Libo

皇极经世书

宋 · 邵雍

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

以會經運(續)・經星之壬二百八十九至經星之癸三百

易経易学典籍

術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。

皇極經世書提要

臣等謹案:《皇極經世書》十四卷,宋邵雍撰。邵子數學本於李挺之、穆修,而其源出於陳摶。當李挺之初見邵子於百泉,即授以義理性命之學。其作《皇極經世》蓋出於物理之學,所謂“易外別傳者”是也。

臣ら謹んで考案するに、《皇極經世書》は全十四卷で、北宋の邵雍が撰したものである。邵雍は字を堯夫、諡を康節といい、彼の治めた「數學」は、數をもって天地萬物の理を推究する學問であり、李之才(字は挺之)と穆修から直接傳えられ、さらに遡れば華山の道士陳摶に源を發する。かつて李之才が共城の百泉で初めて邵雍に會ったとき、すぐに「義理性命之學」――天理・人性・命運を探究する學問――を彼に傳授した。彼が《皇極經世》を撰したのは「物理之學」の系統に出るもので、萬物の生成變化の理を推究する學問、すなわち前人の言う「《易》外別傳」に當たる。經文に注釋を施す舊路を行かず、《周易》の外に別途、數と象をもって天地古今を推演する一つの體系を立てたのである。

其書以元經會,以會經運,以運經世,起於帝堯甲辰,至後周顯德六年己未,而興亡治亂之跡皆以卦象推之。朱子謂《皇極》是推步之書,可謂能得其要領。朱子又嘗謂:“自《易》以後,無人做得一物如此整齊,包括得盡。”又謂:“康節《易》看了,卻看別人的不得。”

この書の編成は三層に分かれる。まず「以元經會」で、一元をもって十二會を統攝し、次に「以會經運」で、一會をもって三十運を統攝し、最後に「以運經世」で、一運をもって十二世を統攝する。一世は三十年で、年代はここで初めて逐年に落ち着く。史事の記しうる部分は、帝堯が即位した甲辰の年(舊說では紀元前二三五七年に當たる)に始まり、五代後周の顯德六年己未(公元九五九年)に終わり、歷代の興亡治亂の跡はすべて卦象をもって推算される。朱熹は《皇極經世》を「推步之書」と言った――「推步」とはもともと日月五星の行度を推算する曆法の學を指し、この三字で定性したのは要領を得たものといえる。朱熹はまた言った。《周易》以來、これほど整齊に、これほど周到に包羅した體系を作り得た者はいない、と。さらに、邵康節の《易》學を讀めば、他人のものはもう讀めなくなる、とも言った。

而張崏亦謂:“此書本以天道質以人事,辭約而義廣,天下之能事畢矣。”蓋自邵子始為此學,其後自張行成、祝泌等數家以外,能明其理者甚鮮。故世人卒莫窮其作用之所以。

張崏もまた言った。この書は天道を根本とし、人事をもってこれを證し、辭は簡約にして義理は廣大で、天下のなしうる學問はすべてその中に包まれている、と。この學問は邵雍から始めて創始されたもので、のち南宋の張行成、祝泌など數えるほどの數家を除けば、真にその理を講明できた者はきわめて少なく、ゆえに世人はついにこの推演がいかに運作するかを窮められなかった。

然其起而議之者,則曰元會運世之分無所依據,十二萬九千餘年之說近於釋氏之劫數,水火土石本於釋氏之地水火風,且五行何以去金、去木?乾在《易》為天,而《經世》為日;兌在《易》為澤,而《經世》為月。以至離之為星,震之為辰,坤之為水,艮之為火,坎之為土,巽之為石,其取象多不與《易》相同,俱難免於牽強不合。

ただし起こって疑問を呈する者も言った。元・會・運・世という分層にはそもそも確かな根據がない。一元十二萬九千六百年という說は、佛門の言う「劫」に近い。水・火・土・石を萬物の體とするのは、佛家の地・水・火・風に本づく。そもそも五行がなぜ金と木を除けるのか。また乾卦は《周易》では天を象るが、《皇極經世》では「日」に配される。兌卦は《周易》では澤を象るが、ここでは「月」に配される。さらに離卦は「星」に、震卦は「辰」に、坤卦は「水」に、艮卦は「火」に、坎卦は「土」に、巽卦は「石」に配され、取象はおおむね《周易》と異なり、どれも牽強附會で互いに合わないところを免れない、と。

然邵子在當日用以占驗,無不奇中,故歷代皆重其書。且其自述大旨,亦不專於象數。如云“天下之事,始過於重,猶卒於輕;始過於厚,猶卒於薄”,又云“學以人事為大”,又云“治生於亂,亂生於治。聖人貴未然之防,是謂《易》之大綱”,又云“天下將治,則人必尚義也;天下將亂,則人必尚利也。尚義則謙讓之風行焉,尚利則攘奪之風行焉”類,皆立義正大,垂訓深切。是《經世》一書雖明天道,而實責成於人事。洵粹然儒者之言,固非讖緯術數家所可同年而語也。

しかし邵雍は當時この學問をもって占測應驗し、奇中しないことはなかったので、歷代はみなその書を重んじた。しかも彼が自ら述べた全書の宗旨は、象數だけに專らなものでもなかった。たとえば彼は言う。天下の事は、初めに重すぎれば、終わりにはかえって輕忽に流れ、初めに厚すぎれば、終わりにはかえって澆薄に流れる、と。また、學問は人事を大とする、と言う。また、太平は禍亂から生じ、禍亂も太平から生ず。聖人の尊いところは未然の防にある。これが《周易》の大綱領である、と言う。また、天下まさに大治せんとすれば、人は必ず道義を尚び、天下まさに大亂せんとすれば、人は必ず私利を尚ぶ。道義を尚べば謙讓の風が行われ、私利を尚べば爭奪の風が行われる、と。このたぐいの言は、立論がいずれも正大で、後人への垂訓も深切である。これを見れば《皇極經世》一書は天道を闡明しながら、實には責任を人事に落としているのであって、まさに純正な儒者の言であり、決して讖緯術數の流が同日に論じうるものではない。

乾隆四十六年四月恭校上。總纂官臣紀昀,臣陸錫熊,臣孫士毅;總校官臣陸費墀。

乾隆四十六年(公元一七八一年)四月、恭しく校訂を畢えて御覽に進呈した。列名するのは《四庫全書》の館臣で、總纂官は紀昀、陸錫熊、孫士毅、總校官は陸費墀。この段は四庫館臣が書を進める際の落款であり、これによって上の提要が《四庫全書總目》に出るもので、官修目錄が全書に下した定評であって、邵雍原書の自序ではないことが分かる。

皇極經世書卷一上

觀物篇一 以元經會一

日甲一,月子一。星甲一:辰子一、辰丑二、辰寅三、辰卯四、辰辰五、辰巳六、辰午七、辰未八、辰申九、辰酉十、辰戌十一、辰亥十二。星乙二:辰子十三、辰丑十四、辰寅十五、辰卯十六、辰辰十七、辰巳十八、辰午十九、辰未二十、辰申二十一、辰酉二十二、辰戌二十三、辰亥二十四。

ここから《皇極經世》の第一層の推演「以元經會」、すなわち一元をもって十二會を統轄する部分に入る。表頭の「日」「月」「星」「辰」は元・會・運・世の四級の時間單位の代稱で、日は元、月は會、星は運、辰は世である。「日甲一」は推し當たるこの一元を指し、天干の甲の字をもって第一元と標す。「月子一」はこの元の第一會を指し、地支の子の字をもって子會と標す。以下「星」の字で始まる行はすべて運で、星甲一・星乙二がすなわち第一運・第二運である。運の名號は十干を甲から癸まで循環させ、後ろの數字は全一元における通し順位である。各運の下に十二の「辰」を橫に列ねたものが、その管轄する十二世で、世の名號は十二支を子から亥まで循環させ、數字も同じく一元における通し順位である。一世は三十年、一運は十二世で合わせて三百六十年。ゆえに星甲一は第一世から第十二世まで、すなわち一元の第一年から第三百六十年を統轄し、星乙二は第十三世から第二十四世まで、すなわち第三百六十一年から第七百二十年を統轄する。後世の推算によれば、この元の起算の年はおよそ紀元前六萬七千年に當たり、寅會の半ばの開物の期まで、なお七十三運・二萬六千二百八十年がある。

星丙三:辰子二十五、辰丑二十六、辰寅二十七、辰卯二十八、辰辰二十九、辰巳三十、辰午三十一、辰未三十二、辰申三十三、辰酉三十四、辰戌三十五、辰亥三十六。星丁四:辰子三十七、辰丑三十八、辰寅三十九、辰卯四十、辰辰四十一、辰巳四十二、辰午四十三、辰未四十四、辰申四十五、辰酉四十六、辰戌四十七、辰亥四十八。

星丙三は第二十五世から第三十六世まで、すなわち一元の第七百二十一年から第一千八十年を統轄し、星丁四は第三十七世から第四十八世まで、すなわち第一千八十一年から第一千四百四十年を統轄する。この表は橫に見れば一運の管轄する十二の世であり、竝に見れば運が一格ずつ前へ推すのである。世の編號は連續して斷えず、第一世から一元の末の第四千三百二十世まで排び、途中で運を換え會を換えても改めて起算しない。第三運が畢れば、子會はすでに三十六世・一千八十年を行き、第四運が畢れば四十八世・一千四百四十年で、本會にはなお二十六運殘る。開物の期まではなお七十一運・二萬五千五百六十年あり、全元に就いて言えば、三百六十運のうちまだ四運を行ったにすぎない。

星戊五:辰子四十九、辰丑五十、辰寅五十一、辰卯五十二、辰辰五十三、辰巳五十四、辰午五十五、辰未五十六、辰申五十七、辰酉五十八、辰戌五十九、辰亥六十。星己六:辰子六十一、辰丑六十二、辰寅六十三、辰卯六十四、辰辰六十五、辰巳六十六、辰午六十七、辰未六十八、辰申六十九、辰酉七十、辰戌七十一、辰亥七十二。

星戊五は第四十九世から第六十世まで、すなわち一元の第一千四百四十一年から第一千八百年を統轄し、星己六は第六十一世から第七十二世まで、すなわち第一千八百一年から第二千一百六十年を統轄する。邵雍は一元を一年に譬える。會は十二箇月にたとえ、運は日にたとえ、世は時辰にたとえる。以元經會の推算は冬至に起こり、大雪の末に終わる。子會はこの「年」の隆冬の開端に正しく當たる。第五運が畢れば、本會はすでに六十世・一千八百年を行き、第六運が畢れば七十二世・二千一百六十年で、なお二十四運殘る。開物の期まではなお六十九運・二萬四千八百四十年ある。

星庚七:辰子七十三、辰丑七十四、辰寅七十五、辰卯七十六、辰辰七十七、辰巳七十八、辰午七十九、辰未八十、辰申八十一、辰酉八十二、辰戌八十三、辰亥八十四。星辛八:辰子八十五、辰丑八十六、辰寅八十七、辰卯八十八、辰辰八十九、辰巳九十、辰午九十一、辰未九十二、辰申九十三、辰酉九十四、辰戌九十五、辰亥九十六。

星庚七は第七十三世から第八十四世まで、すなわち一元の第二千一百六十一年から第二千五百二十年を統轄し、星辛八は第八十五世から第九十六世まで、すなわち第二千五百二十一年から第二千八百八十年を統轄する。運の名號は十干の甲から癸まで循環し、十運を一周とし、世の名號は十二支の子から亥まで循環し、十二世を一周とする。二つの循環がそれぞれ輪轉し、これに重複しない序數を配すれば、一元の中の四千三百二十の世はすべて唯一の位置を得る。第八運が畢れば、子會は合わせて九十六世・二千八百八十年を行き、なお二十二運殘る。開物の期まではなお六十七運・二萬四千一百二十年あり、帝堯に接續する第一百八十運までは百七十二運ある。

星壬九:辰子九十七、辰丑九十八、辰寅九十九、辰卯一百、辰辰一百一、辰巳一百二、辰午一百三、辰未一百四、辰申一百五、辰酉一百六、辰戌一百七、辰亥一百八。星癸十:辰子一百九、辰丑一百一十、辰寅一百十一、辰卯一百十二、辰辰一百十三、辰巳一百十四、辰午一百十五、辰未一百十六、辰申一百十七、辰酉一百十八、辰戌一百十九、辰亥一百二十。

星壬九は第九十七世から第一百八世まで、すなわち一元の第二千八百八十一年から第三千二百四十年を統轄し、星癸十は第一百九世から第一百二十世まで、すなわち第三千二百四十一年から第三千六百年を統轄して、運名十干の第一輪はここで行き盡くす。表中の「辰丑一百一十」と同行の「辰寅一百十一」「辰卯一百十二」は書き方が揃わないが、底本の記數用字が前後で齊わないだけで、指すところは依然として第一百十世である。第十運が畢れば、子會はすでに一百二十世・三千六百年を行き、全會三十運の三分の一に正しく當たり、なお二十運殘る。開物の期まではなお六十五運・二萬三千四百年ある。

星甲十一:辰子一百二十一、辰丑一百二十二、辰寅一百二十三、辰卯一百二十四、辰辰一百二十五、辰巳一百二十六、辰午一百二十七、辰未一百二十八、辰申一百二十九、辰酉一百三十、辰戌一百三十一、辰亥一百三十二。星乙十二:辰子一百三十三、辰丑一百三十四、辰寅一百三十五、辰卯一百三十六、辰辰一百三十七、辰巳一百三十八、辰午一百三十九、辰未一百四十、辰申一百四十一、辰酉一百四十二、辰戌一百四十三、辰亥一百四十四。

星甲十一は第一百二十一世から第一百三十二世まで、すなわち一元の第三千六百一年から第三千九百六十年を統轄し、星乙十二は第一百三十三世から第一百四十四世まで、すなわち第三千九百六十一年から第四千三百二十年を統轄する。運の名はここでまた甲の字から始まり、第二輪の十干に入る。これで見れば、干名は十進で一周する記號にすぎず、真に位置を定めるのは後ろの序數によることが分かる。邵雍の宇宙紀年によれば、子會は「天は子に開く」の段階に屬し、天體は初めて成ったが地も人物もまだ現れないので、格中には編號があるだけで記すべき一事もない。第十二運が畢れば、本會はすでに一百四十四世・四千三百二十年を行き、なお十八運殘る。この四千三百二十年は、全元十二萬九千六百年の三十分の一にすぎない。開物の期まではなお六十三運・二萬二千六百八十年ある。

星丙十三:辰子一百四十五、辰丑一百四十六、辰寅一百四十七、辰卯一百四十八、辰辰一百四十九、辰巳一百五十、辰午一百五十一、辰未一百五十二、辰申一百五十三、辰酉一百五十四、辰戌一百五十五、辰亥一百五十六。星丁十四:辰子一百五十七、辰丑一百五十八、辰寅一百五十九、辰卯一百六十、辰辰一百六十一、辰巳一百六十二、辰午一百六十三、辰未一百六十四、辰申一百六十五、辰酉一百六十六、辰戌一百六十七、辰亥一百六十八。

星丙十三は第百四十五世から第百五十六世まで、すなわち一元の第四千三百二十一年から第四千六百八十年を統轄し、星丁十四は第百五十七世から第百六十八世まで、すなわち第四千六百八十一年から第五千四十年を統轄する。「以元經會」という層は一元を十二會・三百六十運・四千三百二十世に切り分けるだけで、具體の年份を鋪陳しないので、各格はすべて空の編號である。逐年の干支を見るには、卷三以下の「以會經運」に至らねばならない。月にまで細かくできるのは「以運經世」だが、その層は文を省くため月を書かない。三層が粗から細へと向かうのが、まさに全書の編成の次第である。第十四運が畢れば、子會はすでに一百六十八世・五千四十年を行き、なお十六運殘る。開物の期まではなお六十一運・二萬一千九百六十年ある。全元に就いて言えば、三百六十運のうち十四運を行き、四千三百二十世のうち一百六十八世を行ったにすぎない。

星戊十五:辰子一百六十九、辰丑一百七十、辰寅一百七十一、辰卯一百七十二、辰辰一百七十三、辰巳一百七十四、辰午一百七十五、辰未一百七十六、辰申一百七十七、辰酉一百七十八、辰戌一百七十九、辰亥一百八十。星己十六:辰子一百八十一、辰丑一百八十二、辰寅一百八十三、辰卯一百八十四、辰辰一百八十五、辰巳一百八十六、辰午一百八十七、辰未一百八十八、辰申一百八十九、辰酉一百九十、辰戌一百九十一、辰亥一百九十二。

星戊十五は第百六十九世から第百八十世まで、すなわち一元の第五千四十一年から第五千四百年を統轄し、星己十六は第百八十一世から第百九十二世まで、すなわち第五千四百一年から第五千七百六十年を統轄する。第十五運を行き終えれば、ちょうど子會の半分に滿ちる。一會は三十運・三百六十世・一萬八百年で、この時すでに十五運・一百八十世・五千四百年を過ごした。「一元は一年のごとし」の譬えで言えば、十二月のうち半月を過ごしたに相當し、寒氣は最も盛んで生機はまだ動かないので、表中には一事も記さない。第十六運が畢れば、本會はすでに一百九十二世・五千七百六十年を行き、なお十四運殘る。開物の期まではなお五十九運・二萬一千二百四十年ある。全元四千三百二十世のうちまだ一百九十二世を行っただけで、なお一元の初段にある。

星庚十七:辰子一百九十三、辰丑一百九十四、辰寅一百九十五、辰卯五百九十六、辰辰一百九十七、辰巳一百九十八、辰午一百九十九、辰未二百、辰申二百一、辰酉二百二、辰戌二百三、辰亥二百四。星辛十八:辰子二百五、辰丑二百六、辰寅二百七、辰卯二百八、辰辰二百九、辰巳二百十、辰午二百十一、辰未二百十二、辰申二百十三、辰酉二百十四、辰戌二百十五、辰亥二百十六。

星庚十七は第百九十三世から第二百四世まで、すなわち一元の第五千七百六十一年から第六千一百二十年を統轄し、星辛十八は第二百五世から第二百十六世まで、すなわち第六千一百二十一年から第六千四百八十年を統轄する。「星庚十七」の行内の「辰卯五百九十六」は、前後の次序からすれば「一百九十六」と作るべきで、底本はここで一字を刻み誤っているが、今はその舊のままにして改めない。この種の數字表は枯燥に見えるが、實は邵雍が全歷史のためにあらかじめ畫いておいた座標紙である。第十八運が畢れば、子會はすでに二百十六世・六千四百八十年を行き、なお十二運殘る。開物の期まではなお五十七運・二萬五百二十年ある。

星壬十九:辰子二百十七、辰丑二百十八、辰寅二百十九、辰卯二百二十、辰辰二百二十一、辰巳二百二十二、辰午二百二十三、辰未二百二十四、辰申二百二十五、辰酉二百二十六、辰戌二百二十七、辰亥二百二十八。星癸二十:辰子二百二十九、辰丑二百三十、辰寅二百三十一、辰卯二百三十二、辰辰二百三十三、辰巳二百三十四、辰午二百三十五、辰未二百三十六、辰申二百三十七、辰酉二百三十八、辰戌二百三十九、辰亥二百四十。

星壬十九は第二百十七世から第二百二十八世まで、すなわち一元の第六千四百八十一年から第六千八百四十年を統轄し、星癸二十は第二百二十九世から第二百四十世まで、すなわち第六千八百四十一年から第七千二百年を統轄して、運名十干の第二輪はここで行き盡くす。一會三十運は、まさに十干循環の三周であり、十二會合わせて三十六周で三百六十運を得る。これが「一元三百六十運」の由來で、一年三百六十日に相應する。同じ理で、一運十二世は一日十二時に應じ、一會三十運は一月三十日に應ずる。第二十運が畢れば、子會はすでに二百四十世・七千二百年を行き、全會の三分の二に正しく當たり、なお十運殘る。開物の期まではなお五十五運・一萬九千八百年ある。全元を合わせて計れば、すでに二十運・二百四十世・七千二百年を行った。

星甲二十一:辰子二百四十一、辰丑二百四十二、辰寅二百四十三、辰卯二百四十四、辰辰二百四十五、辰巳二百四十六、辰午二百四十七、辰未二百四十八、辰申二百四十九、辰酉二百五十、辰戌二百五十一、辰亥二百五十二。星乙二十二:辰子二百五十三、辰丑二百五十四、辰寅二百五十五、辰卯二百五十六、辰辰二百五十七、辰巳二百五十八、辰午二百五十九、辰未二百六十、辰申二百六十一、辰酉二百六十二、辰戌二百六十三、辰亥二百六十四。

星甲二十一は第二百四十一世から第二百五十二世まで、すなわち一元の第七千二百一年から第七千五百六十年を統轄し、星乙二十二は第二百五十三世から第二百六十四世まで、すなわち第七千五百六十一年から第七千九百二十年を統轄する。運の名は第二十一運でまた第三輪の十干を起こし、子會の三十運はちょうど三輪に分かれる。表中の數字は多いが、規律は二條しかない。運の序號が一增すれば世の序號は十二增し、世の序號が一增すれば紀年は三十增す。この二條を握れば、どの格でもすぐに一元における確かな年代に折算できる。第二十二運が畢れば、本會はすでに二百六十四世・七千九百二十年を行き、なお八運殘る。開物の期まではなお五十三運・一萬九千八十年ある。全元十二萬九千六百年のうち、ここまでで七千九百二十年を行ったにすぎない。

星丙二十三:辰子二百六十五、辰丑二百六十六、辰寅二百六十七、辰卯二百六十八、辰辰二百六十九、辰巳二百七十、辰午二百七十一、辰未二百七十二、辰申二百七十三、辰酉二百七十四、辰戌二百七十五、辰亥二百七十六。星丁二十四:辰子二百七十七、辰丑二百七十八、辰寅二百七十九、辰卯二百八十、辰辰二百八十一、辰巳二百八十二、辰午二百八十三、辰未二百八十四、辰申二百八十五、辰酉二百八十六、辰戌二百八十七、辰亥二百八十八。

星丙二十三は第二百六十五世から第二百七十六世まで、すなわち一元の第七千九百二十一年から第八千二百八十年を統轄し、星丁二十四は第二百七十七世から第二百八十八世まで、すなわち第八千二百八十一年から第八千六百四十年を統轄する。もし一元を一年に比すれば、子會は建子の月に相當し、陽氣が初めて動いて萬物がまだ形を成さない時である。「天は子に開く」とは、この一萬八百年を指し、天體はこの期間に成り告げ、地の形質と人物はいずれも後の會にある。第二十四運が畢れば、子會はすでに二百八十八世・八千六百四十年を行き、殘るは六運のみ。開物の期まではなお五十一運・一萬八千三百六十年ある。全元に就いて言えば、三百六十運のうち二十四運を行き、四千三百二十世のうち二百八十八世を行き、十二萬九千六百年のうち八千六百四十年を行った。

星戊二十五:辰子二百八十九、辰丑二百九十、辰寅二百九十一、辰卯二百九十二、辰辰二百九十三、辰巳二百九十四、辰午二百九十五、辰未二百九十六、辰申二百九十七、辰酉二百九十八、辰戌二百九十九、辰亥三百。星己二十六:辰子三百一、辰丑三百二、辰寅三百三、辰卯三百四、辰辰三百五、辰巳三百六、辰午三百七、辰未三百八、辰申三百九、辰酉三百十、辰戌三百十一、辰亥三百十二。

星戊二十五は第二百八十九世から第三百世まで、すなわち一元の第八千六百四十一年から第九千年を統轄し、星己二十六は第三百一世から第三百十二世まで、すなわち第九千一年から第九千三百六十年を統轄する。世の序號が三百に滿ち、年數が九千に滿ちるのは、いずれも自校に便な整數の處である。逆推もまた便利で、ある世の序號を知れば、十二で除し、滿たなければ一を進めて所屬の運を得、ある運の序號を知れば、三十で除し、滿たなければ一を進めて所屬の會を得る。第二十六運が畢れば、子會はすでに三百十二世・九千三百六十年を行き、なお四運殘る。開物の期まではなお四十九運・一萬七千六百四十年あり、全元三百六十運ではなお三百三十四運殘る。

星庚二十七:辰子三百十三、辰丑三百十四、辰寅三百十五、辰卯三百十六、辰辰三百十七、辰巳三百十八、辰午三百十九、辰未三百二十、辰申三百二十一、辰酉三百二十二、辰戌三百二十三、辰亥三百二十四。星辛二十八:辰子三百二十五、辰丑三百二十六、辰寅三百二十七、辰卯三百二十八、辰辰三百二十九、辰巳三百三十、辰午三百三十一、辰未三百三十二、辰申三百三十三、辰酉三百三十四、辰戌三百三十五、辰亥三百三十六。

星庚二十七は第三百十三世から第三百二十四世まで、すなわち一元の第九千三百六十一年から第九千七百二十年を統轄し、星辛二十八は第三百二十五世から第三百三十六世まで、すなわち第九千七百二十一年から第一萬八十年を統轄する。この篇が通體、記すべき事がないのは殘缺ではない。邵雍に見れば、天地はこの時まさに開き、人物は未だ生ぜず、言いうるのは時間そのものの刻度だけだからであり、ゆえにまず刻度を排び盡くし、後の篇卷に史事を填め込むのを待つのである。第二十八運が畢れば、子會はすでに三百三十六世・一萬八十年を行き、殘るは二運のみ。開物の期まではなお四十七運・一萬六千九百二十年あり、帝堯に接續する第一百八十運までは百五十二運あり、全元にはなお三百三十二運殘る。

星壬二十九:辰子三百三十七、辰丑三百三十八、辰寅三百三十九、辰卯三百四十、辰辰三百四十一、辰巳三百四十二、辰午三百四十三、辰未三百四十四、辰申三百四十五、辰酉三百四十六、辰戌三百四十七、辰亥三百四十八。星癸三十:辰子三百四十九、辰丑三百五十、辰寅三百五十一、辰卯三百五十二、辰辰三百五十三、辰巳三百五十四、辰午三百五十五、辰未三百五十六、辰申三百五十七、辰酉三百五十八、辰戌三百五十九、辰亥三百六十。

星壬二十九は第三百三十七世から第三百四十八世まで、すなわち一元の第一萬八十一年から第一萬四百四十年を統轄し、星癸三十は第三百四十九世から第三百六十世まで、すなわち第一萬四百四十一年から第一萬八百年を統轄する。一會三十運・三百六十世・一萬八百年で、第一會はここに圓滿する。次の篇は第二會の丑會に轉じ、運の序號は引き續き第三十一から起算し、世の序號は引き續き第三百六十一から起算し、全元十二會はこれに準じて推し、第三百六十運・第四千三百二十世・第十二萬九千六百年に至るまでである。開物の期まではなお四十五運・一萬六千二百年あり、ちょうど一會半の數である。全元を合わせて計れば、すでに三十運・三百六十世・一萬八百年を行き、なお三百三十運殘る。

觀物篇二 以元經會二

日甲一,月丑二。星甲三十一:辰子三百六十一、辰丑三百六十二、辰寅三百六十三、辰卯三百六十四、辰辰三百六十五、辰巳三百六十六、辰午三百六十七、辰未三百六十八、辰申三百六十九、辰酉三百七十、辰戌三百七十一、辰亥三百七十二。

觀物篇二も依然として「以元經會」の層にあり、ただ會が一つ代わっただけである。「日甲一」は變わらず、依然として推し當たるこの一元を指し、「月丑二」は第二會すなわち丑會に入ったことを示す。丑會の管轄する運は第三十一から起こり、世は第三百六十一から起こる。星甲三十一は第三百六十一世から第三百七十二世まで、すなわち一元の第一萬八百一年から第一萬一千一百六十年を統轄する。邵雍の說によれば「地は丑に闢く」ので、大地の形質はこの會の中に凝定して形を成すが、人と萬物は依然として未だ生ぜず、ゆえに表裏には依然として編號があるだけで史事はない。本會はまだ一運を行っただけで、なお二十九運殘る。開物の期まではなお四十四運・一萬五千八百四十年ある。

星乙三十二:辰子三百七十三、辰丑三百七十四、辰寅三百七十五、辰卯三百七十六、辰辰三百七十七、辰巳三百七十八、辰午三百七十九、辰未三百八十、辰申三百八十一、辰酉三百八十二、辰戌三百八十三、辰亥三百八十四。星丙三十三:辰子三百八十五、辰丑三百八十六、辰寅三百八十七、辰卯三百八十八、辰辰三百八十九、辰巳三百九十、辰午三百九十一、辰未三百九十二、辰申三百九十三、辰酉三百九十四、辰戌三百九十五、辰亥三百九十六。

星乙三十二は第三百七十三世から第三百八十四世まで、すなわち一元の第一萬一千一百六十一年から第一萬一千五百二十年を統轄し、星丙三十三は第三百八十五世から第三百九十六世まで、すなわち第一萬一千五百二十一年から第一萬一千八百八十年を統轄する。各世の支名は依然として子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の次序で輪轉し、運の干名の十進一周とは互いに干わず、二つの循環が重なり合って格ごとに分明である。第三十三運が畢れば、丑會はすでに三十六世・一千八十年を行き、なお二十七運殘る。開物の期まではなお四十二運・一萬五千一百二十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち三十三運を行き、四千三百二十世のうち三百九十六世を行き、年數は一萬一千八百八十年に積もった。

星丁三十四:辰子三百九十七、辰丑三百九十八、辰寅三百九十九、辰卯四百、辰辰四百一、辰巳四百二、辰午四百三、辰未四百四、辰申四百五、辰酉四百六、辰戌四百七、辰亥四百八。星戊三十五:辰子四百九、辰丑四百十、辰寅四百十一、辰卯四百十二、辰辰四百十三、辰巳四百十四、辰午四百十五、辰未四百十六、辰申四百十七、辰酉四百十八、辰戌四百十九、辰亥四百二十。

星丁三十四は第三百九十七世から第四百八世まで、すなわち一元の第一萬一千八百八十一年から第一萬二千二百四十年を統轄し、星戊三十五は第四百九世から第四百二十世まで、すなわち第一萬二千二百四十一年から第一萬二千六百年を統轄する。表中の「辰卯四百」「辰辰四百一」はいずれも省文で、第四百世と第四百一世を指す。第三十五運が畢れば、丑會はすでに六十世・一千八百年を行き、なお二十五運殘る。開物の期まではなお四十運・一萬四千四百年ある。全元を合わせて計れば、すでに三十五運・四百二十世・一萬二千六百年を行き、三百六十運のうちなお三百二十五運殘る。

星己三十六:辰子四百二十一、辰丑四百二十二、辰寅四百二十三、辰卯四百二十四、辰辰四百二十五、辰巳四百二十六、辰午四百二十七、辰未四百二十八、辰申四百二十九、辰酉四百三十、辰戌四百三十一、辰亥四百三十二。星庚三十七:辰子四百三十三、辰丑四百三十四、辰寅四百三十五、辰卯四百三十六、辰辰四百三十七、辰巳四百三十八、辰午四百三十九、辰未四百四十、辰申四百四十一、辰酉四百四十二、辰戌四百四十三、辰亥四百四十四。

星己三十六は第四百二十一世から第四百三十二世まで、すなわち一元の第一萬二千六百一年から第一萬二千九百六十年を統轄し、星庚三十七は第四百三十三世から第四百四十四世まで、すなわち第一萬二千九百六十一年から第一萬三千三百二十年を統轄する。第三十六運の末年はちょうど第一萬二千九百六十年で、一元十二萬九千六百年の十分の一に正しく當たり、また三百六十運の十分の一でもあり、二處が相應する。これで見れば、この數目は意図的に排べられたものであることが分かる。邵雍が表を布く用意は、もとより記事にあるのではなく、まず時間の尺度を定め盡くすことにある。第三十七運が畢れば、丑會はすでに八十四世・二千五百二十年を行き、なお二十三運殘る。開物の期まではなお三十八運・一萬三千六百八十年ある。全元を合わせて計れば、すでに三十七運・四百四十四世・一萬三千三百二十年を行った。

星辛三十八:辰子四百四十五、辰丑四百四十六、辰寅四百四十七、辰卯四百四十八、辰辰四百四十九、辰巳四百五十、辰午四百五十一、辰未四百五十二、辰申四百五十三、辰酉四百五十四、辰戌四百五十五、辰亥四百五十六。星壬三十九:辰子四百五十七、辰丑四百五十八、辰寅四百五十九、辰卯四百六十、辰辰四百六十一、辰巳四百六十二、辰午四百六十三、辰未四百六十四、辰申四百六十五、辰酉四百六十六、辰戌四百六十七、辰亥四百六十八。

星辛三十八は第四百四十五世から第四百五十六世まで、すなわち一元の第一萬三千三百二十一年から第一萬三千六百八十年を統轄し、星壬三十九は第四百五十七世から第四百六十八世まで、すなわち第一萬三千六百八十一年から第一萬四千四十年を統轄する。邵雍は水・火・土・石を天地の體とし、それぞれ坎・離・坤・艮の四卦に配する。丑會の主るところはまさに「地辟」で、水火土石はこの會の一萬八百年の間に凝結して形を成し、生物はまだ現れない。第三十九運が畢れば、本會はすでに一百八世・三千二百四十年を行き、なお二十一運殘る。開物の期まではなお三十六運・一萬二千九百六十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち三十九運を行き、四千三百二十世のうち四百六十八世を行き、年數は一萬四千四十年に積もった。

星癸四十:辰子四百六十九、辰丑四百七十、辰寅四百七十一、辰卯四百七十二、辰辰四百七十三、辰巳四百七十四、辰午四百七十五、辰未四百七十六、辰申四百七十七、辰酉四百七十八、辰戌四百七十九、辰亥四百八十。星甲四十一:辰子四百八十一、辰丑四百八十二、辰寅四百八十三、辰卯四百八十四、辰辰四百八十五、辰巳四百八十六、辰午四百八十七、辰未四百八十八、辰申四百八十九、辰酉四百九十、辰戌四百九十一、辰亥四百九十二。

星癸四十は第四百六十九世から第四百八十世まで、すなわち一元の第一萬四千四十一年から第一萬四千四百年を統轄し、星甲四十一は第四百八十一世から第四百九十二世まで、すなわち第一萬四千四百一年から第一萬四千七百六十年を統轄する。星癸四十は星甲三十一からの一輪の十干を收束し、星甲四十一はまた甲の字から改めて起こる。丑會の三十運は三輪に分かれ、この時第二輪がようやく始まったところである。第四十一運が畢れば、本會はすでに一百三十二世・三千九百六十年を行き、なお十九運殘る。開物の期まではなお三十四運・一萬二千二百四十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち四十一運を行き、四千三百二十世のうち四百九十二世を行き、年數は一萬四千七百六十年に積もり、なお三百十九運殘る。

星乙四十二:辰子四百九十三、辰丑四百九十四、辰寅四百九十五、辰卯四百九十六、辰辰四百九十七、辰巳四百九十八、辰午四百九十九、辰未五百、辰申五百一、辰酉五百二、辰戌五百三、辰亥五百四。星丙四十三:辰子五百五、辰丑五百六、辰寅五百七、辰卯五百八、辰辰五百九、辰巳五百十、辰午五百十一、辰未五百十二、辰申五百十三、辰酉五百十四、辰戌五百十五、辰亥五百十六。

星乙四十二は第四百九十三世から第五百四世まで、すなわち一元の第一萬四千七百六十一年から第一萬五千一百二十年を統轄し、星丙四十三は第五百五世から第五百十六世まで、すなわち第一萬五千一百二十一年から第一萬五千四百八十年を統轄する。世の序號はここで五百に滿ち、年數は一萬五千に滿ちる。このような整數の處で立ち止まって照合すれば、格を誤りにくい。第四十三運が畢れば、丑會はすでに一百五十六世・四千六百八十年を行き、なお十七運殘る。開物の期まではなお三十二運・一萬一千五百二十年ある。全元を合わせて計れば、すでに四十三運・五百十六世・一萬五千四百八十年を行った。

星丁四十四:辰子五百十七、辰丑五百十八、辰寅五百十九、辰卯五百二十、辰辰五百二十一、辰巳五百二十二、辰午五百二十三、辰未五百二十四、辰申五百二十五、辰酉五百二十六、辰戌五百二十七、辰亥五百二十八。星戊四十五:辰子五百二十九、辰丑五百三十、辰寅五百三十一、辰卯五百三十二、辰辰五百三十三、辰巳五百三十四、辰午五百三十五、辰未五百三十六、辰申五百三十七、辰酉五百三十八、辰戌五百三十九、辰亥五百四十。

星丁四十四は第五百十七世から第五百二十八世まで、すなわち一元の第一萬五千四百八十一年から第一萬五千八百四十年を統轄し、星戊四十五は第五百二十九世から第五百四十世まで、すなわち第一萬五千八百四十一年から第一萬六千二百年を統轄する。第四十五運はまさに丑會の過半の處である。第三十一運から算えてすでに十五運・一百八十世・五千四百年を行き、なお十五運あって初めて寅會に交わる。邵雍は大地の形體が丑會に凝定し、山川水火がそれぞれその位に安んじたと考える。開物の期まではなお三十運・一萬八百年あり、ちょうど一會の數である。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち四十五運を行き、四千三百二十世のうち五百四十世を行き、年數は一萬六千二百年に積もり、全元の八分の一である。

星己四十六:辰子五百四十一、辰丑五百四十二、辰寅五百四十三、辰卯五百四十四、辰辰五百四十五、辰巳五百四十六、辰午五百四十七、辰未五百四十八、辰申五百四十九、辰酉五百五十、辰戌五百五十一、辰亥五百五十二。星庚四十七:辰子五百五十三、辰丑五百五十四、辰寅五百五十五、辰卯五百五十六、辰辰五百五十七、辰巳五百五十八、辰午五百五十九、辰未五百六十、辰申五百六十一、辰酉五百六十二、辰戌五百六十三、辰亥五百六十四。

星己四十六は第五百四十一世から第五百五十二世まで、すなわち一元の第一萬六千二百一年から第一萬六千五百六十年を統轄し、星庚四十七は第五百五十三世から第五百六十四世まで、すなわち第一萬六千五百六十一年から第一萬六千九百二十年を統轄する。この一會の空表は、實は邵雍が天地生成のために設けた準備期間である。地形が既定して初めて次の會の「人は寅に生ず」を語ることができ、次第を顛倒してはならない。第四十七運が畢れば、丑會はすでに二百四世・六千一百二十年を行き、なお十三運殘る。開物の期まではなお二十八運・一萬八十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち四十七運を行き、四千三百二十世のうち五百六十四世を行き、年數は一萬六千九百二十年に積もり、なお三百十三運殘る。

星辛四十八:辰子五百六十五、辰丑五百六十六、辰寅五百六十七、辰卯五百六十八、辰辰五百六十九、辰巳五百七十、辰午五百七十一、辰未五百七十二、辰申五百七十三、辰酉五百七十四、辰戌五百七十五、辰亥五百七十六。星壬四十九:辰子五百七十七、辰丑五百七十八、辰寅五百七十九、辰卯五百八十、辰辰五百八十一、辰巳五百八十二、辰午五百八十三、辰未五百八十四、辰申五百八十五、辰酉五百八十六、辰戌五百八十七、辰亥五百八十八。

星辛四十八は第五百六十五世から第五百七十六世まで、すなわち一元の第一萬六千九百二十一年から第一萬七千二百八十年を統轄し、星壬四十九は第五百七十七世から第五百八十八世まで、すなわち第一萬七千二百八十一年から第一萬七千六百四十年を統轄する。「以元經會」は元・會・運・世の四級の編號を列ねるだけで年份干支に涉らないので、各格はすべて空で、次の二層を待って初めて滿たされる。第四十九運が畢れば、丑會はすでに二百二十八世・六千八百四十年を行き、なお十一運殘る。開物の期まではなお二十六運・九千三百六十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち四十九運を行き、四千三百二十世のうち五百八十八世を行き、年數は一萬七千六百四十年に積もり、なお全元の七分の一に及ばない。

星癸五十:辰子五百八十九、辰丑五百九十、辰寅五百九十一、辰卯五百九十二、辰辰五百九十三、辰巳五百九十四、辰午五百九十五、辰未五百九十六、辰申五百九十七、辰酉五百九十八、辰戌五百九十九、辰亥六百。星甲五十一:辰子六百一、辰丑六百二、辰寅六百三、辰卯六百四、辰辰六百五、辰巳六百六、辰午六百七、辰未六百八、辰申六百九、辰酉六百十、辰戌六百十一、辰亥六百十二。

星癸五十は第五百八十九世から第六百世まで、すなわち一元の第一萬七千六百四十一年から第一萬八千年を統轄し、星甲五十一は第六百一世から第六百十二世まで、すなわち第一萬八千一年から第一萬八千三百六十年を統轄する。第六百世を收め終わる時、丑會はちょうど二十運・二百四十世・七千二百年に滿ちて、全會の三分の二となる。運名は第五十一運でまた甲の字に逢い、これはすでに全元の第六輪の十干である。第五十一運が畢れば、本會はすでに二百五十二世・七千五百六十年を行き、なお九運殘る。開物の期まではなお二十四運・八千六百四十年ある。全元を合わせて計れば、すでに五十一運・六百十二世・一萬八千三百六十年を行った。

星乙五十二:辰子六百十三、辰丑六百十四、辰寅六百十五、辰卯六百十六、辰辰六百十七、辰巳六百十八、辰午六百十九、辰未六百二十、辰申六百二十一、辰酉六百二十二、辰戌六百二十三、辰亥六百二十四。星丙五十三:辰子六百二十五、辰丑六百二十六、辰寅六百二十七、辰卯六百二十八、辰辰六百二十九、辰巳六百三十、辰午六百三十一、辰未六百三十二、辰申六百三十三、辰酉六百三十四、辰戌六百三十五、辰亥六百三十六。

星乙五十二は第六百十三世から第六百二十四世まで、すなわち一元の第一萬八千三百六十一年から第一萬八千七百二十年を統轄し、星丙五十三は第六百二十五世から第六百三十六世まで、すなわち第一萬八千七百二十一年から第一萬九千八十年を統轄する。表中の「辰子六百一」のたぐいの書き方は第六百一世の省文で、讀むとき六百に一を加えると誤解してはならない。後文、整十・整百の數に逢うたびに、書き方はすべてこの例に同じである。第五十三運が畢れば、丑會はすでに二百七十六世・八千二百八十年を行き、なお七運殘る。開物の期まではなお二十二運・七千九百二十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち五十三運を行き、四千三百二十世のうち六百三十六世を行き、年數は一萬九千八十年に積もった。

星丁五十四:辰子六百三十七、辰丑六百三十八、辰寅六百三十九、辰卯六百四十、辰辰六百四十一、辰巳六百四十二、辰午六百四十三、辰未六百四十四、辰申六百四十五、辰酉六百四十六、辰戌六百四十七、辰亥六百四十八。星戊五十五:辰子六百四十九、辰丑六百五十、辰寅六百五十一、辰卯六百五十二、辰辰六百五十三、辰巳六百五十四、辰午六百五十五、辰未六百五十六、辰申六百五十七、辰酉六百五十八、辰戌六百五十九、辰亥六百六十。

星丁五十四は第六百三十七世から第六百四十八世まで、すなわち一元の第一萬九千八十一年から第一萬九千四百四十年を統轄し、星戊五十五は第六百四十九世から第六百六十世まで、すなわち第一萬九千四百四十一年から第一萬九千八百年を統轄する。逐年の干支と史事を見るには、卷三以下の「以會經運」「以運經世」の二層に至らねばならない。そこで初めて年份が一格ずつ排び開かれる。本書の詳略の別は、まさにこの三層の粗細によって決まる。第五十五運が畢れば、丑會はすでに三百世・九千年を行き、なお五運殘る。開物の期まではなお二十運・七千二百年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち五十五運を行き、四千三百二十世のうち六百六十世を行き、年數は一萬九千八百年に積もり、なお三百五運・十萬九千八百年殘る。

星己五十六:辰子六百六十一、辰丑六百六十二、辰寅六百六十三、辰卯六百六十四、辰辰六百六十五、辰巳六百六十六、辰午六百六十七、辰未六百六十八、辰申六百六十九、辰酉六百七十、辰戌六百七十一、辰亥六百七十二。星庚五十七:辰子六百七十三、辰丑六百七十四、辰寅六百七十五、辰卯六百七十六、辰辰六百七十七、辰巳六百七十八、辰午六百七十九、辰未六百八十、辰申六百八十一、辰酉六百八十二、辰戌六百八十三、辰亥六百八十四。

星己五十六は第六百六十一世から第六百七十二世まで、すなわち一元の第一萬九千八百一年から第二萬一百六十年を統轄し、星庚五十七は第六百七十三世から第六百八十四世まで、すなわち第二萬一百六十一年から第二萬五百二十年を統轄する。全部の《皇極經世》の骨架はこのように一層一層を套ね下げたものである。一元十二會、一會三十運、一運十二世、一世三十年で、四級を相乘すれば正に十二萬九千六百年を得る。第五十七運が畢れば、丑會はすでに三百二十四世・九千七百二十年を行き、殘るは三運のみ。開物の期まではなお十八運・六千四百八十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち五十七運を行き、四千三百二十世のうち六百八十四世を行き、年數は二萬五百二十年に積もった。

星辛五十八:辰子六百八十五、辰丑六百八十六、辰寅六百八十七、辰卯六百八十八、辰辰六百八十九、辰巳六百九十、辰午六百九十一、辰未六百九十二、辰申六百九十三、辰酉六百九十四、辰戌六百九十五、辰亥六百九十六。星壬五十九:辰子六百九十七、辰丑六百九十八、辰寅六百九十九、辰卯七百、辰辰七百一、辰巳七百二、辰午七百三、辰未七百四、辰申七百五、辰酉七百六、辰戌七百七、辰亥七百八。

星辛五十八は第六百八十五世から第六百九十六世まで、すなわち一元の第二萬五百二十一年から第二萬八百八十年を統轄し、星壬五十九は第六百九十七世から第七百八世まで、すなわち第二萬八百八十一年から第二萬一千二百四十年を統轄する。十二萬九千六百年という數字は後に「一元之數」と稱され、宋代以降に天地の始終を論ずる者がともに用いる尺度となった。第五十九運が畢れば、丑會はすでに三百四十八世・一萬四百四十年を行き、殘るは一運のみ。開物の期まではなお十六運・五千七百六十年ある。全元を合わせて計れば、すでに五十九運・七百八世・二萬八百八十年を行き、なお三百一運・十萬八千七百二十年殘る。

星癸六十:辰子七百九、辰丑七百十、辰寅七百十一、辰卯七百十二、辰辰七百十三、辰巳七百十四、辰午七百十五、辰未七百十六、辰申七百十七、辰酉七百十八、辰戌七百十九、辰亥七百二十。

星癸六十は第七百九世から第七百二十世まで、すなわち一元の第二萬一千二百四十一年から第二萬一千六百年を統轄し、丑會はここに終わる。兩會がすでに畢わった。子會は天が開き、丑會は地が闢け、それぞれ三十運・三百六十世・一萬八百年で、合計二萬一千六百年、ちょうど一元の六分の一である。次の篇は寅會に入る。すなわち邵雍の言う「人は寅に生ず」の一會で、開物の時刻はその會の中間に落ちる。開物の期まではなお十五運・五千四百年あり、まさに半會の數である。

觀物篇三 以元經會三

日甲一,月寅三。星甲六十一:辰子七百二十一、辰丑七百二十二、辰寅七百二十三、辰卯七百二十四、辰辰七百二十五、辰巳七百二十六、辰午七百二十七、辰未七百二十八、辰申七百二十九、辰酉七百三十、辰戌七百三十一、辰亥七百三十二。

觀物篇三も依然として「以元經會」で、ただ第三會に轉じた。「月寅三」は地支の寅の字をもって第三會を標し、寅會の管轄する運は第六十一から起こり、世は第七百二十一から起こる。星甲六十一は第七百二十一世から第七百三十二世まで、すなわち一元の第二萬一千六百一年から第二萬一千九百六十年を統轄する。この一會は全書中最も緊要である。邵雍は「物を開くは寅の半ば」と言い、天地開闢以後、萬物と人が生じる起點がまさに本會の第七十六運に落ち、その時は一元の起點からちょうど二萬七千年である。本會はまだ一運を行っただけで、開物まではなお十四運・五千四十年ある。

星乙六十二:辰子七百三十三、辰丑七百三十四、辰寅七百三十五、辰卯七百三十六、辰辰七百三十七、辰巳七百三十八、辰午七百三十九、辰未七百四十、辰申七百四十一、辰酉七百四十二、辰戌七百四十三、辰亥七百四十四。星丙六十三:辰子七百四十五、辰丑七百四十六、辰寅七百四十七、辰卯七百四十八、辰辰七百四十九、辰巳七百五十、辰午七百五十一、辰未七百五十二、辰申七百五十三、辰酉七百五十四、辰戌七百五十五、辰亥七百五十六。

星乙六十二は第七百三十三世から第七百四十四世まで、すなわち一元の第二萬一千九百六十一年から第二萬二千三百二十年を統轄し、星丙六十三は第七百四十五世から第七百五十六世まで、すなわち第二萬二千三百二十一年から第二萬二千六百八十年を統轄する。三會を比べれば、子會は天を主り、丑會は地を主り、寅會は人を主る。「天は子に開き、地は丑に闢き、人は寅に生ず」というよく引用される三句は、まさにこの表の分會の次序から出てきたものである。第六十三運が畢れば、寅會はすでに三十六世・一千八十年を行き、なお二十七運殘る。開物の期まではなお十二運・四千三百二十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち六十三運を行き、四千三百二十世のうち七百五十六世を行き、年數は二萬二千六百八十年に積もった。

星丁六十四:辰子七百五十七、辰丑七百五十八、辰寅七百五十九、辰卯七百六十、辰辰七百六十一、辰巳七百六十二、辰午七百六十三、辰未七百六十四、辰申七百六十五、辰酉七百六十六、辰戌七百六十七、辰亥七百六十八。星戊六十五:辰子七百六十九、辰丑七百七十、辰寅七百七十一、辰卯七百七十二、辰辰七百七十三、辰巳七百七十四、辰午七百七十五、辰未七百七十六、辰申七百七十七、辰酉七百七十八、辰戌七百七十九、辰亥七百八十。

星丁六十四は第七百五十七世から第七百六十八世まで、すなわち一元の第二萬二千六百八十一年から第二萬三千四十年を統轄し、星戊六十五は第七百六十九世から第七百八十世まで、すなわち第二萬三千四十一年から第二萬三千四百年を統轄する。一元を一年に比すれば、寅會は建寅の月すなわち夏曆正月に相當する。古人は正月を歳首とし、萬物は春に發生するので、開物はこの一會に繫がる。第六十五運が畢れば、本會はすでに六十世・一千八百年を行き、なお二十五運殘る。開物の期まではなお十運・三千六百年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち六十五運を行き、四千三百二十世のうち七百八十世を行き、年數は二萬三千四百年に積もり、なお全元の五分の一に及ばず、三百六十運のうちなお二百九十五運殘る。

星己六十六:辰子七百八十一、辰丑七百八十二、辰寅七百八十三、辰卯七百八十四、辰辰七百八十五、辰巳七百八十六、辰午七百八十七、辰未七百八十八、辰申七百八十九、辰酉七百九十、辰戌七百九十一、辰亥七百九十二。星庚六十七:辰子七百九十三、辰丑七百九十四、辰寅七百九十五、辰卯七百九十六、辰辰七百九十七、辰巳七百九十八、辰午七百九十九、辰未八百、辰申八百一、辰酉八百二、辰戌八百三、辰亥八百四。

星己六十六は第七百八十一世から第七百九十二世まで、すなわち一元の第二萬三千四百一年から第二萬三千七百六十年を統轄し、星庚六十七は第七百九十三世から第八百四世まで、すなわち第二萬三千七百六十一年から第二萬四千一百二十年を統轄する。「星庚六十七」行内の「辰未八百」はすなわち第八百世、「辰申八百一」はすなわち第八百一世で、整數の處に逢えばすべてこの省文の書き方を用い、後の各卷も例に同じである。第六十七運が畢れば、寅會はすでに八十四世・二千五百二十年を行き、なお二十三運殘る。開物の期まではなお八運・二千八百八十年ある。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち六十七運を行き、四千三百二十世のうち八百四世を行き、年數は二萬四千一百二十年に積もった。

星辛六十八:辰子八百五、辰丑八百六、辰寅八百七、辰卯八百八、辰辰八百九、辰巳八百十、辰午八百十一、辰未八百十二、辰申八百十三、辰酉八百十四、辰戌八百十五、辰亥八百十六。星壬六十九:辰子八百十七、辰丑八百十八、辰寅八百十九、辰卯八百二十、辰辰八百二十一、辰巳八百二十二、辰午八百二二十三、辰未八百二十四、辰申八百二十五、辰酉八百二十六、辰戌八百二十七、辰亥八百二十八。

星辛六十八は第八百五世から第八百十六世まで、すなわち一元の第二萬四千一百二十一年から第二萬四千四百八十年を統轄し、星壬六十九は第八百十七世から第八百二十八世まで、すなわち第二萬四千四百八十一年から第二萬四千八百四十年を統轄する。「星壬六十九」行の「辰午八百二二十三」は、前後の次序によれば「八百二十三」と作るべきで、底本は「二」の字を一字多く刻んだが、今は原樣のまま保留する。第六十九運が畢れば、寅會はすでに一百八世・三千二百四十年を行き、なお二十一運殘る。開物の期まではなお六運・二千一百六十年ある。全元を合わせて計れば、すでに六十九運・八百二十八世・二萬四千八百四十年を行った。

星癸七十:辰子八百二十九、辰丑八百三十、辰寅八百三十一、辰卯八百三十二、辰辰八百三十三、辰巳八百三十四、辰午八百三十五、辰未八百三十六、辰申八百三十七、辰酉八百三十八、辰戌八百三十九、辰亥八百四十。星甲七十一:辰子八百四十一、辰丑八百四十二、辰寅八百四十三、辰卯八百四十四、辰辰八百四十五、辰巳八百四十六、辰午八百四十七、辰未八百四十八、辰申八百四十九、辰酉八百五十、辰戌八百五十一、辰亥八百五十二。

星癸七十は第八百二十九世から第八百四十世まで、すなわち一元の第二萬四千八百四十一年から第二萬五千二百年を統轄し、星甲七十一は第八百四十一世から第八百五十二世まで、すなわち第二萬五千二百一年から第二萬五千五百六十年を統轄する。第七十運を行き終えれば、一元はちょうど二萬五千二百年を行った。さらに五運を過ごせば開物の期に至る。この五運一千八百年は、天地の間の最後の一段の物なき時である。第七十一運が畢れば、寅會はすでに一百三十二世・三千九百六十年を行き、なお十九運殘る。開物まで殘るは四運・一千四百四十年のみ。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち七十一運を行き、四千三百二十世のうち八百五十二世を行き、年數は二萬五千五百六十年に積もり、なお二百八十九運殘る。

星乙七十二:辰子八百五十三、辰丑八百五十四、辰寅八百五十五、辰卯八百五十六、辰辰八百五十七、辰巳八百五十八、辰午八百五十九、辰未八百六十、辰申八百六十一、辰酉八百六十二、辰戌八百六十三、辰亥八百六十四。星丙七十三:辰子八百六十五、辰丑八百六十六、辰寅八百六十七、辰卯八百六十八、辰辰八百六十九、辰巳八百七十、辰午八百七十一、辰未八百七十二、辰申八百七十三、辰酉八百七十四、辰戌八百七十五、辰亥八百七十六。

星乙七十二は第八百五十三世から第八百六十四世まで、すなわち一元の第二萬五千五百六十一年から第二萬五千九百二十年を統轄し、星丙七十三は第八百六十五世から第八百七十六世まで、すなわち第二萬五千九百二十一年から第二萬六千二百八十年を統轄する。本書附錄《皇極經世機要圖》の記すところによれば、冬至の日甲・月子・星甲・辰子から起算し、二會半・七十五運・九百世・二萬七千年を歷て開物に至り、この表の編號と一つ一つ相合する。第七十三運が畢れば、寅會はすでに一百五十六世・四千六百八十年を行った。開物まで殘るは二運・二十四世・七百二十年のみ。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち七十三運を行き、四千三百二十世のうち八百七十六世を行き、年數は二萬六千二百八十年に積もった。

星丁七十四:辰子八百七十七、辰丑八百七十八、辰寅八百七十九、辰卯八百八十、辰辰八百八十一、辰巳八百八十二、辰午八百八十三、辰未八百八十四、辰申八百八十五、辰酉八百八十六、辰戌八百八十七、辰亥八百八十八。星戊七十五:辰子八百八十九、辰丑八百九十、辰寅八百九十一、辰卯八百九十二、辰辰八百九十三、辰巳八百九十四、辰午八百九十五、辰未八百九十六、辰申八百九十七、辰酉八百九十八、辰戌八百九十九、辰亥九百。

星丁七十四は第八百七十七世から第八百八十八世まで、すなわち一元の第二萬六千二百八十一年から第二萬六千六百四十年を統轄し、星戊七十五は第八百八十九世から第九百世まで、すなわち第二萬六千六百四十一年から第二萬七千年を統轄する。第九百世はまさに開物の前夜である。起點から算えて、すでに二會半・七十五運・九百世・二萬七千年を行き、次の一格が萬物初生の始まりであり、全書最も關鍵の轉折がこの二行の間に落ちる。第七十五運が畢れば、寅會はすでに一百八十世・五千四百年を行き、全會の半ばに正しく當たり、なお十五運殘る。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち七十五運を行き、年數は二萬七千年に積もり、全元十二萬九千六百年の二割あまりであり、三百六十運のうちなお二百八十五運殘る。

星己七十六:辰子九百一、辰丑九百二、辰寅九百三、辰卯九百四、辰辰九百五、辰巳九百六、辰午九百七、辰未九百八、辰申九百九、辰酉九百十、辰戌九百十一、辰亥九百十二。星庚七十七:辰子九百十三、辰丑九百十四、辰寅九百十五、辰卯九百十六、辰辰九百十七、辰巳九百十八、辰午九百十九、辰未九百二十、辰申九百二十一、辰酉九百二十二、辰戌九百二十三、辰亥九百二十四。

星己七十六は第九百一世から第九百十二世まで、すなわち一元の第二萬七千一年から第二萬七千三百六十年を統轄する――邵雍の言う「物を開くは寅の半ば」とはまさにこの一格を指し、一元がここに行き至って初めて、天地の間に人物が生じ始める。星庚七十七は第九百十三世から第九百二十四世まで、すなわち第二萬七千三百六十一年から第二萬七千七百二十年を統轄する。ここから以下、戌會の半ばに物を閉じるまで、中間に八會・二百四十運・二千八百八十世・八萬六千四百年があり、これが萬物の存在する全部の時段である。閉物の後になお一會半・四十五運・五百四十世・一萬六千二百年あって、一元は初めて終わる。第七十七運が畢れば、寅會はすでに二百四世・六千一百二十年を行き、なお十三運殘る。開物以來はすでに二運・二十四世・七百二十年を行った。

星辛七十八:辰子九百二十五、辰丑九百二十六、辰寅九百二十七、辰卯九百二十八、辰辰九百二十九、辰巳九百三十、辰午九百三十一、辰未九百三十二、辰申九百三十三、辰酉九百三十四、辰戌九百三十五、辰亥九百三十六。星壬七十九:辰子九百三十七、辰丑九百三十八、辰寅九百三十九、辰卯九百四十、辰辰九百四十一、辰巳九百四十二、辰午九百四十三、辰未九百四十四、辰申九百四十五、辰酉九百四十六、辰戌九百四十七、辰亥九百四十八。

星辛七十八は第九百二十五世から第九百三十六世まで、すなわち一元の第二萬七千七百二十一年から第二萬八千八十年を統轄し、星壬七十九は第九百三十七世から第九百四十八世まで、すなわち第二萬八千八十一年から第二萬八千四百四十年を統轄する。開物はすでに過ぎ去ったが、史冊に記される帝王の世系はまだはるか後にある。「以運經世」の層に至り、第一百八十運・第二千百五十六世において初めて帝堯即位の甲辰の年に接續する。第七十九運が畢れば、寅會はすでに二百二十八世・六千八百四十年を行き、なお十一運殘る。開物以來はすでに四運・四十八世・一千四百四十年を行った。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち七十九運を行き、年數は二萬八千四百四十年に積もり、なお二百八十一運殘る。

星癸八十:辰子九百四十九、辰丑九百五十、辰寅九百五十一、辰卯九百五十二、辰辰九百五十三、辰巳九百五十四、辰午九百五十五、辰未九百五十六、辰申九百五十七、辰酉九百五十八、辰戌九百五十九、辰亥九百六十。星甲八十一:辰子九百六十一、辰丑九百六十二、辰寅九百六十三、辰卯九百六十四、辰辰九百六十五、辰巳九百六十六、辰午九百六十七、辰未九百六十八、辰申九百六十九、辰酉九百七十、辰戌九百七十一、辰亥九百七十二。

星癸八十は第九百四十九世から第九百六十世まで、すなわち一元の第二萬八千四百四十一年から第二萬八千八百年を統轄し、星甲八十一は第九百六十一世から第九百七十二世まで、すなわち第二萬八千八百一年から第二萬九千一百六十年を統轄する。第八十運が終わる時、一元はちょうど二萬八千八百年を行き、全元の九分の二である。運名は第八十一運で再び甲に逢い、これは全元の第九輪の十干である。第八十一運が畢れば、寅會はすでに二百五十二世・七千五百六十年を行き、なお九運殘る。開物以來はすでに六運・七十二世・二千一百六十年を行った。全元を合わせて計れば、すでに八十一運・九百七十二世・二萬九千一百六十年を行き、三百六十運のうちなお二百七十九運・十萬四百四十年殘る。

星乙八十二:辰子九百七十三、辰丑九百七十四、辰寅九百七十五、辰卯九百七十六、辰辰九百七十七、辰巳九百七十八、辰午九百七十九、辰未九百八十、辰申九百八十一、辰酉九百八十二、辰戌九百八十三、辰亥九百八十四。星丙八十三:辰子九百八十五、辰丑九百八十六、辰寅九百八十七、辰卯九百八十八、辰辰九百八十九、辰巳九百九十、辰午九百九十一、辰未九百九十二、辰申九百九十三、辰酉九百九十四、辰戌九百九十五、辰亥九百九十六。

星乙八十二は第九百七十三世から第九百八十四世まで、すなわち一元の第二萬九千一百六十一年から第二万九千五百二十年を統轄し、星丙八十三は第九百八十五世から第九百九十六世まで、すなわち第二萬九千五百二十一年から第二萬九千八百八十年を統轄する。邵雍に見れば、この大きな段は人物すでに有って文字の考証しうるものなき時期に屬する。格子の中は依然として編號だけで、帝王の紀しうる時代になって初めて、表中に史事が填め込まれる。第八十三運が畢れば、寅會はすでに二百七十六世・八千二百八十年を行き、なお七運殘る。開物以來はすでに八運・九十六世・二千八百八十年を行った。全元を合わせて計れば、三百六十運のうち八十三運を行き、年數は二萬九千八百八十年に積もり、なお二百七十七運・九萬九千七百二十年殘る。

星丁八十四:辰子九百九十七、辰丑九百九十八、辰寅九百九十九、辰卯一千、辰辰一千一、辰巳一千二、辰午一千三、辰未一千四、辰申一千五、辰酉一千六、辰戌一千七、辰亥一千八。星戊八十五:辰子一千九、辰丑一千十、辰寅一千十一、辰卯一千十二、辰辰一千十三、辰巳一千十四、辰午一千十五、辰未一千十六、辰申一千十七、辰酉一千十八、辰戌一千十九、辰亥一千二十。

星丁八十四は第九百九十七世から第一千八世まで、すなわち一元の第二萬九千八百八十一年から第三萬二百四十年を統轄し、星戊八十五は第一千九世から第一千二十世まで、すなわち第三萬二百四十一年から第三萬六百年を統轄する。「辰卯一千」から、世の序號は四位數に入り、書き方は「九百九十九」から「一千」「一千一」に改まるが、依然として同一の連續編號である。第一千世が滿ちる時、一元はすでに三萬年を行った。第八十五運が畢れば、寅會はすでに三百世・九千年を行き、なお五運殘る。開物以來はすでに十運・一百二十世・三千六百年を行った。全元にはなお二百七十五運・九萬九千年殘る。

星己八十六:辰子一千二十一、辰丑一千二十二、辰寅一千二十三、辰卯一千二十四、辰辰一千二十五、辰巳一千二十六、辰午一千二十七、辰未一千二十八、辰申一千二十九、辰酉一千三十、辰戌一千三十一、辰亥一千三十二。星庚八十七:辰子一千三十三、辰丑一千三十四、辰寅一千三十五、辰卯一千三十六、辰辰一千三十七、辰巳一千三十八、辰午一千三十九、辰未一千四十、辰申一千四十一、辰酉一千四十二、辰戌一千四十三、辰亥一千四十四。

星己八十六は第一千二十一世から第一千三十二世まで、すなわち一元の第三萬六百一年から第三萬九百六十年を統轄し、星庚八十七は第一千三十三世から第一千四十四世まで、すなわち第三萬九百六十一年から第三萬一千三百二十年を統轄する。邵雍が「開物」をこの一會の中點に按排したのは、まさに萬物が春に發生するの意を取ったもので、《周易》が震卦をもって動と春を主るという說とも相通ずる。第八十七運が畢れば、寅會はすでに三百二十四世・九千七百二十年を行き、殘るは三運のみ。開物以來はすでに十二運・一百四十四世・四千三百二十年を行った。全元を合わせて計れば、四千三百二十世のうち一千四十四世を行き、三百六十運にはなお二百七十三運・九萬八千二百八十年殘る。

星辛八十八:辰子一千四十五、辰丑一千四十六、辰寅一千四十七、辰卯一千四十八、辰辰一千四十九、辰巳一千五十、辰午一千五十一、辰未一千五十二、辰申一千五十三、辰酉一千五十四、辰戌一千五十五、辰亥一千五十六。星壬八十九:辰子一千五十七、辰丑一千五十八、辰寅一千五十九、辰卯一千六十、辰辰一千六十一、辰巳一千六十二、辰午一千六十三、辰未一千六十四、辰申一千六十五、辰酉一千六十六、辰戌一千六十七、辰亥一千六十八。

星辛八十八は第一千四十五世から第一千五十六世まで、すなわち一元の第三萬一千三百二十一年から第三萬一千六百八十年を統轄し、星壬八十九は第一千五十七世から第一千六十八世まで、すなわち第三萬一千六百八十一年から第三萬二千四十年を統轄する。世の序號が一千を越えて以後、各行の字數が明らかに長くなるが、それは數目が大きくなっただけで、格數は變わらず、毎運は依然として十二世・三百六十年である。第八十九運が畢れば、寅會はすでに三百四十八世・一萬四百四十年を行き、殘るは一運のみ。開物以來はすでに十四運・一百六十八世・五千四十年を行った。全元を合わせて計れば、年數は三萬二千四十年に積もり、三百六十運にはなお二百七十一運・九萬七千五百六十年殘り、一元之數はこれによって推すことができる。

星癸九十:辰子一千六十九、辰丑一千七十、辰寅一千七十一、辰卯一千七十二、辰辰一千七十三、辰巳一千七十四、辰午一千七十五、辰未一千七十六、辰申一千七十七、辰酉一千七十八、辰戌一千七十九、辰亥一千八十。

星癸九十は第一千六十九世から第一千八十世まで、すなわち一元の第三萬二千四十一年から第三萬二千四百年を統轄し、寅會はここに終わる。三會がすでに畢わり、一元の四分の一に正しく當たる。開物以來もすでに十五運・一百八十世・五千四百年を歷た。次の篇は卯會に轉じ、運は第九十一から起算し、世は第一千八十一から起算する。帝堯に接續する第一百八十運までは、なお九十運・三萬二千四百年ある。

皇極經世書卷一下

觀物篇四 以元經會四

日甲一,月卯四。星甲九十一:辰子一千八十一、辰丑一千八十二、辰寅一千八十三、辰卯一千八十四、辰辰一千八十五、辰巳一千八十六、辰午一千八十七、辰未一千八十八、辰申一千八十九、辰酉一千九十、辰戌一千九十一、辰亥一千九十二。

卷一下の開篇、觀物篇四は第四會の卯會に入り、依然として「以元經會」の層に屬する。「月卯四」は地支の卯の字をもって第四會を標し、卯會の管轄する運は第九十一から起こり、世は第一千八十一から起こる。星甲九十一は第一千八十一世から第一千九十二世まで、すなわち一元の第三萬二千四百一年から第三萬二千七百六十年を統轄する。開物はすでに前の會の中點で發生し、ここから後、寅會の半ばから戌會の半ばまで、八會二百四十運はすべて物有る世に屬し、卯會はまさにこの大きな段の開頭にある。開物以來、すでに十六運・一百九十二世・五千七百六十年を行った。

星乙九十二:辰子一千九十三、辰丑一千九十四、辰寅一千九十五、辰卯一千九十六、辰辰一千九十七、辰巳一千九十八、辰午一千九十九、辰未一千一百、辰申一千一百一、辰酉一千一百二、辰戌一千一百三、辰亥一千一百四。

星乙九十二は第一千九十三世から第一千一百四世まで、すなわち一元の第三萬二千七百六十一年から第三萬三千一百二十年を統轄する。「辰未一千一百」はすなわち第一千一百世、「辰申一千一百一」はすなわち第一千一百一世で、依然として整數に逢うと文を省く書き方である。卯會はまだ二運を行っただけで、すでに二十四世・七百二十年を歷、なお二十八運殘る。開物以來はすでに十七運・二百四世・六千一百二十年を行った。

星丙九十三:辰子一千一百五、辰丑一千一百六、辰寅一千一百七、辰卯一千一百八、辰辰一千一百九、辰巳一千一百十、辰午一千一百十一、辰未一千一百十二、辰申一千一百十三、辰酉一千一百十四、辰戌一千一百十五、辰亥一千一百十六。

星丙九十三は第一千一百五世から第一千一百十六世まで、すなわち一元の第三萬三千一百二十一年から第三萬三千四百八十年を統轄する。本篇から每行の字數が明らかに長くなるが、ただ世の序號がすでに一千を過ぎて四位數で書かねばならないからである。數目は長くても規則は變わらず、毎運は依然として十二世、毎世は依然として三十年である。卯會はすでに三十六世・一千八十年を行き、なお二十七運殘る。開物以來はすでに十八運・六千四百八十年を行った。

星丁九十四:辰子一千一百十七、辰丑一千一百十八、辰寅一千一百十九、辰卯一千一百二十、辰辰一千一百二十一、辰巳一千一百二十二、辰午一千一百二十三、辰未一千一百二十四、辰申一千一百二十五、辰酉一千一百二十六、辰戌一千一百二十七、辰亥一千一百二十八。

星丁九十四は第一千一百十七世から第一千一百二十八世まで、すなわち一元の第三萬三千四百八十一年から第三萬三千八百四十年を統轄する。日・月・星・辰という四つの代號は漫然と取られたものではない。《四庫全書總目》提要が指摘するように、《皇極經世》は乾を日とし、兌を月とし、離を星とし、震を辰とし、四卦を天の四象として、これを借りて元・會・運・世の四級單位を標記するのである。卯會はすでに四十八世・一千四百四十年を行き、なお二十六運殘る。開物以來はすでに十九運・六千八百四十年を行った。

星戊九十五:辰子一千一百二十九、辰丑一千一百三十、辰寅一千一百三十一、辰卯一千一百三十二、辰辰一千一百三十三、辰巳一千一百三十四、辰午一千一百三十五、辰未一千一百三十六、辰申一千一百三十七、辰酉一千一百三十八、辰戌一千一百三十九、辰亥一千一百四十。

星戊九十五は第一千一百二十九世から第一千一百四十世まで、すなわち一元の第三萬三千八百四十一年から第三萬四千二百年を統轄する。卯會はすでに五運・六十世・一千八百年を行き、一會一萬八百年の六分の一である。邵雍は事を記さず數をもってのみ位置を定めるので、讀者は随時に編號を年數に折算してこそ、この表を一塊の干支と見なさずにすむ。開物以來はすでに二十運・二百四十世・七千二百年を行った。帝堯に接續する第一百八十運まではなお八十五運ある。

星己九十六:辰子一千一百四十一、辰丑一千一百四十二、辰寅一千一百四十三、辰卯一千一百四十四、辰辰一千一百四十五、辰巳一千一百四十六、辰午一千一百四十七、辰未一千一百四十八、辰申一千一百四十九、辰酉一千一百五十、辰戌一千一百五十一、辰亥一千一百五十二。

星己九十六は第一千一百四十一世から第一千一百五十二世まで、すなわち一元の第三萬四千二百一年から第三萬四千五百六十年を統轄する。全一元に就いて言えば、この時すでに三萬四千五百六十年を歩み、十二萬九千六百年の四分の一あまりを占める。卯會は六運・七十二世・二千一百六十年を行き滿ちて、全會三十運の五分の一にちょうど當たり、なお二十四運殘る。開物以來はすでに二十一運・二百五十二世・七千五百六十年を行った。

星庚九十七:辰子一千一百五十三、辰丑一千一百五十四、辰寅一千一百五十五、辰卯一千一百五十六、辰辰一千一百五十七、辰巳一千一百五十八、辰午一千一百五十九、辰未一千一百六十、辰申一千一百六十一、辰酉一千一百六十二、辰戌一千一百六十三、辰亥一千一百六十四。

星庚九十七は第一千一百五十三世から第一千一百六十四世まで、すなわち一元の第三萬四千五百六十一年から第三萬四千九百二十年を統轄する。《皇極經世》の取象は《周易》と多く同じでない。乾は《易》では天だがこの書では日、兌は《易》では澤だがこの書では月なので、提要は牽強を免れないと言った。しかし全書の編號は、まさにこの一套の代稱によって立てられている。卯會はすでに八十四世・二千五百二十年を行き、なお二十三運殘る。開物以來はすでに二十二運・七千九百二十年を行った。

星辛九十八:辰子一千一百六十五、辰丑一千一百六十六、辰寅一千一百六十七、辰卯一千一百六十八、辰辰一千一百六十九、辰巳一千一百七十、辰午一千一百七十一、辰未一千一百七十二、辰申一千一百七十三、辰酉一千一百七十四、辰戌一千一百七十五、辰亥一千一百七十六。

星辛九十八は第一千一百六十五世から第一千一百七十六世まで、すなわち一元の第三萬四千九百二十一年から第三萬五千二百八十年を統轄する。この運は卯會の第八運である。一會三十運は三輪の十干に分かれ、この時第一輪が盡きようとしている。運名と序數を竝列するのは、循環も見え總數も見えるようにするためである。本會はすでに九十六世・二千八百八十年を行き、なお二十二運殘る。開物以來はすでに二十三運・八千二百八十年を行った。全元を合わせて計れば、すでに九十八運・一千一百七十六世・三萬五千二百八十年を行った。

星壬九十九:辰子一千一百七十七、辰丑一千一百七十八、辰寅一千一百七十九、辰卯一千一百八十、辰辰一千一百八十一、辰巳一千一百八十二、辰午一千一百八十三、辰未一千一百八十四、辰申一千一百八十五、辰酉一千一百八十六、辰戌一千一百八十七、辰亥一千一百八十八。

星壬九十九は第一千一百七十七世から第一千一百八十八世まで、すなわち一元の第三萬五千二百八十一年から第三萬五千六百四十年を統轄する。このたぐいの整十・整百に近い運次は、立ち止まって自校するのに最も宜しい。運の序號に十二を乘じれば世數を得、三百六十を乘じれば年數を得る。兩頭を合わせれば錯格の有無が分かる。本會はすでに一百八世・三千二百四十年を行き、なお二十一運殘る。帝堯に接續する第一百八十運まではなお八十一運ある。全元を合わせて計れば、すでに九十九運・一千一百八十八世を行った。

星癸一百:辰子一千一百八十九、辰丑一千一百九十、辰寅一千一百九十一、辰卯一千一百九十二、辰辰一千一百九十三、辰巳一千一百九十四、辰午一千一百九十五、辰未一千一百九十六、辰申一千一百九十七、辰酉一千一百九十八、辰戌一千一百九十九、辰亥一千二百。

星癸一百は第一千一百八十九世から第一千二百世まで、すなわち一元の第三萬五千六百四十一年から第三萬六千年を統轄する。運の序號はここで一百に滿ち、世の序號は一千二百に滿ち、年數は三萬六千に滿ちる。三者の比は始終一対十二対三百六十である。一元三百六十運のうちなお二百六十運殘る。卯會はすでに一百二十世・三千六百年を行き、全會の三分の一である。開物以來はすでに二十五運・三百世・九千年を行った。全元三百六十運にはなお二百六十運殘る。

星甲一百一:辰子一千二百一、辰丑一千二百二、辰寅一千二百三、辰卯一千二百四、辰辰一千二百五、辰巳一千二百六、辰午一千二百七、辰未一千二百八、辰申一千二百九、辰酉一千二百十、辰戌一千二百十一、辰亥一千二百十二。

星甲一百一は第一千二百一世から第一千二百十二世まで、すなわち一元の第三萬六千一年から第三萬六千三百六十年を統轄する。運名は第百一運で再び甲の字に逢い、第十一輪の十干に入る。「星甲一百一」はすなわち第百一運で、前文の「辰子六百一」と例を同じくし、いずれも「零」の字を省いたものである。卯會はすでに一百三十二世・三千九百六十年を行き、なお十九運殘る。

星乙一百二:辰子一千二百十三、辰丑一千二百十四、辰寅一千二百十五、辰卯一千二百十六、辰辰一千二百十七、辰巳一千二百十八、辰午一千二百十九、辰未一千二百二十、辰申一千二百二十一、辰酉一千二百二十二、辰戌一千二百二十三、辰亥一千二百二十四。

星乙一百二は第一千二百十三世から第一千二百二十四世まで、すなわち一元の第三萬六千三百六十一年から第三萬六千七百二十年を統轄する。このたぐいの省文は宋元の刻本にきわめて多く、脫字ではない。世數と運數の固定の比例さえ記えておけば、省文に遇っても誤讀しない。卯會はすでに十二運・一百四十四世・四千三百二十年を行き、なお十八運殘る。開物以來はすでに二十七運・九千七百二十年を行った。全元三百六十運にはなお二百五十八運殘る。

星丙一百三:辰子一千二百二十五、辰丑一千二百二十六、辰寅一千二百二十七、辰卯一千二百二十八、辰辰一千二百二十九、辰巳一千二百三十、辰午一千二百三十一、辰未一千二百三十二、辰申一千二百三十三、辰酉一千二百三十四、辰戌一千二百三十五、辰亥一千二百三十六。

星丙一百三は第一千二百二十五世から第一千二百三十六世まで、すなわち一元の第三萬六千七百二十一年から第三萬七千八十年を統轄する。本書附錄の言うところによれば、「以元經會」は「世」まで書くだけで一格はすなわち三十年、「以會經運」は「年」まで書き、逐年の干支をすべて列ね、「以運經世」はもともと「月」にまで細かくできたが、ただ文を省くため書かない。卯會はすでに一百五十六世・四千六百八十年を行き、なお十七運殘る。開物以來はすでに二十八運・一萬八十年を行った。

星丁一百四:辰子一千二百三十七、辰丑一千二百三十八、辰寅一千二百三十九、辰卯一千二百四十、辰辰一千二百四十一、辰巳一千二百四十二、辰午一千二百四十三、辰未一千二百四十四、辰申一千二百四十五、辰酉一千二百四十六、辰戌一千二百四十七、辰亥一千二百四十八。

星丁一百四は第一千二百三十七世から第一千二百四十八世まで、すなわち一元の第三萬七千八十一年から第三萬七千四百四十年を統轄する。三層が粗から細に向かうのが、まさに全書の編成次第である。まず骨架を立て、次に年代を填め、最後に史事を繫ぐ。全書六十二篇のうち、前の十二篇はいずれもこの最も粗い層に屬する。卯會はすでに一百六十八世・五千四十年を行き、半ばに近づいて、なお十六運殘る。開物以來はすでに二十九運・一萬四百四十年を行った。全元にはなお二百五十六運・九萬二千一百六十年殘る。

星戊一百五:辰子一千二百四十九、辰丑一千二百五十、辰寅一千二百五十一、辰卯一千二百五十二、辰辰一千二百五十三、辰巳一千二百五十四、辰午一千二百五十五、辰未一千二百五十六、辰申一千二百五十七、辰酉一千二百五十八、辰戌一千二百五十九、辰亥一千二百六十。

星戊一百五は第一千二百四十九世から第一千二百六十世まで、すなわち一元の第三萬七千四百四十一年から第三萬七千八百年を統轄する。この運の末年はまさに第三萬七千八百年で、卯會一萬八百年の正中にちょうど當たる。本篇三十運はここでちょうど半分に折れ、後の十五運は卯會の下半である。本會はすでに一百八十世・五千四百年を行き、なお十五運殘る。開物以來はすでに三十運・三百六十世・一萬八百年を行き、ちょうど一會の數に滿ちた。

星己一百六:辰子一千二百六十一、辰丑一千二百六十二、辰寅一千二百六十三、辰卯一千二百六十四、辰辰一千二百六十五、辰巳一千二百六十六、辰午一千二百六十七、辰未一千二百六十八、辰申一千二百六十九、辰酉一千二百七十、辰戌一千二百七十一、辰亥一千二百七十二。

星己一百六は第一千二百六十一世から第一千二百七十二世まで、すなわち一元の第三萬七千八百一年から第三萬八千一百六十年を統轄する。十二會の内部構造は互いに同じである。每會はいずれも三十運・三百六十世・一萬八百年で、三輪の十干に分かれ、正中の處で半分に折れる。この整齊さは、まさに邵雍が法を立てた用意である。卯會はすでに一百九十二世・五千七百六十年を行き、なお十四運殘る。開物以來はすでに三十一運・一萬一千一百六十年を行った。

星庚一百七:辰子一千二百七十三、辰丑一千二百七十四、辰寅一千二百七十五、辰卯一千二百七十六、辰辰一千二百七十七、辰巳一千二百七十八、辰午一千二百七十九、辰未一千二百八十、辰申一千二百八十一、辰酉一千二百八十二、辰戌一千二百八十三、辰亥一千二百八十四。

星庚一百七は第一千二百七十三世から第一千二百八十四世まで、すなわち一元の第三萬八千一百六十一年から第三萬八千五百二十年を統轄する。全元は合わせて四千三百二十世で、この時まだ三分の一に及ばない。しかるに《皇極經世》後半に排べられた三千三百餘年の帝王史事は、この框架の中では百十餘世にすぎない。卯會はすでに二百四世・六千一百二十年を行き、なお十三運殘る。帝堯に接續する第一百八十運まではなお七十三運ある。全元を合わせて計れば、すでに百七運・一千二百八十四世を行き、三百六十運のうちなお二百五十三運・九萬一千八十年殘る。

星辛一百八:辰子一千二百八十五、辰丑一千二百八十六、辰寅一千二百八十七、辰卯一千二百八十八、辰辰一千二百八十九、辰巳一千二百九十、辰午一千二百九十一、辰未一千二百九十二、辰申一千二百九十三、辰酉一千二百九十四、辰戌一千二百九十五、辰亥一千二百九十六。

星辛一百八は第一千二百八十五世から第一千二百九十六世まで、すなわち一元の第三萬八千五百二十一年から第三萬八千八百八十年を統轄する。これで見れば、邵雍は文字ある歷史をはるかに宏大な時間の盤の中に置いて見ているのであって、人事の興亡治亂はこの表のごく小さな一段を占めるにすぎない。卯會はすでに二百十六世・六千四百八十年を行き、なお十二運殘る。開物以來はすでに三十三運・一萬一千八百八十年を行った。全元を合わせて計れば、すでに百八運・一千二百九十六世を行き、三百六十運のうちなお二百五十二運・九萬七百二十年殘る。

星壬一百九:辰子一千二百九十七、辰丑一千二百九十八、辰寅一千二百九十九、辰卯一千三百、辰辰一千三百一、辰巳一千三百二、辰午一千三百三、辰未一千三百四、辰申一千三百五、辰酉一千三百六、辰戌一千三百七、辰亥一千三百八。

星壬一百九は第一千二百九十七世から第一千三百八世まで、すなわち一元の第三萬八千八百八十一年から第三萬九千二百四十年を統轄する。表中の「辰卯一千三百」はすなわち第一千三百世で、依然として省文であり、世の序號はここでまた一つの整百に滿ちた。卯會はすでに二百二十八世・六千八百四十年を行き、なお十一運殘る。開物以來はすでに三十四運・一萬二千二百四十年を行った。

星癸一百十:辰子一千三百九、辰丑一千三百十、辰寅一千三百十一、辰卯一千三百十二、辰辰一千三百十三、辰巳一千三百十四、辰午一千三百十五、辰未一千三百十六、辰申一千三百十七、辰酉一千三百十八、辰戌一千三百十九、辰亥一千三百二十。

星癸一百十は第一千三百九世から第一千三百二十世まで、すなわち一元の第三萬九千二百四十一年から第三萬九千六百年を統轄する。「星癸一百十」はすなわち第百十運、「辰丑一千三百十」はすなわち第一千三百十世である。底本は十位數の處で或いは「一百十」或いは「一百一十」と作り、書き方は揃わないが指すところは同じである。卯會はすでに二百四十世・七千二百年を行き、全會の三分の二で、なお十運殘る。

星甲一百十一:辰子一千三百二十一、辰丑一千三百二十二、辰寅一千三百二十三、辰卯一千三百二十四、辰辰一千三百二十五、辰巳一千三百二十六、辰午一千三百二十七、辰未一千三百二十八、辰申一千三百二十九、辰酉一千三百三十、辰戌一千三百三十一、辰亥一千三百三十二。

星甲一百十一は第一千三百二十一世から第一千三百三十二世まで、すなわち一元の第三萬九千六百一年から第三萬九千九百六十年を統轄する。開物を第二萬七千一年として計れば、この時萬物初生よりすでに一萬二千餘年ある。運名はまた甲の字に逢い、全元の第十二輪の十干である。卯會はすでに二百五十二世・七千五百六十年を行き、なお九運殘る。開物以來はすでに三十六運・四百三十二世・一萬二千九百六十年を行った。全元にはなお二百四十九運・八萬九千六百四十年殘る。

星乙一百十二:辰子一千三百三十三、辰丑一千三百三十四、辰寅一千三百三十五、辰卯一千三百三十六、辰辰一千三百三十七、辰巳一千三百三十八、辰午一千三百三十九、辰未一千三百四十、辰申一千三百四十一、辰酉一千三百四十二、辰戌一千三百四十三、辰亥一千三百四十四。

星乙一百十二は第一千三百三十三世から第一千三百四十四世まで、すなわち一元の第三萬九千九百六十一年から第四萬三百二十年を統轄する。「以運經世」の層で帝堯甲辰に接續する第一百八十運は第六萬四千餘年にあり、ここからなお二萬四千餘年ある。兩頭を比べれば、この表の尺度がどれほど大きいか分かる。卯會はすでに二百六十四世・七千九百二十年を行き、なお八運殘る。開物以來はすでに三十七運・一萬三千三百二十年を行った。全元にはなお二百四十八運・八萬九千二百八十年殘る。

星丙一百十三:辰子一千三百四十五、辰丑一千三百四十六、辰寅一千三百四十七、辰卯一千三百四十八、辰辰一千三百四十九、辰巳一千三百五十、辰午一千三百五十一、辰未一千三百五十二、辰申一千三百五十三、辰酉一千三百五十四、辰戌一千三百五十五、辰亥一千三百五十六。

星丙一百十三は第一千三百四十五世から第一千三百五十六世まで、すなわち一元の第四萬三百二十一年から第四萬六百八十年を統轄する。一元を一年に比すれば、卯會は二月に當たり、まさに萬物生長の時である。しかるに本篇には一字の史事もない。この時、人物はすでに生じたが文字は未だ興らず、年代は空格として殘すほかないからである。本會はすでに二百七十六世・八千二百八十年を行き、なお七運殘る。帝堯に接續する第一百八十運まではなお六十七運ある。全元にはなお二百四十七運・八萬八千九百二十年殘る。

星丁一百十四:辰子一千三百五十七、辰丑一千三百五十八、辰寅一千三百五十九、辰卯一千三百六十、辰辰一千三百六十一、辰巳一千三百六十二、辰午一千三百六十三、辰未一千三百六十四、辰申一千三百六十五、辰酉一千三百六十六、辰戌一千三百六十七、辰亥一千三百六十八。

星丁一百十四は第一千三百五十七世から第一千三百六十八世まで、すなわち一元の第四萬六百八十一年から第四萬一千四十年を統轄し、卯會は殘る六運のみである。巳會の末に帝堯が位に接くまで待って、表中に初めて紀しうる帝王が現れる。これより前の二千一百餘世は、すべて虛位をもって待つのみである。本會はすでに二百八十八世・八千六百四十年を行った。開物以來はすでに三十九運・四百六十八世・一萬四千四十年を行った。全元にはなお二百四十六運・八萬八千五百六十年殘る。

星戊一百十五:辰子一千三百六十九、辰丑一千三百七十、辰寅一千三百七十一、辰卯一千三百七十二、辰辰一千三百七十三、辰巳一千三百七十四、辰午一千三百七十五、辰未一千三百七十六、辰申一千三百七十七、辰酉一千三百七十八、辰戌一千三百七十九、辰亥一千三百八十。

星戊一百十五は第一千三百六十九世から第一千三百八十世まで、すなわち一元の第四萬一千四十一年から第四萬一千四百年を統轄する。表面から見ればこれは一張の空表だが、實際には後文の一切を規定している。卷三以下、ある帝の某年を記すには必ず元・會・運・世の四重の座標を報じねばならず、一層を缺けば位置を定めることができない。卯會はすでに三百世・九千年を行き、なお五運殘る。開物以來はすでに四十運・四百八十世・一萬四千四百年を行った。全元にはなお二百四十五運・八萬八千二百年殘る。

星己一百十六:辰子一千三百八十一、辰丑一千三百八十二、辰寅一千三百八十三、辰卯一千三百八十四、辰辰一千三百八十五、辰巳一千三百八十六、辰午一千三百八十七、辰未一千三百八十八、辰申一千三百八十九、辰酉一千三百九十、辰戌一千三百九十一、辰亥一千三百九十二。

星己一百十六は第一千三百八十一世から第一千三百九十二世まで、すなわち一元の第四萬一千四百一年から第四萬一千七百六十年を統轄する。四重座標は「日甲・月巳・星癸・辰未」のごとく、日は元、月は會、星は運、辰は世で、四者相合すれば、一年を十二萬九千六百年の中のある一格に定めることができる。卯會はすでに三百十二世・九千三百六十年を行き、なお四運殘る。開物以來はすでに四十一運・四百九十二世・一萬四千七百六十年を行った。

星庚一百十七:辰子一千三百九十三、辰丑一千三百九十四、辰寅一千三百九十五、辰卯一千三百九十六、辰辰一千三百九十七、辰巳一千三百九十八、辰午一千三百九十九、辰未一千四百、辰申一千四百一、辰酉一千四百二、辰戌一千四百三、辰亥一千四百四。

星庚一百十七は第一千三百九十三世から第一千四百四世まで、すなわち一元の第四萬一千七百六十一年から第四萬二千一百二十年を統轄する。行内の「辰未一千四百」はすなわち第一千四百世、「辰申一千四百一」はすなわち第一千四百一世で、依然として整數に逢うと文を省く舊來の書き方である。卯會はすでに三百二十四世・九千七百二十年を行き、殘るは三運のみ。帝堯に接續する第一百八十運まではなお六十三運ある。全元にはなお二百四十三運・八萬七千四百八十年殘る。

星辛一百十八:辰子一千四百五、辰丑一千四百六、辰寅一千四百七、辰卯一千四百八、辰辰一千四百九、辰巳一千四百十、辰午一千四百十一、辰未一千四百十二、辰申一千四百十三、辰酉一千四百十四、辰戌一千四百十五、辰亥一千四百十六。

星辛一百十八は第一千四百五世から第一千四百十六世まで、すなわち一元の第四萬二千一百二十一年から第四萬二千四百八十年を統轄する。卯會はすでに三百三十六世・一萬八十年を行き、殘るは二運のみ。一元四千三百二十世のうち、この時一千四百餘世を行き過ぎ、全元の半ばまではなお七百餘世ある。開物以來はすでに四十三運・一萬五千四百八十年を行った。全元にはなお二百四十二運・八萬七千一百二十年殘る。

星壬一百十九:辰子一千四百十七、辰丑一千四百十八、辰寅一千四百十九、辰卯一千四百二十、辰辰一千四百二十一、辰巳一千四百二十二、辰午一千四百二十三、辰未一千四百二十四、辰申一千四百二十五、辰酉一千四百二十六、辰戌一千四百二十七、辰亥一千四百二十八。

星壬一百十九は第一千四百十七世から第一千四百二十八世まで、すなわち一元の第四萬二千四百八十一年から第四萬二千八百四十年を統轄する。底本は本運と次の一運を同一行に連排して中間に別起がないが、これは排印併行によるもので、實は兩運であり、一運二十四世と誤認してはならない。卯會はすでに三百四十八世・一萬四百四十年を行き、殘るは一運のみ。開物以來はすでに四十四運・五百二十八世・一萬五千八百四十年を行った。

星癸一百二十:辰子一千四百二十九、辰丑一千四百三十、辰寅一千四百三十一、辰卯一千四百三十二、辰辰一千四百三十三、辰巳一千四百三十四、辰午一千四百三十五、辰未一千四百三十六、辰申一千四百三十七、辰酉一千四百三十八、辰戌一千四百三十九、辰亥一千四百四十。

星癸一百二十は第一千四百二十九世から第一千四百四十世まで、すなわち一元の第四萬二千八百四十一年から第四萬三千二百年を統轄し、卯會はここに終わる。四會がすでに畢わり、一元は正に三分の一を行き過ぎた。子・丑・寅・卯はそれぞれ一萬八百年で、合わせて四萬三千二百年。次の篇は辰會に轉じる。開物以來すでに四十五運・五百四十世・一萬六千二百年を行き、ちょうど一會半の數である。全元三百六十運にはなお二百四十運・八萬六千四百年殘り、開物から閉物までの總數と正に同じである。

觀物篇五 以元經會五

日甲一,月辰五。星甲一百二十一:辰子一千四百四十一、辰丑一千四百四十二、辰寅一千四百四十三、辰卯一千四百四十四、辰辰一千四百四十五、辰巳一千四百四十六、辰午一千四百四十七、辰未一千四百四十八、辰申一千四百四十九、辰酉一千四百五十、辰戌一千四百五十一、辰亥一千四百五十二。

觀物篇五は第五會の辰會に轉じる。「月辰五」は地支の辰の字をもって第五會を標す。ここで注意すべきは、この「辰」は會名であって、各行の「辰子」「辰丑」の「辰」――世の代稱――と同字でありながら指すところが異なり、讀むとき混同してはならない。星甲一百二十一は辰會の第一運で、第一千四百四十一世から第一千四百五十二世まで、すなわち一元の第四萬三千二百一年から第四萬三千五百六十年を統轄する。本行の「辰丑一千四百四十二」と「辰寅一千四百四十三」の間は底本に間隔が漏れているが、實は兩世であり、一格ではない。辰會はまだ一運を行っただけで、なお二十九運殘る。開物以來はすでに四十六運・一萬六千五百六十年を行った。

星乙一百二十二:辰子一千四百五十三、辰丑一千四百五十四、辰寅一千四百五十五、辰卯一千四百五十六、辰辰一千四百五十七、辰巳一千四百五十八、辰午一千四百五十九、辰未一千四百六十、辰申一千四百六十一、辰酉一千四百六十二、辰戌一千四百六十三、辰亥一千四百六十四。

星乙一百二十二は第一千四百五十三世から第一千四百六十四世まで、すなわち一元の第四萬三千五百六十一年から第四萬三千九百二十年を統轄する。辰會は合わせて三十運・三百六十世・一萬八百年で、この時まだ頭を起こしたばかりである。一元を一年に比すれば、辰會は三月に當たり、萬物すでに生じて漸く繁盛に趨く段階である。本會はすでに二十四世・七百二十年を行き、なお二十八運殘る。帝堯に接續する第一百八十運まではなお五十八運ある。全元にはなお二百三十八運・八萬五千六百八十年殘る。

星丙一百二十三:辰子一千四百六十五、辰丑一千四百六十六、辰寅一千四百六十七、辰卯一千四百六十八、辰辰一千四百六十九、辰巳一千四百七十、辰午一千四百七十一、辰未一千四百七十二、辰申一千四百七十三、辰酉一千四百七十四、辰戌一千四百七十五、辰亥一千四百七十六。

星丙一百二十三は第一千四百六十五世から第一千四百七十六世まで、すなわち一元の第四萬三千九百二十一年から第四萬四千二百八十年を統轄する。開物から算えて、ここまですでに四十八運・五百七十六世・一萬七千二百八十年を行き、萬物存在の八萬六千四百年のおよそ五分の一に當たる。辰會はすでに三十六世・一千八十年を行き、なお二十七運殘る。全元を合わせて計れば、四千三百二十世のうち一千四百七十六世を行き、三百六十運にはなお二百三十七運・八萬五千三百二十年殘る。

星丁一百二十四:辰子一千四百七十七、辰丑一千四百七十八、辰寅一千四百七十九、辰卯一千四百八十、辰辰一千四百八十一、辰巳一千四百八十二、辰午一千四百八十三、辰未一千四百八十四、辰申一千四百八十五、辰酉一千四百八十六、辰戌一千四百八十七、辰亥一千四百八十八。

星丁一百二十四は第一千四百七十七世から第一千四百八十八世まで、すなわち一元の第四萬四千二百八十一年から第四萬四千六百四十年を統轄し、辰會はすでに四運を行った。この層の每一格はただ座標にすぎず、真の年代と史事は「以會經運」「以運經世」の二層に至って初めて格ごとに填め込まれる。本會はすでに四十八世・一千四百四十年を行き、なお二十六運殘る。開物以來はすでに四十九運・一萬七千六百四十年を行った。全元にはなお二百三十六運・八萬四千九百六十年殘る。

星戊一百二十五:辰子一千四百八十九、辰丑一千四百九十、辰寅一千四百九十一、辰卯一千四百九十二、辰辰一千四百九十三、辰巳一千四百九十四、辰午一千四百九十五、辰未一千四百九十六、辰申一千四百九十七、辰酉一千四百九十八、辰戌一千四百九十九、辰亥一千五百。

星戊一百二十五は第一千四百八十九世から第一千五百世まで、すなわち一元の第四萬四千六百四十一年から第四萬五千年を統轄する。世の序號はここで一千五百に滿ち、年數は四萬五千に滿ちる。二者の比は依然として一対三十である。一元は合わせて四千三百二十世で、ここまで歩めば三分の一をやや超える。整數滿盤の處は立ち止まって照合するのに最も宜しい。辰會はすでに六十世・一千八百年を行き、なお二十五運殘る。開物以來はすでに五十運・六百世・一萬八千年を行った。全元にはなお二百三十五運・八萬四千六百年殘る。

星己一百二十六:辰子一千五百一、辰丑一千五百二、辰寅一千五百三、辰卯一千五百四、辰辰一千五百五、辰巳一千五百六、辰午一千五百七、辰未一千五百八、辰申一千五百九、辰酉一千五百十、辰戌一千五百十一、辰亥一千五百十二。

星己一百二十六は第一千五百一世から第一千五百十二世まで、すなわち一元の第四萬五千一年から第四萬五千三百六十年を統轄する。「辰子一千五百一」はすなわち第一千五百一世で、依然として「零」の字を省いた書き方である。辰會はすでに六運・七十二世・二千一百六十年を行き、なお二十四運殘る。帝堯に接續する第一百八十運まではなお五十四運ある。全元にはなお二百三十四運・八萬四千二百四十年殘る。

星庚一百二十七:辰子一千五百十三、辰丑一千五百十四、辰寅一千五百十五、辰卯一千五百十六、辰辰一千五百十七、辰巳一千五百十八、辰午一千五百十九、辰未一千五百二十、辰申一千五百二十一、辰酉一千五百二十二、辰戌一千五百二十三、辰亥一千五百二十四。

星庚一百二十七は第一千五百十三世から第一千五百二十四世まで、すなわち一元の第四萬五千三百六十一年から第四萬五千七百二十年を統轄する。辰會にはなお二十三運あって初めて巳會に交わる。巳會の末がすなわち帝堯に接接續する處で、全書が虛から實に轉ずる關口はそこにある。本會はすでに八十四世・二千五百二十年を行った。開物以來はすでに五十二運・六百二十四世・一萬八千七百二十年を行った。全元にはなお二百三十三運・八萬三千八百八十年殘る。

星辛一百二十八:辰子一千五百二十五、辰丑一千五百二十六、辰寅一千五百二十七、辰卯一千五百二十八、辰辰一千五百二十九、辰巳一千五百三十、辰午一千五百三十一、辰未一千五百三十二、辰申一千五百三十三、辰酉一千五百三十四、辰戌一千五百三十五、辰亥一千五百三十六。

星辛一百二十八は第一千五百二十五世から第一千五百三十六世まで、すなわち一元の第四萬五千七百二十一年から第四萬六千八十年を統轄する。「以元經會」は全部で十二篇、一篇一會で、本篇は第五會であり、後に午・未・申・酉・戌・亥の六會があって初めて一元が排び滿ち、篇次と會次は一つ一つ相當する。辰會はすでに九十六世・二千八百八十年を行き、なお二十二運殘る。開物以來はすでに五十三運・一萬九千八十年を行った。全元にはなお二百三十二運・八萬三千五百二十年殘る。

星壬一百二十九:辰子一千五百三十七、辰丑一千五百三十八、辰寅一千五百三十九、辰卯一千五百四十、辰辰一千五百四十一、辰巳一千五百四十二、辰午一千五百四十三、辰未一千五百四十四、辰申一千五百四十五、辰酉一千五百四十六、辰戌一千五百四十七、辰亥一千五百四十八。

星壬一百二十九は第一千五百三十七世から第一千五百四十八世まで、すなわち一元の第四萬六千八十一年から第四萬六千四百四十年を統轄する。帝堯即位の甲辰の年は巳會末の第一百八十運に接續し、以下歷代の史事はずっと午會の第一百八十九運、すなわち五代後周顯德六年まで排ばれる。辰會はすでに一百八世・三千二百四十年を行き、なお二十一運殘る。その第一百八十運まではなお五十一運ある。全元にはなお二百三十一運・八萬三千一百六十年殘る。

星癸一百三十:辰子一千五百四十九、辰丑一千五百五十、辰寅一千五百五十一、辰卯一千五百五十二、辰辰一千五百五十三、辰巳一千五百五十四、辰午一千五百五十五、辰未一千五百五十六、辰申一千五百五十七、辰酉一千五百五十八、辰戌一千五百五十九、辰亥一千五百六十。

星癸一百三十は第一千五百四十九世から第一千五百六十世まで、すなわち一元の第四萬六千四百四十一年から第四萬六千八百年を統轄する。辰會三十運はここまで十運・一百二十世・三千六百年を歩み、ちょうど全會の三分の一である。觀物篇五はまだ終わらず、下に第一百三十一運以下の諸運に接くが、依然として本篇に屬する。開物以來はすでに五十五運・六百六十世・一萬九千八百年を行った。帝堯に接續する第一百八十運までは、なお五十運・一萬八千年ある。

星甲一百三十一

星甲一百三十一:辰子一千五百六十一,辰丑一千五百六十二,辰寅一千五百六十三,辰卯一千五百六十四,辰辰一千五百六十五,辰巳一千五百六十六,辰午一千五百六十七,辰未一千五百六十八,辰申一千五百六十九,辰酉一千五百七十,辰戌一千五百七十一,辰亥一千五百七十二。

第一百三十一運、天干は甲に配す。邵雍は「日」をもって元を紀し、「月」をもって會を紀し、「星」をもって運を紀し、「辰」をもって世を紀するので、「星甲一百三十一」は第一百三十一運を指し、「辰子一千五百六十一」は第一千五百六十一世で地支が子に屬することを指す。一運は十二世を統べ、本運の管轄は第一千五百六十一世から第一千五百七十二世までで、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の次第に各々一支を配し、ちょうど一輪を用い盡くす。每世三十年で、本運は合わせて三百六十年、一元十二萬九千六百年の中では第四萬六千八百一年から第四萬七千一百六十年に當たる。

星乙一百三十二

星乙一百三十二:辰子一千五百七十三,辰丑一千五百七十四,辰寅一千五百七十五,辰卯一千五百七十六,辰辰一千五百七十七,辰巳一千五百七十八,辰午一千五百七十九,辰未一千五百八十,辰申一千五百八十一,辰酉一千五百八十二,辰戌一千五百八十三,辰亥一千五百八十四。

第一百三十二運、天干は乙に配し、第五會(辰會)三十運の中の第十二運である。管轄する十二世は第一千五百七十三世から始まり、第一千五百八十四世に終わる。子世は第一千五百七十三、丑世は第一千五百七十四、以下寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥と順次に增し、末位の亥世は第一千五百八十四である。地支は十二に滿ちてまた始まり、一運十二世を統べる格局とちょうど相扣する。本運は合わせて三百六十年で、亥世の末まで累計すれば、一元の中ですでに第四萬七千五百二十年まで行った。

星丙一百三十三

星丙一百三十三:辰子一千五百八十五,辰丑一千五百八十六,辰寅一千五百八十七,辰卯一千五百八十八,辰辰一千五百八十九,辰巳一千五百九十,辰午一千五百九十一,辰未一千五百九十二,辰申一千五百九十三,辰酉一千五百九十四,辰戌一千五百九十五,辰亥一千五百九十六。

第一百三十三運、天干は丙に配し、辰會の第十三運に位する。その下の十二世の編號は連貫して、第一千五百八十五世(子)に起こり、第一千五百九十六世(亥)に訖わり、中間の丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌の十支は順に第一千五百八十六から第一千五百九十五世に對應する。邵雍の世號は一元を通貫する流水號で、運を換えても改めて起こらないので、世數は一路累加する。地支は每十二世一循環で、位次を標すだけで總數は標さない。本運は三百六十年で、一元の第四萬七千五百二十一年から第四萬七千八百八十年に當たる。

星丁一百三十四

星丁一百三十四:辰子一千五百九十七,辰丑一千五百九十八,辰寅一千五百九十九,辰卯一千六百,辰辰一千六百一,辰巳一千六百二,辰午一千六百三,辰未一千六百四,辰申一千六百五,辰酉一千六百六,辰戌一千六百七,辰亥一千六百八。

第一百三十四運、天干は丁に配し、辰會第十四運である。本運の十二世は第一千五百九十七世から第一千六百八世まで。前の三世子・丑・寅は依然として一千五百の數内にあり、卯世から一千六百に滿ちるので、表中には「辰卯一千六百」と書き、その後の辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の八世は順に第一千六百一世から第一千六百八世までとなる。この種の整數換位は流水編號の位上がりにすぎず、紀年格局の變動を示すものではない。本運は三百六十年で、一元の第四萬七千八百八十一年から第四萬八千二百四十年に居る。

星戊一百三十五

星戊一百三十五:辰子一千六百九,辰丑一千六百十,辰寅一千六百十一,辰卯一千六百十二,辰辰一千六百十三,辰巳一千六百十四,辰午一千六百十五,辰未一千六百十六,辰申一千六百十七,辰酉一千六百十八,辰戌一千六百十九,辰亥一千六百二十。

第一百三十五運、天干は戊に配し、辰會第十五運に居り、その會三十運の半ばに正しく當たる。管轄する十二世は第一千六百九世(子)から第一千六百二十世(亥)までで、其中の寅世は第一千六百十一、卯世は第一千六百十二、以下世ごとに一を加える。會を合わせて觀れば、本運の末に行き至って、第五會はすでに一百八十世・五千四百年を歩み終え、ちょうど一會一萬八百年の中點である。本運それ自身は三百六十年で、一元の第四萬八千二百四十一年から第四萬八千六百年に當たる。

星己一百三十六

星己一百三十六:辰子一千六百二十一,辰丑一千六百二十二,辰寅一千六百二十三,辰卯一千六百二十四,辰辰一千六百二十五,辰巳一千六百二十六,辰午一千六百二十七,辰未一千六百二十八,辰申一千六百二十九,辰酉一千六百三十,辰戌一千六百三十一,辰亥一千六百三十二。

第一百三十六運、天干は己に配し、辰會第十六運である。十二世の編號は第一千六百二十一世から起こり、第一千六百三十二世に終わり、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥が各々一世を領し、重出は一つもない。十天干が己に輪るのはすでに第六位だが、地支は每運一周を足して輪るので、兩者の歩調は同じでない。運の干名は十運一復し、世の支名は一運一復するので、同名の「星己」は十運を隔てて初めて再び現れるが、「辰子」は每運の開頭に必ずある。本運は三百六十年で、一元の第四萬八千六百一年から第四萬八千九百六十年に當たる。

星庚一百三十七

星庚一百三十七:辰子一千六百三十三,辰丑一千六百三十四,辰寅一千六百三十五,辰卯一千六百三十六,辰辰一千六百三十七,辰巳一千六百三十八,辰午一千六百三十九,辰未一千六百四十,辰申一千六百四十一,辰酉一千六百四十二,辰戌一千六百四十三,辰亥一千六百四十四。

第一百三十七運、天干は庚に配し、辰會第十七運である。本運は第一千六百三十三世から第一千六百四十四世までを統べる。子世は第一千六百三十三、その後丑・寅・卯・辰・巳・午と順遞して、未世でちょうど第一千六百四十に滿ち、さらに申・酉・戌・亥で第一千六百四十一から第一千六百四十四世までを補足する。この十二世は合わせて三百六十年で、一元十二萬九千六百年の中では第四萬八千九百六十一年から第四萬九千三百二十年に當たり、辰會が終わり告げるまではなお十三運ある。

星辛一百三十八

星辛一百三十八:辰子一千六百四十五,辰丑一千六百四十六,辰寅一千六百四十七,辰卯一千六百四十八,辰辰一千六百四十九,辰巳一千六百五十,辰午一千六百五十一,辰未一千六百五十二,辰申一千六百五十三,辰酉一千六百五十四,辰戌一千六百五十五,辰亥一千六百五十六。

第一百三十八運、天干は辛に配し、辰會第十八運である。その下の十二世は第一千六百四十五世から第一千六百五十六世までで、子に起こり亥に訖わり、十二地支が各々その一に當たる。世をもって計れば、全元は合わせて四千三百二十世で、本運終了に行き至ってすでに一千六百五十六世を過ぎ、なお二千六百六十四世殘る。年をもって計れば、本運三百六十年は一元の第四萬九千三百二十一年から第四萬九千六百八十年を占める。このたぐいの表は位次編號を列ねるだけで、年代に繫がる史事は後の午會諸運になって初めて注記がある。

星壬一百三十九

星壬一百三十九:辰子一千六百五十七,辰丑一千六百五十八,辰寅一千六百五十九,辰卯一千六百六十,辰辰一千六百六十一,辰巳一千六百六十二,辰午一千六百六十三,辰未一千六百六十四,辰申一千六百六十五,辰酉一千六百六十六,辰戌一千六百六十七,辰亥一千六百六十八。

第一百三十九運、天干は壬に配し、辰會第十九運である。十二世は順に子世第一千六百五十七、丑世第一千六百五十八、寅世第一千六百五十九、卯世第一千六百六十、以下辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は各々一數を增し、末世の亥は第一千六百六十八である。天干は壬に至って殘る一位で一輪に滿ちるので、本運と次の「星癸」が相接して、すなわち辰會における第二輪の十干が完成する。本運は三百六十年で、一元の第四萬九千六百八十一年から第五萬四十年に當たる。

星癸一百四十

星癸一百四十:辰子一千六百六十九,辰丑一千六百七十,辰寅一千六百七十一,辰卯一千六百七十二,辰辰一千六百七十三,辰巳一千六百七十四,辰午一千六百七十五,辰未一千六百七十六,辰申一千六百七十七,辰酉一千六百七十八,辰戌一千六百七十九,辰亥一千六百八十。

第一百四十運、天干は癸に配し、辰會第二十運である。癸は十干の末なので、本運が終われば辰會内の第二輪の天干が用い盡くされ、次の運はまた甲から起こる。管轄する十二世は第一千六百六十九世(子)から第一千六百八十世(亥)までで、其中の丑世はちょうど第一千六百七十に滿ち、亥世はちょうど第一千六百八十に滿ち、いずれも整數の位上がりである。本運は三百六十年で、一元の第五萬四十一年から第五萬四百年に當たり、この時全元十二萬九千六百年はすでに三分の一あまりを行き過ぎた。

星甲一百四十一

星甲一百四十一:辰子一千六百八十一,辰丑一千六百八十二,辰寅一千六百八十三,辰卯一千六百八十四,辰辰一千六百八十五,辰巳一千六百八十六,辰午一千六百八十七,辰未一千六百八十八,辰申一千六百八十九,辰酉一千六百九十,辰戌一千六百九十一,辰亥一千六百九十二。

第一百四十一運、天干は甲に重歸し、辰會第二十一運であり、また該會内の第三輪の天干の始まりでもある。本運の管轄する十二世は第一千六百八十一世から第一千六百九十二世までである。子世は第一千六百八十一、丑世は第一千六百八十二、寅世は第一千六百八十三、その後卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥と順次に遞加して、亥世第一千六百九十二に至るまでである。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第五萬四百一年から第五萬七百六十年に當たる。

星乙一百四十二

星乙一百四十二:辰子一千六百九十三,辰丑一千六百九十四,辰寅一千六百九十五,辰卯一千六百九十六,辰辰一千六百九十七,辰巳一千六百九十八,辰午一千六百九十九,辰未一千七百,辰申一千七百一,辰酉一千七百二,辰戌一千七百三,辰亥一千七百四。

第一百四十二運、天干は乙に配し、辰會第二十二運である。その下の十二世は第一千六百九十三世から起こり、前の七世子・丑・寅・卯・辰・巳・午は依然として一千六百の數に屬し、未世で第一千七百に滿ち、申・酉・戌・亥の四世が續いて第一千七百一世から第一千七百四世となる。邵雍の世の編次は朝代を分けず會次も分けず、ただ一元の初めから一路に數え下るので、整千の數がどの支に落ちるかは純粹に計數の至るままであり、別の義はない。本運は三百六十年で、一元の第五萬七百六十一年から第五萬一千一百二十年に當たる。

星丙一百四十三

星丙一百四十三:辰子一千七百五,辰丑一千七百六,辰寅一千七百七,辰卯一千七百八,辰辰一千七百九,辰巳一千七百十,辰午一千七百十一,辰未一千七百十二,辰申一千七百十三,辰酉一千七百十四,辰戌一千七百十五,辰亥一千七百十六。

第一百四十三運、天干は丙に配し、辰會第二十三運である。十二世は第一千七百五世から第一千七百十六世までで、子に起こり亥に終わり、地支が一周する。辰會の管轄する三十運はここまでですでに二十三運を過ぎ、殘るは七運。年をもって論ずれば、辰會一萬八百年のうちすでに八千二百八十年を行った。一世三十年はちょうど六十甲子の半分で、兩世相合して初めて一つの完整な甲子周となるので、本運の十二世は合わせて六つの甲子周に當たる。本運それ自身は三百六十年で、一元の第五萬一千一百二十一年から第五萬一千四百八十年に當たる。

星丁一百四十四

星丁一百四十四:辰子一千七百十七,辰丑一千七百十八,辰寅一千七百十九,辰卯一千七百二十,辰辰一千七百二十一,辰巳一千七百二十二,辰午一千七百二十三,辰未一千七百二十四,辰申一千七百二十五,辰酉一千七百二十六,辰戌一千七百二十七,辰亥一千七百二十八。

第一百四十四運、天干は丁に配し、辰會第二十四運である。管轄する十二世は第一千七百十七世(子)に起こり、第一千七百二十八世(亥)に訖わり、中間の卯世がちょうど第一千七百二十に滿ちる。一運十二世・一世三十年は、邵雍が數を推す基本の節拍である。世は最小の紀年單位、運は世の十二倍、會は運の三十倍、元はまた會の十二倍で、層層相乘して十二萬九千六百年を得る。本運はその中の第五萬一千四百八十一年から第五萬一千八百四十年に居る。

星戊一百四十五

星戊一百四十五:辰子一千七百二十九,辰丑一千七百三十,辰寅一千七百三十一,辰卯一千七百三十二,辰辰一千七百三十三,辰巳一千七百三十四,辰午一千七百三十五,辰未一千七百三十六,辰申一千七百三十七,辰酉一千七百三十八,辰戌一千七百三十九,辰亥一千七百四十。

第一百四十五運、天干は戊に配し、辰會第二十五運である。本運の十二世は第一千七百二十九世から第一千七百四十世までである。子世は第一千七百二十九、丑世はすなわち第一千七百三十に滿ち、此後寅から亥までの十世は順次に遞增し、亥世は正に第一千七百四十に滿ちる。表中の地支は重複せず編號は間斷しないので、任意の世號に據ってその所屬の運を逆推できる――世號から一を減じて十二で除し、さらに一を加えれば即得である。本運は三百六十年で、一元の第五萬一千八百四十一年から第五萬二千二百年に當たる。

星己一百四十六

星己一百四十六:辰子一千七百四十一,辰丑一千七百四十二,辰寅一千七百四十三,辰卯一千七百四十四,辰辰一千七百四十五,辰巳一千七百四十六,辰午一千七百四十七,辰未一千七百四十八,辰申一千七百四十九,辰酉一千七百五十,辰戌一千七百五十一,辰亥一千七百五十二。

第一百四十六運、天干は己に配し、辰會第二十六運である。管轄する十二世は第一千七百四十一世から第一千七百五十二世までで、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥が各々一世を主り、酉世がちょうど第一千七百五十に滿ちる。算法をもって核すれば、運號一百四十六から一を減じて一百四十五を得、十二を乘じて一千七百四十を得、一を加えればまさに本運の首世第一千七百四十一で、表の列ねるところと分毫も違わない。辰會の三十運はここまでで殘るは四運のみ、全會はまさに一萬八百年に滿ちんとする。本運は三百六十年で、一元十二萬九千六百年の中では第五萬二千二百一年から第五萬二千五百六十年に當たる。

星庚一百四十七

星庚一百四十七:辰子一千七百五十三,辰丑一千七百五十四,辰寅一千七百五十五,辰卯一千七百五十六,辰辰一千七百五十七,辰巳一千七百五十八,辰午一千七百五十九,辰未一千七百六十,辰申一千七百六十一,辰酉一千七百六十二,辰戌一千七百六十三,辰亥一千七百六十四。

第一百四十七運、天干は庚に配し、辰會第二十七運である。十二世の編號は第一千七百五十三世から第一千七百六十四世までで、其中の未世がちょうど第一千七百六十に滿ちる。地支が子を首とし亥を末とする所以は、邵雍が十二支をもって十二會を象り、また十二支をもって十二世を紀し、上下で同一の符號を用いて、その周り復まる始まりの義を取ったのであって、時を紀する時辰の名ではない。本運は三百六十年で、六つの六十甲子の周に合し、一元の第五萬二千五百六十一年から第五萬二千九百二十年に當たる。

星辛一百四十八

星辛一百四十八:辰子一千七百六十五,辰丑一千七百六十六,辰寅一千七百六十七,辰卯一千七百六十八,辰辰一千七百六十九,辰巳一千七百七十,辰午一千七百七十一,辰未一千七百七十二,辰申一千七百七十三,辰酉一千七百七十四,辰戌一千七百七十五,辰亥一千七百七十六。

第一百四十八運、天干は辛に配し、辰會第二十八運である。管轄する十二世は第一千七百六十五世に起こり、第一千七百七十六世に訖わり、子から亥まで順に配して、巳世がちょうど第一千七百七十に滿ちる。辰會はここに行き至ってすでに二十八運・一萬八十年で、殘るは兩運合わせて七百二十年のみで、まさに次の會に交入しようとしている。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世のうちすでに一千七百七十六世を行き、殘る二千五百四十四世は、なお已行の數より多い。本運は三百六十年で、一元の第五萬二千九百二十一年から第五萬三千二百八十年に當たる。

星壬一百四十九

星壬一百四十九:辰子一千七百七十七,辰丑一千七百七十八,辰寅一千七百七十九,辰卯一千七百八十,辰辰一千七百八十一,辰巳一千七百八十二,辰午一千七百八十三,辰未一千七百八十四,辰申一千七百八十五,辰酉一千七百八十六,辰戌一千七百八十七,辰亥一千七百八十八。

第一百四十九運、天干は壬に配し、辰會第二十九運である。十二世は第一千七百七十七世から第一千七百八十八世までで、子に起こり亥に終わり、編號は一路連貫して、卯世がちょうど第一千七百八十に滿ちる。本運がすでに畢われば、辰會は殘る最後の一運のみとなる。元をもって統計すれば、一元四千三百二十世はすでに一千七百八十八世を過ぎた。邵雍は《以元經會》諸篇で世までを推すに止め、世の下の逐年の數は別に《以運經世》に見え、兩者は相承えて詳略が異なる。本運は三百六十年で、一元の第五萬三千二百八十一年から第五萬三千六百四十年に當たる。

星癸一百五十

星癸一百五十:辰子一千七百八十九,辰丑一千七百九十,辰寅一千七百九十一,辰卯一千七百九十二,辰辰一千七百九十三,辰巳一千七百九十四,辰午一千七百九十五,辰未一千七百九十六,辰申一千七百九十七,辰酉一千七百九十八,辰戌一千七百九十九,辰亥一千八百。

第一百五十運、天干は癸に配し、第五會(辰會)三十運の中の最後の一運である。管轄する十二世は第一千七百八十九世から第一千八百世までである。子世は第一千七百八十九、丑世は第一千七百九十、以下寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌と順遞して、亥世がちょうど第一千八百に滿ちる。この數は正に一會三百六十世の積に合し――五會合わせて一千八百世・五萬四千年である。本運は三百六十年で、一元の第五萬三千六百四十一年から第五萬四千年に當たる。ここに至って辰會は終わり告げ、下篇は巳會に轉じる。

觀物篇六 以元經會六

日甲一,月巳六。

「日」は元を紀し、「月」は會を紀する。「日甲一」は本元が第一元で天干が甲に配することを指し、「月巳六」は紀するところの會が一元十二會の中の第六會で地支が巳に屬することを指す。この巳會は第一百五十一から第一百八十まで合わせて三十運を統べ、第一千八百一世から第二千一百六十世まで合わせて三百六十世を統べ、一萬八百年に合して、一元十二萬九千六百年の中では第五萬四千一年から第六萬四千八百年に當たる。「以元經會」とは、すなわち元を經とし會を緯として、會ごとにその下の運と世を鋪き開くことである。

星甲一百五十一

星甲一百五十一:辰子一千八百一,辰丑一千八百二,辰寅一千八百三,辰卯一千八百四,辰辰一千八百五,辰巳一千八百六,辰午一千八百七,辰未一千八百八,辰申一千八百九,辰酉一千八百十,辰戌一千八百十一,辰亥一千八百十二。

第一百五十一運、天干は甲に配し、巳會三十運の頭の一運である。管轄する十二世は第一千八百一世(子)から起こり、第一千八百十二世(亥)に終わり、十二地支が各々一世を主る。前會の末は第一千八百世に止まり、本運は第一千八百一世から接續するので、世の編號は全元を貫通して會次に隨って改めて起こらないことが分かる。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第五萬四千一年から第五萬四千三百六十年に當たる。

星乙一百五十二

星乙一百五十二:辰子一千八百十三,辰丑一千八百十四,辰寅一千八百十五,辰卯一千八百十六,辰辰一千八百十七,辰巳一千八百十八,辰午一千八百十九,辰未一千八百二十,辰申一千八百二十一,辰酉一千八百二十二,辰戌一千八百二十三,辰亥一千八百二十四。

第一百五十二運、天干は乙に配し、巳會第二運である。その下の十二世は第一千八百十三世から第一千八百二十四世までである。子世は第一千八百十三、丑・寅・卯・辰・巳・午と順遞して、未世がちょうど第一千八百二十に滿ち、申・酉・戌・亥がさらに續いて第一千八百二十一から第一千八百二十四世となる。巳會三十運はここまででまだ兩運・七百二十年を行っただけで、一會の滿に去ることはるか遠い。本運は三百六十年で、一元の第五萬四千三百六十一年から第五萬四千七百二十年に當たる。

星丙一百五十三

星丙一百五十三:辰子一千八百二十五,辰丑一千八百二十六,辰寅一千八百二十七,辰卯一千八百二十八,辰辰一千八百二十九,辰巳一千八百三十,辰午一千八百三十一,辰未一千八百三十二,辰申一千八百三十三,辰酉一千八百三十四,辰戌一千八百三十五,辰亥一千八百三十六。

第一百五十三運、天干は丙に配し、巳會第三運である。管轄する十二世は第一千八百二十五世に起こり、第一千八百三十六世に訖わり、子から亥まで各々一支を配する。運名の天干と世名の地支は各々自ら成周する。天干は十位なので每十運一復し、地支は十二位なので每運の内に自ら一周を成す。兩者の相配は六十甲子のように交錯して取るのではなく、層を分かち各々一級を管するので、一運の内の十二世の支名は必ず子から始まり亥をもって終わり、例外は一つもない。本運は三百六十年で、一元の第五萬四千七百二十一年から第五萬五千八十年に當たる。

星丁一百五十四

星丁一百五十四:辰子一千八百三十七,辰丑一千八百三十八,辰寅一千八百三十九,辰卯一千八百四十,辰辰一千八百四十一,辰巳一千八百四十二,辰午一千八百四十三,辰未一千八百四十四,辰申一千八百四十五,辰酉一千八百四十六,辰戌一千八百四十七,辰亥一千八百四十八。

第一百五十四運、天干は丁に配し、巳會第四運である。十二世は第一千八百三十七世から第一千八百四十八世までで、其中の卯世がちょうど第一千八百四十に滿ちる。會をもって計れば、巳會一萬八百年はここまですでに一千四百四十年を行き、元をもって計れば、本運は第五萬五千八十一年から第五萬五千四百四十年に當たる。表中は位次を標すだけで史事を列ねない。この一段は有史よりはるか前で、邵雍にも據るところがなく、ゆえにその數を存してその事を著さないからである。ここから以下二十餘運はすべて數あって事なく、午會の開篇に至って初めて夏禹に相接する。

星戊一百五十五

星戊一百五十五:辰子一千八百四十九,辰丑一千八百五十,辰寅一千八百五十一,辰卯一千八百五十二,辰辰一千八百五十三,辰巳一千八百五十四,辰午一千八百五十五,辰未一千八百五十六,辰申一千八百五十七,辰酉一千八百五十八,辰戌一千八百五十九,辰亥一千八百六十。

第一百五十五運、天干は戊に配し、巳會第五運である。管轄する十二世は第一千八百四十九世(子)から第一千八百六十世(亥)までで、丑世がちょうど第一千八百五十に滿ち、亥世がちょうど第一千八百六十に滿ちる。一運十二世を統べる格局は毎節すべて同じで、變わるのは編號と配する天干だけであり、これがまさに邵雍の推數「數をもって事を統べる」の體例である。まず時間の框架を排定し、次に史事をもってその中に填め込む。本運は三百六十年で、一元の第五萬五千四百四十一年から第五萬五千八百年に當たる。

星己一百五十六

星己一百五十六:辰子一千八百六十一,辰丑一千八百六十二,辰寅一千八百六十三,辰卯一千八百六十四,辰辰一千八百六十五,辰巳一千八百六十六,辰午一千八百六十七,辰未一千八百六十八,辰申一千八百六十九,辰酉一千八百七十,辰戌一千八百七十一,辰亥一千八百七十二。

第一百五十六運、天干は己に配し、巳會第六運である。十二世の編號は第一千八百六十一世から第一千八百七十二世までで、子に起こり亥に止まり、酉世がちょうど第一千八百七十に滿ちる。十二世のうち、子・丑・寅・卯・辰・巳の六世は前半に屬し、午・未・申・酉・戌・亥の六世は後半に屬して、各々一百八十年を領する。巳會三十運はここまですでに六運を行き、全會の五分の一を歩み終え、なお二十四運・八千六百四十年殘る。本運それ自身は三百六十年で、一元の第五萬五千八百一年から第五萬六千一百六十年に當たる。

星庚一百五十七

星庚一百五十七:辰子一千八百七十三,辰丑一千八百七十四,辰寅一千八百七十五,辰卯一千八百七十六,辰辰一千八百七十七,辰巳一千八百七十八,辰午一千八百七十九,辰未一千八百八十,辰申一千八百八十一,辰酉一千八百八十二,辰戌一千八百八十三,辰亥一千八百八十四。

第一百五十七運、天干は庚に配し、巳會第七運である。管轄する十二世は第一千八百七十三世から第一千八百八十四世までである。子・丑・寅・卯・辰・巳・午の七世は第一千八百七十三から第一千八百七十九まで遞り、未世は第一千八百八十に滿ち、申・酉・戌・亥は第一千八百八十四まで續く。運の干名と會中の位次は互いに檢できる。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚と來て、庚は十干の第七に居り、本運はまさに巳會の第七運で、兩處相符する。本運は三百六十年で、一元の第五萬六千一百六十一年から第五萬六千五百二十年に當たる。

星辛一百五十八

星辛一百五十八:辰子一千八百八十五,辰丑一千八百八十六,辰寅一千八百八十七,辰卯一千八百八十八,辰辰一千八百八十九,辰巳一千八百九十,辰午一千八百九十一,辰未一千八百九十二,辰申一千八百九十三,辰酉一千八百九十四,辰戌一千八百九十五,辰亥一千八百九十六。

第一百五十八運、天干は辛に配し、巳會第八運である。十二世は第一千八百八十五世から起こり第一千八百九十六世に止まり、地支は子から亥まで一周して盡き、巳世がちょうど第一千八百九十に滿ちる。およそ表に列ねるところは、橫に見れば一運の下の十二世であり、竝に見れば三十運が積みて一會を成し、十二會が積みて一元を成すのであり、本節はすなわちこの大表の中の一橫行である。巳會一萬八百年はここまですでに二千八百八十年を行き、なお七千九百二十年殘る。本運は三百六十年で、一元の第五萬六千五百二十一年から第五萬六千八百八十年に當たる。

星壬一百五十九

星壬一百五十九:辰子一千八百九十七,辰丑一千八百九十八,辰寅一千八百九十九,辰卯一千九百,辰辰一千九百一,辰巳一千九百二,辰午一千九百三,辰未一千九百四,辰申一千九百五,辰酉一千九百六,辰戌一千九百七,辰亥一千九百八。

第一百五十九運、天干は壬に配し、巳會第九運である。管轄する十二世は第一千八百九十七世から第一千九百八世までで、其中の卯世がちょうど第一千九百に滿ち、この後辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の八世が第一千九百一世から第一千九百八世となる。天干は壬に至り、本會の第一輪の十干はあと一位で滿ちるのみである。本運は三百六十年で、一元の第五萬六千八百八十一年から第五萬七千二百四十年に當たる。

星癸一百六十

星癸一百六十:辰子一千九百九,辰丑一千九百十,辰寅一千九百十一,辰卯一千九百十二,辰辰一千九百十三,辰巳一千九百十四,辰午一千九百十五,辰未一千九百十六,辰申一千九百十七,辰酉一千九百十八,辰戌一千九百十九,辰亥一千九百二十。

第一百六十運、天干は癸に配し、巳會第十運で、本會第一輪の天干はここに用い盡くされる。十二世は第一千九百九世から第一千九百二十世までである。子世は第一千九百九、丑世は第一千九百十に滿ち、亥世は第一千九百二十に滿ちる。十運は合わせて三千六百年で、まさに巳會一萬八百年の三分の一である。本運は三百六十年で、また六つの六十甲子の周に當たり、他の運と異なるところなく、一元の中では第五萬七千二百四十一年から第五萬七千六百年に居る。

星甲一百六十一

星甲一百六十一:辰子一千九百二十一,辰丑一千九百二十二,辰寅一千九百二十三,辰卯一千九百二十四,辰辰一千九百二十五,辰巳一千九百二十六,辰午一千九百二十七,辰未一千九百二十八,辰申一千九百二十九,辰酉一千九百三十,辰戌一千九百三十一,辰亥一千九百三十二。

第一百六十一運、天干は甲に復び起こり、巳會第十一運で、また本會第二輪の天干の首でもある。管轄する十二世は第一千九百二十一世から第一千九百三十二世までである。子・丑・寅の三世は第一千九百二十一から第一千九百二十三、その後卯から亥までの九世は順次に遞增し、酉世がちょうど第一千九百三十に滿ちる。會中の位次は干名に相應する。第十一運の干は甲に復び、第二十一運もまた然りで、一會三十運はちょうど三輪の十干を含む。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の中では第五萬七千六百一年から第五萬七千九百六十年に當たる。

星乙一百六十二

星乙一百六十二:辰子一千九百三十三,辰丑一千九百三十四,辰寅一千九百三十五,辰卯一千九百三十六,辰辰一千九百三十七,辰巳一千九百三十八,辰午一千九百三十九,辰未一千九百四十,辰申一千九百四十一,辰酉一千九百四十二,辰戌一千九百四十三,辰亥一千九百四十四。

第一百六十二運、天干は乙に配し、巳會第十二運である。十二世の編號は第一千九百三十三世から第一千九百四十四世までで、子に起こり亥に止まり、中間の未世は第一千九百四十に滿ちる。三十運は一會をなし、十二世は一運をなし、本運は會中でちょうど十二の數に居り、一運十二世を統べる數目と偶合するが、兩者は層級を異にするので混じて見てはならない。巳會はここまですでに四千三百二十年を行き、全會にはなお六千四百八十年殘る。本運は三百六十年で、一元の第五萬七千九百六十一年から第五萬八千三百二十年に當たる。

星丙一百六十三

星丙一百六十三:辰子一千九百四十五,辰丑一千九百四十六,辰寅一千九百四十七,辰卯一千九百四十八,辰辰一千九百四十九,辰巳一千九百五十,辰午一千九百五十一,辰未一千九百五十二,辰申一千九百五十三,辰酉一千九百五十四,辰戌一千九百五十五,辰亥一千九百五十六。

第一百六十三運、天干は丙に配し、巳會第十三運である。管轄する十二世は第一千九百四十五世から第一千九百五十六世までで、地支は子から亥まで各々その一を主り、巳世がちょうど第一千九百五十に滿ちる。世數をもって計れば、一元はおよそ四千三百二十世で、本運の末に行き至ってすでに一千九百五十六世に滿ち、なお二千三百六十四世殘る。本運三百六十年の内には全部で六つの六十甲子の周があり、每兩世が合して一周を成し、一元の第五萬八千三百二十一年から第五萬八千六百八十年に當たる。

星丁一百六十四

星丁一百六十四:辰子一千九百五十七,辰丑一千九百五十八,辰寅一千九百五十九,辰卯一千九百六十,辰辰一千九百六十一,辰巳一千九百六十二,辰午一千九百六十三,辰未一千九百六十四,辰申一千九百六十五,辰酉一千九百六十六,辰戌一千九百六十七,辰亥一千九百六十八。

第一百六十四運、天干は丁に配し、巳會第十四運である。十二世は第一千九百五十七世(子)に起こり、第一千九百六十八世(亥)に訖わり、其中の卯世がちょうど第一千九百六十に滿ちる。數をもって核すれば、運號一百六十四から一を減じて一百六十三を得、十二を乘じて一千九百五十六を得、一を加えればまさに本運の首世第一千九百五十七で、表中の編號に參差なきことが見える。この一段は依然として邃古徵なき世に屬し、表中に帝王の年號を著さず、ただ數序をもって位を標す。本運は三百六十年で、一元の第五萬八千六百八十一年から第五萬九千四十年に當たる。

星戊一百六十五

星戊一百六十五:辰子一千九百六十九,辰丑一千九百七十,辰寅一千九百七十一,辰卯一千九百七十二,辰辰一千九百七十三,辰巳一千九百七十四,辰午一千九百七十五,辰未一千九百七十六,辰申一千九百七十七,辰酉一千九百七十八,辰戌一千九百七十九,辰亥一千九百八十。

第一百六十五運、天干は戊に配し、巳會第十五運で、本會三十運の半ばに正しく當たる。管轄する十二世は第一千九百六十九世から第一千九百八十世までである。子世は第一千九百六十九、丑世は第一千九百七十に滿ち、亥世は第一千九百八十に滿ちる。本運の終了に至って、巳會はすでに五千四百年を行き、まさに一會一萬八百年の中點である。ここから以下十五運で、巳會はまさに數に滿ちて午會に交与しようとする。本運は三百六十年で、一元の第五萬九千四十一年から第五萬九千四百年に當たる。

星己一百六十六

星己一百六十六:辰子一千九百八十一,辰丑一千九百八十二,辰寅一千九百八十三,辰卯一千九百八十四,辰辰一千九百八十五,辰巳一千九百八十六,辰午一千九百八十七,辰未一千九百八十八,辰申一千九百八十九,辰酉一千九百九十,辰戌一千九百九十一,辰亥一千九百九十二。

第一百六十六運、天干は己に配し、巳會第十六運である。十二世は第一千九百八十一世から第一千九百九十二世までで、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥が順に配屬し、酉世がちょうど第一千九百九十に滿ちる。巳會一萬八百年はすでに五千七百六十年を行き、殘るは五千四十年である。巳會はすなわち一元の第六會であり、會の盡くる日は正に半元に當たるので、この數はすなわち本運が半元に距る數でもある。本運は三百六十年で、一元の中では第五萬九千四百一年から第五萬九千七百六十年に當たる。

星庚一百六十七

星庚一百六十七:辰子一千九百九十三,辰丑一千九百九十四,辰寅一千九百九十五,辰卯一千九百九十六,辰辰一千九百九十七,辰巳一千九百九十八,辰午一千九百九十九,辰未二千,辰申二千一,辰酉二千二,辰戌二千三,辰亥二千四。

第一百六十七運、天干は庚に配し、巳會第十七運である。管轄する十二世は第一千九百九十三世から第二千四世までである。子・丑・寅・卯・辰・巳の六世は第一千九百九十三から第一千九百九十八まで遞り、午世は第一千九百九十九、未世はちょうど二千に滿ち、申・酉・戌・亥の四世が續いて第二千一世から第二千四世となる。世數が二千に滿ちるのは流水號の位上がりにすぎず、格局に變動はない。本運は三百六十年で、一元の第五萬九千七百六十一年から第六萬一百二十年に當たる。

星辛一百六十八

星辛一百六十八:辰子二千五,辰丑二千六,辰寅二千七,辰卯二千八,辰辰二千九,辰巳二千十,辰午二千十一,辰未二千十二,辰申二千十三,辰酉二千十四,辰戌二千十五,辰亥二千十六。

第一百六十八運、天干は辛に配し、巳會第十八運である。十二世は第二千五世から第二千十六世までで、子に起こり亥に終わり、編號は連貫する。一元四千三百二十世のうち、ここに行き至ってすでに二千十六世を過ぎたが、なお半數に足りない。これで見れば、邵雍の擬した時間尺度はきわめて宏闊である。本運は三百六十年で、一元の第六萬一百二十一年から第六萬四百八十年に當たる。

星壬一百六十九

星壬一百六十九:辰子二千十七,辰丑二千十八,辰寅二千十九,辰卯二千二十,辰辰二千二十一,辰巳二千二十二,辰午二千二十三,辰未二千二十四,辰申二千二十五,辰酉二千二十六,辰戌二千二十七,辰亥二千二十八。

第一百六十九運、天干は壬に配し、巳會第十九運である。管轄する十二世は第二千十七世(子)から第二千二十八世(亥)までで、中間の卯世は第二千二十に滿ちる。天干は壬に輪り、次の一運の癸に相接して、本會の第二輪の十干が完成する。巳會はここまですでに六千八百四十年を行った。本運は三百六十年で、一元の第六萬四百八十一年から第六萬八百四十年に當たる。

星癸一百七十

星癸一百七十:辰子二千二十九,辰丑二千三十,辰寅二千三十一,辰卯二千三十二,辰辰二千三十三,辰巳二千三十四,辰午二千三十五,辰未二千三十六,辰申二千三十七,辰酉二千三十八,辰戌二千三十九,辰亥二千四十。

第一百七十運、天干は癸に配し、巳會第二十運で、本會第二輪の天干はここに用い盡くされ、次の運はまた甲から起こる。十二世は第二千二十九世から第二千四十世までである。子世は第二千二十九、丑世は第二千三十に滿ち、亥世は第二千四十に滿ちる。二十運は合わせて七千二百年で、巳會一萬八百年の三分の二を占める。本運は三百六十年で、一元の第六萬八百四十一年から第六萬一千二百年に當たる。

星甲一百七十一

星甲一百七十一:辰子二千四十一,辰丑二千四十二,辰寅二千四十三,辰卯二千四十四,辰辰二千四十五,辰巳二千四十六,辰午二千四十七,辰未二千四十八,辰申二千四十九,辰酉二千五十,辰戌二千五十一,辰亥二千五十二。

第一百七十一運、天干は甲に配し、巳會第二十一運で、本會第三輪の天干はここから始まる。管轄する十二世は第二千四十一世から第二千五十二世までで、子に起こり亥に止まり、十二支が各々一世に當たり、酉世がちょうど第二千五十に滿ちる。每世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元十二萬九千六百年の中では第六萬一千二百一年から第六萬一千五百六十年に當たる。

星乙一百七十二

星乙一百七十二:辰子二千五十三,辰丑二千五十四,辰寅二千五十五,辰卯二千五十六,辰辰二千五十七,辰巳二千五十八,辰午二千五十九,辰未二千六十,辰申二千六十一,辰酉二千六十二,辰戌二千六十三,辰亥二千六十四。

第一百七十二運、天干は乙に配し、巳會第二十二運である。十二世の編號は第二千五十三世から第二千六十四世までで、其中の未世がちょうど第二千六十に滿ちる。この運以後、巳會の殘るは八運・二千八百八十年に過ぎず、元をもって通計すれば、一元四千三百二十世もすでに二千六十四世を過ぎた。本運は三百六十年で、一元の第六萬一千五百六十一年から第六萬一千九百二十年に當たる。

星丙一百七十三

星丙一百七十三:辰子二千六十五,辰丑二千六十六,辰寅二千六十七,辰卯二千六十八,辰辰二千六十九,辰巳二千七十,辰午二千七十一,辰未二千七十二,辰申二千七十三,辰酉二千七十四,辰戌二千七十五,辰亥二千七十六。

第一百七十三運、天干は丙に配し、巳會第二十三運である。管轄する十二世は第二千六十五世から第二千七十六世までである。子・丑・寅・卯・辰の五世は第二千六十九まで遞り、巳世は第二千七十に滿ち、午から亥までの六世が續いて第二千七十一から第二千七十六となる。本運は三百六十年で、一元の第六萬一千九百二十一年から第六萬二千二百八十年に當たる。

星丁一百七十四

星丁一百七十四:辰子二千七十七,辰丑二千七十八,辰寅二千七十九,辰卯二千八十,辰辰二千八十一,辰巳二千八十二,辰午二千八十三,辰未二千八十四,辰申二千八十五,辰酉二千八十六,辰戌二千八十七,辰亥二千八十八。

第一百七十四運、天干は丁に配し、巳會第二十四運である。十二世は第二千七十七世から第二千八十八世までで、子に起こり亥に訖わり、地支が一周して、卯世がちょうど第二千八十に滿ちる。邵雍がこの表を列ねた意は、人に「時に定數あり」を示すにある。元は會を統べ、會は運を統べ、運は世を統べ、世は年を統べ、層層相攝して、どの一世を擧げてもその運・その會・その元に遡ることができる。本運は三百六十年で、一元の第六萬二千二百八十一年から第六萬二千六百四十年に當たる。

星戊一百七十五

星戊一百七十五:辰子二千八十九,辰丑二千九十,辰寅二千九十一,辰卯二千九十二,辰辰二千九十三,辰巳二千九十四,辰午二千九十五,辰未二千九十六,辰申二千九十七,辰酉二千九十八,辰戌二千九十九,辰亥二千一百。

第一百七十五運、天干は戊に配し、巳會第二十五運である。管轄する十二世は第二千八十九世から第二千一百世までである。子世は第二千八十九、丑世は第二千九十に滿ち、その後寅から戌まで順遞し、亥世がちょうど第二千百に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第六萬二千六百四十一年から第六萬三千年に當たり、巳會はここまですでに九千年を行き、殘るは一千八百年のみである。

星己一百七十六

星己一百七十六:辰子二千一百一,辰丑二千一百二,辰寅二千一百三,辰卯二千一百四,辰辰二千一百五,辰巳二千一百六,辰午二千一百七,辰未二千一百八,辰申二千一百九,辰酉二千一百十,辰戌二千一百十一,辰亥二千一百十二。

第一百七十六運、天干は己に配し、巳會第二十六運である。管轄する十二世は第二千百一世から第二千百十二世までである。子から申までの九世は順に第二千百一から第二千百九、酉世は第二千百十に滿ち、戌・亥の二世は第二千百十一・第二千百十二である。本運は三百六十年で、一元の第六萬三千一年から第六萬三千三百六十年に當たる。

星庚一百七十七

星庚一百七十七:辰子二千一百十三,辰丑二千一百十四,辰寅二千一百十五,辰卯二千一百十六,辰辰二千一百十七,辰巳二千一百十八,辰午二千一百十九,辰未二千一百二十,辰申二千一百二十一,辰酉二千一百二十二,辰戌二千一百二十三,辰亥二千一百二十四。

第一百七十七運、天干は庚に配し、巳會第二十七運である。十二世は第二千百十三世から第二千百二十四世までで、子に起こり亥に終わり、編號は一路連貫して、未世がちょうど第二千百二十に滿ちる。巳會三十運は殘る三運のみで、まさに一萬八百年に滿ちて午會に交入しようとしている。年をもって論ずれば、本會はすでに九千七百二十年を行き、殘るは一千八十年のみである。本運は三百六十年で、一元の第六萬三千三百六十一年から第六萬三千七百二十年に當たる。

星辛一百七十八

星辛一百七十八:辰子二千一百二十五,辰丑二千一百二十六,辰寅二千一百二十七,辰卯二千一百二十八,辰辰二千一百二十九,辰巳二千一百三十,辰午二千一百三十一,辰未二千一百三十二,辰申二千一百三十三,辰酉二千一百三十四,辰戌二千一百三十五,辰亥二千一百三十六。

第一百七十八運、天干は辛に配し、巳會第二十八運である。管轄する十二世は第二千百二十五世(子)から第二千百三十六世(亥)までで、中間の巳世がちょうど第二千百三十に滿ちる。元をもって通計すれば、四千三百二十世のうちすでに第二千百三十六世を過ぎ、半元に近い。巳會の殘るはただ兩運・七百二十年である。邵雍は三十運をもって一會を成すので、每會末尾の數運は、編號は依然として例のごとく遞進しても、實はすでに交會の際に臨んでいる。本運は三百六十年で、一元の第六萬三千七百二十一年から第六萬四千八十年に當たる。

星壬一百七十九

星壬一百七十九:辰子二千一百三十七,辰丑二千一百三十八,辰寅二千一百三十九,辰卯二千一百四十,辰辰二千一百四十一,辰巳二千一百四十二,辰午二千一百四十三,辰未二千一百四十四,辰申二千一百四十五,辰酉二千一百四十六,辰戌二千一百四十七,辰亥二千一百四十八。

第一百七十九運、天干は壬に配し、巳會第二十九運である。十二世は第二千百三十七世から第二千百四十八世までで、子に起こり亥に止まり、卯世がちょうど第二千百四十に滿ちる。この運がすでに畢われば、巳會は殘る最後の一運のみで、本會一萬八百年はすでに一萬四百四十年を行った。しかるに次の一運の末の四世はすなわち唐堯・虞舜の世に相接し、邵雍の編年はそこから始めて帝王の年號を繫ぐことができる。本運は三百六十年で、一元の第六萬四千八十一年から第六萬四千四百四十年に當たる。

星癸一百八十

星癸一百八十:辰子二千一百四十九,辰丑二千一百五十,辰寅二千一百五十一,辰卯二千一百五十二,辰辰二千一百五十三,辰巳二千一百五十四,辰午二千一百五十五,辰未二千一百五十六,辰申二千一百五十七、唐堯二十一,辰酉二千一百五十八、唐堯五十一,辰戌二千一百五十九、虞舜九,辰亥二千一百六十、虞舜三十九。

第一百八十運、天干は癸に配し、巳會三十運の末運である。管轄する十二世は第二千百四十九世から第二千百六十世までで、亥世は正に第二千百六十に滿ち、ちょうど六會が各々三百六十世を領した累積の數である。巳會はここに至って終わり告げ、一元はすでに六萬四千八百年を行き、正に半元に滿ちた。本節でもっとも注意すべきは、後の四世から帝王の紀年を注記し始めることである。申世第二千百五十七には「唐堯二十一」、酉世第二千百五十八には「唐堯五十一」、戌世第二千百五十九には「虞舜九」、亥世第二千百六十には「虞舜三十九」と注し、注する所はいずれもその世の起首の年に帝王が位に在ってからの年數である。ここから以下、邵雍の推數はすなわち中國正史の帝王世系に相接する。本運は三百六十年で、一元の第六萬四千四百四十一年から第六萬四千八百年に當たる。

皇極經世書卷二上

觀物篇七 以元經會七

日甲一,月午七。

「日甲一」は依然として本元が第一元で天干が甲に配することを指し、「月午七」は紀するところの會が一元十二會の中の第七會で地支が午に屬することを指す。午會は第一百八十一から第二百十まで合わせて三十運を統べ、第二千百六十一世から第二千五百二十世まで合わせて三百六十世を統べ、一萬八百年に合して、一元の中では第六萬四千八百一年から第七萬五千六百年に當たる。中國で史に考えうる帝王の世系は、本會開篇の夏禹から世ごとに表中に注入され、前の六會の數あって事なき空表とは判然と異なる。

星甲一百八十一

星甲一百八十一:辰子二千一百六十一、夏禹八,辰丑二千一百六十二、夏太康二,辰寅二千一百六十三、夏仲康二,辰卯二千一百六十四、夏王相二十,辰辰二千一百六十五、夏少康二十三,辰巳二千一百六十六、夏少康五十三,辰午二千一百六十七、夏王槐四,辰未二千一百六十八、夏芒八,辰申二千一百六十九、夏不降四,辰酉二千一百七十、夏不降三十四,辰戌二千一百七十一、夏扄五,辰亥二千一百七十二、夏廑十四。

第一百八十一運、天干は甲に配し、午會三十運の頭の一運で、管轄する十二世は第二千百六十一世から第二千百七十二世までである。每世の下に注する所は、その世の起首の年に當たる帝王とその在位年數である。子世は夏禹八年、丑世は夏太康二年、寅世は夏仲康二年、卯世は夏王相二十年、辰世は夏少康二十三年、巳世は夏少康五十三年、午世は夏王槐四年、未世は夏芒八年、申世は夏不降四年、酉世は夏不降三十四年、戌世は夏扄五年――「扄」はすなわち夏帝の扃――、亥世は夏廑十四年である。一世三十年なので、在位が三十年を逾える者は兩世に連ねて注し、少康・不降のごとく各々兩世を占める。本運は合わせて三百六十年で、一元の第六萬四千八百一年から第六萬五千一百六十年に當たり、まさに夏代の禹から廑までの一段である。

星乙一百八十二

星乙一百八十二:辰子二千一百七十三、夏孔甲二十三,辰丑二千一百七十四、夏發十一,辰寅二千一百七十五、夏癸二十二,辰卯二千一百七十六、夏癸五十二,辰辰二千一百七十七、商太甲十七,辰巳二千一百七十八、商沃丁十四,辰午二千一百七十九、商太庚十五,辰未二千一百八十、商雍巳三,辰申二千一百八十一、商太戊二十一,辰酉二千一百八十二、商太戊五十一,辰戌二千一百八十三、商仲丁六,辰亥二千一百八十四、商亶甲八。

第一百八十二運、天干は乙に配し、午會第二運で、管轄する十二世は第二千百七十三世から第二千百八十四世までである。子世は夏孔甲二十三年、丑世は夏發十一年、寅・卯の兩世はいずれも夏癸――すなわち夏桀――の二十二年と五十二年と注す。辰世から改めて商代に屬し、商太甲十七年とし、その下の巳世は商沃丁十四年、午世は商太庚十五年、未世は商雍巳三年、申・酉の兩世は同じく商太戊の二十一年と五十一年と注し、戌世は商仲丁六年、亥世は商亶甲八年である。およそ一君の號が兩世に重出する者は、いずれもその在位の年が兩世の界を跨ぐからで、兩處に注する年數は必ず三十を差とし、夏癸の二十二と五十二、太戊の二十一と五十一がその例である。夏商の易代はちょうど本運の中に落ちる。本運は三百六十年で、一元の第六萬五千一百六十一年から第六萬五千五百二十年に當たる。

星丙一百八十三

星丙一百八十三:辰子二千一百八十五、商祖辛八十,辰丑二千一百八十六、商沃甲二十四,辰寅二千一百八十七、商祖丁二十九,辰卯二千一百八十八、商陽甲二,辰辰二千一百八十九、商盤庚二十五,辰巳二千一百九十、商小乙六,辰午二千一百九十一、商武丁八,辰未二千一百九十二、商武丁二十八,辰申二千一百九十三、商祖甲二,辰酉二千一百九十四、商祖甲三十二,辰戌二千一百九十五、商武乙二,辰亥二千一百九十六、商帝乙二十五。

第一百八十三運、天干は丙に配し、午會第三運で、管轄する十二世は第二千百八十五世から第二千百九十六世までで、通節すべて商代に屬する。子世は商祖辛八十年と注す(底本はかくのごとく、その數は祖辛の在位の年と合わず、訛脫あるを疑う)、丑世は商沃甲二十四年、寅世は商祖丁二十九年、卯世は商陽甲二年、辰世は商盤庚二十五年、巳世は商小乙六年、午・未の兩世は同じく商武丁の八年と二十八年、申・酉の兩世は同じく商祖甲の二年と三十二年、戌世は商武乙二年、亥世は商帝乙二十五年を注す。本運の十二世の中、武丁・祖甲は各々兩世を占め、その餘の八君は各々一世を占め、合わせて正に十二を得る。本運は三百六十年で、一元の第六萬五千五百二十一年から第六萬五千八百八十年に當たる。

星丁一百八十四

星丁一百八十四:辰子二千一百九十七、商受辛十八,辰丑二千一百九十八、周成王九,辰寅二千一百九十九、周康王二,辰卯二千二百、周昭王六,辰辰二千二百一、周昭王三十六,辰巳二千二百二、周穆王十五,辰午二千二百三、周穆王四十五,辰未二千二百四、周懿王八,辰申二千二百五、周考王十三,辰酉二千二百六、周厲王十二,辰戌二千二百七、周厲王四十二,辰亥二千二百八、周宣王二十一。

第一百八十四運、天干は丁に配し、午會第四運で、管轄する十二世は第二千百九十七世から第二千二百八世までで、まさに商末周初に當たる。子世は商受辛十八年と注す――受辛はすなわち紂王。丑世から改めて周に屬し、周成王九年、寅世は周康王二年、卯・辰の兩世は同じく周昭王の六年と三十六年、巳・午の兩世は同じく周穆王の十五年と四十五年、未世は周懿王八年、申世は「周考王十三」と注す(考王は戰國の末に在り、この處の世次と合わず、まさに孝王の訛であるべし)、酉・戌の兩世は同じく周厲王の十二年と四十二年、亥世は周宣王二十一年である。その中で卯世の編號はちょうど第二千二百世に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第六萬五千八百八十一年から第六萬六千二百四十年に當たる。

星戊一百八十五

星戊一百八十五:辰子二千二百九、周幽王五,辰丑二千二百十、周平王二十四,辰寅二千二百十一、周桓王二,辰卯二千二百十二、周莊王十,辰辰二千二百十三、周惠王二十,辰巳二千二百十四、周襄王二十五,辰午二千二百十五、周定王十,辰未二千二百十六、周靈王五,辰申二千二百十七、周景王八,辰酉二千二百十八、周敬王十三,辰戌二千二百十九、周敬王四十三,辰亥二千二百二十、周貞王二十三。

第一百八十五運、天干は戊に配し、午會第五運で、管轄する十二世は第二千二百九世から第二千二百二十世までで、一節の內に西周の末と春秋の全體を函蓋する。子世は周幽王五年、丑世は周平王二十四年――平王が東遷し、春秋はここから始まる。寅世は周桓王二年、卯世は周莊王十年、辰世は周惠王二十年、巳世は周襄王二十五年、午世は周定王十年、未世は周靈王五年、申世は周景王八年、酉・戌の兩世は同じく周敬王の十三年と四十三年、亥世は周貞王二十三年である。十二世の中ただ敬王のみ兩世に重出し、餘は皆一世一君で、ここに春秋二百餘年の間の王位の更易の數を見ることができる。本運は三百六十年で、一元の第六萬六千二百四十一年から第六萬六千六百年に當たる。

星己一百八十六

星己一百八十六:辰子二千二百二十一、周威烈九,辰丑二千二百二十二、周安王十五,辰寅二千二百二十三、周顯王十六,辰卯二千二百二十四、周顯王十七,辰辰二千二百二十五、周赧王十八,辰巳二千二百二十六、周赧王四十八,辰午二千二百二十七、秦始皇十,辰未二千二百二十八、漢高祖元,辰申二千二百二十九、漢文帝四,辰酉二千二百三十、漢景帝十,辰戌二千二百三十一、漢武帝二十四,辰亥二千二百三十二、漢武帝五十四。

第一百八十六運、天干は己に配し、午會第六運で、管轄する十二世は第二千二百二十一世から第二千二百三十二世までで、戰國・秦を歷て西漢に入る。子世は周威烈王九年、丑世は周安王十五年、寅世は周顯王十六年、卯世もまた周顯王十七年と注す――兩世は實に三十年相へだたり、この處の底本の數字は脫誤あるを疑う。辰・巳の兩世は同じく周赧王の十八年と四十八年、午世は秦始皇十年、未世は漢高祖元年、申世は漢文帝四年、酉世は漢景帝十年、戌・亥の兩世は同じく漢武帝の二十四年と五十四年を注す。周顯王・周赧王・漢武帝の三君は各々兩世を占め、その餘の六君は各々一世を占める。本運の一節は周の衰・秦の興・漢の盛を跨ぎ、凡そ三姓が遞嬗した。本運は三百六十年で、一元の第六萬六千六百一年から第六萬六千九百六十年に當たる。

星庚一百八十七

星庚一百八十七:辰子二千二百三十三、漢宣帝十七,辰丑二千二百三十四、漢成帝六,辰寅二千二百三十五、漢平帝四,辰卯二千二百三十六、漢光武十一,辰辰二千二百三十七、漢明帝七,辰巳二千二百三十八、漢和帝六,辰午二千二百三十九、漢安帝十八,辰未二千二百四十、漢桓帝八,辰申二千二百四十一、漢靈帝十七,辰酉二千二百四十二、漢獻帝二十五,辰戌二千二百四十三、魏帝芳五、蜀帝禪三十二、吳帝權二十二,辰亥二千二百四十四、晉武帝十、吳帝皓十二。

第一百八十七運、天干は庚に配し、午會第七運で、管轄する十二世は第二千二百三十三世から第二千二百四十四世までで、西漢中葉から東漢を歷て三國・西晉に入る。子世は漢宣帝十七年、丑世は漢成帝六年、寅世は漢平帝四年、卯世は漢光武十一年、辰世は漢明帝七年、巳世は漢和帝六年、午世は漢安帝十八年、未世は漢桓帝八年、申世は漢靈帝十七年、酉世は漢獻帝二十五年を注す。戌世から天下分裂したので、一世に三國の君を竝列する。魏帝芳五年・蜀帝禪三十二年・吳帝權二十二年。亥世は竝びに晉武帝十年と吳帝皓十二年を注し、もって晉がすでに魏に代わり吳がいまだ平らがざるを見せる。この運の一節は、正統の在る所が漢より魏・蜀・吳の竝立となり、再び晉に歸したので、注文も一君より三君・兩君となり、時勢に隨って增損する。全表の體例のもっとも變化に富む一處である。本運は三百六十年で、一元の第六萬六千九百六十一年から第六萬七千三百二十年に當たる。

星辛一百八十八

星辛一百八十八:辰子二千二百四十五、晉惠帝十四,辰丑二千二百四十六、晉成帝九,辰寅二千二百四十七、晉哀帝三,辰卯二千二百四十八、晉武帝二十二、後魏道武一,辰辰二千二百四十九、宋帝義隆元、後魏太武元,辰巳二千二百五十、宋武帝二、後魏文成三,辰午二千二百五十一、齊武帝二、後魏孝文十四,辰未二千二百五十二、梁武帝十三、後魏宣武十五,辰申二千二百五十三、梁武帝四十三、西魏文帝十一,辰酉二千二百五十四、陳宣帝七、後周武帝十五,辰戌二千二百五十五、隋煬帝元,辰亥二千二百五十六、唐太宗九。

第一百八十八運、天干は辛に配し、午會第八運で、管轄する十二世は第二千二百四十五世から第二千二百五十六世までで、兩晉・南北朝を歷て唐初に至る。子世は晉惠帝十四年、丑世は晉成帝九年、寅世は晉哀帝三年、卯世は晉武帝二十二年(世次に依ればまさに孝武帝であるべし)を注し、竝びに後魏道武帝元年を注す。卯世より以下は南北竝立したので、每世に兩朝の君を兼ねて注す。辰世は宋帝義隆元年と後魏太武帝元年――義隆はすなわち宋文帝、巳世は宋武帝二年と後魏文成帝三年、午世は齊武帝二年と後魏孝文帝十四年、未世は梁武帝十三年と後魏宣武帝十五年、申世は梁武帝四十三年と西魏文帝十一年、酉世は陳宣帝七年と後周武帝十五年。戌世に至って天下は再び合し、ただ隋煬帝元年を注し、亥世は唐太宗九年を注す。本運は三百六十年で、一元の第六萬七千三百二十一年から第六萬七千六百八十年に當たる。

星壬一百八十九

星壬一百八十九:辰子二千二百五十七、唐高宗十五,辰丑二千二百五十八、唐中宗十一,辰寅二千二百五十九、唐玄宗十三,辰卯二千二百六十、唐玄宗四十三,辰辰二千二百六十一、唐德宗五,辰巳二千二百六十二、唐憲宗九,辰午二千二百六十三、唐武宗四,辰未二千二百六十四、唐僖宗元,辰申二千二百六十五、唐昭宗十六,辰酉二千二百六十六,辰戌二千二百六十七、宋太祖五,辰亥二千二百六十八、宋太宗十九。

第一百八十九運、天干は壬に配し、午會第九運で、管轄する十二世は第二千二百五十七世から第二千二百六十八世までで、盛唐・中晚唐を歷て北宋に入る。子世は唐高宗十五年、丑世は唐中宗十一年、寅・卯の兩世は同じく唐玄宗の十三年と四十三年、辰世は唐德宗五年、巳世は唐憲宗九年、午世は唐武宗四年、未世は唐僖宗元年、申世は唐昭宗十六年を注す。酉世第二千二百六十六は獨り年號を著さず、その時はまさに五代の更迭で正統の屬する所がなかったので、闕いて書かなかった。戌世は宋太祖五年、亥世は宋太宗十九年を注す。唐一代の君は、高宗から昭宗まで凡そ九世を注し、宋は太祖から始めて、次の一運の仁宗に相接する。本運は三百六十年で、一元の第六萬七千六百八十一年から第六萬八千四十年に當たる。

星癸一百九十

星癸一百九十:辰子二千二百六十九、宋仁宗二,辰丑二千二百七十、宋仁宗三十二,辰寅二千二百七十一,辰卯二千二百七十二,辰辰二千二百七十三,辰巳二千二百七十四,辰午二千二百七十五,辰未二千二百七十六,辰申二千二百七十七,辰酉二千二百七十八,辰戌二千二百七十九,辰亥二千二百八十。

第一百九十運、天干は癸に配し、午會第十運で、管轄する十二世は第二千二百六十九世から第二千二百八十世までである。子世は宋仁宗二年、丑世は宋仁宗三十二年と注し、この後寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十世は皆空しく注する所なし。邵雍は身を仁宗・英宗・神宗の朝に在り、丑世の第二千二百七十はまさにその生の年前後に當たり、編年はここに至ってすでに當代に入り、さらに下ればすなわち未來で、繫ぐべき史なし。ゆえにただその數を存してその事を書かない。全表のここから以下の空行は、皆この緣故であって、脫漏ではない。本運は三百六十年で、一元の第六萬八千四十一年から第六萬八千四百年に當たる。

星甲一百九十一

星甲一百九十一:辰子二千二百八十一,辰丑二千二百八十二,辰寅二千二百八十三,辰卯二千二百八十四,辰辰二千二百八十五,辰巳二千二百八十六,辰午二千二百八十七,辰未二千二百八十八,辰申二千二百八十九,辰酉二千二百九十,辰戌二千二百九十一,辰亥二千二百九十二。

第一百九十一運、天干は甲に配し、午會第十一運で、本會第二輪の天干はここから起算する。管轄する十二世は第二千二百八十一世から第二千二百九十二世までで、子・丑・寅の三世は第二千二百八十一から第二千二百八十三、その後卯から亥までの九世は順に遞加し、酉世がちょうど第二千二百九十に滿ちる。ここより下は皆邵雍の身後の數で、表中に再び帝王の年號を注さず、ただ編號を留めて來者を待つ。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第六萬八千四百一年から第六萬八千七百六十年に當たる。

星乙一百九十二

星乙一百九十二:辰子二千二百九十三,辰丑二千二百九十四,辰寅二千二百九十五,辰卯二千二百九十六,辰辰二千二百九十七,辰巳二千二百九十八,辰午二千二百九十九,辰未二千三百,辰申二千三百一,辰酉二千三百二,辰戌二千三百三,辰亥二千三百四。

第一百九十二運、天干は乙に配し、午會第十二運である。十二世は第二千二百九十三世から第二千三百四世まで。子から午までの七世は遞って第二千二百九十三から第二千二百九十九、未世はちょうど第二千三百に滿ち、申・酉・戌・亥の四世は續いて第二千三百一から第二千三百四世である。午會三十運はすでに十二運・四千三百二十年を行った。本運は三百六十年で、一元の第六萬八千七百六十一年から第六萬九千百二十年に當たる。

星丙一百九十三

星丙一百九十三:辰子二千三百五,辰丑二千三百六,辰寅二千三百七,辰卯二千三百八,辰辰二千三百九,辰巳二千三百十,辰午二千三百十一,辰未二千三百十二,辰申二千三百十三,辰酉二千三百十四,辰戌二千三百十五,辰亥二千三百十六。

第一百九十三運、天干は丙に配し、午會第十三運である。管轄する十二世は第二千三百五世から第二千三百十六世までで、地支は子から亥まで各々一世を主る。午會一萬八百年はここまですでに四千六百八十年を行き、一元四千三百二十世もすでに第二千三百十六世を過ぎ、半を越えてやや多し。本運は三百六十年で、一元の第六萬九千百二十一年から第六萬九千四百八十年に當たる。

星丁一百九十四

星丁一百九十四:辰子二千三百十七,辰丑二千三百十八,辰寅二千三百十九,辰卯二千三百二十,辰辰二千三百二十一,辰巳二千三百二十二,辰午二千三百二十三,辰未二千三百二十四,辰申二千三百二十五,辰酉二千三百二十六,辰戌二千三百二十七,辰亥二千三百二十八。

第一百九十四運、天干は丁に配し、午會第十四運である。十二世は第二千三百十七世から第二千三百二十八世までで、其中の卯世がちょうど第二千三百二十に滿ちる。邵雍がこの表を編んだ本意は、某年某事を預言するに在らず、人に時間は自ら節度あることを示すに在る。史あれども史なかれども、元會運世の數目は同じく推移する。午會一萬八百年はここまですでに五千四十年を行き、まさに半に及ばんとす。本運は三百六十年で、一元の第六萬九千四百八十一年から第六萬九千八百四十年に當たる。

星戊一百九十五

星戊一百九十五:辰子二千三百二十九,辰丑二千三百三十,辰寅二千三百三十一,辰卯二千三百三十二,辰辰二千三百三十三,辰巳二千三百三十四,辰午二千三百三十五,辰未二千三百三十六,辰申二千三百三十七,辰酉二千三百三十八,辰戌二千三百三十九,辰亥二千三百四十。

第一百九十五運、天干は戊に配し、午會第十五運で、ちょうど本會三十運の中に居る。管轄する十二世は第二千三百二十九世から第二千三百四十世まで。子世は第二千三百二十九、丑世は第二千三百三十に滿ち、亥世は第二千三百四十に滿ちる。本運終了に至り、午會はすでに五千四百年を行き、まさに一會一萬八百年の半に當たる。一元十二萬九千六百年もまたすでに七萬二百年を過ぎ、その半を越えて五千四百年を餘す。本運は三百六十年で、一元の第六萬九千八百四十一年から第七萬二百年に當たる。

星己一百九十六

星己一百九十六:辰子二千三百四十一,辰丑二千三百四十二,辰寅二千三百四十三,辰卯二千三百四十四,辰辰二千三百四十五,辰巳二千三百四十六,辰午二千三百四十七,辰未二千三百四十八,辰申二千三百四十九,辰酉二千三百五十,辰戌二千三百五十一,辰亥二千三百五十二。

第一百九十六運、天干は己に配し、午會第十六運である。十二世は第二千三百四十一世から第二千三百五十二世まで。子から申までの九世は順に遞って第二千三百四十九まで、酉世は第二千三百五十に滿ち、戌・亥の二世は第二千三百五十一・第二千三百五十二である。午會三十運はすでに十六運・五千七百六十年を行き、餘る所は十四運・五千四十年。運號はここに至って一百九十六で、一元三百六十運はなお一百六十四運を餘す。本運は三百六十年で、一元の第七萬二百一年から第七萬五百六十年に當たる。

星庚一百九十七

星庚一百九十七:辰子二千三百五十三,辰丑二千三百五十四,辰寅二千三百五十五,辰卯二千三百五十六,辰辰二千三百五十七,辰巳二千三百五十八,辰午二千三百五十九,辰未二千三百六十,辰申二千三百六十一,辰酉二千三百六十二,辰戌二千三百六十三,辰亥二千三百六十四。

第一百九十七運、天干は庚に配し、午會第十七運である。管轄する十二世は第二千三百五十三世から第二千三百六十四世までで、子に起こり亥に終わり、編號は連貫して、未世がちょうど第二千三百六十に滿ちる。運名の天干はただ次第を標するのみで、吉凶を寓せず、世名の地支もまた然りで、占算の用いる干支納音とは竝び相渉らない。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千三百六十四世を過ぎ、なお一千九百五十六世を餘す。本運は三百六十年で、一元の第七萬五百六十一年から第七萬九百二十年に當たる。

星辛一百九十八

星辛一百九十八:辰子二千三百六十五,辰丑二千三百六十六,辰寅二千三百六十七,辰卯二千三百六十八,辰辰二千三百六十九,辰巳二千三百七十,辰午二千三百七十一,辰未二千三百七十二,辰申二千三百七十三,辰酉二千三百七十四,辰戌二千三百七十五,辰亥二千三百七十六。

第一百九十八運、天干は辛に配し、午會第十八運である。十二世は第二千三百六十五世から第二千三百七十六世までで、其中の巳世がちょうど第二千三百七十に滿ちる。午會三十運の餘る所はなお十二運・四千三百二十年あり、世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千三百七十六世を過ぎた。およそ表中の一行は、皆この三重の數目――運號・世號と年數――を兼ね、讀者はどの一項によってもその餘の二項を推し得る。本運は三百六十年で、一元の第七萬九百二十一年から第七萬一千二百八十年に當たる。

星壬一百九十九

星壬一百九十九:辰子二千三百七十七,辰丑二千三百七十八,辰寅二千三百七十九,辰卯二千三百八十,辰辰二千三百八十一,辰巳二千三百八十二,辰午二千三百八十三,辰未二千三百八十四,辰申二千三百八十五,辰酉二千三百八十六,辰戌二千三百八十七,辰亥二千三百八十八。

第一百九十九運、天干は壬に配し、午會第十九運である。管轄する十二世は第二千三百七十七世(子)から第二千三百八十八世(亥)までで、十二支が一周し、卯世がちょうど第二千三百八十に滿ちる。天干は壬に至り、次の運の癸に相接すれば本會の第二輪の十干を滿たす。午會一萬八百年はすでに六千八百四十年を行き、餘る所は三千九百六十年・十一運。この下、運數はまさに二百に滿ちんとし、全表中の一つの整齊した節點である。本運は三百六十年で、一元の第七萬一千二百八十一年から第七萬一千六百四十年に當たる。

星癸二百

星癸二百:辰子二千三百八十九,辰丑二千三百九十,辰寅二千三百九十一,辰卯二千三百九十二,辰辰二千三百九十三,辰巳二千三百九十四,辰午二千三百九十五,辰未二千三百九十六,辰申二千三百九十七,辰酉二千三百九十八,辰戌二千三百九十九,辰亥二千四百。

第二百運、天干は癸に配し、午會第二十運で、本會第二輪の天干はここに用い盡くされる。十二世は第二千三百八十九世から第二千四百世まで。子世は第二千三百八十九、丑世は第二千三百九十に滿ち、その後寅から戌まで順遞し、亥世がちょうど第二千四百に滿ちる。運數はここに至ってちょうど二百に滿ち、一元三百六十運はすでにその半を行き過ぎ、年數もまた七萬二千に滿ち、午會一萬八百年はすでに七千二百年を行った。本運は三百六十年で、一元の第七萬一千六百四十一年から第七萬二千年に當たる。

星甲二百一

星甲二百一:辰子二千四百一,辰丑二千四百二,辰寅二千四百三,辰卯二千四百四,辰辰二千四百五,辰巳二千四百六,辰午二千四百七,辰未二千四百八,辰申二千四百九,辰酉二千四百十,辰戌二千四百十一,辰亥二千四百十二。

第二百一運、天干は再び甲から起こり、午會第二十一運で、本會第三輪の天干はここから始まる。管轄する十二世は第二千四百一世から第二千四百十二世まで。子から酉までの十世は遞って第二千四百一から第二千四百十、戌・亥の二世は第二千四百十一・第二千四百十二である。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第七萬二千一年から第七萬二千三百六十年に當たる。

星乙二百二

星乙二百二:辰子二千四百十三,辰丑二千四百十四,辰寅二千四百十五,辰卯二千四百十六,辰辰二千四百十七,辰巳二千四百十八,辰午二千四百十九,辰未二千四百二十,辰申二千四百二十一,辰酉二千四百二十二,辰戌二千四百二十三,辰亥二千四百二十四。

第二百二運、天干は乙に配し、午會第二十二運である。十二世は第二千四百十三世から第二千四百二十四世までで、子に起こり亥に訖わり、其中の未世がちょうど第二千四百二十に滿ちる。午會三十運はただ八運・二千八百八十年を餘すのみで、まさに未會に交入しようとしている。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千四百二十四世を過ぎた。本運は午會第三輪の十干の中で第二位に居る。本運は三百六十年で、一元の第七萬二千三百六十一年から第七萬二千七百二十年に當たる。

星丙二百三

星丙二百三:辰子二千四百二十五,辰丑二千四百二十六,辰寅二千四百二十七,辰卯二千四百二十八,辰辰二千四百二十九,辰巳二千四百三十,辰午二千四百三十一,辰未二千四百三十二,辰申二千四百三十三,辰酉二千四百三十四,辰戌二千四百三十五,辰亥二千四百三十六。

第二百三運、天干は丙に配し、午會第二十三運である。管轄する十二世は第二千四百二十五世から第二千四百三十六世までで、十二地支が各々一世に當たり、巳世がちょうど第二千四百三十に滿ちる。世數について言えば、一元四千三百二十世はここまで行ってすでに第二千四百三十六世を過ぎ、なお一千八百八十四世を餘す。年數について言えば、午會一萬八百年はすでに八千二百八十年を行き、餘る所は二千五百二十年。本運は三百六十年で、一元の第七萬二千七百二十一年から第七萬三千八十年に當たる。

星丁二百四

星丁二百四:辰子二千四百三十七,辰丑二千四百三十八,辰寅二千四百三十九,辰卯二於四百四十,辰辰二千四百四十一,辰巳二千四百四十二,辰午二千四百四十三,辰未二千四百四十四,辰申二千四百四十五,辰酉二千四百四十六,辰戌二千四百四十七,辰亥二千四百四十八。

第二百四運、天干は丁に配し、午會第二十四運である。管轄する十二世は第二千四百三十七世から第二千四百四十八世まで。其中の卯世は底本に「二于四百四十」と刻まれており、「于」は「千」の字の訛で、まさに第二千四百四十世と讀むべきである。今は依然として底本の原文を存し、改易を加えない。その餘の各世は子・丑・寅が前に、辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥が後にあり、編號は順次遞增して一として間斷なし。午會はここまですでに二十四運・八千六百四十年を行った。本運は三百六十年で、一元の第七萬三千八十一年から第七萬三千四百四十年に當たる。

星戊二百五

星戊二百五:辰子二千四百四十九,辰丑二千四百五十,辰寅二千四百五十一,辰卯二千四百五十二,辰辰二千四百五十三,辰巳二千四百五十四,辰午二千四百五十五,辰未二千四百五十六,辰申二千四百五十七,辰酉二千四百五十八,辰戌二千四百五十九,辰亥二千四百六十。

第二百五運、天干は戊に配し、午會第二十五運である。十二世は第二千四百四十九世から第二千四百六十世まで。子世は第二千四百四十九、丑世は第二千四百五十に滿ち、亥世は第二千四百六十に滿ちる。およそ整十整百の數に遇うは、皆流水の編號が自然に進位するのであって、配する所の地支と對應の理はない。午會の餘るは五運・一千八百年。一元三百六十運はすでに第二百五運を行った。本運は三百六十年で、一元の第七萬三千四百四十一年から第七萬三千八百年に當たる。

星己二百六

星己二百六:辰子二千四百六十一,辰丑二千四百六十二,辰寅二千四百六十三,辰卯二千四百六十四,辰辰二千四百六十五,辰巳二千四百六十六,辰午二千四百六十七,辰未二千四百六十八,辰申二千四百六十九,辰酉二千四百七十,辰戌二千四百七十一,辰亥二千四百七十二。

第二百六運、天干は己に配し、午會第二十六運である。管轄する十二世は第二千四百六十一世(子)から第二千四百七十二世(亥)までで、中間の酉世がちょうど第二千四百七十に滿ちる。午會はここに至ってただ四運・一千四百四十年を餘すのみ。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はここまで行ってすでに第二千四百七十二世を過ぎ、なお一千八百四十八世を餘す。邵雍のいわゆる「會」は、一會一萬八百年で、正に一元十二萬九千六百年の十二分の一である。本運は三百六十年で、一元の第七萬三千八百一年から第七萬四千百六十年に當たる。

星庚二百七

星庚二百七:辰子二千四百七十三,辰丑二千四百七十四,辰寅二千四百七十五,辰卯二千四百七十六,辰辰二千四百七十七,辰巳二千四百七十八,辰午二千四百七十九,辰未二千四百八十,辰申二千四百八十一,辰酉二千四百八十二,辰戌二千四百八十三,辰亥二千四百八十四。

第二百七運、天干は庚に配し、午會第二十七運である。十二世は第二千四百七十三世から第二千四百八十四世までで、子に起こり亥に終わり、未世がちょうど第二千四百八十に滿ちる。この運以下の三運がすでに畢われば、午會一萬八百年はすなわち圓滿を告げ、表次は以元經會の八に轉入する。本會はすでに九千七百二十年を行き、餘る所は一千八十年で、正に三運の數に合する。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千四百八十四世を過ぎた。本運は三百六十年で、一元の第七萬四千百六十一年から第七萬四千五百二十年に當たる。

星辛二百八

星辛二百八:辰子二千四百八十五,辰丑二千四百八十六,辰寅二千四百八十七,辰卯二千四百八十八,辰辰二千四百八十九,辰巳二千四百九十,辰午二千四百九十一,辰未二千四百九十二,辰申二千四百九十三,辰酉二千四百九十四,辰戌二千四百九十五,辰亥二千四百九十六。

第二百八運、天干は辛に配し、午會第二十八運である。管轄する十二世は第二千四百八十五世から第二千四百九十六世までで、其中の巳世がちょうど第二千四百九十に滿ちる。年をもって計れば、午會一萬八百年はすでに一萬八十年を行き、ただ七百二十年を餘す。世をもって計れば、一元四千三百二十世はすでに第二千四百九十六世を過ぎた。本運は午會第三輪の十干の中で第八位に居り、前の兩輪の辛運と相へだつこと各々十運である。本運は三百六十年で、一元の第七萬四千五百二十一年から第七萬四千八百八十年に當たる。

星壬二百九

星壬二百九:辰子二千四百九十七,辰丑二千四百九十八,辰寅二千四百九十九,辰卯二千五百,辰辰二千五百一,辰巳二千五百二,辰午二千五百三,辰未二千五百四,辰申二千五百五,辰酉二千五百六,辰戌二千五百七,辰亥二千五百八。

第二百九運、天干は壬に配し、午會第二十九運である。十二世は第二千四百九十七世から起こり、子・丑・寅の三世は第二千四百九十七から第二千四百九十九、卯世はちょうど第二千五百に滿ち、その後辰から亥までの八世は第二千五百一から第二千五百八世である。午會の餘るはこの一運と次の一運のみ。本運は三百六十年で、一元の第七萬四千八百八十一年から第七萬五千二百四十年に當たる。

星癸二百十

星癸二百十:辰子二千五百九,辰丑二千五百十,辰寅二千五百十一,辰卯二千五百十二,辰辰二千五百十三,辰巳二千五百十四,辰午二千五百十五,辰未二千五百十六,辰申二千五百十七,辰酉二千五百十八,辰戌二千五百十九,辰亥二千五百二十。

第二百十運、天干は癸に配し、午會三十運の最後の一運である。管轄する十二世は第二千五百九世から第二千五百二十世までで、亥世は正に第二千五百二十に滿ち、ちょうど七會が各々三百六十世を領した累積の數である。午會は合わせて三十運・三百六十世・一萬八百年で、前の六會と異ならず、ここに至って終わり告げ、一元はすでに七萬五千六百年を行った。本運自身は三百六十年で、一元の第七萬五千二百四十一年から第七萬五千六百年に當たり、ここより下は未會に轉入する。

觀物篇八 以元經會八

日甲一,月未八。

「日甲一」は本元が第一元で天干が甲に配することを謂い、「月未八」は紀するところの會が一元十二會の中の第八會で地支が未に屬することを謂う。未會は第二百十一から第二百四十まで合わせて三十運を統べ、第二千五百二十一世から第二千八百八十世まで合わせて三百六十世を統べ、一萬八百年に合して、一元の中では第七萬五千六百一年から第八萬六千四百年に當たる。この會は全く邵雍の身後に在るので、通篇ただ編號を列ねるのみで、史事を著さない。

星甲二百十一

星甲二百十一:辰子二千五百二十一,辰丑二千五百二十二,辰寅二千五百二十三,辰卯二千五百二十四,辰辰二千五百二十五,辰巳二千五百二十六,辰午二千五百二十七,辰未二千五百二十八,辰申二千五百二十九,辰酉二千五百三十,辰戌二千五百三十一,辰亥二千五百三十二。

第二百十一運、天干は甲に配し、未會三十運の頭の一運である。管轄する十二世は第二千五百二十一世から第二千五百三十二世までで、子に起こり亥に止まり、十二地支が各々一世を主り、酉世がちょうど第二千五百三十に滿ちる。前會は第二千五百二十世に終わり、本運は第二千五百二十一世から接續し、世號は依然として一線に貫き下り、會を換えるによって重ねて頭に戻らない。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第七萬五千六百一年から第七萬五千九百六十年に當たる。

星乙二百十二

星乙二百十二:辰子二千五百三十三,辰丑二千五百三十四,辰寅二千五百三十五,辰卯二千五百三十六,辰辰二千五百三十七,辰巳二千五百三十八,辰午二千五百三十九,辰未二千五百四十,辰申二千五百四十一,辰酉二千五百四十二,辰戌二千五百四十三,辰亥二千五百四十四。

