近思录
欽定四庫全書 子部一
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
欽定四庫全書子部一
欽定四庫全書 子部一
近思錄儒家類
近思録 儒家類
提要
提要
【臣】等謹案近思錄十四卷宋朱子與呂祖謙所共輯蓋周張二程之書宏深奧衍承學之士莫由得其涯涘朱子慮其不知所擇因與祖謙分類緝纂以成是書獨取太極圖説易通西銘正蒙經學理窟二程遺書易傳而於邵子之書則從姑舍蓋其慎也書以近思名蓋取切問近思之義俾學者致力於日用之實而不使騖於髙逺論者謂為五經之階梯信不誣歟宋明諸儒若何氏基薛氏瑄羅氏欽順莫不服膺是書其後因有續而廣之者亦堪輔翼而權輿之精無過是編雲乾隆四十六年十一月恭校上
【臣】ら謹んで案ずるに、『近思録』十四巻は、宋の朱子と呂祖謙がともに編纂したものである。周敦頤・張載・二程の書は宏大奥深で、後学はその涯際を得ることができない。朱子は学者がどう取捨選択すべきかを知らないことを憂え、呂祖謙とともに類別して編み集め、この書を成した。取ったのは『太極図説』『易通』『西銘』『正蒙』『経学理窟』『二程遺書』『易伝』だけで、邵雍の書についてはしばらく置いた。これで彼の慎重さがわかる。書が「近思」という名を取るのは、「切問近思」(切実に問い近くを思う)の義を取ったもので、学者に日用の切実なところに力を尽くさせ、高遠に馳せ騖れさせないためである。論者はこれを五経への階梯と言うが、まことに偽りではない。宋明の諸儒、何基・薛瑄・羅欽順のごときは、みなこの書を信服しない者はなかった。後にそれを継いで広めたものも、翼佐するに足るが、権輿(始まりの書)としての精要さでは、この一編に超えるものはない。乾隆四十六年十一月、恭しく校して上る。
總纂官【臣】紀昀【臣】陸錫熊【臣】孫士毅
総纂官【臣】紀昀【臣】陸錫熊【臣】孫士毅
總校官【臣】陸費墀
総校官【臣】陸費墀
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思録卷一宋朱子呂祖謙同編
近思録 巻一 宋 朱子・呂祖謙 同編
葉採集解
葉采 集解
道體【凡五十一條】
道体【凡そ五十一条】
此卷論性之本原道之體統蓋學問之綱領也
この巻は性の本原と、道(儒家のいう本原および当然の道であって、「規律」という語では代替できない)の体統とを論じ、学問の綱領である。
廉溪先生曰無極而太極【朱子曰上天之載無聲無臭而實造化之樞紐品彚之根柢也故曰無極而太極非太極之外復有無極也○蔡節齋曰朱子曰太極者象數未形而其理巳具之稱又曰未有天地之先畢竟是先有此理又曰無極者只是説這道理當初元無一物只是有此理而巳此個道理便防動而生陽靜而生隂詳此三條皆是主太極而為言也又曰從隂陽處看則所謂太極者便只是在隂陽裡面今人說隂陽上面別有一個無形無影底是太極非也又曰太極只是天地萬物之理在天地則天地中有太極在萬物則萬物中有太極又曰非有以離乎隂陽即隂陽而指其本體詳此三條皆是主隂陽而為言也故主太極而言則太極在隂陽之先主隂陽而言則太極在隂陽之內蓋自隂陽未生而言則所謂太極者必當先有自隂陽既生而言則所謂太極者即在乎隂陽之中也謂隂陽之外別有太極常為隂陽主者固為陷乎列子不生不化之謬而獨執夫太極只在隂陽之中之說者則又失其樞紐根柢之所為而大本有所不識矣○愚按節齋先生此條所論最為明備而或者於隂陽未生之說有疑焉若以循環言之則隂前是陽陽前又是隂似不可以未生言若截自一陽初動處萬物未生時言之則隂陽未動之時謂之隂陽未生亦可也未生陽而陽之理已具未生隂而隂之理已具在人心則為喜怒哀樂未發之中總名曰太極然具於隂陽之先而流行隂陽之內一太極而已】太極動而生陽動極而靜靜而生隂靜極復動一動一靜亙為其根分隂分陽兩儀立焉【朱子曰太極之有動靜是天命之流行也所謂一隂一陽之謂道誠者聖人之本物之終始而命之道也其動也誠之通也繼之者善萬物之所資以始也其靜也誠之復也成之者性萬物各正其性命也動極而靜靜極復動一動一靜互為其根命之所以流行而不已也動而生陽靜而生隂分隂分陽兩儀立焉分之所以一定而不移也蓋太極者本然之妙也動靜者所乘之機也太極形而上之道也隂陽形而下之器也是以自其著者而觀之則動靜不同時隂陽不同位而太極無不在焉自其微者而觀之則沖漠無眹而動靜隂陽之理已悉具於其中矣雖然推之於前而不見其始之合引之於後而不見其終之離也故程子曰動靜無端隂陽無始非知道者孰能識之○愚謂動而生陽動極而靜靜而生隂靜極復動者言太極流行之妙相推於無窮也一動一靜互為其根分隂分陽兩儀立焉者言二氣對待之體一定而不易也邵子曰用起天地先體立天地後是也然詳而分之則動而生陽靜而生隂者是流行之中定分未嘗亂也一動一靜互為其根者是對待之中妙用實相流通也】陽變隂合而生水火木金土五氣順布四時行焉【朱子曰有太極則一動一靜而兩儀分有隂陽則一變一合而五行具然五行者質具於地而氣行於天者也以質而語其生之序則曰水火木金土而水木陽也火金隂也以氣而語其行之序則曰木火土金水而木火陽也金水隂也或曰陽何以言變隂何以言合曰陽動而隂隨之故云變合○愚謂水火木金土者隂陽生五行之序也木火土金水者五行自相生之序也曰五行之生與五行之相生其序不同何也曰五行之生也蓋二氣之交變合而各成天一生水地二生火天三生木地四生金天五生土所謂陽變隂合而生水火木金土是也五行之相生也蓋一氣之推循環相因木生火火生土土生金金生水水復生木所謂五氣順布四時行焉是也曰其所以有是二端何也曰二氣變合而生者原於對待之體也一氣循環而生者本於流行之用也】五行一隂陽也隂陽一太極也太極本無極也【朱子曰五行具則造化發育之具無不備矣故又即此而推本之以明其渾然一體莫非無極之妙而無極之妙亦未嘗不各具於一物之中焉蓋五行異質四時異氣而皆不能外乎隂陽五殊二實無餘欠也隂陽異位動靜異時而皆不能離乎太極精粗本末無彼此也至於所以為太極者又無聲臭之可言也○愚按此圖即繫辭傳易有太極是生兩儀兩儀生四象之義而推明之也但易以卦爻言圖以造化言卦爻固所以擬造化也】五行之生也各一其性【張南軒曰五行生質雖有不同然太極之理未嘗不存也五行各一其性則為仁義禮智信之理而五行各専其一】無極之真二五之精妙合而凝乾道成男坤道成女二氣交感化生萬物萬物生生而變化無窮焉【朱子曰真以理言無妄之謂也精以氣言不二之名也妙合者無極二五本混融而無間也凝者聚也氣聚而成形也蓋性為之主而隂陽五行為之經緯錯綜又各以類凝聚而成形焉陽而健者成男則父之道也隂而順者成女則母之道也是人物之始以氣化而生者也氣聚成形則形交氣感遂以形化而人物生生變化無窮矣自男女而觀之則男女各一其性而男女一太極也自萬物而觀之則萬物各一其性而萬物一太極也蓋合而言之萬物統體一太極也分而言之一物各具一大極也○愚按繫辭天地絪縕萬物化醇氣化也男女搆精萬物化生形化也圖説蓋本諸此】惟人也得其秀而最靈形既生矣神發知矣五性感動而善惡分萬事出矣【朱子曰此言眾人具動靜之理而常失之於動也蓋人物之生莫不有太極之道焉然隂陽五行氣質交運而人之所稟獨得其秀故其心為最靈而有以不失其性之全所謂天地之心而人之極也然形生於隂神發於陽五常之性感物而動而陽善隂惡又以類分而五性之殊散為萬事蓋二氣五行化生萬物其在人者又如此也】聖人定之以中正仁義【本注云聖人之道仁義中正而已矣】而主靜【本注云無慾故靜】立人極焉故聖人與天地合其徳日月合其明四時合其序鬼神合其吉凶【朱子曰此言聖人全動靜之徳而常本之於靜也蓋人稟隂陽五行之秀氣以生而聖人之生又得其秀之秀者是以其行之也中其處之也正其發之也仁其裁之也義蓋一動一靜莫不有以全夫太極之道而無所虧焉則向之所謂欲動情勝利害相攻者於此乎定矣然靜者誠之復而性之真也苟非此心寂然無慾而靜則亦何以酬酢事物之變而一天下之動哉故聖人中正仁義動靜周流而其動也必主乎靜此其所以成位乎中而天地日月四時鬼神有所不能違也蓋必體立而後用有以行若程子論乾坤動靜而曰不専一則不能直遂不翕聚則不能發防亦此意耳○李果齋曰五性感動而善惡分是五性皆有動有靜也惟聖人能定其性而主於靜故動罔不善而人心之太極立焉蓋人生而靜性之本體湛然無慾斯能主靜此立極之要領也○或問周子不言禮智而言中正何也愚謂此圖辭義悉出於易易本隂陽而推之人事其徳曰仁義其用曰中正要不越隂陽之兩端而已仁義而非中正則仁為姑息義為忍刻之類故易尤重中正】君子修之吉小人悖之兇【朱子曰聖人太極之全體一動一靜無適而非中正仁義之極蓋不假修為而自然也未至此而修之君子之所以吉也不知此而悖之小人之所以兇也修之悖之亦在乎敬肆之間而已矣敬則欲寡而理明寡之又寡以至於無則靜虛動直而聖可學矣】故曰立天之道曰隂與陽立地之道曰柔與剛立人之道曰仁與義又曰原始反終故知死生之說【朱子曰隂陽成象天道之所以立也剛柔成質地道之所以立也仁義成徳人道之所以立也道一而巳隨事著見故有三才之別而於其中又各有體用之分焉其實則一太極也陽也剛也仁也物之始也隂也柔也義也物之終也能原其始而知所以生則反其終而知所以死矣此天地之間綱紀造化流行古今不言之妙聖人作易之大意蓋不出此故引之以證其說○愚謂一隂一陽之謂道道即太極也在天以氣言曰隂陽在地以形言曰柔剛在人以徳言曰仁義此太極之體所以立也死生者物之終始也知死生之説則盡二氣流行之妙矣此太極之用所以行也凡此二端發明太極之全體大用故引以結證一圖之義】大哉易也斯其至矣【蔡節齋曰易有太極易變易也夫子所謂無體之易也太極至極也言變易無體而有至極之理也故周子太極圖説特以無極而太極發明易有太極之義其所謂無極而太極者蓋亦言其無體之易而有至極之理也是其無極之真實有得於夫子易之一言而或以為周子妄加者繆也且其圖説無非取於易者而其篇末又以大哉易也結之聖賢之言斷可識矣】
濂渓先生(周敦頤)は言う。「無極(形も臭いもなく、形迹も極限もない)にして太極(理の極致、造化の中枢)。【朱熹は言う。上天の運化には声もなく臭いもないが、実に造化の中枢であり、品彙の根柢である。だから「無極にして太極」と言うのであって、太極のほかに別に無極があるのではない。○蔡模(節斎)は言う。朱熹はかつて、太極とは象数がまだ形を成さないうちにその理がすでに備わっている名だと言い、また天地がまだない先に、畢竟この理が先にあると言い、また無極とはただこの理がもとより一物もなく、この理だけがあるということで、この理がすなわち動して陽を生じ、静して陰を生ずるのだと言った(底本は「便防動」とするが、「防」は「会」の誤り)。よく見るとこの三条はみな太極そのものについて言っている。朱熹はまた、陰陽の側から見れば、いわゆる太極はただ陰陽のうちにあるのであって、今人は陰陽の上に別に形も影もないものがあってそれが太極だと言うが、そうではないと言い、また太極はただ天地万物の理であって、天地にあれば天地のうちに太極があり、万物にあれば万物のうちに太極があると言い、またある物が陰陽を離れてあるのではなく、ただ陰陽に就いてその本体を指し示したのだと言った。よく見るとこの三条はみな陰陽について言っている。だから太極に就いて言えば、太極は陰陽の先にあり、陰陽に就いて言えば、太極は陰陽のうちにある。陰陽がいまだ生ぜずという面から言えば、いわゆる太極は必ず先にあるべきもので、陰陽がすでに生じたという面から言えば、いわゆる太極は陰陽のうちにある。陰陽のほかに別に太極があって常に陰陽の主宰をなすと言うのは、たしかに『列子』の「不生不化」の謬りに陥るが、「太極はただ陰陽のうちにある」という一説だけに固執する者は、また中枢・根柢の働きを失い、大本を知らないことになる。○葉采按:節斎先生のこの一条の論は最も明白で完備しているが、「陰陽未生」の説に疑いを持つ者がある。もし循環に従って言えば、陰の前は陽であり、陽の前はまた陰であって、「未生」と言うことはできないように思われる。もし一陽が初めて動き万物がまだ生じない時を切り取って言うなら、陰陽がいまだ発動しない時を陰陽未生と称してもよい。いまだ陽を生ぜずして陽の理はすでに備わり、いまだ陰を生ぜずして陰の理はすでに備わっている。人心においては喜怒哀楽の未発の中がそれで、総じて太極と名づける。しかしそれは陰陽の先に備わり、陰陽のうちに流行するのであって、ただ一つの太極にすぎない。】太極は動して陽を生じ、動が極まれば静となり、静して陰を生じ、静が極まればまた動く。一動一静、互いにその根となる(底本は「亘為其根」とするが、「亘」は「互」の誤り)。陰と陽が分かれて、両儀が立つ。【朱熹は言う。太極に動静があるのは天命の流行である。いわゆる「一陰一陽のこれを道と謂う」——誠は聖人の本であり、物の終始であり、命の道である。その動くは誠の通達であり、「これを継ぐ者は善」、万物はこれによって始まる。その静かなるは誠の復帰であり、「これを成す者は性」、万物はそれぞれ性命を正しくする。動極まりて静、静極まりて復た動き、一動一静が互いにその根となる——これが命の流行して止まない所以である。動して陽を生じ静して陰を生じ、陰を分かち陽を分かち両儀立つ——これが分の一定して移らない所以である。太極は本然の妙であり、動静はそれが乗ずる機である。太極は形而上の道、陰陽は形而下の器である。だから顕著なところから見れば、動静は時を同じくせず、陰陽は位を同じくせず、しかし太極は至るところにある。隠微なところから見れば、沖漠として形迹がないのに、動静陰陽の理はすでにそのうちに全く具わっている。しかしながら、前に推してもその始まるときの合併を見ず、後ろに引いてもその終わるときの分離を見ない。だから程子は言う。動静に端緒なく、陰陽に始めなし。道を知る者でなければ、誰がこれを識ることができよう。○葉采按:「動して陽を生じ、動極まりて静、静して陰を生じ、静極まりて復た動く」とは、太極の流行の妙が互いに推し進んで窮まりないことを言う。「一動一静互いにその根となり、陰を分かち陽を分かち両儀立つ」とは、二気の対待の体が一定して改易しないことを言う。邵雍は「用は天地の先に起こり、体は天地の後に立つ」と言ったが、この意味である。しかしよく分けて言えば、「動して陽を生じ静して陰を生ず」は、流行のうちにあって定分いまだ乱れず、「一動一静互いにその根となる」は、対待のうちにあって妙用まさに互いに流通しているのである。】陽は変化し陰は配合し、水・火・木・金・土を生ず。五気が順に布列して、四時が運行する。【朱熹は言う。太極があれば、一動一静して両儀が分かれ、陰陽があれば、一変一合して五行が備わる。しかし五行は、質が地に具わり気が天に行われる。質に就いてその生成の次序を言えば、水・火・木・金・土であって、水・木は陽に属し、火・金は陰に属す。気に就いてその運行の次序を言えば、木・火・土・金・水であって、木・火は陽に属し、金・水は陰に属す。問う——陽はなぜ「変」と言い、陰はなぜ「合」と言うのか。答える——陽が動いて陰がそれに従うので、変合と言う。○葉采按:水火木金土は、陰陽が五行を生ずる次序であり、木火土金水は、五行が自ら相生する次序である。問う——五行の生と五行の相生は、なぜ次序が異なるのか。答える——五行の生は、二気が交接し変合してそれぞれ成すもので、天一は水を生じ、地二は火を生じ、天三は木を生じ、地四は金を生じ、天五は土を生ず。いわゆる「陽変じ陰合して水火木金土を生ず」とはこれである。五行の相生は、一気が推移して循環相因するもので、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水はまた木を生ず。いわゆる「五気順に布して四時行わる」とはこれである。問う——この二端がある所以は何か。答える——二気が変合して生ずるは、対待の体に源を発し、一気が循環して生ずるは、流行の用に本づく。】五行はすなわち一陰一陽であり、陰陽はすなわち一太極であり、太極は無極に本づく。【朱熹は言う。五行が備われば、造化発育の器具に備わらぬものはない。だからまたこれに就いて本を推して、その渾然一体たるを表明するのであって、無極の妙でないものはなく、無極の妙もまたそれぞれ一物のうちに具わらないことはない。五行は質地が同じでなく、四時は気候が同じでないが、いずれも陰陽の外に出ることはできず、五様の殊異も二様の実質も、余ることも欠けることもない。陰陽は位が同じでなく、動静は時が同じでないが、いずれも太極を離れることはできず、精粗本末に彼此の分別はない。いわゆる太極たるそのものに至っては、また声も臭いも言うべきものがない。○葉采按:この図はすなわち『周易・繋辞伝』の「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生ず」の義を推し明かしたものである。ただ『易』は卦爻に就いて言い、図は造化に就いて言う。卦爻はもとより造化を比擬するためのものである。】五行の生成は、それぞれ専ら一つの性を有す。【張栻(南軒)は言う。五行の生質は同じでなくとも、太極の理はいまだ曾て存しないことはない。五行が各々一性を専らにするとは、仁(人心の生理であって、「仁愛」という語では代替できない)・義(事の宜しき、心の裁制)・礼・智・信の理であって、五行がそれぞれその一項を専らに守るのである。】無極の真、二気五行の精が、妙に合して凝聚する。乾道は男を成し、坤道は女を成す。二気が交感して、万物を化生す。万物は生々して、変化窮まりなし。【朱熹は言う。「真」は理に就いて言えば虚妄なきの意であり、「精」は気に就いて言えば不二の名である。「妙合」とは無極と二気五行とがもとより混融して間隔がないことを言い、「凝」はすなわち聚で、気が聚まって形を成す。性が主となり、陰陽五行が経緯錯綜となり、またそれぞれ類に従って凝聚して形を成す。陽にして健なるは男を成し、これすなわち父の道、陰にして順なるは女を成し、これすなわち母の道。これが人物の始めで、気化によって生ずる。気が聚まって形を成した後は、形あい交わり気あい感じ、ここにおいて形化によって、人物は生々して変化窮まりない。男女から見れば、男女はそれぞれ一性を有して、男女は一つの太極であり、万物から見れば、万物はそれぞれ一性を有して、万物は一つの太極である。合わせて言えば、万物の統体は一つの太極であり、分けて言えば、一物一物がそれぞれ一つの太極を具えている。○葉采按:『繋辞』の「天地絪縕し、万物化醇す」は気化であり、「男女精を構え、万物化生す」は形化である。『太極図説』はおおよそこれに本づく。】ただ人のみがその秀気を得て最も霊である。形すでに生じ、神が知觉を発し、五性が物に感じて動けば、善悪が分かれ、万事が出る。【朱熹は言う。これは衆人が動静の理を具えながら、常に動において失うことを言う。人物の生には、太極の道を具えないものはない。しかし陰陽五行の気質が交錯して運行するうち、人の禀受は独りその秀なるを得るので、その心が最も霊である。よって性の全体を失わずにいることができる——これがいわゆる天地の心であり、人の極である。しかし形は陰に生じ、神は陽に発し、五常の性が物に感じて動けば、陽善陰悪がまた類に従って分かれ、五性の殊異が万事に散ず。二気五行が万物を化生すること、人身においてもまたこのようである。】聖人は中・正・仁・義をもってこれを定め【本文原注:聖人の道は仁義中正のみ】、静を主として【本文原注:私欲なければ、よって静なり】、人極を立てる。だから聖人は天地とその徳を合わせ、日月とその明を合わせ、四時とその序を合わせ、鬼神とその吉凶を合わせる。【朱熹は言う。これは聖人が動静の徳を保全して、常に静をもって本とすることを言う。人は陰陽五行の秀気を禀けて生まれ、聖人の生はまた秀中の秀を得るので、その行事の中にあって、事に処するは正であり、発するは仁であり、裁制するは義である。一動一静、太極の道を保全して欠けたることのないのである。ここにおいて先にいう欲動情勝・利害相攻なるものが、ここに定まる。静は誠の復帰であり、性の真である。もしこの心が寂然として欲なく静でなければ、何をもって事物の変化に応じ、天下の動を統一することができよう。だから聖人は中正仁義、動静周流して、その動は必ず静を主とする。これがその中に位を成す所以であり、天地・日月・四時・鬼神も違背し得ない所以である。必ず体が立って後、用がよく行われる。程子が乾坤の動静を論じて「専一せざれば直遂すること能わず、翕聚せざれば発散すること能わず」と言うのも(底本は「発防」とするが、「防」は「散」の誤り)、この意味である。○李方子(果斎)は言う。「五性感動して善悪分かつ」とは、五性に皆動静があることである。ただ聖人のみがその性を定めて静を主とすることができるので、動に不善なく、人心の太極が立つのである。人生まれて静、性の本体は湛然として私欲なく、こうしてはじめて静を主とすることができる——これが極を立てる要領である。○問う——周子は礼・智を言わず中・正を言うのはなぜか。葉采按:この図の辞義はみな『易』に出る。『易』は陰陽に本づいて人事に推し、その徳を仁義と言い、その用を中正と言う。総じて陰陽の二端を出ないだけである。仁義もし中正がなければ、仁は姑息となり、義は忍刻の類となる。だから『易』はことさら中正を重んずる。】君子はこれを修めて吉となり、小人はこれに悖って凶となる。【朱熹は言う。聖人は太極の全体であって、一動一静、中正仁義の極でないところなく、修为によらずして自然にそうなる。この歩みに至らずして修めるは、君子の吉たる所以であり、これを知らずして悖るは、小人の凶たる所以である。修と悖もまた、敬と肆のあいだにあるだけである。敬すれば欲望少なくして理明らかで、少なくまた少なくして無に至れば、静には虚、動には直となり、聖は学んで至れるものである。】だから言う——天の道を立てるを陰と陽と言い、地の道を立てるを柔と剛と言い、人の道を立てるを仁と義と言う。また言う——始めを推原し、終わりを反観すれば、死生の説を知る。【朱熹は言う。陰陽が象を成せば天道が立つ所以であり、柔剛が質を成せば地道が立つ所以であり、仁義が徳を成せば人道が立つ所以である。道はただ一つで、事に随って顕れ、だから三才の分別があり、そのうちにまたそれぞれ体用の区別がある。その実はただ一つの太極である。陽・剛・仁は物の始めであり、陰・柔・義は物の終わりである。その始めを推原して生ずる所以を知ることができれば、その終わりを反観して死ぬ所以を知ることができる。これが天地のあいだにあって造化を綱紀し、古今に流行して、言い出さずとも妙なるところである。聖人が『易』を作った大意はおおよそこれを出ないので、引いてその説を証する。○葉采按:「一陰一陽のこれを道と謂う」——道はすなわち太極である。天においては気に就いて陰陽と言い、地においては形に就いて柔剛と言い、人においては徳に就いて仁義と言う——これが太極の体の立つ所以である。死生は物の終始であり、死生の説を知れば二気流行の妙を尽くす——これが太極の用の行われる所以である。この二端は太極の全体大用を発明するので、引いて一図の義を結証する。】大いなるかな、『易』!これがその極である。【蔡模(節斎)は言う。「易に太極あり」——易は変易であり、すなわち夫子のいう定まる形体なき易であり、太極は至極である。これは変易に形体はないが、至極の理があることを言う。だから周子の『太極図説』はことさら「無極にして太極」をもって「易に太極あり」の義を発明した。そのいう「無極にして太極」とは、おおよそその形体なき易に至極の理があると言うのである。こう見ると、その「無極」の真は、実に夫子の「易」という一言に得たものであって、ある人が周子が妄りに添加したとするのは誤りである。そもそも図説は『易』に取らないものはなく、篇末にまた「大いなるかな易」ともって結びとする。聖賢の言は断じて識ることができる。】」
誠無為【朱子曰實理自然何為之有即太極也】幾善惡【朱子曰幾者動之微善惡之所由分也蓋動於人心之微則天理固當發見而人慾亦已萌乎其間矣此隂陽之象也】徳愛曰仁宜曰義理曰禮通曰智守曰信【朱子曰道之得於心者謂之徳其別有是五者之用而因以名其體焉即五行之性也】性焉安焉之謂聖【朱子曰性者獨得於天安者本全於巳聖者大而化之之稱此不待學問勉強而誠無不立幾無不明徳無不備者也】復焉執焉之謂賢【朱子曰復者反而至之執者保而持之賢者才徳過人之稱此思誠研幾以誠其徳而有以守之者也】發微不可見充周不可窮之謂神【通書○朱子曰發之微妙而不可見充之周遍而不可窮則聖人之妙用而不可知者也○愚謂性焉復焉以誠而言也安焉執焉以幾而言也發微充周則幾之動而神也即通書次章誠幾神之義】
「誠(実理が自然なのであって、「誠実」という語では代替できない)は無為。【朱熹は言う。実理が自然なのであって、何の作為があろう。これすなわち太極である。】幾は善悪【朱熹は言う。幾は動の隠微なところで、善悪はこれより分かれる。人心の隠微に動けば、天理はもとより発見すべきであり、人欲もまたすでにそのあいだに萌発している。これは陰陽の象である。】徳は——愛を仁と言い、宜を義と言い、理を礼と言い、通を智と言い、守を信と言う【朱熹は言う。道が心に得たるを徳と言い、それがこの五者の用に分かれるので、用いてその体を称する。すなわち五行の性である。】これを性としこれを安んずるを、聖と言う【朱熹は言う。性は独り天に得たるもの、安はもとより己に全きもの。聖は大にして化するの名である。これは学問を待たず勉強せずとも、誠の立たざるなく、幾の明らかならざるなく、徳の備わらざるなきものである。】これを復しこれを執るを、賢と言う【朱熹は言う。復は返りて至ること、執は保ちて持すること。賢は才徳が人に過ぎるの名である。これは誠を思い幾を研ぎてその徳を成し、もって守るところあるものである。】発すること隠微にして見るべからず、充てること周遍にして窮むべからず、これを神と言う【『通書』に出る。○朱熹は言う。発するの微妙にして見るべからず、充てるの周遍にして窮むべからずは、すなわち聖人の妙用にして測知すべからざるものである。○葉采按:「性焉」「復焉」は誠に就いて言い、「安焉」「執焉」は幾に就いて言う。微を発し周に充つるは、すなわち幾の動きて神なり。『通書』の次章「誠・幾・神」の義である。】」
伊川先生曰喜怒哀樂之未發謂之中中也者言寂然不動者也故曰天下之大本發而皆中節謂之和和也者言感而遂通者也故曰天下之逹道【文集下同說見中庸○朱子曰喜怒哀樂情也其未發則性也無所偏倚故謂之中發而皆中節情之正也無所乖戾故謂之和大木者天命之性天下之理皆由此出道之體也逹道者循性之謂天下古今之所共由道之用也】
伊川先生(程頤)は言う。「喜怒哀楽がいまだ発せざるを、中と言う。中とは、寂然として動かざるを言い、よって天下の大本と言う。発して皆中節するを、和と言う。和とは、感じて遂に通ずるを言い、よって天下の達道と言う。【『文集』に出る、以下同じ。説は『中庸』に見る。○朱熹は言う。喜怒哀楽は情であり、それが未発なれば性であって、偏倚する所がないので中と言う。発して皆中節するは情の正であって、乖戻する所がないので和と言う。大本(底本は「大木」とするが、「大本」の誤り)は天命の性であって、天下の理はみなこれより出る。これは道の体である。達道は性に循うの謂で、天下古今の共に由るところである。これは道の用である。】」
心一也有指體而言者【本注云寂然不動是也】有指用而言者【本注云感而遂通天下之故是也】惟觀其所見如何耳
程頤は言う。「心は一つである。体に就いて言うものがあり【本文原注:すなわち「寂然として動かず」】、用に就いて言うものがあり【本文原注:すなわち「感じて遂に通ず天下之故」】、ただその見る所がいかなるかを見るだけである。」
幹天也天者幹之形體幹者天之性情幹健也健而無息之謂幹【朱子曰性情二者常相參有性便有情有情便有性火之性情則是熱水之性情則是寒天之性情則是健健之體為性健之用是情惟其健所以不息】夫天専言之則道也天且弗違是也分而言之則以形體謂之天以主宰謂之帝以功用為之鬼神以妙用謂之神以性情為之幹【易傳下同○道者天理當然之路専言天者即道也分而言之指其形體髙大而無涯則謂之天指其主宰運用而有定則謂之帝天所以主宰萬化者理而已功用造化之有跡者如日月之徃來萬物之屈伸是也往者為鬼來者為神屈者為鬼而伸者為神也妙用造化之無跡者如運用而無方變化而莫測是也○朱子曰功用言其氣也妙用言其理也功用兼精粗而言妙用言其精者○黃勉齋曰合而言之言鬼神則神在其中矣柝而言之則鬼神者其粗跡神者其妙用也○伊川言鬼神者造化之跡此以功用言也○橫渠言神二氣之良能此合妙用而言也】
程頤は言う。「乾(底本は「干」とするが、乾坤の「乾」と読むべき)はすなわち天である。天は乾の形体であり、乾は天の性情である。乾はすなわち健であり、健にして止息なきを乾と言う。【朱熹は言う。性情の二者は常に互いに参与し、性あれば情があり、情あれば性がある。火の性情はすなわち熱、水の性情はすなわち寒、天の性情はすなわち健。健の体は性、健の用は情。まさに健なるがゆえに、息まない。】天は、専らこれに就いて言えば道である。「天尚且違わず」がそれである。分かちて言えば、形体に就いては天と言い、主宰に就いては帝と言い、功用に就いては鬼神と言い、妙用に就いては神と言い、性情に就いては乾と言う。【『易伝』に出る、以下同じ。○道は天理の当然の路である。専ら天と言えば、すなわち道。分かちて言えば、その形体の高大にして辺際なきを指して天と言い、その主宰運用して定則あるを指して帝と言う。天の万化を主宰する所以は、ただ理である。功用は造化の形迹あるもので、日月の往来、万物の屈伸のごとき。往くは鬼、来るは神、屈するは鬼、伸するは神。妙用は造化の形迹なきもので、運用して定方なく、変化して測るべからざるがごとき。○朱熹は言う。功用はその気を言い、妙用はその理を言う。功用は精粗を兼ねて言い、妙用はただその中の精を言う。○黄榦(勉斎)は言う。合わせて鬼神と言えば、神はすでにそのうちにある。分かちて言えば、鬼神は粗迹であり、神は妙用である。○伊川は「鬼神は造化の迹」と言う。これは功用に就いて言う。○横渠は「鬼神は二気の良能」と言う(底本の「鬼」字は生僻字で、転写後に脱落)。これは妙用を合わせて言う。】」
四徳之元猶五常之仁偏言則一事専言則包四者【乾卦彖傳在天為四徳元亨利貞也在人為五常仁義禮智信也分而言之在元者四徳之一仁者五常之一專言元則亨利貞在其中専言仁則禮義智信在其中蓋元者天地之生理也亨者生理之逹利者生理之遂貞者生理之正也仁者人心之生理也禮者仁之節文義者仁之裁製智者仁之明辨信者仁之真實也○朱子曰仁之一事所以包四者不可離其一事而別求兼四者之仁又曰仁是生底意思通貫周流於四者之中須得辭遜斷制是非三者方成得仁之事】
程頤は言う。「四徳の中の元は、五常の中の仁に譬える。偏りて言えば一事であり、専らに言えばその余の四者を包んでいる。【『乾卦・彖伝』——天に在っては四徳、元・亨・利・貞、人に在っては五常、仁・義・礼・智・信。分かちて言えば、元は四徳の一つ、仁は五常の一つ。専ら元と言えば亨・利・貞がその中にあり、専ら仁と言えば礼・義・智・信がその中にある。元は天地の生理、亨は生理の通達、利は生理の遂成、貞は生理の正固。仁は人心の生理、礼は仁の節文、義は仁の裁制、智は仁の明辨、信は仁の真実。○朱熹は言う。仁が一事として四者を包むことができるのは、この一事を離れて別に四者を兼包する仁を求めるべきではない。また言う——仁は生の意で、四者の中を貫通して周流する。辞遜・断制・是非の三者を得てこそ、仁の事が成る。】」
天所賦為命物所受為性【朱子曰命猶誥敕性猶職任天以此理命於人人稟受此理則謂之性】
程頤は言う。「天の賦する所を命と言い、物の受ける所を性と言う。【朱熹は言う。命は誥敕に譬え、性は職任に譬える。天がこの理を以て人に命ずれば、人がこの理を禀受するを性と言う。】」
鬼神者造化之跡也
程頤は言う。「鬼神は、造化の形迹である。」
剝之為卦諸陽消剝已盡獨有上九一爻尚存如碩大之果不見食將有復生之理上九亦變則純隂矣然陽無可盡之理變於上則生於下無間可容息也聖人發明此理以見陽與君子之道不可亡也或曰剝盡則為純坤豈復有陽乎曰以卦配月則坤當十月以氣消息言則陽剝為坤陽來為復陽未嘗盡也剝盡於上則復生於下矣【一氣無頓消亦無頓息以卦配月積三十日而成一月亦積三十分而成一爻九月中於卦為剝陽未剝盡猶有上九一爻剝三十分至十月中陽氣消盡而為純坤然陽才盡於上則已萌於下積三十分至十一月中然後陽氣應於地上而成復之一爻也蓋隂陽二氣語其流行則一氣耳息則為陽消則為隂消之終即息之始不容有間斷】故十月謂之陽月恐疑其無陽也隂亦然聖人不言耳【十月於卦為坤恐人疑其無陽故特謂之陽月所以見陽氣已萌也隂於四月純幹之時亦然隂之類為小人故聖人不言耳】
程頤は言う。「剥(はく)の卦は、諸陽が消剥して尽き、ただ上九の一爻だけがまだ在る。大きな果実が食べられなかったように、復生の理があろうとする。上九もまた変ずれば、純陰となる。しかし陽には尽きるべき理がない。上に変ずれば下に生じ、一息を容れる間隙もない。聖人がこの理を発明したのは、陽と君子の道は滅亡すべからずを見せるためである。問う——剥が尽きれば純坤となる、どこにまだ陽があるのか。答える——卦を月に配すれば、坤は十月に当たる。気の消息に就いて言えば、陽が剥げて坤となり、陽が来れば復となる。陽は曾て尽きない。上に剥尽すれば、下に復生する。【一気はたちまち消尽するものではなく、またたちまち生息するものでもない。卦を月に配すれば、三十日を積んで一月を成し、また三十分を積んで一爻を成す。九月中は卦に就いて剥で、陽はいまだ剥げ尽きず、まだ上九の一爻がある。さらに三十分剥いで十月中に至れば、陽気は消尽して純坤となる。しかし陽がようやく上に尽きれば、すでに下に萌えている。三十分を積んで十一月中に至って後、陽気は地上に応じて、復の一爻を成す。陰陽二気は、その流行に就いて言えばただ一気である。息すれば陽、消すれば陰。消の終わりはすなわち息の始まりで、間断を容れない。】だから十月を陽月と言うのは、人が陽なしと疑うことを防ぐためである。陰もまたこのようであるが、聖人は言わないだけである。【十月は卦に就いて坤で、人が陽なしと疑うことを恐れ、わざわざ陽月と言う。これは陽気がすでに萌発していることを顕見するためである。陰は四月の純乾の時もまたこのようである。陰の類は小人であるので、聖人は言わない。】」
一陽復於下乃天地生物之心也先儒皆以靜為見天地之心蓋不知動之端乃天地之心也非知道者孰能識之【復卦彖曰復其見天地之心乎朱子曰十月積隂陽氣收斂天地生物之心固未嘗息但無端倪可見一陽既復則生意發動乃始復見其端緒也】
程頤は言う。「一陽が下に復るは、まさに天地の物を生ずる心である。先儒はみな静においてはじめて天地の心を見るとしたが、これは動の端緒こそが天地の心であることを知らないのである。道を知る者でなければ、誰がこれを識ることができよう。【『復卦・彖』は言う——「復、それ天地の心を見んか」。朱熹は言う——十月は積陰で、陽気は収斂し、天地の物を生ずる心はもとより止息しないが、ただ端倪の見えるものがない。一陽すでに復れば、生意が発動して、はじめてその端緒を再び見る。】」
仁者天下之公善之本也【復卦六二傳仁者以天地萬物為一體故曰天下之公四端萬善皆統乎仁故曰善之本也】
程頤は言う。「仁は天下の公であり、善の根本である。【『復卦』六二伝——仁者は天地万物を以て一体と為す。だから天下の公と言う。四端万善はみな仁に統る。だから善の根本と言う。】」
有感必有應凡有動皆為感感則必有應所應復為感所感復有應所以不已也感通之理知道者黙而觀之可也【鹹卦九四傳屈伸徃來感應無窮自屈而伸則屈者感也伸者應也自伸而屈則伸者感也屈者應也明乎此則天地隂陽之消長變化人心物理之表裡盛衰要不外乎感應之理而已】
程頤は言う。「感あれば必ず應あり。凡そ動あるはみな感であり、感すれば必ず應がある。應ずる所はまた感となり、感ずる所はまた應がある。よって止まない。感通の理は、道を知る者は黙々と観察すればよい。【『咸卦』九四伝——屈伸往来、感應窮まりなし。屈より伸に至れば、屈は感、伸は應。伸より屈に至れば、伸は感、屈は應。このことを明らかにすれば、天地陰陽の消長変化、人心物理の表裏盛衰は、総じて感應の理を出ないだけである。】」
天下之理終而復始所以恆而不窮恆非一定之謂也一定則不能恆矣惟隨時變易乃常道也天地常乆之道天下常乆之理非知道者孰能識之【恆卦彖傳隨時變易不窮乃常道也日月徃來萬化屈伸無一息之停然其徃來屈伸則亙萬古古而常然也】
程頤は言う。「天下の理は終わりて復た始まる。よって恒にして窮まらざることができる。恒は一定して変わらぬの意ではない。一定して変わらなければ恒とすることができない。ただ時に随って変易するが、これが常道である。天地の久長の道、天下の久長の理は、道を知る者でなければ誰がこれを識ることができよう。【『恒卦・彖伝』——時に随って変易して窮まらず、これが常道である。日月往来し、万化屈伸して、一息の停止もない。しかしその往来屈伸は万古を横貫して常にこのようである。】」
人性本善有不可革者何也曰語其性則皆善也語其才則有下愚之不移【革卦上六傳性無不善才者性之所能合理與氣而成氣質則有昏明強弜之異其昏弱之極者為下愚】所謂下愚有二焉自暴也自棄也人苟以善自治則無不可移者雖昏愚之至皆可漸磨而進惟自暴者拒之以不信自棄者絶之以不為雖聖人與居不能化而入也仲尼之所謂下愚也【人性本善自暴者咈戾而不信乎善是自暴害其性也自棄者雖知其善然怠廢而不為是自棄絶其性也此愚之又下者不可移矣○朱子曰自暴者剛惡之所為自棄者柔惡之所為】然天下自棄自暴者非必皆昏愚也徃徃強戾而才力有過人者商辛是也聖人以其自絶於善謂之下愚然考其歸則誠愚也【史記稱紂資辯防敏才力過人手格猛獸知足以拒諫言足以飾非則其天資固非昏愚者然其勇於為惡而自絶於善要其終真下愚耳】既曰下愚其能革面何也曰心雖絶於善道其畏威而寡罪則與人同也唯其有與人同所以知其非性之罪也【革卦上六曰小人革面下愚小人自絶於善然畏□刑而欲免罪則與人無以異是以亦能揜其不善而著其善惟其畏懼有與人同者是以知其性之本善也】
程頤は言う。「人の性はもとより善であるが、変革すべからざるものがあるのはなぜか。答える——その性に就いて言えば皆善であるが、その才に就いて言えば下愚の移すべからざるがある。【『革卦』上六伝——性に善ならざるはない。才は性の能である。理と気が合して気質を成せば、昏明強弱の差異があり、昏弱の極に至るが下愚である。】いわゆる下愚には二種ある。自暴、自弃である。人もし善をもって自ら治めれば、移すべからざるはなく、たとい昏愚の極でも、次第に磨礪して進むことができる。ただ自暴の者は「信じない」をもって拒み、自弃の者は「為さない」をもって拒む。たとい聖人がこれと同住しても、感化して入らせることができない。これが仲尼のいう下愚である。【人の性はもとより善。自暴の者は乖戻して善を信ぜず、自らその性を暴害する。自弃の者は善を知りながら怠廃して為さず、自らその性を弃絶する。これは愚の中にさらに下きもので、移すべからず。○朱熹は言う。自暴は剛悪の為す所、自弃は柔悪の為す所。】しかし天下の自弃自暴の者は、必ずしも昏愚とは限らず、しばしば強横暴戻で才力が人に過ぎる者がある。商の紂がそれである。聖人は彼が自ら善に絶するを以て、これを下愚と称す。しかしその帰宿を考えれば、まことに愚である。【『史記』は紂の資質は弁捷敏慧と称し(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)、才力は人に過ぎ、空手で猛獣を搏ち、智は諫を拒むに足り、言は非を飾るに足るとする。すなわち天資はもとより昏愚ではない。しかし彼は勇んで悪を為して自ら善に絶し、その終わりを要すれば、まことに下愚である。】すでに下愚と言うのに、また革面できるとは、なぜか。答える——心は善道に絶しても、威を畏れて罪を少なくするは、人と同じである。まさに人と同じ所あるがゆえに、性の罪でないことを知る。【『革卦』上六は「小人革面」と言う。下愚の小人は自ら善に絶するが、しかし刑を畏れ(底本はこの字が残欠)て罪を免れんと欲するは、人と異ならない。だからまた不善を掩い善を顕すことができる。まさに畏れるに人と同じものあるがゆえに、性はもとより善であることを知る。】」
在物為理處物為義【理即是義然事物各有理裁製事物而合乎理者為義○朱子曰義者心之制事之宜也彼事之宜雖若在外然所以制其宜則在心也非程子一語則後人未免有義外之見】動靜無端隂陽無始非知道者孰能識之【經說下同○動靜相推隂陽密移無有間斷有間斷則有端始無間斷故曰無端始也其所以然者道也道固一而無間斷也異時論剝復之道曰無間可容息也又曰其間原不斷續皆此意也○朱子曰動靜相生如循環之無端】
程頤は言う。「物に在っては理であり、物に処しては義である。【理はすなわち義。しかし事物は各々理があり、事物を裁制して理に合うが義である。○朱熹は言う。義は心の裁制、事の適宜。その事の適宜は外に在るがごときも、裁制してその宜を為すは心に在る。程子のこの一言がなければ、後人は未免「義外」の見解を持ったであろう。】動静に端緒なく、陰陽に始めなし。道を知る者でなければ、誰がこれを識ることができよう。【『経説』に出る、以下同じ。○動静は相推し、陰陽は密かに移り、間断がない。間断あってはじめて端と始めがある。間断なきがゆえに、無端・无始と言う。これがしかくするは道である。道はもとより一つにして間断がない。他の所で剥復の道を論じて「間なく息を容れず」と言い、また「そのあいだはもとより断続せず」と言うのは、みなこの意である。○朱熹は言う。動静は相生し、循環して端緒なきがごとし。】」
仁者天下之正理失正理則無序而不和【子曰仁而不仁如禮何人而不仁如樂何人而不仁則私慾交亂害於正理固宜舛逆而無序乖戾而不和也序者禮之本和者樂之本】忠信所以進徳終日干幹君子當終日對越在天也【說見乾卦九三文言發乎真心之謂忠盡乎實理之謂信忠信乃進徳之基終日干幹者謂終日對越在天也越於也君子一言一動守其忠信常瞻對乎上帝不敢有一毫欺慢之意也以下皆發明所以對越在天之義】蓋上天之載無聲無臭其體則謂之易其理則謂之道其用則謂之神其命於人則謂之性率性則謂之道修道則謂之教【上天之載無聲無所謂太極本無極也體猶質也隂陽變易乃太極之體也故其體謂之易其所以變易之理則謂之道其變易之用則謂之神此以天道言也天理賦於人謂之性循性之自然謂之道因其自然者而修明之謂之教此以人道言也惟其天人之理一所以終日對越在天也】孟子去其中又發揮出浩然之氣可謂盡矣【浩然盛大流行之貌蓋天地正大之氣人得之以生本浩然也失養則餒而無以配乎道義之用得養則充而有以復其正大之體盡矣謂無餘事也此言天人之氣一所以終日對越在天者也】故說神如在其上如在其左右大小大事而只曰誠之不可揜如此夫徹上徹下不過如此【大小猶多少也中庸論鬼神如此其盛而卒曰誠之不可揜誠者實理即所謂忠信之體天人之間通此實理故君子忠信進徳所以為對越在天也】形而上為道形而下為器須著如此説器亦道道亦器【説見繫辭道者指事物之理故曰形而上器者指事物之體故曰形而下其實道寓於器本不相離也蓋言日用之間無非天理之流行所謂終日對越在天者亦敬循乎此理而已】但得道在不繫今與後巳與人【不繫猶不拘也言人能體道而不違則道在我矣不拘人巳古今無徃而不合蓋道本無間然也】
程頤は言う。「仁は天下の正理である。正理を失えば、秩序なく、和諧せず。【孔子は言う——「人にして仁ならんには、礼をいかんせん。人にして仁ならんには、楽をいかんせん」。人にして仁ならざれば、私欲が交錯扰乱して正理を害し、もとより錯乱して序なく、乖戻して和なきべきである。序は礼の本、和は楽の本。】忠信は徳を進むる所以であり、終日乾乾たり——君子は終日、天に対越すべきである。【説は『乾卦』九三『文言』に見る。真心に発するを忠と言い、実理に尽くすを信と言う。忠信は徳を進むる根基である。「終日乾乾」とは、終日天に対越することを言う。「越」はすなわち於である。君子は一言一動、忠信を守り、常に上帝を瞻対して、一毫の欺慢の意あるを敢えてしない。以下はみな対越在天の義を発明する所以である。】上天の運化には声もなく臭いもない。その体を易と言い、その理を道と言い、その用を神と言う。その人に命ずるを性と言い、性に率うを道と言い、道を修めるを教と言う。【上天の運化に声なく臭いなきは(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)、いわゆる太極の無極に本づく。「体」は質に譬える。陰陽の変易はすなわち太極の体である。だからその体を易と言う。変易する所以の理を道と言い、変易の用を神と言う。これは天道に就いて言う。天理が人に賦するを性と言い、性の自然に順うを道と言い、その自然に就いて修明するを教と言う。これは人道に就いて言う。まさに天人の理は一なるがゆえに、終日天に対越することができる。】孟子はその中よりまた浩然の気を発揮し出して、言い尽くしたと言うべきである。【浩然は盛大に流行する貌である。天地の正大の気は、人がこれを得て生ずる。もとより浩然であるが、養を失えば餒え、道義の用に配合するに由なく、養を得れば充ちて、正大の体を恢復することができる。「尽く矣」とは余事なきを言う。これは天人の気は一なるを言い、よって終日天に対越することができる。】だから神はその上に在るがごとく、その左右に在るがごとしと言う。多少の大事であっても、ただ「誠の掩うべからざること此の如し」と言う。上を徹し下を徹するも、このごとくに過ぎない。【「大小」は多少に譬える。『中庸』は鬼神のこのごとく盛なるを論じて、終わりに「誠の掩うべからざる」と言う。誠は実理であり、いわゆる忠信の体である。天人のあいだはこの実理を貫通する。だから君子が忠信にして徳を進めるは、すなわち対越在天である。】形而上は道、形而下は器。必ずこのように言わねばならない——器もまた道であり、道もまた器である。【説は『繋辞』に見る。道は事物の理を指すので形而上と言い、器は事物の体を指すので形而下と言う。その実、道は器に寓ってもとより相離れない。日用のあいだに天理の流行でないものはなく、いわゆる終日対越在天も、敬慎してこの理に遵循するに過ぎないことを言う。】ただ道が在れば、今と後、己と人とに拘わらない。【「不繫」は拘らぬに譬える。これは人が道を体して違背せざれば、道は我に在り、人己古今に拘らず、合わざる所なきを言う。道はもとより間隔なきがゆえに。】」
醫書言手足痿痺為不仁此言最善名狀仁者以天地萬物為一體莫非巳也認得為巳何所不至若不有諸巳自不與巳相干如手足不仁氣巳不貫皆不屬巳【天地萬物與我同體心無私蔽則自然愛而公矣所謂仁也苟是理不明而為私意所隔截刖形骸爾汝之分了無交渉譬如手足痿痺氣不相貫疾痛痾癢皆不相干此四體之不仁也】故博施濟眾乃聖人之功用仁至難言故止曰巳欲立而立人巳欲逹而逹人能近取譬可謂仁之方也巳欲令如是觀仁可以得仁之體【說見論語博施濟眾乃聖人之功用子貢以是言仁未識仁之體夫子告之使知人之慾無異巳之慾施於人者亦猶施於巳近取諸身而譬之於人則得求仁之術即此可見仁之體也○朱子曰博施濟眾是就事上說卻不就心上說夫子所以提起正是就心上指仁之本體而告之又曰博施濟眾固仁之極功但只乍見孺子將入井時有怵惕惻隱之心亦便是仁此處最好看】
程頤は言う。「医書は手足の痿痺を不仁と言う。この言は最も形容によい。仁者は天地万物を以て一体と為し、自己でないものはない。自己と認めれば、至らざる何ものがあろう。もしこれを己に有せざれば、自然に己と相関せず、手足の不仁のごとく、気すでに貫通せず、みな自己に属さない。【天地万物は我と同体である。心に私蔽なければ、自然に愛して公。これが仁である。もしこの理が明らかでなく、私意に隔截されれば、ただ形骸・爾汝の分別のみ残って、全く交渉がない。手足の痿痺して気あい貫かず、疾痛疴痒が皆相干らざるがごとき。これが四体の不仁である。】だから博施済衆はすなわち聖人の功用である。仁は極めて言い難い。だからただ言う——己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達し、能く近く譬を取る——これを仁を為すの方と言うべきである。人にこのように仁を看取させれば、仁の体を得ることができる。【説は『論語』に見る。博施済衆はすなわち聖人の功用であるが、子貢はこれをもって仁を言い、いまだ仁の体を識らなかった。夫子は彼に告げて、人の欲と己の欲とに異なるなく、人に施すも己に施すがごとしを知らしめ、近く己身に取りて人に譬えれば、仁を求める方を得る。すなわちこれをもって仁の体を見るべきである。○朱熹は言う。博施済衆は事に就いて言い、心に就いて言わない。夫子が提起した所以は、まさに心に就いて仁の本体を指して彼に告げたのである。また言う——博施済衆は固より仁の極功であるが、ただ乍ち孺子の井に入らんとするを見て怵惕惻隠の心あるも、すなわち仁である。ここが最もよく見える。】」
生之謂性性即氣氣即性生之謂也【人之有生氣聚成形理亦具焉是謂之性性與氣本不相離也故曰性即氣氣即性】人生氣稟理有善惡然不是性中元有此兩物相對而生也【氣稟雜揉善惡由分此亦理之所有然原是性之木則善而已非性中原有善惡二者並生也】有自幼而善有自幼而惡【本注云后稷之克岐克嶷子越椒始生人知其必滅若敖氏之類】是氣稟有然也善固性也然惡亦不可不謂之性也【程子又曰善惡皆天理謂之惡者本非惡但或過或不及便如此○朱子曰天下無性外之物本皆善而流於惡耳○愚謂原天命賦予之初固有善而無惡及氣稟拘滯之後則其惡者謂非性之本然則可謂之非性則不可性一也所指之地不同耳】蓋生之謂性人生而靜以上不容説才説性時便巳不是性也【朱子曰人生而靜以上是人物未生時只可謂之理未可名為性所謂在天曰命也才説性時便是人生以後此理已墮在刑氣之中不全是性之本體矣所謂在人曰性也○此重釋生之謂性】凡人説性只是説繼之者善也孟子言性善是也夫所謂繼之者善也者猶水流而就下也皆水也有流而至海終無所汙此何煩人力之為也有流而未逺固巳漸濁有出而甚逺方有所濁有濁之多者有濁之少者清濁雖不同然不可以濁者不為水也【繫辭曰一隂一陽之謂道繼之者善也蓋天遒流行發育萬物賦受之間渾然一理純粹至善所謂性善者也繼之雲者猶水流而就下其有清濁逺近之不同猶氣稟昏明純駁有深淺也水固本清及流而濁不可謂之非水猶性雖本善及局於氣而惡不可謂之非性○此重釋善固性也惡亦不可不謂之性】如此則人不可以不加澄治之功故用力敏勇則疾清用力緩怠則遲清及其清也則卻只是元初水也不是將清來換卻濁亦不是取出濁來置在一隅也水之清則性善之謂也故不是善與惡在性中為兩物相對各自出來【朱子曰人雖為氣所昏而性則未嘗不在其中故不可不加澄治之功惟能學以勝之則知此理渾然初未嘗損所謂元初水也雖濁而清者存固非將清來換濁既清則本無濁固非取濁置一隅也如此則其本善而已矣性中豈有兩物對立而並行也哉愚謂不知性之本善則不能自勉以復其初不知性有時而陷於惡則不能力加澄治之功二説蓋互相發明也○此重釋不是性中元有兩物相對而生但前以本言則曰相對而生此以用言則曰相對各自出來】此理天命也順而循之則道也循此而修之各得其分則教也自天命以至於教我無加損焉此舜有天下而不與焉者也【朱子曰修道雖以人事言然其所以修之者莫非天命之本然非人私智所能為也然非聖人有不能盡故以舜事明之】觀天地生物氣象【本注云周茂叔看○造化流行發育萬物博周徧生理條逹觀之使人良心油然而生此即周子牕前草不除去問之雲與自家意思一般是也】
程頤は言う。「「生のこれを性と謂う」——性はすなわち気、気はすなわち性。「生」に就いて言うのである。【人は生あれば、気が聚まって形を成し、理もまた具わる。これを性と言う。性と気はもとより相離れない。だから性即ち気、気即ち性と言う。】人の生は気禀に由り、理に善悪がある。しかし性の中にもとよりこの二物が相対して生ずるのではない。【気禀が雑糅して、善悪はこれより分かれる。これもまた理の有する所である。しかしその性の本を原すれば(底本は「木」とするが、「本」の誤り)、ただ善のみであって、性の中にもとより善悪の二者が併生するのではない。】幼よりして善なるものあり、幼よりして悪なるものあり【本文原注:后稷の「克岐克嶷」、子越椒は生まれて間もなく人が必ず若敖氏を滅ぼすと知った類】——これは気禀の然らしむるである。善は固より性であるが、悪もまた性と謂わざるべからず。【程子はまた言う。善悪はみな天理。悪と謂うはもとより悪ではなく、ただ或いは過ぎ或いは及ばざればこのよう。○朱熹は言う。天下に性外の物はなく、もとより皆善にして悪に流るるのみ。○葉采按:天命賦与の初めを推原すれば、固より善あって悪なし。気禀の拘滞の後に至っては、その悪を性の本然でないと言うは可なり、性でないと言うは不可なり。性は一つで、指す所の地が異なるだけである。】「生のこれを性と謂う」——「人生而静」以上は言うに容れない。才だ性と言う時は、すでに性ではない。【朱熹は言う。「人生而静」以上は人物未生の時であって、ただ理と謂うべきで、性と名づくべからず。すなわちいわゆる天に在りては命と曰う。才だ性と言う時は、すなわち人生の後で、この理はすでに形気の中に落ちて(底本は「刑気」とするが、「形気」の誤り)、すべて性の本体ではない。すなわちいわゆる人に在りては性と曰う。○これは「生のこれを性と謂う」を重ねて解釈する。】凡そ人が性を言うは、ただ「これを継ぐ者は善なり」を言う。孟子が性善を言うはこれである。いわゆる「これを継ぐ者は善なり」は、水の低きに流るるに譬える。みな水である——海に流れ至って終始污染せざるものあり、これは何ぞ人力の作為を煩わさん。流れて遠からずしてすでに漸く濁るものあり、出でてはるか遠きに至って濁る所有るものあり、濁ること多きものあり、濁ること少なきものあり。清濁は同じからざれども、濁るを以て水でないと謂うべからず。【『繋辞』は言う——「一陰一陽のこれを道と謂い、これを継ぐ者は善なり」。天道(底本は「天遒」とするが、「天道」の誤り)流行して万物を発育し、賦受のあいだ渾然一理、純粋至善——これがいわゆる性善である。「これを継ぐ」は水の低きに流るるに譬え、清濁遠近の同じからざるは、気禀の昏明純駁に深浅あるに譬える。水は固よりもとより清し。流れて濁れるも水でないと言うべからず。性はもとより善なれども、気に局せられて悪となるも、性でないと言うべからず。○これは「善は固より性、悪もまた性と謂わざるべからず」を重ねて解釈する。】こうであれば、人は澄治の功夫を加えざるべからず。だから力を用うること敏捷勇猛なれば清まること速く、力を用うること緩慢怠惰なれば清まること遅い。清まるに及んで、しかもただ元初の水である。清を以て濁に換えたのではなく、濁を取り出して一角に置いたのでもない。水の清は、すなわち性善の意である。だから善と悪とが性の中で二物相対して各々出るのではない。【朱熹は言う。人は気に昏されども、性は曾てその中に在らざることなし。だから澄治の功を加えざるべからず。ただ学を以てこれに勝つことを能くせば、この理が渾然としてもとより曽て損減せざることを知る。これがいわゆる元初水である。濁れども清はまだ在り、固より清を以て濁に換えたのではない。すでに清ければもとより濁なく、固より濁を一角に置いたのではない。このようであれば、その本はただ善のみである。性の中に二物対立して併行するあらんや。葉采按:性の本善を知らざれば、自ら勉めてその初めを復すること能わず。性が時に悪に陥るを知らざれば、澄治の功を力めて加うることができず。両説は互いに発明する。○これは「性の中にもとより二物相対して生ずるにあらず」を重ねて解釈する。ただ前は本に就いて言えば「相対して生ず」と言い、ここは用に就いて言えば「相対して各々出る」と言う。】この理は天命である。これに順いこれに循うが道である。これに循いてこれを修め、各々その分を得るが教である。天命より教に至るまで、我は加えることなく損ずることもない。これが舜が天下を有しても与らざるの意である。【朱熹は言う。修道は人事に就いて言うが、修むる所以は天命の本然に過ぎず、人の私智の能くする所ではない。しかし聖人でなければ尽くすことができない。だから舜の事を以て明らかにする。】天地の物を生ずる気象を観る【本文原注:周茂叔の看。○造化流行し、万物を発育し、広博周遍して(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)、生理が条達する。これを観ると人の良心が油然として生ず。これが周子の窗前の草を除かざるで、問えば「自家の意思と一般」と言う。】」
萬物之生意最可觀此元者善之長也斯所謂仁也【朱子曰物之初生淳粹未防最好看及幹葉茂盛便不好看見孺子八井時怵惕惻隱之心只這些子便見得仁到他發政施仁其仁固廣然卻難看】
程頤は言う。「万物の生意は最も観るべきである。これが「元は善の長なり」であり、いわゆる仁である。【朱熹は言う。物は剛き生まれた時、淳粋にして未だ漓れず(底本は「未防」とするが、「未漓」の誤り)、最もよく見える。枝叶が茂盛するに及べばあまりよく見えない。孺子が井に入らんとするを見て(底本は「八井」とするが、「入井」の誤り)怵惕惻隠の心ある——ただこの一点をもって仁を見る。彼が政を発し仁を施すに至れば、その仁は固より広大であるが、かえって見え難い。】」
滿腔子是惻隱之心【腔子猶軀殻也惻傷怛也隱痛也人之一身惻隱之心無所不至故疾痛痾癢觸之則覺由是推之則天地萬物本一體也無徃而非惻隱之心矣○朱子曰彌滿充實無空缺處如刀割著亦痛針刺著亦痛】
程顥は言う。「腔子に満ちたるはみな惻隠の心である。【「腔子」は躯殻に譬える。「惻」は傷痛、「隠」は哀痛。人の一身は、惻隠の心の至らざるなく、だから疾痛疴痒は一触すれば覚える。これより推せば、天地万物はもとより一体で、惻隠の心でない所はない。○朱熹は言う。弥満充実して空缺する所なく、刀で割かれても痛く、針で刺されても痛い。】」
天地萬物之理無獨必有對皆自然而然非有安排也毎中夜以思不知手之舞之足之蹈之也【朱子曰隂與陽對動與靜對以至屈伸消長左右上下或以類而對或以反而對反覆推之未有兀然無對而孤立者程子謂惟道無對然以形而上下論之亦未嘗不有對也】
程顥は言う。「天地万物の理に、孤独なるものはない。必ず対があり、皆自然而然であって、これを安排する者はいない。夜半ごとにこれを思えば、手舞い足蹈みすることを知らない。【朱熹は言う。陰と陽と対し、動と静と対し、屈伸・消長・左右・上下に至るまで、或いは類に按じて相対し、或いは反に按じて相対す。反復推求して、兀然として対なく孤立するものはない。程子はただ道のみ対なしと言うが、しかし形而上形而下を以て論ずれば、また曾て対なきことなし。】」
中者天下之大本天地之間亭亭噹噹直上直下之正理出則不是惟敬而無失最盡【喜怒哀樂未發之時此性渾然在中亭亭噹噹直上直下無所偏倚此天下之大本而萬善之主也心有散逸則失其所以為主唯能敬以存之則有以全其中之本體矣】
程顥は言う。「中は天下の大本である。天地のあいだ、亭亭当当・直上直下の正理は、一出でればすでにそうではない。ただ敬にして失なきが、最も尽くすと言うべきである。【喜怒哀楽の未発の時、この性は渾然として中に在り、亭亭当当・直上直下して偏倚する所なし。これが天下の大本、万善の主宰である。心に散逸あれば、主と為す所以を失う。ただ敬を以てこれを存することを能くすれば、中の本体を保全する所以有る。】」
伊川先生曰公則一私則萬殊人心不同如面只是私心【公則萬物一體私則人已萬殊】
伊川先生(程頤)は言う。「公なればすなわち一、私なれば万殊。人心の同じからざるは面のごとし、ただ私心のみ。【公なれば万物一体、私なれば人己万殊。】」
凡物有本末不可分本末為兩段事灑掃應對是其然必有所以然【朱子曰治心修身是本灑掃應對是末皆其然之事也至於所以然則理也理無精粗本末】
程頤は言う。「凡そ物には本有り末有り、本末を分かちて両段の事と為すべからず。洒掃應對は「其然」であり、必ず「所以然」有り。【朱熹は言う。心を治め身を修めるは本、洒掃應對は末。みな「其然」の事である。所以然に至っては、すなわち理。理には精粗本末なし。】」
楊子防一毛不為墨子又摩頂放踵為之此皆是不得中至如子莫執中欲執此二者之中不知怎麼執得識得則凡事物上皆天然有個中在那上不待人安排也安排著則不中矣【楊朱為我故以一毫利天下而不為墨翟兼愛故雖摩頂至踵可以利天下而亦為之楊墨各守一偏固皆失其中子莫魯之賢人也懲二者之偏欲於二者之間而取中夫中者隨時而在不能隨時以權其宜而膠於一定之中則所執者亦偏矣故君子貴于格物以致其知物格而知至則有以識夫時中之理而於事事物物各有天然之中不待著意安排也若事事安排則或雜以意見之私而非天然之中矣】
程顥は言う。「楊子は一毛を抜きて(底本は「防」とするが、「抜」の誤り)為さず、墨子はまた頂を摩り踵を放ちて之を為す。これら皆中を得ざるである。子莫の中を執るに至っては、この二者の中を執定せんと欲するが、どう執ればよいかを知らない。識ることを得れば、凡そ事物の上には天然に中がその上に在って、人の安排を待たない。一たび安排すれば、すなわち中でない。【楊朱は我を為す。だから一毫を以て天下を利するも為さない。墨翟は兼愛である。だから頂を摩り踵に至るまで天下を利することができるとすれば之を為す。楊・墨は各々一偏を守る。固より皆中を失う。子莫は魯の賢人で、二者の偏を懲して、二者のあいだに中を取らんと欲する。中は時に随って在り、時に随ってその宜を権衡して一定の中に膠着せざれば、執る所もまた偏りとなる。だから君子は物を格してその知を致すを貴ぶ。物格れて知至れば、時中の理を識る所以有り、事事物物に各々天然の中有りて、意を著けて安排するを待たない。もし事事安排すれば、或いは意見の私を夾雑して、天然の中ではなくなる。】」
問時中如何伊川先生曰中字最難識須是黙識心通且試言一則中央為中一家則中非中而堂為中言一國則堂非中而國之中為中推此類可見矣如三過其門不入在禹稷之世為中若居陋巷則非中也居陋巷在顔子之時為中若三過其門不入則非中也【時中者隨時有中不可執一而求也意如上章禹之治水九年於外三過其門而不暇入蓋得時行道任天下之青濟斯民之患如是乃合此時之中顔子之世明王不興以夫子之大聖而不得行其道則其時可以止矣故隱居獨善而簞瓢自樂如是乃合此時之中是二者若違時而易務則皆失其中矣】
或る人が時中はいかんと問う。伊川先生は言う。「「中」の字は最も識り難い。必ず黙識して心に通ぜねばならない。姑く試みに言わん——一室(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)なれば中央を中と為し、一家なれば室中は中にあらずして堂を中と為し、一国と言えば堂は中にあらずして国の中を中と為す。これに類推すれば見える。三たびその門を過ぎて入らざるは、禹・稷の世に在っては中であるが、もし陋巷に居ればすなわち中にあらず。陋巷に居るは顔子の時に在っては中であるが、もし三たびその門を過ぎて入らざればすなわち中にあらず。【時中は時に随って中有り、一を執りて求むべからず。意思は上章のごとし。禹は水を治めて九年外に在り、三たびその門を過ぎて入るに暇あらず。これは時を得て道を行い、天下の責を任じて斯民の患を救済する。こうあってこそこの時の中に合う。顔子の世は明王興らず、夫子のごとき大聖を以てもその道を行うことを得ず。すなわちその時は止まるべきである。だから隠居して独善し、簞瓢して自ら楽しむ。こうあってこそこの時の中に合う。この二者もし時勢に違い事務を互換すれば、みな中を失う。】」
無妄之謂誠不欺其次矣【本注云李邦直雲不欺之謂誠便以不欺為誠徐仲車雲不息之謂誠中庸言至誠無息非以無息解誠也或以問先生先生曰云雲○無妄者實理之自然而無一毫偽妄也故謂之誠不欺者知實理之當然而不自為欺乃思誠也○朱子曰無妄者自然之誠不欺是著力去做底故曰其次】
程頤は言う。「無妄を誠と言い、欺かざるはその次である。【本文原注:李邦直は「欺かざるのこれを誠と謂う」と言い、すなわち欺かざるを誠と為す。徐仲車は「息まざるのこれを誠と謂う」と言う。『中庸』は「至誠息まず」と言うが、決して息まざるを以て誠を解するのではない。ある人がこれを以て先生に問う。先生は上のように言った。○無妄は実理の自然にして一毫の偽妄なし。だから誠と言う。欺かざるは実理の当然を知りて自ら欺かざるなり。すなわち誠を思う。○朱熹は言う。無妄は自然の誠、欺かざるは力を著けて為すもの。だから「その次」と言う。】」
沖漠無眹萬象森然已具未應不是先已應不是後【沖漠未形而萬理畢具即所謂無極而太極也未應者寂然不動之時也已應者感而遂通之時也已應之理悉具於未應之時故未應非先已應非後蓋即體而用在其中不可以先後分也○朱子曰未有事物之時此理已具少間應處亦只是此理】如百尺之木自根本至枝葉皆是一貫不可道上面一段事無形無兆卻待人旋安排引入來教入塗轍【轍車跡塗轍猶路脈也道有體用而非兩端猶木有根本是生枝葉上下一貫未嘗間斷豈可謂未應之時空虛無有已應之際旋待安排引入塗轍言此理具於氣形事為之先本一貫也】既是塗轍卻只是一個塗轍【言此理流行於氣形事為之中亦未嘗有二致也○朱子曰如父之慈子之孝只是一條路從源頭下來】
程頤は言う。「沖漠として形迹なきも、万象はすでに森然として具わる。未應は先にあらず、已應は後にあらず。【沖漠未形にして万理全く具わる——すなわちいわゆる無極にして太極。未應は寂然として動かざるの時、已應は感じて遂に通ずるの時。已應の理は全く未應の時に具わる。だから未應は先にあらず、已應は後にあらず——体に即して用その中に在り、先后を以て分かつべからず。○朱熹は言う。いまだ事物あらざる時、この理すでに具わる。しばらく過ぎて應接する所もまたただこの理である。】百尺の樹のごとく、根本より枝叶に至るまで皆一貫であって、上面の一段の事は形なく兆なく、人の臨時に安排して引き入れ、軌道に入らしめるを待つと言うべからず。【「轍」は車迹、「涂轍」は路の脈絡に譬える。道に体用あって両端ではない。樹に根本有ってこそ枝叶を生ずるがごとく、上下一貫して曽て間断せず。豈に未應の時は空虚無有で、已應の際に至ってこそ人が安排して軌道に引入るを待つと言うべけんや。これはこの理が気・形・事為の先に具わるを言い、もとより一貫である。】すでに軌道であれば、しかもただ一つの軌道である。【この理が気・形・事為の中に流行して、また曽て両様なきことを言う。○朱熹は言う。父の慈、子の孝のごとき、ただ一条の路が源頭より下る。】」
近取諸身百理皆具屈伸徃來之義只於鼻息之間見之屈伸徃來只是理不必將既屈之氣復為方伸之氣生生之理自然不息【鼻息呼吸可見屈伸徃來之義以理而言則屈伸徃來自然不息以氣而言則不是以既屈之氣為方伸之氣如釋氏所謂輪廻者也○朱子曰此段為橫渠形潰反原之説而發也李果齋曰徃而屈者其氣已散來而伸者其氣方生生生之理自然不窮若以既屈之氣復為方伸之氣則是天地間只有許多氣來來去去造化之理不幾於窮乎釋氏不明乎此所以有輪廻之說】如復卦言七日來復其間元不斷續陽已復生物極必返其理須如此有生便有死有始便有終【日即月也以卦配月則自五月陽始消而為姤至十一月陽生而為復自姤至復凡七月也消極而生無有間斷物極必返理之自然生死始終皆一理也】
程頤は言う。「近く己身に取れば、百理は皆具わる。屈伸往来の義は、ただ鼻息のあいだに見ることができる。屈伸往来はただ理である。必ずしも已に屈した気を以て方に伸べんとする気と為すことを要しない。生生の理は自然に息まない。【鼻息の呼吸は屈伸往来の義を見るべし。理に就いて言えば、屈伸往来は自然に息まず。気に就いて言えば、已に屈した気を以て方に伸べんとする気と為すのではない。釋氏のいわゆる輪廻のごとき。○朱熹は言う。この段は横渠の「形潰れて原に反る」の説に対して発したものである。李方子(果斎)は言う——往きて屈するは、その気すでに散ず。来りて伸ぶるは、その気方に生ず。生生の理は自然に窮まらず。もし已に屈した気を以て方に伸べんとする気と為せば、天地のあいだにはただこれほどの気が来来去去するのみで、造化の理は豈にほぼ窮尽せざらんや。釋氏はこれを明らかにせず、だから輪廻の説がある。】『復卦』の「七日来復」と言うがごとき、そのあいだはもとより断続せず。陽すでに回復すれば、物極まれば必ず返る。その理は必ずこのようであらねばならない。生有れば死有り、始有れば終有り。【「日」はすなわち月。卦を月に配すれば、五月より陽始めて消し姤(こう)と為り、十一月に至って陽生じて復と為る。姤より復に至るまで共に七月。消極まれば生ず。間断なし。物極まれば必ず返るは理の自然。生死始終はみな一理。】」
明道先生曰天地之間只有一個感與應而已更有甚事【詳見前】
明道先生(程顥)は言う。「天地のあいだにはただ感と應とあるのみ。さらに何の事かあらん。【詳しくは前に見る。】」
問仁伊川先生曰此在諸公自思之將聖賢所言仁處類聚觀之體認出來孟子曰惻隱之心仁也後人遂以愛為仁愛自是情仁自是性豈可専以愛為仁孟子言惻隱之心仁之端也既曰仁之端則不可便為之仁退之言博愛之為仁非也仁者固博愛然便以博愛為仁則不可【仁者愛之理愛者仁之情以愛為仁是指情為性端之雲者言仁在中而端緒見於外也或問樊遲問仁子曰愛人是夫子亦嘗以愛言仁也曰孔門問答皆是教人於巳發處用功孟子所謂惻隱之心仁也亦是於巳發之端體認但後之論仁者無復知性情之別故程子發此義以示人慾使沿流而遡其源也學者其深體之】
或る人が仁を問う。伊川先生は言う。「これは諸公が自ら思うことである。聖賢の仁を説いた所を類聚して見て、体認し出すのである。孟子は「惻隠の心は仁なり」と言ったが、後人は愛を以て仁と為す。愛は自ら情、仁は自ら性。豈に専ら愛を以て仁と為すべけんや。孟子は「惻隠の心は仁の端なり」と言う。すでに仁の端と言う以上、すなわちこれを仁と呼ぶことはできない。韓愈は「博愛のこれを仁と謂う」と言う。そうではない。仁者は固より博愛であるが、しかし博愛を以て仁と為せばすなわち不可である。【仁は愛の理、愛は仁の情。愛を以て仁と為すは、情を以て性と為すである。「端」は仁が内に在りて端緒が外に見るを言う。或る人問う——樊遲が仁を問えば孔子は「人を愛す」と言った。夫子もまた曾て愛を以て仁を言ったではないか。答える——孔門の問答は皆人をして已発の処に於いて功を用いしむ。孟子のいわゆる「惻隠の心は仁なり」もまた已発の端緒の上で体認する。しかし後に仁を論ずる者は性情の分別を知らなくなった。だから程子はこの義を発明して人に見せ、人をして流に沿いてその源を泝らしめんと欲する。学者はまさに深く体会すべきである。】」
問仁與心何異伊川曰心譬如谷種生之性便是仁陽氣發處乃情也【以谷種喻心生之性便是愛之理陽氣發處便是惻隱之情】
或る人が仁と心と何の異なるかを問う。伊川は言う。「心は穀種に譬える。生の性はすなわち仁、陽気の発動する処はすなわち情。【穀種を以て心に譬える。生の性はすなわち愛の理、陽気の発動する処はすなわち惻隠の情。】」
義訓宜禮訓別智訓知仁當何訓説者謂訓覺訓人皆非也當合孔孟言仁處大槩研窮之二三歳得之未晩也【訓者以其字義難明故又假一字以訓解之義者天理之當然所以裁製乎事物之宜故訓宜禮者天理之節文所以別親踈上下之分故訓別智者天理之明睿所以知事物之是非故訓智仁道至大包乎三者故為難訓説者謂訓覺者言不為物慾所蔽癢痾疾痛觸之即覺夫仁者固無所不覺然覺不足以盡仁之蘊也訓人者言天地生人均氣同理以人體之剛惻怛慈愛之意自然無所間斷夫仁者固以人為體然不可以訓仁也○朱子曰仁是愛之體覺自是智之用仁統四徳故仁則無不覺然便以覺為仁則不可或謂仁只是人心之生理以生字訓之何如朱子曰不必須用一字訓但要識得大意通透耳】
程頤は言う。「義は宜と訓じ、礼は別と訓じ、智は知と訓ず。仁は何と訓ずべきか。言う者は或いは覚と訓じ或いは人と訓ずと為すが、皆そうではない。孔孟の仁を説いた所を会合して、おおよそ二三年研窮してこれを得るも、また晩しと為さず。【訓とは、字義が明らかにし難いので、また一字を借りて訓解する。義は天理の当然であって事物の宜を裁制する所以、だから宜と訓ず。礼は天理の節文であって親疏上下の分を分別する所以、だから別と訓ず。智は天理の明叡であって事物の是非を知る所以、だから智と訓ず。仁道は極めて大きく、その三者を包む。だから訓じ難い。覚と訓ずと言うは、物欲に蔽われず、痒痛疾病は一触すれば覚えると言う——仁者は固より覚えざるはないが、しかし覚は仁の蘊蔵を尽くすに足らない。人と訓ずと言うは、天地が人を生じ、気を均しくし理を同じくするを以て、人を以て体認すれば惻怛慈愛の意は自然に間断なしと言う——仁者は固より人を以て体と為すが、しかしこれを以て仁を訓ずべからず。○朱熹は言う。仁は愛の体、覚は自ら智の用。仁は四徳を統べ、だから仁なればすなわち覚えざるはないが、しかしすなわち覚を以て仁と為すは不可である。或る人は、仁はただ人心の生理で、「生」の字を以て訓ずれば如何と言う。朱熹は言う——必ずしも一字を以て訓ずるを要せず。ただ大意を識りて通透すればよい。】」
性即理也天下之理原其所自來未有不善喜怒哀樂未發何嘗不善發而中節則無徃而不善發不中節然後為不善故凡言善惡皆先善而後惡言吉凶皆先吉而後兇言是非皆先是而後非【朱子曰性即理也一語自孔子後惟伊川説得盡□撲不破性即是天理那得有惡又曰未發之前氣不用事所以有善而無惡】
程頤は言う。「性はすなわち理である。天下の理は、その従来する所を推原して、善ならざるなし。喜怒哀楽の未発は、何ぞ善ならざらん。発して中節すれば、善ならざる所なし。発して中節せざれば、然る後に不善と為る。だから凡そ善悪を言うは皆先に善にして後に悪、吉凶を言うは皆先に吉にして後に凶、是非を言うは皆先に是にして後に非とする。【朱熹は言う。「性即ち理なり」の一語は、孔子より後ただ伊川のみが言い尽くせり。顚撲破れず(底本はこの字が残欠)。性はすなわち天理、悪あらんや。また言う——未発の前は気まだ事を用いず。だから善有って悪なし。】」
問心有善惡否伊川曰在天為命在義為理在人為性主於身為心其實一也心本善發於思慮則有善有不善若既發則可謂之情不可謂之心【天道流行賦與萬物謂之命事物萬殊各有天然之則統而名之謂之理人得是理以生謂之性是性所存虛靈知覺為一身之主宰謂之心實則非二也推本而言心豈有不善自七情之發而後有善惡之分○朱子曰既發不可謂之非心但有不善則非心之本體】譬如水只可謂之水至如流而為派或行於東或行於西卻為之流也
或る人が心に善悪あるやを問う。伊川は言う。「天に在っては命、義に在っては理、人に在っては性、身に主るは心。其の実は一つである。心はもとより善で、思慮に発して善不善有り。もしすでに発せば、すなわち情と謂うべきで、心と謂うべからず。【天道流行して万物に賦するを命と言い、事物万殊して各々天然の則有るを統べて名づけて理と言い、人がこの理を得て以て生ずるを性と言い、この性の存する所、虚霊にして知覚あり、一身の主宰と為るを心と言う。其の実は二つではない。本を推して言えば、心に不善あらんや。七情より発した後に善悪の分有る。○朱熹は言う。すでに発せば心でないと言うべからず。但し不善有ればすなわち心の本体にあらず。】水に譬えればただ水と謂うべきのみ。流れて派と成り、或いは東に或いは西に至れば、すなわち流と呼ぶ。」
性出於天才出於氣氣清則才清氣濁則才濁才則有善有不善性則無不善【性本乎理理無不善才本乎氣氣則不齊故或以之為善或以之為惡○孟子曰若夫為不善非才之罪也朱子曰孟子専以其發於性者言之故以為才無不善程子兼指其稟於氣者言之則人之材質固有昏明強弱之不同張子所謂氣質之性是也二説雖殊各有所當然程子為密】
程頤は言う。「性は天に出で、才は気に出ず。気清ければ才清く、気濁れば才濁る。才はすなわち善不善有り、性はすなわち不善なし。【性は理に本づく。理に不善なし。才は気に本づく。気はすなわち斉しからず。だから或いはこれを用いて善を為し、或いはこれを用いて悪を為す。○孟子は言う——「若し夫れ不善を為さば、才の罪にあらざるなり」。朱熹は言う——孟子は専らその性に発するに就いて言う。だから才に不善なしと為す。程子は兼ねてその気に禀けるに就いて指す。すなわち人の材質は固より昏明強弱の不同有り。すなわち張子のいわゆる気質の性。両説は同じからざれども、各々当たる所あり。しかし程子はさらに密である。】」
性者自然完具信只是有此者也故四端不言信【仁義禮智分而言之則四者各立自然全具實有是四者則謂之信故信無定位非於四者之外別有信也孟子論四端而不及信蓋信在其中矣○李果齋曰五常言信配五行而言四端不言信配四時而言也蓋土分旺於四時之季信已立於四端之中也】
程頤は言う。「性は自然に完具している。信はただこの四者有るのみ。だから四端には信を言わない。【仁義礼智は分かちて言えば四者各々自立して自然に全具す。実にこの四者有ればすなわち信と言う。だから信に定位なく、四者の外に別に信在るのではない。孟子が四端を論じて信に及ばざるは、信はすでにその中に在る。○李方子(果斎)は言う——五常に信を言うは、五行に配して言う。四端に信を言わざるは、四時に配して言う。土は四時の季に分旺し、信はすでに四端の中に立つ。】」
心生道也有是心斯具是形以生惻隱之心人之生道也【心者人之生理也有是心斯具是形此言生人之道惻隱之心人之生道此言人道是心故酬酢運用生生而不窮苟無是心則同於砂石而生理絶矣○朱子曰心生道也謂天地以生物為心而人得之以為心者又曰心是個活底物】
程頤は言う。「心は生道である。この心有りてこそこの形を具えて以て生ず。惻隠の心は、人の生道である。【心は人の生理。この心有りてこそこの形を具える。これは人を生ずるの道を言う。惻隠の心は人の生道。これは人道はすなわちこの心を言う。だから應酬運用して生生して窮まらず。もしこの心無ければ、砂石に同じくして生理断絶す。○朱熹は言う——「心は生道なり」は、天地が物を生ずるを以て心と為し、人がこれを得て以て心と為すを言う。また言う——心は活きた物事である。】」
橫渠先生曰氣坱然太虛升降飛未嘗止息此虛實動靜之機隂陽剛柔之始浮而上者陽之清降而下者隂之濁其感遇聚散為風雨為霜雪萬品之流行山川之融結糟粕煨燼無非教也【正蒙下同○坱然盛大氤氳之義坱然太虛周流上下亙古窮今未嘗止息者元氣也虛實動靜妙用由是而形故曰機隂陽剛柔定體由是而立故曰始判而為上下清濁合而為風雨霜雪凝而為人物山川之形質散而為糟粕煨燼之渣滓消長萬變生生不窮皆道體之流行故曰無非至教】
横渠先生(張載)は言う。「気は坱然として太虚に充満し、昇降飛揚して(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)曽て止息せず。これは虚実動静の機、陰陽剛柔の始である。浮んで上るは陽の清、降って下るは陰の濁。その感遇聚散は、風雨と為り、霜雪と為り、万品の流行、山川の融結、糟粕煨燼に至るまで、教ならざるなし。【『正蒙』に出る、以下同じ。○「坱然」は盛大にして気交密の義。坱然として太虚、上下に周流して、亘古窮今に曽て止息せざるは元気である。虚実動静の妙用はこれより顕れるので機と言い、陰陽剛柔の定体はこれより立つので始と言う。分かれれば上下清濁と為り、合すれば風雨霜雪と為り、凝聚すれば人物山川の形質と為り、散じれば糟粕煨燼の渣滓と為る。消長万変して生生窮まらず。みな道体の流行である。だから教に非ざるなしと言う。】」
遊氣紛擾合而成質者生人物之萬殊其隂陽兩端循環不已者立天地之大義【遊氣雜揉凝而成形者人物萬殊所以生也隂陽推移循環無窮者天地大經所以立也遊氣紛擾緯也隂陽循環經也○朱子曰隂陽循環如磨遊氣紛擾如磨中出者】
張載は言う。「游気紛擾して合して質を成すは、人物の万殊を生じ、陰陽両端循環已まざるは、天地の大義を立つ。【游気雑糅して凝して形を成すは、人物万殊の生ずる所以、陰陽推移して循環窮まらざるは、天地大経の立つ所以。游気紛擾は緯、陰陽循環は経。○朱熹は言う——陰陽の循環は磨のごとく、游気の紛擾は磨の中より出るがごとし。】」
天體物不遺猶仁體事而無不在也【朱子曰體物言為物之體也蓋物物有個天理體事謂事事是仁做出來】禮儀三百威儀三千無一物而非仁也【禮儀者經禮也威儀者曲禮也禮文之大小無非愛敬懇惻之心所發見者故曰無一物而非仁也不然則禮特虛文而已】昊天曰明及爾出王昊天曰旦及爾遊衍無一物之不體也【王徃通○詩大雅板篇出王謂出而有所往也旦亦明也遊衍寛縱之意言天道昭明凡人之徃來遊息之所此理無往而不在因是以證體物不遺之意】
張載は言う。「天は物を体して遺漏なく、仁が事を体して在らざる所なきがごとし。【朱熹は言う——「物を体す」は物の体を為すを言い、物物に皆天理有るがゆえに。「事を体す」は事事みな仁の為し出すを言う。】礼儀三百、威儀三千、一件も仁ならざるなし。【礼儀は経礼、威儀は曲礼。礼文の大小、愛敬懇惻の心の発見する所に非ざるなし。だから一物にして仁に非ざるなしと言う。然らざれば、礼はただ虚文のみ。】「昊天は明と曰い、爾の出王に及ぶ。昊天は旦と曰い、爾の游衍に及ぶ」——一物もこれを以て体と為さざるなし。【「王」は「往」と通ず。○『詩経・大雅・板』篇。「出王」は出でて往く所有り。「旦」もまた明。「游衍」は寛縦の意。天道昭明にして、凡人の往来游息する所、この理は在らざるなしを言う。これを以て「物を体して遺れず」の意を証する。】」
鬼神者二氣之良能也【良能者自然而然莫之為而為也朱子謂橫渠此語尤精】物之初生氣日至而滋息物生既盈氣日反而遊散至之謂神以其伸也反之謂鬼以其歸也【物自少以至壯氣日至而滋息滋息者生而就滿也自壯以至老氣日反而遊散遊散者消而就盡也以其日至而伸故曰神以其日反而歸故曰】
張載は言う。「鬼神は二気の良能である。【良能は自然而然にして、これを為す者なくして成る。朱子は横渠のこの語は殊に精と言う。】物の剛き生ずる時、気は日日に至りて滋長し、物の生すでに満盈せば、気は日日に返りて游散す。至るを神と言う、その伸ぶるがゆえに。返るを鬼と言う、その帰るがゆえに。【物の少より壮に至るは、気は日日に至りて滋息す。滋息は生じて満に趨る。壮より老に至るは、気は日日に返りて游散す。游散は消して尽に趨る。その日日に至りて伸ぶるを以て神と言い、その日日に返りて帰るを以て鬼と言う(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。】」
性者萬物之一源非有我之得私也惟大人為能盡其道是故立必俱立知必周知愛必兼愛成不獨成彼自蔽塞而不知順吾理者則亦末如之何矣【性原於天而人之所同得也惟大人者能盡巳之性則能盡人之性蓋性本無二也故已有所立必與夫人以俱立已有所知必使夫人以周知愛必兼愛使人皆得所愛也成不獨成使人皆有所成也四者大人之所存心也立者禮之幹也知者智之用也愛者仁之施也成者義之遂也自立於禮以至成於義學之始終也張子之教以禮為先故首曰立如是而彼或蔽塞而不通不知所以順乎理則亦無如之何然其心固欲其同盡乎一源之性也此即大學明明徳於天下中庸成巳成物之道蓋四端之根本也】
張載は言う。「性は万物の一源であって、我有る者の得て私にする所にあらず。ただ大人のみこの道を尽くすことを得る。だから立てば必ず倶に立ち、知れば必ず遍く知らしめ、愛すれば必ず兼愛し、成せば独り成さず。それ自ら蔽塞して我らの理に順うを知らざる者には、またこれに奈何する所なし。【性は天に原り、人の同じく得る所である。ただ大人のみが己の性を尽くすことを能くし、すなわち人の性を尽くすことを能くす。性はもとより二つなきがゆえに。だから己立つ所有れば必ず人と倶に立ち、己知る所有れば必ず人を遍く知らしめ、愛すれば必ず兼愛して人をして愛する所を得しめ、成せば独り成さず人をして成る所有らしむ。この四者は大人の存する心である。立は礼の骨干、知は智の用、愛は仁の施与、成は義の完成。礼に立つより義に成るに至るは、学の始終である。張子の教は礼を先と為す。だからまず立を言う。このようであって、相手或いは蔽塞して通ぜず、理に順うことを知らざれば、またこれに奈何する所なし。しかしその心は固より彼をして倶にあの一源の性を尽くさしめんと欲する。これがすなわち『大学』の明徳を天下に明かにし、『中庸』の己を成し物を成すの道。四端の根本である。】」
一故神譬之人身四體皆一物故觸之而無不覺不待心使至此而後覺也此所謂感而遂通不行而至不疾而速也【橫渠易説○一謂純一也神謂神妙而無不通也猶人之四體本一也故觸之即覺不待思慮擬議使一有間斷則痛癢有所不覺矣天地之為物不貳故妙用而無方聖人之心不貳故感通而莫測】心統性情者也【橫渠語録下同○朱子曰統是主宰性者心之理情者心之用心者性情之主也孟子曰仁人心也又曰惻隱之心性情上都下個心字可見心統性情之義】
張載は言う。「一は神を以てする所以である。人身に譬えれば、四体は皆一物である。だから一触すれば覚えざるなく、心がここに指使するを待たずして覚える。これがいわゆる感じて遂に通じ、行かずして至り、疾からずして速きである。【横渠『易説』に出る。○「一」は純一、「神」は神妙にして通ぜざるなし。人の四体はもとより一体に譬え、だから一触すれば覚え、思慮擬議を待たない。もし一たび間断あれば、痛痒は覚える所有る。天地の物と為るは貳なし。だから妙用して定方なし。聖人の心は貳なし。だから感通して測るべからず。】心は性情を統べる。【横渠『語録』に出る、以下同じ。○朱熹は言う——「統」は主宰。性は心の理、情は心の用、心は性情の主。孟子は「仁は人心なり」と言い、また「惻隠の心」と言い、性情の上に皆「心」の字を下す。ここにおいて心の性情を統べるの義を見るべし。】」
凡物莫不有是性由通蔽開塞所以有人物之別由蔽有厚薄故有智愚之別塞者牢不可開厚者可以開而開之也難薄者開之也易開則逹於天道與聖人一【有是氣必有是理此人與物之所共由也由氣有通蔽開塞故有人物之異由蔽有厚薄故人又有智愚之異塞者氣拘而填實之也故不可開此言物也蔽者但昏暗而有所不通皆可開也顧有難易之分耳及其既開則通乎天道與聖人一此言人也】
張載は言う。「凡そ物にこの性を具えざるはない。通・蔽・開・塞に由りて、人と物の分別有り。蔽に厚薄有るに由りて、智と愚の分別有り。塞は牢として開くべからず。厚は開くべきも開くこと難し。薄は開くこと易し。開けば天道に通達して、聖人と一である。【この気有れば必ずこの理有り。これは人と物の共に由る所である。気に通蔽開塞有るに由りて人物の差異有り。蔽に厚薄有るに由りて人にまた智愚の差異有り。塞は気拘わりて填実したるがゆえに開くべからず——これは物を言う。蔽はただ昏暗にして通ぜざる所有るのみ、皆開くべきも難易の分有り。すでに開くに及んで、すなわち天道に通じて聖人と一——これは人を言う。】」
近思録卷一
近思録 巻一
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思録卷二宋朱子呂祖謙同編
近思録 巻二 宋 朱子・呂祖謙 同編
葉採集解
葉采 集解
為學【凡一百一十一條】
為学【凡そ百十一条】
此卷總論為學之要蓋尊徳性矣必道問學明乎道體知所指歸斯可究為學之大凡矣
この巻は為学の要領を総論する。徳性を尊んだら、必ず問学に道るべきで、道体を明らかにし道の指帰する所を知ってこそ、為学の大凡を窮究することができる。
濂溪先生曰聖希天賢希聖士希賢【朱子曰希望也字本作晞】伊尹顔淵大賢也伊尹恥其君不為堯舜一夫不得其所若撻於市顔淵不遷怒不貳過三月不違仁【朱子曰説見書及論語皆賢人之事也】志伊尹之所志學顔子之所學【朱子曰此言士希賢也】過則聖及則賢不及則亦不失於令名【通書下同○朱子曰三者隨其用力之淺深以為所至之近逺不失令名以其有為善之實也○胡氏曰周子患人以發防決科榮身肥家希世取寵為事也故曰志伊尹之所志患人以廣聞見工文辭矜智能慕空寂為事也故曰學顔子之所學人能志此志而學此學則知斯道之大而其用無窮矣】
濂渓先生は言う。「聖人は天に至ることを希い、賢人は聖に至ることを希い、士は賢に至ることを希う。【朱熹は言う——「希」は希望。字はもと「晞」と作る。】伊尹・顔淵は大賢である。伊尹はその君が尭舜でないことを恥とし、一夫の民でもその所を得なければ、市で鞭打たれるがごとくであった。顔淵は怒りを遷さず過ちを貳びず、三月仁に違わなかった。【朱熹は言う——説は『尚書』および『論語』に見る。みな賢人の事である。】伊尹の志す所の志を立て、顔子の学ぶ所の学を学ぶ。【朱熹は言う——これは士が賢に至ることを希うを言う。】超えれば聖に至り、及べば賢に至り、及ばずとも美しい名を失わない。【『通書』に出る、以下同じ。○朱熹は言う——三者は用力の浅深に随って、至る所の遠近を為す。令名を失わないのは、善を為すの実質あるがゆえに。○胡宏は言う——周子は人が発策決科・栄身肥家・迎合取寵を事と為すを憂えた。だから「伊尹の志す所を志せ」と言う。人が広聞見・工文辞・矜智能・慕空寂を事と為すを憂えた。だから「顔子の学ぶ所を学べ」と言う(底本は「発防」とするが、「防」は「策」の誤り)。人能くこの志を立てこの学を学べば、斯道の大にしてその用の窮まらざるを知る。】」
聖人之道入乎耳存乎心蘊之為徳行行之為事業彼以文辭而已者陋矣【朱子曰欲人真知道徳之重而不溺於文辭之陋也】
周敦頤は言う。「聖人の道は、耳に入り心に存し、蘊蓄して徳行と為り、行って事業と為る。それ文辞にのみ由る者は、陋なり。【朱熹は言う——人をして真に道徳の重きを知らしめ、文辞の陋に沉溺せしめざるを欲す。】」
或問聖人之門其徒三千獨稱顔子為好學夫詩書六藝三千子非不習而通也然則顔子所獨好者何學也【哀公問弟子孰為好學孔子對曰有顔回者好學不幸短命死矣今也則亡六藝禮樂射御書數史記曰弟子蓋三千焉身通六藝者七十二人】伊川先生曰學以至聖人之道也聖人可學而至歟曰然【聖人生知學者學而知之及其知之則一也聖人安行學者勉而行之及其成功則一也】學之道如何曰天地儲精得五行之秀者為人【人物萬殊莫非二氣五行之所為也然人則得其精且秀者是以能通於道而為聖為賢】其本也真而靜其未發也五性具焉曰仁義禮智信【真者無極之真也靜者人生而靜天之性也曰真而靜者謂其天理渾全寂然不動而所具之性其目有是五者旣曰本又曰未發蓋本者指其稟受之初未發者指其未與物接之前也】形既生矣外物觸其形而動其中矣其中動而七情出焉曰喜怒哀樂愛惡欲【此言形生之後應事接物之時也物感於外情動於中其目有是七者然喜近於樂怒近於惡愛近於欲其所以分者蓋喜在心樂發散在外怒則有所激其氣憤惡則有所憎其意深愛則近於公欲則近於私愛施於人而欲本乎巳也】情既熾而益蕩其性鑿矣是故覺者約其情使合於中正其心養其性愚者則不知制之縱其情而至於邪僻梏其性而亡之【性動則為情然情炎於中末流益蕩則反戕賊其性矣惟夫明覺之士以禮制情使不失乎中故能正其心而不流於邪僻養其性而不至於梏亡愚者反是梏猶桎梏謂拘攣而暴殄之言人之所以貴於學也】然學之道必先明諸心知所徃然後力行以求至所謂自明而誠也【往一作養○朱子曰明諸心知所往窮理之事力行求至踐履之事也或曰知所養應上文養其性涵養之功與知行並進】誠之之道在乎信道篤信道篤則行之果行之果則守之固仁義忠信不離乎心造次必於是顛沛必於是出處語黙必於是乆而弗失則居之安動容周旋中禮而邪僻之心無自生矣【此因上文言所以誠之之道也信道篤則不惑行之果則不止守之固則不變朱子曰造次急遽苟且之時顛沛傾覆流離之際也○以上兩節論為學之道詳盡其大綱有三焉明諸心知所徃者智之事也力行以求至者仁之事也信道篤以下勇之事也然勇之中亦備此三者故信之篤者知之勇也行之果者仁之勇也守之固者勇之勇也仁義忠信不離乎心者信之篤也造次顛沛出處語黙必於是者行之果也乆而弗失守之固也動容周旋中禮邪僻之心不生則幾於化矣】故顔子所事則曰非禮勿視非禮勿聴非禮勿言非禮勿動【禮者天理之節文非禮者私慾之害乎天理者也勿者禁止之辭凡視聴言動克去巳私則日用之間莫非天理之流行矣此孔子教顔子為仁之目而顔子之所請事者也】仲尼稱之則曰得一善則拳拳服膺而弗失之矣又曰不遷怒不貳過有不善未嘗不知知之未嘗復行也此其好之篤學之之道也【中庸子曰回之為人也擇乎中庸得一善則拳拳服膺而弗失之矣拳拳奉持之貌服猶佩也膺胷也凡得一善言善行則奉持佩服於心胷不敢忘也又語曰不遷怒不貳過怒所當怒各止其所不遷也才即改巳改不再不貳也又易繫辭傳曰有不善未嘗不知知之未嘗復行也有不善而必知之是察巳之明也知之而不復行是克巳之誠也皆孔子所以稱顔子好學之道也】然聖人則不思而得不勉而中顔子則必思而後得必勉而後中其與聖人相去一息所未至者守之也非化之也以其好學之心假之以年則不日而化矣【聖人生知故不思而得安行故不勉而中顔子猶必擇善而固執之然其博文約禮工力俱到其未至於聖人者特一息之間耳使非短命而死則不淹時日所守者化而與聖人一矣】後人不逹以謂聖本生知非學可至而為學之道遂失不求諸巳而求諸外以博聞強記巧文麗辭為工榮華其言鮮有至於道者則今之學與顔子所好異矣【文集○後世聖學無傳不知反身修徳徒以記問詞章為學去道愈逺矣】
