君逆而出境,桓公問管仲曰:“諸侯相逆固出境乎?”管仲曰:“非天子不出境。”桓公曰:“然則燕君畏而失禮也,寡人不道而使燕君失禮,乃割燕君所至之地以與燕君。”諸侯聞之,皆朝於齊。詩云:“靖恭爾位,好是正直,神之聽之,介爾景福。”此之謂也。

斉桓公が北に山戎氏を伐ち、道は燕を経た。燕君が迎えて境を出た。桓公は管仲に問うた。「諸侯が相迎えるのは本来境を出るものか。」管仲は言った。「天子でなければ境を出ません。」桓公は言った。「ならば燕君は私を畏れて礼を失した。寡人が無道で燕君に礼を失わせた。」そこで燕君が至った地を割いて燕君に与えた。諸侯はこれを聞き、みな斉に朝した。『詩経』に言う。「静かに敬してその位を守り、この正直を好めば、神これを聞いて大いなる福を介す。」これを言うのです。

景公探爵鷇,鷇弱故反之,晏子聞之,不待請而入見,景公汗出惕然,晏子曰:“君胡為者也?”景公曰:“我採爵鷇,鷇弱故反之。”晏子逡巡北面再拜而賀之:“吾君有聖王之道矣。”景公曰:“寡人入探爵鷇,鷇弱故反之,其當聖王之道者何也?”晏子對曰:“君探爵鷇,鷇弱故反之,是長幼也;吾君仁愛,禽獸之加焉,而況於人乎?此聖王之道也。”

景公が雀の雛を探り取り、雛が弱小なので放ち返した。晏子はこれを聞き、請いを待たず入りて見えた。景公は汗をかき驚懼した。晏子は言った。「君は何をしていますか。」景公は言った。「我は雀の雛を探り取ったが、雛が弱小なので放ち返した。」晏子は逡巡して北に向かい再拝して賀した。「吾君は聖王の道を持たれた。」景公は言った。「寡人は入って雀の雛を探り取り、雛が弱小なので放ち返した。それが聖王の道に当たるとは何か。」晏子は答えた。「君が雀の雛を探り取り、雛が弱小なので放ち返した。これは幼いものを長養することです。吾君の仁愛は禽獣に及ぶ。いわんや人に対してをや!これが聖王の道です。」

景公睹嬰兒有乞於途者,公曰:“是無歸夫?”晏子對曰:“君存何為無歸,使養之,可立而以聞。”

景公が道で乞う嬰児を見て言った。「これは帰る所がないのか。」晏子は答えた。「君が在るのに、どうして帰る所がないのですか。人に養わせれば、立って君に聞こえることができます。」

景公遊於壽宮,睹長年負薪而有飢色,公悲之,喟然嘆曰:“令吏養之。”晏子曰:“臣聞之,樂賢而哀不肖,守國之本也;今君愛老而恩無不逮,治國之本也。”公笑有喜色。晏子曰:“聖王見賢以樂賢,見不肖以哀不肖;今請求老弱之不養,鰥寡之不室者,論而供秩焉。”景公曰:“諾。”於是老弱有養,鰥寡有室。

景公が寿宮で遊び、老人が薪を負い飢色があるのを見た。公は悲しみ、喟然と嘆息して言った。「吏に養わせよ。」晏子は言った。「臣が聞くに、賢を楽しみ不肖を哀れむは、国を守る本です。いま君は老を愛護して恩の届かぬなし。これは国を治める本です。」公は笑み喜色を見せた。晏子は言った。「聖王は賢を見れば賢を楽しみ、不肖を見れば不肖を哀れみます。いま老弱で奉養のない者、鰥寡で家室のない者を論列して俸秩を供給させてください。」景公は言った。「よし。」そこで老弱に奉養があり、鰥寡に家室があった。

桓公之平陵,見家人有年老而自養者,公問其故,對曰:“吾有子九人,家貧無以妻之,吾使傭而未返也。”桓公取外御者五人妻之,管仲入見曰:“公之施惠不亦小矣。”公曰:“何也?”對曰:“公待所見而施惠焉,則齊國之有妻者少矣。”公曰:“若何?”管仲曰:“令國丈夫三十而室,女子十五而嫁。”

桓公が平陵に至り、家に年老いて自ら養う者を見た。公は故を問い、答えた。「私に息子が九人おり、家が貧しく彼らに妻を娶るものがありません。彼らを雇わせてまだ戻っていません。」桓公は宮外の侍御五人を取って彼らに妻とした。管仲が入りて見えて言った。「公の恩を施すは小さくないですか。」公は言った。「何故か。」答えた。「公が自ら目で見て後に恩を施すなら、斉国に妻子ある者は少なくなります。」公は言った。「どうすべきか。」管仲は言った。「国中の男子に三十にして家室を持たせ、女子に十五にして嫁がせよと命じてください。」

孝宣皇帝初即位,守廷尉吏路溫舒上書,言尚德緩刑,其詞曰:“陛下初即至尊,與天合符,宜改前世之失,正始受之統,滌煩文,除民疾,存亡繼絕,以應天德,天下幸甚。臣聞往者秦有十失,其一尚存,治獄吏是也;昔秦之時,滅文學,好武勇,賤仁義之士,貴治獄之吏,正言謂之誹謗,謁過謂之妖言,故盛服先生,不用於世,忠良切言,皆鬱於胸,譽諛之聲,日滿於耳,虛美燻心,實禍蔽塞,此乃秦之所以亡天下也。方今海內賴陛下厚恩,無金革之危,飢寒之患,父子夫婦戮力安家,天下幸甚;然太平之未洽者,獄亂之也。夫獄天下之命,死者不可生,斷者不可屬,書曰:‘與其殺不辜,寧失不經。’今治獄吏則不然,上下相驅,以刻為明,深者獲公名,平者多後患;故治獄吏皆欲人死,非憎人也,自安之道,在人之死,是以死人之血,流離於市;被刑之徒,比肩而立,大辟之計,歲以萬數,此聖人所以傷太平之未洽。凡以是也。人情安則樂生,痛則思死,捶楚之下,何求而不得;故囚人不勝痛,則飾誣詞以示之,吏治者利其然,則指道以明之,上奏恐卻,則鍛鍊而周內之,蓋奏當之成,雖皋陶聽之,猶以為死有餘罪,何則?成煉之者眾而文致之罪明也。是以獄吏專為深刻,殘賊而無理,偷為一切,不顧國患,此世之大賊也,故俗語云:‘畫地作獄,議不可入;刻本為吏,期不可對。’此皆疾吏之風,悲痛之辭也。故天下之患,莫深於獄,敗法亂政,離親塞道,莫甚乎治獄之吏,此臣所謂一尚存也。臣聞鳥鷇之卵不毀,而後鳳凰集;誹謗之罪不誅,而後良言進,故傳曰:‘山藪藏矣,川澤納汙。’國君含垢,天之道也。臣昧死上聞,願陛下察誹謗,聽切言,開天下之口,廣箴諫之路,改亡秦之一失,遵文武之嘉德,省法制,寬刑罰,以廢煩獄;

孝宣皇帝が即位したての時、廷尉吏を守った路温舒が上書して、徳を崇び刑罰を緩めることを講した。その文辞に言う。「陛下は初めて至尊に登り、天に符合します。前世の過失を改正し、始めて承ける統緒を端正し、煩瑣の条文を洗滌し、民の疾苦を除き、亡を存し絶を継いで、以て天徳に応合すべきです。天下は幸いです。臣が聞くに、昔秦に十の過失があって、その一つはなお存します。治獄の吏です。昔秦の時、文学を滅絶し、武勇を愛好し、仁義の士を軽んじ、治獄の吏を重んじ、正直の言を誹謗といい、過失を指すを妖言としました。ゆえに衣冠整った先生は世に用いられず、忠良懇切の言は皆胸中に鬱結し、称誉諂諛の声は日に耳に満ち、虚偽の美は心を薫し、実際の禍は遮蔽され塞がれました。これが秦の天下を失った所以です。いま海内は陛下の厚恩に頼り、金革の危も飢寒の憂もなく、父子夫婦は力を合わせ家を安んじ、天下は幸いです。しかし太平が未だ洽いのは、獄がこれを乱すからです。獄は天下の命です。死んだ者は復活できず、断たれた者は接げません。『尚書』に言う。『無辜を殺すより、常法に失するを寧ろせよ』と。いま治獄の吏はこれと違い、上下互いに駆使して、刻薄を明察とし、深刻は公正の名を得、平允は後患が多い。ゆえに治獄の吏は皆人を死なせたがる。人を憎むのではなく、自ら安を求める道が人の死にあるからです。ゆえに死人の血は市に流離し、刑を受ける者は肩を並べて立ち、大辟の計数は歳に万を以てす。これは聖人が太平の未だ洽わぬを痛む所以です。およそこれのためです。人情は安ければ生を楽しみ、痛ければ死を思う。捶楚の下では、何を求めても得られぬことなし。ゆえに囚人は痛みに堪えず、誣枉の言を編みて彼に見せ、治獄の吏はこれを利用して指点誘導しそれを坐実し、奏上して駁回を怕れれば、文辞を錬煉して周密に彼を陥れる。およそ奏当が既に成れば、皋陶が来て聴いても、なお死に余罪あると思う。何故か。錬煉を成す者が多く、文辞の羅織する罪が明白だからです。これにより獄吏は専ら深刻を為し、残害にして理なく、苟且に一時の事を為し、国家の患を顧みない。これは世の大賊です。ゆえに俗語に言う。『地に画して牢獄を為せば、議っても入るべからず。木を刻んで吏を為せば、約しても対すべからず。』これらは皆獄吏を痛恨する風気、悲痛の言辞です。ゆえに天下の患は獄より深きはなく、法を敗び政を乱し、親を離し道を塞ぐは、治獄の吏より甚しきはなし。これが臣の言うなお存する一つです。臣が聞くに、鳥鷇の卵が毀されなければ、然る後に鳳凰が集まり、誹謗の罪が誅されなければ、然る後に良言が入ると。ゆえに伝えに言う。『山林藪沢は疾を隠し、川沢は汚濁を納る。』国君が垢恥を含容するは天の道です。臣は死を冒して上聞します。願わくは陛下は誹謗を審察し、懇切の言を聴き、天下の口を開き、箴諫の路を広げ、亡秦の一つの過失を改正し、文・武の嘉徳に循い、法制を減省し、刑罰を寛し、以て煩苛の獄を廃止せんことを。

則太平之風可與於世,福履和樂,與天地無極,天下幸甚。”書奏,皇帝善之,後卒於臨淮太守。

然らば太平の風気は世に興ることができ、福禄和楽は天地と共に終極なし。天下は幸いです。」書が奏上されると、皇帝は善しとし、後に臨淮太守の任で世を去った。

晉平公春築臺,叔向曰:“不可。古者聖王貴德而務施,緩刑辟而趨民時;今春築臺,是奪民時也。夫德不施,則民不歸;刑不緩,則百姓愁。使不歸之民,役愁怨之百姓,而又奪其時,是重竭也;夫牧百姓,養育之而重竭之,豈所以安命安存,而稱為人君於後世哉!”平公曰:“善!”乃罷臺役。

晋平公が春に台を築いた。叔向は言った。「いけない。古の聖王は徳を重んじ務めて施し、刑罰を緩めて民時に趨きました。いま春に台を築くは民時を奪うことです。徳が施されなければ民は帰附せず、刑が緩められなければ百姓は愁えます。帰附せぬ民を役し、愁怨する百姓を役して、またその時令を奪うは、枯竭を加重することです。百姓を牧養し、彼らを養育して枯竭を加重するは、命を安んじ生を安んじて後世に人君と称えられる所以ではありません!」平公は言った。「よし!」そこで台を築く労役を止めた。

趙簡子春築臺於邯鄲,天雨而不息,謂左右曰:“可無趨種乎?”尹鐸對曰:“公事急,厝種而懸之臺;夫雖欲趨種,不能得也。”簡子惕然,乃釋臺罷役曰:“我以臺為急,不如民之急也,民以不為臺,故知吾之愛也。”

趙簡子が春に邯鄲で台を築き、天が雨して止まない。左右に言った。「耕作を急がなくてよいか。」尹鐸は答えた。「公事が急で、耕作を擱置して台上に懸けています。耕作を急ぎたく思っても、できません。」簡子は驚懼し、そこで台を放ち労役を停止して言った。「私は台を急としたが、民の急には及ばない。民は台を築かぬことによって、ゆえに我が愛を知る。」

中行獻子將伐鄭,範文子曰:“不可。得志於鄭,諸侯讎我,憂必滋長。”卻至又曰:“得鄭是兼國也,兼國則王,王者固多憂乎?”文子曰:“王者盛其德而遠人歸,故無憂;今我寡德而有王者之功,故多憂。今子見無土而欲富者樂乎哉?”

中行献子が鄭を伐��うとした。范文子は言った。「いけない。鄭で志を得れば、諸侯は我を仇視し、憂患は必ず滋長します。」郤至はまた言った。「鄭を得るは国を兼倂することであり、国を兼倂すれば王たり。王者はもともと憂いが多いのですか。」文子は言った。「王者はその徳を盛んにして遠人を帰附させる。ゆえに憂いがない。いま我が徳は少なく王者の功がある。ゆえに憂いが多い。いまあなたは、土地なしに富もうとする者が楽しいのを見たことがあるか。」

季康子謂子游曰:“仁者愛人乎?”子游曰:“然。”“人亦愛之乎?”子游曰:“然。”康子曰:“鄭子產死,鄭人丈夫舍玦佩,婦人舍珠珥,夫婦巷哭,三月不聞竽琴之聲。仲尼之死,吾不閒魯國之愛夫子奚也?”子游曰:“譬子產之與夫子,其猶浸水之與天雨乎?浸水所及則生,不及則死,斯民之生也必以時雨,既以生,莫愛其賜,故曰:譬子產之與夫子也,猶浸水之與天雨乎?”

季康子が子游に言った。「仁者は人を愛するか。」子游は言った。「はい。」「人も彼を愛するか。」子游は言った。「はい。」康子は言った。「鄭の子産が死んだ時、鄭人の丈夫は玦佩を放ち、婦人は珠珥を放ち、夫婦は巷で哭き、三箇月竽琴の声が聞こえなかった。仲尼が死んでも、私は魯人が夫子を愛するのをどのようにしたか見ない。」子游は言った。「子産と夫子を譬えるなら、浸水と天雨のようです。浸水の至る所は生き、至らぬ所は死ぬ。これらの民の生は必ず時雨に頼る。すでにこれによって生きた後には、あの賜を愛する者はいない。ゆえに言う、子産と夫子を譬えるなら、浸水と天雨のようです。」

中行穆子圍鼓,鼓人有以城反者,不許,軍吏曰:“師徒不勤,可得城,奚故不受?”曰:“有以吾城反者,吾所甚惡也;人以城來,我獨奚好焉?賞所甚惡,有失賞也,若所好何?不賞,是失信也,奚以示民?”鼓人又請降,使人視之,其民尚有食也,不聽,鼓人告食盡力竭而後取之,克鼓而反,不戮一人。

中行穆子が鼓を囲んだ。鼓人に城を献じて反する者がいたが、許さなかった。軍吏は言った。「軍は労苦せず、城を得ることができます。どうして受けないのですか。」言った。「吾が城を以て反する者は、我の大いに悪む所です。人が城を以て来るのに、我独りどうして好もうか。大いに悪む所に賞せば、賞を失する。好む所にはどうするか。賞せなければ信を失う。何を以て民に示さん。」鼓人はまた降を請うた。人を遣わして見ると、そこの民にまだ食糧があった。聴かなかった。鼓人が糧尽き力竭きたと報じて後に攻め取った。鼓を克てて帰り、一人も殺さなかった。

孔子之楚,有漁者獻魚甚強,孔子不受,獻魚者曰:“天暑遠市賣之不售,思欲棄之,不若獻之君子。”孔子再拜受,使弟子掃除將祭之,弟子曰:“夫人將棄之,今吾子將祭之,何也?”孔子曰:“吾聞之,務施而不腐餘財者,聖人也,今受聖人之賜,可無祭乎?”

孔子が楚に至り、漁人が魚を献じて執拗だった。孔子は受けなかった。献魚の人は言った。「天が暑く市が遠く、売れません。これを捨てようと思いますが、君子に献ずるに及びません。」孔子は再拝して受け、弟子に掃除させて祭ろうとした。弟子は言った。「あの人はそれを捨てようとしたのに、いま吾子は祭ろうとする。何故ですか。」孔子は言った。「務めて施与し余りの財を腐らせない者は聖人だと聞く。いま聖人の賜を受けた。祭らずにおれようか。」

鄭伐宋,宋人將與戰,華元殺羊食士,其御羊斟不與焉,及戰,曰:“疇昔之羊羹,子為政;今日之事,我為政。”與華元馳入鄭師,宋人敗績。

鄭が宋を伐ち、宋人が交戦しようとした。華元が羊を殺して士に食わせたが、その御者羊斟はその中にいなかった。交戦に及び、言った。「日前の羊羹は、あなたが主だった。今日の事は、私が主だ。」華元と共に鄭の軍中に馳せ入り、宋人は大敗した。

楚王問莊辛曰:“君子之行奈何?”莊辛對曰:“居不為垣牆,人莫能毀傷;行不從周衛,人莫能暴君。此君子之行也。”楚王復問君子之富奈何?對曰:“君子之富,假貸人不德也,不責也;其食飲人不使也,不役也;親戚愛之,眾人喜之,不肖者事之;皆欲其壽樂而不傷於患。此君子之富也。”楚王曰善。

楚王が荘辛に問うた。「君子の行はどうあるべきか。」荘辛は答えた。「住んで垣墻を築かず、人は毀傷できない。出行して周密の衛に従わず、人は君に暴を施せない。これが君子の行です。」楚王はまた君子の富はどうあるべきか問うた。答えた。「君子の富は、人に貸しても自ら徳ありとせず、また責め求めない。人に飲食を与えても彼を役せず、また役させない。親戚は彼を愛し、衆人は彼を喜び、不肖の人は彼に仕える。皆彼の長寿安楽で禍患に傷られぬことを欲する。これが君子の富です。」楚王は善しとした。

丞相西平侯於定國者,東海下邳人也,其父號曰於公,為縣獄吏決曹掾;決獄平法,未嘗有所冤,郡中離文法者,於公所決,皆不敢隱情,東海郡中為於公生立祠,命曰於公祠。東海有孝婦,無子,少寡,養其姑甚謹,其姑欲嫁之,終不肯,其姑告鄰之人曰:“孝婦養我甚謹,我哀其無子,守寡日久,我老累丁壯奈何?”其後母自經死,母女告吏曰:“孝婦殺我母。”吏捕孝婦,孝婦辭不殺姑,吏欲毒治,孝婦自誣服,具獄以上府,於公以為養姑十年之孝聞,此不殺姑也,太守不聽,數爭不能得,於是於公辭疾去吏,太守竟殺孝婦。郡中枯旱三年,後太守至,卜求其故,於公曰:“孝婦不當死,前太守強殺之,咎當在此。”於是殺牛祭孝婦冢,太守以下自至焉,天立大雨,歲豐熟,郡中以此益敬重於公。於公築治廬舍,謂匠人曰:“為我高門,我治獄未嘗有所冤,我後世必有封者,令容高蓋駟馬車。”及子封為西平侯。

丞相西平侯于定国は東海下邳の人。その父は于公と号し、県の獄吏決曹掾を為した。獄を決め法を執ること平允で、かつて冤枉がなかった。郡中で文法に触れた者は、于公が判決すれば、皆実情を隠さなかった。東海郡中は于公に生きたまま祠を立て、名を于公祠といった。東海に孝婦がいて、子がなく年少で寡となり、姑を養うこと甚だ慎しかった。姑は彼女に再嫁させたいと思ったが、終始肯んじなかった。姑は隣人に告げて言った。「孝婦は私を養うこと甚だ慎しい。私は彼女が子なく寡の日が久しいのを哀れむ。私は老いて丁壮を累わしてどうしよう。」後に姑は自ら縊れて死んだ。婆家の娘が吏に告げて言った。「孝婦が我が母を殺しました。」吏は孝婦を捕え、孝婦は姑を殺していないと供したが、吏は毒刑で拷問しようとし、孝婦は自ら誣服した。獄案を具えて府に上報した。于公は姑を十年養って孝で聞こえた者は姑を殺す者ではないとしたが、太守は聴かず、屢々争うも得られず、そこで于公は病を称して吏職を辞した。太守はついに孝婦を殺した。郡中は三年枯旱した。後任の太守が至り、卜を問い故を求めた。于公は言った。「孝婦は死すべきでなかった。前任の太守は強いて彼女を殺した。咎はここにあるべきです。」そこで牛を殺して孝婦の墳を祭り、太守以下は自ら場に至った。天はたちまち大雨し、年は豊熟し、郡中はこれによっていっそう于公を敬重した。于公は房舍を脩築し、匠人に言った。「私のために門を高く造れ。私は獄を治めてかつて冤枉がなかった。私の後世は必ず封を受ける者がある。高い蓋の駟馬車を容れられるようにせよ。」子が封を受けて西平侯となった。

孟簡子相梁幷衛,有罪而走齊,管仲迎而問之曰:“吾子相梁幷衛之時,門下使者幾何人矣?”孟簡子曰:“門下使者有三千餘人。”管仲曰:“今與幾何人來?”對曰:“臣與三人俱。”仲曰:“是何也?”對曰:“其一人父死無以葬,我為葬之;一人母死無以葬,亦為葬之;一人兄有獄,我為出之。是以得三人來。”管仲上車曰:“嗟茲乎!我窮必矣,吾不能以春風風人;吾不能以夏雨雨人,吾窮必矣。”

孟簡子が梁と衛の相を為していたが、罪があり斉に逃げた。管仲が迎えて彼に問うた。「吾子が梁と衛の相であった時、門下の使者は何人いたか。」孟簡子は言った。「門下の使者は三千余人いました。」管仲は言った。「いま何人と来たか。」答えた。「臣は三人と来ました。」仲は言った。「これは何故か。」答えた。「その一人は父が死んで葬るものがなかったので、私が葬ってやりました。一人は母が死んで葬るものがなかったので、また葬ってやりました。一人は兄が獄にあったので、私が脱し出してやりました。これによって三人と来ることを得ました。」管仲は車に上がって言った。「嘆くべきかな!我が困窮は一定だ。我は春風で人を吹くことができず、夏雨で人を潤すことができない。我が困窮は一定だ。」

凡人之性,莫不欲善其德,然而不能為善德者,利敗之也;故君子羞言利名,言利名尚羞之,況居而求利者也。

およそ人の本性で、その徳を善ならしめたいと思わぬ者はいない。しかし善徳を成せないのは、利がこれを敗るからである。ゆえに君子は利と名を談ずるを恥とする。利と名を談ずるでさえ恥とする。いわんや安んじ居て利を求める者をや。

周天子使家父毛伯求金於諸侯,春秋譏之;故天子好利則諸侯貪,諸侯貪則大夫鄙,大夫鄙則庶人盜,上之變下,猶風之靡草也,故為人君者明貴德而賤利以道下,下之為惡,尚不可止;今隱公貪利而身自漁,濟上而行八佾,以此化於國人,國人安得不解於義,解於義而縱其欲,則災害起而臣下僻矣,故其元年始書螟,言災將起,國家將亂云爾。

周天子が家父・毛伯を遣わして諸侯に金を求めた。『春秋』はこれを譏刺した。ゆえに天子が利を好めば諸侯は貪り、諸侯が貪れば大夫は鄙陋になり、大夫が鄙陋なれば庶人は盗竊する。上が下を変えるは、風が草を倒すが如し。ゆえに人君たる者が徳を顕重し利を軽んじて下を導くのに、下が悪を為せばなお止められない。いま隠公は利を貪って自ら魚を打ち、名分を越えて八佾を用いた。これを以て国人を感化するなら、国人はどうして義に懈らずにおれよう。義に懈り欲を縦にすれば、災害は興り臣下は邪僻になる。ゆえにその元年に螟を記した。これは災害が将に興らんとし、国家が将に乱れんとすることを言う。ただこれのみ。

孫卿曰:“夫鬥者忘其身者也,忘其親者也,忘其君者也;行須臾之怒,而鬥終身之禍,然乃為之,是忘其身也;家室離散,親戚被戮,然乃為之,是忘其親也;君上之所致惡,刑法上所大禁也,然乃犯之,是忘其君也。今禽獸猶知近父母,不忘其親也;人而忘其身,內忘其親,上忘其君,是不若禽獸之仁也。凡鬥者皆自以為是而以他人為非,己誠是也,人誠非也,則是己君子而彼小人也;夫以君子而與小人相賊害,是人之所謂以狐亡補犬羊,身塗其炭,豈不過甚矣哉!以為智乎,則愚莫大焉;以為利乎,則害莫大焉;以為榮乎,則辱莫大焉;人之有鬥何哉?比之狂惑疾病乎,則不可面目人也,而好惡多同,人之鬥誠愚惑夫道者也。詩云:‘式號式呼,俾晝作夜’,言鬥行也。”

孫卿は言った。「争闘する者は身を忘れる者、両親を忘れる者、君を忘れる者である。片刻の怒を発して、終身の禍に争闘する。しかも為す。これは身を忘れることだ。家室が離散し親戚が殺される。しかも為す。これは両親を忘れることだ。君の上が力を致して悪む所、刑法の上が大いに禁ずる所に、しかも犯す。これは君を忘れることだ。いま禽獣でさえ父母に親しむことを知り、両親を忘れない。人は身を忘れ、内は両親を忘れ、上は君を忘れる。これは禽獣の仁にも及ばない。およそ争闘する者は皆自ら是として人を非とする。自ら果たして是で、人が果たして非なら、即ち自らを君子として相手を小人とする。君子と小人とを以て互いに賊害する。これは人の言う狐を以て犬羊を補い、身に炭を塗ることだ。あまりに過ぎないか!智とするか、ならば愚なることこれより大きなし。利とするか、ならば害なることこれより大きなし。栄とするか、ならば辱なることこれより大きなし。人に争闘あるは何故か。これを狂惑の疾病に比すか。しかし不可。面目はなお人であり、好悪は大多同じ。人の争闘は実に道に惑う者である。『詩経』に言う。『また号しまた呼び、昼を夜とせしむ』と。これは争闘の行を言う。」

子路持劍,孔子問曰:“由,安用此乎?”子路曰:“善,古者固以善之;不善,古者固以自衛。”孔子曰:“君子以忠為質,以仁為衛,不出環堵之內,而聞千里之外;不善以忠化寇,暴以仁圍,何必持劍乎?”子路曰:“由也請攝齊以事先生矣。”

子路が剣を持っていた。孔子が問うた。「由よ、どこにこれを用いるのか。」子路は言った。「善なる者は、古来これで善を成しました。善��らぬ者は、古来これで自衛しました。」孔子は言った。「君子は忠を以て質地とし、仁を以て護衛とする。環堵の内を出なくても、名は千里之外に聞こえる。善ならぬ者は忠で寇を感じ、暴なる者は仁で囲む。どうして剣を持つ必要があろう。」子路は言った。「由は襟を提げて先生に仕えることを請います。」

樂羊為魏將,以攻中山,其子在中山,中山縣其子示樂羊,樂羊不為衰志,攻之愈急,中山因烹其子而遺之,樂羊食之盡一杯,中山見其誠也,不忍與之戰,果下之,遂為魏文侯開地,文侯賞其功而疑其心。孟孫獵得麑,使秦西巴持歸,其母隨而鳴,秦西巴不忍,縱而與之,孟孫怒逐秦西巴,居一年召以為太子侍,左右曰:“夫秦巴有罪於君,今以為太子傅,何也?”孟孫曰:“夫以一麑而不忍,又將能忍吾子乎?故曰:‘巧詐不如拙誠’,樂羊以有功而見疑,秦西巴以有罪而益信;由仁與不仁也。”

楽羊が魏の将となり、中山を攻めに来た。その子は中山にいた。中山はその子を懸けて楽羊に見せたが、楽羊はこれによって志を衰えさせず、攻めはいっそう急だった。中山はそこでその子を烹って彼に送った。楽羊は一杯を食べ尽くした。中山は彼の誠を見て、彼と交戦するに忍びず、果たしてこれを攻め下した。そこで魏文侯のために土地を開拓した。文侯は彼の功を賞したがその心を疑った。孟孫が獵して麑を得、秦西巴に持ち帰らせた。その母はついて叫んだ。秦西巴は忍びず、放して彼に返した。孟孫は怒り秦西巴を逐った。一年過ぎて召して太子の侍従とした。左右は言った。「あの秦西巴は君に罪があります。いま彼を以て太子の傅とするは何故ですか。」孟孫は言った。「一つの麑にさえ忍びない者が、また我が子に忍ぶことができようか。ゆえに言う、巧詐は拙誠に及ばない、と。楽羊は功あって疑われ、秦西巴は罪あっていっそう信じられた。仁と不仁によるのです。」

智伯還自衛,三卿燕於藍臺,智襄子戲韓康子而侮段規,智果聞之諫曰:“主弗備難,難必至。”曰:“難將由我,我不為難,誰敢興之。”對曰:“異於是,夫郄氏有車轅之難,趙有孟姬之讒,欒有叔祁之訴,範中行有函冶之難,皆主之所知也。夏書有之曰:‘一人三失,怨豈在明,不見是圖。’周書有之曰:‘怨不在大,亦不在小。’夫君子能勤小物,故無大患;今主一謀而媿人君、相,又弗備,曰不敢興難,毋乃不可乎?嘻!不可不懼,蚋蟻蜂蠆皆能害人,況君相乎?”不聽,自是五年而有晉陽之難,段規反而殺智伯於師,遂滅智氏。

智伯が衛から帰り、三卿が藍台で宴飲した。智襄子が韓康子を戯弄し段規を侮辱した。智果はこれを聞き進諫して言った。「主が災難に備えなければ、災難は必ず至ります。」言った。「災難は我から将にある。我が難を為さねば、誰がこれを興さん。」答えた。「これと異なります。郄氏には車轅の難があり、趙には孟姫の讒言があり、欒には叔祁の訴えがあり、范・中行には函冶の難があり、皆主の知る所です。『夏書』に言あり。『一人に三度の過失あれば、怨はどこに明かなるか、見えぬ所こそ謀るべし。』『周書』に言あり。『怨は大にあらず、また小にあらず。』君子は小事物に勤勉なれば大患なし。いま主は一度謀りて人の君・相を辱め、また備えず、敢えて難を興さぬという。おそらく不可でしょう?噫!懼れざるべからず。蚋蟻蜂蠆も皆人を害する。いわんや君・相をや!」聴かず、これより五年にして晋陽の難あり、段規が反して軍中で智伯を殺し、そこで智氏を滅ぼした。

智襄子為室美,士茁夕焉,智伯曰:“室美矣夫!”對曰:“美則美矣,抑臣亦有懼也。”智伯曰:“何懼?”對曰:“臣以秉筆事君,記有之曰:高山浚源,不生草木,松柏之地,其土不肥,今土木勝,人臣懼其不安人也。”室成三年而智氏亡。

智襄子が居室を華美に作った。士茁が夕方そこにいた。智伯は言った。「居室は美しいな!」答えた。「美しいには美しいが、臣にも懼れることがあります。」智伯は言った。「何を懼れるのか。」答えた。「臣は筆を執りて君に仕えます。記に言あり。『高山深源には草木を生ぜず、松柏の地はその土肥えず』と。いま土木が勝れました。人臣はそれが人を安んじられないことを懼れます。」居室が成って三年にして智氏は滅びた。

卷六復恩

巻六 復恩

孔子曰:“德不孤,必有鄰。”夫施德者貴不德,受恩者尚必報;是故臣勞勤以為君而不求其賞,君持施以牧下而無所德,故易曰:“勞而不怨,有功而不德,厚之至也。”君臣相與以市道接,君縣祿以待之,臣竭力以報之;逮臣有不測之功,則主加之以重賞,如主有超異之恩,則臣必死以復之。孔子曰:北方有獸,其名曰蟨,前足鼠,後足兔,是獸也,甚矣其愛蛩蛩巨虛也,食得甘草,必齧以遺蛩蛩巨虛,蛩蛩巨虛見人將來,必負蟨以走,蟨非性之愛蛩蛩巨虛也,為其假足之故也,二獸者亦非性之愛蟨也,為其得甘草而遺之故也。夫禽獸昆蟲猶知比假而相有報也,況於士君子之慾與名利於天下者乎!夫臣不復君之恩而苟營其私門,禍之源也;君不能報臣之功而憚刑賞者,亦亂之基也。夫禍亂之原基,由不報恩生矣。

孔子は言った。「徳は孤ならず、必ず隣あり。」徳を施す者は自ら徳ありとせぬを重んじ、恩を受ける者は必ず報いるを崇ぶ。ゆえに臣は労苦勤勉して君のためにすれどもその賞を求めず、君は施与を持って下を牧養して自ら徳ありとする所なし。ゆえに『周易』に言う。「労苦して怨まず、功ありて自ら徳ありとせずは、厚の極なり。」君臣は互いに市道を以て交接する。君は俸禄を懸けて待ち、臣は力を竭して報いる。臣に測度し難い功あれば、主は重賞を加え、主に超異の恩あれば、臣は必ず死を以て報いる。孔子は言った。北方に獣あり、名を蟨という。前足は鼠に似て後足は兎に似る。この獣は、蛩蛩巨虚を愛すること甚だしい。甘草を食えば、必ず咬みて蛩蛩巨虚に残し、蛩蛩巨虚は人が将に来らんとするを見れば、必ず蟨を負いて走る。蟨は本性で蛩蛩巨虚を愛するのではなく、それが脚を借る故であり、あの二獣も本性で蟨を愛するのではなく、それが甘草を得て彼らに残す故である。禽獣昆虫でさえ互いに凭藉して報いることを知る。いわんや士君子の天下に名利を求めんとする者をや!臣が君の恩に報いず苟且に己の私門を営むは、禍の源である。君が臣の功に報いず刑賞を用いるを怕れるも、乱の基である。禍乱の源と基は、恩に報いぬことから生ずる。

趙襄子見圍於晉陽,罷圍,賞有功之臣五人,高赫無功而受上賞,五人皆怒,張孟談謂襄子曰:“晉陽之中,赫無大功,今與之上賞,何也?”襄子曰:“吾在拘厄之中,不失臣主之禮唯赫也。子雖有功皆驕,寡人與赫上賞,不亦可乎?”仲尼聞之曰:“趙襄子可謂善賞士乎!賞一人而天下之人臣,莫敢失君臣之禮矣。”

趙襄子が晋襄子が晋陽で囲まれ、囲が解けた後、功ある臣五人を賞した。高赫は功ないのに上賞を受け、五人は皆怒った。張孟談が襄子に言った。「晋陽の中で、赫に大功はありません。いま彼に上賞を与えるは何故ですか。」襄子は言った。「我が拘困の中で、臣主の礼を失わなかったのは赫のみ。お前たちは功あっても皆驕る。寡人が赫に上賞するは、よくないか。」仲尼はこれを聞いて言った。「趙襄子は善く士を賞すと称すべきだ!一人を賞して天下の人臣、敢えて君臣の礼を失う者なくなった。」

晉文公亡時,陶叔狐從,文公反國,行三賞而不及陶叔狐,陶叔狐見咎犯曰:“吾從君而亡十有三年,顏色黎黑,手足胼胝,今君反國行三賞而不及我也,意者君忘我與!我有大故與!子試為我言之君。”咎犯言之文公,文公曰:“嘻,我豈忘是子哉!夫高明至賢,德行全誠,耽我以道,說我以仁,暴浣我行,昭明我名,使我為成人者,吾以為上賞;防我以禮,諫我以誼,蕃援我使我不得為非,數引我而請於賢人之門,吾以為次賞;夫勇壯強御,難在前則居前,難在後則居後,免我於患難之中者,吾又以為之次。且子獨不聞乎?死人者,不如存人之身;亡人者,不如存人之國;三行賞之後,而勞苦之士次之,夫勞苦之士,是子固為首矣,豈敢忘子哉!”周內史叔輿聞之曰:“文公其霸乎!昔聖王先德而後力,文公其當之矣,詩云:‘率履不越’,此之謂也。”晉文公入國,至於河,令棄籩豆茵席,顏色黎黑,手足胼胝者在後,咎犯聞之,中夜而哭,文公曰:“吾亡也十有九年矣,今將反國,夫子不喜而哭,何也?其不欲吾反國乎?”對曰:“籩豆茵席,所以官者也,而棄之;顏色黎黑,手足胼胝,所以執勞苦,而皆後之;臣聞國君蔽士,無所取忠臣;大夫蔽遊,無所取忠友;今至於國,臣在所蔽之中矣,不勝其哀,故哭也。”文公曰:“禍福利害不與咎氏同之者,有如白水!”祝之,刀沈璧而盟。介子推曰:“獻公之子九人,唯君在耳,天未絕晉,必將有主,主晉祀者非君而何?唯二三子者以為己力,不亦誣乎?”文公即位,賞不及推,推母曰:“盍亦求之?”推曰:“尤而效之,罪又甚焉。且出怨言,不食其食。”其母曰:“亦使知之。”推曰:“言,身之文也;身將隱,安用文?”其母曰:“能如是,與若俱隱。

晋文公が出亡した時、陶叔狐が従った。文公が国に帰り、三度賞を行ったが陶叔狐に及ばなかった。陶叔狐は咎犯に見えて言った。「私は君に従って出亡し十有三年、顔色は黎黑し手足に繭が生じた。いま君が国に帰り三度賞を行ったが私に及ばない。思うに君は私を忘れたか!私に大過失があるか!あなたは試みに私のために君に言ってください。」咎犯が文公に言った。文公は言った。「噫、我がどうしてこの人を忘れよう!高明至賢で、徳行は完全にして誠、道を以て我を沉浸させ、仁を以て我を説き、我が行を洗濯し、我が名を顕揚し、我を成人たらしめた者は、我は上賞とす。礼を以て我を防護し、誼を以て我に進諫し、蕃殖して我を援助して我に非を為さしめず、屢々我を導いて賢人の門に請う者は、我は次賞とす。勇壮強禦で、難が前にあれば前に居り、難が後にあれば後に居り、我を患難の中より免れしめた者は、我はまた次とす。さらにあなたは聞かないのか。人を死なせるは、人の身を存するに及ばず。人を逃亡させるは、人の国を存するに及ばず。三度賞を行った後、労苦の士が続く。あの労苦の士は、この人はもともと首となる者だ。どうしてあなたを忘れよう!」周内史叔輿はこれを聞いて言った。「文公は覇を称すだろう!昔の聖王は徳を先にして力を後にした。文公はほぼこれに当たる。『詩経』に言う。『礼に循いて越えず』と。これを言う。」晋文公が国境に入り、河に至り、籩豆茵席を棄てよと命じた。顔色黎黑・手足生繭の者は後に置かれた。咎犯はこれを聞き、夜半に哭いた。文公は言った。「我の出亡も十有九年だ。いま国に帰ろうとするに、夫子は喜悦せず哭く。何故か。私が国に帰るを思わぬのか。」答えた。「籩豆茵席は、官を為すに用いるものですが、それを棄てました。顔色黎黑・手足生繭は、労苦を執るに用いるものですが、皆後に置かれました。臣が聞くに、国君が士を蔽えば忠臣を取る由なし、大夫が交游を蔽えば忠友を取る由なし。いま国に至り、臣は蔽われる中にあります。あの哀痛に堪えず、ゆえに哭きます。」文公は言った。「禍福利害が咎氏と同じからぬ者は、白水を以て証とせん!」祝禱し、刀を以て璧を沈めて盟した。介子推は言った。「献公の子は九人、君のみ在り。天は晋を絶たず、必ず主があらん。晋の祭祀を主るは君でなくて誰か。ただ二三人が己の力とするは、誣妄ではないか。」文公が即位し、賞が推に及ばなかった。推の母は言った。「どうして求めないのか。」推は言った。「責めてそれを傚うは、罪がまた甚しい。さらに怨言を出して、その食を食むべきでない。」その母は言った。「彼に知らせもせよ。」推は言った。「言は身の文飾。身は将に隠れんとする。どこに文飾を用いよう。」その母は言った。「このようになら、あなたと共に隠れよう。」

”至死不復見推,從者憐之,乃懸書宮門曰:“有龍矯矯,頃失其所,五蛇從之,周遍天下,龍飢無食,一蛇割股,龍反其淵,安其壤土,四蛇入穴,皆有處所,一蛇無穴,號於中野。”文公出見書曰:“嗟此介子推也。吾方憂王室未圖其功。”使人召之則亡,遂求其所在,聞其入綿上山中。於是文公表綿上山中而封之,以為介推田,號曰介山。

死まで再び現れなかった。推の従者は彼を憐れみ、そこで宮門に文書を懸けて言った。「竜あり矯々として、頃刻に居を失う。蛇五條従い、天下を走り遍す。竜は飢えて食なく、一蛇が股を割く。竜は深淵に返り、その壤土を安んず。蛇四條穴に入り、皆処所有り。一蛇は穴なく、曠野に号哭す。」文公が出て文書を見て言った。「これは介子推か。我は王室を憂えてまだ彼の功を謀っていなかった。」人を遣わして召したがすでに逃亡していた。そこで彼の在所を求め、彼が綿上山中に入ったと聞いた。そこで文公は綿上山中を表して封とし、介推の田として、号を介山という。

晉文公出亡,周流天下,舟之僑去虞而從焉,文公反國,擇可爵而爵之,擇可祿而祿之,舟之僑獨不與焉,文公酌諸大夫酒,酒酣,文公曰:“二三子盍為寡人賦乎?”舟之僑曰:“君子為賦,小人請陳其辭,辭曰:有龍矯矯,頃失其所;一蛇從之,周流天下,龍反其淵,安寧其處,一蛇耆幹,獨不得其所。”文公瞿然曰:“子欲爵耶?請待旦日之期;子欲祿邪?請今命廩人。”舟之僑曰:“請而得其賞,廉者不受也;言盡而名至,仁者不為也。今天油然作云,沛然下雨,則曲草興起,莫之能御。今為一人言施一人,猶為一塊土下雨也,土亦不生之矣。”遂歷階而去。文公求之不得,終身誦甫田之詩。

晋文公が出亡し、天下を周流した。舟之僑は虞を離れて従った。文公が国に帰り、爵を賜うべき者を択んで爵を賜い、禄を給すべき者を択んで禄を給したが、舟之僑は独りその中にいなかった。文公は諸大夫に酒を斟った。酒が暢快に至り、文公は言った。「二三子は寡人に賦をしなければならぬ。」舟之僑は言った。「君子は賦を為し、小人は文辞を陳することを請う。文辞に言う、竜あり矯々として、頃刻に居を失う。一蛇従い、天下を周流す。竜は深淵に返り、その処所を安寧す。一蛇は躯を老やし、独りその所を得ず。」文公は驚いて見て言った。「あなたは爵が欲しいか。明日を待て。あなたは禄が欲しいか。いま倉を管る者に命じよう。」舟之僑は言った。「請うて賞を得るは、廉の者の受ける所にあらず。言を尽くして名至るは、仁者の為す所にあらず。いま天は油然と雲を興し、沛然と雨を下せば、曲がる草も興り、能く禦ぐ者なし。いま一人のために言を為して一人に施すは、一つの土のために雨する如く、土もまた生じません。」そこで階を蹴って去った。文公は彼を求めて得られず、終身『甫田』の詩を誦した。

邴吉有陰德於孝宣皇帝微時,孝宣皇帝即位,眾莫知,吉亦不言,吉從大將軍長史轉遷至御史大夫,宣帝聞之,將封之,會吉病甚,將使人加紳而封之,及其生也,太子太傅夏侯勝曰:“此未死也,臣聞之,有陰德者必饗其樂以及其子孫;今此未獲其樂而病甚,非具死病也。”後病果愈,封為博陽侯,終饗其樂。

邴吉は孝宣皇帝が微賤の時に陰徳があった。孝宣皇帝が即位しても、衆人は知る者なく、吉も言わなかった。吉は大将軍長史より御史大夫に転遷した。宣帝はこれを聞き、彼を封じようとしたが、ちょうど吉が重病だった。人を遣わして紳帯を加えて封じ、彼の生きているうちにしようとした。太子太傅夏侯勝は言った。「これはまだ死ではない。臣が聞くに、陰徳ある者は必ずその楽を享けて子孫に延びる。いまこの人はまだ楽を得ず重病なり。死すべき病にあらず。」後に病は果たして愈え、博陽侯に封じられ、終にその楽を享けた。

魏文侯攻中山,樂羊將,已得中山,還反報文侯,有喜功之色,文侯命主書曰:“群臣賓客所獻書操以進。”主書者舉兩篋以進,令將軍視之,盡難中山之事也,將軍還走北面而再拜曰:“中山之舉也,非臣之力,君之功也。”

魏文侯が中山を攻め、楽羊を将とした。すでに中山を得て帰り文侯に報じると、功を誇る色があった。文侯は主書に命じた。「群臣賓客が献じた書を取って進上せよ。」主書は箱二つを挙げて進上し、将軍に見せた。すべて中山を攻めるを責難する事だった。将軍は退き北に向かい再拝して言った。「中山の攻取は、臣の力にあらず、君の功です。」

平原君既歸趙,楚使春申君將兵救趙,魏信陵君亦矯奪晉鄙軍往救趙,未至,秦急圍邯鄲,邯鄲急且降,平原君患之,邯鄲傳舍吏子李談謂平原君曰:“君不憂趙亡乎?”平原君曰:“趙亡即勝虜,何為不憂?”李談曰:“邯鄲之民,炊骨易子而食之,可謂至困;而君之後宮數百,婦妾荷綺縠,廚餘粱肉;士民兵盡,或剡木為矛戟;而君之器物鐘磬自恣,若使秦破趙,君安得有此?使趙而全,君何患無有?君誠能令夫人以下,編於士卒間,分工而作之,家所有盡散以饗食士,方其危苦時易為惠耳。”於是平原君如其計,而勇敢之士三千人皆出死,因從李談赴秦軍,秦軍為卻三十里,亦會楚魏救至,秦軍遂罷。李談死,封其父為孝侯。

平原君がすでに趙に帰り、楚は春申君を遣わして兵を率い趙を救い、魏の信陵君も命令を假託して晋鄙の軍を奪い趙を救いに行った。まだ至らぬうち、秦は急いで邯鄲を囲み、邯鄲は危急で降ろうとした。平原君は憂えた。邯鄲の伝舍吏の子李談が平原君に言った。「君は趙の亡を憂えませんか。」平原君は言った。「趙が亡びれば俘となる。どうして憂えぬか。」李談は言った。「邯鄲の民は、骨を以て薪とし、子女を交換して食む。困の極と言えます。しかるに君の後宮は数百人、婦妾は綺縠を着、廚房には粱肉が余る。士民は兵器を尽くし、ある者は木を削って矛戟を為す。しかるに君の器物鐘磬は自ら縦にする。もし秦に趙を破られれば、君はどうしてまたこれを持たん。もし趙が全うされば、君は何を患えて無からん。君が果たして夫人以下を士卒の中に編み、労作を分派し、家の所有を尽数散じて士に食わせれば、危苦の時に当たり恩を為し易し。」そこで平原君はその計に従い、勇敢の士三千人は皆出て死を決した。そこで李談に従い秦軍に赴くと、秦軍はこれによって三十里退却した。ちょうど楚・魏の救兵が至るに及び、秦軍はそこで止まった。李談は死に、その父を孝侯に封じた。

秦繆公嚐出,而亡其駿馬,自往求之,見人已殺其馬,方共食其肉,繆公謂曰:“是吾駿馬也。”諸人皆懼而起,繆公曰:“吾聞食駿馬肉,不飲酒者殺人。”即以次飲之酒,殺馬者皆慚而去。居三年,晉攻秦繆公,圍之,往時食馬肉者,相謂曰:“可以出死報食馬得酒之恩矣。”遂潰圍。繆公卒得以解難,勝晉獲惠公以歸,此德出而福反也。

秦繆公はかつて出行して駿馬を失い、自ら往きて尋ね、人がすでにその馬を殺し、共にその肉を食うのを見た。繆公は言った。「これは我が駿馬だ。」その人々は皆怕れて起ち上がった。繆公は言った。「我が聞くに、駿馬の肉を食って酒を飲まぬは人を死なせる。」そこで次いで彼らに酒を飲ませた。馬を殺した人々は皆愧じて去った。三年過ぎ、晋が秦繆公を攻め、彼を囲んだ。昔馬肉を食った人々は相言った。「出て死して馬を食って酒を得た恩に報いるべし。」そこで囲を衝破した。繆公は終に難を解き、晋に勝ち惠公を俘にして帰った。これは徳が出でて福が返ったものだ。

楚莊王賜群臣酒,日暮酒酣,燈燭滅,乃有人引美人之衣者,美人援絕其冠纓,告王曰:“今者燭滅,有引妾衣者,妾援得其冠纓持之,趣火來上,視絕纓者。”王曰:“賜人酒,使醉失禮,奈何欲顯婦人之節而辱士乎?”乃命左右曰:“今日與寡人飲,不絕冠纓者不歡。”群臣百有餘人皆絕去其冠纓而上火,卒盡歡而罷。居三年,晉與楚戰,有一臣常在前,五合五奮,首卻敵,卒得勝之,莊王怪而問曰:“寡人德薄,又未嘗異子,子何故出死不疑如是?”對曰:“臣當死,往者醉失禮,王隱忍不加誅也;臣終不敢以蔭蔽之德而不顯報王也,常願肝腦塗地,用頸血湔敵久矣,臣乃夜絕纓者。”遂敗晉軍,楚得以強,此有陰德者必有陽報也。

楚荘王が群臣に酒を賜った。天が暮れ酒が暢快に至り、灯燭が滅した。そこに美人の衣を引く者あり、美人はその冠纓を絶ち、王に告げて言った。「さきほど燭が滅び、妾の衣を引く者あり、妾はその冠纓を絶ち得て持っています。速く火を取りて、その冠纓を絶たれた者を見てください。」王は言った。「人に酒を賜い、彼を醉わせて礼を失わせた。どうして婦人の節を顕して士を辱めようか。」そこで左右に命じて言った。「今日寡人と飲酒し、冠纓を絶たぬ者は歡ばず。」群臣百余人は皆冠纓を絶ちて後に火を上げ、終に歡を尽くして罷んだ。三年過ぎ、晋と楚が交戦した。ある臣が常に前にあり、五度会合し五度奮進し、先に敵を退け、終に勝ちを得た。荘王は怪しんで問うた。「寡人は徳薄く、またかつて特にあなたに遇していない。あなたは何故このように死を出して疑わぬのか。」答えた。「臣は死すべきです。昔醉いて礼を失い、王は隠忍して誅を加えませんでした。臣は終始敢えて蔭蔽の徳を以て王に明かに報いずにおらず、常に肝脳を地に塗り、頸上の血を敵に濺がんことを願って久しい。臣は即ち夜に冠纓を絶たれた者です。」そこで晋軍を敗り、楚は強を得た。これは陰徳ある者に必ず陽報あるものだ。

趙宣孟將上之絳,見翳桑下有臥餓人不能動,宣孟止車為之下,餐自含而餔之,餓人再咽而能食,宣孟問:“爾何為飢若此?”對曰:“臣居於絳,歸而糧絕,羞行乞而憎自致,以故至若此。”宣孟與之壺餐,脯二胊,再拜頓首受之,不敢食,問其故,對曰:“曏者食之而美,臣有老母,將以貢之。”宣孟曰:“子斯食之,吾更與汝。”乃復為之簞食,以脯二束與錢百。去之絳,居三年,晉靈公欲殺宣孟,置伏士於房中,召宣孟而飲之酒,宣孟知之,中飲而出,靈公命房中士疾追殺之,一人追疾,既及宣孟,向宣孟之面曰:“今固是君邪!請為君反,死。”宣孟曰:“子名為誰?”及是且對曰:“何以名為?臣是夫桑下之餓人也。”遂鬥,而死,宣孟得以活,此所謂德惠也。故惠君子,君子得其福;惠小人,小人盡其力;夫德一人活其身,而況置惠於萬人乎?故曰德無細,怨無小,豈可無樹德而除怨,務利於人哉!利施者福報,怨往者禍來,形於內者應於外,不可不慎也,此書之所謂德無小者也。詩云:“赳赳武夫,公侯干城。”“濟濟多士,文王以寧。”人君胡可不務愛士乎!

趙宣孟が絳に上ろうとして、翳桑の下に倒れて動けない飢えた人を見た。宣孟は車を停めて彼のために下り、飯を自分の口に含んで彼に食わせた。飢人は二度咽んで食べることができた。宣孟は問うた。「お前はどうしてこんなに飢えたのか。」答えた。「臣は絳に住み、帰ると食糧が絶えました。乞うことを恥じ、自ら死を求めるを憎み、これによってこうなりました。」宣孟は彼に壺餐、干肉二胊を与えた。再拝叩頭して受けたが、敢えて食べなかった。故を問うと答えた。「さきほど食べて美しいと思いました。臣に老母がいるので、これを以て進献しようと思います。」宣孟は言った。「お前はこれを食べよ。私がまた与えよう。」そこでまた彼に飯一簞、干肉二束と銭百を与えた。去って絳に至った。三年過ぎ、晋靈公は宣孟を殺そうと思い、房中に武士を埋伏させ、宣孟を召して酒を飲ませた。宣孟はこれを知り、半ば飲んで出た。靈公は房中の士に速く追い殺せと命じた。一人が追うこと速く、すでに宣孟に及んだ。宣孟の顔に向かって言った。「いま果たして君か!君のために返りて死なん。」宣孟は言った。「お前の名は誰か。」この時に至って初めて答えた。「名を要して何を為す。臣は即ちあの桑下の餓人です。」そこで搏闘して死に、宣孟は活きることを得た。これがいわゆる徳恵である。ゆえに君子に恵を施せば君子は福を得、小人に恵を施せば小人はその力を尽くす。一人に徳を施せば自身を活かす。いわんや恵を万人に置くをや!ゆえに言う、徳は微細なし、怨は微小なし。どうして徳を樹てず怨を除くことができよう。務めて人に利あるべきか!利を施し出せば福が来て報い、怨を送り出せば禍が至る。内に形成するは外に応験す。慎まざるべからず。これが書に言う徳は小なきものだ。『詩経』に言う。「赳赳たる武夫は、公侯の扞衛。」「賢士は済済として多く、文王はこれによって寧んず。」人君はどうして士を愛することを務めなくてよかろうか!

孝景時,吳楚反,袁盎以太常使吳,吳王欲使將不肯,欲殺之,使一都尉以五百人圍守盎;盎為吳相時,從史與盎侍兒私通,盎知之不洩,遇之如故人,有告從史,從史懼亡歸,盎自追,遂以侍兒賄之,復為從史。及盎使吳見圍守,從史適為守盎校司馬,夜引盎起曰:“君可以去矣,吳王期旦日斬君。”盎不信,曰:“公何為者也?”司馬曰:“臣故為君從史盜侍兒者也。”盎乃敬對曰:“公見親,吾不足以累公。”司馬曰:“君去,臣亦且亡避,吾親君,何患!”乃以刀決帳,率徒卒道出,令皆去,盎遂歸報。

孝景の時、呉・楚が反した。袁盎は太常として呉に使いした。呉王は彼を将にしようとしたが肯んじず、彼を殺そうとして、一都尉を遣わして五百人で盎を囲守させた。盎が呉相の時、従史が盎の侍児と私通していた。盎はこれを知っても洩らさず、彼を遇すること前の人の如くだった。ある人が従史に告げ、従史は怕れて逃げ帰った。盎は自ら追い、そこで侍児を彼に賜い、再び従史とした。盎が呉に使いして囲守された時、従史はちょうど盎を守る校司馬を為していた。夜に盎を引き起こして言った。「君は去るべきです。呉王は明日君を斬ると約しました。」盎は信じず、言った。「公は何を為す者か。」司馬は言った。「臣は昔、君の従史で、侍児を偸んだ者です。」盎はそこで敬して答えた。「公は親しく遇せられている。私は公を累わすに足らぬ。」司馬は言った。「君が去れば、臣もまた逃亡し避けます。私は君に親しい。何を怕れよう!」そこで刀を以て帳幕を割き、徒卒を率いて道路より出て、彼らを皆去らせた。盎はそこで帰りて報じた。

智伯與趙襄子戰於晉陽下而死,智伯之臣豫讓者怒,以其精氣能使襄主動心,乃漆身變形,吞炭更聲,襄主將出,豫讓偽為死人,處於梁下,駟馬驚不進,襄主動心,使使視梁下得豫讓,襄主重其義不殺也。又盜,為抵罪,被刑人赭衣,入繕宮,襄主動心,則曰必豫讓也,襄主執而問之曰:“子始事中行君,智伯殺中行君,子不能死,還反事之;今吾殺智伯,乃漆身為癘,吞炭為啞,欲殺寡人,何與先行異也?”豫讓曰:“中行君眾人畜臣,臣亦眾人事之;智伯朝士待臣,臣亦朝士為之用。”襄子曰:“非義也?子壯士也!”乃自置車庫中,水漿毋入口者三,日以禮豫讓,讓自知,遂自殺也。

智伯と趙襄子が晋陽下で交戦して死んだ。智伯の臣豫譲は怒り、彼の精気が襄主の心を動かせるとした。そこで身に漆を塗って形貌を変え、炭を呑んで声音を変えた。襄主が出行しようとし、豫譲は死人を装い橋下に処った。駟馬が驚懼して進まず、襄主は心を動かし、人を遣わして橋下を看ると豫譲を得た。襄主は彼の義を重んじて殺さなかった。また盗竊して罪に抵当し、刑人の赭衣を着て宮殿を修繕する中に入った。襄主は心を動かし、必ず豫譲だと言い、襄主は彼を捉えて問うた。「お前は初め中行君に仕え、智伯が中行君を殺した。お前は死ぬことができず、反って彼に仕えた。いま我が智伯を殺したのに、お前は身に漆を塗って癩を成し、炭を呑んで唖を成し、寡人を殺そうとする。先前の行と何故異なるのか。」豫譲は言った。「中行君は衆人として臣を畜い、臣もまた衆人として彼に仕えました。智伯は朝士として臣に遇し、臣もまた朝士として彼に力を效しました。」襄子は言った。「義ではないか。お前は壮士だ!」そこで自ら車庫の中に置き、水漿が口に入らぬこと三度、日に従い礼を以て豫譲に遇し、自らを以て知らしめ、そこで自殺した。

晉逐欒盈之族,命其家臣有敢從者死,其臣曰:“辛俞從之。”吏得而將殺之,君曰:“命汝無得從,敢從何也?”辛俞對曰:“臣聞三世仕於家者君之,二世者主之;事君以死,事主以勤,為之賜之多也。今臣三世於欒氏,受其賜多矣,臣敢畏死而忘三世之恩哉?”晉君釋之。

晋が欒盈の族を逐い、その家臣に敢えて従う者は処刑すと命じた。その臣は言った。「辛兪は従います。」吏が彼を捉えて殺そうとした。君は言った。「お前に従うなと命じたのに、敢えて従うは何故か。」辛兪は答えた。「臣が聞くに、三世大夫の家に官する者は彼を君とし、二世は彼を主とします。君に仕えるは死を以てし、主に仕えるは勤を以てす。彼の賜予が多いからです。いま臣は三世欒氏におり、彼の賜予を受けること多い。臣は敢えて死を怕れて三世の恩を忘れようか。」晋君は彼を釈放した。

留侯張良之大父開地相韓昭侯、宣惠王、襄哀王。父平相釐王、悼惠王。悼惠王二十三年平卒,二十歲秦滅韓,良年少未宦事韓。韓破,浪家童三百人,弟死不葬,良悉以家財求刺客刺秦王,為韓報仇,以大父、父,五世相韓故,遂學禮淮陽,東見滄海君,得力士為鐵椎,重百二十斤,秦皇帝東遊,良與客狙擊秦皇帝於博浪沙,誤中副車,秦皇帝大怒,大索天下,求購甚急,良更易姓名,深亡匿,後卒隨漢報秦。

留侯張良の祖父開地は韓昭侯・宣惠王・襄哀王の相を為した。父平は釐王・悼惠王の相を為した。悼惠王二十三年に平が卒し、二十年過ぎて秦が韓を滅ぼした。良は年少でまだ官して韓に仕えなかった。韓が破れ、良の家は童僕三百人あった。弟が死んでも葬らず、良は家財を尽数して刺客を求め秦王を刺し、韓のために讐を報いようとした。祖父・父が五世韓の相であった故である。そこで淮陽で礼を学び、東に滄海君を見、力士を得て鉄椎を作らせた。重さ百二十斤。秦皇帝が東遊し、良と門客が博浪沙で秦皇帝を狙撃したが、誤って副車に中った。秦皇帝は大いに怒り、天下で大いに索し、賞を懸けて購うこと甚だ急だった。良は姓名を改換し、深く逃亡し藏匿し、後に終に漢に従って秦に報復した。

鮑叔死,管仲舉上衽而哭之,泣下如雨,從者曰:“非君父子也,此亦有說乎?”管仲曰:“非夫子所知也,吾嘗與鮑子負販於南陽,吾三辱於市,鮑子不以我為怯,知我之慾有所明也;鮑子嘗與我有所說王者,而三不見聽,鮑子不以我為不肖,知我之不遇明君也;鮑子嘗與我臨財分貨,吾自取多者三,鮑子不以我為貪,知我之不足於財也。生我者父母,知我者鮑子也。士為知己者死,而況為之哀乎!”

鮑叔が死んだ。管仲は衣襟を提げて彼を哭き、涙は雨の如く落ちた。従者は言った。「君の父子でないのに、これにも説法がありますか。」管仲は言った。「夫子の知る所能にあらず。私はかつて鮑子と南陽で荷を負いて販った。私は三度市で辱を受けたが、鮑子は私を怯とせず、私が顕明せんと欲するを知っていた。鮑子はかつて私と王者に遊説し、三度聴かれなかったが、鮑子は私を不肖とせず、私が明君に遇わぬを知っていた。鮑子はかつて私と財物に臨み貨利を分かち、私は自ら多取すること三度だったが、鮑子は私を貪とせず、私の財用の足らぬを��っていた。私を生んだのは父母、私を知るのは鮑子だ。士は己を知る者のために死す。いわんや彼のために哀痛せんをや!」

晉趙盾舉韓厥,晉君以為中軍尉;趙盾死,子朔嗣為卿。至景公三年,趙朔為晉將,朔取成公姊為夫人,大夫屠岸賈,欲誅趙氏,初趙盾在夢見叔帶持龜要而哭甚悲,已而笑拊手且歌,盾卜之占,垂絕而後好,趙史援占曰:此甚惡非君之身,及君之子,然亦君之咎也。至子趙朔,世益衰,屠岸賈者,始有寵於靈公,及至於晉景公,而賈為司寇,將作難,乃治靈公之賊以至,趙盾遍告諸將曰:“趙穿弒靈公,盾雖不知猶為首賊,臣殺君,子孫在朝,何以懲罪,請誅之!”韓厥曰:“靈公遇賊,趙盾在外,吾先君以為無罪,故不誅;今諸君將誅其後,是非先君之意而後妄誅;妄誅謂之亂臣,有大事而君不聞,是無君也。”屠岸賈不聽,厥告趙朔趨亡,趙朔不肯,曰:“子必不絕趙祀,朔死且不恨。”韓厥許諾,稱疾不出,賈不請而擅與諸將攻趙氏於下宮,殺趙朔、趙括。趙嬰齊,皆滅其族;朔妻成公姊有遺腹,走公宮匿,後生男乳,朔客程嬰持亡匿山中,居十五年,晉景公疾,卜之曰:“大業之後不遂者為祟。”景公疾問韓厥,韓厥知趙孤在,乃曰:“大業之後,在晉絕祀者,其趙氏乎!夫自中行衍皆嬴姓也,中衍人面鳥喙,降佐殷帝太戊及周天子,皆有明德,下及幽厲無道,而叔帶去周適晉,事先君文侯,至於成公,世有立功,未嘗有絕祀;今及吾君獨滅之,趙宗國人哀之,故見龜策,唯君圖之。”景公問曰:“趙尚有後子孫乎?”韓厥具以實對,於是景公乃與韓厥謀立趙孤兒,召而匿之宮中,諸將入問疾,景公因韓厥之眾,以脅諸將而見趙孤,孤名曰武,諸將不得已乃曰:“昔下官之難屠岸賈為之,矯以君令,幷命群臣,非然孰敢作難,微君之疾,群臣固且請立趙後,今君有令,群臣之願也。”於是召趙武、程嬰遍拜諸將軍,將軍遂返與程嬰趙武攻屠岸賈,滅其族,復與趙武田邑如故。

晋の趙盾は韓厥を挙薦し、晋君は彼を以て中軍尉とした。趙盾が死に、子朔が嗣ぎ卿となった。景公三年に至り、趙朔は晋の将となり、朔は成公の姉を娶って夫人とした。大夫屠岸賈は趙氏を誅殺せんと欲した。初め趙盾は夢で叔帯が亀の腰を握りて哭くこと甚だ悲しきを見、随いて笑い手を拊りて歌った。盾はこの夢を卜い、占辞は将に絶えんとして後に好転すとあった。趙の史援が占して言った。これは甚だ悪い。君の身にあらず、君の子に至る。しかしまた君の咎である。子趙朔に至り、世道はいよいよ衰えた。屠岸賈は初め靈公の所で寵があった。晋景公に及び、賈は司寇を為し、難を発せんとして、そこで靈公の賊を追究して此に至った。趙盾は諸将に遍く告げて言った。「趙穿が靈公を弑した。盾は知らざるもなお首の賊なり。臣が君を殺し、子孫は朝に在り。何を以て罪を懲らさん。誅殺を請う!」韓厥は言った。「靈公が賊に遇い、趙盾は外に在り。我らの先君は罪なしとし、ゆえに誅せず。いま諸君はその後を誅殺せんとする。これは先君の意にあらずして後に妄りに誅す。妄誅を乱臣という。大事あって君に聞こえざるは、君なきに同じ。」屠岸賈は聴かなかった。厥は趙朔に速く逃亡せよと告げたが、趙朔は肯んじず、言った。「あなたは必ず趙の祭祀を絶たしめぬように。朔は死んでも恨まない。」韓厥は許諾し、病を称して出なかった。賈は請いずして擅りに諸将と下宮で趙氏を攻め、趙朔・趙括・趙嬰斉を殺し、皆その族を滅ぼした。朔の妻は成公の姉で、遺腹があった。公宮に逃れて藏匿し、後に男を生んで乳した。朔の門客程嬰はこれを帯びて山中に逃亡し匿れ、十五年住んだ。晋景公が病み、卜に問うと「大業の後で順遂せぬ者が祟を為す」とあった。景公は急いで韓厥に問う。韓厥は趙の孤がまだ在るを知り、言った。「大業の後で、晋に祭祀を絶たれたは、おそらく趙氏でしょう!中衍より皆嬴姓、中衍は人面鳥嘴、降りて殷帝太戊および周天子を輔佐し、皆明徳あり。下って幽・厲は無道、しかして叔帯は周を去り晋に至り、先君文侯に仕え、成公に至るまで、世々功を立て、かつて祭祀の絶えしことなし。いま吾君に至り独りこれを滅ぼした。趙の宗も国人も哀痛す。ゆえに亀策より顕現す。ただ君の謀を請う。」景公は問うた。「趙にまだ後嗣の子孫あるか。」韓厥は悉く実を以て稟告した。そこで景公は即ち韓厥と謀りて趙の孤児を立て、召して宮中に藏した。諸将が入りて病を問う。景公は韓厥の部衆に頼って諸将を脅迫して趙の孤を接見させた。孤の名は武。諸将は已むを得ず言った。「昔、下宮の難は屠岸賈の為したところ。君命を假託し、併せて群臣に命じた。然らざれば誰が難を作さん。君の病なかりせば、群臣はもとより趙の後を立てんことを請わんとした。いま君の命あり。群臣の願いなり。」そこで趙武・程嬰を召して諸将軍に遍拝させ、将軍は即ち返りて程嬰・趙武と屠岸賈を攻め、その族を滅ぼし、趙武に田邑を復して前の如く与えた。

故人安可以無恩,夫有恩於此故復於彼;非程嬰則趙孤不全,非韓厥則趙後不復。韓厥可謂不忘恩矣。

ゆえに人はどうして恩なくてよかろう。ここに恩あればゆえにかしこに報ず。程嬰なくんば趙の孤は全うせず、韓厥なくんば趙の後は復せざるべし。韓厥は恩を忘れぬと称すべし。

北郭騷踵見晏子曰:“竊悅先生之義,願乞所以養母者。”晏子使人分倉粟府金而遺之,辭金而受粟。有間,晏子見疑於景公,出奔,北郭子召其友而告之曰:“吾悅晏子之義而嘗乞所以養母者。吾聞之曰:養其親者,身更其難;今晏子見疑,吾將以身白之。”遂造公庭求復者曰:“晏子天下之賢者也,今去齊國,齊國必侵矣,方必見國之侵也,不若先死請絕頸以白晏子。”逡巡而退,因自殺也。公聞之大駭,乘馳而自追晏子,及之國郊,請而反之,晏子不得已而反之,聞北郭子之以死白己也,太息而嘆曰:“嬰不肖,罪過固其所也,而士以身明之,哀哉!”

北郭騒が踵に従って晏子に見えて言った。「私は先生の義を喜び、願わくは母を養うものを乞いたい。」晏子は人を遣わして倉の粟・府の金を分けて彼に送った。金を辞して粟を受けた。ある時を過ぎ、晏子は景公に疑われ、出奔した。北郭子はその友を召して告げて言った。「私は晏子の義を喜んでかつて母を養うものを乞うた。我が聞くに、両親を養う者は、身がその難を承当す。いま晏子が疑われた。私は身を以て弁白せん。」そこで公庭に至り復者を求めて言った。「晏子は天下の賢者です。いま斉国を離れれば、斉国は必ず侵される。必ず国の侵されるを見るより、先に死するに及ばず。頸を断ちて晏子を弁白せんことを請う。」逡巡して後退し、そこで自殺した。公はこれを聞き大いに驚き、車に乗り奔して自ら晏子を追い、国郊で及んだ。彼を請いて返らせた。晏子は已むを得ず返り、北郭子が死を以て己を弁白したを聞き、長嘆して言った。「嬰は不肖、罪はもともと彼が当たるべきものだったのに、士は身を以て明らかにす。哀しきかな!」

吳赤市使於智氏,假道於衛,寧文子具紵絺三百制,將以送之,大夫豹曰:“吳雖大國也,不壞交假之道,則亦敬矣,又何禮焉!”寧文子不聽,遂致之吳赤市。至於智氏,既得事,將歸吳,智伯命造舟為梁,吳赤市曰:“吾聞之,天子濟於水,造舟為梁,諸侯維舟為梁,大夫方舟。方舟,臣之職也,且敬太甚必有故。”使人視之,視則用兵在後矣,將亦襲衛。吳赤市曰:“衛假吾道而厚贈我,我見難而不告,是與為謀也。”稱疾而留,使人告衛,衛人警戒,智伯聞之,乃止。

呉の赤市が智氏に使いし、衛に道を借りた。寧文子は紵と細葛三百制を具え、将に彼に送らんとした。大夫豹は言った。「呉は大国といえども、邦交を毀らず道を借りるは、恭敬に足る。また何を礼遇せん!」寧文子は聴かず、そこで呉赤市に送った。智氏に至り、すでに事を畢え、呉に帰らんとした。智伯は舟を造りて橋梁とせよと命じた。呉赤市は言った。「我が聞くに、天子が水を渡るは造舟して橋梁とし、諸侯は舟を維繋して橋梁とし、大夫は方舟を用いる。方舟は臣の職分なり。さらに恭敬の過ぎたるは必ず故あり。」人を遣わして見ると、後に兵を用いて将に衛を襲わんとしていた。呉赤市は言った。「衛は我に道路を借し厚く我に贈った。我は災難を見て告げざるは、謀に与ることだ。」病を称して留まり、人を遣わして衛に告げた。衛人は警戒し、智伯はこれを聞き、そこで止んだ。

楚魏會於晉陽,將以伐齊,齊王患之,使人召淳于髡曰:“楚魏謀欲伐齊。願先生與寡人共憂之。”淳于髡大笑而不應,王后問之,又復大笑而不應,三問而不應,王怫然作色曰:“先生以寡人國為戲乎?”淳于髡對曰:“臣不敢以王國為戲也,臣笑臣鄰之祠田也,以奩飯與一鮒魚。其祝曰:下田洿邪,得谷百車,蟹堁者宜禾。臣笑其所以祠者少而所求者多。”王曰善,賜之千金,革車百乘,立為上卿。

楚・魏が晋陽で会い、将に斉を伐たんとした。斉王は憂え、人を遣わして淳于髠を召して言った。「楚・魏は斉を伐たんと謀る。先生と寡人と共に憂えんことを願う。」淳于髠は大いに笑い応えず。王は後に問い、また再び大いに笑い応えず、三度問うて応えず。王は勃然として色を変えて言った。「先生は寡人の国を戯弄とするか。」淳于髠は答えた。「臣は敢えて王の国を戯弄としません。臣は臣の隣人が田を祭るのを笑います。一奩の飯と一條の鮒魚を以てす。彼が祝禱して言うには、下き田・水の積る邪地に穀物百車を得、蟹穴の土は禾に宜しと。臣は彼の祭るに用いる少なく求むる多きを笑うのです。」王は善しとし、彼に千金・革車百乗を賜い、上卿に立てた。

陽虎得罪於衛,北見簡子曰:“自今以來,不復樹人矣。”簡子曰:“何哉?”陽虎對曰:“夫堂上之人,臣所樹者過半矣;朝廷之吏,臣所立者亦過半矣;邊境之士,臣所立者亦過半矣。今夫堂上之人,親郄臣於君;朝廷之吏,親危臣於眾;邊境之士,親劫臣於兵。”簡子曰:“唯賢者為能報恩,不肖者不能。夫樹桃李者,夏得休息,秋得食焉。樹蒺藜者,夏不得休息,秋得其刺焉。今子之所樹者,蒺藜也,自今以來,擇人而樹,毋已樹而擇之。”

陽虎が衛で罪を得、北に上がり簡子に見えて言った。「今より後、再び人を培植しません。」簡子は言った。「何故か。」陽虎は答えた。「堂上の人は、臣の培植せし者が半ばを過ぎました。朝廷の吏は、臣の立てし者が半ばを過ぎました。辺境の士は、臣の立てし者が半ばを過ぎました。いま堂上の人は、自ら君の所で臣を排擠し、朝廷の吏は、自ら衆人の所で臣を危害し、辺境の士は、自ら兵を以て臣を劫します。」簡子は言った。「ただ賢者のみ恩に報いる能あり、不肖の人は能くせず。桃李を種る者は、夏に休を得、秋に食を得る。蒺藜を種る者は、夏に休を得ず、秋に刺を得る。いまあなたの種ったは蒺藜なり。今より後、人を択んで後に培植し、すでに培植して後に択ぶことなかれ。」

魏文侯與田子方語,有兩僮子衣青白衣,而侍於君前,子方曰:“此君之寵子乎!”文侯曰:“非也,其父死於戰,此其幼孤也,寡人收之。”子方曰:“臣以君之賊心為足矣,今滋甚,君之寵此子也,又且以誰之父殺之乎?”文侯愍然曰:“寡人受令矣。”自是以後,兵革不用。

魏文侯が田子方と談話し、二人の僮子が青白衣を着て君の前に侍していた。子方は言った。「これは君の寵愛する子か!」文侯は言った。「非ず。彼らの父は戦で死んだ。これは幼孤であり、寡人が彼らを収養した。」子方は言った。「臣は君の賊害する心はすでに足りたと思った。いまいっそう甚しい。君はこれらの子を寵愛する。また誰の父を以て彼らを殺さんとするか。」文侯は憫然として言った。「寡人は教令を受けました。」これより以後、兵革を用いず。

吳起為魏將,攻中山,軍人有病疽者,吳子自吮其膿,其母泣之,旁人曰:“將軍於而子如是,尚何為泣?”對曰:“吳子吮此子父之創而殺之於注水之戰,戰不旋踵而死;今又吮之,安知是子何戰而死,是以哭之矣!”

呉起が魏の将を為し、中山を攻めた。軍人に疽を生ずる者あり、呉子は自らその膿を吮った。その母はこれのために哭いた。傍の人は言った。「将軍がお前の子にこのようであるのに、また何を哭くのか。」答えた。「呉子はかつてこの子の父の創口を吮い、注水の戦で彼を殺しました。交戦して身を回らず死しました。いままたこれを吮う。どうしてこの子がどの戦で死ぬか知ろう。ゆえに彼を哭くのです!」

東閭子嘗富貴而後乞,人問之,曰:“公何為如是?”曰:“吾自知吾嘗相六七年未嘗薦一人也;吾嘗富三千萬者再,未嘗富一人;不知士出身之咎然也。孔子曰:‘物之難矣,小大多少各有怨惡,數之理也,人而得之,在於外假之也。’”

東閭子はかつて富貴で後に乞うた。人は彼に問い、言った。「公は何故こうなったのか。」言った。「私は自ら知る。私はかつて相を為すこと六七年、かつて一人を挙薦せず。私はかつて富みて三千万に至ること二回、かつて一人を富ならしめず。士が身から出る咎を知らなかったのはこのようだ。孔子は言った。『物の難は、小大多少各々怨悪あり。これは数の理。人がこれを得るは、外より假借するに在り。』」

齊懿公之為公子也,與邴歜之父爭田,不勝。及即位,乃掘而刖之,而使歜為僕;奪庸織之妻,而使織為參乘;公遊於申池,二人浴於池,歜以鞭抶織,織怒,歜曰:“人奪女妻,而不敢怒;一抶女,庸何傷!”織曰:“孰與刖其父而不病,奚若?”乃謀殺公,納之竹中。

斉懿公が公子の時、邴歜の父と田を争い、勝てなかった。即位に及び、そこで屍を掘り出して足を斬り、歜を以て僕とし、庸織の妻を奪い、織を以て参乗とした。公が申池で遊んだ時、二人は池中で浴していた。歜が鞭で織を打ち、織は怒った。歜は言った。「人がお前の妻を奪ってもお前は敢えて怒らず。お前を一打するのに、どこに傷があろう!」織は言った。「彼の父の足を斬られて痛まないのと比べてどうか。」そこで公を謀殺し、彼を竹の中に納れた。

楚人獻黿於鄭靈公,公子家見公子宋之食指動,謂公子家曰:“我如是必嘗異味。”及食大夫黿,召公子宋而不與;公子宋怒,染指於鼎,嘗之而出,公怒欲殺之。公子宋與公子家先遂殺靈公。子夏曰:“春秋者,記君不君,臣不臣,父不父,子不子者也;此非一日之事也,有漸以至焉。”

楚人が鄭靈公に黿を献じた。公子家が公子宋の食指の動くを見た。公子宋は公子家に言った。「私はこのようにあれば必ず異味を嘗める。」大夫に黒を食わせるに及び、公子宋を召したが彼に与えなかった。公子宋は怒り、指を鼎の中に蘸して、嘗めて出た。公は怒り彼を殺そうとした。公子宋と公子家は先んじて手を下し、そこで靈公を殺した。子夏は言った。「『春秋』は君が君に似ず、臣が臣に似ず、父が父に似ず、子が子に似ざるを記するものだ。これは一日の事にあらず、漸進ありて此に至った。」

卷七政理

巻七 政理

政有三品:王者之政化之,霸者之政威之,強者之政脅之,夫此三者各有所施,而化之為貴矣。夫化之不變而後威之,威之不變而後脅之,脅之不變而後刑之;夫至於刑者,則非王者之所得已也。是以聖王先德教而後刑罰,立榮恥而明防禁;崇禮義之節以示之,賤貨利之弊以變之;修近理內政橛機之禮,壹妃匹之際;則莫不慕義禮之榮,而惡貪亂之恥。其所由致之者,化使然也。

政に三品あり。王者の政は教化を用い、覇者の政は威を用い、強者の政は脅迫を用いる。この三者は各々施す所有るも、教化を以て貴しとす。教化が変わらざれば然る後に威を用い、威が変わらざれば然る後に脅迫を用い、脅迫が変わらざれば然る後に刑を用いる。刑を用いるに至れば、王者の得已とする所にあらず。これにより聖王は徳教を先にして刑罰を後にし、栄恥を樹立して防禁を標明す。礼義の節を崇びて以て示し、貨利の弊を看軽して以て変革し、近きを修治し内政を理め、枢機の礼を端正し、妃匹の際を専一にすれば、義礼の栄を慕わず、貪乱の恥を悪まざる者なし。ゆえに能くこのに達するは、教化がこれを為さしむるなり。

季孫問於孔子曰:“如殺無道,以就有道,何如?”孔子曰:“子為政,焉用殺,子欲善而民善矣。君子之德,風也;小人之德,草也;草上之風必偃。”言明其化而已矣,治國有二機,刑德是也;王者尚其德而布其刑,霸者刑德並湊,強國先其刑而後德。夫刑德者,化之所由興也。德者,養善而進闕者也;刑者,懲惡而禁後者也;故德化之崇者至於賞,刑罰之甚者至於誅;夫誅賞者,所以別賢不肖,而列有功與無功也。故誅賞不可以繆,誅賞繆則善惡亂矣。夫有功而不賞,則善不勸,有過而不誅,則惡不懼,善不勸而能以行化乎天下者,未嘗聞也。書曰:‘畢協賞罰’,此之謂也。

季孫が孔子に問うた。「もし無道を殺して、有道を成就するは如何。」孔子は言った。「あなたが政を為すに、どうして殺を用いよう。あなたが善を欲すれば民は善となる。君子の徳は風、小人の徳は草。草上に風あれば必ず偃く。」これはあの教化を顕明するのみ。国を治むるに二つの機枢あり、即ち刑と徳なり。王者はその徳を崇びてその刑を公布し、覇者は刑徳を併せ湊集し、強国は刑を先にして徳を後にす。刑と徳は、教化の興起する所以なり。徳は善を養いて缺漏を進め、刑は悪を懲して後を禁ず。ゆえに徳化の崇高なるは賞に至り、刑罰の厲きは誅に至る。誅と賞は、賢不肖を別ち、有功と無功とを排列するに用いる。ゆえに誅賞は錯缪すべからず。誅賞が錯缪すれば善悪は乱る。功ありて賞せざれば善は勧められず、過ありて誅せざれば悪は懼れず、善が勧められずして行を以て天下を教化し得るは、かつて聞かず。『尚書』に言う。「賞罰咸に協せり。」これを言う。

水濁則魚困,令苛則民亂,城峭則必崩,岸竦則必。故夫治國,譬若張琴,大弦急則小弦絕矣,故曰急轡御者非千里御也。有聲之聲,不過百里,無聲之聲,延及四海;故祿過其功者損,名過其實者削,情行合而民副之,禍福不虛至矣。詩云:“何其處也,必有與也;何其久也,必有以也。”此之謂也。

水が濁れば魚は困し、法令が苛刻なれば民は乱れ、城墙が陡峭なれば必ず崩れ、河岸が高聳なれば必ず潰す。ゆえに国を治むるは琴を張るが如し。大弦が急なれば小弦は断つ。ゆえに言う、繮繩の急なる御者は千里の御者にあらず。声ある声は百里を過ぎず、声なき声は四海に延び及ぶ。ゆえに俸禄が功を過ぐれば損を受け、名が実を過ぐれば削られる。情と行と相合すれば民はこれに符合し、禍福は空しく至らず。『詩経』に言う。「何を以て安処する、必ず相与する者あれ。何を以て長久する、必ず故あれ。」これを言う。

公叔文子為楚令尹三年,民無敢入朝,公叔子見曰:“嚴矣。”文子曰:“朝廷之嚴也,寧雲妨國家之治哉?”公叔子曰:“嚴則下喑,下喑則上聾,聾喑不能相通,何國之治也?順針縷者成帷幕,合升斗者實倉廩,幷小流而成江海;明主者有所受命而不行,未嘗有所不受也。”

公叔文子が楚の令尹を為すこと三年、民に敢えて朝に入る者なし。公叔子が進見して言った。「厳しすぎます。」文子は言った。「朝廷の厳は、どうして国家の治を妨げよう。」公叔子は言った。「厳なれば下は唖になり、下が唖なれば上は聾になり、聾と唖は相通ずる能わず。どうして国の治を言えよう。針線に順って帷幕を成就し、升斗を併合して倉廩を充実し、小流を併合して江海を成す。明主は受けて令する所あって行わざるはあれども、かつて受けざる所有ることなし。」

衛靈公謂孔子曰:“有語寡人為國家者,謹之於廟堂之上而國家治矣,其可乎?”孔子曰:“可。愛人者,則人愛之;惡人者,則人惡之;知得之己者,亦知得之人;所謂不出於環堵之室而知天下者,知反之己者也。”

衛靈公が孔子に言った。「寡人に国家の治を告げる者あり。廟堂の上で謹みて国家は治まる。よいか。」孔子は言った。「よい。人を愛する者は、人も彼を愛する。人を悪む者は、人も彼を悪む。己より得るを知る者は、人より得るをも知る。いわゆる環堵の室を出ずして天下を知るは、己に返るを知る者だ。」

子貢問治民於孔子,孔子曰:“懍懍焉如以腐索御奔馬。”子貢曰:“何其畏也!”孔子曰:“夫通達之國皆人也,以道導之,則吾畜也;不以道導之,則吾讎也,若何而毋畏?”

子貢が孔子に民の治を問うた。孔子は言った。「懔懔然として、腐りたる繩を以て奔馬を御るが如し。」子貢は言った。「どうしてそのように畏れるのか!」孔子は言った。「通達の国は皆人なり。道を以て彼らを導けば、即ち我の畜う所。道を以て彼らを導かざれば、即ち我の仇敵。どうして畏れずにおれよう。」

齊桓公謂管仲曰:“吾欲舉事於國,昭然如日月,無愚夫愚婦皆曰善,可乎?”仲曰:“可。然非聖人之道。”桓公曰:“何也?”對曰:“夫短綆不可以汲深井,知鮮不可以與聖人言,慧士可與辨物,智士可與辨無方,聖人可與辨神明;夫聖人之所為,非眾人之所及也。民知十己,則尚與之爭,曰不如吾也,百己則疵其過,千己則誰而不信。是故民不可稍而掌也,可幷而牧也;不可暴而殺也,可麾而致也;眾不可戶說也,可舉而示也。”

斉桓公が管仲に言った。「私は国で事を挙げたい。昭然として日月の如く、愚夫愚婦で言わぬ者なからしめたい。よいか。」仲は言った。「よい。しかし聖人の道にあらず。」桓公は言った。「何故か。」答えた。「短き繩は以て深井を汲むべからず、智少なきは以て聖人と語るべからず。慧士は彼と物を弁ずべく、智士は彼と定向なきを弁ずべく、聖人は彼と神明を弁ずべし。聖人の為す所は、衆人の及ぶ所能にあらず。民は己に十倍する者を知りて、なお彼と争い、我に如かずと言い、百倍する者はその過を挑剔し、千倍する者は誰も信ぜず。これにより民は稍微管るべからず、併せて牧養すべし。暴を施して殺すべからず、指揮して招致すべし。衆人は戸を歴って説くべからず、挙げて以て示すべし。」

衛靈公問於史■曰:“政孰為務?”對曰:“大理為務,聽獄不中,死者不可生也,斷者不可屬也,故曰:大理為務。”少焉,子路見公,公以史■言告之,子路曰:“司馬為務,兩國有難,兩軍相當,司馬執枹以行之,一斗不當,死者數萬,以殺人為非也,此其為殺人亦眾矣,故曰:司馬為務。”少焉,子貢入見,公以二子言告之,子貢曰:“不識哉!昔禹與有扈氏戰,三陳而不服,禹於是修教一年而有扈氏請服,故曰:去民之所事,奚獄之所聽?兵革之不陳,奚鼓之所鳴?故曰:教為務也。”

衛靈公が史(底本この字欠)に問うた。「政は何を以て務とすべきか。」答えた。「大理を以て務とすべし。獄を聴いて当を得ざれば、死した者は復活できず、断たれた者は接げず。ゆえに言う、大理を以て務とすべし。」暫くして子路が公に見え、公は史(底本この字欠)の言を彼に告げた。子路は言った。「司馬を以て務とすべし。両国に難あれば、両軍相対す。司馬は鼓槌を持って指揮する。一たび戦いて当を得ざれば、死する者数万。人を殺すを以て不对とするに、これは人を殺すこと多し。ゆえに言う、司馬を以て務とすべし。」暫くして子貢が入りて見え、公は二人の言を彼に告げた。子貢は言った。「識らざるかな!昔、禹と有扈氏が交戦し、陣を三度擺れども服せず。禹はそこで教化を修治すること一年にして有扈氏は降服を請うた。ゆえに言う、民の従事する所を去らば、また何の獄を聴かん。兵革を擺らざれば、鼓はまた何を鳴らさん。ゆえに言う、教化を以て務とすべし。」

齊桓公出獵,逐鹿而走入山谷之中,見一老公而問之曰:“是為何谷?”對曰:“為愚公之谷。”桓公曰:“何故?”對曰:“以臣名之。”桓公曰:“今視公之儀狀,非愚人也,何為以公名?”對曰:“臣請陳之,臣故畜■牛生子而大,賣之而買駒,少年曰:‘牛不能生馬。’遂持駒去。傍鄰聞之,以臣為愚,故名此谷為愚公之谷。”桓公曰:“公誠愚矣,夫何為而與之?”桓公遂歸。明日朝,以告管仲,管仲正衿再拜曰:“此夷吾之愚也,使堯在上,咎繇為理,安有取人之駒者乎?若有見暴如是叟者,又必不與也,公知獄訟之不正,故與之耳,請退而修政。”孔子曰:“弟子記之,桓公,霸君也;管仲,賢佐也;猶有以智為愚者也,況不及桓公管仲者也。”

斉桓公が出て獵し、鹿を追って山谷の中に走り入り、一老公を見て彼に問うた。「これは何の谷か。」答えた。「是れ愚公の谷。」桓公は言った。「何故か。」答えた。「臣を以て名づけた。」桓公は言った。「いま公の儀状を看るに、愚人にあらず。何故公を以て名づけた。」答えた。「臣は陳することを請う。臣は昔、牛を畜い、子を生んで長なり、これを売りて馬駒を買いたり。少年は言う『牛は馬を生めず』と。そこで馬駒を持ちて去れり。傍の隣人これを聞き、臣を愚とし、ゆえにこの谷を愚公の谷と称す。」桓公は言った。「公は誠に愚なり。何故彼に与えた。」桓公はそこで帰った。明日朝見し、管仲に告げた。管仲は衣襟を整理して再拝して言った。「これは夷吾の愚なり。仮に堯が上に在り、咎繇が法官を為せば、どこに人の馬駒を奪う者あらん。もしこの老人の如く暴を施されるを見る者あれば、また必ず与えざらん。公は獄訟の不公正なるを知り、ゆえに与えたのみ。退いて政を修治せんことを請う。」孔子は言った。「弟子は記せ。桓公は覇君、管仲は賢佐。なお智を以て愚とするあり。いわんや桓公・管仲に及ばざる者をや。」

魯有父子訟者,康子曰:“殺之!”孔子曰:“未可殺也。夫民不知子父訟之不善者久矣,是則上過也;上有道,是人亡矣。”康子曰:“夫治民以孝為本,今殺一人以戮不孝,不亦可乎?”孔子曰:“不孝而誅之,是虐殺不辜也。三軍大敗,不可誅也;獄訟不治,不可刑也;上陳之教而先服之,則百姓從風矣,躬行不從而後俟之以刑,則民知罪矣;夫一仞之牆,民不能踰,百仞之山,童子升而遊焉,陵遲故也!今是仁義之陵遲久矣,能謂民弗踰乎?詩曰:‘俾民不迷!’昔者君子導其百姓不使迷,是以威厲而不至,刑錯而不用。”於是訟者聞之,乃請無訟。

魯に父子争訟する者あり。康子は言った。「殺せ!」孔子は言った。「殺すべからず。民が父子争訟の善からざるを知らざること久し。これは上の過失なり。上に道あれば、この人はなし。」康子は言った。「民を治むるは孝を以て本とす。いま一人を殺して不孝を辱しむるは、よくないか。」孔子は言った。「不孝にして誅殺するは、無辜を虐殺すなり。三軍が大敗すれば誅すべからず。獄訟が治められざれば刑を用いるべからず。上が教化を陳列して自ら先に行えば、百姓は風に従う。自ら行いさらに従わざれば然る後に刑を以て待つ。民は罪を知る。一仞の牆は民は越えられず、百仞の山は童子が登りて遊ぶ。坡度の平夷なる故なり。いまこの仁義の平夷にして衰落せること久し。民の越えずと言えんや。『詩経』に言う。「民をして惑わしむるなかれ。」昔の君子は百姓を導いて彼らを惑わしめざりき。ゆえに威厲して用いるに至らず、刑罰は措て用いず。」そこで争訟する者はこれを聞き、即ち争訟せざるを請うた。

魯哀公問政於孔子,對曰:“政有使民富且壽。”哀公曰:“何謂也?”孔子曰:“薄賦斂則民富,無事則遠罪,遠罪則民壽。”公曰:“若是則寡人貧矣。”孔子曰:“詩云:‘凱悌君子,民之父母’,未見其子富而父母貧者也。”

魯哀公が孔子に政を問うた。答えた。「政は民をして富めかつ寿せしめるにあり。」哀公は言った。「何の謂いか。」孔子は言った。「賦斂を軽くすれば民は富み、事なければ罪を遠ざけ、罪を遠ざければ民は寿す。」公は言った。「このようになれば寡人は貧す。」孔子は言った。「『詩経』に言う。「和楽平易の君子は、民の父母。」子が富みて父母が貧するを見たことなし。」

文王問於呂望曰:“為天下若何?”對曰:“王國富民,霸國富士;僅存之國,富大夫;亡道之國,富倉府;是謂上溢而下漏。”文王曰:“善!”對曰:“宿善不祥。是日也,發其倉府,以賑鰥、寡、孤、獨。”

文王が呂望に問うた。「天下を治むるは如何。」答えた。「王を称する国は民を富ませ、覇を称する国は士を富ませ、僅かに存する国は大夫を富ませ、無道の国は倉府を富ませる。これを上は満溢して下は渗漏すという。」文王は言った。「よし!」答えた。「善は夜に宿ること祥ならず。」この日、倉府を開き、以て鰥・寡・孤・独を賑済した。

武王問於太公曰:“治國之道若何?”太公對曰:“治國之道,愛民而已。”曰:“愛民若何?”曰:“利之而勿害,成之勿敗,生之勿殺,與之勿奪,樂之勿苦,喜之勿怒,此治國之道,使民之誼也,愛之而已矣。民失其所務,則害之也;農失其時,則敗之也;有罪者重其罰,則殺之也;重賦斂者,則奪之也;多徭役以罷民力,則苦之也;勞而擾之,則怒之也。故善為國者遇民,如父母之愛子,兄之愛弟,聞其飢寒為之哀,見其勞苦為之悲。”

武王が太公に問うた。「国を治むる道は如何。」太公は答えた。「国を治むる道は、民を愛するのみ。」言った。「民を愛するは如何。」言った。「彼を利して害せず、彼を成就して敗壊せず、彼を活かして殺さず、与えて奪わず、彼を楽しませて苦しめず、彼を喜ばせて怒らせず。これが国を治むる道、民を役する誼、彼を愛するのみ。民が従事する所を失えば、即ち彼を害すなり。農が時令を失えば、即ち彼を敗壊すなり。罪あるに罰を加重すれば、即ち彼を殺すなり。賦斂を加重すれば、即ち彼を奪うなり。徭役を多くして民力を疲れしめれば、即ち彼を苦しむるなり。労苦にしてまた擾乱すれば、即ち彼を怒らしむるなり。ゆえに善く国を治むる者の民に対するは、父母の子を愛するが如く、兄の弟を愛するが如し。彼の飢寒を聞いて彼のために哀れみ、彼の労苦を見て彼のために悲しむ。」

武王問於太公曰:“賢君治國何如?”對曰:“賢君之治國,其政平,其吏不苛,其賦斂節,其自奉薄,不以私善害公法,賞賜不加於無功,刑罰不施於無罪,不因喜以賞,不因怒以誅,害民者有罪,進賢舉過者有賞,後宮不荒,女謁不聽,上無淫慝,下不陰害,不幸宮室以費財,不多觀遊臺池以罷民,不雕文刻鏤以逞耳目,宮無腐蠹之藏,國無流餓之民,此賢君之治國也。”武王曰:“善哉!”

武王が太公に問うた。「賢君が国を治むるは如何。」答えた。「賢君が国を治むるは、政は平允、吏は苛刻ならず、賦斂に節制あり、自ら奉養すること微薄、私善を以て公法を害せず、賞賜は無功に加えず、刑罰は無罪に施さず、喜を以て賞せず、怒を以て誅せず、民を害する者には罪あり、賢を進め過を挙ぐる者には賞あり、後宮は荒廃せず、女謁は聴従せず、上に淫慝なく、下に陰害なく、宮室を増高して財を費さず、観遊台池を多くして民を疲れしめず、雕文刻鏤して耳目を縱にせず、宮の中に腐蠹の蔵なく、国の中に流亡飢餓の民なし。これが賢君の国を治むるなり。」武王は言った。「善いな!」

武王問於太公曰:“為國而數更法令者何也?”太公曰:“為國而數更法令者,不法法,以其所善為法者也;故令出而亂,亂則更為法,是以其法令數更也。”

武王が太公に問うた。「国を治むるに屢々法令を更改するは何故か。」太公は言った。「国を治むるに屢々法令を更改するは、法に法せざるなり。彼の以て善とする所を法とす。ゆえに令が出れば乱れ、乱れてまた法を改む。これにより法令は屢々更改す。」

成王問政於尹逸曰:“吾何德之行而民親其上?”對曰:“使之以時而敬順之,忠而愛之,布令信而不食言。”王曰:“其度安至?”對曰:“如臨深淵,如履薄冰。”王曰:“懼哉!”對曰:“天地之間,四海之內,善之則畜之,不善則讎也;夏、殷之臣,反讎桀、紂而臣湯、武,夙沙之民,自攻其主而歸神農氏。此君之所明知也,若何其無懼也?”

成王が尹逸に政を問うて言った。「我は何の徳を行えば民は上に親しむか。」答えた。「彼らを役するに時令を以てし、敬慎して順い、忠誠して彼らを愛し、令を頒布して信を守り食言せず。」王は言った。「あの法度はどの地步に至るか。」答えた。「深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し。」王は言った。「惧るべきかな!」答えた。「天地の間、四海の内、善待すれば畜い、善待せざれば仇敵なり。夏・殷の臣は、反って桀・紂を仇視して湯・武に臣服し、夙沙の民は、自らその主を攻めて神農氏に帰附せり。これは君の明々に知る所。どうして懼れずにおれよう。」

仲尼見梁君,梁君問仲尼曰:“吾欲長有國,吾欲列都之得,吾欲使民安不惑,吾欲使士竭其力,吾欲使日月當時,吾欲使聖人自來,吾欲使官府治,為之奈何?”仲尼對曰:“千乘之君,萬乘之主,問於丘者多矣,未嘗有如主君問丘之術也,然而儘可得也。丘聞之,兩君相親,則長有國;君惠臣忠,則列都之得;毋殺不辜,毋釋罪人,則民不惑;益士祿賞,則竭其力;尊天敬鬼,則日月當時;善為刑罰,則聖人自來;尚賢使能,則官治。”梁君曰:“豈有不然哉!”

仲尼が梁君に見え、梁君は仲尼に問うて言った。「私は長く国を保ちたい。私は列都を得たい。私は民を安定して惑わざらしめたい。私は士に力を竭さしめたい。私は日月に時を得しめたい。私は聖人に自ら来たらしめたい。私は官府に治まらしめたい。どうすべきか。」仲尼は答えた。「千乗の君、万乗の主が、丘に問うこと多し。かつて主君の丘に問う方法の如きはなし。しかし皆得るべし。丘が聞くに、両君相亲すれば、長く国を保つ。君が惠み臣が忠なれば、列都は得らる。无辜を殺さず、罪人を釈さざれば、民は惑わず。士の禄賞を増せば、力を竭す。天を尊び鬼を敬えば、日月は時を得る。刑罰を善く用いれば、聖人は自ら来る。賢人を崇び能者を任えば、官は治まる。」梁君は言った。「どこにこのようでないことがあろう!」

子貢曰:“葉公問政於夫子,夫子曰:‘政在附近來遠’,魯哀公問政於夫子,夫子曰:‘政在於諭臣’。齊景公問政於夫子,夫子曰:‘政在於節用’。三君問政於夫子,夫子應之不同,然則政有異乎?”孔子曰:“夫荊之地廣而都狹,民有離志焉,故曰在於附近而來遠。哀公有臣三人,內比周公以惑其君,外障諸侯賓客以蔽其明,故曰政在諭臣。齊景公奢於臺榭,淫於苑囿,五官之樂不解,一旦而賜人百乘之家者三,故曰政在於節用,此三者政也,詩不云乎:‘亂離斯瘼,爰其適歸’,此傷離散以為亂者也,‘匪其止共,惟王之邛’,此傷奸臣蔽主以為亂者也,‘相亂蔑資,魯莫惠我師’,此傷奢侈不節以為亂者也,察此三者之所欲,政其同乎哉!”

子貢は言った。「葉公が夫子に政を問うと、夫子は言った『政は近きに親しみ遠きを招くに在り』と。魯哀公が夫子に政を問うと、夫子は言った『政は臣を曉諭するに在り』と。斉景公が夫子に政を問うと、夫子は言った『政は用を節するに在り』と。三人の君が夫子に政を問うに、夫子の応答は異なった。ならば政に異同あるか。」孔子は言った。「荊の土地は広く都城は狭し。民に離散の心あり。ゆえに言う、近きに親しみ遠きを招くに在り、と。哀公に臣三人あり。内は周公に比附してその君を惑わし、外は諸侯賓客を障蔽してその明を蔽う。ゆえに言う、政は臣を曉諭するに在り、と。斉景公は台榭を奢侈し、苑囿で放縦し、五官の楽を解除せず、一朝に人に百乗の家を賜うこと三度あり。ゆえに言う、政は用を節するに在り、と。この三者は皆政なり。『詩経』に言わずや。「乱離斯に疾苦し、将にどこに帰往せん。」これは離散を痛んで乱を為すとする。「彼らの恭に止まるにあらず、ただ王に病を為さん。」これは奸臣の主を蔽うを痛んで乱を為すとする。「相乱して資用なく、魯は我が衆に恵を施す人なし。」これは奢侈して節せずを痛んで乱を為すとする。これら三者の要する所を察すれば、政はどうして同じからん!」

公儀休相魯,魯君死,左右請閉門,公儀休曰:“止!池淵吾不稅,蒙山吾不賦,苛令吾不布,吾已閉心矣!何閉於門哉?”

