易图通变
空山先生易圖通變序(嗣天師張宗演)
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
書名と底本の題記
經名:《易圖通變》。原題「臨川道士雷思齊學」。五卷。底本出處:《正統道藏》太玄部。參校版本:文淵閣《四庫全書》本經部易類(簡稱「四庫本」)。
此の書の經名は《易圖通變》と題し、原書は「臨川道士雷思齊學」と署す。全書共に五卷あり。整理の依據する所の底本は明代《正統道藏》太玄部より出で、別に文淵閣《四庫全書》經部易類の收める所の本子を參校し、以下は簡に「四庫本」と稱す。
空山先生易圖通變序(嗣天師張宗演)
《道德》數千言,吾教之所獨尊,古今未有能廢之者?然傳注層出,渺茫叢惑,莫適指歸,徒見多岐之紛紛也。
《道德經》は過ぎず數千言にして、却て我が道教の獨り尊ぶところの經典にして、古より今に至るまで之を廢する能くする者なし。然れども歷代の傳注は一層又一層と湧き出でて、渺茫にして憑るべきなく、疑惑叢生して、誰も確定の歸宿を指出す能はず、讀者の見る所は、只だ岐路の紛紛として衷を一にする莫きのみ。
雷思齊嗜學有要,精研是書,探竅本旨,為之傳釋,合儒、老之所同,歷詆其所異,條分緒別,終始一貫,不翅入老氏之室,避之席以相授受也。
雷思齊は學を好みて能く綱要を把捉し、彼は《道德經》の此の書を精研し、其中の竅要本旨を探求し、之に代わりて傳釋を作れり:凡そ儒家と老子と相合する所は、則ち會通して一と爲し、凡そ兩家の歧異する所は、則ち條を逐うて駁正せり。全書條理分明・頭緒清楚にして、自始至終一に以て之を貫き、簡直に只だ老子の堂室に登入するのみならず、倒れて老子が親しく避席して位を讓り、面を當てて學を授受するに如くなり。
其將學是者,終究其說,知其玄之玄,而不昧其所向,傳之將來,庶幾於吾教非小補也。至元丙戌,嗣天師簡齋張宗演序。
今後此の書を學ぶ者は、只だ其の説を徹底して通ずれば、則ち老子の謂う所の「玄の又玄」の旨趣を明白にして、方向を迷失するに至らず。之を將來の學者に傳うるは、我が道教に應當に小ならざる補益あらん。至元丙戌の年、嗣漢天師・別號簡齋の張宗演序を作る。
揭傒斯序(至順三年)
雷先生思齊,字齊賢者,臨川之高士也。遭宋亡,獨居空山之中,著《易圖筮通變義》、《老子本義》、《莊子旨義》凡數十卷,《和陶詩》三卷。去儒服,稱黃冠師,與故淳安令曾公子良、今翰林學士昊公澄相友善。四方名士、大夫慕其人,往往以書、疏自通,或聞其講學,莫不爽然自失。
雷思齊先生は字は齊賢、臨川の高潔の士なり。彼は南宋の滅亡に遭逢して、則ち獨り空山の中に隱居し、《易圖筮通變義》《老子本義》《莊子旨義》を撰著して共に數十卷あり、又《和陶詩》三卷あり。彼は儒生の衣冠を脱し、自ら「黄冠師」と稱し、即ち道士と爲りて、已故の淳安縣令曾子良・如今の翰林學士吳澄と互相に友善なり。四方の名士と士大夫は其の爲人を仰慕し、常に書を寫し・書札を遞りて自ら聲氣を通ず。其の講學を聽きたる有る者は、無りとて惘然として若し失うが如く、自ら見識の遙かに彼に及ばざるを覺えり。
故翰林侍講學士袁公桶,博雅君子也,稱其所著書,援據切至感厲,奮發合神以窮變,盡變以翼道。且日:「知齊賢不如是,齊賢之意不明。」方今天下稱為斯文宗,莫先昊公;天下稱善著書,莫先昊公。亦曰:「與談《老子》甚契。」又稱其詩精深工緻,豪健奇傑,有杜、韓風。蓋皆以為知言。
已故の翰林侍講學士袁桷は、博雅の君子にして、彼は雷先生の著する所の書を稱贊して、引證切實にして感發振厲の力あり、能く精神を奮起して以て變化を窮究し、又變化を窮盡して以て大道を輔翼すと曰う。袁桷又曰く、「齊賢を了解するに若し此の地步に到らざれば、齊賢の本意は講明する能わざらん」と。當今天下の公認する文章の宗主は、吳澄の前に排し得る者なし。天下の公認する最も著書に善き者も、吳澄の前に排し得る者なし。吳澄も亦曰く、「齊賢と《老子》を談ずるに、極めて契合せり」と。又其の詩の精深工致・豪健奇特にして、杜甫・韓愈の風格あるを稱贊す。此れらの評語は皆之を知言と算すべし。
嗚呼,古稱虞卿非窮愁不能著書,太史公世掌天官,使不遇禍,《史記》不作。夫求雷先生之志,讀雷先生之書,遑與世俗道哉。遑與世俗道哉。余讀其所著之書,想其為人幾五十年。今又得其詩文二十卷,於其徒孫傅性真與周惟和傳入京師來,因識以辭。至順三年三月揭俱斯書。
嗚呼!古人は戰國の虞卿は若し窮困憂愁に遭遇せずんば、則ち書を寫出す能わざりしと説き、太史公司馬遷は一家世々天官の職を執掌し、假使他が李陵の禍に遭わざらば、《史記》も亦未必寫成せざりしなり。雷先生の志を探求し・雷先生の書を讀まんに、豈に世俗の人と講明する能わんや!豈に世俗の人と講明する能わんや!我れ其の著する所の書を讀み・其の爲人を想見するに、已に將に五十年ならんとす。如今又其の詩文二十卷を得、是れ其の徒孫傅性真と周惟和の傳送して京師に來る所に由る、因りて此の數句を寫して書後に題識す。至順三年三月、揭傒斯書す。
吳全節序(至順三年)
昔世祖皇帝既定江南,首召三十六代天師入朝。未幾,天師奉旨掌道教。還山,遂禮請先生為玄學講師,以訓迪後人。餘時雖幼,而有志於學,遂受學於先生。
當年元世祖忽必烈の江南を平定したる後、先ず第三十六代天師張宗演を徵召して朝に入れり。不久、天師は旨を奉じて道教の事務を總領せり。龍虎山に回到る後、則ち禮を以て雷思齊先生を延請して玄學講師たらしめ、以て後來の學人を訓導啓迪せり。我れ其の時年紀雖も小なりと雖、却て已に學問に志し、於是乎先生に從りて學を受けり。
先生嘗誨余曰:「文章於道一技耳。人之為學,將以明斯道也。不明斯道,不足以為聖賢之學矣。」餘由是日知所省,益自奮發。及弱冠,入侍先師開府公於朝,遂不得事先生以終學焉。
先生は曾て我れを敎誨して曰く、「文章は大道に對するに言えば、過ぎず一門の技藝なり。人の學を求むる所以は、要するに之を以て此の道を闡明せんが爲なり。若し此の道を明白する能わざれば、則ち聖賢の學と稱するに足らず」と。我れ此れより一天天に自ら省るを懂得し、亦た愈加發奮せり。二十歲に及びて冠禮を行うの後、朝に入りて先師開府公張留孫に侍奉して、於是乎再び雷先生に侍奉して學業を修完する能わざりき。
先生嘗注《易圖筮通變義》、《老子本義》、《莊子旨義》凡數十卷,詩文二十卷。至順二年秋,先生之徒弟傅性真,遣徒孫周惟和持所注諸書,來京師示余,且日:「先生所注之書,雖有黃公震、曾公子良、昊公澄為之序,而未得公一言以發明之,敢以為請。」
先生は曾て《易圖筮通變義》《老子本義》《莊子旨義》を注したること共に數十卷あり、別に詩文二十卷あり。至順二年の秋、先生の弟子傅性真は徒孫周惟和を遣わして此れらの注書を帶びて京師に來り我れに看せしめ、且つ曰く、「先生の注する所の書、雖も已に黄震・曾子良・吳澄の三位の先生其の爲に序を作る有るも、却て未だ您の一句の其の義理を發明するを得ず、因りて冒昧に此の請求を提出す」と。
餘日:「嗟夫,先生之歿,迨三十年矣。今不可得見,得見所注之書斯可矣。然先生之學,豈所注之書可能盡哉?後之觀者,考諸書則知先生之學,誠不止若是也。」餘今且老,久留於朝,常欲集先生諸文而序之,未果也。
我れ曰く、「嗚呼、先生の去世より如今に至る已に將に三十年なり。人は再び見る能わず、其の注する所の書を見る能くすれば則ち足れり。然れども先生の學問は、豈に此れ幾部の注書の窮盡する能くする所ならんや?後來の讀者、此れらの書を考究して一番すれば、則ち先生の學問の實に遠く此れに止まらざるを知らん」と。我れ如今も亦將に老いんとして、長く朝中に留まり、常に先生の各種の文章を彙集して一篇の序を作らんと欲して、却て一直に成さざりき。
今諸文既已成編,又豈敢嘿嘿無一言以發明先生之學哉?故續為之序。先生諱思齊,字齊賢,學者尊之日空山先生,撫之臨川人也。至順三年,歲在壬申六月旦日,昊全節序。
如今此れらの文章既に編成せられたり、我れ又豈に黙然として言無く、一句を説かざるを以て先生の學問を發明せんや?故に接續して之に代わりて此の篇の序を寫せり。先生は名は思齊、字は齊賢、學者は彼を尊稱して「空山先生」、撫州臨川の人なり。至順三年、歲次壬申六月の初一日、吳全節序を作る。
雷思齊自序(大徳庚子)
河圖,八卦是也。圖之出,聖人則之。包犧氏仰觀象,俯觀法,近取身,遠取物,以通神明之德,類萬物之情,始因之畫八卦以作《易》者也。孔子謂其則之,豈欺我哉?圖之數以八卦成列,相蕩相錯,參天兩地,參伍以變,皆自然而然。
所謂「河圖」は、指す所は八卦なり。河圖の出現したる後、聖人は之に取法せり。包犧氏即ち伏羲は、頭を擡げて天上の物象を觀察し、身を俯せて地上の法則を觀察し、近處は人身に象を取り、遠處は萬物に象を取り、以て神明の德性を會通し・萬物の情狀を比類し、此れ乃ち此れに據りて八卦を畫出して《易》を作成せり。孔子は《繫辭》の裏に聖人の「之に則る」と説く、即ち河圖に取法するなり、豈に我らを欺騙せんや?河圖の數は八卦を行列に排せしめ、彼此激盪交錯し、所謂「參天兩地」は三を以て天に配し・二を以て地に配して數を立て、所謂「參伍以變」は三三五五に交互變化し、此れらは全て自然と而然して、人力の安排に非ず。
後世不本其數,實惟四十,而以其十五會通於中,乃妄計天地之數五十有五,以意增制於四十之外,以求其合幸其中,故愈說愈迷,紛紛迄今。餘因潛心有年,備討眾說,獨識先聖之指歸,遂作《通變》,傳以與四方千載學《易》者,同究於真是焉。兼筮法亦乖素旨,附見後篇,求古同志宜能明其非敢誣也。大元大德庚子九月,臨川道士雷思齊齊賢序。
後世の人は河圖の數の本源を追究せず、其の實數の只だ四十あるのみを知らずして、却て其中の虛用の十五の數を中間に會通せしめ、胡亂に天地之數五十有五に按じて推算し、己意を憑りて四十の外に增添製作し、湊得上を指望し僥倖に中るを説かんとす、故に愈々解釋すれば愈々迷惑して、紛紛擾擾として一直に今日に至る。我れ因りて多年潛心して研究し、遍く各家の説を考え、獨り古聖人の眞正の旨歸を認出し、於是乎此の《通變》を寫成して、四方及び千年の後の《易》を學ぶ人に傳え、一同に其中の眞是非を追究せん。別に當今の筮法も亦古法の本旨に違背す、我れ辨正を後の幾篇に附し、尚古の同道の明白せんことを望む:此れらの話は并我れ敢えて憑空に誣妄に説を立つるに非ず。大元大徳庚子年の九月、臨川道士雷思齊・字齊賢序を作る。
河圖諸圖の圖説
河圖:河圖本數兼四方四維,共四十,員布為體,以天五地十虛用以行其四十,故合天地之數五十有五。
第一幅の圖は「河圖」と題す。河圖の本數は四方と四維の此の八個の方位を兼含し、合計只だ四十あり、圓形に排して其の形體と爲す。再び「天五」と「地十」の此の二個の只だ虛設して方位を占めざる數を以て彼の四十の數を運行す、故に合して乃ち《繫辭》の謂う所の天地之數五十有五と爲る。
河圖四十徵誤之圖:舊圖改作方體,且實以天五於中,故不可推用。今首出圓體,先征元誤,覽者詳審後圖,則自可見也。
第二幅の圖は「河圖四十徵誤之圖」と題す。舊傳の河圖は方形に改畫され、且つ「天五」を實實在在に圖の正中に安置せり、故に既に推通せず・亦た使用する能わざりき。如今我れ先ず圓形の本圖を列出し、先ず舊圖の原有の錯誤を指證す。讀者は只だ仔細に後面の幾幅の圖を審察せば、自然に看明白する能くせん。
河圖參天兩地倚數之圖、參伍以變錯綜數圖、參兩錯綜會變總圖。
以下の三幅の圖は依次に「河圖參天兩地倚數之圖」「參伍以變錯綜數圖」「參兩錯綜會變總圖」と題す。第一幅は三を以て天に配し・二を以て地に配して各數の位次を確立するを講し、第二幅は三三五五交互變換・分錯合綜して得出する數を講し、第三幅は則ち「參兩」與「錯綜」の兩法を會合して、總じて其中の變化を示す。此處は只だ圖題を存し、圖形は文に隨って錄出する能わざりき。
卷之一 河圖傳上(臨川道士雷思齊學)
則河圖以作《易》,其數之所由起乎?數之起,不過一陰一陽之道而已。《易》道之所以一陰一陽者,不過以奇耦之數互為分且合,以生且成而已。
聖人は河圖に取法して《易》を作成せり、然らば《易》の數は究竟何處より生起するや?數の生起は、過ぎず「一陰一陽の道を謂う」此の道理なり。《易》道の一陰一陽に呈現する所以も、過ぎず奇數と偶數とを以て互相に分け・又互相に配合し、此れに由りて「生數」與「成數」あるのみなり。
陽奇陰耦,變而通之,繩繩兮雜而不亂者,不過《大傳》所謂天一、地二,以至天五且地十而已。《易》有太極;極,中也,一也;中自一也。是生兩儀;儀,匹也,二也;匹而二也。兩儀生四象,一、一不三、四分之以為四生數;四象生八卦,則六、七、八、九合之以為四成數也。
陽は奇數に屬し・陰は偶數に屬し、之れらを變化して會通すれば、連綿不斷・錯雜にして紊亂せず、依據する所は過ぎず《繫辭大傳》の謂う所の天一・地二より、一直に天五・地十に數うるに至るのみなり。《繫辭》に曰く「《易》に太極あり」:所謂「極」は即ち中なり・即ち一なり、中は本來即ち一なり。又曰く「是れ兩儀を生ず」:所謂「儀」は即ち配匹なり・即ち二なり、一對に配せば便ち二なり。「兩儀四象を生ず」は、一・二・三・四を分けて四個の「生數」と爲す。「四象八卦を生ず」は、則ち六・七・八・九を合して四個の「成數」と爲す。
四奇為陽,陽雖有生成之異,而各列於四方之正;四耦為陰,陰亦有生成之異,而同均於四維之偏,由正生偏,由偏成正也。一與三為奇,為陽之生數,而必待於六與八之陰數以為成。二與四為耦,為陰之生數,亦必賴於七與九之陽數以為成也。
四個の奇數は陽に屬し、陽數は雖も「生數」與「成數」の分別あるも、却て各々東南西北の四個の正位に排列す。四個の偶數は陰に屬し、陰數も亦生成の分別あるも、却て一律に四隅の此の四個の偏位に均分す。正位より偏位を生出し、又偏位より正位を成全す。一と三とは奇數にして、陽の生數なり、但し必須六與八の此の二個の陰數の來りて之を成全するを待たん。二と四とは偶數にして、陰の生數なり、亦た必須七與九の此の二個の陽數に依賴して之を成全せん。
自北而東,一而三,乃陽生之進數;而其自八而六,東而北,陰成之退數者,固已寓乎其中。自西而南,二而四,乃陰生之進數;而其自九而七,南而西,陽成之退數者,亦兼具乎其中矣。四方者,各以其陽奇居於正;四維者,各以其陰耦附於偏。
北方より東方に轉じ、一より三に進むは、此れ陽の生數の向前推進の次序なり。而して八より六に退り・東北より西北に退回するは、此の陰の成數の向後退回の次序、本來即ち其中に含まれり。西方より南方に轉じ、二より四に進むは、此れ陰の生數の向前推進の次序なり。而して九より七に退り・南より西に退るは、此の陽の成數の向後退回の次序、亦た一倂に其中に具備せり。所謂四方は、各々其の陽奇の數を以て正位に居る。所謂四維は、各々其の陰耦の數を以て偏位に附く。
然天數之有五,地數之有十,均合於陰陽之奇耦,而同謂之生成,乃獨無所見於四方之位,何也?四象元五,八卦元十故也。然《易》之所以範圍不過,曲成不遺者,正由假此天五與地十之虛數,以行其實用;於四象、八卦而成河圖者,特不當效世習置五虛點於圖中心,而附以十點,謬雲五十,而不知其用也。
但し天數の中の五・地數の中の十は、同じく陰陽奇偶の理に合し、同じく生數與成數と稱するも、却て獨り四方の位の上に其れらを見ず、此れ何の故ぞや?以て四象の裏に本來五なく、八卦の裏に本來十なければなり。然れども《易》の能く「天地を範圍して過ぐることなく・萬物を曲成して遺すことなし」の所以は、正に天五與地十の此の二個の虛數を借用して其の實際の功用を推行するを以てす。四象・八卦に就きて河圖に配成する此の件事に就きて言えば、只だ世俗の習慣を仿效して、圖の正中に五個の虛點を安放し・再び十個の點を附上して、錯誤して此れを五十と説き、實際其の用處を懂得せざるは應當せざるなり。
坎以一始於正北,而一五為乾六於西北;坤以二分於西南,而二五為兌七於西;震以三出於東,而三五為艮八於東北;巽以四附於東南,而四五為離九於正南。故陽得五而陰,耦得五而奇,陰得五而陽,奇得五而耦,是生數之所以成,成數之所以生者也。
坎卦は數一を以て正北に起始し、一は五を加えて則ち西北方の乾六と爲る。坤卦は數二を以て西南に分居し、二は五を加えて則ち正西方の兌七と爲る。震卦は數三を以て東方に出現し、三は五を加えて則ち東北方の艮八と爲る。巽卦は數四を以て東南に附し、四は五を加えて則ち正南方の離九と爲る。故に陽數は五を得れば則ち陰に轉じ、偶數は五を得れば則ち奇に轉じ、陰數は五を得れば則ち陽に轉じ、奇數は五を得れば則ち偶に轉ず——此れ正に生數の能く成り・成數の能く生ずる所以の緣故なり。
生數少於五,元所待以制中也,故陽數之一與三,自為中於乾六艮八成數之外。陰眾而陽孤,坎故謂陷也。成數多於五,不能自適於中也,故陰數之二與四,取五於離九兌七成數之陽之內。陽正而陰偏,離故謂麗也。陷必止而求動,故帝出乎震。動所以取合,由分而也。麗必順而相說,故說言乎兌。說所以致分,由合而分也。
生數は皆五より小さく、別に依りて制して中位を出す數なく、故に陽數の一與三は、只だ乾六・艮八の此の二個の成數の外に於いて自ら中を求む。此の時陰多く陽孤なり、故に《説卦》は坎を「陷」と稱す。成數は皆五より大にして、自身中に安處する能わざれば、故に陰數の二與四は、離九・兌七の此の二個の陽に屬する成數の内に於いて彼の五を取用す。此の時陽は正位に居り陰は偏位に居る、故に《説卦》は離を「麗」と稱す、即ち附麗なり。陷落すれば必定停止して後動を求む、故に「帝震に出乎」と曰う。動の作用は會合を取得するに在り、分より合に趨向するに由る。附麗すれば必定順從して相欣悅す、故に「兑に説言す」と曰う。悅の作用は分離を致すに在り、合より分に轉向するに由る。
陽之進數坎,獨為生數之始,由北順行,東交於巽四;陰之進數坤,亦為生數之次,由西南逆行,東合於震三,是陰陽之生數三、四俱前而合。考於時,今四月為乾月,卦六陽之交;坤月,卦六陰之承,故有巽元乾,帝出震而齊乎巽也。
陽の進數は坎一にして、之れ獨り生數の開端と爲り、北方より順行して東に向かい、東南の巽四と相交わる。陰の進數は坤二にして、之れ生數の第二位と爲り、西南より逆行して東に向かい、東方の震三と相合す。此れ即ち陰陽の生數の三與四と皆前方に於いて會合するなり。節候を以て考察すれば:如今四月は「乾月」にして、六爻純陽の交會の時なり。十月は「坤月」にして、六爻純陰の承接の時なり、故に此の一段は只だ巽を見て乾を見ず、正に《説卦》の「帝震に出乎・巽に齊乎」の次序に合す。
陽之退數離,獨得成數之中,由南順行,西終於兌七;陰之退數艮,實始之由東北逆行,既北而西,究於乾六,是陰陽之成數六、七俱後而分。考於時,今十月為坤月,卦六陰之終;乾月,卦六陽載始,故有乾而元巽,說言乎兌,戰乎乾也。
陽の退數は離九にして、之れ獨り成數の中位を得、南方より順行して西に向かい、西方の兌七に終止す。陰の退數は艮八にして、實に東北より起始して逆行し、北を經て再び西に向かい、最後に西北方の乾六に歸結す。此れ即ち陰陽の成數の六與七と皆後方に於いて分かるるなり。節候を以て考察すれば:如今十月は「坤月」にして、六爻純陰の終點なり。四月は「乾月」にして、六爻純陽の承載を開始する時なり、故に此の一段は只だ乾を見て巽を見ず、正に《説卦》の「兑に説言す・乾に戰乎」の次序に合す。
天數始於一,則太極之全也,陽之正也;一析而二,則太極之分也,陰之偏也。一二參而三,則陽既唱而奇;一三轉而四,則陰遂隨而耦。由一與四唱於前,交對而為五,而其二與三隨於後,亦交對而為五,是兩其五。兩五相伍,則十也。參以天五,是參伍也。古文之五久,古今文之十皆十,是其象也。變而通之,生數之所以成,成數之所以生也。
天數は一より始まる、此れ太極の整全にして、亦た陽の正位なり。一は分裂して二と爲る、此れ太極の分化にして、亦た陰の偏位なり。一は二を加えて三に合成す、於是乎陽先きんじて唱して奇數と爲る。一は三を加えて四に轉成す、於是乎陰は隨後跟上して偶數と爲る。一與四とに由りて前面に於いて相倡和し、交互配對して五を得。二與三とは後面に於いて相隨跟し、交互配對して亦た五を得、此れ即ち兩個の五なり。兩個の五相竝ば、即ち十なり。再び「天五」を參入すれば、此れを「參伍」と叫ぶ。古文の「五」は「乂」の形に寫し、古今の「十」は皆「十」の形に寫す、此れ正に其れらの取象なり。此れらの數を變化して會通すれば、即ち生數の能く成り・成數の能く生ずるの道理なり。
坎一、巽四而五,故乾六、離九而十五也,合之而二十。坤二、震三而五,故兌七艮八而十五也,合之亦二十。是一、二、三、四之十成六、七、八、九之三十,故河圖之數止於四十,而虛用天五與地十,而為天地之數五十有五也。
坎一は巽四を加えて五を得、故に之と相配する乾六は離九を加えれば便ち十五にして、兩者合計は二十なり。坤二は震三を加えて五を得、故に之と相配する兌七は艮八を加えれば亦た十五にして、兩者合計も亦た二十なり。此れ即ち一・二・三・四の合成する十は、六・七・八・九の合成する三十を生成し、故に河圖の實數は只だ四十に到るを以て止まる。再び天五與地十を虛設して運用して、乃ち湊成して《繫辭》の謂う所の天地之數五十有五と爲る。
生數之二五而十,雖分陰分陽,而俱以生數之陽載成數之陰,以維北若東,而中由以立。兩其十五而三十,遂互陰互陽,而又以成數之陰奉生數之陽,以維南若西,而中所以行也。立者,寄於虛以體其實;行者,布其實以用其虛也。
生數の中の兩個の五は合成して十と爲り、雖も陰陽の分あるも、却て皆生數の陽を以て成數の陰を承載し、從りて北方と東方とを維繫し、中位此れに由りて確立す。兩個の十五は合成して三十と爲り、於是乎陰陽互換して、又以て成數の陰を以て生數の陽を奉承し、從りて南方と西方とを維繫し、中位此れに由りて運行す。所謂「立」は、中を虛數に寄托して、以て其の實體を充實するなり。所謂「行」は、實數を鋪開して、以て彼の虛數の功用を發揮するなり。
一、二、三、四,交羅四象,而四互其虛五以為十,而為生數之體;六、七、八、九並包八卦,而四分其實五以為二十,而為成數之用;兩五之合十,固已旁正而交為二十之分體。二十之分五,乃離合而統為天五之全用;十交五體,五周十用也。
一・二・三・四は交錯羅列して四象を成し、此の四個の數は各々虛設の五と相配合して十と爲り、生數の本體を構成す。六・七・八・九は八卦を兼包し、此の四個の數は各々實用の五を分取して二十に合成し、成數の功用を構成す。兩個の五の合成する十は、本來已に四維に旁及し・四方を正據し、交互に分れて二十の分體と爲る。二十の分出する五は、又離散して復合し、統歸して「天五」の整全の用と爲る。此れ即ち十與五の體の相交わり、五は十の用の中に周流するなり。
坎一、離九而十,坤一不艮八而十,震三一兌七而十,巽四、乾六而十,皆一生一成也。一必九,三必七者,四方四奇之十陽十也。二必八,四必六者,四耦四維之十陰十也。是四五本二十,今則四十四。伍而什,皆所以分中於成數之實十四;什而伍,又所以合中於生數之虛五也。是五五而十,十什而五,參伍錯綜,其數從橫斜正,倒之顛之,元不十五者也?