或る人が問う——聖人の門下に生徒三千、独り顔子の好学を称す。詩書六芸は、三千の弟子が学習せずして通暁したのではない。然らば顔子が独り好んだは何の学か。【魯の哀公は弟子誰か好学なるかを問う。孔子は答えて曰く——「顔回有りて好学なり、不幸にして短命にして死す。今は亡し」。六芸は礼・楽・射・御・書・数。『史記』は言う——弟子およそ三千、身に六芸を通ずる者七十二人。】伊川先生は言う。「学とは、聖人の道に至るを以てする。」「聖人は学んで至ることができるか。」答える——「できる。【聖人は生じてこれを知り、学者は学んでこれを知る。知るに及べばすなわち同じ。聖人は安んじてこれを行い、学者は勉力してこれを行う。成るに及べばすなわち同じ。】」「学の道は如何。」答える——「天地は精気を蔵し、五行の秀気を得るは人である。【人物万殊、二気五行の為す所に非ざるなし。しかし人はその中の精にして秀なるを得る。だから道に通じて聖賢と為ることができる。】その本は真にして静、未発の時は五性具備して、仁・義・礼・智・信と言う。【「真」は無極の真、「静」は人生まれて静なり・天の性。「真にして静」と言うは、天理渾全にして寂然として動かず、而るに具える所の性その条目にこの五者有るを言う。すでに「本」と言いまた「未発」と言う——本は禀受の初めを指し、未発はいまだ物と接する前を指す。】形すでに生じ、外物がその形に触れてその中を動かす。その中が動いて七情出る——喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲と言う。【これは形生の後、事に應じ物に接する時を言う。物は外に感じ、情は中に動く。その条目にこの七者有り。しかし喜は楽に近く、怒は悪に近く、愛は欲に近い。だから分かつ——喜は心に在り、楽は発散して外在。怒は激する所有りてその気憤たり、悪は憎む所有りてその意深し。愛は公に近く、欲は私に近し。愛は人に施し、欲は己に本づく。】情すでに熾盛にしてさらに放蕩すれば、その性はすなわち鑿傷せらる。だから覚悟の者はその情を約束して中に合わせ、その心を正しくしその性を養う。愚の者はすなわち節制を知らず、その情を放縱して邪僻に至り、その性を梏してこれを亡失す。【性動かばすなわち情と為る。しかし情が裏で燃え、末流さらに放蕩すれば、すなわち反ってその性を戕賊す。ただ明覚の士は礼を以て情を制約し、中を失わざらしめ、よってその心を正しくして邪僻に流れず、その性を養って梏亡に至らず。愚の者はこれに反す。「梏」は桎梏に譬え、拘攣して暴殄するの意。これは人の学を貴ぶ所以を言う。】しかし学の道は、必ずまず心に明らかにして往く所を知り、然る後に力行して至るを求む。これいわゆる明よりして誠である。【「往」一本は「養」と作る。○朱熹は言う——「心に明らかにし、往く所を知る」は理を窮めるの事、「力行して至るを求む」は践履の事。或いは「養う所を知る」と言えば上の「その性を養う」に應じ、涵養の功と知行と並進す。】これを誠にする道は道を信じること篤きに在り。道を信じること篤ければ則ち実行果決し、実行果決すれば則ち持守堅固なり。仁義忠信は心を離れず、倉卒の間も必ずここに在り、顛沛の間も必ずここに在り、出処語黙も必ずここに在り。長く失わざれば、則ち居る所安穏にして、動容周旋みな礼に中り、而るに邪僻の心生ずるに由なし。【これは上の文に就きてこれを誠にするの道を言う。道を信じること篤ければ則ち疑惑せず、実行果決なれば則ち停止せず、持守堅固なれば則ち改変せず。朱熹は言う——「造次」は急遽苟且の時、「顛沛」は傾覆流離の際。○以上の両節は為学の道を論じて詳なり。その大綱に三あり——心に明らかにし往く所を知るは智の事、力行して以て至るを求むは仁の事、道を信じること篤き以下は勇の事。しかし勇の中にもまたこの三者具わる——これを信じるの篤きは知の勇、これを行うの果なるは仁の勇、これを守るの固きは勇の勇。仁義忠信心を離れざるは信の篤、造次顛沛出処語黙必ず是に在るは行の果、久しくして失わざるは守の固。動容周旋礼に中り、邪僻の心生ぜざれば、則ち化に近し。】だから顔子の従事する所は、則ち曰く——礼に非ざれば視ず、礼に非ざれば聴かず、礼に非ざれば言わず、礼に非ざれば動かず。【礼は天理の節文、非礼は私欲の天理を害する。「勿」は禁止の辞。凡そ視聴言動に己私を克去すれば、日用の間天理の流行に非ざるなし。これは孔子が顔子に仁を為すの条目を教え、而るに顔子の請いて従事する所である。】仲尼が彼を称するには、則ち曰く——一善を得れば則ち拳拳服膺してこれを失わず。また曰く——怒りを遷さず、過ちを貳びず。不善有れば曽て知らざるなく、知りて曽て復た行わず。これすなわち彼のこれを好むこと篤き、学の道である。【『中庸』——孔子曰く「回の人たるや、中庸を択び、一善を得れば則ち拳拳服膺してこれを失わず」。「拳拳」は奉持する貌、「服」は佩に譬え、「膺」は胸。凡そ一善言善行を得れば、則ち奉持して心胸に佩服し、敢えて忘れず。また『論語』に「怒りを遷さず過ちを貳びず」——怒る所当たりて怒り、各々その所に止まりて遷さず。才だ覚りて(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)則ち改め、すでに改めて再びせず——これが貳びざる。また『易・繋辞伝』に「不善有れば曽て知らざるなく、知りて曽て復た行わず」——不善有りて必ず知るは己を察するの明、知りて再びせざるは己に克つの誠。みな孔子が顔子の好学を称する所以の道。】しかし聖人は思わずして得、勉めずして中る。顔子は則ち必ず思うて後に得、勉めて後に中る。聖人と相距ることただ一息のみ。未だ至らざる所は、守りて而も未だ化せざるなり。彼の学を好む心を以てすれば、もし年歳を多く与えば、則ち久しからずして化せん。【聖人は生知ゆえに思わずして得、安行ゆえに勉めずして中る。顔子はなお必ず善を択びて固く執る。しかし彼は博文約礼にして工力みな至り、聖人に至らざるはただ一息の間のみ。たとい短命にして死せずんば、則ち淹留の時日を须とせず、守る所は化して聖人と一と為らん。】後人明らかならず、聖人はもとより生知にして、学ぶべくして至るべからずと為し、而るに為学の道是に於いて失わる——己に求めずして外に求め、博聞強記・巧文麗辞を以て工巧と為し、言語をして栄華ならしめ、道に至ること尠し。然らば今の学は顔子の好む所と同じからざるなり。【『文集』に出る。○後世聖学の伝承なく、身に反して徳を修むるを知らず、ただ記問詞章を以て学と為す。道を離るることさらに遠し。】」
橫渠先生問於明道先生曰定性未能不動猶累於外物何如明道先生曰所謂定者動亦定靜亦定無將迎無內外【此章就猶累於外物一句反覆辨明蓋萬物不同而無理外之物萬理不同而無性外之理凡天下之物理酬酢萬端皆吾性之所具也所謂定性者非一定而不應也發而中節動亦定也敬而無失靜亦定也將送也事之往也無將事之來也無迎動靜一定何有乎將迎寂然不動者存於內也感而遂通者應於外也體用一貫何間乎內外】苟以外物為外牽巳而從之是以巳性為有內外也且以性為隨物於外則當其在外時何者為在內是有意於絶外誘而不知性之無內外也既以內外為二本則又烏可遽語定哉【承上文而言苟以外物為外凡應物者必牽巳而從之是以性為有內外如是則方其逐物在外之時在內已無此性矣其可乎蓋有意於絶外物之誘而不知性本無內外之分也既分內外為兩端則人在天地間不能不與物接是無時而能定也】夫天地之常以其心普萬物而無心聖人之常以其情順萬事而無情故君子之學莫若廓然而大公物來而順應【常常理也天地之心運用主宰者是也然而普遍萬物實未嘗有心焉聖人之情應酬發動者是也然而隨順萬事亦未嘗容情焉故君子之學廓然大公何嫌於外物物來順應何往而不定哉此二句又此書之綱領也】易曰貞吉悔亡憧憧往來朋從爾思苟規規於外誘之除將見滅於東而生於西也非惟日之不足顧其端無窮不可得而除也【鹹卦九四象辭憧憧往來不絶貎各以朋類從其所思蓋人之一心應感無窮苟惡外物之誘而欲除滅之將見滅於彼而生於此非惟日見其用力之不足而亦有不可得而除滅者矣】人之情各有所蔽故不能適道大率患在於自私而用智自私則不能以有為為應跡用智則不能以明覺為自然今以惡外物之心而求照無物之地是反鑑而索照也【人心各有所蔽大防在自私與用智之兩端蓋不能廓然而大公故自私不能物來而順應故用智自私者則樂於無為而不知以有為為應跡之當然用智者則作意於有為而不知以明覺為循理之自然今惡外物之累已是自私之心也而求照無物之地是亦用智之過也猶反鑑以索照寧可得哉蓋自私與用智雖若二病而實展轉相因也○或問自私用智之語恐即是佛氏之自私朱子曰常人之私意與佛氏之自私皆一私也但明道説得闊非専指佛之自私也愚謂橫渠欲去外物之累便已近於釋氏故程子推其病源自然與釋氏相似然其自私類於釋而用智則又類於老要之二氏用意皆欲不累於外物而已】易曰艮其背不獲其身行其庭不見其人孟氏亦曰所惡於智者為其鑿也【朱子曰不獲其身不見其人此説廓然而大公所惡於智為其鑿也此説物來而順應】與其非外而是內不若內外之兩忘也兩忘則澄然無事矣無事則定定則明明則尚何應物之為累哉【自私用智之患其根在於分內外為二以在外者為非在內者為是然在外者終不容以寂滅故常為外物所撓惟能知性無內外而兩忘之則動靜莫非自然澄然無事矣所謂廓然大公者也無事則心無所累故能明明則物來順應尚何外物之累哉蓋內外兩忘則非自私能定而明則非用智○朱子曰內外兩忘非忘也一循乎理不是內而非外也】聖人之喜以物之當喜聖人之怒以物之當怒是聖人之喜怒不繫於心而繫於物也是則聖人豈不應於物哉烏得以從外者為非而更求在內者為是也今以自私用智之喜怒而視聖人喜怒之正為何如哉【聖人未嘗無喜怒是未嘗自私也然其喜怒皆系彼而不繫此是未嘗用智也以自私用智之喜怒其視聖人之喜怒一循乎天理之正者豈不大相戻哉】夫人之情易發而難制者惟怒為甚第能於怒時遽忘其怒而觀理之是非亦可見外誘之不足惡而於道亦思過半矣【朱子曰忘怒則公觀理則順】伊川先生答朱長文書曰聖賢之言不得已也蓋有是言則是理明無是言則天下之理有闕焉如彼耒耜陶冶之器一不制則生人之道有不足矣聖賢之言雖欲巳得乎然其包涵盡天下之理亦甚約也【耒之首為耜耜之柄為耒範土曰陶鑄金曰冶聖賢之言本非得巳也蓋將發明天理以覺斯民猶民生日用之具不可缺也然其言寡而理無不該亦非以多言為貴也】後之人始執卷則以文章為先平生所為動多於聖人然有之無所補無之靡所闕乃無用之贅言也不止贅而巳既不得其要則離真失正反害於道必矣【後人徒志於為文而不足以明理則非徒無益而已蓋不得其本未免流於邪偽反害於道矣】來書所謂欲使後人見其不忘乎善此乃世人之私心也夫子疾沒世而名不稱焉者疾沒身無善可稱云爾非謂疾無名也名者可以厲中人君子所存非所汲汲【君子學以為巳苟求人知則是私心而已】
横渠先生が明道先生に問うて言う。「定性はなお動かざるを得ず、仍ほ外物に牵累さる。如何せん。」明道先生は言う。「いわゆる定とは、動くも定、静なるも定、送往迎来なく、内外なし。【この章は「なお外物に累る」の一句に就きて反復して弁明す。万物は同じからざれども理外の物なく、万理は同じからざれども性外の理なし。凡そ天下の物理酬酢万端は、みな吾が性の具有する所。いわゆる定性とは、一定して應ぜざるに非ず——発して中節すれば動くも定、敬にして失なければ静なるも定。「将」は送、事過ぐれば送るなく、事来れば迎るもなし。動静一定なれば、何ぞ将迎あらん。寂然として動かざるは内に存し、感じて遂に通ずるは外に應ず。体用一貫、何ぞ内外を隔てん。】もし外物を以て外と為し、己を牵引してこれに従わしめば、すなわち己性を以て内外有りと為す。しかも性が物に随いて外に至ると以為すれば、則ちその外に在るとき、内に在るは何ぞ。これは意を有して外誘を隔絶し、而も性にもとより内外なきを知らざるなり。すでに内外を以て両つの根本と為す、又怎么可以して急に定を談ぜんや。【上文を承く。もし外物を以て外と為せば、凡そ物に應ずるは必ず己を牵引して従わしむ。すなわち性を以て内外有りと為す。こく然れば、それ物を逐いて外に在るとき、内にはすでにこの性なし。可ならんや。これ意を有して外物の誘を隔絶し、而も性にもとより内外の分なきを知らざるなり。すでに内外を分かちて両端と為せば、則ち人は天地の間に在りて物と接せざるを得ず。すなわち時に定むる能くするなし。】天地の常理は、心を用いて万物に溥及して私心なし。聖人の常理は、情を用いて万事に順應して私情なし。だから君子の学は、廓然大公・物来順應より善きはなし。【「常」は常理。天地の心は運用主宰するものなれども、万物に溥遍して、実に曽て心有らず。聖人の情は應酬発動するものなれども、万事に随順して、亦曽て私情を容れず。だから君子の学は廓然大公にして、外物に何の嫌忌かあらん。物来り順應すれば、何れに之きてか定まらざらん。この两句はまたこの書の綱領である。】『周易』は言う——「貞吉悔亡。憧憧往来、朋爾思に従う」。もし規規として外誘を除去せんとすれば、東に滅して西に生ずるを見ん。日力足らざるのみならず、その端緒窮まりなく、得て除尽すべからず。【『咸卦』九四の象辞。「憧憧」は往来絶えざるの貌。各々朋類を以てその思う所に従う。人の一心は應感窮まりなし。もし外物の誘を悪みてこれを除滅せんと欲すれば、彼方に滅して此方に生ずるを見ん。日見えて用力足らざるのみならず、得て除滅すべからざる有り。】人の情は蔽う所有り。だから道に適う能わず。大抵の病は自私して智を用ゆるに在り。自私すれば則ち有為を以て應接の形迹と為す能わず、智を用ゆれば則ち明覚を以て自然と為す能わず。今外物を悪むの心を以て無物の地を照見せんと求むるは、鏡を反して照を求むるなり。【人心は蔽う所各々有り。大病(底本は「大防」とするが、「大病」の誤り)は自私と用智の両端に在り。廓然大公たる能わざるゆえに自私し、物来順應たる能わざるゆえに智を用ゆ。自私の者は無為を楽しみ、而も有為を以て應迹の当然と為すを知らず。用智の者は有為に意を著け、而も明覚を以て理に循うの自然と為すを知らず。今外物が己を牵累するを悪むは自私の心、而も無物の地を照せんを求むるもまた用智の過。鏡を反して照を求むるに譬え、豈に得るべけんや。自私と用智は二つの病のごとく見ゆれども、其の実は輾転相因す。○或る人問う——自私用智の言は、恐らくは佛氏の自私ならん。朱熹は言う——常人の私意と佛氏の自私とは皆一つの私なり。但し明道の説く所は寛く、専ら佛の自私を指すに非ず。葉采按——横渠は外物の牵累を去らんと欲し、便ちほぼ釋氏に近し。だから程子はその病源を推せば、自然に釋氏と相似たり。しかしその自私は釋に類し、用智は則ちまた老に類す。要するに、二氏の用意は皆外物に累われざらんと欲するのみ。】『周易』は言う——「その背を艮し、その身を獲ず。その庭に行きて、その人を見ず」。孟子もまた言う——「智を悪む所以は、其の鑿るが為なり」。【朱熹は言う——「その身を獲ず、その人を見ず」とは廓然大公を言う。「智を悪むは其の鑿るが為」は物来順應を言う。】外を以て非と為し内を以て是と為すよりは、内外両忘するに如かず。両忘すれば則ち澄然として事なし。事なければ則ち定まり、定まれば則ち明らかなり。明らかなれば還って物に應ずるの牵累と為るを懼れんや。【自私用智の病は、根子は内外を分かちて二と為し、外面を以て非と為し内面を以て是と為すに在り。しかし外面は終に寂滅を容れず、だから常に外物に撓乱せらる。ただ能く性に内外なくしてこれを両忘すれば、則ち動静自然に非ざるなく、澄然として事なし。すなわちいわゆる廓然大公。事なければ則ち心の累る所なきがゆえに能く明らかなり、明らかなれば則ち物来り順應す。還って外物の牵累を懼れんや。内外両忘すれば則ち自私に非ず、能く定まりて明らかなれば則ち用智に非ず。○朱熹は言う——内外両忘は遺忘に非ず、一概に理に遵循し、内を是とし外を非とするに非ず。】聖人の喜は、物の当に喜ぶべきに因る。聖人の怒は、物の当に怒るべきに因る。だから聖人の喜怒は心に繋がらずして物に繋がる。こく然れば、聖人は豈に物に應ぜざらんや。怎么可以して外に従うを以て非と為し、別に内に在るを求めて是と為さんや。今自私用智の喜怒を以て、聖人の喜怒の正を看るは、又奈何。【聖人は曽て喜怒なきに非ず、是れ曽て自私せざるなり。しかしその喜怒は皆彼に繋がりて此に繋がらず、是れ曽て智を用いざるなり。自私用智の喜怒を以て、聖人の喜怒の一概に天理の正に循うを看れば、豈に大相違背せざらんや。】人の情の発し易く制し難きは、ただ怒が最も甚だし。ただ能く怒の時に即ち怒を忘れて理の是非を観れば、亦た外誘の悪むに足らざるを見るべくして、道に於いても過半を想うことができる。【朱熹は言う——怒を忘れば則ち公、理を観れば則ち順。】」伊川先生が朱長文に答える書に曰く——「聖賢の言は已むを得ざるなり。この言有れば則ちこの理明らかに、この言無ければ則ち天下の理に缺漏有り。耒耜陶冶の器具のごとく、一様も製せざれば則ち生人の道に不足有り。聖賢の言はたとい止めんと欲すとも、能く止められんや。しかしそれは天下の理を包涵し尽くして、亦た甚だ簡約なり。【耒の頭は耜、耜の柄は耒。模を以て土器を作るを陶と言い、金を鋳るを冶と言う。聖賢の言はもとより得已に非ず。天理を発明して斯民を覚らさんと欲するは、民生日用の器具の缺くべからざるがごとし。しかしその言は少なくして理は包まざるなく、多言を以て貴しと為すに非ず。】後の人は才だ書を把れば則ち文章を先と為す。平生の為す所は動もすれば聖人より多し。しかしこれ有りて補う所なく、これ無きに缺る所なし。乃ち用無きの赘言なり。赘なるのみならず——すでにその要を得ざれば、則ち真を離れ正を失い、反って道を害するは必ずなり。【後人はただ文章を作るに志を立てて理を明らかにするに足らず。則ち益なきのみならず。その本を得ざるがゆえに、未免邪偽に流れ、反って道を害す。】来書のいわゆる後人をして其の善を忘れざるを見せしめんと欲するは、此乃ち世人の私心なり。夫子が「世に没して名称せらるるなき」を痛恨するは、終身善有りて称述すべからざるを痛恨するのみ、名声なきを痛恨するに非ず。名声は中等の人を激励すべし。君子の存する所は、汲汲としてこれを求むるに非ず。【君子の学は己の為なり。もし人の知るを求めば、則ち私心のみ。】」
內積忠信所以進徳也擇言篤志所以居業也【幹九三文言傳朱子曰內積忠信是實心擇言篤志是實事又曰忠信者如惡惡臭如好好色表裡無一毫之不實擇言謂脩辭篤志謂立誠立誠即上文忠信又曰內有忠信方能脩辭徳以心言業者徳之事徳要日新又新故曰進業要存而不失故曰居進如日知其所亡居如月無忘其所能進徳脩業只是一事】知至至之致知也求知所至而後至之知之在先故可與幾所謂始條理者知之事也【至謂至善之地也求知至善之地而後至其所知所重者在知故曰可與幾蓋幾者動之微事之先見者也致知以正其始則能得乎事之幾微矣智者知之至明也】知終終之力行也既知所終則力進而終之守之在後故可與存義所謂終條理者聖之事也此學之始終也【易傳下同○終即至善之盡處也既知所終則力行而終之所重在行故曰可與存義蓋義者當然之則存者守而勿失也力行以成其終斯能立乎事之則義矣聖者行之至盡也始終條理之説詳見孟子】
程頤は言う。「内に忠信を積む、徳を進むる所以なり。言を択び志を篤くす、業を居る所以なり。【『乾』九三『文言』伝。朱熹は言う——内に忠信を積むは実心、言を択び志を篤くするは実事。また言う——忠信は悪臭を悪み好色を好むがごとく、表裏に一毫も実ならざるなし。「言を択ぶ」は辞を修むる、「志を篤くす」は誠を立つる。誠を立つるはすなわち上の文の忠信。また言う——内に忠信有ってこそ能く辞を修む。徳は心に就いて言い、業は徳の事。徳は日新たまただ新たかるべきゆえに進と言い、業は存して失わざるべきゆえに居と言う。進は「日にその亡き所を知る」がごとく、居は「月にその能くする所を忘れず」がごとし。徳を進め業を修むるはただ一事。】「至るを知りこれに至る」は知を致すなり——至る所要を求知りて、然る後にこれに至る。知は先に在り、だから幾と与にす可し。いわゆる始条理は知の事なり。【「至」は至善の地。至善の地を求知りて、然る後にその知る所に至る。重んずる所は知に在り。だから幾と与にす可しと言う。幾は動の隠微、事の先に見ゆる。知を致して以てその始めを正しくすれば、すなわち事の幾微を得。智は知の至明なり。】「終わるを知りこれを終わらす」は力を行うなり——すでに終わる所を知れば、則ち力進してこれを終結す。守は後に在り、だから義を存すと与にす可し。いわゆる終条理は聖の事なり。これが学の始終である。【『易伝』に出る、以下同じ。○「終」はすなわち至善の尽くる処。すでに終わる所を知れば則ち力を行いてこれを終わらす。重んずる所は行に在り。だから義を存すと与にす可しと言う。義は当然の則、「存」は守りて失わざる。力を行いて以てその終わりを成せば、すなわち事の則義に立つことを得。聖は行の至尽なり。始終条理の説は詳しく『孟子』に見る。】」
君子主敬以直其內守義以方其外敬立而內直義形而外方義形於外非在外也【坤六二丈言傳敬主於中則動靜之間心存戒謹自然端直而無邪曲之念義見於外則應酬之際事當其則自然方正而無回撓之私然義之用逹於外耳義非在外也】敬義既立其徳盛矣不期大而大矣徳不孤也【內直外方敬義交養其徳自然盛大故曰不孤也】無所用而不周無所施而不利孰為疑乎【徳至於大則其所行無一而不備無往而不順故曰不疑其所行也】
程頤は言う。「君子は敬を用いてその内を直くし、義を守りてその外を方くす。敬立ちて内直く、義見えて外方なり。義の外に見えるは、外に在るに非ず。【『坤』六二『文言』伝。敬は中に主れば、則ち動静の間心に戒謹を存し、自然に端直にして邪曲の念なし。義は外に見えれば、則ち應酬の際事はその則に合し、自然に方正にして回撓の私なし。しかし義の用は外に通達すれども、義は外に在るに非ず。】敬義すでに立てば、その徳は盛んなり、大ならんを期せずして自然に大なり。徳は孤ならず。【内直く外方にして、敬義交わり養う。その徳は自然に盛大。だから孤ならずと言う。】用いる所なくして周遍せず、施す所なくして順利せず。誰か疑わん。【徳が大に至れば、則ちその行う所は一も備わらざるなく、往きて利ならざるなし。だからその行う所を疑わずと言う。】」
動以天為無妄動以人慾則妄矣無妄之義大矣哉【震下幹上為無妄震動也幹天也故曰動以天妄邪偽也動而純乎天理則無邪偽矣】雖無邪心苟不合正理則妄也乃邪心也既已無妄不宜有往往則妄也故無妄之彖曰其匪正有眚不利有攸徃【心雖非出於邪妄而見理不明所為或乖於正理是即妄也即邪心也故無妄而有匪正之眚又事至於無妄則得所止矣不宜有往往乃過也過則妄也故曰不利有攸徃】
程頤は言う。「動いて天を以てするを無妄と為し、動いて人欲を以てすれば則ち妄なり。無妄の義は大なり。【震下乾上は無妄。震は動、乾は天。だから動いて天を以てすと言う。妄は邪偽。動いて天理に純なれば則ち邪偽なし。】たとい邪心なくとも、もし正理に合わざればすなわち妄、乃ち邪心なり。すでに無妄なれば、往く有るべからず。往けば則ち妄なり。だから『无妄』の彖は曰く——「其れ正に匪ざれば眚有り、往く所有るに利あらず」。【心は邪妄に出ずと雖も、而も理を見ること明らかならず、為す所或いは正理に乖けば、すなわち妄、すなわち邪心。だから無妄にして「正に匪ざる」の災眚有り。また、事が無妄に至れば則ち止まる所を得たり。更に往く有るべからず。往けばすなわち過、過れば則ち妄。だから「往く所有るに利あらず」と言う。】」
人之蘊蓄由學而大在多聞前古聖賢之言與行考跡以觀其用察言以求其心識而得之以蓄成其徳【大畜卦象傳考聖賢之行可以觀其用察聖賢之言可以求其心有見於此則蓄徳日大蓋非徒多聞之為貴】鹹之象曰君子以虛受人伊川易傳曰中無私主則無感不通以量而容之擇合而受之非聖人有感必通之道也【鹹者感也故鹹卦皆以感為義惟虛中而無所私主則物來能應有感必通也若夫有量則必有限有合則必有不合此非聖人感通之道也】其九四曰貞吉悔亡憧憧往來朋從爾思傳曰感者人之動也故鹹皆就人身取象四當心位而不言鹹其心感乃心也感之道無所不通有所私系則害於感通所謂悔也聖人感天下之心如寒暑雨無不通無不應者亦貞而已矣貞者虛中無我之謂也【鹹卦取象人身初為拇二為腓三為股五為脢上為輔頰舌四當心位而不言心者感者必以心也有感則有通然使在此者有所私系則為感之道狹矣心所不通是悔也聖人之感天下如寒暑雨周遍公溥無所私系故無不通應所謂貞吉而悔亡也或謂貞者正也未有解為虛中無我者愚聞之師曰諸卦之貞各隨卦義以為正幹以健為貞坤以順為貞故曰利牝馬之貞虛中無我者鹹之貞也然此與象以虛受人異者蓋象取山澤通氣之義謂虛中以受人之感爻取四為感之主謂虛中以感人也惟虛則能應人之感惟虛則能感人之應其理則一也】若往來憧憧然用其私心以感物則思之所及者有能感而動所不及者不能感也以有系之私心既主於一隅一事豈能廓然無所不通乎【憧憧徃來者私心也若無私心則湛然泰然何至憧憧也惟其私心有系故其所思者有及與不及而其所感者有通與不通所謂朋從爾思者蓋思惟及其朋類亦惟朋類乃從其思耳】
程頤は言う。「人の蘊蓄は学に由りて大なり。多く前古聖賢の言と行とを聞くに在り——其の形迹を考えて以て其の用を観、其の言を察して以て其の心を求め、識りてこれを得、以て其の徳を蓄成す。【『大畜』卦象伝。聖賢の行を考えれば以て其の用を観るべく、聖賢の言を察すれば以て其の心を求むべし。ここに見る有れば則ち徳を蓄えて日に大なり。ただ多聞を以て貴しと為すに非ず。】『咸』の索は曰く——「君子は虚を以て人を受く」。伊川『易伝』は曰く——中に私主なければ、則ち感ぜずして通ぜざるなし。量を按じて容納し、合するを択びてこれを受くるは、聖人の感じて必ず通ずるの道に非ず。【咸はすなわち感。だから『咸』卦は皆感を以て義と為す。ただ中虚にして私主する所なければ、則ち物来りて能く應じ、感有れば必ず通ず。量有れば則ち必ず有限、合有れば則ち必ず合せざる有り。これは聖人の感通の道に非ず。】其の九四は曰く——「貞吉悔亡。憧憧往来、朋爾思に従う」。伝は曰く——感は人の動なり。だから『咸』は皆人身に就きて象を取る。四は心臓の位に当たりて而も「其の心を咸す」と言わざるは、感はすなわち心なればなり。感の道は通ぜざる所なし。私繋する所有れば則ち感通に害あり。すなわちいわゆる悔なり。聖人は天下の心に感ず。寒暑雨暘(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)の通ぜざるなく應ぜざるなきがごときも、亦た貞のみ。貞は虚中にして無我の意なり。【『咸』卦は人身に象を取る——初は拇、二は腓、三は股、五は脢、上は輔頬舌。四は心位に当たりて而も心と言わざるは、感は必ず心を用うればなり。感有れば則ち通有り。しかしもしここに私繋する所有らば、則ち感と為すの道は狭く、心の通ぜざるはすなわち悔。聖人は天下に感ず。寒暑雨暘のごとく、周遍公溥にして私繋する所なし。だから通じ應ぜざるなく、すなわちいわゆる貞吉にして悔亡。或いは曰く「貞」は正、曽て虚中無我と解せず。葉采は師に聞く——諸卦の貞は各々卦義に随いて以て正と為す。乾は健を以て貞と為し、坤は順を以て貞と為す。だから「牝馬の貞に利し」と言う。虚中無我は咸の貞なり。しかしこれは象の「虚を以て人を受く」と同じからず——象は山沢通気の義を取る。是れ虚中にして人の感を受く。爻は四を取りて感の主と為す。是れ虚中にして人に感ず。ただ虚なるを以て能く人の感に應じ、ただ虚なるを以て能く人の應に感ず。その理は則ち一つなり。】もし往来憧憧然として、私心を用いて物に感ぜば、則ち思う所朋従すること動して咎を生ず。憧々の往来は未だ光大ならざるなり。】
君子之遇艱阻必自省於身有失而致之乎有所未善則改之無歉於心則加勉乃自修其徳也【蹇卦象傳此教人以處艱阻之道自省其身而有不善則當速改不可以怠而廢苟無愧焉則益當自勉不可以阻而廢君子反躬之學雖遇艱阻亦莫非進徳之地】
程頤は言う。「君子は艱阻に遇えば、必ず自ら反省す——是れ過失の致す所有りや。未だ善ならざる所有れば則ち改め、心に歉疚なければ則ちさらに勉励す。乃ち自ら其の徳を修むるなり。【『蹇』卦象伝。これは人に艱阻に処るの道を教うるなり。自ら其の身を省みて不善有れば則ち当に速やかに改むべし。怠りて廃すべからず。もし愧るなければ、則ち更に当に自ら勉るべし。阻に因りて廃すべからず。君子の躬に反るの学は、たとい艱阻に遇うとも、亦た徳を進むるの地に非ざるなし。】」
非明則動無所之非動則明無所用【豐卦初九傳知行相需不可偏廢非知之明則動將安之如目盲之人動則不知所之也非行之力則明亦無所用如足痿之人雖有見焉亦不能行矣】
程頤は言う。「明らかならざれば則ち動くに往く所なし。動かざれば則ち明らかなるも用いる所なし。【『豊』卦初九伝。知と行とは互いに相須けて、偏廃すべからず。これを知るの明ならざれば、則ち動いて将に何れにか往かん。目盲の人の一たび動けば則ち往く所を知らざるがごとし。これを行うの力ならざれば、則ち明らかなるもまた用いる所なし。足痿の人の見る所有るも、能く走らざるがごとし。】」
習重習也時復思繹浹洽於中則説也【說見論語○繹往來防繹也學者於所學之事時時思繹不驟不輟義理乆則浹洽其中自然悅豫也】以善及人而信從者眾故可樂也【善有諸巳足以及人信從者眾同歸於善豈不可樂也蓋與人為善之意如此】雖樂於及人不見是而無悶乃所謂君子【經説下同○君子者成徳之名也雖樂於以善及人然人或未信則亦安其在我而已奚慍焉蓋自信之篤而無待於外所以為成徳也】古之學者為巳欲得之於巳也今之學者為人慾見知於人也【説見論語○為己者如食之求飽衣之求溫溫飽在巳非為人也為人者但求在外之美觀非關在我之實用故學而為巳則所得者皆實得學而為人剛雖或為善亦非誠心況乎志存務外自為欺誑善日消而惡日長矣○朱子曰為學且須分內外義利便是生死路頭】
程頤は言う。「『習』は反復して練習すること。時時に再三して思繹して、義理が中に浹洽すれば、則ち喜悦なり。【説は『論語』に見る。○「繹」は往来して尋繹す(底本は「往来防繹」とするが、「防」は「尋」の誤り)。学者は学ぶ所の事に対し時時に思繹して、驟進せず亦た中輟せず。義理は久しくして其の中に浹洽し、自然に悦豫す。】善を推して人に及ぼして信従する者多ければ、だから楽しむべし。【善は己の身に在りて以て人に推し及ぼすに足り、信従する者多くして同じく善に帰す。豈に楽しむべからざらんや。人とともに善を為すの意はこのごとし。】人に推し及ぼすを楽しむと雖も、認められずとも煩悶せず。乃ちいわゆる君子なり。【『経説』に出る、以下同じ。○君子は徳を成すの名。善を以て人に及ぼすを楽しむと雖も、然るに人或いは未だ信ぜずとも、亦たただ己の方に安んずるのみ。何の愠怒かあらん。これは自ら信ずること篤くして外に求むる所なし。だから徳を成すなり。】古の学者は己の為なり。是れ己に得んことを欲するなり。今の学者は人の為なり。是れ人に知られんことを欲するなり。【説は『論語』に見る。○己の為とは、飯を食いて飽を求め、衣を衣て暖を求むるがごとく、温飽は己に在りて人の為に非ず。人の為とは、ただ外の好きを求めて己の実用に関せず。だから学んで己の為と為せば則ち得る所は皆実得。学んで人の為と為せば、則ちたとい善を為すも誠心に非ず。況んや志は外を務め己を欺くに於いてをや。善は日に消え悪は日に長たん。○朱熹は言う——為学は且つ内外・義利を分かつを须とす。便是れ生死の路頭なり。】」
伊川先生謂方道輔曰聖人之道坦如大路學者病不得其門耳得其門無逺之不可到也求入其門不由於經乎今之治經者亦眾矣然而買櫝還珠之蔽人人皆是經所以載道也誦其言辭解其訓詁而不及道乃無用之糟粕耳【説見韓子○方元宷字道輔經所以載道猶櫝所以藏珠治經而遺乎道猶買櫝而還其珠】覬足下由經以求道勉之又勉異日見卓爾有立於前然後不知手之舞足之蹈不加勉而不能自止矣【手帖○道非有形狀之可見蓋其志道之切行道之篤視聴言動造次顛沛不違乎道用力既乆所見益為親切如有卓然而立於前者則中心喜樂自然欲罷不能矣】
伊川先生は方道輔に対して言う。「聖人の道は平坦にして大路のごとし。学者の病は其の門を得ざるのみ。其の門を得れば、遠くして至らざるなし。其の門に入らんことを求むるに、経書に経由せざるか。今経を治める者もまた多し。然るに櫝を買い珠を還すの病は人人是れなり。経は以て道を載せる者なり。其の言辞を誦し其の訓詁を解して道に及ばざるは、乃ち用無き糟粕なり。【説は韓愈に見る。○方元采は字は道輔。経の道を載する所以は、櫝の珠を蔵する所以のごとし。経を治めて道を丟うは、櫝を買いて其の珠を還すがごとし。】足下の経に由りて以て道を求めんことを希望す。勉めまた勉めよ。他日卓然として前に立つ有るを見て、然る後に手の舞う足の蹈むを知らず、勉めを加えずして自ら止む能わず。【手帖に出る。○道は並びて形状の見ゆるなし。道を志すの切・道を行うの篤なるに因りて、視聴言動・造次顛沛も道に違わず、用力すでに久しければ、見る所はさらに親切にして、卓然として前に立つ有るがごとき有れば、則ち中心喜楽し、自然に罷まんと欲するも能わず。】」
明道先生曰修辭立其誠不可不子細理防言能修省言辭便是要立誠若只是修飾言辭為心只是為偽也【修省言辭者中有其誠省治之將以立實徳也修飾言辭者中無其誠虛飾之將以為誇美也省飾之間乃天理人慾之分○朱子曰橫渠以立言傳後為修辭明道所謂修辭但是非理勿言】若修其言辭正為立巳之誠意乃是體當自家敬以直內義以方外之實事【敬義説見前誠意者合敬義之實而為言也體當俗語猶所謂體驗勘當也蓋修其言辭者所以擬議其敬義之實事而非徒事於虛辭也】道之浩浩何處下手惟立誠才有可居之處有可居之處則可以修業也【浩浩流行盛大貎下手謂用力處道之廣大於何用功惟立巳之誠意始有可據守之地此誠既立則其業之所就日以廣大】終日干幹大小大事卻只是忠信所以進徳為實下手處修辭立其誠為實修業處【遺書下同説並見易文言○君子終日干幹是體天行健之事可謂大矣然其實則惟忠信積於內而無一念之不實者為用功之地修辭立於外而無一言之不實者為見功之地蓋表裡一於誠至誠故乾乾而不息】
明道先生は言う。「『辞を修め其の誠を立つ』——仔細に理会せざるべからず。能く言辞を修省すると言うは、便ち是れ誠を立てんと要するなり。もし只是れ言辞を修飾するのみならば、存心は只是れ偽を作すのみ。【言辞を修省する者は、裏に誠有り。之を省治して以て実徳を立てんとするなり。言辞を修飾する者は、裏に誠なし。虚飾して以て美を誇らんとするなり。省と飾との間は、乃ち天理人欲の分界なり。○朱熹は言う——横渠は言を立てて後に伝うるを以て辞を修むと為す。明道のいわゆる辞を修むるは只是れ理に非ざれば言わざるのみ。】もし其の言辞を修むるが正に己の誠意を立てんが為なれば、乃ち自家の『敬を以て内を直くし義を以て外を方くす』の実事を体当するなり。【敬義の説は前に見る。誠意は敬義の実を合わせて言う。「体当」は俗語。いわゆる体験勘当のごとし。其の言辞を修むるは、以て其の敬義の実事を擬議するなり。徒然に虚辞に従事するに非ず。】道は浩浩として広大、何れの処にか下手せん。ただ誠を立ててこそ居るべきの処有り。居るべきの処有れば、則ち以て業を修むべし。【「浩浩」は流行盛大の貌。「下手」は用力の処。道の広大は何れよりか功を用いん。ただ己の誠意を立てて、始めて拠守すべきの地有り。この誠すでに立てば、則ち其の業の成就する所は日に以て広大なり。】終日乾乾、大事小事は却て只是れ——忠信は徳を進むる所以、切実の下手処と為し、辞を修め其の誠を立つるは、切実の業を修むる処と為す。【『遺書』に出る、以下同じ。説は並びて『易・文言』に見る。○君子終日乾乾たるは、天行健の事を体するなり。大なりと言うべし。然るに其の実は則ちただ忠信を内に積みて一念も実ならざるなきを、功を用うるの地と為し、辞を修めて外に立ちて一言も実ならざるなきを、功を見るの地と為す。表裏は誠に一なり。至誠は乾乾として息まざる所以なり。】」
伊川先生曰志道懇切固是誠意若迫切不中理則反為不誠蓋實理中自有緩急不容如是之迫觀天地之化乃可知【有志於道懇惻切至固誠意也然迫切之過而至於欲速助長則反害乎實理如春生夏長秋成冬實固不容一息之間斷亦不能一日而遽就也】
伊川先生は言う。「道に志すこと懇切は、固より是れ誠意なり。もし迫切にして理に中らざれば、則ち反って不誠と為る。実理の中は自ら緩急有り。此のごとき急迫を容れず。天地の化を観れば、則ち以て知るべし。【道に志有りて、懇惻切至は固より是れ誠意。然るに迫切分を過ぎて速ならんと欲し長さんと助くるに至れば、則ち反って実理を害す。春生じ夏長ち、秋成り冬実るがごとき、固より一息の間断を容れず、亦た一日にして便ち成就する能わず。】」
孟子才髙學之無可依據學者當學顔子入聖人為近有用力處【孟子天資超邁故難學顔子天資純粹而功夫縝宻進徳有序故學者有用力處】又曰學者要學得不錯須是學顔子【本注云為有凖的】
程子は言う。「孟子は才高し。彼を学ぶに依拠すべき処なし。学者は当に顔子を学ぶべし。聖人の境に入ること比較的近く、力を用うる处有り。【孟子は天資超邁ゆえに学び難し。顔子は天資純粋にして功夫縝密、徳を進むるに序有り。だから学者に力を用うる处有り。】」また言う——「学者は学びて錯ならざるを要す。必ず是れ顔子を学べ。【本文原注——準的有るがゆえに。】」
明道先生曰且省外事但明乎善惟進誠心其文章雖不中不逺矣所守不約氾濫無功【朱子曰知至則意誠善才明誠心便進文章是威儀制度之類此段恐是呂與叔自關中來初見程子時説話蓋橫渠學者多用心於禮文制度之事而不近裡故以此告之】
明道先生は言う。「且らく外面の事を省減せよ。ただ善を明らかにし、ただ誠心を推進せんことを要す。其の文章はたとい中らずとも遠からず。守る所を簡約せざれば、泛濫して功效なし。【朱熹は言う——知至れば則ち意誠なり。善才だ明らかなれば則ち誠心便ち進む。「文章」は威儀制度の類。此の段は恐らく呂大臨が関中より来りて初めて程子に見えし時に言えるなり。横渠の学者は多く礼文制度の事に心を用いて裏に近からず。だからこれを以て彼に告ぐ。】」
學者識得仁體實有諸巳只要義理栽培如求經義皆栽培之意【仁者天地之生理人心之全徳也其體具於心固人之所本有然必內反諸巳察之精養之厚有以見夫仁之全體實為巳有則吾心所存無非天理而後博求義理以封殖之則生理日以充長而仁不可勝用矣】
程顥は言う。「学者は仁体を識得して実に己の有と為す。ただ義理を用いて栽培せんことを要す。経義を求むるがごとき、皆是れ栽培の意なり。【仁は天地の生理・人心の全徳。其の体は心に具わり、固より人の本有なり。然るに必ず内に於いて己に反して、これを察すること精・これを養うこと厚くして、以て仁の全体が実に己の有たるを見る有れば、則ち吾が心の存す所は天理に非ざるなく、而る後に博く義理を求めてこれを培殖せば、則ち生理は日に以て充長して仁は勝用すべからず。】」
昔受學於周茂叔毎令尋顔子仲尼樂處所樂何事【朱子曰按程子之言引而不發蓋欲學者深思而自得之今亦不敢妄為之説學者但當從事於博文約禮之誨以至於欲罷不能而竭其才則庶乎其可以得之矣】
程顥は言う。「昔周茂叔に学を受けし時、毎に人をして顔子・仲尼の楽しむ処を尋ねしめ、楽しむ所は如何なる事ぞ。【朱熹は言う——程子の言を按ずるに引きて発せず。是れ学者をして深思して自ら得しめんと欲するなり。今も敢えて妄りに解説せず。学者はただ当に博文約礼の教に従事して、罷まんと欲するも能わずして其の才を竭くすに至るべし。則ち庶幾くして得るべし。】」
所見所期不可不逺且大然行之亦須量力有漸志大心勞力小任重恐終敗事【朱子曰學者之志固不可不以逺大自期然苟悅其髙而忽於近慕於大而略於細則無漸次經由之實而徒有懸想跂望之勞亦終不能以自逹矣○張南軒曰學者當以聖人為準的然貪髙慕逺躐等以進非徒無益而又害之也】
程顥は言う。「見る所期する所は、遠くして且つ大ならざるべからず。然るに行うもまた須く力を量り漸進有るべし。志大きくして心労れ、力小さくして任重きは、恐らくは終に事を敗らん。【朱熹は言う——学者の志は固より遠大を以て自ら期せざるべからず。然るに高きを好みて近きを略し、大ききを慕いて細きを略せば、則ち漸次経由の実なくして、徒らに懸想跂望の労有るのみ。亦た終に自ら通達する能わず。○張栻は言う——学者は当に聖人を以て準的と為すべし。然るに高きを貪り遠きを慕い、等を躐ねて以て進まば、但だ益なきのみならず且つ害有り。】」
朋友講習更莫如相觀而善工夫多【朋友相處非獨講辨之功薰陶漸染得於觀感自然進益】
程顥は言う。「朋友の講習は、更に相観じて善くするの工夫に比する多し。【朋友あい処るは、独り講辨の功のみならず。薰陶漸染して観感に得る。自然に進益す。】」
須是大其心使開闊譬如為九層之臺須大做腳始得【心不開闊則規模狹陋而安於小成持守固滯而惰於進善】
程顥は言う。「必ず是れ心を放大して、之を開濶せしむべし。譬えば九層の台を作る、須く脚を大に作るべきのみ。【心開濶せざれば則ち規模狭陋にして小成に安んじ、持守固滞にして善を進むるに懶し。】」
明道先生曰自舜發於畝之中至孫叔敖舉於海若要熟也須從這裡過【説見孟子○履難處困則歴變多而慮患深察理宻而制事審○朱子曰曾親歴方認得許多險阻去處】
明道先生は言う。「『舜は畎畝の中より発す』(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)より『孫叔敖は海より挙ぐ』に至るまで、もし熟せんと欲せば、亦た須くここより過るべし。【説は『孟子』に見る。○難処困を履めば、則ち変故を経歴すること多くして患を慮ること深く、理を察すること密にして事を制すること審なり。○朱熹は言う——曽て身を以て経歴して(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)こそ、許多の険阻の去处を認識す。】」
參也竟以魯得之【按程子又曰曾子之學誠篤而已聖門學者聰明才辯不為不多而卒傳其道乃質魯之人耳故學以誠實為貴也○尹氏曰曾子之才魯故其學也確所以能深造乎道也】明道先生以記誦博識為玩物喪志【本注云時以經語録作一冊鄭轂雲嘗見顯道先生雲某從洛中學時録古人善行別作一冊明道先生見之曰是玩物喪志蓋言心中不冝容絲髪事胡安國曰謝先生初以記聞為學自負該博對明道舉史書成篇不遺一字明道先生曰賢卻記得許多可謂玩物喪志謝聞此語汗流浹背而發赤及看明道讀史又卻逐行看過不蹉一字謝甚不服後來省悟卻將此事做話頭接引博學之士○謝良佐字顕道上蔡人程子門人也人心虛明所以具眾理而應萬事有所繫滯則本志未免昏塞所貴乎讀書將以存心而明理也苟徒務記誦為博則書也者亦外物而已故曰玩物喪志○朱子曰上蔡記誦明道看史此正為巳為人之分】
程子は言う。「参や、終に魯鈍を以てこれを得たり。【程子の言を按ずるにまた曰く——曾子の学は只是れ誠篤のみ。聖門の学者は聡明才弁多しと為さずと雖も、而も終に其の道を伝えしは、乃ち資質魯鈍の人なり。だから学は誠実を以て貴しと為す。○尹焞は言う——曾子の才は魯なり。だから其の学も確なり。能く道に深造する所以なり。】」明道先生は記誦博識を以て玩物喪志と為す。【本文原注——当時経語を録して一冊と作る。鄭穀は言う——曽て顕道先生が言うを見るに、某は洛中より学ぶ時、古人の善行を録して別に一冊と作り、明道先生之を見て曰く「これ玩物喪志なり」。是れ心中に糸髪の事を容るべからずを言うなり。胡安国は言う——謝先生は初め記聞を以て学と為し、自ら該博を負り、明道に対し史書を挙げて成篇にして一字も漏らさず。明道先生曰く——「汝は却って許多を記得す。玩物喪志と言うべし」。謝はこの言を聞いて汗流れて背を浹し面赤らむ。明道の史を読むを看るに及んで、却って行を逐いて看過して一字も蹉らず。謝は甚だ服せず。後に省悟して、却ってこの事を把って話頭と為して博学の士を接引す。○謝良佐は字は顕道、上蔡の人、程子の門人。人心は虚明にして、だから衆理を具えて万事に應ず。繋滞する所有れば則ち本志は未免昏塞す。読書の貴ぶ所は、将に以て心を存し理を明らかにせんとするなり。もし只是れ記誦を務めて博を求めば、則ち書も亦た只是れ外物のみ。だから玩物喪志と言う。○朱熹は言う——上蔡の記誦・明道の看史は、此れ正に己の為・人の為の分なり。】
禮樂只在進反之間便得性情之正【以上並明道語○樂記曰禮主其減樂主其盈禮減而進以進為文樂盈而反以反為文○朱子曰減是退讓撙節收斂的意思是禮之體本如此然非人之所欲故須進歩向前著力去做故以進為文盈是舒暢發越快滿底意思是樂之體本如此然易至於流蕩卻湏收拾向裡故以反為文又曰禮減而不進則銷樂盈而不返則放故禮有報而樂有反】父子君臣天下之定理無所逃於天地之間安得天分不有私心則行一不義殺一無辜有所不為有分毫私便不是王者事【父子君臣人倫之大端天下之定理立於天地之間者必有所不容廢者也惟能全其天理而無私心者則處之各當其分而行一不義之事殺一不辜之人雖可以得天下亦不為也蓋堯舜受禪無虧父子之恩湯武征伐無愧君臣之義皆無私心故也】
程顥は言う。「礼楽はただ進と反との間に在りて、便ち性情の正を得。【以上皆明道の言。○『楽記』曰く——礼は其の減を主り、楽は其の盈を主る。礼は減して進み、進を以て文と為す。楽は盈して反り、反を以て文と為す。○朱熹は言う——「減」は退譲撙節収斂の意、是れ礼の体もとより此のごとし。然るに人の欲する所に非ず。だから須く歩を進めて向前して力を著けて之を為すべし。故に進を以て文と為す。「盈」は舒暢発越快満の意、是れ楽の体もとより此のごとし。然るに流蕩し易し。却って須く収拾して裏に向かうべし。故に反を以て文と為す。また曰く——礼は減して進まざれば則ち銷蝕し、楽は盈して返らざれば則ち放縱す。だから礼に報有りて楽に反有り。】父子君臣は天下の定理、天地の間に逃るる所なし。怎んぞ能く天分を得て私心なからん。則ち一の不義を行い一の無辜を殺すも為さざる所有り。分毫の私有れば、便ち王者の事に非ず。【父子君臣は人倫の大端・天下の定理、天地の間に立つは必ず廃するを容れざる所有り。ただ能く其の天理を全うして私心なきは、則ちこれに処して各々其の分に当たり、而も一の不義の事を行い一の不辜の人を殺すも、たとい以て天下を得べくとも為さず。尭舜の受禅は父子の恩を虧かず、湯武の征伐は君臣の義に愧なし。皆私心なきが故なり。】」
論性不論氣不備論氣不論性不明二之則不是【此段疑當在首卷論性之善而不推其氣稟之不同何以有上智下愚之不移故曰不備論氣稟之異而不原其性之皆善則是不逹其本也故曰不明然性者氣之理氣者性之質元不相離判而二之則亦非矣○朱子曰論性不論氣孟子言性善是也論氣不論性荀子言性惡子言善惡混是也愚謂孟子推原性之本善雖未及乎氣質固不害其為性也至於荀但知氣質之或異而不知性之本同則是不識性也豈不害道要之必若程子橫渠之言始為明備】
程子は言う。「性を論じて気を論ぜざれば則ち完備せず、気を論じて性を論ぜざれば則ち明らかならず。二者を分かちて則ち非なり。【此の段は疑らく当に首巻に在るべし。性の善を論じて其の気禀の不同を推せざれば、何以に上智下愚の不移有るや。だから完備せずと言う。気禀の差異を論じて其の性の皆善を原ぜざれば、則ち是れ其の本に達せず。だから明らかならずと言う。然るに性は気の理、気は性の質、元来相離れず。判じて二と為せば則ち亦非なり。○朱熹は言う——性を論じて気を論ぜざるは、孟子の性善を言う是れ。気を論じて性を論ぜざるは、荀子の性悪を言い、揚雄(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)の善悪混を言う是れ。葉采按——孟子は性の本善を推原す。気質を説かずと雖も、固より其の性と為るを害せず。荀・揚に至ってはただ気質の或いは同じからざるを知るのみ、而も性の本同を知らず。則ち是れ性を識らず。豈に道を害せざらんや。要するに、必ず程子・横渠の言のごとくしてこそ、始めて明備なり。】」
論學便要明理論治便須識體【論學而不明理則徒事乎詞章記誦之末未為知學也論治而不識其體則徒講乎制度文為之末未為知治也】
程子は言う。「学を論ずれば便ち理を明らかにせんことを要し、治を論ずれば便ち体を識るを须とす。【学を論じて理を明らかにせざれば、則ち徒然に詞章記誦の末に従事し、未だ学を知ると為さず。治を論じて其の体を識らざれば、則ち徒然に制度文為の末を講論し、未だ治を知ると為さず。】」
曾防漆雕開已見大意故聖人與之【曾言志以為莫春者春服既成冠者五六人童子六七人浴乎沂風乎舞雩詠而歸蓋有見於是道之大流行充滿而於日用之間從容自得有與物各適其所之意子使漆雕開仕對曰吾斯之未能信開於是理必有見焉顧於應酬之際未能自信其悉中乎是理此其所見之大而不安於小成所守之篤而必期於自信二者雖其行之未成要皆有見於聖人之大意○朱子曰防更規模大開更縝宻○蔡節齋曰防之意欲上開之意方進而未巳】
程子は言う。「曾点(底本は「曾防」とするが、「点」の誤り)・漆彫開はすでに大意を見たり。だから聖人は之らを許す。【曾点(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)が志を言うに、暮春にして春服すでに成り、冠者五六人・童子六七人、沂に浴し舞雩に風し、咏して帰ると為す。是れ此の道の大・流行充満を見る有りて、而も日用の間に従容自得して、物と各々其の所に適うの意有り。孔子は漆彫開をして官せしめんとす。対えて曰く——「吾れ此れに於いては未だ能く信ぜず」。開は此の理に於いて必ず見る所有り。ただ應酬の際に於いて未だ自ら信じて皆此の理に中る能わず。此れ見る所の大にして小成に安んぜず、守る所の篤くして必ず自ら信ずるに期す。二者は実行は未だ成らずと雖も、要するに皆聖人の大意を見る有り。○朱熹は言う——点は更に規模大なり、開は更に縝密なり。○蔡模は言う——点の意は上達せんと欲するなり、開の意は方に進みて未だ已まざるなり。】」
根本湏是先培壅然後可立趨向也趨向既正所造淺深則由勉與不勉也【涵養心徳根本深厚然後立趨向而不差又勉而不已乃能深造○朱子曰收其放心然後自能尋向上去亦此意也】
程子は言う。「根本は須く先に培壅して、然る後に以て趨向を立つべし。趨向すでに正しければ、造る所の浅深は則ち勉と不勉とに由る。【心徳を涵養して根本深く厚くし、然る後に趨向を立てて差えず。又勉めて已まずしてこそ、能く深造す。○朱熹は言う——其の放心を収めて、然る後に自ら能く向上に尋向す。亦是れ此の意なり。】」
敬義夾持直上逹天徳自此【朱子曰敬主乎中義方乎外二者相夾持要放下霎時也不得只得直上去故便逹天徳又曰表裡夾持更無東走西作直上者不為物慾所累則可上逹天徳矣】懈意一生便是自棄自暴
程子は言う。「敬義は夾持して、直上して天徳に達す。此れより始まる。【朱熹は言う——敬は中に主り、義は外に方く、二者あい夾持して、放下するも片刻も行われず。ただ直上するを得るのみ。だから便ち天徳に達す。また曰く——表裏夾持して、更に東走西奔するなく。直上は物慾に累われざるなれば、則ち以て上達して天徳すべし。】懈怠の意一たび生ぜば、便ち是れ自暴自棄なり。」
不學便老而衰【學問則義理為主故閱理乆而益以精明不學則血氣為主故閱時乆而益以衰謝】
程子は言う。「学ばざれば便ち老いて衰う。【学問有れば則ち義理が主を為す。だから理を閲ること久しくしてさらに精明なり。学ばざれば則ち血気が主を為す。だから時を閲ること久しくしてさらに衰謝す。】」
人之學不進只是不勇【志氣之勇】
程子は言う。「人の学の長進せざるは、只是れ勇ならざるなり。【是れ志気の勇なり。】」
學者為氣所勝習所奪只可責志【立志之不大不剛則義理不足以勝其氣質之固蔽學力不足以移其習俗之纒繞故曰只可責志】
程子は言う。「学者の気禀に勝たれ習俗に奪わるるは、ただ志を責むべきのみ。【志を立つること大ならず剛ならざれば、則ち義理は其の気質の固蔽に勝つに足らず、学力は其の習俗の纏繞を移すに足らず。だからただ志を責むべしと言う。】」
內重則可以勝外之輕得深則可以見誘之小【道義重則外物輕造理深則嗜慾微】
程子は言う。「内裏重ければ則ち以て外面の軽きに勝つべく、得る所深ければ則ち以て誘引の小なるを見るべし。【道義重ければ則ち外物軽し。理に造ること深ければ則ち嗜欲微なり。】」
董仲舒謂正其義不謀其利明其道不計其功【仲舒詳見十四卷○義者當然之理利者義之和也然君子惟欲正其義而已未嘗豫其其利有謀利之心則是有所為而為之非正其義也道者自然之路功者行道之效也然君子惟欲明其道而已未嘗計度其功有計功之心則是有私意介乎其間非明其道矣】孫思邈曰膽欲大而心欲小智欲圓而行欲方可以為法矣【思邈隋唐間人膽大則敢於有為心小則宻於察理智圓則通而不滯行方則正而不流○朱子曰膽不大則卑陋心不小則狂妄圓而不方則譎詐方而不圓則執而不通】大抵學不言而自得者乃自得也有安排佈置者皆非自得也【學而有得則暗者忽而明疑者忽而信欣然有契於心蓋有所不能形容者安排佈置即是著意強為非真自得也】
程子は言う。「董仲舒は言う『其の義を正しくして其の利を謀らず、其の道を明らかにして其の功を計らず』【仲舒は詳しく第十四巻に見る。○義は当然の理、利は義の和。然るに君子はただ其の義を正しくせんと思うのみ、曽て預め其の利を謀らず(底本は一の「其」字を衍す)。利を謀るの心有れば則ち為す所有りて之を為すなり。是れ其の義を正しくするに非ず。道は自然の路、功は道を行うの効。然るに君子はただ其の道を明らかにせんと思うのみ、曽て其の功を計度せず。功を計るの心有れば則ち是れ私意を中間に夾むなり。是れ其の道を明らかにするに非ず。】——孫思邈は言う『胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲し、智は円ならんことを欲し、行は方ならんことを欲す』。以て法則と作るべし。【思邈は隋唐の間の人。胆大なれば則ち敢えて為す有り、心小なれば則ち理を察するに密、智円なれば則ち通じて滞らず、行方なれば則ち正しくして流れず。○朱熹は言う——胆大ならざれば則ち卑陋、心小ならざれば則ち狂妄。円にして方ならざれば則ち譎詐、方にして円ならざれば則ち執して通ぜず。】大抵学は言わずして自ら得る、乃ち是れ自得なり。安排布置する有るは、皆自得に非ず。【学んで得る有れば、則ち暗きは忽然として明らかに、疑うは忽然として信ず。欣然として心に契る所有り、形容する能わざる所有り。安排布置はすなわち意を著けて強いて為すなり。真の自得に非ず。】」
視聴思慮動作皆天也人但於其中要識得真與妄爾【視聴思慮言動皆天理自然而不容巳者然順理則為真從欲則為妄】
程子は言う。「視聴思慮動作は皆天なり。人はただ其の中に於いて真と妄とを認得せんことを要するのみ。【視聴思慮言動は皆天理の自然にして已むを容れざるなり。然るに理に順えば則ち真、欲に従えば則ち妄なり。】」
明道先生曰學只要鞭辟近裡著巳而巳故切問而近思則仁在其中矣【鞭辟近裡著巳者切巳之謂也切問近思而不泛逺則心徳存矣】言忠信行篤敬雖蠻貊之邦行矣言不忠信行不篤敬雖州里行乎哉立則見其參於前也在輿則見其倚于衡也夫然後行只此是學【言必忠信而無一辭之欺誕行必篤敬而無一事之慢弛則以是而行於逺方異類猶可以誠實感通苟不信不敬則雖近而州里之間其可得而行乎然非可以暫焉而強為之也要必真積力乆隨其所寓常若有見乎忠信篤敬之道而不可須防離者如此一於誠實自然信順無往而不可○以上皆切巳之學切問近思者致知之事言忠信行篤敬者力行之事説並見論語】質美者明得盡查滓便渾化卻與天地同體其次惟莊敬持養及其至則一也【朱子曰查滓是私意人慾之消未盡者人與天地本同體只縁查滓未去所以有間隔若無查滓便與天地同體質美者明得盡是見得透徹如顔子克巳復禮天理人慾截然兩段更無查滓其次既未到此則須莊敬持養以消去其查滓如仲弓出門如見大賔使民如承大祭常如此持養到乆亦自明徹矣】
明道先生は言う。「学はただ鞭辟して裏に近く、己の身に著くるを要するのみ。だから切に問いて近く思えば、則ち仁其の中に在り。【鞭辟近裏・著己は、すなわち切己の意なり。切問近思して泛遠ならざれば、則ち心徳存れり。】『言忠信にして行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず行篤敬ならざれば、州里と雖も行われん哉。立てば則ち其の前に参するを見、輿に在れば則ち其の衡に倚るを見る。夫れ然る後に行わる。』只是れ此れすなわち学なり。【言は必ず忠信にして一辞の欺誕なく、行は必ず篤敬にして一事の慢弛なければ、則ち是を以て遠方異類に行うも、尚お以て誠実にして感通すべし。もし信ならず敬ならざれば、則ち近き州里の間と雖も、豈に行われんや。然るに暫時強いて為すべきに非ず。必ず真積して力久しく、其の処る所に随いて常に忠信篤敬の道を見るがごとくして、須臾(底本は「須防」とするが、「須臾」の誤り)も離るべからず。此のごとく誠実に一に専らにすれば、自然に信順にして往きて可ならざるなし。○以上皆切己の学。切問近思は知を致すの事、言忠信行篤敬は力を行うの事。説は並びて『論語』に見る。】資質の美なるは、明らかにすること尽く、渣滓は便ち渾化して、却って天地と同体なり。其の次はただ荘敬して持養し、極至に及べば則ち是れ一様なり。【朱熹は言う——渣滓は私意人欲の消えて未だ尽きざるなり。人と天地とはもとより同体。ただ渣滓の未だ去らざるに因りて間隔有るのみ。もし渣滓無ければ便ち天地と同体なり。資質の美なるは明らかにすること尽くは、見ること透徹す。顔子の己に克ち礼に復るがごとき、天理人欲は截然として両段、更に渣滓なし。其の次はすでに未だ此に至らざれば、則ち須く荘敬して持養して以て其の渣滓を消去すべし。仲弓の門を出でれば大賓を見るがごとく、民を使えば大祭を承けるがごとき。常に此のごとく持養して久しきに至れば、亦た自ら明徹ならん。】」
忠信所以進徳脩辭立其誠所以居業者乾道也敬以直內義以方外者坤道也【幹主健主動故進徳脩業皆進為不息之道坤主順主靜故敬直義方皆收斂裁節之道】
程子は言う。「忠信は徳を進むる所以・辞を修め其の誠を立つるは業を居る所以は、乾道なり。敬を以て内を直くし義を以て外を方くすは、坤道なり。【乾は健を主り動を主る。だから徳を進め業を修むるは皆進為して息まざるの道なり。坤は順を主り静を主る。だから敬直義方は皆収斂裁節の道なり。】」
凡人才學便須知著力處既學便須知得力處【始學而不知用力之地則何以為入道之端既學而不知得力之地則何以為造道之實學者隨其淺深必各有所自得不然是未嘗實用力於學也】
程子は言う。「凡そ人は剛き学べば便ち須く著力の処を知るべく、すでに学べば便ち須く得力の処を知るべし。【始めて学んで力を用うるの地を知らざれば、則ち何以を以て道に入るの端と為さん。すでに学んで力を得るの地を知らざれば、則ち何以を以て道に造るの実と為さん。学者は其の浅深に随いて必ず各々自ら得る所有り。然らざればすなわち曽て実に学に力を用いざるなり。】」
有人治園圃役知力甚勞先生曰蠱之象君子以振民育徳君子之事唯有此二者餘無他焉二者為巳為人之道也【振民謂興起而作成之育徳謂涵養巳徳成巳成人皆吾道之當然外此則無益之事非君子所務矣】
程子は言う。「或る人が園圃を治めて、心智気力を役使して甚だ労苦す。先生曰く——『蠱』の象に『君子は以て民を振い徳を育す』。君子の事はただ此の両様のみ。其の余は別に他なし。二者は己の為・人の為の道なり。【『民を振う』は興起して之らを作成す。『徳を育す』は己の徳を涵養す。己を成し人を成すは皆吾が道の当然なり。此の外は則ち益なきの事、君子の務める所に非ず。】」
博學而篤志切問而近思何以言仁在其中矣學者要思得之了此便是徹上徹下之道【朱子曰四者皆學問思辨之事耳未及乎力行而為仁也然從事於此則心不外馳而所存自熟故曰仁在其中矣愚謂學問思辨學者所以求仁也然博學而篤志切問而近思皆懇切篤厚之意即此一念便是惻隱之心流行發見之地不待更求而仁之全體可識矣故曰徹上徹下之道】
程子は言う。「『博く学びて志を篤くし、切に問い近く思う』——何以に仁其の中に在ると言うや。学者は要して思うてこれを得べし。此れを明らかにすれば便ち是れ上を徹し下を徹するの道なり。【朱熹は言う——四者は皆学問思弁の事のみ、未だ力を行いて仁を為すに至らず。然るに此に従事すれば則ち心は外に馳せずして存する所自ら熟す。だから仁其の中に在りと言う。葉采按——学問思弁は学者の仁を求むる所以なり。然るに博く学びて志を篤くし切に問い近く思うは、皆懇切篤厚の意なり。此の一念に就きて便ち是れ惻隠の心の流行発見の地なり。別に求めるを待たずして仁の全体は以て認識すべし。だから上を徹し下を徹するの道と言う。】」
而不毅則難立毅而不則無以居之【本注云西銘言之道説見論語○寛大毅剛強也而不毅則寛大有餘而規矩不足故不能自立毅而不則剛強有餘而狹陋自足故無以居之】
程子は言う。「弘(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)にして毅ならざれば則ち立ち難し。毅にして弘ならざれば則ち之を安頓するに由なし。【本文原注——『西銘』は弘の道を説く。説は『論語』に見る。○弘は寛大、毅は剛強。弘にして毅ならざれば則ち寛大余り有りて規矩足らず。だから自ら立つ能わず。毅にして弘ならざれば則ち剛強余り有りて狭陋自足す。だから安頓するに由なし。】」
伊川先生曰古之學者優柔厭飫有先後次序今之學者卻只做一塲話説務髙而已【古之學者有序隨時隨事各盡其力優柔而不迫厭飫而有餘故其用功也實而自得也深後之學者躐等務髙徒資口耳之末而巳】常愛杜元凱語若江海之浸膏澤之潤渙然冰釋怡然理順然後為得也【杜預字元凱作春秋左氏經傳序中語也江海之浸則漸漬而深博膏澤之潤則優柔而豐腴此皆言涵養有漸而周徧融液也至於所見者明徹而無滓則渙然而冰釋所存者安裕而莫逆則怡然而理順學至於是其深造而自得也可知矣】今之學者往往以遊夏為小不足學然遊夏一言一事卻總是實後之學者好髙如人遊心千里之外然自身卻只在此【言偃字子游卜商字子夏二子在孔門固非顔曽比然其所言所事皆明辨而力行之無非實也今之學者徒好髙而無實得則亦何所至哉】
伊川先生は言う。「古の学者は優柔厭飫して先后の次序有り。今の学者は却ってただ一場の話説を作して、務めて高きを求むるのみ。【古の学者は序有り。時に随い事に随いて各々其の力を尽くし、優柔して迫らず、厭飫して余り有り。だから功を用うるも実にして得るも深し。後の学者は等を躐ねて高きを務め、ただ口耳の末を資とするのみ。】常に杜元凱の言を愛す——江海の浸・膏沢の潤の若く、涣然として冰釈し怡然として理順わば、然る後に得と為す。【杜預は字は元凱。『春秋左氏経伝序』の中の言を作る。江海の浸は則ち漸々として漬りて深博、膏沢の潤は則ち優柔して豊腴。皆是れ涵養漸有りて周遍融液するを言う。見る所明徹にして渣滓なきに至れば則ち涣然として冰釋し、存する所安裕にして逆う莫ければ則ち怡然として理順う。学此れに至れば、其の深造して自ら得るは知るべし。】今の学者は往往子游・子夏を以て小なりと為し学ぶに足らずと為す。然るに游・夏の一言一事は却って総て是れ実なり。後の学者は高きを好む。人の心を千里之外に游ばすがごとし。然るに自身は却ってただここに在るのみ。【言偃は字は子游、卜商は字は子夏。二子は孔門に於いて固より顔・曾に比すべからず。然るに其の言う所事う所は皆明弁して力行す。実に非ざるなし。今の学者は只是れ高きを好みて実得なし。則ち又た何ぞ至るを得ん。】」
脩養之所以引年國祚之所以祈天永命常人之至於聖賢皆工夫到這裡則有此應【人生天壽有命而修養之士保煉精氣乃可以引年而獨壽國祚之修短有數而聖賢之君力行仁義乃可以祈天永命常人之質其視夫生知安行者亦逺矣然學而不已則可與聖賢為一凡是三者皆非一旦之功苟簡超越幸而得之者蓋其工夫至到有此應效耳所以明學聖人者當真積力乆而得之也】
程子は言う。「修養の能く年を延ばす所以、国祚の能く天に祈り命を永くする所以、常人の聖賢に至る所以は、皆功夫是れに到れば則ち此の應験有り。【人生の夭寿は命有り。而も修養の士は精気を保錬して乃ち以て年を延ばし独り寿すべし。国祚の長短は数有り。而も聖賢の君は仁義を力行して乃ち以て天に祈り命を永くすべし。常人の資質は彼の生知安行に比すれば亦た遠し。然るに学んで已まざれば則ち以て聖賢と一と為るべし。凡そ此の三者は皆一旦の功・苟簡超越して僥倖して得るに非ず。是れ其の功夫至到してこそ此の應効有り。だから聖人を学ぶ者は当に真積力久してこれを得べきを表明す。】」
忠恕所以公平造徳則自忠恕其致則公平【發乎真心之謂忠推以及人之謂恕忠恕則視人猶巳故大公而至平致極至也學者進徳則自忠恕其極至則公平】仁之道要之只消道一公字公只是仁之理不可將公便喚作仁公而以仁體之故為仁【仁者以天地萬物為一其理公而巳然言其理至公而無私必體之以人則其寛平溥博之中自然有惻怛慈愛之意斯所謂仁也體猶幹骨也○朱子曰公則無情仁則有愛公字屬理愛字屬人克巳復禮不容一毫之私豈非公乎親親仁民而無一物之不愛豈非仁乎】只為公則物我兼照故仁所以能恕所以能愛恕則仁之施愛則仁之用也【恕者推於此愛者及於彼仁譬泉之源也恕則泉之流出愛則泉之潤澤公則疏通而無壅塞之謂也惟其疏通而無壅塞故能流而澤物】
程子は言う。「忠恕は公平たる所以。徳を進むれば則ち忠恕より始まり、其の極至は則ち公平。【真心に発するを忠と言い、推して人に及ぶを恕と言う。忠恕なれば則ち人を視ること己のごとし。だから大公にして至平なり。『致』は極至。学者の徳を進むれば則ち忠恕より始まり、其の極至は則ち公平。】仁の道は、要するにただ一個の公字を消説するのみ。公は只是れ仁の理、越を把って便ち仁と呼ぶべからず。公にして仁を以てこれを体すれば、仁と為す所以なり。【仁者は天地万物を以て一と為す。其の理は只是れ公のみ。然るに其の理の至公にして無私を説くに、必ず人を用いてこれを体するを须とす。則ち其の寛平溥博の中に自然に惻怛慈愛の意有り。此れこそいわゆる仁なり。『体』は幹骨に譬ゆ。○朱熹は言う——公なれば則ち情なし、仁なれば則ち愛有り。公字は理に属し、愛字は人に属す。己に克ち礼に復りて一毫の私を容れず。豈に公ならざらん。親を親しみ民を仁しみて一物の愛せざるなし。豈に仁ならざらん。】只だ公なれば則ち物我兼照するに因りて、仁は能く恕し能く愛す。恕は仁の施行、愛は仁の用。【恕は是れ此に推し、愛は是れ彼に及ぶ。仁は泉の源に譬え、恕は則ち泉の流出、愛は則ち泉の潤沢。公は則ち疏通して壅塞なきの意。正に其の疏通して壅塞なきに因りて、能く流れて万物を潤沢す。】」
今之為學者如登山麓方其迤邐莫不濶歩及到峻處便止須是要剛決果敢以進【朱子曰為學須要剛毅果決悠悠不濟事且如發憤忘食樂以忘憂是什麼精神什麼骨力】
程子は言う。「今学を為す者は山麓を登るがごとし。正に迤邐の処に当たりて闊歩せざるなく、峻処に及べば便ち停まる。須く是れ剛決果敢を以て進むべし。【朱熹は言う——為学は須く剛毅果決なるべし。悠悠として事を済さず。便ち是れ憤を発して食を忘れ楽しみて以て憂を忘るるがごとき、是れ何の精神・何の骨力ぞ。】」
人謂要力行亦只是淺近語人既能知見一切事皆所當為不必待著意才著意便是有個私心這一防意氣能得幾時子【真知事之當然則不待著意自不容巳著意為之已是私心所謂私者非安乎天理之自然而出乎人力之使然也徒以其意氣之使然則亦必不能乆故君子莫急於致知】
程子は言う。「人の力を行わんと要するを言うも、亦た只是れ浅近の言なり。人すでに能く一切の事は皆当に為すべき所を知見せば、意を著くるを待つを必ずしせず。剛き意を著ければ便ち是れ箇の私心有り。此の一口気(底本は「这一防」とするが、「这一气」の誤り)は能く幾時を得ん。【真に事の当然を知れば、則ち意を著くるを待たずして自ら已むを容れず。意を著けて做るはすでに私心なり。いわゆる私は、天理の自然に安んぜずして人力の使然に出ずるなり。ただ其の意気の使然を憑れば、則ち亦た必ず能く久しからず。だから君子は知を致すより急なるはなし。】」
知之必好之好之必求之求之必得之古人此個學是終身事果能顛沛造次必於是豈有不得道理【學是終身事則不求速成不容半塗而廢勉焉孳孳死而後巳可也顛沛造次必於是則無一事而非學無一時而不勉苟能如是其有得於斯道可必矣所以誘進學者之不容自巳也】
程子は言う。「これを知れば必ずこれを好み、これを好めば必ずこれを求め、これを求めれば必ずこれを得。古人の此の学は終身の事なり。果して能く顛沛造次も必ずここに在らば、豈に得ざるの理あらん。【学は終身の事なれば、則ち速成を求めず半途にして廃するを容れず。勉焉孳孳として死して後已まれば可なり。顛沛造次も必ずここに在れば、則ち一事にして学に非ざるなく一時にして勉めざるなし。もし能く此のごとくなれば、其の斯道に於いて得るは以て必すべし。だから学者を誘導して自ら停止するを容れず。】」
古之學者一今之學者三異端不與焉一曰文章之學二曰訓詁之學三曰儒者之學欲趨道舍儒者之學不可【釋教言為訓釋古言為詁爾雅有釋訓釋詁是也儒者之學所以求道文章之學皆其末流】問作文害道否曰害也凡為文不専意則不工若専意則志局於此又安能與天地同其大也書曰玩物喪志為文亦玩物也【人所以參天地而並立者惟此心為之主耳苟志有所局又安能與天地參哉故玩習外物則正志喪失専意為文亦玩物也】呂與叔有詩云學如元凱方成癖文似相如始類俳獨立孔門無一事只輸顔氏得心齋古之學者惟務養情性其他則不學今為文者専務章句悅人耳目既務悅人非俳優而何【呂大臨字與叔張程門人也杜元凱嘗自謂有左氏癖所著訓解凡十餘萬言司馬相如作子虛上林等賦徒文辭務以悅人故曰類俳俳優倡戱也齋齋肅純一之意也心齋說見莊子】曰古者學為文否曰人見六經便以為聖人亦作文不知聖人亦攄發胷中所蘊自成文耳所謂有徳者必有言也【聖人道全徳盛非有意於為文而文自不可及耳】曰遊夏稱文學何也曰遊夏亦何嘗秉筆學為詞章也【遊夏蓋習於詩書禮樂之文者舊説子游作檀弓子夏作樂記之類凡此皆道體之流行人事之儀則固未嘗秉筆學為如此之文而亦非若後世無用之空言也】且如觀乎天文以察時變觀乎人文以化成天下此豈詞章之文也【説見賁卦○天文謂日月星辰之文人文謂人倫禮樂之文】
程子は言う。「古の学者は一種、今の学者は三種、異端はまだ算中に入れず——一曰く文章の学、二曰く訓詁の学、三曰く儒者の学。道に趨近せんと欲すれば、儒者の学を舎てて不可なり。【文義を解釈するを訓と言い、古言を解釈するを詁と言う。『爾雅』に釈訓・釈詁有り。儒者の学は道を求むる所以、文章の学は皆其の末流なり。】問う——文を作るは道を妨害するか。答える——妨害す。凡そ文章を作るは、意を專らにせざれば則ち工ならず。もし意を專らにすれば則ち志向は此に局限せらる。又た怎んぞ能く天地と其の大を同じくせん。『尚書』曰く『物を玩ぶれば志を喪う』。文を為すも亦た是れ物を玩ぶなり。【人の天地に参じて並び立つ所以は、ただ此の心が主を為す有るのみ。もし志は局限する所有れば、又た怎んぞ能く天地に参ぜん。だから外物を玩習すれば則ち正志喪失し、意を專らにして文を為すも亦た是れ物を玩ぶなり。】呂與叔に詩有りて曰く——『学は元凱のごとき才だ癖と成り、文は相如に似て才だ俳優に似たり。孔門に独立して一事無く、只だ顔氏に輸きて心斎を得たり』。古の学者はただ情性を養うを務め、其の他は則ち学ばず。今文を為す者は專ら章句を務めて人の耳目を悦ばしむ。すでに人を悦ばしむるを務めば、俳優に非ずして是れ何ぞ。【呂大臨は字は與叔、張・程の門人。杜元凱は曽て自ら《左氏》の癖有りと謂い、著す所の訓解は共に十余万言。司馬相如は『子虚』『上林』等の賦を作し、ただ文辞を騁めて(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)務めて以て人を悦ばしむ。だから俳に類すと言う。俳優は倡戯なり。斎は斎肅純一の意。心斎の説は『荘子』に見る。】問う——古代は文を作るを学ぶか。答える——人は六経を見て便ち以て聖人も亦た文を作ると為す。知らず、聖人も亦た只是れ胸中の蘊える所を抒発して自然に文と成るのみ。すなわちいわゆる徳有る者は必ず言有り。【聖人は道全く徳盛んにして、文を為さんと意する有るに非ず。而も文は自ら及ぶべからず。】問う——子游・子夏は文学を称す、是れ何ぞ。答える——游・夏は亦た何ぞ曽て筆を拿りて詞章を作るを学ばんや。【游・夏は大概詩書礼楽の文を熟習せり。旧説は子游は『檀弓』を作し、子夏は『楽記』を作すの類。凡そ此れらは皆道体の流行・人事の儀則。固より曽て筆を拿りて此のごとき文を作るを学ばず、亦た後世の用なき空言のごとくに非ず。】便ち是れ『天文を観て以て時変を察し、人文を観て以て天下を化成す』。此れ豈に詞章の文ならんや。【説は『賁』卦に見る。○天文は日月星辰の錯列、寒暑陰陽の代変、其の運行上に觀察して以て時変を知る。人文は詩書礼楽の制度、五倫の秩序、其の条理上に觀察して以て天下を教化す。】」
莫説道將第一等讓與別人且做第二等才如此説便是自棄雖與不能居仁由義者差等不同其自小一也言學便以道為志言人便以聖為志【性無不善人所同得苟安於小成皆自棄也】
程子は言う。「第一等を把りて他人に譲り、且らく第二等を做ると言う勿れ。才だ此のごとく言えば便ち是れ自棄なり。仁に居り義に由る能わざると差等同じからずと雖も、其の自ら看小するは是れ一なり。学と言えば便ち道を以て志と為し、人と言えば便ち聖を以て志と為す。【性に不善なし。人の同じく得る所。もし小成に安んずれば、皆是れ自棄なり。】」
問必有事焉當用敬否曰敬是涵養一事必有事焉須用集義只知用敬不知集義卻是都無事也【孟子言養氣曰必有事焉又曰是集義所生者人之所為皆合於義自反無愧此浩然之氣所以生也敬者存心而已若不集義安得謂之必有事焉】又問義莫是中理否曰中理在事義在心【義者吾心之裁製中理者合乎事理之宜也故有在事在心之別】
問う——『必ず事焉有らん』、当に敬を用いるべきか。程子曰く——「敬は涵養の一事。『必ず事焉有らん』は須く義を集むるを用いるべし。ただ敬を用うるを知りて義を集むるを知らざれば、却って是れ都て事なし。【孟子は気を養うを説いて曰く『必ず事焉有らん』、又曰く『是れ義を集むる所生ずる者なり』。人の為す所は皆義に合して自ら反して愧無し。此れ浩然の気の生ずる所以なり。敬は只是れ心を存するのみ。もし義を集めざれば、怎んぞ能く『必ず事焉有らん』と言わん。】」又問う——義は莫れ中理に非ずや。答える——「中理は事に在り、義は心に在り。【義は吾が心の裁制、中理は事理の宜に合す。だから事に在り・心に在りの分別有り。】」
問敬義何別曰敬只是持巳之道義便知有是有非順理而行是為義也若只守一個敬不知集義卻是都無事也【張南軒曰居敬集義工夫並進相須而相成也若北要得敬不知集義則所謂敬者亦塊然無所為而已烏得心體之周流哉又曰集義只是事事求個是而已朱子曰敬義工夫不可偏廢彼専務集義而不知主敬者固有虛驕急迫之病而所謂義者或非其義然専言主敬而不知就日用間念慮起處分別其公私義利之所在而決取捨之幾焉則亦未免於昏憒雜擾而所謂敬者亦非其敬矣】且如欲為孝不成只守著一個孝字須是知所以為孝之道所以侍奉當如何溫凊當如何然後能盡孝道也【言此以明集義之道必有事焉者也】
問う——敬と義と何の分別か有る。程子曰く——「敬は只是れ己を持するの道。義なれば便ち是有り非有るを知り、理に順いて之を行うはすなわち義。もし只だ一個の敬を守りて義を集むるを知らざれば、却って是れ都て事なし。【張栻曰く——敬に居り義を集むるは工夫並進して、相須けて相成す。もし只だ敬を得んと要して(底本は「若北」とするが、「若只」の誤り)義を集むるを知らざれば、則ちいわゆる敬も亦た只是れ塊然として為す所なきのみ。怎んぞ心体の周流を得んや。また曰く——義を集むるは只是れ事事箇の是を求むるのみ。朱熹曰く——敬義の工夫は偏廃すべからず。彼の専ら義を集むるを務めて敬を主るを知らざるは、固より虚驕急迫の病有り、而もいわゆる義は或いは其の義に非ず。然るに専ら敬を主るを言いて日用の間に就きて念慮の起る処に於いて其の公私義利の在る所を分別して取舍の幾を決するを知らざれば、則ち亦た未免昏憒雑擾、而もいわゆる敬も亦非なり。】譬えば孝を為さんと欲するに、成らずただ一個の孝字を守りて、須く是れ孝を為す所以の道を知るべし——侍奉は当に如何、温凊は当に如何、然る後に能く孝道を尽くす。【此れを説きて以て義を集むるの道はすなわち『必ず事焉有らん』を表明す。】」
學者湏是務實不要近名方是有意近名則是偽也大本已失更學何事為名與為利清濁雖不同然其利心則一也【志於求名則非務實有為而為即是私心】
程子曰く——「学者は須く是れ実を務めて、名を求むるに近づく勿れ、乃ち是れなり。意を有して名に近づけば則ち是れ偽。大本すでに失われ、還って何の事をか学ばん。名の為と利の為とは、清濁は同じからずと雖も、然るに其の利心は則ち是れ一なり。【名を求むるに志せば則ち是れ実を務めず。為す所有りて為すはすなわち私心なり。】」
回也其心三月不違仁只是無纖毫私意有少私意便是不仁【仁者天理之公心徳之全也有一毫私意介乎其間則害乎仁之全體矣】
程子曰く——「『回や其の心三月仁に違わず』——只是れ纎毫の私意なきなり。少許の私意有れば便ち是れ不仁。【仁は天理の公・心徳の全。一毫の私意を中間に夾めば、則ち仁の全体を害す。】」
仁者先難後獲有為而作皆先獲也古人惟知為仁而已今人皆先獲也【説見論語○後猶未有義而後其君之後先難者存心之篤而不容一念之或間克已之力而不容一事之非禮後獲者順乎天理而未嘗謀其私發乎誠心而未嘗計其效此仁者之事也或曰智者利仁是亦先獲也曰所謂利仁者以其察之明而後行之決蓋擇善而固執之者也未若仁者安行乎天理之自然而巳又豈區區計功謀效者之為哉萌計謀之私則已非仁矣尚何利仁之有】有求為聖人之志然後可與共學學而善思然後可與適道思而有所得則可與立立而化之則可與權【説見論語○學者所以學為聖人也有志希聖然後可與共學學原於思善於致思然後能通乎道思而有實得然後可與立而物慾異端不能奪之既立矣又能通變而不滯斯可與權蓋權者隨時制宜惟變所適又非執一者所能與也】
程子曰く——「仁者は難きを先にし獲るを後にす。為す所有りて作るは、皆是れ先に獲るなり。古人は只だ仁を為すを知るのみ、今人は皆先に獲る。【説は『論語』に見る。○『後』は猶ほ『未だ義有りて其の君を後にせず』の『後』のごとし。難きを先にするは心を存するの篤くして一念の或いは間断するを容れず、己に克つの力にして一事の礼に非ざるを容れず。獲るを後にするは天理に順いて曽て其の私を謀らず、誠心に発して曽て其の効を計らず。此れ仁者の事なり。或いは曰く——智者の仁に利するも亦是れ先に獲るなり。答える——いわゆる仁に利するとは、察すること明らかにして後之を行うこと決なり。是れ善を択びて固く執る者。還って仁者の天理の自然に安行するに似ざるのみ。又た豈に区区として功を計り効を謀る人の為す所ならんや。計謀の私を萌生せば則ち已に仁に非ず。還って何の仁に利するを談ぜん。】聖人を為さんと求むるの志有りて、然る後に与に共に学ぶべし。学んで善く思えば、然る後に与に道に適うべし。思うて得る所有れば、則ち与に立つべし。立ちて之を化すれば、則ち与に権すべし。【説は『論語』に見る。○学者は聖人を為すを学ぶ所以。聖を希う志有りて、然る後に与に共に学ぶべし。学は思に源し、善く思を致せば、然る後に能く道に通ず。思うて実得有りて、然る後に与に立つべくして、物慾異端も奪う能わず。すでに立ちて又能く通変して滞らずしてこそ、与に権すべし。権は時に随い宜を制してただ変の適う所なり。又た一を執る人の与かる能くする所に非ず。】」
古之學者為巳其終至於成物今之學者為物其終至於喪巳【為巳者盡吾性之當然非有預於人也其終至於成物者蓋道本無外人巳一致能盡巳之性則能盡物之性然其成物也亦無非盡巳之事也苟徒務外則將陷於邪偽反害其性矣】
程子曰く——「古の学者は己の為なり。其の終は万物を成就するに至る。今の学者は外物の為なり。其の終は己を喪失するに至る。【己の為は吾が性を尽くすの当然、並びて人に求むる有るに非ず。其の終の物を成すに至るは、道はもとより外なく人己一致なればなり。能く己の性を尽くせば則ち能く物の性を尽くす。然るに其の物を成すも亦た無非是れ己を尽くすの事。もし只だ外を務めば、則ち将に邪偽に陥り、反って其の性を害せん。】」
君子之學必日新日新者日進也不日新者必日退未有不進而不退者惟聖人之道無所進退以其所造者極也【君子之學當日進而不已一或自止則智日昏而行日矣惟聖人理造乎極行底乎成則無所進退或曰聖人純亦不巳固未嘗不自新也曰論其心固無時而自巳一念之或巳則是間斷也何以為聖人論其進退之地則至於神聖而極不容有所加損也】
程子曰く——「君子の学は必ず日新なるべし。日新はすなわち日進。日新ならざるは必ず日退。未だ進まずして退かざる有らず。ただ聖人の道は進退する所なし。其の至る所は極致なればなり。【君子の学は当に日に進みて已まざるべし。一旦自ら停止せば則ち智は日に昏く行は日に退く(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。ただ聖人は理は極に造り行は成に底る。則ち進退する所なし。或いは曰く——聖人『純にして亦た已まず』、固より曽て自ら新たにせざるなし。答える——其の心を論ずれば固より時に自ら停止するなく、一念或いは停まれば則ち是れ間断。何以を以て聖人と為さん。其の進退の地を論ずれば、則ち神聖に至りて極まり、加損する所有るを容れず。】」
明道先生曰性靜者可以為學【外書下同○智以靜而明行以靜為主】而不毅則無規矩毅而不則隘陋【説見前】
明道先生曰く——「性静なる者は以て学を為すべし。【『外書』に出る、以下同じ。○智は静に因りて明らかに、行は静を以て主と為す。】弘(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)にして毅ならざれば則ち規矩なし。毅にして弘ならざれば則ち隘陋。【説は前に見る。】」
知性善以忠信為本此先立其大者【學莫大於知性真知性之本善則知之大者忠信以為質然後禮義有所措以忠信為本則行之大者】
程子曰く——「性善を知り忠信を以て本と為す。此れ先に其の大者を立つるなり。【学は性を知るより大なるはなし。真に性の本善を知れば則ち是れ知の大者。忠信を以て質と為して、然る後に礼義は措置する所有り。忠信を以て本と為すは則ち行の大者。】」
伊川先生曰人安重則學堅固【躁擾輕浮則所知者易忘所守者易隳】博學之審問之慎思之明辨之篤行之五者廢其一非學也【説見中庸○學不博則無以備事物之理既博矣則不能無疑疑則不容不問問或疎略而不審則無以決疑而取正問審矣又必反之心思以騐其實思之而不謹則或氾濫而不切或穿鑿而過深則亦不足以揆所聞之當否思之謹矣至於應酬事物之際而辨其是非疑似之間者必極其明而不容有毫釐之差焉然知之明行之不力則其所以知者猶或奪於物欲之私而陷於自欺之域矣故以力行終之此五者雖有次第實相須而進不容缺其一焉】
伊川先生は言う。「人は安重なれば則ち学は堅固なり。【躁擾軽浮なれば則ち知る所の易く忘れ、守る所の易く毀る。】博くこれを学び、審かにこれを問い、慎みてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う。五者その一を廃すれば、則ち学に非ず。【説は『中庸』に見る。○学博からざれば則ち事物の理を備えるに由なし。すでに博なれば則ち疑なき能わず、疑あれば則ち問わざるを容れず。問は或いは疎略にして審ならざれば、則ち疑を決し正を取るに由なし。問審なれば又須くこれを心思に反して以て其の実を験すべし。思いて謹まざれば則ち或いは泛濫して切ならず、或いは穿鑿して深さを過ぐれば、則ち亦た聞く所の当否を揆うに足らず。思い謹慎して、應酬事物の際に至りて其の是非疑似を弁ずるに、須く其の明を極めて毫釐の差あるを容れざるべし。然るにこれを知ること明らかにしてこれを行うこと力無ければ、則ち其の知る所は或いは還って物欲の私に奪われて自欺に陥る。だから力行を以て之を終結す。此の五者は次第有りと雖も、実に相須けて進み、其の一を缺くを容れず。】」
張思叔請問其論或太髙伊川不答良乆曰累髙必自下【張繹字思叔程子門人也學必有其序不容躐等積累而髙必自下始也】
張思叔が請いて問う。その議論或いは太高し。伊川答えず。久しきを過ぎて曰く——「累ねて高きは必ず下より始まる。【張繹は字は思叔、程子の門人。学は必ず其の序有り、等を躐るを容れず。積累して高きは、必ず下より始まる。】」
明道先生曰人之為學忌先立標凖若循循不巳自有所至矣【標幟凖的蓋期望之地也為學而先立標凖則必有好髙躐等之患故莫若循序而進孳孳不已自有所至○朱子曰此如必有事焉而勿正之謂觀顔子喟然之嘆不於髙堅瞻忽處用功卻就博文約禮上進歩則可見矣】
明道先生は言う。「人の学を為すは、先に標準を立つるを忌む。もし循循として已まざれば、自然に至る所有り。【標幟準的は、期望の地なり。学を為して先に標準を立てば、則ち必ず高きを好み等を躐るの患有り。だから循序して進み孳孳として已まざるに如かず、自然に至る所有り。○朱熹は言う——これは『必ず事焉有らんにして正しうする勿れ』の意のごとし。顔子の喟然の嘆を看れば、高堅瞻忽の処に用功せずして、却って博文約礼の上に進歩すれば、則ち以て見るべし。】」
尹彥明見伊川后半年方得大學西銘看【尹焞字彥明程子門人也始學之士未知向方教之以大學使其知入道之門進學之序也然學莫大於求仁繼之以西銘所以使其知仁之體而無私巳之蔽也然有待於半年之後者蓋欲其厚積誠意蠲除氣習以為學問根本也】有人説無心伊川曰無心便不是隻當雲無私心【苟欲無心則必一切絶滅思慮槁木死灰而後可豈理也哉故聖賢未嘗無心特是心之所存所用者無非本天理之公而絶乎人慾之私耳】
尹彦明が伊川に見えて後半年して、才だ『大学』『西銘』を看るを得。【尹焞は字は彦明、程子の門人。始めて学ぶ士は未だ方向を知らず。これに『大学』を教えて道に入るの門・学を進むるの序を知らしむ。然るに学は仁を求むるより大なるはなし。これに『西銘』を継ぐは、仁の体を知らしめて己を私するの蔽なからしむる所以なり。然るに半年の後に待つ有るは、彼をして厚く誠意を積み気習を蠲除せしめ、以て学問の根本と為さんと欲するなり。】或る人は无心を言う。伊川は曰く——「无心は便ち是れ非ず。ただ当に私心無しと言うべし。【もし无心ならんと欲せば、則ち必ず一切に思慮を絶滅して槁木死灰と為りて後可なり。豈に是れ理ならん。だから聖賢は曽て心無しとせず。只是れ此の心の存す所用する所は天理の公に本づきて人欲の私に絶するに非ざるなし。】」
謝顯道見伊川【一本作伯淳】伊川曰近日事如何對曰天下何思何慮伊川曰是則是有此理賢卻發得太早在【至誠之道不思而得初何容心然未能義精仁熟而遽欲坐忘絶念此告子之不動心而反為心害者也】伊川直是防鍛鍊得人説了又道恰好著工夫也【鍛鍊冶工之冶金言其善於成冶人也心無紛擾乃進學之地故又曰恰好著工夫○朱子曰人所患者不能見得大體謝氏合下便見得只是下學之功都欠故道恰好著工夫】
謝顕道が伊川に見ゆ【一本は伯淳と作る】。伊川は曰く——「近日の事情は如何。」答える——「天下に何の思い何の慮かあらん。」伊川は曰く——「是なれば則ち是れ此の理有り。汝は却って発するが早すぎたり。【至誠の道は思わずして得。初め何ぞ曽て心を容れんや。然るに未だ義精仁熟ならずして急に坐忘絶念せんと要す。これは告子の心を動かさざるにして反って心の害を為すなり。】」伊川は真に人を鍛錬するに善し(底本は「防」とするが、「善」の誤り)。説き畢わりて又た道う——「恰好に工夫を著けて用い得たり。【鍛錬は冶工の金を冶するがごとし。是れ彼の人を成就するに善きを言うなり。心に紛擾なきは才だ学を進むるの地なり。だから又た恰好に工夫を著くと言う。○朱熹は言う——人の患うる所は能く大体を見ざるなり。謝氏は合下に便ち見得たり。只是れ下学の功は皆欠く。だから恰好に工夫を著くと言う。】」
謝顯道雲昔伯淳教誨只管著他言語伯淳曰與賢説話卻似扶醉漢救得一邉倒了一邉只怕人執著一邉【朱子曰上蔡因有發於明道玩物喪志之一言故其所論毎毎過髙如浴沂御風何思何慮之類皆是墮於一偏】
謝顕道は言う。「昔伯淳が教誨するに、只管に其の言語に着せり。伯淳曰く——爾と与に話すは却って酔漢を扶くるがごとし。一辺を救い得て一辺が倒る。只是れ人が一辺に執着するを怕る。【朱熹は言う——上蔡は明道の『物を玩ぶれば志を喪う』の一言に感有るに因りて、其の論ずる所は毎に高きに過ぎる。浴沂・御風・何思何慮の類のごとき、皆是れ一偏に堕す。】」
橫渠先生曰精義入神事豫吾內求利吾外也利用安身素利吾外致養吾內也【説見易繫辭○研精義理妙以入神知之功也然事素定於內則施於外者無不順順於致用以安其身行之功也然所用既順於外則養於內者益以厚此明內外之交養而知行之相資也】窮神知化乃養盛自至非思勉之能強故崇徳而外君子未或致知也【正防下同○神者妙萬物而無方化者著萬物而有跡窮神知化蓋窮理盡性以至於命是則知行交養徳盛所致非思之所能得勉之所能至者故君子惟盡力於精義以致其用利用以崇其徳自崇徳之外則有所不能致其力者故曰過此以往未之或知也】形而後有氣質之性善反之則天地之性存焉故氣質之性君子有弗性者焉【天命流行賦予萬物本無非善所謂天地之性也氣聚成形性為氣質所拘則有純駁偏正之異所謂氣質之性也然人能以善道自反則天地之性復全矣故氣質之性君子不以為性蓋不徇乎氣質之偏必欲復其本然之善孟子謂性無有不善是也○朱子曰天地之性専指理而言氣質之性則以理雜氣而言又曰性譬之水本皆清也以淨器盛之則清以汙器盛之則濁澄治之則本然之清未嘗不在】
横渠先生は言う。「精義入神は、事が預め我が内裏に定まりて、我が外面に利を求むるなり。利用安身は、素より我が外面に利し、以て我が内裏を致養するなり。【説は『易・繋辞』に見る。○義理を研精して妙に以て神に入るは、知の功なり。然るに事は素より内に定まれば、則ち外に施すは順ならざるなし。用を致すに順いて以て其の身を安くするは、行の功なり。然るに用いる所すでに外に順えば、則ち内に養うはさらに厚し。これは内外交養・知行相資するを表明す。】神を窮め化を知るは、乃ち養い盛んにして自ら到るなり。思勉の能く強求する所に非ず。だから徳を崇くするの外、君子は曽て或いは別に知を致さず。【『正蒙』に出る(底本は「正防」とするが、「正蒙」の誤り)、以下同じ。○神は万物を妙めて方無く、化は万物に著いて迹有り。神を窮め化を知るは、理を窮め性を尽くして以て命に至る。これは知行交養して徳盛なるの致す所。思いの得る能くする所に非ず勉めの至る能くする所に非ず。だから君子はただ精義に力を尽くして以て其の用を致し、利用して以て其の徳を崇くす。徳を崇くするの外は則ち其の力を致す能くする所有るなり。だから『此を過ぎて以往けば、未だ之を知る或あらざるなり』と言う。】形有るの後に才だ気質の性有り。善く反求すれば則ち天地の性存れり。だから気質の性は、君子は之を性と為さざる有り。【天命は流行して万物に賦与し、本より善に非ざるなし。すなわちいわゆる天地の性。気聚まりて形を成せば、性は気質に拘せられて、則ち純駁偏正の異有り。すなわちいわゆる気質の性。然るに人は能く善道を以て自ら反すれば、則ち天地の性は重ねて完全なり。だから気質の性は君子は以て性と為さず。是れ気質の偏に徇わず、必ず其の本然の善を復せんと欲するなり。孟子が性に不善なきこと莫しと言うは、すなわち此れ。○朱熹は言う——天地の性は専ら理を指して言い、気質の性は則ち理を以て気に雑えて言う。また言う——性は水に譬えて本より皆清し。浄器を用いて盛れば則ち清く、污器を用いて盛れば則ち濁る。之を澄治すれば則ち本然の清は未だ曽て在らざるなし。】」
徳不勝氣性命於氣徳勝其氣性命於徳【義理與氣質相為消長徳不勝氣則氣為之主而性命拘於雜揉之質徳勝其氣則徳為之主而性命全乎本然之善】窮理盡性則性天徳命天理氣之不可變者獨死生修天而巳【窮萬物之理而盡一巳之性此學問之極功也學至於是則查滓渾化義理昭融所性者即天之徳所命者即天之理尚何氣稟之為累哉獨死生壽天則稟氣有定數而不可移耳○黃勉齋曰窮理盡性則不但德勝其氣而已且將性命於天矣徳以所得者而言理以本然者而言故性曰天徳命曰天理一而已矣】莫非天也陽明勝則徳性用隂濁勝則物慾行領惡而全好者其必由學乎【領惡而全好見戴記鄭氏曰領猶理治也好善也人之氣質不齊要皆稟於天也陽明而隂暗陽清而隂濁稟陽之多者明而不暗故徳性用稟隂之多者濁而不清故物慾行若夫領物慾之惡而不得行全徳性之好而盡其用者其必由於學乎所謂雖愚必明雖柔必強者也】大其心則能體天下之物物有未體則心為有外世人之心止於見聞之狹聖人儘性不以見聞梏其心其視天下無一物非我【萬物一體性本無外苟拘於耳目之偏狹則私意蔽固藩籬爾汝安能體物而不遺惟聖人能盡此性故心大而無外其視物與巳本無間然也○朱子曰體猶體認之體將自身入事物之中究見其理又曰只是有私意便內外扞格只見得自身上事凡物皆不得與已相關便是有外之心】孟子謂盡心則知性知天以此天大無外故有外之心不足以合天心【人能全心徳之大則知性知天矣無一物而非天故天大無外人之心苟猶有外則與天心不相似】
張載は言う。「徳が気に勝たざれば、則ち性命は気に由りて決定す。徳が其の気に勝てば、則ち性命は徳に由りて決定す。【義理と気質とは相い消長を為す。徳が気に勝たざれば則ち気が主を為し、而も性命は雑揉の質に拘る。徳が其の気に勝てば則ち徳が主を為し、而も性命は本然の善に全し。】理を窮め性を尽くせば、則ち性はすなわち天徳、命はすなわち天理。気の変ずべからざるは、ただ死生寿夭のみ。【万物の理を窮めて一己の性を尽くす。これは学問の極功なり。学此れに到れば則ち渣滓渾化して義理昭融たり。性と為す所はすなわち天の徳、命と為す所はすなわち天の理。還って何の気禀の牵累を怕れん。ただ死生寿夭は則ち禀気に定数有りて移す可からず。○黄榦は言う——理を窮め性を尽くせば則ち但だ徳が其の気に勝つのみならず、且つ将に性命を天に於かんとす。徳は得る所の者に就きて言い、理は本然の者に就きて言う。だから性を天徳と言い命を天理と言う。是れ一個のみ。】无非は天なり。陽明勝れば則ち徳性起作用し、陰濁勝れば則ち物欲流行す。悪を領治して好きを保全するは、必ず学に由るか。【『領悪而全好』は『礼記』に見る。鄭玄曰く——『領』は猶ほ理治のごとく、『好』は善なり。人の気質は斉からず、要するに皆天に禀く。陽明にして陰暗、陽清にして陰濁。陽を禀くること多きは明らかにして暗からず。だから徳性起作用す。陰を禀くること多きは濁りて清からず。だから物欲流行す。物欲の悪を領治して其の行うを得ざらしめ、徳性の好を保全して其の用を尽くすに至っては、必ず学に由るか。すなわちいわゆる愚と雖も必ず明、柔と雖も必ず強。】心を放大すれば則ち能く天下の物を体認す。物の未だ体認せざる有れば、則ち心は外有りと為る。世人の心は見聞の狭隘に止まる。聖人は性を尽くし、見聞を以て其の心を梏せず。其の天下を看るに一物も我に非ざるなし。【万物一体、性は本より外なし。もし耳目の偏狭に拘われば、則ち私意蔽固にして藩籬爾汝たり。怎んぞ能く物を体して遺さざらん。ただ聖人は能く此の性を尽くす。だから心大にして外なく、其の物を看るは己と本より間隔なし。○朱熹は言う——『体』は猶ほ体認の体のごとく、自身を将って事物の中に入りて其の理を究見す。また曰く——只是れ私意有れば便ち内外捍格し、只だ自身上の事を見て、凡そ物は皆己と相関するを得ず。便ち是れ外有るの心なり。】孟子が心を尽くせば則ち性を知り天を知ると言うは、すなわち此に因る。天は大にして外なし。だから外有るの心は以て天心に合するに足らず。【人は能く心徳の大を全うすれば則ち性を知り天を知るなり。一物にして天に非ざるなし。だから天は大にして外なし。人の心もし尚お外有れば、則ち天心と相似ず。】」