第二百十二運、天干は乙に配し、未會第二運である。十二世は第二千五百三十三世から第二千五百四十四世までで、其中の未世がちょうど第二千五百四十に滿ちる。未會三十運はここに至ってやっと兩運・七百二十年を行き、一會の滿を去ることなお二十八運・一萬八十年ある。運名の乙は十干の第二に居り、會中の位次と相合する。一元の全程について言えば、この時すでに五分の三弱を行き、なお五萬三千餘年が後にある。本運は三百六十年で、一元の第七萬五千九百六十一年から第七萬六千三百二十年に當たる。

星丙二百十三

星丙二百十三:辰子二千五百四十五,辰丑二千五百四十六,辰寅二千五百四十七,辰卯二千五百四十八,辰辰二千五百四十九,辰巳二千五百五十,辰午二千五百五十一,辰未二千五百五十二,辰申二千五百五十三,辰酉二千五百五十四,辰戌二千五百五十五,辰亥二千五百五十六。

第二百十三運、天干は丙に配し、未會第三運である。管轄する十二世は第二千五百四十五世から第二千五百五十六世までで、地支は子から亥まで一周して盡き、巳世がちょうど第二千五百五十に滿ちる。邵雍の法は、運は天干をもって名とし地支を用いず、世は地支をもって名とし天干を用いず、各々一端に據る。ゆえに運名は十にして復し、世名は十二にして復す。未會はここまですでに三運・一千八十年を行き、餘る所は二十七運。本運は三百六十年で、一元の第七萬六千三百二十一年から第七萬六千六百八十年に當たる。

星丁二百十四

星丁二百十四:辰子二千五百五十七,辰丑二千五百五十八,辰寅二千五百五十九,辰卯二千五百六十,辰辰二千五百六十一,辰巳二千五百六十二,辰午二千五百六十三,辰未二千五百六十四,辰申二千五百六十五,辰酉二千五百六十六,辰戌二千五百六十七,辰亥二千五百六十八。

第二百十四運、天干は丁に配し、未會第四運である。十二世は第二千五百五十七世から第二千五百六十八世までで、其中の卯世がちょうど第二千五百六十に滿ちる。未會三十運はここまですでに四運・一千四百四十年を行った。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千五百六十八世を過ぎ、なお一千七百五十二世を餘す。表中に紀するは將來であるけれども、その數は已往の世と同一の推法で、竝びに二致なし。本運は三百六十年で、一元の第七萬六千六百八十一年から第七萬七千四十年に當たる。

星戊二百十五

星戊二百十五:辰子二千五百六十九,辰丑二千五百七十,辰寅二千五百七十一,辰卯二千五百七十二,辰辰二千五百七十三,辰巳二千五百七十四,辰午二千五百七十五,辰未二千五百七十六,辰申二千五百七十七,辰酉二千五百七十八,辰戌二千五百七十九,辰亥二千五百八十。

第二百十五運、天干は戊に配し、未會第五運である。管轄する十二世は第二千五百六十九世から第二千五百八十世まで。子世は第二千五百六十九、丑世は第二千五百七十に滿ち、その後寅から戌まで順遞し、亥世がちょうど第二千五百八十に滿ちる。未會一萬八百年はここまですでに一千八百年を行き、なお九千年を餘す。一元十二萬九千六百年はすでに七萬七千四百年を過ぎ、餘る所は五萬二千二百年。本運は三百六十年で、一元の第七萬七千四十一年から第七萬七千四百年に當たる。

星己二百十六

星己二百十六:辰子二千五百八十一,辰丑二千五百八十二,辰寅二千五百八十三,辰卯二千五百八十四,辰辰二千五百八十五,辰巳二千五百八十六,辰午二千五百八十七,辰未二千五百八十八,辰申二千五百八十九,辰酉二千五百九十,辰戌二千五百九十一,辰亥二千五百九十二。

第二百十六運、天干は己に配し、未會第六運である。十二世は第二千五百八十一世から第二千五百九十二世までで、子に起こり亥に終わり、酉世がちょうど第二千五百九十に滿ちる。この運すでに畢われば、未會は全會の五分の一を走り終わる。一萬八百年はすでに二千一百六十年を行き、餘る所は八千六百四十年。一元四千三百二十世もまたすでに第二千五百九十二世を過ぎた。運號二百十六は、一元三百六十運の中でちょうど五分の三に居る。本運は三百六十年で、一元の第七萬七千四百一年から第七萬七千七百六十年に當たる。

星庚二百十七

星庚二百十七:辰子二千五百九十三,辰丑二千五百九十四,辰寅二千五百九十五,辰卯二千五百九十六,辰辰二千五百九十七,辰巳二千五百九十八,辰午二千五百九十九,辰未二千六百,辰申二千六百一,辰酉二千六百二,辰戌二千六百三,辰亥二千六百四。

第二百十七運、天干は庚に配し、未會第七運である。管轄する十二世は第二千五百九十三世から第二千六百四世まで。子から午までの七世は遞って第二千五百九十三から第二千五百九十九、未世はちょうど第二千六百に滿ち、申・酉・戌・亥の四世は續いて第二千六百一から第二千六百四世である。未會三十運はすでに七運・二千五百二十年を行った。本運は三百六十年で、一元の第七萬七千七百六十一年から第七萬八千百二十年に當たる。

星辛二百十八

星辛二百十八:辰子二千六百五,辰丑二千六百六,辰寅二千六百七,辰卯二千六百八,辰辰二千六百九,辰巳二千六百十,辰午二千六百十一,辰未二千六百十二,辰申二千六百十三,辰酉二千六百十四,辰戌二千六百十五,辰亥二千六百十六。

第二百十八運、天干は辛に配し、未會第八運である。十二世は第二千六百五世から第二千六百十六世までで、子に起こり亥に止まり、編號は一路遞加する。表中に年號を設けず、ただ世數をもって時を紀するは、正に「數をもって事を經る」の本意である。數は事に先だって在り、事至れば數はすでに具わる。未會はここまですでに八運・二千八百八十年を行き、餘る所は二十二運。本運は三百六十年で、一元の第七萬八千百二十一年から第七萬八千四百八十年に當たる。

星壬二百十九

星壬二百十九:辰子二千六百十七,辰丑二千六百十八,辰寅二千六百十九,辰卯二千六百二十,辰辰二千六百二十一,辰巳二千六百二十二,辰午二千六百二十三,辰未二千六百二十四,辰申二千六百二十五,辰酉二千六百二十六,辰戌二千六百二十七,辰亥二千六百二十八。

第二百十九運、天干は壬に配し、未會第九運である。管轄する十二世は第二千六百十七世(子)から第二千六百二十八世(亥)までで、中間の卯世がちょうど第二千六百二十に滿ちる。天干は壬に至り、あと一位を差すのみで本會第一輪の十干を滿たす。未會一萬八百年はすでに三千二百四十年を行き、餘る所は七千五百六十年。一元四千三百二十世もまたすでに第二千六百二十八世を過ぎ、なお一千六百九十二世を餘す。本運は三百六十年で、一元の第七萬八千四百八十一年から第七萬八千八百四十年に當たる。

星癸二百二十

星癸二百二十:辰子二千六百二十九,辰丑二千六百三十,辰寅二千六百三十一,辰卯二千六百三十二,辰辰二千六百三十三,辰巳二千六百三十四,辰午二千六百三十五,辰未二千六百三十六,辰申二千六百三十七,辰酉二千六百三十八,辰戌二千六百三十九,辰亥二千六百四十。

第二百二十運、天干は癸に配し、未會第十運で、本會第一輪の天干はここに至って用い盡くされる。十二世は第二千六百二十九世から第二千六百四十世まで。子世は第二千六百二十九、丑世は第二千六百三十に滿ち、亥世は第二千六百四十に滿ちる。十運は合わせて三千六百年で、正に未會一萬八百年の三分の一に當たる。一元三百六十運はここに至ってすでに第二百二十運を行き、なお一百四十運を餘す。本運は三百六十年で、一元の第七萬八千八百四十一年から第七萬九千二百年に當たる。

星甲二百二十一

星甲二百二十一:辰子二千六百四十一,辰丑二千六百四十二,辰寅二千六百四十三,辰卯二千六百四十四,辰辰二千六百四十五,辰巳二千六百四十六,辰午二千六百四十七,辰未二千六百四十八,辰申二千六百四十九,辰酉二千六百五十,辰戌二千六百五十一,辰亥二千六百五十二。

第二百二十一運、天干は再び甲から起こり、未會第十一運で、本會第二輪の天干はここから始まる。管轄する十二世は第二千六百四十一世から第二千六百五十二世まで。子から酉までの十世は遞って第二千六百四十一から第二千六百五十、戌・亥の二世は第二千六百五十一・第二千六百五十二である。未會一萬八百年はすでに三千九百六十年を行き、なお六千八百四十年を餘す。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第七萬九千二百一年から第七萬九千五百六十年に當たる。

星乙二百二十二

星乙二百二十二:辰子二千六百五十三,辰丑二千六百五十四,辰寅二千六百五十五,辰卯二千六百五十六,辰辰二千六百五十七,辰巳二千六百五十八,辰午二千六百五十九,辰未二千六百六十,辰申二千六百六十一,辰酉二千六百六十二,辰戌二千六百六十三,辰亥二千六百六十四。

第二百二十二運、天干は乙に配し、未會第十二運である。十二世は第二千六百五十三世から第二千六百六十四世までで、其中の未世がちょうど第二千六百六十に滿ちる。一運は十二世を統べ、一會は三十運を統べる。ゆえに一會は合わせて三百六十世。未會は第二千五百二十一世から起算して、本運の末に至ってすでに一百四十四世を數え盡くした。年をもって論ずれば、本會はすでに四千三百二十年を行き、一會の半を去ることなお一千八十年を差す。本運は三百六十年で、一元の第七萬九千五百六十一年から第七萬九千九百二十年に當たる。

星丙二百二十三

星丙二百二十三:辰子二千六百六十五,辰丑二千六百六十六,辰寅二千六百六十七,辰卯二千六百六十八,辰辰二千六百六十九,辰巳二千六百七十,辰午二千六百七十一,辰未二千六百七十二,辰申二千六百七十三,辰酉二千六百七十四,辰戌二千六百七十五,辰亥二千六百七十六。

第二百二十三運、天干は丙に配し、未會第十三運である。管轄する十二世は第二千六百六十五世(子)から第二千六百七十六世(亥)までで、中間の巳世がちょうど第二千六百七十に滿ちる。未會三十運はすでに十三運・四千六百八十年を行き、餘る所は十七運・六千百二十年。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世もまたすでに第二千六百七十六世を過ぎた。本運は三百六十年で、一元の第七萬九千九百二十一年から第八萬二百八十年に當たり、一元の八萬年の數はすなわち本運の內で越えた。

星丁二百二十四

星丁二百二十四:辰子二千六百七十七,辰丑二千六百七十八,辰寅二千六百七十九,辰卯二千六百八十,辰辰二千六百八十一,辰巳二千六百八十二,辰午二千六百八十三,辰未二千六百八十四,辰申二千六百八十五,辰酉二千六百八十六,辰戌二千六百八十七,辰亥二千六百八十八。

第二百二十四運、天干は丁に配し、未會第十四運である。十二世は第二千六百七十七世から第二千六百八十八世までで、其中の卯世がちょうど第二千六百八十に滿ちる。未會三十運はすでに十四運を行き、なお十六運・五千七百六十年を餘す。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千六百八十八世を過ぎ、なお一千六百三十二世を餘す。本運は未會第二輪の十干の中で第四位に居り、前の一輪の丁運と相へだつこと十運である。本運は三百六十年で、一元の第八萬二百八十一年から第八萬六百四十年に當たる。

星戊二百二十五

星戊二百二十五:辰子二千六百八十九,辰丑二千六百九十,辰寅二千六百九十一,辰卯二千六百九十二,辰辰二千六百九十三,辰巳二千六百九十四,辰午二千六百九十五,辰未二千六百九十六,辰申二千六百九十七,辰酉二千六百九十八,辰戌二千六百九十九,辰亥二千七百。

第二百二十五運、天干は戊に配し、未會第十五運で、ちょうど本會三十運の半に居る。管轄する十二世は第二千六百八十九世から第二千七百世まで。子世は第二千六百八十九、丑世は第二千六百九十に滿ち、その後寅から戌まで順遞し、亥世がちょうど第二千七百に滿ちる。本運終了に至り、未會はすでに五千四百年を行き、正に一會の中に當たる。一元十二萬九千六百年もまたすでに第八萬一千年に行き至り、その半を越えて一萬六千二百年を餘す。本運は三百六十年で、一元の第八萬六百四十一年から第八萬一千年に當たる。

星己二百二十六

星己二百二十六:辰子二千七百一,辰丑二千七百二,辰寅二千七百三,辰卯二千七百四,辰辰二千七百五,辰巳二千七百六,辰午二千七百七,辰未二千七百八,辰申二千七百九,辰酉二千七百十,辰戌二千七百十一,辰亥二千七百十二。

第二百二十六運、天干は己に配し、未會第十六運である。十二世は第二千七百一世から第二千七百十二世まで。子から申までの九世は遞って第二千七百一から第二千七百九、酉世は第二千七百十に滿ち、戌・亥の二世は第二千七百十一・第二千七百十二である。本運は三百六十年で、一元の第八萬一千一年から第八萬一千三百六十年に當たる。

星庚二百二十七

星庚二百二十七:辰子二千七百十三,辰丑二千七百十四,辰寅二千七百十五,辰卯二千七百十六,辰辰二千七百十七,辰巳二千七百十八,辰午二千七百十九,辰未二千七百二十,辰申二千七百二十一,辰酉二千七百二十二,辰戌二千七百二十三,辰亥二千七百二十四。

第二百二十七運、天干は庚に配し、未會第十七運である。管轄する十二世は第二千七百十三世から第二千七百二十四世までで、子に起こり亥に訖わり、其中の未世がちょうど第二千七百二十に滿ちる。一元四千三百二十世をもって計れば、この時すでに第二千七百二十四世を過ぎ、なお一千五百九十六世を餘す。未會三十運はすでに十七運・六千百二十年を行き、餘る所は十三運。本運は三百六十年で、一元の第八萬一千三百六十一年から第八萬一千七百二十年に當たる。

星辛二百二十八

星辛二百二十八:辰子二千七百二十五,辰丑二千七百二十六,辰寅二千七百二十七,辰卯二千七百二十八,辰辰二千七百二十九,辰巳二千七百三十,辰午二千七百三十一,辰未二千七百三十二,辰申二千七百三十三,辰酉二千七百三十四,辰戌二千七百三十五,辰亥二千七百三十六。

第二百二十八運、天干は辛に配し、未會第十八運である。十二世は第二千七百二十五世から第二千七百三十六世までで、其中の巳世がちょうど第二千七百三十に滿ちる。邵雍が表を列ねてここに至るまで、前後は皆虛位で事を待つ數である。已往する者は史をもってこれに實し、方來の者は數をもってこれに俟つ。體例は始終一貫である。未會一萬八百年はすでに六千四百八十年を行き、餘る所は四千三百二十年。一元三百六十運もまたすでに第二百二十八運を行った。本運は三百六十年で、一元の第八萬一千七百二十一年から第八萬二千八十年に當たる。

星壬二百二十九

星壬二百二十九:辰子二千七百三十七,辰丑二千七百三十八,辰寅二千七百三十九,辰卯二千七百四十,辰辰二千七百四十一,辰巳二千七百四十二,辰午二千七百四十三,辰未二千七百四十四,辰申二千七百四十五,辰酉二千七百四十六,辰戌二千七百四十七,辰亥二千七百四十八。

第二百二十九運、天干は壬に配し、未會第十九運である。管轄する十二世は第二千七百三十七世(子)から第二千七百四十八世(亥)までで、中間の卯世がちょうど第二千七百四十に滿ち、その餘の各世は皆順次に一數づつ遞加する。天干は壬に至り、次の一運の癸に相接すれば、本會第二輪の十干はすなわち圓滿を告げる。未會はここまですでに十九運・六千八百四十年を行き、餘る所は十一運。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千七百四十八世を過ぎた。本運は三百六十年で、一元の第八萬二千八十一年から第八萬二千四百四十年に當たる。

星癸二百三十

星癸二百三十:辰子二千七百四十九,辰丑二千七百五十,辰寅二千七百五十一,辰卯二千七百五十二,辰辰二千七百五十三,辰巳二千七百五十四,辰午二千七百五十五,辰未二千七百五十六,辰申二千七百五十七,辰酉二千七百五十八,辰戌二千七百五十九,辰亥二千七百六十。

第二百三十運、天干は癸に配し、未會第二十運で、本會第二輪の天干はここに用い盡くされ、次の運はまた甲から起こる。十二世は第二千七百四十九世から第二千七百六十世まで。子世は第二千七百四十九、丑世は第二千七百五十に滿ち、亥世は第二千七百六十に滿ちる。二十運は合わせて七千二百年で、未會一萬八百年の三分の二を占める。一元三百六十運はここに至ってすでに第二百三十運を行った。本運は三百六十年で、一元の第八萬二千四百四十一年から第八萬二千八百年に當たる。

星甲二百三十一

星甲二百三十一:辰子二千七百六十一,辰丑二千七百六十二,辰寅二千七百六十三,辰卯二千七百六十四,辰辰二千七百六十五,辰巳二千七百六十六,辰午二千七百六十七,辰未二千七百六十八,辰申二千七百六十九,辰酉二千七百七十,辰戌二千七百七十一,辰亥二千七百七十二。

第二百三十一運、天干は甲に配し、未會第二十一運で、本會第三輪の天干はここから起こる。管轄する十二世は第二千七百六十一世から第二千七百七十二世まで。子・丑・寅の三世は第二千七百六十一から第二千七百六十三、その後卯から亥までの九世は順次遞加し、酉世がちょうど第二千七百七十に滿ちる。未會一萬八百年はすでに七千五百六十年を行き、餘る所は三千二百四十年・九運。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第八萬二千八百一年から第八萬三千一百六十年に當たる。

星乙二百三十二

星乙二百三十二:辰子二千七百七十三,辰丑二千七百七十四,辰寅二千七百七十五,辰卯二千七百七十六,辰辰二千七百七十七,辰巳二千七百七十八,辰午二千七百七十九,辰未二千七百八十,辰申二千七百八十一,辰酉二千七百八十二,辰戌二千七百八十三,辰亥二千七百八十四。

第二百三十二運、天干は乙に配し、未會第二十二運である。十二世は第二千七百七十三世から第二千七百八十四世までで、其中の未世がちょうど第二千七百八十に滿ちる。未會の餘るは八運・二千八百八十年に過ぎず、便ちに申會に交入しようとしている。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千七百八十四世を過ぎ、なお一千五百三十六世を餘す。年をもって論ずれば、全元はすでに八萬三千五百二十年を行った。本運は三百六十年で、一元の第八萬三千一百六十一年から第八萬三千五百二十年に當たる。

星丙二百三十三

星丙二百三十三:辰子二千七百八十五,辰丑二千七百八十六,辰寅二千七百八十七,辰卯二千七百八十八,辰辰二千七百八十九,辰巳二千七百九十,辰午二千七百九十一,辰未二千七百九十二,辰申二千七百九十三,辰酉二千七百九十四,辰戌二千七百九十五,辰亥二千七百九十六。

第二百三十三運、天干は丙に配し、未會第二十三運である。管轄する十二世は第二千七百八十五世(子)から第二千七百九十六世(亥)までで、中間の巳世がちょうど第二千七百九十に滿ちる。年をもって論ずれば、一元十二萬九千六百年は本運の末に至ってすでに八萬三千八百八十年を行き、およそ全元の十分の六又半に當たる。未會三十運はすでに二十三運を行き、餘る所は七運・二千五百二十年で、交會の期を去ることすでに近し。本運は三百六十年で、一元の第八萬三千五百二十一年から第八萬三千八百八十年に當たる。

星丁二百三十四

星丁二百三十四:辰子二千七百九十七,辰丑二千七百九十八,辰寅二千七百九十九,辰卯二千八百,辰辰二千八百一,辰巳二千八百二,辰午二千八百三,辰未二千八百四,辰申二千八百五,辰酉二千八百六,辰戌二千八百七,辰亥二千八百八。

第二百三十四運、天干は丁に配し、未會第二十四運である。十二世は第二千七百九十七世から第二千八百八世まで。子・丑・寅の三世は第二千七百九十七から第二千七百九十九、卯世はちょうど第二千八百に滿ち、その後辰から亥までの八世は第二千八百一から第二千八百八世である。本運は三百六十年で、一元の第八萬三千八百八十一年から第八萬四千二百四十年に當たる。

星戊二百三十五

星戊二百三十五:辰子二千八百九,辰丑二千八百十,辰寅二千八百十一,辰卯二千八百十二,辰辰二千八百十三,辰巳二千八百十四,辰午二千八百十五,辰未二千八百十六,辰申二千八百十七,辰酉二千八百十八,辰戌二千八百十九,辰亥二千八百二十。

第二百三十五運、天干は戊に配し、未會第二十五運である。管轄する十二世は第二千八百九世から第二千八百二十世まで。子世は第二千八百九、丑世は第二千八百十に滿ち、その後寅から戌まで順遞し、亥世がちょうど第二千八百二十に滿ちる。年をもって論ずれば、未會一萬八百年はすでに九千年を行き、餘る所は一千八百年。本運は三百六十年で、一元の第八萬四千二百四十一年から第八萬四千六百年に當たり、未會の餘るは僅かに五運である。

星己二百三十六

星己二百三十六:辰子二千八百二十一,辰丑二千八百二十二,辰寅二千八百二十三,辰卯二千八百二十四,辰辰二千八百二十五,辰巳二千八百二十六,辰午二千八百二十七,辰未二千八百二十八,辰申二千八百二十九,辰酉二千八百三十,辰戌二千八百三十一,辰亥二千八百三十二。

第二百三十六運、天干は己に配し、未會第二十六運である。十二世は第二千八百二十一世から第二千八百三十二世までで、子に起こり亥に終わり、編號は一として間斷なく、酉世がちょうど第二千八百三十に滿ちる。およそこの空表は、皆邵雍が豫め後世のために位を立てたものである。數はすでに先に定まり、事は則ちその自ら至るを待つ。未會の餘るは四運・一千四百四十年。一元四千三百二十世はすでに第二千八百三十二世を過ぎ、なお一千四百八十八世を餘す。本運は三百六十年で、一元の第八萬四千六百一年から第八萬四千九百六十年に當たる。

星庚二百三十七

星庚二百三十七:辰子二千八百三十三,辰丑二千八百三十四,辰寅二千八百三十五,辰卯二千八百三十六,辰辰二千八百三十七,辰巳二千八百三十八,辰午二千八百三十九,辰未二千八百四十,辰申二千八百四十一,辰酉二千八百四十二,辰戌二千八百四十三,辰亥二千八百四十四。

第二百三十七運、天干は庚に配し、未會第二十七運である。管轄する十二世は第二千八百三十三世から第二千八百四十四世までで、其中の未世がちょうど第二千八百四十に滿ちる。未會三十運はただ三運を餘すのみで、一千八十年すなわち一會の數に滿ちる。年をもって論ずれば、全元十二萬九千六百年はすでに八萬五千三百二十年を行き、餘る所は四萬四千二百八十年。一元三百六十運もまたすでに第二百三十七運を行った。本運は三百六十年で、一元の第八萬四千九百六十一年から第八萬五千三百二十年に當たる。

星辛三百三十八

星辛三百三十八:辰子二千八百四十五,辰丑二千八百四十六,辰寅二千八百四十七,辰卯二千八百四十八,辰辰二千八百四十九,辰巳二千八百五十,辰午二千八百五十一,辰未二千八百五十二,辰申二千八百五十三,辰酉二千八百五十四,辰戌二千八百五十五,辰亥二千八百五十六。

この節は底本に「星辛三百三十八」と題するが、前後の兩節はそれぞれ第二百三十七運と第二百三十九運なので、「三百」は「二百」の訛で、實はすなわち第二百三十八運、天干は辛に配し、未會第二十八運に居ることが分かる。今は依然として底本の原文を存して改めない。管轄する十二世は第二千八百四十五世から第二千八百五十六世までで、子に起こり亥に訖わり、其中の巳世がちょうど第二千八百五十に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第八萬五千三百二十一年から第八萬五千六百八十年に當たる。

星壬二百三十九

星壬二百三十九:辰子二千八百五十七,辰丑二千八百五十八,辰寅二千八百五十九,辰卯二千八百六十,辰辰二千八百六十一,辰巳二千八百六十二,辰午二千八百六十三,辰未二千八百六十四,辰申二千八百六十五,辰酉二千八百六十六,辰戌二千八百六十七,辰亥二千八百六十八。

第二百三十九運、天干は壬に配し、未會第二十九運である。管轄する十二世は第二千八百五十七世(子)から第二千八百六十八世(亥)までで、中間の卯世がちょうど第二千八百六十に滿ちる。この運すでに畢われば、未會はただ最後の一運を餘すのみ。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千八百六十八世を過ぎ、なお一千四百五十二世を餘す。年をもって論ずれば、未會一萬八百年はすでに一萬四百四十年を行き、ただ三百六十年を餘すのみ。本運は三百六十年で、一元の第八萬五千六百八十一年から第八萬六千四十年に當たる。

星癸二百四十

星癸二百四十:辰子二千八百六十九,辰丑二千八百七十,辰寅二千八百七十一,辰卯二千八百七十二,辰辰二千八百七十三,辰巳二千八百七十四,辰午二千八百七十五,辰未二千八百七十六,辰申二千八百七十七,辰酉二千八百七十八,辰戌二千八百七十九,辰亥二千八百八十。

第二百四十運、天干は癸に配し、未會三十運の最後の一運である。管轄する十二世は第二千八百六十九世から第二千八百八十世まで。子世は第二千八百六十九、丑世は第二千八百七十に滿ち、亥世は正に第二千八百八十に滿ちる――この數はちょうど八會が各々三百六十世を領した累積である。未會はここに至って終わり告げ、一元はすでに八萬六千四百年を行き、八會の數と正に合する。本運自身は三百六十年で、一元の第八萬六千四十一年から第八萬六千四百年に當たり、ここより下は申會に轉入する。

皇極經世書卷二中

觀物篇九 以元經會九

日甲一,月申九。

「日甲一」は依然として本元が第一元で天干が甲に配することを謂い、「月申九」は紀するところの會が一元十二會の中の第九會で地支が申に屬することを謂う。申會は第二百四十一から第二百七十まで合わせて三十運を統べ、第二千八百八十一世から第三千二百四十世まで合わせて三百六十世を統べ、一萬八百年に合して、一元の中では第八萬六千四百一年から第九萬七千二百年に當たる。十二會は子會を首とし、申は第九に居り、その後になお酉・戌・亥の三會あって、一元はすなわち盡きる。

星甲二百四十一

星甲二百四十一:辰子二千八百八十一,辰丑二千八百八十二,辰寅二千八百八十三,辰卯二千八百八十四,辰辰二千八百八十五,辰巳二千八百八十六,辰午二千八百八十七,辰未二千八百八十八,辰申二千八百八十九,辰酉二千八百九十,辰戌二千八百九十一,辰亥二千八百九十二。

第二百四十一運、天干は甲に配し、申會三十運の頭の一運である。管轄する十二世は第二千八百八十一世から第二千八百九十二世まで。子・丑・寅の三世は第二千八百八十一から第二千八百八十三、その後卯から亥までの九世は順次遞加し、酉世がちょうど第二千八百九十に滿ちる。前會は第二千八百八十世に終わり、本運は第二千八百八十一世から接續する。每世三十年、本運は三百六十年で、一元の第八萬六千四百一年から第八萬六千七百六十年に當たる。

星乙二百四十二

星乙二百四十二:辰子二千八百九十三,辰丑二千八百九十四,辰寅二千八百九十五,辰卯二千八百九十六,辰辰二千八百九十七,辰巳二千八百九十八,辰午二千八百九十九,辰未二千九百,辰申二千九百一,辰酉二千九百二,辰戌二千九百三,辰亥二千九百四。

第二百四十二運、天干は乙に配し、申會第二運である。十二世は第二千八百九十三世から第二千九百四世まで。子から午までの七世は遞って第二千八百九十三から第二千八百九十九、未世はちょうど第二千九百に滿ち、申・酉・戌・亥の四世は續いて第二千九百一から第二千九百四世である。申會三十運はここに至ってやっと兩運・七百二十年を行った。本運は三百六十年で、一元の第八萬六千七百六十一年から第八萬七千百二十年に當たる。

星丙二百四十三

星丙二百四十三:辰子二千九百五,辰丑二千九百六,辰寅二千九百七,辰卯二千九百八,辰辰二千九百九,辰巳二千九百十,辰午二千九百十一,辰未二千九百十二,辰申二千九百十三,辰酉二千九百十四,辰戌二千九百十五,辰亥二千九百十六。

第二百四十三運、天干は丙に配し、申會第三運である。管轄する十二世は第二千九百五世(子)から第二千九百十六世(亥)までで、十二地支が各々一世に當たり、巳世がちょうど第二千九百十に滿ちる。世をもって計れば、一元四千三百二十世はここまで行ってなお一千四百四世を餘す。年をもって計れば、全元十二萬九千六百年はすでにその三分の二を過ぎた。本運は三百六十年で、一元の第八萬七千百二十一年から第八萬七千四百八十年に當たる。

星丁二百四十四

星丁二百四十四:辰子二千九百十七,辰丑二千九百十八,辰寅二千九百十九,辰卯二千九百二十,辰辰二千九百二十一,辰巳二千九百二十二,辰午二千九百二十三,辰未二千九百二十四,辰申二千九百二十五,辰酉二千九百二十六,辰戌二千九百二十七,辰亥二千九百二十八。

第二百四十四運、天干は丁に配し、申會第四運である。十二世は第二千九百十七世から第二千九百二十八世までで、其中の卯世がちょうど第二千九百二十に滿ちる。申會三十運はここまですでに四運・一千四百四十年を行き、なお二十六運を餘す。世をもって論ずれば、一元四千三百二十世はすでに第二千九百二十八世を過ぎ、なお一千三百九十二世を餘す。年をもって論ずれば、全元はすでに八萬七千八百四十年を行った。本運は三百六十年で、一元の第八萬七千四百八十一年から第八萬七千八百四十年に當たる。

星戊二百四十五

星戊二百四十五:辰子二千九百二十九,辰丑二千九百三十,辰寅二千九百三十一,辰卯二千九百三十二,辰辰二千九百三十三,辰巳二千九百三十四,辰午二千九百三十五,辰未二千九百三十六,辰申二千九百三十七,辰酉二千九百三十八,辰戌二千九百三十九,辰亥二千九百四十。

第二百四十五運、天干は戊に配し、申會第五運である。管轄する十二世は第二千九百二十九世から第二千九百四十世まで。子世は第二千九百二十九、丑世は第二千九百三十に滿ち、その後寅から戌まで順遞し、亥世がちょうど第二千九百四十に滿ちる。申會一萬八百年はここまですでに一千八百年を行き、餘る所は九千年。一元三百六十運もまたすでに第二百四十五運を行き、なお一百十五運を餘す。本運は三百六十年で、一元の第八萬七千八百四十一年から第八萬八千二百年に當たる。

星己二百四十六

星己二百四十六:辰子二千九百四十一,辰丑二千九百四十二,辰寅二千九百四十三,辰卯二千九百四十四,辰辰二千九百四十五,辰巳二千九百四十六,辰午二千九百四十七,辰未二千九百四十八,辰申二千九百四十九,辰酉二千九百五十,辰戌二千九百五十一,辰亥二千九百五十二。

第二百四十六運、天干は己に配し、申會第六運である。十二世は第二千九百四十一世から第二千九百五十二世までで、子に起こり亥に終わり、編號は一路連貫する。子世は第二千九百四十一、丑世は第二千九百四十二、寅世は第二千九百四十三、以下卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は依次遞加して第二千九百五十二に至り、其中の酉世がちょうど第二千九百五十に滿ちる。申會は六運を走り終え、ちょうど全會三十運の五分の一に當たる。本運は三百六十年で、一元の第八萬八千二百一年から第八萬八千五百六十年に當たる。

星庚二百四十七

星庚二百四十七:辰子二千九百五十三、辰丑二千九百五十四、辰寅二千九百五十五、辰卯二千九百五十六、辰辰二千九百五十七、辰巳二千九百五十八、辰午二千九百五十九、辰未二千九百六十、辰申二千九百六十一、辰酉二千九百六十二、辰戌二千九百六十三、辰亥二千九百六十四。

「星」は邵雍の歷法では「運」の代號で、この行に載するはすなわち一元の中の第二百四十七運で、天干の輪配により正に「庚」の位に當たり、第九會「申會」の第七運に隸する。一運は十二世を統轄する。ゆえに下に依次に開列する十二の「辰」は、正に全元の第二千九百五十三世から第二千九百六十四世までである。「辰」の名目は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二地支に按って排定し、十二に滿ちれば別に一輪を起こす。一世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元十二萬九千六百年の中の第八萬八千五百六十一年から第八萬八千九百二十年に落つ。

星辛二百四十八

星辛二百四十八:辰子二千九百六十五、辰丑二千九百六十六、辰寅二千九百六十七、辰卯二千九百六十八、辰辰二千九百六十九、辰巳二千九百七十、辰午二千九百七十一、辰未二千九百七十二、辰申二千九百七十三、辰酉二千九百七十四、辰戌二千九百七十五、辰亥二千九百七十六。

上の一運に接續して、これは一元の中の第二百四十八運で、天干は「辛」に輪り、申會三十運の中の第八運である。その下の十二世の編號は第二千九百六十五世から起こり、第二千九百七十六世に止まり、地支は依然として「辰子」から發端し「辰亥」で收尾し、前の一運の十二世と首尾相銜いて絕對に重疊しない。年數に折れば、本運は三百六十年を統べ、すなわち一元の內の第八萬八千九百二十一年から第八萬九千二百八十年で、この時申會はすでに四分の一強を行き過ぎた。申會は一元十二會の中の第九會で、後人は十二消息卦をもってこれに配し、正に《否》卦の位に當たる。

星壬二百四十九

星壬二百四十九:辰子二千九百七十七、辰丑二千九百七十八、辰寅二千九百七十九、辰卯二千九百八十、辰辰二千九百八十一、辰巳二千九百八十二、辰午二千九百八十三、辰未二千九百八十四、辰申二千九百八十五、辰酉二千九百八十六、辰戌二千九百八十七、辰亥二千九百八十八。

これは一元の第二百四十九運で、天干は「壬」に配し、申會の中で第九に排す。表內の十二の「辰」はそれが統屬する十二世で、編號は第二千九百七十七から第二千九百八十八である。邵雍は日・月・星・辰の四字をもってそれぞれ元・會・運・世を代指するので、「星」の下に必ず「辰」を列ねるは、あたかも一月の下に必ずその日を列ねるがごとし。本運は三百六十年を歷し、一元の第八萬九千二百八十一年から第八萬九千六百四十年に當たる。もし世に細かくすれば、首世の辰子第二千九百七十七世は第八萬九千二百八十一年から第八萬九千三百十年に當たり、その後の各世は依次三十年づつ遞進し、末世の辰亥第二千九百八十八世は第八萬九千六百四十年に止まる。

星癸二百五十

星癸二百五十:辰子二千九百八十九、辰丑二千九百九十、辰寅二千九百九十一、辰卯二千九百九十二、辰辰二千九百九十三、辰巳二千九百九十四、辰午二千九百九十五、辰未二千九百九十六、辰申二千九百九十七、辰酉二千九百九十八、辰戌二千九百九十九、辰亥三千。

これは一元の第二百五十運で、天干は十干の末の「癸」に走り至り、申會の頭の十運はここに至って滿を告げ、次の一運は改めて「甲」から頭を起こす。それが轄する十二世は第二千九百八十九世から第三千世まで排して、末の一格はただ「辰亥三千」と書く。すなわち整々たる第三千世で、全元四千三百二十世の中の一つの整數の關口である。年をもって計れば、本運は一元の中の第八萬九千六百四十一年から第九萬年で、末世の辰亥第三千世はちょうど第九萬年整に收まる。申會は合わせて三十運で、ここに至ってすでに十運を行き、なお二十運・七千二百年を餘してようやく酉會に交する。

星甲二百五十一

星甲二百五十一:辰子三千一、辰丑三千二、辰寅三千三、辰卯三千四、辰辰三千五、辰巳三千六、辰午三千七、辰未三千八、辰申三千九、辰酉三千十、辰戌三千十一、辰亥三千十二。

一元の第二百五十一運、天干は「甲」に重ねて回り、申會はここから第二輪の十干に入り、三十運の中の第十一位に居る。所屬の十二世は第三千一世から起算して第三千十二世に至るまで。底本は「三千一」から「三千十二」までと書くが、これは皆上の一格の「三千」を承けて零位を略する省文で、別に一套の數目あるではない。本運は三百六十年を計り、一元の第九萬一年から第九萬三百六十年を占め、ちょうど九萬年の後の頭の三百六十年である。

星乙二百五十二

星乙二百五十二:辰子三千十三、辰丑三千十四、辰寅三千十五、辰卯三千十六、辰辰三千十七、辰巳三千十八、辰午三千十九、辰未三千二十、辰申三千二十一、辰酉三千二十二、辰戌三千二十三、辰亥三千二十四。

一元の第二百五十二運、天干は「乙」に配し、申會の第十二運である。それが統べる十二世は編號第三千十三から第三千二十四までで、十二地支は依舊として子から亥まで一周を轉足する。もし視野を放大して見れば、一元十二會、一會三十運、一運十二世、一世三十年、四層相乘じて正に十二萬九千六百年を得る。本運はすなわちこの十二萬九千六百年の中の第九萬三百六十一年から第九萬七百二十年である。

星丙二百五十三

星丙二百五十三:辰子三千二十五、辰丑三千二十六、辰寅三千二十七、辰卯三千二十八、辰辰三千二十九、辰巳三千三十、辰午三千三十一、辰未三千三十二、辰申三千三十三、辰酉三千三十四、辰戌三千三十五、辰亥三千三十六。

一元の第二百五十三運、天干は「丙」に當たり、申會三十運の中で第十三に列し、半程を距つことなお兩運を差す。下轄の十二世は第三千二十五世から第三千三十六世までである。邵雍がこの表を編排するや、横に看れば一運の內の十二世の次第で、竪に看れば一會の內の三十運の推移で、兩向交織してすなわち年代の經緯を織成する。本運は三百六十年で、一元の第九萬七百二十一年から第九萬一千八十年に相當する。

星丁二百五十四

星丁二百五十四:辰子三千三十七、辰丑三千三十八、辰寅三千三十九、辰卯三千四十、辰辰三千四十一、辰巳三千四十二、辰午三千四十三、辰未三千四十四、辰申三千四十五、辰酉三千四十六、辰戌三千四十七、辰亥三千四十八。

一元の第二百五十四運、天干は「丁」に配し、申會の第十四運である。領する十二世は第三千三十七世から第三千四十八世までで、十二の格子はそれぞれ辰子・辰丑・辰寅・辰卯・辰辰・辰巳・辰午・辰未・辰申・辰酉・辰戌・辰亥と標す。地支の名はただ次第を標定するに用いるのみで、後のあの一串の世の編號とは別に牽涉はない。本運は合わせて三百六十年で、すなわち一元の第九萬一千八十一年から第九萬一千四百四十年である。

星戊二百五十五

星戊二百五十五:辰子三千四十九、辰丑三千五十、辰寅三千五十一、辰卯三千五十二、辰辰三千五十三、辰巳三千五十四、辰午三千五十五、辰未三千五十六、辰申三千五十七、辰酉三千五十八、辰戌三千五十九、辰亥三千六十。

一元の第二百五十五運、天干は「戊」で、ちょうど申會三十運の半に當たり、ここを過ぎればすなわち申會の後半段に入る。その十二世は編號第三千四十九から第三千六十まで。年をもって推算すれば、本運は一元の第九萬一千四百四十一年から第九萬一千八百年を據す。申會は第八萬六千四百一年に開端して、ここに至ってすでに五千四百年を行き、なお五千四百年を餘してようやく酉會に交する。十二會は子會を首とし、申はその第九に居る。

星己二百五十六

星己二百五十六:辰子三千六十一、辰丑三千六十二、辰寅三千六十三、辰卯三千六十四、辰辰三千六十五、辰巳三千六十六、辰午三千六十七、辰未三千六十八、辰申三千六十九、辰酉三千七十、辰戌三千七十一、辰亥三千七十二。

一元の第二百五十六運、天干は「己」に輪り、申會後半段の頭の一運である。表中の十二世は第三千六十一世から第三千七十二世まで排す。ここの「辰」は一日十二時の時辰を指すのではなく、邵雍が「日月星辰」の四名を借りて法を立て、「辰」をもって「世」を專稱するものである。一世三十年、十二世は合わせて三百六十年で一運となる。本運はすなわち一元の第九萬一千八百一年から第九萬二千百六十年である。

星庚二百五十七

星庚二百五十七:辰子三千七十三、辰丑三千七十四、辰寅三千七十五、辰卯三千七十六、辰辰三千七十七、辰巳三千七十八、辰午三千七十九、辰未三千八十、辰申三千八十一、辰酉三千八十二、辰戌三千八十三、辰亥三千八十四。

一元の第二百五十七運、天干は再び「庚」に逢い、本卷開端の第二百四十七運を距つこと整々十運へだたる。十干と十運とが正に一循環することを見るべし。それが管轄するのは第三千七十三世から第三千八十四世まで合わせて十二世で、地支は子から亥まで各々一格を占める。年代に換算すれば、本運は一元の第九萬二千百六十一年から第九萬二千五百二十年で、申會の中では第十七運に排し、依然として《觀物篇九・以元經會九》に載る一段に屬する。

星辛二百五十八

星辛二百五十八:辰子三千八十五、辰丑三千八十六、辰寅三千八十七、辰卯三千八十八、辰辰三千八十九、辰巳三千九十、辰午三千九十一、辰未三千九十二、辰申三千九十三、辰酉三千九十四、辰戌三千九十五、辰亥三千九十六。

一元の第二百五十八運、天干は「辛」に配し、申會の中で第十八に居る。管轄する十二世は編號第三千八十五から第三千九十六までで、依然として辰子に起こり辰亥に終わる。全元は合わせて四千三百二十世で、ここまで推してすでに七成有餘を去った。本運は三百六十年を歷し、一元の第九萬二千五百二十一年から第九萬二千八百八十年に當たる。申會の終了を離れてなお十二運・四千三百二十年ある。

星壬二百五十九

星壬二百五十九:辰子三千九十七、辰丑三千九十八、辰寅三千九十九、辰卯三千一百、辰辰三千一百一、辰巳三千一百二、辰午三千一百三、辰未三千一百四、辰申三千一百五、辰酉三千一百六、辰戌三千一百七、辰亥三千一百八。

一元の第二百五十九運、天干は「壬」で、申會の中で第十九に排す。管轄する十二世は第三千九十七世から第三千百八世までで、第四格の「辰卯」に數え至る時ちょうど第三千百世に滿ち、底本はここで「三千九十九」から「三千一百」へ跳ねて書き、その後の各格は皆「三千一百」の上に零數を加える。本運は三百六十年を領し、一元の第九萬二千八百八十一年から第九萬三千二百四十年に當たる。世をもって年に紀れば、首世の辰子第三千九十七世は第九萬二千八百八十一年から第九萬二千九百十年を管め、末世の辰亥第三千百八世は第九萬三千二百十一年から第九萬三千二百四十年を管める。

星癸二百六十

星癸二百六十:辰子三千一百九、辰丑三千一百十、辰寅三千一百十一、辰卯三千一百十二、辰辰三千一百十三、辰巳三千一百十四、辰午三千一百十五、辰未三千一百十六、辰申三千一百十七、辰酉三千一百十八、辰戌三千一百十九、辰亥三千一百二十。

一元の第二百六十運、天干はまた「癸」に逢い、申會の第二輪の十干はここに至って走り終わり、全會三十運はすでに二十運を行った。それが統べる十二世は編號第三千百九から第三千一百二十までで、底本は「三千一百九」以下の諸格は皆前を承けて零字を省く。年をもって言えば、本運は一元の第九萬三千二百四十一年から第九萬三千六百年。首世の辰子第三千百九世は第九萬三千二百四十一年から第九萬三千二百七十年に當たり、末世の辰亥第三千一百二十世は第九萬三千五百七十一年から第九萬三千六百年に當たる。申會は第八萬六千四百一年から起算して、ここに至ってすでに七千二百年を推し過ぎ、殘るは十運・三千六百年のみ。

星甲二百六十一

星甲二百六十一:辰子三千一百二十一、辰丑三千一百二十二、辰寅三千一百二十三、辰卯三千一百二十四、辰辰三千一百二十五、辰巳三千一百二十六、辰午三千一百二十七、辰未三千一百二十八、辰申三千一百二十九、辰酉三千一百三十、辰戌三千一百三十一、辰亥三千一百三十二。

一元の第二百六十一運、天干は第三度轉じて「甲」に回り、申會はここから最末の一輪の十干に入り、三十運の第二十一位に居る。下屬の十二世は第三千百二十一世から第三千百三十二世までで、地支は照のごとく子に起こり亥に止まる。年代に折算すれば、本運は一元の第九萬三千六百一年から第九萬三千九百六十年である。その首世の辰子第三千百二十一世は第九萬三千六百一年から第九萬三千六百三十年を領し、末世の辰亥第三千百三十二世は第九萬三千九百三十一年から第九萬三千九百六十年を領す。底本はこの行の「辰丑」と「辰寅」の兩格の間に間隔を漏らし、刻本の擠排に屬するが、數を讀むに影響しない。

星乙二百六十二

星乙二百六十二:辰子三千一百三十三、辰丑三千一百三十四、辰寅三千一百三十五、辰卯三千一百三十六、辰辰三千一百三十七、辰巳三千一百三十八、辰午三千一百三十九、辰未三千一百四十、辰申三千一百四十一、辰酉三千一百四十二、辰戌三千一百四十三、辰亥三千一百四十四。

一元の第二百六十二運、天干は「乙」に配し、申會の第二十二運である。領する十二世は編號第三千百三十三から第三千百四十四まで。この表は「星」をもって運を標し、「辰」をもって世を標する。運の名號は天干を帶び、世の名號は地支を帶び、一は十進、一は十二進で、兩ながら相犯さず、各々その次序に按って推排する。本運は合わせて三百六十年で、すなわち一元の第九萬三千九百六十一年から第九萬四千三百二十年。起首の一世は第九萬三千九百六十一年から第九萬三千九百九十年に當たり、末の一世は第九萬四千二百九十一年から第九萬四千三百二十年に當たる。

星丙二百六十三

星丙二百六十三:辰子三千一百四十五、辰丑三千一百四十六、辰寅三千一百四十七、辰卯三千一百四十八、辰辰三千一百四十九、辰巳三千一百五十、辰午三千一百五十一、辰未三千一百五十二、辰申三千一百五十三、辰酉三千一百五十四、辰戌三千一百五十五、辰亥三千一百五十六。

一元の第二百六十三運、天干は「丙」に當たり、申會の中で第二十三に列す。その十二世は第三千百四十五世から第三千百五十六世まで排し、第六格の「辰巳」はちょうど第三千百五十世に値い、また一つの整數の處である。本運は三百六十年を歷し、一元の第九萬四千三百二十一年から第九萬四千六百八十年を占める。首世の辰子第三千百四十五世は第九萬四千三百二十一年から第九萬四千三百五十年を主り、末世の辰亥第三千百五十六世は第九萬四千六百五十一年から第九萬四千六百八十年を主る。申會はここに至ってただ七運を餘して推す可し。

星丁二百六十四

星丁二百六十四:辰子三千一百五十七、辰丑三千一百五十八、辰寅三千一百五十九、辰卯三千一百六十、辰辰三千一百六十一、辰巳三千一百六十二、辰午三千一百六十三、辰未三千一百六十四、辰申三千一百六十五、辰酉三千一百六十六、辰戌三千一百六十七、辰亥三千一百六十八。

一元の第二百六十四運、天干は「丁」に配し、申會の第二十四運である。十二世の編號は第三千百五十七から第三千百六十八まで。邵雍が歷を推すや、元は會を統べ、會は運を統べ、運は世を統べ、世は年を統べ、層層相包むこと日の月を統べ月の日を統べるがごとし。ゆえにこの表を讀むにはまず所在の層級を認定し、しかる後に格中の數字を看るべし。本運は三百六十年で、一元の第九萬四千六百八十一年から第九萬五千四十年に當たる。世に分かてば、第一世は第九萬四千六百八十一年から第九萬四千七百十年、第十二世は第九萬五千十一年から第九萬五千四十年である。

星戊二百六十五

星戊二百六十五:辰子三千一百六十九、辰丑三千一百七十、辰寅三千一百七十一、辰卯三千一百七十二、辰辰三千一百七十三、辰巳三千一百七十四、辰午三千一百七十五、辰未三千一百七十六、辰申三千一百七十七、辰酉三千一百七十八、辰戌三千一百七十九、辰亥三千一百八十。

一元の第二百六十五運、天干は「戊」で、申會三十運の中ですでに第二十五に行き至り、六分の五の路程を走り終えた。管轄する十二世は編號第三千百六十九から第三千百八十まで。年數に換えれば、本運は一元の第九萬五千四十一年から第九萬五千四百年。首世の辰子第三千百六十九世は第九萬五千四十一年から第九萬五千七十年に當たり、末世の辰亥第三千百八十世は第九萬五千三百七十一年から第九萬五千四百年に當たる。この時申會終了の第九萬七千二百年を距てば、なお五運・一千八百年ある。

星己二百六十六

星己二百六十六:辰子三千一百八十一、辰丑三千一百八十二、辰寅三千一百八十三、辰卯三千一百八十四、辰辰三千一百八十五、辰巳三千一百八十六、辰午三千一百八十七、辰未三千一百八十八、辰申三千一百八十九、辰酉三千一百九十、辰戌三千一百九十一、辰亥三千一百九十二。

一元の第二百六十六運、天干は「己」に輪り、申會の第二十六運である。それは第三千百八十一世から第三千百九十二世までを統べ、合わせて十二世三百六十年で、すなわち一元の第九萬五千四百一年から第九萬五千七百六十年。首世の辰子第三千百八十一世は第九萬五千四百一年から第九萬五千四百三十年を管め、末世の辰亥第三千百九十二世は第九萬五千七百三十一年から第九萬五千七百六十年を管める。この行の「辰丑」「辰寅」の兩格は底本もまた相連して分かたず、讀む時は十二地支の定序に依って斷き分かてばよい。

星庚二百六十七

星庚二百六十七:辰子三千一百九十三、辰丑三千一百九十四、辰寅三千一百九十五、辰卯三千一百九十六、辰辰三千一百九十七、辰巳三千一百九十八、辰午三千一百九十九、辰未三千二百、辰申三千二百一、辰酉三千二百二、辰戌三千二百三、辰亥三千二百四。

一元の第二百六十七運、天干は再び「庚」に配し、申會の中で第二十七に列す。十二世は第三千百九十三世から起こり、第八格の「辰未」に推し至る時第三千二百世に滿ち、その後の四格は順に加えて第三千二百四世に至る。本運は三百六十年で、一元の第九萬五千七百六十一年から第九萬六千百二十年である。首尾の兩世はそれぞれ第九萬五千七百六十一年から第九萬五千七百九十年、第九萬六千九十一年から第九萬六千百二十年に當たる。全元四千三百二十世、この時なお一千一百餘世を餘して未だ行かず。

星辛二百六十八

星辛二百六十八:辰子三千二百五、辰丑三千二百六、辰寅三千二百七、辰卯三千二百八、辰辰三千二百九、辰巳三千二百十、辰午三千二百十一、辰未三千二百十二、辰申三千二百十三、辰酉三千二百十四、辰戌三千二百十五、辰亥三千二百十六。

一元の第二百六十八運、天干は「辛」に配し、申會の第二十八運である。所屬の十二世は第三千二百五世から第三千二百十六世までで、底本の前五格は「三千二百五」から「三千二百九」として、皆中間の零字を省く。年をもって計れば、本運は一元の第九萬六千百二十一年から第九萬六千四百八十年に當たり、首世は第九萬六千百五十年に止まり、末世は第九萬六千四百五十一年に起こる。申會は殘る兩運のみで便ち終わり告げる。

星壬二百六十九

星壬二百六十九:辰子三千二百十七、辰丑三千二百十八、辰寅三千二百十九、辰卯三千二百二十、辰辰三千二百二十一、辰巳三千二百二十二、辰午三千二百二十三、辰未三千二百二十四、辰申三千二百二十五、辰酉三千二百二十六、辰戌三千二百二十七、辰亥三千二百二十八。

一元の第二百六十九運、天干は「壬」で、申會の第二十九に居り、この一會の倒數第二の運である。十二世は編號第三千二百十七から第三千二百二十八までで、地支は依然として子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の一周である。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第九萬六千四百八十一年から第九萬六千八百四十年。首世の辰子第三千二百十七世は第九萬六千四百八十一年から第九萬六千五百十年に當たり、末世の辰亥第三千二百二十八世は第九萬六千八百十一年から第九萬六千八百四十年に當たる。

星癸二百七十

星癸二百七十:辰子三千二百二十九、辰丑三千二百三十、辰寅三千二百三十一、辰卯三千二百三十二、辰辰三千二百三十三、辰巳三千二百三十四、辰午三千二百三十五、辰未三千二百三十六、辰申三千二百三十七、辰酉三千二百三十八、辰戌三千二百三十九、辰亥三千二百四十。

一元の第二百七十運、天干は「癸」に終わり、また申會三十運の中の最後の一運である。それは第三千二百二十九世から第三千二百四十世までを轄め、末世の辰亥第三千二百四十世は第九萬七千百七十一年から第九萬七千二百年に當たる。ここに至って第九會の申會は全部推し畢わった。本會は合わせて三十運・三百六十世・一萬八百年で、一元の第八萬六千四百一年に起こり、第九萬七千二百年に止まる。下文は別に一篇を起こし、第十會の酉會に轉入する。

觀物篇十 以元經會十

日甲一 月酉十

星甲二百七十一

星甲二百七十一:辰子三千二百四十一、辰丑三千二百四十二、辰寅三千二百四十三、辰卯三千二百四十四、辰辰三千二百四十五、辰巳三千二百四十六、辰午三千二百四十七、辰未三千二百四十八、辰申三千二百四十九、辰酉三千二百五十、辰戌三千二百五十一、辰亥三千二百五十二。

本篇の篇首は「日甲一、月酉十」と標す。「日」は元を指し、甲元は第一元である。「月」は會を指し、酉會はこの一元の第十會である。この行の「星甲二百七十一」はすなわち酉會の第一運で、また全元第二百七十運の後に新たに起こる一運で、天干は「甲」から重ねて數え起こす。それが統轄する十二世は第三千二百四十一世から第三千二百五十二世までで、地支の子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥が各々一格を占める。本運は三百六十年で、一元の第九萬七千二百一年から第九萬七千五百六十年に當たる。首世の辰子第三千二百四十一世は第九萬七千二百一年から第九萬七千二百三十年を主り、末世の辰亥第三千二百五十二世は第九萬七千五百三十一年から第九萬七千五百六十年を主る。

星乙二百七十二

星乙二百七十二:辰子三千二百五十三、辰丑三千二百五十四、辰寅三千二百五十五、辰卯三千二百五十六、辰辰三千二百五十七、辰巳三千二百五十八、辰午三千二百五十九、辰未三千二百六十、辰申三千二百六十一、辰酉三千二百六十二、辰戌三千二百六十三、辰亥三千二百六十四。

一元の第二百七十二運、天干は「乙」に配し、酉會三十運の中の第二運である。所屬の十二世は編號第三千二百五十三から第三千二百六十四までで、上の一運の末世の第三千二百五十二世に緊接する。一世三十年、十二世三百六十年。ゆえに本運は一元の第九萬七千五百六十一年から第九萬七千九百二十年を占める。首世の辰子第三千二百五十三世は第九萬七千五百六十一年から第九萬七千五百九十年に當たり、末世の辰亥第三千二百六十四世は第九萬七千八百九十一年から第九萬七千九百二十年に當たる。

星丙二百七十三

星丙二百七十三:辰子三千二百六十五、辰丑三千二百六十六、辰寅三千二百六十七、辰卯三千二百六十八、辰辰三千二百六十九、辰巳三千二百七十、辰午三千二百七十一、辰未三千二百七十二、辰申三千二百七十三、辰酉三千二百七十四、辰戌三千二百七十五、辰亥三千二百七十六。

一元の第二百七十三運、天干は「丙」に當たり、酉會の中で第三に排す。それは第三千二百六十五世から第三千二百七十六世までを管める。表を讀む時に留意すべきは、運の序數「二百七十三」は一元の首から連續して數え下した總號で、酉會の內の號數ではない。酉會は第二百七十一運から起こるので、二百七十を減じればすなわち會內の位次を得る。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第九萬七千九百二十一年から第九萬八千二百八十年で、首世は第九萬七千九百五十年に收まり、末世は第九萬八千二百五十一年に起こる。

星丁二百七十四

星丁二百七十四:辰子三千二百七十七、辰丑三千二百七十八、辰寅三千二百七十九、辰卯三千二百八十、辰辰三千二百八十一、辰巳三千二百八十二、辰午三千二百八十三、辰未三千二百八十四、辰申三千二百八十五、辰酉三千二百八十六、辰戌三千二百八十七、辰亥三千二百八十八。

一元の第二百七十四運、天干は「丁」に配し、酉會の第四運である。その下の十二世は第三千二百七十七世から第三千二百八十八世まで。世の編號もまた元を通じて連數する。運の序數を一を減じて十二を乘じ、一を加えれば、すなわちその運の頭の一世の號數である。さらに十一を加えれば、すなわち末の一世である。本運は三百六十年で、一元の第九萬八千二百八十一年から第九萬八千六百四十年に當たる。首世の辰子第三千二百七十七世は第九萬八千二百八十一年から第九萬八千三百十年に當たり、末世の辰亥第三千二百八十八世は第九萬八千六百十一年から第九萬八千六百四十年に當たる。

星戊二百七十五

星戊二百七十五:辰子三千二百八十九、辰丑三千二百九十、辰寅三千二百九十一、辰卯三千二百九十二、辰辰三千二百九十三、辰巳三千二百九十四、辰午三千二百九十五、辰未三千二百九十六、辰申三千二百九十七、辰酉三千二百九十八、辰戌三千二百九十九、辰亥三千三百。

一元の第二百七十五運、天干は「戊」で、酉會の第五運に居る。領する十二世は第三千二百八十九世に起こり、末格の「辰亥三千三百」は正に第三千三百世に滿ち、全元四千三百二十世の中のまた一つの整數の關口である。本運は三百六十年を計り、一元の第九萬八千六百四十一年から第九萬九千年である。首世の辰子第三千二百八十九世は第九萬八千六百四十一年から第九萬八千六百七十年に當たり、末世は則ち第九萬九千年整に收まり、十萬年を距つことただ一千年を差すのみ。

星己二百七十六

星己二百七十六:辰子三千三百一、辰丑三千三百二、辰寅三千三百三、辰卯三千三百四、辰辰三千三百五、辰巳三千三百六、辰午三千三百七、辰未三千三百八、辰申三千三百九、辰酉三千三百十、辰戌三千三百十一、辰亥三千三百十二。

一元の第二百七十六運、天干は「己」に輪り、酉會の第六運で、ちょうど全會三十運の五分の一の後に當たる。十二世は編號第三千三百一から第三千三百十二までで、底本は前を承けて省いて「三千三百一」以下の諸格と作る。本運は三百六十年で、すなわち一元の第九萬九千一年から第九萬九千三百六十年。首世の辰子第三千三百一世は第九萬九千一年から第九萬九千三十年を管め、末世の辰亥第三千三百十二世は第九萬九千三百三十一年から第九萬九千三百六十年を管める。

星庚二百七十七

星庚二百七十七:辰子三千三百十三、辰丑三千三百十四、辰寅三千三百十五、辰卯三千三百十六、辰辰三千三百十七、辰巳三千三百十八、辰午三千三百十九、辰未三千三百二十、辰申三千三百二十一、辰酉三千三百二十二、辰戌三千三百二十三、辰亥三千三百二十四。

一元の第二百七十七運、天干は「庚」に配し、酉會の中で第七に列す。それは第三千三百十三世から第三千三百二十四世までを統べ、十二格の地支は照のごとく一周する。本運は三百六十年を歷し、一元の第九萬九千三百六十一年から第九萬九千七百二十年を占める。首世は第九萬九千三百六十一年から第九萬九千三百九十年に當たり、末世は第九萬九千六百九十一年から第九萬九千七百二十年に當たる。さらに一運を推せば、年數はまさに十萬を跨がんとす。

星辛二百七十八

星辛二百七十八:辰子三千三百二十五、辰丑三千三百二十六、辰寅三千三百二十七、辰卯三千三百二十八、辰辰三千三百二十九、辰巳三千三百三十、辰午三千三百三十一、辰未三千三百三十二、辰申三千三百三十三、辰酉三千三百三十四、辰戌三千三百三十五、辰亥三千三百三十六。

一元の第二百七十八運、天干は「辛」で、酉會の第八運である。管轄する十二世は編號第三千三百二十五から第三千三百三十六まで。この一運は年數の上で正に十萬の界を跨ぐ。一元の第九萬九千七百二十一年に起こり、第十萬八十年に止まり、其中の第十萬年は第十格の「辰酉三千三百三十四」のこの一世の內に落つ。首世の辰子第三千三百二十五世は第九萬九千七百二十一年から第九萬九千七百五十年に當たり、末世の辰亥第三千三百三十六世は第十萬五十一年から第十萬八十年に當たる。

星壬二百七十九

星壬二百七十九:辰子三千三百三十七、辰丑三千三百三十八、辰寅三千三百三十九、辰卯三千三百四十、辰辰三千三百四十一、辰巳三千三百四十二、辰午三千三百四十三、辰未三千三百四十四、辰申三千三百四十五、辰酉三千三百四十六、辰戌三千三百四十七、辰亥三千三百四十八。

一元の第二百七十九運、天干は「壬」に配し、酉會の第九運である。十二世は第三千三百三十七世から第三千三百四十八世まで排す。本運は三百六十年を歷し、一元の第十萬八十一年から第十萬四百四十年に當たる。首世の辰子第三千三百三十七世は第十萬八十一年から第十萬百十年を主り、末世の辰亥第三千三百四十八世は第十萬四百十一年から第十萬四百四十年を主る。一元の總數は十二萬九千六百年で、ここに至ってすでに七成七八を行き去り、餘る所は三萬年に足らない。

星癸二百八十

星癸二百八十:辰子三千三百四十九、辰丑三千三百五十、辰寅三千三百五十一、辰卯三千三百五十二、辰辰三千三百五十三、辰巳三千三百五十四、辰午三千三百五十五、辰未三千三百五十六、辰申三千三百五十七、辰酉三千三百五十八、辰戌三千三百五十九、辰亥三千三百六十。

一元の第二百八十運、天干は「癸」に終わり、酉會の頭の一輪の十干はここに至って走り終わる。それは第三千三百四十九世から第三千三百六十世までを統べ、末格の「辰亥三千三百六十」はまた一つの整數である。本運は三百六十年で、一元の第十萬四百四十一年から第十萬八百年である。首世の辰子第三千三百四十九世は第十萬四百四十一年から第十萬四百七十年に當たり、末世は則ち第十萬八百年に止まる。酉會は第九萬七千二百一年に開端して、ここに至ってすでに三千六百年を推し過ぎた。

星甲二百八十一

星甲二百八十一:辰子三千三百六十一、辰丑三千三百六十二、辰寅三千三百六十三、辰卯三千三百六十四、辰辰三千三百六十五、辰巳三千三百六十六、辰午三千三百六十七、辰未三千三百六十八、辰申三千三百六十九、辰酉三千三百七十、辰戌三千三百七十一、辰亥三千三百七十二。

一元の第二百八十一運、天干は「甲」に重ねて回り、酉會はここから第二輪の十干に入り、三十運の第十一位に居る。所屬の十二世は編號第三千三百六十一から第三千三百七十二までで、依然として辰子に起こり辰亥に止まる。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十萬八百一年から第十萬一千百六十年。首世の辰子第三千三百六十一世は第十萬八百一年から第十萬八百三十年に當たり、末世の辰亥第三千三百七十二世は第十萬一千百三十一年から第十萬一千百六十年に當たる。

星乙二百八十二

星乙二百八十二:辰子三千三百七十三、辰丑三千三百七十四、辰寅三千三百七十五、辰卯三千三百七十六、辰辰三千三百七十七、辰巳三千三百七十八、辰午三千三百七十九、辰未三千三百八十、辰申三千三百八十一、辰酉三千三百八十二、辰戌三千三百八十三、辰亥三千三百八十四。

一元の第二百八十二運、天干は「乙」に配し、酉會の第十二運である。管轄する十二世は編號第三千三百七十三から第三千三百八十四までで、十二地支は子から亥まで各々一世に當たる。一世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元十二萬九千六百年の中の第十萬一千百六十一年から第十萬一千五百二十年を占める。首世の辰子第三千三百七十三世は第十萬一千百六十一年から第十萬一千百九十年を主り、末世の辰亥第三千三百八十四世は第十萬一千四百九十一年から第十萬一千五百二十年を主る。

星丙二百八十三

星丙二百八十三:辰子三千三百八十五、辰丑三千三百八十六、辰寅三千三百八十七、辰卯三千三百八十八、辰辰三千三百八十九、辰巳三千三百九十、辰午三千三百九十一、辰未三千三百九十二、辰申三千三百九十三、辰酉三千三百九十四、辰戌三千三百九十五、辰亥三千三百九十六。

一元の第二百八十三運、天干は「丙」に當たり、酉會の中で第十三に列す。それは第三千三百八十五世から第三千三百九十六世までを統べる。邵雍がこの表を立てるは、元から年に至る四層の時序を攤げ平らげて一行行の數目とし、史を讀む者に格に按って事を塡め得せしめんと欲するにある。ゆえに每行はただ號數を記して一語も著さない。本運は三百六十年で、一元の第十萬一千五百二十一年から第十萬一千八百八十年である。首世は第十萬一千五百五十年に收まり、末世は第十萬一千八百五十一年から起算する。

星丁二百八十四

星丁二百八十四:辰子三千三百九十七、辰丑三千三百九十八、辰寅三千三百九十九、辰卯三千四百、辰辰三千四百一、辰巳三千四百二、辰午三千四百三、辰未三千四百四、辰申三千四百五、辰酉三千四百六、辰戌三千四百七、辰亥三千四百八。

一元の第二百八十四運、天干は「丁」に配し、酉會の第十四運である。十二世は第三千三百九十七世から起こり、第四格の「辰卯」に至って第三千四百世に滿ち、その後の各格は便ち「三千四百」の上に順に加えて、第三千四百八世に至るまで。本運は三百六十年を歷し、一元の第十萬一千八百八十一年から第十萬二千二百四十年に當たる。首世の辰子第三千三百九十七世は第十萬一千八百八十一年から第十萬一千九百十年に當たり、末世の辰亥第三千四百八世は第十萬二千二百十一年から第十萬二千二百四十年に當たる。

星戊二百八十五

星戊二百八十五:辰子三千四百九、辰丑三千四百十、辰寅三千四百十一、辰卯三千四百十二、辰辰三千四百十三、辰巳三千四百十四、辰午三千四百十五、辰未三千四百十六、辰申三千四百十七、辰酉三千四百十八、辰戌三千四百十九、辰亥三千四百二十。

一元の第二百八十五運、天干は「戊」で、ちょうど酉會三十運の半に當たり、ここを過ぎて後半會に入る。領する十二世は編號第三千四百九から第三千四百二十まで。年をもって計れば、本運は一元の第十萬二千二百四十一年から第十萬二千六百年で、首世は第十萬二千二百七十年に止まり、末世は第十萬二千五百七十一年に起こる。酉會は第九萬七千二百一年に起こり、第十萬八千年に訖わる。この時正に中點に當たる。

星己二百八十六

星己二百八十六:辰子三千四百二十一、辰丑三千四百二十二、辰寅三千四百二十三、辰卯三千四百二十四、辰辰三千四百二十五、辰巳三千四百二十六、辰午三千四百二十七、辰未三千四百二十八、辰申三千四百二十九、辰酉三千四百三十、辰戌三千四百三十一、辰亥三千四百三十二。

一元の第二百八十六運、天干は「己」に輪り、酉會後半の頭の一運である。その下の十二世は第三千四百二十一世から第三千四百三十二世まで。運は十干をもって名とし、一會に三十運あるので、每會の內で十干はちょうど輪轉三周する。「己」は本會ですでに二度目の出現である。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十萬二千六百一年から第十萬二千九百六十年。首世は第十萬二千六百一年から第十萬二千六百三十年に當たり、末世は第十萬二千九百三十一年から第十萬二千九百六十年に當たる。

星庚二百八十七

星庚二百八十七:辰子三千四百三十三、辰丑三千四百三十四、辰寅三千四百三十五、辰卯三千四百三十六、辰辰三千四百三十七、辰已三千四百三十八、辰午三千四百三十九、辰未三千四百四十、辰申三千四百四十一、辰酉三千四百四十二、辰戌三千四百四十三、辰亥三千四百四十四。

一元の第二百八十七運、天干は「庚」に配し、酉會の中で第十七に列す。統べる十二世は第三千四百三十三世から第三千四百四十四世まで。第六格は底本に「辰已」と作り、「已」は「巳」の形近の訛字で、十二地支の定序に依ればこの處はまさに「辰巳」であるべきだが、今は依然として底本の原字を存して改めない。本運は三百六十年を歷し、一元の第十萬二千九百六十一年から第十萬三千三百二十年に當たる。首世は第十萬二千九百九十年に止まり、末世は第十萬三千二百九十一年に起こる。

星辛二百八十八

星辛二百八十八:辰子三千四百四十五、辰丑三千四百四十六、辰寅三千四百四十七、辰卯三千四百四十八、辰辰三千四百四十九、辰巳三千四百五十、辰午三千四百五十一、辰未三千四百五十二、辰申三千四百五十三、辰酉三千四百五十四、辰戌三千四百五十五、辰亥三千四百五十六。

一元の第二百八十八運、天干は「辛」で、酉會の第十八運である。十二世は編號第三千四百四十五から第三千四百五十六までで、第六格の「辰巳」は正に第三千四百五十世に滿ちる。全元は合わせて四千三百二十世で、この一運の末尾に推し至ってすでに三千四百五十六世を行き、およそ八成に當たる。本運は三百六十年で、一元の第十萬三千三百二十一年から第十萬三千六百八十年である。首世は第十萬三千三百二十一年から第十萬三千三百五十年に當たり、末世は第十萬三千六百五十一年から第十萬三千六百八十年に當たる。

星壬二百八十九

星壬二百八十九:辰子三千四百五十七、辰丑三千四百五十八、辰寅三千四百五十九、辰卯三千四百六十、辰辰三千四百六十一、辰巳三千四百六十二、辰午三千四百六十三、辰未三千四百六十四、辰申三千四百六十五、辰酉三千四百六十六、辰戌三千四百六十七、辰亥三千四百六十八。

一元の第二百八十九運、天干は「壬」に配し、酉會の第十九に居る。管轄する十二世は第三千四百五十七世から第三千四百六十八世まで排し、地支は照のごとく一周する。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十萬三千六百八十一年から第十萬四千四十年。首世の辰子第三千四百五十七世は第十萬三千六百八十一年から第十萬三千七百十年を管め、末世の辰亥第三千四百六十八世は第十萬四千十一年から第十萬四千四十年を管める。世號に三十を乘ぜばすなわちその世の末年を得るは、この表のもっとも便捷な驗算の法である。

星癸二百九十

星癸二百九十:辰子三千四百六十九、辰丑三千四百七十、辰寅三千四百七十一、辰卯三千四百七十二、辰辰三千四百七十三、辰巳三千四百七十四、辰午三千四百七十五、辰未三千四百七十六、辰申三千四百七十七、辰酉三千四百七十八、辰戌三千四百七十九、辰亥三千四百八十。

一元の第二百九十運、天干は「癸」に終わり、酉會の第二輪の十干はここに至って走り終わり、全會はすでに二十運を行った。それは第三千四百六十九世から第三千四百八十世までを統べる。本運は三百六十年で、一元の第十萬四千四十一年から第十萬四千四百年に當たる。首世の辰子第三千四百六十九世は第十萬四千四十一年から第十萬四千七十年に當たり、末世の辰亥第三千四百八十世は第十萬四千三百七十一年から第十萬四千四百年に當たる。酉會はなお十運・三千六百年を餘し、その後戌會に交入する。

星甲二百九十一

星甲二百九十一:辰子三千四百八十一、辰丑三千四百八十二、辰寅三千四百八十三、辰卯三千四百八十四、辰辰三千四百八十五、辰巳三千四百八十六、辰午三千四百八十七、辰未三千四百八十八、辰申三千四百八十九、辰酉三千四百九十、辰戌三千四百九十一、辰亥三千四百九十二。

一元の第二百九十一運、天干は第三度轉じて「甲」に至り、酉會はここから最後の一輪の十干に入り、三十運の第二十一位に居る。十二世は編號第三千四百八十一から第三千四百九十二まで。本運は三百六十年を歷し、一元の第十萬四千四百一年から第十萬四千七百六十年である。首世の辰子第三千四百八十一世は第十萬四千四百一年から第十萬四千四百三十年に當たり、末世の辰亥第三千四百九十二世は第十萬四千七百三十一年から第十萬四千七百六十年に當たる。

星乙二百九十二

星乙二百九十二:辰子三千四百九十三、辰丑三千四百九十四、辰寅三千四百九十五、辰卯三千四百九十六、辰辰三千四百九十七、辰巳三千四百九十八、辰午三千四百九十九、辰未三千五百、辰申三千五百一、辰酉三千五百二、辰戌三千五百三、辰亥三千五百四。

一元の第二百九十二運、天干は「乙」に配し、酉會の第二十二運である。十二世は第三千四百九十三世から起こり、第八格の「辰未」は正に第三千五百世に滿ち、末格は第三千五百四世である。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十萬四千七百六十一年から第十萬五千一百二十年。首世は第十萬四千七百六十一年から第十萬四千七百九十年に當たり、末世は第十萬五千九十一年から第十萬五千一百二十年に當たる。

星丙二百九十三

星丙二百九十三:辰子三千五百五、辰丑三千五百六、辰寅三千五百七、辰卯三千五百八、辰辰三千五百九、辰巳三千五百十、辰午三千五百十一、辰未三千五百十二、辰申三千五百十三、辰酉三千五百十四、辰戌三千五百十五、辰亥三千五百十六。

一元の第二百九十三運、天干は「丙」に當たり、酉會の中で第二十三に列す。所屬の十二世は第三千五百五世から第三千五百十六世までで、底本の前の幾格は「三千五百五」「三千五百六」と作り、皆前を承けて零を省く寫法である。本運は三百六十年を歷し、一元の第十萬五千一百二十一年から第十萬五千四百八十年に當たる。首世は第十萬五千一百五十年に止まり、末世は第十萬五千四百五十一年に起こる。

星丁二百九十四

星丁二百九十四:辰子三千五百十七、辰丑三千五百十八、辰寅三千五百十九、辰卯三千五百二十、辰辰三千五百二十一、辰巳三千五百二十二、辰午三千五百二十三、辰未三千五百二十四、辰申三千五百二十五、辰酉三千五百二十六、辰戌三千五百二十七、辰亥三千五百二十八。

一元の第二百九十四運、天干は「丁」に配し、酉會の第二十四運である。管轄する十二世は編號第三千五百十七から第三千五百二十八までで、依然として子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二地支に按って次第を排定する。本運は三百六十年で、一元の第十萬五千四百八十一年から第十萬五千八百四十年に當たる。首世の辰子第三千五百十七世は第十萬五千四百八十一年から第十萬五千五百十年を主り、末世の辰亥第三千五百二十八世は第十萬五千八百十一年から第十萬五千八百四十年を主る。

星戊二百九十五

星戊二百九十五:辰子三千五百二十九、辰丑三千五百三十、辰寅三千五百三十一、辰卯三千五百三十二、辰辰三千五百三十三、辰巳三千五百三十四、辰午三千五百三十五、辰未三千五百三十六、辰申三千五百三十七、辰酉三千五百三十八、辰戌三千五百三十九、辰亥三千五百四十。

一元の第二百九十五運、天干は「戊」で、酉會の中で第二十五に列す。十二世は第三千五百二十九世から第三千五百四十世まで。年をもってこれを推せば、本運は一元の第十萬五千八百四十一年から第十萬六千二百年。首世は第十萬五千八百四十一年から第十萬五千八百七十年に當たり、末世は第十萬六千百七十一年から第十萬六千二百年に當たる。酉會は第十萬八千年に訖わり、ここに至って殘るは五運・一千八百年のみ。《觀物篇十・以元經會十》に載る三十運の中では、この行はすでに倒數第六である。

星己二百九十六

星己二百九十六:辰子三千五百四十一、辰丑三千五百四十二、辰寅三千五百四十三、辰卯三千五百四十四、辰辰三千五百四十五、辰巳三千五百四十六、辰午三千五百四十七、辰未三千五百四十八、辰申三千五百四十九、辰酉三千五百五十、辰戌三千五百五十一、辰亥三千五百五十二。

一元の第二百九十六運、天干は「己」に輪り、酉會の第二十六運である。それは第三千五百四十一世から第三千五百五十二世までを統べ、第十格の「辰酉」はちょうど第三千五百五十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十萬六千二百一年から第十萬六千五百六十年。首世の辰子第三千五百四十一世は第十萬六千二百一年から第十萬六千二百三十年に當たり、末世の辰亥第三千五百五十二世は第十萬六千五百三十一年から第十萬六千五百六十年に當たる。

星庚二百九十七

星庚二百九十七:辰子三千五百五十三、辰丑三千五百五十四、辰寅三千五百五十五、辰卯三千五百五十六、辰辰三千五百五十七、辰巳三千五百五十八、辰午三千五百五十九、辰未三千五百六十、辰申三千五百六十一、辰酉三千五百六十二、辰戌三千五百六十三、辰亥三千五百六十四。

一元の第二百九十七運、天干は「庚」に配し、酉會の中で第二十七に排す。領する十二世は編號第三千五百五十三から第三千五百六十四まで。この表の每行の格式は一律である。まず運の名號と總序を出し、次に横に十二世の總序を列ねる。運と世は皆一元の首から連數するので、讀者は處々に校することができる。本運は三百六十年で、一元の第十萬六千五百六十一年から第十萬六千九百二十年に當たり、首世は第十萬六千五百九十年に止まり、末世は第十萬六千八百九十一年に起こる。

星辛二百九十八

星辛二百九十八:辰子三千五百六十五、辰丑三千五百六十六、辰寅三千五百六十七、辰卯三千五百六十八、辰辰三千五百六十九、辰巳三千五百七十、辰午三千五百七十一、辰未三千五百七十二、辰申三千五百七十三、辰酉三千五百七十四、辰戌三千五百七十五、辰亥三千五百七十六。

一元の第二百九十八運、天干は「辛」で、酉會の第二十八運である。十二世は第三千五百六十五世から第三千五百七十六世まで排し、第六格の「辰巳」は正に第三千五百七十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、一元の第十萬六千九百二十一年から第十萬七千二百八十年である。首世は第十萬六千九百二十一年から第十萬六千九百五十年に當たり、末世は第十萬七千二百五十一年から第十萬七千二百八十年に當たる。酉會の餘るは兩運に過ぎない。

星壬二百九十九

星壬二百九十九:辰子三千五百七十七、辰丑三千五百七十八、辰寅三千五百七十九、辰卯三千五百八十、辰辰三千五百八十一、辰巳三千五百八十二、辰午三千五百八十三、辰未三千五百八十四、辰申三千五百八十五、辰酉三千五百八十六、辰戌三千五百八十七、辰亥三千五百八十八。

一元の第二百九十九運、天干は「壬」に配し、酉會の第二十九に居り、本會の倒數第二の運である。管轄する十二世は編號第三千五百七十七から第三千五百八十八まで。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十萬七千二百八十一年から第十萬七千六百四十年。首世の辰子第三千五百七十七世は第十萬七千二百八十一年から第十萬七千三百十年を管め、末世の辰亥第三千五百八十八世は第十萬七千六百十一年から第十萬七千六百四十年を管める。

星癸三百

星癸三百:辰子三千五百八十九、辰丑三千五百九十、辰寅三千五百九十一、辰卯三千五百九十二、辰辰三千五百九十三、辰巳三千五百九十四、辰午三千五百九十五、辰未三千五百九十六、辰申三千五百九十七、辰酉三千五百九十八、辰戌三千五百九十九、辰亥三千六百。

一元の第三百運、天干は「癸」に終わり、整數の關口であるとともに、酉會三十運の末運でもある。それは第三千五百八十九世から第三千六百世までを統べ、末格の「辰亥三千六百」は正に第三千六百世に滿ち、第十萬八千年整に收まる。ここに至って第十會の酉會は推し畢わった。本會は三十運・三百六十世・一萬八百年で、一元の第九萬七千二百一年に起こり、第十萬八千年に止まる。下卷は第十一会の戌會に轉入する。後人は十二消息卦をもって十二會に配し、酉會は《觀》卦に當たり、陰長じ陽退くの象である。

皇極經世書卷二下

觀物篇十一 以元經會十一

日甲一 月戌十一

星甲三百一

星甲三百一:辰子三千六百一、辰丑三千六百二、辰寅三千六百三、辰卯三千六百四、辰辰三千六百五、辰巳三千六百六、辰午三千六百七、辰未三千六百八、辰申三千六百九、辰酉三千六百十、辰戌三千六百十一、辰亥三千六百十二。

卷二下に記する所は、篇首に「日甲一、月戌十一」と標し、すなわち第一元甲元の中の第十一会の戌會である。邵雍が一元の生化を論ずるに、萬物は寅會に開き戌會に閉づと謂う。ゆえにこの下の三十運は正に天地が盛より斂に入る一段に當たる。「星甲三百一」は戌會の第一運で、天干は「甲」から重ねて起こり、管轄する十二世は第三千六百一世から第三千六百十二世まで。本運は三百六十年で、一元の第十萬八千一年から第十萬八千三百六十年に當たる。首世の辰子第三千六百一世は第十萬八千一年から第十萬八千三十年を領し、末世の辰亥第三千六百十二世は第十萬八千三百三十一年から第十萬八千三百六十年を領す。

星乙三百二

星乙三百二:辰子三千六百十三、辰丑三千六百十四、辰寅三千六百十五、辰卯三千六百十六、辰辰三千六百十七、辰巳三千六百十八、辰午三千六百十九、辰未三千六百二十、辰申三千六百二十一、辰酉三千六百二十二、辰戌三千六百二十三、辰亥三千六百二十四。

一元の第三百二運、天干は「乙」に配し、戌會の第二運である。十二世は編號第三千六百十三から第三千六百二十四までで、前の一運の末世の第三千六百十二世に相接する。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十萬八千三百六十一年から第十萬八千七百二十年。首世は第十萬八千三百六十一年から第十萬八千三百九十年に當たり、末世は第十萬八千六百九十一年から第十萬八千七百二十年に當たる。

星丙三百三

星丙三百三:辰子三千六百二十五、辰丑三千六百二十六、辰寅三千六百二十七、辰卯三千六百二十八、辰辰三千六百二十九、辰巳三千六百三十、辰午三千六百三十一、辰未三千六百三十二、辰申三千六百三十三、辰酉三千六百三十四、辰戌三千六百三十五、辰亥三千六百三十六。

一元の第三百三運、天干は「丙」に當たり、戌會の中で第三に排す。統べる十二世は第三千六百二十五世から第三千六百三十六世まで。戌會は一元の第十一会で、合わせて三十運・三百六十世を轄め、起訖は第十萬八千一年から第十一萬八千八百年の間にある。本運は則ちその中の第十萬八千七百二十一年から第十萬九千八十年を占め、首世は第十萬八千七百五十年に止まり、末世は第十萬九千五十一年に起こる。消息卦をもってこれに配すれば、戌會は《剝》卦に當たる。

星丁三百四

星丁三百四:辰子三千六百三十七、辰丑三千六百三十八、辰寅三千六百三十九、辰卯三千六百四十、辰辰三千六百四十一、辰巳三千六百四十二、辰午三千六百四十三、辰未三千六百四十四、辰申三千六百四十五、辰酉三千六百四十六、辰戌三千六百四十七、辰亥三千六百四十八。

一元の第三百四運、天干は「丁」に配し、戌會の第四運である。その下の十二世は第三千六百三十七世から第三千六百四十八世までで、地支は子から亥まで依然として一周を轉足する。本運は合わせて三百六十年で、一元の第十萬九千八十一年から第十萬九千四百四十年に當たる。首世の辰子第三千六百三十七世は第十萬九千八十一年から第十萬九千百十年を主り、末世の辰亥第三千六百四十八世は第十萬九千四百十一年から第十萬九千四百四十年を主る。

星戊三百五

星戊三百五:辰子三千六百四十九、辰丑三千六百五十、辰寅三千六百五十一、辰卯三千六百五十二、辰辰三千六百五十三、辰巳三千六百五十四、辰午三千六百五十五、辰未三千六百五十六、辰申三千六百五十七、辰酉三千六百五十八、辰戌三千六百五十九、辰亥三千六百六十。

一元の第三百五運、天干は「戊」で、戌會の第五運である。管轄する十二世は編號第三千六百四十九から第三千六百六十までで、十二地支は子から亥まで依序に配定する。一世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元の第十萬九千四百四十一年から第十萬九千八百年に當たる。首世の辰子第三千六百四十九世は第十萬九千四百四十一年から第十萬九千四百七十年を管め、末世の辰亥第三千六百六十世は第十萬九千七百七十一年から第十萬九千八百年を管める。

星己三百六

星己三百六:辰子三千六百六十一、辰丑三千六百六十二、辰寅三千六百六十三、辰卯三千六百六十四、辰辰三千六百六十五、辰巳三千六百六十六、辰午三千六百六十七、辰未三千六百六十八、辰申三千六百六十九、辰酉三千六百七十、辰戌三千六百七十一、辰亥三千六百七十二。

一元の第三百六運、天干は「己」に輪り、戌會の第六運である。それは第三千六百六十一世から第三千六百七十二世までを統べる。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十萬九千八百一年から第十一萬百六十年で、年數はここから十一萬に跨入る。首世は第十萬九千八百一年から第十萬九千八百三十年に當たり、末世は第十一萬百三十一年から第十一萬百六十年に當たる。戌會は合わせて三十運で、この運はやっとその六を行き、なお開端の一段に在る。

星庚三百七

星庚三百七:辰子三千六百七十三、辰丑三千六百七十四、辰寅三千六百七十五、辰卯三千六百七十六、辰辰三千六百七十七、辰巳三千六百七十八、辰午三千六百七十九、辰未三千六百八十、辰申三千六百八十一、辰酉三千六百八十二、辰戌三千六百八十三、辰亥三千六百八十四。

一元の第三百七運、天干は「庚」に配し、戌會の中で第七に排す。領する十二世は第三千六百七十三世から第三千六百八十四世まで。この表の「星」の下に列する「辰」は、ただ一運の內の十二世を地支に按って號を掛けるのみで、別に一套の時辰あるではない。讀む時に占家の時辰と相混してはならない。本運は三百六十年で、一元の第十一萬百六十一年から第十一萬五百二十年に當たり、首世は第十一萬百九十年に止まり、末世は第十一萬四百九十一年に起こる。

星辛三百八

星辛三百八:辰子三千六百八十五、辰丑三千六百八十六、辰寅三千六百八十七、辰卯三千六百八十八、辰辰三千六百八十九、辰巳三千六百九十、辰午三千六百九十一、辰未三千六百九十二、辰申三千六百九十三、辰酉三千六百九十四、辰戌三千六百九十五、辰亥三千六百九十六。

一元の第三百八運、天干は「辛」で、戌會の第八運である。十二世は編號第三千六百八十五から第三千六百九十六までで、第六格の「辰巳」はちょうど第三千六百九十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、一元の第十一萬五百二十一年から第十一萬八百八十年である。首世は第十一萬五百二十一年から第十一萬五百五十年に當たり、末世は第十一萬八百五十一年から第十一萬八百八十年に當たる。戌會は第十萬八千一年に開端して、ここに至ってすでに二千八百八十年を推し去った。

星壬三百九

星壬三百九:辰子三千六百九十七、辰丑三千六百九十八、辰寅三千六百九十九、辰卯三千七百、辰辰三千七百一、辰巳三千七百二、辰午三千七百三、辰未三千七百四、辰申三千七百五、辰酉三千七百六、辰戌三千七百七、辰亥三千七百八。

一元の第三百九運、天干は「壬」に配し、戌會の第九に居る。十二世は第三千六百九十七世から起こり、第四格の「辰卯」に數え至って第三千七百世に滿ち、この後の各格は便ち「三千七百」を承けて順に加え、末世は第三千七百八世である。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十一萬八百八十一年から第十一萬一千二百四十年。首世は第十一萬九百十年に止まり、末世は第十一萬一千二百十一年に起こる。

星癸三百一十

星癸三百一十:辰子三千七百九、辰丑三千七百十、辰寅三千七百十一、辰卯三千七百十二、辰辰三千七百十三、辰巳三千七百十四、辰午三千七百十五、辰未三千七百十六、辰申三千七百十七、辰酉三千七百十八、辰戌三千七百十九、辰亥三千七百二十。

一元の第三百十運、天干は「癸」に終わり、戌會の頭の一輪の十干はここに至って走り終わる。それは第三千七百九世から第三千七百二十世までを統べ、底本の首格は零を省いて「三千七百九」と作る。本運は三百六十年で、一元の第十一萬一千二百四十一年から第十一萬一千六百年に當たる。首世は第十一萬一千二百四十一年から第十一萬一千二百七十年を管め、末世は第十一萬一千五百七十一年から第十一萬一千六百年を管める。戌會は合わせて三十運で、この時やっと三分の一を行った。

星甲三百一十一

星甲三百一十一:辰子三千七百二十一、辰丑三千七百二十二、辰寅三千七百二十三、辰卯三千七百二十四、辰辰三千七百二十五、辰巳三千七百二十六、辰午三千七百二十七、辰未三千七百二十八、辰申三千七百二十九、辰酉三千七百三十、辰戌三千七百三十一、辰亥三千七百三十二。

一元の第三百十一運、天干は「甲」に重ねて回り、戌會はここから第二輪の十干に入り、三十運の第十一位に居る。所屬の十二世は編號第三千七百二十一から第三千七百三十二まで。本運は三百六十年を歷し、一元の第十一萬一千六百一年から第十一萬一千九百六十年である。首世の辰子第三千七百二十一世は第十一萬一千六百一年から第十一萬一千六百三十年に當たり、末世の辰亥第三千七百三十二世は第十一萬一千九百三十一年から第十一萬一千九百六十年に當たる。

星乙三百一十二

星乙三百一十二:辰子三千七百三十三、辰丑三千七百三十四、辰寅三千七百三十五、辰卯三千七百三十六、辰辰三千七百三十七、辰巳三千七百三十八、辰午三千七百三十九、辰未三千七百四十、辰申三千七百四十一、辰酉三千七百四十二、辰戌三千七百四十三、辰亥三千七百四十四。

一元の第三百十二運、天干は「乙」に配し、戌會の第十二運である。十二世は第三千七百三十三世から第三千七百四十四世まで。全元は合わせて四千三百二十世で、ここに至ってすでに三千七百四十四世を行き、ただ五百七十六世を餘すのみ。會數に換えれば、すなわち戌會はなお大半を餘し、亥會の一會はいまだ啓かず。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十一萬一千九百六十一年から第十一萬二千三百二十年で、首世は第十一萬一千九百六十一年に起こり、末世は第十一萬二千三百二十年に收まる。

星丙三百一十三

星丙三百一十三:辰子三千七百四十五、辰丑三千七百四十六、辰寅三千七百四十七、辰卯三千七百四十八、辰辰三千七百四十九、辰巳三千七百五十、辰午三千七百五十一、辰未三千七百五十二、辰申三千七百五十三、辰酉三千七百五十四、辰戌三千七百五十五、辰亥三千七百五十六。

一元の第三百十三運、天干は「丙」に當たり、戌會の中で第十三に列す。統べる十二世は第三千七百四十五世から第三千七百五十六世までで、第六格の「辰巳」はちょうど第三千七百五十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、一元の第十一萬二千三百二十一年から第十一萬二千六百八十年に當たる。首世は第十一萬二千三百二十一年から第十一萬二千三百五十年に當たり、末世は第十一萬二千六百五十一年から第十一萬二千六百八十年に當たる。

星丁三百一十四

星丁三百一十四:辰子三千七百五十七、辰丑三千七百五十八、辰寅三千七百五十九、辰卯三千七百六十、辰辰三千七百六十一、辰巳三千七百六十二、辰午三千七百六十三、辰未三千七百六十四、辰申三千七百六十五、辰酉三千七百六十六、辰戌三千七百六十七、辰亥三千七百六十八。

一元の第三百十四運、天干は「丁」に配し、戌會の第十四運で、また本會前半の末の一運である。十二世は編號第三千七百五十七から第三千七百六十八まで。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十一萬二千六百八十一年から第十一萬三千四十年。首世の辰子第三千七百五十七世は第十一萬二千六百八十一年から第十一萬二千七百十年を主り、末世の辰亥第三千七百六十八世は第十一萬三千十一年から第十一萬三千四十年を主る。

星戊三百一十五

星戊三百一十五:辰子三千七百六十九、辰丑三千七百七十、辰寅三千七百七十一、辰卯三千七百七十二、辰辰三千七百七十三、辰巳三千七百七十四、辰午三千七百七十五、辰未三千七百七十六、辰申三千七百七十七、辰酉三千七百七十八、辰戌三千七百七十九、辰亥三千七百八十。

一元の第三百十五運、天干は「戊」で、正に戌會三十運の半に當たる。邵雍は以って、萬物は寅會の中に開き、戌會の中に閉づとし、いわゆる「閉物」の界限は便ちこの一運に落ちる。本運は一元の第十一萬三千四十一年に起こり、第十一萬三千四百年に止まり、ちょうど戌會一萬八百年の中點である。管轄する十二世は第三千七百六十九世から第三千七百八十世までで、首世は第十一萬三千四十一年から第十一萬三千七十年を管め、末世は第十一萬三千三百七十一年から第十一萬三千四百年を管める。

星己三百一十六

星己三百一十六:辰子三千七百八十一、辰丑三千七百八十二、辰寅三千七百八十三、辰卯三千七百八十四、辰辰三千七百八十五、辰巳三千七百八十六、辰午三千七百八十七、辰未三千七百八十八、辰申三千七百八十九、辰酉三千七百九十、辰戌三千七百九十一、辰亥三千七百九十二。

一元の第三百十六運、天干は「己」に輪り、戌會後半の頭の一運で、また閉物の後に推す第一の運である。それは第三千七百八十一世から第三千七百九十二世までを統べる。本運は三百六十年を歷し、一元の第十一萬三千四百一年から第十一萬三千七百六十年に當たる。首世は第十一萬三千四百一年から第十一萬三千四百三十年に當たり、末世は第十一萬三千七百三十一年から第十一萬三千七百六十年に當たる。戌會の後半の十五運は、ここに至ってやっと開端する。

星庚三百一十七

星庚三百一十七:辰子三千七百九十三、辰丑三千七百九十四、辰寅三千七百九十五、辰卯三千七百九十六、辰辰三千七百九十七、辰巳三千七百九十八、辰午三千七百九十九、辰未三千八百、辰申三千八百一、辰酉三千八百二、辰戌三千八百三、辰亥三千八百四。

一元の第三百十七運、天干は「庚」に配し、戌會の中で第十七に排す。管轄する十二世は第三千七百九十三世から起こり、第八格の「辰未」に數え至ってちょうど第三千八百世に滿ち、その後の四格は順に加えて第三千八百四世に至る。一世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元の第十一萬三千七百六十一年から第十一萬四千百二十年に當たる。首世は第十一萬三千七百六十一年から第十一萬三千七百九十年を管め、末世は第十一萬四千九十一年から第十一萬四千百二十年を管める。

星辛三百一十八

星辛三百一十八:辰子三千八百五、辰丑三千八百六、辰寅三千八百七、辰卯三千八百八、辰辰三千八百九、辰巳三千八百一十、辰午三千八百一十一、辰未三千八百一十二、辰申三千八百一十三、辰酉三千八百一十四、辰戌三千八百一十五、辰亥三千八百一十六。

一元の第三百十八運、天干は「辛」で、戌會の第十八運である。十二世は編號第三千八百五から第三千八百十六まで。底本の前五格は「三千八百五」以下と作り、第六格から改めて「三千八百一十」以下と作る。零を省くと省かざるの兩種の寫法が一行に竝び見えるが、指す所の數目に竝びに出入りはない。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十一萬四千百二十一年から第十一萬四千四百八十年で、末世は第十一萬四千四百八十年に收まる。

星壬三百一十九

星壬三百一十九:辰子三千八百一十七、辰丑三千八百一十八、辰寅三千八百一十九、辰卯三千八百二十、辰辰三千八百二十一、辰巳三千八百二十二、辰午三千八百二十三、辰未三千八百二十四、辰申三千八百二十五、辰酉三千八百二十六、辰戌三千八百二十七、辰亥三千八百二十八。

一元の第三百十九運、天干は「壬」に配し、戌會の第十九に居る。統べる十二世は第三千八百十七世から第三千八百二十八世までで、地支は子から亥まで各々一格を占める。本運は三百六十年を歷し、一元の第十一萬四千四百八十一年から第十一萬四千八百四十年である。首世の辰子第三千八百十七世は第十一萬四千四百八十一年から第十一萬四千五百十年に當たり、末世の辰亥第三千八百二十八世は第十一萬四千八百十一年から第十一萬四千八百四十年に當たる。

星癸三百二十

星癸三百二十:辰子三千八百二十九、辰丑三千八百三十、辰寅三千八百三十一、辰卯三千八百三十二、辰辰三千八百三十三、辰巳三千八百三十四、辰午三千八百三十五、辰未三千八百三十六、辰申三千八百三十七、辰酉三千八百三十八、辰戌三千八百三十九、辰亥三千八百四十。

一元の第三百二十運、天干は「癸」に終わり、戌會の第二輪の十干はここに至って走り終わり、全會はすでに二十運を行った。十二世は編號第三千八百二十九から第三千八百四十まで。本運は三百六十年で、一元の第十一萬四千八百四十一年から第十一萬五千二百年に當たる。首世は第十一萬四千八百四十一年から第十一萬四千八百七十年に當たり、末世は第十一萬五千百七十一年から第十一萬五千二百年に當たる。戌會はなお十運・三千六百年を餘し、その後便ち末會の亥會に交する。

星甲三百二十一

星甲三百二十一:辰子三千八百四十一、辰丑三千八百四十二、辰寅三千八百四十三、辰卯三千八百四十四、辰辰三千八百四十五、辰巳三千八百四十六、辰午三千八百四十七、辰未三千八百四十八、辰申三千八百四十九、辰酉三千八百五十、辰戌三千八百五十一、辰亥三千八百五十二。

一元の第三百二十一運、天干は第三度轉じて「甲」に至り、戌會はここから最末の一輪の十干に入り、三十運の第二十一位に居る。領する十二世は第三千八百四十一世から第三千八百五十二世までで、第十格の「辰酉」は正に第三千八百五十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十一萬五千二百一年から第十一萬五千五百六十年。首世は第十一萬五千二百三十年に止まり、末世は第十一萬五千五百三十一年に起こる。戌會三十運、これは第二十一で、餘る所は僅かに九運である。

星乙三百二十二

星乙三百二十二:辰子三千八百五十三、辰丑三千八百五十四、辰寅三千八百五十五、辰卯三千八百五十六、辰辰三千八百五十七、辰巳三千八百五十八、辰午三千八百五十九、辰未三千八百六十、辰申三千八百六十一、辰酉三千八百六十二、辰戌三千八百六十三、辰亥三千八百六十四。

一元の第三百二十二運、天干は「乙」に配し、戌會の第二十二運である。十二世は第三千八百五十三世から第三千八百六十四世まで。この表の編排は一以って之を貫く。運號に一を加えれば世號に十二を加え、世號に一を加えれば年數に三十を加え、層層相因って亂れず。本運は三百六十年で、一元の第十一萬五千五百六十一年から第十一萬五千九百二十年に當たり、首世は第十一萬五千五百九十年に止まり、末世は第十一萬五千八百九十一年に起こる。戌會はここに至ってただ八運・二千八百八十年を餘すのみ。

星丙三百二十三

星丙三百二十三:辰子三千八百六十五、辰丑三千八百六十六、辰寅三千八百六十七、辰卯三千八百六十八、辰辰三千八百六十九、辰巳三千八百七十、辰午三千八百七十一、辰未三千八百七十二、辰申三千八百七十三、辰酉三千八百七十四、辰戌三千八百七十五、辰亥三千八百七十六。

一元の第三百二十三運、天干は「丙」に當たり、戌會の中で第二十三に列す。統べる十二世は編號第三千八百六十五から第三千八百七十六までで、第六格の「辰巳」はちょうど第三千八百七十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十一萬五千九百二十一年から第十一萬六千二百八十年。首世の辰子第三千八百六十五世は第十一萬五千九百二十一年から第十一萬五千九百五十年を管め、末世の辰亥第三千八百七十六世は第十一萬六千二百五十一年から第十一萬六千二百八十年を管める。

星丁三百二十四

星丁三百二十四:辰子三千八百七十七、辰丑三千八百七十八、辰寅三千八百七十九、辰卯三千八百八十、辰辰三千八百八十一、辰巳三千八百八十二、辰午三千八百八十三、辰未三千八百八十四、辰申三千八百八十五、辰酉三千八百八十六、辰戌三千八百八十七、辰亥三千八百八十八。

一元の第三百二十四運、天干は「丁」に配し、戌會の第二十四運である。十二世は第三千八百七十七世から第三千八百八十八世まで排す。本運は三百六十年で、一元の第十一萬六千二百八十一年から第十一萬六千六百四十年である。首世は第十一萬六千二百八十一年から第十一萬六千三百十年に當たり、末世は第十一萬六千六百十一年から第十一萬六千六百四十年に當たる。戌會の餘るはただ六運・二千百六十年である。

星戊三百二十五

星戊三百二十五:辰子三千八百八十九、辰丑三千八百九十、辰寅三千八百九十一、辰卯三千八百九十二、辰辰三千八百九十三、辰巳三千八百九十四、辰午三千八百九十五、辰未三千八百九十六、辰申三千八百九十七、辰酉三千八百九十八、辰戌三千八百九十九、辰亥三千九百。

一元の第三百二十五運、天干は「戊」で、戌會の中で第二十五に排す。それは第三千八百八十九世から第三千九百世までを統べ、末格の「辰亥三千九百」は正に第三千九百世に滿ち、全元四千三百二十世の中のまた一つの整數である。本運は三百六十年で、一元の第十一萬六千六百四十一年から第十一萬七千年に當たる。首世は第十一萬六千六百四十一年から第十一萬六千六百七十年を管め、末世は則ち第十一萬七千年整に收まる。戌會の餘るは僅かに五運・一千八百年である。

星己三百二十六

星己三百二十六:辰子三千九百一、辰丑三千九百二、辰寅三千九百三、辰卯三千九百四、辰辰三千九百五、辰巳三千九百六、辰午三千九百七、辰未三千九百八、辰申三千九百九、辰酉三千九百一十、辰戌三千九百一十一、辰亥三千九百一十二。

一元の第三百二十六運、天干は「己」に輪り、戌會の第二十六運である。管轄する十二世は第三千九百一世から第三千九百十二世までで、底本の前の九格は上を承けて零を省き、第十格からようやく「一十」を補い出す。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十一萬七千一年から第十一萬七千三百六十年。首世は第十一萬七千一年から第十一萬七千三十年に當たり、末世は第十一萬七千三百三十一年から第十一萬七千三百六十年に當たる。

星庚三百二十七

星庚三百二十七:辰子三千九百一十三、辰丑三千九百一十四、辰寅三千九百一十五、辰卯三千九百一十六、辰辰三千九百一十七、辰巳三千九百一十八、辰午三千九百一十九、辰未三千九百二十、辰申三千九百二十一、辰酉三千九百二十二、辰戌三千九百二十三、辰亥三千九百二十四。

一元の第三百二十七運、天干は「庚」に配し、戌會の中で第二十七に列す。十二世は編號第三千九百十三から第三千九百二十四まで。本運は三百六十年で、一元の第十一萬七千三百六十一年から第十一萬七千七百二十年に當たる。首世の辰子第三千九百十三世は第十一萬七千三百六十一年から第十一萬七千三百九十年を主り、末世の辰亥第三千九百二十四世は第十一萬七千六百九十一年から第十一萬七千七百二十年を主る。全元十二萬九千六百年はここに至ってすでに九成有餘を行った。

星辛三百二十八

星辛三百二十八:辰子三千九百二十五、辰丑三千九百二十六、辰寅三千九百二十七、辰卯三千九百二十八、辰辰三千九百二十九、辰巳三千九百三十、辰午三千九百三十一、辰未三千九百三十二、辰申三千九百三十三、辰酉三千九百三十四、辰戌三千九百三十五、辰亥三千九百三十六。

一元の第三百二十八運、天干は「辛」で、戌會の第二十八運である。領する十二世は第三千九百二十五世から第三千九百三十六世までで、第六格の「辰巳」は第三千九百三十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十一萬七千七百二十一年から第十一萬八千八十年。首世は第十一萬七千七百五十年に止まり、末世は第十一萬八千五十一年に起こる。戌會終了の第十一萬八千八百年を去ること殘る兩運のみで、全元三百六十運もまたただ三十二運を餘す。

星壬三百二十九

星壬三百二十九:辰子三千九百三十七、辰丑三千九百三十八、辰寅三千九百三十九、辰卯三千九百四十、辰辰三千九百四十一、辰巳三千九百四十二、辰午三千九百四十三、辰未三千九百四十四、辰申三千九百四十五、辰酉三千九百四十六、辰戌三千九百四十七、辰亥三千九百四十八。

一元の第三百二十九運、天干は「壬」に配し、戌會の第二十九に居り、本會の倒數第二の運である。管轄する十二世は編號第三千九百三十七から第三千九百四十八までで、地支は子から亥まで各々一世に當たる。一世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元の第十一萬八千八十一年から第十一萬八千四百四十年に當たる。首世は第十一萬八千八十一年から第十一萬八千百十年を管め、末世は第十一萬八千四百十一年から第十一萬八千四百四十年を管める。

星癸三百三十

星癸三百三十:辰子三千九百四十九、辰丑三千九百五十、辰寅三千九百五十一、辰卯三千九百五十二、辰辰三千九百五十三、辰巳三千九百五十四、辰午三千九百五十五、辰未三千九百五十六、辰申三千九百五十七、辰酉三千九百五十八、辰戌三千九百五十九、辰亥三千九百六十。

一元の第三百三十運、天干は「癸」に終わり、また戌會三十運の末運である。それは第三千九百四十九世から第三千九百六十世までを統べ、末世の辰亥第三千九百六十世は第十一萬八千七百七十一年から第十一萬八千八百年に當たる。ここに至って第十一会の戌會は推し畢わった。本會は三十運・三百六十世・一萬八百年で、一元の第十萬八千一年に起こり、第十一萬八千八百年に止まる。下篇は亥會に轉入する。それは一元十二會の中の最後の一會である。

觀物篇十二 以元經會十二

日甲一 月亥十二

星甲三百三十一

星甲三百三十一:辰子三千九百六十一、辰丑三千九百六十二、辰寅三千九百六十三、辰卯三千九百六十四、辰辰三千九百六十五、辰巳三千九百六十六、辰午三千九百六十七、辰未三千九百六十八、辰申三千九百六十九、辰酉三千九百七十、辰戌三千九百七十一、辰亥三千九百七十二。

本篇の篇首は「日甲一、月亥十二」と標し、第一元甲元の中の第十二會の亥會を指し、一元十二會の收尾の會である。この會すでに畢われば、一元は便ち終わり告げて復た始まる。「星甲三百三十一」は亥會の第一運で、天干は重ねて「甲」から起こり、管轄する十二世は第三千九百六十一世から第三千九百七十二世まで。本運は三百六十年で、一元の第十一萬八千八百一年から第十一萬九千百六十年に當たる。首世は第十一萬八千八百一年から第十一萬八千八百三十年を管め、末世は第十一萬九千百三十一年から第十一萬九千百六十年を管める。

星乙三百三十二

星乙三百三十二:辰子三千九百七十三、辰丑三千九百七十四、辰寅三千九百七十五、辰卯三千九百七十六、辰辰三千九百七十七、辰巳三千九百七十八、辰午三千九百七十九、辰未三千九百八十、辰申三千九百八十一、辰酉三千九百八十二、辰戌三千九百八十三、辰亥三千九百八十四。

一元の第三百三十二運、天干は「乙」に配し、亥會の第二運である。十二世は編號第三千九百七十三から第三千九百八十四までで、前の一運の末世の第三千九百七十二世に緊接する。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十一萬九千百六十一年から第十一萬九千五百二十年。首世の辰子第三千九百七十三世は第十一萬九千百六十一年から第十一萬九千百九十年に當たり、末世の辰亥第三千九百八十四世は第十一萬九千四百九十一年から第十一萬九千五百二十年に當たる。

星丙三百三十三

星丙三百三十三:辰子三千九百八十五、辰丑三千九百八十六、辰寅三千九百八十七、辰卯三千九百八十八、辰辰三千九百八十九、辰巳三千九百九十、辰午三千九百九十一、辰未三千九百九十二、辰申三千九百九十三、辰酉三千九百九十四、辰戌三千九百九十五、辰亥三千九百九十六。

一元の第三百三十三運、天干は「丙」に當たり、亥會の中で第三に排す。統べる十二世は第三千九百八十五世から第三千九百九十六世までで、ただ四世を差すのみで四千の數に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第十一萬九千五百二十一年から第十一萬九千八百八十年に當たる。首世は第十一萬九千五百二十一年から第十一萬九千五百五十年に當たり、末世は第十一萬九千八百五十一年から第十一萬九千八百八十年に當たる。亥會は合わせて三十運で、この運はやっとその三を行った。

星丁三百三十四

星丁三百三十四:辰子三千九百九十七、辰丑三千九百九十八、辰寅三千九百九十九、辰卯四千、辰辰四千一、辰巳四千二、辰午四千三、辰未四千四、辰申四千五、辰酉四千六、辰戌四千七、辰亥四千八。

一元の第三百三十四運、天干は「丁」に配し、亥會の第四運である。十二世は第三千九百九十七世から起こり、第四格の「辰卯」に數え至って正に第四千世に滿ち、この後の各格は便ち「四千」を承けて順に加え、末世は第四千八世である。年をもって計れば、本運は一元の第十一萬九千八百八十一年から第十二萬二百四十年で、年數もまたこの運の內で十二萬を跨ぐ。首世は第十一萬九千九百十年に止まり、末世は第十二萬二百十一年に起こる。

星戊三百三十五

星戊三百三十五:辰子四千九、辰丑四千一十、辰寅四千一十一、辰卯四千一十二、辰辰四千一十三、辰巳四千一十四、辰午四千一十五、辰未四千一十六、辰申四千一十七、辰酉四千一十八、辰戌四千一十九、辰亥四千二十。

一元の第三百三十五運、天干は「戊」で、亥會の中で第五に列す。領する十二世は編號第四千九から第四千二十までで、底本の首格は零を省いて「四千九」と作り、次の格から「一十」を補う。全元は合わせて四千三百二十世で、ここに至ってただ三百世を餘すのみ。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十二萬二百四十一年から第十二萬六百年で、末世は第十二萬六百年整に收まる。

星己三百三十六

星己三百三十六:辰子四千二十一、辰丑四千二十二、辰寅四千二十三、辰卯四千二十四、辰辰四千二十五、辰巳四千二十六、辰午四千二十七、辰未四千二十八、辰申四千二十九、辰酉四千三十、辰戌四千三十一、辰亥四千三十二。

一元の第三百三十六運、天干は「己」に輪り、亥會の第六運で、ちょうど本會三十運の五分の一の後に當たる。それは第四千二十一世から第四千三十二世までを統べる。本運は三百六十年を歷し、一元の第十二萬六百一年から第十二萬九百六十年に當たる。首世は第十二萬六百一年から第十二萬六百三十年を管め、末世は第十二萬九百三十一年から第十二萬九百六十年を管める。

星庚三百三十七

星庚三百三十七:辰子四千三十三、辰丑四千三十四、辰寅四千三十五、辰卯四千三十六、辰辰四千三十七、辰巳四千三十八、辰午四千三十九、辰未四千四十、辰申四千四十一、辰酉四千四十二、辰戌四千四十三、辰亥四千四十四。

一元の第三百三十七運、天干は「庚」に配し、亥會の中で第七に排す。管轄する十二世は第四千三十三世から第四千四十四世までで、依然として辰子に起こり辰亥に止まる。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十二萬九百六十一年から第十二萬一千三百二十年。首世は第十二萬九百六十一年から第十二萬九百九十年に當たり、末世は第十二萬一千二百九十一年から第十二萬一千三百二十年に當たる。

星辛三百三十八

星辛三百三十八:辰子四千四十五、辰丑四千四十六、辰寅四千四十七、辰卯四千四十八、辰辰四千四十九、辰巳四千五十、辰午四千五十一、辰未四千五十二、辰申四千五十三、辰酉四千五十四、辰戌四千五十五、辰亥四千五十六。

一元の第三百三十八運、天干は「辛」で、亥會の第八運である。十二世は編號第四千四十五から第四千五十六までで、第六格の「辰巳」はちょうど第四千五十世に滿ちる。亥會は一元の第十一萬八千八百一年に起こり、本運は則ちその中の第十二萬一千三百二十一年から第十二萬一千六百八十年を占め、全會一萬八百年はすでに二千八百八十年を行き去った。

星壬三百三十九

星壬三百三十九:辰子四千五十七、辰丑四千五十八、辰寅四千五十九、辰卯四千六十、辰辰四千六十一、辰巳四千六十二、辰午四千六十三、辰未四千六十四、辰申四千六十五、辰酉四千六十六、辰戌四千六十七、辰亥四千六十八。

一元の第三百三十九運、天干は「壬」に配し、亥會の第九に居る。統べる十二世は第四千五十七世から第四千六十八世まで。本運は三百六十年を歷し、一元の第十二萬一千六百八十一年から第十二萬二千四十年である。首世は第十二萬一千六百八十一年から第十二萬一千七百十年を管め、末世は第十二萬二千十一年から第十二萬二千四十年を管める。

星癸三百四十

星癸三百四十:辰子四千六十九、辰丑四千七十、辰寅四千七十一、辰卯四千七十二、辰辰四千七十三、辰巳四千七十四、辰午四千七十五、辰未四千七十六、辰申四千七十七、辰酉四千七十八、辰戌四千七十九、辰亥四千八十。

一元の第三百四十運、天干は「癸」に終わり、亥會の頭の一輪の十干はここに至って走り終わり、全會三十運はすでに十運を行った。管轄する十二世は編號第四千六十九から第四千八十までで、地支は子から亥まで各々一世に當たる。一世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元の第十二萬二千四十一年から第十二萬二千四百年に當たる。首世は第十二萬二千四十一年から第十二萬二千七十年を管め、末世は第十二萬二千三百七十一年から第十二萬二千四百年を管める。

星甲三百四十一

星甲三百四十一:辰子四千八十一、辰丑四千八十二、辰寅四千八十三、辰卯四千八十四、辰辰四千八十五、辰巳四千八十六、辰午四千八十七、辰未四千八十八、辰申四千八十九、辰酉四千九十、辰戌四千九十一、辰亥四千九十二。

一元の第三百四十一運、天干は「甲」に重ねて回り、亥會はここから第二輪の十干に入り、三十運の第十一位に居る。十二世は第四千八十一世から第四千九十二世まで。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十二萬二千四百一年から第十二萬二千七百六十年。首世の辰子第四千八十一世は第十二萬二千四百一年から第十二萬二千四百三十年に當たり、末世の辰亥第四千九十二世は第十二萬二千七百三十一年から第十二萬二千七百六十年に當たる。

星乙三百四十二

星乙三百四十二:辰子四千九十三、辰丑四千九十四、辰寅四千九十五、辰卯四千九十六、辰辰四千九十七、辰巳四千九十八、辰午四千九十九、辰未四千一百、辰申四千一百一、辰酉四千一百二、辰戌四千一百三、辰亥四千一百四。

一元の第三百四十二運、天干は「乙」に配し、亥會の第十二運である。十二世は第四千九十三世から起こり、第八格の「辰未」はちょうど第四千百世に滿ち、その後の四格は順に加えて第四千百四世に至る。本運は三百六十年で、一元の第十二萬二千七百六十一年から第十二萬三千一百二十年に當たる。首世は第十二萬二千七百九十年に止まり、末世は第十二萬三千九十一年に起こる。

星丙三百四十三

星丙三百四十三:辰子四千一百五、辰丑四千一百六、辰寅四千一百七、辰卯四千一百八、辰辰四千一百九、辰巳四千一百一十、辰午四千一百一十一、辰未四千一百一十二、辰申四千一百一十三、辰酉四千一百一十四、辰戌四千一百一十五、辰亥四千一百一十六。

一元の第三百四十三運、天干は「丙」に當たり、亥會の中で第十三に排す。統べる十二世は編號第四千百五から第四千百十六まで。底本の前五格は零を省いて「四千一百五」以下と作り、第六格から改めて「四千一百一十」以下と寫す。同一行の內に兩種の寫法が竝存して數目は相續ぐ。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十二萬三千一百二十一年から第十二萬三千四百八十年で、末世は第十二萬三千四百八十年に收まる。

星丁三百四十四

星丁三百四十四:辰子四千一百一十七、辰丑四千一百一十八、辰寅四千一百一十九、辰卯四千一百二十、辰辰四千一百二十一、辰巳四千一百二十二、辰午四千一百二十三、辰未四千一百二十四、辰申四千一百二十五、辰酉四千一百二十六、辰戌四千一百二十七、辰亥四千一百二十八。

一元の第三百四十四運、天干は「丁」に配し、亥會の第十四運で、また本會前半の末の一運である。十二世は第四千百十七世から第四千百二十八世まで。本運は三百六十年を歷し、一元の第十二萬三千四百八十一年から第十二萬三千八百四十年である。首世の辰子第四千百十七世は第十二萬三千四百八十一年から第十二萬三千五百十年を管め、末世の辰亥第四千百二十八世は第十二萬三千八百十一年から第十二萬三千八百四十年を管める。

星戊三百四十五

星戊三百四十五:辰子四千一百二十九、辰丑四千一百三十、辰寅四千一百三十一、辰卯四千一百三十二、辰辰四千一百三十三、辰巳四千一百三十四、辰午四千一百三十五、辰未四千一百三十六、辰申四千一百三十七、辰酉四千一百三十八、辰戌四千一百三十九、辰亥四千一百四十。

一元の第三百四十五運、天干は「戊」で、ちょうど亥會三十運の半に當たる。管轄する十二世は編號第四千百二十九から第四千百四十までで、首世は第十二萬三千八百四十一年に起こる。本運は一元の第十二萬四千二百年に止まり、正に亥會一萬八百年の中點である。ここを過ぎれば、一元十二會は便ち最後の五千四百年に入り、末世の辰亥第四千百四十世は第十二萬四千二百年整に收まる。亥會三十運はこれをもって界となし、前の十五運はすでに盡き、後の十五運はまさに興らんとす。

星己三百四十六

星己三百四十六:辰子四千一百四十一、辰丑四千一百四十二、辰寅四千一百四十三、辰卯四千一百四十四、辰辰四千一百四十五、辰巳四千一百四十六、辰午四千一百四十七、辰未四千一百四十八、辰申四千一百四十九、辰酉四千一百五十、辰戌四千一百五十一、辰亥四千一百五十二。

一元の第三百四十六運、天干は「己」に輪り、亥會後半の頭の一運である。それは第四千百四十一世から第四千百五十二世までを統べ、第十格の「辰酉」は正に第四千百五十世に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第十二萬四千二百一年から第十二萬四千五百六十年に當たる。首世は第十二萬四千二百一年から第十二萬四千二百三十年を管め、末世は第十二萬四千五百三十一年から第十二萬四千五百六十年を管める。亥會の餘る所はなお十四運ある。

星庚三百四十七

星庚三百四十七:辰子四千一百五十三、辰丑四千一百五十四、辰寅四千一百五十五、辰卯四千一百五十六、辰辰四千一百五十七、辰巳四千一百五十八、辰午四千一百五十九、辰未四千一百六十、辰申四千一百六十一、辰酉四千一百六十二、辰戌四千一百六十三、辰亥四千一百六十四。

一元の第三百四十七運、天干は「庚」に配し、亥會の中で第十七に列す。領する十二世は第四千百五十三世から第四千百六十四世まで。全元四千三百二十世、この時ただ一百五十六世を餘して未だ推さず。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十二萬四千五百六十一年から第十二萬四千九百二十年。首世は第十二萬四千五百九十年に止まり、末世は第十二萬四千八百九十一年に起こる。亥會三十運はここに至ってすでに十七を過ぎ、消息卦をもってこれに配すれば、この會は《坤》卦の純陰の象に當たる。

星辛三百四十八

星辛三百四十八:辰子四千一百六十五、辰丑四千一百六十六、辰寅四千一百六十七、辰卯四千一百六十八、辰辰四千一百六十九、辰巳四千一百七十、辰午四千一百七十一、辰未四千一百七十二、辰申四千一百七十三、辰酉四千一百七十四、辰戌四千一百七十五、辰亥四千一百七十六。

一元の第三百四十八運、天干は「辛」で、亥會の第十八運である。十二世は編號第四千百六十五から第四千百七十六までで、第六格の「辰巳」は第四千百七十世に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第十二萬四千九百二十一年から第十二萬五千二百八十年で、年數はこの運の內で十二萬五千を跨ぐ。首世は第十二萬四千九百五十年に收まり、末世は第十二萬五千二百五十一年に起こる。全元三百六十運、この後ただ十二運を餘すのみ。

星壬三百四十九

星壬三百四十九:辰子四千一百七十七、辰丑四千一百七十八、辰寅四千一百七十九、辰卯四千一百八十、辰辰四千一百八十一、辰巳四千一百八十二、辰午四千一百八十三、辰未四千一百八十四、辰申四千一百八十五、辰酉四千一百八十六、辰戌四千一百八十七、辰亥四千一百八十八。

一元の第三百四十九運、天干は「壬」に配し、亥會の第十九に居る。統べる十二世は第四千百七十七世から第四千百八十八世までで、依然として辰子に起こり辰亥に止まる。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十二萬五千二百八十一年から第十二萬五千六百四十年。首世は第十二萬五千二百八十一年から第十二萬五千三百十年を管め、末世は第十二萬五千六百十一年から第十二萬五千六百四十年を管める。亥會三十運はここに至ってすでに十九を行き、餘る所は十一運である。

星癸三百五十

星癸三百五十:辰子四千一百八十九、辰丑四千一百九十、辰寅四千一百九十一、辰卯四千一百九十二、辰辰四千一百九十三、辰巳四千一百九十四、辰午四千一百九十五、辰未四千一百九十六、辰申四千一百九十七、辰酉四千一百九十八、辰戌四千一百九十九、辰亥四千二百。

一元の第三百五十運、天干は「癸」に終わり、亥會の第二輪の十干はここに至って走り終わり、全會はすでに二十運を行った。それは第四千百八十九世から第四千二百世までを統べ、末格の「辰亥四千二百」は正に第四千二百世に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第十二萬五千六百四十一年から第十二萬六千年に當たり、首世は第十二萬五千六百四十一年に起こり、末世は第十二萬六千年整に收まる。この後ただ十運・三千六百年を餘して、一元は便ち盡頭に至る。

星甲三百五十一

星甲三百五十一:辰子四千二百一、辰丑四千二百二、辰寅四千二百三、辰卯四千二百四、辰辰四千二百五、辰巳四千二百六、辰午四千二百七、辰未四千二百八、辰申四千二百九、辰酉四千二百一十、辰戌四千二百一十一、辰亥四千二百一十二。

一元の第三百五十一運、天干は第三度轉じて「甲」に至り、亥會はここから最末の一輪の十干に入り、三十運の第二十一位に居る。管轄する十二世は編號第四千二百一から第四千二百十二までで、底本の前の九格は前を承けて零を省き、第十格から「一十」を補い出す。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十二萬六千一年から第十二萬六千三百六十年で、末世は第十二萬六千三百六十年に收まる。

星乙三百五十二

星乙三百五十二:辰子四千二百一十三、辰丑四千二百一十四、辰寅四千二百一十五、辰卯四千二百一十六、辰辰四千二百一十七、辰巳四千二百一十八、辰午四千二百一十九、辰未四千二百二十、辰申四千二百二十一、辰酉四千二百二十二、辰戌四千二百二十三、辰亥四千二百二十四。

一元の第三百五十二運、天干は「乙」に配し、亥會の第二十二運である。十二世は第四千二百十三世から第四千二百二十四世まで。本運は三百六十年で、一元の第十二萬六千三百六十一年から第十二萬六千七百二十年に當たる。首世は第十二萬六千三百六十一年から第十二萬六千三百九十年を管め、末世は第十二萬六千六百九十一年から第十二萬六千七百二十年を管める。一元の終の第十二萬九千六百年を距つことなお八運ある。

星丙三百五十三

星丙三百五十三:辰子四千二百二十五、辰丑四千二百二十六、辰寅四千二百二十七、辰卯四千二百二十八、辰辰四千二百二十九、辰巳四千二百三十、辰午四千二百三十一、辰未四千二百三十二、辰申四千二百三十三、辰酉四千二百三十四、辰戌四千二百三十五、辰亥四千二百三十六。

一元の第三百五十三運、天干は「丙」に當たり、亥會の中で第二十三に列す。管轄する十二世は編號第四千二百二十五から第四千二百三十六までで、地支は子から亥まで各々一世に當たる。一世三十年、本運は合わせて三百六十年で、一元の第十二萬六千七百二十一年から第十二萬七千八十年に當たる。首世は第十二萬六千七百二十一年から第十二萬六千七百五十年を管め、末世は第十二萬七千五十一年から第十二萬七千八十年を管める。

星丁三百五十四

星丁三百五十四:辰子四千二百三十七、辰丑四千二百三十八、辰寅四千二百三十九、辰卯四千二百四十、辰辰四千二百四十一、辰巳四千二百四十二、辰午四千二百四十三、辰未四千二百四十四、辰申四千二百四十五、辰酉四千二百四十六、辰戌四千二百四十七、辰亥四千二百四十八。

一元の第三百五十四運、天干は「丁」に配し、亥會の第二十四運である。十二世は第四千二百三十七世から第四千二百四十八世まで。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十二萬七千八十一年から第十二萬七千四百四十年。首世の辰子第四千二百三十七世は第十二萬七千八十一年から第十二萬七千百十年に當たり、末世の辰亥第四千二百四十八世は第十二萬七千四百十一年から第十二萬七千四百四十年に當たる。全元の餘るは六運に過ぎない。

星戊三百五十五

星戊三百五十五:辰子四千二百四十九、辰丑四千二百五十、辰寅四千二百五十一、辰卯四千二百五十二、辰辰四千二百五十三、辰巳四千二百五十四、辰午四千二百五十五、辰未四千二百五十六、辰申四千二百五十七、辰酉四千二百五十八、辰戌四千二百五十九、辰亥四千二百六十。

一元の第三百五十五運、天干は「戊」で、亥會の中で第二十五に排す。統べる十二世は編號第四千二百四十九から第四千二百六十までで、第二格の「辰丑」はちょうど第四千二百五十世に滿ちる。本運は三百六十年で、一元の第十二萬七千四百四十一年から第十二萬七千八百年に當たる。首世は第十二萬七千四百四十一年から第十二萬七千四百七十年を管め、末世は第十二萬七千七百七十一年から第十二萬七千八百年を管める。亥會の餘るはただ五運・一千八百年である。

星己三百五十六

星己三百五十六:辰子四千二百六十一、辰丑四千二百六十二、辰寅四千二百六十三、辰卯四千二百六十四、辰辰四千二百六十五、辰巳四千二百六十六、辰午四千二百六十七、辰未四千二百六十八、辰申四千二百六十九、辰酉四千二百七十、辰戌四千二百七十一、辰亥四千二百七十二。

一元の第三百五十六運、天干は「己」に輪り、亥會の第二十六運である。領する十二世は第四千二百六十一世から第四千二百七十二世まで。本運は三百六十年を歷し、すなわち一元の第十二萬七千八百一年から第十二萬八千百六十年で、年數はこの運の內で十二萬八千を跨ぐ。首世は第十二萬七千八百三十年に止まり、末世は第十二萬八千百三十一年に起こる。亥會三十運はここに至ってすでに二十六を行き、全元はただ四運・一千四百四十年を殘すのみ。

星庚三百五十七

星庚三百五十七:辰子四千二百七十三、辰丑四千二百七十四、辰寅四千二百七十五、辰卯四千二百七十六、辰辰四千二百七十七、辰巳四千二百七十八、辰午四千二百七十九、辰未四千二百八十、辰申四千二百八十一、辰酉四千二百八十二、辰戌四千二百八十三、辰亥四千二百八十四。

一元の第三百五十七運、天干は「庚」に配し、亥會の中で第二十七に列す。十二世は編號第四千二百七十三から第四千二百八十四まで。全元は合わせて四千三百二十世で、この時ただ三十六世を餘して未だ推さず、正に三運の數である。本運は三百六十年で、一元の第十二萬八千百六十一年から第十二萬八千五百二十年に當たる。首世は第十二萬八千百九十年に止まり、末世は第十二萬八千四百九十一年に起こる。亥會はここに至ってすでに二十七運を行き、餘る所は僅かに三運である。

星辛三百五十八

星辛三百五十八:辰子四千二百八十五、辰丑四千二百八十六、辰寅四千二百八十七、辰卯四千二百八十八、辰辰四千二百八十九、辰巳四千二百九十、辰午四千二百九十一、辰未四千二百九十二、辰申四千二百九十三、辰酉四千二百九十四、辰戌四千二百九十五、辰亥四千二百九十六。

一元の第三百五十八運、天干は「辛」で、亥會の第二十八運である。管轄する十二世は第四千二百八十五世から第四千二百九十六世までで、第六格の「辰巳」は第四千二百九十世に滿ちる。本運は三百六十年を歷し、一元の第十二萬八千五百二十一年から第十二萬八千八百八十年である。首世は第十二萬八千五百二十一年から第十二萬八千五百五十年を管め、末世は第十二萬八千八百五十一年から第十二萬八千八百八十年を管める。

星壬三百五十九

星壬三百五十九:辰子四千二百九十七、辰丑四千二百九十八、辰寅四千二百九十九、辰卯四千三百、辰辰四千三百一、辰巳四千三百二、辰午四千三百三、辰未四千三百四、辰申四千三百五、辰酉四千三百六、辰戌四千三百七、辰亥四千三百八。

一元の第三百五十九運、天干は「壬」に配し、亥會の第二十九に居り、全元の倒數第二の運である。十二世は第四千二百九十七世から起こり、第四格の「辰卯」はちょうど第四千三百世に滿ち、末世は第四千三百八世である。本運は三百六十年で、すなわち一元の第十二萬八千八百八十一年から第十二萬九千二百四十年。首世は第十二萬八千九百十年に止まり、末世は第十二萬九千二百十一年に起こる。

星癸三百六十

星癸三百六十:辰子四千三百九、辰丑四千三百一十、辰寅四千三百一十一、辰卯四千三百一十二、辰辰四千三百一十三、辰巳四千三百一十四、辰午四千三百一十五、辰未四千三百一十六、辰申四千三百一十七、辰酉四千三百一十八、辰戌四千三百一十九、辰亥四千三百二十。

一元の第三百六十運、天干は「癸」に終わり、亥會三十運の末運であるとともに、一元三百六十運の最後の一運でもある。管轄する十二世は編號第四千三百九から第四千三百二十までで、首世は第十二萬九千二百四十一年に起こり、末格の「辰亥四千三百二十」は正に全元の第四千三百二十世で、第十二萬九千六百年整に收まる。ここに至って十二會・三百六十運・四千三百二十世・十二萬九千六百年は一齊に推し盡くされ、「以元經會」の四篇の表格はここに完備した。一元すでに終われば、次の一元はまた甲會の子世から重ねて起こる。

皇極經世書卷三上

觀物篇十三 以會經運一

經日之甲一 經月之寅三

開物始月寅之中。經星之己七十六、經星之庚七十七、經星之辛七十八、經星之壬七十九、經星之癸八十、經星之甲八十一、經星之乙八十二、經星之丙八十三、經星之丁八十四、經星之戊八十五、經星之己八十六、經星之庚八十七、經星之辛八十八、經星之壬八十九、經星之癸九十。

ここから「以會經運」の法に改める。篇首の「經日之甲一」は第一元の甲元を指し、「經月之寅三」はその中の第三會の寅會を指し、その下に列する「經星」はすなわちこの一會の轄下の運である。寅會は本來第六十一運から第九十運までを統べるが、表格は卻って第七十六運から排し起こす。正に「開物は寅會の中に始まる」による――邵雍は以って、天地の物を生ずるは寅會の中段に起こり、前半會はなお混沌に在るので歷に入れないとす。列するは己七十六以下合わせて十五運で、天干は己・庚・辛・壬・癸より而る後に復た甲・乙・丙・丁・戊に歸り、再び己・庚・辛・壬・癸の一周を歷る。每運十二世三百六十年で、起首の第七十六運は一元の第二萬七千一年から第二萬七千三百六十年に當たり、末尾の第九十運は第三萬二千四十一年から第三萬二千四百年に當たる。十五運は合わせて五千四百年である。

經日之甲一 經月之卯四

經星之甲九十一、經星之乙九十二、經星之丙九十三、經星之丁九十四、經星之戊九十五、經星之己九十六、經星之庚九十七、經星之辛九十八、經星之壬九十九、經星之癸一百、經星之甲一百一、經星之乙一百二、經星之丙一百三、經星之丁一百四、經星之戊一百五。

「經月之卯四」は甲元の第四會の卯會を指し、本會は第九十一運から第一百二十運までを統べ、この表はすなわち第九十一運から順に列ねて下る。ここにただ運の名號を標して再び十二世を分列しないのは、「以會經運」の一體は專ら事を紀るために設け、每運に一格を留めて世代の興衰を塡寫するを待つによる。列するは甲九十一から戊一百五まで合わせて十五運で、天干は輪轉一周有半する。一運三百六十年、十五運は合わせて五千四百年で、一元の第三萬二千四百一年から第三萬七千八百年に當たる。

經星之己一百六、經星之庚一百七、經星之辛一百八、經星之壬一百九、經星之癸一百十、經星之甲一百十一、經星之乙一百十二、經星之丙一百十三、經星之丁一百十四、經星之戊一百十五、經星之己一百十六、經星之庚一百十七、經星之辛一百十八、經星之壬一百十九、經星之癸一百二十。

上に接ぎ、第一百六運の「己」から起こり、第一百二十運の「癸」に止まるは、卯會の後半十五運である。底本の「一百六」「一百七」の諸格は皆前を承けて零字を省き、「一百十」以下はまたただ「十」を書して「一十」と作らず、寫法は參差なれど次第は亂れず。この十五運は合わせて五千四百年で、すなわち一元の第三萬七千八百一年から第四萬三千二百年。起首の第一百六運は第三萬七千八百一年から第三萬八千百六十年に當たり、末尾の第一百二十運は第四萬二千八百四十一年から第四萬三千二百年に當たる。第一百二十運の終りに至り、卯會一萬八百年は全數推し畢わった。

經日之甲一 經月之辰五

經星之甲一百二十一、經星之乙一百二十二、經星之丙一百二十三、經星之丁一百二十四、經星之戊一百二十五、經星之己一百二十六、經星之庚一百二十七、經星之辛一百二十八、經星之壬一百二十九、經星之癸一百三十、經星之甲一百三十一、經星之乙一百三十二、經星之丙一百三十三、經星之丁一百三十四、經星之戊一百三十五。

「經月之辰五」は甲元の第五會の辰會で、第一百二十一運から第一百五十運までを統べる。この段はまず甲一百二十一以下の十五運を列し、天干は依然として甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の次序に依って循環する。辰會は一元の第四萬三千二百一年に起こり、其中の第一百二十一運は第四萬三千二百一年から第四萬三千五百六十年に當たり、第一百三十五運は第四萬八千二百四十一年から第四萬八千六百年に當たる。本段の十五運は五千四百年を歷して、第四萬八千六百年に止まる。後世に邵學を推衍する者は十二消息卦をもって十二會に配し、辰會は《夬》卦に當たり、正に陽の長ずるが極まらんとする時である。

經星之己一百三十六、經星之庚一百三十七、經星之辛一百三十八、經星之壬一百三十九、經星之癸一百四十、經星之甲一百四十一、經星之乙一百四十二、經星之丙一百四十三、經星之丁一百四十四、經星之戊一百四十五、經星之己一百四十六、經星之庚一百四十七、經星之辛一百四十八、經星之壬一百四十九、經星之癸一百五十。

第一百三十六運の「己」から起こり、第一百五十運の「癸」に止まるは、辰會の後半十五運である。この表の每格はただ「經星之某第幾」を書して一字の解も著さないは、正に運に按って事を紀るに留め置くにある。邵雍が《皇極經世》を作る本意は、すなわちこの一格局を借りて唐虞以来の治亂興亡を編排するに在る。本段の十五運は合わせて五千四百年で、一元の第四萬八千六百一年から第五萬四千年に當たる。其中の第一百三十六運は第四萬八千六百一年から第四萬八千九百六十年を領し、第一百五十運は第五萬三千六百四十一年から第五萬四千年を領す。辰會はここに至って推し畢わった。

經日之甲一 經月之巳六

經星之甲一百五十一、經星之乙一百五十二、經星之丙一百五十三、經星之丁一百五十四、經星之戊一百五十五、經星之己一百五十六、經星之庚一百五十七、經星之辛一百五十八、經星之壬一百五十九、經星之癸一百六十、經星之甲一百六十一、經星之乙一百六十二。

「經月之巳六」は甲元の第六會の巳會で、第一百五十一運から第一百八十運までを統べる。この段はまず甲一百五十一以下の十二運を列し、乙一百六十二に止まる。巳會は一元の第五萬四千一年に起こり、第一百五十一運はすなわち第五萬四千一年から第五萬四千三百六十年に當たり、第一百六十二運は第五萬七千九百六十一年から第五萬八千三百二十年に當たる。この十二運は合わせて四千三百二十年である。十二會の中で巳會は陽氣もっとも盛んにして、その後一たび午會に交われば、天道は便ち長より消に轉ず。

經星之丙一百六十三、經星之丁一百六十四、經星之戊一百六十五、經星之己一百六十六、經星之庚一百六十七、經星之辛一百六十八、經星之壬一百六十九、經星之癸一百七十、經星之甲一百七十一、經星之乙一百七十二、經星之丙一百七十三、經星之丁一百七十四。

再び第一百六十三運の「丙」から順に數えて第一百七十四運の「丁」に至るは、また十二運・四千三百二十年で、一元の第五萬八千三百二十一年から第六萬二千六百四十年に當たる。第一百六十三運は第五萬八千三百二十一年から第五萬八千六百八十年を領し、第一百七十四運は第六萬二千二百八十一年から第六萬二千六百四十年を領す。巳會は合わせて三十運で、ここに至ってすでに二十四運を行き、なお六運・二千百六十年を餘してようやく午會に交する。

經星之戊一百七十五

經星之戊一百七十五。經星之己一百七十六。經星之庚一百七十七。經星之辛一百七十八。經星之壬一百七十九。

この五行は《以會經運》の表の中の第一百七十五運から第一百七十九運までの運題である。「經星」は「運」の代號である。邵雍は一「元」を十二「會」に分かち、一會を三十「運」に分かち、一運を十二「世」に分かち、一世三十年。ゆえに一運はちょうど三百六十年である。運題は天干の輪轉に加うるに全書連排の序號をもってし、「經星之戊一百七十五」はすなわち第一百七十五運、下って己は第一百七十六運、庚は第一百七十七運、辛は第一百七十八運、壬は第一百七十九運である。この五運は同じく第六會すなわち「巳會」に屬し、西元紀年に折れば、およそ紀元前四三七七年から紀元前二五七八年までのこの一千八百年に當たる。表中はただ運の名號を標し出し、下には世を排せず年を排せず、また一條の史事をも繫げない。邵雍の編年に按れば、この一段はなお人文未だ開かず稽うべき史なき階段にあるので、まず格子を留白しておき、後に史料あってからその中に塡め込むを待つためである。

觀物篇十四 以會經運二

經星之癸一百八十

觀物篇十四,以會經運二。經日之甲一,經月之巳六。經星之癸一百八十。經辰之子二千一百四十九:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經辰之丑二千一百五十:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

《觀物篇》第十四篇は「以會經運」の第二篇に屬する。冒頭の三行はこの一段の編年表の座標である。「經日之甲一」は第一元を指し、元は天干をもって目を標し、甲は首に居るので甲一と稱す。「經月之巳六」はこの一元の第六會すなわち巳會を指し、「經星之癸一百八十」は第一百八十運を指し、それは巳會の轄する三十運の中の最後の一運である。一運は十二世を統べ、一世三十年。ゆえに第一百八十運は合わせて三百六十年で、西元紀年に折れば紀元前二五七七年から紀元前二二一八年である。運の下は十二地支に按って十二世に分かれ、每世に別に全書連排の總號がある。子世は第二千百四十九世、丑世は第二千百五十世で、順に數えて亥世はすなわち第二千百六十世である。第二千百四十九世は甲子年から起こり、一年一位に順に排して三十年して癸巳年に至り、紀元前二五七七年から前二五四八年に當たる。第二千百五十世は甲午年から起こり、順に排して三十年して癸亥年に至り、紀元前二五四七年から前二五一八年に當たる。これら兩世はただ干支の紀年を列するのみで、年の下には一字も繫げず、邵雍が以ってこの時はなお考うべき史事なく編入するに足らざるとすを表す。

經辰之寅二千一百五十一:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經辰之卯二千一百五十二:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經辰之辰二千一百五十三:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

續いて第一百八十運の下の第三・第四・第五世を排す。寅世は第二千百五十一世で、甲子年から癸巳年まで、紀元前二五一七年から前二四八八年に當たる。卯世は第二千百五十二世で、甲午年から癸亥年まで、紀元前二四八七年から前二四五八年に當たる。辰世は第二千百五十三世で、甲子年から癸巳年まで、紀元前二四五七年から前二四二八年に當たる。一世はちょうど三十年で、ちょうど六十甲子の半なので、世ごとの起首の干支は便ち甲子と甲午との間で交替する。奇數の世は甲子に起こり癸巳に止まり、偶數の世は甲午に起こり癸亥に止まり、兩世相まってちょうど一つの六十年甲子周期を走り終える。この三世は同じく干支の紀年のみで、年の下に人事を載せない。この三世は合わせて九十の年位で、下って唐堯が命を受けた甲辰年を距つことなお七十餘年ある。邵雍の見る所では、伏羲・神農・黄帝は傳説あれども年月は考實する由なし。臆度するに如かず留白するを善しとし、ゆえに年格は照のごとく排して事迹は全く闕く。

經辰之巳二千一百五十四:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經辰之午二千一百五十五:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經辰之未二千一百五十六:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰,唐堯。乙巳二、丙午三、丁未四、戊申五、己酉六、庚戌七、辛亥八、壬子九、癸丑十、甲寅十一、乙卯十二、丙辰十三、丁巳十四、戊午十五、己未十六、庚申十七、辛酉十八、壬戌十九、癸亥二十。

この三世は第一百八十運の第六・第七・第八世である。巳世は第二千百五十四世で、甲午から癸亥まで、紀元前二四二七年から前二三九八年に當たる。午世は第二千百五十五世で、甲子から癸巳まで、紀元前二三九七年から前二三六八年に當たる。未世は第二千百五十六世で、甲午から癸亥まで、紀元前二三六七年から前二三三八年に當たる。前の兩世は依然として干支を空排する。未世の第十一年甲辰に至って、表中に頭一囘帝號の「唐堯」が現れる。この甲辰年はすなわち邵雍の定めた堯の元年で、すなわち紀元前二三五七年であり、また《皇極經世》の整部の編年史が眞に筆を下ろす起點である。この年から、干支の下には在位年數の注を加え始める。乙巳は堯の二年、丙午は三年で、一路數えてその世の末尾の癸亥に至り、正に堯の二十年で、紀元前二三三八年に當たる。この後およそ帝王の更代は皆この辦法に照って干支の旁に新君の名號を標し、「一」から重ねて起算する。また見るべきは、未世の前の十格は甲午から癸卯までなお空しいことで、唐堯の名號は第十一格に至ってはじめて現れる。この十年は正に邵雍が堯の受命以前のために留めた餘地である。甲辰より以下、全書はようやく虛排の年數より名あり事ある編年に轉ずる。

經辰之申二千一百五十七:甲子二十一、乙丑二十二、丙寅二十三、丁卯二十四、戊辰二十五、己巳二十六、庚午二十七、辛未二十八、壬申二十九、癸酉三十、甲戌三十一、乙亥三十二、丙子三十三、丁丑三十四、戊寅三十五、己卯三十六、庚辰三十七、辛巳三十八、壬午三十九、癸未四十、甲申四十一、乙酉四十二、丙戌四十三、丁亥四十四、戊子四十五、己丑四十六、庚寅四十七、辛卯四十八、壬辰四十九、癸巳五十。

申世は第一百八十運の第九世で、全書の總號は第二千百五十七世、甲子年から癸巳年まで、紀元前二三三七年から前二三〇八年に當たる。この三十年は整々と唐堯の一朝の內に落つ。起首の甲子年は堯の二十一年で、年ごとに遞進して、收尾の癸巳年は堯の五十年である。この一世は何の史事も繫げず、ただ在位年數を一格一格に排し滿たすのみで、正に邵雍が表を編んだ體例を見出す。すなわち記すべき事なしとも、年位は空缺してはならない。世と年の格數は元會運世の數理に由って定め死して、必ず首尾相接して一年も差えざるを要するからである。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前二三三七年に當たり、收尾の癸巳は紀元前二三〇八年に當たる。《尚書・堯典》に記する羲和に命じて四時を分掌せしめ、四仲の中星をもって春夏秋冬を定め、三百有六旬有六日を期して閏月をもって四時を定めたる諸事は、大抵皆堯の前五十年の內にあるが、この表は一概に書かず、ただ年位を留めるのみである。

經辰之酉二千一百五十八:甲午五十一、乙未五十二、丙申五十三、丁酉五十四、戊戌五十五、己亥五十六、庚子五十七、辛丑五十八、壬寅五十九、癸卯六十、甲辰六十一,洪水方割,命鯀治之。乙巳六十二、丙午六十三、丁未六十四、戊申六十五、己酉六十六、庚戌六十七、辛亥六十八、壬子六十九、癸丑七十,徵舜登庸。甲寅七十一、乙卯七十二,薦舜於天命之位。丙辰一,虞舜。正月上日,舜受命於文祖。丁巳二、戊午三、己未四、庚申五、辛酉六、壬戌七、癸亥八。

酉世は第二千百五十八世で、甲午から癸亥まで、紀元前二三〇七年から前二二七八年に當たり、唐虞の交替の關鍵の一世である。甲午は堯の五十一年。甲辰のこの年に至り、すなわち堯の六十一年・紀元前二二九七年に、第一條の史事を繫げる。「洪水方に割く」は《尚書・堯典》に出で、滔々たる洪水がまさに天下を害せんとするを説き、堯は因りて鯀に命じて水を治めしむ。癸丑は堯の七十年、すなわち紀元前二二八八年で、堯は詔を下して賢才を訪求し、虞舜を徵して出でて事に任ぜしむ。乙卯は堯の七十二年、すなわち紀元前二二八六年で、堯は正式に舜を上天に薦め、彼をして天子の位に居攝せしむ。次年の丙辰、帝號は「虞舜」と題し改め、年數は一より起算して、この年は紀元前二二八五年である。「正月上日、舜は文祖に受命す」もまた《尚書・舜典》の原話を用い、正月初一に舜が堯の太祖の廟にて冊命を受けたを言う。この後丁巳は舜の二年で、順に排して癸亥は舜の八年である。堯・舜の兩つの紀年は丙辰のこの一格の上で交接し、堯は依然として世に在りて舜はすでに元を改めた。邵雍が攝政受命の年に按って新紀元を立てたことを見るべし。

經辰之戌二千一百五十九:甲子九、乙丑十、丙寅十一、丁卯十二、戊辰十三、己巳十四、庚午十五、辛未十六、壬申十七、癸酉十八、甲戌十九、乙亥二十、丙子二十一、丁丑二十二、戊寅二十三、己卯二十四、庚辰二十五、辛巳二十六、壬午二十七、癸未二十八,帝堯殂落。甲申二十九、乙酉三十、丙戌三十一,月正元日,舜格於文祖。丁亥三十二、戊子三十三、己丑三十四、庚寅三十五、辛卯三十六、壬辰三十七、癸巳三十八。

戌世は第二千百五十九世で、甲子から癸巳まで、紀元前二二七七年から前二二四八年に當たり、全く虞舜の紀年の內にある。起首の甲子は舜の九年。癸未は舜の二十八年、すなわち紀元前二二五八年で、「帝堯殂落す」と注す。語は《尚書・舜典》の「二十有八載、帝乃ち殂落す」に出で、舜が攝政の第二十八年に上帝堯が去世したを説く。三年の喪すでに畢わり、丙戌すなわち舜の三十一年・紀元前二二五五年に至り、また「月正元日、舜は文祖に格す」と繫げる。これも《舜典》の原文で、正月初一に舜が太祖の廟に至って告祭するを指し、ここから攝政より轉じて正式に天子の位に即く。この後丁亥は舜の三十二年で、一路排して癸巳は舜の三十八年。この一世は堯の崩・舜の正位という二件の大事を干支の格の中に嵌め、正に邵雍が人に見せんとする所である。史事は零散に排比するのではなく、元會運世に算定された年位の上に安頓されているのである。

經辰之亥二千一百六十:甲午三十九、乙未四十、丙申四十一、丁酉四十二、戊戌四十三、己亥四十四、庚子四十五、辛丑四十六、壬寅四十七、癸卯四十八、甲辰四十九、乙巳五十、丙午五十一、丁未五十二、戊申五十三、己酉五十四、庚戌五十五、辛亥五十六、壬子五十七、癸丑五十八、甲寅五十九、乙卯六十、丙辰六十一,薦禹於天命之位。丁巳,夏禹。正月朔旦,受命於神宗。戊午二、己未三、庚申四、辛酉五、壬戌六、癸亥七。

亥世は第二千百六十世で、また第一百八十運の末の一世、甲午から癸亥まで、紀元前二二四七年から前二二一八年に當たる。起首の甲午は舜の三十九年。丙辰は舜の六十一年、すなわち紀元前二二二五年で、「禹を天命の位に薦む」と注し、舜が當年堯が己に待った辦法を倣い、大禹を上天に推擧して、禹をして居攝せしめたを説く。次年の丁巳に「夏禹」と題し改め、禹の元年、すなわち紀元前二二二四年とす。「正月朔旦、神宗に受命す」は《尚書・大禹謨》の原話を用い、正月初一に禹が舜の祖廟で冊命を受けたを指す。以下戊午は禹の二年で、順に排して癸亥は禹の七年、第一百八十運はここに至って三百六十年を排し滿たす。この一運を走り終えれば、第六會「巳會」の三十運もまた頭に到り、次の一篇は便ち第七會すなわち午會の頭の一運に轉入する。

觀物篇十五 以會經運三

經星之甲一百八十一

觀物篇十五,以會經運三。經日之甲一,經月之午七。經星之甲一百八十一。經辰之子二千一百六十一:甲子八、乙丑九、丙寅十、丁卯十一、戊辰十二、己巳十三、庚午十四、辛未十五、壬申十六、癸酉十七,舜陟方乃死。甲戌十八、乙亥十九、丙子二十、丁丑二十一、戊寅二十二、己卯二十三、庚辰二十四、辛巳二十五、壬午二十六、癸未二十七,東巡至於會稽崩。甲申,夏啟。乙酉二、丙戌三、丁亥四、戊子五、己丑六、庚寅七、辛卯八、壬辰九、癸巳,夏太康。

《觀物篇》第十五篇は「以會經運」の第三篇である。座標は依然として第一元だが、會はすでに巳會より「經月之午七」すなわち第七會の午會に推進した。「經星之甲一百八十一」は第一百八十一運で、ちょうど午會三十運の頭の一運、管轄する十二世は編號第二千百六十一から第二千百七十二世まで、合わせて三百六十年、紀元前二二一七年から前一八五八年に當たる。子世はすなわち第二千百六十一世、甲子から癸巳まで、紀元前二二一七年から前二一八八年に當たり、起首の甲子は夏禹八年。癸酉は禹の十七年・紀元前二二〇八年で、「舜は方に陟りて乃ち死す」と注し、《尚書・舜典》の原話を用い、虞舜が南巡の途中に去世したを説く。癸未は禹の十七年の後の第十年、すなわち禹の二十七年・紀元前二一九八年で、禹が諸侯を東巡して會稽に至って崩じた。次年の甲申に「夏啓」と題し改め、啓の元年、すなわち紀元前二一九七年とし、禹の子の啓が位を繼ぎ、世襲の局はここから開く。乙酉は啓の二年で、順に排して壬辰は啓の九年。世末の癸巳にまた「夏太康」と題し改め、太康の元年、すなわち紀元前二一八年とす。

經辰之丑二千一百六十二:甲午二、乙未三、丙申四、丁酉五、戊戌六、己亥七、庚子八、辛丑九、壬寅十、癸卯十一、甲辰十二、乙巳十三、丙午十四、丁未十五、戊申十六、己酉十七、庚戌十八、辛亥十九、壬子二十、癸丑二十一、甲寅二十二、乙卯二十三、丙辰二十四、丁巳二十五、戊午二十六、己未二十七、庚申二十八、辛酉二十九,太康失邦,有窮后羿拒於河而死。壬戌,夏仲康。癸亥二。

丑世は第二千百六十二世で、甲午から癸亥まで、紀元前二一八七年から前二一五八年に當たり、起首の甲午は夏太康二年。辛酉は太康二十九年、すなわち紀元前二一六〇年で、一條の大事を繫げる。太康が國家を失い、有窮氏の首領后羿が黄河の邊で彼を遮りて歸國を許さず、太康はここに外で死した。これすなわち《左傳》《史記》に記する「太康失國」で、夏朝は國を開きて久しからずして東夷の有窮氏に政柄を奪われた。次年の壬戌に「夏仲康」と題し改め、仲康の元年、すなわち紀元前二一五九年とし、羿は別に太康の弟の仲康を傀儡の君として立てた。癸亥は仲康二年で、この世は終わり告げる。羿は夏民に因って夏政に代わり、史に「后羿代夏」と稱し、夏室の天命はここから四十年懸空した。

經辰之寅二千一百六十三:甲子三、乙丑四、丙寅五、丁卯六、戊辰七、己巳八、庚午九、辛未十、壬申十一、癸酉十二、甲戌十三、乙亥,夏相。丙子二、丁丑三、戊寅四、己卯五、庚辰六、辛巳七、壬午八、癸未九、甲申十、乙酉十一、丙戌十二、丁亥十三、戊子十四、己丑十五、庚寅十六、辛卯十七、壬辰十八、癸巳十九。

寅世は第二千百六十三世で、甲子から癸巳まで、紀元前二一五七年から前二一二八年に當たり、起首の甲子は夏仲康三年。甲戌は仲康十三年、すなわち紀元前二一四七年で、仲康の在位はここに至って止まる。次年の乙亥に「夏相」と題し改め、相の元年、すなわち紀元前二一四六年とし、仲康の子の相が繼いで立つが、實際には依然として同姓の諸侯の斟灌・斟鄩の間に寄居する流亡の君である。この後丙子は相の二年で、年ごとに順に排して癸巳は相の十九年。この一世は他の史事を繫げず、ただ夏室が權を失った後の年位を一格一格接ぎ下るのみ。

經辰之卯二千一百六十四:甲午二十、乙未二十一、丙申二十二、丁酉二十三、戊戌二十四、己亥二十五、庚子二十六、辛丑二十七、壬寅二十八,寒浞殺有窮后羿,代立。使子澆及豷伐斟灌、斟鄩氏,滅相,封澆於過,封豷於戈。相之臣靡逃於有鬲氏,相之後緡還於有仍氏。始生少康。癸卯,夏少康始生。甲辰二、乙巳三、丙午四、丁未五、戊申六、己酉七、庚戌八、辛亥九、壬子十、癸丑十一、甲寅十二、乙卯十三、丙辰十四、丁巳十五、戊午十六、己未十七、庚申十八、辛酉十九、壬戌二十、癸亥二十一。

卯世は第二千百六十四世で、甲午から癸亥まで、紀元前二一二七年から前二〇九八年に當たり、起首の甲午は夏相二十年。壬寅は相二十八年、すなわち紀元前二一一九年で、一大段の史事を繫げ、《左傳・襄公四年》と《哀公元年》に本づく。后羿の家臣の寒浞が有窮后羿を殺して自ら君と立ち、その子の澆と豷を遣わして斟灌氏・斟鄩氏の二つの夏の同姓國を攻めて夏后相を殺し、澆を過の地に封じ、豷を戈の地に封じた。相の舊臣の靡は有鬲氏に逃れて難を避け、相の妻の后緡は娘家の有仍氏に逃歸して、そこで遺腹子を懷いた。これが少康の出生の由來である。次年の癸卯に「夏少康始めて生る」と注し、すなわち紀元前二一一八年に少康が誕生した。この後の年數は在位の年ではなく、少康の歲數である。甲辰は二歲で、年ごとに順に排して癸亥は二十一歲。夏室はこの時すでに天子在位なし。邵雍は便ち少康の年歲をもって年位に充てた。その編年は寧ろ一人を虛繫しても、年格を斷かせぬを肯んぜざるを見るべし。

經辰之辰二千一百六十五:甲子二十二、乙丑二十三、丙寅二十四、丁卯二十五、戊辰二十六、己巳二十七、庚午二十八、辛未二十九、壬申三十、癸酉三十一、甲戌三十二、乙亥三十三、丙子三十四、丁丑三十五、戊寅三十六、己卯三十七、庚辰三十八、辛巳三十九、壬午,夏少康立。夏之臣靡自鬲收斟灌、斟鄩之燼以滅浞,而立少康。少康既立,遂滅澆於過,滅豷於戈,以絕有窮氏之族。癸未二、甲申三、乙酉四、丙戌五、丁亥六、戊子七、己丑八、庚寅九、辛卯十、壬辰十一、癸巳十二。

辰世は第二千百六十五世で、甲子から癸巳まで、紀元前二〇九七年から前二〇六八年に當たり、起首の甲子は少康二十二歲。壬午は紀元前二〇七九年で、「夏少康立つ」と注し、竝びに復國の始末を繫げる。夏の舊臣の靡は有鬲氏から出發し、斟灌・斟灌・斟鄩の兩國の殘存する族人を收攏して、兵を起こして寒浞を滅ぼし、少康を擁して夏君と立てた。少康は位に即いた後、續いて過の地で澆を滅ぼし、戈の地で豷を滅ぼし、有窮氏の一族を斬草除根した。これすなわち史に稱する「少康中興」で、夏室は國を失うこと四十年の後に重新恢復した。壬午の改元より、年數は少康の歲數より在位の年に改め回り、癸未は少康二年、順に排して癸巳は少康十二年。太康失國の紀元前二一六〇年から少康復位の紀元前二〇七九年に算るまで、中間凡そ八十一年、夏の宗廟社稷はずっと夏后氏の手に在らず。この一段の年月は表中始終仲康・相の在位の年と少康の歲數をもって虛繫し、正に邵雍の編年が夏統のみを認め、篡竊者を正朔に列せざるを肯んぜざるを見る。

經辰之巳二千一百六十六:甲午十三、乙未十四、丙申十五、丁酉十六、戊戌十七、己亥十八、庚子十九、辛丑二十、壬寅二十一、癸卯二十二、甲辰,夏杼。乙巳二、丙午三、丁未四、戊申五、己酉六、庚戌七、辛亥八、壬子九、癸丑十、甲寅十一、乙卯十二、丙辰十三、丁巳十四、戊午十五、己未十六、庚申十七、辛酉,夏槐。壬戌二、癸亥三。

巳世は第二千百六十六世で、甲午から癸亥まで、紀元前二〇六七年から前二〇三八年に當たり、起首の甲午は夏少康十三年。癸卯は少康二十二年、すなわち紀元前二〇五八年で、少康の在位はここに至って終わる。次年の甲辰に「夏杼」と題し改め、杼の元年、すなわち紀元前二〇五七年とし、少康の子の杼が位を繼ぐ。杼の在位は十七年で、庚申に至って止まる。辛酉にまた「夏槐」と題し改め、槐の元年、すなわち紀元前二〇四〇年とす。壬戌は槐二年、癸亥は槐三年。この世は連ねて二代の夏君を換え、皆ただ帝號と年數を題するのみで、事迹を繫げない。杼はまた予と作り、相傳えて甲胄と矛を發明し、東征して東海に至り、少康の後の夏室のもっとも有為の一代である。

經辰之午二千一百六十七:甲子四、乙丑五、丙寅六、丁卯七、戊辰八、己巳九、庚午十、辛未十一、壬申十二、癸酉十三、甲戌十四、乙亥十五、丙子十六、丁丑十七、戊寅十八、己卯十九、庚辰二十、辛巳二十一、壬午二十二、癸未二十三、甲申二十四、乙酉二十五、丙戌二十六、丁亥,夏芒。戊子二、己丑三、庚寅四、辛卯五、壬辰六、癸巳七。

午世は第二千百六十七世で、甲子から癸巳まで、紀元前二〇三七年から前二〇〇八年に當たり、起首の甲子は夏槐四年。槐の在位は合わせて二十六年で、丙戌に至って止まる、すなわち紀元前二〇一五年。次年の丁亥に「夏芒」と題し改め、芒の元年、すなわち紀元前二〇一四年とし、槐の子の芒が位を繼ぐ。戊子は芒二年で、順に排して癸巳は芒七年。芒はまた荒と作り、《竹書紀年》はかれ嘗て海に東狩して大魚を獲たりと説く。夏代中期のこれら幾世は國勢承平にして史に大事なし。邵雍は便ち實に照って空け、ただ帝系と年位を留めるのみ。整々たる三十格の中に帝號を換えたことただ一度、その餘は悉く數目で、讀めば單調なれど、卻って正に彼の要する效果である。年數は史事の疏密に因って一格を增減せず。

經辰之未二千一百六十八:甲午八、乙未九、丙申十、丁酉十一、戊戌十二、己亥十三、庚子十四、辛丑十五、壬寅十六、癸卯十七、甲辰十八、乙巳,夏洩。丙午二、丁未三、戊申四、己酉五、庚戌六、辛亥七、壬子八、癸丑九、甲寅十、乙卯十一、丙辰十二、丁巳十三、戊午十四、己未十五、庚申十六、辛酉,夏不降。壬戌二、癸亥三。

未世は第二千百六十八世で、甲午から癸亥まで、紀元前二〇〇七年から前一九七八年に當たり、起首の甲午は夏芒八年。芒の在位は十八年で、甲辰に至って止まる。乙巳に「夏泄」と題し改め、泄の元年、すなわち紀元前一九九六年とし、芒の子の泄が位を繼ぐ。泄の在位は十六年で、庚申に至って止まる。辛酉にまた「夏不降」と題し改め、不降の元年、すなわち紀元前一九八〇年とす。壬戌は不降二年、癸亥は不降三年。この一世も同じくただ帝號を換え年數を續げ、事迹を載せない。《竹書紀年》は泄の在位の時九夷に命じて來朝せしめ、不降は嘗て兵を出して九苑を伐ったと説く。皆この三十年の間の事なれど、繫ぐべき確年なし。表中もまた格に入れず。

經辰之申二千一百六十九:甲子四、乙丑五、丙寅六、丁卯七、戊辰八、己巳九、庚午十、辛未十一、壬申十二、癸酉十三、甲戌十四、乙亥十五、丙子十六、丁丑十七、戊寅十八、己卯十九、庚辰二十、辛巳二十一、壬午二十二、癸未二十三、甲申二十四、乙酉二十五、丙戌二十六、丁亥二十七、戊子二十八、己丑二十九、庚寅三十、辛卯三十一、壬辰三十二、癸巳三十三。

申世は第二千百六十九世で、甲子から癸巳まで、紀元前一九七七年から前一九四八年に當たり、整々たる三十年は皆夏后不降の一朝の內にある。起首の甲子は不降四年、收尾の癸巳は不降三十三年。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一九七七年に當たり、收尾の癸巳は紀元前一九四八年に當たる。不降は前後在位五十九年で、夏代のもっとも享國久しき一位である。この一世はただその中の三十年を占めるのみ。表文は一字も著さず、讀者はただ年數の綿長よりその世に事なきを想い見るほかなく、正に邵雍の「數は事に先だつ」の編法に合す。まず元會運世に由って年格を算定し、しかる後に史事を塡め入れ、事あれば則ち書き、事なければ則ち空く。

經辰之酉二千一百七十:甲午三十四、乙未三十五、丙申三十六、丁酉三十七、戊戌三十八、己亥三十九、庚子四十、辛丑四十一、壬寅四十二、癸卯四十三、甲辰四十四、乙巳四十五、丙午四十六、丁未四十七、戊申四十八、己酉四十九、庚戌五十、辛亥五十一、壬子五十二、癸丑五十三、甲寅五十四、乙卯五十五、丙辰五十六、丁巳五十七、戊午五十八、己未五十九、庚申,夏扃。辛酉二、壬戌三、癸亥四。

酉世は第二千百七十世で、甲午から癸亥まで、紀元前一九四七年から前一九一八年に當たり、起首の甲午は夏不降三十四年。不降の在位は合わせて五十九年で、己未に至って止まる、すなわち紀元前一九二二年。次年の庚申に「夏扃」と題し改め、扃の元年、すなわち紀元前一九二一年とし、不降は位を弟の扃に傳えた。辛酉は扃二年、壬戌は三年、癸亥は四年。夏代の帝系はここに至って父子相承より一度兄終り弟及びに改まり、邵雍は《史記・夏本紀》の次序に照って錄し入れ、ただ名號を標して論斷を加えない。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前一九四七年に當たり、不降が弟に傳えた庚申は紀元前一九二一年に當たり、收尾の癸亥は紀元前一九一八年に當たる。不降の在位は久しかるも晩年に弟に內禪して子に傳えず、《史記》と《竹書紀年》に載る所は相同じく、夏代の帝位繼承の一つの特例である。

經辰之戌二千一百七十一:甲子五、乙丑六、丙寅七、丁卯八、戊辰九、己巳十、庚午十一、辛未十二、壬申十三、癸酉十四、甲戌十五、乙亥十六、丙子十七、丁丑十八、戊寅十九、己卯二十、庚辰二十一、辛巳,夏廑。壬午二、癸未三、甲申四、乙酉五、丙戌六、丁亥七、戊子八、己丑九、庚寅十、辛卯十一、壬辰十二、癸巳十三。

戌世は第二千百七十一世で、甲子から癸巳まで、紀元前一九一七年から前一八八八年に當たり、起首の甲子は夏扃五年。扃の在位は二十一年で、庚辰に至って止まる。辛巳に「夏廑」と題し改め、廑の元年、すなわち紀元前一九〇〇年とし、扃の子の廑が位を繼ぐ。壬午は廑二年で、順に排して癸巳は廑十三年。廑はまた胤甲と寫し、《史記》は孔甲の前に列す。この一世も依舊として史事を繫げない。《竹書紀年》は廑の在位の時十日竝び出でたるの異あり、また彼が西河に都したと記す。夏室は孔甲以前大變なしと雖も、國力は實にすでに緩緩として下り墜ちつつあり、この一世の空排の年格は正にあの沈寂の歲月の寫照である。

經辰之亥二千一百七十二:甲午十四、乙未十五、丙申十六、丁酉十七、戊戌十八、己亥十九、庚子二十、辛丑二十一、壬寅,夏孔甲。癸卯二、甲辰三、乙巳四、丙午五、丁未六、戊申七、己酉八、庚戌九、辛亥十、壬子十一、癸丑十二、甲寅十三、乙卯十四、丙辰十五、丁巳十六、戊午十七、己未十八、庚申十九、辛酉二十、壬戌二十一、癸亥二十二。

亥世は第二千百七十二世で、また第一百八十一運の末の一世、甲午から癸亥まで、紀元前一八八七年から前一八五八年に當たる。起首の甲午は夏廑十四年。廑の在位は二十一年で、辛丑に至って止まる。壬寅に「夏孔甲」と題し改め、孔甲の元年、すなわち紀元前一八七九年とし、不降の子の孔甲が位を繼ぐ。癸卯は孔甲二年で、順に排して癸亥は孔甲二十二年。《史記・夏本紀》は孔甲が方鬼神を好み淫亂に事え、夏后氏の德行は彼より衰え、諸侯多く背叛したと説く。夏亡の勢は實にここより起こる。第一百八十一運はここに至って三百六十年を排し滿たし、次の一篇は第一百八十二運に轉入する。

觀物篇十六 以會經運四

經星之乙一百八十二

觀物篇十六,以會經運四。經日之甲一,經月之未八。經星之乙一百八十二。經辰之子二千一百七十三:甲子二十三、乙丑二十四、丙寅二十五、丁卯二十六、戊辰二十七、己巳二十八、庚午二十九、辛未三十、壬申三十一、癸酉,夏皋。甲戌二、乙亥三、丙子四、丁丑五、戊寅六、己卯七、庚辰八、辛巳九、壬午十、癸未十一、甲申,夏發。乙酉二、丙戌三、丁亥四、戊子五、己丑六、庚寅七、辛卯八、壬辰九、癸巳十。

《觀物篇》第十六篇は「以會經運」の第四篇で、記する所は第一百八十二運で、下轄は第二千百七十三から第二千百八十四世まで、合わせて三百六十年、紀元前一八五七年から前一四九八年に當たる。篇首の座標は「經月之未八」と寫すが、第一百八十二運は實に第七會の午會に屬するに按れば、この處の底本が未八と作るは前後の各篇の「經月之午七」と合わず、まさに刻本の誤であるべし。子世はすなわち第二千百七十三世、甲子から癸巳まで、紀元前一八五七年から前一八二八年に當たり、起首の甲子は夏孔甲二十三年。孔甲の在位は三十一年で、壬申に至って止まる。癸酉に「夏皋」と題し改め、皋の元年、すなわち紀元前一八四八年とし、孔甲の子の皋が位を繼ぎ、在位十一年。甲申にまた「夏發」と題し改め、發の元年、すなわち紀元前一八三七年とす。乙酉は發二年で、順に排して癸巳は發十年。

經辰之丑二千一百七十四:甲午十一、乙未十二、丙申十三、丁酉十四、戊戌十五、己亥十六、庚子十七、辛丑十八、壬寅十九、癸卯,夏癸。甲辰二、乙巳三、丙午四、丁未五、戊申六、己酉七、庚戌八、辛亥九、壬子十、癸丑十一、甲寅十二、乙卯十三、丙辰十四、丁巳十五、戊午十六、己未十七、庚申十八、辛酉十九、壬戌二十、癸亥二十一。

丑世は第二千百七十四世で、甲午から癸亥まで、紀元前一八二七年から前一七九八年に當たり、起首の甲午は夏發十一年。發の在位は十九年で、壬寅に至って止まる。癸卯に「夏癸」と題し改め、癸の元年、すなわち紀元前一八一八年とす。夏癸はすなわち史書上の夏桀で、名は履癸、夏朝の末代の君。邵雍は《史記・夏本紀》に依って徑にその名を書して桀と稱せざるは、編年家が褒貶を加えざる寫法である。この後甲辰は桀の二年で、年ごとに順に排して癸亥は桀二十一年。履癸の即位の年は紀元前一八一八年に當たり、下って商湯が夏に代わるにはなお五十二年ある。

經辰之寅二千一百七十五:甲子二十二、乙丑二十三、丙寅二十四、丁卯二十五、戊辰二十六、己巳二十七、庚午二十八、辛未二十九、壬申三十、癸酉三十一、甲戌三十二、乙亥三十三、丙子三十四、丁丑三十五、戊寅三十六、己卯三十七、庚辰三十八、辛巳三十九、壬午四十、癸未四十一、甲申四十二、乙酉四十三、丙戌四十四、丁亥四十五、戊子四十六、己丑四十七、庚寅四十八、辛卯四十九、壬辰五十、癸巳五十一。

寅世は第二千百七十五世で、甲子から癸巳まで、紀元前一七九七年から前一七六八年に當たり、三十年は整々と夏桀の一朝の內に落つ。起首の甲子は桀二十二年、收尾の癸巳は桀五十一年。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一七九七年に當たり、收尾の癸巳は紀元前一七六八年に當たる。夏桀はこの編年の中の在位もっとも久しき暴君であるが、この一世は卻って一條の史事も繫げず、ただ年位を排し滿たすのみ。相傳えて桀は傾宮瑶台を作り、妹喜を寵して湯を夏台に囚えたといい、そして商湯の勢力もまた正にこの三十年の間に悄然として坐大しつつあった。諸般の傳聞はすでに考うべき確年なし。邵雍は便ち一概に錄せず。彼が表を編む用意はまず年數の骨を立て、しかる後に史事の肉を掛くに在る。この世は掛くべき事なし。年格は照のごとく排して誤りなし。

經辰之卯二千一百七十六:甲午五十二、乙未,商湯。丙申二、丁酉三、戊戌四、己亥五、庚子六、辛丑七、壬寅八、癸卯九、甲辰十、乙巳十一、丙午十二、丁未十三、戊申,商太甲。己酉二、庚戌三、辛亥四、壬子五、癸丑六、甲寅七、乙卯八、丙辰九、丁巳十、戊午十一、己未十二、庚申十三、辛酉十四、壬戌十五、癸亥十六。

卯世は第二千百七十六世で、甲午から癸亥まで、紀元前一七六七年から前一七三八年に當たり、夏商の易代の一世である。甲午は夏桀五十二年、すなわち紀元前一七六七年で、また有夏一代の最後の年位である。次年の乙未に「商湯」と題し改め、湯の元年、すなわち紀元前一七六六年とし、成湯は夏桀を放逐して天下を有し、商朝はここから國を開く。湯の在位は十三年で、丁未に至って止まる。戊申にまた「商太甲」と題し改め、太甲の元年、すなわち紀元前一七五三年とす。太甲は湯の嫡長孫で、即位の初め湯法を遵わず、伊尹に桐宮に放逐され、三年して過を悔いて而る後政に歸した。《尚書》に《太甲》三篇あってその事を記すが、この表はただ年號を書してその詳を載せない。己酉は太甲二年で、順に排して癸亥は太甲十六年。

經辰之辰二千一百七十七:甲子十七、乙丑十八、丙寅十九、丁卯二十、戊辰二十一、己巳二十二、庚午二十三、辛未二十四、壬申二十五、癸酉二十六、甲戌二十七、乙亥二十八、丙子二十九、丁丑三十、戊寅三十一、己卯三十二、庚辰三十三、辛巳,商沃丁。壬午二、癸未三、甲申四、乙酉五、丙戌六、丁亥七、戊子八、己丑九、庚寅十、辛卯十一、壬辰十二、癸巳十三。

辰世は第二千百七十七世で、甲子から癸巳まで、紀元前一七三七年から前一七〇八年に當たり、起首の甲子は商太甲十七年。太甲の在位は三十三年で、庚辰に至って止まる。辛巳に「商沃丁」と題し改め、沃丁の元年、すなわち紀元前一七二〇年とし、太甲の子の沃丁が位を繼ぐ。相傳えて伊尹は沃丁の一朝に死したといい、沃丁は天子の禮をもってこれを葬った。この後壬午は沃丁二年で、年ごとに順に排して癸巳は沃丁十三年。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一七三七年に當たり、沃丁が元を改めた辛巳は紀元前一七二〇年に當たり、收尾の癸巳は紀元前一七〇八年に當たる。伊尹は成湯・外丙・仲壬・太甲・沃丁の五世を歷輔し、この一段は正に彼が政を秉る最後の年月である。

經辰之巳二千一百七十八:甲午十四、乙未十五、丙申十六、丁酉十七、戊戌十八、己亥十九、庚子二十、辛丑二十一、壬寅二十二、癸卯二十三、甲辰二十四、乙巳二十五、丙午二十六、丁未二十七、戊申二十八、己酉二十九、庚戌,商太庚。辛亥二、壬子三、癸丑四、甲寅五、乙卯六、丙辰七、丁巳八、戊午九、己未十、庚申十一、辛酉十二、壬戌十三、癸亥十四。

巳世は第二千百七十八世で、甲午から癸亥まで、紀元前一七〇七年から前一六七八年に當たり、起首の甲午は商沃丁十四年。沃丁の在位は二十九年で、己酉に至って止まる。庚戌に「商太庚」と題し改め、太庚の元年、すなわち紀元前一六九一年とし、沃丁の弟の太庚が位を繼ぐ。商代前期は兄終り弟及びと父死に子繼ぎとが竝行し、帝位は屢々兄弟の間で轉移した。この一段の表文は正にこの特點を見るべし。辛亥は太庚二年で、順に排して癸亥は太庚十四年。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前一七〇七年に當たり、太庚が元を改めた庚戌は紀元前一六九一年に當たり、收尾の癸亥は紀元前一六七八年に當たる。

經辰之午二千一百七十九:甲子十五、乙丑十六、丙寅十七、丁卯十八、戊辰十九、己巳二十、庚午二十一、辛未二十二、壬申二十三、癸酉二十四、甲戌二十五、乙亥,商小甲。丙子二、丁丑三、戊寅四、己卯五、庚辰六、辛巳七、壬午八、癸未九、甲申十、乙酉十一、丙戌十二、丁亥十三、戊子十四、己丑十五、庚寅十六、辛卯十七、壬辰,商雍巳。癸巳二。

午世は第二千百七十九世で、甲子から癸巳まで、紀元前一六七七年から前一六四八年に當たり、起首の甲子は商太庚十五年。太庚の在位は二十五年で、甲戌に至って止まる。乙亥に「商小甲」と題し改め、小甲の元年、すなわち紀元前一六六六年とし、太庚の子の小甲が位を繼ぎ、在位十七年。壬辰にまた「商雍巳」と題し改め、雍巳の元年、すなわち紀元前一六四九年とす。雍巳はすなわち《史記・殷本紀》の雍己で、「巳」「己」の二字は形近くして通用し、底本は雍巳と作る。癸巳は雍己二年で、雍己は前後在位十二年。《史記・殷本紀》に據れば、殷道は雍己より衰え、諸侯に朝せざる者あり。

經辰之未二千一百八十:甲午三、乙未四、丙申五、丁酉六、戊戌七、己亥八、庚子九、辛丑十、壬寅十一、癸卯十二、甲辰,商太戊。乙巳二、丙午三、丁未四、戊申五、己酉六、庚戌七、辛亥八、壬子九、癸丑十、甲寅十一、乙卯十二、丙辰十三、丁巳十四、戊午十五、己未十六、庚申十七、辛酉十八、壬戌十九、癸亥二十。

未世は第二千百八十世で、甲午から癸亥まで、紀元前一六四七年から前一六一八年に當たり、起首の甲午は商雍己三年。雍己の在位は十二年で、癸卯に至って止まる。甲辰に「商太戊」と題し改め、太戊の元年、すなわち紀元前一六三七年とし、雍己の弟の太戊が位を繼ぐ。太戊は伊陟・巫咸を用いて相とし、《尚書》に《咸乂》《伊陟》の諸篇あり、殷道は復た興り、諸侯これに歸り、後世尊んで中宗とし、前後在位七十五年。この後乙巳は太戊二年で、順に排して癸亥は太戊二十年。商室は沃丁以下兄弟相及ぶ者數世にして、君權は屢々易り、太戊の一朝に至ってはじめて重ねて安定に歸した。

經辰之申二千一百八十一:甲子二十一、乙丑二十二、丙寅二十三、丁卯二十四、戊辰二十五、己巳二十六、庚午二十七、辛未二十八、壬申二十九、癸酉三十、甲戌三十一、乙亥三十二、丙子三十三、丁丑三十四、戊寅三十五、己卯三十六、庚辰三十七、辛巳三十八、壬午三十九、癸未四十、甲申四十一、乙酉四十二、丙戌四十三、丁亥四十四、戊子四十五、己丑四十六、庚寅四十七、辛卯四十八、壬辰四十九、癸巳五十。

申世は第二千百八十一世で、甲子から癸巳まで、紀元前一六一七年から前一五八八年に當たり、全く商太戊の一朝の內にある。起首の甲子は太戊二十一年、收尾の癸巳は太戊五十年。太戊の在位は七十五年で、商代のもっとも享國久しき君主である。この一世はただ年位を排して事を繫げず、前面の夏桀のあの一世の排法と相同じ。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一六一七年に當たり、收尾の癸巳は紀元前一五八八年に當たる。《史記・殷本紀》に載して、太戊の時亳都に桑と穀の二木が朝に共生し、一夜の間に大なること合抱に至り、伊陟は以って妖は德に勝たざるとし、太戊に勸めて政を修めしめ、その後桑穀は枯死し、殷道は復た興り、諸侯來朝したという。これらは皆本世の內にあるが、表中は卻って一字も書さない。舊史はここに竝びに確年なきがゆえに。邵雍は寧ろ空を留めても、年なきの事を硬く年あるの格に塡め込むを肯んぜず。

經辰之酉二千一百八十二:甲午五十一、乙未五十二、丙申五十三、丁酉五十四、戊戌五十五、己亥五十六、庚子五十七、辛丑五十八、壬寅五十九、癸卯六十、甲辰六十一、乙巳六十二、丙午六十三、丁未六十四、戊申六十五、己酉六十六、庚戌六十七、辛亥六十八、壬子六十九、癸丑七十、甲寅七十一、乙卯七十二、丙辰七十三、丁巳七十四、戊午七十五、己未,商仲丁。庚申二、辛酉三、壬戌四、癸亥五。

酉世は第二千百八十二世で、甲午から癸亥まで、紀元前一五八七年から前一五五八年に當たり、起首の甲午は商太戊五十一年。太戊の在位は七十五年で、戊午に至って止まる、すなわち紀元前一五六三年。己未に「商仲丁」と題し改め、仲丁の元年、すなわち紀元前一五六二年とし、太戊の子の仲丁が位を繼ぐ。仲丁は隞に遷都し、また藍夷を征伐し、商室はここから屢々遷都し王位紛爭する一段に入る。庚申は仲丁二年で、順に排して癸亥は仲丁五年。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前一五八七年に當たり、仲丁が元を改めた己未は紀元前一五六二年に當たり、收尾の癸亥は紀元前一五五八年に當たる。中宗の一朝七十五年の太平はここに收束し、殷室はすなわち下り坂を走り上る。

經辰之戌二千一百八十三:甲子六、乙丑七、丙寅八、丁卯九、戊辰十、己巳十一、庚午十二、辛未十三、壬申,商外壬。癸酉二、甲戌三、乙亥四、丙子五、丁丑六、戊寅七、己卯八、庚辰九、辛巳十、壬午十一、癸未十二、甲申十三、乙酉十四、丙戌十五、丁亥,商河亶甲。戊子二、己丑三、庚寅四、辛卯五、壬辰六、癸巳七。

戌世は第二千百八十三世で、甲子から癸巳まで、紀元前一五五七年から前一五二八年に當たり、起首の甲子は商仲丁六年。仲丁の在位は十三年で、辛未に至って止まる。壬申に「商外壬」と題し改め、外壬の元年、すなわち紀元前一五四九年とし、仲丁の弟の外壬が位を繼ぎ、在位十五年。丁亥にまた「商河亶甲」と題し改め、河亶甲の元年、すなわち紀元前一五三四年とし、外壬の弟の河亶甲が位を繼ぎ、相に遷都した。仲丁より後、弟子相爭い、屢々次序を失い、諸侯朝する莫し。史に「九世之亂」と稱し、この一世は正に亂局の開端である。戊子は河亶甲二年で、順に排して癸巳は七年。

經辰之亥二千一百八十四:甲午八、乙未九、丙申,商祖乙。丁酉二、戊戌三、己亥四、庚子五、辛丑六、壬寅七、癸卯八、甲辰九、乙巳十、丙午十一、丁未十二、戊申十三、己酉十四、庚戌十五、辛亥十六、壬子十七、癸丑十八、甲寅十九、乙卯,商祖辛。丙辰二、丁巳三、戊午四、己未五、庚申六、辛酉七、壬戌八、癸亥九。