公儀休が魯の相を為し、魯君が死んだ。左右は門を閉じよと請うた。公儀休は言った。「止めよ!池淵は我は税せず、蒙山は我は賦せず、苛刻の令は我は頒布せず。我はすでに心を閉じた!どうして門を閉じる必要があろう。」

子產相鄭,簡公謂子產曰:“內政毋出,外政毋入。夫衣裘之不美,車馬之不飾,子女之不潔,寡人之醜也;國家之不治,封疆之不正,夫子之醜也。”子產相鄭,終簡公之身,內無國中之亂,外無諸侯之患也;子產之從政也,擇能而使之:馮簡子善斷事,子太叔善決而文,公孫揮知四國之為而辨於其大夫之族姓,變而立至,又善為辭令,裨諶善謀,於野則獲,於邑則否,有事乃載裨諶與之適野,使謀可否,而告馮簡子斷之,使公孫揮為之辭令,成乃受子太叔行之,以應對賓客,是以鮮有敗事也。

子産が鄭の相を為し、簡公は子産に言った。「内政は出すなかれ、外政は入るなかれ。衣裘が美ならざる、車馬が修飾ならざる、子女が潔ならざるは、寡人の醜なり。国家が治まらざる、封疆が正ならざるは、夫子の醜なり。」子産が鄭の相を為し、簡公の終身に至るまで、内に国中の乱なく、外に諸侯の患なし。子産が政に従するに、能者を択んで之を用いた。馮簡子は事を決断するに善く、子太叔は決断に善く文釆あり、公孫揮は四国の作為を知りて彼らの大夫の族姓を分弁すること能く、変故あれば即座に至り、また辞令を為すに善く、裨諶は謀を為すに善く、野に在れば得る所有り、邑に在れば然らず。事あれば裨諶を載せて彼と野に至り、彼に可否を謀らせ、然る後に馮簡子に告げて決断させ、公孫揮に辞令を為らせ、成して後に子太叔に付して行わせ、以て賓客に応対せしむ。これにより敗事少なかりき。

董安於治晉陽,問政於蹇老,蹇老曰:“曰忠、曰信、曰敢。”董安於曰:“安忠乎?”曰:“忠於主。”曰:“安信乎?”曰:“信於令。”曰:“安敢乎?”曰:“敢於不善人。”董安於曰:“此三者足矣。”

董安于が晋陽を治め、蹇老に政を問うた。蹇老は言った。「忠といい、信といい、敢という。」董安于は言った。「何を忠とするか。」言った。「主に忠なり。」言った。「何を信とするか。」言った。「令に信なり。」言った。「何を敢とするか。」言った。「不善の人に対するに敢なり。」董安于は言った。「この三者は足る。」

魏文侯使西門豹往治於鄴,告之曰:“必全功成名布義。”豹曰:“敢問全功成名布義為之奈何?”文侯曰:“子往矣!是無邑不有賢豪辨博者也,無邑不有好揚人之惡,蔽人之善者也。往必問豪賢者,因而親之;其辨博者,因而師之;問其好揚人之惡,蔽人之善者,因而察之,不可以特聞從事。夫耳聞之不如目見之,目見之不如足踐之,足踐之不如手辨之;人始入官,如入晦室,久而愈明,明乃治,治乃行。”

魏文侯が西門豹を遣わして鄴を治めに往かせ、彼に告げて言った。「必ず功を全うし名を成し義を布け。」豹は言った。「敢えて問う、功を全うし名を成し義を布くは如何。」文侯は言った。「あなたは往け!賢豪辨博の人なき邑なく、人の悪を宣揚し人の善を遮蔽するを好む人なき邑なし。往きて必ず豪賢の人に問い、因りて彼に親しみ、あの辨博の人に因りて彼を以て師とし、あの人の悪を宣揚し人の善を遮蔽するを好む人に問い、因りて審察し、ただ聴聞のみを以て事を為すべからず。耳の聞くは目の見るに如かず、目の見るは足の到るに如かず、足の到るは手の弁ずるに如かず。人が初めて官を為るは、昏暗の屋に入るが如く、久しければいよいよ明らかなり、明らかなりて乃ち治まり、治まりて乃ち行わる。」

宓子賤治單父,彈鳴琴,身不下堂而單父治。巫馬期亦治單父,以星出,以星入,日夜不出,以身親之,而單父亦治。巫馬期問其故於宓子賤,宓子賤曰:“我之謂任人,子之謂任力;任力者固勞,任人者固佚。”人曰宓子賤,則君子矣,佚四肢,全耳目,平心氣而百官治,任其數而已矣。巫馬期則不然,弊性事情,勞煩教詔,雖治猶未至也。

宓子賤は単父を治め、琴を弾きて、自身は堂を下りずして単父は治まった。巫馬期も単父を治め、星を披いて出て星を披いて入り、日夜出ず、自ら親んで為し、単父もまた治まった。巫馬期が宓子賤に故を問うと、宓子賤は言った。「我はこれを任人といい、あなたはこれを任力という。任力はもともと労苦であり、任人はもともと安逸である。」人は宓子賤をして君子たりと言う。四肢を安んじ、耳目を全うし、心気を平和にして百官は治まる。彼の術数を任用するのみ。巫馬期はこれと違い、性情を疲弊させ、事に労煩し、教詔を煩労す。治むといえどもまだ極に至らず。

孔子謂宓子賤曰:“子治單父而眾說,語丘所以為之者。”曰:“不齊父其父,子其子,恤諸孤而哀喪紀。”孔子曰:“善小節也小民附矣,猶未足也。”曰:“不齊也,所父事者三人,所兄事者五人,所友者十一人,”孔子曰:“父事三人,可以教孝矣;兄事五人,可以教弟矣;友十一人,可以教學矣。中節也,中民附矣,猶未足也。”曰:“此地民有賢於不齊者五人,不齊事之,皆教不齊所以治之術。”孔子曰:“欲其大者,乃於此在矣。昔者堯、舜清微其身,以聽觀天下,務來賢人,夫舉賢者,百福之宗也,而神明之主也,不齊之所治者小也,不齊所治者大,其與堯、舜繼矣。”

孔子が宓子賤に言った。「あなたは単父を治めて衆人が喜悦する。丘にその所以を教えよ。」言った。「不斉は人の父を以て父とし、人の子を以て子とし、孤児を恤みて丧事を哀痛します。」孔子は言った。「よい。これは小節だ。小民は親附した。まだ足りない。」言った。「不斉が事えること父の如き者三人、事えること兄の如き者五人、友と交わる者十一人います。」孔子は言った。「父の如く事える者三人は、孝を教えるに足る。兄の如く事える者五人は、悌を教えるに足る。友と交わる者十一人は、学を教えるに足る。これは中節だ。中くらいの民は親附した。まだ足りない。」言った。「この地方の民に不斉より賢なる者五人おり、不斉は彼らに仕え、皆不斉に治むる術を教えます。」孔子は言った。「あの大きいものを欲するはここにあり。昔、堯・舜は自身を清微にして天下を聴観し、務めて賢人を招きたり。賢を挙ぐは百福の宗にして神明の主なり。不斉の治むるは小、不斉の治むるを大にすれば、堯・舜と接続せん。」

宓子賤為單父宰,辭於夫子,夫子曰:“毋迎而距也,毋望而許也;許之則失守,距之則閉塞。譬如高山深淵,仰之不可極,度之不可測也。”子賤曰:“善,敢不承命乎!”宓子賤為單父宰,過於陽晝曰:“子亦有以送僕乎?”陽晝曰:“吾少也賤,不知治民之術,有釣道二焉,請以送子。”子賤曰:“釣道奈何?”陽晝曰:“夫扱綸錯餌,迎而吸之者也,陽橋也,其為魚薄而不美;若存若亡,若食若不食者,魴也,其為魚也博而厚味。”宓子賤曰:“善。”於是未至單父,冠蓋迎之者交接於道,子賤曰:“車驅之,車驅之。”夫陽晝之所謂陽橋者至矣,於是至單父請其耆老尊賢者而與之共治單父。

宓子賤が単父宰を為り、夫子に辞めんとした。夫子は言った。「迎え上がれば拒絶するな、望見すれば許すな。許せば操守を失い、拒めば閉塞する。高山深淵の如く、仰ぎて極まるべからず、測りて量るべからず。」子賤は言った。「よい。敢えて命を承けざらんや!」宓子賤が単父宰を為り、陽昼を経て言った。「あなたにも私に送るものはないか。」陽昼は言った。「我は年少低賤、民を治むる術を知らず。魚釣りの道が二つある。これを以てあなたに送る。」子賤は言った。「魚釣りの道は如何。」陽昼は言った。「釣繩を投げ入れ魚餌を安んずるに、迎え上がって吸うは陽橋。その魚は薄くして美ならず。在るが如く在らざるが如く、食むが如く食まざるが如きは魴。その魚は博大にして味厚し。」宓子賤は言った。「よい。」そこで単父に至らざるに、冠蓋迎える者が路上に交接した。子賤は言った。「車を駆りて行け、車を駆りて行け。」あの陽昼の言う陽橋が至った。そこで単父に至り、あの耆老尊賢の人を請いて彼らと共に単父を治めた。

孔子弟子有孔蔑者,與宓子賤皆仕,孔子往過孔蔑,問之曰:“自子之仕者,何得、何亡?”孔蔑曰:“自吾仕者未有所得,而有所亡者三,曰:王事若襲,學焉得習,以是學不得明也,所亡者一也。奉祿少鬻,鬻不足及親戚,親戚益疏矣,所亡者二也。公事多急,不得吊死視病,是以朋友益疏矣,所亡者三也。”孔子不說,而復往見子賤曰:“自子之仕,何得、何亡也?”子賤曰:“自吾之仕,未有所亡而所得者三:始誦之文,今履而行之,是學日益明也,所得者一也。奉祿雖少鬻,鬻得及親戚,是以親戚益親也,所得者二也。公事雖急,夜勤,吊死視病,是以朋友益親也,所得者三也。”孔子謂子賤曰:“君子哉若人!君子哉若人!魯無君子也,斯焉取斯?”

孔子の弟子に孔蔑という者がいて、宓子賤とともに官を為した。孔子が往きて孔蔑を経て、彼に問うた。「あなたが官を為ってより、何を得、何を失ったか。」孔蔑は言った。「私が官を為ってより得る所なく、失う所有ること三つ。王事は重ねて来るが如く、学問はどうして温習できよう。これにより学は明らかならず。失う第一。俸禄は少なく、賣るも親戚に及ばず、親戚はいよいよ疏遠す。失う第二。公事は急多く、死人を弔い病人を視る能わず、これにより朋友はいよいよ疏遠す。失う第三。」孔子は喜悦せず。再び往きて子賤に見えて言った。「あなたが官を為ってより、何を得、何を失ったか。」子賤は言った。「私が官を為ってより、失う所なくして得る所有ること三つ。初め誦読した文を、いま履いて行う。これにより学は日に日に明らかなり。得る第一。俸禄は少ないといえども、賣れば親戚に及ぶ。これにより親戚はいよいよ親し。得る第二。公事は急いといえども、夜に勤勉して、死人を弔い病人を視る。これにより朋友はいよいよ親し。得る第三。」孔子は子賤に言った。「君子かなこの人は!君子かなこの人は!魯に君子なかりせば、彼はどこからこのを取らん。」

晏子治東阿三年,景公召而數之曰:“吾以子為可,而使子治東阿,今子治而亂,子退而自察也,寡人將加大誅於子。”晏子對曰:“臣請改道易行而治東阿,三年不治,臣請死之。”景公許之。於是明年上計,景公迎而賀之曰:“甚善矣!子之治東阿也。”晏子對曰:“前臣之治東阿也,屬託行,貨賂至,並會賦斂,倉庫少內,便事左右,陂池之魚,入於權家。當此之時,飢者過半矣,君乃反迎而賀臣,愚不能復治東阿,願乞骸骨,避賢者之路,再拜便辟。”景公乃下席而謝之曰:“子強復治東阿;東阿者,子之東阿也,寡人無復與焉。”

晏子が東阿を治むること三年、景公は彼を召して責めて言った。「私はあなたを以て可とし、あなたに東阿を治めさせた。いまあなたが治めて乱る。あなたは退きて自ら審察せよ。寡人はあなたに誅罰を加重せん。」晏子は答えた。「臣は道を改め行を換えて東阿を治めんことを請う。三年にして治まらざれば、臣はこのために死せんことを請う。」景公は許した。そこで明年に計簿を呈上し、景公は迎えて賀して言った。「甚だよい!あなたが東阿を治めた。」晏子は答えた。「昔、臣が東阿を治めた時、囑托は流行し、貨賂は至り、併せて賦斂を会聚し、倉庫は収入少なく、左右に仕えるを便利とし、陂池の魚は権家に入る。この時、飢餓の人は半ばを過ぎた。しかるに君は反って迎えて臣を賀せり。愚は再び東阿を治むる能わず。願わくは骸骨を乞い、賢者の路を避けんことを。」再拝して退避した。景公はそこで席を下りて謝して言った。「あなたは勉めて再び東阿を治めよ。東阿はあなたの東阿なり。寡人は再び干与せじ。」

子路治蒲,見於孔子曰:“由願受教。”孔子曰:“蒲多壯士,又難治也。然吾語汝,恭以敬,可以攝勇;寬以正,可以容眾;恭以潔,可以親上。”

子路が蒲を治め、孔子に見えて言った。「由は教導を受けんことを願う。」孔子は言った。「蒲は壮士多く、また治め難し。しかし私はあなたに告げる。恭敬にして敬慎すれば、勇を攝服するべし。寛緩にして端正なれば、衆人を容納するべし。恭敬にして廉潔なれば、上に親しむべし。」

子貢為信陽令,辭孔子而行,孔子曰:“力之順之,因子之時,無奪無伐,無暴無盜。”子貢曰:“賜少日事君子,君子固有盜者邪!”孔子曰:“夫以不肖伐賢,是謂奪也;以賢伐不肖,是謂伐也;緩其令,急其誅,是謂暴也;取人善以自為己,是謂盜也。君子之盜,豈必當財幣乎?吾聞之曰:知為吏者奉法利民,不知為吏者,枉法以侵民,此皆怨之所由生也。臨官莫如平,臨財莫如廉,廉平之守,不可攻也。匿人之善者,是謂蔽賢也;揚人之惡者,是謂小人也;不內相教而外相謗者,是謂不足親也。言人之善者,有所得而無所傷也;言人之惡者,無所得而有所傷也。故君子慎言語矣,毋先己而後人,擇言出之,令口如耳。”

子貢が信陽令を為り、孔子に辞めて行く。孔子は言った。「力を順に用い、あの時に凭れ、奪うなかれ伐つなかれ、暴するなかれ盗むなかれ。」子貢は言った。「賜は年少の日より君子に仕え、君子はもともと盗みありや!」孔子は言った。「不肖を以て賢を攻伐するを奪といい、賢を以て不肖を攻伐するを伐といい、法令は遅緩にして誅殺は急迫なるを暴といい、人の善を取りて自らのものとするを盗という。君子の盗は、どうして必ず財幣に対せん。我が聞くに、吏を為すに法を奉行して民に利あるを知る者も、吏を為すに法を枉曲して民を侵すを知らぬ者も、これらは皆怨の生ずる所以なり。官に臨むは平よりよいはなく、財に臨むは廉よりよいはなし。廉と平の操守は、攻破すべからず。人の善を隠藏するは、これを蔽賢という。人の悪を宣揚するは、これ���小人という。内にあらずして互いに教導せず、外にあらずして互いに誹謗するは、これを以て親しむに足らずという。人の善を説くは、得る所有りて傷なし。人の悪を説くは、得る所なきして傷あり。ゆえに君子は言語を慎み、先ず己を後ず人にせず、話を択んで後に口に出し、口をして耳の如からしめよ。」

楊朱見梁王,言治天下如運諸掌然,梁王曰:“先生有一妻一妾不能治,三畝之園不能芸,言治天下如運諸手掌何以?”楊朱曰:“臣有之,君不見夫羊乎,百羊而群,使五尺童子荷杖而隨之,欲東而東,欲西而西;君且使堯牽一羊,舜荷杖而隨之,則亂之始也。臣聞之,夫吞舟之魚不遊淵,鴻鵠高飛不就汙池,何則?其志極遠也。黃鐘大呂,不可從繁奏之舞,何則?其音疏也。將治大者不治小,成大功者不小苛,此之謂也。”

楊朱が梁王に見え、天下を治むるは掌上に運転するが如しと言った。梁王は言った。「先生は一妻一妾を治める能わず、三畝の園の草を芸る能わず。天下を治むるを掌上に運転するが如しというは何故か。」楊朱は言った。「臣にこの説あり。君はあの羊を見ずや。百の羊を群れとし、五尺の童子に杖を荷わせて従わせれば、東せんと欲すれば東し、西せんと欲すれば西す。君がもし堯をして一羊を牽かせ、舜に杖を荷わせて従わせれば、即ち乱の始なり。臣が聞くに、船を呑む魚は浅淵に游ばず、鴻鵠は高く飛び汚池に至らず。何故か。志の極めて遠きなり。黄鐘大呂は、繁雑に奏楽する舞に従うべからず。何故か。声の疏闊なるなり。大を治むる者は小を治めず、大功を成す者は小事に苛刻ならず。これを言う。」

景差相鄭,鄭人有冬涉水者,出而脛寒,後景差過之,下陪乘而載之,覆以上衽,晉叔向聞之曰:“景子為人國相,豈不固哉!吾聞良吏居之三月而溝渠修,十月而津梁成,六畜且不濡足,而況人乎?”

景差が鄭の相を為し、鄭人に冬に水を渡る者あり。出でて小腿は寒し。後に景差が過ぎ、陪乗を下らせて彼を載せ、上衣を以て覆った。晋の叔向はこれを聞いて言った。「景子が人の国相たるは、固陋ならざらんや!我が聞くに、良吏は彼に居ること三月にして溝渠は修治し、十月にして津梁は成る。六畜でさえ足を湿さず。いわんや人をや!」

魏文侯問李克曰:“為國如何?”對曰:“臣聞為國之道,食有勞而祿有功,使有能而賞必行,罰必當。”文侯曰:“吾嘗罰皆當而民不與,何也?”對曰:“國其有淫民乎?臣聞之曰:奪淫民之祿以來四方之士;其父有功而祿,其子無功而食之,出則乘車馬衣美裘以為榮華,入則修竽琴、鍾石之聲而安其子女之樂,以亂鄉曲之教,如此者奪其祿以來四方之士,此之謂奪淫民也。”

魏文侯が李克に問うた。「国を治むるは如何。」答えた。「臣が聞くに、国を治むる道は、労ある者に食を給し、功ある者に禄を給し、能有る者を使用して賞は必ず行い、罰は必ず当を得る。」文侯は言った。「我はかつて賞罰ともに当を得たが民は親附せず。何故か。」答えた。「国におそらく淫民あるか。臣が聞くに、淫民の禄を奪いて以て四方の士を招く。彼の父は功ありて禄を受くるも、子は功なくしてこれを食み、出れば車馬に乗り美裘を着て以て栄華とし、入れば竽琴・鐘石の声を修治して子女の楽に安んじ、以て郷曲の教化を乱る。これの如きは彼の禄を奪いて以て四方の士を招く。これを淫民を奪うという。」

齊桓公問管仲曰:“國何患?”管仲對曰:“患失社鼠。”桓公曰:“何謂也?”管仲對曰:“夫社束木而塗之,鼠因往托焉,燻之則恐燒其木,灌之則恐敗其塗,此鼠所以不可得殺者,以社故也。夫國亦有社鼠,人主左右是也;內則蔽善惡於君上,外則賣權重於百姓,不誅之則為亂,誅之則為人主所察,據腹而有之,此亦國之社鼠也。人有酤酒者,為器甚潔清,置表甚長而酒酸不售,問之里人其故,里人云:‘公之狗猛,人挈器而入,且酤公酒,狗迎而噬之,此酒所以酸不售之故也。’夫國亦有猛狗,用事者也;有道術之士,欲明萬乘之主,而用事者迎而齕之,此亦國之猛狗也。左右為社鼠,用事者為猛狗,則道術之士不得用矣,此治國之所患也。”

斉桓公が管仲に問うた。「国は何を憂えるか。」管仲は答えた。「社鼠を憂える。」桓公は言った。「何の謂いか。」管仲は答えた。「社は木を束ねて泥を塗る。鼠はそこに往きて依托す。これを熏すればあの木を焼くを怕れ、これを灌ればあの塗泥を毀るを怕る。この鼠の得て殺せざる所以は、社の故なり。国にも社鼠あり。即ち人主の左右なり。内にあっては君上に善悪を蔽い、外にあっては百姓に権重を売り、誅殺せざれば乱を為し、誅殺すれば人主に察護される。腹心に据わりて保有する。これも国の社鼠なり。酒を売る人あり。器具は甚だ潔く、招牌は甚だ長く放つも、酒は酸えて売れず。里人に故を問うと、里人は言う『公の狗は兇猛、人が器具を持ちて入れば、将に公の酒を買わんとするに、狗は迎え上がりて彼を咬む。これが酒の酸えて売れざる所以なり』と。国にも猛狗あり。即ち事を管る者なり。道術の士が万乗の主を明らかにせんと欲すれば、事を管る者は迎え上がりて彼を咬む。これも国の猛狗なり。左右は社鼠、事を管るは猛狗なれば、道術の士は用いられる能わず。これは国を治むるの憂うる所なり。」

齊侯問於晏子曰:“為政何患?”對曰:“患善惡之不分。”公曰:“何以察之?”對曰:“審擇左右,左右善,則百僚各得其所宜而善惡分。”孔子聞之曰:“此言也信矣,善言進,則不善無由入矣;不進善言,則善無由入矣。”

斉侯が晏子に問うた。「政を為るは何を憂えるか。」答えた。「善悪の分別せざるを憂える。」公は言った。「どうして察するか。」答えた。「左右を審慎して択ぶ。左右が善なれば、百僚は各々その宜しき所を得て善悪は分別す。」孔子はこれを聞いて言った。「この言は誠なり。善言が入れば、不善は入る由なし。善言を進めざれば、善は入る由なし。」

復槁之君朝齊,桓公問治民焉,復槁之君不對,而循口操衿抑心,桓公曰:“與民共甘苦飢寒乎?”“夫以我為聖人也,故不用言而諭。”因禮之千金。晉文公時,翟人有封狐、文豹之皮者,文公喟然嘆曰:“封狐文豹何罪哉?以其皮為罪也。”大夫欒枝曰:“地廣而不平,財聚而不散,獨非狐豹之罪乎?”文公曰:“善哉!說之。”欒枝曰:“地廣而不平,人將平之;財聚而不散,人將爭之。”於是列地以分民,散財以賑貧。

復槁の君が斉に朝見した。桓公が民を治むるを問うと、復槁の君は答えず、口に順い、衣襟を握り、心を按えた。桓公は言った。「民と甘苦飢寒を共にするか。」「我を以て聖人とし、ゆえに言を用いずして曉諭せり。」そこで千金を以て彼を礼待した。晋文公の時、翟人に封狐・文豹の皮あり。文公は喟然として嘆息して言った。「封狐文豹に何の罪あらん。その皮によって罪あらん。」大夫欒枝は言った。「土地は広くして平分せず、財は聚積して散発せず。これも狐豹の罪ならずや!」文公は言った。「善いな!言を続けよ。」欒枝は言った。「土地が広くして平分せざれば、人は将にこれを平分せんとす。財が聚積して散発せざれば、人は将にこれを争奪せんとす。」そこで土地を区分して民に分け与え、財を散発して貧を賑済した。

晉文侯問政於舅犯,舅犯對曰:“分熟不如分腥,分腥不如分地;割以分民而益其爵祿,是以上得地而民知富,上失地而民知貧,古之所謂致師而戰者,其此之謂也。”

晋文侯が舅犯に政を問うた。舅犯は答えた。「熟食を分かつは生肉を分かつに如かず、生肉を分かつは地を分かつに如かず。割き開いて民に分け与えて彼らの爵禄を増す。ゆえに上は地を得て民は富を知り、上は地を失いて民は貧を知る。古のいわゆる軍を招致して戦うは、これを言う。」

晉侯問於士文伯曰:“三月朔,日有蝕之,寡人學惛焉,詩所謂:‘彼日而蝕,於何不臧’者,何也?”對曰:“不善政之謂也;國無政不用善,則自取謫於日月之災,故不可不慎也。政有三而已:一曰因民,二曰擇人,三曰從時。”

晋侯が士文伯に問うた。「三月朔、日に蝕あり。寡人は学識昏昧。『詩経』のいわゆる『あの日の蝕む、何ぞ善ならざる』とは何か。」答えた。「これは善ならざる政を言う。国に政なく、善を用いざれば、自ら日月の災より謫責を取る。ゆえに慎まざるべからず。政はただ三つのみ。一を因民といい、二を択人といい、三を従時という。」

延陵季子游於晉,入其境曰:“嘻,暴哉國乎!”入其都曰:“嘻,力屈哉,國乎!”立其朝曰:“嘻,亂哉國乎!”從者曰:“夫子之入境未久也,何其名之不疑也?”延陵季子曰:“然,吾入其境田畝荒穢而不休,雜增崇高,吾是以知其國之暴也。吾入其都,新室惡而故室美,新牆卑而故牆高,吾是以知其民力之屈也。吾立其朝,君能視而不下問,其臣善伐而不上諫,吾是以知其國之亂也。齊之所以不如魯者,太公之賢不如伯禽,伯禽與太公俱受封,而各之國三年,太公來朝,周公問曰:“何治之疾也?”對曰:“尊賢,先疏後親,先義後仁也。”此霸者之跡也。周公曰:“太公之澤及五世。”五年伯禽來朝,周公問曰:“何治之難?”對曰:“親親者,先內後外,先仁後義也。”此王者之跡也。周公曰:“魯之澤及十世。”故魯有王跡者,仁厚也;齊有霸跡者,武政也;齊之所以不如魯也,太公之賢不如伯禽也。

延陵季子が晋に遊歴し、国境に入りて言った。「嘻、暴虐なるかなこの国!」都城に入りて言った。「嘻、力屈し尽きたるかな、この国!」朝廷に立ちて言った。「嘻、乱れたるかなこの国!」従者は言った。「夫子は国境に入りてまだ久しからず。何故そのように名づけて疑わざるか。」延陵季子は言った。「是の然り。我は国境に入りて田亩の荒穢にして休整せず、雑乱にして增高すを見、これによって国の暴虐を知る。我は都城に入りて、新たなる屋は醜く旧き屋は美なり、新たなる牆は矮く旧き牆は高しを見、これによって民力の屈尽を知る。我は朝廷に立ちて、君は看る能くして下に問わず、その臣は自誇に善くして上に諫めずを見、これによって国の乱を知る。斉の魯に如かざる所以は、太公の賢が伯禽に如かざるなり。伯禽と太公は皆封を受け、各々国に至ること三年、太公が来朝し、周公は問うて言う『何故治むることこのように速きか』と。答えて曰く『賢を尊び、疏を先にして親を後にし、義を先にして仁を後にす』と。これは覇者の跡なり。周公は曰く『太公の恩沢は五世に延びん』と。五年して伯禽が来朝し、周公は問うて言う『何故治むることこのように難きか』と。答えて曰く『親を親しみ、内を先にして外を後にし、仁を先にして義を後にす』と。これは王者の跡なり。周公は曰く『魯の恩沢は十世に延びん』と。ゆえに魯に王の跡あるは仁厚、斉に覇の跡あるは武政。斉の魯に如かざる所以は、太公の賢が伯禽に如かざるなり。」

景公好婦人而丈夫飾者,國人盡服之,公使吏禁之曰:“女子而男子飾者,裂其衣,斷其帶。”裂衣斷帶相望而不止,晏子見,公曰:“寡人使吏禁女子而男子飾者,裂其衣,斷其帶,相望而不止者,何也?”對曰:“君使服之於內而禁之於外,猶懸牛首於門而求買馬肉也;公胡不使內勿服,則外莫敢為也。”公曰:“善!”使內勿服,不旋月而國莫之服也。

景公は婦人にして丈夫の如く粧飾するを好み、国人は皆このように穿戴した。公は吏を派して禁じて言った。「女子にして男子の如く粧飾するは、その衣を撕裂し、その帯を斬断せよ。」衣を撕裂し帯を斬断するは彼此目に見ゆれども止まず。晏子が進見し、公は言った。「寡人は吏を派して女子の男子の如く粧飾するを禁じ、その衣を撕裂しその帯を斬断せしむも、彼此目に見ゆれども止まず。何故か。」答えた。「君は中に穿戴せしめて外に禁ず。門に牛頭を懸けて馬肉を買わんと求むるが如し。公はどうして中にこのように穿戴せしめざらしめぬか。されば外に人の敢えて為すなし。」公は言った。「よし!」中にこのように穿戴せしめざらしめ、一月に満たずして国中にこのように穿戴する人なし。

齊人甚好轂擊相犯以為樂,禁之不止,晏子患之,乃為新車良馬出與人相犯也,曰:“轂擊者不祥,臣其察祀不順,居處不敬乎?”下車棄而去之,然後國人乃不為。故曰:“禁之以制,而身不先行也,民不肯止,故化其心莫若教也。”

斉人は甚だ車轂を以て撞撃し互いに冲犯するを楽と為し、禁ずれども止まず。晏子はこれを憂え、そこで新車を作り良馬に駕して出で、人と互いに冲犯し、言った。「車轂の撞撃するは祥ならず。臣はおそらく祭祀順ならず、居処敬ならざるか。」車を下りて棄てて去り、然る後に国人は為さず。ゆえに言う。「制度を以て禁ずるに、自身が先に行わざれば、民は肯んじて止まず。ゆえに彼らの心を変化するは教化よりよきなし。」

魯國之法,魯人有贖臣妾於諸侯者,取金於府;子貢贖人於諸侯而還其金,孔子聞之曰:“賜失之矣,聖人之舉事也,可以移風易俗,而教導可施於百姓,非獨適其身之行也。今魯國富者寡而貧者眾,贖而受金則為不廉;不受則後莫復贖,自今以來,魯人不復贖矣。”孔子可謂通於化矣。故老子曰:“見小曰明。”

魯国の法、魯人に諸侯より臣妾を贖い取る者は、府より金を取る。子貢は諸侯より人を贖い取りてあの金を帰した。孔子はこれを聞いて言った。「賜は誤れり。聖人が事を挙ぐるは、移風易俗し、教導を以て百姓に施す可きものなり。ただ自身の行に適うのみにあらず。いま魯国は富めるは少なく貧しきは多し。贖い取りて金を受くれば不廉なり。受けざれば後に人の再び贖うなし。今より後、魯人は再び贖わず。」孔子は教化に通ずと称すべし。ゆえに老子は言った。「小を見るを明という。」

孔子見季康子,康子未說,孔子又見之,宰予曰:“吾聞之夫子曰:‘王公不聘不動。’今吾子之見司寇也少數矣。”孔子曰:“魯國以眾相陵,以兵相暴之日久矣,而有司不治,聘我者孰大乎?”於是魯人聞之曰:“聖人將治,何以不先自為刑罰乎?”自是之後,國無爭者。孔子謂弟子曰:“違山十里,蟪蛄之聲猶尚存耳,政事無如膺之矣。”古之魯俗,塗裡之間,羅門之羅,收門之魚,獨得於禮,是以孔子善之夫塗裡之間,富家為貧者出;羅門之羅,有親者取多,無親者取少;收門之漁,有親者取巨,無親者取小。

孔子が季康子に見え、康子は喜悦せず。孔子はまた見えた。宰予は言った。「我は夫子の言を聞くに『王公は聘問せざれば動かず』と。いま吾子は司寇に見えたることすでに少なきか。」孔子は言った。「魯国は衆を以て相陵し兵を以て相暴するの日久し。しかるに有司は治めず。我を聘うは誰より大ならん。」そこで魯人はこれを聞いて言った。「聖人は将に治めんとす。どうして先ず自ら刑罰を為さざる。」これより以後、国中に争闘するなし。孔子は弟子に言った。「山を離るる十里、蟪蛄の声はなお耳に在り。政事は身自ら承当するよりよきなし。」古の魯の風俗、涂里の間、羅門の網、収門の魚は、独り礼に得る。これにより孔子はこれを称賛す。涂里の間は、富家は貧の人のために出す。羅門の網は、親ある者は多取し、親なき者は少取す。収門の漁獲は、親ある者は大を取り、親なき者は小を取る。

春秋曰:四民均則王道興而百姓寧;所謂四民者,士、農、工、商也。婚姻之道廢,則男女之道悖,而淫泆之路興矣。

『春秋』に言う。四民が均平なれば王道は興り百姓は安寧す。いわゆる四民とは、士・農・工・商なり。婚姻の道が廃せらるれば、男女の道は悖乱し、淫泆の路は興起す。

卷八尊賢

巻八 尊賢

人君之慾平治天下而垂榮名者,必尊賢而下士。易曰:“自上下下,其道大光。”又曰:“以貴下賤,大得民也。”夫明王之施德而下下也,將懷遠而致近也。夫朝無賢人,猶鴻鵠之無羽翼也,雖有千里之望,猶不能致其意之所欲至矣;是故遊江海者托於船,致遠道者托於乘,欲霸王者托於賢;伊尹、呂尚、管夷吾、百里奚,此霸王之船乘也。釋父兄與子孫,非疏之也;任庖人釣屠與仇讎僕虜,非阿之也;持社稷立功名之道,不得不然也。猶大匠之為宮室也,量小大而知材木矣,比功效而知人數矣。是故呂尚聘而天下知商將亡,而周之王也;管夷吾,百里奚任,而天下知齊秦之必霸也,豈特船乘哉!夫成王霸固有人,亡國破家亦固有人;桀用於莘,紂用惡來,宋用唐鞅,齊用蘇秦,秦用趙高,而天下知其亡也;非其人而欲有功,譬其若夏至之日而欲夜之長也,射魚指天而欲發之當也;雖舜禹猶亦困,而又況乎俗主哉!

人君が天下を平治して栄名を垂れんと欲するは、必ず賢を尊び士に降下して対すべし。『周易』に言う。「上より下に下れば、その道は大いに光顕す。」また言う。「貴を以て賤に下れば、大いに民を得る。」明王は徳を施して下に降下して対し、将に遠方を懐柔して近きを招致せんとす。朝廷に賢人なきは、鴻鵠に羽翼なきが如く、千里の望みあるも、なお心意の至らんと欲する所に至る能わず。これにより江海に游ぶは船に依托し、遠道に至るは車乗に依托し、覇王を称せんと欲するは賢人に依托す。伊尹・呂尚・管夷吾・百里奚、これらは霸王の船と車乗なり。父兄と子孫を放下するは、彼らを疏遠するにあらず。庖人・魚釣屠宰の人と仇敵仆虜を任用するは、彼らを偏私するにあらず。社稷を持守し功名を立つる道は、是を得ざらざるなり。大匠が宮室を為るが如く、大小を量度すれば材木を知り、効功を比較すれば人数を知る。これにより呂尚が聘せられて天下は商の将に亡びんとし周の将に王たらんとするを知る。管夷吾・百里奚が任用せられて、天下は斉・秦の必ず覇を称せんことを知る。どうしてただ船と車乗のみならん!王覇を成就するはもともと人あり、亡国破家ももともと人あり。桀は于莘を用い、紂は悪来を用い、宋は唐鞅を用い、斉は蘇秦を用い、秦は趙高を用い。天下は彼らの滅亡を知る。あの人にあらずして功を求めんは、夏至の日に夜長を求め、天に對して魚を射て発射の当なるを求むるが如し。たとえ舜・禹といえどもなお困窮せん。いわんや世俗の主をや!

春秋之時,天子微弱,諸侯力政,皆叛不朝;眾暴寡,強劫弱,南夷與北狄交侵,中國之不絕若線。桓公於是用管仲、鮑叔、隰朋、賓胥無、甯戚,三存亡國,一繼絕世,救中國,攘戎狄,卒脅荊蠻,以尊周室,霸諸侯。晉文公用咎犯、先軫、陽處父,強中國,敗強楚,合諸侯,朝天子,以顯周室。楚莊王用孫叔敖、司馬子反、將軍子重,徵陳從鄭,敗強晉,無敵於天下。秦穆公用百里子、蹇叔子、王子廖及由余,據有雍州,攘敗西戎。吳用延州萊季子,幷翼州,揚威於雞父。鄭僖公富有千乘之國,貴為諸侯,治義不順人心,而取弒於臣者,不先得賢也。至簡公用子產、裨諶、世叔、行人子羽,賊臣除,正臣進,去強楚,閤中國,國家安寧,二十餘年,無強楚之患。故虞有宮之奇,晉獻公為之終夜不寐;楚有子玉得臣,文公為之側席而坐,遠乎賢者之厭難折沖也。夫宋襄公不用公子目夷之言,大辱於楚;曹不用僖負羈之諫,敗死於戎。故共惟五始之要,治亂之端,在乎審己而任賢也。國家之任賢而吉,任不肖而兇,案往世而視己事,其必然也,如合符,此為人君者,不可以不慎也。國家惛亂而良臣見,魯國大亂,季友之賢見,僖公即位而任季子,魯國安寧,外內無憂,行政二十一年,季子之卒後,邾擊其南,齊伐其北,魯不勝其患,將乞師於楚以取全耳(或作身),故傳曰:患之起必自此始也。公子買不可使戍衛,公子遂不聽君命而擅之晉,內侵於臣下,外困於兵亂,弱之患也。僖公之性,非前二十一年常賢,而後乃漸變為不肖也,此季子存之所益,亡之所損也。夫得賢失賢,其損益之驗如此,而人主忽於所用,甚可疾痛也。夫智不足以見賢,無可奈何矣,若智能見之,而強不能決,猶豫不用,而大者死亡,小者亂傾,此甚可悲哀也。

春秋の時、天子は微弱、諸侯は力を以て政を執り、皆反して朝せず。衆を以て寡を暴し、強を以て弱を劫し、南夷と北狄は交相侵し、中国は絶えざること一線の如し。桓公はそこで管仲・鮑叔・隰朋・賓胥無・寧戚を用い、三たび亡国を存し、一たび絶世を継ぎ、中国を救い、戎狄を攘除し、終に荊蠻を脅迫し、以て周室を尊び、諸侯に覇を称した。晋文公は咎犯・先軫・陽處父を用い、中国を強くし、強楚を打敗し、諸侯を會合し、天子に朝見し、以て周室を顕揚せり。楚荘王は孫叔敖・司馬子反・将軍子重を用い、陳を征して鄭を服せしめ、強晋を打敗し、天下に敵なし。秦穆公は百里子・蹇叔子・王子廖および由余を用い、雍州を据有し、西戎を攘除打敗せり。呉は延州萊季子を用い、翼州を兼倂し、雞父に威を揚げり。鄭僖公は千乗の国を富み、諸侯に貴ぶも、治義は人心に順わず、臣に弑せらる。これは賢を先得ざるなり。簡公に至り子産・裨諶・世叔・行人子羽を用い、賊臣は除去され、正臣は進用され、強楚を離れ、中国に會合し、国家は安寧なること二十余年、強楚の患なし。ゆえに虞に宮之奇あれば、晋献公はこのために夜も睡らず。楚に子玉得臣あれば、文公はこのために側席に坐す。賢者の災難を壓し折衝するは遠きかな。宋襄公は公子目夷の言を用いず、楚に於て大いに辱を受けたり。曹は僖負羈の諫を用いず、戎に於て敗死せり。ゆえに恭敬して想うに、五始の要害・治乱の端緒は、己を審察して賢人を任用するに在り。国家が賢を任用すれば吉、不肖を任用すれば凶。往世を按じて己の事を看れば、それは必ず合符の如し。これは人君たる者の慎まざるべからざるなり。国家昏乱にして良臣顕現す。魯国大いに乱れ、季友の賢顕現せり。僖公が即位して季子を任用せば、魯国安寧、外内に憂なく、政を行うこと二十一年。季子が卒した後、邾は南面を攻め、斉は北面を伐ち、魯はあの患に勝つ能わず、将に楚に兵を乞いて保全を求めんとす。ゆえに伝えに言う、患の興起は必ずこのより始まると。公子買は戍衛に遣るべからず、公子遂は君命を聴かず擅りに晋に至る。内は臣下に侵逼され、外は兵乱に困せらる。これは弱の患なり。僖公の性は、前の二十一年は常に賢にして、後に漸く不肖に変じたにあらず。これは季子の在る時には増益せられ、在らざる時には減損せられたるなり。賢を得失する、損益の応験はこの如し。しかるに人主は用いる人に疏漏たり。甚だ疾痛すべし。智が賢を見るに足らざれば、无可奈何なり。もし智が見る能うも、勉めて決断する能わず、猶豫して用いざれば、大は死亡し、小は乱れて傾覆す。これは甚だ悲哀すべし。

以宋殤公不知孔父之賢乎,安知孔父死,己必死,趨而救之,趨而救之者,是知其賢也。以魯莊公不知季子之賢乎,安知疾將死,召季子而授之國政,授之國政者,是知其賢也。此二君知能見賢而皆不能用,故宋殤公以殺死,魯莊公以賊嗣,使宋殤蚤任孔父,魯莊素用季子,乃將靖鄰國,而況自存乎!

宋殤公が孔父の賢を知らざりしとすれば、どうして孔父が死して己が必ず死すと知り、馳せて彼を救わんとし、馳せて彼を救わんとしたか。これは彼の賢を知るなり。魯荘公が季子の賢を知らざりしとすれば、どうして病みて将に死せんとするに、季子を召して国政を彼に授けたか。国政を彼に授くるは、彼の賢を知るなり。この二君は智は賢を見る能くして皆用いる能わず。ゆえに宋殤公はこれによって殺され、魯荘公はこれによって嗣子を賊害せられたり。仮に宋殤が早く孔父を任用し、魯荘が素より季子を用いせば、なお隣国を安んぜん。いわんや自ら保存せんをや!

鄒子說梁王曰:“伊尹故有莘氏之媵臣也,湯立以為三公,天下之治太平。管仲故成陰之狗盜也,天下之庸夫也,齊桓公得之以為仲父。百里奚道之於路,傳賣五羊之皮,秦穆公委之以政。甯戚故將車人也,叩轅行歌於康之衢,桓公任以國。司馬喜髕腳於宋,而卒相中山。範睢折脅拉齒於魏而後為應侯。太公望故老婦之出夫也,朝歌之屠佐也,棘津迎客之舍人也,年七十而相周,九十而封齊。故詩曰:‘綿綿之葛,在於曠野,良工得之,以為絺紵,良工不得,枯死於野。’此七士者,不遇明君聖主,幾行乞丐,枯死於中野,譬猶綿綿之葛矣。”

鄒子が梁王に遊説して言った。「伊尹は昔、有莘氏の媵臣なりき。湯は彼を三公に立て、天下は太平に治まりき。管仲は昔、成陰の狗盗、天下の庸夫なりき。斉桓公は彼を得て仲父と為したり。百里奚は路上に食を求め、羊皮五枚を以て轉売せり。秦穆公は政事を彼に委託せり。寧戚は昔、車を趕る人なり、車轅を敲きて康庄大路に歌えり。桓公は国事を彼に任用せり。司馬喜は宋で髕刑を受け、終に中山相を為せり。范雎は魏で肋骨を打折り歯を打落されて後に應侯を為せり。太公望は昔、老婦に休められたる夫、朝歌の屠宰の助手、棘津の客を迎える舎人なりき。七十歳にして周の相を為し、九十歳にして斉に封ぜらる。ゆえに『詩経』に言う。「緜緜たる葛は、曠野に在り。良工はこれを得て細葛と紵麻を為す。良工はこれを得ざれば、野に枯死す。」この七士は、明君聖主に遇わざれば、ほぼ行乞に往きて曠野の中に枯死せん。緜緜の葛の如きならん。」

眉睫之徵,接而形於色;聲音之風,感而動乎心。甯戚擊牛角而商歌,桓公聞而舉之;鮑龍跪石而登嵼,孔子為之下車;堯、舜相見不違桑陰,文王舉太公不以日久。故賢聖之接也,不待久而親;能者之相見也,不待試而知矣。故士之接也,非必與之臨財分貨,乃知其廉也;非必與之犯難涉危,乃知其勇也。舉事決斷,是以知其勇也;取與有讓,是以知其廉也。故見虎之尾,而知其大於狸也;見象之牙,而知其大於牛也。一節見則百節知矣。由此觀之,以所見可以占未發,睹小節固足以知大體矣。

眉睫の兆は、触れば即ち顔色に顕現す。声音の風は、感すれば即ち心裏に発動す。寧戚は牛角を敲きて商歌を唱え、桓公はこれを聞きて彼を挙用せり。鮑龍は石に跪きて嵼に登り、孔子は彼のために車を下りたり。堯・舜が相見るや桑陰を離れず、文王が太公を挙用するや日の久しきを以てせず。ゆえに賢聖は交接して、久しきを待たずして親し。能者は相見て、試を待たずして知る。ゆえに士が交接するに、必ずしも彼と財物に面して貨利を分けずして、彼の廉を知るなり。必ずしも彼と災難を冒犯し危険を経歴せずして、彼の勇を知るなり。事を挙げて決断せば、これによって彼の勇を知る。取与に謙譲あれば、これによって彼の廉を知る。ゆえに虎の尾を見れば、彼の狸より大なるを知る。象の牙を見れば、彼の牛より大なるを知る。一節を見れば百節を知るなり。これを見れば、見る所を凭りて未だ発せざるを占測するべく、小節を見ればもともと大体を知るに足るなり。

禹以夏王,桀以夏亡;湯以殷王,紂以殷亡。闔廬以吳戰勝無敵於天下,而夫差以見禽于越,文公以晉國霸,而厲公以見弒於匠麗之宮,威王以齊強於天下,而愍王以弒死於廟梁,穆公以秦顯名尊號,而二世以劫於望夷,其所以君王者同,而功跡不等者,所任異也!是故成王處襁褓而朝諸侯,周公用事也。趙武靈王五十年而餓死於沙丘,任李充故也。桓公得管仲,九合諸侯,一匡天下,失管仲,任豎刁易牙,身死不葬,為天下笑,一人之身,榮辱俱施焉,在所任也。故魏有公子無忌,削地復得;趙任藺相如,秦兵不敢出鄢陵;任唐睢,國獨特立。楚有申包胥,而昭王反位;齊有田單,襄王得國。由此觀之,國無賢佐俊士,而能以成功立名,安危繼絕者,未嘗有也。故國不務大而務得民心;佐不務多,而務得賢俊。得民心者民往之,有賢佐者士歸之,文王請除炮烙之刑而殷民從,湯去張網者之三面而夏民從,越王不隳舊冢而吳人服,以其所為之順於民心也。故聲同則處異而相應,德合則未見而相親,賢者立於本朝,則天下之豪,相率而趨之矣,何以知其然也?曰:管仲,桓公之賊也,鮑叔以為賢於己而進之為相,七十言而說乃聽,遂使桓公除報讎之心而委國政焉。桓公垂拱無事而朝諸侯,鮑叔之力也;管仲之所以能北走桓公無自危之心者,同聲於鮑叔也。紂殺王子比干,箕子被髮而佯狂,陳靈公殺洩冶而鄧元去陳;自是之後,殷兼於周,陳亡於楚,以其殺比干、洩冶而失箕子與鄧元也。燕昭王得郭隗,而鄒衍、樂毅以齊趙至,蘇子、屈景以周楚至,於是舉兵而攻齊,棲閔王於莒,燕校地計眾,非與齊均也,然所以能信意至於此者,由得士也。故無常安之國,無恆治之民;得賢者則安昌,失之者則危亡,自古及今,未有不然者也。

禹は夏に凭りて王と称し、桀は夏に凭りて滅亡す。湯は殷に凭りて王と称し、紂は殷に凭りて滅亡す。闔廬は呉に凭りて勝ち天下に敵なし。しかるに夫差はこれによって越に擒せられたり。文公は晋国に凭りて覇を称し、しかるに厲公はこれによって匠麗の宮に弑せられたり。威王は斉に凭りて天下に強なり。しかるに愍王はこれによって廟梁に弑死せられたり。穆公は秦に凭りて名を顕し号を尊くせり。しかるに二世はこれによって望夷に劫持せられたり。彼らの君王を為す所以は同じ。しかるに功跡は等しからず。これは任用する所の異なるなり!これにより成王は襁褓に在りて諸侯来朝す。これは周公が事を用いしなり。趙武靈王は五十年にして沙丘に餓死す。これは李充を任用せし故なり。桓公は管仲を得、九合諸侯、一匡天下。管仲を失い、竪刁・易牙を任用し、身死して葬る能わず、天下に笑わる。一人の身上、栄辱は皆施さる。任用する所に在り。ゆえに魏に公子無忌あれば、地を削りて再び得。趙は藺相如を任用せば、秦兵は鄢陵を出ずる敢えず。唐雎を任���せ���、国は独り立つ能う。楚に申包胥あれば、昭王は位に返る。斉に田単あれば、襄王は国を得。これを見れば、国に賢佐俊士なきにして、成功立名・安危継絶する能うは、かつて有らず。ゆえに国は務めて大ならずして務めて民心を得る。輔佐は務めて多からずして務めて賢俊を得る。民心を得るの民は往き、賢佐あるの士は帰附す。文王は炮烙の刑を除去せんことを請いて殷民は従い、湯は網を張る者の三面を去りて夏民は従い、越王は旧墳を毀壊せずして呉人は服す。彼の為す所は民心に順うなり。ゆえに声音同じければ異地方に処れども相応じ、徳相合すれば未だ見ざるに相亲し、賢者が本朝に立てば、天下の豪傑は相継いで彼に趨く。何を以てこの然るを知らん。曰く、管仲は桓公の仇敵なり。鮑叔は己より賢とし彼を挙薦して相と為し、説くこと七十回して乃ち聴かれたり。そこで桓公に報仇の心を除去せしめて国政を彼に委託せしめり。桓公は衣を垂れ手を拱きて事なくして諸侯は来朝す。これは鮑叔の力なり。管仲の能く北に向かい桓公に走りて自ら危の心なき所以は、鮑叔と声音同じきなり。紂は王子比干を殺し、箕子は髪を披き狂を装う。陳靈公は泄冶を殺して鄧元は陳を離る。これより以後、殷は周に兼倂せられ、陳は楚に滅亡せられたり。比干・泄冶を殺して箕子と鄧元を失いしが故なり。燕昭王は郭隗を得、しかるに鄒衍・楽毅は斉・趙より至り、蘇子・屈景は周・楚より至る。そこで兵を起して斉を攻め、閔王を莒に栖止せしむ。燕は土地と民衆を計るに、斉と均等ならざるも、能く意を伸べてこのに至る所以は、士を得しによるなり。ゆえに常安の国なく、恒治の民なし。賢を得れば安昌し、失えば危亡す。古より今に至る、かつてこのようでなきなし。

明鏡所以昭形也,往古所以知今也,夫知惡往古之所以危亡,而不務襲跡於其所以安昌,則未有異乎卻走而求逮前人也,太公知之,故舉微子之後而封比干之墓,夫聖人之於死尚如是其厚也,況當世而生存者乎!則其弗失可識矣。

明鏡は以て形貌を顕明にし、往古は以て今を知るなり。往古の危亡せし所以を知りて悪みながら、彼らの安昌せし所以の跡を務めて襲承せざるは、倒さに走りて前面の人に及ばんと求むると異なるなし。太公はこれを知り、ゆえに微子の後を挙用して比干の墓を封じたり。聖人は死に対してなおこのように厚し。いわんや当世にして生ける者をや!ならば彼らを失わざるは以て識るべきなり。

齊景公問於孔子曰:“秦穆公其國小,處僻而霸,何也?”對曰:“其國小而志大,雖處僻而其政中,其舉果,其謀和,其令不偷;親舉五羖大夫於系縲之中,與之語三日而授之政,以此取之,雖王可也,霸則小矣。”

斉景公が孔子に問うた。「秦穆公は国小なり、偏僻に処れども覇を称せり。何故か。」答えた。「彼は国小なるも志向大なり。偏僻に処るも政は中を得、挙動は果決、謀は和諧、命令は苟且ならず。自ら捆綁の中より五羖大夫を挙用し、彼と三日談じて政を彼に授けたり。これを以て取れば、王を称すとも可なり。覇を称するは小なり。」

或曰:“將謂桓公仁義乎?殺兄而立,非仁義也;將謂桓公恭儉乎?與婦人同輿,馳於邑中,非恭儉也;將謂桓公清潔乎?閨門之內,無可嫁者,非清潔也。此三者亡國失君之行也,然而桓公兼有之,以得管仲隰朋,九合諸侯,一匡天下,畢朝周室,為五霸長,以其得賢佐也;失管仲隰朋,任豎刁易牙,身死不葬,蟲流出戶。一人之身,榮辱俱施者,何者?其所任異也。”由此觀之,則任佐急矣。周公旦白屋之士,所下者七十人,而天下之士皆至;晏子所與同衣食者百人,而天下之士亦至;仲尼修道行,理文章,而天下之士亦至矣。伯牙子鼓琴,鍾子期聽之,方鼓而志在太山,鍾子期曰:“善哉乎鼓琴!巍巍乎若太山。”少選之間,而志在流水,鍾子期復曰:“善哉乎鼓琴!湯湯乎若流水。”鍾子期死,伯牙破琴絕弦,終身不復鼓琴,以為世無足為鼓琴者。非獨鼓琴若此也,賢者亦然,雖有賢者而無以接之,賢者奚由盡忠哉!驥不自至千里者,待伯樂而後至也。

ある人は言った。「桓公を仁義と言わんとするか。兄を殺して立つは仁義ならず。桓公を恭儉と言わんとするか。婦人と車を同じくして邑中に馳騁すは恭儉ならず。桓公を清潔と言わんとするか。閨門の内に嫁ぐ可きなく、清潔ならず。この三者は亡国失君の行なり。しかるに桓公は兼ね有せり。管仲・隰朋を得たればこそ、九合諸侯、一匡天下、皆周室に朝して五覇の長を為したり。彼が賢佐を得しが故なり。管仲・隰朋を失い、竪刁・易牙を任用せば、身死して葬る能わず、虫は門戸より流出す。一人の身上に栄辱は皆施さる。何故か。任用する所の異なるなり。」これを見れば、輔佐を任用するは急務なり。周公旦は白屋の士に、降下して対する所七十人、天下の士は皆至れり。晏子が共に衣食する所百人、天下の士もまた至れり。仲尼が徳を修養し文章を治めれば、天下の士もまた至れり。伯牙子が琴を弾き、鍾子期が聴く。剛に弾きて志向は太山に在り。鍾子期は言う「琴を弾くこと善いな!巍巍然として太山の如し。」片刻の間、志向は流水に在り。鍾子期はまた言う「琴を弾くこと善いな!湯湯然として流水の如し。」鍾子期が死せば、伯牙は琴を摔破し絃を扯断し、終身再び琴を弾かず。世に琴を弾くに足る者なしと為す。琴のみならず、賢者もまたこの如し。賢者あるも以て彼に交接するなくんば、賢者はどこより忠を尽くさん!驥は自ら千里に至らず、伯楽を待ちて後に至る。

周威公問於寧子曰:“取士有道乎?”對曰:“有,窮者達之,亡者存之,廢者起之;四方之士,則四面而至矣。窮者不達,亡者不存,廢者不起;四方之士,則四面而畔矣。夫城固不能自守,兵利不能自保,得士而失之,必有其間,夫士存則君尊,士亡則君卑。”周武公曰:“士壹至如此乎?”對曰:“君不聞夫楚平王有士,曰楚傒胥丘,負客,王將殺之,出亡之晉;晉人用之,是為城濮之戰。又有士曰苗賁皇,王將殺之,出亡走晉;晉人用之,是為鄢陵之戰。又有士曰上解於,王將殺之,出亡走晉;晉人用之,是為兩堂之戰。又有士曰伍子胥,王殺其父兄,出亡走吳;闔閭用之,於是興師而襲郢,故楚之大得罪於梁鄭宋衛之君,猶未遽至於此也。此四得罪於其士,三暴其民骨,一亡其國。由是觀之,士存則國存,士亡則國亡;子胥怒而亡之,申包胥怒而存之;士胡可無貴乎!”

周威公が寧子に問うた。「士を取るに道あるか。」答えた。「有り。困窮の者は顕達せしめ、逃亡の者は保存せしめ、廃棄の者は興起せしめよ。四方の士は、四面より至らん。困窮の者を顕達せしめず、逃亡の者を保存せしめず、廃棄の者を興起せしめざれば、四方の士は、四面より叛離せん。城は堅固なるも自ら守る能わず、兵器は鋒利なるも自ら保つ能わず。士を得てまた失えば、必ず間隙あり。士在れば君は尊く、士亡せば君は卑し。」周威公は言った。「士は竟然としてこのようか。」答えた。「君は聞かずや、楚平王に士あり、楚傒胥丘という。客を負いて、王は将に彼を殺さんとして、晋に出亡せり。晋人は彼を用い、これが城濮の戦なり。また士あり、苗賁皇という。王は将に彼を殺さんとして、晋に出亡走る。晋人は彼を用い、これが鄢陵の戦なり。また士あり、上解于という。王は将に彼を殺さんとして、晋に出亡走る。晋人は彼を用い、これが両堂の戦なり。また士あり、伍子胥という。王は彼の父兄を殺し、呉に出亡走る。闔閭は彼を用い、そこで兵を起して郢を襲撃せり。ゆえに楚は大いに梁・鄭・宋・衛の君に罪を得たるも、未だ即座にこの歩に至らず。この四度その士に罪を得て、三度民の骨を暴露せしめ、一度その国を滅亡せしめり。これを見れば、士在れば国は存し、士亡せば国は亡す。子胥は怒りてこれを滅亡せしめ、申包胥は怒りてこれを保存せしめり。士はどうして貴重せざるべからざらん!」

哀公問於孔子曰:“人若何而可取也?”孔子對曰:“毋取拑者,無取健者,毋取口銳者。”哀公曰:“何謂也?”孔子曰:“拑者大給利不可盡用;健者必欲兼人,不可以為法也;口銳者多誕而寡信,後恐不驗也。夫弓矢和調而後求其中焉;馬愨願順,然後求其良材焉;人必忠信重厚,然後求其知能焉。今有人不忠信重厚而多智能,如此人者,譬猶豺狼與,不可以身近也。是故先其仁義之誠者,然後親之;於是有知能者,然後任之;故曰:親仁而使能。夫取人之術也,觀其言而察其行,夫言者所以抒其匈而發其情者也,能行之士必能言之,是故先觀其言而揆其行,夫以言揆其行,雖有奸軌之人,無以逃其情矣。”哀公曰:“善。”

哀公が孔子に問うた。「人はどうすれば取用すべきか。」孔子は答えた。「箝制せるを取るなかれ、強健勝を好むを取るなかれ、口鋒利なるを取るなかれ。」哀公は言った。「何の謂いか。」孔子は言った。「箝制は利便を与え過ぎて尽用すべからず。強健勝を好むは必ず人を兼倂せんと欲し、作法とすべからず。口鋒利は夸誕多く信少なく、後には応験せざるを怕る。弓矢は調和して後にその中るを求め、馬は誠実願順にして後にその良材を求め、人は必ず忠信重厚にして後にその知能を求む。いま人に忠信重厚ならずして智能多きがあれば、この如き人は豺狼に比す。身体を以て近づくべからず。これにより先ず彼の仁義の誠を見て後に親しみ、そこに知能あれば後に任用す。ゆえに曰く、仁に親しみ能を用うと。人を取る術は、彼の言を観察して彼の行を審察す。言は以て胸臆を抒き情を発露するなり。行う能くする士は必ず言う能くす。これにより先ず彼の言を観察して彼の行を度量し、言を以て彼の行を度量すれば、奸軌の人あるも、実情を脱免する由なし。」哀公は言った。「よし。」

周公攝天子位七年,布衣之士,執贄所師見者十二人,窮巷白屋所見者四十九人,時進善者百人,教士者千人,官朝者萬人。當此之時,誠使周公驕而且吝,則天下賢士至者寡矣,苟有至者,則必貪而尸祿者也,尸祿之臣,不能存君矣。

周公が天子の位を攝すること七年、布衣の士に贄を執りて師事進見せし者十二人、窮巷白屋に接見せし者四十九人、時々善を進めし者百人、教を受けし士千人、官朝に在りし者万人。あの時、仮に周公をして驕傲かつ吝嗇ならしめば、天下の賢士の至る者少なからん。仮に至る者あらば、必ず貪にして尸位食禄せん。尸位食禄の臣は、君を保存する能わず。

齊桓公設庭燎,為士之慾造見者,期年而士不至,於是東野鄙人有以九九之術見者,桓公曰:“九九何足以見乎?”鄙人對曰:“臣非以九九為足以見也,臣聞主君設庭燎以待士,期年而士不至,夫士之所以不至者,君、天下賢君也;四方之士,皆自以論而不及君,故不至也。夫九九薄能耳,而君猶禮之,況賢於九九乎?夫太山不辭壤石,江海不逆小流,所以成大也,詩云:‘先民有言,詢於芻蕘。’言博謀也。”桓公曰善,乃因禮之。期月四方之士,相攜而並至,詩曰:“自堂徂基,自羊徂牛。”言以內及外,以小及大也。

斉桓公が庭燎を設置し、前来進見せんと欲する士のためにすれども、一年に満ちて士来たらず。そこに東野鄙人あり、九九の術を凭りて進見せんとす。桓公は言った。「九九はどうして進見に足らん。」鄙人は答えた。「臣は九九を以て進見に足ると為さず。臣が聞くに、主君は庭燎を設置して士を待つに、一年に満ちて士来たらず。士の来たらざる所以は、君は天下の賢君なり。四方の士は皆自ら以て議論は君に及ばずとし、ゆえに来たらず。九九は浅薄の技能なり。君はなおこれを礼待す。いわんや九九より賢なる者をや!太山は土壤石を推辞せず、江海は小流を拒絶せず。ゆえに大を成就す。『詩経』に言う。「先民に言あり、芻蕘の人に諮詢す。」これは広く謀るを言う。」桓公は善しとし、そこでこれによって彼を礼待した。一月に満ちて四方の士は互いに手を携えて併せて至れり。『詩経』に言う。「堂より基に至り、羊より牛に至る。」これは内より外に、小より大に至るを言う。

齊景公伐宋,至於岐堤之上,登高以望,太息而嘆曰:“昔我先君桓公,長轂八百乘以霸諸侯,今我長轂三千乘,而不敢久處於此者,豈其無管仲歟!”弦章對曰:“臣聞之,水廣則魚大,君明則臣忠;昔有桓公,故有管仲;今桓公在此,則車下之臣儘管仲也。”

斉景公が宋を伐ち、岐堤の上に至り、高く登り眺望して、長嘆して言った。「昔、我先君桓公は、長轂八百乗を以て諸侯に覇を称せり。いま我は長轂三千乗、しかるに長くここに処る敢えず。これは管仲なきによるにあらずや!」弦章は答えた。「臣が聞くに、水広ければ魚大なり、君明ければ臣忠なり。昔は桓公あり、ゆえに管仲あり。いま桓公はここに在り。ならば車下の臣は皆管仲なり。」

趙簡子游於河而樂之,嘆曰:“安得賢士而與處焉!”舟人古乘跪而對曰:“夫珠玉無足,去此數千裡而所以能來者,人好之也;今士有足而不來者,此是吾君不好之乎!”趙簡子曰:“吾門左右客千人,朝食不足,暮收市徵,暮食不足,朝收市徵,吾尚可謂不好士乎?”舟人古乘對曰:“鴻鵠高飛遠翔,其所恃者六翮也,背上之毛,腹下之毳,無尺寸之數,去之滿把,飛不能為之益卑;益之滿把,飛不能為之益高。不知門下左右客千人者,有六翮之用乎?將盡毛毳也。”

趙簡子が河で遊びて楽しみ、嘆息して言った。「どうして賢士を得て彼と処らん!」舟人古乗は跪きて答えた。「珠玉は脚なく、ここを離るること数千里にして能く来たる所以は、人がこれを愛好するなり。いま士は脚あるも来たらず。これは吾君が彼らを愛好せざるか!」趙簡子は言った。「我が門下左右の客千人、朝食うに足らざれば、暮に市税を収め、暮食うに足らざれば、朝に市税を収む。我はなお士を愛好せずと言えんや。」舟人古乗は答えた。「鴻鵠が高く飛び遠く翔るは、依仗する所は六根の健羽なり。背上の毛、腹下の細絨は、尺寸の数なく、満把を去りても飛びはこれによって更に低くせず、満把を増しても飛びはこれによって更に高くせず。門下左右の客千人に、六翮の用あるかを知らず。それとも皆毛絨なりや。」

齊宣王坐,淳于髡侍,宣王曰:“先生論寡人何好?”淳于髡曰:“古者所好四,而王所好三焉。”宣王曰:“古者所好,何與寡人所好?”淳于髡曰:“古者好馬,王亦好馬;古者好味,王亦好味;古者好色,王亦好色;古者好士,王獨不好士。”宣王曰:“國無士耳,有則寡人亦說之矣。”淳于髡曰:“古者驊騮騏驥,今無有,王選於眾,王好馬矣;古者有豹象之胎,今無有,王選於眾,王好味矣;古者有毛廧西施,今無有,王選於眾,王好色矣。王必將待堯舜禹湯之士而後好之,則禹湯之士亦不好王矣。”宣王嘿然無以應。

斉宣王が坐し、淳于髠が陪侍した。宣王は言った。「先生は寡人が何を愛好するか議論せよ。」淳于髠は言った。「古の愛好する所四つあり、しかるに王の愛好する所は三つ。」宣王は言った。「古の愛好する所と、寡人の愛好する所と何の関係あるか。」淳于髠は言った。「古は馬を愛好し、王も馬を愛好す。古は味を愛好し、王も味を愛好す。古は色を愛好し、王も色を愛好す。古は士を愛好す、王は独り士を愛好せず。」宣王は言った。「国に士なきのみ。あらば寡人も彼らを喜悦せん。」淳于髠は言った。「古は驊騮騏驥あり。いまはなし。王は衆より択ぶ。王は馬を愛好す。古は豹象の胎あり。いまはなし。王は衆より択ぶ。王は味を愛好す。古は毛嬙・西施あり。いまはなし。王は衆より択ぶ。王は色を愛好す。王は必ず堯・舜・禹・湯の士を待ちて後に愛好せば、禹・湯の士もまた王を愛好せざらん。」宣王は沈黙して応答する所以なし。

衛君問于田讓曰:“寡人封侯盡千里之地,賞賜盡御府繒帛而士不至,何也?”田讓對曰:“君之賞賜,不可以功及也;君之誅罰,不可以理避也;猶舉杖而呼狗,張弓而祝雞矣;雖有香餌而不能致者,害之必也。”

衛君が田譲に問うた。「寡人は侯を封ずるに千里の地を尽くし、賞賜するに御府の繒帛を尽くすも士は来たらず。何故か。」田譲は答えた。「君の賞賜は、以て功に及ぶべからず。君の誅罰は、以て理を避くべからず。杖を挙げて狗を呼び、弓を張りて雞を祝禱するが如し。香餌あるも能く招致せず。害は一定なればなり。」

宗衛相齊,遇逐罷歸舍,召門尉田饒等二十有七而問焉,曰:“士大夫誰能與我赴諸侯者乎?”田饒等皆伏而不對。宗衛曰:“何士大夫之易得而難用也!”饒對曰:“非士大夫之難用也,是君不能用也。”宗衛曰:“不能用士大夫何若?”田饒對曰:“廚中有臭肉,則門下無死士矣。今夫三升之稷不足於士;而君雁鶩有餘粟。紈素綺繡靡麗。堂楯從風雨弊,而士曾不得以緣衣;果園梨粟,後宮婦人摭以相擿,而士曾不得一嘗,且夫財者,君之所輕也;死者士之所重也,君不能用所輕之財,而欲使士致所重之死,豈不難乎哉?”於是宗衛面有慚色,逡巡避席而謝曰:“此衛之過也。”

宗衛が斉の相を為り、逐われて館舍に罷帰するに遇い、門尉田饒等二十七人を召して問うて言った。「士大夫に誰か我と共に諸侯に奔赴せんとする者あるか。」田饒等は皆伏して答えず。宗衛は言った。「士大夫は得ること易くして用いること難きは何故か!」饒は答えた。「士大夫が用い難きにあらず、君が用いる能わざるなり。」宗衛は言った。「士大夫を用いる能わざるは如何。」田饒は答えた。「廚の中に臭肉あれば、門下に死士なし。いま三升の稷は士に用いるに足らず。しかるに君の雁鶩は粟を余らす。紈素綺繍は靡麗、堂上の欄楯は風雨に弊壊するも、士は竟に以て衣辺を鑲る能わず。果園の梨粟は、後宮の婦人は拾いて以て相投ずるも、士は竟に一口を嘗め能わず。さらに財は君の看軽する所、死は士の看重する所なり。君は看軽する財を用いる能わずして、士に看重する死を献ぜしめんと欲す。どうして難からざらん!」そこで宗衛は顔に慚色あり、逡巡して席を離れて謝して言った。「これは衛の過失なり。」

魯哀公問於孔子曰:“當今之時,君子誰賢?”對曰:“衛靈公。”公曰:“吾聞之,其閨門之內,姑姐妹無別。”對曰:“臣觀於朝廷,未觀於堂陛之間也。靈公之弟曰公子渠牟,其知足以治千乘之國,其信足以守之,而靈公愛之。又有士曰王材,國有賢人,必進而任之,無不達也;不能達,退而與分其祿,而靈公尊之。又有士曰慶足,國有大事,則進而治之,無不濟也,而靈公說之。史■去衛,靈公邸舍三月,琴瑟不御,待史■之入也而後入,臣是以知其賢也。”

魯哀公が孔子に問うた。「当今の時、君子は誰が賢か。」答えた。「衛靈公。」公は言った。「我が聞くに、彼の閨門の内は、姑姉妹に分別がない。」答えた。「臣は朝廷を看る。まだ堂陛の間を看ず。靈公の弟は公子渠牟といい、彼の智は千乗の国を治むるに足り、彼の信はそれを守るに足り、しかして靈公は彼を愛す。また士に王材あり。国に賢人あれば、必ず進用して任用し、顕達せざるなし。顕達せざれば、退きて彼と俸禄を分かち、しかして靈公は彼を尊ぶ。また士に慶足あり。国に大事あれば、即ち進用して治め、成らざるなし。しかして靈公は彼を喜悦す。史(底本この字欠)が衛を離れた時、靈公は邸舍に三月、琴瑟を弾かず、史(底本この字欠)が進るを待ちて後に入る。臣はこれによって彼の賢を知る。」

介子推行年十五而相荊,仲尼聞之,使人往視,還曰:“廊下有二十五俊士,堂上有二十五老人。”仲尼曰:“合二十五人之智,智於湯武;幷二十五人之力,力於彭祖。以治天下,其固免矣乎!”

介子推が行年十五にして荊相を為した。仲尼はこれを聞き、人を遣わして往きて見させた。帰りて報告して曰く「廊下に俊士二十五位あり、堂上に老人二十五位あり。」仲尼は言った。「二十五人の智を合併すれば、智は湯・武を超え、二十五人の力を合併すれば、力は彭祖を超える。以て天下を治むれば、ほぼ危きを免れ得ただろう!」

孔子閒居,喟然而嘆曰:“銅鞮伯華而無死,天下其有定矣。”子路曰:“願聞其為人也何若。”孔子曰:“其幼也敏而好學,其壯也有勇而不屈,其老也有道而能以下人。”子路曰:“其幼也敏而好學則可,其壯也有勇而不屈則可;夫有道又誰下哉?”孔子曰:“由不知也。吾聞之,以眾攻寡而無不消也;以貴下賤,無不得也。昔在周公旦制天下之政而下士七十人,豈無道哉?欲得士之故也,夫有道而能下於天下之士,君子乎哉!”

孔子が閑居し、喟然として嘆息して言った。「銅鞮伯華がもし死せざれば、天下はほぼ安定せなん。」子路は言った。「彼の人となり如何を聞かんことを願う。」孔子は言った。「彼は幼年にして敏にして学を好み、壮年にして勇ありて屈せず、老年にして道ありて人に下る能し。」子路は言った。「幼年にして敏にして学を好むは可なり、壮年にして勇ありて屈せざるも可なり。道ありてまた誰に下るか。」孔子は言った。「由は知らず。我が聞くに、衆を以て寡を攻むれば消せざるなし、貴を以て賤に下れば得ざるなし。昔、周公旦は天下の政を制定して士七十人に下りたり。道なきにあらずや。士を得んと思う故なり。道ありて天下の士に下る能くするは、君子かな!」

魏文侯從中山奔命安邑,田子方從,夫子擊過之,下車而趨,子方坐乘如故,告太子曰:“為我請君,待我朝歌。”太子不說,因為子方曰:“不識貧窮者驕人,富貴者驕人乎?”子方曰:“貧窮者驕人,富貴者安敢驕人,人主驕人而亡其國,吾未見以國待亡者也;大夫驕人而亡其家,吾未見以家待亡者也。貧窮者若不得意,納履而去,安往不得貧窮乎?貧窮者驕人,富貴者安敢驕人。”太子及文侯道田子方之語,文侯嘆曰:“微吾子之故,吾安得聞賢人之言,吾下子方以行,得而友之。自吾友子方也,君臣益親,百姓益附,吾是以得友士之功;我欲伐中山,吾以武下樂羊,三年而中山為獻於我,我是以得有武之功。吾所以不少進於此者,吾未見以智驕我者也;若得以智驕我者,豈不及古之人乎?”

魏文侯が中山より奔命して安邑に至り、田子方が従った。太子撃が過ぎ、車を下りて小走りにしたが、子方は車上に坐して前の如くだった。太子に告げて言った。「私のために君に請うて、朝歌で我を待てと。」太子は喜悦せず、そこで子方に言った。「貧窮の人が人に驕るのか、富貴の人が人に驕るのか、知らない。」子方は言った。「貧窮の人が人に驕るなり。富貴の人はどうして人に驕るを敢えてせん。人主が人に驕ればその国を亡ぼす。国を持ちて亡びを待つを見ず。大夫が人に驕ればその家を亡ぼす。家を持ちて亡びを待つを見ず。貧窮の人はもし意を得ざれば、履を穿いて離れ去れば、どこに行きても貧窮を得せざらんや。貧窮の人は人に驕る。富貴の人はどうして人に驕るを敢えてせん。」太子は田子方の言を文侯に告げた。文侯は嘆息して言った。「吾子の故なくんば、我はどうして賢人の言を聞かん。我は降下して子方に行を以て対し、彼と交友することを得たり。我が子方と交友してより、君臣はいよいよ親しく、百姓はいよいよ親附す。我はこれによって友士の功を得たり。我は中山を伐たんと欲し、武を以て楽羊に下り、三年にして中山は我に献ず。我はこれによって武の功あり。我の稍微ここに進まざる所以は、智を以て我に驕る人を見ざるなり。もし智を以て我に驕る者を得ば、古人に及ばざらんや。」

晉文侯行地登隧,大夫皆扶之,隨會不扶,文侯曰:“會!夫為人臣而忍其君者,其罪奚如?”對曰:“其罪重死。”文侯曰:“何謂重死?”對曰:“身死,妻子為戮焉。”隨會曰:“君奚獨問為人臣忍其君者,而不問為人君而忍其臣者耶?”文侯曰:“為人君而忍其臣者,其罪何如?”隨會對曰:“為人君而忍其臣者,智士不為謀,辨士不為言,仁士不為行,勇士不為死。”文侯援綏下車,辭大夫曰:“寡人有腰髀之病,願諸大夫勿罪也。”

晋文侯が隧道に登りて行く。大夫は皆彼を扶けたが、随会は扶けなかった。文侯は言った。「会!人臣たるにその君に狠心に対する者は、罪は如何。」答えた。「罪は死を加重す。」文侯は言った。「何を死を加重すというか。」答えた。「自身は死し、妻子児女は殺さる。」随会は言った。「君はどうして人臣の君に狠心に対するを独り問いて、人君の臣に狠心に対するを問わざるか。」文侯は言った。「人君たるに臣に狠心に対する者は、罪如何。」随会は答えた。「人君たるに臣に狠心に対するは、智士は彼のために謀らず、辯士は彼のために説かず、仁士は彼のために行事せず、勇士は彼のために死せず。」文侯は綏帯を挽きて車を下り、大夫に告辞して言った。「寡人は腰髀の病あり。諸大夫は怪罪せざれ。」

齊將軍田瞶出將,張生郊送曰:“昔者堯讓許由以天下,洗耳而不受,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“伯夷叔齊辭諸侯之位而不為,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“於陵仲子辭三公之位而傭為人灌園,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“智過去君第,變姓名,免為庶人,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“孫叔敖三去相而不悔,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“此五大夫者,名辭之而實羞之。今將軍方吞一國之權,提鼓擁旗,被堅執銳,旋迴十萬之師,擅斧鉞之誅,慎毋以士之所羞者驕士。”田瞶曰:“今日諸君皆為瞶祖道具酒脯,而先生獨教之以聖人之大道,謹聞命矣。”

斉将軍田矚が出でて将を為す。張生は郊外に至りて送りて言った。「昔、堯は天下を許由に譲ったが、許由は耳を洗い受けざりき。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「伯夷・叔斉は諸侯の位を推辞して為さざりき。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「于陵仲子は三公の位を推辞して人に灌園を雇われたり。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「智過は君の府第を離れ、姓名を改換し、庶人に免れたり。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「孫叔敖は三たび相位を離れて悔いざりき。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「この五大夫は、名に於て推辞するも実に於てこれを羞とす。いま将軍は一国の権を吞み、鼓を提げ旗を擁し、堅を披き鋭を執り、十万の軍隊を旋回し、斧鉞の誅殺を專擅す。慎みて士の羞とする所を以て士に驕るなかれ。」田矚は言った。「今日、諸君は皆瞆のために酒脯を具えたり。しかるに先生は独り聖人の道を以て教導す。謹んで命を聞きたり。」

魏文侯見段幹木,立倦而不敢息;及見翟璜,踞堂而與之言,翟璜不說。文侯曰:“段幹木,官之則不肯,祿之則不受;今汝欲官則相至,欲祿則上卿;既受吾賞,又責吾禮,毋乃難乎?”

魏文侯が段干木に見え、立ちて倦みても敢えて休まず。翟璜に見るに及び、堂上に蹲りて彼と話した。翟璜は喜悦せず。文侯は言った。「段干木は、官を与えれば肯んじず、禄を与えれば受けず。いまあなたは官を欲すれば相位に至り、禄を欲すれば上卿なり。すでに我が賞を受けて、また我が礼を責求す。おそらく難しからん?」

孔子之郯,遭程子於塗,傾蓋而語終日。有間,顧子路曰:“取束帛一以贈先生。”子路不對。有間,又顧曰:“取束帛一以贈先生。”子路屑然對曰:“由聞之,士不中而見,女無媒而嫁,君子不行也。”孔子曰:“由,詩不云乎:‘野有蔓草,零露溥兮,有美一人,清揚婉兮,邂逅相遇,適我願兮。’今程子天下之賢士也,於是不贈,終身不見。大德毋踰閒,小德出入可也。”

孔子が郯に至り、路上で程子に遇い、車蓋を傾けて談話すること終日。暫くして、子路を回顧して言った。「帛一束を取りて先生に贈れ。」子路は答えず。暫くして、また回顧して言った。「帛一束を取りて先生に贈れ。」子路は急促に答えて言った。「由が聞くに、士は紹介なくして相見ず、女子は媒人なくして嫁がず。君子は為さず。」孔子は言った。「由よ、『詩経』に言わずや。「野に蔓延の草あり、落つる露は濃やかなり。一人の美人あり、眉目は清揚婉なり。邂逅相遇せば、まさに我が願いに合ふ。」いま程子は天下の賢士なり。この時に贈らざれば、終身再び見えず。大徳は閑防を越ゆるなかれ、小徳は出入すべし。」

齊桓公使管仲治國,管仲對曰:“賤不能臨貴。”桓公以為上卿而國不治,桓公曰何故?管仲對曰:“貧不能使富。”桓公賜之齊國市租一年而國不治,桓公曰何故?對曰:“疏不能制親。”桓公立以為仲父。齊國大安,而遂霸天下。孔子曰:“管仲之賢,不得此三權者,亦不能使其君南面而霸矣。”

斉桓公が管仲に国を治めさせた。管仲は答えた。「賤は以て貴に臨駕する能わず。」桓公は彼を以て上卿としたが国は治まらず。桓公は何故と問うた。管仲は答えた。「貧は以て富を役使する能わず。」桓公は斉国一年の市租を彼に賜ったが国は治まらず。桓公は何故と問うた。答えた。「疏は以て親を制御する能わず。」桓公は彼を仲父に立てた。斉国は大いに安んじ、そこで天下に覇を称した。孔子は言った。「管仲の賢は、この三つの権を得ざれば、またその君をして南面して覇を称せしむる能わざりき。」

桓公問於管仲曰:“吾欲使爵腐於酒,肉腐於俎,得無害於霸乎?”管仲對曰:“此極非其貴者耳;然亦無害於霸也。”桓公曰:“何如而害霸?”管仲對曰:“不知賢,害霸;知而不用,害霸;用而不任,害霸;任而不信,害霸;信而復使小人參之,害霸。”桓公:“善。”

桓公が管仲に問うた。「我は爵を酒の中に腐らせ、肉を砧板の上に腐らせたい。覇を妨げることはないだろう。」管仲は答えた。「これは極めてあの貴ぶべきにあらざるのみ。しかしまた覇に妨げなし。」桓公は言った。「どうすれば覇を妨げるか。」管仲は答えた。「賢を知らざれば覇を妨げ、知りて用いざれば覇を妨げ、用いて委任せざれば覇を妨げ、委任して信任せざれば覇を妨げ、信任して小人を參与せしめば覇を妨げる。」桓公は言った。「よし。」

魯人攻鄪,曾子辭於鄪君曰:“請出,寇罷而後復來,請姑毋使狗豕入吾舍。”鄪君曰:“寡人之於先生也,人無不聞;今魯人攻我而先生去我,我胡守先生之舍?”魯人果攻鄪而數之罪十,而曾子之所爭者九。魯師罷,鄪君復修曾子舍而後迎之。

魯人が鄪を攻めた。曾子は鄪君に告辞して言った。「出でんことを請う。寇が止まば然る後に来たらん。しばらく狗猪を我が館舎に入れしめざらんことを。」鄪君は言った。「寡人の先生に対するは、人の聞かざるなし。いま魯人が我を攻めて先生が我を離れん。我はどうして先生の館舎を守らん。」魯人は果たして鄪を攻めてその罪十条を数えたが、曾子の争う所は九条あり。魯師が止まると、鄪君は再び曾子の館舎を修治し、然る後に彼を迎えた。

宋司城子罕之貴子韋也,入與共食,出與同衣;司城子罕亡,子韋不從,子罕來,復召子韋而貴之。左右曰:“君之善子韋也,君亡不從,來又復貴之,君獨不愧於君之忠臣乎?”子罕曰:“吾唯不能用子韋,故至於亡;今吾之得復也,尚是子韋之遺德餘教也,吾故貴之。且我之亡也,吾臣之削跡拔樹以從我者,奚益於吾亡哉?”

宋司城子罕は子韋を重んじ、入れば飯を同じくし、出れば衣を同じくした。司城子罕が逃亡せば、子韋は従わず。子罕が帰れば、再び子韋を召して彼を重んじた。左右は言った。「君は子韋に好い。君が逃亡せば従わず、帰ればまた彼を重んず。君は独り君の忠臣に愧じざるか。」子罕は言った。「私はただ子韋を用いる能わざりしが故に、逃亡に至った。いま私が回復するを得たは、なおこの子韋の遺留せし徳と教導なり。我が彼を重んずる所以なり。さらに我が逃亡せし時、我が臣は蹤跡を削滅し樹を拔きて我に従いたり。我が逃亡に何の益かあらん。」

楊因見趙簡主曰:“臣居鄉三逐,事君五去,聞君好士,故走來見。”簡主聞之,絕食而嘆,跽而行,左右進諫曰:“居鄉三逐,是不容眾也;事君五去,是不忠上也。今君有士見過人矣。”簡主曰:“子不知也。夫美女者,醜婦之仇也;盛德之士,亂世所疏也;正直之行,邪枉所憎也。”遂出見之,因授以為相,而國大治。由是觀之,遠近之人,不可以不察也。

楊因が趙簡主に見えて言った。「臣は郷里に居りて三たび逐われ、君に仕えて五たび離れました。君が士を愛好すると聞き、ゆえに走りて見えに来ました。」簡主はこれを聞き、食を止めて嘆息し、跪きて走った。左右は進諫して言った。「郷里に居りて三たび逐わるは、衆人に容れられざるなり。君に仕えて五たび離るるは、上に忠ならざるなり。いま君は士を持ち、見識は人を超えたり。」簡主は言った。「お前たちは知らず。美女は醜婦の仇敵なり。盛徳の士は乱世に疏遠せらるなり。正直の行は邪枉の憎悪する所なり。」そこで出でて彼に見え、そこで彼に相位を授け、国は大いに治まった。これを見れば、遠近の人は審察せざるべからず。

應侯與賈午子坐,聞其鼓琴之聲,應侯曰:“今日之琴,一何悲也?”賈午子曰:“夫急張調下,故使人悲耳。急張者,良材也;調下者,官卑也。取夫良材而卑官之,安能無悲乎!”應侯曰:“善哉!”

應侯と賈午子とが坐し、彼の琴の声を聞いた。應侯は言った。「今日の琴は、どうしてこのように悲しいか。」賈午子は言った。「弦が急にして調が低下なれば、ゆえに人を悲しませるのみ。弦の急なるは良材なり。調の低下なるは官卑なり。あの良材を取りて彼に卑官を与えれば、どうして悲しからざらん!」應侯は言った。「善いな!」

十三年,諸侯舉兵以伐齊,齊王聞之,惕然而恐,召其群臣大夫告曰:“有智為寡人用之。”於是博士淳于髡仰天大笑而不應,王復問之,又大笑不應,三笑不應,王艴然作色不悅曰:“先生以寡人語為戲乎?”對曰:“臣非敢以大王語為戲也,臣笑臣鄰之祠田也,以一奩飯,一壺酒,三鮒魚,祝曰:‘蟹堁者宜禾,洿邪者百車,傳之後世,洋洋有餘。’臣笑其賜鬼薄而請之厚也。”於是王乃立淳于髡為上卿,賜之千金,革車百乘,與平諸侯之事;諸侯聞之,立罷其兵,休其士卒,遂不敢攻齊,此非淳于髡之力乎?

十三年、諸侯は兵を起して斉を伐ちに来た。斉王はこれを聞き、驚懼して怕れ、群臣大夫を召して告げて言った。「智ある者は寡人に用いられよ。」そこに博士淳于髠は天を仰ぎ大いに笑い応えず。王は再び彼に問い、また大いに笑い応えず、三たび笑い応えず。王は勃然として色を変え喜悦せず言った。「先生は寡人の言を戯弄とするか。」答えた。「臣は敢えて大王の言を戯弄としません。臣は臣の隣人が田を祭るを笑います。一奩の飯・一壺の酒・三條の鮒魚を以てし、祝禱して曰く『蟹穴の土は禾に宜しく、水の積る邪地は百車を得、後世に伝えて洋洋として余りあれ』と。臣は彼の鬼に賜う薄くして請求する厚きを笑うのです。」そこで王は即ち淳于髠を上卿に立て、彼に千金・革車百乗を賜い、彼と諸侯の事を平定せしめた。諸侯はこれを聞き、即座にその兵を止め、士卒を休息させ、そこで斉を攻むる敢えず。これは淳于髠の力ならずや!

田忌去齊奔楚,楚王郊迎至舍,問曰:“楚,萬乘之國也,齊亦萬乘之國也,常欲相幷,為之奈何?”對曰:“易知耳,齊使申孺將,則楚發五萬人,使上將軍將之,至禽將軍首而反耳。齊使田居將,則楚發二十萬人,使上將軍將之,分別而相去也。齊使眄子將,楚發四封之內,王自出將而忌從,相國上將軍為左右司馬,如是則王僅得存耳。”於是齊使申孺將,楚發五萬人,使上將軍至,擒將軍首反,於是齊王忿然,乃更使眄子將,楚悉發四封之內,王自出將,田忌從,相國上將軍為左右司馬,益王車屬九乘,僅得免耳。至舍,王北面正領齊袪,問曰:“先生何知之早也?”田忌曰:“申孺為人,侮賢者而輕不肖者,賢不肖者俱不為用,是以亡也;田居為人,尊賢者而賤不肖者,賢者負任,不肖者退,是以分別而相去也;眄子之為人也,尊賢者而愛不肖者,賢不肖俱負任,是以王僅得存耳。”

田忌は斉を離れ楚に奔った。楚王は郊外に至りて迎え館舎に送り、問うて言った。「楚は万乗の国、斉も万乗の国、常に互相兼倂せんと欲す。どうすべきか。」答えた。「知ること易きのみ。斉が申孺を派して将とせば、楚は五万人を発し、上将軍を派して率いらしめよ。至れば将軍の首級を擒して返るの���。斉が田居を派して将とせば、楚は二十万人を発し、上将軍を派して率いらしめよ。分かれて互相離れるのみ。斉が眄子を派して将とせば、楚は四封の内を発動し、王自ら出でて将を為し而忌が従い、相国・上将軍を左右司馬とせよ。これの如くならば王は僅かに存を得るのみ。」そこで斉は申孺を派して将とした。楚は五万人を発し、上将軍を派して至らしめ、将軍の首級を擒して返った。そこで斉王は忿然として、即ち改めて眄子を派して将とした。楚は四封の内を尽数発動し、王自ら出でて将を為し、田忌が従い、相国・上将軍を左右司馬とし、王の車属九乗を増し、僅かに免を得たり。館舎に至り、王は北に向かい衣領を整理し衣袖を提げて問うた。「先生は何故このように早く知ったのか。」田忌は言った。「申孺の人となりは、賢者を侮辱し不肖を看軽す。賢も不肖も用いられず。これにより亡ぶ。田居の人となりは、賢者を尊び不肖を看賤す。賢者は責任を負い、不肖は退去す。これにより分かれて互相離る。眄子の人となりは、賢者を尊び不肖を愛す。賢も不肖も責任を負う。これにより王は僅かに存を得るのみ。」

魏文侯觴大夫於曲陽,飲酣,文侯喟然嘆曰:“吾獨無豫讓以為臣。”蹇重舉酒進曰:“臣請浮君。”文侯曰“何以?”對曰:“臣聞之,有命之父母,不知孝子;有道之君,不知忠臣。夫豫讓之君,亦何如哉?”文侯曰:“善!”受浮而飲之,嚼而不讓。曰:“無管仲鮑叔以為臣,故有豫讓之功也。”趙簡子曰:“吾欲得範中行氏良臣。”史黶曰:“安用之?”簡子曰:“良臣,人所願也,又何問焉?”曰:“君以無為良臣故也。夫事君者,諫過而薦可,章善而替否,獻能而進賢;朝夕誦善,敗而納之,聽則進,否則退。今範中行氏之良臣也,不能匡相其君,使至於難;出在於外,又不能入。亡而棄之,何良之為;若不棄,君安得之。夫良將營其君,使復其位,死而後止,何曰以來,若未能,乃非良也。”簡子曰:“善。”

魏文侯が曲陽で大夫に酒を斟い、暢快に飲んだ。文侯は喟然として嘆息して言った。「我独り豫譲を臣とせず。」蹇重は酒を挙げて進前して言った。「臣は君に酒を罰せんことを請う。」文侯は言った。「何故か。」答えた。「臣が聞くに、天命の父母は孝子を知らず、有道の君は忠臣を知らず。豫譲の君は、また如何。」文侯は言った。「よし!」罰酒を受けて飲み、尽くして推譲せず。言った。「管仲・鮑叔を臣とせざるなり。ゆえに豫譲の功あり。」趙簡子は言った。「私は范・中行氏の良臣を得たい。」史黶は言った。「何を以て用いん。」簡子は言った。「良臣は人の願う所なり。また何を問わん。」言った。「君は以て良臣の故ならざるなり。君に仕えるは、過失を進諫し可行を挙薦し、善を表彰し否を廢棄し、能を献上し賢を進用す。朝夕に善を誦読し、失敗すれば接納し、聴かば進み聴かざれば退く。いま范・中行氏の良臣は、彼らの君を匡正輔佐する能わず、難に至らしめたり。外に出でて、また入る能わず。逃亡して拋棄するは、どうして良と称せん。もし拋棄せざれば、君はどうして彼らを得ん。良は将にその君を経営して、彼を位に復せしめ、死して後に止む。どうして以来と言わん。もし能くせざれば、良にあらず。」簡子は言った。「よし。」

子路問於孔子曰:“治國何如?”孔子曰:“在於尊賢而賤不肖。”子路曰:“範中行氏尊賢而賤不肖,其亡何也?”曰:“範中行氏尊賢而不能用也,賤不肖而不能去也;賢者知其不己用而怨之,不肖者知其賤己而讎之。賢者怨之,不肖者讎之;怨讎並前,中行氏雖欲無亡,得乎?”

子路が孔子に問うた。「国を治むるは如何。」孔子は言った。「賢を尊び不肖を看賤するに在り。」子路は言った。「范・中行氏は賢を尊び不肖を看賤せり。彼らの滅亡は何故か。」言った。「范・中行氏は賢を尊ぶも用いる能わず、不肖を看賤するも除去する能わず。賢者は己の用いられざるを知りて怨み、不肖は己の看賤せらるを知りて仇視す。賢者は怨み、不肖は仇視す。怨と仇とは併せて前に在り。中行氏はたとえ滅亡せざらんと欲すとも、能くせんや。」

晉荊戰於邲,晉師敗績,荀林父將歸請死,昭公將許之,士貞伯曰:“不可,城濮之役,晉勝於荊,文公猶有憂色,曰子玉猶存,憂未歇也;困獸猶鬥,況國相乎?”及荊殺子玉,乃喜曰:“莫予毒也。今天或者大警晉也,林父之事君,進思盡忠,退思補過,社稷之衛也,今殺之,是重荊勝也。”昭公曰:“善!”乃使復將。

晋・荊が邲で交戦し、晋師は大敗した。荀林父は将に帰りて死を請わんとし、昭公は将に許さんとした。士貞伯は言った。「不可。城濮の役に、晋は荊に勝ちたるも、文公はなお憂色あり。子玉がまだ在ると言い、憂は未だ停歇せずと。困せる獣もなお闘う。いわんや国相をや!」荊が子玉を殺すに及び、乃ち喜悦して言った。「人の我を毒害するなし。いま天はあるいは大いに晋を警戒せんとす。林父は君に仕え、進めば忠を尽くし、退けば過を補う。これは社稷の扞衛なり。いま彼を殺すは、荊の勝を加重するなり。」昭公は言った。「よし!」そこで彼を再び将とした。

卷九正諫

巻九 正諫

易曰:“王臣蹇蹇,匪躬之故。”人臣之所以蹇蹇為難,而諫其君者非為身也,將欲以匡君之過,矯君之失也。君有過失者,危亡之萌也;見君之過失而不諫,是輕君之危亡也。夫輕君之危亡者,忠臣不忍為也。三諫而不用則去,不去則身亡;身亡者,仁人之所不為也。是故諫有五:一曰正諫,二曰降諫,三曰忠諫,四曰戇諫,五曰諷諫。孔子曰:“吾其從諷諫乎。”夫不諫則危君,固諫則危身;與其危君、寧危身;危身而終不用,則諫亦無功矣。智者度君權時,調其緩急而處其宜,上不敢危君,下不以危身,故在國而國不危,在身而身不殆;昔陳靈公不聽洩冶之諫而殺之,曹羈三諫曹君不聽而去,春秋序義雖俱賢而曹羈合禮。

『周易』に言う。「王の臣は蹇蹇として正直、自らの故のためならず。」人臣の蹇蹇として難を為してその君に進諫する所以は、自らのためならず。将に以て君の過失を匡正し、君の失誤を矯正せんとす。君に過失あるは危亡の萌芽なり。君の過失を見て進諫せざるは、君の危亡を看軽するなり。君の危亡を看軽するは、忠臣の忍びて為さざる所なり。三たび進諫して用いられざれば離去せよ。離去せざれば自身亡び、自身亡ぶは仁人の為さざる所なり。これにより諫に五種あり。一を正諫といい、二を降諫といい、三を忠諫といい、四を戆諫といい、五を諷諫という。孔子は言った。「我はほぼ諷諫に依るか。」進諫せざれば君に危く、固執して進諫すれば自身に危し。君に危きより、寧ろ自身に危き。自身に危うして終に用いられざれば、諫もまた功なし。智者は君を度量し時を権衡し、緩急を調和して適宜に処る。上は敢えて君に危うせず、下は以て自身に危うせず。ゆえに国に在りて国は危うからず、身に在りて身は殆うからず。昔、陳靈公は泄冶の諫を聴かずして彼を殺し、曹羈は三たび曹君に進諫して聴かれずして離去せり。『春秋』は義を排列して皆賢なれども曹羈は礼に合す。

齊景公遊於海上而樂之,六月不歸,令左右曰:“敢有先言歸者致死不赦。”顏斶趨進諫曰:“君樂治海上而六月不歸,彼儻有治國者,君且安得樂此海也!”景公援戟將斫之,顏斶趨進,撫衣待之曰:“君奚不斫也?昔者桀殺關龍逢,紂殺王子比干,君之賢非此二主也,臣之材,亦非此二子也,君奚不斫?以臣參此二人者,不亦可乎?”景公說,遂歸,中道聞國人謀不內矣。

斉景公が海上で遊びて楽しみ、六箇月帰らず。左右に命じて言った。「敢えて先ず帰ると言う者は死に処し赦さず。」顏斶が快步して進諫して言った。「君は海上を治めて楽しみて六箇月帰らず。あちらにもし国を治むる人あらば、君は将にどうしてこの海を楽しまん!」景公は戟を挙げて将に彼を砍らんとした。顏斶は快步して上前し、衣を撫して待ちて言った。「君は何故砍らざるか。昔、桀は關龍逢を殺し、紂は王子比干を殺せり。君の賢はこの二主にあらず、臣の材もこの二人にあらず。君は何故砍らざるか。臣を以てこの二人に參列せしめば、また可ならずや。」景公は喜悦し、そこで帰った。半路にして国人が納れざらんと謀るを聞いた。

楚莊王立為君,三年不聽朝,乃令於國曰:“寡人惡為人臣而遽諫其君者,今寡人有國家,立社稷,有諫則死無赦。”蘇從曰:“處君之高爵,食君之厚祿,愛其死而不諫其君,則非忠臣也。”乃入諫。莊王立鼓鍾之間,左伏楊姬,右擁越姬,左裯衽,右朝服,曰:“吾鼓鍾之不暇,何諫之聽!”蘇從曰:“臣聞之,好道者多資,好樂者多迷,好道者多糧,好樂者多亡;荊國亡無日矣,死臣敢以告王。”王曰善。左執蘇從手,右抽陰刃,刎鐘鼓之懸,明日授蘇從為相。

楚荘王が君と立ち、三年朝を聴かず。そこで国に令して言った。「寡人は人臣たるにその君に急切に進諫するを悪む。いま寡人は国家あり、社稷を立つ。進諫する者は死に処し赦さず。」蘇從は言った。「君の高爵に処り、君の厚禄を食み、自らの死を愛惜して君に進諫せざるは、忠臣にあらず。」そこで入りて進諫した。荘王は鼓鐘の間に立ち、左に楊姬を伏え、右に越姬を擁し、左は寝衣、右は朝服、言った。「我は鼓鐘も及ばず。何の諫を聴かん!」蘇從は言った。「臣が聞くに、道を愛好すれば資用多く、楽を愛好すれば迷惑多し。道を愛好すれば糧多く、楽を愛好すれば滅亡多し。荊国の滅亡は日を日ずあらず。死臣は敢えて王に告げんことを来たれり。」王は善しとした。左手は蘇從の手を握り、右手は暗藏の刃を抽出し、鐘鼓の懸を割断し、明日に蘇從を相に授けた。

晉平公好樂,多其賦斂,下治城郭,曰:“敢有諫者死。”國人憂之,有咎犯者,見門大夫曰:“臣聞主君好樂,故以樂見。”門大夫入言曰:“晉人咎犯也,欲以樂見。”平公曰:“內之。”止坐殿上,則出鐘磬竽瑟。坐有頃。平公曰:“客子為樂?”咎犯對曰:“臣不能為樂,臣善隱。”平公召隱士十二人。咎犯曰:“隱臣竊顧昧死御。”平公諾。咎犯申其左臂而詘五指,平公問於隱官曰:“占之為何?”隱官皆曰:“不知。”平公曰:“歸之。”咎犯則申其一指曰:“是一也,便遊赭盡而峻城闕。二也,柱梁衣繡,士民無褐。三也,侏儒有餘酒,而死士渴。四也,民有飢色,而馬有栗秩。五也,近臣不敢諫,遠臣不敢達。”平公曰善。乃屏鐘鼓,除竽瑟,遂與咎犯參治國。

晋平公は楽を愛好し、賦斂を加重し、下に城郭を修治せしめて言った。「敢えて進諫する者は死。」国人はこれを憂えた。咎犯という人あり、門大夫に見えて言った。「臣が聞くに、主君は楽を愛好す。ゆえに楽を以て進見せん。」門大夫は入りて言った。「晋人咎犯、楽を以て進見せんと欲す。」平公は言った。「彼を入れよ。」止まりて殿上に坐し、即ち鐘磬竽瑟を擺出した。暫く坐す。平公は言った。「客人は楽を為すか。」咎犯は答えた。「臣は楽を為す能わず。臣は隱語に善し。」平公は隱士十二人を召した。咎犯は言った。「隱臣は私に死を冒して侍仕せんことを願う。」平公は諾した。咎犯は左臂を伸出して五指を屈起した。平公は隱官に問うた。「これを占えは何か。」隱官は皆言った。「知らず。」平公は言った。「彼を帰れ。」咎犯は即ち一指を伸出して言った。「これは一、便に赭を游盡して城闕は高峻なり。二、柱梁は繍を着て士民は褐衣なし。三、侏儒は酒を余らし而して死士は口渴なり。四、民は飢色ありて馬は粟の俸秩あり。五、近臣は敢えて進諫せず、遠臣は敢えて通達せず。」平公は善しとした。そこで鐘鼓を撤去し、竽瑟を除去し、そこで咎犯と国を治むるに参与せしめた。

孟嘗君將西入秦,賓客諫之百通,則不聽也,曰:“以人事諫我,我盡知之;若以鬼道諫我,我則殺之。”謁者入曰:“有客以鬼道聞。”曰:“請客入。”客曰:“臣之來也,過於淄水上,見一土耦人,方與木梗人語,木梗謂土耦人曰:‘子先,土也,持子以為耦人,遇天大雨,水潦並至,子必沮壞。’應曰:‘我沮乃反吾真耳,今子,東園之桃也,刻子以為梗,遇天大雨,水潦並至,必浮子,泛泛乎不知所止。’今秦,四塞之國也,有虎狼之心,恐其有木梗之患。”於是孟嘗君逡巡而退,而無以應,卒不敢西向秦。

孟嘗君が将に西に入りて秦に至らんとした。賓客の進諫するは百次上るも聴かず、言った。「人事を以て我に進諫するは、我は皆知る。もし鬼道を以て我に進諫せば、我は彼を殺さん。」謁者は入りて言った。「客ありて鬼道を以て聞かんとす。」言った。「客人を入れよ。」客は言った。「臣の来たる時、淄水の上を経て、一土偶人ありて、正に木梗人と話せり。木梗は土偶人に言う『お前はもともと土、お前を取りて偶人を為したり。天下大雨に遇い、積水併せて至れば、お前は必ず潰壊せん』と。応答して曰く『我が潰壊すれば我が真に返るのみ。いまお前は東園の桃、お前を刻りて梗を為したり。天下大雨に遇い、積水併せて至れば、必ずお前を漂わせ、泛泛然としてどこに止まるかを知らず』と。いま秦は四塞の国、虎狼の心あり。木梗の患あるを怕る。」そこで孟嘗君は逡巡して後退し、応答する所以なく、終に敢えて西に秦に至らず。

吳王欲伐荊,告其左右曰:“敢有諫者,死!”舍人有少孺子者,欲諫不敢,則懷丸操彈,遊於後園,露沾其衣,如是者三旦,吳王曰:“子來何苦沾衣如此?”對曰:“園中有樹,其上有蟬,蟬高居悲鳴飲露,不知螳螂在其後也!螳螂委身曲附,欲取蟬而不顧知黃雀在其傍也!黃雀延頸欲啄螳螂而不知彈丸在其下也!此三者皆務欲得其前利而不顧其後之有患也。”吳王曰:“善哉!”乃罷其兵。

呉王が荊を伐たんと欲し、左右に告げて言った。「敢えて進諫する者は、死!」舎人に少孺子あり、進諫せんと欲するも敢えず。即ち丸を懐き弾弓を持ち、後園に游び、露は彼の衣を沾湿せり。これの如く三箇の朝なりき。呉王は言った。「お前が来たるは何故苦んで衣服このように湿れるか。」答えた。「園の中に樹あり、その上に蝉あり。蝉は高く居りて悲鳴し露を飲む。螳螂がその後ろにあるを知らず!螳螂は身を弯曲して貼附し、蝉を取らんと欲して顧みず。黄雀がその傍にあるを知らず!黄雀は頸を伸して螳螂を啄まんと欲して、弾丸がその下にあるを知らず!この三者は皆務めて前の利を得んと欲して、後ろに患あるを顧みず。」呉王は言った。「善いな!」そこでその兵を止めた。

楚莊王欲伐陽夏,師久而不罷,群臣欲諫而莫敢,莊王獵於雲夢,椒舉進諫曰:“王所以多得獸者,馬也;而王國亡,王之馬豈可得哉?”莊王曰:“善,不穀知詘強之可以長諸侯也,知得地之可以為富也;而忘吾民之不用也。”明日飲諸大夫酒,以椒舉為上客,罷陽夏之師。

楚荘王が陽夏を伐たんと欲し、軍は久しく止まず。群臣は進諫せんと欲するも敢えてする者なし。荘王は雲夢で獵した。椒擧は進諫して言った。「王の能く獣を多く得る所以は、馬なり。しかるに王の国が亡ぶるに、王の馬はどうして得られん。」荘王は言った。「よし。不穀は強者を屈服せしむるを知り、諸侯を為ること久しからんことを知り、地を得て以て富を致さんことを知りたり。しかるに吾民の用いられざるを忘れたり。」明日に諸大夫に酒を飲ませ、椒擧を以て上客と為し、陽夏を伐つの軍を停止せしめた。

秦始皇帝太后不謹,幸郎嫪●,封以為長信侯,為生兩子,●專國事,浸益驕奢,與侍中左右貴臣俱博飲,酒醉爭言而鬥,瞋目大叱曰:“吾乃皇帝之假父也,窶人子何敢乃與我亢!”所與鬥者走行白皇帝,皇帝大怒,●懼誅,因作亂,戰咸陽宮。●敗,始皇乃取●四肢車裂之,取其兩弟囊撲殺之,取皇太后遷之於萯陽宮,下令曰:“敢以太后事諫者,戮而殺之!”從蒺藜其脊肉,幹四肢而積之闕下,諫而死者二十七人矣。齊客茅焦乃往上謁曰:“齊客茅焦願上諫皇帝。”皇帝使使者出問客,得無以太后事諫也,茅焦曰然,使者還白曰:“果以太后事諫。”皇帝曰走往告之,若不見闕下積死人邪?使者問茅焦,茅焦曰:“臣聞之天有二十八宿,今死者已有二十七人矣,臣所以來者,欲滿其數耳,臣非畏死人也。”走入白之,茅焦邑子,同食者盡負其衣物行亡,使者入白之,皇帝大怒曰:“是子故來犯吾禁,趣炊鑊湯煮之,是安得積闕下乎!”趣召之入,皇帝按劍而坐,口正沫出,使者召之入,茅焦不肯疾行,足趣相過耳,使者趣之,茅焦曰:“臣至前則死矣,君獨不能忍吾須臾乎?”使者極哀之,茅焦至前再拜謁起,稱曰:“臣聞之,夫有生者不諱死,有國者不諱亡;諱死者不可以得生,諱亡者不可以得存。死生存亡,聖主所欲急聞也,不審陛下欲聞之不?”皇帝曰:“何謂也?”茅焦對曰:“陛下有狂悖之行,陛下不自知邪!”皇帝曰:“何等也?願聞之。”茅焦對曰:“陛下車裂假父,有嫉妒之心;囊撲兩弟,有不慈之名;遷母萯陽宮,有不孝之行;從蒺藜於諫士,有桀紂之治。今天下聞之,盡瓦解無向秦者,臣竊恐秦亡為陛下危之,所言已畢,乞行就質。”乃解衣伏質。皇帝下殿,左手接之,右手麾左右曰:“赦之,先生就衣,今願受事。”乃立焦為仲父,爵之上卿;

秦始皇帝太后は謹まず、郎嫪毐を寵幸し、彼を長信侯に封じ、彼のために二子を生めり。(底本この字欠)国事を專擅し、漸くいよいよ驕奢なり。侍中左右貴臣と共に賭博飲酒し、酒醉いて言を争い闘う。目を瞪らして大いに叱して言った。「我は皇帝の假父なり。窮人の子はどうして我と抗衡せん!」彼と闘う者は走りて皇帝に告げ、皇帝は大いに怒り、(底本この字欠)誅せらるるを怕れ、そこで乱を作し、咸陽宮で交戦せり。(底本この字欠)敗れ、始皇はそこで(底本この字欠)の四肢を取りて車裂し、彼の二弟を取りて袋に装い撲殺し、皇太后を取りて萯陽宮に遷せり。令して言った。「敢えて太后の事を以て進諫する者は、戮りて彼を殺せ!」蒺藜を脊肉に加え、四肢を枯槁せしめて闕下に堆積せしめり。進諫して死せる已に二十七人なり。斉客茅焦はそこで往きて上謁して言った。「斉客茅焦は皇帝に上諫せんことを願う。」皇帝は使者を遣わして出でて客に問わしめた。「太后の事を以て進諫せざらんや。」茅焦は是という。使者は帰りて報告して曰く「果たして太后の事を以て進諫す。」皇帝は言った。走りて彼に告げよ、お前は闕下に堆積する死人を見ざるかと。使者は茅焦に問う。茅焦は言った。「臣が聞くに、天に二十八宿あり。いま死せる已に二十七人なり。臣の来たる所以は、あの数を凑満せんと欲するのみ。臣は死を怕れる人にあらず。」走りて入りて報告す。茅焦と同邑の人・ともに飯を食う者は皆衣物を負いて逃走せり。使者は入りて報告す。皇帝は大いに怒りて言った。「この人は故意に来たりて我が禁を犯す。速やかに鑊湯を焼きて彼を煮れ。これはどうして闕下に堆積すべからざらん!」速やかに彼を召して入れしむ。皇帝は剣を按して坐し、口は正に沫を吐く。使者は彼を召して入れしむ。茅焦は肯んじて快走せず、脚步はただ稍微過ぐるのみ。使者は彼を催す。茅焦は言った。「臣は面前に至れば死す。君は独り我を片刻容れる能わざるか。」使者は極めて彼を哀憐せり。茅焦は面前に至り、再拝謁見して起ち、称して言った。「臣が聞くに、生ある者は死を諱まず、国ある者は亡を諱まず。死を諱むは生を得るべからず、亡を諱むは存を得るべからず。死生存亡は、聖主の急きて聞かんと欲する所なり。陛下は聞かんと欲するかを知らず。」皇帝は言った。「何の謂いか。」茅焦は答えた。「陛下に狂悖の行あり。陛下は自ら知らざるか!」皇帝は言った。「何の如きか。聞かんことを願う。」茅焦は答えた。「陛下は假父を車裂し、嫉妒の心あり。袋に装みて二弟を撲殺し、不慈の名あり。母を萯陽宮に遷し、不孝の行あり。蒺藜を進諫の士の身に加え、桀紂の治あり。いま天下はこれを聞き、皆瓦解して秦に向かうなし。臣は私に秦の亡を怕れ、陛下のために危懼せり。言う所已に畢んぬ。前に至りて質に就くを請う。」そこで衣を解きて質上に伏せり。皇帝は殿を下り、左手は彼を接し、右手は左右に指揮して言った。「彼を赦せ。先生は衣を着よ。いま事を受けんことを願う。」そこで焦を仲父に立て、彼に上卿の爵を与えたり。

皇帝立駕,千乘萬騎,空左方自行迎太后萯陽宮,歸於咸陽;太后大喜,乃大置酒待茅焦,及飲,太后曰:“抗枉令直,使敗更成,安秦之社稷;使妾母子復得相會者,盡茅君之力也。”

皇帝は即座に車に駕し、千乗万騎、左を空けて自ら萯陽宮に往きて太后を迎え、咸陽に帰りたり。太后は大いに喜び、そこで大いに酒宴を設けて茅焦を待ちたり。飲酒に及び、太后は言った。「枉曲を抗して直くせしめ、敗壊を再び成らしめ、秦の社稷を安定せしめたり。妾母子をして再び相会するを得しめたるは、全て茅君の力なり。」

楚莊王築層臺,延石千重,延壤百里,士有三月之糧者,大臣諫者七十二人皆死矣;有諸御己者,違楚百里而耕,謂其耦曰:“吾將入見於王。”其耦曰:“以身乎?吾聞之,說人主者,皆閒暇之人也,然且至而死矣;今子特草茅之人耳。”諸御己曰:“若與子同耕則比力也,至於說人主不與子比智矣。”委其耕而入見莊王。莊王謂之曰:“諸御己來,汝將諫邪?”諸御己曰:“君有義之用,有法之行。且己聞之,土負水者平,木負繩者正,君受諫者聖;君築層臺,延石千重,延壤百里;民之釁咎血成於通塗,然且未敢諫也,己何敢諫乎?顧臣愚,竊聞昔者虞不用宮之奇而晉幷之,陳不用子家羈而楚幷之,曹不用僖負羈而宋幷之,萊不用子猛而齊幷之,吳不用子胥而越幷之,秦人不用蹇叔之言而秦國危,桀殺關龍逢而湯得之,紂殺王子比干而武王得之,宣王殺杜伯而周室卑;此三天子,六諸侯,皆不能尊賢用辯士之言,故身死而國亡。”遂趨而出,楚王遽而追之曰:“己子反矣,吾將用子之諫;先日說寡人者,其說也不足以動寡人之心,又危(一作色)加諸寡人,故皆至而死;今子之說,足以動寡人之心,又不危加諸寡人,故吾將用子之諫。”明日令曰:“有能入諫者,吾將與為兄弟。”遂解層臺而罷民,楚人歌之曰:“薪乎萊乎?無諸御己訖無子乎?萊乎薪乎?無諸御己訖無入乎!”

