韩诗外传
第八章(以下はしばらく注を録せず)
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
韓詩外傳[漢]韓嬰
『韓詩外傳』〔漢〕韓嬰
韓詩外傳巻第一
第一章
曾子仕於莒,得粟三秉。方是之時,曾子重其祿而輕其身。親沒之後,齊迎以相,楚迎以令尹,晉迎以上卿。方是之提,曾子重其身而輕其祿。懷其寶而迷其國,不口與語仁。窘其身而約其親,不可與語孝。任重道遠者,不擇地而息。家貧親老者,不擇官而仕。故君子橋褐趨時,當務為急。傳云:不逢時而仕,任事而敦其慮,為之使而不入其謀,貧焉故也。《詩》曰:“夙夜在公,寔命不同。”
曾子は莒で官をして、粟三秉を得た。その時、曾子は俸禄を重んじて己の身を軽んじた。双親が亡くなって後、斉は迎えて相と為し、楚は迎えて令尹と為し、晋は迎えて上卿と為した。その時、曾子は己の身を重んじて俸禄を軽んじた。宝を懐に蔵して国を迷わす者には、ともに仁を語るべからず。己の身を困窮させて親を束縛する者には、ともに孝を語るべからず。任重く道遠き者は、処を擇ばずして休む。家貧しく親老いたる者は、官を擇ばずして仕う。ゆえに君子は粗褐を着て時勢に趨り、当前の事務が最も緊急なり。伝に記す:時に逢わずして官を為し、事を担任して思慮を加厚せられ、役使せられて謀に参せざるは、貧のゆえなり。『詩經』に曰く、「早朝より晩に至るまで公家の事に従い、この命運実に同じからず」と。
第二章
傳曰:夫《行露》之人許嫁矣,然而未往也。見一物不具,一禮不備,守節貞理,守死不往。君子以為得婦道之宜,故舉而傳之,揚而歌之,以絕無道之求,防汙道之行乎?《詩》曰:“雖速我訟,亦不爾從。”
伝に記す:あの『行露』の中の人はすでに嫁を許したも、なお往かず。一件の器物の斉わざるを見、一項の礼の完備せざるを見て、節を守り正理を堅持し、死を守っても往かざるなり。君子はこれを以て婦道の適宜を得たりと為し、ゆえに挙げて伝述し、宣揚して歌い、以て無道の求取を断絶し、汚穢の道の实行を防止せんとするか?『詩經』に曰く、「たとえ我を逼めて官司を打たしむとも、我は汝に従わず」と。
第三章
孔子南遊適楚,至於阿谷之隧,有處子偑璜而浣者。孔子曰:“彼婦人其可與言矣乎?”抽觴以授子貢,曰:“善為之辭,以觀其語。”子貢曰:“吾北鄙之人也,將南之楚。逢天之暑,思心潭潭,顧乞一飮,以表我心。”婦人對曰:“阿谷之隧,隱曲之汜,其水載清載濁,流而趨海,欲飮則飮,何問於婢子!”受子貢觴,迎流而挹之,奐然而溢之,從流而挹之,奐然而覺得之,坐置之沙上。曰:“禮固不親授。”子貢以告。孔子曰:“丘知之矣。”抽琴去其軫,以授子貢曰:“善為之辭,以觀其語。”子貢曰:“向子之言,穆如清風,不悖我語,和暢我心。於此有琴而無軫,願借子以調其音。”女人對曰:“吾野鄙之人也,僻陋而無心,五音不知,安能調琴?”子貢以告。孔子曰:“丘知之矣。”抽絺五兩以授子貢,曰:“善為之辭,以觀其語。”子貢曰:“吾北鄙之人也,將南之楚。於此有絺紘(右上加乂)五兩,吾不敢以當子身,敢置之水浦。”婦人對曰:“行客之人,嗟然永久,分其資財,棄之野鄙。吾年甚少,何敢受子?子不早去,今竊有狂夫守之者矣。”《詩》曰:“南有喬木,不可休思,漢有遊女,不可求思。“此之謂也。”
孔子が南游して楚に至り、阿谷の隧道に至るに、処女ありて璜を佩びて衣を浣っていた。孔子は言った。「あの婦人はともに言を為すべきか?」觴を抽き出して子貢に交えて曰く、「善く措辞して、彼女の言を観察せよ」と。子貢は言った。「我は北鄙の人、将に南行して楚に至らんとす。天気の暑熱に逢い、心思沉沉として、一口の飲を求めんと願い、以て我が心を表明せん。」婦人は答えた。「阿谷の隧道、隠曲の水辺、その水はあるいは清くあるいは濁り、流れて海に趨る、飲まんと欲すれば飲め、婢子に問うて何を為さん?」子貢の觴を接け取り、水流に迎えて舀えば奐然として満ち溢れ、水流に順って舀えば奐然として舀み得たと覚え、坐して沙上に置く。曰く、「礼は本より手を以て授受せず」と。子貢は孔子に告げた。孔子は言った。「丘は知った。」琴を抽き出して軫を去り、子貢に交えて曰く、「善く措辞して、彼女の言を観察せよ」と。子貢は言った。「さきほどのお言葉、和穆にして清風のごとく、我が言に违背せず、我が心を和暢せしむ。ここに琴ありて軫なし、願わくばあなたを借りてあの音を調せん。」女は答えた。「我は郊野の鄙陋の人、偏僻簡陋にして心思なく、五音を知らず、どうして琴を調えん?」子貢は孔子に告げた。孔子は言った。「丘は知った。」細葛布五両を抽き出して子貢に交えて曰く、「善く措辞して、彼女の言を観察せよ」と。子貢は言った。「我は北鄙の人、将に南行して楚に至らんとす。ここに細葛紘五両あり、我は敢えて以てあなたの身に当たらず、敢えて水辺に置かん。」婦人は答えた。「過路の客人、嗟叹して停留すること久し、資財を分出して郊野に拋棄す。我は年紀甚だ軽し、どうして敢えてあなたを受けん?あなた早く去らざれば、今や私に狂夫ありて我を守らん。」『詩經』に曰く、「南に高大の樹あり、しかもその下に休息すべからず。漢水に出游の女子あり、しかも求取すべからず」と。言うはこのことなり。
第四章
哀公問孔子曰:“有智者壽乎?”孔子曰:“然。人有三死而非命也者,自取之也。居處不理,飲食不節,佚勞過度者,病共人殺之。居下而好乾上,嗜慾無厭,求索不止者,刑共殺之。少以敵眾,弱以侮強,忿不量力者,兵共殺之。故有三死而非命者,自取之也。“《詩》曰:“人而無儀,不死何為。”
哀公は孔子に問うた。「智ある人は寿なるか?」孔子は言った。「是れなり。人に三種の死ありて命に非ず、自ら取るなり。居処を調理せず、飲食を節制せず、逸楽労累过度なるは、病一たび起りて彼を殺す。下に処りて上に干犯するを好み、嗜欲満足なく、求索停止せざるは、刑一たび起りて彼を殺す。少を以て衆に敵対し、弱を以て強を侮辱し、忿怒して力量を估量せざるは、兵一たび起りて彼を殺す。ゆえに三種の死ありて命に非ず、自ら取るなり。」『詩經』に曰く、「人と為りて儀容なくば、死せずしてまた何を為さん」と。
第五章
傳曰:在天者莫明乎日月,在地者莫明於水火,在人者莫明乎禮義。故日月不高則所照不遠,水火不積則光炎不博,禮義不加乎國家則功名不白。故人之命在天,國家命在禮,君人者降禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆而亡,《詩》曰:人而無禮,胡不遄死。
伝に記す:天に在りては日月より明なるなく、地に在りては水火より明なるなく、人に在りては礼義より明なるなし。ゆえに日月高からざれば照らす所遠からず、水火積聚せざれば光焰広博せず、礼義国家に加わらざれば功名顕白せず。ゆえに人の命は天に在り、国家の命は礼に在り。人君たるは、己を降下し礼を尊び賢を尊んで王と称し、法を重んじ民を愛して覇と称し、利を好み詐多くして危険、権謀傾覆して滅亡す。『詩經』に曰く、「人と為りて礼なくば、なぜ速やかに死せぬ」と。
第六章
君子有辯善之度,以治氣養性,則身後彭祖。修身自強則名配堯禹。宜於時則達,厄於窮則處,信禮者也。凡用心之術,由禮則理達,不由禮則悖亂。飲食衣服,動靜居處,由禮則和節,不由禮則墊陷生疾。容貌態度,進退趍步,由禮則雅,不由禮則夷固。故人無禮則不生,事無禮則不成,國無禮則不寧,王無禮則死亡無日矣。《詩》曰:“人而無禮,胡不遄死。”
君子には善を辨别する法度あり、以て気を治め性を養えば、身後に彭祖に比ぶべし。身を修め自強すれば名声は堯禹と并列す。時に適宜すれば顕達し、窮厄に困るれば安処す、是れ礼を信ずる人なり。およそ心を用いるの法は、礼に由れば理達し、礼に由らざれば悖乱す。飲食衣服、動静居処、礼に由れば和諧して節あり、礼に由らざれば下陥して病を生ず。容貌態度、進退快步、礼に由れば雅、礼に由らざれば鄙陋頑固。ゆえに人は礼なくば生ずる能わず、事は礼なくば成る能わず、国は礼なくば安寧ならず、王は礼なくば死亡すること日幾ばくもなからん。『詩經』に曰く、「人と為りて礼なくば、なぜ速やかに死せぬ」と。
第七章
傳曰:不仁之至忽其親,俞樾云:忽當作忍,字之誤也,忍其親與下倍其君欺其友文義相稱。字誤作忽,則無義矣。不忠之至倍其君,不信之至欺其友,此三者,聖人之所殺而不赦也,《詩》曰:“人而無禮,不死何為。”
伝に記す:不仁極まるは親に忍心を以てし、不忠極まるは君に背叛し、不信極まるは朋友を欺騙す。この三様は、聖人の殺して赦免せざる所なり。『詩經』に曰く、「人と為りて礼なくば、死せずしてまた何を為さん」と。
第八章
王子比干殺身以成其吣,尾生殺身以成其信,伯夷叔齊殺身以成其廉。此四子者,皆天下之通士也。四舊作三。豈不愛其身哉?為夫義之不立,名之不顯,則士恥之,故殺身以遂其行。由是觀之,卑賤貧窮,非士之恥也。夫士之所芷者,天下舉忠而士不與焉,舉信而士不與焉,舉信而士不與焉,舉廉而士不與焉。三者存乎身,名牛於世,與日月並而不息天不能殺,地不能生,當桀紂之世,不之能汙也。然則非惡生而樂死也。惡富貴好貧賤也,由其理尊貴及己而仕,不辭也。孔子曰:“富而可求也,雖執鞭之士,吾亦為之,如不可求,從吾所好。故阨窮而不憫,勞辱而不茍,然後能有致也。《詩》曰:“我心匪石,不可轉也,我心匪席,不可卷也。此之謂也。”
王子比干は身を殺してその忠心を成就し、尾生は身を殺してその信を成就し、伯夷・叔斉は身を殺してその廉を成就した。この数人は、みな天下の通達の士なり。豈に身を愛さざらんや?義立たず名顕れざれば、則ち士は以て恥と為すがゆえに、身を殺して品行を成就す。これより観れば、卑賎貧窮は士の恥に非ず。士の恥ずる所は、天下が忠を挙げて士その中に在らず、信を挙げて士その中に在らず、廉を挙げて士その中に在らざるなり。三様が身に存し、名が世に立ち、日月と并列して息まず、天は殺す能わず、地は生ずる能わず、桀紂の世に正しく当たるも、また汚穢する能わず。然らば生を厭悪して死を喜好し、富貴を厭悪して貧賤を愛好するに非ず、その道理に順えば、尊貴己に至りて官を為るも、辞せず。孔子は言った。「富はもし求められば、鞭を執るの士といえども、我もまた為す。もし求められざれば、我が愛好する所に従わん。ゆえに困窮して憂憫せず、労辱して苟且せず、然る後に能く成就する所有らん。」『詩經』に曰く、「我が心は石に非ず、転ずべからず。我が心は蓆に非ず、巻くべからず」と。言うはこのことなり。
第九章
原憲居魯,環堵之室,茨以蒿萊,蓬戶甕牗,揉桑而為樞,上漏下溼,匡坐而絃歌,子貢乘肥馬,衣輕裘,中紺而表素,軒車不容巷而往見之。原憲楮冠黎杖而應門,正冠則纓絕,振襟則肘見,納履則踵決,子貢曰:“嘻,先生何病也?”原憲仰而應之,曰:“憲聞之,無財之謂貧,學而不能之謂病,憲貧也,非病也,若夫希世而行,比周而友,學以為人,教以為己,仁義之匿,車馬之飾,衣裘之麗,憲不忍為之也。”子貢逡巡,面有慚色,不辭而去。原憲乃徐步曳杖歌商頌而反,聲滿於天地,如出金石。天子不得而臣也,諸侯不得而友也,故養身者忘家,養志者忘身。身且不愛,孰能忝之?”《詩》曰:“我心匪石,不可轉也,我心匪席,不可卷也。”
原憲は魯に住み、環堵の屋、蒿萊を以て頂を蓋い、蓬を門と為し瓮を窓と為し、桑を揉みて門枢と為し、上は漏り下は湿るも、端正に坐して弦歌す。子貢は肥馬に乗り、輕裘を着、裏は紺色外は素色、軒車は巷に容れずして往きて彼を見た。原憲は楮冠を戴き藜杖を拄きて門に応じ、冠を正せば帽纓断え、衣襟を抖せば肘露出し、鞋を穿けば脚跟裂開す。子貢は言った。「ああ、先生は何の病あるか?」原憲は頭を擡げて応答す。「憲は聞く、財なきを貧と謂い、学びて能く实行せざるを病と謂うと。憲は貧にして、病に非ず。世道に迎合して行い、党を結び友を交わり、学ぶは人に見せんがため、教うるは己のため、仁義の隠匿、車馬の修飾、衣裘の華麗なるに至っては、憲は為すに忍びず。」子貢は遅疑して後退り、面に慚色あり、辞せずして去った。原憲はすなわち徐々に歩み、杖を拖きて『商頌』を唱えて返り、声音は天地に充満し、金石より発するがごとし。天子も彼を臣服せしめ能わず、諸侯も彼と交友する能わず。ゆえに身を養う者は家を忘れ、志を養う者は身を忘る。身すらなお愛さず、誰か彼を辱没せん?『詩經』に曰く、「我が心は石に非ず、転ずべからず。我が心は蓆に非ず、巻くべからず」と。
第十章
傳曰:所謂士者,雖不能盡乎道術,必有由也。雖不能盡乎美善,必有處也。言不務多,務審其所謂,行不務多,務審其所由而已。行既已尊之,言既已由之,若肌膚性命之不可易也。《詩》曰:“我心匪石,不可轉也。我心匪席,不可卷也。”
伝に記す:いわゆる士とは、たとい道術を窮める能わずとも、必ず由来する所有り。たとい美善を窮める能わずとも、必ず安処する所有り。言説は多きを務求せず、務めて言う所を審察す。行為は多きを務求せず、務めて由来する所を審察するのみ。行為すでにそれを尊崇し、言説すでにそれに由来するは、肌膚性命の改易すべからざるがごとし。『詩經』に曰く、「我が心は石に非ず、転ずべからず。我が心は蓆に非ず、巻くべからず」と。
第十一章
傳曰:君子潔其身而同者合焉,善其音而類者應焉。馬鳴而馬應之,牛鳴而牛應之,非知也,其勢然也,故新沐者必彈冠,新浴者必振衣,莫能以己之皭皭容人之混澐然。《詩》曰:我心匪鑑,不可以茹。
伝に記す:君子は己を清潔にして同類の会合、声音を善くして同類の応和す。馬が叫べば馬が応和し、牛が叫べば牛が応和す、知に非ず、あの勢いがしかならしむ。ゆえに新たに髪を洗う者は必ず帽子を彈き、新たに洗浴する者は必ず衣服を抖う、人は能く己の潔白を以て人の混濁を容纳せざるなり。『詩經』に曰く、「我が心は鏡に非ず、含容すべからず」と。
第十二章
荊伐陳,陳西門壞,因其降民使修之,孔子過而不式,子貢執轡而問曰:禮過三人則下,二人則式。今陳之修門者眾矣,夫子不為式,何也?孔子曰:“國亡而弗知,不智也,知而不爭,非忠也,爭而不死,非勇也。修門者雖眾,不能行一於此,吾故弗式也。《詩》曰:“憂必悄悄,慍於群小”,小人成群,何足禮哉?
荊が陳を伐ち、陳の西門壊れれば、則ち投降の民を用いて彼らを修めしむ。孔子は経過して憑軾せず、子貢は轡を握りて問うた。「礼は三人を経れば下車し、両人なれば憑軾す。今陳の門を修める者多し、夫子は憑軾せず、なぜか?」孔子は言った。「国亡ぶを知らざるは、不智。知りて争わざるは、忠に非ず。争いて死せざるは、勇に非ず。門を修める者多しといえども、能くその中の一様を实行せず、我が憑軾せざる所以なり。」『詩經』に曰く、「憂心悄悄として、一群の小人に怨怒せらる」と。小人が群を成すは、どこに礼待するに値せんや?
第十三章
傳曰:喜名者必多怨,好與者必辱,唯滅跡於人,能隨天地自然,為能勝理而無愛名,名興則道不用,道行則人無位矣。夫利為害本,而福為禍先。唯不求利者為無害,不求福者為無禍,《詩》曰:“不忮不求,何用不臧。”
伝に記す:名を好む者は必ず怨多く、施予を愛好する者は必ず辱を受く。ただ人の中間に迹を滅し、能く天地自然に随従して、はじめて理に勝って愛名なくん。名が興れば道は用いられず、道が实行すれば人に位子なし。利は害の根本、福は禍の先導。ただ利を求めざるは害なく、福を求めざるは禍なし。『詩經』に曰く、「忌刻せず貪求せずば、為すこと何ぞ善ならざらん」と。
第十四章
傳曰:聽者耳聞,明者目見。聰明則仁愛著而廉恥分矣。故非其道而行之,雖勞不至。非其有而求之,雖強不得,故智者不為非其事,廉者不求非其有,是以害遠而名彰也,《詩》云:“不忮不求,何用不臧。”
伝に記す:聴く者は耳を以て聞き、明なる者は目を以て見る。聡明なれば仁愛顕著にして廉恥分別す。ゆえにあの道に非ずして实行するは、労苦すといえども到らず。彼の有するに非ずして求取するは、強求すといえども得られず。ゆえに智者は彼の事に非ざるを為さず、廉潔の人は彼の有するに非ざるを求めず、ここを以て害遠離して名顕彰す。『詩經』に曰く、「忌刻せず貪求せずば、為すこと何ぞ善ならざらん」と。
第十五章
傳曰:安命養性者不待積委而富,名號傳乎世者不待勢位而顯,德義暢乎中而無外求也,信哉,賢者之不以天下為名利也。《詩》曰:“不忮不求,何用不臧。”
伝に記す:命に安じ性を養う者は積蓄を待たずして富み、名号世に流伝する者は勢位を待たずして顕れ、徳義内に暢達して外求なし、信なるかな、賢者は天下を以て名利と為さず。『詩經』に曰く、「忌刻せず貪求せずば、為すこと何ぞ善ならざらん」と。
第十六章
古者天子左五鍾,右五鍾。將出,則撞黃鐘,而右五鍾皆應之,馬鳴中律,駕者有文,御者有數,立則磬折,拱則抱鼓,行步中規,折旋中矩。然後太師奏升車之樂,告出也。入則撞蕤賓,而左五鍾皆應之,以治容貌,容貌得則顏色齊,顏色齊則肌膚安。蕤賓有聲,鵠震馬鳴,及倮介之蟲,無不延頸以聽。在內者皆玉色,在外者皆金聲,然後少師奏升堂之樂,即席告入也。此言音樂相和,物類相感,同聲相應之義也。《詩》云:“鐘鼓樂之。”此之謂也。
古代の天子は左に五口の鐘、右に五口の鐘あり。将に出でんとすれば、則ち黄鐘を撞き、而して右の五口の鐘みな応和す。馬鳴は律に合し、駕車する者は文釆あり、御者は度数あり、立てば磬のごとく弯がり、拱手すれば鼓を抱くがごとく、歩きは規に合し、轉弯は矩に合す。然る後に太師は升車の楽を奏し、出でたりと報告す。入れば則ち蕤賓を撞き、而して左の五口の鐘みな応和し、以て容貌を整治す。容貌当を得れば顔色斉整し、顔色斉整すれば肌膚安定す。蕤賓に声音あれば、鵠震動し馬鳴叫し、および裸露甲ある虫は、頸を伸ばして聴かざるなし。内に在るはみな玉色、外に在るはみな金声、然る後に少師は升堂の楽を奏し、席に就きて入りたりと報告す。是れ音楽相和し、物類相感じ、同声相応ずるの道理を言うなり。『詩經』に曰く、「鐘鼓は彼を楽しましむ」と。言うはこのことなり。
第十七章
枯魚銜索,幾何不蠹?二親之壽,忽如過客。樹木欲茂,霜露不使。賢士欲養,二親不待,故曰:家貧親老,不擇官而仕也。《詩》曰:“雖則尾(左加火),父母孔邇。”此之謂也。
干魚を繩子に穿つ、还能く幾久しく虫に蛀まれざらん?双親の寿命は、忽然として過客のごとし。樹木は茂盛せんと欲すれど、霜露は許さず。賢士は奉養せんと欲すれど、双親は待たず。ゆえに曰く、家貧しく親老いたれば、官を擇ばずして仕うと。『詩經』に曰く、「事急迫するといえども、父母近し」と。言うはこのことなり。
第十八章
孔子曰:君子有三憂,弗知可無憂與?知而不學,可無憂與?學而不行,可無憂與?《詩》曰:“未見君子,憂心惙惙。”
孔子は言った。君子に三種の憂あり、知らざるは憂うべからざるか?知りて学ばざるは、憂うべからざるか?学びて实行せざるは、憂うべからざるか?『詩經』に曰く、「いまだ君子を見ず、憂心惙惙たり」と。
第十九章
魯公甫文伯死,其母不哭也。季孫聞之曰:“公甫文伯之母,貞女也,子死不哭,必有方矣。使人問焉,對曰;昔是子也,吾使之事仲尼,仲尼去魯,送之不出魯郊,贈之不與家珍,病不見士之來視者,死之日,宮女縗絰而從者十執行,此不足於士而有餘於婦人也,吾是以不哭也。《詩》曰:“乃如之人兮,德音無良。”
魯公甫文伯が死したるに、彼の母は哭せず。季孫は聞きて後曰く、「公甫文伯の母は貞女、子死して哭せず、必ず縁故あらん」と。人を遣りて彼女に問えば、答えて曰く、「昔この子は、我彼をして仲尼に事えしめた。仲尼が魯を離るるや、彼を送るに魯郊を出でず、彼に贈るに家中の珍宝を給せず。病めば士の前来して探視するを見ず、死するの日、宮女が喪服を穿着して随従する者十人あり。是れ士に足らずして婦人に余あるなり、我これを以て哭せず」と。『詩經』に曰く、「竟に是れのごとき人かな、徳音好からず」と。
第二十章
傳曰:天地有合,周廷寀云:說苑辨物篇合上有德字,1禮記樂記篇云:天地欣合,則生氣有精矣。陰陽消息,則變化有時矣。時得則治,時失則亂,故人生而不具者五,目無見,不能食,不能行,不能言,不能施化,三月微盷而後能見,八月生齒而後能食,朞年臏就而後能行,三年鹸(右為頁)合而後能言。十六精通在後能施化,陰陽相反,陰以陽變,陽以陰變。故男八月生齒,八歲而齔齒。十六而精化小通。女生七月生齒,七歲而齔齒,十四而精化小通。是故陽以陰變,陰以陽變,故不肖者精化始具,而生氣感動,觸情縱慾,反施亂化。是以年壽亟夭而性不長也。《詩》曰:乃如之人兮,懷婚姻也,太無信也,不知命也,賢者不然,精氣闐溢而後傷,時不可過也。不見道端,乃陳情慾,以歌道義。《詩》曰:“靜女其姝,俟我乎城隅,愛而不見,搔首躊躇。瞻彼日月,遙遙我思。道之雲遠,曷雲能來!”急時之辭也。甚焉故稱日月也。
伝に記す:天地に合あれば、生気に精あり。陰陽消長すれば、変化に時あり。時当を得れば治まり、時当を失えば乱る。ゆえに人生まれて完備せざる五様あり:目は見えず、食う能わず、走る能わず、言を能くせず、施化する能わず。三箇月に目微かに開けて然る後に能く見、八箇月に牙を長じて然る後に能く食い、一周年に髕骨長成して然る後に能く走り、三年に囟門合して然る後に能く言い、十六歳に精気貫通して然る後に能く施化す。陰陽相反し、陰は阳に因りて変じ、阳は陰に因りて変ず。ゆえに男は八箇月に牙を長じ、八歳に歯を換え、十六歳に精化小通す。女は七箇月に牙を長じ、七歳に歯を換え、十四歳に精化小通す。ここを以て阳は陰に因りて変じ、陰は阳に因りて変ず。ゆえに不肖の人は精化剛て具備し、生気感動し、情に触れて欲を縦し、反りて施乱化す。ここを以て年寿は速やかに夭折して性は長ぜず。『詩經』に曰く、「竟に是れのごとき人かな、婚姻を思いて、あまりに信なく、命を知らず」と。賢者は然らず、精気充満して然る後に傷感す、時は過ごすべからず。道の端緒を見ず、すなわち情欲を陳述し、以て道義を歌唱す。『詩經』に曰く、「嫻静の女子は何と美しきか、城隅にて我を待つ。隠蔽して見えず、頭を搔きて躊躇す。あの日月を看るに、我が思念遥かなり。道路あれほど遠し、どうして来らん!」是れ急ぐ時の辞なり。あまりに急ぐがゆえに日月を称説す。
第二十一章
楚白公之難,有莊之善者,辭其母,將死君。其母曰:“棄母而死君可乎?”曰:“吾聞事君者,內其祿而外其身,今之所以養母者,君之祿也,請往死之。”比至朝,三廢車中。其僕曰:“子懼,何不反也?”曰:“懼,吾私也,死君,吾公也。吾聞君子不以私害公。”遂往死之。君子聞之曰:“好義哉,必濟矣夫。”《詩》云:“深則厲,淺則揭。”此之謂也。
楚の白公の災難に、荘之善という人あり、母を辞別し、将に君のために死せんとす。母は曰く、「母を拋棄して君のために死す、可なるか?」曰く、「我は聞く、君に事えるは、内はその禄を受け外は己の身を献出すと。今以て母を養うは、君の禄なり、請う往きて彼のために死せん」と。朝に至るに及び、三たび車中より落下す。僕人は曰く、「あなた怕れる、なぜ返回せぬ?」曰く、「怕れるは我が私、君のために死するは我が公。我は聞く、君子は私を以て公を害せざると」すなわち往きて難に死す。君子は聞きて後曰く、「義を好むかな、必ず成らん」と。『詩經』に曰く、「水深ければ衣を連ねて淌り過ぎ、水浅ければ衣裳を提起す」と。言うはこのことなり。
第二十二章
晉靈公之時,宋人殺昭公,趙宣子請師於靈公而救之。靈公曰:“非晉國之急也。”宣子曰:“不然,夫大者天地,其次君臣,所以為順也,今殺其君,所以反天地,逆人道也,無必加災焉。晉為盟主而不救,無罰懼及矣。《詩》云:“凡民有喪,匍匐救之。而況國君乎?”於是靈公乃與師而從之。宋人聞之,儼然感說,而晉國日昌,何則?以其誅逆存順。《詩》曰:“凡民有喪,匍匐救之。”趙宣子之謂也。
晋霊公の時、宋人は昭公を殺し、趙宣子は霊公に軍隊を請い往きて救わんとす。霊公は曰く、「晋国の急務に非ず」と。宣子は曰く、「然らず。大なるは天地、其の次は君臣、以て順を成す所なり。今その君を殺すは、以て天地に反し人道に逆らうなり、さらに災を加うるを必とせず。晋は盟主を為して救わざれば、懲罰の懼れ至らん。『詩經』に曰く、「およそ民に丧事あれば、爬りて往きて救う」と。まして国君においてをや?」すなわち霊公ははじめて軍隊を給して彼を従えしめた。宋人は聞きて、儼然として感悦し、而して晋国は日に日に昌盛した。なぜか?逆を誅討し順を保存するを以てなり。『詩經』に曰く、「およそ民に丧事あれば、爬りて往きて救う」と。言うは趙宣子なり。
第二十三章
傳曰:水濁則魚喁,令苛見民亂,城峭則崩,岸峭則陂。故吳起峭刑而車裂,商鞅峻法而支解,治國者譬若乎張琴然,大弦急則小弦絕矣,故急轡銜者,非千里之御也,有聲之聲不過百里,無聲之聲延及四海。故祿過其功者削,名過其實者損,情行合而名副之,禍福不虛至矣。《詩》云:“何其處也,必有與也。何其久也,必有以也。”故惟其無為,能長生久視,而無累於物矣。郝懿行云:“故惟其無為”以下,疑他篇錯簡在此。維遹案:下第二十四章詩辭末,說苑修文篇有“惟有以者,為能長生久視而無累於物也”十六字。今本下章無,蓋即郝氏所本。
伝に記す:水濁れば魚は向上して嘴を露わにし、政令苛刻なれば民乱れ、城陡峭なれば崩れ、岸陡峭なれば傾斜す。ゆえに呉起は刑罰峭刻にして車裂せられ、商鞅は法令峻厳にして肢解せられた。国を治むるは琴を張るに比す、大弦急なれば小弦断える。ゆえに轡衘急なるは、千里の駕馭に非ず。声ある声は百里を超えず、声なき声は四海に延及す。ゆえに禄が功を超過するは削られ、名が実を超過するは損なわれ、情行相合い名相副えば、禍福は凭空に来らず。『詩經』に曰く、「なぜ安処せん、必ず与う所あらん。なぜ長久せん、必ず所以あらん」と。ゆえにただその無為、能く長生久視して、物に牽累せられず。
第二十四章
傳曰:衣服容貌者,所以說目也,應對言語者,所以說耳也。好惡去就者,所以說心也。故君子衣服中,容貌得,則民之目悅,言語遜,應對給,則民之耳悅矣。就仁去不仁,則民之心悅矣。三者存乎身,雖不在位,謂之素行。故中心存善,而日新之,則獨居而樂,德充而形。《詩》曰:“何其處也,必有與也。何其久也,必有以也。”
伝に記す:衣服容貌は以て目を悦ばしむる所、応対言語は以て耳を悦ばしむる所、好悪去就是以て心を悦ばしむる所なり。ゆえに君子は衣服適中、容貌得当なれば、則ち民の目は喜悦す。言語謙遜、応対敏捷なれば、則ち民の耳は喜悦す。仁に趨就不仁を去れば、則ち民の心は喜悦す。三様身に存すれば、たとい位子に在らずとも、素行と謂う。ゆえに中心に善を存して日日更新すれば、則ち独居して楽しみ、徳充実して顕現す。『詩經』に曰く、「なぜ安処せん、必ず与う所あらん。なぜ長久せん、必ず所以あらん」と。
第二十五章
仁道有四,磏為下。有聖仁者,有智仁者,有德仁者,有磏仁者。上知天能用其時,下知地能用其材,中知人能安樂之,是聖仁者也。上亦知天能用其時,下知地能用其材,中知人能使人肆之,是智仁者也。寬而容眾,百姓信之,道所以至,弗辱以時,是德仁者也,廉潔直方,病亂不治,惡邪不匡,雖居鄉里,若坐塗炭,命入朝廷,如赴湯火,非其民不使,非其食弗嘗,疾亂世而輕死,弗顧弟兄,以法度之,比於不祥,是磏仁者也。傳曰:山銳則不高,水徑則不深,仁磏則其德不厚,志與天地擬者其人不祥。是伯夷、叔齊、卞隨、介子推、原憲、鮑焦、袁旌目、申徒狄之行也,其所受天命之度,適至是而止,弗能改也,雖枯槁弗舍也。《詩》云:“亦已焉哉,天實為之,謂之何哉!”磏仁雖下,然聖人不廢者,匡民隱括,有在是中者也。
仁道に四等あり、廉は下等なり。聖仁あり、智仁あり、徳仁あり、廉仁あり。上は天を知りて能く天時を用い、下は地を知りて能く地材を用い、中は人を知りて彼らを安楽せしむる能くす、是れ聖仁。上もまた天を知りて能く天時を用い、下は地を知りて能く地材を用い、中は人を知りて人をして力を尽さしむる能くす、是れ智仁。寛にして衆を容纳し、百姓信任し、道の至る所、時を以て侮辱せず、是れ徳仁。廉潔正直方正、病乱を治理せず、邪を厭悪して匡正せず、たとい郷里に住むも塗炭に坐するがごとく、朝廷に入るを命ぜられれば湯火に赴くがごとく、彼の民に非ざれば役使せず、彼の食に非ざれば品嚐せず、乱世を痛恨して死を看輕し、弟兄を顧みず、法度を以て衡量し、不祥に比す、是れ廉仁。伝に記す:山尖鋭なれば高からず、水直流すれば深からず、仁にして廉なれば徳厚からず、志向天地と比擬するあの人は不祥なりと。是れ伯夷・叔斉・卞随・介子推・原憲・鮑焦・袁旌目・申徒狄の品行、彼らの受ける所の天命の限度、正好ここに至りて止む、改むる能わず、たとい枯槁するも捨棄せず。『詩經』に曰く、「また已むのみか、天実にこのごとく為す、これを何と謂わん!」廉仁は下等といえども、しかし聖人は廃棄せず、是れ民を匡正し隠括を矯正するに、あの中間に在るがゆえなり。
第二十六章
申徒狄非其世,將自投於河。崔嘉聞而止之曰:“吾聞聖人仁之於天地之間也,民之父母也,今為濡足之故,不救溺人,可乎?”申徒狄曰:“不然。昔桀殺關龍逢,紂殺王子比干,而亡天下,吳殺子胥,陳殺洩冶,而滅其國。故亡國殘家,非無聖智也,不用故也。”遂抱石而沉於河。君子聞之曰:“廉矣。如仁與智,則吾未之見也。”《詩》曰:“天實為之,謂之何哉!”
申徒狄はその世道を非議し、将に自ら河に投ぜんとす。崔嘉は聞きて制止して曰く、「我は聞く、聖人仁人は天地の間に在り、是れ民の父母、今や脚を湿すの縁故を以て、溺水の人を救わざるは、可なるか?」申徒狄は曰く、「然らず。昔桀は関龍逢を殺し、紂は王子比干を殺して天下を丢失した。呉は子胥を殺し、陳は泄冶を殺してその国を滅亡した。ゆえに亡国残家は、聖智なきに非ず、用いざるの縁故なり」と。すなわち石を抱きて河に沉んだ。君子は聞きて後曰く、「廉潔なり。仁和智に至っては、則ち我見ず」と。『詩經』に曰く、「天実にこのごとく為す、これを何と謂わん!」
第二十七章
鮑焦衣弊膚見,挈畚捋蔬,遇子貢於道。子貢曰:“吾子何以至於此也?”鮑焦曰:“天下之遺德教者眾矣,吾何以不至於此也?吾聞之,世不己知而行之不已者,是爽行也。上不己用而幹之不止者,是毀廉也。行爽廉毀,然且弗舍,惑於利者也。”子貢曰:“吾聞之,非其世者,不生其利。汗其君者,不履其士。今吾子汙其君而履其土,非其世而捋其蔬,其可乎?《詩》曰:“‘溥天之下,莫非王土。’此誰之有哉?”鮑焦曰:“於戲!吾聞賢者重進而輕退,廉者易愧而輕死。”於是棄其蔬而立槁於洛水之上。君子聞之曰:“廉夫剛哉!夫山銳則不高,水徑則不深,行磏者其德不厚,志與天地擬者其為人不祥。鮑焦可謂不祥矣。其節度淺深,適至於是矣。”《詩》云:“亦已焉哉。天實為之,謂之何哉!”
鮑焦は衣服破れ皮膚露出し、畚を提げて蔬を捋みに行き、路上にて子貢に遇う。子貢は曰く、「あなたはなぜこの歩に至った?」鮑焦は曰く、「天下に徳教を遺棄する者多し、我はなぜこの歩に至らざらん?我は聞く、世道が己を知らずして行為停止せざるは、品行に违背するなり。上に在る者が己を用いずして求進停止せざるは、廉潔を毀壞するなり。品行违背し廉潔毀壞して、しかもなお捨棄せざるは、利に迷惑せられた者なり」と。子貢は曰く、「我は聞く、あの世道を非議する者はそれに靠りて生利せず、あの君を汚穢する者はその土を踏まざると。今あなたは君を汚穢してその土を踏み、世道を非議して蔬を捋みに行く、可なるか?『詩經』に曰く、『普天の下、王の土に非ざるなし』と。是れ誰の所有か?」鮑焦は曰く、「嗚呼!我は聞く、賢者は進用を重んじて退を看輕し、廉潔の人は羞恥し易く死を看輕す」と。すなわち蔬菜を拋棄し、立ちて洛水の上に枯死した。君子は聞きて後曰く、「廉潔剛強かな!山尖鋭なれば高からず、水直流すれば深からず、行為廉潔の人は徳厚からず、志向天地と比擬するは、彼の做人は不祥なり。鮑焦は不祥と称すべし。その節度の浅深は、正好ここに至りて止めり」と。『詩經』に曰く、「また已むのみか。天実にこのごとく為す、これを何と謂わん!」
第二十八章
昔者周道之盛,邵伯在朝,有司請營邵以居。邵伯曰:“嗟!以吾一身而勞百姓,此非吾先君文王之志也。”於是出而就蒸庶於阡陌隴畝之間而聽斷焉。邵伯暴處遠野,廬於樹下,百姓大說,耕桑者倍力以勸。於是歲大稔,民給家足。其後,在位者驕奢,不恤元元,稅賦繁數,百姓睏乏,耕桑失時。於是詩人見邵伯之所休息樹下,美而歌之。《詩》曰:“蔽茀甘棠,勿剗勿伐,召伯所茇。”此之謂也。
昔周道の興盛の時、召伯は朝に在り、有司は営建して召地を彼の居住に給せんと請うた。召伯は曰く、「ああ!我が一身のために百姓を労するは、是れ我先君文王の志向に非ず」と。すなわち出でて、阡陌田畝の間に至りて衆庶に靠近して獄訟を聴断した。召伯は暴露して遠野に処り、樹下に廬を搭り、百姓は非常に喜悦し、耕桑の人は力を加倍して勤勉した。すなわち年成大熟し、民給え家足れり。後、位に在る者は驕奢にして、百姓を体恤せず、税賦繁多にして、百姓困乏し、耕桑時を失えり。すなわち詩人は召伯の休息した所の樹下を見て、赞美して歌った。『詩經』に曰く、「茂盛の甘棠、剪る勿れ伐る勿れ、召伯ここに住みし」と。言うはこのことなり。
韓詩外伝巻第二
第一章
楚莊王圍宋,有七日之糧,曰:“盡此而不克,將去而歸。”於是使司馬子反乘闉而窺宋城。宋使華元乘闉而應之。子反曰:“子之國何若矣?”華元曰:“憊矣。易子而食之,片(左加木)骸而爨之。”子反曰:“嘻,甚矣憊!雖然,吾聞圍者之國,箝馬而秣之,使肥者應客。今何吾子之情也?”華元曰:“吾聞君子見人之困則矜之,小人見人之困則幸之。吾望見吾子似於君子,是以情也。”子反曰:“諾,子其勉之矣。吾軍有七日糧爾。”揖而去。子反告莊王,莊王曰:“若何?”子反曰:“憊矣。易子而食之,片(左加木)骸而爨之。”莊王曰:“嘻,甚矣憊·今得此而歸爾。”子反曰:“不可,吾已告之矣。曰:軍亦有七日糧爾。”莊王怒曰:“吾使子視之,子曷為而告之?”子反曰:“區區之宋猶有不欺之臣,可以楚國而無乎?吾是以告之也。”莊王曰:“雖然吾今得此而歸爾。”子反曰:“王請處此,臣請歸耳。”王曰:“子去我而歸,吾孰與處乎此?吾將從子而歸。”遂引師而歸。君子善其平乎己也。華元以誠告子反,得以解圍,全二國之命。《詩》云:“彼姝者子,何以告之?”君子善其以誠相告也。
楚荘王が宋を囲み、ただ七日の糧あり、曰く、「これらを用尽してもなお攻克せざれば、将に去りて帰らん」と。すなわち司馬子反をして土山に登りて宋城を窺看せしめた。宋は華元を遣りて土山に登りて応答せしめた。子反は曰く、「あなたの国はどうなった?」華元は曰く、「疲憊した。子を交換して食い、骸骨を劈きて火を焼く」と。子反は曰く、「ああ、疲憊することあまりに甚だしい!然りといえども、我は聞く、囲まれたる国は、馬の嘴を鉗して後料を飼い、肥えたるを出して客に応ずと。今あなたはなぜ実情を我に告ぐる?」華元は曰く、「我は聞く、君子は人の困窘を見れば憐憫し、小人は人の困窘を見れば慶幸すと。我はあなたが君子に似たるを望見し、ゆえに実情を説く」と。子反は曰く、「良し、あなたはなお努力せよ。我が軍はただ七日の糧あるのみ」と。揖を作して去った。子反は荘王に告げ、荘王は曰く、「どうか?」子反は曰く、「疲憊した。子を交換して食い、骸骨を劈きて火を焼く」と。荘王は曰く、「ああ、疲憊することあまりに甚だしい。今これを得て帰らん」と。子反は曰く、「不可、我はすでに彼に告げた。曰く、軍もまたただ七日の糧あるのみと」と。荘王は怒りて曰く、「我はあなたをして看に往かしめた、あなたはなぜ彼に告げた?」子反は曰く、「小小の宋になお欺かざる臣あり、楚国はあって然るべからざらんや?我これを以て彼に告げた」と。荘王は曰く、「然りといえども、我は今これを得て帰らん」と。子反は曰く、「王にここに留まらんことを請う、臣は帰らんことを請う」と。王は曰く、「あなたが我を離れて帰れば、我は誰とともにここに処らん?我将にあなたに随いて帰らん」と。すなわち軍隊を帯領して帰った。君子は彼らが自ら平息を求めたを許す。華元は誠を以て子反に告げ、囲困を解除し、両国の命を保全し得たり。『詩經』に曰く、「あの美好の人、何を以て彼に告げん?」君子は彼らが誠を以て相告げしを許すなり。
第二章
魯監門之女嬰相從績,中夜而泣涕。其偶曰:“何謂而泣也?”嬰曰:“吾聞衛世子不肖,所以泣也。”其偶曰:“衛世子不肖,諸侯之憂也。子曷為泣也?”嬰曰:“吾聞之,異乎子之言也。昔者宋之桓司馬得罪於宋君,出奔於魯,其對佚而展(右加馬)吾園,而食吾園之葵。是歲,吾聞園人亡利之半。越王勾踐起兵而攻吳,諸侯畏其威。魯往獻女,吾姊與焉。兄往視之,道畏而死。越兵威者吳也,兄死者,我也。由是觀之,禍與福相及也。今衛世子甚不肖,好兵,吾男弟三人,能無憂乎?”《詩》曰:“大夫跋涉,我心則憂。”是非類與乎?
魯国の監門の女嬰は同伴とともに麻を績むに、半夜に哭泣流涙す。同伴は曰く、「なぜ哭く?」嬰は曰く、「我は聞く、衛世子不肖、ゆえに哭く」と。同伴は曰く、「衛世子不肖は、諸侯の憂慮。あなたはなぜ哭く?」嬰は曰く、「我が聞く所は、あなたの説く所と同じからず。昔宋の桓司馬は宋君に罪を得て、出奔して魯に至り、その車馬は放逸して我が園を馳騁し、我が園の葵を食った。この年、我は聞く、園人は一半の利を損失すと。越王勾践は兵を起して呉を攻め、諸侯はその威を畏懼した。魯は往きて女を献じ、我が姉もまたその中に在り。兄は前往して彼女を見るに、路上にて畏懼して死した。越兵が威を施加するは呉、兄が死するは我。これより観れば、禍と福は互相牽連す。今衛世子甚だ不肖にして、用兵を喜ぶ、我に三つの弟弟あり、能く憂えざらんや?」『詩經』に曰く、「大夫跋涉すれば、我が心則ち憂う」と。是れ同類の事に非ずや?
第三章
高子問於孟子曰:“夫嫁娶者非己所自親也。衛女何以編於《詩》也?”孟子曰:“有衛女之志則可,無衛女之志則怠。若伊尹於太甲,有伊尹之志則可,無伊尹之志則篡。夫道二,常之謂經,變之謂權。懷其常道而挾其變權,乃得為賢。夫衛女行中孝,慮中聖,權如之何?”《詩》曰:“既不我嘉,不能旋反。視我不臧,我思不遠。”
高子は孟子に問うて曰く、「嫁娶は己に親しく主を為す能わざるなり。衛女はなぜ『詩經』に編入せられた?」孟子は言った。「衛女の志向あれば可、衛女の志向なくば怠慢なり。伊尹の太甲に対するがごとき、伊尹の志向あれば可、伊尹の志向なくば篡なり。道に両種あり、平常を経と謂い、権変を権と謂う。常道を懐きて変権を挟帯して、はじめて賢と為る能し。衛女は行為孝に合し、思慮聖に合す、権変はまたどうせん?」『詩經』に曰く、「すでに我を嘉許せざれば、即座に返回する能わず。我を不善と看るも、我が思念遠からず」と。
第四章
楚莊王聽朝罷晏。樊姬下堂而迎之,曰:“何罷之晏也,得無飢倦乎?”莊王曰:“今日聽忠賢之言,不知飢倦也。”樊姬曰:“王之所謂忠賢者,諸侯之客歟?國中之士歟?”莊王曰:“則沈令尹也。”樊姬掩口而笑。王曰:“姬之所笑者何等也?”姬曰:“妾得侍於玉,尚湯沐,執巾櫛,振衽席,十有一年矣。然妾未嘗不遣人之梁鄭之間,求美人而進之於王也。與妾同列者十人,賢於妾者二人。妾豈不欲擅王之愛,專王之寵哉?不敢以私願蔽眾美也,欲王之多見,則知人能也。今沈令尹相楚數年矣,未嘗見進賢而退不肖也,又焉得為忠賢乎?”莊王旦朝,以樊姬之言告沈令尹。令尹避席而進孫叔敖。叔敖治楚三年,而楚國霸。楚史援筆而書之於策曰:“楚之霸,樊姬之力也。”《詩》曰:“百爾所思,不如我所之。”樊姬之謂也。
楚荘王は聴朝の結束すること甚だ晚し。樊姫は堂を下りて迎接し、曰く、「なぜ結束することこのごとく晚き、該らず饑餓疲倦せざらんや?」荘王は曰く、「今日忠賢の言を聴き、饑餓疲倦を知らず」と。樊姫は曰く、「王の言う所の忠賢は、諸侯の賓客か、それとも国中の士か?」荘王は曰く、「則ち沈令尹」と。樊姫は口を掩い笑う。王は曰く、「姫の笑う所は何か?」姫は曰く、「妾は得て王に侍奉し、湯沐を進上し、巾櫛を持ち、衽席を整理す、十一年なり。しかるに妾は人を梁・鄭の間に派せざるなく、美人を訪求して王に進献せり。妾と同位なる者十人あり、妾に勝る者両人あり。妾は豈に王の愛を独占し王の寵を専有せんと欲せざらんや?敢えて私願を以て衆美を遮蔽せず、王をして多く見しめ、則ち能く人を知らんと欲す。今沈令尹は楚相を為すこと数年、かつて彼が賢人を進用し不肖を黜退するを見ず、またどうして忠賢と算えん?」荘王は第二天朝会し、樊姫の言を沈令尹に告げた。令尹は席位を離れて孫叔敖を進荐した。叔敖は楚を治むること三年、楚国は覇を称した。楚国の史官は筆を提げて簡策に写す、「楚の覇を称するは、樊姫の力量なり」と。『詩經』に曰く、「あなたらの想う所百様、我が前往する所に如かず」と。言うは樊姫なり。
第五章
閔子騫始見於夫子,有菜色,後有芻豢之色。子貢問曰:“子始有菜色,今有芻豢之色,何也?”閔子曰:“吾出蒹葭之中,入夫子之門。夫子內切瑳以孝,外為之陳王法,心竊樂之。出見羽蓋龍旗,旃裘相隨,心又樂之。二者相攻胸中而不能任,是以有菜色也。今被夫子之教寖深,又賴二三子切瑳而進之,內明於去就之義,出見羽蓋龍旗,旃裘相隨,視之如壇土矣,是以有芻豢之色。”《詩》曰:“如切如瑳,如錯如磨。”
閔子騫は剛て夫子を見る時、菜を食うの臉色あり、後に肉を食うの臉色あり。子貢は問う、「あなたは起初菜を食うの臉色あり、今肉を食うの臉色あり、なぜか?」閔子は曰く、「我は蒹葭の中より出で、夫子の門に入る。夫子は内に孝を以て切磋し、外に彼に王法を陳説し、心私に快楽す。出でて羽蓋龍旗・旃裘相随を見れば、心また快楽す。両様胸中にて相攻して承受する能わず、ここを以て菜を食うの臉色あり。今夫子の教を承受すること愈え深く、また諸位の切磋に靠りて前進し、内に去就の義を明白し、出でて羽蓋龍旗・旃裘相随を見れば、それらを看待すること壇上の土のごとし、ここを以て肉を食うの臉色あり」と。『詩經』に曰く、「切るがごとく磋ぐがごとく、錯るがごとく磨ぐがごとし」と。
第六章
傳曰:雩而雨者何也?曰:無何也,猶不雩而雨也。星墜木鳴,國人皆恐,何也?是天地之變,陰陽之化,物之罕至者也。怪之可也,畏之非也。夫日月之薄蝕,怪星之黨見,風雨之不時,是無世而不嘗有也。上明政平,是雖並至無傷也。上闇政險,是雖無一無益也。夫萬物之有災,人妖最可畏也。曰何謂人妖?曰枯耕傷稼,枯耘傷歲,政險失民,田穢稼惡,糴貴民飢,道有死人,寇賊並起,上下乖離,鄰人相暴,對門相盜,禮義不修,牛馬相生,六畜作妖,臣下殺上,父子相疑,是謂人妖。妖是生於亂。傳曰:天地之災,隱而廢也,萬物之怪,書不說也。無用之變,不急之察,棄而不治。若夫君臣之義,父子之親,男女之別,切瑳而不捨也。《詩》曰:“如切如瑳,如錯如磨。”
伝に記す:雨を求めて雨降るは、何のためか?曰く、何の縁故もなし、求めずとも雨降るがごとし。星墜落し樹木鳴叫すれば、国人みな恐懼す、なぜか?是れ天地の変化、陰陽の変化、物の少なく出現するなり。奇怪と覚ゆるは可、害怕するは然らず。日月薄蝕し、怪星偶然出現し、風雨時に按せざるは、どの世代にもかつて有らざるなきなり。上に在る者明にして政治平和なれば、これらたとい一起に来るも傷なし。上に在る者暗にして政治険悪なれば、これらたとい一様なくとも益なし。万物に災あり、人妖最も可怕なり。問う、何を人妖と謂う?曰く、枯耕は庄稼を傷害し、枯耘は年成を傷害し、政治険悪は民を失い、田地荒穢は庄稼悪く、粮価貴く民饑餓し、路上に死人あり、寇賊并び起り、上下乖離し、隣人互相暴虐し、門を対して互相盗竊し、礼義修めず、牛馬互相に異類を生出し、六畜妖を作し、臣下上を殺し、父子互相懐疑す、是れを人妖と謂う。妖は乱より生出するなり。伝に記す:天地の災は、隠微にして廃棄す。万物の怪は、書は解説せず。用なき変化、急ならざる審察は、拋棄して治理せず。君臣の義、父子の親、男女の分別に至っては、切磋して捨棄せず。『詩經』に曰く、「切るがごとく磋ぐがごとく、錯るがごとく磨ぐがごとし」と。
第七章
孔子曰:“口欲味,心欲佚,教之以仁。心欲安,身欲勞,教之以恭。好辯論而畏懼,教之以勇。目好色,耳好聲,教之以義。”《易》曰:“艮其限,列其殥(改歹為月),厲燻心。”《詩》曰:“吁嗟女兮,無與士耽。”皆防邪禁佚,調和心志。
孔子は言った。「口は味道を欲し、心は安逸を欲す、仁を以て教導せよ。心は安を欲し、身は労を欲す、恭を以て教導せよ。弁論を喜びて畏懼するは、勇を以て教導せよ。眼は色を喜び、耳は声を喜ぶ、義を以て教導せよ。」『周易』に曰く、「腰部を止住し、脊肉裂開し、危険心を燻す」と。『詩經』に曰く、「嘆くべきかな女子、男子とともに耽溺する勿れ」と。みな邪僻を防止し安逸を禁止し、心志を調和するなり。
第八章(以下はしばらく注を録せず)
高牆豐上激下,未必崩也。降雨興,流潦至,則崩必先矣。草木根荄淺,未必撅也。飄風興,暴雨墜,則撅必先矣。君子居是邦也,不崇仁義,尊其賢臣,以理萬物,未必亡也。一旦有非常之變,諸侯交爭,人趨車馳,迫然禍至,乃始愁憂,幹喉焦唇,仰天而嘆,庶幾乎望其安也,不亦晚乎?孔子曰:“不慎其前而悔其後,嗟乎!雖悔無及矣。”《詩》曰:“惙其泣矣,嗟何及矣!”
高墻は上部豊厚にして下部峻急なるも、未必しも崩塌せず。降雨興り流潦至れば、則ち崩塌は必ず先に発生す。草木は根浅きも、未必しも拔起せられず。飄風興り暴雨落下すれば、則ち拔起は必ず先に発生す。君子はこの邦に住み、仁義を崇尚せず、賢臣を尊崇せずして、万物を治理すれば、未必しも滅亡せず。一旦有す非常の変故、諸侯交相争奪し、人奔跑し車馳騁し、禍迫然として来れば、はじめて愁憂し、喉嚨乾き嘴唇焦げ、天を仰ぎて叹息し、差不多安定を求めんと希望す、また晚からずや?孔子は言った。「謹慎せず前にして后悔せり後に、嘆くべきかな!后悔するも以及ばざらん。」『詩經』に曰く、「抽泣せり、嘆くもどこに以及ばん!」
第九章
曾子曰:“君子有三言,可貫而佩之。一曰無內踈而外親,二曰身不善而怨他人,三曰患至而後呼天。”子貢曰:“何也?”曾子曰:“內疏而外親,不亦反乎?身不善而怨他人,不亦遠乎?患至而後呼天,不亦晚乎?”《詩》曰:“惙其泣矣,嗟何及矣!”
曾子は言った。「君子に三句の言あり、貫通して佩带すべし。一は内裏疏遠にして外面親近する勿れ、二は自身不善にして人を怨む勿れ、三は禍患至りて然る後に天を呼ぶ勿れ。」子貢は曰く、「なぜか?」曾子は曰く、「内裏疏遠にして外面親近するは、また相反せざるか?自身不善にして人を怨むるは、また遠からざるか?禍患至りて然る後に天を呼ぶは、また晚からざるか?」『詩經』に曰く、「抽泣せり、嘆くもどこに以及ばん!」
第十章
夫霜雪雨露,殺生萬物者也,天無事焉,猶之貴天也。執法厭文,治官治民者,有司也,君天事焉,猶之尊君也。夫闢土殖穀者后稷也,決江疏河者禹也,聽獄執中者皋陶也。然而有聖名者堯也。故有道以御之,身雖無能也,必使能者為己用也。無道以御之,彼雖多能,猶將無益於存亡矣。《詩》曰:“執轡如組,兩驂如舞。”貴能御也。
霜雪雨露は、万物を殺生するなり、天は事を為さず、なお天を尊貴す。執法は条文に満足し、官を治理し民を治理するは、有司なり、君は事を為さず、なお君を尊崇す。土地を開辟し谷を種植するは后稷、江を決開し河を疏通するは禹、獄を聴き中を執るは皋陶なり。しかるに聖名あるは堯なり。ゆえに道ありて駕馭すれば、自身たとい能なくとも、必ず能ある者をして己のために用いられしむ。道なきに駕馭すれば、あの人らたとい能多くとも、存亡に対してはなお益なし。『詩經』に曰く、「轡を執るは織組のごとく、両驂は舞蹈のごとし」と。貴ぶべきは能く駕馭するなり。
第十一章
傳曰:孔子云:美哉顏無父之御也,馬知後有輿而輕之,知上有人而愛之。馬親其正而愛其事,如使馬能言,彼將必曰:“樂哉!今日之騶也!”至於顏淪,少衰矣。馬知後有輿而輕之,知上有人而敬之。馬親其正而敬其事,如使馬能言,彼將必曰:“騶來,其人之使我也!”至於顏夷而衰矣。馬知後有輿而重之,知上有人而畏之。馬親其正而畏其事,如使馬能言,彼將必曰:“騶來!騶來!女不騶,彼將殺女。”故御馬有法矣,御民有道矣。法得則馬和而歡,道得則民安而集。《詩》曰:“執轡如組,兩驂如舞。”此之謂也。
伝に記す:孔子は言った。美好かな顔無父の駕馭、馬は後ろに車あるを知りて輕と覚え、上に人あるを知りて彼を愛す。馬はその正を親しみその事を愛す、もし馬能く言わば、それは必ず曰わん、「快楽かな!今日の馳駆!」と。顔淪に至れば、稍や衰減した。馬は後ろに車あるを知りて輕と覚え、上に人あるを知りて彼を敬う。馬はその正を親しみその事を敬う、もし馬能く言わば、それは必ず曰わん、「馳駆来れり、あの人は我を役使せん!」と。顔夷に至れば則ち衰減した。馬は後ろに車あるを知りて重と覚え、上に人あるを知りて彼を怕る。馬はその正を親しみその事を怕る、もし馬能く言わば、それは必ず曰わん、「馳駆来れり!馳駆来れり!汝馳駆せざれば、彼は汝を殺さん」と。ゆえに馬を駕馭するに法あり、民を駕馭するに道あり。法当を得れば則ち馬和諧して歓喜し、道当を得れば則ち民安定して聚集す。『詩經』に曰く、「轡を執るは織組のごとく、両驂は舞蹈のごとし」と。言うはこのことなり。
第十二章
顏淵侍坐魯定公於臺,東野畢御馬於臺下。定公曰:“善哉!東野畢之御也。”顏淵曰:“善則善矣,其馬將佚矣。”定公不說,以告左右曰:“聞君子不譖人。君子亦譖人乎?”顏淵退,俄而廐人以東野華馬佚聞矣。定公躐席而起,曰:“趣駕召顏淵。”顏淵至,定公曰:“鄉寡人曰:‘善哉東野畢之御也。’吾子曰:‘善則善矣,然則馬將佚矣。’不識吾子何以知之?”顏淵曰:“臣以政知之。昔者舜工於使人,造父工於使馬。舜不窮其民,造父不極其馬。是以舜無佚民,造父無佚馬也。今東野畢之御,上車執轡,銜體正矣,周旋步驟,朝禮畢矣,歷險致遠,馬力殫矣,然猶策之不已,所以知其佚也。”定公曰:“善,可少進乎?”顏淵曰:“獸窮則齧,鳥窮則啄,人窮則話。自古及今,窮其下能不危者,未之有也。《詩》曰:‘執轡如組,兩驂如舞。’善御之謂也。”定公曰:“寡人之過矣!”