仲尼絶四自始學至成徳竭兩端之教也意有思也必有待也固不化也我有方也四者有一焉則與天地為不相似矣【意必固我蓋私意見於應事接物之間自始至終有此四者橫渠先生解絶毋皆為禁止之意故以此為聖人設教之道謂自始學以至於成徳其所以克治融釋者不外乎此所謂竭兩端之教也意者萌心之始故曰有思必者期望於終故曰有待固者滯於已徃故曰不化我者成於巳私故曰有方○朱子曰起於意遂於必留於固而成於我意必常在事前固我常在事後或問四者相為終始而曰有一焉何也曰人之為事亦有其初未必出於私意而後來固執而不化者若曰絶私意則三者皆無則曰絶一斯可矣何用更言絶四以此知四者又各是一病】
張載は言う。「仲尼は四を絶つ。学を始むるより徳を成すに至る、是れ両端を竭くすの教なり。意は思有る、必は待有る、固は化せざる、我は方有るなり。四者の一有れば、則ち天地と為して相似ず。【意・必・固・我は、私意の事に應じ物に接する間に見ゆるなり。始より終に至るまで此の四者有り。横渠先生は『絶』『毋』を皆禁止の意と解す。だから此を以て聖人の教を設くるの道と為し、学を始むるより徳を成すに至る、其の克治融释する所以は此に外ならずと言う。すなわちいわゆる両端を竭くすの教。意は心を萌すの始なれば有思と言い、必は終に期望すれば有待と言い、固は已往に滞れば不化と言い、我は己私に成れば有方と言う。○朱熹は言う——意に起り、必に遂げ、固に留まり、而も我に成る。意必は常に事の前に在り、固我は常に事の後に在り。或いは問う——四者は相い終始を為す、而も『一焉有らん』と言うは是れ何為ぞ。答える——人の事を做るも亦た初めは必ずしも私意に出ざるにして後に固執して化せざる有り。もし私意を絶てば則ち三者皆無しと言わば、則ち一を絶つと言えば可なり。何用ぞ更に四を絶つと言わん。此を以て四者は又た各々是れ一の病なるを知る。】」
上逹反天理下逹徇人慾者歟【説見論語○反天理則所趨日以髙逺徇人慾則所趨日以沉溺】
張載は言う。「上達は天理に返る、下達は人欲に徇うならんか。【説は『論語』に見る。○天理に返れば則ち趨く所は日に高遠なり、人欲に徇えば則ち趨く所は日に沉溺す。】」
知崇天也形而上也通晝夜而知其知崇矣知及之而不以禮性之非巳有也故知禮成性而道義出如天地位而易行【説見繫辭○人能通晝夜隂陽之變智則崇矣所以效天也又能守品節事物之禮性斯成焉所以法地也智禮相資而成其性道義之所從出猶天地宂位而易之理行乎兩間也○或問知禮成性之説朱子曰如習與性成之意又曰性者我所得於天底道義是眾人共由底】
張載は言う。「知崇は天なり、是れ形而上。昼夜に通じて其の知を知れば則ち崇し。知は之に及ぶも礼を以て性を成さざれば、則ち己の有に非ず。だから知と礼とが性を成就して道義出づ。天地定位して『易』運行するがごとし。【説は『繋辞』に見る。○人は能く昼夜陰陽の変に通ずれば、智は則ち崇し。だから天に効法す。又能く品節事物の礼を守れば、性は才だ成る。だから地に法る。智と礼とは相資して其の性を成し、道義の従りて出づる所、猶ほ天地定位して『易』の理は両間に行わるるがごとし。○或いは知礼成性の説を問う。朱熹は曰く——習と性と成るの意のごとし。また曰く——性は我の天に於いて得る所、道義は衆人の共に由る所なり。】」
困之進人也為徳辨為感速孟子謂人有徳慧術智者常存乎疢疾以此【繫辭傳曰困徳之辨也辨明也人處患難之時則操心危懼而無驕侈之蔽故其見理也明置身窮厄而有反本之思故其從善也敏徳慧謂徳之慧術智謂術之智疢疾災患也】言有教動有法晝有為宵有得息有養瞬有存【非先王之法言不敢言言有教也非先王之徳行不敢行動有法也終日干幹晝有為也夜氣所養宵有得也氣之出入為息一息而必有所養也目之開闔為瞬一瞬而必有所存也此言君子無徃無時而非學也】
張載は言う。「困が人を進歩せしむるは、徳が此に因りて辨明し、感発が此に因りて迅速なるが故なり。孟子が人に徳慧術智の常に災患に存する有るを言うは、すなわち此に因る。【『繋辞伝』曰く——『困は徳の辨なり』。辨は明なり。人は患難の時に処れば則ち心を操して危惧して驕侈の蔽なし。だから理を見るも明なり。身を窮厄に置きて反本の思有れば、善に従うも敏なり。徳慧は徳の慧、術智は術の智、疢疾は災患なり。】言に教有り、動に法有り、昼に為有り、夜に得有り、一息に養有り、一瞬に存有り。【先王の法言に非ざれば敢えて言わず。是れ言に教有り。先王の徳行に非ざれば敢えて行わず。是れ動に法有り。終日乾乾たり。是れ昼に為有り。夜気の養う所。是れ宵に得有り。気の出入を息と為す。一息にして必ず養う所有り。目の開闔を瞬と為す。一瞬にして必ず存する所有り。これは君子の往く時にして学に非ざるなきを言う。】」
橫渠先生作訂頑曰幹稱父坤稱母予茲藐焉乃混然中處【朱子曰天陽也以至健而位乎上父道也地隂也以至順而位乎下母道也人稟氣於天賦形於地以藐然之身混合無間而位乎中子道也然不曰天地而曰乾坤者天地其形體也乾坤其性情也幹者健而無息之謂萬物之所資以始者也坤者順而有常之謂萬物之所資以生者也是乃天地之所以為天地而父毋乎萬物者故指而言之○愚按禮記仁人之事親也如事天事天如事親此謂孝子成身即西銘之原也】故天地之塞吾其體天地之帥吾其性【朱子曰幹陽坤隂此天地之氣塞乎兩間而人物之所資以為體者也故曰天地之塞吾其體幹健坤順此天地之志為氣之帥而人物之所得以為性者也故曰天地之帥吾其性深察乎此則父幹母坤混然中處之實可見矣】民吾同胞物吾與也【朱子曰人物並生於天地之間其所資以為體者皆天地之塞其所得以為性者皆天地之帥然體有偏正之殊故其於性也不無明暗之異惟人也得其形氣之正是以其心最靈而有以通乎性命之全體於並生之中又為同類而最貴焉故曰同胞則其視之也皆如己之兄弟矣物則得夫形氣之偏而不能通乎性命之全故與我不同類而不若人之貴然原其體性之所自是亦本之天地而未嘗不同也故曰吾與則其視之也亦如己之儕軰矣惟同胞也故以天下為一家中國為一人如下文所云惟吾與也故凡有形於天地之間者若動若植有情無情莫不有以若其性遂其生焉此儒者之道所以必至於參天地贊化育然後為功用之全而非有所強於外也】大君者吾父母宗子其大臣宗子之家相也尊髙年所以長其長慈孤弱所以幼其幼聖其合徳賢其秀也凡天下疲癃殘疾惸獨鰥寡皆吾兄弟之顛連而無告者也【朱子曰幹父坤母而人生其中則凡天下之人皆天地之子矣然繼承天地統理人物則大君而已故為父母之宗子輔佐大君綱紀眾事則大臣而已故為宗子之家相天下之老一也故凡尊天下之髙年者乃所以長吾之長天下之幼一也故凡慈天下之孤弱者乃所以幼吾之幼聖人與天地合其徳是兄弟之合徳乎父母者也賢者才徳過於常人是兄弟之秀出乎等夷者也是皆以天地之子言之則凡天下之疲癃殘疾惸獨鰥寡非吾兄弟無告者而何哉】於時保之子之翼也樂且不憂純乎孝者也【朱子曰畏天而自保者猶其敬親之至也樂天而不憂者猶其愛親之純也又曰若論天地萬物與我同體之意固極宏大然所論事天功夫則自於時保之以下方極親切】違曰悖徳害仁曰賊濟惡者不才其踐形惟肖者也【朱子曰不循天理而循人慾者不愛其親而愛他人也故謂之悖徳戕滅天理自絶本根者賊殺其親大逆無道也故誦之賊長惡不悛不可教訓者世濟其兇増其惡名也故謂之不才若夫盡人之性而有以充人之形則與天地相似而不違矣故謂之肖】知化則善述其事窮神則善繼其志【朱子曰孝子善繼人之志善述人之事者也聖人知變化之道則所行者無非天地之事矣通神明之徳則所存者無非天地之心矣此二者皆樂天踐形之事也又曰化底是氣有跡可見故為事神底是理無形可窺故為志】不愧屋漏為無忝存心養性為匪懈【朱子曰孝經引詩曰無忝爾所生故事天者仰不愧俯不怍則不忝乎天地矣又曰夙夜匪懈故事天者存其心養其性則不懈乎事天矣此二者畏天之事而君子所以求踐乎形者也】惡防酒崇伯子之顧養育英材潁封人之錫類【朱子曰好飲酒而不顧父母之養者不孝也故遏人慾如禹之惡防酒則所以願天之養者至矣性者萬物之一源非有我之得私也故育英材如潁考叔之及莊公則所以永錫爾類者廣矣】不弛勞而底豫舜其功也無所逃而待烹申生其恭也【朱子曰舜盡事親之道而瞽叟底豫其功大矣故事天者盡事天之道而天心豫焉則亦天之舜也申生無所逃而待烹其恭至矣故事天者夭夀不貳而修身以俟之則亦天之申生也】體其受而歸全者參乎勇於從而順令者伯竒也【朱子曰父母全而生之子全而歸之若曽子之啟手啟足則體其所受乎親者而歸其全也況天之所以與我者無一善之不備亦全而生之也故事天者能體其所受於天者而全歸之則亦天之曽子矣子於父母東西南北唯令之從若伯竒之履霜中野則勇於從而順令也況天之所以命我者吉凶禍福非有人慾之私故事天者能勇於從而順受其正則亦天之伯竒矣】富貴福澤將厚吾之生也貧賤憂戚庸玉汝於成也【朱子曰富貴福澤所以大奉於我而使吾之為善也輕貧賤憂戚所以拂亂於我而使吾之為志也篤天地之於人父母之於子其設心豈有異哉故君子之事天也以周公之富而不至於驕以顔子之貧而不改其樂其事親也愛之則喜而弗忘惡之則懼而無怨其心亦一而已矣】存吾順事沒吾寧也【朱子曰孝子之身存則其事親也不違其志而已沒則安而無所愧於親也仁人之身存則其事天也不逆其理而已沒則安而無所愧於天也蓋所謂朝聞夕死吾得正而斃焉者故張子之銘以是終焉】明道先生曰訂頑之言極醇無雜秦漢以來學者所未到又曰訂頑一篇意極完備乃仁之體也【仁者本以天地萬物為一體】學者其體此意令有諸巳其地位已髙到此地位自別有見處不可窮髙極逺恐於道無補也【體認此意實為我有所謂真知而實踐之至此則又有見於大本一原之妙矣】又曰訂頑立心便逹得天徳【普萬物而無私天徳也】又曰遊酢得西銘讀之即渙然不逆於心曰此中庸之理也能求於言語之外者也【遊酢字定夫程子門人也中庸惟本乎天命之性中者性之體和者性之用致中和至於天地位萬物育實則原於天命之本然西銘以人物之生同稟是氣以為體同具是理以為性雖有差等實無二本也今一視同仁者亦所以盡一巳之性而全天命之本然耳此即中庸之理也】楊中立問曰西銘言體而不及用恐其流遂至於兼愛何如伊川先生曰橫渠立言誠有過者乃在正防西銘之書推理以存義擴前聖所未發與孟子性善養氣之論同功豈墨氏之比哉西銘明理一而分殊墨氏則二本而無分【本注云老幼及人理一也愛無差等本二也○楊時字中立程子門人也西銘以天地為父母萬物為同體是理一也然而貴賤親疎上下各有品節之宜是分殊也若墨氏惑於兼愛則泛然並施而無差等施之父母者猶施之路人是親疎並立而為二本也○或問理一分殊如同胞吾與大君家相長防碊疾皆自有等差是分殊處否朱子曰此是一直看下更須橫截看天氣而地質與父母固是一理然吾之父母與天地自是有個親疎同胞裡而便有理一分殊吾與裡面亦便有理一分殊山正是疑同胞吾與為近於墨氏不知同胞吾與各自有理一分殊在其中矣】分殊之蔽私勝而失仁無分之罪兼愛而無義【徒知分之殊而不知理之一則其蔽也為己之私勝而失其公愛之理徒知理之一而不知分之殊則其過也兼愛之情勝而失其施愛之宜】分立而推理一以止私勝之流仁之方也無別而迷兼愛以至於無父之極義之賊也子比而同之過矣【分立而推其理之一則無私勝之蔽此為仁之方西銘是也施無差等而迷於兼愛則其極也至於無父此害義之賊墨氏是也】且彼欲使人推而行之本為用也反謂不及不亦異乎【西銘本言理一欲人推大公之用因山有兼愛之疑故程子又明其分之殊蓋莫非自然之理也或曰旣言理一又曰分殊是理與分為二也曰以理推之則並生於天地之間者同體同性不容以異觀也然是理也則有品節之殊輕重之等所謂分也者特是理之差等耳非二端也】
横渠先生は『訂頑』を作りて曰く——「乾は父と称し、坤は母と称す。我が藐然の身は、乃ち混然として中間に処る。【朱熹は言う——天は陽、至健を以て位は上に在り。是れ父の道。地は陰、至順を以て位は下に在り。是れ母の道。人は気を天に禀け形を地に賦せられ、藐然の身を以て混合して間なくして位は中に在り。是れ子の道。然るに天地と言わずして乾坤と言う——天地は其の形体、乾坤は其の性情。乾は健にして息まざるの意、万物の資りて以て始まる所。坤は順にして常有るの意、万物の資りて以て生成する所。此乃ち天地の天地たる所以にして万物に父母たる。だから指して之を言う。○葉采按——『礼記』に『仁人の親に事えるや天に事えるがごとく、天に事えるや親に事えるがごとし』。これは孝子の身を成すを言う。すなわち『西銘』の源頭なり。】だから天地の塞は我が体、天地の帥は我が性。【朱熹は言う——乾陽坤陰、此の天地の気は両間に塞りて、而も人物の資りて以て体と為す所。だから『天地の塞は吾れ其の体』と言う。乾健坤順、此の天地の志は気の帥と為りて、而も人物の得て以て性と為す所。だから『天地の帥は吾れ其の性』と言う。此に於いて深く察れば、則ち父乾母坤・混然として中に処るの実は以て見るべし。】民は我が同胞、物は我が同類。【朱熹は言う——人物は並びて天地の間に生まれ、其の資りて以て体と為す所は皆天地の塞、其の得て以て性と為す所は皆天地の帥。然るに体に偏正の殊有り。だから其の性に於いても明暗の異なきこと莫し。ただ人は其の形気の正を得る。だから其の心は最も霊にして以て性命の全体に通ずる有り、並生の中に於いて又た同類にして最も貴し。だから同胞と言えば、則ち其の彼らを看待するや己の兄弟のごとし。物は則ち彼の形気の偏を得て性命の全に通ずる能わず。だから我と同類ならずして人のごとき貴からず。然るに其の体性の自る所を原れば、亦た天地に本づきて曽て同じからざるなし。だから『吾与』と言えば、則ち其の彼らを看待するも亦た己の儕輩のごとし。正に同胞なればなり、だから天下を以て一家と為し中国を一人と為すは、下の文の言うがごとし。正に吾与なればなり、だから凡そ天地の間に形有るは、若しくは動若しくは植、有情無情、其の性に順い其の生を遂ぐる有ること莫し。これは儒者の道の必ず天地に参じ化育を賛するに至りて然る後に功用の全と為す所以にして、外に於いて強加する所有るに非ず。】大君は我が父母の宗子、其の大臣は宗子の家相なり。高年を尊敬するは、其の長を長とする所以。孤弱を慈愛するは、其の幼を幼とする所以。聖人は徳を合わす、賢人は秀出せり。凡そ天下の疲癃残疾・惸独鳏寡は、皆我が兄弟の顛連して告ぐる所なきなり。【朱熹は言う——乾父坤母にして人は其の中に生まれれば、則ち凡そ天下の人は皆天地の子なり。然るに天地を継承して人物を統理するは則ちただ大君。だから父母の宗子と為す。大君を輔佐して衆事を綱紀するは則ち大臣。だから宗子の家相と為す。天下の老は是れ一なり。だから凡そ天下の高年を尊敬するは、乃ち吾が長を長とする所以。天下の幼は是れ一なり。だから凡そ天下の孤弱を慈しむは、乃ち吾が幼を幼とする所以。聖人は天地と其の徳を合わす。是れ兄弟の父母に於いて徳を合わするなり。賢者は才徳の常人を超越す。是れ兄弟の等夷に秀出するなり。此れらは皆天地の子に就きて言えば、則ち凡そ天下の疲癃残疾・惸独鳏寡は、我が兄弟の告ぐる所なきに非ずして是れ何ぞ。】『時に於いて之を保つ』は児子の敬翼、楽しみて憂えざるは純孝なり。【朱熹は言う——天を畏れて自ら保つは、猶ほ親を敬うの至のごとし。天を楽しみて憂えざるは、猶ほ親を愛するの純のごとし。また曰く——もし天地万物の我と同体の意を論ずれば固より極めて宏大なり。然るに論ずる所の天に事える功夫は、則ち『時に於いて之を保つ』以下より才だ極めて親切なり。】悖うを悖徳と言い、仁を害するを賊と言い、悪を済すは不才、能く形を践するは乃ち惟肖なり。【朱熹は言う——天理に循わずして人欲に循うは、其の親を愛せずして他人を愛するなり。だから悖徳と言う。天理を戕滅して自ら本根を絶つは、其の親を賊殺し大逆無道なり。だから賊と言う(底本は「誦之賊」とするが、「謂之賊」の誤り)。悪を長じて悛めず、教訓すべからざるは、世に其の凶を済し其の悪名を増す。だから不才と言う。人の性を尽くして以て人の形を充つるに至っては、則ち天地と相似て違わず。だから肖と言う。】化を知れば則ち善く其の事を述べ、神を窮めれば則ち善く其の志を継ぐ。【朱熹は言う——孝子は善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶ。聖人は変化の道を知れば則ち行う所は天地の事に非ざるなく、神明の徳に通ずれば則ち存する所は天地の心に非ざるなし。此の二者は皆天を楽しみ形を践するの事なり。また曰く——化は気、迹有りて見ゆべきゆえに事と為す。神は理、形なく窺うべからざるゆえに志と為す。】屋漏に愧ざるは忝なきなり、心を存し性を養うは懈らざるなり。【朱熹は言う——『孝経』は『詩』を引いて曰く『爾が生む所に忝る勿れ』。だから天に事えるの仰いで愧ざる俯して怍じざれば、則ち天地に忝らず。また『夙夜懈らず』と言う。だから天に事えるの其の心を存し其の性を養えば、則ち天に事えるに懈らず。此の二者は天を畏るの事にして、君子の形を践せんを求むる所以なり。】旨酒を遏制するは(底本は「惡防酒」とするが、「惡旨酒」の誤り)崇伯子の顧養、英材を培育するは潁封人の錫類なり。【朱熹は言う——酒を好みて父母の養を顧みざるは不孝。だから人欲を遏する禹の旨酒を惡むがごときは、則ち天の養を願う所以は至る。性は万物の一個の源頭、我が得て私する所有るに非ず。だから英材を育てる潁考叔の荘公に及ぶがごときは、則ち永く爾類に錫う所以は広し。】懈らず労苦して豫悦に達するは、舜の功なり。逃るる所なくして烹を待つは、申生の恭なり。【朱熹は言う——舜は親に事えるの道を尽くして瞽叟底豫す。其の功大なり。だから天に事えるの天に事えるの道を尽くして天心豫悦せば、則ち亦た是れ天の舜なり。申生は逃るる所なくして烹を待つ。其の恭至れり。だから天に事えるの夭寿貳ならずして身を修めて以て待てば、則ち亦た是れ天の申生なり。】其の受くる所を体して帰還すること完全なるは曾参、勇んで聴従して命令に順うは伯奇なり。【朱熹は言う——父母は全く之を生み、子は全く之に帰す。曾子の手を啓き足を啓くがごときは、則ち其の親に於いて受くる所を体して其の全を帰す。況んや天の我に与える所以は一善も備わらざるなく、亦た全く之を生む。だから天に事えるの能く其の天に於いて受くる所を体して全く之に帰せば、則ち亦た是れ天の曾子なり。子の父母に於いては東西南北ただ命令に聴従するのみ。伯奇の霜を履みて中野に在るがごときは、則ち勇んで従いて令に順う。況んや天の我に命ずる所以は吉凶禍福に人欲の私なし。だから天に事えるの能く勇んで従いて其の正を順受せば、則ち亦た是れ天の伯奇なり。】富貴福沢は将に我が生を厚くせんとす。貧賤憂戚は以て汝を琢磨して成就に至らしむ。【朱熹は言う——富貴福沢は我に大いに奉ずる所以にして吾が善を為すを軽からしむ。貧賤憂戚は我に拂乱する所以にして吾が志を篤からしむ。天地の人に於ける、父母の子に於ける、其の設心は豈に同じからざる有らん。だから君子は天に事え、周公の富を以てしても驕に至らず、顔子の貧を以てしても其の楽を改めず。其の親に事えるや、之を愛すれば則ち喜びて忘れず、之を惡めば則ち懼れて怨みず。其の心は是れ一個のみ。】生きるや我は順い、死するや我は安んず。【朱熹は言う——孝子の身は存すれば則ち其の親に事えるに其の志に違わざるのみ、死すれば則ち安んじて親に愧る所なし。仁人の身は存すれば則ち其の天に事えるに其の理に逆わざるのみ、死すれば則ち安んじて天に愧る所なし。すなわちいわゆる朝に聞きて夕に死す、吾れ正を得て斃る。だから張子の銘は此を以て終わる。】」明道先生は曰く——「『訂頑』の言は極めて醇にして雑質なし。秦漢以来学者の未だ到らざる所なり。」また曰く——「『訂頑』の一篇は意思極めて完備す。乃ち仁の体なり。【仁者は本より天地万物を以て一体と為す。】学者此の意を体認して、之を己の有と為さしめば、其の地位は已に高し。此の地位に到れば自然に別に見る処有り。高きを窮め遠きを極むべからず。恐らくは道に於いて補なからん。【此の意を体認して実に我の有と為すは、すなわちいわゆる真に知りて実に践るなり。此に到れば則ち又た大本一原の妙を見る有り。】」また曰く——「『訂頑』は心を立てば便ち天徳に達す。【万物に溥及して私無し。すなわち天徳なり。】」また曰く——「游酢は『西銘』を得てこれを読み、便ち涣然として心に逆わず、曰く——これは中庸の理、言語の外に求むる能くするなり。【游酢は字は定夫、程子の門人。『中庸』はただ天命の性に本づく——中は性の体、和は性の用。彼の中和を致して天地位・万物育に至るは、其の実は天命の本然に原る。『西銘』は人物の生の此の気を同じく禀けて以て体と為し、此の理を同じく具えて以て性と為すを以てす。差等有りと雖も実に二本なし。今一視同仁のも、亦た一己の性を尽くして天命の本然を全うする所以なり。これすなわち中庸の理なり。】」楊中立が問う——「『西銘』は体を説いて用に及ばず。恐らくは其の流れは遂に兼愛に至らん。如何。」伊川先生は曰く——「横渠の立言は誠に過分有る、乃ち『正蒙』に在り(底本は「正防」とするが、「正蒙」の誤り)。『西銘』の書は理を推して以て義を存す。前聖の未だ発せざる所を拡充し、孟子の性善養気の論と功を同じくす。豈に墨氏の比ならん。『西銘』は理一にして分殊なるを表明す。墨氏は則ち二本にして分別なし。【本文原注——老幼を人に推し及ぼすは理一、愛に差等なきは二本。○楊時は字は中立、程子の門人。『西銘』は天地を以て父母と為し万物を同体と為す。是れ理一。然るに貴賤親疎上下は各々品節の宜有り。是れ分殊。もし墨氏の兼愛に惑えるがごときは、則ち泛然として並びて施して差等なく、父母に施すは路人に施すがごとし。是れ親疎並び立ちて二本と為る。○或いは問う——理一分殊、同胞・吾与・大君・家相・長幼残疾(底本は「長防碊疾」)のごとき、皆自ら等差有り。是れ分殊の処か。朱熹は曰く——これは一直に看り下るのみ。更に須く横截して看るべし。天気にして地質なると父母とは固より是一理。然るに吾が父母と天地とは自ら是れ箇の親疎有り。同胞の裏面に便ち理一分殊有り、吾与の裏面にも亦た便ち理一分殊有り。亀山(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)は正に同胞・吾与の墨氏に近きを疑う。知らず、同胞・吾与は各自に理一分殊其の中に在るを。】分殊の毛病は私勝ちて仁を失う、無分の罪過は兼愛にして義無きなり。【ただ分の殊を知りて理の一を知らざれば、則ち其の蔽は己の為の私勝ちて其の公愛の理を失う。ただ理の一を知りて分の殊を知らざれば、則ち其の過は兼愛の情勝ちて其の愛を施すの宜を失う。】分を立てて理一を推求し、以て私勝の流を止むるは、仁を為すの方なり。分別なくして兼愛に迷い以て父無きの極端に至るは、義を害するの賊なり。汝は彼らを比して同じくする。過分なり。【分を立てて其の理の一を推せば則ち私勝の蔽なし。これは仁を為すの方、『西銘』是なり。差等なく施して兼愛に迷えば則ち其の極は父無きに至る。これは義を害するの賊、墨氏是なり。】しかも彼の書は人をして推して之を行わしめんと欲す。本より用を為すなり。反って用に及ばずと言う。不も亦た怪なりや。【『西銘』は本より理一を説き、人をして大公の用を推さしめんと欲す。亀山に兼愛の疑有るに因りて、だから程子は又た其の分の殊を明らかにす。蓋し非ずんば自然の理なり。或いは曰く——すでに理一を説き又た分殊を説く。是れ理と分とを二と為すか。答える——理を以て之を推せば、則ち天地の間に並びて生まるるは同体同性、異を以て看るを容れず。然るに此の理は則ち品節の殊・軽重の等有り。いわゆる分は、特に是れ此の理の差等のみ。両個の端に非ず。】」
橫渠先生又作砭愚曰戲言出於思也戲動作於謀也發於聲見乎四支謂非己心不明也欲人無巳疑不能也【言雖戲必以思而出也動雖戲必以謀而作也戲言發於聲戲動見乎四支謂非本於吾心是惑也本於吾心而欲人之不我疑不可得也】過言非心也過動非誠也失於聲繆迷其四體謂巳當然自誣也欲他人已從誣人也【言之過者非其心之本然也動之過者非其誠之實然也失於聲而為過言繆迷其四體而為過動謂之過者皆誤而非故也或者吝於改過遂以為巳之當然是自誣其心也既憚改而自誣又欲人之從之是誣人也此夫子所謂小人之過也必文孟子所謂過則順之又從而為之辭】或者謂出於心者歸咎為巳戲失於思者自誣為巳誠不知戒其出汝者歸咎其不出汝者長傲且遂非不知孰甚焉【戲謔出於心思乃故為也不知所當戒徒歸咎以為戲則長傲而慢愈滋矣過誤不出於心思乃偶失耳不知歸咎於偶失反自誣以為實則遂非而過不改矣○學者深省乎此則崇徳辨惑矯輕警惰之功亦大矣然其於戲且誤者克治尚如此之嚴況乎過之非戲誤者豈復留之纖芥以累其身心哉】橫渠學堂雙牖右書訂頑左書砭愚伊川曰是起爭端改訂頑曰西銘砭愚曰東銘【頑者暴忍而不仁愚者昏塞而不智訂頑主仁而義在其中砭愚主智而禮在其中】
横渠先生は又た『砭愚』を作りて曰く——「戯言は思いに出づ、戯動作は謀に為す。声に発し四肢に見えて、己の心に非ずと言うは、是れ不明なり。人をして己に疑なからしめんと欲するは、能く成らず。【言は戯と雖も、必ず思いに因りて出づ。動は戯と雖も、必ず謀に因りて作る。戯言は声に発し、戯動は四肢に見ゆ。吾が心に本づくに非ずと言うは、是れ惑なり。吾が心に本づきて而も人をして我を疑わざらしめんと欲するは、得る可からず。】過言は心に非ず、過動は誠に非ず。声に失い四肢に繆迷して、己当然と言うは、是れ自ら誣るなり。他人をして己に聴従せしめんと欲するは、是れ人を誣るなり。【言の過するは其の心の本然に非ず、動の過するは其の誠の実然に非ず。声に失いて過言と為り、四肢に繆迷して過動と為る。過と作るは、皆誤りにして故意に非ず。或いは過を改むるに吝かにして、於いて己当然と為すは、是れ自ら其の心を誣る。すでに改むるを怕れて自ら誣り、又想うらく人をして聴従せしめんは、是れ人を誣る。これすなわち夫子のいわゆる『小人の過や必ず文る』、孟子のいわゆる『過れば則ち之に順い、又た従いて之が辞を為す』。】或いは曰く——心に出づるを己の戯謔に帰咎し、思いに失うるを己の誠に自ら誣るは、其の出づる所を戒め其の出でざる所を帰咎するを知らず、傲を長じて且つ非を遂ぐ。無知は孰れか甚だしき。【戯謔は心思に出づれば乃ち故意。当に戒むべき所を知らず、ただ帰咎して以て戯と為せば、則ち傲を長じて慢はさらに滋長す。過誤は心思に出でざれば乃ち偶失。偶失に帰咎するを知らず、反って自ら誣りて以て実と為せば、則ち非を遂げて過改めず。○学者此に於いて深く省れば、則ち徳を崇くし惑を弁じ、軽を矯め惰を警むるの功も大なり。然るに其の戯且つ誤の克治に於いて尚お此のごとく厳なり。況んや過の戯誤に非ざるをや。豈に再び纎芥を留めて以て其の身心に累さんや。】」横渠学堂の両窓は、右に『訂頑』を写し、左に『砭愚』を写す。伊川曰く——「これは争端を起こす。」『訂頑』を改めて『西銘』と言い、『砭愚』を『東銘』と言う。【頑は暴忍にして不仁、愚は昏塞にして不智。『訂頑』は仁を主りて義其の中に在り、『砭愚』は智を主りて礼其の中に在り。】
將修巳必先厚重以自持厚重知學徳乃進而不固矣忠信進徳惟尚友而急賢欲勝巳者親無如改過之不吝【橫渠文集下同説見論語○君子修己之道必以厚重為本苟輕浮則無受道之基然徒厚重而不知學則徳亦固滯而不進矣然進徳之道必以忠信為主而未忠信之輔者莫急於交勝巳之賢但或吝於改過則無所施其責善之道賢者亦不我親矣○學則不固之説與本文異此自是一義有益學者故取焉凡録經説有與本文異者放此】
張載は言う。「将に己を修めんとすれば、必ず先に厚重を以て自ら持すべし。厚重にして学を知れば、徳は才だ進みて固滞せず。忠信は徳を進む。ただ交友を崇くして賢人に急なるのみ。己に勝る者をして親しからしめんと欲するは、過を改むるに吝ならざるより善きはなし。【横渠『文集』に出る、以下同じ。説は『論語』に見る。○君子の己を修むるの道は必ず厚重を以て本と為す。もし軽浮なれば則ち道を受くるの基なし。然るにただ厚重にして学を知らざれば、則ち徳も亦た固滞して進まず。然るに徳を進むるの道は必ず忠信を以て主と為し、而も忠信を輔くるは己に勝る賢人と交わるより急なるは莫し。但し或いは過を改むるに吝かなれば、則ち其の善を責むるの道を施すに由なく、賢者も亦た我に親しまず。○『学べば則ち固ならず』の説は本文と同じからず。これは自ら是れ一義、学者に益有るゆえに取る。凡そ経説を録するに本文と同じからざる有るは、皆此に倣う。】」
橫渠先生謂範巽之曰吾輩不及古人病源何在巽之請問先生曰此非難悟設此語者蓋欲學者存意之不忘庶遊心寖熟有一日脫然如大寐之得醒耳【範育字巽之○朱子曰橫渠說此語正要學者將此題目時時自省積乆貫熟而自得之耳又曰人於義理須如所謂脫然大寐之得醒方始是信得處】
横渠先生は范巽之に対して曰く——「我らは古人に及ばず。病源は何れに在る。」巽之請いて問う。先生曰く——「これは領悟し難からず。此の語を設くるは、学者をして意思を心に存して忘れざらしめ、庶幾くして心を游ばし浸熟して、一日脱然として大睡の醒を得るがごとくならしめんと欲するなり。【范育は字は巽之。○朱熹は言う——横渠が此の語を説くは、正に学者をして此の題目を将って時時に自省せしめ、積久して貫熟して自ら得せんと欲するなり。また曰く——人は義理に於いて須くいわゆる脱然たる大寐の醒を得るのごとくしてこそ、方に是れ信ずる処なり。】」
未知立心惡思多之致疑既知所立惡講治之不精【立心未定而多思致惑則所向或移立心既定而講治粗疎則所業莫進】講治致思莫非術內雖勤而何厭所以急於可欲者求立吾心於不疑之地然後若決江河以利吾往【承上文而言致思講治乃窮理之事皆在吾學術之內初何厭乎勤此言講治之貴精然所以急於明可欲之善者蓋欲先定吾志無所疑惑然後能若決江河進而不可竭此言立心之必定】遜此志務時敏厥修乃來故雖仲尼之才之美然且敏以求之今持不逮之資而欲徐徐以聴其自適非所聞也【説見尚書○遜順也遜此志則立心以定務時敏則講學為急如是則所修乃日見其進也】
張載は言う。「還って心を立つるを知らざれば、思慮多くして疑惑を致すを怕る。すでに立つ所を知れば、講治精からざるを怕る。【立心未だ定まらずして思を致して惑うこと多ければ、則ち向う所或いは移る。立心すでに定まりて講治粗疎なれば、則ち業とする所進まず。】講治致思は无非学术の内に在り。たとい勤しくとも又何の厭かあらん。だから可欲に急なるは、吾が心を疑なきの地に立てんことを求め、然る後に江河を決するが若くして以て吾が往くに利あらんとするなり。【上文に承く。思を致し治を講ずるは乃ち理を窮むるの事。皆吾が学术の内に在り。初め何の勤に厭かあらん。これは講治は精を貴ぶを言う。然るに可欲の善を明らかにせんと急なる所以は、先に吾が志を定めて疑惑する所なからしめ、然る後に能く江河を決するが若くして進みて竭きざらしめんと欲するなり。これは立心は必ず定まるべきを言う。】此の志に遜順して、務めて時に按じて敏疾すれば、其の修むる所は才だ来たる。だからたとい仲尼の才の美なるも、尚お敏にして以て之を求む。如今及ばざるの資禀を持して而も徐徐として其の自適に聴かんと欲するは、我の聞く所に非ず。【説は『尚書』に見る。○遜は順なり。此の志に遜えば則ち心を立てて以て定まり、時敏を務めれば則ち学を講ずるを急と為す。此のごとくなれば則ち修むる所は乃ち日に其の進を見ん。】」
明善為本固執之乃立擴充之則大易視之則小在人能之而已【明善者為學之本知之既明由是固守之則此徳有立推廣之則此徳日大苟以忽心視之則所見者亦寖微矣】
張載は言う。「善を明らかにするは本なり。之を固く執して才だ立ち、之を拡充すれば則ち大なり。之を軽易に看れば則ち小なり。人の能く之を弘めるに在るのみ(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。【善を明らかにするは学を為すの本。之を知ることすでに明らかなれば、此に由りて固守すれば則ち此の徳立つ有り。推广せば則ち此の徳日に大なり。もし忽略の心を以て之を看れば、則ち見る所も亦た漸々として微小なり。】」
今且只將尊徳性而道問學為心日自求於問學者有所背否於徳性有所懈否此義亦是博文約禮下學上達以此警防一年安得不長【尊者崇尚敬持之□道由也由學問而惟恐背違崇徳性而惟恐懈惰曰以此自省積之歳月則內外兼進矣尊徳性則是約禮上達之事道問學則是博文下學之事】毎日須求多少為益知所亡改得少不善此徳性上之益【學者日省其身所以増益其不知者何如所以改治其不善者何如以是存心則徳日新矣】讀書求義理編書須理防有所歸著勿徒寫過又多識前言徃行此問學上益也【讀書者必窮其義理不徒事章句訓詁之末編書者必求其指歸不徒務博洽紀録之功多識前哲之言行以廣所知則學日進矣】勿使有俄頃閒度逐日似此三年庻防有進【君子之學一有問斷則此心外馳徳性日隳學問日廢矣】為天地立心為生民立道為去聖繼絶學為萬世開太平【天地以生生為心聖人參贊化育使萬物各正其性命此為天地立心也建明義理扶植綱常此為生民立道也繼絶學謂纘述道統開太平如有王者起必來取法利澤垂於萬世學者以此立志則所任至大而不安於小成所存至公而不苟於近用】
張載は言う。「如今且らくただ徳性を尊びて問学に道るを心に置き、每日自ら求む——問学に於いて違背する所有るか。徳性に於いて懈怠する所有るか。此の義はすなわち博文約礼・下学上達なり。此を用いて一年を警惕せば(底本は「警防」とするが、「警惕」の誤り)、怎んぞ能く長進せざらん。【尊は崇尚敬持。道は由るなり。学問に由りてただ違背せんことを恐れ、徳性を崇くしてただ懈惰せんことを恐る。每日此を用いて自ら省れば、之を歳月に積めば則ち内外兼ねて進む。徳性を尊ぶは則ち約礼上達の事、問学に道るは則ち博文下学の事。】每日須く多少の収益を求むべし——缺くる所を知り不善を少許も改め得るは、是れ徳性上の益。【学者は日に其の身を省む——其の知らざるを增益する所以は如何、其の不善を改治する所以は如何。此を以て心を存せば則ち徳は日に新たなり。】書を読んで義理を求め、書を編んで須く理会して(底本は「理防」とするが、「理会」の誤り)帰着する所有らしめ、徒然に写し過ぐる勿れ。又多く前言往行を識るは、是れ問学上の益。【書を読むは必ず其の義理を窮め、徒らに章句訓詁の末に事えず。書を編むは必ず其の指帰を求め、徒らに博洽紀録の功を務めず。多く前哲の言行を識りて以て知る所を広くすれば、則ち学は日に進む。】片刻の閑度有る勿れ。日を逐いて此のごとくせば、三年庶幾くして進有らん(底本は「庶防」とするが、「庶几」の誤り)。【君子の学は一たび間断有れば則ち此の心は外に馳せ、徳性は日に隳れ学問は日に廃す。】天地の為に心を立て、生民の為に道を立て、去聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く。【天地は生生を以て心と為す。聖人は化育を参賛して万物をして各々其の性命を正しくせしむ。これは天地の為に心を立つ。義理を建明して綱常を扶植す。これは生民の為に道を立つ。絶学を継ぐは道統を纉述す。太平を開くは王者の起る有れば必ず来りて法を取るがごとし。利沢は万世に垂る。学者此を以て志を立てば、則ち任う所は至大にして小成に安んぜず、存する所は至公にして近用に苟せず。】」
載所以使學者先學禮者只為學禮則便除去了世俗一副當習熟纒繞譬之延蔓之物解纒繞即上去苟能除去了一副當世習便自然脫灑也又學禮則可以守得定【學禮則可以消除習俗之累又有所依據而自守】
張載は言う。「我の学者をして先に礼を学ばしむる所以は、只だ学礼すれば便ち世俗の彼の一套の習熟纏繞を除去するに因る。譬えば延蔓の物、纏繞を解けば就きて上るなり。もし能く彼の一套の世俗習気を除去せば、便ち自然に洒脱す。又た、礼を学べば則ち以て守りて定まるを得。【礼を学べば則ち以て習俗の累を消除し、又た依拠する所有りて自ら守る。】」
須放心寛快公平以求之乃可見道況徳性自廣大易曰窮神知化徳之盛也豈淺心可得【橫渠易説○人之徳性本自廣大故必廣大其心求之偏狹固滯豈足以見道也】
張載は言う。「須く心を放ちて寛快公平にして以て求むべし。乃ち以て道を見る可し。況んや徳性は本より自ら広大なりや。『周易』曰く——『神を窮め化を知るは、徳の盛なるなり』。豈に是れ浅心を以て得る可からんや。【横渠『易説』に出る。○人の徳性は本より自ら広大。だから必ず須く其の心を広大にして以て求むべし。偏狭固滞なるは豈に以て道を見るに足らん。】」
人多以老成則不肻下問故終身不知又為人以道義先覺處之不可復謂有所不知故亦不肻下問從不肻問遂生百端欺妄人我寜終身不知【橫渠論語説○言人虛驕恥於下問內則欺己外則欺人終於不知而已】
張載は言う。「人は多く老成に因りて下問するを肯ぜず。だから終身知らず。又た人に道義の先覚を以て看待せらる。更に知らざる所有りと言う可からず。だから亦た下問するを肯ぜず。問うを肯ぜざるに従りて、於て百端の欺妄人我を生ず。寧ろ終身知らざるを肯す。【横渠『論語説』に出る。○是れ人が虚驕して下問に恥じ、内は則ち己を欺き外は則ち人を欺き、終に知らざるのみと言うなり。】」
多聞不足以盡天下之故苟以多聞而待天下之變則道足以酬其所甞知若劫之不測則遂窮矣【橫渠孟子説下同○故所以然也酬應也心通乎道則能盡夫事理之所以然故應變而不窮不通乎道而徒事乎記問則見聞有限而事變無窮卒然臨之以所未甞知則窮矣】
張載は言う。「多聞は以て天下の然る所以を尽くすに足らず。もし多聞を憑りて以て天下の変に対待せば、則ち其の道は只だ其の曾て知る所に應酬するに足るのみ。もし不测に劫せられれば、就きて窮す。【横渠『孟子説』に出る、以下同じ。○『故』は然る所以、『酬』は應なり。心は道に通ずれば則ち能く事理の然る所以を尽くす。だから変に應じて窮せず。道に通ぜずして只だ記問に従事すれば、則ち見聞有限にして事変無窮なり。突然として未だ曽て知らざる所を以て臨まば則ち窮す。】」
為學大益在自求變化氣質不爾皆為人之卒無所發明不得見聖人之奧【所貴於學正欲陶鎔氣質矯正偏駁不然則非為已之學亦何以推明聖人之蘊哉○朱子曰寛而栗柔而立剛而無虐簡而無傲便是教人變化氣質】
張載は言う。「学を為すの大益は自ら気質の変化を求むるに在り。然らざれば、皆是れ人の為の弊なり(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。終に発明する所なく、聖人の奥を見るを得ず。【学に貴ぶ所は、正に気質を陶鎔し偏駁を矯正せんと欲するなり。然らざれば則ち己の為の学に非ず。又た何以を以て聖人の蘊を推明せん。○朱熹は言う——『寛にして栗、柔にして立、剛にして虐なく、簡にして傲なし』、便ち是れ人に気質を変化するを教うるなり。】」
文要宻察心要洪放【語録下同○文不宻察則見理粗疎心不洪放則所存狹滯】不知疑者只是不便實作既實作則須有疑有不行處是疑也【始學之士知必有所不明行必有所不通殊不知疑者是未甞實用功也】
張載は言う。「文は密察を要し、心は洪放を要す。【『語録』に出る、以下同じ。○文密察ならざれば則ち理を見ること粗疎、心洪放ならざれば則ち存する所狭滞。】疑を知らざるは、只だ曽て切実に做り行かざるなり。すでに切実に做り行けば則ち須く疑有るべし。行きて通ぜざる処有れば、すなわち是れ疑なり。【始学の士は、知は必ず明らかならざる所有り、行は必ず通ぜざる所有り。殊に知らず——疑を知らざるは曽て実に功を用いざるなり。】」
心大則百物皆通心小則百物皆病【心大則寛平逺故處已待人無往而不達心小則偏急固陋無所處而不為病也】
張載は言う。「心大なれば則ち百物皆通じ、心小なれば則ち百物皆病む。【心大なれば則ち寛平弘遠(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)にして、だから己に処り人を待つに往きて達せざるなし。心小なれば則ち偏急固陋にして、処る無くして病と為らざるなし。】」
人雖有功不及於學心亦不宜忘心苟不忘則雖接人事即是實行莫非道也心若忘之則終身由之只是俗事【人有妨廢學問之功者然心不忘乎學則日用無非道故曰即是實行心苟忘乎學則日用而不知故曰只是俗事實行與俗事非二事特以所存者不同耳】
張載は言う。「人はたとい事有りて学問を做るに顧みずとも、心は忘るべからず。心もし忘れざれば、則ちたとい人事に接すれば就きて是れ実行、道に非ざるなし。心もし忘れば、則ち終身之に由りて只是れ俗事。【人は学問の功を妨廃する有る。然るに心は学に忘れざれば則ち日用は道に非ざるなし。だから就きて是れ実行と言う。心もし学に忘れば則ち日用して知らず。だから只是れ俗事と言う。実行と俗事とは両件の事に非ず。只だ存する所の同じからざるに因るのみ。】」
合內外平物我此見道之大端【合內外者表裡一致就己而為言也平物我者物我一體合人己而為言也】
張載は言う。「内外を合わせ物我を平らぐ。これは道を見るの大端。【内外を合わすは表裏一致、己に就きて言う。物我を平らぐは物我一体、人己を合わせて言う。】」
既學而先有以功業為意者於學便相害既有意必穿鑿創意作起事端也徳未成而先以功業為事是代大匠斲希不傷手也【功業立言立事皆是也為學而先志於功業則穿鑿創造必害於道矣】竊甞病孔孟既歿諸儒囂然不知反約窮源勇於苟作持不逮之資而急知後世明者一覽如見肺肝然多見其不知量也方且創艾其黙養吾誠顧所患日力不足而未果他為也【不知反約窮源故浮淺而無實黙養吾誠則反約窮源之事也】學未至而好語變者必知終有患葢變不可輕議若驟然語變則知操術己不正【變者非常行之道葢權宜之事也自非見理明制義精者不足以與此苟學未至而輕於語變則知其學術之源己不正終必流於邪譎】
張載は言う。「すでに学びて先に功業を意の上に把る有るは、学に於いて便ち相害す。すでに意有れば、必ず穿鑿して意を創り事端を作起す。徳未だ成らずして先に功業を以て事と為すは、是れ大匠に代わりて斫削す。手を傷らざること尠し。【功業は言を立ち事を立つる皆是れなり。学を為して先に功業に志せば、則ち穿鑿して創造し、必ず道に害有り。】我は私かに常に孔孟すでに歿して、諸儒喧囂して約に反り源を窮めるを知らず、苟作に勇み、及ばざるの資禀を持して而も後世をして知らしめんと急なるを病む。明らかなる者が一たび看れば肺肝を見るがごとし。其の量を知らざるを見ること多し。方に其の弊を懲戒して(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)、黙かに吾が誠を養う。只だ日力足らざるを怕るのみ、而も未だ他を做るを果さず。【約に反り源を窮めるを知らざるは浮浅にして実なき所以。黙かに吾が誠を養うは則ち約に反り源を窮むるの事。】学未だ至らずして権変を談ずるを好むは、必ず終に患有るを知る。変は軽易に議論すべからず。もし驟然として変を談ずれば、則ち其の操術は已に正からざるを知る。【変は常行の道に非ず、是れ権宜の事。理を見ること明らかにして義を制すること精なるに非ざれば以て此に与かるに足らず。もし学未だ至らずして軽易に変を談ずれば、則ち其の学术の源は已に正からずと知る。終に必ず邪譎に流る。】」
凡事蔽葢不見底只是不求益【行已無隠則是非善惡有所取正庻可增益其所未知所未能苟故為蔽覆恐人之知是則非求益者也】有人不肻言其道義所得所至不得見底又非於吾言無所不説【人不肻言其知之所得行之所至使人不可得而見者葢苟安自足恐人之非己又非若顔子之如愚於聖言無所不説者之比也】耳目役於外攬外事者其實是自惰不肻自治只言短長不能反躬者也【急於自治何暇務外厚於反躬何暇議人】
張載は言う。「凡そ事の遮蔽し蓋い隠して底を見るを得ざるは、只だ進益を求めざるなり。【己を行うに隠瞞なければ、則ち是非善悪は取正する所有り、庶幾くして以て其の未だ知らざる未だ能ならざるを增益すべし。もし故意に蔽覆して人の知るを怕れれば、此れすなわち益を求むるの人に非ず。】或る人は其の道義の所得所到を言うを肯ぜず、人をして底を見るを得ざらしむ。又た吾が言に於いて悦ばざるなきに非ず。【人は其の知るの所得・行うの所至を言うを肯ぜず、人をして得て見る可からざらしむるは、是れ苟安自足して人が己を非議するを怕る。又た顔子の愚のごとき・聖言に於いて悦ばざるなきの比に非ず。】耳目は外に役せられ外事を攬るは、其の実は己が懶惰にして自ら治するを肯ぜず、只だ人の短長を言いて躬に反る能わざるの人なり。【自ら治するに急なれば何の暇あってか外を務めん。躬に反るに厚ければ何の暇あってか人を議せん。】」
學者大不宜志小氣輕志小則易足易足則無由進氣輕則以未知為己知未學為己學【志小則易於自是故怠惰而無新功氣輕則易於自大故虛誕而無實得】
張載は言う。「学者は大いに志小さく気軽きを宜しとせず。志小なれば則ち易く満足し、易く満足すれば則ち進歩するに由なし。気軽なれば則ち未だ知らざるを以て已に知ると為し、未だ学ばざるを以て已に学ぶと為す。【志小なれば則ち自ら是とするに易し。だから怠惰にして新功なし。気軽なれば則ち自ら大とするに易し。だから虚誕にして実得なし。】」
近思録卷二
近思録巻二
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思録卷三宋朱子呂祖謙同編
近思録巻三 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
致知【凡七十八條】
致知【凡そ七十八条】
此卷論致知知之至而後有以行之自首段至二十一段總論致知之方然致知莫大於讀書二十三段至三十三段總論讀書之法三十四段以後乃分論讀書之法而以書之先後為序始於大學使知為學之規模次序而後繼之以論孟詩書義理充足於中則可探大本一原之妙故繼之以中庸達乎本原則可以窮神知化故繼之以易理之明義之精而達乎造化之蘊則可以識聖人之大用故繼之以春秋明乎春秋之用則可推以觀史而辨其是非得失之致矣橫渠易説以下則仍語録之序而周官之義因以具焉
この巻は致知を論ず。知の至る、然る後に以て実に行う有り。首段より第二十一段まで、致知の方法を総論す。然るに致知は読書より大なるはなし——第二十三段より第三十三段まで、読書の法を総論し、第三十四段以後に才だ分かちて読書の法を論じ、而も書の先后を以て序と為す。『大学』より始めて、学を為すの規模次序を知らしめ、然る後に之を『論』『孟』『詩』『書』に継ぐ。義理は中に充足して、則ち以て大本一原の妙を探る可し。だから之を『中庸』に継ぐ。本原に達すれば、則ち以て神を窮め化を知る可し。だから之を『易』に継ぐ。理明らかに義精くして造化の蘊に達すれば、則ち以て聖人の大用を識る可し。だから之を『春秋』に継ぐ。春秋の用に明ければ、則ち以て推して史を観て其の是非得失の致を弁ず可し。横渠『易説』以下は則ち仍ほ『語録』の序、而も『周官』の義は此に因りて具備す。
伊川先生答朱長文書曰心通乎道然後能辨是非如持權衡以較輕重孟子所謂知言是也【道者事物當然之理通曉達也知言者天下之言無不究明其理而識其是非之所以然】心不通乎道而較古人之是非猶不持權衡而酌輕重竭其目力勞其心智雖使時中亦古人所謂億則屢中君子不貴也【文集下同説見論語○時中謂有時而中之億以意揣度也揣度而中則非明理之至矣】
伊川先生が朱長文に答える書に曰く——「心は道に通じて、然る後に能く是非を辨ず。権衡を持して以て軽重を較ぶるがごとし。孟子のいわゆる言を知るはすなわち此れ。【道は事物の当然の理。「通」は曉達。言を知るは天下の言に其の理を究明して其の是非の然る所以を識らざるなし。】心は道に通ぜずして古人の是非を較ぶるは、猶ほ権衡を持たずして軽重を酌むがごとし。其の目力を竭し其の心智を労す。たとい時に中る有りとも、亦た是れ古人のいわゆる『億すれば則ち屡中る』。君子は重んぜず。【『文集』に出る、以下同じ。説は『論語』に見る。○「時中」は時にして中る、「億」は意を用いて揣度す。揣度して中れば則ち理を明らかにするの至に非ず。】」
伊川先生答門人曰孔孟之門豈皆賢哲固多眾人以眾人觀聖賢弗識者多矣惟其不敢信己而信其師是故求而後得今諸君與頤言才不合則置不復思所以終異也不可便放下更且思之致知之方也
伊川先生が門人に答えて曰く——「孔孟の門は豈に皆賢哲ならん。固より多く是れ衆人。衆人を以て聖賢を看れば、認識せざる者多し。只だ彼らは敢えて己を信ぜずして其の師を信ずるに因りて、だから求めて後に得。如今諸君は頤と与に話して、才だ合わざれば就きて放下して更に思わず。だから終に同じからず。便ち放下すべからず。更に且つ一たび思え。これは知を致すの方法なり。」
伊川先生答橫渠先生曰所論大槩有苦心極力之象而無寛裕溫厚之氣非明睿所照而考索至此故意屢偏而言多窒小出入時有之【本注云明所照者如目所覩纎微盡識之矣考索至者如揣料於物約見髣髴爾能無差乎】更願完養思慮涵泳義理他日自當條暢【苦思強索則易至於鑿而不足以達於理涵泳深厚則明睿自生】
伊川先生が横渠先生に答えて曰く——「論ずる所は大概苦心極力の迹象有りて、而も寛裕温厚の気無し。明睿の照らす所に非ずして考索して此に到る。だから意思は屡偏りて言は多く窒碍し、小出入は時時に有り。【本文原注——明の照らす所は、眼目の看る所のごとく、纎微皆認識す。考索して至るは、物に於いて揣料するがごとく、約略に髣髴を見るのみ。能く差なからんや。】更に願わくは思慮を完養し義理を涵泳せよ。他日自ら当に条暢あるべし。【苦思強索すれば則ち易く鑿に至りて以て理に達するに足らず。涵泳深厚なれば則ち明睿自然に生ず。】」
欲知得與不得於心氣上驗之思量有得中心悅豫沛然有裕者實得也思慮有得心氣勞耗者實未得也強揣度耳【學固原於思然所貴從容饜飫而自得不可勞心極慮而強通】甞有人言比因學道思慮心虛曰人之血氣固有虛實疾病之來聖賢所不免然未聞自古聖賢因學而致心疾者【遺書下同】今日雜信鬼怪異説者只是不先燭理若於事上一一理防則有甚盡期須只於學上理防【講學則理明而怪妖不足以惑之矣】學原於思【學以明理為先善思則則睿生而物理可格】
程頤は言う。「得と不得とを知らんと欲せば、心気の上に験すべし。思量して得有り中心悦豫して沛然として余裕有るは、是れ実得。思慮して得有りて心気労耗するは、是れ実に未だ得ず、只だ強いて揣度するのみ。【学は固より思に源す。然るに貴ぶ所は従容として饜飫して自ら得るに在り。心を労し慮を極めて強いて通ずべからず。】曽て或る人の言有り——近来は道を学びて思慮すれば、心虚す。答える——人の血気は固より虚実有り。疾病の来は聖賢の免れざる所。然るに未だ曽て古より聖賢の学に因りて心疾を致すを聞かず。【『遺書』に出る、以下同じ。】如今鬼怪异説を雑信するは、只だ先に理を照見せざるなり。もし事の上に於いて一一理会せば(底本は「理防」とするが、「理会」の誤り)、則ち何の尽頭かあらん。須く只だ学の上に理会すべし。【学を講ずれば則ち理明らかにして怪妖は彼を惑わすに足らず。】学は思に源す。【学は理を明らかにするを先と為す。善く思えば則ち睿生じて物理は格すべし(底本は一の「則」字を衍す)。】」
所謂日月至焉與久而不息者所見規模雖略相似其意味氣象迥別【學者於仁或日或月而至焉方其至之時其視夫三月不違者所造所見亦無以異但其意味氣象則淺深厚薄迥然不同】須濳心黙識玩索久之庶防自得學者不學聖人則已欲學之須熟玩味聖人之氣象不可只於名上理防如此只是講論文字【濳玩聖賢氣象庻養之厚而得之深若徒考論文義則末矣】
程頤は言う。「いわゆる日月にして至ると久しくして息まざるとは、見る所の規模は略相似ると雖も、其の意味気象は迥然として別有り。【学者は仁に於いて或いは日或いは月にして至る。其の至るの時に方りて、其の三月違わざるの到る所見る所を看れば亦た同じからざるなし。但し其の意味気象は則ち浅深厚薄迥然として同じからず。】須く心を潜め黙識して、玩索すること久しくして、庶幾くして自ら得ん(底本は「庶防」とするが、「庶几」の誤り)。学者は聖人を学ばざれば則ち已む。もし学ばんと欲せば、須く聖人の気象を熟く玩味して、只だ名の上に理会すべからず(底本は「理防」)。此のごときは只だ文字を講論するなり。【聖賢の気象を潜玩すれば、庶幾くして之を養うこと厚くして之を得ること深し。もし只だ文義を考論せば則ち是れ末なり。】」
問忠信進徳之事固可勉強然致知甚難【忠信進徳力行也謂行可以強而進知不可以強而至】伊川先生曰學者固當勉強然須是知了方行得若不知只是覻卻堯學他行事無堯許多聰明睿知怎生得如他動容周旋中禮【學者當以致知為先苟明有所不至徒規規然學堯行事其可得乎】如子所言是篤信而固守之非固有之也【固守者勉強而堅執固有者從容而自得】未致知便欲識意是躐等也勉強行者安能持久【忠信即誠意之事欲誠其意者先致其知知有未至而勉強以為忠信其能久乎】除非燭理明自然樂循理性本善循理而行是順理事本亦不難但為人不知旋安排著便道難也【見理明則真知而實信之自然樂於循理葢人性本善順理而行宜無待於勉強惟於理有未知或知有未盡臨事佈置故覺其難】知有多少般數煞有深淺學者須是真知才知得是便泰然行將去也【真知者知之至也真知其是則順而行之莫能遏矣】某年二十時解釋經義與今無異然思今日覺得意味與少時自別【此可見先生致知之功進徳之實而聖經之防要必玩味積久乃能真知而亦不徒在於解釋文義而已】
問う——忠信進徳の事は固より以て勉強すべし。然るに知を致すは甚だ難し。【忠信進徳は力行なり。是れ行は強めて以て進む可く、知は強めて以て至る可からずを言う。】伊川先生曰く——「学者は固より当に勉強すべし。然るに須く是れ知りて能く行うを得るなり。もし知らざれば、只是れ尭を覷着して其の行事を学ぶ。尭の許多の聡明睿智無くんば、怎んぞ能く其の動容周旋の礼に中るに象せんや。【学者は当に知を致すを以て先と為すべし。もし明の至らざる所有れば、只だ規規然として尭の行事を学ばば、豈に得る可からんや。】汝の言う所のごときは、是れ篤信して之を固守するなり。固有するに非ず。【固守は勉強して堅執す。固有は従容として自ら得。】未だ知を致さずして便ち意を誠にせんと欲するは、是れ等を躐るなり。勉強して行うは怎んぞ能く持久せん。【忠信はすなわち意を誠にするの事。其の意を誠にせんと欲するは先に其の知を致す。知は未だ至らざる有りて勉強して以て忠信と為せば、能く長久ならんや。】烛理明らかならざるを除きて、自然に理に循うを楽しまず。性は本より善。理に循いて行うは是れ理に順うの事。本より亦た難からず。但し人に知らざるが為め、事に臨みて安排着せば、便ち難しと言う。【理を見ること明らかなれば則ち真に知りて実に之を信ず。自然に理に循うを楽しむ。人性は本より善。理に順いて行えば宜しく勉強に待つこと無きべし。只だ理に於いて未だ知らざる或いは知は未だ尽きざる有るに因りて、事に臨みて布置す。だから難しと覚る。】知は多少般数有り、甚だ深浅有り。学者は須く是れ真知なり。才だ是を知るを得れば則ち泰然として行き将る。【真知は知の至なり。真に其の是を知れば則ち順いて之を行う。能く遏止する有るなし。】某は二十歳の時経義を解釈するに如今と同じからざるなし。然るに如今の意味は少時と自ら分別有るを覚る。【これは以て先生の知を致すの功・徳を進むるの実を見るべくして、而も聖経の精要(底本は「防要」とするが、「精要」の誤り)は必ず玩味して積久してこそ能く真知す。亦た徒らに文義を解釈するに在るのみならず。】」
凡一物上有一理須是窮致其理窮理亦多端或讀書講明義理或論古今人物別其是非或應接事物而處其當皆窮理也【三者窮理之目當隨寓而究竟然讀書講明義理尤為要切而觀人處事之準則要亦於書而得之】或問格物須物物格之還只格一物而萬理皆知曰怎得便防貫通若只格一物便通眾理雖顔子亦不敢如此道須是今日格一件明日又格一件積習既多然後脫然自有貫通處【朱子曰程子説格物曰格至也格物而至於物則物理盡意向俱到不可移易天生烝民有物有則物者形也則者理也人其是物而不能明其物之理則無以順性命之正而處事物之當故必即是物以求之知求其理矣而不知乎物之極則事之理有未窮而吾之知亦未盡故必至其極而後已】又曰所務於窮理者非道盡窮了天下萬物之理又不道是窮得一理便到只要積累多後自然見去【朱子曰今人務博者卻要盡窮天下之理務約者又謂反身而誠則天下之物無不在我此皆不是唯程子積累貫通之説為妙】
程頤は言う。「凡そ一物の上に一理有り。須く是れ其の理を窮尽すべし。理を窮むるも亦た多端有り——或いは書を読みて義理を講明し、或いは古今の人物を論じて其の是非を辨別し、或いは事物を應接して其の当に処る。皆是れ理を窮むるなり。【三者は理を窮むるの条目。当に遇う所に随いて究竟すべし。然るに書を読みて義理を講明するは尤も要切、而も人を観て事に処るの準則も要するに書中より得。】」或いは問う——物を格るは須く物物これを格るべきか、還って只だ一物を格りて万理皆知るか。答える——「怎んぞ能く便ち貫通せん(底本は「便防」とするが、「便会」の誤り)。もし只だ一物を格りて便ち衆理に通ぜば、たとい顔子も敢えて此のごとく言わず。須く是れ今日一件を格り、明日又た一件を格る。積習すでに多くして、然る後に脱然として自ら貫通する処有り。【朱熹は言う——程子は物を格るを説く——『格』は至なり。物を格りて物に至れば則ち物理尽き、意向は皆到る。移易すべからず。天は烝民を生じて、物有り則有り。物は形、則は理。人は此の物を具備して而も其の物の理を明らかにする能わざれば、則ち性命の正に順い事物の当に処るに由なし。だから必ず須く此の物に即きて以て之を求むべし。其の理を求むるを知りて而も物の極に至らざれば、則ち事の理に未だ窮まらざる有りて吾が知も未だ尽きず。だから必ず須く其の極に至りて後已む。】」また曰く——「理を窮むるに務むる所は、尽く天下万物の理を窮めたりと言うに非ず。亦た一理を窮め得れば便ち到ると言うに非ず。只だ積累多ければ自然に見る去るを要するのみ。【朱熹は言う——今人の博を務むるは却って尽く天下の理を窮めんと要し、約を務むるは又た身に反して誠なれば則ち天下の物は我に在らざるなしと言う。これら皆非なり。ただ程子の積累貫通の説を妙と為す。】」
思曰睿思慮久後睿自然生【説見尚書○睿通微也人心虛靈本然明徳致思窮理久自通微】若於一事上思未得且別換一事思之不可專守著這一事葢人之知識於這裡蔽著雖強思亦不通也【致知之道弗明弗措然人心亦有偏暗處當且置之庶不滯於一隅】
程頤は言う。「『思を睿と曰う』——思慮久しければ睿は自然に生ず。【説は『尚書』に見る。○睿は微に通ず。人心は虚霊にして本然の明徳。思を致し理を窮めれば、久しくして自然に微に通ず。】もし一事の上に於いて思い未だ得ざれば、且らく別に一事を換えて之を思え。専ら此の一事を守り著くべからず。人の知識は此の処に蔽り着くに因りて、たとい強いて思うとも通ぜず。【知を致すの道は、明らかならざれば就きて停止せず。然るに人心も亦た偏暗の処有り。当に且らく放下して、庶幾くして一隅に滞らざるべし。】」
問人有志於學然知識蔽固力量不至則如之何曰只是致知若知識明則力量自進【真知事理之當然則自有不容己者】問觀物察己還因見物反求諸身否曰不必如此説物我一理才明彼即曉此此合內外之道也【天下無二理物之理即吾心之理也因見物而反求諸身則是以物我為二致】又問致知先求之四端如何曰求之情性固是切於身然一草一木皆有理須是察【四端説見孟子理散於萬物而實防於吾心皆所當察也】又曰自一身之中以至萬物之理但理防得多胷次自然豁然有覺處【按上段曰積習既多然後脫然自有貫通處又曰積累多後自然見去又曰理防得多自然豁然有覺處再三言之惟欲學者隨事窮格積習既多於天下事物各有以見其當然之則一旦融防貫通表裡洞徹則覺斯道之大原全吾心之本體物既格而知且至矣其在孔門則顔子卓然之後曽子一唯之時乎或者厭乎觀理之煩而遽希一貫之妙或專滯於文義之末而終昧上達之防皆不足有見於是道也】
問う——人は学に志有り。然るに知識蔽固にして力量到らざれば、則ち如何。程頤曰く——「只是れ知を致せ。もし知識明らかなれば則ち力量自ら進む。【真に事理の当然を知れば、則ち自ら已むを容れざる有り。】」問う——物を観て己を察するは、還って物を見るに因りて身に反りて之を求むるか。答える——「必ずしも此のごとく言わざるなり。物我は一理。才だ彼の辺を明らかにすれば即ち此の辺を暁る。これは内外を合わすの道なり。【天下に二理なし。物の理はすなわち吾が心の理。物を見るに因りて身に反りて之を求めば、則ち是れ物我を以て両端と為すなり。】」又問う——知を致すは先に之四端に求むるは如何。答える——「情性に之を求むるは固より身に切なり。然るに一草一木も皆理有り。須く是れ察すべし。【四端の説は『孟子』に見る。理は万物に散じて而も実に吾が心に本づく(底本は「実防」とするが、「実本」の誤り)。皆是れ当に察すべき所なり。】」また曰く——「一身の中より以て万物の理に至るまで、但だ理会すること多ければ(底本は「理防」)、胸次自然に豁然として覚る処有り。【上段の『積習すでに多くして然る後に脱然として自ら貫通する処有り』を説くを按じ、又た『積累多きの後に自然に見る去る』を説き、又た『理会すること多ければ自然に豁然として覚る処有り』を説く。再三に之を言うは、只だ学者をして事に随いて窮格せしめ、積習すでに多くして、天下の事物に於いて各々以て其の当然の則を見る有りて、一旦融会貫通して(底本は「融防」とするが、「融会」の誤り)表裏洞徹せば、則ち覚悟して斯道の大原・吾が心の本体を全うせんと欲するなり。物すでに格りて知且つ至る。其の孔門に在りては、則ち顔子卓然の後・曾子一唯の時ならんか。或いは理を観るの煩に厭きて急に一貫の妙を希求し、或いは専ら文義の末に滞りて終に上達の方に昧く(底本は「防」)。皆此の道に於いて見る有るに足らず。】」
思曰睿睿作聖致思如掘井初有渾水久後稍引動得清者出來人思慮始皆溷濁久自明快【致思則能通乎理故明睿生充其睿則可以入聖域故睿作聖然致思之始疑慮方生所以溷濁致思之久疑慮既消自然明快此由思而生睿也】
程頤は言う。「『思を睿と曰い、睿は聖を作る』。思を致すは井を掘るがごとし。初めは渾水有り、久しきの後に稍々清きを引動して出るを得。人の思慮の開始は皆溷濁す。久しければ自然に明快なり。【思を致せば則ち能く理に通ずるゆえに明睿生ず。其の睿を充てば則ち以て聖域に入る可きゆえに睿は聖を作る。然るに思を致すの始は疑慮方に生ずるゆえに溷濁し、思を致すの久しきは疑慮すでに消えて自然に明快なり。これは思に由りて睿を生ずるなり。】」
問如何是近思曰以類而推【思慮泛逺而不循序漸進則勞心而無得即吾所知者以類推之則心路易通而思有條理是謂近思○朱子曰若是真個劈初頭理防得一件分曉透徹便逐件如此理防去相次亦不難又曰從已理防得處推將去便不隔越若逺去尋討則不切已】
問う——怎样是れ近思ぞ。程頤曰く——「類を以て之を推す。【思慮泛遠にして循序漸進せざれば、則ち心を労して得るなし。吾が知る所に就きて類を以て之を推せば、則ち心路易く通じて思に条理有り。これを近思と言う。○朱熹は言う——もし是れ真箇に劈初頭に理会して一件分暁透徹を得れば、便ち件を逐いて此のごとく理会し去れば、相次ぐも亦た難からず。また曰く——已に理会得る処より推し将去れば便ち隔越せず。もし遠く去りて尋討せば則ち己に切らず。】」
學者先要防疑【朱子曰書始讀未知有疑其次漸有疑又其次節節有疑過了此一番後疑漸漸釋以至融防貫通都無可疑方始是學】
程子曰く——「学者は先に疑うを会すべし(底本は「防疑」とするが、「会疑」の誤り)。【朱熹は言う——書は剛だ読む時は未だ疑有るを知らず、其の次は漸々として疑有り、又其の次は節節に疑有り。此の一番を過ぎて後に疑は漸々として消釋し、以て融会貫通するに至りて(底本は「融防」とするが、「融会」の誤り)皆疑う可きなし。方に是れ学なり。】」
橫渠先生答範巽之曰所訪物怪神奸此非難語顧語未必信耳【物異為怪神妖為奸見理未明自不能無疑雖得於人言亦未必信】孟子所論知性知天學至於知天則物所從出當源源自見知所從出則物之當有當無莫不心諭亦不待語而後知【天者物理之所自出知天則通乎幽明之故察乎事物之原而妖異之所由興皆可識矣】諸公所論但守之不失不為異端所劫進進不已則物怪不須辨異端不必攻不逾期年吾道勝矣【學者知有未至且堅守正論不為邪妄所奪又能進於學而不已則怪異不必攻辨將自識破】若欲委之無窮付之以不可知則學為疑撓智為物昏交來無間卒無以自存而溺於怪妄必矣【文集下同○不能堅守正論內懷疑端外為邪蔽久則所惑愈深矣】
横渠先生が范巽之に答えて曰く——「訪う所の物怪神奸は、これは説き難からず。只だ話説了して未だ必ずしも信ぜざるを怕る。【物の異を怪と為し、神の妖を奸と為す。理を見ること未だ明らかならざれば自然に疑なき能わず。たとい人言に於いて得るとも未だ必ずしも信ぜず。】孟子の論ずる所の性を知り天を知る——学天を知るに至れば、則ち物の従りて出づる所は当に源源自ら見るべし。従りて出づる所を知れば、則ち物の当有る当無きは心裏明白にして、亦た説くを待たずして然る後に知る。【天は物理の自ら出づる所。天を知れば則ち幽明の故に通じて事物の原を察し、而も妖異の興るに由る所は皆可以して認識す。】諸公の論ずる所は、只だ守住して失わず、異端に劫せられず、進進として已まざれば、則ち物怪は須く辨ぜず、異端は必ず攻めず、一年を過さずして吾が道は就きて勝つ。【学者は知は未だ至らざる有り。且らく正論を堅守して邪妄に奪われず、又た能く学に進みて已まざれば、則ち怪異は必ず攻辨せず、自ら将に識破せん。】もし之を無窮に委ね不可知に付せんと欲せば、則ち学は疑に撓せられ智は物に昏く、交りて来たりて間隙なく、終に自ら存するに由なくして怪妄に溺るるは是れ必ずなり。【『文集』に出る、以下同じ。○正論を堅守する能わず、内に疑端を懐き、外に邪蔽せられ、久しければ則ち惑う所は愈々深し。】」
子貢謂夫子之言性與天道不可得而聞既言夫子之言則是居常語之矣聖門學者以仁為己任不以苟知為得必以了悟為聞因有是説【性者人心稟賦之理天道者造化流行之妙以仁為己任葢期於實體而自得也苟知者徒聞其説了悟者深達其理然則後之學者髙談性命而實不領防者可以自省矣】
張載は言う。「子貢は夫子の言の性と天道とは得て聞く可からずと言う。すでに『夫子の言』と言えば、則ち是れ平常に就きて言えり。聖門の学者は仁を以て己任と為し、苟知を以て得と為さず。必ず了悟を以て聞と為す。因りて此の説有り。【性は人心の禀赋する理、天道は造化流行の妙。仁を以て己任と為すは、実に体して自ら得んことを期望す。苟知は只だ其の説を聞く、了悟は深く其の理に達す。然らば後の学者の性命を高談して而も実際領会せざるは(底本は「領防」とするが、「領会」の誤り)、以て自ら省るべし。】」
義理之學亦須深沉【一作玩】方有造非淺易輕浮之可得也【朱子曰聖人言語一重又一重須入深處看方有得若只見皮膚便有差錯】
張載は言う。「義理の学も亦た須く深沉にして【一本は「玩」と作る】才だ造就有り。浅易軽浮を以て得る可きに非ず。【朱熹は言う——聖人の言語は一重又一重。須く深き処に入りて看てこそ得有り。もし只だ皮肤を見れば便ち差錯有り。】」
學不能推究事理只是心麤至如顔子未至於聖人處猶是心麤【顔子不能不違仁於三月之後者是其察理猶或有一毫之未精故所存猶或有一毫之間防】
張載は言う。「学は事理を推究する能わざれば、只だ是れ心粗なり。顔子の聖人に至らざる処に至っては、還って是れ心粗。【顔子は三月の後に仁に違わざる能わず。是れ其の理を察すること或いは還って一毫の未だ精ならざる有り。だから存する所或いは還って一毫の間断有り(底本は「間防」とするが、「間断」の誤り)。】」
博學於文者只要得習坎心亨葢人經歴險阻艱難然後其心亨通【上下坎為習坎卦當重險而彖辭曰維心亨人之博學窮理始多齟齬積習既久自然心通】
張載は言う。「文に於いて博く学ぶは、只だ習坎心亨を得んことを要す。人は険阻艱難を経歴して、然る後に其の心亨通すればなり。【上下坎は習坎。卦は重険に当たりて而も彖辞は『惟れ心亨』と言う。人は博く学び理を窮めて、始めは多く龃龉す。積習すでに久しければ自然に心通ず。】」
義理有疑則濯去舊見以來新意【心有所疑而滯於舊見則偏執固吝新意何從而生舊疑何自而釋】心中有所開即便劄記不思則還塞之矣【疑義有所通隨即劄記則已得者可以不忘未得者可以有進不記則思不起猶山徑之蹊間不用則茅塞之矣】更須得朋友之助一日間意思差別須日日如此講論久則自覺進也【按此段及焞到問為學之方一段泉州本皆系卷末而舊本則此段在第二十一尹問一段在三十三今考此卷編輯之意則二段乃總論致知不當在卷末無疑也但舊本此段不全載心中有所開以下云云恐是後來欲添足此數語傳者誤成重出耳又詳此段已是專論讀書之法不當在廿一疑當時欲移在尹問之後故並録之耳今不敢輕改姑從舊本而添入心中有所開數語】
張載は言う。「義理に疑有れば、則ち旧見を洗去して以て新意を迎うべし。【心に疑する所有りて旧見に滞れば、則ち偏執固吝にして、新意は何れよりか生ぜん、旧疑は何れよりか釈けん。】心中に開く所有れば、便ち立刻に札記せよ。思わざれば則ち又た塞り住まる。【疑義は通ずる所有れば、随に即ち札記せば、則ち已に得たるは以て忘れざるべく、未だ得ざるは以て進む有るべし。記せざれば則ち思い起る能わず。猶ほ山径の小路、間或いは用いざれば則ち茅塞す。】更に須く朋友の助を得べし。一日の間意思に差別有り。須く日日此のごとく講論して、久しければ則ち自ら進むを覚る。【此の段及び尹焞が学を為すの方を問う一段を按ずるに、泉州本は皆巻末に係り、而も旧本は則ち此の段は第二十一に在り尹問一段は第三十三に在り。如今此の巻の編輯の意を考れば、則ち二段は乃ち致知を総論す。当に巻末に在るべからざるは是れ疑なきなり。但し旧本は此の段を全く『心中に開く所有れば』以下云云を載せず。恐らくは後來此の数句を添足せんと想い、伝者誤りて重出と成せり。又た詳かに此の段は已に是れ専ら読書の法を論ず。当に二十一に在るべからず。当時は尹問の後に移さんと想いてだから一并に録入せりを疑う。如今敢えて軽改せず、姑く旧本に従いて而も『心中に開く所有れば』の数語を添入す。】」
凡致思到説不得處始複審思明辨乃為善學也若告子則到説不得處遂已更不復求【橫渠孟子説○思之其説似窮然後更加審思明辨之功則其窮者通而所得者深也若告子不得於言不復求之於心固執偏見而不求至當此孟子所深病也○此以上總論致知之方以下乃專論求之於書者詳見卷首】
張載は言う。「凡そ思を致して説くを得ざる処に到りて、才だ再び審思明辨するは、才だ是れ善学なり。告子に至っては則ち説くを得ざる処に到れば就きて停まり、更に再び求めず。【横渠『孟子説』に出る。○思いて其の説く所は似て窮まれば、然る後に更に審思明辨の功を加えれば、則ち其の窮めるは通じて得る所は深し。告子の言に於いて得ず、復た之を心に求めざるに至っては、偏見を固執して至当を求めず。これは孟子の深く病む所なり。○此より以上是れ致知の方法を総論す。以下に才だ専ら之を書に求むるを論ず。詳しくは巻首に見る。】」
伊川先生曰凡看文字先須曉其文義然後可求其意未有文義不曉而見意者也【遺書下同】
伊川先生曰く——「凡そ文字を看るは、必ず先に其の文義を暁りて、然る後に以て其の意を求む可し。未だ文義暁らずして而も意を見る能くする有らず。【『遺書』に出る、以下同じ。】」
學者要自得六經浩乍來難盡曉且見得路徑後各自立得一個門庭歸而求之可矣【識路徑則知趨向立門庭則有規模得於師友者如此然後歸而求之可矣】
程頤は言う。「学者は自ら得るを要す。六経浩渺(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)、乍ち来たりて尽く暁ること難し。且らく先に路徑を見て、然る後に各自一個の門庭を立て得て、帰りて之を求めば則ち可以して了れり。【路徑を認得すれば則ち趨向を知り、門庭を立てば則ち規模有り。師友に於いて得るは是れ些。然る後に帰りて之を求めば則ち可以して了れり。】」
凡解文字但易其心自見理理只是人理甚分明如一條平坦底道路詩曰周道如砥其直如矢此之謂也【理本平直苟以﨑嶇委曲之意求之乃失之鑿詩見小雅大東篇】或曰聖人之言恐不可以淺近看他曰聖人之言自有近處自有深逺處如近處怎生強要鑿教深逺得【聖人之道逺近精麤無所不備故聖人之言道亦無所不至如食無求飽居無求安是其近者如一貫之防性天之言是其逺者固無非道也又豈容盡求其深逺而過為穿鑿邪】子曰聖人之言逺如天賢人之言近如地頤與改之曰聖人之言其遠如天其近如地【其逺者雖子貢猶未易得而聞其近者雖鄙夫可得而竭也○或曰聖人之言包蓄無所不盡語近而不遺乎逺語逺而不遺乎近故曰其逺如天其近如地非但髙逺而已愚按此段本欲人平心以觀書不可妄生穿鑿又謂聖人之言自有逺處自有近處如此則謂語近而不遺乎逺者意自不同也前説為是】
程頤は言う。「凡そ文字を解釈するは、只だ心を放ちて平らかにせよ。自然に理を見ん。理は只だ是れ人理。甚だ分明にして、一条の平坦の道路のごとし。『詩経』曰く——『周道は砥のごとく、其の直きこと矢のごとし』。言う所はすなわち此れ。【理は本より平直。もし崎嶇委曲の意を用いて去りて之を求めば、就きて之を鑿に失す。詩は『小雅・大東』に見る。】」或いは曰く——聖人の話は恐らくは以て浅近に彼を看る可からず。答える——「聖人の話は自ら近き処有り、自ら深遠の処有り。近き処のごときは、怎んぞ能く強いて鑿りて深遠を教えんや。【聖人の道は遠近精粗備わらざるなし。だから聖人の言の道う所も亦た至らざるなし。『食に飽を求めず、居に安を求めず』のごときは其の近き。『一貫の旨(底本は「防」とするが、「旨」の誤り)・性と天道の言』のごときは其の遠き。固より道に非ざるなし。又た豈に尽く其の深遠を求めて過ぎて穿鑿を為すを容れんや。】」揚雄(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)曰く——『聖人の言は遠きこと天のごとく、賢人の言は近きこと地のごとし』。頤は之を改めて——『聖人の言は、其の遠きは天のごとく、其の近きは地のごとし』。【其の遠きはたとい子貢も亦た容易に得て聞く可からず、其の近きはたとい鄙夫も亦た以て竭尽すべし。○或いは曰く——聖人の話は包蓄して尽くさざるなし。近きを語りて遠きを遺さず、遠きを語りて近きを遺さず。だから其の遠きは天のごとく其の近きは地のごとしと言う。只是れ高遠のみに非ず。葉采按——此の段は本より人をして心を平らかにして書を観せしめ、妄りに穿鑿を生ぜしむべからざるを想う。又た聖人の話は自ら遠き処有り自ら近き処有りと言う。此のごときは則ち『近きを語りて遠きを遺さず』の意思と本より自ら同じからず。前の説を是と為す。】
學者不泥文義者又全背卻逺去理防文義者又滯泥不通如子濯孺子為將之事孟子只取其不背師之意人須就上面理防事君之道如何也又如萬章問舜完廩浚井事孟子只答他大意人須要理防浚井如何出得來完廩又怎生下得來若此之學徒費心力
程頤は言う。「学者の文義に泥まざるは、又た全く背きて遠く走り去る。文義を理会するは(底本は「理防」とするが、「理会」の誤り)、又た滞泥して通ぜず。子濯孺子の将と為るの事のごとき、孟子は只だ其の師に背叛せざるの意を取る。人は須く就きて上面に於いて君に事えるの道は怎样なるかを理会すべし。又た万章が舜の廩を完し井を浚うの事を問うがごとき、孟子は只だ其の大意に答える。人は却って浚井は怎样にして出でたり、完廩は又た怎んぞ能く下りたるかを理会せんと要す。此のごときの学は、徒らに心力を費す。」
凡觀書不可以相類泥其義不爾則字字相梗當觀其文勢上下之意如充實之謂美與詩之美不同【充實之美在己詩之稱美在人如此之類豈可泥為一義】
程頤は言う。「凡そ書を観るは、相類似するに因りて其の義に泥むべからず。然らざれば則ち字字相い梗る。当に其の文勢上下の意を看るべし。『充実のこれを美と謂う』と『詩』の美とは同じからず。【充実の美は己に在り、『詩』の称する所の美は人に在り。此の類のごときは豈に泥じて一義と為すべからん。】」
問瑩中甞愛文中子或問學易子曰終日干幹可也此語最盡文王所以聖亦只是個不已【陳忠肅公瓘字瑩中子曰者文中子答或人之問謂乾乾不息此語最為盡易之道】先生曰凡説經義如只管節節推上去可知是盡夫終日干幹未盡得易據此一句只做得九三使若謂乾乾是不已不已又是道漸漸推去自然是盡只是理不如此【學經者要當週遍精宻各窮其防歸而後能通經苟但借其一語謂足以盡一經之防豈治經之道葢好髙求約之病】
問う——瑩中は曽て文中子を愛したり。或いは『易』を学ぶを問えば、子曰く『終日乾乾たれば可なり』。此の語は最も尽くす。文王の聖たる所以も、亦た只是れ箇の已まざるなり。【陳忠粛公瓘は字は瑩中。「子曰」は文中子が或る人の問に答うるなり。乾乾として息まず、此の語は最も『易』の道を尽くすと言う。】先生曰く——「凡そ経義を説くは、もし只管に節節を推し上げば、知るべし是れ尽くすと。彼の『終日乾乾』は並びて未だ『易』を尽くすことを得ず。此の一句に拠れば只だ九三を做るに使うのみ。もし乾乾は已まざるなりと言わば、已まざるは又た是れ道なり。漸々として推し去れば自然に是れ尽くす。只是れ理は此のごとくならず。【経を学ぶ者は当に周遍精密にして、各々其の指帰を窮めて(底本は「防帰」とするが、「指帰」の誤り)、而る後に能く経に通ずべし。もし只だ其の一語を借りて、以て一経の旨を尽くすに足ると言わば(底本は「防」)、豈に是れ経を治むるの道ならん。これは高きを好み約を求むるの毛病なり。】」
子在川上曰逝者如斯夫言道之體如此這裡須是自見得【朱子曰天地之化往者過來者續無一息之停乃道體之本然也然其可指而易見者莫如川流故於此發以示人學者時時省察而無毫髪之間防也】張繹曰此便是無窮先生曰固是道無窮然怎生一個無窮便道了得他【朱子曰固是無窮須見所以無窮始得】
程頤は言う。「『子は川上に在りて曰く、逝く者は斯くのごとくか』——是れ道の体が此のごとしと言う。ここに於いて須く是れ自ら見るべし。【朱熹は言う——天地の化は、往くは過ぎ、来るは続き、一息の停止もなし。乃ち道体の本然なり。然るに其の指して易く見る可きは、川流より明白なるは莫し。だからここに於いて発して以て人に示す。学者をして時時に省察して毫髪の間断なからしめんと要す(底本は「間防」とするが、「間断」の誤り)。】」張繹は曰く——「此れ便ち是れ無窮。」先生曰く——「固より是れ道の無窮なり。然るに怎んぞ能く一個の無窮を便ち以て之を説き了せんや。【朱熹は言う——固より是れ無窮なり。須く無窮なる所以を見てこそ行わん。】」
今人不防讀書如誦詩三百授之以政不達使於四方不能專對雖多亦奚以為須是未讀詩時不達於政不能專對既讀詩後便達於政能專對四方始是讀詩【説見論語○朱子曰專獨也詩本人情該物理可以驗風俗之盛衰見政治之得失其言溫厚和平長於風諭故誦之者必達於政而能專對也】人而不為周南召南其猶正牆面須是未讀詩時如面牆到讀了後便不面牆方是有驗【同上○朱子曰為猶學也周南召南所言皆修身齊家之事正牆而言即其至近之地而一物無所見一歩不可行也】大抵讀書只此便是法如讀論語舊時未讀是這個人及讀了後來又只是這個人便是不曽讀也【讀書之法但反諸已驗其實得致其實用變化氣質必有日新之功】
程頤は言う。「今人は書を読むを会せず(底本は「不防」とするが、「不会」の誤り)。『詩三百を誦すと雖も、之に政を授くるに達せず、四方に使わるに能く専対せず。多しと雖も亦た奚を以て為さん』——須く是れ未だ『詩』を読まざる時は政に達せず能く専対せず、すでに『詩』を読みて後に政に達し能く四方に専対する、才だ是れ『詩』を読むなり。【説は『論語』に見る。○朱熹は言う——「専」は独なり。『詩』は人情に本づき物理を該し、以て風俗の盛衰を験し政治の得失を見る可し。其の言は温厚和平にして風諭に長ず。だから誦する者は必ず政に達して能く専対す。】『人にして『周南』『召南』を為さざれば、其れ猶ほ牆面に正するがごとし』——須く是れ未だ『詩』を読まざる時は牆に面するがごとく、読み了りて後に便ち牆に面せざる、才だ是れ験有るなり。【同じく上。○朱熹は言う——「為」は猶ほ学のごとし。『周南』『召南』の言う所は皆身を修め家を斉えるの事。「牆面に正す」とは即ち其の至近の地に於いて一物の見る所なく一歩も行く可からずを言う。】大抵書を読むは、只だ此れ便ち是れ法なり。『論語』を読むがごとき、旧時未だ読まざるは是れ此の人、読み了りて後に来りて又た只だ是れ此の人。便ち是れ曽て読まざるなり。【書を読むの法は、只だ是れ己に反りて其の実得を験し其の実用を致して気質を変化す。必ず日新の功有るべし。】」
凡看文字如七年一世百年之事皆當思其如何作為乃有益【論語子曰善人教民七年亦可以即戎矣又曰如有王者必世而後仁又曰善人為邦百年可以勝殘去殺矣觀聖賢治效遲速淺深之殊要必究其規模之略施為之方乃於己有益此致知之法也】凡解經不同無害但緊要處不可不同爾【外書○緊要謂綱領也】焞初到問為學之方先生曰公要知為學須是讀書書不必多看要知其約多看而不知其約書肆耳【此言徒貪多而不知其要則是蓄書之肆而已】頤縁少時讀書貪多如今多忘了須是將聖人言語玩味入心記著然後力去行之自有所得【又言徒貪多而無玩習之功則所學者非我有也玩味而不忘而又力行其所知則所得為實得○以上總論讀書之法以下乃分論讀書之法】
程頤は言う。「凡そ文字を看るに、七年・一世・百年の事のごとき、皆当に其の如何に作為するかを想うべし。才だ益有り。【『論語』——孔子曰く『善人は民を教えること七年なれば、亦た以て戎に即く可し』。又曰く『もし王者有らば、必ず世にして後仁なる』。又曰く『善人は邦を為すこと百年なれば、以て残に勝ち殺を去る可し』。聖賢の治効の遅速浅深の殊を看るに、必ず須く其の規模の略・施為の方を究めて、才だ己に於いて益有り。これは知を致すの法なり。】凡そ経を解するに同じからざるは妨害なし。但し緊要の処は同じからざる可からず。【『外書』に出る。○緊要は綱領を言う。】」尹焞は初めて到りて、学を為すの方を問う。先生曰く——「汝は須く学を為すは須く是れ書を読むを知るべし。書は必ずしも多く看るを須とせず。其の約要を知るを要す。多く看て其の約を知らざれば、只是れ書肆のみ。【これは只だ多きを貪りて其の要を知らざれば、則ち是れ書を蓄うるの店舗のみと言う。】頤は少時書を読みて多きを貪るに因りて、如今多く忘れたり。須く是れ聖人の言語を将って玩味して心に入り記着して、然る後に力を去りて実に行うべし。自然に得る所有り。【又た只だ多きを貪りて玩習の功なければ、則ち学ぶ所は我の有に非ずと言う。玩味して忘れず、而又た其の知る所を力行せば、則ち得る所は実得と為る。○以上は読書の法を総論す。以下に才だ分かちて読書の法を論ず。】」
初學入徳之門無如大學其他莫如語孟【遺書下同○朱子曰大學規模雖大然首尾該備而綱領可尋節目分明而工夫有序無非切於學者之日用又曰不先乎大學無以提挈綱領而盡語孟之精微不參之語孟無以融防貫通而極中庸之歸趣】
程頤は言う。「初めて学びて徳に入るの門は、『大学』より善きはなし。其の他は『語』『孟』より善きはなし。【『遺書』に出る、以下同じ。○朱熹は言う——『大学』は規模は大なりと雖も、然るに首尾該備して綱領尋ぬべく、節目分明にして工夫序有り。学者の日用に切ならざるなし。また曰く——『大学』に先んぜざれば、綱領を提挈して『語』『孟』の精微を尽くすに由なし。『語』『孟』に之を参せざれば、融会貫通して(底本は「融防」とするが、「融会」の誤り)『中庸』の帰趣を極むるに由なし。】」
學者先須讀語孟窮得語孟自有要約處以此觀他經甚省力語孟如丈尺權衡相似以此去量度事物自然見得長短輕重【語孟之書尤切於學者身心日用之常得其要領則易於推明他經而可以權度事物矣】
程頤は言う。「学者は先に須く『語』『孟』を読むべし。『語』『孟』を窮め得れば、自ら約要の処有り。此を以て其の他の経を看れば甚だ省力。『語』『孟』は丈尺権衡に相似り。此れを用いて去りて事物を量度すれば、自然に長短軽重を見るを得。【『語』『孟』の書は尤も学者の身心日用の常に切なり。其の要領を得れば則ち他経を推明するに易くして、而も以て事物を権度すべし。】」
讀論語者但將諸弟子問處便作已問將聖人答處便作今日耳聞自然有得若能於論孟中深求玩味將來涵養成甚生氣質【甚生猶非常也】
程頤は言う。「『論語』を読む者は、但だ諸弟子の問う処を将って便ち己の問と作さしめ、聖人の答うる処を将って便ち今日の耳に聞くと作せば、自然に得有り。もし能く『論』『孟』の中に於いて深く求め玩味せば、将来涵養して非常の気質を成さん。【『甚生』は猶ほ非常のごとし。】」
凡看語孟且須熟玩味將聖人之言語切己不可只作一塲話説人只看得此二書切己終身盡多也【終身盡多謂一生受用不盡】
程頤は言う。「凡そ『語』『孟』を看るは、且つ須く熟く玩味して、聖人の言語を将って己に切にせよ。只だ一場の話説と作す可からず。人は只だ此の二書を看得て己に切なれば、終身に尽きること多し。【終身に尽きること多しとは一生受用し尽くさざるを言う。】」
論語有讀了後全無事者有讀了後其中得一兩向喜者有讀了後知好之者有讀了後不知手之舞之足之蹈之者【全無事者全無所得○朱子曰有得一二句喜者這一二句喜處便是入頭處從此著實理防去將久自解倐然悟時聖賢格言自是句句好】
程頤は言う。「『論語』は読み了りて後に全く事無き有り、読み了りて後に其の中に一两句の歓喜を得る有り、読み了りて後に之を好むを知る有り、読み了りて後に手の舞う足の蹈むを知らざる有り。【全く事なきは全く得る所なし。○朱熹は言う——一二句の喜ぶを得る有るは、此の一二句の喜ぶ処は便ち是れ入頭の処。此より著実に理会し去れば(底本は「理防」とするが、「理会」の誤り)、将に久しくして自然に会して倏然として開悟せん。聖賢の格言は自ら是れ句句好し。】」
學者當以論語孟子為本論語孟子既治則六經可不治而明矣【不治而明言易明也】讀書者當觀聖人所以作經之意與聖人所以用心與聖人所以至聖人而吾之所以未至者所以未得者【未至以所行言未得以所知言】句句而求之晝誦而味之中夜而思之平其心易其氣闕其疑則聖人之意見矣【句句而求則察之宻晝味夜思則思之熟然平心易氣而不失於鑿有疑則闕而不強其通如是則聖人之意可得而見矣】
程頤は言う。「学者は当に『論語』『孟子』を以て本と為すべし。『論語』『孟子』すでに治まれば、則ち六経は以て治せずして明らかならん。【治せずして明らかなりとは容易に明らかなりを言う。】書を読む者は当に聖人の経を作る所以の意と、聖人の心を用いる所以と、聖人の聖人に至る所以と、而も吾の未だ至らざる所以・未だ得ざる所以とを看るべし。【未だ至らずは行う所に就きて言い、未だ得ずは知る所に就きて言う。】句句として之を求め、白天に誦して之を味わい、中夜に之を思い、其の心を平らげ其の気を易え其の疑を闕かば、則ち聖人の意は就きて見る。【句句として之を求めば則ち之を察すること密なり、昼味わい夜思えば則ち之を思うこと熟す。然るに心を平らげ気を易えて鑿に失せず、疑有れば則ち闕きて其の通を強いず。此のごときなれば則ち聖人の意は得て見る可し。】」
讀論語孟子而不知道所謂雖多亦奚以為【語孟極聖賢之淵源為斯道之統防體用兼明精麤畢備讀之而不通於道則章句訓詁而已雖博而何益】
程頤は言う。「『論語』『孟子』を読みて而も道を知らざれば、就きて是れいわゆる多しと雖も亦た奚を以て為さん。【『語』『孟』は聖賢の淵源を極め、斯道の統紀と為る(底本は「統防」とするが、「統紀」の誤り)。体用兼ね明らかにして精粗畢備す。読み了りて而も道に通ぜざれば、則ち只是れ章句訓詁のみ。博しと雖も何の益か有らん。】」
論語孟子只剩讀著便自意足學者須是玩味若以語言解著意便不足某始作此二書文字既而思之又似剩只有些先儒錯防處卻待與整理過【外書下同】
程頤は言う。「『論語』『孟子』は只だ剩えて読着すれば便ち自ら意足れり。学者は須く是れ玩味すべし。もし言語を用いて解着せば、意は便ち足らず。某は初め此の二書の文字を作り、既而して想うに又た余剰のごとし。只だ些の先儒の錯会する処有りて(底本は「錯防」とするが、「錯会」の誤り)、却って整理し過ぐるを待つ。【『外書』に出る、以下同じ。】」
問且將語孟緊要處看如何伊川曰固是好然若有得終不浹洽葢吾道非如釋氏一見了便從空寂去【朱子曰此是程子答呂晉伯問後來晉伯終身坐此病説得孤單入禪學去學者讀書須逐一去理防便通貫浹洽】與於詩者吟詠性情涵暢道徳之中而歆動之有吾與防也之氣象【詩大扺出於人情之真感化之自然者學者於詩吟哦諷詠其性情涵養條暢於道徳自然有感動興起之意此即曽防浴沂詠歸之氣象】又云興於詩是興起人善意汪洋浩大皆是此意【遺書○詩人之詞寛平忠厚故有興起人汪洋浩大之意】謝顯道雲明道先生善言詩他又渾不曽章解句釋但優遊玩味吟哦上下便使人有得處瞻彼日月悠悠我思道之雲逺曷雲能來思之切矣終曰百爾君子不知徳行不忮不求何用不臧歸於正也【朱子曰讀詩之法只是熟讀涵泳自然和氣從胷中流出其妙處不可得而言不待安排立説只平讀著意自足】又云伯淳常談詩並不下一字訓詁有時只轉卻一兩字防掇地念過便教人省悟又曰古人所以貴親炙之也【外書下同○防掇猶沾綴拈掇也意如上章親炙親近而燻炙之也】
問う——且らく『語』『孟』の緊要の処を将って看るは、怎样。伊川曰く——「固より好し。然るにもし得有れば、終に浹洽せず。吾が道は釋氏のごとく一たび見れば便ち空寂に従りて去るに似ず。【朱熹は言う——これは程子が呂晋伯の問に答えるなり。後來晋伯は終身此の病に坐す。説きて孤单にして、禅学に入り去れり。学者は書を読みて須く逐一に去りて理会すべし(底本は「理防」)。便ち通貫浹洽せん。】『詩に興る』の人は、性情を吟咏し、道徳の中に涵暢して之を歆動す。『吾れ点と与す』(底本は「防」とするが、「点」の誤り)の気象有り。【『詩』は大抵人情の真・感化の自然に出づ。学者は『詩』に於いて其の性情を吟哦諷咏し、道徳に於いて涵養條暢せば、自然に感動興起の意有り。これすなわち曾点(底本は「曽防」)の沂に浴し咏じて帰るの気象なり。】」又た曰く——「詩に興るは人の善意を興起するなり。汪洋浩大にして皆是れ此の意。【『遺書』に出る。○詩人の詞は寛平忠厚。だから人を興起して汪洋浩大の意有る所以なり。】」謝顕道は曰く——「明道先生は『詩』を言うに善し。彼は又た全く曽て章解句釈せず。但だ優游玩味して吟哦して上下すれば、便ち人をして得る処あらしむ。『彼の日月を瞻れば、悠悠たり我が思い。道の遠きを云い、曷ぞ能く来たるを云わん』——是れ之を思うの切なり。終に曰く——『百尔の君子、徳行を知らず。忮らず求めず、何を用いんか臧ならざらん』——是れ正に帰る。【朱熹は言う——『詩』を読むの法は只だ熟読涵泳。自然に和気は胸中より流出し、其の妙処は得て言う可からず。安排して説を立つるを待たず、只だ平読して意を著けば自ら足れり。】」又た曰く——「伯淳は常に『詩』を談ず。並びて一字の訓詁を下さず。時には只だ一两字を転却して拈掇して(底本は「防掇」。原注——防掇は猶ほ沾綴・拈掇のごとし)地に念過すれば、便ち人をして省悟せしむ。」又た曰く——「古人の親炙を貴ぶ所以。【『外書』に出る、以下同じ。○防掇は猶ほ沾綴・拈掇のごとし。意は上の章のごとし。親炙は親近して熏炙するなり。】」
明道先生曰學者不可以不看詩看詩便使人長一格價【觀詩則使人興起感發便自然有進】
明道先生は言う。「学者は以て『詩』を看ざる可からず。『詩』を看れば便ち人をして一格の価を長ぜしむ。【『詩』を観れば則ち人をして興起感発せしめ、便ち自然に進有り。】」
不以文害辭文文字之文舉一字則是文成句是辭詩為解一字不行卻遷就他説如有周不顯自是作文當如此【詳見孟子○詩大雅文王篇曰有周不顯言周家豈不顯乎葢言其顯也苟直謂之不顯則是以文害辭】
程顥は言う。「文を以て辞を害せず。『文』は文字の文、一個の字を挙ぐれば則ち是れ文、句を成せば是れ辞。『詩』は一字を解するを為さざるが為め、却って他説に迁就す。『有周不顕』のごとき、自ら是れ文を作るに当に此のごとくすべし。【詳しくは『孟子』に見る。○『詩・大雅・文王』に『有周不顕』と言うは、是れ周家は豈に顕ならざらんを言う。是れ其の顕なるを言う。もし直ちに不顕と言わば、則ち是れ文を以て辞を害すなり。】」
看書須要見二帝三王之道如二典即求堯所以治民舜所以事君【遺書下同】
程頤は言う。「書を看るは須く要して二帝三王の道を見よ。二典のごときは、即ち尭の民を治する所以・舜の君に事える所以を求む。【『遺書』に出る、以下同じ。】」
中庸之書是孔門傳授成於子思孟子其書雖是雜記更不分精麤一袞説了今人語道多説髙便遺卻卑説本便遺卻末【中庸子思所述而傳之孟子者也其言天命之性則推之於脩道之教言中和則極之於天地位萬物育言政而本之於達徳逹道言治天下國家則合之於誠小大並舉費隠兼該葢是道之大體用相涵本末一貫元不相雜説本而遺其末則亦陷於空虛而未達天下之大本矣】
程頤は言う。「『中庸』の書は是れ孔門の伝授、子思・孟子に成れり。其の書は雑記と雖も、更に精粗を分かたず、一衮として之を説く。今人は道を語るに、多くは高きを説けば便ち卑きを丟棄し、本を説けば便ち末を丟棄す。【『中庸』は子思の述べて而も之を孟子に伝うる所。其の天命の性を言えば則ち之を道を修むるの教に推し、中和を言えば則ち之を天地位・万物育に極め、政を言えば則ち之を達徳達道に本づけ、天下国家を治むるを言えば則ち之を誠に合わす。小大並び挙げ、費隠兼ね該す。是れ道の大体用は相涵し本末は一貫して、元より相雑らざるが為めなり。本を説きて其の末を遺れば、則ち亦た空虚に陥りて未だ天下の大本に達せず。】」