楚荘王が層台を築き、石を運ぶこと千重、土を運ぶこと百里、士に三箇月の糧を帯びし者あり。大臣の進諫する七十二人は皆死せり。諸御己という者あり、楚を離るる百里にて耕種し、その耦耕の人に言った。「我は将に入りて王に見えん。」耦耕の人は言った。「自身を以てするか。我が聞くに、人主を遊説するは皆閑暇の人なり、なお且つ至れば死す。いまお前はただ草茅の人のみ。」諸御己は言った。「もしお前と同じく耕種せば力を比べん。人主を遊説するに至ってはお前と智を比べざらん。」耕種を放下して入りて荘王に見えた。荘王は彼に言った。「諸御己が来たる。お前は将に進諫せんとするか。」諸御己は言った。「君は義の施用あり、法の實行あり。さらに己が聞くに、土は水の平を承け、木は墨繩の正を承け、君は諫の聖を受く。君が層台を築き、石を運ぶこと千重、土を運ぶこと百里。民の釁咎、血は通途を為す。しかるに未だ敢えて進諫する人なし。己はどうして敢えて進諫せん。ただ臣は愚、私に聞くに、昔、虞は宮之奇を用いずして晋に兼倂せられ、陳は子家羈を用いずして楚に兼倂せられ、曹は僖負羈を用いずして宋に兼倂せられ、萊は子猛を用いずして斉に兼倂せられ、呉は子胥を用いずして越に兼倂せられ、秦人は蹇叔の言を用いずして秦国は危うし。桀は關龍逢を殺して湯は得たり、紂は王子比干を殺して武王は得たり、宣王は杜伯を殺して周室は卑微なり。この三天子・六諸侯は、皆賢を尊び辯士の言を用いる能わず。ゆえに身死して国は亡べり。」そこで快步して出でた。楚王は急いで彼を追いて言った。「己子は返れ。我は将にお前の諫を用いん。先前寡人を遊説せし者は、彼らの説は以て寡人の心を打動するに足らず、また危を寡人の身に加えたり。ゆえに皆至れば死せり。いまお前の説は、以て寡人の心を打動するに足り、また危を寡人の身に加えず。ゆえに我は将にお前の諫を用いん。」明日に令して言った。「能く進りて進諫する者あらば、我は彼と兄弟を為さん。」そこで層台を解きて役民を停止せしめた。楚人は歌って曰く「柴か萊か?諸御己なかればお前なきこと成らんか?萊か柴か?諸御己なかれば人の進るなきこと成らんか!」

齊桓公謂鮑叔曰:“寡人慾鑄大鐘,昭寡人之名焉,寡人之行,豈避堯舜哉?”鮑叔曰:“敢問君之行?”桓公曰:“昔者吾圍譚三年,得而不自與者,仁也;吾北伐孤竹,■令支而反者,武也;吾為葵丘之會,以偃天下之兵者,文也;諸侯抱美玉而朝者九國,寡人不受者,義也。然則文武仁義,寡人盡有之矣,寡人之行豈避堯舜哉!”鮑叔曰:“君直言,臣直對;昔者公子糾在上位而不讓,非仁也;背太公之言而侵魯境,非義也;壇場之上,詘於一劍,非武也;侄娣不離懷衽,非文也。凡為不善遍於物不自知者,無天禍必有人害,天處甚高,其聽甚下;除君過言,天且聞之。”桓公曰:“寡人有過乎?幸記之,是社稷之福也,子不幸教,幾有大罪以辱社稷。”

斉桓公が鮑叔に言った。「寡人は大鐘を鋳て、寡人の名を顕揚し、寡人の行をなさんと欲す。どうして堯・舜を避けん。」鮑叔は言った。「敢えて君の行を問う。」桓公は言った。「昔、我は譚を囲むこと三年、得て自ら占有せず。これは仁なり。我は北に孤竹を伐ち、令支を滅ぼして帰る。これは武なり。我は葵丘の会を為し、以て天下の兵を停止す。これは文なり。諸侯の美玉を抱いて来朝する九国に、寡人は受けず。これは義なり。ならば文・武・仁・義、寡人は全て有せり。寡人の行はどうして堯・舜を避けん!」鮑叔は言った。「君が直言すれば、臣は直対す。昔、公子糾は上位に在りて譲らず。これは仁ならず。太公の言を背棄して魯境に侵入す。これは義ならず。壇場の上に一剣の屈を為さる。これは武ならず。侄娣は懐抱衣襟を離れず。これは文ならず。およそ不善を為して事物に遍及して自ら知らざるは、天禍なからば必ず人害あり。天は処ること甚だ高く、聴くことは甚だ低し。君の過分の言を除かば、天は将に聞かん。」桓公は言った。「寡人に過失あるか。幸いにこれを記せ。これは社稷の福なり。お前が辛勤に教導せざれば、ほぼ大罪ありて社稷を羞辱せん。」

楚昭王欲之荊臺遊,司馬子綦進諫曰:“荊臺之遊,左洞庭之波,右彭蠡之水;南望獵山,下臨方淮。其樂使人遺老而忘死,人君遊者盡以亡其國,願大王勿往遊焉。”王曰:“荊臺乃吾地也,有地而遊之,子何為絕我遊乎?”怒而擊之。於是令尹子西,駕安車四馬,徑於殿下曰:“今日荊臺之遊,不可不觀也。”王登車而拊其背曰:“荊臺之遊,與子共樂之矣。”步馬十里,引轡而止曰:“臣不敢下車,願得有道,大王肯聽之乎?”王曰:“第言之。”令尹子西曰:“臣聞之,為人臣而忠其君者,爵祿不足以賞也;為人臣而諛其君者,刑罰不足以誅也。若司馬子綦者忠君也,若臣者諛臣也;願大王殺臣之軀,罰臣之家,而祿司馬子綦。”王曰:“若我能止,聽公子,獨能禁我遊耳,後世遊之,無有極時,奈何?”令尹子西曰:“欲禁後世易耳,願大王山陵崩,為陵於荊臺;未嘗有持鐘鼓管絃之樂而遊於父之墓上者也。”於是王還車,卒不遊荊臺,令罷先置。孔子從魯聞之曰:“美哉!令尹子西,諫之於十里之前,而權之於百世之後者也。”

楚昭王は荊台に游びんと思った。司馬子綦は進諫して言った。「荊台の游は、左は洞庭の波、右は彭蠡の水。南は獵山を望み、下は方淮に臨む。その楽は人をして老を遺棄し死を忘れしむ。人君の游ぶは皆これによってその国を亡ぼす。願わくは大王は往きて游ぶなかれ。」王は言った。「荊台は我が地なり。地ありて游ぶに、お前は何故我が游を断絶するか。」怒りて彼を打ちたり。そこに令尹子西は安車四馬に駕し、徑直に殿下に至りて言った。「今日の荊台の游は、看ざるべからず。」王は車に上りて彼の背を按して言った。「荊台の游は、お前と共に楽しまん。」馬を走らせること十里、辔を拉きて止まりて言った。「臣は敢えて車を下らず。願わくは有道を以てすれば、大王は肯んじて聴くや。」王は言った。「只管言え。」令尹子西は言った。「臣が聞くに、人臣たるにその君に忠なるは、爵禄は以て賞するに足らず。人臣たるにその君に諂諛なるは、刑罰は以て誅するに足らず。司馬子綦の如きは君に忠なり。臣の如きは諛臣なり。願わくは大王は臣の身を殺し、臣の家を罰し、而して司馬子綦に禄を与えよ。」王は言った。「もし我が止む能わば、公子を聴かば、ただ我が游を禁止するのみ。後世にこれを游ばば、終極の時なきは、如何。」令尹子西は言った。「後世を禁ぜんと欲せば易きのみ。願わくは大王の山陵崩ぜば、荊台に陵を為せ。かつて鐘鼓管弦の楽を持ちて父の墓上に游ぶ者あらず。」そこで王は車を掉轉し、終に荊台に游ばず。予め安置するを停止せしめり。孔子は魯よりこれを聞いて言った。「美しいな!令尹子西は、十里の前に進諫し、百世の後に権衡せり。」

荊文王得如黃之狗,箘簬之矰,以畋於雲夢,三月不反;得舟(一作丹)之姬,淫期年不聽朝。保申諫曰:“先王卜以臣為保吉,今王得如黃之狗,箘簬之矰,畋於雲澤,三月不反;及得舟之姬,淫期年不聽朝,王之罪當笞。”匍伏將笞王,王曰:“不穀免於襁褓,托於諸侯矣,願請變更而無笞。”保申曰:“臣承先王之命不敢廢,王不受笞,是廢先王之命也;臣寧得罪於王,無負於先王。”王曰:“敬諾。”乃席王,王伏,保申束細箭五十,跪而加之王背,如此者再,謂王起矣。王曰:“有笞之名一也。”遂致之。保申曰:“臣聞之,君子恥之,小人痛之;恥之不變,痛之何益?”保申趨出,欲自流,乃請罪於王,王曰:“此不穀之過,保將何罪?”王乃變行從保申,殺如黃之狗,折箘簬之矰,逐舟之姬,務治乎荊;兼國三十,令荊國廣大至於此者,保申敢極言之功也。蕭何王陵聞之曰:“聖主能奉先世之業,而以成功名者,其惟荊文王乎!故天下譽之至今,明主忠臣孝子以為法。”

荊文王は如黄の狗・箘簬の矰を得、雲夢で畋獵し、三箇月帰らず。舟之姫を得て、放縦すること満一年朝を聴かず。保申は進諫して言った。「先王は占卜して臣を以て保と為すは吉なりき。いま王は如黄の狗・箘簬の矰を得て、雲沢で畋獵し、三箇月帰らず。舟之姫を得るに及び、放縦すること満一年朝を聴かず。王の罪は笞に当たる。」匍匐して将に王を笞せんとす。王は言った。「不穀は襁褓より免身し、諸侯に托せり。願わくは変更せよと請いて笞せざらんことを。」保申は言った。「臣は先王の命を承けて敢えて廃せず。王は笞を受けざるは、先王の命を廃するなり。臣は寧ろ王に罪を得ん、先王に辜かざらん。」王は言った。「敬謹して命に従う。」そこで王のために席を設け、王は伏せり。保申は細箭五十を捆りて、跪きて王の背上に加え、この如く両次して、王を起せと叫ぶ。王は言った。「笞の名あるは一様なり。」そこで箭を送り至る。保申は言った。「臣が聞くに、君子はこれを以て恥とし、小人はこれを以て痛とす。恥じて改めざれば、痛はまた何の益かあらん。」保申は快步して出で、自ら流せんと欲し、そこで王に罪を請う。王は言った。「これは不穀の過失なり。保は何の罪かあらん。」王はそこで行を改め保申に依従し、如黄の狗を殺し、箘簬の矰を折り、舟之姫を驅逐し、務めて荊を治めり。国を兼倂すること三十、荊国を広大にしてこのようせしめたるは、保申の敢えて話を極致に到る功なり。蕭何・王陵はこれを聞いて言った。「聖主は能く先世の業を奉行して、これによって功名を成就するは、ほぼ荊文王のみか!ゆえに天下は彼を称誉して今に至る。明主・忠臣・孝子はこれを以て法と為す。」

晉平公使叔向聘於吳,吳人拭舟以逆之,左五百人,右五百人;有繡衣而豹裘者,有錦衣而狐裘者,叔向歸以告平公,平公曰:“吳其亡乎!奚以敬舟?奚以敬民?”叔向對曰:“君為馳底之臺,上何以發千兵?下何以陳鐘鼓?”諸侯聞君者,亦曰‘奚以敬臺,奚以敬民?’所敬各異也。”於是平公乃罷臺。

晋平公が叔向を遣わして呉に聘問せしめた。呉人は船を拭淨して彼を迎えた。左に五百人、右に五百人。繍衣豹裘を着る者あり、錦衣狐裘を着る者あり。叔向は帰りて平公に告げた。平公は言った。「呉はほぼ亡びんとするか!何故船を敬重するか。何故民を敬重するか。」叔向は答えた。「君は馳底之台を建造す。上は以て千兵を発す。下は以て鐘鼓を陳設す。諸侯の君を聞くも、また言う『何故台を敬重するか。何故民を敬重するか』と。敬重する所は各々異なり。」そこで平公は即ち台を築くを止めた。

趙簡子舉兵而攻齊,令軍中有敢諫者罪至死,被甲之士,名曰公盧,望見簡子大笑;簡子曰:“子何笑?”對曰:“臣有夙笑。”簡子曰:“有以解之則可,無以解之則死。”對曰:“當桑之時,臣鄰家夫與妻俱之田,見桑中女,因往追之,不能得,還反,其妻怒而去之,臣笑其曠也。”簡子曰:“今吾伐國失國,是吾曠也。”於是罷師而歸。

趙簡子が兵を起して斉を攻め、軍中に令して敢えて進諫する者は罪は死に至るとす。甲を被る士ありて名は公盧、簡子を望見して大いに笑う。簡子は言った。「お前は何を笑うか。」答えた。「臣に向きて笑を愛する病あり。」簡子は言った。「話を解釈あれば可、解釋なければ死。」答えた。「桑を採る時に当たり、臣の隣家の丈夫は妻とともに田里に至り、桑中の女子を見て、そこで往きて彼女を追うも得られず、返り来たれば、その妻は怒りて彼を離れ去れり。臣は彼の落空を笑う。」簡子は言った。「いま我は別国を攻伐して本国を失う。これが我が落空なり。」そこで兵を停止して返った。

景公為臺,臺成,又欲為鍾,晏子諫曰:“君不勝欲為臺,今復欲為鍾,是重斂於民,民之哀矣;夫斂民之哀而以為樂,不祥。”景公乃止。

景公が台を築き、台が成れば、また鐘を鋳んと欲した。晏子は進諫して言った。「君は欲望を満足せしめ得ずして台を築き、いままた鐘を鋳んと欲す。これは民に聚斂を加重するなり。民は悲哀せり。民の悲哀を聚斂して以て楽を為すは、祥ならず。」景公はそこで止めた。

景公有馬,其圉人殺之,公怒,援戈將自擊之,晏子曰:“此不知其罪而死,臣請為君數之,令知其罪而殺之。”公曰:“諾。”晏子舉戈而臨之曰:“汝為吾君養馬而殺之,而罪當死;汝使吾君以馬之故殺圉人,而罪又當死;汝使吾君以馬故殺人,聞於四鄰諸侯,汝罪又當死。”公曰:“夫子釋之!夫子釋之!勿傷吾仁也。”

景公に馬あり、馬を養う圉人がこれを殺した。公は怒り、戈を挙げて将に自ら彼を撃殺せんとした。晏子は言った。「このようにすれば彼は己の罪を知らずして死せん。臣は君のために彼の罪を数説して、彼をして罪を知らしめて後に彼を殺さんことを請う。」公は言った。「よし。」晏子は戈を挙げて彼に對して言った。「お前は我らの君のために馬を養いてこれを殺したり。お前の罪は死に当たる。お前は我らの君をして馬の故に圉人を殺さしめたり。お前の罪はまた死に当たる。お前は我らの君をして馬の故に人を殺さしめ、四隣の諸侯に伝えしめたり。お前の罪はまた死に当たる。」公は言った。「夫子は彼を放ちよ!夫子は彼を放ちよ!我が仁を傷めるなかれ。」

景公好弋,使燭雛主鳥而亡之,景公怒而欲殺之,晏子曰:“燭雛有罪,請數之以其罪,乃殺之。”景公曰:“可。”於是乃召燭雛數之景公前曰:“汝為吾君主鳥而亡之,是一罪也;使吾君以鳥之故殺人,是二罪也;使諸侯聞之以吾君重鳥而輕士,是三罪也。數燭雛罪已畢,請殺之。”景公曰:“止,勿殺而謝之。”

景公は鳥を射るを好み、燭雛に鳥を主管せしめたが、失したり。景公は怒りて彼を殺さんと欲した。晏子は言った。「燭雛に罪あり。彼の罪を按じて数説して、後に彼を殺さんことを請う。」景公は言った。「可。」そこで燭雛を召して景公の面前で数説せり。「お前は我らの君のために鳥を主管してこれを失したり。これは一罪。我らの君をして鳥の故に人を殺さしめたり。これは二罪。諸侯をして聞かしめて以て我らの君は鳥を重んじ士を看軽すと為さしめたり。これは三罪。燭雛の罪を数説すること已に畢んぬ。彼を殺さんことを請う。」景公は言った。「止めよ、殺すな、彼に謝せよ。」

景公正晝被髮乘六馬,御婦人出正閨,刖跪擊其馬而反之,曰:“爾非吾君也。”公慚而不朝,晏子睹裔敖而問曰:“君何故不朝?”對曰:“昔者君正晝被髮乘六馬,御婦人出正閨,刖跪擊其馬而反之曰:‘爾非吾君也。’公慚而反,不果出,是以不朝。”晏子入見,公曰:“昔者寡人有罪,被髮乘六馬以出正閨,刖跪擊其馬而反之,曰:‘爾非吾君也。’寡人以天子大夫之賜,得率百姓以守宗廟,今見戮於刖跪以辱社稷,吾猶可以齊於諸侯乎?”晏子對曰:“君無惡焉。臣聞之,下無直辭,上無隱君;民多諱言,君有驕行。古者明君在上,下有直辭;君上好善,民無諱言。今君有失行,而刖跪有直辭,是君之福也,故臣來慶,請賞之,以明君之好善;禮之,以明君之受諫!”公笑曰:“可乎?”晏子曰:“可。”於是令刖跪倍資無正,時朝無事。

景公は大白天に髪を披きて六馬に駕し、婦人を載せて正閨より出でた。刖刑を受けし門を守る者が彼の馬を撃打して彼を返らしめ、言った。「お前は我が君にあらず。」公は慚じて朝に上がらず。晏子は裔敖に見えて問うた。「君は何故朝に上がらざるか。」答えた。「先前君は大白天に髪を披きて六馬に駕し、婦人を載せて正閨より出でたり。刖刑を受けし門を守る者が彼の馬を撃打して彼を返らしめ、言う『お前は我が君にあらず』と。公は慚じて返り、終に出でず。これにより朝に上がらず。」晏子は入りて進見せり。公は言った。「先前寡人は罪あり、髪を披きて六馬に駕して正閨より出でたり。刖刑を受けし門を守る者が馬を撃打して返らしめ、言う『お前は我が君にあらず』と。寡人は天子・大夫の恩賜に凭りて、以て百姓を率いて宗廟を守るを得たり。いま刖刑を受けし門を守る者に責辱せられて社稷を辱めしむ。我はなお諸侯と並列するべからんや。」晏子は答えた。「君はこの事を悪むなかれ。臣が聞くに、下に正直の言なければ、上に隠匿の君あり。民に忌諱の言多ければ、君に驕傲の行あり。古の明君は上に在れば、下に正直の言あり。君上が善を愛好すれば、民に忌諱の言なし。いま君に過失の行あるも、刖刑を受けし門を守る者に正直の言あり。これは君の福なり。ゆえに臣は前来りて慶賀す。彼に賞賜して、以て君の善を愛好するを顕明にし、彼を礼待して、以て君の進諫を受けるを顕明にせんことを請う。」公は笑いて言った。「可なるか。」晏子は言った。「可。」そこで令して刖刑を受けし門を守る者に資給を加倍し征賦を免去せしめた。あの時朝中に事故なし。

景公飲酒,移於晏子家,前驅報閭曰:“君至”。晏子被玄端立於門曰:“諸侯得微有故乎?國家得微有故乎?君何為非時而夜辱?”公曰:“酒醴之味,金石之聲,願與夫子樂之。”晏子對曰:“夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢與焉。”公曰:“移於司馬穰苴之家。”前驅報閭曰:“君至”。司馬穰苴介冑操戟立於門曰:“諸侯得微有兵乎?大臣得微有叛者乎?君何為非時而夜辱?”公曰:“酒醴之味,金石之聲,願與夫子樂之。”對曰:“夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢與焉。”公曰:“移於梁丘據之家。”前驅報閭曰:“君至”。梁丘據左操瑟,右挈竽,行歌而至,公曰:“樂哉!今夕吾飲酒也,微彼二子者何以治吾國!微此一臣者何以樂吾身!賢聖之君皆有益友,無偷樂之臣。”景公弗能及,故兩用之,僅得不亡。

景公は飲酒し、晏子の家に移した。前駆は閭門に至りて報告して曰く「君至れり。」晏子は玄端を着て門口に立ちて言った。「諸侯に事あらんや。国家に事あらんや。君は何故時にあらざる夜に屈辱して前来るか。」公は言った。「酒醴の滋味、金石の声音、夫子とともに楽しまんことを願う。」晏子は答えた。「薦席を鋪設し簠簋を陳列するは専人あり。臣は敢えて参与せず。」公は言った。「司馬穰苴の家に移れ。」前駆は閭門に至りて報告して曰く「君至れり。」司馬穰苴は甲冑を着て戟を持ちて門口に立ちて言った。「諸侯に兵事あらんや。大臣に叛乱あらんや。君は何故時にあらざる夜に屈辱して前来るか。」公は言った。「酒醴の滋味、金石の声音、夫子とともに楽しまんことを願う。」答えた。「薦席を鋪設し簠簋を陳列するは専人あり。臣は敢えて参与せず。」公は言った。「梁丘據の家に移れ。」前駆は閭門に至りて報告して曰く「君至れり。」梁丘據は左手に瑟を持ち右手に竽を提げ、歩きながら唱いて至れり。公は言った。「楽しいな!今晩我は飲酒す。あの二人なからば以て我が国を治めん。これ一臣なからば以て我が身を楽しましめん。賢聖の君は皆有益の朋友あり、楽を偸取する臣なし。」景公は及ばざるが故に、両方面ともに用いて、僅かに亡びざるを得たり。

吳以伍子胥孫武之謀,西破強楚,北威齊晉,南伐越,越王句踐迎擊之,敗吳於姑蘇,傷闔廬指,軍卻,闔廬謂太子夫差曰:“爾忘句踐殺而父乎?”夫差對曰:“不敢。”是夕闔廬死,夫差既立為王,以伯嚭為太宰,習戰射,三年伐越,敗於夫湫,越王句踐乃以兵五千人(一作入)棲於會稽山上,使大夫種厚幣遣吳太宰嚭以請和,委國為臣妾,吳王將許之,伍子胥諫曰:“越王為人能辛苦,今王不滅,後必悔之。”吳王不聽,用太宰嚭計與越平。其後五年,吳王聞齊景公死,而大臣爭寵,新君弱,乃興師北伐齊,子胥諫曰:“不可。句踐食不重味,弔死問疾,且能用人,此人不死,必為吳患;今越,腹心之疾,齊猶疥癬耳,而王不先越,乃務伐齊,不亦謬乎?”吳王不聽,伐齊,大敗齊師於艾陵,遂與鄒魯之君會以歸,益疏子胥之言。其後四年,吳將復北伐齊,越王句踐用子胥之謀,乃率其眾以助吳,而重寶以獻遺太宰嚭,太宰嚭既數受越賂,其愛信越殊甚,日夜為言於吳王,王信用嚭之計,伍子胥諫曰:“夫越,腹心之疾,今信其遊辭偽詐而貪齊,譬猶石田,無所用之,盤庚曰:‘古人有顛越不恭’。是商所以興也,願王釋齊而先越,不然,將悔之無及也。”吳王不聽,使子胥於齊,子胥謂其子曰:“吾諫王,王不我用,吾今見吳之滅矣,女與吳俱亡無為也。”乃屬其子於齊鮑氏而歸報吳王。太宰嚭既與子胥有隙,因讒曰:“子胥為人,剛暴少恩,其怨望猜賊為禍也,深恨前日王欲伐齊,子胥以為不可,王卒伐之,而有大功,子胥計謀不用,乃反怨望;今王又復伐齊,子胥專愎強諫,沮毀用事,徼倖吳之敗,以自勝其計謀耳。今王自行,悉國中武力以伐齊,而子胥諫不用,因輟佯病不行,王不可不備,此起禍不難,且臣使人微伺之,其使齊也,乃屬其子於鮑氏。

呉は伍子胥・孫武の謀画を用い、西面して強楚を攻破し、北面して斉・晋を威懾し、南面して越を攻伐した。越王句踐は迎撃し、姑蘇で呉を打敗し、闔廬の脚の趾を傷つけ、軍は退却した。闔廬は太子夫差に言った。「お前は句踐がお前の父を殺したことを忘れたか。」夫差は答えた。「敢えて忘れません。」この夜闔廬は死した。夫差がすでに王と立ち、伯嚭を太宰と用い、作戦と射箭を練習し、三年して越を攻伐し、夫湫で越を打敗した。越王句踐はそこで兵五千人を以て會稽山上に栖息し、大夫種を派して厚き幣を以て呉太宰嚭に送り講和を請い、国を托付して臣妾と為さんとした。呉王は将に許さんとした。伍子胥は進諫して言った。「越王の人となりは苦に堪えます。いま王が彼を滅ぼさざれば、後には必ず悔います。」呉王は聽かず、太宰嚭の計を以て越と講和した。あれより五年、呉王は斉景公の死を聞き、大臣は寵を争い、新君は弱し。そこで兵を起して北に斉を伐った。子胥は進諫して言った。「不可です。句踐は飯を食べて二様の菜なく、死者を弔い病人を慰問し、能く人を用います。この人死せざれば、必ず呉の禍患と為らん。いま越は心腹の疾病、斉はただ疥癬の如きのみ。しかるに王は越を先に對えせず、斉を攻伐せんと致力す。これまた荒謬ならずや。」呉王は聽かず、斉を攻伐し、艾陵で斉軍を大敗せしめ、そこで鄒・魯の君と會盟して帰り、いよいよ子胥の言を疏遠した。あれより四年、呉は将に再び北に斉を伐たんとした。越王句踐は子胥の謀を用い、そこでその部衆を率いて呉を助けに来た。また重宝を以て太宰嚭に献じた。太宰嚭は已に屢々越の賄賂を受け、彼は越を愛し信ること特に深く、日夜呉王に話した。王は嚭の計を信用した。伍子胥は進諫して言った。「越は心腹の疾病なり。いま彼の游說の話・虚偽欺詐を信じて斉を貪るは、石田に比す。用いるなし。『尚書』に言う「古の人に顛墜逾越・恭順せざるあり。」これは商の興起せし所以なり。願わくは王は斉を放下して越を先に對えせんことを。然らざれば、将に悔いるも及ばざらん。」呉王は聽かず、子胥を斉に遣わした。子胥はその子に言った。「我は王に進諫したが、王は我を用いず。我はいま呉の滅亡せんとするを見る。お前は呉とともに滅亡するも作為なし。」そこでその子を齊の鮑氏に托付し、帰りて呉王に報告した。太宰嚭は已に子胥と嫌隙あり。そこで讒を進めて言った。「子胥の人となりは、剛暴少恩、彼は怨恨猜疑にして賊害を成し禍を為す。前日に王が斉を攻伐せんと欲するに、子胥は以て不可とす。王は終に攻伐して大功あり。子胥の計謀は用いられず、そこで反つて怨恨す。いま王はまた斉を攻伐せんとす。子胥は專橫執拗して強く進諫し、当権の事を敗壞詆毀し、呉の失敗を僥幸して、自ら彼の計謀の勝を顯すのみ。いま王は自ら出行して、国中の武力を尽くして斉を攻伐す。しかるに子胥は進諫して用いられず、そこで停止して病を偽装して往かず。王は防備せざるべからず。これは禍を興起するに難しなし。さらに臣は人を派して暗中に彼を伺察せしむに、彼は斉に出使すれば、即ち兒子を鮑氏に托付す。」

夫人臣內不得意,外交諸侯,自以先王謀臣,今不用,常怏怏,願王早圖之。”吳王曰:“微子之言,吾亦疑之。”乃使使賜子胥屬鏤之劍,曰:“子以此死。”子胥曰:“嗟乎!讒臣宰嚭為亂,王顧反誅我,我令若父霸,又若立時,諸子弟爭立,我以死爭之於先王,幾不得立,若既立,欲分吳國與我,我顧不敢當,然若之何聽讒臣殺長者!”乃告舍人曰:“必樹吾墓上以梓,令可以為器,而抉吾眼著之吳東門,以觀越寇之滅吳也。”乃自刺殺,吳王聞之大怒,乃取子胥屍,盛以鴟夷革,浮之江中,吳人憐之,乃為立祠於江上,因名曰胥山。後十餘年,越襲吳,吳王還與戰不勝,使大夫行成於越不許,吳王將死曰:“吾以不用子胥之言至於此;令死者無知則已,死者有知,吾何面目以見子胥也?”遂蒙絮覆面而自刎。

人臣たるに内に於て意を得ず、外に於て諸侯と交結し、自ら以て先王の謀臣と為すも、いま用いられず、常に怏怏として楽しまず。願わくは王は早く打算を為さん。」呉王は言った。「お前の言なくんば、我もまた彼を疑わん。」そこで使者を派して子胥に屬鏤剣を賜い、言った。「お前はこれを以て死せよ。」子胥は言った。「ああ!讒臣宰嚭が乱を為し、王は反つて我を誅殺す。我はお前の父をして覇を称せしめ、またお前の立つ時、衆子弟は立つを争い、我は死を以て先王に力争し、ほぼ立つ能わざりき。お前が已に立ち、呉国を分かちて我に與えんと欲すれども、我は敢えて当せず。しかるにどうして讒臣を聽信して長者を殺す!」そこで舎人に告げて言った。「必ず我が墓上に梓を種え、以て器物を為るを得せしめ、さらに我が眼を挖出して呉東門に掛け、以て越寇の呉を滅ぼすを看ん。」そこで自ら刺殺した。呉王はこれを聞きて大いに怒り、そこで子胥の屍体を取り、鴟夷革に盛りて江中に漂浮せしめた。呉人は彼を憐み、そこで江上に祠を立て、これにより名を胥山と言う。後に十余年、越は呉を襲撃し、呉王は返りて交戦するも勝つ能わず。大夫を派して越に和を求めたが許されず。呉王は将に死せんとして言った。「我は子胥の言を用いざりしが故にこの歩に至った。死者に知なからばそれまで、死者に知あらば、我は何の面目を以て子胥に見えん。」そこで棉絮を蒙い顔を遮りて自殺した。

齊景公有臣曰諸御鞅,諫簡公曰:“田常與宰予,此二人者甚相憎也,臣恐其相攻;相攻雖叛而危之,不可。願君去一人。”簡公曰:“非細人之所敢議也。”居無幾何,田常果攻宰予於庭,賊簡公於朝,簡公喟焉太息,曰:“餘不用鞅之言以至此患也。故忠臣之言,不可不察也。”

斉景公に臣ありて名は諸御鞅、簡公に進諫して言った。「田常と宰予は、この二人は互相いに甚だ憎悪す。臣は彼らが互相いに攻撃するを怕る。互相いに攻撃すればたとえ叛乱に於て危害に至らん。不可。願わくは君は一人を去掉せんことを。」簡公は言った。「小人の敢えて議論する所にあらず。」過ごすこと幾久しからず、田常は果たして庭中で宰予を攻撃し、朝上で簡公を賊害した。簡公は嘆息して言った。「我は鞅の言を用いざるに至りてこの禍患に至った。ゆえに忠臣の言は察せざるべからず。」

魯襄公朝荊,至淮,聞荊康王卒,公欲還,叔仲昭伯曰:“君之來也,為其威也;今其王死,其威未去,何為還?”大夫皆欲還,子服景伯曰:“子之來也,為國家之利也,故不憚勤勞,不遠道塗,而聽於荊也,畏其威也!夫義人者,固將慶其喜而吊其憂,況畏而聘焉者乎!聞畏而往,聞喪而還,其誰曰非侮也。姓是嗣王,太子又長矣,執政未易,事君任政,求說其侮,以定嗣君,而示後人,其讎滋大,以戰小國,其誰能止之?若從君而致患,不若違君以避難,且君子計而後行,二三子其計乎?有御楚之術,有守國之備,則可;若未有也,不如行!”乃遂行。

魯襄公が荊に朝見し、淮に至るに、荊康王の死を聞いた。公は返りたい。叔仲昭伯は言った。「君の前来たるは、彼の威のためなり。いま彼の王は死せども、彼の威は未だ去らず。何故返るか。」大夫は皆返りたい。子服景伯は言った。「お前たちの前来たるは、国家の利のためなり。ゆえに勤労を怕れず、道路の遠きを嫌わず、荊に聴命するは、彼の威を畏れるなり!義人はもともと将に彼の喜を慶賀し彼の憂を弔唁せんとす。いわんや畏れを因として聘問するをや!畏れを聞きて前往し、喪事を聞きて返るは、誰かこれを侮辱ならざると言わん。姓は嗣王、太子はまた長大せり。政を執るは改換なし。君に仕え政を担任し、あの侮辱を解説し、以て嗣君を安定し、而して後人に看るは、あの仇怨はいよいよ大なり。以て戦国と為すは、誰か制止せん。もし君に従順して禍患を招致せば、君に違背して災難を躲避するに如かず。さらに君子は謀画して後に行動す。二三子は謀画せしや。楚に抵禦する術あり、国を守る準備あらば、可なり。もし未だなからば、前行するに如かず!」そこで終に前行���た。

孝景皇帝時,吳王濞反,梁孝王中郎枚乘字叔聞之,為書諫王,其辭曰:“君王之外臣乘,竊聞得全者全昌,失全者全亡。舜無立錐之地,以有天下;禹無十戶之聚,以王諸侯。湯武之地,方不過百里;上不絕三光之明,下不傷百姓之心者,有王術也!故父子之道,天性也,忠臣不敢避誅以直諫,故事無廢棄而功流於萬世也,臣誠願披腹心而效愚忠,恐大王不能用之;臣誠願大王少加意念惻怛之心於臣乘之言。夫以一縷之任,系千鈞之重,上懸之無極之高,下垂不測之淵,雖甚愚之人,且猶知哀其將絕也。馬方駭而重驚之,系方絕而重鎮之;系絕於天,不可復結;墜入深淵,難以復出;其出不出,間不容髮!誠能用臣乘言,一舉必脫;必若所欲為,危如重卵,難於上天;變所欲為,易於反掌,安於太山。今欲極天命之壽,弊無窮之樂,保萬乘之勢,不出反掌之易,以居太山之安;乃欲乘重卵之危,走上天之難,此愚臣之所大惑也!人性有畏其影而惡其跡者,卻背而走無益也,不知就陰而止,影滅跡絕。欲人勿聞,莫若勿言;欲人勿知,莫若勿為。欲湯之冷,令一人炊之,百人揚之,無益也;不如絕薪止火而已。不絕之於彼,而救之於此,譬猶抱薪救火也。養由基,楚之善射者也,去楊葉百步,百發百中,楊葉之小,而加百中焉,可謂善射矣,所止乃百步之中耳,比於臣未知操弓持矢也。福生有基,禍生有胎;納其基,絕其胎;禍何從來哉?泰山之溜穿石,引繩久之,乃以挈木;水非石之鑽,繩非木之鋸也,而漸靡使之然。夫銖銖而稱之,至石必差;寸寸而度之,至丈必過;石稱丈量,徑而寡失。夫十圍之木,始生於■,可引而絕,可擢而拔,據其未生,先其未形;磨礱砥礪,不見其損,有時而盡;種樹畜長,不見其益,有時而大;積德修行,不知其善,有時而用;

孝景皇帝の時、呉王濞が反逆した。梁孝王の中郎枚乘字叔はこれを聞き、書を遣わして王に進諫した。その辞は曰く「君王の外臣乘、私に聞くに、保全する能くするは全部昌盛し、保全を失うは全部滅亡す。舜は立錐の地なかりき。これにより天下を擁有せり。禹は十戸の聚落なかりき。これにより諸侯に王と称せり。湯・武の地は方円百里に過ぎず。上は三光の明を絶たず、下は百姓の心を傷害せず。これは王術あるなり!ゆえに父子の道理は天性なり。忠臣は敢えて誅殺を避けずして直諫す。ゆえに事は廢棄せられずして功労は万世に流伝す。臣は誠懇に願わくは腹心を剖開して愚忠を献上せん。大王がこれを用いる能わざるを怕る。臣は誠懇に願わくは大王は稍々意念惻怛の心を臣乘の言に加えんことを。一縷の負担を以て千鈞の重量を繋ぎ、上は極限なき高処に懸け、下は測量すべからざる深淵に垂る。たとえ甚だ愚なる人も、なお彼の将に断絶せんとするを哀憐するを知る。馬は正に驚駭するにまたこれを驚嚇し、繩繫は正に断絶せんとするにまたこれを鎮住す。繩繫は天上より断絶せば、再び結上ぐべからず。深淵に墜入せば、難く再び出づべからず。あの出づると出でざるとは、中間に一髪を容れず!もし真に臣乘の言を用い得ば、一擧して必ず身を脱せん。もし必ず想うが如く為さば、危きは卵を疊きたる如く、難きは青天に上るが如し。想う所を改むれば、掌を反くるより易く、太山に安んずるが如し。いま天命の壽を窮盡し、窮盡なき楽を享盡し、万乗の勢を保全せんと欲するも、反掌の易しきを出でずして、太山の安に処らず。却つて疊卵の危を乗り、上天の難を走らんと欲す。これは愚臣の大いに迷惑する所なり!人性に自らの影を畏懼し自らの足跡を厭惡する者あり。背きて走れば益なし。陰処に靠近して止まるを知らず、影は滅し足跡は絶えん。人に聞かれざらんと欲せば、言わざるに如かず。人に知られざらんと欲せば、為さざるに如かず。熱水を冷ならしめんと欲するに、一人に燒火せしめ百人にこれを揚げしむれば、益なし。薪を断絶し火を停止するに如かず。あちらに於て断絶せずしてこちらに於て救うは、薪を抱いて火を救うに比す。養由基は楚の射に善なるなり。楊葉を離るること百歩にして百發百中す。楊葉はこのように小なるも、これに百中を加う。以て射に善と称すべし。止まる所はただ百歩の中のみ。臣に比するはなお弓を操り箭を持つを知らざるなり。福の產生は根基あり、禍の產生は胚胎あり。あの根基を接納し、あの胚胎を断胚胎を断絶せば、禍はどこより来たらん。泰山の溜水は石を穿ち、繩子を牽引すること久しく、竟に以て木を提起す。水は石の鑽にあらず、繩は木の鋸にあらず。しかるに漸々磨損してこれを然らしむ。一銖一銖として称すれば、石に至りて必ず差錯あり。一寸一寸として量れば、丈に至りて必ず超過す。石を以て称し丈を以て量れば、直接にして失誤少なし。十し。十圍の樹木は、始め(底本この字欠)に生長す。引きて拉断すべく、擢出して拔くべく、彼の未だ生ぜざる時に占據し、彼の未だ形を成せざる前にす。磨礲砥礪すれば、彼の減損するを見ず。時として却つて尽く。樹を種え養い生長せしむれば、彼の増益するを見ず。時として却つて大なり。徳を積み行を修むれば、彼の善を知らず。時として却つて用あり。」

行惡為非,棄義背理,不知其惡,有時而亡。臣誠願大王孰計而身行之,此百王不易之道也。”吳王不聽,卒死丹徒。

悪を為し非を為して、義を拋棄し理に違背し、彼の悪を知らざれば、時として却つて滅亡す。臣は誠懇に願わくは大王は仔細に謀画して自ら實行せんことを。これは百王の改変せざる道理なり。」呉王は聽かず。終に丹徒に死せり。

吳王欲從民飲酒,伍子胥諫曰:“不可。昔白龍下清冷之淵,化為魚,漁者豫且射中其目,白龍上訴天帝,天帝曰:‘當是之時,若安置而形?’白龍對曰:‘我下清冷之淵化為魚。’天帝曰:‘魚固人之所射也;若是,豫且何罪?’夫白龍,天帝貴畜也;豫且,宋國賤臣也。白龍不化,豫且不射;今棄萬乘之位而從布衣之士飲酒,臣恐其有豫且之患矣。”王乃止。

呉王が民と従い飲酒せんと欲した。伍子胥は進諫して言った。「不可。昔、白龍は清冷の深淵に下りて、魚に變化せり。魚を打つ豫且がその眼を射中たり。白龍は上に天帝に控訴す。天帝は曰く『正にあの時、お前は形体をどこに安置せしか』と。白龍は答えて曰く『我は清冷の深淵に下りて魚に變化せり』と。天帝は曰く『魚はもともと人の射る所なり。これの如くならば、豫且に何の罪かあらん』と。白龍は天帝の貴重の畜なり。豫且は宋国の低賤の臣なり。白龍は變化せず、豫且は射せず。いま万乗の位を拋棄して布衣の士と従い飲酒するは、臣は豫且の如き禍患あるを怕る。」王はそこで止めた。

孔子曰:“良藥苦於口,利於病;忠言逆於耳,利於行。故武王諤諤而昌,紂嘿嘿而亡,君無諤諤之臣,父無諤諤之子,兄無諤諤之弟,夫無諤諤之婦,士無諤諤之友;其亡可立而待。故曰君失之,臣得之;父失之,子得之;兄失之,弟得之;夫失之,婦得之;士失之,友得之。故無亡國破家,悖父亂子,放兄棄弟,狂夫淫婦,絕交敗友。”

孔子は言った。「好薬は口に苦し、病に利あり。忠直の言は耳に逆らう、行事に利あり。ゆえに武王は諤諤直言ありて昌盛し、紂は黙黙言なきして滅亡せり。君に諤諤直言の臣なく、父に諤諤直言の子なく、兄に諤諤直言の弟なく、夫に諤諤直言の婦なく、士に諤諤直言の友なからば、滅亡は立ちどころに至らん。ゆえに言う、君に過失あれば、臣は補うを得。父に過失あれば、子は補うを得。兄に過失あれば、弟は補うを得。夫に過失あれば、婦は補う���得。士に過失あれば、友は補うを得。ゆえに亡国破家なく、悖逆の父・乱の子、放逐せられし兄・拋棄せられし弟、狂の夫・淫の婦、交を絶絕せられし・敗壞せられし友なし。」

晏子復於景公曰:“朝居嚴乎?”公曰:“朝居嚴,則曷害於國家哉?”晏子對曰:“朝居嚴,則下無言,下無言,則上無聞矣。下無言則謂之喑,上無聞則謂之聾;聾喑則非害治國家如何也?具合菽粟之微以滿倉廩,合疏縷之緯以成幃幕,太山之高,非一石也,累卑然後高也。夫治天下者,非用一士之言也,固有受而不用,惡有距而不入者哉?”

晏子が景公に回復して言った。「朝會は厳厲に処るか。」公は言った。「朝會を厳厲に処れば、ならば国家に何の妨害かあらん。」晏子は答えた。「朝會を厳厲に処れば、下に話なく、下に話なければ、上は聞く能わず。下に話なきを啞といい、上が聞く能わざるを聾という。聾と啞とは、国家を治むるに妨害ならずして何かあらん。菽粟の微小を匯合して倉廩を装満し、絲縷の稀疏なる緯線を匯合して幃幕を為る。太山の高は、一塊の石にあらず。低下を積累して後に高きを為す。天下を治むる人は、一士の言のみを用いるにあらず。受けて用いざる有るは固より、どうして拒絶して進入せしめざるがあらん。」

卷十敬慎

巻十 敬慎

存亡禍福,其要在身,聖人重誡,敬慎所忽。中庸曰:“莫見乎隱,莫顯乎微;故君子能慎其獨也。”諺曰:“誠無垢,思無辱。”夫不誠不思而以存身全國者亦難矣。詩曰:“戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰。”此之謂也。

存亡禍福は、關鍵は自身に在り。聖人は警戒を看重し、忽視する所に對しても恭敬謹慎す。『中庸』に言う。「隱蔽中より顯現するはなく、細微中より顯著するはなし。ゆえに君子は能く独处の時に謹慎す。」諺語に言う。「誠実なれば垢汚なく、思慮すれば耻辱なし。」誠実ならず思慮せずして能く自身を保全し国家を保全するは、また難し。『詩経』に言う。「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を踩むが如し。」これを言う。

昔成王封周公,周公辭不受,乃封周公子伯禽於魯,將辭去,周公戒之曰:“去矣!子其無以魯國驕士矣。我,文王之子也,武王之弟也,今王之叔父也;又相天子,吾於天下亦不輕矣。然嘗一沐三握髮,一食而三吐哺,猶恐失天下之士。吾聞之曰:德行廣大而守以恭者榮,土地博裕而守以儉者安,祿位尊盛而守以卑者貴,人眾兵強而守以畏者勝,聰明睿智而守以愚者益,博聞多記而守以淺者廣;此六守者,皆謙德也。夫貴為天子,富有四海,不謙者先天下亡其身,桀紂是也,可不慎乎!故易曰,有一道,大足以守天下,中足以守國家,小足以守其身,謙之謂也。‘夫天道毀滿而益謙,地道變滿而流謙,鬼神害滿而福謙,人道惡滿而好謙。’是以衣成則缺衽,宮成則缺隅,屋成則加錯;示不成者,天道然也。易曰:‘謙亨,君子有終吉。’詩曰:‘湯降不遲,聖敬日躋。’其戒之哉!子其無以魯國驕士矣。”

昔、成王は周公を分封せんとしたが、周公は推辞して受けず。そこで周公の子伯禽を魯に封じた。将に告辞して離去せんとす。周公は彼を告誡して言った。「行け!お前は魯国を凭りて士に驕るなかれ。我は文王の子、武王の弟、当今王の叔父なり。また天子を輔佐す。我は天下に於ても軽からず。しかるにかつて頭を洗うこと一次に髪を握ること三次、飯を食うこと一頓に口裏の食物を吐出すこと三次したり。なお天下の士を失うを怕る。我が聞くに、徳行が広大にして恭敬を以てこれを守れば光栄なり、土地が広闊富饒にして節儉を以てこれを守れば安定なり、禄位が尊盛にして卑下を以てこれを守れば貴し、人民多く兵力強にして畏懼を以てこれを守れば勝利なり、聰明睿智にして愚拙を以てこれを守れば増益なり、見聞広く記憶多きにして浅近を以てこれを守れば広寛なり。この六つの守は、皆謙の徳なり。貴きは天子と為り、富きは四海を擁有す。謙虚ならざるは天下に先んじて自身を喪失す。桀・紂はこれなり。謹慎せざるべからんや!ゆえに『周易』に言う、一種の道あり、大は以て天下を守るに足り、中は以て国家を守るに足り、小は以て自身を守るに足る。これは謙を言う。「天の道は満盈を毀壞して謙虚を増益し、地の道は満盈を改變して謙虚に流向し、鬼神は満盈を損害して謙虚を福祐し、人の道は満盈を厭惡して謙虚を喜好す。」これにより衣服は為れば即ち一塊の衣襟を缺き、宮室は為れば即ち一箇の角落を缺き、房屋は為れば即ち交錯の装飾を加う。完成せざるを顯示す。天道はこの如し。『周易』に言う『謙は亨す。君子は好き終結あり。吉。』『詩経』に言う『湯の降礼は遅緩せず。聖敬の徳は日に日に上昇す。』この事を警戒せよ!お前は魯国を凭りて士に驕るなかれ。」

孔子讀易至於損益,則喟然而嘆,子夏避席而問曰:“夫子何為嘆?”孔子曰:“夫自損者益。自益者缺,吾是以嘆也。”子夏曰:“然則學者不可以益乎?”孔子曰:“否,天之道成者,未嘗得久也。夫學者以虛受之,故曰得,苟不知持滿,則天下之善言不得入其耳矣。昔堯履天子之位,猶允恭以持之,虛靜以待下,故百載以逾盛,迄今而益章。昆吾自臧而滿意,窮高而不衰,故當時而虧敗,迄今而逾惡,是非損益之徵與?吾故曰謙也者,致恭以存其位者也。夫豐明而動故能大,苟大則虧矣,吾戒之,故曰天下之善言不得入其耳矣。日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息;是以聖人不敢當盛。升輿而遇三人則下,二人則軾,調其盈虛,故能長久也。”子夏曰:“善,請終身誦之。”

孔子が『周易』を読みて損・益に至り、即ち嘆息した。子夏は席を離れて問うた。「夫子は何故嘆息するか。」孔子は言った。「自ら減損するは増益し、自ら増益するは缺損す。我はこれにより嘆息す。」子夏は言った。「ならば學習する者は増益すべからざるか。」孔子は言った。「否。天の道は、完成するは未だかつて長久せず。學習する者は虚を以て受け、ゆえにこれを得という。もし満盈を守るを知らざれば、天下の善言は彼の耳に入る能わず。昔、堯は天の位に踏み、なお誠信恭敬を以て持守し、虚静を以て下に對す。ゆえに百年來いよいよ興盛し、今に至りていよいよ彰明なり。昆吾は自ら善とし満意し、高処を窮盡して衰減せず。ゆえにあの時に虧敗し、今に至りていよいよ惡劣なり。これは損・益の征験ならずや。我が謙を言う所以は、恭敬を以て位を保全するなり。豐は明亮にして行動すればゆえに大なるを得。もし大なれば虧く。我はこれを警戒し、ゆえに天下の善言は彼の耳に入る能わずと言う。日は中天に至れば西に偏し、月は満盈すれば虧缺す。天地の盈虚は、時に随いて消長す。これにより聖人は盛満を承当すること敢えず。車に登りて三人に遇えば車を下り、二人に遇えば車軾に凭る。あの盈虚を調節す。ゆえに能く長久す。」子夏は言った。「よし。終身これを誦読せんことを請う。」

孔子觀於周廟而有欹器焉,孔子問守廟者曰:“此為何器?”對曰:“蓋為右坐之器。”孔子曰:“吾聞右坐之器,滿則覆,虛則欹,中則正,有之乎?”對曰:“然。”孔子使子路取水而試之,滿則覆,中則正,虛則欹,孔子喟然嘆曰:“嗚呼!惡有滿而不覆者哉!”子路曰:“敢問持滿有道乎?”孔子曰:“持滿之道,挹而損之。”子路曰:“損之有道乎?”孔子曰:“高而能下,滿而能虛,富而能儉,貴而能卑,智而能愚,勇而能怯,辯而能訥,博而能淺,明而能闇;是謂損而不極,能行此道,唯至德者及之。易曰:‘不損而益之,故損;自損而終,故益。’”

孔子が周廟を観看するに、欹器が彼に在り。孔子は廟を守る人に問うた。「これは何の器物か。」答えた。「ほぼ右坐の器物なり。」孔子は言った。「我が聞くに、右坐の器物は、満つれば翻覆し、空なれば傾斜し、適中なれば端正す。このようありや。」答えた。「是。」孔子は子路に水を取りて試さしめた。満つれば翻覆し、適中なれば端正し、空なれば傾斜せり。孔子は嘆息して言った。「ああ!どこに満ちて翻覆せざるがあらん!」子路は言った。「敢えて満盈を守るに方法あるかを問う。」孔子は言った。「満盈を守る方法は、舀取してこれを減損するなり。」子路は言った。「減損に方法あるか。」孔子は言った。「高ければ能く低下し、満つれば能く空虚にし、富めば能く節儉し、貴ければ能く卑下し、智あれば能く愚拙にし、勇あれば能く怯弱にし、善辯なれば能く遅鈍にし、広博なれば能く浅近にし、明亮なれば能く昏暗にす。これを減損して極に至らざるという。能くこの道を實行するは、ただ至徳の人のみ至る。『周易』に言う『減損せずしてこれを増益するは、ゆえに減損す。自ら減損して終結するは、ゆえに増益す。』」

常摐有疾,老子往問焉,曰:“先生疾甚矣,無遺教可以語諸弟子者乎?”常摐曰:“子雖不問,吾將語子。”常摐曰:“過故鄉而下車,子知之乎?”老子曰:“過故鄉而下車,非謂其不忘故耶?”常摐曰:“嘻,是已。”常摐曰:“過喬木而趨,子知之乎?”老子曰:“過喬木而趨,非謂敬老耶?”常摐曰:“嘻,是已。”張其口而示老子曰:“吾舌存乎?”老子曰:“然。”“吾齒存乎?”老子曰:“亡。”常摐曰:“子知之乎?”老子曰:“夫舌之存也,豈非以其柔耶?齒之亡也,豈非以其剛耶?”常摐曰:“嘻,是已。天下之事已盡矣,無以復語子哉!”

常摐は病あり。老子は前往して問候して言った。「先生の病は甚だ重し。弟子たちに告ぐべき遺教なきか。」常摐は言った。「お前はたとえ問わずとも、我もまた将にお前に告げん。」常摐は言った。「故郷を經過すれば車を下る。お前は知るか。」老子は言った。「故郷を經過すれば車を下るは、故舊を忘れざるを言うにあらずや。」常摐は言った。「嘻、是なり。」常摐は言った。「喬木を經過すれば快步す。お前は知るか。」老子は言った。「喬木を經過すれば快步するは、老を敬重するを言うにあらずや。」常摐は言った。「嘻、是なり。」口を張開して老子に見せて言った。「我が舌はまだ在るか。」老子は言った。「在り。」「我が歯はまだ在るか。」老子は言った。「なし。」常摐は言った。「お前は知るか。」老子は言った。「舌はまだ在るは、以て柔軟なればにあらずや。歯はなきは、以て剛硬なればにあらずや。」常摐は言った。「嘻、是なり。天下の事は已に完盡す。お前に告げんはなし!」

韓平子問於叔向曰:“剛與柔孰堅?”對曰:“臣年八十矣,齒再墮而舌尚存,老聃有言曰:‘天下之至柔,馳騁乎天下之至堅。’又曰:‘人之生也柔弱,其死也剛強;萬物草木之生也柔■,其死也枯槁。因此觀之,柔弱者生之徒也,剛強者死之徒也。’夫生者毀而必復,死者破而愈亡;吾是以知柔之堅於剛也。”平子曰:“善哉!然則子之行何從?”叔向曰:“臣亦柔耳,何以剛為?”平子曰:“柔無乃■乎?”叔向曰:“柔者紐而不折,廉而不缺,何為■也?天之道,微者勝,是以兩軍相加而柔者克之;兩仇爭利,而弱者得焉。易曰:‘天道虧滿而益謙,地道變滿而流謙,鬼神害滿而福謙,人道惡滿而好謙。’夫懷謙不足之,柔弱而四道者助之,則安往而不得其志乎?”平子曰:“善!”

韓平子が叔向に問うた。「剛と柔とどちらが堅固か。」答えた。「臣は八十歳なり。歯は再び脱落するも舌はまだ在り。老聃に言あり『天下最も柔なるは、天下最も堅なる上を馳騁す。』また言う『人は生きて柔軟弱く、死すれば剛強なり。万物草木は生きて柔(底本この字欠)、死すれば枯槁す。これを見れば、柔弱は生の一類、剛強は死の一類なり。』生けるは壊るも必ず再び恢復し、死せるは裂くるもいよいよ消亡す。我はこれにより柔が剛より堅固なるを知る。」平子は言った。「善いな!ならばお前の行事は何に依従するか。」叔向は言った。「臣もまた柔のみ。剛を以て何を為さん。」平子は言った。「柔はただ怕る(底本この字欠)か。」叔向は言った。「柔は紐結するも折断せず、棱角あるも缺損せず。何故(底本この字欠)せん。天の道は、微弱の取勝すなり。これにより両軍相加して柔の相を克制し、両仇讐の利を争いて、弱の得たり。『周易』に言う『天の道は盈を虧して謙を益し、地の道は盈を變して謙に流れ、鬼神は盈を害して謙を福し、人の道は盈を惡みて謙を好む。』謙虚不足を懐きて、柔弱にして四種の道は彼を助けん。ならばどこに至りても志を得ざらんや。」平子は言った。「よし!」

桓公曰:“金剛則折,革剛則裂;人君剛則國家滅,人臣剛則交友絕。夫剛則不和,不和則不可用。是故四馬不和,取道不長;父子不和,其世破亡;兄弟不和,不能久同;夫妻不和,家室大凶。易曰:‘二人同心,其利斷金。’由不剛也。”

桓公は言った。「金は剛硬なれば折斷し、皮革は剛硬なれば裂开す。人君は剛硬なれば国家は滅亡し、人臣は剛硬なれば交友は断絶す。剛硬なれば不和、不和なれば用うべからず。これにより四匹の馬が不和なれば、走る路は長からず。父子不和なれば、あの世は破亡す。兄弟不和なれば、長く同居する能わず。夫妻不和なれば、家室は大凶なり。『周易』に言う『二人同心なれば、その鋒利は金を切断するを得。』これは剛ならざるによる。」

老子曰:“得其所利,必慮其所害;樂其所成,必顧其所敗。人為善者,天報以福;人為不善者,天報以禍也。故曰:禍兮福所倚;福兮禍所伏;戒之,慎之!君子不務,何以備之?夫上知天、則不失時;下知地、則不。日夜慎之,則無災害。”

老子は言った。「あの利を得れば、必ずあの害を考慮せよ。あの成功を楽しめば、必ずあの失敗を顧念せよ。人の善を為すは、天は福を以て答報す。人の不善を為すは、天は禍を以て答報す。ゆえに言う、禍とは福の倚靠する所、福とは禍の潜伏する所なり。これを警戒し、これを謹慎せよ!君子は事に従事せざれば、以て何を防備せん。上は天を知りて時を失わず、下は地を知りて(底本ここに脱文ある疑い)。日夜に謹慎すれば、災害なし。」

曾子有疾,曾元抱首,曾華抱足,曾子曰:“吾無顏氏之才,何以告汝?雖無能,君子務益。夫華多實少者,天也;言多行少者,人也。夫飛鳥以山為卑,而層巢其巔;魚鱉以淵為淺,而穿穴其中;然所以得者餌也。君子苟能無以利害身,則辱安從至乎?官怠於宦成,病加於少愈,禍生於懈惰,孝衰於妻子;察此四者,慎終如始。詩曰:‘靡不有初,鮮克有終。’”

曾子は病あり。曾元は頭を抱き、曾華は脚を抱いた。曾子は言った。「我は顏氏の才なく、以てお前たちに告げん。たとえ無能なるも、君子は増益に致力す。花は多く果実は少きは、天なり。話は多く行事は少きは、人なり。飛鳥は山を以て低下とし、層層に山頂に巢を築く。魚鼈は深淵を以て浅とし、裏面に洞穴を打つ。しかるに捉えられる所以は、餌なり。君子がもし利を因として自身を害せざれば、耻辱はどこより到来せん。官は宦途成就の時に懈怠し、病は稍愈の時に加重し、禍は懈惰より產生し、孝は妻子に於て衰減す。これ四つの事を察看し、終結を開始の如く謹慎せよ。『詩経』に言う『始めなきはなく、終結あるは鮮し。』」

單快曰:“國有五寒,而冰凍不與焉;一曰政外,二曰女厲,三曰謀洩,四曰不敬卿士而國家敗,五曰不能治內而務外;此五者一見,雖祠無福,除禍必得,致福則貸。”

単快は言った。「国に五種の寒あり。而して氷凍はその中に在らず。一は政が外に落る、二は女禍が暴虐す、三は計謀が泄漏す、四は卿士を敬重せずして国家は敗壞す、五は内部を治める能わずして外部に致力す。この五者が一たび出現せば、たとえ祭祀しても福なし。禍を除去すれば必ず得、福を求むれば即ち相反す。」

孔子曰:“存亡禍福,皆在己而已,天災地妖,亦不能殺也。”昔者殷王帝辛之時,爵生烏於城之隅,工人占之曰:“凡小以生巨,國家必祉,王名必倍。”帝辛喜爵之德,不治國家,亢暴無極,外寇乃至,遂亡殷國,此逆天之時,詭福反為禍至。殷王武丁之時,先王道缺,刑法弛,桑谷俱生於朝,七月而大拱,工人占之曰:“桑谷者,野物也;野物生於朝,意朝亡乎!”武丁恐駭,側身修行,思先王之政,興滅國,繼絕世,舉逸民,明養老之道;三年之後,遠方之君,重譯而朝者六國,此迎天時得禍反為福也。故妖孽者,天所以警天子諸侯也;惡夢者,所以警士大夫也。故妖孽不勝善政,惡夢不勝善行也;至治之極,禍反為福。故太甲曰:“天作孽,猶可違;自作孽,不可逭。”

孔子は言った。「存亡禍福は、皆在りて己のみ。天災地妖も、殺害する能わず。」昔、殷王帝辛の時、爵は烏を城の角落に生出せり。工人は占卜して言った。「およそ小の大を生出するは、国家に必ず福あり。王の名は必ず加倍せん。」帝辛は爵の徳を好み、国家を治めず、亢暴して極に至れり。外寇はそこで至り、終に殷国を滅亡せり。これは天の時に違逆し、詭詐の福は反つて禍と為りて到来せり。殷王武丁の時、先王の道は缺失し、刑法は鬆弛す。桑と穀は一斉に朝廷に生出せり。七箇月にして両手合圍ほど大なり。工人は占卜して言った。「桑穀は野物なり。野物が朝廷に生ずは、朝廷は亡びんとするか!」武丁は恐懼し、身を側して行を修め、先王の政を思考し、滅亡せし国を興起し、斷絶せる世を接續し、隱逸の民を舉用し、養老の道理を顯明せり。三年の後、遠方の君は重譯を經て朝見に來たる六国あり。これは天時に迎合し、禍を得て反つて福と為るなり。ゆえに妖孽は天の以て天子諸侯を警戒するなり。惡夢は以て士大夫を警戒するなり。ゆえに妖孽は善政に勝ちたらず、惡夢は善行に勝ちたらず。治理が極に至れば、禍は反つて福と為るなり。ゆえに『尚書』に言う「天の為せる孽は、まだ避くべし。自ら為せる孽は、脱るべからず。」

石讎曰:“春秋有忽然而足以亡者,國君不可以不慎也!妃妾不一,足以亡;公族不親,足以亡;大臣不任,足以亡;國爵不用,足以亡;親佞近讒,足以亡;舉百事不時,足以亡;使民不節,足以亡;刑罰不中,足以亡;內失眾心,足以亡;外嫚大國,足以亡。”

石讐は言った。「『春秋』に忽然發生して以て滅亡に足る事あり。国君は謹慎せざるべからず!妃妾が專一ならざるは、以て滅亡に足る。公族が親近ならざるは、以て滅亡に足る。大臣が任用せられざるは、以て滅亡に足る。国家の爵が用いられざるは、以て滅亡に足る。佞人に親近し讒人に接近するは、以て滅亡に足る。百事を興辦して時に合わざるは、以て滅亡に足る。民を役使して節制なきは、以て滅亡に足る。刑罰が當を得ざるは、以て滅亡に足る。內裏に衆心を失うは、以て滅亡に足る。對外に大国を輕慢するは、以て滅亡に足る。」

夫福生於隱約,而禍生於得意,齊頃公是也。齊頃公、桓公之子孫也,地廣民眾,兵強國富,又得霸者之餘尊,驕蹇怠傲,未嘗肯出會同諸侯,乃興師伐魯,反敗衛師於新築,輕小嫚大之行甚。俄而晉魯往聘,以使者戲,二國怒,歸求黨與助,得衛及曹,四國相輔期戰於鞍,大敗齊師,獲齊頃公,斬逢醜父,於是戄然大恐,賴逢醜父之欺,奔逃得歸。弔死問疾,七年不飲酒,不食肉,外金石絲竹之聲,遠婦女之色,出會與盟,卑下諸侯,國家內得行義,聲問震乎諸侯,所亡之地弗求而自為來,尊寵不武而得之,可謂能詘免變化以致之,故福生於隱約,而禍生於得意,此得失之效也。

福は隱約困窮より產生し、禍は得意より產生す。齊頃公はこれなり。齊頃公は桓公の子孫、地は広く人は多く、兵は強く国は富し。また覇者の遺留する尊を得、驕傲怠慢して、かつて肯んじて出でて諸侯に会同せず。そこで兵を起して魯を攻伐し、回師して新筑で衛軍を打敗せり。小国を軽視し大国を輕慢する行は甚だ過分なり。間もなく晋・魯は前來りて聘問す。使者を以て玩笑と為せり。二国は怒り、帰りて黨羽を尋求して助け、衛と曹を得、四国は互相輔助して鞍に於て交戦せんことを約束せり。斉軍を大敗せしめ、齊頃公を俘獲し、逢丑父を斬り、そこで驚懼大恐せり。逢丑父の欺欺騙に憑りて奔逃して帰るを得たり。死者を弔唁し病人を慰問し、七年酒を飲まず肉を食わず、金石絲竹の声を拒斥し、婦女の美色を疏遠し、出でて諸侯に会同し盟約し、諸侯に対して卑下せり。国家内部に於て義を實行するを得、声聞は諸侯に震動せり。失う所の地は求めずして自ら至り、尊寵は武力を用いずして得たり。以て身を屈めて禍を免れ、變化して招致する能しと称すべし。ゆえに福は隱約困窮より產生し、禍は得意より產生す。これは得失の效験なり。

大功之效,在於用賢積道,浸章浸明;衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡,晉文公是其效也。晉文公出亡,修道不休,得至於饗國,饗國之時,上無明天子,下無賢方伯,強楚主會,諸侯背畔,天子失道,出居於鄭。文公於是憫中國之微,任咎犯、先軫、陽處父,畜愛百姓,厲養戎士,四年政治內定,則舉兵而伐衛,執曹伯,還敗強楚,威震天下,明王法率諸侯而朝天子,莫敢不聽,天下曠然平定,周室尊顯,故曰大功之效,在於用賢積道,浸章浸明,文公於是霸功立,期至意得湯武之心,作而忘其眾,一年三用師,且弗休息。遂進而圍許,兵亟弊不能服,罷諸侯而歸,自此而怠政事,為狄泉之盟,不親至,信衰誼缺,如羅不補,威武詘折不信,則諸侯不朝,鄭遂叛,夷狄內侵,衛遷於商止。故曰:衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡。

大功の效験は、賢人を任用し道を積蓄して、漸々彰明するに在り。衰滅の過失は、得意にして懈怠して、漸々困蹇し漸々滅亡するに在り。晋文公は即ちあの效験なり。晋文公は外に出でて流亡し、道を修養して停止せず、以て国家を享有するに至るを得たり。国家を享有する時、上に英明の天子なく、下に賢能の方伯なし。強楚は會盟を主持し、諸侯は背叛し、天子は道を失い、出でて鄭に居る。文公はそこで中国の微弱を憐れみ、咎犯・先軫・陽處父を任用し、百姓を畜養愛護し、戦士を激勵教養せり。四年にして政は内部に安定し、即ち兵を起して衛を攻伐し、曹伯を捉え、回師して強楚を打敗せり。威勢は天下に震動せり。王法を顯明にし諸侯を率領して天子に朝見せしめ、敢えて聽かざるなし。天下は空闊平定し、周室は尊顯せり。ゆえに言う、大功の效験は、賢人を任用し道を積蓄して、漸々彰明するに在りと。文公はそこで覇功を成立し、期望は至り意を得、湯武の心あり。起ちて彼の部衆を忘れ、一年に三たび兵を用い、併せて休息せず。そこで進みて許を圍むも、軍は屢々疲弊して降服する能わず。諸侯を停止して返回せば、これより政事を懈怠せり。狄泉の盟約を為すも、自ら至らず。信用は衰減し情誼は缺損し、網は破れて補わざるが如し。威武は屈折して信られず。ならば諸侯は朝見せず、鄭はそこで背叛し、夷狄は內に侵擾し、衛は商止に遷れり。ゆえに言う、衰滅の過失は、得意にして懈怠して、漸々困蹇し漸々滅亡するに在りと。

田子方侍魏文侯坐,太子擊趨而入見,賓客群臣皆起,田子方獨不起,文侯有不說之色,太子亦然,田子方稱曰:“為子起歟?無如禮何!不為子起歟?無如罪何!請為子誦楚恭王之為太子也,將出之雲夢,遇大夫工尹,工尹遂趨避家人之門中,太子下車從之家人之門中曰:‘子大夫何為其若是?吾聞之,敬其父者不兼其子,兼其子者不祥莫大焉,子大夫何為其若是?’工尹曰:‘向吾望見子之面,今而後記子之心,審如此,汝將何之?’”文侯曰:“善。”太子擊前誦恭王之言,誦三遍而請習之。

田子方が魏文侯に侍奉して坐するに、太子撃は快步して入りて進見せり。賓客群臣は皆起身したが、田子方は独り起たず。文侯は高興ならざる神色あり。太子もこの如し。田子方は称して言った。「子のために起身せんか。礼を如何せん。子のために起身せざらんか。罪を如何せん。子のために楚恭王が太子を為しし時を誦説せんことを請う。将に雲夢に往かんとするに、大夫工尹に遇えり。工尹はそこで快步して家人の門裏に躲避せり。太子は車を下りて従いて家人の門裏に至りて言う『大夫は何故このようにするか。我が聞くに、彼の父を敬重するは彼の子を兼帯せず、彼の子を兼帯するは、祥ならざるこれより大なるはなし。大夫は何故このようにするか』と。工尹は言う『先前我はあなたの面を望見せり。今より以後はあなたの心を記憶せん。確かにこの如し。あなたは将にどこに往かん』と。」文侯は言った。「よし。」太子撃は上前して恭王の言を誦読し、誦読すること三遍して彼を熟習せんことを請えり。

子贛之承,或在塗,見道側巾幣布擁蒙而衣衰,其名曰丹綽。子贛問焉,曰:“此至承幾何?”嘿然不對。子贛曰:“人問乎己而不應,何也?”屏其擁蒙而言曰:“望而黷人者,仁乎?睹而不識者,智乎?輕侮人者,義乎?”子贛下車曰:“賜不仁,過聞三言,可復聞乎?”曰:“是足於子矣,吾不告子。”於是子贛三偶則式,五偶則下。

子贛が承に往く。あるいは路上に在りて、道旁に巾幣布を以て頭を蒙い喪服を着る者を見たり。その名は丹綽なり。子贛は彼に問うた。「ここより承に至るはどれほど遠きか。」黙然として答えず。子贛は言った。「別人が己に問うに応えざるは、何故か。」彼は頭を蒙う布を撥開して言った。「望見れば即ち人を輕慢するは、仁か。見れども認識せざるは、智か。軽易に人を侮辱するは、義か。」子贛は車を下りて言った。「賜は不仁なり。三句を錯聽せり。再び聽くべきか。」彼は言った。「これはお前に足る。我はお前に告げず。」そこで子贛は三輛の車に遇えば軾に凭り、五輛の車に遇えば車を下りたり。

孫叔敖為楚令尹,一國吏民皆來賀,有一老父衣麤衣,冠白冠,後來吊,孫叔敖正衣冠而出見之,謂老父曰:“楚王不知臣不肖,使臣受吏民之垢,人盡來賀,子獨後來吊,豈有說乎?”父曰:“有說,身已貴而驕人者民去之;位已高而擅權者君惡之;祿已厚而不知足者患處之。”孫叔敖再拜曰:“敬受命,願聞餘教。”父曰:“位已高而意益下,官益大而心益小,祿已厚而慎不敢取;君謹守此三者足以治楚矣。

孫叔敖が楚の令尹を為せば、一国の吏民は皆來りて慶賀せり。一個の老父ありて粗衣を着白冠を戴き、後に至りて弔唁せり。孫叔敖は衣冠を整理して出でて彼に見え、老父に對して言った。「楚王は臣の不肖を知らず、臣に吏民の辱垢を受けしめたり。人は皆來りて賀す。あなたは独り後に至りて弔唁す。説法あらんや。」老父は言った。「説法あり。自身已に貴にして人に驕るは、民は彼を離れん。位子已に高にして権を專擅するは、君は彼を厭惡せん。俸禄已に厚にして知足を知らざるは、禍患はあそこに處る。」孫叔敖は再拝して言った。「命を恭敬して受け、願わくは再び其余の教を聞かん。」老父は言った。「位子已に高にして意はいよいよ低下に、官はいよいよ大にして心はいよいよ小に、俸禄已に厚にして謹慎して取る敢えず。あなたはこの三条を謹慎して守れば、以て楚を治むるに足れん。」

魏安釐王十一年,秦昭王謂左右曰:“今時韓魏與秦孰強?”對曰:“不如秦強。”王曰:“今時如耳魏齊與孟嘗芒卯孰賢?”對曰:“不如孟嘗芒卯之賢。”王曰:“以孟嘗芒卯之賢,率強韓魏以攻秦,猶無奈寡人何也?今以無能如耳魏齊而率強韓魏以伐秦,其無奈寡人何,亦明矣!”左右皆曰然,申旗伏瑟而對曰:“王之料天下過矣。當六晉之時,智氏最強,滅範中行氏,又率韓魏之兵以圍趙襄子於晉陽,決晉水以灌晉陽之城,不滿者三板,智伯行水,魏宣子御,韓康子為驂乘,智伯曰:‘吾始不知水可以亡人國也,乃今知之;汾水可以灌安邑,絳水可以灌平陽。’魏宣子肘韓康子,康子履魏宣子之足,肘足接於車上,而智氏分,身死國亡,為天下笑。今秦雖強不過智氏,韓魏雖弱,尚賢其在晉陽之下也,此方其用肘足之時,願王之必勿易也。”於是秦王恐。

魏安釐王十一年、秦昭王は左右に言った。「いま韓・魏と秦とは誰が強いか。」答えた。「秦ほど強くあらず。」王は言った。「いま如耳・魏斉と孟嘗・芒卯とは誰が賢いか。」答えた。「孟嘗・芒卯ほど賢くあらず。」王は言った。「孟嘗・芒卯の賢を凭りて、強韓・魏を率領して秦を攻めしも、なお寡人に奈何する能わざりき。いま無能の如耳・魏斉を凭りて強韓・魏を率領して秦を攻伐すれば、彼らは寡人に奈何する能わざるは、また明らかなり!」左右は皆是という。申旗は瑟上に伏して答えて言った。「王は天下を估量するに過分なり。正に六晋の時、智氏は最も強く、范・中行氏を滅ぼし、また韓・魏の兵を率いて趙襄子を晋陽に圍めり。晋水を決開して晋陽城を灌ぎ、三板を差して滿ちんばかりなりき。智伯は水を巡視し、魏宣子は車に駕し、韓康子は驂乘を為せり。智伯は曰く『我は初め水が人の国を滅亡すべきを知らざりき。いま乃ち知る。汾水は以て安邑を灌ぎ、絳水は以て平陽を灌ぐべし』と。魏宣子は肘を以て韓康子を碰えり。康子は魏宣子の脚を踩み、肘と脚とは車上に交接せり。しかるに智氏は分割せられ、身は死し国は亡び、天下に恥笑せられたり。いま秦は強なれども、智氏を超過せず。韓・魏は弱なれども、なお彼らの晋陽城下に在りし時より賢能なり。これは正に彼らが肘と脚を用いる時なり。願わくは王は必ず輕忽するなかれ。」そこで秦王は恐懼せり。

魏公子牟東行,穰侯送之曰:“先生將去冉之山東矣,獨無一言以教冉乎?”魏公子牟曰:“微君言之,牟幾忘語君,君知夫官不與勢期,而勢自至乎?勢不與富期,而富自至乎?富不與貴期,而貴自至乎?貴不與驕期,而驕自至乎?驕不與罪期,而罪自至乎?罪不與死期,而死自至乎?”穰侯曰:“善,敬受明教。”

魏公子牟が東に走る。穰侯は彼を送りて言った。「先生は将に冉を離れて山東に至らんとす。一言を以て冉を教えるなきか。」魏公子牟は言った。「君のこの言なくば、牟はほぼ君に告げるを忘れんとせり。君は官が勢と約定せざるに勢は自ら至るを知るか。勢が富と約定せざるに富は自ら至るを知るか。富が貴と約定せざるに貴は自ら至るを知るか。貴が驕傲と約定せざるに驕傲は自ら至るを知るか。驕傲が罪と約定せざるに罪は自ら至るを知るか。罪が死と約定せざるに死は自ら至るを知るか。」穰侯は言った。「よし。明白の教を恭敬して受けん。」

高上尊賢,無以驕人;聰明聖智,無以窮人;資給疾速,無以先人;剛毅勇猛,無以勝人。不知則問,不能則學。雖智必質,然後辯之;雖能必讓,然後為之;故士雖聰明聖智,自守以愚;功被天下,自守以讓;勇力距世,自守以怯;富有天下,自守以廉;此所謂高而不危,滿而不溢者也。

高尚にして賢を尊ぶは、以て人に驕るなかれ。聰明聖智は、以て人を困窮せしむるなかれ。資給敏捷迅速は、以て人の先に搶るなかれ。剛毅勇猛は、以て人に勝過するなかれ。知らざれば即ち問え、能わざれば即ち學べ。たとえ智あるも必ず質朴にして、然る後に辯説せよ。たとえ能あるも必ず謙譲にして、然る後に為せ。ゆえに士はたとえ聰明聖智なるも、自ら愚拙を以て守る。功労は天下を覆蓋すれども、自ら謙譲を以て守る。勇力は一世を抗拒するも、自ら怯弱を以て守る。天下を富すれども、自ら廉潔を以て守る。これは所謂高きも危うからず、満つるも外溢せざるなり。

齊桓公為大臣具酒,期以日中,管仲後至,桓公舉觴以飲之,管仲半棄酒。桓公曰:“期而後至,飲而棄酒,於禮可乎?”管仲對曰:“臣聞酒入舌出,舌出者言失,言失者身棄,臣計棄身不如棄酒。”桓公笑曰:“仲父起就坐。楚恭王與晉厲公戰於鄢陵之時,司馬子反渴而求飲,豎穀陽持酒而進之,子反曰:‘退,酒也。’穀陽曰:‘非酒也。’子反又曰:‘退,酒也。’穀陽又曰:‘非酒也。’子反受而飲之,醉而寢。恭王欲復戰,使人召子反,子反辭以心疾,於是恭王駕往入幄,聞酒臭曰:‘今日之戰,所恃者司馬,司馬至醉如此,是亡吾國而不恤吾眾也,吾無以復戢矣!’於是乃誅子反以為戮,還師。”夫穀陽之進酒也,非以妒子反忠,愛之而適足以殺之,故曰:“小忠,大忠之賊也;小利,大利之殘也。好戰之臣,不可不察也!”

斉桓公が大臣に酒を具え、日中に約束せり。管仲は後に至る。桓公は觴を擧げて彼を飲ましむ。管仲は半ばを飲みて酒を丢掉せり。桓公は言った。「約束するも後に至り、飲むも酒を丢掉す。礼に於て可なるか。」管仲は答えた。「臣が聞くに、酒は入れば舌は出る。舌の出る者は話に過失あり。話に過失ある者は自身は拋棄せらる。臣は自身を拋棄するより酒を拋棄するに如かずと計る。」桓公は笑いて言った。「仲父は起ちて坐に就け。楚恭王と晋厲公とが鄢陵に於て交戦せし時、司馬子反は口渴して飲を求め、竪穀陽は酒を持ちて進上せり。子反は曰く『退け、是れ酒なり』と。穀陽は曰く『酒にあらず』と。子反はまた曰く『退け、是れ酒なり』と。穀陽はまた曰く『酒にあらず』と。子反は受けて飲み、醉い寝たり。恭王は再び戦わんと欲し、人を遣わして子反を召さしむ。子反は心病を以て推辞せり。そこで恭王は車に駕して帳幕に入り、酒氣を聞きて曰く『今日の戦に、依靠する所は司馬なり。司馬は醉てこの如し。これは我が国を滅亡し我が部衆を體恤せざるなり。我は再び交戦する方法なし!』そこで即ち子反を誅殺して殺戮と為し、師を回らせり。」穀陽の酒を進るは、子反を嫉妒するにあらず。忠誠にして彼を愛するも恰好して彼を殺すに足れるなり。ゆえに言う「小忠は、大忠の賊害なり。小利は、大利の殘害なり。戦争を喜好する臣は、察せざるべからず!」

羞小恥以構大怨,貪小利以亡大眾;春秋有其戒,晉先軫是也。先軫欲要功獲名,則以秦不假道之故,請要秦師,襄公曰:“不可。夫秦伯與吾先君有結,先君一日薨而興師擊之,是孤之負吾先君,敗鄰國之交而失孝子之行也。”先軫曰:“先君薨而不弔贈,是無哀吾喪也;興師徑吾地而不假道,是弱吾孤也;且柩畢尚薄屋,無哀吾喪也。”興師。卜曰:“大國師將至,請擊之。”則聽先軫興兵要之殽,擊之,匹馬只輸(輪)無脫者,大結怨構禍於秦;接刃流血,伏屍暴骸,糜爛國家,十有餘年,卒喪其師眾,禍及大夫,憂累後世,故好戰之臣不可不察也。

小耻を以て羞と為して大怨を構成し、小利を貪图して大衆を喪失す。『春秋』にあの鑑戒あり。晋の先軫はこれなり。先軫は功を邀げ名を獲せんと欲し、即ち秦が道を借せざるを因として、秦軍を攔截せんことを請えり。襄公は言った。「不可。秦伯は我が先君と結交あり。先君が一日にして去世して即ち兵を起して彼を攻撃するは、これは孤が我先君を辜負し、鄰国の交往を敗壞して孝子の行を失うなり。」先軫は言った。「先君が去世して弔唁贈襚せざるは、これは我らの喪事を哀憐せざるなり。兵を起して徑直に我らの地を經過して道を借せざるは、これは我らの孤を欺弱するなり。さらに靈柩は完畢してまだ薄屋に在り。これは我らの喪事を哀憐せざるなり。」兵を起せり。占卜して曰く「大国の軍は将に至らん。攻撃せんことを請う。」即ち先軫に従い兵を起して殽に於て攔截し、彼らを攻撃せり。一馬一只輪逃脫せるなし。大大に怨を結んで秦に於て禍患を構成せり。兵刃交接して流血し、伏屍は骸骨を暴露し、国家を糜爛せしむこと十余年。終にその軍隊部衆を���失し、禍患は大夫に連及し、憂患は後世に連累せり。ゆえに戦争を喜好する臣は察せざるべからず。

魯哀公問孔子曰:“予聞忘之甚者,徙而忘其妻,有諸乎?”孔子對曰:“此非忘之甚者也,忘之甚者忘其身。”哀公曰:“可得聞與?”對曰:“昔夏桀貴為天子,富有天下,不修禹之道,毀壞闢法,裂絕世祀,荒淫於樂,沈酗於酒,其臣有左師觸龍者,諂諛不止,湯誅桀,左師觸龍者,身死,四支不同壇而居,此忘其身者也。”哀公愀然變色曰:“善!”

魯哀公が孔子に問うた。「我が聞くに、遺忘の最も厲なるは、家を搬きてその妻を忘ると。これありや。」孔子は答えた。「これは遺忘の最も厲なるにあらず。遺忘の最も厲なるは自身を忘るなり。」哀公は言った。「聞くべきか。」答えた。「昔、夏桀は貴きは天子と為り、天下を富有せり。禹の道を修めず、法度を毀壞し、世代の祭祀を裂开斷絶し、樂に荒淫し、酗酒に沉溺せり。その臣に左師觸龍あり、諂諛して止まず。湯は桀を誅殺し、左師觸龍は自身死せり。四肢は同一の壇上に居處せず。これは自身を忘る人なり。」哀公は臉色を改變して言った。「よし!」

孔子之周,觀於太廟右陛之前,有金人焉,三緘其口而銘其背曰:“古之慎言人也,戒之哉!戒之哉!無多言,多口多敗;無多事,多事多患。安樂必戒,無行所悔。勿謂何傷,其禍將長;勿謂何害,其禍將大;勿謂何殘,其禍將然;勿謂莫聞,天妖伺人;熒熒不滅,炎炎奈何;涓涓不壅,將成江河;綿綿不絕,將成網羅;青青不伐,將尋斧柯;誠不能慎之,禍之根也;曰是何傷?禍之門也。強梁者不得其死,好勝者必遇其敵;盜怨主人,民害其貴。君子知天下之不可蓋也,故後之下之,使人慕之;執雌持下,莫能與之爭者。人皆趨彼,我獨守此;眾人惑惑,我獨不從;內藏我知,不與人論技;我雖尊高,人莫害我。夫江河長百穀者,以其卑下也;天道無親,常與善人;戒之哉!戒之哉!”孔子顧謂弟子曰:“記之,此言雖鄙,而中事情。詩曰:‘戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰’。行身如此,豈以口遇禍哉!”

孔子が周に至り、太廟右陛の前面を観看するに、銅人ありて、嘴上に三道の封條あり。背上に銘刻して曰く「古の言を謹慎する人、警戒せよ!警戒せよ!多く話すなかれ。多く話すは敗壞多し。多く事を為すなかれ。多く事を為すは禍患多し。安樂には必ず警戒せよ。悔う所を為すなかれ。何の損傷かあらんと言うなかれ。あの禍は将に長久せん。何の妨害かあらんと言うなかれ。あの禍は将に大ならん。何の殘害かあらんと言うなかれ。あの禍は将に燃起せん。誰か聞く者なしと言うなかれ。天の妖は人を伺察す。微弱の火は滅せざれば、熊熊の火は如何せん。細小の水流は堵塞せざれば、将に江河と為らん。綿綿として絶えざれば、将に網羅と為らん。青青なるは砍伐せざれば、将に斧柯を用いん。もし真に謹慎する能わざれば、是れ禍の根なり。これを言えば何の損傷かあらん?是れ禍の門なり。強橫の人は好き死を得ず。勝を好む人は必ず彼の敵手に遇う。盜賊は主人を怨恨し、民は彼の貴人を害す。君子は天下を覆蓋すべからざるを知る。ゆえに己を後に置き下に置きて、人をして羨慕せしむ。柔弱を持守して下に處れば、彼と争う能うなし。人は皆あちらに趨向し、我は独りこちらを守る。衆人は迷惑し、我は独り從わず。內裏に我が智を蔵して、人と技能を比試せず。我はたとえ尊高なるも、人は我を害せず。江河が衆谷の長と為る所以は、以て卑下に處るなり。天道は偏私なく、常に善人を幫助す。警戒せよ!警戒せよ!」孔子は回顧して弟子に言った。「これを記憶せよ。これらの言は浅近なれども、事に切中す。『詩経』に言う「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を踩むが如し。」立身行事がこの如しならば、口を以て禍に遇わんや!」

魯哀侯棄國而走齊,齊侯曰:“君何年之少而棄國之蚤?”魯哀侯曰:“臣始為太子之時,人多諫臣,臣受而不用也;人多愛臣,臣愛而不近也,是則內無聞而外無輔也。是猶秋蓬,惡於根本而美於枝葉,秋風一起,根且拔也。”

魯哀侯は国を拋棄して斉に逃れたり。斉侯は言った。「君は何故年紀このように輕くして国を拋棄するこのように早きか。」魯哀侯は言った。「臣は初め太子を為りし時、人は多く臣に進諫せり。臣は受くれども用いず。人は多く臣を愛せり。臣は愛せども親近せず。これの如くなれば內裏に見聞なく外面に輔助なし。これは秋蓬に比す。根本は惡醜にして枝葉は美麗なり。秋風が一たび起れば、根は将に拔起されん。」

孔子行遊中路聞哭者聲,其音甚悲,孔子曰:“驅之!驅之!前有異人音。”少進,見之,丘吾子也,擁鐮帶索而哭,孔子闢車而下,問曰:“夫子非有喪也?何哭之悲也。”丘吾子對曰:“吾有三失。”孔子曰:“願聞三失。”丘吾子曰:“吾少好學問,周遍天下,還後吾親亡,一失也。事君奢驕,諫不遂,是二失也。厚交友而後絕,三失也。樹欲靜乎風不定,子欲養吾親不待;往而不來者,年也;不可得再見者,親也。請從此辭。”則自刎而死。孔子曰:“弟子記之,此足以為戒也。”於是弟子歸養親者十三人。

孔子が出行して路中に哭する人の声を聞く。その声は甚だ悲哀なり。孔子は言った。「車を趕れ!車を趕れ!前面に異人の声あり。」稍稍前進してこれを見れば、丘吾子なり。鐮刀を抱き繩索を帯びて哭泣す。孔子は車を離れて下りて問うた。「夫子は喪事あるにあらずや。何故哭得このように悲哀なるか。」丘吾子は答えた。「我に三失あり。」孔子は言った。「三失を聞かんことを願う。」丘吾子は言った。「我は年少にして學問を愛好し、天下を走遍せり。帰りて我が両親は亡故せり。これは一失。君に仕えて奢侈驕傲し、進諫して成功する能わず。これは二失。交友を厚待して後に絕交せり。これは三失。樹は安静せんと欲するも風は定まらず。子は我が両親を奉養せんと欲するも及ばず。往きて帰らざるは、年歲なり。再び見るべからざるは、両親なり。これより辞別せんことを請う。」即ち自殺して死せり。孔子は言った。「弟子はこれを記憶せよ。これは以て警戒と為すに足る。」そこで弟子が帰りて両親を奉養する者十三人あり。

孔子論詩至於正月之六章,戄然曰:“不逢時之君子,豈不殆哉?從上依世則廢道,違上離俗則危身;世不與善,己獨由之,則曰非妖則孽也;是以桀殺關龍逢,紂殺王子比干,故賢者不遇時,常恐不終焉。詩曰:‘謂天蓋高,不敢不局;謂地蓋厚,不敢不蹐。’此之謂也。”

孔子が『詩経』を論じて正月の第六章に至り、驚懼して言った。「時に逢わざる君子は、危うからざらんや。上に依從し世に依從すれば道を廢棄せられ、上に違背し俗を離れれば自身を危害せられん。世が善を贊成せざるに、己は独りこの路を走れば、即ち妖に非ずば孽なりと言わん。これにより桀は關龍逢を殺し、紂は王子比干を殺せり。ゆえに賢人が時に遇わざれば、常に終を善く得ざるを怕る。『詩経』に言う「天を説くは何其高きか。敢えて弯腰せざらんや。地を説くは何其厚きか。敢えて小步走せざらんや。」これを言う。」

孔子見羅者,其所得者皆黃口也,孔子曰:“黃口盡得,大爵獨不得,何也?”羅者對曰:“黃口從大爵者不得,大爵從黃口者可得。”孔子顧謂弟子曰:“君子慎所從,不得其人則有羅網之患。”

孔子が網を張る人を見るに、彼が得る所は皆黃口の小鳥なり。孔子は言った。「黃口は皆得られ、大雀は独り得られず。何故か。」網を張る人は答えた。「黃口が大雀に從うは得られず。大雀が黃口に從うは得る可し。」孔子は回顧して弟子に言った。「君子は從う所に對して謹慎すべし。適當の人を得ざれば、羅網の禍患あり。」

修身正行,不可以不慎:嗜慾使行虧,讒諛亂正心,眾口使意回,憂患生於所忽,禍起於細微,汙辱難湔灑,敗事不可後追,不深念遠慮,後悔當幾何?夫徼倖者,伐性之斧也;嗜慾者,逐禍之馬也;謾諛者,窮辱之舍也;取虐於人者,趨禍之路也,故曰去徼倖,務忠信,節嗜慾,無取虐於人,則稱為君子,名聲常存。怨生於不報,禍生於多福,安危存於自處,不困在於蚤豫,存亡在於得人,慎終如始,乃能長久。能行此五者,可以全身,己所不欲,勿施於人,是謂要道也。

身を修養し行を端正するは、謹慎せざるべからず。嗜欲は行を虧缺せしめ、讒諛は正直の心を擾亂し、衆口は意向を回轉せしめ、憂患は忽視する所より產生し、禍は細微より興起す。汙辱は洗去し難く、敗壞の事は事後に追回すべからず。深念遠慮せざれば、後悔はいかほどあらん。徼幸は性命を砍伐する斧なり。嗜欲は禍患を追逐する馬なり。謾諛は窮困耻辱の住所なり。人に向かい虐を取るは禍に奔向する路なり。ゆえに言う、徼幸を去掉し、忠信に致力し、嗜欲を節制し、人に向かい虐を取らざれば、即ち君子と称し、名声は常に存在す。怨は報答せざるより產生し、禍は多福より產生す。安危は己が身を處するに存し、困ならざるは早く豫備するに在り、存亡は人を得るに在り。終結を開始の如く謹慎せば、乃ち長久する能し。能くこれ五者を實行せば、以て自身を保全すべし。己が欲せざる所は、人に加えるなかれ。これを要道という。

顏回將西遊,問於孔子曰:“何以為身?”孔子曰:“恭敬忠信,可以為身。恭則免於眾,敬則人愛之,忠則人與之,信則人恃之;人所愛,人所與,人所恃,必免於患矣,可以臨國家,何況於身乎?故不比數而比疏,不亦遠乎?不修中而修外,不亦反乎?不先慮事,臨難乃謀,不亦晚乎?”

顏回は将に西に遊歴せんとし、孔子に問うた。「何を以て身を立てん。」孔子は言った。「恭敬忠信は、以て身を立てるべし。恭なれば即ち衆人を免れ、敬なれば則ち人は彼を愛し、忠なれば則ち人は彼に親附し、信なれば則ち人は彼に依靠す。人の愛し、人の親附し、人の依靠するは、必ず禍患を免れん。以て国家に臨むべし。いわんや自身に對してをや。ゆえに近きを親近せずして疏きを親近するは、また遠からずや。內裏を修養せずして外表を修養するは、また反轉せざらずや。先ず事を考慮せずして、災難に臨みて乃ち謀画するは、また遅からずや。」

凡司其身,必慎五本:一曰柔以仁,二曰誠以信,三曰富而貴毋敢以驕人,四曰恭以敬,五曰寬以靜。思此五者,則無兇命,用能治敬,以助天時,兇命不至,而禍不來。友人者,非敬人也,自敬也。貴人者,非貴人也,自貴也。昔者吾嘗見天雨金石與血;吾嘗見四月十日並出,有與天滑;吾嘗見高山之崩,深谷之窒,大都王宮之破,大國之滅;吾嘗見高山之為裂,深淵之沙竭,貴人之車裂;吾嘗見稠林之無木,平原為溪谷,君子為御僕;吾嘗見江河干為坑,正冬採榆葉,仲夏雨雪霜,千乘之君,萬乘之主,死而不葬。是故君子敬以成其名,小人敬以除其刑,奈何無戒而不慎五本哉!

およそ自身を主持するは、必ず五つの根本を謹慎せよ。一は柔にして仁、二は誠にして信、三は富み貴けれども以て人に驕る敢えず、四は恭にして敬、五は寛にして静。この五者を思えば、即ち凶命なし。以て能く恭敬を治理し、以て天時を幫助すれば、凶命は至らず、禍は来たらず。人を親愛するは、人を敬するにあらず、己を敬するなり。人を尊重するは、人を尊重するにあらず、己を尊重するなり。昔、我はかつて天が金石と血を降下せしを見、かつて四月十日が一斉に出でて、天とともに滑動する有るを見、かつて高山が崩塌し深谷が填塞し、大都王宮が破毁し大国が滅亡するを見、かつて高山が裂开し深淵の沙が枯竭し、貴人が車裂せらるるを見、かつて密林に樹木なく平原が谿谷と変じ、君子が車を駕る仆役を為すを見、かつて江河が枯竭して坑と為り、正冬に榆葉を採り、仲夏に雪霜の下るを見、千乗の君・万乗の主が死して葬られざるを見たり。これにより君子は敬を以てその名を成就し、小人は敬を以てその刑を除去す。どうして警戒せずして五つの根本を謹慎せざらんや!

魯有恭士,名曰機泛,行年七十,其恭益甚,冬日行陰,夏日行陽,市次不敢不行參,行必隨,坐必危,一食之間,三起不羞,見衣裘褐之士則為之禮,魯君問曰:“機子年甚長矣,不可釋恭乎?”機泛對曰:“君子好恭以成其名,小人學恭以除其刑,對君之坐,豈不安哉?尚有差跌;一食之上,豈不美哉?尚有哽噎;今若泛所謂幸者也,固未能自必,鴻鵠飛沖天,豈不高哉?矰繳尚得而加之;虎豹為猛,人尚食其肉,席其皮;譽人者少,惡人者多,行年七十,常恐斧質之加於泛者,何釋恭為?”

魯に恭謹の士ありて、名は機泛、年紀七十にして、彼の恭はいよいよ厲し。冬は陰処を行き、夏は陽処を行き、集市に停まるに敢えて參礼を行わざるなし、行走には必ず跟隨し、坐には必ず危坐す。一頓の飯の間に、三次起身して以て羞と為さず。衣裘褐を着る士を見れば、彼らに礼を行えり。魯君は問うた。「機子は年紀甚だ長し。恭を放下すべからざるか。」機泛は答えた。「君子は恭を愛好してその名を成就し、小人は恭を學習してその刑を除去す。君に對して坐すれば、安ならざらんや。なお足を失して跌倒するあり。一頓の飯を進上すれば、美ならざらんや。なお哽噎するあり。いま泛の如き所謂幸運の人は、もともと自ら一定する能わず。鴻鵠が飛びて天を冲くは、高からざらんや。矰繳はなお彼の身に加うべし。虎豹は猛と算すれども、人はなおその肉を食み、その皮を以て席を為す。人を称誉するは少なく、人を厭惡するは多し。年紀七十にして、常に斧質が泛の身に加わるを怕る。恭を放下して何を為さん。」

成回學於子路三年,回恭敬不已,子路問其故何也?回對曰:“臣聞之,行者比於鳥,上畏鷹鸇,下畏網羅;夫人為善者少,為讒者多,若身不死,安知禍罪不施。行年七十,常恐行節之虧,回是以恭敬待大命。”子路稽首曰:“君子哉!”