顔淵は台上にて魯定公に陪坐し、東野畢は台下にて馬を駕す。定公は曰く、「好しかな!東野畢の駕馭」と。顔淵は曰く、「好しは好し、彼の馬将に失控せんとす」と。定公は喜ばず、左右に告げて曰く、「聞く、君子は人を讒害せずと。君子もまた人を讒害するか?」顔淵は退下し、しばらくして廐人は東野畢の馬失控の消息を報来した。定公は席を越えて起身して曰く、「速やかに車を駕りて顔淵を召せ」と。顔淵至れば、定公は曰く、「さきほど寡人は曰く、『好しかな東野畢の駕馭』と。あなたは曰く、『好しは好し、しかし馬将に失控せん』と。あなたが何を憑って知ったかを知らず」と。顔淵は曰く、「臣は政治を以て知った。昔舜は善く人を使用し、造父は善く馬を使用した。舜はその民を窮尽せず、造父はその馬を窮尽せず。ここを以て舜は失控の民なく、造父は失控の馬なし。今東野畢の駕馭は、車に上り轡を執り、衘勒の体态端正し、周旋馳驟し、朝礼完畢し、険阻を経歴して遠方に至るに、馬力尽きたれど、なお鞭策停止せず、ゆえに失控せんと知る」と。定公は曰く、「好し、稍微さらに講じてもらえぬか?」顔淵は曰く、「獣は窮すれば咬み、鳥は窮すれば啄み、人は窮すれば言説衝撞す。古より今に至るまで、その下民を窮尽して能く危険なからんは、いまだかつて有らず。『詩經』に曰く、『轡を執るは織組のごとく、両驂は舞蹈のごとし』と。言うは善く駕馭するなり」と。定公は曰く、「是れ寡人の過失なり!」
第十三章
崔杼殺莊公,令士大夫盟。盟者皆脫劍而入。言不疾,指不至血者死,所殺者十餘人。次及晏子。晏子捧杯血,仰天而嘆曰:“惡乎!崔杼將為天道而殺其君。”於是盟者皆視之。崔杼謂晏子曰:“子與我,吾將與子分國。子不與我,殺子。直兵將推之,曲兵將鉤之,吾願子圖之也。”晏子曰:“吾聞留以利而倍其君者非仁也,劫以刃而失其志者非勇也。《詩》曰:‘莫莫葛藟,延於條枚。愷悌君子,求富不回。’嬰其可回矣?直兵推之,曲兵鉤之,嬰不之革也。”崔杼曰:“舍晏子。”晏子起而出,援綏而乘。其僕馳。晏子撫其手曰:“麋鹿在山林,其命在庖廚。命有所縣,安在疾馳?”安行成節,然後去之。《詩》曰:“羔裘如濡,恂直且侯。彼己之子,捨命不偷。”
崔杼は荘公を殺し、士大夫に盟結せしむるを命じた。盟結する者はみな剣を解下して入る。言説急ならず手指血に到らざるは処死し、殺す所十余人。晏子に輪到した。晏子は杯血を捧げ、天を仰ぎて叹息して曰く、「恨むべきかな!崔杼将に天道に违背してその君を殺さんとす」と。すなわち盟結する者はみな見た。崔杼は晏子に対して曰く、「あなた我に随従せば、我将にあなたと国を分かたん。あなた我に随従せざれば、則ちあなたを殺さん。直兵将に推さん、曲兵将に鉤せん、我はあなたに謀劃せんことを願う」と。晏子は曰く、「我は聞く、利に留下せられて君を背叛するは仁に非ず、刃に劫持せられて志向を失うは勇に非ずと。『詩經』に曰く、『茂盛の葛藟、枝条に蔓延す。和楽平易の君子、富を求むに邪僻せず』と。嬰は邪僻すべきか?直兵推せよ、曲兵鉤せよ、嬰は改変せぬ」と。崔杼は曰く、「晏子を放過せよ」と。晏子は起身して出で、綏帯を接けて車に上る。僕人は奔馳す。晏子はその手を按住して曰く、「麋鹿は山林に在りて、その命は庖厨に在り。命は繋る所有り、どこに奔馳に在らんや?」安穏に歩行して節を成就し、然る後に去った。『詩經』に曰く、「羔裘は潤沢のごとく、誠信正直にしてしかも美好。あの人かな、命を捨てて苟且せず」と。
第十四章
楚昭王有士曰石奢,其為人公正而好直。王使為理。於是道有殺人者,石奢追之,則其父也。還返於廷曰:“殺人者,臣之父也。以成政非孝也。不行君法,非忠也。弛罪廢法,而伏其辜,臣之所守也。”遂伏斧鑕,曰:“命在君。”君曰:“追而不及,痛有罪乎?子其治事矣。”石奢曰:“不然。不私其父,非孝也。不行君法,非忠也。以死罪生,不廉也。君欲赦之,上之惠也。臣不能失法,下之義也。”遂不去鈇鑕,刎頸而死乎廷。君子聞之曰:“貞夫法哉,石先生乎!”孔子曰:“子為父隱,父為子隱,直在其中矣。”《詩》曰:“彼己之子,邦之司直。”石先生之謂也。
楚昭王に士ありて石奢と謂い、その為人は公正にして直を好む。王は彼を法官と為さしめた。ここに路上に人を殺す者あり、石奢追趕すれば、卻って彼の父なり。朝廷に返回して曰く、「人を殺すは臣の父なり。以て政を成就するは孝に非ず。君法を实行せざるは、忠に非ず。罪を放き法を廃棄してあの罪過を承担するは、臣の守る所なり」と。すなわち斧鑕に伏して曰く、「命は君に在り」と。君は曰く、「追趕して及ばざるは、どこに罪あらん?あなたはなお事を治理せよ」と。石奢は曰く、「然らず。父を偏私せざるは、孝に非ず。君法を实行せざるは、忠に非ず。死罪を以て生を換えるは、廉に非ず。君は赦免せんと欲すは、上の恩惠。臣は法を失う能わざるは、下の義」と。すなわち鍘刀砧板を離れず、頸を刎ねて廷中に死した。君子は聞きて後曰く、「貞固に法を守るかな、石先生!」孔子は言った。「子は父のために隠瞞し、父は子のために隠瞞す、直は則ちその中に在り。」『詩經』に曰く、「あの人かな、是れ邦国の正直を主持する」と。言うは石先生なり。
第十五章
外寬而內直,自設於隱括之中,直己而不直人,善廢而不悒悒,蘧伯玉之行也。故為人父者則願以為子,為人子者則願以為父,為人君者則願以為臣,為人臣者則願以為君,名昭諸侯,天下願焉。《詩》曰:“彼己之子,邦之彥兮。”此君子之行也。
外は寛にして内は直、自ら矯正の隠括の中に置き、己を端正して人を端正せず、善く廃棄して悒悒として楽しまず、是れ蘧伯玉の品行。ゆえに人父と為るは則ち彼を以て子と為すを願い、人子と為るは則ち彼を以て父と為すを願い、人君と為るは則ち彼を以て臣と為すを願い、人臣と為るは則ち彼を以て君と為すを願い、名声は諸侯に昭著し、天下みな彼に従うを願う。『詩經』に曰く、「あの人かな、是れ邦国の美士」と。是れ君子の品行なり。
第十六章
傳曰:孔子遭齊程本子於郯之間,傾蓋而語終日,有間,顧子路曰:“由來!取束帛以贈先生。”子路不對。有間,又顧曰:“取束帛以贈先生。”子路率爾而對曰:“聞之於夫子,士不中道相見。女無媒而嫁者,君子不行也。”孔子曰:“夫《詩》不云乎:‘野有蔓草,零露漙兮。有美一人,青陽宛兮,邂逅相遇,適我願兮?’且夫齊程本子,天下之賢士也,吾於是而不贈,終身不之見也。大德不踰閒,小德出入可也。”
伝に記す:孔子は郯地の間に斉国程本子に遇い、車蓋傾斜して談すること一整天。しばらくして、回頭して子路に曰く、「由、来れ!束帛を取りて先生に贈れ」と。子路は回答せず。しばらくして、また回頭して曰く、「束帛を取りて先生に贈れ」と。子路は軽率に回答す、「夫子より聞く、士は半路に相見せず、女子は媒人なくして嫁ぐは、君子の為さざる所と」と。孔子は言った。「あの『詩經』は言わざるか:『野に蔓延の草あり、落下の露濃密。一人の美人あり、鮮明宛然。邂逅相遇し、正に我が願いに合う』と。況んや斉国程本子は天下の賢士、我ここに贈らざれば、終身彼を見る能わず。大徳は界限を越えず、小徳は出入すべし。」
第十七章
君子有主善之心,而無勝人之色,德足以君天下,而無驕肆之容,行足以及後世,而不以一言非人之不善。故曰:君子盛德而卑,虛己以受人,旁行不流,應物而不窮。雖在下位,民願戴之。雖欲無尊,得乎哉?《詩》曰:“彼己之子,美如英,美如英,殊異乎公行。”
君子に善を主張する心有り、而して人に勝る神色なく、徳足りて天下に君臨するに、而して驕肆の容貌なく、行為足りて後世に伝わるに、而して一言を用いて人の不善を非議せず。ゆえに曰く、君子は盛徳にして謙卑、自己を空虚にして人を接受し、旁行して流失せず、物に応じて窮尽せず。たとい下位に在るも、民は擁戴を願う。たとい尊貴ならざらんと欲すとも、得られんや?『詩經』に曰く、「あの人かな、美しきこと花のごとく、美しきこと花のごとく、公行と大いに相同じからず」と。
第十八章
君子易和而難狎也,易懼而不可劫也,畏患而不避義死,好利而不為所非,交親而不比,言辯而不亂,蕩蕩乎其義不可失也,磏乎其廉而不劌也,溫乎其仁厚之寬大也,超乎其有以殊於世也。《詩》曰:“美如玉,美如玉,殊異乎公族。”
君子は和諧し易くして狎昵し難く、畏懼し易くして脅迫すべからず、禍患を畏懼するも義のために死するを躲避せず、利を喜ぶも為すべからざる所を為さず、親近するも党を結ばず、言語善弁するも乱れず、浩蕩かなその義は失うべからず、廉潔かなその廉は人を割傷せず、温和かなその仁厚の寛大、超然かなその有す以て世に異なる所。『詩經』に曰く、「美しきこと玉のごとく、美しきこと玉のごとく、公族と大いに相同じからず」と。
第十九章
商容嘗執羽鑰,馮於馬徒,欲以化紂而不能。遂去,伏於太行。及武王克殷,立為太子,欲以為三公。商容辭曰:“吾常馮於馬徒,欲以化紂而不能,愚也。不爭而隱,無勇也。愚且無勇,不足以備乎三公。”遂固辭不受命。君子聞之曰:商容可謂內省而不誣能矣。君子哉!去素餐遠矣。《詩》曰:“彼君子兮,不素餐兮。”商先生之謂也。
商容はかつて羽鑰を持ち、馬徒の辺に靠り、以て紂を感化せんと欲するも能わず。すなわち去りて、太行に隠伏した。武王が殷を克るに及び、太子と立てられ、彼を以て三公と為さんと欲した。商容は推辞して曰く、「我はかつて馬徒の辺に靠り、以て紂を感化せんと欲するも能わず、是れ愚なり。争わずして隱るるは、勇なきなり。愚にして且つ勇なくば、以て三公に充備するに足らず」と。すなわち堅決に推辞して任命を受けず。君子は聞きて後曰く、商容は内裏反省して虚しく才能を称せざると称すべし。君子かな!白飯を食うを離るること遠し。『詩經』に曰く、「あの君子かな、白く飯を食わざるかな」と。言うは商先生なり。
第二十章
晉文公使李離為理,過聽殺人,自拘於廷,請死於君。君曰:“官有貴賤,罰有輕重。下吏有罪,非子之罪也。”李離對曰:“臣居官為長,不與下吏讓位,受祿為多,不與下吏分利。今過聽殺人而下吏蒙其死,非所聞也。”不受命。君曰:“子必自以為有罪,則寡人亦有罪矣。”李離曰:“法,失刑則刑,失死則死。君以臣為能聽獄決疑,故使臣為理。今過聽殺人,臣之罪當死。”君曰:“棄位委官,伏法亡國,非所望也。趣出!無憂寡人之心。”李離對曰:“政亂國危,君之憂也。軍敗卒辭,將之憂也。夫無能以事君,闇行以臨官,是無功以食祿也。臣不能以虛自誣。”遂伏劍而死。君子聞之曰:忠矣乎!《詩》曰:“彼君子兮,不素餐兮。”李先生之謂也。
晋文公は李離を法官と為さしめ、誤聴して人を殺し、自ら廷中に拘禁し、君に死を請えた。君は曰く、「官に貴賤あり、罰に輕重あり。下吏に罪あるは、あなたの罪に非ず」と。李離は回答す、「臣は官に居りて長と為り、位子を下吏に譲らず、禄を受くること多く、下吏と利を分かたず。今誤聴して人を殺して下吏をして死を承当せしむるは、聞いたこと有るに非ず」と。命令を接受せず。君は曰く、「あなた必ず自ら以て罪ありと為せば、則ち寡人もまた罪あらん」と。李離は曰く、「法は、刑に失すれば刑を受け、死に失すれば死す。君は臣を以て能く獄を聴き疑を決すと為し、ゆえに臣を法官と為さしめた。今誤聴して人を殺すは、臣の罪は処死に該当す」と。君は曰く、「位子を拋棄し官職を委棄し、法に伏して国に人才を喪失せしむるは、希望する所に非ず。速やかに出でよ!寡人の心を憂慮する勿れ」と。李離は回答す、「政治乱れ国家危険は、君の憂。軍隊敗れ士卒離散は、将の憂。能力なきを以て君に事え、昏暗の行為を以て官に臨む、是れ功なくして禄を食む。臣は空虚を以て自己を欺騙する能わず」と。すなわち剣に伏して死した。君子は聞きて後曰く、忠誠かな!『詩經』に曰く、「あの君子かな、白く飯を食わざるかな」と。言うは李先生なり。
第二十一章
楚狂接輿躬耕以食。其妻之市未返。楚王使使者齎金百鎰造門,曰:“大王使臣奉金百鎰,願請先生治河南。”接輿笑而不應。使者遂不得辭而去。妻從市而來,曰:“先生少而為義,豈將老而遺之哉?門外車軼何其深也?”撥輿曰:“今者王使使者齎金百鎰,欲使我治河南。”其妻曰:“豈許之乎?”曰:“未也。”妻曰:“君使不從,非忠也。從之,是遺論文也。不如去之。”乃夫負釜甑,妻戴紝器,變易姓字,莫知其所之。《論語》曰:“色斯舉矣,翔而後集。”接輿之妻是也。《詩》曰:“逝將去汝,適彼樂土。適彼樂土,爰得我所。”
楚の狂接輿は自ら田を耕して食した。彼の妻は市上に往きて未だ返回せず。楚王は使者を派して金百鎰を帯びて門に上らせ、曰く、「大王は臣を派して金百鎰を奉上せしめ、先生に河南を治理せんことを願う」と。接輿は笑うて応えず。使者はすなわち告辞を得ずして去った。妻は市上より回来り、曰く、「先生は年軽きより義を行い、豈に将に年老いてそれを遺棄せんとするか?門外の車轍はなぜあれほど深い?」接輿は曰く、「さきほど王は使者を派して金百鎰を帯びせ、我に河南を治理せんと欲した」と。妻は曰く、「豈に応えたか?」曰く、「いまだ応えず。」妻は曰く、「君の使命に随従せざるは、忠に非ず。随従するは、義を遺棄するなり。去るに如かず」と。すなわち夫は釜甑を背負い、妻は紡織器具を頂き、姓名を改変し、彼らがどこへ去ったかを知る人なし。『論語』に曰く、「神色このごとくして飛起し、盘旋して然る後に落下す」と。接輿の妻はこのごとし。『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽土に至らん。あの楽土に至りて、すなわち我が安処する所を得ん」と。
第二十二章
昔者桀為酒池糟堤,縱靡靡之樂,一鼓而牛飮者三千人。群臣皆相持而歌曰:“江水沛兮,舟楫眣兮。我王廢兮,趣歸於亳,亳亦大兮。”又曰:“樂兮樂兮,四牡驕兮,六轡沃兮。去不善兮從善,何不樂兮!”伊尹知大命之將至,曰:“君王不聽臣言,大命至矣!亡無日矣!”桀拍然而抃,盍然而笑,曰:“子又妖言矣。吾有天下,猶天之有日也。日有亡乎?日亡吾亦亡也。”於是伊尹接履而趨,遂適於湯。湯以為相。可謂適彼樂土,爰得其所矣。《詩》曰:“逝將去汝,適彼樂土。適彼樂土,爰得我所。”
昔桀は酒池糟堤を作り、靡靡の楽を放縱し、一たび鼓を撃てば牛のごとく飲む者三千人あり。群臣はみな互相扶持して歌唱す、「江水沛然かな、舟楫敗壊かな。我が王廃棄かな、速やかに毫に帰向せよ、毫もまた大なり」と。また曰く、「快楽かな快楽かな、四匹の牡馬驕健かな、六根の轡繩柔潤かな。不善を離れ善に随従せよ、なぜ快楽せざらん!」伊尹は大命の将至らんを知り、曰く、「君王は臣の言を聴かず、大命至れり!滅亡すること日幾ばくもなからん!」桀は手を拍ち、口を張りて笑い、曰く、「あなたまた妖言を説く。我は天下を有す、天に太陽あるがごとし。太陽に滅亡あらんや?太陽滅びれば我もまた滅びん」と。すなわち伊尹は鞋を提げて快く走り、すなわち湯の所に至った。湯は彼を用いて相と為した。あの楽土に至りて、すなわち彼の安処する所を得たと称すべし。『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽土に至らん。あの楽土に至りて、すなわち我が安処する所を得ん」と。
第二十三章
伊尹去夏入殷。田饒去魯適燕。介子推去晉入山。田饒事魯哀公而不見察,謂哀公曰:“臣將去君,黃鵠舉矣。”哀公曰:“何謂也?”由饒曰:“君獨不見夫雞乎?敵在前敢鬬者勇也,見食相呼者仁也,守夜不失時者信也。雞雖有此五德,君猶日瀹而食之者何也?則以其所從來者近也。夫黃鵠一舉千里,止君園池,食君魚鱉,啄君黍粱,無此五德者,君猶貴之者何也?以其所從來者遠也。故臣將去君,黃鵠舉矣。”哀公曰:“止!吾將書子之言也。”田饒曰:“臣聞食其食者,不毀其器。陰其樹者,不折其枝。有臣不用,何書其言為?”遂去之燕。燕立以為相。三年,燕政大平,國無盜賊。哀公喟然太息,為之闢寢三月,減損上服。曰:“不慎其前無悔其後,何可復得?”《詩》云:“近將去汝,適彼樂國。適彼樂國,爰得我直。”晉文公反國,酌士大夫酒,召舅犯而將之,召艾陵而相之,授田百萬。介子推無爵。齒而就位。觴三行,介子推奉觴而起,曰:“有龍矯矯,將失其所。龍既入深淵。得其安所。蛇脂盡幹,獨不得甘雨。此何謂也。”文公曰:“嘻!是寡人之過也。吾為子爵與,待旦之朝也。吾為子田與,河東陽之間。”介子推曰:“推聞君子之道,謁而得位,道士不居也,爭而得財,廉士不受也。”文公曰:“使我得反國者,子也。吾將以成子之名。”介子推曰:“推聞君子之道,為人子而不能承其父者,則不敢當其後。為人臣而不見察於其君者,則不敢立於其朝。然推亦無索於天下矣。”遂去而之介山之上。文公使人求之,不得。為之闢寢三月,號呼朞年。《詩》曰:“逝將去汝,適彼樂郊。適彼樂郊,誰之永號。”此之謂也。
伊尹は夏を離れて殷に入り、田饒は魯を離れて燕に至り、介子推は晋を離れて山に入った。田饒は魯哀公に事えて察識せられず、哀公に対して曰く、「臣将に君を離れん、黄鵠高く飛べり」と。哀公は曰く、「何の意か?」田饒は曰く、「君は豈にあの鶏を見ざらんや?敵人前に在れば敢えて斗うは、勇。食物を見て互相呼叫するは、仁。夜を守りて時を誤らざるは、信。鶏はこの五様の徳ありといえども、君はなお毎日烹煮して食う、なぜか?それが来る所近きを以て。あの黄鵠は一挙千里、君の園池に停まり、君の魚鱉を食い、君の黍粱を啄み、この五様の徳なきも、君はなおそれを重んず、なぜか?それが来る所遠きを以て。ゆえに臣将に君を離れん、黄鵠高く飛べり」と。哀公は曰く、「止まれ!我将にあなたの言を記さん」と。田饒は曰く、「臣は聞く、あの食物を食う者は、あの器具を毀らず。あの樹下に遮蔭する者は、あの樹枝を折らずと。臣ありて用いず、その言を記して何を為さん?」すなわち去りて燕に至る。燕は彼を立てて相と為した。三年、燕の政治太平にして、国に盗賊なし。哀公は慨然として長嘆し、これがために正寝を避くること三箇月、上等の衣服を抽減した。曰く、「前に謹慎せず、後に后悔なし、どこに再び得られんや?」『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽国に至らん。あの楽国に至りて、すなわち我が正直を得ん」と。晋文公は国に返回し、士大夫に酒を斟ぎ、舅犯を召して将に彼を用いんとし、艾陵を召して彼を用いて相と為し、田百万を授けた。介子推は爵位年齢なくして就位した。觴三たび行われ、介子推は觴を捧げて起身して曰く、「龍ありて矯健、将に住所を失わんとす。龍はすでに深淵に入り、安定の住所を得たり。蛇の脂は尽きて皆枯竭し、独り甘雨を得ず。これは何を言うか?」文公は曰く、「ああ!是れ寡人の過失。我はあなたに爵を給せん、天亮を待つ朝のごとく。我はあなたに田を給せん、河東陽の間に在り」と。介子推は曰く、「推は聞く、君子の道は、見を求めて位子を得るは、有道の士の居らざる所。争奪して財を得るは、廉潔の士の受けざる所」と。文公は曰く、「我をして国に返回し得せしめたはあなたなり。我将にあなたの名を成就せん」と。介子推は曰く、「推は聞く、君子の道は、人子と為りて父を成就する能わざれば、則ち敢えてその後に当たらず。人臣と為りて君に察識せられざれば、則ち敢えてその朝に立たず。しかして推は天下に対しても求索なきなり」と。すなわち去りて介山の上に至る。文公は人を派して彼を求むるも、得ず。これがために正寝を避くること三箇月、号呼すること満一年。『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽郊に至らん。あの楽郊に至りて、誰かまた長号せん」と。言うはこのことなり。
第二十四章
子賤治單父,彈鳴琴,身不下堂,而單父治。巫馬期以星出,以星入,日夜不處,以身親之,而單父亦治。巫馬期於子賤。子賤曰:“我任人,子任力。任人者佚,任力者勞。”人謂子賤則君子矣,佚四肢,全耳目,平心氣,而百官理,任其數而已。巫馬期則不然。弊性事情,勞力教詔,雖治猶未至也。《詩》曰:“子有衣裳,弗曳弗摟。”
子賤は単父を治理し、鳴琴を弾じ、自身は堂を下らずして、而して単父は治まった。巫馬期は星を披きて出で、星を披きて帰り、日夜休息せず、自ら往きて為し、而して単父もまた治まった。巫馬期は子賤に問うた。子賤は曰く、「我は人を任用し、あなたは気力を任用す。人を任用するは安逸、気力を任用するは労累」と。人は子賤を則ち君子と謂えり、四肢安逸し、耳目保全し、心気平和にして、而して百官治理す、あの術数を任用するのみ。巫馬期は則ちこのごとくあらず。性情を損耗し事情を労累し、力を用いて教導詔令す、たとい治理するも未だ極に至らず。『詩經』に曰く、「あなたに衣裳あり、拖せず搂せず」と。
第二十五章
子路曰:“士不能勤苦,不能輕死亡,不能恬貧窮,而曰我能行義,吾不信也。昔者申包胥立於秦廷,七日七夜,哭不絕聲,是以存楚。不能勸革,焉能行此?比干且死,而諫愈忠。伯夷叔齊餓於首陽,而志益彰。不輕無記名投票亡,焉能行此?曾子褐衣縕緒,未嘗完也。糲米之食,未嘗飽也。義不合,則辭上卿。不恬貧窮,焉能行此?夫士欲立身行道,無顧難易,然後能行之。欲行義白名,無顧利害,然後能行之。《詩》曰:“彼己之子,碩大且篤。”非良篤修身行之君子其執能與之哉?
子路は曰く、「士は勤苦する能わず、死亡を看輕する能わず、貧窮に安んずる能わずして、我は能く義を行うと言うは、我は信ぜず。昔申包胥は秦廷に立ち、七天七夜哭声断えず、ここを以て楚を保存した。勤苦する能わざれば、どこに能くこのごとくせん?比干将に死せんとして、進諫愈え忠誠なり。伯夷・叔斉は首陽に挨餓し、志向愈え彰明なり。死亡を看輕する能わざれば、どこに能くこのごとくせん?曾子は褐衣縕絮を穿ち、かつて完好せず。糙米の飯、かつて飽食せず。義合わざれば、則ち上卿を辞した。貧窮に安んずる能わざれば、どこに能くこのごとくせん?士は身を立て道を行わんと欲すれば、難易を顧みず、然る後に能く实行す。義を行い名を顕さんと欲すれば、利害を顧みず、然る後に能く实行す」と。『詩經』に曰く、「あの人かな、高大にしてしかも篤厚」と。善良篤厚にして身を修め实行する君子に非ざれば、誰か彼と并列せん?
第二十六章
子路與巫馬期薪於韞丘之下。陳之富人有處師氏者,脂車百乘,觴於韞丘之上。子路與巫馬期曰:“使子無忘子之所知,亦無進子之所能,得此富,終身無復見夫子,子為之乎?”巫馬期喟然仰天而嘆,闟然投鎌於地,曰:“吾嘗聞之夫子:‘勇士不忘喪其元,志士仁人不忘在溝壑。’子不知予與?試予與?意者其志與?”子路心慚,負薪先歸。孔子曰:“由來!何為偕出而先返也?”子路曰:“向也由與巫馬期薪於韞丘之下,陳之富人有處師氏者,脂車百乘,觴於韞丘之上。由謂巫馬期曰:‘使子無忘子之所知,亦無進子之所能,得此富,終身無復見夫子,子為之乎?’巫馬期喟然仰天而嘆,闟然投鎌於地,曰:‘吾嘗聞之夫子,勇士不忘喪其元,志士仁人不忘在溝壑。子不知予與?試予與?意者其志與?’由也心慚,故先負薪歸。”孔子援琴而彈。《詩》曰:“肅肅鴇羽,集於苞栩。王事靡盬,不能蓻稷黍。父母何怙?悠悠倉天,曷其有所!”予道不行邪?使汝願者。
子路と巫馬期は韞丘の下に柴を砍った。陳国の富人に処師氏という者あり、脂車百乗、韓丘の上に飲酒す。子路は巫馬期に対して曰く、「もしあなたが知る所を忘れず、また能くする所を増進せずして、このごとき富を得、終身再び夫子を見ざらば、あなたは為すか?」巫馬期は慨然として天を仰ぎ叹息し、猛然として鎌刀を地上に扔げて曰く、「我はかつて夫子より聞く、『勇士は頭顱を喪失するを忘れず、志士仁人は沟壑に処るを忘れず』と。あなたは我を了解せざるか?我を試探するか?それともあの志向に意あらんか?」子路は心に慚愧し、柴を背負いて先に帰った。孔子は曰く、「由、来れ!なぜともに出でて先に返回した?」子路は曰く、「さきほど由と巫馬期は韞丘の下に柴を砍り、陳国の富人に処師氏あり、脂車百乗、韓丘の上に飲酒せり。由は巫馬期に対して曰く、『もしあなたが知る所を忘れず、また能くする所を増進せずして、このごとき富を得、終身再び夫子を見ざらば、あなたは為すか?』と。巫馬期は慨然として天を仰ぎ叹息し、猛然として鎌刀を地上に扔げて曰く、『我はかつて夫子より聞く、勇士は頭顱を喪失するを忘れず、志士仁人は沟壑に処るを忘れず。あなたは我を了解せざるか?我を試探するか?それともあの志向に意あらんか?』と。由は心に慚愧し、ゆえに先に柴を背負いて帰れり」と。孔子は琴を取りて弾いた。『詩經』に曰く、「肅肅の鴇羽、叢生の栩樹に落つ。王事止息なし、稷黍を種植する能わず。父母は何に依靠せん?悠悠たる蒼天、どこに安処あらん!」我が道は实行せられぬか?あなたらをしてこのごとき願望を生出せしむ。
第二十七章
孔子曰:“士有五。有埶尊貴者,有家富厚者,有資勇悍者,有心智能者,不以愛民行義理,而反以暴敖凌物。家富厚者,不以振窮救不足,而反以侈靡無度。資勇悍者,不以衛上攻戰,而反以侵陵私鬥。心智能者,不以端計數,而反以事奸飾詐。貌美好者,不以統朝蒞民,而反以蠱女從欲。此五者,所謂士失其美質者也。”《詩》曰:“溫其如玉,在其板屋,亂我心曲。”
孔子は言った。「士に五種あり。勢位尊貴なるあり、家業富厚なるあり、資質勇悍なるあり、心思智能なるあり、以て民を愛し義理を实行せず、反って以て物を暴傲欺凌す。家業富厚なるは、以て窮困を賑済し不足を救助せず、反って以て奢侈して限度なし。資質勇悍なるは、以て上を保衛し攻戦せず、反って以て侵陵私斗す。心思智能なるは、以て計数を端正せず、反って以て奸邪に事奉し欺詐を粉飾す。容貌美好なるは、以て朝廷を統領し民を臨視せず、反って以て女子を蠱惑し欲望を放縱す。この五種は、則ちいわゆる士の美好資質を失うなり。」『詩經』に曰く、「温和なること玉のごとく、あの板屋に在り、我が心曲を擾乱す」と。
第二十八章
上之人所遇,容色為先,聲音次之,事行為後。故望而知宜為人君者容也,近而可信者色也,發而安中者言也,久而可觀者行也。故君子容色,天下儀象而望之,不假言而知宜為人君者。《詩》曰:“彥如渥沰。”其君也哉!
上に在る人の遇する所は、容色が先、声音その次、事行は後なり。ゆえに遠望すれば則ち人君たるに適宜なるを知るは容、靠近すれば信任すべきは色、発出して中に安んずるは言、長久に観看すべきは行なり。ゆえに君子の容色は、天下は以て儀象と為して仰望し、言語を借助せずして人君たるに適宜なるを知る。『詩經』に曰く、「容顔は潤沢の赤色のごとし」と。彼は君かな!
第二十九章
子夏讀書已畢。夫子問曰:“爾亦可言於書矣。”子夏對曰:“書之於事也。昭昭乎若日月之光明,燎燎乎如星辰之錯行,上有堯舜之道,下有三王之義,子弟所受於夫子者,志之於心不敢忘。雖居蓬戶之中,彈琴以詠先生之風,有人亦樂之,無人亦樂之,亦可發憤忘食矣。《詩》曰:‘衡門之下,可以棲遲。泌之洋洋,可以療飢。’”夫子造然變容曰:“嘻!吾子殆可以言書已矣。然子以見其表,未見其裡。”彥淵曰:“其表已見,其裡又何有哉?”孔子曰:“窺其門,不入其中,安知其奧藏之所在乎?然藏又非難也。丘嘗悉心盡志,已入其中,前有高岸,後有深谷,泠泠然如此,既立而已矣。”
子夏は書を読み畢えり。夫子は問う、「あなたもまた書を談論すべし」と。子夏は回答す、「書は事に対して、昭昭として日月の光明のごとく、燎燎として星辰の交錯運行のごとく、上に堯舜の道あり、下に三王の義あり、子弟が夫子より受けた所は、心に記して敢えて忘れず。たとい蓬戸の中に住すとも、琴を弾じて先王の風を歌詠し、人あるも快楽、人なきも快楽、また発憤して飯を忘るべし。『詩經』に曰く、『横木を門と為すの下、栖息すべし。泌水洋洋として、飢餓を解除すべし』と」と。夫子は忽然として臉色を変じて曰く、「ああ!吾子はほぼ書を談論すべし。しかしあなたはその外表を見たれど、その裏を見ず」と。顔淵は曰く、「外表すでに見たり、裏面はまた何かある?」孔子は言った。「あの門を窺看して、その中に入らざれば、どこに奥蔵の在るを知らんや?しかし蔵はまた困難ならず。丘はかつて尽心尽志し、すでにその中に入り、前に高岸あり、後に深谷あり、泠泠然としてこのごとく、すでに立定するのみ」と。
第三十章
傳曰:國無道則飄風厲疾,暴雨折木,陰陽錯氣,夏寒冬溫,春熱秋榮,日月無光,星辰錯行,民多疾病,國多不祥,群生不壽,而五穀不登。當成周之時,陰陽調,寒暑平,群生遂,萬物寧。故曰:其風治,其樂連,其驅馬舒,其民依依,其行遲遲,其意好好。《詩》曰:“匪風發兮,匪車揭兮,顧瞻周道,中心制(下加心)兮。”
伝に記す:国に道なくば則ち飄風猛烈迅疾にして、暴雨は樹木を折断し、陰陽錯乱し、夏寒冷し冬温暖し、春熱し秋に花開き、日月に光なく、星辰錯行し、民に疾病多く、国に不祥多く、群生長寿ならず、而して五谷成熟せず。成周の時に当たりては、陰陽調和し、寒暑平和し、群生順遂し、万物安寧す。ゆえに曰く、その風和治し、その楽連綿とし、その駆馬舒緩にし、その民依依とし、その行走遅遅とし、その心意好好たりと。『詩經』に曰く、「あの風発作かな、あの車疾馳かな、回頭して周道を看れば、心中憂傷かな」と。
第三十一章
夫治氣養心之術,血氣剛強則務之以調和,智慮潛深則一之以易諒,勇毅強果則輔之以道術,齊給便捷則安之以靜退,卑攝貪利則抗之以高志,容眾駑散則劫之以師友,怠慢摽棄,則慰之以禍災。願婉端愨則合之以禮樂。凡治氣養心之術,莫徑由禮,莫優得師,莫慎一好。好一則摶,摶則精,精則神,神則化。是以君子務結心乎一也。《詩》曰:“淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮。”
気を治め心を養うの法は、血気剛強なれば務めて調和を以て対待し、智慮深沉なれば則ち簡易誠信を以て専一にし、勇毅強果なれば則ち道術を以て輔助し、敏捷快速なれば則ち静退を以て安定し、卑下貪利なれば則ち高志を以て抗衡し、寛容駑鈍散漫なれば則ち師友を以て約束し、怠慢拋棄なれば則ち禍災を以て警戒す。朴実端謹なれば則ち礼楽を以て会合す。およそ気を治め心を養うの法は、礼を経由するより直なるなく、老師を得るより優なるなく、専一愛好するより慎なるなし。愛好専一なれば則ち専一し、専一なれば則ち精し、精なれば則ち神し、神なれば則ち化す。ここを以て君子は務めて心を専一の上に結ぶ。『詩經』に曰く、「善人君子、その儀度専一かな。その儀度専一かな、心は結びつくがごとし」と。
第三十二章
玉不琢,不成器。人不學,不成行。家有千金之玉,不知治,猶之貧也。良工宰之,則富及子孫。君子謀之,則為國用。故動則安百姓,議則延民命。《詩》曰:“淑人君子,正是國人。正是國人,胡不萬年!”
玉は雕琢せざれば、器物を成さず。人は学習せざれば、品行を成さず。家に価千金の玉あり、治理を知らざれば、なお貧窮なり。良工がそれを整治すれば、則ち富は子孫に伝わる。君子がそれを謀劃すれば、則ち国に用いらる。ゆえに行動すれば百姓を安定し、議論すれば民命を延長す。『詩經』に曰く、「善人君子、これらの国人を端正す。これらの国人を端正す、なぜ万年ならざらん!」
第三十三章
嫁女之家,三夜不息燭,思相離也。取婦之家,三日不舉樂,思嗣親也。是故昏禮不賀,人之序也。三月而廟見,稱來婦也。厥明見舅姑,舅姑降於西階,婦降自阼階,授之室也。孝子之情也。故禮者,因人情為文。《詩》曰:“親結其褵,九十其儀。”言多儀也。
女を嫁がす家は、三夜燭を熄めず、是れ互いに分離するを思念す。婦を娶る家は、三天楽を挙げず、是れ親を接続するを思念す。ここを以て婚礼は祝賀せず、是れ人の倫序なり。三箇月に廟に至りて拝見し、来りて婦と為すと称す。第二天早晨に舅姑を見、舅姑は西階より下り、婦は阼階より下り、室を彼女に授く。是れ孝子の情なり。ゆえに礼は人情に順って文を成すなり。『詩經』に曰く、「親は彼女に佩巾を結び、儀節九十様あり」と。是れ儀節多きを言うなり。
第三十四章
原天命,治心術,理好惡,適情性,而治道畢矣。原天命則不惑禍福,不惑禍福則動靜循理矣。治心術則不妄喜怒。不妄喜怒則賞罰不阿矣。理好惡則不貪無用。不貪無用則不以物害性矣。適情性則欲不過節,欲不過節則養性知足矣。四者不求於外,不假於人,反諸己而存矣。夫人者說人者也,形而為仁義,動而為法則。《詩》曰::“伐柯伐柯,其則不遠。”
天命を推原し、心術を治理し、好悪を条理し、情性を調適すれば、治道は完備す。天命を推原すれば則ち禍福に迷惑せられず、禍福に迷惑せられざれば則ち動静は理に遵循す。心術を治理すれば則ち妄りに喜怒せず、妄りに喜怒せざれば則ち賞罰偏私せず。好悪を条理すれば則ち用なきを貪らず、用なきを貪らざれば則ち物を以て性を傷害せず。情性を調適すれば則ち欲望は節度を超過せず、欲望が節度を超過せざれば則ち性を養い知足す。四様は外に求めず、人に借助せず、己に返回してすなわち存す。人は人に喜悦するなり、形を成せばすなわち仁義、動作すればすなわち法則なり。『詩經』に曰く、「斧柄を砍る斧柄を砍る、その法則遠からず」と。
韓詩外伝巻第三
第一章
傳曰:昔者舜甑盆無羶,而下不以餘獲罪。飯乎土簋,啜乎土型,而工不以巧獲罪。麑衣而執(下加皿)領,而女不以侈獲罪。法下易由,事寡易為,而民不以政獲罪。故大道多容,大德多下,聖人寡為,故用物常壯也。傳曰:易簡而天下之理得矣。忠易為禮,誠易為辭,賢人易為民,工巧易為材。《詩》曰:“岐有夷之行,子孫保之。”
伝に記す:昔舜の甑盆に膻味なく、而して下は余剩を以て罪を獲ず。土簋を以て飯を食い、土型を以て湯を飲み、而して工匠は工巧を以て罪を獲ず。麑衣を穿着して衣領を整理し、而して女子は奢侈を以て罪を獲ず。法は下に容易に遵循し、事少なくして為し易く、而して民は政令を以て罪を獲ず。ゆえに大道は多く能く容纳し、大徳は多く能く謙下し、聖人は作為少なく、ゆえに物を用う常に壮盛なり。伝に記す:簡易にして天下の理は得られたりと。忠は容易に礼と為り、誠は容易に辞と為り、賢人は容易に民と為り、工巧は容易に材と為る。『詩經』に曰く、「岐に平坦の道路あり、子孫これを保守す」と。
第二章
有殷之時,谷生湯之廷,三日而大拱。湯問伊尹曰:“何物也?”對曰:“谷樹也。”湯問:“何為而生於此?”伊尹曰:“谷之出澤野物也,今生天子之庭,殆不吉也。”湯曰:“奈何?”伊尹曰:“臣聞妖者禍之先,祥者福之先。見妖而為善,則禍不至,見祥而為不善,則福不臻。”湯乃齋戒靜處,夙興夜寐,弔死問疾,赦過賑窮,七日而谷亡。妖孽不見,國家其昌。《詩》曰:“畏天之威,於時保之。”
殷の時、谷は湯の廷中に生れ、三天にして大なること両手合抱す。湯は伊尹に問う、「何の物か?」回答す、「谷樹」と。湯は問う、「なぜここに生ず?」伊尹は曰く、「谷は沢野より出ず、是れ野物、今や天子の庭に生ず、ほぼ不吉利ならん」と。湯は曰く、「どう為さん?」伊尹は曰く、「臣は聞く、妖は禍の先兆、祥は福の先兆と。妖を見て善を為せば、則ち禍至らず。祥を見て不善を為せば、則ち福来らず」と。湯はすなわち斎戒静処し、早起晩睡し、死者を吊唁し病人を探問し、過失を赦免し窮困を賑済す、七天にして谷消失した。妖孽は再び出現せず、国家昌盛した。『詩經』に曰く、「天の威を畏懼し、すなわちこれを保守す」と。
第三章
昔者周文王之時,蒞國八年,夏六月,文王寢疾。五日而地動,東西南北不出國郊。有司皆曰:“臣聞地之動,為人主也。今者君王寢疾,五日而地動,四面不出國郊。群臣皆恐,請移之。”文王曰:“奈何其移之也?”對曰:“興事動眾以增國城,其可以移之乎。”文王曰:“不可。夫天之見妖,是罰有罪也。我必有罪,故天以此罰我也。今又專動眾以增國城,是重吾罪也。不可以移之。昌也請改行重善以移之,其可以免乎。”於是遂謹其禮袟、皮革,以交諸侯;飾其辭令幣帛,以禮俊士;頒其爵列、等級、田疇,以賞群臣。行此無幾何而疾止。文王即位八年而地動,地動之後四十三年,凡蒞國五十一年而終。此文王之所以踐妖也。《詩》曰:“畏天之威,於時保之。”
昔周文王の時、国に臨むこと八年、夏六月、文王は病に卧す。五天地動し、東西南北国郊を出でず。有司はみな曰く、「臣は聞く、地動は、人主を以てすと。今君王は病に卧し、五天地動し、四面国郊を出でず。群臣みな恐懼す、それを遷移せんことを請う」と。文王は曰く、「どうしてそれを遷移せん?」回答す、「事を興し衆人を発動して国城を增高すれば、ほぼ遷移すべきか」と。文王は曰く、「不可。天は妖を顕現するは、有罪を懲罰す。我は必ず罪あり、ゆえに天はこれを以て我を懲罰す。今また専ら衆人を発動して国城を增高するは、我が罪を加重するなり。遷移すべからず。昌は行為を改進し善を加重してそれを遷移せんことを請う、ほぼ免れんか」と。すなわち礼籍・皮革を謹慎し、以て諸侯を結交し、辞令幣帛を修飾し、以て俊士を礼待し、爵列・等級・田疇を頒布し、以て群臣を賞賜した。これらを实行して没久しく、病は則ち止住した。文王は位に即くこと八年にして地動し、地動の後四十三年、一共に国に臨むこと五十一年にして終わった。是れ文王が妖を践踏した所以なり。『詩經』に曰く、「天の威を畏懼し、すなわちこれを保守す」と。
第四章
王者之論德也,不尊無功,不官無德,不誅無罪,朝無幸位,民無幸生。故上賢使能而等級不踰,折暴禁悍而刑罰不過,百姓曉然皆知夫為善於家,取賞於朝也,為不善於幽而蒙刑于顯也。《詩》曰:“明昭有周,式序在位。”
王者は徳を論じ、功なきを尊崇せず、徳なきに官を授けず、罪なきを誅殺せず、朝廷に僥倖の位子なく、民に僥倖の生存なし。ゆえに上賢・能人を使用して等級越えず、暴虐を折服し強悍を禁止して刑罰過分せず、百姓は明白にみな家に善を為し、朝廷にて賞を取得し、暗処に不善を為して顕処にて刑を蒙受するを知る。『詩經』に曰く、「昭明の周、次序に按じて位に在るを排列す」と。
第五章
傳曰:以從俗為善,以貨財為寶,以養性為已至道,是民德也,未及於士也。行法而志堅,不以私慾害其所聞,是勁士也,未及於君子也。行法而志堅,好修其所聞以矯其情,言行多當,未安諭也,知慮多當,未周密也,上則能大其所隆也,下則開道不若己者,是篤厚君子,未及聖人也。若夫修百王之法,若別白黑,應當世之變,若數一二,行禮要節,若性四支,因化立功,若推四時,天下得序,群物安居,是聖人也。《詩》曰:“明昭有周,式序在位。”
伝に記す:習俗に順従するを以て善と做し、貨財を以て宝と做し、性を養うを以て自己極至の道と做す、是れ民の徳、いまだ士に至らず。法を实行して志向堅定し、私欲を以て聞説する所を傷害せず、是れ剛勁の士、いまだ君子に至らず。法を实行して志向堅定し、聞説する所を修養して性情を矯正するを好み、言行多く得当なるもいまだ安穏曉諭せず、智慮多く得当なるもいまだ周密ならず、上に対しては則ち尊崇する所を拡大し、下に対しては則ち己に如かざるを開導す、是れ篤厚の君子、いまだ聖人に至らず。百王の法を修養し、白黒を分別するがごとく、当世の変化に応対し、一二を数うるがごとく、礼を实行し要约節し、四肢を使用するがごとく、変化に順って功を立て、四時を推移するがごとく、天下は次序を得、群物は安居す、是れ聖人。『詩經』に曰く、「昭明の周、次序に按じて位に在るを排列す」と。
第六章
魏文侯欲置相,召李克問曰:“寡人慾置相,非翟黃則魏成子。願卜之於先生。”李克避席而辭曰:“臣聞之:‘卑不謀尊疎不間親。’臣外居者也,不敢當命。”文侯曰:“先生臨事勿讓。”李克曰:“夫觀士也,居則視其所親,富則視其所與,達則視其所舉,窮則視其所不為,貧則視其所不取。此五者足以覌矣。”文侯曰:“請先生就舍,寡人之相定矣。”李克出遇翟黃,翟黃曰:“今日聞君召先生而卜相,果誰為之?”李克曰:“魏成子為之。”翟黃悖然作色曰:“吾何負於魏成子?西河之守,吾所進也。君以鄴為憂,吾進西門豹。君欲伐中山,吾進樂羊。中山既拔,無守之者,吾進先生。君欲置太子傅,吾進趙蒼唐。皆有成功就事。吾何負於魏成子?”克曰:“子之言克於子之君也,豈比周以求大官哉?君問置相非成則黃,二子如何?臣對曰:‘君不察故也。居則視其所親,富則視其所與,達則視其所舉,窮則視其所不為,貧則視其所不取。五者足以定矣,何待克哉!’以知魏成子為相也。且子焉得與魏成子比乎?魏成子食祿千鍾,什一在內,九在外,以聘約天下之士。是以東得卜子夏、田子方、段幹木。此三人君皆師友之。子之所進皆臣之,子焉得與魏成子比乎?”翟黃逡巡再拜曰:“鄙人固陋,失對於夫子。”“明昭有周,式序在位。”
魏文侯は相を設置せんと欲し、李克を召して問うた、「寡人は相を設置せんと欲す、翟黄に非ざれば則ち魏成子。先生に問卜せんことを願う」と。李克は席位を離れて推辞して曰く、「臣は聞く、『地位低きは尊貴を謀劃せず、疏遠は親近を離間せず』と。臣は外居の人、敢えて命令を担当せず」と。文侯は曰く、「先生は事に臨みて謙譲する勿れ」と。李克は曰く、「士を観察するは、閑居なれば則ちその親近する所を看、富なれば則ちその給与する所を看、顕達なれば則ちその挙荐する所を看、困窮なれば則ちその為さざる所を看、貧なれば則ちその取らざる所を看る。この五様は足りて観察す」と。文侯は曰く、「先生に館舎に回らんことを請う、寡人の相は定まった」と。李克は出でて翟黄に遇い、翟黄は曰く、「今日君が先生を召して設相を問卜したを聞く、究竟誰が為す?」李克は曰く、「魏成子が為す」と。翟黄は勃然として色を変じて曰く、「我はどこに魏成子に比べざらん?西河の守は、我が進荐する所。君は鄴を以て憂と為し、我は西門豹を進荐した。君は中山を伐たんと欲し、我は楽羊を進荐した。中山すでに攻下せられ、守る人なく、我は先生を進荐した。君は太子傅を設置せんと欲し、我は趙蒼唐を進荐した。みな成功あり成就事あり。我はどこに魏成子に比べざらん?」李克は曰く、「あなたはあなたの君に克を称説す、豈に党を結びて大官を求めんとするか?君は設相を問うに成に非ざれば黄、こ両人はどうか?臣は回答す、『君は考察せざるの縁故。閑居なれば則ちその親近する所を看、富なれば則ちその給与する所を看、顕達なれば則ちその挙荐する所を看、困窮なれば則ちその為さざる所を看、貧なれば則ちその取らざる所を看る。五様足りて決定す、何ぞ必ずしも克を待たんや!』ここを以て魏成子が相を為すを知る。況んやあなたはどうして魏成子と比べられんや?魏成子は禄千鐘を食み、十分之一は内に在り、十分之九は外に在り、以て天下の士を聘約す。ここを以て東に卜子夏・田子方・段干木を得たり。こ三人是れ君みな以て師友と為す。あなたの進荐する所はみな臣、あなたはどうして魏成子と比べられんや?」翟黄は遅疑後退して再拝して曰く、「鄙人は本来浅陋、夫子に答え誤れり」と。『詩經』に曰く、「昭明の周、次序に按じて位に在るを排列す」と。
第七章
成侯嗣公,聚斂計數之君也,未及取民也。子產取民者也,未及為政也。管仲為政者也,未及修禮也。故修禮者王,為政者強,取民者安,聚斂者亡。聚斂以招寇,積財以肥敵,危身亡國之道也,故明君不蹈也。將修禮以齊朝,正法以齊官,平政以齊下,然後節奏齊乎朝,法則度量正乎官,忠信愛利刑乎下。如是百姓愛之如父母,畏之如神明,是以德澤洋乎海內,福祉歸乎王公。《詩》曰:“降福簡簡,威儀昄昄。”
成侯嗣公は、聚斂計数の君、いまだ民心を取得するに至らず。子産は民心を取得する、いまだ為政に至らず。管仲は為政する、いまだ礼を修むるに至らず。ゆえに礼を修むるは王と称し、為政するは強、民心を取得するは安、聚斂するは滅亡す。聚斂して寇を招き、財を積みて敵を肥やすは、危身亡国の道、ゆえに明君は走らず。将に礼を修めて朝廷を斉整し、法を端正して官を斉整し、政を平和にして下を斉整せんとして、然る後に節奏は朝に斉整し、法則度量は官に端正し、忠信愛利は下に形成す。このごとくなれば百姓は彼を愛すること父母のごとく、彼を畏懼すること神明のごとく、ここを以て徳沢は海内に洋溢し、福祉は王公に帰到す。『詩經』に曰く、「降下する福盛大、威儀壮盛」と。
第八章
楚莊王寢疾,卜之,曰“可為祟”。大夫曰:“請用牲。”莊王曰:“止。古者聖王之制,祭不過望。濉、漳、江、漢,楚之望也。寡人雖不德,河非所獲罪也。”三日而疾有瘳。孔子聞之曰:“楚莊王之霸,其有方矣。制節守職,其霸不亦宜乎!”《詩》曰:“嗟嗟保介。”莊王之謂也。
楚荘王は病に卧し、卜に問えば、曰く「河神が作祟す」と。大夫は曰く、「犠牲を用いんことを請う」と。荘王は曰く、「止まれ。古代聖王の制度は、祭祀は望祭を超過せず。濉・漳・江・漢は、楚の望なり。寡人はたとい徳なくとも、河は獲罪する所に非ず」と。三天にして病愈えた。孔子は聞きて後曰く、「楚荘王の覇を称するは、方法あるなり。節度を制し職分を守る、彼が覇を称するもまた適宜ならずや!」『詩經』に曰く、「嘆くべきかな保護輔助する人」と。言うは荘王なり。
第九章
人主之疾,十有二發,非有賢醫,莫能治也。何謂十二發?曰:支、隔、肓、煩、喘、痺、風,此之曰十二發。賢醫治之如何?曰:省事輕刑,則痿不作。無使小民飢寒,則蹶不作。無令財貨上流,則逆不作。無令倉廩積腐,則脹不作。無使府庫充實,則滿不作。無使群臣縱恣,則支不作。無使下情不上通,則隔不作。上振恤下,則肓不作。法令奉行,則煩不作。無使下怨,則喘不作。無使賢人伏匿,則痺不作。無使百姓歌吟誹謗,則風不作。夫重臣群下者,人主之心腹支體也。心腹支體無疾,則人主無疾矣。故非有賢醫,莫能治也。人主皆有此十二疾而不用賢醫,則國非其國也。《詩》曰:“多將熇熇,不可救藥。”終亦必亡而已矣。故賢醫用,則眾庶無疾,況人主乎?
人主の病は、十二種の発作あり、賢医なくば、治する能くする人なし。何を十二種発作と謂う?曰く、痿・蹶・逆・脹・満・支・隔・肓・煩・喘・痹・風、これを則ち十二種発作と謂う。賢医はどう治する?曰く、事を省み刑を軽くすれば、則ち痿発作せず。小民を饑寒せしめざれば、則ち蹶発作せず。財貨を上に流れしめざれば、則ち逆発作せず。倉廩を積腐せしめざれば、則ち脹発作せず。府庫を充実せしめざれば、則ち満発作せず。群臣を放縱せしめざれば、則ち支発作せず。下情を上に通ぜしめざれば、則ち隔発作せず。上に在りて下を賑恤すれば、則ち肓発作せず。法令奉行すれば、則ち煩発作せず。下を怨せしめざれば、則ち喘発作せず。賢人を隠伏せしめざれば、則ち痹発作せず。百姓を歌吟誹謗せしめざれば、則ち風発作せず。重臣群下は、人主の心腹肢体なり。心腹肢体に病なくば、則ち人主に病なし。ゆえに賢医なくば、治する能くする人なし。人主はみなこの十二種の病ありて賢医を用いざれば、則ち国は則ち彼の国に非ざらん。『詩經』に曰く、「多く烈火を焼旺せば、救薬すべからず」と。終に必ず滅亡するのみ。ゆえに賢医用いらるれば、則ち衆庶に病なし、まして人主においてをや?