亥世は第二千百八十四世で、また第一百八十二運の末の一世、甲午から癸亥まで、紀元前一五二七年から前一四九八年に當たり、起首の甲午は商河亶甲八年。河亶甲の在位は九年で、乙未に至って止まる。丙申に「商祖乙」と題し改め、祖乙の元年、すなわち紀元前一五二五年とし、河亶甲の子の祖乙が位を繼ぎ、邢に遷都し、巫賢を任じて相とし、殷道は復た興り、後世は太戊・武丁と竝稱す。祖乙の在位は十九年で、甲寅に至って止まる。乙卯にまた「商祖辛」と題し改め、祖辛の元年、すなわち紀元前一五〇六年とす。丙辰は祖辛二年で、順に排して癸亥は祖辛九年。第一百八十二運はここに至って三百六十年を排し滿たす。

皇極經世書卷三下

觀物篇十七 以會經運五

經星之丙一百八十三

皇極經世書卷三下。觀物篇十七,以會經運五。經日之甲一,經月之午七。經星之丙一百八十三。經辰之子二千一百八十五:甲子十、乙丑十一、丙寅十二、丁卯十三、戊辰十四、己巳十五、庚午十六、辛未,商沃甲。壬申二、癸酉三、甲戌四、乙亥五、丙子六、丁丑七、戊寅八、己卯九、庚辰十、辛巳十一、壬午十二、癸未十三、甲申十四、乙酉十五、丙戌十六、丁亥十七、戊子十八、己丑十九、庚寅二十、辛卯二十一、壬辰二十二、癸巳二十三。

ここは《皇極經世書》卷三下の冒頭である。《觀物篇》第十七篇は「以會經運」の第五篇で、記する所は第一百八十三運、依然として第一元の第七會すなわち午會に屬し、下轄は第二千百八十五から第二千百九十六世まで、合わせて三百六十年、紀元前一四九七年から前一一三八年に當たる。子世はすなわち第二千百八十五世、甲子から癸巳まで、紀元前一四九七年から前一四六八年に當たり、起首の甲子は商祖辛十年。祖辛の在位は十六年で、庚午に至って止まる。辛未に「商沃甲」と題し改め、沃甲の元年、すなわち紀元前一四九〇年とし、祖辛の弟の沃甲が位を繼ぐ。沃甲はまた開甲と作る。この後壬申は沃甲二年で、年ごとに順に排して癸巳は沃甲二十三年。祖辛は弟に傳えて子に傳えず、依然として商代の常見の繼統の法である。

經辰之丑二千一百八十六:甲午二十四、乙未二十五、丙申,商祖丁。丁酉二、戊戌三、己亥四、庚子五、辛丑六、壬寅七、癸卯八、甲辰九、乙巳十、丙午十一、丁未十二、戊申十三、己酉十四、庚戌十五、辛亥十六、壬子十七、癸丑十八、甲寅十九、乙卯二十、丙辰二十一、丁巳二十二、戊午二十三、己未二十四、庚申二十五、辛酉二十六、壬戌二十七、癸亥二十八。

丑世は第二千百八十六世で、甲午から癸亥まで、紀元前一四六七年から前一四三八年に當たり、起首の甲午は商沃甲二十四年。沃甲の在位は二十五年で、乙未に至って止まる。丙申に「商祖丁」と題し改め、祖丁の元年、すなわち紀元前一四六五年とし、祖辛の子の祖丁が位を繼ぐ。商代は仲丁より後、兄の子と弟の子とが交替に爭い立ち、祖丁はその叔父沃甲の後を承けて立つ。正にこの「九世之亂」の寫照である。丁酉は祖丁二年で、年ごとに順に排して癸亥は祖丁二十八年。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前一四六七年に當たり、祖丁が元を改めた丙申は紀元前一四六五年に當たり、收尾の癸亥は紀元前一四三八年に當たる。

經辰之寅二千一百八十七:甲子二十九、乙丑三十、丙寅三十一、丁卯三十二、戊辰,商南庚。己巳二、庚午三、辛未四、壬申五、癸酉六、甲戌七、乙亥八、丙子九、丁丑十、戊寅十一、己卯十二、庚辰十三、辛巳十四、壬午十五、癸未十六、甲申十七、乙酉十八、丙戌十九、丁亥二十、戊子二十一、己丑二十二、庚寅二十三、辛卯二十四、壬辰二十五、癸巳,商陽甲。

寅世は第二千百八十七世で、甲子から癸巳まで、紀元前一四三七年から前一四〇八年に當たり、起首の甲子は商祖丁二十九年。祖丁の在位は三十二年で、丁卯に至って止まる。戊辰に「商南庚」と題し改め、南庚の元年、すなわち紀元前一四三三年とし、沃甲の子の南庚が位を繼ぎ、奄に遷都し、在位二十五年。世末の癸巳にまた「商陽甲」と題し改め、陽甲の元年、すなわち紀元前一四〇八年とし、祖丁の子の陽甲が位を繼ぐ。《史記・殷本紀》は帝陽甲の時殷衰え、仲丁より以来嫡を廢して更に諸弟子を立て、弟子あるいは爭いて相代り立ち、九世を比して亂れ、ここに於て諸侯朝する莫しと説く。南庚は前後在位二十五年。

經辰之卯二千一百八十八:甲午二、乙未三、丙申四、丁酉五、戊戌六、己亥七、庚子,商盤庚。辛丑二、壬寅三、癸卯四、甲辰五、乙巳六、丙午七、丁未八、戊申九、己酉十、庚戌十一、辛亥十二、壬子十三、癸丑十四、甲寅十五、乙卯十六、丙辰十七、丁巳十八、戊午十九、己未二十、庚申二十一、辛酉二十二、壬戌二十三、癸亥二十四。

卯世は第二千百八十八世で、甲午から癸亥まで、紀元前一四〇七年から前一三七八年に當たり、起首の甲午は商陽甲二年。陽甲の在位は七年で、己亥に至って止まる。庚子に「商盤庚」と題し改め、盤庚の元年、すなわち紀元前一四〇一年とし、陽甲の弟の盤庚が位を繼ぐ。盤庚は河を渡り南に遷り、國都を奄より殷に遷し、貴族の怨望を抑え、成湯の政を行い、殷道は復た興り、諸侯來朝した。《尚書》に《盤庚》上中下の三篇あってこの遷都の始末を記し、商朝もまたここから殷と改稱した。この表はただ干支の下に帝號を標し出すのみで、殷に遷るの事は別に年を繫げない。辛丑は盤庚二年で、順に排して癸亥は盤庚二十四年。

經辰之辰二千一百八十九:甲子二十五、乙丑二十六、丙寅二十七、丁卯二十八、戊辰,商小辛。己巳二、庚午三、辛未四、壬申五、癸酉六、甲戌七、乙亥八、丙子九、丁丑十、戊寅十一、己卯十二、庚辰十三、辛巳十四、壬午十五、癸未十六、甲申十七、乙酉十八、丙戌十九、丁亥二十、戊子二十一、己丑,商小乙。庚寅二、辛卯三、壬辰四、癸巳五。

辰世は第二千百八十九世で、甲子から癸巳まで、紀元前一三七七年から前一三四八年に當たり、起首の甲子は商盤庚二十五年。盤庚の在位は二十八年で、丁卯に至って止まる。戊辰に「商小辛」と題し改め、小辛の元年、すなわち紀元前一三七三年とし、盤庚の弟の小辛が位を繼ぎ、在位二十一年。《史記》は小辛立ちて殷復た衰え、百姓は盤庚を思念し、ここに於て人ありて《盤庚》の篇を作りしと説く。己丑にまた「商小乙」と題し改め、小乙の元年、すなわち紀元前一三五二年とし、小辛の弟の小乙が位を繼ぐ。彼すなわち武丁の父である。庚寅は小乙二年で、順に排して癸巳は五年。

經辰之巳二千一百九十:甲午六、乙未七、丙申八、丁酉九、戊戌十、己亥十一、庚子十二、辛丑十三、壬寅十四、癸卯十五、甲辰十六、乙巳十七、丙午十八、丁未十九、戊申二十、己酉二十一、庚戌二十二、辛亥二十三、壬子二十四、癸丑二十五、甲寅二十六、乙卯二十七、丙辰二十八、丁巳,商武丁。戊午二、己未三、庚申四、辛酉五、壬戌六、癸亥七。

巳世は第二千百九十世で、甲午から癸亥まで、紀元前一三四七年から前一三一八年に當たり、起首の甲午は商小乙六年。小乙の在位は二十八年で、丙辰に至って止まる。丁巳に「商武丁」と題し改め、武丁の元年、すなわち紀元前一三二四年とし、小乙の子の武丁が位を繼ぐ。武丁は即位の初め三年言わず、政事は冢宰に決し、後に夢にて傅說を版筑の間に得て、擧げて相と為し、殷國は大いに治まり、また鬼方を伐って三年にしてこれを克ち、在位五十九年、後世は高宗と稱す。《尚書》に《說命》三篇・《高宗肜日》あってその事を記す。戊午は武丁二年で、順に排して癸亥は武丁七年。

經辰之午二千一百九十一:甲子八、乙丑九、丙寅十、丁卯十一、戊辰十二、己巳十三、庚午十四、辛未十五、壬申十六、癸酉十七、甲戌十八、乙亥十九、丙子二十、丁丑二十一、戊寅二十二、己卯二十三、庚辰二十四、辛巳二十五、壬午二十六、癸未二十七、甲申二十八、乙酉二十九、丙戌三十、丁亥三十一、戊子三十二、己丑三十三、庚寅三十四、辛卯三十五、壬辰三十六、癸巳三十七。

午世は第二千百九十一世で、甲子から癸巳まで、紀元前一三一七年から前一二八八年に當たり、三十年は全く商武丁の一朝の內にある。起首の甲子は武丁八年、收尾の癸巳は武丁三十七年。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一三一七年に當たり、收尾の癸巳は紀元前一二八八年に當たる。これは正に殷商の國力もっとも盛んなる一段で、史に「武丁中興」と稱す。傅說を版筑の間に得て擧げて相と為し、鬼方を伐って三年にしてこれを克てる諸事は、《尚書・說命》と《易・既濟》に記する所に據れば、皆この三十年の內に在るべし。然れども舊史はここに皆確年なし。この表は便ち一事も繫げず、ただ在位年數を排し足すのみ。邵雍の重んずる所は事の多寡に在らず、年數と元會運世の格位とが相合するや否やに在るを見るべし。

經辰之未二千一百九十二:甲午三十八、乙未三十九、丙申四十、丁酉四十一、戊戌四十二、己亥四十三、庚子四十四、辛丑四十五、壬寅四十六、癸卯四十七、甲辰四十八、乙巳四十九、丙午五十、丁未五十一、戊申五十二、己酉五十三、庚戌五十四、辛亥五十五、壬子五十六、癸丑五十七、甲寅五十八、乙卯五十九、丙辰,商祖庚。丁巳二、戊午三、己未四、庚申五、辛酉六、壬戌七、癸亥,商祖甲。

未世は第二千百九十二世で、甲午から癸亥まで、紀元前一二八七年から前一二五八年に當たり、起首の甲午は商武丁三十八年。武丁の在位は五十九年で、乙卯に至って止まる、すなわち紀元前一二六六年。丙辰に「商祖庚」と題し改め、祖庚の元年、すなわち紀元前一二六五年とし、武丁の子の祖庚が位を繼ぎ、在位七年。世末の癸亥にまた「商祖甲」と題し改め、祖甲の元年、すなわち紀元前一二五八年とし、祖庚の弟の祖甲が位を繼ぐ。《尚書・無逸》は祖甲を太戊・武丁と竝擧して、彼が久しく小人たり、稼穡の艱難を知り、能く庶民を保惠したと説く。《史記》は則ち帝甲淫亂にして殷復た衰えたと説き、兩説相同じからず。この表はただ帝號を錄して判語を下さない。祖庚は前後在位七年。

經辰之申二千一百九十三:甲子二、乙丑三、丙寅四、丁卯五、戊辰六、己巳七、庚午八、辛未九、壬申十、癸酉十一、甲戌十二、乙亥十三、丙子十四、丁丑十五、戊寅十六、己卯十七、庚辰十八、辛巳十九、壬午二十、癸未二十一、甲申二十二、乙酉二十三、丙戌二十四、丁亥二十五、戊子二十六、己丑二十七、庚寅二十八、辛卯二十九、壬辰三十、癸巳三十一。

申世は第二千百九十三世で、甲子から癸巳まで、紀元前一二五七年から前一二二八年に當たり、全く商祖甲の一朝にある。起首の甲子は祖甲二年、收尾の癸巳は祖甲三十一年。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一二五七年に當たり、收尾の癸巳は紀元前一二二八年に當たる。祖甲の在位は三十三年で、殷の典章制度は多く彼の手に改定され、周人が殷王を追述するに、依然として彼を享國長久の賢君の一に列す。盤庚が殷に遷ってより後商室は再び都を徙さず、武丁・祖庚・祖甲の三世相まって百餘年、正に殷都のもっとも盛んなる時期である。但しこれらは後世に出土した甲骨に頼ってはじめて知る。宋人の據る所の舊史はただ一串の帝名と年數のみ。この表に載るはすなわち當日の知り得た全部である。この一世は繫ぐべき事なく、例に照ってただ年位を排す。

經辰之酉二千一百九十四:甲午三十二、乙未三十三、丙申,商廩辛。丁酉二、戊戌三、己亥四、庚子五、辛丑六、壬寅,商庚丁。癸卯二、甲辰三、乙巳四、丙午五、丁未六、戊申七、己酉八、庚戌九、辛亥十、壬子十一、癸丑十二、甲寅十三、乙卯十四、丙辰十五、丁巳十六、戊午十七、己未十八、庚申十九、辛酉二十、壬戌二十一、癸亥,商武乙。

酉世は第二千百九十四世で、甲午から癸亥まで、紀元前一二二七年から前一一九八年に當たり、起首の甲午は商祖甲三十二年。祖甲の在位は三十三年で、乙未に至って止まる。丙申に「商廩辛」と題し改め、廩辛の元年、すなわち紀元前一二二五年とし、祖甲の子の廩辛が位を繼ぎ、在位六年。壬寅にまた「商庚丁」と題し改め、庚丁の元年、すなわち紀元前一二一九年とす。庚丁はすなわち《史記・殷本紀》の庚丁で、また康丁と稱し、廩辛の弟、在位二十一年。世末の癸亥にまた「商武乙」と題し改め、武乙の元年、すなわち紀元前一一九八年とし、庚丁の子の武乙が位を繼ぐ。武乙は道なく、革嚢に血を盛って仰いでこれを射て、號して天を射るとし、後に河渭の間に獵して暴雷に震死した。《史記》はその事を記すこと甚だ詳なり。この表は載せない。

經辰之戌二千一百九十五:甲子二、乙丑三、丙寅四、丁卯,商太丁。戊辰二、己巳三、庚午,商帝乙。辛未二、壬申三、癸酉四、甲戌五、乙亥六、丙子七、丁丑八、戊寅九、己卯十、庚辰十一、辛巳十二、壬午十三、癸未十四、甲申十五、乙酉十六、丙戌十七、丁亥十八、戊子十九、己丑二十、庚寅二十一、辛卯二十二、壬辰二十三、癸巳二十四。

戌世は第二千百九十五世で、甲子から癸巳まで、紀元前一一九七年から前一一六八年に當たり、起首の甲子は商武乙二年。武乙の在位は四年で、丙寅に至って止まる。丁卯に「商太丁」と題し改め、太丁の元年、すなわち紀元前一一九四年とし、武乙の子の太丁が位を繼ぐ。太丁はすなわち卜辭の中の文丁で、在位三年、周王の季歴は彼の為に殺された。庚午にまた「商帝乙」と題し改め、帝乙の元年、すなわち紀元前一一九一年とし、太丁の子の帝乙が位を繼ぐ。彼すなわち紂王の父である。辛未は帝乙二年で、年ごとに順に排して癸巳は帝乙二十四年。

經辰之亥二千一百九十六:甲午二十五、乙未二十六、丙申二十七、丁酉二十八、戊戌二十九、己亥三十、庚子三十一、辛丑三十二、壬寅三十三、癸卯三十四、甲辰三十五、乙巳三十六、丙午三十七、丁未,商受辛。戊申二、己酉三、庚戌四、辛亥五、壬子六、癸丑七、甲寅八、乙卯九、丙辰十、丁巳十一、戊午十二、己未十三、庚申十四、辛酉十五、壬戌十六、癸亥十七,錫周文王命為西伯。

亥世は第二千百九十六世で、また第一百八十三運の末の一世、甲午から癸亥まで、紀元前一一六七年から前一一三八年に當たり、起首の甲午は商帝乙二十五年。帝乙の在位は三十七年で、丙午に至って止まる。丁未に「商受辛」と題し改め、受辛の元年、すなわち紀元前一一五四年とす。受辛はすなわち商紂王で、名は受、號は帝辛、商朝の末代の君。邵雍は例に照って徑にその名を書して紂と稱せず。世末の癸亥は受辛十七年、すなわち紀元前一一三八年で、一條の史事を繫げる。商王が周文王の姬昌に冊命を賜い、彼を任じて西伯とし、すなわち西方の諸侯の長とした。周人はここに由って征伐を專にし人心を攬することを得、殷周の易代の機括はこの年より埋下された。第一百八十三運はここに至って排し滿たし、次の一運は便ち商亡び周興るの年代に入る。

觀物篇十八 以會經運六

經星之丁一百八十四

觀物篇十八,以會經運六。經日之甲一,經月之午七。經星之丁一百八十四。經辰之子二千一百九十七:甲子十八、乙丑十九、丙寅二十、丁卯二十一、戊辰二十二、己巳二十三,周文王沒,武王即位。庚午二十四、辛未二十五、壬申二十六、癸酉二十七、甲戌二十八、乙亥二十九、丙子三十、丁丑三十一、戊寅三十二、己卯,周武王。庚辰二、辛巳三、壬午四、癸未五、甲申六、乙酉七、丙戌,周成王。丁亥二、戊子三、己丑四、庚寅五、辛卯六、壬辰七、癸巳八。

《觀物篇》第十八篇は「以會經運」の第六篇で、記する所は第一百八十四運、依然として第一元の第七會の午會に屬し、下轄は第二千百九十七から第二千二百八世まで、合わせて三百六十年、紀元前一一三七年から前七七八年に當たる。子世はすなわち第二千百九十七世、甲子から癸巳まで、紀元前一一三七年から前一一〇八年に當たり、起首の甲子は商受辛十八年。己巳は受辛二十三年、すなわち紀元前一一三二年で、「周文王沒し、武王即位す」と繫げ、周文王の姬昌が去世し、その子の姬發が繼いで立って周君と為ったを説く。すなわち後の武王。この時商紂は依然として位に在る。ゆえに年數は依然として紂より起算する。己卯は受辛三十二年、すなわち紀元前一一二二年で、表中は「周武王」と題し改めて年は一より起こす。正に武王が紂を伐って商を克てる、周朝開國の年で、殷商の年位はここに至って止まる。乙酉は武王七年、丙戌に「周成王」と題し改め、成王の元年、すなわち紀元前一一一五年とす。丁亥は成王二年で、順に排して癸巳は成王八年。

經辰之丑二千一百九十八:甲午九、乙未十、丙申十一、丁酉十二、戊戌十三、己亥十四、庚子十五、辛丑十六、壬寅十七、癸卯十八、甲辰十九、乙巳二十、丙午二十一、丁未二十二、戊申二十三、己酉二十四、庚戌二十五、辛亥二十六、壬子二十七、癸丑二十八、甲寅二十九、乙卯三十、丙辰三十一、丁巳三十二、戊午三十三、己未三十四、庚申三十五、辛酉三十六、壬戌三十七、癸亥,周康王。

丑世は第二千百九十八世で、甲午から癸亥まで、紀元前一一〇七年から前一〇七八年に當たり、起首の甲午は周成王九年。成王の一朝は正に周公攝政・洛邑を營建・禮を制し樂を作るの年代に當たるが、この表は卻って一事も載せず、ただ三十七年の年位を壬戌まで排す。世末の癸亥に「周康王」と題し改め、康王の元年、すなわち紀元前一〇七八年とし、成王の子の釗が位を繼ぐ。成康の際は天下安寧にして、刑措して四十餘年用いず、周朝の極盛の時である。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前一一〇七年に當たり、康王が元を改めた癸亥は紀元前一〇七八年に當たる。周公は攝政七年にして政を成王に還し、洛邑を營建し禮樂を制作し同姓の諸侯を大いに封ずるの事は皆成王の一朝の內に在り、《尚書》のうちの《召誥》《洛誥》《多士》《無逸》の諸篇は皆その事を記す。表中に書さざるは、依然として確年なくば格に入れざるの舊例である。

經辰之寅二千一百九十九:甲子二、乙丑三、丙寅四、丁卯五、戊辰六、己巳七、庚午八、辛未九、壬申十、癸酉十一、甲戌十二、乙亥十三、丙子十四、丁丑十五、戊寅十六、己卯十七、庚辰十八、辛巳十九、壬午二十、癸未二十一、甲申二十二、乙酉二十三、丙戌二十四、丁亥二十五、戊子二十六、己丑,周昭王。庚寅二、辛卯三、壬辰四、癸巳五。

寅世は第二千百九十九世で、甲子から癸巳まで、紀元前一〇七七年から前一〇四八年に當たり、起首の甲子は周康王二年。康王の在位は二十六年で、戊子に至って止まる。己丑に「周昭王」と題し改め、昭王の元年、すなわち紀元前一〇五二年とし、康王の子の瑕が位を繼ぐ。《史記・周本紀》は昭王の時王道微缺して、南巡狩して返らず、江上に卒したと説く。周室の衰勢は彼より始まる。庚寅は昭王二年で、順に排して癸巳は昭王五年。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一〇七七年に當たり、昭王が元を改めた己丑は紀元前一〇五二年に當たり、收尾の癸巳は紀元前一〇四八年に當たる。

經辰之卯二千二百:甲午六、乙未七、丙申八、丁酉九、戊戌十、己亥十一、庚子十二、辛丑十三、壬寅十四、癸卯十五、甲辰十六、乙巳十七、丙午十八、丁未十九、戊申二十、己酉二十一、庚戌二十二、辛亥二十三、壬子二十四、癸丑二十五、甲寅二十六、乙卯二十七、丙辰二十八、丁巳二十九、戊午三十、己未三十一、庚申三十二、辛酉三十三、壬戌三十四、癸亥三十五。

卯世は第二千二百世で、甲午から癸亥まで、紀元前一〇四七年から前一〇一八年に當たり、三十年は全く周昭王の一朝の內にある。起首の甲午は昭王六年、收尾の癸亥は昭王三十五年。世の總號はここに至ってちょうど二千二百という整數に湊る。全表の一つの記誦に便なる節點である。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前一〇四七年に當たり、收尾の癸亥は紀元前一〇一八年に當たる。昭王は南の荆楚を征し、漢水を渡って六師を喪い、本人もまた祭公とともに江上に沒した。周人はこの事を諱んで言わず諸侯に赴告せず、舊史はその年月に於て遂に語焉として詳ならず。表中は繫ぐべき確年なきに因り、依舊として空排す。西周は成康の隆より昭穆の衰に轉入する機括が、正にこの一世の裡に伏している。

經辰之辰二千二百一:甲子三十六、乙丑三十七、丙寅三十八、丁卯三十九、戊辰四十、己巳四十一、庚午四十二、辛未四十三、壬申四十四、癸酉四十五、甲戌四十六、乙亥四十七、丙子四十八、丁丑四十九、戊寅五十、己卯五十一、庚辰,周穆王。辛巳二、壬午三、癸未四、甲申五、乙酉六、丙戌七、丁亥八、戊子九、己丑十、庚寅十一、辛卯十二、壬辰十三、癸巳十四。

辰世は第二千二百一世で、甲子から癸巳まで、紀元前一〇一七年から前九八八年に當たり、起首の甲子は周昭王三十六年。昭王の在位は五十一年で、己卯に至って止まる。庚辰に「周穆王」と題し改め、穆王の元年、すなわち紀元前一〇〇一年とし、昭王の子の滿が位を繼ぐ。穆王は西に犬戎を征し、東に徐偃王を伐ち、また吕侯に命じて《吕刑》を作らしめ、在位五十五年、西周のもっとも在位久しき天子である。辛巳は穆王二年で、年ごとに順に排して癸巳は穆王十四年。西元紀年に折れば、起首の甲子は紀元前一〇一七年に當たり、穆王が元を改めた庚辰は紀元前一〇〇一年に當たり、收尾の癸巳は紀元前九八八年に當たる。周室の年數はここから紀元前十世紀に入る。

經辰之巳二千二百二:甲午十五、乙未十六、丙申十七、丁酉十八、戊戌十九、己亥二十、庚子二十一、辛丑二十二、壬寅二十三、癸卯二十四、甲辰二十五、乙巳二十六、丙午二十七、丁未二十八、戊申二十九、己酉三十、庚戌三十一、辛亥三十二、壬子三十三、癸丑三十四、甲寅三十五、乙卯三十六、丙辰三十七、丁巳三十八、戊午三十九、己未四十、庚申四十一、辛酉四十二、壬戌四十三、癸亥四十四。

巳世は第二千二百二世で、甲午から癸亥まで、紀元前九八七年から前九五八年に當たり、三十年は全く周穆王の一朝にある。起首の甲午は穆王十五年、收尾の癸亥は穆王四十四年。穆王は造父に命じて車を御して西巡し、崑崙に至り、また東に徐戎を伐ち、竝びに吕侯に命じて《吕刑》を作らせて刑辟を詳かにす。皆この三十年の間にある。《穆天子傳》に記する天下を周遊した行程は更に多く神異を雜え、年月は坐實する由なし。邵雍は便ち寧ろ整世を空排しても、傳聞の説を年格に繫げ入れず。これもまた全表の三代史料を處理する通例である。寧ろ疏なるとも濫すなかれ、寧ろ闕けるとも誣くなかれ。事あって年なき者は、その事顯なりとも錄せず。年あって事なき者は、その格空なりとも刪らず。西周王朝がこの一段の裡での鼎盛と虛耗は、就中このようにして三十の整齊たる干支に壓し成されたのである。

經辰之午二千二百三:甲子四十五、乙丑四十六、丙寅四十七、丁卯四十八、戊辰四十九、己巳五十、庚午五十一、辛未五十二、壬申五十三、癸酉五十四、甲戌五十五、乙亥,周恭王。丙子二、丁丑三、戊寅四、己卯五、庚辰六、辛巳七、壬午八、癸未九、甲申十、乙酉十一、丙戌十二、丁亥,周懿王。戊子二、己丑三、庚寅四、辛卯五、壬辰六、癸巳七。

午世は第二千二百三世で、甲子から癸巳まで、紀元前九五七年から前九二八年に當たり、起首の甲子は周穆王四十五年。穆王の在位は五十五年で、甲戌に至って止まる。乙亥に「周恭王」と題し改め、恭王の元年、すなわち紀元前九四六年とし、穆王の子の繄扈が位を繼ぎ、在位十二年。丁亥にまた「周懿王」と題し改め、懿王の元年、すなわち紀元前九三四年とし、恭王の子の囏が位を繼ぐ。《史記》は懿王の時王室遂に衰え、詩人は諷刺の詩を作り始めたと説く。西周の盛より衰に轉ずるの迹象はここから顯露する。戊子は懿王二年で、順に排して癸巳は懿王七年。

經辰之未二千二百四:甲午八、乙未九、丙申十、丁酉十一、戊戌十二、己亥十三、庚子十四、辛丑十五、壬寅十六、癸卯十七、甲辰十八、乙巳十九、丙午二十、丁未二十一、戊申二十二、己酉二十三、庚戌二十四、辛亥二十五、壬子,周孝王。癸丑二、甲寅三、乙卯四、丙辰五、丁巳六、戊午七、己未八、庚申九、辛酉十、壬戌十一、癸亥十二。

未世は第二千二百四世で、甲午から癸亥まで、紀元前九二七年から前八九八年に當たり、起首の甲午は周懿王八年。懿王の在位は二十五年で、辛亥に至って止まる。壬子に「周孝王」と題し改め、孝王の元年、すなわち紀元前九〇九年とし、懿王の叔父の辟方が位を繼ぐ。孝王は嘗て非子に命じて汧渭の間に馬を養わしめ、馬は大いに蕃息し、因りて非子を秦に封じ、號して附庸とした。これすなわち秦國の起源である。癸丑は孝王二年で、順に排して癸亥は孝王十二年。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前九二七年に當たり、孝王が元を改めた壬子は紀元前九〇九年に當たり、收尾の癸亥は紀元前八九八年に當たる。

經辰之申二千二百五:甲子十三、乙丑十四、丙寅十五、丁卯,周夷王。戊辰二、己巳三、庚午四、辛未五、壬申六、癸酉七、甲戌八、乙亥九、丙子十、丁丑十一、戊寅十二、己卯十三、庚辰十四、辛巳十五、壬午十六、癸未,周厲王。甲申二、乙酉三、丙戌四、丁亥五、戊子六、己丑七、庚寅八、辛卯九、壬辰十、癸巳十一。

申世は第二千二百五世で、甲子から癸巳まで、紀元前八九七年から前八六八年に當たり、起首の甲子は周孝王十三年。孝王の在位は十五年で、丙寅に至って止まる。丁卯に「周夷王」と題し改め、夷王の元年、すなわち紀元前八九四年とし、懿王の子の燮が位を繼ぐ。夷王は嘗て堂を下りて諸侯を見、天子の禮はここから衰替し、また齊哀公を鼎に烹った。癸未にまた「周厲王」と題し改め、厲王の元年、すなわち紀元前八七八年とし、夷王の子の胡が位を繼ぐ。厲王は暴虐にして利を好み、榮夷公を任用して利を專らにし、また衞の巫に謗を監せしめ、國人は道路に目をもってし、終に國人暴動を釀成した。甲申は厲王二年で、順に排して癸巳は厲王十一年。

經辰之酉二千二百六:甲午十二、乙未十三、丙申十四、丁酉十五、戊戌十六、己亥十七、庚子十八、辛丑十九、壬寅二十、癸卯二十一、甲辰二十二、乙巳二十三、丙午二十四、丁未二十五、戊申二十六、己酉二十七、庚戌二十八、辛亥二十九、壬子三十、癸丑三十一、甲寅三十二、乙卯三十三、丙辰三十四、丁巳三十五、戊午三十六、己未三十七、庚申三十八、辛酉三十九、壬戌四十、癸亥四十一。

酉世は第二千二百六世で、甲午から癸亥まで、紀元前八六七年から前八三八年に當たり、三十年は全く周厲王の紀年の內にある。起首の甲午は厲王十二年、收尾の癸亥は厲王四十一年。その間紀元前八四一年に國人起ちて厲王を驅逐し、厲王は彘に出奔し、周・召の二公は共同して執政し、史に「共和行政」と稱す。中國の確切なる紀年はすなわちこの年より始まる。この表は別に共和の號を立てず、依然としてこの段の年月を厲王の在位年の內に算して一路排し下る。邵雍の編年が君統のみを認め攝政を認めざるを見るべし。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前八六七年に當たり、收尾の癸亥は紀元前八三八年に當たる。共和の號すでに表に入らざれば、則ち中國に確切なる紀年の始まるあの年も、この張の表の中ではただ「己巳四十一」四字の底下の尋常の一つの年格に過ぎない。

經辰之戌二千二百七:甲子四十二、乙丑四十三、丙寅四十四、丁卯四十五、戊辰四十六、己巳四十七、庚午四十八、辛未四十九、壬申五十、癸酉五十一、甲戌,周宣王。乙亥二、丙子三、丁丑四、戊寅五、己卯六、庚辰七、辛巳八、壬午九、癸未十、甲申十一、乙酉十二、丙戌十三、丁亥十四、戊子十五、己丑十六、庚寅十七、辛卯十八、壬辰十九、癸巳二十。

戌世は第二千二百七世で、甲子から癸巳まで、紀元前八三七年から前八〇八年に當たり、起首の甲子は周厲王四十二年。厲王の年數は癸酉五十一年まで排して止まる、すなわち紀元前八二八年。甲戌に「周宣王」と題し改め、宣王の元年、すなわち紀元前八二七年とし、厲王の子の靜が位を繼ぐ。宣王は內に政事を修め、外に夷狄を攘い、方叔・召虎・尹吉甫の諸臣を任用し、南に荆蠻を征し、北に獫狁を伐ち、一度文武成康の境を恢復し、史に「宣王中興」と稱す。《詩經》の中の《六月》《采芑》《車攻》の諸篇はすなわちその事を詠ず。乙亥は宣王二年で、年ごとに順に排して癸巳は宣王二十年。

經辰之亥二千二百八:甲午二十一、乙未二十二、丙申二十三、丁酉二十四、戊戌二十五、己亥二十六、庚子二十七、辛丑二十八、壬寅二十九、癸卯三十、甲辰三十一、乙巳三十二、丙午三十三、丁未三十四、戊申三十五、己酉三十六、庚戌三十七、辛亥三十八、壬子三十九、癸丑四十、甲寅四十一、乙卯四十二、丙辰四十三、丁巳四十四、戊午四十五、己未四十六、庚申,周幽王。辛酉二、壬戌三、癸亥四。

亥世は第二千二百八世で、また第一百八十四運の末の一世、甲午から癸亥まで、紀元前八〇七年から前七七八年に當たり、起首の甲午は周宣王二十一年。宣王の在位は四十六年で、己未に至って止まる、すなわち紀元前七八二年。庚申に「周幽王」と題し改め、幽王の元年、すなわち紀元前七八一年とし、宣王の子の宮湦が位を繼ぐ。幽王は褒姒を寵し、申后を廢して、烽火を擧げて諸侯を戲れ、在位十一年にして驪山の下で犬戎の為に殺され、西周はここに由って覆亡した。辛酉は幽王二年、壬戌は三年、癸亥は四年。第一百八十四運はここに至って三百六十年を排し滿たす。西元紀年に折れば、起首の甲午は紀元前八〇七年に當たり、幽王が元を改めた庚申は紀元前七八一年に當たり、收尾の癸亥は紀元前七七八年に當たる。

皇極經世書卷四上

觀物篇十九 以會經運七

經星之戊一百八十五

皇極經世書卷四上。觀物篇十九,以會經運七。經日之甲一,經月之午七。經星之戊一百八十五。經辰之子二千二百九。經辰之丑二千二百一十。經辰之寅二千二百一十一。經辰之卯二千二百一十二。經辰之辰二千二百一十三。經辰之巳二千二百一十四。經辰之午二千二百一十五。經辰之未二千二百一十六。經辰之申二千二百一十七。經辰之酉二千二百一十八。經辰之戌二千二百一十九。經辰之亥二千二百二十。

ここは《皇極經世書》卷四上の冒頭である。《觀物篇》第十九篇は「以會經運」の第七篇で、記する所は第一百八十五運、依然として第一元の第七會の午會の內に在り、下轄は第二千二百九から第二千二百二十世まで、合わせて十二世三百六十年、紀元前七七七年から前四一八年に當たる。この三百六十年は正に周幽王の敗亡・平王の東遷・春秋二百四十二年より戰國の初に至る一段で、その間の齊桓・晉文の霸業・孔子の生卒・三家が晉を分かつの變局は皆その中に在る。但し底本はこの一運の下にただ十二の世の名號と總號とを順に列するのみで、子世は第二千二百九、丑世は第二千二百十、一路排して亥世は第二千二百二十。各世の底下は干支を排するもせず、一條の史事をも繫げず、整々たる一運三百六十年は全く空格である。この種の空缺はまさに傳刻の脫漏の致す所であるべく、邵雍の原表がこの如しとはせず。讀者は前後の各運の體例に據ればすなわちその格式を補想すべし。

觀物篇二十 以會經運八

經星之己一百八十六

觀物篇二十,以會經運八。經日之甲一,經月之午七。經星之己一百八十六。經辰之子二千二百二十一。經辰之丑二千二百二十二。經辰之寅二千二百二十三。經辰之卯二千二百二十四。經辰之辰二千二百二十五。經辰之巳二千二百二十六。經辰之午二千二百二十七。經辰之未二千二百二十八。

《觀物篇》第二十篇は「以會經運」の第八篇で、記する所は第一百八十六運、下轄は第二千二百二十一から第二千二百三十二世まで、合わせて三百六十年、紀元前四一七年から前五八年に當たる。この一運の前の八つの世も同じくただ世名と總號を列して干支なく史事なし。子世は第二千二百二十一から未世は第二千二百二十八まで、合わせて二百四十年、紀元前四一七年から前一七八年に當たる。その間の戰國七雄の爭衡・秦の天下を竝ぶ・楚漢の相爭より西漢開國に至るは、皆この段の空格の內に在る。表文は次の一世すなわち申世からややに干支と年號とを重ねて排し出す。底本のこの處にもまた闕文あることを知るべし。

經辰之申二千二百二十九:甲子四、乙丑五、丙寅六、丁卯七、戊辰八、己巳九、庚午十、辛未十一、壬申十二、癸酉十三、甲戌十四、乙亥十五、丙子十六、丁丑十七、戊寅,後元。己卯二、庚辰三、辛巳四、壬午五、癸未六、甲申七、乙酉,漢景帝。丙戌二、丁亥三、戊子四、己丑五、庚寅六、辛卯七、壬辰,中元。癸巳二。

申世は第二千二百二十九世で、甲子から癸巳まで、紀元前一七七年から前一四八年に當たる。表文はここに重ねて接ぎ、起首の甲子はただ一つの「四」の字を標して帝號を出さないは、前面の幾世が全く空しく、帝號の繫ぎ起こすべき由なきによる。この「四」は漢文帝の在位第四年を指す。表中は文帝の入嗣即位した紀元前一八〇年を元年とすことを知るべし。丁丑十七の後、戊寅に「后元」と題し改め、すなわち文帝の后元元年、紀元前一六三年で、文帝は舊號を除いて重ねて元を紀した。己卯は后元二年。乙酉に「漢景帝」と題し改め、景帝の元年、すなわち紀元前一五六年とす。壬辰にまた「中元」と題し改め、すなわち景帝の中元元年、紀元前一四九年、癸巳は中元二年。ここより以下、表中の干支の底下に繫ぐ所はもはや帝王在位の年ではなく、多くは年號である。これは漢代の改元の頻繁なるが齋らした記法の變化である。

經辰之酉二千二百三十:甲午三、乙未四、丙申五、丁酉六、戊戌,後元。己亥二、庚子三、辛丑,漢武帝建元。壬寅二、癸卯三、甲辰四、乙巳五、丙午六、丁未,元光。戊申二、己酉三、庚戌四、辛亥五、壬子六、癸丑,元朔。甲寅二、乙卯三、丙辰四、丁巳五、戊午六、己未,元狩。庚申二、辛酉三、壬戌四、癸亥五。

酉世は第二千二百三十世で、甲午から癸亥まで、紀元前一四七年から前一一八年に當たる。起首の甲午は漢景帝中元三年で、順に排して丁酉は中元六年。戊戌に「后元」と題し改め、すなわち景帝の后元元年、紀元前一四三年。辛丑に「漢武帝建元」と題し改め、すなわち武帝の建元元年、紀元前一四〇年。建元は中國歷史の上の第一の正式の年號で、ここから帝王の紀年は一律に年號を用い、この表もまたそれに隨って年號に序數を加える寫法に改めた。以下丁未は元光元年、紀元前一三四年。癸丑は元朔元年、紀元前一二八年。己未は元狩元年、紀元前一二二年、癸亥は元狩五年。武帝の一朝は改元大抵六年に一換し、表中は次々に標し出して、正にこの規律を顯示する。

經辰之戌二千二百三十一:甲子六、乙丑,元鼎。丙寅二、丁卯三、戊辰四、己巳五、庚午六、辛未,元封。壬申二、癸酉三、甲戌四、乙亥五、丙子六、丁丑,太初。戊寅二、己卯三、庚辰四、辛巳,天漢。壬午二、癸未三、甲申四、乙酉,太始。丙戌二、丁亥三、戊子四、己丑,徵和。庚寅二、辛卯三、壬辰四、癸巳,後元。

戌世は第二千二百三十一世で、甲子から癸巳まで、紀元前一一七年から前八八年に當たり、整々たる三十年は皆漢武帝の一朝に在り、また表中のもっとも改元の密なる一世である。甲子は元狩六年、紀元前一一七年。乙丑に元鼎を起こし、紀元前一一六年。辛未に元封を起こし、紀元前一一〇年、この年武帝は東して泰山に封した。丁丑に太初を起こし、紀元前一〇四年、同年太初歴を頒行して、改めて正月をもって歲首とす。辛巳に天漢を起こし、紀元前一〇〇年。乙酉に太始を起こし、紀元前九六年。己丑に征和を起こし、紀元前九二年、巫蠱の禍はすなわちこの號の內に在る。癸巳に后元を起こし、紀元前八八年。七つの年號が一世三十格の中に排して、漢武帝在位後期の年月を分かつこと清らかなり。

經辰之亥二千二百三十二:甲午二、乙未,漢昭帝始元。丙申二、丁酉三、戊戌四、己亥五、庚子六、辛丑,元鳳。壬寅二、癸卯三、甲辰四、乙巳五、丙午六、丁未,元平。戊申,漢宣帝本始。己酉二、庚戌三、辛亥四、壬子,地節。癸丑二、甲寅三、乙卯四、丙辰,元康。丁巳二、戊午三、己未四、庚申,神爵。辛酉二、壬戌三、癸亥四。

亥世は第二千二百三十二世で、また第一百八十六運の末の一世、甲午から癸亥まで、紀元前八七年から前五八年に當たる。甲午は漢武帝后元二年、紀元前八七年で、武帝はすなわちこの年に崩じた。乙未に「漢昭帝始元」と題し改め、すなわち昭帝の始元元年、紀元前八六年。辛丑に元鳳を起こし、紀元前八〇年。丁未に元平を起こし、紀元前七四年、昭帝はこの年に崩じた。戊申に「漢宣帝本始」と題し改め、すなわち宣帝の本始元年、紀元前七三年。壬子に地節を起こし、紀元前六九年。丙辰に元康を起こし、紀元前六五年。庚申に神爵を起こし、紀元前六一年、癸亥は神爵四年。第一百八十六運はここに至って三百六十年を排し滿たす。

皇極經世書卷四中

觀物篇二十一 以會經運九

經星之庚一百八十七

皇極經世書卷四中。觀物篇二十一,以會經運九。經日之甲一,經月之午七。經星之庚一百八十七。經辰之子二千二百三十三:甲子,五鳳。乙丑二、丙寅三、丁卯四、戊辰,甘露。己巳二、庚午三、辛未四、壬申,黃龍。癸酉,漢元帝初元。甲戌二、乙亥三、丙子四、丁丑五、戊寅,永光。己卯二、庚辰三、辛巳四、壬午五、癸未建昭。甲申二、乙酉三、丙戌四、丁亥五、戊子,竟寧。己丑,漢成帝建始。庚寅二、辛卯三、壬辰四、癸巳,河平。

ここは《皇極經世書》卷四中の冒頭である。《觀物篇》第二十一篇は「以會經運」の第九篇で、記する所は第一百八十七運、依然として第一元の第七會の午會に屬し、下轄は第二千二百三十三から第二千二百四十四世まで、合わせて三百六十年、紀元前五七年から西元三〇三年に當たり、正に西漢後期・新莽・東漢一代より三國が晉に歸るに跨る。子世はすなわち第二千二百三十三世、甲子から癸巳まで、紀元前五七年から前二八年に當たる。甲子に「五鳳」を起こし、すなわち漢宣帝の五鳳元年。戊辰に甘露を起こし、紀元前五三年。壬申に黄龍を起こし、紀元前四九年、宣帝はこの年に崩じた。癸酉に「漢元帝初元」と題し改め、すなわち元帝の初元元年、紀元前四八年。戊寅に永光を起こし、紀元前四三年。癸未に建昭を起こし、紀元前三八年。戊子に竟寧を起こし、紀元前三三年、元帝はこの年に崩じた。己丑に「漢成帝建始」と題し改め、すなわち成帝の建始元年、紀元前三二年。癸巳に河平を起こし、紀元前二八年。

經辰之丑二千二百三十四:甲午二、乙未三、丙申四、丁酉,陽朔。戊戌二、己亥三、庚子四、辛丑,鴻嘉。壬寅二、癸卯三、甲辰四、乙巳,永始。丙午二、丁未三、戊申四、己酉,元延。庚戌二、辛亥三、壬子四、癸丑,綏和。甲寅二、乙卯,漢哀帝建平。丙辰二、丁巳三、戊午四、己未五,元壽。庚申六、辛酉,漢平帝元始。壬戌二、癸亥三。

丑世は第二千二百三十四世で、甲午から癸亥まで、紀元前二七年から西元三年に當たる。甲午は漢成帝河平二年。丁酉に陽朔を起こし、紀元前二四年。辛丑に鴻嘉を起こし、紀元前二〇年。乙巳に永始を起こし、紀元前一六年。己酉に元延を起こし、紀元前一二年。癸丑に綏和を起こし、紀元前八年、成帝は綏和二年に崩じた。乙卯に「漢哀帝建平」と題し改め、すなわち哀帝の元年、紀元前六年。この後の序數は一路哀帝の在位の年を數え、己未は第五年すなわち紀元前二年、この年「元壽」と改元し、庚申は第六年すなわち紀元前一年、哀帝崩ず。辛酉に「漢平帝元始」と題し改め、すなわち平帝の元始元年、西元一年。これは表中の頭一つの西元紀年に入る年位である。壬戌は元始二年、癸亥は三年。

經辰之寅二千二百三十五:甲子四、乙丑五、丙寅,漢孺子居攝。丁卯二、戊辰,初始。己巳,漢王莽稱新室,改建國元年。庚午二、辛未三、壬申四、癸酉五、甲戌,天鳳。乙亥二、丙子三、丁丑四、戊寅五、己卯六、庚辰,地皇。辛巳二、壬午三、癸未,劉玄稱更始。甲申,漢光武帝封蕭王。乙酉二稱帝稱建武。丙戌三、丁亥四、戊子五、己丑六、庚寅七、辛卯八、壬辰九、癸巳十。

寅世は第二千二百三十五世で、甲子から癸巳まで、西元四年から三三年に當たり、兩漢の際の改朝換代の一世である。甲子は平帝元始四年。丙寅に「漢孺子居攝」と題し改め、すなわち孺子嬰の居攝元年、西元六年で、王莽は攝皇帝の名をもって執政した。戊辰に初始と改元し、西元八年。己巳のこの年、すなわち西元九年、王莽は自ら新室と稱し、改元して建國元年とす。西漢はここに至って中絕した。甲戌に天鳳を起こし、西元一四年。庚辰に地皇を起こし、西元二〇年。癸未すなわち西元二三年、劉玄は擁立されて帝と稱し、年號は更始、新莽は隨って覆滅した。甲申すなわち西元二四年、更始帝は劉秀を蕭王に封じ、表中はここから「漢光武帝」と題し改めて一より起算す。次年の乙酉は第二年で、劉秀は鄗南にて帝と稱し、改元して建武、西元二五年、東漢開國。この後丙戌は第三年で、年ごとに順に排して癸巳は第十年、すなわち西元三三年。

經辰之卯二千二百三十六:甲午十一、乙未十二、丙申十三、丁酉十四、戊戌十五、己亥十六、庚子十七、辛丑十八、壬寅十九、癸卯二十、甲辰二十一、乙巳二十二、丙午二十三、丁未二十四、戊申二十五、己酉二十六、庚戌二十七、辛亥二十八、壬子二十九、癸丑三十、甲寅三十一、乙卯三十二、丙辰,中元。丁巳二、戊午,漢明帝永平。己未二、庚申三、辛酉四、壬戌五、癸亥六。

卯世は第二千二百三十六世で、甲午から癸亥まで、西元三四年から六三年に當たる。起首の甲午は光武帝の第十一年、すなわち建武十年、西元三四年。序數は一路數えて乙卯は第三十二年、西元五五年。丙辰に「中元」と改元し、すなわち建武中元元年、西元五六年、この年光武帝は泰山に封禪した。丁巳は中元二年、光武帝崩ず。戊午に「漢明帝永平」と題し改め、すなわち明帝の永平元年、西元五八年。己未は永平二年で、順に排して癸亥は永平六年。光武帝の在位は合わせて三十三年で、廟號は世祖。光武・明帝の兩朝は竝びに「光武中興」と「明章之治」と稱し、東漢の國勢正に盛んなり。

經辰之辰二千二百三十七:甲子七、乙丑八、丙寅九、丁卯十、戊辰十一、己巳十二、庚午十三、辛未十四、壬申十五、癸酉十六、甲戌十七、乙亥十八、丙子,漢章帝建初。丁丑二、戊寅三、己卯四、庚辰五、辛巳六、壬午七、癸未八、甲申,元和。乙酉二、丙戌三、丁亥,章和。戊子二、己丑,漢和帝永元。庚寅二、辛卯三、壬辰四、癸巳五。

辰世は第二千二百三十七世で、甲子から癸巳まで、西元六四年から九三年に當たる。甲子は漢明帝永平七年。永平は合わせて十八年で、乙亥に至って止まる、西元七五年。丙子に「漢章帝建初」と題し改め、すなわち章帝の建初元年、西元七六年。甲申に元和を起こし、西元八四年。丁亥に章和を起こし、西元八七年、章帝は章和二年に崩じた。己丑に「漢和帝永元」と題し改め、すなわち和帝の永元元年、西元八九年。庚寅は永元二年で、順に排して癸巳は永元五年。この世の中、班超が西域を經營し、班固が《漢書》を修め、《白虎通義》の會議の諸事は皆その間に在るが、表文は一概に載せず、ただ年號と序數を標す。

經辰之巳二千二百三十八:甲午六、乙未七、丙申八、丁酉九、戊戌十、己亥十一、庚子十二、辛丑十三、壬寅十四、癸卯十五、甲辰十六、乙巳十七,元興。丙午,漢殤帝延平。丁未,漢安帝永初。戊申二、己酉三、庚戌四、辛亥五、壬子六、癸丑七、甲寅,元初。乙卯二、丙辰三、丁巳四、戊午五、己未六、庚申,永寧。辛酉,建元。壬戌,延光。癸亥二。

巳世は第二千二百三十八世で、甲午から癸亥まで、西元九四年から一二三年に當たる。甲午は漢和帝永元六年。永元十七年の後、乙巳に「元興」と改元し、西元一〇五年、和帝はこの年に崩じた。丙午に「漢殤帝延平」と題し改め、すなわち殤帝の延平元年、西元一〇六年、殤帝の在位は一年に滿たずして崩じた。丁未に「漢安帝永初」と題し改め、すなわち安帝の永初元年、西元一〇七年。甲寅に元初を起こし、西元一一四年。庚申に永寧を起こし、西元一二〇年。辛酉の一格は底本「建元」と作るが、安帝がこの年に改めた所は實に「建光」、西元一二一年で、まさに刻本の形近の誤であるべし。壬戌に延光を起こし、西元一二二年、癸亥は延光二年。東漢は和・殤より後、幼主が統を繼ぎ母后が朝に臨み、外戚と宦官とが交替に事を用う。衰象すでに見ゆ。

經辰之午二千二百三十九:甲子三、乙丑四、丙寅,漢順帝永建。丁卯二、戊辰三、己巳四、庚午五、辛未六、壬申,陽嘉。癸酉二、甲戌三、乙亥四、丙子,永和。丁丑二、戊寅三、己卯四、庚辰五、辛巳六、壬午,漢安。癸未二、甲申,建康。乙酉,漢沖帝永嘉。丙戌,漢質帝本初。丁亥,漢桓帝建和。戊子二、己丑三、庚寅,和平。辛卯,元嘉。壬辰二、癸巳,永興。

午世は第二千二百三十九世で、甲午の對する次の一輪の甲子より起こり癸巳に至る、西元一二四年から一五三年に當たる。甲子は漢安帝延光三年。丙寅に「漢順帝永建」と題し改め、すなわち順帝の永建元年、西元一二六年。壬申に陽嘉を起こし、西元一三二年。丙子に永和を起こし、西元一三六年。壬午に漢安を起こし、西元一四二年。甲申に建康を起こし、西元一四四年、順帝はこの年に崩じた。乙酉に「漢冲帝永嘉」と題し改め、西元一四五年、冲帝は二歲で即位し三歲にして崩じた。丙戌に「漢質帝本初」と題し改め、西元一四六年、質帝は大將軍の梁冀の爲に鴆殺された。丁亥に「漢桓帝建和」と題し改め、西元一四七年。庚寅に和平を起こし、西元一五〇年。辛卯に元嘉を起こし、西元一五一年。癸巳に永興を起こし、西元一五三年。一世の內に連ねて三帝を換え、年號は走馬の如く更迭す。東漢の亂局はこの一格格の年號の裡にすでに看て分明なり。

經辰之未二千二百四十:甲午二、乙未,永壽。丙申二、丁酉三、戊戌,延熹。己亥、庚子三、辛丑四、壬寅五、癸卯六、甲辰七、乙巳八、丙午九、丁未,永康。戊申,漢靈帝建寧。己酉二、庚戌三、辛亥四、壬子,熹平。癸丑三、甲寅三、乙卯四、丙辰五、丁巳六、戊午,光和。己未二、庚申三、辛酉四、壬戌五、癸亥六。

未世は第二千二百四十世で、甲午から癸亥まで、西元一五四年から一八三年に當たる。甲午は漢桓帝永興二年。乙未に永壽を起こし、西元一五五年。戊戌に延熹を起こし、西元一五八年、延熹の一號は合わせて九年で、その間黨錮の禍起こる。丁未に永康を起こし、西元一六七年、桓帝はこの年に崩じた。戊申に「漢靈帝建寧」と題し改め、すなわち靈帝の建寧元年、西元一六八年。壬子に熹平を起こし、西元一七二年、熹平四年に石經を太學に立つ。戊午に光和を起こし、西元一七八年、癸亥は光和六年、西元一八三年。底本のこの世の序數に兩處の失次あり。延熹二年己亥の一格は年數を刻し漏らし、熹平の下の癸丑・甲寅の兩格は竝びに「三」と作る。まさに癸丑を二年・甲寅を三年とするを是とすべし。

經辰之申二千二百四十一:甲子,中平。乙丑二、丙寅三、丁卯四、戊辰五、己巳,光熹,又昭又寧,永漢。庚午,漢獻帝初平。辛未二、壬申三、癸酉四、甲戌,興平。乙亥二、丙子,建安。丁丑二、戊寅三、己卯四、庚辰五、辛巳六、壬午七、癸未八、甲申九、乙酉十、丙戌十一、丁亥十二、戊子十三、己丑十四、庚寅十五、辛卯十六、壬辰十七、癸巳十八。

申世は第二千二百四十一世で、甲子から癸巳まで、西元一八四年から二一三年に當たる。甲子に「中平」を起こし、すなわち漢靈帝の中平元年、西元一八四年、この年張角が兵を起こし、黄巾の亂が爆發して、天下はここに由って大いに亂れた。己巳すなわち西元一八九年、一年の內に年號を三改した。靈帝崩じて後少帝劉辯が立ち、改元して光熹、また昭寧と改め、董卓は少帝を廢して獻帝を立て、再び永漢と改めた。表文は「光熹、又昭又寧、永漢」の六字を用いてこの一年の紛亂を記し下る。庚午に「漢獻帝初平」と題し改め、すなわち獻帝の初平元年、西元一九〇年、關東の諸侯が兵を起こして董卓を討つ。甲戌に興平を起こし、西元一九四年。丙子に建安を起こし、西元一九六年、曹操は獻帝を迎えて許に都さしめた。建安の一號は二十五年を歷し、この世は排して癸巳をもって建安十八年、西元二一三年とし、正に曹操が魏公に封ぜられた年である。

經辰之酉二千二百四十二:甲午十九、乙未二十、丙申二十一、丁酉二十二、戊戌二十三、己亥二十四。經辰之戌二千二百四十三。經辰之亥二千二百四十四。

酉世は第二千二百四十二世で、本當は甲午から癸亥に排すべく、西元二一四年から二四三年に合すべきところ、表文はただ前の六格を列するのみ。甲午は建安十九年、西元二一四年。順に排して己亥は建安二十四年、西元二一九年、この年關羽敗死し、曹操は爵を進めて魏王と為り、すでに晚年に屆いていた。再び下って庚子の一格すなわち西元二二〇年に曹丕が漢に代わり、三國鼎立となるが、表中は卻って戛然として止み、その後の二十四年の年位は全く空しい。接ぐ戌世の第二千二百四十三世(西元二四四年から二七三年)と亥世の第二千二百四十四世(西元二七四年から三〇三年)ともまた世名と總號のみを存し、一格の干支をも列せず。第一百八十七運はここに至って終わる。三國・西晋の一段は底本の中に空白と為った。まさに傳刻の脫漏であるべし。

觀物篇二十二 以會經運十

經星之辛一百八十八

觀物篇二十二,以會經運十。經日之甲一,經月之午七。經星之辛一百八十八。經辰之子二千二百四十五。經辰之丑二千二百四十六。經辰之寅二千二百四十七。經辰之卯二千二百四十八。經辰之辰二千二百四十九。經辰之巳二千二百五十。經辰之午二千二百五十一。經辰之未二千二百五十二。經辰之申二千二百五十三。經辰之酉二千二百五十四。

《觀物篇》第二十二篇は「以會經運」の第十篇で、記する所は第一百八十八運、下轄は第二千二百四十五から第二千二百五十六世まで、合わせて三百六十年、西元三〇四年から六六三年に當たる。この一運の前の十の世も同じくただ世名と總號を列して干支を排せず。子世の第二千二百四十五は西元三〇四年に起こり、一路酉世の第二千二百五十四は西元六〇三年に止まり、合わせて三百年。この三百年は正に五胡十六國・東晉の南渡・南北朝の對峙より隋文帝の統一に至る一段で、底本は一字も繫げず、前一運の末尾の空缺と同じく闕文に屬す。表文は次の一世すなわち戌世に到りてはじめて年月に重ねて接ぐ。

經辰之戌二千二百五十五:甲子,隋煬帝。乙丑二,大業。丙寅三、丁卯四、戊辰五、己巳六、庚午七、辛未八、壬申九、癸酉十、甲戌十一、乙亥十二、丙子十三、丁丑,隋亡帝侑義寧。戊寅,唐高祖武德。己卯二、庚辰三、辛巳四、壬午五、癸未六、甲申七、乙酉八、丙戌,唐太宗。丁亥二,貞觀。戊子三、己丑四、庚寅五、辛卯六、壬辰七、癸巳八。

戌世は第二千二百五十五世で、甲子から癸巳まで、西元六〇四年から六三三年に當たり、隋亡び唐興るの一世である。この一世より、底本は改めて一年一行の排法と為し、每行に一つの干支に年數と帝號年號とを帶ぶ。甲子に「隋煬帝」と題し改め、西元六〇四年、隋文帝崩じて煬帝即位す。乙丑は第二年で、「大業」と改元し、西元六〇五年、この後運河を開鑿し、高麗に三征して、天下大いに亂れた。丁丑の一格は「隋亡帝侑義寧」と題し、西元六一七年、李淵は長安に入り、代王楊侑を立てて帝と為し、改元して義寧とす。「亡帝」は隋祚のすでに終わるに就いて言う。戊寅に「唐高祖武德」と題し改め、すなわち唐高祖の武德元年、西元六一八年、李淵は禪を受けて帝と稱し、唐朝開國。丙戌に「唐太宗」と題し改め、西元六二六年、玄武門の變の後太宗即位す。丁亥は第二年で、「貞觀」と改元し、西元六二七年。戊子は第三年で、順に排して癸巳は第八年、西元六三三年。

經辰之亥二千二百五十六:甲午九、乙未十、丙申十一、丁酉十二、戊戌十三、己亥十四、庚子十五、辛丑十六、壬寅十七、癸卯十八、甲辰十九、乙巳二十、丙午二十一、丁未二十二、戊申二十三、己酉二十四、庚戌,唐高宗永徽。辛亥二、壬子三、癸丑四、甲寅五、乙卯六、丙辰七,顯慶。丁巳八、戊午九、己未十、庚申十一、辛酉十二,龍朔。壬戌十三、癸亥十四。

亥世は第二千二百五十六世で、また第一百八十八運の末の一世、甲午から癸亥まで、西元六三四年から六六三年に當たる。甲午は唐太宗の第九年、すなわち貞觀八年、西元六三四年。序數は太宗即位の年に照って起算するがゆえに、貞觀の年號とは一を相う。太宗は合わせて二十四年で、己酉に至って止まる、西元六四九年。庚戌に「唐高宗永徽」と題し改め、すなわち高宗の永徽元年、西元六五〇年。この後の序數は一路高宗の在位の年を數え、丙辰は第七年に顯慶と改元、西元六五六年。辛酉は第十二年に龍朔と改元、西元六六一年。癸亥は第十四年、西元六六三年。貞觀の治と永徽の政とが相接して、正に唐朝の國勢の上升の頂點である。

皇極經世書卷四下

觀物篇二十三 以會經運十一

經星之壬一百八十九

皇極經世書卷四下。觀物篇二十三,以會經運十一。經日之甲一,經月之午七。經星之壬一百八十九。經辰之子二千二百五十七:甲子十五,麟德。乙丑十六、丙寅十七,乾封。丁卯十八、戊辰十九,總章。己巳二十、庚午二十一,咸亨。辛未二十二、壬申二十三、癸酉二十四、甲戌二十五,上元。乙亥二十六、丙子二十七,儀鳳。丁丑二十八、戊寅二十九、己卯三十,調露。庚辰三十一,永隆。辛巳三十二,開耀。壬午三十三,永淳。癸未三十四,弘道。甲申,唐中宗嗣聖,武后廢帝為廬陵王,遷之均,立豫章王旦,改元文明,再改元光宅。乙酉二,武后徙帝於房陵,改元垂拱。丙戌三、丁亥四、戊子五、己丑六,武后改元永昌。庚寅七,武后改元載初,又改國為周,元曰天授,豫章王旦為皇嗣。辛卯八、壬辰九,武后改元如意,再改長壽。癸巳十。

ここは《皇極經世書》卷四下の冒頭である。《觀物篇》第二十三篇は「以會經運」の第十一篇で、記する所は第一百八十九運、下轄は第二千二百五十七から第二千二百六十八世まで、合わせて三百六十年、西元六六四年から一〇二三年に當たる。子世はすなわち第二千二百五十七世、甲子から癸巳まで、西元六六四年から六九三年に當たる。甲子は唐高宗第十五年、麟德と改元し、西元六六四年。この後乾封・總章・咸亨・上元・儀鳳・調露・永隆・開耀・永淳・弘道の十の年號を格ごとに標し出し、癸未は高宗第三十四年すなわち弘道元年、西元六八三年、高宗はこの年に崩じた。甲申すなわち西元六八四年、表中は「唐中宗嗣聖」と題し改め、竝びに一長條の史事を繫げる。武后が中宗を廢して廬陵王とし、彼を均州に遷し、改めて豫章王の李旦を立てて帝と為し、まず文明と改元し、再び光宅と改元した。乙酉は第二年、西元六八五年、武后はまた中宗を房陵に遷往し、垂拱と改元した。己丑は第六年、西元六八九年、永昌と改元。庚寅は第七年、西元六九〇年、武后は載初と改元し、隨じて國號を周と改め、天授と建元し、豫章王の李旦を皇嗣に降した。唐室はここから中斷して武周に入る。壬辰は第九年、西元六九二年、如意と改元し、また長壽と改めた。癸巳は第十年、西元六九三年。注意すべきは、表中の序數は依然として中宗嗣聖より起算すること、正に邵雍が武周の正統を認めず、ただそれを唐室の內の一段の變故として記すを表明する。

經辰之丑二千二百五十八:甲午十一,武后改元延載。乙未十二,武后改元證聖,再改天冊萬歲。丙申十三,武后改元萬歲登封,再改萬歲通天。丁酉十四,武后改元神功。戊戌十五,武后改元聖歷,召帝房陵復政。己亥十六、庚子十七,武后改元久視。辛丑十八,武后改元大足,再改元長安。壬寅十九、癸卯二十、甲辰二十一、乙巳二十二,武后改元神龍。丙午二十三、丁未二十四,景龍。戊申二十五、己酉二十六、庚戌,唐睿宗景雲。辛亥二、壬子,唐玄宗先天。癸丑二,開元。甲寅三、乙卯四、丙辰五、丁巳六、戊午七、己未八、庚申九、辛酉十、壬戌十一、癸亥十二。

丑世は第二千二百五十八世で、甲午から癸亥まで、西元六九四年から七二三年に當たり、序數は依然として中宗嗣聖に接いで一路數え下る。甲午は第十一年、西元六九四年、武后は延載と改元。乙未に證聖と改元し、また天冊萬歲と改め、西元六九五年。丙申に萬歲登封と改元し、また萬歲通天と改め、西元六九六年。丁酉に神功と改元、西元六九七年。戊戌は第十五年、西元六九八年、武后は聖歴と改元し、竝びに中宗を房陵より京師に召還して、その太子の位を恢復した。ゆえに表文に「帝を房陵より召して政に復す」と説く。庚子に久視と改元、西元七〇〇年。辛丑に大足と改元し、また長安と改め、西元七〇一年。乙巳は第二十二年、西元七〇五年、武后は神龍と改元。實はすなわち張柬之らが政變を發動し、武后に迫って位を遜らせ、中宗が復辟した年で、武周はここに至って終わる。丁未に景龍と改元、西元七〇七年。庚戌に「唐睿宗景雲」と題し改め、西元七一〇年、韋后が中宗を毒殺し、臨淄王の李隆基が兵を起こしてこれを誅し、睿宗を奉じて即位せしめた。壬子に「唐玄宗先天」と題し改め、西元七一二年。癸丑は第二年で、開元と改元、西元七一三年。この後年ごとに順に排して癸亥は第十二年、西元七二三年。

經辰之寅二千二百五十九:甲子十三、乙丑十四、丙寅十五、丁卯十六、戊辰十七、己巳十八、庚午十九、辛未二十、壬申二十一、癸酉二十二、甲戌二十三、乙亥二十四、丙子二十五,楊妃入宮。丁丑二十六、戊寅二十七、己卯二十八、庚辰二十九、辛巳三十、壬午三十一,天寶。癸未三十二、甲申三十三、乙酉三十四、丙戌三十五、丁亥三十六、戊子三十七、己丑三十八、庚寅三十九、辛卯四十、壬辰四十一、癸巳四十二。

寅世は第二千二百五十九世で、甲子から癸巳まで、西元七二四年から七五三年に當たり、三十年は全く唐玄宗の一朝に在り、序數は玄宗先天元年より起算す。甲子は第十三年、すなわち開元十二年、西元七二四年。丙子は第二十五年、西元七三六年で、一條の史事を繫げる。楊妃が宮に入り、楊玉環が玄宗に幸せられたを指し、後に冊して貴妃と為した。唐室の盛より衰に轉ずるの轉關を、邵雍は單にこの一件の事を挑りて表の裡に寫し入れた。その用意は安史の亂の禍根をこの年に繫げんとするにある。壬午は第三十一年で、天寶と改元、西元七四二年。この後年ごとに順に排して癸巳は第四十二年、西元七五三年。開元の治の極盛と天寶末年の驕侈とは、皆この一世の三十格に收められた。

經辰之卯二千二百六十:甲午四十三、乙未四十四、丙申,唐肅宗至德。丁酉二、戊戌三,乾元。己亥四、庚子五,上元。辛丑六、壬寅七,寶應。癸卯,唐代宗廣德。甲辰二、乙巳三,永泰。丙午四,大曆。丁未五、戊申六、己酉七、庚戌八、辛亥九、壬子十、癸丑十一、甲寅十二、乙卯十三、丙辰十四、丁巳十五、戊午十六、己未十七、庚申,唐德宗建中。辛酉二、壬戌三、癸亥四。

卯世は第二千二百六十世で、甲午から癸亥まで、西元七五四年から七八三年に當たる。甲午は玄宗第四十三年すなわち天寶十三載、西元七五四年。乙未は第四十四年、西元七五五年、安祿山はすなわちこの年の冬に范陽に兵を起こした。丙申に「唐肅宗至德」と題し改め、西元七五六年、玄宗は蜀に奔り、太子の李亨は靈武に即位して至德と改元した。戊戌に乾元と改元、西元七五八年。庚子に上元と改元、西元七六〇年。壬寅に寶應と改元、西元七六二年、玄宗・肅宗が相繼いで崩じた。癸卯に「唐代宗廣德」と題し改め、西元七六三年、この年史朝義が死して安史の亂平定したが、吐蕃は卻って一度長安に攻め入った。乙巳に永泰と改元、西元七六五年。丙午に大歴と改元、西元七六六年、この後藩鎮割據の局は遂に成る。庚申に「唐德宗建中」と題し改め、西元七八〇年、同年に兩税法を行った。辛酉は第二年、癸亥は第四年、西元七八三年、涇原の兵變はすなわちこの年に在る。

經辰之辰二千二百六十一:甲子五,興元。乙丑六,貞元。丙寅七、丁卯八、戊辰九、己巳十、庚午十一、辛未十二、壬申十三、癸酉十四、甲戌十五、乙亥十六、丙子十七、丁丑十八、戊寅十九、己卯二十、庚辰二十一、辛巳二十二、壬午二十三、癸未二十四、甲申二十五、乙酉二十六,順宗不及年,永貞。丙戌,唐憲宗元和。丁亥二、戊子三、己丑四、庚寅五、辛卯六、壬辰七、癸巳八。

辰世は第二千二百六十一世で、甲子から癸巳まで、西元七八四年から八一三年に當たる。甲子は唐德宗第五年で、興元と改元、西元七八四年、德宗は亂を避けて奉天に在り、而る後京に還った。乙丑に貞元と改元、西元七八五年、貞元の一號は二十一年を歷し、表中は年ごとに排して乙酉をもって第二十六年とす。乙酉すなわち西元八〇五年、「順宗年に及ばず、永貞」の六字を繫げる。德宗崩じ、順宗即位して永貞と改元し、在位一年に及ばずして病により内禪し、永貞の革新は隨って失敗した。ゆえに「年に及ばず」と説く。丙戌に「唐憲宗元和」と題し改め、すなわち憲宗の元和元年、西元八〇六年。丁亥は第二年で、順に排して癸巳は第八年、西元八一三年。憲宗は淮西を削平して、諸鎮は稍稍命に歸り、史に「元和中興」と稱す。

經辰之巳二千二百六十二:甲午九、乙未十、丙申十一、丁酉十二、戊戌十三、己亥十四、庚子十五、辛丑,唐穆宗長慶。壬寅二、癸卯三、甲辰四、乙巳,唐敬宗寶曆。丙午二、丁未,唐文宗太和。戊申二、己酉三、庚戌四、辛亥五、壬子六、癸丑七、甲寅八、乙卯九、丙辰十、丁巳十一、戊午十二、己未十三、庚申十四、辛酉,唐武宗會昌。壬戌二、癸亥三。

巳世は第二千二百六十二世で、甲午から癸亥まで、西元八一四年から八四三年に當たる。甲午は唐憲宗第九年すなわち元和九年、西元八一四年。元和は合わせて十五年で、庚子に至って止まる、西元八二〇年、憲宗は宦官の為に弑された。辛丑に「唐穆宗長慶」と題し改め、西元八二一年。乙巳に「唐敬宗寶歴」と題し改め、西元八二五年、敬宗の在位二年もまた宦官の為に弑された。丁未に「唐文宗太和」と題し改め、西元八二七年、文宗の一朝に甘露の變あり、宦官を誅せんと謀って成らず、天子は反って家奴の制する所と為った。辛酉に「唐武宗會昌」と題し改め、西元八四一年。壬戌は第二年、癸亥は第三年、西元八四三年。穆宗以下、宦官は天子を廢立し、朋黨は相爭うこと已まず、唐室はすでに積重して返り難きの勢と為った。

經辰之午二千二百六十三:甲子四、乙丑五、丙寅六、丁卯,唐宣宗大中。戊辰二、己巳三、庚午四、辛未五、壬申六、癸酉七、甲戌八、乙亥九、丙子十、丁丑十一、戊寅十二、己卯十三、庚辰,唐懿宗咸通。辛巳二、壬午三、癸未四、甲申五、乙酉六、丙戌七、丁亥八、戊子九、己丑十、庚寅十一、辛卯十二、壬辰十三、癸巳十四。

午世は第二千二百六十三世で、甲子から癸巳まで、西元八四四年から八七三年に當たる。甲子は唐武宗會昌第四年、西元八四四年。會昌五年に佛を毀るの擧あり、武宗は會昌六年に崩じた。丁卯に「唐宣宗大中」と題し改め、すなわち宣宗の大中元年、西元八四七年。宣宗は名實を綜核して、外に河湟を收め、一時に「小太宗」と號し、在位十三年、己卯に至って止まる、西元八五九年。庚辰に「唐懿宗咸通」と題し改め、すなわち懿宗の咸通元年、西元八六〇年。辛巳は第二年で、年ごとに順に排して癸巳は第十四年、西元八七三年、懿宗はこの年に崩じた。懿宗は奢縱度なく、龐勳の亂は徐州に起こり、唐室の崩解はここから加速した。

經辰之未二千二百六十四:甲午,唐僖宗乾符。乙未二、丙申三,王仙芝陷淮南。丁酉四,黃巢陷沂鄆。戊戌五、己亥六、庚子七,廣明,黃巢陷兩京,稱齊,全統。辛丑八,中和。壬寅九、癸卯十,黃巢走藍關。甲辰十一、乙巳十二,光啟。經辰之申二千二百六十五。經辰之酉二千二百六十六。經辰之戌二千二百六十七。經辰之亥二千二百六十八。

未世は第二千二百六十四世で、本當は癸巳すなわち西元九〇三年まで排すべきところ、表中はただ第十二格までを列する。甲午に「唐僖宗乾符」と題し改め、すなわち僖宗の乾符元年、西元八七四年。丙申は第三年、西元八七六年、王仙芝が淮南を攻陷した。丁酉は第四年、西元八七七年、黄巢が沂州・鄆州を攻陷した。庚子は第七年で、廣明と改元、西元八八〇年、黄巢は洛陽・長安の兩京を攻破し、僖宗は蜀に奔り、黄巢はすなわち皇帝の位に即き、國號は大齊、金統と建元した。表文の「全統」の二字はまさに金統の訛であるべし。辛丑は第八年で、中和と改元、西元八八一年。癸卯は第十年、西元八八三年、黄巢は兵敗して長安を退出し、藍田を走って關東に去った。乙巳は第十二年で、光啓と改元、西元八八五年、表文はここに至って中止す。以下申世の第二千二百六十五・酉世の第二千二百六十六・戌世の第二千二百六十七・亥世の第二千二百六十八は、各々西元九〇四年から一〇二三年に當たるが、ただ世名と總號を存して干支なし。五代十國と北宋開國のこの一百二十年は、底本の裡に同じく空白である。第一百八十九運はここに至って排し畢わった。

觀物篇二十四 以會經運十二

經星之癸一百九十

觀物篇二十四,以會經運十二。經日之甲一,經月之午七。經星之癸一百九十。經辰之子二千二百六十九。經辰之丑二千二百七十。經辰之寅二千二百七十一:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

《觀物篇》第二十四篇は「以會經運」の第十二篇で、記する所は第一百九十運、下轄は第二千二百六十九から第二千二百八十世まで、合わせて三百六十年、西元一〇二四年から一三八三年に當たる。頭の兩つの世は名號のみあって年月なし。子世の第二千二百六十九は西元一〇二四年から一〇五三年に當たり、丑世の第二千二百七十は西元一〇五四年から一〇八三年に當たる。この六十年はちょうど邵雍本人の生活した年代で、彼は西元一〇一一年に生まれ、一〇七七年に卒した。本朝の史事は原書に記載あるべきところ、底本は卻って全て闕如に付し、顯らかに脫漏に係る。寅世の第二千二百七十一より、表中はまた干支を排し出す。甲子から癸巳まで、西元一〇八四年から一一一三年に當たるが、年の下には一字も繫げない。これらの年はすでに邵雍の身後に在り、編むべき史なく、ただまず年位を空排し出しておき、後人の塡めゆくを待つよりほかないためである。

經辰之卯二千二百七十二:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經辰之辰二千二百七十三:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經辰之己二千二百七十四:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

これは第一百九十運の第四・第五・第六世。卯世の第二千二百七十二は甲午から癸亥まで、西元一一一四年から一一四三年に當たる。辰世の第二千二百七十三は甲子から癸巳まで、西元一一四四年から一一七三年に當たる。次の一世は底本「經辰之己二千二百七十四」と題すが、十二支の次第に按れば、辰の後はまさに巳であるべく、「己」は「巳」の字の訛である。この世は甲午から癸亥まで、西元一一七四年から一二〇三年に當たる。三世は合わせて九十年、ただ干支を列して一事なし。實際の歷史に就いて言えば、この九十年の間に靖康の變・宋室の南渡・金人の中原據有の諸大事あり、邵雍の生前には預知する由なし。ゆえにただ空格を留める。この正に《皇極經世》の年表がまず數に由って年位を推定し、しかる後に史事の塡め入るを待つのであって、先に史事あって而る後に數に湊うものではないを説明する。三世の起首の干支は依舊として甲午・甲子の相間で、卯世は甲午に起こり、辰世は甲子に起こり、巳世はまた甲午に起こる。前面の各運の排法と絲毫も差えず。年格すでに數に由って定まれば、事の有無は便ちこの張の表の責任の內に在らず。

經辰之午二千二百七十五:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經辰之未二千二百七十六:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經辰之申二千二百七十七:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

これは第一百九十運の第七・第八・第九世。午世の第二千二百七十五は甲子から癸巳まで、西元一二〇四年から一二三三年に當たる。未世の第二千二百七十六は甲午から癸亥まで、西元一二三四年から一二六三年に當たる。申世の第二千二百七十七は甲子から癸巳まで、西元一二六四年から一二九三年に當たる。三世は皆ただ六十甲子の年位を排し、世ごとに甲子と甲午の間で交替に起首して、兩世相まってちょうど一つの甲子周期を走り終える。三十年を一世、十二世を一運とする格局はここに至ってすでに十二遍を重複した。讀者は正にこの一變なからぬ排法の上より邵雍の用意を見るべし。史事には斷續あれど、年數には斷續なし。天地間の年月には自ずからその定數ありて、人事はただこの定數の裡に塡められた內容なり。實際の歷史に就いて言えば、この九十年の間に蒙古の興起・金源の覆亡・宋室の危蹙より崖山の後天下が元に歸るに至る諸大事あるも、表中は卻って一字なし。邵雍の身後二百年の興亡は、彼の處ではただ三行の干支の形式をもって先行して位置を占め好んだに過ぎない。

經辰之酉二千二百七十八:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經辰之戌二千二百七十九:甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經辰之亥二千二百八十:甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

これは第一百九十運の第十・第十一・第十二世で、またこの一運の收尾である。酉世の第二千二百七十八は甲午から癸亥まで、西元一二九四年から一三二三年に當たる。戌世の第二千二百七十九は甲子から癸巳まで、西元一三二四年から一三五三年に當たる。亥世の第二千二百八十は甲午から癸亥まで、西元一三五四年から一三八三年に當たる。十二世を排し滿たし、第一百九十運の三百六十年はここに至って終結す。第一百八十運より以来、表中の年位は一格も缺かず紀元前二五七七年から一路西元一三八三年まで排してきた。前段は堯舜夏商周秦漢唐の帝系と史事とを塡め滿たし、後段は則ちただ空排の干支を餘すのみ。この一部の編年はここに至ってすなわち「已然の史を記す」より「未然の數を待つ」に轉成した。實際の歷史に就いて言えば、この九十年の間に元朝は盛より衰え、紅巾は四起して、亥世の末の幾格の上に明太祖はすでに天下を定めた。これらは皆邵雍の身後三百年に在る。表中は自然とただ空格を餘すのみ。

經星之甲一百九十一

經星之甲一百九十一。經星之乙一百九十二。經星之丙一百九十三。經星之丁一百九十四。經星之戊一百九十五。經星之己一百九十六。經星之庚一百九十七。經星之辛一百九十八。經星之壬一百九十九。經星之癸二百。經星之甲二百一。經星之乙二百二。經星之丙二百三。經星之丁二百四。經星之戊二百五。經星之己二百六。經星之庚二百七。經星之辛二百八。經星之壬二百九。經星之癸二百十。

ここより以下、表中は世を連ねて年を帶ぶること一概に排せず、ただ運の名號を一行一行に列ね開くのみ。ここに列する所は第一百九十一運から第二百運、再び第二百十運に至るまで、合わせて二十運。一運三百六十年、二十運は合わせて七千二百年、西元一三八四年から西元八五八三年に當たる。第二百十運は第七會「午會」の轄する三十運の裡の最後の一運。第一百八十一運より起こりこの第二百十運に止まるまで、午會の一萬八百年はちょうど排し滿たされた。人間の堯舜より以来の全部の史事は、邵雍の算法の裡では皆ただ午會の前半段に落つ。午會の後半段およびその下の各運は、便ちただ一つ一つの空しい名號を餘し、日月の自ら走り過ぐるを待つに過ぎない。

經日之甲一 經月之未八

經日之甲一,經月之未八。經星之甲二百一十一。經星之乙二百一十二。經星之丙二百一十三。經星之丁二百一十四。經星之戊二百一十五。經星之己二百一十六。經星之庚二百一十七。經星之辛二百一十八。經星之壬二百一十九。經星之癸二百二十。經星之甲二百二十一。經星之乙二百二十二。經星之丙二百二十三。經星之丁二百二十四。經星之戊二百二十五。

この一行の「經日之甲一、經月之未八」は新たな座標である。依然として第一元の內に在り、會はすでに第七會の午會より第八會の未會に轉入した。一會は三十運を統べ、合わせて一萬八百年。未會の轄する所は第二百十一運から第二百四十運までで、西元八五八四年に起こる。ここにまず前の十五運を列す。すなわち第二百十一運から第二百二十五運まで、合わせて五千四百年、西元八五八四年から一三九八三年に當たる。十二會は子丑寅卯の次第に依って輪轉し、午會すでに盡き、天地の氣はここから盛より衰に轉ず。邵雍のいわゆる「陽極まりて陰生ず」は正にこの處を指す。但し表中は一語の論斷をも作さず、ただ運名を順に按じて排し下り、讀者をして數目の推移の裡より自ら看むに任せる。

經星之己二百二十六。經星之庚二百二十七。經星之辛二百二十八。經星之壬二百二十九。經星之癸二百三十。經星之甲二百三十一。經星之乙二百三十二。經星之丙二百三十三。經星之丁二百三十四。經星之戊二百三十五。經星之己二百三十六。經星之庚二百三十七。經星之辛二百三十八。經星之壬二百三十九。經星之癸二百四十。

續いて未會の後の十五運を排す。すなわち第二百二十六運から第二百四十運まで、合わせて五千四百年、西元一三九八四年から一九三八三年に當たる。運名は十天干の輪轉をもって目を標し、十運ごとに一周し、癸に逢えば則ち數は一十に滿つ。第二百三十運・第二百四十運のごときは皆「經星之癸」と題し、干支を見ればすなわち一旬の中の位次を知る。西元紀年に折れば、第二百二十六運は西元一三九八四年に起こり、第二百三十運は一五四二四年に起こり、第二百四十運は一九三八三年に終わる。第二百四十運を排し畢われば、第八會の未會の一萬八百年もまた走り盡くし、次の一行は便ち別に座標を立て、改めて第九會の申會と題す。

經日之甲一 經月之申九

經日之甲一,經月之申九。經星之甲二百四十一。經星之乙二百四十二。經星之丙二百四十三。經星之丁二百四十四。經星之戊二百四十五。經星之己二百四十六。經星之庚二百四十七。經星之辛二百四十八。經星之壬二百四十九。經星之癸二百五十。經星之甲二百五十一。經星之乙二百五十二。經星之丙二百五十三。經星之丁二百五十四。經星之戊二百五十五。

「經日之甲一、經月之申九」は、依然として第一元に在り、會はすでに第九會の申會に推し至ったを説く。申會の轄する所は第二百四十一運から第二百七十運までで、西元一九三八四年に起こる。ここにまず前の十五運を列す。すなわち第二百四十一運から第二百五十五運まで、合わせて五千四百年、西元一九三八四年から二四七八三年に當たる。邵雍の説に按れば、一元十二會は合わせて十二萬九千六百年、一年に十二月あり、一日に十二時あるが如し。天は子會に開き、地は丑會に闢け、人は寅會に生まれ、萬物は寅會の第七十六運の上に物を開き、戌會の第三百十五運の上に物を閉づ。申會は正に午・未の後に在り、氣數の長より消に入る一段で、その間の人物盛衰の實際の情形は、邵雍の預言し得る所に非ず。このゆえにこの表はただ名號を存す。

經星之己二百五十六。經星之庚二百五十七。經星之辛二百五十八。經星之壬二百五十九。經星之癸二百六十。經星之甲二百六十一。經星之乙二百六十二。經星之丙二百六十三。經星之丁二百六十四。經星之戊二百六十五。經星之己二百六十六。經星之庚二百六十七。經星之辛二百六十八。經星之壬二百六十九。經星之癸二百七十。

これは申會の後の十五運、すなわち第二百五十六運から第二百七十運まで、合わせて五千四百年、西元二四七八四年から三〇一八三年に當たる。第二百七十運を排し畢われば、第九會の申會の一萬八百年はすなわち結束を告ぐ。全表はこのような整齊たる名號を用いて一路排し下り、正に元・會・運・世の四層の數目が彼此相因るの規矩を顯さんとするにある。一元は十二會、一會は三十運、一運は十二世、一世は三十年。層層相乘して十二萬九千六百年を得、多からず亦少なからず。西元紀年に折れば、第二百五十六運は西元二四七八四年に起こり、第二百六十運は二六二二四年に起こり、第二百七十運は三〇一八三年に終わる。

經日之甲一 經月之酉十

經日之甲一,經月之酉十。經星之甲二百七十一。經星之乙二百七十二。經星之丙二百七十三。經星之丁二百七十四。經星之戊二百七十五。經星之己二百七十六。經星之庚二百七十七。經星之辛二百七十八。經星之壬二百七十九。經星之癸二百八十。經星之甲二百八十一。經星之乙二百八十二。經星之丙二百八十三。經星之丁二百八十四。經星之戊二百八十五。經星之己二百八十六。經星之庚二百八十七。經星之辛二百八十八。

「經日之甲一、經月之酉十」は、依然として第一元に在り、會はすでに第十會の酉會に推し至ったを説く。酉會の轄する所は第二百七十一運から第三百運までで、西元三〇一八四年に起こる。ここに第二百七十一運から第二百八十八運までを列す。合わせて十八運・六千四百八十年、西元三〇一八四年から三六六六三年に當たる。酉會の後は戌會で、邵雍は以って萬物はまさに戌會の第三百十五運の上に閉合し、天地は混沌に歸して、再び次の一元の重ねて開くを待つとす。ゆえに酉會はすでに收斂の時節である。この一段の表文は第二百八十八運より以下依舊として一運一行と接いで排し往き、十二會三百六十運の排し滿たすまでに至る。末の一行の第二百八十八運は西元紀年に折れば、西元三萬六千三百四年に起こり、三萬六千六百六十三年に終わる。その下の各運は依然としてこの例に照って接排する。

以會經運(續)・經星之壬二百八十九至經星之癸三百

經星之壬二百八十九、經星之癸二百九十、經星之甲二百九十一、經星之乙二百九十二、經星之丙二百九十三、經星之丁二百九十四、經星之戊二百九十五、經星之己二百九十六、經星之庚二百九十七、經星之辛二百九十八、經星之壬二百九十九、經星之癸三百。

この一段は續いて「以會經運」の表の末尾の部分を排列する。「經星」はすなわち「運」で、一運は三百六十年を統べ、本元の開頭より連續して編號す。「經星之壬二百八十九」はすなわち本元の第二百八十九運で、本元の第十萬三千六百八十一年から第十萬四千四十年に當たる。下って癸二百九十・甲二百九十一・乙二百九十二・丙二百九十三・丁二百九十四・戊二百九十五・己二百九十六・庚二百九十七・辛二百九十八・壬二百九十九と、一運進むごとに便ち三百六十年を推し後らせ、「經星之癸三百」に至っては第三百運で、ちょうど「經會之酉十」のこの一會を排し滿たす。一會は三十運を統べ合わせて一萬八百年、酉會はここに至って止まる。この十二運はただ運名を標して何の史事をも繫げない。皆邵雍の身後の未來に遠く、數に照って推排し出した空格に過ぎないがゆえに。

經日之甲一・經月之戌十一(至閉物)

經日之甲一,經月之戌十一。經星之甲三百一、經星之乙三百二、經星之丙三百三、經星之丁三百四、經星之戊三百五、經星之己三百六、經星之庚三百七、經星之辛三百八、經星之壬三百九、經星之癸三百一十、經星之甲三百一十一、經星之乙三百一十二、經星之丙三百一十三、經星之丁三百一十四、經星之戊三百一十五。閉物,經月戌之終。

「經日之甲一」は記する所が依然として第一元すなわち甲元の內に在るを表明し、「經月之戌十一」は第十一会すなわち戌會に入ったを表明する。一會は三十運を領し、戌會の轄する所は第三百一運から第三百三十運まで。表中は順に按じて經星之甲三百一・乙三百二・丙三百三・丁三百四・戊三百五・己三百六・庚三百七・辛三百八・壬三百九・癸三百一十・甲三百一十一・乙三百一十二・丙三百一十三・丁三百一十四を排し出し、一路經星之戊三百一十五に至る。邵雍は以って天地間の生物は「星之己七十六に物を開く」、すなわち寅會の中にて生長繁育を始め、この第三百十五運に至って便ち「物を閉づ」、生機は斷絕して萬物は收藏し、一元の內の生化はここに至って門を關づとす。底本の戌會の記載もまたすなわちこの處に止まる。ゆえに「經月戌之終」と説く。

皇極經世書卷五上・觀物篇二十五 以運經世一(經運之癸一百八十)

皇極經世書卷五上。觀物篇二十五,以運經世一。經元之甲一,經會之巳六。經運之癸一百八十。經世之子二千一百四十九、經世之丑二千一百五十、經世之寅二千一百五十一、經世之卯二千一百五十二、經世之辰二千一百五十三、經世之巳二千一百五十四、經世之午二千一百五十五。

この一卷より、《皇極經世書》の體例は「以會經運」より「以運經世」に改まる。一つの「運」(三百六十年)をとって一篇の綱領と為し、その下に更に十二の「世」(每世三十年)を分かち、年ごとに干支を標し出し、史事を相應の干支の底下に繫げる。「經元之甲一」は記する所が依然として第一元の內に在るを説明し、「經會之巳六」は第六會の巳會を指し、「經運之癸一百八十」は本元の第一百八十運で、また巳會の轄する最後の一運、本元の第六萬四千四百四十一年から第六萬四千八百年に當たり、折して紀元前二五七七年から紀元前二二一八年とす。世もまた本元の開頭より連續して編號し、一元は合わせて四千三百二十世、本運の下轄は第二千百四十九世から第二千百六十世まで。その中の子世二千百四十九・丑世二千百五十・寅世二千百五十一・卯世二千百五十二・辰世二千百五十三・巳世二千百五十四・午世二千百五十五のこの七世は、およそ紀元前二五七七年から前二三六八年に當たり、皆ただ世名を列して干支を排せず史事を記さない。邵雍の編年が唐堯の即位するその年に至ってはじめて正式に起算するによる。

經世之未二千一百五十六。甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰,唐帝堯肇位於平陽,號陶唐氏,命羲和欽若昊天,曆象日月星辰,敬授人時,期三百六旬有六日,以閏月定四時,成歲曰載,建寅月為始。允釐百工,庶績咸熙。乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百五十六世は未世に屬し、紀元前二三六七年から前二三三八年に當たる。この三十年はまず甲午・乙未・丙申・丁酉・戊戌・己亥・庚子・辛丑・壬寅・癸卯の十年を排して、記すべき事なし。甲辰年に至り、すなわち紀元前二三五七年、唐堯は平陽に都を建てて即位し、國號は「陶唐氏」、《皇極經世》の中國編年はすなわちこの年より始まる。堯は羲氏・和氏の兩族を任命して恭敬に上天の法度に遵い、日月星辰の運行を觀測推算して、節令を百姓に頒授せしめた。一周年を三百六十六日と定め、閏月を安插する辦法を用いて春夏秋冬の四時を校正し、歷法を天時と相合せしめた。當時は「年」を「載」と稱し、夏歷の寅月すなわち今の農歷正月をもって一年の首とした。堯はまた切實に百官の職守を整頓し、各項の政事はここに由って皆興盛した。以下乙巳から癸丑の九年・甲寅から癸亥の十年は、ただ干支を列して史册に繫ぐべき事なし。

經世之甲二千一百五十七。甲子,唐帝堯二十一年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百五十七世は、底本「經世之甲」と題すが、十二世の子丑寅卯の次第に按れば、この處はまさに申世であるべく、紀元前二三三七年から前二三〇八年に當たる。開頭の甲子年はすなわち紀元前二三三七年で、唐堯の在位の第二十一年と為る。以下乙丑から癸酉の九年・甲戌から癸未の十年・甲申から癸巳の十年は、皆ただ年ごとに干支を排し出す。この三十年の間堯は天下を治めて安穩に事なく、表中には何の史事をも繫げない。

經世之酉二千一百五十八。甲午,唐帝堯五十一年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥。壬子,鯀治水,績用弗成。癸丑,帝堯求禪,明明揚側陋,始徵舜登庸。歷試諸難,釐降二女於溈汭,作嬪於虞,以觀法焉。

第二千百五十八世は酉世に屬し、紀元前二三〇七年から前二二七八年に當たる。甲午年すなわち紀元前二三〇七年は、唐堯の在位の第五十一年。乙未から癸卯の九年・甲辰から辛亥の八年は皆事なし。壬子年すなわち紀元前二八九年、堯は鯀を遣わして洪水を治めしめ、鯀は堵塞の辦法を用い、多年下りて毫も成效なし。癸丑年すなわち紀元前二八八年、堯は天下を賢者に讓らんと打算し、群臣に明德の人を推擧し出すを求め、たとい出身微賤・地位卑下なるも遺漏を許さず。ここに於て虞舜は初めて徵召任用された。堯は舜に多方の考驗を加え、彼をして一々種種の難處を經歷せしめ、また娥皇・女英の二女を嬀水の彎曲の處に嫁し、彼らをして虞舜の家に媳婦と為らしめ、これを藉りて舜の家を治め內を理する法度を觀察した。

甲寅。乙卯,舜言底可績,帝以德薦於天,而命之位。丙辰,正月上日,舜受命於文祖,用璇璣玉衡,以齊七政,類於上帝,禋於六宗,望于山川,遍於群神,輯五瑞五玉,班於群后。肇十有二州,封十有二山。四時行巡狩,協時月正日,同律度量衡,修五禮象以典刑,流共工於幽州,放驥兜於崇山,竄三苗於三危,殛鯀於羽山。四罪正而天下咸服。丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

甲寅年すなわち紀元前二八七年、事なし。乙卯年すなわち紀元前二八六年、舜は任じた所の各項の事務が皆辦り成るを奏報し、堯は便ちその德行をもって上天に擧薦し、正式に攝政の位を授けた。丙辰年すなわち紀元前二八五年正月の吉日、舜は堯の太祖廟で冊命を受け、「璇璣玉衡」のこの觀天の儀器を用いて日・月と金木水火土の五星の合わせて七種の天体の運行を校準し、また「類」の祭を行って上帝を祭り、「禋」の祭を行って六宗を祭り、遙かに望んで山川を祭り、遍く群神を祭った。諸侯の執る所の五種の瑞玉を收繳し、重ねて各方の諸侯に頒發した。彼は十二州を劃定し、十二州に各々一座の鎮山を封じ、四季に按って天下を巡行して、時令・月份と日の算法を統一し、音律と度・量・衡の標準を統一し、五種の禮儀を制定し、刑罰を圖象に畫いて警戒を示した。また共工を幽州に流放し、驩兜(底本は「驥兜」と作る)を崇山に放逐し、三苗を三危に驅趕し、治水に失敗した鯀を羽山に處死した。四つの罪人の處置は當を得て、天下の人は皆心に誠服した。丁巳から癸亥の七年、すなわち紀元前二八四年から前二七八年、事なし。

經世之戌二千一百五十九。甲子,虞帝舜九年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉。丙戌,月正元日,舜格於文祖,號有虞氏,都蒲坂。詢四嶽,闢四門,明四目,達四聰。諮十有二牧,命九官。以伯禹為司空,稷司農,契司徒,皋陶司士,垂司工,益司虞,夷司禮,夔典樂,龍司言。此九人使宅百揆,三載考績,黜陟幽明,庶績其凝。丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百五十九世は戌世に屬し、紀元前二七七年から前二四八年に當たる。甲子年すなわち紀元前二七七年は、虞舜が攝政の第九年。乙丑から癸酉・甲戌から癸未および甲申・乙酉の合わせて二十二年は事なし。丙戌年すなわち紀元前二五五年正月の吉日、舜は正式に堯の太祖廟にて天子の位に即き、國號は「有虞氏」、蒲坂に都を建てた。彼は四方の諸侯の長に咨詢し、四方の門を敞き開いて賢を納れ、四方の目を明かにして事を察し、四方の耳を通じて言を聽した。また十二州の州牧に政を問い、九位の大臣を任命した。伯禹をもって司空として土木水利を掌らしめ、棄すなわち后稷は農事を主管し、契は司徒として教化を掌り、皋陶は司士として刑獄を掌り、垂は司工として百工を掌り、益は司虞として山林川澤を掌り、伯夷は禮を掌り、夔は音樂を掌り、龍は王命の傳達を掌った。この九人は分か居りて百官の長の位置に在り、三年ごとに政績を考核し、昏庸なるは貶黜し賢明なるは升遷し、各項の事業はここに於て皆穩固に成った。丁亥から癸巳の七年、すなわち紀元前二五四年から前二四八年、事なし。

經世之亥二千一百六十。甲午,虞舜帝三十九年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯。丙辰,帝舜求代,以功薦禹於天,而命之位。丁巳,正月朔旦,禹受命於神宗,正天下水土,分九州九山九川九澤,會於四海,修其六府,咸則三壤,成賦中邦。戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百六十世は亥世に屬し、紀元前二四七年から前二一八年に當たり、また第一百八十運の最後の一世で、巳會はここに至って結束す。甲午年すなわち紀元前二四七年は、虞舜の在位の第三十九年。乙未から癸卯・甲辰から癸丑および甲寅・乙卯の合わせて二十二年は事なし。丙辰年すなわち紀元前二二五年、舜は己に接替する人を尋ね求め、大禹が水を治めて大功を立てたに因り、彼を上天に擧薦して、攝政の位を授けた。丁巳年すなわち紀元前二二四年正月初一、禹は舜の祖廟「神宗」にて冊命を受け、隨じて天下の水土を整治し、九州を劃分し、九山を疏導し、九川を開通し、九澤を修治して、衆水をして皆四海に歸匯せしめた。整頓九州の田賦、五服の制度を定めた。戊午から癸亥の七年は事なし。禹は水治の功により即位した後、皋陶を用いて政を相せしめ、萬民これに安んじた。

觀物篇二十六 以運經世二(經運之甲一百八十一)

觀物篇二十六,以運經世二。經元之甲一,經會之午七。經運之甲一百八十一。經世之子二千一百六十一。甲子,夏王禹八年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申。癸酉,帝舜陟方,乃死。甲戌,禹都安邑,徙居陽翟,大會諸侯於塗山,執玉帛者萬國。防風氏後至,戮焉。乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午。癸未,夏王禹東巡狩,至於會稽,崩。元子啟踐位。甲申,啟與有扈戰於甘之野。乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯。壬辰,夏王啟崩,元子太康踐位。癸巳。

この一篇は依然として第一元の內に在るが、會數はすでに巳會より「經會之午七」すなわち第七會の午會に推進した。午會は第一百八十一運から第二百十運までを統べ、邵雍は己の處する時代は正に午會の中に在りて、天地の一元の正に中間なりと認めた。「經運之甲一百八十一」は本元の第一百八十一運で、紀元前二二一七年から前一八五八年に當たり、その下の十二世の編號は第二千百六十一世より起こる。子世の二千一百六十一は紀元前二二一七年から前二八八年に當たる。甲子年すなわち紀元前二二一七年は、夏王禹の在位の第八年。乙丑から壬申の八年は事なし。癸酉年すなわち紀元前二二〇八年、虞帝舜は南巡の途中にて去世した。甲戌年すなわち紀元前二二〇七年、禹は安邑に都を建て、後にまた陽翟に遷居して、涂山にて諸侯を大會し、玉帛を手執って朝會に來る部族は號して萬國と稱した。防風氏は遲刻して、禹に處死された。乙亥から壬午の八年は事なし。癸未年すなわち紀元前二一九八年、夏王禹は東行して巡狩して、會稽山に至る時に去世し、長子の啓が位を繼いだ。甲申年すなわち紀元前二一九七年、啓は有扈氏と甘の地の郊野にて交戰した。これすなわち《尚書・甘誓》の記す所の一戰である。乙酉から辛卯の七年は事なし。壬辰年すなわち紀元前二一八九年、夏王啓は去世し、長子の太康が位を繼いだ。癸巳年は事なし。

經世之丑二千一百六十二。甲午,夏王太康二年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申。辛酉,夏王太康失邦,盤遊無度,畋於有洛之表,十旬不返。有窮后羿因民不忍距於河而死。子仲康立。壬戌,命胤侯徵羲氏、和氏。癸亥。

第二千百六十二世は丑世に屬し、紀元前一八七年から前一五八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一八七年は、夏王太康の在位の第二年。乙未から癸卯・甲辰から癸丑・甲寅から庚申の合わせて二十七年は事なし。辛酉年すなわち紀元前一六〇年、夏王太康は國家を失った。彼は游獵度なく、洛水の南岸に走って打獵し、百日も都城に歸らず。有窮氏の首領后羿は百姓の忍ぶ可からざるに乘じ、黄河の邊で彼を遮截して渡河を許さず、太康は終に外で死した。その子の仲康は立てられて君と為るが、實權はすでに后羿の手に落ちていた。壬戌年すなわち紀元前一五九年、仲康は胤侯に命じて兵を出して天象を掌る羲氏・和氏を討たせた。彼らが酒色に沈湎して歷法を荒廢し、日食を報ぜざりしによる。これすなわち《尚書・胤征》に記する所の事。癸亥年は事なし。

經世之寅二千一百六十三。甲子,夏王仲康三年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌,夏王仲康崩,子相繼立,依同姓諸侯斟灌、斟鄩氏。乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百六十三世は寅世に屬し、紀元前一五七年から前一二八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一五七年は、夏王仲康の在位の第三年。乙丑から癸酉の九年は事なし。甲戌年すなわち紀元前一四七年、夏王仲康は去世し、その子の相が位を繼いだ。この時后羿は權を專らにし、相は王都に立脚すること能わず、ただ同姓の諸侯斟灌氏・斟鄩氏に投靠して、彼らの處に寄居するのみ。乙亥から癸未の十年・甲申から癸巳の十年、合わせて二十年はただ干支を排して史事なし。夏王朝のこの一段は正に有窮氏に篡奪され王統の旁に落つる低谷に處る。

經世之卯二千一百六十四。甲午,夏王相二十年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑。壬寅,寒浞殺有窮后羿,使子澆及殪伐斟灌、斟鄩氏,以滅相。相之臣靡逃於有鬲氏,相之後還於有仍氏,遂生少康。癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百六十四世は卯世に屬し、紀元前一二七年から前〇九八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一二七年は、夏王相の在位の第二十年。乙未から辛丑の七年は事なし。壬寅年すなわち紀元前一一九年、后羿の親信の寒浞が有窮氏の首領后羿を殺してその位を奪い、また兒子の澆と殪を分頭に遣わして斟灌氏・斟鄩氏を攻めて、終にその間に寄居した夏王相を消滅した。相の舊臣の靡は有鬲氏に逃れて難を避け、相の王后(有仍氏の女)は娘家の有仍氏に逃歸し、すなわちそこで遺腹子の少康を生んだ。夏朝の一線の血脈はこれに賴って保存された。癸卯から癸丑の十一年・甲寅から癸亥の十年は事なし。

經世之辰二千一百六十五。甲子,夏王少康生二十三年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳。壬午,夏之遺臣靡自有鬲氏收斟灌鄩二國之燼,以滅寒浞,而立少康。少康立,滅澆於過,滅殪於戈,以絕有窮氏之族。癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百六十五世は辰世に屬し、紀元前〇九七年から前〇六八年に當たる。甲子年すなわち紀元前〇九七年、この年夏王少康は出生すでに二十三年、帝位は依然として寒浞に竊據されている。ゆえに表中は在位の年を書さず「生二十三年」と書す。乙丑から癸酉・甲戌から辛巳の合わせて十七年は事なし。壬午年すなわち紀元前〇七九年、夏朝の遺臣の靡は有鬲氏より出發し、斟灌・斟鄩の兩國の殘餘の力量を收攏し、一擧に寒浞を消滅して、少康を擁して王と立てた。少康は位に即いた後、過の地で寒浞の子の澆を消滅し、戈の地でその子の殪を消滅し、有窮氏の一族を徹底的に剷除した。史に「少康中興」と稱し、夏王朝の正統はここに由って復歸した。癸未の一年、および甲申から癸巳の十年は事なし。

經世之巳二千一百六十六。甲午,夏王少康五十三年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅。癸卯,夏王少康崩,子杼踐位。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未。庚申,夏王杼崩,子槐踐位。辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百六十六世は巳世に屬し、紀元前〇六七年から前〇三八年に當たる。甲午年すなわち紀元前〇六七年は、夏王少康の出生後の第五十三年。乙未から壬寅の八年は事なし。癸卯年すなわち紀元前〇五八年、夏王少康は去世し、その子の杼が位を繼いだ。杼は嘗て甲胄を發明し、東夷を東征した、夏朝の一位の有為の君である。甲辰から癸丑の十年・甲寅から己未の六年は事なし。庚申年すなわち紀元前〇四一年、夏王杼は去世し、その子の槐が位を繼いだ。辛酉・壬戌・癸亥の三年は事なし。

經世之午二千一百六十七。甲子,夏王槐四年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉。丙戌,夏王槐崩,子芒踐位。丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百六十七世は午世に屬し、紀元前〇三七年から前〇〇八年に當たる。甲子年すなわち紀元前〇三七年は、夏王槐の在位の第四年。乙丑から癸酉・甲戌から癸未および甲申・乙酉の合わせて二十二年は事なし。丙戌年すなわち紀元前〇一五年、夏王槐は去世し、その子の芒が位を繼いだ。丁亥から癸巳の七年は事なし。この一世は夏朝の國勢平穩にして、王位の更替を除くの外に記すべき大事なし。邵雍の編年がただ興亡治亂に關わる大節を取るを見るべし。

經世之未二千一百六十八。甲午,夏王芒八年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰,夏王芒崩,子洩踐位。乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未。庚申,夏王洩崩,子不降踐位。辛酉、壬戊、癸亥。

第二千百六十八世は未世に屬し、紀元前〇〇七年から前九七八年に當たる。甲午年すなわち紀元前〇〇七年は、夏王芒の在位の第八年。乙未から癸卯の九年は事なし。甲辰年すなわち紀元前九七七年、夏王芒は去世し、その子の泄が位を繼いだ。乙巳から癸丑の九年・甲寅から己未の六年は事なし。庚申年すなわち紀元前九八一年、夏王泄は去世し、その子の不降が位を繼いだ。末の三年は底本「辛酉・壬戊・癸亥」と作るが、中の「壬戊」はまさに「壬戌」の形近の誤であるべし。この三年は事なし。

經世之申二千一百六十九。甲子,夏王不降四年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經世之酉二千一百七十。甲午,夏王不降三十四年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午。己未,夏王不降崩,弟扃立。庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百六十九世は申世に屬し、紀元前九七七年から前九四八年に當たる。開頭の甲子年すなわち紀元前九七七年は、夏王不降の在位の第四年。この下乙丑から癸酉の九年・甲戌から癸未の十年・甲申から癸巳の十年、三十の年頭の干支は整々斉々と排されたれど、一件の史事をも繫げず。夏代中期のもっとも平靜なる一段である。接ぐ第二千百七十世は酉世に屬し、紀元前九四七年から前九一八年に當たる。甲午年すなわち紀元前九四七年は、不降の在位の第三十四年。乙未から癸卯の九年・甲辰から癸丑の十年・甲寅から戊午の五年、合わせて二十五年も皆事なし。己未年すなわち紀元前九二二年、夏王不降は去世し、在位五十九年、夏代のもっとも在位久しき君主である。彼は位を己の兒子の孔甲に傳えず、君位を弟の扃に讓った。これは夏代の少なからざる兄終り弟及びである。庚申から癸亥の四年は事なし。

經世之戌二千一百七十一。甲子,夏王扃五年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯。庚辰,夏王扃崩,子廑踐位。辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百七十一世は戌世に屬し、紀元前九一七年から前八八八年に當たる。甲子年すなわち紀元前九一七年は、夏王扃の在位の第五年。乙丑から癸酉・甲戌から己卯の合わせて十五年は事なし。庚辰年すなわち紀元前九〇一年、夏王扃は去世し、その子の廑が位を繼いだ。辛巳から癸未の三年・甲申から癸巳の十年は事なし。この一世も同じくただ一度の王位の更替を記すのみで、夏王朝が少康中興より後、すでに長き數世の守成の局面を經歷したを説明する。

經世之亥二千一百七十二。甲午,夏王廑十四年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子。辛丑,夏王廑崩,不降子孔甲立。壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戊、癸亥。

第二千百七十二世は亥世に屬し、紀元前八八七年から前八五八年に當たり、また第一百八十一運の最後の一世である。甲午年すなわち紀元前八八七年は、夏王廑の在位の第十四年。乙未から庚子の六年は事なし。辛丑年すなわち紀元前八八〇年、夏王廑は去世し、君位は不降の一支に回って、不降の子の孔甲が即位した。孔甲は鬼神を好み淫亂を喜び、夏朝の衰亡は彼より始まる。壬寅・癸卯の二年、甲辰から癸丑の十年、甲寅から癸亥の十年は皆事なし。末段の干支の中の「壬戊」は依然として「壬戌」の形近の誤である。ここに至って第一百八十一運の三百六十年は排し畢わった。

觀物篇二十七 以運經世三(經運之乙一百八十二)

觀物篇二十七,以運經世三。經元之甲一,經會之午七。經運之乙一百八十二。經世之子二千一百七十三。甲子,夏王孔甲二十三年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未。壬申,夏王孔甲崩,子皋踐位。癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午。癸未,夏王皋崩,子發踐位。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

本篇は依然として第一元の甲元・第七會の午會の內に在る。「經運之乙一百八十二」は本元の第一百八十二運で、紀元前一八五七年から前一四九八年に當たり、下轄は第二千百七十三世から第二千百八十四世まで。子世の二千百七十三は紀元前一八五七年から前一八二八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一八五七年は、夏王孔甲の在位の第二十三年。乙丑から辛未の七年は事なし。壬申年すなわち紀元前一八四九年、夏王孔甲は去世し、その子の皋が位を繼いだ。癸酉の一年・甲戌から壬午の九年は事なし。癸未年すなわち紀元前一八三八年、夏王皋は去世し、その子の發が位を繼いだ。甲申から癸巳の十年は事なし。この一世は夏朝が三たびその君を易え、正に末路に走向する前奏である。

經世之丑二千一百七十四。甲午,夏王發十一年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑。壬寅,夏王發崩,子癸踐位,是謂之桀。癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百七十四世は丑世に屬し、紀元前一八二七年から前一七九八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一八二七年は、夏王發の在位の第十一年。乙未から辛丑の七年は事なし。壬寅年すなわち紀元前一八一九年、夏王發は去世し、その子の癸が位を繼いだ。すなわち歷史の上の有名な暴君の夏桀である。癸卯の一年・甲辰から癸丑の十年・甲寅から癸亥の十年は皆事なし。夏朝の四百餘年の國祚は、この年より最後の五十餘年に入る。

經世之寅二千一百七十五。甲子,夏王癸二十二年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌。乙亥,始嬖妹喜。丙子。丁丑,成湯即諸侯位,自商丘徙至亳,始用伊尹。戊寅,成湯徵葛。己卯,成湯薦伊尹於夏王。庚辰、辛巳。壬午,伊尹丑夏,復歸於亳。癸未。甲申,桀囚成湯於夏臺。乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百七十五世は寅世に屬し、紀元前一七九七年から前一七六八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一七九七年は、夏王癸すなわち夏桀の在位の第二十二年。乙丑から甲戌の十年は事なし。乙亥年すなわち紀元前一七八六年、桀は妹喜を寵幸し始め、荒淫の政はここに由って起こる。丁丑年すなわち紀元前一七八四年、成湯は位を繼いで諸侯の長と為り、國都を商丘より亳に遷し、竝びに伊尹を重用し始めた。戊寅年すなわち紀元前一七八三年、成湯は鄰國の葛伯を討伐した。これは商人が夏の黨羽を翦除する第一戰である。己卯年すなわち紀元前一七八二年、成湯は伊尹を夏王に推薦して、彼を藉りて夏政を匡正せんとした。壬午年すなわち紀元前一七七九年、伊尹は以って夏朝はすでに救藥すべからずとし、深くこれを恥として、重ねて亳都に歸って成湯を輔佐した。甲申年すなわち紀元前一七七七年、桀は成湯を夏台に囚禁し、後にややに釋放した。商夏の間はすでに生死の局と為った。乙酉から癸巳の九年は事なし。

經世之卯二千一百七十六。甲午,夏王癸五十二年。乙未,伊尹相成湯,伐桀。升自陑遂與桀戰於鳴條之野,桀敗走三朡。遂伐三朡,俘厥寶玉,放桀於南巢。還至大垧,仲虺作《誥》,歸至亳,乃大誥萬方,南面朝諸侯,建國曰商,以丑月為歲,始曰祀,與民更始。丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午。丁未,商王成湯崩,元子太甲踐位,不明,伊尹放之桐宮。戊申、己酉。庚戌,商王太甲思庸,伊尹冕服奉嗣王於亳,返政。辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百七十六世は卯世に屬し、紀元前一七六七年から前一七三八年に當たり、夏商の易代の一世である。甲午年すなわち紀元前一七六七年は、夏桀の在位の第五十二年。乙未年すなわち紀元前一七六六年、伊尹は成湯を輔佐して兵を起こして桀を伐った。大軍は陑の地より岸に登り、桀と鳴條の原野に會戰し、桀は敗れて三朡に逃往した。商軍は勝に乘じて三朡を攻下し、その寶玉を繳獲し、最後に桀を南巢に流放した。班師して大坰に歸る時、大臣の仲虺は《仲虺之誥》を寫して湯の為に桀を伐つの義を解釋した。亳都に歸り、成湯は天下萬邦に大誥を發布し、南面して諸侯の朝見を受け、國號を「商」と建て、改めて丑月すなわち今の農歷十二月をもって歲首とし、「年」を「祀」と改稱して、百姓とともに氣象を更新した。丙申から癸卯・甲辰から丙午の合わせて十一年は事なし。丁未年すなわち紀元前一七五四年、商王成湯は去世し、長孫の太甲が位を繼いだが、昏亂にして明ならざるがため、伊尹に成湯の墓旁の桐宮に放逐されて過を思わされた。庚戌年すなわち紀元前一七五一年、太甲は悔悟して常道を思い、伊尹は冕服を備えて、繼位の君を迎えて亳都に回り、政權を交還した。辛亥から癸丑・甲寅から癸亥の合わせて十三年は事なし。

經世之辰二千一百七十七。甲子,商王太甲十七年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯。庚辰,商王太甲崩,子沃丁踐位。辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百七十七世は辰世に屬し、紀元前一七三七年から前一七〇八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一七三七年は、商王太甲の在位の第十七年。乙丑から癸酉・甲戌から己卯の合わせて十五年は事なし。庚辰年すなわち紀元前一七二一年、商王太甲は去世し、その子の沃丁が位を繼いだ。辛巳から癸未の三年・甲申から癸巳の十年は事なし。太甲は桐宮の悔いを經た後に終に令主と成り、商朝はこの一世に國を立てて以来もっとも安穩なる階段に入った。

經世之巳二千一百七十八。甲午,商王沃丁十四年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申。己酉,商王沃丁崩,弟太庚立。庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百七十八世は巳世に屬し、紀元前一七〇七年から前一六七八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一七〇七年は、商王沃丁の在位の第十四年。乙未から癸卯・甲辰から戊申の合わせて十四年は事なし。己酉年すなわち紀元前一六九二年、商王沃丁は去世し、弟の太庚に由って位を繼がれた。商朝の王位は常に兄弟の間に傳遞し、この種の「兄終り弟及び」は正に後來屢々位を奪う內亂を引發した根源である。庚戌から癸丑の四年・甲寅から癸亥の十年は事なし。

經世之午二千一百七十九。甲子,商王太庚十五年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌,商王太庚崩,子小甲踐位。乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅。辛卯,商王小甲崩,弟雍己立。壬辰、癸巳。

第二千百七十九世は午世に屬し、紀元前一六七七年から前一六四八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一六七七年は、商王太庚の在位の第十五年。乙丑から癸酉の九年は事なし。甲戌年すなわち紀元前一六六七年、商王太庚は去世し、その子の小甲が位を繼いだ。乙亥から癸未・甲申から庚寅の合わせて十六年は事なし。辛卯年すなわち紀元前一六五〇年、商王小甲は去世し、弟の雍己に由って位を繼がれた。壬辰・癸巳の二年は事なし。小甲・雍己より、商朝の國勢は漸く衰え、諸侯の朝貢もまた從前の如からず。

經世之未二千一百八十。甲午,商王雍己三年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅。癸卯,商王雍己崩,弟太戊立,是謂中宗。伊陟臣扈,格於上帝。巫咸乂王家,大修成湯之政。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百八十世は未世に屬し、紀元前一六四七年から前一六一八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一六四七年は、商王雍己の在位の第三年。乙未から壬寅の八年は事なし。癸卯年すなわち紀元前一六三八年、商王雍己は去世し、弟の太戊に由って位を繼がれ、廟號は「中宗」と稱す。太戊は賢臣の伊陟と臣扈を任用し、二人の德行は足りて上帝に感通し、また巫咸を用いて王家の內政を治め、全面に成湯時代の政令を重修した。この整頓を經て、衰落した商朝は重新振作し、史に中宗中興と稱す。甲辰から癸丑の十年・甲寅から癸亥の十年は事なし。

經世之申二千一百八十一。甲子,商王太戊二十一年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經世之酉二千一百八十二。甲午,商王太戊五十一年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳。戊午,商王中宗崩,子仲丁踐位,遷於囂。己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百八十一世は申世に屬し、紀元前一六一七年から前一五八八年に當たる。開頭の甲子年すなわち紀元前一六一七年は、商王太戊の在位の第二十一年。この下乙丑から癸酉の九年・甲戌から癸未の十年・甲申から癸巳の十年、三十の年頭の干支は滿滿當當と排されたれど、一件の史事をも繫げず。正に太戊が伊陟・巫咸の輔佐の下に國泰民安にして書すべき事なきを見る。接ぐ第二千百八十二世は酉世に屬し、紀元前一五八七年から前一五五八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一五八七年は、太戊の在位の第五十一年。乙未から癸卯の九年・甲辰から癸丑の十年・甲寅から丁巳の四年、合わせて二十四年も皆事なし。戊午年すなわち紀元前一五六三年、商中宗の太戊は去世し、在位七十五年、商代のもっとも享國久しき君主である。その子の仲丁が位を繼ぎ、國都を亳より囂に遷した。商代前期は河患と內爭を避けるため屢々遷都したが、これは本表に見る第一次の遷徙である。己未から癸亥の五年は事なし。

經世之戌二千一百八十三。甲子,商王仲丁六年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午。辛未,商王仲丁崩,國亂,弟外壬立。壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉。丙戌,商王外壬崩,國復亂。弟河亶甲立,徙居相。丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百八十三世は戌世に屬し、紀元前一五五七年から前一五二八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一五五七年は、商王仲丁の在位の第六年。乙丑から庚午の六年は事なし。辛未年すなわち紀元前一五五〇年、商王仲丁は去世し、國內は位を爭うに因って大いに亂れ、その弟の外壬が即位した。壬申・癸酉の二年、甲戌から癸未の十年、甲申・乙酉の二年は事なし。丙戌年すなわち紀元前一五三五年、商王外壬は去世し、國內は再度動亂し、その弟の河亶甲が即位して都城を相に遷した。仲丁より後九世の內に君位屢々爭い國都屢々遷り、商朝はここに由って中衰した。これすなわち《史記》のいう所の「九世之亂」である。丁亥から癸巳の七年は事なし。

經世之亥二千一百八十四。甲午,商王河亶甲八年。乙未,商王河亶甲崩,子祖乙踐位,圯於耿,徙居邢,巫賢為相。丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百八十四世は亥世に屬し、紀元前一五二七年から前一四九八年に當たり、第一百八十二運の最後の一世である。甲午年すなわち紀元前一五二七年は、商王河亶甲の在位の第八年。乙未年すなわち紀元前一五二六年、商王河亶甲は去世し、その子の祖乙が位を繼いだ。祖乙はまず耿に遷り、河水が城邑を沖毀したに因り、また改めて邢に遷し、巫咸の子の巫賢を任用して相とした。祖乙は賢相の輔佐の下に朝綱を重整し、商朝は一度復興した。丙申から癸卯・甲辰から癸丑・甲寅から癸亥の合わせて二十八年は事なし。ここに至って第一百八十二運の三百六十年は排し滿たされた。

觀物篇二十八 以運經世四(經運之丙一百八十三)

觀物篇二十八,以運經世四。經元之甲一,經會之午七。經運之丙一百八十三。經世之子二千一百八十五。甲子,商王祖辛十年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳。庚午,商王祖辛崩,弟沃甲立。辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

本篇は依然として第一元の甲元・第七會の午會の內に在る。「經運之丙一百八十三」は本元の第一百八十三運で、紀元前一四九七年から前一一三八年に當たり、下轄は第二千百八十五世から第二千百九十六世まで、商代の中後期の全てがこの一運の裡に裝められた。子世の二千百八十五は紀元前一四九七年から前一四六八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一四九七年は、商王祖辛の在位の第十年。祖辛は祖乙の子で、本表の上一世の末はなおその即位を書さず。乙丑から己巳の五年は事なし。庚午年すなわち紀元前一四九一年、商王祖辛は去世し、弟の沃甲に由って位を繼がれた。辛未から癸酉の三年・甲戌から癸未の十年・甲申から癸巳の十年は皆事なし。

經世之丑二千一百八十六。甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經世之寅二千一百八十七。甲子,商王祖丁二十九年。乙丑、丙寅。丁卯,商王祖丁崩,國亂。沃甲之子南庚立。戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰。癸巳,商王南庚崩,國亂。祖丁之子陽甲立,諸侯不朝。

第二千百八十六世は丑世に屬し、紀元前一四六七年から前一四三八年に當たる。この一世は甲午から癸亥の三十年ただ干支を排して、王號をも標さず、本表の中のもっとも空白なる一世である。接ぐ第二千百八十七世は寅世に屬し、紀元前一四三七年から前一四〇八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一四三七年は、商王祖丁の在位の第二十九年。祖丁は祖辛の子で、沃甲の後に位を繼いだ。乙丑・丙寅の二年は事なし。丁卯年すなわち紀元前一四三四年、商王祖丁は去世し、國內は位を爭うに因って亂れ、最後に沃甲の子の南庚が即位した。戊辰から癸酉・甲戌から癸未・甲申から壬辰の合わせて二十五年は事なし。癸巳年すなわち紀元前一四〇八年、商王南庚は去世し、國內は再び亂れ、祖丁の子の陽甲に由って即位せられた。この時王室の威望は大いに墜ち、諸侯はすでに朝見に來らず。

經世之卯二千一百八十八。甲午,商王陽甲二年。乙未、丙申、丁酉、戊戌。己亥,商王陽甲崩,弟盤庚立,復歸於亳,改號曰殷。庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百八十八世は卯世に屬し、紀元前一四〇七年から前一三七八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一四〇七年は、商王陽甲の在位の第二年。乙未から戊戌の四年は事なし。己亥年すなわち紀元前一四〇二年、商王陽甲は去世し、その弟の盤庚が位を繼いだ。盤庚は貴族の反對を顧みず、衆を率いて河を渡り南に遷り、成湯の舊都の亳地の一帶に回り、竝びに國號を「殷」と改稱した。《尚書》の中の《盤庚》三篇はすなわち彼が遷都する時に臣民に曉諭した文告である。ここから殷都は二百七十餘年再び遷徙せず、商朝は衰より盛に轉じた。庚子から癸卯・甲辰から癸丑・甲寅から癸亥の合わせて二十四年は事なし。

經世之辰二千一百八十九。甲子,商王盤庚二十五年。乙丑、丙寅。丁卯,商王盤庚崩,弟小辛立。戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥。戊子,商王小辛崩,弟小乙立。己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百八十九世は辰世に屬し、紀元前一三七七年から前一三四八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一三七七年は、商王盤庚の在位の第二十五年。乙丑・丙寅の二年は事なし。丁卯年すなわち紀元前一三七四年、商王盤庚は去世し、弟の小辛に由って位を繼がれた。小辛は才具平庸で、殷人はここに於てまた盤庚の政績を懷念し起こした。戊辰から癸酉・甲戌から癸未・甲申から丁亥の合わせて二十年は事なし。戊子年すなわち紀元前一三五三年、商王小辛は去世し、弟の小乙に由って位を繼がれた。己丑から癸巳の五年は事なし。

經世之巳二千一百九十。甲午,商王小乙六年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯。丙辰,商王小乙崩,子武丁踐位,是謂高宗。甘盤為相,以夢求傅說,得之於傅巖。丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千百九十世は巳世に屬し、紀元前一三四七年から前一三一八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一三四七年は、商王小乙の在位の第六年。乙未から癸卯・甲辰から癸丑・甲寅乙卯の合わせて二十二年は事なし。丙辰年すなわち紀元前一三二五年、商王小乙は去世し、その子の武丁が位を繼ぎ、廟號は「高宗」と稱す。武丁は舊師の甘盤をもって相とし、また夢にて上天が彼に一位の賢輔を賜うを見たに因り、便ち夢中の相貌に按って四處に訪求し、終に傅岩のこの地方に墻を筑いていた奴隷の說を見出し、起用して相と為し、その傅岩に得たりしに因って姓を傅と賜い、これが傅說である。武丁は傅說の輔佐の下に天下を大いに治め、史に「武丁中興」と稱し、商朝のもっとも強盛なる時期である。丁巳から癸亥の七年は事なし。

經世之午二千一百九十一。甲子,商王武丁八年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。經世之未二千一百九十二。甲午,商王武丁三十八年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅。乙卯,商王高宗崩,弟祖庚立。丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉。壬戌,商王祖庚崩,弟祖甲立。癸亥。

第二千百九十一世は午世に屬し、紀元前一三一七年から前一二八八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一三一七年は、商王武丁の在位の第八年。この一世の三十年は一事をも書さず、正に武丁の盛世に四海虞なきの寫照である。接ぐ第二千百九十二世は未世に屬し、紀元前一二八七年から前一二五八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一二八七年は、武丁の在位の第三十八年。乙未から癸卯・甲辰から癸丑および甲寅の合わせて二十一年は事なし。乙卯年すなわち紀元前一二六六年、商高宗の武丁は去世し、在位約五十九年、弟の祖庚に由って位を繼がれた。《史記》に依れば祖庚は武丁の子、本表は「弟」と作る。底本の據る所の世系は《史記》と相同じからず。壬戌年すなわち紀元前一二五九年、商王祖庚は去世し、祖甲に由って位を繼がれた。癸亥の一年は事なし。

經世之申二千一百九十三。甲子,商王祖甲二年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰。癸巳,周文王生。

第二千百九十三世は申世に屬し、紀元前一二五七年から前一二二八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一二五七年は、商王祖甲の在位の第二年。乙丑から癸酉・甲戌から癸未・甲申から壬辰の合わせて二十八年は事なし。癸巳年すなわち紀元前一二二八年、周文王の姬昌が出生した。周人はこの時なお渭水流域の一つの方國に過ぎないが、本表は卻って鄭重に文王の生年を商王の編年の下に繫げ入れた。その意は周室が商に代わる種子のすでに埋下せられたを標出せんとするに在る。後文に記する所に按れば、文王は紀元前一一八二年に諸侯の位に即き、紀元前一一三二年に去世し、享年九十七歲。

經世之酉二千一百九十四。甲午,商王祖甲三十二年。乙未,商王祖甲崩,子廩辛踐位。丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子。辛丑,商王廩辛崩,弟庚丁立。壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉。壬戌,商王庚丁崩,子武乙踐位,徙居河北。癸亥。

第二千百九十四世は酉世に屬し、紀元前一二二七年から前一一九八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一二二七年は、商王祖甲の在位の第三十二年。乙未年すなわち紀元前一二二六年、商王祖甲は去世し、その子の廩辛が位を繼いだ。丙申から庚子の五年は事なし。辛丑年すなわち紀元前一二二〇年、商王廩辛は去世し、弟の庚丁に由って即位せられた。壬寅・癸卯の二年、甲辰から癸丑の十年、甲寅から辛酉の八年は事なし。壬戌年すなわち紀元前一一九九年、商王庚丁は去世し、その子の武乙が位を繼ぎ、王都を黄河以北に遷した。癸亥の一年は事なし。祖甲より後の諸王は短祚頻仍にして、殷道は再度衰敗した。

經世之戌二千一百九十五。甲子,商王武乙二年。乙丑。丙寅,商王武乙震死,子太丁立。丁卯、戊辰。己巳,商王太丁崩,子帝乙踐位。庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅。己卯,周文王始即諸侯位。庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百九十五世は戌世に屬し、紀元前一一九七年から前一一六八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一一九七年は、商王武乙の在位の第二年。乙丑の一年は事なし。丙寅年すなわち紀元前一一九五年、商王武乙は雷に擊たれて死した。《史記》に載る所に據れば、武乙は嘗て木偶を造って「天神」と稱してこれと博戲し、また皮囊に血を盛って高く懸けてこれを射て、號して「天を射る」とし、後に黄河渭水の間に獵する時雷震に遭って亡びた。古人はこれを上天を瀆るの報應と視る。その子の太丁が位を繼いだ。丁卯・戊辰の二年は事なし。己巳年すなわち紀元前一一九二年、商王太丁は去世し、その子の帝乙が位を繼いだ。庚午から癸酉・甲戌から戊寅の合わせて九年は事なし。己卯年すなわち紀元前一一八二年、周文王は西伯の位を承襲し始め、正式に一方の諸侯の長と為った。庚辰から癸未の四年・甲申から癸巳の十年は事なし。

經世之亥二千一百九十六。甲午,商王帝乙二十五年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳。丙午,商王帝乙崩,次子受辛立,是謂之紂。丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅,始嬖妲己。乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申。辛酉,商囚文王於羑里。壬戌。癸亥,商王紂放文王歸於國,錫命為西方諸侯伯。

第二千百九十六世は亥世に屬し、紀元前一一六七年から前一一三八年に當たり、第一百八十三運の最後の一世である。甲午年すなわち紀元前一一六七年は、商王帝乙の在位の第二十五年。乙未から癸卯・甲辰乙巳の合わせて十一年は事なし。丙午年すなわち紀元前一一五五年、商王帝乙は去世し、次子の受辛が位を繼いだ。すなわち歷史の上の商紂王である。丁未から癸丑の七年は事なし。甲寅年すなわち紀元前一一四七年、紂は妲己を寵幸し始め、酒池肉林の政はここに由って起こる。乙卯から庚申の六年は事なし。辛酉年すなわち紀元前一一四〇年、商紂は周文王を羑里に囚禁した。相傳えて文王は囚の中に八卦を推演して六十四卦と為し、《周易》の卦爻辭はすなわちこの時に成ったという。癸亥年すなわち紀元前一一三八年、紂は文王を釋放して國に歸らせ、竝びに彼に弓矢斧鉞を賜いて、彼を任じて西方の諸侯の長、すなわち「西伯」とした。ここに至って第一百八十三運の三百六十年は排し滿たされた。

皇極經世書卷五下・觀物篇二十九 以運經世五(經運之丁一百八十四)

皇極經世書卷五下。觀物篇二十九,以運經世五。經元之甲一,經會之午七。經運之丁一百八十四。經世之子二千一百九十七。甲子,商王受辛十八年,西伯伐崇,自岐徙居豐。乙丑,周西伯伐密須。丙寅,周西伯戡黎。丁卯,周西伯伐邘。戊辰。

卷五下は「以運經世」の排法を繼續す。「經運之丁一百八十四」は本元の第一百八十四運で、紀元前一一三七年から前七七八年に當たり、下轄は第二千百九十七世から第二千二百八世まで。商朝の覆亡と西周の全部とがこの一運の裡に裝められた。子世の二千一百九十七は紀元前一一三七年から前一一〇八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一一三七年は、商王受辛すなわち紂の在位の第十八年で、この年西伯の姬昌は崇侯虎を討伐し、隨後都邑を岐山の下より豐邑に遷した。乙丑年すなわち紀元前一一三六年、周西伯は密須國を討伐した。丙寅年すなわち紀元前一一三五年、周西伯は黎國を攻克し、兵鋒は直に朝歌に逼り、殷人は震恐した。《尚書・西伯戡黎》に記する所はすなわちこの事。丁卯年すなわち紀元前一一三四年、周西伯は邘國を討伐した。戊辰年すなわち紀元前一一三三年、事なし。周人が商を翦うの形勢はここに至ってすでに形成された。

己巳,周文王沒,元子發踐位,是謂武王。葬文王於畢。庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子。丁丑,周武王東觀兵於孟津。戊寅,商王紂殺太師比干,囚箕子,微子以祭器奔周。己卯,呂尚相武王,伐商,師逾孟津,大陳兵於商郊,敗之於牧野,殺紂,立其子武庚為後,還師。在豐踐天子位,南面朝諸侯,大誥天下,以子月為歲,始曰年,與民更始。庚辰,命管叔、蔡叔、霍叔守邶、墉、衛之三邑,謂之三監。辛巳、壬午、癸未。甲申。

己巳年すなわち紀元前一一三二年、周文王は去世し、享年九十七歲、長子の姬發が位を繼いだ。すなわち周武王である。文王は畢原に葬られた。庚午から癸酉・甲戌から丙子の合わせて七年は事なし。丁丑年すなわち紀元前一一二四年、周武王は東行して孟津に至りて諸侯を會集し軍隊を檢閱して、天下の向背を試探した。史に「孟津觀兵」と稱す。戊寅年すなわち紀元前一一二三年、商紂は諫を進める太師の比干を殺し、箕子を囚禁し、微子は宗廟の祭器を抱えて周國に逃奔し、殷商の內部は徹底的に崩解した。己卯年すなわち紀元前一一二二年、吕尚(姜太公)は武王を輔佐して兵を興して商を伐ち、大軍は孟津を渡り、商都の近郊に陣を列し、牧野に一戰して商軍を撃潰し、紂王を殺し、別に紂の兒子の武庚を立てて殷の後嗣と為して先王を奉祀せしめ、然る後に班師した。武王は豐邑にて天子の位に即き、南面して諸侯の朝見を受け、天下に大誥を發布した。改めて子月すなわち今の農歷十一月をもって歲首とし、紀年の名を「祀」より「年」と改稱して、百姓とともに更始した。庚辰年すなわち紀元前一一二一年、武王は管叔・蔡叔・霍叔に命じて分かち邶・墉・衞の三邑を鎮守せしめ、以って武庚を監視し、「三監」と稱した。辛巳から癸未・甲申の合わせて四年は事なし。

乙酉,周武王崩,元子誦踐位,是謂成王。周公為太師,召公為太保。二公分治陝、洛,受顧命,率天下諸侯夾輔王室,葬武王於畢。丙戌,三監及淮夷叛,周公東征,大誥天下。丁亥。戊子,三監平,治黜商命,殺武庚。命微子啟於宋,代商侯,封康叔於衛,以保商民;命箕子於高麗,闢管叔於商,囚蔡叔於郭鄰,降霍叔為庶人,不齒。東征淮夷,魯侯伯禽誓師於費,淮夷平。遂踐奄,肅慎來賀。己丑。庚寅,往營成周,命召公相宅。辛卯。壬辰,成周既成,周公分正成周東郊,以王命誥多士。癸巳。

乙酉年すなわち紀元前一一一六年、周武王は去世し、長子の姬誦が位を繼いだ。すなわち周成王である。周公旦は太師を任じ、召公奭は太保を任じ、二公は陝地をもって界と為して東西を分治し、武王の臨終の託付を受け、天下の諸侯を率いて左右に王室を輔佐した。武王は畢原に葬られた。丙戌年すなわち紀元前一一一五年、三監は武庚と淮夷と聯合して反逆し、周公は自ら東征して、竝びに天下に大誥を發布した。《尚書・大誥》はすなわちこれ。丁亥年は事なし。戊子年すなわち紀元前一一一三年、三監の亂は平定され、周公は殷商の天命を革除し、武庚を處死した。改めて紂の庶兄の微子啓を宋に封じ、彼をして商の宗祀を接續せしめ、康叔を衞に封じて殷商の遺民を安撫せしめ、箕子を高麗(朝鮮)に封じ、管叔を商の地に誅し、蔡叔を郭鄰に囚禁し、霍叔を庶人に廢した。殷民の東遷を洛邑に營建して九鼎を安置した。己丑から癸巳の五年は事なし。

經世之丑二千一百九十八。甲午,周成王九年。乙未。丙申,周公沒,命君陳分正成周東郊,葬周公於畢。丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉。壬戌,周成王崩,召公、畢公受顧命,輔元子釗踐位,是謂康王。癸亥,周康王元年,命畢公代君陳分正成周東郊。

第二千百九十八世は丑世に屬し、紀元前一一〇七年から前一〇七八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一一〇七年は、周成王の在位の第九年。乙未年は事なし。丙申年すなわち紀元前一一〇五年、周公旦は去世し、成王は君陳に命じて彼に替わって成周東郊の政務を釐正せしめ、周公は畢原に葬られて文王・武王と同じ處とした。丁酉から癸卯・甲辰から癸丑・甲寅から辛酉の合わせて二十五年は事なし。壬戌年すなわち紀元前一〇七九年、周成王は去世し、召公と畢公とが臨終の託付を受けて、長子の姬釗を輔佐して位を繼がしめた。すなわち周康王である。癸亥年すなわち紀元前一〇七八年は康王元年、康王は畢公に命じて君陳に取代わって成周東郊を釐正せしめた。《尚書・畢命》はすなわちこれ。成康の際の四十年は刑措して用いず、西周のもっとも興盛なる時期である。

經世之寅二千一百九十九。甲子,周康王二年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥。戊子,周康王崩,子瑕踐位,是謂昭王。己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千百九十九世は寅世に屬し、紀元前一〇七七年から前一〇四八年に當たる。甲子年すなわち紀元前一〇七七年は、周康王の在位の第二年。乙丑から癸酉・甲戌から癸未・甲申から丁亥の合わせて二十三年は事なし、正に「成康之治」の天下安寧の寫照である。戊子年すなわち紀元前一〇五三年、周康王は去世し、その子の姬瑕が位を繼いだ。すなわち周昭王である。己丑から癸巳の五年は事なし。

經世之卯二千二百。甲午,周昭王六年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經世之辰二千二百一。甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅。己卯,周昭王南巡不返,子滿立,是謂穆王。庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千二百世は卯世に屬し、紀元前一〇四七年から前一〇一八年に當たる。甲午年すなわち紀元前一〇四七年は、周昭王の在位の第六年。この下乙未から癸卯の九年・甲辰から癸丑の十年・甲寅から癸亥の十年、三十の年頭の干支は排し滿たして一事をも書さず。接ぐ第二千二百一世は辰世に屬し、紀元前一〇一七年から前九八八年に當たる。甲子から癸酉の十年・甲戌から戊寅の五年、合わせて十五年は事なし。己卯年すなわち紀元前一〇〇二年、周昭王は南して楚地を巡して、漢水を渡る時乗る所の船が解體して水に落ち、一たび去って返らず、隨行の六師もまた一竝びに喪われた。その子の姬滿が位を繼いだ。すなわち周穆王である。昭王は南土に師を喪い、西周の盛より衰に轉ずる第一道の裂痕で、周人はその事を諱んで言わない。ゆえに本表はただ「南巡して返らず」の四字を寫し、何處に死したるをも明書せず。庚辰から癸未の四年・甲申から癸巳の十年、合わせて十四年は事なし。

經世之巳二千二百二。甲午,周穆王十五年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經世之午二千二百三。甲子,周穆王四十五年。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌,周穆王崩,子繄扈踐位,是謂共王。乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉。丙戌,周共王崩,子囏踐位,是謂懿王。丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千二百二世は巳世に屬し、紀元前九八七年から前九五八年に當たる。甲午年すなわち紀元前九八七年は、周穆王の在位の第十五年。この下乙未から癸卯の九年・甲辰から癸丑の十年・甲寅から癸亥の十年、三十の年頭は皆ただ干支を排して書すべき事なし。穆王の一朝に西して犬戎を征し、吕侯に命じて《吕刑》を作らせ、天下を周遊したの説あるも、本表は卻って一概に錄せず。邵雍の事を取るの嚴なるを見るべし。接ぐ第二千二百三世は午世に屬し、紀元前九五七年から前九二八年に當たる。甲子年すなわち紀元前九五七年は、穆王の在位の第四十五年。乙丑から癸酉の九年は事なし。甲戌年すなわち紀元前九四七年、周穆王は去世し、在位五十五年、周代のもっとも享國久しき天子で、その子の姬繄扈が位を繼いだ。すなわち周共王である。乙亥から癸未の九年・甲申乙酉の二年、合わせて十一年は事なし。丙戌年すなわち紀元前九三五年、周共王は去世し、その子の姬囏が位を繼いだ。すなわち周懿王である。丁亥から癸巳の七年は事なし。

經世之未二千二百四。甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌。辛亥,周懿王崩,穆王子闢方立,是謂孝王。壬子、癸丑。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥。經世之申二千二百五。甲子,周孝王十三年。乙丑。丙寅,周孝王崩,懿王子燮立,是謂夷王。周自此衰矣。丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉。甲戌、乙亥、丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳。壬午,周夷王崩,子胡踐位,是謂厲王。癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千二百四世は未世に屬し、紀元前九二七年から前八九八年に當たる。甲午から癸卯・甲辰から庚戌の合わせて十七年は事なし。辛亥年すなわち紀元前九一〇年、周懿王は去世し、位を繼ぐ者は懿王の子に非ずして穆王の子の辟方で、すなわち周孝王である。これは西周の王位の第一次父子に由って相傳えざる例。壬子から癸亥の合わせて十二年は事なし。接ぐ第二千二百五世は申世に屬し、紀元前八九七年から前八六八年に當たる。甲子年すなわち紀元前八七年は、周孝王の在位の第十三年。丙寅年すなわち紀元前八五年、周孝王は去世し、君位は懿王の子の姬燮に歸還した。すなわち周夷王である。本表はここに特に一筆「周これより衰えん」と書して、西周の衰亡の起點を夷王に定めた。夷王は嘗て堂を下りて諸侯を見、また齊哀公を烹殺し、王室の威權は大いに損なわれた。丁卯から癸酉・甲戌から辛巳の合わせて十五年は事なし。壬午年すなわち紀元前八七九年、周夷王は去世し、その子の姬胡が位を繼いだ。すなわち周厲王である。癸未および甲申から癸巳の合わせて十一年は事なし。

經世之酉二千二百六。甲午,周厲王十二年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子。癸丑,厲王好利,以榮公為卿。甲寅、乙卯。丙辰,殺諫臣以為謗己者。丁巳、戊午。己未,周厲王為國人所逐,出奔彘。周、召二伯行政,謂之共和。太子靖匿於召公家。文武之德自此盡矣。庚申、辛酉、壬戌、癸亥。

第二千二百六世は酉世に屬し、紀元前八六七年から前八三八年に當たる。甲午年すなわち紀元前八六七年は、周厲王の在位の第十二年。乙未から癸卯・甲辰から壬子の合わせて十八年は事なし。癸丑年すなわち紀元前八四八年、厲王は財利を貪圖し、專ら聚斂を好む榮夷公を任用して卿士と為し、山林川澤の收益を全部王室に收歸して、國人は怨憤した。丙辰年すなわち紀元前八四五年、厲王は諫を進める人を己を誹謗する人として殺し、また衞の巫を派して百姓を監視せしめ、ここに於て「國人敢えて言う者莫し、道路に目をもってす」となった。己未年すなわち紀元前八四二年、都城の國人は起ちて周厲王を驅逐し、厲王は彘の地に出逃した。この後周公・召公の兩位の伯爵が共同して執政し、史に「共和」と稱す。共和元年すなわち紀元前八四一年は、中國の編年史の上の第一の確切なる紀年である。太子の姬靖は召公の家の中に藏れてややに保全を得た。本表はここに斷言して「文武の德これより盡きん」と曰い、文王・武王の積累した德澤はこの年に耗盡したとす。庚申から癸亥の四年は事なし。

經世之戌二千二百七。甲子,周厲王四十二年,在彘。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申。癸酉,周厲王死於彘,周、召二伯立太子靖,是謂宣王。有仲山甫、尹吉甫、方叔、申伯為輔,大修文武之功。甲戌,宣王北伐獫狁,至於太原。吉甫為將。乙亥,宣王南征荊蠻,方叔為將。丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未。甲申、乙酉、丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

第二千二百七世は戌世に屬し、紀元前八三七年から前八〇八年に當たる。甲子年すなわち紀元前八三七年は、周厲王の在位の第四十二年で、その人は依然として彘の地に流亡中である。乙丑から壬申の八年は事なし。癸酉年すなわち紀元前八二八年、周厲王は彘に死し、周公・召公の二伯は太子の姬靖を擁立して即位せしめた。すなわち周宣王である。宣王は仲山甫・尹吉甫・方叔・申伯のこの一批の賢臣の輔佐ありて、大力に文王・武王の舊業を重修し、史に「宣王中興」と稱す。甲戌年すなわち紀元前八二七年、宣王は北に獫狁を伐ち、一路太原に打ち至り、尹吉甫を主將と為した。《詩經・六月》に詠ずる所はすなわちこの役。乙亥年すなわち紀元前八二六年、宣王は南に荆蠻を征し、方叔を主將と為した。《詩經・采芑》に詠ずる所はすなわちこの役。丙子から癸未・甲申から癸巳の合わせて十八年は事なし。

經世之亥二千二百八。甲午,周宣王二十一年。乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯。甲辰。乙巳,伐魯,立孝公。丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥。壬子,伐姜戎,師敗於千畝,遂失南國。癸丑,料民於太原。甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午。己未,周宣王崩,太子湦踐位,是謂幽王。庚申、辛酉。壬戌,始嬖褒姒。癸亥。

第二千二百八世は亥世に屬し、紀元前八〇七年から前七七八年に當たり、第一百八十四運の最後の一世である。甲午年すなわち紀元前八〇七年は、周宣王の在位の第二十一年。乙未から癸卯・甲辰の合わせて十年は事なし。乙巳年すなわち紀元前七九六年、宣王は兵を出して魯國を討伐し、その君位の繼承を干預して魯孝公を立て、諸侯はここから王命を看輕した。壬子年すなわち紀元前七八九年、宣王は姜戎を討伐して千畝に大敗し、南國の軍隊をも喪い殆ど盡きた。癸丑年すなわち紀元前七八八年、宣王は太原に户口を點き算して兵源を補わんとし、仲山甫は諫阻するも聽かず、中興の勢頭はここに至って中止した。甲寅から戊午の五年は事なし。己未年すなわち紀元前七八二年、周宣王は去世し、太子の姬湦が位を繼いだ。すなわち周幽王である。庚申・辛酉の二年は事なし。壬戌年すなわち紀元前七七九年、幽王は褒姒を寵幸し始め、西周覆亡の禍根はここに由って種かれた。癸亥年は事なし。第一百八十四運の三百六十年はここに至って排し滿たされた。

觀物篇三十 以經運世六(經運之戊一百八十五)

觀物篇三十,以經運世六。經元之甲一,經會之午七。經運之戊一百八十五。經世之子二千二百九。甲子,周幽王五年,廢申後及太子宜臼,以褒姒為後,伯服為太子,虢石父為卿。乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳。庚午,申侯以犬戎伐周,敗幽王於驪山,殺之。晉秦率鄭衛之君逐犬戎,立太子宜臼,是謂平王。東徙居洛邑,是謂東周。辛未,周平王錫晉文侯、襄公命,秦分岐西,晉分河內。壬申,秦立西畤,祠白帝。魯惠公即位。癸酉。甲戌。乙亥,秦文公即位。丙子、丁丑、戊寅。己卯,秦東徙,居汧渭之間。庚辰、辛巳、壬午。癸未,衛莊公即位。甲申。乙酉,秦作鄜畤。丙戌、丁亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳。

本篇の篇題は底本「以經運世六」と作るが、前後の各篇の通例に按ればまさに「以運經世六」と作るべし。「經運之戊一百八十五」は本元の第一百八十五運で、紀元前七七七年から前四一八年に當たり、下轄は第二千二百九世から第二千二百二十世まで、西周の滅亡・東周の建立および春秋時代の全部が皆この一運の內にある。子世の二千二百九は紀元前七七七年から前七四八年に當たる。甲子年すなわち紀元前七七七年は、周幽王の在位の第五年で、この年幽王は申后と太子の宜臼を廢し、改めて褒姒を立てて王后とし、伯服を太子とし、また善く逢迎する虢石父を任用して卿士と為した。乙丑から己巳の五年は事なし。庚午年すなわち紀元前七七一年、申后の父の申侯は犬戎を引いて入侵し、驪山の下に於て幽王を打敗って竝びに彼を殺した。西周は就中ここに滅亡した。晉・秦の兩國は鄭・衞の君を帶いて犬戎を驅い去り、太子の宜臼を擁立した。すなわち周平王である。平王は王都を東して洛邑に遷し、ここから東周と稱す。辛未年すなわち紀元前七七〇年、平王は晉文侯と秦襄公とに命を賜い、岐山以西の地を秦國に劃給し、河內の地を晉國に劃給した。壬申年すなわち紀元前七六九年、秦國は西畤を設立して白帝を祭祀し、魯惠公が即位した。乙亥年すなわち紀元前七六六年、秦文公が即位した。己卯年すなわち紀元前七六二年、秦人は東遷して汧水・渭水の間に居た。癸未年すなわち紀元前七五八年、衞莊公が即位した。乙酉年すなわち紀元前七五六年、秦國は鄜畤を營建した。その餘の各年は事なし。

經世之丑二千二百十。甲午,周平王二十四年。乙未,晉昭侯即位。丙申,晉昭侯封弟成師於曲沃。丁酉,鄭莊公即位。戊戌,鄭莊公封弟段於京城。己亥。庚子,衛公子州籲阻兵。辛丑,楚亂,熊通弒其君,代立。壬寅,晉亂,大夫潘父弒其君昭侯,入曲沃桓叔不克。國人殺潘父,而立君之弟平,是謂孝侯。癸卯。甲辰、乙巳、丙午、丁未。戊申,衛州籲出奔。己酉。庚戌,晉曲沃桓叔卒,子莊伯繼。齊莊公卒,子釐公立。辛亥。壬子,宋桓公卒,讓其弟穆公。癸丑。

第二千二百十世は丑世に屬し、紀元前七四七年から前七一八年に當たる。甲午年すなわち紀元前七四七年は、周平王の在位の第二十四年。乙未年すなわち紀元前七四六年、晉昭侯が即位した。丙申年すなわち紀元前七四五年、晉昭侯は叔父の成師を曲沃に封じ、曲沃は晉都の翼よりも大きく、晉國の六十七年の內戰はここに由って開端した。丁酉年すなわち紀元前七四四年、鄭莊公が即位した。戊戌年すなわち紀元前七四三年、鄭莊公は弟の共叔段を京城に封じた。《左傳》の開篇の「鄭伯段を鄢に克つ」の禍端はすなわちここにある。庚子年すなわち紀元前七四一年、衞國の公子州吁は兵を恃み武を好み、衞莊公は約束を加えず。辛丑年すなわち紀元前七四〇年、楚國は內亂し、熊通は國君を殺して自ら立ち、すなわち後の楚武王である。壬寅年すなわち紀元前七三九年、晉國は內亂し、大夫の潘父は國君の昭侯を殺して、曲沃の桓叔を迎えて晉國に入主せんと欲して成功せず、國人は潘父を殺し、別に昭侯の弟の平を立てて君と為した。すなわち晉孝侯である。戊申年すなわち紀元前七三三年、衞國の州吁は出奔した。庚戌年すなわち紀元前七三一年、晉曲沃の桓叔は去世し、その子の莊伯が繼承し、齊莊公は去世し、その子の釐公が位を繼いだ。壬子年すなわち紀元前七二九年、宋國の國君は去世し、君位を弟の穆公に讓った。《春秋》に按ればこれは宋宣公が位を讓るであり、底本は「桓公」と作る。その餘の各年は事なし。

甲寅、乙卯、丙辰。丁巳,晉曲沃莊伯入翼,殺其君孝侯。國人逐莊伯,立孝侯子,是謂鄂侯。戊午。己未,魯隱公立。庚申。辛酉,周平王崩,其孫林立,是謂桓王,與鄭交惡。宋穆公病,讓其兄之子殤公,世子馮奔鄭。壬戌,衛公子州籲作難,弒其君桓公,代立。宋會陳、蔡、衛三國之師伐衛,殺州籲於濮,國人迎公之弟晉於邢而立之,是謂宣公。癸亥,晉曲沃莊伯以鄭邢之師攻翼。王使尹氏、武氏為之助。翼侯出奔隨,莊伯叛王。王使虢伐莊伯。莊伯復奔曲沃。晉人及虢侯立翼侯子光,是謂哀侯。鄭伐宋。

甲寅から丙辰の三年は事なし。丁巳年すなわち紀元前七二四年、晉曲沃の莊伯は晉都の翼城に攻め入って、國君の孝侯を殺した。國人は莊伯を驅逐し、別に孝侯の子を立てた。すなわち晉鄂侯である。己未年すなわち紀元前七二二年、魯隱公が即位した。《春秋》の編年は正にこの年より筆を起こし、後世のいわゆる「春秋時代」もまたここに由って始まる。辛酉年すなわち紀元前七二〇年、周平王は去世し、太子が早く死したに因り、その孫の姬林に由って位を繼がれた。すなわち周桓王である。桓王は鄭莊公とここから交惡した。同年宋穆公は病重く、君位を兄の宣公の子の與夷に讓還した。すなわち宋殤公で、己の兒子の公子馮は鄭國に出奔した。壬戌年すなわち紀元前七一九年、衞國の公子州吁は難を發して國君の桓公を殺して自ら立ち、宋國は陳・蔡・衞の三國の師を聯合して衞國を討伐し、濮の地にて州吁を殺し、國人は邢國に至って桓公の弟の晉を迎還して立てて君と為した。すなわち衞宣公である。癸亥年すなわち紀元前七一八年、晉曲沃の莊伯は鄭・邢の兩國の軍隊を借りて翼城を進攻し、周桓王は尹氏・武氏を派して戰を助けしめた。翼侯は隨に出奔し、隨後莊伯はまた周王に背叛し、桓王は改めて虢公を派して莊伯を討伐せしめ、莊伯は曲沃に逃歸した。晉人は虢侯とともに翼侯の子の光を擁立して君と為した。すなわち晉哀侯である。同年鄭國は宋國を討伐した。

經世之寅二千二百一十一。甲子,周桓王三年,晉翼侯自隨入於鄂,是謂鄂侯。乙丑,晉曲沃莊伯卒,子稱繼,是謂武公。丙寅,宋、齊、衛之君盟於瓦屋。丁卯,秦自汧渭之間徙居郿。戊辰,齊會魯、鄭之師伐宋。己巳,魯亂,公子翬殺其君隱公,立惠公之子,是謂桓公,翬為之輔。庚午。辛未,宋亂,太宰華督殺司馬孔父,及弒其君殤公,迎穆公子馮於鄭而立之,是謂莊公。壬申,晉曲沃武公敗晉師於汾旁,獲哀侯。晉人立其子,是謂小子侯。癸酉,晉曲沃武公弒其君哀侯於曲沃。

第二千二百十一世は寅世に屬し、紀元前七一七年から前六八八年に當たる。甲子年すなわち紀元前七一七年は、周桓王の在位の第三年で、晉國が出奔した翼侯は隨の地より鄂邑に回って、因って鄂侯と稱した。乙丑年すなわち紀元前七一六年、晉曲沃の莊伯は去世し、その子の稱が繼立した。すなわち曲沃武公である。丙寅年すなわち紀元前七一五年、宋・齊・衞の三國の君は瓦屋に會盟した。丁卯年すなわち紀元前七一四年、秦國は汧渭の間より郿に遷都した。戊辰年すなわち紀元前七一三年、齊國は魯・鄭の兩國の師を聯合して宋國を討伐した。己巳年すなわち紀元前七一二年、魯國は內亂し、公子翬は國君の隱公を殺して、改めて惠公の子の允を立てた。すなわち魯桓公で、公子翬は彼の輔政大臣と為った。辛未年すなわち紀元前七一〇年、宋國は內亂し、太宰の華督は司馬の孔父嘉を殺し、進んで國君の殤公を弑殺し、鄭國より穆公の子の馮を迎還して立てて國君と為した。すなわち宋莊公である。壬申年すなわち紀元前七〇九年、晉曲沃武公は汾水の旁で晉軍を撃敗し、哀侯を俘獲した。晉人は別に哀侯の子を立てた。すなわち晉小子侯である。癸酉年すなわち紀元前七〇八年、曲沃武公は曲沃に於て俘えられた晉哀侯を殺した。

甲戌,周桓王以蔡、衛、陳之師伐鄭,不利,矢中王肩。乙亥,蔡人殺陳佗,北戎伐齊,鄭使公子忽救之。楚伐隨,俾請王之號於周。丙子,晉曲沃武公入翼,殺小子侯。王使虢仲伐稱,稱復歸曲沃。虢仲立哀侯弟緡。丁丑,秦亂,寧公卒,三父廢世子而更立出子。是年楚熊通伐隨,東開地至濮上,遂稱王,是謂武王。戊寅、己卯。庚辰,鄭莊公卒,世子忽繼。宋執鄭祭仲立突,是謂厲公。忽奔衛。祭仲專政。衛宣公殺其二子伋、壽。辛巳,衛宣公卒,子朔立,是謂惠公。壬午,齊會宋、衛、燕伐魯,不利。癸未,秦三父殺出子,而立世子,是謂武公。齊釐公卒,世子諸兒繼,是謂襄公。宋會齊、蔡、陳伐鄭。

甲戌年すなわち紀元前七〇七年、周桓王は蔡・衞・陳の三國の師を率いて鄭國を討伐し、繻葛にて敗戰し、鄭將の祝聃の一箭は桓王の肩膀に射中った。天子の威信はここから地に掃き、諸侯が霸を爭う時代は正式に來臨した。乙亥年すなわち紀元前七〇六年、蔡國人は陳佗を殺し、北戎は齊國を進攻し、鄭國は公子忽を派して兵を領して救援せしめ、楚國は隨國を討伐して、隨國に逼ってそれに代わって周天子に王號を請わしめた。丙子年すなわち紀元前七〇五年、晉曲沃武公は翼城に攻め入って小子侯を殺した。周桓王は虢仲を派して武公(名は稱)を討伐せしめ、武公は曲沃に退回し、虢仲は哀侯の弟の緡を立てて晉君と為した。丁丑年すなわち紀元前七〇四年、秦國は內亂し、寧公は去世し、大庶長の三父は太子を廢して改めて出子を立てた。同年楚君の熊通は隨國を討伐し、東に土地を開拓して濮水の一帶に至り、ここに於て自ら王と立ち、すなわち楚武王である。これは諸侯が王號を僭稱する始めである。庚辰年すなわち紀元前七〇一年、鄭莊公は去世し、太子の忽が位を繼いだ。宋國は鄭國の執政の祭仲を扣押して、彼に逼って改めて公子突を立てしめた。すなわち鄭厲公で、忽は衞國に出奔し、祭仲はここから權を專らにした。同年衞宣公は己の兩つの兒子の伋と壽を殺した。辛巳年すなわち紀元前七〇〇年、衞宣公は去世し、その子の朔が位を繼いだ。すなわち衞惠公である。壬午年すなわち紀元前六九九年、齊國は宋・衞・燕に會同して魯國を討伐したが、勝を得る能わず。癸未年すなわち紀元前六九八年、秦國の三父は出子を殺して、改めて原太子を立てた。すなわち秦武公である。齊釐公は去世し、太子の諸兒が位を繼いだ。すなわち齊襄公である。宋國は齊・蔡・陳に會同して鄭國を討伐した。

甲申,周桓王崩,太子佗嗣立,是謂莊王。鄭祭仲殺雍糾而逐厲公,迎忽反政,是謂昭公。秦伐彭戲氏於華山。齊襄公削公子無知祿。宋會魯、衛、陳伐鄭。乙酉,衛公子伋、壽傅逐惠公,立伋之弟黔牟。公出奔齊。宋會魯、衛、陳、蔡伐鄭。丙戌,秦夷三父族。鄭高渠彌弒其君昭公,立其弟子亹,渠彌專政。丁亥,周有黑肩之難。齊襄公殺魯桓公於濼,立其子同,是謂莊公。又會諸侯於首止,殺鄭子亹,高渠彌逃歸,與祭仲迎公子嬰於陳,立之。戊子,周王姬下嫁於齊。己丑,周葬桓王。庚寅。辛卯,周伐隨,責尊楚也。齊伐紀,紀侯大去其國。楚王帥師伐隨,子貲繼,是謂文王,始都郢。壬辰,齊會宋、魯、陳、蔡伐衛,入惠公。癸巳,衛惠公復入,殺二公子傅,黔牟奔周。

甲申年すなわち紀元前六九七年、周桓王は去世し、太子の佗が位を繼いだ。すなわち周莊王である。鄭國の祭仲は婿の雍糾を殺して鄭厲公を驅逐し、公子の忽を迎還して位に復らしめた。すなわち鄭昭公である。秦國は華山の一帶にて彭戲氏を討伐した。齊襄公は從弟の公子無知の俸祿を削減し、後日の無知が亂を作す禍根を埋下した。宋國は魯・衞・陳に會同して鄭國を討伐した。乙酉年すなわち紀元前六九六年、衞國の公子伋と壽の師傅は衞惠公を驅逐し、改めて伋の弟の黔牟を立て、惠公は齊國に出奔した。宋國は魯・衞・陳・蔡に會同して鄭國を討伐した。丙戌年すなわち紀元前六九五年、秦國は三父の一族を誅滅した。鄭國の大夫の高渠彌は國君の昭公を殺して、改めてその弟の子亹を立て、ここから權を專らにした。丁亥年すなわち紀元前六九四年、周王室に周公黑肩が逆を謀るの難が生じた。齊襄公は濼の地にて會しに來た魯桓公を殺し、魯人はその子の同を立てて君と為した。すなわち魯莊公である。齊襄公はまた首止にて諸侯を會合して鄭子亹を殺し、高渠彌は逃歸して、祭仲とともに陳國より公子嬰を迎還して立てて鄭君と為した。戊子年すなわち紀元前六九三年、周王室の王姬は齊國に下嫁した。己丑年すなわち紀元前六九二年、周朝は桓王を安葬した。その去世よりすでに五年を隔て、王室の衰えを見るべし。辛卯年すなわち紀元前六九〇年、周朝は隨國を討伐して、それが楚王を尊奉する罪を問うた。齊國は紀國を討伐し、紀侯は迫られて永く己の國家を離れた。楚武王は自ら兵を領して隨を伐って、軍中に死し、その子の貲が位を繼いだ。すなわち楚文王で、始めて郢に都を建てた。壬辰年すなわち紀元前六八九年、齊國は宋・魯・陳・蔡に會同して衞國を討伐し、惠公を護送して國に歸らしめた。癸巳年すなわち紀元前六八八年、衞惠公は重ねて國に入り、伋・壽の二公子の師傅を殺し、黔牟は周に出奔した。

經世之卯二千二百一十二。甲午,周莊王十年,秦滅小虢。乙未,齊公子無知以葵丘之戍卒入弒襄公,代立。公子糾奔魯,小白奔莒。丙申,齊人殺無知,公子小白入,是謂桓公。糾後入,不克。齊伐魯,殺糾,其傅召忽死之。管仲請囚,又相桓公。丁酉,魯敗齊師於長勺,敗宋師於乘丘。楚敗蔡師於莘,以蔡侯獻舞歸。自是江漢之國皆服於楚。戊戌。己亥,周莊王崩,太子胡齊嗣位,是謂釐王。宋亂,南宮萬弒其君湣公及其大夫仇牧,太宰華督,立公子游,群公子奔蕭,攻萬。及殺遊,立公弟御說,是謂桓公。

第二千二百十二世は卯世に屬し、紀元前六八七年から前六五八年に當たる。甲午年すなわち紀元前六八七年は、周莊王の在位の第十年で、秦國は小虢を滅した。乙未年すなわち紀元前六八六年、齊國の公子無知は葵丘を戍守する士卒を率いて國都に攻め入り、齊襄公を殺して自ら立ち、公子糾は魯國に出奔し、公子小白は莒國に出奔した。丙申年すなわち紀元前六八五年、齊人は無知を殺し、公子小白は先んじて國に歸って即位した。すなわち齊桓公である。公子糾は隨後ややに至るも成功せず。齊國は兵を出して魯を伐ち、魯人に逼って公子糾を殺させ、糾の師傅の召忽は彼の為に殉死し、もう一人の師傅の管仲は則ち己を囚送して齊に致すを請い、後に卻って齊桓公の相國と為った。丁酉年すなわち紀元前六八四年、魯國は長勺にて齊軍を撃敗した。すなわち曹劌論戰の役で、また乘丘にて宋軍を撃敗した。楚國は莘の地にて蔡軍を撃敗し、蔡侯の獻舞を俘虜して國に歸り、ここから江漢の一帶の小國は皆楚國に歸服した。己亥年すなわち紀元前六八二年、周莊王は去世し、太子の胡齊が位を繼いだ。すなわち周釐王である。宋國は內亂し、南宮萬は國君の湣公および大夫の仇牧・太宰の華督を殺して、改めて公子游を立て、その餘の公子は蕭邑に出奔して竝びに兵を起こして南宮萬を反攻して、公子游を殺し、改めて湣公の弟の御説を立てた。すなわち宋桓公である。

庚子,齊會宋、陳、蔡、邾之師伐魯,三敗之,取遂。又會魯於柯,遂復其侵地,曹沫劫盟故也。辛丑,齊會陳、曹及王人伐宋。楚師入蔡。壬寅,齊桓公會宋、陳、衛、鄭之君,盟於鄄。晉曲沃武公滅翼,以重寶入周,得請為諸侯。癸卯,齊桓公會陳、宋、魯、衛、鄭、許、滑、滕之君,盟於幽。秦武公卒,弟德公立。楚滅鄧。甲辰,周釐王崩,太子閬嗣位,是謂惠王。晉武公卒,子獻公詭諸繼。秦徙居雍。楚文王卒,世子囏繼,是謂杜敖。乙巳,秦德公卒,子宣公繼。

庚子年すなわち紀元前六八一年、齊國は宋・陳・蔡・邾の師に會同して魯國を討伐し、三戰三勝して遂邑を奪取した。隨後齊・魯は柯の地に會盟し、齊國はまた侵佔した土地を歸還した。これは魯將の曹沫が盟壇の上に齊桓公を劫持して地を索め、桓公は迫られて應允した後にまた管仲の勸に依って信を守って悔いず、天下はここに由ってその信義に服した。辛丑年すなわち紀元前六八〇年、齊國は陳・曹および周王の使者に會同して宋國を討伐し、楚軍は蔡國に攻め入った。壬寅年すなわち紀元前六七九年、齊桓公は宋・陳・衞・鄭の君を會合して鄄の地に會盟し、齊國の霸業はここから確立した。同年晉曲沃武公は翼城の晉侯を滅し、掠得した重寶を周王に獻て、因って獲て正式に諸侯に列せられた。曲沃が翼に代わる六十七年の內戰はここに至って告終した。癸卯年すなわち紀元前六七八年、齊桓公は陳・宋・魯・衞・鄭・許・滑・滕の君を會合して幽の地に會盟した。秦武公は去世し、弟の德公が位を繼いだ。楚國は鄧國を滅した。甲辰年すなわち紀元前六七七年、周釐王は去世し、太子の閬が位を繼いだ。すなわち周惠王である。晉武公は去世し、その子の獻公の詭諸が位を繼いだ。秦國は雍に遷都した。楚文王は去世し、太子の囏が位を繼いだ。すなわち楚杜敖である。乙巳年すなわち紀元前六七六年、秦德公は去世し、その子の宣公が位を繼いだ。

丙午。丁未,周有五大夫之難。邊伯、石速、蘇國以蔡衛之師攻王。立弟頹。王出居鄭之櫟。戊申,鄭厲公及虢叔入王於成周,殺頹,而執仲父及五大夫,難遂平。己酉,秦作密畤,敗晉師於河。晉伐驪,獲女以為姬。陳公子完奔齊。楚亂,弟惲殺其君囏,代立,是謂成王。庚戌,楚修好於周及諸侯。辛亥,衛惠公卒,子懿公繼。壬子,晉有驪姬之難,殺群公子,自翼徙居絳。癸丑,晉伐虢,責內群公子也。

丙午年は事なし。丁未年すなわち紀元前六七四年、周王室に五大夫の難が生じた。邊伯・石速と蘇國とは蔡・衞の兩國の軍隊を借りて惠王を攻打し、惠王の弟の頹を擁立して王と為し、惠王は迫られて鄭國の櫟邑に出居した。戊申年すなわち紀元前六七三年、鄭厲公と虢叔とは惠王を護送して成周に回り、王子頹を殺し、首を為す仲父および五大夫を捉え、この王室の亂はややに平定した。己酉年すなわち紀元前六七二年、秦國は密畤を修建して天を祭り、また黄河の邊で晉軍を撃敗した。晉國は驪戎を討伐して、驪姬を俘獲して妃嬪に納れた。陳國の公子完(田完)は齊國に出奔して、後の田氏が齊に代わるの始祖と為った。楚國は內亂し、杜敖の弟の惲は國君の囏を殺して自ら立ち、すなわち楚成王である。庚戌年すなわち紀元前六七一年、楚國は周王室および中原の諸侯と修好した。辛亥年すなわち紀元前六七〇年、衞惠公は去世し、その子の懿公が位を繼いだ。壬子年すなわち紀元前六六九年、晉國に驪姬の難が生じ、獻公は驪姬の讒を聽き入れて、公族の群公子を盡く殺し、竝びに都城を翼より絳に遷した。癸丑年すなわち紀元前六六八年、晉國は虢國を討伐して、それが晉國の出奔せる公子を收留する罪を問うた。

甲寅,周惠王錫齊桓公,命為伯。乙卯,晉城曲沃及蒲。楚伐鄭。丙辰。丁巳,齊伐山戎,至於孤竹,以救燕,俾修貢天子。秦宣公卒,弟成公立,楚殺令尹子元,以斗谷、於菟為令尹。戊午。己未,魯亂,叔牙弒其君莊公,開立,是謂湣公。季友立世子班,不克,奔陳。庚申,晉滅霍、魏、耿,以耿封趙夙,以魏封畢萬。辛酉,魯亂,慶父以莊姜弒湣公,代立。季友逐慶父,而立公子申,是謂僖公。狄滅衛,殺懿公。齊桓公攘戎狄,而立戴公,東徙渡河,野處漕邑。戴公卒,弟毀立。是謂文公,自漕邑徙居楚丘。晉伐東山皋落氏。秦成公卒,弟任好立,是謂穆公。壬戌,秦伐茅津,齊會宋、鄭、魯、曹、邾之君於檉。癸亥,齊城楚丘,以居衛,又會江、黃之君於貫。晉滅虢。

甲寅年すなわち紀元前六六七年、周惠王は齊桓公に命を賜い、正式に彼を任じて諸侯の長と為し、齊桓公の霸主の地位は天子の承認を得た。乙卯年すなわち紀元前六六六年、晉國は曲沃と蒲城を修筑し、楚國は鄭國を討伐した。丁巳年すなわち紀元前六六四年、齊國は山戎を討伐し、一路孤竹に打ち至り、為に燕國を救援し、竝びに燕國をして重ねて天子に進貢せしめた。秦宣公は去世し、弟の成公が位を繼いだ。楚國は令尹の子元を殺し、改めて鬥穀於菟すなわち令尹子文を用いて執政せしめた。己未年すなわち紀元前六六二年、魯國は內亂し、叔牙は國君の莊公を弑殺するに參與し、公子開が立てられて君と為った。すなわち魯湣公である。季友は原く太子般を擁立せんと欲して成功せず、陳國に出奔した。庚申年すなわち紀元前六六一年、晉國は霍・魏・耿の三國を滅し、耿の地を趙夙に封じ、魏の地を畢萬に封じ、趙・魏の兩家の根基はここに由って起こった。辛酉年すなわち紀元前六六〇年、魯國は再び亂れ、慶父は哀姜の力を借りて湣公を殺して自ら立ち、季友は慶父を驅逐し、改めて公子申を立てて君と為した。すなわち魯僖公である。同年狄人は衞國を滅し、衞懿公を殺し、齊桓公は兵を出して戎狄を驅逐し、衞戴公を扶立し、衞人は東して黄河を渡り、漕邑に露宿し、戴公の去世の後は弟の燬に由って位を繼がれた。すなわち衞文公で、漕邑より楚丘に遷居した。晉國は東山皋落氏を討伐した。秦成公は去世し、弟の任好が位を繼いだ。すなわち秦穆公である。壬戌年すなわち紀元前六五九年、秦國は茅津の戎を討伐し、齊國は檉の地にて宋・鄭・魯・曹・邾の君を會合した。癸亥年すなわち紀元前六五八年、齊國は衞國の為に楚丘城を修筑して安居せしめ、また江・黄の兩國の君と貫の地に會盟し、晉國は虢國を滅した。

經世之辰二千二百一十三。甲子,周惠王二十年,齊會江、黃之君於陽穀。乙丑,齊會宋、魯、衛、鄭、許、曹之師伐蔡,遂入楚,盟於召陵,執陳轅濤塗。晉殺世子申生,公子重耳走蒲,夷吾奔屈。秦娶晉女為夫人。丙寅,齊桓公會陳、宋、魯、衛、鄭、許、曹之君,及王世子,盟於首止。晉伐蒲,重耳奔翟。又伐虞及虢,虢君奔周。是年,秦始得志於諸侯,百里奚、蹇叔為之輔。楚滅弦。丁卯,齊伐鄭。晉伐屈,夷吾奔梁。戊辰。

第二千二百十三世は辰世に屬し、紀元前六五七年から前六二八年に當たり、正に齊桓公・晉文公の兩代の霸業の三十年である。甲子年すなわち紀元前六五七年は、周惠王の在位の第二十年で、齊國は江・黄の兩國の君と陽谷に會盟した。乙丑年すなわち紀元前六五六年、齊國は宋・魯・衞・鄭・許・曹の師を率いて蔡國を討伐し、接いで直に楚境に入り、楚と召陵に結盟し、竝びに陳國の大夫の轅濤涂を拘捕した。同年晉獻公は太子の申生を殺し、公子重耳は蒲城に逃れ、夷吾は屈邑に逃れた。秦國は晉の女を娶って夫人と為し、秦晉の好はここに由って始まる。丙寅年すなわち紀元前六五五年、齊桓公は陳・宋・魯・衞・鄭・許・曹の君および周王の太子を會合して首止に會盟した。晉國は蒲城を攻打し、重耳は翟國に出奔した。晉國はまた「道を假りて虢を伐つ」の計を用いて虞・虢を攻滅し、虢君は周室に逃奔した。この年秦國は始めて諸侯の間に志を得て、百里奚・蹇叔はその輔臣と為った。楚國は弦國を滅した。丁卯年すなわち紀元前六五四年、齊國は鄭國を討伐し、晉國は屈邑を攻打し、夷吾は梁國に出奔した。戊辰年は事なし。

己巳,周惠王崩,太子鄭嗣位,是謂襄王。太叔作難。齊帥宋、衛、許、曹、陳、會王入於洮。晉伐翟,不利於桑。庚午,齊桓公會宰孔、周公及宋、衛、鄭、許、曹之君於葵丘。宋襄公立。晉獻公卒,公子奚齊立,大夫裡克及丕鄭殺之,大夫荀息立其弟卓子。辛未,晉裡克殺其君卓子及大夫荀息,而納夷吾。夷吾入,是謂惠公。惠公既立,殺裡克而絕秦。壬申,周亂,叔帶以戍伐周,秦、晉來救。癸酉,齊使管仲平周難。楚滅黃。

己巳年すなわち紀元前六五二年、周惠王は去世し、太子の鄭が位を繼いだ。すなわち周襄王である。惠王の少子の太叔帶は難を發して位を爭い、齊國は宋・衞・許・曹・陳の諸國を率いて襄王と洮の地に相會して、王位を穩定した。同年晉國は翟人を討伐して桑の地に失利した。庚午年すなわち紀元前六五一年、齊桓公は葵丘にて周王の使者の宰孔・周公および宋・衞・鄭・許・曹の君を會合した。これすなわち著名なる葵丘の會で、齊桓の霸業はここに至って登峰造極した。宋襄公が即位した。晉獻公は去世し、公子奚齊が立てられ、大夫の里克と丕鄭とが彼を殺し、大夫の荀息はまた奚齊の弟の卓子を立てた。辛未年すなわち紀元前六五〇年、晉國の里克は國君の卓子と大夫の荀息を殺して、夷吾を迎還し、夷吾は即位してすなわち晉惠公と為った。惠公は立脚穩まった後に反手して里克を殺し、また當初の地を割くの承諾を背棄して秦國と斷交した。壬申年すなわち紀元前六四九年、周室は亂を生じ、太叔帶は戍卒を帶いて王城を攻打し、秦・晉の兩國は兵を出して救いに來た。癸酉年すなわち紀元前六四八年、齊桓公は管仲を派して周室の難を平定せしめ、楚國は黄國を滅した。

甲戌,齊桓公會宋、陳、魯、衛、鄭、許、曹之君,盟於滷。晉飢,秦輸之粟。乙亥,秦飢,晉閉之糴,而又伐之。楚滅英。丙子,齊桓公會宋、陳、魯、衛、鄭、許、曹之君,盟於葵丘,以救徐。管仲卒,易牙專政。秦伐晉,敗之於韓原,獲其君夷吾,夷吾獻河西地,乃得還。仍以世子圉為質。丁丑,戎攻周,齊會諸侯師戍周,又會宋、魯、陳、鄭、許、邢、曹之君於淮,以全鄫。戊寅,齊桓公卒,五公子爭國。公子無詭立,易牙專政,世子昭出奔宋。己卯,宋會曹、衛、邾伐齊,敗殺無詭,四公子,立世子昭,是謂孝侯。狄伐衛。庚辰,秦滅梁。辛巳。壬午,宋襄公會楚、陳、蔡、鄭、許、曹六國之君於盂。楚成王執宋襄公於會以伐宋,盟而釋之。癸未,齊入王叔帶於周,秦晉徙陸渾之戎於伊川。宋會衛、許、滕伐鄭,不利。晉公子圉自秦逃歸,楚救鄭,大敗宋師於泓。

甲戌年すなわち紀元前六四七年、齊桓公は宋・陳・魯・衞・鄭・許・曹の君を會合して鹵の地に會盟した。この年晉國は饑饉し、秦國は船隊を用いて糧を運んで相救した。史に「泛舟之役」と稱す。乙亥年すなわち紀元前六四六年、番は秦國が饑饉し、晉國は卻って糧市を封閉して糧を賣るを肯んぜず、反って兵を出して秦を攻めた。楚國は英國を滅した。丙子年すなわち紀元前六四五年、齊桓公は諸侯を會合して再び葵丘に盟して、以って徐國を援救した。管仲は去世し、佞臣の易牙は始めて權を專らにした。秦國は晉を伐って韓原にて晉軍を大敗し、晉惠公の夷吾を俘虜し、夷吾は河西の地を獻出してややに放還を得、また太子の圉を送って人質と為さねばならなかった。丁丑年すなわち紀元前六四四年、戎人は周室を進攻し、齊國は諸侯を會合して兵を出して王城を戍衞し、また宋・魯・陳・鄭・許・邢・曹の君と淮の地に相會して、以って鄫國を保全した。戊寅年すなわち紀元前六四三年、齊桓公は去世し、五つの公子が君位を爭い、公子無詭が即位し、易牙は權を專らにし、太子昭は宋國に出奔し、齊國の霸業はここに至って中止した。己卯年すなわち紀元前六四二年、宋國は曹・衞・邾に會同して齊國を討伐し、擊敗して無詭および別の四位の位を爭う公子を殺し、太子昭を扶立した。すなわち齊孝公で、底本は「孝侯」と作る。同年狄人は衞國を進攻した。庚辰年すなわち紀元前六四一年、秦國は梁國を滅した。壬午年すなわち紀元前六三九年、宋襄公は盂の地にて楚・陳・蔡・鄭・許・曹の六國の君を會合し、楚成王は會の上に宋襄公を抓めて竝びに兵を進めて宋を伐ち、盟を訂した後に釋放した。癸未年すなわち紀元前六三八年、齊國は王子帶を周室に送回し、秦・晉は陸渾の戎を伊川に遷した。宋國は衞・許・滕に會同して鄭國を討伐して失利した。晉公子の圉は秦國より私自に逃歸した。楚國は鄭を救い、泓水にて宋軍を大敗し、宋襄公は「鼓不成列ならざるに因って」重傷した。

甲申,周頹叔桃子以狄師伐鄭,遂以狄女隗氏為後。宋襄公卒,子成公壬臣繼。齊伐宋,楚伐陳。乙酉,周襄王廢狄後,頹叔桃子以狄師攻周。王出居鄭之汜,叔帶代立,與狄後居於溫。晉有郄芮之難。惠公卒,世子圉繼,是謂懷公。秦穆公使人殺之,而立公子重耳,是謂文公。趙衰為原大夫,專政。丙戌,秦晉之師滅王叔帶於溫,而納王於成周。王享晉文公於郟,而命益之河內地。衛文公卒,世子成公鄭繼。楚圍陳,以入頓子。丁亥,宋背楚親晉,楚滅夔伐宋,又伐齊。戊子,齊孝公卒,弟潘父殺世子,代立,是謂昭公。晉救宋,作三軍。楚使子玉伐宋。己丑,周襄王狩於河陽。晉會齊、宋、蔡、秦之師伐衛,大敗楚師於城濮,遂會齊、宋、蔡、鄭、魯、衛之君,盟於踐土。楚救鄭,不利,殺令尹子玉得臣。庚寅,晉會王人及諸侯於翟泉。辛卯,衛成公自陳如周,周請晉納成公於衛,而誅大夫元咺及公子瑕。秦、晉圍鄭。壬辰,魯取濟西田,衛徙居帝丘。癸巳,晉文公卒,世子歡繼,是謂襄公。