坎一與離九とは相配して十を得、坤二與艮八とは相配して十を得、震三與兌七とは相配して十を得、巽四與乾六とは相配して十を得、每一對は皆一個の生數一個の成數に配す。一は必定九に配し・三は必定七に配するは、此れ四方四個の奇數の成す十にして、陽に屬する十なり。二は必定八に配し・四は必定六に配するは、此れ四維四個の偶數の成す十にして、陰に屬する十なり。此の様に、四個の五は本來只だ二十なるに、如今却て四十と爲る。五を以て併びて十を成すは、皆中位を成數の實體の中に分派せんが爲なり。十を以て併びて五を成すは、又中位を生數の虛五の内に收合せんが爲なり。故に五は五を乘じて十を得・十は十を併びて五を得、三三五五に交錯綜合し、此れらの數は無論縱・橫・斜・正、顛來倒去して、何れか十五ならざる有らん?
伍之而十,均十也。一與九之十,維坎維離。坎一居陰北,陽之始生,陰中之陽,陰極而生陽也。陽之一初而獨立於中。離九居陽南,陽之終極,陽、中之陽,陽極生陰,麗於巽四、坤二生數之陰。陰不專立,而當九陽之盛際,陽旱合而制中者也。《說卦》謂水火相逮而不相射者,冬、夏之至也。冬至坎之自中,夏至陽極而陰中也。
兩數相併びて十を成す、各組は皆十なり。一與九の合成する十は、坎與離とに繫屬す。坎一は陰に屬する北方に居り、陽氣初生の處にして、陰中の陽と爲り、正に陰極まりて陽を生ず。此の一點の初起する陽は中位に獨立す。離九は陽に屬する南方に居り、陽氣の終極にして、陽中の陽と爲り、陽極まりて陰を生じ、巽四・坤二の此の二個の生數の陰に附麗す。陰は能く單獨成立せず、正當九此の陽氣極盛の際、陽は已に先んじて之と會合して中位を制出せり。《説卦》の謂う所の「水火相逮びて不相射する」は、指す所は冬至與夏至なり。冬至は坎自身中に居り、夏至は陽極點に到りて陰其の中に居る。
二與八之十,維坤維艮;三與七之十,維震維兌。陽自下而升,由北東而極於南;陰自上而降,由南、西而極於北。此其交進交退以適於中者,陰陽東西之所緯,往復啟閉之所塗,否泰通塞之期,而出震致坤,說言成言,而山澤通氣以為春秋之分,所以曲而暢、旁而通之也。
二與八の合成する十は、坤與艮とに繫屬す。三與七の合成する十は、震與兌とに繫屬す。陽氣は下より上り昇して、北より東を經て南方の極點に到達す。陰氣は上より下り降して、南より西を經て北方の極點に到達す。此の種の一進一退・交相に中位に趨向する運行は、即ち陰陽の東西方向上の經緯にして、往來循環・開啓閉合の走る所の道路にして、亦た否閉泰通の時節なり。於是乎「帝震に出乎」「坤に役を致し」「兑に説言す」「艮に成言す」の次第ありて、山與澤の氣息相通じ、春分與秋分を構成し、此れ正に《易》道の委曲にして暢達・旁及にして通貫する之處なり。
至於四與六之十,維巽維乾,此又陰陽之始終。終始,天地之窮變,變通莫不由此制用。何以明之?陽自乾、坎,而艮、震自後而前,以合於東南之巽。陰自巽、離,而坤、兌自前而後,而分於西北之乾。
四與六の合成する十に至っては、巽與乾とに繫屬し、此れ又陰陽の終點與起點なり。終有り始有るは、天地の變化を窮盡する之處にして、一切の變通は此れに由りて法を立て用を致さざるなし。何を以て證明せん?陽氣は乾・坎より起り、艮・震を經て後より前に推進し、東南方の巽に會合す。陰氣は巽・離より起り、坤・兌を經て前より後に退行し、西北方の乾に分散す。
陽之生數一而三,總而四,而巽兼之;陰之生數二而四,總而六,而乾兼之。四而倍分之,則八節,與經卦所以序者,類而長之也。六而倍分之,則六陰六陽,十有二月,與重卦之所以列者,引而伸之也。
陽の生數は一と三にして、合すれば四にして、而も巽卦は此の數を兼有す。陰の生數は二と四にして、合すれば六にして、而も乾卦は此の數を兼有す。四を加倍して分けば、則ち八個の節氣と爲る、此れ八經卦の排列次序と同類にして擴展したるなり。六を加倍して分けば、則ち六陰六陽・一年十二個月と爲る、此れ六十四重卦の排列と同理にして引申したるなり。
況乾之六雖二與四合而成,然以一合五亦成也。由五外交乎一而六,五猶生數,六已成數矣。乃自有生成之道焉。況合乎坎之一即中,故乾特以老陰而變九也。若巽但以一與三之生數而限之以四,陽氣不足於數,元以自達於中,故借數於離九之中五,乃始得中而與坎對。中以四合五,乃至於陽之極位,極而必反,是巽、離兼數,所以九為老陽而變六也。
何况乾の六は雖も二與四の相合して成るに由るも、但し一に五を加うるも同様に能く成る。五より外に向かい一と相交りて六を得れば、五は尚お生數を算し、六は則ち已是れ成數なり、此れ裏面に自ら生與成の道理あり。又其の合する正に坎一・即ち中なるが爲に、故に乾は特に「老陰」の數六を以て九に變ず。巽に至っては、只だ一與三の此の二個の生數を以て限と爲し四の上に定まり、陽氣は數の上に於いて不足し、自ら中位に到達する能わざれば、故に離九の中の彼の五に向かい數を借りて、此れ乃ち中を得て坎と相對す。中を得たる後以て四は五に合して、便ち陽の極位に到り、物極まれば必定反する、因りて巽與離とは其の數を兼取し、九乃ち「老陽」と爲して六に變ず。
是特以乾、巽對十,而九六之變為然。至於乾、巽之互為分合、始終,則有不止此。震三、巽四合而雷風相薄,見於《怛》卦。巽當四月,則己如前說。若兌七乾六分而西北,乾當十月,則又未易以乾、巽對十為說而止者。
以上は只だ乾與巽と相對して十を成す此の一點に就きて、九與六の如何に變化するかを説明するなり。乾與巽の互相に分合し・互に終始と爲るの關係に至っては、尚お遠く此れに止まらず。震三與巽四と相合すれば、即ち「雷風相薄く」なり、《恒》卦に見ゆ。巽は四月に配す、前面已に説けり。兌七與乾六の分處西方與西北に至っては、乾は十月に配す、則ち能く只だ乾巽對十の此の一條を以て解釋する能わざるなり。
乾陽也,數乃陰六,而位於坎前;兌陰也,數乃陽七,而位於坤後。故於乾、兌六、七之中,各借五為之乘除,而變乾之六而於參伍之前,有一乾在坎前,是乾之一出而為坎之一;兌之七而於參伍之後,有二兌在坤後,是坤之二入為兌之二也。乾、兌雖以成數之六、七互分,而坎、坤乃以生數之一、二互起於中矣。
乾は本來陽に屬す、其の數は却て陰數の六にして、而も位置は坎の前に在り。兌は本來陰に屬す、其の數は却て陽數の七にして、而も位置は坤の後に在り。故に乾六・兌七の此の二個の數の中に於いて、各々一個の五を借りて以て加減を做す:乾の六を變動して、之を「參伍」の前に在らしめれば、便ち一個の乾ありて坎の前に排す、此れ即ち乾の一の走出して坎の一と爲るなり。兌の七は「參伍」の後に在れば、便ち一個の兌ありて坤の後に排す、此れ即ち坤の二の走り入りて兌の二と爲るなり。乾與兌とは雖も六・七の此の二個の成數を以て互相に分かれ、而も坎與坤とは却て一・二の此の二個の生數を以て互相に中より生起す。
然而兌不名二,而坤名二;坎名一,而乾不名一。乾之所以不自名其一者,蓋以寓其不入於數,而並包八卦之五與十生成之用,而為太極之全也。此以數言,則天一、地二,天地設位。以氣言,則分陰分陽,陰陽相薄。而《易》所以行乎其中者,始由於是,則陽生之進數所以為陰成之退數,陰生之進數所以為陽成之退數,乃互進互退,迭生迭成,此其生生之易,一陰一陽之道,元所終窮也。豈不至精至變而至神者與?
然れども兌は二と稱せられず、坤乃ち二と稱す。坎は一と稱せらる、乾は却て一と稱せず。乾の自ら其一と稱せざる所以は、此の様な一層の意思を寄托せんと欲するなり:之れ數の中に落入せず、反つて八卦の裏の五與十の生成の用を兼包して、太極の整全と爲る。此れ數より上に言えば、即ち天一・地二にして、天地各々其の位に就く。氣より上に言えば、即ち陰を分け陽を分けて、陰陽相互に迫近す。《易》の能く其の中に運行する所以の起點は、正に此れに在り:陽の生數の進位は、正好陰の成數の退位と爲る。陰の生數の進位も、亦た正好陽の成數の退位と爲る、於是乎互相に進退し・交替して生成す。此れ即ち生生已まざるの《易》にして、即ち一陰一陽の道にして、永く窮盡なし。此れ豈に《繫辭》の謂う所の至精・至變にして至神ならずや?
又況《易》以一其三畫,因得析而生八卦;二其三畫,遂得錯而成八八之卦。若其卦之成畫,則止於六矣。乃復於乾獨三,其三以至謂之九,何也?凡卦畫如圖,以五為中,必有九而後中,乃在五既中五之後。六為上爻者,蓋其卦氣之餘也。生數既終,成數攸始,此九、六虛實之所以寄也。
再び言う、《易》は三畫を一組と爲し、因りて能く八卦を分化出す。三畫を加倍して六畫と成せば、於是乎交錯して八八六十四卦と爲る。若し一卦の畫成したる後の爻數を論ずれば、亦た六に到るを以て止まる。可是乾卦に到るに至っては、偏偏又三を再三倍して九と稱す、此れ何の爲ぞや?凡そ卦畫の位置の河圖の如く五を以て中と爲すは、必須九ありて後乃ち能く中位を顯出し、而も此の中は五の已に中に居るの後乃ち出現す。第六畫の上爻と爲る所以は、以て其の屬する所は卦氣の餘數なり。生數は此れに到りて終結し、成數は此れに由りて開始す、此れ即ち九與六・虛與實の寄托する所の地なり。
坤起於成數之六而實,乾極於成數之九而虛。六乃坤數成始,附於圖位,則以寄其乾九。九乃乾數成終,附於卦位,則以同於坤六。其六居退數之極,而進居乎坎中之前;九居進數之極,而退附乎離麗之後,故六於卦猶有位,九於卦已無位,而並寄位於六。而迭為九六者,九虛六實,因兼著其體用也。
坤は成數の六より起始して實に屬し、乾は成數の九に到りて極として虛に屬す。六は坤數生成の開端にして、之を河圖の方位に附せば、則ち以て乾の九を寄托す。九は乾數生成の終結にして、之を卦爻の位次に附せば、則ち坤の六と相同なり。六は退數の盡頭に處るも、却て前進して坎中の前に居る。九は進數の盡頭に處るも、却て後退して離の附麗する之處の後に附く。故に六は卦の中に尚お位次ありて、九は卦の中に已に位次無く、只だ一倂に六の上に位を寄托せざるを得ざるなり。而して九・六の交替出現するは、正に九虛にして六實なるが爲に、此れに由りて體與用の兩面を兼顯す。
且乾老陽也,坤老陰也,父母之謂也。少陰、少陽,則六子男女之謂也。少陰、少陽之數,則七、八也。乾元用九,坤元用六,合六十四卦,元有七、八,而唯有九、六。是男女者,亦由父母之所變,而隨以變者也。凡物之產,莫不由於母,而莫名其父之德之在,故《坤》猶見於六畫之體。而《乾》之九有其九用,而莫究其體之由,是所以神元方而《易》元體者也。
况且乾は老陽・坤は老陰、此れは父母に就きて言う。少陰與少陽は、則ち六個の子女・男女諸卦に就きて言う。少陰・少陽の數は七と八なり。可是《乾》は「用九」と説き、《坤》は「用六」と説き、六十四卦を通看して合すれば、從來七・八の出現せざるなく、只だ九と六あり。可見男女諸卦も、亦た父母二卦に由りて變じ、之に隨て變化出ずるなり。凡そ物の生產は、母體より出ざるなくして、却て父の德性の究竟何處に在るかを説出す能わざれば、故に《坤》は尚お六畫の形體の上に於いて見るを得。而して《乾》の九は雖も其の九種の用處あるも、却て其の形體の何處より來るかを推究する能わず。此れ正に《繫辭》の謂う所の「神方なく《易》體なし」の道理なり。
天一兼天五而六,地二合地四而六,五與六當十數生成互中之地,納甲以戊己為中,納戊以中乎坎,納己以中乎離。戊己,即五六也,置於坎、離之中,所以見其互中也。
天一は天五を加えて六を得、地二は地四を加えて亦た六を得。五與六とは正に十此の數の裏の生數與成數と互に中位と爲る之處に在る。漢代の「納甲」の法は戊・己の兩干を以て中と爲し、戊を坎卦に納入して其の中に居らしめ、己を離卦に納入して其の中に居らしむ。戊・己は即ち五と六に相當し、坎・離の兩卦の中に安放するは、正に以て其れらの互に中位と爲るを顯示するなり。
六合二四,為地數之成始,見於卦之《坤》曰:「龍戰于野。」即戰乎乾。疑於陽而嫌於元陽,見陰之有待於陽也,故其道窮。而《坤》之用六,不過日:「利永貞。」天數之一、五、九,是所謂始、中、終。九為天數之成終,見於卦之《乾》日:「亢龍有悔。」盈不可久,而不可為首;而《乾》之用九,則天下治,而見天則是見其行健,元所待於陰也。
六は二與四とに由りて合成し、地數生成の開端にして、卦の上に表現すれば即ち《坤》の上六爻辭の謂う所の「野に龍戰う」にして、即ち《説卦》の「乾に戰乎」なり。此の時陰盛なること陽の如くにして・又自身陽無きを嫌う、正に陰の必須陽に有待なるを見るべし、故に其の道路は盡頭に走り到る。而して《坤》の「用六」も、亦不過一句の「永く貞ならんことを利る」のみを説く。天數の中の一・五・九は、即ち所謂始・中・終なり。九は天數生成の終結にして、卦の上に表現すれば即ち《乾》の上九爻辭の謂う所の「亢龍悔あり」にして、盈滿は久しき能わず、因りて首と爲る能わず。《乾》の「用九」に至っては、則ち「天下治むるなり」と説き、又「乃ち天則を見ん」と説き、正に其の剛健運行して、必ずしも陰に有待せずを見出す。
一與九合為乾,則其數十,而十乃寄於天九之外,元所致其用矣。地道元成,而代有終,又有在於是,是築論九、六之大凡,可以意討也。河圖之列,只為經卦設,今而並及於重卦之體用也。經卦、重卦元往而不一陰一陽,由奇耦之分合,以生始成終者也。
一與九と相合して乾を成す、其の數は十なり、可是此の十は只だ天九の外に寄托する能く、其の作用を施展する辦法無し。所謂「地道は成することなくして代わりて終り有る」の道理も、亦た此れに在り。以上は大略九與六の梗概を討論す、其餘は此れに由りて推想すべし。河圖の排列は、本來只だ八經卦の爲に設けり、如今六十四重卦の體用を連れて一倂に講到せり。八經卦も好し・六十四重卦も好し、何れの一處か一陰一陽ならざる有らん、皆奇偶の數の分與合とに由りて、生の開端・成の終結有り。
一、二、三、四而五同為生數,一至四,其實體;五,其虛用也。六、七、八、九而十同為成數,六至九,其實體;十,其虛用也。四象元五,八卦元十,坦然明白矣。
一・二・三・四は五を連れて、同じく生數に屬す:一から四までは其の實體にして、五は其の虛用なり。六・七・八・九は十を連れて、同じく成數に屬す:六から九までは其の實體にして、十は其の虛用なり。此の様にすれば、四象の裏に五無く・八卦の裏に十無きは、則ち明明白白なり。
四方各具十數,總而四十,四隅各包五數,共為二十。二十則四其五,而虛用者各居其半;四十者八其五,而實體者兼會其全,故四象合八卦,而總之則四十也。
四個の正方は各々十此の數を具え、合計は四十なり。四個の角隅は各々五此の數を含み、合計は二十なり。二十は四個の五にして、虛用の數は各々其の中の一半を占む。四十は八個の五にして、實體の數は兼ねて其の全部を會す。故に四象は八卦に配合して、總數即ち四十なり。
五為立中之體而生,十為行中之用而成也;且五分於成數六、七、八、九之內,皆陰數少而陽數多。陰固偏,陽固正。五不得中而寄於四隅之偏,十合於生數一、二、三、四之外,皆陽數少而陰數多。陰亦偏,而陽亦正。十各成中而居四方之正,然則正則中,中則正也。
五は中位を確立する本體なり、故に「生」を主る。十は中位を推行する功用なり、故に「成」を主る。而且五は六・七・八・九の此の四個の成數の内に分布し、此の四個の數は皆陰數少なく陽數多く、陰は本來偏に居り・陽は本來正に居る、故に五は中位を得ず、只だ四隅の偏位の上に寄托する能く。十は則ち一・二・三・四の此の四個の生數の外に合し、此の四個の數は皆陽數少なく陰數多く、陰も亦た偏に居り・陽も亦た正に居る、故に十は各々自ら中位と爲りて四方の正位に居る。可見正に居れば即ち中を得るなり、中を得れば即ち正に居るなり。
五始既所以正位於虛用之中,十中又所以中立於實用之外,皆所以為一陰一陽之中道也。由陰陽中既復有陰陽,此體用中所以復有體用虛實,實虛始終,終始變化,生成相與為元所終窮者也。
五は開端の處に於いて既に虛用の中に其の位を端正し、十は中間に於いて又實用の外に卓然として中立する能く、此れは皆一陰一陽の中道を成就せんが爲なり。以て陰陽の中に尚お各々陰陽あり、故に體用の中に亦た尚お體用・虛實の別あり。實與虛・始與終、終りて復た始まりて變化し、生與成と互相に配合して、永く窮盡の時無し。
又況五其五,而二十有五,亦天數也。六其五,五其六,三其十,而十其三,而三十,亦地數也。一且九,二且八,三且七,而四且六之各十,與本數虛用之十,以之伍其什,什其五,斯則大衍之數五十矣。而其兆始之一,寄中之五,藏其用於元形之天,則又出乎五十、十五之外,大衍所不得而用也。
何况五個の五は二十五を得、正に《繫辭》の謂う天數なり。六個の五・五個の六・三個の十・十個の三は皆三十を得、正に地數なり。一は九に配し・二は八に配し・三は七に配し・四は六に配して、各々十を得、再び本數の中の虛用の彼の十を加えて、此れらの十を併びて五と爲し・五を併びて十と爲せば、此れ即ち「大衍之數五十」なり。彼の發端と爲る一及び中位に寄居する五に至っては、作用を無形の天に藏めて、則ち又五十與十五の外に超出して、是大衍の法の取用する能くする所に非ざるなり。
又惡知不用之用,乃所以用大衍者,以是見一陰一陽之謂道,參伍而錯綜之。凡天地之數五十有五,所以成變化而行鬼神,有以見天下之跡,見天下之動,而知神之所為者,斯羲皇所以則河圖而作《易》者也。孔子贊《易》,謂其至精至變以至於至神。籲,斯其至神者矣。
又何ぞ曉らん、正に此の「用せざるの用」こそ、乃ち大衍之數を驅動する根本ならんと。此れに由りて「一陰一陽の道を謂う」は、全く三三五五の交錯綜合に靠りて體現するを見るべし。天地之數五十有五は、以て變化を成就し・鬼神を運行し、人をして天下の形迹を見・天下の動向を見せしめ、從りて神明の作爲を懂得せしむ——此れ即ち伏羲の河圖に取法して《易》を作るの緣由なり。孔子は《易》を贊して、之を至精・至變、以至於至神と曰う。嗚呼、此れ眞に至神と謂うべし。
卷之一 校勘記
#1『者終』,原作『終者』,據四庫本乙正。 #2『至元丙戌』,四庫本作『至元丙辰』,疑兩說皆誤。查《中國歷代紀年手冊》,元順帝至元年問,無『丙戌』和『丙辰』年,唯至正年問有『丙戌』年。 #3『切至』,四庫本作『精切』,疑當作『精切至』為宜。 #4『斯文宗』,四庫本作『斯文宗主』。 #5『但』,四庫本作『特』。 #6『祇』,原作『祇』,據四庫本改。
第一條:「者終」の二字、原本は「終者」と作る、今四庫本に據りて其の次序を乙正す。第二條:「至元丙戌」は、四庫本は「至元丙辰」と作る、疑心兩種の寫法皆誤りあり——《中國歷代紀年手册》を查すれば、元順帝の至元年間に既に丙戌年なく・亦た丙辰年なく、只だ至正年間に乃ち丙戌年あり。第三條:「切至」は、四庫本は「精切」と作る、疑心應當に「精切至」と作るを較爲妥當と爲す。第四條:「斯文宗」は、四庫本は「斯文宗主」と作る。第五條:「但」の字、四庫本は「特」の字と作る。第六條:「祇」の字、原本の字形に訛あり、今四庫本に據りて改正す。