成回が子路に學習すること三年、回は恭敬して止まず。子路は緣故は何かを問うた。回は答えた。「臣が聞くに、行走する者を鳥に比すれば、上は鷹鸇を怕れ、下は網羅を怕る。人の善を為すは少なく、讒を為すは多し。もし自身が死せざれば、どうして禍罪が身に加わらざるを知らん。年紀七十にして、常に行事節操が虧缺するを怕る。回はこれにより恭敬して大命を待つ。」子路は頭を叩いて言った。「君子かな!」

卷十一善說

巻十一 善説

孫卿曰:“夫談說之術,齊莊以立之,端誠以處之,堅強以持之,譬稱以諭之,分別以明之,歡欣憤滿以送之,寶之珍之,貴之神之,如是則說常無不行矣。”夫是之謂能貴其所貴。傳曰:“唯君子為能貴其所貴也。”詩云:“無易由言,無曰苟矣。”鬼谷子曰:“人之不善而能矯之者難矣。說之不行,言之不從者,其辯之不明也;既明而不行者,持之不固也;既固而不行者,未中其心之所善也。辯之明之,持之固之,又中其人之所善,其言神而珍,白而分,能入於人之心,如此而說不行者,天下未嘗聞也。此之謂善說。”子貢曰:“出言陳辭,身之得失,國之安危也。”詩云:“辭之繹矣,民之莫矣。”夫辭者人之所以自通也。主父偃曰:“人而無辭,安所用之。”昔子產修其辭,而趙武致其敬;王孫滿明其言,而楚莊以慚;蘇秦行其說,而六國以安;蒯通陳說,而身得以全。夫辭者乃所以尊君、重身、安國、全性者也。故辭不可不修而說不可不善。

孫卿は言った。「談説の方法は、整斉荘重を以てこれを樹立し、端正誠實を以てこれに處り、堅強を以てこれを持守し、譬喩称引を以てこれを曉諭し、分別を以てこれを闡明し、歡欣憤懣を以てこれを送出し、これを寶貴しこれを珍惜し、これを看重しこれを神化すれば、これの如くならば游説は常に行き通らざるなし。」これを能く彼の重んずる所を重んずるという。伝文に曰く「ただ君子のみ能く彼の重んずる所を重んず。」『詩経』に言う。「軽易に発言するなかれ、苟且すれば可なりと言うなかれ。」鬼谷子は言った。「人に不善あるも能く彼を矯正するは難し。游説が行き通らず、話が聴從せられざるは、あの辯論が明白ならざるなり。已に明白なるも行き通らざるは、持守が牢固ならざるなり。已に牢固なるも行き通らざるは、彼の心裏に喜好する所に切中せざるなり。これを辯論しこれを闡明し、これを持守してこれを牢固にし、またあの人の喜好する所に切中せば、彼の言は神妙にして珍貴、明白にして分別あり、能く人の心に入らん。これの如くして游説の行き通らざるは、天下未だかつて聞かず。これを善く説という。」子貢は言った。「話を說出し辞を陳列するは、自身の得失・国家の安危なり。」『詩経』に言う。「辞が和諧すれば、民は安定す。」辞は人の以て自ら通達するなり。主父偃は言った。「人にして辞なからば、彼を以て何を為さん。」昔、子産は彼の辞を修養し、趙武は即ち敬意を致せり。王孫満は彼の話を闡明し、楚荘は即ち慚愧せり。蘇秦は彼の游説を實行し、六国はこれにより安定せり。蒯通は游説を陳列し、自身は保全するを得たり。辞は以て君を尊敬し、身を看重し、国を安定し、性命を保全するなり。ゆえに辞は修養せざるべからずして游説は善からざるべからず。

趙使人謂魏王曰:“為我殺範痤,吾請獻七十里之地。”魏王曰:“諾”。使吏捕之,圍而未殺。痤自上屋騎危,謂使者曰:“與其以死痤市,不如以生痤市,有如痤死,趙不與王地,則王奈何?故不若與定割地,然後殺痤。”魏王曰:“善”。痤因上書信陵君曰:“痤故魏之免相也。趙以地殺痤而魏王聽之,有如強秦亦將襲趙之慾,則君且奈何?”信陵君言於王而出之。

趙は人を派して魏王に言わしめた。「我のために范痤を殺せ。我は七十里の地を献上せんことを請う。」魏王は言った。「よし。」吏を派して彼を捕捉せしめ、包圍したが未だ殺さず。痤は自ら屋上に爬りて屋脊に騎り、使者に對して言った。「死せる痤を以て交易するより、活ける痤を以て交易するに如かず。仮に痤が死せば、趙は王に地を與えず。ならば王は如何せん。ゆえに彼らと割地を定めて、然る後に痤を殺すに如かず。」魏王は言った。「よし。」痤はそこで信陵君に書を上げて言った。「痤はもともと魏の免職の相なり。趙は土地を以て痤を殺さんとするに魏王は聽從せり。仮に強秦もまた趙の欲望を沿襲せんとすれば、ならば君は将に如何せん。」信陵君は王に言うて彼を放出せしめた。

吳人入荊,召陳懷公,懷公召國人曰:“欲與荊者左,欲與吳者右。”逄滑當公而進曰:“吳未有福,荊未有禍。”公曰:“國勝君出,非禍而奚?”對曰:“小國有是猶復,而況大國乎?楚雖無德,亦不斬艾其民,吳日弊兵,暴骨如莽,未見德焉?天其或者正訓楚也!禍之適吳,何日之有?”陳侯從之。

呉人は荊に入り、陳懷公を召した。懷公は国人を召して言った。「荊に親附せんと欲するは左に立ち、呉に親附せんと欲するは右に立て。」逄滑は公に對して進前して言った。「呉は未だ福ならず、荊は未だ禍ならず。」公は言った。「国は戦勝せられ、君は出逃せり。禍ならずして何か。」答えた。「小国はこのようあるもなお恢復する能う。いわんや大国をや。楚は徳なしといえども、またその民を斬割せず。呉は日々に軍隊を疲弊せしめ、暴露の骨は叢草の如し。徳の在るを見ずや。天はあるいは正に楚を訓誡せんとするか!禍が呉に落つれば、なお幾日あらん。」陳侯は彼に聽從した。

桓公立仲父,致大夫曰:“善吾者入門而右,不善吾者入門而左。”有中門而立者,桓公問焉。對曰:“管子之知,可與謀天下,其強可與取天下。君恃其信乎?內政委焉;外事斷焉。驅民而歸之,是亦可奪也。”桓公曰:“善。”乃謂管仲:“政則卒歸於子矣,政之所不及,唯子是匡。”管仲故築三歸之臺,以自傷於民。

桓公が仲父を立て、大夫を召集して言った。「我を善しと認むるは門に入りて右に往け、我を善しと認めざるは門に入りて左に往け。」中門に立つ者あり。桓公は彼に問うた。答えた。「管子の智は、彼と天下を謀画すべし。彼の強は、彼と���下を奪取すべし。君は彼の信に依仗するか。内政は彼に委託し、外事は彼に決断せしむ。民を驅使して彼に歸向せしむれば、これもまた奪取せらるべし。」桓公は言った。「よし。」そこで管仲に對して言った。「政は終にあなたに歸せり。政の達せざる所は、ただあなたに匡正せしむ。」管仲の三歸之台を築く所以は、以て自ら民に減損するなり。

齊宣王出獵於社山,社山父老十三人相與勞王,王曰:“父老苦矣!”謂左右賜父老田不租,父老皆拜,閭丘先生不拜。王曰:“父老以為少耶?”謂左右復賜父老無徭役,父老皆拜,閭丘先生又不拜。王曰:“拜者去,不拜者前。”曰:“寡人今觀父老幸而勞之,故賜父老田不租,父老皆拜,先生獨不拜,寡人自以為少,故賜父老無徭役,父老皆拜,先生又獨不拜,寡人得無有過乎?”閭丘先生對曰:“惟聞大王來遊,所以為勞大王,望得壽於大王,望得富於大王,望得貴於大王。”王曰:“天殺生有時,非寡人所得與也,無以壽先生;倉廩雖實,以備災害,無以富先生;大官無缺,小官卑賤,無以貴先生。”閭丘先生對曰:“此非人臣所敢望也。願大王選良富家子,有修行者以為吏,平其法度,如此臣少可以得壽焉;春秋冬夏,振之以時,無煩擾百姓,如是臣可少得以富焉;願大王出令,令少者敬長,長者敬老,如是臣可少得以貴焉;今大王幸賜臣田不租,然則倉廩將虛也。賜臣無徭役,然則官府無使焉,此固非人臣之所敢望也。”齊王曰:“善。願請先生為相。”

斉宣王が出でて社山で打獵した。社山の父老十三人はともに王を慰勞した。王は言った。「父老は辛苦した!」左右に對して父老に田地を賜い租を収めざらしめよと言った。父老は皆拝したが、閭丘先生は拝せず。王は言った。「父老は以て少なしとするか。」左右に對して再び父老に徭役なきを賜えと言った。父老は皆拝したが、閭丘先生はまた拝せず。王は言った。「拝するは離れ去り、拝せざるは上前せよ。」言った。「寡人はいま父老に見え、幸いに彼らを慰勞す。ゆえに父老に田地を賜いて租を収めず。父老は皆拝せり。先生は独り拝せず。寡人は自ら以て少なしとし、ゆえに父老に徭役なきを賜えり。父老は皆拝せり。先生はまた独り拝せず。寡人は過失あらんや。」閭丘先生は答えた。「ただ大王が游びに来るを聞き、ゆえに大王を慰勞せんと來たれり。大王より壽を得んことを希望し、大王より富を得んことを希望し、大王より貴を得んことを希望す。」王は言った。「天の殺生は時あり。寡人の能く與える所にあらず。先生に壽を與えるなし。倉廩は充實すれども、以て災害に防備す。先生に富を與えるなし。大官は缺なきも、小官は卑賤なり。先生に貴を與えるなし。」閭丘先生は答えた。「これは人臣の敢えて希望する所にあらず。願わくは大王は良善富家の子弟・修行あるを択取して吏と為し、法度を公平ならしめよ。これの如くならば臣は稍々壽を得べし。春秋冬夏に、時に按じて賑濟し、百姓を煩擾せざれば、これの如くならば臣は稍々富を得べし。願わくは大王は命令を發出して、年少の者をして年長を敬重せしめ、年長の者をして老人を敬重せしめよ。これの如くならば臣は稍々貴を得べし。いま大王は幸いに臣に田地を賜いて租を収めざれば、ならば倉廩は将に空虚ならん。臣に徭役なきを賜えば、ならば官府に使喚する人なし。これはもともと人臣の敢えて希望する所にあらず。」斉王は言った。「よし。願わくは先生を相と為さんことを請う。」

孝武皇帝時,汾陰得寶鼎而獻之於甘泉宮,群臣賀,上壽曰:“陛下得周鼎。”侍中虞丘壽王獨曰:“非周鼎。”上聞之,召而問曰:“朕得周鼎,群臣皆以為周鼎而壽王獨以為非,何也?壽王有說則生,無說則死。”對曰:“臣壽王安敢無說?臣聞夫周德始產於後稷,長於公劉,大於大王,成於文武,顯於周公,德澤上洞,天下漏泉,無所不通,上天報應,鼎為周出,故名周鼎。今漢自高祖繼周,亦昭德顯行,布恩施惠,六合和同,至陛下之身愈盛,天瑞並至,徵祥畢見。昔始皇帝親出鼎於彭城而不能得。天昭有德,寶鼎自至,此天之所以予漢,乃漢鼎,非周鼎也!”上曰:“善!”群臣皆稱:“萬歲!”是日賜虞丘壽王黃金十斤。

孝武皇帝の時、汾陰は寶鼎を得て甘泉宮に献じた。群臣は慶賀し、壽を上げて言った。「陛下は周鼎を得たり。」侍中虞丘壽王は独り言った。「周鼎にあらず。」皇上はこれを聞き、召して問うた。「朕は周鼎を得たり。群臣は皆以て周鼎とす。しかるに壽王は独り以て非とす。何故か。壽王に説法あらば活かし、説法なからば死なしめん。」答えた。「臣壽王はどうして説法なからんや。臣が聞くに、周の徳は后稷に始產し、公劉に成長し、大王に盛大し、文王・武王に完成し、周公に顯赫せり。徳沢は上に通達し、天下は漏るる泉の如く通ぜざるなし。上天は報應し、鼎は周のために出現せり。ゆえに名づけて周鼎という。いま漢は高祖より周を繼承し、また徳を昭明にし行を顯揚し、恩惠を布施し、六合は和同せり。陛下の身に至りていよいよ興盛し、天瑞は一齊に至り、徵兆祥瑞は全部出現せり。昔、始皇帝は自ら彭城に鼎を出でしめんとするも得る能わざりき。天は徳あるを昭示して、寶鼎は自ら至れり。これは天の以て漢に與うるなり。乃ち漢鼎なり。周鼎にあらず!」皇上は言った。「よし!」群臣は皆称した。「萬歲!」この日、虞丘壽王に黄金十斤を賜えり。

晉獻公之時,東郭民有祖朝者,上書獻公曰:“草茅臣東郭民祖朝,願請聞國家之計。”獻公使使出告之曰:“肉食者已慮之矣。藿食者尚何與焉?”祖朝對曰:“大王獨不聞古之將曰桓司馬者,朝朝其君,舉而宴,御呼車,驂亦呼車,御肘其驂曰:‘子何越云為乎?何為借呼車?’驂謂其御曰:‘當呼者呼,乃吾事也,子當御正子之轡銜耳。子今不正轡銜,使馬卒然驚,妄轢道中行人,必逢大敵,下車免劍,涉血履肝者固吾事也。子寧能闢子之轡,下佐我乎?其禍亦及吾身,與有深憂,吾安得無呼車乎?’今大王曰:‘食肉者已慮之矣,藿食者尚何與焉?’設使食肉者一旦失計於廟堂之上,若臣等藿食者,寧得無肝膽塗地於中原之野與?其禍亦及臣之身。臣與有其憂深。臣安得無與國家之計乎?”獻公召而見之,三日與語,無復憂者,乃立以為師也。

晋献公の時、東郭の民に祖朝という者あり。献公に書を上げて言った。「草茅の臣東郭民祖朝、国家の計謀を聽かんことを請うを願う。」献公は使者を遣わして出でて彼に告げて言わしめた。「肉を食う者は已に考慮せり。藿を食う者は何を參与せん。」祖朝は答えた。「大王はかつて聞かずや、古に將ありて桓司馬という。朝にその君を朝見し、擧動して宴飲す。御者は車を呼び、驂乘もまた車を呼べり。御者は肘を以てその驂乘を碰えて言う『お前は何故職を越えてこのようにするか。何故に藉りて車を呼ぶか』と。驂乘は御者に對して言う『呼ぶべきを呼ぶは、乃ち我が事なり。お前は当に辔銜を駕正すべし。お前はいま辔銜を正さず、馬をして突然に驚かしめ、胡乱に道中の行人を碾壓せしむれば、必ず大敵に遇わん。車を下りて劍を拔き、血を踏み肝を踩むは固より我が事なり。お前は豈に辔を放下して、下りて來りて我を助けんや。あの禍はまた我が身に落ちん。我はともに深憂あり。我はどうして車を呼ばざらん』と。いま大王は曰く「肉を食う者は已に考慮せり。藿を食う者は何を參与せん」と。仮に肉を食う者が一旦廟堂の上に於て計を失せば、臣等の藿を食う如きは、肝膽を中原の野地に塗地せざるを得んや��あの禍はまた臣の身に落ちん。臣はともにあの深き憂あり。臣はどうして国家の計謀に參与せざらん。」献公は彼を召見し、談じること三日、更に憂慮する者なし。そこで彼を師に立てた。

客謂梁王曰:“惠子之言事也善譬,王使無譬,則不能言矣。”王曰:“諾。”明日見,謂惠子曰:“願先生言事則直言耳,無譬也。”惠子曰:“今有人於此而不知彈者,曰:‘彈之狀何若?’應曰:‘彈之狀如彈。’諭乎?”王曰:“未諭也。”“於是更應曰:‘彈之狀如弓而以竹為弦。’則知乎?”王曰:“可知矣。”惠子曰:“夫說者固以其所知,諭其所不知,而使人知之。今王曰無譬則不可矣。”王曰:“善。”

客が梁王に言った。「惠子は事を論ずるに譬喩に善し。王が彼をして譬喩するなかれとせば、即ち話する能わざらん。」王は言った。「よし。」明日に進見して、惠子に對して言った。「願わくは先生の事を論ずるは直説するのみ、譬喩するなかれ。」惠子は言った。「いま人あってここに彈を知らず、言う『彈の形状は何に像るか』と。聲に応じて曰く『彈の形状は彈に像る』と。明白か。」王は言った。「明白ならず。」「そこで口を改め聲に応じて曰く『彈の形状は弓に像りて竹を以て弦と為す』と。即ち知るべきか。」王は言った。「知るべし。」惠子は言った。「游説する人はもともと彼の知る所を以て、彼の知らざる所を曉諭して、人をして知らしむ。いま王は譬喩するなかれと言えば即ち可ならず。」王は言った。「よし。」

孟嘗君寄客於齊王,三年而不見用,故客反謂孟嘗君曰:“君之寄臣也,三年而不見用,不知臣之罪也?君之過也?”孟嘗君曰:“寡人聞之,縷因針而入,不因針而急,嫁女因媒而成,不因媒而親。夫子之材必薄矣,尚何怨乎寡人哉?”客曰:“不然,臣聞周氏之嚳,韓氏之盧,天下疾狗也。見菟而指屬,則無失菟矣;望見而放狗也,則累世不能得菟矣!狗非不能,屬之者罪也。”孟嘗君曰:“不然,昔華舟杞梁戰而死,其妻悲之,向城而哭,隅為之崩,城為之,君子誠能刑于內,則物應於外矣。夫土壤且可為忠,況有食谷之君乎?”客曰:“不然,臣見鷦鷯巢於葦苕,著之發毛,建之女工不能為也,可謂完堅矣。大風至,則苕折卵破子死者,何也?其所託者使然也。且夫狐者人之所攻也,鼠者人之所燻也。臣未嘗見稷狐見攻,社鼠見燻也,何則?所託者然也。”於是孟嘗君復屬之齊,齊王使為相。

孟嘗君は客を齊王に托付せり。三年にして用いられず。ゆえに客は返回して孟嘗君に對して言った。「君は臣を托付せり。三年にして用いられず。臣の罪なるかを知らず。それとも君の過失なるか。」孟嘗君は言った。「寡人が聞くに、線は針に因りて入りて、針に因りて緊急と為らず。女を嫁ぐは媒人に因りて成るも、媒人に因りて親しと為らず。夫子の材は必ず浅薄ならん。また寡人を何を怨むか。」客は言った。「然らず。臣が聞くに、周氏の嚳・韓氏の盧は、天下の快なる狗なり。兎を見て指點歸屬せば、即ち兎を失うなし。望見して狗を放开せば、即ち累世兎を得る能わず!狗は能ならざるにあらず。指點歸屬する人の罪なり。」孟嘗君は言った。「然らず。昔、華舟・杞梁は戦死せり。彼らの妻は彼らのために悲哀し、城に對して哭せば、城角はこれにより崩塌し、城はこれにより(底本この字は私用区字形、辨識すべからず)。君子がもし真に能く內裏に示範せば、則ち物は外面に響應せん。土壤はなお以て忠を為るべし。いわんや穀物を食む君あるをや。」客は言った。「然らず。臣は鷦鷯が葦苕の上に巢を築き、髪毛を以て附着せしむを見たり。巧女の女工も成る能わざるなり。以て完固堅牢と称すべし。大風が至れば、則ち苕は折断し、卵は破裂し、幼子は死す。何故か。彼の依托する所がこれを然らしむなり。さらに狐狸は人の攻打する所、老鼠は人の熏る所なり。臣は未だかつて稷廟の狐狸が攻打せられ、社廟の老鼠が熏らるるを見ず。何故か。依托する所がこれを然らしむなり。」そこで孟嘗君は再び彼を斉に托付せり。斉王は彼を相と為せり。

陳子說梁王,梁王說而疑之曰:“子何為去陳侯之國而教小國之孤於此乎?”陳子曰:“夫善亦有道,而遇亦有時,昔傅說衣褐帶劍,而築於秕傳之城,武丁夕夢,旦得之,時王也;甯戚飯牛,康衢擊車輻而歌,顧見桓公得之,時霸也;百里奚自賣五羊之皮,為秦人虜,穆公得之,時強也。論若三子之行,未得為孔子駿徒也。今孔子經營天下,南有陳蔡之阨,而北幹景公,二坐而五立,未嘗離也。孔子之時不行,而景公之時怠也。以孔子之聖,不能以時行,說之怠,亦獨能如之何乎?”

陳子が梁王を游説するに、梁王は喜悦するも彼を懷疑して言った。「お前は何故陳侯の国を離れて來りてここの小国の孤を教導するか。」陳子は言った。「善にも道あり、遇うにも時あり。昔、傅説は褐衣を着て劍を佩び、秕傳の城に牆を築き、武丁は夜に夢を見、朝に彼を得たり。これは王に遇うなり。寧戚は牛を養い、大路上で車輻を敲きて歌えり。回頭して桓公は彼を得たり。これは覇に遇うなり。百里奚は己を羊皮五枚に賣りて、秦人の俘虜と為れり。穆公は彼を得たり。これは強に遇うなり。この三人の行事を評論するに、なお孔子の俊徒と為る能わず。いま孔子は天下を経営し、南面して陳・蔡の困厄あり、而して北に向かい景公に見えんを求め、兩次坐して五次立ち、未だかつて離れず。孔子の時は行き通らず、而して景公の時は懈怠せり。孔子の聖を以てするも、時に按じて通行する能わず、游説するに懈怠せり。また独り彼を以て如何せん。」

林既衣韋衣而朝齊景公,齊景公曰:“此君子之服也?小人之服也?”林既逡巡而作色曰:“夫服事何足以端士行乎?昔者荊為長劍危冠,令尹子西出焉;齊短衣而遂偞之冠,管仲隰朋出焉;越文身剪髮,范蠡大夫種出焉;西戎左衽而椎結,由余亦出焉。即如君言,衣狗裘者當犬吠,衣羊裘者當羊鳴,且君衣狐裘而朝,意者得無為變乎?”景公曰:“子真為勇悍矣,今未嘗見子之奇辯也。一鄰之鬥也,千乘之勝也。”林既曰:“不知君之所謂者何也?夫登高臨危而目不眴,而足不陵者,此工匠之勇悍也;入深淵,刺蛟龍,抱黿鼉而出者,此漁夫之勇悍也;入深山,刺虎豹,抱熊羆而出者,此獵夫之勇悍也;不難斷頭,裂腹暴骨,流血中流者,此武士之勇悍也。今臣居廣廷,作色端辯,以犯主君之怒,前雖有乘軒之賞,未為之動也;後雖有斧質之威,未為之恐也;此既之所以為勇悍也。”

林既は韋衣を着て斉景公に朝見せり。斉景公は言った。「これは君子の服装か。それとも小人の服装か。」林既は退却して色を變えて言った。「服装の事はどうして以て士の行を端正するに足らん。昔、荊は長劍高冠を用い、令尹子西はあそこより出でたり。斉は短衣と遂偞の冠を用い、管仲・隰朋はあそこより出でたり。越は文身剪髪し、范蠡・大夫種はあそこより出でたり。西戎は衣襟を左にし椎形の髪髻なり。由余もまたあそこより出でたり。もし君の言うが如くならば、狗裘を穿つは当に狗の如く叫び、羊裘を穿つは当に羊の如く叫ぶべし。さらに君は狐裘を着て上朝す。以て狐狸に變成せざらんや。」景公は言った。「お前は真に勇悍なり。いま未だお前の奇特の辯を見ず。一鄰の争鬥は、千乗の勝利なり。」林既は言った。「君の言う所は何かを知らず。高く登りて危險に臨みて眼は眩まず脚は乱れざるは、これは工匠の勇悍なり。深淵に入りて蛟龍を刺殺し、黿鼉を抱いて出出づるは、これは漁夫の勇悍なり。深山に入りて虎豹を刺殺し、熊羆を抱いて出を抱いて出づるは、これは獵夫の勇悍なり。頭を砍るを難とせず腹を裂き骨を暴露し、血を中流に流るるは、これは武士の勇悍なり。いま臣は廣廷に處り、色を變えて辯論を端正し、以て主君の怒を冒犯す。前にたとえ乘軒の賞あるも、これがために心を動かさず。後ろにたとえ斧質の威あるも、これがために恐懼せず。これが既の以て勇悍と算する所以なり。」

魏文侯與大夫飲酒,使公乘不仁為觴政曰:“飲不釂者浮以大白。”文侯飲而不盡釂,公乘不仁舉曰浮君。君視而不應,侍者曰:“不仁退,君已醉矣。”公乘不仁曰:“周書曰:‘前車覆,後車戒。’蓋言其危,為人臣者不易,為君亦不易。今君已設令,令不行,可乎?”君曰:“善。”舉白而飲,飲畢曰:“以公勝不仁為上客。”

魏文侯が大夫と飲酒す。公乘不仁に觴政を主持せしめて言った。「杯を干さざる者は大白を以て酒を罰せよ。」文侯は飲みたるも杯を干さず。公乘不仁は酒を挙げて君を罰せんと曰く。君は彼を看るも應えず。侍者は言った。「不仁は退け。君は已に醉えり。」公乘不仁は言った。「『尚書』に言う「前面の車は翻り、後面の車は警戒す。」ほぼあの危険を言う。人臣たるは容易ならず、君たるも容易ならず。いま君は已に命令を設下せり。命令を實行せざれば、可なるか。」君は言った。「よし。」大白を挙げて飲み、飲み畢りて言った。「公乘不仁を以て上客と為せ。」

襄成君始封之日,衣翠衣,帶玉劍,履縞舄,立於游水之上,大夫擁鍾錘,縣令執桴號令,呼:“誰能渡王者於是也?”楚大夫莊辛,過而說之,遂造托而拜謁,起立曰:“臣願把君之手,其可乎?”襄成君忿作色而不言。莊辛遷延沓手而稱曰:“君獨不聞夫鄂君子皙之泛舟於新波之中也?乘青翰之舟,極芘,張翠蓋而犀尾,班麗褂衽,會鐘鼓之音,畢榜枻越人擁楫而歌,歌辭曰:‘濫兮抃草濫予昌枑澤予昌州州●州焉乎秦胥胥縵予乎昭澶秦踰滲惿隨河湖。’鄂君子皙曰:‘吾不知越歌,子試為我楚說之。’於是乃召越譯,乃楚說之曰:‘今夕何夕搴中洲流,今日何日兮,得與王子同舟。蒙羞被好兮,不訾詬恥,心幾頑而不絕兮,知得王子。山有木兮木有枝,心說君兮君不知。’於是鄂君子皙乃修袂,行而擁之,舉繡被而覆之。鄂君子皙,親楚王母弟也。官為令尹,爵為執圭,一榜枻越人猶得交歡盡意焉。今君何以踰於鄂君子皙,臣何以獨不若榜枻之人,願把君之手,其不可何也?”襄成君乃奉手而進之,曰:“吾少之時,亦嘗以色稱於長者矣。未嘗過僇如此之卒也。自今以後,願以壯少之禮謹受命。”

襄成君が始めて封を受くるの日、翠衣を着、玉劍を佩び、白色の鞋を踩み、游水の上に立ち、大夫は鐘槌を抱き、縣令は鼓槌を持ちて令を發し、呼んで曰く「誰かここに於て王を渡す能うか。」楚大夫莊辛は經過して喜悦し、そこで上前して身を托して拜謁し、起立して言った。「臣は君の手を握らんことを願う。可なるか。」襄成君は忿怒して色を變え言わず。莊辛は退却して手を疊えて称して言った。「君はかつて聞かずや、鄂君子晳が新波の中に舟を泛べしをや。青翰の船に乘り、極力芘を張り、翠蓋を張開して犀尾をして、斑斕美麗の衣襟、鐘鼓の聲を會合し、畢りて後に船を撑る越人は槳を抱いて歌えり。歌辞は越音なり(底本は音を存し義なし、中に殘缺あり)。鄂君子晳は曰く『我は越歌を知らず。お前は試みに我のために楚語を以て解説せよ』と。そこで即ち越地の譯者を召して、楚語を以て解説せしめたり。『今夜は何の夜か、中洲の水流の上に搴取す。今日は何の日か、王子と船を同じくするを得。羞慚を蒙りて好意を承くる、詬罵耻辱を計較せず。心はほぼ愚頑にして断絶せず、王子を得るを知る。山に樹木あり、樹木に枝あり。心は君を喜悦す、君は知らず。』そこで鄂君子晳は即ち修長の衣袖をして、走り往きて彼を擁抱し、繍被を擧げて彼を蓋えり。鄂君子晳は楚王の親母弟、官は令尹を為し、爵は執圭なり。一個の船を撑る越人でさえ得て交歡して意を盡す。いま君は何を以て鄂君子晳に超過し、臣は何を以て独り船を撑る人に如かざらん。君の手を握らんことを願うも、あの可ならざるは何故か。」襄成君はそこで手を捧げて進上して言った。「我が年少の時、またかつて容色を以て長者に称道せられたり。未だかつて侮辱を遭遇するにこのように突然たりき。今より以後、願わくは壯年少年の礼を以て恭敬して命を受けん。」

雍門子周以琴見乎孟嘗君。孟嘗君曰:“先生鼓琴亦能令文悲乎?”雍門子周曰:“臣何獨能令足下悲哉?臣之所能令悲者,有先貴而後賤,先富而後貧者也。不若身材高妙,適遭暴亂,無道之主,妄加不道之理焉;不若處勢隱絕,不及四鄰,詘折儐厭,襲於窮巷,無所告愬;不若交歡相愛無怨而生離,遠赴絕國,無復相見之時;不若少失二親,兄弟別離,家室不足,憂蹙盈。當是之時也,固不可以聞飛鳥疾風之聲,窮窮焉固無樂已。凡若是者,臣一為之徽膠援琴而長太息,則流涕霑衿矣。今若足下千乘之君也,居則廣廈邃房,下羅帷,來清風,倡優侏儒處前選進而諂諛;燕則鬥象棋而舞鄭女,激楚之切風,練色以淫目,流聲以虞耳;水遊則連方舟,載羽旗,鼓吹乎不測之淵;野遊則馳騁弋獵乎平原廣囿,格猛獸;入則撞鐘擊鼓乎深宮之中。方此之時,視天地曾不若一指,忘死與生,雖有善琴者,固未能令足下悲也。”孟嘗君曰:“否!否!文固以為不然。”雍門子周曰:“然臣之所為足下悲者一事也。夫聲敵帝而困秦者君也;連五國之約,南面而伐楚者又君也。天下未嘗無事,不從則橫,從成則楚王,橫成則秦帝。楚王秦帝,必報讎於薛矣。夫以秦、楚之強而報讎於弱薛,譽之猶摩蕭斧而伐朝菌也,必不留行矣。天下有識之士無不為足下寒心酸鼻者。千秋萬歲後,廟堂必不血食矣。高臺既以壞,曲池既以漸,墳墓既以下而青廷矣。嬰兒豎子樵採薪蕘者,蹢躅其足而歌其上,眾人見之,無不愀焉,為足下悲之曰:‘夫以孟嘗君尊貴乃可使若此乎?’”於是孟嘗君泫然泣涕,承睫而未殞,雍門子周引琴而鼓之,徐動宮徵,微揮羽角,切終而成曲,孟嘗君涕浪汗增,欷而就之曰:“先生之鼓琴令文立若破國亡邑之人也。”

雍門子周は琴を凭りて孟嘗君に進見せり。孟嘗君は言った。「先生は琴を彈じてまた文を悲哀せしむる能うか。」雍門子周は言った。「臣はどうして独り足下を悲哀せしむる能わんや。臣の能く人を悲哀せしむるは、先前貴して後に賤、先前富して後に貧なる者あり。身材高妙にして、恰好して暴乱に遭遇し、無道の主は胡乱に無道の道理を加うるに如かず。地勢の隱蔽隔絶に處り、四鄰に及ばず、屈折して擯棄壓制せられ、窮巷に重疊して、告げる処なきに如かず。交歡相愛して怨なくして生きて分離し、絶遠の国に遠赴し、再び相見る時なきに如かず。年少にして両親を失い、兄弟は別離し、家室は足らず、憂愁は充滿す。正にこの時、固より飛鳥疾風の聲を聞くべからず。窮困の極に至れば固より樂なし。およそこの如きは、臣は一たび彼のために弦を調え琴を援いて長く嘆息せば、即ち涙を流して衣襟を沾湿せん。いま足下の如きは千乗の君なり。住すれば即ち廣厦深房あり、羅帷を放下し、清風を來たらしめ、倡優侏儒は面前に於て択んで進上して諂諛す。宴飲すれば即ち象棋を鬥し鄭地の女子を舞わし、激楚の急風、練色を以て眼を過度せしめ、流動の聲を以て耳を娛樂せしむ。水の上に游べば即ち方舟を連接し、羽旗を載せ、測量すべからざる深淵に鼓吹す。野に游べば即ち平原廣囿を馳騁して射獵し、猛獸と格鬥す。入れば即ち深宮の中に鐘を撞き鼓を撃つ。正にこの時、天地を看るに竟に一根の手指に如かず、死と生を忘る。たとえ琴を彈ずに善きあれども、固より足下を悲哀せしむる能わず。」孟嘗君は言った。「否!否!文は固より以て然らざるとす。」雍門子周は言った。「しかるに臣は足下のために悲哀する一事あり。あの声勢が帝に匹敵して秦を困らしむるは君なり。五国の盟約を連結し、南に向かい楚を攻伐するはまた君なり。天下は未だかつて事なく、合縦ならずんば連横す。合縦成れば楚は王と称し、連横成れば秦は帝と称す。楚が王と称し秦が帝と称せば、必ず薛に向かい仇を報いん。秦・楚の強を以て弱薛に向かい仇を報いんとすれば、比作するはなお蕭斧を磨きて朝菌を砍るが如し。必ず停留せざらん。天下の見識ある士は足下のために寒心酸鼻せざるなし。千秋萬歲の後、廟堂は必ず血食なからん。高台は已に毀壞し、曲池は已に水に浸せられ、墳墓は已に低下して青草の庭院ならん。嬰児童子柴を打つ人は、脚を頓きてその上に歌う。衆人はこれを見て、凄愴せざるなく、足下のために悲哀して曰く「孟嘗君の尊貴を以て、竟に彼をしてこのようにせしむべきか?」と。」そこで孟嘗君は泫然として涙を流し、涙は睫毛に至るも未だ落ちず。雍門子周は琴を引いて彈奏し、慢慢として宮・徵を撥動し、微微として羽・角を揮動し、急切して終結して曲を成せり。孟嘗君の眼涙は浪浪として増し、抽泣して彼に靠近して言った。「先生の琴を彈ずるは、文をして立ちどころに破国亡邑の人の如からしめり。」

蘧伯玉使至楚,逢公子皙濮水之上,子皙接草而待曰:“敢問上客將何之?”蘧伯玉為之軾車。公子皙曰:“吾聞上士可以托色,中士可以託辭,下士可以托財,三者固可得而託身耶?”蘧伯玉曰:“謹受命。”蘧伯玉見楚王,使事畢,坐談話,從容言至於士。楚王曰:“何國最多士?”蘧伯玉曰:“楚最多士。”楚王大悅。蘧伯玉曰:“楚最多士而楚不能用。”王造然曰:“是何言也?”蘧伯玉曰:“伍子胥生於楚,逃之吳。吳受而相之。發兵攻楚,墮平王之墓。伍子胥生於楚,吳善用之。釁蚡黃生於楚,走之晉,治七十二縣,道不拾遺,民不妄得,城郭不閉,國無盜賊,蚡黃生於楚而晉善用之。今者臣之來,逢公子皙濮水之上,辭言‘上士可以托色,中士可以託辭,下士可以托財,三者固可得而託身耶?’又不知公子皙將何治也。”於是楚王發使一駟,副使二乘,追公子皙濮水之上,子皙還重於楚,蘧伯玉之力也。故詩曰:“誰能烹魚,溉之釜鬵,孰將西歸,懷之好音。”此之謂也。物之相得,固微甚矣。

蘧伯玉は楚に出使し、濮水の上で公子晳に遇えり。子晳は草を撥きて待ちて言った。「敢えて貴客は将にどこに往かんとするかを問う。」蘧伯玉は彼のために車軾に凭った。公子晳は言った。「我が聞くに、上等の士は以て神色を托付すべく、中等の士は以て言辞を托付すべく、下等の士は以て財貨を托付すべし。この三者は固より得て身を托付すべきか。」蘧伯玉は言った。「命を恭敬して受けん。」蘧伯玉は楚王に進見し、出使の事を畢え、坐して談話し、從容として士に說及至れり。楚王は言った。「どの国の士が最も多きか。」蘧伯玉は言った。「楚の士が最も多し。」楚王は大いに悦べり。蘧伯玉は言った。「楚の士は最も多きにして楚は用いる能わず。」王は突然として色を變えて言った。「これは何の話か。」蘧伯玉は言った。「伍子胥は楚に生れ、呉に逃げたり。呉は受けて彼を相と為せり。兵を發して楚を攻め、平王の墓を毀壞せり。伍子胥は楚に生れしも、呉は彼を用いるに善かりき。釁蚡黃は楚に生れ、晋に走り、七十二縣を治め、路上に遺失の物を拾わず、民は妄りに取らず、城郭は關閉せず、国に盜賊なし。蚡黃は楚に生れしも、晋は彼を用いるに善かりき。いま臣が前來するに、濮水の上で公子晳に遇い、話に『上等の士は以て神色を托付すべく、中等の士は以て言辞を托付すべく、下等の士は以て財貨を托付すべし。この三者は固より得て身を托付すべきか』と。また公子晳が将に何を治理せんとするかを知らず。」そこで楚王は使者一駟・副使二乗を派出して、濮水の上に至りて公子晳を追わしめ、子晳は返回して楚に於て看重せらる。これは蘧伯玉の力なり。ゆえに『詩経』に言う。「誰か能く魚を烹らば、即ち彼のために釜鬵を洗浄せん。誰か将に西に帰らば、即ち彼の好音を懷念せん。」これを言う。物の互相いに投合するは、もともと甚だ細微なり。

叔向之弟羊舌虎善樂達,達有罪於晉,晉誅羊舌虎,叔向為之奴。既而祁奚曰:“吾聞小人得位,不爭不義,君子所憂,不救不祥。”乃往見範桓子而說之曰:“聞善為國者,賞不過;刑不濫。賞過則懼及淫人;刑濫則懼及君子。(與不幸而過),寧過而賞淫人,無過而刑君子,故堯之刑也,殛鯀於羽山而用禹;周之刑也,僇管、蔡而相周公,不濫刑也。”桓子乃命吏出叔向,救人之患者,行危苦而不避煩辱,猶不能免。今祁奚論先王之德而叔向得免焉,學豈可已哉?

叔向の弟羊舌虎は楽達と要好せり。達は晋に於て罪あり。晋は羊舌虎を誅殺し、叔向はこれにより奴を為せり。ほどなく祁奚は言った。「我が聞くに、小人が位子を得れば、争わざれば義ならず。君子の憂慮する所は、救わざれば祥ならず。」そこで前往して范桓子に見えて彼を游説して言った。「聞くに、善く国を治むるは、賞は過分ならず、刑は濫ならずと。賞が過分なれば淫濫の人に連及するを怕る。刑が濫なれば君子に連及するを怕る。(不幸にして過分せんより)、寧ろ過分にして淫濫の人を賞せよ、過分にして君子を刑するなかれ。ゆえに堯の刑は、鯀を羽山に殺死せしめて禹を任用せり。周の刑は、管・蔡を殺��し��周公を以て相と為せり。これは刑を濫せざるなり。」桓子はそこで吏に命じて叔向を放出せしめた。人の患難を救い、危険勞苦を走りて煩辱を避けざるも、なお禍を免れざる。いま祁奚は先王の徳を論説して叔向は禍を免るるを得たり。學はどうして停止すべからんや!

張祿掌門,見孟嘗君曰:“衣新而不舊,倉庾盈而不虛,為之有道,君亦知之乎?”孟嘗君曰:“衣新而不舊,則是修也。倉庾盈而不虛,則是富也。為之奈何?其說可得聞乎?”張祿曰:“願君貴則舉賢,富則振貧,若是則衣新而不舊,倉庾盈而不虛矣。”孟嘗君以其言為然,說其意,辯其辭,明日使人奉黃金百斤,文織百純,進之張先生。先生辭而不受。後先生復見孟嘗君。孟嘗君曰:“前先生幸教文曰:‘衣新而不舊,倉庾盈而不虛,為之有說,汝亦知之乎?’文竊說教,故使人奉黃金百斤,文織百純,進之先生,以補門內之不贍者,先生曷為辭而不受乎?”張祿曰:“君將掘君之偶錢,發君之庾粟以補士,則衣弊履穿而不贍耳。何暇衣新而不舊,倉瘐盈而不虛乎?”孟嘗君曰:“然則為之奈何?”張祿曰:“夫秦者四塞之國也。遊宦者不得入焉。願君為吾為丈尺之書,寄我與秦王,我往而遇乎,固君之入也。往而不遇乎,雖人求間謀,固不遇臣矣。”孟嘗君曰:“敬聞命矣。”因為之書,寄之秦王,往而大遇。謂秦王曰:“自祿之來入大王之境,田疇益闢,吏民益治,然而大王有一不得者,大王知之乎?”王曰:“不知。”曰:“夫山東有相,所謂孟嘗君者,其人賢人,天下無急則已,有急則能收天下雄俊之士,與之合交連友者,疑獨此耳。然則大王胡不為我友之乎?”秦王曰:“敬受命。”奉千金以遺孟嘗君,孟嘗君輟食察之而寤曰:“此張生之所謂衣新而不舊,倉庾盈而不虛者也。”

張禄は門を守り、孟嘗君に進見して言った。「衣服は新たにして旧に變えず、倉庾は滿ちて空虚せず。これを為すに方法あり。君はまた知るか。」孟嘗君は言った。「衣服が新たにして旧に變えざるは、即ち整修なり。倉庾が滿ちて空虚せざるは、即ち富裕なり。どうすべきか。あの説法は聞くべきか。」張禄は言った。「願わくは君は貴ければ即ち賢人を挙薦し、富めば即ち窮人を賑濟せよ。これの如くならば衣服は新たにして旧に變えず、倉庾は滿ちて空虚せざらん。」孟嘗君は彼の言を以て對とし、あの意を好み、あの辞を明白せり。明日に人を派して黄金百斤・花紋ある織品百純を奉上し、張先生に進げり。先生は推辞して受けず。後に先生は再び孟嘗君に進見せり。孟嘗君は言った。「先前先生は幸いに文を教えて曰く『衣服は新たにして旧に變えず、倉庾は滿ちて空虚せず。これを為すに説法あり。お前はまた知るか』と。文は私にこの教を好み、ゆえに人を派して黄金百斤・花紋ある織品百純を奉上し、先生に進げ、以て門內の供給足らざるを補わんとす。先生は何故推辞して受けざるか。」張禄は言った。「君は将に君の串なる錢を挖掘し、君の倉庾の粟を打開して以て士を補わんとせば、則ち衣服は破れ鞋子は洞を穿てども供給足らざるのみ。どこに閑暇あって衣服新たにして旧に變えず、倉庾滿ちて空虚せざらんや。」孟嘗君は言った。「ならばどうすべきか。」張禄は言った。「秦は四面に要塞ある国なり。游宦の人は入る能わず。願わくは君は我のために一尺ほどの書信を寫して、我を秦王に托付せよ。我は往きて遇合せば、固より君の人なり。往きて遇合せざれば、たとえ間諜を為らんと求むる人あるも、固より臣に遇わざらん。」孟嘗君は言った。「命を恭敬して聞きたり。」そこで彼のために書を寫し、秦王に托付せり。往きて大大に遇合せり。秦王に對して言った。「禄が進りて大王の境に入りてより、田地はいよいよ開闢し、吏民はいよいよ治理せり。しかるに大王に一件得られざるあり。大王は知るか。」王は言った。「知らず。」言った。「山東に一個の相あり、所謂孟嘗君なり。あの人は賢人なり。天下に急難なからばそれまで、急難あれば能く天下の雄俊の士を收羅し、彼らと結交連友するは、独りこの人のみか。ならば大王は何故我と彼を友待せざるか。」秦王は言った。「命を恭敬して受けん。」千金を奉りて孟嘗君に送れり。孟嘗君は食を停めて察看して醒悟して言った。「これは張生の所謂衣服新たにして旧に變えず、倉庾滿ちて空虚せざるなり。」

莊周貧者,往貸粟於魏,文侯曰:“待吾邑粟之來而獻之。”周曰:“乃今者周之來,見道傍牛蹄中有鮒魚焉,大息謂周曰:‘我尚可活也?’周曰:‘須我為汝南見楚王,決江、淮以溉汝。’鮒魚曰:‘今吾命在盆甕之中耳,乃為我見楚王,決江、淮以溉我,汝即求我枯魚之肆矣。’今周以貧故來貸粟,而曰須我邑粟來也而賜臣,即來亦求臣傭肆矣。”文侯於是乃發粟百鍾,送之莊周之室。

荘周は貧窮して、魏に往きて粟を借らんとす。文侯は言った。「我が城邑の粟が到來するを待ちてお前に献ぜん。」周は言った。「即ちいま周が前来せし時、道旁の牛蹄の窩の中に鮒魚ありて、周に對して嘆息して曰く『我はなお活くべきか』と。周は曰く『我がお前のために南に楚王に見えて、江・淮を決開してお前を灌溉せんを待て』と。鮒魚は曰く『いま我が命は盆瓮の中のみ。しかるに我のために楚王に見えて、江・淮を決開して我を灌溉せば、お前は枯魚の店舗に至りて我を尋ねよ』と。いま周は貧窮を以てゆえに粟を借りに来たれり。しかるに我が城邑の粟が到來するを待ちて臣に賜わんと言えば、即ち到來しても傭工の店舗に至りて臣を尋ねん。」文侯はそこで即ち粟百鐘を發放して、荘周の屋子に送り至れり。

晉平公問叔向曰:“歲饑民疫,翟人攻我,我將若何?”對曰:“歲飢來年而反矣,疾疫將止矣,翟人不足患也。”公曰:“患有大於此者乎?”對曰:“夫大臣重祿而不極諫,近臣畏罪而不敢言,左右顧寵於小官而君不知。此誠患之大者也。”公曰:“善。”於是令國中曰:“欲有諫者為之隱,左右言及國吏罪。”

晋平公が叔向に問うた。「年成は饑荒、民に瘟疫あり、翟人は我を攻む。我は将に如何せん。」答えた。「年成の饑荒は來年に反轉せん、疾病瘟疫は将に停止せん、翟人は以て憂患と為すに足らず。」公は言った。「これより大なる患あるか。」答えた。「大臣は俸禄を重んじて極力進諫せず、近臣は罪を怕れて敢えて話せず、左右は小官に於て顧盼寵幸し而して君は知らず。これぞ真に患の中の大なり。」公は言った。「よし。」そこで国に命じて言った。「進諫せんと欲する者は彼のために隱瞞せよ。左右が国吏に說及至るは罪あり。」

趙簡子攻陶,有二人先登,死於城上,簡子欲得之,陶君不與。承盆疽謂陶君曰:“簡子將掘君之墓,以與君之百姓市曰:‘踰邑梯城者將赦之,不者將掘其墓,朽者揚其灰,未朽者辜其屍。’陶君懼,謂效二人之屍以為和。

趙簡子が陶を攻む。二人ありて先に登り、城上に死せり。簡子は彼らを得んと欲すれども、陶君は與えず。承盆疽は陶君に對して言った。「簡子は将に君の墓を挖掘し、以て君の百姓と交易を為して曰く『城邑を翻越し梯を架けて城に登るは将に彼を赦せん。然らざるは将に彼の墓を挖掘し、腐爛せるはその灰を揚げ、未だ腐爛せざるはその屍体を分裂せん』と。」陶君は恐懼し、許して二人の屍体を献上して以て講和せり。

子貢見太宰嚭,太宰嚭問曰:“孔子何如?”對曰:“臣不足以知之。”太宰曰:“子不知,何以事之?”對曰:“惟不知,故事之,夫子其猶大山林也,百姓各足其材焉。”太宰嚭曰:“子增夫子乎?”對曰:“夫子不可增也。夫賜其猶一累壤也,以一累壤增大山,不益其高,且為不知。”太宰嚭曰:“然則子有所酌也。”對曰:“天下有大樽而子獨不酌焉,不識誰之罪也。”

子貢が太宰嚭に見えた。太宰嚭は問うた。「孔子は如何。」答えた。「臣は以て彼を知るに足らず。」太宰は言った。「お前は知らざれば、何を以て彼に事奉するか。」答えた。「正に知らざるが故に、彼に事奉す。夫子はほぼなお大山林の如く、百姓は各自あそこより材用を取りて足る。」太宰嚭は言った。「お前は夫子を增高するか。」答えた。「夫子は增高すべからず。賜はほぼなお一簪の壤土の如く、一簪の壤土を以て大山に増やすも、その高を増益せず、併せて知らずと算す。」太宰嚭は言った。「ならばお前は取飲する所有り。」答えた。「天下に大樽ありてお前は独り取飲せず。誰の罪かを知らず。」

趙簡子問子貢曰:“孔子為人何如?”子貢對曰:“賜不能識也。”簡子不說曰:“夫子事孔子數十年,終業而去之,寡人問子,子曰不能識,何也?”子貢曰:“賜譬渴者之飲江海,知足而已,孔子猶江海也,賜則奚足以識之。”簡子曰:“善哉!子貢之言也。”

趙簡子が子貢に問うた。「孔子の人となりは如何。」子貢は答えた。「賜は認識する能わず。」簡子は喜ばずして言った。「夫子は孔子に事奉すること数十年、學業を完成して彼を離れ去れり。寡人はあなたに問うに、あなたは認識する能わずと言う。何故か。」子貢は言った。「賜は口渴する人が江海を飲むに比し、足るを知るのみ。孔子は江海に比す。賜はまたどこに彼を認識するに足らん。」簡子は言った。「善いな!子貢の言。」

齊景公謂子貢曰:“子誰師?”曰:“臣師仲尼?”公曰:“仲尼賢乎?”對曰:“賢。”公曰:“其賢何若?”對曰:“不知也。”公曰:“子知其賢而不知其奚若,可乎?”對曰:“今謂天高,無少長愚智皆知高,高几何?皆曰不知也,是以知仲尼之賢而不知其奚若。”

斉景公が子貢に對して言った。「お前は誰を以て師と為すか。」言った。「臣の師は仲尼なり。」公は言った。「仲尼は賢か。」答えた。「賢。」公は言った。「彼の賢は何に像るか。」答えた。「知らず。」公は言った。「お前は彼の賢を知りて彼が何に像るかを知らざるは、可なるか。」答えた。「いま天の高きを言うに、少長愚智を論ぜず皆高きを知る。高きは幾何か。皆不知と言う。これにより仲尼の賢を知りて彼が何に像るかを知らず。」

趙襄子謂仲尼曰:“先生委質以見人主七十君矣,而無所通,不識世無明君乎?意先生之道,固不通乎?”仲尼不對。異日,襄子見子路曰:“嘗問先生以道,先生不對,知而不對則隱也。隱則安得為仁;若信不知,安得為聖?”子路曰:“建天下之鳴鐘,而撞之以挺,豈能發其聲乎哉?君問先生,無乃猶以挺撞乎?”

趙襄子が仲尼に對して言った。「先生は質を委ねて人主に進見すること七十個の君、しかるに通達せず。世に明君なきかを知らず。それとも先生の道はもともと通通ぜざるか。」仲尼は答えず。別日、襄子は子路に見えて言った。「かつて道を以て先生に問うたが、先生は答えず。知りて答えざれば即ち隱匿なり。隱匿はどうして仁と算せん。もし確かに知らざれば、どうして聖と算せん。」子路は言った。「天下の鳴鐘を樹立するも、木棍を以てこれを撞けば、どうしてその聲を發する能わんや。君は先生に問うも、おそらくなお木棍を以て撞くが如きか。」

衛將軍文子問子貢曰:“季文子三窮而三通,何也?”子貢曰:“其窮事賢,其通舉窮,其富分貧,其貴禮賤。窮而事賢則不悔;通而舉窮則忠於朋友,富而分貧則宗族親之;貴而禮賤則百姓戴之。其得之,固道也;失之,命也。”曰:“失而不得者,何也?”曰:“其窮不事賢,其通不舉窮,其富不分貧,其貴不理賤,其得之,命也;其失之,固道也。”

衛將軍文子が子貢に問うた。「季文子は三たび困窮して三たび通達せり。何故か。」子貢は言った。「彼は困窮の時に賢人に事奉し、通達の時に困窮を挙薦し、富裕の時に窮人に分給し、尊貴の時に低賤を礼待せり。困窮にして賢人に事奉せば後悔せず。通達にして困窮を挙薦せば朋友に忠なり。富裕にして窮人に分給すれば則ち宗族は彼に親し。尊貴にして低賤を礼待すれば則ち百姓は彼を愛戴す。彼の得るは、もともと道なり。失うは、命なり。」問うた。「失いて得られざるは、何故か。」言った。「彼は困窮にして賢人に事奉せず、通達にして困窮を挙薦せず、富裕にして窮人に分給せず、尊貴にして低賤に理睬せず。彼の得るは、命なり。彼の失うは、もともと道なり。」

子路問於孔子曰:“管仲何如人也?”子曰:“大人也。”子路曰:“昔者管子說襄公,襄公不說,是不辯也;欲立公子糾而不能,是無能也;家殘於齊而無憂色,是不慈也;桎梏而居檻車中無慚色,是無愧也;事所射之君,是不貞也;召忽死之,管仲不死,是無仁也。夫子何以大之?”子曰:“管仲說襄公,襄公不說,管仲非不辯也,襄公不知說也;欲立公子糾而不能,非無能也,不遇時也;家殘於齊而無憂色,非不慈也,知命也;桎梏居檻車而無慚色,非無愧也,自裁也;事所射之君,非不貞也,知權也;召忽死之,管仲不死,非無仁也。召忽者,人臣之材也,不死則三軍之虜也;死之則名聞天下,夫何為不死哉?管仲者,天子之佐,諸侯之相也,死之則不免為溝中之瘠;不死則功複用於天下,夫何為死之哉?由!汝不知也。”

子路が孔子に問うた。「管仲はどのような人か。」孔子は言った。「大人なり。」子路は言った。「昔、管子は襄公を游説するに、襄公は喜悦せず。これは辯に善からざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず。これは才能なきなり。家は斉に於て殘破するも憂色なし。これは慈ならざるなり。桎梏を戴きて檻車に居れども慚愧の神色なし。これは愧なきなり。射たる君に事奉す。これは貞ならざるなり。召忽は彼のために死せり。管仲は死せず。これは仁なきなり。夫子は何故彼を以て大と為すか。」孔子は言った。「管仲は襄公を游説するに、襄公は喜悦せず。管仲は辯に善からざるにあらず、襄公は喜悦を懂得せざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わざるは、才能なきにあらず、時に遇わざるなり。家は斉に於て殘破するも憂色なきは、慈ならざるにあらず、命を知るなり。桎梏を戴きて檻車に居れども慚愧の神色なきは、愧なきにあらず、自ら裁断するなり。射たる君に事奉するは、貞ならざるにあらず、權變を知るなり。召忽は彼のために死し、管仲は死せざるは、仁なきにあらず。召忽は人臣の材、死せざれば即ち三軍の俘虜なり。彼のために死せば則ち名は天下に聞こえん。彼は何故死せざらん。管仲は天子の輔佐、諸侯の相なり。彼のために死せば則ち溝中の瘦骨を免れず。死せざれば則ち功労は天下に於て再び用いらん。彼は何故彼のために死せん。由よ!お前は知らず。」

晉平公問於師曠曰:“咎犯與趙衰孰賢?”對曰:“陽處父欲臣文公,因咎犯,三年不達,因趙衰,三日而達。智不知其士眾,不智也;知而不言,不忠也;欲言之而不敢,無勇也;言之而不聽,不賢也。”

晋平公が師曠に問うた。「咎犯と趙衰と誰が賢か。」答えた。「陽處父は文公の臣を為らんと欲し、咎犯を通ずること三年にして通達せず。趙衰を通ずれば、三天にして通達せり。智にし��彼の士衆を知らざるは、不智なり。知りて説かざるは、不忠なり。説かんと欲して敢えてせざるは、勇なきなり。説いて聴かれざるは、不賢なり。」

趙簡子問於成摶曰:“吾聞夫羊殖者,賢大夫也,是行奚然?”對曰:“臣摶不知也。”簡子曰:“吾聞之子與友親,子而不知,何也?”摶曰:“其為人也數變,其十五年也,廉以不匿其過;其二十也,仁以喜義,其三十也,為晉中軍尉,勇以喜仁,其年五十也,為邊城將,遠者復親。今臣不見五年矣。恐其變,是以不敢知。”簡子曰:“果賢大夫也,每變益上矣。”

趙簡子が成摶に問うた。「我が聞くに、羊殖は賢大夫なり。あの行事は如何。」答えた。「臣摶は知らず。」簡子は言った。「我が聞くに、あなたは彼と交友親近せり。あなたは知らざるは何故か。」摶は言った。「彼の人となりは屢々變化す。十五歳にして、廉潔にして過失を隱瞞せず。二十歳にして、仁にして義を喜好す。三十歳にして、晋中軍尉を為り、勇にして仁を喜好す。五十歳にして、邊城將を為り、疏遠の者を再び親近せしむ。いま臣は五年彼を見ず。彼の變化を怕る。これにより敢えて知ると言わず。」簡子は言った。「果たして賢大夫なり。每變化するごとにいよいよ上に向かう。」

卷十二奉使

巻十二 奉使

春秋之辭有相反者四,既曰:“大夫無遂事。”不得擅生事矣。又曰:“出境可以安社稷,利國家者則專之可也。”既曰:“大夫以君命出,進退在大夫”矣,又曰:“以君命出,聞喪徐行而不反”者,何也?曰:“此義者各止其科,不轉移也。不得擅生事者,謂平生常經也;專之可也者,謂救危除患也;進退在大夫者,謂將帥用兵也;徐行而不反者,謂出使道聞君親之喪也。公子子結擅生事,春秋不非,以為救莊公危也。公子遂擅生事,春秋譏之,以為僖公無危事也。故君有危而不專救,是不忠也。若無危而擅生事,是不臣也。傳曰:‘詩無通詁,易無通吉,春秋無通義。’此之謂也。”

『春秋』の辞に相反する四条あり。已に曰く「大夫に徑自專行の事なし。」なれば即ち擅りに事を生ずべからず。また曰く「出境して社稷を安定し国家に利あるは則ち專行して可なり。」已に曰く「大夫は君命を凭りて出ずれば、進退は大夫に在り。」また曰く「君命を凭りて出ずれば、喪事を聞きて慢慢として返らず。」是れ何故か。曰く「これらの義は各々己の科條に停まり、轉移せず。擅りに事を生ずべからざるは、平時經常の常規を言う。專行して可なりは、危難を挽救し禍患を除去するを言う。進退は大夫に在りは、將帥の兵を用いるを言う。慢慢として返らざるは、出使して路上に在りて君親の喪事を聞くを言う。公子子結は擅りに事を生じしに、『春秋』は彼を責備せず、以て荘公の危を挽救せんと為す。公子遂は擅りに事を生じしに、『春秋』は彼を譏刺す、以て僖公に危事なしと為す。ゆえに君に危ありて專行して挽救せざるは、不忠なり。もし危なくして擅りに事を生ずるは、臣道を守らざるなり。伝文に曰く『『詩経』に貫通する訓詁なし、『周易』に貫通する吉なし、『春秋』に貫通する義なし。』これを言う。」

趙王遣使者之楚,方鼓瑟而遣之,誡之曰:“必如吾言。”使者曰:“王之鼓瑟,未嘗悲若此也!”王曰:“宮商固方調矣!”使者曰:“調則何不書其柱耶?”王曰:“天有燥溼,弦有緩急,宮商移徙不可知,是以不書。”使者曰:“明君之使人也,任之以事,不制以辭,遇吉則賀之,兇則吊之。今楚、趙相去,千有餘裡,吉凶憂患,不可豫知,猶柱之不可書也。詩云:‘莘莘征夫,每懷靡及。’”

趙王は使者を遣わして楚に至らしむ。正に瑟を鼓して彼を派遣し、告誡して言った。「必ず我が言の如くせよ。」使者は言った。「王は瑟を鼓す、未だかつて悲哀するにこのようあらず!」王は言った。「宮商は固より正に調和せり!」使者は言った。「調和せば何故柱上に寫さざるか。」王は言った。「天に乾燥潮濕あり、弦に鬆有り緊有り。宮商は遷移して知るべからず。これにより寫さず。」使者は言った。「明君は人を用い、事を彼に委任して、辞を以て限制せず。吉に遇えば慶賀し、凶に遇えば弔唁す。いま楚・趙は相い距ること一千余里、吉凶憂患は豫め知るべからず。柱の寫すべからざるに比す。『詩経』に言う『衆多の征夫は、常に及ばざるの憂を懷く。』」

楚莊王舉兵伐宋,宋告急,晉景公欲發兵救宋,伯宗諫曰:“天方開楚,未可伐也。”乃求壯士,得霍人解揚,字子虎,往命宋毋降,道過鄭,鄭新與楚親,乃執解揚而獻之楚。楚王厚賜,與約,使反其言,令宋趣降,三要,解揚乃許。於是楚乘揚以樓車,令呼宋使降,遂倍楚約而致其晉君命曰:“晉方悉國兵以救宋,宋雖急,慎毋降楚,晉今至矣。”楚莊王大怒,將烹之,解揚曰:“君能制命為義,臣能承命為信,受吾君命以出,雖死無二。”王曰:“汝之許我,已而倍之,其信安在?”解揚曰:“死以許王,欲以成吾君命,臣不恨也。”顧謂楚君曰:“為人臣無忘盡忠而得死者。”楚王諸弟皆諫王赦之。於是莊公卒赦解揚而歸之。晉爵之為上卿。故後世言霍虎。

楚荘王は兵を起して宋を攻伐せり。宋は急を告げ、晋景公は兵を發して宋を救わんと欲す。伯宗は進諫して言った。「天は正に楚を開啓す。攻伐すべからず。」そこで壯士を尋求し、霍人解揚を得、字は子虎。前往して宋に降るなかれと命令せしむ。路上に鄭を經過す。鄭は新近にして楚と親近す。そこで解揚を捉えて楚に献じた。楚王は厚く賞賜し、彼と約定して、彼をして反つて話さしめ、宋に速やかに降せと命令せしむ。三次要挾して、解揚は乃ち許諾せり。そこで楚は揚をして樓車に登らしめ、呼びて宋に降せと命令せしむ。そこで楚の約定に違背して彼の晋君の命令を傳達して曰く「晋は正に国兵を盡くして宋を救いに來る。宋はたとえ急なるも、謹みて楚に降るなかれ。晋はいま至れり。」楚荘王は大いに怒り、将に彼を烹らんとす。解揚は言った。「君が能く命令を制定するは義なり。臣が能く命令を承受するは信なり。我が君の命を受けて出使するは、死するも貳心なし。」王は言った。「お前は已に我に許諾して、隨後に違背せり。あの信はどこに在るか。」解揚は言った。「死を以て王に許諾せるは、我が君の命を成就せんと欲するなり。臣は恨まず。」回頭して楚君に對して言った。「人臣たるは忠を盡して死を得る者を忘るるなかれ。」楚王の衆弟は皆王に進諫して彼を赦免せしめり。そこで荘公は終に解揚を赦免して彼を帰らしめた。晋は彼に上卿の爵を與えり。ゆえに後世は霍虎と称す。

秦王以五百里地易鄢陵,鄢陵君辭而不受,使唐且謝秦王。秦王曰:“秦破韓滅魏,鄢陵君獨以五十里地存者,吾豈畏其威哉?吾多其義耳。今寡人以十倍之地易之,鄢陵君辭而不受,是輕寡人也。”唐且避席對曰:“非如此也。夫不以利害為趣者,鄢陵君也。夫鄢陵君受地於先君而守之。雖復千里不得當,豈獨五百里哉?”秦王忿然作色,怒曰:“公亦曾見天子之怒乎?”唐且曰:“王臣未曾見也。”秦王曰:“天子一怒,伏屍百萬,流血千里。”唐且曰:“大王亦嘗見夫布衣韋帶之士怒乎?”秦王曰:“布衣韋帶之士怒也,解冠徒跣,以頸顙地耳,何難知者。”唐且曰:“此乃匹夫愚人之怒耳,非布衣韋帶之士怒也。夫專諸刺王僚,彗星襲月,奔星晝出;要離刺王子慶忌,蒼隼擊於臺上;聶政刺韓王之季父,白虹貫日,此三人皆布衣韋帶之士怒矣。與臣將四士,含怒未發,■厲於天。士無怒即已,一怒伏屍二人,流血五步。”即案匕首起視秦王曰:“今將是矣。”秦王變色長跪曰:“先生就坐,寡人喻矣。秦破韓滅魏,鄢陵獨以五十里地存者,徒用先生之故耳。”

秦王は五百里の地を以て鄢陵を交換せんとす。鄢陵君は推辞して受けず、唐且を派して秦王に辞謝せしむ。秦王は言った。「秦は韓を攻破し魏を滅亡せり。鄢陵君は独り五十里の地を以て生存す。我はどうして彼の威を怕れん。我は彼の義を重んずるのみ。いま寡人は十倍の地を以て交換せんとするに、鄢陵君は推辞して受けず。これは寡人を輕視するなり。」唐且は席を離れて答えた。「このようにはあらず。利害を以て趨向と為さざるは、鄢陵君なり。鄢陵君は先君より地を受けてこれを守る。たとえ千里あるも相当せず。どうしてただ五百里のみならん!」秦王は忿怒して色を變え、怒りて言った。「公はまたかつて天子の怒を見しや。」唐且は言った。「王の臣は未だかつて見ず。」秦王は言った。「天子が一たび怒れば、倒下の屍は百万、流血は千里なり。」唐且は言った。「大王はまたかつてあの布衣韋帶の士の怒を見しや。」秦王は言った。「布衣韋帶の士が怒るは、冠を解き脚を赤くして、頸額を以て地に触るるのみ。何の知り難きかあらん。」唐且は言った。「これはただ匹夫愚人の怒のみ。布衣韋帶の士の怒にあらず。專諸が王僚を刺殺するに、彗星は月を襲撃し、奔星は白天に出現せり。要離が王子慶忌を刺殺するに、蒼隼は台上に搏撃せり。聶政が韓王の叔父を刺殺するに、白虹は日を貫穿せり。この三人は皆布衣韋帶の士の怒れり。臣と將に第四個の士と為らん。怒を含みて未だ發せず、(底本この字欠)天に厲す。士は怒なければそれまで、一たび怒れば倒下の屍は兩人、流血は五步なり。」即ち匕首を按して起ちて秦王を看着して言った。「いま將に是ならん。」秦王は色を變えて長跪して言った。「先生は坐に就け。寡人は明白せり。秦は韓を攻破し魏を滅亡せり。鄢陵は独り五十里の地を以て生存す。ただ先生の故を以てすのみ。」

齊攻魯。子貢見哀公,請求救於吳。公曰:“奚先君寶之用?”子貢曰:“使吳責寶而與我師,是不可恃也。”於是以楊幹麻筋之弓六往。子貢謂吳王曰:“齊為無道,欲使周公之後不血食,且魯賦五百,邾賦三百,不識以此益齊,吳之利與?非與?”吳王懼,乃興師救魯。諸侯曰:“齊伐周公之後,而吳救之。”遂朝於吳。

斉が魯を攻む。子貢は哀公に見え、呉に向かい救を求めんことを請う。公は言った。「先君の寶を用いざるは何故か。」子貢は言った。「呉をして寶を索取せしめて我らに軍隊を與えんは、これは以て依靠すべからず。」そこで楊干麻筋の弓六張を以て前往せり。子貢は呉王に對して言った。「斉は無道の事を為し、周公の後代をして血食なからしめんと欲す。さらに魯の賦は五百、邾の賦は三百、これらを以て斉を増益するを知らず。呉の利なるか。それとも否なるか。」呉王は恐懼し、そこで兵を起して魯を救えり。諸侯は言った。「斉は周公の後代を攻伐す。而して呉は彼を救う。」そこで呉に至りて朝見せり。

魏文侯封太子擊於中山,三年,使不往來,舍人趙倉唐進稱曰:“為人子,三年不聞父問,不可謂孝。為人父,三年不問子,不可謂慈。君何不遣人使大國乎?”太子曰:“願之久矣。未得可使者。”倉唐曰:“臣願奉使,侯何嗜好?”太子曰:“侯嗜晨鳧,好北犬。”於是乃遣倉唐■北犬,奉晨鳧,獻於文侯。倉唐至,上謁曰:“孽子擊之使者,不敢當大夫之朝,請以燕閒,奉晨鳧,敬獻庖廚,■北犬,敬上涓人。”文侯悅曰:“擊愛我,知吾所嗜,知吾所好。”召倉唐而見之,曰:“擊無恙乎?”倉唐曰:“唯唯。”如是者三,乃曰:“君出太子而封之國君,名之,非禮也。”文侯怵然為之變容。問曰:“子之君無恙乎?”倉唐曰:“臣來時,拜送書於庭。”文侯顧指左右曰:“子之君,長孰與是?”倉唐曰:“禮,擬人必於其倫,諸侯毋偶,無所擬之。”曰:“長大孰與寡人。”倉唐曰:“君賜之外府之裘,則能勝之,賜之斥帶,則不更其造。”文侯曰:“子之君何業?”倉唐曰:“業詩。”文侯曰:“於詩何好?”倉唐曰:“好晨風、黍離。”文侯自讀晨風曰:“■彼晨風,鬱彼北林,未見君子,憂心欽欽,如何如何,忘我實多。”文侯曰:“子之君以我忘之乎?”倉唐曰:“不敢,時思耳。”文侯復讀黍離曰:“彼黍離離,彼稷之苗,行邁靡靡,中心搖搖,知我者謂我心憂,不知我者謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?”文侯曰:“子之君怨乎?”倉唐曰:“不敢,時思耳。”文侯於是遣倉唐賜太子衣一襲,敕倉唐以雞鳴時至。太子起拜,受賜發篋,視衣盡顛倒。太子曰:“趣早駕,君侯召擊也。”倉唐曰:“臣來時不受命。”太子曰:“君侯賜擊衣,不以為寒也,欲召擊,無誰與謀,故敕子以雞鳴時至,詩曰:‘東方未明,顛倒衣裳,顛之倒之,自公召之。’”遂西至謁。

魏文侯は太子撃を中山に封じた。三年にして、使者は往來せず。舎人趙倉唐は進前して称して言った。「人の子たるに、三年父の問候を聞かざるは、孝と呼ぶべからず。人の父たるに、三年子を問わざるは、慈と呼ぶべからず。君は何故人を派して大国に出使せざるか。」太子は言った。「願う已に久し。出使すべき人を得ず。」倉唐は言った。「臣は命を奉じて出使せんことを願う。侯に何の嗜好あるか。」太子は言った。「侯は晨鳧を嗜好し、北犬を喜好す。」そこで即ち倉唐を派遣し北犬を奉じ、晨鳧を奉上して、文侯に献ぜしめた。倉唐は至り、上謁して言った。「庶子撃の使者、敢えて大夫の朝見を承当せず。燕居の空閒の時に請いて、晨鳧を奉上して庖廚に敬献し、北犬を涓人に敬上せんことを。」文侯は喜悦して言った。「撃は我を愛し、我が嗜好する所を知り、我が喜好する所を知る。」倉唐を召して接見し、言った。「撃に病なきか。」倉唐は言った。「是是。」この如く三次して、乃ち言った。「君は太子を放出して彼を國君に封じて、彼の名を稱呼す。礼に合わず。」文侯は驚懼してこれにより色を變えたり。問うた。「あなたの君に病なきか。」倉唐は言った。「臣の來たる時、庭中に於て書信を拜送せり。」文侯は回頭して左右を指して言った。「あなたの君は、高大にしてこれらの人の誰かに比せん。」倉唐は言った。「礼に、人を比擬するは必ずその同類に在り。諸侯に匹配なく、比擬すべきなし。」言った。「高大にして寡人に比せん。」倉唐は言った。「君は彼に外府の裘を賜えば、即ち承受する能く、彼に斥帶を賜えば、即ち彼のもともと為れるを改換せず。」文侯は言った。「あなたの君は何の學業を為すか。」倉唐は言った。「『詩経』を以て業と為す。」文侯は言った。「詩の裏に何を喜好するか。」倉唐は言った。「晨風・黍離を喜好す。」文侯は自ら晨風を讀んで曰く「(底本この字欠)あの晨風は、茂盛の北林に、君子を見ざれば、憂心は欽欽たり。如何如何、我を忘る実に多し。」文侯は言った。「あなたの君は我が彼を忘れたと以てするか。」倉唐は言った。「敢えず、時々思念するのみ。」文侯は再び黍離を讀んで曰く「あの黍は一と行々たり、あの稷の苗は、走ること甚だ慢く、心中は搖搖たり。我を知るは我が心の憂なるを言い、我を知らざるは我が何を求むるを言う。悠悠たる蒼天は、これは何の人か。」文侯は言った。「あなたの君は怨恨するか。」倉唐は言った。「敢えず、時々思念するのみ。」文侯はそこで倉唐を派して太子に衣服一套を賜わしめ、倉唐に勅令して鶏叫の時に到達せしめた。太子は起ちて拜し、賞賜を受けて箱を打開せば、衣服は皆顛倒せるを見たり。太子は言った。「速やかに早く車に駕せよ。君侯は撃を召せり。」倉唐は言った。「臣の來たる時は命令を受けず。」太子は言った。「君侯は撃に衣服を賜うは、寒冷のためならず。撃を召せんと欲するも、彼と謀る者なきが故に、ゆえにあなたに勅令して鶏叫の時に到達せしめたり。『詩経』に言う「東方は未だ亮せず、衣裳を顛倒す。これを顛しこれを倒すは、公の所より彼を召す。」」そこで西に向かい至りて進見せり。

文侯大喜,乃置酒而稱曰:“夫遠賢而近所愛,非社稷之長策也。”乃出少子摯,封中山,而復太子擊。故曰:“欲知其子,視其友;欲知其君,視其所使。”趙倉唐一使而文侯為慈父,而擊為孝子。太子乃稱:“詩曰:‘鳳凰于飛,噦噦其羽,亦集爰止,藹藹王多吉士,維君子使,媚於天子。’舍人之謂也。”

文侯は大いに喜び、そこで酒を設けて称して言った。「賢人を疏遠して愛する所を親近するは、社稷の長久の計策にあらず。」そこで小兒子摯を放出して、中山に封じ、而して太子撃を恢復せしめた。ゆえに言う「その子を知らんと欲せば、その朋友を看よ。その君を知らんと欲せば、その派遣する所を看よ。」趙倉唐が一次出使して文侯は慈父と為り、撃は孝子と為れり。太子はそこで称して言った。「『詩経』に言う『鳳凰は飛翔し、翅膀は噦噦たり、またその止まる所に停まる。藹藹たる王は吉士多し。君子を遣わして、天子を喜悦せしむ。』これは舎人を言う。」

楚莊王欲伐晉,使豚尹觀焉。反曰:“不可伐也。其憂在上;其樂在下。且賢臣在焉,曰沈駒。”明年,又使豚尹觀,反曰:“可矣。初之賢人死矣。諂諛多在君之廬者,其君好樂而無禮;其下危處以怨上。上下離心,興師伐之,其民必反。”莊王從之,果如其言矣。

楚荘王は晋を攻伐せんと欲し、豚尹を派して観察せしめた。返って曰く「攻伐すべからず。彼の憂は上に在り、彼の樂は下に在り。しかも賢臣あそこに在りて、沈駒と曰う。」第二年、また豚尹を派して観察せしむ。返って曰く「可なり。初めの賢人は死せり。諂諛する人は多く君の廬に在りて、彼の君は樂を愛好して礼なく、彼の下屬は危険に處りて上を怨恨す。上下は心を離れ、兵を起して彼を攻伐せば、彼の民は必ず反せん。」荘王は聽從し、果して彼の言の如くなりき。

梁王贅其群臣而議其過,任座進諫曰:“主君國廣以大,民堅而眾,國中無賢人辯士,奈何?”王曰:“寡人國小以狹,民弱臣少,寡人獨治之,安所用賢人辯士乎?”任座曰:“不然,昔者齊無故起兵攻魯,魯君患之,召其相曰:‘為之奈何?’相對曰:‘夫柳下惠少好學,長而嘉智,主君試召使於齊。’魯君曰:‘吾千乘之主也,身自使於齊,齊不聽。夫柳下惠特布衣韋帶之士也,使之又何益乎?’相對曰:‘臣聞之,乞火不得不望其炮矣。今使柳下惠於齊,縱不解於齊兵,終不愈益攻於魯矣。’魯君乃曰:‘然乎?’相即使人召柳下惠來。入門,袪衣不趨。魯君避席而立,曰:‘寡人所謂飢而求黍稷,渴而穿井者,未嘗能以觀喜見子。今國事急,百姓恐懼,願借子大夫使齊。’柳下惠曰:‘諾。’乃東見齊侯。齊侯曰:‘魯君將懼乎?’柳下惠曰:‘臣君不懼。’齊侯忿然怒曰:‘吾望而魯城,芒若類失亡國,百姓髮屋伐木以救城郭,吾視若魯君類吾國。子曰不懼,何也?’柳下惠曰:‘臣之君所以不懼者,以其先人出周,封於魯,君之先君亦出周,封於齊,相與出周南門,刳羊而約曰:“自後子孫敢有相攻者,令其罪若此刳羊矣。”臣之君固以刳羊不懼矣,不然,百姓非不急也。’齊侯乃解兵三百里。夫柳下惠特布衣韋帶之士,至解齊,釋魯之難,奈何無賢士聖人乎?”

梁王は群臣を聚集して己の過失を議論せしむ。任座は進諫して曰く「主君の国は廣くして大、民は堅くして多きに、国中に賢人辯士なからば、如何せん。」王は曰く「寡人の国は小にして狭窄、民は弱く臣は少なし。寡人は獨自治理す、どこに賢人辯士を用いる所あらんや。」任座は曰く「然らず。昔、斉は故なく兵を起して魯を攻む。魯君は憂慮し、彼の相を召して曰く『どうすべきか』。相は答えて曰く『柳下惠は年少にして學を好み、長じて嘉美にして智あり。主君は試みに彼を召して斉に出使せしめよ』と。魯君は曰く『我は千乗の主、自ら斉に出使しても斉は聽かず。柳下惠はただ布衣韋帶の士、彼を派して何の益かあらん』と。相は答えて曰く『臣が聞くに、火を求むるはあの竈火に指せざるべからず。いま柳下惠を斉に派せば、たとえ斉兵を解除する能わざるも、終にいよいよ魯を攻めはせざらん』と。魯君はそこで曰く『是の如きか』。相は即ち人を派して柳下惠を召して來らしむ。門に入り、衣を提起して快步せず。魯君は席を離れて立ちて曰く『寡人は所謂餒えて乃ち黍稷を求め、渇きて乃ち井を挖る人、未だかつて喜悦の神色を以てあなたに見える能わざりき。いま国事は緊急、百姓は恐懼す。願わくは子大夫を借りて斉に出使せん』と。柳下惠は曰く『よし』。そこで東に向かい斉侯に見えたり。斉侯は曰く『魯君は将に恐懼せんか』。柳下惠は曰く『臣の君は恐懼せず』。斉侯は忿怒して曰く『我はお前たちの魯城を望むに、茫茫として亡国を失せりの如く、百姓は屋を拆き樹を砍りて以て城郭を救う。我はお前たちの魯君を看るに我が国の如し。あなたは恐懼せずと言う、何故か』。柳下惠は曰く『臣の君の恐懼せざる所以は、彼の先人は周より出でて魯に封ぜられ、君の先君もまた周より出でて斉に封ぜられ、ともに周の南門を出でて、羊を剖開して約定して曰く「此より以後、子孫敢えて互相いに攻打する有らば、彼の罪をしてこの剖開の羊の如くならしめん」と。臣の君は固より剖羊を以て恐懼せざるなり。然らざれば、百姓は緊急ならざるにあらず』と。斉侯はそこで兵を撤くこと三百里。柳下惠はただ布衣韋帶の士、斉を解除し魯の難を紓解するに至るに、どうして賢士聖人なからんや」と。

陸賈從高祖定天下,名為有口辯士,居左右,常使諸侯,及高祖時,中國初定,尉佗平南越,因王之,高祖使陸賈賜尉佗印,為南越王。陸生至,尉佗椎結箕踞見陸生。陸生因說佗曰:“足下中國人,親戚昆弟墳墓在真定。今足下棄反天性,捐冠帶,欲以區區之越,與天子抗衡為敵國,禍且及身矣。且夫秦失其政,諸侯豪傑並起,惟漢王先入關,據咸陽,項籍倍約,自立為西楚霸王,諸侯皆屬,可謂至強。然漢王起巴蜀,鞭笞天下,劫諸侯,遂誅項羽,滅之。五年之間,海內平定,此非人力,天之所建也。天子聞君王王南越,不助天下誅暴逆,將相欲移兵而誅王,天子憐百姓新勞苦,且休之,遣臣授君王印,剖符通使,君王宜郊迎,北面稱臣,乃欲以新造未集之越,屈強於此,漢誠聞之,掘燒君王先人冢墓,夷種宗族,使一偏將將十萬眾臨越,越則殺王以降漢,如反覆手耳。”於是尉佗乃蹶然起坐,謝陸生曰:“居蠻夷中久,殊失禮義。”因問陸生曰:“我孰與蕭何、曹參、韓信賢?”陸生曰:“王似賢。”復問:“我孰與皇帝賢?”陸生曰:“皇帝起豐沛,討暴秦,誅強楚,為天下興利除害,繼五帝三王之業,統理中國,中國之人以億計,地方萬里,居天下之膏腴,人眾車輿,萬物殷富,政由一家,自天地剖判,未嘗有也。今王眾不過數十萬,皆蠻夷,踦■山海之間,譬若漢一郡,何可乃比於漢王?”尉佗大笑曰:“吾不起中國故王此,使我居中國,何遽不若漢。”乃大悅陸生,與留飲數月。曰:“越中無足與語,至生來,令我日聞所不聞。”賜陸生橐中裝,直千金,佗送亦千金。陸生拜尉佗為南越王,令稱臣,奉漢約。歸報,高祖大悅,拜為太中大夫。

陸賈は高祖に跟隨して天下を平定し、名は口才ある辯士と為し、左右に處り、常に諸侯に出使す。高祖の時に至り、中國は剛ぎ安定せり。尉佗は南越を平定し、そこで王を称す。高祖は陸賈を派して尉佗に印を賜い、南越王と為せしめた。陸生は至り、尉佗は椎形の髪髻・箕踞して陸生を接見せり。陸生はそこで佗を游説して曰く「足下は中國人、親戚兄弟の墳墓は真定に在り。いま足下は天性を抛弃違反し、冠帶を丟掉して、区々たる越を凭りて天子と抗衡して敵国を為らんと欲すれば、禍は将に身に落ちん。さらに秦はその政を失い、諸侯豪傑は一齊に起ち、ただ漢王のみ先に關に入り、咸陽を占據せり。項籍は約定に違背し、自ら西楚霸王と立て、諸侯は皆歸屬し、以て極強と称すべし。しかるに漢王は巴蜀より兵を起し、天下を鞭笞し、諸侯を脅迫し、終に項籍を誅殺し、彼を滅掉せり。五年の間、海內は平定せり。これは人力にあらず、天の建立する所なり。天子は君王が南越に王を称すを聞き、天下を幫助して暴逆を誅殺せず、將相は兵を移して王を誅殺せんと欲すも、天子は百姓が新近勞苦するを憐憫し、暂且休息し、臣を派遣して君王に印を授け、符を剖き使を通ぜしむ。君王は当に郊外に至りて迎接し、北に向かい臣を称すべし。しかるに新造にして未だ聚集せざる越を凭りて、ここに倔强せんと欲すれば、漢はもし真に聞かば、君王の先人の冢墓を挖掘燒毀し、宗族を鏟平し、一個の偏將を派して十萬の部衆を率いて越に臨近せしめば、越は即ち王を殺して來りて漢に降せん、手を翻すが如くのみ。」そこで尉佗は即ち突然として起身し坐りて、陸生に道歉して曰く「蠻夷の中に住むこと久しく、特に礼義を失えり。」そこで陸生に問うた。「我と蕭何・曹參・韓信と誰が賢か。」陸生は曰く「王は賢なるに似たり。」再び問うた。「我と皇帝と誰が賢か。」陸生は曰く「皇帝は豐沛より兵を起し、暴秦を討伐し、強楚を誅殺し、天下のために利を興し害を除き、五帝三王の業を繼承し、中國を統理せり。中國の人は億を以て計算し、地方は萬里、天下の肥沃の地に處り、人は多く車は多く、萬物は殷富にして、政は一家より出づ。天地の剖開分別してよりこのかた、未だかつて有らざるなり。いま王の部衆は不過数十萬、皆蠻夷なり、山海の間に踦る、漢の一個の郡に比す。どうして竟に漢王に比すべからん。」尉佗は大笑して曰く「我は中國に起たざればここに王を称す。仮に我が中國に住まば、どうして立刻に漢に如かざらん。」そこで甚だ陸生を喜悦し、彼と留まりて飲酒すること數個月。曰く「越中は以て談話するに足るなし。先生の來るに至りて、我をして日々に所未聞を聞かしむ。」陸生に袋中の裝裹を賜い、價は千金、佗が送るもまた千金なり。陸生は尉佗を拜して南越王と為し、彼をして臣を称さしめ、漢の約束を奉行せしむ。歸りて報告すれば、高祖は大いに悦び、彼を拜して太中大夫と為せり。

晉楚之君相與為好會於宛丘之上。宋使人往之。晉、楚大夫曰:“趣以見天子禮見於吾君,我為見子焉。”使者曰:“冠雖弊,宜加其上;履雖新,宜居其下;周室雖微,諸侯未之能易也。師升宋城,猶不更臣之服也。”揖而去之,諸大夫瞿然,遂以諸侯之禮見之。

晋・楚の君は互相いに友好し、宛丘の上に會盟す。宋は人を派して前往せしむ。晋・楚の大夫は曰く「速やかに天子に見ゆるの礼を以て我らの君に見えよ。我らはお前のために引見せん。」使者は曰く「冠はたとえ破るるも、当にあの上に加うべし。鞋はたとえ新たなるも、当にあの下に處るべし。周室はたとえ微弱なるも、諸侯はなおそれを改換する能わず。軍隊が宋城に登るも、なお臣の服装を改換する能わず。」揖を作して離れ去る。衆大夫は驚視し、そこで諸侯の礼を以て彼に見えたり。

越使諸發執一枝梅遺梁王,梁王之臣曰“韓子”,顧謂左右曰:“惡有以一枝梅,以遺列國之君者乎?請為二三日慚之。”出謂諸發曰:“大王有命,客冠則以禮見,不冠則否。”諸發曰:“彼越亦天子之封也。不得冀、兗之州,乃處海垂之際,屏外蕃以為居,而蛟龍又與我爭焉。是以剪髮文身,爛然成章以像龍子者,將避水神也。今大國其命冠則見以禮,不冠則否。假令大國之使,時過弊邑,弊邑之君亦有命矣。曰:‘客必剪髮文身,然後見之。’於大國何如?意而安之,願假冠以見,意如不安,願無變國俗。”梁王聞之,披衣出,以見諸發。令逐韓子。詩曰:“維君子使,媚於天子。”若此之謂也。

越は諸發を派して一枝の梅を持ちて梁王に贈らしむ。梁王の臣に「韓子」という者あり、回頭して左右に對して曰く「どこに一枝の梅を以て列國の君に贈る者あらん。請う、兩三日を以て彼を羞辱せん。」出でて諸發に對して曰く「大王に命令あり。客人は冠を戴けば即ち礼を以て接見し、冠を戴かざれば即ち接見せず。」諸發は曰く「あの越もまた天子の封ずる所なり。冀・兗の州を得ず、そこで海垂の邊に處り、外蕃を屏退して來りて居住し、而して蛟龍はまた我らと争う。これにより髪を剪り身を文し、爛燗として花紋を成して以て龍子に像え、将に水神を躲避せんとす。いま大國は命令して冠を戴けば即ち礼を以て接見し、冠を戴かざれば即ち接見せずと曰う。仮に大國の使者が時に敝邑を經過せば、敝邑の君にも命令あらん。曰く『客人は必ず髪を剪り身を文し、然る後に接見せん』と。大國に對して如何。安穩と覺えば、願わくは冠を借りて進見せん。安穩と覺えざれば、願わくは國俗を改變せず。」梁王はこれを聞き、衣を披着して出でて諸發に見えたり。令を下して韓子を驅逐せしめた。『詩経』に言う「君子を遣わして、天子を喜悦せしむ。」この如く言うはこれなり。

晏子使吳,吳王謂行人曰:“吾聞晏嬰蓋北方之辯於辭,習於禮者也,命儐者:客見則稱天子。”明日,晏子有事,行人曰:“天子請見。”晏子憱然者三,曰:“臣受命弊邑之君,將使於吳王之所,不佞而迷惑入於天子之朝,敢問吳王惡乎存?”然後吳王曰:“夫差請見。”見以諸侯之禮。

晏子は呉に出使す。呉王は行人に對して曰く「我が聞くに、晏嬰はほぼ北方の辭令に善く禮に熟習する人なり。儐者に命令せよ。客人が進見すれば即ち天子と称せよ。」明日、晏子に事あり。行人は曰く「天子が見えんを請う。」晏子は驚懼不安すること三次して曰く「臣は敝邑の君に受命し、将に呉王の所に出使せんとす。不才にして迷惑して天子の朝に入りぬ。敢えて問う、呉王はどこに在るか。」然る後に呉王は曰く「夫差が見えんを請う。」諸侯の礼を以て接見せり。

晏子使吳,吳王曰:“寡人得寄僻陋蠻夷之鄉,希見教君子之行,請私而毋為罪!”晏子憱然避位矣。王曰:“吾聞齊君蓋賊以慢,野以暴,吾子容焉,何甚也?”晏子逡巡而對曰:“臣聞之,微事不通,麤事不能者必勞;大事不得,小事不為者必貧;大者不能致人,小者不能至人之門者必困,此臣之所以仕也。如臣豈能以道食人者哉?”晏子出。王笑曰:“今日吾譏晏子也,猶裸而訾高橛者。”

晏子は呉に出使す。呉王は曰く「寡人は僻陋蠻夷の鄉に寄居するを得て、君子の行為を見ること少なく教を受く。請う、私に説かん、罪と算せず!」晏子は驚懼して位子を離れたり。王は曰く「我が聞くに、斉君はほぼ賊害にして怠慢、粗野にして暴虐なり。吾子は能く身を容る。何と厲きか。」晏子は退却して答え曰く「臣が聞くに、精微の事に通ぜず粗疏の事に能わざる者は必ず勞苦し、大事を得られず小事を為さざる者は必ず貧窮し、大なるに人を招く能わず小なるに人の門に至る能わざる者は必ず困窮す。これが臣の以て官を為るの緣故なり。臣の如きは、どうして能く道を以て人を養うべからん。」晏子は出づ。王は笑いて曰く「今日我は晏子を譏刺せり。なお裸体にして高木橛を指責する人の如し。」

景公使晏子使於楚。楚王進橘置削。晏子不剖而幷食之。楚王曰:“橘當去剖。”晏子對曰:“臣聞之,賜人主前者,瓜桃不削,橘柚不剖。今萬乘無教,臣不敢剖,然臣非不知也。”

景公は晏子を派して楚に出使せしむ。楚王は橘を進上して併せて削刀を放置せり。晏子は剖開せずして併せて食えり。楚王は曰く「橘は当に皮を去りて剖開すべし。」晏子は答え曰く「臣が聞くに、人主の面前に於て賞賜を受くるに、瓜桃は削らず、橘柚は剖かずと。いま萬乘に教えなければ、臣は敢えて剖かず。しかるに臣は知らざるにあらず。」

晏子將使荊,荊王聞之,謂左右曰:“晏子賢人也,今方來,欲辱之,何以也?”左右對曰:“為其來也,臣請縛一人過王而行。”於是荊王與晏子立語。有縛一人,過王而行。王曰:“何為者也?”對曰:“齊人也。”王曰:“何坐?”曰:“坐盜。”王曰:“齊人固盜乎?”晏子反顧之曰:“江南有橘,齊王使人取之而樹之於江北,生不為橘,乃為枳,所以然者何?其土地使之然也。今齊人居齊不盜,來之荊而盜,得無土地使之然乎?”荊王曰:“吾欲傷子而反自中也。”

晏子は将に荊に出使せんとす。荊王はこれを聞き、左右に對して曰く「晏子は賢人なり。いま正に來らんとす。彼を侮辱せんと欲す。何の辦法を以てせん。」左右は答え曰く「彼の來るを待ちて、臣は一個の人を綁きて王の面前を走り過ぎらしめんを請う。」そこで荊王は晏子と立ちて話せり。人ありて一個の人を綁きて王の面前を走り過ぎたり。王は曰く「是れ何を為す者か。」答え曰く「是れ斉人。」王は曰く「何の罪を犯したるか。」曰く「盜竊の罪を犯せり。」王は曰く「斉人は本來盜竊するか。」晏子は回頭して彼を看着して曰く「江南に橘あり。斉王は人を派して取りて來りて江北に種えるに、生出するは橘にあらず、乃ち枳なり。ゆえにこのようなるは何故か。あの土地がこれを然らしむなり。いま斉人は斉に居りて盜竊せず、荊に來りて卻って盜竊す。該らずして土地がこれを然らしめるか。」荊王は曰く「我はあなたを傷害せんと欲して反って自ら打中せり。」

晏子使楚。晏子短,楚人為小門於大門之側而延晏子。晏子不入,曰:“使至狗國者從狗門入。今臣使楚,不當從此門。”儐者更從大門入見楚王。王曰:“齊無人耶?”晏子對曰:“齊之臨淄三百閭,張袂成帷,揮汗成雨。比肩繼踵而在,何為無人?”王曰:“然則何為使子?”晏子對曰:“齊命使各有所主。其賢者使賢主,不肖者使不肖主。嬰最不肖,故宜使楚耳。”

晏子は楚に出使す。晏子の身材は矮く、楚人は大門の旁に小門を作りて以て晏子を延請せり。晏子は入らず、曰く「狗國に出使するは狗門より入る。いま臣は楚に出使す。当にこの門より走るべからず。」儐者は改めて大門より入りて楚王に見えしめたり。王は曰く「斉に人なきか。」晏子は答え曰く「斉の臨淄に三百閭あり。衣袖を張開すれば即ち帷幕を成し、汗を揮洒すれば即ち雨を成す。肩膀は肩膀に挨り、脚跟は脚跟に接してあそこに在り。どうして人なからん。」王は曰く「ならば何故あなたを派せしか。」晏子は答え曰く「斉は使者を任命するに各々主關する所有り。あの賢きは賢主に出使し、不肖は不肖主に出使す。嬰は最不肖、ゆえに楚に出使するに適宜なるのみ。」

秦、楚轂兵,秦王使人使楚,楚王使人戲之曰:“子來亦卜之乎?”對曰:“然!”“卜之謂何?”對曰:“吉。”楚人曰:“噫!甚矣!子之國無良龜也。王方殺子以釁鐘,其吉如何?”使者曰:“秦、楚轂兵,吾王使我先窺我死而不還,則吾王知警戒,整齊兵以備楚,是吾所謂吉也。且使死者而無知也,又何釁於鍾,死者而有知也,吾豈錯秦相楚哉?我將使楚之鐘鼓無聲,鐘鼓無聲則將無以整齊其士卒而理君軍。夫殺人之使,絕人之謀,非古之通議也。子大夫試熟計之。”使者以報楚王。楚王赦之。此之謂“造命”。

秦・楚は兵��交え、秦王は人を派して楚に出使せしむ。楚王は人を派して彼を戲弄して曰く「お前は來るにまた占卜せしか。」答え曰く「是なり!」「占卜は何を説く。」答え曰く「吉。」楚人は曰く「噫!太も甚だし!お前の國は好き龜なし。王は正にお前を殺して以て鐘を釁さんとす。あの吉は如何。」使者は曰く「秦・楚は兵を交え、我が王は我をして先に窺探せしむ。我は死して歸らざれば、則ち我が王は警戒を知り、軍隊を整頓して以て楚を防備せん。これが我の所謂吉なり。さらに仮に死者に知覺なからば、又何ぞ鐘を釁さん。死者に知覺あらば、我はどうして秦を棄て楚に向かわんや。我は将に楚の鐘鼓をして聲音なからしめん。鐘鼓に聲音なければ則ち將に彼の士卒を整頓して君の軍隊を治理するに辦法なからん。人の使者を殺害し、人の謀劃を斷絶するは、古代通行の議論にあらず。大夫は試みに仔細に謀劃せよ。」使者は以て楚王に報告せり。楚王は彼を赦免せり。これを「造命」と曰う。

楚使使聘於齊,齊王饗之梧宮。使者曰:“大哉梧乎!”王曰:“江海之魚吞舟,大國之樹必巨,使何怪焉!”使者曰:“昔燕攻齊,遵雒路,渡濟橋,焚雍門,擊齊左而虛其右,王歜絕頸而死於杜山;公孫差格死於龍門,飲馬乎淄、澠,定獲乎琅邪,王與太后奔於莒,逃於城陽之山,當此之時,則梧之大何如乎?”王曰:“陳先生對之。”陳子曰:“臣不如刁勃。”王曰:“刁先生應之。”刁勃曰:“使者問梧之年耶?昔者荊平王為無道,加諸申氏,殺子胥父與及兄。子胥被髮乞食於吳。闔廬以為將相。三年,將吳兵復讎乎楚,戰勝乎柏舉,級頭百萬,囊瓦奔鄭,王保於隨。引師入郢,軍雲行乎郢之都。子胥親射宮門,掘平王冢,笞其墳,數其罪。曰:‘吾先人無罪而子殺之。’士卒人加百焉,然後止。當若此時,梧可以為其●矣。”

楚は使者を派して斉に聘問せしむ。斉王は梧宮に於て彼を宴饗せり。使者は曰く「梧は何と大なるか。」王は曰く「江海の魚は能く船を吞む。大國の樹は必ず巨大なり。使者は何を驚怪するか。」使者は曰く「昔、燕は斉を攻め、雒路を沿い、濟橋を渡り、雍門を焚燒し、斉の左邊を攻擊して右邊を空虛にせり。王歜は頸を割きて杜山に死し、公孫差は格鬥して龍門に死し、淄・澠に於て馬に飲ませ、琅邪に於て俘獲を確定せり。王と太后は莒に逃げ、城陽の山に逃げたり。正にあの時、ならば梧の大は又如何せん。」王は曰く「陳先生は彼に回答せよ。」陳子は曰く「臣は刁勃に如かず。」王は曰く「刁先生は應對せよ。」刁勃は曰く「使者は梧の年紀を問うか。昔、荊平王は無���の事を為し、申氏の身に加え、子胥の父と兄を殺せり。子胥は髪を披散して呉に於て食を乞えり。闔廬は彼を以て將相と為せり。三年、呉兵を率い楚に向かい仇を報い、柏舉に於て戦勝し、砍下の頭は百萬、囊瓦は鄭に逃げ、王は随に保存せり。軍隊を率いて郢に入り、軍隊は雲の如く郢の都城を走れり。子胥は自ら宮門を射、平王の冢を挖掘し、彼の墳を鞭打ち、彼の罪を數說せり。曰く『我先人に罪なくしてお前は彼を殺せり』と。士卒は毎人百を加打して然る後に止めり。正にあの時、梧は以て彼の(底本この字欠)を為るべしかりき。」

蔡使師強、王堅使於楚。楚王聞之,曰:“人名多章章者,獨為師強王堅乎?”趣見之,無以次,視其人狀,疑其名而醜其聲,又惡其形。楚王大怒曰:“今蔡無人乎?國可伐也。有人不遣乎?國可伐也。端以此誡寡人乎?國可伐也。”故發二使,見三謀伐者蔡也。

蔡は師強・王堅を派して楚に出使せしむ。楚王はこれを聞き、曰く「人名の多く昭彰なるは、独り師強・王堅を為すか。」速やかに接見し、次序に按らず、あの人の状貌を看て、彼の名を懷疑して彼の聲音を厭惡し、また彼の形貌を厭惡せり。楚王は大いに怒りて曰く「いま蔡に人なきか。國は攻伐すべし。人あるも派遣せざるか。國は攻伐すべし。特にこのを以て寡人を告誡するか。國は攻伐すべし。」ゆえに兩個の使者を派出して、三種の攻伐を謀劃するを見るは蔡なり。

趙簡子將襲衛,使史黯往視之,期以一月六日而後反。簡子曰:“何其久也?”黯曰:“謀利而得害,由不察也。今蘧伯玉為相,史■佐焉,孔子為客,子貢使令於君前甚聽。易曰:‘渙其群,元吉。’渙者賢也,群者象也,元者吉之始也。渙其群,元吉者,其佐多賢矣。”簡子按兵而不動耳。

趙簡子は将に衛を襲擊せんとし、史黯を派して前往して観察せしめ、一個月六日を約定して然る後に返回せしむ。簡子は曰く「何故このよう久きか。」黯は曰く「利を謀求して害を得るは、察せざるに由る。いま蘧伯玉は相を為し、史(底本この字欠)は輔佐し、孔子は客を為し、子貢は君前に於て使令甚だ聽從せらる。『周易』に曰く『彼の群を渙散すれば、大吉。』渙は賢、群は象徵、元は吉の開始なり。彼の群を渙散して大吉は、彼の輔佐の多賢なり。」簡子は兵を按して動かざるのみ。

魏文侯使舍人毋擇,獻鵠於齊侯。毋擇行道失之。徒獻空籠,見齊侯曰:“寡君使臣毋擇獻鵠,道飢渴,臣出而飲食之,而鵠飛沖天,遂不復反。念思非無錢以買鵠也,惡有為其君使,輕易其弊者乎?念思非不能拔劍刎頭,腐肉暴骨於中野也,為吾君貴鵠而賤士也。念思非敢走陳、蔡之間也,惡絕兩君之使,故不敢愛身逃死,來獻空籠,唯主君斧質之誅。”齊侯大悅曰:“寡人今者得茲言,三賢於鵠遠矣。寡人有都郊地百里,願獻於大夫以為湯沐邑。”毋擇對曰:“惡有為其君使而輕易其弊,而利諸侯之地乎?”遂出不反。

魏文侯は舎人毋擇を派して、齊侯に鵠を獻ぜしむ。毋擇は路上を走りてそれを丟失せり。ただ空の籠子を獻上し、齊侯に見えて曰く「寡君は臣毋擇を派して鵠を獻ぜしむるに、路上に飢渴して、臣は放出してそれに飲食せしめたるに、而して鵠は飛びて天を冲き、そこで不再び返回せず。心に思うに錢に非ざるも鵠を買うを厭惡するにあらず、彼の君のために出使してあの弊壞を輕易に看待する有るを厭惡するか。心に思うに劍を拔きて頸を抹る能わざるにあらず、腐肉は骨を暴露して曠野に在るは、我らの君が鵠を重んじて士を看輕するを以てすなり。心に思うに敢えて陳・蔡の間に逃げるにあらず、兩國君の使者を斷絶するを厭惡し、ゆえに敢えて自身を愛惜して死を逃避せず、前來して空の籠子を獻上し、ただ主君の斧質の誅殺を請う。」齊侯は大いに悦びて曰く「寡人はいまこの些の話を得たり。三方面は鵠より賢なること多し。寡人に都郊地百里あり、願わくは大夫に獻じて湯沐邑を為さん。」毋擇は答え曰く「どこに彼の君のために出使して卻ってあの弊壞を輕易に看待し、而して諸侯の地を貪圖する者あらん。」そこで出でて返回せず。

卷十三權謀

巻十三 權謀

聖王之舉事,必先諦之於謀慮,而後考之於蓍龜。白屋之士,皆關其謀;芻蕘之役,鹹盡其心。故萬舉而無遺籌失策。傳曰:“眾人之智,可以測天,兼聽獨斷,惟在一人。”此大謀之術也。謀有二端:上謀知命,其次知事。知命者預見存亡禍福之原,早知盛衰廢興之始,防事之未萌,避難於無形,若此人者,居亂世則不害於其身,在乎太平之世則必得天下之權;彼知事者亦尚矣,見事而知得失成敗之分,而究其所終極,故無敗業廢功。孔子曰:“可與適道,未可與權也。”夫非知命知事者,孰能得權謀之術。夫權謀有正有邪;君子之權謀正,小人之權謀邪。夫正者,其權謀公,故其為百姓盡心也誠;彼邪者,好私尚利,故其為百姓也詐。夫詐則亂,誠則平,是故堯之九臣誠而興於朝,其四臣詐而誅於野。誠者隆至後世;詐者當身而滅。知命知事而能於權謀者,必察誠詐之原而以處身焉,則是亦權謀之術也。夫知者舉事也,滿則慮溢,平則慮險,安則慮危,曲則慮直。由重其豫,惟恐不及,是以百舉而不陷也。

聖王は事を舉辦するに、必ず先に謀慮の上に詳審し、然る後に蓍龜の上に考核す。白屋の士は皆あの謀劃に關聯し、柴を打つ役は皆その心を盡す。ゆえに萬次の擧動にして遺漏の籌策・失誤の計なし。伝文に曰く「衆人の智は、以て天を測量すべし。兼聽獨斷は、ただ一人に在り。」これは大謀の方法なり。謀に兩端あり。上等の謀は命を知り、其の次は事を知る。命を知るは豫め存亡禍福の根源を見、早く盛衰廢興の開始を知り、事が未だ萌發せざる時に防備し、無形の中に於て災難を躲避す。この如き人は、乱世に處れば即ち其の身を害せず、太平之世に處れば即ち必ず天下の權を得る。あの事を知るもまた高尚なり。事を見て得失成敗の分別を知り、而して其の最終に到達する所を推究すれば、ゆえに敗壞の業・廢棄の功なし。孔子は曰く「以て彼とともに道に走向すべく、未だ以て彼とともに權變すべからず。」命を知り事を知るに非ざれば、誰か能く權謀の方法を得ん。權謀に正有り邪有り。君子の權謀は正、小人の權謀は邪なり。正なるは、其の權謀は公なり。ゆえに其の百姓のために心を盡くすや誠なり。あの邪なるは、私を愛好し利を崇尚す。ゆえに其の百姓のためにするや詐なり。詐なれば則ち乱れ、誠なれば則ち平らぐ。これにより堯の九個の臣は誠にして朝に興起し、其の四個の臣は詐にして野に誅せらる。誠は隆盛して後世に至り、詐は当身に即ち滅す。命を知り事を知りて能く權謀するは、必ず誠詐の根源を察看して以て身を處す。これもまた權謀の方法なり。智者は事を舉辦するに、滿ちれば則ち溢出を考慮し、平らげば則ち險を考慮し、安ければ則ち危を考慮し、曲がれば則ち直を考慮す。あの豫備を重んずるに由り、ただ及ばざるを怕る。これにより百次の擧動にして陷落せず。

楊子曰:“事之可以之貧,可以之富者,其傷行者也;事之可以之生,可以之死者,其傷勇者也。”僕子曰:“楊子智而不知命,故其知多疑,語曰:‘知命者不惑。’晏嬰是也。”

楊子は曰く「事の以てこれにより貧とすべく以てこれにより富とすべきは、品行を傷害するなり。事の以てこれにより生とすべく以てこれにより死とすべきは、勇を傷害するなり。」僕子は曰く「楊子は智ありて命を知らず。ゆえに其の智は多疑なり。俗語に曰く『命を知るは迷惑せず。』晏嬰は即ち是なり。」

趙簡子曰:“晉有澤鳴、犢●,魯有孔丘,吾殺此三人,則天下可圖也。”於是乃召澤鳴、犢●,任之以政而殺之。使人聘孔子於魯。孔子至河,臨水而觀曰:“美哉水!洋洋乎!丘之不濟於此,命也夫!”子路趨進曰:“敢問奚謂也?”孔子曰:“夫澤鳴、犢●,晉國之賢大夫也。趙簡子之未得志也,與之同聞見,及其得志也,殺之而後從政,故丘聞之:刳胎焚夭,則麒麟不至;幹澤而漁,蛟龍不遊;覆巢毀卵,則鳳凰不翔。丘聞之:君子重傷其類者也。”

趙簡子は曰く「晋に澤鳴・犢(底本この字欠)あり、魯に孔丘あり。我はこの三人を殺せば、則ち天下は以て謀取すべし。」そこで即ち澤鳴・犢(底本この字欠)を召して、政を彼らに委任して而して殺せり。人を派して魯に至り孔子を聘問せしむ。孔子は河に至り、水に臨みて觀看して曰く「美しきかな水!洋洋たるかな!丘はここに於て渡らざるは、命か!」子路は快步して進前して曰く「敢えて問う、説く所は何か。」孔子は曰く「澤鳴・犢(底本この字欠)は、晋國の賢大夫なり。趙簡子の未だ志を得ざる時、彼らと見聞を同じくせり。彼が志を得るに及んで、彼らを殺して然る後に政に從す。ゆえに丘が聞くに、胞胎を剖開し幼小を焚燒すれば、則ち麒麟は至らず。湖澤を枯竭せしめて魚を打てば、蛟龍は游がず。鳥巢を翻覆して卵を毀壞すれば、則ち鳳凰は飛翔せず。丘が聞くに、君子は其の同類を傷害するを重んず。」

孔子與齊景公坐,左右白曰:“周使來言廟燔。”齊景公出問曰:“何廟也?”孔子曰:“是釐王廟也。”景公曰:“何以知之?”孔子曰:“詩云:‘皇皇上帝,其命不忒。’天之與人,必報有德,禍亦如之。夫釐王變文武之制而作玄黃宮室,輿馬奢侈,不可振也。故天殃其廟,是以知之。”景公曰:“天何不殃其身而殃其廟乎?”子曰:“天以文王之故也。若殃其身,文王之祀,無乃絕乎?故殃其廟以章其過也。”左右入報曰:“周釐王廟也。”景公大驚,起拜曰:“善哉!聖人之智,豈不大乎!”