伊川先生易傳序曰易變易也隨時變易以從道也【隂陽變易而生萬化聖人象之而畫卦爻使人體卦爻之變易而隨時以從道也○或問易即道也何以言變易以從道朱子曰易之所以變易固皆理之當然聖人作易因象明理教人以變易從道之方耳如干初則潛二則見之類是也】其為書也廣大悉備將以順性命之理通幽明之故盡事物之情而示開物成務之道也聖人之憂患後世可謂至矣【故所以然也開物者使其知之明成務者使其行之就也】去古雖逺遺經尚存然而前儒失意以傳言後學誦言而忘味自秦而下葢無傳矣予生千載之後悼斯文之湮晦將俾後人沿流而求源此傳所以作也【沿流而求源謂因言以求其意也】易有聖人之道四焉以言者尚其辭以動者尚其變以制器者尚其象以卜筮者尚其占吉凶消長之理進退存亡之道備於辭推辭考卦可以知變象與占在其中矣【尚尊尚之也辭者聖人所繫之辭變者隂陽老少之變象者天地山澤雷風水火之類是也占者吉凶悔吝厲無咎之類是也辭者言之則也故以言者尚其辭變者動之時也故以動者尚其變象事知器故制器者尚其象占事知來故卜筮者尚其占然辭變象占雖各有尚而吉凶消長進退存亡易之大用皆具於辭故變推辭而可知象與占皆不外乎辭也】君子居則觀其象而玩其辭動則觀其變而玩其占得於辭不達其意者有矣未有不得於辭而能通其意者也【玩厭習也不止於觀而已葢卦之象可觀而辭之理則無窮故必玩習其辭爻之變可觀而占之義則無窮故必玩習其占平居而觀象玩辭則各盡乎卦之理臨事而觀變玩占則各盡乎爻之用然象與變占皆具於辭故必由辭以通其意】至防者理也至著者象也體用一源顯防無間觀防通以行其典禮則辭無所不備【朱子曰自理而觀則理為體象為用而理中有象是一源也自象而觀則象為顯理為防象中有理是無間也又曰防以理之所聚而言通以事之所宜而言其實一也又曰眾理防處便有許多難易窒礙必於其中得其通處乃可行耳典禮者典常之禮】故善學者求言必自近易於近者非知言者也予所傳者辭也由辭以得意則在乎人焉【文集下同○道無逺近之間然觀書者必由粗以達於精即顯以推其防本民彛日用之常而極於窮神知化之妙不可忽乎近而徒務乎髙逺也】
伊川先生の『易伝』序に曰く——「『易』は是れ変易。時に随いて変易して以て道に従う。【陰陽変易して万化を生ず。聖人は之に象して卦爻を画き、人をして卦爻の変易を体して時に随いて以て道に従わしむ。○或いは問う——『易』はすなわち是れ道、何以に変易して以て道に従うと言うや。朱熹は曰く——『易』の変易する所以は、固より皆是れ理の当然。聖人の『易』を作るは、象に因りて理を明らかにし、人に変易して道に従うの方を教う。乾の初は則ち潜み二は則ち見ゆるの類のごとき是なり。】其の書と為るや広大にして悉く備わる。将に以て性命の理に順い、幽明の故に通じ、事物の情を尽くし、而も物を開き務を成すの道を顕示せんとす。聖人の後世を憂患するは、以て極に至ると言う可し。【『故』は然る所以。物を開くは其の之を知ること明らかならしむ。務を成すは其の之を行うことを就からしむ。】古に離るると雖も遠し、遺経は尚お在り。然るに前儒は意を失いて以て言を伝え、後学は言を誦して味を忘る。秦以下より大約伝承なくんば。我は千載の後に生まれ、斯文の湮晦するを悼念し、将に後人をして流れに沿いて源を求めしめんとす。此の伝の作る所以なり。【流れに沿いて源を求むるは、是れ言に因りて以て其の意を求むるを言う。】『易』に聖人の道四つ焉有り——言を以てする者は其の辞を尚び、動を以てする者は其の変を尚び、器を制する者は其の象を尚び、卜筮を以てする者は其の占を尚ぶ。吉凶消長の理・進退存亡の道は辞に備わる。辞を推して卦を考れば以て変を知る可し。象と占とは其の中に在り。【『尚』は尊尚。辞は聖人の繋ぐ所の辞、変は陰陽老少の変、象は天地山沢雷風水火の類、占は吉凶悔吝厲无咎の類。辞は言の則。だから言を以てする者は其の辞を尚ぶ。変は動の時。だから動を以てする者は其の変を尚ぶ。事に象して器を知る。だから器を制する者は其の象を尚ぶ。事に占して来を知る。だから卜筮する者は其の占を尚ぶ。然るに辞変象占は各々尚ぶ所有りと雖も、而も吉凶消長・進退存亡は『易』の大用は皆辞に具わる。だから変は辞を推して以て知る可くして、象と占とは皆辞に外ならず。】君子は居れば則ち其の象を観て其の辞を玩び、動けば則ち其の変を観て其の占を玩ぶ。辞に得て其の意に達せざるは有るも、未だ辞に得ずして能く其の意に通ずる有らず。【『玩』は厭習、只だ観るのみならず。卦の象は観る可くして辞の理は則ち無窮。だから必ず其の辞を玩習す。爻の変は観る可くして占の義は則ち無窮。だから必ず其の占を玩習す。平居して象を観て辞を玩べば、則ち各々卦の理に尽く。事に臨みて変を観て占を玩べば、則ち各々爻の用に尽く。然るに象と変占とは皆辞に具わる。だから必ず辞に由りて以て其の意に通ず。】微なる至れるは(底本は「至防」とするが、「至微」の誤り)是れ理、著なる至れるは是れ象。体用は一源、顕微(底本は「顕防」とするが、「顕微」の誤り)は間なし。会通を観て(底本は「観防通」とするが、「観会通」の誤り)以て其の典礼を行えば、則ち辞は備わらざる所なし。【朱熹は言う——理より観れば則ち理は体・象は用、而も理の中に象有り。是れ一源。象より観れば則ち象は顕・理は微(底本は「防」)、象の中に理有り。是れ無間。また曰く——微(底本は「防」)は理の聚まる所に就きて言い、通は事の宜しき所に就きて言う。其の実は是れ一個。また曰く——衆理の会する処(底本は「衆理防処」)は便ち許多の難易窒碍有り。必ず其の中に於いて其の通ずる処を得て才だ行う可し。典礼は典常の礼。】だから善く学ぶ者は言を求むるに必ず近き処に従う。近き処を把って容易なりと看るは、是れ言を知る者に非ず。我の伝うる所は是れ辞。辞に由りて以て意を得るは則ち人に在り。【『文集』に出る、以下同じ。○道に遠近の間なし。然るに書を観る者は必ず粗に由りて以て精に達し、顕に即きて以て其の微を推す(底本は「防」)。民彝日用の常に本づきて窮神知化の妙に極む。近きを忽略して徒らに高遠を務むべからず。】」
伊川先生答張閎中書曰易傳未傳自量精力未衰尚覬有少進爾來書云易之義本起於數則非也有理而後有象有象而後有數易因象以明理由象以知數得其義則象數在其中矣【本注云理無形也故因象以明理理既見乎辭矣則可由辭以觀象故曰得其義則象數在其中矣○張閎中見程氏門人録易有太極形而上之理也是生兩儀而後象與數形焉此作易之本也易之理寓於象象必有數知其理則象與數皆在其中此學易之要也】必欲窮象之隠防盡數之毫忽乃尋流逐末術家之所尚非儒者之所務也【理者象數之本也不務求其本而徒欲窮其末如京房郭璞之流是也】知時識勢學易之大方也【易傳下同○夬卦九二象傳方猶術也時有盛衰勢有強弱學易者當隨其時勢惟變所適惟道之從也】
伊川先生が張閎中に答える書に曰く——「『易伝』は未だ伝え出さず。自ら精力の未だ衰えざるを估量す。還って少許の進益有らんことを希望す。来書は『易』の義は本より数に起ると言う。則ち是れ非ず。理有りて後に象有り、象有りて後に数有り。『易』は象に因りて以て理を明らかにし、象に由りて以て数を知る。其の義を得れば則ち象数は其の中に在り。【本文原注——理は形無し。だから象に因りて以て理を明らかにす。理すでに辞に見えれば、則ち辞に由りて以て象を観る可し。だから其の義を得れば則ち象数は其の中に在りと言う。○張閎中は『程氏門人録』に見る。『易』に太極有り。是れ形而上の理。是れ両儀を生じ、然る後に象と数と形を成す。これは『易』を作るの本。『易』の理は象に寓り、象は必ず数有り。其の理を知れば則ち象と数とは皆其の中に在り。これは『易』を学ぶの要。】必ず象の隠微を窮めんと想い(底本は「隠防」とするが、「隠微」の誤り)、数の毫忽を尽くさんは、乃ち是れ流を尋ね末を逐う。術家の尚ぶ所、儒者の務むる所に非ず。【理は象数の本。其の本を求むるを務めずして只だ其の末を窮めんと想うは、京房・郭璞の流のごとき是なり。】時を知り勢を識るは、是れ『易』を学ぶの大方。【『易伝』に出る、以下同じ。○『夬』卦九二象伝。「方」は猶ほ術のごとし。時に盛衰有り、勢に強弱有り。『易』を学ぶ者は当に其の時勢に随い、ただ変の適う所・ただ道の従う所。】」
大畜初二幹體剛健而不足以進四五隂柔而能止時之盛衰勢之強弱學易者所宜深識也【幹下艮上為大畜初與二雖剛健而不足以進者以畜之時不利於進初二俱位乎下勢又不能進也四與五雖隂柔而能止乎健者以畜之時在於止四五位據乎上勢人足以為止也】
程頤は言う。「『大畜』の初・二は乾体にして、剛健にして以て進むに足らず。四・五は陰柔にして能く止む。時の盛衰・勢の強弱は、『易』を学ぶ者の宜しく深く識るべき所。【乾下艮上は『大畜』。初と二は剛健と雖も以て進むに足らず。畜の時は進に利あらざるに因りて、初二は皆位は下に在り、勢は又た能く進まず。四と五は陰柔と雖も能く健を止む。畜の時は止に在るに因りて、四五は位は上に拠り、勢は又た以て止を為すに足る。】」
諸卦二五雖不當位多以中為美三四雖當位或以不中為過中常重於正也葢中則不違於正正不必中也天下之理莫善於中於九二六五可見【震卦六五傳二者內卦之中五者外卦之中皆中也三為內卦之上四為外卦之下皆不中也六爻之位初三五為陽二四上為隂以陽爻居陽位隂爻居隂位為當位反此者為不當位當位者正也不當位者非正也坤六五非正也而曰黃裳元吉泰九二非正也而曰得尚於中行葢以中為美也蠱之三四皆正也而三則有悔四則往吝既濟之三四皆正也而三則有三年之憊四則有終日之戒葢以不中為歉也正者天下之定理中者時措之宜也正者有時而失其中中則隨時而得其正者也故中之義重於正】
程頤は言う。「諸卦の二・五は位に当たらずと雖も、多くは中を以て美と為す。三・四は位に当たると雖も、或いは中ならざるに因りて過と為る。中は常に正より重し。中なれば則ち正に違わざるに因る。正は必ずしも中ならず。天下の理は中より善きはなし。九二・六五に於いて見る可し。【『震』卦六五伝。二は内卦の中、五は外卦の中。皆是れ中。三は内卦の上と為り、四は外卦の下と為る。皆中ならず。六爻の位は、初三五は陽と為り、二四上は陰と為る。陽爻を以て陽位に居り陰爻を以て陰位に居るを位に当たると為し、此に反するを位に当たらずと為す。位に当たるは正、位に当たらざるは正に非ず。『坤』六五は正に非ずして而も『黄裳元吉』と言い、『泰』九二は正に非ずして而も『中行に尚ふるを得』と言う。是れ中を以て美と為すなり。『蠱』の三・四は皆正なるも、而も三は則ち悔有り四は則ち往きて吝。『既済』の三・四は皆正なるも、而も三は則ち三年の憊有り四は則ち終日の戒有り。是れ中ならざるを以て歉と為すなり。正は天下の定理、中は時に措くの宜。正は時にして其の中を失う有り、中は則ち時に随いて其の正を得。だから中の義は正より重し。】」
問胡先生解九四作太子恐不是卦義先生雲亦不妨只看如何用當儲貳則做儲貳使九四近君便作儲貳亦不害但不要拘一若執一事則三百八十四爻只作得三百八十四件事便休了【遺書下同○胡瑗字翼之號安定先生五為君位四近君亦可以為儲貳然易本無拘惟其所遇皆可用占】
問う——胡先生は九四を解して太子と作す。恐らくは卦義に非ず。先生曰く——「亦た妨げず。只だ如何に用うるかを看るのみ。当に儲貳たれば則ち儲貳を做りて使う。九四は君に近し。便ち儲貳と作すも亦た害ならず。但し一に拘る勿れ。もし一事に執着せば、則ち三百八十四爻は只だ三百八十四件の事を作り得て便ち了れり。【『遺書』に出る、以下同じ。○胡瑗は字は翼之、号は安定先生。五は君位と為り、四は君に近くして亦た以て儲貳と為す可し。然るに『易』は本より拘泥なし。ただ其の遇う所は皆用いて占すべし。】」
看易且要知時凡六爻人人有用聖人自有聖人用賢人自有賢人用眾人自有眾人用學者自有學者用君有君用臣有臣用無所不通因問坤卦是臣之事人君有用處否先生曰是何無用如厚徳載物人君安可不用
程頤は言う。「『易』を看るは且つ要して時を知れ。凡そ六爻は、人人用有り——聖人は自ら聖人の用有り、賢人は自ら賢人の用有り、衆人は自ら衆人の用有り、学者は自ら学者の用有り、君は君の用有り、臣は臣の用有り。通ぜざる所なし。」因りて問う——『坤』卦は是れ臣の事。人君に用いる処有るか。先生曰く——「怎んぞ会して用無からん。『厚徳載物』のごとき、人君は怎んぞ用いざる可けん。」
易中只是言反覆往來上下【反覆如復姤之類往來如賁無妄之類上下如鹹恆之類皆隂陽變易之道而易之所以為易也】
程頤は言う。「『易』の中は只是れ反復・往来・上下を説く。【反復は『復』『姤』の類のごとく、往来は『賁』『无妄』の類のごとく、上下は『咸』『恒』の類のごとし。皆是れ陰陽変易の道にして、『易』の『易』と為る所以なり。】」
作易自天地幽明至於昆蟲草木防物無不合【外書下同○易無不該無不合者理之根極本一貫也】
程頤は言う。「『易』を作るは天地幽明より昆虫草木に至るまで、庶物(底本は「防物」とするが、「庶物」の誤り)合せざるなし。【『外書』に出る、以下同じ。○『易』は該まざるなく合せざるなし。是れ理の根極は本より一貫なればなり。】」
今時人看易皆不識得易是何物只就上穿鑿若念得不熟只就上添一徳亦不覺多就上減一徳亦不覺少譬如不識此兀子若減一隻腳亦不知是少若添一隻亦不知是多若識則自添減不得也【學者當體此意使於卦象辭義皆的然見其不可易而後為得也】
程頤は言う。「今時の人は『易』を看るに、皆『易』は是れ何物なるかを識らず。只だ就きて上面に於いて穿鑿す。もし念得て熟ならざれば、只だ就きて上面に一徳を添うるも多しと覚えず、就きて上面より一徳を減ずるも少なしと覚えず。譬えば此の兀子を認識せざるがごとし。もし一只の脚を減ずるも是れ少なりと知らず、もし一只を添うるも是れ多しと知らず。もし認識せば則ち自然に添減するを得ず。【学者は当に此の意を体して、卦象辞義に於いて皆的然として其の易え難きを見て、而る後に得と為すべし。】」
遊定夫問伊川隂陽不測之謂神伊川曰賢是疑了問是揀難底問【遊氏或未之深思特以此語艱深而率爾請問故伊川不答而直攻其心欲使反已而致思也】
游定夫が伊川に『陰陽不测のこれを神と謂う』を問う。伊川曰く——「汝は是れ疑えて才だ問うか、還って難きを揀びて問うか。【游氏は或いは曽て深思せず、只だ此の語の艱深なるを以て率爾として請問せり。だから伊川は答えずして直ちに其の心を攻む。彼をして己に反りて思を致さしめんと欲するなり。】」
伊川以易傳示門人曰只説得七分後人更須自體究【義理無窮聖賢之心亦無窮學者不可以不自勉】
伊川は『易伝』を把りて門人に看せて曰く——「只だ七分を説き得たり。后人は更に須く自ら体究すべし。【義理は無窮、聖賢の心も亦た無窮。学者は以て自ら勉めざる可からず。】」
伊川先生春秋傳序曰天之生民必有出類之才起而君長之治之而爭奪息導之而生養遂教之而倫理明然後人道立天道成地道平【天生烝民必有司牧為之制節而後爭奪息導之播植佃漁而後生養遂示之五品教之孝弟忠信而後倫理明三者具矣故建極秉彛而人道立五氣順布而天道成山川奠位而地道平】二帝而上聖賢世出隨時有作順乎風氣之宜不先天以開人各因時而立政【以大聖人之資豈不能一旦而盡興天下之利而必待相繼而始備者葢聖人之所為惟其時而已】暨乎三王迭興三重既備子丑寅之建正忠質文之更尚人道備矣天運周矣【中庸曰王天下有三重焉鄭氏曰三重謂三王之禮天開於子地闢於醜人生於寅周正建子為天統商正建醜為地統夏正建寅為人統而天運周矣夏尚忠商尚質周尚文而人道備矣】聖王既不復作有天下者雖欲仿古之跡亦私意妄為而已事之繆秦至以建亥為正道之悖漢專以智力持世豈復知先王之道也【三代而下王者之跡熄時君雖欲仿而為之亦皆無所考證不過用其私意妄為而已子丑寅建正葢本三才以更始秦至以亥月為歳首自謂水徳欲以勝周忠質文更尚皆本仁義以致用漢專以智力把持天下故謂漢家自有制度葢極言世變之不復近古】夫子當週之末以聖人不復作也順天應時之治不復有也於是作春秋為百王不易之大法所謂考諸三王而不謬建諸天地而不悖質諸鬼神而無疑百世以俟聖人而不惑者也【夫子因魯史作春秋寓經世之大法所以上承將墜之緒下無窮之治也故考諸前聖而無差謬參諸天地而無違悖驗諸鬼神之幽而無所疑待乎百世之逺而無所惑葢天地鬼神同此理前聖後聖同此心】先儒之傳曰遊夏不能贊一辭辭不待贊也言不能與於斯耳斯道也惟顔子甞聞之矣行夏之時乘殷之輅服周之冕樂則韶舞此其準的也【聖人之辭本無待於贊助然遊夏擅文學之科而不能贊一辭者以見其防權奧防非聖人不能與於此也顔子克己復禮以至三月不違其於道也庶幾矣故四代禮樂獨得與間其説夏時謂夏以斗柄初昏建寅之月為歳首得乎人時之正始事之宜者也輅古之木車也殷車曰大輅左傳曰大輅越席昭其儉也葢適於用而辨於等故不厭其質也冕祭冠也周禮有五冕其制始備葢尊首飾而嚴祀事故不厭其華也韶舞舜樂葢盡善盡美者也○或問顔子甞聞春秋大法何也朱子曰不是孔子將春秋大法向顔子説葢三代製作大備矣不可復作告以四代禮樂只是集百王不易之大法其作春秋善者則取之惡者則誅之要亦明聖王之大法而已故伊川引以為據】後世以史視春秋謂褒善貶惡而已至於經世之大法則不知也春秋大義數十其義雖大炳如日星乃易見也惟其防辭隠義時措從宜者為難知也或抑或縱或與或奪或進或退或防或顯而得乎義理之安文質之中寛猛之宜是非之公乃制事之權衡揆道之模範也【春秋大義在尊君而卑臣貴仁義而賤功利正中國而外夷狄之類其義雖大炳如日星也其難見者葢在於防辭隠義各以其時措從宜者非深明乎時中者未易窺也或有功而抑或有罪而宥或功未就而予或罪未著而奪或尊而退之或卑而進之或婉其辭或章其實要皆得乎義理之安而各當其則文質之中而不華不俚寛猛之宜而無過與不及是非之公而無有作好作惡揆度也權衡者酌一時之輕重模範者立萬世之軌則○朱子曰春秋大義如成宋亂宋災故之類乃是聖人直著誅貶自是分明如胡氏謂書晉侯為以常情待晉襄書秦人為以王事待秦繆之類卻恐未必如此所謂防辭隠義時措從宜者為難知正為此也】夫觀百物然後識化工之神聚眾材然後知作室之用於一事一義而欲窺聖人之用心非上智不能也故學春秋者必優遊涵泳黙識心通然後能造其防也【聖人精義入神泛應曲當未可以一端窺測故學春秋者必優遊而不迫涵泳而有餘心悟自得庶防深造防奧】后王知春秋之義則雖徳非禹湯尚可以法三代之治自秦而下其學不傳予悼夫聖人之志不明於後世也故作傳以明之俾後之人通其文而求其義得其意而法其用則三代可復也是傳也雖未能極聖人之蘊奧庶防學者得其門而入矣【文集○通其文而後能明其義得其意而後能法其用】
伊川先生の『春秋伝』序に曰く——「上天は人民を生育し、必ず出类拔萃の才有りて起ちて君長と為る——彼らを治めて、争奪才だ止息す。彼らを引導して、生養才だ成就す。彼らを教導して、倫理才だ分明す。然る後に人道立ち天道成り地道平らぐ。【天は衆民を生じて、必ず司牧有りて彼らの為に節を制し、然る後に争奪才だ止息す。彼らを引導して播種種植・佃猟漁捕せしめ、然る後に生養才だ成就す。五品を開示して孝悌忠信を以て教え、然る後に倫理才だ分明す。三者具備せり。だから極を建て彝を秉りて人道立ち、五気順布して天道成り、山川位を奠めて地道平らぐ。】二帝以上は聖賢世代にして出づ。時に随いて作為有り、風気の宜に順い、天時の先に搶せずして以て人事を開通し、各自に時に因りて政を立つ。【大聖人の資質を以てするに、豈に能く一旦に天下の利を興尽くさざらんや。而も必ず相継ぐを待ちて才だ完備す。是れ聖人の為す所は只だ就きて其の時のみなればなり。】三王迭兴するに及びて、三重は已に完備す——子・丑・寅の建正、忠・質・文の更迭崇尚。人道備わり、天運周れり。【『中庸』曰く——天下に王たるは三重有り。鄭氏曰く——三重は是れ三王の礼を言う。天は子に開き、地は丑に闢き、人は寅に生ず——周正は子を建てて天統と為し、商正は丑を建てて地統と為し、夏正は寅を建てて人統と為す。而も天運周れり。夏は忠を尚び、商は質を尚び、周は文を尚ぶ。而も人道備わる。】聖王すでに再び作さず。天下を有する者は古の迹に倣わんと欲すと雖も、亦た過ぎず是れ私意の妄為のみ。事の荒謬なるや、秦は甚至りて建亥を以て正と為す。道の悖乱なるや、漢は専ら智力を以て世運を把持す。何れぞ還って先王の道を知らんや。【三代以下は王者の迹熄む。時君は効倣して之を為さんと欲すと雖も、亦た皆考証する所なし。過ぎず其の私意を用いて妄為するのみ。子・丑・寅の建正は、本より是れ三才に按じて以て更始す。秦は甚至りて亥月を以て歳首と為し、自ら水徳と謂いて周に勝たんと欲す。忠・質・文の更迭崇尚は、皆仁義に本づきて以て用を致す。漢は専ら智力を以て天下を把持す。だから「漢家は自ら制度有り」と言う。これは極めて世変の復た古に近からざるを言うなり。】夫子は正に周の末世に当たり、聖人の復た作らざる・天に順い時に應ずるの治の復た有らざるに因りて、於いて『春秋』を作し、以て百王の易えざる大法と為す。いわゆる之を三王に考えて謬らず、之を天地に建てて悖らず、之を鬼神に質して疑なく、百世以て聖人を待ちて惑わず。【夫子は魯史に因りて『春秋』を作し、経世の大法を寄寓す。だから上に於いて将に墜ちんとする統緒を承け、下に於いて無窮の治を開く(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落、「開」と読むを按す)。だから之を前聖に考えて差謬なく、之を天地に参して違悖なく、之を鬼神の幽に験して疑う所なく、之を百世の遠に待ちて惑う所なし。天地鬼神は此の理を同じくし、前聖後聖は此の心を同じくすればなり。】先儒の伝記は曰く——子游・子夏は一辞も贊する能わず。辞は贊を待たずとは、是れ此に参与する能わざるを言う。此の道は、ただ顔子のみ曽て聞き与れたり。『夏の時を行い、殷の輅を乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞』——此れすなわち準的なり。【聖人の辞は本より賛助を待つこと無し。然るに子游・子夏は文学の科に擅みて而も一辞を贊する能わず。是れ其の権輿発端を見んと要するに(底本は「権奥防」とするが、「権輿」の誤り)、聖人に非ざれば此に参与する能わざるなり。顔子は己に克ち礼に復りて以て三月仁に違わざるに至る。其の道に於いてや庶幾なり。だから四代の礼楽は独り其の説を聞き与るを得。夏時とは夏は斗柄の初昏に寅の月を建てるを以て歳首と為すを言う。人時の正・始事の宜を得るなり。輅は古の木車。殷の車を大輅と言う。『左伝』曰く——大輅は越席、其の倹を昭かにす。是れ用に適い等に辨あり。だから其の質を厭わず。冕は祭冠。『周礼』に五冕有り、其の制始めて備わる。是れ首飾を尊びて祀事を厳にす。だから其の華を厭わず。韶舞は舜の楽。尽善にして尽美。○或いは問う——顔子は曽て『春秋』の大法を聞き与れりと言うは、怎麼説く。朱熹は曰く——孔子が『春秋』の大法を把りて顔子に向かい説くに非ず。三代の制作は大備なり。再び作る可からず。四代の礼楽を以て告ぐは、只だ是れ百王の易えざる大法を集むるなり。其の『春秋』を作るや、善なれば則ち之を取り、悪なれば則ち之を誅す。要も亦た是れ聖王の大法を闡明するのみ。だから伊川は引いて以て拠と為す。】後世は『春秋』を把りて史書と看て、過ぎず善を褒め悪を貶すのみと言う。経世の大法に至っては却って知らず。『春秋』の大義は数十条、其の義は大と雖も炳として日星のごとし。是れ易く見る。ただ其の微辞隠義(底本は「防辞隠義」とするが、「微辞」の誤り)・時に随い宜に措くの難知のみ。【或いは抑し或いは縦し、或いは与え或いは奪い、或いは進め或いは退け、或いは隠し或いは顕す(底本は「或防或顕」とするが、「或隠或顯」の誤り)。而も能く義理の安・文質の中・寛猛の宜・是非の公を得るは、才だ是れ事を制するの権衡・道を揆るの模範なり。『春秋』の大義は君を尊びて臣を卑しくし、仁義を貴びて功利を賤しくし、中国を正して夷狄を外にするの類。其の義は大と雖も炳として日星のごとし。其の見難きは、微辞隠義に在りて(底本は「防辞」)、各々其の時を以て宜に従い措く。深く時中に明らかならざる者に非ざれば、未だ窺見するに易からず。或いは功有りて抑え、或いは罪有りて宥す。或いは功未だ就らずして与え、或いは罪未だ著らずして奪う。或いは尊びて之を退け、或いは卑しくして之を進む。或いは其の辞を婉らかにし、或いは其の実を章らかにす。要は皆義理の安を得て各々其の則に当たり、文質の中にして華ならず俚ならず、寛猛の宜にして過と不及と無く、是非の公にして好を作し惡を作す有るなし。揆は度なり。権衡は一時の軽重を酌む。模範は万世の軌則を立つ。○朱熹は言う——『春秋』の大義は「宋の乱を成す」「宋災の故」の類のごとき、乃ち是れ聖人の直ちに誅貶を著くるなり。自ら是れ分明。胡氏が「晋侯」と書るは是れ常情を以て晋襄を待ち、「秦人」と書るは是れ王事を以て秦繆を待つと謂うの類のごときは、却って恐らくは必ずしも此のごとくならず。いわゆる微辞隠義・時措従宜の者の難知は、正に此の為なり。】百物を観て然る後に化工の神を識り、衆材を聚めて然る後に室を作るの用を知る。一事一義に於いて而も聖人の用心を窺わんと想うは、上智に非ざれば能わず。だから『春秋』を学ぶ者は必ず優游涵泳して黙識心通し、然る後に能く其の微に造る(底本は「造其防」とするが、「造其微」の誤り)。【聖人は義を精くして神に入り、泛く應じて曲く当たる。未だ以一端を以て窺測すべからず。だから『春秋』を学ぶ者は必ず優游して迫らず、涵泳して余り有り、心に悟り自ら得て、庶幾くして奥に深造せん(底本は「深造防奥」)。】後王は『春秋』の義を知れば、則ち徳は禹・湯に非ずと雖も、尚お以て三代の治に法る可し。秦以下より其の学は伝わらず。我は聖人の志の後世に明らかならざるを悼念す。だから伝を作して以て之を明らかにし、後の人をして其の文に通じて其の義を求め、其の意を得て其の用に法らしめば、則ち三代は復る可し。此の伝は未だ能く聖人の蘊奥を極めずと雖も、庶幾くして学者は其の門を得て入らん。【『文集』に出る。○其の文に通じて然る後に能く其の義を明らかにし、其の意を得て然る後に能く其の用に法る。】」
詩書載道之文春秋聖人之用詩書如藥方春秋如用藥治病聖人之用全在此書所謂不如載之行事深切著明者也【道非無用用無非廹然詩書即道而推於用主道而言故曰載道之文春秋即用以明道主用而言故曰聖人之用詩書如藥方固可以治病春秋如因病用藥是非得失尤為深切著明者也】有重疊言者如征伐盟防之類葢欲成書勢須如此不可事事各求異義但一字有異或上下文異則義須別【遺書下同】
程子曰く——「『詩』『書』は是れ道を載するの文、『春秋』は是れ聖人の用。『詩』『書』は薬方のごとく、『春秋』は薬を用いて病を治するがごとし。聖人の用は全く此の書に在り。いわゆる「之を行事に載するに如かず、深切にして著明なり」。【道は並びて用無きに非ず、用も亦た並びて別に逼出するに非ず。『詩』『書』は即ち道にして用に推す。道を主として言えば、だから道を載するの文と言う。『春秋』は即ち用にして以て道を明らかにす。用を主として言えば、だから聖人の用と言う。『詩』『書』は薬方のごとく、固より以て病を治す可し。『春秋』は病に因りて薬を用いるがごとき、是非得失は尤も深切にして著明なり。】重ね畳みて説く有るは、征伐・盟会の類のごとき(底本は「盟防」とするが、「盟会」の誤り)、是れ書を成さんと要して勢い須く此のごとくすべきに因る。事事各々異義を求むべからず。但し一字の異有り、或いは上下文異なれば、則ち義は須く別有るべし。【『遺書』に出る、以下同じ。】」
五經之有春秋猶法律之有防例也律令唯言其法至於防例則始見其法之用也【律令者立法以應事防例者因事以用法】學春秋亦善一句是一事是非便見於此此亦窮理之要然他經豈不可以窮理但他經論其義春秋因其行事是非較著故窮理為要【較判別也春秋一句為一事故是非易決又考其事蹟而是非易明故於窮理為要】甞語學者且先讀論語孟子更讀一經然後看春秋先識得個義理方可看春秋【更讀一經如下文所論中庸春秋雖於窮理為要然又須義理通明然後能察人事得失之機識聖人裁製之權】春秋以何為準無如中膺欲知中庸無如權須是時而為中若以手足腁胝閉戸不出二者之間取中便不是中若當手足腁胝則於此為中當閉戶不出則於此為中【春秋之權衡即中庸之時中也若於禹顔之間取中則當洪水之時不躬乎胼胝之勞在陋巷之時不安乎簞瓢之樂皆失乎時中矣】權之為言秤錘之義也何物為權義也時也只是説得到義義以上更難説在人自看如何【義者所以處時措之宜所謂權也義以上則聖人之妙用未易以言盡也】
程子曰く——「五経の『春秋』有るは、猶ほ法律の条例有るがごとし(底本は「防例」とするが、「条例」の誤り)。律令は只だ其の法を言う。条例に至りて才だ始めて其の法の用を見る。【律令は法を立てて以て事に應ず。条例は事に因りて以て法を用う。】『春秋』を学ぶも亦た好し——一句は是れ一事、是非は便ち此に見ゆ。此れ亦た是れ理を窮むるの要。然るに他経は豈に以て理を窮むる可からざらん。但し他経は其の義を論じ、『春秋』は其の行事に因る。是非は較著なり。だから理を窮むるを要と為す。【「較」は判別。『春秋』は一句を一事と為す。だから是非は決し易し。又た其の事跡を考えて是非明らかに易し。だから理を窮むるに於いて要と為す。】我は曽て学者に告げて曰く——且らく先に『論語』『孟子』を読み、再び一経を読み、然る後に『春秋』を看よ。先に箇の義理を識得して、才だ以て『春秋』を看る可し。【再び一経を読むとは、下文の論ずる所の『中庸』のごとし。『春秋』は理を窮むるに於いて要と雖も、然るに又た須く義理通明して、然る後に能く人事得失の幾を察し聖人の裁制の権を識るべし。】『春秋』は何を以て準と為す。『中庸』に如くは莫し(底本は「中膺」とするが、「中庸」の誤り)。『中庸』を知らんと欲するは、権に如くは莫し。須く是れ時にして中と為る。もし手足胼胝・閉戸不出の二者の間に於いて中を取れば、便ち是れ中に非ず。もし当に手足胼胝たれば則ち此に於いて中と為し、当に閉戸不出たれば則ち此に於いて中と為す。【『春秋』の権衡は即ち『中庸』の時中なり。もし禹・顔の間に於いて中を取れば、則ち洪水の時に当たりて胼胝の労に躬らざらず、陋巷の時に在りて簞瓢の楽に安んぜず。皆時中に失う。】権の言と為るや、秤錘の義なり。何の物をか権と為す。義なり、時なり。只是れ義に説き到る。義以上は更に説き難し。人に在りて自ら如何を看るのみ。【義は時に処り宜に措くの所以、いわゆる権なり。義以上は則ち聖人の妙用、未だ言を以て尽くすに易からず。】」
春秋傳為按經為防【本注程子又云某年二十時看春秋黃□偶問某如何看某答曰以傳考經之事蹟以經別傳之真偽】
程子曰く——「『春秋』は伝を案と為し経を断と為す(底本は「伝為按、経為防」とするが、「案」「断」の誤り)。【本注——程子また曰く——某が年二十の時『春秋』を看るに、黄氏(底本はこの字を缺く)偶々某に如何に看るかを問う。某答える——伝を以て経の事跡を考え、経を以て伝の真偽を別つ。】」
凡讀史不徒要記事蹟須要識其治亂安危興廢存亡之理且如讀髙帝紀便須識得漢家四百年終始治亂當如何是亦學也【觀髙祖寛大長者能用三傑則知漢所以得天下觀其入闗除秦苟法則知漢所以立四百年基業觀偽遊雲夢則知諸侯王次第而叛觀系蕭相國獄則知漢之大臣多不保終如此之類皆致知之方也】
程子曰く——「凡そ史を読むは徒らに事跡を記せんと要せず。須く其の治乱安危・興廃存亡の理を識るを要す。且つ高帝紀を読むがごとき、便ち須く漢家四百年の終始治乱は当に如何なるかを識得すべし。此れ亦た是れ学なり。【高祖を看れば是れ寛大長者にして能く三傑を用う。則ち漢の天下を得る所以を知る。其の関に入りて秦の苛法を除くを看れば、則ち漢の四百年の基業を立つる所以を知る。偽りて雲夢に游ぶを看れば、則ち諸侯王の次第にして叛くを知る。蕭相国を獄に繋ぐを看れば、則ち漢の大臣の多くは終を保たざるを知る。此のごときの類は、皆是れ知を致すの方なり。】」
先生每讀史到一半便掩卷思量料其成敗然後卻看有不合處又更精思其間多有幸而成不幸而敗今人只見成者便以為是貶者便以為非不知成者煞有不是敗者煞有是底
程子曰く——「先生は毎に史を読みて一半に到れば、便ち巻を掩い思量して其の成敗を料り、然る後に却って看る。合わざる処有れば又た更に精思す。其の間に多く幸にして成り不幸にして敗るる有り。今人は只だ成れる者を見れば便ち以て是と為し、敗れたる者を見れば便ち以て非と為す。知らず、成れる者は煞に是ならざる有り、敗れたる者は煞に是なる有るを。」
讀史須見聖賢所存治亂之機賢人君子出處進退便是格物【機謂治忽動於防防者】
程子曰く——「史を読むは須く聖賢の存する所の治乱の機・賢人君子の出処進退を見るべし。便ち是れ物を格るなり。【「機」は是れ治忽の几微に動くを言う(底本は「防防」)。】」
元祐中客有見伊川者几案間無他書惟印行唐鑑一部先生曰近方見此書三代以後無此議論【外書○範祖禹字淳夫按外書又云範淳夫甞與伊川論唐事及為唐鑑盡用先生之説先生謂門人曰淳夫乃能相信如此】橫渠先生曰序卦不可謂非聖人之蘊今欲安置一物猶求審處況聖人之於易其間雖無極至精義大槩皆有意思觀聖人之書須遍佈細宻如是大匠豈以一斧可知哉【橫渠易説】
元祐の間、客有りて伊川に見ゆ。几案の間に別の書なく、只だ一部の印行の『唐鑑』有り。先生曰く——「近来才だ此の書を見たり。三代以後は此のごとき議論なし。」【『外書』に出る。○范祖禹は字は淳夫。『外書』を按ずるに又た曰く——范淳夫は曽て伊川と与に唐の事を論じ、『唐鑑』を作るに及びて尽く先生の説を用いたり。先生は門人に対して曰く——淳夫は乃ち能く此のごとく相信せり。】横渠先生曰く——「『序卦』は聖人の蘊に非ずと謂う可からず。如今一件の物を安置せんと想うも還って審処を求む。況んや聖人の『易』に於けるをや。其の間は極至精義なしと雖も、大概皆意思有り。聖人の書を看るは須く遍布細密云るがごとくして、大匠は豈に能く一斧を以て知る可けんや。」【横渠『易説』に出る。】
天官之職須襟懷洪大方看得葢其規模至大若不得此心欲事事上致曲窮究湊合此心如是之大必不能得也【周建六官而天官冢宰統理邦國內外之政小大之事無所不總若非心量廣大何以包舉四海綜理百職今無此心量但欲毎事委曲窮究必不能周悉通貫之矣】釋氏錙銖天地可謂至大然不甞為大則為事不得若畀之一錢則必亂矣【釋氏論性極廣大然不可以理事其體用不相涉也如此】又曰太宰之職難看葢無許大心胷包羅記得此復忘彼其混混天下之事當如捕龍蛇摶虎豹用心力看方可其他五官便易看止一職也【語録下同】
程子曰く——「天官の職は須く襟懐洪大にして才だ看るを得。其の規模の至大なるに因る。もし此の心を得ざれば、事事の上に於いて曲を致し窮究し此の心の是のごとき大に凑合せんと想うとも、必ず能く得ざるなり。【周は六官を建てて天官冢宰は邦国内外の政を統理し、小大の事は総べざる所なし。もし心量広大ならざれば、何以を以て四海を包挙し百職を綜理せん。如今此の心量無くして、但だ毎事に委曲窮究せんと想うは、必ず能く周悉通貫せざるなり。】釋氏は天地を錙銖す。大なる至りと説く可し。然るに曽て真に大と為るなければ、則ち事を為すを得ず。もし之に一銭を給すれば則ち必ず乱る。【釋氏は性を論じて極めて広大。然るに以て事を理する可からず。其の体用の相渉らざるは便ち是れ此のごとし。】」又曰く——太宰の職は看難し。許大の心胸の包羅無きに因りて、此を記すれば便ち彼を忘る。其の天下の事に混混たるは、当に竜蛇を捕え虎豹を搏つがごとく、心力を用いて看て才だ可なり。其の他の五官は便ち看易し。只だ是れ一職。【『語録』に出る、以下同じ。】」
古人能知詩者惟孟子為其以意逆志也夫詩人之志至平易不必為艱嶮求之今以艱嶮求詩則已喪其本心何由見詩人之志【人情不相逺以己之意迎彼之志是為得之詩以感遇而發於人情之自然本為平易今以艱嶮之心求詩則已失吾心之自然矣而何以見詩人之心】詩人之情性溫厚平易老成本平地上道著言語今須以﨑嶇求之先其心已狹隘了則無由見得詩人之情本樂易只為時事拂著他樂易之性故以詩道其志【詩人之情性溫厚而無刻薄平易而無艱嶮老成而無輕躁若以崎嶇狹隘之心安能見詩人寛平廣大之意】
程子曰く——「古人の能く『詩』を知るは惟だ孟子のみ。其の意を以て志に逆うを以てなり。『詩』人の志は平易なる至り。必ずしも険峻を用いて去りて之を求めず。如今険峻を以て『詩』を求めば、則ち已に其の本心を喪う。何に由りてか詩人の志を見ん。【人情は相遠からず。己の意を以て彼の志を迎うれば、才だ是れ之を得。『詩』は感遇に因りて人情の自然に発す。本より平易と為る。如今険峻の心を以て『詩』を求めば、則ち已に吾が心の自然を失う。又た何以を以て詩人の心を見ん。】詩人の情性は温厚平易老成にして、本より是れ平地の上に於いて言語を道う。如今須く崎岖を以て之を求めば、先に其の心は已に狭隘なり。則ち由る無くして詩人の情を見るを得ず。本より是れ楽易。只だ時事の彼の楽易の性に拂うに因りて、だから『詩』を以て其の志を道う。【詩人の情性は温厚にして刻薄なく、平易にして険峻なく、老成にして軽躁なし。もし崎岖狭隘の心を以てせば、怎んぞ能く詩人の寛平広大の意を見ん。】」
尚書難看葢難得胷臆如此之大隻欲解義則無難也【朱子曰他書卻有次第尚書只合下便大如堯典克明峻徳以親九族至黎民於變時雍展開是大小大分命羲和定四時成嵗便是心中包一個三百六十五度四分度之一底天方見得恁地若不得一個大底心胷如何看得】
程子曰く——「『尚書』は看難し。胸臆を此のごとく大なるを得難きに因る。只だ義を解せんと想えば則ち難からず。【朱熹は言う——他書は却って次第有り。『尚書』は只だ合下に便ち大なり。『堯典』の「能く峻徳を明らかにし、以て九族を親しましむ」より「黎民変じて時雍なり」に至る、展開すれば是れ多么の大なり。羲和に分命して四時を定め歳を成すは、便ち是れ心中に一個の三百六十五度四分度之一の天を包む。才だ見得て此のごとし。もし一個の大なる心胸を得ざれば、如何に看るを得ん。】」
讀書少則無由考校得義精葢書以維持此心一時放下則一時徳性有懈讀書則此心常在不讀書則終看義理不見【讀書不多則見義不精然讀書者又所以維持此心使無放逸也故讀書則心存心存則理得】
程子曰く——「書を読むこと少なければ則ち由りて義を考校して精なるを得る無し。書は以て此の心を維持するに因る。一時放下すれば則ち一時徳性懈る有り。書を読めば則ち此の心は常に在り。書を読まざれば則ち終に義理を看るに見えず。【書を読むこと多からざれば則ち義を見ること精ならず。然るに書を読む者は又た此の心を維持して放逸無からしむる所以。だから書を読めば則ち心存り、心存れば則ち理得れり。】」
書須成誦精思多在夜中或靜坐得之不記則思不起但通貫得大原後書亦易記【朱子曰書須成誦少問不知不覺自然觸發曉得葢一段文義橫在心下自是放不得必曉得而後已今人所以記不得思不去心下若存若亡皆不精不熟之故也又曰橫渠作正防時或夜裡黙坐徹曉他直是恁地勇方做得】所以觀書者釋己之疑明己之未達每見每知新益則學進矣於不疑處有疑方是進矣【每見是書而每加新孟則學進矣然學固足以釋疑而學亦貴於有疑葢疑則能思思則能得於無疑而有疑則察理宻矣】
横渠先生は言う。「書は須く誦を成し思を精くすべし。多くは夜中或いは静坐に於いて之を得。記せざれば則ち思い起らず。但だ大原を通貫し得て後は、書も亦た記り易し。【朱熹は言う——書は須く誦を成すべし。少間すれば不知不覚に自然に触発して暁得す。一段の文義が心下に横たわるに因りて、自ら是れ放つを得ず。必ず暁得して後已む。今人の記するを得ず思い去らざる所以は、心下に存するがごとく亡するがごとき、皆是れ精ならず熟せざるの縁故なり。また曰く——横渠の『正蒙』を作る時(底本は「正防」)、或いは夜裏に黙坐して暁に徹す。彼は直ちに是れ此のごとく勇なり。才だ做り得たり。】だから書を観る者は、是れ己の疑を解釋し己の未達を明白にするなり。見る毎に新益を知れば(底本は「新孟」とするが、「新益」の誤り)、則ち学は進めり。疑わざる処に於いて疑有るは、才だ是れ進めり。【見る毎に是れ書にして毎に新益を加えば(底本は「新孟」とするが、「新益」の誤り)、則ち学は進めり。然るに学は固より以て疑を釋くに足り、而も学も亦た疑有るを貴ぶ。疑有れば則ち能く思い、思えば則ち能く得。疑無きに於いて而も疑有れば、則ち理を察すること密なり。】」
六經須循環理防義理盡無窮待自家長得一格則又見得別
横渠先生は言う。「六経は須く循環して理会すべし(底本は「理防」)。義理は尽きて無窮。自家の長じて一格に到るを待てば、則ち又た別を見るを得。」
如中庸文字輩直須句句理防過使其言互相發明春秋之書在古無有乃仲尼所自作惟孟子能知之非理明義精殆未可學先儒未及此而治之故其説多鑿【孟子論春秋皆發明聖人之大旨舉春秋之綱領後人未及於理明義精而揣摩臆決故其説多鑿】
横渠先生は言う。「『中庸』の文字輩のごとき、直ちに須く句句理会し過ぐべし(底本は「理防」)。其の言をして互相に発明せしむ。『春秋』の書は古に於いて有る無し。乃ち仲尼の自ら作る所。惟だ孟子のみ能く之を知る。理明らかに義精ならざれば、殆ど未だ学ぶ可からず。先儒は此に及ばずして之を治む。だから其の説は多く鑿なり。【孟子の『春秋』を論ずるは皆聖人の大旨を発明し『春秋』の綱領を挙ぐ。后人は理明らかに義精なるに及ばずして揣摩臆決す。だから其の説は多く鑿なり。】」
近思錄卷三
近思録巻三
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思録卷四宋朱子呂祖謙同編
近思録巻四 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
存養【凡七十條】
存養【凡そ七十条】
此卷論存養葢窮格之雖至而涵養之不足則其知將日昏而亦何以為力行之地哉故存養之功實貫乎知行而此卷之編列乎二者之間也
この巻は存養を論ず。窮格の功は至ると雖も、而も涵養足らざれば、則ち其の知は将に日に昏くならんとす。又た何以を以て力行の地と為さん。だから存養の功は実に知行に貫りて、而も此の巻の編列は二者の間に在り。
或問聖可學乎濂溪先生曰可有要乎曰有請問焉曰一為要一者無慾也無慾則靜虛動直靜虛則明明則通動直則公公則溥明通公溥庶矣乎【通書○一者統一而不雜也湛然無慾心乃純一靜而所存者一人慾消盡故虛虛則生明而能通天下之理動而所存者一天理流行故直直則大公而能周天下之務動靜惟一明通公溥庶防作聖之功用○朱子曰此章之旨最為要切學者能深玩而力行之則有以知無極之真兩儀四象之本皆不外乎此心而曰用間自無別用力處矣】
或いは問う——聖は学ぶ可きか。濂渓先生曰く——「可なり。」要領有るか。曰く——「有り。」請うて問う。曰く——「一を要と為す。一はすなわち無欲。無欲なれば則ち静にして虚、動にして直。静虚なれば則ち明らかに、明らかなれば則ち通ず。動直なれば則ち公、公なれば則ち溥。明通公溥、庶幾かな。【『通書』に出る。○一は統一して雑らず。湛然として欲無ければ、心才だ純一なり。静にして存する所は一なれば、人欲消尽すゆえに虚、虚なれば則ち明を生じて能く天下の理に通ず。動にして存する所は一なれば、天理流行すゆえに直、直なれば則ち大公にして能く天下の務に周し。動静は惟だ一、明通公溥、庶幾(底本は「庶防」)聖を作るの功用。○朱熹は言う——此の章の旨は最も要切なり。学者能く深く玩びて力を行えば、則ち以て無極の真・両儀四象の本を知る有り。皆此の心に外ならずして、而も日用の間に自ら別の用力の処なし。】」
伊川先生曰陽始生甚防安靜而後能長故復之象曰先王以至日閉闗【易傳下同○朱子曰一陽初復陽氣甚防不可勞動故當安靜以養防陽如人善端方萌正欲靜以養之方能盛大○愚謂天人之氣流通無間至日閉闗財成輔相之道於是見矣】動息節宣以養生也飲食衣服以養形也威儀行義以養徳也推己及物以養人也【頣卦傳威儀見於容貎行義著於事葉】慎言語以養其徳節飲食以養其體事之至近而所繫至大者莫過於言語飲食也【頤卦象傳言語不謹則敗徳飲食無度則病身】震驚百里不喪匕鬯臨大震懼能安而不自失者惟誠敬而已此處震之道也【震卦彖傳七以載實鬯秬酒也雷震驚百里可謂震矣而奉祀者不失其匕鬯誠敬盡於祀事則雖震而不為驚也是知君子當大患難大恐懼處之安而不自失者惟存誠篤至中有所主則威震不足以動之矣】
伊川先生は言う。「陽の始めて生ずるは甚だ微なり(底本は「甚防」)。安静して後に能く長ず。だから『復』の象は曰く——「先王は至日に於いて関を閉ず」。【『易伝』に出る、以下同じ。○朱熹は言う——一陽初めて復る、陽気は甚だ微なり(底本は「甚防」)。労動すべからず。だから当に安静にして以て微陽を養うべし(底本は「養防陽」)。人の善端方に萌るがごとき、正に静にして以て之を養わんと欲す。方に能く盛大ならん。○葉采按——天人の気は流通して間なし。至日に関を閉ずは、財成輔相の道は是に於いて見ゆ。】動息節宣して以て生を養い、飲食衣服して以て形を養い、威儀行義して以て徳を養い、己を推して物に及ぼして以て人を養う。【『頤』卦伝。威儀は容貌に見え、行義は事為に著る(底本は「事葉」とするが、「事為」の誤り)。】言語を慎みて以て其の徳を養い、飲食を節して以て其の体を養う。事の近き至りて而も繋る所の大なる至りは、言語飲食より過ぐるは莫し。【『頤』卦象伝。言語を謹まざれば則ち徳を敗り、飲食度無ければ則ち身を病む。】百里を震惊すとも、匕鬯を喪わず。大震懼に臨みて能く安んじて自ら失わざるは、惟だ誠敬のみ。これは震に処るの道。【『震』卦彖伝。匕は以て牲実を載す(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)、鬯は是れ秬酒。雷は百里を震惊すと言う可きも、而も祀を奉ずる者は其の匕鬯を失わず——誠敬は祀事に尽きれば、則ち震と雖も驚と為らず。此に由りて君子が大患難・大恐惧に当たり、之に処りて安んじて自ら失わざるは、惟だ誠を存すること篤至にして中に主する所有れば、則ち威震は以て之を動かすに足らずを知る。】」
人之所以不能安其止者動於欲也欲牽於前而求其止不可得也故艮之道當艮其背所見者在前而背乃背之是所不見也止於所不見則無慾以亂其心而止乃安【艮卦彖傳不見可欲則心不亂然非屏視聴也葢不牽於欲則無私邪之見耳○朱子曰即非禮勿視聴言動之意】不獲其身不見其身也謂忘我也無我則止矣不能無我無可止之道【朱子曰外既無非禮之視聴言動則內自不見有私己之慾矣】行其庭不見其人庭除之間至近也在背則雖至近不見謂不交於物也【不交於物非絶物也亦謂中有所主不誘於外物之交也○朱子曰奸聲亂色不留聰明淫樂慝禮不接心術惰慢邪僻之氣不設於身體是也】外物不接內欲不萌如是而止乃得止之道於止為無咎也【內欲不萌不獲其身也外物不接不見其人也人已兩忘內外各定是動靜之間各得其所止何咎之有】
伊川先生は言う。「人の其の止に安んずる能わざる所以は、欲に動かされるなり。欲は前に牵われて其の止を求むるは、得る可からず。だから『艮』の道は当に其の背を艮すべし——見る所は前に在り、而も背は乃ち之に背く。是れ見ざる所。見ざる所に止まれば、則ち欲無くして以て其の心を乱さず、而も止は乃ち安んず。【『艮』卦彖伝。欲すべきを見ざれば則ち心乱れず。然るに是れ視聴を屏するに非ず。是れ欲に牵われざれば則ち私邪の見なし。○朱熹は言う——即ち礼に非ざれば視聴言動せずの意なり。】其の身を獲ずとは、是れ其の身を見ざるなり。我を忘るるを言う。我無ければ則ち止れり。能く我無くせざれば、止むべきの道無し。【朱熹は言う——外すでに非礼の視聴言動なければ、則ち内は自ら私己の欲有るを見ず。】其の庭に行きて其の人を見ず——庭除の間は至近。背に在れば則ち至近と雖も見えず。是れ物と交わらざるを言う。【物と交わらざるは絶物に非ず。亦た是れ中に主する所有りて外物の交に誘われざるを言う。○朱熹は言う——奸声乱色は聡明に留まらず、淫楽慝礼は心術に接せず、惰慢邪僻の気は身体に設けず。便ち是れ此れ。】外物接せず内欲萌えず、是のごとくして止れば、乃ち止の道を得。止に於いて咎無し。【内欲萌えざるは其の身を獲ず、外物接せざるは其の人を見ず。人己両忘して内外各々定まる。是れ動静の間に各々其の止まる所を得。何の咎か之れ有らん。】」
明道先生曰若不能存養只是説話【遺書下同○徒事問辨而不加存養口耳之學也】
明道先生は言う。「もし能く存養せざれば、只是れ説話。【『遺書』に出る、以下同じ。○徒らに問弁に事えて而も存養を加えざるは、是れ口耳の学。】」
聖賢千言萬語只是欲人將已放之心約之使反覆入身來自能尋向上去下學而上達也【聖賢垂訓多端求其指歸則不過欲存此心而己心不外馳則學問日進於髙明矣○朱子曰孟子求放心乃開示要切之言程子又發明之曲盡其防學者宜服膺而勿失也】
明道先生は言う。「聖賢の千言万語は、只是れ人をして已に放れたるの心を約して之を反復して身に入れ来たらしめんと欲す。自ら能く向かい上るを尋ね、下学して上達す。【聖賢の垂訓は多端。其の指帰を求めれば則ち過ぎず此の心を存せんと欲するのみ。心は外に馳せざれば、則ち学問は日に高明に進む。○朱熹は言う——孟子の放心を求むるは、乃ち要切の言を開示す。程子は又た之を発明して、曲げて其の微を尽くす(底本は「曲尽其防」)。学者は宜しく服膺して失う勿かるべし。】」
李龥問每常遇事即能知操存之意無事時如何存養得熟明道曰古之人耳之於樂目之於禮左右起居盤盂几杖有銘有戒動息皆有所養今皆廢此獨有理義之養心耳但存此涵養意久則自熟矣敬以直內是涵養意【李龥字端伯程子門人也義理養心本兼動靜但此答無事時如何存養得熟故曰但存涵養意久則自熟敬則心存於中無所越逸即涵養之意】
李籲が問う——毎に常に事に遇えば即ち能く操存の意を知る。事無き時は如何に存養して熟を得ん。明道曰く——「古の人は、耳は楽に於いて、目は礼に於いて、左右起居、盤盂几杖、銘有り戒有り、動息皆養う所有り。今は皆此を廃す。独り義理の心を養う有るのみ。但だ此の涵養の意を存せば、久しければ則ち自ら熟す。敬を以て内を直くすは、是れ涵養の意。」【李籲は字は端伯、程子の門人。義理の心を養うは本より動静を兼ぬ。但だ此は事無き時に如何に存養して熟を得んかを答うるなり。だから但だ涵養の意を存して久しければ則ち自ら熟すと言う。敬なれば則ち心は中に存して越逸する所なし。即ち涵養の意なり。】
呂與叔甞言患思慮多不能驅除明道曰此正如破屋中御宼東面一人來未逐得西面又一人至矣左右前後驅逐不暇葢其四面空疎盜固易入無縁作得主定又如虛器入水水自然入若以一器實之以水置之水中水何能入來葢中有主則實實則外患不能入自然無事【誠存則邪自閒矣】
呂与叔は曽て思慮多くして駆除する能わざるを患うと言う。明道曰く——「これは正に破屋の中に於いて寇を禦ぐがごとし——東面より一人来たりて未だ逐い得ざれば、西面に又た一人至れり。左右前后に駆逐して暇無し。四面空疎なるに因りて、盗は固より入り易し。主を作して定まる由无し。又た虚器の水に入るがごとし。水は自然に入る。もし一器を以て之に水を実して、之を水中に置かば、水は何ぞ能く入り来たらん。中に主有れば則ち実、実なれば則ち外患は能く入らず。自然に事なし。」【誠存れば則ち邪は自ら閑なれり。】
邢和叔言五曹常須愛養精力精力稍不足則倦所臨事皆勉強而無誠意接賓客語言尚可見況臨大事乎【邢恕字和叔】
邢和叔曰く——吾曹は(底本は「五曹」とするが、「吾曹」の誤り)常に須く精力を愛養すべし。精力稍々足らざれば則ち倦み、臨む所の事は皆勉強にして誠意無し。賓客に接して言語するは尚お見る可し。況んや大事に臨むをや。【邢恕は字は和叔。】
明道先生曰學者全體此心學雖未盡若事物之來不可不應但隨分限應之雖不中不逺矣【體猶體幹全體謂全主宰以為應酬之本心存而理得雖有不中於理亦不逺矣】
明道先生は言う。「学者は此の心を全体せよ。学は未だ尽くさずと雖も、もし事物の来たるに應ぜざる可からざれば、但だ分限に随いて之に應ず。中らずと雖も遠からず。【「体」は猶ほ体干のごとし。全体とは其の主宰を全うして以て應酬の本と為すを言う。心存りて理得れば、理に中らざる有ると雖も亦た遠からず。】」
居處恭執事敬與人忠此是徹上徹下語聖人元無二語【説見論語○恭者敬之形於外者也平居之時齋荘嚴肅儼然於容貎而已及夫執事而敬主於事與人而忠推於人自始學以至成徳皆不外此但勉強與安行之異耳】
程子曰く——「居処は恭、事を執るは敬、人と与するは忠。これは上を徹し下を徹するの話。聖人は元より二語無し。【説は『論語』に見る。○恭は敬の外に形るるなり。平居の時は斎荘厳粛にして儼然として容貌に在るのみ。事を執るに及びて敬は、事に主す。人と与して忠は、人に推す。始学より以て徳を成すに至るまで皆此に外ならず。只是れ勉強と安行との分別。】」
伊川先生曰學者須敬守此心不可急迫當栽培深厚涵泳於其間然後可以自得但急迫求之只是私己終不足以達道【養心莫善於持敬然不可執持太迫反成私意於道卻有礙】
伊川先生は言う。「学者は須く敬して此の心を守り、急迫する可からず。当に栽培深厚にして其の間に涵泳し、然る後に以て自ら得る可し。但だ急迫して之を求むれば、只是れ私己にして、終に以て道に達するに足らず。【心を養うに敬を持するより善きは莫し。然るに執持するに太迫なる可からず。反って私意を成し、道に於いて却って碍有り。】」
明道先生曰思無邪毋不敬只此二句循而行之安得有差有差者皆由不敬不正也【詩魯頌曰思無邪曲禮曰毋不敬心存乎中而邪念不作則見之所行自無差失○朱子曰思無邪是心正意誠毋不敬是正心誠意】
明道先生は言う。「『思邪無し』『毋不敬』——只だ此の二句に循って之を行えば、怎んぞ会して差有らん。差有るは皆敬せず正しからざるに由る。【『詩・魯頌』に思邪無しと言い、『曲礼』に毋不敬と言う。心は中に存して邪念作さざれば、則ち見る所の行いは自ら差失無し。○朱熹は言う——思邪無しは心正しく意誠なり、毋不敬は心を正しくし意を誠にするなり。】」
今學者敬而不自得又不安者只是心生【持敬而無自得之意又為之不安者但存心未熟之故】亦是太以敬來做事得重此恭而無禮則勞也恭者私為恭之恭也禮者非體之禮是自然底道理也只恭而不為自然底道理故不自在也須是恭而安【作意太過勉強以為恭而不知禮本自然是以勞而不安也私為恭者作意以為恭而非其公行者也非體之禮謂非升降揖遜之儀鋪筵設幾之文葢自然安順之理】今容貎必端言語必正者非是道獨善其身要人道如何只是天理合如此本無私意只是個循理而已【私意謂矯飾作為之意循理則順乎自然盡乎當然何不安之有】
明道先生は言う。「如今学者は敬して而も自ら得ず又た安ならざるは、只是れ心生なり。【敬を持して自ら得るの意無く又た之が為に安ならざるは、只是れ心を存すること未だ熟せざるの縁故。】亦た太だ敬を以て事を為して重きを得るは、此れすなわち恭して礼無ければ則ち労なり。恭は私に恭を為すの恭、礼は儀体の礼に非ず。是れ自然の道理。只だ恭して而も自然の道理を為さざれば、自ら在れざる所以。須く是れ恭にして安なるべし。【意を作すこと太だ過ぎ、勉強して以て恭を為して、而も礼は本より自然なるを知らず。だから労して安ならず。私に恭を為すは意を作して以て恭を為して其の公行に非ず。体に非ざるの礼とは、是れ升降揖遜の儀・筵を鋪き几を設くるの文に非ずして、而も自然安順の理なるを言う。】如今容貌は必ず端、言語は必ず正。是れ独善其身を要し人をして如何と言わしめんと要するに非ず。只是れ天理は合して此のごとく、本より私意無し。只是れ箇の理に循るのみ。【私意は矯飾作為の意。理に循れば則ち自然に順い当然に尽くして、何の安ならざるか之れ有らん。】」
今志於義理而心不安樂者何也此則正是剩一個助之長雖則心操之則存舍之則亡然而持之太甚便是必有事焉而正之也亦須且恁去【有志問學而作意太迫則有助長欲速之患○朱子曰正預期也春秋傳曰戰不正勝是也説見孟子】如此者只是徳孤徳不孤必有鄰到徳盛後自無窒礙左右逢其原也【孤謂寡特而無輔也涵養未充義理單薄故無自得之意及徳盛而不孤則胷中無滯礙左右逢其原沛然有餘裕又何不安樂之有】
明道先生は言う。「如今義理に志して而も心安楽せざるは、為に何ん。此れ正に是れ一個の之を助け長するを剩えたり。則ち心は之を操すれば則ち存し之を舎れば則ち亡ぶと雖も、然るに之を持するに太甚なれば、便ち是れ必ず事有りて而も之を正せんとす。亦た須く且く恁く去るべし。【学を問う志有りて意を作すこと太だ迫れば、則ち長を助け速を欲するの患有り。○朱熹は言う——「正」は預期。『春秋伝』に「戦いて正ならざれば勝たず」と言うは就きて是れ。説は『孟子』に見る。】此のごときのは只是れ徳孤なり。徳は孤ならず必ず隣有り。徳の盛なる後に到れば自ら窒碍無く、左右して其の原に逢う。【「孤」は寡特にして輔無し。涵養未だ充たず義理単薄なり。だから自ら得るの意無し。徳の盛んにして孤ならざるに及べば、則ち胸中に滞碍無く、左右して其の原に逢い、沛然として余裕有り。又何の安楽ならざるか之れ有らん。】」
敬而無失便是喜怒哀樂未發謂之中敬不可謂中但敬而無失即所以中也【此言靜而主敬事物未交心主乎敬不偏不倚即所謂未發之中敬非中敬所以養其中也】
程子曰く——「敬して失無ければ、便ち是れ喜怒哀楽未発の中と謂う。敬は中と謂う可からず。但し敬して失無きは即ち中と為す所以。【これは静にして敬を主とするを言う——事物未だ交わらず、心は敬に主り、偏らず倚らず。即ちいわゆる未発の中。敬は是れ中に非ず。敬は其の中を養う所以なり。】」
伊川先生曰司馬子防甞作坐忘論是所謂坐馳也【司馬承楨字子防唐天寳中隠居於天台之赤城甞著論八篇言清淨無為坐忘遺照之道按程子又曰有忘之心乃是馳也】
伊川先生は言う。「司馬子微(底本は「子防」)は曽て『坐忘論』を作れり。此れすなわちいわゆる坐馳。【司馬承禎は字は子微(底本は「子防」)。唐の天宝の中に天台の赤城に隠居し、曽て論八篇を著わして、清浄無為・坐忘遺照の道を言う。程子に按ずるに又た曰く——忘有るの心は乃ち是れ馳なり。】」
伯淳昔在長安倉中閒坐見長廊柱以意數之已尚不疑再數之不合不免令人一一聲言數之乃與初數者無差則知越著心把捉越不定【著意把捉則心已為之動故愈差】明道先生曰人心作主不定正如一個翻車流轉動揺無須臾停所感萬端若不做一個主怎生奈何張天祺昔甞言自約數年自上著床便不得思量事不思量事後須強把他這心來制縛亦須寄寓在一個形象皆非自然君實自謂吾得術矣只管念箇中字此又為中所繫且中有何形象【張戩字天祺欲強絶思慮然心無安頓處司馬溫公欲寓此心於中字亦未免有所繫著○朱子曰譬如人家不自作主卻請別人來作主】有人胷中常若有兩人焉欲為善如有惡以為之間欲為不善又若有羞惡之心者本無二人此正交戰之驗也持其志使氣不能亂此大可驗要之聖賢必不害心疾【此言應事處有善惡交戰之患亦是心無所主故也苟能持守其志不為氣所勝則所主者定何有紛紜】
明道先生は言う。「伯淳は昔長安の倉中に於いて閑坐し、長廊の柱を見て、意を以て之を数え、已に尚お疑わず。再び之を数えて合わず、人をして一々声を言い之を数えしめざるを免れず。乃ち初めの数うる者と差無し。則ち心を着け把捉するに越えて定まらざるを知る。【意を着けて把捉すれば則ち心已に之が為に動く。だから愈々差る。】人心の主を作して定まらざるは、正に一個の翻車のごとく、流転動揺して須臾の停も無く、感ずる所は万端。もし一個の主を做らざれば、怎生ぞ奈何せん。張天祺は曽て自ら数年を約し、床に上るより上は事を思量するを得ずと言う。事を思量せざる後に須く彼の此の心を把りて制縛するを強いて、亦た須く一個の形象に寄寓すべし。皆自然に非ず。君実は自ら謂いて吾は術を得たりと。只管に箇の「中」の字を念ず。此れ又た「中」の為に繋絆せらる(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。且つ「中」は何の形象か有らん。【張戩は字は天祺。強いて思慮を絶たんと欲す。然るに心に安頓の処無し。司馬温公は此の心を「中」の字に寓せんと欲す。亦た未だ系着する所有るを免れず。○朱熹は言う——譬えば人家が自ら主を作さずして、却って別人を請うて来りて主を作さしむるがごとし。】人の胸中に常に両人のごとき有るは——善を為さんと欲すれば、悪有るがごとく以て之を間と為す。不善を為さんと欲すれば、又た羞悪の心有るがごとし。本より両人無し。此れ正に是れ交戦の験。其の志を持して気の乱る能わざらしめば、此れ大いに験す可し。之を要するに聖賢は必ず心疾を害せず。【これは事に應ずる処に善悪交戦の患有るを言う。亦た是れ心に主無きの縁故。もし能く其の志を持守して気の勝つ所と為らざれば、則ち主る所は定まり、何の紛紜か之れ有らん。】」
某寫字時甚敬非是要字好只此是學【篤於持敬無往非學】伊川先生曰聖人不記事所以常記得今人忘事以其記事不能記事處事不精皆出於養之不完固【聖人無心記事故其心虛明自然常記今人著心強記故其心紛擾愈不能記然記事不能與處事不精二者又皆出於所養不厚則明徳曰昏故已往者不能記方來者不能察也】
明道先生は言う。「某が字を写る時は甚だ敬す。是れ字の好きを要するに非ず。只だ此れ是れ学。【敬を持すること篤ければ、往くに非ざる学なし。】」伊川先生は言う。「聖人は事を記せず。だから常に記得す。今人は事を忘る。事を記するに因る。能く事を記せず事に処して精ならざるは、皆之を養うの完固ならざるに出づ。【聖人は事を記するの心無し。だから其の心は虚明にして自然に常に記す。今人は心を着けて強いて記す。だから其の心は紛擾して愈々能く記せず。然るに事を記する能わざると事に処して精ならざるとの二者は、又た皆養う所の厚からざれば則ち明徳は日に昏く、だから已往のは能く記せず方来のは能く察せざるに出づ。】」
明道先生在澶州日修橋少一長梁曽博求之民間後因出入見林木之佳者必起計度之心因語以戒學者心不可有一事【或問凡事須思而後通朱子曰事如何不思但事過則不留於心可也】伊川先生曰入道莫如敬未有能致知而不在敬者【非敬則心昏雜理有不能察而知有不能致】今人主心不定視心如宼賊而不可制不是事累心乃是心累事當知天下無一物是合少得者不可惡也【事至當應初何為累顧心無所主不能定應反累事耳】
明道先生は澶州に在る時、橋を修め、一の長梁を少とし、曽て民間に於いて博く求めたり。後に因りて出入して林木の佳なる者を見れば必ず計度の心を起す。因りて学者に告誡す——心は以て一事有る可からず。【或いは問う——凡そ事は須く思いて後に通ずべし。朱熹は言う——事は如何に思わざらん。但だ事過ぐれば則ち心に留まらざれば則ち可なり。】」伊川先生は言う。「道に入るは敬に如くは莫し。未だ能く知を致して敬に在らざる有らず。【敬に非ざれば則ち心は昏雑にして、理は察する能わざる有りて知は致す能わざる有り。】今人は心に主立てて定まらず。心を視ること寇賊のごとくして制する可からず。是れ事の心に累するに非ず、乃ち是れ心の事に累するなり。当に天下に一物の少く得るに合する無きを知るべし。悪む可からず。【事至りて当に應ずべし。初め何をか累と為さん。只是れ心に主無き所無くして能く定めて應ぜず、反って事に累す。】」
人只有一個天理卻不能存得更做甚人也【人之所以靈於萬物者特以全其天理而已】
程子曰く——「人は只だ一個の天理有り。却って能く存し得ず。更に何の人をか做さん。【人の万物に霊なる所以は、特に其の天理を全うするを以てのみ。】」
人多思慮不能自寜只是做他心主不定要作得心主定惟是止於事為人君止於仁之類如舜之誅四凶四凶已作惡舜從而誅之舜何與焉【止者事物當然之則如大學為人君止於仁之類人之應事能止所當止則亦無思慮紛擾之患矣舜誅四凶惡在四凶自應殛舜何與焉】人不止於事只是攬他事不能使物各付物物各付物則是役物為物所役則是役於物有物必有則須是止於事【以上並伊川語○應事而不止其所當止是以一己之私智攬他事而不能物各付物者也所謂物各付物者物來而應不過其則物往而化不滯其跡是則役物而不為物所役】
伊川先生は言う。「人の思慮多くして自ら寧んずる能わざるは、只是れ他の心主を作して定まらず。心主を作し得て定まらんと要するは、惟だ是れ事に止まるなり。人君と為りて仁に止まるの類のごとし。舜の四凶を誅するがごとき——四凶は已に悪を作し、舜は従りて之を誅す。舜は何ぞ与らん。【「止」は是れ事物の当然の則。『大学』の人君と為りて仁に止まるの類のごとし。人の事に應ずるは能く当に止まる所に止まれば、則ち亦た思慮紛擾の患無し。舜が四凶を誅するは、悪は四凶に在りて自ら誅殛すべし(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。舜は何ぞ与らん。】人は事に止まらず、只是れ他の事を攬りて、能く物をして各々物に付せしめず。物各々物に付すれば則ち是れ物を役す。物の役する所と為れば則ち是れ物に役せらる。物有れば必ず則有り。須く是れ事に止まるべし。【以上は並びに伊川の語。○事に應じて其の当に止まる所に止まらざるは、是れ一己の私智を以て他の事を攬りて能く物を各々物に付せず。いわゆる物各々物に付す——物来たりて之に應じ其の則を過ぎず、物往きて化し其の迹に滞らず。是れ則ち物を役して而も物の役する所と為らざるなり。】」
不能動人只是誠不至於事厭倦皆是無誠處【誠實懇至則人無不感遇事有一毫厭倦之意則是不誠】
程子曰く——「能く人を動かさざるは、只是れ誠至らず。事に於いて厭倦するは、皆是れ誠無き処。【誠実懇至なれば則ち人は感ぜざるなし。事に遇うて一毫の厭倦の意有れば、則ち是れ不誠なり。】」
靜後見萬物自然皆有春意【明道先生詩曰萬物靜觀皆自得四時佳興與人同胷中躁擾詎識此意】
程子曰く——「静の後に万物を見れば自然に皆春意有り。【明道先生の詩に曰く——万物は静観すれば皆自ら得。四時の佳興は人と同じ。胸中躁擾せん、豈に此の意を識らんや。】」
孔子言仁只説出門如見大賓使民如承大祭看其氣象便須心廣體胖動容周旋中禮自然惟慎獨便是守之之法【胖安舒也仲弓問仁子曰出門如見大賓使民如承大祭無非敬謹之意然玩其氣象則必心無隠慝而廣大寛平體無怠肆而安和舒防充其至則動容周旋自然中禮者也學者守之則唯在謹獨蓋隠防之中常存敬謹之意則出門使民之際乃能及此】聖人脩己以敬以安百姓篤恭而天下平惟上下一於恭敬則天地自位萬物自育氣無不和四靈何有不至此體信達順之道【子路問君子子曰脩已以敬曰如斯而已乎曰脩己以安百姓中庸曰君子篤恭而天下平自其敬以脩己充而廣之則政理清明而百姓安風化廣被而天下平葢惟上下孚感一於恭敬舉無乖爭凌犯之風和氣薫蒸自然隂陽順軌萬物遂宜禮運曰鳯凰麒麟皆在郊藪龍在宮沼所謂四靈畢至也人曰體信以達順朱子曰信是實理順是和氣體信是無一毫之偽達順是發而皆中節無一物不得其所】聰明睿智皆由是出以此事天饗帝【敬則心專靜而不昏故明睿生推此敬可以事天饗帝天以理言故曰事動靜語黙無非事也帝以主宰言故曰饗如郊祀之類○朱子曰聰明睿智皆由是出非程子實因持敬而見其效何以語及此】
程子曰く——「孔子は仁を言うに、只だ門を出ずれば大賓を見るがごとく民を使うは大祭を承るがごとしと説く。其の気象を看れば、便ち須く心広く体胖やかにして、動容周旋して礼に中り、自然に此のごとくなるべし。惟だ独を慎むは便ち是れ之を守るの法。【「胖」は安舒。仲弓が仁を問うに、孔子は門を出ずれば大賓を見るがごとく民を使うは大祭を承るがごとしと説く。敬謹の意に非ざるなし。然るに其の気象を玩べば、則ち必ず心に隠慝無くして広大寛平に、体に怠肆無くして安和舒泰(底本は「舒防」)。其の至るに充てれば則ち動容周旋して自然に礼に中る。学者の之を守るは則ち唯だ独を謹むに在り——隠微(底本は「隠防」)の中に常に敬謹の意を存せば、則ち門を出で民を使うの際に乃ち能く此に及ぶ。】聖人は己を修むるに敬を以てし以て百姓を安んじ、恭を篤くして而も天下平らぐ。惟だ上下は恭敬に一にすれば、則ち天地自ら位し万物自ら育ち、気は和ならざる無く、四霊は何の至らざるか有らん。これは信を体して順に達するの道。【子路が君子を問うに、孔子は己を修むるに敬を以てすと説く。斯くのごとくのみかと問えば、己を修めて以て百姓を安んずと説く。『中庸』は君子は恭を篤くして天下平らぐと説く。其の敬を以て己を修むるより、充ねて之を広くすれば、則ち政理清明にして百姓安んじ、風化広く被して天下平らぐ。上下は孚感して恭敬に一にするに因りて、挙げて乖争凌犯の風無く、和気薫蒸して、自然に陰陽は軌に順い万物は宜に遂う。『礼運』は鳳凰麒麟は皆郊藪に在り、亀(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)龍は宮沼に在ると言う。いわゆる四霊畢至。人は曰く信を体して以て順に達す。朱熹は言う——信は是れ実理、順は是れ和気。体信は一毫の偽無きなり、達順は発して皆節に中り一物も其の所を得ざるなし。】聡明叡智は皆是れ由りて出づ。此を以て天に事え帝を饗す。【敬なれば則ち心は専ら静にして昏からず。だから明叡生ず。此の敬を推して以て天に事え帝を饗する可し。天は理を以て言う。だから「事」と言う——動静語黙は事に非ざるなし。帝は主宰を以て言う。だから「饗」と言う——郊祀の類のごとし。○朱熹は言う——聡明叡智は皆是れ由りて出づ。程子は実に敬を持するに因りて其の効を見るに非ざれば、何以を以て此に語らんや。】」
存養熟後泰然行將去便有進【所養厚則行有餘力】
程子曰く——「存養熟したる後、泰然として行き将に去れば、便ち進有り。【養う所厚ければ則ち行うに余力有り。】」
不愧屋漏則心安而體舒【屋漏者室之西北隅謂隠暗之地也隠暗之地自反無愧則心安體舒此謹獨之效】
程子曰く——「屋漏に愧じなければ、則ち心安くして体舒か。【屋漏は室の西北隅。隠暗の地を言う。隠暗の地に自ら反りて愧る無ければ、則ち心安く体舒か。これは独を謹むの効。】」
心要在腔子裡【腔子猶所謂神明之舍在腔子裡謂心不外馳也】
程子曰く——「心は要して腔子の裏に在らん。【腔子は猶ほいわゆる神明の舎のごとし。腔子の裏に在るとは心の外に馳せざるを言う。】」
只外面有些隙罅便走了
程子曰く——「只だ外面に些の隙罅有れば便ち走り去れり。」
人心常要活則周流無窮而不滯於一隅【心常存則常活葢隨事應酬心常在我無將無迎故常活而無滯】
程子曰く——「人心は常に要して活ならん。則ち周流して無窮にして一隅に滞らず。【心常に存れば則ち常に活なり。事に随いて應酬し、心常に我に在りて、将る無く迎うる無し。だから常に活にして滞る無し。】」
明道先生曰天地設位而易行乎其中只是敬也敬則無間防【朱子曰天地亦是有個主宰方始恁地變易無窮就人心言之惟敬然後流行不息敬才間防便是不誠無物也】
明道先生は言う。「天地は位を設けて易は其の中に行わる。只是れ敬。敬なれば則ち間断無し(底本は「間防」)。【朱熹は言う——天地も亦た是れ箇の主宰有りて、方に始めて恁地に変易無窮ならん。人心に就きて之を言えば、惟だ敬して然る後に流行息まず。敬才だ間断すれば(底本は「間防」)便ち是れ誠ならず物無し。】」
毋不敬可以對越上帝
程子曰く——「毋不敬——以て上帝に対越する可し。」
敬勝百邪【朱子曰學者常提醒此心如日之升群邪自息】
程子曰く——「敬は百邪に勝つ。【朱熹は言う——学者は常に此の心を提醒すること日の升るがごとくせば、群邪自ら息む。】」
敬以直內義以方外仁也【敬立則內直義形則外方由內達外生理條直而無私慾邪枉之累則心徳全矣】若以敬直內則便不直矣必有事焉而勿正則直也【文言曰敬以直內而不曰以敬直內葢有意欲以之而直內則此心已有所偏倚而非直矣必有事焉而勿正者敬所當為而無期必計效之意也】
程子曰く——「敬を以て内を直くし義を以て外を方くするは、就きて是れ仁。【敬立てば則ち内直く、義形れば則ち外方し。内より外に達して、生理は條直にして私欲邪枉の累無ければ、則ち心の徳は全し。】もし敬を以て内を直くせんとせば、則ち便ち直ならず。必ず事有りて而も正す勿ければ、則ち直なり。【『文言』は敬を以て内を直くすと説きて、而も敬を以て内を直くすと説かず。意欲して之を以て而も内を直くする有れば、則ち此の心已に偏倚する所有りて而も直に非ざるに因る。必ず事有りて而も正す勿きは、是れ敬は当に為すべきにして期必計効の意無きなり。】」
涵養吾一【心存則不二】
程子曰く——「吾が一を涵養す。【心存れば則ち二ならず。】」
子在川上曰逝者如斯夫不捨書夜自漢以來儒者皆不識此義此見聖人之心純亦不已也純亦不已天徳也有天徳便可語王道其要只在慎獨【朱子曰聖人見川流之不息嘆逝者之如斯原其所以然乃天命流行不息之體惟聖人之心黙契乎此故有感焉於此可見聖人純亦不已之心矣又曰有天徳則純是天理無私意間防便做得王道又曰學者謹獨所以為不已少有不謹則人慾乗之便間防也】
程子曰く——「子は川上に在りて曰く——逝く者は斯くのごとくか。昼夜を舎かず。漢以来儒者は皆此の義を識らず。此れは聖人の心の純にして亦た已まざるを見る。純にして亦た已まざるは是れ天徳。天徳有れば便ち以て王道を語る可し。其の要は只だ独を慎むに在り。【朱熹は言う——聖人は川流の息まざるを見て、逝く者の斯くのごときを嘆ず。其の然る所以を原めれば、乃ち天命の流行して息まざるの体。惟だ聖人の心は此に默契す。だから感有る焉。此に於いて聖人の純にして亦た已まざるの心を見る可し。また曰く——天徳有れば則ち純なる是れ天理にして、私意の間断無く(底本は「間防」)、便ち王道を做り得。また曰く——学者は独を謹むは已まざるを為す所以なり。少しく謹まざる有れば則ち人欲は之に乗じ、便ち間断す(底本は「間防」)。】」
不有躬無攸利不立已後雖向好事猶為化物不得以天下萬物撓已已立後自能了當得天下萬物【防卦六三爻辭已未能自立則中心一無所主雖為善事猶為逐物而動若能自立則應酬在我物皆聴命何撓之有】伊川先生曰學者患心慮紛亂不能寜靜此則天下公病學者只要立個心此上頭盡有商量【朱子曰學者不先立個心恰似作室無基址今求此心正為要立基址得此心有個存主處為學便有歸著可以用功】
程子曰く——「『躬有らざれば、利する攸無し』。己を立てざる後は、好事に向かうと雖も、猶ほ化物と為る。天下万物を以て己を撓げるを得ず。己立ちて後は自ら能く天下万物を了当し得。【『蒙』卦(底本は「防卦」)六三爻辞。己は未だ能く自立せざれば、則ち中心に一の主る所無し。善事を為すと雖も猶ほ物を逐うて動くと為る。もし能く自立せば、則ち應酬は我に在りて物は皆命を聴く。何の撓げか之れ有らん。】」伊川先生は言う。「学者は心慮紛乱して能く寧静せざるを患う。これは天下の公病。学者は只だ要して箇の心を立てよ。此の上頭は尽く商量有り。【朱熹は言う——学者が先に箇の心を立てざれば、恰も室を作るに基址無きに似たり。今此の心を求むるは、正に是れ基址を立てんと要する為め。此の心を得て箇の存主の処有れば、学を為れば便ち帰着有りて、以て功を用いる可し。】」
閒邪則誠自存不是外面捉一個誠將來存著今人外面役役於不善於不善中尋個善來存著如此則豈有入善之理只是閒邪則誠自存【閒邪之意即是誠也苟役心於邪妄而暫欲存其誠則亦無可存之理】故孟子言性善皆由內出只為誠便存閒邪更著甚工夫但惟是動容貎整思慮則自然生敬【孟子言性善如孩提之愛親敬兄如見赤子入井而有怵惕惻隠之心如四端之發無非自然由中而出葢實心非外鑠操之則存矣所謂閒邪者亦不過外肅其容貎內齊其心慮則敬自然生邪自然息】敬只是主一也主一則既不之東又不之西如是則只是中既不之此又不之彼如是則只是內存此則自然天理明學者須是將敬以直內涵養此意直內是本【本注尹彥明曰敬有甚形影只收斂身心便是主一且如人到神祠中致敬時其心收斂更著不得毫髮事非主一而何○敬者心主乎一無放逸也靜而主乎一則寂然不動不防之東西常在中也動而主乎一則知止有定不滯乎彼此常在內也常存此心則天理自明】
伊川先生は言う。「邪を閑すれば則ち誠は自ら存す。是れ外面より一個の誠を捉えて将来りて存き着るに非ず。今人は外面に於いて不善に役役として、不善の中に箇の善を尋ねて存き着らんとす。此のごときは豈に善に入るの理有らん。只是れ邪を閑すれば則ち誠は自ら存す。【邪を閑するの意は即ち是れ誠。もし心を邪妄に役して暫く其の誠を存さんと欲せば、則ち亦た存す可きの理無し。】だから孟子は性善を言うに皆内より出ず。只だ誠と為れば便ち存す。邪を閑するに更に甚の工夫を著けん。但し惟だ是れ容貌を動かし思慮を整えば、則ち自然に敬を生ず。【孟子は性善を言うに、孩提の親を愛し兄を敬するがごとく、赤子の井に入るを見て怵惕惻隠の心有るがごとく、四端の発するがごとく、自然に中より出ずるに非ざるなし。実心は外鑠に非ず。之を操すれば則ち存す。いわゆる邪を閑するも、亦た過ぎず外は其の容貌を粛め内は其の心慮を斉えば、則ち敬は自然に生じ邪は自然に息む。】敬は只是れ一に主る。一に主れば則ち既に之の東せず又た之の西せず。是のごとくすれば則ち只是れ中。既に之の此せず又た之の彼せず。是のごとくすれば則ち只是れ内。此を存すれば則ち自然に天理明らかなり。学者は須く是れ敬を将って以て内を直くし此の意を涵養すべし。内を直くすは是れ本。【本注——尹彦明曰く——敬は甚の形影か有らん。只だ身心を収斂すれば便ち是れ一に主る。且つ人の神祠の中に到りて敬を致す時のごとき、其の心は収斂して更に毫髪の事を着るを得ず。一に主るに非ずして而も何ぞ。○敬は心の一に主りて放逸無きなり。静にして一に主れば則ち寂然として動かず、之の(底本は「不防」)東西せず常に中に在り。動にして一に主れば則ち止を知りて定有り、彼此に滞らず常に内に在り。常に此の心を存せば則ち天理は自ら明らかなり。】」
閒邪則固一矣然主一則不消言閒邪【閒其邪思則心固一矣然心既主一則自無私邪之念不必閒也】有以一為難見不可下工夫如何一者無他只是整齊嚴肅則心便一一則自是無非僻之幹此意但涵養久之則天理自然明【外整齊而內嚴肅則心自一理自明】有言未感時知何所寓曰操則存舍則亡出入無時莫知其鄉更怎生尋所寓只是有操而已操之之道敬以直內也【人心無常亦惟操之則存學者實用力而有見於斯則直得所以存心之要而不患於出入無時莫知其鄉矣】
伊川先生は言う。「邪を閑すれば則ち固より一れり。然るに一に主れば則ち消して邪を閑すと言わず。【其の邪思を閑すれば則ち心は固より一れり。然るに心すでに一に主れば則ち自ら私邪の念無し。必ずしも閑せず。】有りて以て一は見難く工夫を下す可からずと為すは、如何。一の者は他無し。只是れ斉整厳粛なれば則ち心は便ち一、一なれば則ち自ら是れ非僻の干無し。此の意は但だ涵養すること久しければ、則ち天理は自然に明らかなり。【外斉整にして内厳粛なれば、則ち心は自ら一にして理は自ら明らかなり。】人の説く有りて未感の時は何の寓むる所をか知る。曰く——操すれば則ち存し舎れば則ち亡び、出入時無く其の郷を知る莫し。更に怎生ぞ寓むる所を尋ねん。只是れ操有るのみ。之を操するの道は、敬を以て内を直くす。【人心は常無し。亦た惟だ之を操すれば則ち存す。学者は実に力を用いて而も斯に見る所有れば、則ち直ちに心を存する所以の要を得て、而も出入時無く其の郷を知る莫きを患えず。】」
敬則自虛靜不可把虛靜喚做敬【朱子曰周子説主靜正是要人靜定其心自作主宰程子又恐人只管求靜遂與事物不交渉卻説個敬雲敬則自虛靜】
程子曰く——「敬なれば則ち自ら虚静。虚静を把りて敬と喚び做す可からず。【朱熹は言う——周子は主静と説く。正に是れ人をして静定して其の心にして自ら主宰を作さしめんと要す。程子は又た人の只管に静を求め遂に事物と渉り交わらざるを恐れ、却って箇の敬を説く——敬なれば則ち自ら虚静なり。】」
學者先務固在心志然有謂欲屏去聞見知思則是絶聖棄智有欲屏去思慮患其紛亂則須坐禪入定如明鑑在此萬物畢照是鑑之常難為使之不照人心不能不交感萬物難為使之不思慮【絶聖者黜其聰明棄智者屏其智慮老氏之絶聖棄智釋氏之坐禪入定皆純天理害人心之教也】若欲免此惟是心有主如何為主敬而已矣有主則虛虛謂邪不能入無主則實實謂物來奪之【免此謂有思慮而無紛亂林用中主一銘雲有主則虛神守其都無主則實鬼闞其室○或問程子言有主則實又曰有主則虛何也朱子曰此只是有主於中外邪不能入自其有主於中言之則謂之實自其外邪不入言之則謂之虛】大凡人心不可二用用於一事則他事更不能入者事為之主也事為之主尚無思慮紛擾之患若主於敬又焉有此患乎【主敬則自不為事物紛擾】所謂敬者主一之謂敬所謂一者無適之謂一且欲涵泳主一之義不一則二三矣至於不敢欺不敢慢尚不愧於屋漏皆是敬之事也【主一無適者心常主乎我而無他適也葢若動若靜此心常存一而不二所謂敬也不欺不慢不愧屋漏皆戒懼謹獨之意此意常存所主自一○朱子曰程子有功於後學最是拈出敬字有力敬則此心不放事事從此做去又曰無適者只是持守得定不馳騖走作之意耳無適即是主一主一即是敬展轉相解非無適之外別有主一主一之外又別有敬也】
伊川先生は言う。「学者の先務は固より心志に在り。然るに人の説く有りて聞見知思を屏去せんと要すれば、則ち是れ聖を絶ち智を棄つるなり。人の思慮を屏去して其の紛乱を患えんと要する有れば、則ち須く坐禅して定に入るべし。明鑑の此に在るがごとく、万物畢て照す。是れ鑑の常。之をして照さざらしめんと為すに難し。人心は能く万物と交感せざる能わず。之をして思慮せざらしめんと為すに難し。【聖を絶つは其の聡明を黜するなり、智を棄つるは其の智慮を屏するなり。老氏の絶聖棄智・釋氏の坐禅入定は、皆是れ天理を絶し人心を害するの教。】もし此を免れんと要せば、惟だ是れ心に主有るのみ。如何に主と為す。敬のみ。主有れば則ち虚。虚は是れ邪の能く入らざるを言う。主無ければ則ち実。実は是れ物来たりて之を奪うを言う。【此を免るとは思慮有りて紛乱無きを言う。林用中の『主一銘』に曰く——主有れば則ち虚にして、神は其の都を守る。主無ければ則ち実にして、鬼は其の室を闌す。○或いは問う——程子は主有れば則ち実と言い、又た曰く主有れば則ち虚。為に何ん。朱熹は言う——此れ只是れ中に主有りて外邪は能く入らず。其の中に主有るより之を言えば則ち之を実と謂い、其の外邪入らざるより之を言えば則ち之を虚と謂う。】大凡人心は以て二用す可からず。一事に用うれば則ち他事は更に能く入らず。事の主を為すに因る。事の主を為すは尚お思慮紛擾の患無し。もし敬に主らば又た焉んぞ此の患有らん。【敬に主れば則ち自ら事物の紛擾と為らず。】いわゆる敬は、一に主るの敬を謂う。いわゆる一は、適する無きの一を謂う。且つ一に主るの義を涵泳せんと欲す——一ならざれば則ち二三れり。欺くを敢てせず慢るを敢てせず屋漏に愧じざるを尚ぶに至るまで、皆是れ敬の事。【一に主り適する無きは、是れ心常に我に主りて他適無きなり。動くが若く静まるが若く此の心常に存して一にして二ならず。いわゆる敬。欺かず慢らず屋漏に愧じずは、皆是れ戒惧して独を謹むの意。此の意常に存すれば、主る所は自ら一なり。○朱熹は言う——程子は後学に功有り。最も是れ「敬」の字を拈出するに力有り。敬なれば則ち此の心放たれず、事事此より做り去る。また曰く——適無きは只是れ持守して定まり得て馳騖走作せざるの意。適無きは即ち是れ一に主る。一に主るは即ち是れ敬。展転して相い解す。適無きの外に別に一に主る有りて、一に主るの外に又た別に敬有るに非ず。】」
嚴威儼恪非敬之道但致敬須自此入【敬存於中嚴威儼恪著於外者然未有外貎弛慢而中能敬著】
伊川先生は言う。「厳威儼恪は是れ敬の道に非ず。但し敬を致すは須く此より入るべし。【敬は中に存し、厳威儼恪は外に著る。然るに未だ外貌弛慢して而も中能く敬する有らず。】」
舜孳孳為善若未接物如何為善只是主於敬便是為善也以此觀之聖人之道不是但黙然無言【孳孳者亹亹不倦之意聖人為善固無間防然方其未接物之時但有主敬而已是即善之本也不是但黙然無言謂其靜而有所存也靜而有存故善】
伊川先生は言う。「舜は孳孳として善を為す。もし未だ物に接せざれば、如何に善を為さん。只是れ敬に主るは便ち是れ善を為すなり。此を以て之を観れば、聖人の道は是れ但だ黙然として言無きに非ず。【孳孳は是れ亹亹として倦まざるの意。聖人の善を為すは固より間断無し(底本は「間防」)。然るに方に其の未だ物に接せざるの時は、但だ敬を主とする有るのみ。此れ即ち是れ善の本。但だ黙然として言無きに非ずとは、是れ其の静にして存する所有るを言う。静にして存有れば、善と為る所以なり。】」
問人之燕居形體怠惰心不慢者可否曰安有箕踞而心不慢者昔呂與叔六月中來緱氏閒居中某甞窺之必見其儼然危坐可謂敦篤矣學者須恭敬但不可令拘迫拘迫則難久也【盤坐曰箕蹲跱曰踞箕踞乃傲惰之所形見學者始須荘敬持守積久自然安舒矣】
問う——人の燕居する時は形体怠惰して而も心慢らず、以て可なるか。曰く——「那ぞ箕踞して而も心慢らざる有らん。昔呂与叔が六月の中に緱氏に来りて閑居するに、某は曽て之を窺えば、必ず其の儼然として危坐するを見る。敦篤と説く可し。学者は須く恭敬すべし。但し拘迫せしむる可からず。拘迫すれば則ち久しきに難し。【盤坐を箕と叫び、蹲跱を踞と叫ぶ。箕踞は乃ち傲惰の形見する所。学者は始め須く荘敬に持守して、積久すれば自然に安舒せん。】」
思慮雖多果出於正亦無害否曰且如在宗廟則主敬朝廷主荘軍旅主嚴此是也如發不以時紛然無度雖正亦邪【敬存於防事荘示於等威嚴施於法制皆發於心而見於事者發之而當則無害也苟發不以時或雜然而發或過而無節其事雖正亦是邪念】
問う——思慮は多しと雖も、果して正に出づれば、亦た害無きか。曰く——「且つ宗廟に在れば則ち敬に主り、朝廷は荘に主り、軍旅は厳に主るがごとし。これは是なり。もし発するに時を以てせず、紛然として度無ければ、正と雖も亦た邪なり。【敬は凡事に存し(底本は「防事」)、荘は等威に示し、厳は法制に施す。皆是れ心に発して事に見ゆるなり。之を発して而当なれば則ち害無し。もし発するに時を以てせず、或いは雑然として発し、或いは過ぎて節無ければ、其の事は正と雖も亦た是れ邪念なり。】」
蘓季明問喜怒哀樂未發之前求中可否曰不可既思於喜怒哀樂未發之前求之又卻是思也既思即是已發【本注云思與喜怒哀樂一般】才發便謂之和不可謂之中也【蘓昞字季明張程門人也喜怒哀樂未發謂之中發而皆中節謂之和方其未發此心湛然無所偏倚故謂之中一念才生便屬已發之和矣】又問呂學士言當求於喜怒哀樂未發之前如何曰若言存養於喜怒哀樂未發之前則可若言求中於喜怒哀樂未發之前則不可【呂學士與叔也四者於未發之前可以涵養是中若有意求之則不得謂之未發】又問學者於喜怒哀樂發時固當勉強裁抑於未發之前當如何用功曰於喜怒哀樂未發之前更怎生求只平日涵養便是涵養久則喜怒哀樂發自中節【未發之前不容著力用功但有操存涵養而已】曰當中之時耳無聞目無見否曰雖耳無聞目無見然見聞之理在始得【朱子曰喜怒哀樂未發之時雖是耳無聞目無見然須是常有個主宰操持底在這裡始得不然向空寂了】賢且説靜時如何曰謂之無物則不可然自有知覺處【朱子曰無物字恐當作有物字】曰既有知覺卻是動也怎生言靜人説復其見天地之心皆以為至靜能見天地之心非也復之卦下面一畫便是動也安得謂之靜【復者動之端也故天地之心於此可見】或曰莫是於動上求靜否曰固是然最難釋氏多言定聖人便言止如為人君止於仁為人臣止於敬之類是也易之艮言止之義曰艮其止止其所也人多不能止蓋人萬物皆備遇事時各因其心之所重者更互而出才見得這事重便有這事出若能物各付物便自不出來也【此段問答皆論喜怒哀樂未發之中此條問者乃轉就動處言也止其所者動中其則而不遷也若心有所重則因重而遷物各付物而我無預焉則止其所止而心不外馳矣】或問先生於喜怒哀樂未發之前下動字下靜字曰謂之靜則可然靜中須有物始得這裡便是難處學者莫若且先理防得敬能敬則知此矣【朱子曰靜中有物者只是敬則常惺惺在這裡又曰靜中有物只是知覺不昧或問伊川雲才有知覺便是動曰若雲知寒覺暖便是知覺已動今未曽著於事物但有知覺在何妨其為靜不成靜坐便只是瞌睡】或曰敬何以用功曰莫若主一季明曰昞甞患思慮不定或思一事未了他事如麻又生如何曰不可此不誠之本也須是習習能專一時便好不拘思慮與應事皆要求一【心不專一則言動皆無實故曰不誠之本猶學奕者一心以為鴻鵠將至則非誠於學奕也思慮者動於心應事者見於言行皆不可不主於一】
蘇季明が問う——喜怒哀楽未発の前に於いて中を求むるは、以て可なるか。曰く——「不可。既に喜怒哀楽未発の前に於いて之を求めんと想えば、又た却って是れ思。既に思えば即ち是れ已発【本注——思は喜怒哀楽と一般】、才だ発すれば便ち之を和と謂い、之を中と謂う可からず。【蘇昞は字は季明、張・程の門人。喜怒哀楽未発は之を中と謂い、発して皆節に中るは之を和と謂う。方に其の未発なるや、此の心は湛然として偏倚する所無し。だから之を中と謂う。一念才だ生ぜば便ち已発の和に属す。】」又た問う——呂学士は当に喜怒哀楽未発の前に於いて求むべしと言うは、如何。曰く——「もし喜怒哀楽未発の前に於いて存養すと言わば則ち可。もし喜怒哀楽未発の前に於いて中を求むと言わば則ち不可。【呂学士は即ち与叔。四者は未発の前に於いて以て是れ中を涵養する可し。もし意有りて之を求めれば、則ち之を未発と謂うを得ず。】」又た問う——学者は喜怒哀楽の発する時は固より当に勉強して裁抑すべし。未発の前に於いては当に如何に功を用いるべき。曰く——「喜怒哀楽未発の前に於いては更に怎生ぞ求めん。只だ平日の涵養は便ち是なり。涵養久しければ則ち喜怒哀楽の発は自ら節に中る。【未発の前は力を著け功を用うるを容れず。但だ操存涵養有るのみ。】」問う——中に当たるの時は耳は聞くこと無く目は見ること無きか。曰く——「耳は聞くこと無く目は見ることなしと雖も、然るに見聞の理は在りて始めて得。【朱熹は言う——喜怒哀楽未発の時は耳は聞くこと無く目は見ることなしと雖も、然るに須く是れ常に箇の主宰して操持する底がここに在りて始めて得。然らざれば便ち空寂に向かう。】」賢は且く静の時は如何と説け。曰く——「之を物無しと謂えば則ち不可。然るに自ら知覚の処有り。【朱熹は言う——「無物」の字は恐らくは当に「有物」の字と作すべし。】」曰く——「既に知覚有れば却って是れ動。怎生ぞ静と言わん。人の『復して其の天地の心を見る』と説くは、皆至静にして能く天地の心を見ると以為す。是れ非ず。『復』の卦の下面の一画は便ち是れ動。怎んぞ得て之を静と謂わん。【復は是れ動の端。だから天地の心は此に於いて見る可し。】」或いは曰く——莫れ是れ動の上に於いて静を求むるか。曰く——「固より是なり。然るに最も難し。釋氏は多く定を言い、聖人は便ち止を言う。人君と為りて仁に止まり人臣と為りて敬に止まるの類のごとき就きて是なり。『易』の『艮』は止の義を言いて曰く——『其の止を艮す、其の所に止まるなり』。人は多く能く止まらず。人は万物皆備なるに因る。事に遇う時は各々其の心の重くする所に因りて更互にして出づ。才だ此の事の重きを見れば便ち此の事の出る有り。もし能く物をして各々物に付せしめば、便ち自ら出て来たらず。【此の段の問答は皆喜怒哀楽未発の中を論ず。此の条の問う者は乃ち転じて動の処に就きて言う。其の所に止まるは、是れ動の中に其の則に中りて遷らざるなり。もし心の重くする所有れば則ち重に因りて遷る。物各々物に付して而も我預る無ければ、則ち其の止まる所に止まりて而も心は外に馳せず。】」或いは問う——先生は喜怒哀楽未発の前に於いて動の字を下すか還って静の字を下すか。曰く——「之を静と謂えば則ち可。然るに静の中は須く物有りて始めて得。ここに於いて便ち是れ難き処。学者は莫れ且く先に敬を理会し得るに若かず(底本は「理防」)。能く敬せば則ち此を知る。【朱熹は言う——静の中に物有るは、只是れ敬なれば則ち常に惺惺としてここに在るなり。また曰く——静の中に物有るは只是れ知覚昧れざるなり。或いは問う——伊川は才だ知覚有れば便ち是れ動と説く。曰く——もし寒を知り暖を覚ゆと言わば便ち是れ知覚已に動けり。今は曽て事物に着せず、但だ知覚の在る有るのみ。何ぞ其の静と為るを妨げん。静坐すれば便ち只是れ瞌睡と成らずや。】」或いは曰く——敬は何以を以て功を用いん。曰く——「莫れ一に主るに若かず。」季明曰く——「昞は曽て思慮の定まらざるを患え、或いは一事を思いて未だ了らざれば他事は麻のごとく又た生ず。如何。」曰く——「不可。これは不誠の本。須く是れ習うべし。習いて能く一に専らなる時は便ち好し。思慮と事に應ずるとを拘わず、皆一を求むるを要す。【心は一に専らならざれば則ち言動皆実無し。だから不誠の本と言う。猶ほ弈を学ぶ者の一心に以て鴻鵠の将至らんと為すがごときは、則ち弈を学ぶに誠ならず。思慮は是れ心に動く。事に應ずるは是れ言行に見ゆ。皆一に主らざる可からず。】」
人於夢寐間亦可以卜自家所學之淺深如夢寐顛倒即是心志不定操存不固【朱子曰魂與魄交而成夢心在其間依舊能思慮所以做出夢若心神安定夢寐亦不至顛倒】
伊川先生は言う。「人は夢寐の間に於いても亦た以て自家の学ぶ所の浅深を卜す可し。夢寐顛倒するがごときは、即ち是れ心志定まらず操存固からず。【朱熹は言う——魂と魄と交わりて而も夢を成す。心は其の間に在りて依旧として能く思慮す。だから夢を做出す。もし心神安定せば、夢寐も亦た顛倒に至らず。】」
問人心所繫著之事果善夜夢見之莫不害否曰雖是善事心亦是動凡事有眹兆入夢者卻無害舍此皆是妄動【吉凶云為之兆見於夢者則此心之神應感之理卻不為害苟無故而夢皆心妄動】人心須要定使他思時方思乃是今人都由心曰心誰使之曰以心使心則可人心自由便放去也【人心操之則在我放而不知求則任其所之以心使心非二心也體用而言之耳】
問う——人心の繋着する所の事は果して善なれば、夜夢に之を見るは、莫れ害なからざるか。曰く——「善事と雖も、心も亦た是れ動。凡そ事に朕兆有りて夢に入るは却って害無し。此を舎けば皆是れ妄動。【吉凶云為の兆は夢に見ゆれば、則ち此の心の神・應感の理は、却って害と為らず。もし故無くして夢れば、皆是れ心の妄動。】人心は須く要して定まらん。他をして思う時に方に思えば才だ是なり。今人は皆心に由る。」問う——「心は誰か之を使う。」曰く——「心を以て心を使うは則ち可。人心は自ら由れば便ち放たれ去れり。【人心は之を操すれば則ち我に在り、放れて求むるを知らざれば則ち其の之く所に任す。心を以て心を使うは是れ二心に非ず。是れ体用に就きて之を言う。】」
持其志無暴其氣內外交相養也【持其志者有所守於中無暴其氣者無所縱於外然中有所守則氣自完外無所縱則志愈固故曰交相養】
程子曰く——「其の志を持し其の気を暴るる無きは、是れ内外交々相養う。【其の志を持すは是れ中に守る所有り、其の気を暴るる無きは是れ外に縦する所無し。中に守る所有れば則ち気は自ら完し、外に縦する所無ければ則ち志は愈々固し。だから交々相養うと言う。】」
問出辭氣莫是於言語上用工夫否曰須是養乎中自然言語順理若是慎言語不妄發此卻可著力【曽子曰出辭氣斯逺鄙倍矣中有所養而後發於外者不悖至若謹言語此亦學者所可用力但不可專於言語上用功】先生語繹曰吾受氣甚薄三十而浸盛四十五十而後完今生七十二年矣校其筋骨於盛年無損也繹曰先生豈以受氣之薄而厚為保生耶夫子黙然曰吾以忘生徇欲為深恥【張南軒曰若他人養生要康強只是利伊川説出來純是天理】