卷之二 河圖傳中(臨川道士雷思齊學)
天地之理,未始不有數行乎其中。然或有餘於數,不足於數。唯其餘、不足而為之中制,故雖陰陽奇耦之數,有分有合,有虛有實,有進有退,有自然互相生成之中道焉。
天地間の道理は、何れの一處か「數」の其の中に運行する有らざらん。然れども數は時に餘あり、時に又不足す。正に餘與不足有るが爲に、乃ち之に一個の居中の節制を立つべし。故に陰陽奇偶の數は雖も分有り合有り・虛有り實有り・進有り退有るも、其の間に自ら一條の自然と而然・互相生成する中道あり。
一陰一陽之謂道者,陰陽分一以為天地,上下合一以為乾坤,天地上下分為四方,而中元以合,乾坤陰陽合為四時,而中有可分,是同一道也。
所謂「一陰一陽の道を謂う」:陰陽は彼の「一」を分けて、則ち天與地と爲る。上下は彼の「一」を合して、則ち乾與坤と爲る。天地上下は四方に分かれ、中位は便ち合併するに從う無し。乾坤陰陽は四時に合し、中位は却て尚お再び分くる能く。此の兩者は實に同一個の道理なり。
天地以形言,則南北為經,上天下地;而水、火、木、金之為形者,既可以圖而分,故日法象莫大乎天地,廣大配天地也。陰陽以氣論,則東西為緯,乾陽坤陰;而冬、夏、春、秋之為氣者,亦可以理而合,故日變通莫大乎四時,變通配四時也。於斯二者,元以異也。
天地は形體に就きて言う、然らば南北は經線にして、上を天と爲し・下を地と爲す。水・火・木・金の此れら有形の物は、既然圖の上に分列する能く、故に《繫辭》に曰く「法象は天地より大なるは莫し」、又曰く「廣大は天地に配す」。陰陽は氣に就きて言う、然らば東西は緯線にして、乾は陽に屬し・坤は陰に屬す。冬・夏・春・秋の此れら氣候も、亦た按理會合する能く、故に《繫辭》に曰く「變通は四時より大なるは莫し」、又曰く「變通は四時に配す」。此の兩方面は、實に分別有ること无きなり。
四方有中,中元定體,而四象八卦以之立;四時有五,五元定著,而四時八節以之行。孔子著《大傳》,不存河圖,而特存天地之數者,示其有得於數,則圖在其中矣。
四方の中に一個の中位あり、此の中は却て固定の形體無く、四象與八卦は即ち之に靠りて確立す。四時の中に一個の五あり、此の五も亦た固定の着落無く、四時八節は即ち之に靠りて運行す。孔子の《繫辭大傳》を寫すに、并河圖の圖形を保存せざるも、却て特地天地之數を保存したるは、要するに表明せんと欲す:只だ數の上に領會有らば、河圖は自然其の中に在らんと。
圖之數生以天一者,成以地六;生以地二者,成以天七;生以天三者,成以地八;生以地四者,成以天九,至謂天五地十之生成,則何自而求哉?按圖索駿也。
河圖の數は、凡そ天一に由りて生ずる所は、則ち地六に由りて成就す。地二に由りて生ずる所は、則ち天七に由りて成就す。天三に由りて生ずる所は、則ち地八に由りて成就す。地四に由りて生ずる所は、則ち天九に由りて成就す。所謂天五・地十の如何に生じ・如何に成るかに至っては、又何處に到りて之を求めんや?則ち眞に圖に按じて千里馬を尋ねて、徒らに功なく勞するなり。
故制五於八卦之虛中,猶可容其數;而制十於其中,則元所容其數矣。是知數之有生有成,而不知其所以生且成者,徒得其貌,而元以得古聖人之所以為天地立心,為生民立極者,千載可為之長太息,則古猶今也。
故に五を八卦の虛中の處に安置すれば、尚お勉强此の數を容納するを得。若し十をも亦た中間に安置せば、則ち再び之を容納する地方無し。彼ら只だ數に生有り成有るを知るも、却て其の何の故に能く生じ・能く成るかを知らざる者は、不過一個の表面の輪廓を得て、古聖人の「天地の爲に心を立て・生民の爲に極を立つ」の用意を領會するに從う無し。千載以下、眞に此れに爲に一聲長嘆するに值す——古時此の如く、今天も亦た尚お此の如し。
夫奇數皆天,耦數皆地,生以天者成以地,生以地者成以天,其為天若地,特陰陽之進退、出入,奇耦之體用,分合而已。《說卦》曰:「參天兩地而倚數,觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生爻。」《大傳》日:「參伍以變,錯綜其數。通其變,遂成天地之文;極其數,遂定天下之象。非天下之至變,孰能與於此?」其曲盡乎至妙之用者,河圖法也。
奇數は皆天に屬し、偶數は皆地に屬す。天數に由りて生ずる所は、地數に由りて成就し、地數に由りて生ずる所は、天數に由りて成就す。所謂天・所謂地も、亦不過陰陽の進與退・出與入、奇偶の體與用・分與合なり。《説卦》に曰く「天に參し地に兩して數を倚れ、陰陽に變を觀て卦を立て、剛柔に發揮して爻を生ず」。《繫辭大傳》に曰く「參伍以て變え、其の數を錯綜す。其の變を通ぜば、遂に天地の文を成す。其の數を極めば、遂に天下の象を定む。若し天下の最も變化する能くする物に非ずんば、誰か能く此の一步に參與せんや?」此の至妙の功用を曲折盡致に表現する能くするは、正に河圖の法なり。
數始於一,而中於五,而終於十。中於五者,分其四之偏;終於十者,合其八之正。蓋一之始,其全體元餘不足,不可得而用,而獨得於中。既以其一寄生於五,遂以其一寄成於十以終之,故四象有五,八卦有十,皆有數而元所定其位,以五生其偏,以十成其正,而所謂一者,遂莫知所尋,獨見於五,見於十之為中者以上齊焉耳。
數は一より始まり、五を以て中に居り、十に到りて止まる。五を以て中に居るは、要するに四隅の偏位を分派せんと欲す。十に到りて終と爲るは、要するに四方の正位を會合せんと欲す。以て一は開端の時に在り、全體既に餘多ならず欠缺せず、取用するに從う無く、只だ獨り中位を得る能く。之れ既に自身を五の上に寄托して「生」を言い、又自身を十の上に寄托して「成」を言い、此れを以て尾を收む。故に四象に五あり・八卦に十あるは、皆數ありて確定の方位無し。五に靠りて偏位を生成し、十に靠りて正位を成全す。而して彼の所謂「一」は、則ち再び其の踪迹を尋ね得ず、人々は只だ居中の五と十の上より、之を一倂に見出すのみ。
故嘗求其所以然而莫之得,適記兒時於牧堅問見所謂八格戲者,其局不過口中加十之文而已。時極厭薄之,以為至鄙、至賤,未嘗加之意也。不謂年瑜七十,乃知其然。所謂百姓日用而不知,終身由之而不知其道者,古之人豈欺我哉?
我れ曾て其の中の所以然を追究して之を求めて得ず、恰好小時候に牧童の中間に於いて見たる「八格戲」と叫ぶ一種の遊戲を想起せり、其の棋盤は不過一個の方框の裏に一個の「十」字の形狀を加えるのみなり。當時我れ極めて之を瞧不上して、鄙陋下賤と認め、從來心に往せざりき。想わざりきは年七十を過ぎて、乃ち明白して其れ正に此の道理なり。《繫辭》の謂う所の「百姓日に用いて知らず」、孟子の謂う所の終身之に由りて其の道を知らずは、古人豈に我らを欺騙せんや?
蓋今謂即古之○,今之五即古文之,今之十猶古文之十,而畫為十於中,此十五之法由之以有所見矣。況又十下畫一,則土文之為中者,汰可知已,故云中土也。
大抵今天の謂う所の彼の圈は、即ち古文の「○」なり。今天の「五」は、即ち古文の「乂」なり。今天の「十」も、亦た尚お古文の「十」なり、而も方框の中間に十字を畫出すれば、十與五の法則は此れに由りて見るを得るなり。何况「十」の下に再び一橫を加えれば、則ち「土」の字と爲り、土の中と爲る所以は、愈加清楚なり、故に乃ち「中土」と説く。
其中直筆之,即可見南北為經,天尊地卑,天地設位;橫筆之-,則可見東西為緯,分陰分陽,陰陽成列。從而久之則四維之偏,各得其均;四方之正,亦隨以定其氣之互進互退,交相生成,率由五與十以立中道也。
此の十字は、竪の一筆は、則ち南北の經と爲り・天尊地卑・天地各々其の位に就くを見るべし。橫の一筆は、則ち東西の緯と爲り・陰を分け陽を分け・陰陽行列に排すを見るべし。再び斜畫の「乂」の形を加えれば、四維の偏位は便ち各々其の均衡を得、四方の正位も、之に隨て確定す。其の氣の一進一退・交相生成するは、一概に皆五與十に靠りて中道を確立するなり。
故河圖之十五,大衍之五十,皆虛有其十與五之數,以為之用,而實元其位之體也。欲知十、五之道,所以為中,始於一,而中於五,而終於十者,十即一也,以十求一,則其一於此固亦可以目存而心得於中矣。
故に河圖の十五・大衍の五十は、皆只だ虛設して十與五の此の二個の數を以て作用を發揮するにして、實際并其れらに屬する方位與形體無し。十與五の道の何の故に中と爲る能くするかを明白せんと欲せば、只だ其の一に始まり・五に中り・十に終るを看れば——十は實に即ち一なり。十より彼の一を追求すれば、然らば此の一は此處に於いて亦た眼中に見得・心中に悟得する能くするなり。
因參稽自擬《易》以來,其會十久之為中為土者,惟司馬氏《潛虛》似為得之,然《港虛》乃以久著為基,十著為冢,而分列為五十五數以為名,則是其中者已先實之矣,非虛用也。與河圖虛五寄十之理,自不相入也。河圖之數,雖五十有五,而其實體之數正只四十,所餘十有五,特虛以用於四十之中,不過通為之數,而實非有體位者也。
我れ因りて遍く自古以來の《易》に仿擬して作る各家を考えたり:能く「十」「乂」の中と爲り・土と爲る此の層の意思を領會する者は、只だ司馬光の《潛虛》のみ之を得たるに似たり。然れども《潛虛》は却て「乂」形の蓍を「基」と稱し、「十」形の蓍を「家」と稱し、又分列して五十五個の數を成して命名す、此れ則ち等しく先ず中位を坐實して、并虛用に非ざるなり。此れ河圖の虛設五・寄托十の道理と、本來合せ到る能わざるなり。河圖の數は雖も五十有五と説くも、可其の實體の數は正好只だ四十あり。所餘の十五は、只だ此の四十の中に於いて作用を發揮するを虛設し、不過通算の數目にして、實際并形體與方位無し。
其曰參、日兩、日參五者,通其數之所變以用也。參也者,一二之所以變也。由一自分其一以為二,起自為之對,則見其二而不見其一矣。其一又自參出於二之中,故三也。於參之法是即為一小成,是三畫之立見人參於天地之中以生也。積三小成,參其三而合於乾元用九,是參之始制,即陽奇之所謂天者所由然也。
所謂「參」・所謂「兩」・所謂「參五」は、皆數の變化を會通して以て之を運用す。所謂「參」は、一與二の能く變する所以なり。一より自ら一を分出して二と爲り、起りて自身と相對すれば、人々は只だ二を見て一を見ざるなり。彼の一は又自ら二の當中より參出す、故に三と爲る。「參」此の法則に就きて言えば、此れ即ち一個の小成にして、即ち三畫卦の成立にして、人の天地の中に參贊して生ずるを見出す能く。三個の小成を累積し、三三相乘して《乾》の「用九」に合すは、此れ「參」の最初の立法にして、即ち陽奇の數の「天」と稱する所以の緣由なり。
兩也者,由一生二,起而對,並以立,既以象兩儀,因之兩其二以象四象。夫一本自一而二,而參,其一以為三,況二本一之對,豈不得二其三而反對之乎?故汰而三其二以成六,即合於坤元用六,是又兩之始制,兼三才而兩之,故六因之六畫成卦,六位成章,即陰耦之所謂地者亦由以然也。
所謂「兩」は、一生じて二を出し、起りて相對し、竝列して立ち、既に之を以て兩儀を象徵すれば、則ち再び二を加倍して以て四象を象徵す。一は本來一に由りて二を成し、又參出して一を以て三と爲る。何况二は本來即ち一の對立面なるに、豈に能く三を加倍して反對して六を成さざらんや?故に再び一歩を進めて、三個の二は六に合成し、正に《坤》の「用六」に合す。此れ又「兩」の最初の立法なり:兼ねて三才を加倍す、故に六なり。此れに由りて六畫卦を成し・六位章を成す有り、即ち陰偶の數の「地」と稱する所以の緣由なり。
由是參其兩二,而交久以合之,是伍也。兩其二伍,則又什矣。十特見於參、九之外,則又一之所由以寄者也。何以明之?參之,兩之,而伍而什之,皆人文之為。而自然與天地合者,參文之血斗,兩文之雨仄,至維伍維什,皆立人於維中維旁者,斯可默識古人立心立極之制,有在於是矣。
此れに由りて兩個の二を相參し、再び交叉して「乂」の形を成して合すれば、即ち五なり。兩個の五は、則ち又十と爲る。十は只だ「參」與「九」の外に出現し、正に彼の「一」の借以寄托する所の地なり。何を以て證明せん?相參・相兩し、再び併びて五を成し・併びて十を成す、此れらは皆人爲の文字の事なりと雖、却て自然と而然に天地と相合す:「參」字の構形・「兩」字の構形、以至「五」「十」の寫法は、皆「人」を中間或は旁邊に立つ。此れに由りて便ち默々に體認し出す能く、古人の心を立て極を立つる法度は、即ち此の裏面に寄寓せるなりと。
必參其三三,兩其三二,是參兩之一小成矣。故必又參其三三,而參之為參天;兩其三二,而兩之為兩地,是天地之數元汰而合且分矣。
必定要三個の三相參・三個の二相兩して、此れ乃ち「參兩」の一個の小成なり。故に尚お必須再び三個の三相參して、之を參じて「參天」と爲さん。三個の二相兩して、之を兩して「兩地」と爲さん、此の様にすれば天地之數は則ち再加するを必とせず、而も自然に合有り分有るなり。
乃以其初不入於用之一數,寄於十以行其中,而為之分且合,以成其中制者,是一也。而求於圖之數,如環元端,其一莫見何在,而所見惟十爾。夫參其三三,與兩其三二,合而為大。參兩,斯有以見天地渾成一始終者所以然矣。至所謂參伍錯綜,則未究也。
於是乎當初參與運用せざる彼の「一」を、十の上に寄托して其の中に運行し、之に替わりて分け・之に替わりて合して、從りて居中の節制を成就す、此れ靠る所は正に「一」なり。可是河圖の數の裏に到りて之を尋ねれば、彼の數は圓環の如く端點無く、彼の一は根本に在る何處かを看出す能わず、看得る有るは只だ十のみなり。三個の三相參と、三個の二相兩と、合して則ち其の大と爲る。「參兩」の此の一層有れば、則ち天地の渾然として成り・一に以て之を貫くの始終の何の故に此の如くかを見出すに足れり。所謂「參伍錯綜」に至っては、則ち尚お未だ講透せざるなり。
其謂之參伍錯綜者,五以前之數少於五,元所用伍;五以後之數多於五,故參以五。伍於其中,錯且綜之,而行其制中之法也。然《大傳》於參伍以變,錯綜其數,亦必謂通其變,然後能成天地之文;極其數,然後能定天下之象,則知其未易知也。
之を「參伍錯綜」と叫ぶ所以は、以て五以前の數は皆五より小さく、五と相併ぶるに從う無し。五以後の數は皆五より大にして、故に一個の五を參入するを要す。五を其れらの中間に併び、再び交錯・再び綜合すれば、即ち居中の節制を推行する方法なり。然れども《繫辭大傳》の「參伍以て變え・其の數を錯綜す」を講ずるに、尚お必須先ず其の變化を會通して後乃ち能く天地の文采を成就し、先ず其の數を窮盡して後乃ち能く天下の物象を確定すと説くを要す。可見此の道理は并容易に明白ならざるなり。
然既教以參五錯綜,則安得不研求其所以然哉。因參稽自擊《易》以來,已幾二千年矣,學者元探索及之者,至於龍圖續始亦元發明,深切異之。心港力索,極深研幾,適然省悟,元元它事也。《大傳》日:「天數五,地數五,五位相得而各有合。」即圖之數矣。
既然聖人は已に我らに「參伍錯綜」を敎給したり、何ぞ其の所以然を研求せざるを得んや?我れ遍く孔子の《易》に繫する以來を考えて、已に將に二千年なり、學者の中に竟て此の一層に探索する人無し。陳摶の傳える所の《龍圖》が承續開端の處に講到するを連れても、亦た發明無く、我れ此れに對して深く詫異を感ず。於是乎其心を沉潛し・探索を竭力し、幽深を窮極し・幾微を研究し、忽然として省悟有り、實際并別の門道無し。《繫辭大傳》に曰く「天數五・地數五、五位相得にして各々合有り」。此れ説く正に河圖の數なり。
天一起於坎,地六附於坤,是一六之合,綜之則七也。參以天五錯伍於中,並列而求之,其首尾各一也。故坎之一數為陽,立極於北方之始;而乾之六數為陰,附於西北之維也。天三出於震,地八附於艮,是三八之合,綜之則十有一也。參以天五錯伍於中,並列而求之,其首尾各三也。故震之三數為陽,立於束方之正;而艮之八數為陰,而附束北之維也。是二者,先陽後陰。
天一は坎卦より起始し、地六は西北一維に附着す、此れ一與六の會合にして、綜合して七と爲る。天五を參入して中間に交錯竝列し、其れらを排開して考察すれば、首尾の兩端は各々一を得。故に坎の數一は陽に屬し、北方の始に極を立つ。乾の數六は陰に屬し、西北の維に附く。天三は震卦より出現し、地八は艮卦に附着す、此れ三與八の會合にして、綜合して十一と爲る。天五を參入して中間に交錯竝列し、其れらを排開して考察すれば、首尾の兩端は各々三を得。故に震の數三は陽に屬し、東方の正位に立つ。艮の數八は陰に屬し、東北の維に附く。此の兩組は、皆先ず陽にして後陰なり。
地二分於西南,為坤;天七列於西,為兌,是二七之合,綜之則九也。參以天五錯伍於中,並列而求之,其首尾各二也。坤之二數為陰,先處於西南之維;而兌之七數為陽,始立於西方之正也。地四偏於巽,天九正於離,是四九之,綜之而十有三也。參以天五錯伍於中,並列而求之,其首尾各四也。巽之四數為陰,退守束南之維;離之九數為陽,正南面而立於極位也。是二者,先陰後陽。
地二は西南に分居す、是れ坤なり。天七は西方に排す、是れ兌なり、此れ二與七の會合にして、綜合して九と爲る。天五を參入して中間に交錯竝列し、其れらを排開して考察すれば、首尾の兩端は各々二を得。坤の數二は陰に屬し、先ず西南の維に處る。兌の數七は陽に屬し、乃ち西方の正位に立つ。地四は東南の巽に偏處し、天九は南方の離に正居す、此れ四與九の會合にして、綜合して十三と爲る。天五を參入して中間に交錯竝列し、其れらを排開して考察すれば、首尾の兩端は各々四を得。巽の數四は陰に屬し、東南の維に退守す。離の數九は陽に屬し、正面南に向かい極位に立つ。此の兩組は、皆先ず陰にして後陽なり。
由是知乾、兌、艮、離之所以六、七、八、九,即坎、坤、震、巽之一、一不三、四也。故陽得五而陰,陰得五而陽;耦得五而奇,奇得五而耦。乾之六,乃一五而六也;兌之七,乃二五而七也;艮之八,乃三五而八也;離之九,乃四五而九也。
此れに由りて知るべし、乾・兌・艮・離の六・七・八・九たる所以は、正に即ち坎・坤・震・巽の一・二・三・四なり。故に陽數は五を得れば則ち陰に轉じ、陰數は五を得れば則ち陽に轉ず。偶數は五を得れば則ち奇に轉じ、奇數は五を得れば則ち偶に轉ず。乾の六は、一は五を加えて六を成す。兌の七は、二は五を加えて七を成す。艮の八は、三は五を加えて八を成す。離の九は、四は五を加えて九を成す。
又由是知參伍以變,參乾、坎,參艮、震,自北而束;參兌、坤,參離、巽,自西而南。參而分,伍而合,是謂參伍以變。錯而分之,見其參;綜而合之,見其位,是謂錯綜其數。而錯綜者,即參伍也。散而錯之,如一、二、三、四之重;分斂而綜之,乃六、七、八、九之復合也,是謂五位相得而各有合,豈嘗如後世別置五虛點於圖心,而實謂天五哉?