孔子は斉景公と坐りて、左右は報告して曰く「周の使者が來りて廟が燒けたと言う。」斉景公は出でて問うた「何の廟か。」孔子は曰く「是れ釐王廟なり。」景公は曰く「何を凭りて知るか。」孔子は曰く「『詩経』に曰く『光明の上帝、其の命は差錯なし。』天は人に給與するに、必ず徳有るに報答す。禍もまたこの如し。釐王は文王・武王の制度を改變して玄黃の宮室を建造し、車馬は奢侈にして、振興すべからず。ゆえに天は其の廟を災禍す。これにより知る。」景公は曰く「天は何故其の身を災禍せずして其の廟を災禍するか。」孔子は曰く「天は文王の緣故を以てす。もし其の身を災禍せば、文王の祭祀は、斷絶せんことを怕るのみか。ゆえに其の廟を災禍して以て其の過失を彰明す。」左右は進みて報告して曰く「是れ周釐王廟なり。」景公は大いに驚き、起身して拜して曰く「善いな!聖人の智、大ならずんばあらんや!」

齊桓公與管仲謀伐莒,謀未發而聞於國。桓公怪之,以問管仲。管仲曰:“國必有聖人也。”桓公嘆曰:“歖!日之役者,有執柘杵而上視者,意其是邪!”乃令復役,無得相代。少焉,東郭垂至。管仲曰:“此必是也。”乃令儐者延而進之,分級而立。管仲曰:“子言伐莒者也?”對曰:“然。”管仲曰:“我不言伐莒,子何故言伐莒?”對曰:“臣聞君子善謀,小人善意,臣竊意之也。”管仲曰:“我不言伐莒,子何以意之?”對曰:“臣聞君子有三色:優然喜樂者,鐘鼓之色;愀然清淨者,縗絰之色;勃然充滿者,此兵革之色也。日者,臣望君之在臺上也,勃然充滿,此兵革之色也,君籲而不吟,所言者莒也,君舉臂而指所當者莒也。臣竊慮小諸侯之未服者,其惟莒乎?臣故言之。”君子曰:“凡耳之聞,以聲也。今不聞其聲而以其容與臂,是東郭垂不以耳聽而聞也。桓公、管仲雖善謀,不能隱聖人之聽於無聲,視於無形,東郭垂有之矣。故桓公乃尊祿而禮之。”

斉桓公は管仲と莒を攻伐せんことを謀劃す。謀劃は未だ發せざるに國內はこれを聞けり。桓公は怪しいと覺え、管仲に問うた。管仲は曰く「國裏に必ず聖人あり。」桓公は嘆息して曰く「歖!白天服役するに、柘杵を持ちて向上を看る者有り。以て是ならんとす!」そこで命令して再び服役せしめ、互相いに代替するを得せず。ほどなく、東郭垂は至れり。管仲は曰く「これは必ず是なり。」そこで儐者に命令して延請進上せしめ、等級に按じて立たしめたり。管仲は曰く「お前は莒を攻伐すると説く者か。」答え曰く「是なり。」管仲は曰く「我は莒を攻伐すると説かず。お前は何故莒を攻伐すると説くか。」答え曰く「臣が聞くに、君子は謀劃に善く、小人は意會に善し。臣は私に意會せり。」管仲は曰く「我は莒を攻伐すると説かず。お前は何を凭りて意會するか。」答え曰く「臣が聞くに、君子に三種の神色あり。優然喜樂なるは、鐘鼓の神色なり。愀然清净なるは、縗絰の神色なり。勃然充滿なるは、これは兵革の神色なり。先前、臣は君が台上に在るを望見し、勃然充滿せり。これは兵革の神色なり。君は嘆息して吟哦せず、所説は莒なり。君は手臂を擧げて指す所對するは莒なり。臣は私に小諸侯の未だ服從せざるを考慮するに、ほぼ莒のみか。臣の以て説く所以なり。」君子は曰く「およそ耳の聞くは、聲音を凭る。いまあの聲音を聞かずしてあの容貌と手臂を凭るは、これは東郭垂の耳を用いずして聽くを以て聞くなり。桓公・管仲はたとえ謀劃に善くとも、能く聖人が無聲の中に聽き無形の中に看るを隱藏する能わず。東郭垂はこの有り。ゆえに桓公はそこで尊禄を以て彼を礼待せり。」

晉太史屠餘見晉國之亂,見晉平公之驕而無德義也,以其國法歸周。周威公見而問焉,曰:“天下之國,其孰先亡。”對曰:“晉先亡。”威公問其說。對曰:“臣不敢直言,示晉公以天妖,日月星辰之行多不當,曰:‘是何能然?’示以人事多義,百姓多怨,曰:‘是何傷?’示以鄰國不服,賢良不與,曰:‘是何害?’是不知所以存,所以亡。故臣曰:‘晉先亡。’居三年,晉果亡。威公又見屠餘而問焉。曰:“孰次之。”對曰:“中山次之。”威公問其故。對曰:“天生民,令有辨,有辨,人之義也。所以異於禽獸麋鹿也,君臣上下所以立也。中山之俗,以晝為夜,以夜繼日,男女切踦,固無休息,淫昏康樂,歌謳好悲,其主弗知惡,此亡國之風也。臣故曰:‘中山次之。’居二年,中山果亡。威公又見屠餘而問曰:“孰次之。”屠餘不對。威公固請。屠餘曰:“君次之。”威公懼,求國之長者,得錡疇、田邑而禮之,又得史理、趙巽以為諫臣,去苛令三十九物,以告屠餘。屠餘曰:“其尚終君之身。臣聞國之興也,天遺之賢人,與之極諫之士;國之亡也,天與之亂人與善諛者。”威公薨,九月不得葬。周乃分而為二,故有道者言,不可不重也。

晋太史屠余は晋國の乱を見、晋平公の驕傲にして徳義なきを見て、其の國法を帶びて周に歸向せり。周威公は接見して彼に問うた「天下の國、どれが先に滅亡するか。」答え曰く「晋が先に滅亡せん。」威公はあの説法を問うた。答え曰く「臣は敢えて直説せず。天妖・日月星辰の運行の多く適當ならざるを晋公に看せて、曰く『これはどうしてこのようあらん』と。人事の多く義、百姓の多く怨を看せて、曰く『これに何の損傷かあらん』と。鄰國の服せず、賢良の親附せざるを看せて、曰く『これに何の妨害かあらん』と。これは以て存、以て亡する所以を知らざるなり。ゆえに臣は曰く『晋は先に滅亡せん』と。」三年を過ぎて、晋は果して滅亡せり。威公はまた屠余に見えて彼に問うた。曰く「誰が接ぐ。」答え曰く「中山が接がん。」威公は緣故を問うた。答え曰く「天は下民を生じて、分別有らしむ。分別有るは、人の義なり。ゆえに禽獸麋鹿と同じからず。君臣上下の以て立つ能くする所以なり。中山の風俗は、白天を以て夜と為し、夜は日に接ぎ、男女は脚を相い切り、固より休息なく、淫昏安樂し、歌唱して悲哀を喜好す。其の主は厭惡を知らず。これは亡國の風氣なり。臣の以て曰く『中山が接がん』と。」兩年を過ぎて、中山は果して滅亡せり。威公はまた屠余に見えて問うた「誰が接ぐ。」屠余は答えず。威公は堅持して請うた。屠余は曰く「君が接がん。」威公は恐懼し、國中の年長の人を尋求し、錡疇・田邑を得て礼待し、また史理・趙巽を得て諫臣と為し、苛刻の命令三十九件を去りて、以て屠余に告げたり。屠余は曰く「ほぼなお君の一身を過ごす能わん。臣が聞くに、國が興起すれば、天は彼に賢人を送り、彼と極力進諫の士とす。國が滅亡すれば、天は彼に亂人と諂諛に善きを與う。」威公は去世し、九個月にして埋葬する能わず。周はそこで兩個に分裂せり。ゆえに道有る人の言は、重んぜざるべからず。

齊侯問於晏子曰:“當今之時,諸侯孰危?”對曰:“莒其亡乎?”公曰:“奚故?”對曰:“地侵於齊,貨竭於晉,是以亡也。”

斉侯が晏子に問うた「当今の時、諸侯はどれが危險か。」答え曰く「莒はほぼ将に滅亡せんか。」公は曰く「何の緣故か。」答え曰く「地は斉に侵占せられ、財貨は晋に枯竭せり。これにより滅亡せん。」

智伯從韓、魏之兵以攻趙,圍晉陽之城而溉之,城不沒者三板。絺疵謂智伯曰:“韓、魏之君必反矣。”智伯曰:“何以知之?”對曰:“夫勝趙而三分其地,今城未沒者三板,臼灶生■,人馬相食,城降有日矣。而韓、魏之君無喜志而有憂色,是非反何也?”明日,智伯謂韓、魏之君曰:“疵言君之反也。”韓、魏之君曰:“必勝趙而三分其地,今城將勝矣。夫二家雖愚,不棄美利而偝約為難不可成之事,其勢可見也。是疵必為趙說君,且使君疑二主之心,而解於攻趙也。今君聽讒臣之言而離二主之交,為君惜之。”智伯出,欲殺絺疵,絺疵逃。韓、魏之君果反。

智伯は韓・魏の兵に跟隨して來りて趙を攻め、晋陽城を圍繞して水を灌ぎたり。城は三板を差して淹没せられず。郗疵(底本は疵)は智伯に對して曰く「韓・魏の君は必ず反せん。」智伯は曰く「何を凭りて知るか。」答え曰く「趙に戦勝して三家はあの地を分けん。いま城は三板を差して淹没せられず、石臼と竈に生じ、人馬は互相いに食う。城の降るは日有り。而して韓・魏の君に喜悦の心意なくして憂色有り。これは反ならずして何か。」明日、智伯は韓・魏の君に對して曰く「疵は君が反せんと言う。」韓・魏の君は曰く「必ず趙に戦勝して三家はあの地を分けん。いま城は将に勝たんとす。兩家はたとえ愚なりとも、美利を抛弃して約定に違背して難く成り難き事を為すはせざらん。あの情勢は見るべし。これは疵が必ず趙のために君を游説して、併せて君をして二主の心を懷疑せしめ、而して趙への攻を鬆懈せしめんとするなり。いま君は讒臣の言を聽信して二主の交誼を離散すれば、君のために惋惜す。」智伯は出でて、郗疵を殺さんと欲す。郗疵は逃げたり。韓・魏の君は果して反せり。

魯公索氏將祭而亡其牲。孔子聞之,曰:“公索氏比及三年必亡矣。”後一年而亡。弟子問曰:“昔公索氏亡牲,夫子曰:‘比及三年必亡矣。’今期年而亡。夫子何以知其將亡也。”孔子曰:“祭之為言索也,索也者盡也,乃孝子所以自盡於親也。至祭而亡其牲,則餘所亡者多矣。吾以此知其將亡矣。”

魯の公索氏は将に祭祀せんとして其の牲を丟失せり。孔子はこれを聞き、曰く「公索氏は三年に等到して必ず滅亡せん。」後に一年にして滅亡せり。弟子は問うた「昔、公索氏が牲を丟失せし時、夫子は曰く『三年に等到して必ず滅亡せん』と。いま一年を滿ちて滅亡せり。夫子は何を凭りて彼が将に滅亡せんを知るか。」孔子は曰く「祭は言と為すは即ち索、索は即ち盡、乃ち孝子の以て自ら両親に心を盡くす所なり。祭祀するに至りて牲を丟失せば、則ち我が喪失するは多し。我はこれにより彼が将に滅亡せんを知る。」

蔡侯、宋公、鄭伯朝於晉。蔡侯謂叔向曰:“子亦奚以語我?”對曰:“蔡言地計眾,不若宋鄭。其車馬衣裘侈於二國,諸侯其有圖蔡者乎?”處期年,荊伐蔡而殘之。

蔡侯・宋公・鄭伯は晋に至りて朝見せり。蔡侯は叔向に對して曰く「あなたはまた何を以て我に告げるか。」答え曰く「蔡は土地を論說し民衆を計算するに、宋・鄭に如かず。其の車馬衣裘は兩國より奢侈す。諸侯はほぼ蔡を謀取する有るか。」一年を滿ちてを過過ぎて、荊は蔡を攻伐して殘破せり。

白圭之中山,中山王欲留之,固辭而去。又之齊,齊王亦欲留之,又辭而去,人問其辭。白圭曰:“二國將亡矣。所學者國有五盡,故莫之必忠,則言盡矣;莫之必譽,則名盡矣;莫之必愛,則親盡矣;行者無糧,居者無食,則財盡矣;不能用人又不能自用,則功盡矣;國有此五者,毋幸,必亡。中山與齊皆當此。若使中山之與齊也,聞五盡而更之,則必不亡也,其患在不聞也,雖聞又不信也。然則人主之務,在善聽而已矣。”

白圭は中山に至り、中山王は彼を留下せんと欲す。堅く推辞して離れ去れり。また斉に至り、斉王もまた彼を留下せんと��す。また推辞して離れ去れり。人は彼の推辞する緣故を問うた。白圭は曰く「二國は将に滅亡せん。學ぶ所は、國に五種の盡あり。ゆえに誰か必ず忠誠たるなければ、則ち話は盡く。誰か必ず称誉するなければ、則ち名は盡く。誰か必ず親愛するなければ、則ち親は盡く。走る人は糧なく、住む人は食なければ、則ち財は盡く。能く人を用いずまた能く自ら用いられざれば、則ち功は盡く。國にこの五者有れば、僥倖するなかれ。必ず滅亡せん。中山と斉は皆正にこの如し。仮に中山と斉をして、五盡を聞きて改正せしめば、則ち必ず滅亡せず。あの患は聞かざるに在り。たとえ聞くもまた信ぜず。ならば人主の要務は、善く聽くに在るのみ。」

下蔡威公閉門而哭,三日三夜,泣盡而繼以血,旁鄰窺牆而問之。曰:“子何故而哭,悲若此乎?”對曰:“吾國且亡。”曰:“何以知也?”應之曰:“吾聞病之將死也,不可為良醫;國之將亡也,不可為計謀;吾數諫吾君,吾君不用,是以知國之將亡也。”於是窺牆者聞其言,則舉宗而去之楚。居數年,楚王果舉兵伐蔡。窺牆者為司馬,將兵而往來,虜甚眾。問曰:“得無有昆弟故人乎?”見威公縛在虜中,問曰:“若何以至於此?”應曰:“吾何以不至於此?且吾聞之也,言之者行之役也,行之者言之主也。汝能行我言,汝為主,我為役,吾亦何以不至於此哉?”窺牆者乃言之於楚王,遂解其縛,與俱之楚。故曰:“能言者未必能行,能行者未必能言。”

下蔡威公は門を關じて哭せり。三天三夜にして、眼涙は盡きて血を流すに接げり。旁鄰は牆縫より窺看して彼に問うた。曰く「お前は何故哭するか、悲哀するにこの如くか。」答え曰く「我が國は将に滅亡せん。」曰く「何を凭りて知るか。」聲に應じて曰く「我が聞くに、病は将に死せんとするに、良医を為る能わず。國は将に滅亡せんとするに、計謀を為る能わずと。我は屢々我が君に進諫するに、我が君は用いず。これにより國の将に滅亡せんを知る。」そこで牆を窺う人は彼の言を聞きて、即ち宗族を率いて離れ去りて楚に至れり。數年を過ぎて、楚王は果して兵を起して蔡を攻伐せり。牆を窺う人は司馬を為し、軍隊を率いて往來し、俘虜は甚だ多し。問うた「該らずして兄弟故人あるや。」威公が俘虜の中に綁かれるを見て、問うた「お前はどうしてこの歩に至れりか。」聲に應じて曰く「我はどうしてこの歩に至らざらん。さらに我が聞くに、説話するは行事の役、行事するは説話の主と。お前は能く我が言を實行すれば、お前は主、我は役なり。我はまたどうしてこの歩に至らざらん。」牆を窺う人はそこで楚王に對して説き、終に彼の綁を解開して、彼とともに楚に至れり。ゆえに言う「能く説くは未だ必ずしも能く行わず、能く行うは未だ必ずしも能く説かず。」

管仲有疾,桓公往問之,曰:“仲父若棄寡人,豎刁可使從政乎?”對曰:“不可。豎刁自刑以求入君,其身之忍,將何有於君。”公曰:“然則易牙可乎?”對曰:“易牙解其子以食君,其子之忍,將何有於君,若用之必為諸侯笑。”及桓公歿,豎刁易牙乃作難。桓公死六十日,蟲出於戶而不收。

管仲は病あり。桓公は前往して問候して曰く「仲父がもし寡人を抛弃せば、竪刁は以て彼をして政に從わしむべきか。」答え曰く「以て可ならず。竪刁は自ら刑を受けて以て君の身邊に進入せんを求む。彼は自身に對してあのように忍ぶ。将に君に對して何かあらん。」公は曰く「ならば易牙は以て可なるか。」答え曰く「易牙は其の兒子を分解して以て君に食わしむ。彼は兒子に對してあのように忍ぶ。将に君に對して何かあらん。もし彼を用いれば必ず諸侯に恥笑せられん。」桓公が死するに及んで、竪刁・易牙はそこで亂を作せり。桓公が死して六十天にして、虫は門戶より出づるも收殮せられず。

石乞侍坐於屈建。屈建曰:“白公其為亂乎?”石乞曰:“是何言也?白公至於室無營所,下士者三人與己相若,臣者五人,所與同衣者千人。白公之行若此,何故為亂?”屈建曰:“此建之所謂亂也。以君子行,則可於國家行。過禮則國家疑之,且苟不難下其臣,必不難高其君矣。建是以知夫子將為亂也。”處十月,白公果為亂。

石乞は屈建の所に於て侍坐せり。屈建は曰く「白公は将に亂を作せんか。」石乞は曰く「これは何の言か。白公は居室に至るに營建の處所なく、下交する士に三人の自己に相像する有り、臣は五人あり、自己と同じ樣の衣服を穿つ有るは千人なり。白公の行事はこの如し。何故亂を作さん。」屈建は曰く「これが建の所謂亂なり。君子を按じて行事すれば、以て國家に對して行事すべし。禮を超過すれば則ち國家は彼を懷疑し、併せてもし臣下に對して謙下するを難とせざれば、必ず君に對して高傲するを難とせざらん。建はこれにより夫子の将に亂を作せんを知る。」十個月を過ぎて、白公は果して亂を作せり。

韓昭侯造作高門。屈宜咎曰:“昭侯不出此門。”曰:“何也?”曰:“不時。吾所謂不時者,非時日也。人固有利不利,昭侯嘗利矣,不作高門。往年秦拔宜陽,明年大旱民飢,不以此時恤民之急也,而顧反益奢,此所謂福不重至,禍必重來者也!”高門成,昭侯卒。竟不出此門。

韓昭侯は高門を建造せり。屈宜咎は曰く「昭侯はこの門を出る能わざらん。」曰く「何故か。」曰く「時に合わざるなり。我の所謂時に合わざるは、時日にあらず。人は本來利不利有り。昭侯はかつて利せり。高門を建造せず。往年秦は宜陽を攻取し、明年は大旱民饑せり。この時に於て民の急を體恤せずして、卻って反っていよいよ奢侈す。これが所謂福は重疊して至らず、禍は必ず重疊して來る!」高門は成りて、昭侯は死せり。終にこの門を出る能わざりき。

田子顏自大術至乎平陵城下,見人子問其父,見人父問其子。田子方曰:“其以平陵反乎?吾聞行於內,然後施於外。外顏欲使其眾甚矣。”後果以平陵叛。

田子顏は大術より平陵城下に至り、人の兒子を見れば即ち彼の父を問い、人の父を見れば即ち彼の子を問えり。田子方は曰く「彼はほぼ平陵を凭りて反せんか。我が聞くに、內裏に於て實行し、然る後に外面に施加す。外顏は其の部衆を驅使せんと欲するや甚だ厲し。」後に果して平陵を凭りて叛亂せり。

晉人已勝智氏,歸而繕甲砥兵。楚王恐,召梁公弘曰:“晉人已勝智氏矣。歸而繕甲兵,其以我為事乎?”梁公曰:“不患,害其在吳乎?夫吳君恤民而同其勞,使其民重上之令,而人輕其死以從上,使如虜之戰,臣登山以望之,見其用百姓之信,必也勿已乎?其備之若何?”不聽,明年,闔廬襲郢。

晋人は已に智氏に戦勝し、歸りて甲を整治し兵器を磨礪せり。楚王は恐懼し、梁公弘を召して曰く「晋人は已に智氏に戦勝せり。歸りて甲兵を整治す。ほぼ我を以て事と為さんか。」梁公は曰く「憂患せず。害はほぼ呉に在るか。あの呉君は民を體恤して彼らと勞苦を同じくし、其の民をして上の命令を重んぜしめ、而して人は自らの死を看輕して上に跟從す。俘虜の如く戰うを驅使す。臣は山に登りて以て望むに、彼が百姓の信を用いるを見る。必ず停止せざらんか。あの防備は当に如何せん。」聽かず。第二年、闔廬は郢を襲擊せり。

楚莊王欲伐陳,使人視之。使者曰:“陳不可伐也。”莊王曰:“何故?”對曰:“其城郭高,溝壑深,蓄積多,其國寧也。”王曰:“陳可伐也。夫陳,小國也,而蓄積多,蓄積多則賦斂重,賦斂重則民怨上矣。城郭高,溝壑深,則民力罷矣。”興兵伐之,遂取陳。

楚荘王は陳を攻伐せんと欲し、人を派して観察せしむ。使者は曰く「陳は攻伐すべからず。」荘王は曰く「何の緣故か。」答え曰く「其の城郭は高く、溝壑は深く、蓄積は多く、其の國は安寧なり。」王は曰く「陳は攻伐すべし。陳は小國、卻って蓄積多し。蓄積多ければ則ち賦斂は重し。賦斂重ければ則ち民は上を怨恨す。城郭高く溝壑深ければ、則ち民力は疲憊せり。」兵を起して攻伐し、終に陳を取得せり。

石益謂孫伯曰:“吳將亡矣!吾子亦知之乎?”孫伯曰:“晚矣,子之知之也。吾何為不知?”石益曰:“然則子何不以諫?”孫伯曰:“昔桀罪諫者,紂焚聖人,剖王子比干之心。袁氏之婦,絡而失其紀,其妾告之,怒棄之。夫亡者,豈斯人知其過哉?”

石益は孫伯に對して曰く「呉は将に滅亡せん!吾子はまた知るか。」孫伯は曰く「晚し。あなたは乃ち知る。我は何故知らざらん。」石益は曰く「ならばあなたは何故以て進諫せざるか。」孫伯は曰く「昔、桀は進諫する人に罪を加え、紂は聖人を焚燒し、王子比干の心を剖開せり。袁氏の婦人は絲を絡げて頭緒を失い、其の妾は彼女に告げ、怒りて彼女を抛弃せり。あの滅亡するは、どうしてこれらの人が自らの過失を知るか。」

孝宣皇帝之時,霍氏奢靡,茂陵徐先生曰:“霍氏必亡。夫在人之右而奢,亡之道也。孔子曰:‘奢則不遜。’夫不遜者必侮上,侮上者,逆之道也。出人之右,人必害之。今霍氏秉權,天下之人疾害之者多矣。夫天下害之而又以逆道行之,不亡何待?”乃上書言霍氏奢靡,陛下即愛之,宜以時抑制,無使至於亡。書三上,輒報:“聞。”其後霍氏果滅。董忠等以其功封。人有為徐先生上書者,曰:“臣聞客有過主人者,見灶直●,傍有積薪。客謂主人曰:‘曲其●,遠其積薪,不者將有火患。’主人默然不應,居無幾何,家果失火。鄉聚裡中人哀而救之,火幸息。於是殺牛置酒,燔發灼爛者在上行,餘各用功次坐,而反不錄言曲●者。向使主人聽客之言,不費牛酒,終無火患。今茂陵徐福數上書言霍氏且有變,宜防絕之。向使福說得行,則無裂地出爵之費,而國安平自如。今往事既已,而福獨不得與其功,惟陛下察客徙薪曲●之策,而使居燔發灼爛之右。”書奏,上使人賜徐福帛十匹,拜為郎。

孝宣皇帝の時、霍氏は奢侈靡費せり。茂陵徐先生は曰く「霍氏は必ず滅亡せん。人の上に處りて奢侈するは、滅亡の路なり。孔子は曰く『奢侈すれば則ち恭順ならず。』恭順ならざるは必ず上を侮辱す。上を侮辱するは、悖逆の路なり。人の上を超出すれば、人は必ず彼を害せん。いま霍氏は權を把持し、天下の人の疾恨して彼らを害するは多し。天下は彼を害して卻ってまた悖逆の道を以て行事すれば、滅亡せずして何を待たん。」そこで上書して霍氏の奢侈靡費を説き、陛下がもし彼らを愛せば、当に時を按じて抑制し、滅亡に至らしめざらしめよと。書は三次上げられ、總に回報して曰く「知った。」あの後に霍氏は果して滅せり。董忠等はあの功勞を凭りて封を受けり。人ありて徐先生のために上書して曰く「臣が聞くに、客人の主人の家を經過する有りて、竈が直きを見て、旁に堆積の薪あり。客は主人に對して曰く『あの(底本この字欠)を弄彎し、堆積の薪を遠離せしめよ。然らざれば将に火災あらん』と。主人は默然として應えず。多く久しからざるを過ぎて、家は果して火を失せり。郷里聚居の人は哀憐して來りて救い、火は幸いに熄えり。そこで牛を殺して酒を擺き、燒焦する髮と灼爛するは上位に坐り、其の余は各々功勞を按じて次いで坐れり。しかるに反ってあの(底本この字欠)を弄彎せよと説く者を收錄せず。仮に先前主人が客の言を聽かば、牛酒を耗費せずして、終に火災なからん。いま茂陵徐福は屢々上書して霍氏の将に變有らんと説き、当に防備斷絶すべしと。仮に先前福の言が實行するを得ば、則ち割地出爵の耗費なくして、國は安平して原來の如からん。いま往事は已に過去し、而して福は独りあの功勞に參与する能わず。願わくは陛下は客人の薪を搬走し(底本この字欠)を弄彎するの計策を察看して、彼をして燒焦する髮と灼爛する人の上に處らしめよ。」書は奏上せられ、皇上は人を派して徐福に帛十匹を賜い、郎を��せしめた。

齊桓公將伐山戎、孤竹,使人請助於魯。魯君進群臣而謀,皆曰:“師行數十里,入蠻夷之地,必不反矣。”於是魯許助之而不行。齊已伐山戎、孤竹,而欲移兵於魯。管仲曰:“不可。諸侯未親,今又伐遠而還誅近鄰,鄰國不親,非霸王之道,君之所得山戎之寶器者,中國之所鮮也,不可不進周公之廟乎?”桓公乃分山戎之寶,獻之周公之廟。明年起兵伐莒。魯下令丁男悉發,五尺童子皆至。孔子曰:“聖人轉禍為福,報怨以德。”此之謂也。

斉桓公は将に山戎・孤竹を攻伐せんとし、人を派して魯に向かい幫助を請求せしむ。魯君は群臣を召進して謀劃せしむ。皆曰く「軍隊は数十里を走り、蠻夷の地に入れば、必ず歸らざらん。」そこで魯は幫助を答應するも出發せず。斉は已に山戎・孤竹を攻伐し、而して軍隊を魯に移向せんと欲す。管仲は曰く「以て可ならず。諸侯は未だ親近せず。いままた遠きを攻伐して歸りて近鄰を誅殺すれば、鄰國は親近せず。霸王の道にあらず。君の得たる所の山戎の寶器は、中國の稀少なる所なり。周公の廟に進献せざるべからんや。」桓公はそこで山戎の寶を分出して、周公の廟に献ぜり。第二年に兵を起して莒を攻伐せり。魯は令を下して成年男子を全部出發せしめ、五尺童子も皆至れり。孔子は曰く「聖人は禍を轉變して福と為し、徳を以て怨に報答す。」これを言う。

中行文子出亡至邊,從者曰:“為此嗇夫者君人也,胡不休焉,且待後車者。”文子曰:“異日吾好音,此子遺吾琴,吾好佩,又遺吾玉,是不非吾過者也,自容於我者也。吾恐其以我求容也,遂不入。”後車入門,文子問嗇夫之所在,執而殺之。仲尼聞之,曰:“中行文子背道失義以亡其國,然後得之,猶活其身,道不可遺也,若此。”

中行文子は出亡して邊境に至れり。隨從は曰く「ここの嗇夫を為るは君の故人なり。何故休息せずして、併せて後面の車子を待たざるか。」文子は曰く「往日我は音樂を愛好し、この人は我に琴を送れり。我は佩玉を愛好し、また我に玉を送れり。これは我の過失を非議せざる人、是れ自ら我に容を求むる人なり。我は彼が我を以て容を求むるを怕る。そこで入らず。」後面の車子は門に入りて、文子は嗇夫の在る所を問い、捉えて彼を殺せり。孔子はこれを聞き、曰く「中行文子は道を背離し義を失いて其の國を喪失せり。然る後にこれを得て、なお彼の自身を保全す。道は遺棄すべからず、この如し。」

衛靈公襜被以與婦人遊,子貢見公。公曰:“衛其亡乎?”對曰:“昔者夏桀,殷紂不任其過故亡;成湯、文武知任其過故興,衛奚其亡也?”

衛靈公は襜衣を着て婦人と游玩せり。子貢は公に見えたり。公は曰く「衛はほぼ将に滅亡せんか。」答え曰く「昔、夏桀・殷紂は自らの過失を承擔せざればこそ滅亡せり。成湯・文王・武王は自らの過失を承擔するを知ればこそ興起せり。衛はどうして滅亡せんや。」

智伯請地於魏宣子,宣子不與。任增曰:“何為不與?”宣子曰:“彼無故而請地,吾是以不與。”任增曰:“彼無故而請地者,無故而與之,是重欲無厭也。彼喜,必又請地於諸侯,諸侯不與,必怒而伐之。”宣子曰:“善。”遂與地。智伯喜,又請地於趙,趙不與,智伯怒,圍晉陽。韓、魏合趙而反智氏,智氏遂滅。

智伯は魏宣子に向かい地を請求せり。宣子は與えず。任增は曰く「何故何故與えざるか。」宣子は曰く「彼は故なく地を請求す。我はこれにより與えず。」任增は曰く「彼は故なく地を請求すれば、故なく彼に與えよ。これは欲望を加重して滿足なからしむ。彼は喜悦して、必ずまた諸侯に向かい地を請求せん。諸侯は與えざれば、必ず怒りて攻伐せん。」宣子は曰く「よし。」そこで地を與えたり。智伯は喜悦し、また趙に向かい地を請求せり。趙は與えず。智伯は怒りて、晋晋陽を圍えり。韓・魏は趙と聯合して智氏に反せり。智氏はそこで滅亡せり。

楚莊王與晉戰,勝之,懼諸侯之畏己也,乃築為五仞之臺,臺成而觴諸侯,諸侯請約。莊王曰:“我薄德之人也。”諸侯請為觴。乃仰而曰:“將將之臺,窅窅其謀,我言而不當,諸侯伐之。”於是遠者來朝,近者入賓。

楚荘王は晋と交戦し、戦勝して、諸侯が己を畏懼するを怕り、そこで五仞の台を築き、台が成りて諸侯に酒を請い、諸侯は約を訂することを請求せり。荘王は曰く「我は徳薄き人なり。」諸侯は彼のために觴を進むるを請求せり。そこで仰いで曰く「将将たる台、深深たる謀。我が言はもし適當ならざれば、諸侯は攻伐せよ。」そこで遠きは來りて朝し、近きは進みて賓を為せり。

吳王夫差破越,又將伐陳。楚大夫皆懼,曰:“昔闔廬能用其眾,故破我於柏舉。今聞夫差又甚焉。”子西曰:“二三子,恤不相睦也,無患吳矣,昔闔廬食不貳味,處不重席,擇不取費。在國,天有災,親戚乏困而供之;在軍,食熟者半而後食。其所嘗者,卒乘必與焉。是以民不罷勞,死知不曠。今夫差,次有臺榭陂池焉;宿有妃嬙嬪御焉。一日之行,所欲必成,玩好必從,珍異是聚,夫差先自敗己,焉能敗我?”

呉王夫差は越を攻破し、また将に陳を攻伐せんとす。楚の大夫は皆恐懼し、曰く「昔、闔廬は能く其の部衆を用いたればこそ、柏舉に於て我らを攻破せり。いま聞くに夫差はまた更に厲し。」子西は曰く「二三子、憂慮すべきは互相いに和睦せざるなり。呉を憂患するなかれ。昔、闔廬は飯を食うに兩樣の菜なく、坐處に兩兩層の席を鋪かず、択取するに耗費を取らず。國裏に在りては、天に災有れば、親戚困乏すれば即ち供給す。軍中に在りては、食物は半ば熟して然る後に乃ち食う。彼の品嘗する所は、步卒車士は必ず共同して有せり。これにより民は疲憊勞苦せず、死するに空費せざるを知る。いま夫差は、駐扎するに台榭陂池あり、住宿するに妃嬙嬪御あり。一日の出行に、所想は必ず為し成し、玩好は必ず跟從し、珍奇異物は即ち聚斂す。夫差は先に自ら敗れたり。どうして能く我らを敗らん。」

越破吳,請師於楚以伐晉。楚王與大夫皆懼,將許之。左史倚相曰:“此恐吾攻己,故示我不病。請為長轂千乘,卒三萬,與分吳地也。”莊王聽之,遂取東國。

越は呉を攻破し、楚に向かい軍隊を請求して以て晋を攻伐せんとす。楚王と大夫は皆恐懼し、将に答應せんとす。左史倚相は曰く「これは我らが自らを攻打するを怕れて、ゆえに我らに彼の病なきを看せるなり。請う、長轂一千乘・士卒三萬を准備し、彼と呉の地を分けん。」荘王は聽從し、終に東國を取得せり。

陽虎為難於魯,走之齊,請師於魯,齊侯許之。鮑文子曰:“不可也。陽虎欲齊師破,齊師破,大臣必多死,於是欲奮其詐謀。夫虎有寵於季氏而將殺季孫,以不利魯國而容其求焉。今君富於季氏而大於魯國,茲陽虎所欲傾覆也。魯免其疾,而君又收之,毋乃害乎?”齊君乃執之,免而奔晉。

陽虎は魯に於て亂を作し、斉に走り、魯に向かい軍隊を請求せり。齊侯は答應せり。鮑文子は曰く「以て可ならず。陽虎は齊軍を破敗せしめんと欲す。齊軍が破敗すれば、大臣は必ず多く死せん。そこで彼の欺詐の謀を施展せんと欲す。あの虎は季氏の所に於て寵を受くるも将に季孫を殺さんとし、魯國に便利ならざるを以て彼の求を容納せり。いま君は季氏より富み、魯國より大なり。これは正に陽虎の想い傾覆せんとする所なり。魯は彼の病害を免除して、而して君はまた彼を收納すれば、害有るを怕るのみか。」齊君はそこで彼を捉え、赦免の後に晋に逃げたり。

湯欲伐桀。伊尹曰:“請阻乏貢職以觀其動。”桀怒,起九夷之師以伐之。伊尹曰:“未可。彼尚猶能起九夷之師,是罪在我也。”湯乃謝罪請服,復入貢職。明年,又不供貢職。桀怒,起九夷之師,九夷之師不起。伊尹曰:“可矣。”湯乃興師,伐而殘之。遷桀南巢氏焉。

湯は桀を攻伐せんと欲す。伊尹は曰く「請う、貢職の缺乏を停止して彼の動静を観察せん。」桀は發怒し、九夷の軍隊を發動して來りて攻伐せり。伊尹は曰く「なお以て可ならず。彼はなお能く九夷の軍隊を發動す。これは罪は我に在り。」湯はそこで謝罪して服從を請求し、再び貢職を納入せり。第二年、また貢職を供給せず。桀は發怒し、九夷の軍隊を發動せしむるに、九夷の軍隊は起たず。伊尹は曰く「可なり。」湯はそこで兵を起して、攻伐して彼を殘破せり。桀を南巢氏の所に遷えり。

武王伐紂,過隧斬岸,過水折舟,過谷發梁,過山焚萊,示民無返志也。至於有戎之隧,大風折■。散宜生諫曰:“此其妖歟?”武王曰:“非也。天落兵也。”風霽而乘以大雨,水平地而嗇。散宜生又諫曰:“此其妖歟?”武王曰:“非也,天灑兵也。”卜而龜熸。散宜生又諫曰:“此其妖歟?”武王曰:“不利以禱祠,利以擊眾,是熸之已。”故武王順天地,犯三妖而禽紂於牧野,其所獨見者精也。

武王は紂を攻伐し、隧道を經過して岸を斬斷し、水を經過して船を拆毀し、山谷を經過して橋梁を拆掉し、山を經過して草萊を焚燒し、民に返回の心なきを看せたり。有戎の隧道に至りて、大風は折れり。散宜生は進諫して曰く「これは妖か。」武王は曰く「非ず。天は兵器を落下せり。」風は停まりてまた大雨を乘じ、水は地と平らぎて收斂せり。散宜生はまた進諫して曰く「これは妖か。」武王は曰く「非ず。天は兵器を洒下せり。」占卜して龜は焦枯せり。散宜生はまた進諫して曰く「これは妖か。」武王は曰く「禱告祭祀に利あらず、部衆を攻擊するに利あり。これは焦枯已にこの如し。」ゆえに武王は天地に順從し、三妖を冒犯して牧野に於て紂を擒獲せり。彼の獨自見る所の精微なり。

晉文公與荊人戰於城濮,君問於咎犯。咎犯對曰:“服義之君,不足於信;服戰之君,不足於詐,詐之而已矣。”君問於雍季,雍季對曰:“焚林而田,得獸雖多,而明年無復也;幹澤而漁,得魚雖多,而明年無復也。詐猶可以偷利,而後無報。”遂與荊軍戰,大敗之。及賞,先雍季而後咎犯。侍者曰:“城濮之戰,咎犯之謀也!”君曰:“雍季之言,百世之謀也;咎犯之言,一時之權也,寡人既行之矣。”

晋文公は荊人と城濮に於て交戦す。君は咎犯に問うた。咎犯は答え曰く「義を服行する君は、信に滿足せず。戰を服行する君は、詐に滿足せず。欺詐するのみ。」君は雍季に問うた。雍季は答え曰く「樹林を焚燒して以て打獵すれば、獲る獸は多しといえども、明年は再び有るなし。湖澤を枯竭せしめて魚を打てば、獲る魚は多しといえども、明年は再び有るなし。欺詐はなお以て利を偷取すべく、而して後來は報答なし。」そこで荊軍と交戦し、大いに彼らを敗れり。賞賜するに及んで、雍季を先にして咎犯を後にせり。侍者は曰く「城濮の戰は、咎犯の謀なり!」君は曰く「雍季の話は、百世の謀なり。咎犯の話は、一時の權變なり。寡人は已に實行せり。」

城濮之戰,文公謂咎犯曰:“吾卜戰而龜熸。我迎歲,彼背歲。彗星見,彼操其柄,我操其標。吾又夢與荊王搏,彼在上,我在下,吾欲無戰,子以為何如?”咎犯對曰:“十戰龜熸,是荊人也。我迎歲,彼背歲,彼去我從之也。彗星見,彼操其柄,我操其標,以掃則彼利,以擊則我利。君夢與荊王搏,彼在上,君在下,則君見天而荊王伏其罪也。且吾以宋衛為主,齊秦輔我,我合天道,獨以人事固將勝之矣。”文公從之,荊人大敗。

城濮の戰に、文公は咎犯に對して曰く「我は交戦を占卜して龜は焦枯せり。我は歲星を迎え、彼は歲星を背く。彗星は出現し、彼はあの柄を握り、我はあの梢を握る。我はまた荊王と搏鬥するを夢見て、彼は上に在り、我は下に在り。我は戰わざらんと欲す。お前は以て如何。」咎犯は答え曰く「十次交戦して龜は焦枯す。これは荊人なり。我は歲星を迎え、彼は歲星を背く。彼は離れ去り、我は跟從す。彗星は出現し、彼はあの柄を握り、我はあの梢を握る。以て掃けば則ち彼に利あり、以て撃てば則ち我に利あり。君は荊王と搏鬥するを夢見て、彼は上に在り、君は下に在れば、則ち君は天を見て荊王は其の罪を伏せん。さらに我らは宋・衛を以て主と為し、齊・秦は我らを輔助す。我らは天道に合し、独り人事を凭るや固より将に勝たん。」文公は聽從し、荊人は大大に失敗せり。

越飢,句踐懼。四水進諫曰:“夫飢,越之福也,而吳之禍也。夫吳國甚富而財有餘,其君好名而不思後患。若我卑辭重幣以請糴於吳,吳必與我,與我則吳可取也。”越王從之。吳將與之,子胥諫曰:“不可。夫吳越接地鄰境,道易通,仇讎敵戰之國也。非吳有越,越必有吳矣,夫齊晉不能越三江五湖以亡吳越,不如因而攻之,是吾先王闔廬之所以霸也。且夫飢何哉?亦猶淵也,敗伐之事,誰國無有?君若不攻而輸之糴,則利去而兇至,財匱而民怨,悔無及也。”吳王曰:“吾聞義兵不服仁人,不以餓飢而攻之,雖得十越,吾不為也。”遂與糴,三年,吳亦飢,請糴于越,越王不與而攻之,遂破吳。

越は饑荒せり。句踐は恐懼す。四水は進諫して曰く「饑荒は越の福にして、呉の禍なり。呉國は甚だ富みて財に餘あり。其の君は名を愛好して後患を考慮せず。もし我らが謙卑の話・厚重の幣を以て呉に向かい糴糧を請求せば、呉は必ず我らに與えん。我らに與えれば則ち呉は以て取得すべし。」越王は聽從せり。呉は将に與えんとす。子胥は進諫して曰く「以て可ならず。吳越は土地相接し邊境は相鄰し、道路は易く通ず。是れ仇敵交戰の國なり。吳の越を擁有するに非ざれば、越は必ず呉を擁有せん。齊・晋は能く三江五湖を越えて以て吳越を滅亡する能わず。此を趁りて攻打するに如かず。これが我らの先王闔廬の以て稱覇するの緣故なり。さらに饑荒は何か。またなお深淵の如し。敗伐の事は、どの國か無からん。君がもし攻打せずして糴糧を輸送せば、則ち利は離れ去りて凶は到來し、財は匱乏して民は怨恨せん。後悔するに及ばざらん。」呉王は曰く「我が聞くに、義兵は仁人を屈服せず、饑餓を以て攻打せずと。たとえ十個の越を得るも、我は為さず。」そこで糴糧を與えたり。三年、呉もまた饑荒し、越に向かい糴糧を請求せり。越王は與えずして攻打し、終に呉を攻破せり。

趙簡子使成何、涉他與衛靈公盟於鄟澤。靈公未喋盟。成何、涉他捘靈公之手而撙之,靈公怒,欲反趙。王孫商曰:“君欲反趙,不如與百姓同惡之。”公曰:“若何?”對曰:“請命臣令於國曰:‘有姑姊妹女者家一人,質於趙。’百姓必怨,君因反之矣。”君曰:“善。”乃令之三日,遂徵之五日,而令畢國人巷哭。君乃召國大夫而謀曰:“趙為無道,反之可乎?”大夫皆曰:“可。”乃出西門,閉東門,越王聞之,縛涉他而斬之,以謝於衛,成何走燕。子貢曰:“王孫商可謂善謀矣。憎人而能害之;有患而能處之;欲用民而能附之;一舉而三物俱至,可謂善謀矣。”

趙簡子は成何・涉他を派して衛靈公と鄟澤に於て結盟せしむ。靈公は未だ歃血結盟せず。成何・涉他は靈公の手を擰りて按住せり。靈公は發怒し、趙に反せんと欲す。王孫商は曰く「君は趙に反せんと欲せば、百姓と共同して彼を厭惡するに如かず。」公は曰く「如何。」答え曰く「請う、臣に命じて國中に下令して曰く『姑姊妹女兒有るは每家一人、趙に至りて人質を為れ』と。百姓は必ず怨恨せん。君は此を趁りて彼に反せば即ち成らん。」君は曰く「よし。」そこで下令すること三天、終に徵發すること五天、而して命令は畢りて國人は巷裏に於て哭せり。君はそこで國大夫を召して謀劃して曰く「趙は無道の事を為せり。彼に反くや可なるか。」大夫は皆曰く「可なり。」そこで西門を出でて、東門を關閉せり。越王はこれを聞き、涉他を綁きて斬りて、以て衛に道歉せり。成何は燕に逃げたり。子貢は曰く「王孫商は以て謀劃に善しと称すべし。人を憎惡して能く彼を害し、患難有りて能くこれに處し、民を用いんと欲して能く彼らに親附せしむ。一擧にして三件事皆至る。以て謀劃に善しと称すべし。」

楚成王贊諸屬諸侯,使魯君為僕,魯君致大夫而謀曰:“我雖小,亦周之建國也。今成王以我為僕,可乎?”大夫皆曰:“不可。”公儀休曰:“不可不聽楚王,身死國亡,君之臣乃君之有也;為民,君也!”魯君遂為僕。

楚成王は所屬の諸侯を贊禮し、魯君をして仆を為らしめたり。魯君は大夫を召集して謀劃して曰く「我は小なりといえども、また周の建立する所の國なり。いま成王は我をして仆を為らしむ。可なるか。」大夫は皆曰く「以て可ならず。」公儀休は曰く「楚王に聽從せざるべからず。身は死し國は亡ばば、君の臣は乃ち君の所有する所なり。民と為るは、即ち君か!」魯君はそこで仆を為せり。

齊景公以其子妻闔廬,送諸郊。泣曰:“餘死不汝見矣。”高夢子曰:“齊負海而縣山,縱不能全收天下,誰幹我君?愛則勿行!”公曰:“餘有齊國之固,不能以令諸侯,又不能聽,是生亂也。寡人聞之,不能令則莫若從,且夫吳若蜂蠆然,不棄毒於人則不靜,餘恐棄毒於我也。”遂遣之。

斉景公は其の女兒を闔廬に嫁せしめ、郊外に送りて、哭泣して曰く「我が死してお前を見ざらん。」高夢子は曰く「斉は海を背靠して山に連なり、たとえ能く天下を全部收取せざるも、誰か來りて我らの君を侵犯せん。愛せば彼女を去らしむるなかれ!」公は曰く「我に齊國の堅固有るも、以て諸侯に命令する能わず、また聽從する能わず。これは亂を產生す。寡人が聞くに、能く命令せざれば則ち跟從するに如かずと。さらに呉は蜂蠆の如く、毒を人の身に放たざれば安靜せず。我は毒を我が身に放つを怕る。」そこで彼女を派遣せり。

齊欲妻鄭太子忽,太子忽辭,人問其故,太子曰:“人各有偶,齊大,非吾偶也。詩云:‘自求多福。’在我而已矣。”後戎伐齊,齊請師於鄭。鄭太子忽率師而救齊,大敗戎師,齊又欲妻之。太子固辭,人問其故。對曰:“無事於齊,吾猶不敢。今以君命救齊之急,受室以歸,人其以我為師婚乎?”終辭之。

斉は女兒を鄭太子忽に嫁せしめんと欲す。太子忽は推辞せり。人は緣故を問うた。太子は曰く「人は各々匹配有り。斉は大なり。我が匹配にあらず。『詩経』に曰く『自ら多福を求取す。』我に在るのみ。」後に戎は斉を攻伐せり。斉は鄭に向かい軍隊を請求せり。鄭太子忽は軍隊を率いて斉を救い、大いに戎軍を敗れり。斉はまた彼に女兒を嫁せしめんと欲す。太子は堅く推辞せり。人は緣故を問うた。答え曰く「斉に對して事なきの時、我はなお敢えてせず。いま君命を凭りて斉の急を解救し、妻室を接受して歸れば、人はほぼ以て我が軍隊を以て婚を求むと為さんか。」終に推辞せり。

孔子問漆雕馬人曰:“子事臧文仲、武仲、孺子容,三大夫者,孰為賢?”漆雕馬人對曰:“臧氏家有龜焉,名曰蔡;文仲立三年為一兆焉;武仲立三年為二兆焉;孺子容立三年為三兆焉,馬人立之矣。若夫三大夫之賢不賢,馬人不識也。”孔子曰:“君子哉!漆雕氏之子,其言人之美也,隱而顯;其言人之過也,微而著。故智不能及,明不能見,得無數卜乎?”

孔子は漆雕馬人に問うた「お前は臧文仲・武仲・孺子容の三位の大夫に事奉せり。誰が賢か。」漆雕馬人は答え曰く「臧氏の家に龜ありて、名は蔡と曰う。文仲は位に在りて三年に卜兆すること一次、武仲は位に在りて三年に卜兆すること兩次、孺子容は位に在りて三年に卜兆すること三次なり。馬人は立ちて看たり。三位の大夫の賢不賢に至りては、馬人は知らず。」孔子は曰く「君子かな!漆雕氏の兒子、彼は人の美を説くに、隱蔽にして顯著し、彼は人の過失を説くに、細微にして明顯なり。ゆえに智は達する能わず、明は見る能わず。能く屢々占卜せざるべからんや。」

安陵纏以顏色美壯,得幸於楚共王。江乙往見安陵纏,曰:“子之先人豈有矢石之功於王乎?”曰:“無有。”江乙曰:“子之身豈亦有乎?”曰:“無有。”江乙曰:“子之貴何以至於此乎?”曰:“僕不知所以。”江乙曰:“吾聞之,以財事人者,財盡而交疏;以色事人者,華落而愛衰。今子之華,有時而落,子何以長幸無解於王乎?”安陵纏曰:“臣年少愚陋,願委智於先生。”江乙曰:“獨從為殉可耳。”安陵纏曰:“敬聞命矣!”江乙去。居■年,逢安陵纏,謂曰:“前日所諭子者,通於王乎?”曰:“未可也。”居■年。江乙復見安陵纏曰:“子豈諭王乎?”安陵纏曰:“臣未得王之間也。”江乙曰:“子出與王同車,入與王同坐。居三年,言未得王之間,子以吾之說未可耳。”不悅而去。其年,共王獵江渚之野,野火之起若雲蜺,虎狼之嗥若雷霆。有狂兕從南方來,正觸王左驂,王舉旌旄,而使善射者射之,一發,兕死車下,王大喜,拊手而笑,顧謂安陵纏曰:“吾萬歲之後,子將誰與斯樂乎?”安陵纏乃逡巡而卻,泣下霑衿,抱王曰:“萬歲之後,臣將從為殉,安知樂此者誰?”於是共王乃封安陵纏於車下三百戶。故曰:“江乙善謀,安陵纏知時。”

安陵纏は顔色美壯を凭りて、楚共王の寵幸を得たり。江乙は前去して安陵纏に見えて曰く「あなたの先人は王に對して矢石の功勞有るや。」曰く「無し。」江乙は曰く「あなたの自身はまた有るや。」曰く「無し。」江乙は曰く「あなたの貴は何を凭りてこの歩に至れりか。」曰く「仆は然らんとする所以を知らず。」江乙は曰く「我が聞くに、財を以て人に事奉するは、財が盡きれば交情は疏遠し、容色を以て人に事奉するは、花が落ちれば愛は衰減す。いまあなたの花は、時に落つる有り。あなたは何を凭りて長く寵を受け、王に對して鬆懈なからん。」安陵纏は曰く「臣は年紀輕く愚陋なり。願わくは智を先生に委托せん。」江乙は曰く「独り跟從して殉葬を為るのみ可なり。」安陵纏は曰く「命を恭敬して聞きたり!」江乙は離れ去れり。數年を過ぎて、安陵纏に遇い、彼に對し��曰く「前日にあなたに曉諭せし所は、王に説きしか。」曰く「なお以て可ならず。」數年を過ぎたり。江乙は再び安陵纏に見えて曰く「あなたは王に曉諭せしか。」安陵纏は曰く「臣は未だ王の空隙を得ず。」江乙は曰く「あなたは出ずれば王と車を同じくし、入れば王と坐を同じくす。三年を過ぎて、なお王の空隙を得ずと説くは、あなたは以て我が説法をなお以て可ならずとするのみ。」高興せずして離れ去れり。あの年、共王は江渚の野に於て打獵せり。野火は起りて雲霓の如く、虎狼の嗥叫は雷霆の如し。狂兕有りて南方より來り、正に王の左邊の驂馬に撞上せり。王は旌旄を擧げ、射に善き者をして彼を射せしむ。一發して、兕は車下に死せり。王は大いに喜び、手を拍ちて笑い、回頭して安陵纏に對して曰く「我が萬歲の後、お前は将に誰とともにこの如き樂を享せん。」安陵纏はそこで退却し、眼涙は下りて衣襟を沾湿し、王を抱いて曰く「萬歲の後、臣は将に跟從して殉葬を為さん。どうしてこの樂するは誰なるを知らん。」そこで共王は即ち車下に於て安陵纏に三百戸を封給せり。ゆえに言う「江乙は謀劃に善く、安陵纏は時を知る。」

太子商臣怨令尹子上也。楚攻陳,晉救之。夾泜水而軍。陽處父知商臣之怨子上也,因謂子上曰:“少卻,吾涉而從子。”子上卻。因令晉軍曰:“楚遁矣。”使人告商臣曰:“子上受晉賂而去之。”商臣訴之成王,成王遂殺之。

太子商臣は令尹子上を怨恨せり。楚は陳を攻め、晋は來りて救えり。泜水を夾みて軍を駐せり。陽處父は商臣が子上を怨恨するを知り、そこで子上に對して曰く「稍稍退却せよ。我は水を渡りてあなたに跟從せん。」子上は退却せり。そこで晋軍に命令して曰く「楚は逃げ去れり。」人を派して商臣に告げて曰く「子上は晋の賄賂を接受して離れ去れり。」商臣は成王に訴說せり。成王はそこで彼を殺せり。

智伯欲襲衛,故遺之乘馬,先之一璧,衛君大悅,酌酒,諸大夫皆喜。南文子獨不喜,有憂色。衛君曰:“大國禮寡人,寡人故酌諸大夫酒,諸大夫皆喜,而子獨不喜,有憂色者,何也?”南文子曰:“無方之禮,無功之賞,禍之先也。我未有往,彼有以來,是以憂也。”於是衛君乃修梁津而擬邊城。智伯聞衛兵在境上,乃還。

智伯は衛を襲擊せんと欲し、ゆえにそれに乘馬を送り、先に一塊の璧を送れり。衛君は大いに悦び、酒を設け、衆大夫は皆喜悦せり。南文子は独り喜悦せず、憂色有り。衛君は曰く「大國は寡人を礼待す。寡人の以て衆大夫に酒を設くる所以なり。衆大夫は皆喜悦せり。而してあなたは独り喜悦せず、憂色有り。何故か。」南文子は曰く「緣由なきの礼、功勞なきの賞は、禍の先導なり。我は前往せざるに、彼は卻ってこれを以て前來する有り。ゆえに憂慮す。」そこで衛君は即ち橋梁渡口を整修して邊城に比擬せり。智伯は衛兵が邊境の上に在るを聞き、そこで返回せり。

智伯欲襲衛,乃佯亡其太子顏,使奔衛。南文子曰:“太子顏之為其君子也,甚愛。非有大罪也,而亡之?必有故!然人亡而不受不祥。”使吏逆之,曰:“車過五乘,慎勿內也。”智伯聞之,乃止。

智伯は衛を襲擊せんと欲し、そこで其の太子顏が逃亡するを假裝して、彼をして衛に逃げしめたり。南文子は曰く「太子顏は彼の君の兒子を為り、甚だ愛せらる。大罪有るに非ざれば、卻って逃亡せんや。必ず緣故有り!しかるに人が逃亡するは接受せざれば不祥なり。」吏を派して迎接して、曰く「車子が五乘を超過せば、謹みて納接するなかれ。」智伯はこれを聞き、そこで停止せり。

叔向之殺萇弘也,數見萇弘於周。因佯遺書曰:“萇弘謂叔向曰:‘子起晉國之兵以攻周,吾廢劉氏而立單氏。’”劉氏請之。君曰:“此萇弘也。”乃殺之。

叔向は萇弘を殺し、屢々周に於て萇弘に見えたり。そこで書信を遺失するを假裝して曰く「萇弘は叔向に對して曰く『お前は晋國の兵を發動して來りて周を攻めよ。我は劉氏を廢掉して單氏を立てん』と。」劉氏は處置を請求せり。君は曰く「これは萇弘なり。」そこで彼を殺せり。

楚公子午使於秦,秦囚之,其弟獻三百金於叔向,叔向謂平公曰:“何不城壺丘?秦楚患壺丘之城。若秦恐而歸公子午,以止吾城也,君乃止,難亦未構,楚必德君。”平公曰:“善。”乃城之。秦恐,遂歸公子午使之晉,晉人輟城,楚獻晉賦三百車。

楚公子午は秦に出使す。秦は彼を囚禁せり。其の弟弟は三百金を献上して叔向に與えたり。叔向は平公に對して曰く「何故壺丘に城を築かざるか。秦・楚は壺丘の城を憂患す。もし秦が恐懼して公子午を歸還して、以て我らの城を築くを制止せば、君は即ち停止せよ。仇怨もまた未だ構成せず、楚は必ず君を感激せん。」平公は曰く「よし。」そこで城を築きたり。秦は恐懼し、終に公子午を歸還して彼を晋に派せしめたり。晋人は城を築くを停止せり。楚は晋に賦税三百車を献ぜり。

趙簡子使人以明白之乘六,先以一璧,為遺於衛。衛叔文子曰:“見不意,可以生,故此小之所以事大也。今我未以往,而簡子先以來,必有故。”於是斬林除圍,聚斂蓄積,而後遣使者。簡子曰:“吾舉也,為不可知也。今既已知之矣,乃輟圍衛也。”

趙簡子は人を派して明白の乘馬六匹を以て、先に一塊の璧を以て衛に送らしめたり。衛叔文子は曰く「意外を見れば、以て生存すべし。ゆえにこれは小の以て大に事奉する所以なり。いま我は前往せざるに、而して簡子は先に前來せり。必ず緣故有り。」そこで林木を砍伐し圍困を除去し、蓄積を聚集し、然る後に使者を派遣せり。簡子は曰く「我が擧動するは、知るべからざるのためなり。いま已に知られぬ。そこで衛を圍うを停止せり。」

鄭桓公將欲襲鄶,先問鄶之辨智果敢之士,書其名姓,擇鄶之良臣而與之,為官爵之名而書之,因為設壇於門外而埋之。釁之以猳,若盟狀。鄶君以為內難也,盡殺其良臣。桓公因襲之,遂取鄶。

鄭桓公は将に鄶を襲擊せんとし、先に鄶の辯智果敢の士を問い、彼らの姓名を寫下し、鄶の良臣を択取して彼らに與え、官爵の名を為成して寫下し、そこで門外に於て壇を設けて埋下せり。公豬を以て釁し、結盟するの樣子の如し。鄶君は以て內部に難有りとし、良臣を全部殺掉せり。桓公は此を趁りて襲擊し、終に鄶を取得せり。

鄭桓公東會封於鄭,暮舍於宋東之逆旅,逆旅之叟從外來,曰:“客將焉之?”曰:“會封於鄭。”逆旅之叟曰:“吾聞之:時難得而易失也。今客之寢安,殆非封也。”鄭桓公聞之,援轡自駕,其僕接淅而載之,行十日夜而至。釐何與之爭封。故以鄭桓公之賢,微逆旅之叟,幾不會封也。

鄭桓公は東に向かい鄭に封を接受せんとす。傍晚に宋東の旅舍に住む。旅舍の老人は外面より來りて曰く「客人は将にどこに往かん。」曰く「鄭に至りて封を接受せん。」旅舍の老人は曰く「我が聞くに、時は得難くして失い易しと。いま客人は安穩に睡る。ほぼ封にあらず。」鄭桓公はこれを聞き、辔を挽きて自ら車を駕り、其の仆人は淘ぐ米を撈起して車に裝せり。十天十夜を走りて到達せり。厘何は彼と封を争えり。ゆえに鄭桓公の賢を凭るも、旅舍の老人なからば、ほぼ能く封を接受せざりしなり。

晉文公伐衛,入郭,坐士令食,曰:“今日必得大垣。”公子慮俛而笑之。文公曰:“奚笑?”對曰:“臣之妻歸,臣送之,反見桑者而助之。顧臣之妻則亦有送之者矣。”文公懼,還師而歸,至國,而貉人攻其地。

晋文公は衛を攻伐し、外城に入り、士をして坐して飯を食わしめて曰く「今日は必ず大垣を得ん。」公子慮は頭を低めて笑えり。文公は曰く「何を笑うか。」答え曰く「臣の妻は娘家に歸り、臣は彼女を送りて、返回して采桑するを見て彼女を幫助せり。回頭して臣の妻を看れば、則ちまた彼女を送る人有り。」文公は恐懼し、師を回して返回し、國に至るに、而して貉人は彼の地を攻打せり。

卷十四至公

巻十四 至公

書曰:“不偏不黨,王道蕩蕩。”言至公也。古有行大公者,帝堯是也。貴為天子,富有天下,得舜而傳之,不私於其子孫也。去天下若遺,於天下猶然,況其細於天下乎?非帝堯孰能行之?孔子曰:“巍巍乎!惟天為大,惟堯則之。”易曰:“無首,吉。”此蓋人君之至公也。夫以公與天下,其德大矣。推之於此,刑之於彼,萬姓之所戴,後世之所則也。彼人臣之公,治官事則不營私家,在公門則不言貨利,當公法則不阿親戚,奉公舉賢則不避仇讎,忠於事君,仁於利下,推之以恕道,行之以不黨,伊呂是也。故顯名存於今,是之謂公。詩云:“周道如砥,其直如矢,君子所履,小人所視。”此之謂也。夫公生明,偏生暗,端愨生達,詐偽生塞,誠信生神,夸誕生惑,此六者,君子之所慎也,而禹桀之所以分也。詩云:“疾威上帝,其命多僻。”言不公也。

『尚書』に曰く「偏私せず、結黨せず。王道は寛廣にして平坦なり。」これを言うは至公なり。古來大公を實行する者有りて、帝堯は即ち是なり。貴きは天子と為り、富めるは天下を有し、舜を得て彼に傳え、自らの子孫に私せず。天下を丟開するや一隻の破鞋を丟くるが如し。天下に對してなおこの如し。いわんや天下より細小なるをや。帝堯に非ずんば誰か能く到らん。孔子は曰く「巍巍として高大なるかな!ただ天のみ最大、ただ堯のみ能くそれに取法す。」『周易』に曰く「自らを最前に擺さざれば、吉。」これはほぼ人君の至公なり。公を以て天下に給與せば、あの徳は即ち大なり。ここに於て推行し、あそこに於て典範と為し、是れ萬民の擁戴する所・後世の取法する所なり。あの人臣の公は、官事を辦理すれば即ち私家を經營せず、公門に在れば即ち貨利を談ぜず、公法に面對すれば即ち親戚を偏袒せず、公を奉じて賢人を舉薦すれば即ち仇敵を避開せず。忠にして君に事奉し、仁にして下に利を施し、恕道を以て推行し、結黨せざるを以て實行す。伊尹・呂尚は即ちこの如し。ゆえに顯赫の名声は今に存す。これを公と曰う。『詩経』に曰く「周の大道は磨刀石の如く、其の直きは箭の如し。君子の行走する所、小人の注視する所。」これを言う。公は明を產生し、偏は暗を產生し、端正誠實は通達を產生し、詐僞は壅塞を產生し、誠信は神明を產生し、虛夸荒誕は迷惑を產生す。この六件事は、君子の謹慎すべき所にして、また禹と桀の以て分開するの緣故なり。『詩経』に曰く「暴虐の上帝、其の命令は多く偏邪なり。」これを言うは不公なり。

吳王壽夢有四子,長曰謁,次曰餘祭,次曰夷昧,次曰季札,號曰:延陵季子。最賢,三兄皆知之。於是王壽夢薨,謁以位讓季子,季子終不肯當,謁乃為約曰:“季子賢,使國及季子,則吳可以興。”乃兄弟相繼,飲食必祝曰:“使吾早死,令國及季子。”謁死,餘祭立;餘祭死,夷昧立;夷昧死,次及季子。季子時使行不在。庶兄僚曰:“我亦兄也。”乃自立為吳王。季子使還,復事如故。謁子光曰:“以吾父之意,則國當歸季子,以繼嗣之法,則我適也,當代之君,僚何為也?”乃使專諸刺僚殺之,以位讓季子,季子曰:“爾殺吾君,吾受爾國,則吾與爾為共篡也。爾殺吾兄,吾又殺汝,則是昆弟父子相殺無已時也。”卒去之延陵,終身不入吳。君子以其不殺為仁,以其不取國為義。夫不以國私身,捐千乘而不恨,棄尊位而無忿,可以庶幾矣。

呉王壽夢に四個の兒子有り。長子は謁と曰い、次子は余祭と曰い、再次は夷昧と曰い、最小は季札にして、延陵季子と号す。最も賢能にして、三個の哥哥は皆知れり。そこで王壽夢は去世し、謁は位子を季子に讓らんとす。季子は始終當る肯んぜず。謁は即ち約定して曰く「季子は賢なり。國を讓りて季子に傳へば、呉は即ち以て興盛せん。」そこで兄弟は相繼いで君と為り、飯を食うに必ず祝禱して曰く「我をして早く死せしめ、國をして季子に傳らしめよ。」謁は死し、余祭は立ち、余祭は死し、夷昧は立ち、夷昧は死し、次序に按じて季子に輪れり。季子はあの時出使して外に在りて不在なり。庶兄僚は曰く「我もまた兄長なり。」即ち自ら呉王と立てり。季子は出使して歸り來り、舊の如く彼に事奉せり。謁の兒子光は曰く「我が父親の心意を按ずれば、國は当に季子に歸すべし。繼嗣の法を按ずれば、我は嫡子、当に接代して君と為るべし。僚は何を算せん。」即ち專諸を派して僚を刺殺し、彼を殺して、位子を季子に讓れり。季子は曰く「お前は我が君を殺し、我はお前の國を受くれば、あれは我とお前とは一同に位を篡むなり。お前は我が兄長を殺し、我はまたお前を殺せば、即ち是れ兄弟父子の互相殺して停止の時なし。」終に離れ去りて延陵に至り、終身呉に進まず。君子は以て彼の殺さざるは仁、國を取らざるは義とす。國を拿りて自らに私せず、千乘を丟掉して遺憾なく、尊位を抛弃して忿恨なし。以て近しと算すべし。

諸侯之義死社稷,大王委國而去,何也?夫聖人不欲強暴侵陵百姓,故使諸侯死國守其民。大王有至仁之恩,不忍戰百姓,故事勳育戎氏以犬馬珍幣,而伐不止。問其所欲者,土地也。於是屬其群臣耆老,而告之曰:“土地者,所以養人也,不以所以養而害其慈也,吾將去之。”遂居岐山之下。邠人負幼扶老從之,如歸父母。三遷而民五倍其初者,皆興仁義趣上之事。君子守國安民,非特鬥兵罷殺士眾而已。不私其身惟民,足用保民,蓋所以去國之義也,是謂至公耳。

諸侯の義は社稷のために死するなり。大王は卻って國を丟下して離去せり。何故か。聖人は強暴が百姓を侵陵するを願わざるなり。ゆえに諸侯をして國家のために死し其の民を守らしむ。大王に至仁の恩有り、百姓をして戰わしむるに忍びず。ゆえに勛育戎氏に事奉するを以てし、犬馬珍寶幣帛を以てせり。しかるに攻伐は併せて停止せず。彼らの所要を問えば、是れ土地なり。そこで群臣耆老に嘱咐して、彼らに告げて曰く「土地は以て人を養活するなり。人を養活する物を以て愛する所を傷害するなかれ。我は将にここを離れん。」そこで岐山の下に住めり。邠人は幼児を背負い老人を扶えて彼に跟隨し、父母に歸向するが如し。三次遷徙して民は起初の五倍なり。皆仁義を興起し、在上者の事に趨向せり。君子は國を守り民を安んずるに、ただ兵を用い争鬥して士衆を疲憊殺害せしむるのみにあらず。自らの身子を私せず、ただ民を思うのみ。以て民を保するに足れり。これはほぼ國を離れるの義なり。これを至公と曰う。

辛櫟見魯穆公曰:“周公不如太公之賢也。”穆公曰:“子何以言之?”辛櫟對曰:“周公擇地而封曲阜;太公擇地而封營丘,爵士等,其地不若營丘之美,人民不如營丘之眾。不徒若是,營丘又有天固。”穆公心慚,不能應也。辛櫟趨而出。南宮邊子入,穆公具以辛櫟之言語南宮邊子。南宮邊子曰:“昔周成王之卜居成周也。其命龜曰:‘予一人兼有天下,闢就百姓,敢無中土乎?使予有罪,則四方伐之,無難得也。’周公卜居曲阜,其命龜曰:‘作邑乎山之陽,賢則茂昌,不賢則速亡。’季孫行父之戒其子也,曰:‘吾欲室之俠於兩社之間也。使吾後世有不能事上者,使其替之益速。’如是則曰:‘賢則茂昌,不賢則速亡。’安在擇地而封哉?或示有天固也。辛櫟之言小人也,子無複道也。”

辛櫟は魯穆公に見えて曰く「周公は太公に如かず賢なり。」穆公は曰く「お前は何を凭りてこのように説くか。」辛櫟は答え曰く「周公は土地を択んで曲阜に封ぜられ、太公は土地を択んで營丘に封ぜられたり。爵と封土は相等しいに、曲阜の地は營丘に如かず美しく、人民は營丘に如かず多し。ただこの如きのみにあらず、營丘はまた天然の險固有り。」穆公は心裏慚愧して、應答する能わず。辛櫟は快步して出でたり。南宮邊子は進みて入りて、穆公は辛櫟の話を一一に南宮邊子に告げたり。南宮邊子は曰く「昔、周成王は成周に居るを占卜して、其の龜に命じて曰く『我一人は天下を兼有し、開闢して百姓に接近す。敢えて中央の土地なからんや。仮に我が罪有れば、四方は來りて伐たん。則ち得難からざらん』と。周公は曲阜に居るを占卜して、其の龜に命じて曰く『山の南面に於て城邑を建立すれば、賢なれば即ち茂盛昌盛し、不賢なれば即ち迅速に滅亡せん』と。季孫行父は其の兒子を告誡して曰く『我は住宅を兩社の間に夾まんと欲す。仮に我が後世に能く上に事奉せざる有らば、彼をして廢せられて更に速からしめよ』と。この如きは即ち説く『賢なれば即ち茂盛昌盛し、不賢なれば即ち迅速に滅亡せん』と。どこに土地を択んで以て封ぜんに在らんや。あるいは是れ天然の險固有るを顯示せり。辛櫟の話は小人の話なり。あなたは再び説くなかれ。」

秦始皇帝既吞天下,乃召群臣而議曰:“古者五帝禪賢,三王世繼,孰是?將為之。”博士七十人未對。鮑白令之對曰:“天下官,則讓賢是也;天下家,則世繼是也。故五帝以天下為官,三王以天下為家。”秦始皇帝仰天而嘆曰:“吾德出於五帝,吾將官天下,誰可使代我後者。”鮑白令之對曰:“陛下行桀紂之道,欲為五帝之禪,非陛下所能行也。”秦始皇帝大怒曰:“令之前,若何以言我行桀紂之道也。趣說之,不解則死。”令之對曰:“臣請說之,陛下築臺幹云,宮殿五里,建千石之鐘,萬石之■,婦女連百,倡優累千,興作驪山宮室至雍,相繼不絕,所以自奉者,殫天下,竭民力,偏駁自私,不能以及人,陛下所謂自營僅存之主也。何暇比德五帝,欲官天下哉?”始皇闇然無以應之,面有慚色。久之,曰:“令之之言,乃令眾醜我。”遂罷謀,無禪意也。

秦始皇帝は已に天下を吞并し、即ち群臣を召集して商議して曰く「古時五帝は位子を賢人に禪讓し、三王は父子世代相繼せり。どれが對か。我は将に照らして為さん。」博士七十人は回答せず。鮑白令之は回答して曰く「天下を官職と當れば、賢に讓るが對なり。天下を私家と當れば、世代相繼ぐが對なり。ゆえに五帝は天下を以て官職と當り、三王は天下を以て私家と當れり。」秦始皇帝は天を仰ぎて嘆息して曰く「我が徳は五帝より出づ。我は将に天下を以て官職と為さん。誰か以て彼をして我に代えて後に在らしめん。」鮑白令之は回答して曰く「陛下の行うは桀紂の道なり。五帝の禪讓を為さんと欲するは、陛下の能く行う所にあらず。」秦始皇帝は大いに怒りて曰く「令之は上前せよ。お前は何を凭りて我が桀紂の道を行うと説くか。速やかに清楚に説け。清楚に説かざれば死せん。」令之は回答して曰く「臣は説くを請う。陛下は台を築きて高く雲に入り、宮殿は綿延して五里、千石の鐘・萬石の虡を建て、婦女は相連なること上百、倡優は累積すること上千、驪山宮室を興建して雍に至るまで、相繼いで斷えず。以て自らを奉養するは、天下を用盡し民力を竭盡し、偏頗駁雜してただ自らを顧りて、能く人に推及せず。陛下は所説ただ自らを經營し僅かに自存する主なり。どこに閑暇あって五帝に德を比して天下を以て官職と為さんと欲せんや。」始皇は黯然として應答する話なく、臉上に慚愧の神色有り。良久を過ぎて、曰く「令之の話は、竟に衆人をして我を以て醜陋と看作せしめり。」そこで謀劃を停止し、禪讓の意思なかりき。

齊景公嘗賞賜及後宮,文繡被臺榭,菽粟食鳧鴈。出而見殣,謂晏子曰:“此何為而死?”晏子對曰:“此餧而死。”公曰:“嘻!寡人之無德也,何甚矣!”晏子對曰:“君之德著而彰,何為無德也?”景公曰:“何謂也?”對曰:“君之德及後宮與臺榭,君之玩物,衣以文繡,君之鳧鴈,食以菽粟,君之營內自樂,延及後宮之族,何為其無德也?顧臣願有請於君,由君之意,自樂之心,推而與百姓同之,則何殣之有?君不推此而苟營內好私,使財貨偏有所聚,菽粟幣帛腐於囷府,惠不遍加於百姓,公心不周乎國,則桀紂之所以亡也。夫士民之所以叛,由偏之也。君如察臣嬰之言,推君之盛德,公佈之於天下,則湯武可為也,一殣何足恤哉?”

斉景公はかつて後宮に賞賜するに至りて、文繍は台榭を覆蓋し、菽粟は野鴨と大雁に喂食せり。門を出でて餓死する人を見て、晏子に對して曰く「この人は何故死せりか。」晏子は答え曰く「これは餓死��り��」公は曰く「唉!寡人の無徳、何と厲きか。」晏子は答え曰く「君の徳は顯著にして彰明なり。何故無徳と説くか。」景公は曰く「何の意思か。」答え曰く「君の徳は後宮と台榭に至り、君の玩物は文繍を以て穿き、君の野鴨と大雁は菽粟を以て喂る。君は宮內を經營して自ら快樂し、後宮の族人に延及す。何故無徳と説くか。ただ臣は君に向かい請求せんと希望す。君の心意・自ら快樂する心に由りて、推廣して百姓と一同に享有せば、あれにまた何の餓死する人あらん。君はこれを推廣せずして、卻ってただ宮內を經營して私利を喜好し、財貨をして一處に偏聚集せしめ、菽粟幣帛は糧倉府庫の裏に腐爛せしめ、恩惠は普遍に百姓の身に加わらず、公心は國に周遍せず。あれは即ち桀紂の以て滅亡するの緣故なり。士民の以て叛離するは、偏私に由るなり。君がもし臣嬰の話を體察して、君の盛徳を推廣し、公正に天下に公布せば、ならば湯武は皆到るべし。一個の餓死する人はどこに憂恤するに値せんや。」

楚共王出獵而遺其弓,左右請求之,共王曰:“止,楚人遺弓,楚人得之,又何求焉?”仲尼聞之,曰:“惜乎其不大,亦曰:‘人遺弓,人得之而已,何必楚也!’”仲尼所謂大公也。

楚共王は出でて打獵して弓を丟掉せり。左右の人は去找するを請求せり。共王は曰く「停まれ。楚人は弓を丟掉し、楚人はそれを得ん。又何ぞ找らん。」仲尼はこれを聞きて、曰く「可惜や、其の器量は大ならず。また当に説くべし『人は弓を丟掉し、人はそれを得るのみ。何ぞ楚ならんや!』と。」仲尼の所説は即ち大公なり。

萬章問曰:“孔子於衛主雍睢,於齊主寺人脊環,有諸?”孟子曰:“否!不然。好事者為之也。於衛主顏讎由,彌子之妻與子路之妻,兄弟也。彌子謂子路曰:‘孔子主我,衛卿可得也。’子路以告。孔子曰:‘有命。’孔子進之以禮,退之以義,得之不得曰有命,而主雍睢與寺人脊環,是無命也。孔子不說於魯衛,將適宋,遭桓司馬,將要而殺之,微服過宋,是孔子嘗阨,主司城貞子,為陳侯周臣。吾聞之,觀近臣以其所為之主,觀遠臣以其所主,如孔子主雍睢與寺人脊環,何以為孔子乎?”

萬章は問うた「孔子は衛に於て雍睢の家に寄住し、斉に於て寺人脊環の家に寄住せり。この事有るか。」孟子は曰く「不!この如くあらず。是れ好事の人の編出する所なり。衛に於ては顔讐由の家に寄住せり。彌子の妻子と子路の妻子は姐妹なり。彌子は子路に對して曰く『孔子は我が所に寄住せば、衛の卿は即ち以て得べし』と。子路はこの話を以て孔子に告げたり。孔子は曰く『命有り。』孔子は進用するに礼に依り、退處するに義に依り。得ると得ざると皆命有りと曰う。卻って雍睢と寺人脊環の家に寄住せば、あれは即ち命なきなり。孔子は魯・衛に於て愉快ならず、将に宋に至らんとして、桓司馬に遇い、将に攔截して彼を殺害せんとせり。平民の衣服を換えて宋を經過せり。これは孔子がかつて困厄せり。司城貞子の家に寄住し、陳侯周の臣を為せり。我が聞くに、近臣を觀察するは其の寄住する主人を看よ。遠來の臣を觀察するは其の寄住するは誰なるを看よ。もし孔子が雍睢と寺人脊環の家に寄住せば、なお何を凭りて孔子を為さん。」

夫子行說七十諸侯無定處,意欲使天下之民各得其所,而道不行。退而修春秋,採毫毛之善,貶纖介之惡,人事浹,王道備,精和聖制,上通於天而麟至,此天之知夫子也。於是喟然而嘆曰:“天以至明為不可蔽乎?日何為而食也?地以至安為不可危乎?地何為而動?”天地尚有動蔽,是故賢聖說於世而不得行其道,故災異並作也。夫子曰:“不怨天,不尤人,下學而上達,知我者其天乎!”

夫子は七十個の諸侯を游説して固定の住處なし。心意は天下の民をして各々其所を得しめんと欲するなり。しかるに道は推行する能わず。退きて『春秋』を修訂し、毫毛の如き善を采取し、細微の惡を貶斥す。人事は周遍し、王道は具備し、精微は聖王の制度に和諧し、上は天に通じて麒麟至れり。これは天の夫子を知るなり。そこで喟然として嘆息して曰く「天は極明を以て遮蔽すべからずと為すか。太陽は何故に虧食するか。地は極安を以て傾危すべからずと為すか。地は何故に動くか。」天地はなお尚且震動と遮蔽有り。ゆえに賢聖は当世に向かい游説するも能く其の道を推行せず。そこで災異は一齊に出現せり。夫子は曰く「天を怨まず、人を尤めず、下は人事を學習し上は天命に通達す。我を知るはほぼ天か!」

孔子生於亂世,莫之能容也。故言行於君,澤加於民,然後仕。言不行於君,澤不加於民則處。孔子懷天覆之心,挾仁聖之德,憫時俗之汙泥,傷紀綱之廢壞,服重歷遠,周流應聘,乃俟幸施道以子百姓,而當世諸侯莫能任用,是以德積而不肆,大道屈而不伸,海內不蒙其化,群生不被其恩,故喟然而嘆曰:“而有用我者,則吾其為東周乎!”故孔子行說,非欲私身,運德於一城,將欲舒之於天下,而建之於群生者耳。

孔子は乱世に生れ、能く彼を容納する無し。ゆえに言論は能く君の所に於て實行し、恩澤は能く民の身に加うる、然る後に乃ち官を為れり。言論は能く君の所に於て實行せず、恩澤は能く民の身に加わらざれば、即ち隱處せり。孔子は天の萬物を覆蓋する心を懷き、仁聖の徳を挾び、時俗の污浊を憐憫し、紀綱の廢壞を傷痛し、重任を背負いて遠き路を走り、周流して聘に應じ、僥倖して道を施行するを待ちて以て百姓を對待するや兒子の如くせり。しかるに当世の諸侯は能く彼を任用する無し。これにより徳は積蓄するも能く施展せず、大道は屈曲して能く伸直せず、海內は能く其の教化を蒙受せず、群生は能く其の恩を被らず。ゆえに喟然として嘆息して曰く「もし我を用いる有らば、あれは我がほぼ東周を復興せんか!」ゆえに孔子の出行游説するは、私利自らを想い徳を一座の城に運轉せんと欲するにあらず。是れそれを天下に舒展し群生の身に建立せんと欲するなり。

秦晉戰交敵,秦使人謂晉將軍曰:“三軍之士皆未息,明日請復戰。”臾駢曰:“使者目動而言肆,懼我,將遁矣,迫之河,必敗之。”趙盾曰:“死傷未收而棄之,不惠也。不待期而迫人於險,無勇也,請待。”秦人夜遁。

秦・晋は交戦して互いに敵手と為せり。秦は人を派して晋の將軍に言わしめて曰く「三軍の士は皆未だ休息せず。明日は請う再び戰わん。」臾駢は曰く「使者は眼を轉動して説話放肆せり。是れ我らを怕れて、将に逃げ去らんとす。彼らを河邊に逼れば、必ず能く彼らを打敗せん。」趙盾は曰く「死傷の未だ收拾せざるに卻って彼らを抛弃するは、不惠なり。約期に等到せずして人を險處に逼るは、無勇なり。請う、待たん。」秦人は夜に逃げ去れり。

子胥將之吳,辭其友申包胥曰:“後三年,楚不亡,吾不見子矣!”申包胥曰:“子其勉之!吾未可以助子,助子是伐宗廟也;止子是無以為友。雖然,子亡之,我存之,於是乎觀楚一存一亡也。”後三年,吳師伐楚,昭王出走,申包胥不受命西見秦伯曰:“吳無道,兵強人眾,將徵天下,始於楚,寡君出走,居雲夢,使下臣告急。”哀公曰:“諾,吾固將圖之。”申包胥不罷朝,立於秦庭,晝夜哭,七日七夜不絕聲。哀公曰:“有臣如此,可不救乎?”興師救楚,吳人聞之,引兵而還,昭王反,復欲封申包胥,申包胥辭曰:“救亡非為名也,功成受賜,是賣勇也。”辭不受,遂退隱,終身不見。詩云:“凡民有喪,匍匐救之。”

子胥は将に呉に至らんとし、其の朋友申包胥に向かい辭別して曰く「三年の後、楚は滅亡せざれば、我は即ち不再びお前に見えん!」申包胥は曰く「お前は努力せよ!我は能くお前を幫助せず、お前を幫助すれば即ち宗廟を攻伐するなり。お前を制止すれば即ち朋友を為るに法なし。然りといえども、お前はそれを亡ならしめ、我はそれを存せしめん。即ちこの事の上に於て楚の一存一亡を看ん。」三年の後、呉の軍隊は楚を攻伐せり。昭王は出走せり。申包胥は受命せずして、西に向かい秦伯に見えて曰く「呉は無道、兵は強く人は多し。将に天下を征討せんとし、楚より始めん。寡君は出走して雲夢に住み、下臣を派して來りて急を告げしむ。」哀公は曰く「よし。我は本來即ちこの事を謀劃せんとす。」申包胥は朝を退かず、秦の朝廷の上に立ちて、晝夜哭泣し、七日七夜にして聲音斷えず。哀公は曰く「この如き臣有れば、以て救わざるべからんや。」兵を起して楚を救えり。呉人はこれを聞きて、兵を帶びて歸れり。昭王は返回し、また申包胥を封せんと欲す。申包胥は推辞して曰く「亡を救うは名のためならず。功が成りて賞賜を接受するは、即ち勇力を出賣するなり。」推辞して受けず、そこで退隱して、終身不再び出現せず。『詩経』に曰く「およそ民に喪事有らば、爬いて往きて彼を救え。」

楚令尹虞丘子復於莊王曰:“臣聞奉公行法,可以得榮,能淺行薄,無望上位,不名仁智,無求顯榮,才之所不著,無當其處。臣為令尹十年矣,國不加治,獄訟不息,處士不升,淫禍不討,久踐高位,妨群賢路,尸祿素餐,貪慾無●,臣之罪當稽於理,臣竊選國俊下里之士孫叔敖,秀羸多能,其性無慾,君舉而授之政,則國可使治而士民可使附。”莊王曰:“子輔寡人,寡人得以長於中國,令行於絕域,遂霸諸侯,非子如何?”虞丘子曰:“久固祿位者,貪也;不進賢達能者,誣也;不讓以位者,不廉也;不能三者,不忠也。為人臣不忠,君王又何以為忠?臣願固辭。”莊王從之,賜虞子采地三百,號曰“國老”,以孫叔敖為令尹。少焉,虞丘子家幹法,孫叔敖執而戮之。虞丘子喜,入見於王曰:“臣言孫叔敖果可使持國政,奉國法而不黨,施刑戮而不骫,可謂公平。”莊王曰:“夫子之賜也已!”

楚令尹虞丘子は荘王に向かい回報して曰く「臣が聞くに、公を奉じて法を行うは以て榮を得べし。才能淺く行為薄ければ則ち上位を指望するなかれ。仁智と称せられざれば則ち顯榮を求むるなかれ。才能の能く顯著せざる所は、あの位子に處るなかれと。臣は令尹を為ること十年なり。國は更に治理せず、獄訟は停止せず、處士は提升せられず、淫禍は討伐せられず。長久に高位を踐踏し、群賢の路を妨碍し、空しく俸禄を受け白く飯を食えり。貪欲は滿足なし。臣の罪は当に法官に交付して考核せらるべし。臣は私に國內俊秀の鄉里之士孫叔敖を択取せり。清瘦にして多能、其の性は欲望なし。君は舉用して政を彼に交付せば、即ち以て國を治理し士民を歸附せしむべし。」荘王は曰く「お前は寡人を輔佐し、寡人は中國に於て首と為るを得、政令は極遠の地域に行きて、そこで諸侯に稱覇せり。お前に非ずんばまた誰か。」虞丘子は曰く「長久に禄位を固守するは、貪なり。賢達有能の人を進薦せざるは、欺誣なり。位子を讓出せざるは、不廉なり。この三樣は皆能わざるは、不忠なり。人臣を為りて不忠なれば、君王はまた何を凭りて以て忠と為さん。臣は堅く推辞せんを希望す。」荘王は聽從したり。虞子に采地三百を賜い、「國老」と号して、孫叔敖を以て令尹と為せり。ほどなく、虞丘子の家裏に人ありて法令を觸犯せり。孫叔敖は捉えて殺せり。虞丘子は高興し、進みて王に見えて曰く「臣の説きし孫叔敖は果して彼をして國政を主持せしむべし。國法を奉行して結黨せず、刑戮を施行して枉曲せず。以て公平と称すべし。」荘王は曰く「これは夫子の賜與か!」

趙宣子言韓獻子於晉侯曰:“其為人不黨,治眾不亂,臨死不恐。”晉侯以為中軍尉。河曲之役,趙宣子之車幹行,韓獻子戮其僕,人皆曰:“韓獻子必死矣,其主朝升之,而暮戮其僕,誰能待之!”役罷,趙宣子觴大夫,爵三行曰:“二三子可以賀我。”二三子曰:“不知所賀。”宣子曰:“我言韓厥於君,言之而不當,必受其刑。今吾車失次而戮之僕,可謂不黨矣。是吾言當也。”二三子再拜稽首曰:“不惟晉國適享之,乃唐叔是賴之,敢不再拜稽首乎?”

趙宣子は晋侯に向かい韓献子を称説して曰く「彼は人と為りて黨を正さず、衆人を治理して乱れず、死に臨面して恐懼せず。」晋侯は彼を以て中軍尉と為せり。河曲のあの一仗に、趙宣子の車子は行列を扰乱せり。韓献子は其の御者を殺せり。人は皆曰く「韓献子は必ず死を得ん。其の主は朝に彼を提升し、晚に即ち彼の御者を殺す。誰か能く容忍せん。」戰役は結束し、趙宣子は大夫に酒を請いて、爵を三次行いて曰く「二三子は以て我を慶賀すべし。」二三子は曰く「何を慶賀するかを知らず。」宣子は曰く「我は君に向かい韓厥を称説せり。説きて得當せざれば、必ず刑を受けん。いま我が車子は次序を失い、彼は即ち御者を殺せり。以て黨を正さずと称すべし。これは我が説きて得當せるなり。」二三子は再拜叩頭して曰く「ただ晋國のみ正好してこのを享有するにあらず、唐叔に連なるもこのに依頼す。敢えて再拜叩頭せざらんや。」

晉文公問於咎犯曰:“誰可使為西河守者?”咎犯對曰:“虞子羔可也。”公曰:“非汝之讎也?”對曰:“君問可為守者,非問臣之讎也。”羔見咎犯而謝之曰:“幸赦臣之過,薦之於君,得為西河守。”咎犯曰:“薦子者公也,怨子者私也,吾不以私事害公事,子其去矣,顧吾射子也!”

晋文公は咎犯に問うた「誰か以て派して西河守を為らしむべきか。」咎犯は答え曰く「虞子羔は以て可なり。」公は曰く「彼はお前の仇人にあらずや。」答え曰く「君の問うは以て守を為るべき人なり。臣の仇人を問うにあらず。」羔は咎犯に見えて彼に道謝して曰く「幸いに臣の過錯を赦免して、臣を君に薦げて、西河守を為るを得たり。」咎犯は曰く「お前を薦ぐるは公なり。お前を怨むは私なり。我は私事を以て公事を妨害せず。お前は走れ。回頭して我は可是れお前を射ん!」

楚文王伐鄧,使王子革王子靈共捃菜,二子出採,見老丈人載畚,乞焉,不與,搏而奪之。王聞之,令皆拘二子,將殺之。大夫辭曰:“取畚信有罪,然殺之非其罪也,君若何殺之?”言卒,丈人造軍而言曰:“鄧為無道,故伐之,今君公之子搏而奪吾畚,無道甚於鄧。”呼天而號,君聞之,群臣恐,君見之曰:“討有罪而橫奪,非所以禁暴也;恃力虐老,非所以教幼也;愛子棄法,非所以保國也;私二子、滅三行,非所以從政也,丈人舍之矣。”謝之軍門之外耳。

楚文王は鄧を伐ち、王子革・王子靈を派してともに菜を拾わしめた。二子は出でて采るに、一位の老丈人が車を以て畚箕を載せるを見て、彼に求むるも與えず。即ち彼を毆打して奪取せり。王はこれを聞き、令を下して二子を皆拘え、将に殺掉せんとす。大夫は勸解して曰く「畚箕を奪取するは確かに罪あり。しかるに彼らを殺すは彼らの罪にあらず。君は何故彼らを殺すか。」話は畢りて、丈人は軍中に至りて曰く「鄧は無道、ゆえにそれを討伐す。いま君公の兒子は我が畚箕を毆打奪取す。無道は鄧より更に厲し。」天を呼びて號哭せり。君はこれを聞き、群臣は恐懼せり。君は彼を接見して曰く「罪有るを討伐して卻って橫暴に奪取するは、以て暴を禁止するにあらず。力氣を仗りて老人を虐待するは、以て幼小を教導するにあらず。兒子を愛して法を抛弃するは、以て國を保するにあらず。兩個の兒子を私護し三種の品行を毀滅するは、以て政に從するにあらず。丈人は彼らを原諒せよ。」ただ軍門の外に於て彼に道歉せり。

楚令尹子文之族有幹法者,廷理拘之,聞其令尹之族也而釋之。子文召廷理而責之曰:“凡立廷理者將以司犯王令而察觸國法也。夫直士持法,柔而不撓;剛而不折。今棄法而背令而釋犯法者,是為理不端,懷心不公也。豈吾營私之意也,何廷理之駁於法也!吾在上位以率士民,士民或怨,而吾不能免之於法。今吾族犯法甚明,而使廷理因緣吾心而釋之,是吾不公之心,明著於國也。執一國之柄而以私聞,與吾生不以義,不若吾死也。遂致其族人於廷理曰:“不是刑也,吾將死!”廷理懼,遂刑其族人。成王聞之,不及履而至於子文之室曰:“寡人幼少,置理失其人,以違夫子之意。”於是黜廷理而尊子文,使及內政。國人聞之,曰:“若令尹之公也,吾黨何憂乎?”乃相與作歌曰:“子文之族,犯國法程,廷理釋之,子文不聽,恤顧怨萌,方正公平。”

楚令尹子文の族人に法令を觸犯する者あり。廷理は彼を捉え、令尹の族人和聞きて即ち放せり。子文は廷理を召して彼を責備して曰く「およそ廷理を設立するは、以て王令と國法を觸犯するを督察せんと欲す。正直の士は法を執りて、柔和にして彎曲せず、剛強にして折斷せず。いま法を抛弃し令を違背して法を犯す人を放掉するは、これは法官を為りて端正ならず、心裏に不公を懷くなり。豈に是れ我が私を營するの意思か。廷理は法に對して何と駁雜なるか!我は上位に處りて以て士民を率領す。士民あるいは怨恨有るも、我は能く彼を法より免れしめず。いま我が族人は法を犯すこと甚だ明白にして、卻って廷理をして我が心意に迎合して放掉せしむ。これは我が不公の心の國中に顯明するなり。一國の權柄を執掌して卻って私を以て聞こゆ。其の我が生きて義に合わざるより、我が死するに如かず。」そこで其の族人を廷理の所に送りて曰く「彼に刑を用いざれば、我は将に死せん!」廷理は恐懼し、終に彼の族人に刑を用いたり。成王はこれを聞きて、鞋を穿くに及ばずして子文の屋子に至りて曰く「寡人は幼小、法官を設置して人を錯用し、以致りて夫子の心意に違背せり。」そこで廷理を罷黜して子文を尊重し、彼をして內政に參与せしめたり。國人はこれを聞きて、曰く「令尹の如く公なれば、我らこれらの人はまた何を憂慮せん。」そこで一齊に歌を作して曰く「子文の族人、國法章程に觸犯し、廷理は彼を放掉し、子文は答應せず。怨恨の萌芽を顧念し、方正公平なり。」

楚莊王有茅門者法曰:“群臣大夫諸公子入朝,馬蹄蹂溜者斬其輈而戮其御。”太子入朝,馬蹄蹂溜。廷理斬其輈而戮其御。太子大怒,入為王泣曰:“為我誅廷理。”王曰:“法者所以敬宗廟,尊社稷,故能立法從令尊敬社稷者,社稷之臣也,安可以加誅?夫犯法廢令,不尊敬社稷,是臣棄君,下陵上也。臣棄君則主失威,下陵上則上位危,社稷不守,吾何以遺子?”太子乃還走避舍,再拜請死。

楚荘王に茅門の法令有りて曰く「群臣・大夫・各位の公子が朝に入るに、馬蹄が屋檐の下の水溝を踩む者は、車轅を斬斷して併せて御者を殺せ。」太子は朝に入りて、馬蹄は屋檐の下の水溝を踩めり。廷理は車轅を斬斷して併せて御者を殺せり。太子は大いに怒り、進みて王に對して哭泣して曰く「我がために廷理を殺せ。」王は曰く「法は以て宗廟を敬い社稷を尊するなり。ゆえに能く法を立て令に從い社稷を尊敬するは、社稷之臣なり。どうして以て誅殺を加えんや。法を犯し令を廢して社稷を尊敬せざるは、臣は君を抛弃し在下は在上を陵越すなり。臣が君を抛弃すれば則ち主は威を失い、在下が在上を陵越すれば則ち上位は危険なり。社稷は守る能わず、我は何を以て兒子に留せん。」太子はそこで退走して正寝を避け、再拜して死を受けんことを請求せり。

楚莊王之時,太子車立於茅門之內,少師慶逐之,太子怒,入謁王曰:“少師慶逐臣之車。王曰:“舍之,老君在前而不踰,少君在後而不豫,是國之寶臣也。”

楚荘王の時、太子の車子は茅門の內に停めり。少師慶はそれを趕走せり。太子は發怒し、進みて王に謁見して曰く「少師慶は臣の車子を趕走せり。」王は曰く「彼を放過せよ。老君は前に在りて分を越えず、少君は後ろに在りて豫め討好せず。これは國の寶臣なり。」

吳王闔廬為伍子胥興師復讎於楚。子胥諫曰:“諸侯不為匹夫興師,且事君猶事父也,虧君之義,復父之讎,臣不為也。”於是止。其後因事而後復其父讎也,如子胥可謂不以公事趨私矣。

呉王闔廬は伍子胥のために兵を起して楚に向かい仇を報いんとせり。子胥は進諫して曰く「諸侯は匹夫のために兵を起さず。さらに君に事奉するは父に事奉するが如く、君の義を虧損して以て父の仇に報ゆるは、臣は為さず。」そこで停止せり。後に別の事を藉りて乃ち彼の父の仇を報いたり。子胥の如きは、以て公事を拿りて私に趨就せざると称すべし。

孔子為魯司寇,聽獄必師斷,敦敦然皆立,然後君子進曰:“某子以為何若,某子以為云云。”又曰:“某子以為何若,某子曰云雲。”辯矣。然後君子幾當從某子云云乎,以君子之知,豈必待某子之云云,然後知所以斷獄哉?君子之敬讓也,文辭有可與人共之者,君子不獨有也。

孔子は魯の司寇を為り、獄訟を審理するに必ず衆人とともに裁斷し、皆敦厚にして立ちて、然る後に君子は進前して曰く「某子は以て如何、某子は以て如何如何。」また曰く「某子は以て如何、某子は説く如何如何。」已に辯明せり。然る後に君子は乃ち説く、ほぼ当に某子の如何如何に依從すべきかと。君子の智を凭れば、どうして必ず某子の如何如何を待ちて、然る後に乃ちどう獄を斷ずるを知らんや。これは君子の敬讓なり。文辭に以て人と共同して有るべき有り。君子は獨自占有せず。

子羔為衛政,刖人之足。衛之君臣亂,子羔走郭門,郭門閉,刖者守門,曰:“於彼有缺!”子羔曰:“君子不踰。”曰:“於彼有竇。”子羔曰:“君子不遂。”曰:“於此有室。”子羔入,追者罷。子羔將去,謂刖者曰:“吾不能虧損主之法令而親刖子之足,吾在難中,此乃子之報怨時也,何故逃我?”刖者曰:“斷足固我罪也,無可奈何。君之治臣也,傾側法令,先後臣以法,欲臣之免於法也,臣知之。獄決罪定,臨當論刑,君愀然不樂,見於顏色,臣又知之。君豈私臣哉?天生仁人之心,其固然也。此臣之所以脫君也。”孔子聞之,曰:“善為吏者樹德,不善為吏者樹怨。公行之也,其子羔之謂歟?”

子羔は衛に於て執政し、人の脚を砍れり。衛の君臣は亂を作し、子羔は郭門に向かい逃げ、郭門は關せられ、脚を砍られた人は門を守りて曰く「あそこに缺口あり!」子羔は曰く「君子は翻越せず。」曰く「あそこに洞あり。」子羔は曰く「君子は洞を钻がず。」曰く「ここに屋子あり。」子羔は入りて、追う人は停止せり。子羔は将に離開せんとし、脚を砍られた人に對して曰く「我は能く主上の法令を虧損して自らお前の脚を砍りぬ。我は患難の中に在り。これは正にお前が仇を報ずる時なり。何故我をして逃走せしむか。」脚を砍られた人は曰く「脚を斷たれたは本來我が罪、如何ともすべきなし。君が臣を治理する時、反復して法令を推敲し、法を臣の先後に置き、臣をして法を免れしめんと欲せり。臣は知れり。獄は已に判決し罪は已に定められ、刑を論ずるに臨んで、君は愀然として樂しまず、臉色に顯れり。臣はまた知れり。君は豈に臣を私護せんや。天は仁人の心を生ず。本來この如し。これが臣の以て君をして身を脱がしむるの緣故なり。」孔子はこれを聞きて、曰く「吏を為るに善きは徳を樹立し、吏を為るに善からざるは怨を樹立す。公正に實行するは、ほぼ子羔を言うか。」

卷十五指武

巻十五 指武

司馬法曰:“國雖大,好戰必亡;天下雖安,忘戰必危。”易曰:“君子以除戎器,戒不虞。”夫兵不可玩,玩則無威;兵不可廢,廢則召寇。昔吳王夫差好戰而亡,徐偃王無武亦滅。故明王之制國也,上不玩兵,下不廢武。易曰:“存不忘亡,是以身安而國家可保也。”

『司馬法』に曰く「國は大なりといえども、戰を好めば必ず滅亡す。天下は安定すといえども、戰爭を忘れば必ず危險なり。」『周易』に曰く「君子は兵��を修治し、意外を戒備す。」兵器は玩弄すべからず、玩弄すれば即ち威無し。兵器は廢棄すべからず、廢棄すれば即ち寇敵を招來す。昔、呉王夫差は戰を好みて滅亡し、徐偃王は武備なくしてまた滅亡せり。ゆえに明王は國家を治理して、上は兵器を玩弄せず、下は武備を廢棄せず。『周易』に曰く「生存して滅亡を忘れず、これにより自身は安定して國家は以て保全すべし。」

秦昭王中朝而嘆曰:“夫楚劍利、倡優拙。夫劍利則士多慓悍,倡優拙則思慮遠也,吾恐楚之謀秦也。”此謂當吉念兇,而存不忘亡也,卒以成霸焉。

秦昭王は朝廷の上に於て嘆息して曰く「楚の劍は鋒利にして、倡優は笨拙なり。劍が鋒利なれば則ち士は多く強悍し、倡優が笨拙なれば則ち思慮は深遠なり。我は楚が秦を謀劃するを怕る。」これを吉の裏に處りて凶を想い、生存して滅亡を忘れずと曰い、終にこれにより霸業を成就せり。

王孫厲謂楚文王曰:“徐偃王好行仁義之道,漢東諸侯三十二國盡服矣!王若不伐,楚必事徐。”王曰:“若信有道,不可伐也。”對曰:“大之伐小,強之伐弱,猶大魚之吞小魚也,若虎之食豚也,惡有其不得理?”文王興師伐徐,殘之。徐偃王將死,曰:“吾賴於文德而不明武備,好行仁義之道而不知詐人之心,以至於此。”夫古之王者其有備乎?

王孫厲は楚文王に對して曰く「徐偃王は仁義之道を實行するを喜好す。漢水以東の諸侯三十二國は皆歸服せり!王がもし往きて伐たざれば、楚は必ず徐に事奉するを得ん。」王は曰く「もし彼が真に道有らば、伐つべからず。」答え曰く「大は小を伐ち、強は弱を伐つ。猶お大魚の小魚を吞むが如く、虎の小豬を食むが如し。どこに理を得ざるあらん。」文王は兵を起して徐を伐ち、それを殘破せり。徐偃王は将に死せんとして曰く「我は文徳に依頼して武備を明白せず、仁義之道を實行するを喜好して欺詐の人心を知らず。以致りてこの歩に至れり。」古代王と称する人は、ほぼ皆武備有りしか!

吳起為苑守,行縣適息,問屈宜臼曰:“王不知起不肖,以為苑守,先生將何以教之?”屈公不對。居一年,王以為令尹,行縣適息。問屈宜臼曰:“起問先生,先生不教。今王不知起不肖,以為令尹,先生試觀起為之也!”屈公曰:“子將奈何?”吳起曰:“將均楚國之爵而平其祿,損其有餘而繼其不足,厲甲兵以時爭於天下。”屈公曰:“吾聞昔善治國家者不變故,不易常。今子將均楚國之爵而平其祿,損其有餘而繼其不足,是變其故而易其常也。且吾聞兵者兇器也,爭者逆德也。今子陰謀逆德,好用兇器,殆人所棄,逆之至也,淫泆之事也,行者不利。且子用魯兵不宜得志於齊而得志焉;子用魏兵不宜得志於秦而得志焉。吾聞之曰:‘非禍人不能成禍。’吾固怪吾主之數逆天道,至今無禍。嘻!且待夫子也。”吳起惕然曰:“尚可更乎?”屈公曰:“不可。”吳起曰:“起之為人謀。”屈公曰:“成刑之徒不可更已!子不如敦處而篤行之,楚國無貴於舉賢。”

呉起は苑地の守を為り、屬縣を巡行して息に至り、屈宜臼に問うて曰く「王は起が不肖なるを知らず、我を以て苑守と為せり。先生は将に何を以て我を教導せん。」屈公は答えず。一年を過ぎて、王は彼を以て令尹と為せり。屬縣を巡行して息に至り、屈宜臼に問うて曰く「起は先生に問うて、先生は教導せず。いま王は起が不肖なるを知らず、我を以て令尹と為せり。先生は試みに起がどう為すを看よ!」屈公は曰く「お前は将にどうせん。」呉起は曰く「将に楚國の爵を均平にし其の禄を齊平にし、餘有るを減損し不足を接濟し、甲兵を磨礪して時を按じて天下に向かい争奪せん。」屈公は曰く「我が聞くに、昔の國家を治理するに善きは舊法を改變せず、常規を改易せずと。いまお前は将に楚國の爵を均平にし其の禄を齊平にし、餘有るを減損し不足を接濟せんとす。これは舊法を改變し常規を改易するなり。さらに我が聞くに、兵器は凶器にして、争奪は逆徳なり。いまお前は暗中に逆徳を謀劃し、凶器を使用するを喜好す。これはほぼ人の抛弃する所、逆は極に至り、是れ淫泆の事、為す人は利あらず。さらにお前は魯の兵を用いて本來斉に於て志を得べからざるに得たり。お前は魏の兵を用いて本來秦に於て志を得べからざるに得たり。我が聞くに『禍を為さざる人に非ざれば能く禍を構成せず』と。我は本來我が主が屢々天道に逆らうに到るまで禍なきを怪しめり。唉!将に夫子に等到せん。」呉起は警惕して曰く「なお以て更改すべきか。」屈公は曰く「以て可ならず。」呉起は曰く「起は人のために謀劃す。」屈公は曰く「已に成形せる人は再び更改すべからず!お前は敦厚にして自處し切實に實行するに如かず。楚國は賢人を舉用するより貴きなし。」

春秋記國家存亡,以察來世,雖有廣土眾民,堅甲利兵,威猛之將,士卒不親附,不可以戰勝取功。晉侯獲於韓;楚子玉得臣敗於城濮;蔡不待敵而眾潰。故語曰:“文王不能使不附之民;先軫不能戰不教之卒;造父王良不能以弊車不作之馬,趨疾而致遠;羿逄蒙不能以枉矢弱弓,射遠中微;故強弱成敗之要,在乎附士卒,教習之而已。”

『春秋』は國家の存亡を記載し、以て來世を察看す。たとえ廣大の土地・衆多の民・堅甲利兵・威猛の將あるも、士卒が親附せざれば、また以て戰勝して功を立つべからず。晋侯は韓に於て俘獲せられ、楚の子玉得臣は城濮に於て戰敗せり。蔡は敵人の到來を等到せずして部衆は即ち潰散せり。ゆえに俗語に曰く「文王は能く親附せざる民を役使せず、先軫は能く未だ教練せざる卒を以て戰いに往かせず、造父・王良は能く破車と振作せざる馬を以て、速く走りて遠方に到達せず、羿・逄蒙は能く彎曲の箭・軟弱の弓を以て、遠處に射て細微に射中せず。ゆえに強弱成敗の要害は、士卒を親附し教練演習するに在るのみ。」

內治未得,不可以正外,本惠未襲,不可以制末,是以春秋先京師而後諸夏,先諸華而後夷狄。及周惠王,以遭亂世,繼先王之體,而強楚稱王,諸侯背叛,欲申先王之命,一統天下。不先廣養京師,以及諸夏,諸夏以及夷狄,內治未得,忿則不料力,權得失,興兵而徵強楚,師大敗,撙辱不行,大為天下笑。幸逢齊桓公以得安尊,故內治未得不可以正外,本惠未襲,不可以制末。

內部の治理は未だ得當せざれば、以て外部を端正するに往くべからず。根本の恩惠は未だ沾潤せざれば、以て末梢を控制するに往くべからず。これにより『春秋』は京師を先にして諸夏を後にし、華夏を先にして夷狄を後にす。周惠王に至りて、乱世に遭遇し、先王の體統を繼承するに、而して強楚は王を称し、諸侯は背叛せり。先王の命令を申明し、天下を一統せんと欲す。先に廣く京師を供養せずして、再び諸夏に推及し、諸夏に由りて再び夷狄に推及せず。內部の治理は未だ得當せざるに、忿怒して即ち力量を估量せず得失を權衡せず、兵を起して前往して強楚を征討し、軍隊は大敗し、受挫して辱を受け成行する能わず、大大に天下に恥笑せられたり。幸いに斉桓公に遇うを得て乃ち尊位を安定するを得たり。ゆえに內部の治理は未だ得當せざれば、以て外部を端正するに往くべからず。根本の恩惠は未���沾潤せざれば、以て末梢を控制するに往くべからず。

將帥受命者,將帥入,軍吏畢入,皆北面再拜稽首受命。天子南面而授之鉞,東行,西面而揖之,示弗御也。故受命而出忘其國,即戎忘其家,聞枹鼓之聲,唯恐不勝忘其身,故必死。必死不如樂死,樂死不如甘死,甘死不如義死,義死不如視死如歸,此之謂也。故一人必死,十人弗能待也;十人必死,百人弗能待也;百人必死,千人不能待也;千人必死,萬人弗能待也;萬人必死,橫行乎天下,令行禁止,王者之師也。

將帥は命令を接受するの時、將帥は進みて入り、軍吏は全都進みて入り、皆北に向かい再拜叩頭して命令を接受せり。天子は南に向かい鉞を彼に授け、東に向かい走り、西に向かい揖を作し、以て不再び彼を駕馭するを表示せり。ゆえに命令を接受して出ずれば即ち自らの國を忘れ、軍中に至れば即ち自らの家を忘れ、鼓槌鼓聲を聞けば、ただ能く取勝せざるを怕れて自身を忘る。ゆえに必ず死を拼す。必ず死を拼するは死を樂しむに如かず、死を樂しむは心に甘んじて死するに如かず、心に甘んじて死するは義のために死するに如かず、義のために死するは死を視て歸るが如くするに如かず。これを言う。ゆえに一人が必ず死を拼すれば、十人は能く抵擋せず。十人が必ず死を拼すれば、百人は能く抵擋せず。百人が必ず死を拼すれば、千人は能く抵擋せず。千人が必ず死を拼すれば、萬人は能く抵擋せず。萬人が必ず死を拼すれば、即ち以て天下を橫行すべく、令有れば即ち行い禁有れば即ち止まる。これは王者の軍隊なり。

田單為齊上將軍,興師十萬,將以攻翟,往見魯仲連子。仲連子曰:“將軍之攻翟,必不能下矣!”田將軍曰:“單以五里之城,十里之郭,復齊之國,何為攻翟不能下?”去上車不與言。決攻翟,三月而不能下,齊嬰兒謠之曰:“大冠如箕,長劍拄頤,攻翟不能下,壘於梧丘。”於是田將軍恐駭,往見仲連子曰:“先生何以知單之攻翟不能下也?”仲連子曰:“夫將軍在即墨之時,坐則織蕢,立則杖臿為士卒倡曰:‘宗廟亡矣,魂魄喪矣,歸何黨矣。’故將有死之心,士卒無生之氣。今將軍東有掖邑之封,西有淄上之寶,金銀黃帶,馳騁乎淄澠之間,是以樂生而惡死也。”田將軍明日結髮,徑立矢石之所,乃引枹而鼓之,翟人下之。故將軍者,士之心也,士者將之枝體也,心猶與則枝體不用,田將軍之謂乎!