第十章
傳曰:太平之時,無瘖龍(加疒),跛眇,尫蹇,侏儒,折知,父不哭子,兄不哭弟,道無襁負之遺育。然各以其序終者,賢醫之用也。故安止平正,除疾之道無他焉,用賢而已矣。《詩》曰:“有瞽有瞽,在周之庭。”紂之餘民也。
伝に記す:太平の時は、瘖聾・跛眇・尫蹇・侏儒・折断智慧なく、父は子を哭せず、兄は弟を哭せず、路上に襁褓遺失の幼孩なし。しかるに各々次序に按じて終結するは、賢医の任用なり。ゆえに安定平正、病を除く道は他なく、賢を用いるのみ。『詩経』に曰く、「盲楽師あり盲楽師あり、周の庭に在り」と。是れ紂の剩余の民なり。
第十一章
傳曰:喪祭之禮廢,則臣子之恩薄。臣子之恩薄,則背死亡生者眾。《小雅》曰:“子子孫孫,勿替引之。”
伝に記す:喪祭の礼廃棄すれば、則ち臣子の恩薄し。臣子の恩薄ければ、則ち死亡を背棄し生存を軽視する人多し。『小雅』に曰く、「子子孫孫、廃棄する勿れ、長久延續せよ」と。
第十二章
人事倫則順於鬼神,順於鬼神則降福孔皆。《詩》曰:“以享以祀,以介景福。”
人事に倫あれば則ち鬼神に順従し、鬼神に順従すれば則ち降下する福甚だ周遍す。『詩經』に曰く、「以て献享し以て祭祀し、以て大福を求め得ん」と。
第十三章
武王伐紂,到於邢丘,軛折為三,天雨三日不體。武王心懼,召太公而問。曰:“意者紂未可伐乎?”太公對曰:“不然。軛折為三者,連當分為三也。天雨三日不休,欲灑吾兵也。”武王曰:“然何若矣?”太公曰:“愛其人者,及屋上烏,惡其人者,憎其胥餘。鹹劉厥敵,靡使有餘。”武王曰:“於戲維遹案:天下未定也。”周公趨而進曰:“不然,使各度其宅,而佃其田,無獲舊新。百姓有過,在予一人。”武王曰:“於戲!天下已定矣。”乃修武勒兵於寧,更名邢丘曰懷寧,曰修武,行克紂於牧之野。《詩》曰:“牧野洋洋,檀車皇皇,駟騵彭彭。維師尚父,時為鷹揚,亮彼武王,肆伐大商,會朝清明。”既反商,封黃帝之後於薊,封帝堯之後於祝,封舜之後於陳。下車而封夏后氏之後於杞,封殷之後於宋,比干之墓,釋箕子之囚,表商之閭。濟河而西,馬放華山之陽,示不復乘也。牛放桃林之野,未不復服也。車甲釁而藏之於府庫,示不復用也。於是廢軍而郊射,左射狸首,右射騶虞,然後天下知武王不復用兵也。祀乎是月堂項目民知孝,朝覲然後諸侯知所以臣,耕籍然後諸侯知所以敬。坐三老五更於大學,天子執醤而饋,執爵而酳,所以教諸侯之悌也。此四者,天下之大教也。夫武之久不亦宜乎?《詩》曰:“勝殷遏劉,耆定爾功。”言武伐紂而殷亡也。
武王が紂を伐ち、邢丘に至り、車軛は三截に折れ、天は雨三天にして停まらず。武王は心に恐懼し、太公を召して問う。曰く、「恐らく紂はなお伐つべからざるか?」太公は回答す、「然らず。軛が三截に折るるは、軍隊は三部に分かるべし。天の雨が三天にして停まらざるは、我が兵器を洒洗せんと欲す」と。武王は曰く、「然らばどうすべきか?」太公は曰く、「あの人を愛するは、屋上の烏鴉に連えりても愛す。あの人を厭悪するは、その胥余に連えりても憎悪す。あの敵人を全部殺し尽くし、剩余あらしめざれ」と。武王は曰く、「嗚呼、天下はいまだ安定せず」と。周公は快步進前して曰く、「然らず、各人をしてその宅に居住せしめ、その田を耕種せしめ、旧人と新人を分別せず。百姓に過失あれば、我が一人に在り」と。武王は曰く、「嗚呼!天下はすでに安定せり」と。すなわち寧地にて武備を修整し軍隊を約束し、邢丘を懐と改名し、寧を修武と改名し、終に牧野にて紂に戦勝した。『詩経』に曰く、「牧野広闊、檀木戦車煌煌、四匹の赤身白腹の馬彭彭。太師尚父、こ時鷹のごとく飛揚し、あの武王を輔佐し、すなわち大商を討伐し、会合の朝清明」と。すでに商に入り、黄帝の後裔を薊に封じ、帝堯の後裔を祝に封じ、舜の後裔を陳に封じた。車を下りて夏后氏の後裔を杞に封じ、殷の後裔を宋に封じ、比干の墓を培修し、箕子の囚を釋放し、商容の閭巷を表彰した。河を渡りて西に向かい、馬を華山の南面に放ち、以て再び乗らざるを表示し、牛を桃林の野に放ち、以て再び役使せざるを表示した。車甲に血を涂りて府庫に收藏し、以て再び用いざるを表示した。すなわち軍旅を廃除して郊外にて射箭し、左は狸首を射、右は騶虞を射し、然る後に天下は武王が再び兵を用いぬを知った。明堂にて祭祀して然る後に民は孝を知り、朝覲して然る後に諸侯は臣たる所以を知り、籍田を耕して然る後に諸侯は敬する所以を知った。三老五更をして太学に坐せしめ、天子は醤を持ちて饋食し、爵を持ちて酳酒し、以て諸侯に悌を教えた。この四様は、天下の大教なり。武功の長久なるもまた適宜ならずや?『詩経』に曰く、「殷に戦勝し殺戮を制止し、あなたの功を成就す」と。是れ武王が紂を伐ちて殷滅亡したを言うなり。
第十四章
孟嘗君請學於閔子,使車往迎閔子。閔子曰:“禮有來學無往教。致師而學不能學,往教則不能化君也。君所謂不能學者也,臣所謂不能化者也。”於是孟嘗君曰:“敬聞命矣。”明日袪衣請受業。《詩》曰:“敬聞命矣。”
孟嘗君は閔子に学ぶを請い、車を派して閔子を迎接せしめた。閔子は曰く、「礼は来り学ぶありて往き教うるなし。老師を招致して来り学ばしむるは能く学ばず、往き教うるは則ち君を感化する能わず。君はいわゆる能く学ばざる、臣はいわゆる能く感化せざるなり」と。すなわち孟嘗君は曰く、「恭敬して命令を聞いた」と。第二天は衣襟を提起して受業を請うた。『詩經』に曰く、「恭敬して命令を聞いた」と。
第十五章
劍雖利,不厲不斷。材雖美,不學不高。雖有旨酒嘉殽,不嘗不知其旨。雖有善道,不學不達其功。故學然後知不足,教然後知不究。不足,故自愧而勉。不究,故盡師而熟。由此觀之,則教學相長也。子夏問《詩》,學一以知二。孔子曰:“起予者,商也。始可與言《詩》已矣!”孔子賢乎英傑而聖德備,弟子被光景而德彰。《詩》曰:“日就月將。”
剣は鋒利といえども、磨がざれば断つ能わず。材は美といえども、学ばざれば高からず。たとい美酒佳肴あるも、嚐めざればその美味を知らず。たとい善道あるも、学ばざればその功に達せず。ゆえに学んで然る後に不足を知り、教えて然る後に窮尽せざるを知る。不足なれば、ゆえに自ら慚愧して勉励す。窮尽せざれば、ゆえに師に尽心して熟練す。これより観れば、教学は互相増長す。子夏は『詩』を問い、一様を学びて両様を知る。孔子は言った。「我を啓発するは商なり。はじめて彼とともに『詩』を談論すべし!」孔子は英杰より賢にして聖徳完備し、弟子は光影を承受して徳彰明す。『詩經』に曰く、「日に成る所有り月に進む所有り」と。
第十六章
凡學之道,嚴師為難。師嚴,然後道尊。道尊,然後民知敬學。故太學之禮,雖詔於天子,無北面,尊師尚道也。故不言而信,不怒而威,師之謂也。《詩》曰:“日就月將,學有緝熙於光明。”
およそ学習の道は、老師を尊厳するが最難。老師尊厳なれば、然る後に道は尊崇せらる。道尊崇せられれば、然る後に民は敬学を知る。ゆえに太学の礼は、たとい天子に詔告するも、北面せず、是れ老師を尊崇し道を崇尚するなり。ゆえに言せずして人を信せしめ、怒らずして威有るは、言うは老師なり。『詩經』に曰く、「日に成る所有り月に進む所有り、学習連続光明して大明に至る」と。
第十七章
傳曰:宋大水,魯人吊之曰:“天降淫雨,延及君地,以憂執政,使臣敬吊。”宋人應之曰:“寡人不仁,齋戒不修,使民不時。天加以災,又遺君憂。拜命之辱。”孔子聞之,曰:“宋國其庶幾矣!”弟子曰:“何謂?”孔子曰:“昔桀紂不任其過,其亡也忽焉。成湯文王知任其過,其興也勃焉。過而改之,是不過也。”宋人聞之,乃夙興夜寐,弔死問疾,戮力宇內。三歲,年豐政平。鄉使宋人不聞孔子之言,則年穀未豐,而國家未寧。《詩》曰:“弗時仔肩,示我顯德行。”
伝に記す:宋に大水を発し、魯人は吊唁して曰く、「天は过量の雨を降下し、君の地に延及し、執政を憂慮せしめに来り、臣を派して恭敬に吊唁せしむ」と。宋人は応答す、「寡人は不仁、斎戒修めず、民を役使するに時に按せず。天は災を加え、また君に憂慮を留む。命令の屈辱を拜謝す」と。孔子は聞きて後曰く、「宋国はほぼそうであろう!」弟子は曰く、「何の意か?」孔子は言った。「昔桀紂は過失を承担せず、滅亡すること甚だ速し。成湯文王は過失を承担するを知り、興起すること甚だ迅猛なり。過失ありて改正すれば、則ち過失なし。」宋人は聞きて、すなわち早起晩睡し、死者を吊唁し病人を探問し、宇内にて力を尽くした。三年、年成豊収・政治平和す。もし宋人が孔子の言を聞かざりしならば、則ち年谷は豊収せざらん、而して国家は安寧せざらん。『詩經』に曰く、「時に非ずして重任を担当し、顕明の徳行を我に指示す」と。
第十八章
齊桓公設庭燎,為士之慾造見者。朞年而士不至。於是東野鄙人有以九九見者。桓公使戲之,曰:“九九足以見乎?”鄙人曰:“臣不以九九足以見也。君設庭燎以待士,朞年而士不至。夫士之所以不至者,君,天下之賢君也,四方之士皆自以為不及君,故不至也。夫九九,薄能耳,而君猶禮之,況賢於九九者乎?夫太山不讓礫石,江海不辭小流,所以成其大也。《詩》曰:‘先民有言,詢於芻蕘。’言博謀也。桓公曰:“善。”乃因禮之。四方之士相導而至矣。《詩》曰:“自堂徂基,自羊來牛。”言以內及外,以小成大也。
斉桓公は庭燎を設置し、来り進見せんと欲する士のためなり。満一年にして士至らず。ここに東野の鄙人ありて九九の術を以て進見せんとする。桓公は人をして彼を戯弄せしめて曰く、「九九は足りて進見すべきか?」鄙人は曰く、「臣は以て九九が足りて進見すべきと為すに非ず。君は庭燎を設置して士を待つ、満一年にして士至らず。士の至らざる所以は、君が天下の賢君なるを以て、四方の士みな自ら以て君に比べざると為し、ゆえに至らず。九九は、浅薄の技能のみ、而して君はなお彼を礼待す、まして九九に勝るにおいてをや?太山は砾石を拒絶せず、江海は小流を推辞せず、ゆえにその大を成就す。『詩經』に曰く、『先民に言あり、樵夫に詢問す』と。是れ広く謀劃するを言う」と。桓公は曰く、「好し」と。すなわちここを以て彼を礼待した。四方の士は互相引導して到来した。『詩經』に曰く、「堂より基址に至り、羊より牛に至る」と。是れ内より外へ、小より大を成就するを言うなり。
第十九章
太平之時,民行役者不踰時,男女不失時以偶,孝子不失時以養。外無曠夫,內無怨女。上無不慈之父,下無不孝之子。父子相成,夫婦相保。天下和平,國家安寧。人事備乎下,天道應乎上。故天不變經,地不易形,日月昭明,列宿有常。天施地化,陰陽和合,動以雷電,潤以風雨,節以山川,均其寒暑。萬民育生,各得其所,而制國用。故國有所安,地有所主。聖人刳木為舟,剡木為檝,以通四方之物,使澤人足乎木,山人足乎魚,餘衍之財有所流。故豐膏不獨樂,磽确不獨苦。雖遭凶年饑歲,禹湯之水旱,而民無凍餓之色。故生不乏用,死不轉屍。《詩》曰:“於鑈王師,遵養時晦。”
太平の時は、民の行役に服するは時限を超過せず、男女は時節を失わずして匹配し、孝子は時節を失わずして奉養す。外に曠夫なく、内裏に怨女なし。上に不慈の父なく、下に不孝の子なし。父子互相成就し、夫婦互相保全す。天下和平、国家安寧す。人事は下にて完備し、天道は上にて応和す。ゆえに天は経常を改変せず、地は形状を改易せず、日月昭明し、列宿に常規あり。天は施予し地は変化し、陰陽和合し、雷電を以て発動し、風雨を以て潤沢し、山川を以て節制し、寒暑を均平す。万民生育し、各々その所を得、而して国用を制定す。ゆえに国は安んずる所有り、地は主たる所有り。聖人は木を挖空して舟を作り、木を削尖して楫を作り、以て四方の物を流通し、沢人をして木に満足せしめ、山人をして魚に満足せしめ、剩余の財は流通する所有り。ゆえに豊肥膏腴の地は独り快楽せず、瘠薄の地は独り苦しまず。たとい凶年飢歳に遭遇し、禹湯の水旱に逢うも、而して民に凍餓の臉色なし。ゆえに生きるは用に缺乏せず、死するは輾転屍を棄てず。『詩經』に曰く、「輝煌の王師、涵養に順って晦暗の時に処る」と。
第二十章
能制天下,必能養其民也。能養民者,為自養也。飲食適乎藏,滋味適乎氣,勞佚適乎筋骨,寒暖適乎肌膚,然後氣藏平,心術治,思慮得,喜怒時,起居而遊樂,事時而用足。夫是之謂能自養者也。故聖人不淫佚侈靡者,非鄙夫色愛財用也。養有適,過則不樂,故不為也。是以夏不數浴,非愛水也。冬不頻焬,非愛火也。不高臺柎非無土木也。不大鐘鼎,非無金錫也。不沉於酒,不貪於色,非闢醜也。直行情性之所安,而制度可以為天下法矣。故用不靡財,足以養其生,而天下稱其仁也。養不害性,足以成教,而天下稱其義也。適情闢餘,不求非其有,而天下稱其廉也。行成不可掩,息刑不可犯,執一道而輕萬物,天下稱其勇也。四行在乎民,居則婉愉,怒則勝敵。故審其所以養而治道具矣。治道具而遠近畜矣。《詩》曰:“於鑈王師,遵養時晦。”言相養者之至於晦也。
能く天下を制服するは、必ず能くその民を養う。能く民を養うは、自ら己を養うなり。飲食は儲蔵に適合し、滋味は気に適合し、労逸は筋骨に適合し、寒暖は肌膚に適合し、然る後に気蔵平和し、心術治理し、思慮得当し、喜怒適時し、起居して游楽し、事は時に按じて用充足す。これを則ち能く自己を養う人と謂う。ゆえに聖人は淫佚侈靡せず、声を鄙視し財用を愛惜するに非ず。養に適合の限度あり、超過すれば則ち快楽せず、ゆえに為さず。ここを以て夏は頻繁に沐浴せず、水を愛惜するに非ず。冬は頻繁に火を烤らず、火を愛惜するに非ず。高台榭を建設せず、土木なきに非ず。大鐘鼎を鋳造せず、金錫なきに非ず。酒に沈溺せず、色を貪らず、醜を躲避するに非ず。直に情性の安処する所を实行して、而して制度は天下の法と為るべし。ゆえに用度は財を浪費せず、足りてその生を養い、而して天下はその仁を称す。養は性を傷害せず、足りて教化を成就し、而して天下はその義を称す。情性を調適し多余を避け、彼の有するに非ざるを求めず、而して天下はその廉を称す。行為成就して掩蓋すべからず、刑罰止息して冒犯すべからず、一道を執守して万物を看輕し、天下はその勇を称す。四様の品行は民に存し、閑居すれば則ち和悦し、怒れば則ち敵人に戦勝す。ゆえに養う所以を審察すれば則ち治道は具備す。治道具備して遠近みな畜養せらる。『詩經』に曰く、「輝煌の王師、涵養に順って晦暗の時に処る」と。是れ互相畜養する人が晦暗の時に至るを言うなり。
第二十一章
公儀休相魯而嗜魚。一國人獻魚而不受。其弟諫曰:“嗜魚不受,何也?”曰:“夫欲嗜魚,故不受也。受魚而免於相,則不能自給魚。無受而不免於相,長自給於魚。”此明於為己者也。故《老子》曰:“後其身而身先,外其身而身存。非以其無私乎,故能成其私。”《詩》曰:“思無邪。”此之謂也。
公儀休は魯相を為して魚を嗜好す。一国の人は魚を献ずるも接受せず。彼の弟弟は勧諫して曰く、「魚を嗜好して接受せずは、なぜか?」曰く、「まさに魚を嗜好せんと欲するがゆえに、ゆえに接受せず。魚を接受して相位を免去せられれば、自ら魚を供給する能わず。接受せずして相位を免去せられざれば、能く長久に自ら魚を供給す」と。是れ明白に己のための人なり。ゆえに『老子』に曰く、「己を後ろに置けば身はかえって前に在り、己を度外に置けば身はかえって保存する能し。正に私なきを以てに非ずや、ゆえに能くその私を成就す」と。『詩經』に曰く、「思想に邪僻なし」と。言うはこのことなり。
第二十二章
傳曰:魯有父子訟者,康子欲殺之。孔子曰:“未可殺也。夫民不知父子訟之為不義久矣,是則上失其道。上有道,是人亡矣。”訟者聞之,請無訟。康子曰:“治民以孝。殺一人以僇不孝,不亦可乎?”孔子曰:“否。不教而聽其獄,殺不辜也。三軍大敗,不可誅也。獄讞不治,不可刑也。上陳之教而先服之,則百姓從風矣。躬行不從,然後俟之以刑,則民知罪矣。夫一仞之牆,民不能踰,百仞之山,童子登遊焉,凌遲故也。今世仁義之陵遲久矣,能謂民無踰乎?《詩》曰:‘俾民不迷。’韮之君子,道其百姓不使迷,是以威厲而不試,刑措而不用也。故形其仁義,謹其教道,使民目晣焉而見之,使民耳晣焉而聞之,使民心晣焉而知之,則道不迷而民志不惑矣。《詩》曰:‘示我顯德行。’故道義不易,民不由也。禮樂不明,民不見也。《詩》曰:‘周道如砥,其直知矢’,言其易也。‘君子所履,小人所視’,言其明也。‘睠焉顧之,澘焉出涕’,哀其不聞禮教而就刑誅也。夫散其本教而待之刑辟,猶決其牢而發以毒矢也,亦不哀乎!故曰未可殺也。昔者先王使民以禮,譬之如御也。刑者,鞭策也。今猶無轡銜而鞭策以御也。欲馬之進,則策其全國,欲馬之退,則策其前,御者以勞而馬亦多傷矣。今猶此也。上憂勞而民多罹刑。《詩》曰:‘人而無禮,胡不遄死。’為上無禮,則不免乎患。為下無禮,則不免乎刑。上下無禮,胡不遄死!”康子避席再拜曰:“僕雖不敏,請承此語矣。”孔子退朝,門人子路難曰:“父子訟,道邪?”孔子曰:“非也。”子路曰:“然則夫子胡為君子而免之也?”孔子曰:“不戒責成,虐也。慢令致期,暴也。不教而誅,賊也。君子為政,避外三者。且《詩》曰:‘載色載笑,匪怒伊教。’”
伝に記す:魯に父子争訟する者あり、康子は彼らを殺さんと欲した。孔子は言った。「なお殺すべからず。民は父子争訟が不義なるを知らざることすでに久し、これは則ち上に在る者の道を失うなり。上に道あれば、この種の人はなからん。」争訟の人は聞きて、再び争訟せざるを請うた。康子は曰く、「孝を以て民を治理す。一人を殺して不孝を羞辱するは、また可ならずや?」孔子は言った。「不可。教導せずして彼らの獄を聴くは、無辜を殺すなり。三軍大敗すれば、誅殺すべからず。獄訟治理する能わざれば、刑を用いべからず。上に在りて教導を陳列して自ら先ず实行すれば、則ち百姓は風気に跟従す。親身に实行してなお跟従せざれば、然る後に刑を以て待てば、則ち民は罪を知る。一仞の墻は、民は越える能わず。百仞の山は、児童は登りて游玩す、是れ坡度平緩なるを以て。今世の上は仁義の陵夷なること久し、民に越えぬと言う能くせんや?『詩經』に曰く、『民をして迷惑せしめず』と。昔の君子は、その百姓を引導して彼らを迷惑せしめず、ここを以て威厳猛厲なるも試用せず、刑罰は擱置して用いず。ゆえに仁義を顕現し、教導の道を謹慎し、民の目をして明白に見せしめ、民の耳をして明白に聞かしめ、民の心をして明白に知らしめれば、則ち道は迷惑せずして民の志向は惑乱せず。『詩経』に曰く、『顕明の徳行を我に指示せよ』と。ゆえに道義容易ならざれば、民は経由せず。礼楽顕明ならざれば、民は見ず。『詩経』に曰く、『周道は磨刀石のごとく、その直は箭のごとし』と、是れ容易を言う。『君子の走る所は、小人の看る所』と、是れ顕明を言う。『眷然として回頭して看れば、潸然として涙を流下す』と、是れ彼らが礼教を聞かずして刑誅に走向するを哀傷するなり。根本の教導を散失して刑辟を以て待つは、牢欄を決開して毒箭を以て発射するがごとく、また哀傷ならずや!ゆえに曰くなお殺すべからずと。昔先王は礼を以て民を役使す、駕馭に比す。刑は、鞭策なり。今や轡衘なきに鞭策を以て駕馭するがごとし。馬を前進せしめんと欲すれば、則ちその後ろを鞭策し、馬を後退せしめんと欲すれば、則ちその前を鞭策す、駕馭する人はここを以て労累して馬もまた多く傷を受く。今やこのごとし。上に在りて憂労して民は多く刑を遭受す。『詩經』に曰く、『人と為りて礼なくば、なぜ速やかに死せぬ』と。上に在りて礼なくば、則ち患を免れず。下に在りて礼なくば、則ち刑を免れず。上下礼なくば、なぜ速やかに死せぬ!」康子は席位を離れて再拝して曰く、「僕はたとい聡敏ならずとも、この言を接受せんことを請う」と。孔子は朝を退く、門人子路は責難して曰く、「父子争訟は、道か?」孔子は言った。「非ず。」子路は曰く、「然らば夫子はなぜ君子を以て彼らを赦免した?」孔子は言った。「告誡せずして責成するは、虐。法令を怠慢して期限するは、暴。教導せずして誅殺するは、賊。君子が政を為すは、外面のこ三様を避く。況んや『詩經』に曰く、『和顔を帯び笑容を帯び、怒るに非ずして教導す』と。」
第二十三章
當舜之時,有苗氏不服。其不服者,衡山在南,文(上加山)在北,左洞庭之波,右彭澤之水,由此險也。以其不服,禹請伐之,而舜不許,曰:“吾喻教猶未竭一。久喻教,而有苗氏請服。”天下聞之,皆薄禹之義,而美舜之德。《詩》曰:“載色載笑,匪怒伊教。”舜之謂也。問曰:然則禹之德不及舜乎?曰:非然也。禹之所以請伐者,欲彰舜之德也。故善則稱君,過則稱己,臣下之義也。假使禹為君,舜為臣,亦如此而已矣。夫禹可謂達乎人臣之大禮也。
舜の時に当たり、有苗氏は帰服せず。彼らが帰服せざるは、衡山南に在り、岐山北に在り、左は洞庭の波、右は彭沢の水、これらの険阻を以てなり。彼らが帰服せざるを以て、禹は討伐を請うも、而して舜は許可せず、曰く、「我が曉喻教導はいまだ一分を尽さず。長久に曉喻教導して、而して有苗氏は帰服を請う」と。天下は聞きて、みな禹の義を看輕し、而して舜の徳を赞美した。『詩經』に曰く、「和顔を帯び笑容を帯び、怒るに非ずして教導す」と。言うは舜なり。ある人が問う、然らば禹の徳は舜に比べざるか?曰く、こうではない。禹が討伐を請うた所以は、舜の徳を彰顕せんと欲す。ゆえに善なれば則ち君を称説し、過失なれば則ち自己を称説す、是れ臣下の義なり。もし禹が君を為し舜が臣を為さば、またこのごとくなるのみ。禹は人臣たるの大礼に通達したと称すべし。
第二十四章
季孫之治魯也,眾殺人而必當其罪,多罰人而必當其過。子貢曰:“暴哉治乎!”季孫聞之,曰:“吾殺人必當其罪,罰人必當其過,先生以為暴,何也?”子貢曰:“夫奚不若子產之治鄭?一年而負罰之過省,二年而刑殺之罪亡,三年而庫無拘人。故民歸之如是就下,愛之如孝子敬父母。子產病將死,國人皆吁嗟曰:‘誰可使代子產死者乎?’及其不免死也,士大夫哭之於朝,商賈哭之於市,農夫哭之於野。哭子產者,皆如喪父母。今竊聞夫子疾之時,則國人喜,活則國人皆駭。以死相賀,以生相恐,非暴而何哉?賜聞之,托法而治謂之暴,不戒致期謂之虐,不教而誅謂之賊,以身勝人謂之責。責者失身,賊者失臣,虐者失政,暴者失民。且賜聞居上位行此四者而不亡者,未之有也。”於是季孫稽首謝曰:“謹聞命矣。”《詩》曰:“載色載笑,匪怒伊教。”
季孫は魯を治理し、多く人を殺して必ずその罪に符合し、多く人を罰して必ずその過に符合した。子貢は曰く、「治理は暴虐かな!」季孫は聞きて後曰く、「我は人を殺すに必ずその罪に符合し、人を罰するに必ずその過に符合す、先生は以て暴虐と為す、なぜか?」子貢は曰く、「なぜ子産が鄭を治理したがごとくせぬか?一年にして負罰の過減少し、二年にして刑殺の罪なくなり、三年にして府庫に拘禁せられた人なし。ゆえに民は彼に帰向すること水の下に就くがごとく、彼を愛すること孝子の父母を敬うがごとし。子産は病将に死せんとして、国人みな叹息して曰く、『誰か彼をして子産に代わりて死なしめんや?』死を免れざるに及び、士大夫は朝に哭き、商賈は市に哭き、農夫は野に哭く。子産を哭くは、みな父母を喪失するがごとし。今私に聞く、夫子が生病の時は、則ち国人喜悦し、生きれば則ち国人みな驚駭す。死を以て互相祝賀し、生を以て互相恐懼す、暴虐に非ずしてまた何か?賜は聞く、法に依托して治理するを暴と謂い、告誡せずして期限するを虐と謂い、教導せずして誅殺するを賊と謂い、自身を以て人に勝るを責と謂うと。責は自身を失い、賊は臣を失い、虐は政を失い、暴は民を失う。況んや賜は聞く、上位に居りてこ四様を实行して滅亡せざるは、いまだかつて有らずと」すなわち季孫は叩頭して罪を謝して曰く、「恭敬して命令を聞いた」と。『詩經』に曰く、「和顔を帯び笑容を帯び、怒るに非ずして教導す」と。
第二十五章
問者曰:夫智者何以樂於水也?曰:夫水者緣理而行,不遺小間,似有智者。動而之下,似有禮者。蹈深不疑,似有勇者。障防而清,似知命者。歷險致遠,卒成不毀,似有德者。天地以成群物以生,品物以正。此智者所以樂於水也。《詩》曰:“思樂泮水,薄採其茆。魯侯戾止,在泮飮酒。”樂水之謂也。
問う人は曰く、智者はなぜ水を楽しむ?曰く、水は理に順って行走し、小さき間隙を遺漏せず、智あるがごとし。動けば則ち下に向かう、礼あるがごとし。深きに踏入して懐疑せず、勇あるがごとし。障防せられても清澈、命を知るがごとし。険阻を経歴して遠方に至り、最終に成就して毀壞せず、徳あるがごとし。天地はここを以て成就し、群物はここを以て生長し、品物はここを以て端正す。是れ智者が水を楽しむ所以なり。『詩經』に曰く、「快楽の泮水を思い、あの蓴菜を採りに往く。魯侯到来し、泮宮にて飲酒す」と。言うは水を楽しむなり。
第二十六章
問者曰:夫仁者何以樂於山也?曰:夫山者萬民之所瞻仰也。草木生焉,萬物植焉,飛鳥集焉,走獸休焉,四方益取與焉。出雲道風嵷乎天地之間。天地以成,國家以寧,此仁者所以樂於山也。《詩》曰:“太山巌巌,魯邦所瞻。”樂山之謂也。
問う人は曰く、仁者はなぜ山を楽しむ?曰く、山は万民の瞻仰する所なり。草木はそこに生長し、万物はそこに種植し、飛鳥はそこに聚集し、走獣はそこに休息し、四方はそこより取与す。雲を生出し風を引導し、天地の間に聳立す。天地はここを以て成就し、国家はここを以て安寧す、是れ仁者が山を楽しむ所以なり。『詩經』に曰く、「太山高峻、魯邦の瞻仰する所」と。言うは山を楽しむなり。
第二十七章
傳曰:晉文公嚐出亡,反國,三行賞而不及陶叔狐。陶叔狐謂咎犯曰:“吾從君而亡十有一年,顏色黯黑,手足胼胝。今反國三行賞而我不與焉。君其忘我乎?其有大過乎?子試為我言之。”咎犯言之文公,文公曰:“噫!我豈忘是子哉?高明至賢,志行全成,說我以仁,變化我行,昭明我名,他我為成人者,吾以為上賞。恭我以禮,防我以義,藩援我,使我不為非者,吾以為次。勇猛強武,氣勢自御,難在前則、處前,難在後則處後,免我於危難之中者,吾又以為次。然勞苦之士次之。”《詩》曰:“率禮不越,遂視既。”今不內自訟過,不悅百姓,將何錫之哉?
伝に記す:晋文公はかつて出亡し、国に返回し、三たび賞を行いて陶叔狐に到らず。陶叔狐は咎犯に対して曰く、「我は君に随従して出亡すること十一年、臉色黯黑にして、手脚に繭を長じた。今国に返回して三たび賞を行いて我その中に在らず。君は我を忘れたか?それとも大過失あるか?あなたは試みに我のために言え」と。咎犯は文公に告げ、文公は曰く、「ああ!我はどこにこの人を忘れんや?高明至賢にして、志向品行完備し、仁を以て我を説服し、我が品行を変化し、我が名を昭明し、我を化して成人と為すは、我は以て上賞と為す。礼を以て我を恭敬せしめ、義を以て我を防止し、藩籬援助して、我をして対ならざるを為さしめざるは、我は以て次等と為す。勇猛強武にして、気勢自ら駕馭し、難が前に在れば則ち前に処り、難が後に在れば則ち後に処り、我をして危難の中を免れしむるは、我はまた以て次等と為す。労苦の士に至っては則ちその次なり。『詩經』に曰く、『礼に遵循して越えず、すなわちすでに实行するを看る』と。今内に自ら訟過せず、百姓を喜悦せず、将に何を以て彼に賜わん?」
第二十八章
夫詐人者曰,古今異情,其所以治亂異道。而眾人皆愚而無知,陋而無度者也,於其所見猶可欺也,況乎千歲之後乎?蝕詐人者,門庭之間猶挾欺,而況千歲之上乎?然則聖人何以不可欺也?曰:聖人以己度人者也。以心度心,以情度情,以類度類,古今一也。類不悖,雖久同理。故性緣理而不迷也。夫五帝之前無傳人。非無賢人,久故也。五帝之中無傳政。非無善政,久故也。虞夏有傳政,不如殷周之察也。非無善政,久故也。夫傳者久則愈略,近則愈詳。略則舉大,詳則舉細。故愚者聞其大不知其細,聞其細不知其大。是以久而差。三王五帝,政之至也。《詩》曰:“帝命不違,至於湯齊。”
欺詐の人は説く、古今の情况同じからず、ゆえに治乱の道同じからずと。而して衆人はみな聡明にして知なく、浅陋にして法度なく、見る所に対してはなお欺騙すべし、まして千年の後においてをや?欺詐の人は、門庭の間になお欺を挟帯す、まして千年の上においてをや?然らば聖人はなぜ欺騙すべからざる?曰く、聖人は己を以て人を度量するなり。心を以て心を度量し、情を以て情を度量し、類を以て類を度量す、古今は一様なり。類は违背せず、たとい久遠なるも同じ理なり。ゆえに性は理に順って迷惑せず。五帝の前に流伝の人なし。賢人なきに非ず、久遠なるを以てなり。五帝の中に流伝の政なし。善政なきに非ず、久遠なるを以てなり。虞夏に流伝の政あり、殷周の詳察に如かず。善政なきに非ず、久遠なるを以てなり。流伝する物は久遠なれば則ち愈え簡略し、近ければ則ち愈え詳細す。簡略なれば則ち大を挙げ、詳細なれば則ち細を挙ぐ。ゆえに愚の人は大を聞きて細を知らず、細を聞きて大を知らず。ここを以て久しければ則ち差失あり。三王五帝は、政の極至なり。『詩經』に曰く、「帝命は违背せず、湯に至りて斉一す」と。
第二十九章
舜生於諸馮,遷於負夏,卒於鳴條,東夷之人也。文王生於岐周,卒於畢郢,西夷之人也。地之相去也,千有餘裡,世之相後也千有餘歲,然得志行乎中國,若合符節。孔子曰:“先聖後聖,其揆一也。”《詩》曰:“帝命不違,至於湯齊。”
舜は諸馮に生れ、負夏に遷り、鳴條に死す、是れ東夷の人。文王は岐周に生れ、畢郢に死す、是れ西夷の人。地の相離るること一千余里、世の相隔たること一千余年、しかるに志を得て中国に实行するは、符節の相合するがごとし。孔子は言った。「先聖後聖、その法度は一様なり。」『詩經』に曰く、「帝命は违背せず、湯に至りて斉一す」と。
第三十章
孔子觀於周廟,有欹器焉。孔子問於守廟者曰:“此謂何器也?”對曰:“此蓋為宥座之器。”孔子曰:“吾聞宥座之器,滿則覆,虛則欹,中則正,有之乎?”對曰:“然。”孔子使子路取水試之,滿則覆,中則正,虛則欹。孔子喟然而嘆曰:“嗚呼!惡有滿而不覆者哉!”子路曰:“敢問持滿有道乎?”孔子曰:“持滿之道,抑而損之。”子路曰:“損之有道乎?”孔子曰:“德行寬裕者,守之以恭,土地廣大者,守之以儉。祿位尊盛者,守之以卑。人眾兵強者,守之以畏。聰明睿智者,守之以愚。博聞強記者,守之以淺。夫是之謂抑而損之。”《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”
孔子は周廟に観看す、欹器あり。孔子は廟を守る人に問う、「これを何の器物と謂う?」回答す、「これはほぼ宥座の器物」と。孔子は言った。「我は聞く、宥座の器物は、満ちれば則ち翻覆し、空なれば則ち傾斜し、適中なれば則ち端正すと、こ事あるか?」回答す、「是れ」と。孔子は子路をして水を取りて試験せしむれば、満ちれば則ち翻覆し、適中なれば則ち端正し、空なれば則ち傾斜した。孔子は慨然として叹息して曰く、「嗚呼!どこに満ちて翻覆せざるあらん!」子路は曰く、「満を保持するに道あるかを請う」と。孔子は言った。「満を保持するの道は、抑制して減損す。」子路は曰く、「減損に道あるか?」孔子は言った。「徳行寛裕なるは、恭を以て守る。土地広大なるは、倹を以て守る。禄位尊盛なるは、卑下を以て守る。人多く兵強きは、畏懼を以て守る。聡明叡智なるは、愚を以て守る。博聞強記なるは、浅を以て守る。これを則ち抑制して減損すと謂う。」『詩經』に曰く、「湯降臨して遅緩せず、聖敬一天天に上升す」と。
第三十一章
周公踐天子之位七年,布衣之士所執贄而師見者十人。所友見者十二人,窮巷白屋所先見者四十九人。時進善者百人,教士者千人,官朝者萬人。當此之時,誠使周公驕而且吝,則天下賢士至者寡矣。成王封伯禽於魯,周公誡之曰:“往矣!子其無以魯國驕士。吾文王之子,武王之弟,成王之叔父也,又相天子,吾於天下亦不輕矣。然一沐三握髪,一飯三吐哺,猶恐失天下之士。吾聞德行寬裕,守之以恭者,榮。土地廣大,守之以儉者,安。祿位尊盛,守之以卑者,貴。人眾兵強,守之以畏者,勝。聰明睿智,守之以愚者,哲。博聞強記,守之以淺者,智。夫此六者,皆謙德也。夫貴為天子,富有四海,由此德也。不謙而失天下亡其身者,桀紂是也,可不慎歟!故《易》有一道,大足以守天下,中足以守其國家,小足以守其身,謙之謂也。夫天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。是以衣成則必缺袵,宮成則必缺隅,屋成則必加措,示不成者,天道然也。《易》曰:‘謙亨,君子有終吉。’《詩》曰:‘湯降不遲,聖敬日躋。’誡之哉!子其無以魯國驕士也。”
周公は天子の位に践むこと七年、布衣の士が贄礼を持ちて老師の礼を以て進見する者十人、朋友の礼を以て進見する者十二人、窮巷白屋先に接見せられた者四十九人。当時善言を進献する者百人、教を受くる士千人、官に在りて朝見する者万人。この時に当たり、もし周公をして驕傲にして且つ吝嗇ならしめば、則ち天下の賢士の到来するは少なからん。成王は伯禽を魯に封じ、周公は告誡して曰く、「往け!あなたは魯国を憑って士に驕傲する勿れ。我は文王の子、武王の弟、成王の叔父、また天子を輔相す、我は天下に在りても軽からず。しかるに一たび頭を洗えば三たび頭髪を握住し、一頓の飯を食えば三たび口裏の食物を吐出す、なお天下の士を失うを怕る。我は聞く、徳行寛裕、恭を以て守るは、栄耀。土地広大、倹を以て守るは、安定。禄位尊盛、卑下を以て守るは、貴。人多く兵強、畏懼を以て守るは、勝利。聡明叡智、愚を以て守るは、明智。博聞強記、浅を以て守るは、智慧。この六様は、みな謙徳なり。貴く天子と為り、富みて四海を有するは、こ徳を以てす。謙ならずして天下を失い自身を滅亡するは、桀紂則ち是れ、能く謹慎せざらんや!ゆえに『周易』に一道あり、大は足りて天下を守り、中は足りてその国を守り、小は足りてその身を守る、言うは謙なり。天道は盈満を虧損して謙を補益し、地道は盈満を改変して謙に流向し、鬼神は盈満を損害して謙を福佑し、人道は盈満を厭悪して謙を愛好す。ここを以て衣服を作成すれば必ず衣襟を缺き、宮を作成すれば必ず角落を缺き、屋を作成すれば必ず撑柱を加う、未だ完成せざるを表示す、天道は則ちこのごとし。『周易』に曰く、『謙は亨通し、君子は好結果吉利あり』と。『詩經』に曰く、『湯降臨して遅緩せず、聖敬一天天に上升す』と。警戒せよ!あなたは魯国を憑って士に驕傲する勿れ」と。
第三十二章
傳曰:子路盛服以見孔子,孔子曰:“由疏疏者何也?昔者江於濆,其始出也,不足以濫觴。及其至乎江之澤也,不方舟,不避風,不可渡也。非其下流眾川之多歟?顏色充滿,天下有誰加汝哉?”子路趨出,改服而入,蓋揖如也。孔子曰:“由志之。吾語汝。夫慎於言者不譁,慎於行者不伐。色知而有長者小人也。故君子知之為知之,不知為不知,言之要也。能之為能之,不能為不能,行之要也。言要則知,行要則仁。既知且仁,又何加哉?《詩》曰:‘湯降不遲,聖敬日躋。’”
伝に記す:子路は盛服を穿着して孔子を見に来たり、孔子は言った。「由、疏疏然とするは何のためか?昔江は源頭より噴涌して出づ、剛て出ずる時、以て酒杯を浮起するに足らず。江の大沢に至るに及び、船を并せず、風を避けずば、渡るべからず。それが下流にて衆川多きを以てに非ずや?臉色充満せば、天下に誰かあなたを超えん?」子路は快步して出で、衣服を改換して進入す、ほぼ揖譲礼あり。孔子は言った。「由は記せ。我あなたに告げん。言語を謹慎するは喧嘩せず、行為を謹慎するは誇耀せず。臉色に知るを顕出して長あるは小人なり。ゆえに君子は知れば則ち知るとし、知らざれば則ち知らずとす、是れ言語の要約。能くすれば則ち能くすとし、能わざれば則ち能わずとす、是れ行為の要約。言語要約なれば則ち智、行為要約なれば則ち仁。すでに智にして且つ仁なれば、また何を加えん?『詩經』に曰く、『湯降臨して遅緩せず、聖敬一天天に上升す』と。」
第三十三章
君子行不貴茍難,說不貴茍察,名不貴茍傳,惟其當之為貴。夫負石而赴河,此行之難為者也,而申徒狄能之。君子不貴者,非禮義之中也。山淵平,天地比,齊秦襲,入乎耳,出乎口,鉤有須,卵有毛,此說之難持者也,而鄧片(右加木)惠施能之。君子不貴者,非禮義之中也。盜跖吟口,名聲若日月,與舜禹俱傳而不息。君子不貴者,非禮義之中也。故曰君子行不貴茍難,說不貴茍察,名不貴茍傳,惟其當之為貴。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”言當之為貴也。
君子の行為は苟且艱難を以て貴と為さず、学説は苟且明察を以て貴と為さず、名声は苟且流伝を以て貴と為さず、ただ得当あるのみを以て貴と為す。石を負いて河に投ず、是れ行為の為し難き、而して申徒狄は能く為す。君子は以て貴と為さず、礼義の中に非ざるを以て。山淵一様に平、天地并列し、斉秦相合し、耳より入りて口より出づ、鉤に鬚鬢あり、卵に毛あり、是れ学説の持守し難き、而して鄧析・恵施は能く持守す。君子は以て貴と為さず、礼義の中に非ざるを以て。盗跖は口頭吟詠し、名声は日月のごとく、舜禹とともに流伝して息まず。君子は以て貴と為さず、礼義の中に非ざるを以て。ゆえに曰く君子の行為は苟且艱難を以て貴と為さず、学説は苟且明察を以て貴と為さず、名声は苟且流伝を以て貴と為さず、ただ得当あるのみを以て貴と為すと。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。是れ得当あるを貴と為すを言う。
第三十四章
伯夷叔齊目不視惡色,耳不聽惡聲。非其君不事,非其民不使。橫政之所出,橫民之所止,弗忍居也。思與鄉人居,若朝衣朝冠,坐於塗炭也。故聞伯夷之風者,貪夫廉,懦夫有立志。至柳下惠內則不然。不羞汙君,不辭小官。進不隱賢,必由其道。阨窮而不憫,遺佚而不怨。與鄉人居,愉愉然不去也。雖袒裼裸裎於我側,彼安能浼我哉?故聞柳下惠之風者,鄙夫寬,薄夫厚。至乎孔子去魯,遲遲乎其行也,可以去而去,可以止而止,去父母國之道也。伯夷,聖人之清者也。柳下惠,聖人之和者也。孔子,聖人之中者也。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”中庸和通之謂也。
伯夷・叔斉は目は悪色を看ず、耳は悪声を聴かず。彼の君に非ざれば事奉せず、彼の民に非ざれば役使せず。暴政の出ずる所、暴民の停まる所は、忍びて住まず。郷人と住まんと欲するは、朝衣朝冠を穿着して塗炭の上に坐するがごとし。ゆえに伯夷の風気を聞く者は、貪婪の人は廉潔し、懦弱の人は自立の志有り。柳下恵に至っては則ちこのごとくあらず。汚穢の君を以て羞恥と為さず、小官を推辞せず。進用して賢能を隠瞞せず、必ずあの道を経由す。困窮して憂憫せず、遺棄せられて怨恨せず。郷人と住むに、愉愉然として離れず。たとい身体を袒露して我の辺に在るも、彼はどうして我を汚染せんや?ゆえに柳下恵の風気を聞く者は、鄙陋の人は寛大し、刻薄の人は厚道す。孔子の魯を離るるに至っては、遅遅然としてその行走、離るべければ則ち離れ、留まるべければ則ち留まる、是れ父母の国を離るるの道なり。伯夷は、聖人の中の清。柳下恵は、聖人の中の和。孔子は、聖人の中の中正。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。言うは中庸和通なり。
第三十五章
王者之法,等賦正事,田野什一,關市譏而不徵,山林澤梁,以時入而不禁。相地在衰正,理道而致貢,萬物群來,無有流滯,以相通移,近者不隱其能,遠者不疾其勞,雖幽間僻陋之國,莫不趨使而安樂之。夫是之謂王者之法,等賦正事。《詩》曰:“敷政優優,百祿是遒。”
王者の法は、賦税を均等し事務を端正し、田野は十分に一を取り、関市は稽查して征稅せず、山林沢梁は、時に按じて入りて禁止せず。土地の好壞を察看して徴収し、道路を治理して貢を送来し、万物は群を成して到来し、滞留なく、以て互相流通転移し、近きはその能を隠瞞せず、遠きはその労を厭悪せず、たとい幽僻簡陋の国も、趨使して安楽せざるなし。これを則ち王者の法と謂い、賦税を均等し事務を端正す。『詩經』に曰く、「施政寛和、百禄聚集す」と。
第三十六章
孫卿與臨武君議兵於趙孝成王之前。王曰:“敢問兵之要。”臨武君曰:“夫兵之要,上得天時,下得地利,後之發,先之至。此兵之要也。”孫卿曰:“不然。夫兵之要,在附親士民而已。文馬不和,造父不能以致遠。弓矢不調,羿不能以中微。士民不親附,湯武不能以戰勝。由此觀之,要在於附親士民而已矣。”臨武君曰:“不然。夫兵之用,變故也。其所貴,謀詐也。善用之者猶脫兔,莫知其出。孫吳用之無敵於天下。由此觀之,豈必待附親士民而後可哉?”孫卿曰:“不然。君之所道者,諸侯之兵,謀臣之事也。臣之所道者,仁人之兵,聖王之事也。彼可詐者,怠慢者也。君臣上下之際,奐然有離德者也。夫以蹠而詐桀,猶有工拙焉。以桀而詐堯,如以指撓沸,以卵投石,抱羽毛而赴烈火,入則燋也。夫何可詐也?且夫暴國將孰與至哉?彼其所與至者必其民,民之親我也,芬若椒蘭,歡如父子。彼反顧其上,如憯毒蜂蠆。人之情,雖桀蹠豈肯為其所至惡,賊其所至愛哉?是猶使人之子孫自賊其父母也。彼則先覺其失,何可詐哉?且仁人之兵,聚則成卒,散則成列。延居則若莫邪之長刃,嬰之者斷。銳居則若莫邪之利鋒,當之者潰。圓居則若丘山之不可移也,方居則若盤石之不可拔也,觸之摧角折節而退爾,夫何可詐也?《詩》曰:‘武王載發,有虔秉鉞,如火烈烈,則莫我敢遏。’此謂湯武之兵也。”孝成王避席抑手曰:“寡人雖不敏,請依先生之兵也。”
孫卿と臨武君は趙孝成王の面前にて用兵を議論す。王は曰く、「用兵の要約を請う」と。臨武君は曰く、「用兵の要約は、上は天時を得、下は地利を得、後発して先到す。是れ用兵の要約」と。孫卿は曰く、「然らず。用兵の要約は、士民を親附するに在るのみ。車馬和諧せざれば、造父も以て遠方に到達する能わず。弓矢調わざれば、羿も以て微小を射中する能わず。士民親附せざれば、湯武も以て戦勝する能わず。これより観れば、要約は士民を親附するに在るのみ」と。臨武君は曰く、「然らず。用兵の用処は、変故なり。看重する所は、謀詐なり。善く用いるは脱逃の兔子のごとく、人はその出処を知るなし。孫呉はこれを用いて天下に敵なし。これより観れば、どこに必ず士民を親附して然る後に可なるを待たんや?」孫卿は曰く、「然らず。君の言う所は、諸侯の兵、謀臣の事なり。臣の言う所は、仁人の兵、聖王の事なり。あの欺詐すべきは、怠慢なるなり。君臣上下の間、涣然として離散の徳あるなり。跖を以て桀を欺詐するは、なお工拙あり。桀を以て堯を欺詐するは、手指を以て開水を攪り、卵を以て石頭に投じ、羽毛を抱きて烈火に奔赴するがごとく、入れば則ち烧焦す。何の欺詐すべきかあらん?況んや暴国は将に誰とともに来らんや?彼の与に来るは必ずその民、民は我に親附し、芬芳は椒蘭のごとく、歓喜は父子のごとし。彼らは回頭してその上を看れば、惨毒蜂蠆のごとし。人の情は、たとい桀跖といえども豈にその最も厭悪する所のために、その最も親愛する所を残害せんと肯んずるや?これは人の子孫に自ら父母を残害せしむるに似たり。彼らは先にあの過失を察覚す、何の欺詐すべきかあらん?況んや仁人の兵は、聚集すれば則ち卒を成し、分散すれば則ち列を成す。延長して居処するは莫邪の長刃のごとく、触碰するは斬断せらる。鋭利にして居処するは莫邪の利鋒のごとく、抵当するは潰散す。円形にして居処するは丘山のごとく移すべからず、方形にして居処するは盤石のごとく拔くべからず、それに触碰すれば則ち頭角節肢を摧折して退くのみ、何の欺詐すべきかあらん?『詩経』に曰く、『武王は旌旗を載せ、虔敬に鉞を持ち、火のごとく猛烈にして、則ち人の敢えて我を遏止するなし』と。言うは湯武の兵なり」と。孝成王は席位を離れ手を按じて曰く、「寡人はたとい聡敏ならずとも、先生の用兵に依従せんことを請う」と。
第三十七章
受命之士,正衣冠而立,儼然人望而信之。其次,聞其言而信之。其次,見其行而信之。既見其行,而眾皆不信,斯下矣。《詩》曰:“慎爾言矣,謂爾不信。”
命を受けた士は、衣冠を端正して立ち、荘厳して人の望見すれば則ち信任す。その次は、彼の言を聞きて信任す。その次は、彼の行為を見て信任す。すでに彼の行為を見たれど、衆人みな信任せざれば、これ低下なり。『詩經』に曰く、「あなたの言を謹慎せよ、あなたを信ずべからずと言う」と。
第三十八章
昔者不出戶而知天下,不窺牖而見天道者,非目能視乎千里之前,非耳能聞乎千里之外,以己之度度之也。以了之情量之也。己惡飢寒焉,則知天下之慾衣食也。己惡勞苦焉,則知天下之慾安佚也。己惡意象乏焉,則知天下之慾祠足也。知此三者,聖王之所以不降席而匡天下。故君子之道,忠恕而已矣。夫飢渴苦血氣,寒暑動肌膚,此四者民之大害也。大害不除,未可教御也。四體不掩,則鮮仁人。五藏空虛,則無立士。故先王之法,天子親耕,后妃親蠶,先天下憂衣與食也。《詩》曰:“父母何嘗?心之憂矣,子之無裳。”
昔門戸を出でずして天下を知り、窓戸を窺看せずして天道を見たるは、目が千里の前を見る能くするに非ず、耳が千里の外を聞く能くするに非ず、己の法度を以て度量するなり。己の情を以て估量するなり。己は饑寒を厭悪すれば、則ち天下の衣食を欲するを知る。己は労苦を厭悪すれば、則ち天下の安逸を欲するを知る。己は匱乏を厭悪すれば、則ち天下の充足を欲するを知る。こ三様を知るは、聖王が席位を離れずして天下を匡正する所以なり。ゆえに君子の道は、忠恕のみ。飢渴は血気を傷害し、寒暑は肌膚を打動す、この四様は民の大害なり。大害除去せざれば、教導駕馭すべからず。四肢遮掩せざれば、則ち仁人少なし。五蔵空虚なれば、則ち自立の士なし。ゆえに先王の法は、天子親しく田を耕し、后妃親しく蠶を養い、天下に先んじて衣と食を憂慮す。『詩經』に曰く、「父母は何を嘗めんや?心憂慮せり、児子に衣裳なし」と。
韓詩外伝巻第四
第一章
紂作炮格之刑,王子比干曰:“主暴不諫,非忠也。畏死不無言,非勇也。見過即諫,不用即死,忠之至也。”遂諫,三日不去朝。紂囚而殺之。《詩》曰:“昊天大憮,予慎無辜。”
紂は炮格の刑を制作し、王子比干は曰く、「主は暴虐にして進諫せざれば、忠に非ず。死を怕りて言わざれば、勇に非ず。過失を見て則ち進諫し、用いざれば則ち死すは、忠の極至なり」と。すなわち進諫し、三天朝を離れず。紂は囚禁して彼を殺した。『詩經』に曰く、「昊天は甚だ怃然、我は謹慎して辜なし」と。
第二章
桀為酒池,可以運舟,糟丘足以望十里,一鼓而牛飮者三千人,關龍逢進諫曰:“古之人君,身行禮義,愛民節財,故國安而身壽。今君用財若無窮,殺人若恐弗勝。君若弗革,天殃必降,而誅必至矣。君其革之。”立而不去朝。桀囚而殺之。君子聞之曰:“天之命矣。”《詩》曰:“昊天大憮,予慎無辜。”
桀は酒池を作り、舟船を運転すべし、糟丘は足りて十里を瞭望し、一たび鼓を撃てば牛のごとく飲む者三千人あり。関龍逢は進諫して曰く、「古代の人君は、自身礼義を实行し、民を愛し財を節し、ゆえに国安くして自身長寿なりき。今君は財を用うること窮尽なきがごとく、人を殺すこと勝能わざるを怕るがごとし。君もし改変せざれば、天殃は必ず降下し、而して誅殺は必ず至らん。君はなお改変せよ」と。立ちて朝を離れず。桀は囚禁して彼を殺した。君子は聞きて後曰く、「是れ天の命なり」と。『詩經』に曰く、「昊天は甚だ怃然、我は謹慎して辜なし」と。
第三章
有大忠者,有次忠者,有下忠者,有國賊者。以道覆君而化之,是謂大忠也。以德調君而輔之,是謂次忠也。以諫非君而怨之,是謂下忠也。不恤乎公道達義,偷合茍同以之持祿養交者,是謂國賊也。若周公之於成王,可謂大忠也。管仲之於桓公,可謂次忠也。子胥之於夫差,可謂下忠也。曹觸龍之於紂,可謂國賊也。皆人臣之所為也。吉凶賢不肖之效也。《詩》曰:“匪其止恭,惟王之卭。”
大忠なるあり、次忠なるあり、下忠なるあり、国賊なるあり。道を以て君を覆い彼を感化するを、これを大忠と謂う。徳を以て君を調和し彼を輔助するを、これを次忠と謂う。諫を以て君の非を糾正し彼を怨むを、これを下忠と謂う。公道通達の義を体恤せず、倫合苟同して以て俸禄を持守し私交を豢養するは、これを国賊と謂う。周公の成王に於けるがごときは、大忠と称すべし。管仲の桓公に於けるは、次忠と称すべし。子胥の夫差に於けるは、下忠と称すべし。曹触龍の紂に於けるは、国賊と称すべし。みな人臣の為す所なり。吉凶賢不肖の効験なり。『詩經』に曰く、「彼の恭敬に止まるに非ず、ただ君王の疾病なり」と。
第四章
哀公問取人。孔子曰:“無取健,無取佞,無取口讒。健,驕也。佞,諂也。口讒,誕也。故弓調,然後求勁焉。馬服,然後求良焉。士信愨,而後求知焉。士不信愨而又多知,譬之豺狼與,其難以身近也。《周書》曰:‘無為虎傅翼,將飛入邑,擇人而食。’夫置不肖之人於位,是為虎傅翼也。不亦殆乎?”《詩》曰:“匪其止恭,惟王之卭。”言其不恭其職事,而病其主也。
哀公は人を選取するを問うた。孔子は言った。「強健好勝を選取する勿れ、佞媚を選取する勿れ、口讒を選取する勿れ。強健好勝は、驕なり。佞媚は、諂なり。口讒は、誕妄なり。ゆえに弓は調い好し、然る後に強勁を求む。馬は馴服し、然る後に良を求む。士は誠信樸実、然る後に智を求む。士が誠信樸実ならずして又智多きは、豺狼に比す、身体を以て靠近し難し。『周書』に曰く、『虎に翅膀を加うる勿れ、将に城邑に飛入り、人を選択して食わんとす』と。不肖の人を位子に置くは、則ち虎に翅膀を加うるなり。また危険ならずや?」『詩經』に曰く、「彼の恭敬に止まるに非ず、ただ君王の疾病なり」と。是れ彼が職事を恭敬せずして、その主を病せしむるを言うなり。
第五章
齊桓公獨與管仲謀伐莒,而國人知之。桓公謂管仲曰:“寡人獨為仲父言,而國人知之何也?”管仲曰:“意者國中有聖人乎?今東郭牙安在?”桓顧曰:“在此。”管仲曰:“子有言乎?”東郭牙曰:“然。”管仲曰:“子何知之?”曰:“臣聞君子有三色,是以知之。”管仲曰:“何謂三色?”曰:“歡忻愛說,鐘鼓之色也。愁悴哀憂,衰絰之色也。猛厲充實,兵革之色也。是以知之。”管仲曰:“何以知其莒也?”對曰:“君東南面而指,口張而不掩,舌舉而不下,是以知其莒也。”桓公曰:“善。”東郭先生曰:“目者,心之符也。言者,行之指也。夫知者之於人也,未嘗求知而後能知也。觀容貌,察氣志,定取捨,而人情畢矣。”《詩》曰:“他人有心,予忖度之。”
斉桓公は独り管仲と莒を伐つを謀劃し、而して国人はこれを知った。桓公は管仲に対して曰く、「寡人は独り仲父に対して言うに、而して国人は知る、なぜか?」管仲は曰く、「恐らく国中に聖人あらんか?今東郭牙はどこに在る?」桓公は回頭して曰く、「ここに在り」と。管仲は曰く、「あなたに言うことあるか?」東郭牙は曰く、「是れ」と。管仲は曰く、「あなたはどうして知った?」曰く、「臣は聞く、君子に三種の神色あり、ここを以て知ったり」と。管仲は曰く、「何を三種神色と謂う?」曰く、「歓欣愛悦は、鐘鼓の神色。愁悴哀憂は、喪服の神色。猛厲充実は、兵革の神色。ここを以て知ったり」と。管仲は曰く、「何を以て莒と知った?」回答す、「君は東南に面向して指し、口は張開して上を掩わず、舌頭は挙げて下さず、ここを以て莒と知ったり」と。桓公は曰く、「好し」と。東郭先生は曰く、「目は、心の符験。言語は、行為の指向。智者は人に対して、かつて知を求めて然る後に能く知るに非ず。容貌を観察し、気志を審察し、取捨を決定して、而して人情は則ち完備す」と。『詩經』に曰く、「他人に心あれば、我はそれを忖度す」と。
第六章
今有堅甲利兵,不足以施敵破虜,弓良矢調,不足射遠中微,與無兵等爾。有民不足強用嚴敵,與無民等爾。《詩》曰:“維南有箕,不可以簸揚。維北有鬥,不可以挹酒漿。”
今堅固の甲鋒利の兵ありて、敵に施加し虜寇を攻破するに足らず、弓好し矢調うも、遠く射て微小を中るに足らずは、兵器なきと相等しきのみ。民ありて強力使用し敵を厳待するに足らずは、民なきと相等しきのみ。『詩經』に曰く、「南方に箕星あり、簸揚すべからず。北方に斗星あり、酒漿を舀うべからず」と。
第七章
傳曰:舜彈五絃琴,以歌《南風》,而天下治。周公酒餚不離於前,鍾石不解於懸,以輔成王,而宇內亦治。匹夫百畝一室,不遑啟處,無所移之也。夫以一人而兼聽天下,其日有餘而治不足,使人為之也。夫擅使人之權,而不能制眾於下,則在位者非其人也。《詩》曰:“維南有箕,不可以簸揚。維北有鬥,不可以挹酒漿。”言有位無其事也。
伝に記す:舜は五弦琴を弾じ、以て『南風』を歌唱し、而して天下治理す。周公は酒肴面前を離れず、鐘石は懸掛する所より解下せず、以て成王を輔助し、而して宇内もまた治理す。匹夫は百畝一室、暇なく安処し、移るべき地方なし。一人を以て兼ねて天下を聴くに、日は余りて治理の事は足らず、是れ人をして為さしむるなり。専擅して人を役使するの権ありて、能く下に衆を制服せざれば、則ち位に在るはその人に非ず。『詩經』に曰く、「南方に箕星あり、簸揚すべからず。北方に斗星あり、酒漿を舀うべからず」と。是れ位子ありてその事なきを言うなり。
第八章
齊桓公伐山戎,其道過燕,燕君送之出境。桓公問管仲曰:“諸侯相送,固出境乎?”管仲曰:“非天子不出境。”桓公曰:“然則燕君畏而失禮也。寡人不可使燕君失禮。”乃割燕君所至之地以與之。諸侯聞之皆朝於齊。《詩》曰:“靜恭爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。”
斉桓公は山戎を伐ち、道路は燕を経過し、燕君は彼を送りて境を出でたり。桓公は管仲に問う、「諸侯は相送るに、本来境を出ずるか?」管仲は曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公は曰く、「然らば燕君は畏懼して礼を失えり。寡人は燕君をして礼を失わしむべからず」と。すなわち燕君の到った地を割きて彼に給えた。諸侯は聞きてみな斉に朝した。『詩經』に曰く、「安靜にあなたの位子を恭敬し、こ正直を愛好せよ。神はこれを聴き、あなたに大福を助けん」と。
第九章
《韶》用干鏚,非至樂也。舜兼二女,非達禮也。封黃帝之子十九人,非法義也。往田號泣,未盡命也。以人觀之,則是也。以法量之,則未也。《禮》曰:“禮儀三百,威儀三千。”《詩》曰:“靜恭爾位,正直是與。神之聽之,式谷以女。”
『韶』は干戚を用いるも、極至の楽に非ず。舜は二女を兼有するも、通達の礼に非ず。黄帝の子十九人を封ずるも、法義に非ず。田里に至りて号哭するは、命を尽さざるなり。人を以て看れば、則ちこのごとし。法を以て衡量すれば、則ちいまだ至らず。『礼』に曰く、「礼儀三百、威儀三千」と。『詩經』に曰く、「安靜にあなたの位子を恭敬し、正直とともに在れ。神はこれを聴き、善を以てあなたに対せん」と。
第十章
禮者治辯之極也,強國寫本也,威行之道也,功名之統也。王公由之,所以一天下也。不由之,所以隕社稷也。是故堅甲利兵不足以為武,高城深池不足以為固,嚴令繁刑不足以為威,由其道則行,不由其道則廢。昔楚人蛟革犀兕以為甲,堅如金石,宛鉅鐵釶,慘若蜂蠆,輕利剽疾,卒如飄風。然兵殆於垂沙,唐子死,莊蹻起,楚分為三四者,此豈無堅甲利兵也哉?其所以統之者非其道故也。汝淮以為險,江漢以為池,緣之以方城,限之以鄧林,然秦師至於鄢郢,舉若振槁然。是豈無固塞限險也哉?其所以統之者非其道故也。紂殺比干而囚箕子,為炮格之刑,殺戮無時,群下愁怨,皆莫冀其命,然周師至而令不行乎左右。其豈無嚴令繁刑也哉?其所以統之者非其道故也。若夫明道而均分之,誠愛而時使之,則下之應上如影響矣。有不由命者,刑一人而天下服,下不非其上,知罪在己也。是以刑罰競渻而威行如流者,無他,由是道故也。《詩》曰:“自東自西,自南自北,無思不服。”如是則近者歌謳之,遠者赴趨之,幽間僻陋之國莫不趨使而安樂之,若赤子之歸慈母者,何也?仁刑義立,教誠愛深,禮樂交通故也。《詩》曰:“禮義卒度,笑語卒獲。”
礼は辨别を治理するの極至、国を強くするの根本、威行の道、功名の統緒なり。王公はこれを経由す、ゆえに天下を統一す。これを経由せず、ゆえに社稷を隕落す。ここを以て堅甲利兵は以て武と為すに足らず、高城深池は以て固と為すに足らず、厳令繁刑は以て威と為すに足らず、あの道を経由すれば則ち实行し、あの道を経由せざれば則ち廃棄す。昔楚人は蛟革犀兕を以て甲を為し、堅固なること金石のごとく、宛地の钜鉄矛は、惨烈なること蜂蠆のごとく、軽利剽疾にして、突然たること飄風のごとし。しかるに兵は垂沙に敗れ、唐子は死し、荘蹻は起事し、楚は三四に分かれたり、これ豈に堅甲利兵なからんや?統領する所あの道に非ざるの縁故なり。汝淮を以て険と做し、江漢を以て池と做し、方城を以て囲繞し、鄧林を以て限制す、しかるに秦師は鄢郢に至り、攻取すること枯葉を振落するがごとし。これ豈に固塞険限なからんや?統領する所あの道に非ざるの縁故なり。紂は比干を殺して箕子を囚禁し、炮格の刑を作り、殺戮に定時なく、群下愁怨し、みな人の命を保たんと欲するなし、しかるに周師至りて命令は左右にて实行せられず。これ豈に厳令繁刑なからんや?統領する所あの道に非ざるの縁故なり。明らかに道を顕して分を均しくし、真誠に愛して時に按じて役使すれば、則ち下の上に応答するは影と響のごとし。命令に遵従せざる有れば、一人を刑して天下服従し、下は上を非議せず、罪が己に在るを知る。ここを以て刑罰は競い減少して威行は流水のごとし、他なく、こ道を経由するの縁故なり。『詩經』に曰く、「東より西より、南より北より、服従せざらんと欲するなし」と。このごとくなれば則ち近きは歌唱し、遠きは奔赴し、幽僻簡陋の国は趨使して安楽せざるなく、赤子の慈母に帰向するがごとし、なぜか?仁形成し義樹立し、教導誠にして愛深く、礼楽交通するの縁故なり。『詩經』に曰く、「礼義は終に度に合し、笑語は終に当を得たり」と。
第十一章
君人者以禮分施,均徧而不偏。臣以禮事君,忠順而不解。父寬惠而有禮,子敬愛而致恭。兄慈愛而見友,弟敬詘而不慢。夫照臨而有別,妻柔順而聽從。若夫行之而不中道,即恐懼而自竦。此道也,徧立則亂,具立則治。請問兼能之奈何?曰審禮。昔者先王審禮以惠天下,故德及天地,動無不當,夫君子恭而不難,敬而不鞏,貧窮而不約,富貴而不驕,應變而不窮,審之禮也。故君子於禮也,敬而安之。其於事也,經而不失。其於人,寬裕寡怨而弗阿。其於儀也,修飾而不危。其應變也,齊給便捷而不累。其於百官伎藝之人也,不與爭能,而致用其功。其於天地萬物也,不說其所以然而謹裁其盛。其待上也,忠順而不解。其使下也,均遍而不徧。其於交遊也,緣類而有義。其於鄉曲也,逧而不亂。是故窮則有名,通則有功。仁義兼覆天下而不窮,明通天地,理萬變而不疑。血氣平和,志意廣大,行義塞天地,仁知之極也。夫是之謂先王審之禮也。若是,則老者安之,少者懷之,朋友信之,如夫子之歸慈母也。曰:仁刑義立,教誠愛深,禮樂交通故也。《詩》曰:“禮義卒度,笑語卒獲。”
人君たるは礼を以て施予を分別し、均遍して偏私せず。臣は礼を以て君に事奉し、忠順して懈怠せず。父は寛恵にして礼あり、子は敬愛して恭を極む。兄は慈愛して友愛を表現し、弟は敬屈して怠慢せず。夫は照臨して分別あり、妻は柔順して聴従す。实行して中道に合せざるに至っては、則ち恐懼して自ら肅敬す。こ道は、偏立すれば則ち乱れ、全立すれば則ち治まる。みな能く為さばどうすべきかを請う。曰く、礼を審察せよと。昔先王は礼を審察して以て天下に惠及し、ゆえに徳は天地に達し、動作は当を得ざるなし。君子は恭して難を畏れず、敬して恐懼せず、貧窮して卑屈せず、富貴して驕傲せず、変に応じて窮尽せず、是れ礼を審察するなり。ゆえに君子は礼に於いては、敬して安処す。事に於いては、経営して失わず。人に於いては、寛裕にして怨少なく阿諛せず。儀に於いては、修飾して高危せず。変に応じては、敏捷快速にして牽累せず。百官技藝の人に於いては、彼らと能を争わずして、その功を尽用す。天地万物に於いては、所以然を解説せずして謹慎してあの盛を裁成す。上に対待するは、忠順して懈怠せず。下を役使するは、均遍して偏私せず。交游に於いては、類に順って義あり。郷曲に於いては、和睦して乱れず。ここを以て困窮すれば則ち名あり、通達すれば則ち功あり。仁義は兼ねて天下を覆いて窮尽せず、明は天地に通じ、万変を治理して疑わず。血気平和し、志意広大にして、義を行うこと天地に充満す、是れ仁智の極至なり。これを則ち先王の審察する礼と謂う。このごとくなれば、則ち老いたるは安んじ、少なきは懐い、朋友は信任し、赤子の慈母に帰向するがごとし。曰く、仁形成し義樹立し、教導誠にして愛深く、礼楽交通するの縁故なりと。『詩經』に曰く、「礼義は終に度に合し、笑語は終に当を得たり」と。