又此れに由りて何を「參伍以て變」と謂うかを知るべし:乾與坎とを相參し・艮與震とを相參するは、自北して東なり。兌與坤とを相參し・離與巽とを相參するは、自西して南なり。相參すれば則ち分かれ、相併べば則ち會合す、此れを「參伍以て變」と叫ぶ。交錯して分かれば、以て「參」を見出す能く。綜合して聚攏すれば、以て各々の位次を見出す能く、此れを「其の數を錯綜す」と叫ぶ。所謂錯綜は、實に即ち參伍なり。散開して交錯するは、一・二・三・四の各々重疊するが如し。收斂して綜合すれば、則ち六・七・八・九の複合と爲る。此れ即ち「五位相得にして各々合有り」なり、何處か後世の如く、別に圖心に五個の虛點を安放し、尚お實實在在に之を「天五」と稱せんや?
故由是知河圖之數縱橫順逆,莫匪自然而然,不待人為牽合傅會以使然也。其進數之升,自北束極乎南;退數之降,自南西終極乎北,皆陽數行而陰自隨之。若陰數之進,則自坤二而巽四,退則自艮八而乾六,然陰不過奉陽而已,雖萬變亦一陰一陽而已爾。
故に此れに由りて知るべし、河圖の數は無論縱橫順逆、何れの一處か自然と而然ならざる有らん、必ずしも人爲の牽合附會に靠らずして乃ち此の様子を成す。其の進數の上昇は、北より東を經て南方の極點に直到し。退數の下降は、南より西を經て北方の極點に終歸す、皆陽數の運行するにして陰數は自然に隨從す。陰數の前進に至っては、坤二より巽四に到る。陰數の後退は、艮八より乾六に到る。然れども陰は不過陽を奉承するのみ、縱に萬般の變化有るも、亦た仍お只だ一陰一陽なり。
是故伍坎一以為乾六於北,伍坤二以為兌七於西,伍震三以為艮八於束,伍巽四以為離九於南,則見制數之元自參伍矣。於是又損震後之一以退,益艮之全八而九,三而三之,始參之制也。析震中前之二以合巽之全,四分而六,則兩之繼始也。惟離之全數自得於九,且當始終之中,三而三之,中參之制也。兼坤之全二,以貫兌中前之四合而六,則兩之代終也。絕兌後之三,以補乾之全六,三而三之,終參之制也。
因此、坎一を併びて五を上げて西北の乾六と爲し、坤二を併びて五を上げて西方の兌七と爲し、震三を併びて五を上げて東北の艮八と爲し、巽四を併びて五を上げて南方の離九と爲せば、則ち數目を制定すること本來「參伍」より出づるを看出す能く。於是乎又震の後面の一を減去して之を退け、艮の整八の上に加到して九を成し、三三相乘す、此れ「參」の起始の一節なり。震中の偏前の二を分出して、去りて巽の整數に合し、四分して六を成す、此れ「兩」の承接の開端なり。唯離の整數は自ら九を得、又正當始終の中間に當たり、三三相乘す、此れ「參」の居中の一節なり。坤の整二を兼取して、去りて兌中の偏前の四を貫通し、合して六を成す、此れ「兩」の代わりて尾を收むるなり。兌の後面の三を截去して、以て乾の整六を補足し、三三相乘す、此れ「參」の最後の一節なり。
是則參天兩地之綱領,於此亦可見。或錯而分,綜而合,參之兩之,參兩之制,亦必伍也。是則參伍之大通變、大極數者也。孔子之謂通其變,成天地之文;極其數,定天下之象。非天下之至精之至變之至神,孰能與於此。誠哉言也。
此の様に、「參天兩地」の綱領は、此處に於いて亦た見出す能くするなり。或は交錯して分かれ・或は綜合して聚り、或は相參・或は相兩す、可是參與兩の立法も、亦た必定要五を用いん。此れ即ち「參伍」の最大の通變・最大の極數の之處なり。孔子の謂う所の「其の變を通じて天地の文を成し・其の數を極めて天下の象を定む」、若し天下の最も精微・最も善變・最も神妙の物に非ずんば、誰か能く此の一步に參與せんや?此の話は實に不錯と説くべし。
故夫參天者成象謂乾,於是參陽數之三三,以統乾元用九,而參中有兩,陽中見陰;兩地者效法謂坤,於是兩陰數之二二,效法於乾,遂參其二而六之,以會坤元用六,而兩中用參,陰中見陽,以是見一陰一陽,變而通之於天地之問,所以必參兩也。參之,兩之,所以必九六也。
故に「參天」は即ち《繫辭》の謂う「象を成すの乾を謂う」にして、於是乎陽數を三三相參して、以て《乾》の「用九」を統攝し、而も參の當中に兩を含有し、正に陽中に陰を見るなり。「兩地」は即ち「法を效するの坤を謂う」にして、於是乎陰數を二二相兩して、乾に效法し、再び二を相參して六を成し、以て《坤》の「用六」に會合し、而も兩の當中に參を用いるを要し、正に陰中に陽を見るなり。此れに由りて一陰一陽の天地間に於いて變化會通するを見るべし、故に必定要「參兩」を用いん。而して一參一兩も、亦た必定九與六に歸結するなり。
且太極而兩儀,所以四象而八卦,不過生數之一、二、三、四,成數之六、七、八、九而已。至於五與十,雖有其數,特存虛用,未嘗列於卦象之實體者也。蓋自一分一而二,一二而三,一三而四,是四象立矣。四象元五也,天五特虛中而元體,然一四而五,二三亦五,是兩伍矣。具以本數之天五,又參伍矣。況一、二、三、四自然總而十數,中以天五,參伍而十五也。
再説太極より兩儀に到り、四象より八卦に到るも、亦不過生數の一・二・三・四と成數の六・七・八・九なり。五と十に至っては、雖も亦た此の二個の數有るも、却て只だ虛設して用を待ち、從來卦象の實體の中に列せざるなり。以て一より一を分出して二と爲り、一は二を加えて三を成し、一は三を加えて四を成せば、四象は則ち立起す。四象の裏に本來五無く、天五は只だ虛居して中位にして形體無し。然れども一は四を加えて五を得、二は三を加えて亦た五を得、此れ即ち兩個の五なり。再び本數の中の天五を具上すれば、則ち又「參伍」と爲る。何况一・二・三・四は自然に十此の數を合成し、中間に天五を參入すれば、參伍相合して即ち十五なり。
天數之一、三、五則九,地數之一不四則六,而一五亦六也。一六而七,二五亦七也。一七而八,三五亦八也。一八而九,四五亦九也。則八卦成列矣。一九則十,一、二、三、四自然亦十也。八卦則元自而十也,十故元所容其體,以一用其一不三、四,則其十亦特九也。十之為九,乃所以復歸於一,是十即一也。
天數の中の一・三・五は合して九と爲り、地數の中の二・四は合して六と爲り、而も一は五を加えて亦た六なり。一は六を加えて七、二は五を加えて亦た七なり。一は七を加えて八、三は五を加えて亦た八なり。一は八を加えて九、四は五を加えて亦た九なり——八卦は於是乎行列に排成す。一は九を加えて十、而も一・二・三・四は自然に相加して亦た十なり。可是八卦自身は十を湊出する辦法無し、故に十は其の形體を安放する地方無し。彼の一を用いて二・三・四を運用すれば、則ち彼の十も只だ九に等しきのみ。十の九と爲る所以は、正に之を復歸して一に歸せんと欲するなり、可見十は實に即ち一なり。
河圖之數,四方各十,故坎一與離九相對而十,中虛天五之用而十五;坤二與艮八相對而十,中虛天五之用而十五;震三與兌七相對而十,中虛天五之用而十五;巽四與乾六相對而十,中虛天五之用而十五,以是知天五與地十皆元其體與位之正,特虛用其數,以相久十而什伍也。斯所以參伍也,參伍所以參兩也,故河圖之數正實四十,而以天五地十之虛數通用之以計,凡天地之數五十有五者也。
河圖の數は、四方各々十を得:坎一與離九とは相對して十を成し、中間に天五の用を虛含すれば便ち十五なり。坤二與艮八とは相對して十を成し、中間に天五の用を虛含すれば便ち十五なり。震三與兌七とは相對して十を成し、中間に天五の用を虛含すれば便ち十五なり。巽四與乾六とは相對して十を成し、中間に天五の用を虛含すれば便ち十五なり。此れに由りて知るべし、天五與地十とは皆自身に屬する形體與正位無く、只だ其の數を虛設して運用し、「乂」の形與「十」の形と互相に交午して併びて五を成し・併びて十を成すに靠るなり。此れ即ち所謂「參伍」なり。參伍有れば、乃ち能く「參兩」有らん。故に河圖の實數は正好四十にして、再び天五・地十の二個の虛數を通算せば、乃ち天地之數五十有五と爲る。
七為少陽,八為少陰,其合固成十五,然其生數不備,不能變。九為老陽,六為老陰,其合亦雖只十五,而生數之一、三、五而九,二、四而六,故六之變則九,九之變則六,此通重《易》之爻不見七八,而元非九六,而參伍以變,參天兩地,莫非是也。
七は少陽・八は少陰にして、兩者相加すれば固然亦た十五なり、但し其れらの生數は完備せず、故に變する能わず。九は老陽・六は老陰にして、兩者相加すれば雖も亦た只だ十五なり、可九は生數の一・三・五に由りて合成し、六は生數の二・四に由りて合成す、故に六は一變すれば則ち九を成し、九は一變すれば則ち六を成す。此れ即ち六十四重卦の爻辭を通看するに、七與八を見ず、全て九と六なる所以にして、而して「參伍以て變」「參天兩地」も、亦た何れの一處か此の道理ならざる有らん。
四方之數各十,合參其九而二十有七,兩其六而十有二,總之則三十有九,而特遺其一,則其一將何所用乎?故以其一存諸十,則四十矣。故坎之立極於一,斂其十以自歸,以建大中,以生生數之始,以成成數之終。退藏於密,而莫之究極,見於參天兩地倚數之一以為十,則所謂中也。中也者,合數之所不得其中者,而使之交合於中,所以中其不中者也。
四方之數は各々十を得、九を三倍すれば二十七、六を加倍すれば十二にして、合計三十九にして、偏偏一個の一を剩下して着落無し、此の一は將に何處に用いられんや?故に此の一を十の裏に存放すれば、則ち四十を成す。因此坎は一を以て極を立て、彼の十を收斂して之を自身に歸せしめ、以て大中の道を建立し、生數の開端を生出し、成數の終結を成就す。之れは隱密の處に退藏して、人其の盡頭を窮究する能わざる無し、只だ「參天兩地倚數」の時に一を以て十と作りて顯現するのみ、此れ即ち所謂「中」なり。所謂中は、即ち彼らの本來中位を得ざる數を會合して、其れらを中に交合せしめ、從りて中に居らざるをして亦た中を得しむるなり。
由坎北之一始制於中,二效之而分兌西之七以為中,三效之而分震束之三以為中,四效之而分離南之九以為中,凡中皆立於十,皆以數合於十而中分之者,蓋以寄其一云爾。惟坎之一,獨元所可用,特立於中而以元用之用而用,有用之用則中之用,不既大矣哉。故坎之一,雖不在參兩參五之用,而用之以制參天兩地參伍之制焉。故參天不自坎而自艮始也。
北方坎位の一に由りて最先に中位に於いて法を立て、二は之に效法して分取して西方兌の七を以て中と爲し、三は之に效法して分取して東方震の三を以て中と爲し、四は之に效法して分取して南方離の九を以て中と爲す。凡そ中は、皆十の上に建立し、皆數を用いて湊合して十を成して再び其の中より平分し、爲す所は彼の一を寄托せんが爲のみなり。唯獨坎の一は、自身取用する能くする無く、只だ中に特立して、「無用の用」を以て作用を發揮す。此の種の有用の用も、即ち中の作用なり、豈に甚だ大ならずや?故に坎の一は雖も參兩・參五の運用の列に在らざるも、却て正に之を以て「參天兩地」と「參伍」の法度を制定す。因此「參天」は坎より始まらずして、艮より始まるなり。
參亦非它,即前所謂一二之變也。一自分其一以為一,起而相對,則見其二,而不見一;其一又自參出於二之中,故曰參也。此參制之一小成,然參兩參伍,莫不於是焉起,斯故示其參之凡也。
所謂「參」も亦た別の無し、即ち前面に説きたる一與二の間の變化なり。一は自ら一を分出して別一個の一を成し、起りて兩兩相對すれば、人々は只だ二を見て一を見ざるなり。彼の一は又自ら二の當中より參出す、故に之を「參」と叫ぶ。此れ「參」此の一法則の一個の小成なり、然れども參兩・參伍は無りとて此れに由りて發端す、故に此處に於いて先ず「參」の大略を指出す。
卷之二 校勘記
#1『也』,原脫,據四庫本補。 #2『謂』,四庫本作『之』。 #3『二其三』,四庫本作『三其二』。 #4『所』,據其上文義例補。 #5『莫匪』,四庫本作『莫非』。 #6『大極』,四庫本作『太極』。
第一條:「也」の字、原本脫落す、今四庫本に據りて補上す。第二條:「謂」の字、四庫本は「之」と作る。第三條:「二其三」は、四庫本は「三其二」と作る。第四條:「所」の字は、是れ上文の文義體例に依據して補入するなり。第五條:「莫匪」は、四庫本は「莫非」と作る。第六條:「大極」は、四庫本は「太極」と作る。
卷之三 河圖傳下(臨川道士雷思齊學)
道家以日月為易,始蹈常襲故,未始謂然,卒究於《大傳》則未始不然。日:「乾、坤,其《易》之蘊邪?乾、坤成列,而《易》立乎其中矣。乾、坤毀,則元以見《易》。《易》不可見,則乾、坤或幾乎息矣。」是猶未識所見之《易》為何物也。
道家は日與月とを合して「易」の字を解釋す、起初我れは此れを只だ舊説を因襲し・常を蹈み故を習うに過ぎず、并是と爲さざりきと以爲せり。最後《繫辭大傳》を拿てて推究して、乃ち未だ嘗て此の如くならざるを知れり。《繫辭》に曰く「乾・坤は大概《易》の蘊藏ならんか?乾・坤は行列に排し、《易》は則ち其の中に於いて確立す。乾・坤若し毀壞せば、則ち《易》を見るに從う無し。《易》若し見る能わざれば、然らば乾・坤も亦た幾乎止息せんと欲せん」と。單に此の幾句を看るに、尚お見る所の《易》の究竟一個の何物なるかを知らず。
則又日:「乾、坤,其《易》之門邪?乾,陽物也;坤,陰物也。陰陽合德,而剛柔有體,□以體天地之撰,以通神明之德。」是《易》之為物有體可以見矣。則又日:「闢戶謂之乾,闔戶謂之坤,一闔一闢謂之變,往來不窮謂之通。見乃謂之象,形乃謂之器,制而用之謂之法,利用出入、民咸用之謂之神。」是《易》之謂體者,又見其有用矣。
《繫辭》又曰く「乾・坤は大概《易》の門戶ならんか?乾は陽物、坤は陰物なり。陰陽は其の德性を合し、而も剛柔各々形體有り、以て天地の營爲を體現し、以て神明の德性を會通す」と。此れ則ち《易》の一物と爲る有るを見得、是れ形體の見るべく有るなり。《繫辭》又曰く「門を開くを乾と叫び、門を閉づるを坤と叫び、一閉一開を變と叫び、往來窮まらざるを通と叫ぶ。顯現出ずるを象と叫び、形成出ずるを器と叫び、制作して之を使用するを法と叫び、出入取用し・百姓皆之を用いるを神と叫ぶ」と。此れ則ち《易》の謂う所の體は、又是れ作用有るを見得るなり。
故曰:「天地設位,而《易》行乎其中矣。」日:「法象莫大乎天地,變通莫大乎四時,縣象著明莫大乎日月。」曰:「廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月。」凡是數端,莫不舉日月以徵,則信其為易也完矣。
故に《繫辭》に曰く「天地各々其の位に就き、而も《易》は則ち其の中に運行す」。又曰く「物象に取法するは天地より大なる莫し、變化通達するは四時より大なる莫し、物象を懸掛して顯明するは日月より大なる莫し」。又曰く「廣大は天地と相配し、變通は四時と相配し、陰陽の意義は日月と相配す」。此の幾處は、無りとて日月を舉出して證驗と爲さざるなく、然らば日月は即ち「易」の此の一説は、完全に相信する能くするなり。
夫《易》與天地準,能彌綸天地之道,仰觀象於天,俯觀法於地,則成象謂乾者日也,效法謂坤者月也。日象離數,極乎九;月象坎數,始乎一。凡九必對六,今雲一者,一合天五為六,坎一乾六為水生成,所以為月者也。
《易》は天地と相準齊し、能く天地の道を包羅す。頭を擡げて天上に物象を觀察し、頭を低めて地上に法則を觀察すれば、然らば所謂「象を成すの乾を謂う」は指す所は太陽にして、「法を效するの坤を謂う」は指す所は月亮なり。太陽は離に取象して、其の數は九に極まる。月亮は坎に取象して、其の數は一に始まる。按理九は必定六と相對す、如今月を一と説くは、以て一は天五を加えて六と爲り、坎一與乾六とは正に水の生數與成數なるが爲に、故に之を以て月亮を指す。
且天地乃乾坤之體,乾坤乃天地之用,惟天地定位,而上下氣形有不易之分,故乾坤成列,而陰陽體用有變易之數。天地有常體,而莫見其用;陰陽有常用,而莫究其體,惟日月之體用兼著,故特著其義以配陰陽云爾。
况且天地は乾坤の形體にして、乾坤は天地の功用なり。正に天地各々其の位を定め、上下の間の氣與形と改易する能わざる分際有るが爲に、故に乾坤は行列に排し、而も陰陽の體與用とは便ち變易の數有り。天地は恒常の形體有るも、却て其の作用を見ず。陰陽は恒常の作用有るも、却て其の形體を推究する能わず。唯日月は、形體與作用の兩方面皆顯著にして、故に《繫辭》は特地其の意義を標擧して以て陰陽と相配す。
且明教以範圍天地而不過,曲成萬物而不遺者,特通乎晝夜之道而知也。夫晝夜之道,豈難知哉?百姓日甩而不知爾。請略舉其凡:乾,陽物者,日其類也;坤,陰物者,月其類也。陰陽成列而合德者,四時合序,日月合明,亦類也。
而且《繫辭》は明明我らに吿ぐ:能く「天地を範圍して過ぐることなく・萬物を曲成して遺すことなし」の所以は、只だ晝夜の道を通曉したるに由るのみ。晝夜の道は豈に難懂せんや?不過百姓の天天に之を用いて自知せざるのみなり。請う我れに其の大概を略舉せしめよ:乾は陽物にして、太陽は即ち其の同類なり。坤は陰物にして、月亮は即ち其の同類なり。陰陽は行列に排して其の德性を合するは、四時の依次に相合し・日月の其の光明を合するが如く、亦た同一類なり。
闢戶謂乾,近則日之出旦,月之上弦;遠則春之日夜分而謂啟也。闔戶謂坤,近則日之入夕,月之下弦;遠則秋之日夜分而謂閉也。仰觀其成象,則日之晝,月之望,夏之景長;而至俯察其效法,則夜之分,月之朔,冬之景短而至也。
「門を開くを乾と叫ぶ」は、近處に言えば即ち太陽の東昇・月亮の上弦なり。遠處に言えば即ち春分の晝夜平分にして、古人は之を「啓」と稱す。「門を閉づるを坤と叫ぶ」は、近處に言えば即ち太陽の西落・月亮の下弦なり。遠處に言えば即ち秋分の晝夜平分にして、古人は之を「閉」と稱す。頭を擡げて其の「象を成す」の一面を觀察すれば、即ち白晝・月の圓滿の望・夏至の日影最長なり。頭を低めて其の「法を效する」の一面を考察すれば、即ち夜半・月朔・冬至の日影最短なり。
是以日往則月來,月往則日來,日月相推而明生焉。寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推而成歲焉。變化者,進退之象也;剛柔者,晝夜之象也。日月運行,一寒一暑故日:「天地之道,貞觀者也;日月之道,貞明者也;天下之動,貞夫一者也。」
故に太陽過去すれば月亮即ち來り、月亮過去すれば太陽即ち來り、日月は互相に推移して光明產生す。寒氣過去すれば暑氣即ち來り、暑氣過去すれば寒氣即ち來り、寒暑は互相に推移して一年形成す。所謂變化は、進退の象なり。所謂剛柔は、晝夜の象なり。日月運行して、一寒一暑す、故に《繫辭》に曰く「天地の道は、以是れ正にして顯示するなり。日月の道は、以是れ正にして光明するなり。天下の一切の運動は、皆彼の一に歸正す」と。