甲申年すなわち紀元前六三七年、周大夫の頹叔・桃子は狄人の軍隊を帶いて鄭國を討伐し、襄王はここに於て狄女の隗氏を娶って王后と為した。宋襄公は泓水の傷に因って去世し、その子の成公壬臣が位を繼いだ。齊國は宋を伐ち、楚國は陳を伐った。乙酉年すなわち紀元前六三六年、周襄王は狄后を廢し、頹叔・桃子はまた狄師を帶いて周室を攻打し、襄王は鄭國の氾の地に出居し、叔帶は自ら立って王と為り、狄后と温に同居した。晉國に郤芮の難が生じ、惠公は去世し、太子の圉が位を繼いで、すなわち晉懷公で、秦穆公は人を派して懷公を殺し、流亡十九年の公子重耳を扶立した。すなわち晉文公で、趙衰は原邑の大夫と為って國政を執掌した。丙戌年すなわち紀元前六三五年、秦・晉の聯軍は温の地にて王子帶を消滅し、襄王を成周に送回した。襄王は郟の地に宴を設けて晉文公を款待し、竝びに河內の地を加賜し、晉國の霸業はここに由って奠定された。衞文公は去世し、太子の成公鄭が位を繼いだ。楚國は陳國を圍困して、頓子を本國に送回した。丁亥年すなわち紀元前六三四年、宋國は楚國を背棄して轉じて晉國に親附し、楚國は夔國を滅して竝びに兵を出して宋を伐ち、また齊國を討伐した。戊子年すなわち紀元前六三三年、齊孝公は去世し、その弟の潘は太子を殺して自ら立ち、すなわち齊昭公である。晉國は兵を出して宋を救い、竝びに上中下の三軍に擴編した。楚國は子玉を派して宋を伐たせた。己丑年すなわち紀元前六三二年、周襄王は河陽に巡狩した。實は晉文公が王を召しに而《春秋》は諱んで書したものである。晉國は齊・宋・蔡・秦の師を會合して衞を伐ち、城濮にて楚軍を大敗し、隨後齊・宋・蔡・鄭・魯・衞の君を會合して踐土に會盟し、晉文公は正式に稱霸した。楚國は鄭を救うに失利し、令尹の子玉の成得臣は自殺した。庚寅年すなわち紀元前六三一年、晉國は周王の使者および諸侯と翟泉に相會した。辛卯年すなわち紀元前六三〇年、衞成公は陳國より周に至り、周王は晉國に請うて成公を送って衞に歸り位に復らせ、竝びに大夫の元咺と公子瑕を誅殺した。同年秦・晉は聯合して鄭を圍んだ。すなわち燭之武が秦師を退かすの役である。壬辰年すなわち紀元前六二九年、魯國は濟西の田を取得し、衞國は帝丘に遷都した。癸巳年すなわち紀元前六二八年、晉文公は去世し、太子の驩が位を繼いだ。すなわち晉襄公である。

經世之巳二千二百一十四。甲午,周襄王二十五年,秦穆公伐鄭,晉敗秦師於殽,獲其帥孟明視、西乞術、白乙丙。魯僖公卒,世子興繼,是謂文公。乙未,晉歸秦三帥。楚亂,世子商臣殺其君惲,代立,是謂穆王。丙申,秦伐晉,不利於彭衙。丁酉,秦伐晉,取王官。楚伐江,晉師來救。戊戌,秦伐西戎,破國十二。楚滅江。己亥,晉趙成子衰卒,子盾繼,事楚滅六。

第二千二百十四世は巳世に屬し、紀元前六二七年から前五九八年に當たる。甲午年すなわち紀元前六二七年は、周襄王の在位の第二十五年で、秦穆公は蹇叔の勸阻を聽かず、晉境を越えて鄭國を偷襲し、師を回らす途中に晉軍に殽山にて伏擊され、全軍覆没し、三位の主帥の孟明視・西乞術・白乙丙は皆俘虜とされた。同年魯僖公は去世し、太子の興が位を繼いだ。すなわち魯文公である。乙未年すなわち紀元前六二六年、晉國は秦國の三位の主帥を放歸した。楚國は內亂し、太子の商臣は國君の成王熊惲を逼死せしめて自ら立ち、すなわち楚穆王である。丙申年すなわち紀元前六二五年、秦國は晉を伐って彭衙に失利した。丁酉年すなわち紀元前六二四年、秦國は再度晉を伐って王官を奪取した。楚國は江國を討伐し、晉軍は前來救援した。戊戌年すなわち紀元前六二三年、秦國は轉じて西に向かって發展し、西戎を討伐して十二の部族の國を攻破し、遂に西戎に霸たり。楚國は江國を滅した。己亥年すなわち紀元前六二二年、晉國の趙成子趙衰は去世し、その子の趙盾はその位を繼承して竝びに國政を主持した。楚國は六國を滅した。

庚子,秦穆公卒,世子罃繼,是謂康公。葬穆公,三良為殉。晉襄公卒。辛丑,晉世子夷皋繼,是謂靈公。宋成公卒,國亂,弟御殺世子,代立。國人殺御,公立子杵臼,是謂昭公。齊率宋、衛、陳、鄭、許、曹之君,會趙盾於扈。壬寅,周襄王崩,太子壬臣嗣位,是謂頃王。癸卯,周葬襄王。晉會諸侯入救鄭。秦伐晉,取武遂。甲辰,晉伐秦,取少梁。秦伐晉,取比徵。乙巳,魯敗狄於滷,獲其帥喬如。丙午,秦伐晉,取羈馬。

庚子年すなわち紀元前六二一年、秦穆公は去世し、太子の罃が位を繼いだ。すなわち秦康公である。穆公を安葬する時子車氏の三位の良臣をもって殉葬と為し、《詩經・黄鳥》はすなわちこの事を哀悼するもので、秦人の國勢もまた因って受挫した。同年晉襄公は去世した。辛丑年すなわち紀元前六二〇年、晉國の太子夷皋が位を繼いだ。すなわち晉靈公である。宋成公は去世し、國內は亂を生じ、その弟の公子御は太子を殺して自ら立ち、國人はまた御を殺して、成公の子の杵臼を扶立した。すなわち宋昭公である。齊國は宋・衞・陳・鄭・許・曹の君を率いて扈の地にて晉國の執政趙盾と相會した。壬寅年すなわち紀元前六一九年、周襄王は去世し、太子の壬臣が位を繼いだ。すなわち周頃王である。癸卯年すなわち紀元前六一八年、周朝は襄王を安葬し、晉國は諸侯を會合して兵を出して鄭を救い、秦國は晉を伐って武遂を奪取した。甲辰年すなわち紀元前六一七年、晉國は秦を伐って少梁を奪取し、秦國は晉を伐って比征を奪取した。乙巳年すなわち紀元前六一六年、魯國は鹵の地にて狄人を撃敗し、その主帥の長狄喬如を俘獲した。丙午年すなわち紀元前六一五年、秦國は晉を伐って羈馬を奪取した。

丁未,楚穆王卒,世子莒繼,是謂莊王。戊申,周頃王崩,國亂,公卿爭權。晉趙盾平周亂,而立王子班,是謂匡王。宋及諸侯盟於新城。齊昭公卒,國亂,公子商人殺世子舍,代立,是謂懿公。己酉,秦伐蔡,齊伐魯。庚戌,齊修郪丘之盟。宋人弒其君昭公,弟鮑立,是謂文公。楚滅庸。辛亥,晉會衛、陳、鄭伐宋。壬子,魯文公卒於臺下,襄仲殺世子惡而立公子倭,是謂宣公,三桓專政。秦康公卒,世子稻繼,是謂共公。齊亂,大夫丙歜弒其君懿公,立公子元,是謂惠公。宋亂,群公子作難。癸丑,齊取魯濟西田,晉伐鄭,楚侵陳及宋。

丁未年すなわち紀元前六一四年、楚穆王は去世し、太子の莒が位を繼いだ。すなわち後日中原に鼎を問うた楚莊王である。戊申年すなわち紀元前六一三年、周頃王は去世し、王室は亂を生じ、公卿は權柄を爭奪した。晉國の執政趙盾は出面して周亂を平定し、王子班を扶立した。すなわち周匡王である。宋國は諸侯と新城に會盟した。齊昭公は去世し、國內は亂を生じ、公子商人は太子舍を殺して自ら立ち、すなわち齊懿公である。己酉年すなわち紀元前六一二年、秦國は蔡國を討伐し、齊國は魯國を討伐した。庚戌年すなわち紀元前六一一年、齊國は郪丘の盟を重修した。宋國人は國君の昭公を殺し、その弟の鮑が位を繼いだ。すなわち宋文公である。楚國は庸國を滅した。辛亥年すなわち紀元前六一〇年、晉國は衞・陳・鄭に會同して宋國を討伐した。壬子年すなわち紀元前六〇九年、魯文公は台の下に死し、公子遂(襄仲)は太子惡を殺して改めて公子倭を立てた。すなわち魯宣公で、ここから季孫・叔孫・孟孫の三桓は魯政を專斷した。秦康公は去世し、太子の稻が位を繼いだ。すなわち秦共公である。齊國は亂を生じ、大夫の丙歜は國君の懿公を殺して、改めて公子元を立てた。すなわち齊惠公である。宋國もまた亂れ、群公子は難を發した。癸丑年すなわち紀元前六〇八年、齊國は魯國の濟西の田を奪取し、晉國は鄭を伐ち、楚國は陳國と宋國を侵犯した。

甲寅,周匡王崩,弟瑜立,是謂定王。鄭敗宋師於大棘,獲其太宰華元。晉伐鄭,秦伐晉,晉趙盾弒其君靈公。迎襄公弟黑臀於周,立之,是謂成公。乙卯,周葬匡王。楚伐陸渾之戎,遂觀兵於周郊。丙辰,鄭亂,公子作難。丁巳,晉伐陳以救鄭。秦共公卒,子稻繼,是為桓公。戊午,晉趙盾、衛孫免,侵陳。己未,晉會諸侯於黑壤。庚申,晉伐秦,楚滅舒蓼。辛酉,晉侯會宋、衛、陳、鄭於扈。陳不至,遂伐陳。晉成公卒於扈,公子據立,是謂景公。趙盾卒,子朔繼事。壬戌,齊歸魯濟西田,齊惠公卒,子無野立,是謂頃公。大夫崔杼奔衛。陳亂,夏徵舒弒其君靈公。晉伐鄭,楚師來救;楚伐鄭,晉師來救。癸亥,楚伐陳,誅夏徵舒,納公孫寧、儀行父於陳。

甲寅年すなわち紀元前六〇七年、周匡王は去世し、その弟の瑜が位を繼いだ。すなわち周定王である。鄭國は大棘にて宋軍を撃敗し、宋國の太宰の華元を俘獲した。晉國は鄭を伐ち、秦國は晉を伐った。晉國の執政趙盾の一族は國君の靈公を弑殺した。實際に手を動かしたのは趙穿なれど、史官の董狐は依然として「趙盾その君を弑す」と書し、孔子はこれを「古の良史」と稱した。隨後周室より襄公の弟の黑臀を迎還して立てて君と為した。すなわち晉成公である。乙卯年すなわち紀元前六〇六年、周朝は匡王を安葬した。楚莊王は陸渾の戎を討伐し、勢に順って周都の近郊に兵を陳して示威し、竝びに王孫滿に九鼎の輕重を詢問した。「中原に鼎を問う」はすなわちこの事を指す。丙辰年すなわち紀元前六〇五年、鄭國は亂を生じ、公子は難を發した。丁巳年すなわち紀元前六〇四年、晉國は陳を伐って以って鄭を救い、秦共公は去世し、その子の稻が位を繼いだ。すなわち秦桓公である。戊午年すなわち紀元前六〇三年、晉國の趙盾は衞國の孫免と一同して陳國を侵犯した。己未年すなわち紀元前六〇二年、晉國は黑壤にて諸侯を會合した。庚申年すなわち紀元前六〇一年、晉國は秦を伐ち、楚國は舒蓼を滅した。辛酉年すなわち紀元前六〇〇年、晉侯は扈の地にて宋・衞・陳・鄭の君を會合し、陳國は至らず、晉國はここに於て陳を伐った。晉成公は扈の地に死し、公子據が位を繼いだ。すなわち晉景公である。趙盾は去世し、その子の趙朔はその事を接掌した。壬戌年すなわち紀元前五九九年、齊國は魯國の濟西の田を歸還した。齊惠公は去世し、その子の無野が位を繼いだ。すなわち齊頃公である。大夫の崔杼は衞國に出奔した。陳國は亂を生じ、夏徵舒は國君の靈公を殺した。晉國は鄭を伐って楚國は救いに來り、楚國は鄭を伐って晉國は救いに來り、晉楚が鄭を爭うの勢はすでに成った。癸亥年すなわち紀元前五九八年、楚國は陳を伐って夏徵舒を誅殺し、逃亡した公孫寧・儀行父を陳國に送回した。

經世之午二千二百一十五。甲子,周定王十年。楚伐鄭,大敗晉師於河上。晉屠岸賈作難於下宮,殺趙朔及其族。朔妻匿於公宮,生武。乙丑,楚伐宋。丙寅,楚圍宋。丁卯,周定王殺二伯,晉滅狄及潞氏。戊辰,周宣王榭火,晉滅申氏,又平王室之亂。己巳,晉會諸侯之君於斷道。

第二千二百十五世は午世に屬し、紀元前五九七年から前五六八年に當たる。甲子年すなわち紀元前五九七年は、周定王の在位の第十年で、楚莊王は鄭を伐ち、進んで黄河の邊の邲の地にて晉軍を大敗し、楚國はここに由って晉國に取代わって霸主と為った。同年晉國の屠岸賈は下宮にて難を發し、趙朔およびその全族を殺し、趙朔の妻の莊姬は宮の中に藏れて遺腹子の趙武を生んだ。これすなわち「趙氏の孤兒」の故事の由來である。乙丑年すなわち紀元前五九六年、楚國は宋を伐った。丙寅年すなわち紀元前五九五年、楚國は宋國を圍困し、宋人は九箇月圍まれて「子を易して食し、骸を析いて爨ぐ」に至った。丁卯年すなわち紀元前五九四年、周定王は兩位の伯爵を殺し、晉國は狄人および潞氏を消滅した。戊辰年すなわち紀元前五九三年、周室の宣王廟榭は火を失い、晉國は申氏を滅し、また王室の動亂を平定した。己巳年すなわち紀元前五九二年、晉國は斷道にて諸侯の君を會合した。

庚午,魯宣公卒,世子黑肱繼,是謂成公。晉伐齊。楚莊王卒,世子審繼,是謂共王。辛未,周伐茅戎,不利。壬申,齊伐衛,敗魯、衛之師於新築。晉會諸侯之師救衛,大敗齊師於鞍。宋文公卒,子瑕繼,是謂共公,華元專國,兩盟於晉楚,會十國之人於蜀。癸酉,晉會宋、衛、魯、曹伐鄭,鄭兩伐許。甲戌,晉伐楚救鄭。

庚午年すなわち紀元前五九一年、魯宣公は去世し、太子の黑肱が位を繼いだ。すなわち魯成公である。晉國は齊を伐った。楚莊王は去世し、太子の審が位を繼いだ。すなわち楚共王で、楚國の霸業は莊王の死に隨って中衰した。辛未年すなわち紀元前五九〇年、周室は茅戎を討伐して反って失利した。壬申年すなわち紀元前五八九年、齊國は衞を伐って新筑にて魯・衞の聯軍を撃敗した。晉國は諸侯の師を會合して衞を救い、鞍の地にて齊軍を大敗した。すなわち「鞍の戰」で、晉國は重新して齊國を壓倒した。同年宋文公は去世し、その子の瑕が位を繼いだ。すなわち宋共公で、大夫の華元は國政を獨攬して、先後して晉・楚の兩面と結盟し、竝びに蜀の地にて十國の代表を會合して、後來の弭兵の議の為に先聲を開いた。癸酉年すなわち紀元前五八八年、晉國は宋・衞・魯・曹に會同して鄭國を討伐し、鄭國は兩度許國を討伐した。甲戌年すなわち紀元前五八七年、晉國は楚を伐って以って鄭を救った。

乙亥,周定王崩,太子夷嗣位,是謂簡王。晉會齊、宋、衛、魯、鄭、曹、邾、杞八國之君,盟於蟲牢。楚伐鄭。丙子,楚伐鄭,晉救鄭。是年,壽夢稱王於吳。丁丑,晉會齊、宋、魯、衛、曹、邾、莒八國之君於馬陵,以救鄭。吳王壽夢始通好中國。戊寅,晉殺大夫趙同、趙括。己卯,晉會齊、宋、魯、衛、鄭、曹、邾、杞八國之君,盟於蒲。齊頃公卒,子環繼,是謂靈公。晉伐鄭,秦伐晉,楚伐莒,入鄆。庚辰,晉景公有疾,授世子州蒲位,是謂厲公。景公卒,程嬰攻屠岸賈於公宮,滅其族,復趙武、趙朔之封邑,程嬰請死。辛巳,秦晉修夾河之盟。壬午,晉楚同盟於宋,晉敗狄於交剛。癸未,魯成公朝於周,晉會齊、宋、魯、衛、鄭、曹、邾、滕八國之師伐秦,敗之麻隧。

乙亥年すなわち紀元前五八六年、周定王は去世し、太子の夷が位を繼いだ。すなわち周簡王である。晉國は齊・宋・衞・魯・鄭・曹・邾・杞の八國の君を會合して蟲牢に會盟し、楚國は鄭を伐った。丙子年すなわち紀元前五八五年、楚國は鄭を伐ち、晉國は鄭を救った。この年壽夢は吳國にて王と稱し、僻處して東南の吳人は始めて中原の舞臺に登上した。丁丑年すなわち紀元前五八四年、晉國は馬陵にて齊・宋・魯・衞・曹・邾・莒の諸國の君を會合して以って鄭を救い、吳王壽夢は第一次中原の諸侯と通好し、晉國は「吳に聯して楚を制す」の策を用いた。戊寅年すなわち紀元前五八三年、晉國は大夫の趙同・趙括を殺した。己卯年すなわち紀元前五八二年、晉國は八國の君を會合して蒲の地に會盟した。齊頃公は去世し、その子の環が位を繼いだ。すなわち齊靈公である。晉國は鄭を伐ち、秦國は晉を伐ち、楚國は莒を伐って竝びに鄆城に攻め入った。庚辰年すなわち紀元前五八一年、晉景公は病に患って、君位を太子州蒲に傳えた。すなわち晉厲公である。景公の去世の後、程嬰は公宮に於て屠岸賈を攻殺して竝びにその族を滅し、趙氏の為に平反して趙武・趙朔の封邑を恢復し、程嬰は隨後自ら一死を請いて當年孤を託せし公孫杵臼に報いた。辛巳年すなわち紀元前五八〇年、秦・晉は夾河の地にて盟好を重修した。壬午年すなわち紀元前五七九年、晉・楚は宋國にて同盟を訂立した。これは華元の促成した第一次の弭兵である。晉國は交剛にて狄人を撃敗した。癸未年すなわち紀元前五七八年、魯成公は周王に朝見し、晉國は齊・宋・魯・衞・鄭・曹・邾・滕の八國の師を會合して秦を伐ち、麻隧にて秦軍を大敗した。

甲申,秦桓公卒,子景公繼。乙酉,晉會諸侯之君於戚。宋共公卒,國亂,大司馬唐山殺世子肥,右師華元、左師魚石誅唐山,而立公子成,是謂平公。楚遷許於葉。吳大會諸侯之君於鍾離。丙戌,晉伐鄭,大敗楚師於鄢陵。楚救鄭,不克,矢中王目,誅令尹側。丁亥,晉會諸侯盟於柯陵。是年,晉殺三郤。戊子,晉亂,欒書弒其君厲公,迎公子周於周,立之,是謂悼公。魯成公卒,子午繼,是謂襄公。楚會鄭,伐宋彭城。晉侯會宋公、魯仲孫蔑、衛侯、邾子、齊崔杼同盟於虛朾。己丑,周簡王崩,太子洩心嗣位,是謂靈王。晉會諸侯之師伐宋,圍彭城。庚寅,周葬簡王,晉伐鄭,會諸侯之師於戚,以成虎牢。辛卯,晉會八國之君,盟於雞澤。楚伐吳,至於衡山。壬辰,晉用魏絳。楚伐陳。癸巳,晉會諸侯之師於戚城,又救陳。吳會魯、衛之君於善道。

甲申年すなわち紀元前五七七年、秦桓公は去世し、その子の景公が位を繼いだ。乙酉年すなわち紀元前五七六年、晉國は戚の地にて諸侯の君を會合した。宋共公は去世し、國內は亂を生じ、大司馬の唐山は太子肥を殺し、右師の華元・左師の魚石は唐山を誅殺し、改めて公子成を立てた。すなわち宋平公である。楚國は許國を葉の地に遷し、吳國は鍾離にて諸侯の君を大會した。丙戌年すなわち紀元前五七五年、晉國は鄭を伐って鄢陵にて楚軍を大敗した。楚國は鄭を救うに成らず、楚共王は箭に眼睛を射中られ、國に歸って後令尹の子反(名は側)を誅殺し、晉國はここに由って重新して中原に獨霸した。丁亥年すなわち紀元前五七四年、晉國は諸侯を會合して柯陵に會盟した。同年晉厲公は郤錡・郤犨・郤至の三位の大臣を誅滅した。史に「晉三郤を殺す」と稱す。戊子年すなわち紀元前五七三年、晉國は亂を生じ、欒書は國君の厲公を殺して、周室より公子周を迎還して立てて君と為した。すなわち晉悼公である。魯成公は去世し、その子の午が位を繼いだ。すなわち魯襄公である。楚國は鄭國に會同して宋國の彭城を攻打した。晉侯は宋公・魯國の仲孫蔑・衞侯・邾子および齊國の崔杼と虚朾に同盟した。己丑年すなわち紀元前五七二年、周簡王は去世し、太子の泄心が位を繼いだ。すなわち周靈王である。晉國は諸侯の師を會合して宋を伐ち、彭城を圍困した。庚寅年すなわち紀元前五七一年、周朝は簡王を安葬し、晉國は鄭を伐って戚の地にて諸侯の師を會合し、竝びに虎牢城を修筑して以って鄭を逼た。辛卯年すなわち紀元前五七〇年、晉國は八國の君を會合して鷄澤に會盟し、楚國は吳を伐って一路衡山に打ち至った。壬辰年すなわち紀元前五六九年、晉悼公は魏絳を起用して「戎と和す」の策を行い、楚國は陳を伐った。癸巳年すなわち紀元前五六八年、晉國は戚城にて諸侯の師を會合し、また兵を出して陳を救い、吳國は魯・衞の君と善道に相會した。

經世之未二千二百一十六。甲午,周靈王五年。乙未,晉會七國之君於鄬。丙申,晉會諸國之君於邢丘,鄭子駟殺群公子。丁酉,秦伐晉。晉會十一國之君伐鄭,楚亦伐鄭。兩盟晉楚。戊戌,晉率十一國之君會吳壽夢於柤,以滅偪陽;又會十一國之師伐鄭,又伐秦。楚伐宋,又救鄭。己亥,晉兩會十一國之師伐鄭,賜魏絳食採安邑。秦伐晉救鄭。魯三桓分軍。楚伐鄭,又伐宋。

第二千二百十六世は未世に屬し、紀元前五六七年から前五三八年に當たり、正に晉悼公の霸を復する與向戌の弭兵の三十年である。甲午年すなわち紀元前五六七年は、周靈王の在位の第五年。乙未年すなわち紀元前五六六年、晉國は鄬の地にて七國の君を會合した。丙申年すなわち紀元前五六五年、晉國は邢丘にて各國の君を會合し、鄭國の執政子駟は一批の公子を殺した。丁酉年すなわち紀元前五六四年、秦國は晉を伐ち、晉國は十一國の君を會合して鄭を伐ち、楚國もまた鄭を伐ち、中間に挾まる鄭國は兩面に盟を訂るよりほかなかった。戊戌年すなわち紀元前五六三年、晉國は十一國の君を率いて吳王壽夢と柤の地に相會し、手を聯ねて偪陽を滅し、また十一國の師を會合して鄭を伐ち、再び秦を伐った。楚國は宋を伐ち、また鄭を救った。己亥年すなわち紀元前五六二年、晉國は兩次十一國の師を會合して鄭を伐ち、安邑を魏絳に賜いて采邑と為した。秦國は晉を伐って以って鄭を救い、魯國の季孫・叔孫・孟孫の三家は公室の軍隊を瓜分した。すなわち「公室を三に分つ」である。楚國は鄭を伐ち、また宋を伐った。

庚子,楚會秦,伐宋。吳壽夢卒,長子諸樊繼。辛丑,楚共王卒,子昭廢世子代立,是謂康王。吳伐楚不利。壬寅,晉率齊、宋、魯、衛、鄭、曹、莒、邾、滕、薛、杞、小邾十二國之君,會吳諸樊於向,又會諸侯之師伐秦。衛亂,孫林父、寧殖作難,衛侯出奔齊。楚伐吳有功。癸卯,晉悼公卒,子彪繼,是謂平公。甲辰,晉侯會宋、魯、衛、鄭、曹、莒、邾、薛、杞、小邾十國之君,盟於溴梁,執莒子、邾子以歸;又伐楚,至於方城。乙巳。

庚子年すなわち紀元前五六一年、楚國は秦國に會同して宋を伐ち、吳王壽夢は去世し、長子の諸樊が位を繼いだ。辛丑年すなわち紀元前五六〇年、楚共王は去世し、その子の昭は原く立てられた太子を廢して自ら立ち、すなわち楚康王である。吳國は喪に乘じて楚を伐って反って失利した。壬寅年すなわち紀元前五五九年、晉國は齊・宋・魯・衞・鄭・曹・莒・邾・滕・薛・杞・小邾の十二國の君を率いて向の地にて吳王諸樊に會見し、また諸侯の師を會合して秦を伐った。衞國は亂を生じ、孫林父・寧殖は難を發し、衞獻公は齊國に出奔した。楚國は吳を伐って勝を取った。癸卯年すなわち紀元前五五八年、晉悼公は去世し、その子の彪が位を繼いだ。すなわち晉平公で、晉國の霸權はここから漸く公室より六卿の手に轉入した。甲辰年すなわち紀元前五五七年、晉侯は宋・魯・衞・鄭・曹・莒・邾・薛・杞・小邾の十國の君を會合して湨梁に會盟し、莒子・邾子を拘捕して帶歸し、また兵を出して楚を伐って一路方城に打ち至った。乙巳年は事なし。

丙午,晉用範中行,會宋、衛、魯、鄭、曹、莒、邾、滕、薛、杞、小邾十一國之師伐齊,敗之於靡下,進圍臨淄。齊靈公奔莒。丁未,齊廢世子光,以公子牙為世子。崔杼復廢牙,立光為世子。靈公卒,光繼,是謂莊公。崔杼當國。鄭簡公誅大夫子孔,以子產當國。戊申,晉侯會十二國之君,盟於澶淵。己酉,晉侯會八國諸侯,盟於商壬。欒盈奔楚。庚戌,晉會十一國之君,盟於沙隨。楚殺令尹子南。晉欒盈自楚適齊。辛亥,欒盈自齊復入於晉,不克,死。範中行滅欒氏之族。齊伐晉,取朝歌。

丙午年すなわち紀元前五五五年、晉國は范氏と中行氏の兩家を起用して執政せしめ、宋・衞・魯・鄭・曹・莒・邾・滕・薛・杞・小邾の十一國の師を會合して齊を伐ち、靡の下にて齊軍を撃敗し、進んで臨淄を包圍し、齊靈公は莒國に逃奔した。丁未年すなわち紀元前五五四年、齊國は太子光を廢して改めて公子牙を立て、崔杼はまた牙を廢して重ねて光を立てて太子と為した。靈公は去世し、光が位を繼いだ。すなわち齊莊公で、崔杼はここから齊國の政權を把持した。同年鄭簡公は大夫の子孔を誅殺し、改めて子産を用いて執政せしめ、鄭國はここに由って一位の春秋の名相を得た。戊申年すなわち紀元前五五三年、晉侯は十二國の君を會合して澶淵に會盟した。己酉年すなわち紀元前五五二年、晉侯は八國の諸侯を會合して商壬に會盟し、晉國の欒盈は楚國に出奔した。庚戌年すなわち紀元前五五一年、晉國は十一國の君を會合して沙隨に會盟し、楚國は令尹の子南を殺し、欒盈はまた楚國より轉じて齊國に往いた。辛亥年すなわち紀元前五五〇年、欒盈は齊國より潛かに晉國に回って事を起こしたが、成功せずして死し、范氏・中行氏は勢に乘じて欒氏の一族を滅し、晉國六卿の兼竝はここから加劇した。齊國は晉を伐って朝歌を奪取した。

壬子,晉會十一國之君於夷儀。楚伐吳,又會諸侯伐鄭。癸丑,齊亂,崔杼弒其君莊公,立異母弟杵臼,是謂景公,崔杼為右相,慶封為左相。晉敗齊師於高堂。楚會陳伐鄭,及滅舒鳩。吳伐楚,不利,諸樊死,弟餘祭立,封季札於延陵。甲寅,衛亂,寧喜、孫林父爭權,林父不勝,奔晉。寧喜弒其君剽,晉執寧喜,求衛侯於齊而納之,封林父於宿。齊慶封夷崔杼族而專國。鄭封子產六邑。楚會陳、蔡伐鄭。乙卯,晉用趙武為正卿,是為文子,與韓宣子起、魏武子絳同執國命。會諸侯之大夫於宋。衛殺寧喜。晉、楚、齊、秦同會於宋,從向戌之請,將弭兵也。

壬子年すなわち紀元前五四九年、晉國は夷儀にて十一國の君を會合し、楚國は吳を伐ち、また諸侯を會合して鄭を伐った。癸丑年すなわち紀元前五四八年、齊國は亂を生じ、崔杼は莊公がその妻と私通したに因って國君を殺し、改めて莊公の異母弟の杵臼を立てた。すなわち齊景公で、崔杼は右相を任じ、慶封は左相を任じた。齊國の太史兄弟は直に「崔杼その君を弑す」と書したに因って三人連なりて死した。これは史官の節を守るの著名なる一幕である。同年晉國は高堂にて齊軍を撃敗し、楚國は陳國に會同して鄭を伐ち、竝びに舒鳩を滅した。吳國は楚を伐って失利し、吳王諸樊は陣に亡び、その弟の餘祭が位を繼ぎ、季札を延陵に封じた。甲寅年すなわち紀元前五四七年、衞國は亂を生じ、寧喜と孫林父とは權を爭い、林父は勝たずして晉國に出奔した。寧喜は國君の剽を殺し、晉國は寧喜を拘捕し、また齊國より衞獻公を接還して位に復らせ、林父を宿の地に封じた。齊國の慶封は崔杼の一族を滅して獨り國政を攬ねった。鄭國は六つの城邑を子産に封じた。楚國は陳・蔡に會同して鄭を伐った。乙卯年すなわち紀元前五四六年、晉國は趙武を起用して正卿と為した。すなわち趙文子で、韓起(宣子)・魏絳(武子)と共同して國政を執掌し、晉國の政權は正式に韓・趙・魏の手に落入った。同年宋國にて各國の大夫を會合し、衞國は寧喜を殺した。晉・楚・齊・秦の四大國は同じく宋に會し、宋國の大夫向戌の建議を接受して兵を罷め戰を息めた。これすなわち有名なる「向戌弭兵」で、此後中原は四十餘年少しく大戰あらず。

丙辰,周靈王崩,太子貴嗣位,是謂景王。齊慶封弛政,其子舍及田鮑、高欒之徒逐之。慶封奔魯,又適吳。楚康王卒,世子麋繼,是謂郟敖。丁巳,晉智伯會十國諸侯,入城杞。楚用叔圍為令尹。吳亂,餘祭遇弒,弟餘昧立,季札使魯、齊、鄭、晉。戊午,蔡亂,世子弒其君,代立。鄭亂,群公子爭寵。宋災。晉會諸侯,入於澶淵。己未,魯襄公卒,世子又卒,國人立齊歸之子裯,是謂昭公,季武子專政。庚申,晉趙武會諸侯之大夫於虢。楚亂,令尹圍弒其君麋,代立,是謂靈王。公子比奔晉,薳罷為令尹。辛酉,晉韓宣子起使魯。壬戌,魯昭公朝晉,齊晏嬰使晉,鄭伯朝晉,又朝楚。癸亥,楚會十一國之君於申,執徐子於會,又會七國諸侯,伐吳之朱方,以誅齊慶封。吳拔楚三邑。

丙辰年すなわち紀元前五四五年、周靈王は去世し、太子の貴が位を繼いだ。すなわち周景王である。齊國の慶封は政事に荒れ、その子の慶舍は田氏・鮑氏・高氏・欒氏の諸族と手を聯ねて彼を驅逐し、慶封は先ず魯國に奔り、また轉じて吳國に往いた。楚康王は去世し、太子の麋が位を繼いだ。すなわち楚郟敖である。丁巳年すなわち紀元前五四四年、晉國の智伯は十國の諸侯を會合して杞國の為に城を筑いた。楚國は公子圍を起用して令尹と為した。吳國は亂を生じ、吳王餘祭は弑され、その弟の餘昧が位を繼ぎ、季札は魯・齊・鄭・晉に出使して、魯國にて周樂を觀て列國の風を評し、美談と傳えられた。戊午年すなわち紀元前五四三年、蔡國は亂を生じ、太子は國君を殺して自ら立ち、鄭國は亂を生じて群公子は寵を爭い、宋國は火災が發生し、晉國は諸侯を會合して澶淵に入りて賑を議した。己未年すなわち紀元前五四二年、魯襄公は去世し、その太子は隨即また死し、國人は改めて齊歸の生んだ子の裯を立てた。すなわち魯昭公で、季武子はここから魯政を專斷した。庚申年すなわち紀元前五四一年、晉國の趙武は虢の地にて諸侯の大夫を會合し、楚國は亂を生じ、令尹の公子圍は國君の麋を殺して自ら立ち、すなわち楚靈王で、公子比は晉國に出奔し、薳罷は令尹と為った。辛酉年すなわち紀元前五四〇年、晉國の韓宣子韓起は魯國に出使して、《易象》・《魯春秋》を見て「周禮盡く魯に在り」と歎した。壬戌年すなわち紀元前五三九年、魯昭公は晉國に朝見し、齊國の晏嬰は晉國に出使し、鄭伯は先ず晉に朝し、また楚に朝した。癸亥年すなわち紀元前五三八年、楚國は申の地にて十一國の君を會合し、會上に徐子を拘捕し、また七國の諸侯を會合して吳國の朱方を攻打して、ここに逃亡せる齊國の慶封を誅殺した。吳國は隨即楚國の三つの城邑を攻下した。

經世之申二千二百一十七。甲子,周景王八年,楚會諸侯伐吳。秦景公卒,世子繼,是謂哀公。乙丑,齊北伐燕,楚東伐吳,吳敗楚師於乾溪。丙寅,楚起章華臺。丁卯,楚滅陳,執其公子招,放之於越。戊辰。己巳,晉平公卒,世子夷繼,是謂昭公。齊陳鮑逐欒高氏於魯,分其室。

第二千二百十七世は申世に屬し、紀元前五三七年から前五〇八年に當たる。甲子年すなわち紀元前五三七年は、周景王の在位の第八年で、楚國は諸侯を會合して吳を伐ち、秦景公は去世し、太子が位を繼いだ。すなわち秦哀公である。乙丑年すなわち紀元前五三六年、齊國は北に向かって燕國を討伐し、楚國は東に向かって吳國を討伐し、吳國は乾谿にて楚軍を撃敗した。丙寅年すなわち紀元前五三五年、楚靈王は大いに土木を興して章華臺を修建し、奢を窮め侈を極め、國力はここに由って耗損した。丁卯年すなわち紀元前五三四年、楚國は陳國を滅し、陳國の公子招を捉えて越の地に流放した。己巳年すなわち紀元前五三二年、晉平公は去世し、太子の夷が位を繼いだ。すなわち晉昭公である。齊國の陳氏(田氏)は鮑氏と手を聯ねて欒氏・高氏を魯國に驅逐し、兩家の家產を瓜分し、田氏の坐に大となるの勢はすでに成った。

庚午,晉韓起會齊、宋、魯、衛、鄭、曹、杞之大夫於厥憖。楚誘蔡侯於申,殺之。公子棄疾滅蔡,守之,執其世子有歸用之。辛未,魯朝晉,楚伐徐。壬申,晉昭公會齊、衛、鄭、曹、莒、邾、滕、薛、杞、小邾之君,盟於平丘。魯不得與,執季孫意如以歸。楚公子棄疾殺比代立,是謂平王,釋陳、蔡二君歸國。吳滅州來。癸酉,楚復諸侯侵地,觀從用政。甲戌,晉伐鮮虞。楚費無忌為太子建逆婦於秦。吳餘昧卒,季札逃,國人立餘昧子僚。乙亥,晉昭公卒,子去疾立,是謂頃公。楚誘戎蠻子,殺之。丙子,晉滅陸渾之戎,吳伐楚。丁丑,周鑄大錢。宋、衛、陳、鄭災。楚遷許於白羽。

庚午年すなわち紀元前五三一年、晉國の韓起は厥慭にて齊・宋・魯・衞・鄭・曹・杞の大夫を會合し、楚靈王は蔡侯を誘騙して申の地に致して殺し、公子棄疾は隨即蔡國を滅して竝びにその地に留守し、また蔡國の太子を抓住して人牲に用いて獻祭した。辛未年すなわち紀元前五三〇年、魯國は晉國に朝見し、楚國は徐國を討伐した。壬申年すなわち紀元前五二九年、晉昭公は齊・衞・鄭・曹・莒・邾・滕・薛・杞・小邾の君を會合して平丘に會盟し、魯國は排除されて、還って執政の季孫意如を扣押された。同年楚國の公子棄疾は公子比を殺して自ら立ち、すなわち楚平王で、彼は陳・蔡の兩國の君を釋放して國に歸り國を復らせて以って人心を收めた。吳國は州來を滅した。癸酉年すなわち紀元前五二八年、楚國は諸侯より侵佔した土地を歸還し、觀從は政務を執掌した。甲戌年すなわち紀元前五二七年、晉國は鮮虞を討伐し、楚國の費無忌は太子建の替わりに秦國に至って新婦を迎娶したが、卻って平王に勸めて自ら納れしめ、後日の大禍の為に伏筆を埋下した。吳王餘昧は去世し、兄終り弟及びに依れば本應季札に傳うべきなれど、季札は逃避して受けず、國人は改めて餘昧の子の僚を立てた。乙亥年すなわち紀元前五二六年、晉昭公は去世し、その子の去疾が位を繼いだ。すなわち晉頃公である。楚國は戎蠻子を誘殺した。丙子年すなわち紀元前五二五年、晉國は陸渾の戎を滅し、吳國は楚を伐った。丁丑年すなわち紀元前五二四年、周景王は大錢を鑄造し、單穆公は諫むるも聽かず、宋・衞・陳・鄭の四國は同日に火災が發生し、楚國は許國を白羽に遷した。

戊寅,楚用費無忌專政,放太子建於城父。己卯,齊景公與大夫晏嬰入魯問禮。宋有華氏之難,大夫華亥、華定、向寧奔陳。楚世子建自城父奔宋,又適鄭,又適晉。楚殺其傅伍奢及其子尚,伍員奔吳。庚辰,宋華亥、華定、向寧入宋南里,叛。辛巳,周景王崩,葬景王。王室亂,三王子爭國,國人立猛,是謂悼王。王子朝殺猛,代立。晉逐朝而入丐,是謂敬王。宋華亥、華定、向寧奔楚。世子建及晉師襲鄭,不克,死。其子勝奔吳。壬午,召氏、尹氏入王子朝於成周。單子、劉子以王出奔狄泉。楚徙都鄂,囊瓦子常為令尹。吳伐楚,敗陳、蔡、頓、胡、沈之師於雞父,滅胡、沈,獲陳夏□。楚建之子勝啟之也。癸未,楚城郢。吳公子光伐楚,拔巢及鍾離,二子爭桑故也。

戊寅年すなわち紀元前五二三年、楚平王は費無忌を重用して朝政を專斷せしめ、太子建を城父に打發して駐守せしめた。己卯年すなわち紀元前五二二年、齊景公は大夫の晏嬰とともに魯國に至って禮制を請教し、孔子は時に年三十、二人の相見はすなわちこの際である。宋國に華氏の難が發生し、大夫の華亥・華定・向寧は陳國に出奔した。楚太子建は城父より宋國に逃奔し、また轉じて鄭國・晉國に往いた。楚平王は太子の師傅の伍奢およびその長子の伍尚を殺し、次子の伍員すなわち伍子胥は吳國に出奔し、吳楚の數十年の血戰はここに由って發端した。庚辰年すなわち紀元前五二一年、宋國の華亥・華定・向寧は南里に占據して反逆した。辛巳年すなわち紀元前五二〇年、周景王は去世して竝びに下葬し、王室は大いに亂れ、三位の王子が君位を爭奪し、國人は王子猛を擁立した。すなわち周悼王である。王子朝は猛を殺して自ら立ち、晉國は兵を出して王子朝を驅逐し、王子丐を送って朝に入らしめた。すなわち周敬王である。宋國の華亥らは楚國に出奔した。楚太子建は晉軍と密謀して鄭國を襲取せんとして、事敗れて殺され、その子の白公勝は吳國に出奔した。壬午年すなわち紀元前五一九年、召氏・尹氏は王子朝を成周に送り入れ、單子・劉子は敬王を保って狄泉に出奔した。楚國は鄂に遷都し、囊瓦の子常は令尹と為った。吳國は楚を伐って鷄父にて陳・蔡・頓・胡・沈の五國聯軍を撃敗し、胡・沈の兩國を滅し、陳國の大夫夏某を俘獲した。底本はこの處に一字を缺く。指す所はまさに陳大夫夏齧であるべし。この一仗は楚太子建の子の勝が吳國の為に路を引いて促成したものである。癸未年すなわち紀元前五一八年、楚國は郢都の城墻を修筑し、吳國の公子光は楚を伐って巢邑と鍾離を攻下した。起因は不過吳楚の邊邑の兩家の女子が桑葉を採るを爭うの小事である。

甲申,魯有三桓之難,昭公奔齊。齊景公唁之於野井。晉趙鞅會宋、魯、衛、曹、邾、滕、薛、小邾之人於冀父。乙酉,晉趙鞅會諸侯之師,入王於成周。召、尹二氏之族以王子朝奔楚。楚平王卒,世子珍繼,是謂昭王。丙戌,晉韓、趙、魏三家大滅公族祁氏、羊舌氏,分其地。楚令尹子常誅費無忌。吳季札使晉,公子光弒其君僚代立,是謂闔廬,專諸、伍員為相。丁亥,魯昭公自鄆如晉,次於乾侯。楚大夫伯嚭奔吳。戊子。己丑,晉頃公卒,世子午繼,是謂定公。吳滅徐,以侵楚。庚寅,晉定公使大夫荀躒納魯昭公,不克。吳伐楚,拔舒。辛卯,晉韓不信會齊、宋、魯、曹、鄭、莒、薛、杞、小邾之師,城成周。魯昭公卒於乾侯,三桓立其弟宋,是謂定公。吳伐越。壬辰,晉人執宋仲幾於京師。楚令尹子常敗吳師於豫章。癸巳,吳敗楚師於豫章。

甲申年すなわち紀元前五一七年、魯國に三桓の難が發生し、昭公は季氏を討伐して失敗して齊國に出奔し、齊景公は野井にて彼を慰問した。孔子もまたこの年齊に適いた。晉國の趙鞅は冀父にて宋・魯・衞・曹・邾・滕・薛・小邾の諸國の人を會合した。乙酉年すなわち紀元前五一六年、趙鞅は諸侯の師を會合して周敬王を成周に送り入れ、召氏・尹氏の兩族は王子朝を帶いて楚國に出奔し、王子朝の亂は始めて平らいだ。楚平王は去世し、太子の珍が位を繼いだ。すなわち楚昭王である。丙戌年すなわち紀元前五一五年、晉國の韓・趙・魏の三家は大いに擧げて公族の祁氏・羊舌氏を翦滅して竝びにその地を瓜分し、三家が晉を分つの形勢はすでに顯露した。楚國の令尹子常は費無忌を誅殺して以って國人に謝した。吳國の季札は晉國に出使し、公子光は機に乘じて專諸を派して國君の僚を刺殺して自ら立ち、すなわち吳王闔廬で、專諸の弟と伍子胥とをもって輔佐と為した。丁亥年すなわち紀元前五一四年、魯昭公は鄆の地より晉國に前往し、暫く乾侯に居た。楚國の大夫伯嚭は吳國に出奔した。己丑年すなわち紀元前五一二年、晉頃公は去世し、太子の午が位を繼いだ。すなわち晉定公である。吳國は徐國を滅して、以って楚を侵した。庚寅年すなわち紀元前五一一年、晉定公は大夫の荀躒を派して魯昭公を送って國に歸らしめんとしたが成功せず。吳國は楚を伐って舒邑を攻下した。辛卯年すなわち紀元前五一〇年、晉國の韓不信は齊・宋・魯・曹・鄭・莒・薛・杞・小邾の師を會合して周室の為に成周城を修筑した。魯昭公は乾侯に客死し、三桓は別にその弟の宋を立てて君と為した。すなわち魯定公である。吳國は始めて越を伐った。壬辰年すなわち紀元前五〇九年、晉人は京師にて宋國の仲幾を拘捕し、楚國の令尹子常は豫章にて吳軍を撃敗した。癸巳年すなわち紀元前五〇八年、吳國は反って豫章にて楚軍を撃敗した。

經世之酉二千二百一十八。甲午,周敬王十三年。乙未,晉定公會劉、子、宋、蔡、魯、衛、陳、鄭、許、曹、莒、邾、頓、胡、滕、薛、杞、小邾之君及齊大夫於召陵,以伐楚。楚昭公北伐蔡,吳師入郢,令尹子常奔鄭,昭王奔鄖,又奔隨,使申包胥求救於秦。許徙君容城。吳子闔廬敗楚師於柏舉,五戰及郢,遂入其國,燒其宮,平其墓。伍子胥為之也。丙申,魯陽貨囚季氏,秦救楚,敗吳師於稷。楚昭王自鄖復歸於郢,封吳夫概於堂溪。越乘虛破吳,入其國。吳王弟夫概自堂溪亡歸,代立。闔廬逐夫概,夫概奔楚。丁酉,周有儋翩之難,王出居姑蕕。楚去郢,復都鄀。鄭滅許。

第二千二百十八世は酉世に屬し、紀元前五〇七年から前四七八年に當たる。甲午年すなわち紀元前五〇七年は、周敬王の在位の第十三年。乙未年すなわち紀元前五〇六年、晉定公は召陵にて劉子・宋・蔡・魯・衞・陳・鄭・許・曹・莒・邾・頓・胡・滕・薛・杞・小邾の諸國の君および齊國の大夫を會合して、共に楚を伐つを謀った。楚昭王——底本は「昭公」と作る——は北上して蔡を伐ち、吳軍は虚に乘じて直に楚都を搗き、令尹子常は鄭國に出奔し、昭王は先ず鄖に逃れ、また隨に逃れ、申包胥を派して秦國に往き救いを求めしめ、申包胥は秦廷にて七日七夜哭いた。許國は國君を容城に遷した。吳王闔廬は柏舉にて楚軍を大敗し、五戰五捷して直に郢都に抵り、楚國の國都に攻入って宮室を焚燒し墳墓を掘平げた。これら一切は伍子胥が父兄の仇を報ずる為に促成したものである。丙申年すなわち紀元前五〇五年、魯國の陽貨は季氏を囚禁し、秦國は兵を出して楚を救い、稷の地にて吳軍を撃敗した。楚昭王は鄖の地より郢都に回り、吳王の弟の夫槪を堂谿に封じた。越國は呉國の空虚に乘じてその國に攻入り、吳王の弟の夫槪は堂谿より逃歸して自ら立ち、闔廬は師を回して驅逐し、夫槪は楚國に出奔した。丁酉年すなわち紀元前五〇四年、周王室に儋翩の難が發生し、敬王は姑莸に出居し、楚國は殘破した郢都を離れて、改めて鄀をもって都と為し、鄭國は許國を滅した。

戊戌,晉師入周敬王於成周。齊取鄆,為陽虎邑。己亥,魯有陽虎之難,攻三桓,不克,竊寶玉、大弓走陽關。庚子,秦哀公卒,子惠公繼。辛丑,魯以孔丘為司寇,從定公會齊景公於夾谷。齊復魯侵地。晏嬰在會。壬寅,宋公之弟辰及大夫仲陀、石彄、公子地自陳入於蕭,以叛。鄭子產卒。癸卯,孔子去魯適衛。

戊戌年すなわち紀元前五〇三年、晉軍は周敬王を成周に送回し、齊國は鄆邑を奪取して、魯國の叛臣陽虎の封邑と為した。己亥年すなわち紀元前五〇二年、魯國に陽虎の難が發生し、陽虎は季孫・叔孫・孟孫の三家を攻打して得手せず、國寶の玉璧と大弓を盜んで陽關に逃れた。庚子年すなわち紀元前五〇一年、秦哀公は去世し、その子の惠公が位を繼いだ。辛丑年すなわち紀元前五〇〇年、魯國は孔丘を任命して司寇と為し、孔子は魯定公に隨って夾谷にて齊景公と會盟し、禮をもって齊人を折服し、齊國は從前侵佔した魯國の土地を歸還し、晏嬰もまたこの次の會盟に參與した。壬寅年すなわち紀元前四九九年、宋景公の弟の公子辰および大夫の仲陀・石彄・公子地は陳國より蕭邑に入りて反逆した。鄭國の名相子産は去世し、孔子は聞を訊いて彼を「古の遺愛」と歎した。癸卯年すなわち紀元前四九八年、孔子は三都を墮するに受挫した後に魯國を離れて衞國に前往し、十四年の列國周遊はここから始まる。

甲辰,魯孔子在衛。晉六卿相攻。乙巳,衛世子蒯聵奔宋。魯孔子自衛之宋,又如陳。楚會吳伐陳,滅頓。吳王闔廬伐越不利,死,子夫差立,以伯嚭為太宰。是年,于越勾踐敗吳師於槜李,稱王於會稽。丙午,魯定公卒,子蔣繼,是謂哀公。楚滅胡。丁未,晉趙鞅圍範、中行氏於朝歌,中行走邯鄲。楚會陳、隨、許圍蔡。吳敗越於夫椒,伏而釋之。越王勾踐伐吳,不利,使大夫文種行成,委質以臣妾,遂棲於會稽。

甲辰年すなわち紀元前四九七年、孔子は衞國に在り、晉國の六卿は互いに攻伐して、公室は名存實亡した。乙巳年すなわち紀元前四九六年、衞國の太子蒯聵は南子を謀殺せんとして事敗れて宋國に出奔し、孔子は衞國より宋國に至り、また轉じて陳國に往いた。楚國は吳國に會同して陳を伐ち、頓國を滅した。吳王闔廬は越を伐って失利して箭に中って死し、その子の夫差が位を繼ぎ、伯嚭を任用して太宰と為した。この年越王句踐は檇李にて吳軍を撃敗し、會稽にて王と稱し、吳越が霸を爭うの大幕はここに由って拉開された。丙午年すなわち紀元前四九五年、魯定公は去世し、その子の蔣が位を繼いだ。すなわち魯哀公である。楚國は胡國を滅した。丁未年すなわち紀元前四九四年、晉國の趙鞅は朝歌にて范氏・中行氏を圍困し、中行氏は邯鄲に敗走した。楚國は陳・隨・許に會同して蔡國を圍困した。吳王夫差は夫椒にて越軍を大敗し、一擧に父の仇を報じたが、卻って伯嚭の言を聽信して隱忍して誅せずして句踐を放過した。越王句踐は反攻して失利し、大夫の文種を派して講和を為し、甘んじて臣妾の禮をもって身を委ねて吳に事え、會稽山に退守し、臥薪嘗膽の故事はすなわちここより始まる。

戊申,衛靈公卒,其孫輒立。晉趙鞅會陽虎,以師入衛世子蒯聵,不克,居之於戚城。魯孔子復過宋。楚伐蔡,吳徙蔡於州來。放越范蠡歸國。己酉,秦惠公卒,子悼公繼。魯孔子在陳。庚戌,魯孔子之蔡。辛亥,齊伐宋,晉伐衛。齊景公卒,子荼繼,是謂孺子。晉韓、趙、魏敗範、中行氏於邯鄲。壬子,齊亂,田乞弒其君孺子,迎公子陽生於魯而立之,是謂悼公。高昭子死國,惠子奔莒。魯孔子復至陳。楚昭王救陳,軍於城父,卒於師。世子章繼,是謂惠王。吳伐陳,魯伐邾,宋伐曹。

戊申年すなわち紀元前四九三年、衞靈公は去世し、太子蒯聵が外に在るに因り、その孫の輒に由って位を繼がれた。すなわち衞出公で、父子が國を爭うの禍はここから結ばれた。晉國の趙鞅は陽虎を會合して、兵を帶いて蒯聵を送って衞に歸らんとして成功せず、止むを得ず彼を戚城に安置した。孔子は再度宋國を路過して、大樹の下に禮を習って桓魋の加害に遭った。楚國は蔡を伐ち、吳國は蔡國を州來に遷し、越國の范蠡は本國に放歸された。己酉年すなわち紀元前四九二年、秦惠公は去世し、その子の悼公が位を繼いだ。孔子は陳國に在り。庚戌年すなわち紀元前四九一年、孔子は蔡國に前往した。辛亥年すなわち紀元前四九〇年、齊國は宋を伐ち、晉國は衞を伐った。齊景公は去世し、その子の荼が位を繼いだ。すなわち齊孺子である。晉國の韓・趙・魏の三家は邯鄲にて范氏・中行氏を撃敗した。壬子年すなわち紀元前四八九年、齊國は亂を生じ、田乞は國君の孺子を殺して、魯國より公子陽生を迎還して立てて君と為した。すなわち齊悼公で、田氏が齊を專らにするの勢はすでに定まった。高昭子は國の為に死し、惠子は莒國に出奔した。孔子はまた陳國に回って、陳蔡の間に糧を絶つもまたこの前後である。楚昭王は兵を出して陳を救い、軍を城父に駐して、軍中に死し、太子の章が位を繼いだ。すなわち楚惠王である。吳國は陳を伐ち、魯國は邾を伐ち、宋國は曹を伐った。

癸丑,吳會魯於鄫,以伐齊,徵百牢於魯。甲寅,宋滅曹。楚令尹子西召平王世子建之子勝於吳,以為巢大夫,號白公。吳伐魯,盟於城下而還。乙卯,宋伐鄭,楚伐陳,吳伐齊。丙辰,齊田乞卒,子常繼事,是謂成子。齊亂,鮑子弒其君悼公,立其子壬,是謂簡公。田常專國。魯孔子自陳復至於衛。楚伐陳。吳會魯伐齊以救陳,殺大夫伍員。丁巳,孔子自衛返魯,子貢使齊及吳、越、晉。齊伐魯,吳救魯,敗齊師於艾陵。越朝吳。

癸丑年すなわち紀元前四八八年、吳國は魯國と鄫の地に相會して、共に齊を伐つを謀り、竝びに魯國に百牢の禮を索取した。禮なきこと甚しとし、子貢は嘗て周禮に據って力爭した。甲寅年すなわち紀元前四八七年、宋國は曹國を滅した。楚國の令尹子西は楚平王の孫・太子建の子の勝を吳國より召回し、任じて巢邑の大夫と為し、號して白公と稱す。禍根を迎え門に入れたに等しい。吳國は魯を伐ち、兵は城下に臨んで盟を訂して還った。乙卯年すなわち紀元前四八六年、宋國は鄭を伐ち、楚國は陳を伐ち、吳國は齊を伐った。丙辰年すなわち紀元前四八五年、齊國の田乞は去世し、その子の田常はその事を接掌した。すなわち田成子である。齊國は亂を生じ、鮑氏は國君の悼公を殺して、別にその子の壬を立てた。すなわち齊簡公で、田常はここから齊政を獨攬した。孔子は陳國より衞國に重回った。楚國は陳を伐ち、吳國は魯國に會同して齊を伐って以って陳を救い、夫差はこの年兵を罷めんことを力諫した大夫の伍員すなわち伍子胥を賜死した。丁巳年すなわち紀元前四八四年、孔子は十四年の周遊を結束して、衞國より魯國に返回し、此後《詩》・《書》を刪し、禮樂を訂し、《周易》を序し、《春秋》を修した。その弟子の子貢は齊・吳・越・晉に出使して、縱橫に游説して以って魯を存した。同年齊國は魯を伐ち、吳國は兵を出して魯を救い、艾陵にて齊軍を大敗した。越王句踐は自ら吳王に朝見したが、暗中に卻って吳を滅すの力を積蓄していた。

戊午 楚白公勝復奔吳,子西復召之。吳會魯、衛之君於橐皋,移兵攻晉。 己未 晉定公及諸侯會吳夫差於黃池。越伐吳,入其郛,執其世子友而還。 庚申 魯西狩獲麟。齊田常殺相闞止,及弒其君簡公於舒州,立其弟驁,是謂平公,割安平以東,自為封邑。孔子請討,不克。秦悼公卒,子厲公繼。晉伐鄭。宋桓魋出奔衛,又奔齊。楚巢大夫白公勝殺令尹子西,逐其君,代立。

戊午年、約當紀元前四八三年、時に春秋の末世に當たる。白公勝は楚國の害せられた太子建の子・楚平王の孫で、早年に外に流亡し、この年また吳國に逃奔した。楚國の執政する令尹子西(楚平王の子・楚昭王の兄)は再度彼を召回して、呉と接壤する巢邑に安置した。同年呉王夫差は橐皋(今の安徽巢湖の一帶)にて魯哀公と衞出公に會見し、隨後兵鋒を掉轉して北上して晉を攻めた。己未年(紀元前四八二年)、晉定公は中原の諸侯と黄池(今の河南封丘)にて呉王夫差と會盟して霸を爭い、越王句踐は呉國の精兵の盡く出たに乘じて、兵を發して呉を伐ち、呉都の外城に攻入り、呉國の太子友を俘獲して後に撤軍した。庚申年(紀元前四八一年)、魯國は都城の西に於て狩獵して麒麟を捕得し、《春秋》の記事はここに至って絶え、後世は「麟を獲て筆を絶つ」と稱す。齊國の大夫田常(陳成子)は國政を同じく掌る監止を殺し、また舒州にて齊簡公を弑殺して、改めて簡公の弟の驁を立てて君と為した。すなわち齊平公で、竝びに安平以東の土地を劃り出して己の封邑と為して、田氏が齊を專らにするの勢はここから確立した。孔子は聞いて魯國の兵を出して討伐せんことを請うたが、採納されず。秦悼公は去世し、その子の厲公が位を繼いだ。晉國は鄭を伐った。宋國の大夫桓魋は衞國に出奔し、また轉じて齊國に奔った。楚國の巢邑大夫白公勝は兵を起こして亂を作して、令尹子西を殺し、楚惠王を驅逐して自ら立った。

辛酉 魯使子服景伯使齊,子貢為介。齊歸魯侵地。衛世子蒯聵自戚入,是謂莊公,輒出奔魯。楚葉公以兵入,誅白公,而迎章復位,滅陳而縣之。 壬戌 魯孔子卒。 癸亥 晉伐衛,莊公出奔,國人立公子班師。齊伐衛,執班師而立公子起。越敗吳師於笠澤。

辛酉年(紀元前四八〇年)、魯國は大夫の子服景伯を派して齊國に出使せしめ、孔子の弟子の子貢は副使と為って隨行し、辯辭に凭って齊國をして先前侵佔した魯地を退還せしめた。衞國の外に流亡せる世子蒯聵は戚邑より潛かに回って位を奪い、すなわち衞莊公で、その兒子の衞出公輒は魯國に出奔した。衞國の父子が位を爭うこと十餘年、ここに至って形勢翻轉した。楚國の葉公沈諸梁は兵を率いて郢に入りて亂を平を平ぎ、亂を作した白公勝を誅殺し、楚惠王熊章を迎えて位に復らせた。楚國はまた陳國を滅して、陳地を改めて楚國の縣と設けた。壬戌年(紀元前四七九年)、魯國の孔子は去世し、年七十三。癸亥年(紀元前四七八年)、晉國は衞を伐ち、衞莊公は出逃し、衞人は別に公子班師を立てた。齊國は接いで衞を伐って、班師を抓え去って改めて公子起を立てた。越王句踐は笠澤(今の江蘇吳江の一帶)にて吳軍を大敗し、吳國はここから蹶として振るわず。

經世之戌二千二百十九

甲子 周敬王四十三年,衛石圃逐其君起,而迎輒復位。起奔齊。 乙丑 周敬王崩,太子嗣位,是謂元王。齊田常卒,子盤繼事,是謂襄子。吳會齊、晉之師伐楚。越伐吳。 丙寅 晉定公卒,子鑿繼之。智伯伐鄭,取九邑。越人伐吳。 丁卯 越伐吳,圍其國。

甲子年は周敬王四十三年、すなわち紀元前四七七年で、本「世」の三十年はここより起算す。衞國の大夫石圃は國君の公子起を驅逐し、重ねて外に出奔せる衞出公輒を迎還して位に復らせ、起は齊國に逃奔した。乙丑年(紀元前四七六年)、周敬王は去世し、太子が位を繼いだ。すなわち周元王である。齊國の田常は去世し、その子の田盤は國政を接掌した。すなわち田襄子で、田氏が世襲して執政する格局はここに至って定型した。呉國は齊・晉の師と聯合して楚を伐ち、越國は則ち虚に乘じて呉を伐った。丙寅年(紀元前四七五年)、晉定公は去世し、その子の鑿が位を繼いだ。すなわち晉出公である。晉國の執政智伯(荀瑶)は鄭を伐って九つの城邑を奪取し、越國は再度呉を伐った。丁卯年(紀元前四七四年)、越國は呉を伐って呉都の姑蘇を圍困した。

戊辰 越滅吳,破姑蘇,殺其王並其大夫,北會諸侯于徐,致貢於周。太宰范蠡辭祿,遊五湖。殺大夫文種,遂兼有吳地。 己巳 庚午 辛未 周元王崩,太子介嗣位,是謂貞定王。 壬申 癸酉 魯季康子卒,三桓作難,弒其君哀公,立其子寧,是謂悼公。 甲戌 乙亥 丙子 丁丑 晉伐鄭。 戊寅 己卯 庚辰 秦伐大荔。 辛巳 壬午

戊辰年(紀元前四七三年)、越國は呉を滅し、都城の姑蘇を攻破し、呉王夫差は自盡し、呉國の大夫は誅され、越王句踐は北上して徐州にて諸侯を會盟し、竝びに周天子に進貢して、春秋末年の最後の霸主と為った。功臣の太宰范蠡は封祿を辭して、五湖に舟を泛んで隱れ去り、もう一人の功臣の大夫文種は卻って句踐に賜死された。越國はここに於て呉の地を盡く有した。己巳(紀元前四七二年)・庚午(紀元前四七一年)の兩年は記すべき事なし。辛未年(紀元前四七〇年)、周元王は去世し、太子の介が位を繼いだ。すなわち周貞定王である。壬申(紀元前四六九年)は事なし。癸酉年(紀元前四六八年)、魯國の執政季康子は去世し、季孫・叔孫・孟孫の三家(史に「三桓」と稱す)は亂を作して魯哀公を弑殺し、改めてその子の寧を立てた。すなわち魯悼公である。甲戌(紀元前四六七年)から丙子(紀元前四六五年)は事なし。丁丑年(紀元前四六四年)、晉國は鄭を伐った。戊寅(紀元前四六三年)・己卯(紀元前四六二年)は事なし。庚辰年(紀元前四六一年)、秦國は西戎の大荔部を討伐した。辛巳(紀元前四六〇年)・壬午(紀元前四五九年)は事なし。

癸未 晉趙簡子鞅卒,子毋恤繼,是謂襄子,同知伯、韓康子、魏桓子滅範、中行氏,四分其地,及逐其君,立公孫驕,是謂哀公。秦取晉武城。 甲申 晉伐秦,復武城。 乙酉 齊平公卒,子積繼,是謂靈公。晉知伯及韓魏二家兵攻趙襄子於晉陽。 丙戌 晉三家兵圍晉陽。 丁亥 晉韓康子、魏桓子復合趙襄之兵攻知伯,滅之於晉陽,三分其地。齊田盤卒,子白繼事,是謂莊子。 戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳

癸未年(紀元前四五八年)、晉國の正卿趙簡子(趙鞅)は去世し、その子の毋恤が位を繼いだ。すなわち趙襄子で、彼は智伯・韓康子・魏桓子の四家と力を合わせて范氏と中行氏を消滅し、その領地を瓜分し、また晉出公を驅逐して、改めて公孫驕を立てて君と為した。すなわち晉哀公である。秦國は晉國の武城を奪取した。甲申年(紀元前四五七年)、晉國は秦を伐って武城を收復した。乙酉年(紀元前四五六年)、齊平公は去世し、その子の積が位を繼いだ。すなわち齊靈公である。晉國の執政智伯は韓・魏の兩家と聯合して兵を出して、晉陽(今の山西太原)にて趙襄子を圍攻した。丙戌年(紀元前四五五年)、三家の兵は引き續き晉陽を圍困し、智伯は水を引いて城を灌した。丁亥年(紀元前四五四年)、韓康子・魏桓子は陣に臨んで戈を倒して、反って趙襄子と兵を合わせて夾撃して、晉陽にて智氏を消滅し、三家は智氏の領地を瓜分した。これすなわち史に稱する所の「三家分晉」の轉折で、戰國の格局はここに由って奠定された。齊國の田盤は去世し、その子の田白は國政を接掌した。すなわち田莊子である。戊子(紀元前四五三年)から癸巳(紀元前四四八年)の六年は記すべき事なし。

經世之亥二千二百二十

甲午 周貞定王二十三年,楚滅蔡。 乙未 秦厲公卒,子躁公繼。 丙申 秦伐義渠,獲其王以歸。楚滅杞,東開地至泗上。 丁酉 戊戌 己亥 周貞定王崩,太子去疾嗣位,是謂哀王。王叔襲殺哀王,代立,是謂思王。 庚子 周亂,少弟嵬殺其王叔,代立,是謂考王。 辛丑 晉哀公疾,子柳繼,是謂幽公。公室止有絳及曲沃。

甲午年は周貞定王二十三年、すなわち紀元前四四七年で、本「世」はここより起算す。楚國は蔡國を滅した。乙未年(紀元前四四六年)、秦厲公は去世し、その子の躁公が位を繼いだ。丙申年(紀元前四四五年)、秦國は西北の義渠戎を討伐して、義渠王を俘獲して凱旋し、楚國は杞國を滅して、東に疆土を開拓して泗水の一帶に至った。丁酉(紀元前四四四年)・戊戌(紀元前四四三年)は事なし。己亥年(紀元前四四二年)、周貞定王は去世し、太子の去疾が位を繼いだ。すなわち周哀王で、哀王の弟の名は叔なる者は哀王を襲殺して、之に取代わった。すなわち周思王である。庚子年(紀元前四四一年)、周室は再び亂れ、もっとも小の弟の嵬はまた思王を殺して自ら立ち、すなわち周考王である。一年の內に王位は三たびその主を易えた。辛丑年(紀元前四四〇年)、晉哀公は病重く、その子の柳が位を繼いだ。すなわち晉幽公で、この時晉國公室の直屬の領地は絳と曲沃の兩處を餘るのみで、その餘は盡く韓・趙・魏の三家に歸した。

壬寅 癸卯 甲辰 乙巳 丙午 丁未 戊申 己酉 秦躁公卒,弟懷王立。楚惠王卒,子中繼,是謂簡王。 庚戌 魯悼公卒,子元公繼。楚滅莒。 辛亥 壬子 癸丑 秦庶長黽弒其君懷公,立躁公孫,是謂靈公。 甲寅 乙卯 周考王崩,太子午嗣位,是謂威烈王。河南惠公封其少子於鞏,稱東周君。

壬寅(紀元前四三九年)から戊申(紀元前四三三年)の七年は記すべき事なし。己酉年(紀元前四三二年)、秦躁公は去世し、その弟の懷公が位を繼いだ。楚惠王は去世し、その子の中が位を繼いだ。すなわち楚簡王である。庚戌年(紀元前四三一年)、魯悼公は去世し、その子の元公が位を繼いだ。楚國は莒國を滅した。辛亥(紀元前四三〇年)・壬子(紀元前四二九年)は事なし。癸丑年(紀元前四二八年)、秦國の庶長(爵名、兵を掌るの重臣)嬴黽は秦懷公を弑殺して、改めて躁公の孫を立てて君と為した。すなわち秦靈公である。甲寅(紀元前四二七年)は事なし。乙卯年(紀元前四二六年)、周考王は去世し、太子の午が位を繼いだ。すなわち周威烈王である。河南の王城に居する周室の宗親惠公は幼子を鞏邑に封じて、號して東周君と稱し、周天子の僅かに存する畿內の地はここからまた東・西の兩小國に分かれた。

丙辰 晉趙襄子卒,兄之子浣繼事,是謂獻子,治中牟。魏桓子卒,子斯繼事,是謂文侯。 丁巳 趙桓子卒,國人殺其子,而迎獻子復位。 戊午 秦攻魏少梁。 己未 秦作上下畤。 庚申 辛酉 魏文侯殺晉幽公,立其弟止,是謂烈公。 壬戌 癸亥

丙辰年(紀元前四二五年)、趙襄子は去世し、その兄の子の趙浣に由って家政を接掌せられた。すなわち趙獻子で、治所は中牟に設けた。魏桓子は去世し、その子の魏斯が繼立した。すなわち後日法を變えて強を圖る魏文侯である。丁巳年(紀元前四二四年)、中途に位を奪いし趙桓子は去世し、趙人は桓子の子を殺して、重ねて趙獻子を迎還して位に復らせた。戊午年(紀元前四二三年)、秦國は魏國の少梁(今の陝西韓城)を進攻した。己未年(紀元前四二二年)、秦國は上畤・下畤の兩處の祭壇を營建して天帝を祭祀した。庚申(紀元前四二一年)は事なし。辛酉年(紀元前四二〇年)、魏文侯は晉幽公を殺して、別に幽公の弟の止を立てて君と為した。すなわち晉烈公で、晉國の國君の廢立はここに至って全て三家の操縱に由る。壬戌(紀元前四一九年)・癸亥(紀元前四一八年)は事なし。

皇極經世書卷六上

觀物篇三十一 以運經世七

經元之甲一 經會之午七

經運之己一百八十六

經世之子二千二百二十一

甲子 周威烈王九年,魏城少梁。 乙丑 秦靈公卒,季父立,是謂簡公。 丙寅 丁卯 魏伐秦,韓伐鄭。 戊辰 齊伐晉,魏伐中山。 己巳 庚午 齊田莊子卒,子太公和繼。趙城平城。 辛未 魯元公卒,子顯繼,是謂穆公。 壬申 晉韓武子卒,子景侯虔繼。趙獻子卒,子烈侯籍繼。魏伐秦。

甲子年は周威烈王九年、すなわち紀元前四一七年で、本「世」はここより起算す。魏國は少梁に城を筑いて防を設けた。乙丑年(紀元前四一六年)、秦靈公は去世し、その叔父に由って位を繼がれた。すなわち秦簡公である。丙寅(紀元前四一五年)は事なし。丁卯年(紀元前四一四年)、魏國は秦を伐ち、韓國は鄭を伐った。戊辰年(紀元前四一三年)、齊國は晉を伐ち、魏國は中山國を討伐した。己巳(紀元前四一二年)は事なし。庚午年(紀元前四一一年)、齊國の田莊子は去世し、その子の田和は國政を接掌した。すなわち後日齊に代わって自ら立つ齊太公である。趙國は平城に城を筑いた。辛未年(紀元前四一〇年)、魯元公は去世し、その子の顯が位を繼いだ。すなわち魯穆公である。壬申年(紀元前四〇九年)、韓武子は去世し、その子の韓虔が繼立した。すなわち韓景侯である。趙獻子は去世し、その子の趙籍が繼立した。すなわち趙烈侯である。魏國は再度秦を伐って、進んで河西の地を取った。

癸酉 韓伐鄭,取雍邱。魏滅中山。楚簡王卒,子當繼,是謂聲王。 甲戌 鄭伐韓,取負黍。 乙亥 宋昭公卒,子悼公購繼。趙以田公仲為相。 丙子 齊宣公卒,子康公貸繼。田惠以廩邱叛。 丁丑 戊寅 晉韓、趙、魏求為諸侯於周。 己卯 周威烈王崩,太子驕嗣位,是謂安王。楚聲王遇盜卒,子疑立,是謂悼王。 庚辰 秦攻魏陽狐。

癸酉年(紀元前四〇八年)、韓國は鄭を伐って雍丘を奪取し、魏國は樂羊を派して中山國を滅せしめ、楚簡王は去世し、その子の當が位を繼いだ。すなわち楚聲王である。甲戌年(紀元前四〇七年)、鄭國は韓國を反攻して負黍を奪取した。乙亥年(紀元前四〇六年)、宋昭公は去世し、その子の購が位を繼いだ。すなわち宋悼公である。趙國は田公仲を任用して相と為した。丙子年(紀元前四〇五年)、齊宣公は去世し、その子の貸が位を繼いだ。すなわち齊康公である。齊國の大夫田惠は廩丘に據って齊に叛いて趙に歸した。丁丑(紀元前四〇四年)は事なし。戊寅年(紀元前四〇三年)、晉國の韓・趙・魏の三家は周天子に請うて正式に諸侯に列せられんことを求め、周威烈王は之をもって冊命した。史家は多くこの年をもって戰國の始と為す。己卯年(紀元前四〇二年)、周威烈王は去世し、太子の驕が位を繼いだ。すなわち周安王である。楚聲王は盜賊に殺され、その子の疑が位を繼いだ。すなわち楚悼王である。庚辰年(紀元前四〇一年)、秦國は魏國の陽狐を進攻した。

辛巳 秦簡公卒,子惠公繼。韓景侯卒,子烈侯繼。趙烈侯卒,弟武侯立。魏文侯以卜子夏、段乾木為師。西門豹為將,守鄴。吳起為將,守西河。田成子為相,樂羊為將,同韓、趙伐楚,至於乘丘。 壬午 癸未 甲申 韓盜殺相俠累。 乙酉 丙戌 晉烈公卒,子孝公繼。 丁亥 戊子 魏伐鄭,取酸棗,又敗秦軍於注。楚伐韓,取負黍。 己丑

辛巳年(紀元前四〇〇年)、秦簡公は去世し、その子の惠公が位を繼いだ。韓景侯は去世し、その子の烈侯が位を繼いだ。趙烈侯は去世し、その弟の武侯が繼立した。魏文侯は孔子の弟子の卜子夏と隱士の段干木とを尊んで師と為し、西門豹を用いて將と為して鄴城を鎮守せしめ、吳起を用いて將と為して西河を鎮守して以って強秦を禦がしめ、田成子を用いて相と為し、樂羊を將と為して、韓・趙と聯合して楚を伐って兵鋒は直に乘丘に抵った。魏國は因って戰國初年のもっとも強き國と為った。壬午(紀元前三九九年)・癸未(紀元前三九八年)は事なし。甲申年(紀元前三九七年)、韓國の相の俠累は刺客に朝堂にて刺殺され、刺を行いたる者はすなわち聶政である。乙酉(紀元前三九六年)は事なし。丙戌年(紀元前三九五年)、晉烈公は去世し、その子の孝公が位を繼いだ。丁亥(紀元前三九四年)は事なし。戊子年(紀元前三九三年)、魏國は鄭を伐って酸棗を奪取し、また注の地にて秦軍を撃敗した。楚國は韓を伐って負黍を奪回した。己丑(紀元前三九二年)は事なし。

庚寅 齊田和徙其君康公於海上,食一城。秦伐韓宜陽,拔六城。韓、趙大敗楚師於大梁。 辛卯 魯敗齊於平陸。齊伐魏,取襄陵。 壬辰 秦伐魏,侵晉。 癸巳 齊田和會魏文侯於濁澤,求為諸侯。魏請於周及諸侯,皆許之。

庚寅年(紀元前三九一年)、齊國の執政田和は國君の齊康公を海濱に遷し、ただ一座の城を留めて彼に租を收めて自養せしめた。田氏が齊に代わるはただ一つの名分を差すのみ。秦國は韓國の宜陽を進攻して六城を攻下した。韓・趙の聯軍は大梁にて楚軍を大敗した。辛卯年(紀元前三九〇年)、魯國は平陸にて齊軍を撃敗し、齊國は轉じて魏を伐って襄陵を奪取した。壬辰年(紀元前三八九年)、秦國は魏を伐って兵は晉地に入った。癸巳年(紀元前三八八年)、田和は濁澤にて魏文侯に會見して、齊に代わって諸侯たらんを請い、魏侯は彼に代わって周天子と各國とに陳請して、皆許可を獲得した。姜姓の齊國はここに至って名實ともに盡きた。

經世之丑二千二百二十二

甲午 周安王十五年,秦惠公卒,出子悼公繼。韓烈侯卒,子文侯繼。魏文侯卒,子武侯繼。趙武侯卒,烈侯子敬侯繼。 乙未 田和稱諸侯於齊,列於周紀。魏攻趙邯鄲。 丙申 韓伐鄭,取陽城。伐宋,執宋公於彭城。魏城安邑及王垣。趙師破齊於靈丘。齊太公和卒,子桓公午繼。秦庶長改殺出子及其母,迎靈公之子於河西,立之,是謂獻公。

甲午年は周安王十五年、すなわち紀元前三八七年で、本「世」はここより起算す。秦惠公は去世し、年幼の出子が位を繼いだ。韓烈侯は去世し、その子の文侯が位を繼いだ。魏文侯は去世し、その子の武侯が位を繼いだ。趙武侯は去世し、烈侯の子の敬侯に由って位を繼がれた。四強の君は同時に換代した。乙未年(紀元前三八六年)、田和は正式に齊國にて諸侯と稱して、周室の諸侯の譜籍に列入り、姜齊は田齊に變わった。魏國は趙國の都城の邯鄲を進攻した。丙申年(紀元前三八五年)、韓國は鄭を伐って陽城を奪取し、また宋を伐って彭城にて宋君を俘獲した。魏國は安邑と王垣とに城を筑いた。趙軍は靈丘にて齊軍を撃敗した。齊太公の田和は去世し、その子の午が位を繼いだ。すなわち齊桓公田午である。秦國の庶長嬴改は出子およびその母を殺して、河西より秦靈公の子を迎還して即位せしめた。すなわち秦獻公で、秦國の數十年の君位の動蕩はここに至って終結し、此後ややに孝公が商鞅を用いて法を變ずるの局面あらんとす。

丁酉 趙破齊師於廩丘。 戊戌 魏敗趙師於兔臺。 己亥 齊、魏以衛伐趙,取剛平。 庚子 趙會楚伐魏,取棘蒲。楚悼王卒,誅殺相吳起,王子繼,是謂肅王,誅害吳起者七十餘家。 辛丑 齊伐燕,取桑丘。 壬寅 齊康公死於海上,齊桓侯卒,子因齊立,是謂威王。

丁酉年(紀元前三八四年)、趙軍は廩丘にて齊師を撃破した。戊戌年(紀元前三八三年)、魏軍は兔台にて趙師を撃敗した。己亥年(紀元前三八二年)、齊・魏の兩國は衞國の名義を借りて趙を伐って剛平を奪取した。庚子年(紀元前三八一年)、趙國は楚國と聯合して魏を伐って棘蒲を奪取した。楚悼王は去世し、變法を主持する令尹吳起は悼王の靈の前に於て舊貴族の亂箭に射殺され、太子が位を繼いだ。すなわち楚肅王で、事後に矢を射る時に誤って王尸に中った罪を追究して、七十餘家を誅滅した。新法は廢されたれども、楚國の舊貴族もまた大いに元に元氣を傷えた。辛丑年(紀元前三八〇年)、齊國は燕を伐って桑丘を奪取した。壬寅年(紀元前三七九年)、海濱に安置された齊康公は去世し、姜姓吕氏の宗祀は就中ここに斷絶した。齊桓公田午もまた去世し、その子の因齊が位を繼いだ。すなわち齊威王である。

癸卯 晉孝公卒,子靜公俱酒繼。韓、趙、魏伐齊,至於靈丘。 甲辰 韓文侯卒,子哀侯繼。趙攻中山,戰於房子。魯穆公卒,子共公繼。 乙巳 周安王崩,太子喜嗣位,是謂烈王。魏武侯、韓哀侯、趙敬侯同滅晉,而三分其地。以靜公為家人,食端氏一城。 丙午 韓滅鄭,徙都之。趙敬侯卒,子成侯繼。宋休公卒,子闢公繼。 丁未

癸卯年(紀元前三七八年)、晉孝公は去世し、その子の俱酒が位を繼いだ。すなわち晉靜公である。韓・趙・魏の三國は齊を伐って兵は靈丘に至った。甲辰年(紀元前三七七年)、韓文侯は去世し、その子の哀侯が位を繼いだ。趙國は中山國を進攻して房子に戰った。魯穆公は去世し、その子の共公が位を繼いだ。乙巳年(紀元前三七六年)、周安王は去世し、太子の喜が位を繼いだ。すなわち周烈王である。魏武侯・韓哀侯・趙敬侯は共同して晉國を滅して、その地を三に分ち、晉靜公を平民に貶して、ただ端氏の一城を留めてその食用に供せしめた。國を傳うこと六百餘年の晉國はここに至って正式に亡國した。丙午年(紀元前三七五年)、韓國は鄭國を滅して、竝びに國都を新鄭に遷往した。趙敬侯は去世し、その子の成侯が位を繼いだ。宋休公は去世し、その子の辟公が位を繼いだ。丁未(紀元前三七四年)は事なし。

戊申 魯伐齊,入陽關。趙伐齊,至博陵。 己酉 衛拔齊薛陵,攻趙北藺。趙拔衛卿邑七十三。宋闢公卒,子剔成繼。 庚戌 韓嚴弒其君哀侯,立其子懿侯。魏武侯卒,公子爭國。趙伐魏,立公子罃,是謂惠王。趙敗秦軍於鄗安。

戊申年(紀元前三七三年)、魯國は齊を伐って陽關に攻入り、趙國は齊を伐って進兵して博陵に至った。己酉年(紀元前三七二年)、衞國は齊國の薛陵を攻下し、また趙國北面の藺邑を攻めた。趙國は反擊して衞國の鄉邑七十三處を攻取した。宋辟公は去世し、その子の剔成が位を繼いだ。庚戌年(紀元前三七一年)、韓國の大夫韓嚴は韓哀侯を弑殺して、哀侯の子を立てて君と為した。すなわち韓懿侯である。魏武侯は去世し、生前に太子を立てず、諸公子は位を爭い、趙國は兵を出して干預して公子罃を扶立した。すなわち魏惠王である。趙國はまた鄗安にて秦軍を撃敗した。

辛亥 趙伐齊,至鄄。魏敗趙師於覃懷。齊威王烹阿夫夫,封即墨大夫萬家。楚肅王卒,弟良夫繼,是謂宣王。 壬子 周烈王崩,弟扁嗣位,是謂顯王。齊西敗趙、魏之師於濁澤,趙輸長城,魏入觀齊。魏敗韓於馬陵。 癸丑 韓、魏攻周。 甲寅 趙、韓分周為二。

辛亥年(紀元前三七〇年)、趙國は齊を伐って兵は鄄邑に至り、魏國は覃懷にて趙師を撃敗した。齊威王は名聲好くして政績壞しき阿邑大夫を烹殺し、名聲壞しきに政績好しき即墨大夫に萬家の邑を重賞し、齊國の吏治は之が為に一振した。楚肅王は去世し、その弟の良夫が位を繼いだ。すなわち楚宣王である。壬子年(紀元前三六九年)、周烈王は去世し、その弟の扁が位を繼いだ。すなわち周顯王である。齊國は西境の濁澤にて趙・魏の聯軍を撃敗し、趙國は長城の一線を割出し、魏國は觀城を交出して齊に與えた。魏國はまた馬陵にて韓軍を撃敗した。癸丑年(紀元前三六八年)、韓・魏の兩國は周王室を進攻した。甲寅年(紀元前三六七年)、趙・韓の兩國は周王畿を一に分かち二と為し、天子はここから完全に諸侯に受制した。

乙卯 魏會趙攻秦,不利於洛陽。 丙辰 齊攻秦,不利於石門。魏伐宋,取儀臺。 丁巳 周顯王西賀秦獻公,魏與秦會於杜平。 戊午 己未 秦獻公卒,子孝公繼,敗魏師於少梁。魏敗韓師於澮。 庚申 魏拔趙皮牢。 辛酉 致文武胙於秦孝公。東周君惠公卒,子傑繼。韓、趙、魏伐齊。 壬戌 秦用衛鞅。韓懿侯卒,子昭侯繼。 癸亥

乙卯年(紀元前三六六年)、魏國は趙國と聯合して秦を攻めて洛陽の一帶に失利した。丙辰年(紀元前三六五年)、齊國は秦を攻めて石門に失利し、魏國は宋を伐って儀台を奪取した。丁巳年(紀元前三六四年)、秦軍は石門にて三晉を大破し、周顯王は使を遣わして西行して秦獻公に致賀せしめ、魏國は秦國と杜平に會盟した。戊午(紀元前三六三年)は事なし。己未年(紀元前三六二年)、秦獻公は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち秦孝公で、即位の初に於て便ち少梁にて魏軍を撃敗した。魏國もまた澮水にて韓軍を撃敗した。庚申年(紀元前三六一年)、魏國は趙國の皮牢を攻下した。辛酉年(紀元前三六〇年)、周天子は文王・武王を祭祀する胙肉を秦孝公に賜いて、以って尊禮を示した。東周君の惠公は去世し、その子の傑が位を繼いだ。韓・趙・魏の三國は齊を伐った。壬戌年(紀元前三五九年)、秦國は衞鞅を起用した。すなわち後來の商鞅で、變法を開始した。韓懿侯は去世し、その子の昭侯が位を繼いだ。癸亥(紀元前三五八年)は事なし。

經世之寅二千二百二十三

甲子 周顯王十二年,宋取韓黃池。齊封鄒忌為成侯。 乙丑 趙會燕於河上,會齊於平陸。魯、衛、宋、鄭朝魏。 丙寅 魯共公卒,子康公繼。齊會趙於郊,會魏於平陸,會秦於杜平。 丁卯 秦攻魏師於元裡,取少梁。魏圍趙邯鄲。

甲子年は周顯王十二年、すなわち紀元前三五七年で、本「世」はここより起算す。宋國は韓國の黄池を奪取した。齊威王は政を輔して功ある鄒忌を封じて成侯と為した。乙丑年(紀元前三五六年)、趙國は黄河の邊にて燕君に會見し、また平陸にて齊君に會見した。魯・衞・宋・鄭の四國の君は一同して魏惠王に朝見し、魏國の聲勢は正に盛んである。丙寅年(紀元前三五五年)、魯共公は去世し、その子の康公が位を繼いだ。齊國は分かち郊・平陸・杜平にて趙・魏・秦の三國の君に會見した。丁卯年(紀元前三五四年)、秦國は元里にて魏軍を襲擊して少梁を奪取し、魏國は兵を出して趙國の都城の邯鄲を包圍した。

戊辰 韓攻東周君,取陵觀及邢邱。齊田忌、孫臏救趙,敗魏於桂陵。是年,齊始稱王。 己巳 秦大良造衛鞅會韓、趙之師,圍魏襄陵。 庚午 韓用申不害為相。秦、趙伐魏,魏歸趙邯鄲,盟於漳水之上。 辛未 趙成侯卒,世子繼,是謂肅侯。秦開阡陌,大築冀闕於咸陽,自雍徙都之。

戊辰年(紀元前三五三年)、韓國は東周君を進攻して陵觀と邢丘を奪取した。齊國は田忌を將と為し、孫臏を軍師と為して趙を救い、「魏を圍みて趙を救う」の計を用いて桂陵にて魏軍を大敗した。この年齊君は始めて王と稱した。己巳年(紀元前三五二年)、秦國の大良造衞鞅は韓・趙の師を會合して、魏國の襄陵を圍攻した。庚午年(紀元前三五一年)、韓昭侯は申不害を任用して相と為して、專ら「術」をもって下を御した。秦・趙は魏を伐ち、魏國は迫られて趙都の邯鄲を歸還し、兩國は漳水の上に結盟した。辛未年(紀元前三五〇年)、趙成侯は去世し、世子が位を繼いだ。すなわち趙肅侯である。秦國は第二次の變法を推行して、井田を廢し阡陌を開き、咸陽に大いに宮闕門觀を建てて、國都を雍城より咸陽に遷した。

壬申 癸酉 趙奪晉君端氏,徙之屯留。秦初為賦。 甲戌 乙亥 魯康公卒,子景公繼。 丙子 丁丑 戊寅 周顯王錫秦孝公命為伯。齊威王卒,子宣王闢疆繼。 己卯 諸侯西賀秦。 庚辰 齊人救韓,田忌、田嬰、孫臏大敗魏師於馬陵,獲將龐涓及世子申。

壬申(紀元前三四九年)は事なし。癸酉年(紀元前三四八年)、趙國は晉國の末代の君の端氏の封邑を奪去して、彼を屯留に遷した。秦國は始めて户口に按って賦稅を徵收した。甲戌(紀元前三四七年)は事なし。乙亥年(紀元前三四六年)、魯康公は去世し、その子の景公が位を繼いだ。丙子(紀元前三四五年)・丁丑(紀元前三四四年)は事なし。戊寅年(紀元前三四三年)、周顯王は正式に秦孝公を冊命して諸侯の伯と為した。すなわちその霸主の地位を承認したことである。齊威王は去世し、その子の辟疆が位を繼いだ。すなわち齊宣王である。己卯年(紀元前三四二年)、諸侯は西行して秦國に致賀した。庚辰年(紀元前三四一年)、齊國は兵を出して韓を救い、田忌・田嬰を將と為し、孫臏を軍師と為して、竈を減じて敵を誘うの計を用いて馬陵にて魏軍を大敗し、魏將の龐涓を逼死せしめ、魏太子申を俘獲した。魏國の霸業はここから崩壞した。

辛巳 楚宣王卒,子威王繼。秦奪魏河西七百里。魏去安邑,徙都大梁。 壬午 癸未 秦孝公卒,子惠文君繼,是謂惠文王。商鞅奔魏,魏不受,入於秦。 甲申 秦惠文君夷商鞅族。蘇秦入秦,秦不受。 乙酉 周顯王西賀秦,孟軻為魏卿。

辛巳年(紀元前三四〇年)、楚宣王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち楚威王である。秦國は魏國の河西の地七百里を奪取し、魏國は迫られて舊都の安邑を放棄して、東に大梁に遷した。すなわち今の河南開封である。壬午(紀元前三三九年)は事なし。癸未年(紀元前三三八年)、秦孝公は去世し、その子が位を繼ぎ、惠文君と稱し、後に惠文王と稱す。靠山を失した商鞅は魏國に出奔したが、魏人は收留を肯んぜず、止むを得ず秦境に返回した。甲申年(紀元前三三七年)、秦惠文君は商鞅を車裂して竝びにその族を誅滅した。蘇秦は西して秦國に入りて連横を游説したが、採納されず。乙酉年(紀元前三三六年)、周顯王は西行して秦に致賀し、孟軻は出でて魏國の卿と為りて、梁惠王の為に仁義の道を陳説した。

丙戌 秦拔韓宜陽。魏惠王卒,子襄王繼。齊宣王會魏襄王於鄄。 丁亥 蘇秦會趙、燕、韓、魏、齊、楚六國之師,盟於洹水之上,以攻秦。至於函谷。韓作高門。是年,楚滅越,獲王無疆,盡取其地,東開地至浙江。魏始稱王,田嬰為相。

丙戌年(紀元前三三五年)、秦國は韓國の宜陽を攻下し、魏惠王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち魏襄王である。齊宣王は魏襄王と鄄の地に會盟した。丁亥年(紀元前三三四年)、蘇秦の合縱の説は行を得て、趙・燕・韓・魏・齊・楚の六國の兵を會合して、洹水の上に於て血を舐して盟と為して共に秦を攻め、聯軍は函谷關に推進した。韓國は大いに土木を興して高門を營造した。この年楚國は越國を滅して、越王無疆を俘獲し、越の地を盡く取って、東に開拓して浙江の一帶に至った。魏國は正式に王と稱し、齊國は田嬰をもって相と為した。

戊子 燕文公卒,子易王立。韓昭侯卒,子惠王立。楚敗齊師于徐州。齊田嬰詐楚,故不利。 己丑 齊會魏伐趙,又伐燕,取十城。 庚寅 秦伐魏。 辛卯 宋亂,公弟偃弒其君,代立,是謂元王。 壬辰 楚威王卒,子懷王槐繼。魏伐楚,取陘山。秦伐魏,取汾陰。 癸巳 秦用張儀為相。陳軫適楚。楚滅蜀,魏輸秦上郡。

戊子年(紀元前三三三年)、燕文公は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち燕易王である。韓昭侯は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち韓惠王である。楚國は徐州にて齊軍を撃敗した。起因は齊相の田嬰が楚に詐を使いしに因って敗績を招致した。己丑年(紀元前三三二年)、齊國は魏國と聯合して趙を伐ち、また燕を伐って十城を奪取した。庚寅年(紀元前三三一年)、秦國は魏を伐った。辛卯年(紀元前三三〇年)、宋國は內亂し、國君の弟の偃は君を弑して自ら立ち、すなわち宋元王で、後世はまた宋康王と稱す。壬辰年(紀元前三二九年)、楚威王は去世し、その子の熊槐が位を繼いだ。すなわち楚懷王である。魏國は楚を伐って陘山を奪取し、秦國は魏を伐って汾陰を奪取した。癸巳年(紀元前三二八年)、秦國は張儀を任用して相と為して、連横の策はここから推行された。策士の陳軫は轉じて楚國に投じ、楚國は蜀を滅し、魏國は迫られて上郡を秦國に獻た。

經世之卯二千二百二十四

甲午 周顯王四十二年,齊會魏攻韓之桑邱。 乙未 趙肅侯卒,子定繼,是謂武靈王。齊用孟軻為上卿。 丙申 孟軻去齊。 丁酉 秦始稱王。齊宣王卒,子湣王地繼。秦築上郡塞。 戊戌 韓、燕稱王。楚破魏襄陵,入城,移兵攻齊。秦張儀會齊、楚執政於桑。

甲午年は周顯王四十二年、すなわち紀元前三二七年で、本「世」はここより起算す。齊國は魏國と聯合して韓國の桑丘を進攻した。乙未年(紀元前三二六年)、趙肅侯は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち後來胡服騎射を推行した趙武靈王である。齊國は孟軻を聘して上卿と為した。丙申年(紀元前三二五年)、孟軻は主張の用いられざるに因って齊國を離れた。丁酉年(紀元前三二四年)、秦國は始めて王と稱し、齊宣王は去世し、その子の地が位を繼いだ。すなわち齊湣王である。秦國は上郡に邊塞を修筑した。戊戌年(紀元前三二三年)、韓・燕の兩國もまた相継いで王と稱し、楚國は魏國の襄陵を攻破して、入りてその城に據り、隨即兵を移して齊を攻めた。秦相の張儀は齧桑にて齊・楚の兩國の執政と會盟した。

己亥 秦張儀出相魏、燕,會韓、魏二君於區鼠。 庚子 周顯王崩,子定嗣位,是謂慎靚王。是年,趙始稱王。齊封田嬰於薛,盜殺蘇秦於齊。蘇代復相燕。燕王卒,子噲繼,子之專國。蘇代使齊。 辛丑 宋伐楚,取地三百里,始稱王。秦、齊交婚。 壬寅 魏襄王卒,子哀王繼。張儀復相秦。

己亥年(紀元前三二二年)、張儀は秦を離れて、先後して魏・燕の相に出任して、秦國の替わりに連横を推行し、また區鼠にて韓・魏の兩國の君に會見した。庚子年(紀元前三二一年)、周顯王は去世し、その子の定が位を繼いだ。すなわち周慎靓王である。この年趙國もまた始めて王と稱した。齊國は薛の地を田嬰に封じた。すなわち孟嘗君の父である。蘇秦は齊國にて刺客に殺され、その弟の蘇代は再度燕の相に出任した。燕王は去世し、その子の噲が位を繼ぎ、權臣の子之は國政を把持した。蘇代は齊國に出使した。辛丑年(紀元前三二〇年)、宋國は楚を伐って地三百里を奪り、また始めて王と稱した。秦・齊の兩國は婚姻の國と結んだ。壬寅年(紀元前三一九年)、魏襄王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち魏哀王である。張儀は秦國に重回って相と為った。

癸卯 楚會齊、趙、韓、魏、燕攻秦,不利。齊獨後。秦樗裡疾大敗六國之師,獲將申差及韓、魏二公子。 甲辰 齊敗魏師於觀津,與秦爭雌雄。魯景公卒,子平公繼。秦敗韓師於濁澤,韓請割名都一以助伐楚,既而背之。秦又伐韓,敗韓師於岸門。楚救不至。燕王噲以國屬子之。 乙巳 齊伐燕,秦伐趙,拔中都及西陽。

癸卯年(紀元前三一八年)、楚國は齊・趙・韓・魏・燕と聯合して合縱して秦を攻めたが、師を出して利あらず、その中で齊國の出兵はもっとも遲し。秦將の樗里疾は六國の聯軍を大破し、韓將の申差と韓・魏の兩國の公子を俘獲した。甲辰年(紀元前三一七年)、齊國は觀津にて魏軍を撃敗して、秦國と天下の雌雄を爭い、魯景公は去世し、その子の平公が位を繼いだ。秦國は濁澤にて韓軍を撃敗し、韓國は一座の名城を割讓して竝びに秦を助けて楚を伐つを請うて以って和を求め、事後また約を背いた。秦國は再度韓を伐って岸門にて韓軍を撃敗し、楚國の救兵は終始至らず。燕王噲は堯舜の禪讓に傚って、國政を子之に讓り、燕國の大亂の禍根はここに由って埋下された。乙巳年(紀元前三一六年)、齊國は燕亂に乘じて燕を伐ち、秦國は趙を伐って中都と西陽を攻下した。

丙午 周慎靚王崩,子延繼,是謂赧王,稱西周君。秦拔義渠二十五城,又取韓之石章。 丁未 楚齊和親。燕亂,將市被攻子之不克,返攻世子,又不克,死。 戊申 楚攻秦,不利。秦伐齊,楚救不至。秦張儀結楚,樗裡疾攻趙。己酉 楚懷王大伐秦,不利;又伐,又不利。秦庶長魏章會齊、韓之師,大敗楚師於藍田,又敗之於丹水之陽,獲其將屈丐,遂取漢中地,置黔中郡。韓宣王卒,世子蒼繼,是謂襄王。齊以五都兵攻燕,燕亂,國人立太子平,是謂昭王。

丙午年(紀元前三一五年)、周慎靓王は去世し、その子の延が位を繼いだ。すなわち周赧王で、王城に居るに因ってまた西周君と稱す。秦國は義渠の二十五城を攻下し、また韓國の石章を奪取した。丁未年(紀元前三一四年)、楚・齊の兩國は和親と結んだ。燕國は內亂し、將軍の市被は兵を起こして子之を攻めて勝を得る能わず、頭を回してまた太子を攻めて、また勝能わず、戰死した。戊申年(紀元前三一三年)、楚國は秦を攻めて失利し、秦國は齊を伐ち、楚國の許諾した救兵は至らず。秦相の張儀は商於六百里の地をもって餌と為して楚を誘いて齊と絕交せしめ、樗里疾は則ち兵を出して趙を攻めた。己酉年(紀元前三一二年)、楚懷王は騙されたを發覺して、大いに擧げて秦を伐って失利し、再度兵を出して、また失利した。秦庶長の魏章は齊・韓の師に會同して藍田にて楚軍を大敗し、また丹水の北にて再び楚軍を敗って、楚將の屈丐を俘獲し、ここに於て漢中の地を取得して黔中郡を設置した。韓宣王は去世し、世子の蒼が位を繼いだ。すなわち韓襄王である。齊國は五都の兵を動用して燕を攻め、燕國は大いに亂れ、國人は太子平を擁立して君と為した。すなわち後日賢を招いて強を圖る燕昭王である。

庚戌 楚屈原使齊,秦張儀使楚,會楚、齊、韓、趙、魏、燕六國西事秦,至咸陽,而秦惠王卒,子武王繼。燕起金臺,以禮郭槐。樂毅自魏至,鄒衍自齊至,劇辛自趙至。 辛亥 秦會魏於臨晉。張儀、魏章適魏,樗裡疾、甘茂為相。 壬子 楚合齊以善韓。 癸丑 秦武王會魏哀王於應,會韓襄王於臨晉。

庚戌年(紀元前三一一年)、楚國は屈原を派して齊國に出使して修好せしめ、秦國は張儀を派して楚國に出使して游説せしめた。張儀は楚・齊・韓・趙・魏・燕の六國をして西向して秦に事えしむるを促成し、使者は剛く咸陽に至るや、秦惠王は便ち去世し、その子が位を繼いだ。すなわち秦武王である。燕昭王は黄金台を筑いて、厚禮をもって賢士の郭隗(原文は「郭槐」と作る)を延請し、ここに於て樂毅は魏國より來り、鄒衍は齊國より來り、劇辛は趙國より來り、燕國の人才は驟かに盛んなり。辛亥年(紀元前三一〇年)、秦國は魏國と臨晉に會盟し、張儀・魏章は勢を失って魏國に出走し、樗里疾と甘茂とが秦の相に出任した。壬子年(紀元前三〇九年)、楚國は齊國と聯合して以って韓國を親善せしめた。癸丑年(紀元前三〇八年)、秦武王は應の地にて魏哀王に會見し、また臨晉にて韓襄王に會見した。

甲寅 東西二周君相攻。楚圍韓之雍邱。秦甘茂拔韓之宜陽。武王舉周鼎,絕臏而死。國人迎母弟稷於趙而立之,是謂昭襄王,太后臨朝稱制,魏冉專政。趙武靈王改用胡服。 乙卯 秦復韓武遂,嚴君疾、向壽為相。甘茂適魏。 丙辰 楚絕齊以善秦。

甲寅年(紀元前三〇七年)、東周君と西周君とは互いに攻伐した。楚國は韓國の雍丘を包圍し、秦將の甘茂は韓國の宜陽を攻下して、秦軍が東出して中原に入るの通道を打通した。秦武王は素より勇力を逞しむを好み、周室に至って九鼎を擧げて、鼎に膝骨を壓斷されて死した。秦人は趙國より彼の同母弟の嬴稷を迎還して立てて君と為した。すなわち秦昭襄王で、その母の宣太后は朝に臨んで政を聽き、太后の弟の魏冉は朝政を把持した。この年趙武靈王は胡服に改着して民に騎射を敎え、趙國の軍力は之が為に一變した。乙卯年(紀元前三〇六年)、秦國は韓國の武遂を歸還して、嚴君の樗里疾・向壽をもって相と為し、甘茂は魏國に出走した。丙辰年(紀元前三〇五年)、楚國は齊國と斷交して秦國に親附した。

丁巳 秦昭王與楚懷王會於黃棘,復之上庸。 戊午 齊、韓、魏攻楚,楚求救於秦。魯平公卒,子文公賈繼。秦取韓武遂,拔魏蒲坂。 己未 秦復魏蒲坂,會韓於武遂。 庚申 楚伐秦,不利。秦昭襄王會齊、韓、魏伐楚,敗之於重邱。 辛酉 齊孟嘗君入秦為質。

丁巳年(紀元前三〇四年)、秦昭襄王は楚懷王と黄棘に會盟し、秦國は上庸の地を楚國に歸還した。戊午年(紀元前三〇三年)、齊・韓・魏の三國は楚國の合縱を背棄したをもって由と為して聯合して楚を攻め、楚國は秦に救を求めた。魯平公は去世し、その子の賈が位を繼いだ。すなわち魯文公である。秦國は韓國の武遂を奪取し、魏國の蒲坂を攻下した。己未年(紀元前三〇二年)、秦國は魏國の蒲坂を歸還し、また韓國と武遂に會盟した。庚申年(紀元前三〇一年)、楚國は秦を伐って失利し、秦昭襄王は齊・韓・魏と聯合して楚を伐って重丘にて楚軍を撃敗した。辛酉年(紀元前三〇〇年)、齊國の孟嘗君田文は秦に入りて質と為り、後に秦昭王の聘を受けて出でて秦の相と為った。

壬戌 楚懷王放大夫屈原於江濱,與秦昭襄王會於武關,不復。國人迎太子橫於齊而立之,是謂頃襄王,其弟子蘭為令尹。齊歸秦涇陽君,孟嘗君自秦逃歸。秦會齊、魏伐楚,取八城。趙拔燕中山,攘地北至燕代,西至九源。 癸亥 齊會韓、魏伐秦,至於函谷。秦伐楚,取十六城,趙武靈王稱主父,會群臣於東宮,廢太子章,而授庶子何立,是謂惠文王,以肥義為之相,北略地,南入秦,稱使者。

壬戌年(紀元前二九九年)、楚懷王は秦人を信ずる勿れと力諫した大夫の屈原を江濱に放逐して、己は卻って約に應じて秦昭襄王と武關に相會して、果して秦に扣留されて一たび去って返らず。楚人は齊國より太子横を迎還して立てて君と為した。すなわち楚頃襄王で、その弟の子蘭をもって令尹と為した。齊國は齊に質たる秦の涇陽君を送還し、孟嘗君もまた秦國より逃歸した。秦國は齊・魏と聯合して楚を伐って八城を奪取した。趙國は燕の地と中山を攻取して、疆土を開拓して北は燕・代に至り、西は九原に至った。癸亥年(紀元前二九八年)、齊國は韓・魏と聯合して秦を伐って兵は函谷關に至り、秦國は楚を伐って十六城を奪取した。趙武靈王は自ら「主父」と稱した。太上の王に相當す。東宮にて群臣を大會し、太子章を廢して、改めて庶子の何を立てて君と為した。すなわち趙惠文王で、肥義を任じて相と為した。主父は己は則ち意を專らにして兵を用いて、北向して疆を開き、また使者と假扮して自ら秦國に入りて虚虚實を窺探した。

經世之辰二千二百二十五

甲子 周赧王十八年,楚懷王於秦逃歸,不克。 乙丑 楚懷王卒於秦,楚遂絕秦。魏哀王卒,子昭王繼。齊會韓、魏、趙、宋五國之兵攻秦,至鹽氏而還。秦與韓、魏河北及封陵以和。韓襄王卒,子釐王繼。趙主父滅中山,徙其王於膚施,封廢太子章於代,號安陽君,使田不禮為之相。

甲子年は周赧王十八年、すなわち紀元前二九七年で、本「世」はここより起算す。囚われた楚懷王は秦國より出逃したが、成功せず。乙丑年(紀元前二九六年)、楚懷王は秦國に客死し、楚人は哀憤せざるなし、楚國はここに於て秦と徹底的に斷交した。魏哀王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち魏昭王である。齊國は韓・魏・趙・宋の五國の兵を合わせて秦を攻めて、進んで鹽氏に至って還った。秦國は河北の地と封陵とを韓・魏に歸還して以って和を求めた。韓襄王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち韓釐王である。趙主父は中山國を滅して、中山王を膚施に遷し、また廢せられた太子章を代の地に封じて、號して安陽君と稱し、田不禮を派して彼を輔佐せしめた。この一の處置は次年の沙丘の變の禍根を埋下した。

丙寅 秦免樓緩相,穰侯魏冉復相,率師攻魏。趙安陽君及田不禮作難,公子成及大夫李兌平之,主父死於沙邱宮。 丁卯 秦向壽伐韓,拔武始。 戊辰 楚與秦復和。韓伐秦,不利。秦左庶長白起大敗韓及諸侯之師於伊闕,取城五,坑軍二十四萬,獲將公孫喜。

丙寅年(紀元前二九五年)、秦國は樓緩の相位を罷免して、穰侯の魏冉に由って相國に復任せられて、兵を領して魏を攻めた。趙國の安陽君章と田不禮とは兵を起こして亂を作し、公子成と大夫の李兑とが叛亂を平定し、隨後沙丘宮を圍困すること三月、一代の雄主趙武靈王は竟に宮中に餓死した。丁卯年(紀元前二九四年)、秦將の向壽は韓を伐って武始を攻下した。戊辰年(紀元前二九三年)、楚國は秦國と重ねて講和し、韓國は秦を伐って失利し、秦左庶長の白起は伊闕にて韓國と諸侯の聯軍を大敗して、五城を取り、降卒二十四萬を坑殺して、韓將の公孫喜を俘獲した。白起の「人屠」の名はここから起こった。

己巳 楚逆婦於秦。秦魏冉免相,大良造白起伐魏,取垣;攻楚,拔宛。 庚午 秦魏冉復相,封陶邑。司馬錯伐韓軹及鄧。 辛未 齊有田甲之難,免孟嘗君相。魏獻河東地方四百里入秦。韓獻武遂二百里入秦。趙會齊伐韓。 壬申 齊復孟嘗君相。秦伐韓,拔六十一城。

己巳年(紀元前二九二年)、楚國は秦國に至って秦の女を迎娶した。秦國は魏冉の相位を罷免し、大良造の白起は魏を伐って垣邑を奪取し、また楚を攻めて宛城を攻下した。庚午年(紀元前二九一年)、魏冉は再度相と為りて陶邑に封ぜられ、秦將の司馬錯は韓國の軹と鄧を攻取した。辛未年(紀元前二九〇年)、齊國に田甲が齊湣王を劫持するの變故が發生し、孟嘗君は牽連を受けて相を免ぜられ、魏國は河東の方圓四百里の地を秦國に獻し、韓國は武遂の二百里の地を秦國に獻し、趙國は齊國と聯合して韓を伐った。壬申年(紀元前二八九年)、齊國は孟嘗君の相位を恢復し、秦國は韓を伐って連なりて六十一城を下した。

癸酉 齊秦約稱東西帝,復罷。 甲戌 齊孟嘗君謝病。秦昭襄王巡漢中及上郡、河北,拔魏新垣及曲陽。 乙亥 齊滅宋,至於泗上,十二諸侯、鄒魯之君皆稱臣。南取楚之淮北,西侵韓、趙、魏。魏獻秦安邑。秦伐魏之河內,攻韓之夏山。

癸酉年(紀元前二八八年)、齊・秦は相約して竝びに東帝・西帝と稱したが、諸侯の服せざるに因って、やがてまた皆帝號を取消した。甲戌年(紀元前二八七年)、齊國の孟嘗君は病と稱して位を去った。秦昭襄王は漢中および上郡・河北を巡視して、魏國の新垣と曲陽を攻下した。乙亥年(紀元前二八六年)、齊國は宋國を滅して、勢力を泗水の一帶に伸展し、泗上の十二の諸侯および鄒・魯の君は皆齊に稱臣した。齊國はまた南して楚國の淮北を取り、西に韓・趙・魏を侵して、國勢は極盛にして衆怨竝び起こった。魏國は安邑を秦國に獻し、秦國は魏國の河內を進攻し、また韓國の夏山を攻めた。

丙子 齊孟嘗君以薛屬魏。秦昭襄王會楚頃襄王於宛,會趙惠文王於中陽,伐齊,拔九城。 丁丑 燕樂毅會秦、楚、韓、魏五國之師伐齊,大敗齊師於濟西,遂入臨淄,拔城七十,拜樂毅上卿,封昌國君,留圍齊即墨及莒。齊湣王保莒,楚使淖齒救齊,殺齊湣王於莒。莒人立其子法章,是謂襄王。荀卿行祭酒。

丙子年(紀元前二八五年)、孟嘗君は封地の薛邑を帶いて魏國に歸附した。秦昭襄王は宛の地にて楚頃襄王に會見し、中、中陽にて趙惠文王に會見し、また兵を出して齊を伐って九城を攻下した。丁丑年(紀元前二八四年)、燕將の樂毅は秦・楚・韓・魏の五國の師を聯合して齊を伐ち、濟水の西にて齊軍を大敗し、直に齊都の臨淄に入り、前後して七十餘城を攻下した。燕昭王は樂毅を拜して上卿と為して昌國君に封じ、兵を留めて僅かに存する即墨と莒の兩城を圍困せしめた。齊湣王は莒城に逃奔して自保し、楚國は淖齒を派して名として齊を救うと為したが、卻って莒城にて齊湣王を殺した。莒人は湣公の子の法章を擁立して君と為した。すなわち齊襄王である。荀卿は齊國の稷下學宮にて祭酒を任じて學政を主持した。

戊寅 楚頃襄王會秦昭襄王於鄢。秦穰侯伐魏,至於國。 己卯 秦昭襄王會韓釐王於新城,會魏昭王於新名,伐趙,拔二城;伐韓,取六邑。 庚辰 楚會魏、趙伐秦。秦伐楚,魏冉復相。趙使藺相如入秦獻璧。 辛巳 楚割上庸及漢中,請和於秦。秦白起拔趙二城,司馬錯拔楚上庸。燕昭王卒。子惠王繼,以騎劫代樂毅。樂毅奔趙。趙惠文王與秦昭襄王會於澠池,藺相如相。

戊寅年(紀元前二八三年)、楚頃襄王は鄢の地にて秦昭襄王に會見し、秦相の穰侯魏冉は魏を伐って一路魏國の都城の下に打ち至った。己卯年(紀元前二八二年)、秦昭襄王は新城にて韓釐王に會見し、新名にて魏昭王に會見し、また趙を伐って二城を攻下し、韓を伐って六邑を取った。庚辰年(紀元前二八一年)、楚國は魏・趙と聯合して秦を伐ち、秦國は反って楚を伐ち、魏冉は再度相と為った。趙國は藺相如を派して和氏璧を攜えて秦に入りて交涉せしめて、終に璧を完くして趙に歸らしめた。辛巳年(紀元前二八〇年)、楚國は上庸と漢中を割讓して秦に和を請い、秦將の白起は趙國の二城を攻下し、司馬錯は楚國の上庸を攻下した。燕昭王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち燕惠王で、齊人の反間の計に中って、改めて騎劫を用いて樂毅に取代わらしめ、樂毅は趙國に出奔した。趙惠文王は秦昭襄王と澠池に相會して、藺相如は隨行して折衝し、事後に相と任ぜられた。

壬午 齊田單大敗燕君於即墨,獲將騎劫,復城七十,迎襄王自莒入臨淄。封田單安平君。秦白起拔楚西陵。 癸未 楚頃襄王出奔陳,郢陷於秦。大良造白起破楚入郢,燒夷陵,以郢為南郡。封起武安君。 甲申 秦拔楚巫及黔中,作黔中郡。魏昭王卒,子安釐王繼。

壬午年(紀元前二七九年)、齊將の田単は即墨にて火牛陣を用いて燕軍を大敗し、燕將の騎劫を斬殺して、一擧に七十餘城を收復し、莒城より齊襄王を迎還して入りて臨淄を主と為さしめ、齊國は田単を封じて安平君と為した。秦將の白起は楚國の西陵を攻下した。癸未年(紀元前二七八年)、楚頃襄王は陳城に出奔し、郢都は陷落した。大良造の白起は楚を破って郢に入り、楚國の先王の陵墓の在る所の夷陵を焚燒して、郢の地を改めて南郡と設け、秦は功に因って白起を封じて武安君と為した。屈原は郢都の失守を聞いて、汨羅江に自沈した。正にこの時である。甲申年(紀元前二七七年)、秦國は楚國の巫の地と黔中とを攻取して黔中郡を設置し、魏昭王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち魏安釐王である。

乙酉 楚東取江旁十五邑以扞秦。魏拔秦二城,封無忌信陵君。 丙戌 秦兵圍大梁,魏入溫請和。秦以穰侯為相國。韓暴鳶救魏不利。趙廉頗拔魏房子、安陽。 丁亥 魏芒卯攻韓,不利。秦師救韓,敗趙、魏之師十五萬於華陽。魏入南陽請和,以其地為南陽郡。

乙酉年(紀元前二七六年)、楚國は東して長江の沿岸の十五邑を收取して以って秦軍を抵禦し、魏國は秦國の二城を攻下して、公子無忌を封じて信陵君と為した。丙戌年(紀元前二七五年)、秦軍は魏都の大梁を圍攻し、魏國は温の地を獻出して和を請い、秦國は穰侯魏冉をもって相國と為し、韓將の暴鳶は魏を救って失利し、趙將の廉頗は魏國の房子と安陽を攻下した。丁亥年(紀元前二七四年)、魏將の芒卯は韓を攻めて失利し、秦軍は韓を救うを名として兵を出して、華陽にて趙・魏の聯軍十五萬を大敗し、魏國は南陽を獻出して和を請い、秦國はこの片の土地を設けて南陽郡と為した。

戊子 韓釐王卒,子桓惠王繼。趙取東胡地。 己丑 楚黃歇奉太子完入秦為質,求平,又取韓。魏伐燕,田單拔燕中陽。秦會楚、韓、趙、魏伐燕。燕惠王卒,子武成王繼。趙藺相如伐齊。 庚寅 秦穰侯伐齊,取剛壽,以廣陶邑。范雎自魏入秦。 辛卯 秦師伐韓以逼周。 壬辰 秦中更胡傷攻趙閼與,趙奢擊之,有功,封馬服君,與廉頗同位。秦人為之少懼。 癸巳 秦拔魏懷義。

戊子年(紀元前二七三年)、韓釐王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち韓桓惠王である。趙國は東胡の地を奪取した。己丑年(紀元前二七二年)、楚國の黄歇は太子完に陪同して秦に入りて質と為って和を求め、楚國はまた韓の地を攻取した。魏國は燕を伐ち、田単は燕國の中陽を攻下した。秦國は楚・韓・趙・魏と聯合して燕を伐ち、燕惠王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち燕武成王である。趙國の藺相如は兵を領して齊を伐った。庚寅年(紀元前二七一年)、秦相の穰侯魏冉は齊を伐って剛・壽の兩地を奪取して、用いて己の封邑の陶を擴充した。范雎は魏國より秦國に逃入りて、後に昭王に「遠くに交わり近くに攻む」の策を進めた。辛卯年(紀元前二七〇年)、秦軍は韓を伐って、以って周室に逼近した。壬辰年(紀元前二六九年)、秦國の中更胡傷は趙國の閼與を進攻し、趙奢は軍を率いて馳援して秦軍を大破し、功に因って馬服君に封ぜられて、地位は廉頗と相當し、秦人はここから趙に對して稍や畏懼あり。癸巳年(紀元前二六八年)、秦國は魏國の懷義を攻下した。

經世之巳二千二百二十六

甲午 周赧王四十八年,秦太子卒於魏。 乙未 秦拔魏郪邱,罷穰侯相國及宣太后權,以客卿范雎為相,封應侯。魏冉就國。趙惠文王卒,子丹繼,是謂孝成王,太后專政。 丙申 齊襄王卒,子建繼。田單攻趙。秦以安國君為太子,宣太后卒。拔趙三城,進圍邯鄲。趙出長安君,為質於齊,求救趙。勝為相,封平原君。

甲午年は周赧王四十八年、すなわち紀元前二六七年で、本「世」はここより起算す。魏國に質と在る秦國の太子は魏に死した。乙未年(紀元前二六六年)、秦國は魏國の郪丘を攻下し、秦昭襄王は范雎の謀を採納して、穰侯魏冉の相國の位を罷免し、宣太后の權柄を收回して、改めて客卿の范雎を用いて相と為して應侯に封じ、魏冉は封地に遣還された。秦國の政柄はここから國君の手に歸した。趙惠文王は去世し、その子の丹が位を繼いだ。すなわち趙孝成王で、趙太后は朝に臨んで政を執った。丙申年(紀元前二六五年)、齊襄王は去世し、その子の建が位を繼いだ。田単は兵を領して趙を攻めた。秦國は安國君を立てて太子と為し、宣太后は去世した。秦軍は趙國の三城を攻下して、進んで邯鄲を圍んだ。趙國は幼子の長安君を齊國に送って質と為して以って救兵を換取した。觸龍が趙太后を説いたはすなわちこの事である。趙勝は國相に出て平原君に封ぜられた。

丁酉 齊用田單為相。秦白起伐韓,拔九城。 戊戌 楚頃襄王卒,太子完自秦亡歸繼,是謂考烈王。以左徒黃歇為令尹,號春申君,封於吳。食淮北地。秦白起拔韓南郡。 己亥 楚獻地於秦,乞和。秦五大夫賁伐韓,拔十五城,以絕太行路。韓馮亭以上黨入於趙,趙受韓上黨,廉頗軍長平。

丁酉年(紀元前二六四年)、齊國は田単を任用して相と為し、秦將の白起は韓を伐って九城を攻下した。戊戌年(紀元前二六三年)、楚頃襄王は去世し、太子完は秦國より逃歸して位を繼いだ。すなわち楚考烈王で、左徒の黄歇を任じて令尹と為して春申君と號し、呉の地に封じて淮北の賦を食せしめた。秦將の白起は韓國の南郡を攻下した。己亥年(紀元前二六二年)、楚國は地を秦に獻して和を乞い、秦國の五大夫嬴賁は韓を伐って十五城を攻下して、太行山の通道を切斷した。韓國の上黨守の馮亭は秦に降るを願わず、上黨を趙國に獻し、趙國は接納して、廉頗を派して長平に駐軍せしめた。秦趙の長平の大の大戰の導火線は就中ここに點燃した。

庚子 楚伐魯,取徐州。秦白起攻趙長平。 辛丑 秦武安君大敗趙軍於長平,進圍邯鄲。趙以趙括代廉頗將,長平遂陷,兵四十萬為秦所坑。 壬寅 秦分軍為三,罷武安君白起將,以王齕代,攻趙,拔趙武安及皮牢。司馬梗北定上黨。趙使蘇代使秦。

庚子年(紀元前二六一年)、楚國は魯を伐って徐州を奪取し、秦將の白起は趙國の長平を進攻した。辛丑年(紀元前二六〇年)、武安君の白起は長平にて趙軍を大敗して、進んで邯鄲を圍困した。趙孝成王は秦人の反間計に中って、ただ紙上談兵の趙括を用いて老將の廉頗に取代わらしめ、長平の防線は因って崩潰し、四十萬の降卒は秦軍に坑殺されて、趙國の元氣は喪い盡きた。壬寅年(紀元前二五九年)、秦國は軍隊を分かちて三路と為し、武安君白起の兵權を撤下して、改めて王齕を用いて將と為して趙を攻めて、趙國の武安と皮牢を攻下し、司馬梗は北上して上黨を平定した。趙國は蘇代を派して秦國に至って范雎を游説して、秦に兵を罷むを請わしめた。

癸卯 秦加范雎相國,王齕圍邯鄲,張唐攻魏。燕武成王卒,子孝王繼。趙平原君求救於楚、魏。 甲辰 楚春申君、魏信陵君救趙。秦起武安君白起。不克,殺之於杜郵。 乙巳 周赧王會齊、韓、趙、魏兵,出伊闕攻秦。不利,西奔秦。秦昭王滅周,盡入其地三十六城,徙其王於憚狐。楚滅魯,以齊荀卿為蘭陵令。

癸卯年(紀元前二五八年)、秦國は范雎を加封して相國と為し、王齕は邯鄲を圍攻し、張唐は魏を攻めた。燕武成王は去世し、その子が位を繼いだ。すなわち燕孝王である。趙國の平原君は分頭して楚・魏に向かって救を求め、毛遂が自薦して隨行したはすなわちこの時である。甲辰年(紀元前二五七年)、楚國の春申君と魏國の信陵君とは先後して兵を出して趙を救い、信陵君は符を竊んで軍を奪い、秦軍は邯鄲の城下にて大敗した。秦王は再度武安君白起を起用したが、白起は病と稱して行を肯んぜず、杜郵に賜死された。乙巳年(紀元前二五六年)、周赧王は齊・韓・趙・魏の兵を合わせて、伊闕を出でて秦を攻めて失利して、止むを得ず西行して秦に入りて罪を謝した。秦昭王はここに於て周室を滅して、その地の三十六城を盡く收めて、赧王を憚狐に遷した。國を立つこと八百年の周朝はここに至って覆亡した。楚國は魯國を滅し、齊國の荀卿は任ぜられて楚國の蘭陵令と為った。

丙午 秦徙周民及九鼎於咸陽,蔡澤自燕入秦,代范雎相。燕孝王卒,子喜繼。 丁未 楚、齊、韓、燕、趙皆服於秦。魏獨後,秦使將軍樛伐之,取吳城。 戊申 秦郊上帝於雍邱。趙徙都鉅鹿。 己酉 趙平原君卒。 庚戌 秦昭襄王卒,太子安國繼,是謂孝王。立三日,又卒,子楚立,是謂莊襄王,以華陽夫人為後,子政為太子,呂不韋為丞相,封文信侯,食河南十萬戶。楚春申君入吊於秦。燕將栗腹攻趙,不利。趙廉頗破燕軍於鄗,封信平侯。

丙午年(紀元前二五五年)、秦國は周室の遺民と王權を象徴する九鼎とを咸陽に遷し、蔡澤は燕國より秦に入りて范雎に取代わって相と為った。燕孝王は去世し、その子の喜が位を繼いだ。丁未年(紀元前二五四年)、楚・齊・韓・燕・趙の五國は皆秦に屈服したが、唯獨魏國は遲遲として從わず、秦國は將軍樛を派して討伐せしめて吳城を奪取した。戊申年(紀元前二五三年)、秦國は雍の地にて上帝を郊祀し、趙國は巨鹿に遷都した。己酉年(紀元前二五二年)、趙國の平原君は去世した。庚戌年(紀元前二五一年)、秦昭襄王は去世し、太子の安國君が位を繼いだ。すなわち秦孝文王で、即位三日にしてまた死し、その子の子楚が位を繼いだ。すなわち秦莊襄王で、華陽夫人を立てて后と為し、嬴政を立てて太子と為し、吕不韋を用いて丞相と為して文信侯に封じて河南の十萬戶を食せしめた。楚國の春申君は秦に入りて喪を吊った。燕將の栗腹は趙を攻めて失利し、趙將の廉頗は鄗の地にて燕軍を大破し、功に因って信平侯に封ぜられた。

辛亥 東周君會諸侯攻秦,不利,沒於秦。秦丞相呂不韋平東周,盡入其地,置三川郡,徙其君於陽人。趙廉頗伐燕,圍其國。 壬子 秦蒙驁拔趙太原,拔韓滎陽及成皋。 癸丑 秦蒙驁拔魏高都,又舉趙三十城。楚、齊、魏、韓、燕、趙攻秦,不利。

辛亥年(紀元前二五〇年)、東周君は諸侯と聯合して秦を攻めて失利して、秦に竝ばれた。秦丞相の吕不韋は東周を平定して、その地を盡く收めて三川郡を設置し、東周君を陽人聚に遷した。周室の最後の一點の殘餘はここに至って斷絶した。趙將の廉頗は燕を伐って燕國の都城を圍困した。壬子年(紀元前二四九年)、秦將の蒙驁は趙國の太原を攻下し、また韓國の滎陽と成皋を攻下した。癸丑年(紀元前二四八年)、蒙驁は魏國の高都を攻下し、また趙國の三十城を拔取し、楚・齊・魏・韓・燕・趙の六國は兵を合わせて秦を攻めたが、勝を得る能わず。

甲寅 秦莊襄王卒,太子政繼,是謂始皇帝。以呂不韋為相國,號仲父,同太后專政。李斯為舍人。齊田單屠聊城。魏無忌自趙歸國,率楚、齊、韓、趙、燕五國之師,敗秦軍於河外,走蒙驁,追至函谷。 乙卯 秦蒙驁平晉陽。 丙辰 趙孝成王卒,子偃繼,是謂悼襄王,以樂乘代廉頗將。頗奔魏。

甲寅年(紀元前二四七年)、秦莊襄王は去世し、太子の嬴政が位を繼いだ。すなわち後日の秦始皇である。吕不韋をもって相國と為して「仲父」と尊號し、太后と共同して朝政を把持した。李斯はこの時はただ吕不韋の門下の舍人にすぎなかった。齊將の田単は聊城を屠った。魏公子の無忌、すなわち信陵君は、趙國より本國に返回して、楚・齊・韓・趙・燕の五國の師を統率して、黄河以南にて秦軍を大敗して、蒙驁を逼退せしめ、一路函谷關に追い至った。これは六國の合縱が最後に勝を得たことである。乙卯年(紀元前二四六年)、秦將の蒙驁は晉陽を平定した。丙辰年(紀元前二四五年)、趙孝成王は去世し、その子の偃が位を繼いだ。すなわち趙悼襄王で、改めて樂乘を用いて廉頗に取代わらしめて將と為して、廉頗は憤って魏國に出奔した。

丁巳 秦蒙驁攻魏,拔二城;攻韓,拔十二城。 戊午 魏釐王卒,子景愍王卒,信陵君亦卒。趙將李牧取燕二城。 己未 秦拔魏二十城,置東郡。趙伐燕,獲將劇辛。 庚申 楚考烈王會齊、韓、趙、魏、燕五國之兵伐秦,至於函谷,不利,東徙都壽春。春申君就國於吳。 辛酉 秦拔魏之汲,趙拔魏之鄴。 壬戌 秦封嫪毐長信侯,關政於內。韓桓惠王卒,子安繼。 癸亥 長信侯嫪毐作難,攻鄿年宮,不克,伏誅。徙太后於雍,流蜀者四千家。楚考烈王卒,子幽王悍繼。

丁巳年(紀元前二四四年)、秦將の蒙驁は魏を攻めて二城を取り、韓を攻めて十二城を取った。戊午年(紀元前二四三年)、魏釐王は去世し、その子の景愍王が位を繼いだ。底本はここに「卒」と作りて、しかして後文の癸酉年にまた景愍王卒と記す。當に字の誤りならん。信陵君の魏無忌もまたこの年に郁郁として終わった。趙將の李牧は燕國の二城を奪取した。己未年(紀元前二四二年)、秦國は魏國の二十城を攻下して、東郡を設置し、ここから三晉と齊・楚とを隔斷した。趙國は燕を伐って燕將の劇辛を俘獲した。庚申年(紀元前二四一年)、楚考烈王は齊・韓・趙・魏・燕の五國の兵を合わせて秦を伐ち、進んで函谷關に抵って失利して、隨即國都を壽春に東遷した。春申君は呉の地の封國に回った。辛酉年(紀元前二四〇年)、秦國は魏國の汲を攻下し、趙國は魏國の鄴を攻下した。壬戌年(紀元前二三九年)、秦國は嫪毐を封じて長信侯と為して、彼に宮禁の政を掌管せしめた。韓桓惠王は去世し、その子の安が位を繼いだ。癸亥年(紀元前二三八年)、長信侯の嫪毐は兵を起こして亂を作し、蘄年宮を攻打して失敗して、處死された。秦王は太后を雍城に遷往して幽居せしめ、この案に因って蜀の地に流されたは四千餘家であった。楚考烈王は去世し、その子の悍が位を繼いだ。すなわち楚幽王である。

経世之午 二千二百二十七

甲子 秦始皇帝十年,呂不韋坐嫪毐事免相,李斯為相。齊趙來置酒,復華陽太后於甘泉宮。 乙丑 秦王翦、桓拔趙九城。趙悼襄王卒,子遷繼。秦兵攻鄴。 丙寅 秦會魏伐楚及韓。文信侯呂不韋自殺。 丁卯 秦桓大敗趙軍十萬於平陽。韓公子非使秦,不還。

甲子年は秦の始皇帝十年、すなわち紀元前二三七年であり、本「世」はここから起算する。呂不韋は嫪毐の一件に連坐して相位を免かれ、李斯が後任の相となった。斉・趙の両国は使者を秦に遣わして酒宴を設け、修好を結んだ。秦王は華陽太后を甘泉宮に迎え戻した。乙丑年(前二三六年)、秦の将軍王翦・桓齮が趙の九城を攻め取った。趙の悼襄王が死去し、その子の迁が嗣いだ。秦兵は鄴城に進攻した。丙寅年(前二三五年)、秦は魏と会して楚および韓を伐った。文信侯呂不韋は罪を畏れて鴆を飲み自殺した。丁卯年(前二三四年)、秦の将軍桓齮は平陽で趙軍十万を大いに破った。韓の公子韓非は命を受けて秦に使いしたが、李斯に陥れられて秦の獄で死に、帰らなかった。

戊辰 秦桓破趙宜安及赤麗,韓王安朝秦。 己巳 秦伐趙,一軍攻鄴,一軍攻狼孟。燕太子丹自秦逃歸。趙李牧扞秦有功。 庚午 魏獻秦麗邑。 辛未 秦內史騰滅韓,獲其王,以其地為潁川郡。 壬申 秦王翦下井陘,大破趙軍,進圍鉅鹿。趙以趙蔥代李牧、顏聚代司馬尚將。

戊辰年(前二三三年)、秦の将軍桓齮は趙の宜安と赤麗を陥とした。韓王安は秦に入朝し、すでに臣服したも同然であった。己巳年(前二三二年)、秦は趙を伐ち、一軍は鄴を、一軍は狼孟を攻めた。秦に人質として在った燕の太子丹は本国に逃げ帰った。趙の将軍李牧は秦に抗して功があり、二度にわたり秦軍を撃退した。庚午年(前二三一年)、魏は麗邑を秦に献じた。辛未年(前二三〇年)、秦の内史腾が韓を滅ぼし、韓王安を捕らえ、韓の地を潁川郡とした――六国の中で韓が最初に亡んだ。壬申年(前二二九年)、秦の将軍王翦は井陘を攻め下し、趙軍を大破して巨鹿を包囲した。趙王は反間計にかかり、李牧を趙葱に、司馬尚を顔聚に替えて将とし、自ら長城を崩した。

癸酉 秦王翦滅趙,獲其王,以其地為趙郡。楚幽王卒,母弟猶立,庶兄負芻殺猶,代立。魏景愍王卒,子假繼。趙亡太子嘉稱王於代,會燕軍於上谷。 甲戌 秦王翦破燕軍於易水。燕荊軻使秦,不還。 乙亥 秦王翦、王賁滅燕,獲其太子丹。翦謝病還,拔楚十城。

癸酉年(前二二八年)、王翦は趙を滅ぼし、趙王迁を捕らえ、趙の地を趙郡とした。楚の幽王が死去し、その同母弟の犹が嗣いだが、庶兄の負芻が犹を殺して自立した。魏の景愍王が死去し、その子の假が嗣いだ。趙の逃亡した太子嘉は代の地で王を称し、上谷で燕軍と合流して最後の抵抗を試みた。甲戌年(前二二七年)、王翦は易水で燕軍を破った。燕は荊軻を遣わし、督亢の地図を献ずる名目で秦に入らせて行刺させたが、事敗れて殺され、帰らなかった。乙亥年(前二二六年)、王翦・王賁は燕を滅ぼし、燕の太子丹を捕らえた。王翦は病を辞して郷里に帰り、秦軍はさらに楚の十城を攻め取った。

丙子 秦王賁滅魏,決河灌大梁,獲其王。 丁丑 秦王翦破楚,殺其將項燕。楚喪師於蘄,走壽春。 戊寅 秦王翦、蒙武滅楚,獲其王,以其地為楚郡。 己卯 秦王賁平遼東,獲燕王。平代,獲趙太子。王翦定越,以其地為會稽郡。

丙子年(前二二五年)、秦の将軍王賁は魏を滅ぼし、黄河の堤を決壊させて大梁に水を注ぎ、魏王假を捕らえた。丁丑年(前二二四年)、王翦は楚軍を大破し、楚の将軍項燕――項羽の祖父――を斬った。楚軍は蘄の地で潰敗し、寿春に退き保った。戊寅年(前二二三年)、王翦と蒙武は楚を滅ぼし、楚王負芻を捕らえ、楚の地を楚郡とした。己卯年(前二二二年)、王賁は遼東を平定して燕王喜を捕らえ、また代を平定して趙の代王嘉を捕らえた。王翦は百越を平定し、越の地を会稽郡とした。

庚辰 秦王翦滅齊,獲其王,以其地為齊郡,東至海及朝鮮,西至臨洮、羌中,南至北向戶,北至陰山、遼東,分天下地為三十六郡,罷侯置守,鑄天下兵為十二金人,徙天下豪富十二萬戶於咸陽,大建宮室,作阿房,為萬世業,稱始皇帝。更以建亥月為歲首。

庚辰年(前二二一年)、王翦は斉を滅ぼし、斉王建を捕らえ、斉の地を斉郡とした。六国はここに全て滅んだ。秦の疆域は東は大海と朝鮮に至り、西は臨洮・羌中に至り、南は北向戸――すなわち嶺南で日影が北を向く地――に至り、北は陰山・遼東に至った。始皇は天下を三十六郡に分け、封侯を廃して郡守を置き、天下の兵器を取り上げて十二の金人を鋳造し、天下の豪富十二万户を咸陽に移し、宮室を大いに建て阿房宮を造営して、万世伝わる業と自ら任じ、ここに「始皇帝」と号した。暦法でも建亥の月、すなわち夏暦十月をもって一年の始めと改めた。

辛巳 西巡狩,至於隴右、北地。及回中,乃復。 壬午 東巡狩,至於鄒嶧,封太山,禪梁甫,南登琅邪。丞相隗林、王綰,卿士李斯、王戊,五大夫趙嬰,將軍楊樛及九侯,勒帝功於金石,表於海上。遂南至於衡山,浮江自南郡由武關,乃復。 癸未 東巡狩,至博浪沙中遇盜,遂登之罘,刻石紀功。北由上黨,乃復。 甲申 乙酉

辛巳年(前二二〇年)、始皇は西に巡狩し、隴右・北地に至り、回中を経て還った。壬午年(前二一九年)、東に巡狩して鄒嶧山に至り、泰山で封の礼、梁甫で禅の礼を行い、南に琅邪台に登った。随行の丞相隗林・王綰、卿士李斯・王戊、五大夫趙嬰、将軍楊樛および九人の列侯は、皇帝の功業を金石に刻み、碑を海辺に立てた。続いて南の衡山に至り、江を浮かんで南郡を経て武関から出て還った。癸未年(前二一八年)、再び東巡し、博浪沙に至って刺客の襲撃に遭った――張良が力士に鉄椎をもって行刺させた一件である。続いて之罘山に登って石を刻み功を記し、北の上党を経て還った。甲申(前二一七年)・乙酉(前二一六年)は記事なし。

丙戌 北巡狩,至於碣石。由上郡,乃復。使蒙恬擊胡,取河南地。 丁亥 南取陸梁地,為桂林象郡。又北斥匈奴,自榆中並河以東屬之陰山,為三十四縣,城河上為塞。又使蒙恬渡河,取高闕、陶山,北假中築亭障。 戊子 置酒咸陽宮,聚天下書焚之。 己丑 聚天下學士於驪山,坑之。廣阿房宮,自咸陽達於渭南。庚寅

丙戌年(前二一五年)、始皇は北に巡狩して碣石に至り、上郡を経て還った。蒙恬を遣わして北に匈奴を撃ち、河套以南の地を取らせた。丁亥年(前二一四年)、南に陸梁の地――現在の両広一帯――を取り、桂林・象郡を置いた。また北に匈奴を逐い、楡中から黄河に沿って東の陰山に至るまでを領し、三十四県を設け、河に沿って城を築いて塞とした。さらに蒙恬に命じて河を渡らせ、高闕・陶山を取り、北假一帯に亭障を築いて戍守させた。戊子年(前二一三年)、始皇は咸陽宮に酒宴を設けたが、博士の淳于越が分封の復行を唱えたため、李斯が私学の禁絶を奏請し、ここに天下の詩書百家の言を集めて焼き捨てた。己丑年(前二一二年)、また天下の方士・儒生を驪山に集めて坑殺した――これがすなわち「焚書坑儒」である。同時に阿房宮を増築し、咸陽から渭水の南にまで連ねた。庚寅(前二一一年)は記事なし。

辛卯 南巡狩,至於雲夢。右丞相馮去疾留守,左丞相李斯從行。少子胡亥請行,至九疑浮江,東至於會稽,又北至於琅邪,由平原達沙丘,崩。左丞相李斯、宦氏趙高假帝書,更立少子胡亥,賜上郡太子、將軍蒙恬死,遂還咸陽。胡亥立,是謂二世皇帝。葬始皇帝驪山。

辛卯年(前二一〇年)、始皇は南に巡狩して雲夢沢に至った。右丞相の馮去疾は咸陽を留守し、左丞相の李斯は随行し、幼子の胡亥も同行を願い出た。一行は九疑山に至り、江を浮かべて東の会稽に下り、また北に琅邪に上り、平原津を取って進み、沙丘平台に至ったとき始皇は病死した。左丞相李斯と宦官の趙高は遺詔を偽造し、幼子胡亥を改めて立て、上郡で軍を監していた長子扶蘇と大将蒙恬に死を賜り、その後咸陽に還った。胡亥が即位し、これが秦の二世皇帝である。始皇は驪山に葬られた。

壬辰 宦氏趙高為中郎令,專政。東巡狩,至於會稽,北又至於遼東,乃復。大殺王族及群臣,復廣阿房,徵天下材士,以五萬人為屯衛,咸陽三百里不得食其谷。戍卒陳勝稱王於楚,關東郡邑皆殺其令長,以應陳勝,而西攻秦。陳勝將武臣稱王於趙,魏咎稱王於魏,狄人田儋稱王於齊,楚人項梁舉兵會稽,徐人劉季稱兵豐沛,陳勝兵西攻秦,至於戲。

壬辰年(前二〇九年)、宦官の趙高は中郎令となり、朝政を独り占めにした。二世は東に巡狩して会稽に至り、北はまた遼東にまで至って還った。彼は宗室と群臣を大いに誅殺し、阿房宮の増築を続け、天下の壮丁を徴発して五万人を京師の屯衛とし、咸陽三百里以内の百姓には自ら作った穀物を食べることを許さなかった。戍卒の陳勝が楚の地で挙事して王を称すと、函谷関以東の郡県はこぞってその地の令長を殺して応じ、転じて西の秦を攻めた。陳勝の部将武臣は趙の地で王を称し、魏咎は魏の地で王を称し、狄県人の田儋は斉の地で王を称し、楚人の項梁は会稽で起兵し、徐州人の劉季――すなわち劉邦――は豊・沛で起兵した。陳勝の軍は西に秦を攻め、戯水まで打ち進んで咸陽に迫った。

癸巳 秦殺右丞相馮去疾、將軍馮劫,及囚左丞相李斯,諫罷阿房故也。將軍章邯滅陳勝於城父,破項梁於定陶,平田儋於臨濟,渡河北攻趙。田儋死,其弟榮立儋子市為王。陳勝將秦嘉立勝子景駒為王,項梁殺景駒,求楚懷王孫心,立之保盱臺。項梁死,其子羽軍彭城,其將劉季軍碭山。楚王心收項梁軍,自盱臺徙彭城,以劉季為碭郡長,封武安侯,俾南略地而西攻秦。以項羽為魯國公,封長安侯,俾北救趙而西攻秦。約先入關者王。

癸巳年(前二〇八年)、秦の二世は右丞相馮去疾と将軍馮劫を殺し、また左丞相李斯を囚えた――その起こりは、ただ彼らが阿房宮の停建を諫めたことにあった。秦の将軍章邯は城父で陳勝を撃ち滅ぼし、定陶で項梁を破り、臨済で田儋を平らげ、その後黄河を渡って北の趙を攻めた。田儋は戦死し、その弟田栄は田儋の子田市を立てて斉王とした。陳勝の部将秦嘉は陳勝の子景駒を立てて王としたが、項梁は景駒を殺し、楚の懐王の孫熊心を訪ね求めて立てて楚王とし、盱台を守らせた。項梁が戦死すると、その子項羽(按ずるに項羽は実は項梁の甥である)は彭城に軍を屯し、その部将劉季は碭山に軍を屯した。楚王熊心は項梁の旧部を収編し、盱台から彭城に都を移し、劉季を碭郡長とし武安侯に封じ、命じて南に地を略し、その後西に秦を攻めさせた。項羽を魯国公とし長安侯に封じ、命じて北に趙を救い、その後西に秦を攻めさせた。そして諸将と約束した――先に関中に入る者を関中王とする、と。

経世之未 二千二百二十八

甲午 秦二世三年,中郎令趙高稱丞相,殺李斯,及弒其君胡亥於望夷宮,代立不克,立二世兄之子嬰為王,嬰立,夷趙高三族。沛公兵十萬,由武關入,至咸陽。秦子嬰降於軹道,收圖籍,封宮室府庫,示眾人以約法三章,還軍灞上,以待東諸侯;項羽北救趙,殺大將軍宋義,至鉅鹿,大敗章邯軍於洹水,秦軍降者二十萬,悉坑之於新安。合齊、趙、魏、韓、燕五國之兵四十萬,由函谷而入,會沛公於戲,而屠咸陽,殺子嬰,收子女玉帛,焚宮室府庫。

甲午年は秦の二世三年、すなわち紀元前二〇七年であり、本「世」はここから起算する。中郎令趙高は自ら丞相を称し、まず李斯を殺し、また望夷宮で二世胡亥を弑した。彼は自立しようとしたが群臣が服さず、やむなく二世の兄の子である子嬰を立てて秦王とした。子嬰は即位後、計を設けて趙高を誅殺し、その三族を夷した。沛公劉邦は兵十万を率いて武関から攻め入り、咸陽に直抵した。秦王の子嬰は軹道のほとりで降伏し、劉邦は国家の図籍・档案を収め、宮室府庫を封じ、関中の父老と法三章を約した――人を殺す者は死、人を傷つけおよび盗む者は罪に抵る――そして軍を灞上に退き、関東の諸侯を静かに待った。項羽は北に上って趙を救い、まず逗留して進まない主将宋義を殺し、巨鹿に進み、洹水で章邯の軍を大破し、秦軍の降者二十万は新安ですべて坑殺された。項羽は斉・趙・魏・韓・燕の五国の兵四十万を合わせて函谷関から入関し、戯水で沛公と相会し、続いて咸陽を屠り、子嬰を殺し、子女玉帛を掠め取り、宮室府庫を焼いた。

乙未 項羽渝約,自主封建,立楚王心為義帝,徙之江南,都郴;封沛公季為漢王,遷之漢中,都南鄭;分秦關中為三,一封降將章邯為雍王,都廢邱;一封降將司馬欣為塞王,都櫟陽;一封降將董翳為翟王,都高奴。

乙未年(前二〇六年)、項羽は「先に関に入る者を王とする」という旧約を破り、自ら天下の分封を取り仕切った。楚王熊心を義帝と尊びながら、彼を江南に移して郴県に都させ、名は尊ぶも実はその権を奪った。先に関に入った沛公劉季を漢王に封じ、僻遠の漢中に移して南鄭に都させた。また秦の関中の地を三つに分け、三人の秦の降将に委ねて守らせ、漢王の東出の道を塞いだ――章邯を雍王に封じて廃丘に都させ、司馬欣を塞王に封じて櫟陽に都させ、董翳を翟王に封じて高奴に都させた。これが後世にいう「三秦」である。

分齊為三,一封齊將田都為臨淄王,都臨淄;一封齊將田安為濟北王,都博陽;一封齊王田市為膠東王,都即墨。分楚為三,一封楚將英布為九江王,都六;一封楚將共敖為臨江王,都江陵;一封番君吳芮為衡山王,都邾。分趙為二,一封楚將張耳為常山王,都襄國;一封趙王歇為代王,都雁門;分韓為二,一封楚將申陽為河南王,都洛陽;一封韓成為韓王,都陽翟。分魏為二,一封趙將司馬卯為殷王,都朝歌;一封魏王豹為魏王,都平陽。分燕為二,一封燕將臧荼為燕王,都薊;一封燕王韓廣為遼東王,都無終。

項羽はまた斉国を三つに分けた。斉の将軍田都を臨淄王に封じて臨淄に都させ、斉の将軍田安を済北王に封じて博陽に都させ、もとの斉王田市を改めて膠東王に封じて即墨に都させた。楚の地を三つに分け、楚の将軍英布を九江王に封じて六県に都させ、楚の将軍共敖を臨江王に封じて江陵に都させ、番県令の呉芮を衡山王に封じて邾に都させた。趙国を二つに分け、楚の将軍張耳を常山王に封じて襄国に都させ、もとの趙王歇を改めて代王に封じて雁門に都させた。韓国を二つに分け、楚の将軍申陽を河南王に封じて洛陽に都させ、韓成を韓王に封じて陽翟に都させた。魏国を二つに分け、趙の将軍司馬卯を殷王に封じて朝歌に都させ、もとの魏王豹を改めて魏王に封じて平陽に都させた。燕国を二つに分け、燕の将軍臧荼を燕王に封じて薊に都させ、もとの燕王韓広を改めて遼東王に封じて無終に都させた。この一連の分封の通例は、みな自らに従って関に入った部将を引き立て、もとの六国の君を偏遠へ移すものであり、怨望はここから丛生した。

封吳芮將梅鋗十萬戶侯,趙歇將陳餘環三縣,田市將田榮不及封。羽自稱西楚伯王,王梁地九郡,都彭城。諸王之在戲下者,咸遣罷兵就國。羽亦東出,使人殺義帝於江上,殺韓王成,以鄭昌代之。臧荼殺韓廣於燕,並有其地;田榮殺田都、田安、田市於齊,並有其地,稱齊王,彭越受榮符以覆梁地,陳餘受榮兵以破常山。趙王歇自代遷都鉅鹿,張耳走漢。項羽北破田榮於齊,榮死,弟橫立榮子廣,復保城陽。

項羽はまた呉芮の部将梅鋗を十万戸侯に封じ、趙歇の部将陳余に三県の環食の地を与えたが、田市の部将田栄には全く封賞がなかった。項羽は自ら西楚の霸王と称し、梁の地九郡を有して彭城に都を建てた。戯下で封を受けた諸王は、みな兵を解いて国に就かされた。項羽は続いて東に帰り、人を遣わして江上で義帝を殺させ、また韓王成を殺して、鄭昌を立てて代えさせた。ここにおいて各地で一斉に反発が起こった。臧荼は燕の地で韓広を殺してその地を併せ呑み、田栄は斉の地で田都・田安・田市を殺して三斉を併せ呑み斉王と称し、また彭越に符を発して梁の地を撹乱させ、陳余に兵を発して常山を破らせた。趙王歇は代の地から巨鹿に迁り戻り、張耳は兵を敗って漢王に奔った。項羽は北に上って斉を攻め、田栄を破り、田栄は敗死し、その弟田横は田栄の子田広を立てて王とし、城陽に退き保って抵抗を続けた――項羽が斉の地に陥って身動きが取れなくなったのは、まさに漢王に東出の機会を与えた。

丙申 漢王自南鄭東收三秦、二韓五侯兵,合三河士五十六萬東伐楚,入彭城,取重寶美女,為置酒高會。項羽至自伐齊,大敗漢軍於睢水,殺十餘萬,並獲漢王父母妻子。漢王退保滎陽,築甬道以通敖倉粟,使將韓信、張耳攻魏趙。丞相蕭何兵至自關中,自此日戰於京索間。

丙申年(前二〇五年)、漢王劉邦は南鄭から東に出て、三秦と両韓の地を収め、五路の諸侯と三河の士卒あわせて五十六万を会合して東に楚を伐ち、彭城に攻め入り、重宝・美女を掠め取り、日々酒宴を設けて高会した。項羽は伐斉の前線から軍を回し、睢水で漢軍を大破し、漢兵十余万を殺し、あわせて漢王の父母・妻子を捕らえた。漢王は滎陽に退き守り、両側に塀のある甬道を築いて敖倉の蓄穀を運び通し、韓信・張耳を遣わして北に魏・趙を攻めさせた。丞相蕭何もまた関中から兵員を切れ目なく送り届けた。これより漢と楚は京・索の間で日々交戦し、戦局は相持に入った。

丁酉 楚圍漢於滎陽,拔之,紀信、周苛、樅公死之。漢退師,保成皋。九江王英布降於漢,彭越破楚軍於下邳,韓信、張耳平魏、趙,還軍修武。漢王自成皋北渡河,至修武,使張耳收兵越地,韓信伐齊,盧綰、劉賈南渡白馬津,會彭越攻楚。楚又拔漢成皋。 戊戌 漢復取成皋,與楚對兵廣武。韓信平齊,乞封假王。項羽請和,約分天下於鴻溝,歸漢王父母妻子,還軍至陽夏。漢軍復至,楚復敗漢軍。漢又大會韓信、彭越、英布及諸侯兵於垓下。

丁酉年(前二〇四年)、楚軍は漢王を滎陽に包囲しその城を陥とした。紀信は漢王に扮して楚を欺いて死に、周苛・樅公もともに殉難した。漢王は成皋に退き守った。九江王英布は漢王に降り、彭越は下邳で楚軍を破り、韓信・張耳は魏・趙を平定して修武に軍を戻した。漢王は成皋から北に黄河を渡って修武に至り、韓信の兵符を取り上げ、張耳には趙の地に行って兵を集めさせ、韓信には東に斉国を伐たせた。また盧綰・劉賈を遣わして南に白馬津を渡らせ、彭越と合わせて楚軍の後方を攪乱させた。楚軍はまた漢軍の成皋を陥とした。戊戌年(前二〇三年)、漢軍は再び成皋を奪い返し、楚軍と広武の澗を隔てて対峙した。韓信は斉の地を平定し、仮の斉王に封ぜられるよう請うた。項羽は勢い窮まり和平を請い、双方は鴻溝を界として天下を中分すると約し、楚は漢王の父母・妻子を返し、続いて兵を引き東に帰って陽夏に至った。漢軍は約を破って追撃したが、また楚軍に敗れた。漢王はここにおいて韓信・彭越・英布および諸侯の兵を垓下に大いに集めた。

己亥 漢滅楚,項羽死於東城。漢王以魯國公禮,葬羽於穀城。楚之諸侯而王者並降封侯,封齊王韓信為楚王,治下邳;建成侯彭越為梁王,治定陶;九江王英布為淮南王,治廣陵;韓王信為韓王,治陽翟;衡山王吳芮為長沙王,治臨湘。肇帝位於汜水之陽,西都長安,大建宮室。燕王臧荼不恭命,攻下代郡。往平之,獲臧荼。以太尉盧綰為燕王。齊王田廣卒,叔橫立,入於海。

己亥年(前二〇二年)、漢軍は垓下の決戦で楚を滅ぼし、項羽は東城まで突き抜けたが、ついに烏江で自刎した。漢王は魯国公の礼をもって項羽を穀城に葬った。もと楚方に属して王を称した諸侯はすべて降格して侯とされた。斉王韓信を改めて楚王に封じて下邳を治めさせ、建成侯彭越を梁王とし定陶を治めさせ、九江王英布を淮南王とし広陵を治めさせ、韓王信はそのまま韓王として陽翟を治め、衡山王呉芮を長沙王とし臨湘を治めさせた。劉邦は氾水の北で皇帝位に即き、西の長安に都を定め、宮室を大いに建てた。燕王臧荼は朝命を奉じず代郡を攻め取ったので、皇帝が親征して平定し、臧荼を捕らえ、改めて太尉盧綰を燕王とした。斉王田広はすでに死に、その叔父田横が嗣ぎ立ち、部下五百人を率いて海島に逃げ込んだ。

庚子 帝遊雲夢,會諸侯於陳,執楚王韓信歸,降為淮陰侯,分其地為二,一封劉賈為荊王,治淮東;一封弟交為楚王,治淮西。別封子肥為齊王,徙韓王信為太原王。匈奴寇馬邑,韓王信以眾叛。帝尊父太公為太上皇。 辛丑 帝北征韓王信於銅鞮,信走匈奴。遂及匈奴,至於平城。匈奴圍帝於平城七日。樊噲北定代,以兄仲為代王。

庚子年(前二〇一年)、高帝は雲夢を巡狩すると託して陳の地で諸侯を大いに会し、機を趁って楚王韓信を捕えて連れ帰り、淮陰侯に貶め、楚の地を二つに分けた。族兄の劉賈を荊王に封じて淮東を治めさせ、その弟劉交を楚王に封じて淮西を治めさせた。また長子劉肥を斉王に封じ、韓王信を太原に改めて封じた。匈奴が馬邑に入寇し、韓王信は部を率いて叛いて匈奴に降った。高帝はその父太公を太上皇と尊んだ。辛丑年(前二〇〇年)、高帝は北に銅鞮で韓王信を征し、信は匈奴に逃げ込んだ。漢軍は匈奴を平城まで追撃したが、白登山で匈奴の騎兵に七日間包囲され、陳平の計によってやっと脱出し、この後和親の策に転じた。樊噲は北に代の地を定め、高帝はその兄劉仲を立てて代王とした。

壬寅 建未央宮。代王劉仲自雁門逃歸,廢為合陽侯。以陳豨為代王。 癸卯 大朝諸侯於未央宮。趙相貫高事覺。 甲辰 太上皇及太上後崩。陳豨以雁門叛,帝北征,誅淮陰侯韓信,並夷三族。以蕭何為相國。 乙巳 梁王彭越以定陶叛,平之,夷三族。淮南王英布以廣陵叛,兼有淮東西地。

壬寅年(前一九九年)、未央宮を造営した。代王劉仲は匈奴の侵入に遭い国を捨てて雁門から逃げ帰り、合陽侯に廃され、改めて陳豨を代王とした。癸卯年(前一九八年)、未央宮で諸侯を大いに朝し、趙の相貫高が高帝を刺さんと謀ったことが発覚した。甲辰年(前一九七年)、太上皇と太上后が前後して死去した。陳豨は雁門で起兵して叛き、高帝は北に征し、呂后は蕭何と計を設けて長楽宮で淮陰侯韓信を誅殺し、あわせてその三族を夷滅した。蕭何をもって相国とした。乙巳年(前一九六年)、梁王彭越は定陶で謀反を告げられ、誅されて三族を夷された。淮南王英布は広陵で起兵して叛き、淮東・淮西の地を併せ呑んだ。

丙午 帝征淮南,平之,夷英布三族。周勃平代,獲陳豨於當城。帝崩,太子盈踐位,是謂惠帝,太后呂氏臨朝稱制。蕭何、曹參、陳平、周勃輔政,葬高祖於長陵。盧綰以燕叛。 丁未 太后殺趙王如意,及其母夫人戚氏。齊王肥獻陽城,為魯元公主湯沐邑。

丙午年(前一九五年)、高帝は親征して淮南の英布の乱を平定し、その三族を夷した。周勃は代の地を平定し、当城で陳豨を擒えた。高帝は陣中で受けた箭の傷の発作により去世し、太子劉盈が即位した――これが漢の恵帝であり、母后呂氏が朝に臨んで制を称した。蕭何・曹参・陳平・周勃がともに政を輔佐し、高祖は長陵に葬られた。燕王盧綰は禍を畏れて叛いて匈奴に入った。丁未年(前一九四年)、呂太后は趙王劉如意を毒殺し、またその母戚夫人を残害した。斉王劉肥は陽城郡を献じて呂后の娘魯元公主の湯沐邑とし、ようやく禍を免れた。

戊申 相國蕭何卒,曹參為相國。 己酉 城長安。 庚戌 除挾書律。 辛亥 相國曹參卒,王陵為右丞相,陳平為左丞相。 壬子 太尉樊噲卒,周勃為太尉。 癸丑 惠帝崩,立無名子為帝,葬惠帝於安陵,封呂氏四人為王,六人為侯,罷王陵相,進陳平右丞相,以審食其為左丞相,關政於內。太后專制,名雉。

戊申年(前一九三年)、相国蕭何が去世し、曹参が後任の相国となり、すべて旧章に従った――これがすなわち「蕭規曹随」である。己酉年(前一九二年)、長安の城壁を修築した。庚戌年(前一九一年)、秦代に民間の蔵書を禁じた挟書律を廃止し、先秦の典籍はここから漸く再び出てきた。辛亥年(前一九〇年)、相国曹参が去世し、王陵が右丞相、陳平が左丞相となった。壬子年(前一八九年)、太尉樊噲が去世し、周勃が後任の太尉となった。癸丑年(前一八八年)、漢の恵帝が去世し、呂后は来歴の不明な子を立てて帝とし、史に前少帝と称す。恵帝は安陵に葬られた。呂后は呂氏の四人を王、六人を侯に封じ、言を出して反対した王陵を罷免し、陳平を右丞相に昇らせ、審食其を左丞相として宮禁の内政を主らせた。太后は大権を独り占めにし、その名は雉という。

甲寅 乙卯 丙辰 丁巳 幽無名子於永巷,殺之,立恆山王義為帝。 戊午 尉佗稱帝南越。 己未 匈奴寇狄道。 庚申 太后殺趙王友,以梁王呂產為相國,趙王呂祿為上將軍,分統南北軍。 辛酉 太后呂氏崩,丞相陳平、太尉周勃、朱虛侯劉章、曲周侯酈商及子寄誅呂祿、呂產,獲南北軍,夷呂氏三族,廢恆山王義,迎高祖中子代王恆於雁門,立之,是謂文帝。以宋昌為衛將軍,專南北軍。丞相陳平讓周勃右丞相,而為左丞相。灌嬰為太尉,張武為中郎。 壬戌 以皇子啟為皇太子。周勃免相,陳平兼左右丞相。 癸亥 丞相陳平卒,周勃復相。始作銅虎符。

甲寅(前一八七年)から丙辰(前一八五年)まで記事なし。丁巳年(前一八四年)、少帝は漸く成長して怨む言を口に出したので、呂后は彼を永巷に幽禁して殺し、改めて恒山王劉義を立てて帝とした――これが後少帝である。戊午年(前一八三年)、趙佗は南越で自立して帝を称した。己未年(前一八二年)、匈奴が狄道に入寇した。庚申年(前一八一年)、呂后は趙王劉友を殺し、梁王呂産を相国、趙王呂禄を上将軍とし、京師の南軍と北軍を分掌させた。辛酉年(前一八〇年)、呂太后が去世し、丞相陳平・太尉周勃・朱虚侯劉章・曲周侯酈商とその子酈寄が合謀して呂禄・呂産を誅殺し、南北軍の兵権を奪い返し、呂氏の三族を夷滅し、恒山王劉義を廃して、雁門から高祖の中子である代王劉恒を迎えて立てて天子とした――これが漢の文帝である。宋昌を衛将軍として南北軍を統領させた。陳平は右丞相の位を周勃に譲り、自ら左丞相に居った。灌嬰を太尉、張武を中郎とした。壬戌年(前一七九年)、皇子劉啓を立てて皇太子とした。周勃は相を免れ、陳平が左右丞相を兼ね領した。癸亥年(前一七八年)、丞相陳平が去世し、周勃が再び丞相となった。朝廷は初めて銅の虎符を鋳造して調兵の凭信とした。

経世之申 二千二百二十九

甲子 漢孝文皇帝三年,免周勃相,以灌嬰為相。王興居以濟北叛,平之。匈奴寇北地。 乙丑 絳侯周勃下廷尉。 丙寅 丁卯 王長以淮南叛,徙之蜀。放賈誼於長沙。 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 除肉刑。 乙亥 丙子 祀上帝。 丁丑 戊寅 改稱元年,是謂後元。

甲子年は漢の文帝三年、すなわち紀元前一七七年であり、本「世」はここから起算する。文帝は周勃の丞相の職を免じ、灌嬰を改めて相とした。済北王劉興居が起兵して叛いたが、平定された。匈奴が北地郡に入寇した。乙丑年(前一七六年)、絳侯周勃は謀反を告発され、廷尉に付して審問された。丙寅(前一七五年)は記事なし。丁卯年(前一七四年)、淮南王劉長が謀反し、蜀の地に流されて途中で死んだ。賈誼もこの前後に長沙王の太傅に貶められた。戊辰(前一七三年)から癸酉(前一六八年)まで記事なし。甲戌年(前一六七年)、文帝は緹萦が父を救うために上書したことにより、黥・劓・刖などの肉刑を廃止する詔を下した。乙亥(前一六六年)は記事なし。丙子年(前一六五年)、上帝を祭祀した。丁丑(前一六四年)は記事なし。戊寅年(前一六三年)、改元して改めて元年と称した――史に「後元」と称する。

己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未 匈奴寇雲中上郡,命六將屯備。周亞夫軍細柳。 甲申 文帝崩,太子啟踐位,是謂孝景皇帝,葬太宗於灞陵。 乙酉 與匈奴約和親。 丙戌 丁亥 吳王濞、膠西王卯、楚王戊、趙王遂、濟南王闢光、菑川王賢、膠東王雄渠七國連叛,誅御史大夫晁錯,七國平。梁孝王霸有東土。 戊子 以皇子榮為皇太子。 己丑 以公主嬪於匈奴。 庚寅 辛卯 廢皇太子榮,以膠東王徹為皇太子,太尉周亞夫為丞相。 壬辰 改稱元年,是謂中元。 癸巳

己卯(前一六二年)から壬午(前一五九年)まで記事なし。癸未年(前一五八年)、匈奴が雲中・上郡に入寇し、朝廷は六人の将軍に命じてそれぞれ兵を屯して備えさせた。周亜夫は細柳営に軍を駐し、その軍紀の厳しさに文帝は嘆服した。甲申年(前一五七年)、文帝が去世し、太子劉啓が即位した――これが漢の景帝である。文帝の廟号は太宗、灞陵に葬られた。乙酉年(前一五六年)、匈奴と和親を約した。丙戌(前一五五年)は記事なし。丁亥年(前一五四年)、晁錯が藩を削ることを建議したため、呉王劉濞・膠西王劉卯・楚王劉戊・趙王劉遂・済南王劉辟光・菑川王劉賢・膠東王劉雄渠の七国が兵を連ねて叛いた。朝廷は御史大夫晁錯を斬って諸侯に謝したが叛軍は退かず、ついに周亜夫が兵を率いて三月で平定した。梁孝王は睢陽を死守して功がり、これより東方に雄据した。戊子年(前一五三年)、皇子劉栄を立てて皇太子とした。己丑年(前一五二年)、公主を匈奴の単于に嫁がせた。庚寅(前一五一年)は記事なし。辛卯年(前一五〇年)、皇太子劉栄を廃し、改めて膠東王劉徹を立てて皇太子とし、太尉周亜夫が丞相に昇った。壬辰年(前一四九年)、改元して改めて元年と称した――史に「中元」と称する。癸巳(前一四八年)は記事なし。

経世之酉 二千二百三十

甲午 漢孝景皇帝十年,周亞夫免相。 乙未 丙申 丁酉 戊戌 再改元年,是謂後元。周亞夫下獄死。 己亥 庚子 景帝崩,皇太子徹踐位,是謂孝武皇帝,葬景帝於陽陵。 辛丑 改建元元年。 壬寅 竇嬰免相,田蚡免太尉。 癸卯 甲辰 乙巳 丙午 丁未 改元元光,始令郡國貢孝廉。董仲舒起焉。

甲午年は漢の景帝十年、すなわち紀元前一四七年であり、本「世」はここから起算する。丞相周亜夫は職を免じられた。乙未(前一四六年)から丁酉(前一四四年)まで記事なし。戊戌年(前一四三年)、再び改元して元年と称した――史に「後元」と称する。周亜夫は家人が私に葬器を購入したことで謀反と指摘され、獄に下されて絶食し嘔血して死んだ。己亥(前一四二年)は記事なし。庚子年(前一四一年)、景帝が去世し、皇太子劉徹が即位した――これが漢の武帝である。景帝は陽陵に葬られた。辛丑年(前一四〇年)、改元して建元元年とした――これが中国に年号がある始まりである。壬寅年(前一三九年)、竇太后は黄老を好み儒術を厭い、丞相竇嬰・太尉田蚡を罷免した。癸卯(前一三八年)から丙午(前一三五年)まで記事なし。丁未年(前一三四年)、改元して元光とし、始めて郡国に孝廉を挙薦させた。董仲舒は「天人三策」の対策をもって見用され、儒術はここから独尊となった。

戊申 命將兵三十萬,大伐匈奴,不利。 己酉 庚戌 竇嬰棄市。田蚡卒。 辛亥 廢皇后陳氏,以衛夫人為皇后,弟青為將軍。 壬子 命將四大伐匈奴,無功。 癸丑 改元元朔。 甲寅 衛青伐匈奴,有功,收河南,置朔方、五原郡。 乙卯 丙辰 匈奴寇上郡。

戊申年(前一三三年)、武帝は将に命じて兵三十万を統べさせ、馬邑に伏兵を設けて匈奴を大いに撃とうとしたが、消息が洩れて功なく帰った――漢と匈奴は和親から戦争に転じ、この年に始まる。己酉(前一三二年)は記事なし。庚戌年(前一三一年)、魏其侯竇嬰は棄市で処刑され、武安侯田蚡もこの年に死んだ。辛亥年(前一三〇年)、皇后陳氏を廃し、衛夫人衛子夫を立てて皇后とし、その弟衛青を将軍とした。壬子年(前一二九年)、四路の将軍に命じて大いに匈奴を伐たせたが、成效は見られなかった。癸丑年(前一二八年)、改元して元朔とした。甲寅年(前一二七年)、衛青は匈奴を伐って功があり、河南すなわち河套の地を回復し、朔方・五原の二郡を設置した。乙卯(前一二六年)は記事なし。丙辰年(前一二五年)、匈奴が上郡に入寇した。

丁巳 匈奴寇雁門,衛青伐之,有功,拜大將軍。公孫弘為丞相,封平津侯。 戊午 衛青征匈奴,大有功。霍去病為驃姚校尉。張騫通西域,有功,封博望侯。 己未 改元元狩,獲白麟故也。淮南王安、衡山王賜二國叛,平之。冊據為皇太子。 庚申 霍去病征匈奴,至於居延,拜驃騎將軍。李廣征匈奴,無功,謫為庶人。 辛酉 壬戌 衛青、霍去病、李廣大伐匈奴,李廣自殺。 癸亥 丞相李蔡自殺。

丁巳年(前一二四年)、匈奴が雁門に入寇し、衛青が出撃して功があり、大将軍に拜せられた。公孫弘は布衣から起家して丞相となり、平津侯に封ぜられた。戊午年(前一二三年)、衛青は匈奴を征して大いに勝ちを収めた。霍去病は初めて驃姚校尉を任ぜられた。張騫は西域に使いして帰り功があり、博望侯に封ぜられた。己未年(前一二二年)、改元して元狩とした――この年に白麟を猟獲したためである。淮南王劉安・衡山王劉賜の两国が謀反したが平定された。劉拠を冊立して皇太子とした。庚申年(前一二一年)、霍去病は匈奴を征して遠く居延に至り、驃騎将軍に拜せられた。李広は匈奴に出征して功なく、庶人に貶められた。辛酉(前一二〇年)は記事なし。壬戌年(前一一九年)、衛青・霍去病・李広が大いに匈奴を伐った――すなわち漠北の戦いである。李広は道に迷って期に遅れたため、憤って自殺した。癸亥年(前一一八年)、丞相李蔡が罪を得て自殺した。

経世之戌 二千二百三十一

甲子 漢孝武皇帝二十四年,大司馬霍去病卒。 乙丑 改元元鼎。 丙寅 丞相翟青下獄死。 丁卯 徙函谷關於新安。 戊辰 封方士欒大為樂通侯。 己巳 南越王相呂嘉叛,諸侯坐酎金輕,奪爵者一百六十人。丞相趙周下獄死,樂通侯欒大坐誣罔,棄市。西羌及匈奴寇五原。

甲子年は漢の武帝二十四年、すなわち紀元前一一七年であり、本「世」はここから起算する。大司馬霍去病が去世した――年わずか二十四歳であった。乙丑年(前一一六年)、改元して元鼎とした。丙寅年(前一一五年)、丞相翟青が獄に下されて死んだ。丁卯年(前一一四年)、函谷関を東の新安に移し、関中の地界を広げた。戊辰年(前一一三年)、方士欒大を楽通侯に封じ、武帝の求仙の風がまさに熾んでいた。己巳年(前一一二年)、南越国の丞相呂嘉が叛いた。朝廷は諸侯が献じた助祭の酎金の成色が足りないことを由として、一度に百六十人の爵を奪った。丞相趙周が獄に下されて死んだ。楽通侯欒大は欺誑の罪で棄市とされた。西羌と匈奴が五原に入寇した。

庚午 南寇平,東越王餘善叛。卜式為御史大夫。 辛未 改元元封,帝征匈奴,至於北海。東越殺餘善降。有事於東、西、中三嶽,及禪梁甫,東巡狩至於碣石,西曆九原,歸於甘泉。 壬申 復巡太山,作瓠子堤。朝鮮寇遼東。 癸酉 朝鮮殺其王右渠以降。祀汾陰后土。 甲戌

庚午年(前一一一年)、南越の乱が平定され、漢はその地に郡を設けた。東越王余善がまた叛いた。卜式が御史大夫に出た。辛未年(前一一〇年)、改元して元封とした。武帝は親征して匈奴を撃ち、兵は北海に至った。東越人は余善を殺して帰降した。この年、武帝は東岳・西岳・中岳で祭を行い、また梁甫で禅の礼を行い、東巡して碣石に至り、西は九原を経て、甘泉宮に帰った――封禅の大典はすなわちこの年に行われた。壬申年(前一〇九年)、再び泰山に巡り、また黄河の決壊した瓠子で口を堵ぎ堤を築いた。朝鮮が遼東に入寇した。癸酉年(前一〇八年)、朝鮮人はその王衛右渠を殺して降り、漢はその地に郡を設けた。汾陰で后土を祭祀した。甲戌(前一〇七年)は記事なし。

乙亥 南巡狩,至於盛唐。大司馬衛青卒。 丙子 西幸回中,及祀汾陰后土。 丁丑 改元太初,東巡太山,更以建寅月為歲首。西伐大宛,起建章。 戊寅 北幸河東,祀后土。騎二萬征匈奴,不復。 己卯 東巡海上。匈奴寇張掖、酒泉。 庚辰 李廣利平大宛,獲其王及汗血馬。

乙亥年(前一〇六年)、武帝は南に巡り盛唐に至った。大司馬衛青が去世した。丙子年(前一〇五年)、西に行き回中に至り、また汾陰で后土を祭祀した。丁丑年(前一〇四年)、改元して太初とし、東に泰山を巡った。《太初暦》を頒行し、建寅の月すなわち夏暦正月をもって一年の始めと改め、これ以後歴代が相沿って改めなかった。西に大宛を征し、建章宮を興建した。戊寅年(前一〇三年)、北に河東に行き后土を祭り、騎兵二万を遣わして匈奴を征したが全軍覆没して帰らなかった。己卯年(前一〇二年)、東に海上を巡った。匈奴が張掖・酒泉に入寇した。庚辰年(前一〇一年)、貳師将軍李広利が大宛を平定し、大宛王を捕らえて汗血宝馬を得た。

辛巳 改元天漢。中郎將蘇武使匈奴。北幸河東。 壬午 東巡至於海上,又西幸回中。將軍李陵征匈奴,不還。 癸未 東巡太山,又北幸常山。匈奴寇雁門。 甲申 大伐匈奴,不利。朝諸侯於甘泉宮。 乙酉 改元太始。 丙戌 西幸回中。 丁亥 東巡海上。 戊子 東巡太山。

辛巳年(前一〇〇年)、改元して天漢とした。中郎将蘇武は命を受けて匈奴に使いしたが、扣留されて北海で十九年牧羊しても屈しなかった。武帝は北に河東に行った。壬午年(前九九年)、東に海上を巡り、また西に回中に行った。将軍李陵は歩卒五千を率いて深入りして匈奴を征し、力尽きて敵に降り、去って帰らなかった。司馬遷は彼のために弁解したことで腐刑を受けた。癸未年(前九八年)、東に泰山を巡り、また北に常山に行った。匈奴が雁門に入寇した。甲申年(前九七年)、大いに匈奴を伐ったが失利した。甘泉宮で諸侯を朝会した。乙酉年(前九六年)、改元して太始とした。丙戌年(前九五年)、西に回中に行った。丁亥年(前九四年)、東に海上を巡った。戊子年(前九三年)、東に泰山を巡った。

己丑 改元徵和,巫蠱事起。 庚寅 太子殺江充,丞相劉屈氂攻太子,戰於長安。太子敗,死。皇后自殺,諸邑公主皆坐巫蠱死。 辛卯 大伐匈奴。巫蠱事覺,誅丞相劉屈氂。 壬辰 東巡海上,天下疲於兵革。 癸巳 改元后元。重合侯馬通叛。

己丑年(前九二年)、改元して征和とした。木の人形を埋めて君上を呪ったとする巫蠱の禍がここに端を発した。庚寅年(前九一年)、皇太子劉拠は酷吏江充に陥れられ、起兵して江充を殺した。丞相劉屈氂は詔を奉じて太子を討ち、双方は長安の街市で五日血戦し、太子は兵を敗って自殺した。衛皇后も自殺し、諸邑公主などの宗室もみな巫蠱案で処刑された。辛卯年(前九〇年)、大いに匈奴を伐った。巫蠱の冤情が敗露し、武帝は丞相劉屈氂を誅殺し、後に思子宮を築いて追悔の意を表した。壬辰年(前八九年)、東に海上を巡った。連年の征伐に天下は兵革に疲れ、武帝はここにおいて輪台の詔を下して自らを責めた。癸巳年(前八八年)、改元して後元とした。重合侯馬通が謀反した。

経世之亥 二千二百三十二

甲午 漢孝武皇帝五十四年,冊皇子弗陵為皇太子。帝幸盩厔五柞宮,崩。大司馬霍光受顧命。太子弗陵嗣皇帝位,是謂昭帝。葬世宗於茂陵。大將軍霍光專政。 乙未 改元始元。 丙申 丁酉 戊戌 己亥 庚子 辛丑 改元元鳳,誅鄂邑長公主及燕王旦。左將軍上官桀謀害霍光,事覺故也。

甲午年は漢の武帝五十四年、すなわち紀元前八七年であり、本「世」はここから起算する。武帝は幼子劉弗陵を冊立して皇太子とし、続いて盩厔の五柞宮に駕して、この地で病逝した。大司馬霍光は遺詔を受けて政を輔佐した。太子弗陵が即位した――これが漢の昭帝である。武帝の廟号は世宗、茂陵に葬られた。大将軍霍光が朝政を独り占めにした。乙未年(前八六年)、改元して始元とした。丙申(前八五年)から庚子(前八一年)まで記事なし。辛丑年(前八〇年)、改元して元鳳とした。鄂邑長公主と燕王劉旦を誅殺した――左将軍上官桀が彼らと合謀して霍光を害しようとして事が敗露したためである。

壬寅 癸卯 甲辰 丞相田千秋卒。 乙巳 丞相王欣卒。 丙午 丁未 改元元平,帝崩。昌邑王賀立,葬昭帝於平陵。賀立不明,大將軍霍光廢之,迎戾太子孫詢立之,是為孝宣皇帝,丙吉為相。 戊申 改元本始。 己酉 命將五兵十五萬大伐匈奴。

壬寅(前七九年)・癸卯(前七八年)は記事なし。甲辰年(前七七年)、丞相田千秋が去世した。乙巳年(前七六年)、丞相王欣が去世した。丙午(前七五年)は記事なし。丁未年(前七四年)、改元して元平とした。昭帝が去世し、昌邑王劉賀が入り嗣いで帝位に就き、昭帝は平陵に葬られた。劉賀の行いは昏悖で、在位二十七日にして大将軍霍光に廃黜され、改めて戾太子劉拠の孫劉詢を迎えて即位させた――これが漢の宣帝であり、丙吉をもって丞相とした。戊申年(前七三年)、改元して本始とした。己酉年(前七二年)、五路の将軍に命じて兵十五万を統べさせ、烏孫と聯合して匈奴を大いに討伐した。

庚戌 辛亥 皇后許氏遇毒崩,霍光以女上皇后。 壬子 改元地節。 癸丑 大司馬大將軍霍光卒,子禹繼事。 甲寅 冊皇子奭為皇太子。 乙卯 大司馬霍禹謀逆,事覺,夷三族,廢皇后霍氏。 丙辰 改元元康。 丁巳 冊王氏為皇后。 戊午 太子太傅疏廣、太子少傅疏受謝病,歸東海。 己未 庚申 改元神雀。趙充國伐西羌。 辛酉 壬戌 蕭望之為御史大夫。 癸亥 潁川太守黃霸賜爵關內侯,河南太守嚴延年棄市。

庚戌(前七一年)は記事なし。辛亥年(前七〇年)、許皇后は霍光の妻が医女に指図して毒を下させて殺され、霍光はここにおいて娘を宮中に入れて立てて皇后とした。壬子年(前六九年)、改元して地節とした。癸丑年(前六八年)、大司馬大将軍霍光が去世し、その子霍禹が権位を継いだ。甲寅年(前六七年)、皇子劉奭を冊立して皇太子とした。乙卯年(前六六年)、大司馬霍禹が謀反し、事が発して誅され、三族を夷滅され、霍皇后は廃された――霍氏一門はこれより覆滅した。丙辰年(前六五年)、改元して元康とした。丁巳年(前六四年)、王氏を冊立して皇后とした。戊午年(前六三年)、太子太傅疏広と太子少傅疏受の叔侄の二人は同日に病を称して官を辞し、東海に帰り隠れ、時人は彼らの足るを知り退き能くすることを称えた。己未(前六二年)は記事なし。庚申年(前六一年)、改元して神爵とした。老将趙充国が西羌に出征し、屯田をもって敵を制することを力主した。辛酉(前六〇年)は記事なし。壬戌年(前五九年)、蕭望之が御史大夫に出た。癸亥年(前五八年)、潁川太守黄霸は郡を治める第一として爵関内侯を賜り、河南太守厳延年は刑法が苛酷なため棄市とされた。

観物篇三十二 以運経世八

経元之甲一 経会之午七

経運之庚 一百八十七

経世之子 二千二百三十三

甲子 漢孝宣皇帝十七年,改元五鳳。左馮翊太守韓延壽棄市,貶蕭望之為太子太傅,坐慢丞相邴吉也。平通侯楊惲棄市,坐怨望也。 乙丑 丙寅 丞相邴吉卒,黃霸為相。 丁卯 戊辰 改元甘露。 己巳 庚午 匈奴呼韓邪單于來朝,於定國為相。 辛未

甲子年は漢の宣帝十七年、すなわち紀元前五七年であり、本「世」はここから起算し、この年改元して五鳳とした。左馮翊太守韓延寿は棄市とされた。蕭望之は太子太傅に貶められた――罪名は丞相邴吉を怠慢したことであった。平通侯楊惲は棄市とされた――罪名は怨望を懐いたことであった。彼は司馬遷の外孫であり、あの有名な《報孫会宗書》こそがまさにこの事件の由来である。乙丑(前五六年)は記事なし。丙寅年(前五五年)、丞相邴吉が去世し、黄霸が後任の丞相となった。丁卯(前五四年)は記事なし。戊辰年(前五三年)、改元して甘露とした。己巳(前五二年)は記事なし。庚午年(前五一年)、匈奴の呼韓邪単于が入朝して臣を称し、漢と匈奴の百余年の戦事はこれをもって一段落した。于定国が丞相に出た。辛未(前五〇年)は記事なし。

壬申 改元黃龍。宣帝崩於未央宮,皇太子奭踐位,是謂孝元皇帝。 癸酉 改元初元,葬中宗於杜陵。 甲戌 冊皇子驁為皇太子,盜殺蕭望之。 乙亥 丙子 幸河東。 丁丑 戊寅 改元永光。 己卯 西羌叛。韋元成為相。 庚辰 西羌平。 辛巳 壬午

壬申年(前四九年)、改元して黄龍とした。宣帝は未央宮で去世し、皇太子劉奭が即位した――これが漢の元帝である。癸酉年(前四八年)、改元して初元とした。宣帝の廟号は中宗、杜陵に葬られた。甲戌年(前四七年)、皇子劉驁を冊立して皇太子とした。太子太傅蕭望之は害されて死んだ――《漢書》の載するところによれば、実は宦官石顕が陥れて鴆を飲みて自裁せしめたのである。乙亥(前四六年)は記事なし。丙子年(前四五年)、元帝は河東に駕した。丁丑(前四四年)は記事なし。戊寅年(前四三年)、改元して永光とした。己卯年(前四二年)、西羌が叛いた。韋元成が丞相に出た。庚辰年(前四一年)、西羌が平定された。辛巳(前四〇年)・壬午(前三九年)は記事なし。

癸未 改元建昭。 甲申 乙酉 匡衡為相。 丙戌 丁亥 戊子 改元竟寧,帝崩,皇太子驁踐位,是謂孝成皇帝,葬高宗於渭陵。王鳳為大司馬、大將軍專政。 己丑 改元建始。 庚寅 辛卯 王商、薛宣免相,匡衡為庶人。 壬辰 河大決,王商為相。 癸巳 改元河平。

癸未年(前三八年)、改元して建昭とした。甲申(前三七年)は記事なし。乙酉年(前三六年)、匡衡が丞相に出た。丙戌(前三五年)・丁亥(前三四年)は記事なし。戊子年(前三三年)、改元して竟寧とした――この年、呼韓邪単于が来朝し、王昭君が塞外に出て和親したため、「辺境安寧」の義を取ったのである。元帝が去世し、皇太子劉驁が即位した――これが漢の成帝である。元帝の廟号は高宗、渭陵に葬られた。王鳳は大司馬・大将軍の職をもって朝政を専断し、外戚王氏の権力擅りはここから始まった。己丑年(前三二年)、改元して建始とした。庚寅(前三一年)は記事なし。辛卯年(前三〇年)、王商・薛宣が相を免ぜられ、匡衡は庶人に貶められた。壬辰年(前二九年)、黄河が大きく決口した。王商が丞相に出た。癸巳年(前二八年)、改元して河平とした。