第十二章
晏子聘魯,上堂則趨,授玉則跪。子貢怪之,問孔子曰:“晏子知禮乎?今者晏子來聘魯,上堂則趨,授玉則跪,何也?”孔子曰:“其有方矣。待其見我,我將問焉。”俄而晏子至,孔子問之。晏子對曰:“夫上堂之禮,君行一,臣行二。今君行疾,臣敢不趨乎?今君之授幣也卑,臣敢不跪乎?”孔子曰:“善!禮中又有禮。賜寡使也,何足以識禮也!”《詩》曰:“禮義卒度,笑語卒獲。”晏子之謂也。
晏子は魯に聘問し、堂に上れば則ち快步し、玉を授ければ則ち跪下した。子貢は奇怪と覚え、孔子に問うた、「晏子は礼を知るか?今晏子は来りて魯に聘問し、堂に上れば則ち快步し、玉を授ければ則ち跪下す、なぜか?」孔子は言った。「彼は道理あるなり。彼が我を見るを待ち、我将に問わん」と。しばらくして晏子至り、孔子は彼に問うた。晏子は回答す、「堂に上るの礼は、君は一步走り、臣は両步走る。今君の走ること速し、臣敢えて快步せざらんや?今君は幣を授くること低下し、臣敢えて跪下せざらんや?」孔子は言った。「好し!礼の中にまた礼あり。賜は出使経験を缺少する、どこに足りて礼を識別せんや!」『詩經』に曰く、「礼義は終に度に合し、笑語は終に当を得たり」と。言うは晏子なり。
第十三章
古者八家而井田。方里為一井。廣三百步,長三百步為一里,其田九百畝。廣一步,長百步為一畝。廣百步,長百步為百畝。八家為鄰,家得百畝。餘夫各得二十五畝。家為公田十畝,餘二十畝共為廬舍,各得二畝半。八家相保,出入更守,疾病相憂,患難相救,有無相貨,飲食相招,嫁娶相謀,漁獵分得,仁恩施行,是以其民和親而相好。《詩》曰:“中田有廬,壃場有瓜。”今或不然。令民相伍,有罪相同,有刑相舉,使構造怨仇,而民相殘,傷和睦之心,賊仁恩,害上化,所和者寡,欲啟者多,於仁道泯焉。《詩》曰:“其何能淑,載胥及溺。”
古代は八家にして井田を实行す。方一里を一井と為す。寛三百步、長三百步を一里と為し、その田九百畝。寛一步、長百歩を一畝と為す。寛百歩、長百歩を百畝と為す。八家を鄰と為し、每家は百畝を得。余夫は各々二十五畝を得。每家は公田十畝を為し、余下二十畝は共同して廬舎を作り、各々二畝半を得。八家は互相保全し、出入は輪流に守望し、疾病は互相憂慮し、患難は互相救助し、有無は互相借貸し、飲食は互相招呼し、嫁娶は互相謀劃し、漁獵は所得を分配し、仁恩施行せられ、ここを以てその民は和親して互相友好す。『詩經』に曰く、「田中に廬あり、疆場に瓜あり」と。今あるいはこのごとくあらず。民に命じて伍を編成せしめ、罪有れば相同じく、刑有れば互相検挙し、怨仇を構造せしめ、而して民は互相残害し、和睦の心を傷害し、仁恩を賊害し、上の教化を損害し、和する所少なく、争端を開啓せんと欲する多く、仁道泯滅せり。『詩經』に曰く、「それどうして能く善ならん、将にともに陷溺せん」と。
第十四章
天子不言多少,諸侯不言利害,大夫不言得喪,士不通財貨,不賈於道。故駟馬之家不恃雞豚之息,伐冰之家不圖牛羊之入,千乘之君不通貨財,冢卿不修幣施,大夫不為場哺,委積之臣不貪市井之利,是以貧窮有所歡,而孤寡有所措其手足也。《詩》曰:“彼有遺秉,此有滯穂,伊寡婦之利。”
天子は多少を談論せず、諸侯は利害を談論せず、大夫は得喪を談論せず、士は財貨を流通せず、道路上にて売買を為さず。ゆえに駟馬の家は鶏豚の利息を依仗せず、伐冰の家は牛羊の収入を謀求せず、千乗の君は貨財を流通せず、冢卿は貨幣施予を治理せず、大夫は場圃飼養を為さず、委積の臣は市井の利を貪らず、ここを以て貧窮は歓喜する所有り、而して孤寡は手足を安置する地方あり。『詩経』に曰く、「あちらに遺落の禾把あり、こちらに滞留の穗あり、是れ寡婦の利なり」と。
第十五章
人主欲得善射,及遠中微,則懸貴爵重賞以招致之。內不阿子弟,外不隱遠人,能中是者取之。是豈不謂之大道也哉?雖聖人弗能易也。今欲治國馭民,調一上下,將內以固城,外以拒難,治則制人,人弗能制,亂則危削滅亡可立待也。然而求卿相輔佐獨不如是之公,惟便辟親比己者之用,是豈不謂過乎?故有社稷,莫不欲安,俄則危矣。莫不欲存,俄則亡矣。古之國千餘,今無數十,其故何也?莫不失於是也。故明主有私人以百金名珠玉,而無私人以官職事業者,何也?曰:本不利於所私也。彼不能而主使之,是闇主也。臣不能而為之,是詐臣也。主闇於上,臣詐於下,滅亡無日矣。俱害之道也。故惟明主能愛其所愛,闇則必危其所愛。夫文王非無便辟親比己者,超然乃舉太公於舟人而用之,豈私之哉?以為親邪,則異族之人也。以為故耶?則未嘗相識也。以為姣好耶?則太公年七十二,齳然而齒墮矣。然而用之者,文王欲立貴道,欲白貴名,兼制天下,以惠中國,而不可以獨,故舉是人而用之。貴道果立,貴名果白,兼制天下。立國七十一,姬姓獨居五十二。周之子孫,茍不狂惑,莫不為天下顯諸侯。夫是之謂能愛其所愛矣。故曰:惟明主能愛其所愛,闇主則必危其所愛,此之謂也。《大雅》曰:“貽厥孫謀,以燕巽子。”愛其所愛之謂也。《小雅》曰:“死喪無日,無幾相見。”危其所愛之謂也。
人主は善く射るを得たりと欲すれば、遠く射て微小を中るに、則ち貴爵重賞を懸掛して以て招致す。内は子弟を偏私せず、外は遠人を隠瞞せず、能くこれを中るは則ち取用す。これ豈に大道と謂わざらんや?たとい聖人も能く改易せず。今国を治め民を駕馭し、上下を調一し、将に内は城を鞏固し外は患難を抗拒せんと欲す、治まれば則ち能く人を制服し、人は制服する能わず、乱れば則ち危削滅亡は立ちどころに待つべし。しかるに卿相の輔佐を求むるに独りこのごとく公正ならず、ただ便嬖己に親近するを用いるのみ、これ豈に過失と謂わざらんや?ゆえに社稷有るは、安定せざらんと欲するなく、しばらくにして危殆す。保存せざらんと欲するなく、しばらくにして滅亡す。古代の国は一千余箇、今は数十箇なし、縁故は何か?みなこの上にて失誤せざるなし。ゆえに明主は百金名珠玉を人に私給する有るも、官職事業を人に私給するはなし、なぜか?曰く、根本上私する人に利せざるなりと。彼能わざるも主は彼を役使するは、昏暗の主なり。臣能わざるも却って為すは、欺詐の臣なり。主は上に昏暗し、臣は下に欺詐すれば、滅亡は日幾ばくもなからん。みな害を受くるの道なり。ゆえにただ明主のみ能くその愛する所を愛し、昏暗なれば則ち必ずその愛する所を危害す。文王は便嬖己に親近するなきに非ず、超然として舟人の中より太公を挙用す、どこに私あらん?以て親と為すか、却是れ異族の人。以て故旧と為すか?却ってかつて相識らず。以て姣好と為すか?則ち太公は七十二歳、牙齒脱落せり。しかるに彼を用いるは、文王は貴道を樹立せんと欲し、貴名を顕明せんと欲し、兼ねて天下を制し、以て中国に惠及せんと欲し、而して独り為すべからず、ゆえにこの人を挙げて用いたり。貴道は果して樹立し、貴名は果して顕明し、兼ねて天下を制したり。国を立つること七十一、姬姓は独り五十二を占む。周の子孫は、狂惑せざるのみ、天下の顕赫諸侯と為らざるなし。これを則ち能くその愛する所を愛すと謂う。ゆえに曰く、ただ明主のみ能くその愛する所を愛し、昏暗の主は則ち必ずその愛する所を危害す、言うはこのことなりと。『大雅』に曰く、「孫児に謀劃を留め、以て子孫を安燕せん」と。言うはその愛する所を愛するなり。『小雅』に曰く、「死喪は日幾ばくもなく、多少相見るなし」と。言うはその愛する所を危害するなり。
第十六章
問楛者不告,告楛者勿問。有諍氣者勿與論。必由其道至,然後接之。非其道,則避之。故禮恭然後可與言道之方,辭順然後可與言道之理,色從然後可與言道之極。故未可與言而言謂之瞽,可與言而不與之言謂之隱。君子不瞽不隱,《詩》曰:“彼交匪紓,天子所予。”言必交吾志然後予。
粗悪を問うに告げず、粗悪を告ぐるに問う勿れ。争競の気有るは彼と談論する勿れ。必ずあの道を経由して到来し、然る後に接待す。あの道に非ざれば、則ち避開す。ゆえに礼恭しき然る後に彼と道の方向を談論すべし、辞順なる然る後に彼と道の理を談論すべし、神色順従する然る後に彼と道の極至を談論すべし。ゆえに彼と談すべからずして談ずるを瞽と謂い、彼と談ずべきに彼と談ぜざるを隠と謂う。君子は瞽せず隠せず、『詩經』に曰く、「あの交往怠緩せず、是れ天子の給与する所」と。是れ必ず我の志向と相交りて然る後に給与するを言うなり。
第十七章
子為親隱,義不得正。君誅不義,仁不得愛。雖違仁害義,法在其中矣。《詩》曰:“優哉柔哉,亦是戾止。”
子は親人のために隠瞞し、義は端正を得ず。君は不義を誅殺し、仁は愛を得ず。たとい仁に違背し義を傷害するも、法はその中に在り。『詩經』に曰く、「悠閑かな柔和かな、またここに至りて止住す」と。
第十八章
齊桓公問於管仲曰:“王者何貴?”曰:“貴天。”桓公仰而視天。管仲曰:“所謂天,非蒼莽之天也。王者以百姓為天。百姓與之則安,輔之則強,非之則危,倍之則亡。”《詩》曰:“民之無良,相怨一方。”民皆居一方,而怨其上,不亡者未之有也。
斉桓公は管仲に問うた、「王者は何を看重する?」曰く、「天を看重す」と。桓公は頭を擡げて天を看た。管仲は曰く、「いわゆる天は、蒼莽の天に非ず。王者は百姓を以て天と做す。百姓は親附すれば則ち安定し、輔助すれば則ち強し、非議すれば則ち危うし、背叛すれば則ち滅亡す」と。『詩經』に曰く、「民に善良なく、互相怨恨して一方に在り」と。民はみな一方に処りて、その上を怨恨す、滅亡せざるはいまだかつて有らず。
第十九章
善御者不忘其馬。善射者不忘其弓。善為上者不忘其下。誠愛而利之,四海之內,闔若一家。不愛而利之,子或殺父,而況天下乎?《詩》曰:“民之無良,相怨一方。”
善く駕馭するはその馬を忘れず。善く射るはその弓を忘れず。善く上を為すはその下を忘れず。真誠に愛して彼らに利有れば、四海の内は、合せて一家のごとし。愛せずして彼らに利あれば、子あるいは父を殺す、まして天下においてをや?『詩經』に曰く、「民に善良なく、互相怨恨して一方に在り」と。
第二十章
出則為宗族患,入則為鄉里憂,《詩》曰:“如蠻如髦,我是用憂。”小人之行也。
出でれば則ち宗族の患、入れば則ち郷里の憂、『詩經』に曰く、「蛮のごとく髦のごとく、我はこれを以て憂う」と。是れ小人の品行なり。
第二十一章
有君不能事,有臣欲其忠。達則文而容,窮則約而詳。小人大心則慢而暴,小心則淫而傾,知則攫盜而漸,愚則毒賊而亂,喜則輕易而快,憂則挫而懾,達則驕而偏,窮則棄而累。其肢體之序與禽獸同節,言語之暴與蠻夷不殊,出則為宗族患,入則為鄉里憂。《詩》曰:“如蠻如髦,我是用憂。”
君ありて事奉する能わず、臣ありて却って彼の忠を欲す。顕達すれば則ち文飾して容納し、困窮すれば則ち簡約して詳密す。小人は大心なれば則ち怠慢して暴、小心なれば則ち淫して傾危、智なれば則ち攫盗して漸漬、愚なれば則ち毒賊して乱、喜べば則ち軽易して快意、憂えば則ち挫敗して懾懼、顕達すれば則ち驕傲して偏私、困窮すれば則ち拋棄して牽累す。彼の肢体の次序は禽獣と同一節度、言語の暴は蛮夷と異なることなし、出でれば則ち宗族の患、入れば則ち郷里の憂。『詩經』に曰く、「蛮のごとく髦のごとく、我はこれを以て憂う」と。
第二十四章
傳曰:愛由情出謂之仁,節愛理宜謂之義,致愛恭謹謂之禮,文禮謂之容。禮容之義生,以治為法。故其言可以為民道,民從是言也。行可以為民法,民從是行也。書之於策,傳之於志。萬世子子孫孫道而不捨。由之則治,失之則亂。由之則生,失之則死。今夫肢體之序與禽獸同節,言語之暴與蠻夷不殊,混然無道,此明王聖主之所罪。《詩》曰:“如蠻如髦,我是用憂。”
伝に記す:愛は情より出づるを仁と謂い、愛を節制し理当を得るを義と謂い、愛を極尽し恭敬謹慎するを礼と謂い、礼を文飾するを容と謂う。礼容の義は生れ、治理を以て法と為す。ゆえにその言は民の道と為るべし、民はこ言に跟従す。行為は民の法と為るべし、民はこ行為に跟従す。簡策の上に写し、志向の裏に伝う。万世の子孫は称道して捨棄せず。これを経由すれば則ち治まり、これを失えば則ち乱る。これを経由すれば則ち生き、これを失えば則ち死す。今肢体の次序は禽獣と同一節度、言語の暴は蛮夷と異なることなく、混然として道なし、是れ明王聖主の治罪する所なり。『詩經』に曰く、「蛮のごとく髦のごとく、我はこれを以て憂う」と。
第二十五章
客有說春申君者曰:“湯以七十里,文王百里,皆兼天下,一海內。今夫孫子者,天下之賢人也,君藉之百里之勢,臣竊以為不便於君,若何?”春申君曰:“善。”於是使人謝孫子。孫子去而之趙,趙以為上卿。客又說春申君曰:“昔伊尹去夏之殷,殷王而夏亡。管仲去魯入齊,魯弱而齊強。由是觀之,夫賢者之所在,其君未嘗不善,其國未嘗不安也。今孫子天下之賢人,何謂辭而去?”春申君又云:“善。”於是使使請孫子。孫子為書謝之曰:“鄙語曰:‘癘憐王’,此不恭之語也。雖然,不可不審也。此為劫殺死亡之生言者也。夫人主年少而放,無術以知奸,即大臣以奪斷圖私,以禁誅於己也。故舍賢長而立幼弱,廢正適而立不義,故《春秋》志之,曰:‘楚王之子圍聘於鄭,未出境,聞王病重,返問疾,遂以冠纓絞王而殺之,因自立。齊崔杼不許。欲自刃於廟,崔杼又不許。莊公走出,踰於外牆,射中其股,遂殺之,而立其弟景公。’近世所見,李兌用趙,餓主父於沙丘,百日而殺之。淖齒用齊,擢閔王之筋而懸之於廟梁,宿昔而殺之。上比遠世,未至絞頸射股也,下比近世,未至擢筋餓死也。夫劫殺死亡之主,心之憂勞,形之苦痛,必甚於癘矣。由此觀之,癘雖鄰王,可也。”因為賦曰:“琁玉瑤珠不知佩,雜布與錦不知異。閭娵子都莫之媒,嫫母力父是之喜。以盲為明,以聾為聰。以是為非,以吉為兇。嗚呼上天,曷為其同!”《詩》曰:“上帝甚蹈,無自瘵焉。”
客ありて春申君に游説して曰く、「湯は七十里を憑り、文王は百里を憑り、みな天下を兼有し、海内を統一せり。今あの孫子は天下の賢人、君は彼に百里の勢を借与す、臣は私に以て君に利あらずと為す、どうか?」春申君は曰く、「好し」と。すなわち人を派して孫子を辞謝せしめた。孫子は離れて趙に至り、趙は彼を用いて上卿と為した。客また春申君に游説して曰く、「昔伊尹は夏を離れて殷に至り、殷は王と称し夏は滅亡せり。管仲は魯を離れて斉に入り、魯は弱く斉は強し。これより観れば、賢者の在る所は、その君はかつて不善なく、その国はかつて不安ならず。今孫子は天下の賢人、なぜ辞謝して彼を離去せしむ?」春申君また曰く、「好し」と。すなわち使者を派して孫子を請うた。孫子は書を信じて辞謝して曰く、「俗語に曰く、『癩病は王を憐憫す』、是れ不恭敬の言。しかりといえども、審察せざるべからず。是れ劫殺死亡せられた主のために言う所なり。人主は年少にして放縱し、奸を知るの術なく、則ち大臣は専断を以て私を圖謀し、以て誅殺が己に加わるを禁止す。ゆえに賢長を捨棄して幼弱を立て、正嫡を廃棄して不義を立つ、ゆえに『春秋』は記載し、曰く、『楚王の子圍は鄭に聘問し、いまだ境を出でず、王の病重きを聞き、返回して疾を問い、すなわち冠纓を以て王を絞めて彼を殺し、ここを以て自立せり。斉崔杼は許可せず。廟にて自刎せんと欲し、崔杼また許可せず。荘公は走出して、外墻を越え、大腿を射中せられ、すなわち彼を殺して、その弟景公を立てたり』と。近世の見る所は、李兌は趙に用いられ、沙丘にて主父を餓えしめ、百日にして彼を殺せり。淖齒は斉に用いられ、閔王の筋を抽きて廟梁に懸掛し、宿を隔てて彼を殺せり。上は遠世に比ぶるに、いまだ絞頸射股に至らず。下は近世に比ぶるに、いまだ抽筋餓死に至らず。劫殺死亡せられた主の、心の憂労、形の苦痛は、必ず癩病に超過す。これより観れば、癩病はたとい王に隣近するも、また可なり」と。すなわち賦を作りて曰く、「美玉瑶珠は佩帯を知らず、雑布と錦は分別を知らず。閭娵・子都は人の媒を為すなく、嫫母・力父は却って喜愛せらる。盲を以て明と為し、聾を以て聡と為す。是を以て非と為し、吉を以て凶と為す。嗚呼上天、なぜ彼らと相同ずる!」『詩經』に曰く、「上帝は変動甚だ大、自ら病を招く勿れ」と。
第二十六章
南苗異獸之鞟猶犬羊也。與之於人猶死之藥也。安舊移質習貫易性而然也。夫狂者自齕,忘其非芻豢也,飯土而忘其非粱飯也。然則楚之狂者楚言,齊之狂者齊言,習使然也。夫習之於人微而者,深而固,是暢於筋骨,貞於膠漆。是以君子務為學也。《詩》曰:“既見君子,德音孔膠。”
南方苗地の異獣の皮革はなお犬羊のごとし。人に給与するはなお致死の薬のごとし。旧に安んじ質を改変し、習慣は性を改変して、始めてこのごとし。狂人は自ら咬囓し、それが芻豢に非ざるを忘れ、土を食いそれが粱飯に非ざるを忘る。然らば楚の狂人は楚話を説き、斉の狂人は斉話を説くは、習慣の然らしむるなり。習慣は人に於いて微にして顕著、深にして牢固、筋骨に暢達し、膠漆に堅貞す。ここを以て君子は務めて学を為す。『詩經』に曰く、「すでに君子を見たり、徳音甚だ牢固なり」と。
第二十七章
孟子曰:仁,人心也。義,人路也。舍其路弗由,放其心而弗求。人有雞犬放,則知求之。有放心而不知求,其於心為不若雞犬哉?不知類之甚矣。悲夫!終亦必亡而已矣。故學問之道無他焉,求其放心而已。《詩》曰:“中心藏之,何日忘之。”
孟子は曰く、仁は、人の心なり。義は、人の路なり。あの路を捨棄して走らず、あの心を放失して求めず。人は鶏犬の放失あれば、則ち求むるを知る。放失の心有りて求むるを知らざれば、彼は心に於いて豈に鶏犬に如かざらんや?類推を知らざること太だ過分なり。悲しきかな!終に必ず滅亡するのみ。ゆえに学問の道は他なく、あの放失の心を求め回るのみ。『詩經』に曰く、「中心に蔵し、いずれの日か忘れん」と。
第二十八章
道雖近,不行不至。事雖小,不為不成。暇日多者,出人不遠矣。夫巧弓在此手也,膠漆之和,即可以為萬乘之寶也,及其彼手而賈不數銖。人同材鈞而貴賤相萬者,盡心致志也。《詩》曰:“中心藏之,何日忘之。”
道は近しといえども、走らざれば至らず。事は小なりといえども、為さざれば成らず。空閑日子多きは、人に超出すること遠からず。巧弓はこ手に在り、膠漆調和すれば、則ち万乗の宝と為るべし、あの手に至りては数銖を売る能わず。人は同じ材、同じ均にして貴賤の相差は万倍、是れ尽心致志するの縁故なり。『詩經』に曰く、「中心に蔵し、いずれの日か忘れん」と。
第二十九章
傳曰:誠惡惡,知刑之本,誠善善,知敬之本。惟誠感神,達乎民心,知刑敬之本,則不怒而威,不言而信。誠德之主也,言之所聚也。《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”
伝に記す:真誠に悪を厭悪するは、刑の根本を知る。真誠に善を喜好するは、敬の根本を知る。ただ誠のみ能く神を感動し、民心に通達し、刑敬の根本を知れば、則ち怒らずして威有り、言わずして人を信せしむ。誠は徳の主宰、言語の聚集する所なり。『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、声音は外面に伝わる」と。
第三十章
孔子見客。客去,顏淵曰:“客仁也?”孔子曰:“恨兮其心,顙兮其口,仁則吾不知也。”顏淵蹵然變色,曰:“變玉度尺,雖有十仞之土,不能掩其光。良珠度寸,雖有百仞之水,不能掩其瑩。夫形體之包心也,閔閔乎其薄也。茍有溫良在其中,則眉睫著之矣。疵瑕在其中,則眉睫亦不匿之。”《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”言有諸中必形諸外也。
孔子は客人を接見す。客人は離去し、顔淵は曰く、「客人は仁か?」孔子は言った。「恨恨然としてその心、額然としてその口、仁なれば則ち我は知らず」と。顔淵は忽然として色を変じ、曰く、「美玉は一尺を過ぐるも、たとい十仞の土あるも、その光を掩蓋する能わず。良珠は一寸を過ぐるも、たとい百仞の水あるも、その瑩を掩蓋する能わず。形体は心を包裹し、閔閔然としてあれほど薄し。もし温良その中に在れば、則ち眉睫は則ち顕露す。疵瑕その中に在れば、則ち眉睫も能く隠藏せず」と。『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、声音は外面に伝わる」と。是れ内に在る有れば必ず外に表現するを言うなり。
第三十一章
偽詐不可長,空虛不可守,朽木不可雕,情亡不可久。《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”言有中者必能見外也。
偽詐は長久すべからず、空虚は守るべからず、朽木は彫るべからず、実情亡失すれば久しきべからず。『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、声音は外面に伝わる」と。是れ内に在る有れば必ず能く外に表現するを言うなり。
第三十二章
所謂庸人者,口不能道乎善言,心不能知先王之法,動作而不知所務,止立而不知所定,日選於物而不知所貴,不知選賢人善士而托其身焉,從物而流,不知所歸,五鑿為政,心從而壞,遂不反。是以動而形危,靜則名辱。《詩》曰:“之子無良,二三其德。”
いわゆる庸人は、口は能く善言を説かず、心は能く先王の法を知らず、動作して務求する所を知らず、止立して定むる所を知らず、每日物の中に選択して看重する所を知らず、賢人善士を選択して以て自身を託付するを知らず、物に跟従して流動し、帰向する所を知らず、五竅は政を当たり、心はこれに跟って敗壊し、すなわち返回せず。ここを以て動けば則ち形体危うし、静なれば則ち名声辱を受く。『詩經』に曰く、「こ人に善良なく、徳行反反として復す」と。
第三十三章
客有見周公者,應之於門曰:“何以道旦也?”客曰:“在外即言外,在內即言內。入乎將毋?”周公曰:“請入。”客曰:“立即言義,坐即言仁。坐乎將毋?”周公曰:“請坐。”客曰:“疾言則翕翕,徐言則不聞。言乎將毋?”周公唯唯:“旦也喻。”明日與師而誅管蔡。故客為以不言之說,周公善聽不言之說。若周公可謂能聽微言矣。故君子之告人也微,其救人之急也婉。《詩》曰:“豈敢憚行,畏不能趨。”
客ありて来りて周公を見、門にて応答して曰く、「何を以て旦を教導せん?」客は曰く、「外に在れば則ち外を説き、内に在れば則ち内を説く。進入せんか、それとも否か?」周公は曰く、「進入せんことを請う」と。客は曰く、「立てば則ち義を説き、坐すれば則ち仁を説く。坐下せんか、それとも否か?」周公は曰く、「坐せんことを請う」と。客は曰く、「話の説くこと急なれば則ち翕翕、説くこと緩ければ則ち聞こえず。説かんか、それとも否か?」周公は連声して答应す、「旦は明白した」と。第二天師とともに管蔡を誅殺した。ゆえに客は以て言わざるの説法を為し、周公は善く言わざるの説法を聴く。周公のごときは能く微言を聴くと称すべし。ゆえに君子は人に告ぐるも微、人の急を救助するも委婉なり。『詩経』に曰く、「どこに敢えて走るを怕れん、快走する能わざるを怕る」と。
韓詩外伝巻第五
第一章
子夏問曰:“《關雎》何以為《國風》始也?”孔子曰:“《關雎》之至矣乎!夫《關雎》之人,仰則天,俯則地,幽幽冥冥,德之所藏,紛紛沸沸,道之所行,雖神龍化,斐斐文章。大哉《關雎》之道也,萬物之所繫,群生之所懸命也,河洛出《書圖》,麟鳯翔乎郊。不由《關雎》之道,則《關雎》之事將奚由至矣哉?夫六經之策,皆歸論汲汲,蓋取之乎《關雎》。《關雎》之事大矣哉!馮馮翊翊,自東自西,自南自北,無思不服。子其勉強之,思服之。天地之間,生民之屬,王道之原,不外此矣。”子夏喟然嘆曰:“大哉《關雎》,乃天地之基地。”《詩》曰:“鐘鼓樂之。”
子夏は問うた、「『關雎』はなぜ『國風』の開始と為す?」孔子は言った。「『關雎』は極に至れり!『關雎』の人は、仰看すれば則ち天、俯看すれば則ち地、幽幽冥冥として、徳の蔵する所。紛紛沸沸として、道の行く所、たとい神龍変化するも、斐斐として文章あり。大なるかな『關雎』の道は、万物の維繫する所、群生の性命を懸挂する所。河洛は『書圖』を出だし、麒麟鳳凰は郊に飛翔す。『關雎』の道を経由せざれば、則ち『關雎』の事は将にどこより到来せんや?六經の簡策は、みな急切に論説に帰向し、ほぼこれを『關雎』より取る。『關雎』の事は大なるかな!馮馮翊翊として、東より西より、南より北より、服従せざらんと欲するなし。あなたはなお努力し、服従を思念せよ。天地の間、生民の類、王道の本原は、これより外に非ず」と。子夏は慨然として叹息して曰く、「大なるかな『關雎』は、乃是れ天地の基地」と。『詩經』に曰く、「鐘鼓は彼を快楽せしむ」と。
第二章
孔子抱聖人之心,彷徨乎道德之域,逍遙乎無形之鄉,倚天理,觀人情,明終始,知得失。故興仁義,厭勢利,以持養之。於時周室微,王道絕,諸侯力政,強劫弱,眾暴寡,百姓靡安,莫之紀綱,禮儀廢壞,人倫不理。於是孔子自東自西,自南自北,匍匐救之。
孔子は聖人の心を懐抱し、道德の領域に彷徨し、無形の郷里に逍遥し、天理に倚靠し、人情を観察し、終始を明白にし、得失を知る。ゆえに仁義を興起し、勢利を厭棄し、以て畜養を持守す。当時周室衰微し、王道断絶し、諸侯は力を用いて政を為し、強きは弱きを劫奪し、衆きは寡きを暴虐し、百姓に安寧なく、綱紀する人なく、礼儀廃壊し、人倫理ならず。ここに孔子は東より西より、南より北より、爬りて往きて救えり。
第三章
王者之政,賢能不待次而舉,不肖不待須而廢,元惡不待教而誅,中庸不待政而化。分未定也,則有昭穆。雖公卿大夫之子孫也,行絕禮義,則歸之庶人。雖庶民之子孫也,積文學,正身行,能禮義,則歸之士大夫。反側之民,牧而試之,須而待之,安則畜,不安則棄。五疾之民,上收而事之。官施而衣食之,材行反時者,死無赦,謂之天誅。是王者之政也。《詩》曰:“人而無儀,不死何為!”
王者の政は、賢能は次序を待たずして挙用し、不肖は片刻を待たずして廢棄し、元悪は教導を待たずして誅殺し、中庸は政令を待たずして感化す。名分いまだ定まらざれば、則ち昭穆あり。たとい公卿大夫の子孫も、行為は礼義を絶棄すれば、則ち庶人に帰入す。たとい庶民の子孫も、文学を積聚し、自身の行為を端正し、能く礼義を行えば、則ち士大夫に帰入す。反側の民は、牧養して試用し、等待して対待し、安定すれば則ち畜養し、安定せざれば則ち拋棄す。五疾の民は、上は収納して彼らに事を為さしむ。官府は施予して彼らに衣食を給す、材行が時宜に違反するは、死して赦免せず、これを天誅と謂う。是れ王者の政なり。『詩經』に曰く、「人と為りて儀容なくば、死せずしてまた何を為さん!」
第四章
君者,民之源也。源清則流清,源濁則流濁。故有社稷者,不能愛其民,而求民親己愛己,不可得也。民不親不愛,而求為己用,為己死,不可得也。民弗為用,弗為死,而求兵之勁,城之固,不可得也。兵不勁,城不固,而欲不危削滅亡,不可得也。夫危削滅亡之情,皆積於此,而求安樂是聞,不亦難乎?是枉生者也。悲夫!枉生者不須時而滅亡矣。故人主欲強固安樂,莫若反己。欲附下一民,則莫若反之政。欲修政美俗,則莫若求其人。彼其人者,聯繫今之世,而志乎古之道。以天下之王公莫之好也,而是子獨好之。以民莫之為也,而是子獨為之也。抑好之者貧,為之者窮,而是子猶為之,而無是須臾怠焉。差焉獨明夫先王所以遇之者,所以失之者,知國之安危臧否,若別白黑,則是其人也。人主欲強固安樂,則莫若與其人用之,巨用之,則天下為一,諸侯為臣。小用之,則威行鄰國。莫之能御。若殷之用伊尹,周之遇太公,可謂巨用之矣。齊之用管仲,楚之用孫叔敖,可為小用之矣。巨用之者如彼,小用之者如此也。故曰:駁而霸,無一而亡。《詩》曰:“四國無政,不用其良。”不用其良臣而不亡者,未之有也。
君は、民の源頭なり。源頭清ければ則ち水流清く、源頭濁れば則ち水流濁る。ゆえに社稷有るは、能くその民を愛せずして、民の己を親近し己を愛するを求むるは、得べからず。民は親しまず愛せずして、己に用いられ己に死するを求むるは、得べからず。民は用いられず死せずして、兵強・城固を求むるは、得べからず。兵強からず、城固からずして、危削滅亡せざらんと欲するは、得べからず。危削滅亡の情况は、みなここに積聚す、而して安楽を求むるは聞説する、また難からずや?是れ枉生の人なり。悲しきかな!枉生の人は時辰を待たずして滅亡せり。ゆえに人主は強固安楽せんと欲すれば、己に返回するに如かず。下を親附し民を統一せんと欲すれば、則ちあの政に返回するに如かず。政を修め俗を美しくせんと欲すれば、則ちあの人を求むるに如かず。あの人は、当今の世に聯系し、而して志向は古の道に在り。天下の王公はこれを愛好するなく、而してこ人独り愛好す。民はこれを為すなく、而してこ人独り為す。愛好するは貧し、為すは窮し、而してこ人はなお為す、片刻の懈怠なし。差然として独り先王の遇合する所以、失誤する所以を明白にし、国の安危好壞を知ること白黒を分別するがごとく、則ちあの人なり。人主は強固安楽せんと欲すれば、則ちあの人とともに用いるに如かず。大に用いれば、則ち天下統一し、諸侯は臣と為る。小に用いれば、則ち威は隣国に行い、抵禦する能くするなし。殷の伊尹を用い、周の太公に遇うがごときは、大用と称すべし。斉の管仲を用い、楚の孫叔敖を用いるがごときは、小用と称すべし。大用するはあのごとく、小用するはこごとし。ゆえに曰く、駁雑して覇を称す、一様もなければ則ち滅亡すと。『詩經』に曰く、「四国に政なく、あの良臣を用いず」と。良臣を用いずして滅亡せざるは、いまだかつて有らず。
第五章
造父,天下之善御者矣,無車馬則無所見其能。羿,天下之善射者矣,無弓矢則無所見其巧。彼大儒者,善調一天下者也,無百里之地,四無所見其功。夫車固馬選而不能以致千里者,則非造父也。弓調矢直而不能射遠中微者,則非羿也。用百里之地而不能調一天下制四夷者,則非大儒也。彼大儒者,雖隱居窮巷陋室,無置錐之地,而王公不能與之爭名矣。用百里之地,則千里之國不能與之爭勝矣。棰笞暴國,一齊天下,莫之能傾,是大儒之勳也。其言有類,其行有禮,其舉事無悔,其持險應變曲當,與時遷徙,與世偃仰,千舉萬變,其道一也,是大儒之稽也。故有俗人者,有俗儒者,有雅儒者,有大儒者。耳不聞學,行無正義,迷迷然以富利為隆,是俗人也。逢衣博帶,略法先王而不足於亂世,術謬學雜,舉不知法先王而壹制度,不知隆禮義而殺《詩》《書》,其衣冠行為已同於世俗,而不知其惡也。言談議說已無異於老墨,而不知分。是俗儒者也。法先生,一制度,言行有大法,而明不能濟法教之所不及,聞見之所示至,知之為知之,不知為不知,內不自誣,外不誣人,以是尊賢敬法,而不敢怠傲焉。是雅儒者也。法先王依禮義,以淺持博,以一行萬。茍有仁義之類,雖鳥獸若別黑白。奇物變怪,所未嘗聞見,卒然起一方,則法統類以應之,無所疑作(下加心),援法而度之,奄然如合符節。是大儒者也。故人主用俗人,則萬乘之國亡。用俗儒,則萬乘之國存。用雅儒,則千里之國安。用大儒,則百里之地,久而三年,天下為一,諸侯為臣。用萬乘之國則舉錯而定,一朝而白。《詩》曰:“周雖舊邦,其命維新。”可謂白矣。文王亦可謂大儒已矣。
造父は、天下に善く駕馭する、車馬なくば則ちその能を顕現する処なし。羿は、天下に善く射る、弓矢なくば則ちその巧を顕現する処なし。あの大儒は、善く天下を調一する、百里の地なくば則ちその功を顕現する処なし。車堅固馬選択するも以て千里に到達する能わざれば、則ち造父に非ず。弓調い矢直きも能く遠く射て微小を中らざれば、則ち羿に非ず。百里の地を用いて能く天下を調一し四夷を制服せざれば、則ち大儒に非ず。あの大儒は、たとい窮巷陋室に隱居し、錐を插すの地なくとも、而して王公も彼と名を争う能わず。百里の地を用いれば、則ち千里の国も彼と勝を争う能わず。暴国を鞭笞し、天下を斉整し、傾覆する能くするなし、是れ大儒の功勳なり。彼の言は類あり、彼の行為は礼あり、彼の事を挙ぐるに悔なく、彼の険難を持守し変に応じ曲折当を得、時とともに遷移し、世とともに俯仰し、千挙万変するも、その道は一様なり、是れ大儒の考覈なり。ゆえに俗人あり、俗儒あり、雅儒あり、大儒あり。耳は学を聞説せず、行為に正義なく、迷迷然として富利を以て隆盛と做すは、俗人なり。寛衣博帶を穿着し、粗略に先王を效法するも亂世に應對するに足らず、術謬誤・学駁雑にして、舉動は先王を效法して制度を統一するを知らず、礼義を尊崇して『詩』『書』を貶抑するを知らず、衣冠行為すでに世俗と同じくして、あの悪を知らず。言談議論すでに老・墨と異なることなくして、分別を知らず。是れ俗儒なり。先王を效法し、制度を統一し、言行に大法あり、而して明智は法教の及ばざる所・聞見の至らざる所を補足する能わざるも、知れば則ち知るとし、知らざれば則ち知らずとし、内は己を欺騙せず、外は人を欺騙せず、ここを以て賢を尊び法を敬して、怠慢驕傲せざるを敢えてせず。是れ雅儒なり。先王を效法し礼義に依従し、浅を以て博を持守し、一を以て万を实行す。もし仁義の類あれば、たとい鳥獣も白黒を分別するがごとし。奇物變怪の、かつて聞見せざる所、突然一方に興起すれば、則ち法統類を以て應對し、疑滯なく、法を援引して度量し、奄然として符節の相合するがごとし。是れ大儒なり。ゆえに人主は俗人を用いれば、則ち萬乘の國滅亡す。俗儒を用いれば、則ち萬乘の國保存す。雅儒を用いれば、則ち千里の國安定す。大儒を用いれば、則ち百里の地、久しき三年に至り、天下統一し、諸侯臣と為る。萬乘の國を用いれば則ち舉措して定まり、一朝にして顯白す。『詩經』に曰く、「周は旧邦といえども、その命は維新なり」と。顯白と稱すべし。文王もまた大儒と稱すべし。
第六章
楚成王讀於殿上,而倫扁在下,作而問曰:“不審主君所讀何書也?”成王曰:“先聖之書。”倫扁曰:“此直先聖王之糟粕耳。”成王曰:“子何以言之?”倫扁曰:“以臣輪言之。夫以規為圓,矩為方,此其可付乎子孫者也。若夫合三木而為一,應乎心,動乎體,其不可得而傳者也。則凡所傳直糟粕耳。”故唐虞之法可得而考也。其喻人心不可及矣。《詩》曰:“上天之載,無聲無臭。”其孰能及之?
楚成王は殿上にて書を讀み、輪扁は下に在り、起身して問うた、「主君の讀む所の何の書か明白ならず?」成王は曰く、「先聖の書」と。輪扁は曰く、「これはただ先聖王の糟粕のみ」と。成王は曰く、「あなたは何を憑ってこう説く?」輪扁は曰く、「臣の輪を為すを以て説かん。規を以て円を為し、矩を以て方を為すは、これは子孫に傳うべし。三木を合して一と為すに至っては、心に應じ體に動く、これは得て傳うべからず。然らば凡そ傳うる所はただ糟粕のみ」と。ゆえに唐虞の法は考求すべし。あの人心を曉喻するは却って及ぶべからず。『詩經』に曰く、「上天の事は、声なく气味なし」と。誰か及び得んや?
第七章
孔子學鼓琴於師襄子而不進,師襄子曰:“夫子可以進矣。”孔子曰:“丘已得其曲矣,未得其數也。”有間,曰:“夫子可以進矣。”曰:“丘已得其數矣,未得其意也。”有間,復曰:“夫子可以進矣。”曰:“入已得其意矣,未得其人也。”有間,復曰:“夫子可以進矣。”曰:“入已得其人矣,未得其類也。”有間,曰:“邈然遠望,洋洋乎,翼翼乎,必作此樂也。黯然而黑,幾然而長,以王天下,以朝諸侯者,其惟文王乎。”師襄子避席再拜曰:“善!師以為文王之操也。”故孔子持文王之聲,知文王之為人。師襄子曰:“敢問何以知其文王之操也?”孔子曰:“然。夫仁者好韋,智者好彈,有殷懃之意者好麗。丘是以知文王之操也。”傳曰:聞其末而達其本者,聖也。
孔子は師襄子に鼓琴を学びて前進せず、師襄子は曰く、「夫子は前進すべし」と。孔子は言った。「丘はすでにあの曲子を得たり、いまだあの度數を得ず」と。しばらく過ぎて、曰く、「夫子は前進すべし」と。曰く、「丘はすでにあの度數を得たり、いまだあの意を得ず」と。しばらく過ぎて、また曰く、「夫子は前進すべし」と。曰く、「丘はすでにあの意を得たり、いまだあの人を得ず」と。しばらく過ぎて、また曰く、「夫子は前進すべし」と。曰く、「丘はすでにあの人を得たり、いまだあの類を得ず」と。しばらく過ぎて、曰く、「邈然として遠望し、洋洋かな、翼翼かな、必ずこ樂を作れるなり。黯然として黑、頎然として長、以て天下に王と稱し、以て諸侯を朝見せしむるは、ほぼ文王のみあらん」と。師襄子は席位を離れ再拝して曰く、「好し!老師は以て文王の琴曲と為す」と。ゆえに孔子は文王の声を持守し、文王の爲人を知る。師襄子は曰く、「何を憑って文王の琴曲と知ったかを請う」と。孔子は言った。「是れ。仁者は韋を喜び、智者は彈を喜び、殷勤の意有るは華麗を喜ぶ。丘はここを以て文王の琴曲と知れり」と。傳に記す:末梢を聞きて根本に通達するは、聖なりと。
第八章
紂之為主,戮無辜,勞民力,寃酷之令,加於百姓,憯悽之惡,施於大臣。群下不信,百姓疾怨,故天下叛而願為文王臣,紂自取之也。夫貴為天子,富有天下,及周師至而令不行乎左右,悲夫!當是之時,索為匹夫,不可得也。《詩》曰:“天謂殷適,使不俠四方。”
紂は君主を爲して、無辜を殺戮し、民力を勞累し、冤酷の命令は百姓に加わり、慘凄の惡は大臣に施加す。群下信任せず、百姓疾怨し、ゆえに天下は背叛して文王の臣と爲らんと願う、是れ紂の自ら取れるなり。貴く天子と爲り、富みて天下を有す、周師至るに及びて命令は左右にて實行せられず、悲しきかな!こ時に當たり、匹夫と爲らんことを求むるも、得べからず。『詩經』に曰く、「天は殷の嫡嗣に告げ、彼をして四方に俠義する能わざらしむ」と。
第九章
夫五色雖明,有時而渝。豐交之木,有時而落。物有成衰,不得自若。故三王之道,周則復始,窮則反本,非務變而已,將以止惡扶微,絀繆瀹非,調和陰陽,順萬物之宜也。《詩》曰:“亹亹我王,綱紀四方。”
五色は鮮明といえども、ある時改變す。豐茂交錯の樹木は、ある時落葉す。物に成有り衰有り、自ら如故に行う能わず。ゆえに三王の道は、循環すれば則ち重新開始し、窮盡すれば則ち根本に返回す、務めて變化するのみに非ず、將に以て惡を制止し微弱を扶持し、謬誤を貶斥し不對を洗濯し、陰陽を調和し、萬物の適宜に順わんとす。『詩經』に曰く、「勤勉の我王、四方を綱紀す」と。
第十章
禮者則天地之體,因人之情而為之節文者也。無禮,何以正身?無師,安知禮之是也?禮然而然,是情安於禮也。師云而云,是知若師也。情安禮,知若師,則是君子之道。言中倫,行中理天下順矣。《詩》曰:“不識不知,順帝之則。”
禮は天地の體を效法し、人情に順ってこれがために節制文飾するなり。禮なくば、何を憑って自身を端正せん?老師なくば、どこに禮の對なるを知らんや?禮いかにあれば則ちいかにするは、情の禮に安んずるなり。老師いかに説けば則ちいかに説くは、智の老師に似るなり。情は禮に安んじ、智は老師に似れば、則ち君子の道なり。言語は倫に合し、行爲は理に合すれば、天下順從せり。『詩經』に曰く、「識らず知らずして、帝の法則に順う」と。
第十一章
上不知順孝,則民不知反本。君不知敬長,則民不知貴親。禘祭不敬,山川失時,則民無畏矣。不教而誅,則民不識勸也。故君子修身及孝,則民不倍矣。敬孝達乎下,則民知慈愛矣。好惡喻乎百姓,則下應其上如影響矣。是則兼制天下,定海內,臣萬姓之要法也,明王聖主之所不能須臾而舍也。《詩》曰:“成王之孚,下土之式。永言孝思,孝思維則。”
上に在りて孝に順從するを知らざれば、則ち民は根本に返回するを知らず。君は長者を尊敬するを知らざれば、則ち民は親を看重するを知らず。禘祭敬せず、山川時を失えば、則ち民に畏懼なし。教導せずして誅殺すれば、則ち民は勸勉を知らず。ゆえに君子は身を修めて孝に達すれば、則ち民は背叛せず。敬孝は下に通達すれば、則ち民は慈愛を知る。好惡は百姓に曉喻すれば、則ち下の上に應答するは影と響のごとし。これは則ち兼ねて天下を制し、海内を安定し、萬姓を臣服するの要約の法、明王聖主の片刻も捨棄する能わざる所なり。『詩經』に曰く、「成王の誠信は、下土の法式。永遠に孝の思念を説けば、孝の思念は則ち法則なり」と。
第十二章
成王之時,有三苗貫桑而生,同為一秀,大幾滿車,長几充箱,民得而上諸成王。成王問周公曰:“此何物也?”周公曰:“三苗同為一秀,意者天下殆同一也。”比幾三年,果有越裳氏重九譯而至,獻白雉於周公。曰:“道路悠遠,山川幽深。恐使人之未達也,故重譯而來。”周公曰:“吾何以見賜也?”譯曰:“吾愛命國之黃髪,曰:‘久矣天之不迅風疾雨也,海之不波溢也,三年於茲矣。意者中國殆有聖人,盍往朝之。’於是來也。”周公乃敬求其所以來。《詩》曰:“於萬斯年,不遐有佐。”
成王の時、三苗ありて桑樹を貫穿して生れ、同じく一個の穗を成し、大なることほぼ車に滿充し、長なることほぼ箱に充滿し、民は得て成王に獻じた。成王は周公に問うた、「これは何の物か?」周公は曰く、「三苗同じく一個の穗を成すは、恐らく天下ほぼ同一ならんとす」と。將に三年にして、果して越裳氏ありて九次翻譯を經由して來り、周公に白雉を獻じた。曰く、「道路悠遠にして、山川幽深。使者の通達する能わざるを怕り、ゆえに重譯して來れり」と。周公は曰く、「我は何を憑ってこれを賜給せられん?」譯者は曰く、「我は國中の黃髮老人より命を受け、曰く、『久しきかな天は迅風疾雨せず、海は波濤氾濫せず、三年ここに在り。恐らく中國ほぼ聖人あらん、何ぞ前往して朝見せぬや』と。すなわち來れり」と。周公はすなわち恭敬して彼らの來たる所以の緣故を推求した。『詩經』に曰く、「千萬年に在り、遠からざるに輔佐あり」と。
第十三章
登高臨深,遠見之樂,臺榭不若丘山所見高也。平原廣望,博觀之樂,沼池不如川深所見博也。勞心苦思,從欲極好,靡財傷情,毀名損壽。悲夫傷哉!窮君之反於是道而愁百姓。《詩》曰:“上帝闆闆,下民卒癉。”
高きに登り深きに臨み、遠見の快樂は、臺榭は丘山の見る所の高きに如かず。平原廣望し、博觀の快樂は、沼池は川澤の深く見る所の廣きに如かず。心を勞し思を苦し、欲望を放縱し愛好を極盡し、財を浪費し情を傷害し、名を毀し壽を損す。悲しきかな傷むべきかな!窮困の君はこ道に違反して百姓を愁苦せしむ。『詩經』に曰く、「上帝は反常、下民は終に勞病す」と。
第十四章
儒者,儒也。儒之為言無也,不易之術也。千舉萬變,其道不窮,六經是也。若夫君臣之義,父子之親,夫婦之別,朋友之序,此儒者之所謹守,日切磋而不捨也。雖居窮巷陋室之下,而內不足以充虛,外不足以蓋形,無置錐之地,明察足持天下,大舉在人上,則王公之材也,小用使在位,則社稷之臣也,雖巌居穴處而王侯不能與爭名,何也?仁義之化存爾。如使王者聽其言,信其行,則唐虞之法可得而觀,頌聲可得而聽。《詩》曰:“先民有言,詢於蒭蕘。”
儒は、則ち儒なり。儒は言と爲して無、是れ改易すべからざる術なり。千舉萬變するも、その道窮盡せず、六經則ち是れ。君臣の義、父子の親、夫婦の分別、朋友の次序に至っては、是れ儒者の謹守する所、每日切磋して捨棄せざるなり。たとい窮巷陋室の下に住すとも、而して內は足らずして虛空を充滿し、外は足らずして形體を覆蓋し、錐を插すの地なく、明察足りて天下を持守し、大に舉げば人上に在りて、則ち王公の材、小に用いて彼を位に在らしめば、則ち社稷の臣、たとい巖居穴處するも王侯も彼と名を爭う能わず、なぜか?仁義の教化存するのみ。もし王者をしてその言を聽き、その行を信ぜしめば、則ち唐虞の法は觀看すべく、頌聲は聽聞すべし。『詩經』に曰く、「先民に言あり、樵夫に詢問せよ」と。
第十五章
傳曰:天子居廣廈之下,帷帳之內,旃茵之上,被躧舄,視不出閫,莽然而知天下者,以有賢左右也。故獨視不若與眾視之明也,獨聽不若與眾聽之聰也,獨慮不若與眾慮之工也。故明王使賢臣,輻湊並進,所以通中正而致隱居之士。《詩》曰:“先民有言,詢於蒭蕘。”此之謂也。
傳に記す:天子は廣廈の下、帷帳の內、旃茵の上に居り、躧舄を穿着し、視線は門檻を出でず、莽然として天下を知るは、賢の左右有るを以てなり。ゆえに獨り看るは衆人と看るに明白ならず、獨り聽くは衆人と聽くに聰敏ならず、獨り思慮するは衆人と思慮するに工巧ならず。ゆえに明王は賢臣を使い、車輻の湊集竝進するがごとく、以て中正を通達し隱居の士を招致す。『詩經』に曰く、「先民に言あり、樵夫に詢問せよ」と。言うはこのことなり。
第十六章
天設其高,而日月成明。來設其厚,而山陵成名。上設其道,而百事得序。自周室壞以來,王道廢而不起,禮義絕而不繼。秦之時,非禮義,棄《詩》《書》,略古昔,大滅聖道,專為茍妄,以欲速則不達利為俗,以告獵為化,而天下大亂。於是兵作而火起,暴露居外,而民以侵漁遏奪相攘為服習,離聖王光烈之日久遠,未嘗見仁義之道,被禮樂之風。是以嚚頑無禮,而肅敬日損,凌遲以威武相攝,妄為佞人,不避禍患,此其所以難治也。人有六情,目欲視好色,耳欲聽宮商,鼻欲嗅芬香,口欲嗜甘旨,其身體四肢欲安而不作,衣欲被文繡而輕暖。此六者,民之六情也。失之則亂,從之則穆。故聖王之教其民也,必因其情而節之以禮,必從其欲而制之以義。義簡而備,禮易而法,去情不遠,故民之從命也速。孔子知道之易行也。《詩》曰:“誘民孔易。”非虛辭也。
天はその高を設置し、而して日月は光明を成就す。地はその厚を設置し、而して山陵は名を成就す。上はその道を設置し、而して百事は次序を得たり。周室敗壞以來、王道は廢棄して興起せず、禮義は斷絶して接續せず。秦の時、禮義を非議し、『詩』『書』を拋棄し、古昔を忽略し、大いに聖道を滅し、專ら苟且妄爲を爲し、速ならんと欲して達せざるの利を以て習俗と爲し、告訐を以て教化と爲し、而して天下大亂せり。ここに兵作り火起り、暴露して外に住し、而して民は侵漁遏奪を用いて互相攘奪を習慣と爲し、聖王光烈の日を離るること久遠、かつて仁義の道を見ず、禮樂の風を承受せず。ここを以て愚頑にして禮なく、而して肅敬は一天天に減損し、陵夷にして威武を以て互相攝服し、妄りに佞人を爲し、禍患を躲避せず、是れ治め難き所以の緣故なり。人に六情あり、眼は美好の色を看んと欲し、耳は宮商を聽かんと欲し、鼻は芬香を嗅がんと欲し、口は甘旨を嗜まんと欲し、身體四肢は安にして勞せざらんと欲し、衣は文繡を披きて輕暖ならんと欲す。こ六樣は、民の六情なり。失えば則ち亂れ、順えば則ち和穆す。ゆえに聖王はその民を教導するに、必ず情に順って禮を以て節制し、必ず欲望に跟從して義を以て制約す。義簡にして完備し、禮易にして法あり、情を離るること遠からず、ゆえに民の命令に跟從するも速し。孔子は道の易く實行するを知れり。『詩經』に曰く、「民を誘導するは甚だ容易し」と。虛辭に非ず。
第十七章
繭之性為絲,弗得女工燔以沸湯,抽其統理,則不成為絲。卵之性為雛,不得良雞覆伏孚育,積日累久,則不成為雛。夫人性善,非得明王聖主扶攜,內之以道,則不成為君子。《詩》曰:“天生烝民,其命匪諶,靡不有初,鮮克有終。”言惟明王聖主然後使之然也。
繭の性は絲、女工の沸湯を以て煮て、統緒条理を抽出するを得ざれば、則ち絲と為る能わず。卵の性は雛、良雞の覆伏孵育するを得ざれば、日を積み久を累ねても、則ち雛と為る能わず。人の性善は、明王聖主の扶持携引するを得ざれば、道を以て內裏に納入しなければ、則ち君子と為る能わず。『詩經』に曰く、「天は衆民を生じ、あの命は誠信ならず、開始有らざるなく、終結有る能くする少なし」と。是れただ明王聖主のみ然る後に彼らをこのごとくせしむるを言うなり。
第十八章
智如泉源,行可以為表儀者,人師也。智可以砥礪,行可以為輔弼者,人友也。據法守職,而不敢為非者,人吏也。當前快意,一呼再喏者,人隸也。故上主以師為佐,中主以友為佐,下主以吏為佐,危亡之主以隸為佐。語曰:“淵廣者其魚大,主明者其臣慧。”相觀而志合,必由其中。故同明相見,同音相聞,同志相從,非賢者莫能用賢。故輔弼左右,所任使者,有存亡之機,得失之要也。可無慎乎?《詩》曰:“不明爾德,以無陪無側,爾德不明,以無陪無側。”
智は泉源のごとく、行為は以て表儀と為るべきは、人の老師。智は以て砥礪すべく、行為は以て輔弼と為るべきは、人の朋友。法に依据し職を守りて、而して敢えて對ならざるを爲さざるは、人の吏。當前快意し、一呼再喏するは、人の奴隸。ゆえに上主は老師を用いて輔佐と爲し、中主は朋友を用いて輔佐と爲し、下主は吏を用いて輔佐と爲し、危亡の主は奴隸を用いて輔佐と爲す。俗語に曰く、「淵廣きは魚大なり、主明るければ臣慧なり」と。互相觀察して志向相合すれば、必ずその中より來る。ゆえに明同じければ則ち互相見え、音同じければ則ち互相聞こえ、志同じければ則ち互相跟從す、賢者に非ざれば賢を用いる能わず。ゆえに輔弼左右の、任使する所は、存亡の機、得失の要約あり。能く謹慎せざらんや?『詩經』に曰く、「あなたの德を顯明せず、ここを以て陪從なく側近なし、あなたの德を顯明せず、ここを以て陪從なく側近なし」と。
第十九章
昔者禹以夏王,桀以夏亡。湯以殷王,紂以殷亡。故無常安之國,無恆治之民,得賢則昌,失賢則亡。自古及今,未有不然者也。夫明鏡者所以照形也,往古者所以知今也。夫知惡往古之所以危亡,而不襲蹈其所以安存者,則無以異乎卻行而求逮於前人也。鄙語曰:“不知為吏,視已成事。”或曰:“前車覆而後車不誡,是以後車覆了也。”故夏之所以亡者而殷為之,殷3之所以亡者而周為之。故殷可以鑑於夏,而周可以鑑於殷。《詩》曰:“殷監不遠,在百後之世。”
昔禹は夏に因りて王と稱し、桀は夏に因りて滅亡せり。湯は殷に因りて王と稱し、紂は殷に因りて滅亡せり。ゆえに常安の國なく、恒治の民なし、賢を得れば則ち昌盛し、賢を失えば則ち滅亡す。古より今に至るまで、こうでないはなし。明鏡は以て形を照らす用、往古は以て今を知る用。往古の危亡する所以を厭惡するを知りて、却って安存する所以を沿襲せざれば、倒れて走りて前の人に趕上せんと求むると異なることなし。俗語に曰く、「吏を爲すを知らざれば、すでに成就した事を看よ」と。あるいは曰く、「前の車は翻れて後の車は警戒せず、ここを以て後の車もまた翻る」と。ゆえに夏の滅亡する所以を殷は之を爲し、殷の滅亡する所以を周は之を爲す。ゆえに殷は以て夏を借鑑すべく、而して周は以て殷を借鑑すべし。『詩經』に曰く、「殷の鑑戒は遠からず、夏后の世代に在り」と。
第二十章
傳曰:驕溢之君寡忠,口惠之人鮮信。故盈把之木無合拱之枝,榮澤之水無吞舟之多。根淺則枝葉短,本絶則枝葉枯。《詩》曰:“枝葉未有害,本實先撥。”禍福自己出也。
傳に記す:驕溢の君は忠少なく、口頭施惠の人は信少なし。ゆえに滿把の樹木に合抱の枝なく、榮澤の水に吞舟の魚なし。根淺ければ則ち枝葉短く、根本斷絶すれば則ち枝葉枯る。『詩經』に曰く、「枝葉はいまだ害なく、根本は實に先に撥除せらる」と。禍福は自己より出づ。
第二十一章
水淵深廣,則龍魚生之。山林茂盛,則禽獸歸之。禮義修明,則君子懷之。故禮及身而行修,禮及國而政明。能以禮扶身,則貴名自揚,天下順焉,令行禁止,而王者之事畢矣。《詩》曰:“有覺德行,四國順之。”夫此之謂矣。
水淵深廣なれば、則ち龍魚はそこに生長す。山林茂盛なれば、則ち禽獸はそこに歸向す。禮義修明なれば、則ち君子はそこを懷念す。ゆえに禮は身に達して行爲修まり、禮は國に達して政治明なり。能く禮を以て身を扶持すれば、則ち貴名自ら顯揚し、天下順從し、令行禁止して、而して王者の事は則ち完備す。『詩經』に曰く、「正直の德行有りて、四國はこれに順從す」と。言うはこのことなり。
第二十二章
孔子曰:夫談說之術,齊莊以立之,端誠以處之,堅強以持之,闢稱以喻之,分別以明之,歡忻芬芳以送之,寶之珍之,貴之神之,如是則說恆無不行矣。夫是之謂能貴其所貴。若夫無類之說,不形之行,不讚之辭,君子慎之。《詩》曰:“無易由言,無曰茍矣。”
孔子は言った。談説の術は、斉整莊重を以て樹立し、端正誠信を以て相處し、堅強を以て持守し、譬稱を以て曉喻し、分別を以て顯明し、歡欣芬芳を以て送出し、これを寶貴しこれを珍惜し、これを看重しこれを神化すれば、このごとくなれば則ち説は常に實行せられざるなし。これを則ち能く看重する所を看重すと謂う。類なきの説法、形なきの行爲、贊助なきの辭に至っては、君子は謹慎して對待す。『詩經』に曰く、「輕易に發言する勿れ、苟且を説く勿れ」と。
第二十三章
夫百姓內不乏食,外不患寒,則可教御以禮義矣。《詩》曰:“蒸畀祖妣,以洽百禮。”百禮洽則百意遂,百意遂則陰陽調,陰陽調則寒暑均,寒暑均則三光清,三光清則風雨時,風雨時則群生寧。如是而天道得矣。是以不出戶而知天下,不窺牖而見天道。《詩》曰:“惟此聖人,瞻言百里。”“於鑈王師,遵養時晦。”言相養之至於晦也。
百姓は內裏食を缺乏せず、外面寒を擔心せざれば、則ち以て禮義教導駕馭すべし。『詩經』に曰く、「祖妣に進獻し、以て百禮に和洽せん」と。百禮和洽すれば則ち百意順遂し、百意順遂すれば則ち陰陽調和し、陰陽調和すれば則ち寒暑均平し、寒暑均平すれば則ち三光明澈し、三光明澈すれば則ち風雨時に按じ、風雨時に按ずれば則ち群生安寧す。このごとくにして天道は則ち得られたり。ここを以て門戸を出でずして天下を知り、窓戸を窺看せずして天道を見る。『詩經』に曰く、「ただこ聖人のみ、言論百里を瞻望す」「輝煌の王師、涵養に順って晦暗の時に處る」と。是れ互相畜養して晦暗の時に至るを言うなり。
第二十四章
天有四時,春夏秋冬,風雨霜露,無非教也。清明在躬,氣志如神,嗜慾將至,有開必先,天降時雨,山川出雲。《詩》曰:“嵩高維嶽,峻極於天。維嶽降神,生甫及申。維申及甫,維周之翰。四國於蕃,四方於宜。”此文武之德也。
天に四時あり、春夏秋冬、風雨霜露、教導ならざるなし。清明身に在り、氣志は神のごとく、嗜欲將に至らんとすれば、開啓有れば必ず先有り、天は時雨を降下し、山川は雲を生出す。『詩經』に曰く、「高大なるは岳、高峻にして天に達す。岳は神を降下し、甫と申を生出す。申と甫は、周の骨幹なり。四國は彼らを藩籬と爲し、四方は彼らを適宜と爲す」と。是れ文王武王の德なり。
第二十五章
三代之王也,必先其令名。《詩》曰:“明明天子,令聞不已。矢其文德,洽此四國。”此大王之德也。
三代は王と稱す、必ず先に美好の名声有り。『詩經』に曰く、「明明の天子、美好の聲聞停まらず。その文德を施行し、こ四國を和洽す」と。是れ太王の德なり。
第二十六章
藍有青,而絲假之青於藍。地有黃,而絲假之黃於地。藍青地黃,猶可假也。仁義之事,不可假乎哉?東海之魚名曰鰈,比目而行,不相得不能逩。北方有獸名曰婁,更食而更視,不相得不能飽。南方有鳥名曰鶼,比翼而飛,不相得不能舉。西方有獸名曰蟨,前足鼠,後足兎,得甘草必銜以遺蛩蛩距虛,其性非愛蛩蛩距虛,將為假足之故也。夫鳥獸魚猶知相假,而況萬乘之主乎?而獨不知假此天下英雄俊士與之為伍,則豈不病哉。故曰:以明扶明,則升於天。以明扶闇,則歸其人。兩瞽相扶,不觸牆木,不陷井穽,則其幸也。《詩》曰:“惟彼不順,往以中垢。”
藍に青色あり、而して絲はこれを借助して藍よりも青し。地に黃色あり、而して絲はこれを借助して地よりも黃し。藍青地黃は、なお借助すべし。仁義の事は、借助すべからざらんや?東海の魚の名を鰈といい、目を比べて行い、相得ざれば則ち奔る能わず。北方に獸ありて名を婁といい、輪流に食い輪流に看、相得ざれば則ち飽く能わず。南方に鳥ありて名を鶼といい、翼を比べて飛び、相得ざれば則ち擧る能わず。西方に獸ありて名を蟨といい、前足は鼠のごとく後足は兔のごとく、甘草を得れば必ず啣えて蛩蛩距虛に送る、その性は蛩蛩距虛を愛するに非ず、將に足を借助するの緣故のためなり。鳥獸魚はなお互相借助するを知る、まして萬乘の主においてをや?却って獨りこれら天下の英雄俊士と彼らと伙伴を爲すを借助するを知らず、豈に病まずや。ゆえに曰く、明を以て明を扶持すれば、則ち天に升る。明を以て暗を扶持すれば、則ちあの人に歸る。兩盲は互相扶持して、墻木に碰せず、井阱に陷らざれば、則ち幸運なりと。『詩經』に曰く、「ただあの順わざるのみ、中垢を帶びて前往す」と。
第二十七章
福生於無為,而患生於多欲。知足,然後富從之。德宜君人,然後貴從之。故貴爵而賤德者,雖為天子,不尊矣。貪物而不知止者,雖有天下,不富矣。夫土地之生物不益,山澤之出財有盡,懷不富之心而求不益之物,挾百倍之慾而求有盡之財,是桀紂之所以失其位也。《詩》曰:“大風有隨,貪人敗類。”
福は無爲の中より生出し、而して患は多欲の中より生出す。知足すれば、然る後に富は跟從す。德は人君たるに適宜すれば、然る後に貴は跟從す。ゆえに爵を看重して德を看輕するは、たとい天子を爲すとも、尊貴ならず。物を貪りて停止を知らざるは、たとい天下を有すとも、富まず。土地は物を生長して增益せず、山澤は財を出産して窮盡有り、富まざるの心を懷きて增益せざるの物を求め、百倍の欲望を挾帶して窮盡有るの財を求むるは、桀紂の位子を失去する所以の緣故なり。『詩經』に曰く、「大風に隨從有り、貪婪の人は同類を敗壞す」と。
第二十八章
哀公問於子夏曰:“必學然後可以安國保民乎?”子夏曰:“不學而能安國保民者,未之有也。”哀公曰:“然則五帝有師乎?”子夏曰:“巨聞黃帝學乎大塡,顓頊學乎祿圖,帝嚳學乎赤松子,堯學乎務成子附,舜學乎尹壽,禹學乎西王國,湯學乎貸子相,文王學乎錫疇子斯,武王學乎太公,周公學乎虢叔,仲尼學乎老耼。名號不能傳乎後世者也。《詩》曰:“不衍不忘,率由舊章。”
哀公は子夏に問うた、「必ず學習して然る後に國を安んじ民を保つべきか?」子夏は曰く、「學習せずして能く國を安んじ民を保つは、いまだかつて有らず」と。哀公は曰く、「然らば五帝に老師有りや?」子夏は曰く、「臣は聞く、黃帝は大墳に學び、顓頊は祿圖に學び、帝嚳は赤松子に學び、堯は務成子附に學び、舜は尹壽に學び、禹は西王國に學び、湯は貸子相に學び、文王は錫疇子斯に學び、武王は太公に學び、周公は虢叔に學び、仲尼は老聃に學べりと。名號は却って後世に傳わる能わざる所なり。『詩經』に曰く、『過失を愆らず忘れず、旧の章程に遵循せよ』」と。
第二十九章
德也者,包天地之大,配日月之明,立乎四時之周,臨乎陰陽之交。寒暑不能動也,四時不能化也。斂乎太陰而不溼,散乎太陽而不枯。鮮潔清明而備,嚴威毅疾而神。至精而妙乎天地之間者,德也。微聖人其孰能與於此矣!《詩》曰:“德輶如毛,民鮮克舉之。”
德は、天地を包羅するの大、日月に匹配するの明、四時の循環に立ち、陰陽の交接を臨視す。寒暑は動搖する能わず、四時は變化する能わず。太陰に收斂して濕らず、太陽に散布して枯れず。鮮潔清明にして完備し、嚴威剛毅迅疾にして神なり。至精にして天地の間に妙なるは、德なり。聖人に非ざれば誰かこれに參與せんや!『詩經』に曰く、「德は輕きこと毛のごとし、民はこれを擧げる能くする少なし」と。
第三十章
如歲之旱,草不潰茂。然天悖然興云,沛然下雨,則萬物無不興起之者。民非無仁義根於心者也,王政怵迫而不得見。憂鬰而不得出,聖王在被躧舄。視不出合,動而天下隨,倡而天下和。何如在此有以應哉?《詩》曰:“如彼歲旱,草不潰茂。”
年歲乾旱のごとき、草は潰爛茂盛せず。しかるに天は勃然として雲を興起し、沛然として雨を下せば、則ち萬物に興起せざるなし。民は仁義心に根ざるなきに非ず、王政急迫して顯現する能わざるなり。憂鬱悶にして出づる能わず、聖王は躧舄を穿着す。視線は合を出でず、一たび動けば天下跟隨し、一たび唱えれば天下應和す。なぜここに以て應和する有らんや?『詩經』に曰く、「あの歲旱のごとく、草は潰爛茂盛せず」と。
第三十一章
道者何也?曰:君之所道也。君者何也?曰:群也,能群天下萬物而除其害者,謂之君。王者何也?曰:往也。天下往之謂之王。曰:善生養人者,故人尊之。善辯治人者,故人安之。善顯設人者,故人親之。善粉飾人者,故人樂之。四統者具,而天下往之。四統無一,而天下去之。往之謂之王,去之謂之亡。故曰道存則國存,道亡則國亡。夫省工商,眾農人,謹盜賊,除奸邪,是所以生養之也。天子三公,諸侯一相,大夫擅官,士保職,莫不治理,是所以辯治之也。決德而定次,量能而授官,賢以為三公,以為諸侯,次則為大夫,是所以顯設之也。修冠弁衣裳,黼黻文章,琱琢刻縷,皆有等差,是所以粉飾之也。故自天子至於庶人,莫不稱其能,得其意,安樂其事,是所同也。若夫重色而成文,累味而備珍,則聖人所以分賢愚,明貴賤。故道得則澤流群生,而福歸王公,澤流群生則下安而和,福歸王公則上尊而榮。百姓皆懷安和之心,而樂戴其上,夫是之謂下治而通。下治而上通,頌聲之所以興也。《詩》曰:“降福簡簡,威儀昄昄。既醉既飽,福祿來反。”