貞夫一也者,四時分至之中皆一也。而此特謂天下之動貞夫一,則正由坎之一也。一日之陽氣初動於夜分之際,固謂貞夫一也。一年之陽,氣復動於冬朔之始,尤見其貞夫一者也。
所謂「一に貞る」は、説く所は四時の中の兩分兩至は、其の理皆一に歸するなり。而して此處に特に「天下の動は一に貞る」と説くは、正に坎の彼の一に就きて言うなり。一天の内、陽氣の最初に萌動するは夜半の時分に在り、本來即ち「一に貞る」と叫ぶ。一年の内、陽氣の重新に萌動するは冬至朔旦の始に在れば、則ち愈々其の「一に貞る」を見出す能くするなり。
坎之數一,離之數九,坎、離以一、九為乾。離為日,坎為月,日月必合於月之初一為朔。而日不云朔,月乃云朔;南不云朔,北乃云朔。夫朔逆度也,逆與日會,故謂之朔。以朔文觀之,明著月之逆度者也。《說卦》日:「《易》,逆數也。」《書》亦日:「平在朔。」《易》理實同也。
坎の數は一にして、離の數は九にして、坎與離とは一と九とを以て乾を合成す。離は太陽と爲り、坎は月亮と爲り、日月は必定每月の初一に會合し、此の一天は「朔」と叫ぶ。太陽は朔と説かず、只だ月亮のみ朔と説く。南方は朔と説かず、只だ北方のみ朔と説く。所謂朔は、逆行の度數にして、月亮は逆行して去りて太陽と相會す、故に朔と稱す。「朔」此の字の構形より看れば、正に明白に月亮の逆行を顯示す。《説卦》に曰く「《易》は、逆推之數なり」。《尚書·堯典》も亦た「朔易に在りて平なり」と説く、講ずる所は同一個の道理なり。
由是以進乎日月之為易,其縣象得不謂著明矣乎?故月之三五而盈,少陰、陽之七、八;三五而闕,老陰陽之九、六。總之,以地數三十而月盡,又河圖法也。
此れに由りて再び一歩を進めて日月は即ち「易」なるを看去れば、其れらは高く懸かりて象を垂る、豈に正に最も顯明ならずや?故に月亮は三個の五日を經て盈滿し、少陰・少陽の七與八に合す。再び三個の五日を經て虧缺し、老陰・老陽の九與六に合す。總じて之を説けば、地數三十を以て一個月は終盡す、此れ又是れ河圖の法なり。
周天三百六十五度四分度之一,日每行一度,冬南、夏北為寒暑之中極,月行每十有三度而奇,與日之合者十有二朔,而歲常以備六陰六陽十有二月,天地節而四時成,是月之運行勞亦甚矣。其稱坎為勞卦者,不徒謂水也,此坎之一數不入於參兩、參伍之制,而特著其動之始也,中之始也。
周天は共に三百六十五度又四分度の一にして、太陽は每天一度を行き、冬至は南に偏り・夏至は北に偏り、是れ寒暑の兩個の中極なり。月亮は每天十三度多點を行き、一年の中に太陽と十二次會合して十二朔を成す、因此一年は恒常に六陰六陽・十二個月を具備す。天地は節度有りて四時形成す、可見月亮の運行も亦た够き辛勞せり。《説卦》は坎を「勞卦」と稱す、并其の水に屬するに由るのみならず。此れ正に坎の一此の數は「參「參兩」「參伍」の立法に參與せずして、專ら以て運動の開端を標示するに用い、即ち中の開端なるが爲なり。
合而言之,天地者體也,陰陽者用也。體者形,所以用其氣;用者氣,所以體其形。天以氣體其形,故其形下包乎地;地以形用其氣,故其氣上行乎天。是天之氣,全體乎地之形;而地之形,全用乎天之氣,此又參兩之制得以明之也。
合して之を説けば、天地は「體」にして、陰陽は「用」なり。體は即ち形にして、以て其の氣を運行す。用は即ち氣にして、以て其の形を充實す。天は氣を以て自己の形を充實し、故に其の形は下に包んで地を住む。地は形を以て自己の氣を運行し、故に其の氣は上に通行して天に至る。此の様に、天の氣は完全に地の形を以て體と爲し、地の形は完全に天の氣を以て用と爲す——此の一點も、亦た以て「參兩」の法度を以て説明する能くするなり。
一之始參,三之終參,皆天也,而並位乎平地之下。如:乾者,老陽也,乃附於成數之六陰,位乎陰地西北,偏極乎退數之終。艮者,少陽也,乃附於成數之八陰,位乎陽地東北,偏立乎進數之始。而特以坎中之一陽,不在參兩之用者,因其始生自然之一,介然特立於陰陽終始之際,起歲之朔,月之朔,以體生生之謂易,斯足以明地之體全用乎天矣。
一の起る所の「參」・三の終る所の「參」は、皆天に屬するも、却て一倂に地平線以下に處る。比如乾は老陽にして、却て成數六此の陰數に附し、位は陰に屬する西北に居り、退數の盡頭に偏處す。艮は少陽にして、却て成數八此の陰數に附し、位は陽に屬する東北に居り、進數の開端に偏立す。而して唯獨坎中の彼の一一點の陽は、參兩の用に列入せず、以て其れは自然初生の彼の一にして、孤介に陰陽終始交替の際に特立し、一年之朔・一月之朔を發起して、以て「生生の易を謂う」を體現す。此れ則ち以て説明するに足れり:地の形體は、完全に天の氣を運用するに在りと。
一始之兩,二終之兩,皆地也,而兼列於平地之上。如:巽,少陰也,雖以附地生數之四陰,位乃在東南,偏陽氣升已過中之進數。坤,老陰也,雖以附地生數之二陰,位猶在西南,偏陽氣降未及中之退數。且兼兩地並以奉中,參天位之極,當天之極高,日之極中,斯足以明天之用,全體乎地矣。
一の起る所の「兩」・二の終る所の「兩」は、皆地に屬するも、却て一倂に地平線以上に排列す。比如巽は少陰にして、雖も地の生數四此の陰數に附するも、位置は却て東南に在り、陽氣の上昇は已に中位を過ぎたる進數の一邊に偏す。坤は老陰にして、雖も地の生數二此の陰數に附するも、位置は却て仍お西南に在り、陽氣の下降は尚未中位に到らざる退數の一邊に偏す。而且其れらは兼ねて兩地之數を取りて一同に中位を奉承し、天位の極點を參贊して、正當天最も高く・日最も中なる之處に當たる。此れ則ち以て説明するに足れり:天の作用は、完全に地を以て體と爲すなりと。
以是知參兩之制,非有日以定其晝夜長短,有月以更其朔望贏縮,則天地之氣形體用,陰陽之變化生成,其升降進退之變通分合,出入之歸宿,則惡風而討其真是哉。
此れに由りて知るべし、「參兩」此の一套の法度は、若し太陽の來りて晝夜の長短を劃定せざれば、月亮の來りて朔望の盈虧を更替せざれば、然らば天地の氣與形・體與用、陰陽の變化與生成、及び升降進退の變通分合・出入往返の歸宿は、又何處に到りて其の眞相を追究せんや?
故嘗由是以參之制,數之元矣。天一之始,自北而中,而分地二於西南,不得謂天地定位者,陽正而下,陰偏而上也。二得名坤,一不得名乾者,一起於坎也。由一參二以為三,以前而東,蓋所以見人參於天地之中以生,而動於震,因兩其二而四,附以順而相入之巽,虛生其象以為四。然象非實體也,象天地與人,極男女之相配以始者爾。
故に我れ曾て此れに由りて「參」の法度を以て其の數を推原せり。天一は開端より起り、北方より中位に走向し、又把りて地二を西南に分置す、此れ尚お「天地定位」と叫ぶ能わず、以て陽は正位に居りて却て下に在り、陰は偏位に居りて却て上に在ればなり。二は坤と稱する能くするも、一は却て乾と稱する能わざるは、以て此の一は坎に起ればなり。一に由りて二に參入して三を成し、向前して東方に到る、正に人の天地の中に參贊して生ずるを見出さんと欲し、因りて震位に於いて發動す。再把りて二を加倍して四を成し、彼の順從して相入する巽に附上し、虛設して其の象を出して四と爲す。然れども象は并實體に非ず、只だ天地與人とに取象し、男女相配を窮盡して以て開端の意思と爲るのみなり。
□一與三之陽,自然已各據其中,而二與四之未中,未有以正之可遂已乎?故有待取用於成數之交合,以成其正也。五雖虛位於中,而有其數可制其用。一交五,而以其一相配而成六於乾;二交五,而以其二相配而成七於兌;三交五,而以其三相配而成八於艮;四交五,而以其四相配而成九於離,然後始謂之成象。成象則謂之乾,而效法則謂之坤矣,乃得謂之天地定位也。
一與三の此の兩個の陽數は、自然已に各々其れらの中位を占據せり。可是二與四とは尚お未だ中を得ず、豈に即ち辦法無くして其れらを端正し、只好此の様に算せんや?故に有待して成數の交合を取用し、以て其れらの正位を成全せん。五は雖も只だ虛居中位なるも、却て其の數有りて用法を制定する能く:一與五と相交り、其の一を用いて相配して乾に於いて六を成す。二與五と相交り、其の二を用いて相配して兌に於いて七を成す。三與五と相交り、其の三を用いて相配して艮に於いて八を成す。四與五と相交り、其の四を用いて相配して離に於いて九を成す、此れ乃ち「象を成す」と叫ぶ。「象を成すの乾を謂う」有り、又「法を效するの坤を謂う」有りて、然る後乃ち天地定位と稱する能くするなり。
其實一自合一,二自合二,三自合三,四自合四,特以交五而變爾。於是坎一之陽合而成乾六之陰,坤二之陰合而成兌七之陽,震三之陽合而成艮八之陰,巽四之陰合而成離九之陽,其始正者合而輔於偏,始偏者合而歸之正,於是八卦成列,而象在其中矣。亦惟一之自中,坎獨自若而不入於數,而河圖參天兩地,參伍錯綜之變,得以行乎其中也。
其實一は只だ一と相合し、二は只だ二と相合し、三は只だ三と相合し、四は只だ四と相合す、只だ五と相交るに由りて乃ち變化を起す。於是乎坎一之陽は乾六之陰を合成し、坤二之陰は兌七之陽を合成し、震三之陽は艮八之陰を合成し、巽四之陰は離九之陽を合成す:起初正位に居る者は、合して去りて偏位を輔助す。起初偏位に居る者は、合して又正位に歸す。於是乎八卦は行列に排し、物象は則ち其の中に在り。亦た正に彼の一は自ら中位に居り、唯獨坎は依然として故我にして數の中に落入せざれば、河圖の「參天兩地」「參伍錯綜」の變化は、乃ち其の中に於いて運行するを得たり。
故由參天之制皆用九,而知九為《乾》之用,由兩地之制皆用六,而知六為《坤》之用。蓋乾之始參於艮八,而不足於數,則取震之一而九之中參,當陽極而體數之全;元餘不足,則自九之終參,則取兌過中有餘之三,以奉乾六之終。而九之兩之始起數於震中之二,以合巽四之不足。而六之兩之終起數於坤之本二,以合兌中有餘之四而六之,是明參兩九六所用之盤也。
故に「參天」の法度より皆九を用いれば、九は《乾》の用なるを知るべし。「兩地」の法度より皆六を用いれば、六は《坤》の用なるを知るべし。大抵乾は艮八より參を起し、數は尚お足らず、則ち震の一を取りて以て九を湊成す。居中の一參は、正當陽極點に到りて其の數完滿して、既に餘多ならず欠缺せず。最後の一參は、則ち兌の中位を超過して餘有る彼の三を取りて、以て乾六の終結を奉承す。「兩」に至っては、開頭の一兩は震中の二より數を起して、以て巽四の不足を補合す。末尾の一兩は坤の本有の二より數を起して、以て兌中の餘有る四と配合して六を成す。此れ則ち參兩・九六の所用の盤算を講明白せるなり。
或有謂坤二與兌七而九,乾位自得六數亦自成九、六也,曾不識兩之制皆終地上,參之制皆終地下,又焉得而易之哉?況乾本九也,今數乃損而六;坤本六也,今數乃增之而九者,尤足以明老陰之六變而之九,老陽之九變而之六,而卦爻之所以成九、六也。
或る人説かんや:坤二は兌七を加えれば即ち九にして、乾位は本來即ち六此の數有り、此の様にすれば不也た亦た自然に九與六を湊成せんや?此の種の説法は根本に懂得せず:「兩」の法度は皆地平線以上に終結し、「參」の法度は皆地平線以下に終結す、又何ぞ隨便に調換する能くせんや?何况乾は本來九なるに、如今其の數は却て六に減損す。坤は本來六なるに、如今其の數は却て九に增加す。此れ更に以て説明するに足れり:老陰の六は變して九と爲り、老陽の九は變して六と爲り、卦爻の只だ九・六と稱する所以の道理は、正に此れに在りと。
由參天之用必九,兩地之體必六,《下繫》之首日:「八卦成列,象在其中矣。因而重之,爻在其中矣。」而後世乃謂《易》畫之重,非由羲始,吾不信也。
由於「參天」の用は必定九にして「兩地」の體は必定六なれば、故に《繫辭下傳》の開篇に即ち曰く「八卦列を成せば、象は其の中に在り。因りて之を重ねば、爻は其の中に在り」と。可是後世に竟て《易》の重卦は伏羲より始まるに非ずと説く人あり、我れ是れ相信せざるなり。
且《說卦》謂說言乎兌,成言乎艮。凡再言其山澤通氣者,即《咸》卦也。《咸》之《象》日:「二氣感應以相與。止而說。天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平:觀其所感,而天地萬物之情可見矣。」
况且《説卦》の「兌に説言す・艮に成言す」を講ずるに、又兩次「山澤通氣」を提到す、此れ指す所は《咸》卦なり。《咸》卦の《彖傳》に曰く「陰陽の二氣は互相に感應して彼此相與し、艮止して兌悦す。天地は相感じて萬物化生し、聖人は人心を感動して天下和平す。其の感ずる所を觀れば、天地萬物の情物の情狀は則ち看出す能くするなり」と。
其雷風相薄者,即《怛》卦也。《怛》之《象》日:「雷風相與,巽而動。天地之道,恆久而不已也。日月得天而能久照,四時變化而能久成,聖人久於其道而天下化成:觀其所怛,而天地萬物之情可見矣。」
「雷風相薄く」に至っては、指す所は即ち《恒》卦なり。《恒》卦の《彖傳》に曰く「雷與風とは互相に配合し、巽順にして震動す。天地の道は、恒久にして停息せず。日月は天の道を得て能く長久照耀し、四時は變化して能く長久成物し、聖人は久しく其の道を行いて天下の敎化成る有り。其の恒くする所を觀れば、天地萬物の情狀は則ち看出す能くするなり」と。
迦求於下經之人道攸始,則《說卦》重卦其旨一毫不悖也。故愚謂重《易》斷自羲始。不然,《禮》謂三《易》其經卦皆八,其別皆六十四,其欺我哉?求《易》之道,試以是進之。
再び《易》の下經の人道を以て開端と爲す此の一點を拿てて求證すれば、《説卦》の講ずる所は重卦の旨と絲毫も相違背せざるを見るべし。故に我れは重卦の斷然伏羲より始まると認爲す。若し此の樣に非ずんば、《周禮》の夏・商・周の三種の《易》の經卦は皆八にして別卦は皆六十四と説くは、豈に我らを騙せんや?《易》道を探求する者は、不妨此の一點より入手せよ。
《說卦》日:「昔者聖人之作《易》也,參天兩地而倚數,觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生爻。」因參稽其所以參兩者,其得於河像素問然矣。且帝出乎震一章,尤河圖之大講明也。特截自震起於春中,環周而訖於艮,寓夏正之歲更爾。
《説卦》に曰く「昔者聖人の《易》を作るに、三を以て天に配し・二を以て地に配して各數を確立し、陰陽の變化を觀察して卦を設立し、剛柔の作用を發揮して爻を生出せり」。考究すれば其れらの「參天兩地」を講ずる根據は、本來即ち河圖の象の上より得たるなり。而して「帝震に出乎」の彼の一章は、更に河圖に對する大力の闡明なり。之れは只だ震より截取し、春分の中に起り、環行一周して艮に止まり、以て夏暦一年の歲首更替の次序を寄寓するのみなり。
故曰:「終萬物,始萬物者,莫盛乎艮。」日:「艮,東北之卦,萬物之所成終而所成始。」意蓋謂又始於出乎震者也。此實孔子特以變通四時言也,而於通乎晝夜之道,而知則未及悉也。
故に《説卦》に曰く「萬物を終結し・萬物を開始するは、艮より盛なる莫し」。又曰く「艮は東北方の卦にして、萬物の其の終を成し又其の始を成す之處なり」。此れ説く意思は、終結の後又「震に出乎」より重新に開始せんと欲するなり。此れ實に孔子の特地四時の變通に就きて説く所にして、「晝夜の道に通じて知る」の此の一層に至っては、尚お未だ周詳に説得せざるなり。
夫兩之制,並起於平地,以奉中參者,自春而秋以分,必極於夏之至者,亦晝之象也。始終之參,皆在地中者,自秋而春以分,必極於冬之至者,亦夜之象也。
「兩」の法度は、皆地平線上より起り、以て居中の彼の「參」を奉承し、其れは春分より秋分に至りて、必定夏至を以て極點と爲す、此れ亦た即ち白晝の象なり。起始與終結の兩個の「參」は、皆地平線以下に在り、其れは秋分より春分に至りて、必定冬至を以て極點と爲す、此れ亦た即ち黑夜の象なり。
請以日用常行變而通之,則出乎震者,人之始作於日一也。古謂震日一所以驗也。齊乎巽者,動而相與之交也。相見乎離,則交際之極也。致役乎坤,則動極徐靜也。說言乎兌,休且入也。自震至兌,此晝之體用,人所同見。
請う日常起居を拿てて變通に體會せん:所謂「震に出乎」は、即ち人の日出の時に起身して勞作するなり。古人は震を「日出」と爲す、正に印證する能く。所謂「巽に齊乎」は、活動開き・彼此往來交接するなり。所謂「離に相見乎」は、交往應酬の最盛の時に到るなり。所謂「坤に役を致す」は、動極點に到りて漸々靜に轉ずるなり。所謂「兌に説言す」は、休息して將に家に歸らんとするなり。震より兌に至るは、此れ白晝の體與用にして、人人皆見る能くするなり。
至於戰乎乾,卒取終參之制。其數之九,則存兌餘之三,嚮晦入息於乾六以終也。陰陽相薄,閉塞不用之時也。然終則有始,至於勞乎坎,則夜分之氣復動,準於七日之復則同也。成言乎艮,則遠接兌餘之三,說言乎兌也。山澤通氣,感而相與,雖止於其所而時行則行,斯人事之又興始者也。
「乾に戰乎」に至っては、則ち最後の一個の「參」の法度を取用す。其の數は九にして、則ち兌の餘する所の三を保留し、人は天黑の時に入室して安息し、乾六に歸結して終止す。此の時陰陽は相互に迫近して、是れ閉塞して用せざるの時なり。然れども終有れば必定始有り、「坎に勞乎」に到れば、夜半の氣は又重新に萌動し、此れ《復》卦の「七日にして來復す」の道理と相同なり。「艮に成言す」に到れば、則ち遙かに兌の餘する所の三を接上し、即ち「兌に説言す」なり。山澤の氣息相通じ、交感して相與して、雖も暫く其の在る所の處に止まるも、可時機一到れば則ち照様に運行し、此れ正に人事の又一次興起の開端なり。
變化者,進退之象也;剛柔者,晝夜之象也。吾見自羲、文以來,河圖之一陰一陽,進退升降,往復循環,周流不息;開古迄今,遠之一歲之冬夏,邇之一日之晝夜,莫不由斯道也。
所謂變化は、進退の象なり。所謂剛柔は、晝夜の象なり。我れ看るに伏羲・文王の以來、河圖の顯示する所の一陰一陽は、進退升降・往復循環・周流不息し、遠古より直到今天に至るまで、遠きは一年の冬夏・近きは一天の晝夜、何れの一樣か此の條の道理に遵循せざらん。
吾日用常行,不在他求,參天之道自艮始者,於是乎在其視《太玄》以七百二十九,贊之準《易》,《皇極》以元、會、運、世之旁通,各以一期之歲、月、日、時為數例,視今通其變、極其數於河圖,日可見之行也。豈不易簡而理得哉?斯非至精變而神者與?