問う——辞気を出ずるは、莫れ是れ言語の上に於いて工夫を用いるか。曰く——「須く是れ中を養うべし。自然に言語は理に順う。もし是れ言語を慎みて妄りに発せざれば、此れ却って力を著く可し。【曽子曰く——辞気を出ずれば、斯に鄙倍に遠ざかる。中に養う所有りて後に外に発する者は悖らず。至る若くは言語を謹むは、此れ亦た是れ学者の以て力を用いる可き所。但し専ら言語の上に於いて功を用うる可からず。】」先生は繹に対して曰く——「吾は気を受くること甚だ薄し。三十にして浸々盛んに、四十五十にして後に完し。今生は七十二年なり。其の筋骨を盛年に校ぶるに損無し。」繹曰く——「先生は豈に以て気を受くるの薄きを以て而も厚く生を保するを為さんや。」夫子は黙然として曰く——「吾は生を忘れ欲に徇るを以て深恥と為す。【張南軒曰く——もし他人が生を養いて康強を要するは、只是れ利。伊川は説き出して純なる是れ天理。】」
大率把捉不定皆是不仁【外書下同○仁者心存乎中純乎天理者也把捉不定則此心外馳理不勝欲皆是不仁】
程子曰く——「大率把捉して定まらざるは、皆是れ不仁。【『外書』に出る、以下同じ。○仁者は心は中に存して天理に純なり。把捉して定まらざれば則ち此の心は外に馳せ理は欲に勝たず。皆是れ不仁。】」
伊川先生曰致知在所養養知莫過於寡慾二字【外無物慾之撓則心境凊內有涵養之素則明睿生】
伊川先生は言う。「知を致すは養う所に在り。知を養うは「寡欲」の二字に過ぐるは莫し。【外に物欲の撓げ無ければ則ち心境は清く、内に涵養の素有れば則ち明叡生ず。】」
心定者其言重以舒不定者其言輕以疾【心専而靜則言不妄發發必審確而和緩浮躁者反是】
程子曰く——「心定まるは其の言は重くして以て舒やか、定まらざるは其の言は軽くして以て疾し。【心専らにして静なれば則ち言は妄りに発せず、発すれば必ず審確にして和緩。浮躁のは相反す。】」
明道先生曰人有四百四病皆不由自家則是心須教由自家【只有此心操之在我不可任其所之也】
明道先生は言う。「人は四百四病有りて皆自家に由らざれば、則ち是れ心は須く自家に由らしめん。【只だ此の心有りて之を操れば我に在り。其の之く所に任す可からず。】」
謝顯道從明道先生於扶溝明道一日謂之曰爾輩在此相從只是學顥言語故其學心口不相應盍若行之請問焉曰且靜坐伊川每見人靜坐便嘆其善學【心以靜而定理以靜而明朱子曰靜坐則收拾得精神定道理方有湊泊處】
謝顕道は明道先生に扶溝に於いて従う。明道は一日彼に対して曰く——「爾輩は此に在りて相従うは、只是れ顥の言語を学ぶ。だから其の学は心口相い應せず。何ぞ実に行わざる。」請うて問う。曰く——「且らく静坐せよ。」伊川は毎に人の静坐するを見れば便ち其の善く学ぶを嘆ず。【心は静を以て定まり、理は静を以て明らかなり。朱熹は言う——静坐すれば則ち精神を收拾して定まり得、道理は方に湊泊の処有り。】
橫渠先生曰始學之要當知三月不違與日月至焉內外賓主之辨使心意勉勉循循而不能已過此防非在我者【文集○仁猶人之安宅也居之三月而不違者是在內而為主也其違也暫而已日月至焉者是在外而為賓也其至也暫而已過此謂三月不違以上大而化之之事非可以勉強而至矣故曰非在我者○朱子曰不違仁者仁在內而為主然其未熟亦有時而出於外日月至焉者仁在外而為賓雖有時入於內而不能久也愚按前説則是已不違乎仁後説是仁不違乎已雖似不同其實則一也】
横渠先生は言う。「始めて学ぶの要は、当に三月違わずと日月に至る焉との内外賓主の辨を知るべし。心意をして勉勉循循して能く已まざらしむ。此を過ぐるは几(底本は「防」)我に在る者に非ず。【『文集』に出る。○仁は猶ほ人の安宅のごとし。之に居ること三月にして違わざるは、是れ内に在りて主と為る。其の違うや暫くのみ。日月に至る焉のは、是れ外に在りて賓と為る。其の至るや暫くのみ。此を過ぐるとは三月違わざる以上・大にして化するの事を言う。以て勉強して至る可きに非ず。だから我に在る者に非ずと言う。○朱熹は言う——仁に違わざる者は、仁は内に在りて主と為る。然るに其の未だ熟せざれば亦た時に外に出づる有り。日月に至る焉の者は、仁は外に在りて賓と為る。時に内に入る有ると雖も而も能く久しからず。葉采按——前の説は己の仁に違わざるを言い、後の説は仁の己に違わざるを言う。似て同じからざると雖も、其の実は則ち一なり。】」
心清時少亂時常多其清時視明聴聰四體不待羈束而自然恭謹其亂時反是如此何也葢用心未熟客慮多而常心少也習俗之心未去而實心未完也【心者耳目四肢之主天君澄肅則視明聴聰四體自然從令若存心於道者未熟則客慮足以勝其本心習俗足以奪其誠意○朱子曰橫渠大段用工夫來説得更精切又曰客慮是泛泛底思慮習俗之心是從來習染偏勝之心實心是義理之心】人又要得剛太柔則入於不立亦有人生無喜怒者則又要得剛剛則守得定不囘進道勇敢載則比他人自是勇處多【語録下同○剛則守之固行之決故足以進於道柔懦委靡必不能有立矣】
横渠先生は言う。「心は清き時少なく乱るる時常に多し。其の清き時は視明らかに聴聡く、四体は羈束を待たずして自然に恭謹。其の乱るる時は相反す。此のごときは何ぞや。心を用いて未だ熟せざるに因りて、客慮多くして常心少なく、習俗の心は未だ去らずして実心は未だ完からず。【心は耳目四肢の主。天君澄粛なれば則ち視明らかに聴聡くして四体は自然に令に従う。もし心を道に存する者未だ熟せざれば、則ち客慮は以て其の本心に勝つに足り、習俗は以て其の誠意を奪うに足る。○朱熹は言う——横渠は大いに工夫を用いて来たり。説き得て更に精切なり。また曰く——客慮は是れ泛泛底の思慮、習俗の心は是れ従来の習染偏勝の心、実心は是れ義理の心。】人は又た剛を得るを要す。太だ柔なれば則ち立たずに入る。亦た人の生まれて喜怒無き者有り。則ち又た剛を得るを要す。剛なれば則ち之を守り得て定まりて回らず、道に進むこと勇敢。剛(底本は「載」、当に「剛」の誤り)なれば則ち他人に比べて自ら是れ勇の処多し。【『語録』に出る、以下同じ。○剛なれば則ち之を守ること固く之を行うこと決す。だから以て道に進むに足る。柔懦委靡は必ず能く立つ有る能わず。】」
戲謔不惟害事志亦為氣所流不戲謔亦是持氣之一端【朱子曰橫渠學力絶人尤勇於改過獨以戲為無傷一日忽曰凡人之過猶有出於不知而為之者至戲則皆有心為之也其為害尤甚遂作東銘】
横渠先生は言う。「戯謔は惟だ事を害するのみならず、志も亦た気の流する所と為る。戯謔せざるも亦た是れ気を持するの一端。【朱熹は言う——横渠は学力人に絶え、尤も過を改むるに勇なり。独り戯を以て傷無しと為せり。一日忽ち曰く——凡人の過は猶ほ知らずして之を為すに出づる有り。戯に至っては則ち皆是れ心有りて之を為す。其の害と為るや尤も甚し。是に於いて『東銘』を作れり。】」
正心之始當以己心為嚴師凡所動作則知所懼如此一二年守得牢固則自然心正矣【視心如嚴師則知所敬畏而邪僻之念不作】
横渠先生は言う。「心を正しくするの始は、当に己の心を以て厳師と為すべし。凡そ動作する所は則ち惧るる所を知る。此のごとく一二年守り得て牢固なれば、則ち自然に心正しけれり。【心を視ること厳師のごとくせば、則ち敬畏する所を知りて邪僻の念作らず。】」
定然後始有光明若常移易不定何求光明易大抵以艮為止止乃光明故大學定而至於能慮人心多則無由光明【易説下同○此心靜定而明生焉水之止者可鑑而流水不可鑑亦是理也】
横渠先生は言う。「定まりて然る後に始めて光明有り。もし常に移易して定まらざれば、何の光明をか求めん。『易』は大抵『艮』を以て止と為す。止は乃ち光明。だから『大学』は定まりて以て能く慮るに至る。人心多ければ則ち由りて光明する無し。【『易説』に出る、以下同じ。○此の心は静定して而も明生ずる焉。水の止まる者は鑒る可く、流水は鑒る可からず。亦た是れ此の理なり。】」
動靜不失其時其道光明學者必時其動靜則其道乃不蔽昧而明白今人從學之久不見進長正以莫識動靜見他人擾擾非闗己事而所修亦廢由聖學觀之防防悠悠以是終身謂之光明可乎【艮卦彖辭動靜各有其時然學者多失於不當動而動因循廢學終何光明之有】
横渠先生は言う。「動静は其の時を失わざれば、其の道は光明。学者は必ず其の動静を時にすれば、則ち其の道は乃ち蔽昧せずして明白。今人は学に従うこと久しくして進長を見ざるは、正に動静を識る莫きを以てなり——他人の擾擾たるを見て己事に関わらずとし、而も修むる所も亦た廃す。聖学に由りて之を観れば、泛泛悠悠として(底本は「防防悠悠」)是を以て終身す。之を光明と謂いて可なりや。【『艮』卦彖辞。動静は各々其の時有り。然るに学者は多く当に動くべからざるに動くに失し、因循して学を廃す。終に何の光明か之れ有らん。】」
敦篤虛靜者仁之本不輕妄則是敦厚也無所繫閡昏塞則是虛靜也此難以頓悟苟知之須久於道實體之方知其味夫仁亦在乎熟之而已【孟子説○閡閉礙也言動輕妄而不敦篤則此心外馳非仁也有所繫閡昏塞而不虛靜則此心罔覺非仁也然必存心之久實體於己然後能深知其味】
横渠先生は言う。「敦篤虚静の者は、仁の本。軽妄ならざれば則ち是れ敦厚、繋阂昏塞する所無ければ則ち是れ虚静。此れは以て頓悟するに難し。苟も之を知れば、須く道に久しく実に之を体して、方に其の味を知る。夫れ仁も亦た之を熟するに在るのみ。【『孟子説』に出る。○阂は閉碍。言動軽妄にして敦篤ならざれば則ち此の心は外に馳せ、仁に非ず。繋阂昏塞する所有りて虚静ならざれば則ち此の心は罔覚、仁に非ず。然るに必ず心を存すること久しく実に己に体して、然る後に能く其の味を深く知る。】」
近思錄卷四
近思録巻四
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思錄卷五宋朱子呂祖謙同編
近思録巻五 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
克治【凡四十一條】
克治【凡そ四十一条】
此卷論力行蓋窮理旣明涵養既厚及推於行已之間尤當盡其克治之力也
この巻は力行を論ず。理を窮める既に明らかにして涵養既に厚ければ、己に行うの間に推すに及びて、尤も当に其の克治の力を尽くすべし。
濓溪先生曰君子乾乾不息於誠然必懲忿窒欲遷善改過而後至幹之用其善是損益之大莫是過聖人之旨深哉【重幹相繼故九三曰君子終日干幹言君子體幹健而又健至誠不息此用幹之善者也山澤為損激於忿象山之髙必懲創之溺於欲象澤之深必窒塞之此用損之大者也風雷為益遷善象風之烈則德日長改過象雷之迅則惡日消此用益之大者也○朱子曰乾乾不息者體也去惡進善者用也無體則用無以行無用則體無所措故以三卦合而言之或曰其字亦是莫字】吉凶悔吝生乎動噫吉一而已動可不愼乎【通書○動而得則吉失則兇悔則過失而自咎吝則私小而可羞四者一善而三惡動其可不謹乎】
濂渓先生は言う。「君子は乾乾として誠に息まず。然るに必ず忿を懲し欲を窒ぎ善に遷り過を改めて而る後に至る。乾の用は其の善。是れ損益の大は是に過ぐる莫し。聖人の旨は深きかな。【重乾は相継ぐ。だから九三は君子は終日乾乾と説く——君子は乾の健を体して而又た健、至誠にして息まず。これは乾の善を用う。山沢は損と為る——忿に激するは山の高きに象し、必ず之を懲創す。欲に溺るるは沢の深きに象し、必ず之を窒塞す。これは損の大を用う。風雷は益と為る——善に遷るは風の烈に象して則ち徳は日に長じ、過を改むるは雷の迅に象して則ち悪は日に消ゆ。これは益の大を用う。○朱熹は言う——乾乾息まざるは是れ体、悪を去り善に進むは是れ用。体無ければ則ち用は以て行う無く、用無ければ則ち体は措く所無し。だから三卦を以て合せて之を言う。或いは「其」の字も亦た「莫」の字と説く。】吉凶悔吝は動に生ず。噫、吉は一のみ。動は慎まざる可けんや。【『通書』に出る。○動きて得れば則ち吉、失えば則ち凶。悔は則ち過失して自ら咎め、吝は則ち私小にして羞づ可し。四者は一善にして三悪。動は其れ慎まざる可けんや。】」
濓溪先生曰孟子曰養心莫善於寡慾予謂養心不止於寡而存耳蓋寡焉以至於無無則誠立明通誠立賢也明通聖也【遺文○朱子曰誠立謂實體安固明通則實用流行立如三十而立之立通則不惑知命而鄉乎耳順矣○或問孟子與周子之言果有以異乎曰孟子所謂欲者以耳目口鼻四肢之慾人所不能無然多而無節則為心害周子則指心之流於欲者是則不可有也所指有淺深之不同然由孟子之寡慾則可以盡周子之無慾矣】
濂渓先生は言う。「孟子は心を養うは欲を寡くするより善きは莫しと説く。予は謂う——心を養うは寡くして存するに止まらずのみ。蓋し寡くして焉無きに至れば、無ければ則ち誠立ち明らかに通ず。誠立つは是れ賢、明らかに通ずるは是れ聖。【『遺文』に出る。○朱熹は言う——誠立つとは実体の安固なるを言い、明らかに通ずるとは実用の流行するを言う。立つは三十にして立つの立のごとく、通ずれば則ち惑わず命を知りて而も耳順に向かう。○或いは問う——孟子と周子の言は果して以て異なる有るか。曰く——孟子のいわゆる欲は、是れ耳目口鼻四肢の欲を以て人の能く無からざる所。然るに多くして節無ければ則ち心の害と為る。周子は則ち心の欲に流るる者を指す。是れ則ち有る可からず。指す所に浅深の不同有り。然るに孟子の寡欲に由れば則ち以て周子の無欲を尽くす可し。】」
伊川先生曰顔淵問克已復禮之目夫子曰非禮勿視非禮勿聽非禮勿言非禮勿動四者身之用也由乎中而應乎外製於外所以養其中也【朱子曰由乎中而應乎外謂視聽言動乃此心之形見處制乎外所以養其中謂就視聽言動上克治也上二句言其理下二句是工夫】顔淵請事斯語所以進於聖人後之學聖人者冝服膺而勿失也因箴以自警【或問明知其不當視而自接乎目明知其不當聽而自接乎耳則將如何朱子曰視與見異聽與聞異非禮之色雖過乎目在我不可有視之之心非禮之聲雖過乎耳在我不可有聽之之心】視箴曰心兮本虛應物無跡操之有要視為之則蔽交於前其中則遷制之於外以安其內克己復禮久而誠矣【人心虛靈感應出入無跡可執操存之要莫先謹視則猶節也苟物慾之蔽交乎吾前惑於所見中必移矣惟能制之於外目不妄視則神識泰定內斯以安久而誠則實理流行動容周旋中禮矣】聽箴曰人有秉彝本乎天性知誘物化遂亡其正卓彼先覺知止有定閒邪存誠非禮勿聽【人稟五常之性本無不善惟知識誘於外而忘返物慾化其內而莫覺由是所稟之正日以喪矣誘者化之初化者誘之極也知止者知其所當止也有定者得其所當立也閒邪於外所以存誠於中也】言箴曰人心之動因言以宣髮禁躁妄內斯靜專矧是樞機興戎出好吉凶榮辱惟其所召傷易則誕傷煩則支已肆物忤出悖來違非法不道欽哉訓辭【躁輕肆也妄虛謬也言語之髮禁其輕肆則內靜定矣禁其虛謬則內專一矣樞扉臼也機弩牙也戶之闔闢射之中否皆由之發言乃吾身之樞機故一言之惡或至於興師一言之善或可以合好得則有吉有榮失則有兇有辱躁而傷於易則誕肆而不審妄而傷於煩則支離而逺實肆縱情也肆已者必忤物躁之致也悖乖理也悖而出者必悖而反妄之致也】動箴曰哲人知幾誠之於思志士厲行守之於為順理則裕從欲惟危造次克念戰兢自持習與性成聖賢同歸【文集○朱子曰思是動之微為是動之著思是動於內為是動於外○明哲之人知其幾防故於所思而誠之一念之動不敢妄也立志之士勉勵其行故於所為而守之一事之動不敢忽也順理而動則安裕從欲而動則危殆守於為也造次俄頃而克念不忘戰兢恐懼而自持不失誠于思也習謂修於已性謂得於天習與性合則全其本然之善而與聖賢一矣】復之初九曰不逺復無祗悔元吉伊川易傳曰陽君子之道故復為反善之義初復之最先者也是不逺而復也【陽往為剝陽來為複復卦乃善之返初爻乃復之先過而先復是不逺而復也】失而後有復不失則何復之有唯失之不逺而復則不至於悔大善而吉也【人必有所失而後有所復旣有失則不能無悔惟未逺而復故不至於悔乃元吉也】顔子無形顯之過夫子謂其庶幾乃無祗悔也過旣未形而改何悔之有【有過而知之敏改之速不待其形顯故無悔也】旣未能不勉而中所欲不逾矩是有過也然其明而剛故一有不善未嘗不知旣知未嘗不遽改故不至於悔乃不逺復也學問之道無他也惟其知不善則速改以從善而已【易傳下同○不待勉強而中乎道從心所欲而不過乎則是聖人之事無過之可改者也顔子未能及是故未免於有過然其明也故過而必知其剛也故知而即改】
伊川先生は言う。「顔淵が己に克ち礼に復るの條目を問うに、夫子曰く——礼に非ざれば視る勿れ、礼に非ざれば聴く勿れ、礼に非ざれば言う勿れ、礼に非ざれば動く勿れ。四者は是れ身の用——中に由りて外に應じ、外に制して以て其の中を養う。【朱熹は言う——「中に由りて外に應ず」とは視聴言動は乃ち此の心の形見する処を言う。「外に制して以て其の中を養う」とは視聴言動の上に就きて克治するを言う。上の二句は其の理を言い、下の二句は是れ工夫。】顔淵は斯の語に従事せんと請う。聖人に進む所以なり。後の聖人を学ぶ者は、宜しく服膺して失う勿かるべし。是に於いて箴を作して以て自ら警す。【或いは問う——其の当に視るべからざるを明らかに知りて而も自ら目に接し、其の当に聴くべからざるを明らかに知りて而も自ら耳に接せば、則ち将に如何せん。朱熹は言う——視ると見るとは同じからず、聴くと聞くとは同じからず。非礼の色は目に過ると雖も、我に在りては之を視るの心有る可からず。非礼の声は耳に過ると雖も、我に在りては之を聴くの心有る可からず。】視箴に曰く——心は本より虚、物に應じて迹無し。之を操するに要有り、視は之が則。蔽は前に交われば、其の中は則ち遷る。之を外に制して、以て其の内を安んず。己に克ち礼に復れば、久しくして誠なれり。【人心は虚霊にして、感應出入して迹の執る可き無し。操存の要は、視を謹むに先んずる莫し。「則」は猶ほ節のごとし。もし物欲の蔽は吾が前に交われば、見る所に惑いて、中は必ず移れり。惟だ能く之を外に制し目妄りに視ざれば、則ち神識泰定にして内斯は以て安んず。久しくして誠なれば、則ち実理流行して動容周旋して礼に中る。】聴箴に曰く——人は秉彝有り、天性に本づく。知は誘われ物は化して、遂に其の正を亡す。卓として彼の先覚、止を知りて定有り。邪を閑し誠を存し、礼に非ざれば聴く勿れ。【人は五常の性を禀け、本より善ならざる無し。惟だ知識は外に誘われて返るを忘れ、物欲は其の内を化して而も覚る莫し。此に由りて禀くる所の正は日に喪えり。「誘」は是れ化の初、「化」は是れ誘の極。「止を知る」は是れ其の当に止まる所を知る、「定有り」は是れ其の当に立つべき所を得る。邪を外に閑くは、誠を中に存する所以なり。】言箴に曰く——人心の動は、言に因りて以て宣ぐ。発して躁妄を禁ずれば、内斯は静専。矧んや是れ枢機、戎を興し好を出づ。吉凶栄辱は、惟だ其の召す所。易に傷けば則ち誕に、煩に傷けば則ち支に。己は肆にして物は忤い、悖を出せば違いを来たす。法に非ざれば道わず、欽なるかな訓辞。【「躁」は是れ軽肆、「妄」は是れ虚謬。言語の発は、其の軽肆を禁ずれば則ち内静定し、其の虚謬を禁ずれば則ち内専一す。枢は是れ扉臼、機は是れ弩牙。戸の闔闢・射の中否は皆之に由る。言を発するは乃ち吾が身の枢機。だから一言の悪は或いは師を興すに至り、一言の善は或いは以て好を合す可し。得れば則ち吉有り栄有り、失えば則ち凶有り辱有り。躁にして易に傷けば則ち誕肆にして審ならず、妄にして煩に傷けば則ち支離にして実に遠し。「肆」は是れ情を縦にす。己を肆にする者は必ず物に忤う。是れ躁の致す。「悖」は是れ理に乖く。悖を出す者は必ず悖して反る。是れ妄の致す。】動箴に曰く——哲人は幾を知り、之を思に誠にす。志士は行いを厲し、之を為に守る。理に順えば則ち裕か、欲に従えば惟だ危うし。造次に念を克して、戦兢として自ら持す。習は性と成りて、聖賢は帰を同じくす。【『文集』に出る。○朱熹は言う——思は是れ動の微、為は是れ動の著。思は是れ内に動き、為は是れ外に動く。○明哲の人は其の幾微を知る(底本は「幾防」)。だから思う所に於いて之を誠にして、一念の動も妄りにせず。志を立つるの士は其の行いを勉励す。だから為す所に於いて之を守りて、一事の動も忽にせず。理に順いて動けば則ち安裕、欲に従いて動けば則ち危殆。是れ為に守るなり。造次俄頃にして念を克して忘れず、戦兢恐惧して自持して失わず。是れ思に誠なり。「習」は是れ己に修め、「性」は是れ天に得る。習は性と合すれば、則ち其の本然の善を全うして聖賢と一れり。】『復』の初九曰く——遠からずして復り、悔に祗る無く、元吉。伊川『易伝』曰く——陽は是れ君子の道。だから復は善に反るの義と為る。初は是れ復の最先なる。是れ遠からずして復る。【陽往くは剥と為り、陽来るは復と為る。『復』卦は乃ち善の返るなり、初爻は乃ち復の先なり。過ぎて先に復るは、是れ遠からずして復る。】失うて後に復有り。失わざれば則ち何の復か之れ有らん。唯だ之を失うの遠からずして復れば、則ち悔に至らず、大いに善にして吉。【人は必ず失う所有りて後に復る所有り。既に失有れば則ち悔無き能わず。惟だ未だ遠からずして復る。だから悔に至らず、乃ち元吉。】顔子は形顕の過無し。夫子は其の庶幾を謂う。乃ち悔に祗る無し。過は既に未だ形らずして改むれば、何の悔か之れ有らん。【過有りて之を知ること敏く之を改むること速やかなり。其の形顕するを待たず。だから悔無し。】既に未だ勉めずして中らず所欲矩を踰えずと為る能わざれば、是れ過有り。然るに其の明にして剛なるが故に、一たび不善有れば未だ曽て知らざるなく、既に知れば未だ曽て遽に改めざるなし。だから悔に至らず、乃ち遠からずして復る。学問の道は他無し。惟だ其の不善を知れば則ち速やかに改めて以て善に従うのみ。【『易伝』に出る、以下同じ。○勉強を待たずして道に中り心の欲する所に従いて而も則を過ぎざるは、是れ聖人の事にして過改むる可き無し。顔子は未だ能く此に及ばず。だから未だ過有るを免れず。然るに其の明なるが故に、過りて必ず知る。其の剛なるが故に、知れば即ち改む。】」
晉之上九晉其角維用伐邑厲吉無咎貞吝伊川易傳曰人之自治剛極則守道愈固進極則遷善愈速如上九者以之自治則雖傷於厲而吉且無咎也嚴厲非安和之道而於自治則有功也【以陽居上剛之極也在晉之終進之極也剛進之極動則為過惟可用之以自伐其邑伐邑內自治也以是自治則守道固而遷善速雖過於嚴厲吉且無咎】雖自治有功然非中和之德故於貞正之道為可吝也【剛進之極有乖中和終為疵吝】
伊川先生は言う。「『晋』の上九——晋むる其の角、邑を伐つに用うる維れ、厲しくて吉にして咎無く、貞にして吝。伊川『易伝』曰く——人の自ら治むるは、剛の極なれば則ち道を守ること愈々固く、進の極なれば則ち善に遷ること愈々速やかなり。上九のごとき、之を以て自ら治むれば、則ち厲に傷くと雖も而も吉にして且つ咎無し。厳厲は安和の道に非ず。而も自ら治むるに於いては則ち功有り。【陽を以て上に居るは、剛の極。晋の終に在るは、進の極。剛進の極は、動けば則ち過と為る。惟だ以て其の邑を自ら伐つに用うる可し。邑を伐つは是れ内自ら治むるなり。是を以て自ら治むれば、則ち道を守ること固く善に遷ること速やかなり。厳厲に過ぐると雖も、吉にして且つ咎無し。】自ら治むるに功有ると雖も、然るに中和の徳に非ず。だから貞正の道に於いて吝たる可しと為る。【剛進の極は中和に乖く有り。終に疵吝と為る。】」
損者損過而就中損浮末而就本實也天下之害無不由末之勝也峻宇雕牆本於宮室酒池肉林本於飲食淫酷殘忍本於刑罰窮兵黷武本於徵討凡人慾之過者皆本於奉養其流之逺則為害矣先王制其本者天理也後人流於末者人慾也損之義損人慾以復天理而已【損卦彖傳天下之事其本皆出於天理民生日用之常治道之不可廢者其末流則末勝本華勝實人慾勝天理其害有不勝言者矣故損之為用亦惟損過以就中損浮末而就本實損人慾以復天理耳】夬九五曰莧陸夬夬中行無咎象曰中行無咎中未光也傳曰夫人心正意誠乃能極中正之道而充實光輝若心有所比以義之不可而決之雖行於外不失其中正之義可以無咎然於中道未得為光大也蓋人心一有所欲則離道矣夫子於此示人之意深矣【九五與上六比心有所暱未必能正特以義不可而勉勉決去之意亦未必誠也但九五中正故所行猶不失中正之義僅可無咎然心有所比不能無慾其於中正之道未得為光大聖人發此示人慾使人正心誠意無一毫繫累乃能盡中正之道充實而有光輝也】
伊川先生は言う。「損は是れ過を損して而も中に就き、浮末を損して而も本実に就く。天下の害は末の勝つに由らざる無し。峻宇彫牆は宮室に本づき、酒池肉林は飲食に本づき、淫酷残忍は刑罰に本づき、窮兵黷武は征討に本づく。凡そ人の欲の過ぐる者は皆奉養に本づく。其の流るるの遠きは則ち害と為る。先王の其の本を制するは是れ天理、後人の末に流るるは是れ人欲。損の義は、人欲を損して以て天理に復るのみ。【『損』卦彖伝。天下の事は其の本は皆天理に出づ。是れ民生日用の常・治道の廃す可からざる者。其の末流は則ち末は本に勝ち華は実に勝ち人欲は天理に勝つ。其の害は言に勝えざる有り。だから損の用と為るや、亦た惟だ過を損して以て中に就き、浮末を損して本実に就き、人欲を損して以て天理に復る。】『夬』九五曰く——苋陸は夬夬、中の行、咎無し。象に曰く——中の行咎無しとは、中未だ光ならざるなり。伝に曰く——夫れ人の心正しく意誠なれば、乃ち能く中正の道を極めて而も光輝を充実す。もし心に比する所有れば、義の可ならざるを以て而も之を決す。外に行うに其の中正の義を失わず以て咎無き可しと雖も、然るに中道に於いて未だ光為り大為りを得ず。人心は一たび欲する所有れば則ち道に離れれり。夫子の此に於いて人に示すの意は深し。【九五は上六と比す。心に昵る所有り。未だ必ずしも能く正ならず。特に義の可ならざるを以て而も勉勉として決して去る。意も亦た未だ必ずしも誠ならず。但し九五は中正。だから行う所は猶ほ中正の義を失わず、僅かに以て咎無し。然るに心に比する所有りて能く欲無き能わず。其の中正の道に於いては未だ光為り大為りを得ず。聖人は此を発して人に示す。人をして心を正しくし意を誠にして一毫の繋累も無くして、乃ち能く中正の道を尽くして充実して光輝有らしめんと欲するなり。】」
方說而止節之義也【節卦彖傳兌上坎下為節兌說也坎險也見險則止矣人惟說則易流方說而能止是節之義也】
伊川先生は言う。「方に説びて而も止まるは、是れ節の義。【『節』卦彖伝。兌上坎下は節と為る。兌は是れ説、坎は是れ険。険を見れば則ち止まる。人は惟だ説べば則ち流れ易し。方に説びて能く止まるは、是れ節の義。】」
節之九二不正之節也以剛中正為節如懲忿窒欲損過抑有餘是也不正之節如嗇節於用懦節於行是也【九二以剛居柔在節卦是為不正之節也懲忿窒欲損過抑有餘者節其過以就中此剛中正之節也節於用而為吝嗇則於用有不足節於行而為柔懦則於行有不足此不正之節九二是也】
伊川先生は言う。「節の九二は是れ正ならざるの節。剛中正を以て節と為すは、忿を懲し欲を窒ぎ過を損し有余を抑えるがごとき就きて是なり。正ならざるの節は、用に嗇しく節し行に懦れて節するがごとき就きて是なり。【九二は剛を以て柔に居り、『節』卦に在りては是れ正ならざるの節と為る。忿を懲し欲を窒ぎ過を損し有余を抑えるは、是れ其の過を節して以て中に就く。これは剛中正の節。用に節して而も吝嗇と為れば則ち用に於いて足らざる有り、行に節して而も柔懦と為れば則ち行に於いて足らざる有り。これは正ならざるの節。九二は就きて是なり。】」
人而無克伐怨欲惟仁者能之有之而能制其情不行焉斯亦難能也謂之仁則未可也此原憲之問夫子答以知其為難而不知其為仁此聖人開示之深也【經說○克忮害伐驕矜怨忿恨欲貪慾四者皆生於人心之私也天理流行自無四者之累則仁矣四者有於中而能力制於外則亦可謂之難能然欲之根未除故未可謂之仁○朱子曰克己為仁者從根源上便斬截了更不復萌不行者但禁制其末不行於外耳若其本則著於心而未能去也】
伊川先生は言う。「人にして克・伐・怨・欲無きは、惟だ仁者のみ能く之。之を有して而も能く其の情を制して行わざれば、此れ亦た能なりと難し。之を仁と謂えば則ち未だ可ならず。これは原憲の問にして、夫子は其の難を為すを知るを以て答えて而も其の仁を為すを知らず。これは聖人の開示するの深きなり。【『経説』に出る。○克は是れ忮害、伐は是れ驕矜、怨は是れ忿恨、欲は是れ貪欲。四者は皆人心の私に生ず。天理流行して、自ら四者の累無ければ、則ち仁れり。四者は中に有りて能く外に制すれば、則ち亦た之を能なりと謂う可し。然るに欲の根は未だ除かず。だから未だ之を仁と謂う可からず。○朱熹は言う——己に克つは是れ根源の上より便ち斬截して更に復た萌えず。行わざるは但だ其の末を禁制して外に行わざるのみ。もし其の本は則ち心に着して而も未だ能く去らず。】」
明道先生曰義理與客氣常相勝只看消長分數多少為君子小人之別義理所得漸多則自然知得客氣消散得漸少消盡者是大賢【遺書下同○義理者性命之本然客氣者形氣之使然】或謂人莫不知和柔寛緩然臨事則反至於暴厲明道曰只是志不勝氣氣反動其心也【學以立志為本而後氣質可變化】人不能祛思慮只是吝吝故無浩然之氣【吝則為私意小智所纒繞而無浩然正大之氣】
明道先生は言う。「義理と客気とは常に相い勝つ。只だ消長分数の多少を看るに、君子小人の別と為る。義理の得る所は漸々多ければ、則ち自然に客気の消散して漸々少なきを知り得る。消尽するは是れ大賢。【『遺書』に出る、以下同じ。○義理は是れ性命の本然、客気は是れ形気の使然。】或いは人は莫れ和柔寛緩を知らざるなく、然るに事に臨めば則ち反って暴厲に至ると説く。明道曰く——「只是れ志は気に勝たず、気は反って其の心を動かす。【学は志を立つるを以て本と為し、而る後に気質は変化する可し。】」人は能く思慮を祛めず。只是れ吝なり。吝なるが故に浩然の気無し。【吝なれば則ち私意小智に纒繞せられて、而も浩然正大の気無し。】」
治怒為難治懼亦難克己可以治怒明理可以治懼【怒氣盛則不能自遏懼氣怯則不能自立故治之皆難然己私既克則一朝之忿有所不作矣物理既明則非理之懼有所不動矣】
程子曰く——「怒を治むるは難しと為り、惧を治むるも亦た難し。己に克てば以て怒を治む可し、理を明らかにすれば以て惧を治む可し。【怒気盛んなれば則ち能く自ら遏えず、惧気怯なれば則ち能く自立せず。だから之を治むるは皆難し。然るに己の私すでに克てば、則ち一朝の忿は作らざる所有り。物理すでに明らかなれば、則ち非理の惧は動かざる所有り。】」
堯夫解他山之石可以攻玉玉者溫潤之物若將兩塊玉來相磨必磨不成須是得個麤礪底物方磨得出譬如君子與小人處為小人侵陵則修省畏避動心忍性増益豫防如此便道理出來【邵康節先生名雍字堯夫解詩小雅鶴鳴篇君子與小人處為小人所侵陵則修省其身者必謹畏避小人者必嚴動心而不敢苟安忍性而不敢輕發增益其所不能豫防其所未至如此則德日進而理日明矣】
程子曰く——「尭夫は『他山の石、以て玉を攻む可し』を解して曰く——玉は是れ温潤の物。もし両塊の玉を将って来りて相磨かば必ず磨成らず。須く是れ箇の粗礪底の物を得て方に磨き出だすを得。譬えば君子と小人と処れば、小人の為に侵陵せられれば則ち修省畏避して心を動かし性を忍び、益を増し防を預す。此のごとくすれば便ち道理は出で来たる。【邵康節先生は名は雍、字は尭夫。『詩・小雅・鶴鳴』篇を解す。君子が小人と処りて、小人の侵陵する所と為れば、則ち其の身を修省する者は必ず謹し、小人を畏避する者は必ず厳なり。心を動かして苟安を敢てせず、性を忍びて軽発を敢てせず、其の能わざる所を増益し其の未だ至らざる所を預防す。此のごとくなれば則ち徳は日に進み理は日に明らかなり。】」
目畏尖物此事不得放過便與克下室中率置尖物須以理勝他尖必不刺人也何畏之有【人有目畏尖物者明道敎以室中率置尖物習見旣熟則不復畏之矣克己之功類當如此】
明道先生は言う。「目は尖物を畏る。此の事は放過するを得ず。便ち与に克し下す。室中に率いて尖物を置き、須く理を以て他に勝つべし——尖は必ず人を刺さず。何の畏れか之れ有らん。【人に目の尖物を畏る者有り。明道は室中に率いて尖物を置くを教う。見習うこと既に熟せば則ち復た畏れず。己に克つの功は類は当に此のごとくすべし。】」
明道先生曰責上責下而中自恕己豈可任職分【專務責人而不知責己是捨己職分而憂人之憂者也】
明道先生は言う。「上を責め下を責めて而も中は自ら己を恕す。豈に以て職分に任ず可けん。【専ら人を責むるを務めて己を責むるを知らざるは、是れ己の職分を舎てて人の憂いを憂う。】」
捨己從人最為難事己者我之所有雖痛舍之猶懼守己者固而從人者輕也【朱子曰此程子為學者言若聖人分上則不如此也】九德最好【臯陶曰亦行有九德寛而栗柔而立愿而恭亂而敬擾而毅直而溫簡而亷剛而塞強而義寛而莊栗則寛不至於弛和柔而卓立則柔不至於懦愿而恭則樸願而不専尚乎質亂治也亂而敬則整治而不徒事乎文蓋恭著於外敬守於中也馴擾而毅則擾不至於隨勁直而溫則直不至於訐簡大者或規矩之不立今有亷隅則簡不至於疎剛者或傷於果斷今塞實而篤厚則剛不至於虐強力者或徇血氣之勇今有勇而義則強不至於暴蓋遊氣紛擾萬有不齊其生人也有氣稟之拘自非聖人至清至厚至中至正渾然天理無所偏雜蓋自中人以下未有不滯於一偏者惟能就其氣質之偏窮理克己矯揉以歸於正則偏者可全矣是知學問之道在理虞之際其論德已如是之密矣】
程子曰く——「己を舎てて人に従うは最も難き事と為る。己は是れ我の有する所。痛く之を舎つと雖も、猶ほ己を守る者は固く人に従う者は軽きを惧る。【朱熹は言う——此れは程子が学者の為に言う。もし聖人の分上は則ち此のごとくならず。】九徳は最も好し。【皋陶曰く——亦た行に九徳有り——寛にして栗、柔にして立、愿にして恭、乱にして敬、擾にして毅、直にして温、簡にして廉、剛にして塞、強にして義。寛弘(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落、「弘」と読むを按す)にして荘栗なれば、則ち寛は弛に至らず。和柔にして卓立すれば、則ち柔は懦に至らず。愿にして恭なれば、則ち朴愿にして専ら質を尚ばず。「乱」は是れ治。乱にして敬なれば則ち整治して徒らに文に事えず——恭は外に著り、敬は中に守る。馴擾にして毅なれば、則ち擾は随に至らず。勁直にして温なれば、則ち直は訐に至らず。簡大の者は或いは規矩の立たざる有り。今廉隅有れば則ち簡は疎に至らず。剛の者は或いは果断に傷く有り。今塞実にして篤厚なれば則ち剛は虐に至らず。強力の者は或いは血気の勇に徇る有り。今勇有りて義なれば則ち強は暴に至らず。游気紛擾にして万有斉からず。其の人を生ずるや気禀の拘有り。自ら聖人の至清至厚・至中至正・渾然として天理・偏雑する所無きに非ざれば、蓋し自ら中人以下は未だ一偏に滞らざる有らず。惟だ能く其の気質の偏に就きて、理を窮め己に克ち、矯揉して以て正に帰せば、則ち偏る者は全うする可し。是れ学問の道は理欲の際に在りて、其の徳を論ずる已に此のごときの密なるを知るなり。】」
飢食渴飲冬裘夏葛若致些私吝心在便是廢天職【食飲衣服各有當然之則是天賦之職分也有一毫私己貪吝之意即是廢天職】
程子曰く——「飢えれば食い渇けば飲み、冬は裘し夏は葛す。もし些の私吝の心を致す有れば、便ち是れ天職を廃す。【食い飲み衣服は各々当然の則有り。是れ天の賦うの職分。一毫の私己貪吝の意有れば、即ち是れ天職を廃す。】」
獵自謂今無此好周茂叔曰何言之易也但此心潛隱未發一日萌動復如前矣後十二年因見果知未也【本注云明道年十六七時好田獵十二年暮歸在田野間見田獵者不覺有喜心○周子用功之深故知不可易言程子治心之密故能隨寓加察在學者警省克治之力尤不可以不勉也】
程子曰く——「猟は、自ら今此の好無しと謂う。周茂叔曰く——何ぞ之を言うの易きや。但だ此の心は潜隠して未だ発せず。一日萌動すれば復た前のごとくなれり。後に十二年に因りて見るに、果して未だなりと知れり。【本注——明道は年十六七の時田猟を好めり。十二年暮れに帰るに、田野の間に於いて田猟する者を見て、覚えず喜びの心有り。○周子は功を用いること深し。だから易く言う可からざるを知る。程子は心を治むること密なり。だから能く寓に随いて察を加う。学者に在りては、警省克治の力は尤も以て勉めざる可からず。】」
伊川先生曰大抵人有身便有自私之理宜其與道難一【人有耳目鼻口四肢自然有私己之慾惟能克己然後合天理之公】
伊川先生は言う。「大抵人は身有れば便ち自私の理有り。其の道と難しきこと一たるに宜しきかな。【人は耳目鼻口四肢有りて、自然に私己の欲有り。惟だ能く己に克てば、然る後に天理の公に合す。】」
罪己責躬不可無然亦不當長留在心胷為悔【有過自責乃羞惡之心然已徃之失長留愧怍應酬之間反為繫累】
程子曰く——「己を罪め躬を責むるは無くある可からず。然るに亦た当に長く心胸に留めて悔と為すべからず。【過有りて自ら責むるは乃ち羞悪の心。然るに已往の失は長く愧怍を留めば、應酬の間に反って繋累と為る。】」
所欲不必沉溺只有所向便是欲【一念外馳所向旣差即是欲也】明道先生曰子路亦百世之師【本注云人告之以有過則喜○聞過而喜則好善也誠改過也速子路以兼人之勇而用之於遷善改過其進德也庸可既乎是足為百世師矣】人語言緊急莫是氣不定否曰此亦當習習到言語自然緩時便是氣質變也學至氣質變方是有功
程子曰く——「欲する所は必ずしも沈溺せず。只だ向かう所有れば便ち是れ欲。【一念外に馳せ、向かう所すでに差れば、即ち是れ欲。】」明道先生は言う。「子路も亦た百世の師。【本注——人が之に告げるに過有りを以てせば則ち喜ぶ。○過を聞いて喜べば則ち善を好むこと誠にして過を改むること速やかなり。子路は人を兼ぬるの勇を以てして之を善に遷り過を改むるに用う。其の徳に進むや、庸り以て既んや。是れ百世の師と為るに足れり。】人は言語緊急なるは、莫れ是れ気の定まらざるか。」曰く——「此れ亦た当に習うべし。習いて言語自然に緩なる時に到れば、便ち是れ気質変えれり。学は気質変わるに至りて、方に是れ功有り。」
問不遷怒不貳過何也語錄有怒甲不遷乙之說是否伊川曰是曰若此則甚易何待顔子而後能曰只被說得麤了諸君便道易此莫是最難須是理防得因何不遷怒【怒甲而不遷其怒於乙槩而觀之則稟性和平者若皆可能然以身驗其實而求其所以不遷怒之由則非此心至虛至明喜怒各因乎物舉無一毫之私意者殆未易勉強而能也○朱子曰顔子見得道理透故怒於甲者雖欲遷於乙亦不可得遷也】如舜之誅四凶怒在四凶舜何與焉蓋因是人有可怒之事而怒之聖人之心本無怒也譬如明鏡好物來時便見是好惡物來時便見是惡鏡何嘗有好惡也【聖人之心因事當怒者而怒之是怒因物而生不自我而作也又豈有之於己耶譬明鏡照物妍媸在物鏡未嘗自有妍媸也】世之人固有怒於室而色於市且如怒一人對那人說話能無怒色否有能怒一人而不怒別人者能忍得如此已是煞知義理者若聖人因物而未嘗有怒此莫是甚難【怒氣易發而難制世固有怒於其室而作色於市人者其遷怒也甚矣有能自禁持怒此人而不以餘怒加辭色於他人者已不易得況乎物各付物而喜怒不有於我者豈非甚難者耶】君子役物小人役於物今見可喜可怒之事自家著一分陪奉他此亦勞矣聖人之心如止水【役物者我常定役於物者逐物而往聖人之心常湛然如止水無有一毫作好作惡】
問う——怒を遷さず過を貳たずとは、何ぞや。『語録』に甲に怒りて乙に遷さずの説有り。是なりや非なりや。伊川曰く——「是なり。」問う——もし此のごとくなれば則ち甚だ易し。何をか顔子を待ちて後に能くせん。曰く——「只だ説き得て粗きに被れり。諸君は便ち易しと道う。此れ莫れ最も難きか。須く是れ何を因りてか怒を遷さざるを理会し得るべし(底本は「理防」)。【甲に怒りて其の怒を乙に遷さず。槩して之を観れば、則ち禀性平和の者は皆能なりのごとし。然るに身を以て其の実を験して其の怒を遷さざる所以の由を求めれば、則ち此の心の至虚至明・喜怒は各々物に因り・挙げて一毫の私意無き者に非ざれば、殆ど未だ勉強して能くするに易からず。○朱熹は言う——顔子は道理を見ること透徹す。だから甲に怒る者は乙に遷さんと欲すと雖も亦た遷すを得ず。】舜の四凶を誅するがごとき、怒は四凶に在り。舜は何ぞ与らん。蓋し是れ人に怒る可きの事有るに因りて之に怒る。聖人の心は本より怒無し。譬えば明鏡のごとく、好物来たれば便ち是れ好と見え、悪物来たれば便ち是れ悪と見ゆ。鏡は何ぞ曽て好悪有らん。【聖人の心は事の当に怒るべき者に因りて之に怒る。是れ怒は物に因りて生じ我より作さず。又た豈に之を己に有さんや。譬えば明鏡の物を照らすがごとく、妍媸は物に在り。鏡は未だ曽て自ら妍媸有らず。】世の人は固より室に於いて怒りて而も市に於いて色を作す有り。且つ一人に怒るがごとき、彼の人に対して話説するに能く怒色無からんや。能く一人に怒りて別人に怒らざる有るは、能く此のごとく忍ぶを得るは、已に是れ煞に義理を知る者。もし聖人は物に因りて而も未だ曽て怒有らざれば、此れ莫れ是れ甚だ難きか。【怒気は発し易くして制し難し。世は固より其の室に於いて怒りて市人に色を作す有り。其の怒を遷するや甚し。能く自ら禁持して此の人に怒りて余怒を以て他人に辞色を加えざる有るは、已に得るに易からず。況んや物各々物に付して而も喜怒は我に有ること有らざるをや。豈に甚だ難きに非ざらんや。】君子は物を役し、小人は物に役せらる。今喜ぶ可し怒る可きの事を見れば、自家は一分を着けて他に陪奉す。此れ亦た労れり。聖人の心は止水のごとし。【物を役する者は我常に定まり、物に役せらる者は物を逐うて往く。聖人の心は常に湛然として止水のごとく、一毫の好を作し悪を作す有る無し。】」
人之視最先非禮而視則所謂開目便錯了次聽次言次動有先後之序人能克己則心廣體胖仰不愧俯不怍其樂可知有息則餒矣【外書下同○朱子曰此數語極有味又曰當初亦知是好語謾錄於此今看來直是恁地好○身心無私慾之累自然安舒俯仰無所愧怍自然快樂少有間斷則自視欿然矣】
程子曰く——「人の視るは最も先。礼に非ずして視れば、則ちいわゆる目を開けば便ち錯えれり。次は聴、次は言、次は動、先后の序有り。人は能く己に克てば、則ち心広く体胖やかにして、仰いで愧じず俯して怍じず。其の楽しみは知る可し。息有れば則ち餒えれり。【『外書』に出る、以下同じ。○朱熹は言う——此の数語は極めて味有り。また曰く——当初も亦た是れ好語と知り、谩りて此に録す。今看れば直ちに是れ恁地に好し。○身心に私欲の累無ければ、自然に安舒。俯仰して愧怍する所無ければ、自然に快楽。少しく間断有れば則ち自ら視て歉然たり。】」
聖人責己感也處多責人應也處少【聖人所謂厚於責己而薄於責人者非若後世欲為長厚之意蓋有感而後有應責人之應而不自反其感之之道則是薄於本而厚望於末無是理也】
程子曰く——「聖人は己を責めて感ずるは処多く、人を責めて應ずるは処少なし。【聖人のいわゆる己を責むるに厚く人を責むるに薄きは、後世の長厚と為らんと欲するの意のごとくに非ず。蓋し感有りて後に應有り。人を責むるの應にして自ら其の感ずるの道に反らざれば、則ち是れ本に薄くして末に望むこと厚し。是の理無し。】」
謝子與伊川別一年往見之伊川曰相別一年做得甚工夫謝曰也只去個矜字曰何故曰子細檢防得來病痛盡在這裡若按伏得這個罪過方有向進處伊川點頭因語在坐同志者曰此人為學切問近思者也【按胡文定公問上蔡矜字罪過何故恁地大謝曰今人做事只管要誇耀別人耳目渾不闗自家受用事有底人食前方丈便向人前吃只蔬食菜羹卻去房裡吃為甚恁地愚謂充謝子為己之學則一切外物皆不足以動其心矣】思叔詬詈僕伕伊川曰何不動心忍性思叔慙謝【說見孟子○朱子曰動心忍性謂悚動其心堅忍其性然所謂性者亦指氣稟而言耳】
謝子は伊川と別れて一年、往きて之を見る。伊川曰く——「相別れて一年。甚の工夫をか做り得たり。」謝曰く——「亦た只だ箇の矜の字を去るのみ。」何故を問う。曰く——「仔細に検点して(底本は「検防」)来れば、病痛は尽くここに在り。もし此の罪過を按伏し得れば、方に向かい進む処有り。」伊川は点头す。因りて坐に在る同志に対して曰く——「此の人は学を為すに、切問近思する者なり。【胡文定公が上蔡に問うを按ず——矜の字の罪過は何故に恁地に大なり。謝曰く——今人は事を做すに只管に別人の耳目に夸耀せんと要し、渾として自家の受用に関わらず。事有り底の人は食前方丈なれば便ち人前に向かいて喫う。只だ蔬食菜羹は却って房裏に去りて喫う。為に甚だ恁地なる。葉采按——謝子の己が為の学を充てれば、則ち一切の外物は皆其の心を動かすに足らず。】」思叔は僕夫を詬詈す。伊川曰く——「何ぞ心を動かし性を忍ばざる。」思叔は慚じて謝す。【説は『孟子』に見る。○朱熹は言う——心を動かし性を忍ぶは其の心を悚動し其の性を堅忍す。然るにいわゆる性も、亦た気禀を指して言う。】
見賢便思齊有為者亦若是見不賢而內自省蓋莫不在已【說見論語○見人有善即思自勉則誰不可及見人不善惟當自省亦無非反己之地】橫渠先生曰湛一氣之本攻取氣之慾口腹於飲食鼻舌於臭味皆攻取之性也知德者屬厭而已不以嗜慾累其心不以小害大末喪本焉耳【正防下同○湛而不動一而不雜者氣之本體也飲食臭味之嗜而營求攻取於外者氣之動於欲者也攻取之性即氣質之性屬足也屬厭猶飫足也君子知德之本故凡飲食臭味才取足而已不以嗜好之末而累此心之本也孟子所謂不以口腹累心毋以小害大賤害貴是也】
程子曰く——「賢を見れば便ち斉らかならんことを思い、為す有る者は亦た是のごとし。不賢を見て内に自ら省るは、蓋し己に在らざる莫し。【説は『論語』に見る。○人の善有るを見れば即ち自ら勉めんことを思えば、則ち誰か及ぶ可からざらん。人の不善を見れば惟だ当に自ら省るべし。亦た己に反るの地に非ざる無し。】」横渠先生は言う。「湛一は是れ気の本、攻取は是れ気の欲。口腹の飲食に於ける、鼻舌の臭味に於ける、皆攻取の性。徳を知る者は属厭するのみ。嗜欲を以て其の心に累せず、小を以て大を害せず末を以て本を喪わずのみ。【『正蒙』に出る(底本は「正防」)、以下同じ。○湛として動かず一にして雑らざるは、是れ気の本体。飲食臭味の嗜みて外に営求攻取するは、是れ気の欲に動くなり。攻取の性は即ち気質の性。「属」は是れ足る。属厳は猶ほ飫足のごとし。君子は徳の本を知る。だから凡そ飲食臭味は才だ足るを取るのみ。嗜好の末を以て而も此の心の本に累せず。孟子のいわゆる口腹を以て心に累せず・小を以て大を害せず賤を以て貴を害せざれば就きて是なり。】」
纖惡必除善斯成性矣察惡未盡雖善必麤矣【成性者全其本然之天】
横渠先生は言う。「繊悪は必ず除く。善は斯に性を成せれり。悪を察すること未だ尽きざれば、善と雖も必ず粗れり。【性を成すは其の本然の天を全うするなり。】」
惡不仁故不善未嘗不知徒好仁而不惡不仁則習不察行不著【人能惡不仁則其察已也精有不善必知之矣苟徒知仁之可好而不知不仁之可惡則所習者或未之察所行者或未之明雖有好仁之心而卒陷於不仁而莫之覺矣】是故徒善未必盡義徒是未必盡仁好仁而惡不仁然後盡仁義之道【徒好仁而不惡不仁則雖有向善之意而無斷制之明故曰未必盡義徒惡不仁而不好仁則雖有去非之意而無樂善之誠故曰未必盡仁】
横渠先生は言う。「不仁を悪む。だから不善は未だ曽て知らざるなし。徒らに仁を好みて不仁を悪まざれば、則ち習は察せず行は著せず。【人は能く不仁を悪めば、則ち其の己を察するや精なり。不善有れば必ず之を知る。もし徒らに仁の好む可きを知りて不仁の悪む可きを知らざれば、則ち習う所は或いは之を察せず、行う所は或いは之を明らかにせず。仁を好むの心有ると雖も而も卒に不仁に陥りて之を覚る莫し。】だから徒らに善は未だ必ずしも義を尽くさず、徒らに是は未だ必ずしも仁を尽くさず。仁を好みて不仁を悪めば、然る後に仁義の道を尽くす。【徒らに仁を好みて不仁を悪まざれば、則ち善に向かうの意有ると雖も而も断制の明無し。だから未だ必ずしも義を尽くさずと言う。徒らに不仁を悪みて仁を好まざれば、則ち非を去るの意有ると雖も而も善を楽しむの誠無し。だから未だ必ずしも仁を尽くさずと言う。】」
責己者當知無天下國家皆非之理故學至於不尤人學之至也【處世有乖違豈在人者皆非在我者皆是以此存心則惟務盡已不必咎人也】有潛心於道忽忽為他慮引去者此氣也舊習纒繞未能脫灑畢竟無益但樂於舊習耳【舊習未除志不勝氣則心慮紛雜】古人慾得朋友與琴瑟簡編常使心在於此惟聖人知朋友之取益為多故樂朋友之來【橫渠論語說○朋友有講習責善之義琴瑟有調適性情之用簡編有前言往行之識朝夕於是則心有所養而習俗放僻之念不作矣然三者之中朋友之益尤多故有朋自遠方來所以樂也】
横渠先生は言う。「己を責むる者は当に「天下国家皆是ならず」の理無きを知るべし。人を尤めざるに至るを学ぶ所以は、是れ学の至り。【世に処りて乖違有れば、豈に人に在る者は皆非ならずして我に在る者は皆是ならんや。此を以て心を存せば、則ち惟だ己を尽くすを務めて、必ずしも人を咎めず。】道に潜心して、忽忽として他慮の引き去る所と為る有り。これは気。旧習纒繞して未だ能く脱洒せず。畢竟益無し。但だ旧習を楽しむのみ。【旧習は未だ除かれず志は気に勝たず。則ち心慮紛雑なり。】古人は朋友と琴瑟簡編とを得んと欲し、常に心を此に在らしめたり。惟だ聖人は朋友の益を取るの多きを知る。だから朋友の来たるを楽しむ。【横渠『論語説』に出る。○朋友は講習して善を責むるの義有り、琴瑟は性情を調適するの用有り、簡編は前言往行の識有り。朝夕に是に於いてすれば則ち心は養う所有りて、而も習俗放僻の念は作らず。然るに三者の中に朋友の益は尤も多し。だから朋有りて遠方より来たるは、楽しむ所以なり。】」
矯輕警惰【語錄下同○輕則浮躁惰則弛慢二者為學之大患然輕者必惰雖二病而實相因其進銳者其退速輕與惰之謂也】
横渠先生は言う。「軽きを矯め惰に警む。【『語録』に出る、以下同じ。○軽ければ則ち浮躁、惰ければ則ち弛慢。二者は学を為すの大患。然るに軽き者は必ず惰る。二病と雖も而も実は相い因る——其の進むや鋭き者は其の退くや速し。就きて是れ軽と惰なり。】」
仁之難成乆矣人人失其所好蓋人人有利慾之心與學正相背馳故學者要寡慾【仁者天理之公利慾者人心之私故背馳】君子不必避他人之言以為太柔太弱至於瞻視亦有節視有上下視高則氣髙視下則心柔故視國君者不離紳帶之中學者先須去其客氣其為人剛行【音項】終不肯進堂堂乎張也難與併為仁矣【學者當去輕傲之氣存恭謹之心剛行麤暴也其為人麤暴必不肯遜志務學而亦終不能深造於道子張氣貌高亢而無收斂誠實之意故曽子以為難與併為仁】蓋目者人之所常用且心常托之視之上下且試之已之敬傲必見於視所以欲下其視者欲柔其心也柔其心則聽言敬且信【心之神寓於目故目視高下而心之敬傲可見心柔者聴人之言必敬且信而不敢怠慢矣】人之有朋友不為燕安所以輔佐其仁今之朋友擇其善柔以相與拍肩執袂以為氣合一言不合怒氣相加朋友之際欲其相下不倦故於朋友之間主其敬者日相親與得效最速【始則氣輕而苟於求合終則負氣而不肯相下若是者其果有益於己乎故朋友之間以謙恭為主則其相親之意無厭相觀之效尤速】仲尼嘗曰吾見其居於位也與先生並行也非求益者欲速成者則學者先須溫柔溫柔則可以進學【闕里童子居則當位行則與先生並蓋輕傲而不循禮故夫子以為非能求益者但欲速於成人而已故學者當以和順為先則謙虛恭謹有以為進學之地】詩曰溫溫恭人維德之基蓋其所益之多【詩大雅抑篇溫和恭敬為德之本】
横渠先生は言う。「仁の成し難きは久し。人人其の好む所を失う。人人に利欲の心有るに因りて、学と正に相い背馳す。だから学者は要して欲を寡くせん。【仁は是れ天理の公、利欲は是れ人心の私。だから相い背馳す。】君子は必ずしも他人の言を避けて以て太柔太弱と為さず。瞻視に至っては亦た節有り——視に上下有り。高く視れば則ち気高く、下に視れば則ち心柔らかし。だから国君を視る者は紳帯の中に離れず。学者は先に須く其の客気を去るべし。其の人と為りや剛行【注音——「行」は項に音す】なれば、終に肯んじて進まず。「堂堂たるかな張也」——与に並びて仁を為すに難し。【学者は当に軽傲の気を去り恭謹の心を存すべし。「剛行」は是れ粗暴。其の人と為りや粗暴なれば、必ず肯んじて志を遜びて学を務めず、而も亦た終に能く道に深造する能わず。子張は気貌高亢にして収斂誠実の意無し。だから曽子は以て与に並びて仁を為すに難しと為す。】蓋し目は是れ人の常用する所にして、且つ心は常に之に托す。之を視るの上下は、且く之を試みよ——己の敬傲は必ず視に見ゆ。だから其の視を下らんと欲する者は、其の心を柔らかならんと欲す。其の心を柔らかにすれば則ち言を聴くこと敬にして且つ信。【心の神は目に寓る。だから目の視る高下にして而も心の敬傲は見る可し。心柔らかなる者は人の言を聴くに必ず敬にして且つ信にして、而も敢て怠慢せず。】人の朋友有るは、燕安を為さず。其の仁を輔佐する所以。今の朋友は其の善柔を擇びて以て相い与し、肩を拍ち袂を執りて以て気合と為し、一言合わざれば怒気相い加わる。朋友の際は其の相い下りて倦まざるを欲す。だから朋友の間に於いて其の敬を主とする者は日に相い親与し、効を得ること最も速やかなり。【始めは則ち気軽くして苟くも合を求め、終には則ち気を負いて肯んじて相い下らず。もし是のごとき者は其れ果して己に益有るか。だから朋友の間は謙恭を以て主と為れば、則ち其の相い親しむの意は厭う無く、相い観るの効は尤も速やかなり。】仲尼は曽て曰く——「吾れ其の位に居るを見、先生と並びて行くを見る。是れ益を求める者に非ず、速成せんと欲する者なり。」則ち学者は先に須く温柔なるべし。温柔なれば則ち以て学に進む可し。【闕里の童子は居れば則ち位に当たり、行けば則ち先生と与に並ぶ。是れ軽傲にして礼に循わず。だから夫子は以て能く益を求める者に非ずと為す。但だ成人に速かならんと欲するのみ。だから学者は当に和順を以て先と為すべし。則ち謙虚恭謹は以て学に進むの地と為る有り。】『詩』に曰く——温温たる恭人、徳の基と維れ。蓋し其の益するの多き所以。【『詩・大雅・抑』篇。温和恭敬は徳の本と為る。】」
世學不講男女從幼便驕惰壞了到長益兇很只為未嘗為子弟之事則於其親己有物我不肯屈下病根常在又隨所居而長至死只依舊為子弟則不能安灑掃應對在朋友則不能下朋友有官長則不能下官長為宰相則不能下天下之賢甚則至於徇私意義理都喪也只為病根不去隨所居所接而長人須一事事消了病則義理常勝【後世小學既廢父母愛逾於禮恣之驕惰而莫為禁止病根既立隨寓隨長卒至盡失其良心蓋有自來學者所當察其病源力加克治則舊習日消而道心日長矣】
横渠先生は言う。「世学は講せられず。男女は幼きより便ち驕惰に壊れ、長ずるに到りて益々凶狠。只だ未だ曽て子弟の事を為さざる為めなり。則ち其の親に於いて已に物我有りて肯んじて屈下せず。病根は常に在りて、又た居る所に随いて長ず。死に至るまで只だ依旧なり。子弟と為れば則ち能く洒掃應對に安んぜず、朋友に在れば則ち能く朋友に下らず、官長有れば則ち能く官長に下らず、宰相と為れば則ち能く天下の賢に下らず。甚しきは則ち私意に徇りて義理は皆喪えりに至る。只だ病根の去らざる為め、居る所接する所に随いて長ず。人は須く一事事病を消せば、則ち義理は常に勝つ。【後世は小學すでに廃れ、父母の愛は礼に逾え、之に恣して驕惰にして禁止するを為さず。病根すでに立ち、寓に随い長に随い、卒に至りて其の良心を尽く失う。蓋し自ら来る所有り。学者は当に其の病源を察し力を加えて克治すべし。則ち旧習は日に消えて道心は日に長ぜん。】」
近思錄卷五
近思録巻五
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思錄卷六宋朱子呂祖謙同編
近思録巻六 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
家道【凡二十二條】
家道【凡そ二十二条】
此卷論齊家蓋克己之功旣至則施之家而家可齊矣
この巻は家を斉えるを論ず。己に克つの功すでに至れば、則ち之を家に施せば家は斉う可し。
伊川先生曰弟子之職力有餘則學文不修其職而學非為己之學也【經解說見論語為弟為子者其職在於孝弟而已行之有餘力而後可學詩書六藝之文職有未盡而急於學文則是徒欲人之觀美非為己之學也】
伊川先生は言う。「弟子の職は、力余り有れば則ち文を学ぶ。其の職を修めずして学ぶは、是れ己が為の学に非ず。【『経解』に出る。説は『論語』に見る。弟と為り子と為る者は其の職は孝弟に在るのみ。之を行うて余力有りて後に乃ち詩書六芸の文を学ぶ可し。職未だ尽くさざる有りて文を学ぶに急なれば、則ち是れ徒らに人の観美せんと欲するのみ。己が為の学に非ず。】」
孟子曰事親若曽子可也未嘗以曽子之孝為有餘也蓋子之身所能為者皆所當為也【易傳下同○師卦九二傳可者僅足而無餘之稱竭其所當為無過外也】
伊川先生は言う。「孟子曰く——親に事えるは曽子の若くば可なり。未だ曽て曽子の孝を以て有余と為さず。子の身の能く為す所は、皆当に為すべき所なればなり。【『易伝』に出る、以下同じ。○『師』卦九二伝。「可」は是れ僅かに足りて余無きの称。其の当に為すべき所を竭くして外に過ぎる無し。】」
幹母之蠱不可貞子之於母當以柔巽輔導之使得於義不順而致敗蠱則子之罪也【蠱卦九二傳幹治也蠱事之弊也人子事親皆當以承順為主使事得於理而已然婦人柔暗有難以遽曉尤當以柔巽行之比之事父又有間矣但為矯拂而反害其所治之事則子之過也】從容將順豈無道乎若伸已剛陽之道遽然矯拂則傷恩所害大矣亦安能入乎在乎屈己下意巽順將承使之身正事治而已剛陽之臣事柔弱之君義亦相近【以剛直之資遽為矯拂內則傷恩而有害天倫之重外則敗事而卒廢幹蠱之功剛陽之臣事柔弱之君若孟子於齊宣王諸葛孔明於蜀後主是也】
伊川先生は言う。「母の蠱を幹す、貞にする可からず。子の母に於いてするは、当に柔巽を以て輔導して、義に得るを得しむべし。順わずして敗蠱を致せば、則ち子の罪。【『蠱』卦九二伝。「幹」は是れ治、「蠱」は是れ事の弊。人子は親に事えるに皆当に承順を以て主と為し、事をして理に得せしむるのみ。然るに婦人は柔暗にして、以て遽に暁らしめ難き有り。尤も当に柔巽を以て之を行うべし。父に事えるに比べて又た間有り。但し矯拂と為りて反って其の治むる所の事を害せば、則ち子の過。】従容として将順せば、豈に道無からんや。もし己の剛陽の道を伸ばして遽然として矯拂せば、則ち恩を傷き、害する所は大なり。亦た安んぞ能く入らんや。己を屈し意を下げ巽順にして将承するに在りて、之をして身正しく事治まらしむるのみ。剛陽の臣は柔弱の君に事えるは、義も亦た相近し。【剛直の資を以て遽に矯拂を為せば、内は則ち恩を傷きて而も天倫の重きを害する有り、外は則ち事を敗りて而も卒に幹蠱の功を廃す。剛陽の臣が柔弱の君に事えるは、孟子の斉宣王に於ける・諸葛亮の蜀後主に於けるがごとき就きて是なり。】」
蠱之九三以陽處剛而不中剛之過也故小有悔然在巽體不為無順順事親之本也又居得正故無大咎然有小悔已非善事親也【九爻陽而三位剛位又不中剛過乎中者也事親而過剛不能無悔矣然蠱之下卦為巽巽者順也又陽爻居陽位居得其正則亦不至大過故無大咎也但謂之小悔則於事親之道已非盡善者矣】
伊川先生は言う。「『蠱』の九三は陽を以て剛に処りて而も中ならず。剛の過。だから小さく悔有り。然るに巽体に在りて、順無きと為さず。順は是れ親に事えるの本。又た居りて正を得。だから大咎無し。然るに小悔有れば、已に善く親に事えるに非ず。【九爻は是れ陽にして三位は是れ剛位。又た中ならず。剛は中に過ぐ。親に事えて剛に過ぐれば、能く悔無き能わず。然るに蠱の下卦は巽と為る。巽は是れ順。又た陽爻は陽位に居り、居りて其の正を得れば、則ち亦た大過に至らず。だから大咎無し。但し之を小悔と謂えば、則ち親に事えるの道に於いて已に善を尽くすに非ず。】」
正倫理篤恩義家人之道也【家人卦彖傳正倫理則尊卑之分明篤恩義則上下之情合二者並行而後處家之道得矣然必以正倫理為先未有倫理不正而恩義可篤者也】
伊川先生は言う。「倫理を正しくし恩義を篤くするは、是れ家人の道。【『家人』卦彖伝。倫理を正しくすれば則ち尊卑の分明らかに、恩義を篤くすれば則ち上下の情合す。二者並び行われて後に家に処るの道は了れり。然るに必ず倫理を正しくするを以て先と為すべし。未だ倫理正しからずして恩義の篤くする可き有らず。】」
人之處家在骨肉父子之間大率以情勝禮以恩奪義惟剛立之人則能不以私愛失其正理故家人卦大要以剛為善【家人卦六二傳相親附猶骨之於肉】
伊川先生は言う。「人の家に処るは、骨肉父子の間に在りて、大率情を以て礼に勝ち恩を以て義を奪う。惟だ剛立の人は則ち能く私愛を以て其の正理を失わず。だから『家人』卦の大要は剛を以て善と為す。【『家人』卦六二伝。相い親附するは、猶ほ骨の肉に於けるがごとし。】」
家人上九爻辭謂治家當有威嚴而夫子又復戒雲當先嚴其身也威嚴不先行於己則人怨而不服【上九威如終吉象曰威如之吉反身之謂也所貴治家之威者非徒繩治之嚴蓋必正己為本使在我持身謹嚴而無少縱弛則家人自然有所嚴憚而不敢逾越有所觀感而率歸於正凡御下之道皆然齊家本於修身則尤為切近】歸妹九二守其幽貞未失夫婦常正之道世人以媟狎為常故以貞靜為變常不知乃常久之道也【正靜乃相處可久之道媟狎則玩侮乖離所自生】
伊川先生は言う。「『家人』上九爻辞は家を治むるに当に威厳有るべしと謂う。而も夫子は又た復た戒めて曰く——当に先ず其の身を厳にすべし。威厳は先に己に於いて行わざれば、則ち人は怨みて服せず。【上九「威如、終に吉」。象に曰く——威如の吉は、身に反るの謂なり。家を治むるの威の貴ぶ所は、徒らに之を縄治するの厳に非ず。必ず己を正しくするを本と為す。我に在りて身を持すること謹厳にして少しの縦弛も無からしめば、則ち家人は自然に厳惮する所有りて敢て逾越せず、観感する所有りて率いて正に帰す。凡そ下を御するの道は皆然り。家を斉えるは身を修むるに本づけば、則ち尤も切近なり。】『帰妹』九二は其の幽貞を守る。未だ夫婦の常正の道を失わず。世人は媟狎を以て常と為す。だから貞静を以て常に変ずと為す。知らず、乃ち是れ常久の道。【正静は乃ち相い処りて久しき可きの道。媟狎は則ち玩侮乖離の生ずる所以。】」
世人多愼於擇壻而忽於擇婦其實壻易見婦難知所繫甚重豈可忽哉【遺書下同】
伊川先生は言う。「世人は多く婿を擇ぶに慎みて而も婦を擇ぶに忽なり。其の実は婿は見易く婦は知り難し。繋る所は甚だ重し。豈に忽ならん可けんや。【『遺書』に出る、以下同じ。】」
人無父母生日當倍悲痛更安忍置酒張樂以為樂若具慶者可矣【具慶謂父母俱存】
伊川先生は言う。「人は父母無ければ、生日は当に悲痛を倍すべし。更に安んぞ忍びて酒を置き楽を張りて以て楽しみと為さんや。もし具慶の者は可なり。【「具慶」は是れ父母倶に存するを言う。】」
問行狀雲儘性至命必本於孝弟不識孝弟何以能儘性至命也伊川曰後人便將性命別作一般說了性命孝弟只是一統底事就孝弟中便可儘性至命【伊川先生所作明道先生行狀孝弟者人道之本百行之原仁民愛物皆由是推之人能盡孝弟之道擴而充之至於極致則可以儘性至命矣朱子曰此與孝弟也者其為仁之本與一意又曰若是聖人如舜之孝王季之友便是儘性至命事】如灑掃應對與儘性至命亦是一統底事無有本末無有精粗卻被後來人言性命者別作一般高逺說故舉孝弟是於人切近者言之【天下無理外之事亦無事外之理即其末而本已存即其粗而精實具本末精粗非二致也】然今時非無孝弟之人而不能儘性至命者由之而不知也【今之孝弟者未必能儘性至命蓋行不著習不察故亦不能擴充之以抵作聖之極功】
問う——『行状』は性を尽くし命に至るは必ず孝弟に本づくと説く。孝弟は何以を以て能く性を尽くし命に至るを識らず。伊川曰く——「后人は便ち性命を把って別に一般に作りて説く。性命・孝弟は只だ是れ一統底の事。孝弟の中に就きて便ち以て性を尽くし命に至る可し。【伊川先生の作る所の明道先生『行状』。孝弟は是れ人道の本・百行の原。民を仁し物を愛するは皆是由りて推す。人は能く孝弟の道を尽くし、擴めて之を充てて極致に至れば、則ち以て性を尽くし命に至る可し。朱熹は言う——此れは「孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」と一意。また曰く——もし是れ聖人なれば、舜の孝・王季の友のごとき、便ち是れ性を尽くし命に至るの事。】洒掃應對と性を尽くし命に至るとは亦た是れ一統底の事。本末有る無く、精粗有る無し。却って後來人の性命を言う者は別に一般の高遠を作りて説くに被れり。だから孝弟を挙ぐるは、是れ人の切近なる者に於いて之を言う。【天下に理外の事無し。亦た事外の理無し。即ち其の末にして而も本已に存し、即ち其の粗にして而も精実に具わる。本末精粗は二致に非ず。】然るに今時は孝弟の人無きに非ずして而も能く性を尽くし命に至らざるは、是れ之に由りて而も知らざるに由る。【今の孝弟する者は未だ必ずしも能く性を尽くし命に至らず。行に著せず習に察せざるに因る。だから亦た能く之を擴充して以て聖を作るの極功に抵る能わず。】」
問第五倫視其子之疾與兄子之疾不同自謂之私如何伊川曰不待安寢與不安寢只不起與十起便是私也父子之愛本是公才著些心做便是私也【後漢第五倫傳或問倫曰公有私乎對曰吾兄子嘗病一夜十起退而安寢吾子有疾雖不省視而竟夕不眠若是者豈可謂無私乎人知安寢與不眠為私愛其子而不知十起與不起亦私意也蓋事事物物各有自然之理不容安排父子之愛天性今子疾不視而十起於兄子豈人情哉著意安排卽是私矣】又問視己子與兄子有間否曰聖人立法曰兄弟之子猶子也是欲視之猶子也【視兄弟之子亦如己子】又問天性自有輕重疑若有間然曰只為今人以私心看了孔子曰父子之道天性也此只就孝上說故言父子天性若君臣兄弟賓主朋友之類亦豈不是天性只為今人小看卻不推其本所由來故爾己之子與兄之子所爭幾何是同出於父者也只為兄弟異形故以兄弟為手足人多以異形故親己之子異於兄弟之子甚不是也又問孔子以公冶長不及南容故以兄之子妻南容以己之子妻公冶長何也曰此亦以己之私心看聖人也凡人避嫌者皆內不足也聖人至公何更避嫌凡嫁女各量其才而求配或兄之子不甚美必擇其相稱者為之配己之子美必擇其才美者為之配豈更避嫌耶若孔子事或是年不相若或時有先後皆不可知以孔子為避嫌則大不是如避嫌事賢者且不為況聖人乎【聖人所為至公無私安行乎天理何嫌之可避凡人避嫌者皆內有不足而不能自信者也】
問う——第五倫は其の子の疾を視ると兄子の疾と同じからず、自ら之を私と謂う。如何。伊川曰く——「安寝と不安寝とを待たず。只だ起たざると十たび起つとは便ち是れ私。父子の愛は本より是れ公。才だ些の心を著けて做せば便ち是れ私。【『後漢・第五倫伝』——或いは倫に問う——「公に私有りや。」対えて曰く——「吾が兄子は曽て病み、一夜十たび起つ。退きて安寝す。吾が子に疾有りて、省視せずと雖も而も竟夕眠らず。もし是のごとき者は豈に私無しと謂う可けん。」人は安寝と不眠とは其の子を私愛するを知るも、而も十たび起つと起たざるとも亦た私意なるを知らず。事事物物は各々自然の理有りて、安排を容れざるに因る。父子の愛は是れ天性。今子の疾を視ずして兄子に十たび起つは、豈に人情ならん。意を著けて安排すれば即ち是れ私。】」又た問う——己の子と兄子とを視るに間有るか否か。曰く——「聖人は法を立てて曰く——兄弟の子は猶ほ子のごとし。是れ之を視るに猶ほ子のごとくせんと欲するなり。【兄弟の子を視るも亦た己の子のごとし。】」又た問う——天性は自ら軽重有りて、疑いて若しくは間然たる有るがごとし。曰く——「只だ今人以て私心を以て看了せる為めなり。孔子曰く——父子の道は、天性なり。此れ只だ孝の上に就きて言う。だから父子は天性と言う。もし君臣・兄弟・賓主・朋友の類は、亦た豈に是れ天性に非ざらんや。只だ今人は小看して、却って其の本の由りて来る所を推さざる為めなり。己の子と兄の子とは争うこと幾何ならず、是れ同じく父に出づる者。只だ兄弟は形を異にする為め、だから兄弟を以て手足と為す。人は多く形を異にするを以て故に己の子を親しみて兄弟の子に異と為す。甚だ是ならず。」又た問う——孔子は公冶長は南容に及ばずを以て、だから兄の子を以て南容に妻し己の子を以て公冶長に妻せしめり。何ぞや。曰く——「此れ亦た以て己の私心を以て聖人を看る。凡そ人の嫌を避くる者は皆内に足らざる有り。聖人は公なる至り、何ぞ更に嫌を避けん。凡そ女を嫁ぐるは各々其の才を量りて而も配を求む——或いは兄の子は甚だ美ならざれば、必ず其の相称する者を擇びて之が配と為し、己の子が美なれば、必ず其の才美なる者を擇びて之が配と為す。豈に更に嫌を避けん。もし孔子の事は、或いは年は相若からず、或いは時に先后有り。皆知る可からず。孔子を以て嫌を避くと為せば則ち大いに是ならず。嫌を避くるの事のごとき、賢者は且く為さず。況んや聖人をや。【聖人の為す所は至公無私にして、天理に安行す。何の嫌か避く可き。凡そ人の嫌を避くる者は、皆内に足らざる有りて能く自ら信ぜず。】」
問孀婦於理似不可取如何伊川曰然凡取以配身也若取失節者以配身是己失節也【婦人從一而終者也再嫁為失節】又問或有孤孀貧窮無托者可再嫁否曰只是後世怕寒餓死故有是說然餓死事極小失節事極大【餓死事極小所惡有甚於死也】
問う——孀婦は理に於いて似て娶る可からず。如何。伊川曰く——「然り。凡そ娶るは以て身に配す。もし節を失う者を娶りて以て身に配せば、是れ己の節を失う。【婦人は一に従いて終わる。再嫁は失節と為る。】」又た問う——或いは孤孀貧窮して托する無き者は、再嫁する可きか否か。曰く——「只是れ後世は寒餓死を怕るるが故に、是の説有り。然るに餓死するは事は極めて小、節を失うは事は極めて大。【餓死するは事は極めて小、悪む所は死より甚だしき有り。】」
病臥於床委之庸醫比之不慈不孝事親者亦不可不知醫【外書下同】
伊川先生は言う。「病みて床に臥すに、之を庸医に委ぬ。之を不慈不孝に比す。親に事える者も亦た以て医を知らざる可からず。【『外書』に出る、以下同じ。】」
程子葬父使周恭叔主客客欲酒恭叔以告先生曰勿陷人於惡【周行已字恭叔臨喪飲酒非禮也】
程子は父を葬るに、周恭叔をして客を主らしむ。客は酒を欲す。恭叔は以て告ぐ。先生曰く——「人を悪に陥れ勿れ。【周行己は字は恭叔。喪に臨みて酒を飲むは礼に非ず。】」
買乳婢多不得已我不能自乳必使人然食己子而殺人之子非道必不得已用二子乳食三子足備他虞或乳母病且死則不為害又不為己子殺人之子但有所費若不幸致誤其子害孰大焉【幼吾幼以及人之幼其慮之周蓋如此】先公太中諱珦字伯溫前後五得任子以均諸父子孫嫁遣孤女必盡其力所得俸錢分贍親戚之貧者伯母劉氏寡居公奉養甚至其女之夫死公迎從女兄以歸敎養其子均於子侄旣而女兄之女又寡公懼女兄之悲思又取甥女以歸嫁之時小官祿薄克己為義人以為難【任子謂保任使之入仕諸父謂從父也】公慈恕而剛斷平居與幼賤處惟恐有傷其意至於犯義理則不假也左右使令之人無日不察其飢飽寒燠娶侯氏侯夫人事舅姑以孝謹稱與先公相待如賓客先公賴其內助禮敬尤至而夫人謙順自牧雖小事未嘗專必稟而後行仁恕寛厚撫愛諸庶不異己出從叔幼孤夫人存視常均己子治家有法不嚴而整不喜笞撲奴婢視小臧獲如兒女【男僕曰臧女僕曰獲】諸子或加呵責必戒之曰貴賤雖殊人則一也汝如是大時能為此事否先公凡有所怒必為之寛解唯諸兒有過則不掩也常曰子之所以不肖者由母蔽其過而父不知也夫人男子六人所存惟二其愛慈可謂至矣然於敎之之道不少假也才數歲行而或踣家人走前扶抱恐其驚啼夫人未嘗不呵責曰汝若安徐寧至踣乎飲食常置之坐側嘗食絮羹即叱止之曰幼求稱欲長當何如【絮羹調羹也禮不絮羹為其詳於味也】雖使令輩不得以惡言罵之故頤兄弟平生於飲食衣服無所擇不能惡言罵人非性然也敎之使然也與人爭忿雖直不右曰患其不能屈不患其不能伸及稍長常使從善師友遊雖居貧或欲延客則喜而為之具夫人七八歲時誦古詩曰女子不夜出夜出秉明燭自是日暮則不復出房閤既長好文而不為辭章見世之婦女以文章筆札傳於人者則深以為非【文集】
伊川先生は言う。「乳婢を買うは多く已むを得ず。我は能く自ら乳せず。必ず人を使う。然るに己の子を食わしめて而も人の子を殺すは、道に非ず。必ず已むを得ざれば、二子を用いて三子を乳食せしむれば、他虞を備うるに足れり。或いは乳母病みて且つ死せんとすれば、則ち害と為さず、又た己の子の為に人の子を殺さず。但だ費うる所有り。もし不幸にして其の子を誤らしめば、害は孰れか大ならん。【吾が幼を幼として以て人の幼に及ぼす。其の慮るの周なるは蓋し此のごとし。】先公太中は諱は珦、字は伯温。前后五たび任子を得て、以て諸父・子孫に均しきす。孤女を嫁遣するは必ず其の力を尽くす。得る所の俸銭は親戚の貧しき者に分かち贍う。伯母劉氏は寡居す。公は奉養すること甚だ至れり。其の女の夫死せば、公は従女兄を迎えて以て帰し、其の子を教養して子侄に均しきす。既而して女兄の女は又た寡し、公は女兄の悲思を惧れ、又た甥女を取りて以て帰りて之を嫁がす。時に小官は禄薄し。己に克ちて義を為す。人は以て難しと為す。【「任子」は是れ保任して之を入仕せしむるを言う。「諸父」は是れ従父。】公は慈恕にして剛断。平居に幼賤と処るに、惟だ其の意を傷つける有るを恐る。犯義理に至っては則ち假わず。左右使令の人は、日其の飢飽寒燠を察せざる無し。侯氏を娶る。侯夫人は舅姑に事えるに孝謹を以て称せられ、先公と相待つこと賓客のごとし。先公は其の内助に頼る。礼敬は尤も至れり。而も夫人は謙順にして自ら牧し、小事と雖も未だ曽て専らにせず。必ず禀げて後に行う。仁恕寛厚にして、諸庶を撫愛して己出に異ならず。従叔は幼くして孤なり。夫人は存視して常に己の子に均しきす。家を治むるに法有り。厳ならずして整う。奴婢を笞扑するを喜ばず。小臧獲を視ること児女のごとし。【男僕を臧と叫び、女僕を獲と叫ぶ。】諸子は或いは呵責を加えれば、必ず之を戒めて曰く——「貴賤は殊なりと雖も、人は則ち一なり。汝は是のごとき大なる時は能く此の事を為さんや否や。」先公は凡そ怒る所有れば、必ず之が為に寛解す。唯だ諸児に過有れば則ち掩わず。常に曰く——子の不肖なる所以は、母の其の過を蔽いて而も父の知らざるに由る。夫人は男子六人、存する所は惟だ二。其の愛慈は以て至れりと謂う可し。然るに之を教えるの道に於いて少しも假わず。才だ数歳にして、行きて或いは仆れば、家人は走り前りて扶抱して其の驚啼するを恐る。夫人は未だ曽て呵責せざらずして曰く——「汝もし安徐ならば、寧ぞ仆に至らんや。」飲食は常に之を坐側に置く。曽て絮羹を食えば即ち叱り止めて之に曰く——「幼にして欲に称うを求めば、長じて当に如何せん。」【絮羹は是れ羹を調る。『礼』は絮羹せず。其の味に詳ならんが為め。】使令輩と雖も悪言を以て之を罵るを得ず。だから頤兄弟は平生飲食衣服に於いて擇ぶ所無く、能く悪言を以て人を罵らず。性然るに非ず。之を教えるの然らしむるなり。人と争忿する与するは、直と雖も右せず。曰く——其の能く屈せざるを患え、其の能く伸べざるを患えず。稍長ずるに及びて、常に善師友に従りて游ばしむ。貧に居ると雖も、或いは客を延かんと欲すれば則ち喜びて之が為に具を為す。夫人は七八歳の時古詩を誦して曰く——「女子は夜出でず、夜出ずれば明燭を秉る。」自是より日暮れれば則ち復た房閣を出でず。既に長じて文を好みて而も辞章を為さず。世の婦女の文章筆札を以て人に伝うる者を見れば、則ち深く以て非と為す。【『文集』に出る。】」
橫渠先生嘗曰事親奉祭豈可使人為之【行狀○使人代為孝敬之心安在】
横渠先生は曽て曰く——「親に事え祭を奉ずるは、豈に人をして之を為さしむる可けん。【『行状』に出る。○人をして代わりて為さしむれば、孝敬の心は安んぞ在らん。】」
舜之事親有不悅者為父頑母嚚不近人情若中入之性其愛惡略無害理姑必順之【事親以順為主非甚不得已者固不可輕為矯拂也】親之故舊所喜者當極力招致以悅其親凡於父母賓客之奉必極力營辦亦不計家之有無然為養又須使不知其勉強勞苦苟使見其為而不易則亦不安矣【橫渠記說○所謂養志者也】
横渠先生は言う。「舜の親に事えるに悦ばざる者有るは、父頑にして母嚚にして人情に近からざるが為め。もし中人(底本は「中入」、当に「中人」の誤り)の性は、其の愛悪は略ほ理を害する無し。姑く必ず之に順うべし。【親に事えるは順を以て主と為す。甚だ已むを得ざる者に非ざれば、固より軽々しく矯拂を為すべからず。】親の故旧の喜ぶ所の者は、当に力を極めて招致して以て其の親を悦ばしむべし。凡そ父母の賓客の奉に於いては、必ず力を極めて営辦して、亦た家の有無を計らず。然るに養と為るは又た須く其の勉強労苦を知らしめざるべし。苟くも其の為すを見て易ならざれば、則ち亦た安んぜず。【横渠『記説』に出る。○いわゆる志を養う。】」
斯干詩言兄及弟矣式相好矣無相猶矣言兄弟宜相好不要相學猶似也人情大抵患在施之不見報則輟故恩不能終不要相學己施之而已【詩說下同○兄弟友愛盡其在我不可視報以為施兄友而弟不恭不可學弟而廢其友弟恭而兄不友不可學兄而廢其恭】
横渠先生は言う。「『斯干』の詩に曰く——兄及び弟よ、式に相い好め、相い猶る無かれ。是れ兄弟は宜しく相い好むべし、相い学ぶ勿れと言う。「猶」は是れ似。人情は大抵患は之を施して報を見ざれば則ち輟むに在り。だから恩は能く終わらず。相い学ぶ勿れ、己は之を施すのみ。【『詩説』に出る、以下同じ。○兄弟の友愛は其の我に在るを尽くす。報を視て以て施と為す可からず。兄は友して弟恭ならざれば、弟に学びて其の友を廃す可からず。弟は恭して兄友ならざれば、兄に学びて其の恭を廃す可からず。】」
人不為周南召南其猶正牆面而立常深思此言誠是不從此行甚隔著事向前推不去蓋至親至近莫甚於此故須從此始【宜其家人而後可以敎國人不然猶正牆面隔礙而不可通行也】婢僕始至本懷勉勉敬心若到所提掇更謹則加謹慢則棄其本心便習以成性故仕者入治朝則德日進入亂朝則德日退只觀在上者有可學無可學耳【語錄提掇謂提起警防之也】
横渠先生は言う。「人は『周南』『召南』を為さざれば、其れ猶ほ牆面に正して立つがごとし。常に此の言を深く思えば、誠に是なり。此に従いて行わざれば、甚だ事に隔たり、前に推して去らず。至親至近は此より甚だしきは莫きに因る。だから須く此より始まるべし。【其の家人に宜しきにして後に以て国人を教う可し。然らざれば猶ほ牆面に正するがごとく、隔碍して通行す可からず。】婢僕の始めて至るは、本より勉勉敬の心を懐く。もし提掇する所に到りて更に謹なれば則ち謹を加え、慢なれば則ち其の本心を棄つ。便ち習いて以て性を成す。だから仕える者は治朝に入れば則ち徳は日に進み、乱朝に入れば則ち徳は日に退く。只だ上に在る者の学ぶ可き・学ぶ可からざるを観るのみ。【『語録』に出る。「提掇」は是れ提起して之を警戒す(底本は「警防」)。】」
近思錄卷六
近思録巻六
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思錄卷七宋朱子呂祖謙同編
近思録巻七 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
出處【凡三十九條】
出処【凡そ三十九条】
此卷論出處之道蓋身旣修家旣齊則可以仕矣然去就取捨惟義之從所當審處也
この巻は出処の道を論ず。身すでに修まり家すでに斉えば、則ち以て仕う可し。然るに去就取舍は惟だ義の従う所。当に審らかに処るべし。
伊川先生曰賢者在下豈可自進以求於君苟自求之必無能信用之理古之人所以必待人君致敬盡禮而後徃者非欲自為尊大蓋其尊德樂道之心不如是不足與有為也【易傳下同○防卦彖傳賢者之進將以行其道也自非人君有好賢之誠心則諫不行言不聽豈足以有為哉】
伊川先生は言う。「賢者は下に在り。豈に自ら進みて以て君に求めん可けんや。苟くも自ら之を求めば、必ず能く信用するの理無し。古の人の必ず人君の敬を致し礼を尽くして後に往くを待つ所以は、自ら尊大を為さんと欲するに非ず。蓋し其の徳を尊び道を楽しむの心は此のごとくならざれば、与に為す有るに足らず。【『易伝』に出る、以下同じ。○『蒙』卦(底本は「防卦」)彖伝。賢者の進むは将に其の道を行わんとす。自ら人君の賢を好むの誠心に非ざれば、則ち諫は行われず言は聴かれず。豈に以て為す有るに足らん。】」
君子之需時也安靜自守志雖有須而恬然若將終身焉乃能用常也雖不進而志動者不能安其常也【需卦初九象傳靜退以待時而終至於失常者蓋其身雖退而志則動也】
伊川先生は言う。「君子の時を需ぐるは、安静にして自ら守り、志は須有ると雖も而も恬然として若くは将に終身せんとする焉。乃ち能く常を用う。進まずと雖も而も志動く者は、能く其の常に安んぜず。【『需』卦初九象伝。静退して以て時を待ちて終に失常に至るは、是れ其の身は退くと雖も而も志は則ち動くなり。】」
比吉原筮元永貞無咎伊川易傳曰人相親比必有其道苟非其道則有悔咎故必推原占決其可比者而比之所比得元永貞則無咎元謂有君長之道永謂可以常乆貞謂得正道上之比下必有此三者下之從上必求此三者則無咎也【群然相比而不得所主苟焉為比而非可久邪媚求比而不由正皆不能無咎者也】
伊川先生は言う。「比は吉、原筮、元永貞、咎無し。」伊川『易伝』曰く——「人の相い親比するは必ず其の道有り。苟くも其の道に非ざれば則ち悔咎有り。だから必ず原を推して其の比す可き者を占決して而も之を比す。比する所は元・永・貞を得れば則ち咎無し。「元」は是れ君長の道有り、「永」は是れ以て長久する可し、「貞」は是れ正道を得る。上の下に比するは必ず此の三者有り、下の上に従うは必ず此の三者を求めれば、則ち咎無し。【群然として相比して而も主る所を得ず、苟焉として比を為して而も久しき可きに非ず、邪媚にして比を求めて而も正に由らず。皆咎無き能わず。】」
履之初九曰素履往無咎伊川易傳曰夫人不能自安於貧賤之素則其進也乃貪躁而動求去乎貧賤耳非欲有為也旣得其進驕溢必矣故往則有咎【小人志在富貴故得志則驕溢】賢者則安履其素其處也樂其進也將有為也故得其進則有為而無不善【賢者素其位而行窮而在下初無貧賤之憂逹而在上將遂行道之志以是而進何咎之有】若欲貴之心與行道之心交戰於中豈能安履其素乎【欲貴之心勝則必不能安行乎素位而亦卒無可行之道矣】大人於否之時守其正節不雜亂於小人之群類身雖否而道之亨也故曰大人否亨不以道而身亨乃道否也【否卦六二傳身之否亨由乎時道之否亨由乎我大人者身有否而道無否也蓋否之時小人群集君子不入其黨身則否矣然直道而行無所撓屈道則亨也】
伊川先生は言う。「『履』の初九——素に履みて往けば、咎無し。」伊川『易伝』曰く——「夫れ人は能く貧賤の素に自ら安んぜざれば、則ち其の進むや乃ち貪躁にして動き、貧賤を去らんことを求めるのみ。為す有らんと欲するに非ず。既に其の進を得れば、驕溢は必ず了れり。だから往けば則ち咎有り。【小人は志は富貴に在り。だから志を得れば則ち驕溢す。】賢者は則ち其の素に安んじ履む。其の処るや楽しみ、其の進むや将に為す有らん。だから其の進を得れば則ち為す有りて而も善ならざる無し。【賢者は其の位に素して行う——窮して下に在れば初め貧賤の憂い無く、達して上に在れば将に道を行うの志を遂げんとす。是を以て進まば、何の咎か之れ有らん。】もし貴さんと欲するの心と道を行わんの心と中に於いて交戦せば、豈に能く其の素に安んじ履まんや。【貴さんと欲するの心勝てば、則ち必ず能く素位に安行する能わず。而も亦た卒に行う可きの道無し。】大人は否の時に於いて、其の正節を守り、小人の群類に雑乱せず。身は否なると雖も而も道は之れ亨る。だから「大人否にして亨る」と説く。道を以てせずして身亨るは、乃ち道の否なり。【『否』卦六二伝。身の否亨は時に由り、道の否亨は我に由る。大人なる者は身は否有りて而も道は否無し。否の時は小人は群集す。君子は其の党に入らず。身は則ち否れり。然るに直道にして行い、撓屈する所無ければ、道は則ち亨る。】」
人之所隨得正則逺邪從非則失是無兩從之理隨之六二苟系初則失五矣故象曰弗兼與也所以戒人從正當專一也【隨六二與九五為正應然下比初九苟隨私暱必失正應】
伊川先生は言う。「人の随う所は、正を得れば則ち邪に遠く、非に従えば則ち是を失う。両従の理無し。『随』の六二、苟くも初に繋れば則ち五を失えり。だから象は「兼ね与する弗し」と説く。人を戒めて正に従うは当に専一なるべき所以。【『随』六二は九五と正應と為る。然るに下は初九に比す。苟くも私昵に随えば、必ず正應を失う。】」
君子所貴世俗所羞世俗所貴君子所賤故曰賁其趾舍車而徒【君子所貴者行義也世俗所貴者勢位也賁之初九所賁在下故為趾為徒行世俗以失勢位為羞君子以得行義為榮】
伊川先生は言う。「君子の貴ぶ所は、世俗の羞ずる所。世俗の貴ぶ所は、君子の賤しむ所。だから説いて曰く——其の趾を賁し、車を舎てて徒る。【君子の貴ぶ者は義を行うなり、世俗の貴ぶ者は勢位なり。『賁』の初九は賁する所は下に在る。だから趾と為し徒行と為る。世俗は勢位を失うを以て羞と為し、君子は義を行うを得るを以て栄と為す。】」
蠱之上九曰不事王侯髙尚其事象曰不事王侯志可則也伊川易傳曰士之自高尚亦非一道有懷抱道德不偶於時而高潔自守者【伊尹耕於莘野太公釣於渭濱之時是也】有知止足之道退而自保者【張良疏廣之類是也】有量能度分安於不求知者【徐孺子申屠蟠之類是也】有清介自守不屑天下之事獨潔其身者【嚴陵周黨之類是也】所處雖有得失小大之殊皆自高尚其事者也象所謂志可則者進退合道者也【四者雖處心有大小處義有得失要皆能高尚其事者若蠱上九陽剛之才超然斯世之表象謂其志可則者蓋指懷抱道德進退合義者言也】
伊川先生は言う。「『蠱』の上九——王侯に事えず、其の事を高尚す。象に曰く——王侯に事えずとは、志は則る可きなり。」伊川『易伝』曰く——「士の自ら高尚なるも亦た一道に非ず。道徳を懐抱して時に偶わずして高潔に自ら守る者有り【伊尹の莘野に耕し太公の渭濱に釣るの時就きて是なり】、止足の道を知り退きて自ら保つ者有り【張良・疏広の類就きて是なり】、量を能し分を度りて求知せずに安んずる者有り【徐孺子・申屠蟠の類就きて是なり】、清介に自ら守り天下の事を屑とせず独り其の身を潔くする者有り【厳陵・周党の類就きて是なり】。処る所は得失小大の殊有ると雖も、皆自ら其の事を高尚す。象のいわゆる志は則る可きは、是れ進退は道に合す。【四者は処心に大小有り処義に得失有ると雖も、要するに皆能く其の事を高尚す。もし『蠱』上九は陽剛の才にして超然として斯の世の表。象は其の志は則る可しと謂うは、是れ道徳を懐抱して進退は義に合する者を指して言う。】」
遯者陰之始長君子知微故當深戒而聖人之意未便遽己也故有與時行小利貞之敎【艮上幹下為遯二隂初長固所當戒然幹剛在上九五六二中正而應君子於此猶可與時消息不一於遯雖未能大正尚幸其小有可正也】聖賢之於天下雖知道之將廢豈肯坐視其亂而不救必區區致力於未極之間強此之衰難彼之進圖其暫安苟得為之孔孟之所屑為也王允謝安之於漢晉是也【強此之衰扶君子之道未盡消難彼之進抑小人之道未驟長】
伊川先生は言う。「遯は是れ陰の始めて長ずる。君子は微を知る。だから当に深く戒むべし。而も聖人の意は未だ便ち遽に已まず。だから「時に与に行く」「小さき利貞」の教有る所以。【艮上乾下は遯と為る。二陰は初めて長ず。固より戒むべき所。然るに乾剛は上に在り、九五・六二は中正にして應ず。君子は此に於いて猶ほ時に与に消息す可し。遯に一ならず。未だ能く大いに正ならずと雖も、尚お其の小さく正す可きを幸う。】聖賢の天下に於けるや、道の将に廃れんとするを知ると雖も、豈に肯んじて坐して其の乱を視て而も救わざらん。必ず区区として未極の間に於いて力を致し、此の衰を強め彼の進を難めて、其の暫安を図る。苟くも為すを得れば、孔孟の屑して為す所。王允・謝安の漢・晋に於けるがごとき就きて是なり。【「此の衰を強む」は是れ君子の道の未だ尽く消えざるを扶く、「彼の進を難む」は是れ小人の道の未だ驟に長ぜざるを抑む。】」
明夷初九事未顯而處甚艱非見防之明不能也如是則世俗孰不疑怪然君子不以世俗之見怪而遲疑其行也若俟眾人盡識則傷己及而不能去矣【離下坤上明夷離明坤地也明入地中傷明也初九傷猶未顯而爻之象曰君子於行三日不食蓋知防而去之速處人之所難而不疑也楚王戊不設醴酒而穆生去之曰不去楚人將鉗我於市當時雖申公之賢猶以為過其後申公受胥靡之辱至是欲去而不得矣】
伊川先生は言う。「『明夷』初九は、事未だ顕れずして処ること甚だ艱し。見幾(底本は「見防」)の明に非ざれば能わず。是のごとくなれば則ち世俗は孰れか疑怪せざらん。然るに君子は世俗の怪を見るを以て而も其の行を遅疑せず。もし衆人の尽く識るを俟たば、則ち傷は已に及びて而も能く去る能わず。【離下坤上は明夷と為る。離は是れ明、坤は是れ地。明は地中に入る。明を傷く。初九は傷は猶ほ未だ顕れず。而も爻の象は「君子行くに於いて、三日食わず」と説く。是れ幾を知りて(底本は「知防」)而も之を去ること速やかにして、人の難しとする所に処りて而も疑わざるを知る。楚王戊は醴酒を設けずして而も穆生は之を去る。曰く——去らざれば、楚人は将に我を市に於いて鉗せんとす。当時は申公の賢と雖も猶ほ以て過と為せり。其の後申公は胥靡の辱を受く。是に至りて去らんと欲して而も得ず。】」
晉之初六在下而始進豈遽能深見信於上苟上未見信則當安中自守雍容寛裕無急於求上之信也苟欲信之心切非汲汲以失其守則悻悻以傷於義矣故曰晉如摧如貞吉罔孚裕無咎【在下則勢疎始進則交淺上未見信惟當安於守正寛以待人豈可求其信也求信之急則必汲汲以失其貞正之守求信愈急人愈不信則必悻悻以傷其事上之義晉之初六未敢必於進也進而復退得正則吉未敢必人之信也寛裕以待之則無咎矣】然聖人又恐後之人不達寛裕之義居位者廢職失守以為裕故特雲初六裕則無咎者始進未受命當職任故也若有官守不信於上而失其職一日不可居也【卦之初為無位晉之始未當職任故寛裕以待其自信可也苟有官守不見信於上必將廢職失守急去可也豈容寛裕以處之哉】然事非一槩久速唯時亦容有為之兆者【兆幾微之見君子知幾則可久可速不失其時矣】
伊川先生は言う。「『晋』の初六は下に在りて始めて進む。豈に遽に能く深く上に信ぜられんや。苟くも上未だ信を見ざれば、則ち当に中に安んじ自ら守り雍容寛裕にして、急に上の信を求めざるべし。苟くも信ぜられんと欲するの心切なれば、汲汲として其の守を失わざれば則ち、悻悻として義に傷く。だから曰く——晋如く摧如く、貞にして吉。孚罔しきも、裕にして咎無し。【下に在れば則ち勢は疎く、始めて進めば則ち交わり浅し。上未だ信を見ざれば、惟だ当に正を守るに安んじ寛を以て人に待つべし。豈に其の信を求む可けん。信を求むるの急なれば、則ち必ず汲汲として其の貞正の守を失い、信を求むること愈々急なれば人愈々信ぜず、則ち必ず悻悻として其の上に事えるの義に傷く。『晋』の初六は敢て進むに必せず——進みて復た退き、正を得れば則ち吉。敢て人の信を必せず、寛裕にして以て之を待てば則ち咎無し。】然るに聖人は又た後の人の寛裕の義に達せざるを恐る。位に居る者は職を廃し守を失いて以て裕と為さんことを。だから特に初六は裕なれば則ち咎無しと云うは、始めて進みて未だ命を受けず職任に当たらざるが故。もし官守有りて上に信ぜられずして其の職を失わば、一日も居る可からず。【卦の初は是れ位無し。『晋』の始めは未だ職任に当たらず。だから寛裕にして以て其の自ら信ずるを待つ可し。もし官守有りて上に信ぜられざれば、将に必ず職を廃し守を失わん。急いで去る可し。豈に寛裕を以て之に処るを容れん。】然るに事は一槩に非ず。久速は惟だ時。亦た為すの兆有るを容る。【兆は是れ幾微の見ゆ。君子は幾を知れば、則ち久しくする可し速くする可し、其の時を失わず。】」
不正而合未有久而不離者也合以正道自無終睽之理故賢者順理而安行智者知幾而固守【睽卦六三傳賢者順是理之當然安而行之智者知其幾之必然固而守之皆謂必以正道而後合者】
伊川先生は言う。「正ならずして合するは、未だ久しくして離れざる有らず。正道を以て合すれば、自ら終に睽るの理無し。だから賢者は理に順いて而も安行し、智者は幾を知りて而も固守す。【『睽』卦六三伝。賢者は是れ理の当然に順いて安く之を行い、智者は其の幾の必然を知りて固く之を守る。皆是れ必ず正道を以て而る後に合すと言う。】」
君子當困窮之時既盡其防慮之道而不得免則命也當推致其命以遂其志知命之當然也則窮塞禍患不以動其心行吾義而已【困卦象曰君子以致命遂志推致其命知其當然而不可免則無所撓懼而能遂其為義之志矣蓋命者出乎氣數而不可易義者在我裁製而不可違彼已定之禍福雖憂懼而何益行吾義而已】苟不知命則恐懼於險難隕穫於窮戹所守亡矣安能遂其為善之志乎【隕穫猶顚隮也】
伊川先生は言う。「君子は困窮の時に当たり、既に其の防慮の道を尽くして而も免るるを得ざれば、則ち命なり。当に其の命を推致して以て其の志を遂げ、命の当然なるを知れば、則ち窮塞禍患は以て其の心を動かさず。吾が義を行うのみ。【『困』卦象に曰く——君子は以て命を致し志を遂ぐ。其の命を推致して、其の当然にして免る可からざるを知れば、則ち撓惧する所無くして能く其の義を為すの志を遂ぐ。命は是れ気数に出でて而も易う可からず、義は是れ我に在りて裁制して而も違う可からず。彼の已定の禍福は憂惧すと雖も而も何の益か有らん。吾が義を行うのみ。】苟くも命を知らざれば、則ち険難に恐惧し窮厄に隕獲し、守る所は亡れり。安んぞ能く其の善を為すの志を遂げん。【隕獲は猶ほ顛躓のごとし。】」
寒士之妻弱國之臣各安其正而已苟擇勢而從則惡之大者不容於世矣【困卦九四傳】
伊川先生は言う。「寒士の妻・弱国の臣は、各々其の正に安んずるのみ。苟くも勢を擇びて従わば、則ち悪の大なる者。世に容れられず。【『困』卦九四伝。】」
井之九三渫治而不見食乃人有才智而不見用以不得行為憂惻也蓋剛而不中故切於施為異乎用之則行舍之則藏者矣【九三陽剛而處下卦之上在井則已渫治而可食矣然而無得於五故不見食爻位剛而不中切於施為故憂惻異乎聖賢視用舍為行藏防然不以累其心者矣】
伊川先生は言う。「『井』の九三は渫治して而も食わるるを見ず。乃ち人に才智有りて而も用いられざるを見るがごとく、以て行うを得ざるを憂恻と為す。剛にして中ならざるに因る。だから施為に切して、之を用いれば則ち行い之を舎てれば則ち蔵るる者に異れり。【九三は陽剛にして下卦の上に処る。井に在れば則ち已に渫治して而も食う可し。然る而も五に應ずる無し。だから食わるるを見ず。爻位は剛にして中ならず。施為に切す。だから憂恻して、聖賢の用舎を視て行蔵と為し超然として(底本は「防然」)以て其の心に累さざる者に異る。】」
革之六二中正則無偏蔽文明則盡事理應上則得權勢體順則無違悖時可矣位得矣才足矣處革之至善者也必待上下之信故已日乃革之也【六二居中得正下卦為離故曰文明二與五應故曰應上爻位皆柔故曰體順時當變革則時可矣居中應上則位得矣文明體順則才足矣是處革之至善者然必待上下盡信而後革故辭曰已日乃革之謹之至也】如二之才德當進行其道則吉而無咎也不進則失可為之時為有咎也【革固不可遽然當其時處其位有其才豈容自己故辭曰徵吉無咎】