道とは何か?曰く、是れ君の經由する所なり。君とは何か?曰く、是れ群なり、能く天下萬物を群聚してあの害を除去するを、君と謂う。王とは何か?曰く、是れ往なり。天下歸往するを王と謂う。曰く、善く人を生養する、ゆえに人は尊崇す。善く人を辨别治理する、ゆえに人は安定す。善く人を顯設する、ゆえに人は親近す。善く人を粉飾する、ゆえに人は快樂す。四統具備して、而して天下歸往す。四統は一樣もなく、而して天下離去す。歸往するを王と謂い、離去するを亡と謂う。ゆえに曰く道存在すれば則ち國存在し、道滅亡すれば則ち國滅亡すと。工商を減省し、農人を增多し、盜賊を謹慎して對待し、奸邪を除去するは、以て生養するなり。天子三公、諸侯一個の相、大夫は官職を專擅し、士は職分を保守し、治理せざるなし、是れ以て辨别治理するなり。德を決斷して等次を確定し、能を衡量して官を授け、賢は三公を爲し、諸侯を爲し、次等は則ち大夫を爲すは、是れ以て顯設するなり。冠弁衣裳を修飾し、黼黻文章、雕琢刻鏤は、みな等差あり、是れ以て粉飾するなり。ゆえに天子より庶人に至るまで、その能に稱せざるなく、その意を得、その事を安樂す、是れ相同じきなり。顏色を重疊して文を成し、滋味を累積して珍を備うるに至っては、則ち聖人の以て賢愚を分別し貴賤を顯明する所なり。ゆえに道當を得れば則ち恩澤は群生に流向し、而して福は王公に歸す、恩澤は群生に流向すれば則ち下は安定して和諧し、福は王公に歸すれば則ち上は尊貴して榮耀す。百姓はみな安和の心を懷きて、而してその上を擁戴するを樂しむ、これを則ち下治して通ずと謂う。下治して上通ずれば、頌聲の興起する所以なり。『詩經』に曰く、「降下する福盛大、威儀壯盛。すでに醉いすでに飽き、福祿は返回して來る」と。
第三十二章
聖人養性而御六氣,持一命而節滋味,奄治天下,不遺其小,存其精神,以補其中,謂之志。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”言得中也。
聖人は性を養い六氣を駕馭し、一命を持守して滋味を節制し、奄然として天下を治理し、あの小を遺漏せず、その精神を保存し、以てその中を補益す、これを志と謂う。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。是れ中を得るを言うなり。
第三十三章
朝廷之士為祿,故入而不能出。山林之士為名,故往而不能返。入而亦能出,往而亦能返,通移有常,聖也。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”言得中也。
朝廷の士は祿のために、ゆえに進入して出づる能わず。山林の士は名のために、ゆえに前往して返回する能わず。進入しても出づる能く、前往しても返回する能く、流通轉移に常規あるは、聖なり。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。是れ中を得るを言うなり。
第三十四章
孔子侍坐於季孫,季孫之宰通曰:“君使人假馬,其與之乎?”孔子曰:“吾聞君取於臣謂之取,不曰假。”季孫悟,告宰通,曰:“自今以往,君有取謂之取,無曰假。”故孔子正假馬之名,而君臣之義定矣。《論語》曰:“必也正名乎。”《詩》曰:“君子無易由言。”言名正也。
孔子は季孫の所に陪坐し、季孫の宰通は曰く、「君は人を派して馬を借らんと來る、彼に給えんか?」孔子は言った。「我は聞く、君は臣より取るを取と謂い、借と言わずと」と。季孫は覺悟し、宰通に告げて曰く、「今より後、君の取有るを取と謂え、借と言う勿れ」と。ゆえに孔子は馬を借るの名を端正し、而して君臣の義は則ち定まった。『論語』に曰く、「必ず名を端正せんか」と。『詩經』に曰く、「君子は輕易に發言する勿れ」と。是れ名端正なるを言うなり。
韓詩外傳卷第六
第一章
比干諫而死。箕子曰:“知不用而言,愚也。殺身以彰君之惡,不忠也。二者不可,然且為之,不祥莫大焉。”遂解髪佯狂而去。君子聞之曰:“勞矣箕子!盡精神,竭其忠愛。見比干之事免其身,仁知之至。”《詩》曰:“人亦有言,靡哲不愚。”
比干は進諫して死したり。箕子は曰く、「用いられざるを知りて却って説くは、愚なり。身を殺して君の惡を彰顯するは、忠に非ず。兩樣とも可ならずして、却って之を爲すは、不祥これより大なるなし」と。すなわち頭髮を解きて發狂を假裝して離去した。君子は聞きて後曰く、「勞累せるかな箕子!精神を用盡し、忠愛を竭盡す。比干の事を見て自身を免れたるは、仁智の極至なり」と。『詩經』に曰く、「人もまた言あり、哲人あらざれば愚を顯せず」と。
第二章
齊桓公見小臣,三往不得見。左右曰:“夫小臣國之賤臣也,君三往而不得見,其可已矣。”桓公曰:“惡!是何言也?吾聞之,布衣之士,不欲富貴,不輕身於萬乘之君。萬乘之君,不好仁義,不輕身於布衣之士。縱夫子不欲富貴可也,吾孬仁義不可也。”五往而得見也。天下諸侯聞之,謂桓公猶下布衣之士,而況國君乎?於是相率而朝,靡有不至。桓公之所以九合諸侯,一匡天下者,此也。《詩》曰:“有覺德行,四國順之。”
齊桓公は小臣を見に往き、三次往きて見る能わず。左右は曰く、「あの小臣は國の賤臣、君は三次往きて見る能わざれば、停止すべし」と。桓公は曰く、「可惡!これは何の言か?我は聞く、布衣の士は、富貴を欲せざれば、則ち萬乘の君に對して自身を看輕せず。萬乘の君は、仁義を愛好せざれば、則ち布衣の士に對して自身を看輕せず。たとい夫子は富貴を欲せざる可なり、我は仁義を好まざる可ならず」と。五次往きて始めて見るを得たり。天下の諸侯は聞きて、桓公はなお布衣の士に謙下す、まして國君においてをや?すなわち相繼いで來朝し、至らざるなし。桓公の九合諸侯し一匡天下する所以は、則ちこれなり。『詩經』に曰く、「正直の德行有りて、四國はこれに順從す」と。
第三章
賞勉罰偷,則民不怠。兼聽齊明,則天下歸之。然後明其分職,考其事業,較其官能,莫不治理,則公道達而私門塞,公義立而私事息。如是則得厚者進,而佞諂者止,食戾者退,而廉節者起。《周制》曰:“先時者死無赦。”人之事使,如耳目鼻口之不可相借也。故曰:職分而民不慢,次定而序不亂,兼聽齊明而事不留。如是則群下百吏,莫不修己,然後敢安仕。誠能然後敢受職。小人易心,百姓易俗,奸宄之屬莫不反愨。夫是之為政教之極,。則不可加矣。《詩》曰:“籲謨定命,遠猷辰告。敬慎威儀,惟民之則。”
賞は勉勵し罰は偷惰すれば、則ち民は怠慢せず。兼聽齊明すれば、則ち天下歸向す。然る後に職分を顯明し、事業を考覈し、官能を比較し、治理せざるなければ、則ち公道通達して私門堵塞し、公義樹立して私事止息す。このごとくなれば則ち惇厚は進用せられ、而して佞諂は停止し、貪戾は黜退せられ、而して廉節は興起す。『周制』に曰く、「時に先んずるは死して赦免せず」と。人の事使は、耳目鼻口の互相借用すべからざるがごとし。ゆえに曰く、職分あれば民は怠慢せず、等次定まれば次序亂れず、兼聽齊明して事滞留せずと。このごとくなれば則ち群下百吏は、修養自己せざるなく、然る後に敢えて仕に安んず。真誠能ありて然る後に敢えて職を受く。小人は心を改變し、百姓は俗を改變し、奸宄の類は樸實に返回せざるなし。これを則ち政教の極至と謂い、則ち再加すべからず。『詩經』に曰く、「大謀劃は命を確定し、遠猷は時に按じて宣告す。威儀を敬慎するは、是れ民の法則なり」と。
第四章
子路治蒲三年,孔子過之,入其境而善之,曰:“善哉!由恭敬以信矣。”入其邑,曰:“善哉1由忠信以寬矣。”至其庭,曰:“善哉!由明塞以斷矣。”子貢執轡而問曰:“夫子未見由,而三稱善,可得聞乎?”孔子曰:“我入其境,田疇甚易,草萊甚闢。此恭敬以信,故其民盡力。入其邑,墉屋甚尊,樹木甚茂。此忠信以寬,故其民不偷。入其庭,甚閒,故其民不擾也。”《詩》曰:“夙興夜寐,灑掃庭內。”
子路は蒲を治理すること三年、孔子は經過し、境內に入れば則ち善と稱し、曰く、「好しかな!由は恭敬して信有り」と。その邑に入れば、曰く、「好しかな!由は忠信して寬なり」と。その庭に至れば、曰く、「好しかな!由は明察して能く決斷す」と。子貢は轡を握りて問うた、「夫子はいまだ由を見ずして、三たび善と稱す、聽くべきか?」孔子は言った。「我は境內に入れば、田疇甚だ平整、草萊甚だ開闢せり。是れ恭敬して信有る、ゆえにその民は力を盡す。その邑に入れば、墻屋甚だ尊崇、樹木甚だ茂盛す。是れ忠信して寬なる、ゆえにその民は苟且せず。その庭に入れば、甚だ清閒、ゆえにその民は擾亂せられず」と。『詩經』に曰く、「早起晩睡し、庭內を洒掃す」と。
第五章
古者必有命民,民有能敬長憐孤,取捨好讓居事力者,命於其君,命然後得乘飾車駢馬。未得命者不得乘,乘者皆有罰。故其民雖有餘財侈物,而無禮義功德,則無所用。故其民皆興仁義而賤財利。賤財利則不爭,則強不陵弱,眾不暴寡,是唐虞之所以舉象刑,而民莫犯法。民莫犯法,而亂斯止矣。《詩》曰:“告爾人民,謹爾侯度,用戒不虞。”
古代は必ず命を受けた民あり、民に能く長者を尊敬し孤兒を憐憫し、取捨謙讓を喜好し、事に居りて力を盡す有れば、君に任命せられ、任命して然る後に能く裝飾の車・竝列の馬に乘る。任命を得ざるは乘る能わず、乘るはみな罰あり。ゆえにその民はたとい餘財侈物有るも、而して禮義功德なければ、則ち用處なし。ゆえにその民はみな仁義を興起して財利を看輕す。財利を看輕すれば則ち爭わず、則ち強は弱を欺凌せず、衆は寡を暴虐せず、是れ唐虞のただ象刑を用いて、而して民に法を犯す人なき所以なり。民に法を犯す人なく、而して亂は則ち止住す。『詩經』に曰く、「あなたの人民に告げ、あなたの侯の法度を謹慎し、以て意外を警戒せよ」と。
第六章
天下之辯有三至三勝,而辭直為下。辯者,別殊類,使不相害,序異端,使不相悖,輸志通意,揭其所謂,使人預知焉,不務相迷也。是勝者不失所守,不勝者得其所求,故辯可觀也。夫繁文以相假,飾辭以相悖,數譬以相移,外人之身使不得反其意,則論使然後害生也。夫不疏其指而弗知謂之隱,外意外身謂之諱,幾廉何跌謂之移,指緣謬辭謂之茍。四者君子所不為也,故理可同睹也。夫隱、諱、移、茍,爭言競為而後息,不能無害其為君子也,故君子不為也。《論語》曰:“君子於其言,無所茍而已矣。”《詩》曰:“無易由言,無曰茍矣。”
天下の辯論に三至三勝あり、而して辭直は下等なり。辯論は、同じからざる類を分別し、彼らをして相害せざらしめ、異端を排列し、彼らをして相悖せざらしめ、志向を輸送し意を通達し、説く所を揭示し、人をして預め知らしめ、務めて互相迷惑せず。ここを以て勝つは守る所を失わず、勝たざるは求むる所を得、ゆえに辯論は觀看すべし。繁文を以て互相假借し、飾辭を以て互相悖亂し、多數譬喻を以て互相轉移し、別人の身を外に置きて能くあの意に返回せざらしめば、則ち論説は使して然る後に害生出す。あの指意を疏通せずして知らざるを隱と謂い、意を外して身を諱と謂い、ほぼ廉潔にして跌落するを移と謂い、指意が謬誤の辭に緣るを苟と謂う。四樣は君子の爲さざる所、ゆえに理は以て一同に觀看すべし。隱・諱・移・苟は、爭い言い競い爲して然る後に止息す、君子を爲すに害なき能わず、ゆえに君子は爲さず。『論語』に曰く、「君子はその言に於いて、苟且なきのみ」と。『詩經』に曰く、「輕易に發言する勿れ、苟且を説く勿れ」と。
第七章
吾語子,夫服人之心,高上尊貴不以驕人,聰明聖知不以幽人,勇猛強武不以侵人,齊給便捷不以欺誣人。不能則學,不知則問。雖知必讓,然後為知。遇君則修臣下之義,出鄉則修長幼之義,遇長老則修子弟之義,遇等夷則修朋友之義,遇少而賤者則修告道寬裕之義。故無不愛也,無不敬也,無與人爭也,曠然而天地苞萬物也。如是,則老者安之,少者懷之,朋友信之。《詩》曰:“惠於朋友,庶民小子,子孫承承,萬民靡不承。”
我はあなたに告げん、人を服するの心は、高上尊貴は以て人に驕傲せず、聰明聖智は以て人を幽暗にせず、勇猛強武は以て人を侵陵せず、敏捷快速は以て人を欺騙せず。能わざれば則ち學び、知らざれば則ち問え。たとい知るとも必ず謙讓し、然る後に纔めて知と算す。君に遇えば則ち臣下の義を修養し、鄉を出でれば則ち長幼の義を修養し、長老に遇えば則ち子弟の義を修養し、同等に遇えば則ち朋友の義を修養し、年少にして賤なるに遇えば則ち告道寬裕の義を修養す。ゆえに愛せざるなく、敬せざるなく、人と爭うなく、曠然として天地の萬物を包裹するがごとし。このごとくなれば、則ち老いたるは安んじ、少なきは懷い、朋友は信任す。『詩經』に曰く、「朋友に惠及し、庶民小子、子孫は繼承し、萬民に承受せざるなし」と。
第八章
仁者必敬其人。敬其人有道,遇賢者則愛親而敬之,遇不肖者則畏疎而敬之。其敬一也,其情二也。故夫忠信端愨而不害傷,則無接而不然,是仁之質也。仁以為質,義以為理,開口無不可以為人法式者。《詩》曰:“不僭不賊,鮮不為則。”
仁者は必ずあの人を尊敬す。あの人を尊敬するに道あり、賢者に遇えば則ち愛親して尊敬し、不肖者に遇えば則ち畏疏して尊敬す。あの敬は一樣、あの情は兩樣なり。ゆえに忠信端謹して傷害せざれば、則ち交接こうでないはなし、是れ仁の質なり。仁を以て質と爲し、義を以て理と爲し、口を開きて人の法式と爲るべからざるなし。『詩経』に曰く、「差失せず賊害せず、法則を爲さざる少なし」と。
第九章
子曰:“不學而好思,雖知不廣矣。學而慢其身,雖學不尊矣。不以誠立,雖立不久矣。誠未著而好言,雖言不信矣。美材也,而不聞君子之道,隱小物以害大物者,災必及其身矣。”《詩》曰:“其何能淑,載胥及溺。”
孔子は言った。「學習せずして思を喜ぶは、たとい知るとも廣からず。學習して自身を怠慢するは、たとい學ぶとも尊からず。誠を以て立たざれば、たとい立つとも久しからず。誠いまだ顯著せずして説を喜ぶは、たとい説くとも信ぜられず。美材にして、而して君子の道を聞かず、小物を隱藏して大物を傷害するは、災は必ずその身に至らん」と。『詩經』に曰く、「それどうして能く善ならん、將にともに陷溺せん」と。
第十章
民勞思佚,治暴思仁,刑危思安,國亂思天。《詩》曰:“靡有旅力,以念穹蒼。”
民は勞累すれば則ち安逸を思念し、治理暴虐なれば則ち仁を思念し、刑罰危險なれば則ち安定を思念し、國亂れば則ち天を思念す。『詩經』に曰く、「衆力なく、以て蒼天を思念す」と。
第十一章
問者曰:“古之知道者曰先生,何也?”曰:“猶言先醒也。不聞道術之人,則冥於得失。不知治亂之所由,故世主有先生者,有後生者,有不生者。昔者楚莊王謀事而當,居有憂色。申公巫臣問曰:‘王何為有憂也?’莊王曰:‘吾聞諸侯之德,能自取師者王,能自取友者霸,而與居不若其身者亡。以寡人之不肖也,諸大夫之論莫有及於寡人,是以憂也。’莊王之德宜君人,威服諸侯,曰猶恐懼,思索賢佐,此其先生者也。昔者宋昭公出亡,謂其御曰:‘吾知所以亡矣。’御者曰:‘何哉?’昭公曰:‘吾被服而立,侍御者數十人,無不曰吾君麗者也。吾發言動事,朝臣數百人,無不曰吾君聖者也。吾外內不見吾過失,是以亡也。’於是改操易行,安義行道,不出二年而美聞於宋。宋人迎而復之,諡為昭。此其後生者也。昔郭君出郭,謂其御者曰:‘吾渴欲飲。’御者進清酒。曰:‘吾飢欲食。’御者進幹脯粱糗。曰:‘何備也?’御者曰:‘臣儲之。’曰:‘奚儲之?’御者曰:‘為君之出亡而道飢渴也。’曰:‘子知吾且亡乎?’御者曰:‘然。’曰:‘何以不諫也?’御者曰:‘君喜道諛而惡至言。臣欲進諫,恐先郭亡,是以不諫也。’郭君作色而怒曰:‘吾所以亡者,誠何哉?’御轉其辭曰:‘君之所以亡者,太賢。’曰:‘夫賢者所以不為存而亡者,何也?’御曰:‘天下無賢而君獨賢,是以亡也。’曰:‘嗟呼!夫賢人如此苦乎?’於是身倦力解,枕御膝而臥。御自易以備,疎行而去。身死中野,為虎狼所食。此其不生者。故先生者,當年而霸,楚莊王是也。後生者,三年而復,宋昭公是也。不生者,死中野,為虎狼所食,郭君是也。”《詩》曰:“聽言則對,誦言如醉。”
問う人は曰く、「古代は道を知るを先生と謂う、なぜか?」曰く、「先醒を説くがごとし。道術を聞かざる人は、則ち得失に於いて冥昧す。治亂の由來を知らず、ゆえに世主に先生の有り、後醒の有り、不醒の有り。昔楚莊王は事を謀劃して當を得、閑居して憂色あり。申公巫臣は問う、『王はなぜ憂有る?』莊王は曰く、『我は聞く、諸侯の德は、能く自ら老師を選取するは王と稱し、能く自ら朋友を選取するは覇と稱し、而して自身に如かざる人と同居するは滅亡すと。寡人の不肖を以て、諸大夫の議論は寡人に趕上するなく、ここを以て憂う』と。莊王の德は人君たるに適宜し、諸侯を威服し、なお恐懼し、賢佐を思索す、是れあの先醒なり。昔宋昭公は出亡し、駕車するに對して曰く、『我は滅亡する所以を知れり』と。駕車するは曰く、『なぜか?』昭公は曰く、『我は衣服を穿着して立つに、侍御數十人、吾君美麗と言わざるなし。我は言を發し事を爲すに、朝臣數百人、吾君聖明と言わざるなし。我は內外に我が過失を見ず、ここを以て滅亡せり』と。すなわち操守を改變し品行を改易し、義に安んじて道を實行し、二年を出でずして美名は宋に傳わった。宋人は迎接して彼を恢復し、諡號は昭と爲す。是れあの後醒なり。昔郭君は郭を出でて、駕車するに對して曰く、『我は渴きて飲まんと欲す』と。駕車するは淸酒を進上す。曰く、『我は餓えて食わんと欲す』と。駕車するは干脯粱糗を進上す。曰く、『なぜ預備した?』駕車するは曰く、『臣は儲備した』と。曰く、『なぜ儲備した?』駕車するは曰く、『君の出亡して路上饑渴するを以て』と。曰く、『あなたは我が將に滅亡せんを知ったか?』駕車するは曰く、『是れ』と。曰く、『なぜ進諫せざった?』駕車するは曰く、『君は諂諛を喜び直言を厭惡す。臣は進諫せんと欲すも、郭に先んじて滅亡するを怕り、ここを以て進諫せず』と。郭君は色を變じ怒りて曰く、『我の滅亡する所以は、究竟何か?』駕車するは辭を轉變して曰く、『君の滅亡する所以は、太だ賢なればなり』と。曰く、『賢者の保存せずして滅亡する所以は、なぜか?』駕車するは曰く、『天下に賢なくして君獨り賢なり、ここを以て滅亡せり』と。曰く、『嘆くべきかな!賢人はこう苦しむか?』すなわち身體疲倦し力氣鬆懈し、駕車するの膝を枕にして卧したり。駕車するは自ら預備を換上し、疏行して離去したり。身は野中に死し、虎狼に食われたり。是れあの不醒なり。ゆえに先醒は、當年に覇を稱す、楚莊王則ち是れ。後醒は、三年に恢復す、宋昭公則ち是れ。不醒は、野中に死し、虎狼に食わる、郭君則ち是れ」『詩經』に曰く、「話を聞きて則ち應答し、誦讀の言は醉のごとし」と。
第十二章
由常弒簡公,乃盟於國人曰:“不盟者死及家。”石他曰:“古之事君者,死其君之事。舍君以全親,非忠也。舍親以死君之事,非孝也。他則不能。然不盟是殺吾親也,從人而盟,是背吾君也。嗚呼!生乎亂世不得正行,劫乎暴人,不得全義。悲夫!”乃進盟以免父母,退伏劍以死其君,聞之者曰:“君子哉!安之命矣。”《詩》曰:“人亦有言,進退惟谷。”
田常は簡公を弑殺し、すなわち國人と結盟して曰く、「結盟せざるは死全家に及ぶ」と。石他は曰く、「古代君に事奉するは、君の事に死す。君を捨棄して親を保全するは、忠に非ず。親を捨棄して君の事に死するは、孝に非ず。彼は則ち能わず。しかるに結盟せざれば則ち我が親を殺す、人に跟って結盟するは、我が君を背叛す。嗚呼!亂世に生れて品行を端正する能わず、暴人に劫持せられて、義を保全する能わず。悲しきかな!」すなわち進みて結盟して以て父母を免れ、退きて劍に伏して以て君に死したり。聞く人は曰く、「君子かな!命に安んず」と。『詩經』に曰く、「人もまた言あり、進退みな山谷なり」と。
第十三章
《易》曰:“困於石,據於蒺藜,入於其宮,不見其妻,兇。”此言困而不見據賢者也。昔者秦繆公困於殽,疾據五羖大夫、蹇叔、公孫支而小霸。晉文公困於驪氏,疾據咎犯、趙衰、介子推而遂為君。越王勾踐困於會稽,疾據范蠡、大夫種而霸南國。齊桓公困於長勺,疾據管仲、甯戚、隰朋而匡天下。此皆困而知廣告據賢人者也。夫困而不知廣告據賢人而不亡地,未嘗有之也。《詩》曰:“人之雲亡,邦國殄瘁。”無善人之謂也。
『周易』に曰く、「石に困み、蒺藜に憑り、あの宮に入りて、妻子を見ず、凶」と。是れ困んで賢者を據守せざるを言うなり。昔秦繆公は殽に困み、急切に五羖大夫・蹇叔・公孫支を據守して小覇せり。晋文公は驪氏に困み、急切に咎犯・趙衰・介子推を據守して終に君と爲れり。越王勾踐は會稽に困み、急切に范蠡・大夫種を據守して南國に覇せり。齊桓公は長勺に困み、急切に管仲・寧戚・隰朋を據守して天下を匡正せり。これらはみな困んで賢人を據守するを知るなり。困んで賢人を據守するを知らずして滅亡せざるは、いまだかつて有らず。『詩經』に曰く、「人亡去せり、邦國困病す」と。言うは善人なきなり。
第十四章
孟子說齊宣王而不說。淳于髠侍。孟子曰:“今說公之君,公之君不說,意者其未知善之為善乎?”淳于髠曰:“夫子亦誠無善耳。昔者瓠巴鼓取長瑟而潛魚出聽,伯牙鼓琴而六馬仰秣。魚馬猶知善之為善,而況君人者也?”孟子曰:“夫電雷之起也,破竹折木,震驚天下,而不能使聾者卒有聞。日月之明,徧照天下,而不能使盲者卒有見。今公之君若此也。”淳于髠曰:“不然。昔者揖封生高商,齊人好歌。杞梁之妻悲哭,而人稱詠。夫聲無細而不聞,行無隱而不形。夫子茍賢,居魯而魯國之削,何也?”孟子曰:“不用賢,削何有也?吞舟之魚不居潛澤,度量之土不居汙世。夫蓻冬至必雕,吾亦時矣。《詩》曰:‘不自我先,不自我後。’非遭雕世者歟?”
孟子は齊宣王に游説して喜悅せられず。淳于髠は陪侍す。孟子は曰く、「今あなたの君に游説すれど、あなたの君は喜悅せず、恐らく彼はいまだ善の善なるを知らざるか?」淳于髠は曰く、「夫子もまた實に善なきのみ。昔瓠巴は瑟を鼓して潛魚は出でて聽き、伯牙は琴を鼓して六馬は頭を擡げて料を食えり。魚馬はなお善の善なるを知る、まして人君たるにおいてをや?」孟子は曰く、「電雷興起し、竹を破り木を折り、天下を震驚す、しかるに聾の人をして突然聞有らしむる能わず。日月の明は、遍く天下を照らす、しかるに盲の人をして突然見有らしむる能わず。今あなたの君は則ちこのごとし」と。淳于髠は曰く、「然らず。昔揖封は高商に生れ、齊人は歌唱を喜べり。杞梁の妻は悲哭して、而して人は傳誦せり。聲音に細微にして聞かれざるなく、行爲に隱微にして顯現せざるなし。夫子もし賢なれば、魯に住みて魯國削られたるは、なぜか?」孟子は曰く、「賢を用いず、削られたる何かあらん?舟を吞む魚は淺澤に住まず、度量有る士は汚世に住まず。草木は冬至に至れば必ず凋落す、我もまた時運なり。『詩經』に曰く、『我の前に在らず、我の後に在らず』と。凋落の世に遭遇するに非ずや?」
第十五章
孔子曰:“可與言終日而不倦者,其惟學乎。其身體不足觀也,勇力不足憚也,族姓不足稱也,宗宜不足道也,然而可以聞於四方,而昭於諸侯者,其惟學乎。”《詩》曰:“不愆不忘,率由舊章。”夫學之謂也。
孔子は言った。「彼と終日談論して疲倦せざるべきは、ほぼ學のみあらん。身體は以て觀看するに足らず、勇力は以て人を怕らしむるに足らず、族姓は以て稱道するに足らず、宗族は以て稱説するに足らず、しかるに以て四方に聞え、而して諸侯に昭著するは、ほぼ學のみあらん」と。『詩經』に曰く、「過失を愆らず忘れず、旧の章程に遵循せよ」と。言うは學なり。
第十六章
子曰:“不知命,無以為君子。”言天之所生,皆有仁義禮智順善之心。不知天之所以命生,則無仁義禮智順善之心。無仁義禮智順善之心,謂之小人。故曰:“不知命,無以為君子。”《小雅》曰:“天保定爾,亦孔之固。”言天之所以仁義禮智,保定人之甚固也。《大雅》曰:“天生蒸民,有物有則。民之秉彝,好是懿德。”言民之秉德以則天也。不知所以則天,又焉得為君子乎?
孔子は言った。「命を知らざれば、君子を爲す由なし」と。是れ天の生ずる所は、みな仁義禮智順善の心有りを言うなり。天の命生する所以を知らざれば、則ち仁義禮智順善の心なし。仁義禮智順善の心なくば、これを小人と謂う。ゆえに曰く、「命を知らざれば、君子を爲す由なし」と。『小雅』に曰く、「天はあなたを保佑安定し、また甚だ牢固なり」と。是れ天の仁義禮智を以て、人を保佑安定する甚だ牢固なるを言うなり。『大雅』に曰く、「天は衆民を生じ、物有り法則有り。民は常性を秉持し、こ美德を愛好す」と。是れ民が德を秉持して天を效法するを言うなり。天を效法する所以を知らざれば、またどこに能く君子を爲さんや?
第十七章
王者必立牧,方三人,使窺遠牧眾也。遠方之民有飢寒而不得衣食,有獄訟而不平其冤,失賢而不舉者,入告乎天子。天子於其君之朝也,捧揖而進之,曰:“噫,朕之政教有不得爾者耶?如何乃有飢寒而不得衣食,有獄訟而不平其冤,失賢而不舉?”然後其君退而與其卿大夫謀之。遠方之民聞之,皆曰:“誠天子也!夫我居之僻,見我之近也,我居之幽,見我之明也。可欺乎哉?”故牧者所以開四門,明四目通四聰也。《詩》曰:“邦國若否,仲山甫明之。”此之謂也。
王者は必ず牧を設立し、每一方三人、彼らをして遠方を窺看し衆を牧養せしむ。遠方の民に饑寒して衣食を得ざる有り、獄訟してあの冤を平反せざる有り、賢を失して挙用せざる有れば、朝に入りて天子に告ぐ。天子はあの君の朝見する時に、揖を捧げて進前し、曰く、「ああ、朕の政教に當を得ざる有るか?どうして饑寒して衣食を得ざる有り、獄訟してあの冤を平反せざる有り、賢を失して挙用せざる有らん?」然る後にあの君は退下してその卿大夫と謀劃す。遠方の民は聞きて、みな曰く、「眞に是れ天子かな!我は住むこと偏僻なるに、却って我を近く見る。我は住むこと幽暗なるに、却って我を明く見る。欺騙すべきか?」ゆえに牧は以て四門を開き、四目を明かにし四聰を通ずるなり。『詩經』に曰く、「邦國の好しきや不好きや、仲山甫はこれを顯明す」と。言うはこのことなり。
第十八章
楚莊王伐鄭。鄭伯肉袒,左把茅旌,右執鸞召,以進言於莊王,曰:“寡人無良邊陲之臣,以幹大禍使大國之君沛焉,遠辱至此。”莊王曰:“君之不令臣,是以使寡人得見君之玉面也,而微至乎此。”莊王受節,左右麾楚軍退舍七里。盜竊子重進諫曰:“夫南郢之與鄭,相去數千裡,大夫死者數人,廝役死者數百人。今克而弗有,無乃失民臣之力乎?”莊王曰:“吾聞古者杆者不穿,皮不蠹,不出於四方,以是見君子之重禮而賤財也,要其人,不要其土。人告以從而不捨,不祥也。吾以不祥立乎天下,災及吾身,何取之有?”既,晉之救鄭者至,曰:“請戰。”莊王許之。將軍子重進諫曰:“晉,強國也,道近兵銳,楚師奄罷,君其勿許。”莊王曰:“不可。強者我避之,弱者我威之,是寡人無以立乎天下也。”乃遂還師以逆晉冦。莊王援王桴而鼓之,晉師大敗,士卒奔者爭舟而指可掬也。莊王曰:“噫!吾兩君不相好,百姓何罪!”乃退楚師以佚晉冦。《詩》曰:“柔亦不茹,剛亦不吐,不侮鰥寡,不畏強禦。”莊王之謂也。
楚莊王は鄭を伐った。鄭伯は肉袒し、左は茅旌を持ち、右は鸞刀を持ち、進前して莊王に對して曰く、「寡人は善良の邊陲の臣なく、以て大禍を干犯し、大國の君をして沛然として遠くここに辱めしめたり」と。莊王は曰く、「君の不善の臣は、ここを以て寡人をして君の玉面を見るを得しめ、而して微賤ここに至れり」と。莊王は節を接受し、左右は楚軍を指揮して七里後退せしめた。將軍子重は進諫して曰く、「南郢と鄭は相距ること幾千里、大夫の死する有ること幾人、厮役の死する有ること幾百人。今攻克して占有せざれば、恐らく民臣の力を失去せんか?」莊王は曰く、「我は聞く、古代は棺は穿孔せず、皮は蟲蛀せられず、四方に往かず、ここを以て君子は禮を看重して財を看輕するを見ると。あの人を要約して、あの土を要らず。人はすでに順從したを告げて舍せざるは、不祥なり。我は不祥を以て天下に立てば、災は我が身に至る、これを取りて何かあらん?」隨後、晋の鄭を救うが至りて、曰く、「戰を請う」と。莊王は允許した。將軍子重は進諫して曰く、「晋は強國、道路近く兵器鋭利、楚師は忽然疲憊す、君はなお允許する勿れ」と。莊王は曰く、「不可。強きは我が躲避し、弱きは我が威を施加す、是れ寡人の天下に立つ由なし」と。すなわち師を回して晋寇を迎撃せんと往けり。莊王は鼓槌を持ちて鼓を撃ち、晋師大敗し、士卒の奔跑するは爭い船に上りて手指は捧げるべし。莊王は曰く、「ああ!我ら兩君は相好せず、百姓に何の罪あらん!」すなわち楚師を撤退して晋寇を安逸せしめた。『詩經』に曰く、「柔なるも吞まず、剛なるも吐かず、鰥寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。言うは莊王なり。
第十九章
君子崇人之德,揚人之美,非道諛也。正言直行,指人之過,非毀疵也。詘柔順從,剛強猛毅,與物周流,道德不外。《詩》曰:“柔亦不茹,剛亦不吐,不侮矜寡,不畏強禦。”
君子は人の德を崇尚し、人の美を顯揚す、諂諛に非ず。正言直行し、人の過失を指出す、毀疵に非ず。屈柔順從し、剛強猛毅し、物とともに周流し、道德は外に在らず。『詩經』に曰く、「柔なるも吞まず、剛なるも吐かず、矜寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。
第二十章
衛靈公晝寢而起,志氣益衰,使人馳召勇士公孫悁,道遭行人卜商。卜商曰:“何驅之疾也?”對曰:“公晝寢而起,使我召勇士公孫悁。”子夏曰:“微悁,而勇者若悁者可乎?”御者曰:“可。”子夏曰:“載我而反。”至,君曰:“至子召勇士,何為召儒?”使者曰:“行人曰:‘微悁,而勇若悁者可乎?’臣曰:‘可。’即載與來。”君曰:“諾,延先生上。趣召公孫悁。”俄而悁至,入門杖劍疾呼,曰:“商下!我存若頭。”子夏顧叱之,曰:“咄!內劍。吾將與若言勇。”於是君令悁內劍而上。子夏曰:“來!吾寒暑假與子從君而西見趙簡子,簡子披髪杖矛而見我君。我從十三行之後,趨而進曰:‘諸侯相見,不宜朝服。君不朝服,行人卜商將以頸血濺君之服矣。’使反朝服而見吾君者,子耶我耶?”悁曰:“子也。”子夏曰:“子之勇不若我一矣。又與子從君而東至阿,遭齊君重鞇而坐。吾君單鞇而坐。我從十三行之後,趨而進曰:‘禮,諸侯相見,不宜相臨以庶。’揄其一鞇而去之者,子耶我耶?”悁曰:“子也。”子夏曰:“子之勇不若我二矣。又與子從君於囿中,於是兩冦肩逐我君,拔矛下格而還之者,子耶我耶?”悁曰:“子也。”子夏曰:“子之勇不若我三矣。所貴為士者,上不攝萬乘,下不敢敖乎匹夫,外立節矜而敵不侵擾,內禁殘害而君不危殆,是士之所長而君子之所致貴也。若夫以長掩短,以眾暴寡,凌轢無罪之民,而成威於閭巷之間者,是士之甚毒而君子之所致惡也,眾之所誅鋤也。《詩》曰:‘人而無儀,不死何為!’夫何以論勇於人主之前哉!”於是靈公避席抑手曰:“寡人雖不敏,請從先生之勇。”《詩》曰:“不侮矜寡,不畏強禦。”卜先生之謂也。
衛靈公は晝に睡り起きて、志氣愈え衰弱し、人を派して車を馳せて勇士公孫悁を召し、路上行人卜商に遇えり。卜商は曰く、「なぜ驅ることこう急なる?」回答す、「公は晝に睡り起きて、我をして勇士公孫悁を召さしむ」と。子夏は曰く、「悁なくして、勇は悁のごときは可なるか?」駕車するは曰く、「可」と。子夏は曰く、「我を載せて返回せよ」と。至りて、君は曰く、「あなたの勇士を召しに至りて、なぜ儒を召した?」使者は曰く、「行人は曰く、『悁なくして、勇は悁のごときは可なるか?』臣は曰く、『可』と。則ち載せてともに來れり」と。君は曰く、「好し、先生に上らんことを請う。速やかに公孫悁を召せ」と。しばらくして悁至り、門に入りて劍を拄きて急呼して曰く、「商は下れ!我はあなたの頭を保存せん」と。子夏は回頭して叱責して曰く、「咄!劍を收めよ。我將にあなたと勇を談論せん」と。すなわち君は悁に命じて劍を收め上らしめた。子夏は曰く、「來れ!我はかつてあなたとともに君に跟從して西に趙簡子を見、簡子は髮を披き矛を拄きて我が君を見たり。我は十三行の後より、快步進前して曰く、『諸侯相見るは、朝服に適宜せず。君は朝服せず、行人卜商は將に頸血を以て君の衣服を濺がんとす』と。返回して朝服して吾君を見せしめたは、あなたか我か?」悁は曰く、「あなたなり」と。子夏は曰く、「あなたの勇は我に如かず是れ第一。またあなたとともに君に跟從して東に阿に至り、齊君は重疊の鞇を着て坐するに遇えり。吾君は單層の鞇を着て坐せり。我は十三行の後より、快步進前して曰く、『禮は、諸侯相見るは、庶人の禮を以て互相臨視するに適宜せず』と。其中一層の鞇を抽出して拿掉せしめたは、あなたか我か?」悁は曰く、「あなたなり」と。子夏は曰く、「あなたの勇は我に如かず是れ第二。またあなたとともに君に跟從して囿中に在りし時、當時兩寇は竝肩して我が君を追逐し、矛を拔き格鬪して還擊せしめたは、あなたか我か?」悁は曰く、「あなたなり」と。子夏は曰く、「あなたの勇は我に如かず是れ第三。士たるを看重する所は、上は萬乘を攝服せず、下は匹夫に對して傲慢せず、外は節矜を樹立して敵人侵擾せず、內は殘害を禁止して君危殆ならず、是れ士の擅長し君子の致力看重する所なり。長を以て短を掩蓋し、衆を以て寡を暴虐し、無罪の民を欺凌して、而して閭巷の間に威を成就するに至っては、是れ士甚だ毒にして君子の致力厭惡する所、衆人の誅鋤する所なり。『詩經』に曰く、『人と爲りて儀容なくば、死せずしてまた何を爲さん!』何を憑って人主の前に勇を談論せんや!」すなわち靈公は席位を離れ手を按じて曰く、「寡人はたとい聰敏ならずとも、先生の勇に跟從せんことを請う」と。『詩經』に曰く、「矜寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。言うは卜先生なり。
第二十一章
孔子行,簡子將殺陽虎,孔子似之,帶甲以圍孔子舍。子路慍怒,奮戟將下。孔子止之曰:“由!何仁義之寡裕也。丘之罪也。若我非陽虎而以我為陽虎,則非丘之罪也。命也夫!歌予和若。”子路歌,孔子和之,三斚而圍罷。《詩》曰:“來游來歌。以陳盛德之和而無為也。
孔子は出行し、簡子は將に陽虎を殺さんとし、孔子は彼に似たり、甲を帶びて孔子の館舍を包圍せり。子路は慍怒し、戟を奮起して將に下らんとす。孔子は制止して曰く、「由!なぜ仁義こう寬裕少なき。是れ丘の罪なり。もし我は陽虎に非ずして我を以て陽虎と做さば、則ち丘の罪に非ず。是れ命かな!歌えば我はあなたに應和せん」と。子路は唱い、孔子は應和し、三巡にして包圍解除せり。『詩經』に曰く、「來游し來歌す」と。以て盛德の和諧にして無爲なるを陳列す。
第二十二章
《詩》曰:“愷悌君子,民之父母。”君子為民父母何如?曰:君子者,貌恭而行肆,身儉而施博,故不肖者不能逮也。殖盡於己,而區略於人,故可盡身而事也。篤愛而不奪,厚施而不伐。見人有善,欣然樂之,見人不善,惕然掩之,有其過而兼包之。授衣以最,授食以多。法下易由,事寡易為。是以中立而為人父母也。築城而居之,別由而養之,立學以教之。使人知親尊。親尊故父服斬縗三年,為民父母之謂也。
『詩經』に曰く、「和樂平易の君子は、是れ民の父母」と。君子が民の父母を爲すはどうか?曰く、君子は、容貌恭敬して行爲寬舒し、自身節儉して施予廣博す、ゆえに不肖の人は趕上する能わず。殖盡は自己に在り、而して區略は別人に在り、ゆえに以て身を盡して事奉すべし。篤愛して奪取せず、厚施して誇耀せず。人に善有るを見れば、欣然快樂し、人に不善有るを見れば、惕然として掩蓋し、あの過失有るを兼包す。衣を授くるに最も多きを用い、食を授くるに最も多きを用いる。法は下にて容易に遵循し、事少なくして爲し易し。ここを以て中立して人の父母を爲す。城を築きて彼らを住ましめ、田を分別して彼らを養い、學を設立して彼らを教う。人をして親尊を知らしむ。親尊する所以父に服斬縗三年するは、言うは民の父母を爲すなり。
第二十三章
事強暴之國難,使強暴之國事我易。事之以貨寶,則寶單而交不結。約契盟誓,則約定而反無日。割國之錙錘以賂之,則割定而欲無厭。事之彌順,其侵之愈甚,必致寶單國舉而後已。雖左堯右舜,未有能以此道免者也。故非有聖人之道,特以巧敏拜請畏事之,則不足以持國安身矣。故明君不道也。必修禮以齊朝,正法以齊官,平政以齊下,然後禮義節奏齊乎朝,法則度量正乎官,忠信愛利刑乎下。行一不義,殺一無罪,而得天下不為也。故近者競親而遠者致願。上下一心,三軍同力。名聲足以薫炙之,威強足以一齊之,則拱揖指麾,而強暴之國莫不趨使如赤子歸慈母者,何也?仁形義立,教誠愛深。故《詩》曰:“王猷允塞,徐方既來。”
強暴の國に事奉するは難し、強暴の國をして我に事奉せしむるは易し。貨寶を以て事奉すれば、則ち寶盡きて交情結ばれず。約契盟誓すれば、則ち約定して反悔するに日幾ばくもなし。國の錙鍾を割きて賄賂すれば、則ち割定して欲望滿足せず。事奉愈え順從すれば、侵奪愈え厲しく、必ず寶盡き國挙取せられて然る後に停止す。たとい左に堯右に舜あるも、能くこ道を以て免るるなし。ゆえに聖人の道なくば、ただ巧敏拜請畏懼を憑りて事奉すれば、則ち足らずして國を持ち身を安んず。『詩経』に曰く、「王の謀劃は誠に充實し、徐方はすでに到來せり」と。
第二十四章
勇士一呼而三軍皆避,出之誠也。昔者楚熊渠子夜行。見寢石以為伏虎,彎弓而射之,沒金飲羽,下視知其石也,因復射之,矢躍無跡。熊渠子見其誠心,心金石為之開,而況人乎?夫倡而不和,動而不僨,中心有不合者矣。夫不降席而匡天下者,求之己也。孔子曰:“其身正,不令而行,其身不正,雖令不從。”先王之所以拱揖指麾而四海賓服者,誠德之至也,色以形於外也。《詩》曰:“王猷允塞,徐方既來。”
勇士は一呼して三軍みな避開す、是れ誠より出づ。昔楚熊渠子は夜裏行走す。卧する石頭を見て以て伏する虎と爲し、弓を彎げてこれを射れば、金屬没入し箭羽飮入し、下りて看れば則ち石頭と知り、ここを以て又射れば、箭は跳起して痕迹なし。熊渠子はその誠心を見て、金石はこれがために開く、まして人においてをや?倡導して應和せず、動作して僨起せざれば、是れ中心に合せざる有り。席位を離れずして天下を匡正するは、己を求むるなり。孔子は言った。「自身端正なれば、令を下さずとも推行す、自身端正ならざれば、たとい令を下すとも跟從せず」と。先王の拱手作揖指揮して四海賓服する所以は、誠德の極至、神色は外に表現す。『詩經』に曰く、「王の謀劃は誠に充實し、徐方はすでに到來せり」と。
第二十五章
昔者趙簡子薨而未葬,而中牟畔之。既葬五日,襄子興師而攻之,圍未匝,而城自壞者十丈。襄子擊金而退之。軍吏諫曰:“君誅中牟之罪而城自壞,是天助也。君曷為而退之?”襄子曰:“吾聞之於叔向曰:‘君子不乘人於利,不厄人於險。’”使修其城然後攻之。中牟聞其義而請降,曰:“善哉!襄子之謂也。”《詩》曰:“王猷允塞,徐方既來。”
昔趙簡子薨していまだ安葬せず、而して中牟背叛せり。すでに安葬して五天、襄子は師を興して攻打し、包圍いまだ合圍せざるに、而して城は自ら壞るること十丈。襄子は金を擊ちて撤退せり。軍吏は進諫して曰く、「君は中牟の罪を誅討して城自ら壞る、是れ天助なり。君はなぜ撤退した?」襄子は曰く、「我は叔向より聞く、『君子は人の利有る時に乘機せず、人の危險の時に困厄せず』と」彼らをして城を修好して然る後に攻打せしめた。中牟はその義を聞きて投降を請い、曰く、「好しかな!言うは襄子なり」と。『詩經』に曰く、「王の謀劃は誠に充實し、徐方はすでに到來せり」と。
第二十六章
威有三術。有道德之威者,有暴察之威者,有狂妄之威者。此三威不可不審察也。何謂道德之威?曰:禮樂則修,分義則明,舉措則時,愛利則刑。如是,則百姓貴之如帝王,親之如父母,畏之如神明。故賞不用而民勸,罰不加而威行。是道德之威也。何謂暴察之威?曰:禮樂則不修,分義則不明,舉措則不時,愛利則不刑。然而其禁非也察,其誅不服也審,其刑罰繁而信,其誅殺猛而必,闇然如雷擊之,如牆壓之。百姓劫則致畏,怠則傲上,執拘則聚,遠間則散。非劫之以刑勢,振之以誅殺,則無以有其下。是暴察之威也。何謂狂妄之威?曰:無愛人之心,無利人之事,而日為亂人之道。百姓讙譁,則從而放執於刑灼。不知人心,悖逆無理,是以水旱為之不時,年穀以之不升。愁哀而無所告訴,比周憤潰以離上,傾覆滅亡,可立而待。是狂妄之威也。夫道德之威,成乎眾強。暴察之威,成乎危弱。狂妄之威,成乎滅亡。故威名同而吉凶之效遠矣。故不可不審察也。《詩》曰:“昊天疾威,天篤降喪,瘨我饑饉,民卒流亡。”
威に三種の術あり。道德の威あり、暴察の威あり、狂妄の威あり。こ三種の威は審察せざるべからず。何を道德の威と謂う?曰く、禮樂則ち修明し、分義則ち顯明し、舉措則ち時に按じ、愛利則ち形成す。このごとくなれば、則ち百姓は彼を看重すること帝王のごとく、彼を親近すること父母のごとく、彼を畏懼すること神明のごとし。ゆえに賞は用いずして民勸勉し、罰は加えずして威實行す。是れ道德の威なり。何を暴察の威と謂う?曰く、禮樂則ち修明せず、分義則ち顯明せず、舉措則ち時に按せず、愛利則ち形成せず。しかるに對ならざるを禁止する明察し、服從せざるを誅殺する審慎し、刑罰繁多して守信し、誅殺猛厲して一定し、暗然として雷擊のごとく、墻壓のごとし。百姓は劫せられれば則ち畏懼を致以し、怠慢すれば則ち上に傲慢し、拘捕せられれば則ち聚集し、遠隔すれば則ち離散す。刑勢に劫持せられず、誅殺に震動せられざれば、則ちその下を有する由なし。是れ暴察の威なり。何を狂妄の威と謂う?曰く、人を愛するの心なく、人を利するの事なく、而して每日亂人の道を爲す。百姓喧嘩すれば、則ち跟って放縱し刑灼に執着す。人心を知らず、悖逆無理にして、ここを以て水旱はここを以て時に按せず、年穀はここを以て成熟せず。愁哀して告ぐる處なく、黨を結び憤潰して上を離れ、傾覆滅亡は、立ちどころに待つべし。是れ狂妄の威なり。道德の威は、衆強に成就す。暴察の威は、危弱に成就す。狂妄の威は、滅亡に成就す。ゆえに威名相同じくして吉凶の效驗は相差ること甚だ遠し。ゆえに審察せざるべからず。『詩經』に曰く、「昊天は疾速に威を施加し、天は厚重に喪亂を降下し、我を饑饉せしめ、民は終に流亡す」と。
第二十七章
晉平公遊於西河而樂,曰:“安得賢士與之樂此也!”船人盍胥跪而對曰:“主君亦不好士耳。夫珠出於江海,玉出於崑山,無足而至者,猶主君之好也。士有足而不至者,蓋主君無好士之意耳。何患於無士乎?”平公曰:“吾食客門左千人,門右千人,朝食不足,夕收市賦,暮食不足,朝收市賦。吾可謂不好士乎?”盍胥對曰:“夫鴻鵠一舉千里,所恃者六翮爾。背上之毛,腹下之毳,益一把,飛不為加高,損一把,飛不為加下。今君之食客門左門右各千人,亦有文翮在其中矣。將皆背上之毛腹下之毳耶?”《詩》曰:“謀夫孔多,是用不就。”此之謂也。
晋平公は西河に游玩して快樂し、曰く、「どこに賢士を得て彼らとともにこれを快樂せん!」船人盍胥は跪下して回答す、「主君もまた士を好まざるのみ。珠は江海より出で、玉は昆山より出づ、足なくして到來するは、なお主君の愛好するを以てなり。士は足有りて到來せざるは、ほぼ主君の士を好む意なきのみ。何ぞ必ず士なきを憂慮せんや?」平公は曰く、「我が食客は門左千人、門右千人、朝食は足らざれば、夕に市賦を收め、夕食は足らざれば、朝に市賦を收む。我は以て士を好まずと稱すべきか?」盍胥は回答す、「鴻鵠は一擧千里、依靠する所は六翮のみ。背上の毛、腹下の細毛は、一把を增加すとも、飛ぶことこを以て更高からず、一把を減損すとも、飛ぶことこを以て更低からず。今君の食客門左門右各々千人、また文翮その中に在り。將にみな背上の毛腹下の細毛ならんか?」『詩經』に曰く、「謀劃する人多し、ここを以て成就する能わず」と。言うはこのことなり。
韓詩外傳卷第七
第一章
齊宣王謂田過曰:“吾聞儒者喪親三年,喪君三年,君與父孰重?”田過對曰:“殆不如父重。”宣王忿然,曰:“曷為士去親而事君?”田過對曰:“非君之土地無以處吾親,非君之祿無以養吾親,非君之爵無以尊顯吾親。受之於君,致之於親。凡事君,以為親也。”宣王悒然無以應之。《詩》曰:“王事靡盬,不遑將父。”
齊宣王は田過に對して曰く、「我は聞く、儒者は親人のために喪に服すること三年、君のために喪に服すること三年、君と父はどちらが更重?」田過は回答す、「ほぼ父ほど重からず」と。宣王は忿然として、曰く、「なぜ士は親を離れて君に事奉する?」田過は回答す、「君の土地に非ざれば我が親を安置する由なし、君の祿に非ざれば我が親を奉養する由なし、君の爵に非ざれば我が親を尊顯する由なし。君より接受して、親の所に送る。凡そ君に事奉するは、親のためなり」と。宣王は悒然として應答する由なし。『詩經』に曰く、「王事止息なく、父を奉養するに閑暇なし」と。
第二章
趙王使人於楚,鼓瑟而遺之,曰:“必如吾言,慎無失吾言。”使者受命,伏而不起,曰:“大王鼓瑟未嘗若今日之悲也。”王曰:“然,瑟固方調。”使者曰:“調則可記其柱。”王曰:“不可。天有燥溼,弦有緩隱,柱有推移,不可記也。”使者曰:“臣請藉此以喻。楚之去趙也千有餘裡,亦有吉凶之變,兇則吊之,吉則賀之,猶柱之有推移,不可記也。故明王之使人也,必慎其所使,既使之,任之以心,不任以辭也。”《詩》曰:“莘莘征夫,每懷靡及。”
趙王は人を派して楚に至らしめ、瑟を鼓して彼を送り、曰く、「必ず我の説くがごとくし、我が言を失うこと謹慎する勿れ」と。使者は命令を接受し、伏して起たず、曰く、「大王は瑟を鼓することかつて今日のごとく悲ならず」と。王は曰く、「是れ、瑟は本来正に調なり」と。使者は曰く、「調えば則ち以てあの柱を記すべし」と。王は曰く、「不可。天に燥濕あり、弦に緩急あり、柱に推移あり、記すべからず」と。使者は曰く、「臣はこれを借りて比喻せんことを請う。楚は趙を離るること一千余里、また吉凶の變化あり、凶なれば則ち吊唁し、吉なれば則ち祝賀す、柱に推移有るがごとく、記すべからず。ゆえに明王は人を派するに、必ず派する所を謹慎し、すでに派せば、心を以て拍任し、辭を以て拍任せず」と。『詩經』に曰く、「衆多の征夫、每每に趕上せざるを懷想す」と。
第三章
齊有隱士東郭先生梁石君。當曹相國為齊相也,客謂匱生曰:“夫東郭先生梁石君,世之賢士也。隱於深山,終不詘身下志以求仕者也。吾聞先生得謁曹相國,願先生為之先。臣裡婦與裡母相善。婦見疑盜肉,其姑去之,恨而告於裡母,裡母曰:‘安行。今令姑呼汝。’即束蘊請火去婦之家,曰:‘吾犬爭肉相殺,請火治之。’姑乃直使人追去婦還之。故里母非談說之士,束蘊請火,非還婦之道也,然物有所感,事有適可。何不為之先?”匱生曰:“愚恐不及。然請盡力為東郭先生梁石君束蘊請火。”於是乃見曹相國曰:“臣之裡有夫死三日而嫁者,有終身不嫁者。則自為娶,將何娶焉?”相國曰:“吾亦娶其終身不嫁者耳。”匱生曰:“齊有隱士東郭先生梁石君,世之賢士也。隱於深山,終不詘身下志以求仕。相國娶婦,欲娶其不嫁者,取臣獨不取其不仕之臣耶?”於是曹相國因匱生帛安車迎東郭先生梁石君,厚客之。《詩》曰:“既見君子,我心則降。”
齊に隱士東郭先生・梁石君あり。曹相國が齊相を爲すの時に當たり、客は匱生に對して曰く、「東郭先生・梁石君は、世上の賢士。深山に隱れ、終に身を屈し志を下して仕を求めず。我は聞く、先生は曹相國に謁見するを得と、先生に彼らのために先容せんことを願う。臣は里中の婦人は里母と相好し。婦人は肉を偷むを懷疑せられ、婆婆は彼女を趕走し、恨みて里母に告げ、里母は曰く、『慢慢に走れ。今婆婆をしてあなたを叫ばしめん』と。則ち亂麻を捆上して婦人の家に往きて火を借り、曰く、『我が狗は肉を爭い互相咬殺し、火を請いて以て處理せん』と。婆婆はすなわち直に人を派して趕走せられた婦人を追回せしめた。ゆえに里母は談説の士に非ず、亂麻を捆し火を借るは、婦を還すの道に非ず、しかるに物は感する所有り、事は適可する有り。なぜ先容せぬ?」匱生は曰く、「愚は恐らく趕上せざらん。しかし東郭先生・梁石君のために亂麻を捆し火を借らんことを盡力せんことを請う」と。すなわち曹相國を見て曰く、「臣の里に夫死して三天にして再嫁する有り、終身嫁せざる有り。則ち自ら娶らば、將にどちらを娶らん?」相國は曰く、「我もまたあの終身嫁せざるを娶るのみ」と。匱生は曰く、「齊に隱士東郭先生・梁石君あり、是れ世上の賢士。深山に隱れ、終に身を屈し志を下して仕を求めず。相國は婦を娶りて、あの嫁せざるを娶らんと欲す、臣を取りて獨りあの仕せざる臣を取らざるか?」すなわち曹相國は匱生を通じて帛安車を以て東郭先生・梁石君を迎接し、厚待して客と爲した。『詩經』に曰く、「すでに君子を見たり、我が心は則ち放下す」と。
第四章
孔子曰:“昔者周公事文王,行無專制,事無由己,身若不勝衣,言若不出口,有奉持於前,洞洞焉若將失之,可謂能子矣。武王崩,成王幼,周公承文武之業,履天子之位,聽天下之政,徵夷狄之亂,誅管蔡之罪,抱成王而朝諸侯,誅賞制斷,無所顧問,威動天地,振恐海內,可謂能武矣。成王壯,周公致政,北面而事之,請然後行,無伐矜之也,可謂能臣矣。故一人之身,能三變者,所以應時也。”《詩》曰:“左之左之,君子宜之,右之右之,君子有之。”
孔子は言った。「昔周公は文王に事奉し、行爲に專制なく、事に自己よりせず、身は衣服に承受する能わざるがごとく、話は説き出づる能わざるがごとく、奉持有りて前に在り、洞洞然として將に失わんとするがごとく、能く兒子を爲すと稱すべし。武王崩じ、成王年幼し、周公は文武の業を承接し、天子の位に踐み、天下の政を聽き、夷狄の亂を征討し、管蔡の罪を誅し、成王を抱きて諸侯を朝見し、誅賞制斷し、顧問するなし、威は天地を動かし、海內を振恐す、能く武を爲すと稱すべし。成王壯なり、周公は政を交還し、北面して事奉し、請示して然る後に實行し、誇耀驕傲なく、能く臣を爲すと稱すべし。ゆえに一人の身は、能く三次變化す、是れ以て時に應ずるなり」『詩經』に曰く、「左に左すれば、君子は適宜す。右に右すれば、君子は擁有す」と。
第五章
傳曰:鳥之美羽勾喙者,鳥畏之。魚之侈口垂腴者,魚畏之。人之利口贍辭者,人畏之。是以君子避三端:避文士筆端,避武士之鋒端,避辯士之舌端。《詩》曰:“我友敬矣!讒言其興。”
傳に記す:鳥の羽毛美しく喙彎曲するは、鳥はこれを畏懼す。魚の口大きく肚皮下垂するは、魚はこれを畏懼す。人の口利き辭贍なるは、人はこれを畏懼す。ここを以て君子は三端を避けん:文士の筆端を避け、武士の鋒端を避け、辯士の舌端を避く。『詩經』に曰く、「我が友ああ敬せよ!讒言將に興起せん」と。
第六章
孔子困於孫蔡之間,即三經之席,七日不食藜羹不糝,弟子有飢色,讀《詩》《書》習禮樂不休。子路進諫曰:“為善者,天報之以福。為不善者,天報之以禍。今夫子積德累仁,為善久矣。意者尚有遺行乎,奚居之隱也?”孔子曰:“由來!汝小人也,未講於論也。居吾語汝。子以知者為無罪乎,則王子比干何為刳心而死?子以義者為聽乎,則伍子胥何為抉目而懸吳東門?子以廉者為用乎,則伯夷叔齊何為餓於首陽之山?子以忠者為用乎,則鮑叔何為而不用,葉公子高終身不仕,鮑焦抱木而立,子推登山而燔?故君博學深謀,不遇時者眾矣。豈獨入哉?賢不肖者材也。遇者時也。今無有時,賢安所用哉?故虞舜耕於歷山之陽,立為天子,其遇堯也。傳說負土而版築,以為大夫,其遇武丁也。伊尹故有莘氏僮也,負鼎操俎調五味,而立為相,其遇湯也。呂望行年五十,賣食棘津,年七十屠於朝歌,九十乃為天子師,則遇文王也。管夷吾束縛自檻車,以為仲父,則遇齊桓公也。百里奚自賣五羊之皮,為秦伯牧牛,舉為大夫,則遇繆公也。虞丘名聞於天下,以為令尹,讓於孫叔敖,則遇楚莊王也。伍子胥前功多,後戮死,非知有盛衰也,前遇闔閭,後遇夫差也。夫驥罷鹽車,此非無形容也,莫知之也。使驥不得伯樂,安得千里之足?造父亦無千里之手矣。夫蘭茝身於茂林之中,深山之間,不為人莫見之故不蒼。夫學者非為通也。為窮而不困,憂而志不衰,先知禍福之終始,而心無惑焉。故聖人隱居深念,獨聞獨見。夫舜亦賢聖矣,南面而治天下,惟其遇堯也。使舜居桀紂之世,能自免於刑戮之中,則為善矣,亦何位之有?桀殺關龍逢,紂殺王子比干,當此之時,豈關龍逢無知,而王子比干不慧乎哉?此皆不遇時也。故君子務學,修身端行而須其時者也。子無惑焉。”《詩》曰:“鶴鳴九皋,聲聞於天。”
孔子は陳蔡の間に困み、三經の席に就き、七天藜羹に米を加えずして食せず、弟子に饑餓の顏色あり、『詩』『書』を讀み禮樂を習うこと停止せず。子路は進諫して曰く、「善を爲すは、天は福を以て報答す。不善を爲すは、天は禍を以て報答す。今夫子は德を積み仁を累ね、善を爲すこと久し。恐らくなお遺漏の品行有るか、なぜ處境こう隱微なる?」孔子は言った。「由、來れ!あなたは小人、いまだ講論せず。坐せ我はあなたに告げん。あなたは智なれば則ち罪なしと以爲すか、然らば王子比干はなぜ心を剖かれて死した?あなたは義なれば則ち聽從せらると以爲すか、然らば伍子胥はなぜ眼を挖られて呉の東門に懸けられた?あなたは廉なれば則ち用いらると以爲すか、然らば伯夷・叔齊はなぜ首陽山に挨餓した?あなたは忠なれば則ち用いらると以爲すか、然らば鮑叔はなぜ用いられず、葉公子高は終身官を爲さず、鮑焦は樹を抱きて立ち、子推は山に登りて燒かれた?ゆえに君子は博學深謀すれど、時に遇わざるは多し。どこにただ丘のみあらん?賢不肖は材なり。遇は時なり。今時なくば、賢はどこに用いられん?ゆえに虞舜は歷山の南面に耕田し、立ちて天子と爲りしは、是れ堯に遇えり。傅說は土を負い版築し、大夫を爲ししは、是れ武丁に遇えり。伊尹はもと有莘氏の僮、鼎を背し俎を拿し五味を調し、而して立ちて相と爲りしは、是れ湯に遇えり。呂望は行年五十、棘津に食を賣り、七十にして朝歌に屠宰し、九十にして始めて天子の老師と爲りしは、是れ文王に遇えり。管夷吾は捆綁せられ檻車より出で、仲父を爲ししは、是れ齊桓公に遇えり。百里奚は五張の羊皮を以て自ら賣り、秦伯のために牛を牧し、擧げられて大夫と爲りしは、是れ繆公に遇えり。虞丘は天下に名聞え、令尹を爲し、孫叔敖に讓りしは、是れ楚莊王に遇えり。伍子胥は前功多く、後に戮死せしは、智に盛衰有るに非ず、是れ前に闔閭に遇い、後に夫差に遇えり。驥は鹽車に疲憊す、此れ形容なきに非ず、是れ知る人なきなり。假令驥は伯樂を得ざれば、どこに千里の足を得ん?造父もまた千里の手なからん。蘭茝は茂林の中、深山の間に處り、人の見ざるの緣故を以て蒼翠ならざらず。學者は通達のために非ず。窮して困まざるため、憂えて志向衰えざるため、預め禍福の終始を知りて、而して心に迷惑なきためなり。ゆえに聖人は隱居深念し、獨り聞き獨り見る。舜もまた賢聖なり、南面して天下を治理す、ただ堯に遇えりを以てなり。假令舜は桀紂の世に處らば、能く自ら刑戮の中を免れんこと、則ち善なり、また何の位子かあらん?桀は關龍逢を殺し、紂は王子比干を殺せり、あの時に當たり、豈に關龍逢に知なく、而して王子比干慧ならざらんや?これらはみな時に遇わざるなり。ゆえに君子は務めて學び、身を修め品行を端正して時を待つ。あなたは迷惑する勿れ」『詩經』に曰く、「鶴は九皐に鳴叫し、聲音は天に傳わる」と。
第七章
曾子曰:“往而不可還者親也。至而不可加者年也。是故孝子欲養,而親不待也。木欲直,而時不待也。是故椎牛而祭墓,不如雞豚逮親存也。故吾嘗仕為吏,祿不過鍾釜,尚猶欣欣而喜者,非以為多也,樂其逮親也。既沒之後,吾嘗南遊於楚,得尊官焉,堂高九仞,轉轂百乘,猶北鄉而泣涕者,非為賤也,悲不逮吾親也。故家貧親老不擇官而仕。若夫信其志,約其親者,非孝也。《詩》曰:“有母之屍雍。”
曾子は曰く、「離去して還るべからざるは親なり。到來して增加すべからざるは年なり。ここを以て孝子は奉養せんと欲すれど、而して親は待たず。樹木は直ならんと欲すれど、而して時は待たず。ここを以て牛を椎きて墓を祭祀するは、雞豚が親の在るに趕上するに如かず。ゆえに我はかつて吏を爲し、祿は鍾釜を超えず、なお欣欣として喜悅せり、多きを以てするに非ず、親に趕上するを樂しむなり。すでに沒世の後、我はかつて南に楚に游び、尊官を得、堂高く九仞、轉轂百乘、なお北に向かい哭泣流淚せり、賤なるを以てするに非ず、是れ我が親に趕上せざるを悲痛すなり。ゆえに家貧く雙親老いれば官職を選擇せずして始めて官を爲す。志向を伸張し、親を困約せしむるに至っては、孝に非ず」『詩經』に曰く、「母親有りて熟食を陳列す」と。
第八章
趙簡子有臣曰周舍,立於門下三日三夜。簡子使人問之,曰:“子欲見寡人何事?”周舍對曰:“願為諤諤之臣,墨筆操牘,從君之後,司君之過而書之,日有記也,月有成也,歲有效也。”簡子居則與之居,出則與之出。居無幾何,而周舍死。簡子如喪子。後與諸大夫飲於洪波之臺,酒酣,簡子涕泣。諸大夫皆出走,曰:“臣有罪而不自知也。”簡子曰:“大夫皆無罪。昔者吾友周舍有言,曰:‘千羊之皮不若一狐之腋,眾人之唯唯不若直士之諤諤。昔者商紂默默而亡,武王諤諤而昌。’今自周舍之死,吾未嘗聞吾過也。吾亡無日矣。是以寡人泣也。”
趙簡子に臣ありて周舍と曰い、門下に立つこと三天三夜。簡子は人を派して問い、曰く、「あなたは寡人を見んと欲して何事か有る?」周舍は回答す、「諤諤の臣を爲さんことを願う、墨筆を持ち牘を操り、君の後に跟從し、君の過失を伺察して書き下さん、日に記錄有り、月に成就有り、年に功效有らん」と。簡子は閑居すれば則ち彼と閑居し、出でれば則ち彼と出でたり。過ぐることほどなく、周舍死したり。簡子は兒子を喪失するがごとし。後に諸大夫と洪波の臺に飲酒し、酒酣なり、簡子哭泣せり。諸大夫はみな出走し、曰く、「臣は罪有りて自ら知らず」と。簡子は曰く、「大夫はみな罪なし。從前我が友周舍に言あり、曰く、『千隻の羊の皮は一狐の腋に如かず、衆人の唯唯は直士の諤諤に如かず。從前商紂は默默として滅亡し、武王は諤諤として昌盛せり』と。今周舍死してより、我はかつて我が過失を聞かず。我の滅亡は日幾ばくもなし。ここを以て寡人は哭す」と。
第九章
傳曰:齊景公問晏子:“為國何患?”晏子對曰:“患夫社鼠。”景公曰:“何謂社鼠?”晏子曰:“社鼠出竊於外,入托於社,灌之恐壞牆,燻之恐燒木。此鼠之患。今君之左右,出則君以要利,入則托君,不罪乎亂法,君又並覆而有之。此社鼠之患也。”景公曰:“嗚呼,豈其然!”“人有市酒而甚美者,置表甚長,然至酸而不售。問里人其故。里人曰:‘公之狗甚猛,而人有持器而欲往者,狗輒而齧之,是以酒酸不售也。’士欲白萬乘之主,用事者迎而齧之,亦國之惡狗也。左右者為社鼠,用事者為惡狗,此為國之大患也。”《詩》曰:“瞻彼中林,侯薪侯蒸。”言朝廷皆小人也。
傳に記す:齊景公は晏子に問うた、「國を治むるに何を擔憂する?」晏子は回答す、「あの社鼠を擔憂す」と。景公は曰く、「何を社鼠と謂う?」晏子は曰く、「社鼠は出でて外にて偷窃し、入りて社に依托し、これを灌げば墻を壞さんを怕り、これを熏れば木を燒かんを怕る。是れ鼠の患なり。今君の左右は、出でれば則ち君を以て利を求め、入れば則ち君に依托し、亂法に對して罪なく、君はまた一幷に覆蓋して彼らを有す。是れ社鼠の患なり」と。景公は曰く、「嗚呼、豈に是れのごとからん!」「酒を賣る者有りて酒甚だ美しく、招牌を設置すること甚だ長し、しかるに變酸するに至りても賣掉せず。里人に緣故を問えば、里人は曰く、『あなたの狗甚だ猛く、而して人に器皿を持ちて往かんとする有れば、狗は則ち彼を咬む、ここを以て酒酸く賣掉せず』と。士は萬乘の主に向かい表白せんと欲すれど、用事する人は迎え上りて彼を咬む、亦た國の惡狗なり。左右は社鼠、用事するは惡狗、是れ國を治むるの大患なり」と。『詩經』に曰く、「あの林中を看よ、是れ薪是れ蒸なり」と。是れ朝廷みな小人なるを言うなり。
第十章
昔者司城子罕相宋,謂宋君曰:“夫國家之安危,百姓之治亂,在君之行賞罰。夫爵賞賜與,人之所好也,君自行之。殺戮刑罰,民之所惡也,臣請當之。”君曰:“善。寡人當其美,子受其惡,寡人自知不為諸侯笑矣。”國人知殺戮之刑專在子罕也,大臣親之,百姓畏之。居不期年,子罕遂劫宋君而奪其政。故老子曰:“魚不可脫於淵,國之利器不可以示人。”《詩》曰:“胡為我作,不即我謀?”