我らの日用常行の間に即ち此の道有りて、必ずしも別處に向かい之を求むる無し。「參天」の道は艮より始まる、道理も亦た正に此れに在り。之を拿てて揚雄《太玄》の七百二十九贊を以て《易》に準擬するに比照し、邵雍《皇極經世》の元・會・運・世を以て互相に旁通し・各々一周期の年・月・日・時を以て數例と爲すに比照し、再看看今天河圖の上に於いて其の變化を會通し・其の數を窮極するは、彼れ眞に天天に見る能くする實行之道なり。此れ豈に既に平易簡約にして而又理に切合せざらんや?此れ豈に至精・至變にして至神ならずや?
卷之三 校勘記
#1『亦類也』,此三字四庫本缺。 #2『爻』,原作『××』,據四庫本改。 #3『毫』,原作『豪』,據四庫本改。 #4『春中』,四庫本作『泰中』。 #5『他求』,四庫本作『它求』。
第一條:「亦類也」の三字、四庫本に無し。第二條:「爻」の字、原本は兩個の墨釘と作る、今四庫本に據りて改正す。第三條:「毫」の字、原本は「豪」と作る、今四庫本に據りて改正す。第四條:「春中」は、四庫本は「泰中」と作る。第五條:「他求」は、四庫本は「它求」と作る。
卷之四 河圖辨徵(臨川道士雷思齊學)
河之有圖,處犧則之以畫八卦,文王因之以繫卦辭,歷代寶而傳之。自見於《書》之《顧命》陳之束序者,而今乃謂其元,誰敢哉?然自《記》以思古,則云其出語之傷,今則云其不出《顧》已皆意之,而非其真見矣。秦火之後,獨見於《書傳》孔安國之雲而已。
黄河に圖の出現したる有り、伏羲は之に取法して八卦を畫出し、文王は之に依據して卦辭を繫上し、歷代は皆之を寶物と爲して遞相傳授せり。之れ曾て《尚書·顧命》に明載せられて、説く所は東序に陳列すと、如今竟て根本此の回事無しと説く人あり、誰か敢えて此の様に斷言せんや?然れども自《禮記》の古事を追思するに、則ち河圖の出ざるの傷感之語を説きたる有り。今人は則ち其れは并《顧命》に出ざりしと説く——此れらは皆己意を憑りて猜度して、而も眞に見たるに非ざるなり。秦代の焚書以後、河圖之説は則ち只だ孔安國《尚書傳》の一句話に見えるのみなり。
《漢志》雜以圖書,而徒謂其與《書》經緯表裹,《易緯》則徒又枝辭蔓引,愈違本旨,以至芒乎莫之究其有元形似之真為何如者,訖於唐五季也。
《漢書·藝文志》は河圖・洛書を混在一起に講じ、只だ其れらは《尚書》と互に經緯表里と爲ると説く。《易緯》の一類の書は又枝蔓に牽引附會して、愈々發て本旨に違背す。以至於茫茫然として人其れを追究する能くする無し:河圖は究竟形狀有るや否や・其の眞實の樣子は到底如何なるか。此の種の局面は一直に唐末五代に延續せり。
及宋之初,陳傳圖南始創古推明象數,閔其賤用於陰陽家之起例,而蕪沒於《乾鑿度》大一取其數以行九宮之法,起而著為龍圖,以行於世。愚幸及其全書,觀其離合出入具於制數之說,誠若剖心而有以求羲、文之心者也,然皇有不得於羲、文之心者。
北宋初年に到り、陳摶(字は圖南)乃ち始めて獨創の新意を開き、象數を推明せり。彼は河は河圖の陰陽家に拿てられて起課の例式と爲されて貶低せられたるを痛惜し、又《易緯·乾鑿度》の謂う所の「太一其の數を取りて以て九宫を行く」之法に湮没せられたるを痛惜し、於是乎起りて《龍圖》を著し、世に流傳せり。我れ幸いに其の全書を見るを得て、其の數の離合出入を講ずるを看れば、確かに剖心瀝血して去りて伏羲・文王の本心を追求するに似たり。然れども其の中にも亦た尚お未だ伏羲・文王の本心に契合する能わざる地方有り。
於本圖之外,就以五十有五之數別出一圖,自標之以為形洛書者已,是其初之失也。雖其縱橫、錯綜、分合、體用之意,皆在本圖,而五十有五之數,既離而別出,世遂舍本逐末,因疑圖書並出,雖是若非,元以究其詣極,而徒長紛紛之論。
彼は本圖の外に於いて、又五十有五此の數を拿てて別に一幅の圖を畫き、自ら標稱して之を洛書の形狀と爲す、此れ即ち其の最初の失誤なり。雖も縱橫・錯綜・分合・體用の此れらの意思は皆尚お本圖の中に在るも、可是五十有五之數は一旦本圖を離れて別に一圖を立つれば、世人は便ち本を捨て末を逐い、因りて河圖・洛書の同時出現せるを懷疑し、似是而非にして窮究するに從う無く、徒らに紛紛不休の爭論を助長せり。
至其傳及劉牧長民,因之泛出五十五圖,名以《鉤隱》,則又以增異。而時則李觀泰伯即駁其非是,然又自謂存其三圖。及見此三圖,則其首即所傳今謂河圖者,其二即所別出五十五數、漫標謂形洛書者,其三又止於八卦方位而已。是長民不揣其本,其事固非,而泰伯亦元不識此之三本之則一,而妄析以為三爾。
劉牧(字は長民)の手裏に傳到り、彼は此れに據りて泛濫に五十五幅の圖を畫出し、題名して《易數鉤隱圖》と爲し、於是乎更に異説を增添せり。當時李覯(字は泰伯)は則ち文章を寫して其の錯誤を駁斥せり、可是李覯は又自己其の中の三幅の圖を保留したりと説く。此の三幅の圖を見るに及んで:第一幅は即ち相傳今天の謂う所の河圖にして、第二幅は即ち別に分出したる彼の五十五數・隨意に洛書の形狀と標稱せられたる圖にして、第三幅は又不過八卦方位圖なり。可見劉牧は根本を推究せず、其の此事は固然不對なり。而して李覯も亦た一樣に此の三幅の圖の本來只だ一幅なるを懂得せずして、却て胡亂に之を三幅に拆成せり。
自時已後,愈傳愈失,愈說愈鑿,至有因河出圖、洛出書見於《大傳》,而並致疑《大傳》非孔子所作者。不知圖本非書,書本非圖。至其甚者,以五十五數之圖,乃妄謂之河圖,而以圖南所傳之河圖反謂之洛書,顛倒迷繆,靡所底止。
此れより以後、愈々傳うれば愈々眞を失し、愈々解釋すれば愈々穿鑿し、甚至《「河圖を出だし・洛書を出だす」》此の句話は《繫辭大傳》に見えるに由りて、《大傳》を連れても亦た懷疑し、其れは孔子の作に非ずと説く人あり。其れらは明白せず:圖は本來書に非ず、書は本來亦た圖に非ず。更嚴重なるは、彼の五十五數之圖を胡亂に河圖と稱し、反つて陳摶の傳える所の河圖を洛書と稱し、顛倒迷亂して、止境無し。
殊不明河圖八卦明著五十五數,實指以天數五、地數五;而其數自天一、地二以至天五、地十,合而五十有五,有體有用,有虛有實,原始要終,而盡發於一圖,豈嘗別求合於洛書哉?洛書亦豈嘗謂五十五數哉?
其れらは全然明白せず:河圖與八卦は本來即ち明明白白に五十五此の數を含み、其れは實際指す所は「天數五・地數五」なり。此れらの數は天一・地二より一直に天五・地十に至りて、合して五十有五と爲り、其の中に體有り用有り・虛有り實有り、開端を推原し・終點を歸結して、全部一幅の圖の裏に展現す、何嘗別に去りて洛書と相湊合するを需要せんや?洛書又何嘗其れは五十五數なりと説きたる有らんや?
今圖南既別元義例辭說,誤以圖之五十五數,別標一圖以為洛書,是其傳疑之始也。原其初意,蓋由漢儒襲傳《洪範》初一之五行,其二曰火,四日金。《太玄》準《易》實本之,亦以二為火,為南;四為金,為西。今河圖乃置二於西南,置四於束南,是火、金改次矣。
如今陳摶は既に別に義例與解説を交代せずして、却て錯誤して河圖の五十五數を別に一圖を標して洛書と爲す、此れ即ち疑案流傳の開端なり。其の最初の用意を推究すれば、大概は以て漢儒の相承して《洪範》「初一にして五行を曰う」の彼の一段を傳述し、其の中の第二は火にして・第四は金なり。揚雄《太玄》は《易》に準擬して、實際亦た此れに本り、同じく二を以て火と爲し南に居り、四を以て金と爲し西に居る。可是河圖は却て二を西南に安放し・四を東南に安放せり、此の様にすれば火與金の次序は則ち變れたり。
既不敢遂改河圖,乃別以其五十五數析為洛書,而以《洪範》二火次於南,四金次於西,且以七隨二,九隨四,而易置其南西焉。以故長民不識其由,至謂火、金易位也。
彼は既に敢えて此れに就きて河圖を改動せず、於是乎別に彼の五十五數を拆出して以て洛書と爲し、《洪範》に按じて二火を南方に排し・四金を西方に排し、尚お七をして二に跟從せしめ・九をして四に跟從せしめ、南方と西方の位置を對調過來せり。正に此の如くなるが爲に、劉牧は其の中の緣由を明白せずして、竟て説成して火與金の方位を互換したりと爲せり。
夫離之數九,居正南,為火;兌之數七,居正西,為金,乃天地自然參五以變之數,斷斷元以易之,豈容以漢儒任意比校《洪範》火、金之二、四,得而移易之乎?況《洪範》只有五行之數,今增以七、九,又以七隨二,九隨四,又何所本哉?若校以河圖之例,七附二,九附四,是七稽疑當隨二五事,九五福當隨四五紀,則成何義類也?
須知離の數は九にして、正南に居り、火に屬す。兌の數は七にして、正西に居り、金に屬す:此れ天地自然の「參伍以て變」の數にして、斷斷乎として更動する能わざるなり、何ぞ容れて漢儒の隨意に《洪範》火二・金四と比附する説法を拿てて、則ち之を搬來移去せんや?何况《洪範》は只だ五行の次序之數有るに、如今却て七と九を添上し、又七をして二に跟從せしめ・九をして四に跟從せしむ、此れ又何の根據有らんや?若し河圖の體例に按じて核對せば、七は二に附し・九は四に附せば、則ち第七疇の「稽疑」は第二疇の「五事」に跟從し、第九疇の「五福」は第四疇の「五紀」に跟從するを成さん、此れ何れの一門の義理歸類を算せむや?
二、七、四、九,徒論其數,元形象,元方位可定指,空移易之則可;離、兌之有方所,火、金之有體用,豈天地之造化,亦遂肯依附人之作為,亦為之變移乎?今圖南不謂圖書之數,校然不可相同,而欲以背理之人為比而同之,截截自分界限,是得指失肩背矣。
二・七・四・九は、若し單に數目に就きて論ずれば、本來形象無く・亦た確指する能くする方位無く、憑空に調換して一下すれば倒れて亦た妨げ無し。可是離與兌とは各々確定の方位有り、火與金とは各々體有り用有り、豈に天地の造化も亦た肯して人の安排に遷就して、變動に跟着せんや?如今陳摶は肯して河圖與洛書の數の顯然に等同する能わざるを承認せずして、反つて事理に違背する人爲の辦法を用いて比附求同せんと欲し、尚お硬生生に自ら界限を劃す、此れ眞に一根の手指に顧得て、却て整個の肩背を丟掉するなり。
且河圖之出,非徒謂四象、八卦之具文也,天地之體用固猶是也。離南象天,離中乃陰,陰所以降;坎北象地,坎中有陽,陽所以升。震陽在初,所以象腸木之束升;兌陰在上,故以象陰金之西降。乾、坤所以體天地,陰、陽所以用造化,而二卦乃寄於西南、西北之維,習於常見,是天地易位矣,不惟是也。
再説河圖の出現は、并不過四象・八卦の現成の文樣を擺出するにして、天地の體與用は本來亦た其の中に在り。離は南方に居りて天を象するも、離の中爻は却て陰にして、陰は下降を主る所以なり。坎は北方に居りて地を象するも、坎の中爻は却て陽有りて、陽は上昇を主る所以なり。震の陽爻は最下に在り、故に陽木の東方より上昇するを象す。兌の陰爻は最上に在り、故に陰金の西方より下降するを象す。乾・坤は本來以て天地を體現するに用いられ、陰・陽は本來以て造化を運行するに用いられたるに、可此の兩卦は却て西南・西北の兩維に寄放せらる。人々は看慣して則ち覺えず、其實此れ已に天地易位なり。而且問題は尚お此れに止まらず。
筮法又以震、巽為木,乾、兌為金,坤、艮為土,而坎獨為水,離獨為火,則坎、離得專水、火,而乾、坤乃不得專天、地,亦猶火、金之不可以執方求定也。坤二位於西南,乃地二生火;巽四位於束南,乃地四生金,皆陰也。而兌七位於西,離九位於南,皆陽也。是生數皆陰,必待陽數以成之也。
筮法は又震・巽を木と定め、乾・兌を金と定め、坤・艮を土と定め、而して坎は獨り水と爲し・離は獨り火と爲す。此の様にすれば、坎・離は以て獨占して水・火と爲る能くするも、乾・坤は反つて獨占して天・地と爲る能わず、此れ亦た正に火與金の能く死守して一個の方位に去りて認定せざるが如し。坤二は西南に位居す、正に「地二火を生ず」なり。巽四は東南に位居す、正に「地四金を生ず」なり、此の二個は皆陰に屬す。而して兌七は西方に位居し・離九は南方に位居す、此の二個は皆陽に屬す。可見生數は皆陰に屬し、必須陽數の來りて之を成全するを待たん。
地之生數自西而南,故坤而後巽;成數自南而西,故離而後兌。觀於火既熾而灰滅,是火既變而神化;金雖銷而質存,是金既化而精猶未變也。此火、金之所以互變化者,同而不同,故一不七、四、九之數,自是參伍錯綜之變,不可以執方究其竟也。
地の生數は西より南に走向し、故に先ず坤にして後巽なり。成數は南より西に走向し、故に先ず離にして後兌なり。火の極めて旺に燒れたる後に灰を連れても熄滅するを看れば、此れ火の已に變化して神妙尋ね難きなり。金は雖も熔化せられるも、質地は却て尚お留存す、此れ金の雖も已に變化したるも精質は仍未改變せざるなり。此れ正に火與金の互相に變化する之處にして、看似相同にして其實不同なり。故に二・七・四・九の此れらの數は、本就「參伍錯綜」の變化にして、能く死守して一個の方位に去りて追究到底する能わざるなり。
今五十五數之圖,以一、二、三、四置於四方之內,而以六、七、八、九隨置其外者,按其方而數之則可也。不知將何以循序迴環,以運行之乎?況不知五與十者,特有數寄於四方之位而虛用之也。
如今彼の幅の五十五數之圖は、一・二・三・四を四方の里圈に放し、六・七・八・九を外圈に跟著して放し、方位に照着して一個一個に去りて數えれば固然亦た數え下る能くするも、可是其れは究竟要するに如何に依次循環・周流運行せんや?何况作圖の人は并懂得せず:五與十とは只だ數を四方の位次の上に寄放して虛設して用を待つのみなりと。
且五與十雖謂土數,五行家於土,必以分王於四方辰、戌、丑、未之位;醫家謂土為脾,以五氣之運,每運七十二日,總三百六十為期之例,特以土之七十二日,四分之各十八日於四時之附末,謂為脾之主事。醫於人至為切已,以土之日四分而試之以為常驗,亦豈嘗專以土之五總之,而特設五於四方之外,與四方分位,而別立之五以為中五哉?
再説五與十は雖も土數と稱せらるるも、可五行家の土を講ずるは、一定に其れは四方辰・戌・丑・未の四個の月位に分王すと説く。醫家の土は脾と爲るを講ずるは、五運之氣の每運七十二日・共三百六十日を以て一周期の成例と爲し、特地土に屬する七十二日を平分して四份と爲し、各々十八日を以て四季之末に附し、此れを脾の主事する時段と説く。醫術は人身に最も切己にして、尚且土の日數を四份に分作して驗證し・倂に常法と奉る、何嘗專ら土の五を一處に總歸して、特地四方の外に別に一個の五を設け、四方と分庭抗禮して、別に所謂「中五」を立つる有らんや?
況筮法四營而成《易》,以十有八變而成卦;每變四營,總卦之成,凡七十有二營,亦與醫說胳合。今圖乃分五離立,而特設異五於中位,指以為中,則為此中者,又將孰適於用乎?故餘以為圖南之別出五十五數,標異謂之形洛書者,是其初作已自失之矣。
何况筮法は「四營して《易》を成し・十有八變して卦を成す」、每一變四營にして、一卦を成すに共計七十二營なり、亦た醫家の説法と暗合す。如今彼の圖は却て五を分割して獨立安放し、特地中位に別に一個の衆と與同ならざる五を設け、之を指着して説く此れ即ち中なりと。然らば此の所謂中は、究竟要するに如何に乃ち用に派得上せんや?故に我れは以爲す、陳摶の別に五十五數を分出して・標新立異に之を洛書の形と稱するは、最初に筆を動かす時に已經錯れたりと。
《書》之九疇,各疇自有成數,如一五行,二五事,猶或得以五行、五用之數;從而強推引之,至於五皇極,則已不可指實之為何物、何事,而甚則九五福而附以六極,則將計九乎?計五福而兼計六極乎?
《尚書·洪範》の九疇は、每一疇は自ら其の固定の數目有り:如き第一疇の「五行」・第二疇の「五事」は、或許尚お五行・五事の數を拿てて勉强に牽引する能くするも。可彼の第五疇の「皇極」に推到すれば、已に其れは究竟何の物・何の事なるかを指出する能わず。更嚴重なるは第九疇の「五福」の後面に尚お「六極」を附着し、彼れは到底該當九を算せんや?還は五福を算して再び六極を兼算せんや?