伊川先生は言う。「『革』の六二は、中正なれば則ち偏蔽無く、文明なれば則ち事理を尽くし、上に應ずれば則ち権勢を得、体順なれば則ち違悖無し。時は了れり位は了れり才は足れり。是れ革に処るの至善なり。必ず上下の信を待つ。だから已日にして乃ち之を革る。【六二は中に居りて正を得。下卦は離と為る。だから文明と説く。二は五と應ず。だから上に應ずと説く。爻位は皆柔。だから体順と説く。時に变革に当たれば則ち時可なり。中に居り上に應ずれば則ち位得れり。文明体順なれば則ち才足れり。是れ革に処るの至善。然るに必ず上下尽く信ずるを待ちて而る後に革る。だから辞は「已日にして乃ち之を革る」と説く。謹むの至り。】二の才徳のごときは、当に進みて其の道を行えば則ち吉にして咎無し。進まざれば則ち為す可きの時を失いて、咎有りと為る。【革は固より遽にする可からず。然るに其の時に当たり其の位に処り其の才有れば、豈に自ら已まんことを容れん。だから辞は「征けば吉、咎無し」と説く。】」
鼎之有實乃人之有才業也當愼所趨向不愼所往則亦陷於非義故曰鼎有實愼所之也【抱負才業急於有為每不暇謹持所向則反為才業累矣如苟彧之類是也】
伊川先生は言う。「鼎の実有るは、乃ち人の才業有るがごとし。当に趨向する所を慎むべし。往く所を慎まざれば、則ち亦た非義に陥る。だから曰く——鼎に実有り、之く所を慎め。【才業を抱負して有為に急なれば、毎に向かう所を謹持するに暇あらず。則ち反って才業の累と為る。荀彧の類のごとき就きて是なり。】」
士之處高位則有拯而無隨在下位則有當拯有當隨有拯之不得而後隨【艮卦六二傳在上位者當以正君定國為己任故有拯而無隨在下位者職守所在是當拯也職所不及是當隨也又有拯之不得而後隨者如孔子嘗從大夫之列故請討陳恆然不在其位則亦隨之而已】
伊川先生は言う。「士の高位に処るは則ち拯有りて随無し。下位に在れば則ち拯むべき有り随うべき有り。之を拯いて得ざれば而る後に随う有り。【『艮』卦六二伝。上位に在る者は当に君を正しくし国を定むるを以て己が任と為すべし。だから拯有りて随無し。下位に在る者は、職守の在る所は是れ当に拯むべし、職の及ばざる所は是れ当に随うべし。又た之を拯いて得ざれば而る後に随う有り。孔子の曽て大夫の列に従い、だから陳恒を討たんことを請うも、然るに其の位に在らざれば則ち亦た之に随うのみのごとし。】」
君子思不出其位位者所處之分也萬事各有其所得其所則止而安若當行而止當速而久或過或不及皆出其位也況逾分非據乎【艮卦象傳位者所處當然之分也處之不逾其分是不出其位也所謂止者當其分而已苟當行而止當速而久或過或不及皆為出位而非得其止者也況逾越常分據非所據者又出位之尤者也】
伊川先生は言う。「君子は思い其の位を出でず。「位」は是れ処る所の分。万事は各々其の所有り。其の所を得れば則ち止まりて安し。もし当に行くべきにして止まり、当に速くすべきにして久しく、或いは過ぎ或いは及ばざれば、皆其の位を出づ。況んや分を逾えて據る所に非ざるをや。【『艮』卦象伝。位は是れ処る所当然の分。之に処りて其の分を逾えざるは、是れ其の位を出でず。いわゆる止まるは、其の分に当たるのみ。もし当に行くべきにして止まり、当に速くすべきにして久しく、或いは過ぎ或いは及ばざれば、皆位を出でて而も其の止まるを得るに非ず。況んや常分を逾越して據る所に非ざるを據るは、又た是れ位を出づるの尤なり。】」
人之止難於久終故節或移於晩守或失於終事或廢於久人之所同患也艮之上九敦厚於終止道之至善也故曰敦艮吉【人之止易於暫而難於久易於始而難於終艮之上九止之終也止道愈厚是以吉也】
伊川先生は言う。「人の止まるは久終に難し。だから節は或いは晩に移り、守は或いは終に失い、事は或いは久に廃る。是れ人の同じく患うる所。『艮』の上九は終に敦厚。是れ止道の至善。だから敦艮は吉と説く。【人の止まるは暫に易くして久に難く、始めに易くして終に難し。『艮』の上九は是れ止の終。止道は愈々厚し。だから吉。】」
中孚之初九曰虞吉象曰志未變也伊川易傳曰當信之始志未有所從而虞度所信則得其正是以吉也志有所從則是變動虞之不得其正矣【處卦之初未有所從則中無私系虞度所信得其正矣苟志有所繫則好惡成於中是非變於外所度者牽於私意安能得其正哉】
伊川先生は言う。「『中孚』の初九——虞して吉。象に曰く——志は未だ変ぜざるなり。」伊川『易伝』曰く——「信の始めに当たり、志は未だ従う所有らず。而も信ずる所を虞度すれば則ち其の正を得る。だから吉。志は従う所有れば則ち是れ変動。之を虞度して其の正を得れり…【卦の初に処りて未だ従う所有らざれば、則ち中に私系無し。信ずる所を虞度して其の正を得る。もし志に繋る所有れば、則ち好悪は中に成り是非は外に変じ、度る所は私意に牽かれ、安んぞ能く其の正を得ん。】」
賢者惟知義而已命在其中中人以下乃以命處義【命者窮達夭夀出於氣質有必然之數義者是非可否夲乎天理有當然之宜賢者惟知義之當然命固在其中矣中人以下於義未能眞知而安行然知命之已定則亦不敢越義以妄求故曰以命處義】如言求之有道得之有命是求無益於得知命之不可求故自處以不求【孟子所謂求之有道謂不可以苟求也得之有命謂不可以幸得也是求無益於得者謂得非可以求而遂也此言要亦為中人以下者設爾】若賢者則求之以道得之以義不必言命【遺書下同○求之必以道不枉道以求之也得之必以義不非義而受之也所求所得惟道與義而已命何足道哉○愚謂命雖定於事物之先實顯於事物之後義雖因事物而有實著於應酬之時如去就辭受之間要決於義也而後命從之以顯苟應事之時欲以命決之其可乎故君子求之道義而已命不必言也】
伊川先生は言う。「賢者は惟だ義を知るのみ。命は其の中に在り。中人以下は乃ち命を以て義に処る。【命は是れ窮達夭寿は気質に出でて必然の数有り、義は是れ是非可否は天理に本づきて当然の宜有り。賢者は惟だ義の当然を知る。命は固より其の中に在り。中人以下は義に於いて未だ能く真知して安行せず。然るに命の已定なるを知れば、則ち亦た敢て義を越えて妄求せず。だから命を以て義に処ると言う。】言うがごとき求むるに道有り得るに命有りは、是れ求むるは得に益無く、命の求む可からざるを知る。だから自ら処るに求めず。【孟子のいわゆる之を求むるに道有りは、是れ苟くも求む可からざるを言う。之を得るに命有りは、是れ幸いに得る可からざるを言う。「是れ求むるは得に益無し」は、是れ得は以て求めて遂ぐ可からざるを言う。此の言は要するに亦た中人以下の者の為に設く。】もし賢者は則ち之を求むるに道を以てし之を得るに義を以てす。必ずしも命を言わず。【『遺書』に出る、以下同じ。○之を求むるは必ず道を以てし、道を枉げて以て之を求めず。之を得るは必ず義を以てし、非義にして而も之を受けず。求むる所得る所は惟だ道と義とのみ。命は何ぞ道うに足らん。○葉采按——命は事物の先に定まると雖も、実は事物の後に顕る。義は事物に因りて有ると雖も、実は應酬の時に著る。去就辞受の間のごとき、要するに義に決して、而る後に命は之に従いて以て顕る。もし事に應ずるの時に命を以て之を決せんと欲せば、其れ可なりや。だから君子は之道義を求むるのみ。命は必ずしも言わず。】」
人之於患難只有一個處置盡人謀之後卻須泰然處之有人遇一事則心心念念不肯舍畢竟何益若不防處置了放下便是無義無命也【人遇患難但當審所以處之之道所謂義也若夫處置之後在已無闕則亦安之而已成敗利鈍亦無如之何所謂命也或遇事而不能處是無義也或處置了而不能放下是無命也】
伊川先生は言う。「人の患難に於けるは、只だ一個の処置有り。人謀を尽くすの後は、却って須く泰然として之に処るべし。人有りて一事に遇えば、則ち心心念念として肯んじて舎てず。畢竟何の益か有らん。もし処置を把りて(底本は「防」)了りて放下せざれば、便ち是れ義無く命無きなり。」【人は患難に遇えば、但だ当に之に処る所以の道を審らかにすべし。いわゆる義なり。もし夫れ処置の後に己に闕無ければ、則ち亦た之に安んずるのみ。成敗利鈍も亦た之を如何ともする無し。いわゆる命なり。或いは事に遇うて能く処せざるは、是れ義無きなり。或いは処置了りて能く放下せざるは、是れ命無きなり。】
門人有居太學而欲歸應鄉舉者問其故曰蔡人尠習戴記決科之利也先生曰汝之是心已不可入於堯舜之道矣【尠甚少也得失有命妄起計度之私是利心也故不可入堯舜之道】夫子貢之高識曷嘗規規於貨利哉特於豐約之間不能無留情耳且貧富有命彼乃留情於其間多見其不信道也故聖人謂之不受命有志於道者要當去此心而後可與語也【謂不能安受乎天命而有心於貧富也】
門人に太学に居りて而も帰りて郷挙に應ぜんと想う者有り。其の縁故を問う。彼は曰く——蔡地の人は尠く『戴記』を習う。挙に應じて科を取ること易し。先生曰く——「汝の此の点の心は、已に尭舜の道に入る可からず。【「尠」は是れ甚だ少なし。得失は命有り。妄りに計度の私を起すは、就きて是れ利の心。だから尭舜の道に入る可からず。】子貢のごときの高識は、何ぞ曽て貨利に規規たらん。只是れ豊約の間に於いて留情無き能わざるのみ。況んや貧富は命有り。他は却って其の間に留情す。其の道を信ぜざるを見ること多し。だから聖人は之を命を受けずと謂う。道に志有る者は、要して当に此の心を去りて後に与に語る可し。【是れ能く天命を安受せずして而も貧富に心有るを言う。】」
人苟有朝聞道夕死可矣之志則不肯一日安於所不安也何止一日須臾不能如曾子易簀須要如此乃安【朱子曰道者事物當然之理苟得聞之則生順死安無復遺恨矣】人不能若此者只為不見實理實理者實見得是實見得非【朱子曰實理與實見不同恐記錄漏字愚謂本以人心見處而言唯實見是非之理然後為實理蓋理無不實但見有未實耳】凡實理得之於心自別若耳聞口道者心實不見若見得必不肯安於所不安人之一身盡有所不肯為及至他事又不然若士者雖殺之使為穿窬必不為其他事未必然至如執卷者莫不知說禮義又如王公大人皆能言軒冕外物及其臨利害則不知就義理卻就富貴如此者只是說得不實見及其蹈水火則人皆避之是實見得須是有見不善如探湯之心則自然別昔曽經傷於虎者他人語虎則雖三尺之童皆知虎之可畏終不似曽經傷者神色懾懼至誠畏之是實見得也【此一節反覆推明實見之理最為親切學者要亦察理之明立志之剛知行並進豁然有悟然後所見為實見充其所見死生利害皆不足以移之矣】得之於心是謂有德不待勉強然學者則須勉強古人有捐軀隕命者若不實見得則烏能如此須是實見得生不重於義生不安於死也故有殺身成仁只是成就一個是而已【心有實見而後謂之有徳此則不待勉強學者實見有所未盡則亦勉而行之可也】孟子辨舜蹠之分只在義利之間言間者謂相去不甚逺所爭毫末耳義與利只是個公與私也才出義便以利言也只那計較便是為有利害若無利害何用計較利害者天下之常情也人皆知趨利而避害聖人則更不論利害惟看義當為不當為便是命在其中也【張南軒曰無所為而為之者義也有所為而為之者利也○愚謂義之與利始於毫釐之差實則霄壤之判有心於計較利害者即是人慾之私有所為而為者也不論利害惟義所在者卽是天理之公無所為而為者也聖人惟義之從固不論利害況義如是則命亦當如是又何趨避之有】
伊川先生は言う。「人もし真に『朝に道を聞けば夕に死すとも可なり』の志向有れば、則ち肯んじて一日も安んぜず安んずる所に於いてせず。何ぞ一日のみならん、須臾も能わず。曽子の席を換うるがごとき、須く此のごとくして乃ち安し。【朱熹は言う——道は是れ事物当然の理。もし聞くを得れば、則ち生は順なり死は安し。更に遺恨無し。】人は能く此のごとくならざるは、只だ実理を見ざる為めなり。実理は、是れ実に是を見得て実に非を見得る。【朱熹は言う——実理と実見とは同じからず。恐らくは記録は字を漏らせり。葉采按——本文は是れ人心の見る処に就きて言う。惟だ是非の理を実見して然る後に乃ち是れ実理。理は実ならざる無し。只是れ見の未だ実ならざる有るのみ。】凡そ実理は之を心に得れば、自然に同じからず。もし只だ耳聞口道なるは、心は実に見えず。もし見れば、必ず肯んじて安んずる所に安んぜず。人の一身は、尽く為さざるを肯んぜざる所有り。他の事に及べば又た然らず。士人の若きは、彼を殺して之を穿窬の事を為さしむると雖も、必ず為さず。其他の事は則ち未だ必ずしも然らず。書巻を把る者に至っては、礼義を説くを知らざる無し。又た王公大人のごときは、皆能く軒冕は是れ外物と説く。利害に臨むに及びて、却って義理に就くを知らず、却って富貴に就く。此のごときの人は、只是れ説き得て実見せず。水火に蹈むに及べば、則ち人々皆避く。これは実に見るを得たり。須く是れ不善を見ること湯を探るがごときの心有らん。才だ自然に同じからず。従前曽て虎に傷られたる者有り。別人は虎を談ずれば、三尺の童子と雖も皆虎の畏る可きを知る。終に曽て傷を受けたる人の神色慑惧して至誠に之を畏るるに似ず。これは実に見るを得たり。【此の一節は反復して実見の理を推明す。最も親切なり。学者も亦た理を察するの明・志を立つるの剛、知行並び進みて、豁然として悟有りて、然る後に見る所は才だ是れ実見。其の見る所を充てれば、死生利害は皆以て之を移すに足らず。】之を心に得るは、之を徳有りと叫ぶ。勉強を待たず。然る而も学者は則ち須く勉強すべし。古人は躯を捐て命を隕す者有り。もし実見せざれば、怎んぞ能く此のごとくせん。須く是れ実に生は義より重からず・生は死の安に如かずを見得れば、だから身を殺して仁を成す有り。只是れ一個の「是」を成就するのみ。【心に実見有りて後に之を徳有りと謂う。此れ則ち勉強を待たず。学者は実見の尽くさざる所有れば、則ち亦た勉めて之を行えば則ち可なり。】孟子は舜と跖との分別を辨ずるに、只だ義利の間に在り。「間」と言うは、是れ相い去ること甚だ遠からず、争う所は只だ毫末に在りと言う。義と利とは、只だ是れ箇の公と私。才だ義を出でれば、便ち利を以て言う。只だ那の計較するは、便ち是れ利害有るに因る。もし利害無ければ、何をか用いて計較せん。利害は是れ天下の常情。人は皆利に趨り害を避くるを知る。聖人は則ち更に利害を論ぜず。只だ義の当に為すべきか当に為さざるべきかを看る。便ち是れ命は其の中に在り。【張南軒は言う——為す所無くして之を為すは是れ義、為す所有りて之を為すは是れ利。葉采按——義と利とは、毫厘の差に始まりて、実は則ち霄壤の判。利害を計較するに心有るは、就きて是れ人欲の私にして為す所有りて為す。利害を論ぜず惟だ義の在る所なるは、就きて是れ天理の公にして為す所無くして為す。聖人は惟だ義に従う。固より利害を論ぜず。況んや義是のごとくなれば則ち命も亦た当に是のごとくなるべし。又た何の趨避か之れ有らん。】」
大凡儒者未敢望深造於道且只得所存正分別善惡識廉恥如此等人多亦須漸好
伊川先生は言う。「大凡そ儒者は未だ敢て道に深造するを望まず。且く只だ存する所正しく、善悪を分別し、廉恥を識るを得よ。此のごときの人多ければ、亦た須く漸々好くなるべし。」
趙景平問伊川曰子罕言利所謂利者何利曰不獨財利之利凡有利心便不可如作一事須尋自家穩便處皆利心也聖人以義為利義安處便為利【聖人處義不計其利然事當乎義處之而安乃所以為利也】如釋氏之學皆本於利故便不是【釋氏惡死則欲無生惡物慾亂心則滅絶人倫推其本心惟欲利已而已是賊義之大者】
趙景平は伊川に問う——「『子は罕に利を言う』——いわゆる利は何の利か。」伊川曰く——「独り財利の利のみならず。凡そ利心有れば便ち不可。一事を做すに須く自家の穏便なる処を尋ぬるがごとき、皆是れ利心。聖人は義を以て利と為す。義の安き処は便ち是れ利。【聖人は義に処りて其の利を計らず。然る而も事は義に当たり之に処りて安ければ、才だ正に利と為す所以。】釋氏の学のごときは、皆利に本づく。だから便ち是ならず。【釋氏は死を怕れて則ち無生を想い、物欲の心を乱すを怕れて則ち人倫を滅絶す。其の本心を推せば、只だ己を利せんと想うのみ。是れ義を賊うの大なる者。】」
問郉恕久從先生想都無知識後來極狼狽先生曰謂之全無知則不可只是義理不能勝其利慾之心便至如此【郉恕事見國史及語錄】
問う——邢恕は久しく先生に従う。想うに皆無知識にして、後来極めて狼狽せり。先生曰く——「彼を説いて全く知無しと為せば則ち不可。只是れ義理は能く其の利欲の心に勝たず。便ち此に至る。【邢恕の事は国史及び語録に見る。】」
謝湜自蜀之京師過洛而見程子子曰爾將何之曰將試敎官子不答湜曰何如子曰吾嘗買婢欲試之其母怒而弗許曰吾女非可試者也今爾求為人師而試之必為此媼笑也湜遂不行
謝湜は蜀より京師に到り、洛陽を過ぎて程子を見る。程子曰く——「汝は将に何れかに往かん。」彼は曰く——「将に教官を試せんと往かんとす。」程子は答えず。謝湜曰く——「怎麼様。」程子曰く——「我は曽て婢を買い、先ず試用せんと想えり。其の母は怒りて許さず。曰く——我が女兒は是れ試用す可きに非ず。如今汝は人の師と為らんを求めて而も試に去る。必ず此の老婦人に笑われん。」謝湜は是に於いて去らず。
先生在講筵不曽請俸諸公遂牒戶部問不支俸錢戶部索前任厯子先生雲某起自草萊無前任厯子【先生元祐初以大臣薦除校書郎三辭不聽除崇政殿說書未幾除侍講本注云舊例初入京官時用下狀出給料錢厯先生不請其意謂朝廷起我便當廩人繼粟庖人繼肉也】遂令戶部自為出券厯又不為妻求封範純甫問其故先生曰某當時起自草萊三辭然後受命豈有今日乃為妻求封之理問今人陳乞恩例義當然否人皆以為本分不為害先生曰只為而今士大夫道得個乞字慣卻動不動又是乞也因問陳乞封父祖如何先生曰此事體又別再三請益但云其說甚長待別時說【封親與封妻事體不同顯榮其親亦人子之至情謂之不當求則不可謂之當求則先生特召與常人異故難為言也○或雲若是應舉得官便只當以常調自處雖陳乞封防可也朱子曰此自今常人言之如此可也然朝廷士卻不當如此伊川所以難言之也但云其說甚長其意謂要當從科舉法都變了乃為正耳】
伊川先生は講筵に在りて曽て俸を請わず。諸公は遂に戸部に牒して何の故に俸銭を支せざるを問う。戸部は前任の暦子を索要す。先生曰く——「我は草萊より起つ。前任の暦子無し。」【先生は元祐の初め大臣の薦に因り、校書郎を除し、三たび辞して聴かず、崇政殿説書を除し、久しからず侍講を除す。本注に曰く——旧例は初めて京官に入る時は、下状を用いて料銭暦を出給す。先生は請わず。其の意は是れ——朝廷は我を起用す。便ち当に廩人は粟を継ぎ庖人は肉を継ぐべし。】是に於いて戸部をして自ら券暦を出すを令す。又た妻子の為に封を求めず。范純甫は縁故を問う。先生曰く——「我は当時草萊より起ち、三たび辞して而る後に命を受けたり。豈に今日却って妻の為に封を求むるの道理有らん。」問う——今人は恩例を陳乞す。義は当に然るべきか否か。人は皆以て本分と為し、害と為さず。先生曰く——「只だ而今士大夫は箇の『乞』の字を説き慣れたるが為め、動けば則ち又た是れ乞。」因りて封を陳乞して父祖にする如何を問う。先生曰く——「此の事体は又た別なり。」再三益を請うも、只だ曰く——「其の説は甚だ長し。別の時を待ちて説かん。」【親に封するは妻に封する事体と同じからず。其の親を顕栄するは、亦た是れ人子の至情。当に求めざるべしと説けば則ち不可、当に求むべしと説けば則ち先生は是れ特召にして常人と異る。だから言い難し。或いは曰く——もし是れ挙に應じて官を得れば、便ち只だ当に常調を以て自ら処るべし。陳乞して封贈す(底本は「封防」)も亦た以て可なり。朱熹は言う——此れは自ら今人の常に言うは此のごとくすれば可なり。然る而も朝廷の士は却って当に此のごとくすべからず。伊川の言い難しとする所以。只だ其の説は甚だ長しと説く。其の意は是れ——要するに当に科挙の法に従いて皆変わりて乃ち是れ正なり。】
漢策賢良猶是人舉之如公孫者猶強起之乃就對【武帝初卽位招賢良文學之士是時公孫以賢良徴為博士使匈奴還報不合意乃移病免歸元光五年復徴賢良文學菑川國復推上謝曰前已嘗西用不能罷願更選國人固推】至如後世賢良乃自求舉爾若果有曰我心只望廷對欲直言天下事則亦可尚已若志在富貴則得志便驕縱失志則便放曠與悲愁而已
伊川先生は言う。「漢朝は賢良を策試す。還って是れ別人の挙薦する所。公孫弘(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)のごときは、還って是れ強いて彼を起して才だ対に就かしめたり。【武帝は初めて位に即き、賢良文学の士を招く。此の時公孫弘は賢良を以て博士に征せられ、匈奴に使い、還報して武帝の意に合わず。是に於いて病を移して免れ帰る。元光五年再び賢良文学を征す。菑川国は再び公孫弘を推上す。公孫弘は辞謝して曰く——前に已に西に用いられて能く罷めず。願わくは更に選ばん。国人は固く弘を推す。】後世の賢良に至っては、乃ち是れ自ら挙を求む。もし果して人の曰く有らば——我心は只だ廷対を望み、天下の事を直言せんと想う——那れも亦た尚お崇尚す可し。もし志は富貴に在れば、則ち志を得れば便ち驕縦し、志を失えば便ち放曠と悲愁のみ。
伊川先生曰人多說某不敎人習舉業某何嘗不敎人習舉業也人若不習舉業而望及第卻是責天理而不修人事但舉業既可以及第即己若更去上面盡力求必得之道是惑也
伊川先生は言う。「人は多く我が人を教えて挙業を習わしめずと説く。我は何ぞ曽て人を教えて挙業を習わしめざらん。人もし挙業を習わずして及第を望めば、却って是れ天理を責めて而も人事を修めず。但だ挙業は既に以て及第すれば則ち停まる可し。もし更に上面に往きて力を尽くして必ず得るの道を求めば、是れ惑なり。」
問家貧親老應舉求仕不免有得失之累何修可以免此伊川先生曰此只是志不勝氣若志勝自無此累家貧親老須用祿仕然得之不得為有命曰在己固可為親奈何曰為己為親也只是一事若不得其如命何孔子曰不知命無以為君子人苟不知命見患難必避遇得喪必動見利必趨其何以為君子
問う——家は貧しく親は老いたり。挙に應じて仕を求むれば、得失の累を免れず。怎様に修養すれば以て此を免る可き。伊川先生曰く——「此れ只だ是れ志は気に勝たず。もし志勝たば、自ら此の累無し。家貧く親老いたれば須く禄仕を用いるべし。然る而も之を得ると得ざるとは為に命有り。」問う——「自ら己に在りては固より以て可なり。親の為には怎様せん。」曰く——「己が為と親が為とは、亦た只だ是れ一事。もし得ざれば、其れ命を如何せん。孔子曰く——『命を知らざれば、以て君子と為る無し。』人もし命を知らざれば、患難を見れば必ず避け、得喪に遇えば必ず動き、利を見れば必ず趨る。還って怎麼に君子を做さん。」
或謂科舉事業奪人之功是不然且一月之中十日為舉業餘日足可為學然人不志於此必志於彼故科舉之事不患妨功惟患奪志【外書○奪志則根本廢矣故妨功之患小奪志之患大朱子曰科舉亦不害為學但今人把心不定所以為害才以得失為心理防文字意思都別了又曰科舉特一事耳自家工夫到後那邊自輕】
或いは科挙の事業は人の功を奪うと説く。是のごとくに非ず。且く一月の中十日を挙業と為せば、余日は足りて学と為す可し。然る而も人は此に志さざれば、必ず彼に志す。だから科挙の事は、功を妨ぐるを患えず、惟だ志を奪うを患う。【『外書』に出る。志を奪えば則ち根本は廃れり。だから功を妨ぐるの患は小、志を奪うの患は大。朱熹は言う——科挙も亦た学を為るを害せず。但だ今人は心を以て定まらざるが故に害と為る。才だ得失を以て心と為れば、文字を理会するの意思(底本は「理防」)は皆変えれり。また曰く——科挙は特に是れ一事のみ。自家の工夫到れば、那辺は自然に軽し。】
橫渠先生曰世祿之榮王者所以錄有功尊有德愛之厚之示恩遇之不窮也為人後者所宜樂職勸功以服勤事任長廉逺利以似述世風而近代公卿子孫方且下比布衣工聲病售有司不知求仕非義而反羞循理為無能不知廕襲為榮而反以虛名為善繼誠何心哉【文集○聲病詩律有四聲八病今進士詩賦之學是也求仕非義謂投牒覓舉之類循理謂服勤事任似述世風者也】
横渠先生は言う。「世禄の栄は、是れ王者の以て功有るを録し徳有るを尊び、之を愛し之を厚くして、恩遇の窮まらざるを示す所以。人の後と為る者は宜しく職を楽しみ功を勧めて、以て勤めて事任に服すべし。廉を長じ利を遠ざけて、以て世風を似述すべし。而も近代の公卿の子孫は、方に且つ布衣に下比し、声病を工うして以て有司に售る。仕を求むるは義に非ざるを知らずして、反って理に循るを無能と羞とし。蔭襲は栄と為るを知らずして、反って虚名を以て善く継ぐと為す。誠に是れ何の心ぞや。【『文集』に出る。声病は、是れ詩律に四声八病有り。今の進士詩賦の学就きて是なり。仕を求むるは義に非ずとは、牒を投げて挙を覓るの類を指す。理に循るとは、勤めて事任に服し世風を似述するを指す。】」
不資其力而利其有則能忘人之勢【孟子說○人之歆動乎勢位者皆有待於彼也惟不借其力而利其所有則己自重而彼自輕】
「其の力を資らずして其の有を利するは、則ち能く人の勢を忘る。」【孟子説に出る。人の勢位に歆動せらるる所以は、皆是れ彼に待つ所有るなり。惟だ其の力を借らずして其の有する所を利すれば、則ち自己は自重して而も対方は自ら軽し。】
人多言安於貧賤其實只是計窮力屈才短不能營畫耳若稍動得恐未肯安之須是誠知義理之樂於利慾也乃能【語錄下同○朱子曰人須是讀書洞見此理知得不求富貴只是本分求著便是罪過不惟不可有求之之跡亦不可有求之之心愚謂眞知義理之可樂然後富貴不足動其心】
「人は多く貧賤に安んずと言う。其の実は只だ是れ計窮まり力屈し才短かし。能く営画する能わざるのみ。もし稍や能く動くを得れば、恐らくは未だ肯んじて安んぜざらん。須く是れ誠に義理の楽しみは利欲に過ぐるを知れば、才能す可し。【以下同じく『語録』に出る。朱熹は言う——人は須く是れ書を読みて此の理を洞見し、富貴を求めざるは只だ本分にして、求むれば便ち是れ罪過なるを知るべし。不惟だ求めるの迹有る可からず、亦た求めるの心有る可からず。葉采按——真に義理の楽しむ可きを知りて、然る後に富貴は其の心を動かすに足らず。】」
天下事大患只是畏人非笑不養車馬食麤衣惡居貧賤皆恐人非笑不知當生則生當死則死今日萬鍾明日棄之今日富貴明日飢餓亦不恤惟義所在【義之所在則死生去就有所不顧況夫懷齷齟之見畏人非笑而恥居貧賤豈有大丈夫之氣哉】
「天下の事の大患は只是れ人の非笑を怕るるに在り——車馬を養わず・粗食悪衣・貧賤に居るは、皆人の非笑を怕る。知らず、当に生くべければ則ち生き当に死すべければ則ち死す——今日万鍾、明日之を棄つ。今日富貴、明日飢餓、も亦た恤まず。惟だ義の在る所。【義の在る所なれば、則ち死生去就は顧る所有る所無し。齷齪の見を懐きて人の非笑を怕れて貧賤に居るを恥とするに至っては、豈に大丈夫の気有らん。】」
近思録卷七
近思録巻七
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思錄卷八宋朱子呂祖謙同編
近思録巻八 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
治體【凡二十五條】
治体【凡そ二十五条】
此卷論治道蓋明乎出處之義則於治道之綱領不可不求講明之一旦得時行道則舉而措之耳
この巻は治道を論ず。蓋し出処の義を明らかにせば、則ち治道の綱領に於いて求めて講明せざる可からず。一旦時を得て道を行えば、則ち挙げて之を措くのみ。
濓溪先生曰治天下有本身之謂也治天下有則家之謂也【朱子曰則謂物之可視以為法者猶俗言則例則樣是也】本必端端本誠心而已矣則必善善則和親而已矣【朱子曰心不誠則身不可正親不和則家不可齊○以上總論治天下者其本在身其則在家也】家難而天下易家親而天下疎也【朱子曰親者難處疏者易裁然不先其難亦未有能其易者也】家人離必起於婦人故睽次家人以二女同居而其志不同行也【朱子曰睽次家人易卦之序二女以下睽彖傳文二女謂睽卦兌下離上兌少女離中女也陰柔之性外和悅而內猜嫌故同居而異志】堯所以釐降二女於媯汭舜可禪乎吾茲試矣是治天下觀於家【朱子曰釐理也降下也媯水名汭水北舜所居也堯理治下嫁二女於舜將以試舜而授之天下也○以上論善則在和親之道】治家觀身而已矣身端心誠之謂也誠心復其不善之動而已矣【朱子曰不善之動息於外則善心之生於內者無不實矣】不善之動妄也妄復則無妄矣無妄則誠焉【程子曰無妄之謂誠】故無妄次復而曰先王以茂對時育萬物深哉【通書○茂篤實盛發之意對猶配也謂配天時以育物○朱子曰無妄次復亦卦之序先王以下引無妄卦大象以明對時育物惟至誠者能之而贊其旨之深也○以上論端本在誠心之道】
濂渓先生は言う。「天下を治むるに本有り——身の謂なり。天下を治むるに則有り——家の謂なり。【朱熹は言う——則は是れ物の視て以て法と為す可き者。猶ほ俗説の則例・則様のごとし。】本は必ず端、本を端にするは誠心のみ。則は必ず善、則を善にするは和親のみ。【朱熹は言う——心誠ならざれば則ち身は正しくする可からず、親和らざれば則ち家は斉う可からず。以上総論——天下を治むる者は其の本は身に在り、其の則は家に在り。】家は難くして天下は易し。家は親しみて天下は疎し。【朱熹は言う——親しき者は処り難く、疎き者は裁り易し。然る而も其の難きを先にせざれば、亦た未だ其の易きを能くする有らず。】家人の離散は必ず婦人より起る。だから『睽』は『家人』に次ぐ。二女は同居して而も其の志は同行せざるに因る。【朱熹は言う——『睽』は『家人』に次ぐは、是れ『易』卦の序。「二女」以下は『睽』彖伝文。二女は『睽』卦の兌下離上を指す——兌は是れ少女、離は是れ中女。陰柔の性は外は和悦にして内は猜嫌。だから同居して志を異にす。】尭の二女を妫汭に厘降する所以——「舜は以て禅す可きか。我は此に於いて試験す。」これは天下を治むるに家に観るなり。【朱熹は言う——厘は是れ理、降は是れ下。妫は是れ水名、汭は是れ水北、舜の居る所。尭は理めて二女を舜に下嫁し、将に以て舜を試みて之に天下を授けんとす。以上は善則は和親の道に在るを論ず。】家を治むるは身に観るのみ。身端なりは、是れ心誠なりの謂。心誠なりは、是れ其の不善の動を復すのみ。【朱熹は言う——不善の動は外に息めば、則ち善心の内に生ずる者は実ならざる無し。】不善の動は是れ妄。妄は復すれば則ち妄無し。妄無ければ則ち誠。【程子曰く——妄無きを誠と謂う。】だから『無妄』は『復』に次ぐ。而も「先王以て茂く時に対して万物を育す」と説く。深きかな。【『通書』に出る。茂は是れ篤実盛発の意。対は猶ほ配のごとし。是れ天時に配して以て物を育するを言う。朱熹は言う——『無妄』が『復』に次ぐも亦た是れ卦の序。「先王」以下は『無妄』大象を引き、以て時に対して物を育するは惟だ至誠の者のみ能くすることを明らかにして、而も其の旨の深きを賛す。以上は本を端にするは誠心に在るの道を論ず。】」
明道先生嘗言於神宗曰得天理之正極人倫之至者堯舜之道也用其私心依仁義之偏者霸者之事也【寧二年先生以大臣薦召除太子中允權監察御史裡行上疏首言王霸之事有天理人慾之分綱常純駁之辨】王道如砥本乎人情出乎禮義若履大路而行無復囘曲霸者崎嶇反側於曲徑之中而卒不可與入堯舜之道【王道本乎人情之公出乎禮義之正平易正直而無囘邪委曲之行崎嶇艱險反側不安之意徑委曲小路也】故誠心而王則王矣假之而霸則霸矣二者其道不同在審其初而已易所謂差若毫釐繆以千里者其初不可不審也【王者修己愛民正中國攘夷狄無非以誠心而行乎天理霸者假尊王攘夷救災討叛之名義以號令天下而自尊大耳其道雖霄壤之不侔然其初但根於一念之公私誠偽而已朱子曰宣帝雜王霸原不識王霸只是以寛慈喚做王嚴酷喚做霸自古論王霸至明道先生此劄無餘蘊矣】惟陛下稽先聖之言察人事之理知堯舜之道備於己反身而誠之推之以及四海則萬世幸甚【文集下同】
明道先生は曽て神宗に言いて曰く——「天理の正・人倫の至りを極めるを得るは、是れ尭舜の道。其の私心を用い仁義の偏に依るは、是れ霸者の事。【熈寧(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)二年、先生は大臣の薦を以て、召して太子中允・権監察御史裏行を除す。疏を上して首めに王霸の事を言う。天理人欲の分・綱常純駁の辨有り。】王道は砥のごとく、人情に本づき礼義に出づ。大路を履みて行くがごとく、復た回曲無し。霸者は崎嶇反側して曲径の中にありて、而も終に与に尭舜の道に入る可からず。【王道は人情の公に本づき礼義の正に出づ。平易正直にして回邪委曲の行無し。崎嶇は是れ艱険、反側は是れ不安。径は是れ委曲小路。】だから誠心にして王すれば則ち王れり、之を假りて霸すれば則ち霸れり。二者は其の道同じからず。其の初を審らかにするに在るのみ。『易』のいわゆる毫釐に差えば千里に繆ぐ。其の初は審らかにせざる可からず。【王者は己を修め民を愛し、中国を正しくし夷狄を攘ぐ。誠心を以て而も天理に行うに非ざる無し。霸者は尊王攘夷・救灾討叛の名義を假りて以て天下に号令して自ら尊大す。其の道は霄壤の侔しくならざると雖も、然るに其の初は但だ一念の公私誠偽に根づくのみ。朱熹は言う——宣帝は王霸を雑う。原より王霸を識らず。只だ寛慈を把って王と叫び厳酷を把って霸と叫ぶ。自ら古王霸を論ずるに、明道先生の此の札に至りて余蘊無し。】惟だ陛下は先聖の言を稽え人事の理を察し、尭舜の道は己に備わるを知り、身に反りて之を誠にして、之を推して以て四海に及ぼせば、則ち万世幸甚なり。」【以下同じく『文集』に出る。】
伊川先生曰當世之務所尤先者有三一曰立志二曰責任三曰求賢今雖納嘉謀陳善算非君志先立其能聽而用之乎君欲用之非責任宰輔其孰承而行之乎君相恊心非賢者任職其能施於天下乎此三者本也制於事者用也三者之中復以立志為本所謂立志者至誠一心以道自任以聖人之訓為可必信先王之治為可必行不狃滯於近規不遷惑於眾口必期致天下如三代之世也【立志篤實而逺大則不膠於淺近不惑於流俗】
伊川先生は言う。「当世の務の尤も先なる者は三有り。一に立志と曰い、二に責任と曰い、三に求賢と曰う。今嘉謀を納れ善算を陳ぶると雖も、君の志先に立たざれば、其れ能く聴きて之を用いんや。君は之を用いんと欲すも、宰輔に責任せざれば、其れ孰れか承けて之を行わん。君相は心を協すも、賢者職に任ぜざれば、其れ能く天下に施さん。此の三者は是れ本。事に制する者は是れ用。三者の中は復た立志を以て本と為す。いわゆる立志は、是れ至誠一心にして道を以て自ら任じ、聖人の訓を以て必ず信ず可しと為し、先王の治を以て必ず行う可しと為し、近規に狃滞せず衆口に遷惑せず。必ず天下を三代の世のごとく致さんことを期す。【志を立つること篤実にして遠大なれば、則ち浅近に膠せず流俗に惑わず。】」
比之九五曰顯比王用三驅失前禽伊川易傳曰人君比天下之道當顯明其比道而已如誠意以待物恕己以及人發政施仁使天下防其惠澤是人君親比天下之道也如是天下孰不親比於上【積誠實之意以待物推愛己之心以及人發政施仁公平正大群心自然豫附人君顯比天下之道也】若乃暴其小仁違道幹譽欲以求天下之比其道亦己狹矣其能得天下之比乎【暴小惠以市私恩違正道以幹虛譽以是求比則非顯比矣】王者顯明其比道天下自然來比來者撫之固不煦煦然求比於物若田之三驅禽之去者從而不追來者則取之也此王道之大所以其民皥皥而莫知為之者也【煦煦日出微溫之貌禮夫子不合圍蓋搜田之時圍於三面前開一路來者取之去者不追亦猶王者顯明比道初不執小惠以求人之比也皥皥廣大自得之意】非惟人君比天下之道如此大率人之相比莫不然以臣於君言之竭其忠誠致其才力乃顯其比君之道也用之與否在君而已不可阿諛逢迎求其比己也在朋友亦然修身誠意以待之親己與否在人而已不可巧言令色曲從苟合以求人之比己也於鄉黨親戚於眾人莫不皆然三驅失前禽之義也【易傳下同】
『比』の九五曰く——「顕比。王は三駆を用いて、前禽を失う。」伊川『易伝』曰く——「人君の天下に比するの道は、当に其の比道を顕明にするのみ。誠意を以て物に待ち、己を恕して以て人に及ぼし、政を発し仁を施して、天下をして其の恵沢を蒙らしむるがごとき(底本は「防」)、是れ人君の天下に親比するの道。是のごとくなれば、天下孰れか上に親比せざらん。【誠実の意を積みて以て物に待ち、己を愛するの心を推して以て人に及ぼし、政を発し仁を施し、公平正大なれば、群心は自然に豫附す。是れ人君の天下に顕比するの道。】もし乃ち其の小仁を顕暴して、道に違いて誉を干え、天下の比を求めんと想えば、其の道は已に狭れり。其れ能く天下の比を得んや。【小恵を暴して以て私恩を市し、正道に違いて以て虚誉を干う。是を以て比を求めれば、則ち顕比に非ず。】王者は其の比道を顕明にすれば、天下は自然に来たりて比す。来たる者は之を撫す。本より煦煦然として物に比を求めず。田猟の三駆のごとき——禽の去る者は従いて而も追わず、来たる者は則ち之を取る。これは王道の大。だから其の民は皥皥として而も為すを知る莫し。【煦煦は是れ日の出づるの微温の貌。『礼』——天子は囲を合せず。搜田の時は三面に囲みて前に一路を開く。来たる者は之を取り去る者は追わず。亦た猶ほ王者の比道を顕明にして、本より小恵を執りて以て人の比を求めざるがごとし。皥皥は是れ広大自得の意。】非惟だ人君の天下に比するの道は此のごとし。大率人の相比するは莫れ此のごとくならざるなし。臣の君に於けるを以て之を言えば——其の忠誠を竭くし其の才力を致すは、乃ち是れ其の君に比するの道を顕かにするなり。之を用いるか否かは君に在るのみ。阿諛逢迎して其の己に比するを求む可からず。朋友に在りても然り——身を修め意を誠にして以て之に待つ。己に親しむか否かは人に在るのみ。巧言令色・曲従苟合して以て人の己に比するを求む可からず。郷党親戚に於いて、衆人に於いて、莫れ皆然らざるなし。此れ就きて是れ三駆前禽を失うの義。」【以下同じく『易伝』に出る。】
古之時公卿大夫而下位各稱其德終身居之得其分也位未稱德則君舉而進之士修其學學至而君求之皆非有預於己也農工商賈勤其事而所享有限故皆有定志而天下之心可一後世自庶士至於公卿日誌於尊榮農工商賈日誌於富侈億兆之心交騖於利天下紛然如之何其可一也欲其不亂難矣【履卦象曰君子以辨上下定民志上之人不度其德而制爵位則庶士以至公卿日誌於尊榮不明其分而立品節則農工商賈日誌於富侈貴賤競趨而心欲無窮此亂之所由生也】
「古の時は、公卿大夫以下、位は各々其の徳に称い、終身之に居りて其の分を得たり。位は未だ徳に称わざれば、則ち君は挙げて之を進む。士は其の学を修め、学至れば而も君は之を求む。皆己に預る有るに非ず。農工商賈は其の事に勤めて而も享くる所有限り有り。だから皆定志有りて而も天下の心は一たる可し。後世は庶士より公卿に至るまで、日に尊栄に志し、農工商賈は日に富侈に志す。億兆の心は交々利に騖ぐ。天下紛然として、如何に一たる可けん。其の乱れざらんことを欲するは、難れり。」【『履』卦象に曰く——君子は以て上下を辨え民志を定む。上の人は其の徳を度らずして爵位を制せば、則ち庶士以て公卿に至るまで日に尊栄に志す。其の分を明らかにせずして品節を立てれば、則ち農工商賈は日に富侈に志す。貴賤は競いて趨りて心欲は窮り無し。これは乱の由りて生ずる所。】
泰之九二曰包荒用馮河伊川易傳曰人情安肆則政舒緩而法度廢弛庶事無節治之之道必有包含荒穢之量則其施為寛裕詳密革事理而人安之若無含之度有忿疾之心則無深逺之慮有暴擾之患深弊未去而近患己生矣故在包荒也【當泰之盛上下安肆政令舒緩而不振法度廢弛而不立庶事泛溢而無節未可以亟正驟起之也必有包含荒穢之量而後見於施為者寛裕而不迫詳密而不疎不迫不疎則弊可革事可理而人且安之矣或者見其百度慢弛不能含忍而遽懷忿疾之心則不暇詳密何有深逺之慮不能寛裕寧免暴擾之憂無深逺之慮則深弊未易革有暴擾之憂則近患己生矣】自古泰治之世必漸至於衰替蓋由狃習安逸因循而然自非剛斷之君英烈之輔不能挺特奮發以革其弊也故曰用馮河【治泰之道雖不容峻迫然人情玩肆因循苟且漸已陵夷苟非一人剛斷宰輔英烈則亦未能挺持自立奮發有為而作新積弊也無舟渡河曰馮謂必用馮河之勇也】或疑上雲包荒則是包含寛容此雲用馮河則是奮發改革似相反也不知以含容之量施剛果之用乃聖賢之為也【有含容之量則剛果不至於疎廹有剛果之用則含容不至於委靡二者相資而後治泰之道可成也】觀盥而不薦有孚顒若伊川易傳曰君子居上為天下之表儀必極其莊敬如始盥之初勿使誠意少散如旣薦之後則天下莫不盡其孚誠顒然瞻仰之矣【盥者祭祀之始盥洗之時也薦者獻腥獻熟之時也方盥之初人心精純嚴肅既薦之後則禮儀繁縟人心漸散故為人上者必外莊內敬常如始盥之時則天下之人莫不誠信其上顒顒然仰望之矣】
『泰』の九二曰く——「荒を包み、河を馮るを用う。」伊川『易伝』曰く——「人情は安肆なれば、則ち政は舒緩にして法度は廃弛し、庶事は節無し。之を治むるの道は、必ず荒穢を包含するの量有らば、則ち其の施為は寛裕詳密にして、弊(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)は革まり事は理まりて而も人之に安んず。もし含弘(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)の度無くして忿疾の心有れば、則ち深遠の慮無くして暴擾の患有り。深弊は未だ去らずして近患は已に生ぜり。だから荒を包むに在り。【泰の盛に当たりて、上下は安肆し、政令は舒緩にして振わず、法度は廃弛して立たず、庶事は泛溢して節無し。未だ以て亟に正しくし驟に起つ可からず。必ず荒穢を包含するの量有りて、而る後に施為に見ゆる者は寛裕にして迫らず詳密にして疎ならず。迫らず疎ならざれば、則ち弊は革む可く事は理む可くして而も人は且く之に安んず。或いは其の百度慢弛するを見て、能く含忍せずして遽に忿疾の心を懐けば、則ち詳密するに暇あらず。何ぞ深遠の慮有らん。能く寛裕ならざれば、寧ぞ暴擾の憂いを免れん。深遠の慮無ければ則ち深弊は未だ革め易からず。暴擾の憂有れば則ち近患は已に生ぜり。】自ら古泰治の世は必ず漸く衰替に至る。蓋し安逸に狃習し因循するに由りて然り。自ら剛断の君・英烈の輔に非ざれば、能く挺特奮発して以て其の弊を革むる能わず。だから河を馮るを用うと説く。【泰を治むるの道は峻迫を容れずと雖も、然るに人情は玩肆し因循苟且して、漸く已に陵夷す。苟くも一人剛断・宰輔英烈に非ざれば、則ち亦た未だ能く挺持自立して奮発有為して而も積弊を作新する能わず。舟無くして河を渡るを馮と叫ぶ。是れ必ず河を馮るの勇を用いるを言う。】或いは上面は荒を包むと説けば則ち是れ包含寛容、ここは河を馮るを用うと説けば則ち是れ奮発改革。似て相反るがごとしと疑う。知らず、含容の量を以て剛果の用を施すは、才だ是れ聖賢の為。【含容の量有れば則ち剛果は疎迫に至らず、剛果の用有れば則ち含容は委靡に至らず。二者相い資りて而る後に泰を治むるの道は成る可し。】「盥を観て而も薦せず、孚有りて颙若たり。」伊川『易伝』曰く——「君子は上に居りて、天下の表儀と為る。必ず其の荘敬を極めて、始めて盥するの初のごとく、誠意をして既に薦せる後のごとき少しも散ぜしめず。則ち天下は莫れ其の孚誠を尽くさざるなく、颙然として之を瞻仰せり。」【盥は是れ祭祀の始めて盥洗するの時、薦は是れ腥を献じ熟を献ずるの時。方に盥の初は、人心は精純厳粛。既に薦せる後は、則ち礼儀は繁縟にして人心は漸く散ず。だから人上と為る者は必ず外荘にして内敬、常に始めて盥するの時のごとくせば、則ち天下の人は莫れ其の上を誠信せざるなく、颙颙然として之を仰望す。】」
凡天下至於一國一家至於萬事所以不和合者皆由有間也無間則合矣以至天地之生萬物之成皆合而後能遂凡未合者皆為有間也若君臣父子親戚朋友之間有離貳怨隙者蓋讒邪間於其間也去其間隔而合之則無不和且治矣噬嗑者治天下之大用也【噬嗑卦傳天地有間則氣不通而生化莫遂人倫有間則情不通而恩義日睽頤中有物曰噬嗑噬而合之所以去間也有治天下之大用焉】
「凡そ天下に至り一国一家に至り、万事に至るまで、和合せざる所以は、皆間有るに由る。間無ければ則ち合せれり。天地の生・万物の成に至るまで、皆是れ合して而る後に能く遂ぐ。凡そ未だ合せざるは、皆是れ間有るに因る。もし君臣・父子・親戚・朋友の間に離貳怨隙有るは、蓋し讒邪は其の間に間す。其の間隔を去りて之を合せば、則ち和して且つ治まらざる無し。『噬嗑』は是れ天下を治むるの大用。」【『噬嗑』卦伝。天地に間有れば則ち気は通ぜずして生化は遂ぐる莫し。人倫に間有れば則ち情は通ぜずして恩義は日に睽る。頤中に物有るを噬嗑と叫ぶ。噬みて之を合するは、間を去る所以。天下を治むるの大用有り。】
大畜之六五曰豶豕之牙吉伊川易傳曰物有總攝事有機防聖人操得其要則視億兆之心猶一心道之斯行止之則戢故不勞而治其用若豶豕之牙也【得其要防則視繁猶簡令行而禁止矣】豕剛躁之物若強制其牙則用力勞而不能止若豶去其勢則牙雖存而剛躁自止君子法豶豕之義知天下之惡不可以力制也則察其機持其要塞絶其本原故不假刑法嚴峻而惡自止也且如止盜民有欲心見利則動苟不知敎而廹於飢寒雖刑殺日施其能勝億兆利慾之心乎聖人則知所以止之之道不尚威刑而修政敎使之有農桑之業知廉恥之道雖賞之不竊矣【聖人所以制強暴者蓋亦察其機要而治其本原則人自服矣如所謂止盜之法是也非若後世權謀之術執其要害以御人之謂也】
『大畜』の六五曰く——「豶豕の牙、吉。」伊川『易伝』曰く——「物は総攝有り、事は機会有り(底本は「機防」)。聖人は其の要を操り得れば、則ち億兆の心を視ること猶ほ一心のごとく、之を道けば則ち行い、之を止めれば則ち戢る。だから労せずして治まる。其の用は就きて豶豕の牙のごとし。【其の要会を得れば(底本は「要防」)、則ち繁を視ること猶ほ簡のごとく、令すれば行われ禁ずれば止まる。】豕は是れ剛躁の物。もし其の牙を強制せば、則ち力を用いて労して而も能く止めず。もし豶して其の勢を去れば、則ち牙は存ると雖も而も剛躁は自ら止まる。君子は豶豕の義に法りて、天下の悪は以て力に制す可からざるを知れば、則ち其の機を察し其の要を持して、其の本原を塞絶す。だから刑法の厳峻を假らずして而も悪は自ら止まる。且つ盗を止むるがごとき——民は欲心有り。利を見れば則ち動く。苟くも教を知らずして飢寒に迫られば、刑殺は日に施すと雖も、其れ能く億兆の利欲の心に勝たんや。聖人は則ち之を止むる所以の道を知る。威刑を尚ばずして政教を修め、之をして農桑の業有らしめ廉恥の道を知らしむれば、之を賞すと雖も窃まず。【聖人の強暴を制する所以も、亦た其の機要を察して其の本原を治むれば、則ち人は自ら服す。いわゆる盗を止むるの法のごとき就きて是なり。後世の権謀の術の其の要害を執りて以て人を御するのごときの意思に非ず。】」
解利西南無所徃其來復吉有攸往夙吉伊川易傳曰西南坤方坤之體廣大平易當天下之難方解人始離艱苦不可復以煩苛嚴急治之當濟以寛大簡易乃其宜也【文王八卦方位坤居西南維故西南為坤大難初解與民休息之意】既解其難而安平無事矣是無所往也則當修復治道正紀綱明法度進復先代明王之治是來復也謂反正理也自古聖王救難定亂其始未暇遽為也既安定則為可久可繼之治自漢以下亂既除則不復有為姑隨時維持而已故不能成善治蓋不知來復之義也【大難既解雖已安平而無所事然興廢舉墜修復治道以為久安長治之計者不容苟且而遂已也】有攸往夙吉謂尚有當解之事則早為之乃吉也當解而未盡者不早去則將復盛事之復生者不早為則將漸大故夙則吉也【張柬之等不殺武三思及其勢復成乃欲除之則亦晩矣】
「解は、西南に利し。往く所無ければ、其の来復は吉。往く攸有れば、夙くして吉。」伊川『易伝』曰く——「西南は是れ坤方。坤の体は広大平易。天下の難の方に解くるに当たり、人は始めて艱苦を離る。更に以て煩苛厳急を以て之を治む可からず。当に寛大簡易を以て済すべし。才だ是れ其の宜なり。【文王八卦方位は、坤は西南の維に居る。だから西南は坤と為る。大難初めて解け民を与えて休息するの意。】既に其の難を解きて安平無事なれば、これは是れ往く所無し。則ち当に治道を修復し紀綱を正しくし法度を明らかにし、先代明王の治に進み復るべし。これは是れ来復。是れ正理に反るを言う。自ら古聖王は難を救い乱を定むるに、其の始めは遽に為るに未だ暇あらず。既に安定せば、則ち久しく継ぐ可きの治を為す。漢以下より、乱は既に除けば則ち復た為す有ることせず。姑く時に随いて維持するのみ。だから能く善治を成さず。蓋し来復の義を知らざるなり。【大難既に解けば、已に安平にして事する所無しと雖も、然る而も廃を興し墜を挙げ治道を修復して以て久安長治の計と為すは、苟且して遂に已むを容れず。】往く攸有り夙吉とは、是れ尚お当に解くべきの事有れば則ち早く之を為して才だ吉なるを言う。当に解くべきにして未だ尽くさざるを早く去らざれば則ち将に復た盛んならんとし、事の復た生ずるを早く為さざれば則ち将に漸く大ならんとす。だから夙なれば則ち吉。」【張柬之等は武三思を殺さず。其の勢の復た成るに及びて才だ之を除かんと想う。則ち亦た晩れり。】
夫有物必有則父止於慈子止於孝君止於仁臣止於敬萬物庶事莫不各有其所得其所則安失其所則悖聖人所以能使天下順治非能為物作則也唯止之各於其所而已【艮卦彖傳事物各有天然之則聖人非能為物作則但處之各當其則而已】兌說而能貞是以上順天理下應人心說道之至正至善者也【兌卦彖曰說以利貞是以順乎天而應乎人】若夫違道以幹百姓之譽者苟說之道違道不順天干譽非應人苟取一時之說耳非君子之正道君子之道其說於民如天地之施感之於心而說服無斁【道出於天違道則非順天矣譽出於人幹譽則非應人矣】天下之事不進則退無一定之理濟之終不進而止矣無常止也衰亂至矣蓋其道已窮極也聖人至此奈何曰惟聖人為能通其變於未窮不使至於極堯舜是也故有終而無亂【旣濟彖曰終止則亂其道窮也盛止必衰者天下之常勢有盛無衰者聖人之常道常人苟安於既濟乃衰亂之所由生聖人通變於未窮故有終而無亂易大傳曰堯舜氏作通其變使民不倦是也】
「夫れ物有れば必ず則有り——父は慈に止まり、子は孝に止まり、君は仁に止まり、臣は敬に止まる。万物庶事は莫れ各々其の所有らざるなし。其の所を得れば則ち安く、其の所を失えば則ち悖る。聖人の能く天下をして順治せしむる所以は、能く物の為に則を作すに非ず。只是れ之を各々其の所に止めしむるのみ。」【『艮』卦彖伝。事物は各々天然の則有り。聖人は能く物の為に則を作すに非ず。但だ之に処りて各々其の則に当たらしむるのみ。】「兌は、説びて能く貞なり。是れ以て上は天理に順い下は人心に應ず。是れ道の至正至善を説く。」【『兌』卦彖に曰く——説びて以て貞に利しきは、是れ以て天に順いて人に應ず。】「もし夫れ道に違いて以て百姓の誉を干うるは、是れ苟説の道——道に違えば則ち天に順わず、誉を干えば則ち人に應ぜず。苟くも一時の説を取るのみ。是れ君子の正道に非ず。君子の道は、其の民に説ぶや天地の施すがごとく、之に心を感じて而も説服して厭う無し。」【道は天に出づ。道に違えば則ち天に順うに非ず。誉は人に出づ。誉を干えば則ち人に應ずるに非ず。】「天下の事は進まざれば則ち退く。一定の理無し。済の終に進まずして止めば、常止無し。衰乱至れり。蓋し其の道は已に窮極す。聖人は此に至りて奈何せん。曰く——惟だ聖人は能く其の変を未だ窮まらざるに通じて、極に至らしめず。尭舜就きて是なり。だから終有りて而も乱無し。」【『既済』彖に曰く——終に止まれば則ち乱る。其の道は窮るなり。盛んは止まれば必ず衰うるは是れ天下の常勢。盛有りて衰無きは是れ聖人の常道。常人は既済に苟安す。乃ち衰乱の由りて生ずる所。聖人は未だ窮まらざるに変を通ず。だから終有りて而も乱無し。『易大伝』に曰く——尭舜氏作りて、其の変を通じて民をして倦まざらしむ。就きて是なり。】」
為民立君所以養之也養民之道在愛其力民力足則生養遂生養遂則敎化行而風俗美故為政以民力為重也春秋凡用民力必書其所興作不時害義固為罪也雖時且義必書見勞民為重事也後之人君知此義則知愼重於民力矣【春秋書不時者如隱公七年夏城中丘之類書時者如桓十六年冬城向之類書不義者如莊二十三年丹桓宮楹之類書義者如莊元年築王姬之館之類】然有用民力之大而不書者為敎之意深矣僖公修泮宮復閟宮非不用民力也然而不書二者復古興廢之大事為國之先務如是而用民力乃所當用也人君知此義知為政之先後輕重矣【經說下同○泮半也諸侯之學鄉射之宮其東西南方有水形如半璧以其半於天子之辟雍故曰泮宮也閟閉也幽陰之義宮廟也毛氏曰先妣姜嫄之廟孟仲子曰是禖宮也泮宮者所以敎育賢材閟宮者所以尊事祖先二者皆為國之先務以是而用民力故無議焉】
「民の為に君を立つるは、之を養う所以なり。民を養うの道は其の力を愛するに在り。民力足れば則ち生養は遂げられ、生養遂げられれば則ち教化は行われて風俗は美し。だから政を為すは民力を以て重と為す。『春秋』は凡そ民力を用いれば必ず其の興作する所を書す——時ならずして義を害するは固より是れ罪。時にして且つ義なりと雖も必ず書す。民を労するは是れ重事なるを見る。後の人君は此の義を知れば、則ち民力に慎重するを知れり。」【『春秋』は時ならざるを書するは、隠公七年夏中丘を城とするの類のごとし。時なるを書するは、桓公十六年冬向を城とするの類のごとし。義ならざるを書するは、荘公二十三年桓宮の楹を丹するの類のごとし。義なるを書するは、荘公元年王姫の館を築くの類のごとし。】「然る而も民力の大を用いて而も書せざる者有り。教を為すの意は深し。僖公は泮宮を修め閟宮を復す。民力を用いざるに非ず。然る而も書せず。二者は是れ古を復し廃を興すの大事・国を為るの先務。是のごとくして而も民力を用いるは、乃ち是れ当に用うべき所。人君は此の義を知れば、政を為すの先后軽重を知れり。」【以下同じく『経説』に出る。泮は是れ半。諸侯の学・郷射の宮は、其の東西南方に水有り。形は半璧のごとし。天子の辟雍に半なればに因りて、だから泮宮と叫ぶ。閟は是れ閉。幽陰の義。宮廟を指す。毛氏曰く——先妣姜嫄の廟。孟仲子曰く——是れ禖宮。泮宮は賢材を教育する所以、閟宮は祖先を尊事する所以。二者は皆是れ国を為るの先務。是を以て而も民力を用いる。だから譏議無し。】」
治身齊家以至平天下者治之道也建立治綱分正百職順天時以制事至於創制立度盡天下之事者治之法也聖人治天下之道唯此二端而已【道者治之本法者治之具不可偏廢然亦必本之立而後其具可舉也】
「身を治め家を斉えて以て天下を平らぐるに至るは、是れ治の道。治綱を建立し百職を分正し、天時に順いて以て事を制し、創制立度して天下の事を尽くすに至るは、是れ治の法。聖人の天下を治むるの道は、唯だ此の二端のみ。」【道は是れ治の本、法は是れ治の具。偏廃す可からず。然る而も亦た必ず本立ちて而る後に其の具は挙ぐ可し。】
明道先生曰先王之世以道治天下後世只是以法把持天下【遺書下同○先王治天下以仁義為主法固在其中後世把持法令以控制天下而法亦非先王之法矣】
明道先生は言う。「先王の世は道を以て天下を治む。後世は只是れ法を以て天下を把持す。」【以下同じく『遺書』に出る。先王は天下を治むるに仁義を以て主と為す。法は固より其の中に在り。後世は法令を把持して以て天下を控制す。而も法も亦た先王の法に非ず。】
為政須要有紀綱文章先有司鄉官讀法平價謹權量皆不可闕也【大曰綱小曰紀文章謂文法章程也有司眾職也必先正有司而後考其成防其要鄉官如黨正族師閭胥比長之屬讀法如州長於正月之吉及歲時祭祀各屬其州之民而讀法以考其德行道藝而勸之以糾其過惡而戒之是也平價如賈師各掌其次之貨賄之治辨其物而均平之展其成而奠其價之類是也權五銖兩斤鈞石也量五龠合升斗斛也】人各親其親然後能不獨親其親【使人各親其親則親親之道公於天下】仲弓曰焉知賢才而舉之子曰舉爾所知爾所不知人其舍諸便見仲弓與聖人用心之大小推此義則一心可以喪邦一心可以興邦只在公私之間耳【仲弓欲以一人之知舉天下之賢故疑其不足夫子則因天下之賢舉天下之賢惟見其有餘用心之公私小大如此推其極致則一可以喪邦一可以興邦】
「政を為すは須く紀綱文章有るを要す——先有司、郷官は法を読み、平価し、権量を謹む。皆缺く可からず。」【大なるを綱と叫び、小なるを紀と叫ぶ。文章は文法章程を指す。有司は是れ衆職。必ず先ず有司を正しくして、而る後に其の成を考え其の要を会す(底本は「防」)。郷官は党正・族師・閭胥・比長の属のごとし。法を読むは州長が正月の吉及び歳時祭祀に於いて、各々其の州の民を聚集して而も法を読み、以て其の徳行道芸を考えて之を勧め、以て其の過悪を糾して之を戒むるがごとし。平価は賈師が各々其の次の貨賄の治を掌り、其の物を辨えて均平にし、其の成を展べて其の価を奠むるの類のごとし。権は是れ銖両斤鈞石、量は是れ龠合升斗斛。】「人は各々其の親を親しみて、然る後に能く独り其の親を親しまず。」【人をして各々其の親を親しましめば、則ち親を親しむの道は天下に公なり。】「仲弓曰く——『焉んぞ賢才を知りて之を挙げん。』孔子曰く——『爾の知る所を挙げよ。爾の知らざる所は、人は其れ之を舎てんや。』便ち仲弓と聖人との用心の大小を見る。此の義を推せば、則ち一心は以て邦を喪う可く、一心は以て邦を興す可し。只だ公私の間に在るのみ。」【仲弓は以て一人の知を以て天下の賢を挙げんと想う。だから其の足らざるを疑う。夫子は則ち天下の賢に因りて天下の賢を挙ぐ。惟だ其の余有るを見る。用心の公私小大は此のごとし。其の極致を推せば、則ち一は以て邦を喪う可く、一は以て邦を興す可し。】
治道亦有從本而言亦有從事而言從本而言惟是格君心之非正心以正朝廷正朝廷以正百官若從事而言不救則已若須救之必須變大變則大益小變則小益【論治本則正君而國定矣就事而言則必有大更革然後能救積然要以格君心為本】
「治道も亦た本に従いて言う者有り、亦た事に従いて言う者有り。本に従いて言えば、惟だ是れ君心の非を格つ——心を正しくして以て朝廷を正しくし、朝廷を正しくして以て百官を正しくす。もし事に従いて言えば、救わざれば則ち已む。もし須く之を救わば、必ず須く変すべし——大いに変ずれば則ち大いに益し、小さく変ずれば則ち小さく益す。」【治本を論ずれば則ち君を正しくして国は定まる。事に就きて言えば則ち必ず大更革有りて然る後に能く積弊を救う(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。然る而も要するに君心を格つを以て本と為すべし。】
唐有天下雖號治平然亦非盡善之道三綱不正無君臣父子夫婦其原始於太宗也故其後世子弟皆不可使君不君臣不臣故藩鎭不賓權臣跋扈陵夷有五代之亂【太宗以智力劫持取天下其於君臣父子之義有虧閨門之間又有慙德三綱皆已不正是以後世子孫氣習相傳綱常陵夷而不可止宗使肅宗至靈武則自立稱帝使永王璘使江南則反君臣之道不正遂使藩鎭割據於外閹豎擅專於內馴致五季之極亂也】漢之治過於唐漢大綱正唐萬目舉本朝大綱正萬目亦未盡舉【大綱謂綱常唐之治目若世業若府兵若租庸調若省府其區畫法制略仿先王之遺意故亦足以維持天下】
「唐は天下有りて治平と号すと雖も、亦た并せて善を尽くすの道に非ず。三綱正しからず。君臣父子夫婦無し。其の原は太宗に始まる。だから其の後世の子弟は皆使う可からず——君は君ならず臣は臣ならず。だから藩鎮は賓せず権臣は跋扈し、陵夷して而も五代の乱有り。」【太宗は智力を以て劫して天下を取る。其の君臣父子の義に於いて虧有り。閨門の間は又た慚徳有り。三綱は已に皆正しからず。だから後世の子孫は気習相い伝え、綱常は陵夷して而も止む可からず。玄宗は粛宗をして霊武に至らしめば則ち自立して帝と称し、永王璘をして江南に使せしめば則ち反く。君臣の道正しからず。遂に藩鎮をして外に割拠せしめ閹竪をして内に擅専せしめ、馴致して五季の極乱に至る。】「漢の治は唐に過ぎり——漢は大綱正し、唐は万目挙る。本朝は大綱正し、万目も亦た未だ尽く挙らず。」【大綱は綱常を指す。唐の治目は、世業のごとく、府兵のごとく、租庸調のごとく、省府のごとし。其の区画法制は略ほ先王の遺意を仿う。だから亦た以て天下を維持するに足れり。】
敎人者養其善心而惡自消治民者導之敬讓而爭自息【外書下同○道之以德齊之以禮】
「人を教うるは、其の善心を養いて而も悪は自ら消ゆ。民を治むるは、之を導きて敬譲せしめて而も争は自ら息む。」【以下同じく『外書』に出る。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てす。】
明道先生曰必有闗睢麟趾之意然後可以行周官之法度【闗雎詠文王妃姒氏有幽閒貞靜之德麟趾詠文王子孫宗族有仁愛忠厚之性○朱子曰自閨門衽席之微積累至薫蒸洋溢天下無一民一物不被其化然後可以行周官之法度不然則為王莽矣】君仁莫不仁君義莫不義天下之治亂系乎人君仁不仁耳離是而非則生於其心必害於其政豈待乎作之於外哉【一國以一人為本一人以一心為本使人君有一念私邪必將害於其政奚待作於外而後可知】昔者孟子三見齊王而不言事門人疑之孟子曰我先攻其邪心心既正然後天下之事可從而理也夫政事之失用人之非知者能更之直者能諫之然非心存焉則一事之失救而正之後之失者將不勝救矣格其非心使無不正非大人其孰能之【孟子見齊王首言仁術曰是心足以王至將求其所大欲則曰緣木求魚後必有災王欲行之盍反其本凡皆以格其非心而興其善意至於一政事之得失固未暇論】
明道先生は言う。「必ず『関雎』『麟趾』の意有りて、然る後に以て『周官』の法度を行う可し。」【『関雎』は文王の妃姒氏の幽閑貞静の徳有るを詠じ、『麟趾』は文王の子孫宗族の仁愛忠厚の性有るを詠ず。朱熹は言う——閨門衽席の微より、積累して薫蒸洋溢に至りて、天下に一民一物も其の化を被らざる無くして、然る後に以て『周官』の法度を行う可し。然らざれば則ち王莽と為る。】「君仁なれば莫れ仁ならざるなく、君義なれば莫れ義ならざるなし。天下の治乱は人君の仁不仁に係るのみ。是に離れて而も非なれば、則ち其の心に生じて必ず其の政に害す。豈に之を外に作すを待たんや。」【一国は一人を以て本と為し、一人は一心を以て本と為す。人君をして一念私邪有らしめば、将に必ず其の政に害せん。何ぞ外に作るを待ちて後に知らんを要せん。】「従前孟子は三たび斉王を見て而も事を言わず。門人は之を疑う。孟子曰く——我先ず其の邪心を攻む。心既に正しければ、然る後に天下の事は従いて理む可し。夫れ政事の失・用人の非は、知者は能く之を更め、直者は能く之を諫む。然る而も非心は還って在れば、則ち一事の失は救い之を正しくするも、後の失する者は将に救いに勝えざらん。其の非心を格して正しからざる無からしむるは、大人に非ざれば其れ孰れか能くせん。」【孟子は斉王を見るに、首めに仁術を言い、「是の心は以て王たるに足れり」と説く。其の大欲する所を求めんとするに至っては、則ち木に縁りて魚を求め後に必ず災有り、王は之を行わんと欲せば盍ぞ其の本に反らざると説く。凡そ是れ皆以て其の非心を格して而も其の善意を興す。一政事の得失に至っては、固より未だ論ずるに暇あらず。】
橫渠先生曰道千乗之國不及禮樂刑政而云節用而愛人使民以時言能如是則法行不能如是則法不徒行禮樂刑政亦制數而已耳【正下同說見論語○道治也千乗諸侯之國其賦可出兵車千乘者治國以人心為本必節己裕民德意孚洽民安其生然後禮樂刑政有所措】
横渠先生は言う。「『千乗の国を道く』は礼楽刑政に及ばずして、而も用を節し人を愛し民を使うに時を以てすと説く。是れ能く是のごとくなれば則ち法は行われ、能く是のごとくならざれば則ち法は徒らに行われず。礼楽刑政も亦た只是れ制数のみと言うなり。」【以下同じく『正蒙』に出る(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。説は『論語』に見る。道は是れ治。千乗は是れ諸侯の国。其の賦は以て兵車千乗を出す可し。国を治むるは人心を以て本と為す。必ず須く己を節し民を裕かにして、徳意は孚洽し民は其の生に安んじて、然る後に礼楽刑政は措く所有り。】
法立而能守則德可久業可大鄭聲佞人能使為邦者喪其所守故放逺之【鄭聲者鄭國之俗淫邪其作之詩著於樂者聲皆淫靡佞人者口給面諛之人也夫子既告顔子以四代之禮樂而必欲放鄭聲逺佞人蓋二者蕩心之原敗法亂紀之要也】橫渠先生荅範巽之書曰朝廷以道學政術為二事此正自古之可憂者巽之謂孔孟可作將推其所得而施諸天下邪將以其所不為而強施之於天下歟【道學政術分為兩途則學與政皆非矣使孔孟復生必將推其所得之道措之天下必不以政術非吾所事而姑以是強施之天下也】大都君相以父母天下為王道不能推父母之心於百姓謂之王道可乎所謂父母之心非徒見於言必須視四海之民如己之子設使四海之內皆為己之子則講治之術必不為秦漢之少恩必不為五霸之假名【視民猶子則所以撫摩涵育敎誨輔翼之者何所不盡秦漢慘刻少恩五霸假義圖利皆無誠愛之心者也】巽之為朝廷言人不足與適政不足與間能使吾君愛天下之人如赤子則治德必日新人之進者必良士帝王之道不必改途而成學與政不殊心而得矣【文集適過也間非也用人之非不足過謫行政之失不足非間唯能愛民如赤子懇惻切至則治德將日新何憂為政之失所任皆良士何憂用人之非帝王之道即今日之政事非有兩途今日之政術即平日之學問非有二心也】
「法立ちて能く守れば、則ち徳は久しくする可く業は大きくする可し。鄭声・佞人は邦を為す者をして其の守る所を喪わしむる能し。だから之を放ち之を遠ざく。」【鄭声は是れ鄭国の俗の淫邪にして、其の作る所の詩は楽に著する、声は皆淫靡。佞人は是れ口給面諛の人。夫子は既に顔子に四代の礼楽を告げて、而も必ず鄭声を放ち佞人を遠ざけんと欲す。蓋し二者は是れ心を蕩するの原・法を敗り紀を乱すの要。】横渠先生が范巽之の書に答えて曰く——「朝廷は道学・政術を以て二事と為す。此れ正に是れ自ら古の憂う可き者。巽之曰く——孔孟もし復た作る可ければ、将に其の得る所を推して而も天下に施さんとするか、還って是れ其の為さざる所を以て而も強いて天下に施さんとするか。」【道学・政術は分れて両途と為れば、則ち学も政も皆是ならず。孔孟をして復た生ぜしめば、必ず将に其の得る所の道を推して天下に措けんとし、必ず政術は吾が事とする所に非ずを以て姑く是を以て強いて天下に施さず。】「大都君相は天下を父母するを以て王道と為す。能く父母の心を百姓に推さざれば、之を王道と叫んで以て可なりや。いわゆる父母の心は、徒らに言に見るに非ず。必ず須く四海の民を視ること己の子のごとくせば。四海の内をして皆己の子と為らしむるを設えれば、則ち治を講ずるの術は必ず秦漢の恩少なきと為さず、必ず五霸の名を假ると為さず。」【民を視ること猶ほ子のごとくせば、則ち撫摩涵育し教誨輔翼する所以は、何ぞ尽くさざる所有らん。秦漢は惨刻にして恩少なく、五霸は義を假りて利を図る。皆誠愛の心無し。】「巽之の朝廷に為に言う——人は以て適するに足らず、政は以て間するに足らず。能く吾が君をして天下の人を愛するに赤子のごとくせしめば、則ち治徳は必ず日に新たに、人の進む者は必ず良士、帝王の道は必ずしも途を改めずして成り、学と政とは心を殊にせずして了れり。」【『文集』に出る。適は是れ過、間は是れ非。人を用うるの非は過謫するに足らず、政を行うの失は非間するに足らず。唯だ能く民を愛するに赤子のごとく懇惻切至なれば、則ち治徳は将に日に新たならん。何ぞ政を為すの失を憂えん。任ずる所は皆良士なれば、何ぞ人を用うるの非を憂えん。帝王の道は即ち今日の政事にして両途有るに非ず、今日の政術は即ち平日の学問にして二心有るに非ず。】
近思錄卷八
近思録巻八
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思錄卷九宋朱子呂祖謙同編
近思録巻九 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
治法【凡二十七條】
治法【凡そ二十七条】
此卷論治法蓋治本雖立而治具不容缺禮樂刑政有一之未備未足以成極治之功也
この巻は治法を論ず。蓋し治本は立つと雖も而も治具は缺くを容れず。礼楽刑政は一の未だ備わらざる有れば、未だ以て極治の功を成すに足らず。
濓溪先生曰古聖王制禮法修敎化三綱正九疇敘百姓太和萬物鹹若【朱子曰綱網上大綱也三綱者夫為妻綱父為子綱君為臣綱也疇類也九疇見洪範若順也此所謂理而後和也】乃作樂以宣八風之氣以平天下之情【朱子曰八音以宣八方之風見國語宣所以達其理之分平所以節其和之流】故樂聲淡而不傷和而不淫入其耳感其心莫不淡且和焉淡則欲心平和則躁心釋【朱子曰淡者禮之發和者樂之為先淡後和亦主靜之意也然古聖賢之論樂曰和而已此所謂淡蓋以今樂形之而後見其本於莊敬齊肅之意耳】優柔平中德之盛也天下化中治之至也是謂道配天地古之極也【朱子曰欲心平故平中躁心釋故優柔言聖人作樂功化之盛如此或雲化中當作化成】後世禮法不修政刑苛紊縱慾敗度下民困苦謂古樂不足聽也代變新聲妖淫愁怨導欲増悲不能自止故有賊君棄父輕生敗倫不可禁者矣【朱子曰縱慾敗度故其聲不淡而妖淫政苛民困故其聲不和而愁怨妖淫故導欲而至於輕生敗倫愁怨故増悲而至於賊君棄父】嗚呼樂者古以平心今以助欲古以宣化今以長怨【朱子曰古今之異淡與不淡和與不和而已】不復古禮不變今樂而欲至治者逺哉【通書朱子曰復古禮然後可以變今樂】
濂渓先生は言う。「古の聖王は礼法を制し教化を修め、三綱は正しく九疇は敘し、百姓は太和にして万物は咸く若す。【朱熹は言う——綱は是れ網上の大綱。三綱——夫は妻の綱、父は子の綱、君は臣の綱。疇は是れ類。九疇は『洪範』に見る。若是れ順。此れ就きて是れいわゆる理して而る後に和す。】是に於いて楽を作して以て八風の気を宣べ、以て天下の情を平らぐ。【朱熹は言う——八音は以て八方の風を宣ぶ。『国語』に見る。宣は其の理の分を達する所以、平は其の和の流を節する所以。】だから楽声は淡くして傷らず、和にして淫らず。其の耳に入り其の心を感ずるに、莫れ淡く且つ和ならざるなし。淡ければ則ち欲心は平らぎ、和なれば則ち躁心は釋す。【朱熹は言う——淡は是れ礼の発、和は是れ楽の為。先に淡くして後に和すは、亦た是れ静を主とするの意。然る而も古の聖賢の楽を論ずるは只だ和を説くのみ。ここは淡を説くは、是れ今楽を以て之を形して而る後に其の荘敬斉粛の意に本づくを見る。】優柔平中は、是れ徳の盛。天下は中に化す。是れ治の至。此れを道は天地に配すと謂い、古の極。【朱熹は言う——欲心は平らぐ所以平中、躁心は釋する所以優柔。是れ聖人が楽を作すの功化の盛んなること此のごとしを言う。或いは「化中」は当に「化成」と作すべしと説く。】後世は礼法は修められず政刑は苛紊し、欲を縱して度を敗り、下民は困苦す。古楽は聴くに足らずと説き、代わりて新声に変じ、妖淫愁怨して、欲を導き悲を増し、能く自ら止まらず。だから君を賊し父を棄て、生を軽んじ倫を敗りて禁ず可からざる有り。【朱熹は言う——欲を縦して度を敗る。だから其の声は淡くせずして妖淫。政苛く民困る。だから其の声は和せずして愁怨。妖淫は欲を導きて而生を軽んじ倫を敗るに至る所以、愁怨は悲を増して而も君を賊し父を棄つるに至る所以。】嗚呼、楽は是れ者——古は以て心を平らげ、今は以て欲を助く。古は以て化を宣べ、今は以て怨を長ず。【朱熹は言う——古今の異は、只是れ淡なると淡ならざる・和なると和ならざるとのみ。】古礼を復せず今楽を変ぜずして而も至治を想うは、遠し。」【『通書』に出る。朱熹は言う——古礼を復して然る後に以て今楽を変ず可し。】
明道先生言於朝曰治天下以正風俗得賢才為本宜先禮命近侍賢儒及百執事悉心推訪有德業充備足為師表者其次有篤志好學材良行修者延聘敦遣萃於京師俾朝夕相與講明正學其道必本於人倫明乎物理【大而人倫微而物理皆道之體也】其教自小學灑掃應對以往修其孝弟忠信周旋禮樂其所以誘掖激勵漸摩成就之道皆有節序【誘掖引而進之激勵作而興之漸摩則有漸成就則周足】其要在於擇善修身至於化成天下自鄉人而可至於聖人之道【擇善者致知格物也修身者誠意正心修身也化成天下者齊家治國平天下也鄉人鄉里之常人孟子曰我猶未免為鄉人是也】其學行皆中於是者為成德取材識明達可進於善者使日受其業【所學所行中乎是者謂擇善修身足以化成天下蓋成德之士也則又取夫材識明達可與適道者使受學於成德之人】擇其學明德尊者為太學之師次以分敎天下之學【敎成使為學官推敎法於天下】擇士入學縣升之州州賓興於太學聚而敎之歲論其賢者能者於朝【此仿周禮鄉大夫賓興司馬論士之制】凡選士之法皆以性行端潔居家孝弟有亷恥禮遜通明學業曉達治道者【文集下同以此選士則通於理而適於用本於身而及於天下其與後世以文詞記誦取士者有間矣】
明道先生は朝に於いて言いて曰く——「天下を治むるは風俗を正しくし賢才を得るを以て本と為す。宜しく先ず礼命して近侍の賢儒及び百執事にして、心を悉くして推訪せしむべし——徳業充備して以て師表と為すに足る者有れば、其の次は篤志好学にして材良行修の者有れば、延聘敦遣して京師に萃め、朝夕に相い与に正学を講明せしむ。其の道は必ず人倫に本づき物理に明らかならん。【大は人倫、微は物理。皆是れ道の体。】其の教は小學洒掃應對より以て往き、其の孝弟忠信・周旋礼楽を修む。其の誘掖激励・漸摩成就する所以の道は、皆節序有り。【誘掖は是れ引いて之を進め、激励は是れ作して之を興し、漸摩は則ち漸有り、成就は則ち周足。】其の要は善を擇び身を修むるに在り。天下を化成するに至りて、郷人自ら以て聖人の道に至る可し。【善を擇ぶは是れ知を致し物を格し、身を修むは是れ意を誠にし心を正しくし身を修む、天下を化成するは是れ家を斉え国を治め天下を平らぐ。郷人は是れ郷里の常人。孟子がいわゆる「我は猶ほ未だ郷人と為るを免れず」就きて是なり。】其の学行皆於是に中るを以て成徳と為し、材識明達にして善に進む可きを取材し、日に其の業を受けしむ。【学ぶ所行う所乎是に中るは、是れ善を擇び身を修めて以て天下を化成するに足るを説く。是れ成徳の士。則ち又た夫の材識明達にして与に道に適く可きを取り、成徳の人に学を受けしむ。】其の学明らかにして徳尊きを擇びて太学の師と為し、次を以て天下の学に分教す。【教成して学官と為らしめ、教法を天下に推す。】士を擇びて学に入る——県は之を州に升り、州は太学に賓興し、聚めて之を教え、歳に其の賢者能者を朝に論ず。【此れ是れ『周礼』の郷大夫賓興・司馬論士の制を仿う。】凡そ士を選ぶの法は、皆性行端潔・居家孝弟・廉恥礼遜有り・通明学業・曉達治道を以てす。」【以下同じく『文集』に出る。此を以て士を選べば、則ち理に通じて用に適い、身に本づきて天下に及ぶ。後世の文詞記誦を以て士を取ると別有り。】
明道先生論十事一曰師傅【古者自天子達於庶人必須師友以成就其德業今師傅之職不修友臣之義未著所以尊德樂善之風未成】二曰六官【天地四時之官歴二帝三王未之或改今官秩淆亂職業廢弛太平之治所以未至】三曰經界【制民常產使之厚生則經界不可不正井地不可不均今富者跨州縣而莫之止貧者流離餓殍而莫之恤幸民雖多而衣食不足者蓋無紀極生齒日益繁而不為之制則衣食日蹙轉死日多】四曰鄉黨【古者政敎始乎鄉里其法起於比閭族黨州鄉酇遂以相聨屬統治故民相安而親睦刑法鮮犯亷恥易格】五曰貢士【庠序所以明人倫化成天下今師學廢而道德不一鄉射亡而禮義不興貢士不本於鄉里而行實不修秀民不養於學校而人材多廢】六曰兵役【古者府史胥徒受祿公上而兵農未始判也今驕兵耗匱國力禁衛之外不漸歸之農則將貽深慮府史胥徒之役毒遍天下不更其制則未免大患】七曰民食【古者民必有九年之食今天下耕之者少食之者眾地力不盡人功不勤固宜漸從古制均田務農公私交為儲粟之法以為凶歲之備】八曰四民【古者四民各有常職而農者十居八九故衣食易給今京師浮民數逾百萬此在酌古變今均多恤寡漸為之業以救之耳】九曰山澤【聖人理物山虞澤衡各有常禁故萬物阜豐而財用不乏今五官不修六府不治用之無節取之不時惟修虞衡之職使長養之則有變通長久之勢】十曰分數【古者冠昏喪祭車服器用等差分別莫敢逾僭故財用易給而民有常心今禮制不足以檢飭人情名數不足以旌別貴賤奸詐攘奪人人求厭其欲此爭亂之道也○以上十條並節錄本文】其言曰無古今無治亂如生民之理有窮則聖王之法可改後世能盡其道則大治或用其偏則小康此歴代彰灼著明之效也苟或徒知泥古而不能施之於今姑欲徇名而遂廢其實此則陋儒之見何足以論治道哉然儻謂今人之情皆已異於古先王之跡不可復於今趣便目前不務高逺則亦恐非大有為之論而未足以濟當今之極弊也【泥古而不度今之冝徇復古之名而失其實此固陋儒之見然遂謂先王治法不可用於今苟且卑陋此又世俗之淺識豈足以大有為而拯極弊哉】
明道先生は十事を論ず。一は師傅と曰く【古は天子自り庶人に達して必ず師友を須ちて以て其の徳業を成就す。今師傅の職は修められず、友臣の義は未だ著らず。だから徳を尊び善を楽しむの風は未だ成らず。】二は六官と曰く【天地四時の官、二帝三王を歴るに之を改むる有らず。今官秩は淆乱し職業は廃弛す。太平の治の未だ至らざる所以。】三は経界と曰く【民の常産を制して之を厚く生せしむれば、則ち経界は正しくせざる可からず、井地は均しくせざる可からず。今富者は州県を跨いで而も之を止むる莫く、貧者は流離餓殍して而も之を恤むる莫し。幸民は多しと雖も而も衣食足らざるは、蓋し紀極無し。生齒は日に益々繁して而も之が制を為さざれば、則ち衣食は日に蹙まり転死は日に多し。】四は郷党と曰く【古は政教は郷里に始まる。其の法は比閭族党州郷酇遂に起りて以て相い聯属統治す。だから民は相い安んじ親睦し、刑法は鮮く犯し、廉恥は易く格す。】五は貢士と曰く【庠序は人倫を明らかにし天下を化成する所以。今師学は廃れて而も道徳は一ならず、郷射は亡びて而も礼義は興らず。貢士は郷里に本づかずして而も行実は修まらず、秀民は学校に養われずして而も人材は多く廃る。】六は兵役と曰く【古は府史胥徒は禄を公上に受けて、而も兵農は未だ嘗て判たず。今驕兵は国力を耗匱し、禁衛の外は漸く之を農に帰せざれば則ち将に深慮を貽さんとす。府史胥徒の役は毒は天下に遍し。其の制を更めざれば則ち未だ大患を免れず。】七は民食と曰く【古は民は必ず九年の食有り。今天下は耕す者少なく食之者衆し。地力は尽くされず人功は勤まらず。固より宜しく漸く古制に従い、田を均しくし農を務め、公私交々に粟を儲けるの法を為して、以て凶歳の備えと為すべし。】八は四民と曰く【古は四民は各々常職有りて而も農者は十に八九を居る。だから衣食は易く給す。今京師の浮民は数は百万を逾ゆ。此れ是れ古を酌み今を変じ、多きを均しくし寡なきを恤み、漸く之が業を為して以て之を救うのみ。】九は山沢と曰く【聖人は物を理むに、山虞沢衡は各々常禁有り。だから万物は阜豊にして財用は乏しからず。今五官は修められず六府は治められず、之を用うるに節無く之を取るに時無し。惟だ虞衡の職を修めて之を長養せしめば、則ち変通長久の勢有り。】十は分数と曰く【古は冠昏喪祭・車服器用は、等差分別して、敢て逾僭する莫し。だから財用は易く給して而も民は常心有り。今礼制は以て人情を検飭するに足らず、名数は以て貴賤を旌別するに足らず。奸詐攘奪して、人々其の欲を厭かんことを求む。此れ是れ争乱の道。以上十条は并せて本文を節録す。】其の言曰く——「古今無く治乱無し。生民の理のごとき窮まる有れば、則ち聖王の法は改む可し。後世は能く其の道を尽くせば則ち大治し、或いは其の偏を用いれば則ち小康す。此れ是れ歴代の彰灼著明の効。苟くも或いは徒らに古に泥みて而も能く之を今に施す能わざれば、姑く名を徇らんと欲して遂に其の実を廃す。此れ則ち是れ陋儒の見。何を以て治道を論ずるに足らん。然る而も倘若も今人の情は皆已に古に異なり、先王の跡は今に復す可からずと謂い、便なる目前に趣きて高遠を務めざれば、則ち亦た恐らくは大いに為す有るの論に非ざらん。而も未だ以て当今の極弊を済うに足らず。」【古に泥みて而も今の宜を度らず、復古の名を徇りて而も其の実を失う。此れ固より是れ陋儒の見。然る而も遂に先王の治法は今に用う可からずと謂い、苟且卑陋なるは、此れ又た是れ世俗の浅識。豈に以て大いに為す有りて而も極弊を拯うに足らんや。】
伊川先生上疏【先生除崇正殿說書首上此疏】曰三代之時人君必有師傅保之官師道之敎訓【道開誘也】傅傅之德義【傅附益也】保保其身體【保安全也】後世作事無本知求治而不知正君知規過而不知養徳【君正則治可舉德盛則過自消正君養德者本也求治規過者末也】傅德義之道固已疎矣保身體之法復無聞焉【後世徒存保傅之名而無其職不言師者今日經筵之官則道之教訓之事】臣以為傅德義者在乎防見聞之非節嗜好之過【非禮之事不接於耳目嗜好之私不溺乎心術則德義進矣】保身體者在乎適起居之宜存畏愼之心【外適起居之宜內存畏謹之念則心神莊肅氣體和平矣】今旣不設保傅之官則此責皆在經筵欲乞皇帝在宮中言動服食皆使經筵官知之【官中言動服食之間經筵官皆得與聞之則深宮燕私之時無異於經筵講誦之際對宦官宮妾之頃猶若師保之臨乎前也】有翦桐之戲則隨事箴規違持養之方則應時諫止【文集○史記成王與叔虞戲削桐葉為珪曰以此封若史佚曰天子無戲言遂請封叔虞於唐本注遺書又云某嘗進言欲令上於一日之中親賢士大夫之時多親宦官宮人之時少所以涵養氣質薫陶德性】
伊川先生は疏を上り【先生は崇政殿(底本は「崇正殿」)説書を除し、首めて此の疏を上る。】曰く——「三代の時、人君は必ず師・傅・保の官有り——師は、之を道の教訓【道は是れ開誘。】、傅は、之を傅くるに徳義【傅は是れ附益。】、保は、其の身体を保つ【保は是れ安全。】。後世は事を作すに本無く、治を求むるを知りて而も君を正しくするを知らず、過を規するを知りて而も徳を養うを知らず【君正しければ則ち治は挙ぐ可く、徳盛んなれば則ち過は自ら消ゆ。君を正しくし徳を養うは是れ本、治を求め過を規するは是れ末。】。徳義を傅くるの道は固より已に疏れり。身体を保つの法は復た聞く無し。【後世は徒らに保傅の名を存して而も其の職無し。師を言わざるは、是れ今日経筵の官は則ち之を道の教訓の事なれば。】臣は以て思う——徳義を傅くるは、見聞の非を防ぎ嗜好の過を節するに在り【非礼の事は耳目に接せず、嗜好の私は心術に溺れざれば、則ち徳義は進まん】。身体を保つは、起居の宜を適え畏慎の心を存するに在り【外は起居の宜を適え、内は畏謹の念を存せば、則ち心神は荘粛にして気体は和平なり。】。今既に保傅の官を設けず。則ち此の責は皆経筵に在り。皇帝の宮中に於ける言動服食を、皆経筵官をして之を知らしめんことを乞う。【宮中の言動服食の間、経筵官は皆与に聞くを得れば、則ち深宮燕私の時は経筵講誦の際に異なる無く、宦官宮妾に対するの頃は猶ほ師保の前に臨むがごとし。】翦桐の戯有れば則ち事に随いて箴規し、持養の方に違えば則ち時に應じて諫止せん。」【『文集』に出る。『史記』——成王は叔虞と戯れ、桐葉を削りて珪と為し、曰く「此を以て若を封ぜん」。史佚曰く「天子は戯言無し」。遂に叔虞を唐に封ずるを請う。本注に『遺書』に又た曰く——某は曽て言を進め、上をして一日の中に於いて賢士大夫に親しむの時多く宦官宮人に親しむの時少なからしめんと欲す。気質を涵養し徳性を薫陶する所以。】
伊川先生看詳三學條制雲舊制公私試補蓋無虛月學校禮義相先之地而月使之爭殊非敎養之道請改試為課有所未至則學官召而敎之更不考定高下【設敎之道禮遜為先】制尊賢堂以延天下道德之士及置待賓吏師齋立檢察士人行檢等法【尊賢謂道德可矜式者待賓謂行能可賓敬者吏師通於治道可為吏之師法也三者皆才德過人首延禮之使士人知所向慕次乃立檢察士行之法】又云自元豐後設利誘之法増國學解額至五百人來者奔湊舍父母之養忘骨肉之愛往來道路旅寓他土人心日偷士風日薄【偷苟得也薄謂薄於人倫】今欲量留一百人餘四百人分在州郡解額窄處自然士人各安鄉土養其孝愛之心息其奔趨流浪之志風俗亦當稍厚又云三舍升補之法皆案文責跡有司之事非庠序育材掄秀之道【舊制以不犯罰為行試在高等為藝按其文而不考其實責其跡而不察其心敎之者非育才之道取之者非掄秀之法】蓋朝廷授法必達乎下長官守法而不得有為是以事成於下而下得以制其上此後世所以不治也【朝廷之法直達於下中間更不任人故長吏拘於法而不得自任在下者反得執法以取必於上後世不治皆此之由非獨庠序而已】或曰長貳得人則善矣或非其人不若防閒詳密可循守也殊不知先王制法待人而行未聞立不得人之法也苟長貳非人不知敎育之道徒守虛文密法果足以成人材乎【或者謂任人則人不能保其皆善任法則法猶可守也殊不知法待人而後行苟不得人則雖有密法而無益於成才苟得其人則無待於密法而法之密反害其成才之道故不若略文法而專責任也】
伊川先生は三学の条制を看詳して曰く——「旧制は公私試補、蓋し虚月無し。学校は是れ礼義相い先にするの地。而も月に之を争わしむるは、殊に教養の道に非ず。試を改めて課と為し、未だ至らざる所有れば則ち学官は召して之を教え、更に高下を考定せざらんことを請う。」【教を設くるの道は、礼遜を先と為す。】「尊賢堂を制して以て天下の道徳の士を延き、及び待賓・吏師斎を置き、士人の行検を検察する等の法を立つべし。」【尊賢は道徳矜式す可きを指し、待賓は行能賓敬す可きを指し、吏師は是れ治道に通じて吏の師法と為る可き。三者は皆才徳人に過ぎたり。先ず之を延礼して、士人をして向慕する所を知らしめ、其の次に才だ士行を検察するの法を立つ。】又た曰く——「元豊より後、利誘の法を設け、国学の解額を増じて五百人に至る。来たる者は奔湊し、父母の養を舎て骨肉の愛を忘れ、道路に往来し他土に旅寓す。人心は日に偷し士風は日に薄し。」【偷は是れ苟得、薄は是れ人倫に薄し。】「今百人来を量り留めんと欲し、余の四百人は州郡の解額窄き処に分かつ。自然に士人は各々郷土に安んじ、其の孝愛の心を養い、其の奔趨流浪の志を息め、風俗も亦た当に稍や厚くなるべし。」又た曰く——「三舎升補の法は、皆文を案じ跡を責む。是れ有司の事にして、庠序が材を育て秀を抜くの道に非ず。」【旧制は罰を犯さざるを以て行と為し、試は高等に在るを以て芸と為す。其の文を案じて而も其の実を考えず、其の跡を責めて而も其の心を察せず。之を教うる者は材を育つるの道に非ず、之を取る者は秀を抜くの法に非ず。】「蓋し朝廷は法を授けて必ず下に達し、長官は法を守りて而も為す有るを得ず。だから事は下に成りて而も下は以て其の上を制すを得。此れ是れ後世の治まらざる所以。」【朝廷の法は直ちに下に達し、中間は更に人を任ぜず。だから長吏は法に拘りて而も自ら任ずるを得ず、下に在る者は反って法を執りて以て上に必ずしを取るを得。後世の治まらざるは皆此に由る。独り庠序のみに非ず。】「或いは曰く——長貳は人を得れば則ち善なり。或いは其の人に非ざれば、防閑詳密にして循守す可きに若かず。殊に知らず、先王は法を制して人に待ちて行わる。未だ人を得ざるの法を立つを聞かず。苟くも長貳は人に非ざれば、教育の道を知らず、徒らに虚文密法を守る。果たして以て人材を成すに足らんや。」【或いは曰く人を任ずれば則ち人は其の皆善ならんを保する能わず、法を任ずれば則ち法は猶ほ守る可し。殊に知らず、法は人に待ちて而る後に行わる。苟くも人を得ざれば、則ち密法有ると雖も而も成才に益無し。苟くも其の人を得れば、則ち密法に待つ無く、而も法の密は反って其の成才の道を害す。だから虚文を略して専ら責任するに若かず。】
明道先生行狀雲先生為澤州晉城令民以事至邑者必告之以孝弟忠信入所以事父兄出所以事長上【敎民孝弟為政先務】度鄉村逺近為伍保使之力役相助患難相恤而奸偽無所容【五家為伍五伍為保伍謂相參比也保謂相保任也】凡孤防殘廢者責之親戚鄉黨使無失所行旅出於其塗者疾病皆有所養【孤窮而無依殘廢而不全羇旅而疾病者皆窮民無告使之各得所養】諸鄉皆有校暇時親至召父老與之語兒童所讀書親為正句讀敎者不善則為易置擇子弟之秀者聚而敎之鄉民為社防為立科條旌別善惡使有勸有恥【觀此則養民善俗平易忠厚之政可知矣】
『明道先生行状』に曰く——先生は沢州晋城令と為る。民の事を以て邑に至るには、必ず之に孝弟忠信を以て告ぐ——入るは父兄に事うる所以、出づるは長上に事うる所以。【民を教えて孝弟ならしむるは、政を為すの先務。】郷村の遠近を度りて伍保を為し、之をして力役相い助け患難相い恤み、而も奸偽は容る所無からしむ。【五家を伍と為し、五伍を保と為す。伍は是れ相い参比し、保は是れ相い保任す。】凡そ孤窮(底本は「孤防」)残廃の者は、之を親戚郷党に責めて失う所無からしむ。行旅の其の途に出づるは、疾病は皆養う所有り。【孤窮にして依る無く、残廃にして全からず、羇旅にして疾病するは、皆是れ窮民にして告ぐる無し。之をして各々養う所を得しむ。】諸郷は皆校有り。暇の時は親ら至り、父老を召して之と語る。児童の読む所の書は、親ら句読を正しくす。教うる者善からざれば則ち為めに易置す。子弟の秀なるを擇びて聚めて之を教う。郷民は社会を為すに(底本は「社防」)、為めに科条を立て、善悪を旌別し、勧有り恥有らしむ。【此を看れば則ち民を養い俗を善くする、平易忠厚の政は知る可し。】
萃王假有廟伊川易傳曰群生至眾也而可一其歸仰人心莫知其鄉也而能致其誠敬鬼神之不可度也而能致其來格天下萃合人心總攝眾志之道非一其至大莫過於宗廟故王者萃天下之道至於有廟則萃道之至也【假至也王者至於有廟則萃道之盛也蓋群生向背不齊惟於鬼神則歸仰如一人心出入無時惟奉鬼神則誠敬自盡言人心之渙散每萃於祭享也鬼神視之而弗見聽之而弗聞然齊明盛服以承祭祀則洋洋如在可致來格言鬼神之遊散亦每萃於宗廟也】祭祀之報本於人心聖人制禮以成其德耳故豺獺能祭其性然也【易傳】古者戍役再期而還今年春暮行明年夏代者至復留備秋至過十一月而歸又明年仲春遣次戍者每秋與冬初兩番戍者皆在疆圉乃今之防秋也【經說○論采薇遣戍役北人畏暑耐寒又秋氣折膠則弓弩可用故秋冬易為侵暴每留戍以防之】
「萃。王は廟に假す。」伊川『易伝』曰く——「群生は至って衆しと雖も、而も其の帰仰を一にす可し。人心は其の郷を知る莫しと雖も、而も能く其の誠敬を致す。鬼神は度る可からずと雖も、而も能く其の来格を致す。天下は人心を萃合し衆志を総攝するの道は一に非ず。其の至大は宗廟に過ぐる莫し。だから王者が天下を萃むるの道は廟有るに至るは、則ち是れ萃道の至なり。【假は是れ至。王者は廟有るに至れば、則ち萃道の盛んなり。蓋し群生の向背は斉からず。惟だ鬼神に於いては則ち帰仰は一のごとし。人心の出入は時無し。惟だ鬼神を奉れば則ち誠敬は自ら尽く。是れ人心の涣散は毎に祭享に萃まるを説く。鬼神は之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず。然る而も斉明盛服して以て祭祀を承ければ則ち洋洋として在るがごとく、来格を致す可し。是れ鬼神の游散も亦た毎に宗廟に萃まるを説く。】「祭祀は本に報いるは人心に於てし、聖人は礼を制して以て其の徳を成すのみ。だから豺獺も能く祭る。其の性然なり。」【『易伝』に出る。】「古は戍役は再期して而も還る——今年の春暮に行き、明年の夏に代わる者至り、復た留まりて秋に備え、十一月を過ぎて而も帰る。又た明年の仲春に次の戍者を遣る。毎に秋と冬初は両番の戍者は皆疆圉に在り。就きて是れ今の防秋。」【『経説』に出る。『采薇』の戍役を遣るを論ず。北人は暑を畏れ寒に耐え、又た秋気は膠を折れば則ち弓弩は用う可し。だから秋冬は侵暴し易し。毎に戍を留めて以て之を防ぐ。】
聖人無一事不順天時故至日閉闗【遺書下同○復卦彖傳說見第四卷】韓信多多益辦只是分數明【分者管轄階級之分數者行伍多寡之數分數明則上下相臨統紀不紊所御者愈眾而所操者常寡】
「聖人は一事も天時に順わざる無し。だから至日は関を閉ず。」【以下同じく『遺書』に出る。『復』卦彖伝、説は第四巻に見る。】「韓信の多多益弁は、只是れ分数は明らかなり。」【分は是れ管轄階級の分、数は是れ行伍多寡の数。分数明らかなれば則ち上下相い臨み統紀紊れず。御する所は愈々衆しと雖も而も操る所は常に寡し。】
伊川先生曰管轄人亦須有法徒嚴不濟事今帥千人能使千人依時及節得飯吃只如此者亦能有幾人【管轄統軍之官法謂區畫分數之法】嘗謂軍中夜驚亞夫堅臥不起不起善矣然猶夜驚何也亦是未盡善【漢景帝時七國反遣周亞夫將兵擊之軍中夜驚擾至帳下亞夫堅臥帳中不起有頃遂定】
伊川先生は言う。「人を管轄するも亦た須く法有るべし。徒らに厳なるは事を済さず。今千人を帥い、能く千人をして時に依り節に及び飯を喫うを得せしむる。只だ此のごとくするも亦た能くする者幾人ぞや。」【管轄は是れ軍を統べるの官。法は区画分数の法を指す。】「曽て説く——軍中夜に驚き、亜夫は堅く臥して起たず。起たざるは是れ好し。然る而も猶ほ夜に驚くは、何を為めとや。亦た是れ未だ善を尽くさざるなり。」【漢景帝の時七国反す。周亜夫を遣わして兵を将いりて之を撃つ。軍中夜に驚擾して帳下に至る。亜夫は帳中に堅く臥して起たず。頃有りて遂に定まる。】
管攝天下人心收宗族厚風俗使人不忘本須是明譜系收世族立宗子法【譜籍錄也系聨屬也明之者辨著其宗派古者諸侯之適子適孫繼世為君其餘庶子不得禰其先君因各自立為本派之始祖其子孫百世皆宗之所謂大宗也族人雖五世外皆為之齊衰三月大宗之庶子又別為小宗而小宗有四其繼高祖之適長子則與三從兄弟為宗繼曽祖之適長子則與再從兄弟為宗繼祖之適長子則與同堂兄弟為宗繼禰之適長子則與親兄弟為宗蓋一身凡事四宗與大宗為五宗也】又曰一年有一年工夫【行之以漸持之以久】
「天下の人心を管摂し、宗族を収め、風俗を厚くし、人をして本を忘れざらしむるは、須く是れ譜系を明らかにし世族を収め宗子法を立つべし。」【譜は是れ籍録、系は是れ聯属。之を明らかにするは是れ其の宗派を辨著す。古は諸侯の嫡子嫡孫は世を継ぎて君と為る。其の余の庶子は其の先君を禰とするを得ず。因りて各々自ら本派の始祖と為り立つ。其の子孫は百世皆之を宗とす。いわゆる大宗。族人は五世外と雖も皆之が為に斉衰三月す。大宗の庶子は又た別に小宗と為る。而も小宗は四有り——其の高祖を継ぐ嫡長子は則ち三従兄弟と為に宗を為し、曽祖を継ぐ嫡長子は則ち再従兄弟と為に宗を為し、祖を継ぐ嫡長子は則ち同堂兄弟と為に宗を為し、禰を継ぐ嫡長子は則ち親兄弟と為に宗を為す。蓋し一身は凡そ四宗に事え、大宗と為に五宗を為す。】又た曰く——「一年は一年の工夫有り。」【之を行うに漸くを以てし、之を持するに久しきを以てす。】
宗子法壞則人不自知來處以至流轉四方往往親未絶不相識今且試以一二鉅公之家行之其術要得拘守得須是且如唐時立廟院仍不得分割了祖業使一人主之【立廟院則人知所自出而不散不分祖業則人重其宗而不遷】