経世之丑 二千二百三十四

甲午 漢孝成皇帝六年。 乙未 丙申 丁酉 改元陽朔。京兆尹王章下獄死,張禹為相。 戊戌 王音為御史大夫。 己亥 大司馬王鳳卒,弟音繼事。 庚子 辛丑 改元鴻嘉。 壬寅 幸雲陽。 癸卯 廢皇后許氏。 甲辰 乙巳 改元永始,封王莽新都侯,冊趙飛燕為皇后。

甲午年は漢の成帝六年、すなわち紀元前二七年であり、本「世」はここから起算する。乙未(前二六年)・丙申(前二五年)は記事なし。丁酉年(前二四年)、改元して陽朔とした。京兆尹王章は王鳳の専権を弾劾したために獄に下されて死んだ。張禹が丞相に出た。戊戌年(前二三年)、王音が御史大夫に出た。己亥年(前二二年)、大司馬王鳳が去世し、その弟王音が権位を継いだ。庚子(前二一年)は記事なし。辛丑年(前二〇年)、改元して鴻嘉とした。壬寅年(前一九年)、成帝は雲陽に駕した。癸卯年(前一八年)、許皇后を廃した。甲辰(前一七年)は記事なし。乙巳年(前一六年)、改元して永始とした。王莽を新都侯に封じ、趙飛燕を冊立して皇后とした。

丙午 大司馬王音卒,王商為大司馬,翟方進為相,孔光為御史大夫。丁未 戊申 大司馬王商免,王根為大司馬。 己酉 改元元延。 庚戌 辛亥 壬子 癸丑 改元綏和。 甲寅 成帝崩,皇太子欣踐位,是謂孝哀皇帝,太后王氏臨朝稱制,大司馬王根專政。葬成帝於延陵。王根罪免,丁明為大司馬,孔光為丞相。

丙午年(前一五年)、大司馬王音が去世し、王商が後任の大司馬となり、翟方進が丞相、孔光が御史大夫となった。丁未(前一四年)は記事なし。戊申年(前一三年)、大司馬王商が職を免ぜられ、王根が後任の大司馬となった――王氏の兄弟が相次いで政を秉り、朝廷の権柄はすでにすべて外戚に帰した。己酉年(前一二年)、改元して元延とした。庚戌(前一一年)から壬子(前九年)まで記事なし。癸丑年(前八年)、改元して綏和とした。甲寅年(前七年)、成帝が暴崩し、皇太子劉欣が即位した――これが漢の哀帝である。太后王氏が朝に臨んで制を称し、大司馬王根が政を専った。成帝は延陵に葬られた。まもなく王根が罪を得て職を免ぜられ、改めて外戚丁明を大司馬、孔光を丞相とした。

乙卯 改元建平,冊傅氏為皇后,傅喜為大司馬,朱博為大司空。 丙辰 傅喜免,丁明覆為大司馬,孔光免,朱博自殺。 丁巳 相王商薨,王嘉為相。 戊午 息夫躬下獄死。 己未 改元元壽。相王嘉下獄死,大司馬丁明免。 庚申 三公分職,董賢為大司馬,孔光為大司徒,彭宣為大司空。帝崩,太皇太后王氏稱制,罷董賢大司馬,以王莽為大司馬,錄尚書事。廢太后趙氏,迎元帝庶孫中山王衍立之,是謂平帝。葬哀帝於義陵。王莽專政。 辛酉 改元元始,封大司馬王莽安漢公。 壬戌 癸亥

乙卯年(前六年)、改元して建平とした。傅氏を冊立して皇后とし、傅喜を大司馬、朱博を大司空とした――哀帝が立てられたのは全く傅・丁両家の外戚の力によったため、その権勢は驟かに盛んとなった。丙辰年(前五年)、傅喜が職を免ぜられ、丁明が再び大司馬に任ぜられ、孔光が職を免ぜられ、朱博は罪を畏れて自殺した。丁巳年(前四年)、丞相王商が去世し、王嘉が後任の丞相となった。戊午年(前三年)、息夫躬が獄に下されて死んだ。己未年(前二年)、改元して元寿とした。丞相王嘉が獄に下されて死に、大司馬丁明が職を免ぜられた。庚申年(前一年)、三公の分職を改制し、寵臣董賢を大司馬、孔光を大司徒、彭宣を大司空とした。哀帝が去世し、太皇太后王氏が制を称し、直ちに董賢を罷免し、改めて甥の王莽を大司馬・録尚書事とした。趙太后を廃黜し、元帝の庶孫である中山王劉衍を迎えて即位させた――これが漢の平帝である。哀帝は義陵に葬られた。これより王莽が政を専った。辛酉年(紀元一年)、改元して元始とし、大司馬王莽を安漢公に封じた。壬戌(二年)・癸亥(三年)は記事なし。

経世之寅 二千二百三十五

甲子 漢孝平皇帝四年,王莽以女上皇后。 乙丑 王莽弒帝於未央宮,立元帝孫孺子嬰,莽加九錫。 丙寅 王莽改元居攝。 丁卯 王莽稱假皇帝,翟義立嚴鄉侯信於東都,莽將王邑滅之。 戊辰 王莽改元初始。 己巳 王莽竊國命,改國為新室,元曰始建國,降孺子嬰為定安公。

甲子年は漢の平帝四年、すなわち紀元四年であり、本「世」はここから起算する。王莽は娘を宮中に入れて立てて皇后とした。乙丑年(五年)、王莽は未央宮で平帝を毒殺し、改めて元帝の孫で年わずか二歳の劉嬰を立てた――世に「孺子嬰」と称す。王莽は九錫の礼を賜った。丙寅年(六年)、王莽は改元して居摂とした。丁卯年(七年)、王莽は自ら「仮皇帝」――すなわち代理の天子――を称した。東郡太守翟義は東都で厳鄉侯劉信を擁立して起兵し莽を討とうとしたが、王莽の部将王邑に撃ち滅ぼされた。戊辰年(八年)、王莽は改元して初始とした。己巳年(九年)、王莽は天命を窃み取り、国号を「新」と改め、年号を始建国とし、孺子嬰を降格して定安公に封じた――前漢はこれをもって覆亡した。

庚午 王莽大殺宗室,校書郎揚雄投天祿閣,不克死。 辛未 壬申 癸酉 甲戌 王莽改元天鳳,四夷交侵中國。 乙亥 丙子 丁丑 群盜起。 戊寅 己卯 校書郎揚雄卒。 庚辰 王莽改元地皇,兵起綠林。 辛巳 壬午 劉玄稱兵宛、鄴,劉秀及兄伯升稱兵舂陵。

庚午年(一〇年)、王莽は劉氏の宗室を大いに誅殺した。校書郎揚雄は株連を恐れて天禄閣の上から飛び降りて自決したが、摔げて死ななかった。辛未(一一年)から癸酉(一三年)まで記事なし。甲戌年(一四年)、王莽は改元して天鳳とした。彼が妄りに四夷の封号を改めてその王を侯に貶めたため、匈奴・西域・西南夷が交々に中国を侵擾した。乙亥(一五年)・丙子(一六年)は記事なし。丁丑年(一七年)、各地で群盗が蜂起した。戊寅(一八年)は記事なし。己卯年(一九年)、校書郎揚雄が去世した。庚辰年(二〇年)、王莽は改元して地皇とした。緑林山中の飢民が衆を集めて起兵した――これが緑林軍である。辛巳(二一年)は記事なし。壬午年(二二年)、劉玄が宛・鄴一帯で起兵し、劉秀はその兄劉伯升とともに舂陵で起兵し、漢室の宗亲は反莽の列に加わった。

癸未 劉玄稱帝,元曰更始,以劉伯升為司徒,劉秀為太常偏將軍。是年,大破莽將王尋、王邑軍於昆陽、三輔,遂滅莽於漸臺。劉玄拜劉秀破虜大將軍,行大司馬事,使持節巡撫河北。王郎以王子林稱帝邯鄲。 甲申 劉玄西入長安,殺漢孺子嬰。大將軍劉秀北徇薊,還拔邯鄲,誅王郎,受玄封蕭王,又敗銅馬賊於□,又敗赤眉賊於射犬。赤眉西攻長安,劉永擅命睢陽,公孫述稱王巴蜀,李憲稱王淮南,秦豐稱王黎邱,張步稱兵琅玡,董憲稱兵東海,延岑稱兵漢中,田戎稱兵夷陵。

癸未年(二三年)、劉玄は帝を称し、年号を更始とし、劉伯升を司徒、劉秀を太常偏将軍とした。この年、漢軍は昆陽で少をもって多に勝ち、王莽の部将王尋・王邑の四十余万の大軍を大破し、三輔もこれに応えて、ついに漸台で王莽を殺し、新朝は覆滅した。劉玄は劉秀を破虜大将軍・大司馬事代行に拜し、節を持して河北を巡撫させた。王郎は邯鄲で王子林を擁立して帝を称した。甲申年(二四年)、劉玄は西に長安に入り、すでに定安公に降っていた孺子嬰を殺した。大将軍劉秀は北に薊城を取り、軍を回して邯鄲を攻め下し、王郎を誅殺し、劉玄に蕭王に封ぜられた。また銅馬軍を撃ち破り(ここ底本に一地名を欠くため、「□」をもって疑いを存す)、再び赤眉軍を射犬で破った。この時、赤眉軍は西に長安を攻め、劉永は睢陽で命を擅りにし、公孫述は巴蜀で王を称し、李憲は淮南で王を称し、秦豊は黎丘で王を称し、張歩は琅玡で起兵し、董憲は東海で起兵し、延岑は漢中で起兵し、田戎は夷陵で起兵した――天下は再び分崩した。

乙酉 蕭王肇帝位於河朔之鄗,國曰漢,元曰建武。南拔洛陽,都之。赤眉陷長安,稱帝,殺劉玄。公孫述稱帝成都,元曰龍興。劉永稱帝睢陽,隗囂稱兵隴右,盧芳稱兵安定,彭寵稱兵薊門。 丙戌 赤眉焚長安宮室陵寢。銅馬赤犢尤來立孫登為帝於上郡,其將樂方殺之。 丁亥 赤眉降漢於宜陽,長安平。蓋延平劉永於睢陽。隗囂以西州格命,李憲稱帝淮南。

乙酉年(二五年)、蕭王劉秀は河北の鄗邑で皇帝位に即き、国号はなお漢と称し、年号を建武とした――これが漢の光武帝である。即ち南に下って洛陽を攻め取り、ここに都を定め、史に東漢と称す。赤眉軍は長安を陥れ、改めて劉盆子を立てて帝を称し、更始帝劉玄を殺した。公孫述は成都で帝を称し、年号を龍興とした。劉永は睢陽で帝を称し、隗囂は隴右で兵を擁し、盧芳は安定で兵を擁し、彭寵は薊門で兵を擁した。丙戌年(二六年)、赤眉軍は長安の宮室と漢家の陵寝を焼いた。銅馬・赤犢・尤来の諸部は上郡で孫登を擁立して帝としたが、その将楽方がまた彼を殺した。丁亥年(二七年)、赤眉軍は宜陽で漢軍に投降し、長安が平定された。蓋延は睢陽で劉永を平定した。隗囂は西州を拠って朝命に抗した。李憲は淮南で帝を称した。

戊子 己丑 彭寵為家奴所殺,來安撫,封不義侯,薊門平。朱祐平秦豐於黎邱,滅張步於臨淄。盧芳稱帝五原。帝徵嚴光,不起。 庚寅 馬成平李憲於淮南,吳漢平董憲於東海。隗囂以入西州入於蜀。 辛卯 壬辰 西征,馮異、竇融破隗囂於隴右。 癸巳 隗囂死,子純立。來歙、馮異伐蜀,入天水。

戊子(二八年)は記事なし。己丑年(二九年)、彭寵は家奴に殺され、その家奴は彼の首級を持って降りに来た。朝廷はこれを安撫し、不義侯に封じ、薊門はここにおいて平定された。朱祐は黎丘で秦豊を平定し、また臨淄で張歩を消滅させた。盧芳は五原で帝を称した。光武帝は少年の頃の旧友厳光を入朝させようと召したが、厳光は仕官を肯んぜず、富春江の畔に帰り隠れて垂釣した。庚寅年(三〇年)、馬成は淮南で李憲を平定し、呉漢は東海で董憲を平定した。隗囂は西州を拠りながら転じて蜀中の公孫述に投じた。辛卯(三一年)は記事なし。壬辰年(三二年)、光武帝は西に征し、馮異・竇融は隴右で隗囂を撃破した。癸巳年(三三年)、隗囂は憂憤して死に、その子隗純が嗣ぎ立った。来歙・馮異は転じて蜀を伐ち、天水に入った。

経世之卯 二千二百三十六

甲午 漢光武皇帝十年,西征,滅隗純於隴右。 乙未 西征蜀,至於南陽。吳漢、岑彭大破蜀軍於荊門。 丙申 吳漢拔成都,誅公孫述及將田戎、岑延。 丁酉 盧芳自五原亡入匈奴。 戊戌 天下平。 己亥 大司徒歐陽歙下獄死。 庚子 交趾女徵側叛。青、徐、幽、冀盜起。

甲午年は漢の光武帝十年、すなわち紀元三四年であり、本「世」はここから起算する。光武帝は西に征し、隴右で隗純を消滅させ、隴の地はすべて定まった。乙未年(三五年)、西に向かって蜀を伐ち、兵を南陽まで進めた。呉漢・岑彭は荊門で蜀軍を大破した。丙申年(三六年)、呉漢は成都を攻め下し、公孫述とその部将田戎・岑延を誅殺し、巴蜀に割拠すること十二年の成家政権は覆滅した。丁酉年(三七年)、盧芳は五原から匈奴に逃げ込んだ。戊戌年(三八年)、天下が平定された――新莽の乱以来十余年の干戈を経て、海内はここに再び一統に帰した。己亥年(三九年)、大司徒欧陽歙は田畝の清丈で舞弊を犯して獄に下されて死んだ。庚子年(四〇年)、交趾の女子徴側が起兵して叛いた。青・徐・幽・冀の四州も核田の令に激して盗乱となった。

辛丑 南巡,廢皇后郭氏為中山太后,冊貴人陰氏為皇后。 壬寅 西巡。史歆以成都叛,吳漢復平之。馬援伐交趾。幸長安。 癸卯 南巡。馬援平交趾,封新息侯。廢皇太子強為東海王,以東海王陽為皇太子,改名莊。 甲辰 大司徒戴涉下獄死。 乙巳 丙午 丁未 戊申

辛丑年(四一年)、光武帝は南に巡った。郭皇后を廃して中山太后とし、貴人陰麗華を冊立して皇后とした。壬寅年(四二年)、西に巡った。史歆が成都を拠って叛き、呉漢が再び平定した。馬援は交趾に出征した。帝は長安に駕した。癸卯年(四三年)、南に巡った。馬援は交趾を平定し、新息侯に封ぜられた。郭后が廃されたため、皇太子劉彊を廃して東海王とし、改めて東海王劉陽を立てて皇太子とし、名を庄と改めた。甲辰年(四四年)、大司徒戴渉が獄に下されて死んだ。乙巳(四五年)から戊申(四八年)まで記事なし。

己酉 馬援破武陵蠻。 庚戌 作壽陵。 辛亥 壬子 癸丑 甲寅 東巡狩。 乙卯 丙辰 東封太山,禪梁甫,改元中元。西幸長安。馮房為司空。 丁巳 帝崩,皇太子莊踐位,是謂孝明皇帝。葬世祖於原陵。 戊午 改元永平。 己未 庚申 辛酉 壬戌 北巡,至於鄴。 癸亥 東巡,至於岱。

己酉年(四九年)、馬援は武陵蛮を撃ち破った。庚戌年(五〇年)、寿陵を造営した。辛亥(五一年)から癸丑(五三年)まで記事なし。甲寅年(五四年)、東に巡狩した。乙卯(五五年)は記事なし。丙辰年(五六年)、光武帝は東に泰山に上って封の礼を行い、梁甫で禅の礼を行い、改元して中元とし、また西に長安に行った。馮房が司空に出た。丁巳年(五七年)、光武帝が去世し、皇太子劉庄が即位した――これが漢の明帝である。光武帝の廟号は世祖、原陵に葬られた。戊午年(五八年)、改元して永平とした。己未(五九年)から辛酉(六一年)まで記事なし。壬戌年(六二年)、北に鄴城まで巡った。癸亥年(六三年)、東に岱山まで巡った。

経世之辰 二千二百三十七

甲子 漢孝明皇帝七年。 乙丑 丙寅 丁卯 南巡狩。 戊辰 己巳 牟融為司空。 庚午 河大決。 辛未 壬申 東巡狩。 癸酉 司徒邢穆、駙馬都尉韓光下獄死。 甲戌 乙亥 帝崩,皇太子炟踐位,是謂孝章皇帝。葬顯宗於節陵。 丙子 改元建初。

甲子年は漢の明帝七年、すなわち紀元六四年であり、本「世」はここから起算する。乙丑(六五年)・丙寅(六六年)は記事なし。丁卯年(六七年)、南に巡狩した。戊辰(六八年)は記事なし。己巳年(六九年)、牟融が司空に出た。庚午年(七〇年)、黄河が大きく決口した。辛未(七一年)は記事なし。壬申年(七二年)、東に巡狩した。癸酉年(七三年)、司徒邢穆と駙馬都尉韓光が獄に下されて死んだ。甲戌(七四年)は記事なし。乙亥年(七五年)、明帝が去世し、皇太子劉炟が即位した――これが漢の章帝である。明帝の廟号は顕宗、節陵に葬られた。丙子年(七六年)、改元して建初とした。

丁丑 戊寅 己卯 鮑昱為太尉,桓虞為司徒。詔於白虎觀議《五經》異同。 庚辰 辛巳 壬午 廢皇太子慶為清河王,冊皇子肇為皇太子。北幸鄴,西幸長安。 癸未 東巡狩。 甲申 改元元和,南巡狩。鄭弘為太尉。 乙酉 東巡狩。 丙戌 北巡狩。 丁亥 改元章和。南巡狩。

丁丑(七七年)・戊寅(七八年)は記事なし。己卯年(七九年)、鮑昱が太尉、桓虞が司徒となった。章帝は詔を下して白虎観に群儒を集めて会し、《五経》の異同を評議させ、班固は会議の記録によって《白虎通義》を撰成した。庚辰(八〇年)・辛巳(八一年)は記事なし。壬午年(八二年)、皇太子劉慶を廃して清河王とし、改めて皇子劉肇を立てて皇太子とした。帝は北に鄴城に行き、西に長安に行った。癸未年(八三年)、東に巡狩した。甲申年(八四年)、改元して元和とし、南に巡狩した。鄭弘が太尉に出た。乙酉年(八五年)、東に巡狩した。丙戌年(八六年)、北に巡狩した。丁亥年(八七年)、改元して章和とし、南に巡狩した。

戊子 帝崩,皇太子肇踐位,是謂孝和皇帝,太后竇氏臨朝稱制。竇憲為車騎將軍,專政。葬肅宗於敬陵。鄧彪為太尉,錄尚書事。 己丑 改元永元。竇憲敗匈奴於稽落,勒功燕然,還,為大將軍。 庚寅 辛卯 帝加元服。班超平西域。 壬辰 竇憲作逆,事覺伏誅。帝始親萬機。 癸巳

戊子年(八八年)、章帝が去世し、年わずか十歳の皇太子劉肇が即位した――これが漢の和帝であり、太后竇氏が朝に臨んで制を称した。太后の兄竇憲は車騎将軍となり朝政を専断した――東漢の外戚と宦官が輪替で権を擅りにする局面はここに始まる。章帝の廟号は肅宗、敬陵に葬られた。鄧彪が太尉・録尚書事となった。己丑年(八九年)、改元して永元とした。竇憲は稽落山で北匈奴を大いに破り、燕然山に登って石を刻み功を記した――すなわち班固が撰した《封燕然山銘》である。朝に還って大将軍に拜せられた。庚寅(九〇年)は記事なし。辛卯年(九一年)、和帝が加冠の礼を行った。班超は西域を平定した。壬辰年(九二年)、竇憲は不軌を図り、事が発して自殺を迫られ、和帝はこれより自ら万機を理した。癸巳(九三年)は記事なし。

経世之巳 二千二百三十八

甲午 漢孝和皇帝六年。 乙未 丙申 丁酉 司徒劉方有罪,自殺。 戊戌 己亥 庚子 張酺罷太尉,張禹為太尉。 辛丑 魯恭為司徒。 壬寅 廢皇后陰氏,冊貴人鄧氏為皇后。徐防為司空。 癸卯 南巡。 甲辰 司徒魯恭罷免,徐防為司徒,陳寵為司空。

甲午年は漢の和帝六年、すなわち紀元九四年であり、本「世」はここから起算する。乙未(九五年)・丙申(九六年)は記事なし。丁酉年(九七年)、司徒劉方が罪を得て自殺した。戊戌(九八年)・己亥(九九年)は記事なし。庚子年(一〇〇年)、張酺は太尉を免ぜられ、張禹が後任となった。辛丑年(一〇一年)、魯恭が司徒に出た。壬寅年(一〇二年)、陰皇后を廃し、貴人鄧綏を冊立して皇后とした。徐防が司空となった。癸卯年(一〇三年)、南に巡った。甲辰年(一〇四年)、司徒魯恭が罷免され、徐防が司徒に転じ、陳寵が司空となった。

乙巳 改元元興。帝崩,皇子隆立,是謂殤帝。太后鄧氏臨朝稱制,車騎將軍鄧騭專政。 丙午 改元延平,葬穆宗於慎陵。帝又崩,鄧騭迎章帝孫祜立之,是謂孝安皇帝。葬殤帝於康陵。尹勤為司空。 丁未 改元永初。魯恭為司徒,張禹為太尉,張敏為司空。周章謀廢立不克,自殺。

乙巳年(一〇五年)、改元して元興とした。和帝が去世し、生まれて百余日に過ぎない皇子劉隆が嗣いだ――これが殇帝である。鄧太后が朝に臨んで制を称し、その兄車騎将軍鄧騭が政を専った。丙午年(一〇六年)、改元して延平とした。和帝の廟号は穆宗、慎陵に葬られた。殇帝もまたすぐ夭亡し、鄧騭は章帝の孫劉祜を迎えて立てて帝とした――これが漢の安帝である。殇帝は康陵に葬られた。尹勤が司空となった。丁未年(一〇七年)、改元して永初とした。魯恭が司徒、張禹が太尉、張敏が司空となった。周章は密かに廃立を謀ったが成らず、自殺した。

戊申 鄧騭為大將軍。 己酉 帝加元服。 庚戌 海寇亂。 辛亥 西羌入寇。張禹免太尉。 壬子 太后鄧氏有事於太廟。劉愷為司空。 癸丑 甲寅 改元元初。司馬苞為太尉。 乙卯 冊閻氏為皇后,劉愷為司徒,袁敞為司空。 丙辰 李咸為司空。 丁巳 戊午 己未 庚申 改元永寧。楊震為司徒。 辛酉 改元建光。太后鄧氏崩,帝始親政事。特進鄧騭,度遼將軍鄧遵,下獄死。 壬戌 改元延光。 癸亥 司徒楊震為太尉。

戊申年(一〇八年)、鄧騭が大将軍に昇った。己酉年(一〇九年)、安帝が加冠の礼を行った。庚戌年(一一〇年)、沿海の盗寇が乱を為した。辛亥年(一一一年)、西羌が入寇した。張禹が太尉を免ぜられた。壬子年(一一二年)、鄧太后は太廟に行き祭を行った。劉愷が司空となった。癸丑(一一三年)は記事なし。甲寅年(一一四年)、改元して元初とした。司馬苞が太尉となった。乙卯年(一一五年)、閻氏を冊立して皇后とした。劉愷は司徒に転じ、袁敞が司空となった。丙辰年(一一六年)、李咸が司空となった。丁巳(一一七年)から己未(一一九年)まで記事なし。庚申年(一二〇年)、改元して永寧とした。楊震が司徒に出た。辛酉年(一二一年)、改元して建光とした。鄧太后が去世し、安帝は親政を始め、即座に鄧氏を清算し、特進鄧騭と度遼将軍鄧遵はともに獄に下されて死んだ。壬戌年(一二二年)、改元して延光とした。癸亥年(一二三年)、司徒楊震が太尉に昇った。

経世之午 二千二百三十九

甲子 漢孝安皇帝十八年,東巡。廢皇太子保為濟陰王,楊震罷太尉,馮石為太尉。 乙丑 帝南巡,崩於葉。太后閻氏臨朝稱制,閻顯為車騎將軍,專政,立章帝玄孫北鄉侯懿,誅大將軍耿寶,葬恭宗於恭陵。懿又卒,車騎將軍閻顯及大長秋江京閉宮門,擇立它子。中黃門孫程十九人殺江京,迎濟陰王,立之,是謂孝順皇帝。顯兵入北宮,不勝。孫程取閻顯及江京之黨殺之,亂乃定。以王禮葬北鄉侯。馮石為太傅,劉喜為太尉,李郃為司徒。

甲子年は漢の安帝十八年、すなわち紀元一二四年であり、本「世」はここから起算する。安帝は東に巡り、讒言を聴き入れて皇太子劉保を廃して済陰王とした。楊震は太尉を罷められ、憤って鴆を飲み自決し、馮石が後任の太尉となった。乙丑年(一二五年)、安帝は南に巡り、葉県で病死した。閻太后が朝に臨んで制を称し、その兄閻顕は車騎将軍として政を専り、改めて章帝の玄孫である北鄉侯劉懿を立てて帝とし、あわせて大将軍耿宝を誅殺した。安帝の廟号は恭宗、恭陵に葬られた。劉懿は在位数ヶ月でまた死に、車騎将軍閻顕と大長秋江京は宮門を閉ざし、別に宗室の子弟を選んで擁立しようとした。中黄門孫程ら十九人が政変を起こして江京を殺し、済陰王劉保を迎え戻して立てて天子とした――これが漢の順帝である。閻顕は兵を率いて北宮に攻め入ったが、勝つことができなかった。孫程は閻顕と江京の余党を皆殺しにし、乱事はやっと平定された。北鄉侯は諸侯王の礼をもって葬られた。この後、馮石が太傅、劉喜が太尉、李郃が司徒となった。

丙寅 改元永建。皇太后閻氏崩。桓焉為太傅,朱寵為太尉,朱倀為司徒。 丁卯 戊辰 己巳 帝加元服,龐參為太尉,王龔為司空,劉崎為司徒。 庚午 班始棄市。 辛未 壬申 改元陽嘉,冊梁氏為皇后。 癸酉 施延為太尉。 甲戌 黃尚為司徒,王卓為司空。乙亥

丙寅年(一二六年)、改元して永建とした。閻太后が去世した。桓焉が太傅、朱寵が太尉、朱倀が司徒となった。丁卯(一二七年)・戊辰(一二八年)は記事なし。己巳年(一二九年)、順帝が加冠の礼を行った。龐参が太尉、王龔が司空、劉崎が司徒となった。庚午年(一三〇年)、班始が棄市で処刑された。辛未(一三一年)は記事なし。壬申年(一三二年)、改元して陽嘉とした。梁氏を冊立して皇后とし、梁氏の外戚の禍はこれによって根を埋めた。癸酉年(一三三年)、施延が太尉となった。甲戌年(一三四年)、黄尚が司徒、王卓が司空となった。乙亥(一三五年)は記事なし。

丙子 改元永和。王龔為太尉。 丁丑 郭虔為司空。 戊寅 劉壽為司徒。 己卯 誅中常侍張逵。 庚辰 辛巳 趙誠為司空,梁冀為大將軍。 壬午 改元漢安。遣張綱等八使持節巡行天下。廣陵寇亂。趙峻為太尉,胡廣為司徒。 癸未 彭門寇亂。

丙子年(一三六年)、改元して永和とした。王龔が太尉となった。丁丑年(一三七年)、郭虔が司空となった。戊寅年(一三八年)、劉寿が司徒となった。己卯年(一三九年)、中常侍張逵を誅殺した。庚辰(一四〇年)は記事なし。辛巳年(一四一年)、趙誠が司空となった。梁皇后の兄梁冀が大将軍に出て、この後朝政を専擅することほぼ二十年に及んだ。壬午年(一四二年)、改元して漢安とした。張綱ら八人の使者を遣わして節を持して天下を巡行させ、吏治・民情を考察させた。広陵で盗寇が乱を為した。趙峻が太尉、胡広が司徒となった。癸未年(一四三年)、彭門一帯で盗寇が乱を為した。

甲申 改元建康。帝崩,皇太子炳踐位,是謂沖帝。太后梁氏臨朝稱制,大將軍梁冀專政。葬敬宗於憲陵。盜發憲陵。免尚書欒巴為庶人。 乙酉 改元永嘉。帝崩,太后梁氏、大將軍梁冀迎肅宗孫纘立之,是謂質帝。葬沖帝於懷陵。江淮寇亂,九江賊稱黃帝,歷陽賊稱黑帝。 丙戌 改元本初。梁冀弒帝,迎肅宗曾孫志立之,是謂桓帝。李固罷免,梁冀專政。

甲申年(一四四年)、改元して建康とした。順帝が去世し、二歳の皇太子劉炳が即位した――これが冲帝である。梁太后が朝に臨んで制を称し、大将軍梁冀が政を専った。順帝の廟号は敬宗、憲陵に葬られた。まもなく憲陵が盗掘された。尚書欒巴は庶人に免ぜられた。乙酉年(一四五年)、改元して永嘉とした。冲帝もまた夭亡し、梁太后と梁冀は章帝の孫劉纉を迎えて立てて帝とした――これが質帝である。冲帝は懐陵に葬られた。江淮一帯で盗寇が乱を為し、九江の賊首は自ら黄帝を称し、歴陽の賊首は自ら黒帝を称した。丙戌年(一四六年)、改元して本初とした。質帝は幼いながら面と向かって梁冀を「跋扈将軍」と斥けたため、梁冀に毒殺された。梁冀は改めて章帝の曾孫劉志を迎えて立てて天子とした――これが漢の桓帝である。別に賢君を立てることを力爭した太尉李固は罷免され、梁冀はここにおいて朝綱を独り占めにした。

丁亥 改元建和。梁冀以女上皇后,杜喬為太尉。胡廣罷免。李固、杜喬下獄死。 戊子 帝加元服。趙戒為太尉,袁湯為司徒。 己丑 庚寅 改元和平。太后梁氏崩。 辛卯 改元元嘉。黃瓊為司空,尋罷免。 壬辰 癸巳 改元永興。袁成、逢隗為三公。

丁亥年(一四七年)、改元して建和とした。梁冀は妹を宮中に入れて立てて皇后とし、杜喬が太尉となり、胡広は罷免された。まもなく李固・杜喬はともに獄に下されて害され死んだ。戊子年(一四八年)、桓帝が加冠の礼を行った。趙戒が太尉、袁湯が司徒となった。己丑(一四九年)は記事なし。庚寅年(一五〇年)、改元して和平とした。梁太后が去世した。辛卯年(一五一年)、改元して元嘉とした。黄瓊が司空となったが、まもなく罷免された。壬辰(一五二年)は記事なし。癸巳年(一五三年)、改元して永興とした。袁成・逢隗が三公の列に居った。

経世之未 二千二百四十

甲午 漢孝桓帝八年,黃瓊為太尉,尹頌為司徒。 乙未 改元永壽。韓為司空。 丙申 丁酉 戊戌 改元延熹。 己亥 皇后梁氏崩,大將軍梁冀謀逆,事覺,夷三族。黃門單超擅命,胡廣、韓減死。 庚子 白馬令李雲直諫,死於獄。太山及長沙寇亂。 辛丑 武庫火。 壬寅 癸卯

甲午年は漢の桓帝八年、すなわち紀元一五四年であり、本「世」はここから起算する。黄瓊が太尉、尹頌が司徒となった。乙未年(一五五年)、改元して永寿とした。韓姓の某が司空に出た――底本はここに人名の一字を脱す。丙申(一五六年)・丁酉(一五七年)は記事なし。戊戌年(一五八年)、改元して延熹とした。己亥年(一五九年)、梁皇后が去世し、大将軍梁冀が陰に乱を謀り、事が発して誅され三族を夷滅された――桓帝は単超ら五名の宦官の力によってようやく梁氏を翦除したのである。この後、黄門単超が朝命を把し持ち、胡広とあの韓姓の大臣は連累して減死の罪を得た。庚子年(一六〇年)、白馬県令李雲は書を上げて直諫し、獄中で死んだ。泰山と長沙一帯で盗寇が乱を為した。辛丑年(一六一年)、武庫が失火した。壬寅(一六二年)・癸卯(一六三年)は記事なし。

甲辰 南巡,楊秉為太尉。 乙巳 廢皇后鄧氏,冊貴人竇氏為皇后。陳蕃為太尉,竇武為大將軍。 丙午 黨錮事起,司隸李膺等三百人下獄。 丁未 改元永康。帝崩,太后竇氏臨朝稱制。 戊申 竇氏迎肅宗玄孫解瀆亭侯宏立之,是謂靈帝。竇武隸尚書事,專政。改元建寧。葬威宗於宣陵。中常侍曹節、王甫殺太傅陳蕃、大將軍竇武,及尚書尹勳、侍中劉瑜、屯騎校尉馮述,夷其族,徙太后竇氏於南宮。謀誅宦氏不克故也。胡廣為太尉,劉寵為司徒。

甲辰年(一六四年)、桓帝は南に巡った。楊秉が太尉となった。乙巳年(一六五年)、鄧皇后を廃し、貴人竇氏を冊立して皇后とした。陳蕃が太尉、竇武が大将軍となった。丙午年(一六六年)、第一次党錮の禍が起こり、司隶校尉李膺ら三百人が獄に下された。丁未年(一六七年)、改元して永康とした。桓帝が去世し、竇太后が朝に臨んで制を称した。戊申年(一六八年)、竇氏は章帝の玄孫である解瀆亭侯劉宏を迎えて立てて帝とした――これが漢の霊帝である。竇武は大将軍として尚書事を領して政を専り、改元して建寧とした。桓帝の廟号は威宗、宣陵に葬られた。中常侍曹節・王甫が先に難を発し、太傅陳蕃・大将軍竇武および尚書尹勲・侍中劉瑜・屯騎校尉馮述を殺し、その族を夷滅し、竇太后を南宮に移して幽禁した――その起因はまさに竇武・陳蕃が宦官を誅さんと謀って事機を密にしなかったことにある。この後、胡広が太尉、劉寵が司徒となった。

己酉 朋黨事復起,殺李膺等百人。 庚戌 辛亥 帝加元服,冊宋氏為皇后。 壬子 改元熹平。太后竇氏崩,誣構事大起。 癸丑 段熲為太尉,楊賜為司空。 甲寅 李咸為太尉。 乙卯 《五經》文皆刻石於太學。袁隗為司徒。 丙辰 劉寬為太尉,楊賜為司徒。 丁巳 大伐鮮卑。孟戫為太尉,陳耽為司空。

己酉年(一六九年)、党錮の禍が再び起こり、李膺ら百余人が殺害された。庚戌(一七〇年)は記事なし。辛亥年(一七一年)、霊帝が加冠の礼を行い、宋氏を冊立して皇后とした。壬子年(一七二年)、改元して熹平とした。竇太后が去世し、宦官の羅織誣陷の風が大いに盛んとなった。癸丑年(一七三年)、段熲が太尉、楊賜が司空となった。甲寅年(一七四年)、李咸が太尉となった。乙卯年(一七五年)、《五経》の経文をすべて石に刻んで太学に立てた――これが「熹平石経」である。袁隗が司徒となった。丙辰年(一七六年)、劉寛が太尉、楊賜が司徒となった。丁巳年(一七七年)、大いに鮮卑を討伐したが功なく帰った。孟戫が太尉、陳耽が司空となった。

戊午 改元光和。合浦、交趾內寇。廢皇后宋氏,大鬻爵,至三公。袁滂為司徒。 己未 諸貴臣下獄死者相繼,宦氏誣故也。劉郃為司徒,段熲為太尉,張濟為司空。 庚申 陳耽為司徒。冊何氏為皇后。 辛酉 作宮市。帝遊,以驢為駕。 壬戌 癸亥

戊午年(一七八年)、改元して光和とした。合浦・交趾一帯で内乱があった。宋皇后を廃した。朝廷は公然と官爵を大いに売り、三公の位すら金で買うことができた。袁滂が司徒となった。己未年(一七九年)、朝中の顕貴で獄に下されて死ぬ者が続き、みな宦官の羅織誣陷によるものであった。劉郃が司徒、段熲が太尉、張済が司空となった。庚申年(一八〇年)、陳耽が司徒となった。何氏を冊立して皇后とした。辛酉年(一八一年)、霊帝は宮中に「宮市」を設けて戯れとし、宮人に商販の扮装をさせて売買させ、自ら驢車を駕してその中を遊び逛いた。壬戌(一八二年)・癸亥(一八三年)は記事なし。

経世之申 二千二百四十一

甲子 改元中平。漢孝靈皇帝十七年,黃巾寇起,鄧盛為太尉,張溫為司空。侍中向栩、張鈞下獄死。閹人大起誣構。黃巾平。 乙丑 黑山賊起。崔烈為司徒,張延為太尉,許相為司空。三輔寇亂,陳耽、劉陶坐直言死。 丙寅 張溫為太尉。江夏兵起。前太尉張延下獄死。 丁卯 賣官至關內侯。曹嵩為太尉。三輔盜起,漁陽賊稱帝。 戊辰 天下群盜起,黃巾賊復寇,郡國稱帝。置八校尉,以捕天下群盜。馬日為太尉,曹操為典軍校尉,袁紹為中軍校尉,董重為驃騎將軍。

甲子年は改元して中平とし、漢の霊帝十七年、すなわち紀元一八四年であり、本「世」はここから起算する。張角は太平道の教衆を率いて起事し、頭に黄巾を裹み、八州が同時に応えて天下が震動した。鄧盛が太尉、張温が司空となった。侍中向栩・張鈞は獄に下されて死んだ。宦官は機に乗じて大いに羅織誣陷を興した。年内に黄巾の主力は平定された。乙丑年(一八五年)、黒山賊が太行山で起事した。崔烈が司徒、張延が太尉、許相が司空となった。三輔地区で寇乱があり、陳耽・劉陶は直言によって罪を得て死んだ。丙寅年(一八六年)、張温が太尉となった。江夏で兵変があった。前任の太尉張延は獄に下されて死んだ。丁卯年(一八七年)、官を売ることが関内侯の爵位にまで及んだ。曹嵩――すなわち曹操の父――は金を出して太尉の位を買い得た。三輔で盗賊がまた起こり、漁陽の賊首は自ら皇帝を称した。戊辰年(一八八年)、天下に群盗が蜂起し、黄巾の余部が再び乱を為し、各郡国で帝を称する者があった。朝廷は八校尉を設置して天下の群盗を捕えさせた。馬日が太尉、曹操が典軍校尉、袁紹が中軍校尉、董重が驃騎将軍となった――漢末の群雄割拠の人物は、ここに次々と登場した。

己巳 帝崩,皇太子辯踐位。皇太后何氏臨朝稱制,大將軍何進專政,改元光熹,封皇弟協為渤海王,殺上軍校尉蹇碩。驃騎將軍董重及皇太后董氏議立協故也。徙協為陳留王。中常侍張讓、段珪殺大將軍何進。中郎袁術以兵攻東宮。張讓、段珪以帝及陳留王走北宮。何苗攻北宮。司隸校尉袁紹兵入,大殺閹豎。讓、珪以帝及陳留王出走小平津。尚書盧植兵追及之,讓、珪投於河死,盧植以帝及陳留王還宮。改元昭寧。董卓自太原入,廢帝為弘農王,立陳留王協,是謂獻帝。徙太后何氏於永安宮。改元永漢。卓弒太后何氏及弘農王辯於永安宮,稱相國,專制。黃琬為太尉,楊彪為司徒,荀爽為司空。袁紹入冀州。

己巳年は東漢の中平六年、紀元一八九年である。漢の霊帝が去世し、皇太子劉辯が即位した――これが少帝である。生母何氏は皇太后として朝に臨んで政を聴き、その兄大将軍何進が朝権を独り占めにし、年号を「光熹」と改め、霊帝の次子で少帝の弟の劉協を渤海王に封じ、あわせて禁軍を統領する上軍校尉蹇碩を殺した――驃騎将軍董重と霊帝の生母董太后の一党がかつて劉協に改めて立てることを謀議し、蹇碩はまさにこの一党の手中の兵権であったからである。続いて劉協は陳留王に改封された。宦官の中常侍張譲・段珪が先に難を発し、宮中で何進を殺した。何進の部将で中郎将の袁術は兵を率いて東宮を攻めて報復した。張譲・段珪は少帝と陳留王を挟持して北宮に逃げ込み、何進の弟何苗はまた兵を率いて北宮を攻めた。司隶校尉袁紹は兵を引きいて禁中に殺し入り、宦官をほとんど皆殺しにした。張譲・段珪は再び二王を挟んで出奔し黄河の渡口小平津に至ったが、尚書盧植が兵を率いて追いつき、二人は河に身を投げて死に、盧植は少帝・陳留王を護衛して宮に還り、改元して「昭寧」とした。この時、并州牧董卓は太原の方向から兵を引きいて京に入り、少帝を廃して弘農王とし、改めて陳留王劉協を立てた――これが漢の献帝である。また何太后を永安宮に移し、改元して「永漢」とした。まもなく永安宮で何太后と廃帝劉辯を殺害し、自ら相国を称して国柄を独断し、黄琬を太尉、楊彪を司徒、荀爽を司空として朝廷を装った。袁紹は冀州に出奔し、関東の董討伐の勢いはこれより醸成された。

庚午 改元初平。天下兵起,群校尉推袁紹為主,同攻董卓。卓大殺宗室及官屬,遷帝西都長安。孫堅兵起荊州。白波賊寇東郡。劉虞為太傅,種拂為司空。辛未 董卓稱太師,大焚洛陽宮闕,及徙居民於長安。孫堅敗董卓兵於陽人,入洛,修完諸帝陵寢,引軍還魯陽。黑山賊寇常山,黃巾賊擾太山。壬申 董卓將王允、呂布誅卓於長安,夷三族。卓將李傕、郭汜陷長安,殺王允。呂布走袁紹。傕、汜擅政,以皇甫嵩為太尉,淳于嘉為司徒。曹操破黃巾於壽張。孫堅卒,子策代總其眾。

庚午年は初平元年、紀元一九〇年である。関東の州郡が次々と起兵して董卓を討ち、諸校尉は袁紹を推して盟主とし、力を合わせて卓を攻めた。董卓は漢室の宗亲と朝廷の官員を大いに誅殺し、献帝を脅迫して西に迁らせ、長安を都とした。長沙太守孫堅は荊州で起兵して応えた。白波軍は東郡を侵擾した。朝廷は劉虞を太傅、種拂を司空とした。辛未年すなわち一九一年、董卓は自ら太師を称し、火を放って洛陽の宮殿を焼き毀し、洛陽の居民を強いて西の長安に移した。孫堅は陽人聚で董卓軍を破り、洛陽に入り、盗掘された東漢諸帝の陵寝を修復し、その後兵を引きいて魯陽に退いた。黒山軍は常山に進犯し、黄巾の余部は泰山を騒がした。壬申年すなわち一九二年、董卓の部下である司徒王允とその義子呂布は長安で董卓を誅殺し、その三族を滅した。董卓の旧将李傕・郭汜は即座に長安を陥れ、王允を殺し、呂布は出奔して袁紹に投じた。李・郭の二人は朝政を専擅し、皇甫嵩を太尉、淳于嘉を司徒とした。曹操は寿張で黄巾を撃ち破り、その精鋭を収めて青州兵とし、これをもって起家した。孫堅は戦死し、その子孫策が旧部を継いで統した。

癸酉 李傕、郭汜屠三輔。朱儁為太尉,趙溫為司空。袁紹、袁術交兵東方。甲戌 改元興平。帝加元服。楊彪為太尉。孫策據有江南。乙亥 李傕、郭汜爭權,相攻於長安。楊定、楊奉、董丞以帝東還。曹操破呂布於定陶,遂有兗州。布走劉備。丙子 帝還洛陽,改元建安。曹操徙帝都許昌。丁丑 袁術稱帝九江,並袁紹大將軍。曹操破袁術於揚州,呂布襲劉備於下邳。劉備走曹操。

癸酉年すなわち紀元一九三年、李傕・郭汜は関中三輔一帯で大いに屠戮し、朝廷は朱儁を太尉、趙温を司空とした。東方では袁紹・袁術の兄弟が交兵した。甲戌年一九四年、改元して「興平」とし、献帝は冠礼を行って成年となり、楊彪が太尉を任じた。孫策は江を渡り、江南を拠有した。乙亥年一九五年、李傕・郭汜は権を争って長安で互いに攻め殺し合い、将領の楊定・楊奉・董承(底本は董丞と作る)は献帝を護衛して東に帰らせた。曹操は定陶で呂布を大破し、ついに兗州を取った。呂布は出奔して劉備に投じた。丙子年一九六年、献帝は残破した洛陽に帰り、改元して「建安」とし、曹操は即座に献帝を許昌に迁して都を建て、これより天子を挾んで以て諸侯に令した。丁丑年一九七年、袁術は九江で僭号して帝を称し、袁紹は大将軍を受け授かった。曹操は揚州で袁術を撃ち破り、呂布は虚に乗じて劉備の下邳を襲い取り、劉備は転じて曹操に投じた。

戊寅 曹操平呂布於下邳,兼有徐州。己卯 袁術死,袁紹破曹操將公孫瓚於易水。孫策破劉勳於廬江。庚辰 曹操大敗袁紹於官渡,劉備去曹操,奔劉表於荊州。江南孫策卒,弟權繼事。辛巳。壬午 袁紹卒,子尚繼事,以弟譚為將軍。癸未 袁尚、袁譚相攻,譚敗,奔曹操。

戊寅年すなわち紀元一九八年、曹操は下邳で呂布を消滅させ、あわせて徐州を得た。己卯年一九九年、袁術は窮蹙して病死した。袁紹は易水一帯で幽州の公孫瓚を撃ち滅ぼした(邵雍は公孫瓚を曹操の将とするが、実は彼は久しく幽州を拠って自立していた)。孫策は廬江太守劉勲を撃ち破った。庚辰年二〇〇年、曹操は官渡で少をもって多に勝ち袁紹を大破し、北方統一の基礎を奠めた。劉備は曹操を離れ、荊州の劉表に奔った。江東の孫策は刺されて身を亡び、その弟孫権が江東を継いで掌った。辛巳年二〇一年は記すべきことなし。壬午年二〇二年、袁紹が病故し、幼子袁尚がその位を承襲し、兄袁譚を将軍とした。癸未年二〇三年、袁尚と袁譚の兄弟が互いに攻め合い、袁譚は戦に敗れて曹操に奔った。

甲申 曹操破袁尚於鄴,兼有冀州。尚走青州,譚復奔尚。乙酉 曹操滅袁氏於青州,譚死,尚走烏丸。丙戌 曹操破高乾於太原,乾走荊州。丁亥 曹操破烏丸於聊城,袁尚走遼東,死。戊子 曹操殺太中大夫孔融,遂領丞相。荊州劉表卒,子琮繼事。劉備起諸葛亮於南陽,亮以吳周瑜兵大破曹操於赤壁,遂有荊州,稱牧,治公安。

甲申年すなわち紀元二〇四年、曹操は鄴城を攻め破って袁尚を敗り、冀州を併呑した。袁尚は北の青州に走り、袁譚はまた頭を回して袁尚に依附した。乙酉年二〇五年、曹操は青州で袁氏の残党を掃滅し、袁譚は戦死し、袁尚は烏桓に逃げ込んだ。丙戌年二〇六年、曹操は太原で袁紹の甥高幹を撃ち破り、高幹は南の荊州に奔った。丁亥年二〇七年、曹操は北に烏桓を征して勝ちを収め、袁尚は遼東に逃げ、公孫康に殺された――河北はここにすべて定まった。戊子年二〇八年、曹操は名士の太中大夫孔融を殺し、即座に自ら丞相に任じた。荊州牧劉表が病故し、その子劉琮が嗣いで曹に降った。劉備は南陽で三たび草廬を顧みて諸葛亮を請い出し、諸葛亮は東に孫権を連ね、周瑜の兵を借りて赤壁で曹操を大破した。劉備はこれによって荊州を拠有し、自ら荊州牧を称し、治所を公安に設けた。

己丑 孫權會劉備於京口,劉備表孫權為徐州牧,孫權表劉備為荊州牧。庚寅 曹操起銅爵臺於鄴。孫權南牧交州。辛卯 曹操平關中。益州劉璋會劉備於葭萌。孫權自京口徙治秣陵。壬辰 曹操割河以北屬鄴。孫權城石頭,改秣陵為建業。癸巳 曹操以冀之十郡稱魏國公,加九錫。劉備攻劉璋於成都。孫權捍曹操於濡須。

己丑年すなわち紀元二〇九年、孫権と劉備は京口で会見し、劉備は表を上げて孫権を推して徐州牧を領させ、孫権は表を上げて劉備を推して荊州牧を領させた――孫劉連盟はこれによって確立した。庚寅年二一〇年、曹操は鄴城に銅雀台を修築した。孫権は南に交州を経略した。辛卯年二一一年、曹操は関中の馬超・韓遂を平定した。益州牧劉璋は葭萌関で劉備と会見し、彼を蜀に迎えて張魯に対抗させたが、かえって後日に国を失う張本を為した。孫権は治所を京口から秣陵に移した。壬辰年二一二年、曹操は黄河以北の州郡を鄴城の管轄に割り帰させた。孫権は石頭城を修築し、秣陵を建業と改めた――すなわち後の南京である。癸巳年二一三年、曹操は冀州の十郡をもって魏国公に封ぜられ、九錫を加え賜り、漢に代わる跡はすでに明らかであった。劉備は転じて劉璋を攻め、兵は成都に向かった。孫権は濡須口で曹操の南下を防いだ。

経世之酉 二千二百四十二

甲午 漢獻帝二十六年,曹操殺皇后伏氏及二皇子,又破張魯米賊於漢中。劉備克成都,據有巴蜀。孫權取劉備三郡。乙未 曹操以女上皇后,又平張魯於漢中。孫權、劉備連兵攻曹操。丙申 曹操進爵為魏王,南伐吳。丁酉 曹操用天子服器。孫權稱表曹操,報以婚禮。

甲午年は漢の献帝在位二十六年、紀元二一四年である。曹操は伏皇后と彼女が生んだ二人の皇子を殺し、また漢中で五斗米道の首領張魯を撃ち破った。劉備は成都を攻克して巴蜀を占有した。孫権は劉備に長沙・零陵・桂陽の三郡を求めた。乙未年(二一五年)、曹操は娘曹節を宮中に送り立てて皇后とし、あわせて漢中の張魯を徹底的に平定した。孫権・劉備は一時争いを罷め、兵を連ねて曹操に対抗した。丙申年(二一六年)、曹操は魏公から爵を進めて魏王となり、南に下って呉を伐った。丁酉年(二一七年)、曹操は天子の規格の車服器物を使い始めた。孫権は表を上げて曹操に臣を称し、曹操は婚姻の締結をもって報いた。

戊戌 少府耿紀、司直韋晃殺曹操不克,伏誅。操攻劉備,進攻漢中。己亥 劉備取曹操漢中,稱王。孫權取劉備荊州,稱牧。關羽死之。庚子 改元建康。曹操卒,子丕繼事。是年,丕代漢命於鄴,是謂文帝,改國曰魏,元曰黃初。降帝為山陽公,葬太祖曹操於西陵。自鄴徙都洛陽。

戊戌年(紀元二一八年)、漢廷の少府耿紀・司直韋晃は許都で兵を挙げて曹操を謀殺しようとしたが、事敗れて誅された。曹操は即座に兵を転じて劉備を攻め、漢中に進撃した。己亥年(二一九年)、劉備は漢中を奪い取り、自ら漢中王と立った。孫権は虚に乗じて劉備の拠る荊州を襲い取り、自ら荊州牧を称した。蜀の将軍関羽は兵を敗って殺され、孫劉連盟はここに破裂した。庚子年(二二〇年)、改元して「延康」とした。この年曹操が去世し、その子曹丕が王位を承襲した。同年、曹丕は鄴城で漢の禅譲を受けた――これが魏の文帝であり、国号を「魏」と改め、年号を「黄初」とし、漢の献帝を山陽公に降し、その父太祖曹操を西陵に葬り、続いて鄴城から洛陽に都を移した。綿々四百年の漢朝の国祚はここに終わった。

辛丑 魏郊祀天地。是年劉備稱帝成都,建國曰蜀,元曰章武,諸葛亮為相。孫權自建業徙都鄂,改鄂為武昌。壬寅 魏加兵於吳。蜀伐吳,不利,敗於虢亭。是年,孫權稱王武昌,是謂文帝,建國曰吳,元曰黃武,通使於蜀,以修前好。癸卯 蜀主備卒於白帝城,太子禪繼,是謂後主,改元建興。魏與蜀和親。

辛丑年(紀元二二一年)、魏の文帝は南北郊で天地を祭祀し、天命を膺け受けたことを示した。同年、劉備は成都で帝を称し、国号はなお漢と称したが史家はこれを蜀と称す。年号を「章武」とし、諸葛亮をもって丞相とした。孫権は治所を建業から鄂県に移し、武昌と改名した。壬寅年(二二二年)、魏は兵を出して呉を伐った。蜀漢は東に征して呉を伐ったが失利し、猇亭(底本は虢亭と作る)で陸遜の火攻に遭って大敗した。同年、孫権は武昌で呉王を称し、邵雍はこれを呉文帝と称す。国号を「呉」と立て、年号を「黄武」とし、あわせて使者を遣わして蜀と通好し、夷陵の戦い以前の旧盟を修復した。癸卯年(二二三年)、蜀の主劉備は白帝城で病逝し、太子劉禅が嗣いだ――これが蜀漢の後主である。改元して「建興」とし、国事はすべて諸葛亮に託した。魏と蜀もまた一時和親した。

甲辰 魏伐吳。乙巳 魏伐吳,治兵廣陵。蜀諸葛亮平四郡蠻。丙午 魏帝丕終,太子叡嗣位,是謂明帝。司馬懿為驃騎大將軍。丁未 魏改元太和,有事於南郊及明堂。蜀諸葛亮出師漢中。戊申 蜀諸葛亮圍魏陳倉,吳破魏石亭。己酉 蜀克魏武都,吳孫權稱帝,改元黃龍,自武昌復徙都建業。

甲辰年(紀元二二四年)、魏は兵を出して呉を伐った。乙巳年(二二五年)、魏は再び呉を伐ち、広陵で水軍を大いに閲した。蜀漢の諸葛亮は南に征し、南中四郡の夷人の叛乱を平定して後顧の憂を除いた。丙午年(二二六年)、魏の文帝曹丕が去世し、太子曹叡が嗣いだ――これが魏の明帝であり、司馬懿をもって驃騎大将軍とした。丁未年(二二七年)、魏は改元して「太和」とし、南郊と明堂で大祀を行った。諸葛亮は漢中に進駐し、《出師表》を上げて北伐を準備した。戊申年(二二八年)、諸葛亮は魏の陳倉を包囲攻撃し、東呉は石亭で魏軍を大破した。己酉年(二二九年)、蜀軍は魏の武都を攻め取った。孫権は正式に帝を称し、改元して「黄龍」とし、都城を武昌から建業に移し戻した――三国鼎立の局はここに形制が整った。

庚戌 魏伐蜀,假司馬懿黃鉞。蜀諸葛亮攻魏天水。辛亥 蜀圍魏祁山。壬子 蜀息軍黃沙。吳改元嘉和。癸丑 魏改元青龍。蜀伐魏,師出褒斜。甲寅 魏南伐吳,至於壽春;西伐蜀,至於渭南。蜀諸葛亮卒於師。吳伐魏,師出合肥。是年,漢山陽公卒。乙卯 魏大起洛陽宮室。司馬懿為太尉。蜀以蔣琬為大將軍,專國事。

庚戌年(紀元二三〇年)、魏は兵を発して蜀を伐ち、司馬懿に黄鉞を授けて征伐を専らにさせた。蜀漢の諸葛亮は魏の天水に進攻した。辛亥年(二三一年)、蜀軍は魏の祁山を包囲攻撃した。壬子年(二三二年)、蜀軍は黄沙に屯駐して兵を休め穀を積んだ。呉は改元して「嘉禾」とした(底本は嘉和と作る)。癸丑年(二三三年)、魏は改元して「青龍」とした。蜀は兵を出して魏を伐ち、褒斜谷を取って進んだ。甲寅年(二三四年)、魏は南に東呉を征して寿春に至り、西に蜀漢を拒いで渭南に至った。諸葛亮は五丈原の軍中で病逝し、北伐の大業は中輟した。東呉もまた合肥に兵を出して魏を伐った。同年、位を遜した漢の献帝・山陽公劉協が去世した。乙卯年(二三五年)、魏は土木を大いに興して洛陽の宮室を造営し、司馬懿は太尉に昇任した。蜀漢は蒋琬をもって大将軍とし、国政を総攬させた。

丙辰。丁巳 魏改元景初。公孫淵以遼東叛,稱王。戊午 魏司馬懿平遼東。蜀改元延熙,吳改元赤烏。己未 魏明帝叡終,齊王芳繼,司馬懿及曹爽輔政。庚申 魏改元正始。辛酉 吳全琮伐魏,軍出淮南。壬戌 蜀姜維伐魏,軍出漢中。癸亥 魏帝加元服。司馬懿伐吳,至於舒。蜀蔣琬伐魏,軍出漢中。吳伐魏,軍出六安。

丙辰年(紀元二三六年)は記すべきことなし。丁巳年(二三七年)、魏は改元して「景初」とした。遼東太守公孫淵は魏を背いて自立し、僭して燕王を称した。戊午年(二三八年)、魏の太尉司馬懿は軍を率いて遼東を平定し、公孫淵を斬った。蜀漢は改元して「延熙」、東呉は改元して「赤烏」とした。己未年(二三九年)、魏の明帝曹叡が去世し、養子の斉王曹芳が嗣ぎ、司馬懿と大将軍曹爽がともに遺詔を受けて政を輔佐した――曹魏内部の両派の対峙の勢いはここから形成された。庚申年(二四〇年)、魏は改元して「正始」とした。辛酉年(二四一年)、呉の将軍全琮は魏を伐ち、兵を淮南に出した。壬戌年(二四二年)、蜀の将軍姜維は魏を伐ち、兵を漢中に出した。癸亥年(二四三年)、魏帝曹芳が冠礼を行った。司馬懿は呉を伐ち、舒県に進んだ。蜀漢の蒋琬は魏を伐ち、兵を漢中に出した。東呉もまた魏を伐ち、兵を六安に出した。

経世之戌 二千二百四十三

甲子 魏主芳五年,蜀主禪二十一年,吳主權二十三年。魏曹爽伐蜀,無功。乙丑 蜀伐魏,費褘師出漢中。吳將馬茂作難,夷三族。丙寅。丁卯 魏曹爽專政,何晏秉機。司馬懿稱病。戊辰 蜀伐魏,費褘師出漢中。己巳 魏曹爽奉其君謁高平陵,太傅司馬宣王稱兵於內,夷大將軍曹爽及其支黨曹義、曹訓、曹彥、何晏、丁謐、鄧彪、畢軌、李勝、桓范、張當三族,迎帝還宮,改元嘉平,復皇太后。懿加九錫,專國事。

甲子年は魏帝曹芳在位五年、蜀の後主劉禅二十一年、呉の主孫権二十三年、紀元二四四年である。魏の大将軍曹爽は蜀を伐ったが、師を労して功なし。乙丑年(二四五年)、蜀漢の費禕(底本は費袆と作る)は漢中を出て魏を伐った。呉の将馬茂は謀逆の事が発覚し、三族を滅ぼされた。丙寅年(二四六年)は事なし。丁卯年(二四七年)、曹爽は朝政を独り占めにし、名士何晏が機要を執った。太傅司馬懿は病を托して出ず、密かに勢いを蓄えた。戊辰年(二四八年)、費禕は再び漢中を出て魏を伐った。己巳年(二四九年)、曹爽は魏帝に陪同して城を出て高平陵を謁し、司馬懿は京城の空虚に乗じて洛陽で兵を起こして権を奪い、曹爽およびその党羽の曹羲・曹訓・曹彦・何晏・丁謐・鄧颺・畢軌・李勝・桓範・張当らの三族を誅滅し(底本は「曹羲」を曹義、「鄧颺」を鄧彪と作る)、帝を迎えて宮に還し、改元して「嘉平」とし、かねて幽禁されていた郭太后の名位を回復した。司馬懿は九錫を加賜され、国政を独り占めにし、曹魏の兵柄はこれより司馬氏に帰した。

庚午 魏伐吳南郡。辛未 魏司馬懿宣王卒,子師繼事。吳改元太元。壬申 魏伐吳,不利。吳改元神鳳。權卒,子亮繼,改元建興。癸酉 吳、蜀伐魏。甲戌 魏亂,司馬師廢其君芳,立高貴鄉公髦,改元正元。師假黃鉞,專制,稱景王。蜀伐魏,姜維拔魏三城。吳改元五鳳。乙亥 魏司馬師伐吳,平淮南,還許昌,卒。弟昭繼事,為大將軍,隸尚書事,專制。蜀姜維敗魏軍於臨洮。吳孫峻敗魏軍於壽春。

庚午年(紀元二五〇年)、魏は兵を出して東呉の南郡を進攻した。辛未年(二五一年)、魏の太傅司馬懿が去世し、諡号は宣王、長男司馬師がその権位を継いだ。呉は改元して「太元」とした。壬申年(二五二年)、魏は呉を伐ち、東興で挫折した。呉は改元して「神鳳」とし、孫権が去世し、幼孫亮が嗣ぎ、改元して「建興」とした。癸酉年(二五三年)、呉・蜀は両路から兵を出して魏を伐った。甲戌年(二五四年)、魏廷に変が生じ、司馬師は魏帝曹芳を廃黜し、改めて高貴郷公曹髦を立て、改元して「正元」とした。司馬師は黄鉞を受け、国政を独断し、号を景王とした。蜀の将姜維は魏を伐ち、三城を攻め取った。呉は改元して「五鳳」とした。乙亥年(二五五年)、司馬師は東征して淮南の毋丘倹の乱を平定し、許昌への回師途中で病死し、その弟司馬昭が大権を引き継ぎ、大将軍・録尚書事となり朝政を専擅した。蜀の将姜維は臨洮で魏軍を大敗させ、呉の将孫峻は寿春で魏軍を撃退した。

丙子 魏改元甘露,大敗蜀軍於上邽。司馬昭稱文王,假黃鉞。吳改元太平,大將軍孫峻卒,國亂。丁丑 魏大將軍諸葛誕以揚州叛,入於吳。蜀伐魏,姜維師出駱谷。吳主亮始親政事。戊寅 魏司馬昭伐吳,拔壽春,誅諸葛誕。蜀改元景耀,宦氏黃皓專政。吳亂,大將軍孫□廢其君亮,立亮弟休,改元永安。作逆,伏誅。己卯。庚辰 魏亂,司馬昭弒其君髦,立常道鄉公璜,改元景元。昭加九錫,稱晉國公,專制。

丙子年(紀元二五六年)、魏は改元して「甘露」とし、上邽で蜀軍を大敗させた。司馬昭は文王と号し、黄鉞を受けた。呉は改元して「太平」とし、権臣大将軍孫峻が死に、国中はこれに従って大乱した。丁丑年(二五七年)、魏の征東大将軍諸葛誕は揚州に拠って反し、東呉に投げ寄った。姜維は駱谷を出て魏を伐った。呉の主孫亮は政を親しく始めた。戊寅年(二五八年)、司馬昭は呉を伐ち、寿春を攻克して諸葛誕を誅殺した。蜀漢は改元して「景耀」とし、宦官黄皓が権を専らにし始めた。東呉は政変し、大将軍孫綝(底本はこの字を闕く)は孫亮を廃黜し、改めて孫亮の兄孫休を立て、改元して「永安」とし、孫綝はその後謀逆して誅された。己卯年(二五九年)は事なし。庚辰年(二六〇年)、魏国は大乱し、司馬昭は傀儡たるを甘んじない魏帝曹髦を弑殺し、改めて常道郷公曹璜を立てた――すなわち魏元帝曹奐であり、改元して「景元」とした。司馬昭は九錫を加賜され、晋国六に封ぜられ、朝綱を独断した。

辛巳。壬午 魏鄧艾、鍾會伐蜀。癸未 魏滅蜀,徙其君於洛陽。蜀改元炎興。是年,國亡。吳出軍壽春,救蜀不克。甲申 司馬昭進爵為晉王,增郡二十,用天子服器。改元咸熙,以檻車徵鄧艾。鍾會以蜀叛。吳孫休卒。濮陽王興、中軍張布廢休子,而立權廢子和之子皓,改元元興。皓立,誅興及布。乙酉 魏司馬昭卒,子炎繼事。是年,炎代魏命,是謂武帝,改國為晉,元曰太始。降其君璜為陳留王,徙於鄴。吳徙都武昌,改元甘露。

辛巳年(紀元二六一年)は事なし。壬午年(二六二年)、魏の将鄧艾・鍾会は道を分かち蜀を伐った。癸未年(二六三年)、魏は蜀漢を滅ぼし、後主劉禅を洛陽に遷した。蜀は改元して「炎興」としたが、同年国亡んだ。東呉は兵を出して寿春で蜀を救おうとしたが、及ばずして止んだ。甲申年(二六四年)、司馬昭は爵を進めて晋王となり、二十郡を増封し、天子の車服を用いた。改元して「咸熙」とし、囚車をもって鄧艾を京に召した。鍾会は蜀に拠って反した。呉の主孫休が去世し、濮陽興・左将軍張布は孫休の子を廃し、改めて孫権の廃太子孫和の子孫皓を立て、改元して「元興」とした。孫皓は即位するや濮陽興と張布を誅殺した。乙酉年(二六五年)、司馬昭が去世し、その子司馬炎が位を襲い、同年司馬炎は魏の禅譲を受けた――これが晋武帝であり、国号を「晋」と改め、年号を「泰始」(底本は太始)とし、魏帝曹奐を陳留王に降して鄴城に遷居させた。東呉は都を武昌に遷し、改元して「甘露」とした。

丙戌 吳改元寶鼎,復還建業。丁亥 晉立子衷為皇太子。戊子 吳伐晉。己丑 吳改元建衡,南伐交阯。庚寅 吳孫秀奔晉。辛卯 吳平交阯。蜀劉禪卒於晉。壬辰 晉賈充以女上太子妃,遂為司空。吳改元鳳凰。癸巳 晉何曾為司徒。吳師寇晉弋陽。

丙戌年(紀元二六六年)、呉は改元して「宝鼎」とし、また都を建業に遷し戻した。丁亥年(二六七年)、晋武帝は次子司馬衷を立てて皇太子とした――すなわち後の晋恵帝である。戊子年(二六八年)、呉は兵を出して晋を伐った。己丑年(二六九年)、呉は改元して「建衡」とし、南に交趾を征した。庚寅年(二七〇年)、呉の宗室孫秀は孫皓の猜殺を恐れて晋朝に奔った。辛卯年(二七一年)、呉は交趾を平定した。晋に降った蜀漢の後主劉禅は洛陽で去世した。壬辰年(二七二年)、晋臣賈充は娘賈南風を送って太子妃となし、すぐに司空に昇任した――この婚姻は後に恵帝の一代の大禍を醸した。呉は改元して「鳳凰」とした。癸巳年(二七三年)、晋は何曾をもって司徒とした。呉軍は晋の弋陽を進犯した。

経世之亥 二千二百四十四

甲午 晉武帝十年,吳王皓十年。晉分幽州,城平州。乙未 晉改元咸寧,吳改元天冊。丙申 晉東西夷十七國內附。丁酉 晉四夷內附。吳改元天紀,將邵凱、夏祥逃入於晉。戊戌 吳將劉翻、祖始逃入於晉。己亥 晉命賈充督楊渾、琅玡王伸、王戎、胡奮、杜預、唐彬、王浚七將兵二十萬,伐吳。是年,汲人發魏襄王冢,得書七十五卷。

甲午年は晋武帝在位十年、呉の主孫皓十年、紀元二七四年である。晋は幽州の地を分割し、別に平州を築いた。乙未年(二七五年)、晋は改元して「咸寧」、呉は改元して「天冊」とした。丙申年(二七六年)、東西の外族十七国が晋朝に帰附した。丁酉年(二七七年)、四方の夷族がまた帰附しに来た。呉は改元して「天紀」とし、呉の将邵凱・夏祥は叛いて晋に逃げ入った。戊戌年(二七八年)、呉の将劉翻・祖始はまた晋朝に逃げ奔り、孫皓は虐政で人心は離散した。己亥年(二七九年)、晋武帝は賈充に命じて王渾(底本は楊渾)、琅玡王司馬伷(底本は伸)、王戎・胡奮・杜預・唐彬・王濬の七路の大軍あわせて二十万人を統督して呉を伐たせた。この年もまた、汲郡の人が魏襄王の墓を盗掘し、竹簡の古書七十五巻を得た――これが後世に称される「汲塚書」であり、《竹書紀年》はすなわちこれより出た。

庚子 晉平吳,徙孫皓於洛陽,改元太康。辛丑。壬寅 東西夷二十九國修貢。山濤為司徒,衛瓘為司空。賈充卒。癸卯 孫皓卒。魏舒為司徒。甲辰 乙巳 丙午 丁未 戊申。己酉 汝南王亮為司馬,假黃鉞。庚戌 改元太熙。武帝崩,太子衷踐位,是謂惠帝,冊妃賈氏為皇后,改元永熙。葬武帝於峻陵。王渾為司徒,何邵為太師,裴楷為少師,和嶠為少保,王戎為少傅,衛瓘為太保,石鑑為司空。

庚子年(紀元二八〇年)、晋は呉を滅ぼし、孫皓を洛陽に遷し、改元して「太康」とした――漢末以来百年近い分裂はここに一統に帰した。辛丑年(二八一年)は事なし。壬寅年(二八二年)、東西二十九国が朝貢に来た。山濤は司徒、衛瓘は司空となり、権臣賈充が去世した。癸卯年(二八三年)、孫皓は洛陽で死んだ。魏舒は司徒となった。甲辰・乙巳・丙午・丁未・戊申の五年(二八四~二八八年)は大事なく記すべきことなく、まさに太康承平の世であった。己酉年(二八九年)、汝南王司馬亮は大司馬となり、黄鉞を受けた。庚戌年(二九〇年)改元して「太熙」とした。晋武帝が駕崩し、太子司馬衷が即位した――これが晋恵帝であり、太子妃賈南風を冊立して皇后とし、改元して「永熙」とし、武帝を峻陽陵(底本は峻陵)に葬った。朝廷は王渾をもって司徒、何劭を太師、裴楷を少師、和嶠を少保、王戎を少傅、衛瓘を太保、石鑑を司空とした。

辛亥 改元永平。皇后賈氏專制,夷十二大臣族,太傅楊駿、太保衛瓘、汝南王亮皆被戮焉。廢太后楊氏為庶人,徙之金墉。遣諸王就國。改元元康。趙王倫為征西將軍。壬子 賈后弒皇太后楊氏於金墉。癸丑 甲寅。乙卯 武庫火。丙辰 張華為司空。秦雍寇亂,齊萬年稱兵涇陽,楊茂搜稱兵百頃。丁巳 王戎為司徒,何劭為僕射。戊午。

辛亥年(紀元二九一年)改元して「永平」とした。賈皇后は朝政を独り占めにし、前後して十二家の大臣を誅滅し、太傅楊駿・太保衛瓘・汝南王司馬亮は皆殺される列にあった。また武帝の楊太后を廃して庶人となし、金墉城に幽禁した。諸藩王に命じて各々封国に帰らしめた。同年改元して「元康」とし、趙王司馬倫は征西将軍となった。八王の乱の禍根はこれより伏せられた。壬子年(二九二年)、賈后は金墉城で楊太后を害した。癸丑・甲寅の二年(二九三・二九四年)は事なし。乙卯年(二九五年)、洛陽の武庫に火が出て、歴代の宝器は焼き尽くされた。丙辰年(二九六年)、張華は司空となった。関中の秦州・雍州の胡漢雑居の地に大乱が爆発し、氐人の斉万年は涇陽で兵を起こし、仇池の氐帥楊茂捜は百頃で兵を起こした。丁巳年(二九七年)、王戎は司徒、何劭は尚書僕射となった。戊午年(二九八年)は事なし。

己未 賈后廢皇太子遹為庶人,及其二子送之金墉。裴□為僕射。庚申 改元永康。皇后賈氏徙皇庶人於許昌,殺之。趙王倫、梁王彤廢皇后賈氏為庶人,送金墉,殺之。誅宰相張華,及僕射裴□、侍中賈謐,又誅嵇康、呂安、石崇、潘岳於東市。倫假黃鉞,稱國相,專制。以彤為太宰,冊羊氏為皇后。賈氏黨趙廞以成都叛。

己未年(紀元二九九年)、賈后は計を設けて皇太子司馬遹を誣い廃して庶人となし、その二子をもあわせて金墉城に囚送した。裴頠(底本はこの字を闕く)は尚書僕射となった。庚申年(三〇〇年)改元して「永康」とした。賈后はすでに庶人に廃した太子を許昌に遷して害を加えた。趙王司馬倫・梁王司馬肜はこれを名として兵を起こし、賈后を廃して庶人となし、金墉城に送って死を賜い、あわせて宰相張華・僕射裴頠・侍中賈謐を誅殺し、また東市で石崇・潘岳らの名士を処刑した――文中に並列される嵇康・呂安は実は曹魏の末年に死んだもので、邵雍のここの係年は誤りである。司馬倫は黄鉞を受け、自ら相国と称して朝政を独断し、司馬肜をもって太宰とし、羊氏を冊立して皇后とした。賈氏の党羽趙廞は成都で地に拠って反した。

辛酉 趙王倫竊命,徙帝於金墉,改元建始。齊王冏、成都王穎、河間王顒兵入,誅趙王倫及其黨,迎帝反正。冏大司馬,專制,以穎為大將軍,顒為太尉,改元永寧。流人李特殺趙廞於成都。張軌以梁州叛。壬戌 長沙王乂、河間王顒、成都王穎、新野王歆、范陽王虓兵入,誅齊王冏,送其族於金墉,殺之。乂稱太尉,專制,改元太安。流人李特以六郡稱牧廣漢。癸亥 河間王顒、成都王穎、東海王越執長沙王乂,送之金墉,殺之。顒稱太宰,專制於長安。陸機、陸云兵死。石冰以揚、徐亂。李特攻成都不克,死,子雄繼。

辛酉年(紀元三〇一年)、趙王司馬倫は帝位を簒奪し、晋恵帝を金墉城に遷し、改元して「建始」とした。斉王司馬冏・成都王司馬穎・河間王司馬顒は兵を起こして京に入り、司馬倫とその党羽を誅殺し、恵帝を迎えて位を復した。司馬冏は大司馬となり政を専らにし、司馬穎をもって大将軍、司馬顒をもって太尉とし、改元して「永寧」とした。流民の首領李特は成都で趙廞を殺した。張軌は州に拠って自立した(底本は「梁州をもって叛く」と作るが、実は涼州刺史である)――後の前涼はすなわちこれより端を発する。壬戌年(三〇二年)、長沙王司馬乂・河間王顒・成都王穎・新野王司馬歆・范陽王司馬虓は兵を連ねて京に入り、斉王冏を誅殺し、その一族を金墉城に囚送して処刑した。司馬乂は自ら太尉と称して朝政を独り占めにし、改元して「太安」とした。李特は巴蜀六郡の流民をもって自ら益州牧と称し、広漢を占拠した。癸亥年(三〇三年)、河間王顒・成都王穎・東海王司馬越は合謀して長沙王乂を擒え執り、金墉城に送って殺害した。司馬顒は自ら太宰と称し、長安で朝廷を遥制した。名士陸機・陸雲は軍中で死んだ。石氷は揚州・徐州で乱をなした。李特は成都を攻めて克たず戦死し、その子李雄が余衆を継統した。

皇極経世書巻六中

観物篇三十三 以運経世九

経元之甲一 経会之午七

経運之辛 一百八十八

経世之子 二千二百四十五

甲子 晉惠帝十四年,河間王顒廢皇后羊氏及皇太子覃,徙之金墉,表成都王穎為太弟,加九錫,鎮鄴。改元永安。右衛將軍陳軫復羊氏皇后及覃太子,大會司徒王戎及東海王越、高密王簡、平昌公模、吳王晏、豫章王熾、襄陽王范、左僕射荀藩八部兵,奉帝北伐鄴,師敗於湯陰,嵇紹死之。帝如北軍,穎以帝歸鄴,改元建武。顒將張方入洛,復廢皇后羊氏及覃太子。安北將軍王浚、東瀛公騰以烏丸兵攻鄴,穎師敗,帝還洛陽。河間王使張方徙帝西都長安,亦復羊氏皇后及永安年號,廢穎太弟,以豫章王熾為太弟,改元永興。王戎豫朝政。始分東西臺。是年,李雄逐羅尚於成都,稱王;單于左賢王劉淵稱王離石,國曰漢,元曰元熙。

甲子年は晋恵帝在位十四年、紀元三〇四年である。河間王司馬顒は羊皇后と皇太子司馬覃を廃し、彼らを金墉城に幽禁し、上表して成都王司馬穎を立てて皇太弟とし、九錫を加えて鄴城を鎮守させ、改元して「永安」とした。右衛将軍陳眕(底本は陳軫)は羊皇后と太子司馬覃の名位を回復し、司徒王戎および東海王司馬越・高密王司馬簡・平昌公司馬模・呉王司馬晏・豫章王司馬熾・襄陽王司馬範・左僕射荀藩の八路の兵馬を糾合し、恵帝を奉じて北に鄴城を伐ったが、湯陰で大敗し、侍中嵇紹は身をもって帝を蔽い死んだ。恵帝は敵軍の中に陥り、司馬穎は彼を鄴城に連れ帰り、改元して「建武」とした。司馬顒の部将張方は洛陽に攻め入り、再度羊皇后と太子を廃黜した。安北将軍王浚・東瀛公司馬騰は烏桓の騎兵を借りて鄴城を進攻し、司馬穎は兵を敗り、恵帝はやっと洛陽に帰ることを得た。河間王はまた張方を遣わして恵帝を長安に挟往し、重ねて羊氏を立てて皇后となし、「永安」の年号を回復し、司馬穎の皇太弟の位を廃し、改めて豫章王司馬熾をもって皇太弟とし、改元して「永興」とした。王戎は朝政に参預し、朝廷は東西二台を分設し始めた。この年もまた、李雄は成都で益州刺史羅尚を追い、自ら成都王と称した。匈奴単于左賢王劉淵は離石で王を称し、国号を「漢」、年号を「元熙」とした――五胡十六国の乱局はここより端を開いた。

乙丑 東海王越嚴兵徐方,范陽王虓抗師許昌,成都王穎擁兵河間北,河間王顒又復廢羊氏皇后,以穎為大將軍,都督河北。虓、越將周權入洛,又復羊氏皇后。洛陽令何喬殺周權,又廢羊氏皇后。虓、越兵攻穎不已,穎敗,棄鄴,走洛陽。虓、越攻洛陽。穎奔顒於長安。漢劉淵攻晉劉琨於板橋,不利。丙寅 東海王越、范陽王虓兵攻長安。河間王顒、成都王穎走南山。虓、越將祁弘、宋胄以帝東還洛陽,復以羊氏為皇后,改元光熙。越稱太傅,錄尚書事,專制。虓為司空,卒。越遂弒帝,立太弟熾,是謂懷帝。引溫羨為司徒,王衍為司空。顒、穎野死。李雄稱帝成都,國曰蜀,元曰太武,謂之後蜀。

乙丑年(紀元三〇五年)、東海王司馬越は徐州で軍を整え、范陽王司馬虓は許昌を拒守し、成都王司馬穎は河北に兵を屯し、河間王司馬顒はまた羊皇后を廃黜し、司馬穎を任じて大将軍・都督河北とした。司馬虓・司馬越の部将周権は洛陽に攻め入り、重ねて羊氏を立てて皇后とした。洛陽令何喬は周権を殺し、羊后はまた廃された。虓・越は司馬穎を攻め止めず、穎は兵を敗って鄴城を棄て洛陽に逃げ、虓・越は転じて洛陽を攻め、司馬穎はただ長安の司馬顒に奔るのみであった。漢王劉淵は板橋で晋の将劉琨を進攻したが手に入れられなかった。丙寅年(三〇六年)、司馬越・司馬虓は兵を合わせて長安を進攻し、司馬顒・司馬穎は終南山の中に逃げ入った。虓・越の部将祁弘・宋冑は恵帝を護衛して東に洛陽に帰らせ、重ねて羊氏を立てて皇后とし、改元して「光熙」とした。司馬越は自ら太傅・録尚書事と称して朝政を独り占めにした。司馬虓は司空に任じるや死んだ。司馬越はすぐに恵帝を毒殺し、皇太弟司馬熾を立てて即位させた――これが晋懐帝であり、温羡を起用して司徒、王衍を司空とした。司馬顒・司馬穎もまた前後して野に横死した。十六年続いた八王の乱はここに収まった。同年李雄は成都で帝を称し、国号を「大成」、年号を「太武」とし、史は成漢と称す――すなわち文中に言う後蜀である。

丁卯 晉改元永嘉。東海王越稱大丞相,鎮許昌。以後父梁芬為太尉。成都王黨汲桑陷鄴。王彌稱兵青、徐。漢劉淵破晉河東諸郡。晉劉琨獨保晉陽。戊辰 劉淵稱帝蒲子,改元永鳳,拔晉平陽,居之。王彌、石勒附於漢。石勒攻常山,王彌攻洛陽,焚建春門。己巳 東海王越入洛,殺大臣十餘人,以左僕射山簡徵東大將軍,都督荊州,南鎮襄陽。漢劉淵改元河瑞。石勒兵出鉅鹿,王彌兵出上黨,劉聰兵出壺關,同攻晉洛陽。

丁卯年(紀元三〇七年)、晋は改元して「永嘉」とした。東海王司馬越は自ら大丞相と称し、出て許昌を鎮し、懐帝の岳父梁芬をもって太尉とした。成都王の旧部汲桑は鄴城を攻め陥した。王弥は青州・徐州で兵を起こした。漢の主劉淵は晋の河東の諸郡を攻め破った。并州刺史劉琨は晋陽を孤守し、北方に存する唯一の晋室の拠点となった。戊辰年(三〇八年)、劉淵は蒲子で帝を称し、改元して「永鳳」とし、平陽を攻め取って都をここに遷した。王弥と羯人石勒は相継いで漢国に帰附した。石勒は常山を進攻し、王弥は洛陽を進攻して建春門を焚き毀した。己巳年(三〇九年)、司馬越は洛陽に入り、一挙に朝廷の大臣十余人を誅殺し、左僕射山簡を任じて征東大将軍・都督荆州として南に襄陽を鎮した。漢は改元して「河瑞」とした。石勒は巨鹿を出、王弥は上党を出、劉聡は壺関を出て、三路で合わせて洛陽を攻めた――西晋の京師はこれより年年包囲された。

庚午 東海王越徵兵天下,諸侯咸無從者,自率兵出許昌。漢劉淵卒,子和繼。叔楚王聰殺和代立,改元光興,以北海王義為皇太弟,劉曜為相國,石勒為大將軍。辛未 天下亂。晉詔兗州苟晞會諸侯兵伐許昌,會東海王越卒,乃止。是年,洛陽陷。王衍為軍帥,王師十二敗,帝及傳國六璽皆沒於寇。長安亦陷,南陽王模亦沒於寇。漢劉曜、王彌、石勒拔晉洛陽,俘其帝於平陽,改元嘉平。劉曜拔晉長安,保之。石勒害王彌於己吾,而並其眾。蜀李雄拔晉梓潼及涪城,改元玉衡。

庚午年(紀元三一〇年)、東海王司馬越は天下に兵を徴したが、各州郡は竟に一も応じるところなく、ただ自ら所部を率いて出て許昌に屯するのみであった。漢の主劉淵が去世し、その子劉和が嗣ぎ、叔父楚王劉聡は劉和を殺して自立し、改元して「光興」とし、北海王劉乂(底本は義)を立てて皇太弟とし、劉曜をもって相国、石勒をもって大将軍とした。辛未年(三一一年)、天下は大乱した。晋廷は詔を下して兗州刺史苟晞に命じて諸侯の兵を会合させて許昌に屯する司馬越を討たせようとしたが、ちょうど司馬越が病死したので罷めた。この年洛陽が失陥した――王衍が軍を統べたが、晋軍は十二戦皆敗れ、懐帝と伝国六璽はあわせて敵の手に落ち、長安もこれに続いて陥落し、南陽王司馬模は俘ぜられた。漢の将劉曜・王弥・石勒は洛陽を攻め破り、晋懐帝を平陽に虜にし、漢は改元して「嘉平」とした――史に「永嘉の乱」と称す。劉曜はまた長安を攻め下して拠守した。石勒は己吾で王弥を害してその部衆を呑み併した。成漢の李雄は晋の梓潼・涪城を攻め取り、改元して「玉衡」とした。

壬申 晉懷帝在平陽。賈疋逐劉曜於長安三輔,與閻鼎、梁芬、梁綜、曲允共奉秦王鄴為皇太子,以入長安。鎮東將軍琅玡王睿帥亡眾大集壽春。苟晞保蒙城,不利,降於石勒。劉琨保晉陽,不利,奔常山。拓跋猗盧以兵六萬來救,大敗劉曜、劉粲於狼猛。劉琨復保陽曲。漢劉聰納劉殷女二人為皇后,孫四人為貴妃,拔晉太原,復失之。癸酉 晉懷帝死於平陽,皇太子鄴稱帝長安,是謂愍帝,改元建興。以梁芬為司徒,曲允為使持節領軍、錄尚書事,索為尚書左僕射,琅玡王睿為左丞相,都督陝東諸軍事。南陽王保為右丞相,都督陝西諸軍事。山東郡縣悉陷於寇。漢石勒鎮襄國。曹嶷攻下三齊,據有廣固。

壬申年(紀元三一二年)、晋懐帝はなお平陽に囚われていた。晋臣賈疋は劉曜を長安一帯の三輔より逐い、閻鼎・梁芬・梁綜・麴允(底本は曲允)とともに秦王司馬鄴を擁立して皇太子とし、護送して長安に入れた。鎮東将軍琅玡王司馬睿は流亡の人衆を収集し、寿春に大会した――これは東晋立国の先声である。苟晞は蒙城に拠守して失利し、石勒に降った。劉琨は晋陽を守って失利し、常山に逃げ奔った。代王拓跋猗盧は兵六万を発して救いに来て、狼猛で劉曜・劉粲を大破し、劉琨はやっと退いて陽曲を保つことを得た。漢の主劉聡は一度に劉殷の二人の娘を納れて皇后、四人の孫女を貴妃とし、荒淫度なし。彼は晋の太原を攻め下したが、すぐまた失った。癸酉年(三一三年)、懐帝は平陽で害され、皇太子司馬鄴は長安で即位した――これが晋愍帝であり、改元して「建興」とし、梁芬をもって司徒、麴允を使持節領軍・録尚書事、索綝(底本は綝字を脱す)を尚書左僕射、琅玡王司馬睿を左丞相・都督陝東諸軍事、南陽王司馬保を右丞相・都督陝西諸軍事とした。崤山以東の郡県はすべて淪陥した。漢の将石勒は襄国を鎮守した。曹嶷は斉地三郡を攻め取り、広固を占拠した。

甲戌 晉以琅玡王睿為大司馬,苟組為司空,劉琨為大將軍,封涼州張軌為太尉。西平郡王軌卒,子寔繼,稱西河王,國曰涼,元曰永興,城姑臧,是謂前涼。漢劉聰立三皇后,改元建元。劉曜圍晉長安,石勒圍晉幽州。乙亥 晉進左丞相琅蚜王睿都督中外諸軍事,右丞相南陽王保為相國,司空苟組為太尉,大將軍劉琨為司空。陶侃平江表,獲杜弢。漢劉聰立七皇后,授石勒專命俾徵,伐晉。勒拔晉濮陽。

甲戌年(紀元三一四年)、晋は琅玡王司馬睿を任じて大司馬、荀組(底本は苟組)を司空、劉琨を大将軍とし、涼州刺史張軌を太尉に封じた。西平郡王張軌が去世し、その子張寔が嗣ぎ、西河王を称し、国号を「涼」、年号を「永興」とし、姑臧を築いて都とした――これが前涼である。漢の主劉聡は一度に三人の皇后を並立させ、改元して「建元」とした。劉曜は長安を囲攻し、石勒は幽州を囲攻した。乙亥年(三一五年)、晋は左丞相琅玡王司馬睿を進封して都督中外諸軍事(底本は「琅玡」を琅蚜と譌る)とし、右丞相南陽王司馬保を相国、司空荀組を太尉、大将軍劉琨を司空とした。陶侃は江南を平定し、流民帥杜弢を擒えた。漢の主劉聡はまた七人の皇后を並立させ、あわせて石勒に専征の権を授けて晋を伐たせ、石勒は濮陽を攻め下した。

丙子 晉長安陷於寇,帝出降於豆田中。漢劉曜拔晉長安,俘其帝於平陽,改元麟嘉。石勒拔晉太原,劉琨走幽州,依段匹□。丁丑 晉帝在平陽。琅玡王睿渡江,稱晉王於建康,元曰建武。以西陽王羕為太尉,王敦為大將軍,王導都督中外。帝死於平陽。戊寅 晉王睿稱帝於建康,改元太興,以子紹為太子,是謂東晉元帝。劉琨為段匹所害。王敦稱牧荊州,王導開府建康。漢劉聰卒,子粲繼,改元漢昌。將靳準殺粲代立,相國劉曜自長安入,至赤壁,稱帝,改元光初,加大將軍勒九錫,封趙國公。國人誅靳准以迎曜。

丙子年(紀元三一六年)、長安は包囲され糧が尽きて陥落し、晋愍帝は城外の豆の畑で出て降した。漢の将劉曜は長安を攻め取り、愍帝を平陽に虜にし、漢は改元して「麟嘉」とした――西晋はここに滅亡した。石勒は太原を攻め下し、劉琨は北に幽州に走り、鮮卑の将領段匹磾(底本はこの字を闕く)に依附した。丁丑年(三一七年)、愍帝はなお平陽で辱を受けていた。琅玡王司馬睿は江を渡り、建康で晋王を称し、年号を「建武」とし、西陽王司馬羕をもって太尉、王敦を大将軍、王導を都督中外とした――これは東晋開国の張本である。愍帝はその後平陽で害された。戊寅年(三一八年)、司馬睿は建康で正式に帝を称し、改元して「太興」とし、子司馬紹を立てて太子とした――これが東晋元帝である。劉琨は段匹磾に害された。王敦は出て荊州牧となり、王導は建康で府を開いた――いわゆる「王と馬、天下をともにする」の格局はこれより形を成した。漢の主劉聡が去世し、子劉粲が嗣ぎ、改元して「漢昌」とした。大将靳准は劉粲を弑して自立した。相国劉曜は長安より東進し、赤壁に至り帝を称し、改元して「光初」とし、石勒に九錫を加えて趙国公に封じた。漢国人は靳准を殺し劉曜を迎え立てた。

己卯 晉南陽王保保祁山,稱晉王。漢劉曜還長安,改國曰趙,是謂前趙。殺石勒使者王循。石勒稱王襄國,國曰趙,元曰趙,是謂後趙。以張賓為之相,號大執法。以弟虎為之將,號元輔。庚辰 晉南陽王保走桑城,死。涼亂,殺張寔,寔弟茂代領其眾。辛巳 晉王導為司空,錄尚書事。幽州陷,段匹沒於石勒。鮮卑慕容廆受晉持節,都督遼東、遼西。

己卯年(紀元三一九年)、晋の南陽王司馬保は退いて祁山を保し、自ら晋王と称した。劉曜は長安に帰り、国号を「漢」より「趙」に改めた――史は前趙と称す。彼は石勒の使者王循を殺し、両家は遂に死敵となった。石勒はすぐに襄国で趙王を称し、国号もまた「趙」とし、年号を「趙」とした――史は後趙と称す。謀士張賓をもって相となし、号を大執法とし、その弟石虎をもって大将となし、号を元輔とした。庚辰年(三二〇年)、南陽王司馬保は桑城に逃げて身を死した。前涼は内乱し、張寔が殺され、その弟張茂が部衆を接統した。辛巳年(三二一年)、東晋は王導をもって司空・録尚書事とした。幽州が陥落し、段匹磾は石勒に擒えられた。鮮卑の首領慕容廆は晋朝の持節の命を受け、遼東・遼西を都督した――慕容氏はこれより正式に中原の政局に入った。

壬午 晉改元永昌。大將軍王導以武昌叛,破石頭,自為丞相,都督中外。太保西陽王羕進位太宰,加司空。王導進位尚書令。石虎寇太山。梁碩以淮陰叛。帝憂憤死,皇太子紹嗣位,是謂明帝。石勒拔劉曜河南。癸未 晉改元太寧。王敦假黃鉞。劉曜、石勒皆入寇。趙劉曜拔晉陳安,收隴城、陝西城及上邽;趙石勒滅晉曹嶷於廣固。涼張茂稱藩於前趙。

壬午年(紀元三二二年)、東晋は改元して「永昌」とした。大将軍王敦(底本はここ誤って王導と書く)は武昌より兵を挙げて反し、石頭城を攻め破り、自ら丞相・都督中外に任じた。太保西陽王司馬羕は位を進めて太宰に司空を加え、王導は位を進めて尚書令となった。石虎は泰山を侵し、梁碩は淮陰に拠って反した。晋元帝は憂憤で死に、皇太子司馬紹が嗣いだ――これが晋明帝である。石勒は劉曜の河南の地を攻め取った。癸未年(三二三年)、東晋は改元して「太寧」とし、王敦は黄鉞を受け、権勢はいよいよ盛んとなった。劉曜・石勒はともに兵を出して南侵した。前趙の劉曜は晋の将陳安を撃破し、隴城・陝西城と上邽を収め取った。後趙の石勒は広固で晋に親しい曹嶷を消滅した。前涼の張茂は改めて前趙に藩を称して自らを保った。

甲申 晉王敦寇江寧,帝御六軍,敗敦于越城。敦死於蕪湖。王導為太保。蜀李雄以兄之子班為太子。涼張茂卒,兄子駿立,改元太光。乙酉 晉以子衍為皇太子。石勒入寇。以陶侃為徵西大將軍,都督荊、湘、梁、雍。明帝終,太子衍嗣位。是謂成帝。太后庾氏稱制,司徒王導錄尚書事,同中書令庾亮輔政。遼西亂,段遼殺其主自立。趙石勒拔晉荊、兗、豫三州,及劉曜新安、許昌。

甲申年(紀元三二四年)、王敦は再度兵を挙げて江寧に逼り、晋明帝は自ら六軍を統べて越城で王敦の軍を破り、王敦は憂病して蕪湖で死に、叛乱は平息した。王導は太保に昇任した。成漢の李雄は兄の子李班を立てて太子とした。前涼の張茂が去世し、その兄の子張駿が嗣ぎ、改元して「太元」(底本は太光)とした。乙酉年(三二五年)、東晋は皇子司馬衍を立てて皇太子とした。石勒は南侵し、晋は陶侃をもって征西大将軍として荊・湘・梁・雍四州を都督した。明帝が去世し、太子司馬衍が嗣いだ――これが晋成帝であり、年幼により庾太后が朝に臨み制を称し、司徒王導が録尚書事となり、中書令庾亮とともに政を輔佐した。遼西は内乱し、段遼はその主を殺して自立した。後趙の石勒は東晋の荊・兗・豫三州を攻め取り、また前趙劉曜の新安・許昌を奪い得た。

丙戌 晉改元咸和,進王導大司馬,假黃鉞,都督中外軍事。蜀李雄攻晉涪城,趙石勒攻晉汝南。丁亥 晉豫州祖約、歷陽蘇峻、彭城王雄、章武王休連兵犯建業,司馬流拒戰,不克,死於慈湖。戊子 晉蘇峻敗王師於西陵,入宮,稱驃騎將軍。錄尚書事,徙帝於石頭。虞潭、庾冰、王舒稱義三吳,會征西將軍陶侃、平南將軍溫嶠、平北將軍魏該圍峻於白石,滅之。峻弟逸代總其眾。韓晃寇宣城,祖約奔石勒。大敗劉曜於洛陽,獲之,遂滅前趙。以徐光為中書令。

丙戌年(紀元三二六年)、東晋は改元して「咸和」とし、王導を進めて大司馬とし、黄鉞を受け、中外の軍事を都督した。成漢の李雄は晋の涪城を進攻し、後趙の石勒は晋の汝南を進攻した。丁亥年(三二七年)、豫州刺史祖約・歴陽内史蘇峻は彭城王司馬雄・章武王司馬休と連合して兵を挙げて建業を進犯し、晋の将司馬流は迎戦するも利あらず、慈湖で戦死した。戊子年(三二八年)、蘇峻は西陵で晋軍を敗り、宮城に攻め入り、自ら驃騎将軍・録尚書事と称し、成帝を石頭城に挟持した。虞潭・庾氷・王舒は三呉の地で義兵を起こし、征西将軍陶侃・平南将軍温嶠・平北将軍魏該とともに蘇峻を白石に合囲してこれを消滅した。蘇峻の弟蘇逸は余衆を接統し、部将韓晃は宣城を侵し、祖約は北に逃げて石勒に奔った。同年後趙は洛陽で前趙の劉曜を大敗させこれを生擒し、前趙は遂に亡び、石勒は徐光をもって中書令とした。

己丑 晉蘇逸拔石頭,帝野次。滕含敗逸於石頭。逸退保吳興。王允之敗逸於溧陽,滅之。趙(闕)安。石虎破上邽,殺劉熙、劉胤三千人。庚寅 晉陸玩、孔愉為左右僕射。起新宮於苑,陶侃擒郭默於潯陽。蜀李雄攻晉巴東。涼張駿稱藩於石勒。趙石勒稱帝,自襄國徙都鄴,改元建平。辛卯 晉以陸玩為尚書令。

己丑年(紀元三二九年)、蘇逸は石頭城を攻め下し、晋成帝は一たび外に露宿した。晋の将滕含は石頭城で蘇逸を敗り、蘇逸は退いて呉興を保し、王允之はまた溧陽で彼を殲滅した。後趙の一句は底本に闕文があり、「趙(闕)安」の三字のみ存するが、記すところはまさに石虎の西征の役であろう――石虎は上邽を攻め破り、前趙の劉熙・劉胤ら三千余人を殺し、前趙の残部はここに掃い尽くされた。庚寅年(三三〇年)、東晋は陸玩・孔愉をもって左右僕射とし、苑の中に新宮を営建した。陶侃は潯陽で叛将郭黙を擒えた。成漢の李雄は晋の巴東を進攻した。前涼の張駿は改めて石勒に藩を称した。後趙の石勒は正式に帝を称し、都を襄国より鄴に遷し、改元して「建平」とした。辛卯年(三三一年)、東晋は陸玩をもって尚書令とした。

壬辰 晉徙居新宮,進太尉陶侃大將軍。趙石勒卒,子弘繼,改元延熙,加石虎九錫,專政,稱丞相魏(王),殺中書令徐光及右長史程遐。癸巳 晉遼東公慕容廆卒,子皝繼。蜀李雄卒,子班繼,叔父壽專政。趙亂,石弘出奔譙城。石朗稱兵洛陽,石生抗軍長安,石虎咸滅之。

壬辰年(紀元三三二年)、晋成帝は新宮に遷入し、太尉陶侃を進めて大将軍とした。後趙の石勒が去世し、その子石弘が嗣ぎ、改元して「延熙」とした。石虎は九錫を加賜され、朝政を独り占めにし、自ら丞相魏王と称した(底本の「王」の字は校者の補うところ)、あわせて中書令徐光と右長史程遐という二名の顧命の臣を殺した。癸巳年(三三三年)、東晋の封ぜる遼東公慕容廆が去世し、その子慕容皝が嗣いだ。成漢の李雄が去世し、その子李班が嗣ぎ、叔父李寿が政を専らにした。後趙は大乱し、石弘は譙城に出奔した。石朗は洛陽で兵を起こし、石生は長安で軍を擁して命に抗したが、皆石虎に逐一に消滅された。

経世之丑 二千二百四十六

甲午 東晉成帝九年。蜀李班為庶兄越所殺,立雄子期,改元玉恆,越專政。涼張駿受晉大將軍命。乙未 晉改元咸康。石虎入寇,假大司馬王導黃鉞,出兵戍慈湖、牛渚、蕪湖。趙亂,石虎殺弘代立,稱攝天王,改元建武。丙申。丁酉 鮮卑慕容皝稱王遼東,趙石虎稱趙天王。

甲午年は東晋成帝在位九年、紀元三三四年である。成漢の李班は庶兄李越に殺され、改めて李雄の子李期が立てられ、改元して「玉恒」とし、李越が権を専らにした。前涼の張駿は東晋の授ける大将軍の職を受けた。乙未年(三三五年)、東晋は改元して「咸康」とした。石虎は南侵し、朝廷は大司馬王導に黄鉞を授け、兵を出して慈湖・牛渚・蕪湖の三つの江防要地を屯守させた。後趙は内乱し、石虎は石弘を殺して自立し、摂政天王を称し、改元して「建武」とした。丙申年(三三六年)は記すべきことなし。丁酉年(三三七年)、鮮卑の慕容皝は遼東で燕王を称し、前燕はこれより国を立てた。後趙の石虎は改称して大趙天王とした。

戊戌 單于冒頓拓跋什翼犍稱王定襄,國曰代,元曰建國。蜀亂,李壽自漢中入,殺期代立,改國為漢,元曰漢興。慕容皝攻後趙。己亥 晉王導卒。伐蜀。庚子 晉陸玩為司空。遼東慕容皝獻伐石虎之捷。漢李壽拔晉丹州。辛丑 晉慕容皝求為假燕王,徙居和龍。

戊戌年(紀元三三八年)、鮮卑拓跋部の首領拓跋什翼犍は定襄で王を称し、国号を「代」、年号を「建国」とした――これが後の北魏の前身である(底本は匈奴冒頓単于に係するが、当時の北族源流についての旧説である)。成漢は内乱し、李寿は漢中より兵を率いて成都に入り、李期を殺して自立し、国号を「漢」と改め、改元して「漢興」とした。慕容皝は兵を出して後趙を進攻した。己亥年(三三九年)、東晋の名相王導が去世した。晋は兵を出して蜀を伐った。庚子年(三四〇年)、東晋は陸玩をもって司空とした。遼東の慕容皝は晋廷に石虎討伐の捷報を進献した。李寿は晋の丹州を攻め取った。辛丑年(三四一年)、慕容皝は晋廷に正式に燕王の封号を授けるよう請い、治所を和竜に遷した。

壬寅 晉成帝崩,母弟琅玡王嶽立,是謂康帝。封成帝二子丕為琅玡王,弈為東海王。中書監庾冰、中書令何充參錄尚書事,諸葛恢輔政。漢李壽卒,子勢繼,改元太和。癸卯 晉改元建元。甲辰 晉康帝崩,太子聃繼,是謂穆帝。太后稱制。趙石虎伐涼,不利;伐燕,有功。乙巳 晉改元永和。會稽王昱為撫軍大將軍,錄尚書六條事,專政。

壬寅年(紀元三四二年)、晋成帝が去世し、同母弟の琅玡王司馬岳が嗣いだ――これが晋康帝であり、成帝の二子司馬丕を琅玡王、司馬奕を東海王に封じた。中書監庾氷・中書令何充が録尚書事に参し、諸葛恢が政を輔佐した。成漢の李寿が去世し、その子李勢が嗣ぎ、改元して「太和」とした。癸卯年(三四三年)、東晋は改元して「建元」とした。甲辰年(三四四年)、康帝が去世し、太子司馬聃が嗣いだ――これが晋穆帝で、年まだ二歳、褚太后が朝に臨み制を称した。後趙の石虎は西に前涼を伐って失利し、北に前燕を伐っては斬獲するものがあった。乙巳年(三四五年)、東晋は改元して「永和」とし、会稽王司馬昱は撫軍大将軍・録尚書六条事となり、朝政を執り始めた。

丙午 晉桓溫伐蜀。漢李勢平李弈,改元嘉寧。涼張駿卒,子重華繼,改元永樂。趙石虎攻涼金城。丁未 晉桓溫滅蜀,徙李勢於建康。蜀復亂,範賁稱帝成都。涼張重華敗石虎於枹罕。戊申 晉桓溫為徵西大將軍,入長安,至於灞上。遼東慕容皝卒,子雋繼。趙石虎攻晉竟陵。

丙午年(紀元三四六年)、東晋の荊州刺史桓温は兵を出して蜀を伐った。成漢の李勢は李弈の乱を平定し、改元して「嘉寧」とした。前涼の張駿が去世し、その子張重華が嗣ぎ、改元して「永楽」とした。後趙の石虎は前涼の金城を進攻した。丁未年(三四七年)、桓温は成漢を滅ぼし、李勢を建康に遷し、桓温の声威はこれにより大いに振るった。蜀地は再び乱れ、范賁は成都で帝を称した。前涼の張重華は枹罕で石虎の軍を破った。戊申年(三四八年)、桓温は征西大将軍に昇任し、軍を率いて関に入り長安近郊の灞上に直抵した(案ずるにこの役は実は数年後のこと、邵雍はこの年に係す)。遼東の慕容皝が去世し、その子慕容儁が嗣いだ。後趙の石虎は晋の竟陵を進攻した。

己酉 晉平蜀亂。鮮卑慕容雋稱王遼東,國曰燕,元曰燕元,是謂前燕。趙石虎稱帝,改元太寧。虎卒,子世繼,張豺為相,專制。內難作,石遵自關右入,殺世及張豺,代立。石冰自薊門入,殺遵不克。石閔殺遵,立石鑑,改元青龍,閔稱大將軍,專政。苻洪稱兵廣川。

己酉年(紀元三四九年)、東晋は蜀地の余乱を平定した。鮮卑の慕容儁は遼東で王を称し、国号を「燕」、年号を「燕元」とした――これが前燕である。後趙の石虎は帝を称し、改元して「太寧」としたが、すぐに去世し、幼子石世が嗣ぎ、張豺が相となり大権を独り占めにした。石氏の諸子の内訌は相継いで爆発した――石遵は関右より鄴に入り、石世と張豺を殺して自立した。石氷は薊門より鄴に入り石遵を謀殺しようとして成らず。漢人出身の養孫石閔――すなわち冉閔――は石遵を殺して改めて石鑑を立て、改元して「青龍」とし、自ら大将軍を称して朝政を専擅した。氐帥苻洪は広川で兵を起こし、前秦の勢いはこれより萌した。

庚戌 趙石鑑殺大將軍閔及李農,不克。閔殺鑑,代立,複姓冉氏,改國曰魏,元曰永興,大滅石氏宗室。鑑弟祗稱帝襄國,以將劉顯南攻冉氏,不克,殺祗以降。閔破襄國,誅顯,滅其族。將苻健自枋頭入關,逐杜洪於長安,據之。將魏統以兗州,冉遇以豫州,樂弘以荊州,鄭繫以洛州,入於晉。劉淮以幽州入於燕。燕南略地至幽、冀。

庚戌年(紀元三五〇年)、後趙の石鑑は大将軍石閔と李農を誅殺することを図ったが得手せず、石閔は反対に石鑑を殺して自立し、本姓の冉に復し、国号を「魏」、年号を「永興」と改め、あわせて石氏の宗室を大いに屠滅した――史は冉魏と称す。石鑑の弟石祗は襄国で帝を称し、部将劉顕を遣わして南下して冉魏を攻めさせたが、兵を敗り、劉顕は便り石祗を殺して投降した。冉閔は進んで襄国を破り、劉顕を誅しその族を滅ぼした――後趙はここに覆亡した。氐帥苻健は枋頭より関に入り、長安を占拠する杜洪を追い、関中を拠有した。後趙の旧将魏統は兗州をもって、冉遇は豫州をもって、楽弘は荊州をもって、鄭系は洛州をもって東晋に帰附し、劉准(底本は劉淮)は幽州をもって前燕に帰附した。前燕は勢いに乗じて南下し、幽州・冀州の地を攻め取った。

辛亥 趙將周成以廩丘,高昌以野王,樂立以許昌,李歷以衛州,請附於晉。劉啟、姚弋仲亦奔於晉。魏冉閔攻燕不利,死,國亡。石虎將苻健稱天王於長安,國曰秦,元曰皇始,是謂前秦,敗晉軍於五丈原。燕慕容雋南伐魏,滅冉閔於昌城。壬子 晉武陵王晞為太宰,會稽王昱為司徒,大將軍桓溫為太尉。魏冉智以鄴降燕,慕容雋稱帝,自和龍徙居中山,改元天璽。秦苻健稱帝長安。

辛亥年(紀元三五一年)、後趙の旧将周成は廩丘に拠り、高昌は野王に拠り、楽立は許昌に拠り、李暦は衛州に拠り、紛々として東晋への帰附を請い、劉啓・姚弋仲もまた晋朝に奔った――河北は一時群竜首なしとなった。冉魏の冉閔は前燕を進攻して失利し、兵を敗って殺され、冉魏は国を亡んだ。石虎の旧将苻健は長安で天王を称し、国号を「秦」、年号を「皇始」とした――これが前秦であり、あわせて五丈原で晋軍を破った。前燕の慕容儁は南に冉魏を伐ち、昌城で冉閔の勢力を消滅した。壬子年(三五二年)、東晋は武陵王司馬晞をもって太宰、会稽王司馬昱を司徒、大将軍桓温を太尉とした。冉魏の太子冉智は鄴城をもって燕に降り、慕容儁は遂に帝を称し、都を和竜より中山に遷し、改元して「天璽」とした。前秦の苻健もまた長安で帝を称した。

癸丑 涼秦相攻。涼張重華卒,子曜靈繼,伯父祚殺曜靈代立,改元和平。甲寅 晉太尉桓溫伐秦,至灞上。秦苻健敗晉軍於白鹿原,又敗之於子午谷。乙卯 晉將段龕敗燕軍於狼山。右軍王羲之辭官歸。涼宋混、張瓘殺張祚,立曜靈弟玄靚,改元大始。燕南攻晉,不利。秦苻健卒,子生繼。

癸丑年(紀元三五三年)、前涼と前秦は互いに攻伐した。前涼の張重華が去世し、その子張曜霊が嗣いだが、伯父張祚は曜霊を殺して自立し、改元して「和平」とした。甲寅年(三五四年)、東晋の太尉桓温は北に前秦を伐ち、長安近郊の灞上に進抵したが、終に糧が尽きて退いた。前秦の苻健は白鹿原で晋軍を破り、また子午谷で晋師を再び敗った。乙卯年(三五五年)、晋の将段龕は狼山で燕軍を破った。右軍将軍王羲之は官を辞して帰隠した。前涼の宋混・張瓘は張祚を殺し、改めて張曜霊の弟張玄靚を立て、改元して「太始」とした。前燕は南に東晋を攻めて失利した。前秦の苻健が去世し、その子苻生が嗣いだ。

丙辰 晉桓溫敗姚襄軍於伊水,遂復洛陽。秦苻生改元壽光。丁巳 晉改元昇平,帝加元服。王彪之為左僕射。燕改元光壽,自中山徙都鄴。秦苻生虐用其人,雄子堅殺生代立,去帝號,稱天王,改元永興,以王猛、呂婆、樓強、汪梁、平老為之輔。戊午 晉將馮鴦以眾入於燕。燕拔晉上黨。

丙辰年(紀元三五六年)、桓温は伊水で羌帥姚襄を破り、洛陽を収復した。前秦の苻生は改元して「寿光」とした。丁巳年(三五七年)、東晋は改元して「升平」とし、穆帝は冠礼を行い政を親しくし、王彪之は左僕射となった。前燕は改元して「光寿」とし、都を中山より鄴に遷した。前秦の苻生は残虐に民を虐げ、苻雄の子苻堅は苻生を殺して自立し、帝号を去ってただ天王を称し、改元して「永興」とし、王猛および呂婆楼・強汪・梁平老らを任用して輔佐とした(底本は「呂婆・楼強・汪梁・平老」と断じるが、人名に誤りがある)。戊午年(三五八年)、晋の将馮鸯は部を率いて前燕に投附した。前燕は晋の上党を攻め取った。

己未 晉伐燕不利,燕敗晉於東阿。秦改元甘露,以王猛為中書令,尹京兆。庚申 晉仇池公楊駿卒,子世繼。燕慕容雋卒,子繼,改元建熙,慕容恪為太宰,專政。慕容評為太傅。慕容根為太師,慕容垂為河南大都督。根作逆伏誅。辛酉 晉穆帝終,立成帝子琅玡王丕,是謂哀帝。壬戌 晉改元隆和。燕師攻晉洛陽。癸亥 晉改元興寧。桓溫為大司馬,假黃鉞,都督中外軍事,北伐。涼張天錫殺玄靚代立,改元太清。燕將慕容評攻晉許昌。

己未年(紀元三五九年)、東晋は燕を伐って失利し、燕軍は東阿で晋師を破った。前秦は改元して「甘露」とし、王猛をもって中書令兼京兆尹とした――秦政はこれより漸く軌道に上った。庚申年(三六〇年)、東晋の封ぜる仇池公楊駿が去世し、その子楊世が嗣いだ。前燕の慕容儁が去世し、その子慕容暐が嗣いだ(底本は暐の字を脱す)、改元して「建熙」とし、慕容恪を太宰として政を主り、慕容評を太傅、慕容根を太師、慕容垂を河南大都督とした。慕容根は謀逆して誅に伏した。辛酉年(三六一年)、晋穆帝が去世し、改めて成帝の子琅玡王司馬丕を立てた――これが晋哀帝である。壬戌年(三六二年)、東晋は改元して「隆和」とし、燕軍は晋の洛陽を進攻した。癸亥年(三六三年)、東晋は改元して「興寧」とし、桓温は大司馬となり、黄鉞を受け、中外の軍事を都督し、師を出して北伐した。前涼の張天錫は張玄靚を殺して自立し、改元して「太清」とした。燕の将慕容評は晋の許昌を進攻した。

経世之寅 二千二百四十七

甲子 東晉哀帝三年,餌丹,有疾,太后稱制。燕、秦入寇洛陽。乙丑 晉哀帝終於餌丹,母弟琅玡王弈立。洛陽陷於燕。司馬勳以梁州叛,稱成都王。秦改元建元。匈奴左右賢王以朔方叛,平之。丙寅 晉改元太和。會稽王昱為丞相。燕、秦入寇。涼張天錫受晉命,大將軍都督隴右。燕拔晉魯郡。秦拔晉南鄉。

甲子年は東晋哀帝在位三年、紀元三六四年である。哀帝は丹薬を服食して毒され病み、褚太后は再度朝に臨み制を称した。前燕・前秦は同時に洛陽を入寇した。乙丑年(三六五年)、哀帝は終に丹薬を服食したことにより死に、同母弟の琅玡王司馬奕が嗣いだ。洛陽は前燕に陥ちた。梁州刺史司馬勲は反して自ら成都王を称した。前秦は改元して「建元」とした。匈奴の左右賢王は朔方に拠って秦に叛いたが、すぐに平定された。丙寅年(三六六年)、東晋は改元して「太和」とし、会稽王司馬昱は丞相となった。燕・秦はなお入寇を続けた。前涼の張天錫は晋朝の任命を受けて大将軍・都督隴右となった。前燕は晋の魯郡を攻め取り、前秦は晋の南郷を攻め取った。

丁卯 燕攻晉竟陵,秦攻晉涼州。戊辰 秦苻雙以上邽、苻柳以蒲坂叛,王猛悉平之。己巳 晉大司馬桓溫北伐燕,不利,歸罪袁真。袁真以壽陽入於燕。燕大將慕容垂敗晉師於枋頭,以眾降秦,評害功故也。秦救燕有功,取燕之金墉,責無信也。

丁卯年(紀元三六七年)、前燕は晋の竟陵を進攻し、前秦は晋の涼州を進攻した。戊辰年(三六八年)、前秦の宗室苻双は上邽に拠り、苻柳は蒲坂に拠って反したが、皆王猛に平定された。己巳年(三六九年)、東晋の大司馬桓温は北に前燕を伐って失利し、戦敗の責めを部将袁真に推し委ねた。袁真は憤りをもって寿陽をもって燕に降った。燕の将慕容垂は枋頭で晋軍を大敗させたが、太傅慕容評の功を妬む加害のため、ただ部を率いて前秦に奔るのみであった。前秦は兵を出して燕を救い功があったが、事後燕の金墉城を奪い取った――その理由は燕が先の割地の許諾を背負ったからである。

庚午 晉壽陽袁真卒,子瑾繼。桓溫敗瑾於壽陽。廣漢及成都寇亂。王猛滅燕於鄴,徙慕容於長安,收郡五十七。猛留鎮鄴。辛未 晉桓溫平壽陽,獲袁瑾以歸,廢其君弈為海西王,立會稽王昱,改元咸安,是謂文帝,溫稱丞相,鎮姑熟,專制,殺太宰武陵王晞、新蔡王晃,仍降海西王為公,及害其二子與母。

庚午年(紀元三七〇年)、寿陽に拠る袁真が去世し、その子袁瑾が任を継ぎ、桓温は寿陽で袁瑾を破った。広漢・成都一帯に民変が起こった。前秦の王猛は鄴城で前燕を滅ぼし、燕の主慕容暐を長安に遷し、郡県五十七を収め得た――王猛は留まり鄴城を鎮し、北方の大半は秦に帰した。辛未年(三七一年)、桓温は寿陽を平定し、袁瑾を擒えて朝に帰り、すぐに晋帝司馬奕を廃して海西王とし、改めて会稽王司馬昱を立て、改元して「咸安」とした――すなわち晋簡文帝である。桓温は自ら丞相を称し、出て姑熟を鎮して朝政を遥制し、太宰武陵王司馬晞と新蔡王司馬晃を殺し、また海西王を降して海西公とし、あわせて彼の二子およびその母を害した。

壬申 晉命百濟餘句為鎮東將軍,領樂浪守。庾希以海陵叛,入於京口。文帝昱終,子曜嗣,是謂武帝。桓溫還姑熟。秦王猛平慕容桓於遼東,滅仇池公楊纂於秦州。癸酉 晉改元寧康。大司馬桓溫卒,太后稱制,王彪之為尚書令,謝安為尚書僕射,專制。張天錫貢方物。秦拔晉成都及梓潼。

壬申年(紀元三七二年)、東晋は百済王余句を任命して鎮東将軍・領楽浪太守とした。庾希は海陵に拠って反し、京口に攻め入った。簡文帝司馬昱が去世し、その子司馬曜が嗣いだ――これが晋孝武帝である。桓温は姑熟に退還した。前秦の王猛は遼東で燕の将慕容桓を平定し、また秦州で仇池公楊纂を滅ぼした。癸酉年(三七三年)、東晋は改元して「寧康」とした。大司馬桓温が去世し、簒位の危は遂に解けた。崇徳太后が朝に臨み制を称し、王彪之は尚書令、謝安は尚書僕射となり、ともに朝政を秉った。前涼の張天錫は晋に方物を進貢した。前秦は晋の成都と梓潼を攻め取った。

甲戌 晉桓石破秦軍於墊江。張育稱王於蜀,秦復平之。乙亥 秦大將軍王猛卒。丙子 晉改元太元,帝加元服。皇太后委政桓沖,桓豁為將軍,謝安為尚書鑑,錄尚書事。秦滅前涼,徙張天錫於姑臧,又平朔方,獲拓跋什翼犍,徙之長安。丁丑 晉秦二國抗衡天下。

甲戌年(紀元三七四年)、晋の将桓石虔は墊江で秦軍を破った。張育は蜀地で王を称したが、また前秦に平定された。乙亥年(三七五年)、前秦の大将軍・丞相王猛が去世し、苻堅はこれより柱石を失った。丙子年(三七六年)、東晋は改元して「太元」とし、孝武帝は冠礼を行い政を親しくした。崇徳太后は政を帰し、桓冲をもって兵を主らせ、桓豁を将軍、謝安を尚書監・録尚書事とした。前秦は前涼を滅ぼし、張天錫を姑臧より遷し去り、また朔方を平定し、代王拓跋什翼犍を俘えて長安に遷した――北方はここに尽く苻堅に併せられた。丁丑年(三七七年)、天下は遂に晋・秦の南北対峙の局となった。

戊寅 晉作新宮。己卯 晉敗秦軍於淮南,遂拔秦襄陽。庚辰 晉李遜以交阯叛,秦苻洛以和龍叛。辛巳 晉謝石為尚書僕射。桓石攻秦有功。四夷六十二國修貢於秦。壬午。癸未 晉伐蜀,敗秦軍於武當。秦苻堅舉國南伐。晉謝安帥謝琰、謝玄、桓沖、桓伊大敗秦師於肥水,進圍洛陽。秦苻堅喪師壽陽,秦苻融沒於戰,諸將咸叛。慕容垂稱王滎陽,北居中山,國曰燕,元曰燕元,是謂後燕。攻苻丕於鄴。丁零翟斌以行唐叛。仇池公楊世入於晉。

戊寅年(紀元三七八年)、東晋は新宮を営建した。己卯年(三七九年)、晋・秦両軍は淮南で交鋒し、襄陽が手を易えた(この年実は前秦が晋の襄陽を攻め取ったもので、底本は主客を互いに倒す)。庚辰年(三八〇年)、晋の将李遜は交趾に拠って反し、前秦の宗室苻洛は和竜に拠って反した。辛巳年(三八一年)、東晋は謝石をもって尚書僕射とし、桓石虔は秦を攻めて功があった。四方六十二国は前秦に納貢し、苻堅の声勢は極めて盛んだった。壬午年(三八二年)は記すべきことなし。癸未年(三八三年)、晋は兵を出して蜀を伐ち、武陽で秦軍を破った(底本は武当と作る)。苻堅は全国の力を傾けて南伐し、謝安は謝琰・謝玄・桓冲・桓伊らを統べて秦軍を淝水で大破し、勝に乗じて進んで洛陽を囲んだ。苻堅は寿陽で師を喪い、その弟苻融は戦死し、諸将は紛々として叛離した――慕容垂は滎陽で王を称し、北に中山を拠り、国号を「燕」、年号を「燕元」とした。これが後燕であり、あわせて鄴城を拠守する苻丕を進攻した。丁零人の翟斌は行唐で兵を起こした。仇池公楊世もまた東晋に帰附した。

甲申 晉假謝安黃鉞,都督軍事,鎮廣陵,領荊、江十五州,復襄陽。秦苻朗以青州降,秦苻堅來,乞師,遣劉牢之救鄴。秦將姚萇稱王萬年,國曰秦,元曰白雀,是謂後秦。慕容沖稱王阿房,慕容泓稱王華池,慕容永稱王長子,呂光稱王酒泉。萇、沖稱兵進逼長安。燕北伐高句麗,復遼東故也。

甲申年(紀元三八四年)、東晋は謝安に黄鉞・都督諸軍事を授け、出て広陵を鎮し、荊・江等十五州を統領し、襄陽を収復した。前秦の苻朗は青州をもって晋に降った。苻堅は使いを遣わして晋に援を乞い、晋は劉牢之を遣わして鄴を救った。前秦の羌将姚萇は万年で王を称し、国号を「秦」、年号を「白雀」とした――これが後秦である。慕容冲は阿房で王を称し、慕容泓は華池で王を称し、慕容永は長子で王を称し、呂光は酒泉で王を称した――淝水の一戦の後、苻堅の統一した北方は頃刻に瓦解した。姚萇・慕容冲は各々兵を挙げて長安に逼った。後燕は北に高句麗を伐ち、遼東の旧地を収復せんとした。

乙酉 晉謝安救秦,至於長安,復洛陽而還,卒。秦苻堅沒於姚萇,子丕自鄴攻晉陽,稱帝,改元太安。慕容沖屠長安。秦將乞伏國仁稱牧洮罕,國曰秦,元曰建義,是謂西秦。燕慕容垂南平鄴,徙都之。秦姚萇獲苻堅於五將山,歸殺之於新市。是年,冒頓拓跋什翼珪稱王定襄之成樂,國曰魏,元曰登國,是謂後魏道武皇帝。

乙酉年(紀元三八五年)、東晋は兵を出して秦を救い、長安一帯に進み、洛陽を収復して班師した。謝安もまたこの年に去世した。前秦の苻堅は姚萇の手に落ち、その子苻丕は鄴城より出て晋陽を撃ち、続いて帝を称し、改元して「太安」とした。慕容冲は長安に攻め入り大いに屠戮した。前秦の将領乞伏国仁は自ら牧守を称し(底本は洮罕と作るが、その地は実は苑川にある)、国号を「秦」、年号を「建義」とした――これが西秦である。後燕の慕容垂は南下して鄴城を平定し、都をここに遷した。姚萇は五将山で苻堅を擒え、押して新平に帰らせて縊殺した(底本は新市と作る)。この年もまた、拓跋珪は定襄の盛楽で王を称し、国号を「魏」、年号を「登国」とした――すなわち北魏道武皇帝であり、後日北方を統一する力はここより端を発した。

丙戌 秦苻丕為慕容永所敗,走晉東垣,為晉將馮該所殺。其眾奔杏城。苻登稱帝於隴東,改元太初。苻堅將呂光稱牧姑臧,國曰涼,元曰太安,是謂後涼。燕慕容垂稱帝於鄴,改元建興。慕容沖為將段隨、韓延所害,其眾奔垂。慕容永稱帝長子。秦姚萇稱帝,徙居長安,改元建初。

丙戌年(紀元三八六年)、前秦の苻丕は慕容永に敗れ、東晋境内の東垣に逃げ入り、晋の将馮該に殺され、部衆は潰れて杏城に奔った。苻登は隴東で帝を称し、改元して「太初」とし、前秦の国祚を延続した。苻堅の旧将呂光は姑臧で自ら涼州牧を称し、国号を「涼」、年号を「太安」とした――これが後涼である。後燕の慕容垂は鄴で帝を称し、改元して「建興」とした。慕容冲は部将段随・韓延に害され、余衆は慕容垂に奔った。慕容永は長子で帝を称した――これが西燕である。後秦の姚萇は帝を称し、長安に遷居し、改元して「建初」とした。この年北方は数国が並立し、形勢は最も紛乱した。

丁亥 晉以子德宗為太子,敗翟遼於洛口。秦苻登東攻姚萇,封乞伏國仁為苑川王。戊子 秦苻登攻姚萇不利,秦乞伏國仁卒,弟乾歸立,稱河南王,改元太初,徙都金城。己丑 晉陸納為尚書令。彭城妖賊亂。翟遼圍滎陽。秦姚萇西攻苻登。涼呂光稱三河王,改元麟嘉。

丁亥年(紀元三八七年)、東晋は皇子司馬徳宗を立てて太子とし、洛口で丁零の翟遼を破った。前秦の苻登は東に姚萇を攻め、西秦の乞伏国仁を苑川王に封じて奥援とした。戊子年(三八八年)、苻登は姚萇を攻めて失利した。西秦の乞伏国仁が去世し、その弟乞伏乾帰が嗣いで河南王を称し、改元して「太初」とし、都を金城に遷した。己丑年(三八九年)、東晋は陸納をもって尚書令とした。彭城に妖術をもって衆を聚める者が乱をなした。翟遼は滎陽を囲攻した。後秦の姚萇は西に苻登を攻めた。後涼の呂光は自ら三河王を称し、改元して「麟嘉」とした。

庚寅 晉敗翟遼於滑臺。永嘉寇亂。秦苻登攻姚萇不利。辛卯 晉王珣為左僕射,謝琰為右僕射。壬辰 晉蔣喆以青州亂。慕容垂平丁零翟釗於滑臺。西秦乞伏乾歸開地至巴及隴。癸巳 秦苻登攻姚萇,不利。秦姚萇卒,子興繼,去帝稱王。

庚寅年(紀元三九〇年)、晋軍は滑台で翟遼を破った。永嘉一帯に寇乱が起こった。前秦の苻登は姚萇を攻めてまた失利した。辛卯年(三九一年)、東晋は王珣をもって左僕射、謝琰を右僕射とした。壬辰年(三九二年)、蒋喆は青州で乱をなした。後燕の慕容垂は滑台で丁零の翟釗を平定し、翟魏は滅亡した。西秦の乞伏乾帰は疆土を開拓し、東は巴地に至り、北は隴右に抵った。癸巳年(三九三年)、苻登は再び姚萇を攻めてまた利あらず。後秦の姚萇が去世し、その子姚興が嗣ぎ、しばらく帝号を去りただ王を称した。

経世之卯 二千二百四十八

甲午 東晉孝武帝二十二年,後魏道武皇帝十年,秦苻登攻姚興不利,戰死,子崇立,奔湟中,稱帝,改元延初,為乞伏乾歸所滅。燕慕容垂平慕容永於長子。秦姚興復稱帝槐裡,改元皇初。涼呂光徙居樂都。乙未 燕慕容垂攻魏,不利。魏破燕師於參合陂。

甲午年は東晋孝武帝在位二十二年、北魏道武帝十年、紀元三九四年である。前秦の苻登は姚興を進攻して失利し戦死し、その子苻崇が嗣いで湟中に逃げて帝を称し、改元して「延初」としたが、すぐに西秦の乞伏乾帰に滅ぼされ、前秦は国を亡んだ。後燕の慕容垂は長子で西燕の慕容永を消滅した。後秦の姚興は槐里で帝号を回復し、改元して「皇初」とした。後涼の呂光は治所を楽都に遷した。乙未年(三九五年)、後燕の慕容垂は北魏を攻めて失利し、北魏は参合陂で燕軍を大破し、降卒数万を坑殺した――燕・魏の強弱の勢いはこれより逆転した。

丙申 晉武帝泛舟於泉池,沒,太子德宗嗣位,是謂安帝。會稽王道子專政。燕慕容垂拔魏平城。垂卒於上谷,子寶繼,改元永康。太原陷於魏。魏拔燕幷州,圍中山,稱帝,改元皇始。涼呂光稱天王,改元龍飛。丁酉 晉改元隆安。兗州王恭、豫州庾楷、吳郡王欽各以城叛。燕慕容寶北走龍城。慕容詳稱帝中山,慕容麟殺詳代立。慕容德自丁零入,又殺麟代立,徙居鄴。中山陷於魏。呂光寇西秦,自金城復徙居苑川。涼呂光將禿髮烏孤稱王廉川,國曰涼,元曰太初,是謂南涼。涼呂光將沮渠蒙遜立段業為牧於張掖,國曰涼,元曰神璽,是謂北涼。

丙申年(紀元三九六年)、晋孝武帝は泉池で舟を泛べた後に殞命した(史はその寵妃張貴人に弑されたと載す)、太子司馬徳宗が嗣いだ――これが晋安帝である。安帝は暗弱にして会稽王司馬道子が権を専らにした。後燕の慕容垂は北魏の平城を攻め取ったが、回師途中に上谷で病死し、その子慕容宝が嗣ぎ、改元して「永康」とした。太原はすぐに北魏に陥ちた。北魏は後燕の并州を攻め取り、中山を囲困し、拓跋珪は帝を称し、改元して「皇始」とした。後涼の呂光は天王を称し、改元して「竜飛」とした。丁酉年(三九七年)、東晋は改元して「隆安」とし、兗州の王恭・豫州の庾楷・呉郡の王廞は各々本州に拠って反した。後燕の慕容宝は北に竜城に逃げた。慕容詳は中山で帝を称し、慕容麟は詳を殺して自立し、慕容徳は丁零の境内より中山に入りまた麟を殺して自立し、続いて鄴城に遷居した。中山は終に北魏に取られた。呂光は西秦を進攻し、西秦は金城より苑川に遷し戻した。呂光の部将禿髪烏孤は廉川で王を称し、国号を「涼」、年号を「太初」とした――これが南涼である。もう一人の部将沮渠蒙遜は張掖で段業を擁立して涼州牧とし、国号を「涼」、年号を「神璽」とした――これが北涼である。

戊戌 晉北伐燕,師敗於管城。兗州王恭、豫州庾楷、荊州桓玄兵犯建業,敗內師於白石。假會稽王道子黃鉞。玄師敗走潯陽。杜冏以京口亂。燕慕容寶南伐,至於黎陽乃復。將蘭汗殺寶代立於龍城,稱昌黎王,改元青龍。寶子盛誅蘭汗,稱王,改元建平,稱帝,再改元長樂。鄴陷於魏。范陽王慕容德自鄴南走滑臺,稱王,改元年,是謂南燕。魏拔燕之鄴及信都,改元大興,自盛樂徙居平城。涼禿髮烏孤克金城,敗呂光於街亭,稱武威天王。

戊戌年(紀元三九八年)、東晋は北に後燕を伐ち、管城で敗績した。兗州の王恭・豫州の庾楷・荊州の桓玄は兵を挙げて建業を進犯し、白石で京師の兵を破った。朝廷は会稽王司馬道子に黄鉞を授けて応戦し、桓玄は兵を敗って潯陽に退いた。杜冏はまた京口で乱をなした。後燕の慕容宝は南伐し、黎陽に至るや引き返した。部将蘭汗は竜城で慕容宝を殺して自立し、昌黎王を称し、改元して「青龍」とした。慕容宝の子慕容盛は蘭汗を誅殺し、先ず王を称して改元「建平」、継いで帝を称して改元「長楽」とした。鄴城は北魏に陥ち、范陽王慕容徳は鄴より南に滑台に走り王を称し建号した――これが南燕である。北魏は後燕の鄴城と信都を攻め取り、改元して「天興」(底本は大興)とし、都を盛楽より平城に遷した。南涼の禿髪烏孤は金城を攻克し、街亭で呂光を破り、自ら武威天王を称した。

己亥 秦姚興拔晉洛陽,燕慕容德拔晉青州。仇池楊盛稱藩於晉。妖賊孫恩陷晉會稽,晉謝琰、劉牢之往伐。劉裕始參軍政。秦姚興去帝號稱王,改元洪始。魏南攻滑臺。涼呂光傳子紹位,稱太上皇。光卒,兄纂殺紹代立。涼禿髮烏孤徙居樂都,烏孤卒,弟利鹿孤立,又徙居西平,仍附於姚興。涼段業稱天王,改元天璽,大將沮渠蒙遜出守西安。燕慕容德逐闢閭渾於廣固,徙居之滑臺。沒於魏。

己亥年(紀元三九九年)、後秦の姚興は晋の洛陽を攻め取り、南燕の慕容徳は晋の青州を攻め取り、仇池の楊盛は晋に藩を称した。五斗米道の首領孫恩は兵を起こして会稽を攻め陥し、晋は謝琰・劉牢之を遣わして征討した。劉裕はすなわちこの役の中で軍政に参預し始めた――後日晋に代わり宋を建てる人物はここより登場した。後秦の姚興は帝号を去りただ王を称し、改元して「弘始」(底本は洪始)とした。北魏は南に滑台を攻めた。後涼の呂光は位を子呂紹に伝え、自ら太上皇を称した。呂光が死ぬと、呂紹の兄呂纂は紹を殺して自立した。南涼の禿髪烏孤は楽都に遷居し、烏孤が死ぬとその弟禿髪利鹿孤が嗣いで立ち、また西平に遷居し、なお姚興に依附した。北涼の段業は天王を称し、改元して「天璽」とし、大将沮渠蒙遜は出て西安を守った。南燕の慕容徳は辟閭渾を広固より逐い出し、そこに遷居した――もと拠っていた滑台は北魏の手に落ちた。

庚子 晉司馬劉裕敗孫恩於臨海,以揚州元顯為十六州都督。燕慕容盛去帝號,稱庶人天王,破高句麗。秦姚興破西秦,俘其王乞伏乾歸於長安。涼呂纂改元咸寧,大司馬呂宏殺纂,不克。涼利鹿孤改元建和。涼將李暠稱牧秦州,國曰涼,元曰庚子,是謂西涼。燕慕容德稱帝廣固,改元建平。辛丑 晉平孫恩,劉裕出守下邳。燕慕容盛將段璣行殺盛,叔父熙誅璣,稱帝,改元光始。秦姚興放乞伏乾歸還苑川。涼呂超殺其君纂,立其兄隆,改元神鼎,稱藩於姚興。涼禿髮利鹿孤稱河西王。涼大將沮渠蒙遜自西安入,殺段業,代立,改元永安。

庚子年(紀元四〇〇年)、晋の将劉裕は臨海で孫恩を破った。朝廷は揚州刺史司馬元顕をもって十六州の都督とした。後燕の慕容盛は帝号を去り、庶人天王と改称し、兵を出して高句麗を撃破した。後秦の姚興は西秦を撃破し、西秦王乞伏乾帰を俘えて長安に連れて行った。後涼の呂纂は改元して「咸寧」とし、大司馬呂弘は呂纂を謀殺しようとして成らず。南涼の利鹿孤は改元して「建和」とした。涼の将李暠は自ら秦州牧を称し(実は敦煌に拠る)、国号を「涼」、年号を「庚子」とした――これが西涼である。南燕の慕容徳は広固で帝を称し、改元して「建平」とした。辛丑年(四〇一年)、東晋は孫恩の乱を平定し、劉裕は出て下邳を守った。後燕の段璣は慕容盛を刺殺し、盛の叔父慕容熙は段璣を誅して帝を称し、改元して「光始」とした。後秦の姚興は乞伏乾帰を苑川に放ち帰した。後涼の呂超はその君呂纂を殺し、改めてその兄呂隆を立て、改元して「神鼎」とし、姚興に藩を称した。南涼の禿髪利鹿孤は改称して河西王とした。北涼の大将沮渠蒙遜は西安より張掖に入り、段業を殺して自立し、改元して「永安」とした。

壬寅 晉改元元興。桓玄據荊州建牙夏口。假揚州元顯黃鉞,顯軍敗,玄入於建業,稱侍中丞相,錄尚書事,又稱太尉,總百揆,乃殺都督元顯及會稽王道子,以琅玡王德文為太宰,改元大亨。劉軌以冀州叛。秦姚興伐呂光有功,拒魏不利。魏敗秦軍於蒙坑。涼禿髮利鹿孤卒,弟傉檀立,改元弘昌,徙居樂都。涼沮渠蒙遜稱藩於姚興。癸卯 晉加桓玄九錫,稱相國、楚王,用天子器服。玄竊命,徙其帝於永安宮,降為平固王,遷之潯陽,改國曰楚,元曰永始。

壬寅年(紀元四〇二年)、東晋は改元して「元興」とした。荊州刺史桓玄は夏口で牙を建てて兵を起こし、朝廷は揚州刺史司馬元顕に黄鉞を授けて迎戦したが、元顕は兵を敗り、桓玄は建業に入り、自ら侍中・丞相・録尚書事を称し、また太尉・総百揆を称し、都督司馬元顕と会稽王司馬道子を殺し、琅玡王司馬徳文をもって太宰とし、改元して「大亨」とした。劉軌は冀州に拠って反した。後秦の姚興は後涼を討伐して功があったが、北魏を抵禦しては失利し、北魏は蒙坑で秦軍を破った。南涼の禿髪利鹿孤が去世し、その弟禿髪傉檀が嗣いで立ち、改元して「弘昌」とし、楽都に遷居した。北涼の沮渠蒙遜は姚興に藩を称した。癸卯年(四〇三年)、東晋は桓玄に九錫を加え、相国・楚王を称し、天子の器服を用いた。続いて桓玄は位を簒ぎ、晋安帝を永安宮に遷し、降して平固王とし、また潯陽に遷し、国号を「楚」、年号を「永始」と改めた。

甲辰 晉帝在潯陽。劉裕唱義,帥沛國劉毅、東海何無忌二州兵,大破桓玄兵於京口,又敗玄將桓宏於廣陵、吳甫之於江乘、皇甫敷於羅落。玄逼帝走江陵。裕又敗玄兵於湓口。玄復逼帝東下。裕又敗玄兵於崢嶸洲,又破之於覆舟山,迎帝入江陵。玄敗死於枚洄洲、其將桓振復陷江陵,幽帝。譙縱以成都叛,稱王。秦姚興入十二郡,修貢於晉。魏改元天錫。涼呂隆奔姚興,國亡。涼傉檀去王號,求姑臧於姚興。燕慕容德卒,兄之子超立。

甲辰年(紀元四〇四年)、晋安帝は潯陽に囚われていた。劉裕は義旗を挙げ、沛国劉毅・東海何无忌ら二州の兵を率い、京口で桓玄の軍を大破し、また前後して桓玄の部将桓弘を広陵で、呉甫之を江乗で、皇甫敷を羅落橋で破った。桓玄は安帝を挟持して西に江陵に走り、劉裕はまた湓口でその軍を破った。桓玄は再び帝を挟して東下し、劉裕は崢嶸洲・覆舟山で連続して敵を破り、安帝を迎えて江陵に入れた。桓玄は枚回洲で敗死し、その将桓振はまた江陵を攻め陥し、安帝を幽禁した。譙縦は成都に拠って反して王を称した――すなわち譙蜀である。後秦の姚興は十二郡を収め取り、同時に晋に修貢した。北魏は改元して「天賜」(底本は天錫)とした。後涼の呂隆は姚興に出奔し、後涼は国を亡んだ。南涼の禿髪傉檀は王号を去り、姚興に姑臧の地を請うた。南燕の慕容徳が去世し、兄の子慕容超が嗣いだ。

乙巳 晉平桓振,帝自江陵還建業,改元義熙。劉裕都督中外、錄尚書事,還鎮丹徒。涼傉檀受姚興命,徙姑臧。燕慕容超改元太上。涼李暠徙居酒泉,改元建初,稱藩於晉。丙午 晉伐蜀,敗譙縱於白帝。孔安國為尚書左僕射,大將軍劉裕開府京口。仇池楊盛稱藩。燕慕容超三將奔晉。燕慕容熙將馮跋殺熙,立慕容云,複姓高氏,稱王,改元正始。秦姚興將赫連勃勃稱天王於朔方,國曰夏,元曰龍升。

乙巳年(紀元四〇五年)、東晋は桓振を平定し、安帝は江陵より建業に帰り、改元して「義熙」とした。劉裕は都督中外諸軍事・録尚書事となり、還って丹徒を鎮した――東晋の兵柄はこれより劉裕に帰した。南涼の禿髪傉檀は姚興の命を受け、姑臧に遷居した。南燕の慕容超は改元して「太上」とした。西涼の李暠は酒泉に遷居し、改元して「建初」とし、東晋に藩を称した。丙午年(四〇六年)、東晋は蜀を伐ち、白帝城で譙縦を破った。孔安国は尚書左僕射となり、大将軍劉裕は京口で府を開いた。仇池の楊盛は晋に藩を称した。南燕の慕容超の部下三員の将領は晋朝に奔った。後燕の馮跋は慕容熙を殺し、慕容雲を擁立した。雲は本姓は高であり、遂に本姓に復し、天王を称し、改元して「正始」とした――これが北燕である。後秦の姚興の部将赫連勃勃は朔方で天王を称し、国号を「夏」、年号を「竜升」とした――すなわち赫連夏である。

丁未 晉劉裕入朝,殺東陽太守殷仲文、南蠻校尉殷叔文、晉陵太守殷道叔、永嘉太守駱求。姚興攻禿髮傉檀及赫連勃勃。乞伏乾歸復稱王苑川,改元更始。涼禿髮傉檀攻沮渠蒙遜及赫連勃勃。戊申 晉劉裕入總朝政,北敗慕容超於臨朐,出大峴,進圍廣固。魏國亂,後萬人同子申殺其君珪,次子紹誅萬人及申,自立,是謂明帝。秦乾歸南攻姚興。涼傉檀復稱王姑臧,改元嘉平。夏勃勃南攻姚興。

丁未年(紀元四〇七年)、劉裕は朝に入り、東陽太守殷仲文・南蠻校尉殷叔文・晋陵太守殷道叔・永嘉太守駱求らの桓玄の旧党を誅殺した。後秦の姚興は兵を出して南涼の禿髪傉檀と夏国の赫連勃勃を進攻した。乞伏乾帰は苑川で王号を回復し、改元して「更始」とし、西秦は国を復した。南涼の禿髪傉檀は両面で兵を用い、北涼の沮渠蒙遜と赫連勃勃を進攻した。戊申年(四〇八年)、劉裕は朝に入り政務を総攬し、続いて北伐し、臨朐で南燕の慕容超を破り、大峴山を越えて進み広固を囲んだ。北魏に内乱が起こり、道武帝拓跋珪は弑された(底本はこの句の文字が譌脱して通じ難い)、その子拓跋嗣は乱党を誅除して自立した――これが北魏明元帝である。西秦の乞伏乾帰は南に姚興を攻めた。南涼の禿髪傉檀は姑臧で再び涼王を称し、改元して「嘉平」とした。夏の赫連勃勃もまた南に姚興を攻め――後秦は四面に敵を受けた。

己酉 晉劉裕滅南燕,徙慕容超於建業。後燕國亂,苻將馮跋用倖臣離班殺云,代立,稱天王,改元太平,是謂北燕。魏改元永興。秦乾歸平袍罕。夏赫連勃勃(魏史雲賀大人及子如弒珪),攻姚興。庚戌 晉始興賊盧循兵寇建業,劉裕大破之。循走潯陽,再破之於豫章。裕假黃鉞。蜀兵陷巴東。秦乞伏乾歸為兄之子公府所殺,子熾盤誅公府而自立,改元永康。涼沮渠蒙遜攻李暠有功,夏赫連勃勃攻姚興不利。

己酉年(紀元四〇九年)、劉裕は南燕を滅ぼし、慕容超を建業に押して処刑した。後燕は内乱し、馮跋は寵臣離班の手を借りて高雲を殺して自立し、天王を称し、改元して「太平」とした――これが北燕である。北魏は改元して「永興」とした。西秦の乞伏乾帰は枹罕を平定した(底本は袍罕)。夏の赫連勃勃は姚興を攻め続けた――底本のここには小注「魏史に云く賀大人及び子如が珪を弑す」と挟みあり、校者が《魏書》を引いて拓跋珪の遇弑の事を補説したものである。庚戌年(四一〇年)、孫恩の余党盧循は始興より兵を起こして建業を進犯し、劉裕は大いにこれを破った。盧循は潯陽に逃げ、また豫章で敗れた。劉裕は功により黄鉞を受けた。蜀軍は巴東を攻め陥した。西秦の乞伏乾帰は兄の子乞伏公府に殺され、その子乞伏熾磐は公府を誅して自立し、改元して「永康」とした。北涼の沮渠蒙遜は西涼の李暠を攻めて功あり、夏の赫連勃勃は姚興を攻めて利あらず。

辛亥 晉劉裕南敗盧循,盧循走交州,死。劉毅以江陵叛。涼沮渠蒙遜攻禿髮傉檀有功,夏赫連勃勃攻姚興不克。壬子 晉劉裕殺劉藩及謝琨,遂平劉毅於江陵。涼傉檀徙居樂都,姑臧陷於沮渠蒙遜。涼蒙遜拔禿髮傉檀姑臧,徙居之,稱西河王,改元弘始。癸丑 晉朱齡石平蜀。魏改元神瑞,與秦姚興和親。秦熾盤破土谷渾於澆河。涼傉檀攻蒙遜不利。夏改元鳳翔,城統萬。

辛亥年(紀元四一一年)、劉裕は南下して盧循を破り、盧循は交州に逃げて兵を敗って死んだ。劉毅は江陵に拠って反した。北涼の沮渠蒙遜は南涼の禿髪傉檀を攻めて功あり、夏の赫連勃勃は姚興を攻めて克たず。壬子年(四一二年)、劉裕は劉藩・謝混(底本は謝琨)を殺し、すぐに江陵の劉毅を平定した。南涼の禿髪傉檀は楽都に遷居し、姑臧は失守した。北涼の沮渠蒙遜は姑臧を奪い得てここに遷居し、自ら河西王を称し(底本は西河王)、改元して「玄始」(底本は弘始)とした。癸丑年(四一三年)、晋の将朱齢石は蜀地を平定し、譙蜀は滅亡した。北魏は改元して「神瑞」とし、後秦の姚興と和親した。西秦の乞伏熾磐は澆河で吐谷渾を撃破した。南涼の禿髪傉檀は蒙遜を攻めて利あらず。夏は改元して「鳳翔」とし、統万城を営築して都とした。

甲寅 秦乞伏熾盤滅南涼禿髮傉檀。乙卯 晉荊州刺史司馬休之、雍州刺史魯宗之叛裕,攻破之,逐之於江陵。劉穆之為尚書左僕射。秦姚興卒,子浤繼。弟弼作亂,不克。魏改元太常。丙辰 晉劉裕北伐姚泓。拔洛陽,進逼潼關。加裕九錫,總百揆,封宋國公。秦姚泓改元永和。洛陽陷於晉。姚懿、姚恢內叛,兵逼長安,姚紹平之。秦乞伏熾磐拔沮渠蒙遜河湟,夏赫連勃勃拔姚泓陰密。

甲寅年(紀元四一四年)、西秦の乞伏熾磐は南涼を滅ぼし、禿髪傉檀を俘えた。乙卯年(四一五年)、東晋の荊州刺史司馬休之・雍州刺史魯宗之は兵を起こして劉裕に反いたが、劉裕に撃破され、江陵を逐い出された。劉穆之は尚書左僕射となった。後秦の姚興が去世し、その子姚泓が嗣いだ(底本は浤)、その弟姚弼は乱をなして成らず。北魏は改元して「泰常」(底本は太常)とした。丙辰年(四一六年)、劉裕は北に姚泓を伐ち、洛陽を攻め抜き、潼関に逼った。朝廷は劉裕に九錫・総百揆を加え、宋国公に封じた。後秦は改元して「永和」とした。洛陽は終に晋に陥ちた。姚懿・姚恢は内で兵を起こして長安に逼ったが、姚紹に平定された。西秦の乞伏熾磐は北涼の河湟の地を攻め取り、夏の赫連勃勃は後秦の陰密を攻め取った。

丁巳 晉劉裕平長安,滅後秦,執姚泓以歸,以子義真守長安。裕加宋王。魏南攻晉,兵敗於河西。涼李暠卒,子歆立,改元嘉興。戊午 晉劉裕弒其君德宗,立其弟琅玡王德文,是謂恭帝。長安陷於夏。涼李歆稱藩於晉。夏赫連勃勃拔晉之長安稱帝,改元武昌。己未 晉改元元熙。宋王劉裕自揚州入,用天子服器。秦乞伏熾磐改元建弘。夏赫連勃勃還居統萬,改元真興。

丁巳年(紀元四一七年)、劉裕は長安を平定し、後秦を滅ぼし、姚泓を擒えて帰り、次子劉義真を留めて長安を鎮守させた。劉裕は爵を進めて宋王となった。北魏は南に東晋を攻め、河西で兵を敗った。西涼の李暠が去世し、その子李歆が嗣ぎ、改元して「嘉興」とした。戊午年(四一八年)、劉裕は晋安帝司馬徳宗を弑殺し、改めてその弟琅玡王司馬徳文を立てた――これが晋恭帝である。長安は夏に取られ、赫連勃勃は長安を攻め下した後帝を称し、改元して「昌武」(底本は武昌)とした。西涼の李歆は晋に藩を称した。己未年(四一九年)、東晋は改元して「元熙」とした。宋王劉裕は揚州より朝に入り、天子の車服器物を用いた――晋に代わる勢いはすでに成っていた。西秦の乞伏熾磐は改元して「建弘」とした。赫連勃勃は統万に帰居し、改元して「真興」とした。

庚申 劉裕代晉命於揚州,是謂武帝,改國號曰宋,元曰永初,降其君德文為零陵王。辛酉 宋零陵王德文卒。壬戌 宋武帝劉裕終,子義符繼。魏攻宋滑臺。癸亥 宋改元景平。魏攻宋金墉。明帝終,太子燾繼,是謂太武皇帝。涼沮渠蒙遜滅西涼,執李歆歸於姑臧。

庚申年(紀元四二〇年)、劉裕は揚州で晋の禅譲を受けた――これが宋武帝であり、国号を「宋」と改め、年号を「永初」とし、晋恭帝司馬徳文を零陵王に降した――東晋百余年の国祚はここに終結し、南朝はこれより始まった。辛酉年(四二一年)、零陵王司馬徳文は害されて死んだ。壬戌年(四二二年)、宋武帝劉裕が去世し、その子劉義符が嗣いだ。北魏は喪に乗じて宋の滑台を進攻した。癸亥年(四二三年)、宋は改元して「景平」とした。北魏は宋の金墉を進攻した。魏の明元帝が去世し、太子拓跋燾が嗣いだ――これが魏太武帝である。北涼の沮渠蒙遜は西涼を滅ぼし、李歆を擒えて姑臧に帰した。

経世之辰 二千二百四十九

甲子 宋帝義符二年,臣徐羨之、傅亮行弒,立其弟義隆,是謂文帝,還都建業,改元元嘉。魏太武元年改元始光。乙丑 魏武帝以崔浩為相。赫連勃勃卒,子昌繼,改元承先。丙寅 宋文帝誅執政徐羨之及傅亮,謝晦以荊州叛,平之。魏拔夏之長安。丁卯 魏西破夏赫連昌。

甲子年は宋帝劉義符在位二年、紀元四二四年である。大臣徐羨之・傅亮は弑を行い、改めてその弟劉義隆を立てた――これが宋文帝であり、都を建業に還し、改元して「元嘉」とした。その後三十年近く史は「元嘉之治」と称す。北魏太武帝元年は改元して「始光」とした。乙丑年(四二五年)、魏太武帝は崔浩をもって相となし、倚りて謀主とした。夏の赫連勃勃が去世し、その子赫連昌が嗣ぎ、改元して「承光」(底本は承先)とした。丙寅年(四二六年)、宋文帝は執政の徐羨之と傅亮を誅殺し、謝晦は荊州に拠って反したがまた平定され、文帝はこれより政を親しくした。北魏は夏国の長安を攻め取った。丁卯年(四二七年)、北魏は西征し、夏の主赫連昌を大破した。

戊辰 魏改元神□。武帝破夏於統萬,俘赫連昌以歸,西北開地三千里。秦乞伏熾磐卒,子慕末繼,改元永嘉。涼沮渠蒙遜改元承玄。夏之統萬陷於魏,弟定代立,徙居平涼,改元勝光。己巳。庚午 宋之金墉陷於魏。燕馮跋卒,弟弘殺跋子翼代立,改元太興。魏拔宋洛陽。涼沮渠蒙遜改元義和。夏赫連定攻秦慕末。

戊辰年(紀元四二八年)、北魏は改元して「神䴥」とした(底本はこの字を闕く)。魏太武帝は統万城で夏軍を大破し、赫連昌を俘えて還り、西北に疆土三千里を開拓した。西秦の乞伏熾磐が去世し、その子乞伏暮末が嗣ぎ、改元して「永弘」(底本は永嘉)とした。北涼の沮渠蒙遜は改元して「承玄」とした。夏の都統万は北魏に陥ち、赫連昌の弟赫連定が嗣いで立ち、平涼に遷居し、改元して「勝光」とした。己巳年(四二九年)は記すべきことなし。庚午年(四三〇年)、宋の金墉城は北魏に陥ちた。北燕の馮跋が去世し、その弟馮弘は跋の子馮翼を殺して自立し、改元して「太興」とした。北魏は宋の洛陽を攻め取った。北涼の沮渠蒙遜は改元して「義和」とした。夏の赫連定は西秦の乞伏暮末を進攻した。

辛未 宋之滑臺陷於魏。夏滅西秦於苑川,俘其君乞伏慕末。魏滅夏於平涼,俘其君赫連定。壬申 宋謝靈運棄市於廣州。魏改元延和。遼西內附。癸酉 宋謝惠連卒。涼沮渠蒙遜卒,子牧健繼,改元永和。甲戌 魏南開地至漢中。乙亥 魏改元太延。丙子 宋誅檀道濟。魏滅北燕,虜馮弘於遼西。

辛未年(紀元四三一年)、宋の滑台は北魏に陥ちた。夏は苑川で西秦を滅ぼし、その君乞伏暮末を俘えた。北魏はまた平涼で夏を滅ぼし、その君赫連定を俘えた――両国は同年に亡んだ。壬申年(四三二年)、宋の詩人謝霊運は広州で棄市に処せられた。北魏は改元して「延和」とした。遼西は北魏に帰附した。癸酉年(四三三年)、宋の文士謝恵連が去世した。北涼の沮渠蒙遜が去世し、その子沮渠牧犍が嗣ぎ、改元して「永和」とした。甲戌年(四三四年)、北魏は南に開拓し、疆土は漢中に直抵した。乙亥年(四三五年)、北魏は改元して「太延」とした。丙子年(四三六年)、宋文帝は名将檀道済を誅殺し、自ら長城を毀った。北魏は北燕を滅ぼし、遼西で馮弘を俘えた。

丁丑 戊寅。己卯 魏伐北涼於姑臧,獲沮渠牧健以歸。庚辰 魏改元太平真君,與宋稱南北朝。辛巳 壬午。癸未 魏克仇池。甲申 乙酉。丙戌 魏毀經像佛教。丁亥 魏攻長安。戊子 己丑。庚寅 魏南伐,開地江淮,夷宰相崔浩三族。辛卯 魏改元正平,伐宋,至於瓜步。

丁丑・戊寅の二年(紀元四三七・四三八年)は記すべきことなし。己卯年(四三九年)、北魏は西に北涼を征し、姑臧を攻め取り、沮渠牧犍を俘えて帰った――十六国の分裂の局面はここに終結し、北方は再び一統に帰した。庚辰年(四四〇年)、北魏は改元して「太平真君」とし、これより南朝の劉宋とあわせて南北朝と称した。辛巳・壬午の二年(四四一・四四二年)は事なし。癸未年(四四三年)、北魏は仇池を攻克した。甲申・乙酉の二年(四四四・四四五年)は事なし。丙戌年(四四六年)、魏太武帝は令を下して仏を滅し、経巻・仏像を擣毀した――これが歴史上の「三武滅仏」の最初である。丁亥年(四四七年)、北魏は兵を出して長安一帯を進攻した。戊子・己丑の二年(四四八・四四九年)は事なし。庚寅年(四五〇年)、北魏は南伐し、江淮の地を開拓し、同時に宰相崔浩の三族を誅滅した。辛卯年(四五一年)、北魏は改元して「正平」とし、再度宋を伐ち、兵鋒は長江北岸の瓜歩に直抵した。

壬辰 魏國亂,中常侍宗愛弒其君武帝,立南安王餘,改元承平,又殺之。群臣迎武帝孫濬立之,是謂文成皇帝,改元興安,夷宗愛三族,元壽樂為太宰,都督中外,錄尚書事。癸巳 宋國亂,太子劭弒其君文帝,代立,改元太初。少子武陵王駿稱帝新亭,克建康,誅元兇,改元孝武,是謂孝武皇帝。

壬辰年(紀元四五二年)、北魏は内乱し、宦官中常侍宗愛は太武帝を弑殺し、南安王拓跋余を擁立し、改元して「承平」とし、続いてまた拓跋余を殺した。群臣は太武帝の孫拓跋濬を迎え立てた――これが魏文成帝であり、改元して「興安」とし、宗愛の三族を誅滅し、拓跋寿楽(底本は元寿楽)をもって太宰・都督中外・録尚書事とした。癸巳年(四五三年)、劉宋もまた内乱を起こし、太子劉劭は宋文帝を弑殺して自立し、改元して「太初」とした。文帝の少子武陵王劉駿は新亭で兵を起こして帝を称し、建康を攻克し、この元凶を誅し、改元して「孝建」とした――これが宋孝武帝である。

経世之巳 二千二百五十

甲午 宋孝武帝二年。魏文成皇帝三年,改元興光。乙未 魏改元太安。丙申。丁酉 宋改元大明。戊戌 己亥。庚子 魏改元和平。辛丑 壬寅 癸卯。甲辰 宋孝武帝終,太子業嗣位,改元景和。乙巳 宋改元永光。業立不明,臣壽寂之殺之,迎湘東王彧立之,改元太始,是謂明帝。魏文成帝終,太子弘嗣位,是謂獻文皇帝。

甲午年は宋孝武帝在位二年、魏文成帝三年、紀元四五四年で、北魏は改元して「興光」とした。乙未年(四五五年)、北魏は改元して「太安」とした。丙申年(四五六年)は事なし。丁酉年(四五七年)、宋は改元して「大明」とした。戊戌・己亥の二年(四五八・四五九年)は事なし。庚子年(四六〇年)、北魏は改元して「和平」とした。辛丑・壬寅・癸卯の三年(四六一~四六三年)は事なし。甲辰年(四六四年)、宋孝武帝が去世し、太子劉子業が嗣ぎ、改元して「景和」とした。乙巳年(四六五年)、宋は改元して「永光」とした。劉子業は昏悖して徳を失い、臣下寿寂之は彼を殺し、湘東王劉彧を迎え立て、改元して「泰始」(底本は太始)とした――これが宋明帝である。北魏の文成帝が去世し、太子拓跋弘が嗣いだ――これが魏献文帝である。

丙午 宋晉安王子勳以潯陽叛,稱帝,平之,冊子昱為太子。魏師入寇。魏改元天安,盡取宋江北地。大丞相乙渾謀逆,伏誅。丁未 魏改元皇興。戊申。己酉 魏拔宋青州。庚戌。辛亥 魏獻文授太子宏位,是謂孝文皇帝,弘稱太上皇,改元延興。壬子 宋改元太豫,明帝失道死,太子昱立。

丙午年(紀元四六六年)、宋の晋安王劉子勲は潯陽に拠って反して帝を称したが、明帝に平定され、明帝はすぐに子劉昱を立てて太子とした。北魏は宋の内乱に乗じて兵を出して入寇し、改元して「天安」とし、劉宋の長江以北の土地を尽数奪い去った。魏の大丞相乙浑は謀逆して誅に伏した。丁未年(四六七年)、北魏は改元して「皇興」とした。戊申年(四六八年)は事なし。己酉年(四六九年)、北魏は宋の青州を攻め取った。庚戌年(四七〇年)は事なし。辛亥年(四七一年)、魏献文帝は帝位を太子拓跋宏に伝えた――これが魏孝文帝であり、献文帝は自ら太上皇を称し、改元して「延興」とした。壬子年(四七二年)、宋は改元して「泰豫」(底本は太豫)とし、明帝は荒悖して死に、太子劉昱が嗣いだ。

癸丑 宋改元元徽。甲寅 宋桂陽王休範以江州叛,兵犯建業,右衛將軍蕭道成平之。乙卯 魏改元承明。丙辰 宋建平王景素謀殺蕭道成,不克。道成為司空,錄尚書事。魏太后馮氏弒太上皇。丁巳 宋國亂,蕭道成殺其君昱,廢為蒼梧王,立明帝子準,改元升明,道成假黃鉞,稱齊國公,專制,改元太和。

癸丑年(紀元四七三年)、宋は改元して「元徽」とした。甲寅年(四七四年)、宋の桂陽王劉休範は江州に拠って反し、兵は建業を犯した。右衛将軍蕭道成は兵を起こして平定し、声望はこれより起こった。乙卯年(四七五年)、北魏は改元して「承明」とした。丙辰年(四七六年)、宋の建平王劉景素は蕭道成を除くことを図ったが得手せず、蕭道成は司空・録尚書事に昇任した。北魏の馮太后は太上皇献文帝を弑殺し、朝綱を独り占めにした。丁巳年(四七七年)、劉宋は大乱し、蕭道成は少帝劉昱を殺し、廃して蒼梧王となし、改めて明帝の子劉准を立て、改元して「升明」とした。蕭道成は黄鉞を受け、斉国公に封ぜられ、朝政を独断した。北魏は改元して「太和」とし、孝文帝の一朝の改制はこれより展開した。

戊午。己未 宋相國蕭道成稱王。是年,代宋命於建業,改國曰齊,元曰建元,是謂太祖。以子賾為皇太子,降其君準為汝陰王,殺之。庚申 辛酉。壬戌 齊高帝道成終,太子賾嗣位,是謂武帝,以子懋為太子,攻魏淮南。癸亥 齊改元永明。

戊午年(紀元四七八年)は記すべきことなし。己未年(四七九年)、宋の相国蕭道成は爵を進めて斉王となり、同年建業で宋の禅譲を受けた――国号を「斉」、年号を「建元」と改め、これが南斉太祖高帝である。子蕭賾を立てて皇太子とし、宋順帝劉准を汝陰王に降しあわせて殺害した――劉宋六十年の国祚はここに終わった。庚申・辛酉の二年(四八〇・四八一年)は事なし。壬戌年(四八二年)、斉高帝蕭道成が去世し、太子蕭賾が嗣いだ――これが斉武帝であり、子蕭長懋を立てて太子とし、兵を出して北魏の淮南を進攻した。癸亥年(四八三年)、斉は改元して「永明」とし、南朝は永明之治に入った。

経世之午 二千二百五十一

甲子 齊武帝二年,魏孝文帝十三年。乙丑 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 庚午 辛未。壬申 魏伐蠕蠕。癸酉 齊武帝終,太子懋亦卒,其孫昭業立。甲戌 齊改元隆昌。五月,西昌王蕭鸞行弒,廢其君為鬱林王,立其弟昭文,改元延興。鸞假黃鉞,稱宣城王,都督中外,專制。十月,宣城王蕭鸞廢昭文為海陵王,殺之,代立,是謂明帝,改元建武,以子寶卷為太子。魏大伐齊。

甲子年は斉武帝在位二年、魏孝文帝十三年、紀元四八四年である。乙丑より辛未までの七年(四八五~四九一年)は記すべきことなし。壬申年(四九二年)、北魏は兵を出して柔然を討伐した――史書はこれを蠕蠕と称す。癸酉年(四九三年)、斉武帝蕭賾が去世し、太子蕭長懋は先にすでに病故しており、遂にその孫蕭昭業が嗣いだ。甲戌年(四九四年)、斉は改元して「隆昌」とした。五月、西昌侯蕭鸞は弑を行い、蕭昭業を廃して鬱林王となし、改めてその弟蕭昭文を立て、改元して「延興」とし、蕭鸞は黄鉞を受け、宣城王に封ぜられ、中外を都督し、朝政を独断した。十月、蕭鸞はまた蕭昭文を廃して海陵王となしあわせて殺害し、自ら代わり立った――これが斉明帝であり、改元して「建武」とし、子蕭宝巻を立てて太子とした。北魏は斉の内乱に乗じて大挙して南伐した。

乙亥 齊大殺宗室。是年,魏自平城徙都洛陽,用中國禮樂。丙子 魏改姓元氏。丁丑。戊寅 齊改元永泰。明帝鸞終,太子寶卷嗣位。魏伐齊,拔新野。己卯 齊改元永元,以子誦為太子。魏孝文帝終,太子恪嗣位,是謂宣武皇帝,彭城王勰受顧命輔政。

乙亥年(紀元四九五年)、斉明帝は宗室の子弟を大いに誅殺してその位を固めた。この年もまた、北魏は都を平城より洛陽に遷し、中原の礼楽制度を全面的に採用した。丙子年(四九六年)、北魏は令を下して拓跋氏を元氏と改めた――孝文帝の漢化改革はここに完備した。丁丑年(四九七年)は事なし。戊寅年(四九八年)、斉は改元して「永泰」とした。明帝蕭鸞が去世し、太子蕭宝巻が嗣いだ。北魏は斉を伐ち、新野を攻め取った。己卯年(四九九年)、斉は改元して「永元」とし、子蕭誦を立てて太子とした。北魏孝文帝が去世し、太子元恪が嗣いだ――これが魏宣武帝であり、彭城王元勰は顧命を受けて政を輔佐した。

庚辰 齊崔惠景以廣陵叛,兵犯建業,蕭懿平之。寶卷殺懿,蕭衍稱兵襄陽,蕭穎胄稱兵荊州。魏改元景明。彭城王勰拔齊壽春。辛巳 齊蕭衍立南康王寶融於江陵,以兵圍臺城,國人殺寶卷,而入寶融於建業,是謂和帝,改元中興,衍稱相國、司空,假黃鉞,錄尚書事,專制,廢寶卷為東昏侯,蕭寶夤奔魏。

庚辰年(紀元五〇〇年)、斉の将崔惠景は広陵に拠って反し、兵は建業を犯したが、蕭懿に平定された。東昏侯蕭宝巻はかえって功臣蕭懿を殺し、蕭懿の弟蕭衍は遂に襄陽で兵を起こし、蕭穎胄は荊州で応じた。北魏は改元して「景明」とし、彭城王元勰は斉の寿春を攻め取った。辛巳年(五〇一年)、蕭衍は江陵で南康王蕭宝融を擁立し、兵を進めて建康の台城を囲困し、城中の人は蕭宝巻を殺して門を開き帰降し、蕭宝融を迎えて建業に入れた――これが斉和帝であり、改元して「中興」とした。蕭衍は自ら相国・司空を称し、黄鉞を受け、録尚書事となり、朝政を独断し、蕭宝巻を追廃して東昏侯とした。斉の宗室蕭宝夤は北魏に逃げ奔った。

壬午 齊蕭衍被九錫,封梁王,四月,衍代齊命於建業,是謂武帝,改國為梁,元曰天監,以子統為皇太子,降其君寶融為巴陵王,殺之於姑熟。癸未。甲申 魏改元正始。乙酉 丙戌。丁亥 東西夷四十國修貢於魏。戊子 魏改元永平,殺太師元勰。己丑 戎夷二十四國修貢於魏。庚寅。辛卯 東西夷二十九國修貢於魏。壬辰 魏改元延昌。癸巳。

壬午年(紀元五〇二年)、蕭衍は九錫を受け、梁王に封ぜられた。四月、蕭衍は建業で斉の禅譲を受けた――これが梁武帝であり、国号を「梁」、年号を「天監」と改め、子蕭統すなわち昭明太子を立てて皇太子とし、斉和帝蕭宝融を巴陵王に降し姑熟でこれを殺した――南斉は二十四年にして亡んだ。癸未年(五〇三年)は事なし。甲申年(五〇四年)、北魏は改元して「正始」とした。乙酉・丙戌の二年(五〇五・五〇六年)は事なし。丁亥年(五〇七年)、東西四十国は北魏に納貢した。戊子年(五〇八年)、北魏は改元して「永平」とし、太師元勰を殺した。己丑年(五〇九年)、戎夷二十四国は北魏に納貢した。庚寅年(五一〇年)は事なし。辛卯年(五一一年)、東西二十九国は北魏に納貢した。壬辰年(五一二年)、北魏は改元して「延昌」とした。癸巳年(五一三年)は事なし。

経世之未 二千二百五十二

甲午 梁武帝十三年,魏武帝十五年。乙未 魏宣武終,太子詡嗣位,是謂孝明皇帝,太后胡氏稱制,劉騰、元義為輔相。丙申 魏改元熙平。丁酉。戊戌 魏改元神龜。己亥。庚子 梁改元普通。魏改元正光,幽靈太后胡氏於北宮。辛丑 壬寅 癸卯 甲辰。

甲午年は梁武帝在位十三年、魏宣武帝十五年、紀元五一四年である。乙未年(五一五年)、魏宣武帝が去世し、太子元詡が嗣いだ――これが魏孝明帝であり、年幼により胡太后が朝に臨み制を称し、劉騰・元乂(底本は元義)が政を輔佐した。丙申年(五一六年)、北魏は改元して「熙平」とした。丁酉年(五一七年)は事なし。戊戌年(五一八年)、北魏は改元して「神亀」とした。己亥年(五一九年)は事なし。庚子年(五二〇年)、梁は改元して「普通」とした。北魏は改元して「正光」とし、劉騰・元乂は政変を発動し、霊太后胡氏を北宮に幽禁した。辛丑より甲辰までの四年(五二一~五二四年)は記すべきことなし。

乙巳 魏改元孝昌,相劉騰、元義罪,免為庶人,迎太后胡氏於北宮,還政。中山、上谷、彭城寇亂。丙午。丁未 梁帝衍,沒身於同泰寺,改元大通。魏諸郡寇亂。戊申 魏改元武泰,太后胡氏殺其帝詡,立無名子。大都督爾朱榮自太原入,殺無名子及太后胡氏、諸王貴臣於河陰,得長樂王攸,是謂莊帝,改元建義,又改元永安。榮都督中外諸軍事,稱太原王,還晉陽,專制。

乙巳年(紀元五二五年)、北魏は改元して「孝昌」とした。輔相劉騰・元乂の罪を追及し、免じて庶人となし、霊太后胡氏を北宮より迎え出して政を還した。中山・上谷・彭城などの地に寇乱が四起し、六鎮の乱の余波はまさに拡散していた。丙午年(五二六年)は事なし。丁未年(五二七年)、梁武帝蕭衍は同泰寺に身を舎てて仏に事え、改元して「大通」とした。北魏の各郡は寇乱已まなかった。戊申年(五二八年)、北魏は改元して「武泰」とした。胡太后は孝明帝元詡を毒殺し、別に一名の無名の幼子を立てた。契胡の大都督爾朱栄は太原より兵を起こして洛に入り、この幼主を胡太后および諸王公卿とともに河陰に沈め殺した――史は「河陰之変」と称す。続いて長楽王元子攸を立てて帝とした――これが魏孝荘帝であり、改元して「建義」、また改元して「永安」とした。爾朱栄は都督中外諸軍事となり、太原王に封ぜられ、退いて晋陽に還り朝政を遥制した。

己酉 梁改元中大通,衍復沒身於同泰寺,群臣以錢億萬購衍還政。元顥自梁入洛,稱帝,改元建武,徙攸於河北。爾朱榮自晉陽入,逐元顥,迎攸返政。庚戌 魏帝攸殺爾朱榮於洛陽宮。爾朱兆自晉陽入,徙攸於河東,殺之。爾朱世隆立長廣王曄於長子,改元建明。

己酉年(紀元五二九年)、梁は改元して「中大通」とし、梁武帝は再度同泰寺に身を舎て、群臣は銭一億万を湊めて彼を贖い還して政を帰した。北魏の宗室元顥は梁の兵を借りて洛陽に入り帝を称し、改元して「建武」とし、孝荘帝元子攸を河北に追いやった。爾朱栄は晋陽より兵を揮って入り、元颢を逐い走らせ、孝荘帝を迎えて朝に還り位を復した。庚戌年(五三〇年)、孝荘帝は制せられるに堪えず、洛陽宮中で手ずから爾朱栄を殺した。爾朱栄の姪爾朱兆は晋陽より洛に入り仇を報じ、孝荘帝を河東に遷して殺害した。爾朱世隆は長子で長広王元曄を擁立し、改元して「建明」とした。

辛亥 梁昭明太子統卒,晉安王綱為太子。魏爾朱兆廢曄,立廣陵王子恭於洛陽,是謂節愍,改元普太,還鎮晉陽。冀州刺史高歡稱兵信都,立章武王子渤海太守朗於信都,改元中興,歡稱丞相。壬子 魏高歡據鄴叛,敗爾朱兆於韓陵西平幷州,南入洛,廢恭,殺之。又廢朗於河陽,殺之,立平陽王修於洛陽,改元太昌,再改元永熙,還鎮鄴,專制。爾朱兆走秀容,死。修立,是謂武帝。

辛亥年(紀元五三一年)、梁の昭明太子蕭統が去世し、晋安王蕭綱が改めて太子に立てられた。北魏の爾朱兆は元曄を廃し、改めて広陵王の子元恭を洛陽に立てた――これが節閔帝であり、改元して「普泰」(底本は普太)とし、続いて還って晋陽を鎮した。冀州刺史高歓は信都で兵を起こし、章武王の子・渤海太守元朗を擁立し、改元して「中興」とし、高歓は自ら丞相を称し、爾朱氏と庭を分かち礼を抗した。壬子年(五三二年)、高歓は鄴城に拠って兵を挙げ、韓陵で爾朱兆を大破し、西に并州を平らげ、南に下って洛陽に入り、節閔帝元恭を廃殺した。また河陽で自ら立てた元朗を廃殺し、改めて平陽王元修を洛陽に立て、改元して「太昌」、再び改元して「永熙」とした。高歓は還って鄴城を鎮し、朝政を独断した。爾朱兆は秀容に逃げて自尽した。元修が即位した――これが魏孝武帝である。

癸丑 魏高歡平爾朱氏。甲寅 魏高歡之洛,帝修西走長安。歡立清河王子善見,是謂靜帝,改元天平,徙洛陽四十萬戶於鄴,都之,是謂東魏。歡鎮太原,都督中外,專制。宇文泰廢修於長安,殺之,立南陽王寶炬,是謂文帝,改元大統,是謂西魏。泰都督中外,專制。

癸丑年(紀元五三三年)、高歓は爾朱氏の残余勢力を徹底的に平定した。甲寅年(五三四年)、高歓は兵を引いて洛に入り、孝武帝元修は西に長安に逃げて宇文泰に奔った。高歓は別に清河王の子元善見を立てた――これが魏孝静帝であり、改元して「天平」とし、洛陽の四十万戸を鄴城に遷しあわせて都をここに定めた――これが東魏である。高歓は自ら太原を鎮し、中外を都督し、朝政を遥制した。宇文泰は長安で元修を廃殺し、改めて南陽王元宝炬を立てた――これが西魏文帝であり、改元して「大統」とした――これが西魏である。宇文泰も同様に中外を都督し、大権を独り占めにした。北魏はこれより東西の両朝に分裂した――また後日の北斉・北周の張本である。

乙卯 梁改元大同。丙辰 侯景為東魏右僕射南行臺。丁巳 西魏宇文泰大破東魏高歡軍於沙苑。戊午 東魏改元元象,高歡大破西魏宇文泰兵於洛陽。己未 東魏改元興和。庚申 辛酉 壬戌。癸亥 東魏改元武定,高歡大破西魏宇文泰軍於邙山,遂拔洛陽。

乙卯年(紀元五三五年)、梁は改元して「大同」とした。丙辰年(五三六年)、侯景は東魏の右僕射・南道行台に出任した――この後日南梁を覆滅する人物が兵権を独掌し始めた。丁巳年(五三七年)、西魏の宇文泰は沙苑で東魏高歓の軍を大破した。戊午年(五三八年)、東魏は改元して「元象」とし、高歓は洛陽で西魏宇文泰の兵を大破した。己未年(五三九年)、東魏は改元して「興和」とした。庚申・辛酉・壬戌の三年(五四〇~五四二年)は記すべきことなし。癸亥年(五四三年)、東魏は改元して「武定」とし、高歓は邙山で西魏軍を大破し、すぐに洛陽を攻め取った。東西両魏は年を連ねて血戦し、勝敗は互いに見えた。

経世之申 二千二百五十三

甲子 梁武帝四十三年,西魏文帝十一年,東魏靜帝十一年。乙丑。丙寅 梁武帝三失身於同泰,改元中大同。群臣及皇太子畢會於同泰。是夜,同泰大火。丁卯 梁改元太清。東魏渤海王高歡卒於晉陽,子澄繼事。侯景以河南十三州叛,慕容紹宗敗侯景於長社。景南走壽春,附於梁,封為河南王。

甲子年は梁武帝在位四十三年、西魏文帝十一年、東魏孝静帝十一年、紀元五四四年である。乙丑年(五四五年)は記すべきことなし。丙寅年(五四六年)、梁武帝は第三度同泰寺に身を舎て、改元して「中大同」とし、群臣と皇太子は斉しく同泰寺に集まり駕を贖った。当夜同泰寺に火が出て焼き毀れた。丁卯年(五四七年)、梁は改元して「太清」とした。東魏の渤海王高歓は晋陽で病死し、その子高澄が大権を接掌した。侯景は遂に河南十三州をもって反し、東魏は慕容紹宗を遣わして長社で侯景を破り、侯景は南に寿春に逃げ、転じて南梁に投じ、梁武帝は彼を河南王に封じた――南朝の禍胎はこれより種まれた。

戊辰 侯景兵犯梁建業,立蕭正德於南關。己巳 侯景破梁臺城,殺衍,立太子綱,是謂文帝。景稱大丞相,都督中外軍事,專政。湘東王繹開府江陵。將王僧辯、陳霸先率兵討侯景。東魏盜殺高澄於晉陽,弟洋自鄴還晉陽,繼事。

戊辰年(紀元五四八年)、侯景は兵を挙げて梁の都建業を進犯し、宗室蕭正徳を南関に擁立して傀儡とした。己巳年(五四九年)、侯景は台城を攻め破り、梁武帝蕭衍は困餓して死に、侯景は太子蕭綱を立てて帝とした――これが梁簡文帝である。侯景は自ら大丞相・都督中外軍事を称し、朝政を専擅し、江南はこれにより残破した――史は「侯景之乱」と称す。湘東王蕭繹は江陵で府を開き、部将王僧弁と陳霸先は兵を領して侯景を討伐した。東魏の権臣高澄は晋陽で家奴に刺殺され、その弟高洋は鄴城より晋陽に帰り大権を接掌した。

庚午 梁改元太寶,侯景稱相國、漢王,逼綱走西州。西魏拔梁之安陸,取漢中地。東魏高洋入總百揆,進爵為齊王,五月,洋代東魏命,是謂宣帝,改國為齊,元曰天寶,降其君善見為中山王。辛未 侯景廢梁帝綱,又殺之,立豫章王棟,改元天正,又廢之,代立,改國為漢,元曰太始。西魏文帝寶炬卒,子欽繼。

庚午年(紀元五五〇年)、梁は改元して「大宝」(底本は太宝)とし、侯景は自ら相国・漢王を称し、簡文帝蕭綱を逼じて西州に遷した。西魏は乱に乗じて梁の安陸を攻め取り、漢中の地を奪い得た。東魏の高洋は朝に入り百揆を総べ、爵を進めて斉王となった。五月、高洋は東魏の禅譲を受けた――これが北斉文宣帝であり、国号を「斉」、年号を「天保」(底本は天宝)と改め、東魏孝静帝元善見を中山王に降した。辛未年(五五一年)、侯景は梁簡文帝蕭綱を廃しあわせて殺害し、改めて豫章王蕭棟を立て、改元して「天正」とした。ほどなくまた蕭棟を廃して自立し、国号を「漢」、年号を「太始」と改めた。西魏文帝元宝炬が去世し、その子元欽が嗣いだ。

壬申 梁湘東王繹平侯景,使將朱買臣殺棟,稱帝江陵,是謂元帝,改元承聖,以陳霸先為徵北大將軍,王僧辯為揚州刺史。武陵王紀稱帝成都,年用天正。西魏稱元年。癸酉 梁平武陵王於蜀。西魏宇文泰殺尚書元烈。

壬申年(紀元五五二年)、梁の湘東王蕭繹は侯景の乱を平定し、部将朱買臣に命じて廃帝蕭棟を殺させ、自ら江陵で帝を称した――これが梁元帝であり、改元して「承聖」とし、陳霸先をもって征北大将軍、王僧弁を揚州刺史とした。これと同時に武陵王蕭紀は成都で帝を称し、「天正」の年号を沿い用いた――梁室の兄弟は相攻した。西魏もこの年改めて紀元した。癸酉年(五五三年)、梁は蜀中の武陵王蕭紀を平定し、蜀地はすぐに西魏に併せられた。西魏の宇文泰は尚書元烈を殺し、魏室の残余勢力を鏟除した。

甲戌 梁蕭詧引西魏兵陷江陵,殺繹及諸王。大將軍陳霸先、揚州刺史王僧辯立繹之子晉安王方智於潯陽,是謂恭帝,還都建業。王僧辯為太尉,居內;陳霸先為司空,鎮丹徒。西魏宇文泰弒其君欽,立齊王廓,改元元年。泰用蕭詧南征,拔江陵,殺繹,徙其民於長安。

甲戌年(紀元五五四年)、梁の宗室蕭詧は西魏の兵を引いて江陵を攻め陥し、梁元帝蕭繹および諸王を殺し、元帝の蔵する図書十四万巻は一炬に付された。大将軍陳霸先と揚州刺史王僧弁は潯陽で蕭繹の子晋安王蕭方智を擁立した――これが梁敬帝であり、都を建業に還した。王僧弁は太尉となり留まり中枢に居り、陳霸先は司空となり丹徒を鎮した。西魏の宇文泰は魏帝元欽を弑殺し、改めて斉王元廓を立て、改めて紀元した。宇文泰はまた蕭詧の名を借りて南征し、江陵を攻め下して元帝を殺し、江陵の百姓十余万口を長安に駆り往った。

乙亥 梁貞陽侯蕭明自齊入,至東關,太尉王僧辯拒之,不勝,遂迎蕭明入建業,立之,降方智為太子,改元天成。司空陳霸先自丹徒入,殺王僧辯,廢蕭明為司徒,封建安公,復立方智,改元紹泰。霸先為尚書,都督中外,專制。是年,蕭詧稱帝江陵,改元大定,北附於宇文氏,是謂後南梁。