皇極謂大中,而六極者,其極又可謂中乎,皇極本非物非事,故可指之為中。今徒實以五點,而五點者,乃遂得為中乎?疇自一至九,界界然各存本有之數,不知何自而可以合於五十有五之數?強謂其合者,蓋其人之妄也心。
「皇極」は大中の意思なり、可「六極」彼の「極」は、豈に亦た中と叫ぶ能くせんや?皇極は本來既に具體の物に非ず・亦た具體の事に非ず、故に乃ち之を中と指す能く。如今只是坐實して五個の點を畫上せり、此の五個の點は豈に則ち中と成せんや?九疇は一より九に至りて、界限分明にして、各々本來の數目を保有し、何れに憑りて五十有五此の數を凑合する能くするかを知らず。硬に其れらの能く凑合すと説くは、不過彼らの妄説なり。
若其後而至於以書謂圖,以圖謂書者,又妄人中之妄人也。此餘特謂圖則有數可通,而書則有疇類可數,而不可布之以為圖也。
後來竟て洛書を河圖と説成し・河圖を洛書と説成する人有るに至っては、彼れ更に妄人の中の妄人なり。故に我れ特地之を指出するを要す:河圖は是れ數有りて會通する能く、洛書は則ち只だ疇類有りて計數する能く、根本に一幅の圖に鋪排する能わざるなり。
凡餘所以專守河圖者,非敢自謂親見羲、文所以本之而作《易》者,而其五且十之數,橫、斜、旁、正相生相成之進、退、贏、縮,一陰一陽之奇、耦、分、合,八體二用之虛、實、變、通,殆有造化神明莫窮之蕙,非人之所能為;而殆乎天機之自然者,宜其為羲、文所以作《易》之本原也。
我れの專ら河圖を守る所以は、敢えて自ら親眼に伏羲・文王の據りて《易》を作りたる原物を見たりと稱するに非ず。而も其の五與十の數は、橫の・斜の・旁の・正の、相生相成にして進有り退有り・盈有り縮有り、一陰一陽にして奇有り偶有り・分有り合有り、八卦を體と爲し・九六を用と爲して虛有り實有り・變有り通有り、幾乎造化神明の無窮無盡の意蘊を含み、人力の造作する能くするに非ずして、而も天機の自然に近し。之れ理應即ち伏羲・文王の《易》を作るの本原たるべし。
竊嘗心潛力索,觸類引伸,變而通之,由門入蘊,謂獨得一全之體用,僭著其說。然與漢諸儒事事必強推五行,以求合於《春秋》災異,傅會五十五數以為洛書者,實不敢謂然,不敢同也。
我れ私下に曾て心を沉め力を竭して探索し、觸類旁通し・引申を加えて、變化して會通し、門戶より堂奧に進入し、自ら以爲す獨り一套の完整の體用を得たりと、乃ち冒昧に此れらの説法を寫下せり。然れども漢代の諸儒の事事皆硬に五行を扯して、以て《春秋》の灾異に附會せんと求め、及び五十五數を洛書に附會する做法に對しては、我れ實に敢えて是と爲さず・亦た敢えて苟同せざるなり。
世恐未悉,況此河圖或謂由《易緯·乾鑿度》謂太一取其數以行九宮,四正四維皆合十五。鄭康成又注引其所以行九宮者,至於環中之虛位,本非謂五,而乃謂皇為五之中宮。固其《緯》、《注》俱妄,又不知其為五若十,皆虛用以制其奇耦生成,雖有其數,皇元其位也。
世人は恐らく尚お明白せざらん、何况或る人の説く此の河圖は《易緯·乾鑿度》より出づるとは、太一其の數を取りて以て九宫を運行し、四正與四維と相加して皆十五を合成すと。鄭玄は又注を作りて九宫運行之法を引述し、環中の彼の虛位に講到し、本來并五を指すに非ざるに、彼は却て説く是れ所謂「皇」にして、即ち五の中宮なりと。《易緯》與鄭注は固然皆妄説なり、其れらは又懂得せず:五も好し・十も好し、皆只だ虛設して用を待ちて以て奇偶の生成を制約し、雖も此の數有るも、却て根本に其の方位無しと。
然其所謂之太乙者,與太極則元以異也。苟未識其然,《記》日:「夫禮必本於太一,分而為天地,轉而為陰陽,變而為四時,列而為鬼神。」其理固與太極元以異也,自可旁通而元問然者;《記》經之屬也,因附諸《傳》後以徵。
不過其れらの謂う所の「太乙」は、「太極」とは倒れて分別無し。若し尚お此の一點を認清せざれば、《禮記·禮運》の謂う所を看るべし:「禮は必定太一に本源し、分かれて天地と爲り、轉動して陰陽と爲り、變化して四時と爲り、排列して鬼神と爲る」。此の道理は本來太極と差別無く、自然以て旁通して必ずしも再び疑問有る無し。《禮記》は經書の一類に屬す、故に此の段の話を《河圖傳》の後に附して、以て證驗と爲す。
卷之四 校勘記
#1『擊』,原作『縣』,據四庫本改。 #2『芒』,四庫本作『茫』。 #3『大一』四庫本作『太一』。 #4『雖』,原作『維』,據四庫本改。 #5『鉤隱』,原作『勾隱』,據四庫本改。 #6『其三圖』,四庫本空缺此三字。 #7『說』,四庫本作『失』。 #8『校然』,四庫本作『較然』。 #9『未變』,原作『存變』,據四庫本改。 #10『妄人』,原作『妄之』,據四庫本改。 #11『為』,原脫,據四庫本補。 #12『為』,原脫,據四庫本補。
第一第一條:「擊」の字、原本は「縣」と作る、今四庫本に據りて改正す。第二條:「芒」の字、四庫本は「茫」と作る。第三條:「大一」は、四庫本は「太一」と作る。第四條:「雖」の字、原本は「維」と作る、今四庫本に據りて改正す。第五條:「鉤隱」は、原本は「勾隱」と作る、今四庫本に據りて改正す。第六條:「其三圖」の三字、四庫本は空缺す。第七條:「説」の字、四庫本は「失」と作る。第八條:「校然」は、四庫本は「較然」と作る。第九條:「未變」は、原本は「存變」と作る、今四庫本に據りて改正す。第十條:「妄人」は、原本は「妄之」と作る、今四庫本に據りて改正す。第十一條:「爲」の字、原本脫落す、今四庫本に據りて補上す。第十二條:「爲」の字、原本脫落す、今四庫本に據りて補上す。
卷之五 河圖遺論(臨川道士雷思齊學)
古聖人之王天下,創始公至理,以惠啟千萬世者,豈易易然率己見以自擅制作哉?此有天授,斷可識矣。故河之出圖,伏羲因之以則而畫八卦;洛之出書,大禹因之以則而叔九疇。孔子於《大傳》叔天生神物,聖人則之,而並及圖書,而謂其兼則之也。子不語怪、力、亂、神,豈元所見於真實,而自樂為虛誕,以愚欺天下後世哉?
古代の聖人は天下を統治して、公共の至理を開創出し、以て千万世の人を惠澤啓迪す、豈に軽軽易易として自己の私見を憑りて則ち擅自に制作せんや?此の裏面に上天の授予有るは、斷然以て認定する能くするなり。故に黄河は圖を出だし、伏羲は之に依據して取法して八卦を畫き。洛水は書を出だし、大禹は之に依據して取法して九疇を叙定せり。孔子は《繫辭大傳》の裏に「天神物を生じ、聖人之に則る」を叙述し、同時に河圖・洛書に講到するは、説く所は聖人は兩者皆之に取法したりとなり。孔子は從來怪異・暴力・悖亂・鬼神を談論せず、豈に眞實の根據を見ざる情況の下に於いて、自ら樂んで虛誕之説を編造して、去りて天下後世を愚弄欺騙せんや?
自稱庖羲氏之王天下,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀烏獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。是豈先聖、後聖各以私意淺識得措乎其間哉?《易》之廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,其為書廣大悉備,與乾坤相為終始而元弊,非有天授,能為是乎?此孔子有見於圖書之出,特謂則之而已,元它說也。
《繫辭》は自ら庖犧氏の天下を統治したる時を述ぶるに、頭を擡げて天上の物象を觀察し、頭を低めて地上の法則を觀察し、鳥獸の紋理と土地の所宜とを觀察し、近處は自身に象を取り、遠處は萬物に象を取り、此れ乃ち八卦を創作して、以て神明の德性を會通し・萬物の情狀を比類せり。此れ豈に先聖・後聖の各々私意淺見を憑りて則ち其の間に插手する能くするならんや?《易》此の書は、廣大は天地と相配し、變通は四時と相配し、陰陽の意義は日月と相配し、廣大にして備わらざる無く、乾坤と互に終始して弊病無し、若し上天の授る所有らざれば、此の地步に到る能くせんや?可見孔子は確實に河圖洛書出現に關する記載を見たる有りて、乃ち只だ一句の「聖人之に則る」を説くに過ぎず、并別の説法無し。
況圖之自見於成、康,《顧命》陳之束序之後,元所復聞。孔子固已自悲其不出,而有已夫之嘆。漢儒之始,孔安國乃由《書傳》於河圖束序之下,謂伏羲王天下,龍馬負圖出河,遂則其文,謂之河圖;
何况河圖は自周成王・康王之世に記載に見えて、《顧命》は其れは東序に陳列すと説きたる以後、則ち再び聞説を聞かざるなり。孔子本人は已に其れの再び出現せざるに爲に傷感し、「已矣夫」の嘆息を發出せり。漢儒之初に到り、孔安國乃ち《尚書傳》の裏に於いて・河圖の東序に陳せる彼の一句の下に注明せり:伏羲の天下を統治したる時、龍馬ありて圖を背負い黄河より出で、伏羲は於是乎其の文樣に取法す、此れ則ち河圖と叫ぶ。
於天乃錫禹《洪範》九疇之下,謂天錫禹洛書,神龜負文而出,列於背,有數汰一至九,禹因而第之以成九類,類即疇也。是二說自分載於《洪範》、《顧命》各篇本語之下,亦未之有它說也。
又「天乃禹に《洪範》九疇を錫う」の一句の下に注明せり:上天は大禹に洛書を賜う、是れ神龜の文樣を背負い出でて、龜背の上に排列し、一より九に至る數目有り、大禹は此れに依して編次して九類を成し、「類」即ち「疇」なり。此の兩條の説法は、本來分別に《洪範》と《顧命》の各々の本文の下に記したるにして、此外にも亦た別の説法無し。
至鄭康成始引《春秋緯》合注《大傳》之圖書云:「河以通乾出天苞,洛以流坤吐地符。河圖龍發,洛書龜感。《河圖》有九篇,《洛書》有六篇。」已是詭說之開端;然仍引安國之注,以為河圖八卦是也,洛書九疇是也。其後王輔嗣、韓康伯於此並元所註釋,惟孔穎達《易疏》雖全篇寫鄭注,亦謂輔嗣之義未知何風,是必未以鄭注為然也。
鄭玄に到りて、乃ち始めて《春秋緯》を援引して以て《繫辭》の謂う所の圖書に合注して、曰く「河水は上に乾に通じて天苞を出だし、洛水は下に坤に流して地符を吐く。河圖は龍に由りて引發せられ、洛書は龜に由りて感應せらる。《河圖》に九篇有り、《洛書》に六篇有り」と。此れ已に詭譎之説の開端なり。不過彼は仍お孔安國の注を引いて、河圖を以て即ち八卦・洛書を以て即ち九疇と認爲す。此の後王弼・韓康伯は此の一處に對して皆注を作らず、只だ孔穎達の《周易正義》は雖も整段に鄭注を抄錄するも、却て亦た王弼の意思は何處に本るかを知らずと説く、可見彼は必定并鄭注を認可せざるなり。
及其疏《書》之《洪範》,乃又引《繫辭》云:「河出圖,洛出書,聖人則之。」九類各有文字,即是書也。而云天乃錫禹,知此天與禹者,即洛書。就引《漢書·五行志》劉飲以為伏羲擊天而王,河出圖,則而畫之,八卦是也;禹治洪水,錫洛書,法而陳之,《洪範》是也。河圖、洛書,相為經緯;八卦、九章,相為表裹。
孔穎達の《尚書·洪範》に疏を作るに及びて、又《繫辭》の「河圖を出だし・洛書を出だし・聖人之に則る」を引いて、説く九類は各々文字有り、彼れ即ち「書」なりと。經文は「天乃禹に錫う」と説けば、知るべし上天の大禹に賜える所は、即ち洛書なりと。彼は接着《漢書·五行志》の載する所の劉歆の説法を引く:伏羲は天命を承繼して王と爲り、黄河は圖を出だし、彼は取法して之を畫き、即ち八卦なり。大禹は洪水を治理し、上天は洛書を以て賜い、彼は效法して之を陳述し、即ち《洪範》なり。河圖與洛書とは互に經緯と爲り、八卦與九章とは互に表里と爲る。
先達共為此說。龜負洛書,經無是事。《中候》及諸《緯》多說黃帝、堯、舜、禹、湯、文、武受圖書之事,皆云龍負圖,龜負書。緯候之書,不知誰作,通人討竅,謂偽起哀、平,雖復前漢之末始有此書,已前學者必相傳此說,故孔以為九類是神龜負文而出,列於其背,有數仄一至九,禹見其文,因而第之以成九類法也。
前輩の通儒は皆此の種の説法を持す。其實神龜の洛書を背負う此の件事は、經書の上に并無し。《尚書中候》及び各種の緯書は、多く黄帝・堯・舜・禹・湯・文王・武王の圖書を承受するの事を講じ、皆龍は圖を背負い・龜は書を背負うと説く。此れらの緯候之書は誰の作なるかを知らず、博通之士は考究するに、認爲す是れ西漢哀帝・平帝之世に僞造せられたりと。即使此の類の書は西漢末年に到りて乃ち出現するも、此の以前學者も亦た必定已に口耳に傳えて此の種の説法有り、故に孔安國乃ち九類を以て神龜の文樣を背負い出で・龜背の上に排列し・一より九に至る數目有り・大禹は此れらの文樣を見て・於是乎編次して九類之法と爲るなり。
言禹第之者,以天神言語必當簡要,不應曲有次第,丁寧如此,故以為禹第之也。
次第は大禹の編む所と説く所以は、以て天神の言語は必定簡要にして、曲折に次序を排出し・叮嚀に此の樣に細密せるは應當せざるが爲に、故に斷定して此の編次は大禹の手に出づるなり。
其疏《顧命》之河圖束序,及疏《記》之出馬圖,詳略雖小有殊同,指意大校若此,是則所謂河圖為八卦,所謂洛書為九疇,並無改議也。
孔穎達の《顧命》「河圖東序に在り」の一句に疏を作るに、及び《禮記》「河馬圖を出ださず」の一句に疏を作るに、雖も詳略の上に略々出入あるも、大意も亦た此の如くより外ならず。可見所謂河圖は即ち八卦・所謂洛書は即ち九疇は、歷來并人此の論斷を改變する有る無し。
由漢而唐,《易經》行世,凡經、傳、疏、釋之外,未有及於圖、書之文刊列經首者。迨故宋之初,陳搏圖南始創意推明象數,自謂因玩索孔子三陳九卦之義,得其遠旨,新有書述,特稱龍圖,離合變通,圖餘二十,是全用《大傳》天一地二至天五地十、五十有五之數,雜以納甲,貫穿《易》理。
漢代より唐代に至りて、《易經》は世に流行して、凡そ經文・傳文・義疏・訓釋の外に、從來河圖・洛書の類の圖文を刊刻して經首に排する有らざるなり。北宋初年に到り、陳摶(字は圖南)乃ち別出心裁して象數を推明し、自稱す反復に孔子の《繫辭》の中の三次に九卦の意義を陳説するを玩味して、其の中の深遠の旨趣を領會したるに由ると、於是乎新たに一部の書を寫成し、特地題名して《龍圖》と爲す。書の中は離合變通を講じ、共に二十多幅の圖有りて、完全に《繫辭大傳》の天一・地二より天五・地十に至る此の五十有五之數を采用し、再び漢代の納甲之法を摻雜して、以て《易》理を貫穿す。
內一圖謂形九宮,附一圖謂形洛書者,則盡去其五生數,祇起地六至地十。自釋十為用,十為成形,故《洪範》陳五行之用數語而已。及終其書,再出兩圖,其一形九宮者,元無改異,標為河圖;其一不過盡置列《大傳》五十有五之數於四方及中,而自標異謂為洛書,並無傳例言說。
其の中に一幅の圖ありて九宫之形と稱し、別に一幅の圖を附して洛書之形と稱す、後者は五個の生數を全部去掉して、只だ地六より起りて地十に至るを以て止まる。彼の自己の解釋も、亦不過「十は用と爲り・十は成形と爲り、故に《洪範》は五行の用數を陳述す」の此の幾句の話なり。全書の末尾に到りて、彼は又兩幅の圖を列出す:其の中一幅の九宫之形の者は、前面と并無改動なるも、却て標名して河圖と爲す。別一幅の者は不過《繫辭大傳》の五十有五之數を全部四方及び中央に排布するに、彼は自己却て標新立異に之を洛書と稱し、并任何の傳承の義例與解説無し。
特移二、七於南,四、九於西,莫可知其何所祖法而作,而標以此名,大抵因如前說《洪範》五行之二火、四金,《太玄》準《易》因之為二南、四西而然。然其流傳未遠,知者亦鮮。
彼は只だ二・七を南方に移到し、四・九を西方に移到せり、誰も彼の依據する所は何の成法に此の樣に作圖し・又何に憑りて此の名目を標上するかを知らず。大概は正に前面に説きたるが如く、以て《洪範》の五行は二を以て火と爲し・四を以て金と爲し、揚雄《太玄》は《易》に準擬して亦た此の説を沿用して以て二を南に居らしめ・四を西に居らしめ、故に乃ち此の樣に安排せり。不過彼の此の一套の東西は流傳廣からず、知る人も亦た甚だ少なし。
自圖南五傳而至劉牧長民,乃增至五十五圖,名以《鉤隱》。師友自相推許,更為唱述,各於《易》問有註釋,日《卦德論》,日《室中語》,日《記師說》,日《指歸》,曰《精微》,曰《通神》,亦總謂《周易新注》。每欲自神其事及跡,而究之未見其真能有所神奇也。
陳摶より五代を傳えて劉牧(字は長民)に到りて、乃ち五十五幅の圖に增加し、題名して《易數鉤隱圖》と爲す。其れらの師友の間は互相に推許し・彼此唱和傳述し、各人《易》に對して皆注釋有り、書名に《卦德論》《室中語》《記師說》《指歸》《精微》《通神》有りて、總じて起きて亦た《周易新注》と叫ぶ。其れらは總じて此の件事と此れらの行迹を神乎其神に説かんと欲するも、可推究するに、并未だ眞に何の神奇の處有るを見ず。
時則有李觀泰伯,著《六論》以駁其非是,至謂恩其志誤學子,壞爨世教,而刪其圖之復重存之者三焉:河圖也,洛書也,八卦也。夫長民之多為圖畫,固未知其是,而泰伯亦無未識此圖之三本之則一爾。河圖本列八卦,而數五十有五也。
當時李覯(字は泰伯)ありて、《六論》を寫して其れらの錯誤を駁斥し、甚至此れらの人は心を存して學子を貽誤し・世教を敗壞すると説きて、於是乎彼らの重複する圖を删去し、只だ三幅を保留す:河圖・洛書・八卦なり。其實劉牧の圖形を多畫するは、固然不對と見る能わざるなり。可李覯も亦た一樣に明白せず、此の三幅の圖は本來只だ一幅なり——河圖は本來即ち八卦を排列して、而して其の數は正に五十有五なり。
及長民輩始破洛書古說,謂非只是《洪範》,必別有書出於羲之上世,羲乃得而並則之以作《易》也。泰伯之見,則又與之同,此愚又莫能知何為其然也。
劉牧の一輩人に到りて、乃ち始めて洛書に關する舊説を打破し、認爲す洛書は不只《洪範》にして、一定に別に一部の書の伏羲以前の時代に出現したる有りて、伏羲は乃ち之を河圖と一倂に取法して《易》を作るを得たりと。李覯の見解は、竟然亦た其れらと相同なり、此の一點は我れ又實に其れらの何の故に此の樣に看るかを明白せず。
蓋嘗夷考《大傳》此章,自有法象天地,變通四時,縣象日月,而又有及於蓄龜,故因謂之天生神物,聖人則之者,正謂曹也。《易》惟曹是用,所謂曹之德員而神,幽贊於神明而生曹,《易》豈有龜事哉?因其均可以占,故牽聯及龜爾。
我れ曾て心を平かに《繫辭大傳》の此の一章を考察せり:之れ本來法象天地・變通四時・懸象日月を講じ、而る後又蓍與龜に講到し、故に接著説く「天神物を生じ・聖人之に則る」、此處の「神物」は正に蓍草を指す。《易》は只だ蓍草を用いて、所謂「蓍の德は圓にして神なり」、又曰く「神明に幽贊して蓍を生ず」、《易》の裏に何れに龜を用いるの事有らんや?只だ蓍與龜とが同じく占問する能くするに由りて、乃ち顺带に連れて龜を提到するのみなり。
以上文謂法象天地,變通四時,故申之曰:「天地變化,聖人效之。」上文謂縣象日月,故申之日:「天垂象,聖人象之。」至於天生神物,乃申謂之如河出圖,洛出書,聖人亦得以則之也。
因りて上文は法象天地・變通四時を講ぜば、故に接著申説す:「天地變化し・聖人之に效す」。上文は懸象日月を講ぜば、故に接著申説す:「天象を垂れ・聖人之に象す」。「天神物を生ず」の一句に至っては、接著申説する意思は則ち:黄河の圖を出だす・洛水の書を出だす此の樣の事の如く、聖人も亦た同じく以て取法する能くするなり。
蓋由河之出圖,羲前既得以則而畫卦,因及於洛之出書,禹後復得以則而叔疇爾。又豈害於比類而互言之哉?豈嘗直欲以圖書之數、之義、之條貫比而同之哉?豈嘗直謂圖書並出於一時哉?
大抵は以て黄河の圖を出だせば、伏羲は先に在り、已に之に取法して卦を畫き。於是乎連帶に洛水の書を出だすに説到り、大禹は後に在りて、又之に取法して九疇を叙定せり。此の樣に比類して交互に之を言えば、又何の妨礙有らんや?孔子何嘗必定要河圖與洛書の數目・義理・條貫を比同して一と爲さんや?又何嘗圖與書と同一個の時候に一起に出現したりと説きたる有らんや?
且不惟漢儒引《洪範》以為洛書,雖圖南之初謂形洛書者,亦不過謂十為用,十為成形,故《洪範》陳五行之用也者,是明指洛書為《洪範》矣。不知長民輩不本其初,故倍其師傳,而謂洛書非出於禹之時,益使後之人迷亂而失所據依,何也?
而且不只漢儒は《洪範》を引いて以て洛書を解釋し、就連陳摶の當初の謂う所の「洛書之形」も、亦不過「十は用と爲り・十は成形と爲り、故に《洪範》は五行之用を陳述す」と説く、此れ分明に亦た洛書を以て即ち《洪範》を指すなり。想わざりきは劉牧の一輩人は本源を追究せずして、反つて師門の傳える所に背離して、洛書を説く大禹之時に出づるに非ずと、愈々發して後人を迷亂して依據を失わしむ、此れ何の爲ぞや?
又不謂孔子之謂聖人之則之也。非特去羲之時將幾世、幾年,雖祇去禹之世固已千數百年矣。其稱書之出洛,以比羲之圖之出河,於理惡乎而不可?長民故為此說,是且並孔子之《大傳》不之信邪。
其れらは又想わず孔子の謂う所の「聖人之に則る」は何の意思なるかを。孔子は伏羲之世より距ること、何れに隔る多少代・多少年かを知らず。即便只だ大禹之世より距るを算するも、亦た已に上千百年なり。彼は洛水の書を出だすを稱説して、以て伏羲之時の黄河の圖を出だすと相竝擧す、道理の上に何の不可有らんや?劉牧は偏に此の種の説法を立つるを要す、則ち豈に孔子の《繫辭大傳》を連れても肯して相信せざらんや?