「宗子法壊れれば、則ち人は自ら来る処を知らず。以て四方に流転し、往往として親未だ絶えずして相い識らず。今且く試みに一二巨公の家を以て之を行え。其の術は要して拘守するを得よ——須く是れ且く唐時のごとく廟院を立て、仍りて祖業を分割するを得ず、一人をして之を主らしむべし。」【廟院を立てれば則ち人は自ら出づる所を知りて散ぜず、祖業を分けざれば則ち人は其の宗を重んじて遷らず。】
凡人家法須月為一防以合族古人有花樹韋家宗防法可取也每有族人逺來亦一為之吉凶嫁娶之類更須相與為禮使骨肉之意常相通骨肉日疎者只為不相見情不相接爾
「凡そ人家の法は、須く月に一会を為して(底本は「一防」)以て族を合すべし。古人は花樹韋家の宗会法有り(底本は「宗防」)取る可し。毎に族人の遠く来たる有ればも亦た一たび之を為す。吉凶嫁娶の類は更に須く相い与に礼を為すべし。骨肉の意をして常に相い通ぜしむ。骨肉の日に疏なるは、只だ相い見ず・情相い接せざるが為のみ。」
冠婚喪祭禮之大者今人都不理防豺獺皆知報本今士大夫家多忽此厚於奉養而薄於先祖甚不可也某嘗修六禮大略家必有廟【庶人立影堂○自庶人以下皆本注】廟必有主【高祖以上卽當祧也主式見文集又云今人以影祭或一髭髪不相似則所祭己是別人大不便】月朔必薦新【薦後方食】時祭用仲月【止於高祖旁親無後者祭之別位】冬至祭始祖【冬至陽之始也始祖厥初生民之祖也無主於廟中正位設一位合考妣享之】立春祭先祖【立春生物之始也先祖始祖而下高祖而上非一人也亦無主設兩位分享考妣】季秋祭禰【季秋成物之時也】忌日遷主祭於正寢凡事死之禮當厚於奉生者人家能存得此等事數件雖幼者可使漸知禮義卜其宅兆【宅墓次也兆塋域也】卜其地之美惡也地美則神靈安其子孫盛然則曷謂地之美者土色之光潤草木之茂盛乃其驗也而拘忌者惑以擇地之方位決日之吉凶甚者不以奉先為計而專以利後為慮尤非孝子安厝之用心也惟五患者不得不愼須使後日不為道路不為城郭不為溝池不為貴勢所奪不為耕犁所及【本注云一本所謂五患者溝渠道路避村落逺井窯】
「冠婚喪祭は是れ礼の大なる者。今人は皆理会せず(底本は「理防」)。豺獺も皆本に報いるを知る。今士大夫家は多く此を忽り、奉養に厚くして先祖に薄し。甚だ不可なり。某は曽て六礼の大略を修めたり——家は必ず廟有り【庶人は影堂を立つ。庶人以下自り皆本注なり】、廟は必ず主有り【高祖以上は即ち当に祧すべし。主式は『文集』に見る。又た曰く——今人は影を以て祭る。或いは一髭髪も相似ざれば、則ち祭る所は已に別人。大いに便ならず】、月朔は必ず新を薦す【薦して後に食う】、時祭は仲月を用う【高祖に止まる。旁親の後無き者は之を別位に祭る】、冬至は始祖を祭る【冬至は是れ陽の始。始祖は是れ厥の初めて民を生ずるの祖。主無し。廟中の正位に於いて一位を設け、考妣を合せて之を享く】、立春は先祖を祭る【立春は是れ物を生ずるの始。先祖は是れ始祖より下・高祖より上。一人に非ず。も亦た主無し。両位を設けて考妣を分かち享く】、季秋は禰を祭る【季秋は是れ物を成すの時】、忌日は主を遷して正寝に祭る。凡そ死に事うるの礼は当に生に奉るより厚くすべし。人家は能く此の等の事数件を存せば、幼き者と雖もも亦た漸く礼義を知らしむ可し。其の宅兆を卜するは【宅は是れ墓次、兆は是れ塋域】、是れ其の地の美悪を卜す。地美なれば則ち神霊は安く其の子孫は盛んなり。然らば何をか地の美と謂う。土色の光潤・草木の茂盛は、乃ち是れ其の験。而も拘忌する者は惑いて以て地を擇ぶの方位・日を決するの吉凶と為し、甚だしきは先を奉るを以て計と為さずして専ら後を利するを以て慮と為す。尤も孝子の安厝するの用心に非ず。惟だ五患は慎まざるを得ず——須く後日をして道路と為らず、城郭と為らず、溝池と為らず、貴勢の奪う所と為らず、耕犂の及ぶ所と為らざらしむべし。」【本注に曰く——一本のいわゆる五患は溝渠・道路、村落を避け、井窰を遠ざく。】
正叔雲某家治喪不用浮圖在洛亦有一二人家化之【司馬公曰世俗信浮圖誑誘飯僧設道場舍經造像建塔廟曰為此者減除大罪惡必生天堂不為者必入地獄受無邊波吒之苦殊不知人生含血氣知痛癢或剪爪剃髪從而燒研之巳不知苦況於死者形神相離形則入於黃壤朽腐消滅與木石等神則飄若風火不知何之借使剉燒舂磨豈復知之安得有天堂地獄之理】今無宗子故朝廷無世臣若立宗子法則人知尊祖重本人旣重本則朝廷之勢自尊【古者宗子襲其世祿故有世臣人知尊祖而重本上下相維自然固結而不渙散故朝廷之勢自尊】古者子弟從父兄今父兄從子弟由不知本也且如漢高祖欲下沛時只是以帛書與沛父老其父兄便能率子弟從之又如相如使蜀亦移書責父老然後子弟皆聽其命而從之只有一個尊卑上下之分然後順從而不亂也若無法以聨屬之安可【漢初去古未逺猶有先王之遺俗尊卑之分素定所以上下順承而無違悖也】且立宗子法亦是天理譬如木必有從根直上一干亦必有旁枝又如水雖逺必有正源亦必有分派處自然之勢也【直幹正源猶大宗也旁枝分派猶小宗也】然而又有旁枝達而為幹者故曰古者天子建國諸侯奪宗雲【天子為天下主故得封建侯國賜之土而命之胙諸侯為一國之主雖非宗子亦得移宗於已建宗廟為祭主】
正叔曰く——「某の家は喪を治むるに浮図を用いず。洛に於いても亦た一二人家之に化する有り。」【司馬光曰く——世俗は浮図の誑誘を信じ、僧に飯し道場を設け、経を舎て像を造り、塔廟を建つ。曰く此を為す者は大罪悪を減除し必ず天堂に生まる、為さざる者は必ず地獄に入りて無辺波咤の苦を受くと。殊に知らず、人生は血気を含み痛痒を知る。或いは爪を剪り髪を剃りて従いて之を焼斫すとも、已に苦を知らず。況んや死者は形神相い離る——形は則ち黄壤に入り、朽腐消滅して木石と等し。神は則ち風火のごとく飄り、何れかに之くか知らず。借りて剉焼舂磨すると雖も、豈に復た之を知らん。安んぞ天堂地獄の理有るを得んや。】「今宗子無し。だから朝廷は世臣無し。若し宗子法を立てば、則ち人は祖を尊び本を重んずるを知る。人既に本を重んずれば、則ち朝廷の勢は自ら尊し。」【古は宗子は其の世禄を襲ぐ。だから世臣有り。人は祖を尊びて而も本を重んずるを知れば、上下相い維え、自然に固結して而も涣散せず。だから朝廷の勢は自ら尊し。】「古は子弟は父兄に従う。今は父兄は子弟に従う。本を知らざるに由る。且く漢高祖の沛を下さんと欲するがごとき、只だ是れ帛書を以て沛の父老に与えしのみ。其の父兄は便ち能く子弟を率いて之に従う。又た相如の蜀に使いするがごときも、亦た書を移して父老を責め、然る後に子弟は皆其の命を聴きて之に従う。只だ一個の尊卑上下の分有りて、然る後に順従して而も乱れず。若し法無くして以て之を聯属せば、怎麼にして可ならん。」【漢初は古を去ること未だ遠からず。猶ほ先王の遺俗有り。尊卑の分は素より定まる。だから上下は順承して而も違悖無し。】「且く宗子法を立つるも亦た是れ天理なり。譬如ば木は必ず根に従いて直ちに上る一干有り、も亦た必ず旁枝有り。又た水のごときは遠しと雖も必ず正源有り、も亦た必ず分派する処有り。自然の勢なり。」【直干正源は猶ほ大宗のごとく、旁枝分派は猶ほ小宗のごとし。】「然る而も又た旁枝にして達して干と為る者有り。だから古は天子は国を建て諸侯は宗を奪うと説く。」【天子は是れ天下の主。だから侯国を封建して、之に土を賜い之に胙を命ずるを得。諸侯は是れ一国の主。宗子に非ずと雖も、も亦た宗を己に移し、宗廟を建てて祭主と為るを得。】
郉和叔敘明道先生事雲堯舜三代帝王之治所以博大悠逺上下與天地同流者先生固已黙而識之【所謂識其大者】至於興造禮樂制度文為下至行師用兵戰陣之法無所不講皆造其極外之邊圉情狀山川道路之險易邊鄙防戍城寨斥候控帶之要靡不究知【壘土居民曰城木柵處兵曰寨斥逺也候伺也謂逺伺敵人控制御也帶圍護也】其吏事操決文法簿書又皆精密詳練若先生可謂通儒全才矣【附錄○操決謂操持斷決也】介甫言律是八分書是他見得【外書○朱子曰律是刑統歴代相傳至周世宗命竇儀注解名曰刑統與古法相近故曰八分書又曰律所以明法禁非亦有助於教化但於根本上少有欠缺耳是他見得蓋許之之詞】
邢和叔が明道先生の事を叙して曰く——「尭舜三代の帝王の治の博大悠遠にして上下天地と同じく流るる所以は、先生は固より已に黙して之を識れり。」【いわゆる其の大なる者を識る。】「礼楽を興造し制度文為を定むるに至り、下は行師用兵・戦陣の法に至るまで、講ぜざる所無し。皆其の極に造る。外は辺圉の情状・山川道路の険易、辺鄙防戍・城寨斥候控帶の要は、究知せざる靡し。」【土を塁りて民を居らしむるを城と叫び、木柵に兵を処るを寨と叫ぶ。斥は是れ遠く候は是れ伺う。是れ遠く敵を伺うを言う。控は是れ制御し帶は是れ囲護す。】「其の吏事操決・文法簿書は、又た皆精密詳練。先生の若きは、通儒全才と謂う可し。」【『附録』に出る。操決は是れ操持断決。】「介甫は律は是れ八分書と説く。是れ他の見る所を得たり。」【『外書』に出る。朱熹は言う——律は是れ『刑統』。歴代相い伝え、周世宗に至りて竇儀に命じて注解せしめ、名づけて『刑統』と曰う。古法と相近し。だから八分書と叫ぶ。又た曰く——律は法禁を明らかにし非を正す所以、亦た教化に助け有り。但だ根本上に於いて少しく欠缺有り。是れ他の見る所を得たりは、是れ之を許すの辞。】
橫渠先生曰兵謀師律聖人不得已而用之其術見三王方策歴代簡書惟志士仁人為能識其逺者大者素求預備而不敢忽忘【文集下同○好謀而成師出以律雖聖人用師無謀則必敗無律則必亂特非若後世譎詐以為謀酷暴以為律斯其為逺者大者惟志士仁人為能識之】
横渠先生は言う。「兵謀師律は、聖人は已むを得ずして之を用う。其の術は三王の方策・歴代の簡書に見る。惟だ志士仁人は能く其の遠き者大きい者を識り、素より求め予備して而も敢て忽忘せず。」【以下同じく『文集』に出る。謀を好みて而も成り、師は出づるに律を以てす。聖人は師を用うと雖も、謀無ければ則ち必ず敗れ、律無ければ則ち必ず乱る。特に後世のごとく譎詐を以て謀と為し酷暴を以て律と為すに非ず。此れ其の遠き者大きい者を為す。惟だ志士仁人は能く之を識る。】
肉闢於今世死刑中取之亦足寛民之死過此當念其散之之久【肉刑有五刻顙曰墨闢截鼻曰劓闢刖足曰剕辟淫刑曰宮闢死刑曰大辟至漢文帝始罷墨劓剕宮之刑或曰宮刑不廢今欲取死刑情輕者用肉刑以代之外此當念民心渙散之久必明禮義敎化以維持之不但省刑以緩死】
「肉刑は今世の死刑の中に於いて之を取れば、も亦た以て民の死を寛ぐに足れり。此を過ぎれば当に其の散ずることの久しきを念うべし。」【肉刑は五有り——額を刻むを墨辟と叫び、鼻を截るを劓辟と叫び、足を刖るを剕辟と叫び、淫刑を宮辟と叫び、死刑を大辟と叫ぶ。漢文帝に至りて始めて墨・劓・剕・宮の刑を罷む。或いは宮刑は廃せずと説く。今死刑の情軽き者を取りて肉刑を以て之に代えんと欲す。此の外は当に民心の涣散なることの久しきを念うべし。必ず須く礼義教化を明らかにして以て之を維持すべし。但だ刑を省きて以て死を緩むるのみならず。】
呂與叔撰橫渠先生行狀曰先生慨然有意三代之治論治人先務未始不以經界為急嘗曰仁政必自經界始貧富不均敎養無法雖欲言治皆苟而已【孟子曰仁政必自經界始蓋經界不正則富者有所恃而易於為惡貧者失所養而不暇為善敎養之法俱廢其治苟且而已】世之病難行者未始不以亟奪富人之田為辭然茲法之行悅之者眾苟處之有術期以數年不刑一人而可復所病者特上之人未行耳乃言曰縱不能行之天下猶可驗之一鄉方與學者議古之法共買田一方畫為數井上不失公家之賦役退以其私正經界分宅裡立斂法廣儲蓄興學校成禮俗救菑恤患敦本抑末足以推先王之遺法明當今之可行此皆有志未就
呂与叔が『横渠先生行状』を撰して曰く——先生は慨然として三代の治に意有り。人を治むるの先務を論ずるに未だ嘗て経界を以て急と為さざる無し。曽て曰く——「仁政は必ず経界より始まる。貧富均しからず教養法無ければ、治を言わんと欲すと雖も、皆是れ苟且のみ。」【孟子曰く——仁政は必ず経界より始まる。蓋し経界正しからざれば、則ち富者は恃む所有りて而も悪を為し易く、貧者は養う所を失いて而も善を為すに暇あらず。教養の法は俱に廃れ、其の治は苟且のみ。】世の行い難しと病むは、未だ嘗て富者の田を亟く奪うを以て辞と為さざる無し。然る而も茲の法の行は、之を悦ぶ者衆し。苟くも之に処るに術有りて数年を期すれば、一人を刑せずして而も復す可し。病む所は特に上の人の未だ行わざるのみ。是に於いて曰く——「縦い之を天下に行う能わざるとも、猶ほ之を一郷に験す可し。」方に学者と古の法を議し、共に田一方を買い、画きて数井を為す——上は公家の賦役を失わず、退きて其の私を以て経界を正しくし宅里を分かち斂法を立て儲蓄を広め学校を興し礼俗を成し、災を救い患を恤み本を敦くし末を抑えて、以て先王の遺法を推し当今の行う可きを明らかにするに足れり。此れ皆是れ志有りて而も未だ就らず。
橫渠先生為雲巖令政事大抵以敦本善俗為先【去浮華而務質抑末作而尚本皆敦本之事也勉其孝弟興於禮遜皆善俗之事也】每以月吉具酒食召鄉人高年防縣庭親為勸酬使人知養老事長之義因問民疾苦及告所以訓戒子弟之意【行狀○月吉月朔也】橫渠先生曰古者有東宮有西宮有南宮有北宮異宮而同財此禮亦可行古人慮逺目下雖似相疎其實如此乃能久相親蓋數十百口之家自是飲食衣服難為得一【族大人眾則服食器用固有不能齊者同宮合處則怨爭之風或作矣】又異宮乃容子得伸其私所以避子之私也子不私其父則不成為子古之人曲盡人情必也同宮有叔父伯父則為子者何以獨厚於其父為父者又烏得而當之【雖同宗祖然親疎有分異宮者亦使人子各得盡情於其親也不然則交相病矣】父子異宮為命士以上愈貴則愈嚴【一命為士則父子亦異宮愈貴則分制愈密】故異宮猶今世有逐位非如異居也【樂說】
横渠先生は雲岩令と為る。政事は大抵本を敦くし俗を善くするを以て先と為す。【浮华を去りて質を務め、末作を抑えて本を尚ぶ。皆是れ本を敦くするの事。其の孝弟を勉め、礼遜に興る。皆是れ俗を善くするの事。】毎に月吉を以て酒食を具え、郷人の高年を召して県庭に会し(底本は「防」)、親ら勧酬を為し、人をして老を養い長に事うるの義を知らしめ、因りて民の疾苦を問い、及び子弟を訓戒する所以の意を告ぐ。【『行状』に出る。月吉は是れ月朔。】横渠先生は言う。「古は東宮有り西宮有り南宮有り北宮有り。宮を異にして而も財を同じくす。此の礼も亦た行う可し。古人は慮ること遠し。目下は似て相い疏なるがごとしと雖も、其の実は此のごとくして乃ち能く久しく相い親しむ。蓋し数十百口の家は、自ら是れ飲食衣服は一を得難し。」【族大きく人衆ければ、則ち服食器用は固より斉う能わざる有り。同宮合処すれば、則ち怨争の風は或いは作る。】「又た宮を異にするは乃ち子をして其の私を伸ぶるを得せしむるを容る。子の私を避くる所以。子は其の父を私せざれば則ち子と為るを成さず。古の人は人情を曲尽す——必ずや同宮に叔父伯父有れば、則ち子と為る者は何を以て独り其の父に厚くせん。父と為る者は又た怎んぞ能く之に当たらん。」【同じ宗祖と雖も、然る而も親疏は分有り。宮を異にする者は人子をして各々其の親に於いて情を尽くすを得せしむ。然らざれば則ち交々相い病む。】「父子は宮を異にするは命士以上。愈々貴ければ則ち愈々厳し。」【一命は士と為れば則ち父子も亦た宮を異にす。愈々貴ければ則ち分制は愈々密なり。】「宮を異にするは猶ほ今世の逐位有るがごとくして、并非に異居のごときに非ず。」【『楽説』に出る。】
治天下不由井地終無由得平周道止是均平【語錄下同○周道如砥言其平也】
「天下を治むるに井地に由らざれば、終に平らかを得るの由無し。周道は止まる是れ均平なり。」【以下同じく『語録』に出る。周道は砥のごとしは、是れ其の平らかなるを言う。】
井田卒歸於封建乃定【國有定君官有定守故民有定業後世長吏更易不常相仍苟且縱復井田不歸於封建則其欺蔽紛爭之患庸可定乎】
「井田は卒に封建に帰して乃ち定まる。」【国は定まれる君有り、官は定まれる守有り。だから民は定まれる業有り。後世は長吏は更易常ならず、相い仍りて苟且す。縦い井田を復すとも而も封建に帰せざれば、則ち其の欺蔽紛争の患は、豈に定まる可けん。】
近思錄卷九
近思録巻九
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思録卷十宋朱子呂祖謙同編
近思録巻十 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
政事【凡六十四條】
政事【凡そ六十四条】
此卷論臨政處事葢明乎治道而通乎治法則施於有政矣凡居官任職事上撫下待同列選賢才處世之道具焉
この巻は政に臨み事に処るを論ず。蓋し治道に明らかにして治法に通ずれば、則ち政有るに施す了れり。凡そ官に居り職に任じ、上に事え下を撫し、同列に待ち、賢才を選び、世に処るの道は、皆此に在り。
伊川先生上疏曰夫鍾怒而擊之則武悲而擊之則哀誠意之感而入也告於人亦如是古人所以齋戒而告君也【心誠則氣専氣専則聲應不誠而能感乎】臣前後兩得進講未嘗敢不宿齋預戒潛思存誠覬感動於上心若使營營於職事紛紛其思慮待至上前然後善其辭說徒以頰舌感人不亦淺乎【文集下同或問伊川未進講以前還有間防否朱子曰尋常未嘗不誠臨見君時又加意爾如孔子沐浴而告哀公是也】
伊川先生は疏を上りて曰く——「鐘は、怒りて之を撃てば則ち武、悲しみて之を撃てば則ち哀。是れ誠意の感じて而も入るなり。人に告ぐるも亦た是のごとし。古人の斎戒して而も君に告ぐる所以。」【心誠なれば則ち気は専ら、気専なれば則ち声は應ず。誠ならずして能く感ぜんや。】「臣は前後に両たび講に進むを得る。未だ嘗て敢て宿斎預戒せず潜思存誠せざる無し。上心に於いて感動せんことを望む。若し職事に営営し思慮を紛紛たらしめ、前に上るに至りて而る後に其の辞説を善くすれば、徒らに頬舌を以て人を感ず。不も亦た浅からんや。」【以下同じく『文集』に出る。或いは伊川に問う——未だ講に進まざる以前に還って間断有るや(底本は「間防」)。朱熹は言う——尋常は未だ嘗て誠ならざる無し。君を見んに臨みて又た意を加うるのみ。孔子の沐浴して而も哀公に告げしがごとき就きて是なり。】
伊川答人示奏稿書云觀公之意専以畏亂為主頤欲公以愛民為先力言百姓飢且死丐朝廷哀憐因懼將為寇亂可也不惟告君之體當如是事勢亦宜爾【徒言民飢將亂為可慮而不言民飢將死為可傷則人主徒有憂懼忿疾之心而無哀矜惻怛之意矣告君之體必詞順而理直可也】公方求財以活人祈之以仁愛則當輕財而重民懼之以利害則將恃財以自保【哀矜之心生則能輕財以救民之死憂懼之心作反將吝財以防民之變】古之時得丘民則得天下後世以兵制民以財聚眾聚財者能守保民者為迂惟當以誠意感動覬其有不忍之心而已【四井為甸四甸為丘得乎一丘之民則可以得天下說見孟子後世以兵制民謂民有所不足畏以財聚眾謂財有所不可闕於是以聚財為守國之道以愛民為迂緩之事苟徒懼之以禍亂則無惻隠愛民之心愈増其聚財自守之慮矣】
伊川は人に答えて奏稿を示すの書に曰く——「公の意を看るに、専ら乱を畏るるを以て主と為す。頤は想うに公は民を愛するを以て先と為し、力めて百姓の飢えて且つ死せんとするを言い、朝廷の哀憐を求め、因りて其の将に寇乱と為らんとするを惧るれば、則ち以て可なり。不惟だ君に告ぐるの体は当に是のごとくすべし、事勢も亦た宜しく此のごとくすべし。」【只だ民飢えて将に乱れんとするを以て慮る可きと説きて、而も民飢えて将に死せんとするを以て傷む可きと説かざれば、則ち人主は徒らに憂惧忿疾の心有りて、而も哀矜惻怛の意無し。君に告ぐるの体は、必ず須く辞順にして理直ならん。】「公は方に財を求めて以て人を活さんとす——之に祈るに仁愛を以てせば、則ち当に財を軽んじ民を重んずべし。之を惧るに利害を以てせば、則ち将に財を恃みて以て自ら保たんとす。」【哀矜の心生ずれば、則ち能く財を軽んじて以て民の死を救う。憂惧の心作れば、反って将に財を吝しみて以て民の変を防がんとす。】「古の時は丘民を得れば則ち天下を得。後世は兵を以て民を制し財を以て衆を聚む——財を聚むる者は能く守り、民を保つ者は迂と為す。惟だ当に誠意を以て感動し、其の忍びざるの心有らんことを望むのみ。」【四井を甸と為し、四甸を丘と為す。一丘の民を得れば則ち以て天下を得る可し。説は孟子に見る。後世は兵を以て民を制するは、是れ民の畏る可き所有るを説く。財を以て衆を聚むるは、是れ財の缺く可からざる所有るを説く。是に於いて財を聚むるを以て国を守るの道と為し、民を愛するを以て迂緩の事と為す。苟くも徒らに之を惧るに禍乱を以てせば、則ち惻隠愛民の心無く、愈々其の財を聚め自ら守るの慮を増す。】
明道為邑及民之事多眾人所謂法所拘者然為之未嘗大戾於法眾亦不甚駭謂之得伸其志則不可求小補則過今之為政者逺矣人雖異之不至指為狂也至謂之狂則大駭矣【法令有未便於民者眾人為之未免拘礙惟先生道徳之盛從容裁處故不大戾當時之法而有補於民人雖異之而不至於駭者亦其存心寛平而區處有方也】盡誠為之不容而後去又何嫌乎【此又可以見先生忠厚懇惻之心豈若悻悻然小丈夫之為哉】明道先生曰一命之士苟存心於愛物於人必有所濟【苟存愛物之心必有及物之效】
明道は邑を為るに、民に及ぶの事は多く是れ衆人のいわゆる法の拘る所。然る而も之を為すに未だ嘗て大いに法に戾らず、衆も亦た甚だ駭かず。之を其の志を伸ぶるを得と説けば則ち不可なり。小補を求めれば則ち今の政を為す者に遠く過ぎたり。人は異なりと覚ゆると雖も、狂と指すに至らず。之を狂と謂うに至れば則ち大いに駭く。【法令の未だ民に便ならざる有れば、衆人は之を為すに未だ拘碍を免れず。惟だ先生の道徳の盛んなる、従容として裁処す。だから大いに当時の法に戾らずして而も民に補有り。人は之を異なりとすと雖も而も駭くに至らず。亦た是れ其の存心は寛平にして区処は方有るなり。】誠を尽くして之を為し、容れられずして後に去れば、又た何の嫌か有らん。【此れ又た以て先生の忠厚懇惻の心を見る可し。豈に悻悻然たる小丈夫の為に似んや。】明道先生は言う。「一命の士、苟くも物を愛するに心を存せば、人に於いて必ず済う所有り。」【苟くも物を愛するの心を存せば、必ず物に及ぶの効有り。】
伊川先生曰君子觀天水違行之象知人情有爭訟之道故凡所作事必謀其始絶訟端於事之始則訟無由生矣謀始之義廣矣若慎交結明契劵之類是也【易傳下同○訟卦象傳坎下幹上為訟天西運水東流故曰違行交結朋逰親戚也契劵文書要約也此皆生訟之端慮其始必謹必明】
伊川先生は言う。「君子は天水の違行するの象を観て、人情に争訟の道有るを知る。だから凡そ事を作すは必ず其の始めを謀る。訟端を事の始めに絶てば、則ち訟は生ずるの由無し。始めを謀るの義は広し——慎交結・明契券の類のごとき就きて是なり。」【以下同じく『易伝』に出る。『訟』卦象伝——坎下乾上は訟と為る。天は西に運び水は東に流る。だから違行と叫ぶ。交結は朋游親戚を指し、契券は文書要約を指す。此れ皆是れ訟を生ずるの端。其の始めを慮るは必ず須く謹み必ず須く明らかならん。】
師之九二為師之主恃専則失為下之道不専則無成功之理故得中為吉【恃専則失為下之道如衛青不敢専誅而具歸天子使自裁之是也不専則不能成功所謂將在外君令有所不受是也二居中故有得中之象】凡師之道威和並至則吉也【成而不和則人心懼而離和而少威則人心玩而弛九二剛中故有威和相濟之象】世儒有論魯祀周公以天子禮樂以為周公能為人臣不能為之功則可用人臣不得用之禮樂是不知人臣之道也夫居周公之位則為周公之事由其位而能為者皆所當為也周公乃盡其職爾【師卦九二傳成王幼周公攝政周公沒成王思其勲徳錫魯以天子之禮樂使祀周公焉孔子曰成王之賜伯禽之受皆非也或者謂周公能為人臣不能為之功故可用人臣不得用之禮樂夫聖人之於事君也有盡其道而已非有加於職分之外也若職分之外是乃過為矣】
「『師』の九二は師の主と為る——専らに恃めば則ち下と為るの道を失い、専らならざれば則ち功を成すの理無し。だから中を得て吉と為る。」【専らに恃めば則ち下と為るの道を失うは、衛青の敢て専ら誅せず具えて天子に帰りて自ら裁せしめしがごとき就きて是なり。専らならざれば則ち能く功を成さざるは、いわゆる将は外に在りて君命は受けざる所有るがごとし。二は中に居る。だから中を得るの象有り。】「凡そ師の道は、威和并び至れば則ち吉。」【威にして和ならざれば則ち人心は惧れて離れ、和にして威少なければ則ち人心は玩びて弛む。九二は剛中。だから威和相い済すの象有り。】「世儒は魯が周公を祀るに天子の礼楽を以てするを論じて、周公は能く人臣の為す能わざるの功を為すを以て、則ち人臣の用うるを得ざるの礼楽を用う可しと為す。此れ是れ人臣の道を知らざるなり。夫れ周公の位に居れば則ち周公の事を為す。其の位に由りて能く為すは、皆是れ当に為すべき所。周公は只だ其の職を尽くすのみ。」【『師』卦九二伝。成王幼し。周公は政を摂す。周公は没し、成王は其の勲徳を思い、魯に天子の礼楽を錫いて周公を祀らしむ。孔子曰く——成王の賜・伯禽の受は、皆是ならず。或いは周公は能く人臣の為す能わざるの功を為すを以て、だから人臣の用うるを得ざるの礼楽を用う可しと謂う。夫れ聖人の君に事うるや、其の道を尽くす有るのみ。并非に職分の外に加うる有り。若し職分の外なれば、那れ才だ是れ過ぎて為す。】
大有之九三曰公用亨於天子小人弗克伊川易傳曰三當大有之時居諸侯之位有其富盛必用亨通於天子謂以其有為天子之有也乃人臣之常義也【當大有之時公侯擅所有之富故戒之以用亨通於天子如朝覲供貢之儀凡所以奉上之道皆不敢自有其有乃為盡人臣之義也】若小人處之則専其富有以為私不知公以奉上之道故曰小人弗克也
『大有』の九三曰く——「公は亨して天子に用いられ、小人は克たず。」伊川『易伝』曰く——「三は大有の時に当たり、諸侯の位に居り、其の富盛有れば、必ず用いて天子に亨通す。是れ其の有を以て天子の有と為すを説く。乃ち人臣の常義。【大有の時に当たり、公侯は所有の富を擅む。だから之を戒むるに天子に亨通するを用うを以てす。朝覲供貢の儀のごとき、凡そ上に奉る所以の道は、皆敢て其の有を自ら有とせず。才だ是れ人臣の義を尽くす。】若し小人は之に処れば、則ち其の富有を専らにして以て私と為し、公を以て上に奉るの道を知らず。だから小人は克たずと説く。」
人心所從多所親愛者也常人之情愛之則見其是惡之則見其非故妻孥之言雖失而多從所憎之言雖善為惡也苟以親愛而隨之則是私情所與豈合正理故隨之初九出門而交則有功也【人心之從違多蔽於好惡之私而失其是非之正卦主於隨苟惟親暱之隨則違正理矣故必出門而交則無所繫累而所從者有功也】
「人心の従う所は、多く是れ親愛する所。常人の情——之を愛せば則ち其の是を見、之を悪めば則ち其の非を見る。だから妻孥の言は失すると雖も而も多く従い、憎む所の言は善なると雖もも亦た以て悪と為す。苟くも親愛を以て之に随えば、則ち是れ私情の与する所。豈に正理に合わん。だから『随』の初九——門を出でて交われば則ち功有り。」【人心の従違は、多く好悪の私に蔽われて而も其の是非の正を失う。卦は随を主とす。苟くも惟だ親暱の随なれば則ち正理に違う。だから必ず須く門を出でて交われば、則ち繋累する所無くして而も従う所は功有り。】
隨九五之象曰孚於嘉吉位正中也伊川易傳曰隨以得中為善隨之所防者過也葢心所恱隨則不知其過矣【震下兊上為隨震動也兊恱也以恱而動易過於隨而不自知故必得中為善】
『随』の九五の象曰く——「嘉に孚あり、吉。位は正中なり。」伊川『易伝』曰く——「随は中を得るを以て善と為す。随の当に防ぐべき所は是れ過なり。蓋し心の悦び随う所は、則ち其の過を知らず。」【震下兌上は随と為る。震は是れ動、兌は是れ悦。悦を以て動けば、随うに過ぎて而も自ら知らざる易し。だから必ず須く中を得て善と為すべし。】
坎之六四曰樽酒簋貳用缶納約自牖終無咎伊川易傳曰此言人臣以忠信善道結於君心必自其所明處乃能入也【一樽之酒二簋之食復以瓦缶為器質之至也所謂忠信善道也牖者室中所以通明也葢忠信者納約之本雖懐樸素之誠苟不因其明而納焉則亦不能入矣】人心有所蔽有所通通者明處也當就其明處而告之求信則易也故云納約自牖能如是則雖艱險之時終得無咎也【人心各有所蔽各有所通攻其蔽則未免扞格因其明而導之則易於聴信】且如君心蔽於荒樂唯其蔽也故爾雖力詆其荒樂之非如其不省何必於所不蔽之事推而及之則能悟其心矣自古能諫其君者未有不因其所明者也故訐直強勁者率多取忤而溫厚明辨者其說多行【訐者發人之隂惡也計直則無委曲強勁則乏和順故矯拂之過每至牴牾溫厚者其氣和明辨者其理著故感悟之易每多聴從納約自牖惟溫厚明辨者能之】非惟告於君者如此為教者亦然夫教必就人之所長所長者心之所明也從其心之所明而入然後推及其餘孟子所謂成徳達財是也【成徳者因其有徳而成就之達財者因其有才而遂達之皆謂就其所長開導之也】
『坎』の六四曰く——「樽酒簋貳、缶を用い、牖より約を納る。終に咎無し。」伊川『易伝』曰く——「此れ是れ人臣が忠信善道を以て君心に結ぶるを説く。必ず其の明なる所より自らして才だ能く入る。」【一樽の酒・二簋の食、又た瓦缶を以て器と為す。是れ質の至。いわゆる忠信善道。牖は是れ室中の通明する所以。蓋し忠信は是れ約を納るるの本。素朴の誠を懐くと雖も、苟くも其の明に因りて而も焉に納れざれば、則ちも亦た能く入らず。】「人心は蔽う所有り通ずる所有り。通ずる者は是れ明なる処。当に其の明なる処に就きて而も之に告ぐべし。信を求めれば則ち易し。だから牖より約を納ると説く。能く是のごとくせば、則ち艱険の時と雖も終に咎無きを得。」【人心は各々蔽う所有り各々通ずる所有り。其の蔽を攻めば則ち未だ捍格を免れず。其の明に因りて而も之を導けば則ち聴信し易し。】「且く君心の荒楽に蔽わるるがごとき、惟だ其の蔽なり。だから彼のごとくす。力めて其の荒楽の非を詆すと雖も、其の省ざるを如何せん。必ず蔽わざる所の事に於いて推して而も之に及ばば、則ち能く其の心を悟らしむ。自ら古能く其の君を諫むる者は、未だ其の明なる所に因らざる有らず。だから訐直強勁の者は率ね多く忤を取り、而も温厚明辨の者は其の説は多く行わる。」【訐は是れ人の陰悪を発す。訐直は則ち委曲無く、強勁は則ち和順を乏し。だから矯拂の過は毎に抵牾に至る。温厚の者は其の気和らぎ、明辨の者は其の理著し。だから感悟するの易きは毎に多く聴従す。牖より約を納るは、惟だ温厚明辨の者は能く之。】「不惟だ君に告ぐる者は此のごとし。教を為す者も亦た然り。夫れ教は必ず人の長ずる所に就く。長ずる所は是れ心の明なる所。其の心の明なる所に従いて而も入り、然る後に推して其の余に及ぼす。孟子のいわゆる成徳達才就きて是なり。」【成徳は是れ其の徳有るに因りて之を成就し、達才は是れ其の才有るに因りて之を遂達す。皆是れ其の長ずる所に就きて之を開導するを説く。】
恆之初六曰浚恆貞兇象曰浚恆之兇始求深也伊川易傳曰初六居下而四為正應四以剛居高又為二三所隔應初之誌異乎常矣而初乃求望之深是知常而不知變也【初與四為位應九與六為爻應此理之常也然為九二九三所隔則已改其常矣初六當常之時知常而不知變求之過深是以至於兇悔也】世之責望故素而至悔咎者皆浚恆者也【素舊也】
『恒』の初六曰く——「恒を浚う。貞にして凶。」象曰く——「恒を浚うの凶は、始めに深く求むるなり。」伊川『易伝』曰く——「初六は下に居りて四は正應と為る。四は剛を以て高く居り、又た二三の隔つる所と為る。初に應ずるの志は常に異なり了れり。而も初は乃ち之を求望すること深し。是れ常を知りて而も変を知らざるなり。」【初と四とは位應と為り、九と六とは爻應と為る。此れ是れ理の常。然る而も九二・九三の隔つる所と為れば、則ち已に其の常を改めり。初六は恒の時に当たり、常を知りて而も変を知らず、求むること之を深く過ぐ。だから凶悔に至る。】「世の故旧に責望して而も悔咎に至るは、皆是れ恒を浚うなり。」【素は是れ旧。】
遯之九三曰系遯有疾厲畜臣妾吉伊川易傳曰繫戀之私恩懐小人女子之道也故以畜養臣妾則吉【九三下乘六二有繫戀之心則失宜遯之時矣故有災危然君子用是道以畜其臣妾則可以固結其欲遯之心是以吉也】然君子之待小人亦不如是也【御下之道苟所當去亦不可以繫戀而姑息也】
『遯』の九三曰く——「遯に繋る。疾厲有り。臣妾を畜うに吉。」伊川『易伝』曰く——「繋恋の私恩は、是れ小人女子を懐くるの道。だから臣妾を畜養するを以てせば則ち吉。」【九三は下は六二に乗ず。繋恋の心有れば則ち宜しく遯の時を失う。だから災危有り。然る而も君子は是の道を用いて以て其の臣妾を畜えば、則ち以て其の遯ぜんと欲するの心を固結す可し。だから吉。】「然る而も君子の小人を待つも亦た是のごとくに非ず。」【下を御するの道は、苟くも当に去るべき所は、も亦た以て繋恋して姑息す可からず。】
睽之象曰君子以同而異伊川易傳曰聖賢之處世在人理之常莫不大同於世俗所同者則有時而獨異【聖賢之所為惟順乎理而已豈顧夫世俗之同異哉故循乎天理之常者聖賢安得不與人同出於流俗之變者聖賢安得不與人異】不能大同者亂常拂理之人也不能獨異者隨俗習非之人也要在同而能異耳【同而能異則不拂於人理之常而亦不徇乎習俗之化惟理之從耳然其所以為異者乃所以成其大同也是亦一事而已】
『睽』の象曰く——「君子は以て同じくして異なり。」伊川『易伝』曰く——「聖賢の世に処るや、人理の常に於いては莫れ大いに同じからざるなし。世俗の同じくする所に於いては、則ち時に独り異なる有り。」【聖賢の為す所は惟だ理に順うのみ。豈に世俗の同異を顧みん。だから天理の常に循う者は、聖賢は安んぞ人と同じからざるを得ん。流俗の変に出づる者は、聖賢は安んぞ人と異ならざるを得ん。】「能く大同せざるは、是れ常を乱り理を拂うの人。能く独り異ならざるは、是れ俗に随い非に習うの人。要は同じくして而も能く異なるに在り。」【同じくして能く異なれば、則ち人理の常に拂わずして、而も亦た習俗の化に徇らず。惟だ理の従うのみ。然る而も其の異なるを為す所以は、乃ち其の大同を成す所以。も亦た是れ一事のみ。】
睽之初九當睽之時雖同徳者相與然小人乖異者至眾若棄絶之不幾盡天下以仇君子乎如此則失含之義致兇咎之道也又安能化不善而使之合乎故必見惡人則無咎也【初與四位相應而爻皆陽為同徳相與不至睽孤然當睽之時乖異者眾故必恢含之義而無棄絶之意則不善者可化乖異者可合乃元咎也】古之聖王所以能化姦凶為善良革仇敵為臣民者由弗絶也【弗絶之則開其自新之路而啟其從善之機也】
「『睽』の初九——睽の時に当たり、同徳の者は相い与すと雖も、然る而も小人の乖異する者は至って衆し。若し之を棄絶せば、幾ばくならずして天下を尽くして以て君子を仇とせしめんとするに非ずや。此のごとくなれば則ち含弘(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)の義を失い、是れ凶咎を致すの道。又た怎んぞ能く不善を化して而も之を合せしめん。だから必ず須く悪人を見れば則ち咎無し。」【初と四とは位相い應じて而も爻は皆陽。同徳相い与と為し、睽孤に至らず。然る而も睽の時に当たり乖異する者衆し。だから必ず須く含弘の義を恢して而も棄絶の意無ければ、則ち不善の者は化す可く乖異の者は合す可し。才だ是れ咎無し。】「古の聖王の能く奸凶を化して善良と為し仇敌を革めて臣民と為す所以は、絶たざるに由る。」【之を絶たざれば則ち其の自ら新たなるの路を開きて其の善に従うの機を啓く。】
睽之九二當睽之時君心未合賢臣在下竭力盡誠期使之信合而已【二五相應然時方睽違上下乖戾故二必外竭其力內盡其誠期使疑者信睽者合耳】至誠以感動之盡力以扶持之明義理以致其知杜蔽惑以誠其意如是宛轉以求其合也【內竭其誠以感動君心外盡其力以扶持國政此盡其在我者也推明義理使君之知無不至杜塞蔽惑使君之意無不誠此啟其君者也如是宛轉求之睽者庶其可合所謂遇主於巷也巷者委曲之途也】遇非枉道逢迎也巷非邪僻由徑也故象曰遇主於巷未失道也【上言遇主於巷亦正理之當然苟遇不以直而至於枉道逢迎巷不以正而至於邪僻由徑苟求其合而防於邪枉則又非遇主於巷之道也】
「『睽』の九二——睽の時に当たり、君心は未だ合せず、賢臣は下に在り、力を竭くし誠を尽くし、之を信合せしめんことを期するのみ。」【二五は相い應ず。然る而も時は方に睽違し上下は乖戾す。だから二は必ず須く外は其の力を竭くし内は其の誠を尽くし、疑う者を信じ睽る者を合せしめんことを期すべし。】「至誠を以て之を感動し、力を尽くして以て之を扶持し、義理を明らかにして以て其の知を致し、蔽惑を杜して以て其の意を誠にす。是のごとく宛転して以て其の合を求む。」【内は其の誠を竭くして以て君心を感動し、外は其の力を尽くして以て国政を扶持す。此れ是れ其の我に在るを尽くす。義理を推明して君の知を至らざる無からしめ、蔽惑を杜塞して君の意を誠ならざる無からしむ。此れ是れ其の君を啓く。是のごとく宛転として之を求めば、睽る者は庶幾く其の合す可し。いわゆる主に巷に遇う——巷は是れ委曲の途。】「遇は并非に道を枉げて逢迎するに非ず、巷は并非に邪僻にして径に由るに非ず。だから象曰く——『主に巷に遇う。道を失わざるなり。』」【上面は主に巷に遇うと説く。も亦た是れ正理の当然。苟くも遇うに直を以てせずして道を枉げ逢迎するに至り、巷は正を以てせずして邪僻にして径に由るに至らば、苟くも其の合を求めて而も邪枉に陥れば(底本は「防」)、則ち又た是れ主に巷に遇うの道に非ず。】
損之九二曰弗損益之伊川易傳曰不自損其剛貞則能益其上乃益之也若失其剛貞而用柔說適足以損之而已【剛正不撓乃能有益於君葢柔邪之人阿意順防惟務容恱善而遇柔恱善亦不進惡而遇柔恱必長其惡矣故國有險佞之臣士有善柔之友皆有損無益】世之愚者有雖無邪心而惟知竭力順上為忠者葢不知弗損益之之義也【九二剛中非有邪心者但當損下益上之時惟知損己以奉上而不知臣道之少貶未有能致益其君者故有弗損益之之戒】
『損』の九二曰く——「損なわず之を益す。」伊川『易伝』曰く——「其の剛貞を自ら損なわざれば、則ち能く其の上を益し、乃ち是れ之を益すなり。若し其の剛貞を失いて而も柔説を用いれば、適ち以て之を損なうのみ。」【剛正撓まざれば乃ち能く君に益有り。蓋し柔邪の人は意に阿り旨に順い(底本は「順防」)、惟だ容悦を務む——善にして柔悦に遇えば、善も亦た進まず。悪にして柔悦に遇えば、必ず其の悪を長ず。だから国は険佞の臣有り、士は善柔の友有り。皆損有りて益無し。】「世の愚者は、邪心無しと雖も而も惟だ力を竭くし上に順うを以て忠と為すを知る者有り。蓋し損なわず之を益すの義を知らざるなり。」【九二は剛中。并非に邪心有るに非ず。但だ下を損ない上を益するの時に当たり、惟だ己を損ないて以て上に奉るを知りて、而も臣道の少しく貶むるは未だ其の君を益するを致す能わざるを知らず。だから損なわず之を益すの戒有り。】
益之初九曰利用為大作元吉無咎象曰元吉無咎下不厚事也伊川易傳曰在下者本不當處厚事厚事重大之事也以為在上所任所以當大事必能濟大事而致元吉乃為無咎能致元吉則在上者任之為知人己當之為勝任不然則上下皆有咎也【大作即厚事之謂也卦當損上益下初居最下受上之益是當大任者必尭濟其事而大善上下乃可無咎】
『益』の初九曰く——「大作を為るに利用す。元吉、咎無し。」象曰く——「元吉咎無しとは、下は厚事せざるなり。」伊川『易伝』曰く——「下に在る者は本より当に厚事に処るべからず。厚事は是れ重大の事。上に在る所の任と為るに因る。だから大事に当たるは、必ず能く大事を済して而も元吉を致す。才だ咎無しと為る。能く元吉を致せば、則ち上に在る者は之を任ずるは人を知ると為り、己は之に当たるは任に勝つと為る。然らざれば則ち上下皆咎有り。」【大作は即ち厚事の謂。卦は上を損ない下を益するに当たる。初は最下に居り、上の益を受く。是れ大任に当たる者。必ず須く其の事を克(底本は「尭」)済して而も大いに善ならば、上下才だ咎無き可し。】
革而無甚益猶可悔也況反害乎古人所以重改作也【革卦彖傳事之變更則於大體不能無傷苟非有大益無後患君子不輕於改作】
「革めて而も益甚だしき無ければ、猶ほ悔う可し。況んや反って害するをや。古人の改作を重んずる所以。」【『革』卦彖伝。事の変更は則ち大体に於いて傷無き能わず。苟くも大益有り後患無きに非ざれば、君子は改作に軽んぜず。】
漸之九三曰利禦寇伊川易傳曰君子之與小人比也自守以正豈惟君子自完其己而已乎亦使小人得不陷於非義是以順道相保御止其惡也【九三上下皆隂是君子與小人同列相比也君子以守正而不失其身小人亦以近正而不敢為惡以順道而相保御是能止其惡也】旅之初六曰旅瑣瑣斯其所取災伊川易傳曰志卑之人既處旅困鄙猥瑣細無所不至乃其所以致悔辱取災咎也【初居旅之下故為志卑之人此教人處旅困之道當略細故存大體斯免悔咎也】在旅而過剛自高致困災之道也【旅卦九三象傳過剛則暴戾而乏和順自高則矯亢而人不親附處旅如是必致困災】
『漸』の九三曰く——「寇を御ぐに利し。」伊川『易伝』曰く——「君子の小人と比するや、正を以て自ら守る。豈に惟だ君子の自ら其の己を完うするのみならんや。も亦た小人をして非義に陥らざるを得せしむ。だから順道を以て相い保ち、其の悪を御止す。」【九三は上下皆陰。是れ君子の小人と同列相い比するなり。君子は正を守るを以て其の身を失わず、小人も亦た正に近きを以て悪を為すを敢てせず。順道を以て相い保御すれば、是れ能く其の悪を止む。】『旅』の初六曰く——「旅に瑣瑣たり。斯れ其の災を取る所。」伊川『易伝』曰く——「志卑き人は既に旅困に処る。鄙瑣猥細として至らざる所無し。乃ち其の悔辱を致し災咎を取る所以。」【初は旅の下に居る。だから志卑き人と為る。此れ是れ人を教えて旅困に処るの道——当に細故を略し大体を存すべし。才だ悔咎を免れん。】「旅に在りて而も剛に過ぎ自ら高きは、是れ困災を致すの道。」【『旅』卦九三象伝。剛に過ぎれば則ち暴戻にして和順を乏しく、自ら高ければ則ち矯亢にして人は親附せず。旅に処ること是のごとくなれば、必ず困災を致さん。】
兊之上六曰引兊象曰未光也伊川易傳曰說既極矣又引而長之雖說之之心不已而事理已過實無所說事之盛則有光輝既極而強引之長其無意味甚矣豈有光也【兌之上六恱之極也恱極而復引之事既過而強為恱何輝光之有】
『兌』の上六曰く——「兌を引く。」象曰く——「未だ光ならざるなり。」伊川『易伝』曰く——「説び既に極まりて、又た引きて之を長くす。説ぶの心は已まずと雖も、而も事理は已に過ぎたり。実は説ぶ所無し。事の盛んなるは則ち光輝有り。既に極まりて而も強いて之を引き長くせば、其の意味無きこと甚だし。豈に光有らん。」【兌の上六は是れ悦の極。悦極まりて而も復た之を引けば、事既に過ぎて而も強いて悦を為す。何の輝光か之れ有らん。】
中孚之象曰君子以議獄緩死伊川易傳曰君子之於議獄盡其忠而已於決死極於惻而已天下之事無所不盡其忠而議獄緩死最其大者也【議獄而無不盡之心致其審也決死而存不忍之心致其愛也君子雖無往不盡其中心之誠而於議獄緩死則尤其所謹重者也】
『中孚』の象曰く——「君子は以て獄を議し死を緩む。」伊川『易伝』曰く——「君子の獄を議するに於いては、其の忠を尽くすのみ。死を決するに於いては、惻に極めるのみ。天下の事は其の忠を尽くさざる所無し。而も獄を議し死を緩むるは最も是れ其の大なる者。」【獄を議して而も尽くさざるの心無きは、是れ其の審を致す。死を決して而も忍びざるの心を存するは、是れ其の愛を致す。君子は往きて其の中心の誠を尽くさざる無しと雖も、而も獄を議し死を緩むるに於いては則ち尤も其の謹重する所。】
事有時而當過所以從宜然豈可甚過也如過恭過哀過儉大過則不可所以小過為順乎宜也能順乎宜所以大吉【小過卦彖傳禮過乎恭喪過乎哀用過乎儉皆小過之以順乎事之宜若過之甚則恭為足恭哀為毀瘠儉為鄙恡又失其宜矣】
「事は時にして当に過ぐべき有り。だから宜に従う。然る而も豈に甚だしく過ぐ可けん。過恭・過哀・過倹のごとき、大いに過ぐれば則ち不可なり。だから小過は宜に順うを以てす。能く宜に順う。だから大吉。」【『小過』卦彖伝。礼は恭に過ぎ、喪は哀に過ぎ、用は倹に過ぐ。皆是れ小過の宜に順うを以てするなり。若し之を過ぐること甚だしければ、則ち恭は足恭と為り、哀は毀瘠と為り、倹は鄙吝と為る。又た其の宜を失う。】
防小人之道正己為先【小過卦九三傳待小人之道先當正己己一於正則彼雖奸詐將無間之可乘矣其他防患之道皆當以正己為先】
「小人を防ぐの道は、己を正しくするを先と為す。」【『小過』卦九三伝。小人を待つの道は先ず当に己を正しくすべし。己は一たび正しければ、則ち彼は奸詐なりと雖も将に乗ずべきの間無からん。其他の患を防ぐの道は、皆当に己を正しくするを以て先とすべし。】
周公至公不私進退以道無利慾之蔽【周公之心在於天下國家而不在其身是以至公無私而進退合道葢無一毫利慾之蔽】其處己也夔夔然存恭畏之心其存誠也蕩蕩然無顧慮之意所以雖在危疑之地而不失其聖也【夔夔戒謹卑順之貌存誠者自信之篤也蕩蕩明白坦平之義聖人雖當危疑之地既不忿戾而改常亦不疑懼而失守是為不失其聖也】詩曰公孫碩膚赤舄几几【經說下同○詩狼跋篇碩大也膚美也遜避讓也謂有大美而謙遜不居也赤舄赤服之舄也几几進退安重貌葢其恭順安舒之意如此】
「周公は至公にして私せず、進退は道を以てし、利欲の蔽無し。」【周公の心は天下国家に在りて而も其の身に在らず。だから至公無私にして而も進退は道に合す。蓋し一毫の利欲の蔽無し。】「其の己に処るや夔夔然として恭畏の心を存し、其の誠を存するや蕩蕩然として顧慮の意無し。だから危疑の地に在ると雖も而も其の聖を失わず。」【夔夔は是れ戒謹卑順の貌。存誠は是れ自ら信ずることの篤し。蕩蕩は是れ明白坦平の義。聖人は危疑の地に当たると雖も、忿戻して常を改めず、疑惧して守を失わず。此れ就きて是れ其の聖を失わず。】「『詩』曰く——公孫は碩膚、赤舄几几。」【以下同じく『経説』に出る。『詩・狼跋』篇。碩は是れ大、膚は是れ美。遜は是れ避譲。是れ大美有りて而も謙遜して居らざるを言う。赤舄は是れ赤服の舄。几几は是れ進退安重の貌。蓋し其の恭順安舒の意は此のごとし。】
採察求訪使臣之大務【採察民隠求訪賢才二事使職之大者也】
「采察求訪は、是れ使臣の大務。」【民隠を采察し賢才を求訪す。二事は是れ使職の大なる者。】
明道先生與吳師禮談介甫之學錯處謂師禮曰為我盡達諸介甫我亦未敢自以為是如有說願往復此天下公理無彼我果能明辨不有益於介甫則必有益於我【遺書下同○先生忠誠懇至詞氣和平如此豈若悻悻好勝自是者之為哉】
明道先生は呉師礼と介甫の学の錯る処を談じ、師礼に対して曰く——「我が為に尽く介甫に達せよ。我も亦た敢て自ら是と為さず。もし説有らば、往復せんことを願う。此れ天下の公理。彼我無し。果たして能く明辨せば、介甫に益有らざれば、則ち必ず我に益有らん。」【以下同じく『遺書』に出る。先生の忠誠懇至・詞気和平なること此のごとし。豈に悻悻として勝を好み自ら是とする者の為に似んや。】
天祺在司竹常愛用一卒長及將代自見其人盜筍皮遂治之無少貸罪己正待之復如初略不介意其徳量如此【徳量大則不為喜怒所遷】
天祺は司竹に在りて、常に一卒長を愛用す。及び将に代わらんとして、自ら其の人の笋皮を盗むを見、遂に之を治めて少しくも貸さず。罪は已に正しき、之を待つに復た初めのごとく、略も意に介せず。其の徳量は此のごとし。【徳量は大なれば則ち喜怒の遷る所と為らず。】
明道因論口將言而囁嚅雲若合開口時要他頭也須開口【本注云如荊軻於樊於期】須是聴其言也厲【囁嚅欲言而不敢發之貌厲剛決之意理明義直內無不足則出於口者自然剛決不可回撓安有囁嚅之態○朱子曰合開口者亦曰理之所當言樊於期事非理所得言特取其事之難言而猶言之耳】
明道は因りて「口は将に言わんとして囁嚅す」を論じて曰く——「もし合して口を開く時は、他の頭を要しても亦た須く口を開くべし。」【本注に曰く——荆軻の樊於期に於けるがごとし。】「須く是れ其の言を聴くに厲けん。」【囁嚅は是れ言わんと欲して而も敢て発せざるの貌。厲は是れ剛決の意。理明らかに義直く、内は足らざる無ければ、則ち口に出づる者は自然に剛決にして回撓す可からず。安んぞ囁嚅の態有らん。朱熹は言う——合して口を開くは、も亦た是れ理の当に言うべき所を説く。樊於期の事は并非に理の言うを得る所。特に其の事の言い難くして而も猶ほ之を言うを取るのみ。】
須是就事上學蠱振民育徳然有所知後方能如此何必讀書然後為學【振民育徳修己治人之事也然必知之至而後行之至無非學也豈但讀書而謂之學哉子路亦嘗有是言而夫子斥之何也葢為學之道固不専於讀書必以讀書為窮理之本子羔既未及為學而遽使之以仕為學則非持失知行之序而且廢窮理之大端臨事錯繆安能各當其則哉程子之教固以讀書窮理為先務然不就事而學則舍簡策之外凡應事接物之際不知所以用力其學之間防多矣二者之言各有在也】
「須く是れ事に就きて学ぶべし。『蠱』——民を振い徳を育む。然る而も知る所有りて後に方に能く此のごとくす。何ぞ必ず書を読みて而る後に学と為さん。」【民を振い徳を育むは是れ己を修め人を治むるの事。然る而も必ず須く之を知ることの至りて而る後に之を行うことの至る。非ずと雖も学、豈に但だ書を読みて而も之を学と謂わん。子路も亦た嘗て是の言有りて而も夫子は之を斥く。何を為めとや。蓋し学を為るの道は固より書を読むに専らならず。必ず須く書を読むを以て理を窮むるの本と為すべし。子羔は既に学を為るに及ばずして而も遽に之をして仕を以て学と為さしめば、則ち特に知行の序を失うのみならず、而も且つ理を窮むるの大端を廃す。事に臨みて錯繆せば、安んぞ能く各々其の則に当たらん。程子の教は固より書を読み理を窮むるを以て先務と為す。然る而も事に就きて学ばざれば、則ち簡策の外を舎て、凡そ事に應じ物に接するの際は以て力を用いる所以を知らず。其の学の間断は(底本は「間防」)多し。二者の言は各々在る所有り。】
先生見一學者忙迫問其故曰欲了幾處人事曰某非不欲周旋人事者曷常似賢急迫【事雖多為之必有序事雖急應之必有節未聞可以急遽苟且而處之者】
先生は一学者の忙迫するを見て、其の故を問う。他は曰く——幾処かの人事を了らんと欲す。先生曰く——「某は并非に人事を周旋せんと欲せざるに非ず。何ぞ嘗て汝のごとく急迫せむ。」【事は多しと雖も、之を為すに必ず序有り。事は急と雖も、之に應ずるに必ず節有り。未だ以て急遽苟且にして而も之に処るを聞かず。】
安定之門人往往知稽古愛民矣則於為政也何有【胡安定教學者以通經術治時務明體適用故其門人皆知以稽古愛民為事稽古則為政之法愛民則為政之本】門人有曰吾與人居視其有過而不告則於心有所不安告之而人不受則奈何明道曰與之處而不告其過非忠也要使誠意之交通在於未言之前則言出而人信矣【誠意素孚則信在言前】又曰責善之道要使誠有餘而言不足則於人有益而在我者無自辱矣【誠意多於言語則在彼有感悟之益在我無煩瀆之辱】
「安定の門人は往往として古を稽え民を愛するを知り了れり。則ち政を為すに於いても亦た何か有らん。」【胡安定は学者を教うるに経術を通じ時務を治め、体を明らかにし用に適わしむるを以てす。だから其の門人は皆古を稽え民を愛するを以て事と為すを知る。古を稽うるは是れ政を為すの法、民を愛するは是れ政を為すの本。】門人有りて曰く——「吾は人と居り、其の過有るを視て而も告げざれば、則ち心に於いて安からざる所有り。之に告げて而も人受けざれば、則ち奈何せん。」明道曰く——「之と処りて而も其の過を告げざるは、忠に非ず。誠意の交通は未だ言わざるの前に在るを要せしむれば、則ち言出でて而も人は信ず。」【誠意は素より孚まれば、則ち信は言の前に在り。】又た曰く——「善を責むるの道は、誠は余有りて而も言は足らざるを要せしむべし。則ち人に於いて益有りて而も我に在る者は自ら辱め無し。」【誠意は言語より多ければ、則ち彼に在りては感悟の益有り、我に在りては煩瀆の辱無し。】
職事不可以巧免【職所當為而巧圗規避是自私用智之人也】
「職事は以て巧みに免る可からず。」【職の当に為すべき所にして而も巧みに図りて規避するは、是れ自ら私して智を用うるの人。】
居是邦不非其大夫此理最好【朱子曰下訕上則無忠敬之心】
「是の邦に居りて其の大夫を非せざるは、此の理は最も好し。」【朱熹は言う——下は上を訕れば則ち忠敬の心無し。】
克勤小物最難【不忽於小謹之至也】
「小物を克勤するは最も難し。」【小に忽らざるは、是れ謹の至なり。】
欲當大任須是篤實【篤實則力量深厚而謀慮審固斯可以任大事】
「大任に当たらんと欲すれば須く是れ篤実ならん。」【篤実なれば則ち力量は深厚にして謀慮は審固し、才だ以て大事を任ず可し。】
凡為人言者理勝則事明氣忿則招怫【理勝而氣平則人易曉而聴亦順或者理雖明而挾忿氣以勝之則反致扞格矣】
「凡そ人の為に言う者は、理勝てば則ち事は明らか、気忿すれば則ち怫を招く。」【理勝ちて而も気平なれば、則ち人は曉り易くして而も聴も亦た順し。或いは理は明らかなりと雖も而も忿気を挟みて以て之に勝たば、則ち反って捍格を致す。】
居今之時不安今之法令非義也若論為治不為則己如復為之須於今之法度內處得其當方為合義若須更改而後為則何義之有【中庸曰非天子不議禮不制度不考文居下位而守上之法令義也由今之法而處得其宜斯為善矣若率意改作則已失為下之義】
「今の時に居りて、今の法令に安んぜざるは、義に非ず。若し治を為すを論ぜば、為さざれば則ち已む。もし復た之を為さば、須く今の法度の内に於いて其の当を得るに処り、方に合義と為る。若し須く更改して而る後に為さば、則ち何の義か之れ有らん。」【『中庸』曰く——天子に非ざれば則ち礼を議せず度を制せず文を考えず。下位に居りて上の法令を守るは、是れ義なり。今の法に由りて而も其の宜を得るに処るは、才だ是れ善なり。若し意を率いて改作せば、則ち已に下と為るの義を失えり。】
今之監司多不與州縣一體監司専欲伺察州縣州縣専欲掩蔽不若推誠心與之共治有所不逮可教者教之可督者督之至於不聴擇其甚者去一二使足以警眾可也
「今の監司は多く州県と一体せず。監司は専ら州県を伺察せんと欲し、州県は専ら掩蔽せんと欲す。誠心を推して之と共に治むるに若かず——逮ばざる所有れば、教う可きは之を教え、督す可きは之を督す。聴かざるに至れば、其の甚だしきを擇びて一二を去らしめ、以て衆を警すに足らしめば、則ち以て可なり。」
伊川先生曰人惡多事吾甚憫之世事雖多盡是人事人事不教人做更責誰做【人事雖多皆人所當為者苟有厭事之意則應之必不盡其理矣】
伊川先生は言う。「人は事多きを厭悪す。我は甚だ之を憫む。世事は多しと雖も、尽く是れ人事。人事は人をして為さしめずして、更に誰をか責めて為さしめん。」【人事は多しと雖も、皆是れ人の当に為すべき所。苟くも事を厭うの意有れば、則ち之に應ずるに必ず其の理を尽くさず。】
感慨殺身者易從容就義者難【一時感慨至於殺身而不顧此匹夫匹婦猶或能之若夫從容就義死得其所自非義精仁熟者莫之能也中庸曰白刃可蹈中庸不可能是也○張南軒曰君子不避難亦不入於難惟當夫理而已於所不當避而避固私也於所不當預而預乃勇於就難是亦私而已如曾子子思之避寇或不避三仁之或死或不死皆從容乎義之所當然而已】
「感慨して身を殺す者は易く、従容として義に就く者は難し。」【一時感慨して身を殺すに至りて而も顧みず。此れ是れ匹夫匹婦と雖も或いは能く之。若し夫れ従容として義に就き死は其の所を得るは、自ら義精仁熟の者に非ざれば之を能くする莫し。『中庸』曰く——白刃は蹈む可く、中庸は能わざるなり。就きて是なり。張南軒曰く——君子は難を避けず、も亦た難に入らず。惟だ夫の理に当たるのみ。当に避くべからざる所に於いて避くるは、固然として是れ私。当に預るべからざる所に於いて預るは、乃ち勇んで難に就く。も亦た是れ私のみ。曽子・子思の寇を避くる或いは避けざる、三仁の或いは死す或いは死せざるがごとき、皆是れ従容として義の当然なるに居るのみ。】
人或勸先生以加禮近貴先生曰何不見責以盡禮而責之以加禮禮盡則已豈有加也【此與孟子不與右師言同意】或問簿佐令者也簿所欲為令或不從奈何曰當以誠意動之今令與簿不和只是爭私意令是邑之長若能以事父兄之道事之過則歸己善則惟恐不歸於令積此誠意豈有不動得人【過則歸之己善則歸之令非曰姑為此以恱人葢事長之道當如是也】
或いは先生に勧めて以て貴近に礼を加えんとす。先生曰く——「何ぞ礼を尽くすを以て責めずして、而も之に礼を加えんを以て責むるを見ざる。礼尽くれば則ち已む。豈に加うる有らん。」【此れ孟子の右師と言わざると意同じ。】或いは問う——簿は是れ令を佐くる。簿の為さんと欲する所、令は或いは従わず。奈何せん。曰く——「当に誠意を以て之を動かすべし。今令と簿と和せざるは、只だ是れ私意を争う。令は是れ邑の長。若し能く父兄に事うるの道を以て之に事えば、過は則ち己に帰し、善は則ち惟だ令に帰せざらんことを恐る。此の誠意を積めば、豈に人を動かすを得ざる有らん。」【過は則ち之を己に帰し、善は則ち之を令に帰す。并非に姑く此を為して以て人を悦ばせんと説くに非ず。蓋し長に事うるの道は当に是のごとくすべし。】
問人於議論多欲直己無含容之氣是氣不平否曰固是氣不平亦是量狹【量狹故常欲己勝而無含容之氣】人量隨識長亦有人識高而量不長者是識實未至也【見識陋則人己得失之間皆為之動是即量之狹也故識之長則量亦長】大凡別事人都強得惟識量不可強【惟識與量則隨人天資學力所至而不可強也】今人有斗筲之量有釜斛之量有鐘鼎之量【十升為斗筲竹器容鬥二升釡容六鬥四升十鬥為斛十斛為鍾】有江河之量江河之量亦大矣然有涯有涯亦有時而滿惟天地之量則無滿故聖人者天地之量也聖人之量道也常人之有量者天資也【聖人之心純乎道道本無外故其量亦無涯天資者氣稟也氣稟則有涯常人而能學以通乎道極其至則亦聖人之無涯也】天資有量須有限大抵六尺之軀力量只如此雖欲不滿不可得也如鄧艾位三公年七十處得甚好及因下蜀有功便動了謝安聞謝破苻堅對客圍棋報至不喜及歸折屐齒強終不得也【事見魏晉史】更如人大醉後益恭謹者只益恭謹便是動了雖與放肆者不同其為酒所動一也又如貴公子位益高益卑謙只卑謙便是動了雖與驕傲者不同其為位所動一也【居之如常而不為異者量足以勝之也一有意於其間雖驕肆謙恭之不同要皆為彼所動也】然惟知道者量自然宏大不勉強而成今人有所見卑下者無他亦是識量不足也【知道者雖窮居陋巷而不加損雖祿之以天下而不加益舉世譽之而不加勸舉世非之而不加慍何者道固不為之而有増損也】人才有意於為公便是私心【公者天理之自然有意為之則計較安排即是私意】昔有人典選其子弟系磨勘皆不為理此乃是私意【選舉朝廷之選舉也進退之權實非己之所得而有子弟該磨勘而不為理葢避私嫌而不知如此是以選舉為己之私恩乃是私意也於此可以識大公之道矣】人多言古時用直不避嫌得後世用此不得自是無人豈是無時【本注云因言少師典舉明道薦才事○苟能以至公之心行至公之道何嫌之避何時而不可行】
問う——人は議論に於いて多く己を直くせんと欲し、含容の気無し。是れ気平ならざるか。曰く——「固より是れ気平ならず。も亦た是れ量狭なり。」【量狭なればだから常に己の勝たんことを欲して而も含容の気無し。】「人の量は識に随いて長ず。も亦た人識高くして而も量長らざる者有り。是れ識実に未だ至らざるなり。」【見識陋ければ則ち人己得失の間は皆之が為に動く。就きて是れ量の狭なり。だから識の長ずれば則ち量も亦た長ず。】「大凡そ別の事は人皆強うるを得。惟だ識量は強う可からず。」【惟だ識と量とは則ち人の天资学力の至る所に随いて而も強う可からず。】「今人は斗筲の量有り、釜斛の量有り、鐘鼎の量有り、【十升を斗と為す。筲は是れ竹器、斗二升を容る。釜は六斗四升を容る。十斗を斛と為し、十斛を鐘と為す。】江河の量有り。江河の量も亦た大なり。然る而も涯有り。涯有ればも亦た時に満つる有り。惟だ天地の量は則ち満つる無し。だから聖人は是れ天地の量。聖人の量は是れ道、常人の量有る者は是れ天资。」【聖人の心は道に純なり。道は本より外無し。だから其の量も亦た涯無し。天资は是れ気禀。気禀は則ち涯有り。常人にして能く学びて以て道に通ぜば、其の至を極めれば則ちも亦た是れ聖人の無涯。】「天资は量有れば須く限有るべし。大抵六尺の躯は、力量は只だ此のごとし。満たざらんと欲すと雖も得る可からず。鄧艾は位は三公・年は七十、処ること甚だ好し。及び蜀を下すの功有るに因りて便ち動けり。謝安は謝玄(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)の苻堅を破るを聞き、客に対して囲碁し、報至りて喜ばず。及び帰りて屐の齒を折る。強めて終に得ず。」【事は魏晋の史に見る。】「更に人の大いに酔う後に益々恭謹なるがごとき、只だ益々恭謹なれば便ち是れ動けり。放肆する者と同じからずと雖も、其の酒の動かす所と為るは一なり。又た貴公子の位益々高くして益々卑謙なるがごとき、只だ卑謙なれば便ち是れ動けり。驕傲する者と同じからずと雖も、其の位の動かす所と為るは一なり。」【之に居ること常のごとくして而も異と為さざるは、是れ量は以て之に勝つに足れり。一たび其の間に於いて意有れば、驕肆謙恭の同じからざると雖も、要するに皆彼の動かす所と為る。】「然る而も惟だ道を知る者は量は自然に宏大、勉強せずして成る。今人の見る所卑下なる有るは、他無し。も亦た是れ識量足らざるなり。」【道を知る者は窮して陋巷に居ると雖も而も損を加えず、天下を以て之を禄すと雖も而も益を加えず、举世之を誉めても勧を加えず、举世之を非としても愠を加えず。何を為めとや。道は本より之が為に増減有らず。】「人才だ公を為さんと意すれば、便ち是れ私心なり。」【公は是れ天理の自然。意有りて之を為せば則ち計較安排す。就きて是れ私意。】「昔人有りて選を典りし者。其の子弟は磨勘に繋る。皆為めに理せず。此れ乃ち是れ私意なり。」【選挙は是れ朝廷の選挙。進退の権は実は己の得て有る所に非ず。子弟は磨勘に該すと雖も而も為めに理せざるは、蓋し私嫌を避く。而も知らず、此のごとくするは是れ選挙を以て己の私恩と為す。乃ち是れ私意。此に於いて以て大公の道を識る可し。】「人は多く古時は直を用いて嫌を避けずして得と言い、後世は此を用いるを得ずと言う。自ら是れ人無し。豈に是れ時無からんや。」【本注に曰く——少師が挙を典り明道が才を薦めしの事に因る。苟くも能く至公の心を以て至公の道を行わば、何の嫌か之を避けん、何の時か而も行う可からざらん。】
君實嘗問先生雲欲除一人給事中誰可為者先生曰初若泛論人材卻可今既如此頤雖有其人何可言君實曰出於公口入於光耳又何害先生終不言【泛論人材則無不可若擇人任職乃宰相之事非在下位者所可與矣此制義之方也】
君実は嘗て先生に問う——「一人の給事中を除かんと欲す。誰か為す可き。」先生曰く——「初め若し汎く人材を論ぜば却って可なり。今既に此のごとし。頤は其の人有ると雖も、何ぞ言う可けん。」君実曰く——「公の口より出でて光の耳に入る。又た何の害か有らん。」先生は終に言わず。【汎く人材を論ずれば則ち可ならざる無し。若し人を擇びて職に任ずるは、乃ち宰相の事。下位に在る者の与る可き所に非ず。此れ是れ義を制するの方。】
先生雲韓持國服義最不可得一日頤與持國範夷叟泛舟於潁昌西湖須臾客將去有一官員上書謁見大資頤將為有甚急切公事乃是求知己頤雲大資居位卻不求人乃使人倒來求己是甚道理【韓維字持國範純禮字夷叟在上位者當勤於求賢豈當待人反求知求知者失己使之求知者失士】夷叟雲只為正叔太執求薦章常事也頤雲不然只為曾有不求者不與來求者與之遂致人如此持國便服
先生曰く——「韓持国は義に服す最も得る可からざるなり。一日頤は持国・范夷叟と潁昌の西湖に泛舟す。須臾にして客は将に去らんとす。一官員有りて書を上りて大資に謁見す。頤は以て甚だ急切の公事有りと為す。乃ち是れ知己を求むるなり。頤曰く——大資は位に居りて却って人を求めず、乃ち人をして倒れて来たり己を求めしむ。是れ甚の道理ぞ。」【韓維は字は持国、范純礼は字は夷叟。上位に在る者は当に賢を求むるに勤しむべし。豈に当に人の反って己を求むるを待たんや。己を求むる者は己を失い、之を己を求めしむる者は士を失う。】「夷叟曰く——只だ正叔の太く執るが為のみ。薦章を求むるは是れ常事。頤曰く——然らず。只だ曽て求めざる者は与えず来たりて求むる者は之に与うる有るが為に、遂に人をして此のごとくならしむ。持国は便ち服す。」
先生因言今日供職只第一件便做他底不得吏人押申轉運司狀頤不曾籤國子監自系臺省臺省系朝廷官外司有事合行申狀豈有臺省倒申外司之理只為從前人只計較利害不計較事體直得恁地【春秋書法王人雖微序於諸侯之上尊王也】須看聖人慾正名處見得道名不正時便至禮樂不興是自然住不得【說見論語○名分不正則施之於事者顛倒而無序乖戾而不和禮樂何以興此自然必至之勢】
先生は因りて曰く——「今日職に供す。只だ第一件は便ち他の為にするを得ず。吏人は申状を押して転運司にす。頤は曽て簽せず。国子監は自ら台省に係る。台省は朝廷官に係る。外司は事有りて合して申状を行う。豈に台省が倒れて外司に申するの理有らん。只だ従前の人は只だ利害を計較して事体を計較せざるが為に、直ちに恁地を得たり。」【『春秋』の書法——王人は微なりと雖も、諸侯の上に序す。是れ王を尊ぶ。】「須く聖人の名を正さんと欲する処を看て、道を見得べし——名正しからざる時は便ち礼楽興らざるに至る。是れ自然に住むを得ざるなり。」【説は『論語』に見る。名分正しからざれば、則ち之を事に施す者は顛倒して而も序無く乖戾して而も和せず。礼楽は何を以て興らん。此れ是れ自然に必ず至るの勢。】
學者不可不通世務天下事譬如一家非我為則彼為非甲為則乙為【君子存心正大如此其所以講明世道者葢亦非分外之事也】
「学者は世務に通ぜざる可からず。天下の事は譬如ば一家——我為さざれば則ち彼為し、甲為さざれば則ち乙為す。」【君子は心を存すること正大にして此のごとし。其の世道を講明する所以は、蓋しも亦た并非に分外の事に非ず。】
人無逺慮必有近憂思慮當在事外【外書下同○蘓氏曰慮不在千里之外則患在几席之下此以地之逺近言也一說先事而圗之則事至而無患此以時之逺近言也然其理則一也】
「人は遠慮無ければ、必ず近憂有り。思慮は当に事の外に在るべし。」【以下同じく『外書』に出る。蘇氏曰く——慮は千里の外に在らざれば、則ち患は几席の下に在り。此れ是れ地の遠近を以て言う。一説——事に先だちて之を図れば、則ち事至りて而も患無し。此れ是れ時の遠近を以て言う。然る而も其の理は則ち一なり。】
聖人之責人也常緩便見只欲事正無顯人過惡之意伊川先生雲今之守令惟制民之產一事不得為其他在法度中甚有可為者患人不為耳【制民之產謂井田貢助之法】明道先生作縣凡坐處皆書視民如傷四字嘗曰顥常愧此四字
「聖人の人を責むるや常に緩し。便ち只だ事の正しきを欲し、人の過悪を顕すの意無きを見る。」伊川先生は言う。「今の守令は、惟だ民の産を制するの一事は為すを得ず。其他は法度の中に在りて甚だ為す可き者有り。人の為さざるを患うのみ。」【民の産を制するは井田貢助の法を指す。】明道先生は県を作し、凡そ坐する処は皆「民を視ること傷のごとし」の四字を書す。曽て曰く——「顥は常に此の四字に愧ず。」
伊川先生每見人論前輩之短則曰汝輩且取他長處【人之短本為薄徳況前輩乎】
伊川先生は毎に人の前輩の短を論ずるを見れば、則ち曰く——「汝輩は且く他の長ずる処を取れ。」【人の短を彰す(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)は本より薄徳。況んや前輩をや。】
劉安禮雲王荊公執政議法改令言者攻之甚力明道先生嘗被防赴中堂議事荊公方怒言者厲色待之先生徐曰天下之事非一傢俬議願公平氣以聴荊公為之媿屈【附録下同○劉立之字安禮程子門人也熙寧初王荊公安石參知政事創制新法中外皆言其不便荊公獨憤然不顧明道先生權監察御史裡行被防赴中堂議事從容一言之間荊公乃為之媿屈葢有以破其私己之見而消其忿厲之氣也】
劉安礼曰く——王荆公は政を執り、法を議り令を改む。言う者は之を攻めること甚だ力めり。明道先生は嘗て旨を被りて(底本は「被防」)中堂に赴きて事を議す。荆公は方に言う者を怒り、色を厲くして之を待つ。先生は徐徐に曰く——「天下の事は一家の私議に非ず。願わくは平気を以て聴かん。」荆公は之が為に愧屈せり。【以下同じく『附録』に出る。劉立之は字は安礼、程子の門人。熈寧の初め、王荆公安石は参知政事、新法を創制す。中外は皆其の便ならざるを言う。荆公は独り憤然として顧みず。明道先生は権監察御史裏行、旨を被りて(底本は「被防」)中堂に赴きて事を議す。従容として一言の間、荆公は乃ち之が為に愧屈す。蓋し以て其の己を私するの見を破り其の忿厲の気を消す有り。】
劉安禮問臨民明道曰使民各得輸其情【民情皆得以上聞則自無不得其所之患然非平易聰達者能之乎】問御吏曰正己以格物【居上既正則下有所感而正矣非徒事乎刑罰之嚴也】
劉安礼は民に臨むを問う。明道曰く——「民をして各々其の情を輸るを得せしめよ。」【民情は皆上聞するを得れば、則ち自ら其の所を得ざるの患無し。然る而も平易聴達の者に非ざれば能くせんや。】吏を御するを問う。曰く——「己を正しくして以て物を格つ。」【上に居るは既に正しければ、則ち下は感ずる所有りて正し。并非に徒らに刑罰の厳に事うるに非ず。】
橫渠先生曰凡人為上則易為下則難然不能為下亦未能使下不盡其情偽也大抵使人常在其前已嘗為之則能使人【文集○樂於使人而憚於事人此人常情也然知事人之道然後知使人之道已未嘗事人則使人之際必不能盡其情】
横渠先生は言う。「凡そ人は上と為れば則ち易く、下と為れば則ち難し。然る而も下と為る能わざれば、も亦た未だ能く下をして其の情偽を尽くさしむる能わず。大抵人を使うは、常に其の前に己嘗て之を為せば、則ち能く人を使う。」【『文集』に出る。人を使うを楽しみて而も人に事うるを憚る。此れ人の常情。然る而も人に事うるの道を知りて、然る後に人を使うの道を知る。己は未だ嘗て人に事えざれば、則ち人を使うの際は必ず能く其の情を尽くす能わず。】
坎維心亨故行有尚外雖積險苟處之心亨不疑則雖難必濟而往有功也【坎為重險故曰積險二五以剛居中故外雖有積險其中心自亨通而無所疑懼也心亨而無疑則可以出險矣】今水臨萬仞之山要下即下無復凝滯之在前惟知有義理而已則復何迴避所以心通【易說下同此以坎象而言人於義理苟能信之篤行之決如水之就下則沛然而莫御何往而不心亨哉】
「坎は、惟だ心亨る。だから行くに尚有り。外は険を積むと雖も、苟くも之に処るに心亨りて疑わざれば、則ち難しと雖も必ず済りて而も往けば功有り。」【坎は是れ重険。だから険を積むと叫ぶ。二五は剛を以て中に居る。だから外は積険有ると雖も、其の中心は自ら亨通して而も疑惧する所無し。心亨りて而も疑無ければ、則ち以て険を出づ可し。】「今水の万仞の山に臨み、下らんと要すれば則ち下り、復た凝滞の前に在る無し。惟だ義理有るを知るのみ。則ち復た何をか回避せん。だから心通ず。」【以下同じく『易説』に出る。此れ是れ坎の象を以て言う——人は義理に於いて苟くも能く之を信ずること篤く・之を行うこと決せば、水の下に就くがごとく、則ち沛然として而も禦ぐ莫し。何れに往きて而も心亨らざらん。】
人所以不能行己者於其所難者則惰其異俗者雖易而羞縮惟心則不顧人之非笑所趨義理耳視天下莫能移其道【志不立氣不充故有怠惰與羞縮惟心則立志逺大義理勝則氣充】然為之人亦未必怪正以在己者義理不勝惰與羞縮之病消則有長不消則病常在意思齷齪無由作事【滕文公行三年之喪始也父兄百官皆不欲文公以義理所當為發哀慼之誠心人亦莫不恱服所患在我義理不勝則不能自強故有惰與羞縮之患】在古氣節之士冒死以有為於義未必中然非有志槩者莫能況吾於義理已明何為不為【志氣感慨雖未必中於義而死且不顧況吾義理既明尚何怠惰羞縮之為舉重明輕所以激昂兼懦之士】姤初六羸豕孚蹢躅豕方羸時力未能動然至誠在於蹢躅得伸則伸矣【羸弱也蹢躅跳躍也豕性隂躁雖當羸弱之時其誠心未嘗不在於動也得肆則肆矣猶小人雖困志在求逞君子所當察也】如李徳裕處置閹宦徒知其帖息威伏而忽於志不忘逞照察少不至則失其幾也【唐武宗時徳裕為相君臣契合莫能間之宦寺之徒帖息畏伏誠若無能為者而不知其志在求逞也繼嗣重事卒定於宦者之手而徳裕逐矣葢幾微之間所當深察】
「人の己を行う能わざる所以——其の難き所に於いては則ち惰り、其の俗に異なる者は易しと雖も而も羞縮す。惟だ心弘ければ(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)則ち人の非笑を顧みず、趨る所は義理のみ。天下を視ても能く其の道を移す莫し。」【志立たず気充たず。だから怠惰と羞縮と有り。惟だ心弘ければ則ち志を立つること遠大、義理勝てば則ち気充つ。】「然る而も之を為すは人も亦た未だ必ずしも怪しまず。正に己に在る者は義理勝たざるを以てす。惰と羞縮との病は消えれば則ち長じ、消えざれば則ち病は常に在り。意思は齷齪にして、作事するの由無し。」【滕文公は三年の喪を行う。始めは父兄百官は皆欲せず。文公は義理の当に為すべき所を以て、哀戚の誠心を発せば、人も亦た悦服せざる莫し。患うる所は我に在りて義理勝たざれば、則ち能く自ら強めず。だから惰と羞縮との患有り。】「古の気節の士に在りては死を冒して以て為す有る有り。義に於いて未だ必ずしも中らず。然る而も志概有る者に非ざれば能くする莫し。況んや吾は義理に於いて已に明らかなるをや。何を為めて為さざらん。」【志気感慨は未だ必ずしも義に中らずと雖も而も死すとも且つ顧みず。況んや吾が義理既に明らかなれば、尚お何の怠惰羞縮の為す所有らん。重きを挙げて軽きを明らかにす。懦弱の士を激昂する所以。】「『姤』初六——羸豕は孚蹢躅す。豕は方に羸る時は力は未だ能く動かず。然る而も至誠は蹢躅に在り。伸ぶるを得れば則ち伸ぶ了れり。」【羸は是れ弱、蹢躅は是れ跳躍。豕の性は陰躁。羸弱の時に当たると雖も、其の誠心は未だ嘗て動くに在らざる無し。肆を得れば則ち肆す。猶ほ小人は困ると雖も、志は逞せんことを求めるに在るがごとし。君子の当に察すべき所。】「李德裕の宦竪を処置するがごとき、徒らに其の帖息威伏するを知りて、而も志は逞せんことを忘れざるに忽り。照察は少しも至らざれば、則ち其の幾を失う。」【唐武宗の時、徳裕は相と為る。君臣は契合して之を間する能くする莫し。宦寺の徒は帖息畏伏し、誠に能く為す者無きがごとし。而も其の志は逞せんことを求めるに在るを知らず。継嗣の重事は卒に宦者の手に定まりて、而も徳裕は逐われ了れり。蓋し幾微の間は当に深く察すべき所。】
人教小童亦可取益絆已不出入一益也【取益謂有益於己絆牽繫也】授人數數已亦了此文義二益也【數數猶頻數也了曉徹也】對之必正衣冠尊瞻視三益也常以因己而壊人之才為憂則不敢墮四益也【語録○此段當在十一卷之末】
「人は小童を教うるも亦た益を取る可し——己を絆して出入せざるは、一の益【益を取るは是れ己に益有り。絆は是れ牽繋】。人に授けて数数すれば、己も亦た此の文義を了る。二の益【数数は猶ほ頻数のごとし。了は是れ曉徹】。之に対すれば必ず衣冠を正しくし瞻視を尊ぶ。三の益。常に己に因りて人の才を壊るを以て憂と為せば則ち敢て惰らず。四の益。」【『語録』に出る。此の段は当に十一巻の末に在るべし。】
近思録卷十
近思録巻十
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思録卷十一宋朱子呂祖謙同編
近思録巻十一 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
教學【凡二十二條】
教学【凡そ二十二条】
此卷論教人之道葢君子進則推斯道以覺天下退則明斯道以淑其徒所謂得英才而教育之即新民之事也
この巻は人を教うるの道を論ず。蓋し君子は進めば則ち斯の道を推して以て天下を覚らしめ、退けば則ち斯の道を明らかにして以て其の徒を淑くす。いわゆる英才を得て而も之を教育するは、即ち新民の事。
濂溪先生曰剛善為義為直為斷為嚴毅為幹固惡為猛為隘為強梁柔善為慈為順為防惡為懦弱為無防為邪佞【朱子曰氣稟剛柔固隂陽之大分而其中又各有善惡之分焉惡者固為非正而善者亦未必皆得乎中也】惟中也者和也中節也天下之達道也聖人之事也【朱子曰此以得性之正而言也然其以和為中與中庸不合葢就已發無過不及者而言之如書所謂允執厥中者也】故聖人立教俾人自易其惡自至其中而止矣【通書○朱子曰易其惡則剛柔皆善有嚴毅慈順之徳而無強梁懦弱之病矣至其中則其或為嚴毅或為慈順也又皆中節而無太過不及之偏矣】
濂渓先生は言う。「剛の善は義と為り直と為り断と為り厳毅と為り干固と為る。悪は猛と為り隘と為り強梁と為る。柔の善は慈と為り順と為り巽と為る(底本は「為防」)。悪は懦弱と為り無断と為り(底本は「無防」)邪佞と為る。」【朱熹は言う——気禀の剛柔は固より是れ陰陽の大分。而も其の中は又た各々善悪の分有り。悪なる者は固然として非正と為るも、而も善なる者も亦た未だ必ずしも皆中を得るに非ず。】「惟だ中なるは、是れ和、是れ中節、是れ天下の達道、是れ聖人の事。」【朱熹は言う——此れ是れ性の正を得るを以て言う。然る而も其の和を以て中と為すは、『中庸』と合せず。蓋し已発にして過不及無き者に就きて之を言う。『書』のいわゆる允に厥の中を執るがごとし。】「だから聖人は教を立て、人をして自ら其の悪を易え自ら其の中に至りて而も止まらしむ。」【『通書』に出る。朱熹は言う——其の悪を易うれば、則ち剛柔は皆善、厳毅慈順の徳有りて而も強梁懦弱の病無し。其の中に至れば、則ち其の或いは厳毅或いは慈順と為るも、又た皆中節にして太過不及の偏無し。】
伊川先生曰古人生子能食能言而教之【古者子生能食則教之以右手能言則教之唯諾】大學之法以豫為先人之幼也知思未有所主便當以格言至論日陳於前雖未曉知且當薰聒使盈耳充腹久自安習若固有之雖以他言惑之不能入也【學記曰禁於未發之謂豫此所謂少成若天性習慣如自然者也】若為之不豫及乎稍長私意偏好生於內眾口辯言鑠於外慾其純完不可得也【文集教之不早及其稍長內為物慾所防溺外為流俗所銷靡欲其心徳之無偏駁難矣】
伊川先生は言う。「古人は子を生めば、能く食い能く言えば而も之を教う。」【古は子生まれて能く食えば則ち之を教うるに右手を以てし、能く言えば則ち之を教うるに唯諾を以てす。】「大学の法は豫を以て先と為す。人の幼きや、知思は未だ主る所有らず。便ち当に格言至論を以て日に前に陳ぶべし。未だ曉知せずと雖も、且く当に薫聒して、耳に盈ち腹に充たしむべし。久しくして自ら安習して固有するが若し。他言を以て之を惑わすと雖も、能く入らず。」【『学記』曰く——未だ発せざるに禁ぐるを豫と謂う。此れ就きて是れいわゆる少成は天性の若く、習慣は自然のごとし。】「若し之を為すに豫ならざれば、稍や長ずるに及びて、私意偏好は内に生じ、衆口辯言は外に鑠る。其の純完ならんことを欲すれば得る可からず。」【『文集』に出る。之を教うること早からざれば、其の稍や長ずるに及びて、内は物欲の陷溺する所と為り(底本は「所防溺」)、外は流俗の銷靡する所と為る。其の心徳の偏駁無からんことを欲すれば、難し。】
觀之上九曰觀其生君子無咎象曰觀其生志未平也伊川易傳曰君子雖不在位然以人觀其徳用為儀法故當自慎省觀其所生常不失於君子則人不失所望而化之矣【上為無位之地故曰不在位然當觀之時高而在上固眾人所觀瞻而用為法則者要當謹畏反觀內省己之所為常不違乎君子之道而後人心慰滿得所矜式也】不可以不在於位故安然放意無所事也【易傳○釋志未平也言高尚之士亦不可以輕意肆志也】聖人之道如天然與眾人之識甚殊邈也門人弟子既親炙而後益知其高逺既若不可及則趨望之心怠矣故聖人之教常俯而就之【聖人教人循循善誘常俯而就之葢亦因其資以設教不使之徒見高逺而自沮也】事上臨喪不敢不勉君子之常行不困於酒尤其近也而以己處之者不獨使夫資之下者勉思企及而才之髙者亦不敢易乎近矣【經說說見論語○道固不外日用常行之間在聖人無事乎思勉耳夫子設教固常人之所可勉而賢者之所不可忽也】
『観』の上九曰く——「其の生を観る。君子は咎無し。」象曰く——「其の生を観るは、志は未だ平ならざるなり。」伊川『易伝』曰く——「君子は位に在らずと雖も、然る而も人の其の徳を観て用いて儀法と為すを以てす。だから当に自ら慎省し、其の生ずる所を観て、常に君子に失わざれば、則ち人は望む所を失わずして而も之に化了れり。」【上は是れ位無きの地。だから位に在らずと説く。然る而も観の時に当たり、高くして上に在れば、固より是れ衆人の観瞻して而も用いて法則と為す所。要して当に謹畏して反観内省し、己の為す所は常に君子の道に違わざれば、而る後に人心は慰満して而も矜式する所を得ん。】「位に在らざるに在らざるを以て、だから安然として意を放ち事と為す所無からしむ可からず。」【『易伝』に出る。「志は未だ平ならざるなり」を釋す——是れ高尚の士も亦た以て意を軽んじ志を肆にす可からざるを説く。】「聖人の道は天のごとく、衆人の識と甚だ殊邈なり。門人弟子は既に親炙して而る後に益々其の高遠を知る。既に及ぶ可からざるが若ければ、則ち趨望の心は怠れり。だから聖人の教は常に俯して而も之に就く。」【聖人は人を教うるに循循として善く誘い、常に俯して而も之に就く。蓋しも亦た其の資に因りて以て教を設け、之をして徒らに高遠を見て而自ら沮ましめず。】「上に事え喪に臨みて敢て勉めざらざるは、是れ君子の常行。酒に困らざるは、尤も其の近し。而も己を以て之に処る者は、独り夫の資の下なる者をして勉めて企及せんと思わしむるのみならず、而も才の高き者も亦た敢て近きを易とせず。」【『経説』に出る。説は『論語』に見る。道は本より日用常行の間の外ならず。聖人に在りては思勉に事うる無きのみ。夫子の教を設くるは、固より是れ常人の勉む可き所にして、而も賢者の忽せす可からざる所。】
明道先生曰憂子弟之輕俊者只教以經學唸書不得令作文字【志輕才俊者憚於檢束而樂於馳逞使之習經唸書則心平氣定使作文字則得以用其才而長其輕俊矣】子弟凡百玩好皆奪志至於書札於儒者事最近然一向好著亦自喪志如王虞顔栁輩誠為好人則有之曾見有善書者知道否平生精力一用於此非惟徒廢時日於道便有妨處足知喪志也【遺書下同王右軍羲之虞永興世南顔魯公真卿栁河東公權皆工書札亦各有風節表見當世然終不足以知道葢専工一藝豈特徒廢時日妨於學問而志局於此已失其操存之本矣】
明道先生は言う。「子弟の軽俊なるを憂うるは、只だ経学を教え書を念らしめ、文字を作らしむるを得ざれ。」【志軽く才俊なる者は検束を憚りて而も馳逞を楽しむ。之をして経を習い書を念ぜしめば則ち心平らぎ気定まる。之をして文字を作らしめば則ち以て其の才を用い而も其の軽俊を長ずるを得。】「子弟は凡そ百の玩好は皆志を奪う。書札に至っては、儒者の事に於いて最も近し。然る而も一向に之を好めば、も亦た自ら志を喪う。王・虞・顔・柳の輩のごとき、誠に好人と為るは則ち之有り。曽て書を善くする者の道を知る有るを見たりや。平生の精力は一たび此に用いれば、非惟だ徒らに時日を廃す。道に於いて便ち妨げる処有り。以て志を喪うを知るに足れり。」【以下同じく『遺書』に出る。王右軍羲之・虞永興世南・顔魯公真卿・柳河東公権は、皆書札に工し。も亦た各々風節有りて当世に表見す。然る而も終に以て道を知るに足らず。蓋し一芸を専ら工にするは、豈に特に徒らに時日を廃し学問に妨ぐるのみならんや。而も志は此に局り、已に其の操存の本を失えり。】
胡安定在湖州置治道齋學者有欲明治道者講之於中如治民治兵水利算數之類嘗言劉彛善治水利後累為政皆興水利有功【治民如政教施設之方治兵如戰陣部伍之法水利如江河渠堰之利算數如律厯九章之】
胡安定は湖州に於いて治道斎を置き、学者の治道を明らかにせんと欲する者有れば之を中に講ず——治民・治兵・水利・算数の類のごとし。曽て劉彝は水利を治むるに善しと言う。後に累々政を為すに皆水利を興して功有り。【治民は政教施設の方のごとく、治兵は戦陣部伍の法のごとく、水利は江河渠堰の利のごとく、算数は律暦九章の術のごとし(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)。】
凡立言欲涵蓄意思不使知徳者厭無徳者惑【知徳者玩其意而不厭無徳者守其說而不惑○朱子曰近看尹先生論語說句句有意味不可以為常談而忽之也】教人未見意趣必不樂學欲且教之歌舞如古詩三百篇皆古人作之如闗雎之類正家之始故用之鄉人用之邦國日使人聞之此等詩其言簡奧今人未易曉欲別作詩略言教童子灑掃應對事長之節令朝夕歌之似當有助
「凡そ言を立つるは、意思を涵蓄せんと欲して、徳を知る者をして厭わしめず徳無き者をして惑わしめず。」【徳を知る者は其の意を玩びて而も厭わず、徳無き者は其の説を守りて而も惑わず。朱熹は言う——近く尹先生の『論語』説を看るに、句句意味有り。以て常談と為して而も之を忽せす可からず。】「人を教うるに未だ意趣を見ざれば、必ず学を楽しまず。想うに且く之に歌舞を教えよ。古詩三百篇のごときは、皆是れ古人の作る所。『関雎』の類のごときは、是れ家を正しくするの始。だから之を郷人に用い之を邦国に用い、日に人をして之を聞かしむ。此の等の詩は其の言は簡奥。今人は未だ曉る易からず。想うに別に詩を作りて、略ほ童子に洒掃應對・長に事うるの節を教うるを言い、朝夕に之を歌わしめば、似て当に助有るべし。」
子厚以禮教學者最善使學者先有所據守【禮以恭敬辭遜為本而有節文度數之詳學者從事乎此則日用言動之間皆有依據持守之地】
「子厚は礼を以て学者を教うること最も善し。学者をして先ず守る所の拠有らしむ。」【礼は恭敬辞遜を以て本と為し、而も節文度数の詳有り。学者は此に従事せば、則ち日用言動の間は皆拠依持守の地有り。】
語學者以所見未到之理不惟所聞不深徹反將理低看了【學者所見未到而驟以語之則彼不惟無深造自得之功而亦且輕視之矣】
「学者に語るに見る所未だ至らざるの理を以てせば、不惟だ聞く所は深徹ならず、反って将に理を低く看んとす。」【学者は見る所未だ至らずして而も驟に以て之に語れば、則ち彼は不惟だ深造自得の功無く、而も且つ之を軽視す。】
舞射便見人誠古之教人莫非使之成已【舞者所以導其和射者所以正其志要必以誠心為之誠者所以成己也】自灑掃應對上便可到聖人事【灑掃應對即是教之以誠誠之至即是聖人事】
「舞・射は便ち人の誠を見る。古の人を教うるは、莫れ之をして己を成さしむるに非ざるなし。」【舞は是れ其の和を導く所以、射は是れ其の志を正しくする所以。要して必ず誠心を以て之を為す。誠は是れ己を成す所以。】「洒掃應對の上自り便ち聖人の事に到る可し。」【洒掃應對は即ち是れ之を教うるに誠を以てす。誠の至は即ち是れ聖人の事。】
自幼子常視母誑以上便是教人以聖人事【說見曲禮視同示誑欺妄也小未有知常示以正事此聖人無妄之道】
「『幼子は常に視て誑す毋かれ』(底本は「母誑」)以上自り、便ち是れ人を教うるに聖人の事を以てす。」【説は『曲礼』に見る。視は示に同じ。誑は是れ欺妄。小孩は未だ知有らず。常に正事を以て示す。此れ是れ聖人の妄無きの道。】
先傳後倦君子教人有序先傳以小者近者而後教以大者逺者非是先傳以近小而後不教以逺大也【子游譏子夏之門人於灑掃應對進退末事則可矣於道之本原則無如之何子夏聞而非之曰君子之道孰先傳焉孰後倦焉葢君子教人先後有序不容躐等而驟進非謂傳以近小者於先而不教以逺大者於後也○朱子曰灑掃應對精義入神事有大小禮無大小事有大小故其教有序而不可躐理無大小故隨其所處而皆不可不盡愚謂子夏正謂教人小大有別前段程子之說卻就灑掃應對上發明理無大小自是一義】伊川先生曰說書必非古意轉使人薄學者須是潛心積慮優遊涵養使之自得今一日說盡只是教得薄至如漢時說下帷講誦猶未必說書【理貴玩索至於口耳之傳末矣下帷講誦如董仲舒之徒說見漢史】
「先に伝え後に倦む——君子は人を教うるに序有り。先ず之を伝うるに小き者近き者を以てし、而る後に之を教うるに大きい者遠き者を以てす。并非に先ず之を伝うるに近小を以てし、而も後に教うるに遠大を以てせざるに非ず。」【子游は子夏の門人を譏る——洒掃應対進退の末事に於いては則ち可なり、道の本原に於いては則ち之を如何ともする無し。子夏は聞きて而も之を非とし曰く——君子の道は、孰れか先に伝え孰れか後に倦まん。蓋し君子は人を教うるに先后序有り。躐等して驟に進むを容れず。并非に近小なる者を以て先に伝え、而も遠大なる者を以て後に教えずと謂うに非ず。朱熹は言う——洒掃應對・精義入神は、事は大小有り、理は大小無し。事は大小有れば、だから其の教は序有りて而も躐す可からず。理は大小無ければ、だから其の処る所に随いて而も皆尽くさざる可からず。葉采按——子夏は正に人を教うるに小大別有りと謂う。前段の程子の説は却って洒掃應對の上に就きて理は大小無きを発明す。自ら是れ一義。】伊川先生は言う。「書を説くは必ず古意に非ず。転じて人をして薄からしむ。学者は須く是れ心を潜め慮を積み、優游涵養して、之を自得せしむべし。今一日に説き尽くすは、只是れ教えて薄きを得るのみ。漢時の下帷講誦のごときに至っては、猶ほ未だ必ずしも書を説かず。」【理は玩索を貴ぶ。口耳の伝に至っては、末なり。下帷講誦は董仲舒の徒のごとし。説は漢史に見る。】
古者八嵗入小學十五入大學擇其才可教者聚之不肖者復之農畝葢士農不易業既入學則不治農然後士農判【古者自國之貴胄子弟及士庶人之子八嵗則皆入小學十五則入大學然後擇其才之可教者聚之於學其不可教者復歸之農畝】在學之養若士大夫之子則不慮無養雖庶人之子既入學則亦必有養古之士者自十五入學至四十方仕中間自有二十五年學又無利可趨則所志可知須去趨善便自此成徳後之人自童稚間已有汲汲趨利之意何由得向善故古人必使四十而仕然後志定只營衣食卻無害惟利祿之誘最害人【本注云人有養便方定志於學○先王設教養之周而行之久士有定志專於修己而緩於干祿故能一意趨善卒於成徳後世反是隻營衣食者求於力分之內未足以奪志故無害若誘於利祿則所學皆非為己而根本己撥矣故害最甚】
「古は八歳にして小学に入り、十五にして大学に入る。其の才の教う可き者を擇びて之を聚め、不肖の者は之を農畝に復す。蓋し士農は業を易えず——既に学に入れば則ち農を治めず。然る後に士農は判つ。」【古は国の貴胄子弟自り士庶人の子に及び、八歳は則ち皆小学に入り、十五は則ち大学に入る。然る後に其の才の教う可き者を擇びて之を学に聚め、其の教う可からざる者は復た之を農畝に帰す。】「学に在るの養——若し士大夫の子は則ち養無きを慮らず。庶人の子と雖も、既に学に入れば則ちも亦た必ず養有り。古の士者は十五に学に入りて四十にして方に仕う。中間は自ら二十五年の学有り。又た利の趨く可き無し。則ち志す所は知る可し。須く善に趨るを去りて、便ち此自り徳を成す。後の人は童稚の間自り已に汲汲として利に趨るの意有り。何に由りて善に向かうを得ん。だから古人は必ず四十にして仕えしめ、然る後に志は定まる。只だ衣食を営むは却って害無し。惟だ利禄の誘は最も人を害す。」【本注に曰く——人は養有りて、才だ方に学に志を定む。先王は教を設け、之を養うこと周にして而も之を行うこと久し。士は定志有り、己を修むるに専らにして而も禄を干るに緩し。だから能く一意に善に趨り、卒に徳を成す。後世は是に反す。只だ衣食を営むは、力分の内に求め、未だ以て志を奪うに足らず。だから害無し。若し利禄に誘われば、則ち学ぶ所は皆己が為に非ずして而も根本は已に撥れたり。だから害は最も甚だし。】
天下有多少才只為道不明於天下故不得有所成就且古者興於詩立於禮成於樂如今人怎生會得古人於詩如今人歌曲一般雖閭巷童稚皆習聞其說而曉其義故能興起於詩後世老師宿儒尚不能曉其義怎生責得學者是不得興於詩也【古人歌詩習熟其說而通達其義故吟諷之間足以感發其善心而懲創其逸志】古禮既廢人倫不明以至治家皆無法度是不得立於禮也【禮所以敘人倫而施之家國者皆有法度以為據依故能有立也】古人有歌詠以養其性情聲音以養其耳目舞蹈以養其血脈今皆無之是不得成於樂也【歌詠聲詩溫柔篤厚有以養其性情也五聲成文八音相比鴻殺防數節奏和平有以養其耳目也至於手之舞足之蹈執其羽籥干鏚之器習其屈伸俯仰綴兆舒疾之文是以容貌得莊行列得正進退得齊心志條暢而血氣和平是有以養其血脈也】古之成材也易今之成材也難
「天下は多少の才有り。只だ道は天下に明らかならざるが為に、だから成就する所有るを得ず。且く古は詩に興り礼に立ち楽に成る。今人は怎生にして会得せん。古人は詩に於いて、今人の歌曲するがごとく、閭巷の童稚と雖も皆其の説を習聞して而も其の義を曉る。だから能く詩に於いて興起す。後世は老師宿儒と雖も尚お其の義を曉る能わず。怎生にして学者を責むるを得ん。是れ詩に於いて興るを得ざるなり。」【古人は詩を歌うに、其の説を習熟して而も其の義を通達す。だから吟諷の間は以て其の善心を感発し其の逸志を懲創するに足れり。】「古礼は既に廃れ、人倫は明らかならず。以て家を治むるに至るまで皆法度無し。是れ礼に於いて立つを得ざるなり。」【礼は人倫を敘し而も家国に施す所以。皆法度有りて以て拠依と為す。だから能く立つ有り。】「古人は歌咏有りて以て其の性情を養い、声音有りて以て其の耳目を養い、舞蹈有りて以て其の血脉を養う。今は皆之無し。是れ楽に於いて成るを得ざるなり。」【歌咏声詩は、温柔篤厚にして、以て其の性情を養う有り。五声は文を成し、八音は相い比し、洪殺度数(底本は「防数」)節奏は和平にして、以て其の耳目を養う有り。手の舞い足の蹈むに至り、其の羽籥干戚の器を執り、其の屈伸俯仰・綴兆舒疾の文を習う。だから容貌は荘を得、行列は正を得、進退は斉を得、心志は条暢にして血気は和平なり。是れ以て其の血脉を養う有り。】「古の材を成すや易く、今の材を成すや難し。」
孔子教人不憤不啟不悱不發葢不待憤悱而發則知之不固待憤悱而後發則沛然矣學者須是深思之思而不得然後為他說便好【朱子曰憤者心求通而未得之意悱者口欲言而未能之貌啟謂開其意發謂達其辭愚謂不待憤悱而遽啟發之則未嘗深思其受之也必淺既無所得其聴之也若亡啟發於憤悱之餘則思深力窮而倐然有得必沛然而通達矣】初學者須是且為他說不然非獨他不曉亦止人好問之心也【此又誘進初學之道】橫渠先生曰恭敬撙節退讓以明禮仁之至也愛道之極也【曲禮曰君子恭敬撙節退讓以明禮鄭氏曰撙猶趨也謂趨就乎節約也恭敬者禮之本撙節退讓禮之文君子從事乎此則視聴言動之間天理流行人慾消盡而心徳全矣是仁之至也恭敬則無慢忽撙節則無驕溢退讓則無怨爭是皆所以盡仁愛之道者也】己不勉明則人無從倡道無從教無從成矣【正防○明謂明禮也人必以禮而倡率道必以禮而宏大教必以禮而成就】