從前司城子罕は宋相を爲し、宋君に對して曰く、「國家の安危、百姓の治亂は、君の賞罰を實行するに在り。爵賞賜與は、人の愛好する所、君は自ら實行せよ。殺戮刑罰は、民の厭惡する所、臣は擔當せんことを請う」と。君は曰く、「好し。寡人はあの美を擔當し、あなたはあの惡を接受せよ、寡人は自ら諸侯に嘲笑せられざるを知る」と。國人は殺戮の刑が專ら子罕に在るを知り、大臣は彼を親近し、百姓は彼を畏懼せり。過ぐること一年に至らず、子罕はすなわち宋君を劫持してその政を奪取せり。ゆえに老子は曰く、「魚は淵を脫離すべからず、國の利器は以て人に看せしむべからず」と。『詩經』に曰く、「なぜ我がために事を興起し、我に就着て我と謀劃せざる?」と。
第十一章
衛懿公之時,有臣曰弘演者,受命而使。未食,而狄人攻衛。於是懿公欲興師迎之。其民皆曰:“君之所貴而有祿位者,鶴也。所愛者,宮人也。亦使鶴與宮人戰。餘安能戰!”遂潰而皆去。狄人至,攻懿公於熒澤,殺之。盡食其肉,獨舍其肝。弘演至,報使於肝。辭畢,呼天而號。哀止,曰:“若臣者,獨死可耳。”於是遂自刳,出腹實,內懿公之肝,乃死。桓公聞之,曰:“衛之亡也,以無道也。今有臣若此,不可不存。”於是復立衛於楚丘。如弘演,可謂忠士矣。殺身以捷其君,非徒捷其君,又令衛之宗復立,祭祀不絕,可謂有大功矣。《詩》曰:“四方有羨,我獨居憂。民莫不穀,我獨不敢休。”
衛懿公の時に、臣ありて弘演と曰い、命を受けて出使す。いまだ食せざるに、而して狄人は衛を攻めたり。すなわち懿公は師を興して迎戰せんと欲せり。あの民はみな曰く、「君の看重して祿位有るは、鶴なり。愛する所は、宮人なり。なお鶴と宮人とをして戰わしめよ。我らはどうして能く戰わん!」すなわち潰散してみな離去せり。狄人至りて、熒澤に於いて懿公を攻め、彼を殺せり。肉をみな食盡し、ただ肝を留めたり。弘演至りて、肝に向かいて出使を報告す。辭説完畢し、天を呼び號哭せり。哀止まりて、曰く、「臣のごときは、獨り死すれば則ち可なり」と。すなわち自ら刳開し、腹中の物を拿出し、懿公の肝を納入して、始めて死せり。桓公は聞きて、曰く、「衛の滅亡は、是れ無道を以てなり。今臣のこのごとき有れば、保存せざるべからず」と。すなわち楚丘に於いて衛を重新に立てたり。弘演のごときは、忠士と稱すべし。身を殺して以てその君を成就す、ただその君を成就するのみならず、また衛の宗をして重新に立ち、祭祀絶えざらしめ、大功有りと稱すべし。『詩經』に曰く、「四方に羨餘有り、我は獨り憂に處る。民に善ならざるなく、我は獨り敢えて休息せず」と。
第十二章
孫叔敖遇狐丘丈人。狐丘丈人曰:“僕聞之,有三利必有三患,子知之乎?”孫叔敖蹵然易容曰:“小子不敏,何足以知之。敢問何謂三利?何謂三患?”狐丘丈人曰:“夫爵高者,人妬之。官大者,主惡之。祿厚者,怨歸之。此之謂也。”孫叔敖曰:“不然。吾爵益高,吾志益下。吾官益大,吾心益小。吾祿益厚,吾施益博。可以免於患乎?”狐丘丈人曰:“善哉言乎!堯舜其猶病諸。”《詩》曰:“溫溫恭人,如集於木。惴惴小心,如臨於谷。”
孫叔敖は狐丘丈人に遇見せり。狐丘丈人は曰く、「僕は聞く、三利有れば必ず三患有り、あなたは知るか?」孫叔敖は忽然として顏色を變じて曰く、「小子は聰敏ならず、どこに足りて知らんや。何を三利と謂うかを請問す。何を三患と謂う?」狐丘丈人は曰く、「爵高きは、人は妒忌す。官大ききは、主は厭惡す。祿厚きは、怨は彼に歸向す。言うはこのことなり」と。孫叔敖は曰く、「然らず。我が爵愈え高ければ、我が志向愈え低下す。我が官愈え大なれば、我が心愈え小さし。我が祿愈え厚ければ、我が施與愈え廣博す。以て患を免るべきか?」狐丘丈人は曰く、「好しかなこ言!堯舜もなおこれを怕る」と。『詩經』に曰く、「溫溫として恭敬の人、樹上に聚集するがごとし。惴惴として小心し、山谷に臨近するがごとし」と。
第十三章
孔子曰:“明王有三懼。一曰處尊位而恐不聞其過,二曰得志而恐驕,三曰聞天下之至道而恐不能行。昔者越王勾踐與吳戰,大敗之,兼有南夷。當是之時,君南面而立,近臣三,遠臣五,令諸大夫曰:‘聞過而不以告我者為上戮。’此處尊位而恐不聞其過也。昔者晉文公與楚戰,大勝之,燒其軍,火三日不息。文公退而有憂色。侍者曰:‘君大勝楚而有憂色,何也?’文公曰:‘吾聞能以戰勝而安者惟聖人。若夫詐勝之徒,未嘗不危,吾是以憂也。’此得志而恐驕也。昔者齊桓公得管仲隰朋,辯其言,說其義,正月之朝,令具太牢,進之先祖。桓公西面而立,管仲隰朋東面而立。桓公曰:‘吾得二子也,吾目加明,吾耳加聰。不敢獨擅,進之先祖。’此聞天下之至道而恐不能行者也。由桓公、晉文、越王、勾踐觀之,三懼者,明君之務也。”《詩》曰:“溫溫恭人,如集於木。惴惴小心,如臨於谷。戰戰兢兢,如履薄冰。”此言文王居人上也。
孔子は言った。「明王に三樣の懼あり。一は尊位に處りて過失を聞かざるを怕る、二は志を得て驕傲するを怕る、三は天下の至極の道を聞きて能く實行せざるを怕る。從前越王勾踐は呉と戰い、大いに呉を敗り、南夷を兼有せり。あの時に當たり、君は南面して立ち、近臣三人、遠臣五人、諸大夫に命令して曰く、『過失を聞きて我に告げざるは上戮なり』と。是れ尊位に處りて過失を聞かざるを怕るなり。從前晋文公は楚と戰い、大いに勝ち、あの軍を燒きて、火は三天熄えず。文公は退下して憂色あり。侍者は曰く、『君は大いに楚に勝ちて却って憂色有るは、なぜか?』文公は曰く、『我は聞く、能く戰勝を以て安定するはただ聖人のみ。詐を以て勝を取るの類に至っては、かつて危險ならざるなく、我はこを以て憂う』と。是れ志を得て驕傲するを怕るなり。從前齊桓公は管仲・隰朋を得、彼らの言を辨别し、彼らの義を喜悅し、正月朝會して、太牢を具備して、先祖に進獻すを命じたり。桓公は西面して立ち、管仲・隰朋は東面して立ちたり。桓公は曰く、『我は二人を得て、我が眼は愈え明らかに、我が耳は愈え聰なり。敢えて獨り專擅せず、先祖に進獻す』と。是れ天下の至極の道を聞きて能く實行せざるを怕るなり。桓公・晋文・越王勾踐より以て看れば、三懼は、是れ明君の事務なり」『詩經』に曰く、「溫溫として恭敬の人、樹上に聚集するがごとし。惴惴として小心し、山谷に臨近するがごとし。戰戰兢兢として、薄冰を踩むがごとし」と。是れ文王が人の上に處るを言うなり。
第十四章
楚莊王賜其群臣酒。日暮酒酣,左右皆醉。殿上燭滅,有牽王后衣者。後扢冠纓而絕之,言於王曰:“今燭滅,有牽妾衣者,妾扢其纓而絕之。願趣火視絕纓者。”王曰:“止!”立出令曰:“與寡人飲,不絕纓者,不為樂也。”於是冠纓無完者,不知王后所絕冠纓者誰。於是王遂與群臣歡飲,乃罷。後吳興師攻楚,有人常為應行合戰者,五陷陣卻敵,遂取大軍之首而獻之。王怪而問之曰:“寡人未嘗有異於子,子何為於寡人厚也?”對曰:“臣先殿上絕纓者也。當時宜以肝膽塗地。負日久矣,未有所效。今幸得用於臣之義,尚可為王破吳而強楚。”《詩》曰:“有漼者淵,雚葦渒渒。”言大者無不容也。
楚莊王は群臣に酒を賜えり。日暮れ酒酣なり、左右みな醉えり。殿上の燭滅び、人ありて王后の衣を牽きたり。后は扢ちて冠纓を斷ち、王に對して曰く、「今燭滅び、人ありて妾の衣を牽けり、妾は扢ちて彼の纓を斷てり。願わくは速やかに火を點じて斷纓の人を看ん」と。王は曰く、「停下せよ!」即刻出令して曰く、「寡人と飲酒して、纓を斷たざるは、快樂と算せず」と。すなわち冠纓に完好なるなく、王后の斷たる冠纓は誰かを知らず。すなわち王は則ち群臣と歡飲して、始めて罷めたり。後に呉は師を興して楚を攻め、人ありて常に行に應じ合戰し、五次陣に陷りて敵を打退し、すなわち大軍の首級を取りて獻上せり。王は怪奇と覺えて問うた、「寡人はかつてあなたに對して特異なく、あなたはなぜ寡人に對して厚き?」回答す、「臣は則ち先前殿上の斷纓せし者なり。當時は膽肝を地に塗るに當たれり。日子を虧負すること久しく、效力する所なし。今幸いに臣の義に用いられて得、なお以て王のために吳を破り楚を強くすべし」と。『詩經』に曰く、「深き淵有りて、萑葦は茂盛す」と。是れ大は容納せざるなきを言うなり。
第十五章
傳曰:伯奇孝而棄於親。隱公慈而殺於弟。叔武賢而殺於兄。比干忠而誅於君。《詩》曰:“子慎無辜。”
傳に記す:伯奇は孝なるに親に拋棄せられたり。隱公は慈なるに弟弟に殺害せられたり。叔武は賢なるに哥哥に殺害せられたり。比干は忠なるに君に誅殺せられたり。『詩經』に曰く、「あなたは謹慎して辜なし」と。
第十六章
紂殺王子比干,箕子被髪佯狂。陳靈公殺洩冶,鄧元去陳以族從。自此之後,殷並於周,陳亡於楚,以其殺比干、洩冶,而失箕子、鄧元也。燕昭王得郭隗而鄒衍樂毅以齊魏至。於是興兵而攻齊,棲閔王於莒。燕度地計眾,不與齊均也。然所以信意至於此者,由得士也。故無常安之國,無恆治之民,得賢者昌,失賢者亡,自古及今,未有不然者也。明鏡者,所以照形也。修往古者,所以知今也,知惡往古之所以危亡,而不務襲蹈其所以安存,則未有以異乎卻走而求逮前人也。太公知之,故舉微子之後而封比干之墓。夫聖人之於賢者之後,尚如是其厚也,而況當世之存者乎?《詩》曰:“昊天太憮,予慎無辜。”
紂は王子比干を殺し、箕子は髮を披きて發狂を假裝せり。陳靈公は泄冶を殺し、鄧元は陳を離れ族人を帶びて跟從せり。これより後、殷は周に兼幷せられ、陳は楚に滅亡せらる、比干・泄冶を殺して、箕子・鄧元を失去するを以てなり。燕昭王は郭隗を得て鄒衍・樂毅は齊魏より到來せり。すなわち兵を興して齊を攻め、閔王を莒に棲止せしめたり。燕は地を度量し衆を計算して、齊と均しからず。しかるに意を伸展してこの地步に至る所以は、士を得るに由るなり。ゆえに常安の國なく、恒治の民なし、賢を得るは昌盛し、賢を失うは滅亡す、古より今に至るまで、こうでないはなし。明鏡は、以て形を照らすなり。往古を修習するは、以て今を知るなり。往古の危亡する所以を厭惡するを知りて、却って安存する所以を沿襲するを務めざれば、倒れて跑りて前の人に趕上せんと求むると異なることなし。太公はこれを知り、ゆえに微子の後裔を擧用し比干の墓を培修せり。聖人は賢者の後裔に對して、なおこのごとく厚し、まして當世に在るにおいてをや?『詩經』に曰く、「昊天は非常に憮然、我は謹慎して辜なし」と。
第十七章
宋玉因其友見楚襄王,襄王會之無以異,乃讓其友。其友曰:“夫薑桂因地而生,不因地而辛。女因媒而嫁,不因媒而親。子之事王未耳,何怨於我?”宋玉曰:“不然。昔者齊有狡兔,曰東郭鵕(右為兔),蓋一日而走五百里。於是齊有良狗曰韓盧,亦一日而走五百里。使之瞻見指注,雖良狗猶不及眾兔之塵。若攝纓而縱紲之,則狡兔亦不能離也。今子之屬臣也,攝纓縱紲與?瞻見指注與?”其友曰:“僕人有過,僕人有過。”《詩》曰:“將安將樂,棄予如遺。”
宋玉はその朋友を通じて楚襄王を見たり、襄王は彼を會見して特異なく、すなわちその朋友を責備せり。朋友は曰く、「姜桂は地に因りて生じ、地に因りて辛からず。女子は媒に因りて嫁ぎ、媒に因りて親しまず。あなたは王に事奉していまだ極點に至らざるのみ、なぜ我を怨む?」宋玉は曰く、「然らず。從前齊に狡兔あり、東郭鵕と曰い、ほぼ一日に五百里を跑る。すなわち齊に良狗ありて韓盧と曰い、亦た一日に五百里を跑る。彼をして遠望して指點せしむれば、たとい良狗もなお衆兔の塵土に趕上せず。もし纓を攝りて牽繩を放たば、則ち狡兔もまた離れる能わず。今あなたは臣に囑託す、是れ纓を攝り牽繩を放つか?それとも遠望して指點するか?」朋友は曰く、「僕人に過有り、僕人に過有り」と。『詩經』に曰く、「將に安んじ將に樂しまんとし、我を拋棄すること遺失のごとし」と。
第十八章
宋燕相齊見逐,罷歸之舍,召門尉陳饒等二十六人,曰:“諸大夫有能與我赴諸侯者乎?”陳饒等皆伏而不對。宋燕曰:“悲乎哉!何士大夫易得而難用也!”陳饒對曰:“非士大夫易得而難用也,君弗能用也。君不能用,則有不平之心。是失之己而責諸人也。”宋燕曰:“夫失諸己而責諸人者何?”陳饒對曰:“三鬥之稷不足於士,而君雁鶩有餘粟,是君之一過也。果園梨栗,後宮婦人以相提擲,而士不曾得一嘗,是君之二過也。綾紈綺縠,靡麗於堂,而士曾不得以為緣,是君之三過也。且夫財者,君之所輕也。死者,士之所重也。君不能行君之所輕,而欲使士致其所重,譬猶鉛刀畜之,而干將用之,不亦難乎?”宋燕面有慚色,逡巡避席曰:“是燕之過也。”《詩》曰:“或以其酒不以其漿。”
宋燕は齊相を爲して驅逐せられ、罷歸して館舍し、門尉陳饒等二十六人を召して、曰く、「諸大夫に能く我と奔赴して諸侯に往く者有るか?」陳饒等はみな伏して回答せず。宋燕は曰く、「悲しむべきかな!なぜ士大夫は得ること易くして用いること難き!」陳饒は回答す、「士大夫は得ること易くして用いること難きに非ず、是れ君が用いる能わざるなり。君が用いる能わざれば、則ち不平の心有り。是れ過失は自己に在りて却って別人を責備す」と。宋燕は曰く、「過失は自己に在りて却って別人を責備するとは何か?」陳饒は回答す、「三斗の稷は士に給するに足らず、而して君の雁鶩は餘粟有るは、是れ君の第一の過なり。果園の梨栗は、後宮婦人が以て互相投擲す、而して士はかつて一嘗を得ず、是れ君の第二の過なり。綾紈綺縠は、堂上に靡麗す、而して士はかつて以て衣緣を爲すを得ず、是れ君の第三の過なり。且つ財は君の看輕する所。死は士の看重する所。君は能く君の看輕する所を實行せずして、却って士をしてその看重する所を獻出せしめんと欲す、好比して鉛刀を以て畜養し、却って干將を爲して用いる、不もまた難きか?」宋燕は顏に慙色有り、遲疑して席位を離れて曰く、「是れ燕の過失なり」と。『詩經』に曰く、「あるいはその酒を用い、その漿を用いず」と。
第十九章
傳曰:善為政者,循情性之宜,順陰陽之序,通本末之理,合無人之際。如是則天氣奉養而生物豐美矣。不知為政者,使情壓性,使陰乘陽,使末逆本,使人詭天,氣鞠而不信,鬰而不宣。如是則災害生,怪異起,群生皆傷,而年穀不熟。是以其動傷德,其靜亡救。故緩者事之,急者弗知,日反理而欲以為治。《詩》曰:“廢為殘疾,莫知其尤。”
傳に記す:善く政を爲すは、情性の適宜に遵循し、陰陽の次序に順い、本末の理を通達し、天人の際を和合す。このごとくなれば則ち天氣は奉養して生物は豐美なり。政を爲すを知らざるは、情をして性を壓せしめ、陰をして陽を凌駕せしめ、末をして本を逆せしめ、人をして天を詭詐せしめ、氣は屈曲して伸展せず、鬱悶して宣泄せず。このごとくなれば則ち災害生じ、怪異起こり、群生みな傷つき、而して年穀成熟せず。ここを以て彼は動けば則ち德を傷害し、彼は靜ければ則ち救いなし。ゆえに緩慢は事奉し、急迫は知らず、每日理に違反して以て治理せんと欲す。『詩經』に曰く、「廢棄して殘疾と爲り、あの過失を知らず」と。
第二十章
魏文侯之時,子質仕而獲罪焉,去而北遊,謂簡主曰:“從今已後,吾不復樹德於人矣。”簡主曰:“何以也?”質曰:“吾質樹堂上之士半,吾所樹朝廷之大夫半,吾所樹邊境之人亦半。今堂上之士惡我於君,朝廷之大夫恐我以法,邊境之人劫我以兵,是以不復樹德於人也。”簡主曰:“噫!子之言過矣。夫春樹桃李,夏得陰其下,秋得食其實。春樹蒺藜,夏不可採其葉,秋得其刺焉。由此觀之,在所樹也。今子之所樹,非其人也,故君子先擇而後種也。”《詩》曰:“無將大車,惟塵冥冥。”
魏文侯の時に、子質は官を爲して罪を獲、離れて北に游び、簡主に對して曰く、「今より後、我は再び人に對して德を樹立せじ」と。簡主は曰く、「なぜか?」子質は曰く、「我の樹立した所の堂上の士は一半、我の樹立した所の朝廷大夫は一半、我の樹立した所の邊境の人もまた一半。今堂上の士は君の所にて我を厭惡し、朝廷大夫は法律を以て我を恐嚇し、邊境の人は兵を以て我を劫持す、ここを以て再び人に對して德を樹立せず」と。簡主は曰く、「ああ!あなたの言は錯えり。春に桃李を種すれば、夏に樹下の蔭を得、秋に果實を得。春に蒺藜を種すれば、夏に葉を采るべからず、秋に刺を得。此より以て看れば、樹立する所に在り。今あなたの樹立した所は、あの人に非ず、ゆえに君子は先に選擇して然る後に種す」と。『詩經』に曰く、「大車に扶る勿れ、ただ塵土冥冥のみ」と。
第二十一章
正直者順道而行,順理而言,公平無私,不為安肆志,不為危揚行。昔衛獻公出走,反國及郊,將班邑於從者而後入。太史柳莊曰:“如皆守社稷,則孰負羈縶而從?如皆從,則孰守社稷?君反國而有私也,無乃不可乎?”於是不班也。柳莊正矣。昔者衛大夫史魚病且死,謂其子曰:“我數言蘧伯玉之賢而不能進,彌子瑕不肖而不能退。為人臣生不能進賢而退不肖,死不當治喪正堂,殯我於室足矣。”衛君問其故。其子以父言聞。君造然召伯玉而貴之,而退彌子瑕,徙殯於正堂,成禮而後去。生以身諫,死以尸諫,可謂直矣。《詩》曰:“靜恭爾位,好是正直。”
正直の人は道に順って行走し、理に順って言説し、公平して私なく、安樂のために志向を放縱せず、危險のために品行を顯揚せず。從前衛獻公は出走し、國に返回して郊に至り、將に封邑を跟從するに頒かんとして然る後に入らんとせり。太史柳莊は曰く、「もしみな社稷を守れば、則ち誰か羈絷を負いて跟從せん?もしみな跟從すれば、則ち誰か社稷を守らん?君は國に返回して私有れば、恐らく可ならざらんか?」すなわち頒賜せず。柳莊は正直なり。從前衛大夫史魚は病んで將に死せんとし、その子に對して曰く、「我は數たび蘧伯玉の賢を説くも能く進用せず、彌子瑕の不肖を能く黜退せず。人臣と爲りて生きて能く賢を進め不肖を退けざれば、死して正堂に喪を治むるに當たらず、室裏に殯せば則ち足れり」と。衛君は緣故を問えり。その子は父の言を以て告げたり。君は忽然として伯玉を召して彼を貴ばしめ、而して彌子瑕を黜退し、殯を正堂に遷し、禮を完成して然る後に離去せり。生きては身を以て進諫し、死しては屍を以て進諫す、直と稱すべし。『詩經』に曰く、「安靜恭敬にあなたの位子を守り、こ正直を愛好せよ」と。
第二十二章
孔子閒居,子貢侍坐,請問為人下之道奈何。孔子曰:“善哉!爾之問也。為人下,其猶土乎。”子貢未達。孔子曰:“夫土者,掘之得甘泉焉,樹之得五穀焉,草木植焉,鳥獸魚鱉遂焉。生前立焉,死則入焉,多功不言,賞世不絶。故曰:能為人下者,其惟上乎?”子貢曰:“賜雖不敏,請事斯語。”《詩》曰:“式禮莫愆。”
孔子は閑居し、子貢は陪坐して、人の下を爲すの道はどうかを請問したり。孔子は言った。「好しかな!あなたの問。人の下を爲すは、ほぼ土のごときかな」と。子貢はいまだ通達せず。孔子は言った。「土は、挖掘すれば甘泉を得、種植すれば五穀を得、草木はそこに種植し、鳥獸魚鱉はそこに順遂す。生きてはその上に立ち、死しては則ちそこに入り、功多くして言わず、賞賜は世代絶えず。ゆえに曰く、能く人の下を爲すは、ほぼただ土のみかな」と。子貢は曰く、「賜はたとい聰敏ならずとも、こ言を實行せんことを請う」と。『詩經』に曰く、「禮を以て愆過なし」と。
第二十三章
傳曰:南假子過程本子,本子為之烹鱺魚。南假子曰:“吾聞君子不食鱺魚。”本子曰:“此乃君子不食也,我何與焉?”假子曰:“夫高比所以廣德也,下比所以狹行也。比於善者,自進之階。比於惡者,自退之原也。且《詩》不云乎:‘高山仰止,景行行止。”吾豈自比君子哉?志慕之而已矣。”
傳に記す:南假子は程本子を拜訪し、本子は彼に鯡魚を烹じ與えたり。南假子は曰く、「我は聞く、君子は鯡魚を食せずと」本子は曰く、「是れ君子の食せざる所、我はそれと何の關係あらん?」假子は曰く、「上に向かいて比するは以て德を廣くし、下に向かいて比するは以て品行を狭隘す。善に比するは、是れ自己前進の階。惡に比するは、是れ自己後退の源。且つ『詩經』は言わざらんや:『高山を仰望し、大道を行走す』と。我はどこに自ら君子に比せんや?志向は仰慕するのみ」と。
第二十四章
子貢問大臣。子曰:“齊有鮑叔,鄭有子皮。”子貢曰:“否。齊有管仲,鄭有東里子產。”孔子曰:“然。吾聞鮑叔之薦管仲也,子皮之薦子產也,未聞管仲子產有所薦也。”子貢曰:“然則薦賢賢於賢。”曰:“知賢,智也。推賢,仁也。引賢,義也。有此三者,又何加焉?”
子貢は大臣を問えり。孔子は言った。「齊に鮑叔あり、鄭に子皮あり」と。子貢は曰く、「然らず。齊に管仲あり、鄭に東里子産あり」と。孔子は言った。「是れ。我は聞く、鮑叔は管仲を擧薦し、子皮は子産を擧薦せり、かつて管仲・子産の擧薦する所有るを聞かず」と。子貢は曰く、「然らば擧薦は賢に勝れり」と。曰く、「賢を知るは、是れ智なり。賢を推擧するは、是れ仁なり。賢を引進するは、是れ義なり。こ三樣有れば、また何を加えんや?」
第二十五章
孔子游於景山之上,子路、子貢、顏淵從。孔子曰:“君子登高必賦。小子願者,何言其願。丘將啟汝。”子路曰:“由願奮長戟,蕩三軍,乳虎在後,仇敵在前,蠡躍蛟奮,進救兩國之患。”孔子曰:“勇士哉!”子貢曰:“兩國構難,壯士列陣,塵埃漲天,賜不持一尺之兵,一斗之養,解兩國之難。用賜者存,不用賜者亡。”孔子曰:“辯士哉!”顏回不願。孔子曰:“回何不願?”顏淵曰:“二子已願,故不敢願。”孔子曰:“不同,意各有事焉。回其願,丘將啟汝。”顏淵曰:“願得小國而相之。主以道制,臣以德化,君臣同心,外內相應。列國諸侯,莫不從義響風,壯者趨而進,老者扶而至。教行乎百姓,德施乎四蠻,莫不釋兵,輻輳乎四門。天下鹹獲永寧,蝖飛蠕動,各樂其性。進賢使能,各任其事。於是君綏於上,臣和於下,垂拱無為,動作中道,從容得禮。言仁義者賞,言戰鬥者死。則由何進而救?賜何難之解?”孔子曰:“聖士哉!大人出,小子匿。起,賢者伏。回與執政,則由賜焉施其能哉!”《詩》曰:“雨雪麃麃,咽晛聿消。”
孔子は景山に上りて游び、子路・子貢・顏淵は跟從せり。孔子は言った。「君子は高く登れば必ず詩を賦す。小子に願望有れば、あの願望を説け。丘は將にあなたらを啓發せん」と。子路は曰く、「由は願わくは長戟を奮起し、三軍を掃蕩し、乳虎は後に在り、仇敵は前に在り、蠡躍蛟奮し、進前して兩國の患を救助せん」と。孔子は言った。「勇士かな!」子貢は曰く、「兩國は患難を構成し、壯士は陣を列し、塵埃は天に漲り、賜は一尺の兵器を持たず、一斗の糧食を持たず、兩國の難を解除せん。賜を用いれば保存し、賜を用いざれば滅亡す」と。孔子は言った。「辯士かな!」顏回は願望なし。孔子は言った。「回はなぜ願望なき?」顏淵は曰く、「二人はすでに願望を説けり、ゆえに敢えて願望せず」と。孔子は言った。「同じからず、意は各々事有り。回はなお願望を説け、丘は將にあなたを啓發せん」と。顏淵は曰く、「願わくは小國を得て相を爲さん。主は道を以て制約し、臣は德を以て感化し、君臣同心し、外內相應じ、列國諸侯は、義に跟從し風氣に響應せざるなく、壯なるは奔赴して前來し、老いたるは扶えて到來す。教導は百姓に實行し、德は四蠻に施加し、兵器を放下せざるなく、車輻が四門に聚集するがごとし。天下はみな永寧を獲得し、蝖飛蠕動して、各々あの性を樂しむ。賢を進用し能を使用して、各々あの事を擔當す。すなわち君は上に安綏し、臣は下に和諧し、垂拱無爲して、動作は中道に合乎し、從容して禮を得。仁義を説くは賞し、戰鬪を説くは死す。則ち由はどこより進前して救助せん?賜は何の難か解除すべき?」孔子は言った。「聖士かな!大人出でれば、小子は隱匿す。起きよ、賢者は伏下す。回は執政に參與せば、則ち由・賜はどこにその能を施用せんや!」『詩經』に曰く、「雨雪は盛密に、陽光は一たび出でれば則ち消融す」と。
第二十六章
昔者孔子鼓瑟,曾子子貢側門而聽。曲終,曾子曰:“嗟乎!夫子瑟聲殆有貪狼之志,邪僻之行,何其不仁趨利之甚?”子貢以為然,不對而入。夫子望見子貢有諫過之色,應難之狀,釋瑟而待之。子貢以曾子之言告。子曰:“嗟乎!夫參,天下賢人也,其習知音矣。郷者丘鼓瑟,有鼠出遊,狸見於屋,循梁微行,造焉而避,厭目曲脊,求而不得。丘以瑟淫其音。參以丘為貪狼邪僻,不亦宜乎!”《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”
從前孔子は瑟を鼓し、曾子・子貢は門側に聽きたり。曲子終了し、曾子は曰く、「嘆くべきかな!夫子の瑟聲はほぼ貪狼の志向、邪僻の品行あり、なぜ不仁趨利こう厲しき?」子貢は以て對と爲し、回答せずして進入せり。夫子は望見して子貢に進諫過失の神色、應答責難の情狀有るを見て、瑟を放下して待ちたり。子貢は曾子の言を以て告げたり。孔子は言った。「嘆くべきかな!あの參は、是れ天下の賢人、彼は知音を熟習せり。さきほど丘は瑟を鼓し、老鼠出でて游び、狸は屋上に出現し、梁に順いて微行し、そこに至りて躲避し、眼を瞇め脊を彎げ、求めて得ず。丘は瑟を以てあの音を放縱せり。參は以て丘を貪狼邪僻と爲す、不もまた適宜なるか!」『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、聲音は外に傳わる」と。
第二十七章
夫為人父者,必懷慈仁之愛,以畜養其子。撫及其有識也,必嚴居正言,以先導之。及其束髪也,授明師以成其技。十九見志,請賓冠之,足以成其德。血脈澄靜,娉內以定之,信承親授,無有所疑。冠子不詈,髦子不笞,聽其微諫,無令憂之。此為人父之道也。《詩》曰:“父兮我我,母兮鞠我。拊我畜我,長我育我,顧我復我,出入腹我。”
人の父を爲すは、必ず慈仁の愛を懷きて、以てその子を畜養す。撫育して彼に識有るに至れば、必ず莊嚴に居處し言語を端正して、以て先導引す。束髮に及べば、明師を授與して以てその技能を成就す。十九歲にして志向を表明し、賓客を請い冠禮を行い、足りてその德を成就す。血脈澄靜し、聘娶して以て安定し、誠信して親人授受を承受し、懷疑なし。冠後の子は罵らず、髦年の子は笞せず、彼の微諫を聽き、彼をして憂せしむる勿れ。是れ人の父を爲すの道なり。『詩經』に曰く、「父よ我を生み、母よ我を養えり。我を撫し我を畜し、我を長じ我を育て、我を顧み我を反復し、出入して我を懷抱せり」と。
韓詩外傳卷第八
第一章
越王勾踐使廉稽獻民於荊王。荊王使者曰:“越,夷狄之國也。臣請欺其使者。”荊王曰:“越王,賢人也,其使者亦賢,子其慎之。”使者出見廉稽,曰:“冠則得以俗見。不冠不得見。”廉稽曰:“夫越亦周室之列封也,不得處於大國,而處江海之陂,與魭鱣魚鱉為伍,文身翦髪而後處焉。今來至上國,必曰冠得俗見,不冠不得見,如此,則上國使適越,亦將劓墨文身翦髪而後得以俗見,可乎?”荊王聞之,披衣出謝。孔子曰:“使於四方,不辱君命,可謂士矣。”
越王勾踐は廉稽を派して荊王に民を獻せしめたり。荊王の使者は曰く、「越是れ夷狄の國。臣はあの使者を欺騙せんことを請う」と。荊王は曰く、「越王は賢人、その使者もまた賢なり、あなたはなお謹慎せよ」と。使者は出でて廉稽を見て、曰く、「冠を戴けば則ち以て習俗に按じて見るべし。冠を戴かざれば見るを得ず」と。廉稽は曰く、「越もまた周室の列封、大國に處る能わずして、而して江海の陂に處り、魭鱣魚鱉と伙伴を爲し、文身剪髮して然る後にそこに住す。今上國に來るに、必ず冠を戴き習俗に按じて見よと説き、冠を戴かざれば見るを得ずと、このごとくなれば、則ち上國の使者が越に至らば、亦た將に劓墨文身剪髮して然る後に習俗に按じて見ん、可なるか?」荊王は聞きて、衣を披きて出でて道歉せり。孔子は言った。「四方に出使して、君命を辱沒せざれば、士と稱すべし」と。
第二章
人之所以好富貴安樂,為人所稱譽者,為身也。惡貧賤危辱,為人所謗毀者,亦為身也。然身何貴也?莫貴於氣。人得氣則生,失氣則死。其氣非金帛珠玉也,不可求於人也。非繒布五穀也,不可糴買而得也。在吾身耳,不可不慎也。《詩》曰:“既明且哲,以保其身。”
人が富貴安樂を愛好し、人に稱譽せられる所以は、是れ身のためなり。貧賤危辱を厭惡し、人に謗毀せられるは、亦た身のためなり。しかるに身はなぜ貴き?氣より貴きはなし。人は氣を得れば則ち生じ、氣を失えば則ち死す。あの氣は金帛珠玉に非ず、人に向かいて求むべからず。繒布五穀に非ず、籴買して得べからず。我が身に在るのみ、謹慎せざるべからず。『詩經』に曰く、「すでに明かにすでに哲なり、以て自身を保全せん」と。
第三章
吳人伐楚,昭王去國,國有屠羊說從行。昭王反國,賞從者。及說,說辭曰:“君失國,臣所失者屠。君反國,臣亦反其屠。臣之祿既厚,又何賞之?”辭不受命。君強之,說曰:“君失國,非臣之罪,故不伏其誅。”君反國,非臣之功,故不受蔶賞。吳師入郢,臣畏寇避患。君反國,說何事焉?”君曰:“不受則見之。”說對曰:“楚國之法,商人慾見於君者,必有大獻重質,然後得見。今臣智不能存國,節不能死君,勇不能待寇,然見之,非國法也。”遂不受命,入於澗中。昭王謂司馬子期曰:“有人於此,居處甚約,論議甚高,為我求之。願為兄弟,請為三公。”司馬子期舍車徒求之,五日五夜,見之,謂曰:“國危不救,非仁也。君命不從,非忠也。惡富貴於上,甘貧苦於下,,意者過也。今君願為兄弟,請為三公,不聽君,何也?”說曰:“三公之位,我知其貴於刀俎之肆矣。萬鍾之祿,我知其富於屠羊之利矣。今見爵祿之利,而忘辭受之禮,非所聞也。”遂辭三公之位,而反乎屠羊肆。君子聞之曰:“甚矣哉!屠羊子之為也。約己持窮而處人之國矣。”說曰:“何謂窮?吾讓之以禮而終其國也。”曰:“在深淵之中而不援彼之危,見昭王德衰於吳,而懷寶絕跡,以病其國,欲獨全己者也。是厚於己而薄於君,狷乎非救世者也。”“何如則可謂救世矣?”曰:“若申伯仲山甫,可謂救世矣。昔者周德大衰,道廢於厲,申伯仲山甫輔相宣王,撥亂世反之正,天下略振,宗廟復興。申伯仲山甫乃並順天下,匡救邪失,喻德教,舉遺士,海內翕然向風。故百姓勃然詠宣王之德。《詩》曰:‘周邦鹹喜,戎有良翰’,又曰:‘邦國若否,仲山甫明之。夙夜匪懈,以事一人。’如是可謂救世矣。”
吳人は楚を伐ち、昭王は國を離れ、國中に屠羊説ありて出行に跟從せり。昭王は國に返回し、跟從するに賞す。説に輪に至りて、説は推辭す、「君は國を失い、臣の失う所は屠なり。君は國に返回し、臣もまたあの屠に返回す。臣の祿はすでに厚し、また何を賞せん?」推辭して命令を受けず。君は彼を強め、説は曰く、「君は國を失うは、臣の罪に非ず、ゆえにあの誅に伏さず。君は國に返回するは、臣の功に非ず、ゆえに賞を受けず。吳師は郢に進入し、臣は寇を畏懼し患を躲避せり。君は國に返回す、説に何事かあらん?」君は曰く、「受けざれば則ち接見せん」と。説は回答す、「楚國の法は、商人にして君を見んと欲するは、必ず大獻重質有りて、然る後に見るを得。今臣は智は能く國を保存せず、節は能く君のために死せず、勇は能く寇に對待せず、而して接見するは、國法に非ず」と。すなわち命令を受けず、澗中に入りたり。昭王は司馬子期に對して曰く、「ここに人有り、居處甚だ簡約し、論議甚だ高し、我のために彼を求めよ。願わくは兄弟を爲さん、三公を爲さんことを請う」と。司馬子期は車徒を舍てて往きて求め、五天五夜、彼を見て、曰く、「國危くして救わざるは、仁に非ず。君命に跟從せざるは、忠に非ず。上の富貴を厭惡し、下の貧苦に甘んずるは、恐らく過失ならん。今君は願わくは兄弟を爲し、三公を爲さんと請う、君を聽かざるは、なぜか?」説は曰く、「三公の位子は、我は刀俎の肆より貴きを知る。萬鍾の祿は、我は屠羊の利より富めるを知る。今爵祿の利を見て、而して辭受の禮を忘るるは、聞いたる所に非ず」と。すなわち三公の位子を推辭し、而して屠羊肆に返回せり。君子は聞きて後曰く、「太だ甚し!屠羊子の爲す所。自己を約束し窮を持守して人の國に處れり」と。説は曰く、「何を窮と謂う?我は禮讓を以て終にあの國を全うす」と。曰く、「深淵の中に在りて却ってあの危を援救せず、昭王の德が吳に衰敗せらるを見て、而して寶を懷き跡を絶ち、以てあの國を病ましむるは、是れ獨り自己を保全せんと欲するなり。是れ自己に厚くして君に薄く、狷介にして救世に非ず」「どうして乃ち救世と稱すべき?」曰く、「申伯・仲山甫のごときは、以て救世と稱すべし。從前周德は大いに衰え、道は厲王の時に廢棄し、申伯・仲山甫は宣王を輔相し、亂世を撥きて正に返回し、天下は略微振興し、宗廟は復興せり。申伯・仲山甫はすなわち一幷に天下に順從し、邪失を匡救し、德教を曉喻し、遺士を擧用し、海內は翕然として風氣に趨向せり。ゆえに百姓は勃然として宣王の德を歌詠せり。『詩經』に曰く、『周邦はみな喜悅し、戎は良翰有り』、また曰く、『邦國の好しきや否や、仲山甫はこれを顯明す。早く起き晚くして懈怠せず、以て一人に事奉せん』と。このごときは以て救世と稱すべし」と。
第四章
齊崔杼弒莊公。荊蒯芮使晉而反,其僕曰:“崔杼弒莊公,子將奚如?”荊蒯芮曰:“驅之。將入死而報君。”其僕曰:“君之無道也,四鄰諸侯莫不聞也。以夫子而死之,不亦難乎?”荊蒯芮曰:“善哉而言也。早言我,我能諫。諫而不用,我能去。今既不諫,又不去。吾聞之,食其食,死事其。吾既食亂君之食,又安得治君而死之?”遂驅車而入死。其僕曰:“人有亂君,猶必死之。我有治長,可無死乎?”乃結轡自刎於車上。君子聞之,曰:“荊蒯芮可謂守節死義矣。僕伕則無為死也,猶飲食而遇毒也。”《詩》曰:“夙夜匪懈,以事一人。”荊先生之謂也。《易》曰:“不恆其德,或靜電屏蔽之羞。”僕之謂也。
齊崔杼は莊公を弑殺せり。荊蒯芮は晋に出使して返回す、僕人は曰く、「崔杼は莊公を弑殺せり、あなたは將にどうせん?」荊蒯芮は曰く、「車を驅れ。將に入りて死して以て君に報答せん」と。僕人は曰く、「君の無道は、四鄰諸侯に聞かざるなし。夫子を憑りて彼のために死するは、不もまた難きか?」荊蒯芮は曰く、「好しかなあなたの言。早く我に告げば、我は能く進諫せん。進諫して用いられざれば、我は能く離去せん。今既に進諫せず、また離去せず。我は聞く、あの食を食えば、あの事に死すと。我はすでに亂君の食を食えり、またどこに治君を得て彼のために死せんや?」すなわち車を驅りて入りて死せり。僕人は曰く、「人は亂君有りて、なお必ず彼のために死す。我は治長有りて、彼のために死せざるべからんや?」すなわち轡を結びて車上に自刎せり。君子は聞きて、曰く、「荊蒯芮は以て節を守り義に死すると稱すべし。僕夫は則ち彼のために死する道理なく、なお飲食して毒に遇うがごとし」と。『詩經』に曰く、「早く起き晚くして懈怠せず、以て一人に事奉せん」と。言うは荊先生なり。『周易』に曰く、「あの德を恒守せざれば、あるいは羞辱を承受せん」と。言うは僕なり。
第五章
遜而直,上也。切次之。謗諫為下。懦為死。《詩》曰:“柔亦不茹,剛亦不吐。”
遜讓して直なるは、是れ上等。切直は其次。謗諫は是れ下等。懦弱は是れ死。『詩經』に曰く、「柔なるも吞まず、剛なるも吐かず」と。
第六章
宋萬與莊公戰,獲乎莊公。莊公散舍諸宮中,數月,然後歸之,反為大夫於宋。宋萬與閔公博,婦人皆側。萬曰:“甚矣,魯侯之淑,魯侯之美也!天下諸侯宜為君者,惟魯侯耳。”閔公矜此婦人,妬其言,顧曰:“爾虜,焉知魯侯之美惡乎?”宋萬怒,博閔公絕脰。仇牧聞君弒,趨而至,遇之於門,手劍而叱之。萬臂摋仇牧,碎其首,齒著乎門闔。仇牧可謂不畏強禦矣。《詩》曰:“惟仲山甫,柔亦不茹,剛亦不吐。”
宋萬は莊公と戰い、莊公に俘獲せられたり。莊公は彼を宮中に散處し、幾個月、然る後に彼を放ちて歸らしめ、返回して宋に於いて大夫を爲せり。宋萬は閔公と博戲す、婦人はみな旁邊に在り。萬は曰く、「太だ甚し、魯侯の善、魯侯の美!天下諸侯に君を爲すに適宜するは、ただ魯侯のみ」と。閔公はこれら婦人に對して矜誇し、妬忌して彼の言を、回頭して曰く、「あなたはこ俘虜、どこに魯侯の美惡を知らんや?」宋萬は發怒し、博擊して閔公の頸を扭斷せり。仇牧は君の弑せられたるを聞きて、快步に至り、門に於いて遇い、劍を手持して叱責せり。萬は臂を以て仇牧を擊ち、彼の頭を打碎し、牙齒は門闔に附著せり。仇牧は以て強御を畏懼せずと稱すべし。『詩經』に曰く、「ただ仲山甫のみ、柔なるも吞まず、剛なるも吐かず」と。
第七章
可於君,不可於父,孝子弗為也。可於父,不可於君,君子亦弗為也。故君不可奪,親亦不可奪也。《詩》曰:“愷悌君子,四方為則。”
君に對して可にして、父に對して可ならざるは、孝子は爲さず。父に對して可にして、君に對して可ならざるは、君子もまた爲さず。ゆえに君は奪取すべからず、親もまた奪取すべからず。『詩經』に曰く、「和樂平易の君子は、四方は法則と爲す」と。
第八章
黃帝既位,施惠承天,一道修德,惟仁是行,宇內和平,未見鳳凰,惟思其象。夙寢晨興,乃召天老而問之曰:“鳳象何如?”天老對曰:“夫鳳之象,鴻前而麟後,蛇頸而魚尾,龍文而龜身,燕頷而雞啄,戴德負仁,抱中挾義。小音金,大音鼓。延頸奮翼,五彩備明。舉動八風,氣應時雨。食有質,飲有儀。往即文始,來既嘉成。惟鳯為能通天祉,應地靈,律五音,覽九德。天下有道,得鳯象之一,則鳯過。得鳯象之二,四鳯翔之。得鳯象之三,則鳯集之。得鳯象之四,則鳯春秋下之。得鳯祝願之五,則鳯沒身居之。”黃帝曰:“於戲,允哉!朕何敢與焉!”戴黃冕,致齋於中宮。鳯乃蔽日而至。黃帝降於東階,西面,再拜稽首曰:“皇天降祉,敢不承命!”鳯乃止帝東園,集帝梧桐,食帝竹實,沒身不去。《詩》曰:“鳳凰于飛,翽翽其羽,亦集爰止。”
黃帝は位に即き、惠を施して天を承受し、一に道を修め德を專らにし、ただ仁を實行し、宇內和平す、いまだ鳳凰を見ず、ただあの形象を思念す。早睡晨起し、すなわち天老を召して問うた、「鳳の形象はどうか?」天老は回答す、「鳳の形象は、鴻は前にして麟は後、蛇頸にして魚尾、龍紋にして龜身、燕頷にして雞啄、德を戴き仁を背負い、懷抱中に義を挾帶す。小音は金のごとく、大音は鼓のごとし。頸を伸長し翅を奮起し、五彩完備鮮明す。舉動は八風し、氣は時雨に應和す。吃に質有り、飲に儀有り。前往すれば則ち文を以て開始し、到來すれば則ち嘉を以て成就す。ただ鳳のみ能く天祉に通達し、地靈に應和し、五音を律し、九德を覽る。天下に道有れば、鳳象の一を得れば、則ち鳳は經過す。鳳象の二を得れば、則ち鳳は飛翔す。鳳象の三を得れば、則ち鳳は聚集す。鳳象の四を得れば、則ち鳳は春秋下來す。鳳象の五を得れば、則ち鳳は終身居住す」と。黃帝は曰く、「嗚呼、確かなりかな!朕はどうして敢えて參與せん!」黃冕を戴き、中宮に致齋せり。鳳はすなわち太陽を遮蔽して到來せり。黃帝は東階より下り、西面し、再拜叩頭して曰く、「皇天は福祉を降下す、敢えて命を承受せざらんや!」鳳はすなわち帝の東園に停まり、帝の梧桐に聚集し、帝の竹實を吃し、終身離去せず。『詩經』に曰く、「鳳凰は飛ぶ、翙翙たるあの羽、亦た停まる所に聚集す」と。
第九章
魏文侯有子曰擊,次曰訴,訴少而立之以為嗣。封擊於中山,三年莫往來。其傅趙蒼唐諫曰:“父忘子,不不可忘父。何不遣使乎?”擊曰:“願之,而未有所使也。”蒼唐曰:“臣請使。”擊曰:“諾。”於是乃問君之所好與所嗜。曰:“君北犬,嗜晨鴈。”遂求北犬晨鴈齎行。蒼唐至,曰:“北蕃中山之君,有北犬晨鴈,使蒼唐再拜獻之。”文侯曰:“嘻!擊知吾好北犬,嗜晨鴈也。”則見使者。文侯曰:“擊無恙乎?”蒼唐唯唯而不對。三問而三不對。文侯曰:“不對何也?”蒼唐曰:“臣聞諸侯不名君。既已賜弊邑,使得小國侯,君問以名,不敢對也。”文侯曰:“中山之君無恙乎?”蒼唐曰:“今者臣之來,拜送於郊。”文侯曰:“中山之君長短若何矣?”蒼唐曰:“問諸侯,比諸侯。諸侯之朝,則側者皆人臣,無所比之。然則所賜衣裘幾能勝之矣。”文侯曰:“中山之君亦何好乎?”對曰:“好《詩》。”文侯曰:“於《詩》何好?”曰:“好《黍離》與《晨風》。”文侯曰:“《黍離》何哉?”對曰:“彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者謂我心憂,不知我者謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉!”文侯曰:“怨乎?”曰:“非敢怨也,時思也。”文侯曰:“《晨風》謂何?”對曰:“‘鷸彼晨風,鬰彼北林。未見君子,憂心欽欽。如何如何,忘我實多。’此自以忘我者也。”於是文侯大悅,曰:“欲知其子親其母,欲知其人視其友,欲知其君視其所使。中山君不賢惡能得賢?”遂廢太子訴,召中山君以為嗣。《詩》曰:“鳳凰于飛,翽翽其羽,亦集爰止。藹藹王多吉士,惟君子使,媚於天子。”君子曰:“夫使非直敝車罷馬而已,亦將喻誠信,通氣志,明好惡,然後可使也。”
魏文侯に兒子ありて擊と曰い、其次は訴と曰い、訴は年少なるに彼を立てて嗣と爲せり。擊を中山に封じ、三年往來なし。その傅趙蒼唐は進諫して曰く、「父は子を忘れ、子は父を忘るべからず。なぜ使者を派遣せざる?」擊は曰く、「願う、しかるにいまだ派すべきなし」と。蒼唐は曰く、「臣は出使せんことを請う」と。擊は曰く、「好し」と。すなわち君の愛好する所と嗜好する所を問えり。曰く、「君は北犬を愛好し、晨雁を嗜好す」と。すなわち北犬晨雁を求めて帶びて行けり。蒼唐至りて、曰く、「北蕃中山の君は、北犬晨雁有り、蒼唐を派して再拜獻上せしむ」と。文侯は曰く、「嘻!擊は我が北犬を愛好し、晨雁を嗜好するを知れり」と。則ち使者を接見せり。文侯は曰く、「擊は恙なきか?」蒼唐はただ應諾して對せず。三問して三たび對せず。文侯は曰く、「對せざるはなぜか?」蒼唐は曰く、「臣は聞く、諸侯は君の名を稱せずと。すでに弊邑に賜與し、小國侯と爲さしめ、君は名を以て問う、敢えて對せず」と。文侯は曰く、「中山の君は恙なきか?」蒼唐は曰く、「今臣の來る時、郊に拜送せり」と。文侯は曰く、「中山の君の長短はどうか?」蒼唐は曰く、「諸侯を問うは、諸侯と比す。諸侯の朝は、則ち旁邊みな人臣、比すべきなし。然らば賜う所の衣裘はほぼ能く勝任せん」と。文侯は曰く、「中山の君もまた何を愛好する?」回答す、「『詩』を愛好す」と。文侯は曰く、「『詩』に對して何を愛好する?」曰く、「『黍離』と『晨風』を愛好す」と。文侯は曰く、「『黍離』とは何か?」回答す、「あの黍は離離、あの稷の苗。行走遲遲、中心搖搖。我を知るは我が心憂と言い、我を知らざるは我は何を求むと言う。悠悠たる蒼天、是れ何の人か!」文侯は曰く、「怨むか?」曰く、「敢えて怨まず、是れ時時思念す」と。文侯は曰く、「『晨風』は何を説く?」回答す、「『疾飛の晨風、郁茂の北林。君子を見ず、憂心欽欽。如何如何、我を忘るる實に多し』と。是れ自ら以て我を忘れたると爲すなり」と。すなわち文侯は非常に喜悅し、曰く、「子を知らんと欲すればその母を看よ、人を知らんと欲すればその朋友を看よ、君を知らんと欲すればその派する所を看よ。中山君賢ならざればどこに能く賢を得ん?」すなわち太子訴を廢棄し、中山君を召して嗣と爲せり。『詩經』に曰く、「鳳凰は飛ぶ、翙翙たるあの羽、亦た停まる所に聚集す。藹藹たる王に吉士多し、ただ君子の役使に、天子に取媚せん」と。君子は曰く、「出使はただ車を破り馬を疲れさすのみならず、亦た將に誠信を曉喻し、氣志を通じ、好惡を顯明し、然る後に乃ち派すべし」と。
第十章
子賤治單父,其民附。孔子曰:“告丘之所以治之者。”對曰:“不齊時發倉廩,振困窮,補不足。”孔子曰:“是小人附耳,未也。”對曰:“賞有能,招賢才,退不肖。”孔子曰:“是士附耳,未也。”對曰:“所父事者三人,所兄事者五人,所友者十有二人,所師者一人。”孔子曰:“所父事者三人,足以教孝矣。所兄事者五人,足以教弟矣。所友者十有二人,足以祛壅蔽矣。所師者一人,足以慮無失策,舉無敗功矣。昔者堯舜清微其身,以聽觀天下,務來賢人。夫舉賢者,百福之宗也,而神明之主也。惜乎不齊之所為者小也。為之大功,乃與堯舜參矣。”《詩》曰:“愷悌君子,民之父母。”子賤其似之矣。
子賤は單父を治理し、あの民は親附せり。孔子は言った。「丘に治理する所以を告げよ」と。回答す、「不齊は時時倉廩を打開し、困窮を賑濟し、不足を補足す」と。孔子は言った。「是れ小人の親附するのみ、いまだ有らず」と。回答す、「能有るを賞し、賢才を招き、不肖を黜退す」と。孔子は言った。「是れ士の親附するのみ、いまだ有らず」と。回答す、「父と當てて事奉する三人、兄長と當てて事奉する五人、朋友と當てる十二人、老師と爲す一人」と。孔子は言った。「父と當てて事奉する三人は、足りて孝を教うべし。兄長と當てて事奉する五人は、足りて悌を教うべし。朋友と當てる十二人は、足りて壅蔽を祛除すべし。老師と爲す一人は、足りて思慮に失策なく、舉動に敗功なからしむべし。從前堯舜は清微自身して、以て天下を聽觀し、務めて賢人を招來せんと求めたり。賢を擧用するは、是れ百福の宗にして、神明の主なり。惜しむべし不齊の爲す所の小なり。大功を爲せば、則ち堯舜と竝列せむ」と。『詩經』に曰く、「和樂平易の君子は、是れ民の父母」と。子賤はほぼこのごとし。
第十一章
度地圖居以立國,崇摁溥利以懷眾,明好惡以正法度,學校庠序以立教,事老養孤以化民,升賢賞功以觀善,懲奸絀失以醜惡,講御習射以防患,禁奸止邪以除害,接賢連友以廣智,宗親族附以益強。《詩》曰:“愷悌君子。”
土地を度量し居處を規劃して以て國を立て、恩惠を崇尚し溥利して以て衆を懷柔し、好惡を顯明して以て法度を端正し、學校庠序して以て教を立て、老に事奉し孤を奉養して以て民を感化し、賢を升進し功を賞して以て善を觀察し、奸を懲治し失を貶斥して以て惡を羞恥せしめ、御射を講習して以て患を防ぎ、奸を禁止し邪を制止して以て害を除き、賢に交接し友を連結して以て智を廣め、宗を親しみ族に附して以て強を增益す。『詩經』に曰く、「和樂平易の君子」と。
第十二章
齊景公使使於楚,楚王與之上九重之臺,顧使者曰:“齊亦有臺若此者乎?”使者曰:“吾君有治位之堂,土階三等,茅茨不翦,採掾不斵,猶以謂為之者勞,居之者泰。吾君惡有臺若此者乎?”於是楚王蓋悒如也。使者不可謂不辱君命,其能專對矣。
齊景公は使者を派して楚に至らしめ、楚王は彼と九重の臺に上り、回頭して使者に對して曰く、「齊もまた臺のこのごとき有るか?」使者は曰く、「吾君は位を治理する堂有り、土階三等、茅茨は修剪せず、柞木の椽は斫削せず、なお以て爲す人は勞累し、住む人は安泰と爲す。吾君はどこに臺のこのごとき有らんや?」すなわち楚王はほぼ悒然たり。使者は以て君命を辱沒せずと稱すべからず、彼は能く專對せり。
第十三章
傳曰:予小子使爾繼邵公之後。受命者必以其祖命之。孔子為魯司寇,命之曰:“宋公子弗甫何孫,魯孔丘,命爾為司寇。”孔子曰:“弗甫敦及厥闢將不堪。”公曰:“不妄。”傳曰:諸侯之有德,天子錫之。一錫車馬,再錫衣服,三錫虎賁,四錫樂器,五錫納陛,六錫朱戶,七錫弓矢,八錫鈇鉞,九錫秬鬯,謂之“九錫”也。《詩》曰:“釐爾圭瓚,秬鬯一卣。”
傳に記す:予小子はあなたに召公の後を繼承せしむ。命を受くるは必ずその祖を以て彼を命ず。孔子は魯司寇を爲し、彼を命じて曰く、「宋公子弗甫何の孫、魯孔丘は、あなたを命じて司寇を爲さしむ」と。孔子は言った。「弗甫敦はあの君に及び將に堪えざらん」と。公は曰く、「妄ならず」と。傳に記す:諸侯に德有れば、天子は彼に賜う。一に車馬を賜い、再に衣服を賜い、三に虎賁を賜い、四に樂器を賜い、五に納陛を賜い、六に朱戸を賜い、七に弓矢を賜い、八に斧鉞を賜い、九に秬鬯を賜う、これを「九錫」と謂う。『詩經』に曰く、「あなたに圭瓚を賜い、秬鬯一卣を賜う」と。
第十四章
齊景公謂子貢曰:“先生何師?”對曰:“魯仲尼。”曰:“仲尼賢乎?”曰:“聖人也,豈直賢哉!”景公嘻然而笑曰:“其聖何如?”子貢曰:“不知也。”景公悖然作色。曰:“始言聖人,今言不知,何也?”子貢曰:“臣終身戴天,不知天之高也。終身踐地,不知地之厚也。若臣之事仲尼,譬猶渴操壺杓,就江海而飲之,腹滿而去,又安知江海之深乎?”景公曰:“先生之譽,得無太甚乎?”子貢曰:“臣賜何敢甚言,尚慮不及耳。臣譽仲尼,譬猶兩手捧土而附泰山,其無益亦明矣。使臣不譽仲尼,譬猶兩手杷泰山,無損亦明矣。”景公曰:“善!豈其然?善!豈其然?”《詩》曰:“民民翼翼,不測不克。”
齊景公は子貢に對して曰く、「先生は誰を以て師と爲す?」回答す、「魯仲尼」と。曰く、「仲尼は賢か?」曰く、「是れ聖人、どこにただ賢のみあらん!」景公は嘻然として笑い曰く、「彼の聖はどうか?」子貢は曰く、「知らず」と。景公は勃然として色を變ぜり。曰く、「始めは聖人と言い、今は知らずと言う、なぜか?」子貢は曰く、「臣は終身天を頂き、天の高きを知らず。終身地を踩み、地の厚きを知らず。臣の仲尼に事奉するがごときは、好比して渴きて壺杓を持ち、江海に至りて飲み、腹滿ちて離去す、またどこに江海の深きを知らんや?」景公は曰く、「先生の稱譽は、該りて太だ過分ならざらんか?」子貢は曰く、「臣賜はどうして敢えて過分に説かん、なお趕上せざるを擔心するのみ。臣が仲尼を稱譽するは、好比して兩手に土を捧げて泰山に附着す、益處なきも明らかなり。假令臣が仲尼を稱譽せざれば、好比して兩手に泰山を杷す、損なきも明らかなり」と。景公は曰く、「好し!豈に是れのごとからん?好し!豈に是れのごとからん?」『詩經』に曰く、「勉勉翼翼、測るべからず勝ぐべからず」と。
第十五章
一谷不升謂之兼(左加食),三谷不升謂之饉,四谷不升謂之荒,五穀不升謂之大侵。大侵之禮,君食不兼味,臺榭不飾,道路不除,百官補而不制,鬼神禱而不祠,此大侵之禮也。《詩》曰:“我居御卒荒。”此之謂也。
一種の穀成熟せざるを歉と謂い、三種の穀成熟せざるを饉と謂い、四種の穀成熟せざるを荒と謂い、五種の穀成熟せざるを大侵と謂う。大侵の禮は、君は飯を食して兼味せず、臺榭は修飾せず、道路は清除せず、百官は缺を補して新制せず、鬼神は祈禱して祠祀せず、是れ大侵の禮なり。『詩經』に曰く、「我は終に荒に處る」と。言うはこのことなり。
第十六章
古者天子為諸侯受封,謂之采地。百里諸侯以三十里,七十里諸侯以二十里,五十里諸侯以十五里。其采地不絀,使子孫賢者守其地,世世以祠其始受封之君。《書》曰:“茲予大享於先王,爾祖其從與享之。”
古代天子は諸侯のために封を受くるを、采地と謂う。百里諸侯は三十里を用い、七十里諸侯は二十里を用い、五十里諸侯は十五里を用いる。あの采地は貶黜せず、子孫の賢なるにその地を守らしめ、世世來りてあの開始封を受けし君を祠祀す。『尚書』に曰く、「今我は大いに先王を享け、あなたらの祖は跟從してともに享く」と。
第十七章
梁山崩,晉君召大夫伯宗。道逢輦者,以其輦服其道。伯宗使其右下,欲鞭之。輦者曰:“君趨道豈不遠矣,不如捷而行。”伯宗喜,問其居。曰:“絳人也。”伯宗曰:“子亦有聞乎?”曰:“梁山崩,壅河,顧三日不流,是以召子。”伯宗曰:“如之何?”曰:“天有山,天崩之。天有河,天壅之。伯宗將如之何?”伯宗私問之。曰:“君其率群臣素服而哭之,既而祠焉,河斯流矣。”伯宗問其姓名,弗告。伯宗到,君問伯宗。以其言對。於是君素服率群臣而只有之,既而祠焉,河斯流矣。君問伯宗何以知之,伯宗不言受輦者,詐以自知。孔子聞之曰:“伯宗其無後。攘人之善。”《詩》曰:“天降喪亂,滅我立王。”又曰:“畏天之威,於時保之。”
梁山崩塌し、晋君は大夫伯宗を召せり。路上輦を推すに遇い、その輦を以て道路を堵塞せり。伯宗は右邊の人を下らしめ、鞭打せんと欲せり。輦を推すは曰く、「君は路を趕ける豈に遠からざらん、近道を抄りて走るに如かず」と。伯宗は喜悅し、彼に住む處を問えり。曰く、「絳人」と。伯宗は曰く、「あなたもまた聞有るか?」曰く、「梁山崩塌し、河を壅塞し、ほぼ三天流れず、ここを以てあなたを召す」と。伯宗は曰く、「どうせむ?」曰く、「天に山有り、天はこれを崩せしむ。天に河有り、天はこれを壅せしむ。伯宗は將にどうせむ?」伯宗は私下に問えり。曰く、「君はなお群臣を率領し素服を穿着して哭し、隨後祠祀せば、河は則ち流れん」と。伯宗は姓名を問う、告げず。伯宗至りて、君は伯宗に問えり。彼の言を以て回答す。すなわち君は素服を穿着して群臣を率領して哭し、隨後祠祀せり、河は則ち流れたり。君は伯宗に何を憑りて知りしかを問う、伯宗は輦を推すより受けしを言わず、詐りて自ら知ると稱せり。孔子は聞きて後曰く、「伯宗はほぼ後なからん。別人の善を攘取せり」と。『詩經』に曰く、「天は喪亂を降下し、我が立てし王を滅亡せしむ」と。また曰く、「天の威を畏懼し、すなわちこれを保守せん」と。
第十八章
晉平公使範昭觀齊國之政。景公錫之宴。晏子在前,範昭趨曰:“願君之倅樽以為壽。”景公顧左右曰:“酌寡人樽獻之客。”範昭已飲,晏子曰:“徹去樽。”範昭不說,起舞,顧太師曰:“子為我奏成周之樂,吾為子舞之。”太師對曰:“盲臣不習。”範昭起出門。景公謂晏子曰:“夫晉,天下大國也,使範昭來觀齊國之政,今子怒大國之使者,將奈何?”晏子曰:“範昭之為人也,非陋而不知禮也,是欲試吾君臣,嬰故不從。”於是景公召太師而問之曰:“範昭使子奏成周之樂,何故不調?”對如晏子。於是範昭歸報平公曰:”齊未可並也。吾試其君,晏子知之。吾犯其樂,太師知之。”孔子聞之曰:“善乎晏子,不出俎豆之間,折沖千里之外。”《詩》曰:“實右序有周,薄言振之,莫不震疊。”
晋平公は范昭を派して齊國の政を觀察せしめたり。景公は彼に宴を賜えり。晏子は前に在り、范昭は快步して曰く、「願わくは君の副樽を以て祝壽せん」と。景公は回頭して左右に對して曰く、「寡人の樽を斟みて客に獻よ」と。范昭すでに飲み、晏子は曰く、「樽を撤去せよ」と。范昭は高興せず、起身して跳舞し、回頭して太師に對して曰く、「あなたは我のために成周の樂を奏せよ、我はあなたのために跳舞せん」と。太師は回答す、「盲臣は熟習せず」と。范昭は起身して門を出でたり。景公は晏子に對して曰く、「晋は天下の大國、范昭を派して來りて齊國の政を觀察せしめ、今あなたは大國の使者を激怒せしめ、將にどうせん?」晏子は曰く、「范昭の人と爲るは、鄙陋にして禮を知らざるに非ず、是れ吾君臣を試探せんと欲するなり、嬰の跟從せざる所以なり」と。すなわち景公は太師を召して問うた、「范昭はあなたに成周の樂を奏せんことを命じ、なぜ調せざった?」回答は晏子のごとし。すなわち范昭は歸りて平公に報告して曰く、「齊はなお兼幷すべからず。我はあの君を試探せば、晏子は知れり。我はあの樂を冒犯せば、太師は知れり」と。孔子は聞きて後曰く、「好しかな晏子、俎豆の間を出でずして、千里の外に折衝す」と。『詩經』に曰く、「實に有周を佑助し、すなわち振起し、震驚懾服せざるなし」と。
第十九章
三公者何?曰司馬,司空,司徒也。司馬主天,司空主土,司徒主人。故陰陽不知,四時不節,星辰失度,災變非常,則責司馬。山陵崩竭,川穀不流,五穀不植,草木不茂,則責之司空。君臣不正,人道不和,國多盜賊,下怨其上,則責之司徒。故三公典其職,憂其分,舉其辯,明其德,此三公之任也。《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”又曰:“明陽有周,式序在位。”
三公とは何か?説くは司馬、司空、司徒。司馬は天を主管し、司空は土を主管し、司徒は人を主管す。ゆえに陰陽不和し、四時節せず、星辰度を失い、災變非常なれば、則ち司馬を責備す。山陵崩塌枯竭し、山谷流れず、五穀種植せず、草木茂盛せざれば、則ち司空を責備す。君臣端正せず、人道和せず、國に盜賊多く、下は上を怨めば、則ち司徒を責備す。ゆえに三公はあの職を主管し、あの分を憂慮し、あの辨别を擧用し、あの德を顯明す、是れ三公の責任なり。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。また曰く、「昭明の周、位に在るを次序に排列す」と。
第二十章
夫觀君之治也,溫良而和,寬容而愛,刑清而省,喜賞而惡罰。移風崇教,生而不殺,布惠施時空,仁不偏與。不奪民力,役不踰時,百姓得耕,家有收聚,民無凍餒,食無腐敗。士不造無用,雕文不粥於肆。斧斤以時入山林。國無佚士,皆用於世。黎庶歡樂衍盈,方外遠人歸義,重譯執贄,故得風雨不烈。《小雅》曰:“有弇悽悽,興雲祁祁。”以是知太平無飄風景雨明矣。
君の治理を觀察するに、溫良にして和諧し、寬容して愛あり、刑淸くして減省し、賞を喜び罰を厭惡す。風を移し教を崇尚し、生じて殺さず、惠を布き施與は時に適い、仁は偏私して與えず。民力を奪取せず、役使は時を超えず、百姓は耕を得、家は收聚有り、民に凍餒なく、食に腐敗なし。士は用なきを制造せず、雕文は市上に賣らず。斧斤は時に按じて山林に入る。國に佚士なく、みな世に用いらる。黎庶は歡樂充盈し、方外遠人は義に歸向し、翻譯を經て贄を持ち、ゆえに風雨猛烈せざるを得たり。『小雅』に曰く、「弇有り凄凄、雲を興起すること祁祁」と。ここを以て太平に飄風暴雨なきを知るは明らかなり。
第二十一章
昨日何生?今日何成?必念歸厚,必念治生。日慎一日,遠如金城。《詩》曰:“我日斯邁,而月斯徵。夙興夜寐,無忝爾所生。”
昨日は何を生出した?今日は何を成就した?必ず歸向厚きを思念し、必ず生計を治理するを思念せよ。一日比一日謹慎し、遠きこと金城のごとくせよ。『詩經』に曰く、「我は日に邁進し、あなたは月に遠行す。早起き晩睡し、あなたの生じる所を辱沒する勿れ」と。
第二十二章
官怠於有成,病加於小愈,禍生於懈惰,孝衰於妻子。察此四者,慎終如始。《易》曰:“小狐汔濟,濡其尾。”《詩》曰:“靡不有初,鮮克有終。”
官は成就有るに怠惰し、病は稍愈するに加重し、禍は懈惰より生出し、孝は妻子に衰微す。こ四樣を察看し、終結を謹慎すること開始のごとくせよ。『周易』に曰く、「小狐は將に渡り盡さんとして、尾巴を沾濕せり」と。『詩經』に曰く、「開始有らざるなく、終結有る能くする少なし」と。
第二十三章
孔子燕居,子貢攝齊而前曰:“弟子事夫子有年矣,手竭而智罷,倦於學問,不能進,請一休焉。”孔子曰:“賜也欲焉休乎?”曰:“賜欲休於事君。”孔子曰:“《詩》云:‘夙夜匪懈,以事一人。’為之若此其不易也,若之何其休也!”曰:“賜欲休於事父母。”孔子曰:“《詩》云:‘孝子不匱,永錫爾類。’為之若此其不易也,如之何其休也!”曰:“賜欲休於事兄弟。”孔子曰:“《詩》云:‘妻子好合,如鼓瑟琴。兄弟既翕,和樂且耽。’為之若此其不易也,如之何其休也!”