考圖南之為龍圖,雖自謂得於孔子三陳九卦之旨而作,然其序日:「龍圖者,天散而示之,羲合而用之,孔默而形之。」且明稱始圖之未合,惟五十五數,則是謂《大傳》天數二十有五,地數三十,合而言之,不知何以於其末改標之以為洛書,殆其始誤也。
考察せば陳摶の作る所の《龍圖》は、彼は雖も自稱す孔子の三陳九卦の旨意を領會して作るとするも、但し其の自序に曰く「所謂龍圖は、上天之を分散して顯示し、伏羲は之を會合して運用し、孔子は默然として之を顯現す」と。而且明明説く最初の圖は尚未會合せず、只だ五十五此の數有りと、此れ指す所は《繫辭大傳》の謂う天數二十有五・地數三十にして、合して講ずる彼の數なり。眞に彼の何の故に書末に到りて又之を洛書と改標するかを知らず、此れ大概即ち最初の錯誤の在る所なり。
長民輩乃承誤而益增其誤,遂真以為洛書,而有五十五圖以實其誤;以至泰伯已後,悉以圖南標異之五十五數為真洛書也。不思圖南標洛書之始偶謂用十,夫洛書所叔九疇,其十數當何汰而起哉?
劉牧の一輩人は此の錯誤を承接して而又之を加重し、竟て眞に之を洛書と爲し、尚お五十五幅の圖を畫出して去りて此の錯誤を坐實す。以至於李覯の以後、人人皆陳摶の標新立異の彼の五十五數を以て眞洛書と爲す。其れらは亦た想わず:陳摶の當初洛書と標稱する時、只だ偶然に一句の「十を用う」と説きたるに。而して洛書の叙する所の九疇は、彼の十の數目は又何處より起算すべきかを。
意豈謂《大傳》之河、圖既可出而示世,則洛書亦可以並出示之,因假《大傳》五十五數,托為《書》之九疇乎?九疇所言皆用縱比而同之謂五十五數,其用又安在哉?此不可之大者也。
莫非其れらは以爲す:《繫辭大傳》の謂う所の河圖は既然拿出して人に示す能くすれば、洛書も亦た以て一倂に拿出して人に示す能く、於是乎借用して《大傳》の五十五數を、假托して之を即ち《尚書》の九疇と爲さんや?九疇の講ずる所は皆實際應用なり、縱使硬に之を五十五數と比同するも、此の數は又何處に用いられんや?此れ乃ち最も講通せざる地方なり。
故嘗因長民之事討其原,圖南之後,种放、許堅、李溉,未及見其它有著述。若其所親授之師,如範誇昌所著《太易源流》,其稱龍馬負圖出河,羲皇窮天人之際,復位五行生成之數,定地上八卦之體,故老子自西周傳授孔子造《易》之原,天一正北,地二正南,天三正束,地四正西,天五中央,地六配子,天七配午,地八配卯,天九配酉,地十配中,寄於末,乃天地之數五十有五矣。
故に我れ曾て劉牧の此の件事に就きて其の來源を追究せり。陳摶の以後、種放・許堅・李溉は、皆其れらの別に何の著述有るを見ず。劉牧の親承する老師范諤昌に至っては、其の著する所の《太易源流》に曰く:龍馬は圖を背負い黄河より出で、伏羲は天人之際を窮究し、重新に五行生成之數を排定し、地上に八卦の形體を確定す。因此老子は西周より孔子に《易》を作るの本原を傳授す、是天一は正北に在り、地二は正南に在り、天三は正東に在り、地四は正西に在り、天五は中央に在り。地六は子に配し、天七は午に配し、地八は卯に配し、天九は酉に配し、地十は中に配して末位に寄す——此れ即ち天地之數五十有五なり。
因考其既以圖之前五數置於北、南、束、西之正及中,復以後五數配子、午、卯、酉及中,何也?夫子、午、卯、酉,非四方之正邪?地十配中雲寄於末,夫中抑有末邪?
我れ因りて考究す:彼は既に圖中の前五個の數を北・南・東・西の四正と中央に安放し、却又把りて後五個の數を子・午・卯・酉と中央に配上す、此れ何の故ぞや?子・午・卯・酉は、不正好即ち四方の正位ならずや?又説く地十は中に配して末位に寄すとは、豈に「中」は尚お別に一個の「末」有らんや?
諦詳所置之數,正今圖所傳有四方而元四維之數者,是誇昌已元不識圖南所以標異,特因《太玄》準《易》取於《洪範》一水、二火、三木、四金、五土,而然鑿空元故,造端老子,增立怪論,以實圖南易置二、七、四、九之位爾,然猶未嘗以九疇分配九宮也。
仔細に其の安置する所の數を審察すれば、正に今天流傳の彼の幅の只だ四方有りて四維無き圖なり。可見范諤昌は本來即ち陳摶の何の故に標新立異するかを明白せずして、只だ《太玄》の《易》に準擬して《洪範》の一水・二火・三木・四金・五土の次序を取用するに由りて、則ち憑空無故に造作し起き、尚お源頭を老子の身上に攀到して、此の種の怪論を添出し、以て陳摶の二・七・四・九の方位を移置する做法を坐實するのみなり。不過彼は尚お曾て九疇を九宫の上に分配到する無し。
究竅誇昌之取用,不過循納甲之緒餘,及五子歸庚之殊向,又謂天上八卦坎、離對中之外移,置乾、兌、坤於束,艮、震、巽於西,不謂五行之說,多起於《易》;後而反引五行以為定卦之原,此又其敢於創異之大端也。
推究せば范諤昌の取用する所は、不過納甲之法の餘緒、及び「五子歸庚」の彼の一套の別樣の取向なり。彼は又説く天上の八卦は坎・離の相對して中に居るを除くの外、其餘は皆外に移らんとして、乾・兌・坤を東方に安置し、艮・震・巽を西方に安置せんと。彼は懂得せず五行之説は多半《易》の裏より生出したるを、反つて五行を引いて以て卦を定めるの本原に充当す、此れ又是れ彼の敢えて標新立異するの一大端なり。
是宜長民不獨增以五十五圖,又因誇昌坎、離、震、兌四正之外,而以四成數同於四方,謂坎六退本卦三數,以餘三數三畫為乾;離七退本卦三數,以餘四數四畫為巽;震八數退本卦三數,以餘五數五畫為艮;兌九數退本卦三數,以餘六數六畫為坤,皆以數為畫,標為河圖,是不揣本而齊末。
難怪劉牧は不但五十五幅の圖に增畫し、尚お范諤昌を沿襲して坎・離・震・兌を以て四正の外に居らしめ、四個の成數を四方と等同して、説く:坎六は本卦の占める所の三個の數を減去して、剩下の三個の數・三畫を以て乾と作る。離七は本卦の三數を減去して、剩下の四個の數・四畫を以て巽と作る。震八は本卦の三數を減去して、剩下の五個の數・五畫を以て艮と作る。兌九は本卦の三數を減去して、剩下の六個の數・六畫を以て坤と作る——一律に數を拿てて畫と爲し、尚お標稱して之を河圖と爲す。此れ眞に根本を度量せずして、只だ末梢の上に於いて整齊を求むるなり。
夫八卦各三畫,以剛柔生爻,未聞本卦只用三畫,而以其餘畫之多,反分為別卦也。所陳之數抑配偶然,且以坎、離、震、兌為四象,則尤非也。象本在未成卦之先,故曰:「四象生八卦」也。
八卦は各々三畫有りて、剛柔に靠りて爻を生出す、從來本卦は只だ三畫を用いて、却て剩下の畫數の多寡を拿てて反つて分作して別一個の卦と爲すと聞説せざるなり。彼の排布する所の數は不過隨意に湊配するのみなり。何况彼は坎・離・震・兌を以て四象と爲せば、則ち更不對なり:象は本來成卦の前に在り、故に《繫辭》乃ち「四象八卦を生ず」と説く。
又云:洛書之九疇,本河圖自然之數,虛皇極於中,而以八疇分佈四正、四維,五行置於坎一,五事置於坤二,五紀置於巽四,五福置於離九,一以九疇之次叔,陳列於河圖之卦次。夫九疇謂禹次第之者,直自初一、次一不次三、四而以次用之也。今隨河圖十五縱橫而置之,則成亂次矣。
彼は又曰く:洛書の九疇は、河圖の自然之數に本りて、皇極を中央に虛設して、而以て其餘の八疇を四正與四維とに分布す:五行は坎一に放し、五事は坤二に放し、五紀は巽四に放し、五福は離九に放し、一概に九疇の次序に按じて、河圖の卦位の上に排列すと。可是九疇の大禹の編次する所と説く所以は、要するに初一・次二・次三・次四の此の樣に依次に取用せんと欲するなり。如今河圖の縱橫十五の格局に按じて安放し去れば、次序は則ち全て亂れたり。
未暇一一辯詁,且以初一之口五行言之。既謂五行,自當分配五方,何得以五者限萃一方?不以推行,惡得謂五行哉?以至謂火、金易位,與河圖不同,其顛倒迷繆不可訓知若此。
我れ一條一條に辨正するに及ばず、姑且第一疇の「五行」に就きて説かん。既然五行と叫ばるるは、自然應當に五個の方位の上に分配到すべし、何ぞ能く此の五者を一個の方位の上に局限聚攏せんや?其れらを推移運行せしめず、又何に憑りて「五行」と叫ばんや?以至於彼の説く火與金と位置を互換して河圖と同ならずとは、此の種の顛倒迷亂・理喻する能わざる程度は、竟て此の樣の地步に到るなり。
其後楊次公自著《洞極經》,託名於關子明,其叔本篇稱子曰:「河圖之本,七前六後,八左九右,聖人觀之以畫八卦,是故全七一之三以為離,奇以為巽;全八之三以為震,奇以為艮;全六之三以為坎,奇以為乾;全九之三以為兌,奇以為坤。正者全其位,偶者盡其畫。」而謂四象生八卦,此謬之尤者。
後來楊次公は自己《洞極經》を寫したるも、却て假托して關子明の作と爲す。彼は本篇を叙述するに「子曰」と稱して曰く:「河圖の根本は、七は前に在り・六は後に在り、八は左に在り・九は右に在り、聖人は之を觀察して八卦を畫出せり。故に七の整數の三畫を取りて離と作り、其の零餘を取りて巽と作る。八の整數の三畫を取りて震と作り、其の零餘を取りて艮と作る。六の整數の三畫を取りて坎と作り、其の零餘を取りて乾と作る。九の整數の三畫を取りて兌と作り、其の零餘を取りて坤と作る。正位に居るは其の方位を保全し、偶位に居るは其の畫數を用盡す」と。並びに説く此れ即ち「四象八卦を生ず」なりと、此れ眞に錯れること最も厲害なり。
乾、坤相索而生六子,今為男女者,反能生父母之卦邪?況泛言一不七為火,四、九為金,猶可饅所未識者。今至明言離九為七,兌七為九,是河圖一可變置矣而可乎?
乾與坤とは互相に求索して乃ち六個の子女卦を生出す、如今身を男女と爲る六子卦は、反つて能く父母之卦を生出せんや?何况籠統に二・七を火と爲し・四・九を金と爲すと説くは、尚お蒙混して懂らざる人を能くするも。如今竟て明明白白に離九を七・兌七を九と説く、此れ等しく河圖も亦た以て隨意に位置を變換する能くするを説くにして、此れ何ぞ行わんや?
又謂洛書之文,五處其中,九前一後,三左七右,四前左二,前右八後,左六後右,後世稽之以為三象,因而九變之以二十七象。今按其說,惟五處其中一語,於洛書不悖,餘悉河圖之數,而河圖之數乃因洛書以五處中,而盡失其所以為五之理爾。
彼は又説く洛書の文樣は五は正中に居り、九は前に在り・一は後に在り、三は左に在り・七は右に在り、四は前左に在り・二は前右に在り、八は後左に在り・六は後右に在りと。後世は之を考究して三象と定め、因りて九重の變化を經て二十七象と爲る。如今其の説法に按じれば、只だ「五は其の中に居る」の一句のみ洛書に於いて違背せず、其餘は全て河圖の數なり。而して河圖之數は一旦洛書に依照して五を正中に放てば、則ち完全に五の五と爲る所以の道理を喪失せり。
《書》之九疇,以皇極之五處中,固元別用,是可以定位也。至河圖之有天五,乃兼地十以為十五,其五乃四分於成數之內而合於十,豈嘗有五虛點而實置於圖之中位哉?圖之傳誤正由此五。
《尚書》の九疇は、第五疇の皇極を以て中に居るは、本來即ち別の用處無し、故に以て彼の樣に定位する能く。河圖の天五に至っては、要するに地十を兼合して十五と爲るにして、彼の五は四分して開きて成數の内に散在し・再び十に合す、何嘗五個の虛點の實實在在に圖の中央に安放せられたる有らんや?河圖の流傳して誤りを致すは、根子は正に此の五の上に在り。
次公之假設此妄例,特以蓋其所祖者,乃楊子云三方、九州島而二十七部,私以為書耳。於斯二者,固已真易置圖、書矣。而朱元晦、蔡季通反祖之,信以為關子明作也。不計子明之《易傳》精詣,豈此摹擬者比,乃循此膚臆之見,因扶其說,亦謂河圖七前六後,八左九右;洛書之文,九前一後,三左七右,四前左,二前右,八後左,六後右。
楊次公の此の一套の妄例を假設するは、只だ以て其の祖述する所の東西を掩蓋せんが爲に——其實は揚雄《太玄》の三方・九州にして二十七部の彼の一套にして、彼に私下に經書と爲るに當てられたるなり。此の兩點に就きて看れば、彼は確實に已に河圖と洛書とを完全に對調せり。可是朱熹(字は元晦)與蔡元定(字は季通)とは反つて彼を祖述し、相信して此れ眞に關子明の作なりと。其れらは想わず關子明《易傳》の何等か精深なる、豈に此の種の摹擬之作の比すべきならんや。却て此の種の淺薄臆斷の見解に順着して、進んで其の説を扶持し、亦た講じて河圖は七前六後・八左九右・洛書之文は九前一後・三左七右、四は前左に在り・二は前右に在り・八は後左に在り・六は後右に在りと。
謂《大傳》既陳五十有五數,《洪範》又謂天乃錫禹《洪範》九疇,而九宮之數戴九履一,左三右七,二、四為肩,六、八為足,正龜背之象。劉牧意見以九為河圖,十為洛書,託言出於希夷,與諸儒舊說不合;又引《大傳》以為二者皆出於伏羲之世,其易置圖、書並元明驗。
其れらは説く:《繫辭大傳》は既然五十有五之數を陳列し、《洪範》は又「天乃禹に《洪範》九疇を錫う」と説き、而して九宫之數は頭に九を戴き・脚に一を踏み、左三右七、二・四は兩肩と爲り、六・八は兩足と爲り、正に龜背の形象なりと。劉牧の見解に至っては、九を以て河圖と爲し・十を以て洛書と爲し、假托して陳摶より出づると説き、諸儒の舊説と合せず。又《大傳》を引いて兩者皆伏羲之世に出づると説き、彼の河圖洛書に對する對調は、全て明確の驗證無し。
其朱、蔡之指斥又如此,而直以圖南始標誤之洛書為河圖,而以其初正指河圖,反以為洛書,則朱、蔡實自誤而反罪長民之先誤。專己自是,張其辯說,不克自反,一至於此。
朱熹・蔡元定の劉牧に對する指斥は此の樣なるに、可他們は自己卻徑直に陳摶の當初標錯したる彼の洛書を以て河圖と爲し、反つて陳摶の起初正しく河圖と指したる彼の一幅を以て洛書と爲す。此の様に看れば、朱・蔡は實に自己錯誤を弄したり、却て反つて劉牧を怪罪して先に錯誤を弄したりと。其れらは一意孤行・自以爲是にして、自己の辯説を鋪張して反躬自省する能わず、竟て此の地步に到るなり。
惟程泰之《易原》時能理到,至鄭束卿輩尋邇依傍,一意誕饅,廣增圖說,皆非實指,徒使後之人失其真是,信其所不當信,疑其所不當疑,並與本來宗旨樊然擾亂,是其所非,而非其所是。
只だ程大昌(字は泰之)の《易原》のみ時時理の上に講到する能く。鄭東卿の一輩人に至っては、只だ近く攀附するを知り、一味に荒誕欺み、大量に圖説を增添し、全て皆實指に非ず、徒らに後人をして眞相を失わしむ:該信するを信ぜず、該疑ざるを却て疑い、本來の宗旨を連れても一倂に紛亂不堪に攪き、錯れるを正しきと爲し、正しきを錯れると爲す。
跡究其始,不過由圖南用十之一語立一圖之誤,至於為此紛紛,始猶借河圖以相因依,而為洛書之說,久則舍圖取書,又久乃遂以書為圖,荒然莫知河圖為何物,所以有圖者,寫為何事,執其五十五數以為圖,不知其五十五數其始特以誤及洛書,今及執之為圖,是圖既非興;其謂書以為圖者,書益非其書者矣。
此の一切の起點を追究すれば、不過陳摶の「十を用う」の此の一句話より一錯の圖を立て、乃ち此の樣に紛紛不休に鬧るに到る。起初は尚お河圖に借りて彼此依傍して、以て洛書之説を立つ。久しくすれば則ち河河圖を捨開して專ら洛書を取る。再び久しくすれば、竟て洛書を以て河圖と爲し、茫然として河圖の究竟何の東西なるか・當初何の故に此の幅の圖有るかを知らず。其れらは彼の五十五數を抓着して以て河圖と爲すも、却て此の五十五數は一開始只だ誤りて洛書の身上に加えられたるを知らず。如今又抓來して以て河圖と爲せば、然らば此の「圖」は既に已不是れ眞圖にして、而して彼の洛書を河圖と説成するの「書」も、則ち更不是れ原來の洛書なり。
徒自言人人,殊使學者亡羊多歧,求馬唐肆,紛如聚訟,吾誰適仄?不啻三百年於此,故推原致誤之由,疏列莘疑之妄,直以河圖本數討正之,庶幾學者見之瞭焉,會心自斷,知圖南之謂其由三陳九卦而得者,類於饅;陰腸家襲於以一、六、八白取以為起例者,流於末,若《乾鑿度》謂太一取其數以行四正四維皆合十五者。《鑿》於《緯》之拘贅,亦不盡然。
人人各々各の説を説き、徒らに學者をして歧路亡羊の如く・空店に到りて馬を買うが如く、紛紛として打官司の如くならしめ、我れは誰を聽くべきか?此の種の局面は已に不止三百年なり。故に我れは其の誤りを致すの緣由を推原し、條列して種種の可疑の妄説を、徑直に河圖の本數を以て之を訂正し、學者の一看すれば則ち明白に・會心の下に自ら判斷せんことを希望す:要するに陳摶の自己は「三陳九卦」に由りて得たりと説くは、欺人之談に近しを知るべし。陰陽家の一白・六白・八白之説を沿襲して以て起課の例と爲すは、末技に流るるなり。《乾鑿度》の謂う所の太一其の數を取りて以て九宫を行き・四正四維相加して皆十五に合するに至っては、彼れは《易緯》の拘執累贅の之處にして、亦た盡くは信ずべからず。
然從昔儒先莫不斷斷然謂非人所能偽作者,今以餘自本觀之,直謂不必它求,特以《說卦》帝出乎震一□一章,環中往復參究之,以天一至地四,地六至天九求其實體,天五與地十明其虛用,則參伍以變,參天兩地,錯綜倚數,莫不左右逢原,一皆胳合乎孔子繫《易》之初旨。
然れども自古以來の前輩儒者は、無りとて斬釘截鐵に河圖を説いて人の僞造する能くするに非ずと説かざるなし。如今我れに依りて本源の上より看れば、只だ一句を説くを須とす:必ずしも別處に向かい之を求むる無し。只だ《説卦》の「帝震に出乎」の彼の一章を拿てて、圓環に就着して往復に參究し、天一より地四・地六より天九に至るを以て其の實體を求め、天五與地十とを以て其の虛用を明らかにせば、然らば「參伍以て變」「參天兩地」「錯綜倚數」は、無りとて左右に源に逢わざるなく、全て孔子の《易》に繫する本旨に暗合す。
是之謂參。淆亂抓論,轟明;河之出圖,通古不妄,足以見《易》矣。因洞悉洛之出書,一汍疇之外,豈復有圖有數之妄作者,誠古今之一大快事也。
此れ乃ち眞正の「參」と叫ぶ。淆亂を廓清し・謬論を揭破して、道理をして豁然として顯明ならしむ:黄河の圖を出だす此の件事は、古今を通貫して虛妄ならず、以て此れに由りて《易》の本原を見るに足れり。亦た因りて徹底に洛水の書を出だすの一事を明白す、九疇を除くの外、何處か尚お別に何の圖・何の數の妄作有らんや?此れ實に古今の一大快事なり。
卷之五 校勘記
#1『平』,原作一乎』,據四庫本改。 #2『禹』,四庫本作『語』。 #3『祇』,原作一祇,據四庫本改。 #4『非特』,仰庫本誤把後文自『八疇分佈四正、四維』至『是可以定位也』一段倒置於此處之後。特此說明。 #5『太易』,四庫本作『大易』。 #6『謬』,原作『繆』,據四庫本改。 #7『不啻騙』,原作『不趨』,據四庫本改。
第一條:「平」の字、原本は「乎」と作る、今四庫本に據りて改正す。第二條:「禹」の字、四庫本は「語」と作る。第三條:「祇」の字、原本の字形に訛あり、今四庫本に據りて改正す。第四條:「非特」の一處、四庫本は誤りて後文の「八疇分布四正、四維」より「是可以定位也」に到る此の一段を、倒置して此處の後に在らしむ、特に此れを説明す。第五條:「太易」は、四庫本は「大易」と作る。第六條:「謬」の字、原本は「繆」と作る、今四庫本に據りて改正す。第七條:「不啻」の一處、原本は「不趨」と作る、今四庫本に據りて改正す。