乙亥年(紀元五五五年)、梁の貞陽侯蕭淵明は北斉の扶持のもとに南下し、兵は東関に至り、太尉王僧弁は迎戦するも勝たず、ただ蕭淵明を迎えて建業に入れ皇帝に立て、蕭方智を降して太子とし、改元して「天成」とした。司空陳霸先は丹徒より兵を挙げて入り、王僧弁を殺し、蕭淵明を廃して司徒となし建安公に封じ、重ねて蕭方智を擁立し、改元して「紹泰」とした。陳霸先は尚書・都督中外となり、朝政を独り占めにした。この年もまた、蕭詧は江陵で帝を称し、改元して「大定」とし、北に向かって西魏宇文氏に依附した――これが後梁、文中に称する後南梁である。

丙子 梁改元太平,陳霸先稱相國,敗齊軍於江上。西魏宇文泰卒,子覺繼事。是年,覺代西魏命於長安,是謂閔帝,改國為周,是謂後周,元稱元年,降其君廓為宋國公。丁丑 相國陳霸先進爵為陳王。十月,陳霸先代梁命於建業,是謂武帝,改國為陳,元曰永定。降其君方智為江陰王。周亂,宇文護殺其君覺,立宇文毓,是謂明帝,稱元年。護為太宰,專制。

丙子年(紀元五五六年)、梁は改元して「太平」とし、陳霸先は自ら相国を称し、長江上で北斉軍を破った。西魏の宇文泰が去世し、その子宇文覚が権位を承けた。同年宇文覚は長安で西魏の禅譲を受けた――これが周孝閔帝であり、国号を「周」と改め、史は北周と称し、改めて紀元し、西魏恭帝元廓を宋国公に降した。丁丑年(五五七年)、相国陳霸先は爵を進めて陳王となった。十月、陳霸先は建業で梁の禅譲を受けた――これが陳武帝であり、国号を「陳」、年号を「永定」と改め、梁敬帝蕭方智を江陰王に降した。北周は内乱し、権臣宇文護は宇文覚を殺し、改めて宇文毓を立てた――これが周明帝であり、改めて紀元した。宇文護は太宰となり、朝政を独断した。

戊寅 梁蕭莊以郢州稱帝,救援於齊。己卯 陳武帝霸先殂,兄臨川王蒨立,是謂文帝,以子伯宗為太子。周宇文毓稱天王,改元武成。齊宣王洋卒,子殷繼於晉陽,以諸父演為太師,湛為司馬,元氏宗室無少長皆殺之,投於漳水。

戊寅年(紀元五五八年)、梁の宗室蕭荘は郢州で帝を称し、北斉に援を求めて復国を図った。己卯年(五五九年)、陳武帝陳霸先が去世し、その兄の子臨川王陳蒨が嗣いだ――これが陳文帝であり、子陳伯宗を立てて太子とした。北周の宇文毓は改称して天王とし、改元して「武成」とした。北斉文宣帝高洋が去世し、その子高殷が晋陽で嗣ぎ、叔父高演をもって太師、高湛を司馬とした。北斉は元魏の宗室を老幼を問わず一概に誅殺し、死体を漳水に投げ入れた――拓跋氏の一族はここに絶滅した。

庚辰 陳改元天嘉。周亂,宇文護弒其君毓,立其弟邕,是為武帝。齊改元乾明,太師高演弒其君殷,代立,是謂昭帝,改元皇建。辛巳 周改元保定。齊帝演卒於晉陽,大司馬湛立,改元大寧,是謂武成。壬午 齊改元清河,還都鄴。後南梁蕭詧卒,子巋繼,改元天保。

庚辰年(紀元五六〇年)、陳は改元して「天嘉」とした。北周は内乱し、宇文護は周明帝宇文毓を弑殺し、改めてその弟宇文邕を立てた――これが周武帝であり、この人は後日斉を滅ぼして北方を統一した。北斉は改元して「乾明」とし、太師高演は少主高殷を弑殺して自立した――これが斉孝昭帝であり、改元して「皇建」とした。辛巳年(五六一年)、北周は改元して「保定」とした。北斉孝昭帝高演は晋陽で病死し、大司馬高湛が嗣ぎ、改元して「大寧」とした――これが斉武成帝である。壬午年(五六二年)、北斉は改元して「河清」(底本は清河)とし、都を鄴城に還した。後梁の蕭詧が去世し、その子蕭巋が嗣ぎ、改元して「天保」とした。

癸未。甲申 周齊戰於洛陽。乙酉 齊高湛傳子緯位,改元天統。丙戌 陳改元天康。文帝蒨終,太子伯宗嗣位,庶兄頊錄尚書,都督中外軍事,專制。周改元天和。丁亥 陳改元光大。戊子 陳亂,安成王陳頊弒其君伯宗,代立,是謂宣帝。己丑 陳改元太建,以子叔寶為太子。庚寅 齊改元武平。辛卯。壬辰 陳將吳明徹伐齊,有功。周襲封李淵為唐國公,誅太宰晉公護,改元昌德。癸巳 陳伐齊,有功。

癸未年(紀元五六三年)は記すべきことなし。甲申年(五六四年)、北周と北斉は洛陽で大戦した。乙酉年(五六五年)、斉武成帝高湛は帝位を子高緯に伝え、改元して「天統」とし、自ら太上皇を称した。丙戌年(五六六年)、陳は改元して「天康」とした。陳文帝陳蒨が去世し、太子陳伯宗が嗣ぎ、その庶兄安成王陳頊は録尚書事・都督中外軍事となり、朝政を専擅した。北周は改元して「天和」とした。丁亥年(五六七年)、陳は改元して「光大」とした。戊子年(五六八年)、陳室は内乱し、安成王陳頊は陳伯宗を弑殺して自立した――これが陳宣帝である。己丑年(五六九年)、陳は改元して「太建」とし、子陳叔宝を立てて太子とした。庚寅年(五七〇年)、北斉は改元して「武平」とした。辛卯年(五七一年)は事なし。壬辰年(五七二年)、陳の将呉明徹は斉を伐って功あり。北周は李淵に唐国公を襲封させた――これが後日の唐高祖である。同年周武帝は十余年与え専政した太宰晋公宇文護を誅殺し、改元して「建徳」(底本は昌徳)とし、ようやく政を親しくすることを得た。癸巳年(五七三年)、陳は再び北斉を伐ってまた戦功を得、淮南の地を収復した。

経世之酉 二千二百五十四

甲午 陳宣帝頊七年,周武帝邕十五年,齊武帝緯十年,後南梁蕭巋十二年。乙未 周大伐齊,圍其晉州及洛陽。丙申 周拔齊平陽及晉陽。齊拒周,不利,晉州陷於周,緯走幷州。周圍幷州。緯走鄴,改元隆化。兄德王延宗稱帝幷州,改元昌德。幷州又陷於周。

甲午年は陳宣帝陳頊在位七年、周武帝宇文邕十五年、北斉後主高緯十年、後梁蕭巋十二年、紀元五七四年である。乙未年(五七五年)、北周は大挙して斉を伐ち、斉の晋州と洛陽を囲攻した。丙申年(五七六年)、北周は斉の平陽と晋陽を攻め取った。北斉は拒戦するも失利し、晋州は失守し、斉の後主高緯は并州に逃げた。周軍は進んで并州を囲み、高緯はまた鄴城に逃げ、改元して「隆化」とした。その兄安徳王高延宗は并州で帝を称し、改元して「徳昌」(底本は昌徳)としたが、并州もすぐに北周に陥ち、北斉の大勢はすでに去った。

丁酉 周軍圍齊之鄴。緯傳子恆位,改元承光。緯走青州,恆又禪丞相任城王湝,稱守國天王。鄴又陷於周,國遂亡,緯亦就禽於青州。戊戌 周改元宣政。帝邕卒於伐齊,子贇繼,是謂宣帝。以楊堅為上柱國大司馬,都督揚州。改元大成。

丁酉年(紀元五七七年)、周軍は北斉の都鄴を囲困した。斉の後主高緯は帝位を幼子高恒に伝え、改元して「承光」とし、自ら青州に逃げた。高恒はまた帝位を丞相任城王高湝に禅譲し、守国天王と称した。鄴城は終に北周に攻め陥され、北斉は滅亡し、高緯もまた青州で擒えられた――北方は東西に分裂して四十余年の後、重ねて一統に帰した。戊戌年(五七八年)、北周は改元して「宣政」とした。周武帝宇文邕は北伐の途中で去世し、その子宇文賟が嗣いだ――これが周宣帝である。宣帝は楊堅をもって上柱国・大司馬・都督揚州とし、改元して「大成」とした。楊堅は宣帝の岳父である――隋が周室に代わる伏筆はこれより埋められた。

己亥 陳將吳明徹伐周,不利於呂梁,淮南之地盡沒於周。周帝贇傳子衍位,是謂靜帝,贇稱天元大帝,改元大象。 庚子 周大帝贇終,大司馬楊堅自揚州入,繼朝政,假黃鉞,都督中外軍事,專制。堅召宇文宗室在藩者六王至長安,皆殺之。天下兵起。尉遲迥稱兵相州,宇文胄稱兵榮州,石遜稱兵建州,席毗稱兵沛郡,席義羅稱兵兗州,王謙稱兵益州,堅悉平之,進爵為隋王,用天子服器。鄖州蕭難以八州入於陳。

己亥年は南朝陳太建十一年、北周大象元年(紀元五七九年)である。陳朝の大将呉明徹は兵を領して北周を伐ったが、吕梁(今の江蘇徐州の東南)で戦いに敗れ俘えられ、淮南の地はすべて北周に淪入した。北周の皇帝宇文賟は帝位を子宇文衍に伝えた――これが周静帝である。宇文賟は自ら「天元大帝」を称し、年号を「大象」と改めた。庚子年(五八〇年)、天元大帝宇文賟が去世し、大司馬楊堅は揚州より朝に入り朝政を接掌し、「黄鉞」を賜り、中外諸軍事を都督し、大権を独り占めにした。楊堅は外に出て鎮する宇文氏の宗室六人の親王を長安に召し帰し、一あわせに誅殺した。ここにおいて天下の兵が起こった――尉遅迥は相州で起兵し、宇文冑は栄州で起兵し、石遜は建州で起兵し、席毗は沛郡で起兵し、席義羅は兗州で起兵し、王謙は益州で起兵したが、皆楊堅に一々掃平された。楊堅は爵を進めて「隋王」となり、天子の服飾車器を用い始めた。鄖州の蕭難は八州を率いて南陳に投附した。

辛丑 周改元大定。是年隋王楊堅代後周命於長安,是謂文帝,改國曰隋,元曰開皇,以高熲、虞慶則、李德林、康世康、暉、元巖、長孫毗、楊尚希、楊惠十人為之輔,冊妃獨孤氏為皇后,子勇為太子,廣為晉王,降其君衍為介國公,殺之。 壬寅 陳宣帝頊終,子叔寶繼,是謂後主。隋起新宮於龍首崗。 癸卯 陳改元至德。隋徙居新宮。 甲辰 後南梁蕭巋朝隋。 乙巳 後南梁蕭巋卒,子琮繼。

辛丑年(五八一年)、北周は年号を「大定」と改めた。この年隋王楊堅は長安で北周に代わって帝を称した――これが隋文帝であり、国号を「隋」、年号を「開皇」と定め、高熲・虞慶則・李徳林・康世康・暉・元岩・長孫毗・楊尚希・楊恵等十人を任用して輔政大臣とした(底本の列する人名は訛脱があり、十人の数に足りない)。王妃独孤氏を冊立して皇后とし、長子楊勇を太子、次子楊広を晋王とし、北周の末帝宇文衍を降して介国公に封じ、続いて殺した。壬寅年(五八二年)、陳宣帝陳頊が去世し、子陳叔宝が嗣いだ――これが陳後主である。隋朝は長安東南の竜首崗に新都を営建した。癸卯年(五八三年)、陳朝は年号を「至徳」と改めた。隋朝は新たに建てた大興城に遷入した。甲辰年(五八四年)、後梁の国主蕭巋は隋に入朝した。乙巳年(五八五年)、後梁の蕭巋が去世し、子蕭琮が嗣いだ。

丙午 隋成國公梁士彥、杞國公宇文忻、舒國公劉昉謀興復,不克,伏誅。梁蕭琮改元廣運。 丁未 陳改元禎明。梁蕭琮納國於隋。太傅安平王蕭巖、荊州刺史蕭瓛降於陳。 戊申 隋命晉王廣、秦王俊、清河公楊素,督總管九十、兵五十一萬,為八路,大伐陳。以壽春為行臺府。 己酉 隋師滅陳,以陳後主叔寶歸於長安。 庚戌 蘇、越、饒、泉、婺、樂安、蔣山、永嘉、餘杭、交阯未服,楊素悉平之。 辛亥 壬子 癸丑 甲寅 東巡,封泰山。 乙卯 丙辰 丁巳 戊午 伐高麗無功。 己未 庚申 廢太子勇,冊晉王廣為皇太子。 辛酉 改元仁壽,命十六使巡行天下。 壬戌 命七大臣定禮。 癸亥

丙午年(五八六年)、隋朝の成国公梁士彦・杞国公宇文忻・舒国公劉昉は密かに北周の復辟を謀ったが、事露れし、皆処刑された。後梁の蕭琮は年号を「広運」と改めた。丁未年(五八七年)、陳朝は年号を「禎明」と改めた。後梁の蕭琮は国土を隋朝に献じ、後梁は滅亡した。その太傅安平王蕭岩・荊州刺史蕭瓛は陳朝に投降した。戊申年(五八八年)、隋文帝は晋王楊広・秦王楊俊・清河公楊素に命じて九十位の総管・五十一万の大軍を統領させ、八路に分かち大挙して陳を伐ち、寿春をもって行台――すなわち前線統帥府の在るところ――とした。己酉年(五八九年)、隋軍は陳を滅ぼし、陳後主陳叔宝を長安に押し帰した――分裂して三百年近い南北朝の局面はここに終結した。庚戌年(五九〇年)、蘇州・越州・饒州・泉州・婺州・楽安・蒋山・永嘉・余杭・交阯などの地はなお帰服を肯んじず、楊素は兵を領して一々平定した。辛亥・壬子・癸丑の三年(五九一~五九三年)は記すべきことなし。甲寅年(五九四年)、隋文帝は東に巡幸し、泰山に封禅した。乙卯・丙辰・丁巳の三年(五九五~五九七年)は事なし。戊午年(五九八年)、兵を出して高句麗を討伐したが、功なくして返った。己未年(五九九年)は事なし。庚申年(六〇〇年)、太子楊勇を廃黜し、改めて晋王楊広を立てて皇太子とした。辛酉年(六〇一年)、年号を「仁寿」と改め、十六人の使者を遣わして天下を巡察させた。壬戌年(六〇二年)、七人の大臣に命じて礼制を釐定させた。癸亥年(六〇三年)は記すべきことなし。

経世之戌 二千二百五十五

甲子 隋文帝二十四年,皇太子廣行弒於仁壽宮,代立,是謂煬帝。是年,幸洛陽,建東都於郟鄏,以洛州為豫州。 乙丑 改元大業,冊妃蕭氏為皇后,子晉王昭為皇太子,以宇文述為左衛大將軍,郭衍為左武衛大將軍,於仲文為右武衛大將軍,尚書令楊素為太子太師,安德王雄為太子太傅,河間王宏為太子太保。遵河由汴渚達於淮,謂之通濟渠。幸東都。

甲子年(六〇四年)は隋文帝在位二十四年である。皇太子楊広は仁寿宮で父を弑し位を奪った――これが隋煬帝である。この年彼は洛陽に巡幸し、郟鄏(今の洛陽一帯)に東都を営建し、洛州を豫州と改称した。乙丑年(六〇五年)、年号を「大業」と改め、王妃蕭氏を冊立して皇后とし、子晋王楊昭を皇太子とした。宇文述を任じて左衛大将軍、郭衍を左武衛大将軍、于仲文を右武衛大将軍、尚書令楊素を太子太師、安徳王楊雄を太子太傅、河間王楊弘を太子太保とした。また黄河に循り、汴水を経て淮河に通達し、「通済渠」を開いた――これは大運河の中段である。煬帝はすぐに東都に巡幸した。

丙寅 幸江都,還次東都。太子昭卒,封孫侗為越王,侑為代王,浩為秦王。 丁卯 還長安,北巡榆林,作宮於晉陽。光祿賀若弼、禮部郎宇文弼、太常卿高熲伏誅西北,大築亭障。 戊辰 北巡五原,作宮於汾陽。遵河由清水達於海,謂之永濟渠。引沁水南達於河,北通涿郡。 己巳 西幸河右,徵吐谷渾,至於覆袁。 庚午 南幸江都。 辛未 北幸涿郡。

丙寅年(六〇六年)、煬帝は江都すなわち今の揚州に巡幸し、回程は東都に駐した。皇太子楊昭が去世し、孫楊侗を越王、楊侑を代王、楊浩を秦王に封じた。丁卯年(六〇七年)、煬帝は長安に帰り、また北に榆林を巡り、晋陽(今の太原)に行宮を営建した。光禄大夫賀若弼・礼部郎宇文弼・太常卿高熲は朝政を議論したことにより処刑された。西北一帯は亭障――すなわち辺塞の哨所と城垣――を大いに修めた。戊辰年(六〇八年)、北に五原を巡り、汾陽に行宮を営建した。黄河に循り清水を経て渤海に通達し、「永済渠」を開いた。また沁水を引いて南は黄河に接し、北は涿郡(今の北京一帯)に通じた。己巳年(六〇九年)、西に河西走廊を巡り、吐谷渾を征討し、兵鋒は覆袁川に到った。庚午年(六一〇年)、南に江都を巡った。辛未年(六一一年)、北に涿郡を巡り、遼東を征する準備をなした。

壬申 以兵百一十三萬三千八百為二十四軍,分左右道,大伐遼東,不利,全陷九軍。 癸酉 以代王侑留守長安,越王侗留守東都,秦王浩從駕徵遼東,復大集兵於涿郡。天下群盜起。楊玄感以本兵叛於黎陽。 甲戌 高麗請降,乃班師。扶風盜稱帝,延安寇稱王,離石賊稱天子。 乙亥 北巡,至於雁門,為突厥所圍。 丙子 南達江都,群盜李密稱兵河南,竇建德稱兵河北,林士弘稱兵江南,徐圓朗稱兵東山,劉武周稱兵代北,薛舉稱兵隴右。

壬申年(六一二年)、隋煬帝は一百一十三万三千八百人を調集し、二十四軍に編し、左右両路に分かち大挙して遼東の高句麗を征伐したが、戦事は失利し、九つの軍は全軍覆没した。癸酉年(六一三年)、代王楊侑に長安を留守させ、越王楊侗に東都を留守させ、秦王楊浩は駕に随って再び遼東を征し、また涿郡で大挙して兵力を集結した。この時天下の盗賊は蜂起し、楊玄感は黎陽(今の河南浚県)で所部を率いて起兵して隋に反した。甲戌年(六一四年)、高句麗は降を請い、隋軍はやっと班師した。扶風の乱民の首領は帝を称し、延安の賊寇は王を称し、離石の賊首は自ら天子を称した。乙亥年(六一五年)、煬帝は北巡して雁門に至り、突厥の大軍に囲困された。丙子年(六一六年)、煬帝は南に江都に下り、各路の起兵する者は天下に遍し――李密は河南に起兵し、竇建徳は河北に起兵し、林士弘は江南に起兵し、徐円朗は東山(今の山東一帯)に起兵し、劉武周は代北に起兵し、薛挙は隴右に起兵した。

丁丑 煬帝在江都。唐公李淵自晉陽入,立代王侑於長安,以江都帝為太上皇,改元義寧。淵稱唐王,專制。群盜竇建德稱王河北。李密進據鞏洛,稱公,國曰魏,元曰永平。薛舉稱帝隴右,國曰秦,元曰秦興。梁師都稱兵夏州,李軌稱兵涼州,蕭銑稱兵巴陵,李子通稱兵海陵,朱粲稱兵寇軍,沈法興稱兵毗陵,杜伏威稱兵歷陽。

丁丑年(六一七年)、煬帝はなお江都に滞留していた。唐国公李淵は晋陽より起兵して関中に入り、代王楊侑を擁立して長安で即位させた――これが隋恭帝であり、遥かに江都の煬帝を尊んで太上皇とし、年号を「義寧」と改めた。李淵は自ら唐王を称し、朝政を独り占めにした。河北の竇建徳は王を称した。李密は鞏県・洛口一帯を進占し、自ら魏公を称し、国号を「魏」、年号を「永平」とした。薛挙は隴右で帝を称し、国号を「秦」、年号を「秦興」とした。このほか梁師都は夏州で起兵し、李軌は涼州で起兵し、蕭銑は巴陵で起兵し、李子通は海陵で起兵し、朱粲は衆を聚めて寇軍をなし、沈法興は毘陵(今の常州)で起兵し、杜伏威は歴陽(今の安徽和県)で起兵した――群雄割拠の勢いはすでに成っていた。

戊寅 五月,唐王李淵代隋命於長安,是謂神堯皇帝,改國曰唐,元曰武德。以裴寂、劉文靜為輔相,世子建成為皇太子,次子世民為秦王。降其君為酅國公。是年,宇文化及弒煬帝於江都,立秦王皓為主,化及稱王,專制,北轉至魏州,化及又殺皓代立,稱帝,國曰許,元曰天壽。又北走聊城。王世充立越王侗於東都,改元皇始,世充稱鄭王,專制。群盜竇建德進有河北,都樂壽。隴右薛舉卒,子仁杲立。劉武周進有河東,稱帝,國曰漢,元曰天興。梁師都進有朔方,稱帝,國曰梁,元曰永隆。李軌進有河右,稱帝,國曰涼,元曰安樂。蕭銑進有江南及嶺表,稱帝,國曰梁,元曰鳳鳴。李子通進有江都,稱帝,國曰吳,元曰明政。朱粲進有山南,稱帝,國曰楚,元曰昌達。沈法興進有江東,稱王,國曰梁,元曰延康。林士弘稱帝虔州,國曰楚,元曰太平。杜伏威進有淮南,受唐封楚王。秦王平隴右,獲薛仁杲。

戊寅年(六一八年)五月、唐王李淵は長安で隋朝に代わって帝を称した――これが唐高祖(廟号は神堯皇帝)であり、国号を「唐」、年号を「武徳」と定めた。裴寂・劉文静を任じて輔政宰相とし、長子李建成を皇太子、次子李世民を秦王とし、隋恭帝楊侑を降して酅国公に封じ、これをもって隋室の祀を奉じた。この時唐朝の実際に控制するところは関中と河東に過ぎず、天下の大半はなお群雄の手にあった。この年、隋の右屯衛将軍宇文化及は驍果軍を率いて江都で嘩変し、隋煬帝を弑殺し、改めて秦王楊浩を立てて主となし、自ら王を称して大権を独り占めにした。北に撤して魏州に至るやまた楊浩を殺して自立して帝とし、国号を「許」、年号を「天寿」とし、再び北に聊城に逃げた。王世充は東都で越王楊侗を擁立し、改元して「皇始」とし、自ら鄭王を称して権を専らにした。群雄の中――竇建徳は河北を占め有し、都を楽寿に建てた。隴右の薛挙が去世し、子薛仁杲が嗣いだ。劉武周は河東を占め有し、帝を称し、国号を「漢」、年号を「天興」とした。梁師都は朔方を占め有し、帝を称し、国号を「梁」、年号を「永隆」とした。李軌は河西を占め有し、帝を称し、国号を「涼」、年号を「安楽」とした。蕭銑は江南および嶺南を占め有し、帝を称し、国号を「梁」、年号を「鳳鳴」とした。李子通は江都を占め有し、帝を称し、国号を「呉」、年号を「明政」とした。朱粲は山南を占め有し、帝を称し、国号を「楚」、年号を「昌達」とした。沈法興は江東を占め有し、王を称し、国号を「梁」、年号を「延康」とした。林士弘は虔州で帝を称し、国号を「楚」、年号を「太平」とした。杜伏威は淮南を占め有し、唐朝の封号を受けて楚王となった。一年の内に帝を称し王を称する者は十余家に多く及んだ――これは隋末分裂の頂点である。年内に秦王李世民は兵を出して隴右を平定し、薛仁杲を俘えた――唐朝の西面の威脅はまず解除された。

己卯 唐秦王平河右,獲李軌。李密與王世充相攻,不利,奔唐,復叛,死於桃林。將徐世勣以河南十郡降竇建德,滅宇文化及於聊城,自樂壽徙於洛南,有黎陽之地,稱國曰夏,元曰五鳳。蕭銑滅林士宏於虔州,杜伏威南保江都,李子通西保江陵。王世充殺越王侗於東都,稱帝,國曰鄭,元曰開明。朱粲降於唐,復殺唐使者,奔王世充。 庚辰 唐秦王平河東,劉武周走突厥。李子通滅沈法興於江東,徙居餘杭。工部尚書獨孤懷恩以謀逆伏誅。

己卯年(六一九年)、唐の秦王李世民は河西を平定し、李軌を俘えた。李密は王世充と洛陽一帯で交戦して失利し、残部を率いて唐朝に奔ったが、ほどなくまた叛離して出走し、桃林で唐軍に追殺された。李密の部将徐世勣は河南十郡を携えて竇建徳に降附した。竇建徳は聊城で宇文化及を消滅し、隋煬帝のために発喪し、都を楽寿より洛水の南に遷し、黎陽一帯を占め有し、国号を「夏」、年号を「五鳳」と称した。蕭銑は虔州で林士弘を消滅した。杜伏威は南に江都を守り、李子通は西に江陵を保った。王世充は東都で自ら擁立した越王楊侗を殺し、自立して帝とし、国号を「鄭」、年号を「開明」とした――隋室の最後の一線の血脈はこれより断絶した。朱粲は一たび唐に降ったが、また唐朝の使者を殺し、転じて王世充に投じた。庚辰年(六二〇年)、唐の秦王李世民は河東を平定し、劉武周は敗れて突厥に逃げた。李子通は江東で沈法興を消滅し、余杭に遷居した。唐の工部尚書独孤懐恩は高祖の外戚で、謀反により処刑された。

辛巳 唐秦王平河南、河北,獲王世充及竇建德以歸。杜伏威滅李子通於餘杭。竇建德故將劉黑闥復稱兵河北。 壬午 唐李靖滅蕭銑於金陵,江南及嶺表平。 癸未 唐秦王平河北,獲劉黑闥,又平徐圓朗於曹州。江淮杜伏威來朝。其將輔公佑稱王丹陽,徙國曰宋。 甲申 唐李靖平輔公佑於江淮。 乙酉 唐加秦王中書令。

辛巳年(六二一年)、唐の秦王李世民は河南・河北を平定し、王世充と竇建徳をあわせて擒えて長安に連れ帰った――この一戦は唐朝統一の根基を奠めた。杜伏威は余杭で李子通を消滅した。竇建徳の旧部将領劉黒闥は河北で再度起兵した。壬午年(六二二年)、唐の将李靖は金陵で蕭銑を消滅し、江南と嶺南は平定された。癸未年(六二三年)、秦王李世民は河北を平定し、劉黒闥を擒え、また曹州で徐円朗を平定した。江淮の杜伏威は朝に入り帰附したが、その部将輔公佑は丹陽で王を称し、国号を「宋」と改めた。甲申年(六二四年)、唐の将李靖は江淮で輔公佑を平定した。乙酉年(六二五年)、唐朝は秦王李世民に中書令の職を加授した。

丙戌 皇太子建成、齊王元吉作難,殺秦王不克。秦王以長孫無忌、尉遲敬德、侯君集、張公謹、王君廓、房玄齡、杜如晦、長孫順德、柴紹、羅藝、劉師元、李世勣、劉宏基、王孝恭平之於玄武門,帝乃授秦王世民位,退居太安宮,稱太上皇。高士廉為侍中,房玄齡為中書令,蕭瑀為尚書右僕射。 丁亥 改元貞觀。尚書封倫卒,蕭瑀為左僕射,長孫無忌為右僕射。 戊子 平梁師都於朔方。

丙戌年(六二六年)、皇太子李建成と斉王李元吉は難を発し、秦王李世民を殺害することを図ったが得手せず。秦王は長孫無忌・尉遅敬徳・侯君集・張公謹・王君廓・房玄齢・杜如晦・長孫順徳・柴紹・羅藝・劉師元・李世勣・劉宏基・王孝恭らに依りて玄武門で政変を発動し、二人を誅除した――これが「玄武門之変」である。高祖はここにおいて帝位を秦王李世民に伝えた――これが唐太宗であり、自ら太安宮に退居し、太上皇を称した。朝中は高士廉をもって侍中、房玄齢を中書令、蕭瑀を尚書右僕射とした。丁亥年(六二七年)、年号を「貞観」と改めた。尚書封倫が去世し、蕭瑀は左僕射に改任し、長孫無忌は右僕射となった。戊子年(六二八年)、朔方で梁師都を平定し、隋末の群雄はここに掃い尽くされた。

己丑 相裴寂以罪免,房玄齡為尚書左僕射,杜如晦為尚書右僕射,李靖為兵部尚書,魏徵守秘書監,參預朝政。 庚寅 李靖平突厥,獲頡利可汗。戴胄、蕭瑀參預朝政,溫彥博為中書令。 辛卯 春大蒐於昆明,冬幸溫湯。 壬辰 祀南郊。 癸巳 魏徵為侍中。頒新定《五經》於天下。

己丑年(六二九年)、宰相裴寂は罪により免職し、房玄齢は尚書左僕射、杜如晦は尚書右僕射、李靖は兵部尚書となり、魏征は秘書監の職をもって朝政に参預した。庚寅年(六三〇年)、李靖は兵を出して東突厥を平定し、頡利可汗を俘え、唐太宗はこれより四夷に「天可汗」と尊ばれた。戴冑・蕭瑀は朝政に参預し、温彦博は中書令となった。辛卯年(六三一年)、春に昆明池で「大蒐」――すなわち大規模な軍隊校閲の猟――を行い、冬に温泉宮に巡幸した。壬辰年(六三二年)、南郊で天を祭った。癸巳年(六三三年)、魏征は侍中に昇任した。朝廷は新たに校定した《五経》を天下に頒行した――これが後の《五経正義》の先声である。

経世之亥 二千二百五十六

甲午 唐廣孝皇帝九年。 乙未 李靖平吐谷渾,獲其王。放(闕)。太上皇崩於太安宮,葬高祖於獻陵。 丙申 魏徵遷特進,溫彥博遷右僕射。 丁酉 幸洛陽宮。 戊戌 高士廉為右僕射。 己亥 幸九成宮。荒服十國來修貢。 庚子 侯君集平高昌,獲其王以歸。弘化公主嬪於吐谷渾。至日圓丘祀昊天上帝。

甲午年(六三四年)は唐太宗(廟号は広孝皇帝)在位九年である。乙未年(六三五年)、李靖は吐谷渾を平定し、その国王を俘えた――ここ底本に闕文あり。太上皇李淵は太安宮で去世し、高祖を献陵に葬った。丙申年(六三六年)、魏征は特進に昇任し、温彦博は右僕射に昇任した。丁酉年(六三七年)、太宗は洛陽宮に巡幸した。戊戌年(六三八年)、高士廉は右僕射となった。己亥年(六三九年)、九成宮に巡幸した。辺遠の「荒服」十国が朝貢に来た。庚子年(六四〇年)、侯君集は高昌を平定し、高昌王を擒えて帰した。弘化公主は吐谷渾に嫁いだ。冬至の日に圜丘で昊天上帝を祭祀した。

辛丑 幸洛陽。文成公主嬪於吐蕃。 壬寅 幸岐陽。 癸卯 圖二十四功臣於凌煙閣。內難作,皇子齊王祐以齊叛,廢太子承乾為庶人,徙之黔。幽魏王泰於北苑,徙之均。以晉王治為皇太子。誅侯君集。至日祀南郊。 甲辰 岑文本、馬周為中書令。幸洛陽,及親征遼東。 乙巳 平高麗。

辛丑年(六四一年)、太宗は洛陽に巡幸した。文成公主は遠く吐蕃賛普松賛干布に嫁ぎ、唐蕃和親の始まりを開いた。壬寅年(六四二年)、岐陽に巡幸した。癸卯年(六四三年)、凌煙閣に二十四功臣の画像を絵した。宮廷の内乱は迭々と起こった――皇子斉王李祐は斉州に拠って反し、太子李承乾は廃されて庶人となり黔州に流され、魏王李泰は北苑に幽禁され均州に改徙し、改めて晋王李治を立てて皇太子とし、功臣侯君集は預謀により誅された。冬至の日に南郊で天を祭った。甲辰年(六四四年)、岑文本・馬周は中書令となった。太宗は洛陽に巡幸し、続いて親ら遼東を征した。乙巳年(六四五年)、唐軍は高句麗を征討して勝を獲、遼東一帯の諸城を攻め抜いた。

丙午 李勣破薛延陁。荒服十一國修貢。 丁未 起翠微宮於終南山。 戊申 阿史郍平龜茲,獲其王以歸。徵松外蠻。司空房玄齡特進。蕭瑀卒,褚遂良為中書令。 己酉 帝崩於翠微宮,皇太子治踐位,葬太宗於昭陵。長孫無忌、褚遂良輔政,復李勣官,仍加特進。于志寧、張行成進侍中,知政事。

丙午年(六四六年)、李勣は薛延陀を撃破し、漠北の諸部は帰附した。辺遠の「荒服」十一国が朝貢に来た。丁未年(六四七年)、終南山に翠微宮を営建した。戊申年(六四八年)、阿史那社爾は亀茲を平定し、亀茲王を擒えて帰した。また兵を出して松外蠻を征討した。司空房玄齢は特進の銜を加えられた。蕭瑀が去世し、褚遂良は中書令となった。己酉年(六四九年)、唐太宗は翠微宮で去世し、皇太子李治が即位した――これが唐高宗であり、太宗を昭陵に葬った。長孫無忌・褚遂良が政を輔佐した。李勣の官職を回復しあわせて特進を加えた。于志寧・張行成は侍中に昇任し、参知政事となった。

庚戌 改元永徽。褚遂良罷政。 辛亥 徵賀魯,至於金嶺。至日有事於南郊。 壬子 冊陳王忠為皇太子。韓瑗、來濟為相,宇文節為侍中,柳奭為中書令。 癸丑 駙馬都尉房遺愛、柴令武、薛萬徹、荊王元景及二公主以謀逆伏誅,遂殺吳王恪。褚遂良復為右僕射。睦州女寇亂。 甲寅 築長安羅城。親謁昭陵。

庚戌年(六五〇年)、唐高宗は年号を「永徽」と改めた。褚遂良は政事を罷められた。辛亥年(六五一年)、兵を出して西突厥の阿史那賀魯を征討し、金嶺に進軍した。冬至の日に南郊で祭天の大礼を行った。壬子年(六五二年)、陳王李忠を冊立して皇太子とした。韓瑗・来済は宰相となり、宇文節は侍中、柳奭は中書令となった。癸丑年(六五三年)、駙馬都尉房遺愛・柴令武・薛万徹および荊王李元景と二人の公主は謀反により処刑され、太宗の子呉王李恪もまた連累して死を賜った。褚遂良は右僕射に復任した。睦州の女子陳碩真は衆を聚めて乱をなした。甲寅年(六五四年)、長安の外郭羅城を修筑した。高宗は親ら昭陵に往き祭拜した。

乙卯 廢皇后王氏、良娣蕭氏為庶人,冊昭儀武氏為皇后,罷長孫無忌、褚遂良政事,以許敬宗、李義府為相。武后殺庶人王氏、蕭氏。崔敦禮為中書令。 丙辰 廢皇太子忠為梁王,冊代王弘為皇太子,改元顯慶。杜正倫為相。 丁巳 幸許、洛,以洛陽為東都。李義府進中書令,許敬宗進侍中,貶相韓瑗、來濟為州刺史。

乙卯年(六五五年)、高宗は皇后王氏と良娣蕭氏を廃黜して庶人となし、昭儀武氏すなわち武則天を冊立して皇后とした。長孫無忌・褚遂良の執政の権を罷免し、改めて許敬宗・李義府を用いて宰相とした。武皇后はその後すでに庶人に廃した王氏・蕭氏を殺した。崔敦礼は中書令となった。丙辰年(六五六年)、皇太子李忠を廃して梁王となし、改めて代王李弘を立てて皇太子とし、年号を「顕慶」と改めた。杜正倫が相に入った。丁巳年(六五七年)、高宗は許州・洛陽に巡幸し、洛陽を東都と定めた。李義府は中書令に昇り、許敬宗は侍中に昇った。もとの宰相韓瑗・来済は州刺史に貶められ、関隴の旧臣の勢力はこれより瓦解した。

戊午 蘇定方平賀魯,獲其王。 己未 殺長孫無忌、褚遂良於流所。幸東都。 庚申 廢梁王忠為庶人。蘇定方平百濟,獲其王扶餘。 辛酉 改元龍朔。 壬戌 還長安,建門下、尚書、中書為東、中、西三臺,分侍中、中書令為左右相。造蓬萊宮。許圉師為左相,尋下獄。 癸亥 起含元殿於蓬萊宮。李義府為右相,尋配流嶲州,死。改來年為麟德。

戊午年(六五八年)、蘇定方は西突厥の阿史那賀魯を平定し、これを擒えた。己未年(六五九年)、長孫無忌・褚遂良は流す地で殺され、太宗朝の元老は尽く清除された。高宗は東都に巡幸した。庚申年(六六〇年)、梁王李忠を廃して庶人とした。蘇定方は百済を平定し、百済王扶余義慈を俘えた。辛酉年(六六一年)、年号を「龍朔」と改めた。壬戌年(六六二年)、高宗は長安に帰り、門下省・尚書省・中書省を東台・中台・西台と改称し、侍中・中書令を左相・右相と改称した。蓬莱宮を営建した――すなわち後の大明宮である。許圉師は左相となったが、ほどなく獄に下った。癸亥年(六六三年)、蓬莱宮に含元殿を興建した。李義府は右相となったが、ほどなく巂州に流されて死んだ。詔を下して次年の年号を「麟徳」と改めた。

皇極経世書巻六下

観物篇三十四 以運経世十

経元之甲一 経会之午七

経運之壬 一百八十九

経世之子 二千二百五十七

甲子 唐弘孝皇帝十五年,殺西臺侍中上官儀,又殺庶人忠於流所。竇德玄為左相,劉祥道為右相。 乙丑 帝同皇后巡東海,封泰山。陸敦信為右相。 丙寅 帝同皇后至自泰山,改元乾封。劉仁軌為右相。 丁卯 禁工商乘馬。戴至德、李安期、張文瓘並同東西臺三品。 戊辰 李勣平高麗,獲其王。祀明堂,改元總章。

甲子年(六六四年)は唐高宗(廟号は弘孝皇帝)在位十五年である。この年西台侍中上官儀を殺し、また流す地で廃太子・庶人李忠を殺した。上官儀は高宗のために廃后の詔書を草たことにより武后の報復を受け、この後朝政は日に日に武后の手に帰した。竇徳玄は左相、劉祥道は右相となった。乙丑年(六六五年)、高宗と武后は東に巡り海浜に至り、泰山に登り封禅の大礼を行った。陸敦信は右相となった。丙寅年(六六六年)、帝后は泰山より返り、年号を「乾封」と改めた。劉仁軌は右相となった。丁卯年(六六七年)、工商の人が馬に乗ることを禁ずるよう下した。戴至徳・李安期・張文瓘はともに「同東西台三品」の名義をもって機務に参預した。戊辰年(六六八年)、李勣は高句麗を平定し、高句麗王高蔵を俘えた。明堂で祭祀を行い、年号を「総章」と改めた。

己巳 帝同皇后幸九成宮。張文瓘同東西臺三品。李勣卒。 庚午 改元咸亨。薛仁貴徵吐蕃不利。 辛未 帝同皇后幸東都及許昌。皇太子弘監國。中書令閻立本、黃門侍郎郝處俊從行。 壬申 帝及皇后至自東都。 癸酉 帝及皇后幸九成宮。 甲戌 皇后稱天后,以帝為天皇,改元上元。帝同皇后幸東都,帝有疾。

己巳年(六六九年)、高宗と武后は九成宮に巡幸した。張文瓘は「同東西台三品」をもって政に参った。名将李勣が去世した。庚午年(六七〇年)、年号を「咸亨」と改めた。薛仁貴は吐蕃を征したが、大非川で惨敗した。辛未年(六七一年)、帝后は東都と許昌に巡幸し、皇太子李弘は留まり守り国を監した。中書令閻立本・黄門侍郎郝處俊は駕に随って同行した。壬申年(六七二年)、帝后は東都より長安に返回した。癸酉年(六七三年)、帝后は九成宮に巡幸した。甲戌年(六七四年)、武皇后は「天后」と称し、高宗を尊んで「天皇」とし、時人は合わせて「二聖」と称し、年号を「上元」と改めた。帝后は再び東都に巡り、高宗はこの時すでに風疾を患っていた。

乙亥 皇太子弘卒,以雍王賢為皇太子。 丙子 帝及皇后自東都還,改元儀鳳。來恆、薛元超、李義琰、高智周並同中書門下三品。李敬玄、劉仁軌為中書令。 丁丑 戊寅 改來年為通乾。 己卯 甘露降,改元調露。帝同皇后幸東都。裴行儉大伐突厥。

乙亥年(六七五年)、皇太子李弘が去世し、改めて雍王李賢を立てて皇太子とした。丙子年(六七六年)、帝后は東都より京に還り、年号を「儀鳳」と改めた。来恒・薛元超・李義琰・高智周はともに「同中書門下三品」をもって政に参り、李敬玄・劉仁軌は中書令となった。丁丑年(六七七年)は記すべきことなし。戊寅年(六七八年)、詔を下して次年の年号を「通乾」と改めた。己卯年(六七九年)、「甘露」の祥瑞が降ったことにより、年号を「調露」と改めた。帝后は東都に巡幸した。裴行倹は大挙して突厥を征討した。

庚辰 廢皇太子賢為庶人,以英王哲為皇太子。帝、皇后幸汝陽及嵩嶽。裴炎、崔知溫、王德真並同中書門下三品。改元永隆。帝及皇后至自東都。 辛巳 裴行儉平突厥,獲其王伏念。改元開耀。裴炎進侍中,崔知溫、薛元超進中書令。 壬午 改元永淳。帝及皇后幸東都,起奉天宮於嵩之陽。劉景先、郭待舉、郭正一、岑長倩、魏玄同並同中書門下平章事。

庚辰年(六八〇年)、皇太子李賢を廃して庶人とした――すなわち後世に称される章懐太子であり、改めて英王李哲すなわち後の唐中宗李顕を立てて皇太子とした。帝后は汝陽と嵩山に巡幸した。裴炎・崔知温・王徳真はともに「同中書門下三品」をもって政に参った。年号を「永隆」と改めた。帝后は東都より京に返った。辛巳年(六八一年)、裴行倹は突厥を平定し、その国を復して自立した首領阿史那伏念を俘えた。年号を「開耀」と改めた。裴炎は侍中に昇り、崔知温・薛元超は中書令に昇った。壬午年(六八二年)、年号を「永淳」と改めた。帝后は再び東都に幸し、嵩山の南に奉天宮を営建し、工役は浩繁であった。劉景先・郭待挙・郭正一・岑長倩・魏玄同はともに「同中書門下平章事」をもって政に参った。この時高宗の病勢はすでに重く、朝政は実際には天后武氏の裁決によるものであった。

癸未 改元弘道。帝崩於東都。皇太子哲嗣位,是謂昭孝皇帝,天后稱制。劉仁軌進尚書左僕射,岑長倩進兵部尚書,魏玄同進黃門侍郎,劉齊賢進侍中,裴炎進中書令。 甲申 改元嗣聖。天后廢帝為廬陵王,遷之均,立豫王旦,改元文明。侍中裴炎進爵為侯,王德真進侍中,劉褘之、武承嗣進中書平章事。葬高宗於乾陵,再改元光宅。徐敬業以揚州叛,南拔潤州,平之。殺宰相裴炎。又改來年為垂拱。來俊臣、周興大行誣構,謂之羅織。

癸未年(六八三年)、年号を「弘道」と改めた。唐高宗は東都洛陽で去世し、皇太子李哲が即位した――これが唐中宗(廟号は昭孝皇帝)であり、天后武氏は朝に臨み制を称し、実権を掌握した。劉仁軌は尚書左僕射に昇り、岑長倩は兵部尚書に昇り、魏玄同は黄門侍郎に昇り、劉斉賢は侍中に昇り、裴炎は中書令に昇った。甲申年(六八四年)、改元して「嗣聖」とした。天后はすぐに中宗を廃して廬陵王となし、均州に遷し、改めて豫王李旦を立てた――これが唐睿宗であり、また改元して「文明」とした。侍中裴炎は爵を進めて侯となり、王徳真は侍中に昇り、劉禕之・武承嗣は中書平章事をもって政に参った。高宗を乾陵に葬り、年内に再び改元して「光宅」とした。徐敬業は揚州で起兵して武氏に反対し、南に下って潤州を攻め取ったが、すぐに平定された。宰相裴炎は諫諍により殺された。また詔を下して次年の年号を「垂拱」と改めた。酷吏来俊臣・周興は朝臣を大いに誣い陥れ罪名を編造し、時人はこれを「羅織」と称した。

乙酉 武后徙帝居房陵,改中書門下為鳳閣鸞臺。 丙戌 蘇良嗣為文昌左相,韋待賈為文昌右相,並同鳳閣鸞臺三品。 丁亥 武后賜宰相劉禕之死,張光輔為鳳閣侍郎。 戊子 武后稱聖母。關東八王謀興復。博州琅玡王沖及父蔡州越王貞先發,悉平之,大夷王室。

乙酉年(六八五年)、武后は廃帝李顕を房陵に遷して安置し、また中書省・門下省を改名して「鳳閣」「鸞台」とした。丙戌年(六八六年)、蘇良嗣は文昌左相、韋待賈は文昌右相となり、ともに「同鳳閣鸞台三品」を加えて政に参った。丁亥年(六八七年)、武后は宰相劉禕之に自尽を賜り、張光輔は鳳閣侍郎となった。戊子年(六八八年)、武后は自ら「聖母神皇」を称した。関東の八人の李唐宗室の親王は密かに復辟を謀り、博州刺史琅玡王李冲とその父蔡州刺史越王李貞は先んじて兵を起こしたが、皆平定され、武后は機に乗じて李唐宗室を大いに誅戮した。

己丑 武后改元永昌,稱聖皇,大殺王族,又殺納言魏玄同及內史張光輔,引王本立、範履冰、邢文偉為相。 庚寅 武后改元載初,以建子月為歲首,祀明堂,以明空為曌,以詔為制,大殺王族,改國為周,元曰天授,稱皇帝。降豫王旦為皇嗣,立武氏七廟,封武氏三人為王。引傅遊藝為相。改魚為龜。

己丑年(六八九年)、武后は年号を「永昌」と改め、「聖皇」と号し、李唐宗室を大いに誅殺し、また納言魏玄同と内史張光輔を殺し、王本立・范履氷・邢文偉を起用して宰相とした。庚寅年(六九〇年)、武后は改元して「載初」とし、周暦を採用して「建子月」――すなわち夏暦の十一月――を歳首とし、明堂で祭祀した。また新字を造り、「明」「空」の二字を合わせて「曌」をなして自らの名字とし、「詔」を改称して「制」とした。なお李唐の王族を誅殺し続けた。この年彼女は国号を「周」、年号を「天授」と改め、正式に皇帝を称した――史は武周と称す。睿宗李旦を降して「皇嗣」とし、武氏のために七廟を立て、武氏三人を王に封じた。傅游藝を起用して宰相とした。官員の佩る符信もまた魚形より亀形に改められた。

辛卯 武后祀明堂,格輔元、樂思晦並同鳳閣鸞臺平章事,歐陽通為納言。殺宰相岑長倩、格輔元及納言歐陽通,用狄仁傑為相。 壬辰 武后祀明堂,改元如意,再改元長壽。楊執柔、崔元綜、李昭德、姚璹、李元素為相,狄仁傑下獄。 癸巳 武后祀明堂,稱金輪皇帝,引豆盧欽望、韋巨源、陸元方為相,婁師德亦相。

辛卯年(六九一年)、武后は明堂で祭祀した。格輔元・楽思晦はともに「同鳳閣鸞台平章事」をもって政に参り、欧陽通は納言となった。同年また宰相岑長倩・格輔元と納言欧陽通を殺した――彼らは皆武承嗣を立てて皇嗣とすることに反対して禍に遭ったのである。その後狄仁傑を起用して宰相とした。壬辰年(六九二年)、武后は明堂を祀り、改元して「如意」、年内に再び改元して「長寿」とした。楊執柔・崔元綜・李昭徳・姚璹・李元素が相継いで相となった。狄仁傑は酷吏来俊臣に誣い陥れられ獄に下されたが、一死を免れて彭沢令に貶された。癸巳年(六九三年)、武后は明堂を祀り、号に「金輪皇帝」を加えた――これは仏教の「転輪聖王」の義を取って自らを神化したものである。豆盧欽望・韋巨源・陸元方を起用して宰相とし、婁師徳もまた相に入った。

経世之丑 二千二百五十八

甲午 唐昭孝皇帝十一年,在房陵,武后祀明堂,改元延載,引蘇味道、王孝傑、楊再思、杜景儉、李元素、周允元相繼為相。 乙未 武后改元證聖,明堂火。稱天冊,再改元天冊萬歲。 丙申 武后封中嶽,改元萬歲登封,祀明堂,再改元萬歲通天。契丹李盡忠以孫萬榮叛,陷營、冀,命二十八將討之,不利。引王方慶、李道廣為相。

甲午年(六九四年)は唐中宗(廟号は昭孝皇帝)の名義上在位の十一年であり、その人はなお房陵に幽居していた。この年武后は明堂を祀り、改元して「延載」とし、前後して蘇味道・王孝傑・楊再思・杜景倹・李元素・周允元を起用して宰相とした。乙未年(六九五年)、武后は改元して「証聖」とし、明堂に火が出て焚き毀れた。彼女は号に「天冊金輪聖神皇帝」を加え、再び改元して「天冊万歳」とした。丙申年(六九六年)、武后は中岳嵩山に封禅し、改元して「万歳登封」とし、また明堂を祀り、再び改元して「万歳通天」とした。契丹の首領李尽忠と孫万栄は起兵して周に反し、営州・冀州を攻め陥し、朝廷は二十八員の将領を遣わして征討したが、作戦は利あらず。王方慶・李道広を起用して宰相とした。

丁酉 武后祀明堂。河朔平。再用婁師德為相。魏王武承嗣、梁王武三思並同鳳閣鸞臺三品。改元神功。狄仁傑、杜景儉復相。誅司業少卿來俊臣,遂及內史李昭德。 戊戌 武后祀明堂,改元聖歷,召帝於房陵,返政。突厥執武延秀及行人閻知微,以破媯檀,定趙。用姚元崇、李嶠為相。

丁酉年(六九七年)、武后は明堂を祀った。河朔の契丹の乱は平定された。再度婁師徳を起用して相とした。魏王武承嗣・梁王武三思はともに「同鳳閣鸞台三品」を加えられた。改元して「神功」とした。狄仁傑・杜景倹は宰相に復任した。酷吏司業少卿来俊臣を処刑し、内史李昭徳もまたあわせて殺された。戊戌年(六九八年)、武后は明堂を祀り、改元して「聖暦」とした。中宗李顕を房陵より召し帰し、重ねて皇太子に立てた――李唐に政を帰す伏筆を埋めた。突厥は和親に往した武延秀と使者閻知微を抑留し、進んで妫州・檀州を攻め破り、兵鋒は趙州一帯に波及した。姚元崇すなわち姚崇と李嶠を起用して宰相とした。

己亥 武后幸嵩山,封皇嗣旦為相王,引魏元忠、吉頊為相,又引王及善、豆盧欽望為左右相。 庚子 武后幸汝陽,建三陽宮於嵩山之陽,改元久視,復舊正朔。張錫、韋安石為相,武三思為特進,相吉頊配流嶺表,內史狄仁傑卒。 辛丑 改元大足。武后幸嵩之三陽宮,又改元長安。李懷遠、顧琮、李迥秀為相。

己亥年(六九九年)、武后は嵩山に巡幸し、皇嗣李旦を改めて相王に封じた。魏元忠・吉頊を起用して宰相とし、また王及善・豆盧欽望を用いて左相・右相とした。庚子年(七〇〇年)、武后は汝陽に巡幸し、嵩山の南に三陽宮を営建し、改元して「久視」とし、あわせて唐朝旧来の正朔を回復し、重ねて夏暦正月をもって歳首とした。張錫・韋安石が宰相となり、武三思は特進の銜を加えられた。宰相吉頊は嶺南に流された。内史狄仁傑が去世した――彼は生前に力を主張して李唐に政を還し賢臣を薦抜し、武周晚年の最も重き一柱石であった。辛丑年(七〇一年)、改元して「大足」とした。武后は嵩山三陽宮に巡幸し、続いて西に長安に還り、また改元して「長安」とした。李懐遠・顧琮・李迥秀が相に入った。

壬寅 武后祀南郊。 癸卯 武后幸東都,朱敬則為相。 甲辰 韋嗣立、宗楚客、崔玄暉、張柬之同平章事,韋安石納言,李嶠內史。 乙巳 武后改元神龍。張柬之、崔玄暉、桓彥范、敬暉、袁恕己平張易之及昌宗之亂,徙武后於上陽宮,除周國號,以相王旦為安國王,太平公主為鎮國公主,賞定亂功也。韋氏復正皇后位,武三思進位司空相。武后崩於東都之上陽宮。祝欽明、唐休璟為相。

壬寅年(七〇二年)、武后は南郊で天を祭った。癸卯年(七〇三年)、武后は東都に巡幸し、朱敬則が相に入った。甲辰年(七〇四年)、韋嗣立・宗楚客・崔玄暉・張柬之は同平章事となり、韋安石は納言、李嶠は内史となった。乙巳年(七〇五年)、武后は改元して「神龍」とした。武后は年老い病気が重く、寵幸する張易之・張昌宗兄弟は内廷を把持し、張柬之・崔玄暉・桓彦範・敬暉・袁恕己の五人は政変を発動してこれらを誅除し、武后を上陽宮に遷し、彼女を逼じて中宗に位を伝えさせ、「周」の国号を廃し、唐朝を回復した――史は「神龍革命」と称す。相王李旦は安国王に封ぜられ、太平公主は鎮国公主に封ぜられ、皆乱を平らげた功に報いるものである。韋氏は復位して皇后となり、武三思は司空に進位し宰相となった。同年冬、八十二歳の武則天は東都上陽宮で去世した。祝欽明・唐休璟が相に入った。

丙午 帝還長安,附武后於乾陵,以宮人上官婉兒為昭容。武三思居中用事,封張柬之、桓彥范、崔玄暉、袁恕己、敬暉五人為王,尋貶為州司馬,殺之於流所。進魏元忠、李嶠為中書令,李懷遠同中書平章事,冊衛王重俊為皇太子,開長寧、安樂二公主府,大行斜封墨制,於惟謙為相,蘇瓌進侍中。

丙午年(七〇六年)、唐中宗は長安に帰り、武則天を乾陵に合葬した。宮人上官婉児を擢んで昭容とした。武三思は宮中で権を専らにし、まず張柬之・桓彦範・崔玄暉・袁恕己・敬暉の五位の功臣を明らかに昇らせて王となし、すぐに州司馬に貶し、また流す地で彼らを殺害した。魏元忠・李嶠は中書令に昇り、李懐遠は同中書平章事となった。衛王李重俊を冊立して皇太子とした。長寧・安楽の二公主のために府署を開設した。この時大量の官職は宮中より直接墨敕をもって封授し、中書門下の正規の程序を経なかった――時に「斜封官」と称す。于惟謙が相に入り、蘇瓌は侍中に昇った。

丁未 李多祚以羽林兵誅武三思,又殺皇后韋氏不克,敗,死。太子重俊出奔,野死。宗楚客、紀處訥、蕭至忠為相,改元景龍。 戊申 安樂公主假皇后車服出,敕武延秀、張仁亶為相。 己酉 作宮市。韋嗣立、崔湜、韋溫、鄭愔、蘇瓌、趙彥昭相繼為相,李嶠為特進。

丁未年(七〇七年)、将軍李多祚は羽林軍を率いて武三思を誅殺し、進んで皇后韋氏を殺そうとしたが得手せず、兵を敗って殺された。皇太子李重俊は出て逃げ、荒野で死んだ。宗楚客・紀處訥・蕭至忠が相に入り、改元して「景竜」とした。戊申年(七〇八年)、安楽公主は皇后の車駕服飾を僭用して出行した。敕を下して武延秀・張仁亶をもって相とした。己酉年(七〇九年)、「宮市」を設置し、宦官に市で貨物を強買させた。韋嗣立・崔湜・韋温・鄭愔・蘇瓌・趙彦昭が相継いで相となり、李嶠は特進の銜を加えられた。

庚戌 殺諫臣燕欽融於殿庭。皇后韋氏及安樂公主行弒於內寢,立溫王重茂為嗣,改元唐隆,以裴談、張錫、張嘉福、岑羲為相。臨淄王隆基以劉幽求、薛崇簡、鍾紹京、麻嗣宗兵入,誅韋溫、紀處訥、宗楚客、武延秀、馬秦客、葉靜能、趙履冰、楊均及皇后韋氏、安樂公主、上官昭容,葬中宗於定陵,臨淄王隆基稱平王,降重茂嗣,尊父相王旦為帝,是謂興孝皇帝。既踐位,以鍾紹京、劉幽求、薛崇簡、崔日用為相,冊平王隆基為皇太子,改元景云,追廢皇后韋氏、安樂公主為庶人。姚元之為相。

庚戌年(七一〇年)、諫臣燕欽融は疏を上げて韋后を掲発したことにより殿庭の上で処刑された。皇后韋氏と安楽公主は武則天を効法せんと欲し、内寝で唐中宗を毒殺し、年幼の温王李重茂を擁立して嗣ぎ立て、改元して「唐隆」とし、裴談・張錫・張嘉福・岑羲をもって相とし、韋氏の子弟は分かち禁軍を掌った。臨淄王李隆基は劉幽求・薛崇簡・鍾紹京・麻嗣宗と連合して兵を率いて宮に入り、韋温・紀處訥・宗楚客・武延秀・馬秦客・葉静能・趙履氷・楊均および韋皇后・安楽公主と上官昭容すなわち上官婉児を誅殺した――史は「唐隆政変」と称す。中宗を定陵に葬った。李隆基は改称して平王とし、李重茂の嗣君の位を廃黜し、その父相王李旦を尊んで帝とした――これが唐睿宗(廟号は興孝皇帝)であり、これは睿宗の第二度の登位である。睿宗は即位の後、鍾紹京・劉幽求・薛崇簡・崔日用をもって宰相とし、平王李隆基を冊立して皇太子とし、改元して「景雲」とし、韋皇后・安楽公主を追廃して庶人とした。姚元之すなわち姚崇が相に入った。

辛亥 皇太子隆基監國,郭元振、張說、竇懷貞、陸象先、魏知古為相,劉幽求進侍中相。 壬子 祀南郊,改元太極。祀北郊,改元延和。帝傳位於皇太子隆基,是謂明孝皇帝。既踐位,改元先天,黜劉幽求、鍾紹京、張暉官。

辛亥年(七一一年)、皇太子李隆基は命を受けて国を監した。郭元振・張説・竇懐貞・陸象先・魏知古が相に入り、劉幽求は侍中に昇って相となった。壬子年(七一二年)、睿宗は南郊で天を祭り、改元して「太極」とした。また北郊で地を祭り、改元して「延和」とした。年内に睿宗は帝位を皇太子李隆基に伝えた――これが唐玄宗(廟号は明孝皇帝)である。玄宗は即位の後改元して「先天」とし、劉幽求・鍾紹京・張暉の官職を罷黜した。この時太平公主はなお大権を握り、玄宗の地位はなお穏固ならなかった。

癸丑 太平公主、竇懷貞、岑羲、蕭至忠、常元楷、薛稷、賈膺福、李慈、李欽、李猷、崔湜、盧藏用、傅孝忠、僧惠範作逆伏誅,進姜皎、李令問、王毛仲、王守一官,復劉幽求、鍾紹京、張暉官,令知政事。講武於驪山,改元開元。用盧懷慎、姚崇為相,改中書為紫微。 甲寅 乙卯 冊郢王嗣謙為皇太子。 丙辰 太上皇崩,葬睿宗於喬陵。源乾曜、蘇頲為相。姚崇讓宋璟為相。 丁巳 幸洛陽,嬪永樂公主於契丹。 戊午 至自東都。 己未 庚申 張嘉貞為相。 辛酉 相姚崇卒。 壬戌 幸東都長安,竊發。 癸亥

癸丑年(七一三年)、太平公主は竇懐貞・岑羲・蕭至忠・常元楷・薛稷・賈膺福・李慈・李欽・李猷・崔湜・盧蔵用・傅孝忠および僧人恵範と謀逆したが、玄宗に先んじて制され一挙に誅除された。姜皎・李令問・王毛仲・王守一は官を昇り、劉幽求・鍾紹京・張暉は官に復し参知政事となった。玄宗は驪山で大閱兵を行い、改元して「開元」とした。盧懐慎・姚崇を起用して相とし、中書省を改称して「紫微省」とした。甲寅年(七一四年)は記すべきことなし。乙卯年(七一五年)、郢王李嗣謙を冊立して皇太子とした。丙辰年(七一六年)、太上皇睿宗が去世し、橋陵に葬った。源乾曜・蘇頲が相に入った。姚崇は宋璟を挙げ薦めて自らに代わり相とさせた。丁巳年(七一七年)、玄宗は洛陽に巡幸し、永楽公主をもって契丹に和親した。戊午年(七一八年)、東都より京に返った。己未年(七一九年)は事なし。庚申年(七二〇年)、張嘉貞が相に入った。辛酉年(七二一年)、宰相姚崇が去世した。壬戌年(七二二年)、玄宗は東都に巡幸し、長安に人あって虚に乗じて乱をなした。癸亥年(七二三年)は記すべきことなし。

経世之寅 二千二百五十九

甲子 唐明孝皇帝十三年,廢皇后王氏為庶人。幸東都。宋璟守長安。 乙丑 封泰山,用源乾曜、張說為左右相。 丙寅 李元紘、杜暹為相。還東都。 丁卯 至自東都。 戊辰 蕭嵩為相。 己巳 張說、宋璟為左右相。謁橋、定、獻、昭、乾五陵。裴光庭為相。 庚午 北討契丹。 辛未 幸東都。 壬申 至自東都。宋璟免相。

甲子年(七二四年)は唐玄宗(廟号は明孝皇帝)在位十三年である。この年皇后王氏を廃して庶人とした。玄宗は東都に巡幸し、宋璟を留めて長安を鎮守させた。乙丑年(七二五年)、玄宗は泰山に封禅し、源乾曜・張説をもって左相・右相とした。丙寅年(七二六年)、李元紘・杜暹が相に入った。玄宗は東都に帰った。丁卯年(七二七年)、東都より京に返った。戊辰年(七二八年)、蕭嵩が相に入った。己巳年(七二九年)、張説・宋璟は左右相となった。玄宗は橋陵・定陵・献陵・昭陵・乾陵の五座の祖陵を謁拝した。裴光庭が相に入った。庚午年(七三〇年)、北に契丹を伐った。辛未年(七三一年)、東都に巡幸した。壬申年(七三二年)、東都より京に返った。宋璟は相位を免ぜられた。

癸酉 韓休、張九齡、裴耀卿為相。 甲戌 幸東都。李林甫為相。 乙亥 丙子 至自東都。牛仙客為相。是年,太真楊氏入宮,李林甫用事。 丁丑 廢皇太子瑛為庶人,罷張九齡相,仍黜之。相宋璟卒。監察御史周子諒言牛仙客事,杖死於朝。 戊寅 冊忠王璵為皇太子。相李林甫領隴右、河西節度使,牛仙客領河東節度使。

癸酉年(七三三年)、韓休・張九齢・裴耀卿が相に入った。甲戌年(七三四年)、玄宗は東都に巡幸した。李林甫が相に入った。乙亥年(七三五年)は記すべきことなし。丙子年(七三六年)、東都より京に返った。牛仙客が相に入った。この年楊太真すなわち楊玉環は宮中に納れられ、李林甫は権を専らにし始めた――開元之治が盛より衰に転ずる伏線はこれより埋められた。丁丑年(七三七年)、皇太子李瑛を廃して庶人とした。張九齢の相位を罷め、あわせて彼を朝廷より貶し出した。前の相宋璟が去世した。監察御史周子諒は牛仙客を弾劾し、廷で杖されて死んだ。戊寅年(七三八年)、忠王李玙すなわち後の唐粛宗李亨を冊立して皇太子とした。宰相李林甫は隴右・河西節度使を兼領し、牛仙客は河東節度使を兼領した――宰相が辺鎮を遥領する例はこれより開かれた。

己卯 平突厥,獲其王,追封孔宣父為文宣王,顏回為兗國公,餘哲併為侯。 庚辰 辛巳 命安祿山為平盧軍節度使。 壬午 改元天寶。李適之為相,開《莊》、《文》、《列》、《庚桑子》四學。裴耀卿進尚書右僕射。 癸未 甲申 改元為載,命安祿山為范陽節度使,作太真妃楊氏養子。 乙酉 冊太真妃楊氏為貴妃。契丹殺公主,叛。

己卯年(七三九年)、突厥を平定し、その可汗を俘えた。孔子を追封して「文宣王」、顔回を兗国公とし、その余の先賢は皆侯に封じた。庚辰年(七四〇年)は記すべきことなし。辛巳年(七四一年)、安禄山を任命して平盧軍節度使とした。壬午年(七四二年)、改元して「天宝」とした。李適之が相に入った。朝廷は《荘子》《文子》《列子》《庚桑子》の四家の道家経典の学を開設した。裴耀卿は尚書右僕射に昇った。癸未年(七四三年)は事なし。甲申年(七四四年)、「年」を改称して「載」とした。安禄山を任命して范陽節度使とし、あわせて彼に太真妃楊氏を養母と認めさせた。乙酉年(七四五年)、太真妃楊氏を冊立して貴妃とした。契丹は和親の公主を殺し、起兵して唐に反いた。

丙戌 陳希烈為左相。右相李林甫大行誣構,首陷韋堅。 丁亥 改溫泉為華清宮。 戊子 以宦人高力士為驃騎大將軍,關中外。賜安祿山鐵券。幸華清宮。 己丑 幸華清宮。 庚寅 幸華清宮,權歸韓國、虢國、秦國三夫人及鴻臚卿楊銛、宰相楊國忠五家。安祿山進封東平郡王。 辛卯 幸華清宮。安祿山入朝,乞兼河東。討雲南不利。 壬辰 幸華清宮。李林甫卒,楊國忠為右相。 癸巳 幸華清宮。楊國忠大行誣構,進封哥舒翰西平郡王。

丙戌年(七四六年)、陳希烈は左相となった。右相李林甫は罪名を大いに羅織して異己を陥れ、まず構え陥れたのは韋堅であった。丁亥年(七四七年)、驪山温泉宮を改名して「華清宮」とした。戊子年(七四八年)、宦官高力士を任じて驃騎大将軍とし、内外の章奏は皆彼により関通した。安禄山に「鉄券」――すなわち死を免ずる憑証――を賜った。玄宗は華清宮に巡幸した。己丑年(七四九年)、再び華清宮に幸した。庚寅年(七五〇年)、華清宮に幸した。朝権は韓国・虢国・秦国の三位の夫人と鴻臚卿楊銛・宰相楊国忠の五家の手に帰した。安禄山は進封されて東平郡王となった。辛卯年(七五一年)、華清宮に幸した。安禄山は朝に入り、河東を兼領することを請うた。南詔を征討して失利した。壬辰年(七五二年)、華清宮に幸した。李林甫が去世し、楊国忠は右相となった。癸巳年(七五三年)、華清宮に幸した。楊国忠もまた構え陥れる事を大いに行った。哥舒翰は進封されて西平郡王となった。

経世之卯 二千二百六十

甲午 唐明孝皇帝四十三年,受朝於華清宮。韋見素為相,始以詩賦取士。楊國忠進位守司空。 乙未 安祿山以范陽叛,兵陷東都。皇太子璵為元帥,監國。高仙芝、封常清軍敗。以哥舒翰將兵二十萬守潼關。 丙申 潼關不守,帝西幸蜀,至馬嵬,兵亂,殺宰相楊國忠及貴妃楊氏。祿山陷長安,稱帝東都,國曰燕,元曰聖武。皇太子西至靈武,即皇帝位,是謂宣孝皇帝,改元至德,以廣平王俶為元帥,裴冕為相。尊蜀中帝為太上皇。移軍彭原。恆山陷,顏杲卿死於東都。

甲午年(七五四年)は唐玄宗在位四十三年であり、この年彼は華清宮で群臣の朝賀を受けた。韋見素が相に入った。科挙は始めて詩賦をもって士を取った。楊国忠は位を進めて守司空となった。乙未年(七五五年)、安禄山は范陽で起兵して唐に叛し、兵鋒は東都洛陽を攻め陥した――「安史之乱」が爆発した。皇太子李玙は天下兵馬元帥・留守監国となった。名将高仙芝・封常清は兵を敗って殺された。朝廷は哥舒翰に命じて兵二十万を領して潼関を拠守させた。丙申年(七五六年)、潼関は失守し、玄宗は西に蜀に逃げ入り、行きて馬嵬駅に至るや、禁軍は嘩変し、宰相楊国忠を殺し、あわせて貴妃楊氏を逼死させた。安禄山は長安を攻め陥し、洛陽で帝を称し、国号を「燕」、年号を「聖武」とした。皇太子は北上して霊武に至り皇帝位に即いた――これが唐粛宗(廟号は宣孝皇帝)であり、改元して「至徳」とし、広平王李俶をもって兵馬元帥、裴冕を相とし、遥かに蜀中の玄宗を尊んで太上皇とし、続いて軍を彭原に移した。常山は失陥し、忠臣顔杲卿は洛陽で遇害了。

丁酉 朔方節度使郭子儀、太原節度使李光弼兵入,逐安祿山將,大敗之於香積,遂復兩京。帝還長安,太上皇至自成都,封廣平王俶為成王,苗晉卿代韋見素為左相。安祿山為子慶緒所殺,代立,退保相州,改元天成。 戊戌 唐改元乾元,以成王俶為皇太子,李揆、王璵為相。九節度圍安慶緒於相州,軍潰。祿山將史思明殺安慶緒,稱帝魏州。

丁酉年(七五七年)、朔方節度使郭子儀・太原節度使李光弼は軍を率いて反攻し、叛軍の将領を駆逐し、香積寺で敵軍を大破し、長安・洛陽の両京を収復した。粛宗は都を長安に還し、太上皇玄宗は成都より返回した。広平王李俶を成王に封じ、苗晋卿は韋見素に替わり左相となった。安禄山は子安慶緒に殺され、安慶緒が位を継ぎ、退いて相州を保し、改元して「天成」とした。戊戌年(七五八年)、唐は改元して「乾元」とし、成王李俶を立てて皇太子とし、李揆・王玙が相に入った。九鎮の節度使は安慶緒を相州に合囲したが、統一の指揮なきがため全軍潰散した。安禄山の旧将史思明は安慶緒を殺し、魏州で帝を称した。

己亥 唐改元順天。李峴、呂諲、第五琦為相。史思明覆陷東都。 庚子 唐改元上元。宦人李輔國逼太上皇入西宮。劉展以揚州叛。 辛丑 太上皇崩於西宮,帝亦不豫,皇太子俶監國,苗晉卿行冢宰。史思明為子朝義所殺,代立,保東都。

己亥年(七五九年)、年号を「順天」と改めた。案ずるに「順天」は実は史思明が帝を称して建てた年号であり、底本は唐に係するが、当時唐はなお「乾元」を用いていた。李峴・呂諲・第五琦が相に入った。史思明は再度東都洛陽を攻め陥した。庚子年(七六〇年)、唐は改元して「上元」とした。宦官李輔国は太上皇玄宗を逼じて西内に遷入させた。劉展は揚州で叛乱した。辛丑年(七六一年)、太上皇玄宗は西宮で去世し、粛宗もまた病重く、皇太子李俶は国を監し、苗晋卿は塚宰の事を行った。史思明は子史朝義に殺され、史朝義が位を継ぎ、洛陽を拠守した。

壬寅 改元寶應,皇后張氏謀立越王繫,內臣李輔國、程元振幽皇后張氏於別殿,殺之。帝崩,皇太子俶踐位,是謂孝武皇帝,以雍王適為元帥,元載為相,程元振為驃騎大將軍,居中用事。復東都及河朔。史朝義走幽州,幽人殺之以獻。 癸卯 吐蕃犯長安,別立武王宏。帝出居郟。郭子儀收京城,帝還長安,放武王宏於華州,葬玄宗於秦陵,葬肅宗於建陵,改元廣德。僕固懷恩以汾州叛,罷苗晉卿、裴遵度相,以李峴為相。

壬寅年(七六二年)、改元して「宝応」とした。皇后張氏は改めて越王李系を立てることを図り、宦官李輔国・程元振は彼女を別殿に幽禁して殺害した。粛宗が去世し、皇太子李俶が即位した――これが唐代宗(廟号は孝武皇帝)である。雍王李適をもって兵馬元帥、元載を相、程元振を驃騎大将軍として宮中で権を掌らせた。唐軍は東都と河朔を収復し、史朝義は幽州に逃げ、幽州の守将に殺され首を献じられた――八年にわたる安史之乱はここに終わった。癸卯年(七六三年)、吐蕃は長安に攻め入り、別に広武王李承宏を立てて帝とし、代宗は出でて陝州に奔った。郭子儀は京城を収復し、代宗は都を長安に還し、李承宏を華州に放逐した。玄宗を泰陵に葬り、粛宗を建陵に葬った。改元して「広徳」とした。僕固懐恩は汾州に拠って叛変した。苗晋卿・裴遵度の相位を罷め、李峴をもって相とした。

甲辰 以雍王為皇太子。吐蕃寇邠及奉天。王縉、杜鴻漸代劉晏、李峴為相。 乙巳 改元永泰。吐蕃大掠畿甸。帝御六軍屯於範,命九節度以本軍討賊。吐蕃會回紇,寇奉天,僕固懷恩啟之也。郭子儀復以回紇隨白元光破吐蕃於靈武。崔旴以西川亂。 丙午 改元大曆。周智光以華叛。

甲辰年(七六四年)、雍王李適を立てて皇太子とした。吐蕃は邠州と奉天を進犯した。王縉・杜鴻漸は劉晏・李峴に替わって相となった。乙巳年(七六五年)、改元して「永泰」とした。吐蕃は京畿を大いに抄掠した。代宗は親ら六軍を率いて屯駐し、九鎮節度使に命じて各々本部の兵を領して賊を討たせた。吐蕃は回紇と連合して奉天を進犯した――これは安史の乱を平定した功臣僕固懐恩が朝廷に疑いを受け、叛して引き入れたものである。僕固懐恩が軍中で病死した後、郭子儀は反対に回紇を争い取り、白元光に随って霊武で吐蕃を大破した。崔旰は西川で乱をなした。丙午年(七六六年)、改元して「大暦」とした。周智光は華州に拠って叛乱した。安史の乱の後、外に吐蕃・回紇があり、内に藩鎮の叛服常なきがあり、唐朝は再び寧日がなかった。

丁未 吐蕃大寇靈武。郭子儀鎮涇陽。 戊申 吐蕃再寇靈武。 己酉 裴冕為相。 庚戌 臧玠以潭州叛。 辛亥 壬子 回紇掠京城,朱泚節度幽州。 癸丑 郭子儀大敗吐蕃於靈武。 甲寅 乙卯 魏博節度田承嗣擅取洺、衛、磁、相。郟州軍亂。

丁未年(七六七年)、吐蕃は大挙して霊武を進犯し、郭子儀は涇陽を鎮守して敵を御いだ。戊申年(七六八年)、吐蕃は再び霊武を犯した。己酉年(七六九年)、裴冕が相に入った。庚戌年(七七〇年)、臧玠は潭州に拠って叛乱した。辛亥年(七七一年)は記すべきことなし。壬子年(七七二年)、回紇の兵は京城で劫掠した。朱泚は幽州節度使に出任した。癸丑年(七七三年)、郭子儀は霊武で吐蕃を大敗した。甲寅年(七七四年)は事なし。乙卯年(七七五年)、魏博節度使田承嗣は擅りに洺州・衛州・磁州・相州を呑み併し、河朔藩鎮跋扈の勢いはすでに成っていた。郟州に兵変が起こった。

丙辰 淄清李正己擅取齊海、登、萊、沂、密、德、棣、曹、濮、兗、鄆,請命封隴西王。李寶臣封隴西王,李忠臣封西平王,段秀實封張掖王。崔寧破吐蕃。河陽軍亂。 丁巳 誅宰相元載,並夷其族。貶相王縉括州刺史。楊綰、常袞為相。 戊午 回紇寇太原,吐蕃寇靈武。

丙辰年(七七六年)、淄青節度使李正己は擅りに斉・海・登・莱・沂・密・徳・棣・曹・濮・兗・鄆の諸州を拠有し、朝廷に請命して隴西王に封ぜられた。李宝臣は隴西王に封ぜられ、李忠臣は西平王に封ぜられ、段秀実は張掖王に封ぜられた――朝廷はすでに爵位をもって割拠する藩帥を籠絡するのみであった。崔寧は吐蕃を撃破した。河陽に兵変が起こった。丁巳年(七七七年)、宰相元載を誅殺し、あわせてその全族を誅した。宰相王縉は括州刺史に貶められた。楊綰・常衮が相に入った。戊午年(七七八年)、回紇は太原を進犯し、吐蕃は霊武を進犯した。

己未 汴州軍亂,皇太子適監國。帝崩,皇太子適踐位,是謂孝文皇帝。葬代宗於元陵,貶相常袞,以崔祐甫為相,郭子儀為尚父。 庚申 改元建中。朱泚領四鎮節度使。劉文喜以涇亂。冊宣王誦為皇太子,楊炎為相。貶相劉晏自殺。

己未年(七七九年)、汴州に兵変が起こった。皇太子李適は国を監した。唐代宗が去世し、皇太子李適が即位した――これが唐徳宗(廟号は孝文皇帝)である。代宗を元陵に葬った。宰相常衮を貶し、崔祐甫をもって相とした。郭子儀を尊んで「尚父」とした。庚申年(七八〇年)、改元して「建中」とした。朱泚は四鎮節度使を兼領した。劉文喜は涇州に拠って乱をなした。宣王李誦を冊立して皇太子とした。楊炎が相に入り、両税法を推行した。前宰相劉晏は貶された後死を賜った。

辛酉 盧杞為相,貶相楊炎崖州司馬。尚父郭子儀卒。淄青李正己、魏博、田悅,恆定李惟嶽,各擁本部兵叛。李希烈平梁崇義於襄陽,封之為南平王。河東馬燧、澤潞李抱真破田悅於洹水。 壬戌 宣武劉洽、神策曲環破李納于徐州。幽州朱滔平李惟嶽於束鹿。朱滔、田悅、王武俊、李納、李希烈稱王,相推為盟主。關播始相。

辛酉年(七八一年)、盧杞が相に入り、宰相楊炎は崖州司馬に貶められた。尚父郭子儀が去世した。淄青の李正己・魏博の田悦・恒定の李惟岳は各々本鎮の兵を擁して反した――河朔「四鎮之乱」はこれより起こった。李希烈は襄陽で梁崇義を平定し、南平王に封ぜられた。河東節度使馬燧・沢潞節度使李抱真は洹水で田悦を撃破した。壬戌年(七八二年)、宣武節度使劉洽・神策軍将領曲環は徐州で李納を撃破した。幽州の朱滔は束鹿で李惟岳を平定した。その後朱滔・田悦・王武俊・李納・李希烈は各々王を称し、互いに盟主を推し、公然と朝廷に対抗した。関播は始めて相に入った。

癸亥 李希烈陷汝州,太師顏真卿宣撫淮寧軍事,不還。哥舒曜以鳳翔、邠寧、涇原軍大伐於東,師喪扈潤。命涇州姚令言以本軍衛東都,兵至滻水,返戈入長安,立朱泚為帝於含元殿。渾瑊奉帝出居奉天,朱泚兵頓乾陵,朔方節度使李懷光以本兵救奉天。朱泚退保京城。李懷光以本軍叛。李希烈陷襄陽、許、鄭及汴州。哥舒曜走洛陽。貶宰相盧杞新州司馬,蕭復、劉從一、姜公輔為相。

癸亥年(七八三年)、李希烈は汝州を攻め陥した。太師顔真卿は命を奉じて淮寧に往き軍事を宣慰し、一たび往って返らず、終に遇害了。哥舒曜は鳳翔・邠寧・涇原の三鎮の兵を率いて東征し、扈潤で兵馬を折損した。朝廷は涇州の将領姚令言に命じて本軍を率いて東都を衛戍させたが、兵は滻水に至るや賞賜が菲薄なため戈を返して長安に殺し入り、朱泚を擁立して含元殿で帝を称した――これが「涇原兵変」である。渾瑊は徳宗を護衛して奉天に出奔し、朱泚の追兵は乾陵に駐した。朔方節度使李懐光は本部の兵を率いて奉天を馳援し、朱泚は退いて京城を守った。ほどなく李懐光はまた所部を率いて叛変した。李希烈は襄陽と許州・鄭州・汴州を攻め陥した。哥舒曜は敗れて洛陽に走った。宰相盧杞は新州司馬に貶められ、蕭復・劉従一・姜公輔が相に入った。

経世之辰 二千二百六十一

甲子 唐孝文皇帝五年,在奉天,改元興元。王武俊格命。李懷光走河中。帝移軍梁州。渾瑊及吐蕃敗朱泚於武功。李晟收京城,迎帝還宮。田希鑑殺馮河清,以涇州叛。行軍司馬田緒殺田悅,以魏博降李抱真。王武俊平朱泚於涇城。淄清李納格命。田希鑑殺姚令言,以涇州降。李晟平涇州亂,殺田希鑑。李希烈將李澄以滑州格命。劉洽、曲環敗李希烈於陳州。盧翰為相。 乙丑 改元貞元。李希烈陷南陽。渾瑊平李懷光於河中。

甲子年(七八四年)は唐徳宗在位五年で、彼はなお奉天に避難し、改元して「興元」とし、あわせて陸贄の擬たる詔書を采りて罪己の令を下し、朱泚以外の諸叛藩を赦免し、局勢はこれにより転圜した。王武俊は朝命を受けて帰順した。李懐光は敗れて河中に走った。徳宗は梁州に移駐した。渾瑊は吐蕃兵と会して武功で朱泚を破った。李晟は京城を収復し、徳宗を迎えて宮に還し、朱泚は敗死した。田希鑑は馮河清を殺し、涇州に拠って反した。魏博行軍司馬田緒は田悦を殺し、魏博を率いて李抱真に帰降した。王武俊は涇城で朱泚の残部を消滅した。淄青の李納もまた命を奉じて帰順した。田希鑑はまた姚令言を殺し、涇州をもって帰降した。李晟は涇州の乱を平定し、田希鑑を処刑した。李希烈の部将李澄は滑州をもって朝廷に帰順した。劉洽・曲環は陳州で李希烈を破った。盧翰が相に入った。乙丑年(七八五年)、改元して「貞元」とした。李希烈は南陽を攻め陥した。渾瑊は河中で李懐光を平定した。

丙寅 劉滋、崔造、齊映、李勉相繼為相。陳仙奇殺李希烈,以蔡州降。陳仙奇為蔡州刺史。吳少誠又殺陳仙奇,以蔡州請命。復以吳少誠為蔡州刺史。吐蕃寇涇隴。 丁卯 張延賞、柳渾、李泌為相。渾瑊會吐蕃於平涼。吐蕃竊發於會,渾瑊逃歸。馬燧請之謬也。 戊辰 福建軍亂,邠寧軍亦亂。李晟、馬燧、李泌連相,因徵夏縣處士陽城為諫議大夫。

丙寅年(七八六年)、劉滋・崔造・斉映・李勉が相継いで相に入った。陳仙奇は李希烈を殺し、蔡州をもって帰降し、蔡州刺史に任ぜられた。呉少誠はまた陳仙奇を殺し、蔡州をもって請命し、朝廷はただ呉少誠を改めて蔡州刺史に任ずるのみであった――淮西はこれより長く藩帥の拠するところとなった。吐蕃は涇州・隴州を進犯した。丁卯年(七八七年)、張延賞・柳渾・李泌が相に入った。渾瑊は吐蕃と平涼で会盟したが、吐蕃は会盟の中で突然発難し、渾瑊は単騎で逃げ帰った――これは馬燧が力を主張して吐蕃と議和したために鋳た失策である。戊辰年(七八八年)、福建軍中に兵変があり、邠寧軍にも兵変が起こった。李晟・馬燧・李泌が連続して相となり、李泌は因りて夏県の隠士陽城を征召して諫議大夫に出任させた。

己巳 董晉、竇參為相。韋皋破吐蕃於巂州。 庚午 吐蕃陷北庭。 辛未 壬申 襄州軍亂。趙璟、陸贄為相,貶相竇參郴州別駕。吐蕃入寇。 癸酉 賈耽、盧邁為相。宣武軍亂。 甲戌 南詔異牟尋破吐蕃於神州,韋皋破吐蕃於峨和。元誼以田緒叛於洺,黃少卿以邢叛。 乙亥

己巳年(七八九年)、董晋・竇参が相に入った。剣南節度使韋皋は巂州で吐蕃を撃破した。庚午年(七九〇年)、吐蕃は北庭都護府を攻め陥し、唐朝の西域での経営はこれにより中断した。辛未年(七九一年)は記すべきことなし。壬申年(七九二年)、襄州に兵変があった。趙璟・陸贄が相に入り、宰相竇参は郴州別駕に貶められた。吐蕃が入寇した。癸酉年(七九三年)、賈耽・盧邁が相に入った。宣武軍に兵変があった。甲戌年(七九四年)、南詔王異牟尋は神州で吐蕃を撃破し、唐朝と盟好を重ねて修めた。韋皋は峨和で吐蕃を撃破した。元誼は田緒を背いて洺州に拠り、黄少卿は邢州に拠って反した。乙亥年(七九五年)は記すべきことなし。

丙子 崔損、趙宗儒為相。 丁丑 韋皋破吐蕃於州。 戊寅 鄭餘慶為相。栗鍠殺刺史,以明州叛。 己卯 汴州軍亂。吳少誠以陳、蔡叛。伐淮西,不利。 庚辰 伐蔡不利;又伐,又不利。徐州軍亂。貶相鄭餘慶郴州司馬。齊抗為相。蔡州吳少誠順命。 辛巳 韋皋大破吐蕃於雅州,封皋南康郡王。 壬午 癸未 高郢為相。吐蕃請和。 甲申 吐蕃、南詔、日本修貢。

丙子年(七九六年)、崔損・趙宗儒が相に入った。丁丑年(七九七年)、韋皋は某州で吐蕃を撃破した――底本は州名に脱字あり。戊寅年(七九八年)、鄭余慶が相に入った。栗锽は刺史を殺し、明州に拠って反した。己卯年(七九九年)、汴州に兵変があった。呉少誠は陳州・蔡州に拠って反し、朝廷は淮西を討伐して失利した。庚辰年(八〇〇年)、再び蔡州を討って利あらず、また兵を出し、なお利あらず。徐州に兵変があった。宰相鄭余慶は郴州司馬に貶められ、斉抗が相に入った。蔡州の呉少誠は重ねて帰順した。辛巳年(八〇一年)、韋皋は雅州で吐蕃を大破し、南康郡王に封ぜられた。壬午年(八〇二年)は記すべきことなし。癸未年(八〇三年)、高郢が相に入った。吐蕃は使いを遣わして和を請うた。甲申年(八〇四年)、吐蕃・南詔と日本は皆使いを遣わして入貢した。

乙酉 正月,帝崩。皇太子誦踐位,王叔文、王伾用事,韋執誼、賈眈、鄭珣瑜、高郢、杜祐為相,罷官市物。貶京兆尹李實通州長史,削民故也。冊廣陵王純為皇太子,罷鄭珣瑜、高郢相,以杜黃裳、袁滋為相。帝不豫,八月,授位於太子,徙居興慶宮。皇太子純踐位,是謂章武皇帝。葬德宗於崇陵,貶王伾開州司馬,王叔文渝州司馬,韋執誼崖州司戶。以鄭餘慶、鄭為相。

乙酉年(八〇五年)正月、唐徳宗が去世し、皇太子李誦が即位した――これが唐順宗である。王叔文・王伾が権を当り、韋執誼・賈耽・鄭珣瑜・高郢・杜佑が相となった。宦官の「宮市」が貨物を強買する弊を廃止した。京兆尹李実は百姓を盤剥したことにより通州長史に貶された。広陵王李純を冊立して皇太子とした。鄭珣瑜・高郢の相位を罷め、杜黄裳・袁滋をもって相とした。順宗は中風して事を理することができず、八月に帝位を太子に伝え、興慶宮に遷居した。皇太子李純が即位した――これが唐憲宗(廟号は章武皇帝)である。徳宗を崇陵に葬った。王伾は開州司馬に貶され、王叔文は渝州司馬に貶され、韋執誼は崖州司戸に貶された――数箇月の「永貞革新」はここに失敗した。鄭余慶・鄭絪をもって相とした。

丙戌 改元元和。太上皇崩於興慶宮。杜祐行冢宰事。葬順宗於豐陵。王士真為相。劉闢以西川叛,高崇文平之。誅王叔文於貶所。 丁亥 武元衡、李吉甫為相。李錡以潤州叛,平之。 戊子 裴垍為相。 己丑 冊鄧王寧為皇太子。王承宗以鎮叛。蔡州吳少誠卒,弟少陽繼事。 庚寅 用權德輿為相。 辛卯 罷李藩相,用李吉甫、李絳為相。皇太子寧卒。 壬辰 冊遂王恆為皇太子。魏博軍亂。 癸巳 振武軍亂。

丙戌年(八〇六年)、改元して「元和」とした。太上皇順宗は興慶宮で去世し、杜佑は塚宰の事を行い、順宗を豊陵に葬った。王士真が相に入った。劉闢は西川に拠って反し、高崇文は兵を出して平定した。王叔文は貶所で死を賜った。丁亥年(八〇七年)、武元衡・李吉甫が相に入った。李錡は潤州に拠って反し、平定された。戊子年(八〇八年)、裴垍が相に入った。己丑年(八〇九年)、鄧王李寧を冊立して皇太子とした。王承宗は成徳鎮に拠って反した。蔡州の呉少誠が去世し、その弟呉少陽が軍政を接掌した。庚寅年(八一〇年)、権徳輿を起用して相とした。辛卯年(八一一年)、李藩の相位を罷め、李吉甫・李絳を用いて相とした。皇太子李寧が去世した。壬辰年(八一二年)、遂王李恒を冊立して皇太子とした。魏博に兵変があり、田弘正は朝廷に帰順した。癸巳年(八一三年)、振武軍に兵変があった。

経世之巳 二千二百六十二

甲午 唐章武皇帝九年,蔡州吳少陽卒,子元濟繼事,以淮西逆命。 乙未 伐淮西。盜殺宰相武元衡,以裴度為相,會兵伐王承宗於鎮。淄青李師道以嵩僧叛,會兵伐淄青。 丙申 大伐淮西及鎮陽。李逢吉、王涯為相。黃洞蠻屠巖州,宿州軍亂。

甲午年(八一四年)は唐憲宗在位九年である。蔡州の呉少陽が去世し、子呉元済が軍政を接掌し、淮西に拠って命に抗し朝せず。乙未年(八一五年)、朝廷は兵を発して淮西を討伐した。刺客は京城で宰相武元衡を刺殺し、憲宗は改めて裴度を用いて相とし、諸軍を会集して成徳の王承宗を討伐した。淄青の李師道は嵩山の僧人を遣わして内応して乱をなさしめ、朝廷はまた兵を発して淄青を討伐した。丙申年(八一六年)、大挙して淮西と鎮陽を討伐した。李逢吉・王涯が相に入った。黄洞蠻は岩州を攻め屠り、宿州に兵変が起こった。

丁酉 崔群、李鄘為相,裴度大伐淮西,將李愬入蔡,獲吳元濟以獻,淮西平。裴度復相。 戊戌 鎮州王承宗、淄青李師道順命。李夷簡、皇甫鎛、程異為相。 己亥 劉悟殺李師道,以淄青十二州降。令狐楚為相。沂及安南軍亂。以方士柳泌為台州刺史。帝餌金石,有疾。

丁酉年(八一七年)、崔群・李鄘が相に入った。裴度は自ら前線に赴き師を督して淮西を大伐し、部将李愬は雪夜に蔡州を奇襲し、呉元済を擒えて朝廷に献じ、淮西は平定された――これは「元和中興」の関鍵の一戦である。裴度は朝に帰り宰相に復任した。戊戌年(八一八年)、成徳の王承宗・淄青の李師道は相継いで帰順した。李夷簡・皇甫鎛・程異が相に入った。己亥年(八一九年)、部将劉悟は李師道を殺し、淄青十二州をもって帰降した。令狐楚が相に入った。沂州と安南に兵変が起こった。憲宗は方士柳泌を任じて台州刺史として丹薬を求め、金石の薬を服食して病んだ。

庚子 帝崩,皇太子恆踐位,是謂文恩皇帝。段文昌、崔植為相,貶皇甫鎛崖州司戶。安南平。葬憲宗於景陵。鎮王承宗卒,弟承元繼事。 辛丑 改元長慶。杜元穎、王播為相。劉總棄幽州,以張弘靖代之。幽州軍亂,逐弘靖,立朱克融為留後。鎮州軍亂,殺田弘正,立王廷湊為留後。瀛州軍亂,幽軍拔瀛州。鎮軍圍深州。相州軍亂。

庚子年(八二〇年)、唐憲宗が去世し、実は宦官に弑された。皇太子李恒が即位した――これが唐穆宗(廟号は文恩皇帝)である。段文昌・崔植が相に入り、皇甫鎛は崖州司戸に貶められた。安南は平定された。憲宗を景陵に葬った。成徳の王承宗が去世し、その弟王承元が軍政を接掌した。辛丑年(八二一年)、改元して「長慶」とした。杜元穎・王播が相に入った。劉総は幽州を献じて朝に入り、朝廷は張弘靖を遣わして接任させた。幽州に兵変があり、張弘靖を駆逐し、朱克融を擁立して留後とした。成徳に兵変があり、節度使田弘正を殺し、王廷湊を擁立して留後とした。瀛州に兵変があり、幽州軍は瀛州を攻め取った。成徳軍は深州を囲攻した。相州にも兵変が起こった。河朔三鎮は重ねて朝廷を離脱し、元和中興の成果は流水に付した。

壬寅 冊景王湛為皇太子。幽州朱克融陷滄州,會鎮州王廷湊兵攻深州。王智興逐崔群,以徐州亂。元稹、裴度、李逢吉為相。李岕逐李願,以汴州亂。鎮兵救鐃陽及博野。王國清以浙西叛,德州軍亂。 癸卯 牛僧孺為相。 甲辰 帝崩,皇太子湛踐位,是謂昭武皇帝。貶侍郎李紳端州司馬。李逢吉、牛僧孺為相。又以李程、竇易直為相。葬穆宗於光陵。

壬寅年(八二二年)、景王李湛を冊立して皇太子とした。幽州の朱克融は滄州を攻め陥し、成徳の王廷湊の兵と会して深州を進攻した。王智興は崔群を駆逐し、徐州で乱をなした。元稹・裴度・李逢吉が相に入った。李岕は李願を駆逐し、汴州で乱をなした。成徳兵は饒陽と博野に進援した。王国清は浙西に拠って反した。德州にも兵変が起こった。一年の内に数鎮が嘩変し、朝廷はすでに弾圧する力がなかった。癸卯年(八二三年)、牛僧孺が相に入った。甲辰年(八二四年)、唐穆宗は金石の薬を服食して去世し、年まだ十六歳の皇太子李湛が即位した――これが唐敬宗(廟号は昭武皇帝)である。侍郎李紳は端州司馬に貶められた。李逢吉・牛僧孺を相とし、また李程・竇易直を用いて相とした。穆宗を光陵に葬った。

乙巳 改元寶曆。牛僧孺免相。 丙午 裴度復相。內命亂,宮人殺帝於飲所,群臣誅賊,立江王昴,是謂昭獻皇帝。以韋處厚為相。幽州軍亂,殺其帥朱克融。 丁未 改元太和。貶相李逢吉,葬敬宗於莊陵。 戊申 鎮州王廷湊逆命,安南軍亂。路隋為相。

乙巳年(八二五年)、改元して「宝暦」とした。牛僧孺は相位を免ぜられた。丙午年(八二六年)、裴度は宰相に復任した。宮中に変が生じ、敬宗は飲宴のところで内侍に弑され、群臣は凶手を誅殺し、江王李昂を擁立して即位させた――これが唐文宗(廟号は昭献皇帝)である。韋處厚をもって相とした。幽州に兵変があり、主帥朱克融を殺した。丁未年(八二七年)、改元して「太和」とした。宰相李逢吉は貶を受けた。敬宗を荘陵に葬った。戊申年(八二八年)、成徳の王廷湊は命に抗して朝せず、安南に兵変が起こった。路隋が相に入った。

己酉 魏博軍亂,殺節度使史憲誠,立何進滔為留後。李宗閔為相。南詔蠻陷東都。 庚戌 興元軍亂,殺節度使李絳,溫造平之。牛僧孺、宋申錫為相。 辛亥 幽州軍亂。貶相宋申錫開州司馬,內臣王守澄誣故也。 壬子 癸丑 李德裕、王涯為相,罷李宗閔相,冊魯王永為皇太子。 甲寅 幽州軍亂。復李宗閔相。

己酉年(八二九年)、魏博に兵変があり、節度使史憲誠を殺し、何進滔を擁立して留後とした。李宗閔が相に入った。南詔は進犯して成都を攻め陥した――底本は「東都」と作るが、まさに「成都」の誤りであろう。庚戌年(八三〇年)、興元に兵変があり、節度使李絳を殺し、温造は兵を出して平定した。牛僧孺・宋申錫が相に入った。辛亥年(八三一年)、幽州に兵変があった。宰相宋申錫は開州司馬に貶められた――これは宦官王守澄の誣い陥れるところである。壬子年(八三二年)は記すべきことなし。癸丑年(八三三年)、李徳裕・王涯が相に入り、李宗閔の相位を罷め、魯王李永を冊立して皇太子とした。甲寅年(八三四年)、幽州に兵変があった。李宗閔は相に復した。牛李両党の反復して進退する有様は、まさにこの時の朝局の写しである。

乙卯 鄭注、李訓用事,貶李德裕袁州長史,罷李宗閔相,貶為潮州司戶。用李訓、賈、李固言、舒元輿為相,出鄭注為鳳翔尹。李訓誅宦氏,不克,走南山。中尉仇士良屠宰相李訓、王涯、賈、舒元輿,及王播、郭行餘、羅立言、李孝本、韓約十餘人。監軍張仲清屠鄭注於鳳翔。李訓野死。引鄭覃、李石為相。中尉仇士良、魚弘志併為大將軍,遣內養馳四方,交殺州縣官吏。

乙卯年(八三五年)、鄭注・李訓が権を当り、李徳裕は袁州長史に貶され、李宗閔は相を罷められ潮州司戸に貶された。李訓・賈餗・李固言・舒元輿を起用して相とし、鄭注を外に放ち鳳翔尹とした。李訓は宦官を誅除することを密かに謀ったが、事敗れて南山に逃げ入った――これが「甘露之変」である。神策軍中尉仇士良は大いに屠戮し、宰相李訓・王涯・賈餗・舒元輿および王播・郭行余・羅立言・李孝本・韓約ら十余人が殺された。監軍張仲清は鳳翔で鄭注を殺した。李訓は荒野で死んだ。この後鄭覃・李石を起用して相とした。仇士良・魚弘志は皆大将軍に昇り、あわせて宦官を遣わして四方に馳せ、交々に州県の官吏を誅殺し、朝政は尽く宦官の手に落ちた。

丙辰 改元開成。李固言為相。 丁巳 陳夷行為相。河陽軍亂。 戊午 盜殺宰相李石於親仁裡。楊嗣復、李珏為相。易定軍亂。皇太子有罪,卒於少陽院。 己未 崔鄲為相。冊陳王成美為皇太子,監國。 庚申 帝有疾,中尉仇士良、魚弘志冊潁王瀍為皇太子,廢皇太子成美復為陳王。帝崩,皇太子瀍立,是謂昭肅皇帝。楊嗣復行冢宰,殺陳王成美、安王溶於邸。二中尉封國公。崔鄲、崔珙、陳夷行為相。葬文宗於章陵。楊嗣復、李珏罷相,李德裕復相。 辛酉 改元會昌,用李紳為相,貶相楊嗣復、李珏為州司馬。幽州軍亂。 壬戌 李德裕專政。 癸亥 劉稹以澤潞叛。

丙辰年(八三六年)、改元して「開成」とした。李固言が相に入った。この時甘露之変が過ぎたばかりで、文宗は宦官に制せられ、形は幽囚に等しかった。丁巳年(八三七年)、陳夷行が相に入った。河陽に兵変があった。戊午年(八三八年)、刺客は親仁里で宰相李石を殺した。楊嗣復・李珏が相に入った。易定に兵変があった。皇太子李永は罪を獲て少陽院で死んだ。己未年(八三九年)、崔郸が相に入った。陳王李成美を冊立して皇太子としあわせて国を監した。庚申年(八四〇年)、文宗は病重く、神策軍中尉仇士良・魚弘志は擅りに潁王李瀍を改めて皇太子に立て、李成美を廃して陳王に戻した。文宗が去世し、李瀍が即位した――これが唐武宗(廟号は昭粛皇帝)であり、廃立の権はすでに全く宦官の手にあった。楊嗣復は塚宰の事を行った。陳王李成美・安王李溶は王邸で殺された。両中尉は皆国公に封ぜられた。崔郸・崔珙・陳夷行は相となった。文宗を章陵に葬った。楊嗣復・李珏は相を罷められ、李徳裕は宰相に復任した。辛酉年(八四一年)、改元して「会昌」とし、李紳を起用して相とし、前の相楊嗣復・李珏は州司馬に貶められた。幽州に兵変があった。壬戌年(八四二年)、李徳裕は朝政を独り占めにし、君臣は相い得た――史は「会昌之政」と称す。癸亥年(八四三年)、劉稹は沢潞に拠って反した。

経世之午 二千二百六十三

甲子 唐昭肅皇帝四年,太原軍亂。邢、洺、磁三州叛,澤潞二州平。杜悰、崔鉉為相,貶相崔珙為州司馬。 乙丑 罷崔鉉、杜悰相,李回、崔元式、鄭肅為相。大除象教。 丙寅 帝餌金石,有疾,命光王怡為皇太叔。帝崩,太叔怡立,是謂獻文皇帝,用白敏中、盧商、韋琮為相。葬武宗於端陵。

甲子年(八四四年)は唐武宗在位四年である。太原に兵変があった。邢州・洺州・磁州の三州が叛離し、沢州・潞州の二州は平定された。杜悰・崔鉉が相に入り、宰相崔珙は州司馬に貶められた。乙丑年(八四五年)、崔鉉・杜悰の相位を罷め、李回・崔元式・鄭粛が相に入った。仏教を大を大挙して廃除し、寺院を拆毀し、僧尼に還俗を勒令した――史は「会昌滅仏」と称す。丙寅年(八四六年)、武宗は金石の丹薬を服食して病を得、叔父光王李怡を立てて皇太叔とした。武宗が去世し、皇太叔李怡が即位した――これが唐宣宗(廟号は献文皇帝)である。白敏中・盧商・韋琮を起用して相とした。武宗を端陵に葬った。

丁卯 改元大中。貶相李德裕潮州司馬。 戊辰 周墀、馬植、崔龜從為相。 己巳 罷周墀、馬植相,再貶李德裕崖州司戶。崔鉉、魏扶為相。幽州軍亂。 庚午 魏扶罷相,令狐綯為相。 辛未 魏謨為相。 壬申 裴休為相。 癸酉 鄭朗為相。 甲戌 乙亥 丙子 丁丑 魏謨出尹成都,崔慎由、蕭鄴為相。 戊寅 劉瑑、夏侯孜為相。宣洪寇亂。

丁卯年(八四七年)、改元して「大中」とした。宰相李徳裕は潮州司馬に貶められた。戊辰年(八四八年)、周墀・馬植・崔亀従が相に入った。己巳年(八四九年)、周墀・馬植の相位を罷め、李徳裕は再び崖州司戸に貶められた――牛李党争は李党の徹底的な失勢をもって終わった。崔鉉・魏扶が相に入った。幽州に兵変があった。庚午年(八五〇年)、魏扶は相を罷められ、令狐綯が相に入った。辛未年(八五一年)、魏謨が相に入った。壬申年(八五二年)、裴休が相に入った。癸酉年(八五三年)、鄭朗が相に入った。甲戌・乙亥・丙子の三年(八五四~八五六年)は記すべきことなし。丁丑年(八五七年)、魏謨は成都尹に出任し、崔慎由・蕭鄴が相に入った。戊寅年(八五八年)、劉瑑・夏侯孜が相に入った。宣州・洪州一帯に寇乱が起こった。

己卯 蔣伸為相。冊鄆王溫為皇太子。帝崩,皇太子溫踐位,是謂恭惠皇帝。令狐綯行冢宰。 庚辰 葬宣宗於貞陵。令狐綯出尹河中,杜審權、杜悰為相。改元咸通。宜洪寇亂。 辛巳 相蕭鄴出尹太原,蔣伸罷相。林邑蠻入寇。 壬午 徐州軍亂。林邑蠻陷交阯及安南都護。

己卯年(八五九年)、蒋伸が相に入った。鄆王李温を冊立して皇太子とした。唐宣宗が去世し、皇太子李温が即位した――これが唐懿宗(廟号は恭恵皇帝)である。令狐綯は塚宰の事を行った。庚辰年(八六〇年)、宣宗を貞陵に葬った。令狐綯は河中尹に出任し、杜審権・杜悰が相に入った。改元して「咸通」とした。宣州・洪州一帯にまた寇乱が生じた。辛巳年(八六一年)、宰相蕭鄴は太原尹に出任し、蒋伸は相を罷められた。林邑蠻が入寇した。壬午年(八六二年)、徐州に兵変があった。林邑蠻は交阯を攻め陥し、安南都護府は淪陥した。

癸未 楊收、曹確、高璩為相。蠻陷安南州。 甲申 杜審權出刺潤州,蕭寘為相。蠻寇邕管。 乙酉 徐商為相,高駢平林邑蠻,復安南都護。 丙戌 夏侯孜出尹成都,路巖為相。 丁亥 楊收觀察浙西,於琮為相。 戊子 湘潭戍軍亂,立龐勳為帥,陷徐、宿、滁、和、濠五州。貶楊收端州司馬,移歡州,賜死。

癸未年(八六三年)、楊收・曹確・高璩が相に入った。南蠻は安南の各州を攻め陥した。甲申年(八六四年)、杜審権は潤州刺史に出任し、蕭寘が相に入った。南蠻は邕管を進犯した。乙酉年(八六五年)、徐商が相に入った。高駢は林邑蠻を平定し、安南都護府を収復した。丙戌年(八六六年)、夏侯孜は成都尹に出任し、路巖が相に入った。丁亥年(八六七年)、楊收は浙西観察使に出任し、于琮が相に入った。戊子年(八六八年)、南方を戍守する湘潭の戍卒が嘩変し、龐勲を推して主帥とし、徐州・宿州・滁州・和州・濠州の五州を攻め陥した――唐末の大乱はこれより端を発した。楊收は端州司馬に貶され、再び歓州に移され、終に死を賜った。

己丑 蔣伸罷相,劉瞻為相。徐商出尹江陵,命十八將伐徐,以康成訓為軍帥。徐寇平。蠻復寇東西二川。 庚寅 相曹確病免,韋保衡為相。大黜官吏,王鐸為相。 辛卯 相路巖出尹成都。 壬辰 劉鄴出刺幽州,於琮出刺襄州,趙隱為相。大行黜陟。命沙陀李國昌移鎮雲中。國昌以大同阻命。 癸巳 徵李國昌、蕭仿為相,冊普王儼為皇太子,韋保衡行冢宰。帝崩,皇太子儼踐位,是謂恭定皇帝。兩軍中尉居中用事,黜冢宰韋保衡,仍賜死,復前之官吏。

己丑年(八六九年)、蒋伸は相を罷められ、劉瞻が相に入った。徐商は江陵尹に出任した。朝廷は十八員の将領に命じて徐州を討伐し、康承訓をもって主帥とし、龐勲の乱は平定された。南蠻は再度東川・西川を進犯した。庚寅年(八七〇年)、宰相曹確は病により免職し、韋保衡が相に入った。大批の官吏が罷黜され、王鐸が相に入った。辛卯年(八七一年)、宰相路巖は成都尹に出任した。壬辰年(八七二年)、劉鄴は幽州刺史に出任し、于琮は襄州刺史に出任し、趙隠が相に入った。朝廷は昇降黜陟を大いに行い、沙陀の首領李国昌に命じて雲中に移鎮させようとしたが、李国昌は大同に拠って命に抗した。癸巳年(八七三年)、兵を出して李国昌を征討した。蕭倣が相に入った。普王李儼を冊立して皇太子とし、韋保衡は塚宰の事を行った。唐懿宗が去世し、皇太子李儼が即位した――これが唐僖宗(廟号は恭定皇帝)である。左右神策軍の両中尉は宮中で権を掌り、塚宰韋保衡を罷黜しあわせて死を賜り、先に貶された官吏を一々起復した。

経世之未 二千二百六十四

甲午 唐恭定皇帝元年,葬懿宗於簡陵。崔彥昭、鄭畋、盧攜為相。改元乾符。蠻寇兩川。 乙未 浙西及曹濮寇亂,王鐸復相。 丙申 相蕭效病免。浙西寇平。曹濮、王仙芝陷江淮南北十五州,至江南。乞符節於朝,不聽。李蔚為相。

甲午年(八七四年)は唐僖宗即位の元年である。懿宗を簡陵に葬った。崔彦昭・鄭畋・盧携が相に入った。改元して「乾符」とした。南蠻は東西両川を進犯した。乙未年(八七五年)、浙西と曹州・濮州一帯に寇乱が並び起こり、王鐸は宰相に復任した。丙申年(八七六年)、宰相蕭效は病により免職した。浙西の寇は平定された。曹濮で起事した王仙芝は江淮南北十五州を攻め陥し、一路江南に打至り、朝廷に節度使の符節を授けるよう請うたが、朝廷は許さなかった。李蔚が相に入った。

丁酉 冤句寇黃巢陷沂、鄆,南會王仙芝。將尚讓、於蔡之查牙山,破隋及江陵。沙陀李國昌寇朔州。 戊戌 江陵寇平。黃巢擾淮北、淮南及江南、廣南。李國昌陷岢嵐。昭義軍亂。鄭從讜為相,李蔚出守東都。 己亥 黃巢據嶺表,乞符節於朝,不聽。罷盧攜、鄭畋相,以崔沆豆、盧瑑為相,盧攜復相。

丁酉年(八七七年)、冤句で起事した黄巣は沂州・鄆州を攻め陥し、南下して王仙芝と会合した。その将尚譲は蔡州査牙山一帯で活動し、随州と江陵を攻め破った。沙陀の李国昌は朔州を進犯した。戊戌年(八七八年)、江陵の寇は平定された。黄巣は淮北・淮南および江南・嶺南を転戦した。李国昌は岢嵐を攻め陥した。昭義軍に兵変があった。鄭従讜が相に入り、李蔚は東都留守に出任した。己亥年(八七九年)、黄巣は嶺南を拠有し、朝廷に節度使の符節を請うたが、なお獲許されなかった。盧携・鄭畋の相位を罷め、崔沆・豆盧瑑をもって相とし、続いて盧携はまた相に復した。

庚子 改元廣明。鄭從讜出尹太原。沙陀軍敗北。黃巢軍北逾五嶺,破湖、湘及江淮揚州。高駢距之,不利。發徐、兗、許軍赴殷水,以捍東都。殷水軍潰。黃巢陷東都,西攻郟虢,潼關失守。罷盧攜相,王徽、裴徹為相。黃巢陷長安,稱帝,國曰齊,元曰金統。帝出南山。 辛丑 帝移軍興元。蕭遘為相,鄭畋為都統,楊復光為監軍,羽書飛天下。沙陀順命,請勤王。黃巢攻鳳翔。帝移幸成都,改元中和,以韋昭度為相。河中王重榮軍屯沙苑。涇原唐弘夫軍屯渭北,易定王處存軍屯渭橋,鄜延托跋思恭軍屯武功,鳳翔鄭畋軍屯盩庢,邠寧朱玫軍屯興平,荊襄王鐸軍至自行在,王徽都督潞州。

庚子年(八八〇年)、改元して「広明」とした。鄭従讜は太原尹に出任した。沙陀軍は戦いに敗れ北に退いた。黄巣の大軍は北に五嶺を越え、湖南・湘中および江淮の揚州を攻め破った。淮南節度使高駢は拒戦するも利あらず、これより揚州に坐守して再び兵を出さなかった。朝廷は徐州・兗州・許州の兵を潁水の防守に赴かせて東都を屏蔽させたが、潁水の軍は潰散した。黄巣は東都を攻め陥し、西に郟城・虢州を攻め、潼関は失守した。盧携の相位を罷め、王徽・裴徹が相に入った。黄巣は長安を攻め陥し、帝を称し、国号を「斉」、年号を「金統」とした。僖宗は倉皇として南山に出奔した――唐朝はこれより名は存して実は亡んだ。辛丑年(八八一年)、僖宗は興元に移駐した。蕭遘が相に入り、鄭畋は諸道行営都統となり、楊復光は監軍となり、兵を徴する羽檄は天下に遍く伝えられた。沙陀は朝廷に帰順し、勤王を請うた。黄巣は兵を発して鳳翔を攻めた。僖宗は再び駕を成都に移し、改元して「中和」とし、韋昭度をもって相とした。各路の勤王の師は続々と集結した――河中の王重栄は沙苑に屯軍し、涇原の唐弘夫は渭北に屯軍し、易定の王処存は渭橋に屯軍し、鄜延の拓跋思恭は武功に屯軍し、鳳翔の鄭畋は盩厔に屯軍し、邠寧の朱玫は興平に屯軍し、荊襄の王鐸は行在より駆け到り、王徽は潞州を都督した。

壬寅 帝在成都。黃巢保長安,其將朱溫以同州降,錫名全忠。沙陀李克用自代北至,軍屯梁田。 癸卯 帝在成都。諸將合攻,大破巢軍於渭南。巢走藍關,遂收京城,以李克用為河東節度使,朱全忠為宣武軍節度使。巢軍東走,圍陳、蔡。蔡州秦宗權以城降賊,合巢兵攻陳州,以舂磨圍陳三百日。陳刺堅守,不陷。 甲辰 帝在成都。以鄭昌圖為相。汴州朱全忠及關東諸侯鎮帥兵會河東。李克用兵大破巢軍於太康及西華,又北破之於中牟,又東滅之於冤句。巢寇平,朱全忠圖李克用於汴之上元驛,不克。自此二師交惡,朝廷封李克用隴西郡王以和解之。

壬寅年(八八二年)、僖宗はなお成都にあった。黄巣は長安を拠守し、その部将朱温は同州をもって唐に降り、朝廷は名を賜って「全忠」とした――この人は後日唐を滅ぼし梁を建てる梁太祖である。沙陀の李克用は代北より騎兵を率いて南下し、梁田に屯軍した――その軍は黒衣黒甲にして「鴉軍」と号した。癸卯年(八八三年)、僖宗は成都にあった。諸将は力を合わせて進攻し、渭南で黄巣軍を大破し、黄巣は退き藍関に走り、唐軍は京城を収復した。李克用をもって河東節度使、朱全忠を宣武軍節度使とした。黄巣の余部は東に走り、陳州・蔡州を囲攻した。蔡州の秦宗権は城をもって賊に降り、兵を合わせて陳州を攻め、「舂磨」の法を用いて陳州を三百日囲困し、人をもって食としたが、陳州刺史は堅守して陥ちなかった。甲辰年(八八四年)、僖宗はなお成都にあり、鄭昌図をもって相とした。汴州の朱全忠は関東各鎮の兵馬とともに河東の師と会し、李克用は太康・西華で黄巣軍を大破し、また北にこれを中牟で破り、最後に冤句でこれを殲滅し、黄巣の乱は平定された。朱全忠は汴州上元駅に伏を設けて李克用を殺害することを図ったが得手せず、両家はこれより怨を結び、朝廷は李克用を隴西郡王に封じてもって調解した――これが後の梁晋数十年争衡の開端である。

乙巳 帝至自成都,改元光啟。秦宗權保逆陳蔡,王鎔專兵鎮陽,李昌符抗兵鳳翔,王重榮擅兵蒲郟,諸葛爽擁兵孟洛,孟方立控兵邢洛,李克用阻兵並代,朱全忠瀆兵汴滑,時溥弄兵徐泗,朱瑾窮兵齊鄆,王敬武握兵淄青,高駢玩兵淮南,劉漢宏恃兵浙東,王處存結兵易定,李可舉堅兵幽薊。中尉田令孜取河中王重榮解州、監池,不克,引邠寧師伐河中。重榮會太原師攻令孜。京師軍亂。邠將朱玫敗,歸邠,引神策軍大掠都市。令孜以帝幸鳳翔,封宣武節度朱全忠為沛郡王。錢鏐始受封為杭州刺史。

乙巳年(八八五年)、僖宗は成都より京に還り、改元して「光啓」とした。この時天下はすでに割拠の局となっていた――秦宗権は陳蔡に拠り逆をなし、王鎔は鎮陽で兵を専らにし、李昌符は鳳翔に兵を擁し、王重栄は蒲郟で兵を擅りにし、諸葛爽は孟州・洛陽に兵を擁し、孟方立は邢洺に兵を控え、李克用は并州・代州に兵を拠え、朱全忠は汴滑に兵を擁し、時溥は徐泗に兵を弄び、朱瑾は斉鄆に兵を用い、王敬武は淄青に兵を握り、高駢は淮南で兵を翫び、劉漢宏は浙東に兵を恃み、王処存は易定に兵を結び、李可挙は幽薊を固守した。宦官中尉田令孜は河中王重栄の解州塩池を奪い取ろうとしたが得手せず、便り邠寧の師を引いて河中を攻め打った。王重栄は太原の李克用と連合して田令孜を反攻し、京師は因りて大乱した。邠州の将領朱玫は戦いに敗れて邠州に退き帰り、また神策軍を引いて京城の市肆を大いに搶掠した。田令孜は僖宗を挟持して鳳翔に逃げ往き、あわせて宣武節度使朱全忠を沛郡王に封じた。銭鏐はこの年始めて杭州刺史に封ぜられ、呉越の基業はこれより端を発した。

丙午 帝在風翔。河中王重榮條罪攻田令孜,令孜以帝移幸興元。相蕭遘、裴徹、鄭昌圖召邠軍,迎帝還都。朱玫軍至自鳳翔。令孜以帝移軍過散關。朱玫追帝不及,至遵途獲皇子襄王熅。興元節度使石君涉合朱玫軍,破棧以絕帝歸路。帝至興元。石君涉棄城走朱玫軍。帝以孔緯、杜讓能為相,出田令孜為劍南節度使。李鋌、楊守亮、楊守宗敗朱玫軍於鳳翔。朱玫逼蕭遘,立襄王熅,幸鳳翔,玫稱大丞相,率百官還京,奉熅稱帝,改元建貞。罷蕭遘相,以鄭昌圖、裴徹為相,宣諭四方,加諸鎮官。常山、太原、宣武、河中不受命。王重榮、李克用敗朱玫將王行瑜於鳳翔。行瑜退,攻興元,以邠軍還長安,殺朱玫,大掠京城。裴徹、鄭昌圖以襄王熅奔河中。王重榮殺襄王熅以獻。蔡將孫儒陷鄭及許、洛、懷、孟、陝、虢。巢將諸葛爽據河陽,李罕之據澤州,張宗奭據懷州,秦宗權稱帝陳蔡,王潮據福州。

丙午年(八八六年)、僖宗は鳳翔に滞留していた。河中の王重栄は田令孜の罪状を列挙して兵を発して進攻し、田令孜は僖宗を挟して駕を興元に移した――この人は僖宗が幼い頃より「阿父」と倚りた権閹であり、朝政の去留は全くその手より出た。宰相蕭遘・裴徹・鄭昌図は邠州軍を召して僖宗を迎えて都に還さんとし、朱玫の軍隊は鳳翔より赶到し、田令孜はまた僖宗を挟して散関を越え西に行った。朱玫は追い及ばず、半路で皇子襄王李熅を俘えた。興元節度使石君渉は朱玫軍と勢いを合わせ、桟道を焚毀して僖宗の帰路を断った。僖宗はなお興元に到達し、石君渉は城を棄てて朱玫に奔った。僖宗は孔緯・杜譲能をもって相とし、田令孜を外に放ちて剣南節度使とした。李鋋・楊守亮・楊守宗は鳳翔で朱玫軍を破った。朱玫は蕭遘を脅迫し、襄王李熅を擁立し、鳳翔に進駐し、自ら大丞相を称し、百官を率いて京城に帰り、李熅を奉じて帝を称させ、改元して「建貞」とした。蕭遘の相位を罷め、鄭昌図・裴徹をもって相とし、四方に宣諭しあわせて各鎮の官爵を加封したが、常山・太原・宣武・河中の四鎮は皆命を奉じなかった。王重栄・李克用は鳳翔で朱玫の部将王行瑜を破った。王行瑜は兵を退いて興元を攻め、また邠軍を率いて長安に帰り朱玫を殺し、兵を縦りて京城を大いに掠めた。裴徹・鄭昌図は襄王李熅を帯びて河中に逃げ奔り、王重栄は李熅を殺して首を朝廷に献じた――この藩将の擁立した僞朝は前後して数箇月に過ぎなかった。蔡州の将領孫儒は鄭州および許・洛・懐・孟・陝・虢の諸州を攻め陥した。黄巣の旧将諸葛爽は河陽に拠り、李罕之は沢州に拠り、張宗奭は懐州に拠り、秦宗権は陳蔡で帝を称し、王潮は福州を拠有した。

丁未 帝自興元移軍鳳翔,以張浚為相。揚州軍亂,牙將畢師鐸囚帥高駢,召秦宗權之宣州觀察。秦彥為揚州節度使。蔡兵攻汴。兗、鄆之師合兵,大破其軍。蔡將孫儒棄鄭及許、洛、懷、孟、陝、虢。張宗奭取洛陽,李罕之取河陽,同附於全忠。張宗奭賜名全義。京師楊守立、李昌符爭道,戰於通衢。昌符敗走隴州。河中軍亂,牙將常行儒殺其帥王重榮,立其弟重盈為留後。楊行密與蔡將孫儒爭揚州,行密拔揚州。秦彥、畢師鐸奔孫儒於高郵,復攻行密。行密求救於汴,汴軍授行密於淮口。東川顧彥朗、壁州王建攻成都。

丁未年(八八七年)、僖宗は興元より鳳翔に移駐し、張浚をもって相とした。揚州に兵変があり、牙将畢師鐸は主帥高駢を囚え、秦宗権の署する宣州観察使を召し、秦彦により揚州節度使を出任させた。高駢はもと南詔を平らげ黄巣を拒いだ名将であったが、晚年は方術に溺信して衆心を失い、終に囚われて死ぬに至った。蔡州兵は汴州を進攻し、兗州・鄆州の師は合兵して蔡軍を大破した。蔡の将孫儒は鄭州および許・洛・懐・孟・陝・虢の諸州を放棄した。張宗奭は洛陽を取り、李罕之は河陽を取り、ともに朱全忠に帰附し、張宗奭は賜名を「全義」と獲た。京師中で楊守立と李昌符は道を争い、大街上で交戦し、李昌符は戦いに敗れて隴州に逃げた。河中に兵変があり、牙将常行儒は主帥王重栄を殺し、その弟王重盈を擁立して留後とした。楊行密と蔡将孫儒は揚州を争奪し、楊行密は揚州を攻め下した――彼はすなわち後日呉国の開創者である。秦彦・畢師鐸は高郵の孫儒に奔り、頭を回らして再び楊行密を攻めた。楊行密は汴州に援を求め、汴軍は淮口で彼を接応した。東川の顧彦朗と壁州の王建は合兵して成都を進攻した。

戊申 帝至自鳳翔,改元文德。觀軍容使楊復恭專命,李鋌為相,冊壽王傑為皇太弟。帝崩,皇太弟傑踐位,是謂景文皇帝。韋昭度行冢宰。魏州軍亂,殺帥樂彥貞,小校羅宗弁為留後。張全義拔河陽,李罕之走澤州。蔡將孫儒拔揚州,楊行密走宣城。朱全忠攻徐州,蔡將趙謹以荊、襄降於汴,全忠敗蔡人於龍坂。蔡將申叢執秦宗權,降於汴。淮西平,朱全忠兼領蔡州節度使。王建大寇劍南。韋昭度出尹成都。葬僖宗于靖陵。 己酉 改元龍紀,以劉崇望為相,封朱全忠東平王。王建陷成都,稱留後。太原李克用攻邢、洺。杭州錢鏐拔宣城,獲劉浩。

戊申年(八八八年)、僖宗は鳳翔より京に還り、改元して「文徳」とした。観軍容使楊復恭は朝命を専断し、李鋋は相となり、寿王李傑を冊立して皇太弟とした。僖宗が去世し、皇太弟李傑が即位した――これが唐昭宗(廟号は景文皇帝)である。昭宗は頗る中興の志があったが、兵権は尽く藩鎮にあり、終身人に制せられた。韋昭度は塚宰の事を行った。魏州に兵変があり、主帥楽彦貞を殺し、小校羅宗弁が留後となった。張全義は河陽を攻め取り、李罕之は敗れて沢州に走った。蔡将孫儒は揚州を攻め取り、楊行密は退いて宣城に走った。朱全忠は徐州を進攻した。蔡将趙謹は荊州・襄州をもって汴に降った。朱全忠は竜坂で蔡軍を破った。蔡将申叢は秦宗権を擒えて汴州に降り、秦宗権は檻車で長安に送られ処刑され、淮西は平定され、朱全忠は蔡州節度使を兼領した。王建は大挙して剣南を侵擾した。韋昭度は成都尹に出任した。僖宗を靖陵に葬った。己酉年(八八九年)、改元して「竜紀」とし、劉崇望をもって相とし、朱全忠を東平王に封じた。王建は成都を攻め陥し、自ら留後を称した――前蜀の基業はこれより奠められた。太原の李克用は邢州・洺州を進攻した。杭州の銭鏐は宣城を攻め下し、劉浩を擒えた。

庚戌 改元大順。孟遷以邢入於太原。李克用攻雲州。幽州援之,敗李克用於蔚州。幽州李匡威、雲州赫連鐸會汴兵,攻太原李克用。潞州軍亂,殺李克恭,降於汴。克用將安建以邢、洺、磁三州降於全忠。宰相張浚帥京兆孫揆,華州韓建出陰地關,會汴將葛從周兵入潞州。太原兵攻潞州,幽雲兵攻雁門。太原將匡君立入潞州,克用敗幽雲之兵於雁門,將李存信又敗張浚、韓建兵於陰地,遂拔晉絳。朝廷復克用官,貶張浚連州刺史。崔昭緯、徐彥若為相。克用將李存孝以邢入於汴。

庚戌年(八九〇年)、改元して「大順」とした。孟遷は邢州をもって太原に帰附した。李克用は雲州を進攻し、幽州は兵を出して救援し、蔚州で李克用を破った。幽州の李匡威・雲州の赫連鐸は汴州の兵と会して合わせて太原の李克用を攻めた。潞州に兵変があり、李克恭を殺し、汴州に降った。李克用の部将安建は邢・洺・磁の三州をもって朱全忠に降った。宰相張浚は力を主張して河東を討伐し、京兆の孫揆・華州の韓建の兵を統率して陰地関を出て、汴将葛従周の兵と会して潞州に入った。太原兵は潞州を反攻し、幽州・雲州の兵は雁門を進攻した。太原の将領匡君立は潞州を奪い帰し、李克用は雁門で幽雲の兵を破り、部将李存信はまた陰地で張浚・韓建を破り、進んで晋州・絳州を攻め取った。朝廷のこの一戦は大敗となり、ただ李克用の官爵を回復し、張浚を連州刺史に貶するのみであった――中央が藩鎮を討伐する威信はこれより地に掃れた。崔昭緯・徐彦若が相に入った。李克用の養子・驍将李存孝はまた邢州をもって汴に投じた。

辛亥 命中尉楊復恭致政,復恭不受命,陳兵於昌化裡。命天威軍使李順節討之,不利。兩軍中尉劉景宣、西門重遂殺天威軍使李順節於銀臺門,順節兵散,大掠京城。復恭奔興元。鄭延昌為相。太原李克用攻邢州,責叛己也。宣武朱全忠攻魏州,責不助討也。鎮州援邢州。克用攻鎮州,幽兵援鎮州。汴兵攻宿州,幽鎮兵攻定州。處存求救於太原。宣州楊行密滅孫儒,據有揚州。封行密為淮南王。 壬子 改元景福。鳳翔李茂貞、邠州王行瑜、華州韓建、同州王行約,泰州李茂莊兵陷興元,殺楊守亮及楊復恭。左軍中尉西門重遂殺天威軍使賈德晟於京師,部下奔鳳翔。太原李克用會易、定兵,敗鎮兵於堯山。

辛亥年(八九一年)、昭宗は中尉楊復恭に致仕を命じたが、この自らを擁立して位に登らせた権閹は命に抗して従わず、長安昌化里に兵を陳して対抗した。朝廷は天威軍使李順節に命じて討伐したが、勝つこと能わず。両軍中尉劉景宣・西門重遂は銀台門で李順節を殺し、その部衆は潰散した後京城を大掠した。楊復恭は興元に出奔し、養子楊守亮に投じた。鄭延昌が相に入った。太原の李克用は邢州を進攻した――これは李存孝の背叛を罪問したものである。宣武の朱全忠は魏州を進攻した――これはその討伐を助けぬを責めたものである。鎮州は兵を出して邢州を援け、李克用は転じて鎮州を攻め、幽州はまた兵を出して鎮州を援けた。汴兵は宿州を攻め、幽州・鎮州の兵は定州を攻め、王処存は太原に救を求めた。諸鎮は彼此攻伐して連環相牽し、朝廷はすでに裁制する由がなかった。宣州の楊行密は孫儒を消滅し、揚州を拠有し、朝廷は彼を淮南王に封じた。壬子年(八九二年)、改元して「景福」とした。鳳翔の李茂貞・邠州の王行瑜・華州の韓建・同州の王行約・泰州の李茂荘は合兵して興元を攻め陥し、楊守亮と楊復恭を殺した。左軍中尉西門重遂は京師で天威軍使賈徳晟を殺し、その部下は鳳翔に奔った。太原の李克用は易州・定州の兵と会して尭山で鎮州軍を破った。

癸丑 鳳翔李茂貞舉兵犯闕,敗覃王兵於盩厔。帝誅中軍西門重遂、李周僮,貶相杜讓能,岐兵乃止。進茂貞中書令,封秦王。以王行瑜為尚父,王博為相。成都王建興、李茂貞爭東川。幽軍亂,逐其帥李匡威於鎮,以其弟匡籌為留後。汴兵滅徐,兼領其鎮。李克用敗鎮州王鎔於中山,鎔乞盟,遂許盟而退。 甲寅 改元乾寧。崔徹為相,王博出鎮湖南。李茂貞擁山南十五州以抗王室。汴兵敗兗、鄆之師於東阿。朱瑄、朱瑾求救於太原。李克用拔邢州,獲李存孝;拔雲州,獲赫連鐸;拔幽州,獲李匡籌。其幽人請以匡籌將劉仁恭為留後。

癸丑年(八九三年)、鳳翔の李茂貞は兵を挙げて京師を進犯し、盩厔で覃王の率いる官軍を破った。昭宗は迫られて中尉西門重遂・李周僮を誅殺し、また討伐を主張した宰相杜譲能を賜死し、岐兵はやっと兵を罷めた。朝廷はかえって李茂貞を進めて中書令・秦王に封じ、王行瑜をもって尚父とし、王博が相に入った――天子の威権は殆ど喪失した。成都の王建は李茂貞と東川を争奪した。幽州に兵変があり、主帥李匡威を鎮州に逐い、その弟李匡籌を立てて留後とした。汴兵は徐州を滅ぼし、その鎮を兼領した。李克用は中山で鎮州の王鎔を破り、王鎔は結盟を請い、李克用は盟を許して兵を退いた。甲寅年(八九四年)、改元して「乾寧」とした。崔徹が相に入り、王博は湖南に出鎮した。李茂貞は山南十五州を擁して朝廷に対抗した。汴兵は東阿で兗州・鄆州の師を破り、朱瑄・朱瑾は太原に救を求めた。李克用は邢州を攻め下し、叛将李存孝を擒えて車裂に処し、雲州を攻め下して赫連鐸を擒え、幽州を攻め下して李匡籌を擒えた。幽州人は李匡籌の旧将劉仁恭をもって留後とするよう請うた。

乙卯 河中王重盈卒,太原李克用請以王琦襲重盈封於朝。邠州王行瑜、鳳翔李茂貞、華州韓建請以王珙襲重盈封於朝。朝廷先許克用。陝州王珙、絳州王瑤以兵攻琦於河中。王行瑜、李茂貞兵入長安,行廢不克,殺宰相韋昭度及李磎,各以兵二千留京師而去。李克用渡河稱討。同州王行實棄郡奔京師,與兩軍中尉駱全珍、劉璟宣逼帝西幸。帝以李筠、李君實兵出次南山,都官畢從命延王戒丕、丹王允從李克用西討。封淮南楊行密弘農王。亦從西討。克用敗邠軍於犁園,帝還京,邠州平。行瑜野死。封克用為晉王。克用還太原。崔昭緯罷相,徐彥若為相。董昌以浙東叛,稱王,國曰羅平,元曰大聖。

乙卯年(八九五年)、河中の王重盈が去世し、太原の李克用は王琦すなわち王珂にその封爵を承襲させるよう奏請したが、邠州の王行瑜・鳳翔の李茂貞・華州の韓建は王珙に承襲させるよう奏請し、朝廷はまず李克用に応じたため、三鎮はこれにより恨みを銜いた。陝州の王珙・絳州の王瑶は兵を発して河中に至り王珂を攻めた。王行瑜・李茂貞の兵馬は長安に進み入り、昭宗を廃黜するを図るも成らず、宰相韋昭度と李磎を殺し、各々兵二千を京師に留めて去った。李克用は河を渡り討伐を宣告した。同州の王行実は郡を棄てて京師に逃げ入り、両軍中尉駱全珍・劉璟宣とともに昭宗を脅迫して西に逃げさせた。昭宗は李筠・李君実の兵を率いて南山に出屯し、都官畢従命と延王李戒丕・丹王李允は李克用に随って西討した。朝廷は淮南の楊行密を弘農王に封じ、彼もまた西討に参与した。李克用は犁園で邠軍を破り、昭宗は京に還るを得て、邠州は平定され、王行瑜は荒野で死んだ。朝廷は李克用を晋王に封じ、李克用は師を太原に回した――この「晋」はすなわち後の後唐が国を立つ根基である。崔昭緯は相を罷められ、徐彦若が相に入った。董昌は浙東に拠って反し、帝を称して国を建て、国号を「羅平」、年号を「大聖」とした。

丙辰 岐兵犯長安,韓建逼帝幸華州。建進封中書令,兼兩京尹。陸扆、王博、崔胤、孫偓為相。魏州羅弘信敗太原之師於莘,以絕李克用兗、鄆之援。克用攻魏,下十城。湖南軍亂,立馬殷為留後。錢鏐平浙東,獲董昌。授鏐中書令。相王博觀察浙東,陸扆出刺陝州。

丙辰年(八九六年)、岐州の兵は長安を進犯し、華州の韓建は昭宗を華州に劫持した。韓建は中書令に進封され、両京の尹を兼任した。陸扆・王博・崔胤・孫偓が相に入った。魏州の羅弘信は莘県で太原の師を破り、李克用が兗・鄆を救援する通路を切断した。李克用は魏州を進攻し、連続して十城を下した。湖南に兵変があり、馬殷を擁立して留後とした――楚国の基業はこれより始まる。銭鏐は浙東を平定し、董昌を擒え、朝廷は彼に中書令を授けた。宰相王博は浙東観察使に出任し、陸扆は陝州刺史に出任した。

丁巳 帝在華州,孫偓罷相,鄭綮為相。冊德王裕為皇太子,封韓建為昌黎王。鄭綮病免,朱樸為相。韓建殺禁衛李筠,以散衛兵罷八王兵柄,仍殺之,貶相朱樸,殺帝侍衛馬殷、許巖士。帝封兩浙錢鏐吳王,俾救難王室。汴將龐師古拔鄆州,朱瑄野死。汴將葛從周拔兗州,朱瑾奔淮南,兗、鄆、曹、濮、齊、棣、沂、密、徐、宿、陳、蔡、許、鄭、滑盡入於汴。全忠以八郡兵攻淮南。朱瑾以淮南兵敗汴兵於清口,獲將龐師古,又敗汴軍於淠河,走葛從周。楊行密遂據有江淮。幽州劉仁恭敗李克用於安塞。福州王潮卒,弟審知繼事。

丁巳年(八九七年)、昭宗はなお華州に拘われていた。孫偓は相を罷められ、鄭綮が相に入った。徳王李裕を冊立して皇太子とし、韓建を昌黎王に封じた。鄭綮は病により免職し、朱朴が相に入った。韓建は禁衛の将領李筠を殺し、これにより衛兵を遣散し八位の親王の兵権を解除し、続いてまた八王を殺した――唐室の宗親はこれより再び一兵一卒もなかった。また宰相朱朴を貶し、昭宗の侍衛馬殷・許巖士を殺した。昭宗は両浙の銭鏐を呉王に封じ、彼が王室を救援することを指望した。汴将龐師古は鄆州を攻め下し、朱瑄は荒野で死んだ。汴将葛従周は兗州を攻め下し、朱瑾は淮南に奔った。兗・鄆・曹・濮・斉・棣・沂・密・徐・宿・陳・蔡・許・鄭・滑の諸州はすべて汴州に帰入した。朱全忠は八郡の兵をもって淮南を進攻し、朱瑾は淮南兵を率いて清口で汴軍を大敗し、主将龐師古を擒え、また淠河で汴軍を破り、葛従周を逼退させた――この一戦は朱全忠の南下の兵鋒を遮った。楊行密はこれにより江淮を穏拠した。幽州の劉仁恭は安塞で李克用を破った。福州の王潮が去世し、その弟王審知が軍政を接掌した。

戊午 帝在華州,以崔遠為相,冊何氏為皇后。帝還長安,改元光化,以華州為興德府。韓建進封潁川王。汴將葛從周拔李克用之邢、洺、磁,氏叔琮拔趙匡凝之隨、唐、鄧,澤州李罕之拔克用之上黨,歸於汴。幽州劉守文拔汴之滄州。魏博羅弘信卒,子紹威稱留後。 己未 復陸扆相。蔡軍以崔珙奔淮南,幽兵寇趙魏,魏引汴兵破之。汴將氏叔琮攻太原,不利。陝州軍亂,牙將殺其帥王珙,立李璠為留後,又殺之,降於汴。青州王師範將牛從毅以海州入於淮南。

戊午年(八九八年)、昭宗はなお華州にあり、崔遠をもって相とし、何氏を冊立して皇后とした。年内に昭宗は終に長安に帰り、改元して「光化」とし、華州を昇して興徳府とし、韓建は潁川王に進封された――天子はすでに都に還ったが処遇はなお旧のままだった。汴将葛従周は李克用の邢・洺・磁の三州を攻め取り、氏叔琮は趙匡凝の随・唐・鄧の三州を攻め取り、沢州の李罕之は李克用の上党を攻め取りあわせて汴州に帰附した。幽州の劉守文は汴州の滄州を攻め取った。魏博の羅弘信が去世し、子羅紹威は自ら留後を称した――藩鎮の父子相承はすでに常例となった。己未年(八九九年)、陸扆は相に復した。蔡州軍は崔珙を挟して淮南に奔った。幽州兵は趙州・魏州を進犯し、魏州は汴兵を引きこれを撃破した。汴将氏叔琮は太原を進攻したが、勝つこと能わず。陝州に兵変があり、牙将は主帥王珙を殺し、李璠を立てて留後とし、すぐにまた李璠を殺し、州を挙げて汴に降った。青州の王師範の部将牛従毅は海州をもって淮南に帰附した。中原の地はこれに至りて大半が朱全忠に帰した。

庚申 相崔胤誣殺宰相王博、樞密使宋道弼、景務修。朱全忠會魏軍攻幽之滄、德州,李克用拔汴之邢州,又以三鎮兵攻鎮州。王鎔乞和,乃還。汴將張存敬攻幽之滄州,又拔祁州,又敗定州王處直於沙河,進攻定州。處直以定州降於全忠。罷崔遠相,以裴贄、裴樞為相,徐彥若觀察青海。中尉兩軍劉季述、王仲先幽帝於東內,令皇太子裕監國。相崔胤、張浚告難於全忠,全忠自定還汴護駕,將孫德昭、周承誨、董彥誅劉季述、王仲先,帝自幽所還政。

庚申年(九〇〇年)、宰相崔胤は宰相王博と枢密使宋道弼・景務修を誣い陥れ殺害した。朱全忠は魏博軍と会して幽州の所轄する滄州・徳州を進攻した。李克用は汴州の邢州を攻め取り、また三鎮の兵を率いて鎮州を攻め、王鎔は和を求めてやっと兵を退いた。汴将張存敬は幽州の滄州を進攻し、また祁州を攻め下し、沙河で定州の王処直を破り、進んで定州を囲攻し、王処直は定州をもって朱全忠に降った。崔遠の相位を罷め、裴贄・裴枢をもって相とし、徐彦若は青海観察使に出任した。年末に両軍中尉劉季述・王仲先は昭宗を東内に幽禁し、皇太子李裕に国を監させた。宰相崔胤・張浚は朱全忠に急を告げ、朱全忠は定州より師を回して汴州に帰り駕を護る準備をしたが、将領孫徳昭・周承誨・董彦は劉季述・王仲先を誅殺し、昭宗は幽禁の地より復位して親政した。崔胤は宦官を除くために藩鎮の兵を朝に引き入れ、唐室に僅かに存する自主もまたこれに随って断たれた。

辛酉 誅神策使季師度、徐彥回,窘帝故也。降皇太子裕為德王,改元天復。汴將張存敬由含山路拔李克用之河中及晉、絳。朱全忠兼領河中節度,進封梁王。梁軍大舉攻晉之太原,晉將孟遷以澤入於梁。梁將氏叔琮長驅出圍柏,屯軍洞渦;葛從周以趙魏兵入土門,陷承天。會天大雨,乃復。宰相崔胤受全忠旨,逼帝幸東都。未及行,中尉韓全誨以李茂貞兵劫帝幸鳳翔,罷崔胤相。崔胤至三原,促全忠西攻。全忠以四鎮兵破華州,由京城西圍鳳翔,又破邠州,獲李繼徽,以絕其援。

辛酉年(九〇一年)、神策使季師度・徐彦回を誅殺した――彼らはかつて天子を窘迫したことがあったからである。皇太子李裕を降して徳王とし、改元して「天復」とした。汴将張存敬は含山路より李克用の河中および晋州・絳州を攻め取った。朱全忠は河中節度使を兼領し、進封して梁王となった。梁軍は大挙して晋方の太原を進攻し、晋将孟遷は沢州をもって梁に降った。梁将氏叔琮は長駆して囲柏に出て、洞渦に屯軍し、葛従周は趙魏の兵を率いて土門に入り承天軍を攻め陥したが、大雨に遇ってやっと兵を退き、李克用は保全するを得た。宰相崔胤は朱全忠の意旨を禀承し、昭宗を逼じて東都に遷らせようとしたが、なお成行かざるに、中尉韓全誨はすでに李茂貞の兵力を借りて昭宗を鳳翔に劫し往き、崔胤は相を罷められた。これに至り宦官は天子を挟して岐に帰し、宰相は天子を挟して汴に帰し、両方は公然と天子を争奪した。崔胤は三原に至り、朱全忠を催促して西に攻めさせた。朱全忠は四鎮の兵をもって華州を攻め破り、京城より西にて鳳翔を合囲し、また邠州を攻め破り李継徽を擒えて、鳳翔の外援を断った。

壬戌 帝在鳳翔,封淮南楊行密吳王、兩浙錢鏐越王,俾救難王室,皆不至。李克用南攻。朱全忠自鳳翔至河中,命將拔晉之汾州,進圍太原,不利。全忠自河中復至鳳翔。鄜州節度使李周彝以兵援鳳翔。汴將孔勳乘虛陷鄜州,周彝以兵降全忠,邠寧鄜坊又入於梁。鳳翔李茂貞逐誅宦氏韓全誨,以解全忠之圍。

壬戌年(九〇二年)、昭宗は鳳翔に困居し、詔を下して淮南の楊行密を呉王、両浙の銭鏐を越王に封じ、彼らが難に赴き勤王することを指望したが、両人とも来なかった――天子の号令はすでに囲城の外に出なかった。李克用は南下して進攻した。朱全忠は鳳翔より河中に転じ赴き、将を遣わして晋方の汾州を攻め下し、進んで太原を囲んでも勝を得ず、また河中より鳳翔に帰った。鄜州節度使李周彝は兵を領して鳳翔を援救し、汴将孔勲は虚に乗じて鄜州を攻め陥し、李周彝はただ兵を率いて朱全忠に投降するのみであった――邠寧・鄜坊の地もまた梁に帰入した。鳳翔城中は糧尽きて人相食らい、李茂貞は迫られて宦官韓全誨らを誅殺し、もって朱全忠の囲みを解くを求めた。

癸亥 帝還長安,進朱全忠元帥,復崔胤相。全忠誅宦氏七百人,罷陸扆相,以裴樞、王溥為相。青州王師範拔梁之兗州。全忠東攻青州。成都王建寇李茂貞之秦隴,以修好於全忠。王師範會淮南兵,敗梁軍於臨淄。梁將楊師厚敗青軍於臨昭,王師範以青州降。淮南楊行密攻鄂州,荊南成汭救鄂,澧朗軍乘虛陷江陵,趙匡凝乘虛陷荊州。成汭憤死。岐兵逼長安,梁軍屯河中。全忠逼帝都洛陽,殺宰相崔胤、六軍使鄭仁規、皇城使王建勳、飛龍使陳班、閣門使王建襲、客省使王建義、左僕射張浚,緩遷故也。柳璨、崔遠代相。

癸亥年(九〇三年)、昭宗は長安に帰り、朱全忠を進めて諸道兵馬元帥とし、崔胤は相に復した。朱全忠は宦官七百人を誅殺し、唐代百余年の宦官専権はこれにより終結したが、天子もまたこれより完全に朱全忠の掌中に落ちた。陸扆の相位を罷め、裴枢・王溥をもって相とした。青州の王師範は梁の兗州を攻め取り、朱全忠は東に青州を攻めた。成都の王建は李茂貞の秦州・隴州を進犯し、これを借りて朱全忠と修好した。王師範は淮南兵と会して臨淄で梁軍を破ったが、梁将楊師厚はまた臨昭で青州軍を破り、王師範は青州をもって帰降した。淮南の楊行密は鄂州を進攻し、荊南の成汭は往って救い、澧朗の軍は虚に乗じて江陵を攻め陥し、趙匡凝は虚に乗じて荊州を攻め陥し、成汭は憤恨して死んだ。岐兵は進んで長安を逼り、梁軍は河中に屯駐した。朱全忠は昭宗を逼じて都を洛陽に遷さしめ、あわせて遷都の遅緩なことを因りて宰相崔胤・六軍使鄭仁規・皇城使王建勲・飛龍使陳班・閤門使王建襲・客省使王建義および左僕射張浚を殺した――崔胤は狼を室に引き入れ、終に自らの招いた人の手に死した。柳璨・崔遠が替わって相となった。

経世之申 二千二百六十五

甲子 唐景文皇帝十六年,東徙至谷水,梁王朱全忠坑帝侍從三百人。至洛陽,改元天祐,以張漢瑜為相。楊崇本以邠兵寇關輔。全忠西攻,行殺於別宮,立輝王祚,是謂哀帝。李克用以本部兵據太原。 乙丑 梁王全忠逼帝授禪,殺宰相裴樞、崔遠、陸扆及九王,用張文蔚、楊涉為相,盡出朝廷官吏。太原李克用、鳳翔李茂貞、成都王建、襄陽趙匡凝同謀興復。梁將楊師厚敗趙匡凝於江湄,進拔襄陽。匡凝將王建武以荊南兵眾降,唐、鄧、復、郢、隨、襄、荊南又入於梁。匡凝奔淮南。朱全忠加九錫,總百揆,天下元帥,進封魏王,不受。再逼授禪,殺樞密使蔣玄暉、豐德庫使應頊、尚食使朱建武,及宰相柳璨、太常卿張廷範、太常少卿裴磵、溫變、知制誥張茂昭及皇后何氏。淮南楊行密卒,子渥繼事。太原李克用會契丹阿保機於雲州,進兵河北。

甲子年(九〇四年)は唐昭宗(廟号は景文皇帝)在位十六年である。車駕は東に遷り、谷水に至るや、梁王朱全忠は昭宗の侍従三百人を尽く坑殺した。洛陽に到るや改元して「天祐」とし、張漢瑜をもって相とした。楊崇本は邠州の兵を率いて関中を侵擾し、朱全忠は西に攻め、あわせてこの時人を遣わして別宮で昭宗を弑殺し、輝王李祚を改めて立てた――これが唐哀帝である。李克用は本部の兵をもって太原を拠守し、梁の命を奉じなかった。乙丑年(九〇五年)、梁王朱全忠は哀帝を逼じて位を禅らせ、宰相裴枢・崔遠・陸扆および九位の親王を殺し、朝廷の旧官を尽数逐い出し、改めて張文蔚・楊渉を用いて相とした――これが清流の朝臣を黄河に投げた「白馬之禍」である。太原の李克用・鳳翔の李茂貞・成都の王建・襄陽の趙匡凝は共に唐室の興復を謀った。梁将楊師厚は江辺で趙匡凝を破り、進んで襄陽を攻め取り、趙匡凝の部将王建武は荊南の兵衆を率いて投降し、唐・鄧・復・郢・随・襄および荊南はまた梁に併入し、趙匡凝は淮南に逃げ奔った。朱全忠は九錫を加えられ、百官を総攬し、天下兵馬元帥を任じられ、魏王に進封されたが、皆推辞して受けず、再度禅譲を逼迫した。彼はまた枢密使蒋玄暉・豊徳庫使応頊・尚食使朱建武および宰相柳璨・太常卿張廷範・太常少卿裴磵・温変・知制誥張茂昭和皇后何氏を殺した。淮南の楊行密が去世し、子楊渥が軍政を接掌した。太原の李克用は雲州で契丹の首領阿保機と会盟し、河北に進兵した。

丙寅 魏州牙兵亂,朱全忠坑之。進圍幽之滄州。幽人求救於太原。李克用會幽軍攻上黨,梁將丁會以澤潞降。全忠自長蘆還大梁。 丁卯 朱全忠代唐命於汴,改國曰梁,元曰開平,薛貽矩、韓建為相,降帝為濟陰王,徙之曹河東。晉王李克用、淮南吳王楊渥、劍南蜀王王建、山東秦王李茂貞、兩浙越王錢鏐、荊南渤海王高季昌、湖南楚王馬殷、泉南閩王王審知、廣南南海王劉隱並行唐年。

丙寅年(九〇六年)、魏州の牙兵が乱をなし、朱全忠は彼らを尽く坑殺し、また幽州の所属する滄州を進囲した。幽州は太原に救を求め、李克用は幽州軍と会して上党を進攻し、梁将丁会は沢州・潞州をもって帰降した。朱全忠は長蘆より大梁に帰った。丁卯年(九〇七年)、朱全忠は汴州で唐朝を代えて帝を称し、国号を「梁」、年号を「開平」とした――唐朝はこれに至りて亡び、五代十国の時代が始まった。薛貽矩・韓建をもって相とし、唐哀帝を降封して済陰王とし、曹州に遷した。河東の晋王李克用・淮南の呉王楊渥・剣南の蜀王王建・山東の秦王李茂貞・両浙の越王銭鏐・荊南の渤海王高季昌・湖南の楚王馬殷・泉南の閩王王審知・広南の南海王劉隠は皆旧に唐の年号を沿用し、梁の正朔を認めなかった。

戊辰 梁攻河東,用於兢、張榮為相,殺濟陰王於曹州。荊南高季昌、湖南馬殷、兩浙錢鏐附於梁。是年,劍南王建稱帝成都,國曰蜀,元曰武康;河東李克用、淮南楊渥、山南李茂貞、泉南王審知、南海劉隱行唐年。河東李克用卒,子存勖繼,誅亂,命李克寧、李存顥敗梁軍於潞之三垂崗。淮南楊渥為部將張顥所殺,代立。大將徐溫自金陵入,誅顥,立渥弟渭溫專制。 己巳 梁自汴徙都洛陽,郊祀天地。趙光逢、杜曉為相。張奉以沙州亂,劉知俊以同州叛。丹襄軍亂。泉南王審知、南海劉隱附於梁。劉隱卒,弟巖立。河東李存勖、淮南楊渭、山南李茂貞行唐年。

戊辰年(九〇八年)、梁は河東を進攻し、于兢・張栄を用いて相とし、あわせて曹州で済陰王すなわち唐哀帝を殺した。荊南の高季昌・湖南の馬殷・両浙の銭鏐は梁に帰附した。この年剣南の王建は成都で帝を称し、国号を「蜀」、年号を「武康」とした――これが前蜀である。河東の李克用・淮南の楊渥・山南の李茂貞・泉南の王審知・南海の劉隠はなお唐の年号を行った。河東の李克用が去世し、子李存勗が位を継ぎ、内乱を平定し、李克寧・李存顥らの変を謀る者を誅し、続いて潞州三垂崗で梁軍を大破した。淮南の楊渥は部将張顥に殺され、張顥は自立した。大将徐温は金陵より城に入り張顥を誅殺し、楊渥の弟楊渭を改めて立て、徐温はこれより権を専らにした。己巳年(九〇九年)、梁は汴州より洛陽に都を遷し、郊外で天地を祭祀した。趙光逢・杜暁が相となった。張奉は沙州に拠って乱をなし、劉知俊は同州に拠って反し、丹州・襄州にも兵変が起こった。泉南の王審知・南海の劉隠は梁に帰附した。劉隠が去世し、その弟劉巖が継ぎ立った。河東の李存勗・淮南の楊渭・山南の李茂貞はなお唐の年号を行った。

庚午 梁之鎮州王錇、定州王處直請附於晉。河東李存勖東下河北。 辛未 梁改元乾祐,北攻鎮定軍,敗於柏鄉。蜀改元永平。是年李存勖將劉守光稱帝幽州。 壬申 梁北攻鎮定,屠棗強,乃復。六月,郢王友珪行弒代立,改元鳳歷,殺博王友文於汴。冀王友謙以河中入於晉。許州軍亂。晉王李存勖敗燕軍於龍崗,進圍幽州。

庚午年(九一〇年)、もと梁に属した鎮州の王鎔・定州の王処直は晋に帰附するを請うた。河東の李存勗は師を揮して東に河北に下った。辛未年(九一一年)、梁は改元して「乾祐」とした――底本はかくのごとし、実は「乾化」と作る。梁の北に鎮州・定州を攻める軍は柏郷で大敗し、梁晋強弱の勢いはこれより逆転した。蜀は改元して「永平」とした。この年劉守光は幽州で帝を称し、国号を燕とした。壬申年(九一二年)、梁は再度北に鎮定を攻め、棗強を屠戮して帰った。六月、郢王朱友珪は父を弑して位を奪い、改元して「鳳暦」とし、あわせて汴州で博王朱友文を殺した。冀王朱友謙は河中をもって晋に帰附した。許州に兵変が起こった。晋王李存勗は竜崗で燕軍を破り、進んで幽州を囲攻した。

癸酉 梁六軍殺友珪,立均王友貞於汴,復乾祐三年。晉李存勖平幽州,獲劉守光及父仁恭以歸。 甲戌 梁將王殷以徐叛,附於吳。晉李存勖開霸府於太原。 乙亥 梁改元貞明。鄴王楊師厚卒,分其地六州為兩鎮。魏軍遂亂,囚其帥賀德倫,以六州人於晉。蜀拔山南之秦鳳。階成宮大火。晉李存勖東下,大會兵於魏郊。 丙子 梁之河北皆入於晉。趙光逢、鄭珏為相,攻晉,不利。蜀改元通正,拔山南之隴州。晉李存勖敗梁軍於故元城。吳封相徐溫為齊國公,屬之以金陵、丹陽、毗陵、宣城、新安、池陽六郡,鎮金陵。

癸酉年(九一三年)、後梁の禁軍は父を弑して自立した朱友珪を誅殺し、汴梁で朱温の第三子均王朱友貞を擁立して即位させた――これが梁末帝である。彼は朱友珪の年号を廃し、旧号に復し、乾化三年と称した(原文は「乾祐」と作るが、まさに「乾化」の訛りであろう)。河東の晋王李存勗(李克用の子、すなわち後の後唐荘宗)は幽州を平定し、僭称の大燕皇帝劉守光とその父劉仁恭をあわせて俘えて帰った。甲戌年(九一四年)、後梁の将領王殷は徐州に拠って叛し淮南の楊呉に降った。李存勗は太原に霸府を開設した――すなわち晋王の軍政幕府である。乙亥年(九一五年)、後梁は改元して「貞明」とした。天雄軍節度使・鄴王楊師厚が去世し、朝廷は機に乗じて彼の領した魏博六州を二鎮に拆り、魏博の軍変を激成し、士卒は主帥賀徳倫を囚え、六州の地を挙げて晋に帰附した。前蜀は山南の秦州・鳳州を攻め取り、階州・成州の宮室はまた大火に遭った。李存勗は師を揮して東に下り、魏州郊外で諸軍を大会した。丙子年(九一六年)、後梁の黄河以北の地盤は全部晋の手に落ちた。後梁は趙光逢・鄭珏をもって宰相とし、兵を出して晋を攻めて失利した。前蜀は改元して「通正」とし、山南の隴州を攻め下した。李存勗は故元城で梁軍を大敗した。楊呉は宰相徐温を斉国公に封じ、金陵・丹陽・毘陵・宣城・新安・池陽の六郡を彼の管轄に割り当て、金陵に出鎮した。

丁丑 梁冊兩浙錢鏐為天下兵馬元帥。是年,劉巖以南海稱帝,國曰漢,元曰乾亨。蜀改元天漢,誅降將劉知俊於炭市。晉李存勖拔梁之楊劉城。 戊寅 梁之鄆、濮陷於晉。蜀改元天光,建遇毒死,子衍立。晉李存勖擁太原、魏博、幽、滄、鎮、定、邢、洺、麟勝、雲朔十鎮之師,大閱於魏郊,敗梁軍於胡柳。 己卯 梁張守進以兗入於晉。蜀改元乾德。晉逼梁之河南。是年,楊渭稱帝淮南,國曰吳,元曰武義,徐溫為大丞相,都督中外,封東海王。 庚辰 梁李琪為相,陳州妖寇亂。晉兵入寇。吳楊渭卒,弟溥立。晉存勖拔梁之同州。

丁丑年(九一七年)、後梁は両浙の銭鏐を冊封して天下兵馬元帥とした。同年、清海軍節度使劉巖は南海(広州)で帝を称し、国号を漢、史は南漢と称し、年号を乾亨とした。前蜀は改元して天漢とし、成都の炭市で後梁より奔ってきた降将劉知俊を処死した。李存勗は後梁の黄河の渡口の要塞楊劉城を攻め下した。戊寅年(九一八年)、後梁の鄆州・濮州は晋に陥れた。前蜀は改元して光天とした(原文は「天光」と作るが、二字の倒置である)。蜀主王建は毒に中りて死し、子王衍が位を継いだ。李存勗は太原・魏博・幽州・滄州・鎮州・定州・邢州・洺州・麟州勝州・雲州朔州の十鎮の師を統率し、魏州郊外で大閱兵し、また胡柳陂で梁軍を破った。己卯年(九一九年)、後梁の張守進は兗州を献じて晋に帰った。前蜀は改元して乾徳とした。晋軍は進んで後梁の河南の地を逼った。同年、楊渭(すなわち楊隆演)は淮南で国を建て尊を称し、国号を呉、改元して武義とし、徐温をもって大丞相・都督中外諸軍事とし、東海王に封じた。庚辰年(九二〇年)、後梁は李琪をもって宰相とした。陳州で宗教の異端を借りて衆を聚めた「妖寇」の乱が爆発した。晋兵が入侵した。呉主楊渭が去世し、弟楊溥が継ぎ立った。李存勗は後梁の同州を攻め取った。

辛巳 梁改元龍德。惠王友能以陳叛吳,改元順義。晉鎮定亂,契丹犯幽州。 壬午 晉李存勖平鎮定,又敗契丹於易水。 癸未 河東晉王存勖稱帝魏州,是謂莊宗,國曰唐,元曰同光,是謂後唐。以豆盧革為相,郭崇韜樞密使。自魏由鄆,而南敗梁將王彥章於中都,長驅入汴,殺友貞於降國樓,降之為庶人。潞州軍亂,淮南楊溥、兩浙錢鏐、山南李茂貞、湖南馬殷請附。吳楊溥去帝號稱王。荊南高季興、泉南王審知行梁年。

辛巳年(九二一年)、後梁は改元して竜徳とした。恵王朱友能は陳州に拠って反した。呉国は改元して順義とした。晋の鎮州・定州に兵変が起こり、張文礼は成徳節度使王鎔を殺して鎮州に拠り、契丹は機に乗じて幽州を進犯した。壬午年(九二二年)、李存勗は鎮州・定州を平定し、また易水一帯で契丹を破った。癸未年(九二三年)、河東の晋王李存勗は魏州で帝を称した――これが後唐荘宗であり、国号を唐、年号を同光とし、史家はこれを後唐と称する。彼は豆盧革を任じて宰相、郭崇韜を枢密使とし、魏州より鄆州を取りて南下し、中都で後梁の大将王彦章を破り、一路長駆して汴梁に攻め入った。梁末帝朱友貞は降国楼で死し、追貶されて庶人となり、後梁はこれに至りて亡びた。潞州はその後また軍乱が起こった。淮南の楊溥・両浙の銭鏐・山南の李茂貞・湖南の馬殷は皆表を上げて帰附を請うた。呉主楊溥は帝号を去り、改称して国王とした。荊南の高季興・泉南の閩主王審知はなお旧に後梁の年号をもって紀年を行った。

甲申 唐自汴徙都洛陽,平上黨。 乙酉 唐帝存勖北巡魏郊,以樞密使郭崇韜同魏王繼岌伐蜀,七旬平之,獲其主王衍以歸,至秦川驛族殺之。以孟知祥鎮成都。荊南高季興請附。蜀改元咸康,國亡。漢改元曰龍。泉南王審知為子延翰所殺,代立。 丙戌 唐內命亂。皇后劉氏使人殺樞密使郭崇韜於蜀,魏軍變,以鎮帥李嗣源代之。嗣源至,魏軍又變。二軍奉李嗣源入汴。唐帝存勖東征,至萬勝乃復。內軍又變,殺存勖於絳霄殿。嗣源入洛稱帝,是謂明宗,改元天成,誅宰相豆盧革、韋說,以鄭珏、任圜為相,安重誨為樞密使。魏王繼岌自成都入,至渭橋,殺之。荊南逆命,泉南稱附。泉南王延翰為弟王延鈞所殺,代立。

甲申年(九二四年)、後唐は国都を汴梁より洛陽に遷し、上党を平定した。乙酉年(九二五年)、荘宗李存勗は北に魏州郊外を巡り、枢密使郭崇韜に命じて魏王李継岌と会して前蜀を討伐せしめ、七十日で蜀地を平定し、蜀主王衍を俘えて北に帰り、行きて秦川駅に至り王氏の一族を尽数誅殺した。また孟知祥をもって成都を鎮守させた。荊南の高季興は帰附を請うた。前蜀は改元して咸康とし、すぐに国亡んだ。南漢は改元して白竜とした。泉南の王審知は子王延翰の手に死し、延翰はその位を接掌した(史書は多く審知の病卒を載せ、ここに記するは異説である)。丙戌年(九二六年)、後唐の内部は大乱となった。劉皇后は人を遣わして蜀地で枢密使郭崇韜を殺し、魏博軍は因りて嘩変し、朝廷は鎮州の主帥李嗣源を遣わして弾圧に往かせた。李嗣源が到るや、魏軍は再度嘩変し、両支の軍はあまつさえ共に李嗣源を推して南下して汴に入らせた。荘宗は東征して討伐し、万勝鎮に至るや便ち折り返し、宮中の禁軍もまたこれに随って乱をなし、荘宗は絳霄殿で殺された。李嗣源は洛陽に進み帝を称した――これが後唐明宗であり、改元して天成とし、宰相豆盧革・韋説を誅殺し、鄭珏・任圜を起用して相とし、安重誨を枢密使とした。魏王李継岌は成都より東に帰り、渭橋に至るや部下に殺された。荊南は命に抗して服せず、閩地は帰附を表した。閩主王延翰は弟王延鈞に殺され、延鈞が代わり立った。

丁亥 唐以馮道、崔協為相。盧臺及浚義軍亂。淮南楊溥復稱帝,改元乾貞。宰相徐貞卒,養子知誥繼事於金陵,稱王。是年,北狄耶律德光稱帝潢水,國曰契丹,元曰天顯。 戊子 唐以王建立為相。王都以定叛,高季興以荊南入於吳。漢改元大有。 己丑 唐以趙鳳為相,安重誨專政。吳改元大和。 庚寅 唐改元長興。河中兵亂,西川孟知祥、東川董璋連叛。

丁亥年(九二七年)、後唐は馮道・崔協を任じて宰相とした。盧台と浚儀は相継いで軍乱が起こった。淮南の楊溥は重ねて帝を称し、改元して乾貞とした。呉国の宰相徐温(原文は「徐貞」と作る)が去世し、養子徐知誥は金陵で大権を接掌し、王に封ぜられた――彼はすなわち後の南唐の開国之君李昪である。同じ年、北方の契丹君主耶律徳光は潢水の浜で皇帝位に即き、国号を契丹、年号を天顕とした。戊子年(九二八年)、後唐は王建立を用いて宰相とした。義武節度使王都は定州に拠って反した。高季興は荊南を帯びて呉国に倒れた。南漢は改元して大有とした。己丑年(九二九年)、後唐は趙鳳を用いて宰相とし、枢密使安重誨は朝政を把持した。呉国は改元して大和とした。庚寅年(九三〇年)、後唐は改元して長興とした。河中に兵乱が起こり、西川の孟知祥と東川の董璋は相継いで朝廷を叛離した。

辛卯 唐以李愚為相,罷安重誨樞密使,以趙延壽、範延光為樞密使。東西二川相攻。 壬辰 唐孟知祥平東川,獲董璋,稱表,封知祥為蜀王。吳王錢鏐卒,子元瓘繼。福州王延鈞稱帝,國曰閩,元曰光啟。 癸巳 唐以劉煦為相,潞王從珂出尹鳳翔。石敬瑭移鎮太原。帝嗣源病,秦王從榮以河南府兵攻端門,不克,敗死。明宗終,立宋王從厚,是謂閔帝。馮道、李愚為相專政,朱宏昭、馮贇為樞密使。

辛卯年(九三一年)、後唐は李愚を任じて宰相とし、安重誨の枢密使の職を罷免し、改めて趙延寿・范延光を用いて枢密を掌らせた。西川・東川の両鎮は互いに攻伐した。壬辰年(九三二年)、孟知祥は東川を平定し、董璋を擒え、すぐに朝廷に表を上げて臣を称し、後唐は便ち彼を蜀王に封じた。呉越王銭鏐が去世し、子銭元瓘が位を継いだ。福州の王延鈞は帝を称し、国号を閩、年号を竜啓とした(原文は「光啓」と作る)。癸巳年(九三三年)、後唐は劉昫を任じて宰相とし、潞王李従珂を外に放ちて鳳翔尹とし、また石敬瑭を調して太原を鎮させた。明宗李嗣源は病重く、秦王李従栄は先んじて河南府の兵馬を帯びて宮城の端門を進攻したが、攻め下すことができず、兵を敗って殺された。明宗はすぐに去世し、朝廷は宋王李従厚を立てて位を継がせた――これが後唐閔帝である。馮道・李愚は宰相の位をもって朝政を把持し、朱弘昭・馮贇は枢密使に出任した。

経世之酉 二千二百六十六

甲午 後唐閔帝從厚元年,改元應順,以鳳翔潞王從珂移鎮太原。從珂自岐入,逐從厚,代立於洛宮,改元清泰。從厚出奔衛州,就殺之。是年,孟知祥以西川稱帝成都,國曰蜀,元曰明德。知祥卒,子昶繼。 乙未 唐以韓昭裔為相。忻州戍軍亂。吳改元天祚,閩改元永和。臣李仿弒其君延鈞,立其子昶。 丙申 唐以馬裔孫為相,以太原石敬瑭移鎮汶陽。石敬瑭自太原入,以北狄耶律德光稱帝,入洛代唐命,改國為晉,元曰天福。以幷州從事桑維翰、趙瑩為相,馮道依舊相,輸冀氏之北,入於狄。從珂火死於玄武樓。荊南兩浙稱附。閩王昶誅李仿,改元通文。 丁酉 晉以李崧為相。河陽張從賓、魏州範延光、滑州符彥饒、安州盧文進不從命,悉平之。吳大將徐知誥代吳命於金陵,改國曰齊,易號為唐,元曰升元,複姓李氏,易名為昇,以宋齊邱、徐玠為左右相,徙其君于丹徒,殺之。

甲午年(九三四年)は後唐閔帝李従厚の元年であり、改元して応順とした。朝廷は強藩を削弱しようとし、鳳翔の潞王李従珂を調して太原を鎮守せしめた。李従珂は便ち鳳翔(古の岐地)より起兵して京城に打ち入り、李従厚を駆逐し、洛陽宮で自ら帝となり、改元して清泰とした――これが後唐末帝である。李従厚は出て衛州に逃げ、すぐに殺された。同年、孟知祥は西川の地をもって成都で帝を称し、国号を蜀、史は後蜀と称し、年号を明徳とした。知祥はその年に死し、子孟昶が位を継いだ。乙未年(九三五年)、後唐は韓昭胤(原文は「昭裔」と作る)を用いて宰相とした。忻州の戍軍が乱をなした。呉国は改元して天祚、閩国は改元して永和とした。閩臣李仿は君を弑して王延鈞を殺し、別に延鈞の子王昶を立てた――すなわち後の閩康宗王継鵬である。丙申年(九三六年)、後唐は馬胤孫を用いて宰相とし、また太原の石敬瑭を調して汶陽を鎮させた。石敬瑭はあまつさえ太原より起兵し、契丹主耶律徳光の力を借りて帝を称し、洛陽に進み後唐を代え、国号を晋と改めた――史は後晋と称し、年号を天福とした。并州従事の桑維翰・趙瑩を用いて宰相とし、馮道は旧に相の位に居った。あわせて冀北一帯すなわち燕雲十六州を契丹に割譲した。李従珂は玄武楼で自焚して死んだ。荊南・両浙は帰附を表した。閩主王昶は李仿を誅殺し、改元して通文とした。丁酉年(九三七年)、後晋は李崧を用いて宰相とした。河陽の張従賓・魏州の范延光・滑州の符彦饒・安州の盧文進は相継いで命に抗し、皆平定された。呉国の大将徐知誥は金陵で呉室を代え、国号を先ず斉と称し、すぐに改称して唐とした――すなわち南唐であり、年号を昇元とした。彼は本姓李氏を回復し、改名して李昪とし、宋斉丘・徐玠を用いて左右相とし、廃主楊溥を丹徒に遷した後殺害した。

戊戌 晉徙都汴。魏州範延光服命,封高平王,移鎮汶陽。北狄耶律德光改元會同。 己亥 閩亂,連重遇殺其君昶,立其叔父延羲,改元永隆。 庚子 晉用和凝為相。李金全以安叛,命馬全節以十郡之師平之。 辛丑 晉帝石敬瑭北巡鄴。安重進以襄叛,安重榮以鎮叛。兩浙錢元瓘卒。子弘佐繼。 壬寅 晉帝石敬瑭終於鄴。從子齊王重貴立,侍衛將軍耿延廣專政,始貳於狄。漢劉巖卒,子玢繼,改元光大。

戊戌年(九三八年)、後晋は都城を汴梁に遷した。魏州の范延光は朝廷に帰順し、高平王に封ぜられ、改めて汶陽を鎮した。契丹主耶律徳光は改元して会同とした。己亥年(九三九年)、閩国に内乱があり、将領連重遇は閩主王昶を殺し、王昶の叔父王延羲を改めて立て、改元して永隆とした。庚子年(九四〇年)、後晋は和凝を用いて宰相とした。李金全は安州に拠って反し、朝廷は馬全節に命じて十郡の師を統べて平定させた。辛丑年(九四一年)、晋高祖石敬瑭は北に鄴都を巡った。安従進(原文は「安重進」と作る)は襄州に拠って反し、安重栄は鎮州に拠って反した。呉越の銭元瓘が去世し、子銭弘佐が位を継いだ。壬寅年(九四二年)、石敬瑭は鄴都で死んだ。甥の斉王石重貴が位を継ぎ――これが晋出帝である。侍衛将軍景延広(原文は「耿延広」と作る)は朝政を専断し、始めて契丹に対し強硬の姿勢に改め、両国はこれより隙を生じた。南漢の劉巖が去世し、子劉玢が位を継ぎ、改元して光天とした(原文は「光大」と作る)。

癸卯 晉楊光遠以青叛,北狄入寇。漢亂,弟晟殺其君玢,代立,改元應乾,再改元乾和。江南李昇卒,子璟繼,改元保大,宋齊邱、周京為相,平白雲蠻於虔州。閩王延羲弟延政亦稱帝建州,國曰殷,元曰天德。 甲辰 晉改元開運,北狄入寇,至於貞博。封晉陽劉知遠為太原王,劉煦為相。閩亂,大將朱文進殺其君延羲,代立,以福州稱附於晉。 乙巳 北狄大入寇晉河朔,至於磁相。封劉知遠北平王,罷和凝、桑維翰相,以馮玉為相,李崧知樞密院事。 丙午 晉大將杜重威、李守貞及裨將張彥澤以軍降狄於中渡,彥澤以兵五百人入汴,為狄清路,幽其君重貴於開封府。南唐平閩之建州,滅王延政。

癸卯年(九四三年)、後晋の楊光遠は青州に拠って反し、契丹はこれに随って入侵した。南漢は内乱し、劉玢の弟劉晟は兄を殺して自立し、先ず改元して応乾、また改元して乾和とした。江南の南唐烈祖李昪が去世し、子李璟が位を継ぎ、改元して保大とし、宋斉丘・周宗(原文は「周京」と作る)を用いて宰相とし、虔州で白雲蠻を平定した。閩主王延羲の弟王延政もまた建州で帝を称し、国号を殷、年号を天徳とした。甲辰年(九四四年)、後晋は改元して開運とし、契丹は入侵し、兵鋒は直ちに澶州・博州一帯に抵った。朝廷は晋陽の劉知遠を太原王に封じ、劉昫を用いて宰相とした。閩国はまた内乱が生じ、大将朱文進は閩主王延羲を殺して自立し、福州をもって後晋に臣を称し帰附した。乙巳年(九四五年)、契丹は大挙して後晋の河朔の地に侵入し、一路磁州・相州に打至った。朝廷は劉知遠を北平王に封じ、和凝・桑維翰の相位を罷め、改めて馮玉を用いて宰相とし、李崧に知枢密院事をさせた。丙午年(九四六年)、後晋の大将杜重威・李守貞と副将張彦沢は中渡で全軍を率いて契丹に降り、張彦沢は五百の兵を帯びて先に汴梁に入り契丹のために道を開き、晋出帝石重貴を開封府に幽禁した。南唐は閩国の建州を攻め下し、王延政を滅ぼした。

丁未 正月,契丹耶律德光入汴,滅晉,改國曰遼,誅張彥澤,徙其君重貴於北荒,致之龍城。二月,北平王劉知遠稱帝晉陽,年用天福,是謂高祖。五月,契丹潰於汴,耶律德光留相蕭翰守汴。翰求後唐明宗子從益,立之而去。六月,劉知遠留子崇守太原,南入汴代命,建國曰漢,用蘇逢吉、蘇禹珪為相,又以竇貞固、李濤為相,楊邠、郭威為樞密使。相馮道、李崧自欒城至。杜重威以魏州拒命。閩國分為三。荊南、兩浙稱附於漢。吳越錢弘佐卒,弟弘倧立。狄契丹耶律德光還,至欒城卒,兄之子兀欲代立,歸國,廢德光母,改元天祿。

丁未年(九四七年)正月、契丹主耶律徳光は汴梁に攻め入り、後晋を滅ぼし、国号を改称して遼とし、道を引いた張彦沢を処刑し、また晋出帝石重貴を塞北の荒遠の地に遷し、竜城に安置した。二月、北平王劉知遠は晋陽で帝を称し、なお後晋の天福の年号を沿用した――これが後漢高祖である。五月、契丹は汴梁に立脚することができず、潰退して北に帰り、耶律徳光は宰相蕭翰を留めて汴を守らせた。蕭翰は後唐明宗の子李従益を尋ねあて、彼を台に扶した後自ら去った。六月、劉知遠は子劉崇を留めて太原を守らせ、自ら南下して汴に入り後晋を代え、建国して号を漢とし、史は後漢と称し、蘇逢吉・蘇禹珪を用いて宰相とし、また竇貞固・李濤を加えて相とし、楊邠・郭威を枢密使とした。旧相馮道・李崧もまた欒城より駆けて帰附した。杜重威は魏州に拠って命に抗した。閩国は三に分裂した。荊南・両浙は後漢に称附した。呉越の銭弘佐が去世し、弟銭弘倧が継ぎ立った。契丹の耶律徳光は北に還り、欒城に至るや病死し、彼の兄の子兀欲すなわち耶律阮が位を継ぎて遼世宗となり、国に帰りて徳光の母述律太后を廃黜し、改元して天禄とした。

戊申 漢改元乾祐。帝知遠終,子周王承祐繼,罷李濤相,以楊邠為相,平鄴,誅杜重威。李守貞以河中阻命,王景崇以鳳翔叛,趙思綰以永興抗命,郭威以樞密使西伐之。浙東亂,大將胡思進廢其君弘倧,立其弟俶。 己酉 漢之蒲、雍、岐三叛,平。契丹寇河北,命郭威以樞密使北伐鎮鄴。 庚戌 漢夷宰相楊贇、侍衛將軍史宏肇、三司使王章族,賜澶州王殷、魏州郭威、王峻死。十二月,樞密使郭威以魏兵入,渡河,敗內軍於劉子陂,其主承祐野死。郭威至汴,請宰相馮道,迎其君之弟承珪于徐州,還至澶淵,軍變。復入汴。太后命威監國,降承珪為湘陰公,誅宰相蘇逢吉及劉銖。

戊申年(九四八年)、後漢は改元して乾祐とした。高祖劉知遠が去世し、子周王劉承祐が位を継ぎ――これが後漢隠帝である。李濤の相位を罷め、改めて楊邠を用いて宰相とし、鄴都を平定し、杜重威を誅殺した。李守貞は河中に拠って命に抗し、王景崇は鳳翔に拠って反し、趙思綰は永興に拠って命に抗した。朝廷は枢密使郭威を遣わして西征して討伐させた。浙東は内乱し、大将胡進思(原文は「胡思進」と作る)は呉越王銭弘倧を廃し、その弟銭弘俶を改めて立てた。己酉年(九四九年)、後漢の蒲州・雍州・岐州の三処の叛乱は全部平定された。契丹は河北を侵擾し、朝廷は郭威に命じて枢密使の身をもって北伐し、鄴都を鎮守させた。庚戌年(九五〇年)、後漢は宰相楊邠・侍衛将軍史弘肇・三司使王章の三家を族滅し、また詔を下して澶州の王殷・魏州の郭威・王峻に死を賜らんとした。十二月、郭威は魏州の兵馬を帯びて南下し、黄河を渡り、劉子陂で朝廷の禁軍を破り、隠帝劉承祐は乱軍の中で死んだ。郭威は汴梁に進みて、宰相馮道を徐州に迎えに遣わして宗室劉贇(原文は「承珪」と作る)を迎えて位を継がせようとしたが、澶淵に至るや軍中に兵変が起こり、将士は郭威を擁立し、郭威はこれにより汴梁に折り返した。太后は令を下して郭威をもって国を監さしめ、劉贇を降封して湘陰公とし、宰相蘇逢吉と劉銖を誅殺した。

辛亥 正月,監國郭威代漢命於汴,是謂太祖,改國曰周,元曰應順,王峻、范質、馮道為相。湘陰公死於宋州。兗州慕容彥超不受命。荊南、兩浙稱附。太原劉崇稱帝河東,國曰漢,年用乾祐。江南唐平湖南,徙其屬於金陵。北狄亂,契丹兀欲為其族述乾所殺,德光子述律平其亂,代立,改元應歷,易名為璟。 壬子 周平兗州。 癸丑 周冊皇后侄柴榮為皇太子,封晉王,尹開封府,流王峻於商州,王殷於登州,皆殺之。李谷、馮道為相。

辛亥年(九五一年)正月、監国の郭威は汴梁で後漢を代えて自立した――これが後周太祖であり、国号を周、年号を広順とした(原文は「応順」と作る)。王峻・范質・馮道をもって宰相とした。湘陰公劉贇は宋州で死んだ。兗州の慕容彦超は命に聴かなかった。荊南・両浙は帰附を表した。劉知遠の弟劉崇は太原で帝を称し、河東に拠って国を立て、なお漢の号を用いた――史は北漢と称し、年号は乾祐を沿用した。江南の南唐は湖南の馬氏を滅ぼし、楚国の宗族を金陵に遷した。契丹は内乱し、遼世宗兀欲は同族の察割(原文は「述乾」と作る)に殺され、耶律徳光の子述律は叛乱を平定した後即位し、改元して応暦とし、改名して璟とした――これが遼穆宗である。壬子年(九五二年)、後周は兗州を平定した。癸丑年(九五三年)、後周は太祖皇后の甥柴栄を冊立して皇太子とし、晋王に封じ、開封尹を兼任させた。王峻を商州に、王殷を登州に流し、続いて皆殺した。李谷・馮道が宰相となった。

甲寅 周鄭仁誨、王溥為相,改元顯德。太祖威終,晉王榮紹位於汴宮。河東劉崇以契丹之師入寇,周主榮親征,大破劉崇於高平,誅不用命者將校七十人。進攻太原,不克。澤、潞、汾、遼、忻、代、嵐、石迎降。宰相馮道卒於汴州。 乙卯 周大伐江南及蜀。漢劉崇卒,子承鈞繼。 丙辰 周廣汴都外城,南伐,取唐之滁、和,敗其軍於渦口。漢劉承鈞改元天會。 丁巳 周李谷罷相,王樸為樞密使,伐江南有功。唐改元交泰,兵敗於紫金山,請以江北地求和於周。

甲寅年(九五四年)、後周は鄭仁誨・王溥を用いて宰相とし、改元して顕徳とした。太祖郭威が去世し、晋王柴栄は汴宮で位を継いだ――これが周世宗である。河東の北漢劉崇は契丹兵を借りて入侵し、世宗は親ら出征战し、高平で劉崇を大破し、戦後陣に臨み退縮した将校七十人を処刑した。勝に乗じて太原を進攻したが下すことができず、沢・潞・汾・遼・忻・代・嵐・石の諸州は先後して迎え降った。宰相馮道は汴州で死んだ。乙卯年(九五五年)、後周は大挙して江南の南唐と西の後蜀を討伐した。北漢の劉崇が去世し、子劉承鈞が位を継いだ。丙辰年(九五六年)、後周は汴梁の外城を拡建し、南下して唐を伐ち、南唐の滁州・和州を攻め取り、渦口で唐軍を破った。北漢の劉承鈞は改元して天会とした。丁巳年(九五七年)、後周は李谷の相位を罷め、王朴を用いて枢密使とし、江南を討伐して戦功を立てた。南唐は改元して交泰とし、紫金山で大敗し、やむなく江北の地を割譲して後周に和を求めた。