孔子は燕居し、子貢は衣襟を提起して進前して曰く、「弟子は夫子に事奉して年有り、手は竭き智は疲れ、學問に對して疲倦し、前進する能わず、休息一下せんことを請う」と。孔子は言った。「賜はどこに休息せんと欲する?」曰く、「賜は君に事奉するに休息せんと欲す」と。孔子は言った。「『詩經』に曰く、『早く起き晚くして懈怠せず、以て一人に事奉せん』と。これを爲すことこう容易ならず、どうして能く休息せん!」曰く、「賜は父母に事奉するに休息せんと欲す」と。孔子は言った。「『詩經』に曰く、『孝子は匱乏せず、永遠にあなたの同類に賜う』と。これを爲すことこう容易ならず、どうして能く休息せん!」曰く、「賜は兄弟に事奉するに休息せんと欲す」と。孔子は言った。「『詩經』に曰く、『妻子は和好し、瑟琴を鼓するがごとし。兄弟はすでに和合し、和樂して且つ耽樂す』と。これを爲すことこう容易ならず、どうして能く休息せん!」
第二十四章
魯哀公問冉有曰:“凡人之質而已,將必學而後為君子乎?”冉有對曰:“臣聞之,雖有良玉,不刻鏤則不成器,雖有美質,不學則不成君子。”曰:“何以知其然也?”夫子路,卞之野人也。子貢,衛之賈人也。皆學問於孔子,遂為天下顯士。諸侯聞之,莫不尊敬。卿大夫聞之,莫不親愛。學之故也。昔吳楚燕代,謀為一舉而欲伐秦。姚賈,監門之子也,為秦往使之,遂絕其謀,止其兵。及其反國,秦王大悅,立為上卿。夫百里奚,齊之乞者也,逐於齊西,無以進,自賣五羊皮,為一軛車。見秦繆公,立為相,遂霸西戎。太公望少為人壻,老而見去,屠牛朝歌,賃於棘津,釣於磻溪,文王舉而用之,對於齊。管仲親射桓公,遂除報讎之心,立以為相,存亡繼絶,九合諸侯,一匡天下。此四子者,皆嘗卑賤窮辱矣,然其名聲馳於後世,豈非學問之所致乎?由此觀之,土必學問,然後成君子。《詩》曰:‘日就月將。’”於是哀公嘻然而笑曰:“寡人雖不敏,請奉先生之教矣。”
魯哀公は冉有に問うた、「凡人は資質あれば則ち可なり、なお必ず學習して然る後に君子を爲すか?」冉有は回答す、「臣は聞く、たとい良玉有るとも、刻鏤せざれば器物を成さず、たとい美質有るとも、學習せざれば君子を成さずと」曰く、「何を憑りて是れのごときを知る?」夫子路は、是れ卞の野人。子貢は、是れ衛の賈人。みな孔子に向かいて學問し、すなわち天下の顯士と爲れり。諸侯は聞きて、尊敬せざるなし。卿大夫は聞きて、親愛せざるなし。是れ學の緣故なり。從前吳楚燕代は、一擧を謀劃して秦を伐たんと欲せり。姚賈は、是れ監門の兒子、秦のために往きて出使し、すなわちあの謀劃を斷絶し、あの兵を制止せり。國に返回するに及び、秦王は非常に喜悅し、立てて上卿と爲せり。百里奚は、是れ齊の乞丐、齊に驅逐せられて西に向かい、進用する由なく、五張の羊皮を以て自ら賣り、一軛車を爲せり。秦繆公を見て、立てて相と爲し、すなわち西戎に稱覇せり。太公望は少時人に女婿を爲し、老いて趕走せられ、朝歌に牛を屠り、棘津に賃工し、磻溪に魚を釣り、文王は彼を擧用し、齊に封じたり。管仲は親ら桓公を射て、すなわち報仇の心を除去し、彼を立てて相と爲し、滅亡を保存し斷絶を接續し、九合諸侯し、一匡天下せり。こ四人は、みなかつて卑賤窮辱せり、しかるに名声は後世に馳騁す、豈に學問の致す所に非ずや?此より以て看れば、士は必ず學問し、然る後に君子を成す。『詩經』に曰く、『日に成就有り月に進有り』と」すなわち哀公は嘻然として笑い曰く、「寡人はたとい聰敏ならずとも、先生の教を奉行せんことを請う」と。
第二十五章
曾子有過,曾晳引杖擊之。仆地,有間乃蘇,起曰:“先生得無病乎?”魯人賢曾子,以告夫子。夫子告門人:“參來勿內也。”曾子自以為無罪,使人謝夫子。夫子曰:“汝不聞昔者舜為人子乎?小棰則待,大杖則逃。索而使之,未嘗不在側,索而殺之,未嘗可得。今汝委身以待暴怒,拱立而去,汝非王者之民邪?殺王者之民,其罪何如?”《詩》曰:“優哉柔哉,亦是戾矣。”又曰:“載色載笑,匪怒伊教。”
曾子に過失有り、曾晳は杖を拿して擊打せり。仆倒して地に就き、しばらくして始めて蘇醒し、起身して曰く、「先生は該りて病まざらんか?」魯人は以て曾子賢と爲し、夫子に告げたり。夫子は門人に告げて曰く、「參が來れば彼を進入せしむる勿れ」と。曾子は自ら以て罪なしと爲し、人を派して夫子に謝せり。夫子は曰く、「あなたはかつて聞かざらんや從前舜の人子を爲すを?小棰なれば則ち等待し、大杖なれば則ち逃ぐる。使喚を求めれば、かつて旁邊に在らざらず、殺害を求めれば、かつて得べからず。今あなたは身を委ねて以て暴怒を等待し、拱手して立ちて離去せず、あなたは王者の民に非ずや?王者の民を殺すは、あの罪はどうか?」『詩經』に曰く、「悠閒かな柔和かな、亦たここに至りて止住す」と。また曰く、「和顏を帶び笑容を帶び、發怒せずして教導す」と。
第二十六章
齊景公使人為弓,三年乃成。景公引弓而射,不穿一札。景公怒,將殺弓人。弓人之妻往見景公,曰:“蔡人之子,弓弓之妻也。此孔者,太山之南,鳥號之柘,燕牛之角,荊麋之筋,河魚之膠也。四物者,天下之練材也,不宜穿札之少如此。且妾聞公之車,不能獨走,莫耶雖利,不能獨斷,必有以動之。夫射之道,左手若拒石,右手若附枝,掌若握卵,四指如斷短杖,右手發之,左手不知,此蓋射之道。”景公以其言為儀而射之,穿七札。蔡人之夫立出矣。《詩》曰:“好是正直。”
齊景公は人をして弓を爲らしめ、三年にして始めて成れり。景公は弓を拉いて射れば、一層の札を穿透せず。景公は發怒し、將に弓人を殺さんとせり。弓人の妻子は往きて景公を見て、曰く、「蔡人の子は、是れ弓人を爲すの妻。こ弓は、太山南面、鳥號の柘、燕牛の角、荊麋の筋、河魚の膠。四物は、是れ天下の精練の材、札を穿つことこう少なきに當たらず。且つ妾は聞く、公の車は、能く獨り走る能わず、莫邪はたとい鋭利なりとも、能く獨り斷る能わず、必ず以て發動する有らん。射の道は、左手は拒石のごとく、右手は附枝のごとく、掌は卵を握るがごとく、四指は短杖を斷るがごとく、右手は發射し、左手は知らず、是れほぼ射の道なり」と。景公は彼女の言を用いて儀度と爲して射れば、七層の札を穿ったり。蔡人の夫は立刻に放出せられたり。『詩經』に曰く、「こ正直を愛好せよ」と。
第二十七章
齊有罪於景公者。景公大怒,縳置之殿下,召左右肢解之,敢諫者誅。晏子左手持頭,右手磨刀,仰而問曰:“古者明王聖主,其肢解人,不審從何肢始也?”景公離席曰:“縱之!罪在寡人。”《詩》曰:“好是正直。”
齊に景公に對して罪有る者あり。景公は大いに怒り、捆綁して殿下に置き、左右を召して肢解せしめ、敢えて進諫するは誅殺す。晏子は左手に頭を持ち、右手に刀を磨き、頭を擡げて問うた、「古代の明王聖主は、人を肢解す、どの肢より開始するかを明らかにせず」と。景公は席位を離れて曰く、「彼を放て!罪は寡人に在り」と。『詩經』に曰く、「こ正直を愛好せよ」と。
第二十八章
傳曰:居處齊則色姝,食飮齊則氣珍,言語齊則信聽,思齊則成,志齊則盈。五者齊,斯神居之。《詩》曰:“既和且平,依我聲聲。”
傳に記す:居處が整齊なれば則ち神色は美好、飲食が整齊なれば則ち氣は珍貴、言語が整齊なれば則ち信は聽かれ、思が整齊なれば則ち成就し、志向が整齊なれば則ち充滿す。五樣が整齊なれば、神は居る。『詩經』に曰く、「すでに和諧し且つ平和、我が磬聲に依從す」と。
第二十九章
魏文侯問狐卷子曰:“父賢足恃乎?”對曰:“不足。”“子賢足恃乎?”對曰:“不足。”“兄賢足恃乎?”對曰:“不足。”“弟賢足恃乎?”對曰:“不足。”“臣賢足恃乎?”對曰:“不足。”文侯勃然作色而怒曰:“寡人問此五者於子,一一以為不足者何也?”對曰:“父賢不過堯,而丹朱放。子賢不過舜,而瞽瞍拘。兄賢不過舜,而象放。弟賢不過周公,而管叔誅。臣賢不過湯武,而桀紂伐。望人者不至,恃人者不久。君欲治,從身始。人何可恃乎?”
魏文侯は狐卷子に問うた、「父が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「兒子が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「哥哥が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「弟弟が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「臣が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」文侯は勃然として色を變じて怒り曰く、「寡人はあなたにこ五樣を問う、一一として足らざると爲す、なぜか?」回答す、「父の賢は堯に過ぎず、而して丹朱は放逐せられたり。兒子の賢は舜に過ぎず、而して瞽瞍は拘禁せられたり。哥哥の賢は舜に過ぎず、而して象は放逐せられたり。弟弟の賢は周公に過ぎず、而して管叔は誅せられたり。臣の賢は湯武に過ぎず、而して桀紂は伐たれたり。人に指望するは到らず、人に依頼するは久しからず。君は治理せんと欲すれば、自身より開始せよ。人はどこに依頼すべからんや?」
第十三章
湯作《護》,聞其宮聲,使人溫良而寬大。聞其商聲,使人方廉而好義。聞其角聲,使人惻隱而愛仁。聞其徵聲,使人樂養而好施。聞其羽聲,使人恭敬而好禮。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”
湯は『護』を作り、あの宮聲を聞けば、人をして溫良にして寬大ならしめ、あの商聲を聞けば、人をして方正廉潔にして義を愛好せしめ、あの角聲を聞けば、人をして惻隱にして仁を愛せしめ、あの徵聲を聞けば、人をして養に樂しみ施を愛好せしめ、あの羽聲を聞けば、人をして恭敬にして禮を愛好せしむ。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。
第三十一章
孔子曰:“《易》先《同人》後《大有》,承之以《謙》,不亦可乎?”故天道虧盈而益謙,地道盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙者,抑事而損者也。持盈之道,抑而損之,此謙德之於行也。順之者吉,逆之者兇。五帝既沒,三王既衰,能行謙德者,其惟周公乎。周公以文王之子,武王之弟,成王之叔父,假天子之尊位七年,所執贄而師見者十人,所還質而友見者十三人,窮巷白屋之士所先見者四十九人,時進善者百人,宮朝者千人,諫臣五人,輔臣五人,拂臣六人,戴干戈以至於封侯,異族九十七人,而同姓之士百人。孔子曰:“猶以為周公為天下黨,則以同族為眾,而異族為寡也。”故德行寬容而守之以恭者榮,土地廣大而守之以儉者安,位尊祿重而守之以卑者貴,人眾兵強而守之以畏者勝,聰明睿智而守之以愚者哲,博聞強記而守之以淺者不隘。此六者皆謙德也。《易》曰:“謙亨君子有終吉。”能以此終吉者,君子之道也。貴為天子,富有四海,而德不謙,以亡其身,桀紂是也,而況眾庶乎?夫《易》有一道焉,大足以治天下,中足以安安家國,近足以守其身者,其惟謙德乎。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”
孔子は言った。「『周易』は先ず『同人』に後『大有』、接續して『謙』を用う、不もまた可ならざるか?」そもそも天道は盈滿を虧損して謙を補益し、地道は盈滿して謙に流向し、鬼神は盈滿を損害して謙を福佑し、人道は盈滿を厭惡して謙を愛好す。謙は、事を抑制して減損するなり。盈滿の道を持守し、抑制して減損す、是れ謙德の品行に對するなり。順從のは吉利し、違逆のは凶なり。五帝はすでに沒世し、三王はすでに衰微し、能く謙德を實行するは、ほぼ周公のみか。周公は文王の兒子、武王の弟弟、成王の叔父を以て、天子の尊位を假りること七年、贄を持ちて老師の禮を以て進見する十人、質を還して朋友の禮を以て進見する十三人、窮巷白屋の士の先ず接見せられし四十九人、當時善言を進獻する百人、宮朝する千人、諫臣五人、輔臣五人、拂臣六人、干戈を帶びて以て侯に封ぜられし、異族九十七人、而して同姓の士百人。孔子は言った。「なお以て周公は天下のために結黨し、同族を以て衆と當て、異族を以て寡と當つと」そもそも德行は寬容にして恭を用いて守るの榮、土地は廣大にして儉を用いて守るの安、位尊く祿重くして卑下を用いて守るの貴、人多く兵強くして畏懼を用いて守るの勝、聰明睿智にして愚を用いて守るの明智、博聞強記にして淺を用いて守るの隘塞ならず。こ六樣はみな謙德なり。『周易』に曰く、「謙は亨通し、君子は好き結果有りて吉利す」能くこを以て終に吉利するは、是れ君子の道なり。貴きこと天子を爲し、富みて四海を有し、而して德は謙ならず、こを以て自身を滅亡するは、桀紂是れなり、何を況んや衆庶をや?『周易』に一道有り、大は足りて天下を治理し、中は足りて家國を安定し、近は足りて自身を守るは、ほぼ謙德のみか。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。
第三十二章
昔者由子方出,見老馬於道,喟然有志焉,以問於御者曰:“此何馬也?”御曰:“故公家畜也,罷而不為用,故出放之也。”由子方曰:“少盡其力,而老棄其身,仁者不為也。”東帛而贖之。窮士聞之,知所歸心矣。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”
從前田子方は出でて、路上に老馬を見、慨然として志向有り、駕車するに問うた、「是れ何の馬か?」駕車するは曰く、「本是れ公家の畜、疲憊して用いられず、ゆえに放出せり」と。田子方は曰く、「年輕き時その力を用盡し、而して年老いてその身を拋棄す、仁者は爲さず」と。束帛を用いて贖回せり。窮士は聞きて、歸向する所の心を知れり。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。
第三十三章
齊莊公出獵,有螳舉足將搏其輪,問其御曰:“此何蟲也?”御曰:“此是螳蜋也。其為蟲,知進不知退,不量力而輕就敵。”莊公曰:“此為人必為天下勇士矣。”於是回車避之,而勇士歸之。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”
齊莊公は出でて打獵し、螳螂有りて足を擧げ將に車輪を搏擊せんとす、駕車するに問うた、「是れ何の蟲か?」駕車するは曰く、「是れ螳螂。蟲と爲す、進を知りて退を知らず、力量を估量せずして輕易に敵に就く」と。莊公は曰く、「こ人を爲れば必ず天下の勇士ならん」と。すなわち車を回して避け、而して勇士は彼に歸向せり。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。
第三十四章
魏文侯問李克曰:“人有惡乎?”李克曰:“有。夫貴者則賤者惡之,富者則貧者惡之,智者則愚者惡之。”文侯曰:“善。行此三者,使人勿惡,亦可乎?”李克曰:“可。臣聞貴而下賤,則眾弗惡也。富而分貧,則窮士弗惡也,智而教愚,則童蒙者弗惡也。”文侯曰:“善哉言乎!堯舜其猶病諸。寡人雖不敏,請守斯語矣。”詩曰:“不遑啟處。”
魏文侯は李克に問うた、「人に厭惡せらるる有るか?」李克は曰く、「有り。貴なるは則ち賤なるに厭惡せられ、富めるは則ち貧なるに厭惡せられ、智なるは則ち愚なるに厭惡せらる」と。文侯は曰く、「好し。こ三樣を實行し、人をして厭惡せざらしむ、亦た可なるか?」李克は曰く、「可なり。臣は聞く、貴にして賤に對して謙下すれば、則ち衆は厭惡せず。富みて貧に分給すれば、則ち窮士は厭惡せず。智にして愚を敎導すれば、則ち童蒙は厭惡せず」と。文侯は曰く、「好しかなこ言!堯舜もなおこれを怕る。寡人は聰敏ならざるも、こ言を守るを請う」と。『詩經』に曰く、「閒暇なく安處す」と。
第三十五章
有鳥於此,架巢於葭葦之顛,天喟然而風,則葭折而巢壞,何也?其所託者弱也。稷蜂不攻,而社鼠不燻,非以稷蜂社鼠之神,其所託者善也。故聖人求賢者以自輔,夫吞舟之魚大矣,蕩而失水,則為螻蟻所制,失其輔也。故《詩》曰:“不明爾德,爾德不明,以無陪無側。”
ここに鳥有り、葭葦の頂端に巢を架す、天は喟然として風すれば、則ち葭は折斷して巢は壞る、なぜか?依託する所の弱きなり。稷蜂は攻めず、而して社鼠は薰らず、稷蜂社鼠の神なるが故に非ず、是れ依託する所の善きなり。ゆえに聖人は賢者を求めて以て自己を輔助す、舟を吞む魚は大なり、動蕩して水を失えば、則ち螻蟻の制服する所と爲る、是れ輔助を失うなり。ゆえに『詩經』に曰く、「あなたの德を顯明せず、あなたの德顯明ならず、こを以て陪從なく側近なし」と。
韓詩外傳 卷第九
第一章
孟子少時誦,其母方織。孟子輟然中止,乃復進。其母知其諠也,呼而問之曰:“何為中止?”對曰:“有所失復得。”其母引刀裂其織,以此誡之。自是之後,孟子不復諠矣。孟子少時,東家殺豚。孟子問其母曰:“東家殺豚何為?”母曰:“欲啖汝。”其母自悔失言。曰:“吾懷紝是子,席不正不坐,割不正不食,胎教之也。今適有知而欺之,是教之不信也。”乃買東家豚肉以食之,明不欺也。《詩》曰:“宜爾子孫承兮。”言賢母使子賢也。
孟子は年少時誦讀し、母は正に織りておりたり。孟子は忽然として中止し、纔めてまた前進す。母は彼の喧嘩して分心せるを知り、叫來して問うた、「なぜ中止した?」回答す、「失う所有りてまた得たり」と。母は刀を拿して織る所を割裂し、こを用いて告誡せり。此より以て後、孟子は再び喧嘩して分心せず。孟子は年少時、東家は豚を殺せり。孟子は母に問うた、「東家が豚を殺すは何を爲す?」母は曰く、「あなたに吃さしめんと欲す」と。母は自ら失言を後悔す。曰く、「我はこ孩子を懷き、席正しからざれば坐せず、割正しからざれば吃せず、是れ胎敎なり。今剛く知有るに欺くは、是れ彼に不信を敎うなり」と。すなわち東家の豚肉を買いて彼に吃さしめ、欺かざるを表明せり。『詩經』に曰く、「あなたの子孫が繼承するに適宜ならんや」と。是れ賢母が兒子を賢ならしむを言うなり。
第二章
由子為相,三年歸休,得金百鎰奉其母,母曰:“子安得此金?”對曰:“所受俸祿也。”母曰:“為相三年不食乎?治官如此,非吾所欲也。孝子之事親也,盡力致誡,不義之物,不入於館。為人臣不忠,是為人子不孝也。子其去之。”由子愧慚走出,造期還金,退請就獄。王賢其母,說其義,即舍田子罪,令復為相,以金賜其母。《詩》曰:“宜爾子孫承承兮。”言賢母使子賢也。
田子は相を爲し、三年歸休し、金百鎰を得て母に奉給す、母は曰く、「あなたはどこよりこ金を得た?」回答す、「受くる所の俸祿」と。母は曰く、「相を爲すこと三年飯を食わざるか?官を治理するがこのごとく、我が欲する所に非ず。孝子の親に事奉するは、力を盡くし誠を致し、不義の物は、館舍に進入せず。人臣を爲して忠ならざれば、則ち人子を爲して孝ならず。あなたはなお離去せよ」と。田子は慚愧して走出し、期に按じて金を還し、退下して獄に就くを請えり。王は彼の母を賢と爲し、あの義を喜悅し、則ち田子の罪を赦免し、重新に相を爲すを命じ、金を彼の母に賜えり。『詩經』に曰く、「あなたの子孫が繼承するに適宜ならんや」と。是れ賢母が兒子を賢ならしむを言うなり。
第三章
孔子出,聞哭聲甚悲。孔子曰:“驅之驅之!前有賢者。”至則皋魚也,被褐擁鎌,哭於道旁。孔子闢車與之言,曰:“子非有喪,何哭之悲也?”皋魚曰:“吾失之三矣。少而好學,周遊諸侯,以歿吾親,失之一也。高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。與友厚而中絕之,失之三矣。夫樹欲靜而風不止,子欲養而親不待,往而不可追者年也,去而不可得見者親也。吾請從此辭矣。”立槁而死。孔子曰:“弟子識之,足以誡矣。”於是門人辭歸而養親者十有三人。
孔子は出行し、哭聲の甚だ悲しきを聞けり。孔子は曰く、「車を驅れ車を驅れ!前面に賢者有り」と。至れば却是れ皐魚、褐を披き鐮を抱き、道旁に哭す。孔子は下車して彼と說話し、曰く、「あなたは喪事有るに非ず、なぜこう悲しく哭す?」皐魚は曰く、「我は三樣を失えり。年少にして學を愛好し、諸侯を周游し、こを以て父母は去世せり、是れ失うの第一。我が志向を高尚にし、我が事を簡約にし、庸君に事奉せず、而して晚年事は成就せず。是れ失うの第二。朋友と厚くして中途斷絶す、是れ失うの第三。樹は靜まらんと欲すれど風は停止せず、兒子は奉養せんと欲すれど親は到來せず、離去して追うべからざるは年、離去して得て見べからざるは親なり。我は此より辭別せんことを請う」と。立ちて枯死せり。孔子は曰く、「弟子記住せよ、足りて告誡すべし」と。すなわち門人の辭歸して親を奉養する十三人有り。
第四章
子路曰:“有人於斯,夙興夜寐,手足胼胝而面目黧黑,樹藝五穀以事其親,而無孝子之名者,何也?”孔子曰:“意者身未敬邪?色不順邪?辭不遜邪?古人有言曰:‘衣歟醪歟,曾不爾聊。’子勞以事其親,無此三者,何為無孝之名?意者所友非仁人邪?坐,吾語汝。非無力也,勢不便也。是以君子入則篤孝,出則友賢,何為其無孝子之名?”《詩》曰:“父母孔邇。”
子路は曰く、「人ありてここに在り、早く起き晩く睡り、手腳に繭長じ面目黧黑し、五穀を種植して以て親に事奉すれど、孝子の名なく、なぜか?」孔子は言った。「恐らく自身敬わざるか?神色順わざるか?辭遜らざるか?古人に話有り:『衣服よ酒醪よ、竟にあなたに依賴せず』あなたは力を用いて親に事奉す、こ三樣なく、なぜ孝の名なき?恐らく交る所の友は仁人に非ざるか?坐せ、我はあなたに告げん。力なきに非ず、是れ勢の便ならざるなり。こを以て君子は入れば則ち切實に孝し、出でれば則ち友愛して賢し、なぜ孝子の名なき?」『詩經』に曰く、「父母は甚だ近し」と。
第五章
伯牙鼓琴,鍾子期聽之。方鼓琴,志在太山。鍾子期曰:“善哉鼓琴,巍巍乎如太山!”莫景之間,志在流水。鍾子期曰:“善哉鼓琴,洋洋乎若江河!”鍾子期死,伯牙擗琴絕弦,終身不復鼓琴,以為為世無足與鼓琴也。非獨鼓琴如此,賢者亦有之。茍非其時,則賢者將奚由得遂其功哉?
伯牙は琴を鼓し、鍾子期は聽く。正に琴を鼓し、志向は太山に在り。鍾子期は曰く、「好しかな琴を鼓す、巍巍として太山のごとし!」片刻の間、志向は流水に在り。鍾子期は曰く、「好しかな琴を鼓す、洋洋として江河のごとし!」鍾子期死せば、伯牙は琴を破り弦を絶ち、終身再び琴を鼓せず、以て世上に足りて彼と琴を鼓するなしと爲せり。ただ琴を鼓するこのごときのみならず、賢者もまた有り。若しあの時候に非ざれば、則ち賢者は將にどこより以て功を成就せん?
第六章
秦攻魏,破之,少子亡而不得。令魏國曰:“有得公子者賜金千斤,匿者罪至十族。”公子乳母與俱亡。人謂乳母曰:“得公子者賞甚重,乳母當知公子處而言之。”乳母應之曰:“我不知其處。雖知之,死則死,不可以言也。為人養子,不能隱而言之,是畔上畏死。吾聞忠不畔上,勇不畏死。凡養人子者務生之,非務殺之也。豈可見利畏誅之故,廢義而行詐哉?吾不能生而使公子獨死矣。”遂與公子俱逃澤中。秦軍見而射之,乳母以身蔽之,著十二矢,秦王聞之,饗以太牢,且爵其兄為大夫。《詩》曰:“我心匪石,不可轉也。”
秦は魏を攻め、攻破せり、少子は逃亡して得られず。魏國に命令して曰く、「公子を得る有るは金千斤を賜い、藏匿するは罪は十族に及ぶ」と。公子の乳母は彼と一緒に逃亡せり。人は乳母に對して曰く、「公子を得るの賞は甚だ重し、乳母は該りて公子の處所を知りて言うべし」と。乳母は應答す、「我は處所を知らず。たとい知るとも、死すれば則ち死す、言うべからず。人のために子を養う、隱瞞せずして言う能わざるは、是れ上を背叛し死を怕るなり。我は聞く、忠は上を背叛せず、勇は死を怕れずと。凡そ人の兒子を養うは務めて彼を生かさんことを求め、務めて彼を殺さんことを求めるに非ず。豈に利を見誅を怕るの緣故を以て、義を廢棄して詐を實行すべからんや?我は能く活着して公子を獨り死せしめず」と。すなわち公子と一緒に澤中に逃れり。秦軍は見て射れば、乳母は身體を用いて遮蔽し、十二箭を中たり、秦王は聞き、太牢を用いて饗祭し、併せて彼女の哥哥を封じて大夫を爲さしめたり。『詩經』に曰く、「我が心は石頭に非ず、轉動すべからず」と。
第七章
子路曰:“人善我,我亦善之。人不善我,我不善之。”子貢曰:“人善我,我亦善之。人不善我,我則引之進退而已耳。”顏回曰:“人善我,我亦善之。人不善我,我亦善之。”三子所持各異,問於夫子。夫子曰:“由之所持,蠻貊之言也。賜之所持,朋友之言也。回之所持,親屬之言也。”《詩》曰:“人而無良,我以為兄。”
子路は曰く、「人は我に善ければ、我もまた彼に善し。人は我に善からざれば、我もまた彼に善からず」と。子貢は曰く、「人は我に善ければ、我もまた彼に善し。人は我に善からざれば、我は則ち彼を引導して進退するのみ」と。顏回は曰く、「人は我に善ければ、我もまた彼に善し。人は我に善からざれば、我もまた彼に善し」と。三人の持する所は各々同じからず、夫子に問えり。夫子は曰く、「由の持するは、是れ蠻貊の話。賜の持するは、是れ朋友の話。回の持するは、是れ親屬の話」と。『詩經』に曰く、「人にして善良なくば、我は彼を以て兄と爲さん」と。
第八章
齊景公縱酒,醉而解衣冠,鼓琴以自樂。顧左右曰:“仁人亦樂此乎?”左右曰:“仁人耳目猶人,何為不樂乎!”景公曰:“駕車以迎晏子。”晏子聞廿,朝服而至。景公曰:“今者寡人此樂,顧與大夫同之。請去禮。”晏子曰:“君言過矣。自齊國五尺已上,力皆能勝嬰與君,所以不敢亂者,畏禮也。故自天子無禮則無以守社稷,諸侯無禮則無以守其國。為人上無禮則無以使其下,為人下無禮則無以事其上。大夫無禮則無以治其家,兄弟無禮則不同居。人而無禮,不若遄死。”景公色媿,離席而謝曰:“寡人不仁,無良左右,淫湎寡人,以至於此。請殺左右以補其過。”晏子曰:“左右無過。君好禮,則有禮者至,無禮者去。君惡禮,則無禮者至,有禮者去。左右何罪乎?”景公曰:“善哉!”乃更衣而坐,觴酒三行。晏子辭去。景公拜送。《詩》曰:“人而無禮,胡不遄死!”
齊景公は酒を縱し、醉いて衣冠を解開し、琴を鼓して以て自己を快樂す。回頭して左右に對して曰く、「仁人もまたこを快樂すか?」左右は曰く、「仁人の耳目はなお人、なぜ快樂せざらん!」景公は曰く、「車を駕して晏子を迎接せよ」と。晏子は聞き、朝服を穿着して到來せり。景公は曰く、「今寡人のこ快樂、願わくは大夫と一同せん。禮を去掉せんことを請う」と。晏子は曰く、「君の話は錯えり。齊國の五尺以上より、力は皆能く嬰と君に勝れり、敢えて亂せざる所以は、是れ禮を畏懼するなり。ゆえに天子に禮なくば則ち社稷を守る由なく、諸侯に禮なくば則ちあの國を守る由なし。人の上を爲して禮なくば則ち下を役使する由なく、人の下を爲して禮なくば則ち上に事奉する由なし。大夫に禮なくば則ち家を治める由なく、兄弟に禮なくば則ち同居せず。人を爲して禮なくば、速やかに死するに如かず」と。景公は神色慚愧し、席位を離れて謝罪して曰く、「寡人は仁ならず、善良の左右なく、寡人をして淫湎せしめ、以て此に至れり。左右を殺して以て過失を補わんことを請う」と。晏子は曰く、「左右に過なし。君が禮を愛好すれば、則ち禮有るのは到來し、禮なきのは離去す。君が禮を厭惡すれば、則ち禮なきのは到來し、禮有るのは離去す。左右に何の罪かあらん?」景公は曰く、「好しかな!」すなわち衣服を換えて坐下し、觴酒は三次行われり。晏子は告辭して離去す。景公は拜送せり。『詩經』に曰く、「人を爲して禮なくば、なぜ速やかに死せざる!」
第九章
傳曰:堂衣若扣孔子之門曰:“丘在乎?丘在乎?”子貢應之曰:“君子尊賢而容眾,嘉善而矜不能,親內及外,己所不欲,勿施於人。子何言吾師之名為?”堂衣若曰:“子何少言之絞!”子貢曰:“大車不絞則不成其任,琴瑟不絞則不成其音。子之言絞,是以絞之也。”堂衣若曰:“吾始以鴻之力,今徒翼耳。”子貢曰:“非鴻之力,安能舉其翼?”《詩》曰:“如切如瑳,如錯如磨。”
傳に記す:堂衣若は孔子の門を敲いて曰く、「丘は在るか?丘は在るか?」子貢は應答す、「君子は賢を尊んで衆を容納し、善を嘉許して不能を憐憫し、親近內して外に達し、自己の欲せざる所は、人に施加する勿れ。您はなぜ吾師の名を稱する?」堂衣若は曰く、「您はなぜ話こう少なくして急切!」子貢は曰く、「大車は絞緊せざれば則ちあの任を成さず、琴瑟は絞緊せざれば則ちあの音を成さず。您の話は急切、ゆえに急切を以て對待す」と。堂衣若は曰く、「我は起初以て鴻の力と爲せり、今はただ翅膀のみ」と。子貢は曰く、「鴻の力に非ざれば、どこに能く翅膀を擧げん?」『詩經』に曰く、「切るがごとく磋るがごとく、錯るがごとく磨るがごとし」と。
第十章
齊景公出弋昭華之池,使顏斵聚主鳥而亡之。景公怒而欲殺之。晏子曰:“夫斵聚有死罪四,請數而誅之。”景公曰:“諾。”晏子曰:“斵聚!汝為吾君主鳥而亡之,使吾君以鳥之故而殺人,是罪二也。使四國諸侯聞之,以吾君重鳥而輕士,是罪三也。天子聞之,必將貶絀吾君,危其社稷,絕其宗廟,是罪四也。此四罪者,故當殺無赦,臣請加誅焉。”景公曰:“止1此吾過矣。願夫子為寡人敬謝焉。”《詩》曰:“邦之司直。”
齊景公は昭華の池に射獵し、顏斵聚をして鳥を主管せしむるに丟失せり。景公は發怒して彼を殺さんと欲せり。晏子は曰く、「斵聚に死罪四樣有り、數說して誅殺せんことを請う」と。景公は曰く、「好し」と。晏子は曰く、「斵聚!あなたは吾君のために鳥を主管して丟失せり、是れ第一罪。吾君をして鳥の緣故を以て人を殺さしむ、是れ第二罪。四國諸侯をして聞かしめ、以て吾君は鳥を看重して士を看輕すと爲さしむ、是れ第三罪。天子聞き、必ず將に吾君を貶黜し、社稷を危害し、宗廟を斷絶せん、是れ第四罪。こ四罪は、該りて殺して赦免せざる所以、臣は誅殺を加えんことを請う」と。景公は曰く、「停下せよ!是れ我が過失なり。願わくは夫子は寡人に替わりて恭敬に道歉せよ」と。『詩經』に曰く、「邦國の正直を主持する」と。
第十一章
魏文侯問於解狐曰:“寡人將立西河之守,誰可用者?”解狐對曰:“荊伯柳者賢人,殆可。”文侯曰:“是非子之讎也?”對曰:“君問可,非問讎也。”於是將以荊伯柳為西河守。荊伯柳問左右:“誰言我於吾君?”左右皆曰:“解狐。”荊伯柳往見解狐而謝之曰:“子乃寬臣之過也,言於。謹再拜謝。”解狐曰:“言子者公也,怨子者私也。公事已行,怨子如故。”張弓射之,走十步而沒,可謂勇矣。《詩》曰:“邦之司直。”
魏文侯は解狐に問うた、「寡人は將に西河の守を立てん、誰を以て用ゆべき?」解狐は回答す、「荊伯柳は賢人、ほぼ可なり」と。文侯は曰く、「是れあなたの仇人に非ずや?」回答す、「君は可用を問う、仇を問うに非ず」と。すなわち將に荊伯柳を用いて西河守を爲さしめんとせり。荊伯柳は左右に問うた、「誰が吾君のところに我を稱説した?」左右は皆曰く、「解狐」と。荊伯柳は前往して解狐を見て謝罪して曰く、「您は竟に臣の過失を寬免し、君に向かいて稱説せり。謹んで再拜して謝す」と。解狐は曰く、「あなたを稱説するは公、あなたを怨むは私。公事はすでに實行せり、あなたを怨むはなお從前のごとし」と。弓を拉開して彼を射れば、十步走りて沒入す、以て勇と稱すべし。『詩經』に曰く、「邦國の正直を主持する」と。
第十二章
楚有善相人者,所言無遺策,聞於國中。莊王召見而問焉。對曰:“臣非能相人也,能相人之友者也。觀布衣者,其友皆孝弟,篤謹畏令,如此者家必日益,而身日安,此所謂吉人者也。觀事君者,其友皆誠信,有行好善,如此者措事日益,官職日進,此所謂吉臣者也。觀人主也,朝臣多賢,左右多忠,主有失,皆敢交爭正諫,如此者國日安,主日尊,名聲日顯,此所謂吉主者也。臣非能相人也,能觀人之友者也。”王曰:“善!”其所以任賢使能而霸天下者,殆遇之於是也。《詩》曰:“彼己之子,邦之彥兮。”
楚に善く人を相する有り、説く所に遺漏の策なく、國中に聞こえり。莊王は召見して問えり。回答す、「臣は能く人を相するに非ず、是れ能く人の朋友を相するなり。布衣を觀察すれば、彼の友は皆孝悌にして、篤謹にして法令を畏懼す、こごときの家は一定に一天天增益し、而して身は一天天安定す、是れを吉人と謂う。君に事奉するを觀察すれば、彼の友は皆誠信にして、品行有りて善を愛好す、こごときの措事は一天天增益し、官職は一天天進む、是れを吉臣と謂う。人主を觀察すれば、朝臣は賢多く、左右は忠多く、主に過失有れば、皆敢えて交相爭辯して正諫す、こごときの國は一天天安定し、主は一天天尊貴し、名聲は一天天顯著す、是れを吉主と謂う。臣は能く人を相するに非ず、是れ能く人の朋友を觀察するなり」と。王は曰く、「好し!」彼の賢を任し能を使して天下に稱覇する所以は、ほぼここに遇上せり。『詩經』に曰く、「あの人よ、是れ邦國の美士なり」と。
第十三章
孔子出遊少源之野,有婦人中澤而哭,其音甚哀。孔子怪之,使弟子問焉,曰:“夫人何哭之哀?”婦人曰:“在亡吾蓍簪,吾是以哀也。”弟子曰:“刈蓍薪而亡蓍簪,有何悲焉?”婦人曰:“非傷亡簪也,吾所以悲者,蓋不忘故也。”《詩》曰:“代馬依北風,飛鳥揚故巢。”皆不忘故之謂也。。
孔子は出游して少源の野に、婦人有りて澤中に哭す、聲音甚だ哀なり。孔子は怪奇と覺え、弟子をして問わしめて曰く、「夫人はなぜこう哀しく哭す?」婦人は曰く、「我が蓍簪を丟失せり、我はこを以て哀す」と。弟子は曰く、「蓍薪を割りて蓍簪を丟失す、何の悲しむべきか有る?」婦人は曰く、「簪を丟失するを傷むに非ず、我が悲しむ所以は、ほぼ故舊を忘れざるなり」と。『詩經』に曰く、「代馬は北風に依戀し、飛鳥は故巢に飛向す」と。皆是れ故舊を忘れざるを言うなり。
第十四章
傳曰:君子之聞道,入之於耳,藏之於心,察之以仁,守之以信,行之以義,出之以遜,故人無不虛心而聽也。小人之聞道,入之於耳,出之於口,茍言而已,譬如飽食而嘔之,其不惟肌膚無益,而於志亦戾矣。《詩》曰:“胡能有定。”
傳に記す:君子は道を聞き、耳に入り、心に藏れ、仁を用いて察し、信を用いて守り、義を用いて實行し、遜を用いて發出す、ゆえに人に虛心して聽かざるなし。小人は道を聞き、耳に入り、口より出づ、苟且に説くのみ、好比して飽食して嘔吐す、ただ肌膚に對して益なきのみならず、而して志向に對しても違背せり。『詩經』に曰く、「どうして能く定有らん」と。
第十五章
孔子與子路子貢顏淵遊於戎山之上,孔子喟然嘆曰:“二三子者各言爾志,予將賢焉。由爾何如?”曰:“得白羽如月,赤羽如日,擊鐘鼓者,上聞於天,旌旗翩飜,下蟠於地,惟由為能。”孔子曰:“勇士哉!賜爾何如?”對曰:“得素衣縞冠,使於兩國之間,不持尺寸之兵,升斗之糧,使兩國相親如兄弟。”孔子曰:“辯士哉!回爾何如?”對曰:“鮑魚不與蘭茝同笥而藏,桀紂不與堯舜同時而治。二子已言,回何言哉?”孔子曰:“回有鄙之心。”顏淵曰:“願得明王聖主為之相,使城郭不治,溝池不鑿,陰陽和調,家給人足,鑄庫兵以為農器。”孔子曰:“大士哉!由來,區區治何攻?賜來,便便治何使?願得衣冠為子宰焉。”
孔子と子路・子貢・顏淵は戎山の上に游び、孔子は慨然として嘆息して曰く、「諸位各々あなたらの志向を説け、我は將に以て賢と爲さん。由あなたはどうか?」曰く、「白羽は月のごとき、赤羽は日のごときを得、鐘鼓を擊つのは、上は天に聞こえ、旌旗翩翻は、下は地に盤す、ただ由は能し」と。孔子は曰く、「勇士かな!賜あなたはどうか?」回答す、「素衣縞冠を得、兩國の間に出使し、尺寸の兵器、升斗の糧食を拿らず、兩國をして相親くして兄弟のごとくせしむ」と。孔子は曰く、「辯士かな!回あなたはどうか?」回答す、「鮑魚は蘭茝と同箱に收藏せず、桀紂は堯舜と同時に治理せず。二人はすでに説けり、回は何を説かん?」孔子は曰く、「回は鄙陋の心有り」と。顏淵は曰く、「願わくは明王聖主を得て彼のために相を爲し、城郭を修治せず、溝池を開鑿せず、陰陽和調し、家給人足して、庫中の兵器を鎔鑄して農器を爲さしむ」と。孔子は曰く、「大士かな!由來れ、區區として何を攻打し治理せん?賜來れ、便便として何を出使し治理せん?願わくは衣冠を得てあなたらの宰を爲さん」と。
第十六章
賢士不以恥食,不以辱得。《老子》曰:“名與身孰親?身與貨孰多?得與亡孰病?是故甚愛必大費,多藏必厚亡。知足不辱,知止不殆,可以長久。大成若缺,其用不敝。大盈若沖,其用不窮。大直若詘,大辯若訥,大巧若拙,其用不屈。罪莫大於多欲,禍莫大於不知足,咎莫憯於欲得。故知足之足常足矣。”
賢士は羞恥を以て吃せず、受辱を以て得ず。『老子』に曰く、「名と身はどちらが更に親しい?身と貨はどちらが更に多い?得と失はどちらが更に病む?こを以て太だ愛すれば必ず大いに費やし、多く藏すれば必ず厚く亡す。足るを知れば辱を受けず、止まるを知れば危險ならず、以て長久すべし。大成は缺のごとく、その用は敝えず。大盈は虛のごとく、その用は窮まらず。大直は屈のごとく、大辯は訥のごとく、大巧は拙のごとく、その用は屈せず。罪は多欲より大なるなく、禍は足るを知らざるより大なるなく、咎は得たしと欲するより慘なるなし。ゆえに足るを知るの足は常常に足れり」と。
第十七章
孟子妻獨居,踞。孟子入戶視之,白其母曰:“婦無禮,請去之。”母曰:“何也?”曰:“踞。”其母曰:“何知之?”孟子曰:“我親見之。”母曰:“乃海無禮也,非婦無禮。《禮》不云乎:‘將入門,問孰存。將上堂,聲必揚。將入戶,視必下。’不掩人不備也。今治往燕私之處,入戶不有聲,令人居而視之,是汝之無禮也,非婦無禮也。”於是孟子自責,不敢去婦。《詩》曰:“採葑採菲,無以下禮。”
孟子の妻子は獨居し、蹲踞せり。孟子は戸に進み見て、母に告げて曰く、「婦人は禮なし、休去せんことを請う」と。母は曰く、「なぜ?」曰く、「蹲踞せり」と。母は曰く、「どうして知る?」孟子は曰く、「我は親ら見たり」と。母は曰く、「是れあなたの禮なき、婦人の禮なきに非ず。『禮』に説くではないか:『將に門に進まんとせば、誰在るかを問え。將に堂に上らんとせば、聲音は必ず揚げよ。將に戸に進まんとせば、視線は必ず下げよ』人を掩い不備にせざるなり。今往きて燕私の處に、戸に進みて聲なく、人をして居處せしめて看るは、是れあなたの禮なき、婦人の禮なきに非ず」と。すなわち孟子は自ら責備し、敢えて婦を休せず。『詩經』に曰く、「葑を采り菲を采り、根部を以てすな勿れ」と。
第十八章
孔子出衛之東門,逆姑布子卿,曰:“二三子使東避。有人將來,必相我者也。志之。”姑布子卿亦曰:“二三子引車避。有聖人將來。”孔子下步,姑步子卿迎而視之五十步,從而望之五十步,子貢曰:“是何為者也?”子貢曰:“賜之師也,所謂魯孔丘也。”姑布子卿曰:“是魯孔丘歟?吾固聞之。”子貢曰:“賜之師何如?”姑布子卿曰:“得堯之顙,舜之目,禹之頸,皋陶之喙。從前視之,盎盎乎似有土者。從後視之,高肩循固得之轉廣一尺四寸,此惟不及四聖者也。”子貢籲然。姑布子卿曰:“子何患焉?汙面而不惡,葭喙而不藉,遠而望之,羸喪家之狗。子何患焉?”子貢以告孔子。孔子無所辭,獨辭喪家之狗耳,曰:“丘何敢乎?”子貢曰:“汙面而不惡,葭喙而不藉,賜以知之矣。不知喪家狗,是何足辭也?”子曰:“賜,汝獨不見夫喪家之狗歟?既斂而槨,布席而祭。顧望無人,意欲施之。上無明王,下無賢方伯,王道衰,政教失,強陵弱,眾暴寡,百姓縱心,莫之綱紀。是人固以丘為欲當之者也。丘何敢乎!”
孔子は衛の東門を出で、迎面して姑布子卿に遇い、曰く、「諸位は車を讓りて東に避けよ。人將に到來せん、必ず我を相する。記住せよ」と。姑布子卿もまた曰く、「諸位は車を引き避けよ。聖人將に到來せん」と。孔子は下車して走り、姑布子卿は迎上して看ること五十步、跟隨して望むこと五十步、曰く、「是れ何を爲す?」子貢は曰く、「賜の老師、説く所の魯孔丘」と。姑布子卿は曰く、「是れ魯孔丘か?我本來聞けり」と。子貢は曰く、「賜の老師はどうか?」姑布子卿は曰く、「堯の額頭、舜の眼睛、禹の頸脖、皐陶の喙を得たり。從前より看れば、盎盎然として土有るのごとし。後より看れば、肩高く循固し、轉廣一尺四寸、是れただ四聖に趕上せず」と。子貢は吁然とせり。姑布子卿は曰く、「您は何を擔心する?污面して而して惡ならず、葭喙して而して藉せず、遠遠に望去、瘦すること喪家の狗のごとし。您は何を擔心する?」子貢は孔子に告げたり。孔子は別のを推辭せず、ただ喪家の狗を推辭し、曰く、「丘はどこに敢えてか?」子貢は曰く、「污面して而して惡ならず、葭喙して而して藉せず、賜はすでに知れり。喪家狗を知らず、是れ何の推辭に値する?」孔子は曰く、「賜、あなたは獨獨あの喪家の狗を見ずや?すでに殮入して椁し、布席して祭せり。回頭して望めば人なく、意念は施與せんと欲す。上に明王なく、下に賢方伯なく、王道は衰え、政敎は失い、強は弱を欺凌し、衆は寡を暴虐し、百姓は心を放縱し、人の來りて綱紀するなし。こ人は固より以て丘はこを擔當せんと欲すと爲す。丘はどこに敢えて!」
第十九章
修身不可不慎也。嗜慾侈則行虧,讒毀行則害成。患生於忿怒,禍起於纖微。汙辱難湔灑,敗失不復追。不深念遠慮,後悔何益?徼倖者,伐性之斧也。嗜慾者,逐禍之馬也。謾誕者,趨禍之路也。毀於人者,困窮之舍也。是故君子去徼倖,節嗜慾,務忠信,無毀於一人,則名聲常存,稱為君子矣。《詩》曰:“何其處也,必有興也。”
身を修むるは謹慎せざるべからず。嗜欲が奢侈すれば則ち品行は虧損し、讒毀が實行すれば則ち害は成就す。患は忿怒より生出し、禍は纖微より興起す。污辱は洗濯し難く、敗失は再び追回せず。深く念い遠く慮らざれば、後悔して何の益か有らん?徼幸は、是れ性を砍伐する斧。嗜欲は、是れ禍を追逐する馬。謾誕は、是れ禍に趨向する路。人に毀るるは、是れ困窮の舍。こを以て君子は徼幸を去掉し、嗜欲を節制し、務めて忠信を求め、一人に毀られざれば、則ち名聲は常に存して、君子と稱せらる。『詩經』に曰く、「なぜ安處せん、必ず興起する所有らん」と。
第二十章
君子之居也,綏如安裘,晏如覆杅。天下有道,則諸侯畏之。天下無道,則庶人易之。非獨今日,自古亦然。昔者范蠡行遊,與齊屠地居,仁義沉浮,湯湯慨慨,天地同憂。故君子居之,安得自若。《詩》曰:“心之憂矣,其誰知之!”