田單は斉の上將軍を為り、兵を起すこと十萬、将に翟を攻めんとし、前去して魯仲連子に見えたり。仲連子は曰く「將軍は翟を攻むるに、必ず能く攻下せざらん!」田將軍は曰く「單は五里の城・十里の郭を凭りて、斉國を恢復せり。何故翟を攻めて攻下する能わざらん。」車に上りて離れ去り、彼と話さず。決意して翟を攻むるも、三個月にして攻下する能わず。斉の兒童の歌謡に曰く「大帽子は簸箕の如く、長劍は下巴を支え、翟を攻めて下さず、營壘は梧丘に扎む。」そこで田將軍は恐懼驚駭し、前去して仲連子に見えて曰く「先生は何を凭り���單が翟を攻めて攻下する能わざるを知るか。」仲連子は曰く「將軍が即墨の時、坐れば即ち草筐を編織し、起てば即ち鐵鍬を拄き、士卒に帶頭して曰く『宗廟は亡び、魂魄は喪えり。どこに歸向せん』と。ゆえに將に死を拼する心有り、士卒に生を偷む氣なし。いま將軍は東邊に掖邑の封地有り、西邊に淄上の財寶有り、金銀黃帶して、淄・澠の間に於て馳騁す。これにより生を樂しみて死を厭惡す。」田將軍は明日に頭髪を束ね、徑直に箭石の到る所に立ち、そこで鼓槌を拿りて鼓を撃つ。翟人は攻下せられたり。ゆえに將軍は士の心にして、士は將の肢體なり。心はなお猶豫すれば則ち肢體は用いる能わず。ほぼ田將軍を言うか!

晉智伯伐鄭,齊田恆救之,有登蓋必身立焉,車徒有不進者必令助之。壘合而後敢處,井灶成而後敢食。智伯曰:“吾聞田恆新得國而愛其民,內同其財,外同其勤勞,治軍若此,其得眾也,不可待也。”乃去之耳。

晋の智伯は鄭を伐ち、斉の田恒は往きて救えり。車に登り蓋を張るに必ず自らあそこに立ち、車徒に前進せざる有れば必ず令を下して幫助せしめたり。營壘は合圍して然る後に乃ち敢えて居住し、井竈は做成して然る後に乃ち敢えて飯を食えり。智伯は曰く「我が聞くに、田恒は新近國を得て彼の民を愛し、內に於て財用を一同し、外に於て勤勞を一同す。軍隊を治理するにこの如し。彼は部衆を得たり。抵擋すべからず。」そこで離開せり。

太公兵法曰:“致慈愛之心,立武威之戰,以畢其眾;練其精銳,砥礪其節,以高其氣。分為五選,異其旗章,勿使冒亂;堅其行陣,連其什伍,以禁淫非。”壘陳之次,車騎之處,勒兵之勢,軍之法令,賞罰之數。使士赴火蹈刃,陷陣取將,死不旋踵者,多異於今之將也。

『太公兵法』に曰く「慈愛の心を招致し、武威の戰陣を建立し、以て彼の部衆を團結せよ。彼の精銳を訓練し、彼の節操を磨礪し、以て彼の氣を提高せよ。五選に分け、旗章を異ならしめ、彼らを混雑錯亂せしむるなかれ。彼の行列陣勢を堅固にし、彼の什伍を連結し、以て淫邪を禁止せよ。」營壘陣列の次序、車騎の位置、軍隊を統率する形勢、軍中の法令、賞罰の數目。士をして湯に赴き火を蹈み敵陣に陷入り敵將を斬取せしめ、死するも脚跟を掉轉せざるは、多くいまの將と同じからず。

孝昭皇帝時,北軍監御史為奸,穿北門垣以為賈區。胡建守北軍尉,貧無車馬,常步,與走卒起居,所以慰愛走卒甚厚。建欲誅監御史,乃約其走卒曰:“我欲與公有所誅,吾言取之則取之;斬之則斬之。”於是當選士馬日,護軍諸校列坐堂皇上,監御史亦坐。建從走卒趨至堂下拜謁,因上堂,走卒皆上,建跪指監御史曰:“取彼。”走卒前拽下堂。建曰:“斬之。”遂斬監御史,護軍及諸校皆愕驚,不知所以。建亦已有成奏在其懷。遂上奏以聞,曰:“臣聞軍法立武以威眾,誅惡以禁邪。今北軍監御史公穿軍垣以求賈利,買賣以與士市,不立剛武之心,勇猛之意,以率先士大夫,尤失理不公。臣聞黃帝理法曰:‘壘壁已具,行不由路,謂之奸人,奸人者殺。’臣謹以斬之,昧死以聞。”制曰:“司馬法曰:‘國容不入軍,軍容不入國也。’建有何疑焉?”建由是名興,後至渭城令,死。至今渭城有其祠也。

孝昭皇帝の時、北軍監御史は奸事を為し、北門の牆垣を鑿穿して賣買の攤子を為せり。胡建は北軍尉を代理し、貧窮にして車馬なく、常に步行し、走卒と起居を同じくし、以て走卒を撫慰愛護すること非常に優厚なり。建は監御史を誅殺せんと想い、即ち走卒と約定して曰く「我はお前たちと誅殺する所有らんと欲す。我は彼を抓れと言えば即ち彼を抓れ、彼を斬れと言えば即ち彼を斬れ。」そこで士馬を選練するの日に至りて、護軍と各位の軍校は堂上に列坐し、監御史もまた坐れり。建は走卒を帶びて快步して堂下に至りて拜謁し、そこで堂に上がり、走卒は皆上がり、建は跪きて監御史を指して曰く「あの人を抓住せよ。」走卒は上前して彼を堂を拽下せしめたり。建は曰く「彼を斬れ。」そこで監御史を斬れり。護軍と各位の軍校は皆愕然驚駭し、何故なるを知らず。建はまた已に寫成の奏章を懷裏に有り、そこで上奏して皇帝に知らしめて曰く「臣が聞くに、軍法は武威を樹立して以て部衆を威服し、惡人を誅殺して以て邪僻を禁止すと。いま北軍監御史は公然と軍牆を鑿穿して以て商賈の利を求め、賣買して士と交易を為し、剛武の心・勇猛の意を樹立せずして、以て士大夫に表率を為さず。尤も理を失い公ならず。臣が聞くに、黃帝の理法に曰く『營壘牆壁は已に具備す。行走して正路に從わざるを、奸人と曰う。奸人は即ち殺せ』と。臣は謹みて已に彼を斬れり。死を冒して陛下に知らしむ。」制書に曰く「『司馬法』に曰く『國の儀容は軍中に入らず、軍の儀容は國中に入らず。』建に何の疑うべきあらん。」建はこれにより名声は興起し、後に渭城令に至りて、死せり。今に至るまで渭城になお彼の祠有り。

魯石公劍,迫則能應,感則能動,●穆無窮,變無形像,復柔委從,如影與響,如尨之守戶,如輪之逐馬,響之應聲,影之像形也,閶不及鞈,呼不及吸,足舉不及集。相離若蟬翼,尚在肱北眉睫之微,曾不可以大息小,以小況大。用兵之道,其猶然乎?此善當敵者也。未及夫折沖於未形之前者,揖讓乎廟堂之上而施惠乎百萬之民,故居則無變動,戰則不血刃,其湯武之兵與!

魯石公の劍は、逼近すれば即ち能く應對し、感有れば即ち能く發動し、穆穆として窮盡なく、變化して形象なく、柔順委随して、影子と回響の如く、多毛狗の門を守るが如く、車輪の馬を追逐するが如く、回響の聲音に應和するが如く、影子の形體を仿照するが如し。開闔するに撞擊するに及ばず、呼氣するに吸氣するに及ばず、脚は剛ぎ擡げて收住するに及ばず。相離れるは蝉翼の如く薄く、なお肱臂・鼻准・眉睫の如く細微の處所に在り、竟に以て大を以て小を計量し、小を以て大を比況する能わず。兵を用いるの道理は、ほぼまたこの如きか。これは敵人を抵擋するに善きなり。なお未だ成形せざるの先に於て敵人の衝鋒を折斷するに如かず。廟堂の上に於て揖讓して恩惠を百萬の民に施與し、ゆえに平時に變動なく、交戰するに必ずしも兵刃を血染せず。あれはほぼ湯武の兵か!

孔子北遊,東上農山,子路、子貢、顏淵從焉。孔子喟然嘆曰:“登高望下,使人心悲,二三子者,各言爾志。丘將聽之。”子路曰:“願得白羽若月,赤羽若日,鐘鼓之音上聞乎天,旌旗翩翻,下蟠於地。由且舉兵而擊之,必也攘地千里,獨由能耳。使夫二子為從焉!”孔子曰:“勇哉士乎!憤憤者乎﹗”子貢曰:“賜也,願齊楚合戰於莽洋之野,兩壘相當,旌旗相望,塵埃相接,接戰構兵,賜願著縞衣白冠,陳說白刃之間,解兩國之患,獨賜能耳。使夫二子者為我從焉!”孔子曰:“辯哉士乎!僊僊者乎!”顏淵獨不言。孔子曰:“回!來!若獨何不願乎?”顏淵曰:“文武之事,二子已言之,回何敢與焉!”孔子曰:“若鄙,心不與焉,第言之!”顏淵曰:“回聞鮑魚蘭芷不同篋而藏,堯舜桀紂不同國而治,二子之言與回言異。回願得明王聖主而相之,使城郭不修,溝池不越,鍛劍戟以為農器,使天下千歲無戰鬥之患,如此則由何憤憤而擊,賜又何僊僊而使乎?”孔子曰:“美哉,德乎!姚姚者乎!”子路舉手問曰:“願聞夫子之意。”孔子曰:“吾所願者,顏氏之計,吾願負衣冠而從顏氏子也。”

孔子は北に向かい游歷し、東に向かい農山に登り、子路・子貢・顔淵は跟隨せり。孔子は喟然として嘆息して曰く「高く登りて下を望むは、人をして心裏悲傷せしむ。二三子は各々お前たちの志向を説説せよ。丘は将に聽かん。」子路は曰く「白羽は月の如く赤羽は日の如く、鐘鼓の聲音は上は天に傳り、旌旗は翻飛して、下は地に盤繞するを得んを希望す。由は兵を起して往きて攻擊せん。必ず土地千里を開拓せん。ただ由のみ能く到る。あの兩位をして隨從を為らしめよ!」孔子は曰く「勇猛の士かな!憤激の人かな!」子貢は曰く「賜や、斉・楚が廣大の原野の上に於て會戰し、兩座の營壘は相對し、旌旗は相望み、塵埃は相接し、交戰して兵を構えるを希望す。賜は白衣を着て白冠を戴きて、白刃の間に於て陳説し、兩國の患を解除せんを希望す。ただ賜のみ能く到る。あの兩位をして我が隨從を為らしめよ!」孔子は曰く「善辯の士かな!輕飄飄の人かな!」顔淵は独り話さず。孔子は曰く「回!過來!お前は独り何の願わざる有るか。」顔淵は曰く「文武の事は、二子は已に説けり。回はどうして敢えて參与せん!」孔子は曰く「お前は謙卑にして、心裏贊同せず。只管に説け!」顔淵は曰く「回が聞くに、鮑魚と蘭芷は同一の箱子の裏に於て收藏せず、堯舜と桀紂は同一の國に於て治理せずと。二子の話と回の話は同じからず。回は明王聖主を得て往きて彼を輔佐せんを希望す。城郭を修筑するを用いず、溝池を逾越するを用いず、劍戟を鍛打して農器と為し、天下をして千年戰鬥の患なからしめん。この如くなれば、由は何ぞ必ずしも憤激して往きて攻擊せんや、賜は何ぞ必ずしも輕飄飄して往きて出使せんや。」孔子は曰く「美なるかな、徳や!盛美の人かな!」子路は手を擧げて問うた「夫子の意思を聽かんを希望す。」孔子は曰く「我が愿望するは、顔氏の計謀なり。我は願わくは衣冠を背負いて顔氏子に跟隨せん。」

魯哀公問於仲尼曰:“吾欲小則守,大則攻,其道若何?”仲尼曰:“若朝廷有禮,上下有親,民之眾皆君之畜也,君將誰攻?若朝廷無禮,上下無親,民眾皆君之讎也,君將誰與守?”於是廢澤梁之禁,弛關市之徵,以為民惠也。”

魯哀公は仲尼に問うた「我は小なれば則ち守り、大なれば則ち攻めんと欲す。あの道理は如何。」仲尼は曰く「もし朝廷に礼有り、上下に親有れば、民衆は多く皆君の畜養する所なり。君は将に誰を攻めん。もし朝廷に礼なく、上下に親なければ、民衆は皆君の仇敵なり。君は将に誰と守らん。」そこで澤梁の禁令を廢除し、關市の徵收を放松し、これらを以て民に對する恩惠と為せり。

文王曰:“吾欲用兵,誰可伐?密須氏疑於我,可先往伐。”管叔曰:“不可。其君天下之明君也,伐之不義。”太公望曰:“臣聞之先王伐枉不伐順;伐險不伐易;伐過不伐不及。”文王曰:“善。”遂伐密須氏,滅之也。

文王は曰く「我は兵を用いんと欲す。誰か以て伐つべきか。密須氏は我らに對して疑心有り。先に往きて伐つべし。」管叔は曰く「以て可ならず。其の君は天下の明君なり。彼を伐つは義ならず。」太公望は曰く「臣が聞くに、先王は邪曲を伐ちて順從を伐たず、險惡を伐ちて平易を伐たず、過分を伐ちて不足を伐たずと。」文王は曰く「よし。」そこで密須氏を伐ち、それを滅せり。

武王將伐紂。召太公望而問之曰:“吾欲不戰而知勝,不卜而知吉,使非其人,為之有道乎?”太公對曰:“有道。王得眾人之心,以圖不道,則不戰而知勝矣;以賢伐不肖,則不卜而知吉矣。彼害之,我利之。雖非吾民,可得而使也。”武王曰:“善。”乃召周公而問焉,曰:“天下之圖事者,皆以殷為天子,以周為諸侯,以諸侯攻天子,勝之有道乎?”周公對曰:“殷信天子,周信諸侯,則無勝之道矣,何可攻乎?”武王忿然曰:“汝言有說乎?”周公對曰:“臣聞之,攻禮者為賊,攻義者為殘,失其民製為匹夫,王攻其失民者也,何攻天子乎?”武王曰:“善。”乃起眾舉師,與殷戰於牧之野,大敗殷人。上堂見玉,曰:“誰之玉也?”曰:“諸侯之玉。”即取而歸之於諸侯。天下聞之,曰:“武王廉於財矣。”入室見女,曰:“誰之女也?”曰:“諸侯之女也。”即取而歸之於諸侯。天下聞之,曰:“武王廉於色也。”於是發巨橋之粟,散鹿臺之財金錢以與士民,黜其戰車而不乘,弛其甲兵而弗用,縱馬華山,放牛桃林,示不復用。天下聞者,鹹謂武王行義於天下,豈不大哉?

武王は将に紂を伐たんとし、太公望を召して彼に問うて曰く「我は交戦せずして勝利を知り、占卜せずして吉を知り、我が原有に非ざる人を役使し、これを為すに道有るかを欲す。」太公は答え曰く「道有り。王は衆人の心を得て、以て無道を圖謀すれば、即ち交戦せずして勝利を知れり。賢を以て不肖を伐てば、即ち占卜せずして吉を知れり。彼は彼らを害し、我は彼らを利す。たとえ我が民に非ずとも、また以て得て役使すべし。」武王は曰く「よし。」そこで周公を召して來りて問うて曰く「天下の事を謀劃する人は、皆殷を以て天子と當り、周を以て諸侯と當れり。諸侯を以て天子を攻むるに、取勝するに道有るか。」周公は答え曰く「殷は真に天子、周は真に諸侯なれば、即ち取勝の道理なし。どうして以て攻めんや。」武王は忿然として曰く「お前の話に説法有るか。」周公は答え曰く「臣が聞くに、礼を攻むるを賊と曰い、義を攻むるを殘と曰う。其の民を失い制度廢壞すれば即ち匹夫なり。王が攻むるは民を失いし人なり。どこに天子を攻むるあらんや。」武王は曰く「よし。」そこで部衆を發動し軍隊を擧げ、殷と牧野に於て交戦し、大いに殷人を敗れり。堂に登りて玉を見て、曰く「誰の玉か。」曰く「諸侯の玉。」即ち取りて諸侯に歸還せしめたり。天下はこれを聞きて、曰く「武王は財に對して廉潔なり。」室に入りて女子を見て、曰く「誰の女子か。」曰く「諸侯の女子。」即ち取りて諸侯に歸還せしめたり。天下はこれを聞きて、曰く「武王は女色に對して廉潔なり。」そこで巨橋の粟を發放し、鹿台の財貨金錢を散發して士民に與え、戰車を廢黜して不再び乘坐せず、甲兵を放松して不再び使用せず、馬を華山に放ち、牛を桃林に放ちて、以て不再び用いるを表示せり。天下の聞く者は、皆武王が天下に於て義を實行せりと曰う。豈に偉大ならずんばあらんや!

文王欲伐崇,先宣言曰:“予聞崇侯虎,蔑侮父兄,不敬長老,聽獄不中,分財不均,百姓力盡,不得衣食,予將來徵之,唯為民乃伐崇,令毋殺人,毋壞室,毋填井,毋伐樹木,毋動六畜,有不如令者死無赦。”崇人聞之,因請降。

文王は崇を伐たんと欲し、先に宣告して曰く「我が聞くに、崇侯虎は父兄を輕蔑侮辱し、長老を敬重せず、獄訟を審理して得當せず、財物を分配して均匀せず。百姓は力氣を盡くして、衣食を得ず。我は将に前來して彼を征討せん。ただ民のためのみ崇を伐つ。命令:人を殺するなかれ、房屋を毀壞するなかれ、井を填むなかれ、樹木を砍伐するなかれ、六畜を動かすなかれ。命令に照らさざる有れば死して赦さず。」崇人はこれを聞きて、そこで投降を請求せり。

楚莊王伐陳,吳救之,雨十日十夜晴。左史倚相曰:“吳必夜至,甲列壘壞,彼必薄我,何不行列鼓出待之。”吳師至楚,見成陳而還。左史倚相曰:“追之。”吳行六十里而無功,王罷卒寢。果擊之,大敗吳師。

楚荘王は陳を伐ち、呉は來りて救えり。雨は十日十夜にして乃ち放晴れり。左史倚相は曰く「呉は必ず夜に到來せん。鎧甲は排列し營壘は毀壞せば、彼らは必ず我らに逼近せん。何故隊伍を列好し鼓を撃ちて出擊して彼らを等待せざるか。」呉の軍隊は楚に至り、已に陣を擺るを見て即ち歸れり。左史倚相は曰く「彼らを追え。」呉は六十里を走りて功勞なく、王は疲憊し士卒は睡れり。果して彼らを攻擊し、大いに呉の軍隊を敗れり。

齊桓公之時,霖雨十旬。桓公欲伐漅陵,其城之值雨也,未合。管仲隰朋以卒徒造於門,桓公曰:“徒眾何以為?”管仲對曰:“臣聞之,雨則有事。夫漅陵不能雨,臣請攻之。”公曰:“善!”遂興師伐之。既至,大卒間外士在內矣,桓公曰:“其有聖人乎?”乃還旗而去之。

斉桓公の時、連綿たる大雨は一百天なり。桓公は漅陵を伐たんと欲せり。あの城は正に雨に赶上して、未だ合圍せず。管仲・隰朋は士卒を帶びて來りて門前に至れり。桓公は曰く「部衆を帶びて何を為すか。」管仲は答え曰く「臣が聞くに、雨が下れば即ち事有らんと。漅陵は能く雨を抵禦せず。臣は彼を攻めんを請う。」公は曰く「よし!」そこで兵を起して往きて伐てり。已に至りて、大部隊は外面の士が已に裏面に在るを發現せり。桓公は曰く「あそこにほぼ聖人有るか。」そこで旗幟を掉轉して離開せり。

宋圍曹,不拔。司馬子魚謂君曰:“文王伐崇,崇軍其城,三旬不降,退而修教,復伐之,因壘而降。今君德無乃有所闕乎?胡不退修德,無闕而後動。”

宋は曹を圍困し、攻めて下さざるなり。司馬子魚は君に對して曰く「文王は崇を伐つに、崇の軍隊は城を守り、三十天にして降らず。退きて教化を修治し、再び往きて伐てば、舊營壘に就きて投降せり。いま君の徳はおそらく欠缺する所有るか。何故退きて徳を修治せざるか。欠缺なければ然る後に行動せよ。」

吳王闔廬與荊人戰於柏舉,大勝之,至於郢郊,五敗荊人。闔廬之臣五人進諫曰:“夫深入遠報,非王之利也,王其返乎?”五將鍥頭,闔廬未之應,五人之頭墜於馬前,闔廬懼,召伍子胥而問焉。子胥曰:“五臣者懼也。夫五敗之人者,其懼甚矣,王姑少進。”遂入郢,南至江,北至方城,方三千里,皆服於楚矣。

呉王闔廬は荊人と柏擧に於て交戦し、大いに彼らに勝ちて、郢の郊外に至り、五次荊人を打敗せり。闔廬の臣五人は進諫して曰く「深く遠地に入りて往きて報復するは、王の利にあらず。王はなお返回するか。」五位の將領は自らの頭を割きて、闔廬は未だ��答せざるに、五人の頭は已に馬前に墜落せり。闔廬は恐懼し、伍子胥を召して來りて問うた。子胥は曰く「五個の臣は害怕了せり。五回打敗せられた人は、彼らの恐懼は甚だ厲し。王は姑且稍稍前進せよ。」そこで郢に入り、南は江に至り、北は方城に至り、方圓三千里は、原先皆楚に歸服する地なりき。

田成子常與宰我爭,宰我夜伏卒,將以攻田成子,令於卒中曰:“不見旌節毋起。”鴟夷子皮聞之,告田成子。田成子因為旌節以起宰我之卒以攻之,遂殘之也。

田成子は常に宰我と相争えり。宰我は夜に士卒を埋伏し、将に以て田成子を攻めんとし、士卒の中に於て令を下して曰く「旌節を見ざれば事を起すなかれ。」鴟夷子皮はこれを聞きて、田成子に告げたり。田成子はそこで旌節を為して宰我の士卒を發動して彼を攻めしめ、終に彼を殘滅せり。

齊桓公北伐山戎氏,請兵於魯,魯不與,桓公怒,將攻之,管仲曰:“不可,我已刑北方諸侯矣。今又攻魯,無乃不可乎?魯必事楚,是我一舉而失兩也。”桓公曰:“善!”乃輟攻魯矣。

斉桓公は北に向かい山戎氏を伐ち、魯に向かい兵を請えり。魯は與えず。桓公は發怒し、将に魯を攻めんとす。管仲は曰く「以て可ならず。我らは已に北方の諸侯に刑を用いたり。いままた魯を攻めば、おそらく以て可ならざらんか。魯は必ず往きて楚に事奉せん。これは我らが一擧にして兩頭皆失うなり。」桓公は曰く「よし!」そこで魯を攻むるを停止せり。

聖人之治天下也,先文德而後武力。凡武之興為不服也。文化不改,然後加誅。夫下愚不移,純德之所不能化而後武力加焉。

聖人は天下を治理するに、先に文徳を用い而して後に武力を用う。およそ武の興起するは、歸服せざる有るを以てす。文徳教化してなお改まらざれば、然る後に乃ち誅殺を加う。あの下愚にして改變すべからざる・純徳の能く教化せざる所に、然る後に乃ち武力をその上に加えたり。

昔堯誅四凶以懲惡,周公殺管蔡以弭亂,子產殺鄧析以威侈,孔子斬少正卯以變眾,佞賊之人而不誅,亂之道也。易曰:“不威小,不懲大,此小人之福也。”

昔、堯は四凶を誅殺して以て惡を懲治し、周公は管・蔡を殺掉して以て亂を平息し、子産は鄧析を殺掉して以て奢侈を威懾し、孔子は少正卯を斬じて以て衆人を改變せり。佞賊の人にして卻って誅殺せざるは、亂の道路なり。『周易』に曰く「小を威懾せず、大を懲治せざるは、これは小人の福なり。」

五帝三王教以仁義而天下變也,孔子亦教以仁義而天下不從者,何也?昔明王有紱冕以尊賢,有斧鉞以誅惡,故其賞至重,而刑至深,而天下變。孔子賢顏淵,無以賞之,賤孺悲,無以罰之;故天下不從。是故道非權不立,非勢不行,是道尊然後行。

五帝三王は仁義を以て教導して天下は改變せり。孔子もまた仁義を以て教導して天下は聽從せず。何故か。昔、明王は紱冕有りて以て賢人を尊重し、斧鉞有りて以て惡人を誅殺せり。ゆえに其の賞は極重く、刑は極深くして、而して天下は改變せり。孔子は顔淵を以て賢と為すに、以て彼を賞する無し。孺悲を以て賤と為すに、以て彼を罰する無し。ゆえに天下は聽從せず。これにより道は權なければ能く立たず、勢なければ能く行わず。道は尊重せられて然る後に乃ち能く實行せらる。

孔子為魯司寇,七日而誅少正卯於東觀之下,門人聞之,趨而進,至者不言,其意皆一也。子貢後至,趨而進,曰:“夫少正卯者,魯國之聞人矣!夫子始為政,何以先誅之?”孔子曰:“賜也,非爾所及也。夫王者之誅有五,而盜竊不與焉。一曰心辨而險;二曰言偽而辯;三曰行闢而堅;四曰志愚而博;五曰順非而澤。此五者皆有辨知聰達之名,而非其真也。苟行以偽,則其知足以移眾,強足以獨立,此奸人之雄也,不可不誅。夫有五者之一,則不免於誅。今少正卯兼之,是以先誅之也。昔者湯誅蠋沐,太公誅潘址,管仲誅史附裡,子產誅鄧析,此五子未有不誅也。所謂誅之者,非為其晝則功盜,暮則穿窬也,皆傾覆之徒也!此固君子之所疑,愚者之所惑也。詩云:‘憂心悄悄,慍於群小。’此之謂矣。”

孔子は魯の司寇を為り、七天にして即ち東觀の下に於て少正卯を誅殺せり。門人はこれを聞きて、快步して進みて入り、到る人は話さず。彼らの意思は皆一なり。子貢は後に至り、快步して進みて入りて、曰く「少正卯は魯國の有名の人なり!夫子は剛ぎ執政を開始す。何故先に彼を誅殺するか。」孔子は曰く「賜や、これはお前の能く及ぶ所にあらず。王者の誅殺する所に五種有りて、盜竊は其の中に在らず。一は心は明辯にして卻って陰險、二は話は虛假にして卻って善辯、三は行為は邪僻にして卻って堅定、四は心志は愚昧にして卻って駁雜廣博、五は錯誤に順順從して卻って潤澤動聽なり。この五種は皆明辯聰達の名声有りて、而して真ならず。もし虛僞を以て行事せば、其の智は以て衆人を轉移するに足り、強は以て獨立するに足り。これは奸人の中の雄傑、誅せざるべからず。五種の中の一種有れば、即ち誅せられんを免れず。いま少正卯はこれらを兼有す。ゆえに先に彼を誅殺せり。昔、湯は蠋沐を誅殺し、太公は潘址を誅殺し、管仲は史附里を誅殺し、子産は鄧析を誅殺せり。この五個の人は誅せられざるなし。所説彼らを誅殺するは、白天の搶劫盜竊・夜裏の牆を鑿り洞を打つを以てにあらず。皆傾覆の一類の人なり!これは本來君子の疑慮する所・愚人の迷惑する所なり。『詩経』に曰く『憂心は悄悄として、一群の小人に怨ぜらる。』これを言う。

齊人王滿生見周公,周公出見之,曰:“先生遠辱,何以教之?”王滿生曰:“言內事者於內,言外事者於外,今言內事乎?言外事乎?”周公導入。王滿生曰:“敬從。”布席,周公不導坐。王滿生曰:“言大事者坐,言小事者倚。今言大事乎?言小事乎?”周公導坐。王滿生坐。周公曰:“先生何以教之?”王滿生曰:“臣聞聖人不言而知,非聖人者雖言不知。今欲言乎?無言乎?”周公俛念,有頃,不對。王滿生借筆牘書之曰:“社稷且危,傅之於膺。”周公仰視見書曰:“唯!唯!謹聞命矣。”明日誅管蔡。

斉人王滿生は周公に見え、周公は出でて彼に見えて曰く「先生は遠道を屈尊して前來す。何を以て我を教導せん。」王滿生は曰く「內事を説くは內に在り、外事を説くは外に在り。いま內事を説くか。外事を説くか。」周公は彼を引きて進みて入れり。王滿生は曰く「敬謹して跟從す。」席位を鋪設せり。周公は彼を引導して坐らしめず。王滿生は曰く「大事を説くは坐り、小事を説くは倚む。いま大事を説くか。小事を説くか。」周公は彼を引導して坐らしめたり。王滿生は坐れり。周公は曰く「先生は何を以て我を教導せん。」王滿生は曰く「臣が聞くに、聖人は説かずして知り、聖人に非ざるはたとえ説くも知らずと。いま説かんと欲するか。説かざらんと欲するか。」周公は頭を低めて思念し、良久を過ごして、答えず。王滿生は筆と木牘を借りて寫下せり「社稷は将に危險ならん。これを胸前に貼れ。」周公は頭を擡げて寫きし所を見て曰く「是!是!謹みて命を聞きたり。」明日に管・蔡を誅殺せり。

卷十六談叢

巻十六 談叢

王者知所以臨下而治眾,則群臣畏服矣;知所以聽言受事,則不蔽欺矣;知所以安利萬民,則海內必定矣;知所以忠孝事上,則臣子之行備矣。凡所以劫殺者,不知道術以御其臣下也。凡吏勝其職則事治,事治則利生;不勝其職則事亂,事亂則害成也。

王者はどう在下を臨視して衆人を治理するを知れば、群臣は即ち畏服せん。どう言を聽きて職事を接受するを知れば、即ち蒙蔽欺騙せられざらん。どう萬民を安定便利するを知れば、海內は即ち必ず安定せん。どう忠孝を以て在上に事奉するを知れば、臣子の品行は即ち具備せん。およその以て劫殺せらるるは、道術を以て臣下を駕馭するを知らざるなり。およそ吏は其の職に勝任すれば則ち事は治理し、事が治理すれば則ち利は產生す。其の職に勝任せざれば則ち事は混亂し、事が混亂すれば則ち害は成就す。

百方之事,萬變鋒出:或欲持虛,或欲持實,或好浮游,或好誠必,或行安舒,或為飄疾。從此觀之,天下不可一,聖王臨天下而能一之。

百樣の方面の事は、萬般變化して鋒刃の如く出づ。あるいは虛を持守せんと欲し、あるいは實を持守せんと欲し、あるいは浮游を喜好し、あるいは誠信必行を喜好し、あるいは行為は安舒し、あるいは擧動は迅疾なり。これを以て看れば、天下は齊一すべからず。聖王は天下を臨視して能くそれを齊一せり。

意不併銳,事不兩隆;盛於彼者必衰於此,長於左者必短於右。喜夜臥者不能蚤起也。

心意は能く兩頭皆銳利ならず、事は能く兩頭皆隆盛ならず。あそこに於て盛なるは必ずここに於て衰え、左に於て長なるは必ず右に於て短し。夜に臥することを喜ぶ人は能く早く起きず。

鸞設於鑣,和設於軾;馬動而鸞鳴,鸞鳴而和應,行之節也。

鸞鈴は鑣の上に設け、和鈴は軾の上に設く。馬が一たび動けば鸞鈴は即ち響き、鸞鈴が響けば和鈴は即ち應和す。これは行走の節奏なり。

不富無以為大,不予無以合親;親疏則害,失眾則敗;不教而誅謂之虐,不戒責成謂之暴也。

富まざれば即ち以て大を為す無し。給與せざれば即ち以て親人を聚合する無し。親が疏遠すれば即ち害有り、衆人を失えば即ち失敗す。教導せずして誅殺するを虐と曰い、告誡せずして責成するを暴と曰う。

夫水出於山而入於海,稼生於田而藏於廩,聖人見所生則知所歸矣。

水は山裏より出でて海に入り、莊稼は田裏より生長して倉裏に收藏す。聖人は生ずる所を見て即ち歸する所を知れり。

天道布順,人事取予;多藏不用,是謂怨府,故物不可聚也。

天道は布施して順暢なり。人事は取と給に在り。多多に收藏して卻って使用せざるは、これを怨恨の府庫と曰う。ゆえに物は聚集すべからず。

一圍之木持千鈞之屋,五寸之鍵而制開闔,豈材足任哉?蓋所居要也。

一圍の粗さの木頭は千鈞の屋子を撑住し、五寸の門閂は開闔を管制す。豈に是れ材料が足りて勝任するか。是れ處する位置が緊要なるを以てす。

夫小快害義,小慧害道,小辨害治,苟心傷德,大政不險。蛟龍雖神,不能以白日去其倫;飄風雖疾,不能以陰雨揚其塵。邑名勝母,曾子不入;水名盜泉,孔子不飲,醜其聲也。婦人之口可以出走,婦人之喙可以死敗。

小快意は義を傷害し、小聰明は道を傷害し、小辯慧は治理を傷害し、苟且の心は徳を傷害す。大政は險路を走らず。蛟龍は神なりといえども、能く大白天に其の倫類を離る能わず。飄風は迅疾なりといえども、能く陰雨の裏に於て塵土を揚起する能わず。城邑の名は勝母と曰い、曾子は進みて入らず。水の名は盜泉と曰い、孔子は飲まず。是れあの名名稱を厭惡するなり。婦人の口は以て人をして出走せしめ、婦人の喙は以て人をして死敗せしむべし。

不修其身,求之於人,是謂失倫;不治其內,而修其外,是謂大廢。重載而危之,操策而隨之,非所以為全也。

自身を修養せず、卻って人に向かい求む。これを倫序を失うと曰う。內部を治理せず、卻って外部を修飾す。これを大廢と曰う。裝載は甚だ重くして卻ってそれを傾危せしめ、馬鞭を拿りて跟隨するは、以て全を求むるにあらず。

士橫道而偃,四支不掩,非士之過,有土之羞也。邦君將昌,天遺其道;大夫將昌,天遺其士;庶人將昌,必有良子。

士は路の上に橫たわり倒れ、四肢は掩蓋せられず。士の過錯にあらず、是れ土地有る人の羞恥なり。邦君は将に昌盛せんとすれば、天は彼に道を留與す。大夫は将に昌盛せんとすれば、天は彼に士を留與す。庶人は将に昌盛せんとすれば、必ず好兒子有り。

賢師良友在其側,詩書禮樂陳於前,棄而為不善者,鮮矣。義士不欺心,仁人不害生;謀洩則無功,計不設則事不成;賢士不事所非,不非所事;愚者行間而益固,鄙人飾詐而益野;聲無細而不聞,行無隱而不明;至神無不化也,至賢無不移也。上不信,下不忠,上下不和,雖安必危。求以其道則無不得,為以其時則無不成。

賢師良友は旁邊に在り、詩書禮樂は前面に陳列せられ、これらを抛弃して不善を為すは、少なし。義士は自らの心を欺かず、仁人は生命を傷害せず。謀劃は泄漏すれば即ち功なく、計策は設置せずして事は即ち成る能わず。賢士は自らの否定する所を為さず、自らの為す所を否定せず。愚人は偏門を走りて卻って更に固陋し、鄙人は欺詐を粉飾して卻って更に粗野なり。聲音は細微にして聽見せられざるに至る無し、行為は隱蔽にして顯明せざるに至る無し。至神は能く感化せざる無し、至賢は能く移易せざる無し。上は信なく、下は忠なく、上下は不和なれば、たとえ安定するも必ず危險なり。道に按じて往きて求むれば即ち得ざる無し、時に按じて往きて為せば即ち成功せざる無し。

時不至,不可強生也;事不究,不可強求也。貞良而亡,先人餘殃;猖獗而活,先人餘烈;權取重,澤取長。才賢而任輕,則有名,不肖任大,身死名廢。

時は到らざれば、強求して生長せしむべからず。事は窮盡せざれば、強求すべからず。貞良にして卻って滅亡するは、先人の留下する殃なり。猖獗にして卻って存活するは、先人の留下する餘烈なり。權は重を取るを要し、恩澤は長を取るを要す。才賢にして責任輕ければ、即ち名有り。不肖にして責任大なれば、身は死し名は廢す。

士不以利移,不為患改,孝敬忠信之事立,雖死而不悔。智而用私,不如愚而用公,故曰巧偽不如拙誠。學問不倦,所以治己也;教誨不厭,所以治人也,所以貴虛無者,得以應變而合時也。冠雖故,必加於首;履雖新,必關於足,上下有分,不可相倍。一心可以事百君,百心不可以事一君,故曰正而心,又少而言。

士は利を以て轉移せず、患難を以て改變せず。孝敬忠信の事は立定し、たとえ死するも悔いず。智有るも卻って私の上に用いるは、愚にして卻って公の上に用いるに如かず。ゆえに言う、巧僞は拙誠に如かずと。學問は厭倦せず、是れ以て自らを治理す。教誨は厭煩せず、是れ以て人を治理す。ゆえに虛無を看重するは、是れ變に應じて時に合うを得るを以てす。冠は舊なりといえども、必ず頭の上に加う。鞋は新なりといえども、必ず脚の上に穿く。上下に分別有り、互相いに違背すべからず。一顆の心は以て一百個の君に事奉すべく、一百顆の心は以て一個の君に事奉すべからず。ゆえに言う、あの心を端正し、また話を少なからしめよと。

萬物得其本者生,百事得其道者成;道之所在,天下歸之;德之所在,天下貴之;仁之所在,天下愛之;義之所在,天下畏之。屋漏者民去之,水淺者魚逃之,樹高者鳥宿之,德厚者士趨之,有禮者民畏之,忠信者士死之。衣雖弊,行必修;頭雖亂,言必治。時在應之,為在因之;所伐而當其福五之;所伐不當其禍十之。

萬物は其の根本を得れば即ち能く生じ、百事は其の道を得れば即ち能く成る。道の所在する處は、天下はそれに歸向す。徳の所在する處は、天下はそれを看重す。仁の所在する處は、天下はそれを愛す。義の所在する處は、天下はそれを敬畏す。屋子の漏るは民はそれを離れ、水の淺きは魚は逃走し、樹の高きは鳥は栖宿し、徳の厚きは士は趨向し、礼有るは民は敬畏し、忠信の士は彼のために死す。衣服は破るといえども、行為は必ず修整す。頭髪は亂るといえども、説話は必ず條理有り。時はそれに應和するに在り、作為はそれを因循するに在り。征伐する所が得當なれば、あの福は五倍なり。征伐する所が得當ならざれば、あの禍は十倍なり。

必貴以賤為本,必高以下為基。天將與之,必先苦之;天將毀之,必先累之。孝於父母,信於交友,十步之澤,必有香草;十室之邑,必有忠士。草木秋死,松柏獨在;水浮萬物,玉石留止。飢渴得食,誰能不喜?賑窮救急,何患無有?視其所以,觀其所使,斯可知已。乘輿馬不勞致千里,乘船楫不遊絕江海;智莫大於闕疑,行莫大於無悔也。制宅名子,足以觀士。利不兼,賞不倍;忽忽之謀,不可為也,惕惕之心,不可長也。

貴は必ず賤を以て根本と為し、高は必ず下を以て基址と為す。天は将に彼に給與せんとすれば、必ず先に彼をして苦しからしむ。天は将に彼を毀壞せんとすれば、必ず先に彼をして勞累せしむ。父母に孝順し、交友に於て信を取れ。十步の沼澤には、必ず香草有り。十戸の城邑には、必ず忠士有り。草木は秋天に死去して、松柏は独りなお在り。水は萬物を漂浮して、玉石は留まりて停住す。饑渴は食物を得れば、誰か高興せざらん。窮困を賑濟し急難を救えば、何の無きを患えん。彼の以て何を為すを看、彼の役使する所を觀察すれば、即ち以て知るべし。車馬に乘坐すれば勞苦せずして能く千里に到達し、船槳に乘坐すれば游泳せずして能く江海を橫絕す。智は闕疑より大なるなし、行は後悔なきより大なるなし。住宅を建造し兒子に名を取るは、足りて以て士を觀察すべし。利は兼得せず、賞は加倍せず。匆匆の謀劃は為すべからず、惕惕の心は助長すべからず。

天與不取,反受其咎;時至不迎,反受其殃;天地無親,常與善人。天道有常,不為堯存,不為桀亡;積善之家,必有餘慶;積惡之家,必有餘殃。一噎之故,絕谷不食;一蹶之故,卻足不行。心如天地者明,行如繩墨者章。位高道大者從,事大道小者兇;言疑者無犯,行疑者無從;蠹蝝僕柱梁,蚊虻走牛羊。

天は給與して卻って取らざれば、反りてあの咎責を受く。時は到りて卻って迎接せざれば、反りてあの殃禍を受く。天地に私親なく、常に善人に給與す。天道に常規有り、堯を以て存在せず、桀を以て滅亡せず。善を積む人家は必ず多餘の慶有り、惡を積む人家は必ず多餘の殃有り。一次噎住するの緣故を以て、即ち穀食を斷絕して食わず。一次跌倒するの緣故を以て、即ち脚を退きて走らず。心は天地の如くするは即ち��、行為は繩墨の如くするは即ち彰明なり。位子が高く道が大なる人に跟從せよ。事が大にして道が小なる人は凶なり。話の可疑なるは往きて冒犯するなかれ、行為の可疑なるは往きて跟從するなかれ。蠹蟲・蝝蟲は能く柱梁をして仆倒せしめ、蚊虻は能く牛羊をして奔走せしむ。

謁問析辭勿應,怪言虛說勿稱;謀先事則昌,事先謀則亡。

謁見請問の時に言辭を分析して應答するなかれ。怪異の話・虛空の説辭は稱引するなかれ。謀劃は事情の先に在れば即ち昌盛し、事情は謀劃の先に在れば即ち滅亡す。

無以淫泆棄業,無以貧賤自輕,無以所好害身,無以嗜慾妨生,無以奢侈為名,無以貴富驕盈。喜怒不當,是謂不明,暴虐不得,反受其賊,怨生不報,禍生於福。一言而非,四馬不能追;一言不急,四馬不能及。順風而飛,以助氣力;銜葭而翔,以備矰弋。

淫泆を以て事業を抛弃するなかれ、貧賤を以て自らを看輕するなかれ、愛好する所を以て自身を傷害するなかれ、嗜欲を以て生命を妨害するなかれ、奢侈を以て名を求むるなかれ、貴富を以て驕傲盈滿するなかれ。喜怒は得當ならざれば、これを不明と曰う。暴虐は得逞ならざれば、反りて其の賊害を受く。怨恨は產生して卻って報應せず、禍は福の裏より生出す。一句の話は錯えれば、四匹の馬も能く追回せず。一句の話は急がずして言えば、四匹の馬も能く赶上せず。風に順いて飛び、以て氣力を幫助す。蘆葦を銜えて飛翔し、以て矰繳を防備す。

鏡以精明,美惡自服;衡平無私,輕重自得;蓬生枲中,不扶自直;白砂入泥,與之皆黑。

鏡子は精明を以てし、美惡は自ら呈現す。秤は公平無私を以てし、輕重は自ら得當す。蓬は枲麻の中間に生じて、扶けずして自ら直なり。白沙は泥裏に入りて、それと一齊に黑し。

時乎,時乎!間不及謀;至時之極,間不容息;勞而不體,亦將自息;有而不施,亦將自得。

時や時や!空隙は謀劃するに及ばず。時の極に到れば、空隙は一息を容る能わず。勞苦して休息せざれば、また将に自ら停息せん。有して施給せざれば、また将に自ら得せん。

無不為者,無不能成也;無不欲者,無不能得也。眾正之積,福無不及也;眾邪之積,禍無不逮也。力勝貧,謹勝禍,慎勝害,戒勝災。為善者天報以德,為不善者天報以禍。君子得時如水,小人得時如火。謗道己者,心之罪也;尊賢己者,心之力也。心之得,萬物不足為也;心之失,獨心不能守也。子不孝,非吾子也;交不信,非吾友也。食其口而百節肥,灌其本而枝葉茂;本傷者枝槁,根深者末厚。為善者得道,為惡者失道。惡語不出口,苟言不留耳;務偽不長,喜虛不久。義士不欺心,廉士不妄取;以財為草,以身為寶。慈仁少小,恭敬耆老。犬吠不驚,命曰金城;常避危殆,命曰不悔。富必念貧,壯必念老,年雖幼少,慮之必早。夫有禮者相為死,無禮者亦相為死;貴不與驕期,驕自來;驕不與亡期,亡自至。踒人日夜願一起,盲人不忘視。知者始於悟,終於諧;愚者始於樂,終於哀。高山仰止,景行行止,力雖不能,心必務為。慎終如始,常以為戒;戰戰慄慄,日慎其事。聖人之正,莫如安靜;賢者之治,故與眾異。

為さざる無ければ、即ち成就せざる能わざるなし。欲せざる無ければ、即ち得ざる能わざるなし。衆多の正直は積聚せば、福は到らざるなし。衆多の邪僻は積聚せば、禍は赶上せざるなし。力氣は貧窮に勝り、謹慎は禍に勝り、慎重は害に勝り、戒備は災に勝る。善を為すは天は徳を以て報答し、不善を為すは天は禍を以て報答す。君子の得時は水の如く、小人の得時は火の如し。毁謗して自らを説くは、是心の罪なり。尊重して自らを以て賢と為すは、是心の力なり。心に所得有れば、萬物は以て為するに足らず。心に所失有れば、独りあの心も能く守住せず。兒子は孝ならざれば、即ち我が兒子にあらず。交友は信ならざれば、即ち我が朋友にあらず。彼の口を喂えば則ち百節は肥え、其の根本を澆灌すれば則ち枝葉は茂る。根本の傷害せられたは枝は即ち枯れ、根の深きは末梢は即ち厚し。善を為すは道を得、惡を為すは道を失う。惡語は口より出ず、苟且の話は耳裏に留まらず。虛僞に從事すれば能く長久せず、虛假を喜好すれば能く持久せず。義士は自らの心を欺かず、廉士は妄取せず。財を以て草と當り、身子を以て寶と當れり。幼小に對しては慈仁、耆老に對しては恭敬す。狗が叫ぶも驚慌せず、金城と曰う。常に危殆を避開す、不悔と曰う。富裕すれば必ず貧窮を念及し、強壯すれば必ず衰老を念及す。年紀は幼小なりといえども、謀慮は必ず早からん。礼有る人は互相いに對方のために死し、礼無き人もまた互相いに對方のために死す。貴は驕と約定せず、驕は自ら來る。驕は亡と約定せず、亡は自ら到る。瘸腿の人は日夜に能くともに起身せんを希望す。盲人は看るを忘記せず。智者は醒悟より始まりて、和諧を以て終結す。愚人は快樂より始まりて、悲哀を以て終結す。高山は仰望すべく、大道は行走すべし。力量は能く及ばざるといえども、心は必ず務めて為せんを求む。終結を謹慎するは開始の如く、常に警戒と當れり。戰戰栗栗として、每日自らの事を謹慎す。聖人の端正は、安靜より善きなし。賢者の治理は、本來即ち衆人と異なれり。

好稱人惡,人亦道其惡;好憎人者,亦為人所憎。衣食足,知榮辱;倉廩實,知禮節。江河之溢,不過三日;飄風暴雨,須臾而畢。

人の惡を稱説するを喜好すれば、人もまた彼の惡を説く。人を憎惡するを喜好すれば、また人の憎惡する所と為る。衣食は充足して乃ち榮辱を知り、倉廩は充實して乃ち禮節を知れり。江河は漲溢するも三日を超過せず、飄風暴雨は片刻に即ち畢る。

福生于微,禍生於忽;日夜恐懼,唯恐不卒。

福は細微の處より生じ、禍は忽略の處より生ず。日夜に恐懼し、ただ能く終了せざるを怕る。

已雕已琢,還反於樸,物之相反,復歸於本。循流而下,易以至;倍風而馳,易以遠。兵不豫定,無以待敵;計不先慮,無以應卒。中不方,名不章,外不圜,禍之門。直而不能枉,不可與大任;方而不能圜,不可與長存。慎之於身,無曰云云,狂夫之言,聖人擇焉。能忍恥者安,能忍辱者存,唇亡而齒寒,河水崩,其懷在山。毒智者莫甚於酒,留事者莫甚於樂,毀廉者莫甚於色,摧剛者反己於弱。富在知足,貴在求退,先憂事者後樂,先傲事者後憂。福在受諫,存之所由也。恭敬遜讓,精廉無謗,慈仁愛人,必受其賞,諫之不聽,後無與爭,舉事不當,為百姓謗,悔在於妄,患在於先唱。

已に雕過し已に琢過し、なお返りて朴に回歸せんを要す。物は相反に走りて、再び根本に回歸す。水流に順いて下れば、容易く到達す。風に背いて奔馳すれば、容易く遠く走る。兵器は豫め備好せざれば、以て敵人に對待する無し。計策は先に考慮せざれば、以て突然に應對する無し。內裏は方正ならざれば、名声は彰明せず。外面は圓通ならざれば、是れ禍の門なり。直にして能く彎曲せざれば、彼に大任を與うべからず。方正にして能く圓通せざれば、彼と長久に共存すべからず。自身の上に於て謹慎し、如何如何と説くなかれ。狂夫の話も、聖人はまた択擇す。能く恥を忍受すれば即ち��し、能く辱を忍受すれば即ち存す。嘴唇なければ牙齒は即ち寒し。河水は崩決するも、其の懷抱はなお山上に在り。智を毒害するは酒より厲きなし、事を滯留するは樂より厲きなし、廉を毀壞するは女色より厲きなし、剛強を摧折するは反りて自らをして軟弱に落到せしむ。富は知足に在り、貴は退を求むるに在り。先に事を憂慮するは後來は快樂し、先に事に傲慢するは後來は憂愁す。福は進諫を接受するに在り。これは生存の經由する所なり。恭敬遜讓し、精廉にして毁謗なく、慈仁にして人を愛せば、必ずあの賞を受けん。進諫して聽かざれば、後來は彼と争うなかれ。事を辦して得當ならざれば、百姓に毁謗せられん。后悔は妄為に在り、患難は先に倡導するに在り。

蒲且修繳,鳧鴈悲鳴;逄蒙撫弓,虎豹晨嗥。河以委蛇故能遠,山以凌遲故能高,道以優遊故能化,德以純厚故能豪。言人之善,澤於膏沐;言人之惡,痛於矛戟。為善不直,必終其曲;為醜不釋,必終其惡。

蒲且は矰繳を整治し、野鴨と大雁は悲哀して鳴叫す。逄蒙は弓を撫摩し、虎豹は清晨に嗥叫す。河は曲折蜿蜒を以て能く遠くし、山は逐漸傾斜を以て能く高くし、道は優游を以て能く教化し、徳は純厚を以て能く豪なり。人の善を稱説すれば、恩澤は膏沐より潤なり。人の惡を稱説すれば、痛苦は矛戟より深し。善を為して卻って直ならざれば、必ず終に邪曲に至らん。醜惡を為して卻って放下せざれば、必ず終にあの惡に至らん。

一死一生,乃知交情;一貧一富,乃知交態;一貴一賤,交情乃見;一浮一沒,交情乃出。德義在前,用兵在後。初沐者必拭冠,新浴者必振衣。敗軍之將,不可言勇;亡國之臣,不可言智。

一死一生して乃ち交情を知り、一貧一富して乃ち交友の態度を知り、一貴一賤して交情は乃ち顯現し、一浮一沒して交情は乃ち出づ。徳義は前に在り、兵を用いるは後に在り。剛ぎ頭を洗うは必ず冠を擦拭し、新たに沐浴するは必ず衣服を抖す。敗軍の將は以て勇を談ずべからず、亡國の臣は以て智を談ずべからず。

坎井無黿鼉者,隘也;園中無修林者,小也。小忠,大忠之賊也;小利,大利之殘也。自清絕易,清人絕難;水激則悍,矢激則遠;人激於名,不毀為聲。下士得官以死,上士得官以生。禍福非從地中出,非從天上來,己自生之。

淺井の裏に黿鼉なきは、是れ狹隘なるを以てす。園子の裏に高大の林木���きは、是れ小なるを以てす。小忠は、大忠の賊害なり。小利は、大利の殘損なり。自ら清高にして人と絕交するは易く、清高の人をして人と絕交せしむるは難し。水は激盪すれば即ち強悍し、箭は激射すれば即ち遠し。人は名に激奮せられ、たとえ毀せざるも能く声名を成す。下士は官を得てこれにより死し、上士は官を得てこれにより生ず。禍福は地中より出ずるにあらず、天上より來るにあらず。是れ自らそれを生出すなり。

窮鄉多曲學:小辯害大智,巧言使信廢,小惠妨大義。不困在於早慮,不窮在於早豫。欲人勿知,莫若勿為;欲人勿聞,莫若勿言。

窮鄉に多く偏曲の學問有り。小辯は大智を傷害し、巧言は信用を廢掉せしめ、小惠は大義を妨害す。困頓せざるは早く謀慮を作すに在り、窮盡せざるは早く豫備を作すに在り。人をして知らざらしめんと欲するは、為さざるに如かず。人をして聞こえざらしめんと欲するは、説かざるに如かず。

非所言勿言,以避其患;非所為勿為,以避其危;非所取勿取,以避其詭;非所爭勿爭,以避其聲。明者視於冥冥,謀於未形;聰者聽於無聲,慮者戒於未成。世之溷濁而我獨清,眾人皆醉而我獨醒。

該當説くに非ざれば説くなかれ、以てあの患を避開せん。該當為すに非ざれば為すなかれ、以てあの危を避開せん。該當取るに非ざれば取るなかれ、以てあの詭詐を避開せん。該當争うに非ざれば争うなかれ、以てあの声名を避開せん。明の人は昏暗の中に於て看、未だ成形せざる時に於て謀劃す。聰の人は聲なき處に於て聽き、善慮の人は未だ成就せざる時に於て警戒す。世道は溷濁にして我は独り清く、衆人は皆醉いて我は独り醒めり。

乖離之咎,無不生也;毀敗之端,從此興也。江河大潰從蟻穴,山以小阤而大崩,淫亂之漸,其變為興,水火金木轉相勝。卑而正者可增,高而倚者且崩;直如矢者死,直如繩者稱。

乖離の咎責は、生出せざるなし。毁敗の開端は、此處より興起す。江河の大の大潰は螞蟻の穴より始まり、山は小處の崩頹を以て大大に崩塌す。淫亂の開端は、其の變化して興盛と為り、水火金木は輾轉して相勝す。低くして端正なるは以て増高すべく、高くして傾斜なるは将に崩塌せん。直きこと箭の如きは死し、直きこと墨繩の如きは稱揚せらる。

禍生於欲得,福生於自禁;聖人以心導耳目,小人以耳目導心。

禍は得んと欲するより生出し、福は自ら禁制するより生出す。聖人は心を以て耳目を引導し、小人は耳目を以て心を引導す。

為人上者,患在不明;為人下者,患在不忠。人知糞田,莫知糞心,端身正心,全以至今,見亡知存,見霜知冰。廣大在好利,恭敬在事親,因時易以為仁,因道易以達人。營於利者多患,輕諾者寡信。

上を為る人は、患は不明に在り。下を為る人は、患は不忠に在り。人は田に施肥するを知りて、心に施肥するを知らず。身を端正し心を端正せば、保全して今に至れり。亡を見れば即ち存を知り、霜を見れば即ち氷を知れり。廣大は利を好むに在り、恭敬は親を事奉するに在り。時に因れば易く仁を為し、道に因れば易く人に通達す。利を營求するは患多く、輕易に許諾するは信用少なし。

欲賢者莫如下人,貪財者莫如全身;財不如義高,勢不如德尊。父不能愛無益之子,君不能愛不軌之民;君不能賞無功之臣,臣不能死無德之君。問善御者莫如馬,問善治者莫如民。以卑為尊,以屈為伸,聖人所因,上法於天。

賢を欲するは人の下に居るより善きなし。財を貪るは自身を保全するより善きなし。財は義に如かず高し、勢は徳に如かず尊し。父は能く益なき兒子を愛せず、君は能く法度を守らざる民を愛せず。君は能く功勞なき臣を賞せず、臣は能く徳なき君のために死せず。誰が駕馭に善きを問うは馬より清楚なるなし、誰が治理に善きを問うは民より清楚なるなし。卑下を以て尊と當り、屈曲を以て伸と當る。これは聖人の因循する所、上は天に取法す。

君子行德以全其身,小人行貪以亡其身,相勸以禮,相強以仁,得道於身,得譽於人。

君子は徳を實行して以て自身を保全し、小人は貪を實行して以て自身を滅亡す。礼を以て互相いに勸勉し、仁を以て互相いに勉勵す。自身に於て道を得、人の處に於て名譽を得たり。

知命者不怨天,知己者不怨人;人而不愛則不能仁,佞而不巧則不能信;言善毋及身,言惡毋及人;上清而無慾,則下正而民樸。來事可追也,往事不可及。無思慮之心則不達,無談說之辭則不樂。

命を知るは天を怨まず、自らを知るは人を怨まず。人に對して愛なければ能く仁ならず、巧佞にして巧妙ならざれば能く信ならず。善を説くに自身に牽涉するなかれ、惡を説くに人に牽涉するなかれ。在上は清靜にして欲望なければ、則ち在下は端正にして民は朴實なり。未來の事は以て追及すべく、過去の事は赶上すべからず。思慮の心なければ能く通達せず、談説の言辭なければ快樂せず。

善不可以偽來,惡不可以辭去。近市無賈,在田無野。善不逆旅,非仁義剛武無以定天下。

善は以て僞裝を以て招來すべからず、惡は以て言辭を以て去掉すべからず。市集に靠近すれば商賈なく、田裏に在れば荒野なし。善人は旅客を拒絕せず。仁義剛武に非ざれば、以て天下を安定する無し。

水倍源則川竭,人倍信則名不達,義勝患則吉,患勝義則滅。五聖之謀,不如逢時;辯智明慧,不如遇世。有鄙心者,不可授便勢;有愚質者,不可予利器。多易多敗,多言多失。

水は源頭を背離すれば則ち河川は枯竭し、人は信用を背離すれば則ち名声は能く通達せず。義は患に勝れば則ち吉、患は義に勝れば則ち滅亡す。五位の聖人の謀劃は、時に遇うに如かず。辯智明慧は、世に遇うに如かず。鄙陋の心有る者は、便利の勢を授予すべからず。愚昧の資質有る者は、利器を給與すべからず。多く事を容易と看れば多く失敗し、多く説話すれば多く過失す。

冠履不同藏,賢不肖不同位。官尊者憂深,祿多者責大。積德無細,積怨無大,多少必報,固其勢也。

冠と鞋は一處に置きて收藏せず、賢と不肖は同一の位子に處らず。官の尊きは憂慮深く、禄の多きは責任大なり。徳を積むは細小を以て積まざるなし、怨を積むは大を以て停止するなし。多少は必ず報應す。本來即ちあの情勢なり。

梟逢鳩。鳩曰:“子將安之?”梟曰:“我將東徙。”鳩曰:“何故?”梟曰:“鄉人皆惡我鳴,以故東徙。”鳩曰:“子能更鳴可矣,不能更鳴,東徙猶惡子之聲。”

梟は鳩に遇えり。鳩は曰く「お前は将にどこに往かん。」梟は曰く「我は将に東邊に遷らん。」鳩は曰く「何の緣故か。」梟は曰く「鄕人は皆我が叫聲を厭惡す。ゆえに東邊に遷らん。」鳩は曰く「お前は能く叫聲を改變すれば即ち以て可なり。能く叫聲を改變せざれば、東邊に遷るもなおお前の聲音を厭惡せん。」

聖人之衣也便體以安身,其食也安於腹;適衣節食不聽口目。

聖人の衣服は身體の方便を圖りて以て身を安んじ、其の飲食はただ肚子の安穩を求むるのみ。衣服は適宜にして飲食は節有れば、口と眼睛を聽任せず。

曾子曰:“鷹鷲以山為卑,而增巢其上;黿鼉魚鱉以淵為淺,而穿穴其中。卒其所以得者,餌也。君子苟不求利祿,則不害其身。”

曾子は曰く「鷹鷲は山を以て低と為すも、卻って巢を増高してその上に加う。黿鼉魚鱉は淵を以て淺と為すも、卻って裏面に穴を鑿く。終に以て捉えらるる所以は、是れ餌なり。君子はもし利禄を求めざれば、即ち自身を傷害せざらん。」

曾子曰:“狎甚則相簡也,莊甚則不親;是故君子之狎足以交歡,莊足以成禮而已。”

曾子は曰く「過分に親昵すれば即ち互相いに簡慢し、過分に莊重すれば即ち親近せず。ゆえに君子の親昵は以て交歡するに足り、莊重は以て禮を成就するに足るのみ。」

曾子曰:“入是國也,言信乎群臣,則留可也;忠行乎群臣,則仕可也;澤施乎百姓,則安可也。”

曾子は曰く「この國に入りて、説話は能く群臣に於て信を取れば、即ち以て留下すべし。忠は能く群臣の中に於て實行せれば、即ち以て官を為すべし。恩澤は能く百姓に施給せれば、即ち以て安居すべし。」

口者,關也;舌者,機也。出言不當,四馬不能追也。口者,關也;舌者,兵也;出言不當,反自傷也。言出於己,不可止於人;行發於邇,不可止於遠。夫言行者君子之樞機,樞機之發,榮辱之本也,可不慎乎?故蒯子羽曰:“言猶射也。栝既離弦,雖有所悔焉,不可從而追已。”詩曰:“白圭之玷,尚可磨也,斯言之玷,不可為也。”

口は關口、舌は弩機なり。説出する話が得當ならざれば、四匹の馬も能く追回せず。口は關口、舌は兵器なり。説出する話が得當ならざれば、反りて自らを傷害す。話は自らより發出し、能く人の處に於て止住せず。行為は近處より發出し、能く遠處に於て止住せず。言行は君子の樞機、樞機が一たび發動すれば、即ち榮辱の根本なり。能く謹慎せざらんや。ゆえに蒯子羽は曰く「説話は射箭の如し。箭栝が已に弦を離れば、たとえ后悔する所有るも、能く跟いて追回せず。」『詩経』に曰く「白圭の污點は、なお以て磨掉すべし。この話の污點は、以て去掉すべからず。」

蠋欲類蠶,■欲類蛇,人見蛇蠋,莫不身灑然;女工脩蠶,漁者持■,不惡何也?欲得錢也。逐魚者濡,逐獸者趨;非樂之也,事之權也。

毛蟲は蠶に類せんと欲し、鱔は蛇に類せんと欲す。人は蛇と毛蟲を見て、身が發寒せざるなし。女工は蠶を飼養し、漁人は鱔を握るに、卻って厭惡せず。何故か。是れ錢を得んと欲するなり。魚を追う人は沾湿し、獸を追う人は奔跑す。これを喜ぶにあらず、是れ事情の權變なり。

登高使人慾望,臨淵使人慾窺,何也?處地然也。御者使人恭,射者使人端,何也?其形便也。

高處に登れば人をして遠望せんと欲せしめ、深淵に臨面すれば人をして窺看せんと欲せしむ。何故か。是れ處する地勢の然らしむるなり。駕馭は人をして恭謹せしめ、射箭は人をして端正せしむ。何故か。是れあの形體のこの如くに便なり。

民有五死,聖人能去其三,不能去其二。飢渴死者,可去也;凍寒死者,可去也;罹五兵死者,可去也。壽命死者,不可去也;癰疽死者,不可去也。飢渴死者,中不充也;凍寒死者,外勝中也,罹五兵死者,德不忠也;壽命死者,歲數終也;癰疽死者,血氣窮也。故曰中不止,外淫作;外淫作者,多怨怪;多怨怪者,疾病生。故清靜無為,血氣乃平。

民に五種の死有り。聖人は能く其の中の三種を去掉し、能く其の中の兩種を去掉せず。饑渴して死するは、以て去掉すべし。凍寒して死するは、以て去掉すべし。兵器に遭遇して死するは、以て去掉すべし。壽命盡きて死するは、去掉すべからず。癰疽して死するは、去掉すべからず。饑渴して死するは、是れ內裏の充實せざるなり。凍寒して死するは、是れ外面の內裏に勝るなり。兵器に遭遇して死するは、是れ徳の忠實ならざるなり。壽命盡きて死するは、是れ歲數の終了するなり。癰疽して死するは、是れ血氣の窮盡するなり。ゆえに言う、內裏は安定せざれば、外面の淫亂は發作す。外面の淫亂發作するは、怨怪多し。怨怪多きは、疾病は即ち生ず。ゆえに清靜無爲なれば、血氣は乃ち平なり。

百行之本,一言也。一言而適,可以卻敵;一言而得,可以保國。響不能獨為聲,影不能倍曲為直,物必以其類及,故君子慎言出己。負石赴淵,行之難者也,然申屠狄為之,君子不貴之也;盜跖兇貪,名如日月,與舜禹並傳而不息,而君子不貴。

百行の根本は、一句の話なり。一句の話が得當なれば、以て敵人を退却すべし。一句の話が得宜なれば、以て國家を保全すべし。回響は能く獨自して聲音を做成せず、影子は能く彎曲に違背して直を做成せず。物は必ず其の類に按じて以て自身に及ぶ。ゆえに君子は自らの説出する話を謹慎す。石を背負いて深淵に投向するは、行為の中の難なり。しかるに申屠狄はこのように為せり。君子はそれを看重せず。盜跖は凶殘貪婪にして、名声は日月の如く、舜禹と併せて流傳して停まらず。君子は卻って看重せず。

君子有五恥:朝不坐,燕不議,君子恥之;居其位,無其言,君子恥之;有其言,無其行,君子恥之;既得之又失之,君子恥之;地有餘而民不足,君子恥之。

君子に五種の恥有り。上朝して坐せず、宴居して議せずは、君子は以て恥と為す。あの位子に處りて、相應の話なきは、君子は以て恥と為す。あの話有るに、あの行為なきは、君子は以て恥と為す。已に得てまた失うは、君子は以て恥と為す。土地に餘有りて民は足らざるは、君子は以て恥と為す。

君子雖窮不處亡國之勢,雖貧不受亂君之祿;尊乎亂世,同乎暴君,君子恥之也。眾人以毀形為恥,君子以毀義為辱;眾人重利,廉士重名。

君子はたとえ窮困するも亡國の情勢の裏に處らず、たとえ貧窮するも亂君の禄を接受せず。乱世に於て尊崇せらるるは、暴君と相同じ。君子は以て恥と為す。衆人は形體の毁せらるるを以て恥と為し、君子は義の毁せらるるを以て辱と為す。衆人は利を看重し、廉士は名を看重す。

明君之制:賞從重,罰從輕;食人以壯為量,事人以老為程。

明君の制度:賞は重に從い、罰は輕に從う。人に食を與うるは壯年を以て分量と為し、人に事を做らしむるは老年を以て規程と為す。

君子之言寡而實,小人之言多而虛;君子之學也,入於耳,藏於心,行之以身;君子之治也,始於不足見,終於不可及也。君子慮福弗及,慮禍百之,君子擇人而取,不擇人而與,君子實如虛,有如無。

君子の話は少なくして實在、小人の話は多くして虛空なり。君子の學習は、耳に入り、心裏に藏め、自身を以て往きて實行す。君子の治理は、見るに足らざる處より開始し、以て赶上すべからざる處に終結す。君子は福を考慮するにただ及ばざるを恐れ、禍を考慮するに百倍を按じて想う。君子は人を択擇して然る後に取り、人を択擇せずして給與す。君子は充實して卻って虛空の如く、有して卻って無きが如し。

君子有其備則無事;君子不以愧食,不以辱得;君子樂得其志,小人樂得其事;君子不以其所不愛,及其所愛也。

君子は豫備有れば即ち事なし。君子は慚愧を以て食物を換えず、恥辱を以て獲得するに往かず。君子は其の志を得るを樂しみ、小人は其の事を得るを樂しむ。君子は彼の愛せざる所を、彼の愛する所に延及せず。

君子有終身之憂,而無一朝之患,順道而行,循理而言,喜不加易,怒不加難。

君子に終身の憂慮有りて、卻って一朝の患難なし。道に順いて行走し、理に循いて説話す。高興はこれにより改變せず、發怒はこれにより作難せず。

君子之過猶日月之蝕也,何害於明?小人可也,猶狗之吠盜,狸之夜見,何益於善?夫智者不妄為,勇者不妄殺。

君子の過錯は日月の虧食の如く、光明に於て何の妨害有らん。小人もまた可なるは、狗の盜賊に對して叫び、狸猫は夜裏能く見るが如く、善に於て何の增益有らん。智の人は妄爲せず、勇の人は妄殺せず。

君子比義,農夫比谷。事君不得進其言,則辭其爵;不得行其義,則辭其祿。人皆知取之為取也,不知與之為取之。政有招寇,行有招恥,弗為而自至,天下未有。

君子は義を比量し、農夫は穀を比量す。君に事奉して能く彼の話を進獻せざれば、即ち爵を辭去す。能く彼の義を實行せざれば、即ち禄を辭去す。人は皆取るを取ると知りて、給與するもまた取なるを知らず。政令に寇敵を招來する有り、行為に恥辱を招來する有り。爲さずして自ら到來するは、天下にこの樣の事なし。

猛獸狐疑不若蜂蠆之致毒也;高議而不可及,不若卑論之有功也。

猛獸は猶豫するは、蜂蠆の能く毒を送到するに如かず。議論は高遠にして卻って赶上すべからざるは、卑下の議論の功效有るに如かず。

秦信同姓以王,至其衰也,非易同姓也,而身死國亡。故王者之治天下在於行法,不在於信同姓。

秦は同姓を信任して王と称す。其の衰微する時に至りて、併せて同姓を改換せざるに、卻って身は死し國は亡べり。ゆえに王者の天下を治理するは法を實行するに在りて、同姓を信任するに在らず。

高山之巔無美木,傷於多陽也;大樹之下無美草,傷於多陰也。

高山の頂上に美樹なきは、是れ過多の陽に傷害せらるなり。大樹の下面に美草なきは、是れ過多の陰に傷害せらるなり。

鍾子期死而伯牙絕弦破琴,知世莫可為鼓也;惠施卒而莊子深暝不言,見世莫可與語也。

鐘子期は死せり。伯牙は弦を割斷し琴を摔破し、世上に以て彼のために琴を彈くべき人なきを知れり。惠施は死せり。莊子は深深として沉默して話さず、世上に以て���と交談すべき人なきを見れり。

修身者智之府也,愛施者仁之端也,取予者義之符也,恥辱者勇之決也,立名者行之極也。

自身を修養するは智の府庫、愛して施給するは仁の開端、取と給は義の符驗、恥辱に對待するは勇の決斷、名声を樹立するは行為の極致なり。

進賢受上賞,蔽賢蒙顯戮,古之通義也;爵人於朝,淪人於市,古之通法也。

賢人を進薦するは上等の賞を受け、賢人を遮蔽するは顯明の殺戮を蒙受す。これは古代通行の義なり。朝廷の上に於て人に爵を與え、市の上に於て人をして沈淪せしむるは、これは古代通行の法なり。

道微而明,淡而有功。非道而得,非時而生,是謂妄成。得而失之,定而復傾。

道は細微にして卻って顯明し、淡泊にして卻って功效有り。道に非ずして卻って得る、時に非ずして卻って生成するは、これを妄成と曰う。得てまた失い、安定してまた傾覆す。

福者禍之門也。是者非之尊也。治者亂之先也。事無終始而患不及者,未之聞也。

福は禍の門なり。是は非の尊奉する所なり。治は亂の先導なり。事情に終始なきにして患難の到らざるは、聞いたことなし。

枝無忘其根,德無忘其報,見利必念害身,故君子留精神,寄心於三者,吉祥及子孫矣。

樹枝は其の根を忘記せず、徳有るは報答を忘記せず、利を見れば必ず自身を傷害するを念及す。ゆえに君子は精神をこの三件事の上に留め、心をこの三件事の上に寄托せば、吉祥は即ち子孫に延及せん。

兩高不可重,兩大不可容,兩勢不可同,兩貴不可雙;夫重容同雙,必爭其功,故君子節嗜慾,各守其足,乃能長久。夫節慾而聽諫,敬賢而勿慢,使能而勿賤;為人君能行此三者,其國必強大而民不去散矣。

兩個の高は重疊すべからず、兩個の大は兼容すべからず、兩種の勢は一同すべからず、兩個の貴は成雙すべからず。重疊・兼容・一同・成雙せば、必ずあの功勞を争奪せん。ゆえに君子は嗜欲を節制し、各々自らの滿足を守住して、乃ち能く長久す。欲望を節制して進諫を聽從し、賢人を敬重して怠慢せず、才能有るを使用して賤待せず。人君を為りて能くこの三樣を實行せば、其の國は必ず強大にして民は離散せず。

默無過言,愨無過事;木馬不能行,亦不費食;騏驥日馳千里,鞭棰不去其背!

沉默すれば即ち錯えた話なく、誠實なれば即ち錯えた事なし。木馬は能く走らざるも、また食料を費さず。騏驥は每日千里を奔馳す。鞭子棰杖は其の背を離れず!

寸而度之,至丈必差;銖而稱之,至石必過;石稱丈量,徑而寡失;簡絲數米,煩而不察。故大較易為智,曲辯難為慧。

一寸一寸に量りて、丈に至れば必ず差錯有り。一銖一銖に稱りて、石に至れば必ず超過す。石を以て稱り丈を以て量るは、直接にして失誤少なし。一根の絲を數え一粒の米を數うるは、煩瑣にして明白を看ず。ゆえに大のは以て智を成すに較易く、曲折の辯は以て慧を成すに難し。

吞舟之魚,蕩而失水,制於螻蟻者,離其居也;猿猴失木,禽於狐貉者,非其處也。騰蛇遊霧而生,騰龍乘雲而舉,猿得木而挺,魚得水而騖,處地宜也。

能く船を吞む魚は、動盪して水を離れば、螻蟻に制服せらる。是れ其の居處を離れたるなり。猿猴は樹木を離れば、狐貉に擒住せらる。是れ其の處るべき地方に在らざるなり。騰蛇は霧に乘じて生存し、騰龍は雲に乘じて升起し、猿は樹木を得れば即ち伸展し、魚は水を得れば即ち奔馳す。是れ處の地勢の適宜なり。

君子博學,患其不習;既習之,患其不能行之;既能行之,患其不能以讓也。

君子は廣博に學習し、自らの温習せざるを憂慮す。已に温習せれば、自らの能く實行せざるを憂慮す。已に能く實行せれば、自らの能くこれにより謙讓せざるを憂慮す。

君子不羞學,不羞問。問訊者知之本,念慮者知之道也。此言貴因人知而加知之,不貴獨自用其知而知之。

君子は學習を以て羞と為さず、請問を以て羞と為さず。問訊は知の根本、念慮は知の道路なり。これは説く、他人の已に知るを藉りて再び知るを加以するを看重し、獨自して自らの知を以て知るを看重せざるなり。

天地之道:極則反,滿則損。五采曜眼有時而渝,茂木豐草有時而落。物有盛衰,安得自若。

天地の道:極に至れば即ち返回し、滿なれば即ち減損す。五彩の耀眼は時に變有り、茂盛の樹木豐美の草は時に落有り。物に盛有り衰有り。どうして自ら總えてこの如からん。

民苦則不仁,勞則詐生,安平則教,危則謀,極則反,滿則損,故君子弗滿弗極也。

民は困苦すれば即ち不仁となり、勞苦すれば即ち欺詐を生出す。安定太平なれば即ち教化を接受し、危險なれば即ち謀劃を生出し、極に至れば即ち返回し、滿なれば即ち減損す。ゆえに君子は自らをして滿せしめず、自らをして極に至らしめず。

卷十七雜言

巻十七 雜言

賢人君子者,通乎盛衰之時,明乎成敗之端,察乎治亂之紀,審乎人情。知所去就,故雖窮不處亡國之勢,雖貧不受汙君之祿;是以太公七十而不自達,孫叔敖三去相而不自悔;何則?不強合非其人也。太公一合於周而侯七百歲,孫叔敖一合於楚而封十世;大夫種存亡越而霸,句踐賜死於前;李斯積功於秦,而卒被五刑。盡忠憂君,危身安國,其功一也;或以封侯而不絕,或以賜死而被刑;所慕所由異也。故箕子去國而佯狂,范蠡去越而易名,智過去君弟而更姓,皆見遠識微,而仁能去富勢,以避萌生之禍者也。夫暴亂之君,孰能離縶以役其身,而與於患乎哉?故賢者非畏死避害而已也,為殺身無益而明主之暴也。比干死紂而不能正其行,子胥死吳而不能存其國;二子者強諫而死,適足明主之暴耳,未始有益如秋毫之端也。是以賢人閉其智,塞其能,待得其人然後合;故言無不聽,行無見疑,君臣兩與,終身無患。今非得其時,又無其人,直私意不能已,閔世之亂,憂主之危;以無貲之身,涉蔽塞之路;經乎讒人之前,造無量之主,犯不測之罪;傷其天性,豈不惑哉?故文信侯、李斯,天下所謂賢也,為國計揣微射隱,所謂無過策也;戰勝攻取,所謂無強敵也。積功甚大,勢利甚高。賢人不用,讒人用事,自知不用,其仁不能去;制敵積功,不失秋毫;避患去害,不見丘山。積其所欲,以至其所惡,豈不為勢利惑哉?詩云:“人知其一,莫知其它。”此之謂也。

賢人君子は、盛衰の時運を通曉し、成敗の端緒を明白し、治亂の綱紀を察見し、人情を審度し、該當離開し該當趨就するを知れり。ゆえにたとえ窮困するも亡國の情勢の裏に處らず、たとえ貧窮するも汚穢の君の禄を接受せず。これにより太公は七十歲にしてなお自ら顯達を求めず、孫叔敖は三次相位を離開して自ら后悔せず。何故か。あの種の人に非ざる人と聚合するを強求せざるなり。太公は一旦にして周と聚合すれば即ち侯を封ぜられて七百年、孫叔敖は一旦にして楚と聚合すれば即ち封賞十世なり。大夫種は将亡の越を保存して霸業を成就せりも、句踐は卻って彼を面前に賜死せり。李斯は秦に於て功を積みて、終に五刑を受けたり。忠心を竭盡して君を憂念し、自身は危險にして國家を安定す。彼らの功は一樣なり。あるいは侯を封ぜられて絕えず、あるいは賜死せられて刑を受く。所仰慕・所經由の同じからざるなり。ゆえに箕子は國を離れて瘋狂を假裝し、范蠡は越を離れて姓名を改換し、智過は君の府第を離れて姓氏を更改せり。皆遠くを看て微兆を識りて、仁は能く富と勢を離れ、以て剛ぎ萌生する禍を避開���り。あの暴亂の君は、誰か能く束縛を解開して往きて彼に役使するに自身を供して、卻って患難に參与せんや。ゆえに賢者はただ死を畏れ害を避くるのみにあらず。是れ殺せられて自身に益處なく、卻って主の殘暴を顯明せしむるを以てす。比干は紂のために死して能く其の行爲を端正せず、子胥は呉のために死して能くあの國を保存せず。この兩個の人は強行して進諫して死せり。恰好に主の殘暴を顯明するに足るのみ、未だ秋毫の末の如き益處有らず。これにより賢人は其の智を關閉し、其の能を堵塞し、等到してあの種の人を得て然る後に乃ち聚合す。ゆえに話は聽かれざるなく、行爲は懷疑せられざるなく、君臣は兩邊皆給與し、終身に患なし。いま既に時を得ず、またあの種の人なく、ただ私意の能く停止せざるのみ、世道の亂を憫念し、主の危を憂慮す。資財の恃むべきなき身子を拿りて、蒙蔽堵塞せらる路に走上り、讒人の面前を經過し、限量すべからざる主の處に到り、測度すべからざる罪に觸犯す。自らの天性を傷害す。豈に迷惑ならずんばあらんや。ゆえに文信侯・李斯は、天下の所説の賢なり。國家のために謀劃し、細微を揣度し、隱蔽に射中するは、所説錯誤なきの計策なり。戰勝攻取するは、所説強敵なきなり。積功は甚だ大にして、勢利は甚だ高し。賢人は用いられず、讒人は事を用い、自ら用いられざるを知るに、其の仁は卻って能く離れず。敵人を制服し功勞を積累するに、秋毫を漏らさず。患難を避開し禍害を除去するに、卻って丘山を見ず。彼の欲する所を積累して、彼の厭惡する所に以致れり。豈に勢利に迷惑せられたるに非ずんばあらんや。『詩経』に曰く「人は其中の一件を知りて、其他を知らず。」これを言う。

子石登吳山而四望,喟然而嘆息曰:“嗚呼悲哉!世有明於事情,不合於人心者;有合於人心,不明於事情者。”弟子問曰:“何謂也?”子石曰:“昔者吳王夫差不聽伍子胥,盡忠極諫,抉目而辜;太宰嚭、公孫雒,偷合苟容,以順夫差之志而伐吳。二子沈身江湖,頭懸越旗。昔者費仲、惡來革、長鼻決耳,崇侯虎順紂之心,欲以合於意,武王伐紂、四子身死牧之野,頭足異所,比干盡忠剖心而死。今欲明事情,恐有抉目剖心之禍,欲合人心,恐有頭足異所之患。由是觀之,君子道狹耳。誠不逢其明主,狹道之中,又將危險閉塞,無可從出者。”

子石は呉山に登りて四面を眺望し、喟然として嘆息して曰く「唉、可悲かな!世上に事情を明白して、卻って人心に合わざる有り。人心に合して、卻って事情を明白せざる有り。」弟子は問うた「何の意思か。」子石は曰く「昔、呉王夫差は伍子胥の忠心を竭盡して極力進諫するを聽かず、眼を挖出して屍を陳じて衆に示せり。太宰嚭・公孫雒は苟且に迎合して容身を求め、以て夫差の心意に順從するに、卻って呉をして伐たれしめたり。この兩個の人は身體は江湖に沈み、頭は越の旗の上に懸挂せり。昔、費仲・惡來革・長鼻決耳・崇侯虎は紂の心に順從し、以て彼の意に合わんと欲せり。武王は紂を伐ち、四人は身を牧野に死し、頭と脚は一處に在らず。比干は忠心を竭盡して心を剖かれて死せり。いま事情を明白せんと欲せば、眼を挖き心を剖くの禍有るを怕る。人心に合せんと欲せば、頭と脚が異處するの患有るを怕る。これを以て看れば、君子の路は狹窄かな。もし真に明主に遇上せざれば、狹窄の路の當中に於て、また将に危險閉塞にして、あそこより出づる以て可なる無し。」

祁射子見秦惠王,惠王說之,於是唐姑讒之,復見,惠王懷怒以待之。非其說異也,所聽者易也。故以徵為羽,非弦之罪也;以甘為苦,限味之過也。

祁射子は秦惠王に見え、惠王は彼を喜歡せり。そこで唐姑は讒言を進め、再び往きて見えれば、惠王は怒を懷きて彼を等待せり。彼の説くの同じからざるにあらず。是れ聽く人の改變せるなり。ゆえに徵を以て羽と當るは、弦の罪にあらず。甘を以て苦と當るは、口味の過錯なり。

彌子瑕愛於衛君,衛國之法:竊駕君車罪刖。彌子瑕之母疾,人聞,夜往告之。彌子瑕擅駕君車而出,君聞之,賢之曰:“孝哉!為母之故犯刖罪哉!”君遊果園,彌子瑕食桃而甘,不盡而奉君,君曰:“愛我而忘其口味。”及彌子瑕色衰而愛弛,得罪於君,君曰:“是故嘗矯吾車,又嘗食我以餘桃。”故子瑕之行未必變初也,前見賢后獲罪者,愛憎之生變也。

彌子瑕は衛君に寵愛せらる。衛國の法:君の車子を偷駕するは罪は脚を砍る。彌子瑕の母親は病せり。人有りてこれを聞き、夜に往きて彼に告げたり。彌子瑕は擅自に君の車子を駕りて出でたり。君はこれを聞きて、彼を以て賢と為して曰く「孝なるかな!母親の緣故のために脚を砍る罪を觸犯す!」君は果園に於て游玩せり。彌子瑕は桃を喫して甜を覺え、喫盡さずして君に献上せり。君は曰く「我を愛して自らの嘴裏の味道を忘れり。」等到して彌子瑕は容色は衰退し寵愛は鬆弛し、君の處に於て罪を獲て、君は曰く「この人は從前かつて命令を假傳して我が車子を用い、またかつて喫剩の桃を我に與えて喫わしめたり。」ゆえに子瑕の行爲は未だ必ずしも當初と同じからざるなり。先前は賢と認められ後來は罪を獲るは、愛憎の變化發生するなり。

舜耕之時不能利其鄰人,及為天子,天下戴之。故君子窮則善其身,達則利於天下。

舜は耕種するの時は能く其の鄰人に利を與えず。等到して天子を為れば、天下は彼を擁戴せり。ゆえに君子は窮困すれば即ち自身を完善し、顯達すれば即ち天下に利有り。

孔子曰:“自季孫之賜我千鍾而友益親,自南宮項叔之乘我車也,而道加行。故道有時而後重,有勢而後行,微夫二子之賜,丘之道幾於廢也。”

孔子は曰く「季孫が我に千鍾を賜いてより、朋友は更に親近せり。南宮項叔が我をして彼の車に乘らしめてより、道は更に以て實行せらるを得たり。ゆえに道は時有りて然る後に看重せられ、勢有りて然る後に能く實行せらる。この兩個の人の賜與なからば、丘の道はほぼ廢せんとしたり。」

太公田不足以償種,漁不足以償網,治天下有餘智。文公種米,曾子架羊,孫叔敖相楚,三年不知軛在衡後,務大者固忘小。智伯廚人亡炙●而知之,韓魏反而不知;邯鄲、子陽園人亡桃而知之,其亡也不知。務小者亦忘大也。”

太公は田を種るも種子を償還するに足らず、魚を打つも漁網を償還するに足らず。天下を治理するは卻って智に餘有り。文公は米を種り、曾子は羊を駕り、孫叔敖は楚相を爲せり。三年にして軛が衡の後面に在るを知らず。大に從事するは本來即ち小を忘記す。智伯の廚人は烤肉を丟掉して卻って知り、韓・魏の反叛は卻って知らず。邯鄲の子陽は、園丁の桃を丟掉して卻って知り、自らの将亡せんとするを卻って知らず。小に從事するもまた大を忘記す。

淳于髡謂孟子曰:“先名實者,為人者也;後名實者,自為者也。夫子在三卿之中,名實未加上下而去之,仁者固如此乎?”孟子曰:“居下位,不以賢事不肖者,伯夷也;五就湯,五就桀者,伊尹也;不惡汙君,不辭小官者,柳下惠也。三子者不同道,其趣一也。一者何也?曰仁也。君子亦仁而已,何必同?”曰:“魯穆公之時,公儀子為政,子思、子庚為臣,魯之削也滋甚。若是乎賢者之無益於國也。”曰:“虞不用百里奚而亡,秦穆公用之而霸,故不用賢則亡,削何可得也。”曰:“昔者王豹處於淇,而河西善謳;綿駒處於高唐,而齊右善歌。華舟杞梁之妻,善哭其夫而變國俗。有諸內必形於外;為其事,無其功,髡未睹也。是故無賢者也,有則髡必識之矣。”曰:“孔子為魯司寇而不用,從祭膰肉不至,不脫冕而行;其不善者以為為肉也,其善者以為為禮也。乃孔子欲以微罪行,不欲為苟去,故君子之所為,眾人固不得識也。”

淳于髠は孟子に對して曰く「名實を先に置くは、是れ人のためなり。名實を後に置くは、是れ自らのためなり。夫子は三卿の中に在り、名實は未だ上下に加わらざるに離開せり。仁者は本來この如くか。」孟子は曰く「下位に處りて、賢を以て不肖に事奉せざるは、伯夷なり。五次湯に就き五次桀に就くは、伊尹なり。汚穢の君を厭惡せず小官を推辞せざるは、柳下惠なり。この三個の人は道は同じからざるも、趨向は一個なり。一個は何か。是れ仁なり。君子もまたただ仁のみ、何ぞ必ずしも同じからんや。」曰く「魯穆公の時、公儀子は執政し、子思・子庚は臣を爲せり。魯は削割せられて更に厲し。この如くなれば、賢者は國に對して益處なし。」曰く「虞は百里奚を用いずして滅亡し、秦穆公は彼を用いて稱霸せり。ゆえに賢を用いざれば即ち滅亡す。削割せらるるはどこにまた得るべからんや。」曰く「昔、王豹は淇に住めり。河西は即ち謳歌に善し。綿駒は高唐に住めり。斉の右邊は即ち唱歌に善し。華舟・杞梁の妻子は丈夫を哭するに善くして國俗を改變せり。內裏有るは必ず外面に表現す。あの種の事を爲して卻ってあの種の功なきは、髠は未だ見たことなし。これにより是れ賢者なきなり。有らば髠は必ず彼を認識せり。」曰く「孔子は魯の司寇を爲るも用いられず、祭祀に跟隨して膰肉は到らず。冕を脱がずして走り去れり。あの不善の人は以て肉のためと爲し、あの善の人は以て禮のためと爲す。孔子は輕微の罪を帶びて離開せんと欲し、苟且に離去せんと欲せず。ゆえに君子の爲す所は、衆人は本來能く認識せず。」

梁相死,惠子欲之梁,渡河而遽墮水中,船人救之。船人曰:“子欲何之而遽也?”曰:“梁無相,吾欲往相之。”船人曰:“子居船橶之間而困,無我則子死矣,子何能相梁乎?”惠子曰:“子居艘楫之間則吾不如子;至於安國家,全社稷,子之比我,濛濛如未視之狗耳。”

梁の相が死せり。惠子は梁に往かんと欲し、河を渡る時に匆忙して水の裏に掉墜し、船人は彼を救起せり。船人は曰く「お前はどこに往かんと欲するか、このように匆忙して。」曰く「梁に相なし。我はあそこに往きて相を為らんと欲す。」船人は曰く「お前は船槳の間に處りて即ち困住し、我なからばお前は即ち死せり。お前はどうして能く梁に相を為らん。」惠子は曰く「お前は船只槳楫の間に處れば、我はお前に如かず。國家を安定し社稷を保全するに至りては、お前が我に比すれば、蒙蒙然として未だ眼を睜かざる狗の如きのみ。」

西閭過東渡河中流而溺,船人接而出之,問曰:“今者子欲安之?”西閭過曰:“欲東說諸侯王。”船人掩口而笑曰:“子渡河中流而溺,不能自救,安能說諸侯乎?”西閭過曰:“無以子之所能相為傷也。子獨不聞和氏之璧乎?價重千金,然以之間紡,曾不如瓦磚;隨侯之珠,國寶也,然用之彈,曾不如泥丸;騏驥騄駬,倚衡負軛而趨,一日千里,此至疾也,然使捕鼠,曾不如百錢之狸;幹將、鏌■拂鐘不錚,試物不知,揚刃離金斬羽契鐵斧,此至利也,然以之補履,曾不如兩錢之錐。今子持楫乘扁舟,處廣水之中,當陽侯之波,而臨淵流,適子之所能耳。若誠與子東說諸侯王,見一國之王,子之濛濛,無異夫未視之狗耳。”

西閭過は東に向かい河を渡り、中流に至りて溺水せり。船人は接きて拉きて出で、問うた「いまお前はどこに往かんと欲するか。」西閭過は曰く「東に向かい諸侯王を游説せんと欲す。」船人は嘴を捂きて笑いて曰く「お前は河を渡りて中流に至れば即ち溺水し、能く自らを救わず。どうして能く諸侯を游説せん。」西閭過は曰く「お前の能くする所を拿りて我が為す所を傷害するなかれ。お前は豈に和氏之璧を聞かざらんや。價値は重くして千金に至るも、しかるにそれを以て線を紡げば、竟に瓦磚に如かず。隨侯之珠は國寶なるも、しかるにそれを以て彈射すれば、竟に泥丸に如かず。騏驥𫘧駬は、衡に倚り軛を負いて奔跑し、一天に千里、これは極快なり。しかるにそれをして鼠を捕えしめば、竟に百錢の狸猫に如かず。干將・鏌鋣は鐘を拂過して錚然と響かず、物を試して知らず。刃を揚げて金子を分け羽毛を斬斷し鐵斧を契開するは、これは極鋒利なり。しかるにそれを以て鞋を補せば、竟に兩錢の錐子に如かず。いまお前は槳を拿りて小船に乘り、廣闊の水中に處り、陽侯の波濤に當りて、深淵の水流に臨面す。これは恰好にお前の能くする所のみ。もし真にお前と東に向かい諸侯王を游説して、一國の王に見えに往かば、お前の蒙蒙然たるは、あの未だ眼を睜かざる狗と同じからざるなし。」

甘戊使於齊,渡大河。船人曰:“河水間耳,君不能自渡,能為王者之說乎?”甘戊曰:“不然,汝不知也。物各有短長,謹願敦厚,可事主不施用兵;騏驥、騄駬,足及千里,置之宮室,使之捕鼠,曾不如小狸;干將為利,名聞天下,匠以治木,不如斤斧。今持楫而上下隨流,吾不如子;說千乘之君,萬乘之主,子亦不如戊矣。”

甘戊は斉に出使し、大河を渡れり。船人は曰く「河水は間隔するのみ。君は能く自ら渡らず、能く王者の游説を為さんや。」甘戊は曰く「この如くあらず。お前は知らず。物は各々短長有り。謹慎老實敦厚は、以て主に事奉すべくして以て打仗するに用いるべからず。騏驥・𫘧駬は、脚力は千里に及ぶも、宮室の裏に放ちてそれをして鼠を捕えしめば、竟に小狸猫に如かず。干將は鋒利にして、名は天下に聞こゆ。匠人はそれを以て木頭を治理するに、斧斤に如かず。いま槳を拿りて上下して水流に隨うは、我はお前に如かず。千乘の君・萬乘の主を游説するは、お前もまた戊に如かず。」

今夫世異則事變,事變則時移,時移則俗易;是以君子先相其土地,而裁其器,觀其俗,而和其風,總眾議而定其教。愚人有學遠射者,參矢而發,已射五步之內,又復參矢而發;世以易矣,不更其儀,譬如愚人之學遠射。目察秋毫之末者,視不能見太山;耳聽清濁之調者,不聞雷霆之聲。何也?唯其意有所移也。百人操觿,不可為固結;千人謗獄,不可為直辭,萬人比非,不可為顯士。

いま世道は同じからざれば則ち事情は變化し、事情が變化すれば則ち時は轉移し、時が轉移すれば則ち習俗は改易す。これにより君子は先にあの土地を察看し、再び器具を裁制し、あの習俗を觀察し、あの風氣を調和し、衆人の議論を總括して教化を確定す。愚人ありて遠射を學びて、箭を手指の間に夾みて發射し、已に五步の內に射て、また再び箭を手指の間に夾みて發射す。世は已に改易するに、卻って儀法を更改せず。猶お愚人の遠射を學ぶが比の如し。眼睛は能く秋毫の末を察見するは、遠望して卻って太山を見る能わず。耳朵は能く清濁の音調を聽くは、卻って雷霆の聲音を聽かず。何故か。ただ其の意念の轉移する所有るを以てす。一百人は繩を解く錐子を拿れども、以て牢固の結を做成すべからず。一千人は獄訟を毁謗すれども、以て正直の言辭を做成すべからず。一萬人は一齊に否定すれども、以て顯達の士を做成すべからず。

麋鹿成群,虎豹避之;飛鳥成列,鷹鷲不擊;眾人成聚,聖人不犯。騰蛇遊於霧露,乘於風雨而行,非千里不止;然則暮托宿於■鱣之穴,所以然者,何也?用心不一也。夫蚯蚓內無筋骨之強,外無爪牙之利;然下飲黃泉,上墾晞土。所以然者,何也?用心一也。聰者耳聞,明者目見,聰明形則仁愛者,廉恥分矣。故非其道而行之,雖勞不至;非其有而求之,雖強不得;智者不為非其事,廉者不求非其有;是以遠容而名章也。詩云:“不忮不求,何用不臧。”此之謂也。

麋鹿は群を成せば、虎豹は彼らを避開す。飛鳥は列を成せば、鷹鷲は襲擊せず。衆人は聚集して群を成せば、聖人は冒犯せず。騰蛇は霧露の中に游び、風雨に乘じて行走し、千里に到らざれば停止せず。しかるに傍晚には鱔鱣の洞穴の裏に寄宿す。以てこの如くするは、何故か。是れ用心が專一ならざるなり。蚯蚓は內裏に筋骨の強なく、外面に爪牙の利なし。卻って下は黃泉を喝り、上は干土を開墾す。以てこの如くするは、何故か。是れ用心が專一なり。聰の人は耳朵に聽かれ、明の人は眼睛に見られ、聰明は顯現すれば則ち仁愛の人は、廉恥は即ち分開せり。ゆえにあの道に非ずして往きて實行すれば、たとえ勞苦するも到る能わず。彼の該當有るに非ずして往きて求むれば、たとえ強求するも得る能わず。智の人は彼の事に非ざるを爲さず、廉の人は彼の該當有るに非ざるを求めず。これにより遠くに容納せられて名声は彰明せり。『詩経』に曰く「忌恨せず貪求せず、何を爲して善ならざらん。」これを言う。

楚昭王召孔子,將使執政而封以書社七百。子西謂楚王曰:“王之臣用兵有如子路者乎?使諸侯有如宰予者乎?長官五官有如子貢者乎?昔文王處酆、武王處鎬之間百乘之地,伐上殺主立為天子,世皆曰聖。王今以孔子之賢而有書社七百里之地,而三子佐之,非楚之利也。”楚王遂止。夫善惡之難分也,聖人獨見疑,而況於賢者乎!是以賢聖罕合,諂諛常興也。故有千歲之亂而無百歲之治,孔子之見疑,豈不痛哉!

楚昭王は孔子を召して、将に彼をして執政せしめ併せて書社七百を以て彼を封ぜんとせり。子西は楚王に對して曰く「王の臣に兵を用いて子路の如き有るか。諸侯に出使して宰予の如き有るか。五官を主管して子貢の如き有るか。昔、文王は酆に處り武王は鎬に處りて、百乘の地に過に過ぎざるも、在上を討伐し君主を殺掉して天子と立てり。世人は皆聖と曰う。王はいま孔子の賢を凭りてまた書社七百里の地有り、再び三子を加えて彼を輔佐すれば、楚の利にあらず。」楚王はそこで停止せり。善惡は分辨し難く、聖人は尚且独り懷疑せらる。いわんや賢者をや!これにより賢聖は少く能く聚合し、諂諛は常常に興起す。ゆえに千年の亂有りて百年の治なし。孔子は懷疑せらる。豈に痛心ならずんばあらんや!

魯哀公問於孔子曰:“有智者壽乎?”孔子曰:“然。人有三死而非命也者,人自取之。夫寢處不時,飲食不節,佚勞過度者,疾共殺之;居下位而上忤其君,嗜慾無厭,而求不止者,刑共殺之;以少犯眾,弱以侮強,忿怒不量力者,兵共殺之。此三者,非命也,人自取之。詩云:‘人而無儀,不死何為?’此之謂也。”

魯哀公は孔子に問うた「智有る人は長壽か。」孔子は曰く「是なり。人に三種の死有りて命にあらず。是れ人の自ら取來するなり。起居に定時なく、飲食に節制なく、安逸勞苦して過度なるは、疾病は一齊に彼を殺す。下位に處りて卻って上に向かい其の君に違逆し、嗜欲に滿足なく、求取して停止せざるは、刑罰は一齊に彼を殺す。少を以て衆を冒犯し、弱を以て強を侮辱し、忿怒して力量を估量せざるは、兵器は一齊に彼を殺す。この三種は命にあらず。是れ人の自ら取來するなり。『詩経』に曰く『人を爲りて儀なからば、死せずして何を爲さん。』これを言う。

孔子遭難陳、蔡之境,絕糧,弟子皆有飢色,孔子歌兩柱之間。子路入見曰:“夫子之歌,禮乎?”孔子不應,曲終而曰:“由,君子好樂為無驕也,小人好樂為無懾也,其誰知之?子不我知而從我者乎?”子路不悅,援幹而舞,三終而出。及至七日,孔子修樂不休,子路慍見曰:“夫子之修樂,時乎?”孔子不應,樂終而曰:“由,昔者齊桓霸心生於莒,句踐霸心生於會稽,晉文霸心生於驪氏,故居不幽,則思不遠,身不約則智不廣,庸知而不遇之。”於是興,明日免於厄。子貢執轡曰:“二三子從夫子而遇此難也,其不可忘也!”孔子曰:“惡是何也?語不云乎?三折肱而成良醫。夫陳、蔡之間,丘之幸也。二三子從丘者皆幸人也。吾聞人君不困不成王,列士不困不成行。昔者湯困於呂,文王困於羑里,秦穆公困於殽,齊桓困於長勺,句踐困於會稽,晉文困於驪氏。夫困之為道,從寒之及暖,暖之及寒也,唯賢者獨知而難言之也。易曰:‘困亨貞,大人吉,無咎。有言不信。’聖人所與人難言信也。”

孔子は陳・蔡の境內に於て難に遭い、糧を斷え、弟子は皆饑色有り。孔子は兩柱の間に於て唱歌せり。子路は進みて見えて曰く「夫子は唱歌す。礼に合するか。」孔子は答應せず、曲子は終了して乃ち曰く「由、君子は樂を喜好するは驕なきを爲すなり。小人は樂を喜好するは懼なきを爲すなり。誰かこれを知る有らん。お前は我を了解せずして我に跟隨するか。」子路は高興せず、盾を拿りて跳舞し、三遍終りて出でたり。等到して第七天に至りて、孔子は樂を修治して停まらず。子路は怒を含みて來りて見えて曰く「夫子は樂を修治す。是れ時か。」孔子は答應せず、樂は終了して乃ち曰く「由、昔、斉桓の霸心は莒より生出し、句踐の霸心は會稽より生出し、晋文の霸心は驪氏より生出せり。ゆえに處境は幽暗ならざれば、思慮は即ち深遠ならず。自身は約束せざれば、智は即ち廣大ならず。どうして遇わざるを知らんや。」そこで振作し、第二天に於て困厄を免れたり。子貢は辔を拉きて曰く「二三子は夫子に跟隨してこの次の難に遇えり。忘記すべからず!」孔子は曰く「唉、これは何の話か。俗語は説かざらんや。三次胳膊を折斷すれば即ち良醫と爲ると。陳・蔡の間は、是れ丘の幸運なり。二三子が丘に跟隨するは皆幸運の人なり。我が聞くに、人君は困らざれば王を成さず、列士は困らざれば行を成さずと。昔、湯は呂に於て困り、文王は羑里に於て困り、秦穆公は殽に於て困り、斉桓は長勺に於て困り、句踐は會稽に於て困り、晋文は驪氏に於て困れり。困は一種の道と爲し、猶お寒より暖に至り暖より寒に至るが如し。ただ賢者のみ独り知るに、卻って説出し難し。『周易』に曰く『困、亨通、正固、大人吉、咎なし。話を説く有りて信ぜられず。』聖人の人に給與するは、是れ説出し難きの信なり。」

孔子困於陳、蔡之間,居環堵之內,席三經之席,七日不食,藜羹不糝,弟子皆有飢色,讀詩書治禮不休。子路進諫曰:“凡人為善者天報以福,為不善者天報以禍。今先生積德行,為善久矣。意者尚有遺行乎?奚居隱也!”孔子曰:“由,來,汝不知。坐,吾語汝。子以夫知者為無不知乎?則王子比干何為剖心而死?以諫者為必聽耶?伍子胥何為抉目於吳東門?子以廉者為必用乎?伯夷、叔齊何為餓死於首陽山之下?子以忠者為必用乎?則鮑莊何為而肉枯?荊公子高終身不顯,鮑焦抱木而立枯,介子推登山焚死。故夫君子博學深謀不遇時者眾矣,豈獨丘哉!賢不肖者才也,為不為者人也,遇不遇者時也,死生者命也;有其才不遇其時,雖才不用,苟遇其時,何難之有!故舜耕歷山而逃於河畔,立為天子則其遇堯也。傅說負壤土、釋板築,而立佐天子,則其遇武丁也。伊尹,有莘氏媵臣也,負鼎俎調五味而佐天子,則其遇成湯也。呂望行年五十賣食於棘津,行年七十屠牛朝歌,行年九十為天子師,則其遇文王也。管夷吾束縛膠目,居檻車中,自車中起為仲父,則其遇齊桓公也。百里奚自賣取五羊皮,伯氏牧羊以為卿大夫,則其遇秦穆公也。沈尹名聞天下,以為令尹,而讓孫叔敖,則其遇楚莊王也。伍子胥前多功,後戮死,非其智益衰也,前遇闔廬,後遇夫差也。夫驥厄罷鹽車,非無驥狀也,夫世莫能知也;使驥得王良、造父,驥無千里之足乎?芝蘭生深林,非為無人而不香。故學者非為通也,為窮而不困也,憂而不衰也,此知禍福之始而心不惑也,聖人之深念獨知獨見。舜亦賢聖矣,南面治天下,唯其遇堯也;使舜居桀紂之世,能自免於刑戮固可也,又何官得治乎?夫桀殺關龍逄而紂殺王子比干,當是時,豈關龍逄無知,而比干無惠哉?此桀紂無道之世然也。故君子疾學修身端行,以須其時也。”

孔子は陳・蔡の間に困れり。環堵の內に住み、三經の席を鋪きて、七天にして飯を食わず。藜菜の湯に米粒なく、弟子は皆饑色有り。詩書を誦讀し禮を修治して停まらず。子路は進前して勸解して曰く「およそ人は善を爲すは天は福を以て報答し、不善を爲すは天は禍を以て報答す。いま先生は徳行を積みて、善を爲すこと久し。ほぼなお遺漏の行爲有るか。何故隱困の裏に處するか!」孔子は曰く「由、過來。お前は知らず。坐れ、我はお前に告げん。お前は以てあの智者は知らざる所なしと爲すか。ならば王子比干は何故心を剖かれて死せりか。以て進諫するは必ず聽かれると爲すか。伍子胥は何故呉の東門に於て眼を挖出せられたりか。お前は以て廉なるは必ず用いられると爲すか。伯夷・叔齊は何故首陽山の下に於て餓死せりか。お前は以て忠なるは必ず用いられると爲すか。ならば鮑莊は何故肌肉は枯干せりか。荊の公子高は終身顯達せず、鮑焦は樹木を抱いて立ちて枯死し、介子推は山に登りて燒死せり。ゆえに君子は廣博に學習し深遠に謀劃するも時に遇わざるは多し。豈にただ丘のみか!賢と不肖は才なり、爲すと爲さざるは人なり、遇上すると遇上せざるは時なり、死と生は命なり。あの樣の才有るにあの樣の時に遇上せざれば、たとえ才有るも用いられず。もしあの樣の時に遇上せば、何の難有らん!ゆえに舜は歷山に於て耕種し、河邊に逃れ、天子と立てられるは是れ堯に遇上せり。傅説は壤土を背負い板筑を放下し、立ちて天子を輔佐するは、是れ武丁に遇上せり。伊尹は有莘氏の陪嫁する臣、鼎俎を背負いて五味を調和して天子を輔佐するは、是れ成湯に遇上せり。呂望は年紀五十にして棘津に於て食物を賣り、年紀七十にして朝歌に於て牛を屠り、年紀九十にして天子の老師を爲るは、是れ文王に遇上せり。管夷吾は捆綁せられ眼を蒙がれ、囚車の裏に住みて、車の中より起ちて仲父を爲るは、是れ斉桓公に遇上せり。百里奚は自ら身を賣りて五張の羊皮を換え、伯氏のために羊を放ちて卿大夫と爲るは、是れ秦穆公に遇上せり。沈尹は名声は天下に傳遍し、本來以て令尹を爲るべく、卻って孫叔敖に讓るは、是れ楚荘王に遇上せり。伍子胥は先前に功勞多く、後來は殺せられたるは、彼の智の更に衰退するにあらず。是れ先前に闔廬に遇上し後來に夫差に遇上せり。騏驥は鹽車に於て困厄疲憊するは、騏驥の形狀なきにあらず。是れ世上に能く認識する無きなり。仮に騏驥が王良・造父を得れば、騏驥は千里の脚力なからんや。芝蘭は深林に生じて、人なきを以て香ならざるなし。ゆえに學習するは顯達を爲すにあらず。是れ窮困して困頓せず、憂慮して衰退せざるを爲すなり。これは禍福の開始を知りて心は迷惑せず、聖人の深遠の思念・獨自知り獨自見るなり。舜もまた賢聖なり。南を面して天下を治理するは、ただ其の堯に遇上せるを以てす。仮に舜が桀紂の世に處せば、能く自ら刑戮を免れる本來即ち以て可なり、またどうして能く官を得て往きて治理せんや。桀は關龍逢を殺掉し紂は王子比干を殺掉せり。正にあの時に當りて、豈に關龍逢は智なく比干は惠なからんや。これは桀紂の無道の世の然らしむるなり。ゆえに君子は學習に急ぎ自身を修養し行爲を端正して、以て其の時を��待す。」

孔子之宋,匡簡子將殺陽虎,孔子似之。甲士以圍孔子之舍,子路怒,奮戟將下鬥。孔子止之,曰:“何仁義之不免俗也?夫詩、書之不習,禮、樂之不修也,是丘之過也。若似陽虎,則非丘之罪也,命也夫。由,歌予和汝。”子路歌,孔子和之,三終而甲罷。

孔子が宋に行ったとき、匡の簡子が陽虎を殺そうとしており、孔子は陽虎に似ていた。武装した兵士が孔子の宿舎を包囲し、子路は怒って戟を奮い立てて降りて闘おうとした。孔子はそれを止めて言った。「なぜ仁義もなお俗を免れないのか。詩・書を習わず、礼・楽を修めないのは丘の過ちである。陽虎に似ていることについては、丘の罪ではなく、命であろう。由よ、お前が歌えば私が和えよう。」子路が歌い、孔子が和え、三度歌い終えると兵士は退いた。

孔子曰:“不觀於高岸,何以知顛墜之患;不臨深淵,何以知沒溺之患;不觀於海上,何以知風波之患。失之者其不在此乎?士慎三者,無累於人。”

孔子は言った。「高い岸を眺めなければ、転落の患をどうして知ろうか。深い淵に臨まなければ、沈み溺れる患をどうして知ろうか。海の上を眺めなければ、風波の患をどうして知ろうか。失う者はまさにこの上にあるのではないか。士はこの三つを慎しめば、人に累を及ぼさない。」

曾子曰:“響不辭聲,鑑不辭形,君子正一而萬物皆成。夫行非為影也,而影隨之;呼非為響也,而響和之。故君子功先成而名隨之。”

曾子は言った。「響きは声を辞さず、鏡は形を辞さない。君子はこの一つを正せば万物は皆成し遂げられる。歩くのは影のためではないが、影はそれに従う。呼ぶのは響きのためではないが、響きはそれに和える。ゆえに君子は功が先に成り、名はそれに従って来る。」

子夏問仲尼曰:“顏淵之為人也,何若?”曰:“回之信,賢於丘也。”曰:“子貢之為人也,何若?”曰:“賜之敏,賢於丘也。”曰:“子路之為人也,何若?”曰:“由之勇,賢於丘也。”曰:“子張之為人也,何若?”曰:“師之莊,賢於丘也。”於是子夏避席而問曰:“然則四者何為事先生?”曰:“坐,吾語汝。回能信而不能反,賜能敏而不能屈,由能勇而不能怯,師能莊而不能同。兼此四子者,丘不為也。夫所謂至聖之士,必見進退之利,屈伸之用者也。”

子夏が仲尼に尋ねた。「顔淵の人となりはどうですか。」曰く、「回の信は丘より賢い。」曰く、「子貢の人となりはどうですか。」曰く、「賜の聡敏は丘より賢い。」曰く、「子路の人となりはどうですか。」曰く、「由の勇は丘より賢い。」曰く、「子張の人となりはどうですか。」曰く、「師の荘重は丘より賢い。」そこで子夏は席を離れて問うた。「ではこの四人はなぜ先生に仕えるのですか。」曰く、「坐りなさい。あなたに告げよう。回は信を能くするが反ることができず、賜は敏を能くするが屈することができず、由は勇を能くするが怯むことができず、師は荘重を能くするが和することができない。この四人を兼ね備えた者は、丘といえども為さない。いわゆる至聖の士とは、必ず進退の利、屈伸の用を見通せる者である。」

東郭子惠問於子貢曰:“夫子之門何其雜也?”子貢曰:“夫隱括之旁多枉木,良醫之門多疾人,砥礪之旁多頑鈍。夫子修道以俟天下,來者不止,是以雜也。詩云:‘苑彼柳斯,鳴蜩●●;有漼者淵,莞葦淠淠。’言大者之旁,無所不容。”

東郭子恵が子貢に尋ねた。「夫子の門下はなぜあのように雑多なのですか。」子貢は言った。「矯正の道具の傍には曲がった木が多く、良医の門前には病人が多く、砥石の傍には頑鈍なものが多い。夫子は道を修めて天下を待つので、来る者が絶えず、ゆえに雑多なのである。《詩経》に『茂盛なるあの柳に、鳴く蝉は嘒嘒と。あの深き淵には、莞葦は淠淠たり』とある。大きなものの傍には、容れられないものはないと言っているのである。」

昔者南瑕子過程太子,太子為烹鯢魚。南瑕子曰:“吾聞君子不食鯢魚。”程太子曰:“乃君子否?子何事焉?”南瑕子曰:“吾聞君子上比所以廣德也,下比所以狹行也,於惡自退之原也。詩云:‘高山仰止,景行行止。’吾豈敢自以為君子哉?志向之而已。孔子曰:‘見賢思齊焉,見不賢而內自省。’”

昔、南瑕子が程太子を訪ねたところ、太子は彼に鯢魚を烹って出した。南瑕子は言った。「君子は鯢魚を食べないと聞いています。」程太子は言った。「あなたは君子なのか。それをどう気にするのか。」南瑕子は言った。「君子は上に比して徳を増し、下に比して行いを収め、悪から自ら退くのが本だと聞いています。《詩経》に『高山は仰ぎ見るべく、大道は行うべし』とあります。私はどうして自ら君子と思うことができましょう。ただ志がそこにあるだけです。孔子は『賢を見ては斉しくなろうと思い、不賢を見ては内に自ら省みる』と言いました。」

孔子觀於呂梁,懸水四十仞,環流九十里,魚鱉不能過,黿鼉不敢居;有一丈夫,方將涉之。孔子使人並崖而止之曰:“此懸水四十仞,圜流九十里,魚鱉不敢過,黿鼉不敢居,意者難可濟也!”丈夫不以錯意,遂渡而出。孔子問:“子巧乎?且有道術乎?所以能入而出者何也?”丈夫曰:“始吾入,先以忠信,吾之出也,又從以忠信;忠信錯吾軀于波流,而吾不敢用私。吾所以能入而復出也。”孔子謂弟子曰:“水而尚可以忠信,義久而身親之,況於人乎?”