戊午 周受唐江北地。南漢劉晟卒,子鋹繼,改元大寶。唐請附於周,殺宰相宋齊立及陳覺、李知古。 己未 周征契丹,至於瓦橋,取瀛、莫、易,置雄、霸,遂趣幽州、寧雄、瀛、莫迎,有疾,乃還,復冊妃符氏為皇后,子崇訓為皇太子,封梁王,用魏仁溥、范質為相,趙匡胤進位檢校太傅,充殿前都點檢。世宗榮終,皇太子崇訓嗣位。 庚申 辛酉 壬戌 癸亥

戊午年(九五八年)、後周は南唐の割譲した江北の土地を接収した。南漢の劉晟が去世し、子劉鋹が位を継ぎ、改元して大宝とした。南唐は後周に臣を称し帰附し、あわせて宰相宋斉丘(原文は「宋斉立」と作る)および陳覚・李知古を殺した。己未年(九五九年)、周世宗は北に契丹を征し、兵は瓦橋関に至り、瀛州・莫州・易州を収復し、雄州・霸州を設置し、まさに幽州を進取せんとするに、寧州と雄・瀛・莫の諸州は相継いで迎えに来たが、世宗はかえって軍中で病倒れ、ただ班師するのみであった。朝に帰りて符妃を冊立して皇后とし、子柴宗訓(原文は「崇訓」と作る)を立てて皇太子とし、梁王に封じ、魏仁浦・范質を用いて宰相とし、趙匡胤は検校太傅に昇り、殿前都点検を充任した。ほどなく世宗柴栄が去世し、皇太子が位を継いだ――これが周恭帝である。この後庚申(九六〇年)・辛酉・壬戌・癸亥の四年、書はただ干支を列するも一事を記さず――庚申はまさに陳橋兵変・趙匡胤が周を代えて宋を建てた年であり、邵雍は身は宋人として、本朝開国以降の史事については闕して書かず、もってあえて当代を妄議せざるを示した。

経世之戌 二千二百六十七

経世之亥 二千二百六十八

皇極経世書巻七上

観物篇三十五

日日聲平闢 水水音開清 多良千刀妻 古黑安夫卜東 宮心●●● 乃走思■■■ 日日聲七,下唱地之 水水音九,上和天之 用音一百五十二,是 用聲一百一十二,是 謂平聲闢音。平聲闢 謂開音清聲。開音清 音一千六十四。 聲一千八。 日日聲平之一闢 水水音開之一清 平聲闢唱呂一之一 開音清和律一之一

「日日声平辟」と「水水音開清」はこの一枚の図の左右両半の総題である。邵雍は「声」を天に帰し、「音」を地に帰す。天には日月星辰があり、平・上・去・入の四声に配する。地には水火土石があり、開・発・収・閉の四音に配する。「日日声」と言うのは、天之日(平声)の中で日に属する一位を取るのであり、すなわち平声のうち口形が開く類であって、ゆえにまた「平辟」と称する。「水水音」と言うのは、地之水(開音)の中で水に属する一位を取るのであり、すなわち開音のうち発声が軽清なる類であって、ゆえにまた「開清」と称する。以下の二行に列するは本図に用いる標目字である。声の方は多・良・千・刀・妻・宮・心の七字で、その後の三位は●と作す。音の方は古・黒・安・夫・卜・東・乃・走・思の九字で、その後の三位は■と作す。これらの方円黒白の記号は原書の欠字ではなく、邵雍が自ら設けた符号である。○はこの位に理の上で声はあるが漢字の中に当てる字なきを示し、●は声すら成立せぬ純粋の虚位を示す。□は音あって字なきを示し、■は音すらもなきを示す。声はもと十位、音はもと十二位、そのうち前の七声・前の九音が「用」で、其余は虚位として留めて全数を凑足する。続く四行は用数を説く。平声辟の類は実に七声あり、下りて地之用音一百五十二と相唱して、七に一百五十二を乗じて一千六十四を得――すなわち「平声辟音一千六十四」である。開音清の類は実に九音あり、上りて天之用声一百一十二と相和して、九に一百一十二を乗じて一千八を得――すなわち「開音清声一千八」である。「唱呂」「和律」の名については、楽律より取る。律は陽にして天に属し、呂は陰にして地に属す。天声は上にあり、唱うところは地の音なり――ゆえに唱呂という。地音は下にあり、和するところは天の声なり――ゆえに和律という。「一之一」とは、第一図の第一唱・第一和を言う。

古甲九癸多多多多 古古古古多可個舌 一音 口口近揆多多多多 一音 古古古古禾火化八 一聲 坤巧丘棄多多多多 一聲 古古古古開宰愛○ □□乾蚪多多多多 古古古古回每退○ 黑花香血多多多多 古古古古良兩向○ 二音 黃華雄賢多多多多 一音 古古古古光廣況○ 一聲 五瓦仰□多多多多 二聲 古古古古丁井亙○ 吾牙月堯多多多多 古古古古兄永瑩○ 安亞乙一多多多多 古古古古千典旦○ 三音 □爻壬寅多多多多 一音 古古古古元犬半○ 一聲 母馬美米多多多多 三聲 古古古古臣引艮○ 目貌眉民多多多多 古古古古君允巽○ 夫法□飛多多多多 古古古古刀早孝嶽 四音 父凡□吠多多多多 一音 古古古古毛寶報霍 一聲 武晚□尾多多多多 四聲 古古古古牛斗奏六 文萬□未多多多多 古古古古○○○玉 卜百丙必多多多多 古古古古妻子四日 五音 步白備鼻多多多多 一音 古古古古衰○帥骨 一聲 普撲品匹多多多多 五聲 古古古古○○○德

ここより表身に入る。左半は第一声の辟音字「多」をもって唱とし、右半は第一音の清声字「古」をもって和とす。毎行前の四字は配せられる本位字、後の四字は四遍繰り返す唱字または和字である。左は「古甲九癸」に「多多多多」を配し、右は「古古古古」に「多可个舌」を配するがごとし。両辺の四字の読法を分かち明らかにすべし。音の方の四字は同じく一つの発声部位に属し、水・火・土・石すなわち開・発・収・閉の四等に分列する。古・甲・九・癸を後世の等韻の学に比すれば、まさに牙音の一母にして四等に分居するものである。声の方の四字は同じく一つの韻に属し、日・月・星・辰すなわち平・上・去・入の四位に分列する。多・可・个・舌はすなわち一韻の内に平より入に至る四読である。本段の左半は一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾、文万未を歴て、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹に至る。右半は一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、三声の千典旦・元犬半・臣引艮、君允巽、四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六を歴て、五声の妻子四日・衰帥骨に至る。行中「近揆」の一行の行首は、底本は口字二つを刻するが、他の同位は皆空囲の方塊であり、まさに刻工の混用の故であろう――今は底本の原様に依りて収録する。

旁排平瓶多多多多 古古古古龜水貴北 東丹帝■多多多多 古古古古宮孔眾○ 六音 兌大弟■多多多多 一音 古古古古龍甬用○ 一聲 土貪天■多多多多 六聲 古古古古魚鼠去○ 同覃田■多多多多 古古古古烏虎兔○ 乃你女■多多多多 古古古古心審禁○ 七音 內南年■多多多多 一音 古古古古○○○十 一聲 老冷呂■多多多多 七聲 古古古古男坎欠○ 鹿犖離■多多多多 古古古古○○○妾 走哉足■多多多多 古古古古●●●● 八音 自在匠■多多多多 一音 古古古古●●●● 一聲 草采七■多多多多 八聲 古古古古●●●● 曹才全■多多多多 古古古古●●●● 思三星■多多多多 古古古古●●●● 九音 寺□象■多多多多 一音 古古古古●●●● 一聲 □□□■多多多多 九聲 古古古古●●●● □□□■多多多多 古古古古●●●● ■山手■多多多多 古古古古●●●● 十音 ■士石■多多多多 一音 古古古古●●●● 一聲 ■□耳■多多多多 十聲 古古古古●●●●

この段は続いて下に排する。左半はなお「多」をもって唱とす。旁排平瓶は五音の末の一行、東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田は六音に属し、乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離は七音に属し、走哉足・自在匠・草采七・曹才全は八音に属し、思三星・寺象は九音に属し、山手・士石・耳は十音に属す。これらの組の第四位は一律に■と作す――舌音・歯音の類は「石」の一等に用いうる字なきを示す。右半はなお「古」をもって和とし、先ず第五声の末の一行亀水貴北と和し、再び六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、七声の心審禁・男坎欠と和す。八声以下は声位すべて虚なり、ゆえに片側整として●と作す。左右を並べて見れば、これが同一時刻の二種の排法なるを知る――声は前にして唱し、音は後にして和す。唱する者は十二音の四十八位を遍歴し、和する者は十声の四十位を遍歴すべく、合わせてこそ一声一音の配せざるなきを算う。二つの周期は長短同じからず、ゆえに左右両辺の頭を換えるところは彼此錯開し、同一行の左半と右半は往々にして異なる段落に属する。読むとき決して一行の八字を連ねて一句と為すべからず。左右両半は原書ではもと対開の双頁で、左頁は専ら声唱の表を載せ、右頁は専ら音和の表を載せた。今の伝本は一行両欄に圧し縮め、中間はただ一格を空くるのみ。ゆえに一行を読む毎に、まず左右を分け、次いで各々その表の行次に拠りて数え、方に牽混に至らざるを得る。

■□二■多多多多 古古古古●●●● 開音清和律一之二 ■莊震■多多多多 黑黑黑黑多可個舌 十一音 ■乍□曰多多多多 二音 黑黑黑黑禾火化八 一聲 ■叉赤■多多多多 一聲 黑黑黑黑開宰愛○ ■崇辰■多多多多 黑黑黑黑回每退○ ■卓中■多多多多 黑黑黑黑良兩向○ 十二音 ■宅直■多多多多 二音 黑黑黑黑光廣況○ 一聲 ■拆丑■多多多多 二聲 黑黑黑黑丁井亙○ ■茶呈■多多多多 黑黑黑黑兄永瑩○

左半はここに「多」を十音の末位まで配え終わり、再び下りて十一音の荘・震・乍・叉・赤・崇・辰、および十二音の卓・中・宅・直・拆・丑・茶・呈を配す。この二組の四等の中、ただ中間の二位のみ字あり、頭尾の二位は皆■と作す。そのうち「乍」字の下の一位は、底本は「曰」と刻するが、他の同位の方塊と合わず、まさに刻本の誤りであろう――今もなお原様に依りて保留する。右半は別に一節を起す。「開音清和律一之二」以下は改めて第二音の清声字「黒」を用いて和とし、第一声より重新たに排を起し、先ず多可个舌・禾火化八と和し、再び開宰愛・回毎退と和し、続くは第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩である。行旁の「十一音」「一声」「二音」「二声」は正文にあらず、字側に刻する位次の標目である――読むときはまさにこれを行首の小注と看做すべし。

平聲闢唱呂一之二 古甲九癸良良良良 黑黑黑黑千典旦○ 一音 □□近揆良良良良 二音 黑黑黑黑元犬半□ 二聲 坤巧丘棄良良良良 三聲 黑黑黑黑臣引艮□ □□乾蚪良良良良 黑黑黑黑君允巽○ 黑花香血良良良良 黑黑黑黑刀早孝嶽 二音 黃華雄賢良良良良 二音 黑黑黑黑毛寶報霍 二聲 五瓦仰□良良良良 四聲 黑黑黑黑牛斗奏六 吾牙月堯良良良良 黑黑黑黑○○○玉 安亞乙一良良良良 黑黑黑黑妻子四日 三音 □爻壬寅良良良良 二音 黑黑黑黑衰○帥骨 二聲 母馬美米良良良良 五聲 黑黑黑黑○○○德 目貌眉民良良良良 黑黑黑黑龜水貴北 夫法□飛良良良良 黑黑黑黑宮孔眾○ 四音 父凡□吠良良良良 二音 黑黑黑黑龍甬用○ 二聲 武晚□尾良良良良 六聲 黑黑黑黑魚鼠去○ 文萬□未良良良良 黑黑黑黑烏虎兔○ 卜百丙必良良良良 黑黑黑黑心審禁○ 五音 步白備鼻良良良良 二音 黑黑黑黑○○○十 二聲 普撲品匹良良良良 七聲 黑黑黑黑男坎欠○ 旁排平瓶良良良良 黑黑黑黑○○○妾

「平声辟唱呂一之二」とは、唱字を第二声の辟音字「良」に換えたるなり。左半はここにおいて頭より再び一遍をなす。一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶――一々の位は皆四つの「良」字を用いてこれと相唱す。右半はなお第二音「黒」の名下に在りて和声を続け、順次第三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、および第七声の心審禁・男坎欠に和す。その中に夾雑する○と□は、なお当該の位に声あって字なし、音あって字なしの記号である。邵雍がこの図を設けたる本意は、もとより一部の韻書を編むにあらず。等韻家は声母・韻母を分つ――これは人にこれに拠りて字を切らしめんがためである。邵雍が十声十二音を分つは、人にこれに拠りて数を推せしめんがためである。声の用数は一百一十二、音の用数は一百五十二、両々相乗じて便ち一万七千二十四を得――彼は以為らく、天下の声音は尽くこの中にあり、再び声音の数より推して動植飛走の数に及ぶ。ゆえに寧ろ大量の虚位を留めても、格局を満たさんことを要す。

東丹帝■良良良良 黑黑黑黑●●●● 六音 兌大弟■良良良良 二音 黑黑黑黑●●●● 二聲 土貪天■良良良良 八聲 黑黑黑黑●●●● 同覃田■良良良良 黑黑黑黑●●●● 乃你女■良良良良 黑黑黑黑●●●● 七音 內南年■良良良良 二音 黑黑黑黑●●●● 二聲 老冷呂■良良良良 九聲 黑黑黑黑●●●● 鹿犖離■良良良良 黑黑黑黑●●●● 走哉足■良良良良 黑黑黑黑●●●● 八音 自在匠■良良良良 二音 黑黑黑黑●●●● 二聲 草采七■良良良良 十聲 黑黑黑黑●●●● 曹才全■良良良良 黑黑黑黑●●●●

上を承け、唱字はなお「良」である。左半は続いて下に六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全を配す。右半はこの時すでに第八・第九・第十の三声に排し至り、これらは邵雍の框架の中に本来空なるものなり。ゆえに整たる十二行は皆四つの●と作し、左半の字あって読むべき情形と恰も対照をなす。このような一方満ち一方空なる排法は、まさに天の声と地の音とに各々用いうると用いえざるの数あるを顕さんとするなり。発しえてかつ字あるを「用」と算し、その位あってその実なきを「虚」と算し、用数と虚数と相合して、方に十声十二音の全格を凑成す。若し虚位を刪去せば、図上の行数足らず、推数の法は下手する処なし。ゆえに邵雍は寧ろその空を存す。

開音清和律一之三 思三星■良良良良 安安安安多可個舌 九音 寺□象■良良良良 三音 安安安安禾火化八 二聲 □□□■良良良良 一聲 安安安安開宰愛○ □□□■良良良良 安安安安回每退○ ■山手■良良良良 安安安安良兩向○ 十音 ■士石■良良良良 三音 安安安安光廣況○ 二聲 ■□耳■良良良良 二聲 安安安安丁井亙○ ■□二■良良良良 安安安安兄永瑩○ ■莊震■良良良良 安安安安千典旦○ 十一音 ■乍□■良良良良 三音 安安安安元犬半○ 二聲 ■叉赤■良良良良 三聲 安安安安臣引艮○ ■崇辰■良良良良 安安安安君允巽○ ■卓中■良良良良 安安安安刀早孝嶽 十二音 ■宅直■良良良良 三音 安安安安毛寶報霍 二聲 ■拆丑■良良良良 四聲 安安安安牛斗奏六 ■茶呈■良良良良 安安安安○○○玉

左半は「良」を最後の四組まで配す。九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈である。ここに配し至って、第二声「良」は十二音の四十八位と已に全部相唱し一遍し、左半は便ち次の唱字に換うべし。右半は別に一節を起し、「開音清和律一之三」は和字を第三音の清声字「安」に換え、重新たに第一声より排を起す。一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退、二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六。「安」は開音清声の中に第三位に居り、それの和しうる声位は前の二節と完全に同じく、異なるはただ和声を充当する那一の音のみである。これもまたまさに図中に真に変わるは唱字と和字のみにして、配せられる四十八音位と四十声位は始終一如なるを説明す。「多可个舌」の四字は、多は平声・可是上声・个是去声・舌は入声にして、一韻の内に四声俱に備わる――これがすなわち日月星辰四位の実際の内容であり、図中凡そ声の一組は皆この例に依る。

平聲闢唱呂一之三 古甲九癸千千千千 安安安安妻子四日 一音 □□近揆千千千千 三音 安安安安衰○帥骨 三聲 坤巧丘棄千千千千 五聲 安安安安○○○德 □□乾蚪千千千千 安安安安龜水貴北 黑花香血千千千千 安安安安宮孔眾○ 二音 黃華雄賢千千千千 三音 安安安安龍甬用○ 三聲 五瓦仰■千千千千 六聲 安安安安魚鼠去○ 吾牙月堯千千千千 安安安安烏虎兔○ 安亞乙一千千千千 安安安安心審禁○ 三音 ■爻壬寅千千千千 三音 安安安安○○○十 三聲 母馬美米千千千千 七聲 安安安安男坎欠○ 目貌眉民千千千千 安安安安○○○妾 夫法□飛千千千千 安安安安●●●● 四音 父凡□吠千千千千 三音 安安安安●●●● 三聲 武晚□尾千千千千 八聲 安安安安●●●● 文萬□未千千千千 安安安安●●●● 卜百丙必千千千千 安安安安●●●● 五音 步白備鼻千千千千 三音 安安安安●●●● 三聲 普撲品匹千千千千 九聲 安安安安●●●● 旁排平瓶千千千千 安安安安●●●●

「平声辟唱呂一之三」は、唱字を第三声の辟音字「千」に換えたるなり。左半はまた頭より一遍を排す。一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶――一々の位は皆四つの「千」字を以て相唱す。右半はなお第三音「安」の名下に在り、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し至る。この下第八・第九の両声は用いうる声なし、便ち一律に●と作す。左右を並観すれば知るべし――唱する者は一遍を走って四十八位を経、和する者は一遍を走ってただ四十位を経るがゆえに、図中四十八行毎に一つの唱字を換え、四十行毎に一つの和字を換え、両辺錯落して行く――これ正しく「声音唱和」の名の由来である。唱字の四遍連書する所以は、配せられる那一行にもと四位あり、須く位を逐うてこれと相配すべきが故に、四回重書してその位を充たすのであって、一字を四遍読むにはあらず。「古甲九癸」の四字は同じく牙音なり。古は開に属し、甲は発に属し、九は収に属し、癸は閉に属し、正しく水火土石の四等に相当す。図を見るは先ず唱和の字を認め、再び被配の字を認め、末後に行数に拠りてその第几位に居るを核すれば、法度は自ら分明なり。

東丹帝■千千千千 安安安安●●●● 六音 兌大弟■千千千千 三音 安安安安●●●● 三聲 土貪天■千千千千 十聲 安安安安●●●● 同覃田■千千千千 安安安安●●●● 開音清和律一之四 乃你女■千千千千 夫夫夫夫多可個舌 七音 內南年■千千千千 四音 夫夫夫夫禾火化八 三聲 老冷呂■千千千千 一聲 夫夫夫夫開宰愛○ 鹿犖離■千千千千 夫夫夫夫回每退○ 走哉足■千千千千 夫夫夫夫良兩向○ 八音 自在匠■千千千千 四音 夫夫夫夫光廣況○ 三聲 草采七■千千千千 二聲 夫夫夫夫丁井旦○ 曹才全■千千千千 夫夫夫夫兄永瑩○ 思三星■千千千千 夫夫夫夫千典旦○ 九音 寺□象■千千千千 四音 夫夫夫夫元犬半○ 三聲 □□□■千千千千 三聲 夫夫大夫臣引艮○ □□□■千千千千 夫夫夫夫君允巽○ ■山手■千千千千 夫夫夫夫刀早孝嶽 十音 ■士石■千千千千 四音 夫夫夫夫毛寶報霍 三聲 ■□耳■千千千千 四聲 夫夫夫夫牛斗奏六 ■□二■千千千千 夫夫夫夫○○○玉

左半は上を承け、なお「千」を以て唱とし、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二を配す。右半はまず第三音「安」の最後の両声を排し終わり、第九・第十の両声は皆虚なり、ゆえに満行に●と作す。続いて「開音清和律一之四」は第四音の清声字「夫」に換えて和とし、重新たに第一声より起る。多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退、二声の良両向・光広況・丁井旦・兄永瑩、三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六。そのうち「丁井旦」の一行は他の所は皆「丁井亘」と作り、「夫夫大夫」の一行の「大」字もまた当に「夫」と作るべし――皆刻本伝写の誤りである。この類の形近の訛はこの数巻の表格の中に屡見す。今は一概に底本の原様に依りて収録し、改動を加えず、以て旧本の真を存す。「安亜乙一」の一組は喉音に属し、四字は開発収閉に分居す。「母馬美米」「目貌眉民」の二組は唇音に属し、四位皆擧ぐべき字あり。邵雍が字を取るはただその音の所在を求めるのみで、字義を問わず。ゆえに図中に列するは多くは些の平常の字眼なり。読者はこれを詞語として解くべからず、さらにその間に何の微言を求むるを必とせず。四行毎を一組と為し、組首に標する「几音」「几声」は、原刻本では四行の旁に竪写したる総目である。

■莊震■千千千千 夫夫夫夫妻子四日 十一音 ■乍□■千千千千 四音 夫夫夫夫衰○帥骨 三聲 ■叉赤■千千千千 五聲 夫夫夫夫○○○德 ■崇辰■千千千千 夫夫夫夫龜水貴北 ■卓中■千千千千 夫夫夫夫宮孔眾○ 十二音 ■宅直■千千千千 四音 夫夫夫夫龍甬用○ 三聲 ■拆丑■千千千千 六聲 夫夫夫夫魚鼠去○ ■茶呈■千千千千 夫夫夫夫烏虎兔○

この八行は、左半は「千」を十一音の荘・震・乍・叉・赤・崇・辰と十二音の卓・中・宅・直・拆・丑・茶・呈まで配し終わり、第三声の一輪の唱はここに終わる。右半はすなわち第四音「夫」が第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北、および第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎に和し至るなり。「妻子四日」「宮孔衆」のごとき四字組は、取るところは同一の韻の平・上・去・入の四位に在る字である。凡そ某位に擧ぐべき字なければ、便ち○を以て頂上とす。「衰○帥骨」の第二位、「○○○徳」の前三位のごときがそである。この図を読むに、毎行の四字を連ねて詞句と為すを必せず。これらはただ座標上の標記にして、用いて某の一声と某の一音と相遇するとき当にどの格に落つべきを指明するなり。

平聲闢唱呂一之四 古甲九癸刀刀刀刀 夫夫夫夫心審禁○ 一音 □□近揆刀刀刀刀 四音 夫夫夫夫○○○十 四聲 坤巧丘棄刀刀刀刀 七聲 夫夫夫夫男坎欠○ □□乾蚪刀刀刀刀 夫夫夫夫○○○妾 黑花香血刀刀刀刀 夫夫夫夫●●●● 二音 黃華雄賢刀刀刀刀 四音 夫夫夫夫●●●● 四聲 五瓦仰□刀刀刀刀 八聲 夫夫夫夫●●●● 吾牙月堯刀刀刀刀 夫夫夫夫●●●● 安亞乙一刀刀刀刀 夫夫夫夫●●●● 三音 □爻壬寅刀刀刀刀 四音 夫夫夫夫●●●● 四聲 母馬美米刀刀刀刀 九聲 夫夫夫夫●●●● 目貌眉民刀刀刀刀 夫夫夫夫●●●● 夫法□飛刀刀刀刀 夫夫夫夫●●●● 四音 父凡□吠刀刀刀刀 四音 夫夫夫夫●●●● 四聲 武晚□尾刀刀刀刀 十聲 夫夫夫夫●●●● 文萬□未刀刀刀刀 夫夫夫夫●●●●

「平声辟唱呂一之四」は、唱字を第四声の辟音字「刀」に換えたるなり。左半は頭を重ねて排を起し、先ず一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪を配し、次いで二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭を配し、再び三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民を配し、末に四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未を配す。右半はなお第四音「夫」に属し、第七声の心審禁・男坎欠に和し至った後、第八・第九・第十声は皆空位なり、ここにおいて連続十二行に満写して●とす。ここにまさに邵雍の「有声無字」と「無声」との分別を見るを得べし。○はこの位置に発するを得る音あれども漢字の中に現成の字なきであり、●は則ちこの音すら成立せざるなり。前者は字之闕、後者は理之尽にして、両者は混ぜて一談と為すべからず。彼が二者を分ちて二種の記号を用いるは、正しく人に天地の間の可能の声は已に有る字より多きを知らしめんがためなり。前の七声の「用」たる所以は、この七位は人の口の中に皆擧ぐべき字あればなり。後の三声は虚なれどもなお位を列するを須う――正声一百六十の数をして虧欠せざらしめ、用せざる四十八位を去れば、余るは正に「用声一百一十二」なり。

開音清和律一之五 卜百丙必刀刀刀刀 卜卜卜卜多可個舌 五音 步白備鼻刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜禾火化八 四聲 普撲品匹刀刀刀刀 一聲 卜卜卜卜開宰愛○ 旁排平瓶刀刀刀刀 卜卜卜卜回每退○ 東丹帝■刀刀刀刀 卜卜卜卜良兩向○ 六音 兌大弟■刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜光廣況○ 四聲 土貪天■刀刀刀刀 二聲 卜卜卜卜丁井亙○ 同覃田■刀刀刀刀 卜卜卜卜兄永瑩○ 乃你女■刀刀刀刀 卜卜卜卜千典旦○ 七音 內南年■刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜元犬半○ 四聲 老冷呂■刀刀刀刀 三聲 卜卜卜卜臣引艮○ 鹿犖離■刀刀刀刀 卜卜卜卜君允巽○ 走哉足■刀刀刀刀 卜卜卜卜刀早孝嶽 八音 自在匠■刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜毛寶報霍 四聲 草采七■刀刀刀刀 四聲 卜卜卜卜牛斗奏六 曹才全■刀刀刀刀 卜卜卜卜○○○玉 思三星■刀刀刀刀 卜卜卜卜妻子四日 九音 寺□象■刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜衰○帥骨 四聲 □□□■刀刀刀刀 五聲 卜卜卜卜○○○德 □□□■刀刀刀刀 卜卜卜卜龜水貴北

左半はなお「刀」を以て唱とし、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、および九音の思三星・寺象を配す。五音のこの一組は皆唇音字にして、四等斉しく備わり、ゆえに四行十六位は全く擧ぐべき字あり――全図の中で最も斉整なる一段である。越えて後の舌音・歯音に往くほど、缺位は則ち多くなる。右半は別に一節を起す。「開音清和律一之五」は第五音の清声字「卜」に換えて和とし、第一声より第五声まで排し、順次に多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退、良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六、妻子四日・衰帥骨・亀水貴北なり。邵雍は反切を用いず、また声母韻母の名を標せず、ただ字を以て位と為し、位を以て数と為す。横に見れば四位は四等あるいは四声、竪に見れば四行は清濁あるいは辟翕――縦横相交りて毎一格は皆定まれる所有り。後人若し《切韻》《広韻》の分部を以て比附せば、往々にして格格不入たり――正に両家の着眼処の根本より同じからざるがためなり。韻書は字を切るために設けられ、此の図は数を推すために設けらる。ゆえに寧ろ空を留めても、遷就すること肯んぜず。この一層を明白にすれば、図上に成り片する圏と方塊はもはや書を読む障碍にあらず、かえって全図の数を立つるの関鍵なり。

■山手■刀刀刀刀 卜卜卜卜宮孔眾○ 十音 ■士石■刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜龍甬用○ 四聲 ■□耳■刀刀刀刀 六聲 卜卜卜卜魚鼠去○ ■□二■刀刀刀刀 卜卜卜卜烏虎兔○ ■莊震■刀刀刀刀 卜卜卜卜心審禁○ 十一音 ■乍□■刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜○○○十 四聲 ■叉赤■刀刀刀刀 七聲 卜卜卜卜男坎欠○ ■崇辰■刀刀刀刀 卜卜卜卜○○○妾 ■卓中■刀刀刀刀 卜卜卜卜●●●● 十二音 ■宅直■刀刀刀刀 五音 卜卜卜卜●●●● 四聲 ■拆丑■刀刀刀刀 八聲 卜卜卜卜●●●● ■茶呈■刀刀刀刀 卜卜卜卜●●●●

この十二行は、左半は「刀」を十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈まで配し終わり、第四声の一輪の唱はここに至りて止まる。凡そこれらの組の行首・行末に見ゆる■は、皆当該の等に擧ぐべき音なき空位の記号にして、決して原書の残缺の字にあらず。右半は第五音「卜」が第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し、随いて第八声に入り、四行皆●と作す。ここに至りて見るべし――図中は越えて後に往くほど片成る空位が多し。これは抄刻の脱漏にあらずして、邵雍が意を有して保留する格局なり。数は満ちて実は満たず――正しく彼が人にその中より「体有定而用無窮」を体会せしめんとする処なり。底本はこの類の符号の互い出る処、見るところ一に止まらず。凡そこれに遇わば皆当に文意と他の同位とを較べて、文字は一たびその旧を仍り、他本に拠りて改易せず、以て校勘の資を存すべし。

平聲闢唱呂一之五 古甲九癸妻妻妻妻 卜卜卜卜●●●● 一音 ■■近揆妻妻妻妻 五音 卜卜卜卜●●●● 五聲 坤巧丘棄妻妻妻妻 九聲 卜卜卜卜●●●● □□乾蚪妻妻妻妻 卜卜卜卜●●●● 黑花香血妻妻妻妻 卜卜卜卜●●●● 二音 黃華雄賢妻妻妻妻 五音 卜卜卜卜●●●● 五聲 五瓦仰□妻妻妻妻 十聲 卜卜卜卜●●●● 吾牙月堯妻妻妻妻 卜卜卜卜●●●●

「平声辟唱呂一之五」は、唱字を第五声の辟音字「妻」に換えたるなり。左半は剛く起頭し、先ず一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪を配し、再び二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭を配す。その中「近揆」の一行の行首は、底本は此処に二つの実心の方塊を刻し、しかるに他処の同一位置は多く空心の方塊と作す――■と□とが伝本の中に時に互い混ずるを見るべし。今は一併に底本に依りて存録す。右半は第五音「卜」が第九・第十の両声に和す。声位既に虚なれば、ゆえに八行全て●なり。左半は字ありて右半は全く空し――恰も「声唱在り天に在り、音和在り地に在り」の一実一虚を同一行の中に擺すなり。

開音清和律一之六 安亞乙一妻妻妻妻 東東東東多可個舌 三音 □爻壬寅妻妻妻妻 六音 東東東東禾火化八 五聲 母馬美米妻妻妻妻 一聲 東東東東開宰愛○ 目貌眉民妻妻妻妻 東東東東回每退○ 夫法□飛妻妻妻妻 東東東東良兩向○ 四音 父凡□吠妻妻妻妻 六音 東東東東光廣況○ 五聲 武晚□尾妻妻妻妻 二聲 東東東東丁井亙○ 文萬□未妻妻妻妻 東東東東兄永瑩○ 卜百丙必妻妻妻妻 東東東東千典旦○ 五音 步白備鼻妻妻妻妻 六音 東東東東元犬半○ 五聲 普撲品匹妻妻妻妻 三聲 東東東東臣引艮○ 旁排平瓶妻妻妻妻 東東東東君允巽○ 東丹帝■妻妻妻妻 東東東東刀早孝嶽 六音 兌大弟■妻妻妻妻 六音 東東東東毛寶報霍 五聲 土貪天■妻妻妻妻 四聲 東東東東牛斗奏六 同覃田■妻妻妻妻 東東東東○○○玉 乃你女■妻妻妻妻 東東東東妻子四日 七音 內南年■妻妻妻妻 六音 東東東東衰○帥骨 五聲 老冷呂■妻妻妻妻 五聲 東東東東○○○德 鹿犖離■妻妻妻妻 東東東東龜水貴北

左半はなお「妻」を以て唱とし、下りて三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離を配す。右半は別に一節を起す。「開音清和律一之六」は第六音の清声字「東」に換えて和とし、第一声より起り、順次多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退、良両向・光広況・丁井亘、兄永瑩、千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六と和し、直ちに第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に至る。声は天に属し音は地に属し、天声は上に在りて唱し、地音は下に在りて和す。一図の中、天地の数は各々列を成し而もまた両々相値す。邵雍は以為らく、万物の生は皆天地の交に由り、声音の成もまた声と音の交に由ると。ゆえにこの図はただ音を記するのみならず、彼が天地交感の理を講ずる一個の様式でもある。天の四象は日月星辰にして、平・上・去・入に配す。地の四象は水火土石にして、開・発・収・閉に配す。両辺各々両々相乗じて、各々十六類を得――ゆえに声音唱和図は前後共に十六張あり、本篇より起りて観物篇五十に止まる。この一篇は第一図、次の一篇は便ち第二図なり。十六図の骨架は全く同じく、換ゆる所はただ唱和の字のみ。

走哉足■妻妻妻妻 東東東東宮孔眾○ 八音 自在匠■妻妻妻妻 六音 東東東東龍甬用○ 五聲 草采七■妻妻妻妻 六聲 東東東東魚鼠去○ 曹才全■妻妻妻妻 東東東東烏虎兔○ 思三星■妻妻妻妻 東東東東心審禁○ 九音 寺□象■妻妻妻妻 六音 東東東東○○○十 五聲 □□□■妻妻妻妻 七聲 東東東東男坎欠○ □□□■妻妻妻妻 東東東東○○○妾 ■山手■妻妻妻妻 東東東東●●●● 十音 ■士石■妻妻妻妻 六音 東東東東●●●● 五聲 ■□耳■妻妻妻妻 八聲 東東東東●●●● ■□二■妻妻妻妻 東東東東●●●● ■莊震■妻妻妻妻 東東東東●●●● 十一音 ■乍□■妻妻妻妻 六音 東東東東●●●● 五聲 ■叉赤■妻妻妻妻 九聲 東東東東●●●● ■崇辰■妻妻妻妻 東東東東●●●● ■卓中■妻妻妻妻 東東東東●●●● 十二音 ■宅直■妻妻妻妻 六音 東東東東●●●● 五聲 ■折丑■妻妻妻妻 十聲 東東東東●●●● ■茶呈■妻妻妻妻 東東東東●●●●

この段は左半が「妻」を八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈まで配し終わり、第五声の一輪はここに唱し畢る。右半は第六音「東」が第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し、この下の三声は皆虚なり、ゆえに連ねて●と作す。邵雍の声音の学と彼の元会運世の数はもと一套のものなり。彼方は十二会・三十運・十二世を相乗じて古今の時を尽くし、此方は十声・十二音を相唱和して天下の声を尽くす――数は二処に在れども、法則はただ一箇なり。ゆえに《皇極経世》は編年紀事の後に紧続してこの十数張の声音図を排す――これは別に炉竈を起すにあらずして、同一套の推数の術を別の一物類に施せるなり。四行毎を一組と為し、組首に標する「几音」「几声」は、原刻本では四行の旁に竪写したる総目であったが、伝録して横行と為るに因りて、遂に組内の第二・第三の両行の上に散在す。読むときは須く一組の標目に還原して看るべし。ゆえに「六音」「五声」のごとき字样は、字と字の間に夾るといえども、本行の八字とは連属せず、さらに「六音東丹帝」と読むべからず。これは伝抄の格式の致すところにして、決して原書の文句にあらず。凡そ位次の標目に遇わば、宜しくまず剔出して、後に両欄の正字を看るべし。

平聲闢唱呂一之六 開音清和律一之七 古甲九癸宮宮宮宮 乃乃乃乃多可個舌 一音 □□近揆宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃禾火化八 六聲 坤巧丘棄宮宮宮宮 一聲 乃乃乃乃開宰愛○ □□乾蚪宮宮宮宮 乃乃乃乃回每退○ 黑花香血宮宮宮宮 乃乃乃乃良兩向○ 二音 黃華雄賢宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃光廣況○ 六聲 五瓦仰□宮宮宮宮 二聲 乃乃乃乃丁井亙○ 吾牙月堯宮宮宮宮 乃乃乃乃兄永瑩○ 安亞乙一宮宮宮宮 乃乃乃乃千典旦○ 三音 □爻壬寅宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃元犬半○ 六聲 母馬美米宮宮宮宮 三聲 乃乃乃乃臣引艮○ 目貌眉民宮宮宮宮 乃乃乃乃君允巽○ 夫法□飛宮宮宮宮 乃乃乃乃刀早孝嶽 四音 父凡□吠宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃毛寶報霍 六聲 武晚□尾宮宮宮宮 四聲 乃乃乃乃牛斗奏六 文萬□未宮宮宮宮 乃乃乃乃○○○王 卜百丙必宮宮宮宮 乃乃乃乃妻子四日 五音 步白備鼻宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃衰○帥骨 六聲 普撲品匹宮宮宮宮 五聲 乃乃乃乃○○○德 旁排平瓶宮宮宮宮 乃乃乃乃龜水貴北

「平声辟唱呂一之六」と「開音清和律一之七」とは同行に列する――左右両半がここに同時に頭を換えるを説明す。左半の唱字は第六声の辟音字「宮」に換え、右半の和字は第七音の清声字「乃」に換えたり。左半は一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未を歴て、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶に至る。右半は第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、第二・第三・第四声を歴て、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に至る。両半はただ一個の空格を隔つるのみなれども、分かちて両張の表に属し、各々その行次あり――連読して句と為すべからず。その中「○○○王」の一行は、他処の同位は皆「○○○玉」と作す――これはまさに刻本の形近の誤りであろう。今もなお底本に依る。某の一声と某の一音との相配の字を査する法は、まず左表にこの一声の唱する那一段を尋ね、再び右表にこの一音の和する那一段を尋ね、両下の相値する処が便ちその位なり。位の上に字あれば字を書し、字なければ圏を書し、音なければ方塊を書す――一位錯乱を容れず。正声一百六十・正音一百九十二は全体の数なり。その用せざる者を去りて、方に用声一百一十二・用音一百五十二を得。

東丹帝■宮宮宮宮 乃乃乃乃宮孔眾○ 六音 兌大弟■宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃龍甬用○ 六聲 土貪天■宮宮宮宮 六聲 乃乃乃乃魚鼠去○ 同覃田■宮宮宮宮 乃乃乃乃烏虎兔○ 乃你女■宮宮宮宮 乃乃乃乃心審禁○ 七音 內南年■宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃○○○十 六聲 老冷呂■宮宮宮宮 七聲 乃乃乃乃男坎欠○ 鹿犖離■宮宮宮宮 乃乃乃乃○○○妾 走哉足■宮宮宮宮 乃乃乃乃●●●● 八音 自在匠■宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃●●●● 六聲 草采七■宮宮宮宮 八聲 乃乃乃乃●●●● 曹才全■宮宮宮宮 乃乃乃乃●●●● 思三星■宮宮宮宮 乃乃乃乃●●●● 九音 寺□象■宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃●●●● 六聲 □□□■宮宮宮宮 九聲 乃乃乃乃●●●● □□□■宮宮宮宮 乃乃乃乃●●●● ■山手■宮宮宮宮 乃乃乃乃●●●● 十音 ■士石■宮宮宮宮 七音 乃乃乃乃●●●● 六聲 ■□耳■宮宮宮宮 十聲 乃乃乃乃●●●● ■□二■宮宮宮宮 乃乃乃乃●●●●

左半はなお「宮」を以て唱とし、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二を配す。右半は第七音「乃」が第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し、その後第八・第九・第十声は皆虚にして、一連十二行は皆●なり。「乃」は音図の中に第七音に属し、「内」「南」「年」と同類にして、正しく字の擧ぐべき九音の末の几位に当たる。再び下の十音・十一音・十二音に往けば連して一つの字すら尋ね出すを得ず、ただ■を以て標出するのみ――この一点は後の数節に陸続して見るべし。邵雍が学を講ずる根本の主張は「以物観物」にして、己意を以て物に加えず。この一套の声音の図は正しくこの主張の言語上の落实なり――人の口の中に実にこの声あれば便ちこれを書し、実にこの声なければ便ちこれを空にし、決して図上の見難きが故に一位を増減せず。正声一百六十・正音一百九十二は全体の数なり。用せざる部分を去りて、方に用声一百一十二・用音一百五十二を得。両数相乗じて一万七千二十四を得――彼はこれを動植通数と称し、以為らく天下の動植の類の総目は尽くこの中にありと。これがすなわち全図の最後に帰結する所にして、彼が声音を編んで表格と為すの用意の所在なり。

開音清和律一之八 ■莊震■宮宮宮宮 走走走走多可個舌 十一音 ■乍□■宮宮宮宮 八音 走走走走禾火化八 六聲 ■叉赤■宮宮宮宮 一聲 走走走走開宰愛○ ■崇辰■宮宮宮宮 走走走走回每退○ ■卓中■宮宮宮宮 走走走走良兩向○ 十二音 ■宅直■宮宮宮宮 八音 走走走走光廣況○ 六聲 ■折丑■宮宮宮宮 二聲 走走走走丁井亙○ ■茶呈■宮宮宮宮 走走走走兄永瑩○

左半は「宮」を十一音の荘・震・乍・叉・赤・崇・辰と十二音の卓・中・宅・直・拆・丑・茶・呈まで配し終わり、第六声の一輪はここに唱し畢る。右半は別に一節を起す。「開音清和律一之八」は第八音の清声字「走」に換えて和とし、第一声より重新たに排を起し、先ず多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退と和し、再び第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩と和す。八音は「走」を以て標目と為し、「哉」「足」と同類にして、四等の中に「水」の位を占む。行内に「■荘震■」「■茶呈■」のごとき頭尾二つの実心の方塊なるは、当該の等に音も字もなきを示す。図を読むにはただ空格と看做し、切に漫漶して清からざる残字と誤認すべからず。

平聲闢唱呂一之七 古甲九癸心心心心 走走走走千典旦○ 一音 □□近揆心心心心 八音 走走走走元犬半○ 七聲 坤巧丘棄心心心心 三聲 走走走走臣引艮○ □□乾蚪心心心心 走走走走君允巽○ 黑花香血心心心心 走走走走刀早孝嶽 二音 黃華雄賢心心心心 八音 走走走走毛寶報霍 七聲 五瓦仰□心心心心 四聲 走走走走牛斗奏六 吾牙月堯心心心心 走走走走○○○玉 安亞乙一心心心心 走走走走妻子四日 三音 □爻壬寅心心心心 八音 走走走走衰○帥骨 七聲 母馬美米心心心心 五聲 走走走走○○○德 目貌眉民心心心心 走走走走龜水貴北 夫法□飛心心心心 走走走走宮孔眾○ 四音 父凡□吠心心心心 八音 走走走走龍甬用○ 七聲 武晚□尾心心心心 六聲 走走走走負鼠去○ 文萬□未心心心心 走走走走烏虎兔○ 卜百丙必心心心心 走走走走心審禁○ 五音 步白備鼻心心心心 八音 走走走走○○○十 七聲 普撲品匹心心心心 七聲 走走走走男坎欠○ 旁排平瓶心心心心 走走走走○○○妾

「平声辟唱呂一之七」は、唱字を第七声の辟音字「心」に換えたるなり――これは十声の中、最後の字を擧ぐべき声位にして、再び下の三声に往けば便ちただ●を以て代と為すのみ。左半は一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音・三音・四音を歴て、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶に至る。右半は第八音「走」が第三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和す。その中第六声の一行は底本は「負鼠去」と作るが、他処の同位は皆「魚鼠去」と作す――「負」はまさに「魚」の形近の訛りであろう。今は底本の原様に依りて保留し、他処に拠りて字を改めず。この段の左半は字ある音に字なき声を配し、右半は字なき音に字ある声を和し、一実一虚交互して文を成す。邵雍は以為らく、声は天に属し音は地に属す。天の声は七位用いうべく、地の音は九位用いうべし。其余は皆虚なり。虚は無にあらずして、位あって実なきなり。位既に立たば、数すなわち在り。数既に在らば、字なきと雖もまた推すべし。この一点は全図を読むの関鍵なり。若し空位を一概に缺文と看做さば、全書の算法は皆落空せん。後人のこの図を誤解するは、多くは此に由る。ゆえに凡そ満行の圏と方塊に遇わば、正しく着眼すべき処なり、草草に翻り過ぐべからず。

東丹帝■心心心心 走走走走●●●● 六音 兌大弟■心心心心 八音 走走走走●●●● 七聲 土貪天■心心心心 八聲 走走走走●●●● 同覃田■心心心心 走走走走●●●● 乃你女■心心心心 走走走走●●●● 七音 內南年■心心心心 八音 走走走走●●●● 七聲 老冷呂■心心心心 九聲 走走走走●●●● 鹿犖離■心心心心 走走走走●●●● 走哉足■心心心心 走走走走●●●● 八音 自在匠■心心心心 八音 走走走走●●●● 七聲 草采七■心心心心 十聲 走走走走●●●● 曹才全■心心心心 走走走走●●●●

この十二行は、左半はなお「心」を以て唱とし、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全を配す。右半は則ち第八音「走」が第八・第九・第十の三声に和し至る。声位既に虚なれば、十二行全て●と作す。天の十声はただ七声のみ用と為し、其余の三声は空にして廃せず、なお旧に図上に位次を占め満たすべし――これは地の十二音はただ九音のみ用と為し、其余の三音もまた位を列するを須うと同一の道理なり。邵雍の顕示せんとするは数の全体にして、ただ言語の中に現成して用いうる那一部分のみにあらず。第八音「走」と第九音「思」とは同じく歯音の一類に属し、一は歯頭の正、一は歯頭の細なり。両音相次いで和し、位序乱れず――これは前の牙・喉・唇・舌の諸音の順次排列するは同一条例なり。

開音清和律一之九 思三星■心心心心 思思思思多可個舌 九音 寺□象■心心心心 九音 思思思思禾火化八 七聲 □□□■心心心心 一聲 思思思思開宰愛○ □□□■心心心心 思思思思回每退○ ■山手■心心心心 思思思思良兩向○ 十音 ■士石■心心心心 九音 思思思思光廣況○ 七聲 ■□耳■心心心心 二聲 思思思思丁井亙○ ■□二■心心心心 思思思思兄永瑩○ ■莊震■心心心心 思思思思千典旦○ 十一音 ■乍□■心心心心 九音 思思思思元犬半○ 七聲 ■叉赤■心心心心 三聲 思思思思臣引艮○ ■崇辰■心心心心 思思思思君允巽○ ■卓中■心心心心 思思思思刀早孝嶽 十二音 ■宅直■心心心心 九音 思思思思毛寶報霍 七聲 ■折丑■心心心心 四聲 思思思思牛斗奏六 ■茶呈■心心心心 思思思思○○○玉

左半は「心」を九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈まで配し終わり、第七声の一輪はここに唱し畢り、天の七つの字ある声もまた全部唱し過ぎたり。右半は別に一節を起す。「開音清和律一之九」は第九音の清声字「思」に換えて和とし、第一声より排を起し、順次多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退、良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六と和す。「思」は九音の中に最後の字ある標目にして、それが十声と和し過ぐるの後は、音の方もまた字なき空位に転入せんとす。十声の中に前の七声は字あり、後の三声は字なし。十二音の中に前の九音は字あり、後の三音は字なし――これ全図の定局なり。ゆえにここより以下、左半の唱字と右半の和字は陸続して圏と方塊に換わるが、配せられる四十八音位・四十声位は旧に依りて排して誤らず、行数一行も減らず。読者はここに至りて回頭して前の数節と対看せば、方に虚実相形の妙を知るを得べし。

平聲闢唱呂一之八 古甲九癸●●●● 思思思思妻子四日 一音 □□近揆●●●● 九音 思思思思衰○帥骨 八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 思思思思○○○德 □□乾蚪●●●● 思思思思龜水貴北 黑花香血●●●● 思思思思宮孔眾○ 二音 黃華雄賢●●●● 九音 思思思思龍甬用○ 八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 思思思思魚鼠去○ 吾牙月堯●●●● 思思思思烏虎兔○ 安亞乙一●●●● 思思思思心審禁○ 三音 □爻壬寅●●●● 九音 思思思思○○○十 八聲 母馬美米●●●● 七聲 思思思思男坎欠○ 目貌眉民●●●● 思思思思○○○妾 夫法□飛●●●● 思思思思●●●● 四音 父凡□吠●●●● 九音 思思思思●●●● 八聲 武晚□尾●●●● 八聲 思思思思●●●● 文萬□未●●●● 思思思思●●●● 五音 卜百丙必●●●● 九音 思思思思●●●● 八聲 步白備鼻●●●● 九聲 思思思思●●●● 普撲品匹●●●● 思思思思●●●● 旁排平瓶●●●● 思思思思●●●●

「平声辟唱呂一之八」は、第八声に輪を転じて唱と為す。第八声は邵雍の框架の中に充当すべき字なし。ゆえに唱字の位置はただ四つの●を連写するのみ。しかれどもこのごとくといえども、なお旧に十二音の四十八位を一位一位排し過ぐべし。左半は照らさまに一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶を列出す。これすなわち「虚位存数」の做法なり――字はなくとも可なり、位は少なからざるべからず。右半は第九音「思」が第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し、この後便ち虚位に入りて●と作す。「心」は七声の末にして、前の六声と合して天の七つの用声を成す。「多」より「心」に至るまで、七唱は各々四十八行を走り、共に三百三十六行。その後の三声は字なしと雖も、なお各々四十八行を走り、合わせて四百八十行を成し、左半の一図は方に排し足ると算す。右半の十二和は各々四十行を走り、これもまた四百八十行なり。両辺の行数は相等しくして節次は同じからず――これがすなわち同一張の図上に两套の数を並行せしめる有様にして、邵雍がこの表を安排する最も匠心を見る処なり。学者若し肯んじて行に循いて数えれば、その法自ら見えん。

東丹帝■●●●● 思思思思●●●● 六音 兌大弟■●●●● 九音 思思思思●●●● 八聲 土貪天■●●●● 十聲 思思思思●●●● 同覃田■●●●● 思思思思●●●● 開音清和律一之十 乃你女■●●●● ■■■■多可個舌 七音 內南年■●●●● 十音 ■■■■禾火化八 八聲 老冷呂■●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 鹿犖離■●●●● ■■■■回每退○ 走哉足■●●●● ■■■■良兩向○ 八音 自在匠■●●●● 十音 ■■■■光廣況○ 八聲 草采七■●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 曹才全■●●●● ■■■■兄永瑩○ 思三星■●●●● ■■■■千典旦○

左半は続いて第八声の虚位を以て唱とし、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全を配し、あわせて頭を起して九音の思三星・寺象まで配す。右半はまず第九音「思」の末の几声を排し終わる。声位既に虚なれば、ゆえに満行皆●なり。続いて「開音清和律一之十」は第十音に換えて和とす。第十音は字なし、和字の位置は便ち四つの■を連写す。しかるに照らさまに第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、接して第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩と和し、再び第三声に入る。左半は唱字虚にして配する所は実、右半は和字虚にして和する所は実――両々相対照して、最もよく邵雍の虚実並列の用意を見出すを得べし。邵雍の学は李之才より受け、上は陳摶の一派に遡る。彼は先天の数を声音に施し、遂にこの図あり。後に邵学を講ずる者は多くこれがために解を作し、その子邵伯温の述する所は尤も詳備なり。

九音 寺□象■●●●● 十音 ■■■■元犬半○ 八聲 □□□■●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ □□□■●●●● ■■■■君允巽○ ■山手■●●●● ■■■■刀早孝嶽 十音 ■士石■●●●● 十音 ■■■■毛寶報霍 八聲 ■□耳■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 ■□二■●●●● ■■■■○○○玉 ■莊震■●●●● ■■■■妻子四日 十一音 ■乍□■●●●● 十音 ■■■■衰○帥骨 八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 ■崇辰■●●●● ■■■■龜水貴北 ■卓中■●●●● ■■■■宮孔眾○ 十二音 ■宅直■●●●● 十音 ■■■■龍甬用○ 八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ ■茶呈■●●●● ■■■■烏虎兔○

この段は左半が第八声の虚唱を九音の寺象とその下の二行まで配し終わり、再び十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈を配し、第八声の一輪はここに唱し畢る。右半は第十音が■を以て和と為し、第三声の元犬半・臣引艮・君允巽、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎に和す。同一行の里に左辺は●、右辺は■――正しく両種の虚位を並べて擺出す。円なる者は声に属し、方なる者は音に属す。円にして実心なるは連声も立たず、方にして実心なるは連音も立たず。二者同じく空位なれども、指す所は則ち天地両辺の不同の欠缺なり。此処は左半が●を以て唱とし、右半が■を以て和とし、同一行の内に両種の虚位並び見ゆ。円なる者は天に属し声に属し、方なる者は地に属し音に属す。形状既に別たり、指す所もまた異なり――抄写のとき最も相混し易し。前文已に■と□との互い出る例を見たり。以て知るべし、伝本は此に於てもと失真し易しと。今は悉く底本の原刻に依りて収録し、統一を作さず。

平聲闢唱呂一之九 古甲九癸●●●● ■■■■心審禁○ 一音 □□近揆●●●● 十音 ■■■■○○○十 九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ □□乾蚪●●●● ■■■■○○○妾 黑花香血●●●● ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯●●●● ■■■■●●●● 安亞乙一●●●● ■■■■●●●● 三音 □爻壬寅●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 母馬美米●●●● 九聲 ■■■■●●●● 目貌眉民●●●● ■■■■●●●● 夫法□飛●●●● ■■■■●●●● 四音 父凡□吠●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 武晚□尾●●●● 十聲 ■■■■●●●● 文萬□未●●●● ■■■■●●●●

「平声辟唱呂一之九」は、改めて第九声によりて唱と為す。第九声も同じく字なし。ゆえに四つの●を以てこれに代え、なお旧に一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民を歴て、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未に至る。右半は第十音が第七声の心審禁・男坎欠、および第八・第九・第十の三声の虚位に和し、一連十二行皆●と作す。ここに至りて右半の四十行は走り畢り、第十音の一和もまた了れり。図ここに至りて、左右両辺の字ある位は已に多からず、余るは多くは符号なり。然れども行数一行も減らず――これ正しく全表の将に収束せんとして数はなお虧けざるの処なり。天の十声はここに至りて已に九位を唱し過ぎ、ただ最後の一位を余すのみ。九声・十声は皆字なし、然れどもその位はなお在り。ゆえになお須く各々四十八行を唱すべし。邵雍は以為らく、声の数は本より天より来たり。天は十位ありて人の言いうる所はただ七位のみ。その余の三位は人の言わんと欲せざるにあらず、乃ち理の至らざる所有り。位を存してその実を空しくするは、正しく以て人力の窮まる所を見る所以にして、数の全体は此に因りて缺けず。この意は前図の諸虚位と一を以てこれを貫くなり。

開音清和律一之十一 卜百丙必●●●● ■■■■多可個舌 五音 步白備鼻●●●● 十一音 ■■■■禾火化八 九聲 普撲品匹●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 旁排平瓶●●●● ■■■■回每退○ 東丹帝■●●●● ■■■■良兩向○ 六音 兌大弟■●●●● 十一音 ■■■■光廣況○ 九聲 土貪天■●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 同覃田■●●●● ■■■■兄永瑩○ 乃你女■●●●● ■■■■千典旦○ 七音 內南年■●●●● 十一音 ■■■■元犬半○ 九聲 老冷呂■●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ 鹿犖離■●●●● ■■■■君允巽○ 走哉足■●●●● ■■■■刀早孝嶽 八音 自在匠■●●●● 十一音 ■■■■毛寶報霍 九聲 草采七■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 曹才全■●●●● ■■■■○○○玉 思三星■●●●● ■■■■妻子四日 九音 寺□象■●●●● 十一音 ■■■■衰○帥骨 九聲 □□□■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 □□□■●●●● ■■■■龜水貴北

「開音清和律一之十一」は、右半は第十一音に換えて和とす。この音もまた字なし、なお四つの■を以て標出し、第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、第三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六を歴て、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に至る。左半は則ちなお第九声が唱に在り、続けて五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象を配す。図ここに至りて、左半の唱字は●、右半の和字は■――両辺已に字なき位に入りて、然れども配せらるる字はなお旧に一行行列出して、毫も含糊せず。これ正しく邵雍の重んずる所は位と数にして、字にあらざるを見るを得べし。彼は《観物内篇》に言う――天地万物は皆数あり、数の所在は則ち理の所在なり。声音は不過万物の一端にして、その数うべき者を取りて以て例と為すのみ。ゆえにこの数節を読むに、字なきを以て憾と為すを必とせず。ただその行次の乱れず、位数の虧けざるを看れば、便ち已にその大意を得たり。若し必ず毎一格の上に一個の字を求め出さんと欲せば、かえって作者の本旨を失わん。前人がこの図のために解を作すも、大都先ずこの一層を明らかにして、後に乃ち枝節に及ぶなり。

■山手■●●●● ■■■■宮孔眾○ 十音 ■士石■●●●● 十一音 ■■■■龍甬用○ 九聲 ■□耳■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ ■□二■●●●● ■■■■烏虎兔○ ■莊震■●●●● ■■■■心審禁○ 十一音 ■乍□■●●●● 十一音 ■■■■○○○十 九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ ■崇辰■●●●● ■■■■○○○妾 ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十一音 ■■■■●●●● 九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●● 平聲闢唱呂一之十 古甲九癸●●●● ■■■■●●●● 一音 □□近揆●●●● 十一音 ■■■■●●●● 十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 ■■■■●●●● □□乾蚪●●●● ■■■■●●●● 黑花香血●●●● ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十一音 ■■■■●●●● 十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯●●●● ■■■■●●●●

左半は第九声を十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈まで配し終わる。続いて「平声辟唱呂一之十」は、改めて第十声によりて唱と為す――これ天声の最後の一位にして、も字なし、なお四つの●を以てこれに代え、先ず一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪を配し、再び二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭を配す。右半は第十一音が第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠、および第八・第九・第十の三声の虚位に和す。これらの行の左右四角に字ある者は寥寥たり。読むときはただ方塊は音に属し、圏は声に属し、実心のものは連音声も立たざるを示し、空心のものは音声は立つべきも字に当てる無きを示すと記するを須う。邵雍は声を分ちて十と為し、音を分ちて十二と為す――取る所は天地の常数なり。十は天数の終、十二は地数の終なり。十声は各々四行あり、毎行四位――ゆえに正声は一百六十。十二音もまた各々四行四位あり――ゆえに正音は一百九十二。天声は上に唱し、地音は下に和し、一唱一和して衆声備わる――これは彼が乾坤相交・動静相生を講ずるともとは一理なり。図上は満紙の圏塊なれども、立意は全く一個の「交」字に在り。これに明らかなれば、則ち本図の空処と実処と同じく要なるを知るべし、一も缺くべからず。その推数の法もまた正しくこの四百八十行の中より生出するなり。

開音清和律一之十二 安亞乙一●●●● ■■■■多可個舌 三音 □爻壬寅●●●● 十二音 ■■■■禾火化八 十聲 母馬美米●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 目貌眉民●●●● ■■■■回每退○ 夫法□飛●●●● ■■■■良兩向○ 四音 父凡□吠●●●● 十二音 ■■■■光廣況○ 十聲 武晚□尾●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 文萬□未●●●● ■■■■兄永瑩○ 卜百丙必●●●● ■■■■千典旦○ 五音 步白備鼻●●●● 十二音 ■■■■元犬半○ 十聲 普撲品匹●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ 旁排平瓶●●●● ■■■■君允巽○ 東丹帝■●●●● ■■■■刀早孝嶽 六音 兌大弟■●●●● 十二音 ■■■■毛寶報霍 十聲 土貪天■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 同覃田■●●●● ■■■■○○○玉 乃你女■●●●● ■■■■妻子四日 七音 內南年■●●●● 十二音 ■■■■衰○帥骨 十聲 老冷呂■●●●● 五聲 ■■■■○○○德

「開音清和律一之十二」は本篇の最後の一節なり。右半は改めて第十二音によりて和と為す。この音は字なし、和字の位置は四つの■を連写す。なお旧に第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六と和し過ぎ、五声の妻子四日・衰帥骨に至る。左半は則ち第十声が続いて下に唱し、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂を歴す。十二音の最後の三位は皆字なし。ゆえに連ねて三節を用いて■を以て和と為す。毎節なお四十行を走り、一位も省かず。この三節は左半の第十声の虚唱と前後相接し、図上に便ち整片の方円符号を出現す。乍看して読むべきなきがごとく似るも、其の実正しく全表の収束する処なり。声は十に尽き、音は十二に尽きる。尽きれば則ち復始す。ゆえに次の一篇はまた一副の唱和の字を換え、重ねて一図を開く。邵雍は以為らく、天地の数は皆終始あり、終わりて復た始まると。ゆえに十六図相続いて断えず――正しく元会運世の循環と同一の机括なり。読者はここに至りて宜しく前後を合わせて観るべし。

鹿犖離■●●●● ■■■■龜水貴北 走哉足■●●●● ■■■■宮孔眾○ 八音 自在匠■●●●● 十二音 ■■■■龍甬用○ 十聲 草采七■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ 曹才全■●●●● ■■■■烏虎兔○ 思三星■●●●● ■■■■心審禁○ 九音 寺□象■●●●● 十二音 ■■■■○○○十 十聲 □□□■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ □□□■●●●● ■■■■○○○妾 ■山手■●●●● ■■■■●●●● 十音 ■士石■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■□耳■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■□二■●●●● ■■■■●●●● ■莊震■●●●● ■■■■●●●● 十一音 ■乍□■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 ■■■■●●●● ■崇辰■●●●● ■■■■●●●● ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●●

これは観物篇三十五の最後の一段である。左半の第十声は七音の鹿犖離を唱し畢り、続けて八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈を配す。右半の第十二音は五声の亀水貴北を和し畢り、続けて六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、七声の心審禁・男坎欠、および八・九・十の三声の虚位と和す。十声唱し畢り、十二音和し畢りて、この一張の声音唱和図はここに至りて正好く排し満つ。左半の十唱は各々四十八行、右半の十二和は各々四十行、両辺ともに四百八十行にして、一位の空缺もなく、また一位の增添もなし。この図既に尽き、次の一篇は便ち声の翕と音の濁を換取し、別に一図を成す。観物篇三十五は「日日声平辟」より起り、ここに至りて十唱十二和は俱に畢る。通じて計うに、左半の十唱は毎唱四十八行、共に四百八十行。右半の十二和は毎和四十行、これもまた四百八十行。両半並び刻して、恰好行々相対す。その中に字ある位は少なく虚位は多し。然れども一行も増さず一行も減らず――これ邵雍の表を立つるの定法なり。次の一篇は改めて平声の翕と開音の濁を取る。唱和の字は換わるといえども、配せらるる四十八音位と四十声位は分毫も動かず。読者は両図を対看すれば、最もその条理を見易し。この後十六図は皆これに倣い、各図の間の異同はただ取る所の声類と音類に在るのみ。

観物篇三十六

日月聲平翕 水火音開濁 禾光元毛衰 □黃□父步兌 龍○●●● 內自寺■■■ 日月聲七,下唱地之 水火音九,上和天之 用音一百五十二,是 用聲一百一十二,是 謂平聲翕音。平聲翕 謂開音濁聲。開音濁 音一千六十四。 聲一千八。 日月聲平之二翕 水火音開之二濁 平聲翕唱呂二之一 開音濁和律二之一

「日月声平翕」と「水火音開濁」は第二張の図の総題である。それは前の一張と格局全く同じく、換ゆる所はただ取位のみ。前図は天之日の中の日位・地之水の中の水位を取り――すなわち平声の辟と開音の清。此の図は天之日の中の月位・地之水の中の火位を取り――すなわち平声の翕と開音の濁。辟は口の張、翕は口の合。清は気の軽、濁は気の重。ゆえに同じく平声なり、多・良・千・刀・妻・宮・心は辟にして、禾・光・元・毛・衰・龍は翕なり。同じく開音なり、古・黒・安・夫・卜・東・乃・走・思は清にして、黄・父・步・兌・内・自・寺は濁なり。図中に標目字を列するに、声の方の第七位は擧ぐべき字なく、○と作す。音の方の第一位・第三位は擧ぐべき字なく、□と作す。その後の声の三位は●と作し、音の三位は■と作す――なお虚位の記なり。「日月声七」「水火音九」と言うは、用いうる声位は七、音位は九あるを言い、七つの字・九つの字あるを言うにはあらず。位は定数にして、字は則ち有無定まらず。ゆえに七声の中に一位の字なきあるを得、九音の中に両位の字なきあるを得て、用数は旧に照らして変わらず――七に一百五十二を乗じて一千六十四を得、九に一百一十二を乗じて一千八を得、前図と分毫も差しあらず。これ正しく邵雍の数学の要処なり――彼の算する所は位にして、字にあらず。

古甲九癸禾禾禾禾 □□□□多可個舌 一音 □□近揆禾禾禾禾 一音 □□□□禾火化八 一聲 坤巧丘棄禾禾禾禾 一聲 □□□□開宰愛○ □□乾蚪禾禾禾禾 □□□□回每退○ 黑花香血禾禾禾禾 □□□□良兩向○ 二音 黃華雄賢禾禾禾禾 一音 □□□□光廣況○ 一聲 五瓦仰□禾禾禾禾 二聲 □□□□丁井亙○ 吾牙月堯禾禾禾禾 □□□□兄永瑩○ 安亞乙一禾禾禾禾 □□□□千典旦○ 三音 □爻壬寅禾禾禾禾 一音 □□□□元犬半○ 一聲 母馬美米禾禾禾禾 三聲 □□□□臣引艮○ 目貌眉民禾禾禾禾 □□□□君允巽○ 夫法□飛禾禾禾禾 □□□□刀早孝嶽 四音 父凡□吠禾禾禾禾 一音 □□□□毛寶報霍 一聲 武晚□尾禾禾禾禾 四聲 □□□□牛斗奏六 文萬□未禾禾禾禾 □□□□○○○玉 卜百丙必禾禾禾禾 □□□□妻子四日 五音 步白備鼻禾禾禾禾 一音 □□□□衰○帥骨 一聲 普撲品匹禾禾禾禾 五聲 □□□□○○○德

「平声翕唱呂二之一」以下より、左半は第一声の翕音字「禾」を以て唱とし、遍く十二音を配す。「開音濁和律二之一」以下より、右半は第一音の濁声字を以て和とす。この音は字なし。ゆえに和字の位置は四つの空囲の方塊を書作し、なお旧に遍く十声を和す。本段の左半は一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未を歴て、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹に至る。右半は一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六を歴て、五声の妻子四日・衰帥骨に至る。配せらるる四十八音位と四十声位は前図と一字も差さず――以て見るべし、邵雍の十六張の図は共に一副の骨架を共用し、ただ唱字と和字を輪換するのみである。観物篇三十五は声の辟・音の清を取り、本篇は声の翕・音の濁を取る。辟翕は口の開合に就いて言い、清濁は気の軽重に就いて言う。一図の中に各々一端を主り、十六図輪り遍きて、天地の声音は方に遺漏なきと算す。これがすなわち全部の声音図の編次の法なり。

旁排平瓶禾禾禾禾 □□□□龜水貴北 東丹帝■禾禾禾禾 □□□□宮孔眾○ 六音 兌大弟■禾禾禾禾 一音 □□□□龍甬用○ 一聲 土貪天■禾禾禾禾 六聲 □□□□魚鼠去○ 同覃田■禾禾禾禾 □□□□烏虎兔○ 乃你女■禾禾禾禾 □□□□心審禁○ 七音 內南年■禾禾禾禾 一音 □□□□○○○十 一聲 老冷呂■禾禾禾禾 七聲 □□□□男坎欠○ 鹿犖離■禾禾禾禾 □□□□○○○妾 走哉足■禾禾禾禾 □□□□●●●● 八音 自在匠■禾禾禾禾 一音 □□□□●●●● 一聲 草采七■禾禾禾禾 八聲 □□□□●●●● 曹才全■禾禾禾禾 □□□□●●●● 思三星■禾禾禾禾 □□□□●●●● 九音 寺□象■禾禾禾禾 一音 □□□□●●●● 一聲 □□□■禾禾禾禾 九聲 □□□□●●●● □□□■禾禾禾禾 □□□□●●●● ■山手■禾禾禾禾 □□□□●●●● 十音 ■士石■禾禾禾禾 一音 □□□□●●●● 一聲 ■□耳■禾禾禾禾 十聲 □□□□●●●●

左半はなお「禾」を以て唱とし、五音の旁排平瓶、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳を配す。右半は第一濁音が第五声の末行亀水貴北、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し、その下の三声は皆虚にして●と作す。この段の右半の和字は自始至終四つの方塊にして、一個の字もなし。しかれども四十行はなお旧に排し足る――これは前図の第十音以下の做法と一樣なり。音位既に立たば、縦い字を擧ぐるなしとも、また行次を占定するを須う。然らざれば一千八の数は算め出すを得ざらん。声図と音図の虚実は互い見る。読者は両図を対看せば、最もよく邵雍の謂う所の「体数」と「用数」との分別を明白にす。第一濁音は字なし。ゆえに整幅の右半の和字は皆方塊と作す。然れどもそれの和する所の十声は字々分明なり――これすなわち「和する者虚にして和せらるる者実」の局面を形成す。前の一図の第十音以下もまた正しくこのごとし。両図互い見れば便ち知る――虚は音に在れば則ち声は実、虚は声に在れば則ち音は実。虚実互い見て、方に天地両辺の有无を皆表し出せり。邵雍は斉整を凑すがために一個の字を造ること肯んぜず、また字なきがために一個の位を廃すること肯んぜず。彼の謹厳なる処は正に此に在り。後人有りて虚位を刪去して簡浄を求めしは、皆本意を失えり。

■□二■禾禾禾禾 □□□□●●●● 開音濁和律二之二 ■莊震■禾禾禾禾 黃黃黃黃多可個舌 十一音 ■乍□■禾禾禾禾 二音 黃黃黃黃禾火化八 一聲 ■叉赤■禾禾禾禾 一聲 黃黃黃黃開宰愛○ ■崇辰■禾禾禾禾 黃黃黃黃回每退○ ■卓中■禾禾禾禾 黃黃黃黃良兩向○ 十二音 ■宅直■禾禾禾禾 二音 黃黃黃黃光廣況○ 一聲 ■拆丑■禾禾禾禾 二聲 黃黃黃黃丁井亙○ ■茶呈■禾禾禾禾 黃黃黃黃兄永瑩○

左半は「禾」を十音の末位まで配し終わり、再び十一音の荘・震・乍・叉・赤・崇・辰と十二音の卓・中・宅・直・拆・丑・茶・呈を配し、第一声の一輪は唱し畢る。右半は別に一節を起す。「開音濁和律二之二」は第二音の濁声字「黄」に換えて和とし、第一声より排を起し、先ず多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退と和し、再び第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩と和す。「黄」は前図の第二音の「黒」と同位にして等を異にす――一は濁、一は清にして、恰も邵雍が音を分ちて清濁両列と為すの様板なり。同一の発声部位にして、気の軽きは清列に入り、気の重きは濁列に入る。両列各々一図を成し、位次は却て一々相當す。

平聲翕唱呂二之二 古甲九癸光光光光 黃黃黃黃千典旦○ 一音 □□近揆光光光光 二音 黃黃黃黃元犬半○ 二聲 坤巧丘棄光光光光 三聲 黃黃黃黃臣引艮○ □□乾蚪光光光光 黃黃黃黃君允巽○ 黑花香血光光光光 黃黃黃黃刀早孝嶽 二音 黃華雄賢光光光光 二音 黃黃黃黃毛寶報霍 二聲 五瓦仰□光光光光 四聲 黃黃黃黃牛斗奏六 吾牙月堯光光光光 黃黃黃黃○○○玉 安亞乙一光光光光 黃黃黃黃妻子四日 三音 □爻壬寅光光光光 二音 黃黃黃黃衰○帥骨 二聲 母馬美米光光光光 五聲 黃黃黃黃○○○德 目貌眉民光光光光 黃黃黃黃龜水貴北 夫法□飛光光光光 黃黃黃黃宮孔眾○ 四音 父凡□吠光光光光 二音 黃黃黃黃龍甬用○ 二聲 武晚□尾光光光光 六聲 黃黃黃黃魚鼠去○ 文萬□未光光光光 黃黃黃黃烏虎兔○ 卜百丙必光光光光 黃黃黃黃心審禁○ 五音 步白備鼻光光光光 二音 黃黃黃黃○○○十 二聲 普撲品匹光光光光 七聲 黃黃黃黃男坎欠○ 旁排平瓶光光光光 黃黃黃黃○○○妾

「平声翕唱呂二之二」は、唱字を第二声の翕音字「光」に換えたるなり。左半はまた頭より一遍を排す。一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶。右半はなお第二濁音「黄」の名下に在り、第三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和す。「光」は前図の「良」と同じく第二声に居り、一は翕、一は辟――読み起せば一は合口、一は開口にして、正しく邵雍の辟翕を分つ着眼処の全く口形に在るを見るべく、後世の等韻家の開口呼・合口呼を分つ用意と相通ず。「黄」と「黒」、「父」と「夫」、「步」と「卜」、「兌」と「東」、「内」と「乃」、「自」と「走」、「寺」と「思」とは、両々相対し、一は濁、一は清なり。清濁の分は気の軽重に在り、位次は則ち完全に同じ。ゆえに両図の同一格の上の両個の字は、往々ただ一個の送気するか否かを差すのみ。邵雍はこれを以て地音の両端を顕す――正しく辟翕を以て天声の両端を顕すがごとし。二者相配して、乃ち一図を成す。

東丹帝■光光光光 黃黃黃黃●●●● 六音 兌大弟■光光光光 二音 黃黃黃黃●●●● 二聲 土貪天■光光光光 八聲 黃黃黃黃●●●● 同覃田■光光光光 黃黃黃黃●●●● 乃你女■光光光光 黃黃黃黃●●●● 七音 內南年■光光光光 二音 黃黃黃黃●●●● 二聲 老冷呂■光光光光 九聲 黃黃黃黃●●●● 鹿犖離■光光光光 黃黃黃黃●●●● 走哉足■光光光光 黃黃黃黃●●●● 八音 自在匠■光光光光 二音 黃黃黃黃●●●● 二聲 草采七■光光光光 十聲 黃黃黃黃●●●● 曹才全■光光光光 黃黃黃黃●●●●

この十二行は、左半はなお「光」を以て唱とし、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全を配す。右半は則ち第二濁音「黄」が第八・第九・第十の三声に和し至り、全て●と作す。凡そこのごとき左実右虚の行に遇わば、読むとき左半のみを看て、右半を以て占位と為すも妨げなし。しかれども邵雍は決してこれを省去すること肯んぜず――図上の毎一行は皆一個の確定の数に対応すればなり。一行を少なからしめば則ち数足らず、数足らざれば則ち声音を以て物類を推すの算法は便ち起る処なし。左半は字ありて右半は皆●――これ天声の虚なり。後文の第一濁音の下は声実にして音虚――これ地音の虚なり。両種の虚位は図上に交替して出現し、恰好天地各々不足あるの意を顕し出して、また読者をして空位を以て脱文と為さざらしむ。

開音濁和律二之三 思三星■光光光光 □□□□多可個舌 九音 寺□象■光光光光 三音 □□□□禾火化八 二聲 □□□■光光光光 一聲 □□□□開宰愛○ □□□■光光光光 □□□□回每退○ ■山手■光光光光 □□□□良兩向○ 十音 ■士石■光光光光 三音 □□□□光廣況○ 二聲 ■□耳■光光光光 二聲 □□□□丁井亙○ ■□二■光光光光 □□□□兄永瑩○ ■莊震■光光光光 □□□□千典旦○ 十一音 ■乍□■光光光光 三音 □□□□元犬半○ 二聲 ■叉赤■光光光光 三聲 □□□□臣引艮○ ■崇辰■光光光光 □□□□君允巽○ ■卓中■光光光光 □□□□刀早孝嶽 十二音 ■宅直■光光光光 三音 □□□□毛寶報霍 二聲 ■拆丑■光光光光 四聲 □□□□牛斗奏六 ■茶呈■光光光光 □□□□○○○玉

左半は「光」を九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈まで配し終わり、第二声の一輪は唱し畢る。右半は別に一節を起す。「開音濁和律二之三」は第三音に換えて和とす。第三濁音は擧ぐべき字なし、和字の位置は便ち四つの空囲の方塊を書作し、なお旧に第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、第三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽を歴て、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六に至る。空囲の方塊はこの一音位が理の上に成立して語の中に字なきを示し、実心の方塊の連音すら成立せざると同じからず。図中に両者夾雑して出現す。須く仔細に看るべし。空囲の方塊と実心の方塊とは、前者は音ありて字なし、後者は并せて音もまたなし。空囲の圏と実心の圏とは、前者は声ありて字なし、後者は并せて声もまたなし。四種の記号は両々相対す。図を読むには先ず方円を分ち、再び虚実を分てば、位次自ら明らかなり。底本の刻工は偶に互い混ずるあり――前文已にその例を擧ぐ。今は悉く原様を存す。

平聲翕唱呂二之三 古甲九癸元元元元 □□□□妻子四日 一音 □□近揆元元元元 三音 □□□□衰○帥骨 三聲 坤巧丘棄元元元元 五聲 □□□□○○○德 □□乾蚪元元元元 □□□□龜水貴北 黑花香血元元元元 □□□□宮孔眾○ 二音 黃華雄賢元元元元 三音 □□□□龍甬用○ 三聲 五瓦仰□元元元元 六聲 □□□□魚鼠去○ 吾牙月堯元元元元 □□□□烏虎兔○ 安亞乙一元元元元 □□□□心審禁○ 三音 □爻壬寅元元元元 三音 □□□□○○○十 三聲 母馬美米元元元元 七聲 □□□□男坎欠○ 目貌眉民元元元元 □□□□○○○妾 夫法□飛元元元元 □□□□●●●● 四音 父凡□吠元元元元 三音 □□□□●●●● 三聲 武晚□尾元元元元 八聲 □□□□●●●● 文萬□未元元元元 □□□□●●●● 卜百丙必元元元元 □□□□●●●● 五音 步白備鼻元元元元 三音 □□□□●●●● 三聲 普撲品匹元元元元 九聲 □□□□●●●● 旁排平瓶元元元元 □□□□●●●●

「平声翕唱呂二之三」は、唱字を第三声の翕音字「元」に換ふ。左半はまた一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未を歴て、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶に至る。右半はなお第三濁音にして和を継ぐ。この音は字なきも、和する所の声位は字あり。第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に和し至り、第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に至り、第八・第九の両声は則ち全て●と作す。「元」は前図の第三声の「千」と相対す。千は辟にして元は翕、同じく一声にして口形に開合の異あり。「千」と「元」、「多」と「禾」、「良」と「光」、「刀」と「毛」、「妻」と「衰」、「宮」と「龍」――両々相対して、前者は口開きて後者は口合う。邵雍の分つ所の辟翕は、ただ声を発する時の唇口の張合に就くのみ、字義を問わず、また韻部をも問わず。ゆえに同じ位の上の両個の字は、時に看れば毫も相干らざるも、彼の図の上には一体の両面なり。この一点は後世の等韻家の開口・合口を分つに、用意最も相近し。学者もし両図を並列して観れば、一辟一翕対照して行を成し、その理は言を待たずして自ら見ゆ――これ正しく邵雍が十六図を設けし用心なり。

東丹帝■元元元元 □□□□●●●● 六音 兌大弟■元元元元 三音 □□□□●●●● 三聲 土貪天■元元元元 十聲 □□□□●●●● 同覃田■元元元元 □□□□●●●● 開音濁和律二之四 乃你女■元元元元 父父父父多可個舌 七音 內南年■元元元元 四音 父父父父禾火化八 三聲 老冷呂■元元元元 一聲 父父父父開宰愛○ 鹿犖離■元元元元 父父父父回每退○ 走哉足■元元元元 父父父父良兩向○ 八音 自在匠■元元元元 四音 父父父父光廣況○ 三聲 草采七■元元元元 二聲 父父父父丁井亙○ 曹才全■元元元元 父父父父兄永瑩○ 思三星■元元元元 父父父父千典旦○ 九音 寺□象■元元元元 四音 父父父父元犬半○ 三聲 □□□■元元元元 三聲 父父父父臣引艮○ □□□■元元元元 父父父父丁允巽○ ■山手■元元元元 父父父父刀早孝嶽 十音 ■士石■元元元元 四音 父父父父毛寶報霍 三聲 ■□耳■元元元元 四聲 父父父父牛斗奏六 ■□二■元元元元 父父父父○○○玉

左半はなお「元」を以て唱とし、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二を配す。右半は先ず第三濁音の第十声を排し畢り、随いで「開音濁和律二之四」は第四音の濁声字「父」に換えて和と為し、第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、第三声の千典旦・元犬半・臣引艮を歴て、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六に至る。その中の第三声の末の一行は底本は「丁允巽」と作るが、他処の同位は皆「君允巽」と作す――「丁」は当に「君」の形近の訛ならん。今底本に依りて存録して改めず。「父」は前図の第四音の「夫」と相対す。一濁一清にして、位次は全く同じ。第三濁音は字なし。然れどもその位は去るべからず。邵雍は以為すらく、音の十二は地の十二に本づき、猶お時の十二辰・律の十二管のごとし。数は已に天地に定まり、人の増損しうる所にあらず。語の中に偶然この音なきは、ただ人事の闕にして、その数を動揺するに足らず。ゆえに図の上には寧ろ一片の方塊を留めても、肯んじて十二音を減じて十音と為さず。これは前面の十声に必ず十位を存するが如きと同一の条理にして、両処を参看すればその義は益々明らかなり。全書の数を立つるの法は、大抵此のごとし。

■莊震■元元元元 父父父父妻子四日 十一音 ■乍□■元元元元 四音 父父父父衰○帥骨 三聲 ■叉赤■元元元元 五聲 父父父父○○○德 ■崇辰■元元元元 父父父父龜水貴北 ■卓中■元元元元 父父父父宮孔眾○ 十二音 ■宅直■元元元元 四音 父父父父龍甬用○ 三聲 ■拆丑■元元元元 六聲 父父父父魚鼠去○ ■茶呈■元元元元 父父父父烏虎兔○

この八行は、左半は「元」を十一音の荘・震・乍・叉・赤・崇・辰と十二音の卓・中・宅・直・拆・丑・茶・呈に配し畢り、第三声の一輪はここに至りて唱し畢る。右半は第四濁音「父」にして第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に和し至り、および第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎に至る。図の中に「妻子四日」と「衰○帥骨」とは並列す。前者は四位皆字あり、後者は第二位は字なし。「○○○徳」は則ちただ末の一位のみ字あり。この種の参差不斉なるを、邵雍は法を設けて補い斉くせず。彼の要する所は正しく天下の声の人の口の中の実際の有無にして、湊りて一部の斉整の字表を成すにはあらざるなり。

平聲翕唱呂二之四 古甲九癸毛毛毛毛 父父父父心審禁○ 一音 □□近揆毛毛毛毛 四音 父父父父○○○十 四聲 坤巧丘棄毛毛毛毛 七聲 父父父父男坎欠○ □□乾蚪毛毛毛毛 父父父父○○○妾 黑花香血毛毛毛毛 父父父父●●●● 二音 黃華雄賢毛毛毛毛 四音 父父父父●●●● 四聲 五瓦仰□毛毛毛毛 八聲 父父父父●●●● 吾牙月堯毛毛毛毛 父父父父●●●● 安亞乙一毛毛毛毛 父父父父●●●● 三音 □爻壬寅毛毛毛毛 四音 父父父父●●●● 四聲 母馬美米毛毛毛毛 九聲 父父父父●●●● 目貌眉民毛毛毛毛 父父父父●●●● 夫法□飛毛毛毛毛 父父父父●●●● 四音 父凡□吠毛毛毛毛 四音 父父父父●●●● 四聲 武晚□尾毛毛毛毛 十聲 父父父父●●●● 文萬□未毛毛毛毛 父父父父●●●●

「平声翕唱呂二之四」は、唱字を第四声の翕音字「毛」に換ふ。左半は一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民を歴て、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未に至る。右半は第四濁音「父」にして第七声の心審禁・男坎欠に和し至り、その下の第八・第九・第十の三声は皆虚なり。ゆえに連ねて十二行の●と作す。「毛」は前図の第四声の「刀」と相対す。刀は辟にして毛は翕。両図を対読すれば、同じ位次の上の両個の字は口形は一開一合にして、声調は却て同属平声なり――これすなわち「声を分ちて辟翕と為す」の実際の指す所。第四濁音「父」は十声に和し過ぎ、已にその一輪を尽くす。本節より起りて、右半は将に陸続と第五音「步」・第六音「兌」・第七音「内」に換わらんとし、しかして左半の唱字は則ち「毛」により「衰」により「龍」に至る。両辺各々自らの周期に按じて推移し、互いに牽就せず。一唱は四十八行、一和は四十行。四十八と四十の最小公倍数は二百四十。ゆえに毎二百四十行ごと、左右両半は乃ち重ねて斉く対するを一たびす。

開音濁和律二之五 卜百丙必毛毛毛毛 步步步步多可個舌 五音 步白備鼻毛毛毛毛 五音 步步步步禾火化八 四聲 普撲品匹毛毛毛毛 一聲 步步步步開宰愛○ 旁排平瓶毛毛毛毛 步步步步回每退○ 東丹帝■毛毛毛毛 步步步步良兩向○ 六音 兌大弟■毛毛毛毛 五音 步步步步光廣況○ 四聲 土貪天■毛毛毛毛 二聲 步步步步丁井亙○ 同覃田■毛毛毛毛 步步步步兄永瑩○ 乃你女■毛毛毛毛 步步步步千典旦○ 七音 內南年■毛毛毛毛 五音 步步步步元犬半○ 四聲 老冷呂■毛毛毛毛 三聲 步步步步臣引艮○ 鹿犖離■毛毛毛毛 步步步步君允巽○ 走哉足■毛毛毛毛 步步步步刀早孝嶽 八音 自在匠■毛毛毛毛 五音 步步步步毛寶報霍 四聲 草采七■毛毛毛毛 四聲 步步步步牛斗奏六 曹才全■毛毛毛毛 步步步步○○○玉 思三星■毛毛毛毛 步步步步妻子四日 九音 寺□象■毛毛毛毛 五音 步步步步衰○帥骨 四聲 □□□■毛毛毛毛 五聲 步步步步○○○德 □□□■毛毛毛毛 步步步步龜水貴北

左半はなお「毛」を以て唱とし、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象を配す。右半は別に一節を起す。「開音濁和律二之五」は第五音の濁声字「步」に換えて和と為し、第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、第三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六を歴て、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に至る。「步」は前図の第五音の「卜」と相対す。同じく唇音の一類にして、卜は清にして歩は濁なり。「歩」と「卜」とは同じく唇音にして、一濁一清なり。唇音は十二音の中に第五に列し、四等最も斉備す。ゆえにこれらの行は左右両欄ともに空位を見ること稀なり――全図の中の得難き密なる処なり。邵雍の字を取るや、凡そ擧ぐべき字あるは必ず擧げ、寧ろ僻字を取るとも肯んじて空を留めず。ただ実に字なきのみ、乃ち圏塊を以て頂上と為す。その取舍を観れば、彼の当時の口語の音読に於て力を用いること甚だ勤しきを知るべし――空に憑りて格を造るにあらざるなり。これまたこの套の図は数を推するがための作なれども、後世の音韻を治むる者はなおこれに参考せざるを得ざるの故なり――その材料はそれ自身に価値あるなり。

■山手■毛毛毛毛 步步步步宮孔眾○ 十音 ■士石■毛毛毛毛 五音 步步步步龍甬用○ 四聲 ■□耳■毛毛毛毛 六聲 步步步步魚鼠去○ ■□二■毛毛毛毛 步步步步烏虎兔○ ■莊震■毛毛毛毛 步步步步心審禁○ 十一音 ■乍□■毛毛毛毛 五音 步步步步○○○十 四聲 ■叉赤■毛毛毛毛 七聲 步步步步男坎欠○ ■崇辰■毛毛毛毛 步步步步○○○妾 ■卓中■毛毛毛毛 步步步步●●●● 十二音 ■宅直■毛毛毛毛 五音 步步步步●●●● 四聲 ■拆丑■毛毛毛毛 八聲 步步步步●●●● ■茶呈■毛毛毛毛 步步步步●●●●

この十二行は、左半は「毛」を十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈に配し畢り、第四声の一輪は唱し畢る。右半は第五濁音「步」にして第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し至り、随いで第八声に入りて●と作す。毎一唱は須く四十八行を走り満たし、毎一和は須く四十行を走り満たすべし。両個の周期は等しくあらざれば、ここに因りて左右の頭を換ふる処は彼此錯開す。図を読む者もしただ一辺に順うて看れば、則ち他辺の忽然として名目を改めたるを覚えん。其の実各々自らの節奏あり、並行して悖らず。唱と和の周期の斉しからざるは前文に已に言えり。此処はさらに見るべし――左半は纔かに第四声の末尾に走り到り、右半は已に第五音の下の第八声に和し至る。両辺相い錯ぐること将に一節に近し。読むとき各々その欄に依れば、自ずから乱れざらん。

平聲翕唱呂二之五 古甲九癸衰衰衰衰 步步步步●●●● 一音 □□近揆衰衰衰衰 五音 步步步步●●●● 五聲 坤巧丘棄衰衰衰衰 九聲 步步步步●●●● □□乾蚪衰衰衰衰 步步步步●●●● 黑花香血衰衰衰衰 步步步步●●●● 二音 黃華雄賢衰衰衰衰 五音 步步步步●●●● 五聲 五瓦仰□衰衰衰衰 十聲 步步步步●●●● 吾牙月堯衰衰衰衰 步步步步●●●●

「平声翕唱呂二之五」は、唱字を第五声の翕音字「衰」に換ふ。左半は剛ち頭を起し、先ず一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪を配し、再び二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭を配す。右半は第五濁音「步」にして第九・第十の両声に和し至る。声位は既に虚なり、八行は全て●と作す。「衰」は前図の第五声の「妻」と相対す。妻は辟にして衰は翕。ここに至りて第二張図の七つの翕声は已に五個を用い去り、余するはただ第六声の「龍」と第七声のあの位あって字なき○のみ。両図を相較すれば、翕声の用いうる字は辟声より一個少なし――これ正しく邵雍が声と字とを分かちて看さんとするの故なり。

開音濁和律二之六 安亞乙一衰衰衰衰 兌兌兌兌多可個舌 三音 □爻壬寅衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌禾火化八 五聲 母馬美米衰衰衰衰 一聲 兌兌兌兌開宰愛○ 目貌眉民衰衰衰衰 兌兌兌兌回每退○ 夫法□飛衰衰衰衰 兌兌兌兌良兩向○ 四音 父凡□吠衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌光廣況○ 五聲 武晚□尾衰衰衰衰 二聲 兌兌兌兌丁井亙○ 文萬□未衰衰衰衰 兌兌兌兌兄永瑩○ 卜百丙必衰衰衰衰 兌兌兌兌千典旦○ 五音 步白備鼻衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌元犬半○ 五聲 普撲品匹衰衰衰衰 三聲 兌兌兌兌臣引艮○ 旁排平瓶衰衰衰衰 兌兌兌兌君允巽○ 東丹帝■衰衰衰衰 兌兌兌兌刀早孝嶽 六音 兌大弟■衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌毛寶報霍 五聲 土貪天■衰衰衰衰 四聲 兌兌兌兌牛斗奏六 同覃田■衰衰衰衰 兌兌兌兌○○○玉 乃你女■衰衰衰衰 兌兌兌兌妻子四日 七音 內南年■衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌衰○帥骨 五聲 老冷呂■衰衰衰衰 五聲 兌兌兌兌○○○德 鹿犖離■衰衰衰衰 兌兌兌兌龜水貴北

左半はなお「衰」を以て唱とし、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離を配す。右半は別に一節を起す。「開音濁和律二之六」は第六音の濁声字「兌」に換えて和と為し、第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、第二声の良両向・光広況・丁井亘・兄永瑩、第三声の千典旦・元犬半・臣引艮・君允巽、第四声の刀早孝岳・毛宝報霍・牛斗奏六を歴て、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に至る。「兌」は前図の第六音の「東」と相対す。東は清にして兌は濁なり。「兌」は第六濁音と為り、前図の第六清音「東」と相対す。ここに至りて第二図の十二和は已に六位を用い去り、なお余すは「内」「自」「寺」の三位は字あり、および第十・十一・十二の三位は字なし。左半の翕声は則ちただ「龍」の一位のみ字を余し、その後の第七声は位あれども字なし、八・九・十の三声は連声もまたなし。両辺の余す所は多くなし――図は将に収束せんとす。全篇を通観すれば知るべし。声の用いうる者は少なくして音の用いうる者は多し。ゆえに声は四十八行を唱して音は四十行を和す。唱する者は行長く、和する者は行短し――天先地後の序はすなわちその中に寓す。

走哉足■衰衰衰衰 兌兌兌兌宮孔眾○ 八音 自在匠■衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌龍甬用○ 五聲 草采七■衰衰衰衰 六聲 兌兌兌兌魚鼠去○ 曹才全■衰衰衰衰 兌兌兌兌烏虎兔○ 思三星■衰衰衰衰 兌兌兌兌心審禁○ 九音 寺□象■衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌○○○十 五聲 □□□■衰衰衰衰 七聲 兌兌兌兌男坎欠○ □□□■衰衰衰衰 兌兌兌兌○○○妾 ■山手■衰衰衰衰 兌兌兌兌●●●● 十音 ■士石■衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌●●●● 五聲 ■□耳■衰衰衰衰 八聲 兌兌兌兌●●●● ■□二■衰衰衰衰 兌兌兌兌●●●● ■莊震■衰衰衰衰 兌兌兌兌●●●● 十一音 ■乍□■衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌●●●● 五聲 ■叉赤■衰衰衰衰 九聲 兌兌兌兌●●●● ■崇辰■衰衰衰衰 兌兌兌兌●●●● ■卓中■衰衰衰衰 兌兌兌兌●●●● 十二音 ■宅直■衰衰衰衰 六音 兌兌兌兌●●●● 五聲 ■拆丑■衰衰衰衰 十聲 兌兌兌兌●●●● ■茶呈■衰衰衰衰 兌兌兌兌●●●●

この一段は、左半は「衰」を八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二、十一音の荘震・乍・叉赤・崇辰、十二音の卓中・宅直・拆丑・茶呈に配し畢り、第五声の一輪は唱し畢る。右半は第六濁音「兌」にして第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠に和し至り、その下の三声は皆●と作す。両図を合せて観れば、同じ一個の音位は清列に在りて字ありて濁列に在りて字なし、あるいは濁列に在りて字ありて清列に在りて字なし――正しく人の口の発しうる声と文字の記しうる字と並びて相い等しからざるを見る。邵雍は斉整を求めんがための造字を肯んぜず、また字なきがための廃位をも肯んぜず――これ彼のこの套の表格を処理するの一貫の態度なり。声の十位は象を天に取り、音の十二位は象を地に取る。天数は十を以て終わりと為し、地数は十二を以て終わりと為す。ゆえに声は十に止まり音は十二に止まる。邵雍は以為すらく、凡そ物の数は、天地之数より生ぜざるは莫し。日月星辰の四・水火土石の四は、これその体なり。十声十二音は、これその用なり。一百六十と一百九十二は、これその正数なり。一百一十二と一百五十二は、これその用数なり。層々相い因りて、各々本づく所有り。これらの節の満紙圏塊たる処に到るに於ては、字は見えずと雖も、数は却て分毫も失わず――これ正しく彼が人をしてその中より体会せんことを要するの所在にして、またこの套の図と尋常の韻書と判然として同じからざる処なり。

平聲翕唱呂二之六 開音濁和律二之七 古甲九癸龍龍龍龍 內內內內多可個舌 一音 □□近揆龍龍龍龍 七音 內內內內禾火化八 六聲 坤巧丘棄龍龍龍龍 一聲 內內內內開宰愛○ □□乾蚪龍龍龍龍 內內內內回每退○ 黑花香血龍龍龍龍 內內內內良兩向○ 二音 黃華雄賢龍龍龍龍 七音 內內內內光廣況○ 六聲 五瓦仰□龍龍龍龍 二聲 內內內內丁井亙○ 吾牙月堯龍龍龍龍 內內內內兄永瑩○ 安亞乙一龍龍龍龍 內內內內丁典旦○ 三音 □爻壬寅龍龍龍龍 七音 內內內內元犬半○ 六聲 母馬美米龍龍龍龍 三聲 內內內內臣引艮○ 目貌眉民龍龍龍龍 內內內內君允巽○ 夫法□飛龍龍龍龍 內內內內刀早孝嶽 四音 父凡□吠龍龍龍龍 七音 內內內內毛寶報霍 六聲 武晚□尾龍龍龍龍 四聲 內內內內牛斗奏六 文萬□未龍龍龍龍 內內內內○○○玉 卜百丙必龍龍龍龍 內內內內妻子四日 五音 步白備鼻龍龍龍龍 七音 內內內內衰○帥骨 六聲 普撲品匹龍龍龍龍 五聲 內內內內○○○德 旁排平瓶龍龍龍龍 內內內內龜水貴北

「平声翕唱呂二之六」と「開音濁和律二之七」とは同じく一行に列し、左右両半は此に於て同時に頭を換ふ。左半の唱字は第六声の翕音字「龍」に換ふ――これは翕声の中の最後に字ある声位なり。右半の和字は第七音の濁声字「内」に換ふ。左半は一音の古甲九癸・近揆・坤巧丘棄・乾蚪より起り、二音の黒花香血・黄華雄賢・五瓦仰・吾牙月尭、三音の安亜乙一・爻壬寅・母馬美米・目貌眉民、四音の夫法飛・父凡吠・武晚尾・文万未を歴て、五音の卜百丙必・步白備鼻・普扑品匹・旁排平瓶に至る。右半は第一声の多可个舌・禾火化八・開宰愛・回毎退より起り、第二・第三・第四声を歴て、第五声の妻子四日・衰帥骨・亀水貴北に至る。その中の第三声の首の一行は底本は「丁典旦」と作るが、他処の同位は皆「千典旦」と作す――「丁」は当に「千」の形近の訛ならん。今底本の原様に依りて保留す。翕声の七位の中に、第七位はただ位ありて字なし――図首の標目の処は○と書作す。ゆえに本図の翕声は実に六字を得、前図の辟声の七字に比ぶれば一個少なし。字は一を少なくすと雖も、声位はなお七にして、用数はなお七に一百五十二を乗じて一千六十四を得――前図と一般に異ならず。これ正しく「位は定数あり、字は多寡あり」の最も明白なる一個の例証なり。もし字を以て計れば、両図は便ち相い等しからず、邵雍の法は立つる由なし。ゆえに必ず位を以て計り、字を以て計らず。

東丹帝■龍龍龍龍 內內內內宮孔眾○ 六音 兌大弟■龍龍龍龍 七音 內內內內龍甬用○ 六聲 土貪天■龍龍龍龍 六聲 內內內內魚鼠去○ 同覃田■龍龍龍龍 內內內內烏虎兔○ 乃你女■龍龍龍龍 內內內內心審禁○ 七音 內南年■龍龍龍龍 七音 內內內內○○○十 六聲 老冷呂■龍龍龍龍 七聲 內內內內男坎欠○ 鹿犖離■龍龍龍龍 內內內內○○○妾 走哉足■龍龍龍龍 內內內內●●●● 八音 自在匠■龍龍龍龍 七音 內內內內●●●● 六聲 草采七■龍龍龍龍 八聲 內內內內●●●● 曹才全■龍龍龍龍 內內內內●●●● 思三星■龍龍龍龍 內內內內●●●● 九音 寺□象■龍龍龍龍 七音 內內內內●●●● 六聲 □□□■龍龍龍龍 九聲 內內內內●●●● □□□■龍龍龍龍 內內內內●●●● ■山手■龍龍龍龍 內內內內●●●● 十音 ■士石■龍龍龍龍 七音 內內內內●●●● 六聲 ■□耳■龍龍龍龍 十聲 內內內內●●●● ■□二■龍龍龍龍 內內內內●●●● 開音濁和律二之八 ■莊震■龍龍龍龍 自自自自多可個舌 十一音 ■乍□■龍龍龍龍 八音 自自自自禾火化八

左半はなお「龍」を以て唱とし、六音の東丹帝・兌大弟・土貪天・同覃田、七音の乃你女・内南年・老冷呂・鹿犖離、八音の走哉足・自在匠・草采七・曹才全、九音の思三星・寺象、十音の山手・士石・耳・二を配し、併せて頭を起して十一音の荘・震・乍に配し至る。右半は第七濁音「内」にして第六声の宮孔衆・龍甬用・魚鼠去・烏虎兎、第七声の心審禁・男坎欠、および第八・第九・第十のこの三声の虚位に和し至る。随いで「開音濁和律二之八」は第八音の濁声字「自」に換えて和と為し、重ねて第一声の多可个舌・禾火化八より排し起す。本組の分け得たる篇幅は此に至りて止まる。第二張の声音唱和図はなお排し畢らず。その下の「龍」の唱の余音・第七声のあの一輪の位あって字なき虚唱、および第八音「自」以後の諸和は、皆後文の中に接続して、下一組より接写す。已に排したる部分に就りて見れば、観物篇三十六と三十五の格局は完全相同なり。左半は十唱、右半は十二和、各々四百八十行。変わる所はただ唱字は辟より翕に転じ、和字は清より濁に転ずるのみ。十六図は此に依りて輪換し、声の日月星辰と音の水火土石とは各々自ら相配して、十六類を遍歴して後に止まる。邵雍の作る《皇極経世》は、前半は元会運世を以て古今の変を紀し、後半は声音唱和を以て万物の数を窮む。一は時を以て言い、一は物を以て言う。帰趣は則ち同じ。皆天地の間に一事一物として数の中に在らざるはなきを証明し、しかして数の然る所以の者は則ち理に在らんと欲するなり。

六聲 ■叉赤■龍龍龍龍,一聲 自自自自開宰愛○;■崇辰■龍龍龍龍,自自自自回每退○;■卓中■龍龍龍龍,自自自自良兩向○;十二音 ■宅直■龍龍龍龍,八音 自自自自光廣況○;六聲 ■拆丑■龍龍龍龍,二聲 自自自自丁井亙○;■茶呈■龍龍龍龍,自自自自兄永瑩○。

この段は両図の間に跨る。左半は「平声翕唱呂二之六」の收尾にして、日月声第六声の平声翕位に在る代表字「龍」を以て唱とし、正音第十一音の後二行「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」と相和す。この両類の正音の首位は一律に「■」と作す――これ「此の位に音なし」の記号にして、脱字にあらず。右半は「開音濁和律二之八」の起頭にして、水火音第八音の代表字「自」を以て和とし、順次正声第一声の後二行「開宰愛○」「回毎退○」と第二声の四行「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」を配す。行末の「○」はこの声位あれども配すべき字なきを示す。

声音唱和図・平声翕唱呂二之七

平聲翕唱呂二之七:古甲九癸○○○○,自自自白千典旦○;一音 □□近揆○○○○,八音 自自自自元犬半○;七聲 坤巧丘棄○○○○,三聲 自自自自臣引艮○;□□乾蚪○○○○,自自自自君允巽○;黑花香血○○○○,自自自自刀早孝嶽;二音 黃華雄賢○○○○,八音 自自自自毛寶報霍;七聲 五瓦仰□○○○○,四聲 自自自自牛斗奏六;吾牙月堯○○○○,自自自自○○○玉;安亞乙一○○○○,自自自自妻子四日;三音 □爻壬寅○○○○,八音 自自自自衰○帥骨;七聲 母馬美米○○○○,五聲 自自自自○○○德;目貌眉民○○○○,自自自自龜水貴北。

「平声翕唱呂二之七」は別に一図を起す。唱する所は日月声の第七声にして、この声位は「○」と書作す――その意は格の中にこの一声あれども填むべき字なきなり。それは逐一に正音と相和す。第一音の四行は「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」――第二・第四行の開頭の「□」は音位あれども字なきなり。第二音の四行は「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」。第三音の四行は「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」。右半はなお「開音濁和律二之八」に属し、水火音の第八音「自」を以て和とし、順次正声の第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」を配す。首行「自自自白」の末字「白」は、底本の「自」字の訛りなり。音図は毎類四行にして清・濁・次清・次濁を分ち、行内の四字は一等より四等に至るを序と為す。声図は毎行四字にして平・上・去・入を序と為す。「千典旦○」はすなわち平は「千」、上は「典」、去は「旦」、入声は字なし。

夫法□飛○○○○,自自自自宮孔眾○;四音 父凡□吠○○○○,八音 自自自自龍甬用○;七聲 武晚□尾○○○○,六聲 自自自自魚鼠去○;文萬□未○○○○,自自自自烏虎兔○;卜百丙必○○○○,自自自自心審禁○;五音 步白備鼻○○○○,八音 自自自自○○○十;七聲 普撲品匹○○○○,七聲 自自自自男坎欠○;旁排平瓶○○○○,自自自自○○○妾;東丹帝■○○○○,自自自自●●●●;六音 兌大弟■○○○○,八音 自自自自●●●●;七聲 土貪天■○○○○,八聲 自自自自●●●●;同覃田■○○○○,自自自自●●●●;乃你女■○○○○,自自自自●●●●。

「平声翕唱呂二之七」を続く。唱位はなおあの声あって字なき「○」なり。この段は正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」と相和し、末の一行は第七音の頭の一行「乃你女■」なり。第四音の各行の第三位の「□」は有音無字、第六・第七音の末位の「■」は此の位に音なしなり。右半はなお「開音濁和律二之八」にして、「自」を以て和とし、正声第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。再び下の第八声の四行と第九声の首行は全て「●●●●」と作す――これらの几声は声位そのものすら存在せざるを示す。左列に擧ぐる夫・卜・東・乃の四類は、分かちて軽唇・重唇・舌頭と鼻来の一系に属し、毎類四行はなお清・濁・次清・次濁を次と為す。右列の「宮孔衆○」の一行は平声は「宮」、上声は「孔」、去声は「衆」、入声は位あって字なし。「心審禁○」の一行も同例なり。

七音 內南年■○○○○,八音 自自自自●●●●;七聲 老冷呂■○○○○,九聲 自自自自●●●●;鹿犖離■○○○○,自自自自●●●●;走哉足■○○○○,自自自自●●●●;八音 自在匠■○○○○,八音 自自自自●●●●;七聲 草采七■○○○○,十聲 自自自自●●●●;曹才全■○○○○,自自自自●●●●。

なお「平声翕唱呂二之七」に属す。左半は続けて正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」と第八音の四行「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列す。各行の第四位は一律に「■」と作す――無音の位なり。これと相唱するはなお第七声のあの声あって字なき「○」なり。右半は「開音濁和律二之八」に属し、水火音の第八音「自」を以て和とし、配する所は正声第九声の後三行と第十声の四行、一共七行にして全て「●●●●」と書作す。邵雍は第八・第九・第十の三声を有位而無声と定めたり。ゆえにここには字もなく、また読むべき声もなく、ただ黒圏を以て格位を占め住め、以て十声の数の缺くべからざるを見るなり。

声音唱和図・開音濁和律二之九

開音濁和律二之九:思三星■○○○○,寺寺寺寺多可個舌;九音 寺□象■○○○○,九音 寺寺寺寺禾火化八;七聲 □□□■○○○○,一聲 寺寺寺寺開宰愛○;□□□■○○○○,寺寺寺寺回每退○;■山手□○○○○,寺寺寺寺良兩向○;十音 ■土石■○○○○,九音 寺寺寺寺光廣況○;七聲 ■□耳■○○○○,二聲 寺寺寺寺丁井亙○;■□二■○○○○,寺寺寺寺兄永瑩○;■莊震■○○○○,寺寺寺寺千典旦○;十一音 ■乍□■○○○○,九音 寺寺寺寺元犬半○;七聲 ■叉赤■○○○○,三聲 寺寺寺寺臣引艮○;■崇辰■○○○○,寺寺寺寺君允巽○。

右半は別に一図「開音濁和律二之九」を起し、水火音第九音の代表字「寺」を以て和とし、頭より配を起す。正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」――各行の末位の「○」は皆有声無字なり。左半はなお「平声翕唱呂二之七」の内に在り、第七声の「○」を以て唱とし、正音第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手□」「■土石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」を配す。「□」は有音無字、「■」は無音の位なり。第十音は他図に「■士石■」と作す。音九以下の諸類は字最も少なく、一行の中に往々ただ一二字を存するのみ、其余は尽く「□」「■」なり。右列の「多可个舌」の一行は四位俱全なり――平声は「多」、上声は「可」、去声は「个」、入声は「舌」にして、最もよく声図の四声を以て一行と為すの排法を見るべし。

■卓中■○○○○,寺寺寺寺刀早孝嶽;十二音 ■宅直■○○○○,九音 寺寺寺寺毛寶報霍;七聲 ■拆丑■○○○○,四聲 寺寺寺寺牛斗奏六;■茶呈■○○○○,寺寺寺寺○○○玉。

「平声翕唱呂二之七」はここに至りて收尾す。左半は第七声の「○」を以て唱とし、配して上は正音第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」――四行の首位は皆「■」にして、この位に音なきを標明す。右半はなお「開音濁和律二之九」にして、「寺」を以て和とし、正声第四声の四行「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を配す。末の一行は前三位を「○」と作す――この一等はただ入声の「玉」のみなお擧ぐべき字あり、平上去の三位は声位あれども字なしを言うなり。

声音唱和図・平声翕唱呂二之八

平聲翕唱呂二之八:古甲九癸●●●●,寺寺寺寺妻子四日;一音 □□近揆●●●●,九音 寺寺寺寺衰○帥骨;八聲 坤巧丘棄●●●●,五聲 寺寺寺寺○○○德;□□乾蚪●●●●,寺寺寺寺龜水貴北;黑花香血●●●●,寺寺寺寺宮孔眾○;二音 黃華雄賢●●●●,九音 寺寺寺寺龍甬用○;八聲 五瓦仰□●●●●,六聲 寺寺寺寺魚鼠去○;吾牙月堯●●●●,寺寺寺寺烏虎兔○;安亞乙一●●●●,寺寺寺寺心審禁○;三音 □爻壬寅●●●●,九音 寺寺寺寺○○○十;八聲 母馬美米●●●●,七聲 寺寺寺寺男坎欠○;目貌眉民●●●●,寺寺寺寺○○○妾。

「平声翕唱呂二之八」は別に一図を起す。この図の唱する所は日月声の第八声にして、第八声はもとより発すべき声なし。ゆえに通図皆「●●●●」を以てこれに当て、「●」は正しく「此の位に声なし」の記号なり。それは順次正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」と相配す。その中の「□」は音位あれども字なきなり。右半はなお「開音濁和律二之九」に属し、「寺」を以て和とし、正声第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。邵雍の例に按ずるに、十声の中は前の七声は声あり、後の三声は声なし。十二音の中は前の九音は音あり、後の三音は音なし。この図の唱する所は已に無声の数に入りて、しかれども十二音の四十八行はなお須く逐一に列出すべし――正しくその格数を存し、無声に因りてその位を廃せざるがためなり。声は地に属して呂と為し、音は天に属して律と為す。ゆえに声唱は下に在り、音和は上に在るなり。

夫法□飛●●●●,寺寺寺寺●●●●;四音 父凡□吠●●●●,九音 寺寺寺寺●●●●;八聲 武晚□尾●●●●,八聲 寺寺寺寺●●●●;文萬□未●●●●,寺寺寺寺●●●●;卜百丙必●●●●,寺寺寺寺●●●●;五音 步白備鼻●●●●,九音 寺寺寺寺●●●●;八聲 普撲品匹●●●●,九聲 寺寺寺寺●●●●;旁排平瓶●●●●,寺寺寺寺●●●●;東丹帝■●●●●,寺寺寺寺●●●●;六音 兌大弟■●●●●,九音 寺寺寺寺●●●●;八聲 土貪天■●●●●,十聲 寺寺寺寺●●●●;同覃田■●●●●,寺寺寺寺●●●●。

「平声翕唱呂二之八」を続く。左半は第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配す。第四音の三行の「□」は有音無字、第六音の末位の「■」は無音の位なり。右半は「開音濁和律二之九」の後半にして、水火音の第九音「寺」を以て和とし、配する所は第八・第九・第十の三声の共十二行にして、全部「●●●●」と書作す。声と音とはここに於て皆空位に落ち、しかれども両々相乗の数はなお計入するを要す――これ正しく邵雍が体数・用数を以て天下の声音の全を推すの用意なり。左列の「夫法□飛」は軽唇の一類、「卜百丙必」は重唇の一類、「東丹帝■」は舌頭の一類にして、毎類四行は皆清・濁・次清・次濁を次と為す。右列の十二行は声もなくまた字もなく、通じて黒圏を以て位を標す。然れども数を推すにはこれらの空位はなお旧に格数と算し、最後に用声・用音を論ずるを待ちて方に一併に減ずるなり。

声音唱和図・開音濁和律二之十

開音濁和律二之十:乃你女■●●●●,■■■■多可個舌;七音 內南年■●●●●,十音 ■■■■禾火化八;八聲 老冷呂■●●●●,一聲 ■■■■開宰愛○;鹿犖離■●●●●,■■■■回每退○;走哉足■●●●●,■■■■良兩向○;八音 自在匠■●●●●,十音 ■■■■光廣況○;八聲 草采七■●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;曹才全■●●●●,■■■■兄永瑩○;思三星■●●●●,■■■■千典旦○;九音 寺□象■●●●●,十音 ■■■■元犬半○;八聲 □□□■●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;□□□■●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音濁和律二之十」を起す。この一図の和する所は水火音の第十音にして、第十音は正音の格局の中に并せて実音なし。ゆえに通図「■■■■」を以て位を充て、「■」はすなわち「此の位に音なし」なり。それは順次正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声翕唱呂二之八」の内に在り、第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」を配す。右列の第一声の四行は正しく同一声類の四等にして、行内の四字は平・上・去・入を序と為す。左列の第九音はただ前の二行のみ字を存し、後の二行「□□□■」は通行皆闕なり――以て見るべし、愈々歯音・正歯の一系に至るほど、擧げうる字は愈々少なし。

■山手■●●●●,■■■■刀早孝嶽;十音 ■士石■●●●●,十音 ■■■■毛寶報霍;八聲 ■□耳■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;■□二■●●●●,■■■■□□□玉;■莊震■●●●●,■■■■妻子四日;十一音 ■乍□■●●●●,十音 ■■■■衰○帥骨;八聲 ■叉赤■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;■崇辰■●●●●,■■■■龜水貴北;■卓中■●●●●,■■■■宮孔眾○;十二音 ■宅直■●●●●,十音 ■■■■龍甬用○;八聲 ■拆丑■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;■茶呈■●●●●,■■■■烏虎兔○。

「平声翕唱呂二之八」はここに至りて終篇す。左半は第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。この三類の正音の首位は全て無音の「■」にして、ただ中間の両位に字を存すのみ。右半は「開音濁和律二之十」に属し、無音の「■」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「□□□玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配す。第四声の末行は他図に「○○○玉」と作るが、此処は「□□□玉」と刻す。第十音以下の三類は首位皆音なし、存する所は過ず中間の両字のみ――前の九音の四位俱に備わる者と大いに異なり。右列の「妻子四日」の一行は平声は「妻」、上声は「子」、去声は「四」、入声は「日」にして、四声俱全なり――正しく左列の疎落と相照らすべし。

声音唱和図・平声翕唱呂二之九

平聲翕唱呂二之九:古甲九癸●●●●,■■■■心審禁○;一音 □□近揆●●●●,十音 ■■■■○○○十;九聲 坤巧丘棄●●●●,七聲 ■■■■男坎欠○;□□乾蚪●●●●,■■■■○○○妾;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音 黃華雄賢●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 五瓦仰□●●●●,八聲 ■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●;安亞乙一●●●●,■■■■●●●●;三音 □爻壬寅●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 母馬美米●●●●,九聲 ■■■■●●●●;目貌眉民●●●●,■■■■●●●●。

「平声翕唱呂二之九」は別に起る。唱する所は日月声の第九声にして、この声もまた有位而無声に属す。ゆえに一律に「●●●●」と書作す。それは順次正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」と相配す。右半は「開音濁和律二之十」の後段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、先ず正声第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。その中の「○」は声位あれども字なきなり。再び第八声・第九声の共八行を配し、皆「●●●●」と作す――これは声位其のものが立たざるなり。声図は一図の内に唱する者はただ一声、和する者は則ち十二音四十八行。音図は一図の内に和する者はただ一音、唱する者は則ち十声四十行。両図の行数は等しからず――正に正声は十類にして正音は十二類なるに因る。右列の「○○○十」「○○○妾」はただ入声のみ字あり、其余の三位は空く懸かり、皆「○」を以て位を存す。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音 父凡□吠●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 武晚□尾●●●●,十聲 ■■■■●●●●;文萬□未●●●●,■■■■●●●●。

なお「平声翕唱呂二之九」なり。第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第四音の四行「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を配す。四行の第三位は多く「□」と作す――この音位あれども当てる字なきなり。右半は「開音濁和律二之十」の末段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第十声の四行を配す。四行もまた全て「●●●●」なり。ここに至りて第十音の一図は十声四十行を配し畢り、通図に擧ぐべき一字もなしと雖も、格位はなお旧に占め満つ。

声音唱和図・開音濁和律二之十一

開音濁和律二之十一:卜百丙必●●●●,■■■■多可個舌;五音 步白備鼻●●●●,十一音 ■■■■禾火化八;九聲 普撲品匹●●●●,一聲 ■■■■宰愛○;旁排平瓶●●●●,■■■■回每退○;東丹帝■●●●●,■■■■良兩向○;六音 兌大弟■●●●●,十一音 ■■■■光廣況○;九聲 土貪天■●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;同覃田■●●●●,■■■■兄永瑩○;乃你女■●●●●,■■■■千典旦○;七音 內南年■●●●●,十一音 ■■■■元犬半○;九聲 老冷呂■●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;唐犖離■●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音濁和律二之十一」を起し、水火音の第十一音を以て和とす。この音も同じく指すべき実音なし。ゆえに「■■■■」と書作す。配する所は正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。第一声の第三行は他図に「開宰愛○」と作るが、此処の底本は「開」字を脱す。左半はなお「平声翕唱呂二之九」に在り、第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「唐犖離■」を配す。末行の「唐」字は他図に「鹿」と作す。第五音「卜百丙必」の一行は重唇の字にして、四位は一等より四等に至るを序と為す。第六音以下の末位は皆「■」にして、存する所はただ三位のみ。右列の第三声「千典旦○」は平声は「千」、上声は「典」、去声は「旦」、入声は位あって字なし。第一声・第二声の諸行の末位もまた多くこのごとし。

走哉足■●●●●,■■■■刀早孝嶽;八音 自在匠■●●●●,十一音 ■■■■毛寶報霍;九聲 草采七■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;曹才全■●●●●,■■■■○○○玉;思三星■●●●●,■■■■妻子四日;九音 寺□象■●●●●,十一音 ■■■■衰○帥骨;九聲 □□□■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;□□□■●●●●,■■■■龜水貴北;■山手■●●●●,■■■■宮孔眾○;十音 ■十石■●●●●,十一音 ■■■■龍甬用○;九聲 ■□耳■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;■□二■●●●●,■■■■烏虎兔○;■莊震■●●●●,■■■■心審禁○。

「平声翕唱呂二之九」を続く。左半は第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■十石■」「■□耳■」「■□二■」を配し、末行は第十一音の頭の一行「■荘震■」に接す。第九音の後二行はただ「□」を余すのみ――有音無字なり。第十音は他図に「■士石■」と作す。右半は「開音濁和律二之十一」に属し、無音の「■■■■」を以て和とし、順次正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。第四声の末行はただ入声のみ字あり、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺く――以て見るべし、同一声類の中にも四等は疎密斉しからず。左列は第十音より起りて首位一律に音なし、前の九音の四位皆立つ者と判然として別あり。これ正しく邵雍の謂う所の、声には辟翕あり、音には清濁あり、各々その位を以て相配するなり。

十一音 ■乍□■●●●●,十一音 ■■■■○○○十;九聲 ■叉赤■●●●●,七聲 ■■■■男坎欠○;■崇辰■●●●●,■■■■○○○妾;■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音 ■宅直■●●●●,十一音 ■■■■●●●●;九聲 ■拆丑■●●●●,八聲 ■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

「平声翕唱呂二之九」はここに至りて配し畢る。左半は第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第十一音の後三行「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半は「開音濁和律二之十一」に属し、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」および第八声の四行「●●●●」を配す。第七声はただ個別の位にのみ字あり、其余は「○」を用いて有声無字を標出す。第八声は則ち声位すらも立たず、一概に「●」を以てこれを充す。

声音唱和図・平声翕唱呂二之十

平聲翕唱呂二之十:古甲九癸●●●●,■■■■●●●●;一音 □□近揆●●●●,十一音 ■■■■●●●●;十聲 坤巧丘棄●●●●,九聲 ■■■■●●●●;□□乾蚪●●●●,■■■■●●●●;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音 黃華雄賢●●●●,十一音 ■■■■●●●●;十聲 五瓦仰□●●●●,十聲 ■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●。

「平声翕唱呂二之十」は別に一図を起す。唱する所は日月声の第十声にして、この声は声もなく字もなく、一概に「●●●●」と書作す。それは先ず正音第一音の四行「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」と相配し、再び第二音の四行「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」と相配す。右半は「開音濁和律二之十一」の收尾にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第九声と第十声の共八行を配し、同じく全て「●●●●」と作す。一図の中に声・音の両辺ともに空し――正しく邵雍の図を立つるは先ず体数の格位を定め、後にその中の有字無字を看るを見るなり。左列の両類の正音は四位俱全、唱位の空声と恰も対照を成す。右列は則ち声と音と両方とも虚設にして、通段に擧ぐべき一字もなし。

声音唱和図・開音濁和律二之十二

開音濁和律二之十二:安亞乙一●●●●,■■■■多可個舌;三音 □爻壬寅●●●●,十二音 ■■■■禾火化八;十聲 母馬美米●●●●,一聲 ■■■■開宰愛○;目貌眉民●●●●,■■■■回每退○;夫法□飛●●●●,■■■■良兩向○;四音 父凡□吠●●●●,十二音 ■■■■光廣況○;十聲 武晚□尾●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;文萬□未●●●●,■■■■兄永瑩○;卜百丙必●●●●,■■■■千典旦○;五音 步白備鼻●●●●,十二音 ■■■■元犬半○;十聲 普撲品匹●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;旁排平瓶●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音濁和律二之十二」を起し、水火音の第十二音を以て和とす。第十二音もまた有位無音に属し、「■■■■」と書作す。配する所は正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。左半はなお「平声翕唱呂二之十」に在り、第十声の「●●●●」を以て唱とし、正音第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」を配す。右列の第一声の四行は順次一等より四等にして、行内の四字は平・上・去・入を序と為す。「多可个舌」はすなわち平は「多」、上は「可」、去は「个」、入は「舌」なり。左列の三類の正音は各々清・濁・次清・次濁を次と為し、軽唇の一類は四行の第三位皆闕なり。第三音は「安」「爻」「母」「目」を以て四行を領し、第四音は「夫」「父」「武」「文」を以て四行を領し、第五音は「卜」「步」「普」「旁」を以て四行を領し――字は皆四位斉備なり。

東丹帝■●●●●,■■■■刀早孝嶽;六音 兌大弟■●●●●,十二音 ■■■■毛寶報霍;十聲 土貪天■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;同覃田■●●●●,■■■■○○○玉;乃你女■●●●●,■■■■妻子四日;七音 內南年■●●●●,十二音 ■■■■衰○帥骨;十聲 老冷呂■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;鹿犖離■●●●●,■■■■龜水貴北;走哉足■●●●●,■■■■宮孔眾○;八音 自在匠■●●●●,十二音 ■■■■龍甬用○;十聲 草采七■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;曹才全■●●●●,■■■■烏虎兔○;思三星■●●●●,■■■■心審禁○。

「平声翕唱呂二之十」を続く。左半は第十声の「●●●●」を以て唱とし、正音第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配し、末行は第九音の首行「思三星■」に接す。この三類の正音は皆ただ前三位のみ字あり、第四位は無音の「■」なり。右半は「開音濁和律二之十二」にして、無音の「■■■■」を以て和とし、順次正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。第四声の「刀早孝岳」は四位俱全、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺き、第六声の四行は則ち末位皆空し――疎密各々異なり。左列の三類は毎類四行、清・濁・次清・次濁を序に依り、末位一概に音なし――正しく舌頭・鼻来・歯頭の三系が邵雍の格の中にただ三等を立つのみなるの故なり。

九音 寺□象■●●●●,十二音 ■■■■○○○十;十聲 □□□■●●●●,七聲 ■■■■男坎欠○;□□□■●●●●,■■■■○○○妾;■山手■●●●●,■■■■●●●●;十音 ■士石■●●●●,十二音 ■■■■●●●●;十聲 ■□耳■●●●●,八聲 ■■■■●●●●;■□二■●●●●,■■■■●●●●;■莊震■●●●●,■■■■●●●●;十一音 ■乍□■●●●●,十二音 ■■■■●●●●;十聲 ■叉赤■●●●●,九聲 ■■■■●●●●;■崇辰■●●●●,■■■■●●●●;■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音 ■宅直■●●●●,十二音 ■■■■●●●●;十聲 ■拆丑■●●●●,十聲 ■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

本図と本篇とは一斉に収束す。左半は「平声翕唱呂二之十」の末段にして、なお第十声の「●●●●」を以て唱とし、正音第九音の後三行「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半は「開音濁和律二之十二」の末段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。統観すれば本篇は、日月の声は十図を立て、水火の音は十二図を立つ。声図は毎図に十二音四十八行を配し、音図は毎図に十声四十行を配す。凡そ字を擧ぐべき者は、声は七類を出でず、音は九類を出でず、其余はただ格位を存するのみ。邵雍は声を以て地に属して日月星辰に配し、音を以て天に属して水火土石に配す。声は下に唱し、音は上に和す。天地の数相乗じて、天下の声音は尽くその中にあり。本篇の末尾の諸図は幾んど全て空位なり。読者は尤もこれを脱文と作して剔去すべからず。四種の記号は各々専ら指す所有り。「○」は声ありて字なし、「●」は并せて声位もまたなし、「□」は音ありて字なし、「■」は并せて音位もまたなし――彼此は混同すべからず。

皇極経世書巻七下・観物篇三十七・声音唱和図

皇極經世書卷七下。觀物篇三十七:日星聲平闢,水土音開清;開丁臣牛○,坤五母武普土;魚男●●●,老草□■■■;日星聲七,下唱地之;水土音九,上和天之;用音一百五十二,是;用聲一百一十二,是;謂平聲闢音。平聲闢;謂開音清聲。開音清;音一千六十四。聲一千八。日星聲平之三辟,水土音開之三清。

《皇極経世書》巻七下、観物篇第三十七。本篇は左右に両図を並列す。左題は「日星声平辟」、右題は「水土音開清」。左図は十声の平声辟位の上の代表字「開」「丁」「臣」「牛」「○」「魚」「男」と三個の「●」を列す――すなわち声一より声十まで、「○」は声位あれども字なし、「●」は声位すらも立たざるなり。右図は十二音の開音清位の上の代表字「坤」「五」「母」「武」「普」「土」「老」「草」「□」と三個の「■」を列す――すなわち音一より音十二まで、「□」は音位あれども字なし、「■」はもとよりこの音なきなり。下の小注は須く左右に分ちて読むべし。左欄は日星の声は実に七類を得、下に在りて地之用音一百五十二と相唱し、これを「平声辟音」と為し、共に一千六十四と言う。右欄は水土の音は実に九類を得、上に在りて天之用声一百一十二と相和し、これを「開音清声」と為し、共に一千八と言う。末の両句は本篇が四組の唱和の中の第三組に属するを標明す。源文は両欄を逐行に鋪き平めたれば、文句は半句一断なり――須く左右に分ちて読むべし。

声音唱和図・平声辟唱呂三之一 開音清和律三之一

平聲闢唱呂三之一,開音清和律三之一:古甲九癸開開開開,坤坤坤坤多可個舌;一音 □□近揆開開開開,一音 坤坤坤坤禾火化八;一聲 坤巧丘棄開開開開,一聲 坤坤坤坤開宰愛○;□□乾蚪開開開開,坤坤坤坤回每退○;黑花香血開開開開,坤坤坤坤良兩向○;二音 黃華雄賢開開開開,一音 坤坤坤坤光廣況○;一聲 五瓦仰□開開開開,二聲 坤坤坤坤丁井亙○;吾牙月堯開開開開,坤坤坤坤兄永瑩○;安亞乙一開開開開,坤坤坤坤千典旦○;三音 □爻壬寅開開開開,一音 坤坤坤坤元犬半○;一聲 母馬美米開開開開,三聲 坤坤坤坤臣引艮○;目貌眉民開開開開,坤坤坤坤君允巽○。

両図は同時に頭を起す。左図「平声辟唱呂三之一」は日星声第一声の平声辟位に在る代表字「開」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。その中の「□」は音位あれども字なきを標出し、「母馬美米」の「馬」はすなわち「马」の正体なり。右図「開音清和律三之一」は水土音第一音の代表字「坤」を以て和とし、正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す――行末の「○」は有声無字なり。声は下に在りて呂に属して唱を主り、音は上に在りて律に属して相和す。一唱一和――正しく「声音唱和」の名を立つるの由なり。音図は毎類四行にして清・濁・次清・次濁を分ち、行内の四字は一等より四等に至る。声図は毎行四字にして平声より入声に至る。両図の行数は等しからず――声図は凡そ四十八行にして音図は凡そ四十行なり。

夫法□飛開開開開,坤坤坤坤刀早孝嶽;四音 父凡□吠開開開開,一音 坤坤坤坤毛寶報霍;一聲 武晚□尾開開開開,四聲 坤坤坤坤牛斗奏六;文萬□未開開開開,坤坤坤坤○○○玉;卜百丙必開開開開,坤坤坤坤妻子四日;五音 步白備鼻開開開開,一音 坤坤坤坤衰○帥骨;一聲 普撲品匹開開開開,五聲 坤坤坤坤○○○德;旁排平瓶開開開開,坤坤坤坤龜水貴北;東丹帝■開開開開,坤坤坤坤宮孔眾○;六音 兌大弟■開開開開,一音 坤坤坤坤龍甬用○;一聲 土貪天■開開開開,六聲 坤坤坤坤魚鼠去○;同覃田■開開開開,坤坤坤坤烏虎兔○;乃你女■開開開開,坤坤坤坤心審禁○。

「平声辟唱呂三之一」を続く。左半は第一声の「開」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」に接す。第四音の「□」は有音無字、第六・第七音の末位の「■」は無音の位なり。右半は「開音清和律三之一」を続け、水土音第一音「坤」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。第四声の末等はただ入声の「玉」のみ字あり、第五声の第二等は上声字なし――皆「○」を以て位を存す。本段は左右各々十三行にして、皆一図の中段に当たる。左列に擧ぐる夫・卜・東の三類は分かちて軽唇・重唇・舌頭に属し、各々四行を以てその清濁を別つ。

七音 內南年■開開開開,一音 坤坤坤坤○○○十;一聲 老冷呂■開開開開,七聲 坤坤坤坤男坎欠○;鹿犖離■開開開開,坤坤坤坤○○○妾;走哉足■開開開開,坤坤坤坤●●●●;八音 自在匠■開開開開,一音 坤坤坤坤●●●●;一聲 草采七■開開開開,八聲 坤坤坤坤●●●●;曹才全■開開開開,坤坤坤坤●●●●;思三星■開開開開,坤坤坤坤●●●●;九音 寺□象■開開開開,一音 坤坤坤坤●●●●;一聲 □□□■開開開開,九聲 坤坤坤坤●●●●;□□□■開開開開,坤坤坤坤●●●●;■山手■開開開開,坤坤坤坤●●●●;十音 ■士石■開開開開,一音 坤坤坤坤●●●●;一聲 ■□耳■開開開開,十聲 坤坤坤坤●●●●;■□二■開開開開,坤坤坤坤●●●●。

「平声辟唱呂三之一」と「開音清和律三之一」とはここに同時に大半を収束す。左半はなお第一声の「開」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配す。第九音の後二行は音位あれども通行に字なし、ゆえに連ねて三つの「□」を書す。第十音の首位は音なしにして「■」と作す。右半は水土音第一音「坤」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。声図の数――正声は十類、毎類四行四位、共に一百六十位。無声の者を除きて実用は一百一十二。音図の数――正音は十二類、共に一百九十二位。無音の者を除きて実用は一百五十二。篇首の謂う所の「日星声七、下に地之用音一百五十二を唱う」「水土音九、上に天之用声一百一十二を和す」は、すなわちこの二数を指す。「平声辟音一千六十四」「開音清声一千八」は、正しく七に一百五十二を乗じ、九に一百一十二を乗じて得たる所なり。

声音唱和図・開音清和律三之二

開音清和律三之二:■莊震■開開開開,五五五五多可個舌;十一音 ■乍□■開開開開,二音 五五五五禾火化八;一聲 ■叉赤■開開開開,一聲 五五五五開宰愛○;■崇辰■開開開開,五五五五回每退○;■卓中■開開開開,五五五五良兩向○;十二音 ■宅直■開開開開,二音 五五五五光廣況○;一聲 ■拆丑■開開開開,二聲 五五五五丁井亙○;■茶呈■開開開開,五五五五兄永瑩○。

右半は別に「開音清和律三之二」を起し、水土音第二音の代表字「五」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」と第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」を配す。左半は則ち「平声辟唱呂三之一」の最後の八行にして、なお第一声の「開」を以て唱とし、正音第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。両類の正音は首位皆「■」、末位はあるいは「■」あるいは「□」――以て見るべし、荘・卓の一系は邵雍の格の中にただ中間の両等を占むるのみ。ここに至りて「開」を以て唱と為す一図は十二音四十八行を配し足る。荘・卓の両系は中古に正歯と舌上の音に属し、この格はただ第二・第三の両等を立つ。ゆえに首末の両位は皆「■」を書す。

声音唱和図・平声辟唱呂三之二

平聲闢唱呂三之二:古甲九癸丁丁丁丁,五五五五千典旦○;一音 □□近揆丁丁丁丁,二音 五五五五元犬半○;二聲 坤巧丘棄丁丁丁丁,三聲 五五五五臣引艮○;□□乾蚪丁丁丁丁,五五五五君允巽○;黑花香血了丁丁丁,五五五五刀早孝嶽;二音 黃華雄賢丁丁丁丁,二音 五五五五毛寶報霍;二聲 五瓦仰□丁丁丁丁,四聲 五五五五牛斗奏六;吾牙月堯丁丁丁丁,五五五五○○○玉;安亞乙一丁丁丁了,五五五五妻子四日;三音 □爻壬寅丁丁丁丁,二音 五五五五衰○帥骨;二聲 母馬美米丁丁丁丁,五聲 五五五五○○○德;目貌眉民丁丁丁丁,五五五五龜水貴北。

「平声辟唱呂三之二」は別に起り、日星声第二声の平声辟位に在る代表字「丁」を以て唱とし、順次正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。「黒花香血」の行首と「安亜乙一」の行末の唱字は、底本は誤りて「了」と刻す――実はすなわち「丁」字なり。右半はなお「開音清和律三之二」にして、水土音第二音「五」を以て和とし、正声第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」を配す。右列の第三声「千典旦○」は平声は「千」、上声は「典」、去声は「旦」、入声は位あって字なし。第四声「刀早孝岳」は四位俱全、第五声「衰○帥骨」は上声を缺く。左列の三類の正音は各々四行にして、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。

夫法□飛丁丁丁丁,五五五五宮孔眾○;四音 父凡□吠丁丁丁丁,二音 五五五五龍甬用○;二聲 武晚□尾丁丁丁丁,六聲 五五五五魚鼠去○;文萬□未丁丁丁丁,五五五五烏虎兔○;卜百丙必丁丁丁丁,五五五五心審禁○;五音 步白備鼻丁丁丁丁,二音 五五五五○○○十;二聲 普撲品匹丁丁丁丁,七聲 五五五五男坎欠○;旁排平瓶丁丁丁丁,五五五五○○○妾;東丹帝■丁丁丁丁,五五五五●●●●;六音 兌大弟■丁丁丁丁,二音 五五五五●●●●;二聲 土貪天■丁丁丁丁,八聲 五五五五●●●●;同覃田■丁丁丁丁,五五五五●●●●;乃你女■丁丁丁丁,五五五五●●●●。

「平声辟唱呂三之二」を続く。左半は第二声の「丁」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」なり。右半は「開音清和律三之二」に属し、「五」を以て和とし、正声第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。この下の第八声の四行と第九声の首行は皆「●●●●」と作す――無声無字の位なり。第六・第七声の各行の末位の「○」は則ちこの声位あれども擧ぐべき字なきなり。左列の第四音は軽唇に属し、第五音は重唇に属し、第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属す。第六音より以下は毎行の第四位一律に音なし、ゆえに「■」を書す。右列の第六声は四行の末位皆「○」にして、第七声は則ちただ「心」「審」「禁」「十」「男」「坎」「欠」「妾」の諸位のみ字あり、其余は空く懸かる。両声の疎密の異なるは此に於て見るべし。

七音 內南年■丁丁丁丁,二音 五五五五●●●●;二聲 老冷呂■丁丁丁丁,九聲 五五五五●●●●;鹿犖離■丁丁丁丁,五五五五●●●●;走哉足■丁丁丁丁,五五五五●●●●;八音 自在匠■丁丁丁了,二音 五五五五●●●●;二聲 草采七■丁丁丁丁,十聲 五五五五●●●●;曹才全■丁丁丁丁,五五五五●●●●。

なお「平声辟唱呂三之二」に属す。左半は第二声の「丁」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」と第八音の四行「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配す。「自在匠■」の一行の下の唱字の末位は底本また誤りて「了」と作す――なお当に「丁」と読むべし。右半は「開音清和律三之二」の收尾にして、水土音第二音「五」を以て和とし、正声第九声の後三行と第十声の四行を配し、共七行全て「●●●●」と作す。「五」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。

声音唱和図・開音清和律三之三

開音清和律三之三:思三星■丁丁丁丁,母母母母多可個舌;九音 寺□象■丁丁丁丁,三音 母母母母禾火化八;二聲 □□□■丁丁丁丁,一聲 母母母母宰愛○;□□□■丁丁丁丁,母母母母回每退○;■山手■丁丁丁丁,母母母母良兩向○;十音 ■士石■丁丁丁丁,三音 母母母母光廣況○;二聲 ■□耳■丁丁丁丁,二聲 母母母母丁井亙○;■□二■丁丁丁丁,母母母母兄永瑩○;■莊震■丁丁丁丁,母母母母千典旦○;十一音 ■乍□■丁丁丁丁,三音 母母母母元犬半○;二聲 ■叉赤■丁丁丁丁,三聲 母母母母臣引艮○;■崇辰■丁丁丁丁,母母母母君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之三」を起し、水土音第三音の代表字「母」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。第一声の第三行は他図に「開宰愛○」と作るが、此処の底本は「開」字を脱す。左半はなお「平声辟唱呂三之二」に在り、第二声の「丁」を以て唱とし、正音第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」を配す。左列の第九音はただ前の二行のみ字を存し、後の二行「□□□■」は四位の中に三位皆闕なり。第十音以下は首位音なし。右列の第一声の四行は同一声類の四等にして、行内の四字は平・上・去・入を序に依る。「回毎退○」はすなわち平声は「回」、上声は「毎」、去声は「退」、入声は位あって字なし。

■卓中■丁丁丁丁,母母母母刀早孝嶽;十二音 ■宅直■丁丁丁丁,三音 母母母母毛寶報霍;二聲 ■拆丑■丁丁丁丁,四聲 母母母母牛斗奏六;■茶呈■丁丁丁丁,母母母母○○○玉。

「平声辟唱呂三之二」はここに至りて結了す。左半は第二声の「丁」を以て唱とし、正音第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。四行の首位は皆無音の「■」なり。右半は「開音清和律三之三」に属し、水土音第三音「母」を以て和とし、正声第四声の四行「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を配す。末の一行は平上去の三位に声あれども字なし。ゆえに連ねて三つの「○」を書し、ただ入声の「玉」のみ擧ぐべき字あり。

声音唱和図・平声辟唱呂三之三

平聲闢唱呂三之三:古甲九癸臣臣臣臣,母母母母妻子四日;一音 □□近揆臣臣臣臣,三音 母母母母衰○帥骨;三聲 坤巧丘棄臣臣臣臣,五聲 母母母母○○○德;□□乾蚪臣臣臣臣,母母母母龜水貴北;黑花香血臣臣臣臣,母母母母宮孔眾○;二音 黃華雄賢臣臣臣臣,三音 母母母母龍甬用○;三聲 五瓦仰□臣臣臣臣,六聲 母母母母魚鼠去○;吾牙月堯臣臣臣臣,母母母母烏虎兔○;安亞乙一臣臣臣臣,母母母母心審禁○;三音 □爻壬寅臣臣臣臣,三音 母母母母○○○十;三聲 母馬美米臣臣臣臣,七聲 母母母母男坎欠○;目貌眉民臣臣臣臣,母母母母○○○妾。

「平声辟唱呂三之三」は別に一図を起し、日星声第三声の平声辟位に在る代表字「臣」を以て唱とし、順次正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。その中の「□」は音位あれども字なきなり。右半はなお「開音清和律三之三」にして、水土音第三音「母」を以て和とし、正声第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。諸行の「○」の処は皆有声にして字なし。声図と音図は両欄並列するといえども、其の実各々自ら篇を成す。左欄は一声唱して十二音四十八行が畢と和し、右欄は一音和して十声四十行が畢と唱す。源文は行を逐うて鋪き平めたれば、読むときは須く左右に分ちて看るべし。右列の第五声「妻子四日」は四位俱全にして、平声は「妻」、上声は「子」、去声は「四」、入声は「日」なり。第六声は四行の末位皆空しく、第七声は則ち半数は字あり。

夫法□飛臣臣臣臣,母母母母●●●●;四音 父凡□吠臣臣臣臣,三音 母母母母●●●●;三聲 武晚□尾臣臣臣臣,八聲 母母母母●●●●;文萬□未臣臣臣臣,母母母母●●●●;卜百丙必臣臣臣臣,母母母母●●●●;五音 步白備鼻臣臣臣臣,三音 母母母母●●●●;三聲 普撲匹品臣臣臣臣,九聲 母母母母●●●●;旁排平瓶臣臣臣臣,母母母母●●●●;東丹帝■臣臣臣臣,母母母母●●●●;六音 兌大弟■臣臣臣臣,三音 母母母母●●●●;三聲 土貪天■臣臣臣臣,十聲 母母母母●●●●;同覃田■臣臣臣臣,母母母母●●●●。

「平声辟唱呂三之三」を続く。左半は第三声の「臣」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑匹品」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配す。第五音の第三行は他図に「普扑品匹」と作るが、此処の底本は「品」「匹」の二字互いに倒る。右半は「開音清和律三之三」の後段にして、「母」を以て和とし、正声第八・第九・第十の三声の共十二行を配し、全て「●●●●」と作す。この三声は邵雍の格局の里に本より発すべき声なく、如何なる一音と相和するともただ空位たるを得ず。然れどもその格はなお須く列出すべし――声音相乗の数をして虧けざらしめんがためなり。左列の第四音は軽唇に属し、四行の第三位は皆「□」。第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、末位は音なし。後三声の数は虚なれども、なお先ず格に列入して、用声を推するを待ちて乃ち減除するを行う――これ邵雍の先ず体数を立て後に用数を取るの通例にして、その字なきを以て刪るべからず。

声音唱和図・開音清和律三之四

開音清和律三之四:乃你女■臣臣臣臣,武武武武多可個舌;七音 內南年■臣臣臣臣,四音 武武武武禾火化八;三聲 老冷呂■臣臣臣臣,一聲 武武武武開宰愛○;鹿犖離■臣臣臣臣,武武武武回每退○;走哉足■臣臣臣臣,武武武武良兩向○;八音 自在匠■臣臣臣臣,四音 武武武武光廣況○;三聲 草采七■臣臣臣臣,二聲 武武武武丁井亙○;曹才全■臣臣臣臣,武武武武兄永瑩○;思三星■臣臣臣臣,武武武武千典旦○;九音 寺□象■臣臣臣臣,四音 武武武武元犬半○;三聲 □□□■臣臣臣臣,三聲 武武武武臣引艮○;□□□■臣臣臣臣,武武武武君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之四」を起し、水土音第四音の代表字「武」を以て和とし、正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声辟唱呂三之三」に在り、第三声の「臣」を以て唱とし、正音第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」を配す。この三類の正音の第四位は一律に「■」と作す――此の位に音なきなり。第九音の後二行はさらに音位あれども通行に字なし、ゆえに連ねて三つの「□」を書す。右列の第二声「良両向○」は平声は「良」、上声は「両」、去声は「向」、入声は字なし。第三声の「臣引艮○」も同例なり。左列の三類の正音は各々四行にして、なお清・濁・次清・次濁を以て相次ぎ、行内の四字は一等より四等に至りて排列す。

■山手■臣臣臣臣,武武武武刀早孝嶽;十音 ■士石■臣臣臣臣,四音 武武武武毛寶報霍;三聲 ■□耳■臣臣臣臣,四聲 武武武武牛斗奏六;■□二■臣臣臣臣,武武武武○○○玉;■莊震■臣臣臣臣,武武武武妻子四日;十一音 ■乍□■臣臣臣臣,四音 武武武武衰○帥骨;三聲 ■叉赤■臣臣臣臣,五聲 武武武武○○○德;■崇辰■臣臣臣臣,武武武武龜水貴北;■卓中■臣臣臣臣,武武武武宮孔眾○;十二音 ■宅直■臣臣臣臣,四音 武武武武龍甬用○;三聲 ■拆丑■臣臣臣臣,六聲 武武武武魚鼠去○;■茶呈■臣臣臣臣,武武武武烏虎兔○。

「平声辟唱呂三之三」はここに至りて配し畢る。左半は第三声の「臣」を以て唱とし、正音第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。この三類の正音の首位は皆無音の「■」なり。右半は「開音清和律三之四」に属し、水土音第四音「武」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配す。左列は第十音より起りて、四類の正音の存する所は過ず中間の両字のみ、末位はあるいは存しあるいは闕す――前の九音の四位斉備なる者と大いに同じからず。一図の中に字ある者と空位なる者と相間なるは、正しく邵雍の格を立つるの本相なり。右列の第四声の末行「○○○玉」はただ入声のみ字あり、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆空し。

声音唱和図・平声辟唱呂三之四

平聲闢唱呂三之四:古甲九癸牛牛牛牛,武武武武心審禁○;一音 □□近揆牛牛牛牛,四音 武武武武○○○十;四聲 坤巧丘棄牛牛牛牛,七聲 武武武武男坎欠○;□□乾蚪牛牛牛牛,武武武武○○○妾;黑花香血牛牛牛牛,武武武武●●●●;二音 黃華雄賢牛牛牛牛,四音 武武武武●●●●;四聲 五瓦仰□牛牛牛牛,八聲 武武武武●●●●;吾牙月堯牛牛牛牛,武武武武●●●●;安亞乙一牛牛牛牛,武武武武●●●●;三音 □爻壬寅牛牛牛牛,四音 武武武武●●●●;四聲 母馬美未牛牛牛牛,九聲 武武武武●●●●;目貌眉民牛牛牛牛,武武武武●●●●。

「平声辟唱呂三之四」は別に起り、日星声第四声の平声辟位に在る代表字「牛」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美未」「目貌眉民」を配す。第三音の第三行は他図に「母馬美米」と作るが、此処は「米」を誤りて「未」と刻す。右半は「開音清和律三之四」に属し、「武」を以て和とし、正声第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九の両声の共八行「●●●●」を配す。前者は声位あれども字なし、後者は声位其のものが立たざるなり。左列の第一音は牙音に属し、第二音は喉牙の濁音に属し、第三音は影喻と唇鼻の一系に属す。毎類四行は清・濁・次清・次濁を分ち、行内の四字は一等より四等に至る。「□□近揆」「□□乾蚪」の両行は前の二位皆闕なり――その音位あれども世にその字なきなり。右列の第七声は八位の中にただ五位のみ字あり、第八・第九の両声は則ち通行に声なし。一図ここに至りて已に尾声に近し。

夫法□飛牛牛牛牛,武武武武●●●●;四音 父凡□吠牛牛牛牛,四音 武武武武●●●●;四聲 武晚□尾牛牛牛牛,十聲 武武武武●●●●;文萬□未牛牛牛牛,武武武武●●●●。

なお「平声辟唱呂三之四」にして、第四声の「牛」を以て唱とし、正音第四音の四行「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を配す。四行の第三位は皆「□」と作す――この一等に音位あれども擧ぐべき字なきを示す。右半は「開音清和律三之四」の末段にして、水土音第四音「武」を以て和とし、正声第十声の四行を配し、皆「●●●●」と作す。ここに至りて「武」を以て和と為す一図は十声四十行を配し足る。

声音唱和図・開音清和律三之五

開音清和律三之五:卜百丙必牛牛牛牛,普普普普多可個舌;五音 步白備鼻牛牛牛牛,五音 普普普普禾火化八;四聲 普撲品匹牛牛牛牛,一聲 普普普普開宰愛○;旁排平瓶牛牛牛牛,普普普普回每退○;東丹帝■牛牛牛牛,普普普普良兩向○;六音 兌大弟■牛牛牛牛,五音 普普普普光廣況○;四聲 土貪天■牛牛牛牛,二聲 普普普普丁井亙○;同覃田■牛牛牛牛,普普普普兄永瑩○;乃你女■牛牛牛牛,普普普普千典旦○;七音 內南年■牛牛牛牛,五音 普普普普元犬半○;四聲 老冷呂■牛牛牛牛,三聲 普普普普臣引艮○;鹿犖離■牛牛牛牛,普普普普君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之五」を起し、水土音第五音の代表字「普」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声辟唱呂三之四」に在り、第四声の「牛」を以て唱とし、正音第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」を配す。第六・第七音の末位の「■」は無音の位なり。右列のこの十二行は「普」音と十声との相和の起手にして、行内の四字は平・上・去・入を序に依る。「多可个舌」はすなわち平は「多」、上は「可」、去は「个」、入は「舌」なり。左列の第五音は重唇に属し、四行四位俱全。第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、両類の末位皆音なく、ただ前三等を立つのみ。

走哉足■牛牛牛牛,普普普普刀早孝嶽;八音 自在匠■牛牛牛牛,五音 普普普普毛寶報霍;四聲 草采七■牛牛牛牛,四聲 普普普普牛斗奏六;曹才全■牛牛牛牛,普普普普○○○玉;思三星■牛牛牛牛,普普普普妻子四日;九音 寺□象■牛牛牛牛,五音 普普普普衰○帥骨;四聲 □□□■牛牛牛牛,五聲 普普普普○○○德;□□□■牛牛牛牛,普普普普龜水貴北;■山手■牛牛牛牛,普普普普宮孔眾○;十音 ■士石■牛牛牛牛,五音 普普普普龍甬用○;四聲 ■□耳■牛牛牛牛,六聲 普普普普魚鼠去○;■□二■牛牛牛牛,普普普普烏虎兔○;■莊震■牛牛牛牛,普普普普心審禁○。

「平声辟唱呂三之四」を続く。左半は第四声の「牛」を以て唱とし、正音第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配し、末行は第十一音の首行「■荘震■」に接す。第九音の後二行はただ「□」のみ見ゆ――音位あれども字なきなり。第十音以下は首位皆「■」――此の位に音なきなり。右半は「開音清和律三之五」に属し、水土音第五音「普」を以て和とし、順次正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。第四声の末行はただ入声の「玉」のみ字あり、第五声は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆「○」なり。左列の第八音は歯頭に属し、第九音は歯頭の擦音に属し、第十音は正歯と日母の一系に属す――字は愈々後に往くほど愈々疎なり。

十一音 ■乍□■牛牛牛牛,五音 普普普普○○○十;四聲 ■叉赤■牛牛牛牛,七聲 普普普普男坎欠○;■崇辰■牛牛牛牛,普普普普○○○妾;■卓中■牛牛牛牛,普普普普●●●●;十二音 ■宅直■牛牛牛牛,五音 普普普普●●●●;四聲 ■拆丑■牛牛牛牛,八聲 普普普普●●●●;■茶呈■牛牛牛牛,普普普普●●●●。

「平声辟唱呂三之四」はここに至りて配し畢る。左半は第四声の「牛」を以て唱とし、正音第十一音の後三行「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半はなお「開音清和律三之五」にして、水土音第五音「普」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と第八声の四行「●●●●」を配す。第七声はただ「十」「男」「坎」「欠」「妾」の諸位のみ擧ぐべき字あり、余する者は「○」を以てその声位を存し、第八声は則ち声位すらも立たず。

声音唱和図・平声辟唱呂三之五

平聲闢唱呂三之五:古甲九癸○○○○,普普普普●●●●;一音 □□近揆○○○○,五音 普普普普●●●●;五聲 坤巧丘棄○○○○,九聲 普普普普●●●●;□□乾蚪○○○○,普普普普●●●●;黑花香血○○○○,普普普普●●●●;二音 黃華雄賢○○○○,五音 普普普普●●●●;五聲 五瓦仰□○○○○,十聲 普普普普●●●●;吾牙月堯○○○○,普普普普●●●●。

「平声辟唱呂三之五」は別に一図を起す。唱する所は日星声の第五声にして、この声は平声辟位の上に声あれども字なし。ゆえに唱位は一律に「○○○○」と書作す。それは先ず正音第一音の四行「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」を配し、再び第二音の四行「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」を配す。右半は「開音清和律三之五」の收尾にして、水土音第五音「普」を以て和とし、正声第九声と第十声の共八行を配し、全て「●●●●」と作す。「普」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。唱位は字なしと雖も、その声位はなお在り。ゆえに十二音四十八行と一々相配す。左列の両類の正音は四位大体斉備して、唱位の空と正に対照を成す。読者はその字なきに因りて略過すべからず。

声音唱和図・開音清和律三之六

開音清和律三之六:安亞乙一○○○○,土土土土多可個舌;三音 母馬美米○○○○,六音 土土土土禾火化八;五聲 □爻壬寅○○○○,一聲 土土土土開宰愛○;目貌眉民○○○○,土土土土回每退○;夫法□飛○○○○,土土土土良兩向○;四音 父凡□吠○○○○,六音 土土土土光廣況○;五聲 武晚□尾○○○○,二聲 土土土土丁井亙○;文萬□未○○○○,土土土土兄永瑩○;卜百丙必○○○○,土土土土千典旦○;五音 步白備鼻○○○○,六音 土土土土元犬半○;五聲 普撲品匹○○○○,三聲 土土土土臣引艮○;旁排平瓶○○○○,土土土土君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之六」を起し、水土音第六音の代表字「土」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声辟唱呂三之五」に在り、第五声のあの声あって字なき「○」を以て唱とし、正音第三音「安亜乙一」「母馬美米」「□爻壬寅」「目貌眉民」、第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」を配す。第三音は他図の次序は「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」と作るが、此処は中間の両行互いに倒る。右列のこの十二行の四字は皆平・上・去・入を序に依る。左列の三類は各々四行にして、清・濁・次清・次濁を次に依る。「夫法□飛」の一類は第三位皆闕――軽唇の音はこの等に字なきなり。

東丹帝■○○○○,土土土土刀早孝嶽;六音 兌大弟■○○○○,六音 土土土土毛寶報霍;五聲 土貪天■○○○○,四聲 土土土土牛斗奏六;同覃田■○○○○,土土土土○○○玉;乃你女■○○○○,土土土土妻子四日;七音 內南年■○○○○,六音 土土土土衰○帥骨;五聲 老冷呂■○○○○,五聲 土土土土○○○德;鹿犖離■○○○○,土土土土龜水貴北;走哉足■○○○○,土土土土宮孔眾○;八音 自在匠■○○○○,六音 土土土土龍甬用○;五聲 草采七■○○○○,六聲 土土土土魚鼠去○;曹才全■○○○○,土土土土烏虎兔○;思三星■○○○○,土土土土心審禁○。

「平声辟唱呂三之五」を続く。左半は第五声の「○」を以て唱とし、正音第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配し、末行は第九音の首行「思三星■」に接す。これらの類の正音の第四位は一概に無音の「■」なり。右半は「開音清和律三之六」に属し、「土」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列は第六音より以下毎行の第四位は一律に「■」を書す――舌頭・鼻来・歯頭の三系はこの格にただ三等を立つのみ。右列の第四声の末行はただ入声の「玉」のみ字あり、第五声の第二行は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆空し――以て見るべし、同じく声ある類なれども、四等の疎密もまた各々同じからざるを。

九音 寺□象■○○○○,六音 土土土土○○○十;五聲 □□□■○○○○,七聲 土土土土男坎欠○;□□□■○○○○,土土土土○○○妾;■山手■○○○○,土土土土●●●●;十音 ■士石■○○○○,六音 土土土土●●●●;五聲 ■□耳■○○○○,八聲 土土土土●●●●;■□二■○○○○,土土土土●●●●;■莊震■○○○○,土土土土●●●●;十一音 ■乍□■○○○○,六音 土土土土●●●●;五聲 ■叉赤■○○○○,九聲 土土土土●●●●;■崇辰■○○○○,土土土土●●●●;■卓中■○○○○,土土土土●●●●;十二音 ■宅直■○○○○,六音 土土土土●●●●;五聲 ■拆丑■○○○○,十聲 土土土土●●●●;■茶呈■○○○○,土土土土●●●●。

「平声辟唱呂三之五」と「開音清和律三之六」とは同時に収束す。左半は第五声の「○」を以て唱とし、正音第九音の後三行「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半は水土音第六音「土」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。本段は左列十五行・右列十五行にして、全書の中で空位最も密なる一段なり。声図の空は両種に分かつ。「○」は声ありて字なし、「●」は并せて声位もまたなし。音図の空もまた両種に分かつ。「□」は音ありて字なし、「■」は并せて音位もまたなし。四号は各々指す所有り。混同すべからず、さらに脱文と視るべからず。邵雍がこの四号を立つるは、正しく彼の定めたる格局の中に理はその位あれども世にその音なき所在を標出せんがためなり。元会運世の数と日月星辰・水火土石の配とは、皆この満格の体数に憑りて推算す。ゆえに空位と実字とは同等に重要なり。この段は唱する者はもと字なく、和する者の対する所もまた多くは空声なり。通段に幾んど一個の実読の音節を見ず。

声音唱和図・平声辟唱呂三之六 開音清和律三之七

平聲闢唱呂三之六,開音清和律三之七:古甲九癸魚魚魚魚,老老老老多可個舌;一音 □□近揆魚魚魚魚,七音 老老老老禾火化八;六聲 坤巧丘棄魚魚魚魚,一聲 老老老老開宰愛○;□□乾蚪魚魚魚魚,老老老老回每退○;黑花香血魚魚魚魚,老老老老良兩向○;二音 黃華雄賢魚魚魚魚,七音 老老老老光廣況○;六聲 五瓦仰□魚魚魚魚,二聲 老老老老丁井亙○;吾牙月堯魚魚魚魚,老老老老兄永瑩○;安亞乙一魚魚魚魚,老老老老千典旦○;三音 □爻壬寅魚魚魚魚,七音 老老老老元犬半○;六聲 母馬美米魚魚魚魚,三聲 老老老老臣引艮○;目貌眉民魚魚魚魚,老老老老君允巽○。

両図は同時に別に起る。左図「平声辟唱呂三之六」は日星声第六声の平声辟位に在る代表字「魚」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右図「開音清和律三之七」は水土音第七音の代表字「老」を以て和とし、正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。両図の編次は并せて同歩ならず――左図は第六に数え至り、右図は已に第七に数え至る。正に声はただ十類にして音は十二類あるに因る。音図は毎類四行に清・濁・次清・次濁を分ち、声図は毎行四字に平・上・去・入を分つ。「回毎退○」はすなわち平は「回」、上は「毎」、去は「退」、入声は位あって字なし。「魚」は日星声第六声の平声辟位の字、「老」は水土音第七音の開音清位の字――両者各々その欄に拠り、相い統属せず。

夫法□飛魚魚魚魚,老老老老刀早孝嶽;四音 父凡□吠魚魚魚魚,七音 老老老老毛寶報霍;六聲 武晚□尾魚魚魚魚,四聲 老老老老牛斗奏六;文萬□未魚魚魚魚,老老老老○○○玉;卜百丙必魚魚魚魚,老老老老妻子四日;五音 步白備鼻魚魚魚魚,七音 老老老老衰○帥骨;六聲 普撲品匹魚魚魚魚,五聲 老老老老○○○德;旁排平瓶魚魚魚魚,老老老老龜水貴北;東丹帝■魚魚魚魚,老老老老宮孔眾○;六音 兌大弟■魚魚魚魚,七音 老老老老龍甬用○;六聲 土貪天■魚魚魚魚,六聲 老老老老魚鼠去○;同覃田■魚魚魚魚,老老老老烏虎兔○;乃你女■魚魚魚魚,老老老老心審禁○。

上の両図を続く。左半「平声辟唱呂三之六」は第六声の「魚」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」に接す。右半「開音清和律三之七」は「老」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列の第四音は軽唇に属し、四行の第三位皆闕。第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、末位音なし。第七音は鼻来の一系に属し、末位もまた音なし。右列の十二行の中、四位俱全なる者はただ三行のみ。其余はあるいは上声を缺き、あるいは平上去の三位を缺き、皆「○」を以てその声位を存す。本段は左右各々十三行にして、恰も両図の中段に当たる。

七音 內南年■魚魚魚魚,七音 老老老老○○○十;六聲 老冷呂■魚魚魚魚,七聲 老老老老男坎欠○;鹿犖離■魚魚魚魚,老老老老○○○妾;走哉足■魚魚魚魚,老老老老●●●●;八音 自在匠■魚魚魚魚,七音 老老老老●●●●;六聲 草采七■魚魚魚魚,八聲 老老老老●●●●;曹才全■魚魚魚魚,老老老老●●●●;思三星■魚魚魚魚,老老老老●●●●;九音 寺□象■魚魚魚魚,七音 老老老老●●●●;六聲 □□□■魚魚魚魚,九聲 老老老老●●●●;□□□■魚魚魚魚,老老老老●●●●;■山手■魚魚魚魚,老老老老●●●●;十音 ■士石■魚魚魚魚,七音 老老老老●●●●;六聲 ■□耳■魚魚魚魚,十聲 老老老老●●●●;■□二■魚魚魚魚,老老老老●●●●。

左半はなお「平声辟唱呂三之六」に属し、第六声の「魚」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配す。右半は「開音清和律三之七」の收尾にして、水土音第七音「老」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。「老」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。その中に真に擧ぐべき字あるは七声の内を出でず。本段は左列十五行・右列十五行なり。左列の第九音の後二行は四位の中に三位皆闕にして、ただ一つの「□」を余すのみ――以て見るべし、歯頭擦音の一系は邵雍の格の中に字最も擧げ難し。声図の一図は十二音四十八行を配し、音図の一図は十声四十行を配す。両辺の行数等しからず、ゆえに源文は並列して鋪排したる後、同一行の左右両半は往々にして異なる両張の図に分属す。この一部分を読むに、毎行の左右の相属するを求むるを必とせず。ただ各々その欄に随い、「某音」「某声」の標目に依りて順次読み下れば、便ちもとの両張の表に還原すべし。

声音唱和図・開音清和律三之八

開音清和律三之八:■莊震■魚魚魚魚,草草草草多可個舌;十一音 ■乍□■魚魚魚魚,八音 草草草草禾火化八;六聲 ■叉赤■魚魚魚魚,一聲 草草草草開宰愛○;■崇辰■魚魚魚魚,草草草草回每退○;■卓中■魚魚魚魚,草草草草良兩向○;十二音 ■宅直■魚魚魚魚,八音 草草草草光廣況○;六聲 ■拆丑■魚魚魚魚,二聲 草草草草丁井亙○;■茶呈■魚魚魚魚,草草草草兄永瑩○。

右半は別に「開音清和律三之八」を起し、水土音第八音の代表字「草」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」と第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」を配す。左半は則ち「平声辟唱呂三之六」の最後の八行にして、第六声の「魚」を以て唱とし、正音第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。「魚」を以て唱と為す一図はここに至りて十二音四十八行を配し足る。荘・卓の両系はただ中間の両等を立つ、ゆえに諸行の首末皆空し。「草」音は則ち四位俱全――両々相対照して最も分明なり。

声音唱和図・平声辟唱呂三之七

平聲闢唱呂三之七:古甲九癸男男男男,草草草草千典旦○;一音 □□近揆男男男男,八音 草草草草元犬半○;七聲 坤巧丘棄男男男男,三聲 草草草草臣引艮○;□□乾蚪男男男男,草草草草君允巽○;黑花香血男男男男,草草草草刀早孝嶽;二音 黃華雄賢男男男男,八音 草草草草毛寶報霍;七聲 五瓦仰□男男男男,四聲 草草草草牛斗奏六;吾牙月堯男男男男,草草草草○○○玉;安亞乙一男男男男,草草草草妻子四日;三音 □爻壬寅男男男男,八音 草草草草衰○帥骨;七聲 母馬美米男男男男,五聲 草草草草○○○德;目貌眉民男男男男,草草草草龜水貴北。

「平声辟唱呂三之七」は別に起り、日星声第七声の平声辟位に在る代表字「男」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。「□□近揆」「□□乾蚪」「五瓦仰□」の諸行の里の「□」は、皆音位あれども当てる字なきなり。右半はなお「開音清和律三之八」にして、水土音第八音「草」を以て和とし、正声第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。第四声の末行「○○○玉」はただ入声のみ字あり、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺く。左列の三類の正音は各々四行にして、清・濁・次清・次濁を分ち、行内の四字は一等より四等に至る。

夫法□飛男男男男,草草草草宮孔眾○;四音 父凡□吠男男男男,八音 草草草草龍甬用○;七聲 武晚□尾男男男男,六聲 草草草草魚鼠去○;文萬□未男男男男,草草草草烏虎兔○;卜百丙必男男男男,草草草草心審禁○;五音 步白備鼻男男男男,八音 草草草草○○○十;七聲 普撲品匹男男男男,七聲 草草草草男坎欠○;旁排平瓶男男男男,草草草草○○○妾;東丹帝■男男男男,草草草草●●●●;六音 兌大弟■男男男男,八音 草草草草●●●●;七聲 土貪天■男男男男,八聲 草草草草●●●●;同覃田■男男男男,草草草草●●●●;乃你女■男男男男,草草草草●●●●。

「平声辟唱呂三之七」を続く。左半は第七声の「男」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」なり。右半は「開音清和律三之八」に属し、「草」を以て和とし、正声第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。再び下の第八声の四行と第九声の首行は皆「●●●●」と作す――声位の立たざる処なり。左列の第四音は軽唇に属し、第五音は重唇に属し、第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属す。第六音より起りて、行末は一律に音なし。第七声はただ「心」「審」「禁」「十」「男」「坎」「欠」「妾」は字あり、其余は空く懸かる。邵雍が「○」と「●」とを分つは、正しく有声無字と無声無字との異を別たんがためなり。右列の第六声は四行の末位皆「○」にして、第八声以下の「●」と形貌相近せども指す所は全然同じからず。

七音 內南年■男男男男,八音 草草草草●●●●;七聲 老冷呂■男男男男,九聲 草草草草●●●●;鹿犖離■男男男男,草草草草●●●●;走哉足■男男男男,草草草草●●●●;八音 自在匠■男男男男,八音 草草草草●●●●;七聲 草采七■男男男男,十聲 草草草草●●●●;曹才全■男男男男,草草草草●●●●。

なお「平声辟唱呂三之七」に属す。左半は第七声の「男」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」と第八音の四行「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配す。各行の末位は皆無音の「■」なり。右半は「開音清和律三之八」の收尾にして、水土音第八音「草」を以て和とし、正声第九声の後三行と第十声の四行を配し、共七行全て「●●●●」と作す。「草」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。第七音は鼻来の一系に属し、第八音は歯頭に属す。両類はこの格にただ前三等を立ち、末位は「■」を以て格を存す。

声音唱和図・開音清和律三之九

開音清和律三之九:思三星■男男男男,□□□□多可個舌;九音 寺□象■男男男男,九音 □□□□禾火化八;七聲 □□□■男男男男,一聲 □□□□開宰愛○;□□□■男男男男,□□□□回每退○;■山手■男男男男,□□□□良兩向○;十音 ■士石■男男男男,九音 □□□□光廣況○;七聲 ■□耳■男男男男,二聲 □□□□丁井亙○;■□二■男男男男,□□□□兄永瑩○;■莊震■男男男男,□□□□千典旦○;十一音 ■乍□■男男男男,九音 □□□□元犬半○;七聲 ■叉赤■男男男男,三聲 □□□□臣引艮○;■崇辰■男男男男,□□□□君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之九」を起す。和する所は水土音の第九音にして、この音は音位あれども擧ぐべき字なし。ゆえに通図「□□□□」と書作す。それは正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声辟唱呂三之七」に在り、第七声の「男」を以て唱とし、正音第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」を配す。「□」と「■」との別は、前者は位あって字を闕き、後者は連音位も立たざるに在り。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。左列は愈々歯音の一系に至るほど、擧げうる字は愈々少なく、しかれども格位はなお列し満たすを要し、字なきに因りて省かず。第九音の後二行は四位の中に三位皆闕、第十音以下は首位音なし――尤も疎落なり。

■卓中■男男男男,□□□□刀早孝嶽;十二音 ■宅直■男男男男,九音 □□□□毛寶報霍;七聲 ■拆丑■男男男男,四聲 □□□□牛斗奏六;■茶呈■男男男男,□□□□○○○玉。

「平声辟唱呂三之七」はここに至りて結了す。左半は第七声の「男」を以て唱とし、正音第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。四行の首位は皆無音の「■」なり。右半は「開音清和律三之九」に属し、有音無字の「□□□□」を以て和とし、正声第四声の四行「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を配す。末行はただ入声の「玉」のみ字あり、平上去の三位は「○」を以て位を存す。

声音唱和図・平声辟唱呂三之八

平聲闢唱呂三之八:古甲九癸●●●●,□□□□妻子四日;一音 □□近揆●●●●,九音 □□□□衰○帥骨;八聲 坤巧丘棄●●●●,五聲 □□□□○○○德;□□乾蚪●●●●,□□□□龜水貴北;黑花香血●●●●,□□□□宮孔眾○;二音 黃華雄賢●●●●,九音 □□□□龍甬用○;八聲 五瓦仰□●●●●,六聲 □□□□魚鼠去○;吾牙月堯●●●●,□□□□烏虎兔○;安亞乙一●●●●,□□□□心審禁○;三音 □爻壬寅●●●●,九音 □□□□○○○十;八聲 母馬美米●●●●,七聲 □□□□男坎欠○;目貌眉民●●●●,□□□□○○○妾。

「平声辟唱呂三之八」は別に起る。唱する所は日星声の第八声にして、この声はもとより発すべき声なし。ゆえに唱位は通図「●●●●」と作す。それは順次正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右半はなお「開音清和律三之九」にして、有音無字の「□□□□」を以て和とし、正声第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。右列の第五声は四位俱全なる一行あり、第六声は四行の末位皆空しく、第七声は半数字あり。左列の第一音は牙音に属し、第二音は喉牙濁音に属し、第三音は影喻と唇鼻の一系に属す。毎類四行は清・濁・次清・次濁を分ち、「□□近揆」「□□乾蚪」の両行は前の二位皆闕――その音位あれども世にその字なきなり。

夫法□飛●●●●,□□□□●●●●;四音 父凡□吠●●●●,九音 □□□□●●●●;八聲 武晚□尾●●●●,八聲 □□□□●●●●;文萬□未●●●●,□□□□●●●●;卜百丙必●●●●,□□□□●●●●;五音 步白備鼻●●●●,九音 □□□□●●●●;八聲 普撲品匹●●●●,九聲 □□□□●●●●;旁排平瓶●●●●,□□□□●●●●;東丹帝■●●●●,□□□□●●●●;六音 兌大弟■●●●●,九音 □□□□●●●●;八聲 土貪天■●●●●,十聲 □□□□●●●●;同覃田■●●●●,□□□□●●●●。

「平声辟唱呂三之八」を続く。左半は第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配す。右半は「開音清和律三之九」の後段にして、「□□□□」を以て和とし、正声第八・第九・第十の三声の共十二行を配し、皆「●●●●」と作す。此処は声は既に声なく、音はまた字なし――両辺全て虚位なり。しかれども邵雍の算法の里には、虚位も一様に先ず格に入るべし。正声一百六十位・正音一百九十二位列し全うしたる後、再び空位を減じて、方に用声一百一十二・用音一百五十二の実数を得。本篇の篇首の小注の言う所は正にこの両数なり。左列の第四音は四行の第三位皆「□」、第五音は四位俱全、第六音は末位音なし。各々清・濁・次清・次濁を次と為し、行内の四字は一等より四等に至る。本段は左右各々十二行にして、正に両図の後半に在り。

声音唱和図・開音清和律三之十

開音清和律三之十:乃你女■●●●●,■■■■多可個舌;七音 內南年■●●●●,十音 ■■■■禾火化八;八聲 老冷呂■●●●●,一聲 ■■■■開宰愛○;鹿犖離■●●●●,■■■■回每退○;走哉足■●●●●,■■■■良兩向○;八音 自在匠■●●●●,十音 ■■■■光廣況○;八聲 草采七■●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;曹才全■●●●●,■■■■兄永瑩○;思三星■●●●●,■■■■千典旦○;九音 寺□象■●●●●,十音 ■■■■元犬半○;八聲 □□□■●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;□□□■●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之十」を起し、水土音第十音を以て和とす。第十音はもとよりこの音なし。ゆえに通図「■■■■」と作す。それは正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声辟唱呂三之八」に在り、第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」を配す。右列の十二行は擧ぐべき字あれども、和する所の音は却て空位なり。ゆえに毎行の前の四格は通じて「■」を書す。左列の三類は末位皆音なく、第九音の後二行はさらにただ一つの「□」を余すのみ。唱する者は声なく、和する者は音なし――両辺ともに虚なれども、格数は減らず。右列のこの十二行の四字はなお平・上・去・入を序に依る。「良両向○」はすなわち平は「良」、上は「両」、去は「向」、入声は位あって字なし。

■山手■●●●●,■■■■刀早孝嶽;十音 ■士石■●●●●,十音 ■■■■毛寶報霍;八聲 ■□耳■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;■□二■●●●●,■■■■○○○玉;■莊震■●●●●,■■■■妻子四日;十一音 ■乍□■●●●●,十音 ■■■■衰○帥骨;八聲 ■叉赤■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;■崇辰■●●●●,■■■■龜水貴北;■卓中■●●●●,■■■■宮孔眾○;十二音 ■宅直■●●●●,十音 ■■■■龍甬用○;八聲 ■拆丑■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;■茶呈■●●●●,■■■■烏虎兔○。

「平声辟唱呂三之八」はここに至りて配し畢る。左半は第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。この三類の正音の首位は一律に音なし。右半は「開音清和律三之十」に属し、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配す。左列の三類の存する所は過ず中間の両字のみ――前の九音の四位斉備なる者と判然として同じからず。右列の第四声の末行はただ入声の「玉」のみ字あり、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆「○」なり。無音の位を以て声ある字と相配して、なお旧に行を成す――これ正しく唱和図の満格を必とする道理なり。

声音唱和図・平声辟唱呂三之九

平聲闢唱呂三之九:古甲九癸●●●●,■■■■心審禁○;一音 □□近揆●●●●,十音 ■■■■○○○十;九聲 坤巧丘棄●●●●,七聲 ■■■■男坎欠○;□□乾蚪●●●●,■■■■○○○妾;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音 黃華雄賢●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 五瓦仰□●●●●,八聲 ■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●;安亞乙一●●●●,■■■■●●●●;三音 □爻壬寅●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 母馬美米●●●●,九聲 ■■■■●●●●;目貌眉民●●●●,■■■■●●●●。

「平声辟唱呂三之九」は別に起る。唱する所は日星声の第九声にして、この声は位あれども声なし。唱位は一概に「●●●●」と作す。それは順次正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右半は「開音清和律三之十」の後段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、先ず正声第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、再び第八・第九の両声の共八行「●●●●」を配す。左列の三類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。「古甲九癸」はすなわち一等は「古」、二等は「甲」、三等は「九」、四等は「癸」なり。右列の第七声は八位の中にただ五位のみ字あり、其余は「○」を以て位を存す。第八・第九の両声は則ち并せて声位もまたなし、ゆえに通じて「●」を書す。唱する者はもと声なく、和する者はまた音なし――一段の中に両辺皆虚なれども、行数は減ずべからず。減ずれば則ち声音相乗の数は合わざらん。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音 父凡□吠●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 武晚□尾●●●●,十聲 ■■■■●●●●;文萬□未●●●●,■■■■●●●●。

なお「平声辟唱呂三之九」なり。第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第四音の四行「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を配す。四行の第三位は皆「□」と作す――音位あれども字なきなり。右半は「開音清和律三之十」の末段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第十声の四行を配し、亦皆「●●●●」と作す。

声音唱和図・開音清和律三之十一

開音清和律三之十一:卜百丙必●●●●,■■■■多可個舌;五音 步白備鼻●●●●,十一音 ■■■■禾火化八;九聲 普撲品匹●●●●,一聲 ■■■■開宰愛○;旁排平瓶●●●●,■■■■回每退○;東丹帝■●●●●,■■■■良兩向○;六音 兌大弟■●●●●,十一音 ■■■■光廣況○;九聲 土貪天■●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;同覃田■●●●●,■■■■兄永瑩○;乃你女■●●●●,■■■■千典旦○;七音 內南年■●●●●,十一音 ■■■■元犬半○;九聲 老冷呂■●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;鹿犖離■●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之十一」を起し、水土音第十一音を以て和とす。この音はもとより実音なし。ゆえに「■■■■」と書作す。配する所は正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。左半はなお「平声辟唱呂三之九」に在り、第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。「良両向○」はすなわち平は「良」、上は「両」、去は「向」、入声は位あって字なし。左列の第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、両類の末位皆音なし。無音の位を以て字ある声と相配す――正しくこの図の重んずる所は格位に在りて音読に在らざるを見る。

走哉足■●●●●,■■■■刀早孝嶽;八音 自在匠■●●●●,十一音 ■■■■毛寶報霍;九聲 草采七■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;曹才全■●●●●,■■■■○○○玉;思三星■●●●●,■■■■妻子四日;九音 寺□象■●●●●,十一音 ■■■■衰○帥骨;九聲 □□□■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;□□□■●●●●,■■■■龜水貴北;■山手■●●●●,■■■■宮孔眾○;十音 ■士石■●●●●,十一音 ■■■■龍甬用○;九聲 ■□耳■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;■□二■●●●●,■■■■烏虎兔○;■莊震■●●●●,■■■■心審禁○。

「平声辟唱呂三之九」を続く。左半は第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配し、末行は第十一音の首行「■荘震■」に接す。右半は「開音清和律三之十一」に属し、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列の第八音は歯頭に属し、第九音は歯頭擦音に属し、第十音は正歯と日母の一系に属す。第九音の後二行は四位の中に三位皆闕、第十音以下は首位音なし。本段は左右各々十三行にして、恰も一図の中段に当たる。唱する者の声と和する者の音と各々その序に依り、相い錯乱せず。右列の第四声は四位俱全なる者三行、第五声は上声を缺き、第六声は四行の末位皆空し。

十一音 ■乍□■●●●●,十一音 ■■■■○○○十;九聲 ■叉赤■●●●●,七聲 ■■■■男坎欠○;■崇辰■●●●●,■■■■○○○妾;■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音 ■●●●●,十一音 ■■■■●●●●;九聲 ■拆丑■●●●●,八聲 ■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

「平声辟唱呂三之九」はここに至りて配し畢る。左半は第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第十一音の後三行「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音の「■卓中■」「■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。第十二音の第二行は他図に「■宅直■」と作るが、此処の底本はただ一個の「■」を余すのみ――中間の二字は已に脱せり。右半は「開音清和律三之十一」の続段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と第八声の四行「●●●●」を配す。

声音唱和図・平声辟唱呂三之十

平聲闢唱呂三之十:古甲九癸●●●●,■■■■●●●●;一音 □□近揆●●●●,十一音 ■■■■●●●●;十聲 坤巧丘棄●●●●,九聲 ■■■■●●●●;□□乾蚪●●●●,■■■■●●●●;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音 黃華雄賢●●●●,十一音 ■■■■●●●●;十聲 五瓦仰□●●●●,十聲 ■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●。

「平声辟唱呂三之十」は別に一図を起す。唱する所は日星声の第十声にして、声もなくまた字もなし。通図「●●●●」と作す。それは先ず正音第一音の四行「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」を配し、再び第二音の四行「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」を配す。右半は「開音清和律三之十一」の收尾にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第九声と第十声の共八行を配し、同じく全て「●●●●」と作す。第十一音を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。左列の両類の正音は四位大体斉備して、唱位の空声と相対す。右列は則ち声・音の両辺ともに空しく、通段に擧ぐべき一字もなし。然れどもその行数はなお須く列し足るべし――以て十声四十行の数を見んがためなり。

声音唱和図・開音清和律三之十二

開音清和律三之十二:安亞乙一●●●●,■■■■多可個舌;三音 □爻王寅●●●●,十二音 ■■■■禾火化八;十聲 母馬美米●●●●,一聲 ■■■■開宰愛○;目貌眉民●●●●,■■■■回每退○;夫法□飛●●●●,■■■■良兩向○;四音 父凡□吠●●●●,十二音 ■■■■光廣況○;十聲 武晚□尾●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;文萬□未●●●●,■■■■兄永瑩○;卜百丙必●●●●,■■■■千典旦○;五音 步白備鼻●●●●,十二音 ■■■■元犬半○;十聲 普撲品匹●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;旁排平瓶●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音清和律三之十二」を起し、水土音第十二音を以て和とす。この音もまたもとより実音なし。ゆえに「■■■■」と作す。配する所は正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。左半はなお「平声辟唱呂三之十」に在り、第十声の「●●●●」を以て唱とし、正音第三音「安亜乙一」「□爻王寅」「母馬美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」を配す。第三音の第二行は他図に「□爻壬寅」と作るが、此処は「壬」を訛りて「王」と為す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。左列の第三音は影喻と唇鼻の一系に属し、第四音は軽唇に属し、第五音は重唇に属す。軽唇の一類は四行の第三位皆「□」――その音位あれども世にその字なきなり。本段は左右各々十三行なり。

東丹帝■●●●●,■■■■刀早孝嶽;六音 兌大弟■●●●●,十二音 ■■■■毛寶報霍;十聲 土貪天■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;同覃田■●●●●,■■■■○○○玉;乃你女■●●●●,■■■■妻子四日;七音 內南年■●●●●,十二音 ■■■■衰○帥骨;十聲 老冷呂■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;鹿犖離■●●●●,■■■■龜水貴北;走哉足■●●●●,■■■■宮孔眾○;八音 自在匠■●●●●,十二音 ■■■■龍甬用○;十聲 草采七■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;曹才全■●●●●,■■■■烏虎兔○;思三星■●●●●,■■■■心審禁○。

「平声辟唱呂三之十」を続く。左半は第十声の「●●●●」を以て唱とし、正音第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配し、末行は第九音の首行「思三星■」に接す。右半は「開音清和律三之十二」に属し、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列の第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、第八音は歯頭に属す。三類の末位は一律に音なく、ただ前三等を立つのみ。右列の第四声は四位俱全なる者三行、第五声は上声を缺き、第六声は四行の末位皆空し。字ある者と空位とは相間じて文を成す――正しくこの套の図式の常態なり。本段は左右各々十三行にして、皆両図の後半に当たる。