君子の居處は、綏然として安穩の裘のごとく、晏然として覆蓋の杅のごとし。天下に道有れば、則ち諸侯は畏懼す。天下に道なくば、則ち庶人は看輕す。ただ今のみならず、自古よりもこのごとし。從前范蠡は出行して游び、齊屠と居住し、仁義は沉浮し、湯湯慨慨として、天地と一同に憂えり。ゆえに君子の居處は、どこに能く自行して故のごとくせん。『詩經』に曰く、「心裏憂えり、誰か知らん!」
第二十一章
田子方之魏,魏太子從車百乘而迎之郊。太子再拜,謁田子方,田子方不下車。太子不說,曰:“敢問何如則可以驕人矣?”田子方曰:“吾聞以天下驕人而亡者有矣,以一國驕人而亡者有矣。由此觀之,則貧賤可以驕人矣。夫志不得,則授履而適秦楚耳,安往而不得貧賤乎?”於是太子再拜而後退。田子方遂不下車。
田子方は魏に至り、魏太子は車百乘を帶びて郊に迎接せり。太子は再拜し、田子方を謁見す、田子方は下車せず。太子は高興せず、曰く、「請問、どうすれば則ち人に對して驕傲すべきか?」田子方は曰く、「我は聞く、天下を用いて人に對して驕傲して滅亡する有り、一國を用いて人に對して驕傲して滅亡する有り。此より以て看れば、則ち貧賤は以て人に對して驕傲すべし。志向得られざれば、則ち鞋を提げて秦楚に至るのみ、どこに至りて貧賤を得ざらん?」すなわち太子は再拜して然る後に後退せり。田子方は終に下車せず。
第二十二章
戴晉生弊衣冠而往見梁王。梁王曰:“前日寡人以上大夫之祿要先生,先生不留,今過寡人邪?”戴晉生欣然而笑,仰而永嘆曰:“嗟乎!由此觀之,君曾不足與遊也。君不見大澤中雉乎?五步一噣,終日乃飽,羽毛悅澤,光照於日月,奮翼爭鳴,聲響於陵澤者何?彼樂其志也。援置之囷倉中,常噣梁粟,不旦時而飽,然猶羽毛憔悴,志氣益下,低頭不鳴。夫食豈不善哉?彼不得其志故也。今臣不遠千里而從君遊者,豈食不足?竊慕君之道耳。臣始以君為好士,天下無雙,乃今見君不好,明矣。”辭而去,終不復往。
戴晋生は破衣冠を穿着して前往して梁王を見たり。梁王は曰く、「前日寡人は上大夫の祿を用いて先生を邀請せり、先生は留下せず、今寡人を經過するか?」戴晋生は欣然として笑い、頭を擡げて長歎して曰く、「可歎かな!此より以て看れば、君は竟に彼と交游するに足らず。君は大澤中の雉を見ずや?五步して一啄し、整天して纔めて飽き、羽毛は悅澤し、光は日月を照らし、翼を奮い爭鳴し、聲は陵澤に響く、なぜか?彼はあの志向に樂しむなり。捉え來りて囷倉中に置けば、常常に粱粟を啄み、早晨に至らずして飽く、しかるになお羽毛は憔悴し、志氣は愈加低下し、頭を低くして鳴かず。食は豈に善ならざらん?彼はあの志向を得ざるの緣故なり。今臣は千里を遠しとせずして君に跟從して交游す、豈に食の足らざらん?私下に君の道を仰慕するのみ。臣は起初以て君は士を好み、天下に雙なしと爲せり、今君の好まざるを見、顯明なり」と。告辭して離去し、終に再び前往せず。
第二十三章
楚莊王使使齎金百斤聘北郭先生。先生曰:“臣有箕箒之使,願入計之。”即謂婦人曰:“楚欲以我為相,今日相,即結駟列騎,食方丈於前,如何?”婦人曰:“夫子以織屨為食,食粥毚履,無怵惕之憂者何哉?與物無治也。今如結駟列騎,所安不過容膝,食方丈於前,所甘不過一肉。以容膝之安,一肉之味,而殉楚國之憂,其可乎?”於是遂不應聘,與婦去之。《詩》曰:“彼美淑姬,可與晤言。”
楚莊王は使者を派して金百斤を帶びて北郭先生を聘せしめたり。先生は曰く、「臣に箕帚の妻有り、願わくは進入して彼女と計議せん」と。則ち婦人に對して曰く、「楚は我を用いて相を爲さんと欲す、今相を爲れば、則ち駟を結び騎を列ね、面前に方丈の食を吃す、どうか?」婦人は曰く、「夫子は屨を織るに靠りて飯を吃し、粥を喝し粗鞋を穿ち、怵惕の憂なきは、なぜか?物と糾葛なきなり。今駟を結び騎を列ぬるがごときは、安處する所は容膝に過ぎず、面前に方丈の食を吃するは、甘美する所は一塊の肉に過ぎず。容膝の安、一塊の肉の味を用いて、而して楚國の憂に殉ず、可なるか?」すなわち則ち聘を接受せず、婦人と離去せり。『詩經』に曰く、「あの美善なる淑姬よ、以て彼女と交談すべし」と。
第二十四章
傳曰:昔戎將由余使秦,秦繆公問以得失之要,對曰:“古有國者未嘗不以恭儉也,失國者未嘗不以驕奢也。”由余因論五帝三王之所以衰,及至布衣之所以亡。繆然之,於是告內史王廖曰:“鄰國有聖人,敵國之憂也。由余聖人也,將奈之何?”王廖曰:“夫戎王居僻陋之地,未嘗見中國之聲色。君其遺之女樂以淫其志,亂其政,其臣下必疎。因為由余請緩期,使其君臣有間,然後可圖。”繆公曰:“善。”乃使王廖以女樂二列遺戎王,為由余請期。戎王大悅,許之。於是張酒聽樂,日夜不休,終歲淫縱,牛馬多死。由余歸,數諫不聽,去之秦。秦繆公迎而拜之上卿。遂並國十二,闢地千里。
傳に記す:從前戎將由余は秦に出使し、秦繆公は得失の要約を問えり、回答す、「古代國有るはかつて恭儉を以てせざらず、國を失うはかつて驕奢を以てせざらず」と。由余はすなわち五帝三王の衰える所以、及び布衣に到るの滅亡する所以を論述せり。繆公は以て對と爲し、すなわち內史王廖に告げて曰く、「鄰國に聖人有り、是れ敵國の憂。由余は聖人、將にどうせん?」王廖は曰く、「戎王は僻陋の地に居り、かつて中國の聲色を見ず。君はなお女樂を送りて以て彼の志向を淫亂せしめ、彼の政を擾亂し、彼の臣下は一定に疏遠せん。こを以て由來のために緩期を請求し、彼の君臣に間隙有らしめ、然る後に以て圖謀すべし」と。繆公は曰く、「好し」と。すなわち王廖をして女樂二列を用いて戎王に送らしめ、由余のために延期を請求せしめたり。戎王は非常に喜悅し、允許せり。すなわち酒を張設し樂を聽き、日夜不休し、終年淫縱し、牛馬は多く死せり。由余は歸り、屢次進諫するに聽かれず、離開して秦に至れり。秦繆公は迎接して彼を拜して上卿を爲さしめたり。すなわち國十二個を兼幷し、地千里を開闢せり。
第二十五章
子夏過曾子,曾子曰:“入食。”子夏曰:“不為公費乎?”曾子曰:“君子有三費,飲食不在其中。君子有三樂,鐘磬琴瑟不在其中。”子夏曰:“敢問三樂。”曾子曰:“有親可畏,有君可事,有子可遺,此一樂也。有親可諫,有君可去,有子可怒,此二樂也。有君可喻,有友可助,此三樂也。”子夏曰:“敢問三費。”曾子曰:“少而學,長而忘之,此一費也。事君有功,而輕負之,此二費也。久交友而中絕之,此三費也。”子夏曰:“善哉!謹身事一言,愈於終身之誦,而事一士,愈於治萬民之功。夫知人者不可以不知,何也?吾嘗蓾焉吾田,朞歲不收。土莫不然,何況於人乎?與人以實,雖疎必密。與人以虛,雖戚必疎。夫實之與實,如膠如漆。虛之興虛,如薄冰之見晝日。君子可不留意哉!”《詩》曰:“神之聽之,終和且平。”
子夏は曾子を拜訪し、曾子は曰く、「進入して飯を吃せよ」と。子夏は曰く、「公家のを浪費せざらんか?」曾子は曰く、「君子に三費有り、飲食はその中に在らず。君子に三樂有り、鐘磬琴瑟はその中に在らず」と。子夏は曰く、「三樂を請問す」と。曾子は曰く、「親有りて敬畏すべく、君有りて事奉すべく、子有りて遺留すべし、是れ第一樂。親有りて進諫すべく、君有りて離開すべく、子有りて怒責すべし、是れ第二樂。君有りて曉喻すべく、友有りて幫助すべし、是れ第三樂」と。子夏は曰く、「三費を請問す」と。曾子は曰く、「年少にして學習し、長大して忘るる、是れ第一費。君に事奉して功有り、而して輕易に辜負す、是れ第二費。長久交友して而して中途斷絶す、是れ第三費」と。子夏は曰く、「好しかな!自身を謹慎して一句話に事奉するは、終身誦讀に勝過し、而して一士に事奉するは、萬民を治理する功に勝過す。人を知るは知らざるべからず、なぜか?我はかつて我が田を蕪穢し、滿一年收穫なし。土はこのごとくならざるなく、何を況んや人をや?實を用いて人に給與すれば、たとい疏遠なりとも必ず親密す。虛を用いて人に給與すれば、たとい親近なりとも必ず疏遠す。實と實は、膠のごとく漆のごとし。虛と虛は、薄冰の白日を見るがごとし。君子は能く留意せざらんか!」『詩經』に曰く、「神は聽きて、終に和諧し且つ平和なり」と。
第二十六章
晏子之妻布衣紵表。田無宇譏之曰:“出於室何為者也?”晏子曰:“臣家也。”田無宇曰:“位為中卿,食田七十萬,何用是人為畜之?”晏子曰:“棄老取少謂之瞽,貴而忘賤謂之亂,見色而說謂之逆。吾豈以逆辭之瞽之道哉。”
晏子の妻子は布衣纻表を穿着せり。田無宇は譏諷して曰く、「室里より出づるは何を爲す?」晏子は曰く、「是れ臣の家人」と。田無宇は曰く、「位子は中卿、食田七十萬、なぜこ人を用いて畜養する?」晏子は曰く、「老いたるを拋棄して少なきを娶るを瞽と謂い、貴にして賤を忘るるを亂と謂い、色を見て喜悅するを逆と謂う。我はどこに逆・亂・瞽の道を用いんや」と。
第二十七章
夫鳳凰之初起也,翾翾十步,藩籬之雀,喔吚而笑之。一詘一信,展羽雲間,藩籬之雀超然自知不及遠矣。士褐衣縕著未嘗完也,糲荅之食未嘗飽也,世俗之士即以為羞耳。及其出則安百議,用則延民命,世俗之士超然自知不及遠矣。《詩》曰:“正是國人,胡不萬年!”
鳳凰は剛く飛起し、翾翾として十步、藩籬の雀は喔咿として彼を嘲笑す。一屈一伸して、雲間に羽を展開すれば、藩籬の雀は超然として自ら趕上せざる遠きを知れり。士は褐衣縕絮を穿着してかつて完好せず、糙豆の飯はかつて飽食せず、世俗の士は則ち以て羞恥と爲す。彼が出でれば則ち百議を安定し、用いられれば則ち民命を延長するに及び、世俗の士は超然として自ら趕上せざる遠きを知れり。『詩經』に曰く、「こ國人を端正せよ、なぜ萬年ならざらん!」
第二十八章
齊王厚送女,欲妻奢牛吐。屠牛吐辭以疾。其友曰:“子終死腥臭之肆而已乎,何謂辭之?”吐應之曰:“其女丑。”其友曰:“子何以知之?”吐曰:“以吾屠知之。”其友曰:“何謂也?”吐曰:“吾肉善,如量而去苦少耳。吾肉不善,雖以他附益之,尚猶賈不售。今厚送子,子丑故耳。”其友後見之,果醜。傳曰:目如擗杏,齒如編蠁。
齊王は厚く女兒を送り、屠牛吐に嫁さんと欲せり。屠牛吐は病を用いて推辭せり。彼の朋友は曰く、「您は終に腥臭の肆裏に死せんとするか、なぜ推辭する?」吐は應答す、「あの女兒は醜し」と。朋友は曰く、「您は何を憑りて知る?」吐は曰く、「我が屠宰を用いて知れり」と。朋友は曰く、「何の意思か?」吐は曰く、「我が肉好ければ、量に按じて去るになお少なしと嫌う。我が肉好からざれば、たとい別のを以て附益すとも、なお賣掉せず。今厚く您に送るは、是れ女兒の醜きの緣故のみ」と。朋友は後に見て、果して醜し。傳に記す:眼睛は裂開の杏のごとく、牙齒は編起の蛹のごとし。
第二十九章
傳曰:孔子過康子,子張子夏從。孔子入坐,二子相與論,終日不決。子夏辭氣甚隘,顏色甚變。子張曰:“子亦聞夫子之議論邪?徐言誾誾,威儀翼翼,後言先默,得之推讓,巍巍乎,蕩蕩乎,道有歸矣!小人之論也,專意自是,言人之非,瞋目搤腕,疾言噴噴,口沸目赤。一幸得勝,疾笑嗌嗌。威儀固陋,辭氣鄙俗,是以君子賤之也。”
傳に記す:孔子は康子を拜訪し、子張・子夏は跟隨せり。孔子は進入して坐し、二人は互相に論じ、整天して決せず。子夏は辭氣甚だ狹隘にして、臉色大變せり。子張は曰く、「您もまた夫子の議論を聞いたるか?慢慢と説き訚訚とし、威儀翼翼とし、後に説き先に沉默し、得れば則ち推讓し、巍巍かな、蕩蕩かな、道に歸宿有り!小人の論は、專意に自己を是と爲し、別人の不對を説き、眼を瞪え腕を扼え、話は急得噴噴として、口は沸き眼睛は紅し。一旦僥倖に勝を得れば、笑い急に嗌嗌たり。威儀は固陋にして、辭氣は鄙俗、こを以て君子は看輕す」と。
韓詩外傳 卷第十
第一章
齊桓公逐白鹿,至麥丘,見邦人曰:“爾何謂者也?”對曰:“臣麥丘之邦人。”桓公曰:“叟年幾何?”對曰:“臣年八十有三矣。”桓公曰:“美哉壽也!”與之飲。曰:“叟盍為寡人壽也?”對曰:“野人不知為君王之壽。”桓公曰:“盍以叟之壽祝寡人矣!”邦人奉觴再拜曰:“使吾君固壽,金玉之賤,人民是寶。”桓公曰:“善哉祝乎!寡人聞之矣,至德不孤,善言必再,叟盍復之。”邦人奉觴再拜曰:“使吾君好學而不惡下問。賢者在側,諫者得入。”桓公曰:“善哉客乎!寡人聞之,至德不孤,善言必三,叟盍復之。”邦人奉觴再拜曰:“無使群臣百姓得罪於吾君,亦無使吾君得罪於群臣百姓。”桓公不說曰:“此一言者,非夫前二言之祝,叟其革之矣。”邦人瀾然而涕下,此一言者,夫前二言之上也。臣聞子得於父,可因姑姊妹而謝也,父乃赦之。臣得罪於君,可使左右而謝也,君乃赦之。昔者桀得罪湯,紂得罪於武王,此君得罪於臣也,至今未有為謝者。”桓公曰:“善哉!寡人賴宗廟之福,社稷之靈,使寡人遇叟於此。”扶而載之,自御以歸,薦之於廟而斷政焉。桓公之所以九合諸侯,一匡天下,不以兵車,非獨管仲也,亦遇之於是。《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”
齊桓公は白鹿を追逐し、麥丘に至り、邦人を見て曰く、「あなたは何を爲す?」回答す、「臣是れ麥丘の邦人」と。桓公は曰く、「叟の年紀は多少?」回答す、「臣の年紀は八十三」と。桓公は曰く、「美かな長壽!」彼と飲酒す。曰く、「叟はなぜ寡人に替わりて祝壽せざる?」回答す、「野人は君王のために祝壽するを懂得せず」と。桓公は曰く、「なぜ叟の壽を以て寡人に祝せざる!」邦人は觴を捧げ再拜して曰く、「我らの君をして實に長壽ならしめ、金玉は看輕し、人民を寶と當てん」と。桓公は曰く、「好しかなこ祝!寡人は聞けり、至德は孤單ならず、善言は一定に再説す、叟はなぜ重複せざる」と。邦人は觴を捧げ再拜して曰く、「我らの君をして學を愛好して下に問うを厭惡せざらしめん。賢者は旁邊に在り、進諫するは得て進入せん」と。桓公は曰く、「好しかなこ客!寡人は聞く、至德は孤單ならず、善言は一定に三次す、叟はなぜ重複せざる」と。邦人は觴を捧げ再拜して曰く、「群臣百姓をして吾君に得罪せしむる勿れ、また吾君をして群臣百姓に得罪せしむる勿れ」と。桓公は高興せず曰く、「こ一句話は、前兩句の祝に非ず、叟はなお改めよ」と。邦人は瀾然として淚を流し、こ一句話は、是れ前兩句の上なり。臣は聞く、兒子は父に得罪すれば、以て姑姊妹を通じて謝罪すべく、父は則ち赦免す。臣は君に得罪すれば、以て左右に謝罪せしむべく、君は則ち赦免す。從前桀は湯に得罪し、紂は武王に得罪せり、是れ君が臣に得罪する、今に至るまで彼らに替わりて謝罪するなし」と。桓公は曰く、「好しかな!寡人は宗廟の福、社稷の靈に依賴し、寡人をしてここに叟に遇わしめり」と。扶持して載上し、自ら車を駕して歸り、廟に推薦して彼に政を決斷せしめたり。桓公の九合諸侯し、一匡天下し、兵車を用いざる所以は、ただ管仲のみならず、亦たここに遇上せり。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。
第二章
鮑叔薦管仲曰:“臣所不如管夷吾者五。寬惠柔愛,臣弗如也。忠信可結於百姓,臣弗如也,制禮約法於四方,臣弗如也。決獄折中,臣弗如也。執枹鼓立於軍門,使士卒勇,臣弗如也。”《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”
鮑叔は管仲を擧薦して曰く、「臣の管夷吾に如かざるは五樣有り。寬惠柔愛は、臣は如かず。忠信は以て百姓と結交すべき、臣は如かず。禮を制定し四方に法を約束するは、臣は如かず。獄を決し折中するは、臣は如かず。枹鼓を持ちて軍門に立ち、士卒を勇ならしむは、臣は如かず」と。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。
第三章
晉文公重耳亡過曹,裡鳧須眾,因盜重耳資而亡。重耳無糧,餒不能行,子推割股肉以食重耳,然後能行。及重耳反國,國中多不附重耳者。於是裡鳧須造見曰:“臣能安晉國。”文公使人應之曰:“子尚何面目來見寡人慾安晉也!”裡鳧須曰:“君沐邪?”使者曰:“否。”裡鳧須曰:“臣聞沐者其心倒,心倒者其言悖。今君不沐,何言之悖也?”使者以聞。文公見之,裡鳧須仰首曰:“離國久,臣民多過君,君反國而民皆自危。裡鳧須又襲竭君之資,避於深山,而君以餒,介子推割股,天下莫不聞。臣之為賊亦大矣,罪至十族,未足塞責。然君誠赦之罪,與驂乘遊於國中,百姓見之,必知不念舊惡,人自安矣。”於是文公大悅,從其計,使驂乘於國中。百姓見之,皆曰:“夫裡鳧須且不誅而驂乘,吾何懼也!”是以晉國大寧。故《書》云:“文王卑服,即康功田功。”若裡鳧須,罪無赦者也。《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”
晋文公重耳は出亡して曹を經過し、里鳧須衆人は、こを以て重耳の資財を盜取して逃れり。重耳は糧なく、餓えて走る能わず、子推は股肉を割きて重耳に吃さしめ、然る後に能く走れり。重耳が國に返回するに及び、國中に多く重耳に親附せざる有り。すなわち里鳧須は前來して見んことを求めて曰く、「臣は能く晋國を安定せん」と。文公は人を派して應答せしめて曰く、「您はなお何の面目有りて寡人を見て晋を安定せんと欲する!」里鳧須は曰く、「君は頭を洗うか?」使者は曰く、「無し」と。里鳧須は曰く、「臣は聞く、頭を洗う人は心は倒轉し、心倒轉すれば話は悖亂す。今君は頭を洗わず、なぜ話悖亂する?」使者は告げたり。文公は彼を見、里鳧須は頭を擡げて曰く、「國を離開すること久し、臣民多く君に對不起する有り、君は國に返回して民は皆自ら危險す。里鳧須はまた襲擊して君の資財を取盡し、深山に躲避し、而して君はこを以て挨餓し、介子推は股を割き、天下に聞こえざるなし。臣の賊を爲すは亦た大なり、罪は十族に至り、なお足らずして責を抵塞す。しかるに君が若し罪を赦免し、彼と驂乘して國中に游べば、百姓見て、必ず舊惡を記さざるを知り、人は自ら安定せん」と。すなわち文公は非常に喜悅し、彼の計に跟從し、彼をして國中に驂乘せしめたり。百姓は見て、皆曰く、「あの里鳧須はなお誅せられずして驂乘す、我らは何を怕れん!」こを以て晋國は大いに安寧せり。ゆえに『尚書』に曰く、「文王は卑服し、安民功田功に就着す」と。里鳧須のごときは、是れ罪赦免すべからざるなり。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。
第四章
傳曰:言為王之不易也。大命之至,其太宗、太史、太祝,斯素服執策,北面而吊乎天子曰:“享以祭,永主天命,畏之無疆,厥躬無敢寧。”授天子策二矣,曰:“敬之!夙夜伊,厥躬無怠。萬民望之。”授天子策三矣,曰:“天子南面受於帝位,以治為憂,未以位為樂也。”《詩》曰:“天難諶斯,不易惟王。”
傳に記す:是れ王を爲すの容易ならざるを言う。大命は到來し、あの太宗・太史・太祝は、素服を穿着し策を手持し、北面して天子に吊唁して曰く、「享用して以て祭り、永遠に天命を主持し、それを畏懼して疆界なく、自身敢えて安寧せず」と。天子に策を授給すること二、曰く、「敬なり!早朝より晩夕まで、自身怠慢する勿れ。萬民は仰望す」と。天子に策を授給すること三、曰く、「天子は南面して帝位より接受し、以て治理を憂と爲し、以て位子を樂と爲さず」と。『詩經』に曰く、「天は誠信し難く、容易ならざるはただ王なり」と。
第五章
君子溫儉以求於仁,恭讓以求於禮,得之自是,不得自是。故君子之於道也,猶農夫之耕,雖不獲年,優之無以易也。大王亶甫有子曰太伯、仲雍、季歷。歷有子曰昌。太伯知大王賢昌而欲季為後也,太伯去之吳。大王將死,謂曰:“我死,汝往讓兩兄,彼不來,汝有義而安。”大王薨,季之吳告伯仲,伯仲從季而歸。群臣欲伯之立季,季又讓。伯謂仲曰:“今群臣欲我立季,季又讓,何以處之?”仲曰:“刑有所謂矣,要於扶微者。可以立季。”季遂立而養文王,果受命而王。孔子曰:“太伯獨見,王季獨知。伯見父志,季知父心。故大王、太伯、王季,可謂見始知終而能承志矣。”《詩》曰:“自太伯王季。惟此王季,因心則友,則友其兄,則篤其慶,載錫之光,受祿無喪,奄有四方。”此之謂也。太伯反吳,吳以為君,至夫差二十八世而滅。
君子は溫儉を以て仁を求め、恭讓を以て禮を求め、得れば自然このごとく、得ざるも亦た自然このごとし。ゆえに君子の道に對するは、農夫の田を耕すがごとく、たとい年成を獲得せずとも、優游として改易するに用いるなし。大王亶甫に兒子有りて太伯・仲雍・季歷と曰う。歷に兒子有りて昌と曰う。太伯は大王が昌を以て賢と爲し季をして後を爲さしめんと欲するを知り、太伯は離開して吳に至れり。大王は將に死せんとして、曰く、「我死せば、あなたは前往して兩兄に讓れ、彼ら來らざれば、あなたは義有りて安寧せん」と。大王薨ずれば、季は吳に至り伯仲に告げ、伯仲は季に跟從して歸れり。群臣は伯に季を立てしめんと欲す、季はまた讓れり。伯は仲に對して曰く、「今群臣は我に季を立てしめんと欲す、季はまた讓る、どう處置せん?」仲は曰く、「刑に説く所有り、要約は微弱を扶持するに在り。以て季を立つべし」と。季はすなわち立ちて文王を養い、果して命を受け王と稱せり。孔子は言った。「太伯は獨り見、王季は獨り知れり。伯は父の志向を見、季は父の心を知れり。ゆえに大王・太伯・王季は、以て始を見て終を知りて能く志向を承受すると稱すべし」と。『詩經』に曰く、「太伯王季より。ただこ王季のみ、心に因りて友愛し、則ち彼の兄を友愛し、則ちあの慶を篤厚し、すなわち光を賜與し、祿を受けて喪失なく、四方を奄有す」と。言うはこのことなり。太伯は吳に返回し、吳は彼を用いて君と爲し、夫差に至るまで二十八世して滅亡せり。
第六章
齊宣王與魏惠王會田於郊。魏王曰:“亦有寶乎?”齊王曰:“無有。”魏王曰:“若寡人之小國也,尚有徑過之珠照車前後十二乘者十枚,奈何以萬乘之國無寶乎?”齊王曰:“寡人之小所以為寶與王異。吾臣有檀子者,使之守南城,則楚人不敢北郷為寇,泗水上有十二諸侯皆起來朝。吾臣有朌子者,使之守高唐,則趙人不敢東漁於河。吾臣有黔夫者,使之守徐州,則燕人祭北門,趙人祭西門,從而歸之者七千餘家。吾臣有種首者,使之備盜賊,而道不拾遺。吾將以照千里之外,豈特十二乘哉!”魏王慚,不懌而去。《詩》曰:“辭之懌矣,民之莫矣。”
齊宣王と魏惠王は郊に會獵せり。魏王は曰く、「亦た寶有るか?」齊王は曰く、「無し」と。魏王は曰く、「寡人のごとき小國も、なお直徑超過し、車前後十二乘を照らす珠十枚有り、なぜ萬乘之國を憑りて寶なからん?」齊王は曰く、「寡人の寶と當てる所以は王と同じからず。吾臣に檀子有り、彼をして南城を守らしめば、則ち楚人は敢えて北に向かいて寇を爲さず、泗水上に十二諸侯は皆起きて朝す。吾臣に朌子有り、彼をして高唐を守らしめば、則ち趙人は敢えて東に向かいて河裏に魚を打たず。吾臣に黔夫有り、彼をして徐州を守らしめば、則ち燕人は北門を祭り、趙人は西門を祭り、跟從して歸向する七千餘家有り。吾臣に種首有り、彼をして盜賊を防備せしむれば、而して道路は遺を拾わず。我は將にこれらを用いて千里の外を照らさん、どこにただ十二乘のみあらん!」魏王は慚愧し、不悅にして離去せり。『詩經』に曰く、「辭は喜悅せり、民は安定す」と。
第七章
東海有勇士,曰菑丘欣,以勇猛聞於天下。過神淵,曰:“飲馬。”其僕曰:“飲馬於此者,馬必死。”曰:“以欣之言飲之。”其馬果沉。菑丘欣去朝服拔劍而入,三日三夜,殺三蛟一龍而出。雷神隨而擊之,十日十夜,眇其左目。要離聞之,往見之,曰:“欣在乎?”曰:“送有喪者。”往見欣於墓。曰:“聞雷神擊子十日十夜,眇子左目。夫天怨不全日,人怨不旋踵。至今弗報,何也?”叱而去,墓上振憤者不可勝數。要離歸,謂門人曰:“菑丘欣,天下勇士也。今日我辱之人中,是其必來攻我。暮無閉門,寢無閉戶。”菑丘欣果夜來,拔劍拄要離頸,曰:“子有死罪三。辱我以人中,死罪一也。暮無閉門,死罪二也。寢不閉戶,死罪三也。”要離曰:“子待我一言。來謁,不肖一也。拔劍不刺,不肖二也。刃先辭後,不肖三也。能殺我者,是毒藥之死耳。”菑丘欣引劍而去曰:“嘻!所不若者,天下惟此子爾!”傳曰:公子目夷以辭得國,今要離以辭得身。言不可不文,猶若此乎?《詩》曰:“辭之懌矣,民之莫矣。”
東海に勇士有り、菑丘欣と曰い、勇猛を以て天下に聞こえり。神淵を經過し、曰く、「馬を飲め」と。僕人は曰く、「ここに馬を飲ましむるは、馬は一定に死す」と。曰く、「欣の話に按じて飲め」と。あの馬は果して沉沒せり。菑丘欣は朝服を去掉し劍を拔きて進入し、三天三夜、三蛟一龍を殺して出づ。雷神は跟從して擊打し、十天十夜、左眼を眇めり。要離は聞き、前往して彼を見て、曰く、「欣は在るか?」曰く、「喪事有るを送る」と。墓上に到り欣を見たり。曰く、「雷神が您を擊ち十天十夜、您の左眼を眇めたるを聞けり。天の怨は一天を超過せず、人の怨は腳跟を轉ぜず。今に至りて報せず、なぜか?」叱責して離去す、墓上に振憤するは勝數すべからず。要離は歸り、門人に對して曰く、「菑丘欣は、是れ天下の勇士。今天我は人中に彼を侮辱せり、彼は一定に來りて我を攻めん。晚上は門を關する勿れ、睡は戸を閉する勿れ」と。菑丘欣は果して夜裏に來り、劍を拔きて要離の頸に拄えて曰く、「您に死罪三樣有り。人中に我を侮辱す、是れ死罪一。晚上門を關せず、是れ死罪二。睡に戸を閉せず、是れ死罪三」と。要離は曰く、「您は我の一句話を待て。來りて謁見するは、不肖一。劍を拔きて刺さざるは、不肖二。刃は先にして辭は後なるは、不肖三。能く我を殺すは、是れ毒藥の死のみ」と。菑丘欣は劍を引き離去して曰く、「嘻!比上せざる所は、天下にただこ人一個のみ!」傳に記す:公子目夷は辭を用いて國を得、今要離は辭を用いて身を得たり。言語は文せざるべからず、なおこのごときか?『詩經』に曰く、「辭は喜悅せり、民は安定す」と。
第八章
傳曰:齊使使獻鴻於楚,鴻渇,使者道飲,鴻攫筥潰失。使者遂之楚,曰:“齊使臣獻鴻,鴻渇,道飲,攫筥潰失。臣欲亡去,為兩君之使不通。欲拔劍而死,人將以吾君賤士貴鴻也。攫筥在此,願以將事。”楚王賢其言,辯其詞,因留而賜之,終身以為上客。故使者必矜文辭,喻誠信,明氣志,解結申屈,然後可使也。《詩》曰:“辭之懌矣,民之莫矣。”
傳に記す:齊は使者を派して楚に鴻を獻ぜしめ、鴻は渴き、使者は路上に彼を飲ましめ、鴻は攫破して筥を逃失せり。使者はすなわち楚に至り、曰く、「齊は臣を派して鴻を獻ぜしむ、鴻は渴き、路上に飲み、攫破して筥を逃失せり。臣は逃亡して離去せんと欲すれど、兩君の使節の通ぜざらんことを怕る。劍を拔きて死せんと欲すれど、人は將に以て吾君は士を看輕し鴻を看重すと爲さん。破筥はここに在り、願わくは以て事を將せん」と。楚王は以て彼の話は賢、彼の辭は善辯と爲し、こを以て留下して彼に賜い、終身上客と當てり。ゆえに使者は一定に文辭を矜持し、誠信を曉喻し、氣志を顯明し、結を解開し屈を申述し、然る後に纔めて派すべし。『詩經』に曰く、「辭は喜悅せり、民は安定す」と。
第九章
扁鵲過虢侯,世子暴病而死。扁鵲造宮門,曰:“吾聞國中卒有壞土之事,得無有急乎?”曰:“世子暴病而死。”扁鵲曰:“入言鄭醫秦越人能活之。”中庶子好方者出應之,曰:“吾聞上古醫曰茅父,茅父之為醫也,以莞為席,以蒭為狗,北面而祝之,發十言耳,諸扶輿而來者皆平復如故。子之方豈能若是乎?”扁鵲曰:“不能。”又曰:“吾聞中古之為醫者曰踰跗,踰之為醫也,搦腦髓,爪荒莫,吹區九竅,定腦脫,死者復生。子之方豈能若是乎?”扁鵲曰:“不能。”中庶子曰:“茍如子之方,譬如以管窺天,以錐刺地,所窺者大,所見者小,所刺者巨,所中者少。如子之方,豈足以變駭童子哉?”扁鵲曰:“不然。事故有昧投而中蠡(上改為民)頭,掩目別白黑者。夫世子病所謂屍蹶者。以為不然,試入診世子股陰當溫,耳焦焦如有啼者聲。若此者,皆可活也。”中庶子遂入診世子,以病報虢侯。虢侯聞之,足跣而起,至門曰:“先生遠辱,幸臨寡人。先生幸而治之,則糞土之息,得蒙天載地長為人。先生弗治之,則先犬馬填溝壑矣。”言未卒而涕泣沾襟。扁鵲入,砥針礪石,取三陽五輸,子同搗藥,子明灸陽,子游按摩,子儀反神,子越扶形,於是世子復生。天下聞之,皆以扁鵲能起死人也。扁鵲曰:“吾不能起死人,直使夫當生者起耳。”夫死者猶可藥,而況生乎?悲夫!罷君之治,無可藥而息也。《詩》曰:“不可救藥。”言必亡而已矣。
扁鵲は虢侯を經過し、世子は暴病して死せり。扁鵲は宮門に至り、曰く、「我は聞く、國中に突然壞土の事有り、該りて急ならざらんか?」曰く、「世子は暴病して死せり」と。扁鵲は曰く、「進入して鄭醫秦越人は能く救活すと言え」と。中庶子の方術を愛好するは出でて應答して曰く、「我は聞く、上古の醫は茅父と曰い、茅父は醫を爲し、莞を用いて席を爲し、芻を用いて狗を爲し、北面して祝禱し、ただ十句話を發するのみ、凡そ扶輿して來るは皆平復して故のごとし。您の方は豈に能くこのごとくせんか?」扁鵲は曰く、「能わず」と。又曰く、「我は聞く、中古に醫を爲すは俞跗と曰い、俞跗は醫を爲し、腦髓を按じ、膏膜を抓み、九竅を吹嘘し、腦脫を安定し、死者は復生す。您の方は豈に能くこのごとくせんか?」扁鵲は曰く、「能わず」と。中庶子は曰く、「若し您の方のごときは、好比して管を用いて天を窺い、錐を用いて地を刺す、窺う所は大、見る所は小、刺す所は巨、中る所は少。您の方のごときは、どこに足りて驚駭童子を改變せん?」扁鵲は曰く、「然らず。事は本來暗投して蠓頭に中り、眼を掩いて黑白を分別する有り。世子の病は是れ説く所の尸蹶。以て是れのごとくならずと爲さば、試みに進入して世子の股陰を診れば該りて溫く、耳焦焦として啼の聲有るがごとし。こごときは、皆救活すべし」と。中庶子はすなわち進入して世子を診し、病を虢侯に報告せり。虢侯は聞き、腳を光にして起身し、門に至りて曰く、「先生は遠道を受辱し、幸いに寡人に臨めり。先生は幸いに治療せば、則ち糞土の子息は、得て天覆地載を蒙受して長く人を成さん。先生は治療せざれば、則ち先に犬馬に溝壑を塡めん」と。話は未だ說盡さずして涕泣は襟を沾せり。扁鵲は進入し、鍼を磨き石を礪し、三陽五輸を取り、子同は藥を搗き、子明は陽を灸し、子游は按摩し、子儀は神を返し、子越は形を扶け、すなわち世子は復生せり。天下は聞き、皆以て扁鵲は能く死を起こし生を回すと爲せり。扁鵲は曰く、「我は能く死人を起こさず、ただあの該りて活すべきをして起きしむるのみ」と。死人はなお藥を以てすべし、何を況んや活けるをや?可悲かな!疲罷の君の治理は、藥の救うべきなくして止息す。『詩經』に曰く、「藥に救うべからず」と。是れ一定に滅亡するのみを言うなり。
第十章
楚丘先生披蓑帶索,往見孟嘗君。孟嘗君曰:“先生老矣,春秋高矣,多遺忘矣,何以教文?”楚丘先生曰:“惡將使我老?惡將使我老?意者將使我投石超距乎?追車赴馬乎?逐麋鹿搏虎豹乎?吾則死矣,何暇老哉?將使我深計遠謀乎?役精神而決嫌疑乎?出正辭而當諸侯乎?吾乃始壯現,何老之有!”孟嘗君赧然,汗出至踵,曰:“文過矣,文過矣!”《詩》曰:“老夫灌灌。”
楚丘先生は蓑を披き索を帶び、前往して孟嘗君を見たり。孟嘗君は曰く、「先生は老いたり、春秋は高く、多く遺忘す、何を憑りて文を敎導せん?」楚丘先生は曰く、「どうして將に我を老せしめん?どうして將に我を老せしめん?恐らく將に我をして石を投げ距を超えしめんか?車を追い馬に赴かしめんか?麋鹿を追逐し虎豹を搏擊せしめんか?我は則ち死せん、どこに閒暇有りて老いん?將に我をして深計遠謀せしめんか?精神を役使して嫌疑を決斷せしめんか?正辭を出して諸侯に應對せしめんか?我は纔めて壯を開始す、どこに老あらん!」孟嘗君は赧然として、汗は腳跟に至りて出で、曰く、「文は錯えり、文は錯えり!」『詩經』に曰く、「老夫は懇懇たり」と。
第十一章
齊景公遊於牛山之上,而北望齊,曰:“美哉國乎!鬰鬰蓁蓁,使古而無死者,則寡人將去而何之!”俯而泣下沾襟。國子高曰:“然!臣賴君之賜,疏食惡肉可得而食也,駑馬柴車可得而乘也,且猶不欲死,而況君乎!”又俯而泣。晏子笑曰:“樂哉,今日嬰之遊也!見怯君一而諛臣二。使古而無死者,則太公至今猶存。吾君方今將被蓑苙而立乎畎畝之中,惟農事之恤,何暇念死乎!”景公慚而舉觴自罰,因罰二臣。
齊景公は牛山の上に游び、北に望みて齊を見て曰く、「美かなこ國!郁郁蓁蓁、假令古代に死する人なくば、則ち寡人は將に離開してどこに至らん!」頭を低くして哭泣し襟を沾せり。國子高は曰く、「是!臣は君の賜に依賴し、疏食惡肉は得て以て吃すべく、駑馬柴車は得て以て乘るべし、なお死せんと欲せず、何を況んや君をや!」また頭を低くして哭せり。晏子は笑い曰く、「快樂かな、今日の嬰の游!怯君一個と諛臣二個を見たり。假令古代に死する人なくば、則ち太公は今に至るまでなお在り。吾君は今將に蓑笠を披きて畎畝の中に立ち、ただ農事を憂慮し、どこに閒暇有りて死を思念せん!」景公は慚愧して觴を擧げ自ら罰し、こを以て二臣を罰せり。
第十二章
秦繆公將田,而喪其馬,求三日而得之於莖山之陽,有鄙夫乃相與食之。繆公曰:“此駁馬之肉,不得酒者死。”繆公乃求酒,徧飲之然後去。明年晉師與繆公戰,晉之右路石者圍繆公而擊之,甲已墮者六札矣。食馬肉者三百餘人,皆曰:“吾君仁而愛人,不可不死。”還擊晉之右路石,免繆公之死。
秦繆公は將に打獵せんとして、彼の馬を丟失し、三天求めて莖山の南面に得たり、鄙夫有りて正に互相に彼を吃す。繆公は曰く、「是れ駁馬の肉、酒を喝まざるは死せん」と。繆公はすなわち酒を求め、普遍に彼らに喝ましめて然る後に離去せり。第二年晋師は繆公と戰い、晋の右路石は繆公を圍困して擊打し、甲はすでに六層の札を墮壞せり。馬肉を吃した三百餘人は、皆曰く、「吾君は仁にして人を愛す、彼のために死せざるべからず」と。回擊して晋の右路石をし、繆公の死を免れしめたり。
第十三章
傳曰:卞莊好勇,母無恙時,三戰而北,交遊非之,國君辱之。卞莊子受命,顏色不變。乃母死三年,魯興師,卞莊子請從。至見於將軍曰:“前猶與母處,是以戰而北也,辱吾身。今母沒矣,請塞責。”遂走敵而鬬,獲甲首而獻之曰:“請以此塞一北。”又獲甲首而獻之,曰:“請以此塞再北。”將軍止之,曰:“足!”不止,又獲甲首而獻之,曰:“請以此塞三北。”將軍止之,曰:“足!請為兄弟。”卞莊子曰:“三北以養母也,今母歿矣,吾責塞矣。吾聞之,節士不以辱生。”遂奔敵,殺七十人而死。君子聞之曰:“三北已塞責,又滅世斷宗,士節小具矣,而於孝未終也。”《詩》曰:“靡不有初,鮮克有終。”
傳に記す:卞莊は勇を愛好し、母に恙なき時、三次作戰して敗北し、交游は彼を非議し、國君は彼を羞辱せり。卞莊子は命令を接受し、臉色は變えず。母が死して三年に及び、魯は師を興し、卞莊子は跟從せんことを請えり。至りて將軍を見て曰く、「先前はなお母と相處せり、こを以て作戰して敗北し、我が身を羞辱せり。今母は沒世せり、責を抵塞せんことを請う」と。すなわち敵に奔向して鬪い、甲首を獲得して獻上して曰く、「こを用いて一次の敗北を抵塞せんことを請う」と。また甲首を獲得して獻上し、曰く、「こを用いて再次の敗北を抵塞せんことを請う」と。將軍は制止して曰く、「足矣!」停止せず、また甲首を獲得して獻上し、曰く、「こを用いて三次の敗北を抵塞せんことを請う」と。將軍は制止して曰く、「足矣!兄弟を爲らんことを請う」と。卞莊子は曰く、「三次の敗北は母を養うがため、今母は沒世せり、我が責は抵塞せり。我は聞く、節士は受辱を以て活せずと」。すなわち敵に奔向し、七十人を殺して死せり。君子は聞きて後曰く、「三次の敗北はすでに責を抵塞せり、また世を滅し宗を斷ず、士節は小備せり、而して孝に對してはなお終結せず」と。『詩經』に曰く、「開始有らざるなく、終結有る能くする少なし」と。
第十四章
天子有爭臣七人,雖無道,不失其天下。昔殷王紂殘賤百姓,絕逆天道,至斮朝涉,刳孕婦,脯鬼侯,醢梅伯。然所以不亡者,以其有箕子比干之故。微子去之,箕子執囚為奴,比干諫而死,然後周加兵而誅之。諸侯有爭臣五人,雖無道,不失其國。吳王夫差為無道,至驅一市之民葬闔閭。然所以不亡者,有伍子胥之故也。胥以死,越王勾踐欲伐之。范蠡諫曰:“子胥之計策,尚未忘於吳王之腹心也。”子胥死後三年,越乃能攻之。大夫有爭臣三人,雖無道,不失其家,季氏為無道,僭天子,舞八佾,旅泰山以《雍徹》。孔子曰:“是可忍也,孰不可忍也!”然不亡者,以季路為宰也。故曰:“有諤諤爭臣者其國昌,有默默諛臣者其國亡。”《詩》曰:“不明爾德,以無陪側。爾德不明,以無陪無側。”言文王諮嗟,痛殷商無輔弼諫諍之臣而亡天下矣。
天子に爭臣七人有れば、たとい無道なりとも、天下を失わず。從前殷王紂は百姓を殘害し、天道を絶逆し、早晨涉水する人を砍斷し、孕婦を剖開し、鬼侯を脯と爲し、梅伯を醢と爲すに至れり。しかるに滅亡せざる所以は、是れ箕子・比干有るの緣故なり。微子は離去し、箕子は囚えられ奴と爲り、比干は進諫して死し、然る後に周は兵を加え誅殺せり。諸侯に爭臣五人有れば、たとい無道なりとも、國を失わず。吳王夫差は無道を爲し、一市の民を驅使して闔閭を安葬するに至れり。しかるに滅亡せざる所以は、是れ伍子胥有るの緣故なり。胥が死せば、越王勾踐は伐たんと欲す。范蠡は進諫して曰く、「子胥の計策は、いまだ吳王の腹心より忘れず」と。子胥が死して後三年、越は纔めて能く攻めたり。大夫に爭臣三人有れば、たとい無道なりとも、家を失わず、季氏は無道を爲し、天子を僭越し、八佾を舞い、泰山を旅祭して『雍徹』を用いたり。孔子は言った。「こは忍ぶべし、何を忍ぶべからざるや!」しかるに滅亡せざるは、是れ季路が宰を爲すの緣故なり。ゆえに曰く、「諤諤の爭臣有るはあの國は昌盛し、默默の諛臣有るはあの國は滅亡す」と。『詩經』に曰く、「あなたの德を顯明せず、こを以て陪從なく側近なし。あなたの德顯明ならず、こを以て陪從なく側近なし」と。是れ文王が咨嗟して、殷商に輔弼諫諍の臣なくして天下を失うを痛むを言うなり。
第十五章
齊桓公出遊,遇一丈夫襃衣應步,帶著桃殳。桓公怪而問之曰:“是何名?何經所在,何篇所居?何以斥逐,何以避餘?”丈夫曰:“是名戒桃。桃之為言亡也。夫日日慎桃,何患之有。故亡國之社以戒諸侯,庶人之戒在於桃殳。”桓公說其言,與之共載。來年正月庶人皆佩。《詩》曰:“殷監不遠。”
齊桓公は出游し、一丈夫が褒衣を穿着し應步し、桃殳を帶びるに遇えり。桓公は怪奇と覺えて問うた、「是れ何の名を叫ぶ?どの經に在り、どの篇に在る?なぜ斥逐し、なぜ我を避ける?」丈夫は曰く、「是れ名は戒桃と曰う。桃は言と爲すは亡なり。天天謹慎して桃に對待すれば、何の患か有らん。ゆえに亡國の社は以て諸侯を警戒し、庶人の警戒は桃殳に在り」と。桓公は彼の話を喜悅し、彼と一緒に車に乘れり。來年正月庶人は皆佩帶せり。『詩經』に曰く、「殷の鑑戒は遠からず」と。
第十六章
齊桓公置酒,令諸大夫曰:“後者飲一經程。”管仲後,當飲一經程。飲其一半,而棄其半。桓公曰:“仲父當飲一經程,而棄之何也?”管仲曰:“臣聞之,酒入口者舌出,舌出者言失,言失者棄身。與其棄身,不寧棄酒乎?”桓公曰:“善!”《詩》曰:“荒愖於酒。”
齊桓公は酒を設置し、諸大夫に命令して曰く、「後到するは一經程を飲め」と。管仲は後到し、該りて一經程を飲むべし。一半を喝み、而して一半を拋棄せり。桓公は曰く、「仲父は該りて一經程を飲むべし、却って拋棄するはなぜ?」管仲は曰く、「臣は聞く、酒は口に入れば舌頭は出で、舌頭出づれば話は失誤し、話失誤するは身を拋棄す。身を拋棄するより、酒を拋棄するに如かざるか?」桓公は曰く、「好し!」『詩經』に曰く、「酒に荒湛す」と。
第十七章
齊景公遣晏子南使楚。楚王聞之,謂左右曰:“齊遣晏子使寡人之國,幾至矣。”左右曰:“晏子,天下之辯士也。與之議國家之邊,則不如也。與之論往古之術,則不如也。王獨可以與晏子坐,使有司束人過王,王問之,使言齊人善盜,故束之。是宜可以困之。”王曰:“善。”晏子至,即與之坐。圖國之急務,辨當世之得失,再舉再窮,王默然無以續語。居有間,束徒以過之。王曰:“何為者也?”有司對曰:“是齊人善盜,束而詣吏。”王欣然大笑曰:“齊乃冠帶之國,辨士之化,固善盜乎?”晏子曰:“然。固取之。王不見夫江南之樹乎?名橘,樹之江北,則化為枳。何則?土地使然爾。夫子處齊之時,冠帶而立,儼有伯夷之廉,今居楚而善盜,意土地化使然爾。王又何怪乎?”《詩》曰:“無言不酬,無德不報。”
齊景公は晏子を派遣して南に楚に出使せしめたり。楚王は聞き、左右に對して曰く、「齊は晏子を派遣して寡人の國に出使せしむ、ほぼ到來せん」と。左右は曰く、「晏子は天下の辯士。彼と國家の邊を議論すれば、則ち如かず。彼と往古の術を論ずれば、則ち如かず。王は獨獨晏子と坐すべく、有司をして人を捆綁して王を經過せしめ、王は問い、彼をして齊人は盜竊を善くする、ゆえに捆綁すと言わしめよ。是れ適宜に以て彼を困住すべし」と。王は曰く、「好し」と。晏子は到り、則ち彼と坐せり。國の急務を謀劃し、當世の得失を辨別し、再擧して再窮盡し、王は默然として話を接續する由なし。過ぎること一會兒、捆綁の囚徒は經過せり。王は曰く、「是れ何を爲す?」有司は回答す、「是れ齊人の盜竊を善くする、捆綁して吏に送る」と。王は欣然として大笑して曰く、「齊は乃ち冠帶之國、辯士の敎化、本來盜竊を善くするか?」晏子は曰く、「是。本來こを取る。王は江南の樹を見ずや?名は橘と曰い、江北に種すれば、則ち枳に化す。なぜか?土地は然らしむるのみ。夫子は齊に處する時、冠帶して立ち、儼然として伯夷の廉有り、今楚に住んで盜竊を善くするは、恐らく是れ土地の敎化が然らしむるのみ。王はまた何を奇怪とせん?」『詩經』に曰く、「話に酬答せざるなく、德に報答せざるなし」と。
第十八章
吳延陵季子游於齊,見遺金,呼牧者取之。牧者曰:“何子居之高,視之下貌之君子,而言之野也!吾有君不臣,有友不友,當暑衣裘,吾豈取金者乎?”請問姓字。牧者曰:“子乃皮相之士也,何足語姓字哉!”遂去。延陵季子立而望之,不見乃止。孔子曰:“非禮勿視,非禮勿聽。”
吳延陵季子は齊に游び、遺落の金を見、牧者を呼叫して取りに行かしめたり。牧者は曰く、「なぜ您は居處高く、視線低下し、容貌は君子のごときにして、言語は粗野!我に君有りて臣事せず、友有りて結交せず、正當暑天に裘を穿着す、我はどこに金を取る人ならんや?」姓字を請問す。牧者は曰く、「您は是れ外表を看る士、どこに姓字を告ぐるに値せん!」すなわち離去せり。延陵季子は立ちて望み、見えざるに至りて纔めて停止せり。孔子は言った。「禮に非ざれば看る勿れ、禮に非ざれば聽く勿れ」と。
第十九章
顏淵問於孔子曰:“淵願貧如富,賤如貴,無勇而威,與士交通,終身無患難,亦且可乎?”孔子曰:“善哉回也!夫貧而如富,其知足而無慾也。賤而如貴,其讓而有禮也。無勇而威,其恭敬而不失於人也。終身無患難,其擇言而出之也。若回者,其至乎!雖上古聖人,亦如此而已。”
顏淵は孔子に問うた、「淵は願わくは貧にして富のごとく、賤にして貴のごとく、勇なくして威有り、士と交通し、終身患難なからん、亦た可なるか?」孔子は言った。「好しかな回!貧にして富のごときは、是れ足るを知りて欲望なし。賤にして貴のごときは、是れ謙讓にして禮有り。勇なくして威有るは、是れ恭敬にして人に對して失禮せず。終身患難なきは、是れ話を選擇して纔めて發出す。回のこのごときは、ほぼ極點に到れり!たとい上古聖人も、亦たこのごときのみ」と。
第二十章
齊景公出田,十有七日而不反。晏子乘而往。比至,衣冠不正。景公見而怪之曰:“夫子何遽乎?得無有急乎?”晏子對曰:“然,有急。國人皆以君為惡民所禽。臣聞之:魚鱉厭深淵而就幹淺,故得於釣網。禽獸深山而下於都澤,故得於田獵。今君出田十有七日而不反,不亦過乎?”景公曰:“不然。為賓客莫應待邪?則行人子牛在。為宗廟而不血食邪?則祝人太宰在。為獄不中邪?則大理子幾在。為國家有餘不足邪?則巫賢在。寡人有四子,猶有四肢也,而得代焉,不可患焉!”晏子曰:“然,人心有四肢而得代焉則善矣,令四肢無心,十有七日不死乎?”景公曰:“善哉言!”遂援晏子之手,與驂乘而歸。若晏子者,可謂善諫者矣。
齊景公は出でて打獵し、十七天返回せず。晏子は車を乘りて前往せり。至るに及び、衣冠は端正ならず。景公は見て怪奇と覺えて曰く、「夫子はなぜ急促?該りて急有らざらんか?」晏子は回答す、「是、急有り。國人は皆以て君は民の禽獲する所を厭惡すと爲す。臣は聞く:魚鼈は深淵に厭倦して乾涸淺處に至る、ゆえに釣網に獲られ。禽獸は深山を離開して都澤に下る、ゆえに田獵に獲られ。今君は出でて打獵し十七天返回せず、不もまた過分ならざらんか?」景公は曰く、「是れのごとくに非ず。是れ賓客に應答接待する人なきか?則ち行人子牛は在り。是れ宗廟に血食せざるか?則ち祝人太宰は在り。是れ獄に中正ならざるか?則ち大理子幾は在り。是れ國家に餘不足有るか?則ち巫賢は在り。寡人に四人有り、四肢有るがごとく、而して得て替代す、憂慮すべからず!」晏子は曰く、「是、人の心は四肢有りて得て替代すれば則ち好し、四肢をして心なからしめば、十七天死せざらんか?」景公は曰く、「好しかなこ話!」すなわち晏子の手を拉き、彼と驂乘して歸れり。晏子のごときは、以て善く進諫すると稱すべし。
第二十一章
楚莊王將舉師伐晉,告士大夫曰:“有敢諫者死無赦。”孫叔敖曰:“臣聞畏鞭棰之嚴而不敢諫其父,非孝子也。懼斧鉞之誅而不敢諫其君,其忠臣也。”於是遂進諫曰:“臣園中有楡,其上有蟬。蟬方奮翼悲鳴,欲飲清露,不知螳蜋之在後,曲其頸,欲攫而食之也。螳蜋方欲食蟬,而不知黃雀在後,舉其頸,欲啄而食之也。黃雀方欲食螳蜋,不知童子挾彈丸在楡下,迎而欲彈之。童子方欲彈黃雀,不知前有深坑,後有掘株也。此皆貪前之利,而不顧後害者也。非獨昆蟲眾庶若此也,人主亦然。君今知貪彼之土,而樂其士卒。”楚國不殆,而晉以寧,孫叔敖之力也。
楚莊王は將に師を擧げて晋を伐たんとし、士大夫に告げて曰く、「敢えて進諫する有るは死して赦免せず」と。孫叔敖は曰く、「臣は聞く、鞭箠の嚴を畏懼して敢えて父に進諫せざるは、孝子に非ず。斧鉞の誅を懼怕して敢えて君に進諫せざるは、忠臣に非ず」と。すなわち進諫して曰く、「臣の園中に榆有り、上に蝉有り。蝉は正に翼を奮い悲鳴し、清露を飲まんと欲し、螳螂が後に在るを知らず、頸を彎曲し、攫取して吃さんと欲す。螳螂は正に蝉を吃さんと欲するに、黄雀が後に在るを知らず、頸を擧げ、啄みて吃さんと欲す。黄雀は正に螳螂を吃さんと欲するに、童子が彈丸を挾みて榆下に在るを知らず、迎上して彈まんと欲す。童子は正に黄雀を彈まんと欲するに、前面に深坑有り、後面に掘出の樹樁有るを知らず。これらは皆前の利を貪り、而して後の害を顧みず。ただ昆蟲衆庶このごときのみならず、人主も亦たこのごとし。君は今あの土を貪るを知りて、而してあの士卒を樂しむ」と。楚國は危險ならず、而して晋はこを以て安寧す、是れ孫叔敖の力量なり。
第二十二章
晉平公之時,藏寶之臺燒,士大夫聞者,皆趨車馳馬救火。三日三夜,乃勝之。公子晏奉束帛而賀,曰:“甚善矣1”平公勃然作色曰:“珠玉之所藏也,國之重寶也,而天火之。士大夫皆趨車走馬而救之,子獨束帛而賀,何也?有說則生,無說則死。”公子晏曰:“何敢無說!臣聞之,王者藏於天下諸侯藏於百姓,農夫藏於囷庾,商賈藏於篋匱。今百姓乏於外,短褐不蔽形,糟糠不充口,虛耗而賦斂無已,收大半而藏之臺,是以天火之。且臣聞之,昔者桀殘賊海內,賦斂無度,萬民甚苦,是故湯誅之,為天下戮笑。今皇天降災於藏臺,是君之福也,而不自知變悟,亦恐君之為鄰國笑矣。”公曰:“善!自今已往,請藏於百姓之間。”《詩》曰:“稼穡維寶,代食維好。”
晋平公の時、寶を藏する臺は燒け、士大夫の聞きたるは、皆車を驅り馬を馳せて火を救えり。三天三夜、纔めて勝れり。公子晏は束帛を捧げて來り祝賀して曰く、「甚だ好し!」平公は勃然として色を變じて曰く、「珠玉の藏する所は、是れ國の重寶、而して天火は燒けり。士大夫は皆車を驅り馬を跑らせて救えり、您は獨獨束帛を用いて祝賀す、なぜか?説辭有れば活き、説辭なければ死せん」と。公子晏は曰く、「どこに敢えて説辭なからん!臣は聞く、王者は天下に藏れ、諸侯は百姓に藏れ、農夫は囷庾に藏れ、商賈は篋匱に藏ると。今百姓は外に匱乏し、短褐は形體を遮蔽せず、糟糠は口を充滿せず、虛耗して賦斂は停止せず、大半を收めて臺に藏る、こを以て天火は燒けり。且つ臣は聞く、從前桀は海內を殘害し、賦斂に限度なく、萬民は甚だ苦しみ、こを以て湯は彼を誅殺し、天下に殺戮嘲笑せられたり。今皇天は藏臺に災を降下す、是れ君の福、而して自ら改變覺悟せざるを知らず、亦た怕る君の鄰國に嘲笑せられんことを」と。公は曰く、「好し!今より以て後、百姓の間に藏るを請う」と。『詩經』に曰く、「稼穡は寶、替代の食は好し」と。
第二十三章
魏文侯問裡克曰:“吳之所以亡者何也?”裡克對曰:“數戰而數勝。”文侯曰:“數戰數勝,國之福也,其獨亡何也?”裡克對曰:“數戰則民疲,數勝則主驕。驕則恣,恣則極。物疲則怨,怨則極慮。上下俱極,吳之亡猶晚矣。此夫差所以自喪於幹遂。”《詩》曰:“天降喪亂,滅我立王。”
魏文侯は里克に問うた、「吳の滅亡する所以は何のため?」里克は回答す、「多次作戰して多次勝利す」と。文侯は曰く、「多次作戰して多次勝利するは、是れ國の福、而して獨獨滅亡するはなぜ?」里克は回答す、「多次作戰すれば則ち民は疲憊し、多次勝利すれば則ち主は驕傲す。驕傲すれば則ち放縱し、放縱すれば則ち極點に至る。物は疲憊すれば則ち怨み、怨めば則ち思慮を極盡す。上下皆極點に至れば、吳の滅亡はなお晚しと算す。是れ夫差が干遂に自ら喪亡する所以なり」と。『詩經』に曰く、「天は喪亂を降下し、我が立てし王を滅亡せしむ」と。
第二十四章
楚有士曰申鳴,治園以養父母,孝聞於楚。王召之,申鳴辭不往。其父曰:“王欲用汝,何謂辭之?”申鳴曰:“何舍為孝子,乃為王忠臣乎?”其父曰:“使汝有祿於國,有位於廷,汝樂而我不憂矣。我欲汝之仕也。”申鳴曰:“喏。”遂之朝受命,楚王以為左司馬。其年遇白公之亂,殺令尹子西、司馬子期,申鳴因以兵圍之。白公謂石乞曰:“申鳴,天下之勇士也,今將兵,為之奈何?”石乞曰:“吾聞申鳴孝子也,使人謂申鳴曰:“子與我,則與子分楚國,不與我,則殺乃父。”申鳴流涕而應之曰:“始則父之子,今則君之臣,已不得為孝子矣,安得不為忠臣乎?”援桴鼓之,遂殺白公。其父亦死焉。王歸賞之,申鳴曰:“受君之祿,避君之難,非忠臣也。正君之法,以殺其父,又非孝子也。行不兩全,名不兩立,悲夫!若此而生,亦何以示天下之士哉!”遂自刎而死。《詩》曰:“進退惟谷。”
楚に士有りて申鳴と曰い、園を治理して以て父母を奉養し、孝は楚に聞こえり。王は彼を召す、申鳴は推辭して前往せず。父は曰く、「王はあなたを用いんと欲す、なぜ推辭する?」申鳴は曰く、「なぜ孝子を爲るを捨棄して、纔めて王の忠臣を爲さん?」父は曰く、「あなたをして國に祿有り、廷に位子有らしめば、あなたは快樂して而して我は憂えず。我はあなたに官を爲さしめんと欲す」と。申鳴は曰く、「是」と。すなわち朝に至り命令を接受し、楚王は彼を用いて左司馬を爲さしめたり。あの年白公の亂に遇い、令尹子西・司馬子期を殺せり、申鳴はこを以て兵を用いて包圍せり。白公は石乞に對して曰く、「申鳴は天下の勇士、今將に兵を率いん、どうせん?」石乞は曰く、「我は聞く、申鳴は孝子、人を派して申鳴に曰わしめよ:『您は我に跟從すれば、則ち您と楚國を分けん、我に跟從せざれば、則ちあなたの父を殺さん』と。申鳴は淚を流して應答す、「開始は是れ父の兒子、今は是れ君の臣、すでに能く孝子を爲らず、どこに能く忠臣を爲らざらん?」鼓槌を拿過して鼓を擊ち、すなわち白公を殺せり。彼の父も亦た死せり。王は歸りて彼に賞し、申鳴は曰く、「君の祿を接受して、君の難を躲避す、是れ忠臣に非ず。君の法を端正して、こを以て父を殺せり、また孝子に非ず。品行は能く兩全せず、名は能く兩立せず、可悲かな!このごとく活着して、また何を憑りて天下の士に昭示せん!」すなわち自刎して死せり。『詩經』に曰く、「進退皆是れ山谷なり」と。
第二十五章
昔者太公望周公旦受封而見。太公問周公何以治魯。周公曰:“尊尊親親。”太公曰:“魯從此弱矣。”周公問太公曰:“何以治齊?”太公曰:“舉賢尚功。”周公曰:“後世必有劫殺之君矣。”後齊日以大,至於霸,二十四世而田氏代之。魯日以削,三十四世而亡。由此觀之,聖人能知微矣。《詩》曰:“惟此聖人,瞻言百里。”
從前太公望・周公旦は封を受けて相見えり。太公は周公に何を憑りて魯を治理するかを問えり。周公は曰く、「尊敬すべきを尊敬し、親すべきを親しむ」と。太公は曰く、「魯は此より弱けん」と。周公は太公に問うた、「何を憑りて齊を治理する?」太公は曰く、「賢を擧用し功を崇尚す」と。周公は曰く、「後世は一定に劫殺せらるる君有らん」と。後來齊は一天天大なり、以て稱覇するに至り、二十四世して田氏は取代せり。魯は一天天削弱し、三十四世して滅亡せり。此より以て看れば、聖人は能く微を知れり。『詩經』に曰く、「ただこ聖人のみ、言論を瞻望すること百里」と。
韓嬰小傳
韓嬰小傳
《漢書·儒林傳》云:韓嬰燕人也,孝文時為博士,景帝時至常山太傅。嬰推詩人之意而作《外傳》數萬言,其語頗與齊魯間殊,然歸一也。淮南賁生受之。燕趙間言《詩》者由韓生。韓生亦以《易》授人,推《意》而為之傳。燕趙間好,《詩》故其《易》微,惟韓氏自傳之。武帝時,嬰嘗與董仲舒論於上前,其人精悍,此事事分明,仲舒不能難也。後其孫商為博士,孝宣時涿郡韓生其後也。
『漢書・儒林傳』に記す:韓嬰は燕人、孝文帝の時に博士を爲し、景帝の時に常山太傅に至れり。嬰は詩人の意を推求して『外傳』數萬言を作り、あの話は頗る齊魯の間と殊なるも、しかるに歸宿は一なり。淮南賁生は承受せり。燕趙の間に『詩』を談論するは韓生に由れり。韓生は亦た『易』を以て人に授け、『意』を推求して彼のために傳を爲せり。燕趙の間は『詩』を愛好し、ゆえに彼の『易』は微弱にして、ただ韓氏のみ自ら傳授せり。武帝の時、嬰はかつて董仲舒と皇上面前に辯論し、あの人は精悍にして、事事分明、仲舒は責難する能わず。後に彼の孫商は博士を爲し、孝宣の時涿郡韓生は彼の後裔なり。