「孔子は人を教うるに、憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず。蓋し憤悱を待たずして発せば則ち之を知ること固からず。憤悱を待ちて而る後に発せば則ち沛然了れり。学者は須く是れ之を深思すべし。思いて而も得ざれば、然る後に他の為に説けば便ち好し。」【朱熹は言う——憤は是れ心が通ぜんことを求めて未だ得ざるの意、悱は是れ口が言わんと欲して未だ能わざるの貌。啓は是れ其の意を開き、発は是れ其の辞を達す。葉采按——憤悱を待たずして遽に之を啓発せば、則ち未だ嘗て深思せず。其の之を受くるや必ず浅し。既に得る所無ければ、其の之を聴くや若く亡し。憤悱の余に於いて啓発せば、則ち思は深く力は窮まりて倏然として得有り。必ず沛然として通達せん。】「初学の者は須く是れ且く他の為に説くべし。然らざれば独り他の曉らざるのみならず、も亦た人の問うを好むの心を止む。」【此れ又た是れ初学を誘進するの道。】横渠先生は言う。「恭敬撙節退譲して以て礼を明らかにするは、是れ仁の至、愛道の極。」【『曲礼』曰く——君子は恭敬撙節退譲して以て礼を明らかにす。鄭氏曰く——撙は猶ほ趨のごとし。是れ節約に趨就するを言う。恭敬は是れ礼の本、撙節退譲は是れ礼の文。君子は此に従事せば、則ち視聴言動の間は天理流行して人欲は消尽して而も心徳は全し。是れ仁の至。恭敬は則ち慢忽無く、撙節は則ち驕溢無く、退譲は則ち怨争無し。皆是れ仁愛の道を尽くす所以。】「己は勉めて明らかならざれば、則ち人は倡うの従無く、道は弘がるの従無く(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)、教は成るの従無し。」【『正蒙』に出る(底本は「正防」)。明は是れ礼を明らかにす。人は必ず礼を以て而も倡率し、道は必ず礼を以て而も宏大し、教は必ず礼を以て而も成就す。】
學記曰進而不顧其安使人不由其誠教人不盡其材【其安其成其材皆謂受教者】人未安之又進之未喻之又告之徒使人生此節目不盡材不顧安不由誠皆是施之妄也【此言進而不顧其安徒使人生此節目葢三患實相因而然皆陵節躐等不當其可而施之也】教人至難必盡人之材乃不誤人觀可及處然後告之聖人之明直若庖丁之解牛皆知其隙刃投餘地無全牛矣【此言教人必盡其材聖人隨材施教各當其可如庖丁解牛洞見間隙無全牛矣事見莊子】人之才足以有為但以其不由於誠則不盡其材若曰勉率而為之則豈有由誠哉【橫渠禮記說下同此言使人不由其誠勉強為之而無誠意雖材所可為者亦不能盡之矣○朱子曰嘗見橫渠簡與人謂其子日來誦書不熟宜教他熟誦盡其誠與材】
「『学記』曰く——進みて而も其の安を顧みず、人をして其の誠に由らしめず、人を教えて其の材を尽くさず。」【其の安・其の誠(底本は「其成」)・其の材は、皆是れ教を受くる者を説く。】「人は未だ之を安んぜずして而も之を進め、未だ之を喻せずして而も之に告ぐ。徒らに人をして此の節目を生ぜしむ。材を尽くさず・安を顧みず・誠に由らずは、皆是れ之を施すこと妄なり。」【此れ是れ進みて而も其の安を顧みず、徒らに人をして此の節目を生ぜしむを説く。蓋し三患は実は相い因りて然り。皆是れ節を陵り等を躐して、其の可に当たらずして而も之を施すなり。】「人を教うるは至難。必ず人の材を尽くせば乃ち人を誤らず。可及する処を観て然る後に之に告ぐ。聖人の明は、直ちに庖丁の牛を解くが若し。皆其の隙を知り、刃は余地に投じ、全牛無し。」【此れ是れ人を教うるに必ず其の材を尽くすを説く。聖人は材に随いて教を施し、各々其の可に当たる。庖丁の牛を解くがごとく、間隙を洞見して全牛無し。事は『荘子』に見る。】「人の才は以て為す有るに足れり。但だ其の誠に由らざるを以てすれば則ち其の材を尽くさず。若し勉率して之を為すと説かば、則ち豈に誠に由る有らん。」【以下同じく横渠の『礼記』説に出る。此れ是れ人をして其の誠に由らしめずを説く——勉強して之を為して而も誠意無ければ、材の為す可き所と雖もも亦た能く之を尽くす能わず。朱熹は言う——曽て横渠の人に与うるの簡を見る。其の子に日来書を誦して熟ならずと謂い、宜しく彼を教えて熟誦せしめ、其の誠と材とを尽くさしむべしと。】
古之小兒便能敬事長者與之提攜則兩手奉長者之手問之掩口而對【說見曲禮○捧手習扶持尊者掩口而對習其鄉尊者屏氣也】葢稍不敬事便不忠信故教小兒且先安詳恭敬【安詳則不躁率恭敬則不誕慢此忠信之本也】
「古の小儿は便ち能く長者に敬事す——之に提携せば則ち両手に長者の手を奉り、之を問えば口を掩いて而も対す。」【説は『曲礼』に見る。手を捧ぐるは是れ尊者を扶持するを習い、口を掩いて対すは是れ其の尊者に向かいて気を屏るを習う。】「蓋し稍や敬事せざれば便ち忠信ならず。だから小儿を教うるは且く先ず安詳恭敬。」【安詳なれば則ち躁率せず、恭敬なれば則ち誕慢せず。此れ是れ忠信の本。】
孟子曰人不足與適也政不足與間也唯大人為能格君心之非非唯君心至於朋遊學者之際彼雖議論異同未欲深較惟整理其心使歸之正豈小補哉【橫渠孟子說】近思録卷十一
「孟子曰く——人は以て適するに足らず、政は以て間するに足らず。惟だ大人は能く君心の非を格つ。非唯だ君心のみ。朋游学者の際に至るまで、彼は議論異同すと雖も、未だ深く較せんと欲せず。惟だ其の心を整理して以て正に帰せしめば、豈に小補ならんや。」【横渠の『孟子』説に出る。】『近思録』巻十一。
欽定四庫全書
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近思録卷十二宋朱子呂祖謙同編
近思録巻十二 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
警戒
警戒
此卷論戒謹之道修己治人常存警省之意不然則私慾易萌善日消而惡日積矣
この巻は戒謹の道を論ず。己を修め人を治むるに常に警省の意を存す。然らざれば則ち私欲は萌え易く、善は日に消えて而も悪は日に積む。
濓溪先生曰仲由喜聞過令名無窮焉今人有過不喜人規如防疾而忌醫寧滅其身而無悟也噫【通書子路有改過遷善之實故令名無窮焉】
濂渓先生は言う。「仲由は過を聞くを喜ぶ。令名は窮り無し。今人は過有りて人の規るを喜ばず。疾を諱みて(底本は「防」)医を忌むがごとく、寧ろ其の身を滅して而も悟る無し。噫。」【『通書』に出る。子路は過を改め善に遷るの実有り。だから令名は窮り無し。】
伊川先生曰徳善日積則福祿日臻徳逾於祿則雖盛而非滿自古隆盛未有不失道而喪敗者也【易傳下同○泰卦九三傳徳勝於祿則所享者雖厚而不為過祿過其徳則所享者雖薄且不能勝況於隆盛乎隆盛之敗喪必自無徳者致之也】
伊川先生は言う。「徳善は日に積めば則ち福禄は日に臻る。徳は禄に逾ゆれば、則ち盛んなりと雖も而も満に非ず。自ら古隆盛は、未だ道を失わずして喪敗せざる有らず。」【以下同じく『易伝』に出る。『泰』卦九三伝。徳は禄に勝てば、則ち享くる所は厚しと雖も而も過と為らず。禄は其の徳に過ぎれば、則ち享くる所は薄しと雖も且つ能く勝たず。況んや隆盛をや。隆盛の敗喪は、必ず徳無き者自り之を致す。】
人之於豫樂心說之故遲遲遂至於耽戀不能已也豫之六二以中正自守其介如石其去之速不俟終日故貞正而吉也【人處豫樂易至耽戀六二中正上又無應特立自守其節之堅介然如石無所轉移也其去之速不俟終日無所耽戀也】處豫不可安且久也久則溺矣如二可謂見幾而作者也蓋中正故其守堅而能辨之早去之速也【惟其自守之堅故能見幾而作】
「人の豫楽に於けるや、心は之を悦び、だから遅遅として、遂に耽恋して已む能わざるに至る。『豫』の六二は中正を以て自ら守る。其の介なること石のごとく、其の之を去ること速やかにして終日を俟たず。だから貞正にして吉。」【人は豫楽に処り、耽恋に至り易し。六二は中正、上は又た應無し。特立して自ら守る。其の節の堅きこと介然として石のごとく、転移する所無し。其の之を去ること速やかにして終日を俟たず、耽恋する所無し。】「豫に処るは安く且つ久しくす可からず。久しければ則ち溺れ了れり。二のごときは、幾を見て而も作ると謂う可し。蓋し中正なり。だから其の守は堅く、能く之を辨ること早く而も之を去ること速し。」【惟だ其の自ら守ることの堅き、だから能く幾を見て而も作る。】
人君致危亡之道非一而以豫為多【豫卦六五傳衰世之君大率以逸豫致危亡可不深戒哉】
「人君が危亡を致すの道は一に非ず。而も豫を以て多しと為す。」【『豫』卦六五伝。衰世の君は大率逸豫を以て危亡を致す。深く戒めざる可からずや。】
聖人為戒必於方盛之時方其盛而不知戒故狃安富則驕侈生樂舒肆則紀綱壊忘禍亂則釁孽萌是以浸淫不知亂之至也【臨卦彖傳驕侈每生於安富之餘綱紀每廢於舒肆之日釁端禍孽每兆於無虞之中故方盛之時實將衰之漸聖人為戒於早則可保其長盛】
「聖人が戒を為すは必ず方に盛んの時に於いてす。其の盛んなるに方りて而も戒を知らざれば、だから安富に狃れれば則ち驕侈生じ、舒肆を楽しめば則ち紀綱壊れ、禍乱を忘れれば則ち釁孽萌ゆ。此に因りて浸淫して乱の至るを知らず。」【『臨』卦彖伝。驕侈は毎に安富の余に生じ、綱紀は毎に舒肆の日に廃れ、釁端禍孽は毎に虞無きの中に兆す。だから方に盛んの時は実は是れ将に衰えんとするの漸。聖人が戒を為すこと早ければ、則ち其の長く盛んなるを保す可し。】
復之六三以隂躁處動之極復之頻數而不能固者也【震下坤上為復三既隂躁又處震動之終其於復善也躁動而不能固守者也】復貴安固頻複頻失不安於復也復善而屢失危之道也【有失而後有復屢復而屢失不當其徳危之道也】聖人開其遷善之道與其復而危其屢失故云厲無咎不可以頻失而戒其復也頻失則為危屢復何咎過在失而不在復也【屢失故危厲屢復故無咎無咎者補過之稱也】劉質夫曰頻復不已遂至迷復【劉絢字質夫程子門人也頻複頻失而不止久則玩溺而不能復必至上九之迷復矣】
「『復』の六三は陰躁を以て動の極に処る。是れ復の頻数にして而も固ならざるなり。」【震下坤上は復と為る。三は既に陰躁、又た震動の終に処る。其の善に復るに於いて、躁動して而も能く固守せず。】「復は安固を貴ぶ。頻りに復り頻りに失うは、是れ復に安んぜざるなり。善に復りて而も屡々失うは、是れ危きの道。」【失う有りて而る後に復る有り。屡々復りて而も屡々失うは、其の徳に当たらず。是れ危きの道。】「聖人は其の善に遷るの道を開き、其の復るに与りて其の屡々失うを危ぶ。だから厲にして咎無しと説く——以て頻りに失いて而も其の復るを戒む可からず。頻りに失えば則ち危と為り、屡々復れば何の咎か有らん。過は失に在りて而も復に在らず。」【屡々失うは危厲する所以、屡々復るは咎無き所以。咎無しは是れ過を補うの称。】劉質夫曰く——「頻りに復りて已まざれば、遂に迷復に至る。」【劉絢は字は質夫、程子の門人。頻りに復り頻りに失いて而も止まざれば、久しければ則ち玩溺して而も能く復らず。必ず上九の迷復に至る。】
伊川先生曰睽極則咈戾而難合剛極則躁暴而不詳明極則過察而多疑聧之上九有六三之正應實不孤而其才性如此自睽孤也【兊下離上為睽上居睽之終是睽之極也以九居上是剛之極也居離之終是明之極也有是一者何往而不睽孤哉雖有正應亦不合矣】如人雖有親黨而多自疑猜妄生乖離雖處骨肉親黨之間而常孤獨也【多自疑猜過明之患也妄生乖離遇剛好睽之致也】
伊川先生は言う。「睽は極まれば則ち咈戾して合し難く、剛は極まれば則ち躁暴して而も詳ならず、明は極まれば則ち察に過ぎて而も疑多し。『睽』の上九は六三の正應有り、実は孤ならず。而も其の才性是のごとし。自ら睽孤す。」【兌下離上は睽と為る。上は睽の終に居り、是れ睽の極。九を以て上に居り、是れ剛の極。離の終に居り、是れ明の極。是の三者有れば、何れに往きて而も睽孤ならざらん。正應有ると雖もも亦た合せず。】「人のごときは親党有ると雖も而も多く自ら疑猜し、妄りに乖離を生じ、骨肉親党の間に処ると雖も而も常に孤獨なり。」【多く自ら疑猜するは是れ明に過ぐるの患、妄りに乖離を生ずるは是れ剛に遇い睽を好むの致。】
解之六三曰負且乘致寇至貞吝伊川易傳曰小人而竊盛位雖勉為正事而氣質卑下本非在上之物終可吝也【負者小人之事也乘者君子之器也故為小人竊盛位之象勉為正事者貞也然而隂柔卑下之質冒居內卦之上非其所安是以吝也】若能大正則如何曰大正非隂柔所能也若能之則是化為君子矣
『解』の六三曰く——「負う且つ乘る。寇を致す至らしむ。貞にして吝。」伊川『易伝』曰く——「小人にして盛位を竊むは、勉めて正事を為すと雖も、而も気質は卑下、本より上に在るの物に非ず。終に吝る可し。【負は是れ小人の事、乘は是れ君子の器。だから小人が盛位を竊むの象と為る。勉めて正事を為すは是れ貞。然る而も陰柔卑下の質は内卦の上に冒居し、其の安んずる所に非ず。だから吝。】若し能く大いに正しければ則ち如何。曰く——大いに正すは陰柔の能くする所に非ず。若し能く之なれば、則ち是れ化して君子と為り了れり。」
益之上九曰莫益之或擊之伊川易傳曰理者天下之至公利者眾人所同欲苟公其心不失其正理則與眾同利無侵於人人亦欲與之若切於好利蔽於自私求自益以損於人則人亦與之力爭故莫肯益之而有擊奪之者矣【在上者推至公之理而與眾同其利則眾亦與之同其利苟懐自私之心而惟利己則人亦各欲利其己而奪其所利矣益之上九人莫益之而或擊之者以其求益之過也】
『益』の上九曰く——「之を益す莫く、或いは之を撃つ。」伊川『易伝』曰く——「理は是れ天下の至公、利は是れ衆人の同じく欲する所。苟くも其の心を公にして其の正理を失わざれば、則ち衆と利を同じくし、人に侵す無し。人も亦た之に与らんと欲す。若し利を好むに切く・自私に蔽えば、自ら益せんことを求めて以て人に損せば、則ち人も亦た之と力を争う。だから肯んぞ之を益して而も撃奪する者有る莫し。」【上に在る者は至公の理を推して而も衆と其の利を同じくすれば、則ち衆も亦た之と其の利を同じくす。苟くも自私の心を懐きて而も惟だ己を利すれば、則ち人は各々其の己を利して而も其の利する所を奪わんと欲す。『益』の上九は人之を益す莫くして而も或いは之を撃つは、其の益を求むるの過を以てす。】
艮之九三曰艮其限列其夤厲薰心伊川易傳曰夫止道貴乎得宜行止不能以時而定於一其堅強如此則處世乖戾與物睽絶其危甚矣【限界分也列絶也夤膂肉也亦一身上下之限也三居內卦之上實內外之分故取象皆為限止之義所貴於止者謂各得所宜止而無過與不及也不度時中而一於限止焉堅執強忍如此則違世絶物危厲甚矣】人之固止一隅而舉世莫與宜者則艱蹇忿畏焚撓其中豈有安裕之理厲薰心謂不安之勢薰爍其中也
『艮』の九三曰く——「其の限を艮し、其の夤を列す。厲にして心を薰す。」伊川『易伝』曰く——「夫れ止の道は宜を得るを貴ぶ。行止は時を以て定めて一にする能わず。其の堅強此のごとくなれば、則ち世に処りて乖戾し、物と睽絶す。其の危は甚だし。【限は是れ界分、列は是れ絶、夤は是れ膂肉。も亦た一身の上下の限。三は内卦の上に居り、実は是れ内外の分。だから象を取るに皆限止の義と為る。止に貴ぶ所は、是れ各々其の宜を得、止まりて而も過と不及無きを説く。時中を度らずして而も限止に一にすれば、堅執強忍此のごとく、則ち世に違い物を絶つ。危厲は甚だし。】人の固く一隅に止まりて而も举世も与に宜しき無きは、則ち艱蹇忿畏は其の中を焚撓す。豈に安裕の理有らん。厲にして心を薰すとは、是れ安からざるの勢は其の中を薰爍すを説く。」
大率以說而動安有不失正者【歸妹彖傳兊下震上為歸妹兊說也震動也心有所好樂則不得其正況從欲而忘返者耶】
「大率そ説を以て動くは、安く有りて其の正を失わざる有らん。」【『帰妹』彖伝。兌下震上は帰妹と為る。兌は是れ説、震は是れ動。心は好楽する所有れば則ち其の正を得ず。況んや欲に従いて而も返るを忘るるをや。】
男女有尊卑之序夫婦有倡隨之理此常理也若徇情肆欲惟說是動男牽欲而失其剛婦狃說而忘其順則兇而無所利矣【同上震長男兊少女以說而動則徇情肆欲必且失其常理而致兇矣】雖舜之聖且畏巧言令色說之惑人易入而可懼也如此【兊卦六五傳巧言者工佞之言令色者善柔之色皆務以恱人也人心喜順惡逆故巧言令色易以惑人凡說之道皆然不可不戒也】
「男女は尊卑の序有り、夫婦は倡随の理有り。此れ是れ常理。若し情に徇い欲を肆にし、惟だ説を以て動かば、男は欲に牽かれて其の剛を失い、婦は説に狃れて其の順を忘る。則ち凶にして而も利する所無し。」【同じく上。震は是れ長男、兌は是れ少女。説を以て動けば則ち情に徇い欲を肆にす。必ず且つ其の常理を失いて而も凶を致さん。】「舜の聖と雖も且つ巧言令色を畏る——説の人を惑わすは入り易くして而も懼る可き、此のごとし。」【『兌』卦六五伝。巧言は是れ工佞の言、令色は是れ善柔の色。皆務めて以て人を悦ばす。人心は順を喜び逆を悪む。だから巧言令色は以て人を惑わし易し。凡そ説の道は皆然り。戒めざる可からず。】
治水天下之大任也非其至公之心能捨己從人盡天下之議則不能成其功豈方命圯族者所能乎【方不順也命天理也圯族敗類也夫任天下之大事者非一人之私智所能集要必合天下之謀而後可也苟上不順乎天理下不依乎群情恃其才智任己而行烏能有濟】鯀雖九年而功弗成然其所治固非他人所及也惟其功有敘故其自任益強咈戾圯類益甚公議隔而人心離矣是其惡益顯而其功卒不可成也【經說下同公議隔而得失莫聞人心離而事業莫與共之者矣】
「水を治むるは是れ天下の大任。其の至公の心に非ざれば、能く己を舎て人に従い、天下の議を尽くさば、則ち其の功を成す能わず。豈に命を方り族を圮る者の能くする所。」【方は是れ順わず、命は是れ天理、圮族は是れ敗類。夫れ天下の大事を任ずるは、一人の私智の能く集むる所に非ず。要して必ず天下の謀を合して而る後に可なり。苟くも上は天理に順わず・下は群情に依らず、其の才智を恃みて己を任せて行わば、怎んぞ能く済あらん。】「鯀は九年と雖も而も功は成らず。然る而も其の治むる所は固より他人の及ぶ所に非ず。惟だ其の功に叙有り。だから其の自ら任ずるは益々強く、咈戾し類を圮るは益々甚だしく、公議は隔たりて人心は離れり。是れ其の悪は益々顕れて而も其の功は卒に成る可からず。」【以下同じく『経説』に出る。公議隔たれば則ち得失は聞こえず、人心離れれば則ち事業は之と共にする莫し。】
君子敬以直內微生高所枉雖小而害直則大【子曰孰謂微生高直或乞醯焉乞諸其隣而與之微生姓高名君子敬以直內不容有一毫之邪枉所謂直也微生高以無為有曲意徇人蓋邪枉之態不能掩者事雖微所以害於直者甚大故聖人因以立教】
「君子は敬して以て内を直くす。微生高の枉げる所は小なりと雖も、而も直を害すれば則ち大なり。」【孔子曰く——孰れか微生高を直と謂わん。或いは醯を乞う。其の鄰に乞い乞いて而も之に与う。微生は姓、高は名。君子は敬して以て内を直くす。一毫の邪枉を容れず。いわゆる直。微生高は無きを以て有と為し、意を曲げて人に徇う。蓋し邪枉の態は掩う能わざる者。事は微なりと雖も、だから直に害する者は甚だ大なり。だから聖人は因りて以て教を立つ。】
人有欲則無剛剛則不屈於欲【謝上蔡曰剛與欲正相反能勝物之謂剛故常伸於萬物之上為物掩之謂欲故常屈於萬物之下】
「人は欲有れば則ち剛無し。剛は則ち欲に屈せず。」【謝上蔡曰く——剛と欲とは正しく相反る。能く物に勝つを剛と叫ぶ。だから常に万物の上に伸ぶ。物の為に掩わるを欲と叫ぶ。だから常に万物の下に屈す。】
人之過也各於其類君子常失於厚小人常失於薄君子過於愛小人傷於忍【君子小人之分在於仁與不仁而已故仁者之過常在於厚與愛不仁者之過常在於薄與忍】
「人の過や各々其の類に於いてす——君子は常に厚に失い、小人は常に薄に失う。君子は愛に過ぎ、小人は忍に傷る。」【君子小人の分は仁と不仁とに在るのみ。だから仁者の過は常に厚と愛とに在り、不仁者の過は常に薄と忍とに在り。】
明道先生曰富貴驕人固不善學問驕人害亦不細【遺書下同○君子之學為己而已以學問驕人非特其學為務外而傲惰敗徳學亦不進矣】
明道先生は言う。「富貴は人に驕るは固然として善からず。学問は人に驕るは害も亦た細ならず。」【以下同じく『遺書』に出る。君子の学は己が為のみ。学問を以て人に驕るは、特に其の学の外を務むるのみならず、而も且つ傲惰は徳を敗り、学も亦た進まず。】
人以料事為明便駸駸入逆詐億不信去也【子曰不逆詐不億不信朱子曰逆未至而迎之也億未見而意之也愚謂事而無情曰詐言而無實曰不信詐者巧而不信者誕也揚子云謂匿行曰詐易言曰誕是也若事未顯而逆料臆度之則自流於巧而惑於疑未必得事之情實矣人以料事為明者必至於是周子曰謂能疑為明何啻千里】
「人は事を料るを以て明と為せば、便ち駸駸として逆詐億不信に入り去る。」【孔子曰く——詐を逆せず、不信を億ねず。朱熹は言う——逆は是れ未だ至らずして之を迎え、億は是れ未だ見ずして之を意る。葉采按——事にして情無きを詐と叫び、言にして実無きを不信と叫ぶ。詐は巧み、不信は誕。揚子雲は行を匿むを詐と曰い、言を易くするを誕と曰う。就きて是なり。若し事未だ顕れずして而も之を逆料臆度せば、則ち自ら巧みに流れて而も疑に惑う。未だ必ずしも事の情実を得ず。人は事を料るを以て明と為すは必ず是に至る。周子曰く——能く疑うを明と謂うは、何ぞ啻に千里ならん。】
人於外物奉身者事事要好只有自家一個身與心卻不要好苟得外面物好時卻不知道自家身與心卻巳先不好了也【所謂以小害大賤害貴者也】
「人は外物に於いて身に奉ずる者は事事好きを要す。只有り自家の一箇の身と心とは却って好きを要せず。苟くも外面の物が好きを得れば、而も自家の身と心とは已に先ず好からずと知らず。」【いわゆる小を以て大を害し、賤を以て貴を害す。】
人於天理昏者是隻為嗜慾亂著他莊子言其嗜慾深者其天機淺此言卻最是【嗜慾多則志亂氣昏而天理微矣二者常相為消長】伊川先生曰閱機事之久機心必生葢方其閱時心必喜既喜則如種下種子【荘子曰有機械者必有機事有機事者必有機心】疑病者未有事至時先有疑端在心周羅事者先有周事之端在心皆病也【周羅俚語猶兜攬也事未至而有好疑喜事之端則事至之時有不當疑而疑不當攬而攬者矣故治心者必去其端】
「人の天理に昏きは、只だ嗜欲の為に之を乱るが為のみ。荘子は其の嗜欲深き者は其の天机浅しと言う。此の言は却って最も是なり。」【嗜欲多ければ則ち志乱れ気昏くして天理微なり。二者は常に相い消長を為す。】伊川先生は言う。「機事を閲すること久しければ、機心は必ず生ず。蓋し其の閲する時に方りて心は必ず喜ぶ。既に喜べば則ち種子を種くがごとし。」【荘子曰く——機械有る者は必ず機事有り、機事有る者は必ず機心有り。】「病を疑う者は未だ事至らざる時に先ず疑端は心に在り、事を周羅する者は先ず事を周するの端は心に在り。皆是れ病。」【周羅は是れ俚語。猶ほ兜攬のごとし。事未だ至らずして而も疑い事を好むの端有れば、則ち事の至るの時は疑うべからざるに而も疑い、攬るべからざるに而も攬る有り。だから心を治むる者は必ず其の端を去る。】
較事大小其弊為枉尺直尋之病【事無大小惟理是視或者有苟成急就之意謂道雖少屈而所伸者大義雖微害而所利者博則有冒而為之者原其初心止於權大小遂至枉尺直尋其末流之弊乃有不可勝言矣】
「事の大小を較ぶるは、其の弊は尺を枉げ尋を直くするの病と為る。」【事は大小無し。惟だ理を是れ視る。或いは苟くも成し急ぎ就くの意有りて、道は少しく屈すと雖も而も伸べる所は大、義は微かに害すと雖も而も利する所は博と謂えば、則ち冒して之を為す有り。其の初心を原むれば只だ大小を権るに止まる。遂に尺を枉げ尋を直くするに至る。其の末流の弊は乃ち言うに勝えざる有り。】
小人小丈夫不合小了他本不是惡【性無不善而局於氣質汩於利慾者自小之耳】
「小人・小丈夫は、合して他を小さくせず。本より悪に非ず。」【性は善ならざる無し。而も気質に局り・利欲に汩るは、自ら之を小さくするのみ。】
雖公天下事若用私意為之便是私【事出於公而以私意為之即是私也故學者以正心為本論人者必察其心不徒考其事】
「天下の事を公にすと雖も、若し私意を用いて之を為せば便ち是れ私。」【事は公に出でて而も私意を以て之を為せば、就きて是れ私。だから学者は心を正くするを以て本と為し、人を論ずる者は必ず其の心を察し、徒らに其の事を考えず。】
做官奪人志【仕而志於富貴者固不必言或馳騖乎是非予奪之境而此志動於喜怒愛惡之私或經營於建功立業之間而此志防於計度區畫之巧徳未成而從政者未有不奪其志學者所當深省也】驕是氣盈吝是氣歉人若吝時於財上亦不足於事上亦不足凡百事皆不足必有歉歉之色【驕矜誇吝鄙嗇也驕氣盈者常覺其有餘吝氣歉者常覺其不足惟君子所志者道故無時而盈亦無所不足】
「官を為るは人の志を奪う。」【仕えて富貴に志すは固より言うに足らず。或いは是非予奪の境に馳騖して、而も此の志は喜怒愛悪の私に動き、或いは功を建て業を立つの間に経営して、而も此の志は計度区画の巧に陥る(底本は「防」)。徳未だ成らずして而も政に従うは、未だ其の志を奪わざる有らず。学者の当に深く省るべき所。】「驕は是れ気の盈、吝は是れ気の歉。人は若し吝なる時は、財の上に於いても亦た足らず、事の上に於いても亦た足らず。凡そ百の事は皆足らず。必ず歉歉の色有り。」【驕は是れ矜夸、吝は是れ鄙嗇。驕の気盈る者は常に其の余有りを覚え、吝の気歉く者は常に其の足らざるを覚う。惟だ君子は志す所は道。だから時に盈る無く、も亦た足らざる所無し。】
未知道者如醉人方其醉時無所不至及其醒也莫不愧恥人之未知學者自視以為無缺及既知學反思前日所為則駭且懼矣
「未だ道を知らざる者は醉人のごとし——其の醉う時に方りて至らざる所無し。其の醒むるに及びて莫れ愧恥せざる無し。人の未だ学を知らざるは、自ら視て以て缺無しと為す。既に学を知るに及びて、前日の為す所を反思せば、則ち駭き且つ懼れ了れり。」
邢恕雲一日三防檢明道曰可哀也哉其餘時理會甚事葢仿三省之說錯了可見不曾用功又多逐人面上說一般話明道責之邢曰無可說明道曰無可說便不得不說【曾子三省謂日以三事自省邢仿其言乃雲一日三次防檢】
邢恕曰く——「一日に三たび防検す。」明道曰く——「哀む可きかな。其の余の時は甚の事を理会せん。」蓋し三省の説を仿うて錯えり。以て曽て功を用いざるを見る可し。又た多く人の面上に逐い一般の話を説く。明道は之を責む。邢曰く——「説く可き無し。」明道曰く——「説く可き無ければ便ち説かざるを得ず。」【曽子の三省は是れ日に三事を以て自ら省る。邢は其の言を仿い、乃ち一日に三次防検すと説く。】
橫渠先生曰學者舍禮義則飽食終日無所猷為與下民一致所事不逾衣食之間燕逰之樂耳【正防】
横渠先生は言う。「学者は礼義を舎てば、則ち飽食終日して猷為する所無く、下民と一致し、事る所は衣食の間・燕游の楽を逾えざるのみ。」【『正蒙』に出る(底本は「正防」)。】
鄭衛之音悲哀令人意思留連又生怠惰之意從而致驕淫之心雖珍玩竒貨其始惑人也亦不如是切從而生無限嗜好故孔子曰必放之亦是聖人經歴過但聖人能不為物所移耳【橫渠禮樂說】
「鄭衛の音は悲哀。人の意思をして留連せしめ、又た怠惰の意を生じ、従いて驕淫の心を致す。珍玩奇貨と雖も、其の始め人を惑わすやも亦た是のごとく切ならず。従いて無限の嗜好を生ず。だから孔子は必ず之を放つと説く。も亦た聖人は経歴する所有り。但だ聖人は能く物の為に移されざるのみ。」【横渠の『礼楽説』に出る。】
孟子言反經特於鄉原之後者以鄉原大者不先立心中初無主惟是左右看順人情不欲違一生如此【橫渠孟子說經常也古今不易之常道也是是非非必有定理而好善惡惡必有定見今鄉原浮沈俯仰無所可否葢其義理不立中無所主惟務恱人以是終身乃亂常之尤者君子反經復其常道則是非昭然而鄉原偽言偽行不得以惑之矣】
「孟子は経に反るを言う。特に郷原の後に於いてするは、郷原の大なる者が先ず立たざるを以てす。心中は初めより主無し。惟だ是れ左右を看て人情に順い、違えんと欲せず。一生此のごとし。」【横渠の『孟子』説に出る。経は是れ常。古今易わらざるの常道。是を是とし非を非とするは必ず定理有り、而も善を好み悪を悪むは必ず定見有り。今郷原は浮沈俯仰して可否する所無し。蓋し其の義理は立たず中に主無し。惟だ人を悦ばすを務め、是を以て身を終う。乃ち常を乱るの尤なる者。君子は経に反り其の常道を復すれば、則ち是非は昭然として、而も郷原の偽言偽行は以て之を惑わすを得ず。】
近思録卷十二
近思録巻十二
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思録卷十三宋朱子呂祖謙同編
近思録巻十三 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
辨別異端【凡十四條】
異端を辨別す【凡そ十四条】
此卷辨異端葢君子之學雖已至然異端之辨尤不可以不明苟於此有毫釐之未辨則貽害於人心者甚矣
この巻は異端を辨ず。蓋し君子の学は已に至ると雖も、然る而も異端の辨は尤も明らかならざる可からず。苟くも此に於いて毫厘の未だ辨ぜざる有れば、則ち人心に害を貽す者は甚だし。
明道先生曰楊墨之害甚於申韓佛老之害甚於楊墨【楊朱墨翟詳見孟子申不害者鄭人以刑名幹韓昭侯昭侯用以為相韓非韓之諸公子善刑名法術之學佛者本西域之人為寂滅之學自漢以來其說始入中國老者周柱下史老耼也其書論清浄無為之道】楊氏為我疑於仁墨氏兼愛疑於義申韓則淺陋易見故孟子只闢楊墨為其惑世之甚也【楊氏為我可謂自私而不仁矣然而猶疑似於無慾之仁墨氏兼愛可謂氾濫而無義矣然猶疑似於無私之義故足以惑人也若申韓之刑名功利淺陋而易見故孟子但闢楊墨恐其為人心之害而申韓不足闢也】佛老其言近理又非楊墨之比此所以為害尤甚楊墨之害亦經孟子闢之所以廓如也【遺書下同佛氏言心性老氏談道徳皆近於理又非楊墨之比故其為人心之害尤甚揚子云曰古者楊墨塞路孟子辭而闢之廓如也朱子曰楊朱即老耼弟子孟子闢楊墨則老莊在其中矣】
明道先生は言う。「楊墨の害は申韓より甚だしく、仏老の害は楊墨より甚だし。」【楊朱・墨翟は詳しく孟子に見る。申不害は是れ鄭人。刑名を以て韓の昭侯に干ゆ。昭侯は之を用いて以て相と為す。韓非は是れ韓の諸公子。刑名法術の学を善くす。仏は本より西域の人。寂滅の学を為す。漢自り来たりて其の説は始めて中国に入る。老は是れ周の柱下史老聃。其の書は清浄無為の道を論ず。】「楊氏は我が為にして仁に疑い、墨氏は兼愛にして義に疑い、申韓は則ち浅陋にして見易し。だから孟子は只だ楊墨を辟く。其の世を惑わすことの甚だしきが為。」【楊氏の我が為は自ら私して不仁と謂う可し。然る而も猶ほ欲無きの仁に疑似す。墨氏の兼愛は泛濫して義無しと謂う可し。然る而も猶ほ私無きの義に疑似す。だから以て人を惑わすに足れり。若し申韓の刑名功利は浅陋にして而も見易し。だから孟子は但だ楊墨を辟き、其の人心の害と為るを恐る。而も申韓は辟くに足らず。】「仏老は其の言は理に近く、又た楊墨の比に非ず。此れ害と為ること尤も甚だしき所以。楊墨の害も亦た孟子の之を辟くを経て、だから廓如なり。」【以下同じく『遺書』に出る。仏氏は心性を言い、老氏は道徳を談ず。皆理に近し。又た楊墨の比に非ず。だから其の人心の害と為るは尤も甚だし。揚子雲曰く——古は楊墨は路を塞ぐ。孟子は辞して之を辟き、廓如なり。朱熹は言う——楊朱は即ち老聃の弟子。孟子は楊墨を辟けば、則ち老荘は其の中に在り了れり。】
伊川先生曰儒者潛心正道不容有差其始甚微其終則不可救如師也過商也不及於聖人中道師只是過於厚些商只是不及些然而厚則漸至於兼愛不及則便至於為我其過不及同出於儒者其末遂至楊墨至於楊墨亦未至於無父無君孟子推之便至於此葢其差必至於是也【師子張名商子夏名子張才高意廣泛愛兼容故常過乎中子夏篤信自守規模謹宻故常不及乎中二子於道亦未逺也然師之過其流必至於墨氏之兼愛子夏之不及其後傳田子方子方之後為莊周是楊氏為我之學也孟氏推楊墨之極致則兼愛者至於無父葢愛其父亦同於路人是無父也為我者至於無君葢自私其身而不知有上下是無君也】
伊川先生は言う。「儒者は正道に心を潜め、差有るを容れず。其の始は甚だ微なり。其の終は則ち救う可からず。師も亦た過ぎ、商も亦た及ばざるがごとき、聖人の中道に於いて——師は只だ是れ厚きに過ぐる些、商は只だ是れ及ばざる些。然る而も厚ければ則ち漸く兼愛に至り、及ばざれば則ち便ち我が為に至る。其の過不及は同じく儒者に出づ。其の末は遂に楊墨に至る。楊墨に至るも亦た未だ父無く君無きに至らず。孟子は之を推して便ち此に至る。蓋し其の差は必ず是に至る。」【師は是れ子張の名、商は是れ子夏の名。子張は才高く意広く、汎愛兼容す。だから常に中に過ぐ。子夏は篤信自守し、規模は謹密。だから常に中に及ばず。二子は道に於いても亦た遠からず。然る而も師の過は其の流は必ず墨氏の兼愛に至る。子夏の及ばざるは、其の後は田子方に伝え、子方の後は荘周と為る。是れ楊氏の我が為の学。孟氏は楊墨の極致を推せば、則ち兼愛する者は父無きに至る——蓋し其の父を愛するも亦た路人に同じ。是れ父無し。我が為にする者は君無きに至る——蓋し其の身を自ら私して而も上下有るを知らず。是れ君無し。】
明道先生曰道之外無物物之外無道是天地之間無適而非道也即父子而父子在所親即君臣而君臣在所嚴以至為夫婦為長幼為朋友無所為而非道此道所以不可須臾離也然則毀人倫去四大者其外於道也逺矣【物由道而形故道外無物道以物而具故物外無道人於天地間不能違物而獨立故無適而非道也今釋氏乃毀棄人倫滅絶四大其戾於道逺矣釋氏以地水火風為四大謂四大幻假而成人身寂滅幻根防除一切】故君子之於天下也無適也無莫也義之與比若有適有莫則於道為有間非天地之全也【適可也莫不可也比從也君子之於天下無可無不可惟義之從也今釋氏可以寂滅無為而不可以察理應事必欲防除外相始見法性非天地本然全體之性矣】彼釋氏之學於敬以直內則有之矣義以方外則未之有也【釋氏習定欲得此心收斂虛靜亦若所謂敬以直內然有體而無用絶滅倫理何有於義】故滯固者入於枯槁疏通者歸於恣肆此佛之教所以為隘也吾道則不然率性而已斯理也聖人於易備言之【釋氏離器以為道故於日用事物之間或拘或肆皆為之病名為大自在而實則隘陋而一毫不容也若吾儒率性之道動靜各正既不病於拘亦不至於肆聖人贊易所謂知至至之可與幾也知終終之可與存義也敬以直內義以方外時止則止時行則行動靜不失其時體用本末備言之矣】又曰佛有一個覺之理可以敬以直內矣然無義以方外其直內者要之其本亦不是【佛學禪者覺也覺者心無倚著靈覺不昧所謂常惺惺法若可敬以直內矣然而無制事之義則其所謂覺者猶無寸之尺無心之兩其直內之本亦非矣】釋氏本怖死生為利豈是公道【釋氏謂有生必有滅故有輪廻今求不生不滅之理可免輪廻之苦此本出於利己之私意也】惟務上達而無下學然則其上達處豈有是也元不相連屬但有間防非道也【絶學而求頓悟故無下學工夫道器本不相離合舍物以明理泯跡以求心豈知道者哉】孟子曰盡其心者知其性也彼所謂識心見性是也若存心養性一段事則無矣【朱子曰釋氏恍惚之間略見得心性影子都不見裡面許多道理就使有存養之功亦只存養得他所見影子終不分明】彼固曰出家獨善便於道體自不足【道本人倫今曰出家則於道體虧欠大矣】或曰釋氏地獄之類皆是為下根之人設此怖令為善先生曰至誠貫天地人尚有不化豈有立偽教而人可化乎
明道先生は言う。「道の外は物無く、物の外は道無し。是れ天地の間は適く所にして道に非ざる無し。父子に即けば而も父子は親しむ所に在り、君臣に即けば而も君臣は厳ぐる所に在る。以て夫婦と為り長幼と為り朋友と為るに至るまで、為す所にして道に非ざる無し。此の道は須臾も離る可からざる所以。然らば則ち人倫を毀り四大を去る者は、其の道に外るや遠し。」【物は道に由りて形す。だから道の外は物無し。道は物を以て具わる。だから物の外は道無し。人は天地の間に於いて物に違いて独立する能わず。だから適く所にして道に非ざる無し。今釈氏は乃ち人倫を毀棄し四大を滅絶す。其の道に戾るや遠し。釈氏は地水火風を以て四大と為し、四大は幻假にして人身を成すと謂い、寂滅は幻根、一切を尽く除す(底本は「防除」)。】「故に君子の天下に於けるや、適無く、莫無く、義の与に比す。若し適有り莫有れば、則ち道に於いて間有りと為る。天地の全に非ず。」【適は是れ可、莫は是れ不可、比は是れ従。君子の天下に於けるは可無く不可無し。惟だ義の従。今釈氏は以て寂滅無為す可くして而も以て理を察し事に應ずる可からず。必ず外相を尽く除して(底本は「防除」)始めて法性を見んと欲す。天地本然全体の性に非ず。】「彼の釈氏の学は、敬して以て内を直くするに於いては則ち之有り。義して以て外を方くするは則ち未だ之を有せず。」【釈氏は定を習い、此の心の収斂虚静なるを得んと欲す。も亦たいわゆる敬して以て内を直くするが若し。然る而も体有りて而も用無く、倫理を滅絶す。何ぞ義に於いて有らん。】「だから滞固する者は枯槁に入り、疏通する者は恣肆に帰す。此れ仏の教の隘と為る所以。吾が道は則ち然らず。性に率うのみ。斯の理や、聖人は『易』に於いて備えに之を言う。」【釈氏は器を離れて以て道と為す。だから日用事物の間に於いて或いは拘り或いは肆にす。皆之が為の病。名づけて大自在と為すも而も実は則ち隘陋にして而も一毫も容れず。若し吾が儒の性に率うの道は、動静は各々正し。既に拘に病まず、も亦た肆に至らず。聖人が『易』を賛する所、いわゆる至るを知りて之に至るは与に幾す可く、終るを知りて之を終るは与に義を存す可く、敬して以て内を直くし義して以て外を方くし、時に止まれば則ち止まり時に行けば則ち行き、動静は其の時を失わず。体用本末は備えに之を言う。】又た曰く——「仏は一箇の覚の理有り。以て敬して内を直くす可し。然る而も義して以て外を方くする無し。其の内を直くする者は、之を要するに其の本も亦た是ならず。」【仏学は、禅は是れ覚。覚は是れ心は倚着無く・霊覚は昧らず。いわゆる常惺惺法。若し敬して以て内を直くす可きなれども、然る而も事を制するの義無ければ、則ち其のいわゆる覚なる者は猶ほ寸無きの尺・星無きの秤のごとし。其の内を直くするの本も亦た是ならず。】「釈氏は本より死生を怖れて利を為す。豈に是れ公道ならん。」【釈氏は生有れば必ず滅有りと謂う。だから輪廻有り。今生まず滅せざるの理を求めて輪廻の苦を免る可し。此れ本より己を利するの私意に出づ。】「惟だ上達を務めて而も下学無し。然らば則ち其の上達する処は豈に是れ有らん。元より相い連属せず。但だ間断有り(底本は「間防」)。道に非ず。」【学を絶ちて頓悟を求む。だから下学の工夫無し。道器は本より相い離れず。今物を舎てて以て理を明らかにし、跡を泯して以て心を求む。豈に道を知る者ならん。】「孟子曰く——其の心を尽くす者は其の性を知るなり。彼のいわゆる心を識り性を見るは是なり。若し心を存し性を養うの一段の事は則ち了れて無し。」【朱熹は言う——釈氏は恍惚の間に略ほ心性の影子を見るのみ。皆其の裏面の許多の道理を見ず。就きて存養の功有るを使すとも、も亦た只だ其の見る所の影子を存養するのみ。終に分明ならず。】「彼は固より出家独善を説出す。道体に於いて自ら足らざる便り。」【道は本より人倫。今出家を説けば、則ち道体に於いて欠けること大なり。】或いは説く——釈氏の地獄の類は、皆是れ下根の人の為に此の怖を設けて善を為さしむ。先生曰く——「至誠は天地を貫く。人は尚お化せざる有り。豈に偽教を立てて而も人は化す可けん。」
學者於釋氏之說直須如淫聲美色以逺之不爾則駸駸然入於其中矣顔淵問為邦孔子旣告之以二帝三王之事而復戒以放鄭聲逺佞人曰鄭聲淫佞人殆彼佞人者是他一邉佞耳然而於已則危只是能使人移故危也至於禹之言曰何畏乎巧言令色直消言畏只是須著如此戒慎猶恐不免釋氏之學更不消言常戒到自家自信後便不能亂得【初學立心未定必屏逺異端之說信道旣篤乃可考辨其失】
「学者は釈氏の説に於いて、直に須く淫声美色のごとくして以て之を遠ざくべし。爾らざれば則ち駸駸然として其の中に入り了れり。顔淵は邦を為すを問う。孔子は既に之に告ぐるに二帝三王の事を以てし、而も復た戒むるに鄭声を放ち佞人を遠ざくるを以てし、鄭声は淫・佞人は殆しと説く。彼の佞人なる者は、是れ他の一辺佞なるのみ。然る而も己に於いては則ち危し。只だ是れ能く人をして移さしむ。だから危し。禹の言の曰く何ぞ巧言令色を畏れんやに至るまで、直ちに畏を言うを消す。只だ是れ須く此のごとく戒慎するを著すべし。猶ほ免れざるを恐る。釈氏の学は更に常に戒むを言うを消せず。自家の自信する後に到れば便ち能く乱るを得ず。」【初学は心を立つること未だ定まらず。必ず異端の説を屏遠すべし。道を信ずること既に篤ければ、才だ其の失を考辨す可し。】
所以謂萬物一體者皆有此理只為從那裡來生生之謂易生則一時生皆完此理人則能推物則氣昏推不得不可道他物不與有也【天地之理流行化生人之與物均有是生則亦均具是理所謂萬物一體也然人所稟之氣通故能推物所稟之氣塞故不能推】人只為自私將自家軀殻上頭起意故看得道理小了他底放這身來都在萬物中一例看大小大快活【人知萬物一體之理不為私己之見自然與物各得其所】釋氏以不知此去他身上起意思奈何那身不得故卻厭惡要得去盡根塵為心源不定故要得如枯木死灰然沒此理要有此理除是死也【釋氏惟不知萬物一體順理而行本無障礙顧乃自生私見為吾身不能不交於物也遂欲盡去根塵空諸所有佛書以耳舌口鼻身意為六根以色聲香味觸法為六塵其說為幻塵滅故幻根亦滅幻根滅故幻心亦滅然心本生道有體則有用豈容絶滅哉】釋氏其實是愛身放不得故說許多譬如蝜蝂之蟲已載不起猶自更取物在身又如抱石投河以其重愈沈終不道放下石頭惟嫌重也【原釋氏之初本是愛己妄生計較欲世離生死而不知去私己之念本無事也】
「万物一体と謂う所以の者は、皆此の理有り。只だ彼の里自り来たるが為のみ。生々は之を易と謂う。生ずれば則ち一時に生じ、皆此の理を完くす。人は則ち能く推す。物は則ち気昏くして推すを得ず。他物は与に有らずと道う可からず。」【天地の理は流行化生す。人の物と与に均しく是の生有れば、則ちも亦た均しく是の理を具う。いわゆる万物一体。然る而も人の禀くる所の気は通ず。だから能く推す。物の禀くる所の気は塞る。だから能く推す能わず。】「人は只だ自ら私するが為に、自家の軀殻の上頭より意を起す。だから道理を小さく看る。他の底は此の身を放ち来たりて皆万物の中に在りて一例に看る。大小は大いに快活。」【人は万物一体の理を知り、私己の見を為さざれば、自然に物と各々其の所を得。】「釈氏は此を知らざるを以て、他の身の上に意思を起す。彼の身を奈何ともするを得ず。だから却って厭悪し、根塵を尽く去らんことを要す。心源は定まらざるが為に、だから枯木死灰のごとくならんことを要す。然る而も此の理は没す。此の理有らんと要せば、是れ死を除く。」【釈氏は惟だ万物一体・理に順い而も行えば本より障礙無きを知らず。顧みて乃ち自ら私見を生ず——吾が身は物と交わらざる能わざるが為に、遂に根塵を尽く去り諸の所有を空しくせんと欲す。仏書は耳舌口鼻身意を以て六根と為し、色声香味触法を以て六塵と為す。其の説は幻塵滅するが故に幻根も亦た滅し、幻根滅するが故に幻心も亦た滅すと為す。然る而も心は本より道を生ず。体有れば則ち用有り。豈に滅絶を容れん。】「釈氏は実は是れ身を愛して放つを得ず。だから許多を説く。譬如ば重きを負うの虫は已に載せ起こさず、猶ほ自ら更に物を身に取るがごとく、又た石を抱きて河に投ずるがごとし。其の重きを以て愈々沈む。終に石頭を放下すと道わず。惟だ重きを嫌う。」【釈氏の初を原むれば本より是れ己を愛す。妄りに計較を生じ、生死を脱離せんと欲して、而も私己の念を去れば本より事無きを知らず。】
人有語導氣者問先生曰君亦有術乎明道曰吾嘗夏葛而冬裘飢食而渴飲節嗜慾定心氣如斯而已矣【聖賢養生順理窒慾而已豈若偏曲之士為長生久視之術哉】
人有りて気を導くを語る。先生に問う——「君も亦た術有るか。」明道曰く——「我は曽て夏は葛にして冬は裘、飢えれば食い渇けば飲み、嗜欲を節し心気を定む。斯のごとくのみ。」【聖賢の生を養うは、理に順い欲を窒ぐのみ。豈に偏曲の士の長生久視の術を為すがごとくせん。】
佛氏不識隂陽書夜死生古今安得謂形而上者與聖人同乎【以上竝明道語伊川先生曰形而上者性命也隂陽書夜死生古今乃天命之流行二氣之屈伸釋氏指為輪迴為幻妄則其所談性命亦異乎聖人矣】
「仏氏は陰陽昼夜・死生古今を識らず。安く得て形而上の者は聖人と同じと謂わん。」【以上並びに明道の語。伊川先生は言う——形而上の者は是れ性命。陰陽昼夜・死生古今は、乃ち天命の流行・二気の屈伸。釈氏は指して輪廻と為し幻妄と為す。則ち其の談ずる所の性命も亦た聖人に異なり。】
釋氏之說若欲窮其說而去取之則其說未能窮固已化而為佛矣只且於跡上考之其設教如是則其心果如何固難為取其心不取其跡有是心則有是跡王通言心跡之判便是亂說故不若且於跡上斷定不與聖人合其言有合處則吾道固己有有不合者固所不取如是立定卻省易【此言雖為初學立心未定者設然孟子闢楊墨亦不過考其跡而推其心極之於無父無君此實辨異端之要領也】
「釈氏の説は、若し其の説を窮めて而も去取せんと欲せば、則ち其の説は未だ窮めず、固より已に化して仏と為り了れり。只だ且く跡の上に於いて之を考えよ——其の教を設くる是のごとくなれば、則ち其の心は果たして如何。固より心を取りて其の跡を取らざるは為し難し。是の心有れば則ち是の跡有り。王通は心跡の判を言う。便ち是れ乱説。だから且く跡の上に於いて断定して聖人と合せざるに若かず——其の言は合する処有れば則ち吾が道は固より已に之有り。合せざる者有れば固より取らざる所。是のごとく立定すれば、却って省易なり。」【此れ初め学の心を立つること未だ定まらざる者の為に設くと雖も、然る而も孟子が楊墨を辟くも亦た其の跡を考えて而も其の心を推し、之を極めて父無く君無きに過ぎず。此れ実は是れ異端を辨ずるの要領。】
問神仙之說有諸明道曰若說白日飛昇之類則無若言居山林間保形煉氣以延年益夀則有之譬如一爐火置之風中則易過置之密室則難過有此理也又問子言聖人不師仙厥術異也聖人能為此等事否曰此是天地間一賊若非竊造化之機安能延年使聖人肯為周孔為之矣【人之精氣聚則生散則死彼有見於造化之機竊而用之使精氣固結而不散故能獨夀理之所有也顧其自私小技聖賢弗為耳】
問う——神仙の説は之れ有るか。明道曰く——「若し白日飛昇の類を説かば則ち無し。若し山林の間に居りて形を保ち気を煉りて以て年を延し寿を益すを言わば則ち之有り。譬如ば一炉の火は、之を風中に置けば則ち過ぎ易く、之を密室に置けば則ち過ぎ難し。此の理有り。」又た問う——揚子は(底本はこの字が生僻字で転写後に脱落)聖人は仙を師とせず、厥の術は異なりと言う。聖人は能く此の等の事を為すか。曰く——「此れ是れ天地の間の一賊。若し造化の機を竊まざれば、安んぞ能く年を延さん。聖人をして肯んじて為さしめば、周孔は之を為し了れり。」【人の精気は聚まれば則ち生じ、散ずれば則ち死す。彼は造化の機に見る有り、竊みて而も之を用い、精気をして固結して而も散らざらしむ。だから能く独り寿なり。理の所有。顧みて其の自私小技は、聖賢は為さざるのみ。】
謝顯道歴舉佛說與吾儒同處問伊川先生先生曰恁地同處雖多隻是本領不是一齊差卻【外書大本既差則其說似同而實異】
謝顕道は歴々として仏説の吾が儒と同じ処を挙げて伊川先生に問う。先生曰く——「恁地の同じ処は多しと雖も、只だ是れ本領是ならず。一斉に差れて却れり。」【『外書』に出る。大本は既に差れば、則ち其の説は同じきに似て而も実は異なり。】
橫渠先生曰釋氏妄意天性而不知範圍之用反以六根之微因縁天地明不能盡則誣天地日月為幻妄【範圍猶裁成也聖儘性故能裁成天地之道釋氏乃欲識性而不知範圍之用則是未嘗知性也謂六根悉本天地六根起滅無有實相天地日月等為幻妄】蔽其用於一身之小溺其志於虛空之大此所以語大語小流遁失中【厭此身之小則蔽其用而不能推樂虛空之大則溺其志而不能反故其語大語小輾轉流遁皆失其中】其過於大也塵芥六合其蔽於小也夢幻人世謂之窮理可乎不知窮理而謂之儘性可乎謂之無不知可乎【上下四方為六合謂六合在虛空中特一微塵芥子耳所以言虛空之大一切有為法如夢幻泡影所以言人世之微此皆不能窮理盡性之過】塵芥六合謂天地為有窮也夢幻人世明不能究其所從也【正防下同○佛說謂虛空無窮天地有窮人世起滅皆為幻妄莫知所從來也】
横渠先生は言う。「釈氏は妄りに天性を意りて而も範囲の用を知らず。反って六根の微を以て天地に因縁す。明らかなり能く尽くさざれば則ち天地日月を誣いて幻妄と為す。」【範囲は猶ほ裁成のごとし。聖は性を尽くす。だから能く天地の道を裁成す。釈氏は乃ち性を識らんと欲して而も範囲の用を知らず。則ち是れ未だ嘗て性を知らず。六根は悉く天地に本づくと謂い、六根は起滅して実相無く、天地日月等は幻妄と為す。】「其の用を一身の小に蔽い、其の志を虚空の大に溺る。此れ其の大を語り小を語るに流遁して中を失う所以。」【此の身の小なるを厭えば則ち其の用を蔽いて而も能く推さず、虚空の大なるを楽しめば則ち其の志を溺りて而も能く反らず。だから其の大を語り小を語るに輾転流遁して皆其の中を失う。】「其の大に過ぐるや六合を塵芥とし、其の小に蔽うや人世を夢幻とす。之を窮理と謂う可きか。窮理を知らずして之を尽性と謂う可きか。之を知らざる無しと謂う可きか。」【上下四方を六合と為す。六合は虚空の中に在りて特に一微の塵芥子のみと謂う。だから虚空の大を言う。一切有為の法は夢幻泡影のごとし。だから人世の微を言う。此の等は皆是れ能く理を窮め性を尽くさざるの過。】「六合を塵芥とするは、是れ天地を有窮と為すと謂う。人世を夢幻とするは、明らかなり其の従う所を究むる能わず。」【以下同じく『正蒙』に出る(底本は「正防」)。仏説は虚空は窮り無く天地は窮り有りと謂い、人世の起滅は皆幻妄と為す。従い来たる所を知る莫し。】
大易不言有無言有無諸子之陋也【易曰一隂一陽之謂道葢隂陽之運其所以然者即道也體用相因精麤罔間不可以有無分後世異端見道不明始則以道為無以器為有有者為幻妄為土苴無者為妙為真空析有無而二之皆諸子之陋見也】
「大易は有無を言わず。有無を言うは、是れ諸子の陋。」【『易』曰く——一陰一陽は之を道と謂う。蓋し陰陽の運は、其の然なる所以の者は即ち道。体用は相い因り、精粗は間無し。以て有無を分つ可からず。後世の異端は道を見ること明らかならず。始めは則ち道を以て無と為し器を以て有と為し、有る者を幻妄と為し土苴と為し、無き者を玄妙と為し真空と為し、有無を析りて而も之を二とす。皆是れ諸子の陋見。】
浮圗明謂有識之死受生循環遂厭苦求免可謂知鬼乎【精氣聚則為人散則為鬼散則澌滅就盡而已釋氏謂神識不散復寓形而受生是不明鬼之理也】以人生為妄見可謂知人乎【人生日用無非天理之當然釋氏指為浮生幻化豈為知人乎】天人一物輒生取舎可謂知天乎【天人一理今乃棄人事而求天性豈為知天乎】孔孟所謂天彼所謂道惑者指逰魂為變為輪迴未之思也大學當先知天徳知天徳則知聖人知神今浮圗劇論要歸必謂死生流轉非得道不免謂之悟道可乎【本注云悟則有義有命均死生一天人推知晝夜通隂陽體之無二○當生而生當死而死是則有義有命生死均安何所厭苦天人一致何所取舎知晝夜通隂陽則知生死之說何所謂輪】自其說熾傳中國儒者未容窺聖學門牆已為引取淪胥其間指為大道乃其俗達之天下致善惡知愚男女臧獲人人著信使英才間氣生則溺耳目恬習之事長則師世儒崇尚之言遂防然被驅因謂聖人可不修而至大道可不學而知故未識聖人心已謂不必求其跡未見君子志已謂不必事其文此人倫所以不察庶物所以不明治所以忽徳所以亂【世儒於聖門未有所見而耳目習熟固已防溺於異端乃謂不假修為立地成佛不立文字教外別傳不修而至故謂不必求其跡不學而知故謂不必事其文】異言入耳上無禮以防其偽下無學以稽其弊自古詖淫邪遁之辭翕然竝興一齣於佛氏之門者千五百年向非獨立不懼精一自信有大過人之才何以正立其間與之較是非計得失哉【詭服異行非修先王之禮何以防其偽邪說異教非通聖人之學何以稽其弊】
「浮屠は鬼を明らかにし、識有るの死は生を受くること循環すと謂い、遂に苦を厭いて免れんことを求む。鬼を知ると謂う可きか。」【精気は聚まれば則ち人と為り、散ずれば則ち鬼と為る。散ずれば則ち澌滅して尽きるのみ。釈氏は神識は散ぜず復た形に寓りて生を受くと謂う。是れ鬼の理を明らかにせざるなり。】「人生を以て妄見と為す。人を知ると謂う可きか。」【人生の日用は天理の当然に非ざる無し。釈氏は指して浮生幻化と為す。豈に人を知ると為さん。】「天人は一物、輒ち取舎を生ず。天を知ると謂う可きか。」【天人は一理。今乃ち人事を棄てて天性を求む。豈に天を知ると為さん。】「孔孟のいわゆる天は、彼のいわゆる道。惑う者は游魂を指して変と為し輪廻と為す。未だ之を思わざるなり。学を為るは当に先ず天徳を知るべし。天徳を知れば則ち聖人を知り鬼神を知る。今浮屠は劇論して要帰すれば、必ず死生流転は得道に非ざれば免れずと謂う。之を悟道と謂う可きか。」【本注に曰く——悟れば則ち義有り命有り、死生を均しくし天人を一にし、推して昼夜を知り陰陽に通ず。之を体すること二無し。葉采按——当に生ずべきにして生じ、当に死すべきにして死す。是れ則ち義有り命有り。生死は均しく安し。何の厭苦する所有らん。天人は一致す。何の取舎する所有らん。昼夜を知り陰陽に通ぜば、則ち生死の説を知る。何のいわゆる輪廻か有らん。】「其の説は中国に熾伝する自り、儒者は未だ聖学の門墻を窺うを容れず、已に引取され淪胥して其の間に在り、指して大道と為す。乃ち其の俗は天下に達し、善悪・知愚・男女・臧獲を致して、人人は信を著く。英才間気をして、生ずれば則ち耳目恬習の事に溺れ、長ずれば則ち世儒崇尚の言を師とせしめ、遂に靡然として(底本は「防然」)駆られ、因りて聖人は修せずして至る可く大道は学ばずして知る可しと謂う。故に未だ聖人の心を識らず、已に必ず其の跡を求めずと謂い、未だ君子の志を見ず、已に必ず其の文に事えずと謂う。此れ人倫の察せざる所以、庶物の明らかならざる所以、治の忽る所以、徳の乱るる所以。」【世儒は聖門に於いて見る所有らずして、而も耳目は習熟し、固より已に異端に陥溺せり(底本は「防溺」)。乃ち修為を假らず立地成仏し、文字を立てず教外別伝し、修せずして至ると謂う。だから必ず其の跡を求めずと謂い、学ばずして知る。だから必ず其の文に事えずと謂う。】「異言は耳に入り、上は礼無くて以て其の偽を防ぎ、下は学無くて以て其の弊を稽る。自ら古より詖淫邪遁の辞は翕然として並び興り、一たび仏氏の門に出づる者は千五百年。向へ独り立ちて懼れず・精一にして自ら信じ・大いに人に過ぐるの才有るに非ざれば、何を以て其の間に正立し、之と是非を較べ得失を計らんや。」【詭服異行は、先王の礼を修めずんば、何を以て其の偽を防がん。邪説異教は、聖人の学に通ぜずんば、何を以て其の弊を稽らん。】
近思録卷十三
近思録巻十三
欽定四庫全書
欽定四庫全書
近思錄卷十四宋朱子呂祖謙同編
近思録巻十四 宋朱子・呂祖謙同編
葉採集解
葉采集解
總論聖賢【凡二十六條】
聖賢を總論す【凡そ二十六条】
此卷論聖賢相傳之統而諸子附焉斷自唐虞堯舜禹湯文武周公道統相傳至於孔子孔子傳之顔曽曽子傳之子思子思傳之孟子遂無傳焉於是楚有荀卿漢有毛萇董仲舒揚雄諸葛亮隋有王通唐有韓愈雖未能傳斯道之統然其立言立事有補於世教皆所當攷也迨於宋朝人文再闢則周子唱之二程子張子推廣之而聖學復明道統復續故備著之
この巻は聖賢の相い伝うるの統を論じ、而も諸子は之に附く。唐虞自り断つ——堯・舜・禹・湯・文・武・周公は、道統は相い伝えて孔子に至る。孔子は之を顔・曽に伝え、曽子は之を子思に伝え、子思は之を孟子に伝え、遂に伝無し。是に於いて楚には荀卿有り、漢には毛萇・董仲舒・揚雄・諸葛亮有り、隋には王通有り、唐には韓愈有り。未だ能く斯の道の統を伝えずと雖も、然る而も其の言を立て事を立つるは世教に補有り。皆考るべき所。宋朝に迨びて、人文は再び辟け、則ち周子は之を唱え、二程子・張子は之を推広し、而も聖学は復た明らかに道統は復た続く。だから備えに之を著す。
明道先生曰堯與舜更無優劣及至湯武便別孟子言性之反之自古無人如此說只孟子分別出來便知得堯舜是生而知之湯武是學而能之文王之德則似堯舜禹之德則似湯武要之皆是聖人【遺書下同○性之者生而知之安而行之天性渾全不待修習者也反之者學而知之利而行之修身體道以復其性者也文王不識不知順帝之則蓋亦生知之性也禹克勤克儉不矜不伐蓋亦學能之事也】
明道先生は言う。「堯と舜とは更に優劣無し。湯武に及んで便ち別あり。孟子は性之・反之を言う。自ら古より人は此のごとく説く無し。只だ孟子は分別し出だせば、便ち堯舜は是れ生まれて而も之を知り、湯武は是れ学びて而も能くすることを知るを得。文王の徳は則ち堯舜に似、禹の徳は則ち湯武に似。之を要するに皆是れ聖人。」【以下同じく『遺書』に出る。性之とは、生まれて而も之を知り安んじて之を行い、天性は渾全にして修習を待たざる者。反之とは、学びて而も之を知り利して之を行い、身を修め道に体して以て其の性に復る者。文王は識らず知らず帝の則に順う。蓋しも亦た是れ生知の性。禹は克く勤め克く倹しく、矜らず伐れず。蓋しも亦た是れ学能の事。】
仲尼元氣也顔子春生也孟子並秋殺盡見【夫子大聖之資猶元氣周流渾淪溥博無有涯涘罔見間隙顔子亞聖之才如春陽盎然發生萬物四時之首眾善之長也孟子亦亞聖之才剛烈明辨整齊嚴肅故並秋殺盡見】仲尼無所不包顔子示不違如愚之學於後世有自然之和氣不言而化者也孟子則露其材蓋亦時然而已【夫子道全德備故無所不包顔子不違如愚與聖人合德後世可想其自然和氣黙而成之不言而信者也孟子英才發越蓋亦戰國之時世道益衰異端益熾又無天子主盟於其上故其衛道之嚴辨論之明不得不然也】仲尼天地也顔子和風慶雲也孟子泰山岩巖之氣象也觀其言皆可見之矣【天地者高明而博厚也和風慶雲者協氣祥光也泰山岩巖者峻極不可逾越也】仲尼無跡顔子微有跡孟子其跡著【夫子渾然天成故無跡顔子不違如愚本亦無跡然為仁之問喟然之嘆猶可窺測其防至於孟子則發明底蘊故其跡彰彰】孔子盡是明快人顔子盡豈弟孟子盡雄辯【夫子清明在躬猶青天白日故極其明快顔子有若無實若虛犯而不校故極其豈弟孟子息邪說詎詖行放滛辭故極其雄辯○此段反覆形容大聖大賢氣象各臻其妙古今之言聖賢未有若斯者也學者其濳心焉】
「仲尼は是れ元気、顔子は是れ春生、孟子は併せて秋殺は尽く見る。」【夫子は大聖の資。猶ほ元気の周流するがごとく、渾淪溥博にして涯涘有る無く、間隙を見る罔し。顔子は亜聖の才。春陽の盎然たるがごとく、万物を発生し、四時の首・衆善の長。孟子も亦た是れ亜聖の才。剛烈明辯にして斉整厳粛。だから併せて秋殺は尽く見る。】「仲尼は包まざる所無し。顔子は違わざること愚のごときの学を後世に示す。自然の和気有り、言わずして化する者。孟子は則ち其の才を露わす。蓋しも亦た時然るのみ。」【夫子は道全く徳備わる。だから包まざる所無し。顔子は違わざること愚のごとく、聖人と徳を合す。後世は其の自然の和気を想う可し。黙して之を成し言わずして信ず。孟子は英才は発越す。蓋しも亦た戦国の時は世道は益々衰え異端は益々熾んにして、又た天子は其の上に主盟する無し。だから其の道を衛るの厳・辯論の明は然らざるを得ず。】「仲尼は是れ天地、顔子は是れ和風慶雲、孟子は是れ泰山の岩岩たるの気象。其の言を観れば皆之を見る可し。」【天地は是れ高明にして而も博厚。和風慶雲は是れ協気祥光。泰山岩岩は是れ峻極にして逾越す可からず。】「仲尼は跡無し。顔子は微かに跡有り。孟子は其の跡は著し。」【夫子は渾然として天成。だから跡無し。顔子は違わざること愚のごとく、本よりも亦た跡無し。然る而も仁を為すの問・喟然の嘆は、猶ほ其の端を窺測す可し(底本は「防」)。孟子に至っては則ち底藴を発明す。だから其の跡は彰彰たり。】「孔子は尽く是れ明快の人、顔子は尽く豈弟、孟子は尽く雄辯。」【夫子は清明は躬に在り。猶ほ青天白日のごとし。だから其の明快を極む。顔子は有るも若く無く・実るも若く虚しく、犯されて而も校えず。だから其の豈弟を極む。孟子は邪説を息め・詖行を距ぎ・淫辞を放つ。だから其の雄辯を極む。葉采按——此の段は反覆して大聖大賢の気象を形容し、各々其の妙に臻る。古今の聖賢を言うは、未だ斯のごとき有らず。学者は其れ心を潜めん。】
曽子傳聖人學其德後來不可測安知其不至聖人如言吾得正而斃且休理防文字只看他氣象極好被他所見處大後人雖有好言語只被氣象卑終不類道【曽子悟一貫之旨已傳聖人之學矣至其易簀之言吾何求哉吾得正而斃焉斯可矣自非樂善不倦安行天理一息尚存必歸於正夫豈一時之所能勉強哉○遺書又曰曽子疾病只要以正不慮死與武王殺一不辜行一不義得天下不為同心】
「曽子は聖人の学を伝う。其の徳は後來は測る可からず。安んぞ其の聖人に至らざるを知らん。吾は正を得て斃ると言うがごとき、且く文字を理会することを休め(底本は「理防」)、只だ他の気象を看るに極めて好し。彼の見る所は大なりに被る。後人は好き言語有ると雖も、只だ気象卑しきに被り、終に道に類せず。」【曽子は一貫の旨を悟る。已に聖人の学を伝え了れり。其の箦を易うるの言に至っては——「吾は何をか求めん。吾は正を得て斃れ焉んば、斯れ可きのみ。」自ら善を楽しみて倦まず・天理を安行し、一息は尚お存すれば必ず正に帰すに非ざれば、豈に一時の勉強する能くする所。葉采按——『遺書』に又た曰く——曽子は疾病なれども只だ正を以てせんと要し、死を慮らず。武王の一不辜を殺し一不義を行いて天下を得るも為さざると、心を同じくす。】
傳經為難如聖人之後才百年傳之已差聖人之學若非子思孟子則幾乎息矣道何嘗息只是人不由之道非亡也幽厲不由也【群經定於夫子之手至孟子時才百年間微言絶而大義乖矣猶賴曽子之門有傳子思孟子之徒相繼纘述提綱挈領辟邪輔正以埀萬世如論語大學中庸孟子之書可見矣】荀卿才高其過多雄才短其過少【苟卿名況字卿為楚蘭陵令揚雄字子云為漢光祿卿荀卿才高敢為異論如以人性為惡以子思孟子為非其過多揚雄才短如作太以擬易法言以擬論語皆模仿前聖之遺言其過少】
「経を伝うるは難しと為る。聖人の後、才だ百年にして、之を伝うる已に差れり。聖人の学は若し子思孟子に非ざれば、則ち幾ほどに息え了れり。道は何ぞ嘗て息えん。只だ是れ人由らず。道は亡ぶに非ざるなり。幽厲は由らざるなり。」【群経は夫子の手に定まる。孟子の時に至って才だ百年の間、微言は絶えて而も大義は乖れり。猶ほ曽子の門に伝有るを頼み、子思・孟子の徒は相い継ぎて纉述し、綱を提げ領を挈げ、邪を辟き正を輔け、以て万世に垂る。『論語』『大学』『中庸』『孟子』の書のごときは見る可し。】「荀卿は才高し。其の過は多し。揚雄は才短し。其の過は少なし。」【荀卿は名は況、字は卿。楚の蘭陵令と為る。揚雄は字は子雲。漢の光禄卿と為る。荀卿は才高く、敢て異論を為す。人性を以て悪と為し子思孟子を以て非と為すがごとき、其の過は多し。揚雄は才短く、『太玄』を作りて以て『易』に擬し『法言』を作りて以て『論語』に擬するがごとき、皆前聖の遺言を模仿す。其の過は少なし。】
荀子極偏駁只一句性惡大本已失揚子雖少過然已自不識性更說甚道【率性之謂道荀子性惡揚子善惡混均之不識本然之性何以語道】董仲舒曰正其誼不謀其利明其道不計其功此董子所以度越諸子【自春秋以來舉世皆趨功利仲舒此言最為純正○朱子曰仲舒所立甚高後世所以不如吉人者以道義功利闗不透耳】
「荀子は極めて偏駁。只だ性悪の一句、大本は已に失われたり。揚子は過少なしと雖も、然る而も已に自ら性を識らず。更に甚の道をか説かん。」【性に率うを之を道と謂う。荀子は性悪、揚子は善悪混る。均しく本然の性を識らず。何を以て道を語らん。】「董仲舒曰く——其の誼を正しくして其の利を謀らず、其の道を明らかにして其の功を計らず。此れ董子の諸子を度越する所以。」【春秋自り来たりて举世は皆功利に趨る。仲舒の此の言は最も純正。葉采按——朱熹は言う——仲舒の立つ所は甚だ高し。後世の古人に如かざる所以は、道義功利の関を透らざるのみ。】
漢儒如毛萇董仲舒最得聖賢之意然見道不甚分明下此卽至揚雄規模又窄狹矣【毛萇治詩為漢時獻王博士仲舒舉賢良對策為膠西相二子論治皆以修身齊家為本先德敎而後功利最為得聖賢意揚雄以清淨寂寞為道無儒者規模○或問伊川謂仲舒見道不分明朱子曰如雲性者生之質性非敎化不成似不識本然之性又問何所主而取毛公曰考之詩傳緊要有數處如闗雎所謂夫婦有別則父子親父子親則君臣敬君臣敬剛朝廷正朝廷正則王化鹹要之亦不多見只是氣象大槩好】
「漢儒は毛萇・董仲舒のごときは最も聖賢の意を得。然る而も道を見ること甚だ分明ならず。此を下れば則ち揚雄に至る。規模は又た窄狭了れり。」【毛萇は『詩』を治め、漢時の献王の博士と為る。仲舒は賢良を挙げて対策し、膠西相と為る。二子は治を論ずるに皆身を修め家を斉うるを以て本と為し、徳教を先にして而も功利を後にす。最も聖賢の意を得。揚雄は清浄寂寞を以て道と為す。儒者の規模無し。或いは伊川が仲舒は道を見ること分明ならずと謂うを問う。朱熹は言う——性は生の質・性は教化に非ざれば成らずと説くがごとき、本然の性を識らざるに似たり。又た何を主る所として而も毛公を取ると問う。曰く——之を『詩伝』に考うるに、緊要は数处有り。『関雎』のいわゆる夫婦は別有れば則ち父子は親しみ、父子親しければ則ち君臣は敬い、君臣敬えば則ち朝廷は正しく、朝廷正しければ則ち王化は成るのごとき。之を要するにも亦た多く見ず。只だ是れ気象は大概好し。】
林希謂揚雄為祿隱揚雄後人只為見他著書便須要做他是怎生做得是【祿隱謂浮沉下位依祿而隱即祿仕之意也雄失身事莽以是祿隱何辭而可】
「林希は揚雄を禄隠と謂う。揚雄は後人は只だ他の書を著すを見て、便ち須く他を是と做さんと要す。怎生にして是と做すを得ん。」【禄隠は是れ下位に浮沈して禄に依りて隠る。即ち禄仕の意。雄は身を失い莽に事う。此の禄隠を以てすれば、何の辞にして而も可ならん。】
孔明有王佐之心道則未盡王者如天地之無私心焉行一不義而得天下不為孔明必求有成而取劉璋聖人寧無成耳此不可為也【諸葛亮字孔明東漢末曾操據漢將簒孔明輔先主志欲攘除奸兇興復漢室而其規模宏逺操心公平有王佐之心然於王道則有所未盡蓋聖人之道如天地發育無有私意行一不義雖可以得天下而不為先主以詐取劉璋孔明不得以無責蓋其志於有成行不義而不暇顧若聖人則寧漢無興不忍為此】若劉表子琮將為曹公所並取而興劉氏可也【先主依劉表曹操南侵防表卒子琮迎降孔明說先主取荊州先主不忍琮降則地歸曹氏矣取以興漢何負於表較之取劉璋則曲直有間矣或謂先主雖得荊州未必能御曹操然此又特以利鈍言者也】
「孔明は王佐の心有り。道は則ち未だ尽くさず。王者は天地の私心无きがごとく、一不義を行いて而も天下を得るも為さず。孔明は必ず成有らんことを求めて劉璋を取る。聖人は寧ろ成無きのみ。此れ為す可からず。」【諸葛亮は字は孔明。東漢の末、曹操は(底本は「曾操」)漢を據りて将に簒さんとす。孔明は先主を輔け、志は奸凶を攘除し漢室を興復せんと欲す。而も其の規模は宏遠にして操心は公平。王佐の心有り。然る而も王道に於いては則ち尽くす所有り。蓋し聖人の道は天地の発育するがごとく、私意有る無し。一不義を行うは天下を得る可しと雖も而も為さず。先主は詐を以て劉璋を取る。孔明は以て責無きを得ず。蓋し其の成有らんと志し、不義を行いて而も顧みる暇無し。若し聖人は則ち寧ろ漢の興る無きも、此を為すに忍びず。】「若し劉表の子琮は将に曹公の為に併されんとす。取りて以て劉氏を興す可し。」【先主は劉表に依る。曹操は南に侵す。会して(底本は「防」)表は卒し、子琮は迎えて降る。孔明は先主に荊州を取れと説く。先主は忍びず。琮降れば則ち地は曹氏に帰し了れり。取りて以て漢を興さば、何ぞ表に負かん。之を劉璋を取るに較ぶれば、則ち曲直は間有り。或いは先主は荊州を得ると雖も未だ必ずしも能く曹操を禦がずと謂う。然る而も此れ又た特に利鈍を以て言うのみ。】
諸葛武侯有儒者氣象【孔明輔漢討賊以信義為主以節制行師以公誠待人至於親賢臣逺小人諮諏善道察納雅言有大臣格君之業朱子曰孔明雖嘗學申韓然資質好卻有正大氣象】孔明庶幾禮樂【文中子曰使孔明而無死禮樂其有興乎亮之治國政刑修舉而人心豫附名正言順禮樂其庶幾乎】
「諸葛武侯は儒者の気象有り。」【孔明は漢を輔けて賊を討つ。信義を以て主と為し、節制を以て師を行い、公誠を以て人を待つ。賢臣に親しみ小人を遠ざけ、善道を咨諏し雅言を察納するに至る。大臣の君を格するの業有り。朱熹は言う——孔明は曽て申韓を学ぶと雖も、然る而も資質好し。却って正大の気象有り。】「孔明は庶幾く礼楽。」【文中子曰く——孔明をして而も死せざらしめば、礼楽は其れ興る有らんか。亮の国を治むるは、政刑は修まり挙がりて而も人心は豫附す。名正しく言順し。礼楽は其れ庶幾からん。】
文中子本是一隱君子世人往往得其議論附防成書其間極有至言荀揚道不到處【文中子王氏名通隋末不仕敎授於河汾其弟王凝子福畤等收其議論増益為書名曰中說○朱子曰其書多為人添入眞偽難見然好處甚多就中論世變因革處說得極好又曰文中子論治體處高似仲舒而本領不及爽似仲舒而純不及】
「文中子は本より是れ一隠君子。世人は往往として其の議論を得、附会して(底本は「附防」)書を成す。其の間は極めて至言有り。荀揚の道の到らざる処。」【文中子王氏は名は通。隋末に仕えず、河汾に教授す。其の弟王凝・子福畤等は其の議論を収めて書と為すを增益す。名づけて『中説』と曰う。葉采按——朱熹は言う——其の書は多く人の為に添え入れられ、真偽は見難し。然る而も好き処は甚だ多し。中就きて世変因革を論ずる処は説くこと極めて好し。又た曰く——文中子は治体を論ずる処は、仲舒より高きに似るも而も本領は及ばず、仲舒より爽やかなるに似るも而も純は及ばず。】
韓愈亦近世豪傑之士如原道中言語雖有病然自孟子而後能將許大見識尋求者才見此人至如斷曰孟氏醇乎醇又曰荀與揚擇焉而不精語焉而不詳若不是他見得豈千餘年後便能斷得如此分明【韓愈字退之仕唐為吏部侍郎嘗著原道其間如博愛之謂仁則明其用而未盡其體如道德為虛位則辨其名而不究其實如言正心誠意之學而遺格物致知之功凡此類皆有疵病然其扶正學闢異端秦漢以來未有及之者至於論孟氏之與荀揚尤其卓然之見也】
「韓愈も亦た是れ近世の豪傑の士。『原道』の中の言語のごときは病有ると雖も、然る而も孟子自り而る後に能く許大の見識を尋ね求めるを将たすれば、才だ此の人を見る。孟氏は醇乎として醇なりと断ぜしがごときに至るまで、又た荀と揚とは擇びて而も精ならず・語りて而も詳ならずと説く。若し他の見る所有るに非ざれば、豈に千余年の後に便ち能く此のごとく分明に断ぜむ。」【韓愈は字は退之。唐に仕えて吏部侍郎と為る。嘗て『原道』を著す。其の間は博愛を以て仁と謂うがごときは、則ち其の用を明らかにして而も其の体を尽くさず、道徳を虚位と為すがごときは、則ち其の名を辨えて而も其の実を究めず、正心誠意の学を言いて而も格物致知の功を遺るがごとき——凡そ此の類は皆疵病有り。然る而も其の正学を扶け異端を辟くは、秦漢自り来たりて之に及ぶ有らず。孟氏の荀揚と与なるを論ずるに至っては、尤も其の卓然の見。】
學本是修德有德然後有言退之卻倒學了因學文日求所未至遂有所得【古之學者務修德而已德之既盛則發於言辭有自然之文退之反因學文而有所見】如曰軻之死不得其傳似此言語非是蹈襲前人又非鑿空撰得出必有所見若無所見不知言所傳者何事【朱子曰韓文公見得大意已分明只是不曽向裡面省察不能就身上細密做工夫】周茂叔胸中灑落如光風霽月【見黃庭堅所作詩序李延平每誦此言以為善形容有道者氣象】其為政精密嚴恕務盡道理【通書附錄○見潘延之所撰墓誌又孔經父祭文雲公年壯盛玉色金聲從容和毅一府皆傾】
「学は本より是れ徳を修む。徳有りて然る後に言有り。退之は却って之を倒学せり。文を学ぶに因りて日に未だ至らざる所を求め、遂に得る所有り。」【古の学者は務めて徳を修めるのみ。徳は既に盛んなれば、則ち言辞に発するは自然の文有り。退之は反って文を学ぶに因りて而も見る所有り。】「軻の死にして其の伝を得ざると説くがごとき、此に似るの言語は前漢を蹈襲するに非ず、又た空を鑿ちて撰び出すに非ず。必ず見る所有り。若し見る所無ければ、言の伝える所は何の事かを知らず。」【朱熹は言う——韓文公は大意を見ること已に分明なり。只だ是れ曽て裏面に向かいて省察せず、能く身上に就きて細密に工夫を為さず。】「周茂叔の胸中は洒落。光風霽月のごとし。」【黄庭堅の作る所の詩序に見る。李延平は毎に此の言を誦して、以て道有る者の気象を形容するを善くすと為す。】「其の政を為るや精密厳恕。務めて道理を尽くす。」【『通書』附録に出る。潘延之の撰する所の墓誌に見る。又た孔経父の祭文に曰く——公は年は壮盛、玉色金声、従容和毅、一府は皆傾く。】
伊川先生撰明道先生行狀曰先生資稟既異而充養有道【資稟得於天充養存於己】純粹如精金【純粹而不雜】溫潤如良玉【溫良而潤澤】寛而有制【寛大而有規矩】和而不流【和易而有撙節】忠誠貫於金石【忠誠之至可貫於金石】孝弟通於神明【孝弟之至可通於鬼神】視其色其接物也如春陽之溫【春陽發逹盎然其和】聽其言其入人也如時雨之潤【優遊而不廹霑洽而有餘】胸懷洞然徹視無間測其蘊則浩乎若滄溟之無際【胸次洞逹無少隱匿然測其學識所蘊則又深博而無涯】極其德美言蓋不足以形容【以上一節言資稟之粹充養之厚也】先生行已內主於敬而行之以恕【敬主於身而恕及於物敬則其本正而一恕則其用公而溥】見善若出諸己【與人為善也】不欲勿施於人【視人猶己也】居廣居而行大道【居天下之廣居不安於狹陋行天下之大道不由於邪僻】言有物而行有常【言必有實故曰物行必有度故曰常○以上一節言行己之本末也】先生為學自十五六時聞汝南周茂叔論道遂厭科舉之業慨然有求道之志未知其要氾濫於諸家出入於老釋者幾十年返求諸六經而後得之【按濓溪先生為南安軍司理參軍時程公珦攝通守事視其氣貌非常人與語知其為學知道也因與為友且使其二子受學焉而程氏遺書有言再見周茂叔後吟風弄月以歸有吾與防也之意明道學於濓溪者雖得其大意然其博求精察益充所聞以抵於成者尤多自得之功】明於庶物察於人倫【明則有以識理察則加詳於明】知儘性至命必本於孝弟窮神知化由通於禮樂【孝弟說見四卷樂記曰天高地下萬物散殊而禮制行矣流而不息合同而化而樂興焉通乎禮則知萬化散殊之跡通乎樂則窮萬化同流之妙此言明乎天實本乎人也】辨異端似是之非開百代未明之惑秦漢而下未有臻斯理也謂孟子沒而聖學不傳以興起斯文為己任其言曰道之不明異端害之也昔之害近而易知今之害深而難辨昔之惑人也乗其迷暗今之入人也因其高明【昔之害楊墨申韓是也今之害佛老是也淺近故迷暗者為所惑深逺故高明者反陷其中】自謂窮神知化而不足以開物成務【自謂通逹妙實則不可以有為於天下】言為無不周徧實則外於倫理【自謂性周法界然實則外乎人倫物理】窮深極微而不可以入堯舜之道【堯舜之道大中至正窮深極微是過之也】天下之學非淺陋固滯則必入於此自道之不明也邪誕妖異之說競起塗生民之耳目溺天下於汙濁雖高才明智膠於見聞醉生夢死不自覺也是皆正路之蓁蕪聖門之蔽塞闢之而後可以入道【淺陋固滯者乃刑名功利之習訓詁詞章之士是也學者不入於淺陋固滯則必入於佛老之空無】先生進將覺斯人退將明之書不幸早世皆未及也其辨析精微稍見於世者學者之所傳耳【以上一節言學道之本末與其闢異端正人心之大略也】先生之門學者多矣先生之言平易易知賢愚皆獲其益如群飲於河各充其量先生敎人自致知至於知止誠意至於平天下灑掃應對至於窮理盡性循循有序病世之學者舎近而趨逺處下而闚高所以輕自大而卒無得也【此一節言敎人之道本末備具而循序漸進惟恐學者厭卑近而務高逺輕自肆而無實得也】先生接物辨而不間【是非雖明而亦不絶之】感而能通【感而必應】敎人而人易從【敎人各因其資而平易明白故易從】怒人而人不怨【怒所當怒而心平氣和故不怨】賢愚善惡鹹得其心【愛而公故鹹得其歡心】狡偽者獻其誠【待人盡其誠而人不忍欺之】暴慢者致其恭【待人盡其禮而人不忍以非禮加之】聞風者誠服【誠服者眞實而非勉強聞風而服則無逺不格矣】覿德者心醉【盛德所形見者燻乎至和如飲醇酎】雖小人以趨向之異顧於利害時見排斥退而省其私未有不以先生為君子也【先生以議新法不合遂遭排斥然當時用事者亦曰伯淳忠信人也則其言行之懿有不可誣者以上一節言接物之道】先生為政治惡以寛【開其自新之路改而正】處煩而裕【得其要領且順乎理】當法令繁密之際未嘗從眾為應文逃責之事人皆病於拘礙而先生處之綽然眾人憂以為甚難而先生為之沛然【法令峻密而先生未嘗為苟且應命之事然而處之有道故不見其礙為之有要故不見其難】雖當倉卒不動聲色【理素明而志素定】方監司競為嚴急之時其待先生率皆寛厚設施之際有所頼焉【忠信懇惻足以感人故能不徇時好而得遂其所為】先生所為綱條法度人可效而為也至其道之而從動之而和不求物而物應未施信而民信則人不可及也【文集○政令設施可仿而行道化孚感不可力而致○以上一節言為政之道】
伊川先生は明道先生の行状を撰して曰く——先生は資禀は既に異なり、而も充養は道有り【資禀は天に得、充養は己に存す】。純粹は精金のごとく【純粹にして而も雑らず】、温潤は良玉のごとく【温良にして而も潤沢】、寛にして而も制有り【寛大にして而も規矩有り】、和にして而も流れず【和易にして而も撙節有り】、忠誠は金石に貫く【忠誠の至は金石に貫く可し】、孝弟は神明に通ず【孝弟の至は鬼神に通ず可し】。其の色を視れば、其の物に接するや春陽の温のごとく【春陽は発達して盎然として其の和】、其の言を聴けば、其の人に入るや時雨の潤のごとく【優游して而も迫らず、沾洽して而も余有り】。胸懐は洞然として、徹視して間無し。其の藴を測れば、則ち浩乎として滄溟の際無きが若し【胸次は洞達して少しも隠匿無し。然る而も其の学識の藴する所を測れば、則ち又た深博にして涯無し】。其の徳美を極むるは、言は蓋し以て形容するに足らず【以上一節は資禀の粹・充養の厚きを言う】。先生は己を行うに、内は敬に主りて而も之を行うに恕を以てす【敬は身に主りて而も恕は物に及ぶ。敬なれば則ち其の本は正しくして一に、恕なれば則ち其の用は公にして溥し】、善を見ること若く諸を己に出づるがごとく【人と善を為す】、欲せざれば人に施す勿れ【人を視ること猶ほ己】、広居に居りて大道を行う【天下の広居に居りて狭陋に安んぜず、天下の大道を行いて邪僻に由らず】、言は物有りて行は常有り【言は必ず実有りてだから物と叫ぶ、行は必ず度有りてだから常と叫ぶ。葉采按——以上一節は己を行うの本末を言う】。先生は学を為るに、十五六の時自り汝南の周茂叔が道を論ずるを聞き、遂に科挙の業を厭い、慨然として道を求むるの志有り。未だ其の要を知らず、諸家に泛濫し、老釈に出入すること幾十年、返りて之を六経に求めて而る後に之を得たり【濂渓先生が南安軍の司理参軍と為る時に按ず——程公珦は通守の事を摂し、其の気貌は常人に非ざるを視て、之と語りて其の学を為して道を知るを知り、因りて之と友と為り、且つ其の二子をして学を受けしむ。『程氏遺書』に言有り——再び周茂叔に見えて後に、風を吟じ月を弄して以て帰る。「吾は点に与るなり」の意有り(底本は「吾与防也」)。明道が濂渓に学びしは大意を得ると雖も、然る而も其の博く求め精しく察し、聞く所を益々充して以て成るに抵るは、尤も自得の功多し】。庶物に明らかにして人倫に察し【明なれば則ち以て理を識る有り、察すれば則ち明に詳を加う】、性を尽くし命に至るは必ず孝弟に本づくを知り、神を窮め化を知るは礼楽に通ずるに由る【孝弟の説は巻四に見る。『楽記』曰く——天高く地下し、万物は散殊して、而も礼制は行わる。流れて息まず、合同して化して、而も楽は興る。礼に通ぜば則ち万化散殊の跡を知り、楽に通ぜば則ち万化同流の妙を窮む。此れ是れ天に明らかなり実は人に本づくを説明す】。異端の是に似て非なるを辨え、百代の未だ明らかならざるの惑を開く。秦漢以降にして未だ斯の理に臻る有らず。孟子は没して而も聖学は伝えられずと謂い、以て斯の文を興起するを己の任と為す。其の言に曰く——道の明らかならざるは、異端は之を害するなり。昔の害は近くして知り易く、今の害は深くして辨え難し。昔は人を惑わすや其の迷暗に乘り、今は人に入るや其の高明に因る【昔の害は楊墨申韓是なり、今の害は仏老是なり。浅近なればだから迷暗する者は惑わす所と為り、深遠なればだから高明なる者は反って其の中に陥る】。自ら神を窮め化を知ると謂うも而も以て物を開き務を成すに足らず【自ら玄妙に通達すと謂うも、実は則ち以て天下に為す有る可からず】、言は周遍せざる無しと為すも、実は則ち倫理に外る【自ら性は法界に周ると謂うも、然る而も実は則ち人倫物理に外る】、深を窮め微を極むるも而も以て堯舜の道に入る可からず【堯舜の道は大中至正。深を窮め微を極むるは是れ之に過ぐ】。天下の学は浅陋固滞に非ざれば則ち必ず此に入る。道の明らかならざる自り、邪誕妖異の説は競い興り、生民の耳目を塗り、天下を汚濁に溺らしむ。高才明智と雖も見聞に膠り、生に醉い死に夢して自ら覚えず。是れ皆正路の蓁蕪・聖門の蔽塞。之を辟きて而る後に以て道に入る可し【浅陋固滞なるは、乃ち刑名功利の習・訓詁詞章の士。学者は浅陋固滞に入らざれば、則ち必ず仏老の空无に入る】。先生は進みては将に斯の人を覚さんとし、退きては将に之を書に明らかにせんとす。不幸にして早世す。皆未だ及ばず。其の辨析精微の世に稍や見ゆるは、学者の伝うる所のみ【以上一節は道を学ぶの本末と、其の異端を辟き人心を正しくするの大略を言う】。先生の門は学者多し。先生の言は平易にして知り易く、賢愚は皆其の益を獲る。河に群れて飲むがごとく、各々其の量を充たす。先生は人を教うるに、致知自り知止に至り、誠意自り天下を平にするに至り、洒掃應對自り理を窮め性を尽くすに至るまで、循循として序有り。世の学者の近を舎てて遠に趨り・下に処りて高を窺うを病む。だから自ら大にするを軽んじて而も卒に得無し【此の一節は人を教うるの道は本末備え具わりて而も序に循い漸進し、惟だ学者の卑近を厭いて而も高遠を務め・自ら肆にするを軽んじて而も実得無きを恐るるを言う】。先生は物に接するに、辨えて而も間まず【是非は明らかなりと雖もも亦た之を絶たず】、感じて而も能く通ず【感じて而も必ず應ず】、人を教えて而も人は従い易し【人を教うるに各々其の資に因りて而も平易明白。だから従い易し】、人を怒りて而も人は怨まず【当に怒るべき所を怒りて而も心平らかに気和す。だから怨まず】、賢愚善悪は咸と其の心を得【愛して而も公なり。だから咸と其の歓心を得】、狡偽の者は其の誠を献ず【人を待つに其の誠を尽くせば而も人は忍びて之を欺かず】、暴慢の者は其の恭を致す【人を待つに其の礼を尽くせば而も人は忍びて以て非礼を之に加えず】、風を聞く者は誠服す【誠服は是れ真実にして而も勉強に非ず。風を聞きて而も服すれば、則ち遠くして格たらざる無し】、徳を覿る者は心醉す【盛徳の形見する所は、至和に熏り、醇酎を飲むがごとし】。小人と雖も趨向の異なるを以て、顧みて利害の時は排斥を見る。退きて其の私を省るに、未だ先生を以て君子と為さざる有らず【先生は新法を議りて合わざるを以て遂に排斥を遭う。然る而も当時事を用うる者も亦た伯淳は是れ忠信の人と説く。則ち其の言行の懿なるは誣う可からざる有り。以上一節は物に接するの道を言う】。先生は政を為るに、悪を治むるに寛を以てす【其の自ら新たにするの路を開き、改めて而も正しく】、煩に処りて而も裕なり【其の要領を得て且つ理に順う】。法令繁密の際に当たりて、未だ嘗て衆に従いて文に應じ責を逃るるの事を為さず。人は皆拘礙に病みて而も先生は之に処ること綽然たり。衆人は憂いて以て甚だ難しと為して而も先生は之を為すこと沛然たり【法令は峻密にして而も先生は未だ嘗て苟且に命に應ずるの事を為さず。然る而も之に処るに道有りてだから其の礙を見ず、之を為すに要有りてだから其の難を見ず】。倉卒に当たると雖も、声色を動かさず【理は素より明らかにして而も志は素より定まる】。方に監司は競いて厳急を為すの時、其の先生を待つや率ち皆寛厚。施設の際は頼る所有り【忠信懇惻は以て人を感ずるに足れり。だから能く時の好みに徇わずして而も其の為す所を遂ぐを得】。先生の為す所の綱条法度は、人は效して而も為す可し。其の道して而も従われ・動いて而も和せられ・物を求めずして而も物應じ・信を施さずして而も民信ずるに至っては、則ち人は及ぶ可からず【『文集』に出る。政令施設は仿うて而も行う可きも、道化孚感は力めて而も致る可からず。葉采按——以上一節は政を為るの道を言う】。
明道先生曰周茂叔牕前草不除問之雲與自家意思一般【遺書下同○本注云子厚觀驢鳴亦謂如此○天地生意流行發育惟仁者生生之意充滿胸中故觀之有防於其心者】
明道先生は言う。「周茂叔は窓前の草を除かず。之を問えば、曰く——自家の意思と一般なり。」【以下同じく『遺書』に出る。本注に曰く——子厚が驢の鳴くを観るも亦た此のごとくと謂う。葉采按——天地の生意は流行発育す。惟だ仁者は生生の意は胸中に充満す。だから之を観るに其の心に会する有り(底本は「防」)。】
張子厚聞生皇子喜甚見餓莩者食便不美【此即西銘之意亦其養德之厚故隨所感遇蹶然動於中而不可遏初非擬議作意而為之也】
張子厚は皇子の生まるるを聞きて喜ぶこと甚だし。餓莩する者を見れば、食は便ち美ならず。【此れ即ち『西銘』の意。も亦た其の徳を養うことの厚き、だから感遇する所に随いて、蹶然として中に動きて而も遏ぐ可からず。初めより擬議作意して而も之を為すに非ず。】
伯淳嘗與子厚在興國寺講論終日而曰不知舊日曾有甚人於此處講此事【呂源明曰此處氣象自有合得如此等人說此等話道理】謝顯道曰明道先生坐如泥塑人接人則渾是一團和氣【外書下同○所謂望之儼然即之也溫】
伯淳は嘗て子厚と興国寺に在りて終日講論し、而も曰く——「旧日に曽て甚の人か此の処に於いて此の事を講ぜしを知らず。」【呂源明曰く——此の処は気象は自ら此の等の人に合して此の等の話の道理を説く有り。】謝顕道曰く——「明道先生は坐すること泥塑の人のごとく、人に接すれば則ち渾とは是れ一団の和気。」【以下同じく『外書』に出る。いわゆる之を望むに儼然として・之に即くに温なり。】
侯師聖雲朱公掞見明道於汝歸謂人曰光庭在春風中坐了一個月遊楊初見伊川伊川瞑目而坐二子侍立既覺顧謂曰賢輩尚在此乎日旣晚且休矣及出門門外之雪深一尺【侯仲良字師聖朱光庭字公掞皆程子門人也明道接人和粹伊川師道尊嚴皆盛德所形但其氣質成就有不同耳明道似顔子伊川似孟子】
侯師聖曰く——朱公掞は汝に於いて明道に見え、帰りて人に謂いて曰く——「光庭は春風の中に坐すること一箇月なり。」游・楊は初めて伊川に見ゆ。伊川は目を瞑じて坐す。二子は侍立す。既に覚めて、顧みて謂い曰く——「賢輩は尚お此に在るか。日は既に晩し。且く休めよ。」門を出づるに及びて、門外の雪は深きこと一尺。【侯仲良は字は師聖、朱光庭は字は公掞。皆程子の門人。明道は人に接すること和粋、伊川は師道は尊厳。皆盛徳の形る所。但だ其の気質の成就するは同じからざる有るのみ。明道は顔子に似、伊川は孟子に似たり。】
劉安禮雲明道先生德性充完粹和之氣盎於面背樂易多恕終日怡悅立之從先生三十年未嘗見其忿厲之容【附錄○明道先生質之美養之厚德之全故其粹然發見從容豈弟如此百世之下聞之者鄙夫寛薄夫敦而況於親炙之者乎】
劉安礼曰く——明道先生は徳性は充完、粹和の気は面背に盎ぐ。楽易にして恕多く、終日怡悦す。立之は先生に従うこと三十年、未だ嘗て其の忿厲の容を見ず。【『附録』に出る。明道先生は質の美・養の厚・徳の全なり。だから其の粹然として発見し・従容豈弟すること此のごとし。百世の下に之を聞く者は、鄙夫は寛く薄夫は敦くす。而るを況んや親炙するをや。】
呂與叔撰明道哀詞雲先生負特立之才知大學之要博文強識躬行力究察倫明物極其所止渙然心釋洞見道體【識記也博文強識博學也躬行力究力行也察倫明物以下物格而知至也】其造於約也雖事變之感不一知應以是心而不窮雖天下之理至眾知反之吾身而自足【應感無窮而實本乎吾心物理散殊而皆備乎吾身言其學雖博而有要也】其致於一也異端竝立而不能移聖人復起而不與易【致一者見之明而守之定故邪說不能移百世以俟聖人而不惑也】其養之成也和氣充浹見於聲容然望之崇深不可慢也遇事優為從容不廹然誠心懇惻弗之措也【和易而有含蓄寛裕而懇至也】其自任之重也寧學聖人而未至不欲以一善成名寧以一物不被澤為己病不欲以一時之利為己功【自任之重所至者逺不安於小成不急於近功】其自信之篤也吾志可行不苟潔其去就吾義所安雖小官有所不屑【志若可行不潔其去以為高義擇所安亦不屑於就以自卑】
呂与叔は明道の哀詞を撰して曰く——先生は特立の才を負い、大学の要を知り、博文強識し、躬行力究し、倫を察し物を明らかにし、其の止まる所を極め、涣然として心は釋れ、洞見して道体を見る【識は是れ記。博文強識は是れ博学、躬行力究は是れ力行、倫を察し物を明らかにする以下是れ物格りて而も知至る】。其の約に造るや、事変の感は一ならずと雖も、知るに是の心を以て應じて而も窮まらず。天下の理は至衆と雖も、知るに之を吾が身に反して而も自ら足れり【感に應ずること窮り無くして而も実は吾が心に本づき、物理は散殊にして而も皆吾が身に備わる。其の学は博にして而も要有るを言う】。其の一に致すや、異端は並び立ちて而も移す能わず、聖人は復た起ちて而も与に易えず【一を致すは是れ之を見ること明らかにして而も之を守ること定まる。だから邪説は能く移さず、百世は以て聖人を俟ちて而も惑わず】。其の之を養い成るや、和気は充浹して声容に見る。然る而も之を望むに崇深にして慢る可からず。事に遇いて優為し従容迫らず。然る而も誠心懇惻は之を措かず【和易にして而も含蓄有り、寛裕にして而も懇至】。其の自ら任ずるの重きや、寧ろ聖人を学びて而も未だ至らずとも、一善を以て名を成さんことを欲せず。寧ろ一物の沢を被らざるを以て己の病と為さんとも、一時の利を以て己の功と為さんことを欲せず【自ら任ずるの重きは、至る所は遠し。小成に安んぜず、近功に急がず】。其の自ら信ずるの篤きや、吾が志は行う可ければ、苟くも其の去就を潔にせず。吾が義の安んずる所は、小官と雖も屑とする所有り【志は若し行う可ければ、其の去を潔にして以て高と為さず。義は安んずる所を擇べば、も亦た就に屑として以て自ら卑しめず】。
呂與叔撰橫渠先生行狀雲康定用兵之時先生年十八慨然以功名自許上書謁范文正公公知其逺器欲成就之乃責之曰儒者自有名教何事於兵因勸讀中庸先生讀其書雖愛之猶以為未足於是又訪諸釋老之書累年盡究其說知無所得反而求之六經嘉祐初見程伯淳正叔於京師共語道學之要先生渙然自信曰吾道自足何事旁求於是盡棄異學淳如也【本注尹彥明雲橫渠昔在京師坐虎皮說周易聽從甚眾一夕二程先生至論易次日橫渠撤去虎皮曰吾平日為諸公說者皆亂道有二程近到深明易道吾所不及汝輩可師之○愚謂此可以見橫渠先生勇於從善無一毫系吝之意非大公至明孰能如是】晩自崇文移疾西歸橫渠終日危坐一室左右簡編俯而讀仰而思有得則識之或中夜起坐取燭以書其志道精思未始須臾息亦未嘗須臾忘也學者有問多告以知禮成性變化氣質之道學必如聖人而後已聞者莫不動心有進【說竝見前】嘗謂門人曰吾學旣得於心則修其辭命辭無差然後斷事斷事無失吾乃沛然精義入神者豫而已矣【人於義理其初得於心者雖瞭然無疑及宣之於口筆之於牘則或有差故命辭無差則所見己審以是應酬事物知明理精妙用無方矣是皆窮理致知之功素立而非勉強擬議於應事之時也】先生氣質剛毅徳盛貌嚴然與人居久而日親其治家接物大要正己以感人人未之信反躬自治不以語人雖有未喻安行而無悔故識與不識聞風而畏非其義也不敢以一毫及之【德貌嚴毅而中誠懇惻故與人久而益親躬自厚而薄責於人故人心服而不敢加以非義】
呂与叔は横渠先生の行状を撰して曰く——康定に兵を用うるの時、先生は年十八。慨然として功名を以て自ら許し、書を上りて范文正公に謁す。公は其の遠器を知り、之を成就せんと欲し、乃ち之を責めて曰く——「儒者は自ら名教有り。何の事か兵に於いてせん。」因りて『中庸』を読むを勧む。先生は其の書を読みて之を愛すと雖も、猶ほ以て未だ足らずと為す。是に於いて又た釈老の書に諸を訪ね、累年に其の説を尽く究め、得る所無きを知り、反りて之を六経に求む。嘉祐の初め、京師に於いて程伯淳・正叔に見え、共に道学の要を語る。先生は涣然として自ら信じ、曰く——「吾が道は自ら足れり。何の事か旁求せん。」是に於いて異学を尽く棄て、淳如たり【本注——尹彦明曰く、横渠は昔に京師に在りて虎皮に坐して『周易』を説く。聴従すること甚だ衆し。一夕二程先生至り、『易』を論ず。次日横渠は虎皮を撤去して曰く——吾は平日に諸公の為に説く所は皆乱道。二程は近く到りて易道を深く明らかにす。吾の及ばざる所。汝輩は之を師とす可し。葉采按——此れ以て横渠先生の善に従うに勇み、一毫の繋吝の意無きを見る可し。大公至明に非ざれば、孰れか能く是のごとくせん】。晩に崇文自り疾を移して西に帰りて横渠す。終日は一室に危坐し、左右は簡編。俯して読み、仰いで思う。得る有れば則ち之を識し、或いは中夜に坐を起して燭を取りて以て書す。其の道に志して思精きは、未だ始めて須臾も息まず、も亦た嘗て須臾も忘れず。学者の問有れば、多く之に告ぐるに礼を知り性を成し気質を変化するの道を以てし、学は必ず聖人のごとくして而る後に已む。聞く者は莫れ心を動かして進有らざる無し【説は並びに前に見る】。嘗て門人に謂い曰く——「吾が学は既に心に得れば則ち其の辞を修め、辞に命じて差無くして然る後に事を断じ、事を断じて失無ければ、吾は乃ち沛然たり。精義入神の者は、豫のみ。」【人は義理に於いて、其の初め心に得るは了然疑無しと雖も、之を口に宣め・之を牘に筆すれば則ち或いは差有り。だから辞に命じて差無ければ則ち見る所は已に審らか。是を以て事物に應酬すれば、知明らかに理精しくして妙用は方無し。此の等は皆是れ理を窮め知を致すの功は素より立ちて、而も応事の時に勉強して擬議するに非ず。】先生は気質は剛毅、徳は盛んにして貌は厳なり。然る而も人と居ること久しければ而も日に親し。其の家を治め物に接するは、大要は己を正しくして以て人を感ず。人は未だ之を信ぜざれば、躬を反して自ら治め、以て人に語らず。未だ喻せざる有ると雖も、安んじて行いて而も悔無し。だから識ると識らざると、風を聞きて而も畏れ、其の義に非ざれば敢て一毫を以て之に及ばず【徳貌は厳毅にして而も中は誠懇惻。だから人と久しくして益々親し。躬は自ら厚くして而も人を責むること薄し。だから人心は服して而も敢て以て非義を加えず】。
橫渠曰二程從十四五時便銳然欲學聖人【語錄】
横渠曰く——「二程は十四五の時自り便ち鋭然として聖人を学ばんと欲す。」【『語録』に出る。】
近思錄卷十四
近思録巻十四