孔子が呂梁を眺めていたところ、懸水は四十仞、環流は九十里で、魚や鱉も渡れず、鼋や鼍も住めない。そこに一人の男が渡ろうとしていた。孔子は崖に沿って人を遣わして止めさせて言わせた。「この懸水は四十仞、環流は九十里、魚鱉も敢えて渡らず、鼋鼍も敢えて住まない。渡るのは難しいだろう。」その男は意に介さず、ついに渡って出てきた。孔子が問うた。「あなたは巧みなのか、それとも道術があるのか。入って出られるのはなぜか。」男は言った。「初め私が入るとき、まず忠信をもってしました。出るときもまた忠信に従いました。忠信が私の身体を波流に措き、私は私意を用いることを敢えてしません。これが私が入りまた出られる所以です。」孔子は弟子に言った。「水ですら忠信をもって臨めば、義に長く身を親しませば功がある。まして人に対してはどうか。」

子路盛服而見孔子。孔子曰:“由,是襜襜者何也?昔者江水出於岷山;其始也,大足以濫觴,及至江之津也,不方舟,不避風,不可渡也,非唯下流眾川之多乎?今若衣服甚盛,顏色充盛,天下誰肯加若者哉?”子路趨而出,改服而入,蓋自如也。孔子曰:“由,記之,吾語若:●於言者,華也,奮於行者,伐也。夫色智而有能者,小人也。故君子知之為知之,不知為不知,言之要也;能之為能,不能為不能,行之至也。言要則知,行要則仁;既知且仁,夫有何加矣哉?由,詩曰:‘湯降不遲,聖教日躋’。此之謂也。”

子路が盛装をして孔子に会いに来た。孔子は言った。「由よ、その衣服が襜襜としているのは何のためか。昔、江水は岷山から出て、始めのうちは酒杯を浮かべるほどの大きさしかなかった。江の渡口に至ると、船を並べず風を避けなければ渡れないのは、下流で川が多く集まるからではないか。今お前は衣服が盛んで顔色も充盛している。天下の誰がさらにお前に加えようとするだろうか。」子路は急いで出て衣服を改めて入ってきたが、おおむね自在であった。孔子は言った。「由よ、記しておけ。告げよう。言葉を急ぐ者は浮华であり、事を奮う者は矜誇である。顔に智と才能を現す者は小人である。ゆえに君子は知れば知るとし、知らなければ知らないとする。これが言葉の要領である。能ければ能とし、能けなければ能くないとする。これが事を行う極致である。言葉が要領を得れば智であり、事が要領を得れば仁である。智かつ仁であれば、何を加えようか。由よ、《詩経》に『湯の降り生まるるは遲からず、聖教は日に升る』とある。これを言っているのである。」

子路問孔子曰:“君子亦有憂乎?”孔子曰:“無也。君子之修其行未得,則樂其意;既已得,又樂其知。是以有終生之樂,無一日之憂。小人則不然,其未之得則憂不得,既已得之又恐失之。是以有終身之憂,無一日之樂也。”

子路が孔子に尋ねた。「君子にも憂はありますか。」孔子は言った。「ない。君子はその行いを修めてまだ得なければ、その心意を楽しみ、すでに得ればその知を楽しむ。ゆえに終生の楽があって、一日の憂がない。小人はそうではなく、まだ得なければ得られないことを憂え、すでに得れば失うことを恐れる。ゆえに終身の憂があって、一日の楽がない。」

孔子見榮啟期,衣鹿皮裘,鼓瑟而歌。孔子問曰:“先生何樂也?”對曰:“吾樂甚多。天生萬物唯人為貴,吾既已得為人,是一樂也。人以男為貴,吾既已得為男,是二樂也。人生不免襁褓,吾年已九十五,是三樂也。夫貧者士之常也,死者民之終也,處常待終,當何憂乎?”

孔子は栄啓期を見た。鹿の皮の裘を着て、瑟を弾いて歌っていた。孔子が問うた。「先生は何を楽しんでいるのですか。」答えて曰く、「私が楽しむことは多い。天が万物を生じて人のみ貴い。私はすでに人となることを得た。これが第一の楽である。人は男を貴び、私はすでに男となることを得た。これが第二の楽である。人生は襁褓を免れないが、私は年がすでに九十五である。これが第三の楽である。貧窮は士の常であり、死は民の終わりである。常に処りて終わりを待つ。何を憂えようか。」

曾子曰:“吾聞夫子之三言,未之能行也。夫子見人之一善而忘其百非,是夫子之易事也。夫子見人有善若已有之,是夫子之不爭也。聞善必躬親行之,然後道之,是夫子之能勞也。夫子之能勞也,夫子之不爭也,夫子之易事也,吾學夫子之三言而未能行。”

曾子は言った。「私は夫子の三つの言葉を聞いたが、まだ行うことができない。夫子は人の一つの善を見ればその百のそうでないことを忘れる。これが夫子の事えやすい所以である。夫子は人に善があるのを見て、あたかも自ら有するがごとし。これが夫子の争わない所以である。善を聞けば必ず自ら行って、その後に称える。これが夫子の労苦を能くする所以である。夫子は労苦を能くし、夫子は争わず、夫子は事えやすい。私は夫子のこの三つの言葉を学んだが行うことができない。」

孔子說:“回,若有君子之道四:強於行己,弱於受諫,怵於待祿,慎於持身。”

孔子は言った。「回よ、お前には君子の道が四つある。自らの行いに剛く、諫めを受けるに柔く、禄に処るに怵惕し、身を守るに慎しむ。」

仲尼曰:“史■有君子之道三:不仕而敬上,不祀而敬鬼,直能曲於人。”

仲尼は言った。「史䲡には君子の道が三つある。仕えなくても上を敬い、祭祀しなくても鬼を敬い、正直でありながら人に屈することができる。」

孔子曰:“丘死之後,商也日益,賜也日損;商也好與賢己者處,賜也好說不如己者。”

孔子は言った。「丘が死んだ後、商は日に日に益し、賜は日に日に損するだろう。商は自分より賢い者と交わることを好み、賜は自分に及ばない者に説き回ることを好む。」

孔子將行,無蓋。弟子曰:“子夏有蓋,可以行。”孔子曰:“商之為人也,甚短於財。吾聞與人交者,推其長者,違其短者,故能久長矣。”

孔子が出行しようとしたが、車蓋がなかった。弟子が言った。「子夏が車蓋を持っています。行けます。」孔子は言った。「商の人となりは、財において甚だ乏しい。私は聞く、人と交わるにはその長を推し、その短を避けよ、ゆえに長久しうると。」

子路行,辭於仲尼曰:“敢問新交取親若何?言寡可行若何?長為善士而無犯若何?”仲尼曰:“新交取親,其忠乎!言寡可行,其信乎!長為善士而無犯,其禮乎!”

子路が出行するにあたり、仲尼に辞して言った。「敢えて問います。新しく交わって親しみを得るにはどうすればよいですか。言葉が少なくても行えるにはどうすればよいですか。長く善士であって犯されないにはどうすればよいですか。」仲尼は言った。「新しく交わって親しみを得るのは、おそらく忠であろう。言葉が少なくても行えるのは、おそらく信であろう。長く善士であって犯されないのは、おそらく礼であろう。」

子路將行,辭於仲尼,曰:“贈汝以車乎?以言乎?”子路曰:“請以言!”仲尼曰:“不強不遠,不勞無功,不忠無親,不信無復,不恭無禮。慎此五者,可以長久矣。”

子路が出行しようとして仲尼に辞した。仲尼は言った。「車を贈ろうか、それとも言葉を贈ろうか。」子路は言った。「言葉を贈ってください。」仲尼は言った。「自ら強くしなければ遠くへ行けず、労苦しなければ功がなく、忠でなければ親がなく、信でなければ再び来る者がなく、恭でなければ礼がない。この五つを慎しめば、長久できる。」

曾子從孔子於齊,齊景公以下卿禮聘曾子,曾子固辭,將行,晏子送之,曰:“吾聞君子贈人以財,不若以言。今夫蘭本三年,湛之以鹿醢,既成則易以匹馬,非蘭本美也。願子詳其所湛。既得所湛,亦求所湛。吾聞君子居必擇處,所以求士也;遊必擇士,所以修道也。吾聞反常移性者欲也,故不可不慎也。”

曾子が孔子に従って斉にいたとき、斉景公は下卿の礼で曾子を迎えようとしたが、曾子は固く辞した。去ろうとするとき、晏子が彼を送って言った。「君子は人に財をもって贈るより、言葉をもって贈るに如かないと聞く。今、蘭の根は三年して鹿醢に浸され、すでに成れば馬一頭と換わる。蘭根が本来美しいのではない。どうかその浸されるところを察してほしい。すでに浸すところを得たなら、またその浸すところを求めよ。君子は居るに必ず処を選ぶと聞く、これは士を求めるためである。交遊には必ず士を選ぶ、これは道を修めるためである。常を変え性を移すのは欲望だと聞く。ゆえに慎しまないわけにはいかない。」

孔子曰:“中人之情,有餘則侈,不足則儉,無禁則淫,無度則失,縱慾則敗。飲食有量,衣服有節,宮室有度,畜聚有數,車器有限,以防亂之源也。故夫度量不可不明也,善言不可不聽也。”

孔子は言った。「中の人の性情は、余れば奢り、足らなければ倹し、禁ずるものがなければ淫し、法度がなければ失い、欲望を縦にすれば敗れる。飲食には分量があり、衣服には節制があり、宮室には法度があり、蓄えには数があり、車や器物には限度がある。これで乱の源を防ぐのである。ゆえに度量は明らかにせねばならず、善言は聴かねばならない。」

孔子曰:“巧而好度必工,勇而好同必勝,知而好謀必成;愚者反是,夫處重擅寵,專事妒賢,愚者之情也。志驕傲而輕舊怨,是以尊位則必危,任重則必崩,擅寵則必辱。”

孔子は言った。「巧みで法度を好む者は必ず精工であり、勇で和を好む者は必ず勝ち、智で謀を好む者は必ず成す。愚人はこれと反対である。重要な位に処りて寵を独り占めし、政事を専らにして賢を妬むのは、愚人の性情である。心志が驕って旧怨を軽んずれば、尊位は必ず危うく、責任が重ければ必ず崩れ、寵を独り占めすれば必ず辱められる。」

孔子曰:“鞭撲之子,不從父之教;刑戮之民,不從君之政,言疾之難行。故君子不急斷,不意使,以為亂源。”

孔子は言った。「鞭打たれたことのある子は父の教導に従わず、刑戮を受けたことのある民は君の政令に従わない。これは疾急には行い難いと言っているのである。ゆえに君子は裁断を急がず、役使を恣にしない。これらを乱の源とするのである。」

孔子曰:“終日言不遺己之憂,終日行不遺己之患,唯智者有之。故恐懼所以除患也,恭敬所以越難也;終身為之,一言敗之,可不慎乎!”

孔子は言った。「終日言って自らに憂を遺さず、終日行って自らに患を遺さないのは、ただ智者にこれがある。ゆえに恐懼は患を除くために用い、恭敬は難を越えるために用いる。終身この事を為して、一言でこれを敗る。慎しまないであろうか。」

孔子曰:“以富貴為人下者,何人不與?以富貴敬愛人者,何人不親?眾言不逆,可謂知言矣,眾向之,可謂知時矣。”

孔子は言った。「富貴をもってしながら人の下に処る者に、誰が親しまないだろうか。富貴をもってしながら人を敬愛する者に、誰が親しまないだろうか。衆人の言うことに逆らわなければ、言を知ると称すべきである。衆人が趨くところに従えば、時を知ると称すべきである。」

孔子曰:“夫富而能富人者,欲貧而不可得也;貴而能貴人者,欲賤而不可得也;達而能達人者,欲窮而不可得也。”

孔子は言った。「富んで人を富ませることができる者は、貧しくなろうとしてもできない。貴くて人を貴くすることができる者は、賤しくなろうとしてもできない。顕達して人を顕達させることができる者は、窮しようとしてもできない。」

仲尼曰:“非其地而樹之,不生也,非其人而語之,弗聽也;得其人,如聚沙而雨之,非其人,如聚聾而鼓之。”

仲尼は言った。「その地でないのに種すれば生えず、その人でないのに語れば聴かない。その人を得れば、沙を聚めて雨で潤すがごとし。その人でなければ、聾者を聚めて鼓を撃つがごとし。」

孔子曰:“船非水不可行,水入船中,則其沒也,故曰:君子不可不嚴也,小人不可不閉也!”

孔子は言った。「船は水なしには行けず、水が船中に入れば船は沈む。ゆえに言う、君子は厳しくせねばならず、小人は閉じなければならない。」

孔子曰:“依賢固不困,依富固不窮,馬趼斬而復行者何,以輔足眾也。”

孔子は言った。「賢に依ればもともと困らず、富に依ればもともと窮しない。馬蹄の繭が裂けてもなお行けるのはなぜか。輔く脚が多いからである。」

孔子曰:“不知其子,視其所友;不知其君,視其所使。”又曰:“與善人居,如入蘭芷之室,久而不聞其香,則與之化矣;與惡人居,如入鮑魚之肆,久而不聞其臭,亦與之化矣。故曰:丹之所藏者赤,烏之所藏者黑。君子慎所藏。”

孔子は言った。「その子を知らなければ、その交わる友を見よ。その君を知らなければ、その使役する者を見よ。」また言った。「善き人と居るは、蘭芷の室に入るがごとし。久しくしてその香を聞かざれば、すでにそれと化したのである。悪しき人と居るは、鮑魚の店に入るがごとし。久しくしてその臭を聞かざれば、すでにそれと化したのである。ゆえに言う、丹の蔵する所は赤く、烏の蔵する所は黒い。君子はその蔵する所を慎しむ。」

子貢問曰:“君子見大水必觀焉,何也?”孔子曰:“夫水者,君子比德焉。遍予而無私,似德;所及者生,似仁;其流卑下句倨,皆循其理,似義;淺者流行,深者不測,似智;其赴百仞之谷不疑,似勇;綿弱而微達,似察;受惡不讓,似包蒙;不清以入,鮮潔以出,似善化;至量必平,似正;盈不求概,似度;其萬折必東,似意。是以君子見大水觀焉爾也。”

子貢が問うた。「君子は大水を見れば必ず眺めるのはなぜですか。」孔子は言った。「水は君子が徳に比するものである。遍く与えて私がないのは徳に似ている。至る所で生機あるのは仁に似ている。卑下に流れ、曲がったり直だったりしても皆その理に循うのは義に似ている。浅い流れ、深く測りがたいのは智に似ている。百仞の谷に赴いて猶予しないのは勇に似ている。綿弱でありながら微細に通達するのは明察に似ている。汚穢を受け入れて辞さないのは愚蒙を容れるに似ている。清からずして入り、鮮かにして出るのは教化を善くするに似ている。量器に至れば必ず平らかなのは正に似ている。満ちても概で平らげることを求めないのは法度あるに似ている。万回曲折しても必ず東に向かうのは志あるに似ている。ゆえに君子は大水を見れば眺めるのである。」

“夫智者何以樂水也?”曰:“泉源潰潰,不釋晝夜,其似力者;循理而行,不遺小間,其似持平者;動而之下,其似有禮者;赴千仞之壑而不疑,其似勇者;障防而清,其似知命者;不清以入,鮮潔以出,其似善化者;眾人取平品類以正,萬物得之則生,失之則死,其似有德者;淑淑淵淵,深不可測,其似聖者。通潤天地之間,國家以成,是知之所以樂水也。詩云:‘思樂泮水,薄採其茆;魯侯戾止,在泮飲酒。’樂水之謂也。”“夫仁者何以樂山也?”曰:“夫山巃嵷●嶵,萬民之所觀仰。草木生焉,眾木立焉,飛禽萃焉,走獸休焉,寶藏殖焉,奇夫息焉,育群物而不倦焉,四方並取而不限焉。出雲風通氣於天地之間,國家以成,是仁者所以樂山也。詩曰:‘太山岩巖,魯侯是瞻。’樂山之謂矣。”

「智者はなぜ水を楽しむのか。」曰く、「泉源は滚滚として昼夜止まず、それは力あるに似ている。理に循って行き、小さな隙間も遺さないのは公平を持するに似ている。一動すれば下に向かうのは礼あるに似ている。千仞の壑谷に赴いて猶予しないのは勇あるに似ている。堤防に遮られても清らかなのは命を知るに似ている。清からずして入り、鮮かにして出るのは教化を善くするに似ている。衆人が取って平を求め、品類はこれによりて正しく、万物はこれを得れば生き、失えば死ぬのは徳あるに似ている。清澈にして淵深、深く測るべからず、それは聖なるに似ている。天地の間に通潤し、国家はこれによりて成る。これが智の水を楽しむ所以である。《詩経》に『楽しきかなあの泮水、あの莼を采りに行かん。魯侯が至りて、泮宮に飲まん』とある。水を楽しむことを言っているのである。」「仁者はなぜ山を楽しむのか。」曰く、「山は高大にして嶮峻で、万民の観望する所である。草木はそこに生え、衆木はそこに立ち、飛禽はそこに集い、走獣はそこに休み、宝蔵はそこに殖え、奇人はそこに止まる。群物を養育して倦まず、四方は皆これを取って限度なし。雲風を生じ、天地の間に気を通ず。国家はこれによりて成る。これが仁者の山を楽しむ所以である。《詩経》に『泰山は岩岩として、魯侯これを瞻望す』とある。山を楽しむことを言っているのである。」

玉有六美,君子貴之:望之溫潤,近之栗理,聲近徐而聞遠,折而不撓,闕而不荏,廉而不劌,有瑕必示之於外,是以貴之。望之溫潤者,君子比德焉,近於栗理者,君子比智焉;聲近徐而聞遠者,君子比義焉;折而不撓,闕而不荏者,君子比勇焉;廉而不劌者,君子比仁焉;有瑕必見於外者,君子比情焉。

玉には六つの美があり、君子はこれを貴ぶ。遠く望めば温潤、近づけば文理が緻密、声は近くに徐々にして遠くに聞こえ、折れても曲がらず、欠けても弱まらず、稜角があっても人を割傷せず、瑕あれば必ず外に現れる。ゆえにこれを貴ぶ。遠く望めば温潤なのは君子が徳に比するものである。近づけば文理が緻密なのは智に比するものである。声は近くに徐々にして遠くに聞こえるのは義に比するものである。折れても曲がらず、欠けても弱まらないのは勇に比するものである。稜角があっても人を割傷しないのは仁に比するものである。瑕あれば必ず外に現れるのは情実に比するものである。

道吾問之夫子:“多所知,無所知,其身孰善者乎?”對曰:“無知者,死人屬也;雖不死,累人者必眾甚矣。然多所知者好,其用心也多;所知者出於利人即善矣,出於害人即不善也。”道吾曰:“善哉!”

道吾が夫子に問うた。「知ることの多いのと、何も知らないのとでは、身にとってどちらがよいですか。」答えて曰く、「知のない者は死んだ人の類に属する。死なずとも、人に累を及ぼすことは必ず多い。しかし知ることの多いのはよいが、用いる心も多い。知るところが人を利することから出れば善であり、人を害することから出れば不善である。」道吾は言った。「よいですね。」

越石父曰:“不肖人,自賢也;愚者,自多也;佞人者,皆莫能相其心口以出之,又謂人勿言也。譬之猶渴而穿井,臨難而後鑄兵,雖疾從而不及也。”

越石父は言った。「不肖の者は自ら賢とし、愚の者は自ら多とする。佞人はみな自らの心口を審らかにして言を出すことができず、また人に言わせない。渇してから井を鑿ち、危難に臨んでから兵器を鋳るようなもので、いくら迅くとも間に合わない。」

夫臨財忘貧,臨生忘死,可以遠罪矣。夫君子愛口,孔雀愛羽,虎豹愛爪,此皆所以治身法也。上交者不失其祿,下交者不離於患,是以君子擇人以交,農人擇田而田。君子樹人,農夫樹田;田者擇種而種之,豐年必得粟;士擇人而樹之,豐時必得祿矣。

財に臨んで貧を忘れ、生に臨んで死を忘れれば、罪を遠ざけることができる。君子は口を惜しみ、孔雀は羽を惜しみ、虎豹は爪を惜しむ。これらは皆身を治める法である。上の人と交わって禄を失わず、下の人と交わって患を離れない。ゆえに君子は人を選んで交わり、農人は田を選んで耕す。君子は人を培い、農夫は田を培う。田を種する者は種を選んで蒔き、豊年には必ず粟を得る。士は人を選んで培い、豊かな時には必ず禄を得る。

天下失道,而後仁義生焉,國家不治,而後孝子生焉,民爭不分,而後慈惠生焉,道逆時反,而後權謀生焉。凡善之生也,皆學之所由。一室之中,必有主道焉,父母之謂也;故君正則百姓治,父母正則子孫孝慈。是以孔子家兒不知罵,曾子家兒不知怒;所以然者,生而善教也。夫仁者好合人,不仁者好離人,故君子居人間則治,小人居人間則亂;君子欲和人,譬猶水火不相能然也,而鼎在其間,水火不亂,乃和百味。是以君子不可不慎擇人在其間!

天下が道を失って、それから仁義が生じる。国が治められなくなって、それから孝子が生じる。民が争って分配できなくなって、それから慈恵が生じる。道が逆転し時が返って、それから権謀が生じる。およそ善の生ずるは、皆学の由るところである。一室の中に必ず主持する道がある。それを言うなら父母である。ゆえに君が正しければ百姓は治まり、父母が正しければ子孫は孝慈である。ゆえに孔子の家の子は罵ることを知らず、曾子の家の子は怒ることを知らない。このようにするのは、生まれて善き教えがあるからである。仁の人は人を聚めることを好み、不仁の人は人を離すことを好む。ゆえに君子は人の間に処れば治まり、小人は人の間に処れば乱れる。君子が人を調和しようと思えば、水火が相容れないようなもので、鼎がその中にあれば水火は乱れず、百味を調和することができる。ゆえに君子は中に処る人を慎んで選ばなければならない。

齊景公問晏子曰:“寡人自坐地,二三子皆坐地;吾子獨搴草而坐之,何也?”晏子對曰:“嬰聞之:唯喪與獄坐於地。今不敢以喪獄之事侍於君矣。”

斉景公が晏子に問うた。「寡人は自分から地に坐るが、二三子もみな地に坐っている。あなただけ草を抜いて坐るのはなぜか。」晏子は答えた。「嬰は聞きました。地に坐るのは丧事と獄訟のときだけです。今、丧事・獄訟のことで君に仕えることはできません。」

齊高廷問於孔子曰:“廷、不曠山,不直地,衣蓑提執精氣,以問事君之道,願夫子告之。”孔子曰:“貞以幹之,敬以輔之,待人無倦,見君子則舉之,見小人則退之;去爾噁心而忠與之,敏其行,修其禮,千里之外親如兄弟;若行不敏,禮不合,對門不通矣。”

斉の高廷が孔子に問うた。「廷は山を空しく過ぎず、平地をまっすぐに歩かず、蓑衣を着て精気を携え、君に仕える道を問うために参りました。夫子に教えていただきたい。」孔子は言った。「貞をもって主とし、敬をもって輔け、人に接して倦みず、君子を見れば挙げ、小人を見れば斥けよ。お前の悪しき心を去り、忠をもって彼に与え、事を敏に行い、礼を修めれば、千里の外も兄弟の如く親しい。もし事を敏にせず、礼が合わなければ、門を對しても通じない。」

卷十八辨物

巻十八 辨物

顏淵問於仲尼曰:“成人之行何若?”子曰:“成人之行達乎情性之理,通乎物類之變,知幽明之故,睹遊氣之源,若此而可謂成人。既知天道,行躬以仁義,飭身以禮樂。夫仁義禮樂成人之行也,窮神知化德之盛也。”

顔淵が仲尼に問うた。「成人の品行とはどのようなものですか。」孔子は言った。「成人の品行とは、情性の理に通達し、物類の変化に通暁し、幽明の故を知り、遊気の源を見る。これのごときをもって成人と謂う。すでに天道を知り、身に仁義を行い、礼楽をもって身を飾る。仁義礼楽は成人の品行であり、神妙を窮め変化を知るのは徳の盛んなものである。」

易曰:“仰以觀於天文,俯以察於地理”,是故知幽明之故。夫天文地理、人情之效存於心,則聖智之府。是故古者聖王既臨天下,必變四時,定律歷,考天文,揆時變,登靈臺以望氣氛,故堯曰:“諮爾舜,天之歷數在爾躬,允執其中,四海困窮。”書曰:“在璇璣玉衡,以齊七政。”璇璣謂此辰勾陳樞星也。以其魁杓之所指二十八宿為吉凶禍福;天文列舍盈縮之占,各以類為驗。夫占變之道,二而已矣。二者陰陽之數也,故易曰:“一陰一陽之謂道,道也者,物之動莫不由道也。”是故發於一,成於二,備於三,周於四,行於五;是故玄象著明,莫大於日月;察變之動,莫著於五星。天之五星運氣於五行,其初猶發於陰陽,而化極萬一千五百二十。所謂二十八星者:東方曰角亢氐房心尾箕,北方曰鬥牛須女虛危營室東壁,西方曰奎婁胃昂畢觜參,南方曰東井輿鬼柳七星張翼軫。所謂宿者,日月五星之所宿也。其在宿運外內者,以宮名別,其根荄皆發於地而華形於天。所謂五星者,一曰歲星、二曰熒惑、三曰鎮星、四曰太白、五曰辰星。欃槍彗孛,旬始枉矢,蚩尤之旗,皆五星盈縮之所生也。五星之所犯,各以金木水火土為占。春秋冬夏伏見有時,失其常,離其時,則為變異,得其時,居其常,是謂吉祥。古者有主四時者:主春者張,昏而中,可以種穀,上告於天子,下布之民;主夏者大火,昏而中,可以種黍菽,上告於天子,下布之民;主秋者虛,昏而中,可以種麥,上告於天子,下布之民;主冬者昴,昏而中,可以斬伐田獵蓋藏,上告之天子,下布之民。故天子南面視四星之中,知民之緩急,急利不賦籍,不舉力役。書曰:“敬授民時。”詩曰:“物其有矣,維其時矣。”物之所以有而不絕者,以其動之時也。

《周易》に「仰いで天文を観、俯して地理を察す」とある。ゆえに幽明の故を知る。天文・地理・人情の効験が心に存するのが、すなわち聖智の府庫である。ゆえに古の聖王は天下に臨視するや、必ず四時を改め、律暦を定め、天文を考校し、時変を測度して、霊台に登って気象を望んだ。ゆえに尭は言った。「ああ、汝舜よ、天の暦数は爾が躬に在り。誠をもって中を執れ。四海困窮せり。」《尚書》に「璿璣玉衡に在り、以て七政を斉う」とある。璿璣とは北極・勾陳・枢星を謂う。その魁杓の指す二十八宿をもって吉凶禍福とする。天文列宿盈縮の占験は、各々類に従って応する。占変の理は、ただ陰陽の二様のみである。二様は陰陽の数である。ゆえに《周易》に「一陰一陽これを道と謂う。道というものは、物の動きは道に由らざるはなし」とある。ゆえに一に発し、二に成り、三に備わり、四に周遍し、五に行う。ゆえに天象の顕明は日月より大きいものはなく、変化の動を察するに五星より著しきはない。天の五星運気は五行に在り、初めはやはり陰陽から発し、変化の極まりは一万千五百二十である。いわゆる二十八星とは、東方は角・亢・氐・房・心・尾・箕と謂い、北方は斗・牛・須女・虚・危・営室・東壁と謂い、西方は奎・婁・胃・昴・畢・觜・参と謂い、南方は東井・輿鬼・柳・七星・張・翼・軫と謂う。いわゆる宿とは、日月五星の止まる所である。その宿の運行の内外は、宮名をもって別ち、その根は皆地より発して花を開き形を天に成す。いわゆる五星とは、一つは歳星、二つは熒惑、三つは鎮星、四つは太白、五つは辰星である。欃槍・彗・孛・旬始・枉矢・蚩尤之旗は、皆五星の盈縮より生ずる所である。五星の侵犯する所は、各々金木水火土に按じて占う。春秋冬夏の伏見には定時があり、常を失い時を離れれば変異であり、時を得て常に処ればこれを吉祥と謂う。古に四時を主る者あり、春を主るは張星で、昏に中天にあれば穀を種うべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。夏を主るは大火で、昏に中天にあれば黍菽を種うべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。秋を主るは虚で、昏に中天にあれば麦を種うべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。冬を主るは昴で、昏に中天にあれば斫伐・田猟・蔵畜すべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。ゆえに天子は南面して四星の中天に在るを観て、民の緩急を知る。急なれば賦税に利あらず、力役を興さず。《尚書》に「敬慎して民に時を授く」とある。《詩経》に「物はすでに有り、ただその時に適うがゆえに」とある。物が有って絶えざる所以は、その動が時に適うゆえである。

易曰:“天垂象,見吉凶,聖人則之。”昔者高宗、成王感於雊雉暴風之變,修身自改而享豐昌之福也;逮秦皇帝即位,彗星四見,蝗蟲蔽天,冬雷夏凍,石隕東郡,大人出臨洮,妖孽並見,熒惑守心,星茀大角,大角以亡;終不能改。二世立,又重其惡;及即位,日月薄蝕,山林淪亡,辰星出於四孟,太白經天而行,無雲而雷,枉矢夜光,熒惑襲月,孽火燒宮,野禽戲庭,都門內崩。天變動於上,群臣昏於朝,百姓亂於下,遂不察,是以亡也。

《周易》に「天は象を垂れ、吉凶を見せ、聖人これに則る」とある。昔、高宗・成王は雊雉・暴風の変異に感じ、身を修め自ら改めて豊昌の福を享けた。秦皇帝が即位するに及び、彗星は四度見え、蝗虫は天を蔽い、冬に雷・夏に凍て、石が東郡に墜ち、大人が臨洮に見え、妖孽は並び起き、熒惑は心宿を守り、星茀は大角を犯し、大角はこれによりて亡失した。終始改めることができず、二世が立ち、またその悪を重ねた。即位するに及び、日月は薄蝕し、山林は淪喪し、辰星は四孟の月に見え、太白は天を経て行き、雲なくして雷し、枉矢は夜に光を放ち、熒惑は月を侵し、孽火は宮を焼き、野禽は庭中に遊び、都門は内に崩れた。天は上に変動し、群臣は朝に昏乱し、百姓は下に乱れ、終に省察せず、これによりて亡びた。

八荒之內有四海,四海之內有九州,天子處中州而制八方耳。兩河間曰冀州,河南曰豫州,河西曰雍州,漢南曰荊州,江南曰揚州,濟南間曰兗州,濟東曰徐州,燕曰幽州,齊曰青州。山川汙澤,陵陸丘阜,五土之宜,聖王就其勢,因其便,不失其性。高者黍,中者稷,下者■,蒲葦菅蒯之用不乏,麻麥黍梁亦不盡,山林禽獸川澤魚鱉滋殖,王者京師四通而致之。

八荒の内に四海あり、四海の内に九州あり、天子は中州に処りて八方を制す。両河の間を冀州と謂い、河南を豫州と謂い、河西を雍州と謂い、漢南を荊州と謂い、江南を揚州と謂い、済水の南の一一帯を兗州と謂い、済東を徐州と謂い、燕を幽州と謂い、斉を青州と謂う。山川・汚沢、陵陸・丘阜、五土は各々適する所あり、聖王はその地勢に就き、その便利に因って、その性を失わない。高きには黍を種え、中には稷を種え、低きには稲を種え、蒲葦菅蒯の用度は乏しくなく、麻麦黍粱も窮まらず、山林の禽獣、川沢の魚鱉は滋生繁殖し、王者の京師は八達してこれを致す。

周幽王二年,西周三川皆震,伯陽父曰:“周將亡矣。夫天地之氣,不失其序,若過其序,民亂之也。陽伏而不能出,陰迫而不能烝,於是有地震。今三川震,是陽失其所而填陰也;陽溢而壯,陰源必塞,國必亡。夫水土演而民用足也,土無所演,民乏財用,不亡何待?昔伊雒竭而夏亡,河竭而商亡,今周德如二代之季矣;其川源塞,塞必竭,夫國必依山川,山崩川竭,亡之徵也。川竭山必崩,若國亡不過十年,數之紀也,天之所棄不過紀。”是歲也,三川竭,岐山崩,十一年幽王乃滅,周乃東遷。

周幽王二年、西周の三川は皆震動した。伯陽父は言った。「周は亡びようとしている。天地の気は序を失わず、序を越えれば民がこれを乱したのである。陽は伏して出ること能わず、陰は迫られて升ること能わず、ここにおいて地震がある。今三川が震動するは、陽が所を失い陰を填圧すればである。陽が満溢して壮盛なれば、陰の源は必ず塞がれ、国は必ず亡ぶ。水土が潤澤して民用が足ればよいが、土に潤澤なく民に財用乏しければ、亡ばずして何を待つか。昔、伊・雒が竭きて夏が亡び、河が竭きて商が亡びた。今周の徳は二代の末季のごとし。その川源は塞がれ、塞がれば必ず竭く。国は必ず山川に依る。山崩れ川竭くるは亡ぶるの兆である。川竭かば山は必ず崩れ、国の亡ぶるも十年を過ぎざるは数の一紀である。天の棄つる所は一紀を過ぎず。」この年、三川は竭き岐山は崩れ、十一年に幽王は亡び、周はここにおいて東に遷った。

五嶽者,何謂也?泰山,東嶽也;霍山,南嶽也;華山,西嶽也;常山,北嶽也;嵩高山,中嶽也。五嶽何以視三公?能大布雲雨焉,能大斂雲雨焉;雲觸石而出,膚寸而合,不崇朝而雨天下,施德博大,故視三公也。

五岳とは何を謂うか。泰山は東岳、霍山は南岳、華山は西岳、常山は北岳、嵩高山は中岳である。五岳はなぜ三公に比視されるか。大いに雲雨を布施することができ、大いに雲雨を収斂することができる。雲は石に触れて出て、膚寸に聚合し、一朝を過ぎずして天下に雨を降らす。徳を施すこと広博盛大、ゆえに三公に比視する。

四瀆者,何謂也?江、河、淮、濟也。四瀆何以視諸侯?能盪滌垢濁焉,能通百川於海焉,能出雲雨千里焉,為施甚大,故視諸侯也。

四瀆とは何を謂うか。江・河・淮・済である。四瀆はなぜ諸侯に比視されるか。垢濁を蕩滌することができ、百川を海に通ずることができ、千里に雲雨を生ずることができ、施与すること大なり、ゆえに諸侯に比視する。

山川何以視子男也?能出物焉,能潤澤物焉,能生雲雨;為恩多,然品類以百數,故視子男也。書曰:“禋於六宗,望秋于山川,遍於群神矣。”

山川はなぜ子男に比視されるか。物を生ずることができ、物を潤沢することができ、雲雨を生ずることができる。恩を施すこと多し。しかるに品類は百をもって数える、ゆえに子男に比視する。《尚書》に「六宗に禋し、山川に望み、群神に遍す」とある。

齊景公為露寢之臺,成而不通焉。柏常騫曰:“為臺甚急,臺成,君何為不通焉?”公曰:“然。梟昔者鳴,其聲無不為也,吾惡之甚,是以不通焉。”柏常騫曰:“臣請禳而去之!”公曰:“何具?”對曰:“築新室,為置白茅焉。”公使為室,成,置白茅焉。柏常騫夜用事,明日問公曰:“今昔聞梟聲乎?”公曰:“一鳴而不復聞。”使人往視之,梟當陛布翼伏地而死。公曰:“子之道若此其明也!亦能益寡人壽乎?”對曰:“能。”公曰:“能益幾何?”對曰:“天子九、諸侯七、大夫五。”公曰:“亦有徵兆之見乎?”對曰:“得壽,地且動。”公喜,令百官趣具騫之所求。柏常騫出,遭晏子於塗,拜馬前,辭曰:“騫為君禳梟而殺之,君謂騫曰:子之道若此其明也,亦能益寡人壽乎?騫曰能。今且大祭,為君請壽,故將往。以聞。”晏子曰:“嘻,亦善矣!能為君請壽也。雖然,吾聞之:惟以政與德順乎神,為可以益壽。今徒祭可以益壽乎?然則福名有見乎?”對曰:“得壽地將動。”晏子曰:“騫,昔吾見維星絕,樞星散,地其動。汝以是乎?”柏常騫俯有間,仰而對曰:“然。”晏子曰:“為之無益,不為無損也。薄賦斂,無費民,且令君知之!”

斉景公は露寝の台を築いたが、成ってもそこに上らなかった。柏常騫は言った。「台を築くこと急でした。台が成ったのに、君はなぜそこに上らないのですか。」公は言った。「そうだ。梟が昔から鳴き、その声は為すことなきものはない。私はそれを甚だ憎む、ゆえにそこに上らない。」柏常騫は言った。「臣は禳いてそれを除くことを請います。」公は言った。「何を備えるか。」答えて曰く、「新たな屋を築き、白茅をそれに置きます。」公は人に屋を為らしめ、成って白茅を置いた。柏常騫は夜に事を用い、明日公に問うた。「昨夜、梟の声を聞きましたか。」公は言った。「一鳴してもはや聞かなかった。」人を遣わして見れば、梟は階に対して翼を張り地に伏して死んでいた。公は言った。「あなたの道はこのように明らかか。寡人の寿を益すこともできるか。」答えて曰く、「能くします。」公は言った。「いくらか益せるか。」答えて曰く、「天子は九、諸侯は七、大夫は五。」公は言った。「兆の顕れるものもあるか。」答えて曰く、「寿を得れば、地は動こうとします。」公は喜び、百官に騫の求むる所を速やかに備えよと命じた。柏常騫は出て、路に晏子に遇い、馬前に下りて拝し、辞して曰く、「騫は君のために梟を禳いてこれを殺しました。君は騫に曰く、汝の道はこのように明らかか、寡人の寿を益すこともできるか。騫は能くすと曰く。今大いに祭ることとなり、君のために寿を請う、ゆえに行かんとす。これをあなたに告げます。」晏子は言った。「ああ、よいかな。君のために寿を請うとは。しかしながら私は聞く、政と徳をもって神に順うのみ、寿を益すべしと。今、ただ祭るのみで寿を益すことができるか。さらば福の名目に顕れるものはあるか。」答えて曰く、「寿を得れば、地は動こうとします。」晏子は言った。「騫よ、昔私は維星の絶え、枢星の散ずるを見た。地は動こうとしていた。あなたが用いたのはこれであろう。」柏常騫は首を垂れて良久し、挙げて答えて曰く、「はい。」晏子は言った。「これを為して益なく、為さずして損なし。賦斂を軽くし、民力を費やすことなく、併せて君にこれを知らしめよ。」

夫水旱俱天下陰陽所為也。大旱則雩祭而請雨,大水則鳴鼓而劫社。何也?曰:陽者陰之長也,其在鳥則雄為陽,雌為陰,在獸則牡為陽而牝為陰;其在民則夫為陽而婦為陰,其在家則父為陽而子為陰,其在國則君為陽而臣為陰。故陽貴而陰賤,陽尊而陰卑,天之道也。今大旱者,陽氣太盛以厭於陰,陰厭陽固,陽其填也,惟填厭之太甚,使陰不能起也,亦雩際拜請而已,無敢加也。至於大水及日蝕者,皆陰氣太盛而上減陽精,以賤乘貴,以卑陵尊,大逆不義,故鳴鼓而懾之,朱絲縈而劫之。由此觀之,春秋乃正天下之位,徵陰陽之失。直責逆者不避其難,是亦春秋之不畏強禦也。故劫嚴社而不為驚靈,出天王而不為不尊上,辭蒯聵之命不為不聽其父,絕文姜之屬而不為不愛其母,其義之盡耶!其義之盡耶!

水旱は皆天下の陰陽の致す所である。大旱なれば雩祭を行って雨を求め、大水なれば鼓を撃って社神を脅かす。なぜか。曰く、陽は陰の長上である。鳥においては雄は陽・雌は陰、獣においては牡は陽・牝は陰、民においては夫は陽・婦は陰、家においては父は陽・子は陰、国においては君は陽・臣は陰である。ゆえに陽は貴く陰は賤く、陽は尊く陰は卑し、これは天の道である。今大旱は陽気の太盛にして陰を圧するもの、陰は圧され陽は固く守る。陽は填圧し、ただ填圧の甚だしきのみ、陰をして起こすこと能わしめず、ただ雩祭の時に拝請するのみ、敢えて増すことなし。大水および日蝕に至っては、皆陰気の太盛にして陽の精を上に減損し、賤をもって貴に陵し、卑をもって尊に陵越し、大逆不義である。ゆえに鼓を撃ってこれを懾服し、紅糸をもって纏いてこれを脅かす。これを見るに、《春秋》は天下の位を正し、陰陽の失を征討するものである。逆なる者を直ちに責めてその難を避けず、これも《春秋》の強横を畏れざる所以である。ゆえに尊厳の社神を脅かすも神霊を驚すに算せず、天王を放出すも上を敬せずに算せず、蒯聵の令を辞するも父を聴かずに算せず、文姜の親属の属を絶つも母を愛せずに算せず。その義は至れるか。その義は至れるか。

齊大旱之時,景公召群臣問曰:“天不雨久矣,民且有飢色,吾使人卜之,崇在高山廣水,寡人慾少賦斂以祠靈山可乎?”群臣莫對。晏子進曰:“不可,祠此無益也。夫靈山固以石為身,以草木為發;天久不雨,發將焦,身將熱,彼獨不欲雨乎?祠之無益。”景公曰:“不然,吾欲祠河伯可乎?”晏子曰:“不可,祠此無益也。夫河伯以水為國,以魚鱉為民;天久不雨,水泉將下,百川竭,國將亡,民將滅矣,彼獨不用雨乎?祠之何益?”景公曰:“今為之奈何?”晏子曰:“君誠避宮殿暴露,與靈山河伯共憂;其幸而雨乎!”於是景公出野,暴露三日,天果大雨,民盡得種樹。景公曰:“善哉!晏子之言可無用乎?其惟右德也!”

斉に大旱のとき、景公は群臣を召して問うた。「天が雨を降らせないこと久しく、民は飢色あらんとす。人を遣わして占わせれば、崇りするものは高山広水に在り。寡人はすこし賦斂を征して霊山を祭らんと欲す。可なるか。」群臣に対する者なし。晏子は前に進んで曰く、「不可なり。これを祭るも益なし。霊山はもとより石をもって身とし、草木をもって髪とす。天の久しく雨らざれば、髪は焦げんとし、身は熱せんとす。それ独り雨らんことを欲せざらんや。これを祭るも益なし。」景公は曰く、「しからず、われ河伯を祭らんと欲す。可なるか。」晏子は曰く、「不可なり。これを祭るも益なし。河伯は水をもって国とし、魚鱉をもって民とす。天の久しく雨らざれば、水泉は下降せんとし、百川は竭き、国は亡びんとし、民は滅せんとす。それ独り雨を用いざらんや。これを祭るも何の益かあらん。」景公は曰く、「今どうせん。」晏子は曰く、「君が誠に能く宮殿を避け、野に暴露して、霊山・河伯と共に憂えん。ほぼ僥幸して雨らんか。」ここにおいて景公は野に出で、暴露すること三日、天は果たして大雨し、民は皆種うことを得た。景公は曰く、「善いかな。晏子の言は用いざるべからんや。ただ徳あるに在るのみ。」

夫天地有德,合則生氣有精矣;陰陽消息,則變化有時矣。時得而治矣,時得而化矣,時失而亂矣;是故人生而不具者五:目無見,不能食,不能行,不能言,不能施化。故三月達眼而後能見,七月生齒而後能食,期年生臏而後能行,三年■合而後能言,十六精通而後能施化。陰窮反陽,陽窮反陰,故陰以陽變,陽以陰變。故男八月而生齒,八歲而毀齒,二八十六而精小通;女七月而生齒,七歲而毀齒,二七十四而精化小通。不肖者精化始至,而生氣感動,觸情縱慾,故反施亂化。故詩云:“乃如之人,懷婚姻也;大無信也,不知命也。”賢者不然,精化填盈後,傷時之不可遇也,不見道端,乃陳情慾以歌。詩曰:“靜女其姝,俟我乎城隅;愛而不見,搔首踟躕。”“瞻彼日月,遙遙我思;道之雲遠,曷雲能來?”急時之辭也,甚焉,故稱日月也。

天地に徳あり、会すれば気に精を生じ、陰陽は消長し、変化は時あり。時に当れば治り、時に当れば教化す、時を失えば乱る。ゆえに人の生まれて備わらざること五つあり。目は見えず、食すること能わず、走ること能わず、言うこと能わず、施化すること能わず。ゆえに三月にして目通じて後に能く見え、七月にして歯生じて後に能く食し、一期にして膝骨生じて後に能く走り、三年にして囟門合して後に能く言い、十六歳にして精気通貫して後に能く施化す。陰は尽きて陽に返り、陽は尽きて陰に返る。ゆえに陰は陽に因って変じ、陽は陰に因って変ず。ゆえに男は八月にして歯生じ、八歳にして歯を換え、二八十六歳にして精気稍通ず。女は七月にして歯生じ、七歳にして歯を換え、二七十四歳にして精化稍通ず。不肖の者は精化至りぬれば、生気動かされ、動かされて情欲放縦す、ゆえに反って施乱し教化す。ゆえに《詩経》に「是の如き人、婚姻を懐く。太も信なく、命を知らず」とある。賢者はかくのごとからず、精化充実盈満の後、時に遇うべからざるを傷感し、道の端緒を見ず、乃ち情欲を陳説して歌う。《詩経》に「嫻静の女、その美しきかな、城の角に我を待つ。隠れて見えず、頭を掻きて徘徊す」とあり、「彼の日月を瞻望し、遥遥として我を思う。道の遠きを云う、何ぞ来たるを得ん」とある。これは時に急なるの辞、甚だ急なるがゆえに日月を称す。

度量權衡以黍生之為一分,十分為一寸,十寸為一尺,十尺為一丈。十六黍為一豆,六豆為一銖,二十四銖重一兩,十六兩為一斤,三十斤為一鈞,四鈞重一石。千二百黍為一龠,十龠為一合,十合為一升,十升為一斗,十鬥為一石。

度量権衡は黍より生ず。黍は一為分、十分は一寸、十寸は一尺、十尺は一丈。十六黍は一為豆、六豆は一為銖、二十四銖は一両を重ね、十六両は一為斤、三十斤は一為鈞、四鈞は一石を重ねる。一千二百黍は一為龠、十龠は一為合、十合は一為升、十升は一為斗、十斗は一為石。

凡六經帝王之所著,莫不致四靈焉;德盛則以為畜,治平則時氣至矣。故麒麟■身、牛尾,圓頂一角,合仁懷義,音中律呂,行步中規,折旋中矩,擇土而踐,位平然後處,不群居,不旅行,紛兮其有質文也,幽閒則循循如也,動則有儀容。黃帝即位,惟聖恩承天,明道一修,惟仁是行,宇內和平,未見鳳凰,維思影像,夙夜晨興,於是乃問天老曰:“鳳儀如何?”天老曰:“夫鳳,鴻前麟後,蛇頸魚尾,鶴植鴛鴦,思麗化枯折所志,龍文龜身,燕喙雞噣,駢翼而中注,首戴德,頂揭義,揹負仁,心信志,食則有質,飲則有儀,往則有文,來則有嘉。晨鳴曰發明,晝鳴曰保長,飛鳴曰上翔,集鳴曰歸昌。翼挾義,衷抱忠,足履正,尾系武,小聲合金,大音合鼓;延頸奮翼,五先備舉,光興八風,氣降時雨,此謂鳳像。夫惟鳳為能究萬物,通天祉,象百狀,達於道。去則有災,見則有福,覽九州,觀八極,備文武,正王國,嚴照四方,仁聖皆伏。故得鳳之像一者鳳過之,得二者鳳下之,得三者春秋下之,得四者四時下之,得五者終身居之。”黃帝曰:“於戲盛哉!”於是乃備黃冕,帶黃紳,齋於中宮,鳳乃蔽日而降。黃帝降至東階,西面啟首曰:“皇天降茲,敢不承命?”於是鳳乃遂集東囿,食帝竹實,棲帝梧樹,終身不去。詩云:“鳳凰鳴矣,於彼高岡;梧桐生矣,於彼朝陽。菶菶萋萋,雍雍喈喈。”此之謂也。靈龜文五色,似玉似金,背陰向陽,上隆象天,下平法地,盤衍象山,四趾轉運應四時,文著象二十八宿。蛇頭龍翅,左精象日,右精象月,千歲之化,下氣上通,能知吉凶存亡之變。寧則信信如也,動則著矣。神龍能為高,能為下,能為大,能為小,能為幽,能為明,能為短,能為長。昭乎其高也,淵乎其下也,薄乎天光,高乎其著也。一有一亡忽微哉,斐然成章,虛無則精以知,動作者靈以化。

およそ六経に帝王の著録する所、四霊を致さざるはなし。徳盛なればこれらを畜養とし、治平なれば時気至る。ゆえに麒麟は狼身、牛尾、円頂に一角あり、仁を会合し義を懐き、声は律呂に合い、行歩は規に合い、転るは矩に合い、土を擇んで後に践み、位は平らかにして後に処る。群居せず、伴行せず、紛紛然として質あり文あり、幽閑の時は循循然、一動すれば儀容あり。黄帝即位して、ただ聖恩を天に承くるを思い、道を顕明にし修治を一にし、ただ仁を行い、宇内和平なり。まだ鳳凰を見ず、ただその影像を思念し、夙夜早起し、ここにおいて天老に問うた。「鳳の儀容は何如。」天老は曰く、「鳳は、鴻を前にし麟を後にし、蛇頸魚尾、鶴の立つ、鴛鴦の姿、思慮美しく、変化枯折の志む所、龍の文、亀の身、燕の喙、鶏の嘴、翼は並びて中は注下す。頭には徳を戴き、頂には義を挙げ、背には仁を負い、心には信の志を守る。食すれば質あり、飲すれば儀あり、去れば文あり、来れば嘉あり。清晨に鳴くを発明と謂い、白日に鳴くを保長と謂い、飛びて鳴くを上翔と謂い、落ちて鳴くを帰昌と謂う。翼は義を挟み、衷は忠を抱き、足は正を践み、尾は武を繫ぐ。小声は金に合い、大音は鼓に合う。頸を伸べ翼を挙げ、五色光は先ず備わり挙がり、光は八風を興し、気は時雨を降らす。これを鳳の影像と謂う。ただ鳳のみ能く万物を窮め、天の福祉に通達し、百の情状を象り、道に通達す。去れば災あり、見えれば福あり、九州を観覧し、八極を観て、文武を備え、王国を正し、尊厳は四方を照す、仁聖は皆帰服す。ゆえに鳳の影像の如きを得る者は、鳳は彼を過ぎる。両様を得る者は、鳳は下る。三様を得る者は、春秋に下る。四様を得る者は、四時に下る。五様を得る者は、終身住む。」黄帝は曰く、「ああ盛なりかな。」ここにおいて黄冕を備え、黄紳を繋ぎ、中宮に斎戒し、鳳はここにおいて日を蔽いて降下した。黄帝は東階に下り、西に向いて叩頭して曰く、「皇天これを降したまえり、敢えて命を受けざらんや。」ここにおいて鳳は東囿に集い、帝の竹実を食し、帝の梧桐に棲み、終身去らず。《詩経》に「鳳凰鳴けり、彼の高岡に。梧桐生えり、彼の朝陽に。菶菶萋萋、雝雝喈喈」とある。これを謂うのである。霊亀は五色の文あり、玉の如く金の如く、背は陰に対し面は陽に向い、上は隆起して天に象り、下は平坦にして地に法る。盤曲延展は山の如く、四趾の転運は四時に応合し、文彩顕著は二十八宿の如し。蛇頭龍翅、左の精は日に象り、右の精は月に象る。千年の変化、下気は上に通じ、能く吉凶存亡の変を知る。安寧の時は信信然、一動すれば顕著なり。神龍は能く高く為し、能く下く為し、能く大きく為し、能く小さく為し、能く幽を為し、能く明を為し、能く短く為し、能く長く為す。昭然たるその高、淵然たるその下、天光に迫近し、高くして顕著なり。一有一亡、忽微なるかな、斐然として章を成し、虚無なれば精来たりて知り、動作すれば霊来たりて変ず。

於戲允哉!君子闢神也,觀彼威儀,遊燕幽間,有似鳳也。書曰:“鳥獸鶬鶬,鳳凰來儀。”此之謂也。

ああ誠信なるかな。君子は神を避け、その威儀を観、幽閑に游宴す、鳳に似たること少しあり。《尚書》に「鳥獣蹌蹌、鳳凰来たりて儀を配す」とある。これを謂うのである。

成王時有三苗貫桑而生,同為一秀,大幾盈車,民得而上之成王,成王問周公:“此何也?”周公曰:“三苗同秀為一,意天下其和而為一乎?”後三年則越裳氏重譯而朝,曰:“道路悠遠,山川阻深,恐一使之不通,故重三譯而來朝也。”周公曰:“德澤不加,則君子不饗其質;政令不施,則君子不臣其人。”譯曰:“吾受命於吾國之黃髮久矣,天之無烈風淫雨,意中國有聖人耶?有則盍朝之!”然後周公敬受其所以來矣。

成王の時、三苗が桑を貫いて生じ、同じく一穂を結び、大きさほぼ車に満つるほどで、民はこれを得て成王に獻じた。成王は周公に問うた。「これは何か。」周公は曰く、「三苗が同穂を一に結ぶは、天下ほぼ和して一體とならんとするか。」三年の後、越裳氏は重訳を経て朝見に来たり、曰く、「道路は悠遠にして山川阻深し、一使にて通達せざるを恐る、ゆえに三重の訳を経て朝見す。」周公は曰く、「徳沢加わらざれば、君子はその礼を享けず。政令行われざれば、君子はその人を臣とせず。」訳者は曰く、「我は我国の黄髪の老人の命を受くること久し。天に烈風淫雨なし、中国に聖人あるか。あらば何ぞ朝見せざる。」しかる後に周公は敬して彼らの前に来る所以の礼を受けた。

周惠王十五年,有神降於莘。王問於內史過曰:“是何故有之乎?”對曰:“有之國將興,其君齋明衷正,精潔惠和,其德足以昭其馨香,其惠足以同其民人,神饗而民聽,民神無怨,故明神降焉,觀其政德而均布福焉。國將亡,其君貪冒淫僻,邪佚荒怠,蕪穢暴虐;其政腥臊,馨香不登,其刑矯誣,百姓攜貳,明神不蠲,而民有遠意,民神痛怨,無所依懷,故神亦往焉,觀其苛慝而降之禍。是以或見神而興,亦有以亡。昔夏之興也,祝融降於崇山;其亡也,回祿信於亭隧。商之興也,檮杌次於丕山;其亡也,夷羊在牧。周之興也,鸑鷟鳴於岐山;其衰也,杜伯射宣王於鎬。是皆明神之紀者也。”王曰:“今是何神耶?”對曰:“昔昭王娶於房曰房後,是有爽德協于丹朱,丹朱憑身以儀之,生穆王焉。是監燭周之子孫而福禍之。夫一神不遠徙遷,若由是觀之,其丹朱耶?”王曰:“其誰受之?”對曰:“在虢。”王曰:“然則何為?”對曰:“臣聞之。道而得神,是謂豐福;淫而得神,是謂貪福。今虢少荒,其亡也。”王曰:“吾其奈何?”對曰:“使太宰以祝史率狸姓,奉犧牲粢盛玉帛往獻焉,無有祈也。”王曰:“虢其幾何?”對曰:“昔堯臨民以五,今其胄見;鬼神之見也,不失其物。若由是觀之,不過五年。”王使太宰己父率傅氏及祝,奉犧牲玉觴往獻焉。內史過從至虢,虢公亦使祝史請土焉,內史過歸告王曰:“虢必亡矣。不禋於神,而求福焉,神必禍之;不親於民,而求用焉,民必違之。精意以享,禋也;慈保庶民,親也。今虢公動匱百姓以盈,其違離民怒神怨,而求利焉,不亦難乎?”十九年,晉取虢也。

周恵王十五年、神が莘に降った。王は内史過に問うた。「これは何の故に有るか。」答えて曰く、「有ります。国まさに興らんとすれば、その君は斎戒明潔、内心端正、精誠清潔、恵愛和諧。その徳は馨香を昭顕するに足り、その恵はその民人を和同するに足る。神は饗き民は従い、民と神と怨なく、ゆえに明神降臨し、その政徳を観て均しく福を布施す。国まさに亡びんとすれば、その君は貪冒淫僻、邪佚荒怠、蕪穢暴虐。その政は腥臊にして馨香上らず、その刑は矯詐誣枉にして百姓心を離れ二心有り。明神はこれを潔とせず、民に疎遠の意あり、民と神と痛怨し、帰懐する所なし。ゆえに神も往き、その苛虐邪悪を観て禍を降す。ゆえに或は神を見て興り、或はこれによりて亡ぶ。昔、夏の興りしは、祝融崇山に降り、その亡ぶるは、回禄亭隧に宿る。商の興りしは、檮杌丕山に次り、その亡ぶるは、夷羊牧野にあり。周の興りしは、䲭鷞岐山に鳴き、その衰微は、杜伯鎬にて宣王を射る。これら皆明神の紀綱なり。」王は曰く、「今これ何の神か。」答えて曰く、「昔、昭王は房より娶り来れるを房后と謂い、彼女は差錯の徳ありて丹朱と合し、丹朱は彼女の身に憑いてこれに配し、穆王を生む。これは周の子孫を監視照臨して福禍を与える者なり。一神は遠く遷らず、これを以て観れば、ほぼ丹朱か。」王は曰く、「誰かこれを受くるか。」答えて曰く、「虢に在り。」王は曰く、「さらば何を為さん。」答えて曰く、「臣は聞く、道を得て神を得れば、これを豊福と謂い、淫して神を得れば、これを福を貪ると謂うと。今虢稍荒怠し、まさに亡びんとす。」王は曰く、「我いかんせん。」答えて曰く、「太宰を遣わし祝史を帥い狸姓を率らせ、犠牲粢盛玉帛を奉じて往き獻ぜしめ、祈る所なからしめよ。」王は曰く、「虢は猶幾何か。」答えて曰く、「昔、尭は五を以て民に臨視せり。今その後裔出ず。鬼神の出ずるや、その物類を失わず。これを以て観れば、五年を過ぎず。」王は太宰己父を遣わし傅氏と祝を率ゐ、犠牲玉觴を奉じて往き獻ぜしめた。内史過は従いて虢に至り、虢公も祝史を遣わして土を請わしめた。内史過は帰りて王に告げて曰く、「虢は必ず亡ぶ。虔に神を祭らずしてこれに福を求む、神は必ず禍を与えん。民に親しまずしてこれを用いんと求む、民は必ず逆らわん。精誠の意を以て獻享するは禋、慈愛して庶民を保つのは親。今虢公は百姓を労匱せしめて己を盈満せしめ、民を違離し神を怒怨せしめて利を求む、難からずや。」十九年、晋は虢を取った。

齊桓公北征孤竹,未至卑耳溪中十里,闟然而止,瞠然而視有頃,奉矢未敢發也。喟然嘆曰:“事其不濟乎!有人長尺,冠冕大人物具焉,左袪衣走馬前者。”管仲曰:“事必濟,此人知道之神也。走馬前者導也,左袪衣者,前有水也。”從左方渡,行十里果有水,曰遼水。表之,從左方渡至踝,從右方渡至膝。已渡,事果濟。桓公拜管仲馬前曰:“仲父之聖至如是,寡人得罪久矣。”管仲曰:“夷吾聞之,聖人先知無形,今已有形乃知之,是夷吾善承教,非聖也。”

斉桓公は北に孤竹を伐ち、卑耳の谿に至らざること十里、忽ち止まり、目を瞠りて良久し、矢を捧げて射ることを敢えてせず。喟然として嘆じて曰く、「事ほぼ成らざるか。人の長一尺にして、冠冕大人の形貌皆具わり、左衽を提げて馬前を走る。」管仲は曰く、「事は必ず成る。この人は道を知る神なり。馬前を走るは導き、左衽を提げるは前に水あるなり。」左より渡れば、十里行きて果たして水あり、遼水と謂う。標を為して、左より渡れば踝に至り、右より渡れば膝に至る。すでに渡りて、事は果たして成った。桓公は馬前に管仲を拝して曰く、「仲父の聖明は此に至れり、寡人は罪を得ること久し。」管仲は曰く、「夷吾は聞く、聖人は未だ形なきを先知ると。今すでに形ありて知るは、夷吾の善く承誨するなり、聖にあらず。」

吳伐越,隳會稽,得骨專車,使使問孔子曰:“骨何者最大?”孔子曰:“禹致群臣會稽山,防風氏後至,禹殺而戮之,其骨節專車,此為大矣。”使者曰:“誰為神?”孔子曰:“山川之靈,足以紀綱天下者,其守為神。社稷為公侯,山川之祀為諸侯,皆屬於王者。”曰:“防風氏何守?”孔子曰:“汪芒氏之君守封嵎之山者也,其神為釐姓,在虞夏為防風氏,商為汪芒氏,於周為長狄氏,今謂之大人。”使者曰:“人長几何?”孔子曰:“僬僥氏三尺,短之至也;長者不過十,數之極也。”使者曰:“善哉!聖人也。”

呉が越を伐ち、会稽を壊し、骨の一車に満つるを得て、使者を遣わして孔子に問うた。「骨は何が最大か。」孔子は曰く、「禹は群臣を会稽山に集め、防風氏後れて至り、禹はこれを殺して屍を陳べ、その骨節は一車に満つ。これが最大なり。」使者は曰く、「何を神とするか。」孔子は曰く、「山川の霊は天下の紀綱と為るに足り、その土を守るを神とす。社稷は公侯、山川の祭祀は諸侯、皆王者に属す。」曰く、「防風氏は何を守るか。」孔子は曰く、「汪芒氏の君、封嵎の山を守る者なり。その神は釐姓、虞夏には防風氏、商には汪芒氏、周には長狄氏、今は大人と謂う。」使者は曰く、「人は幾何の長か。」孔子は曰く、「僬僥氏は三尺、短の極なり。長は十を過ぎず、数の極なり。」使者は曰く、「善いかな、聖人なり。」

仲尼在陳,有隼集於陳侯之廷而死。楛矢貫之,石砮矢長尺而咫。陳侯使問孔子,孔子曰:“隼之來也遠矣,此肅慎氏之矢也。昔武王克商,信道九夷百蠻,使各以其方賄來貢,思無忘職業。於是肅慎氏貢楛矢石砮長尺而咫,先王欲昭其令德之致,故銘其栝曰:肅慎氏貢楛矢,以勞大姬,配虞胡公而封諸陳。分同姓以珍玉,展親也;分別姓以遠方職貢,使無忘服也。故分陳以肅慎氏之矢。”試求之故府,果得焉。

仲尼は陳に在り、隼が陳侯の廷に集まりて死せり。楛矢これを貫き、石砮その鏃なり、矢の長一尺八寸。陳侯は人を遣わして孔子に問うた。孔子は曰く、「隼の来ること遠し。これは粛慎氏の矢なり。昔、武王は商を克ち、九夷百蠻の道を通じ、各々その方の財貨を以て貢せしめ、職事を忘れざらんと思う。ここにおいて粛慎氏は楛矢石砮を貢ぎ、長一尺八寸。先王はその美徳の致す所を昭らかにせんと欲し、矢栝に銘して曰く、粛慎氏の楛矢を貢ぐと。以て大姫を慰労し、これを虞胡公に配して陳に封ず。珍玉を同姓に分くは親を示さんと欲し、遠方の職貢を異姓に分くは服事を忘れざらんと欲す。ゆえに粛慎氏の矢を陳に分けり。」試みに故府に求めしめたれば、果たしてこれを得たり。

季桓子穿井得土缶,中有羊,以問孔子,言得狗。孔子曰:“以吾所聞,非狗,乃羊也。木之怪夔罔兩,水之怪龍罔象,土之怪羵羊也,非狗也。”桓子曰:“善哉!”

季桓子は井を鑿ちて土缶を得、中に羊あり。これを取りて孔子に問い、狗を得たりと曰う。孔子は曰く、「丘の聞く所に依れば、狗にあらず、羊なり。木の怪は夔・罔両、水の怪は龍・罔象、土の怪は羵羊、狗にあらず。」桓子は曰く、「善いかな。」

楚昭王渡江,有物大如鬥,直觸王舟,止於舟中;昭王大怪之,使聘問孔子。孔子曰:“此名萍實。”令剖而食之:“惟霸者能獲之,此吉祥也。”其後齊有飛鳥一足來下,止於殿前,舒翅而跳,齊侯大怪之,又使聘問孔子。孔子曰:“此名商羊,急告民趣治溝渠,天將大雨。”於是如之,天果大雨,諸國皆水,齊獨以安。孔子歸,弟子請問,孔子曰:“異時小兒謠曰:楚王渡江得萍實,大如拳,赤如日,剖而食之,美如蜜。此楚之應也。兒又有兩兩相牽,屈一足而跳,曰:天將大雨,商羊起舞。今齊獲之,亦其應也。夫謠之後,未嘗不有應隨者也,故聖人非獨守道而已也,睹物記也,即得其應矣。”

楚昭王は江を渡り、物ありて斗の如く大きく、径に王の舟に触れ、舟中に止まる。昭王は大いに怪しみ、人を遣わして孔子に聘問せしむ。孔子は曰く、「これを萍実と名づく。」剖きて食せしめて曰く、「これは霸者のみ獲るを得る、吉祥なり。」其の後、斉に一足の飛鳥ありて下り、殿前に止まり、翅を張りて跳躍す。斉侯は大いに怪しみ、又人を遣わして孔子に聘問せしむ。孔子は曰く、「これを商羊と名づく。速やかに民に溝洫を修めよと告げよ、天は大雨せんとす。」ここにおいてこれに従い、天は果たして大雨し、諸国は皆水を害す、斉は独りこれによりて安し。孔子帰りて、弟子請い問う。孔子は曰く、「昔、小児の歌謡に曰く、楚王江を渡りて萍実を得、大きさ拳の如く、紅きこと日の如く、剖きて食す、美しきこと蜜の如し。これは楚の応なり。児童また両両相引き、一足を屈して跳躍し、曰く、天は大雨せんとす、商羊舞えりと。今斉これを獲、亦その応なり。歌謡の後、未だ嘗て応の従わざるはなし。ゆえに聖人はただ道を守るのみならず、物を見て記れば、即ちその応を得るなり。」

鄭簡公使公孫成子來聘於晉,平公有疾,韓宣子贊受館客,客問君疾。對曰:“君之疾久矣,上下神只,無不遍諭也,而無除。今夢黃熊入於寢門,不知人鬼耶?亦厲鬼耶?”子產曰:“君子明,子為政,其何厲之有?僑聞之:昔鯀違帝命,殛之於羽山,化為黃熊,以入於羽淵,是為夏郊,三代舉之。夫鬼神之所及,非其族類,則紹其同位,是故天子祠上帝,公侯祠百神,自卿以下不過其族。今周室少卑,晉實繼之,其或者未舉夏郊也?”宣子以告,祀夏郊,董伯為屍,五日瘳。公見子產賜之莒鼎。

鄭簡公は公孫成子を遣わして晋に聘問せしむ。平公疾あり、韓宣子は賛相して館客を接す。客は君の疾を問う。答えて曰く、「君の疾久し、上下神祇に遍く告げざるなく、而も除かず。今夢に黄熊の寝門に入るを見、人鬼なるか、厲鬼なるかを知らず。」子産は曰く、「君子明察、君が政を執れば、何ぞ厲あらん。僑は聞く、昔、鯀は帝命に違い、羽山に誅殺せられ、化して黄熊となり、羽淵に入る。これは夏の郊祭なり、三代は皆これを行う。鬼神の及ぶ所、其の族類にあらざれば、同位の者に接続す。ゆえに天子は上帝を祭り、公侯は百神を祭り、卿以下は己の族を過ぎず。今周室稍く卑微なり、晋は実にこれに接続す、或いは未だ夏郊を行わざるか。」宣子はこの言を以て告げ、夏郊を祭り、董伯を尸と為し、五日にして疾は愈えた。公は子産を接見し、莒鼎を賜う。

虢公夢在廟,有神--人面白毛,虎爪執鉞,立在西阿。公懼而走,神曰:“無走!帝今日使晉襲於爾門。”公拜頓首。覺,召史嚚占之。嚚曰:“如君之言,則蓐收也,天之罰神也。天事官成。”公使囚之,且使國人賀夢。舟之僑告其諸侯曰:“虢不久矣,吾乃今知之。君不度,而嘉大國之襲於己也,何瘳?吾聞之曰:大國無道,小國襲焉,曰服;小國傲,大國襲焉,曰誅。民疾君之侈也,是以由於逆命。今嘉其夢,侈必展,是天奪之鑑而益其疾也!民疾其態,天又誑之;大國來誅,出令而逆。宗國既卑,諸侯遠己,外內無親,其誰雲救之?吾不忍俟,將行。”以其族適晉,三年虢乃亡。

虢公は廟に夢みて、神あり、人面・白毛・虎爪・鉞を執り、西の屋棟に立つ。公は懼れて走らんとす。神は曰く、「走るな。帝は今晋を命じて爾の門を襲わしむ。」公は拝して首を稽す。覚めて、史嚚を召して占わしむ。嚚は曰く、「君の言のごときは、それ蓐収なり、天の罰神なり。天の事、官職已定まれり。」公は人を遣わして彼を囚え、併せて国人をしてこの夢を賀せしむ。舟之僑はその大夫たちに告げて曰く、「虢は久しからず、吾今始めて知る。君は審度せずして、大国の己を襲うを慶賀す、何の好転あらん。吾は聞く、大国道なく、小国往きて襲うを服と謂い、小国驕く、大国往きて襲うを誅と謂うと。民は君の奢を痛恨し、ゆえに令に逆うに至る。今その夢を慶賀すれば、奢は必ず展広す、これは天の其の鏡を奪いて其の疾を益するなり。民は其の情態を痛恨し、天は又これを誑騙す。大国来たりて誅討し、令を発して逆う。宗国すでに卑微、諸侯己を疎んじ、外内親なし、誰か能くこれを救わん。吾は待つに忍びず、まさに行かんとす。」其の族を帯びて晋に至り、三年にして虢は亡んだ。

晉平公築虒祁之室,石有言者。平公問於師曠曰:“石何故言?”對曰:“石不能言,有神憑焉;不然民聽之濫也。臣聞之,作事不時,怨讟動於民,則有非言之物而言。今宮室崇侈,民力屈盡,百姓疾怨,莫安其性,石言不亦可乎?”

晋平公は虒祁の宮を為りて、石に言語あり。平公は師曠に問うた、「石は何の故に言語するか。」答えて曰く、「石は言語すること能わず、神これに憑れり。不然れば民の聴き誤れるなり。臣は聞く、作事時にあらざれば、怨謗は民中に動き、言語すべからざる物ありて言語すと。今宮室高大奢侈にして、民力尽き、百姓痛恨怨怒して、其の性を安んずる能はざれば、石の言語も亦可ならずや。」

晉平公出畋,見乳虎伏而不動,顧謂師曠曰:“吾聞之也,霸王之主出,則猛獸伏不敢起。今者寡人出,見乳虎伏而不動,此其猛獸乎?”師曠曰:“鵲食●,●食鵔鸃,鵔鸃食豹,豹食駁,駁食虎;夫駁之狀有似駁馬,今者君之出必驂駁馬而出畋乎?”公曰:“然。”師曠曰:“臣聞之,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今夫虎所以不動者,為駁馬也,固非主君之德義也,君奈何一自誣乎?”平公異日出朝,有鳥環平公不去,平公顧謂師曠曰:“吾聞之也,霸王之主,鳳下之;今者出朝有鳥環寡人,終朝不去,是其鳳鳥乎?”師曠曰:“東方有鳥名諫珂,其為鳥也,文身而朱足,憎鳥而愛狐。今者吾君必衣狐裘,以出朝乎?”平公曰:“然。”師曠曰:“臣已嘗言之矣,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今鳥為狐裘之故。非吾君之德義也,君奈何而再自誣乎?”平公不悅。異日置酒虒祁之臺,使郎中馬章布蒺藜於階上,令人召師曠;師曠至,履而上堂。平公曰:“安有人臣履而上人主堂者乎?”師曠解履刺足,伏刺膝,仰天而嘆,公起引之曰:“今者與叟戲,叟遽憂乎?”對曰:“憂夫肉自生蟲,而還自食也;木自生蠹,而還自刻也;人自興妖,而還自賊也。五鼎之具不當生藜藿,人主堂廟不當生蒺藜。”平公曰:“今為之奈何?”師曠曰:“妖已在前,無可奈何。入來月八日,修百官,立太子,君將死矣。”至來月八日得旦,謂師曠曰:“叟以今日為期,寡人如何?”師曠不樂謁歸,歸未幾而平公死,乃知師曠神明矣。

晋平公は出でて猟し、乳虎の伏して動かざるを見、顧みて師曠に曰く、「吾は聞く、霸王の主出ずれば、猛獣伏して敢えて起たずと。今寡人出づるに、乳虎の伏して動かざるを見る、これほぼ猛獣か。」師曠は曰く、「鵲は蝟を食い、蝟は鵔鸃を食い、鵔鸃は豹を食い、豹は駮を食い、駮は虎を食う。駮の状、駮馬に少し似たり。今君の出ずるや、必ず駮馬を以て車に駕して猟するならん。」公は曰く、「是なり。」師曠は曰く、「臣は聞く、一にして己を欺けば其の窮、再びして己を欺けば其の辱、三たびして己を欺けば其の死と。今それ虎の動かざる所以は、駮馬を以てなり、本より主君の徳義にあらず。君は何ぞ一にして己を欺くや。」平公、他日に出でて朝す、鳥ありて平公を環りて去らず。平公は顧みて師曠に曰く、「吾は聞く、霸王の主は鳳凰下ると。今出でて朝するに鳥ありて寡人を環る、朝終日去らず、これほぼ鳳鳥か。」師曠は曰く、「東方に鳥あり、名を諫珂と曰う。是の鳥は、身に文あり、足は朱紅、鳥を憎み狐を愛す。今我が君は必ず狐裘を衣て出でて朝するならん。」平公は曰く、「是なり。」師曠は曰く、「臣すでに言えり、一にして己を欺けば其の窮、再びして己を欺けば其の辱、三たびして己を欺けば其の死と。今鳥は狐裘の故を以てなり、我が君の徳義にあらず。君は何ぞ再びして己を欺くや。」平公は悦ばず。他日、虒祁の台に酒を設け、郎中馬章をして階上に蒺藜を布かしめ、人を遣わして師曠を召さしむ。師曠至り、履を履きて堂に上る。平公は曰く、「安んぞ人臣にして履を履きて人主の堂に上る者あらんや。」師曠は履を解きて足を刺し、伏して膝を刺し、天を仰ぎて嘆息す。公は起ちて彼を引きて曰く、「今老頭と戯るるに、老頭は急いで憂うるか。」答えて曰く、「憂う、其の肉自ら虫を生じ、反りて自ら自を食らい、木は自ら蠹を生じ、反りて自ら自を刻り、人は自ら妖を興し、反りて自ら自を賊害す。五鼎の食器は藜藿を生ずべからず、人主の堂廟は蒺藜を生ずべからず。」平公は曰く、「今いかんせん。」師曠は曰く、「妖すでに前に在り、奈何ともすべからず。来月の八日に入り、百官を修立し、太子を立てよ、君は将に死せんとす。」来月の八日の明旦に至り、師曠に対して曰く、「老頭は今日を以て期と為せり、寡人いかん。」師曠は悦ばず、辞して帰り、帰りて未だ久しからずして平公死す、乃ち師曠の神明を知れり。

趙簡子問翟封荼曰:“吾聞翟雨谷三日,信乎?”曰:“信。”“又聞雨血三日,信乎!”曰:“信。”“又聞馬生牛,牛生馬,信乎?”曰:“信。”簡子曰:“大哉,妖亦足以亡國矣!”對曰:“雨谷三日,虻風之所飄也;雨血三日,鷙鳥擊於上也;馬生牛,牛生馬,雜牧也,此非翟之妖也。”簡子曰:“然則翟之妖奚也?”對曰:“其國數散,其君幼弱,其諸卿貨其大夫,比黨以求祿爵,其百官肆斷而無告,其政令不竟而數化,其士巧貪而有怨,此其妖也。”

趙簡子は翟封荼に問うて曰く、「吾は聞く、翟に谷雨三日、実なるか。」曰く、「実なり。」「又聞く、血雨を下すこと三日、実なるか。」曰く、「実なり。」「又聞く、馬は牛を生じ、牛は馬を生ず、実なるか。」曰く、「実なり。」簡子は曰く、「大きいかな、妖もまた国を亡ぼすに足れり。」答えて曰く、「谷雨を下すこと三日は、虻風の飄き起す所なり。血雨を下すこと三日は、鷙鳥の上に搏撃するなり。馬は牛を生じ牛は馬を生ずるは、雑糅して牧放するなり、これらは翟の妖にあらず。」簡子は曰く、「然らば翟の妖は何ぞ。」答えて曰く、「其の国は屡々離散し、其の君は幼弱、諸卿は大夫に賄賂し、結党して禄爵を求め、百官は放肆して裁断し処告する所なく、政令は貫徹せずして屢々変化し、士は巧妙にして貪婪なりて怨あり、これ才だに其の妖なり。」

哀公射而中稷,其口疾不肉食,祠稷而問善卜之巫官,巫官變曰:“稷負五種,托株而從天下,未至於地而株絕,獵谷之老人張衽以受之,何不告祀之?”公從之,而疾去。

哀公は稷神を射中りて、其の口病みて肉を食うこと能わず。稷を祭りて善く卜する巫官に問う。巫官は神色を変じて曰く、「稷は五穀を負い、樹株に依託して天下りて来れり、未だ地に至らずして樹株断れ、谷を猟う老人は衣襟を張りてこれを接く。何ぞ祭りに往かんを告げざる。」公はこれに従い、病は去れり。

扁鵲過趙王,王太子暴疾而死,鵲造宮門曰:“吾聞國中卒有壤土之事,得無有急乎?”中庶子之好方者應之曰:“然,王太子暴疾而死。”扁鵲曰:“人言鄭醫秦越人能活太子。”中庶子難之曰:“吾聞上古之為醫者曰苗父,苗父之為醫也,以菅為席,以芻為狗,北面而祝,發十言耳,諸扶而來者,舉而來者,皆平復如故。子之方能如此乎?”扁鵲曰:“不能。”又曰:“吾聞中古之為醫者曰俞柎,俞柎之為醫也,搦腦髓,束肓莫,炊灼九竅而定經絡,死人復為生人,故曰俞柎。子之方能若是乎?”扁鵲曰:“不能。”中庶子曰:“子之方如此,譬若以管窺天,以錐利地;所窺者甚大,所見者甚少。鈞若子之方,豈足以變駭童子哉?”扁鵲曰:“不然。物故有昧揥而中蛟頭,掩目而別白黑者。太子之疾,所謂屍厥者也,以為不然,入診之,太子股陰當溫,耳中焦焦如有嘯者聲然者,皆可治也。”中庶子入報趙王,趙王跣而趨出門曰:“先生遠辱幸臨寡人,先生幸而有之,則糞土之息,得蒙天履地而長為人矣。先生不有之,則先犬馬填溝壑矣。”言未已,涕泣沾襟。扁鵲遂為診之,先造軒光之鱉,八成之湯,砥針礪石,取三陽五輸;子容搗藥,子明吹耳,陽儀反神,子越扶形,子游矯摩。太子遂得復生。天下聞之,皆曰:“扁鵲能生死人。”鵲辭曰:“予非能生死人也,特使夫當生者活耳,夫死者猶不可藥而生也,悲夫亂君之治,不可藥而息也。詩曰:‘多將熇熇,不可救藥!’甚之之辭也。”

扁鵲は趙王を過ぎ、王太子暴疾して死せり。扁鵲は宮門に至りて曰く、「吾は聞く、国中に卒に動土の事あり、急難あらずや。」中庶子の方術を好む者は応じて曰く、「是なり、王太子暴疾して死せり。」扁鵲は曰く、「人は言う、鄭の医秦越人は太子を活かすを得と。」中庶子は彼を詰難して曰く、「吾は聞く、上古に医を為すを苗父と曰う。苗父の医を為すや、菅を以て席と為し、芻を以て狗と為し、北面して祝禱し、ただ十言を発せば、其の扶けて来る者、抬げて来る者、皆平復して故の如し。爾の方は此の如能はんや。」扁鵲は曰く、「能わず。」又曰く、「吾は聞く、中古に医を為すを兪柎と曰う。兪柎の医を為すや、脳髄を按搦し、肓膜を束約し、九竅を炊灼して経絡を定む、死人は復た活人と為る、ゆえに兪柎と曰う。爾の方は此の如能はんや。」扁鵲は曰く、「能わず。」中庶子は曰く、「爾の方は此の如く、譬えば管を以て天を窺い、錐を以て地を刺すが如し。窺う所は大にして見る所は少なし。皆爾の方の如く、何ぞ童子を変驚するに足らん。」扁鵲は曰く、「然るにあらず。物は本より昏中に投じて蛟頭を中て、目を捂いて黒白を分かつあり。太子の疾は、所謂尸厥なり。然るにあらずと為す、入りて診視せよ、太子の大股の内側は当に温熱なるべく、耳には焦焦として嘯声有るが如き声あり、皆可治なり。」中庶子は入りて趙王に報ず。趙王は足を跣して趋りて門に出でて曰く、「先生遠道を辱めて幸いに寡人に至る、先生幸いに術有れば、則ち糞土の如き息子、天を蒙り地を踏みて長く人と為るを得ん。先生術なからば、先だって犬馬をして溝壑に塡れん。」言未だ畢らざるに、涕涙襟に沾えり。扁鵲はここにおいて彼を診治し、先ず軒光の鱉、八成の湯を為し、針石を磨礪し、三陽五輸を取る。子容は薬を搗き、子明は耳を吹き、陽儀は神を回復し、子越は形を扶え、子游は按摩を矯正す。太子は終に活き返るを得たり。天下は聞きて、皆曰く、「扁鵲は能く死人を生かしめんと。」扁鵲は辞して曰く、「予は能く死人を生かすにあらず、ただ其の当に生くべき者を生かすのみ。死の者は猶未だ薬を以て生ずべからず。悲しきかな、乱君の治は、薬を以て息すべからず。《詩経》に『多く熇熇として熾盛なり、救薬すべからず』とあり。是れ過分の言を得たりと謂うなり。」

孔子晨立堂上,聞哭者聲音甚悲,孔子援琴而鼓之,其音同也。孔子出,而弟子有吒者,問:“誰也?”曰:“回也。”孔子曰:“回何為而吒?”回曰:“今者有哭者其音甚悲,非獨哭死,又哭生離者。”孔子曰:“何以知之?”回曰:“似完山之鳥。”孔子曰:“何如?”回曰:“完山之鳥生四子,羽翼已成乃離四海,哀鳴送之,為是往而不復返也。”孔子使人問哭者,哭者曰:“父死家貧,賣子以葬之,將與其別也。”孔子曰:“善哉,聖人也!”

孔子は清晨に堂上に立ち、哭する者の声甚だ悲哀なるを聞き、孔子は琴を取りて弾ず、其の声同じ。孔子は出づるに、弟子の中に嘆く者あり、問うて曰く、「是れ誰か。」曰く、「是れ回なり。」孔子は曰く、「回は何の故に嘆く。」回は曰く、「今哭する者の声甚だ悲哀なるは、ただ死を哭するのみにあらず、また生別を哭するなり。」孔子は曰く、「何を以てこれを知る。」回は曰く、「完山の鳥の如し。」孔子は曰く、「何如。」回は曰く、「完山の鳥は四子を生み、羽翼すでに成りて離れて四海に往く。悲哀に鳴叫してこれを送る、是の往くや復た返らざるを以てなり。」孔子は人を遣わして哭する者に問わしむ。哭する者は曰く、「父死みて家貧なり、子を売りてこれを葬らんとす、まさに彼と別れんとす。」孔子は曰く、「善いかな、是れ聖人なり。」

景公畋於梧丘,夜猶蚤,公姑坐睡而夢有五丈夫,北面幸盧,稱無罪焉。公覺,召晏子而告其所夢,公曰:“我其嘗殺不辜而誅無罪耶?”晏子對曰:“昔者先君靈公畋,五丈夫罟而駭獸,故殺之斷其首而葬之,曰五丈夫之丘。其此耶?”公令人掘而求之,則五頭同穴而存焉。公曰:“嘻,令吏葬之。”國人不知其夢也,曰:“君憫白骨,而況於生者乎?”不遺餘力矣,不釋餘智矣,故曰,人君之為善易矣。

景公は梧丘に猟し、夜未だ早きに、公は姑く坐して睡り、五丈夫を夢み、北に向きて幸盧に対し、罪無しと称す。公は覚めて、晏子を召して其の夢を告ぐ。公は曰く、「我ほぼ嘗て無辜を殺し、无罪を誅せしか。」晏子は答えて曰く、「昔、先君霊公は猟せり、五丈夫は網を張りて獣を驚かし、ゆえにこれらを殺し、首を断りて葬る、五丈夫之丘と称す。ほぼ是なるか。」公は人を遣わして掘りて求めしむ。五頭は同一穴に在りて猶存す。公は曰く、「ああ、吏をして彼らを葬らしめよ。」国人は其の夢を知らず、曰く、「君は白骨を憐む、況んや生きたる人をや。」余力を遺さず、余智を下さず。ゆえに曰う、人君の善を為すは易しと。

子貢問孔子:“死人有知無知也?”孔子曰:“吾欲言死者有知也,恐孝子順孫妨生以送死也;欲言無知,恐不孝子孫棄不葬也。賜欲知死人有知將無知也?死徐自知之,猶未晚也!”

子貢は孔子に問うて曰く、「死人は知ありや、知無きや。」孔子は曰く、「吾は死人は知ありと言わんと欲すれば、孝子順孫の生きたる人を害して死を送らんことを恐る。知無しと言わんと欲すれば、不孝の子孫の棄てて葬らざるを恐る。賜は死人の知ありや知無きやを知らんと欲するか。死して徐々に自ずから知る、猶未だ遲からず。」

王子建出守於城父,與成公幹遇於疇中,問曰:“是何也?”成公幹曰:“疇也。”“疇也者,何也?”曰:“所以為麻也。”“麻也者,何也?”曰:“所以為衣也。”成衣幹曰:“昔者莊王伐陳,舍於有蕭氏,謂路室之人曰:巷其不善乎!何溝之不浚也?莊王猶知巷之不善,溝之不浚,今吾子不知疇之為麻,麻之為衣,吾子其不主社稷乎?”王子果不立。

王子建が出て城父を守ったとき、成公干と疇の中で遇い、問うた。「これは何か。」成公干は曰く、「これは疇である。」「疇とは何か。」曰く、「麻を種うるに用いる。」「麻とは何か。」曰く、「衣を為るに用いる。」成公干は曰く、「昔、莊王は陳を伐ち、有蕭氏に住まれたとき、路傍の屋の人に曰く、巷はほぼ善からずや。なぜ溝を疏浚せざる。莊王はなお巷の善からず、溝の疏浚せざるを知れり。今あなたは疇が麻を種い、麻が衣を為るに用いるを知らず。あなたはほぼ社稷を主ること能わざらん。」王子は果たして立てられなかった。

卷十九修文

巻十九 修文

天下有道,則禮樂征伐自天子出。夫功成制禮,治定作樂,禮樂者,行化之大者也。孔子曰:“移風易俗,莫善於樂;安上治民,莫善於禮。是故聖王修禮文,設庠序,陳鐘鼓,天子辟雍,諸侯泮宮,所以行德化。詩云:‘鎬京辟雍,自西自東,自南自北,無思不服。’此之謂也。”

天下に道あれば、礼楽征伐は天子より出る。功業成就して礼を制し、治安定して楽を作る、礼楽は教化を行う最大のものである。孔子は曰く、「風を移し俗を易るは、楽より善きものなし。上を安んじ民を治むるは、礼より善きものなし。ゆえに聖王は礼文を修め、庠序を設け、鐘鼓を陳べ、天子には辟雍、諸侯には泮宮あり、以て徳の教化を行う。」《詩経》に「鎬京の辟雍、西より東より、南より北より、思い服さざるなし」とある。これを謂うのである。

積恩為愛,積愛為仁,積仁為靈,靈臺之所以為靈者,積仁也。神靈者,天地之本,而為萬物之始也。是故文王始接民以仁,而天下莫不仁焉。文,德之至也,德不至則不能文。商者,常也,常者質,質主天;夏者,大也,大者,文也,文主地。故王者一商一夏,再而復者也,正色三而復者也。味尚甘,聲尚宮,一而復者,故三王術如循環,故夏后氏教以忠,而君子忠矣;小人之失野,救野莫如敬,故殷人教以敬,而君子敬矣。小人之失鬼,救鬼莫如文,故周人教以文,而君子文矣。小人之失薄,救薄莫如忠,故聖人之與聖也,如矩之三雜,規之三雜,周則又始,窮則反本也。詩曰:“雕琢其章,金玉其相。”言文質美也。

恩は積みて愛と為り、愛は積みて仁と為り、仁は積みて霊と為る。霊台の霊と謂う所以は、仁を積むなり。神霊は天地の本にして万物の始なり。ゆえに文王は始めて仁を以て民を接すれば、天下不仁なきなり。文は徳の極なり、徳極まらざれば文すること能わず。商は常なり、常は質なり、質は天を以て主とす。夏は大なり、大は文なり、文は地を以て主とす。ゆえに王者は一商一夏、循環して再び復す。正色は三つ再び復す。滋味は甘を尚び、声音は宮を尚び、循環して一たび再び復す。ゆえに三王の術は循環のごとし。夏后氏は忠を以て教えれば、君子は忠なり。小人の過は野なり、野を救うは敬より善きなし、ゆえに殷人は敬を以て教えれば、君子は敬なり。小人の過は鬼に迷うなり、鬼に迷うを救うは文より善きなし、ゆえに周人は文を以て教えれば、君子は文なり。小人の過は澆薄なり、澆薄を救うは忠より善きなし。ゆえに聖人と聖人とは、矩の三たび会し、規の三たび会し、一周すれば則ち始め、窮すれば則ち本に返る。《詩経》に「其の文を雕琢す、金玉は其の質なり」とある。文と質と皆美なるを謂う。

傳曰:“觸情縱慾,謂之禽獸;苟可而行,謂之野人;安故重遷,謂之眾庶;辨然通古今之道謂之士;進賢達能,謂之大夫;敬上愛下,謂之諸侯;天覆地載,謂之天子。是故士服黼,大夫黻,諸侯火,天子山龍;德彌盛者文彌縟,中彌理者文彌章也。”詩曰:“左之左之,君子宜之;右之右之,君子有之。”傳曰:“君子者,無所不宜也,是故■冕厲戒,立於廟堂之上,有司執事無不敬者;斬衰裳,苴絰杖,立於喪次,賓客弔唁無不哀者;被甲攖胄立於桴鼓之間,士卒莫不勇者。故仁者足以懷百姓,勇足以安危國,信足以結諸侯,強足以拒患難,威足以率三軍。故曰為左亦宜,為右亦宜,為君子無不宜者,此之謂也。”

伝記に曰く、「情欲を触動して放縦すれば、これを禽獣と謂う。苟も行うべければこれを為す、これを野人と謂う。旧地に安んじ遷徙を重んず、これを衆庶と謂う。辨明して古今の道に通ず、これを士と謂う。賢人を進薦し有能を通達す、これを大夫と謂う。上を敬い下を愛す、これを諸侯と謂う。天の覆うが如く地の載るが如し、これを天子と謂う。ゆえに士は黼を服し、大夫は黻を服し、諸侯は火の紋を用い、天子は山龍を用う。徳ますます盛なれば文采ますます繁縟なり、内ますます条理あれば文采ますます彰明なり。」《詩経》に「左に左に、君子は之に宜し。右に右に、君子は之を有す」とある。伝記に曰く、「君子は宜しからざるなし。ゆえに袞冕斎戒して廟堂の上に立てば、有司執事敬せざるなし。斬衰裳・苴絰杖を服して喪次に立てば、賓客弔唁哀ならざるなし。甲を披き冑を持して鼓槌戦鼓の間に立てば、士卒勇ならざるなし。ゆえに仁は百姓を撫するに足り、勇は危国を安んずるに足り、信は諸侯を結交するに足り、強は患難を抗拒するに足り、威は三軍を統率するに足る。ゆえに曰う、左を為すも宜しく、右を為すも宜しく、君子として宜しからざるなし、これを謂うのである。」

齊景公登射,晏子修禮而待。公曰:“選射之禮,寡人厭之矣。吾欲得天下勇士,與之圖國。”晏子對曰:“君子無禮,是庶人也;庶人無禮,是禽獸也;夫臣勇多則弒其君,子力多則弒其長,然而不敢者,惟禮之謂也。禮者所以御民也,轡者所以御馬也;無禮而能治國家者,嬰未之聞也。”景公曰:“善。”乃飭射更席以為上客,終日問禮。

斉景公は射礼を行い、晏子は礼を修めて待った。公は曰く、「選射の礼は、寡人は厭けり。われ天下の勇士を得、彼らと図って国を謀らんと欲す。」晏子は答えて曰く、「君子に礼なければ、則ち庶人なり。庶人に礼なければ、則ち禽獣なり。臣は勇力多ければ其の君を弑し、子は力多ければ其の上を弑す。然れども敢えてせざるは、礼あるのみにてなり。礼は以て民を駕するなり、轡は以て馬を駕するなり。礼なくして国を治むるは、嬰いまだ聞かざるなり。」景公は曰く、「善し。」ここにおいて射礼を飭り、席位を更えて彼を上客と為し、終日礼を問うた。

書曰五事:一曰貌。貌者男子之所以恭敬,婦人之所以姣好也;行步中矩,折旋中規,立則磬折,拱則抱鼓,其以入君朝,尊以嚴,其以入宗廟,敬以忠,其以入鄉曲,和以順,其以入州里族黨之中,和以親。詩曰:“溫溫恭人,惟德之基。”孔子曰:“恭近於禮,遠恥辱也。”

《尚書》に五事を曰う。一を貌と曰う。貌は男子の以て恭と為し、婦人の以て姣と為す所なり。行歩は矩に合い、転るは規に合い、立てば磬の如く曲折し、拱手すれば鼓を抱くが如し。以て君の朝廷に入るに尊くして厳なり、以て宗廟に入るに敬して忠なり、以て郷曲に入るに和して順なり、以て州里族党の中に入るに和して親なり。《詩経》に「温温として恭なりし人、唯だ徳の基なり」とある。孔子は曰く、「恭は礼に近く、恥辱を遠ざく。」

衣服容貌者,所以悅目也;聲音應對者,所以悅耳也;嗜慾好惡者,所以悅心也。君子衣服中,容貌得,則民之目悅矣;言語順,應對給,則民之耳悅矣;就仁去不仁,則民之心悅矣。三者存乎心,暢乎體,形乎動靜,雖不在位,謂之素行。故忠心好善而日新之,獨居樂德,內悅而形。詩曰:“何其處也?必有與也;何其久也?必有以也。”惟有以者,惟能長生久視,而無累於物也。

衣服容貌は以て目を悦ばせ、声音応対は以て耳を悦ばせ、嗜欲好悪は以て心を悦ばす。君子は衣服中を得て容貌宜しきを得れば、民の目は悦ぶ。言語順暢、応対敏捷なれば、民の耳は悦ぶ。仁に趨り不仁を去れば、民の心は悦ぶ。此の三者は心に存し、身に暢達し、動静に現る。位に在らずとも、これを素行と謂う。ゆえに忠心善を好みて日々に更新し、独り居て徳を楽しみ、内に喜悦して外に現る。《詩経》に「何ぞ安処せん。必ず相与する有り。何ぞ久長せん。必ず故あるなり」とある。ただ故ある者のみ、能く久しく生存し久しく照看し、物に累われざるなり。

知天道者冠鉥,知地道者履蹻,能治煩決亂者佩觿,能射御者佩韘,能正三軍者搢笏;衣必荷規而承矩,負繩而準下。故君子衣服中而容貌得,接其服而象其德,故望玉貌而行能,有所定矣。詩曰:“芃蘭之枝,童子佩觿。”說行能者也。

天道を知る者は𬬸冠を戴き、地道を知る者は蹻を穿き、能く煩乱を治め乱を決断する者は觿を佩び、能く射御する者は韘を佩び、能く三軍を正す者は笏を挿す。衣服は必ず規を負荷し矩を承受し、縄墨を背負い下に準を取る。ゆえに君子は衣服中を得て容貌宜しきを得、其の服に接して其の徳を象る。ゆえに玉の如き容貌を望見して行為才能ありと定まる。《詩経》に「芃蘭の枝、童子觿を佩ぶ」とある。行為才能を謂うのである。

冠者所以別成人也,修德束躬以自申飭,所以檢其邪心,守其正意也。君子始冠,必祝成禮,加冠以屬其心,故君子成人,必冠帶以行事,棄幼少嬉戲惰慢之心,而衎衎於進德修業之志。是故服不成象,而內心不變,內心修德,外被禮文,所以成顯令之名也。是故皮弁素積,百王不易,既以修德,又以正容。孔子曰:“正其衣冠,尊其瞻視,嚴然人望而畏之,不亦威而不猛乎?”

冠は以て成人を別つなり。徳を修め身を約して自ら申飭し、以て其の邪心を検束し、其の正意を守る。君子始めて冠を加うるに、必ず祝禱して礼を成し、冠を加えて以て其の心を連属す。ゆえに君子は成人に、必ず冠帯して後に行事す、幼少嬉戯惰慢の心を棄てて、欣欣然として進徳修業の志に在る。ゆえに服装形象成らざれば、内心改まらず。内心は徳を修め、外は礼文を被き、ゆえに顕赫美名を成す。ゆえに皮弁素積は、百王改易せず、既に以て徳を修め、又以て容貌を正す。孔子は曰く、「衣冠を正し、瞻視を尊厳にし、儼然として人の望見して畏敬す、亦威ありて猛ならざるか。」

成王將冠,周公使祝雍祝,王曰:“達而勿多也。”祝雍曰:“使王近於民,遠於佞,嗇於時,惠於財,任賢使能。”於此始成之時,祝辭四加而後退,公冠自以為主,卿為賓,饗之以三獻之禮。公始加玄端與皮弁,皆必朝服玄冕四加,諸侯、太子、庶子冠公為主,其禮與上同。冠於祖廟曰:“令月吉日,加子元服,去爾幼志,順爾成德。”冠禮十九見正而冠,古之通禮也。

成王はまさに冠を加えんとして、周公は祝雍をして祝禱せしめた。王は曰く、「通達して多からざれ。」祝雍は曰く、「王をして民に親しませ、佞人を遠ざけ、時を愛し、財を恵愛し、賢人を任用し有能を使用せしめん。」此の成人を始むるに在りて、祝辞は四たび加えて後に退く。公は自ら冠を加えて自ら主人と為し、卿を賓と為し、三献の礼を以て宴饗す。公は始めて玄端と皮弁を加え、皆必ず朝服玄冕を四たび加う。諸侯・太子・庶子の冠を加うるは、公を主人と為り、礼は上と同じ。祖廟にて冠を加えて曰く、「美しき月、吉しき日、子に元服を加え、爾が幼年の心志を去り、爾が成人の徳に順え。」冠礼は十九歳にして正月を見て冠を加う、古の通行の礼なり。

夏,公如齊逆女,何以書?親迎禮也。其禮奈何?曰:諸侯以屨二兩加琮,大夫庶人以屨二兩加束脩二。曰:“某國寡小君,使寡人奉不珍之琮,不珍之屨,禮夫人貞女。”夫人曰:“有幽室數辱之產,未諭於傅母之教,得承執衣裳之事,敢不敬拜?”拜祝,祝答拜。夫人受琮取一兩,屨以履女,正笄衣裳而命之曰:“往矣,善事爾舅姑,以順為宮室,無二爾心,無敢回也。”女拜,乃親引其手,授夫乎戶,夫引手出戶;夫行女從,拜辭父於堂,拜諸母於大門。夫先升與執轡,女乃升輿,轂三轉,然後天下先行。大夫士庶人稱其父曰:“某之父,某之師友,使其執不珍之屨,不珍之束脩,敢不敬禮某氏貞女。”母曰:“有草茅之產,未習於織紝紡績之事,得奉執箕帚之事,敢不敬拜?”

夏、公は斉に至りて女を迎う、何ぞ記するや。親迎の礼なり。其の礼は何如。曰く、諸侯は屨二両に琮を加え、大夫庶人は屨二両に束脩二を加う。曰く、「某国寡小君、寡人を遣わして不珍の琮・不珍の屨を奉じ、夫人貞女を礼敬せしめん。」夫人は曰く、「幽室の辱生せる有りて、未だ傅母の教えを明らめず、衣裳を執るの事を承けん、敢えて拝せざらんや。」拝して祝し、祝は拝を答す。夫人は琮を受け、一両の屨を取りて女に穿かしめ、髪笄衣裳を正して之に命じて曰く、「往け、善く爾の舅姑に事え、順を以て宮室を治め、二心有ることなく、敢えて回転するなかれ。」女は拝し、ここにおいて親ら其の手を引き、戸に於て夫に授く。夫は手を引きて戸を出づ。夫行き女従い、堂上にて父に拝辞し、大門にて諸母に拝す。夫は先に車に登り轡を執り、女乃ち車に登り、車轂三回転して後、夫は先に往く。大夫士庶人は其の父に称して曰く、「某人の父、某人の師友、彼を遣わして不珍の屨・不珍の束脩を持たしめ、敢えて某氏貞女を敬礼せしめん。」母は曰く、「草茅の生せる有りて、未だ織紝紡績の事を学ばず、箕帚を執るの事を奉ぜん、敢えて拝せざらんや。」

春秋曰:“壬申,公薨於高寢。”傳曰:“高寢者何?正寢也。曷為或言高寢,或言路寢?曰,諸侯正寢三:一曰高寢,二曰左路寢,三曰右路寢。高寢者,始封君之寢也。二路寢者,繼體之君寢也。其二何?曰,子不居父之寢,故二寢。繼體君世世不可居高祖之寢,故有高寢,名曰高也。路寢其立奈何?高寢立中,路寢左右。”春秋曰:“天王入於成周。”傳曰:“成周者何?東周也。然則天子之寢奈何?曰,亦二承明,繼體守文之君之寢,曰左右之路寢。謂之承明何?曰承乎明堂之後者也。故天子諸侯三寢立而名實正,父子之義章,尊卑之事別,大小之德異矣。”

《春秋》に曰く、「壬申、公は高寝にて薨ず。」伝記に曰く、「高寝とは何か。正寝なり。何ぞ或は高寝と曰い或は路寝と曰う。曰く、諸侯の正寝は三つあり。一を高寝と曰い、二を左路寝と曰い、三を右路寝と曰う。高寝は始封之君の寝なり。両路寝は継体之君の寝なり。何ぞ両つや。曰く、子は父の寝に居らず、ゆえに寝両つなり。継体之君は世世高祖の寝に居るべからず、ゆえに高寝あり、名づけて高と曰う。路寝は何を以て立つや。高寝は中に立ち、路寝は左右に在り。」《春秋》に曰く、「天王は成周に入る。」伝記に曰く、「成周とは何か。東周なり。然らば天子の寝は何如。曰く、亦両つ承明あり、継体守文之君の寝、左右の路寝と曰う。何ぞ承明と曰うや。曰く、明堂の後に在るを承ぐるなり。ゆえに天子諸侯は寝三つ立ちて名実正しく、父子の義彰明にして、尊卑の事別れ、大小の徳異なれり。」

天子以鬯為贄,鬯者百草之本也,上暢於天,下暢於地,無所不暢,故天子以鬯為贄。諸侯以圭為贄,圭者玉也,薄而不撓,廉而不劌,有瑕於中,必見於外,故諸侯以玉為贄。卿以羔為贄,羔者,羊也,羊群而不黨,故卿以為贄。大夫以鴈為贄,鴈者行列有長幼之禮,故大夫以為贄。士以雉為贄,贄可不可指食,籠狎而服之,故士以雉為贄。庶人以鶩為贄,鶩者鶩鶩也,鶩鶩無它心,故庶人以鶩為贄。贄者,所以質也。

天子は鬯を以て贄と為す。鬯は百草の本にして、上は天に暢れ、下は地に暢れ、暢れざるなし。ゆえに天子は鬯を以て贄と為す。諸侯は圭を以て贄と為す。圭は玉なり、薄くして曲がらず、棱角ありて人を割傷せず、瑕は中に在りて必ず外に現る。ゆえに諸侯は玉を以て贄と為す。卿は羔を以て贄と為す。羔は羊なり、羊は群れて党を結ばず。ゆえに卿はこれを以て贄と為す。大夫は雁を以て贄と為す。雁は行列に長幼の礼あり。ゆえに大夫はこれを以て贄と為す。士は雉を以て贄と為す。贄は食を指すべからず、籠に関てば狎习して馴服す。ゆえに士は雉を以て贄と為す。庶人は鶩を以て贄と為す。鶩は家鴨なり、家鴨は別の心なし。ゆえに庶人は鶩を以て贄と為す。贄は以て質実なり。

諸侯三年一貢士,士一適謂之好德,再適謂之尊賢,三適謂之有功。有功者,天子一賜以輿服弓矢,再賜以鬯,三賜以虎賁百人,號曰命諸侯。命諸侯者,鄰國有臣弒其君,孽弒其宗,雖不請乎天子而徵之可也,已徵而歸其地於天子。諸侯貢士,一不適謂之過,再不適謂之傲,三不適謂之誣。誣者天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。諸侯有不貢士,謂之不率正,不率正者,天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。然後天子比年秩官之無文者而黜之,以諸侯之所貢士伐之。詩云:“濟濟多士,文王以寧。”此之謂也。

諸侯は三年に一たび士を貢ぐ。士は一たび当たるを好徳と曰い、再び当たるを尊賢と曰い、三たび当たるを有功と曰う。有功は、天子は第一次に輿服弓矢を賜い、第二次に鬯を賜い、第三次に虎賁百人を賜い、号して命諸侯と曰う。命諸侯は、隣国に臣の君を弑し、庶子の嫡宗を弑する有れば、天子に請わずして往き征討するも可なり、すでに征討すれば其の地を天子に帰せり。諸侯の士を貢ぐ、一たび当たらざるを過と曰い、再び当たらざるを傲と曰い、三たび当たらざるを誣と曰う。誣は天子これを貶黜し、第一次に爵を貶黜し、第二次に地を貶黜し、第三次に地は則ち尽く。諸侯に士を貢がざるは、正道に循わずと曰う。正道に循わざるは、天子これを貶黜し、第一次に爵を貶黜し、第二次に地を貶黜し、第三次に地は則ち尽く。然る後天子は官吏を按年して文無きを考黜し、諸侯の貢ぐ所の士を以て之に代る。《詩経》に「済済として士多し、文王以て寧んづ」とある。これを謂うのである。

古者必有命民,命民能敬長憐孤,取捨好讓,居事力者,命於其君。命然後得乘飭輿駢馬,未得命者不得乘,乘者皆有罰。故其民雖有餘財侈物,而無仁義功德者,則無所用其餘財侈物;故其民皆興仁義而賤財利,賤財利則不爭,不爭則強不凌弱,眾不暴寡。是唐虞所以興象刑,而民莫敢犯法,而亂斯止矣。詩云:“告爾民人,謹爾侯度,用戒不虞。”此之謂也。

古には必ず命民あり。命民は能く長者を敬い孤児を憐れみ、取舍謙譲を好み、居家事に尽力する者は、其の君より命を授く。命を授くる然る後に、能く斉の車・並の馬に乗る。命を得ざれば乗ること能わず、乗る者は皆罰あり。ゆえに其の民は余財・侈物有りと雖も、仁義功徳なきは則ち其の余財・侈物を用る所なし。ゆえに其の民は皆仁義に興りて財利を軽んじ、財利を軽んずれば争わず、争わざれば強は弱を凌がず、衆は寡を暴れず。是れ唐虞の象刑を興して民敢えて法を犯さず、乱ここに止む所以なり。《詩経》に「爾の民人に告げ、爾の侯の度を慎しめ、以て意外に戒めよ」とある。これを謂うのである。

天子曰巡狩,諸侯曰述職。巡狩者,巡其所守也;述職者,述其所職也。春省耕,助不給也;秋省斂,助不足也。天子五年一巡狩,歲二月東巡狩,至於東嶽,柴而望祀山川,見諸侯,問百年者,命太師陳詩以觀民風,命市納賈以觀民之所好惡,志淫好僻者,命典禮,考時月定日,同律禮樂制度衣服正之。山川神只有不舉者為不敬,不敬者君黜以爵;宗廟有不順者為不孝,不孝者君削其地;有功澤於民者,然後加地。入其境,土地闢除,敬老尊賢,則有慶,益其地;入其境,土地荒穢,遺老失賢,掊克在位,則有讓,削其地。一不朝者黜其爵,再不朝者黜其地,三不朝者以六師移之。歲五月南巡狩,至於南嶽,如東巡狩之禮;歲八月西巡狩,至於西嶽,如南巡狩之禮;歲十一月北巡狩,至於北嶽,如西巡狩之禮。歸格於祖禰,用特。

天子を巡狩と曰い、諸侯を述職と曰う。巡狩は其の守る所を巡視するなり、述り、述職は其の職掌する所を陳述するなり。春は耕を省察し、給足らざるを助け、秋は斂を省察し、足らざるを助く。天子は五年一たび巡狩す。其の年の二月、東に巡狩し、東岳に至り、柴を焼きて山川に望祀し、諸侯を接見し、百年の老人を問い、太師を命じて詩を陳べて民風を観、市官を命じて物価を納めて民の好悪を観、心志淫にして邪僻を好むは、典礼を命じ、時月を考校し日子を定め、律・礼楽・制度・衣服を一にして正す。山川神祇に祭祀せざるは不敬なり、不敬の君は其の爵を貶す。宗廟に順わざるは不孝なり、不孝の君は其の地を削る。民に功あり恩沢有れば、然る後に土地を増す。其の境に入り、土地開闢整治し、老を敬い賢を尊べば、則ち慶賞有りて其の地を増す。其の境に入り、土地荒穢し、老人を遺棄し賢人を失い、聚斂の者位に在れば、則ち責譲有りて其の地を削る。一たび朝見せざれば其の爵を貶し、再び朝見せざれば其の地を貶し、三たび朝見せざれば六師を以て之を移易す。其の年の五月、南に巡狩し、南岳に至り、東巡狩の礼の如し。其の年の八月、西に巡狩し、西岳に至り、南巡狩の礼の如し。其の年の十一月、北に巡狩し、北岳に至り、西巡狩の礼の如し。帰りて祖禰に祭告し、特牲一つを用る。

春秋曰:“正月,公狩於郎。”傳曰:“春曰搜,夏曰苗,秋曰獮,冬曰狩。”苗者奈何?曰苗者毛也,取之不圍澤,不揜群,取禽不麛卵,不殺孕重者。春搜者不殺小麛及孕重者;冬狩皆取之,百姓皆出,不失其馳,不抵禽,不詭遇,逐不出防,此苗獮搜狩之義也。故苗獮搜狩之禮,簡其戎事也;故苗者毛取之,搜者搜索之,狩者守留之。夏不田,何也?曰,天地陰陽盛長之時,猛獸不攫,鷙鳥不搏,蝮蠆不螫,鳥獸蟲蛇且知應天,而況人乎哉?是以古者必有豢牢。其謂之畋何?聖人舉事必返本,五穀者,以奉宗廟,養萬民也,去禽獸害稼穡者,故以田言之,聖人作名號而事義可知也。

《春秋》に曰く、「正月、公は郎に狩す。」伝記に曰く、「春を蒐と曰い、夏を苗と曰い、秋を獮と曰い、冬を狩と曰う。」苗とは何如。曰く、苗は毛色を選取するなり。取るとき沢を囲わず、群を掩襲せず、禽を取りて幼獣と卵を取らず、懐妊任重を殺さず。春蒐は小麛と懐妊任重を殺さず。冬狩は皆取り、百姓皆出で、馳駆の法度を失わず、禽を迎面して当たらず、詭計を用いて迎射せず、追逐は堤防を出でず、是れ苗・獮・蒐・狩の義なり。ゆえに苗獮蒐狩の礼は、戎事を簡省するなり。ゆえに苗は毛色を選取して取る、蒐は搜索、狩は守留なり。夏は田猟せず、何ぞ。曰く、天地陰陽盛長の時、猛獣は攫取せず、鷙鳥は搏撃せず、蝮蠆は螫せず。鳥獣虫蛇すら尚天に応ずるを知る、況んや人をや。ゆえに古には必ず豢養の牢あり。何ぞ畋と曰うや。聖人は事を辦ずるに必ず本に返る、五穀は以て宗廟を奉養し万民を養育するなり、庄稼を傷害する禽獣を除去す、ゆえに田を以て曰う、聖人は名号を制作して事の義知るべし。

天子諸侯無事則歲三田,一為幹豆,二為賓客,三為充君之庖。無事而不田,曰不敬,田不以禮,曰暴天物。天子不合圍,諸侯不揜群;天子殺則下大緌,諸侯殺則下小緌,大夫殺則止佐轝,佐轝止則百姓畋獵。獺祭魚,然後漁人入澤梁;鳩化為鴈,然後設罻羅;草木零落,然後入山林。昆蟲不蟄不以火田,不麛不卵,不殀夭,不覆巢;此皆聖人在上,君子在位,能者在職,大德之發者也。是故皋陶為大理乎,民各服得其實;伯夷主禮,上下皆讓;倕為工師,百工緻功;益主虞,山澤闢成;棄主稷,百穀時茂;契主司徒,百姓親和;龍主賓客,遠人至。十二牧行,而九州莫敢僻違;禹陂九澤,通九道,定九州,各以其職來貢,不失厥宜,方五十里至於荒服,南撫交趾、大發,西析支渠、搜氐羌,北至山戎、肅慎,東至長夷、島夷,四海之內皆戴帝舜之功。於是禹乃興九韶之樂,致異物,鳳凰來翔,天下明德也。

天子諸侯は事なければ一歳三たび田猟す。一は乾して豆実と為し、二は賓客と為し、三は君の庖を充実すと為す。事なくして田猟せざるを不敬と曰い、田猟して礼を用いざるを暴殄天物と曰う。天子は合囲せず、諸侯は群を掩襲せず。天子殺ば則ち大綏を下ろし、諸侯殺ば則ち小綏を下ろし、大夫殺ば則ち佐車を止め、佐車止まれば百姓は猟す。獺は魚を祭りて後、漁人は沢梁に入る。鳩は雁に化して後、罻羅を設く。草木零落して後、山林に入る。昆虫蟄伏せざれば火田を用いず、幼獣を取らず卵を取らず、幼小を夭折せず、鳥巣を傾覆せず。此らは皆聖人上に在り君子位に在り能者職に在りて、大徳の発する所なり。ゆえに皋陶は大理と為りて民各々信服して実情を得、伯夷は礼を主りて上下皆謙譲し、倕は工師と為りて百工効を致し、益は虞を主りて山沢開闢成就し、棄は稷を主りて百谷時に茂り、契は司徒を主りて百姓親和し、龍は賓客を主りて遠人来たる。十二牧巡行して九州敢えて偏僻違逆するなし。禹は九沢を堤し九道を通じ九州を安んじ、各々職事に按じて進貢し、宜しきを失わず。方五十里より荒服に至るまで、南は交趾・大発を安撫し、西は析支・渠搜・氐羌に至り、北は山戎・粛慎に至り、東は長夷・島夷に至り、四海之内は皆帝舜の功を擁戴す。ここにおいて禹は九韶の楽を興し、異物を招致し、鳳凰来たりて飛翔し、天下は明徳を顕す。

射者必心平體正,持弓矢審固,然後射者能以中。詩云:“大侯既抗,弓矢斯張;射夫既同,獻爾發功。”此之謂也。弧之為言豫也,豫者豫吾意也。故古者兒生三日,桑弧蓬矢六射天地四方,天地四方者,男子之所有事也,必有意其所有事,然後敢食谷,故曰:“不素飧兮。”此之謂也。

射る者は必ず心平かに体正しく、弓矢を執りて審固なりて後、射る者乃ち中る。《詩経》に「大侯すでに挙がり、弓矢ここに張れり。射夫すでに会同し、爾が発するの功を献ぜよ」とある。これを謂うのである。弧は豫を謂う、豫は予め我らが心意なり。ゆえに古は子生れて三日、桑弧蓬矢を以て天地四方に各々射る。天地四方は男子の所有事なり、必ず先ず所有事に意ありて後、敢えて穀を食す。ゆえに曰う、「白食せざるかな。」これを謂うのである。

生而相與交通,故曰留賓。自天子至士,各有次,贈死不及柩屍,吊生不及悲哀,非禮也。故古者吉行五十里,奔喪百里,贈賵及事之謂時;時,禮之大者也。春秋曰:“天王使宰咺來歸惠公、仲子之賵。”賵者何?喪事有賵者,蓋以乘馬束帛輿馬曰賵,貨財曰賻,水被曰襚,口實曰唅,玩好曰贈。知生者賻賵,知死者贈襚;贈襚所以送死也,賻賵所以佐生也。輿馬、束帛、貨財、衣被、玩好,其數奈何?曰,天子乘馬六匹,諸侯四匹,大夫三匹,元士二匹,下士一匹;天子束帛五匹、玄三纁二,各五十尺,諸侯玄三纁二,各三十尺,大夫玄一纁二,各三十尺,元士玄一纁一,各二丈,下士彩縵各一匹,庶人布帛各一匹;天子之賵,乘馬六匹乘車,諸侯四匹乘輿,大夫曰參輿,元士下士不用輿;天子文繡衣各一襲到地,諸侯覆跗,大夫到踝,士到髀;天子唅實以珠,諸侯以玉,大夫以璣,士以貝,庶人以谷實。位尊德厚及親者賻賵唅襚厚,貧富亦有差;二三四五之數,取之天地而制奇偶,度人情而出節文,謂之有因,禮之大宗也。

生きて相互に往来交通す、ゆえに留賓と曰う。天子より士に至るまで各々等次あり。死人を贈るは柩尸に及ばず、生きたるを弔うは悲哀に及ばざるは、礼にあらず。ゆえに古は吉事は五十里を行き、奔喪は一百里を行き、贈賵は事に及ぶを時と曰う。時は礼の中の大なり。《春秋》に曰く、「天王は宰咺を使い恵公・仲子の賵を帰せしむ。」賵とは何か。喪事に賵有るは、ほぼ乗馬束帛を用る。車馬を賵と曰い、貨財を賻と曰い、衣被を襚と曰い、口に含ましむるを唅と曰い、玩好を贈と曰う。生きたるを知るは賻賵を送り、死したるを知るは贈襚を送る。贈襚は以て死を送るなり、賻賵は以て生を佐助するなり。車馬・束帛・貨財・衣被・玩好、其の数は何如。曰く、天子は乗馬六匹、諸侯は四匹、大夫は三匹、元士は二匹、下士は一匹。天子は束帛五匹、玄三𫄸二、各五十尺、諸侯は玄三𫄸二、各三十尺、大夫は玄一𫄸二、各三十尺、元士は玄一𫄸一、各二丈、下士は彩縵各一匹、庶人は布帛各一匹。天子の賵は乗馬六匹乗車、諸侯は四匹乗輿、大夫は参輿と曰い、元士下士は輿を用いず。天子は文繍衣各一套地に至り、諸侯は足背に蓋う、大夫は脚踝に至り、士は大腿に至る。天子の唅は珠を以て充実し、諸侯は玉を用い、大夫は璣を用い、士は貝を用い、庶人は穀実を用る。位尊く徳厚く及び親しきは、賻賵唅襚厚く、貧富も亦差別あり。二三四五の数は、天地に取りて奇偶を制し、人情を度量して節文を出す、これを有因と謂い、礼の大宗なり。

春秋曰:“庚戌天王崩。”傳曰:“天王何以不書葬?天子記崩不記葬,必其時也;諸侯記卒記葬,有天子在,不必其時也。”必其時奈何?天子七日而殯,七月而葬;諸侯五日而殯,五月而葬;大夫三日而殯,三月而葬;士庶人二日而殯,二月而葬。皆何以然?曰,禮不豫凶事,死而後治凶服,衣衰飾,修棺槨,作穿窆宅兆,然後喪文成,外親畢至,葬墳集,孝子忠臣之恩厚備盡矣。故天子七月而葬,同軌畢至;諸侯五月而葬,同會畢至;大夫三月而葬,同朝畢至;士庶人二月而葬,外姻畢至也。

《春秋》に曰く、「庚戌、天王崩ず。」伝記に曰く、「天王は何ぞ葬を記せざるや。天子は崩を記して葬を記せず、必ず其の時に按ず。諸侯は卒を記し葬を記す、天子在りて、必ずしも其の時に按せず。」必ず其の時に按ずるは何如。天子は七日にして殯し、七月にして葬る。諸侯は五日にして殯し、五月にして葬る。大夫は三日にして殯し、三月にして葬る。士庶人は二日にして殯し、二月にして葬る。皆何の故に此の如くや。曰く、礼は凶事を予め辦せず、死して然る後に凶服を治め、衰飾を衣し、棺椁を修治し、墓穴宅兆を開鑿し、然る後に喪の文成る。外親皆至り、葬墳聚集し、孝子忠臣の恩厚は備わり尽く。ゆえに天子は七月にして葬り、同軌の者皆至る。諸侯は五月にして葬り、会同の者皆至る。大夫は三月にして葬り、同朝の者皆至る。士庶人は二月にして葬り、外姻皆至る。

延陵季子適齊,於其反也,其長子死於嬴博之間,因葬焉。孔子聞之,曰:“延陵季子吳之習於禮者也。”使子貢往而觀之,其穿,深不至泉;其斂,以時服;既葬,封壙墳掩坎,其高可隱也;既封,左袒右旋,其封且號者三。言曰:“骨肉歸復於土,命也。若魂氣則無不之也!無不之也!”而遂行。孔子曰:“延陵季子於禮其合矣。”

延陵季子は斉に至り、其の返るとき、其の長子は嬴・博の間に死し、則ち彼に葬る。孔子はこれを聞きて曰く、「延陵季子は呉の礼に習熟する者なり。」子貢を遣わして往き観せしむ。其の掘る所の坑は、深さ泉に及ばず。其の入斂は時の衣服を用る。すでに葬り、壙墳を封じ坎を掩う、其の高さ倚靠すべきあり。すでに封じ終え、左臂を露出して右に旋転し、墳に対して号哭すること三度。曰く、「骨肉は土に帰復す、是れ命なり。魂気に至りては至らざる所なし。至らざる所なし。」則ち行き去れり。孔子は曰く、「延陵季子は礼に於て合なり。」

子生三年,然後免於父母之懷,故制喪三年,所以報父母之恩也。期年之喪通乎諸侯,三年之喪通乎天子,禮之經也。子夏三年之喪畢,見於孔子,孔子與之琴,使之弦,援琴而弦,衎衎而樂作,而曰:“先生制禮不敢不及也。”孔子曰:“君子也。”閔子騫三年之喪畢,見於孔子,孔子與之琴,使之弦,援琴而弦,切切而悲作,而曰:“先生制禮不敢過也。”孔子曰:“君子也。”子貢問曰:“閔子哀不盡,子曰君子也;子夏哀已盡,子曰君子也。賜也惑,敢問何謂?”孔子曰:“閔子哀未盡,能斷之以禮,故曰君子也;子夏哀已盡,能引而致之,故曰君子也。夫三年之喪,固優者之所屈,劣者之所勉。”

子生まれて三年にして後、乃ち父母の懐を離る。ゆえに喪服三年を制す、以て父母の恩に報ゆるなり。期年の喪は諸侯に通行し、三年の喪は天子に通行す、礼の経常なり。子夏は三年の喪畢えて、孔子に見えん。孔子は琴を与えて弦を弾かしむ。琴を取りて弾ず、欣欣然として楽作り、曰く、「先生の礼を制す、敢えて及ばざらん。」孔子は曰く、「是れ君子なり。」閔子騫は三年の喪畢えて、孔子に見えん。孔子は琴を与えて弦を弾かしむ。琴を取りて弾ず、切切然として悲作り、曰く、「先生の礼を制す、敢えて過ぎん。」孔子は曰く、「是れ君子なり。」子貢は問うて曰く、「閔子は悲哀未だ尽きず、先生は君子と曰う。子夏は悲哀すでに尽き、先生は君子と曰う。賜は惑えり、敢えて何を謂うか問はん。」孔子は曰く、「閔子は悲哀未だ尽かざるも、能く礼を以て決断す、ゆえに君子と曰う。子夏は悲哀すでに尽きたるも、能く引きて礼に達す、ゆえに君子と曰う。三年の喪は、本より優裕の者の受くる委屈なり、亦足らざる者の受くる勉励なり。」

齊宣王謂田過曰:“吾聞儒者喪親三年,喪君三年;君與父孰重?”田過對曰:“殆不如父重。”王忿然怒曰:“然則何為去親而事君?”田過對曰:“非君之土地無以處吾親,非君之祿無以養吾親,非君之爵位無以尊顯吾親;受之君,致之親,凡事君所以為親也。”宣王邑邑無以應。

斉宣王は田過に曰く、「吾は聞く、儒者は親に喪して三年、君に喪して三年と。君と父と孰れか重き。」田過は答えて曰く、「ほぼ父に如かず。」王は忿然として怒りて曰く、「然らば何ぞ親を離れて往きて君に事えん。」田過は答えて曰く、「君の土にあらざれば我が親を置く所なく、君の禄にあらざれば我が親を奉養するに用うなく、君の爵位にあらざれば我が親を尊顕するに用うなし。君より受けて、親に致す、およそ君に事うるは皆親の為なり。」宣王は黙然として応ずる言無し。

古者有菑者謂之厲,君一時素服,使有司弔死問疾,憂以巫醫,匍匐以救之,湯粥以方之。善者必先乎鰥寡孤獨,及病不能相養,死無以葬埋,則葬埋之。有親喪者不呼其門,有齊衰大功,五月不服力役之徵,有小功之喪者未葬,不服力役之徵。其有重屍多死者,急則有聚眾,童子擊鼓苣火,入官宮裡用之,各擊鼓苣火,逐官宮裡。家之主人冠立於阼,事畢出乎里門,出乎邑門,至野外;此匍匐救厲之道也。師大敗亦然。

古に災疫ありて厲と曰う。君は時に素服を服し、有司を遣わして死を弔い病を問い、巫医を以て憂恤し、爬りて救い、湯粥を以て方治す。善は必ず先ず鰥寡孤独に及ぼし、及び病にして相養う能わず、死して葬るに用うなきは、則ち彼らを葬る。親喪有るは其の門を叫ばず、斉衰大功有るは五月力役の征発を服せず、小功の喪未だ葬らざるは、力役の征発を服せず。其の尸多く死する者多きは、急なれば衆人を聚め、童子は鼓を撃ち火把を挙げ、官署里巷に入りて用い、各々鼓を撃ち火把を挙げ、官署里巷にて驅逐す。家の主人は冠を戴き阼階に立ち、事畢りて里門を出で、邑門を出で、野に至る。是れ爬りて厲を救うの理なり。軍隊大敗も亦是なり。

齋者思其居處也,思其笑語也,思其所為也;齋三日,乃見其所為齋者。祭之日,將入戶,僾然若有見乎其容;盤旋出戶,喟然若有聞乎嘆息之聲。先人之色,不絕於目;聲音咳唾,不絕於耳;嗜慾好惡,不忘於心;是則孝子之齋也。

斎戒する者は其の居処を思い、其の笑語を思い、其の為す所を思う。斎戒三日にして、乃ち其の斎戒する為す所を見る。祭祀の日、まさに戸に進まんとして、髣髴として其の容貌を見、盤旋して戸を出ず、喟然として嘆息の声を聞くが如し。先人の顔色は目を離れず、声音咳唾は耳を離れず、嗜欲好悪は心に忘れず。是れ孝子の斎戒なり。

春祭曰祠,夏祭曰禴,秋祭曰嘗,冬祭曰烝;春薦韭卵,夏薦麥魚;秋薦黍豚,冬薦稻鴈。三歲一祫,五年一禘;祫者,合也;禘者,諦也。祫者大合祭於祖廟也,禘者諦其德而差優劣也。聖主將祭,必潔齋精思,若親之在;方興未登,●●憧憧,專一想親之容貌彷佛,此孝子之誠也。四方之助祭,空而來者滿而反,虛而至者實而還,皆取法則焉。

春祭を祠と曰い、夏祭を禴と曰い、秋祭を嘗と曰い、冬祭を烝と曰う。春は韭と卵を進献し、夏は麦と魚を進献し、秋は黍と豚を進献し、冬は稲と雁を進献す。三年一たび祫し、五年一たび禘す。祫は合なり、禘は審諦なり。祫は祖廟にて大いに合祭す、禘は其の徳を審諦して優劣を別つ。聖主はまさに祭祀せんとして、必ず潔斎して精誠思念す、親人の面前に在るが如し。起たんと欲して未だ登らず、心神定まらず憧憧往来し、一に親人の容貌の髣髴を想象す、是れ孝子の誠なり。四方より助祭に来る者は、空しく来て満ちて返り、虚しく至りて実しく帰る、皆此より法則を取る。

韓褐子濟於河,津人告之曰:“夫人過於此者,未有不快用者也;而子不用乎?”韓褐子曰:“天子祭海內之神,諸侯祭封域之內,大夫祭其親,士祭其祖禰。褐也,未得事河伯也。”津人申楫舟中水而運,津人曰:“向也,役人固已告矣,夫子不聽役人之言也;今舟中水而運,甚殆,治裝衣而下游乎!”韓子曰:“吾不為人之惡我而改吾志,不為我將死而改吾義。”言未已,舟泆然行。韓褐子曰:“詩云:‘莫莫葛藟,施於條枚;愷悌君子,求福不回。’鬼神且不回,況於人乎?”

韓褐子は河を渡り、津人は彼に告げて曰く、「およそ此を経過する者は、速やかに事を用いざるなし。爾は独り用いずや。」韓褐子は曰く、「天子は海内の神を祭り、諸侯は封域之内を祭り、大夫は其の親を祭り、士は其の祖禰を祭る。褐は未だ河伯に事えるを得ず。」津人は櫂を以て船を撑ぐ、船中水入りて打回す。津人は曰く、「先だって役人本已告げり、夫子は役人の言を聴かず。今船中水入りて打回す、甚だ危うし、衣服を整理して下流に往け。」韓子は曰く、「吾は人の吾を悪むを以て吾の志を改めず、吾の死せんとするを以て吾の義を改めず。」言未だ畢らざるに、船は忽然として暢行す。韓褐子は曰く、「《詩経》に『茂密たる葛藟、枝條に蔓れり。愷悌の君子、福を求めて邪曲せず』とあり。鬼神すら尚邪曲せず、況んや人をや。」

孔子曰:“無體之禮,敬也;無服之喪,憂也;無聲之樂,歡也;不言而信,不動而威,不施而仁。志也,鐘鼓之聲怒而擊之則武,憂而擊之則悲,喜而擊之則樂;其志變,其聲亦變。其志誠,通乎金石,而況人乎?”

孔子は曰く、「儀式なき礼は、敬なり。喪服なき喪は、憂なり。声音なき楽は、歓なり。言わずして信あり、行わずして威あり、施与せずして仁あり。是れ志なり。鐘鼓の声、怒りて撃てば武なり、憂えて撃てば悲なり、喜びて撃てば楽なり。志変れば声亦変る。志誠なれば金石に通ず、況んや人をや。」

公孟子高見顓孫子莫曰:“敢問君子之禮何如?”顓孫子莫曰:“去爾外厲,與爾內折,色勝而心自取之,去三者而可矣。”公孟不知以告曾子,曾子愀然逡巡曰:“大哉言乎!夫外厲者必內折,色勝而心自取之必為人役。是故君子德行成而容不知,聞識博而辭不爭,知慮微達而能不愚。”

公孟子高は顓孫子莫を見て曰く、「敢えて君子の礼は何如と問はん。」顓孫子莫は曰く、「爾が外の厲を去り、爾が内の折損を和らげ、顔色勝るは心に自ら取用し、此の三者を去れば可なり。」公孟は明らかにせず、曾子に以て告ぐ。曾子は愀然として逡巡して曰く、「言は大きいかな。外厲ならば必ず内折損し、顔色勝るは心に自ら取用せば必ず人に役使せらる。ゆえに君子は徳行成就して容貌は人をして知らしめず、見聞学識広博にして言辞争わず、智慮微細通達にして才能は愚にあらず。」

曾子有疾,孟儀往問之。曾子曰:“鳥之將死,必有悲聲;君子集大辟,必有順辭。禮有三儀,知之乎?”對曰:“不識也。”曾子曰:“坐,吾語汝。君子修禮以立志,則貪慾之心不來;君子思禮以修身,則怠惰慢易之節不至;君子修禮以仁義,則忿爭暴亂之辭遠。若夫置樽俎、列籩豆,此有司之事也,君子雖勿能可也。”

曾子疾あり、孟儀は往きて問候す。曾子は曰く、「鳥まさに死せんとして、必ず悲哀の声あり。君子は大辟に臨むに、必ず和順の言あり。礼に三儀あり、知るか。」答えて曰く、「識らず。」曾子は曰く、「坐れ、吾爾に告げん。君子は礼を修めて立志を定めば、貪欲の心は来らず。君子は礼を思慮して身を修養すれば、怠惰簡慢の節操は至らず。君子は礼を修めて仁義に用いれば、忿争暴乱の言辞は遠ざく。樽俎を擺設し籩豆を陳列するに至りては、是れ有司の事なり、君子は能わずとも可なり。」

孔子曰可也簡。簡者,易野也,易野者,無禮文也。孔子見子桑伯子,子桑伯子不衣冠而處,弟子曰:“夫子何為見此人乎?”曰:“其質美而無文,吾欲說而文之。”孔子去,子桑伯子門人不說,曰:“何為見孔子乎?”曰:“其質美而文繁,吾欲說而去其文。”故曰,文質修者謂之君子,有質而無文謂之易野,子桑伯子易野,欲同人道於牛馬,故仲弓曰太簡。上無明天子,下無賢方伯,天下為無道,臣弒其君,子弒其父,力能討之,討之可也。當孔子之時,上無明天子也,故言雍也可使南面,南面者天子也,雍之所以得稱南面者,問子桑伯子於孔子,孔子曰:“可也簡。”仲弓曰:“居敬而行簡以道民,不亦可乎?居簡而行簡,無乃太簡乎?”子曰:“雍之言然!”仲弓通於化術,孔子明於王道,而無以加仲弓之言。

孔子は曰く「可なり、簡。」簡は平易粗野なり、平易粗野は礼文なきなり。孔子は子桑伯子を見るに、子桑伯子は衣を着ず冠を戴かずして処れり。弟子は曰く、「夫子は何の故に此の人を見る。」曰く、「其の質美なれど文なし、吾は勧めて之に文を加えんと欲す。」孔子去れり。子桑伯子の門人は悦ばず、曰く、「何の故に孔子を見る。」曰く、「其の質美なれど文繁なり、吾は勧めて其の文を去らんと欲す。」ゆえに曰う、文と質と皆修めるを君子と謂い、質有りて文なきを平易粗野と謂う。子桑伯子は平易粗野にして、人道を牛馬に同じくせんと欲す、ゆえに仲弓は太簡と曰う。上に英明の天子なく、下に賢能の方伯なし、天下道なし、臣は君を弑し子は父を弑す、力以て討つ能ければ、討つれば則ち可なり。孔子の時に当たり、上に英明の天子なし、ゆえに雍を以て南面せしむべしと曰う、南面は天子なり。雍の南面と称せらる所以は、孔子に子桑伯子を問うて、孔子は曰く「可なり、簡。」仲弓は曰く、「居敬にして行簡、以て民を導く、亦可ならずや。居簡にして行簡、太簡ならんか恐る。」孔子は曰く、「雍の言是なり。」仲弓は教化の術に通暁し、孔子は王道に明白なれど、仲弓の言に加うる能わず。

孔子至齊郭門之外,遇一嬰兒挈一壺,相與俱行,其視精,其心正,其行端,孔子謂御曰:“趣驅之,趣驅之。”韶樂方作,孔子至彼,聞韶三月不知肉味。故樂非獨以自樂也,又以樂人;非獨以自正也,又以正人矣哉!於此樂者,不圖為樂至於此。黃帝詔伶倫作為音律,伶倫自大夏之西,乃之崑崙之陰,取竹於嶰谷,以生竅厚薄均者,斷兩節間,其長九寸而吹之,以為黃鐘之宮,日含少次,制十二管,以崑崙之下,聽鳳之鳴,以別十二律,其雄鳴為六,雌鳴亦六,以比黃鐘之宮,適合黃鐘之宮,皆可生之,而律之本也。故曰黃鐘微而均,鮮全而不傷,其為宮獨尊,象大聖之德,可以明至賢之功,故奉而薦之於宗廟,以歌迎功德,世世不忘。是故黃鐘生林鐘,林鐘生大呂,大呂生夷則,夷則生太簇,太簇生南呂,南呂生夾鍾,夾鍾生無射,無射生姑洗,姑洗生應鐘,應鐘生蕤賓。三分所生,益之以一分以上生;三分所生,去其一分以下生。黃鐘、大呂、太簇、夾鍾、姑洗、仲呂、蕤賓為上,林鐘、夷則、南呂、無射、應鐘為下。大聖至治之世,天地之氣,合以生風,日至則日行其風以生十二律,故仲冬短至則生黃鐘,季冬生大呂,孟春生太簇,仲春生夾鍾,季春生姑洗,孟夏生仲呂,仲夏生蕤賓,季夏生林鐘,孟秋生夷則,仲秋生南呂,季秋生無射,孟冬生應鐘。天地之風氣正,十二律至也。

孔子は斉の郭門の外に至り、嬰児の壺を提ぐるに遇い、彼と倶に行く。其の児は目光精誠にして心正しく、行歩端正なり。孔子は御者に曰く、「速やかに車を趕れ、速やかに車を趕れ。」韶楽まさに演奏せんとして、孔子彼に至り、韶を聴くこと三月にして肉の味を知らず。ゆえに楽は以て自ら楽しむのみならず、又以て人を楽しましめ、以て自ら正すのみならず、又以て人を正すなり。此の事に於て楽するは、楽を為る此の如く至れるを思わざりき。黄帝は伶倫を詔して音律を作らしむ。伶倫は大夏以西より、昆侖の北に至り、嶰谷に竹を取り、空竅厚薄均一なるを用い、両節の間を截りて、長九寸を吹きて、以て黄鐘の宮と為し、名づけて含少と曰う。次いで十二管を作り、昆侖の下に於て鳳凰の鳴を聴き、以て十二律を別つ。雄の鳴くは六、雌の鳴くも亦六、以て黄鐘の宮を比照せば、恰好黄鐘の宮に合す、皆これより生ずべし、是れ律の本なり。ゆえに曰う、黄鐘は微細にして均一、鮮全にして傷まず、其の宮と為るや独り尊貴なり、大聖の徳を象り、至賢の功を顕明すべし、ゆえに捧げて宗廟に進献し、以て功德を歌唱迎接し、世世忘れず。ゆえに黄鐘は林鐘を生じ、林鐘は大呂を生じ、大呂は夷則を生じ、夷則は太簇を生じ、太簇は南呂を生じ、南呂は夾鐘を生じ、夾鐘は無射を生じ、無射は姑洗を生じ、姑洗は応鐘を生じ、応鐘は蕤賓を生ず。生ずる所を三分して、一分を加うれば上生なり、生ずる所を三分して、一分を去れば下生なり。黄鐘・大呂・太簇・夾鐘・姑洗・仲呂・蕤賓を上と為し、林鐘・夷則・南呂・無射・応鐘を下と為す。大聖至治の世、天地の気会して風を生じ、日至すれば日は其の風を運行して十二律を生ず。ゆえに仲冬短至は黄鐘を生じ、季冬は大呂を生じ、孟春は太簇を生じ、仲春は夾鐘を生じ、季春は姑洗を生じ、孟夏は仲呂を生じ、仲夏は蕤賓を生じ、季夏は林鐘を生じ、孟秋は夷則を生じ、仲秋は南呂を生じ、季秋は無射を生じ、孟冬は応鐘を生ず。天地の風気正しければ、十二律は至れり。

聖人作為■鼓控揭壎箎,比六者德音之音,然後鐘磬竽瑟以和之,然後干鏚旄狄以舞之;此所以祭先王之廟也,此所以獻酢酳之酬也,所以官序貴賤各得其宜也,此可以示後世有尊卑長幼之序也。

聖人は鞀鼓・柷敔・塤篪を制作す、比配此の六種は徳音の音なり、然る後に鐘磬竽瑟以て応和し、然る後に干戚旄狄以て舞蹈す。是れ以て先王の廟を祭祀するなり、是れ以て献酢酳酬するなり、以て官序貴賤各々其の宜しきを得さしむ、是れ後世に尊卑長幼の序を見るべし。

鐘聲鏗鏗以立號,號以立橫,橫以立武,君子聽鐘聲則思武臣。石聲磬磬以立辯,辯以致死,君子聽磬聲則思死封疆之臣。絲聲哀哀以立廉,廉以立志,君子聽琴瑟之聲,則思志義之臣。竹聲濫濫以立會,會以聚眾,君子聽竽笙簫管之聲,則思畜聚之臣。鼓鞞之聲歡歡以立動,動以進眾,君子聽鼓鞞之聲,則思將帥之臣。君子之聽音,非聽其鏗鏘而已,彼亦有所合之也。

鐘の声は鏗鏗(こうこう)として号令を立て、号令は以て横(こう)を立て、横は以て武を立つ。君子は鐘声を聴けば武臣を思う。石の声は磬磬(けいけい)として弁を立て、弁は以て死を致す。君子は磬声を聴けば封疆に死する臣を思う。糸の声は哀哀(あいあい)として廉を立て、廉は以て志を立つ。君子は琴瑟の声を聴けば志義の臣を思う。竹の声は濫濫(らんらん)として会を立て、会は以て衆を聚める。君子は竽笙簫管の声を聴けば蓄聚の臣を思う。鼓鞞(こひ)の声は歓歓(かんかん)として動を立て、動は以て衆を進める。君子は鼓鞞の声を聴けば将帥の臣を思う。君子の音を聴くは、その鏗鏗を聴くに止まらず、彼にも合する所があるのである。

樂者,聖人之所樂也,而可以善民心,其感人深,其移風易俗,故先王著其教焉。夫民有血氣心知之性,而無哀樂喜怒之常,應感起物而動,然後心術形焉。是故感激憔悴之音作,而民思憂;嘽奔慢易繁文簡節之音作,而民康樂;粗屬猛奮廣賁之音作,而民剛毅;廉直勁正莊誠之音作,而民肅敬;寬裕肉好順成和動之音作,而民慈愛。流僻邪散狄成滌濫之音作,而民淫亂。是故先王本之情性,稽之度數,制之禮義;含生氣之和,道五常之行,使陽而不散,陰而不密,剛氣不怒,柔氣不懾;四暢交於中,而發作於外,皆安其位,不相奪也。然後立之學等,廣其節奏,省其文彩;以繩德厚,律小大之稱,比終始之序,以象事行,使親疏貴賤,長幼男女之理,皆形見於樂,故曰樂觀其深矣。土弊則草木不長,水煩則魚鱉不大,氣衰則生物不遂,世亂則禮慝而樂淫;是故其聲哀而不莊,樂而不安,慢易以犯節,流漫以忘本,廣則容奸,狹則思欲;感滌盪之氣,滅平和之德,是以君子賤之也。凡奸聲感人而逆氣應之,逆氣成象而淫樂興焉;正聲感人而順氣應之,順氣成象而和樂興焉。唱和有應,回邪曲直,各歸其分,而萬物之理,以類相動也。是故君子反情以和其志,比類以成其行,奸聲亂色,不習於聽,淫樂慝禮,不接心術,惰慢邪辟之氣,不設於身體;使耳目鼻口心智百體,皆由順正以行其義,然後發以聲音,文以琴瑟,動以干鏚,飾以羽旄,從以簫管;奮至德之光,動四氣之和,以著萬物之理。是故清明象天,廣大象地,終始象四時,周旋象風雨;五色成文而不亂,八風從律而不奸,百度得數而有常。小大相成,終始相生,唱和清濁,代相為經,故樂行而倫清,耳目聰明,血氣和平,移風易俗,天下皆寧,故曰樂者樂也。君子樂得其道,小人樂得其欲,以道制欲,則樂而不亂;

楽とは聖人の楽しむ所であり、民心を善くすることができ、その人を感ずること深く、その風を移し俗を易える。故に先王はその教えを著わした。民は血気心知の性を有つが、哀楽喜怒の常がなく、物に感応して動き、然る後に心術が形を成す。是故れ、感激憔悴(せんすい)の音が作れば民は憂いを思い、啴(たん)として奔慢・文繁く節簡な音が作れば民は康楽し、粗属猛奮・広賁(こうふん)の音が作れば民は剛毅となり、廉直勁正・荘誠の音が作れば民は粛敬し、宽裕肉好・順成和動の音が作れば民は慈愛する。流僻邪散・狄成滌濫の音が作れば民は淫乱する。是故れ、先王は情性を本とし、度数に稽(かんが)え、礼義を以てこれを制し、生気の和を含み、五常の行を道(みちび)き、陽にして散ぜず、陰にして密ならず、剛気は怒らず、柔気は懾(おそ)れず、四つ暢んで中に交わり、外に発して作ること皆その位に安んじて相い奪わず。然る後に学の等を立て、その節奏を広め、その文彩を省(み)て、以て徳の厚きを縄し、小大の称を律し、終始の序を比し、以て事行に象(かたど)り、親疏貴賤・長幼男女の理を皆楽に形見せしむ。故に曰く、楽を観るは深しと。土が弊れれば草木は長せず、水が煩ければ魚鼈(ぎょべつ)は大ならず、気が衰えれば生物は遂わず、世が乱れれば礼は慝(にく)み楽は淫す。是故れ、その声は哀にして荘ならず、楽にして安からず、慢易にして節を犯し、流漫にして本を忘れ、広ければ奸を容れ、狭ければ欲を思い、滌蕩の気を感じて平和の徳を滅す。是を以て君子はこれを賤しむ。凡そ奸声が人を感ずれば逆気がこれに応じ、逆気が象を成して淫楽が興り、正声が人を感ずれば順気がこれに応じ、順気が象を成して和楽が興る。唱和は応あり、回邪曲直は各々その分に帰し、万物の理は類を以て相動かす。是故れ、君子は情に反(かえ)りてその志を和し、類に比(なら)べてその行を成し、奸声乱色は聴に習わず、淫楽慝礼は心術に接せず、惰慢邪辟の気は身体に設けず、耳目鼻口心智百体を皆順正によりてその義を行わしめ、然る後に声音を以て発し、琴瑟を以て文し、干戚を以て動かし、羽旄を以て飾り、簫管を以て従え、至徳の光を奮い、四気の和を動かし、以て万物の理を著す。是故れ清明は天に象り、広大は地に象り、終始は四時に象り、周旋は風雨に象る。五色は文を成して乱れず、八風は律に従して奸(か)しまず、百度は数を得て常あり。小大は相成し、終始は相生し、唱和清濁は代々相い經(たて)となる。故に楽行われて倫(みち)清く、耳目聡明にして血気和平し、風を移し俗を易え、天下皆寧(やす)し。故に曰く、楽とは楽しみなりと。君子はその道を得るを楽しみ、小人はその欲を得るを楽しむ。道を以て欲を制すれば楽しみて乱れず。

以欲忘道,則惑而不樂,是故君子反情以和其意,廣樂以成其教,故樂行而民向方,可以觀德矣。德者性之端也,樂者德之華也,金石絲竹,樂之器也。詩言其志,歌詠其聲,舞動其容,三者本於心,然後樂器從之;是故情深而文明,氣盛而化神,和順積中而英華髮外,惟樂不可以為偽。樂者,心之動也,聲者,樂之象也,文采節奏,聲之飾也。君子之動本,樂其象也,後治其飾,是故先鼓以警戒,三步以見方,再始以著往,復亂以飭歸;奮疾而不拔,極幽而不隱,獨樂其志,不厭其道,備舉其道,不私其欲。是故情見而義立,樂終而德尊,君子以好善,小人以飭過,故曰生民之道,樂為大焉。

欲を以て道を忘れれば惑いて楽しまず。是故れ君子は情に反りてその意を和し、楽を広めてその教を成す。故に楽行われて民は方に向かい、以て徳を観るべし。徳は性の端(はし)なり、楽は徳の華(はな)なり。金石糸竹は楽の器なり。詩はその志を言い、歌はその声を詠(うた)い、舞はその容を動かす。三者は心に本(もとづ)き、然る後に楽器これに従う。是故れ情深くして文明(あき)らか、気盛んにして化神(かしん)し、和順は中に積みて英華は外に発す。惟れ楽は為(な)し偽るべからざるなり。楽は心の動き、声は楽の象(かたち)、文采節奏は声の飾り。君子はその本を動かし、その象を楽しみ、後にその飾りを治む。是故れ先ず鼓して警戒し、三歩(さんぽ)して方を見、再始(さいし)して往(ゆ)くを著し、復乱(ふくらん)して帰を飭(ととの)う。奮疾(ふんしつ)して抜(ぬ)けず、極幽(きょくゆう)して隠れず、独りその志を楽しみてその道を厭(あ)かず、その道を備挙してその欲を私にせず。是故れ情見えて義立ち、楽終わって徳尊ばれ、君子は以て善を好み、小人は以て過を飭(ただ)す。故に曰く、生民の道は楽を大とす、と。

樂之可密者,琴最宜焉,君子以其可修德,故近之。凡音之起,由人心生也;人心之動,物使之然也;感於物而後動,故形於聲;聲相應故生變,變成方故謂之音。比音而樂之,及干鏚羽旄謂之樂;樂者音之所由生也,其本在人心之感於物。是故其哀心感者,其聲■以殺;其樂心感者,其聲嘽以緩;其喜心感者,其聲發以散;其怒心感者,其聲壯以厲;其敬心感者,其聲直以廉;其愛心感者,其聲和以調。人之善惡非牲也,感於物而後動,是故先王慎所以感之,故禮以定其意,樂以和其性,政以一其行,刑以防其奸;禮樂刑政,其極一也,所以同民心而立治道也。

楽のうち密かに親しめる者は琴が最も宜しい。君子はこれを以て徳を修むべきを以て故にこれに近づく。凡そ音の起こるは人心より生ず。人心の動くは物これをして然らしむ。物に感じて然る後に動く、故に声に形す。声相应(そうおう)する故に変を生じ、変方を成す故にこれを音と謂う。音を比べてこれを楽し、干戚羽旄に及ぶを楽と謂う。楽とは音の生ずる所よりなる、其の本は人心の物に感ずるに在り。是故れ哀心に感ずる者はその声噍(しょう)して殺(さい)し、楽心に感ずる者はその声啴(たん)して緩く、喜心に感ずる者はその声発して散じ、怒心に感ずる者はその声壮にして厲しく、敬心に感ずる者はその声直にして廉く、愛心に感ずる者はその声和にして調(つら)う。人の善悪は性に非ず、物に感じて然る後に動く。是故れ先王は感ずる所以を慎み、故に礼を以てその意を定め、楽を以てその性を和し、政を以てその行を一にし、刑を以てその奸を防ぐ。礼楽刑政、その極は一なり、民心を同じうして治道を立つ所以なり。

凡音,生人心者也,情動於中而形於聲,聲成文謂之音。是故治世之音安以樂,其政和;亂世之音怨以怒,其政乖;亡國之音哀以思,其民困。聲音之道,與政通矣。宮為君,商為臣,角為民,徵為事,羽為物;五音亂則無法,無法之音:宮亂則荒,其君驕;商亂則陂,其官壞;角亂則憂,其民怨;徵亂則哀,其事勤;羽亂則危,其財匱;五者皆亂,代相凌謂之慢,如此則國之滅亡無日矣。鄭、衛之音,亂世之音也,比於慢矣;桑間、濮上之音,亡國之音也,其政散,其民流,誣上行私而不可止也。

凡そ音は人心より生ずる者なり。情中に動いて声に形を成し、声文を成すを音と謂う。是故れ治世の音は安にして楽(たの)し、その政和し、乱世の音は怨じて怒り、その政乖(たが)え、亡国の音は哀れて思い、その民困(くるし)む。声音の道は政と通ず。宮は君、商は臣、角は民、徴(ち)は事、羽は物なり。五音乱れれば法なく、法なきの音は、宮乱れれば荒(こう)れてその君驕(おご)り、商乱れれば陂(は)なりてその官壊れ、角乱れれば憂いてその民怨み、徴乱れれば哀れてその事勤(つと)み、羽乱れれば危(あや)うくしてその財匱(とぼ)し。五者皆乱れて代々相い凌ぐを慢と謂う、此くの如くんば国の滅亡日なからん。鄭・衛の音は乱世の音なり、慢に比(なら)べらる。桑間・濮上の音は亡国の音なり、その政散じその民流れ、上を誣(し)い私を行って止めるべからざるなり。

凡人之有患禍者,生於淫泆暴慢,淫泆暴慢之本,生於飲酒;故古者慎其飲酒之禮,使耳聽雅音,目視正儀,足行正容,心論正道。故終日飲酒而無過失,近者數日,遠者數月,皆人有德焉以益善,詩云:“既醉以酒,既飽以德。”此之謂也。

凡そ人に患禍ある者は淫泆(いんいつ)暴慢より生じ、淫泆暴慢の本は飲酒より生ず。故に古は其の飲酒の礼を慎み、耳に雅音を聴かせ、目に正儀を視せ、足に正容を行わせ、心に正道を論ぜしむ。故に終日酒を飲みて過失なく、近きは数日、遠きは数月、皆人徳有りて以て善を益す。《詩》に曰く「既に酒を以て酔い、既に徳を以て飽く」と、此を謂うなり。

凡從外入者,莫深於聲音,變人最極,故聖人因而成之以德曰樂,樂者德之風,詩曰:“威儀抑抑,德音秩秩。”謂禮樂也。故君子以禮正外,以樂正內;內須臾離樂,則邪氣生矣,外須臾離禮,則慢行起矣;故古者天子諸侯聽鐘聲,未嘗離於庭,卿大夫聽琴瑟,未嘗離於前;所以養正心而滅淫氣也。樂之動於內,使人易道而好良;樂之動於外,使人溫恭而文雅;雅頌之聲動人,而正氣應之;和成容好之聲動人,而和氣應之;粗厲猛賁之聲動人,而怒氣應之;鄭衛之聲動人,而淫氣應之。是以君子慎其所以動人也。

凡そ外より入る者は声音より深きは莫(な)く、人を変ずること極まる。故に聖人は因りてこれを徳を以て成して楽と曰う。楽は徳の風なり。《詩》に曰く「威儀抑抑(よくよく)、徳音秩秩(ちっちっ)」と、礼楽を謂うなり。故に君子は礼を以て外を正し、楽を以て内を正す。内须臾(しゅゆ)も楽を離れば則ち邪気生じ、外须臾も礼を離れば則ち慢行起こる。故に古は天子諸侯は鐘声を聴くに未だ嘗て庭を離れず、卿大夫は琴瑟を聴くに未だ嘗て前を離れず。正心を養い淫気を滅する所以なり。楽の内に動くは人をして道を易(か)え良を好ましめ、楽の外に動くは人をして温恭にして文雅ならしむ。雅頌の声人を動かせば正気これに応じ、和成容好の声人を動かせば和気これに応じ、粗厲猛賁(もうほん)の声人を動かせば怒気これに応じ、鄭衛の声人を動かせば淫気これに応ず。是を以て君子は人を動かす所以を慎むなり。

子路鼓瑟有北鄙之聲,孔子聞之曰:“信矣,由之不才也!”冉有侍,孔子曰:“求來,爾奚不謂由夫先王之制音也?奏中聲,為中節;流入於南,不歸於北。南者生育之鄉,北者殺伐之域;故君子執中以為本,務生以為基,故其音溫和而居中,以象生育之氣也。憂哀悲痛之感不加乎心,暴厲淫荒之動不在乎體,夫然者,乃治存之風,安樂之為也。彼小人則不然,執末以論本,務剛以為基,故其音湫厲而微末,以象殺伐之氣。和節中正之感不加乎心,溫儼恭莊之動不存乎體,夫殺者乃亂亡之風,奔北之為也。昔舜造南風之聲,其興也勃焉,至今王公述無不釋;紂為北鄙之聲,其廢也忽焉,至今王公以為笑。彼舜以匹夫,積正合仁,履中行善,而卒以興,紂以天子,好慢淫荒,剛厲暴賊,而卒以滅。今由也匹夫之徒,布衣之醜也,既無意乎先王之制,而又有亡國之聲,豈能保七尺之身哉?”冉有以告子路,子路曰:“由之罪也!小人不能,耳陷而入於斯。宜矣,夫子之言也!”遂自悔,不食七日而骨立焉,孔子曰:“由之改過矣。”

子路が瑟を鼓すに北鄙(ほくひ)の声あり。孔子これを聞きて曰く「信(まこと)なり、由(ゆう)の不才なるは」と。冉有侍(じ)す。孔子曰く「求(きゅう)来(きた)れ、爾(なんじ)奚(なん)ぞ由に先王の音を制するを謂わざる。中声を奏でて中節と為す。南に流入りて北に帰せず。南は生育の郷、北は殺伐の域なり。故に君子は中を執りて以て本と為し、生を務めて以て基と為す。故に其の音温和にして中に居り、以て生育の気に象(かたど)るなり。憂哀悲痛の感は心に加えず、暴厲淫荒の動は体に在らず。夫れ然る者は乃ち治存の風・安楽の為なり。彼の小人は然らず、末を執りて本を論じ、剛を務めて以て基と為す。故に其の音湫厲(しゅうれい)にして微末なり、以て殺伐の気に象る。和節中正の感は心に加えず、温儼恭荘の動は体に存らず。夫れ殺なる者は乃ち乱亡の風・奔北(ほんぼく)の為なり。昔舜は南風の声を造り、その興るや勃焉(ぼつえん)たり、今に至るまで王公これを述べて釋(よろこ)ばざるなし。紂は北鄙の声を為し、その廃るや忽焉(こつえん)たり、今に至るまで王公これを以て笑いと為す。彼の舜は匹夫を以て、正を積み仁を合し、中を履み善を行いて卒(つい)に以て興り、紂は天子を以て、慢淫荒を好み、剛厲暴賊たりて卒に以て滅ぶ。今由は匹夫の徒、布衣の醜(ともがら)なり。既に先王の制に意なくして又亡国の声有らば、豈(あに)七尺の身を保たんや」と。冉有以て子路に告ぐ。子路曰く「由の罪なり。小人能(あた)わず、耳に陥り入りて斯に至れり。宜なり、夫子の言」と。遂に自ら悔い、七日食わずして骨立(こつりつ)す。孔子曰く「由は過を改めたり」と。

卷二十反質

巻二十 反質(はんしつ)

孔子卦得賁,喟然仰而嘆息,意不平。子張進,舉手而問曰:“師聞賁者吉卦,而嘆之乎?”孔子曰:“賁非正色也,是以嘆之。吾思夫質素,白當正白,黑當正黑。夫質又何也?吾亦聞之,丹漆不文,白玉不雕,寶珠不飾,何也?質有餘者,不受飾也。”

孔子が卦(け)を得て賁(ひ)を得たり。喟然(きぜん)として仰ぎて嘆息し、意平(ただ)らかならず。子張進み、手を挙げて問うて曰く「師、賁は吉卦と聞く、而(しか)もこれを嘆くか」と。孔子曰く「賁は正色に非ず、是を以てこれを嘆く。吾れ夫の質素を思うに、白は当に正しく白く、黒は当に正しく黒きべし。夫の質は又何ぞや。吾れ亦聞く、丹漆は文せず、白玉は雕(とが)らず、宝珠は飾らずと。何となれば、質余ある者は飾を受けざればなり」と。

信鬼神者失謀,信日者失時,何以知其然?夫賢聖周知,能不時日而事利;敬法令,貴功勞,不卜筮而身吉;謹仁義,順道理,不禱祠而福。故卜數擇日,潔齋戒,肥犧牲,飾圭璧,精祠祀,而終不能除悖逆之禍,以神明有知而事之,乃欲背道妄行而以祠祀求福,神明必違之矣。天子祭天地、五嶽、四瀆,諸侯祭社稷,大夫祭五祀,士祭門戶,庶人祭其先祖。聖王承天心,制禮分也。凡古之卜日者,將以輔道稽疑,示有所先而不敢自專也;非欲以顛倒之惡而幸安之全。孔子曰:“非其鬼而祭之,諂也。”是以泰山終不享李氏之旅,易稱東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,蓋重禮不貴牲也,敬實而不貴華。誠有其德而推之,則安往而不可。是以聖人見人之文,必考其質。

鬼神を信ずる者は謀を失い、日者(じつしゃ)を信ずる者は時を失う。何を以て其の然るを知るや。夫れ賢聖は周知(しゅうち)して能く時日せずして事利し、法令を敬して功労を貴び、卜筮せずして身吉なり、仁義を謹み道理に順いて、祷祠(とうし)せずして福なり。故に卜数(ぼくすう)日を擇び、斎戒を潔(きよ)め、犠牲を肥(こや)し、圭璧を飾り、祠祀を精(くわ)しくすれども、終に悖逆(はいぎゃく)の禍を除くこと能わず。神明有知(ゆうち)を以てこれに事(つか)えんと欲し、乃ち道に背き妄行して祠祀を以て福を求めば、神明必ずこれに違(そむ)かん。天子は天地・五岳・四瀆を祭り、諸侯は社稷を祭り、大夫は五祀を祭り、士は門戸を祭り、庶人は其の先祖を祭る。聖王は天心を承け、礼の分を制するなり。凡そ古の日を卜する者は、将に道を輔(たす)け疑を稽(かんが)え、先る所有りて敢えて自ら專(もっぱ)らせざるを示さんとするなり。顛倒の悪を以て幸安の全きを求めんと欲するに非ず。孔子曰く「其の鬼に非ずしてこれを祭るは諂(へつら)いなり」と。是を以て泰山終に季氏の旅(りょ)を享(う)けず、《易》は東隣が牛を殺すは西隣の禴祭(やくさい)に如(し)かずと称す。盖(けだ)し礼を重んじて牲を貴ばず、実を敬して華を貴ばざるなり。誠に其の徳有りてこれを推さば、則ち安(いず)くんぞ往きて可ならざらん。是を以て聖人は人の文を見れば必ず其の質を考うなり。

歷山之田者善侵畔,而舜耕焉;雷澤之漁者善爭陂,而舜漁焉;東夷之陶器窳,而舜陶焉。故耕漁與陶非舜之事,而舜為之,以救敗也。民之性皆不勝其欲,去其實而歸之華,是以苦窳之器,爭鬥之患起,爭鬥之患起,則所以偷也。所以然者何也?由離誠就詐,棄樸而取偽也,追逐其末而無所休止。聖人抑其文而抗其質,則天下反矣,詩云:“尸鳩在桑,其子七兮;淑人君子,其儀一兮。”傳曰:“尸鳩之所以養七子者,一心也;君子所以理萬物者,一儀也。以一儀理物,天心也;五者不離,合而為一,謂之天心。在我能因自深結其意於一,故一心可以事百君,百心不可以事一君,是故誠不遠也。夫誠者一也,一者質也;君子雖有外文,必不離內質矣。”

歴山の田(た)する者は畔(はん)を侵すに善(よ)くして舜は焉(ここ)に耕し、雷沢の漁(りょ)する者は陂(は)を争うに善くして舜は焉に漁し、東夷の陶器は窳(ゆ)れども舜は焉に陶(やきもの)す。故に耕し漁し陶するは舜の事に非ずして舜これを為すは、敗を救うを以てなり。民の性は皆其の欲に勝えず、其の実を去りて其の華に帰す。是を以て苦窳(くゆ)の器・争闘の患起こり、争闘の患起これば則ち偸(ぬす)む所以なり。然る所以なる者何ぞや。誠を離れて詐に就き、朴を棄てて偽を取るに由り、其の末を追逐して休止する所なきなり。聖人其の文を抑えて其の質を抗(あ)げば則ち天下反(かえ)らん。《詩》に曰く「尸鳩(しきゅう)桑に在り、其の子七つ。淑人君子、其の儀一なり」と。伝に曰く「尸鳩の七子を養う所以の者は一心なり。君子の万物を理する所以の者は一儀なり。一儀を以て物を理するは天心なり。五者離れず、合して一を為すを天心と謂う。我に在りて能く自ら其の意を一に深結するを因れば、故に一心を以て百君に事(つか)うべく、百心を以て一君に事うべからず。是故れ誠は遠からざるなり。夫の誠は一なり、一は質なり。君子外の文有りと雖も必ず内の質を離れざるなり」と。

衛有五丈夫,俱負缶而入井灌韭,終日一區。鄧析過,下車為教之,曰:“為機,重其後,輕其前,命曰橋。終日灌韭,百區不倦。”五丈夫曰:“吾師言曰:有機知之巧,必有機知之敗;我非不知也,不欲為也。子其往矣,我一心溉之,不知改已!”鄧析去,行數十里,顏色不悅懌,自病。弟子曰:“是何人也?而恨我君,請為君殺之。”鄧析曰:“釋之,是所謂真人者也。可令守國。”

衛に五丈夫あり、俱に缶(ほとぎ)を負い井に入りて韭(にら)を灌(そそ)ぎ、終日一区なり。鄧析過ぎ、車を下(お)りてこれに教えて曰く「機(はた)を為せ、其の後を重くし其の前を軽くし、命じて橋(きょう)と曰う。終日韭を灌ぎて百区も倦(う)まず」と。五丈夫曰く「吾が師言に曰く、機知之巧有れば必ず機知之敗有りと。我非(あら)ざるを知らず、為さんと欲せざるなり。子其れ往(ゆ)け、我一心にこれを溉(そそ)ぎて改むるを知らざれば已(や)めり」と。鄧析去り、数十里行きて顔色悦怿(えつえき)せず、自ら病(や)む。弟子曰く「是れ何人ぞや、而(しか)も我が君を恨ましむる。請う、君の為にこれを殺さん」と。鄧析曰く「これを釋(ゆる)せ。是れ所謂真人なる者なり。国を守らしむべし」と。

禽滑釐問於墨子曰:“錦繡絺紵,將安用之?”墨子曰:“惡,是非吾用務也。古有無文者得之矣,夏禹是也。卑小宮室,損薄飲食,土階三等,衣裳細布;當此之時,黻無所用,而務在於完堅。殷之盤庚,大其先王之室,而改遷於殷,茅茨不剪,采椽不斲,以變天下之視;當此之時,文采之帛,將安所施?夫品庶非有心也,以人主為心,苟上不為,下惡用之?二王者以化身先於天下,故化隆於其時,成名於今世也。且夫錦繡絺紵,亂君之所造也,其本皆興於齊,景公喜奢而忘儉,幸有晏子以儉鐫之,然猶幾不能勝。夫奢安可窮哉?紂為鹿臺糟丘,酒池肉林,宮牆文畫,雕琢刻鏤,錦繡被堂,金玉珍瑋,婦女優倡,鐘鼓管絃,流漫不禁,而天下愈竭,故卒身死國亡,為天下戮,非惟錦繡絺紵之用耶?今當凶年,有欲予子隨侯之珠者,不得賣也,珍寶而以為飾;又欲予子一鍾粟者,得珠者不得粟,得粟者不得珠,子將何擇?”禽滑釐曰:“吾取粟耳,可以救窮。”墨子曰:“誠然,則惡在事夫奢也?長無用,好末淫,非聖人所急也。故食必常飽,然後求美;衣必常暖,然後求麗;居必常安,然後求樂。為可長,行可久,先質而後文,此聖人之務。”禽滑釐曰:“善。”

禽滑釐(きんかつり)墨子に問うて曰く「錦繍・絺紵(ちちょ)、将に安(いず)くにかこれを用いん」と。墨子曰く「悪(ああ)、是れ吾が用務するに非ず。古に文無き者にしてこれを得し者あり、夏禹是なり。宮室を卑小(ひしょう)にし、飲食を損薄(そんぱく)にし、土階三等、衣裳細布たり。此の時に当たり黻(ふつ)の用する所無くして、務は完堅に在り。殷の盤庚(ばんこう)、其の先王の室を大にして殷に改遷し、茅茨(ぼうし)は剪(き)らず、采椽(さいてん)は斲(きざ)らず、以て天下の視を変えんとす。此の時に当たり文采の帛、将に安くにか施さん。夫の品庶(ひんしょ)は心有るに非ず、人主を以て心と為す。苟(いやし)くも上為さざれば、下惡(いず)くんぞこれを用いん。二王は身を化(か)すを以て天下に先んじたり。故に化は其の時に隆え、名は今の世に成れり。且つ夫の錦繍絺紵は乱君の造る所なり。其の本皆斉に興り、景公奢を喜びて倹を忘る。幸いに晏子有りて倹を以てこれを鐫(うが)てども、然れども猶幾(ほと)んど勝つ能(あた)わざりき。夫の奢(しゃ)安くんぞ窮まるべからんや。紂は鹿台・糟丘を為し、酒池肉林、宮牆を文画し、雕琢刻鏤(とくる)し、錦繍堂に被(おお)い、金玉珍瑋(ちんい)、婦女優倡、鐘鼓管弦、流漫して禁ぜずして天下愈々竭(つ)き、故に卒(つい)に身死し国亡び、天下の戮(りく)と為る。錦繍絺紵の用のみに非ざるや。今凶年に当たり、子に随侯の珠を与えんと欲する有りて売るを得ず、珍宝と為して以て飾と為す。又子に一鐘の粟を与えんと欲する有り。珠を得る者は粟を得ず、粟を得る者は珠を得ず。子将に何れを擇ばん」と。禽滑釐曰く「吾れ粟を取らんのみ、以て窮を救うべし」と。墨子曰く「誠に然らば、則ち惡(いず)くんぞ夫の奢に事(つか)えん。無用を長(ちょう)じ、末淫を好むは聖人の急ぐ所に非ず。故に食は必ず常に飽きて然る後に美を求め、衣は必ず常に暖にして然る後に麗を求め、居は必ず常に安くして然る後に楽を求む。長ずべきを為し、久しきべきを行い、先ず質にして後に文、此れ聖人の務なり」と。禽滑釐曰く「善し」と。

秦始皇既兼天下,大侈靡,即位三十五年猶不息,治大馳道,從九原抵雲陽,塹山堙谷直通之。厭先王宮室之小,乃於豐鎬之間,文武之處,營作朝宮,渭南山林苑中作前殿,阿房東西五百步,南北五十丈,上可坐萬人,下可建五丈旗,周為閣道;自殿直抵南山之嶺以為闕,為複道,自阿房渡渭水屬咸陽,以象天極,閣道絕漢,抵營室也。又興驪山之役,錮三泉之底,關中離宮三百所,關外四百所,皆有鐘盤帷帳,婦女倡優。立石闕東海上朐山界中,以為秦東門。於是有方士韓客侯生,齊客盧生,相與謀曰:“當今時不可以居,上樂以刑殺為威,天下畏罪;持祿莫敢盡忠,上不聞過而日驕,下懾伏以慢欺而取容,諫者不用而失道滋甚。吾黨久居,且為所害。”乃相與亡去。始皇聞之大怒,曰:“吾異日厚盧生,尊爵而事之,今乃誹謗我,吾聞諸生多為妖言以亂黔首。”乃使御史悉上諸生,諸生傳相告,犯法者四百六十餘人,皆坑之。盧生不得,而侯生後得,始皇聞之,召而見之,升阿東之臺,臨四通之街,將數而車裂之。始皇望見侯生,大怒曰:“老虜不良,誹謗而主,乃敢復見我!”侯生至,仰臺而言曰:“臣聞知死必勇,陛下肯聽臣一言乎?”始皇曰:“若欲何言?言之!”侯生曰:“臣聞禹立誹謗之木,欲以知過也。今陛下奢侈失本,淫泆趨末,宮室臺閣,連屬增累,珠玉重寶,積襲成山,錦繡文采,滿府有餘,婦女倡優,數鉅萬人,鐘鼓之樂,流漫無窮,酒食珍味,盤錯於前,衣服輕暖,輿馬文飾,所以自奉,麗靡爛熳,不可勝極。黔首匱竭,民力單盡,尚不自知,又急誹謗,嚴威克下,下喑上聾,臣等故去。臣等不惜臣之身,惜陛下國之亡耳。聞古之明王,食足以飽,衣足以暖,宮室足以處,輿馬足以行,故上不見棄於天,下不見棄於黔首。

秦始皇既に天下を兼(あわ)せ、大いに侈靡(しび)し、即位三十五年に猶止(や)まず、大馳道を治め、九原より雲陽に抵(いた)り、山を塹(ほ)り谷を堙(う)めて直ちに通ず。先王の宮室の小なるを厭(いと)い、乃ち豊・鎬の間、文・武の処に朝宮を営作し、渭南の山林苑中に前殿を作る。阿房(あぼう)は東西五百歩、南北五十丈、上は万人を坐せしめ、下は五丈の旗を建つべく、周に閣道を為す。殿より直ちに南山の嶺に抵りて以て闕と為し、復道を為し、阿房より渭水を渡りて咸陽に属(つづ)け、以て天極に象り、閣道漢(あまのがわ)を絶ちて営室に抵る。又驪山の役を興し、三泉の底を錮(こ)め、関中の離宮三百所、関外四百所、皆鐘盤帷帳・婦女倡優あり。東海の上・朐山の界中に石闕を立て、以て秦の東門と為す。是に於て方士の韓客侯生・斉客盧生あり、相与に謀りて曰く「当今の時は以て居るべからず。上は刑殺を以て威と為すを楽しみ、天下は罪を畏る。禄を持(たも)つ者敢えて忠を尽す莫く、上は過を聞かずして日に驕り、下は懾伏(しょうふく)して慢欺を以て容(い)るを取る。諫める者用いられずして道を失うこと滋(ますます)甚し。吾が党久しく居れば且(まさ)に害せられん」と。乃ち相与に亡去す。始皇聞きて大怒りて曰く「吾れ異日(いつか)盧生を厚くし、爵を尊びてこれに事えし。今乃ち我を誹謗す。吾聞く、諸生多く妖言を為して以て黔首を乱ると」。乃ち御史をして諸生を悉く上(あ)げしむ。諸生伝(つた)え相い告げて法を犯す者四百六十余人、皆これを坑(ほう)す。盧生は得ずして侯生は後に得られ、始皇これを聞き、召して見、阿東の台に升り、四通の街に臨み、将に数(あげ)りて車裂(しゃれつ)せんとす。始皇侯生を望見して大怒りて曰く「老虜(ろうろ)良からず、而(なんじ)の主を誹謗して乃ち敢えて復(ま)た我を見るか」と。侯生至り、台を仰ぎて言に曰く「臣聞く、死を知る者は必ず勇なりと。陛下肯(あえ)て臣の一言を聴きたまうや」と。始皇曰く「若(なんじ)何をか言わんと欲する。言え」と。侯生曰く「臣聞く、禹は誹謗の木を立て、以て過を知らんと欲せりと。今陛下は奢侈して本を失い、淫泆して末に趨(はし)る。宮室台閣は連属して増累し、珠玉重宝は積襲して山を成し、錦繍文采は府に満ちて余有り、婦女倡優は数巨万にし、鐘鼓の楽は流漫して窮まりなく、酒食珍味は盤錯して前に在り、衣服は軽暖にして輿馬は文飾せり。自ら奉ずる所以は麗靡爛熳にして勝(あ)げ尽(つく)すべからず。黔首は匱竭(きけつ)して民力単尽(たんじん)せり。尚お自ら知らずして、又誹謗を急にし、厳威を以て下に克(か)つ。下は喑(おし)にして上は聾なり。臣等は故に去りぬ。臣等は臣の身を惜しまず、陛下の国の亡ぶるを惜しむのみ。聞く、古の明王は食は飽くに足り、衣は暖なるに足り、宮室は居るに足り、車馬は行くに足りたりと。故に上は天に棄てられず、下は黔首に棄てられざりき。」

堯茅茨不剪,采椽不斲,土階三等,而樂終身者,俗以其文采之少,而質素之多也。丹朱傲虐好慢淫,不修理化,遂以不升。今陛下之淫,萬丹朱而十昆吾桀紂,臣恐陛下之十亡也,而曾不一存。”始皇默然久之,曰:“汝何不早言?”侯生曰:“陛下之意,方乘青雲飄搖於文章之觀,自賢自健,上侮五帝,下凌三王,棄素樸,就末技,陛下亡徵見久矣。臣等恐言之無益也,而自取死,故逃而不敢言。今臣必死,故為陛下陳之,雖不能使陛下不亡,欲使陛下自知也。”始皇曰:“吾可以變乎?”侯生曰:“形已成矣,陛下坐而待亡耳!若陛下欲更之,能若堯與禹乎?不然無冀也。陛下之佐又非也,臣恐變之不能存也。”始皇喟然而嘆,遂釋不誅。後三年始皇崩;二世即位,三年而秦亡。

堯は茅茨(ぼうし)を剪らず、采椽(さいてん)を斲らず、土階三等にして身を終えて楽しむは、俗は其の文采の少なくして質素の多きを以てなり。丹朱は傲虐(ごうぎゃく)にして慢淫を好み、理化を修理せず、遂に以て升(のぼ)らざりき。今陛下の淫は丹朱に万(ばん)じ、昆吾・桀・紂に十(じゅう)す。臣恐らくは陛下に十の亡(ぼう)有りて曾(かつ)て一の存(ぞん)なからんと。始皇黙然(もくぜん)として久之、曰く「汝何ぞ早く言わざりし」と。侯生曰く「陛下の意は方(まさ)に青雲に乗りて文章の観に飄摇(ひょうよう)し、自ら賢とし自ら健とし、上は五帝を侮(あなど)り下は三王を凌ぎ、素朴を棄てて末技に就く。陛下の亡の徴(しるし)見ること久し。臣等恐らくはこれを言うも益なくして自ら死を取らんと、故に逃れて敢えて言わざりき。今臣必ず死せん、故に陛下の為にこれを陳ず。陛下をして亡びざらしむる能わざるも、陛下をして自ら知らしめんと欲す」と。始皇曰く「吾れ変わるべきや」と。侯生曰く「形已(すで)に成れり、陛下坐して亡びを待つのみ。若(も)し陛下更(か)えんと欲せば、能く堯・禹の若くならんや。然らざれば冀(こいねが)うこと無かれ。陛下の佐又非(あ)らず。臣恐らくはこれを変うるも存する能わざらんと」。始皇喟然として嘆き、遂に釈して誅せず。後三年始皇崩じ、二世即位し三年にして秦亡ぶ。

魏文侯問李克曰:“刑罰之源安生?”李克曰:“生於奸邪淫泆之行。凡奸邪之心,飢寒而起,淫泆者,久飢之詭也;雕文刻鏤,害農事者也;錦繡纂組,傷女工者也。農事害,則飢之本也;女工傷,則寒之源也。飢寒並至而能不為奸邪者,未之有也;男女飾美以相矜而能無淫泆者,未嘗有也。故上不禁技巧,則國貧民侈,國貧窮者為奸邪,而富足者為淫泆,則驅民而為邪也;民以為邪,因之法隨,誅之不赦其罪,則是為民設陷也。刑罰之起有原,人主不塞其本,而替其末,傷國之道乎?”文侯曰:“善。”以為法服也。

魏文侯李克に問うて曰く「刑罰の源は安(いず)くよりか生ず」と。李克曰く「奸邪淫泆の行より生ず。凡そ奸邪の心は飢寒より起こり、淫泆は久飢の詭(き)なり。彫文刻鏤は農事を害する者、錦繍纂組は女工を傷つける者なり。農事害されれば則ち飢の本なり、女工傷つけられれば則ち寒の源なり。飢寒并(とも)に至りて能く奸邪を為さざるは未だ之れ有らざるなり。男女美を飾りて相い矜(ほこ)りて能く淫泆無きは未だ嘗て有らざるなり。故に上技巧を禁ぜざれば則ち国貧しく民侈(おご)り、国貧しき者は奸邪を為し、富足する者は淫泆を為す。則ち民を駆(か)りて邪を為さしむなり。民已に邪を為し、因りて法これに随い、これを誅して其の罪を赦さざれば則ち是れ民の為に陥(おとしあな)を設くるなり。刑罰の起こるに原有り、人主其の本を塞(ふさ)がずして其の末を替(か)うは国を傷つけるの道か」と。文侯曰く「善し」と。以て法服(ほうふく)と為す。

秦穆公閒,問由余曰:“古者明王聖帝,得國失國當何以也?”由余曰:“臣聞之,當以儉得之,以奢失之。”穆公曰:“願聞奢儉之節。”由余曰:“臣聞堯有天下,飯於土簋,啜於土鈃,其地南至交趾,北至幽都,東西至日所出入,莫不賓服。堯釋天下,舜受之,作為食器,斬木而裁之,銷銅鐵,修其刃,猶漆黑之以為器。諸侯侈國之不服者十有三。舜釋天下而禹受之,作為祭器,漆其外而朱畫其內,繒帛為茵褥,觴勺有彩,為飾彌侈,而國之不服者三十有二。夏后氏以沒,殷周受之,作為大器,而建九傲,食器雕琢,觴勺刻鏤,四壁四帷,茵席雕文,此彌侈矣,而國之不服者五十有二。君好文章,而服者彌侈,故曰儉其道也。”由余出,穆公召內史廖而告之曰:“寡人聞鄰國有聖人,敵國之憂也。今由余聖人也,寡人患之。吾將奈何?”內史廖曰:“夫戎闢而遼遠,未聞中國之聲也,君其遺之女樂以亂其政,而厚為由余請期,以疏其間,彼君臣有間,然後可圖。”君曰:“諾。”乃以女樂三九遺戎王,因為由余請期;戎王果具女樂而好之,設酒聽樂,終年不遷,馬牛羊半死。由余歸諫,諫不聽,遂去,入秦,穆公迎而拜為上卿。問其兵勢與其地利,既已得矣,舉兵而伐之,兼國十二,開地千里。穆公奢主,能聽賢納諫,故霸西戎,西戎淫於樂,誘於利,以亡其國,由離質樸也。

秦穆公閑(かん)にして由余に問うて曰く「古の明王聖帝、国を得国を失うは当に何を以てせん」と。由余曰く「臣聞く、当に倹を以てこれを得、奢を以てこれを失うべしと」。穆公曰く「願わくは奢倹の節を聞かん」と。由余曰く「臣聞く、堯天下有りて土簋(どき)に飯(め)し土鉼(どへい)に啜(すす)り、其の地南は交趾に至り北は幽都に至り、東西は日の出入する所に至るまで賓服せざる莫かりき。堯天下を釋(はな)ち舜これを受け、食器を作(つく)りて木を斬りてこれを裁ち、銅鉄を銷(と)かして其の刃を修め、猶お漆黒して以て器と為す。諸侯侈国の服せざる者十有三なり。舜天下を釈ちて禹これを受け、祭器を作りて其の外を漆(うるし)し其の内を朱画(しゅがく)し、繒帛を以て茵褥(いんじょく)を為し、觴勺(しょうしゃく)に彩(さい)有り、飾を為すこと弥(いよいよ)侈(おご)りて、国の服せざる者三十有二なり。夏后氏以(もっ)て没(ほろ)び、殷・周これを受け、大器を作して九旒(きゅうりゅう)を建て、食器は雕琢し觴勺は刻鏤し、四壁四帷、茵席彫文あり、此れ弥々侈れども国の服せざる者五十有二なり。君文章を好めば服する者弥々侈る。故に曰く、倹は其の道なりと」。由余出(い)で、穆公内史廖を召してこれに告げて曰く「寡人聞く、隣国に聖人有るは敵国の憂いなり。今由余は聖人なり、寡人これを患う。吾れ将に奈何せんとす」と。内史廖曰く「夫の戎は辟(へき)して遼遠(りょうえん)なり、未だ中国の声を聞かざるなり。君其れ女楽を遺(おく)りて其の政を乱し、厚く由余の為に期を請いて、以て其の間を疏(そ)にせよ。彼君臣間有りて然る後に図るべし」と。君曰く「諾」と。乃ち女楽三九を以て戎王に遺り、因りて由余の為に期を請う。戎王果(つい)に女楽を具(そな)えてこれを好み、酒を設け楽を聴き、終年遷(うつ)らず、馬牛羊半ば死せり。由余帰りて諫むも諫聴かれず、遂に去りて秦に入る。穆公迎えて上卿に拝す。其の兵勢と其の地利を問いて既にこれを得、兵を挙げてこれを伐(う)ち、十二国を兼ね千里を開(ひら)く。穆公は奢主なれども能く賢を聴き諫を納る、故に西戎に覇(は)す。西戎は楽に淫して利に誘われ、以て其の国を亡(ほろ)ぼすは、質朴を離るるに由るなり」と。

經侯往適魏太子,左帶羽玉具劍,右帶環佩,左光照右,右光照左;坐有頃,太子不視也,又不問也。經侯曰:“魏國亦有寶乎?”太子曰:“有。”經侯曰:“其寶何如?”太子曰:“主信臣忠,百姓上戴。此魏之寶也。”經侯曰:“吾所問者,非是之謂也。乃問其器而已。”太子曰:“有。徒師沼治魏而市無豫賈,郄辛治陽而道不拾遺,芒卯在朝而四鄰賢士無不相因而見。此三大夫乃魏國之大寶。”於是經侯默然不應,左解玉具,右解環佩,委之坐,愆然而起,默然不謝,趨而出,上車驅去。魏太子使騎操劍佩逐與經侯,使告經侯曰:“吾無德所寶,不能為珠玉所守;此寒不可衣,飢不可食,無為遺我賊。”於是經侯杜門不出,傳死。

経侯往きて魏太子に適(ゆ)き、左に羽玉具剣(ぎょくぐけん)を帯び、右に環佩(かんぱい)を帯び、左の光右を照らし、右の光左を照らす。坐(すわ)ること有頃(うちごろ)、太子視(み)ず又問わず。経侯曰く「魏国も亦宝有るか」と。太子曰く「有り」と。経侯曰く「其の宝何如(いか)なる」と。太子曰く「主信(しん)にして臣忠(ちゅう)し、百姓上戴(じょうたい)す。此れ魏の宝なり」と。経侯曰く「吾が問う所の者は是の謂に非ず。乃ち其の器を問うのみ」と。太子曰く「有り。徒師沼(とししょう)魏を治めて市に豫賈(よこ)無く、郄辛(げきしん)陽を治めて道遺を拾わず、芒卯(ぼうぼう)朝に在りて四隣の賢士相い因(よ)りて見(まみ)えざる莫(な)し。此の三大夫は乃ち魏国の大宝なり」と。是に於て経侯黙然として応ぜず、左に玉具を解き、右に環佩を解き、坐に委(す)て、愆然(けんぜん)として起ち、黙然として謝せず、趨(はし)りて出で、車に上りて駆りて去る。魏太子騎をして剣佩を操(と)らせて経侯に逐(お)わせ与(あた)えしめ、経侯に告げしめて曰く「吾れ宝と為す徳無し。珠玉の守る所と為る能わず。此れ寒きは衣(き)るべからず、飢(う)えは食うべからず。我に賊(やく)を遺(のこ)すこと為(な)かれ」と。是に於て経侯門を杜(ふさ)ぎて出でず、伝(つた)えて死す。

晉平公為馳逐之車,龍旌象色,掛之以犀象,錯之以羽芝,車成題金千鎰,立之於殿下,令群臣得觀焉。田差三過而不一顧,平公作色大怒,問田差“爾三過而不一顧,何為也?”田差對曰:“臣聞說天子者以天下,說諸侯者以國,說大夫者以官,說士者以事,說農夫者以食,說婦姑者以織。桀以奢亡,紂以淫敗,是以不敢顧也。”平公曰:“善。”乃命左右曰:“去車!”

晋平公、馳逐(ちちく)の車を為(つく)る。龍旌象色(りゅうせいぞうしょく)にして、犀象(さいぞう)を以てこれを掛け、羽芝(うし)を以てこれを錯(まじ)え、車成れば題(だい)す金千鎰(せんいつ)、これを殿下に立て、群臣をして観せしむ。田差三度過ぎて一顧(いっこ)せず。平公色を作し大怒りて田差に問う「爾三過して一顧せざるは何為(なんす)れぞ」と。田差対えて曰く「臣聞く、天子を説(とき)く者は天下を以てし、諸侯を説く者は国を以てし、大夫を説く者は官を以てし、士を説く者は事を以てし、農夫を説く者は食を以てし、婦姑を説く者は織を以てす。桀は奢を以て亡び、紂は淫を以て敗れたり。是を以て敢えて顧みざるなり」と。平公曰く「善し」と。乃ち左右に命じて曰く「車を去れ」と。

魏文侯御廩災,文侯素服闢正殿五日,群臣皆素服而吊,公子成父獨不弔。文侯復殿,公子成父趨而入賀,曰:“甚大善矣!夫御廩之災也。”文侯作色不悅,曰:“夫御廩者,寡人寶之所藏也,今火災,寡人素服闢正殿,群臣皆素服而吊;至於子,大夫而不弔。今已復辟矣,猶入賀何為?”公子成父曰:“臣聞之,天子藏於四海之內,諸侯藏於境內,大夫藏於其家,士庶人藏於篋櫝。非其所藏者必有天災,必有人患。今幸無人患,乃有天災,不亦善乎!”文侯喟然嘆曰:“善!”

魏文侯の御廩(ぎょりん)災(わざわ)いす。文侯素服して正殿を辟(さ)くること五日、群臣皆素服して弔(とむら)う。公子成父独り弔わず。文侯殿に復(ま)たるや、公子成父趨りて入りて賀して曰く「甚だ大に善し。夫の御廩の災いなり」と。文侯色を作して悦ばず、曰く「夫の御廩は寡人の宝の蔵(おさ)むる所なり。今災い有り、寡人素服して正殿を辟け、群臣皆素服して弔う。子に至りて大夫として弔わず。今已(すで)に殿に復れり、復た入りて賀するを何為れぞ」と。公子成父曰く「臣聞く、天子は四海の内に蔵し、諸侯は境内に蔵し、大夫は其の家に蔵し、士庶人は箱箋(しょうせん)に蔵す。其の蔵むべき所に非ざれば必ず天災有り、必ず人患有り。今幸いに人患なく天災のみ有れば、亦善からずや」と。文侯喟然として嘆息して曰く「善し」と。

齊桓公謂管仲曰:“吾國甚小,而財用甚少,而群臣衣服輿駕甚汰,吾欲禁之,可乎?”管仲曰:“臣聞之,君嘗之,臣食之;君好之,臣服之。今君之食也必桂之漿,衣練紫之衣,狐白之裘。此群臣之所奢汰也。詩云:‘不躬不親,庶民不信。’君欲禁之,胡不自親乎?”桓公曰:“善。”於是更制練帛之衣,大白之冠,朝一年而齊國儉也。

斉桓公管仲に謂(い)うて曰く「吾が国甚だ小にして財用甚だ少なし。而(しか)も群臣の衣服輿駕(よが)甚だ汰(おご)れり。吾れこれを禁ぜんと欲す、可(か)なるか」と。管仲曰く「臣聞く、君これを嘗(な)めれば臣これを食(くら)い、君これを好めば臣これを服す。今君の食は必ず桂の漿(しょう)、衣は練紫(れんし)の衣、狐白の裘(かわごろも)なり。此れ群臣の奢汰する所以なり。《詩》に曰く『躬(み)を躬せず親(したし)まざれば庶民信ぜず』と。君これを禁ぜんと欲せば、胡(なん)ぞ自ら親しまざる」と。桓公曰く「善し」と。是に於て更(あらた)めて練帛(れんぱく)の衣・大白の冠を制し、朝(ちょう)すること一年にして斉国倹(けん)なり。

季文子相魯,妾不衣帛,馬不食粟。仲孫它諫曰:“子為魯上卿,妾不衣帛,馬不食粟,人其以子為愛,且不華國也。”文子曰:“然乎?吾觀國人之父母衣麤食蔬,吾是以不敢。且吾聞君子以德華國,不聞以妾與馬。夫德者得於我,又得於彼,故可行;若淫於奢侈,沈於文章,不能自反,何以守國?”仲孫它慚而退。

季文子魯を相(はう)け、妾帛(きぬ)を衣(き)せず馬粟(ぞく)を食(く)わせず。仲孫它諫めて曰く「子魯の上卿たり、妾帛を衣せず馬粟を食わせず。人其れ子を以て愛(あい)と為し、且つ国を華(はな)やがせざらんか」と。文子曰く「然らんや。吾れ国人の父母の麤(あら)きを衣て蔬(あおもの)を食するを観る、吾れ是を以て敢えてせざるなり。且つ吾聞く、君子は徳を以て国を華やがせ、妾と馬を以てするを聞かざるなり。夫の徳は我に得て又彼に得るを得、故に行うべし。若(も)し奢侈に淫(ひた)り文章に沈み、自ら反(かえ)る能わざれば、何を以て国を守らん」と。仲孫它慙(は)じて退く。

趙簡子乘弊車瘦馬,衣羖羊裘,其宰進諫曰:“車新則安,馬肥則往來疾,狐白之裘溫且輕。”簡子曰:“吾非不知也。吾聞之,君子服善則益恭,細人服善則益倨;我以自備,恐有細人之心也。傳曰:周公位尊愈卑,勝敵愈懼,家富愈儉,故周氏八百餘年,此之謂也。”

趙簡子弊(へい)車・瘦馬(そうば)に乗り、羖羊裘(こようきゅう)を衣る。其の宰進みて諫めて曰く「車新なれば則ち安く、馬肥えれば往來疾(はや)く、狐白の裘は温かにして軽し」と。簡子曰く「吾れ知らざるに非ざるなり。吾聞く、君子服善(ふくぜん)なれば則ち益々恭(うやうや)しく、細人服善なれば則ち益々倨(おご)る。我は以て自ら備(そな)う、恐れ有りて細人の心有らんと。伝に曰く、周公位尊(たっと)くして愈々卑(いや)しく、敵に勝ちて愈々懼(おそ)れ、家富みて愈々倹す。故に周氏八百余年、此を謂うなり」と。

魯築郎囿,季平子欲速成,叔孫昭子曰:“安用其速成也?以虐其民,其可乎?無囿尚可乎,惡聞嬉戲之遊,罷其所治之民乎?”

魯郎囿(ろうゆう)を築き、季平子速(すみ)やかに成(な)さんと欲す。叔孫昭子曰く「安(いず)くんぞ其の速成を用いん。以て其の民を虐(しいた)ぐるは其れ可ならんか。囿無きも尚可なり、惡(いず)くんぞ嬉戯の游を聞きて其の治むる所の民を罷(つか)れしめんや」と。

衛叔孫文子問於王孫夏曰:“吾先君之廟小,吾欲更之,可乎?”對曰:“古之君子,以儉為禮;今之君子,以汰易之。夫衛國雖貧,豈無文履一奇,以易十稷之繡哉?以為非禮也。”文子乃止。

衛の叔孫文子王孫夏に問うて曰く「吾が先君の廟小なり、吾れこれを更(か)えんと欲す、可なるか」と。対えて曰く「古の君子は倹を以て礼と為し、今の君子は汰(た)を以てこれを易(か)う。夫れ衛国貧しと雖も、豈(あに)文履一奇(いっき)無くして以て十稷の繍に易えんや。以て礼に非ざると為すなり」と。文子乃ち止(や)む。

晉文公合諸侯而盟曰:“吾聞國之昏,不由聲色,必由奸利好樂,聲色者,淫也;貪奸者,惑也,夫淫惑之國,不亡必殘。自今以來,無以美妾疑妻,無以聲樂妨政,無以姦情害公,無以貨利示下。其有之者,是謂伐其根素,流於華葉;若此者,有患無憂,有寇勿弭。不如言者盟示之。”於是君子聞之曰:“文公其知道乎?其不王者猶無佐也。”

晋文公諸侯を合して盟して曰く「吾聞く、国の昏(くら)きは声色に由らずして必ず奸利好楽に由る。声色は淫なり、貪奸は惑なり。夫の淫惑の国は亡びざれば必ず残(のこ)らん。自今已来、美妾を以て妻を疑(うたが)うこと無く、声楽を以て政を妨げること無く、奸情を以て公を害すること無く、貨利を以て下に示すこと無かれ。其れこれ有る者は是れ其の根素を伐(き)りて華葉に流ると謂う。若く此の如き者は患有りて憂うること無く、寇有りて弭(や)めること勿(なか)れ。言の如からざるは盟を以てこれを示さん」と。是に於て君子これを聞きて曰く「文公其れ道を知れるか。其の王(おう)たらざるは猶お佐(たすけ)無きが如し」と。

晏子飲景公酒,日暮,公呼具火,晏子辭曰:“詩曰:‘側牟之俄。’言失德也;‘屢舞傞傞。’言失容也。‘既醉以酒,既飽以德。’‘既醉而出,並受其福。’賓主之禮也。‘醉而不出,是謂伐德。’賓主之罪也。嬰已卜其日,未卜其夜。”公曰:“善。”舉酒而祭之,再拜而出,曰:“豈過我哉?吾托國於晏子也。以其家貧善寡人,不欲淫侈也,而況與寡人謀國乎?”

晏子景公に酒を飲ます。日暮るるや公呼びて火を具(そな)えしむ。晏子辞して曰く「《詩》に曰く『側弁(そくべん)の俄(を)かなり』と、失徳を言うなり。『屡々(しばしば)舞うこと傞傞(ささ)たり』と、失容を言うなり。『既に酒を以て酔い、既に徳を以て飽く』『既に酔いて出づれば并(あわ)せて其の福を受く』は賓主の礼なり。『酔いて出でざれば是を徳を伐(そこな)うと謂う』は賓主の罪なり。嬰已(すで)に其の日を卜(うらな)えども未だ其の夜を卜(うらな)わず」と。公曰く「善し」と。酒を挙げてこれを祭り、再拝して出でて曰く「豈(あに)我に過あらんや。吾れ国を晏子に託す。其の家貧しきを以て寡人を善(よ)くし、淫侈(いんし)せざらんと欲するなり。而(し)も況(いわ)んや寡人と国を謀るをや」と。

楊王孫病且死,令其子曰:“吾死欲裸葬,以返吾真,必無易吾意。”祁侯聞之,往諫曰:“竊聞王孫令葬必裸而入地,必若所聞,愚以為不可。令死人無知則已矣,若死有知也,是戮屍於地下也,將何以見先人?愚以為不可!”王孫曰:“吾將以矯世也。夫厚葬誠無益於死者,而世以相高,靡財殫幣而腐之於地下,或乃今日入而明日出,此真與暴骸於中野何異?且夫死者終生之化,而物之歸者;歸者得至,而化者得變,是物各返其真。其真冥冥,視之無形,聽之無聲,乃合道之情。夫飾外以誇眾,厚葬以矯真,使歸者不得至,化者不得變,是使物各失其然也。且吾聞之,精神者,天之有也,形骸者,地之有也;精神離形而各歸其真,故謂之鬼。鬼之為言歸也,其屍塊然獨處,豈有知哉?厚裹之以幣帛,多送之以財寶,以奪生者財用。古聖人緣人情,不忍其親,故為之制禮;今則越之,吾是以欲裸葬以矯之也。昔堯之葬者,空木為櫝,葛藟為緘;其穿地也,下不亂泉,上不洩臭。故聖人生易尚,死易葬,不加於無用,不損於無益,謂今費財而厚葬,死者不知,生者不得用,謬哉!可謂重惑矣。”祁侯曰:“善。”遂裸葬也。

楊王孫病みて且(まさ)に死せんとす。其の子に令して曰く「吾死せば裸葬(らそう)せんと欲す。以て吾の真に返(かえ)らんと。必ず吾の意を易(か)うること無かれ」と。祁侯これを聞き、往きて諫めて曰く「窃(ひそか)に聞く、王孫葬(ほうむ)るに必ず裸にして地に入らしむと。必ず若(も)し聞く所の如くんば、愚以(おも)うに可ならざるなり。死人知無くんば則ち已(や)まん。若し死に知有らば是れ地下に尸(しかばね)を戮(りく)するなり。将に何を以て先人を見ん。愚以うに可ならず」と。王孫曰く「吾れ将に以て世を矯(た)めんとす。夫の厚葬は誠に死者に益なくして世は以て相い高(たか)し、財を靡(ほろぼ)し幣を殫(つく)してこれを地下に腐(くさ)らしむ。或いは乃ち今日入れて明日出す、此れ真に骸(むくろ)を中野に暴(さら)すと異ならんや。且つ夫の死者は終生の化にして物の帰する所なり。帰する者は至るを得、化する者は変わるを得る、是れ物各(おのおの)其の真に返るなり。其の真冥冥(めいめい)として視れば形無く聴けば声無し、乃ち道の情に合す。夫の外を飾りて以て衆に誇り、厚葬して以て真を矯(たが)うは、帰する者をして至るを得ざらしめ、化する者をして変わるを得ざらしむるなり。是れ物をして各(おのおの)其の然(しか)を失わしむるなり。且つ吾聞く、精神は天の有(も)つ所、形骸は地の有つ所なり。精神形を離れて各其の真に帰す、故にこれを鬼と謂う。鬼の為(な)るは帰を言うなり。其の尸塊然(かいぜん)として独り処(お)り、豈(あに)知有らんや。厚くこれを幣帛を以て裹(つつ)み、多くこれを財宝を以て送り、以て生者の財用を奪う。古の聖人は人情に縁(よ)り其の親を忍(しの)びず、故にこれが為に礼を制す。今は則ちこれを越(こ)ゆ。吾れ是を以て裸葬して以てこれを矯めんと欲す。昔堯の葬る者は木を空(うつ)ろにして櫃(ひつ)と為し、葛藟(かつるい)を以て緘(と)ぢると為す。其の地を穿(うが)つや、下は泉を乱らず上は臭(におい)を泄(も)らさざりき。故に聖人は生くれば尚(とうと)ぶこと易く、死せば葬ること易し。無用に加えず無益を損なわず。今財を費して厚葬するは死者知らず生者是を用うるを得ずと謂うは謬(あやま)りなり。重(かさ)ねて惑うと謂うべきなり」と。祁侯曰く「善し」と。遂に裸葬せり。

魯有儉者,瓦鬲煮食,食之而美,盛之土鈃之器,以進孔子。孔子受之,歡然而悅,如受太牢之饋。弟子曰:“瓦甂,陋器也;煮食,薄膳也。而先生何喜如此乎?”孔子曰:“吾聞好諫者思其君,食美者念其親,吾非以饌為厚也,以其食美而思我親也。”

魯に倹なる者有り、瓦鬲(がれき)に食(じ)を煮てこれを食して美(うま)しとす。土鋭(どけい)の器に盛りて以て孔子に進む。孔子これを受け、歓然として悦(よろこ)び太牢の饋(おく)りを受くるが如し。弟子曰く「瓦甂(がへん)は陋(いや)しき器、煮食は薄(うす)き膳なり。而(しか)も先生何ぞ喜ぶこと此の如き」と。孔子曰く「吾聞く、諫(いさ)めを好む者は其の君を思い、食美なる者は其の親を念(おも)う。吾れ饌(せん)の厚きを以てせず、其の食美なるを以て吾が親を思うを以てなり」と。

晏子病將死,斷楹內書焉,謂其妻曰:“楹也,語子壯而視之!”及壯發書,書之言曰:“布帛不窮,窮不可飾;牛馬不窮,窮不可服;士不可窮,窮不可任。窮乎?窮乎?窮也!”

晏子病みて将に死せんとし、楹(はしら)を断ちて書を内(い)れ、其の妻に謂うて曰く「楹なり、子に語(かた)りて壮(さかん)なりてこれを視(み)よと」と。壮に及びて書を発(ひら)く。書の言に曰く「布帛は窮(きわ)めざれ、窮むれば則ち飾るべからず。牛馬は窮めざれ、窮むれば則ち服すべからず。士は窮むべからず、窮むれば則ち任すべからず。窮むるか窮むるか、窮みなり」と。

仲尼問老聃曰:“甚矣!道之於今難行也!吾比執道委質以當世之君,而不我受也。道之於今難行也。”老子曰:“夫說者流於聽,言者亂於辭,如此二者,則道不可委矣。”

仲尼老聃に問うて曰く「甚(はなは)だし、道の今に於ける行い難きかな。吾れ比(このごろ)道を執り委質(いしつ)して当世の君に当たるも我を受けざるなり。道の今に於ける行い難きかな」と。老子曰く「夫の説く者は聴きに流れ、言う者は辞に乱る。此の二つの如くんば則ち道は委(ゆだ)ぬべからざるなり」と。

子貢問子石:“子不學詩乎?”子石曰:“吾暇乎哉?父母求吾孝,兄弟求吾悌,朋友求吾信。吾暇乎哉?”子貢曰:“請投吾詩,以學於子。”

子貢子石に問う「子《詩》を学ばざるか」と。子石曰く「吾れ暇(いとま)有らんや。父母は吾に孝を求め、兄弟は吾に悌を求め、朋友は吾に信を求む。吾れ暇有らんや」と。子貢曰く「請う、吾が《詩》を投(な)げて子に学ばん」と。

公明宣學於曾子,三年不讀書。曾子曰:“宣,而居參之門,三年不學,何也?”公明宣曰:“安敢不學?宣見夫子居宮庭,親在,叱吒之聲未嘗至於犬馬,宣說之,學而未能;宣見夫子之應賓客,恭儉而不懈惰,宣說之,學而未能;宣見夫子之居朝廷,嚴臨下而不毀傷,宣說之,學而未能。宣說此三者學而未能,宣安敢不學而居夫子之門乎?”曾子避席謝之曰:“參不及宣,其學而已。”

公明宣曾子に学び、三年書を読まず。曾子曰く「宣(せん)、而(なんじ)参(しん)の門に居(お)りて三年学ばざるは何ぞや」と。公明宣曰く「安(いず)くんぞ敢えて学ばざらん。宣夫子の宮庭に居りて親在りて叱咤(しった)の声未だ嘗て犬馬に至らざるを見る。宣これを説(よろこ)びて学べども未だ能(よ)くせず。宣夫子の賓客に応ずるを見るに恭倹にして懈惰(かいだ)せず。宣これを説びて学べども未だ能くせず。宣夫子の朝廷に居りて下に臨むに厳(げん)にして毀傷(きしょう)せざるを見る。宣これを説びて学べども未だ能くせず。宣此の三者を説びて学べども未だ能くせざれば、宣安くんぞ敢えて学ばずして夫子の門に居らん」と。曾子席を避(さ)けてこれに謝して曰く「参は宣に及ばず、其の学のみ」と。

魯人身善織屨,妻善織縞,而徙于越。或謂之曰:“子必窮!”魯人曰:“何也?”曰:“屨為履,縞為冠也,而越人徒跣剪髮,遊不用之國,欲無窮得乎?”

魯人身(み)屨(くつ)を織るに善(よ)く、妻縞(ぬのぎぬ)を織るに善くして越に徙(うつ)らんとす。或(ある)人これに謂うて曰く「子必ず窮(きわ)まらん」と。魯人曰く「何なれば」と。曰く「屨は履(は)く為、縞は冠(かむ)る為なり。而(しか)も越人徒跣(とせん)し髪を剪(き)り、用いざるの国に游(ゆ)きて窮まらざらんと欲して得られんや」と。

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