九音 寺□象■●●●●,十二音 ■■■■○○○十;十聲 □□□■●●●●,七聲 ■■■■男坎欠○;□□□■●●●●,■■■■○○○妾;■山手■●●●●,■■■■●●●●;十音 ■士石■●●●●,十二音 ■■■■●●●●;十聲 ■□耳■●●●●,八聲 ■■■■●●●●;■□二■●●●●,■■■■●●●●;■莊震■●●●●,■■■■●●●●;十一音 ■乍□■●●●●,十二音 ■■■■●●●●;十聲 ■叉赤■●●●●,九聲 ■■■■●●●●;■崇辰■●●●●,■■■■●●●●;■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音 ■宅直■●●●●,十二音 ■■■■●●●●;十聲 ■拆丑■●●●●,十聲 ■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

観物篇第三十七の諸図はここに至りて一併に収束す。左半は「平声辟唱呂三之十」の末段にして、第十声の「●●●●」を以て唱とし、正音第九音の後三行「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半は「開音清和律三之十二」の末段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。日星の声と水土の音との相唱和の全部の図式は此に於て配し畢る。凡そ声あって字なき者は「○」を書し、声なく字なき者は「●」を書し、音あって字なき者は「□」を書し、音なく字なき者は「■」を書す。四号は分明にして、格数は缺けず。本篇は日星の声を以て水土の音を配す。声は地に属して呂と為して下に在りて唱し、音は天に属して律と為して上に在りて和す。声の十類は共に一百六十位、音の十二類は共に一百九十二位。無声無音の処を除きて、実用の声は一百一十二、実用の音は一百五十二。七声と九音と各々これに乗じて、便ち篇首に記する所の一千六十四と一千八の両個の数を得るなり。

観物篇三十八・声音唱和図

觀物篇三十八:日辰聲平翕,水石音開濁;回兄君○龜,□吾目文旁同;烏○●●●,鹿曹□■■■;日辰聲七,下唱地之;水石音九,上和天之;用音一百五十二,是;用聲一百一十二,是;謂平聲翕音。平聲翕;謂開音濁聲。開音濁;音一千六十四。聲一千八。日辰聲平之四翕,水石音開之四濁。

観物篇第三十八。本篇はなお左右両図を並列す。左題は「日辰声平翕」、右題は「水石音開濁」。左図は十声の平声翕位の上の代表字「回」「兄」「君」「○」「亀」「烏」「○」と三個の「●」を列す――すなわち声一より声十まで。第四・第七声は声位あれども字なし、ゆえに「○」と作す。末の三声は連声位も立たず、ゆえに「●」と作す。右図は十二音の開音濁位の上の代表字「□」「吾」「目」「文」「旁」「同」「鹿」「曹」「□」と三個の「■」を列す――すなわち音一より音十二まで。第一・第九音は音位あれども字なし、「□」と作す。末の三音はもとよりその音なし、「■」と作す。以下の小注は須く左右に分ちて読むべし。日辰の声は実に七類を得、下に在りて地之用音一百五十二と相唱し、これを「平声翕音」と為し、共に一千六十四。水石の音は実に九類を得、上に在りて天之用声一百一十二と相和し、これを「開音濁声」と為し、共に一千八。末の両句は本篇が四組の唱和の中の第四組なるを標明す。

声音唱和図・平声翕唱呂四之一 開音濁和律四之一

平聲翕唱呂四之一,開音濁和律四之一:古甲九癸回回回回,□□□□多可個舌;一音 □□近揆回回回回,一音 □□□□禾火化八;一聲 坤巧丘棄回回回回,一聲 □□□□開宰愛○;□□乾蚪回回回回,□□□□回每退○;黑花香血回回回回,□□□□良兩向○;二音 黃華雄賢回回回回,一音 □□□□光廣況○;一聲 五瓦仰□回回回回,二聲 □□□□丁井亙○;吾牙月堯回回回回,□□□□兄永瑩○;安亞乙一回回回回,□□□□千典旦○;三音 □爻壬寅回回回回,一音 □□□□元犬半○;一聲 母馬美米回回回回,三聲 □□□□臣引艮○;目貌眉民回回回回,□□□□君允巽○。

両図は同時に頭を起す。左図「平声翕唱呂四之一」は日辰声第一声の平声翕位に在る代表字「回」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右図「開音濁和律四之一」は水石音第一音を以て和とす。この音は音位あれども擧ぐべき字なし。ゆえに「□□□□」と書作す。配する所は正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。本篇は声は「翕」の位を取り、音は「濁」の位を取り、前篇の「辟」「清」と相対す。邵雍は声を分ちて辟翕、音を分ちて清濁と為し、両々相配して、遂に日日・日月・日星・日辰と水水・水火・水土・水石の諸篇を成す。左列の音図は毎類四行に清・濁・次清・次濁を分ち、行内の四字は一等より四等に至る。右列の声図は毎行四字にして平声より入声に至る。

夫法□飛回回回回,○○○○刀早孝嶽;四音 父凡□吠回回回回,一音 □□□□毛寶報霍;一聲 武晚□尾回回回回,四聲 □□□□牛斗奏六;文萬□未回回回回,□□□□○○○玉;卜百丙必回回回回,□□□□妻子四日;五音 步白備鼻回回回回,一音 □□□□衰○帥骨;一聲 普撲品匹回回回回,五聲 □□□□○○○德;旁排平瓶回回回回,□□□□龜水貴北;東丹帝■回回回回,□□□□宮孔眾○;六音 兌大弟■回回回回,一音 □□□□龍甬用○;一聲 土貪天■回回回回,六聲 □□□□魚鼠去○;同覃田■回回回回,□□□□烏虎兔○;乃你女■回回回回,□□□□心審禁○。

上の両図を続く。左半「平声翕唱呂四之一」は第一声の「回」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」に接す。右半「開音濁和律四之一」は有音無字の「□□□□」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。「刀早孝岳」の一行の和位は底本は「○○○○」と刻すが、同図の他行の「□□□□」と合わず――まさに刻手が誤りて声図の空位の記号を用いたるであろう。右列の第四声の末行はただ入声の「玉」のみ字あり、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆「○」なり。左列は第六音より起りて、行末は一律に音なし。

七音 內南年■回回回回,一音 □□□□○○○十;一聲 老冷呂■回回回回,七聲 □□□□男坎欠○;鹿犖離■回回回回,□□□□○○○妾;走哉足■回回回回,□□□□●●●●;八音 自在匠■回回回回,一音 □□□□●●●●;一聲 草采七■回回回回,八聲 □□□□●●●●;曹才全■回回回回,□□□□●●●●;思三星■回回回回,□□□□●●●●;九音 寺□象■回回回回,一音 □□□□●●●●;一聲 □□□■回回回回,九聲 □□□□●●●●;□□□■回回回回,□□□□●●●●;■山手■回回回回,□□□□●●●●;十音 ■士石■回回回回,一音 □□□□●●●●;一聲 ■□耳■回回回回,十聲 □□□□●●●●;■□二■回回回回,□□□□●●●●。

左半はなお「平声翕唱呂四之一」に属し、第一声の「回」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配す。右半は「開音濁和律四之一」の收尾にして、有音無字の「□□□□」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。本段は左列十五行・右列十五行なり。左列の第七音より第十音に至るまで末位は皆「■」。第九音の後二行は四位の中に三位皆闕にして、ただ一つの「□」を余すのみ。右列の第七声は八位の中に五位は字あり、第八声以下は并せて声位もまたなし。この図の和位は既に有音無字にして、配する所の声もまた多くは無声の位なり。通図に幾んど一個の実読の音節を見ず、然れども行数・位数は一も短缺なし。邵雍がこの図を作るは、もとより当時の実際の読音を記さんがためにはあらず、声と音との全部の格位を擺出して、再びこれに拠りて天地の数を言わんと欲するなり。この音を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足り、通図に読むべき一つの実音なしと雖も、その数は他図と相斉し。

声音唱和図・開音濁和律四之二

開音濁和律四之二:■莊震■回回回回,吾吾吾吾多可個舌;十一音 ■乍□■回回回回,二音 吾吾吾吾禾火化八;一聲 ■叉赤■回回回回,一聲 吾吾吾吾開宰愛○;■崇辰■回回回回,吾吾吾吾回每退○;■卓中■回回回回,吾吾吾吾良兩向○;十二音 ■宅直■回回回回,二音 吾吾吾吾光廣況○;一聲 ■拆丑■回回回回,二聲 吾吾吾吾丁井亙○;■茶呈■回回回回,吾吾吾吾兄永瑩○。

右半は別に「開音濁和律四之二」を起し、水石音第二音の代表字「吾」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」と第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」を配す。左半は則ち「平声翕唱呂四之一」の最後の八行にして、第一声の「回」を以て唱とし、正音第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。「回」を以て唱と為す一図はここに至りて十二音四十八行を配し足る。荘・卓の両系はただ中間の両等を立ち、首末の両位は皆「■」を書す――「吾」音の四位俱全なる者と恰も対照を成す。本段は左列八行・右列八行なり。

声音唱和図・平声翁唱呂四之二

平聲翁唱呂四之二:古甲九癸兄兄兄兄,吾吾吾吾千典旦○;一音 □□近揆兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾元犬半○;二聲 坤巧丘棄兄兄兄兄,三聲 吾吾吾吾臣引艮○;□□乾蚪兄兄兄兄,吾吾吾吾君允巽○;黑花香血兄兄兄兄,吾吾吾吾刀早孝嶽;二音 黃華雄賢兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾毛寶報霍;二聲 五瓦仰□兄兄兄兄,四聲 吾吾吾吾牛斗奏六;吾牙月堯兄兄兄兄,吾吾吾吾○○○玉;安亞乙一兄兄兄兄,吾吾吾吾妻子四日;三音 □爻壬寅兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾衰○帥骨;二聲 母馬美米兄兄兄兄,五聲 吾吾吾吾○○○德;目貌眉民兄兄兄兄,吾吾吾吾龜水貴北。

「平声翕唱呂四之二」は別に起る。篇題の「翕」字は底本は「翁」と刻す。この図は日辰声第二声の平声翕位に在る代表字「兄」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右半はなお「開音濁和律四之二」にして、水石音第二音「吾」を以て和とし、正声第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」を配す。右列の第三声「千典旦○」は平声は「千」、上声は「典」、去声は「旦」、入声は位あって字なし。第四声の末行はただ入声のみ字あり、第五声は上声を缺く。左列の三類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。「□□近揆」「□□乾蚪」の両行は前の二位皆闕なり。

夫法□飛兄兄兄兄,吾吾吾吾宮孔眾○;四音 父凡□吠兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾龍甬用○;二聲 武晚□尾兄兄兄兄,六聲 吾吾吾吾魚鼠去○;文萬□未兄兄兄兄,吾吾吾吾烏虎兔○;卜百丙必兄兄兄兄,吾吾吾吾心審禁○;五音 步白備鼻兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾○○○十;二聲 普撲品匹兄兄兄兄,七聲 吾吾吾吾男坎欠○;旁排平瓶兄兄兄兄,吾吾吾吾○○○妾;東丹帝■兄兄兄兄,吾吾吾吾●●●●;六音 兌大帝■兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾●●●●;二聲 土貪天■兄兄兄兄,八聲 吾吾吾吾●●●●;同覃田■兄兄兄兄,吾吾吾吾●●●●;乃你女■兄兄兄兄,吾吾吾吾●●●●。

「平声翕唱呂四之二」を続く。左半は第二声の「兄」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大帝■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」なり。第六音の第二行は他図に「兌大弟■」と作るが、此処は「弟」を訛りて「帝」と為す。右半は「開音濁和律四之二」に属し、「吾」を以て和とし、正声第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。この下の第八声の四行と第九声の首行は皆「●●●●」と作す。左列の第四音は軽唇に属し、四行の第三位皆「□」。第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、末位皆音なし。右列の第七声はただ「心」「審」「禁」「十」「男」「坎」「欠」「妾」の諸位のみ字あり、其余は空く懸かる。「●」と「○」とは分かちて無声と有声無字とを指す――相い混ずべからず。

七音 內南年■兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾●●●●;二聲 老冷呂■兄兄兄兄,九聲 吾吾吾吾●●●●;鹿犖離■兄兄兄兄,吾吾吾吾●●●●;走哉足■兄兄兄兄,吾吾吾吾●●●●;八音 自在匠■兄兄兄兄,二音 吾吾吾吾●●●●;二聲 草采七■兄兄兄兄,十聲 吾吾吾吾●●●●;曹才全■兄兄兄兄,吾吾吾吾●●●●。

なお「平声翕唱呂四之二」に属す。左半は第二声の「兄」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」と第八音の四行「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配す。各行の末位は皆無音の「■」なり。右半は「開音濁和律四之二」の收尾にして、水石音第二音「吾」を以て和とし、正声第九声の後三行と第十声の四行を配し、共七行全て「●●●●」と作す。「吾」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。第七音は鼻来の一系に属し、第八音は歯頭に属す。両類はこの格にただ前三等を立つのみ。本段は左右各々七行なり。

声音唱和図・開音濁和律四之三

開音濁和律四之三:思三星■兄兄兄兄,目目目目多可個舌;九音 寺□象■兄兄兄兄,三音 目目目目禾火化八;二聲 □□□■兄兄兄兄,一聲 目目目目開宰愛○;□□□■兄兄兄兄,目目目目回每退○;■山手■兄兄兄兄,目目目目良兩向○;十音 ■士石■兄兄兄兄,三音 目目目目光廣況○;二聲 ■□耳■兄兄兄兄,二聲 目目目目丁井亙○;■□二■兄兄兄兄,目目目目兄永瑩○;■莊震■兄兄兄兄,目目目目千典旦○;十一音 ■乍□■兄兄兄兄,三音 目目目目元犬半○;二聲 ■叉赤■兄兄兄兄,三聲 目目目目臣引艮○;■崇辰■兄兄兄兄,目目目目君允巽○。

右半は別に「開音濁和律四之三」を起し、水石音第三音の代表字「目」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声翕唱呂四之二」に在り、第二声の「兄」を以て唱とし、正音第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」を配す。第九音の後二行は音位あれども通行に字なし、ゆえに連ねて三つの「□」を書す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。「兄永瑩○」はすなわち平は「兄」、上は「永」、去は「瑩」、入声は位あって字なし。左列の第九音は歯頭擦音に属し、第十音は正歯と日母の一系に属し、第十一音は正歯に属す。第十音より起りて首位は皆音なし――以て見るべし、愈々歯音に近づくほど、立つべき等は愈々少なし。

■卓中■兄兄兄兄,目目目目刀早孝嶽;十二音 ■宅直■兄兄兄兄,三音 目目目目毛寶報霍;二聲 ■拆丑■兄兄兄兄,四聲 目目目目牛斗奏六;■茶呈■兄兄兄兄,目目目目○○○玉。

「平声翕唱呂四之二」はここに至りて終篇す。左半は第二声の「兄」を以て唱とし、正音第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。四行の首位は皆無音の「■」なり。右半は「開音濁和律四之三」に属し、水石音第三音「目」を以て和とし、正声第四声の四行「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を配す。末行はただ入声の「玉」のみ字あり、平上去の三位は「○」を以て位を存す。

声音唱和図・平声翕唱呂四之三

平聲翕唱呂四之三:古甲九癸君君君君,目目目目妻子四日;一音 □□近揆君君君君,三音 目目目目衰○帥骨;三聲 坤巧丘棄君君君君,五聲 目目目目○○○德;□□乾蚪君君君君,目目目目龜水貴北;黃華雄賢君君君君,目目目目宮孔眾○;二音 黑花香血君君君君,三音 目目目目龍甬用○;三聲 五瓦仰□君君君君,六聲 目目目目魚鼠去○;吾牙月堯君君君君,目目目目烏虎兔○;安亞乙一君君君君,目目目目心審禁○;三音 □爻壬寅君君君君,三音 目目目目○○○十;三聲 母馬美米君君君君,七聲 目目目目男坎欠○;目貌眉民君君君君,目目目目○○○妾。

「平声翕唱呂四之三」は別に起り、日辰声第三声の平声翕位に在る代表字「君」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黄華雄賢」「黒花香血」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。第二音は他図は「黒花香血」を首に居らせ「黄華雄賢」を次と為すが、此処は前の両行互いに倒る。右半はなお「開音濁和律四之三」にして、「目」を以て和とし、正声第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。右列の第五声「妻子四日」は四位俱全、第六声は四行の末位皆「○」、第七声はただ半数字あり。左列の三類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。「五瓦仰□」の一行は末位字を闕き、「□爻壬寅」の一行は首位字を闕く。

夫法□飛君君君君,目目目目●●●●;四音 父凡□吠君君君君,三音 目目目目●●●●;三聲 武晚□尾君君君君,八聲 目目目目●●●●;文萬□未君君君君,目目目目●●●●;卜百丙必君君君君,目目目目●●●●;五音 步白備鼻君君君君,三音 目目目目●●●●;三聲 普撲品匹君君君君,九聲 目目目目●●●●;旁排平瓶君君君君,目目目目●●●●;東丹帝■君君君君,目目目目●●●●;六音 兌大弟■君君君君,三音 目目目目●●●●;三聲 土貪天■君君君君,十聲 目目目目●●●●;同覃田■君君君君,目目目目●●●●。

「平声翕唱呂四之三」を続く。左半は第三声の「君」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配す。右半は「開音濁和律四之三」の後段にして、水石音第三音「目」を以て和とし、正声第八・第九・第十の三声の共十二行を配し、全て「●●●●」と作す。「目」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。真に字を擧げ出せるはただ前の七声のみ、後の三声は格あれども声なし――正しく邵雍の謂う所のその位あれどもその声なきなり。左列の第四音は軽唇に属し、四行の第三位皆「□」。第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、末位音なし。声図の空は「○」「●」に分かち、音図の空は「□」「■」に分かつ。前者は位あって字なし、後者は并せて位もまたなし。四号各々専ら指す所有り、読むとき缺字あるいは乱码と作すべからず。本段は左右各々十二行にして、正に両図の後半に在り。

声音唱和図・開音濁和律四之四

開音濁和律四之四:乃你女■君君君君,文文文文多可個舌;七音 內南年■君君君君,四音 文文文文禾火化八;三聲 老冷呂■君君君君,一聲 文文文文開宰愛○;鹿犖離■君君君君,文文文文回每退○;走哉足■君君君君,文文文文良兩向○;八音 自在匠■君君君君,四音 文文文文光廣況○;三聲 草采七■君君君君,二聲 文文文文丁井亙○;曹才全■君君君君,文文文文兄永瑩○;思三星■君君君君,文文文文千典旦○;九音 寺□象■君君君君,四音 文文文文元犬半○;三聲 □□□■君君君君,三聲 文文文文臣引艮○;□□□■君君君君,文文文文君允巽○。

右半は別に「開音濁和律四之四」を起し、水石音第四音の代表字「文」を以て和とし、正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声翕唱呂四之三」に在り、第三声の「君」を以て唱とし、正音第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。「多可个舌」はすなわち平は「多」、上は「可」、去は「个」、入は「舌」なり。三声の中に入声の字ある者はただ第一声の一行のみ、其余は多く「○」を以て位を存す。左列の第七音は鼻来の一系に属し、第八音は歯頭に属し、第九音は歯頭擦音に属す。三類の末位は一律に音なし。第九音の後二行はさらにただ一つの「□」を余すのみ、四位の中に三位皆闕なり。

■山手■君君君君,文文文文刀早孝嶽;十音 ■士石■君君君君,四音 文文文文毛寶報霍;三聲 ■□耳■君君君君,四聲 文文文文牛斗奏六;■□二■君君君君,文文文文○○○玉;■莊震■君君君君,文文文文妻子四日;十一音 ■乍□■君君君君,四音 文文文文衰○帥骨;三聲 ■叉赤■君君君君,五聲 文文文文○○○德;■崇辰■君君君君,文文文文龜水貴北;■卓中■君君君君,文文文文宮孔眾○;十二音 ■宅直■君君君君,四音 文文文文龍甬用○;三聲 ■拆丑■君君君君,六聲 文文文文魚鼠去○;■茶呈■君君君君,文文文文烏虎兔○。

「平声翕唱呂四之三」はここに至りて配し畢る。左半は第三声の「君」を以て唱とし、正音第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半は「開音濁和律四之四」に属し、水石音第四音「文」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配す。左列の三類は首位皆「■」にして、存する所は過ず中間の両字のみ――前の九音の四位斉備なる者と判然として同じからず。右列の第四声の末行はただ入声のみ字あり、第五声は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆「○」なり。「文」音の一類を以て十声と相和し、ここに至りて已に二十四行を配し過ぎ、なお十六行未だ配せざるを余す。左列の第十音より第十二音に至るまで、中間の両字はあるいは存しあるいは闕き、末位もまた多く空缺なり。

声音唱和図・平声翕唱呂四之四

平聲翕唱呂四之四:古甲九癸○○○○,文文文文心審禁○;一音 □□近揆○○○○,四音 文文文文○○○十;四聲 坤巧丘棄○○○○,七聲 文文文文男坎欠○;□□乾蚪○○○○,文文文文○○○妾;黑花香血○○○○,文文文文●●●●;二音 黃華雄賢○○○○,四音 文文文文●●●●;四聲 五瓦仰□○○○○,八聲 文文文文●●●●;吾牙月堯○○○○,文文文文●●●●;安亞乙一○○○○,文文文文●●●●;三音 □爻壬寅○○○○,四音 文文文文●●●●;四聲 母馬美米○○○○,九聲 文文文文●●●●;目貌眉民○○○○,文文文文●●●●。

「平声翕唱呂四之四」は別に起る。唱する所は日辰声の第四声にして、この声は平声翕位の上に声あれども字なし。ゆえに唱位は一律に「○○○○」と作す。それは正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右半は「開音濁和律四之四」に属し、「文」を以て和とし、正声第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九の両声の共八行「●●●●」を配す。左列の三類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。「古甲九癸」はすなわち一等は「古」、二等は「甲」、三等は「九」、四等は「癸」なり。「□□近揆」「□□乾蚪」の両行は前の二位皆闕――その音位あれども世にその字なきなり。唱位は既に有声無字にして、配する所の声もまた多く空く懸かる。全段に幾んど実読の音節を見ず、然れども行数は一も少なからざるべからず。

夫法□飛○○○○,文文文文●●●●;四音 父凡□吠○○○○,四音 文文文文●●●●;四聲 武晚□尾○○○○,十聲 文文文文●●●●;文萬□未○○○○,文文文文●●●●。

なお「平声翕唱呂四之四」なり。第四声のあの声あって字なき「○」を以て唱とし、正音第四音の四行「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を配す。四行の第三位は皆「□」と作す――音位あれども字なきなり。右半は「開音濁和律四之四」の末段にして、水石音第四音「文」を以て和とし、正声第十声の四行を配し、皆「●●●●」と作す。唱する者は字なく、和する者は声なし――一段の中に両辺ともに虚なり。

声音唱和図・開音濁和律四之五

開音濁和律四之五:卜百丙必○○○○,旁旁旁旁多可個舌;五音 步白備鼻○○○○,五音 旁旁旁旁禾火化八;四聲 普撲品匹○○○○,一聲 旁旁旁旁開宰愛○;旁排平瓶○○○○,旁旁旁旁回每退○;東丹帝■○○○○,旁旁旁旁良兩向○;六音 兌大弟■○○○○,五音 旁旁旁旁光廣況○;四聲 土貪天■○○○○,二聲 旁旁旁旁丁井亙○;同覃田■○○○○,旁旁旁旁兄永瑩○;乃你女■○○○○,旁旁旁旁千典旦○;七音 內南年■○○○○,五音 旁旁旁旁元犬半○;四聲 老冷呂■○○○○,三聲 旁旁旁旁臣引艮○;鹿犖離■○○○○,旁旁旁旁君允巽○。

右半は別に「開音濁和律四之五」を起し、水石音第五音の代表字「旁」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声翕唱呂四之四」に在り、第四声の「○」を以て唱とし、正音第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。「良両向○」はすなわち平は「良」、上は「両」、去は「向」、入声は位あって字なし。左列の第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、両類の末位皆音なし。唱位は字なくして音位は字あり――両辺一虚一実。正しく邵雍の格位を以て相配して、実読を以て拠りどころと為さざるを見る。

走哉足■○○○○,旁旁旁旁刀早孝嶽;八音 自在匠■○○○○,五音 旁旁旁旁毛寶報霍;四聲 草采七■○○○○,四聲 旁旁旁旁牛斗奏六;曹才全■○○○○,旁旁旁旁○○○玉;思三星■○○○○,旁旁旁旁妻子四日;九音 寺□象■○○○○,五音 旁旁旁旁衰○帥骨;四聲 □□□■○○○○,五聲 旁旁旁旁○○○德;□□□■○○○○,旁旁旁旁龜水貴北;■山手■○○○○,旁旁旁旁宮孔眾○;十音 ■士石■○○○○,五音 旁旁旁旁龍甬用○;四聲 ■□耳■○○○○,六聲 旁旁旁旁魚鼠去○;■□二■○○○○,旁旁旁旁烏虎兔○;■莊震■○○○○,旁旁旁旁心審禁○。

「平声翕唱呂四之四」を続く。左半は第四声の「○」を以て唱とし、正音第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配し、末行は第十一音の首行「■荘震■」に接す。右半は「開音濁和律四之五」に属し、「旁」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列の第八音は歯頭に属し、第九音は歯頭擦音に属し、第十音は正歯と日母の一系に属す。第九音の後二行は四位の中に三位皆闕、第十音以下は首位音なし。右列の第四声は四位俱全なる者三行、第五声は上声を缺き、第六声は四行の末位皆空し。本段は左右各々十三行にして、恰も両図の中段に当たる。

十一音 ■乍□■○○○○,五音 旁旁旁旁○○○十;四聲 ■叉赤■○○○○,七聲 旁旁旁旁男坎欠○;■崇辰■○○○○,旁旁旁旁○○○妾;■卓中■○○○○,旁旁旁旁●●●●;十二音 ■宅直■○○○○,五音 旁旁旁旁●●●●;四聲 ■拆丑■○○○○,八聲 旁旁旁旁●●●●;■茶呈■○○○○,旁旁旁旁●●●●。

「平声翕唱呂四之四」はここに至りて配し畢る。左半は第四声の「○」を以て唱とし、正音第十一音の後三行「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半はなお「開音濁和律四之五」にして、水石音第五音「旁」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と第八声の四行「●●●●」を配す。荘・卓の両系はただ中間の両等を立ち、首位は一律に音なし。右列の第七声はただ五位のみ字あり、第八声は則ち并せて声位もまたなし――「○」と「●」との別はすなわち此に在り。

声音唱和図・平声翕唱呂四之五

平聲翕唱呂四之五:古甲九癸龜龜龜龜,旁旁旁旁●●●●;一音 □□近揆龜龜龜龜,五音 旁旁旁旁●●●●;五聲 坤巧丘棄龜龜龜龜,九聲 旁旁旁旁●●●●;□□乾蚪龜龜龜龜,旁旁旁旁●●●●;黑花香血龜龜龜龜,旁旁旁旁●●●●;二音 黃華雄賢龜龜龜龜,五音 旁旁旁旁●●●●;五聲 五瓦仰□龜龜龜龜,十聲 旁旁旁旁●●●●;吾牙月堯龜龜龜龜,旁旁旁旁●●●●。

「平声翕唱呂四之五」は別に一図を起し、日辰声第五声の平声翕位に在る代表字「亀」を以て唱とす。それは先ず正音第一音の四行「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」を配し、再び第二音の四行「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」を配す。「□□近揆」「□□乾蚪」「五瓦仰□」の里の「□」は、皆音位あれども字なきなり。右半は「開音濁和律四之五」の收尾にして、「旁」を以て和とし、正声第九声と第十声の共八行を配し、全て「●●●●」と作す。唱位は字ありと雖も、和する所の音は已に本図の末尾に配り至る。ゆえに右列の八行は全て無声の位なり。左列の両類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。

声音唱和図・開音濁和律四之六

開音濁和律四之六:安亞乙一龜龜龜龜,同同同同多可個舌;三音 □爻壬寅龜龜龜龜,六音 同同同同禾火化八;五聲 母馬美米龜龜龜龜,一聲 同同同同開宰愛○;目貌眉民龜龜龜龜,同同同同回每退○;夫法□飛龜龜龜龜,同同同同良兩向○;四音 父凡□吠龜龜龜龜,六音 同同同同光廣況○;五聲 武晚□尾龜龜龜龜,二聲 同同同同丁井亙○;文萬□未龜龜龜龜,同同同同兄永瑩○;卜百丙必龜龜龜龜,同同同同千典旦○;五音 步白備鼻龜龜龜龜,六音 同同同同元犬半○;五聲 普撲品匹龜龜龜龜,三聲 同同同同臣引艮○;旁排平瓶龜龜龜龜,同同同同君允巽○。

右半は別に「開音濁和律四之六」を起し、水石音第六音の代表字「同」を以て和とし、正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声翕唱呂四之五」に在り、第五声の「亀」を以て唱とし、正音第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。三声の中にただ「多可个舌」の一行のみ四位俱全、余する者は入声多く空し。左列の第三音は影喻と唇鼻の一系に属し、第四音は軽唇に属し、第五音は重唇に属す。軽唇の一類は四行の第三位皆「□」――その音位あれども世にその字なきなり。本段は左右各々十三行にして、唱する者は字あり、和する者もまた字あり――この一帯の図式の中に較べて充実なる一段なり。

東丹帝■龜龜龜龜,同同同同刀早孝嶽;六音 兌大弟■龜龜龜龜,六音 同同同同毛寶報霍;五聲 土貪天■龜龜龜龜,四聲 同同同同牛斗奏六;同覃田■龜龜龜龜,同同同同○○○玉;乃你女■龜龜龜龜,同同同同妻子四日;七音 內南年■龜龜龜龜,六音 同同同同衰○帥骨;五聲 老冷呂■龜龜龜龜,五聲 同同同同○○○德;鹿犖離■龜龜龜龜,同同同同龜水貴北;走哉足■龜龜龜龜,同同同同宮孔眾○;八音 自在匠■龜龜龜龜,六音 同同同同龍甬用○;五聲 草采七■龜龜龜龜,六聲 同同同同魚鼠去○;曹才全■龜龜龜龜,同同同同烏虎兔○;思三星■龜龜龜龜,同同同同心審禁○。

「平声翕唱呂四之五」を続く。左半は第五声の「亀」を以て唱とし、正音第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配し、末行は第九音の首行「思三星■」に接す。右半は「開音濁和律四之六」に属し、「同」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列の第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、第八音は歯頭に属す。三類の末位は一律に音なく、ただ前三等を立つのみ。右列の第四声は四位俱全なる者三行、第五声は上声を缺き、第六声は四行の末位皆「○」なり。声図と音図と並列するも次第は同歩ならず、源文は行を逐うて鋪き平めたる後、同一行の左右両半は往々にして異なる両張の図に分属す。読むとき須く左右に分ちて看るべし。

九音 寺□象■龜龜龜龜,六音 同同同同○○○十;五聲 □□□■龜龜龜龜,七聲 同同同同男坎欠○;□□□■龜龜龜龜,同同同同○○○妾;■山手■龜龜龜龜,同同同同●●●●;十音 ■士石■龜龜龜龜,六音 同同同同●●●●;五聲 ■□耳■龜龜龜龜,八聲 同同同同●●●●;■□二■龜龜龜龜,同同同同●●●●;■莊震■龜龜龜龜,同同同同●●●●;十一音 ■乍□■龜龜龜龜,六音 同同同同●●●●;五聲 ■叉赤■龜龜龜龜,九聲 同同同同●●●●;■崇辰■龜龜龜龜,同同同同●●●●;■卓中■龜龜龜龜,同同同同●●●●;十二音 ■宅直■龜龜龜龜,六音 同同同同●●●●;五聲 ■拆丑■龜龜龜龜,十聲 同同同同●●●●;■茶呈■龜龜龜龜,同同同同●●●●。

「平声翕唱呂四之五」と「開音濁和律四之六」とは同時に収束す。左半は第五声の「亀」を以て唱とし、正音第九音の後三行「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半は水石音第六音「同」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。声図の四十八行と音図の四十行とはここに至りて各々配し満つ。一唱一和、皆四種の空位の記号を以て字なき声なき処を補足す。本段は左列十五行・右列十五行なり。左列の第九音の後二行は四位の中に三位皆闕、第十音以下の四類は首位皆「■」。右列の第七声は八位の中に五位は字あり、第八声以下は并せて声位もまたなし。邵雍は声を地に属し音を天に属し、声は下に在りて呂と為して唱を主り、音は上に在りて律と為して相和す。一声唱し畢れば、十二音四十八行相和す。一音和し畢れば、十声四十行相唱す。凡そ「○」は皆有声にして字なし、「●」は皆并せて声位もまたなし、「□」は皆有音にして字なし、「■」は皆并せて音位もまたなし。

声音唱和図・平声翕唱呂四之六 開音濁和律四之七

平聲翕唱呂四之六,開音濁和律四之七:古甲九癸烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿多可個舌;一音 □□近揆烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿禾火化八;六聲 坤巧丘棄烏烏烏烏,一聲 鹿鹿鹿鹿開宰愛○;□□乾蚪烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿回每退○;黑花香血烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿良兩向○;二音 黃華雄賢烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿光廣況○;六聲 五瓦仰□烏烏烏烏,二聲 鹿鹿鹿鹿丁井亙○;吾牙月堯烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿兄永瑩○;安亞乙一烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿千典旦○;三音 □爻壬寅烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿元犬半○;六聲 母馬美米烏烏烏烏,三聲 鹿鹿鹿鹿臣引艮○;目貌眉民烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿君允巽○。

両図は同時に別に起る。左図「平声翕唱呂四之六」は日辰声第六声の平声翕位に在る代表字「烏」を以て唱とし、正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右図「開音濁和律四之七」は水石音第七音の代表字「鹿」を以て和とし、正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。両図の次第は一は第六、一は第七にして、并せて同歩ならず。正に正声はただ十類にして正音は十二類あるに因る。音図は毎類四行に清・濁・次清・次濁を分ち、行内の四字は一等より四等に至る。声図は毎行四字にして平声より入声に至る。「多可个舌」はすなわち平は「多」、上は「可」、去は「个」、入は「舌」なり。「烏」は日辰声第六声の平声翕位の字、「鹿」は水石音第七音の開音濁位の字――各々その欄に拠り、相い統属せず。

夫法□飛烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿刀早孝嶽;四音 父凡□吠烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿毛寶報霍;六聲 武晚□尾烏烏烏烏,四聲 鹿鹿鹿鹿牛斗奏六;文萬□未烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿○○○玉;卜百丙必烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿妻子四日;五音 步白備鼻烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿衰○帥骨;六聲 普撲品匹烏烏烏烏,五聲 鹿鹿鹿鹿○○○德;旁排平瓶烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿龜水貴北;東丹帝■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿宮孔眾○;六音 兌大弟■烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿龍甬用○;六聲 土貪天■烏烏烏烏,六聲 鹿鹿鹿鹿魚鼠去○;同覃田■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿烏虎兔○;乃你女■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿心審禁○。

上の両図を続く。左半「平声翕唱呂四之六」は第六声の「烏」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」に接す。右半「開音濁和律四之七」は「鹿」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列の第四音は軽唇に属し、四行の第三位皆「□」。第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、末位皆音なし。右列の第四声の末行はただ入声の「玉」のみ字あり、第五声は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆「○」なり。同じく声ある類なれども、四等の疎密もまた各々同じからず。

七音 內南年■烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿○○○十;六聲 老冷呂■烏烏烏烏,七聲 鹿鹿鹿鹿男坎欠○;鹿犖離■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿○○○妾;走哉足■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿●●●●;八音 自在匠■烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿●●●●;六聲 草采七■烏烏烏烏,八聲 鹿鹿鹿鹿●●●●;曹才全■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿●●●●;思三星■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿●●●●;九音 寺□象■烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿●●●●;六聲 □□□■烏烏烏烏,九聲 鹿鹿鹿鹿●●●●;□□□■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿●●●●;■山手■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿●●●●;十音 ■士石■烏烏烏烏,七音 鹿鹿鹿鹿●●●●;六聲 ■□耳■烏烏烏烏,十聲 鹿鹿鹿鹿●●●●;■□二■烏烏烏烏,鹿鹿鹿鹿●●●●。

左半はなお「平声翕唱呂四之六」に属し、第六声の「烏」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配す。右半は「開音濁和律四之七」の收尾にして、水石音第七音「鹿」を以て和とし、正声第七声の後三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八・第九・第十の三声の十二行「●●●●」を配す。「鹿」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。本段は左列十五行・右列十五行なり。左列の第七音より第十音に至るまで末位は皆「■」、第九音の後二行はさらにただ一つの「□」を余すのみ。右列の第七声はただ五位のみ字あり、第八声以下は并せて声位もまたなし。声図の一図は十二音四十八行を配し、音図の一図は十声四十行を配す。両辺の行数等しからず、ゆえに源文を並列して鋪排する時、左欄の図は常に右欄の図と一両の次第を錯ぐ。この一部分を読むに毎行の左右の相属するを求むるを必とせず。ただ各々その欄に随い、「某音」「某声」の標目に依りて順次読み下れば、便ちもとの両張の表に還原すべし。四種の空位の記号は則ち始終一致して、図の異なるに因りて変わらず。

声音唱和図・開音濁和律四之八

開音濁和律四之八:■莊震■烏烏烏烏,曹曹曹曹多可個舌;十一音 ■乍□■烏烏烏烏,八音 曹曹曹曹禾火化八;六聲 ■叉赤■烏烏烏烏,一聲 曹曹曹曹開宰愛○;■崇辰■烏烏烏烏,曹曹曹曹回每退○;■卓中■烏烏烏烏,曹曹曹曹良兩向○;十二音 ■宅直■烏烏烏烏,八音 曹曹曹曹光廣況○;六聲 ■拆丑■烏烏烏烏,二聲 曹曹曹曹丁井亙○;■茶呈■烏烏烏烏,曹曹曹曹兄永瑩○。

右半は別に「開音濁和律四之八」を起し、水石音第八音の代表字「曹」を以て和とし、頭より正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」と第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」を配す。左半は則ち「平声翕唱呂四之六」の最後の八行にして、第六声の「烏」を以て唱とし、正音第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。「烏」を以て唱と為す一図はここに至りて十二音四十八行を配し足る。荘・卓の両系はこの格にただ中間の両等を立ち、首位は一律に音なし。「曹」音は則ち四位俱全――両々相対照して最も分明なり。

声音唱和図・平声翕唱呂四之七

平聲翕唱呂四之七:古甲九癸○○○○,曹曹曹曹千典旦○;一音 □□近揆○○○○,八音 曹曹曹曹元犬半○;七聲 坤巧丘棄○○○○,三聲 曹曹曹曹臣引艮○;□□乾蚪○○○○,曹曹曹曹君允巽○;黑花香血○○○○,曹曹曹曹刀早孝嶽;二音 黃華雄賢○○○○,八音 曹曹曹曹毛寶報霍;七聲 五瓦仰□○○○○,四聲 曹曹曹曹牛斗奏六;吾牙月堯○○○○,曹曹曹曹○○○玉;安亞乙一○○○○,曹曹曹曹妻子四日;三音 □爻壬寅○○○○,八音 曹曹曹曹衰○帥骨;七聲 母馬美米○○○○,五聲 曹曹曹曹○○○德;目貌眉民○○○○,曹曹曹曹龜水貴北。

「平声翕唱呂四之七」は別に起る。唱する所は日辰声の第七声にして、この声は平声翕位の上に声あれども字なし。唱位は一概に「○○○○」と作す。それは正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右半はなお「開音濁和律四之八」にして、水石音第八音「曹」を以て和とし、正声第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」を配す。右列の第三声「千典旦○」は平声は「千」、上声は「典」、去声は「旦」、入声は位あって字なし。第四声の末行はただ入声のみ字あり、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺く。左列の三類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。「□□近揆」「□□乾蚪」の両行は前の二位皆闕なり。

夫法□飛○○○○,曹曹曹曹宮孔眾○;四音 父凡□吠○○○○,八音 曹曹曹曹龍甬用○;七聲 武晚□尾○○○○,六聲 曹曹曹曹魚鼠去○;文萬□未○○○○,曹曹曹曹烏虎兔○;卜百丙必○○○○,曹曹曹曹心審禁○;五音 步白備鼻○○○○,八音 曹曹曹曹○○○十;七聲 普撲品匹○○○○,七聲 曹曹曹曹男坎欠○;旁排平瓶○○○○,曹曹曹曹○○○妾;東丹帝■○○○○,曹曹曹曹●●●●;六音 兌大弟■○○○○,八音 曹曹曹曹●●●●;七聲 土貪天■○○○○,八聲 曹曹曹曹●●●●;同覃田■○○○○,曹曹曹曹●●●●;乃你女■○○○○,曹曹曹曹●●●●。

「平声翕唱呂四之七」を続く。左半は第七声の「○」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配し、末行は第七音の首行「乃你女■」なり。右半は「開音濁和律四之八」に属し、「曹」を以て和とし、正声第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。この下の第八声の四行と第九声の首行は皆「●●●●」と作す――声位の立たざる処なり。左列の第四音は軽唇に属し、四行の第三位皆「□」。第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、末位皆音なし。唱位は既に字なく、和する所の声もまた多く空く懸かる。一段の中に虚位は半ばを過ぎるも、行数・位数は一も短缺なし。右列の第六声は四行の末位皆「○」にして、第七声はただ「心」「審」「禁」「十」「男」「坎」「欠」「妾」の諸位のみ字あり――第八声以下の「●」と形貌相近せども指す所は全然同じからず。

七音 內南年■○○○○,八音 曹曹曹曹●●●●;七聲 老冷呂■○○○○,九聲 曹曹曹曹●●●●;鹿犖離■○○○○,曹曹曹曹●●●●;走哉足■○○○○,曹曹曹曹●●●●;八音 自在匠■○○○○,八音 曹曹曹曹●●●●;七聲 草采七■○○○○,十聲 曹曹曹曹●●●●;曹才全■○○○○,曹曹曹曹●●●●。

なお「平声翕唱呂四之七」に属す。左半は第七声の「○」を以て唱とし、正音第七音の後三行「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」と第八音の四行「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を配す。各行の末位は皆無音の「■」なり。右半は「開音濁和律四之八」の收尾にして、水石音第八音「曹」を以て和とし、正声第九声の後三行と第十声の四行を配し、共七行全て「●●●●」と作す。「曹」を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。第七音は鼻来の一系に属し、第八音は歯頭に属す。両類の末位は皆音なく、ただ前三等を立つのみ。本段は左右各々七行なり。

声音唱和図・開音濁和律四之九

開音濁和律四之九:思三星■○○○○,□□□□多可個舌;九音 寺□象■○○○○,九音 □□□□禾火化八;七聲 □□□■○○○○,一聲 □□□□開宰愛○;□□□■○○○○,□□□□回每退○;■山手■○○○○,□□□□良兩向○;十音 ■士石■○○○○,九音 □□□□光廣況○;七聲 ■□耳■○○○○,二聲 □□□□丁井亙○;■□二■○○○○,□□□□兄永瑩○;■莊震■○○○○,□□□□千典旦○;十一音 ■乍□■○○○○,九音 □□□□元犬半○;七聲 ■叉赤■○○○○,三聲 □□□□臣引艮○;■崇辰■○○○○,□□□□君允巽○。

右半は別に「開音濁和律四之九」を起す。和する所は水石音の第九音にして、この音は音位あれども字を擧げ出さず。ゆえに通図「□□□□」と書作す。それは正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声翕唱呂四之七」に在り、第七声の「○」を以て唱とし、正音第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。和位は既に有音無字なれども、配する所の声は却て多く字あり――一虚一実にして、なお旧に行を成す。左列の第九音の後二行は四位の中に三位皆闕、第十音以下は首位皆音なし。愈々歯音の一系に近づくほど、立つべき位は愈々少なし。本段は左右各々十三行にして、左欄は旧図の末に在り、右欄は新図の首に在り、恰も錯開す。

■卓中■○○○○,□□□□刀早孝嶽;十二音 ■宅直■○○○○,九音 □□□□毛寶報霍;七聲 ■拆丑■○○○○,四聲 □□□□牛斗奏六;■茶呈■○○○○,□□□□○○○玉。

「平声翕唱呂四之七」はここに至りて結了す。左半は第七声のあの声あって字なき「○」を以て唱とし、正音第十二音の四行「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。四行の首位は皆無音の「■」なり。右半は「開音濁和律四之九」に属し、有音無字の「□□□□」を以て和とし、正声第四声の四行「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を配す。

声音唱和図・平声翕唱呂四之八

平聲翕唱呂四之八:古甲九癸●●●●,□□□□妻子四日;一音 □□近揆●●●●,九音 □□□□衰○帥骨;八聲 坤巧丘棄●●●●,五聲 □□□□○○○德;□□乾蚪●●●●,□□□□龜水貴北;黑花香血●●●●,□□□□宮孔眾○;二音 黃華雄賢●●●●,九音 □□□□龍甬用○;八聲 五瓦仰□●●●●,六聲 □□□□魚鼠去○;吾牙月堯●●●●,□□□□烏虎兔○;安亞乙一●●●●,□□□□心審禁○;三音 □爻壬寅●●●●,九音 □□□□○○○十;八聲 母馬美米●●●●,七聲 □□□□男坎欠○;目貌眉民●●●●,□□□□○○○妾。

「平声翕唱呂四之八」は別に起る。唱する所は日辰声の第八声にして、この声はもとより発すべき声なし。唱位は通図「●●●●」と作す。それは正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右半はなお「開音濁和律四之九」にして、有音無字の「□□□□」を以て和とし、正声第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配す。左列の三類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。「古甲九癸」はすなわち一等は「古」、二等は「甲」、三等は「九」、四等は「癸」なり。右列の第五声「妻子四日」は四位俱全、第六声は四行の末位皆「○」、第七声はただ半数字あり。唱する者は声なく、和する者は字なし――両辺ともに虚なれども格位は減らず。

夫法□飛●●●●,□□□□■■■■;四音 父凡□吠●●●●,九音 □□□□■■■■;八聲 武晚□尾●●●●,八聲 □□□□■■■■;文萬□未●●●●,□□□□■■■■;卜百丙必●●●●,□□□□■■■■;五音 步白備鼻●●●●,九音 □□□□■■■■;八聲 普撲品匹●●●●,九聲 □□□□■■■■;旁排平瓶●●●●,□□□□■■■■;東丹帝■●●●●,□□□□■■■■;六音 兌大弟■●●●●,九音 □□□□■■■■;八聲 土貪天■●●●●,十聲 □□□□■■■■;同覃田■●●●●,□□□□■■■■。

「平声翕唱呂四之八」を続く。左半は第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第四音「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」を配す。右半は「開音濁和律四之九」の後段にして、「□□□□」を以て和とし、正声第八・第九・第十の三声の共十二行を配す。この十二行は他図は皆「●●●●」を書すが、此処の底本は一律に「■■■■」と刻す――無声の号を誤りて無音の号に換えたるなり。指す所はなお無声無字の位なり。左列の第四音は軽唇に属し、四行の第三位皆「□」。第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、末位音なし。四種の空位の記号はもと各々専ら指す所有り。「○」は有声無字、「●」は并せて声位もまたなし、「□」は有音無字、「■」は并せて音位もまたなし。読者は他図に拠りて此処の混用を訂正すべしと雖も、原字はなお旧の照らすが如く存録すべし――径に改むべからず。

声音唱和図・開音濁和律四之十

開音濁和律四之十:乃你女■●●●●,■■■■多可個舌;七音 內南年■●●●●,十音 ■■■■禾火化八;八聲 老冷呂■●●●●,一聲 ■■■■開宰愛○;鹿犖離■●●●●,■■■■回每退○;走哉足■●●●●,■■■■良兩向○;八音 自在匠■●●●●,十音 ■■■■光廣況○;八聲 草采七■●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;曹才全■●●●●,■■■■兄永瑩○;思三星■●●●●,■■■■千典旦○;九音 寺□象■●●●●,十音 ■■■■元犬半○;八聲 □□□■●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;□□□■●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音濁和律四之十」を起し、水石音第十音を以て和とす。この音はもとよりその音なし。ゆえに通図「■■■■」と作す。それは正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」を配す。左半はなお「平声翕唱呂四之八」に在り、第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。「回毎退○」はすなわち平は「回」、上は「毎」、去は「退」、入声は位あって字なし。左列の第七音は鼻来の一系に属し、第八音は歯頭に属し、第九音は歯頭擦音に属す。三類の末位は一律に音なし。第九音の後二行はさらにただ一つの「□」を余すのみ。唱する者は声なく、和する者は音なし――両辺皆虚なれども、格位はなお列し満たすを要す。

■山手■●●●●,■■■■刀早孝嶽;十音 ■士石■●●●●,十音 ■■■■毛寶報霍;八聲 ■□耳■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;■□二■●●●●,■■■■○○○玉;■莊震■●●●●,■■■■妻子四日;十一音 ■乍□■●●●●,十音 ■■■■衰○帥骨;八聲 ■叉赤■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;■崇辰■●●●●,■■■■龜水貴北;■卓中■●●●●,■■■■宮孔眾○;十二音 ■宅直■●●●●,十音 ■■■■龍甬用○;八聲 ■拆丑■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;■茶呈■●●●●,■■■■烏虎兔○。

「平声翕唱呂四之八」はここに至りて配し畢る。左半は第八声の「●●●●」を以て唱とし、正音第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を配す。右半は「開音濁和律四之十」に属し、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配す。左列の三類は首位皆「■」にして、存する所は過ず中間の両字のみ――前の九音の四位斉備なる者と判然として同じからず。右列の第四声の末行「○○○玉」はただ入声のみ字あり、第五声の「衰○帥骨」は上声を缺き、第六声の四行の末位は皆「○」なり。「■」を以て和と為す一図は、通図に読むべき音なしと雖も、なお十声四十行と一々相配することを要し、その数方に他図と相斉からん。これ正しく邵雍の先ず体数を立て後に用数を取るの通例なり。

声音唱和図・平声翕唱呂四之九

平聲翕唱呂四之九:古甲九癸●●●●,■■■■心審禁○;一音 □□近揆●●●●,十音 ■■■■○○○十;九聲 坤巧丘棄●●●●,七聲 ■■■■男坎欠○;□□乾蚪●●●●,■■■■○○○妾;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音 黃華雄賢●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 五瓦仰□●●●●,八聲 ■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●;安亞乙一●●●●,■■■■●●●●;三音 □爻壬寅●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 母馬美米●●●●,九聲 ■■■■●●●●;目貌眉民●●●●,■■■■●●●●。

「平声翕唱呂四之九」は別に起る。唱する所は日辰声の第九声にして、亦位あれども声なしに属す。唱位は一概に「●●●●」と作す。それは正音第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」を配す。右半は「開音濁和律四之十」の後段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、先ず正声第七声「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、再び第八・第九の両声の共八行「●●●●」を配す。左列の三類の正音は各々四行、清・濁・次清・次濁を次に依り、行内の四字は一等より四等に至る。「□□近揆」「□□乾蚪」の両行は前の二位皆闕、「五瓦仰□」の一行は末位闕――皆その音位あれども世にその字なきなり。右列の第七声は八位の中に五位は字あり、其余は「○」を以て位を存す。第八・第九の両声は則ち并せて声位もまたなし、ゆえに通じて「●」を書す。この図は唱する者は無声の声、和する者は無音の音――存する所は過ず格数のみ。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音 父凡□吠●●●●,十音 ■■■■●●●●;九聲 武晚□尾●●●●,十聲 ■■■■●●●●;文萬□未●●●●,■■■■●●●●。

なお「平声翕唱呂四之九」なり。第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第四音の四行「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を配す。四行の第三位は皆「□」と作す――音位あれども字なきなり。右半は「開音濁和律四之十」の末段にして、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第十声の四行を配し、亦皆「●●●●」と作す。第十音を以て和と為す一図はここに至りて十声四十行を配し足る。

声音唱和図・開音濁和律四之十一

開音濁和律四之十一:卜百丙必●●●●,■■■■多可個舌;五音 步白備鼻●●●●,十一音 ■■■■禾火化八;九聲 普撲品匹●●●●,一聲 ■■■■開宰愛○;旁排平瓶●●●●,■■■■回每退○;東丹帝■●●●●,■■■■良兩向○;六音 兌大弟■●●●●,十一音 ■■■■光廣況○;九聲 土貪天■●●●●,二聲 ■■■■丁井亙○;同覃田■●●●●,■■■■兄永瑩○;乃你女■●●●●,■■■■千典旦○;七音 內南年■●●●●,十一音 ■■■■元犬半○;九聲 老冷呂■●●●●,三聲 ■■■■臣引艮○;鹿犖離■●●●●,■■■■君允巽○。

右半は別に「開音濁和律四之十一」を起し、水石音第十一音を以て和とす。この音は同じく実音に指すべき者なし。ゆえに「■■■■」と作す。配する所は正声第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。左半はなお「平声翕唱呂四之九」に在り、第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第五音「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」を配す。右列の十二行の四字は平・上・去・入を序に依る。「良両向○」はすなわち平は「良」、上は「両」、去は「向」、入声は位あって字なし。左列の第五音は重唇に属し、四位俱全。第六音は舌頭に属し、第七音は鼻来の一系に属し、両類の末位皆音なし。本段は左右各々十三行なり。

走哉足■●●●●,■■■■刀早孝嶽;八音 自在匠■●●●●,十一音 ■■■■毛寶報霍;九聲 草采七■●●●●,四聲 ■■■■牛斗奏六;曹才全■●●●●,■■■■○○○玉;思三星■●●●●,■■■■妻子四日;九音 寺□象■●●●●,十一音 ■■■■衰○帥骨;九聲 □□□■●●●●,五聲 ■■■■○○○德;□□□■●●●●,■■■■龜水貴北;■山手■●●●●,■■■■宮孔眾○;十音 ■士石■●●●●,十一音 ■■■■龍甬用○;九聲 ■□耳■●●●●,六聲 ■■■■魚鼠去○;■□二■●●●●,■■■■烏虎兔○;■莊震■●●●●,■■■■心審禁○。

「平声翕唱呂四之九」を続く。左半は第九声の「●●●●」を以て唱とし、正音第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を配し、末行は第十一音の首行「■荘震■」に接す。右半は「開音濁和律四之十一」に属し、無音の「■■■■」を以て和とし、正声第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を配し、末行は第七声の首行「心審禁○」なり。左列の第八音は歯頭に属し、第九音は歯頭擦音に属し、第十音は正歯と日母の一系に属す。右列は「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」は四位俱全、「○○○玉」はただ入声のみ字あり、「衰○帥骨」は上声を缺く。本段は左右各々十三行にして、正に両図の中途に在り、両図とも未だ終篇せず、下文に接続す。

声音唱和図・平声翕唱呂四之九、開音濁和律四之十一(前を承く)

十一音 ■乍□■●●●● 十一音 ■■■■○○○十 九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ ■崇辰■●●●● ■■■■○○○妾 ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十一音 ■■■■●●●● 九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●●

この七行は上文を承く。左半はなお「平声翕唱呂四之九」に属し、右半はなお「開音濁和律四之十一」に属す。左表の唱する所の第九声はそれ自身「●」と書す――すなわちこの位に声なし。ゆえに毎行の後に皆四つの「●」を綴る。それと相唱するは正音の第十一・第十二の両類なり。第十一音の火・土・石の三行は順次「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」にして、第十二音の水・火・土・石の四行は順次「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」なり。毎行の四位は「開」「発」「収」「閉」を序に依る。開位と閉位は一律に「■」と作す――此の位に音なきを示す。ただ発位・収位のみ実字に落ち、「■乍□■」の収位は「□」と作す――この音位あれども配するべき字を挑出さざるなり。右半の第十一音もまた「■」なり。それは上に天之用声の第七声の月・星・辰の三行「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、および第八声の四行「●●●●」を和す。「○」はこの声位あれども配するべき字なきを示し、「●」は連声位も存在せざるを示す。

声音唱和図・平声翕唱呂四之十

平聲翕唱呂四之十 古甲九癸●●●● ■■■■●●●● 一音 □□近揆●●●● 十一音 ■■■■●●●● 十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 ■■■■●●●● □□乾蚪●●●● ■■■■●●●● 黑花香血●●●● ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十一音 ■■■■●●●● 十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯●●●● ■■■■●●●●

「平声翕唱呂四之十」は別に一図を起す。唱するは日辰声平翕十声の里の第十声なり。この一声は「●」にして、もとよりその声なし。ここに因りて左半は毎行の末尾に皆四つの「●」を書し、ただその配せんとする所の音位を照らして録するのみ。第一音の水行は「古甲九癸」、火行は「□□近揆」、土行は「坤巧丘棄」、石行は「□□乾蚪」。第二音の水行は「黒花香血」、火行は「黄華雄賢」、土行は「五瓦仰□」、石行は「吾牙月尭」。四位はなお開・発・収・閉に依りて排列す。第一音の火行・石行の前の両位と第二音の土行の末位は皆「□」を書す――皆音位あれども字なきなり。右半はなお第十一音の「■」にして第九声・第十声を和す。この両声は皆声位なし、ゆえに八行は通じて「●●●●」と作す。右図はここに至りて第十一音の四十個の声位を配し畢り、左図は則ちなお十音を唱するを余す。

声音唱和図・開音濁和律四之十二

開音濁和律四之十二 安亞乙一●●●● ●●●●多可個舌 三音 □爻壬寅●●●● 十二音 ■■■■禾火化八 十聲 母馬美米●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 目貌眉民●●●● ■■■■回每退○ 夫法□飛●●●● ■■■■良兩向○ 四音 父凡□吠●●●● 十二音 ■■■■光廣況○ 十聲 武晚□尾●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 文萬□未●●●● ■■■■兄永瑩○ 卜百丙必●●●● ■■■■千典旦○ 五音 步白備鼻●●●● 十二音 ■■■■元犬半○ 十聲 普撲品匹●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ 旁排平瓶●●●● ■■■■君允巽○

「開音濁和律四之十二」は水石音開濁十二音の末の一類なり。この一音は「■」と書す――もとよりその音なし。ゆえに右半は毎行の前は皆四つの空位の符なり。底本の首行は誤りて「●●●●」と刻すが、下文の一律の「■■■■」と合わず――当に「■」を以て正と為すべし。それは上に天之用声の第一・第二・第三声を和す。第一声の日・月・星・辰の四行は「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声は「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声は「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。毎行の四字は平・上・去・入を序に依り、末位に屡々「○」を見る――この声位あれども配するべき字なきなり。左半はなお第十声によりて第三・第四・第五音を唱す。第三音の四行は「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」、第四音の四行は「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音の四行は「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」。その中の「□」も同じく音位あれども字なきなり。

東丹帝■●●●● ■■■■刀早孝嶽 六音 兌大弟■●●●● 十二音 ■■■■毛寶報霍 十聲 土貪天■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 同覃田■●●●● ■■■■○○○玉 乃你女■●●●● ■■■■妻子四日 七音 內南年■●●●● 十二音 ■■■■衰○帥骨 十聲 老冷呂■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 鹿犖離■●●●● ■■■■龜水貴北 走哉足■●●●● ■■■■宮孔眾○ 八音 自在匠■●●●● 十二音 ■■■■龍甬用○ 十聲 草采七■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ 曹才全■●●●● ■■■■烏虎兔○ 思三星■●●●● ■■■■心審禁○ 九音 寺□象■●●●● 十二音 ■■■■○○○十 十聲 □□□■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ □□□■●●●● ■■■■●●●妾

左半は続けて第十声によりて第六より第九音に至るまでを唱す。第六音の四行は「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音は「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音は「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」――この三類の音の閉位は一律に音なし。第九音の四行は「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」――閉位の音なきを除く外、土行・石行の開・発・収の三位は全て「□」を書す――音位あれども配するべき字なきなり。右半は第十二音の「■」にして上に第四より第七声に至るまでを和す。第四声は「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声は「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声は「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声は「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」。末の一行は底本は「●●●妾」と作るが、全書の通例に按ずれば「○○○妾」と作すべし。

■山手■●●●● ■■■■●●●● 十音 ■士石■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■□耳■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■□二■●●●● ■■■■●●●● ■莊震■●●●● ■■■■●●●● 十一音 ■乍□■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 ■■■■●●●● ■崇辰■●●●● ■■■■●●●● ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●●

左半はここに至りて第十声と十二音とを配し畢る。第十音の四行は「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音は「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音は「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」――この三類の音の開位・閉位は全て無音に属し、ただ発位・収位のみ字に落ち、「■□耳■」「■乍□■」の里の「□」は則ち音位あれども字を挑出さざるなり。右半は第十二音にして第八・第九・第十声を和しに往く。三声ともに声位なし。ゆえに十二行は一色に「●●●●」を書す。ここに至りて《観物篇三十八》の「日辰声平翕」と「水石音開濁」の両図は配し畢る。声図は毎図四十八行にして十二音を遍歴し、音図は毎図四十行にして十声を遍歴す。声の七は地之用音一百五十二に乗じて一千六十四を得、音の九は天之用声一百一十二に乗じて一千八を得るなり。

皇極経世書巻八上

観物篇三十九・月日声上辟、火水音発清

皇極經世書卷八上 觀物篇三十九 月日聲上闢 火水音發清 可兩典早子 甲花亞法百丹 孔審●●● 你哉三山莊卓 月日聲七,下唱地之 火水音十二,上和天 用音一百五十二,是 之用聲一百一十二, 謂上聲闢音。上聲闢 是謂發音清聲。發音 音一千六十四。 清聲一千三百四十四。 月日聲上之一闢 火水音發之一清

以下は《皇極経世書》巻八上《観物篇三十九》なり。本篇の配する所は「月日声上辟」と「火水音発清」と。「月」は四声の中の上声を指し、「日」は毎一声の第一行を指す。十声の日行の上声字を取りて、「可・両・典・早・子・孔・審」の七字を得。第八・第九・第十声は「●」と書作す――あの三個の声位は根本より声を成さず。「火」は四音の中の発音を指し、「水」は毎一音の第一行を指す。十二音の水行の発音字を取りて、「甲・花・亜・法・百・丹・你・哉・三・山・荘・卓」の十二字を得。原書の正文は左右両欄に分かちて並列す。左欄に曰く、月日声は共に七にして、下に向かいて地之用音一百五十二を唱う――これ便ち上声辟音と名づく。上声辟音は総計一千六十四。右欄に曰く、火水音は共に十二にして、上に向かいて天之用声一百一十二を和す――これ便ち発音清声と名づく。発音清声は総計一千三百四十四。七に一百五十二を乗ずれば正に一千六十四を得、十二に一百一十二を乗ずれば正に一千三百四十四を得。末行の「月日声上之一辟」「火水音発之一清」は以下の両図の総目なり。

声音唱和図・上声辟唱呂一之一、発音清和律一之一

上聲闢唱呂一之一 發音清和律一之一 古甲九癸可可可可 甲甲甲甲多可個舌 一音 □□近揆可可可可 一音 甲甲甲甲禾火化八 一聲 坤巧丘棄可可可可 一聲 甲甲甲甲開宰愛○ □□乾蚪可可可可 甲甲甲甲回每退○ 黑花香血可可可可 甲甲甲甲良兩向○ 二音 黃華雄賢可可可可 一音 甲甲甲甲光廣況○ 一聲 五瓦仰□可可可可 二聲 甲甲甲甲丁井亙○ 吾牙月堯可可可可 甲甲甲甲兄永瑩○ 安亞乙一可可可可 甲甲甲甲千典旦○ 三音 □爻壬寅可可可可 一音 甲甲甲甲元犬半○ 一聲 母馬美米可可可可 三聲 甲甲甲甲臣引艮○ 目貌眉民可可可可 甲甲甲甲君允巽○

両図は同時に頭を起す。左図は「上声辟唱呂一之一」と題し、唱する所は上声辟の第一声「可」なり。右図は「発音清和律一之一」と題し、和する所は発音清の第一音「甲」なり。左半は毎行先ず一音の四位を列し、再び「可」を重ねて四遍書してこれと相唱す。第一音の水行は「古甲九癸」、火行は「□□近揆」、土行は「坤巧丘棄」、石行は「□□乾蚪」。第二音の水行は「黒花香血」、火行は「黄華雄賢」、土行は「五瓦仰□」、石行は「吾牙月尭」。第三音の水行は「安亜乙一」、火行は「□爻壬寅」、土行は「母馬美米」、石行は「目貌眉民」。四位は開・発・収・閉を序に依る。「□」の処はこの音位あれども字なきなり――第一音の火行の開・発の両位の如し。右半は毎行先ず「甲」を重ねて四遍書し、再び一声の四位を列す。第一声の日・月・星・辰の四行は「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声は「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声は「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」。四字は平・上・去・入を序に依る。「○」はこの声位あれども字なきなり。

夫法□飛可可可可 甲甲甲甲刀早孝嶽 四音 父凡□吠可可可可 一音 甲甲甲甲毛寶報霍 一聲 武晚□尾可可可可 四聲 甲甲甲甲牛斗奏六 文萬□未可可可可 甲甲甲甲○○○玉 卜百丙必可可可可 甲甲甲甲妻子四日 五音 步白備鼻可可可可 一音 甲甲甲甲衰○帥骨 一聲 普撲品匹可可可可 五聲 甲甲甲甲○○○德 旁排平瓶可可可可 甲甲甲甲龜水貴北 東丹帝■可可可可 甲甲甲甲宮孔眾○ 六音 兌大弟■可可可可 一音 甲甲甲甲龍甬用○ 一聲 土貪天■可可可可 六聲 甲甲甲甲魚鼠去○ 同覃田■可可可可 甲甲甲甲烏虎兔○ 乃你女■可可可可 甲甲甲甲心審禁○ 七音 內南年■可可可可 一音 甲甲甲甲○○○十 一聲 老冷呂■可可可可 七聲 甲甲甲甲男坎欠○ 鹿犖離■可可可可 甲甲甲甲○○○妾

左半はなお「可」の声を以て第四より第七音に至るまでを唱す。第四音の水行は「夫法□飛」、火行は「父凡□吠」、土行は「武晚□尾」、石行は「文万□未」――四行の収位は皆「□」を書す。音位あれども字なし。第五音の「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」は四位俱全。第六音の「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」と第七音の「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」は、閉位は一律に「■」と作す――此の位に音なし。右半は「甲」の音を以て第四より第七声に至るまでを和す。第四声は「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声は「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声は「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声は「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」。これらの声の里の「○」は皆声位あれども配するべき字なし――「●」の并せて声位なきとは截然として同じからず。

走哉足■可可可可 甲甲甲甲●●●● 八音 自在匠■可可可可 一音 甲甲甲甲●●●● 一聲 草采七■可可可可 八聲 甲甲甲甲●●●● 曹才全■可可可可 甲甲甲甲●●●● 思三星■可可可可 甲甲甲甲●●●● 九音 寺□象■可可可可 一音 甲甲甲甲●●●● 一聲 □□□■可可可可 九聲 甲甲甲甲●●●● □□□■可可可可 甲甲甲甲●●●● ■山手■可可可可 甲甲甲甲●●●● 十音 ■士石■可可可可 一音 甲甲甲甲●●●● 一聲 ■□耳■可可可可 十聲 甲甲甲甲●●●● ■□二■可可可可 甲甲甲甲●●●●

左半は「可」の声を以て第八・第九・第十音を唱す。第八音の四行は「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」――閉位音なし。第九音の四行は「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」――土行・石行の前の三位は皆音位あれども字なし。第十音の四行は「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」――開位・閉位は皆音なく、土行・石行の発位はさらに「□」を書す。右半は「甲」の音を以て第八・第九・第十声を和す。この三声は上声辟の中に并せて声位なし。ここに因りて十二行は全て「●●●●」を書す。邵雍がこの許多の空位を設くるは、正しく天下の声音は理の上に於て一百六十の声位・一百九十二の音位あるべきを顕出し、しかして実際に字に落ちうるはただ一百一十二と一百五十二のみなるを為さんがためなり。

声音唱和図・発音清和律一之二

發音清和律一之二 ■莊震■可可可可 花花花花多可個舌 十一音 ■乍□■可可可可 二音 花花花花禾火化八 一聲 ■叉赤■可可可可 一聲 花花花花開宰愛○ ■崇辰■可可可可 花花花花回每退○ ■卓中■可可可可 花花花花良兩向○ 十二音 ■宅直■可可可可 二音 花花花花光廣況○ 一聲 ■拆丑■可可可可 二聲 花花花花丁井亙○ ■茶呈■可可可可 花花花花兄永瑩○

左半は「上声辟唱呂一之一」を収め畢り、「可」の声を以て第十一・第十二音を唱す。第十一音の四行は「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音の四行は「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」――開位・閉位は一概に音なく、「■乍□■」の収位は「□」を書す――音位あれども字なきなり。ここに至りて「可」の声は已に十二音の四十八個の音位と一々相唱し畢る。右半は別に「発音清和律一之二」を起し、改めて発音清の第二音「花」を用い、先ず第一声の日・月・星・辰の四行「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」を和し、再び第二声の四行「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」を和す。

声音唱和図・上声辟唱呂一之二

上聲闢唱呂一之二 古甲九癸兩兩兩兩 花花花花千典旦○ 一音 □□近揆兩兩兩兩 二音 花花花花元犬半○ 二聲 坤巧丘棄兩兩兩兩 三聲 花花花花臣引艮○ □□乾蚪兩兩兩兩 花花花花君允巽○ 黑花香血兩兩兩兩 花花花花刀早孝嶽 二音 黃華雄賢兩兩兩兩 二音 花花花花毛寶報霍 二聲 五瓦仰□兩兩兩兩 四聲 花花花花牛斗奏六 吾牙月堯兩兩兩兩 花花花花○○○玉 安亞乙一兩兩兩兩 花花花花妻子四日 三音 □爻壬寅兩兩兩兩 二音 花花花花衰○帥骨 二聲 母馬美米兩兩兩兩 五聲 花花花花○○○德 目貌眉民兩兩兩兩 花花花花龜水貴北 夫法□飛兩兩兩兩 花花花花宮孔眾○ 四音 父凡□吠兩兩兩兩 二音 花花花花龍甬用○ 二聲 武晚□尾兩兩兩兩 六聲 花花花花魚鼠去○ 文萬□未兩兩兩兩 花花花花烏虎兔○

左半は別に「上声辟唱呂一之二」を起し、改めて上声辟の第二声「両」を用い、第一音より唱え起す。第一音は「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音は「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音は「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」、第四音は「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」。その中の「□」は皆この音位あれども配するべき字なきなり。右半はなお第二音「花」にして和を継ぎ、第三より第六声に至るまでを続けて和す。第三声は「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声は「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声は「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声は「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」。左図は声を以て音を唱い、右図は音を以て声を和す。一唱一和――正しく「声は律と為り、音は呂と為る」の義を取る。

卜百丙必兩兩兩兩 花花花花心審禁○ 五音 步白備鼻兩兩兩兩 二音 花花花花○○○十 二聲 普撲品匹兩兩兩兩 七聲 花花花花男坎欠○ 旁排平瓶兩兩兩兩 花花花花○○○妾 東丹帝■兩兩兩兩 花花花花●●●● 六音 兌大弟■兩兩兩兩 二音 花花花花●●●● 二聲 土貪天■兩兩兩兩 八聲 花花花花●●●● 同覃田■兩兩兩兩 花花花花●●●● 乃你女■兩兩兩兩 花花花花●●●● 七音 內南年■兩兩兩兩 二音 花花花花●●●● 二聲 老冷呂■兩兩兩兩 九聲 花花花花●●●● 鹿犖離■兩兩兩兩 花花花花●●●● 走哉足■兩兩兩兩 花花花花●●●● 八音 自在匠■兩兩兩兩 二音 花花花花●●●● 二聲 草采七■兩兩兩兩 十聲 花花花花●●●● 曹才全■兩兩兩兩 花花花花●●●●

左半は「両」の声を以て第五より第八音に至るまでを接唱す。第五音は「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音は「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音は「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音は「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」。第六・第七・第八の三音の閉位は全て「■」――此の位に音なし。右半は「花」の音にして第七より第十声に至るまでを和す。第七声は「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」――その中の「○」は声位あれども字なきなり。第八・第九・第十声は上声辟の中に声位なし、ゆえに一連十二行皆「●●●●」を書す。「花」の音はここに至りて四十個の声位を和し遍し、前面の「甲」の音の一輪の体例と全く同じ。左図のこの欄は第八音に至るまで排し、なお第九より第十二音に至るまで未だ唱せざるを余す。右図は則ち已に「花」の音を配し畢る。以て見るべし、両欄は各々自らの次第に按じて推進す――標題は此に因りて時にはただ一辺のみ換わる。

声音唱和図・発音清和律一之三

發音清和律一之三 思三星置兩兩兩兩 亞亞亞亞多可個舌 九音 寺□象■兩兩兩兩 三音 亞亞亞亞禾火化八 二聲 □□□■兩兩兩兩 一聲 亞亞亞亞開宰愛○ □□□■兩兩兩兩 亞亞亞亞回每退○ ■山手■兩兩兩兩 亞亞亞亞良兩向○ 十音 ■士石■兩兩兩兩 三音 亞亞亞亞光廣況○ 二聲 ■□耳■兩兩兩兩 二聲 亞亞亞亞丁井亙○ ■□二■兩兩兩兩 亞亞亞亞兄永瑩○ ■莊震■兩兩兩兩 亞亞亞亞千典旦○ 十一音 ■乍□■兩兩兩兩 三音 亞亞亞亞元犬半○ 二聲 ■叉赤■兩兩兩兩 三聲 亞亞亞亞臣引艮○ ■崇辰■兩兩兩兩 亞亞亞亞君允巽○ ■卓中■兩兩兩兩 亞亞亞亞刀早孝嶽 十二音 ■宅直■兩兩兩兩 三音 亞亞亞亞毛寶報霍 二聲 ■拆丑■兩兩兩兩 四聲 亞亞亞亞牛斗奏六 ■茶呈■兩兩兩兩 亞亞亞亞○○○玉

右半は別に「発音清和律一之三」を起し、改めて発音清の第三音「亜」を用い、順次第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を和す。左半は「両」の声にして最後の四音を唱す。第九音は「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」――首行は底本は「■」を誤りて「置」字と刻す。第十音は「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」。第十一音は「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」。第十二音は「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」。この四音の開位・閉位は大半「■」を書す――正しく邵雍の標す所の此の位に音なきなり。

声音唱和図・上声辟唱呂一之三

上聲闢唱呂一之三 古甲九癸典典典典 亞亞亞亞妻子四日 一音 □□近揆典典典典 三音 亞亞亞亞衰○帥骨 三聲 坤巧丘棄典典典典 五聲 亞亞亞亞○○○德 □□乾蚪典典典典 亞亞亞亞龜水貴北 黑花香血典典典典 亞亞亞亞宮孔眾○ 二音 黃華雄賢典典典典 三音 亞亞亞亞龍甬用○ 三聲 五瓦仰□典典典典 六聲 亞亞亞亞魚鼠去○ 吾牙月堯典典典典 亞亞亞亞烏虎兔○ 安亞乙一典典典典 亞亞亞亞心審禁○ 三音 □爻壬寅典典典典 三音 亞亞亞亞○○○十 三聲 母馬美米典典典典 七聲 亞亞亞亞男坎欠○ 目貌眉民典典典典 亞亞亞亞○○○妾 夫法□飛典典典典 亞亞亞亞●●●● 四音 父凡□吠典典典典 三音 亞亞亞亞●●●● 三聲 武晚□尾典典典典 八聲 亞亞亞亞●●●● 文萬□未典典典典 亞亞亞亞●●●●

左半は別に「上声辟唱呂一之三」を起し、改めて上声辟の第三声「典」を用い、第一音より唱え起す。第一音は「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音は「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音は「安亜乙一」「□爻壬寅」「母馬美米」「目貌眉民」、第四音は「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」。右半は第三音「亜」にして第五より第八声に至るまでを続けて和す。第五声は「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声は「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声は「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声の四行は俱に「●●●●」なり。「○」は声位あれども字なし、「●」は并せて声位もまたなし――二者は脱文と作し見るべからず。左図はこの時に至りて始めて十六個の音位を唱え過ぎ、右図は却て已に三十二個の声位を和し過ぐ。両欄の進度はもと相い等しからず。読むとき須く各々その欄に依るべし。左右両組の字を連ね読みて句と成すべからず。

卜百丙必典典典典 亞亞亞亞●●●● 五音 步白備鼻典典典典 三音 亞亞亞亞●●●● 三聲 普撲品匹典典典典 九聲 亞亞亞亞●●●● 旁排平瓶典典典典 亞亞亞亞●●●● 東丹帝■典典典典 亞亞亞亞●●●● 六音 兌大弟■典典典典 三音 亞亞亞亞●●●● 三聲 土貪天■典典典典 十聲 亞亞亞亞●●●● 同覃田■典典典典 亞亞亞亞●●●●

左半は「典」の声を以て第五音と第六音とを接唱す。第五音の水・火・土・石の四行は「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」――四位斉全なり。第六音の四行は「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」――閉位は一律に音なし。右半は「亜」の音にして第九声と第十声とを和す。両声ともに声位なし、八行皆「●●●●」を書す。「亜」音の四十個の声位は此に於て配し畢る。上声辟はただ七声のみ字あり、第八より第十声に至るまで全て空位に属す。ゆえに毎一輪の音和は末尾に到りて皆連ねて十二行の空号を書す。

声音唱和図・発音清和律一之四

發音清和律一之四 乃你女■典典典典 法法法法多可個舌 七音 內南年■典典典典 四音 法法法法禾火化八 三聲 老冷呂■典典典典 一聲 法法法法開宰愛○ 鹿犖離■典典典典 法法法法回每退○ 走哉足■典典典典 法法法法良兩向○ 八音 自在匠■典典典典 四音 法法法法光廣況○ 三聲 草采七■典典典典 二聲 法法法法丁井亙○ 曹才全■典典典典 法法法法兄永瑩○ 思三星■典典典典 法法法法千典旦○ 九音 寺□象■典典典典 四音 法法法法元犬半○ 三聲 □□□■典典典典 三聲 法法法法臣引艮○ □□□■典典典典 法法法法君允巽○ ■山手■典典典典 法法法法刀早孝嶽 十音 ■士石■典典典典 四音 法法法法毛寶報霍 三聲 ■□耳■典典典典 四聲 法法法法牛斗奏六 ■□二■典典典典 法法法法○○○玉

右半は別に「発音清和律一之四」を起し、改めて発音清の第四音「法」を用い、順次第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を和す。左半は「典」の声にして第七より第十音に至るまでを続けて唱す。第七音は「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音は「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音は「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音は「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」。第九音の後二行は幾んど全て「□」、第十音は則ち開位皆「■」――一は位あって字なし、一は并せて位もまたなし。声図は一図四十八行、音図は一図四十行――行数は同じからざるも各々自ら篇を成す。これは十二音と十声の分数の致す所なり。

■莊震■典典典典 法法法法妻子四日 十一音 ■乍□■典典典典 四音 法法法法衰○帥骨 三聲 ■叉赤■典典典典 五聲 法法法法○○○德 ■崇辰■典典典典 法法法法龜水貴北 ■卓中■典典典典 法法法法宮孔眾○ 十二音 ■宅直■典典典典 四音 法法法法龍甬用○ 三聲 ■拆丑■典典典典 六聲 法法法法魚鼠去○ ■茶呈■典典典典 法法法法烏虎兔○

左半は「典」の声を以て第十一音「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え畢る。開位・閉位は一概に「■」にして、ただ発位・収位のみ字あり、「■乍□■」の収位はまた音位あれども字なきの「□」なり。「典」の声はここに由りて四十八個の音位を唱え遍し。右半は第四音「法」にして第五声「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」と第六声「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」を和す。

声音唱和図・上声辟唱呂一之四

上聲闢唱呂一之四 古甲九癸早早早早 法法法法心審禁○ 一音 □□近揆早早早早 四音 法法法法○○○十 四聲 坤巧丘棄早早早早 七聲 法法法法男坎欠○ □□乾蚪早早早早 法法法法○○○妾 黑花香血早早早早 法法法法●●●● 二音 黃華雄賢早早早早 四音 法法法法●●●● 四聲 五瓦仰□早早早早 八聲 法法法法●●●● 吾牙月堯早早早早 法法法法●●●● 安亞乙一早早早早 法法法法●●●● 三音 □爻王寅早早早早 四音 法法法法●●●● 四聲 母馬美米早早早早 九聲 法法法法●●●● 目貌眉民早早早早 法法法法●●●● 夫法□飛早早早早 法法法法●●●● 四音 父凡□吠早早早早 四音 法法法法●●●● 四聲 武晚□尾早早早早 十聲 法法法法●●●● 文萬□未早早早早 法法法法●●●●

左半は別に「上声辟唱呂一之四」を起し、改めて上声辟の第四声「早」を用い、第一音より唱え起す。第一音は「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」、第二音は「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」、第三音は「安亜乙一」「□爻王寅」「母馬美米」「目貌眉民」――火行の「王」字は底本は訛刻なり、当に他処に依りて「壬」と作すべし――第四音は「夫法□飛」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」。右半は第四音「法」にして第七より第十声に至るまでを続けて和す。第七声は「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八・第九・第十声は声位なし、一連十二行に「●●●●」を書す。声図は毎類四行にして分かちて日・月・星・辰に属し、音図は毎類四行にして分かちて水・火・土・石に属す。四行の内にまた各々四位を分かつ。全書の推数は便ちこの両重の四分の上に架く。「早」は十声の日行の第四個の上声字にして、第四声の「刀早孝岳」より取る――「刀」「孝」「岳」と同属一声にして、調は平・上・去・入の別あり。

声音唱和図・発音清和律一之五

發音清和律一之五 卜百丙必早早早早 百百百百多可個舌 五音 步白備鼻早早早早 五音 百百百百禾火化八 四聲 普撲品匹早早早早 一聲 百百百百開宰愛○ 旁排平瓶早早早早 百百百百回每退○ 東丹帝■早早早早 百百百百良兩向○ 六音 兌大弟■早早早早 五音 百百百百光廣況○ 四聲 土貪天■早早早早 二聲 百百百百丁井亙○ 同覃田■早早早早 百百百百兄永瑩○ 乃你女■早早早早 百百百百千典旦○ 七音 內南年■早早早早 五音 百百百百元犬半○ 四聲 老冷呂■早早早早 三聲 百百百百臣引艮○ 鹿犖離■早早早早 百百百百君允巽○ 走哉足■早早早早 百百百百刀早孝嶽 八音 自在匠■早早早早 五音 百百百百毛寶報霍 四聲 草采七■早早早早 四聲 百百百百牛斗奏六 曹才全■早早早早 百百百百○○○玉

右半は別に「発音清和律一之五」を起し、改めて発音清の第五音「百」を用い、順次第一声「多可个舌」「禾火化八」「開宰愛○」「回毎退○」、第二声「良両向○」「光広況○」「丁井亘○」「兄永瑩○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝報霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を和す。左半は「早」の声にして第五より第八音に至るまでを続けて唱す。第五音は「卜百丙必」「步白備鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音は「東丹帝■」「兌大弟■」「土貪天■」「同覃田■」、第七音は「乃你女■」「内南年■」「老冷呂■」「鹿犖離■」、第八音は「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」。第六より第八音に至るまでの閉位は皆配するべき音なし、其余の三位は則ち字字実に落つ。「百」は十二音の水行の第五個の発音字にして、第五音の「卜百丙必」より取る――「卜」「丙」「必」と同属一音にして、位は開・発・収・閉の分あり。

思三星■早早早早 百百百百妻子四日 九音 寺□象■早早早早 五音 百百百百衰○帥骨 四聲 □□□■早早早早 五聲 百百百百○○○德 □□□■早早早早 百百百百龜水貴北 ■山手■早早早早 百百百百宮孔眾○ 十音 ■士石■早早早早 五音 百百百百龍甬用○ 四聲 ■□耳■早早早早 六聲 百百百百魚鼠去○ ■□二■早早早早 百百百百烏虎兔○ ■莊震■早早早早 百百百百心審禁○ 十一音 ■乍□■早早早早 五音 百百百百○○○十 四聲 ■叉赤■早早早早 七聲 百百百百男坎欠○ ■崇辰■早早早早 百百百百○○○妾 ■卓中■早早早早 百百百百●●●● 十二音 ■宅直■早早早早 五音 百百百百●●●● 四聲 ■圻丑■早早早早 八聲 百百百百●●●● ■茶呈■早早早早 百百百百●●●●

左半は「早」の声を以て第九より第十二音に至るまでを唱す。第九音は「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音は「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音は「■荘震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音は「■卓中■」「■宅直■」「■圻丑■」「■茶呈■」――第十二音の土行は底本は「圻」と作るが、当に他処に依りて「拆」と作すべし。「早」の声はここに至りて四十八個の音位を唱え遍し。右半は第五音「百」にして第五より第八声に至るまでを和す。第五声は「妻子四日」「衰○帥骨」「○○○徳」「亀水貴北」、第六声は「宮孔衆○」「龍甬用○」「魚鼠去○」「烏虎兎○」、第七声は「心審禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声の四行は皆「●●●●」なり。ここに至りて上声辟の前の四声は各々已に一たび四十八個の音位を唱え遍し、共に一百九十二次の相唱を成す。其余の三声と三個の空位とは順次照らして行い、全図の数はすなわちここに由りて累加して成るなり。

声音唱和図・上声辟唱呂一之五

上聲闢唱呂一之五 古甲九癸子子子子 百百百百●●●● 一音 □□近揆子子子子 五音 百百百百●●●● 五聲 坤巧丘棄子子子子 九聲 百百百百●●●● □□乾蚪子子子子 百百百百●●●● 黑花香血子子子子 百百百百●●●● 二音 黃華雄賢子子子子 五音 百百百百●●●● 五聲 五瓦仰□子子子子 十聲 百百百百●●●● 吾牙月堯子子子子 百百百百●●●●

左半は別に「上声辟唱呂一之五」を起し、改めて上声辟の第五声「子」を用い、先ず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘棄」「□□乾蚪」と第二音「黒花香血」「黄華雄賢」「五瓦仰□」「吾牙月尭」を唱す。第一音の火行・石行の開・発の両位と第二音の土行の閉位は皆「□」を書す――音位あれども配するべき字なきなり。右半は第五音「百」にして第九声・第十声を和す。両声は声位なし、八行俱に「●●●●」と作す。「百」音の一輪の四十個の声位はここに至りて配し畢る。

声音唱和図・発音清和律一之六

發音清和律一之六 安亞乙一子子子子 丹丹丹丹多可個舌 三音 □爻壬寅子子子子 六音 丹丹丹丹禾火化八 五聲 母馬美米子子子子 一聲 丹丹丹丹開宰愛○ 目貌眉民子子子子 丹丹丹丹回每退○ 夫法□飛子子子子 丹丹丹丹良兩向○ 四音 父凡□吠子子子子 六音 丹丹丹丹光廣況○ 五聲 武晚□尾子子子子 二聲 丹丹丹丹丁井亙○ 文萬□未子子子子 丹丹丹丹兄永瑩○ 卜百丙必子子子子 丹丹丹丹千典旦○ 五音 步白備鼻子子子子 六音 丹丹丹丹元犬半○ 五聲 普撲品匹子子子子 三聲 丹丹丹丹臣引艮○ 旁排平瓶子子子子 丹丹丹丹君允巽○ 東丹帝■子子子子 丹丹丹丹刀早孝嶽 六音 兌大弟■子子子子 六音 丹丹丹丹毛寶報霍 五聲 土貪天■子子子子 四聲 丹丹丹丹牛斗奏六 同覃田■子子子子 丹丹丹丹○○○玉

右半は改めて「発音清和律一之六」を立て、発音清の第六音「丹」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半は「子」の声で第三音から第六音までを続けて唱える。すなわち第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」である。第四音四行の收位と第三音火行の開位は、いずれも音位はあるが字がない。「丹」は十二音水行の六番目の発音字で、第六音「东丹帝■」から取ったものであり、この音の閉位はもともと音がないので「■」と書く。

乃你女■子子子子 丹丹丹丹妻子四日 七音 內南年■子子子子 六音 丹丹丹丹衰○帥骨 五聲 老冷呂■子子子子 五聲 丹丹丹丹○○○德 鹿犖離■子子子子 丹丹丹丹龜水貴北 走哉足■子子子子 丹丹丹丹宮孔眾○ 八音 自在匠■子子子子 六音 丹丹丹丹龍甬用○ 五聲 草采七■子子子子 六聲 丹丹丹丹魚鼠去○ 曹才全■子子子子 丹丹丹丹烏虎兔○ 思三星■子子子子 丹丹丹丹心審禁○ 九音 寺□象■子子子子 六音 丹丹丹丹○○○十 五聲 □□□■子子子子 七聲 丹丹丹丹男坎欠○ □□□■子子子子 丹丹丹丹○○○妾 ■山手■子子子子 丹丹丹丹●●●● 十音 ■士石■於子子子 六音 丹丹丹丹●●●● 五聲 ■□耳■子子子子 八聲 丹丹丹丹●●●● ■□二■於子子子 丹丹丹丹●●●●

左半は「子」の声で第七音から第十音までを唱える。すなわち第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。第十音の火行・石行に配する「子子子子」は、底本では「于子子子」と誤刻されているので、前後の各行に照らして正すべきである。右半は第六音「丹」が第五声から第八声までと和する。すなわち第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声は四行とも声位がない。第九音の土・石の二行はほとんど「□」ばかりで、第十音の開位はまたすべて「■」である。一方は音位はあって字がなく、他方は音位すらないもので、両者が同じ図の中で隣り合って出るので、その境目を混同してはならない。

■莊震■子子子子 丹丹丹丹●●●● 十一音 ■乍□■子子子子 六音 丹丹丹丹●●●● 五聲 ■叉赤■子子子子 九聲 丹丹丹丹●●●● ■崇辰■子子子子 丹丹丹丹●●●● ■卓中■子子子子 丹丹丹丹●●●● 十二音 ■宅直■子子子子 六音 丹丹丹丹●●●● 五聲 ■拆丑■於子子子 十聲 丹丹丹丹●●●● ■茶呈■子子子子 丹丹丹丹●●●●

左半は「子」の声で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終える。このうち第十二音の土行に配する「子子子子」は、底本ではまた「于子子子」と誤作されている。この二類の音の開位と閉位はすべて「■」で、この位には音がない。右半は「丹」の音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がないので、八行とも「●●●●」と書く。「丹」の音はここで一巡して四十の声位を配し終えた。

声音唱和図・上声辟唱呂一之六、発音清和律一之七

上聲闢唱呂一之六 發音清和律一之七 古甲九癸孔孔孔孔 你你你你多可個舌 一音 □□近揆孔孔孔孔 七音 你你你你禾火化八 六聲 坤巧丘棄孔孔孔孔 一聲 你你你你開宰愛○ □□乾蚪孔孔孔孔 你你你你回每退○ 黑花香血也孔孔孔 你你你你良兩向○ 二音 黃華雄賢孔孔孔孔 七音 你你你你光廣況○ 六聲 五瓦仰□孔孔孔孔 二聲 你你你你丁井亙○ 吾牙月堯孔孔孔孔 你你你你兄永瑩○ 安亞乙一孔孔孔孔 你你你你千典旦○ 三音 □爻王寅孔孔孔孔 七音 你你你你元犬半○ 六聲 母馬美米孔孔孔孔 三聲 你你你你臣引艮○ 目貌眉民孔孔孔孔 你你你你君允巽○

二つの図がここで同時にページを換える。左図は「上声辟唱呂一之六」と題し、上声辟の第六声「孔」に改める。右図は「発音清和律一之七」と題し、発音清の第七音「你」に改める。左半は第一音から始まる。すなわち「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」――このうち水行に配する「孔孔孔孔」は底本では「也孔孔孔」と誤刻されている。第三音「安亚乙一」「□爻王寅」「母马美米」「目貌眉民」では、「王」もまた「壬」とすべきである。右半は「你」の音が第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」と和する。

夫法□飛孔孔孔孔 你你你你刀早孝嶽 四音 父凡□吠孔孔孔孔 七音 你你你你毛寶報霍 六聲 武晚□尾孔孔孔孔 四聲 你你你你牛斗奏六 文萬□未孔孔孔孔 你你你你○○○玉 卜百丙必孔孔孔孔 你你你你妻子四日 五音 步白備鼻孔孔孔孔 七音 你你你你衰○帥骨 六聲 普撲品匹孔孔孔孔 五聲 你你你你○○○德 旁排平瓶孔孔孔孔 你你你你龜水貴北 東丹帝■孔孔孔孔 你你你你宮孔眾○ 六音 兌大弟■孔孔孔孔 七音 你你你你龍甬用○ 六聲 土貪天■孔孔孔孔 六聲 你你你你魚鼠去○ 同覃田■孔孔孔孔 你你你你烏虎兔○ 乃你女■孔孔孔孔 你你你你心審禁○ 七音 內南年■孔孔孔孔 七音 你你你你○○○十 六聲 老冷呂■孔孔孔孔 七聲 你你你你男坎欠○ 鹿犖離■孔孔孔孔 你你你你○○○妾

左半は「孔」の声で第四音から第七音までを唱える。第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」は、四行の收位がいずれも音位はあって字がない。第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」である。右半は第七音「你」が第四声から第七声までと和する。すなわち第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」である。「你」は十二音水行の七番目の発音字で、第七音「乃你女■」から取ったものであり、「孔」は十声日行の六番目の上声字で、第六声「宫孔众○」から取ったものである。左右の両欄がそれぞれ一字を取って主とするのは、まさに一唱一和の義である。

走哉足■孔孔孔孔 你你你你●●●● 八音 自在匠■孔孔孔孔 七音 你你你你●●●● 六聲 草采七■孔孔孔孔 你你你你●●●● 曹才全■孔孔孔孔 八聲 你你你你●●●● 思三星■孔孔孔孔 你你你你●●●● 九音 寺□象■孔孔孔孔 七音 你你你你●●●● 六聲 □□□■孔孔孔孔 九聲 你你你你●●●● □□□■孔孔孔孔 你你你你●●●● ■山手■孔孔孔孔 你你你你●●●● 十音 ■士石■孔孔孔孔 七音 你你你你●●●● 六聲 ■□耳■孔孔孔孔 十聲 你你你你●●●● ■□二■孔孔孔孔 你你你你●●●●

左半は「孔」の声で第八・第九・第十音を唱える。第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。右半は「你」の音が第八・第九・第十声と和するが、この三声は上声辟ではいずれも声位がなく、十二行とも「●●●●」と書く。底本は「八声」の標目を誤って次の行に落としているが、実際には「走哉足」の行からすでに第八声に入っている。空位を連ねて書いて省かないのは、この図式が十声・十二音の整数の格を満たさねばならず、一位でも欠ければ唱和の数が成り立たないからである。第九音の土・石二行の「□」と第十音開位の「■」は、一方は音位はあって字がなく、他方は音位すらないものである。

声音唱和図・発音清和律一之八

發音清和律一之八 ■莊震■孔孔孔孔 哉哉哉哉多可個舌 十一音 ■乍□■孔孔孔孔 八音 哉哉哉哉禾火化八 六聲 ■叉赤■孔孔孔孔 一聲 哉哉哉哉開宰愛○ ■崇辰■孔孔孔孔 哉哉哉哉回每退○ ■卓中■孔孔孔孔 哉哉哉哉良兩向○ 十二音 ■宅直■孔孔孔孔 八音 哉哉哉哉光廣況○ 六聲 ■拆丑■孔孔孔孔 二聲 哉哉哉哉丁井亙○ ■茶呈■孔孔孔孔 哉哉哉哉兄永瑩○

左半は「孔」の声で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終え、「孔」の声はこれをもって四十八の音位に配し尽くした。右半は改めて「発音清和律一之八」を立て、発音清の第八音「哉」を用い、まず第一声の日・月・星・辰の四行「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と和し、次いで第二声の四行「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」と和す。

声音唱和図・上声辟唱呂一之七

上聲闢唱呂一之七 古甲九癸審審審審 哉哉哉哉千典旦○ 一音 □□近揆審審審審 八音 哉哉哉哉元犬半○ 七聲 坤巧丘棄審審審審 三聲 哉哉哉哉臣引艮○ □□乾蚪審審審審 哉哉哉哉君允巽○ 黑花香血審審審審 哉哉哉哉刀早孝嶽 二音 黃華雄賢審審審審 八音 哉哉哉哉毛寶報霍 七聲 五瓦仰□審審審審 四聲 哉哉哉哉牛斗奏六 吾牙月堯審審審審 哉哉哉哉○○○玉 安亞乙一審審審審 哉哉哉哉妻子四日 三音 □爻壬寅審審審審 八音 哉哉哉哉衰○帥骨 七聲 母馬美米審審審審 五聲 哉哉哉哉○○○德 目貌眉民審審審審 哉哉哉哉龜水貴北 夫法□飛審審審審 哉哉哉哉宮孔眾○ 四音 父凡□吠審審審審 八音 哉哉哉哉龍甬用○ 七聲 武晚□尾審審審審 六聲 哉哉哉哉魚鼠去○ 文萬□未審審審審 哉哉哉哉烏虎兔○

左半は改めて「上声辟唱呂一之七」を立て、上声辟の第七声「审」に改める。これも本篇十声のうち最後の、字をもって唱えられる声である。それは第一音から唱え始める。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第八音「哉」が第三声から第六声までを続けて和す。第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。「审」は第七声「心审禁○」の上声位から取ったもので、十声日行のうち最後に字を落とせる声であり、その下の三声は空号だけが残る。

卜百丙必審審審審 哉哉哉哉心審禁○ 五音 步白備鼻審審審審 八音 哉哉哉哉○○○十 七聲 普撲品匹審審審審 七聲 哉哉哉哉男坎欠○ 旁排平瓶審審審審 哉哉哉哉○○○妾 東丹帝■審審審審 哉哉哉哉●●●● 六音 兌大弟■審審審審 八音 哉哉哉哉●●●● 七聲 土貪天■審審審審 八聲 哉哉哉哉●●●● 同田覃■審審審審 哉哉哉哉●●●● 乃你女■審審審審 哉哉哉哉●●●● 七音 內南年■審審審審 八音 哉哉哉哉●●●● 七聲 老冷呂■審審審審 九聲 哉哉哉哉●●●● 鹿犖離■審審審審 哉哉哉哉●●●● 走哉足■審審審審 哉哉哉哉●●●● 八音 自在匠■審審審審 八音 哉哉哉哉●●●● 七聲 草采七■審審審審 十聲 哉哉哉哉●●●● 曹才全■審審審審 哉哉哉哉●●●●

左半は「审」の声で第五音から第八音までを唱える。第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同田覃■」――末行は底本では「同田覃」と倒れており、他の箇所は皆「同覃田」とする。第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」である。右半は「哉」の音が第七声から第十声までと和する。第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八・第九・第十声は声位がなく、十二行とも「●●●●」であり、「哉」の音はこれをもって一巡を配し終えた。「哉」は第八音「走哉足■」の発音位から取ったものである。右図はここまでで「哉」の音の四十の声位を配し足したが、そのうち真に音節を成せるのは前七声の二十八位だけで、後三声の十二位はすべて虚設に属する。声の実数は七、音の実数は十二であり、本篇の一千六十四と一千三百四十四という二つの総数は、この二つの実数に用音・用声の数を乗じて得たものである。

声音唱和図・発音清和律一之九

發音清和律一之九 思三星■審審審審 三三三三多可個舌 九音 寺□象■審審審審 九音 三三三三禾火化八 七聲 □□□■審審審審 一聲 三三三三開宰愛○ □□□■審審審審 三三三三回每退○ ■山手■審審審審 三三三三良兩向○ 十音 ■士石■審審審審 九音 三三三三光廣況○ 七聲 ■□耳■審審審審 二聲 三三三三丁井亙○ ■□二■審審審審 三三三三兄永瑩○ ■莊震■審審審審 三三三三千典旦○ 十一音 ■乍□■審審審審 九音 三三三三元犬半○ 七聲 ■叉赤■審審審審 三聲 三三三三臣引艮○ ■崇辰■審審審審 三三三三君允巽○ ■卓中■審審審審 三三三三刀早孝嶽 十二音 ■宅直■審審審審 九音 三三三三毛寶報霍 七聲 ■拆丑■審審審審 四聲 三三三三牛斗奏六 ■茶呈■審審審審 三三三三○○○玉

右半は改めて「発音清和律一之九」を立て、発音清の第九音「三」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半は「审」の声で最後の四音を唱える。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。「审」の声を唱え終え、上声辟の字のある七つの声はすべて一遍唱えられた。「三」は第九音「思三星■」の発音位から取ったものである。左図はここまでで「审」の声と四十八の音位を配し尽くし、上声辟の字のある声の一巡はついに完了した。

声音唱和図・上声辟唱呂一之八

上聲闢唱呂一之八 古甲九癸●●●● 三三三三妻子四日 一音 □□近揆●●●● 九音 三三三三衰○帥骨 八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 三三三三○○○德 □□乾蚪●●●● 三三三三龜水貴北 黑花香血●●●● 三三三三宮孔眾○ 二音 黃華雄賢●●●● 九音 三三三三龍甬用○ 八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 三三三三魚鼠去○ 吾牙月堯●●●● 三三三三烏虎兔○ 安亞乙一●●●● 三三三三心審禁○ 三音 □爻壬寅●●●● 九音 三三三三○○○十 八聲 母馬美米●●●● 七聲 三三三三男坎欠○ 目貌眉民●●●● 三三三三○○○妾 夫法□飛●●●● 三三三三●●●● 四音 父凡□吠●●●● 九音 三三三三●●●● 八聲 武晚□尾●●●● 八聲 三三三三●●●● 文萬□未●●●● 三三三三●●●●

左半は改めて「上声辟唱呂一之八」を立てる。上声辟の第八声はそれ自体が「●」で、この位には声がないので、各行の末尾には四つの「●」を書くほかないが、十二音の音位はなおそのまま書き写さねばならない。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第九音「三」が第五声から第八声までを続けて和す。第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声は四行とも声位がない。声のない位にもなお図を立てるのは、十声・十二音の格をまず並べ足してからでなければ、その中から字のない位を除いて用声一百十二・用音一百五十二を得ることも論じられないからである。

卜百丙必●●●● 三三三三●●●● 五音 步白備鼻●●●● 九音 三三三三●●●● 八聲 普撲品匹●●●● 九聲 三三三三●●●● 旁排平瓶●●●● 三三三三●●●● 東丹帝■●●●● 三三三三●●●● 六音 兌大弟■●●●● 九音 三三三三●●●● 八聲 土貪天■●●●● 十聲 三三三三●●●● 同覃田■●●●● 三三三三●●●●

左半は第八声という空位をもって第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」と第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」を唱え、各行の後はやはり四つの「●」である。右半は「三」の音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がなく、八行とも「●●●●」とする。声がなくて音があり、音があって声がなく、両側の空位は互いにずれており、邵雍が理の上で有るべき格子をまず埋め尽くしてから、実際の语音がそのうち何格に入り得るかを見たことが、まさにここにうかがえる。

声音唱和図・発音清和律一之十

發音清和律一之十 乃你女■●●●● 山山山山多可個舌 七音 內南年■●●●● 十音 山山山山禾火化八 八聲 老冷呂■●●●● 一聲 山山山山開宰愛○ 鹿犖離■●●●● 山山山山回每退○ 走哉足■●●●● 山山山山良兩向○ 八音 自在匠■●●●● 十音 山山山山光廣況○ 八聲 草采七■●●●● 二聲 山山山山丁井亙○ 曹才全■●●●● 山山山山兄永瑩○ 思三星■●●●● 山山山山千典旦○ 九音 寺□象■●●●● 十音 山山山山元犬半○ 八聲 □□□■●●●● 三聲 山山山山臣引艮○ □□□■●●●● 山山山山君允巽○ ■山手■●●●● 山山山山刀早孝嶽 十音 ■士石■●●●● 十音 山山山山毛寶報霍 八聲 ■□耳■●●●● 四聲 山山山山牛斗奏六 ■□二■●●●● 山山山山○○○玉

右半は改めて「発音清和律一之十」を立て、発音清の第十音「山」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半はなお第八声の空位が第七音から第十音までを唱えている。第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。「山」は第十音「■山手■」の発音位から取ったもので、この音の開位と閉位はもともと音がないので、前後とも「■」と書く。左図のこの一巡は唱えるべき声こそないが、音位は一位も漏らさず並べ通されており、字のある声とまったく同じである。

■莊震■●●●● 山山山山妻子四日 十一音 ■乍□■●●●● 十音 山山山山衰○帥骨 八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 山山山山○○○德 ■崇辰■●●●● 山山山山龜水貴北 ■卓中■●●●● 山山山山宮孔眾○ 十二音 ■宅直■●●●● 十音 山山山山龍甬用○ 八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 山山山山魚鼠去○ ■茶呈■●●●● 山山山山烏虎兔○

左半は第八声の空位で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終え、行末は一律に四つの「●」である。右半は第十音「山」が第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」と第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」と和す。このうち「衰○帅骨」の上声位と「○○○德」の平・上・去の三位は、いずれも声位はあって字がないものである。

声音唱和図・上声辟唱呂一之九

上聲闢唱呂一之九 古甲九癸●●●● 山山山山心審禁○ 一音 □□近揆●●●● 十音 山山山山○○○十 九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 山山山山男坎欠○ □□乾蚪●●●● 山山山山○○○妾 黑花香血●●●● 山山山山●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十音 山山山山●●●● 九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 山山山山●●●● 吾牙月堯●●●● 山山山山●●●● 安亞乙一●●●● 山山山山●●●● 三音 □爻壬寅●●●● 十音 山山山山●●●● 九聲 母馬美米●●●● 九聲 山山山山●●●● 目貌眉民●●●● 山山山山●●●● 夫法□飛●●●● 山山山山●●●● 四音 父凡□吠●●●● 十音 山山山山●●●● 九聲 武晚□尾●●●● 十聲 山山山山●●●● 文萬□未●●●● 山山山山●●●●

左半は改めて「上声辟唱呂一之九」を立てる。第九声も同じく「●」で、唱えるべき声がないが、なお十二音を位ごとに並べ通す。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は「山」の音が第七声から第十声までと和する。第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八・第九・第十声は声位がなく、十二行連続して「●●●●」と書き、「山」の音はここで一巡を配し終えた。「山」の音が一巡して終わったことで、発音清の十二音はすでに十音を配し、なお「庄」「卓」の二音を残す。左図の第九声は第八声と同じく虚位にすぎないが、十二音四行の四十八の位次は変わらずすべて並べられており、邵雍が図を立てるにあたって数の完足を重んじ、字の有無をもって取捨としないことがうかがえる。第一音の火行・石行の開・発の二位と第二音の土行の閉位は、なお音位はあって字がない「□」である。

声音唱和図・発音清和律一之十一

發音清和律一之十一 卜百丙必●●●● 莊莊莊莊多可個舌 五音 步白備鼻●●●● 十一音 莊莊莊莊禾火化八 九聲 普撲品匹●●●● 一聲 莊莊莊莊開宰愛○ 旁排平瓶●●●● 莊莊莊莊回每退○ 東丹帝■●●●● 莊莊莊莊良兩向○ 六音 兌大弟■●●●● 十一音 莊莊莊莊光廣況○ 九聲 土貪天■●●●● 二聲 莊莊莊莊丁井亙○ 同覃田■●●●● 莊莊莊莊兄永瑩○ 乃你女■●●●● 莊莊莊莊千典旦○ 七音 內南年■●●●● 十一音 莊莊莊莊元犬半○ 九聲 老冷呂■●●●● 三聲 莊莊莊莊臣引艮○ 鹿犖離■●●●● 莊莊莊莊君允巽○

右半は改めて「発音清和律一之十一」を立て、発音清の第十一音「庄」を用い、まず第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」と和し、さらに第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」と和す。左半はなお第九声の空位が第五音から第七音までを唱えている。第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」である。「庄」は第十一音「■庄震■」の発音位から取ったもので、この音の開・閉の二位はもともと音がないので、前後に「■」と書く。

走哉足■●●●● 莊莊莊莊刀早孝嶽 八音 自在匠■●●●● 十一音 莊莊莊莊毛寶報霍 九聲 草采七■●●●● 四聲 莊莊莊莊牛斗奏六 曹才全■●●●● 莊莊莊莊○○○玉 思三星■●●●● 莊莊莊莊妻子四日 九音 寺□象■●●●● 十一音 莊莊莊莊衰○帥骨 九聲 □□□■●●●● 五聲 莊莊莊莊○○○德 □□□■●●●● 莊莊莊莊龜水貴北 ■山手■●●●● 莊莊莊莊宮孔眾○ 十音 ■士石■●●●● 十一音 莊莊莊莊龍甬用○ 九聲 ■□耳■●●●● 六聲 莊莊莊莊魚鼠去○ ■□二■●●●● 莊莊莊莊烏虎兔○

左半は第九声の空位で第八音から第十音までを唱える。第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。右半は第十一音「庄」が第四声から第六声までと和す。第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。第五声月行「衰○帅骨」の上声位と星行「○○○德」の平・上・去の三位は、いずれも声位はあって字がないものであり、図を読むにあたって刻み漏らしと見なしてはならない。

■莊震■●●●● 莊莊莊莊心審禁○ 十一音 ■乍□■●●●● 十一音 莊莊莊莊○○○十 九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 莊莊莊莊男坎欠○ ■崇辰■●●●● 莊莊莊莊○○○妾 ■卓中■●●●● 莊莊莊莊●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十一音 莊莊莊莊●●●● 九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 莊莊莊莊●●●● ■茶呈■●●●● 莊莊莊莊●●●●

左半は第九声の空位で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終える。右半は「庄」の音が第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と第八声の四行「●●●●」と和す。第七声は日行の「心审禁」の三字と星行の「男坎欠」の三字だけが実地に落ち、その余はみな位はあって字がない。

声音唱和図・上声辟唱呂一之十

上聲闢唱呂一之十 古甲九癸●●●● 莊莊莊莊●●●● 一音 □□近揆●●●● 十一音 莊莊莊莊●●●● 十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 莊莊莊莊●●●● □□乾蚪●●●● 莊莊莊莊●●●● 黑花香血●●●● 莊莊莊莊●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十一音 莊莊莊莊●●●● 卜聲 五瓦仰□●●●● 十聲 莊莊莊莊●●●● 吾牙月堯●●●● 莊莊莊莊●●●●

左半は改めて「上声辟唱呂一之十」を立てる。第十声もまた「●」で、唱えるべき声がない。それはまず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」と第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」を並べる。第二音土行の標目は底本では「卜声」と刻まれているが、「十声」とすべきである。右半は「庄」の音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がなく、八行とも「●●●●」であり、「庄」の音はここで一巡を配し終えた。上声辟の十声はこれをもってすべて図に起こされ、そのうち七声は字があり、後の三声はただ虚位を存するのみで、一位も省略されなかった。

声音唱和図・発音清和律一之十二

發音清和律一之十二 安亞乙一●●●● 卓卓卓卓多可個舌 三音 □爻壬寅●●●● 十二音 卓卓卓卓禾火化八 十聲 母馬美米●●●● 一聲 卓卓卓卓開宰愛○ 目貌眉民●●●● 卓卓卓卓回每退○ 夫法□飛●●●● 卓卓卓卓良兩向○ 四音 父凡□吠●●●● 十二音 卓卓卓卓光廣況○ 十聲 武晚□尾●●●● 二聲 卓卓卓卓丁井亙○ 文萬□未●●●● 卓卓卓卓兄永瑩○ 卜百丙必●●●● 卓卓卓卓千典旦○ 五音 步白備鼻●●●● 十二音 卓卓卓卓元犬半○ 十聲 普撲品匹●●●● 三聲 卓卓卓卓臣引艮○ 旁排平瓶●●●● 卓卓卓卓君允巽○

右半は改めて「発音清和律一之十二」を立て、発音清の末の音「卓」を用い、まず第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」と和し、さらに第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」と和す。左半は第十声の空位が第三音から第五音までを唱えている。第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」である。「卓」は第十二音「■卓中■」の発音位から取ったもので、発音清十二音の末の一位であり、この音の開・閉の二位にも配すべき音がない。

東丹帝■●●●● 卓卓卓卓刀早孝嶽 六音 兌大弟■●●●● 十二音 卓卓卓卓毛寶報霍 十聲 土貪天■●●●● 四聲 卓卓卓卓牛斗奏六 同覃田■●●●● 卓卓卓卓○○○玉 乃你女■●●●● 卓卓卓卓妻子四日 七音 內南年■●●●● 十二音 卓卓卓卓衰○帥骨 十聲 老冷呂■●●●● 五聲 卓卓卓卓○○○德 鹿犖離■●●●● 卓卓卓卓龜水貴北 走哉足■●●●● 卓卓卓卓宮孔眾○ 八音 自在匠■●●●● 十二音 卓卓卓卓龍甬用○ 十聲 草采七■●●●● 六聲 卓卓卓卓魚鼠去○ 曹才全■●●●● 卓卓卓卓烏虎兔○ 思三星■●●●● 卓卓卓卓心審禁○ 九音 寺□象■●●●● 十二音 卓卓卓卓○○○十 十聲 □□□■●●●● 七聲 卓卓卓卓男坎欠○ □□□■●●●● 卓卓卓卓○○○妾

左半は第十声の空位で第六音から第九音までを唱える。第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」である。右半は第十二音「卓」が第四声から第七声までと和す。第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」である。第六音から第八音までの閉位は一律に「■」であり、第九音の土・石二行は開・発・收の三位までも「□」と書く。前者はそもそも音位がなく、後者は音位はあっても字を選び出せないもので、二種の空号がこの十六行の中に交替して現れ、邵雍の号を分ける緻密さがまさに見て取れる。

■山手■●●●● 卓卓卓卓●●●● 十音 ■士石■●●●● 十二音 卓卓卓卓●●●● 十聲 ■□耳■●●●● 八聲 卓卓卓卓●●●● ■□二■●●●● 卓卓卓卓●●●● ■莊震■●●●● 卓卓卓卓●●●● 十一音 ■乍□■●●●● 十二音 卓卓卓卓●●●● 十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 卓卓卓卓●●●● ■崇辰■●●●● 卓卓卓卓●●●● ■卓中■●●●● 卓卓卓卓●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十二音 卓卓卓卓●●●● 十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 卓卓卓卓●●●● ■茶呈■●●●● 卓卓卓卓●●●●

左半は第十声の空位で第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終える。右半は「卓」の音が第八・第九・第十声と和するが、三声とも声位がなく、十二行とも「●●●●」と書く。ここに至って《観物篇三十九》の「月日声上辟」十図と「火水音発清」十二図がすべて配し終わった。声図は一図ごとに四十八行で十二音を遍く唱え、音図は一図ごとに四十行で十声を遍く和すので、まさに上声辟音一千六十四・発音清声一千三百四十四の数に応じている。両図は行数こそ異なるが、配し終わる時点は同じであり、これは十二に四を乗じるのと十に四を乗じるのとがそれぞれ数を成しながら互いに通じるところである。

観物篇四十・月月声上翕、火火音発濁

觀物篇四十 月月聲上翕 火火音發濁 火廣犬寶○ □華爻凡白大 甬○●●● 南在□士乍宅 月月聲七,下唱地之 火火音十二,上和天 用音一百五十二,是 之用聲一百一十二, 謂上聲翕音。上聲翕 是謂發音濁聲。發音 音一千六十四。 濁聲一千三百四十四。 月月聲上之二翕 火火音發之二濁

以下は《観物篇四十》で、配するのは「月月声上翕」と「火火音発濁」である。「月月」は上声(月)を取って各声の第二行(月行)に配するもので、この行は合口に属するので「翕」と称する。十声月行の上声字は順に「火・広・犬・宝・○・甬・○」であり、このうち第五声・第七声に「○」と書くのは、その声位はあるが配すべき字がないことを示し、第八・第九・第十声に「●」と書くのは、声位そのものがないことを示す。「火火」は発音(火)を取って各音の第二行(火行)に配するもので、この行は濁に属するので「濁」と称する。十二音火行の発音字は順に「□・华・爻・凡・白・大・南・在・□・士・乍・宅」であり、二箇所の「□」は音位はあって字がないものである。原書は二欄を並べて書く。左欄には、月月声は合わせて七で、下に向かって地の用音一百五十二を唱える、これを上声翕音といい、合わせて一千六十四、とある。右欄には、火火音は合わせて十二で、上に向かって天の用声一百十二と和する、これを発音濁声といい、合わせて一千三百四十四、とある。末行の「月月声上之二翕」「火火音発之二濁」は以下の二図の総目である。

声音唱和図・上声翕唱呂二之一、発音濁和律二之一

上聲翕唱呂二之一 發音濁和律二之一 古甲九癸火火火火 □□□□多可個舌 一音 □□近揆火火火火 一音 □□□□禾火化八 一聲 坤巧丘棄火火火火 一聲 □□□□開宰愛○ □□乾蚪火火火火 □□□□回每退○ 黑花香血火火火火 □□□□良兩向○ 二音 黃華雄賢火火火火 一音 □□□□光廣況○ 一聲 五瓦仰□火火火火 二聲 □□□□丁井亙○ 吾牙月堯火火火火 □□□□兄永瑩○ 安亞乙一火火火火 □□□□千典旦○ 三音 □爻壬寅火火火火 一音 □□□□元犬半○ 一聲 母馬美米火火火火 三聲 □□□□臣引艮○ 目貌眉民火火火火 □□□□君允巽○

二図が同時に始まる。左図は「上声翕唱呂二之一」で、唱えるのは上声翕の第一声「火」である。右図は「発音濁和律二之一」で、和するのは発音濁の第一音であるが、この音は位はあって字がないので、篇中はすべて「□□□□」と書く。左半は「火」の声で第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」を唱える。右半はあの字のない音で第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」と和す。

夫法□飛火火火火 □□□□刀早孝嶽 四音 父凡□吠火火火火 一音 □□□□毛寶報霍 一聲 武晚□尾火火火火 四聲 □□□□牛斗奏六 文萬□未火火火火 □□□□○○○玉 卜百丙必火火火火 □□□□妻子四日 五音 步白備鼻火火火火 一音 □□□□衰○帥骨 一聲 普撲品匹火火火火 五聲 □□□□○○○德 旁排平瓶火火火火 □□□□龜水貴北 東丹帝■火火火火 □□□□宮孔眾○ 六音 兌大弟■火火火火 一音 □□□□龍甬用○ 一聲 土貪天■火火火火 六聲 □□□□魚鼠去○ 同覃田■火火火火 □□□□烏虎兔○ 乃你女■火火火火 □□□□心審禁○ 七音 內南年■火火火火 一音 □□□□○○○十 一聲 老冷呂■火火火火 七聲 □□□□男坎欠○ 鹿犖離■火火火火 □□□□○○○妾

左半は「火」の声で第四音から第七音までを唱える。第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」である。右半はなお第一音の、位はあって字のない「□」が第四声から第七声までと和する。第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」である。第四音四行の收位はすべて「□」、第六・第七の両音の閉位はすべて「■」で、前者は音位はあって字がなく、後者は音位すらない。右図のこの音はそれ自体が「□」であり、字のない音をもって字のある声と和すれば、得られるのもただ虚位だけであるが、位次は欠かすことができない。

走哉足■火火火火 □□□□●●●● 八音 自在匠■火火火火 一音 □□□□●●●● 一聲 草采七■火火火火 八聲 □□□□●●●● 曹才全■火火火火 □□□□●●●● 思三星■火火火火 □□□□●●●● 九音 寺□象■火火火火 一音 □□□□●●●● 一聲 □□□■火火火火 九聲 □□□□●●●● □□□■火火火火 □□□□●●●● ■山手■火火火火 □□□□●●●● 十音 ■士石■火火火火 一音 □□□□●●●● 一聲 ■口耳■火火火火 十聲 □□□□●●●● ■□二■火火火火 □□□□●●●●

左半は「火」の声で第八・第九・第十音を唱える。第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」――第十音の土行は底本では「■口耳■」とあり、「口」は「□」の誤りであろう。右半は第一音が第八・第九・第十声と和するが、三声とも声位がなく、十二行とも「●●●●」である。ここでは一方が「□」の、音位はあって字がないもの、他方が「●」の、そもそもその声がないものであり、二種の空位が同じ行の中で向かい合っており、邵雍が記号を分け立てた意図が最もよくうかがえる。「火」の声の一図四十八行はここまでで四十行を並べ終え、ただ第十一・第十二の二音が未唱のまま残る。

声音唱和図・発音濁和律二之二

發音濁和律二之二 ■莊震■火火火火 華華華華多可個舌 十一音 ■乍□■火火火火 二音 華華華華禾火化八 一聲 ■叉赤■火火火火 一聲 華華華華開宰愛○ ■崇辰■火火火火 華華華華回每退○ ■卓中■火火火火 華華華華良兩向○ 十二音 ■宅直■火火火火 二音 華華華華光廣況○ 一聲 ■拆丑■火火火火 二聲 華華華華丁井亙○ ■茶呈■火火火火 華華華華兄永瑩○

左半は「火」の声で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終え、「火」の声はこれをもって四十八の音位に配し尽くした。右半は改めて「発音濁和律二之二」を立て、発音濁の第二音「华」を用い、まず第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」と和す。

声音唱和図・上声翕唱呂二之二

上聲翕唱呂二之二 古甲九癸廣廣廣廣 華華華華千典旦○ 一音 □□近揆廣廣廣廣 二音 華華華華元犬半○ 二聲 坤巧丘棄廣廣廣廣 三聲 華華華華臣引艮○ □□乾蚪廣廣廣廣 華華華華君允巽○ 黑花香血廣廣廣廣 華華華華刀早孝嶽 二音 黃華雄賢廣廣廣廣 二音 華華華華毛寶報霍 二聲 五瓦仰□廣廣廣廣 四聲 華華華華牛斗奏六 吾牙月堯廣廣廣廣 華華華華○○○玉 安亞乙一廣廣廣廣 華華華華妻子四日 三音 □爻壬寅廣廣廣廣 二音 華華華華衰○帥骨 二聲 母馬美米廣廣廣廣 五聲 華華華華○○○德 目貌眉民廣廣廣廣 華華華華龜水貴北 夫法□飛廣廣廣廣 華華華華宮孔眾○ 四音 父凡□吠廣廣廣廣 二音 華華華華龍甬用○ 二聲 武晚□尾廣廣廣廣 六聲 華華華華魚鼠去○ 文萬□未廣廣廣廣 華華華華烏虎兔○

左半は改めて「上声翕唱呂二之二」を立て、上声翕の第二声「広」に改め、第一音から唱え始める。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第二音「华」が第三声から第六声までを続けて和す。第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。「広」は第二声「光广况○」の上声位から取ったもので、上声翕十声月行の第二字であり、「华」は第二音「黄华雄贤」の発音位から取ったもので、発音濁十二音火行の第二字である。

卜百丙必廣廣廣廣 華華華華心審禁○ 五音 步白備鼻廣廣廣廣 二音 華華華華○○○十 二聲 普撲品匹廣廣廣廣 七聲 華華華華男坎欠○ 旁排平瓶廣廣廣廣 華華華華○○○妾 東丹帝■廣廣廣廣 華華華華●●●● 六音 兌大弟■廣廣廣廣 二音 華華華華●●●● 二聲 土貪天■廣廣廣廣 八聲 華華華華●●●● 同覃田■廣廣廣廣 華華華華●●●● 乃你女■廣廣廣廣 華華華華●●●● 七音 內南年■廣廣廣廣 二音 華華華華●●●● 二聲 老冷呂■廣廣廣廣 九聲 華華華華●●●● 鹿犖離■廣廣廣廣 華華華華●●●● 走哉足■廣廣廣廣 華華華華●●●● 八音 自在匠■廣廣廣廣 二音 華華華華●●●● 二聲 草采七■廣廣廣廣 十聲 華華華華●●●● 曹才全■廣廣廣廣 華華華華●●●●

左半は「広」の声で第五音から第八音までを唱える。第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」である。右半は「华」の音が第七声から第十声までと和す。第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八・第九・第十声は声位がなく、十二行連続して「●●●●」と書き、「华」の音は一巡して四十の声位をここで配し足した。第六・第七・第八の三音の閉位は一律に「■」で、この位に音はなく、第七声四行の末位は多くが「○」で、声位はあって字がない。上声翕と上声辟の区別は、ただ月行を取るか日行を取るかにあるだけで、日行は開口に属して辟と称し、月行は合口に属して翕と称する。配する音位・声位は一つ一つ同じなので、両篇の行の体裁・字の順序は全く一致する。

声音唱和図・発音濁和律二之三

發音濁和律二之三 思三星■廣廣廣廣 爻爻爻爻多可個舌 九音 寺□象■廣廣廣廣 三音 爻爻爻爻禾火化八 二聲 □□□■廣廣廣廣 一聲 爻爻爻爻開宰愛○ □□□■廣廣廣廣 爻爻爻爻回每退○ ■山手■廣廣廣廣 爻爻爻爻良兩向○ 十音 ■士石■廣廣廣廣 三音 爻爻爻爻光廣況○ 二聲 ■□耳■廣廣廣廣 二聲 爻爻爻爻丁井亙○ ■□二■廣廣廣廣 爻爻爻爻兄永瑩○ ■莊震■廣廣廣廣 爻爻爻爻千典旦○ 十一音 ■乍□■廣廣廣廣 三音 爻爻爻爻元犬半○ 二聲 ■叉赤■廣廣廣廣 三聲 爻爻爻爻臣引艮○ ■崇辰■廣廣廣廣 爻爻爻爻君允巽○ ■卓中■廣廣廣廣 爻爻爻爻刀早孝嶽 十二音 ■宅直■廣廣廣廣 三音 爻爻爻爻毛寶報霍 二聲 ■拆丑■廣廣廣廣 四聲 爻爻爻爻牛斗奏六 ■茶呈■廣廣廣廣 爻爻爻爻○○○玉

右半は改めて「発音濁和律二之三」を立て、発音濁の第三音「爻」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半は「広」の声で最後の四音を唱える。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。「爻」は第三音「□爻壬寅」の発音位から取ったものである。左図の第九音の土・石二行はほとんどすべて「□」で、第十音から第十二音までの開位・閉位はすべて「■」であり、「広」の声はこれをもって四十八の音位を唱え尽くした。

声音唱和図・上声翕唱呂二之三

上聲翕唱呂二之三 古甲九癸犬犬犬犬 爻爻爻爻妻子四日 一音 □□近揆犬犬犬犬 三音 爻爻爻爻衰○帥骨 三聲 坤巧丘棄犬犬犬犬 五聲 爻爻爻爻○○○德 □□乾蚪犬犬犬犬 爻爻爻爻龜水貴北 黑花香血犬犬犬犬 爻爻爻爻宮孔眾○ 二音 黃華雄賢犬犬犬犬 三音 爻爻爻爻龍甬用○ 三聲 五瓦仰□犬犬犬犬 六聲 爻爻爻爻魚鼠去○ 吾牙月堯犬犬犬犬 爻爻爻爻烏虎兔○ 安亞乙一犬犬犬犬 爻爻爻爻心審禁○ 三音 □爻壬寅犬犬犬犬 三音 爻爻爻爻○○○十 三聲 母馬美米犬犬犬犬 七聲 爻爻爻爻男坎欠○ 目貌眉民犬犬犬犬 爻爻爻爻○○○妾 夫法□飛犬犬犬犬 爻爻爻爻●●●● 四音 父凡□吠犬犬犬犬 三音 爻爻爻爻●●●● 三聲 武晚□尾犬犬犬犬 八聲 爻爻爻爻●●●● 文萬□未犬犬犬犬 爻爻爻爻●●●●

左半は改めて「上声翕唱呂二之三」を立て、上声翕の第三声「犬」に改め、第一音から唱え始める。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第三音「爻」が第五声から第八声までを続けて和す。第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声は四行とも「●●●●」である。「犬」は第三声「元犬半○」の上声位から取ったもので、上声翕十声月行の第三字である。第八声は四行とも「●」で、声位そのものがない。第五声月行の「○」はただ声位はあって字がないだけであり、両者は図の中で形は近いが義はそれぞれ異なる。

卜百丙必犬犬犬犬 爻爻爻爻●●●● 五音 步白備鼻犬犬犬犬 三音 爻爻爻爻●●●● 三聲 普撲品匹犬犬犬犬 九聲 爻爻爻爻●●●● 旁排平瓶犬犬犬犬 爻爻爻爻●●●● 東丹帝■犬犬犬犬 爻爻爻爻●●●● 六音 兌大弟■犬犬犬犬 三音 爻爻爻爻●●●● 三聲 土貪天■犬犬犬犬 十聲 爻爻爻爻●●●● 同覃田■犬犬犬犬 爻爻爻爻●●●●

左半は「犬」の声で第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」と第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」を続けて唱え、第六音四行の閉位にはいずれも配すべき音がない。右半は「爻」の音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がなく、八行とも「●●●●」とし、「爻」の音の一巡はこれをもって配し終えた。上声翕の十声のうち、真に字をもって唱えられるのは火・広・犬・宝・甬の五声だけで、その余の五位はあるいは声位はあって字がなく、あるいは声位すらない。

声音唱和図・発音濁和律二之四

發音濁和律二之四 乃你女■犬犬犬犬 凡凡凡凡多可個舌 七音 內南年■犬犬犬犬 四音 凡凡凡凡禾火化八 三聲 老冷呂■犬犬犬犬 一聲 凡凡凡凡開宰愛○ 鹿犖離■犬犬犬犬 凡凡凡凡回每退○ 走哉足■犬犬犬犬 凡凡凡凡良兩向○ 八音 自在匠■犬犬犬犬 四音 凡凡凡凡光廣況○ 三聲 草采七■犬犬犬犬 二聲 凡凡凡凡丁井亙○ 曹才全■犬犬犬犬 凡凡凡凡兄永瑩○ 思三星■犬犬犬犬 凡凡凡凡千典旦○ 九音 寺□象■犬犬犬犬 四音 凡凡凡凡元犬半○ 三聲 □□□■犬犬犬犬 三聲 凡凡凡凡臣引艮○ □□□■犬犬犬犬 凡凡凡凡君允巽○ ■山手■犬犬犬犬 凡凡凡凡刀早孝嶽 十音 ■士石■犬犬犬犬 四音 凡凡凡凡毛寶報霍 三聲 ■□耳■犬犬犬犬 四聲 凡凡凡凡牛斗奏六 ■□二■犬犬犬犬 凡凡凡凡○○○玉

右半は改めて「発音濁和律二之四」を立て、発音濁の第四音「凡」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半は「犬」の声で第七音から第十音までを続けて唱える。第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。「凡」は第四音「父凡□吠」の発音位から取ったもので、この音の收位はもともと音はあって字がないので「□」と書く。左図の第九音の後二行と第十音の開位の空号は、依然として位はあって字がないものと、位そのものがないものとの区別である。

■莊震■犬犬犬犬 凡凡凡凡妻子四日 十一音 ■乍□■犬犬犬犬 四音 凡凡凡凡衰○帥骨 三聲 ■叉赤■犬犬犬犬 五聲 凡凡凡凡○○○德 ■崇辰■犬犬犬犬 凡凡凡凡龜水貴北 ■卓中■犬犬犬犬 凡凡凡凡宮孔眾○ 十二音 ■宅直■犬犬犬犬 四音 凡凡凡凡龍甬用○ 三聲 ■拆丑■犬犬犬犬 六聲 凡凡凡凡魚鼠去○ ■茶呈■犬犬犬犬 凡凡凡凡烏虎兔○

左半は「犬」の声で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終え、両音の開位・閉位はいっさい音がない。右半は第四音「凡」が第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」と第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」と和す。第五声月行の上声位と星行の平・上・去の三位はいずれも「○」と書くもので、声位はあって配すべき字がない。

声音唱和図・上声翕唱呂二之四

上聲翕唱呂二之四 古甲九癸寶寶寶寶 凡凡凡凡心審禁○ 一音 □□近揆寶寶寶寶 四音 凡凡凡凡○○○十 四聲 坤巧丘棄寶寶寶寶 七聲 凡凡凡凡男坎欠○ □□乾蚪寶寶寶寶 凡凡凡凡○○○妾 黑花香血寶寶寶寶 凡凡凡凡●●●● 二音 黃華雄賢寶寶寶寶 四音 凡凡凡凡●●●● 四聲 五瓦仰□寶寶寶寶 八聲 凡凡凡凡●●●● 吾牙月堯寶寶寶寶 凡凡凡凡●●●● 安亞乙一寶寶寶寶 凡凡凡凡●●●● 三音 □爻壬寅寶寶寶寶 四音 凡凡凡凡●●●● 四聲 母馬美米寶寶寶寶 九聲 凡凡凡凡●●●● 目貌眉民寶寶寶寶 凡凡凡凡●●●● 夫法□飛寶寶寶寶 凡凡凡凡●●●● 四音 父凡□吠寶寶寶寶 四音 凡凡凡凡●●●● 四聲 武晚□尾寶寶寶寶 十聲 凡凡凡凡●●●● 文萬□未寶寶寶寶 凡凡凡凡●●●●

左半は改めて「上声翕唱呂二之四」を立て、上声翕の第四声「宝」に改め、第一音から唱え始める。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は「凡」の音が第七声から第十声までと和す。第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八・第九・第十声は声位がなく、十二行とも「●●●●」と書き、「凡」の音は一巡してここで配し終えた。「宝」は第四声「毛宝报霍」の上声位から取ったもので、上声翕十声月行の第四字である。右図の「凡」の音は一巡してここで四十の声位を配し足したが、そのうち音節を成し得るのは依然として前七声の二十八位だけである。左図の四音のうち、第一音の火行・石行の開・発の二位、第二音の土行の閉位、第三音の火行の開位、第四音四行の收位は、いずれも音位はあって字がないものである。

声音唱和図・発音濁和律二之五

發音濁和律二之五 卜百丙必寶寶寶寶 白白白白多可個舌 五音 步白備鼻寶寶寶寶 五音 白白白白禾火化八 四聲 普撲品匹寶寶寶寶 一聲 白白白白開宰愛○ 旁排平瓶寶寶寶寶 白白白白回每退○ 東丹帝□寶寶寶寶 白白白白良兩向○ 六音 兌大弟■寶寶寶寶 五音 白白白白光廣況○ 四聲 土貪天■寶寶寶寶 二聲 白白白白丁井亙○ 同覃田■寶寶寶寶 白白白白兄永瑩○ 乃你女■寶寶寶寶 白白白白乾典旦○ 七音 內南年■寶寶寶寶 五音 白白白白元犬半○ 四聲 老冷呂■寶寶寶寶 三聲 白白白白臣引艮○ 鹿犖離■寶寶寶寶 白白白白君允巽○ 走哉足■寶寶寶寶 白白白白刀早孝嶽 八音 自在匠■寶寶寶寶 五音 白白白白毛寶報霍 四聲 草采七■寶寶寶寶 四聲 白白白白牛斗奏六 曹才全■寶寶寶寶 白白白白○○○玉

右半は改めて「発音濁和律二之五」を立て、発音濁の第五音「白」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「干典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」――第三声の日行は底本では「干」とあるが、他の箇所に従って「千」とすべきである。第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半は「宝」の声で第五音から第八音までを続けて唱える。第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝□」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」――水行の末位は底本では「□」とあるが、他の箇所は皆「■」とする。第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」である。

思三星■寶寶寶寶 白白白白妻子四日 九音 寺□象■寶寶寶寶 五音 白白白白衰○帥骨 四聲 □□□■寶寶寶寶 五聲 白白白白○○○德 □□□■寶寶寶寶 白白白白龜水貴北 ■山手■寶寶寶寶 白白白白宮孔眾○ 十音 ■士石■寶寶寶寶 五音 白白白白龍甬用○ 四聲 ■□耳■寶寶寶寶 六聲 白白白白魚鼠去○ ■□二■寶寶寶寶 白白白白烏虎兔○ ■莊震■寶寶寶寶 白白白白心審禁○ 十一音 ■乍□■寶寶寶寶 五音 白白白白○○○十 四聲 ■叉赤■寶寶寶寶 七聲 白白白白男坎欠○ ■崇辰■寶寶寶寶 白白白白○○○妾 ■卓中■寶寶寶寶 白白白白●●●● 十二音 ■宅直■寶寶寶寶 五音 白白白白●●●● 四聲 ■拆丑■寶寶寶寶 八聲 白白白白●●●● ■茶呈■寶寶寶寶 白白白白●●●●

左半は「宝」の声で第九音から第十二音までを唱える。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」であり、「宝」の声はこれをもって四十八の音位を唱え尽くした。右半は第五音「白」が第五声から第八声までと和す。第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声は四行とも声位がない。「宝」は上声翕の十声のうち最後の、直に字のある声であり、その下の第五声・第七声はただ「○」とするのみで、第八声から第十声まではさらに「●」とする。右図の第七声四行の末位は多くが声位はあって字がなく、第八声は四行とも虚しい。

声音唱和図・上声翕唱呂二之五

上聲翕唱呂二之五 古甲九癸○○○○ 白白白白●●●● 一音 □□近揆○○○○ 五音 白白白白●●●● 五聲 坤巧丘棄○○○○ 九聲 白白白白●●●● □□乾蚪○○○○ 白白白白●●●● 黑花香血○○○○ 白白白白●●●● 二音 黃華雄賢○○○○ 五音 白白白白●●●● 五聲 五瓦仰□○○○○ 十聲 白白白白●●●● 吾牙月堯○○○○ 白白白白●●●●

左半は改めて「上声翕唱呂二之五」を立てる。上声翕の第五声は「○」と書くのであって、この声位はあるが配すべき字を見出せないもので、第八声から第十声までの「●」とは異なる。「●」は声位さえもないものである。それはまず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」と第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」を並べ、行末は一律に四つの「○」である。右半は「白」の音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がなく、八行とも「●●●●」と書く。

声音唱和図・発音濁和律二之六

發音濁和律二之六 安亞乙一○○○○ 大大大大多可個舌 三音 □爻壬寅○○○○ 六音 大大大大禾火化八 五聲 母馬美米○○○○ 一聲 大大大大開宰愛○ 目貌眉民○○○○ 大大大大回每退○ 夫法□飛○○○○ 大大大大良兩向○ 四音 父凡□吠○○○○ 六音 大大大大光廣況○ 五聲 武晚□尾○○○○ 二聲 大大大大丁井亙○ 文萬□未○○○○ 大大大大兄永瑩○ 卜百丙必○○○○ 大大大大千典旦○ 五音 步白備鼻○○○○ 六音 大大大大元犬半○ 五聲 普撲品匹○○○○ 三聲 大大大大臣引艮○ 旁排平瓶○○○○ 大大大大君允巽○ 東丹帝■○○○○ 大大大大刀早孝嶽 六音 兌大弟■○○○○ 六音 大大大大毛寶報霍 五聲 土貪天■○○○○ 四聲 大大大大牛斗奏六 同覃田■○○○○ 大大大大○○○玉

右半は改めて「発音濁和律二之六」を立て、発音濁の第六音「大」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半はなお第五声の、位はあって字のない「○」が第三音から第六音までを唱えている。第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」である。「大」は第六音「兑大弟■」の発音位から取ったもので、この音の閉位には音がない。左図の主とする声はすでに位はあって字のない「○」であるから、各行の相唱はいずれも虚配を成すにすぎないが、四十八の音位はなお一つ一つ書き列ねられている。

乃你女■○○○○ 大大大大妻子四日 七音 內南年■○○○○ 六音 大大大大衰○帥骨 五聲 老冷呂■○○○○ 五聲 大大大大○○○德 鹿犖離■○○○○ 大大大大龜水貴北 走哉足■○○○○ 大大大大宮孔眾○ 八音 自在匠■○○○○ 六音 大大大大龍甬用○ 五聲 草采七■○○○○ 六聲 大大大大魚鼠去○ 曹才全■○○○○ 大大大大烏虎兔○ 思三星■○○○○ 大大大大心審禁○ 九音 寺□象■○○○○ 六音 大大大大○○○十 五聲 □□□■○○○○ 七聲 大大大大男坎欠○ □□□■○○○○ 大大大大○○○妾 ■山手■○○○○ 大大大大●●●● 十音 ■士石■○○○○ 六音 大大大大●●●● 五聲 ■□耳■○○○○ 八聲 大大大大●●●● ■□二■○○○○ 大大大大●●●●

左半はなお第五声の「○」で第七音から第十音までを唱える。第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。右半は第六音「大」が第五声から第八声までと和す。第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声は四行とも「●●●●」である。第七・第八の両音の閉位はともに「■」、第九音の土・石二行はほとんどすべて「□」、第十音の開位はまたすべて「■」である。右図の第五声月行の上声位・星行の平上去の三位はいずれも「○」、第八声は四行とも「●」で、声位はあって字がないものと、声位そのものがないものとが、この十六行の中で対照が明らかである。

■莊震■○○○○ 大大大大●●●● 十一音 ■乍□■○○○○ 六音 大大大大●●●● 五聲 ■叉赤■○○○○ 九聲 大大大大●●●● ■崇辰■○○○○ 大大大大●●●● ■卓中■○○○○ 大大大大●●●● 十二音 ■宅直■○○○○ 六音 大大大大●●●● 五聲 ■拆丑■○○○○ 十聲 大大大大●●●● ■茶呈■○○○○ 大大大大●●●●

左半は第五声の「○」で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終える。右半は「大」の音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がなく、八行とも「●●●●」と書き、「大」の音は一巡して四十の声位を配し足した。声位はあって字のない声も、同じように四十八の音位を歩み尽くさねばならない。これは邵雍が図を立てるときに定めた通例である。上声翕の第五声はこれをもって十二音の四十八の位次を唱え尽くし、字のある声の歩む筋道と寸分も違わない。

声音唱和図・上声翕唱呂二之六、発音濁和律二之七

上聲翕唱呂二之六 發音濁和律二之七 古甲九癸甬甬甬甬 南南南南多可個舌 一音 □□近揆甬甬甬甬 七音 南南南南禾火化八 六聲 坤巧丘棄甬甬甬甬 一聲 南南南南開宰愛○ □□乾蚪甬甬甬甬 南南南南迴每退○ 黑花香血甬甬甬甬 南南南南良兩向○ 二音 黃華雄賢甬甬甬甬 七音 南南南南光廣況○ 六聲 五瓦仰□甬甬甬甬 二聲 南南南南丁井亙○ 吾牙月堯甬甬甬甬 南南南南兄永瑩○ 安亞乙一甬甬甬甬 南南南南千典旦○ 三音 □爻壬寅甬甬甬甬 七音 南南南南元犬半○ 六聲 母馬美米甬甬甬甬 三聲 南南南南臣引艮○ 目貌眉民甬甬甬甬 南南南南君允巽○

二図が同時にページを換える。左図は「上声翕唱呂二之六」で、上声翕の第六声「甬」に改める。右図は「発音濁和律二之七」で、発音濁の第七音「南」に改める。左半は第一音から始まる。「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」である。右半は「南」の音で第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」と和す。「甬」は第六声「龙甬用○」の上声位から取ったもので、「南」は第七音「内南年■」の発音位から取ったものである。

夫法□飛甬甬甬甬 南南南南刀早孝嶽 四音 父凡□吠甬甬甬甬 七音 南南南南毛寶報霍 六聲 武晚□尾甬甬甬甬 四聲 南南南南牛斗奏六 文萬□未甬甬甬甬 南南南南○○○玉 卜百丙必甬甬甬甬 南南南南妻子四日 五音 步白備鼻甬甬甬甬 七音 南南南南衰○帥骨 六聲 普撲品匹甬甬甬甬 五聲 南南南南○○○德 旁排平瓶甬甬甬甬 南南南南龜水貴北 東丹帝○甬甬甬甬 南南南南宮孔眾○ 六音 兌大弟■甬甬甬甬 七音 南南南南龍甬用○ 六聲 土貪天■甬甬甬甬 六聲 南南南南魚鼠去○ 同覃田■甬甬甬甬 南南南南烏虎兔○ 乃你女■甬甬甬甬 南南南南心審禁○ 七音 內南年■甬甬甬甬 七音 南南南南○○○十 六聲 老冷呂■甬甬甬甬 七聲 南南南南男坎欠○ 鹿犖離■甬甬甬甬 南南南南○○○妾

左半は「甬」の声で第四音から第七音までを唱える。第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝○」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」――水行の末位は底本では「○」とあるが、通例に照らせば「■」とすべきである。第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」である。右半は第七音「南」が第四声から第七声までと和す。第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」である。第四音四行の收位はすべて「□」、第六・第七の両音の閉位はすべて「■」であり、右図の第四声辰行「○○○玉」の前三位と第七声各行の末位は、いずれも声位はあって字がないものである。

走哉足■甬甬甬甬 南南南南●●●● 八音 自在匠■甬甬甬甬 七音 南南南南●●●● 六聲 草采七■甬甬甬甬 八聲 南南南南●●●● 曹才全■甬甬甬甬 南南南南●●●● 思三星■甬甬甬甬 南南南南●●●● 九音 寺□象■甬甬甬甬 七音 南南南南●●●● 六聲 □□□■甬甬甬甬 九聲 南南南南●●●● □□□■甬甬甬甬 南南南南●●●● ■山手■甬甬甬甬 南南南南●●●● 十音 ■士石■甬甬甬甬 七音 南南南南●●●● 六聲 ■□耳■甬甬甬甬 十聲 南南南南●●●● ■□二■甬甬甬甬 南南南南●●●●

左半は「甬」の声で第八・第九・第十音を唱える。第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。右半は「南」の音が第八・第九・第十声と和するが、三声とも声位がなく、十二行連続して「●●●●」と書く。第九音の土・石二行と第十音の開位では、「□」と「■」が入れ替わり出て、音位はあって字がないものと、音位そのものがないものとの二つの区別をちょうど明らかにしている。「甬」の声の一図はここまでで四十行を並べ終え、ただ第十一・第十二の両音が残る。右図の「南」の音はすでに四十の声位を配し足したが、そのうち後三声の十二位はすべて虚設に属し、音節を成し得るのは依然として前七声の二十八位だけである。

声音唱和図・発音濁和律二之八

發音濁和律二之八 ■莊震■甬甬甬甬 在在在在多可個舌 十一音 ■乍□■甬甬甬甬 八音 在在在在禾火化八 六聲 ■叉赤■甬甬甬甬 一聲 在在在在開宰愛○ ■崇辰■甬甬甬甬 在在在在回每退○ ■卓中■甬甬甬甬 在在在在良兩向○ 十二音 ■宅直■甬甬甬甬 八音 在在在在光廣況○ 六聲 ■拆丑■甬甬甬甬 二聲 在在在在丁井亙○ ■茶呈■甬甬甬甬 在在在在兄永瑩○

左半は「甬」の声で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終え、「甬」の声はこれをもって四十八の音位に配し尽くした。右半は改めて「発音濁和律二之八」を立て、発音濁の第八音「在」を用い、まず第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」と和す。

声音唱和図・上声翕唱呂二之七

上聲翕唱呂二之七 古甲九癸○○○○ 在在在在千典旦○ 一音 □□近揆○○○○ 八音 在在在在元犬半○ 七聲 坤巧丘棄○○○○ 三聲 在在在在臣引艮○ □□乾蚪○○○○ 在在在在君允巽○ 黑花香血○○○○ 在在在在刀早孝嶽 二音 黃華雄賢○○○○ 八音 在在在在毛寶報霍 七聲 五瓦仰□○○○○ 四聲 在在在在牛斗奏六 吾牙月堯○○○○ 在在在在○○○玉 安亞乙一○○○○ 在在在在妻子四日 三音 □爻壬寅○○○○ 八音 在在在在衰○帥骨 七聲 母馬美米○○○○ 五聲 在在在在○○○○ 目貌眉民○○○○ 在在在在龜水貴北 夫法□飛○○○○ 在在在在宮孔眾○ 四音 父凡□吠○○○○ 八音 在在在在龍甬用○ 七聲 武晚□尾○○○○ 六聲 在在在在魚鼠去○ 文萬□未○○○○ 在在在在烏虎兔○

左半は改めて「上声翕唱呂二之七」を立てる。上声翕の第七声もまた「○」で、その声位はあるが配すべき字がないので、行末に四つの「○」を書く。それは第一音から唱え始める。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第八音「在」が第三声から第六声までを続けて和す。第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○○」「龟水贵北」――星行は底本で「德」の字が脱けており、「○○○德」とすべきである。第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。

卜百丙必○○○○ 在在在在心審禁○ 五音 步白備鼻○○○○ 八音 在在在在○○○十 七聲 普撲品匹○○○○ 七聲 在在在在男坎欠○ 旁排平瓶○○○○ 在在在在○○○妾 東丹帝■○○○○ 在在在在●●●● 六音 兌大弟■○○○○ 八音 在在在在●●●● 七聲 土貪天■○○○○ 八聲 在在在在●●●● 同覃田■○○○○ 在在在在●●●● 乃你女■○○○○ 在在在在●●●● 七音 內南年■○○○○ 八音 在在在在●●●● 七聲 老冷呂■○○○○ 九聲 在在在在●●●● 鹿犖離■○○○○ 在在在在●●●● 走哉足■○○○○ 在在在在●●●● 八音 自在匠■○○○○ 八音 在在在在●●●● 七聲 草采七■○○○○ 十聲 在在在在●●●● 曹才全■○○○○ 在在在在●●●●

左半は第七声の「○」で第五音から第八音までを唱える。第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」である。右半は「在」の音が第七声から第十声までと和す。第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八・第九・第十声は声位がなく、十二行とも「●●●●」で、「在」の音は一巡してここで配し終えた。第六音から第八音までの閉位は一律に「■」で、この位に音はない。右図の第七声四行の末位は多くが「○」で、声位はあって字がない。上声翕の十声のうち、第五・第七の両声は位はあって字がなく、第八声から第十声までは位そのものもなく、真に唱えられるのは火・広・犬・宝・甬の五声だけである。しかし図の中では十声が一つずつすべて図に起こされており、まさに十に四十八を乗じた整数を満たして、上声翕音一千六十四の数に依拠するものを持たせるためである。

声音唱和図・発音濁和律二之九

發音濁和律二之九 思三星■○○○○ □□□□多可個舌 九音 寺□象■○○○○ 九音 □□□□禾火化八 七聲 □□□■○○○○ 一聲 □□□□開宰愛○ □□□■○○○○ □□□□回每退○ ■山手■○○○○ □□□□良兩向○ 十音 ■士石■○○○○ 九音 □□□□光廣況○ 七聲 ■□耳■○○○○ 二聲 □□□□丁井亙○ ■□二■○○○○ □□□□兄永瑩○ ■莊震■○○○○ □□□□千典旦○ 十一音 ■乍□■○○○○ 九音 □□□□元犬半○ 七聲 ■叉赤■○○○○ 三聲 □□□□臣引艮○ ■崇辰■○○○○ □□□□君允巽○ ■卓中■○○○○ □□□□刀早孝嶽 十二音 ■宅直■○○○○ 九音 □□□□毛寶報霍 七聲 ■拆丑■○○○○ 四聲 □□□□牛斗奏六 ■茶呈■○○○○ □□□□○○○玉

右半は改めて「発音濁和律二之九」を立て、発音濁の第九音に改める。この音は位はあって字がないので、篇中はすべて「□□□□」と書く。それは順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半は第七声の「○」で最後の四音を唱える。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。発音濁の十二音のうち、第一音と第九音はいずれも音位はあって字がない「□」であり、その余の十音にだけそれぞれ本字がある。だからこの一巡の四十行の前面は一様に「□□□□」と書くのである。

声音唱和図・上声翕唱呂二之八

上聲翕唱呂二之八 古甲九癸●●●● □□□□妻子四日 一音 □□近揆●●●● 九音 □□□□衰○帥骨 八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 □□□□○○○德 □□乾蚪●●●● □□□□龜水貴北 黑花香血●●●● □□□□宮孔眾○ 二音 黃華雄賢●●●● 九音 □□□□龍甬用○ 八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 □□□□魚鼠去○ 吾牙月堯●●●● □□□□烏虎兔○ 安亞乙一●●●● □□□□心審禁○ 三音 □爻壬寅●●●● 九音 □□□□○○○十 八聲 母馬美米●●●● 七聲 □□□□男坎欠○ 目貌眉民●●●● □□□□○○○妾 夫法□飛●●●● □□□□●●●● 四音 父凡□吠●●●● 九音 □□□□●●●● 八聲 武晚□尾●●●● 八聲 □□□□●●●● 文萬□未●●●● □□□□●●●●

左半は改めて「上声翕唱呂二之八」を立てる。第八声は「●」と書かれ、声位さえもなく、行末にはただ四つの「●」を連ねて書くしかないが、十二音はなお位ごとに並べなければならない。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第九音のあの字のない音が第五声から第八声までと和している。第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八声は四行とも声位がない。第八声はすでに声位がないので、配されるものはただ虚数だけであり、右図のこの音もまた位はあって字がない。両辺とも虚でありながら位次はそのまま列ねられており、まさにこの図が数を主とし字を主としないことがうかがえ、声図四十八行・音図四十行の定数は空位によって減らされることがない。

卜百丙必●●●● □□□□●●●● 五音 步白備鼻●●●● 九音 □□□□●●●● 八聲 普撲品匹●●●● 九聲 □□□□●●●● 旁排平瓶●●●● □□□□●●●● 東丹帝■●●●● □□□□●●●● 六音 兌大弟■●●●● 九音 □□□□●●●● 八聲 土貪天■●●●● 十聲 □□□□●●●● 同覃田■●●●● □□□□●●●●

左半は第八声の空位で第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」と第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」を唱える。右半は第九音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がなく、八行とも「●●●●」と書く。この一段で左右両辺の空号の来歴は異なる。左辺は声はなくて音があり、右辺は音は位があって字がなく、声は位そのものもないので、分けて見なければならない。第六音四行の閉位はすべて「■」で、右辺の二種の空号とはまた来歴が自ら異なる。

声音唱和図・発音濁和律二之十

發音濁和律二之十 乃你女■●●●● 士士士士多可個舌 七音 內南年■●●●● 十音 士士士士禾火化八 八聲 老冷呂■●●●● 一聲 士士士士開宰愛○ 鹿犖離■●●●● 士士士士回每退○ 走哉足■●●●● 士士士士良兩向○ 八音 自在匠■●●●● 十音 士士士士光廣況○ 八聲 草采七■●●●● 二聲 士士士士丁井亙○ 曹才全■●●●● 士士士士兄永瑩○ 思三星■●●●● 士士士士千典旦○ 九音 寺□象■●●●● 十音 士士士士元犬半○ 八聲 □□□■●●●● 三聲 士士士士臣引艮○ □□□■●●●● 士士士士君允巽○ ■山手■●●●● 士士士士刀早孝嶽 十音 ■士石■●●●● 十音 士士士士毛寶報霍 八聲 ■□耳■●●●● 四聲 士士士士牛斗奏六 ■□二■●●●● 士士士士○○○玉

右半は改めて「発音濁和律二之十」を立て、発音濁の第十音「士」を用い、順に第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」と和す。左半はなお第八声の空位が第七音から第十音までを唱えている。第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。「士」は第十音「■士石■」の発音位から取ったもので、この音の開・閉の二位には音がない。左図の第九音土・石二行の「□」と第十音開位の「■」は、依然として音位はあって字がないものと、音位そのものがないものとの区別である。

■莊震■●●●● 士士士士妻子四日 十一音 ■乍□■●●●● 十音 士士士士衰○帥骨 八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 士士士士○○○德 ■崇辰■●●●● 士士士士龜水貴北 ■卓中■●●●● 士士士士宮孔眾○ 十二音 ■宅直■●●●● 十音 士士士士龍甬用○ 八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 士士士士魚鼠去○ ■茶呈■●●●● 士士士士烏虎兔○

左半は第八声の空位で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終える。右半は第十音「士」が第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」と第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」と和す。このうち「衰○帅骨」の上声位と「○○○德」の平・上・去の三位は、いずれも声位はあって字がないものである。

声音唱和図・上声翕唱呂二之九

上聲翕唱呂二之九 古甲九癸●●●● 士士士士心審禁○ 一音 □□近揆●●●● 十音 士士士士○○○十 九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 士士士士男坎欠○ □□乾蚪●●●● 士士士士○○○妾 黑花香血●●●● 士士士士●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十音 士士士士●●●● 九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 士士士士●●●● 吾牙月堯●●●● 士士士士●●●● 安亞乙一●●●● 士士士士●●●● 三音 □爻壬寅●●●● 十音 士士士士●●●● 九聲 母馬美米●●●● 九聲 士士士士●●●● 目貌眉民●●●● 士士士士●●●● 夫法□飛●●●● 士士士士●●●● 四音 父凡□吠●●●● 十音 士士士士●●●● 九聲 武晚□尾●●●● 十聲 士士士士●●●● 文萬□未●●●● 士士士士●●●●

左半は改めて「上声翕唱呂二之九」を立てる。第九声も同じく「●」で、唱えるべき声がないが、なお十二音を順に並べ通す。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は「士」の音が第七声から第十声までと和す。第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」、第八・第九・第十声は声位がなく、十二行連続して「●●●●」と書き、「士」の音は一巡して配し終えた。「士」の音が一巡して終わったことで、発音濁の十二音はすでに十音を配し、なお「乍」「宅」の二音を残す。左図の第九声は第八声と同じく声位そのものがないものに属し、四行の末にはただ「●」を連ねるしかないが、第一音の火行・石行の開・発の二位と第二音の土行の閉位はなお変わらず「□」と書いて、そこが音位はあって字がないことを標している。虚声の下に依然として実音を列ねるのは、まさにこの二つの図が互いに独立しながら並行する所以である。

声音唱和図・発音濁和律二之十一

發音濁和律二之十一 卜百丙必●●●● 乍乍乍乍多可個舌 五音 步白備鼻●●●● 十一音 乍乍乍乍禾火化八 九聲 普撲品匹●●●● 一聲 乍乍乍乍開宰愛○ 旁排平瓶●●●● 乍乍乍乍回每退○ 東丹帝■●●●● 乍乍乍乍良兩向○ 六音 兌大弟■●●●● 十一音 乍乍乍乍光廣況○ 九聲 土貪天■●●●● 二聲 乍乍乍乍丁井亙○ 同覃田■●●●● 乍乍乍乍兄永瑩○ 乃你女■●●●● 乍乍乍乍千典旦○ 七音 內南年■●●●● 十一音 乍乍乍乍元犬半○ 九聲 老冷呂■●●●● 三聲 乍乍乍乍臣引艮○ 鹿犖離■●●●● 乍乍乍乍君允巽○

右半は改めて「発音濁和律二之十一」を立て、発音濁の第十一音「乍」を用い、まず第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」と和し、さらに第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」と和す。左半はなお第九声の空位が第五音から第七音までを唱えている。第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」である。「乍」は第十一音「■乍□■」の発音位から取ったもので、この音は開位に音がなく、收位は音はあって字がなく、一行のうちに二種の空号がともに見える。

走哉足■●●●● 乍乍乍乍刀早孝嶽 八音 自在匠■●●●● 十一音 乍乍乍乍毛寶報霍 九聲 草采七■●●●● 四聲 乍乍乍乍牛斗奏六 曹才全■●●●● 乍乍乍乍○○○玉 思三星■●●●● 乍乍乍乍妻子四日 九音 寺□象■●●●● 十一音 乍乍乍乍衰○帥骨 九聲 □□□■●●●● 五聲 乍乍乍乍○○○德 □□□■●●●● 乍乍乍乍龜水貴北 ■山手■●●●● 乍乍乍乍宮孔眾○ 十音 ■士石■●●●● 十一音 乍乍乍乍龍甬用○ 九聲 ■□耳■●●●● 六聲 乍乍乍乍魚鼠去○ ■□二■●●●● 乍乍乍乍烏虎兔○

左半は第九声の空位で第八音から第十音までを唱える。第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」である。右半は第十一音「乍」が第四声から第六声までと和す。第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。第八音から第十音までの閉位と開位は多く「■」とし、第九音の土・石二行は連続して「□」と書く。右図の第四声辰行の前三位と第五声の二箇所の空きは、いずれも声位はあって字がないものである。

■莊震■●●●● 乍乍乍乍心審禁○ 十一音 ■乍□■●●●● 十一音 乍乍乍乍○○○十 九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 乍乍乍乍男坎欠○ ■崇辰■●●●● 乍乍乍乍○○○妾 ■卓中■●●●● 乍乍乍乍●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十一音 乍乍乍乍●●●● 九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 乍乍乍乍●●●● ■茶呈■●●●● 乍乍乍乍●●●●

左半は第九声の空位で第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を唱え終える。右半は「乍」の音が第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と第八声の四行「●●●●」と和す。第七声は日行の「心审禁」と星行の「男坎欠」だけが実字に落ち、その余はことごとく声位はあって字がない。

声音唱和図・上声翕唱呂二之十

上聲翕唱呂二之十 古甲九癸●●●● 乍乍乍乍●●●● 一音 □□近揆●●●● 十一音 乍乍乍乍●●●● 十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 乍乍乍乍●●●● □□乾蚪●●●● 乍乍乍乍●●●● 黑花香血●●●● 乍乍乍乍●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十一音 乍乍乍乍●●●● 十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 乍乍乍乍●●●● 吾牙月堯●●●● 乍乍乍乍●●●●

左半は改めて「上声翕唱呂二之十」を立てる。第十声もまた「●」で、唱えるべき声がない。それはまず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」と第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」を並べ、行末は依然として四つの「●」である。右半は「乍」の音が第九声・第十声と和するが、両声とも声位がなく、八行とも「●●●●」と書き、「乍」の音は一巡して四十の声位をここで配し足した。上声翕の十声はここですべて図に起こされ、そのうち五声は字があり、両声は位はあって字がなく、三声は位そのものもなく、一位も省略されなかった。

声音唱和図・発音濁和律二之十二

發音濁和律二之十二 安亞乙一●●●● 宅宅宅宅多可個舌 三音 □爻壬寅●●●● 十二音 宅宅宅宅禾火化八 十聲 母馬美米●●●● 一聲 宅宅宅宅開宰愛○ 目貌眉民●●●● 宅宅宅宅回每退○ 夫法□飛●●●● 宅宅宅宅良兩向○ 四音 父凡□吠●●●● 十二音 宅宅宅宅光廣況○ 十聲 武晚□尾●●●● 二聲 宅宅宅宅丁井亙○ 文萬□未●●●● 宅宅宅宅兄永瑩○ 卜百丙必●●●● 宅宅宅宅千典旦○ 五音 步白備鼻●●●● 十二音 宅宅宅宅元犬半○

右半は改めて「発音濁和律二之十二」を立て、発音濁の末の音「宅」を用い、まず第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」と和し、さらに第三声の日・月の二行「千典旦○」「元犬半○」と和す。左半はなお第十声の空位が第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、第五音の水・火の二行「卜百丙必」「步白备鼻」を唱えている。両図ともまだ唱和し終わっておらず、下文に続く。

十聲 普撲品匹●●●● 三聲 宅宅宅宅臣引艮○;旁排平瓶●●●● 宅宅宅宅君允巽○;東丹帝■●●●● 宅宅宅宅刀早孝嶽;六音 兌大弟■●●●● 十二音 宅宅宅宅毛寶報霍;十聲 土貪天■●●●● 四聲 宅宅宅宅牛斗奏六;同覃田■●●●● 宅宅宅宅○○○玉;乃你女■●●●● 宅宅宅宅妻子四日;七音 內南年■●●●● 十二音 宅宅宅宅衰○帥骨;十聲 老冷呂■●●●● 五聲 宅宅宅宅○○○德;鹿犖離■●●●● 宅宅宅宅龜水貴北。

前文の「上声翕唱呂二之十」と「発音濁和律二之十二」の二つの対照表を引き受ける。左半は正音図に属し、唱えるのは第十声であるが、「月月声上翕」の類の第十声にはもともと声位がないので、各行の音字の後に「●●●●」を綴り、四格はすべて空である。列ねられた音位は順に、第五音の後の二等「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音の四等「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音の四等「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」である。六・七の両音の第四格は一律に「■」として、その箇所にはもともと音位を立て得ないことを示す。右半は正声図に属し、行首の「宅宅宅宅」は和される第十二音「宅」で、その下に順に第三声の「臣引艮○」「君允巽○」、第四声の「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声の「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」を配する。「○」はその声位はあるが配すべき字がないことを指し、声位さえもない「●」とは判然と異なる。正音図は各音四格で、左から右へ開・発・收・閉に分属する。正声図は各声四格で、左から右へ平・上・去・入に分属する。第六音「东丹帝■」でいえば、東は開位に居り、丹は発位に居り、帝は收位に居り、閉位はもともと音がない。第四声「刀早孝岳」でいえば、刀は平声、早は上声、孝は去声、岳は入声で、四格がちょうどすべて具わっている。

走哉足■●●●● 宅宅宅宅宮孔眾○;八音 自在匠■●●●● 十二音 宅宅宅宅龍甬用○;十聲 草采七■●●●● 六聲 宅宅宅宅魚鼠去○;曹才全■●●●● 宅宅宅宅烏虎兔○;思三星■●●●● 宅宅宅宅心審禁○;九音 寺□象■●●●● 十二音 宅宅宅宅○○○十;十聲 □□□■●●●● 七聲 宅宅宅宅男坎欠○;□□□■●●●● 宅宅宅宅○○○妾。

両表は引き続き下に行く。正音図は第八音の四等「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」と第九音の四等「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」を列ね、行末は依然として「●●●●」を綴り、唱えられる第十声には位を求め得ないことを示す。第九音の後の二等の首の三格はいずれも「□」と書き、その音位はあるが当時は配すべき字がなかったもので、四等の末格に「■」とするのは、もともと音位がないものである。右側は依然として第十二音「宅」で和し、順に第六声の「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」と第七声の「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配する。この二声の各行の中の空きはいっさい「○」と書くのは、声位が実有であり、ただ当時に相应の字を挙げられなかったことを説明している。行首の標目「八音」「九音」は左表の音等を標し、「十声」は唱えられる声を標し、「十二音」「六声」「七声」は右表の和される音と配される声を標す。四等をもってこれを衡量すれば、第八音「走哉足■」は走が開位に属し、哉が発位に属し、足が收位に属し、閉位には音がない。第六声「宫孔众○」は宮が平声、孔が上声、衆が去声で、入声の一格は位はあって字がない。

■山手■●●●● 宅宅宅宅●●●●;十音 ■士石■●●●● 十二音 宅宅宅宅●●●●;十聲 ■□耳■●●●● 八聲 宅宅宅宅●●●●;■□二■●●●● 宅宅宅宅●●●●;■莊震■●●●● 宅宅宅宅●●●●;十一音 ■乍□■●●●● 十二音 宅宅宅宅●●●●;十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 宅宅宅宅●●●●;■崇辰■●●●● 宅宅宅宅●●●●;■卓中■●●●● 宅宅宅宅●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十二音 宅宅宅宅●●●●;十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 宅宅宅宅●●●●;■茶呈■●●●● 宅宅宅宅●●●●。

正音図の最後の三音がここにそろって列ねられる。第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。この三音の首末の二格は一律に「■」として、四等のうち真に音を成せるのは中の二位だけで、両端にはもともと音位がないことを示す。その間に時折見える「□」、例えば「■□耳■」「■□二■」「■乍□■」は、位はあって字がないものである。唱えるのは依然として第十声なので、左半の行末の四格はすべて「●」である。右側は第十二音「宅」でそれぞれ第八・第九・第十三声と和するが、この三声は「上声翕」の系列ではいずれも声を成さないので、「宅宅宅宅」の後には整然と「●●●●」が並び満ちて、一字も着かない。行の標目「十音」「十一音」「十二音」は所在の音等を標し、「十声」は唱えられる声を標し、「八声」「九声」「十声」は右表の配される声を標す。十音以下の三音は発・收の二位にだけ音を成す。「■士石■」には士・石の二字のみ、「■卓中■」には卓・中の二字のみあり、開・閉の両端はいっさい「■」と画かれる。観物篇四十の声音唱和図はここで終わる。

皇極經世書巻八下

観物篇四十一・声音唱和図(月星声上辟 火土音発清)

月星聲上闢 火土音發清;宰井引斗○ 巧瓦馬晚樸貪;鼠坎●●● 冷採□□義坼;月星聲七,下唱地之 火土音十二,上和天;用音一百五十二,是 之用聲一百一十二, 謂上聲闢音。上聲闢 是謂發音清聲。發音;音一千六十四。 清聲一千三百四十四。 月星聲上之三辟 火土音發之三清。

本篇の標目は左右の二欄に分かれる。左欄の「月星声上辟」は、正声十類のうち上声の系に属し、星行(第三行)に居る一支で、開口の「辟」の音である。右欄の「火土音発清」は、正音十二類のうち発位の系に属し、土行(第三行)に居る一支で、「清」の声である。その下の二行にそれぞれの代表字が列ねられている。上声辟の十声は順に、宰・井・引・斗・○・鼠・坎・●・●・●。発音清の十二音は順に、巧・瓦・马・晚・朴・贪・冷・采・□・□・义・坼。記号にはそれぞれ定義がある。「○」は声位はあって配すべき字がない、「●」はもともと声位がない、「□」は音位はあって配すべき字がない、「■」はもともと音位がない。そのさらに下は両欄の対読の小注である。左欄を続けて読めば「月星声七、下に唱うる地の用音一百五十二、是を上声辟音と謂う、上声辟音一千六十四」となり、十声のうち実有は七声で、七に一百五十二を乗じてちょうど一千六十四を得る。右欄を続けて読めば「火土音十二、上に和する天の用声一百十二、是を発音清声と謂う、発音清声一千三百四十四」となり、十二音がそれぞれ一百十二の声と和してちょうど一千三百四十四を得る。末行の「月星声上之三辟」「火土音発之三清」は、以下の各表がいずれも第三類に属することを標しており、故にその目は皆「唱呂三之某」「和律三之某」と称する。篇題の「月星」「火土」はいずれも二字を並べ挙げたもので、月は上声を指し、星は正声図の第三行を指す。火は発位を指し、土は正音図の第三行を指す。邵雍は日月星辰をもって声の平上去入に配し、水火土石をもって音の開発收閉に配したので、一篇の目が調類・行次・開合・清濁を併せて標し出すのである。

上聲闢唱呂三之一 發音清和律三之一;古甲九癸宰宰宰宰 巧巧巧巧多可個舌;一音 □□近揆宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧禾火化八;一聲 坤巧丘棄宰宰宰宰 一聲 巧巧巧巧開宰愛○;□□乾蚪宰宰宰宰 巧巧巧巧回每退○;黑花香血宰宰宰宰 巧巧巧巧良兩向○;二音 黃華雄賢宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧光廣況○;一聲 五瓦仰□宰宰宰宰 二聲 巧巧巧巧丁井亙○;吾牙月堯宰宰宰宰 巧巧巧巧兄永瑩○;安亞乙一宰宰宰宰 巧巧巧巧乾典旦○;三音 □爻壬寅宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧元犬半○;一聲 母馬美米宰宰宰宰 三聲 巧巧巧巧臣引艮○;目貌眉民宰宰宰宰 巧巧巧巧君允巽○;夫法□飛宰宰宰宰 巧巧巧巧刀早孝嶽;四音 父凡□吠宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧毛寶報霍;一聲 武晚□尾宰宰宰宰 四聲 巧巧巧巧牛斗奏六;文萬□未宰宰宰宰 巧巧巧巧○○○玉。

「上声辟唱呂三之一」は、上声辟の第一声「宰」をもって正音図を遍く唱えるもので、故に各行の音字の後にはいずれも「宰宰宰宰」の四格が綴られる。「発音清和律三之一」は、発音清の第一音「巧」をもって正声図を遍く和するもので、故に各行の声字の前にはいずれも「巧巧巧巧」が冠せられる。左半には順に、第一音の四等「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音の四等「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音の四等「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音の四等「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を列ねる。このうち「□□近揆」「□□乾蚪」「五瓦仰□」「□爻壬寅」「夫法□飞」などの箇所の「□」は、いずれもその音位はあるが字を充てるものがない。右半には順に、第一声の四等「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声の四等「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声の四等「干典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声の四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を列ねる。行間の「○」はいずれも声位はあって字がない。第三声の首の等は底本では「干典旦○」とあり、「干」は「千」の字の誤りであろう。行の標目「一音」から「四音」は左表の音等を標し、「一声」から「四声」は右表の声等を標す。音図の四格は順に開・発・收・閉なので、第一音は古(開)・甲(発)・九(收)・癸(閉)と読むべく、声図の四格は順に平・上・去・入なので、第一声は多(平)・可(上)・个(去)・舌(入)と読むべきである。本表に唱えられる「宰」は、まさに第一声第三等「开宰爱○」の上声の一格である。

卜百丙必宰宰宰宰 巧巧巧巧妻子四日;五音 步白備鼻宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧衰○帥骨;一聲 普撲品匹宰宰宰宰 五聲 巧巧巧巧○○○德;旁排平瓶宰宰宰宰 巧巧巧巧龜水貴北;東丹帝■宰宰宰宰 巧巧巧巧宮孔眾○;六音 兌大弟■宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧龍甬用○;一聲 上貪天■宰宰宰宰 六聲 巧巧巧巧魚鼠去○;同覃田■宰宰宰宰 巧巧巧巧烏虎兔○;乃你女■宰宰宰宰 巧巧巧巧心審禁○;七音 內南年■宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧○○○十;一聲 老冷呂■宰宰宰宰 七聲 巧巧巧巧男坎欠○;鹿犖離■宰宰宰宰 巧巧巧巧○○○妾;走哉足■宰宰宰宰 巧巧巧巧●●●●;八音 自在匠■宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧●●●●;一聲 草采七■宰宰宰宰 八聲 巧巧巧巧●●●●;曹才全■宰宰宰宰 巧巧巧巧●●●●。

依然として「宰」が唱え「巧」が和する同じ一対の表であり、下へ続けて列ねる。正音図のこの段は第五音の四等「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音の四等「东丹帝■」「兑大弟■」「上贪天■」「同覃田■」、第七音の四等「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音の四等「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」である。このうち第六音の第三等は底本では「上贪天■」とあり、「上」は「土」の字の誤りであろう。第五音は四等とも字を挙げられ、第六・七・八の三音は第四格が一律に「■」で、閉位にはもともと音がないことを示す。正声図のこの段は第五声から始まる。「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」は第五声の四等、「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」は第六声の四等、「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」は第七声の四等である。第八声に至れば四行ともすべて「●●●●」となる。上声辟は第八声以下にもう声位がないからである。「衰○帅骨」「○○○德」「○○○十」「○○○妾」の中の「○」は、依然として位はあって字がない例である。本表に和される「巧」は、まさに第一音第三等「坤巧丘弃」の発位の一格である。およそ標目に用いられる字はいずれも図内のある格から取られており、図を読むときは目に沿って字を求めれば、位ごとに案じられる。

思三星■宰宰宰宰 巧巧巧巧●●●●;九音 寺□象■宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧●●●●;一聲 □□□■宰宰宰宰 九聲 巧巧巧巧●●●●;□□□■宰宰宰宰 巧巧巧巧●●●●;■山手■宰宰宰宰 巧巧巧巧●●●●;十音 ■士石■宰宰宰宰 一音 巧巧巧巧●●●●;一聲 ■□耳■宰宰宰宰 十聲 巧巧巧巧●●●●;■□二■宰宰宰宰 巧巧巧巧●●●●;發音清和律三之二;■莊震■宰宰宰宰 瓦瓦瓦瓦多可個舌;十一音 ■乍□■宰宰宰宰 二音 瓦瓦瓦瓦禾火化八;一聲 ■叉赤■宰宰宰宰 一聲 瓦瓦瓦瓦開宰愛○;■崇辰■宰宰宰宰 瓦瓦瓦瓦回每退○;■卓中■宰宰宰宰 瓦瓦瓦瓦良兩向○;十二音 ■宅直■宰宰宰宰 二音 瓦瓦瓦瓦光廣況○;一聲 ■拆丑■宰宰宰宰 二聲 瓦瓦瓦瓦丁井亙○;■茶呈■宰宰宰宰 瓦瓦瓦瓦兄永瑩○。

正音図の後の四音がここにそろって列ねられる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。この四音は空缺が非常に多く、「□」は位はあって字がなく、「■」は音位さえもない。唱えるのは依然として第一声「宰」である。右半の前の八行は、第一音「巧」がそれぞれ第九声・第十声と和するもので、この両声はいずれも声位がないので、行いっぱいに「●●●●」と書く。その後に改めて「発音清和律三之二」の一目を立て、第二音「瓦」に由って上に正声と和す。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」は第一声の四等、「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」は第二声の四等である。左表は四十八行、右表は四十行で、行数がそろわないので、音表が終わらないうちに声表はすでに新しい目に換わる。以後の各段もすべてこのように入れ違いに推移するので、錯簡と疑うには及ばない。第十音から第十二音までは開位・閉位がともに欠けており、故に各行の首末に対となって「■」が現れ、ただ発・收の二位に字があるだけで、十二音のうち最も欠損の多い一段である。

上聲闢唱呂三之二;古甲九癸井井井井 瓦瓦瓦瓦千典旦○;一音 □□近揆井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦元犬半○;二聲 坤巧丘棄井井井井 三聲 瓦瓦瓦瓦臣引艮○;□□乾蚪井井井井 瓦瓦瓦瓦君允巽○;黑花香血井井井井 瓦瓦瓦瓦刀早孝嶽;二音 黃華雄賢井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦毛寶報霍;二聲 五瓦仰□井井井井 四聲 瓦瓦瓦瓦牛斗奏六;吾牙月堯井井井井 瓦瓦瓦瓦○○○玉;安亞乙一井井井井 瓦瓦瓦瓦妻子四日;三音 □爻壬寅井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦衰○帥骨;二聲 母馬美米井井井井 五聲 瓦瓦瓦瓦○○○德;目貌眉民井井井井 瓦瓦瓦瓦龜水貴北;夫法□飛井井井井 瓦瓦瓦瓦宮孔眾○;四音 父凡□吠井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦龍甬用○;二聲 武晚□尾井井井井 六聲 瓦瓦瓦瓦魚鼠去○;文萬□未井井井井 瓦瓦瓦瓦烏虎兔○。

「上声辟唱呂三之二」は改めて一表を立て、上声辟の第二声「井」に由って正音を遍く唱えるので、各行の末尾はこのため皆「井井井井」となる。唱われる音位は、第一音四等「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」で、前の表に列ねられた音位と全く同じであり、異なるのはただ唱える声が「宰」から「井」に換わっただけである。右半は「発音清和律三之二」を承け、依然として第二音「瓦」が上に和し、続けて第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」を列ねる。およそ「○」となるところは、いずれも声位は実有であるが充てるべき字がない。一表を唱え終えてまた一表を立て、唱える者は一声ずつ進むが唱われる音位は少しも動かない。十声が順に唱え過ぎれば、正音図は完全に十遍唱えられたことになる。これが「唱呂」の名を得た所以である。

卜百丙必井井井井 瓦瓦瓦瓦心審禁○;五音 步白備鼻井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦○○○十;二聲 普撲品匹井井井井 七聲 瓦瓦瓦瓦男坎欠○;旁排平瓶井井井井 瓦瓦瓦瓦○○○妾;東丹帝■井井井井 瓦瓦瓦瓦●●●●;六音 兌大弟■井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦●●●●;二聲 土貪天■井井井井 八聲 瓦瓦瓦瓦●●●●;同覃田■井井井井 瓦瓦瓦瓦●●●●;乃你女■井井井井 瓦瓦瓦瓦●●●●;七音 內南年■井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦●●●●;二聲 老冷呂■井井井井 九聲 瓦瓦瓦瓦●●●●;鹿犖離■井井井井 瓦瓦瓦瓦●●●●;走哉足■井井井井 瓦瓦瓦瓦●●●●;八音 自在匠■井井井井 二音 瓦瓦瓦瓦●●●●;二聲 草采七■井井井井 十聲 瓦瓦瓦瓦●●●●;曹才全■井井井井 瓦瓦瓦瓦●●●●。

「井」が唱え「瓦」が和する表が続行する。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ねる。六・七・八の三音の第四格は一律に「■」で、すなわち閉位に音がない。正声図のこの側は第七声から始まる。「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」の四等はなお字を挙げられるが、その後の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行すべて「●●●●」となる。上声辟の系は前の七声だけが声を成し、後の三声にはそもそも声位がないからである。これもまさに篇首の「月星声七」の説に応じるもので、十声のうち実用されるのは七なのである。行首の標目「五音」から「八音」は左表の音等を標し、「二声」は唱えられる者が第二声「井」であることを標す。右側の標目「二音」は和される者が第二音「瓦」であることを標し、「七声」以下は配される声等を標す。左表は一目が一声を唱えて十二音の四十八位を遍歴し、右表は一目が一音を和して十声の四十位を遍歴するので、左表は常に右表より八行長い。

發音清和律三之三;思三星■井井井井 馬馬馬馬多可個舌;九音 寺□象■井井井井 三音 馬馬馬馬禾火化八;二聲 □□□■井井井井 一聲 馬馬馬馬開宰愛○;□□□■井井井井 馬馬馬馬回每退○;■山手■井井井井 馬馬馬馬良兩向○;十音 ■士石■井井井井 三音 馬馬馬馬光廣況○;二聲 ■□耳■井井井井 二聲 馬馬馬馬丁井亙○;■□二■井井井井 馬馬馬馬兄永瑩○;■莊震■井井井井 馬馬馬馬千典旦○;十一音 ■乍□■井井井井 三音 馬馬馬馬元犬半○;二聲 ■叉赤■井井井井 三聲 馬馬馬馬臣引艮○;■崇辰■井井井井 馬馬馬馬君允巽○;■卓中■井井井井 馬馬馬馬刀早孝嶽;十二音 ■宅直■井井井井 三音 馬馬馬馬毛寶報霍;二聲 ■拆丑■井井井井 四聲 馬馬馬馬牛斗奏六;■茶呈■井井井井 馬馬馬馬○○○玉。

「発音清和律三之三」は改めて一目を立て、第三音「马」に由って上に正声と和すので、右半の各行の前には「马马马马」が冠せられる。左半は依然として「井」の唱える表に属し、正音図の最後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は頭から列ね始める。第一声四等「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声四等「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。左表は「□」「■」を用い、右表は「○」「●」を用いる。二套の記号はそれぞれ分担があり、互いに混同してはならず、また欠字としてそのまま削除してもならない。第九音「思三星■」以下、およそ「□□□■」の類のように行全体が空のものも、依然として一つ一つ位を占めて排出する。声音の数は位次を掛け合わせて得られるので、一位を削れば総数が合わなくなるからである。

上聲闢唱呂三之三;古甲九癸引引引引 馬馬馬馬妻子四日;一音 □□近揆引引引引 三音 馬馬馬馬衰○帥骨;三聲 坤巧丘棄引引引引 五聲 馬馬馬馬○○○德;□□乾蚪引引引引 馬馬馬馬龜水貴北;黑花香血引引引引 馬馬馬馬宮孔眾○;二音 黃華雄賢引引引引 三音 馬馬馬馬龍甬用○;三聲 五瓦仰□引引引引 六聲 馬馬馬馬魚鼠去○;吾牙月堯引引引引 馬馬馬馬烏虎兔○;安亞乙一引引引引 馬馬馬馬心審禁○;三音 □爻壬寅引引引引 三音 馬馬馬馬○○○十;三聲 母馬美米引引引引 七聲 馬馬馬馬男坎欠○;目貌眉民引引引引 馬馬馬馬○○○妾;夫法□飛引引引引 馬馬馬馬●●●●;四音 父凡□吠引引引引 三音 馬馬馬馬●●●●;三聲 武晚□尾引引引引 八聲 馬馬馬馬●●●●;文萬□未引引引引 馬馬馬馬●●●●。

「上声辟唱呂三之三」は上声辟の第三声「引」で正音を遍く唱えるので、各行の末尾はこのため皆「引引引引」を綴る。列ねるのは依然として第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第三音「马」の和を承け、続けて第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、第八声に至れば四行とも「●●●●」となる。同じ一批の音字が繰り返し現れて、配される声が次第に推移するのは、まさに「唱和」の推衍の法である。十声が輪番に十二音を唱え、十二音が輪番に十声を和して、天下の声音の数はここから推し出される。「引」はすなわち第三声第三等「臣引艮○」の上声の一格、「马」はすなわち第三音第三等「母马美米」の発位の一格であり、標目と図中の字とはまさに相対応している。

卜百丙必引引引引 馬馬馬馬●●●●;五音 步白備鼻引引引引 三音 馬馬馬馬●●●●;三聲 普撲品匹引引引引 九聲 馬馬馬馬●●●●;旁排平瓶引引引引 馬馬馬馬●●●●;東丹帝■引引引引 馬馬馬馬●●●●;六音 兌大弟■引引引引 三音 馬馬馬馬●●●●;三聲 土貪天■引引引引 十聲 馬馬馬馬●●●●;同覃田■引引引引 馬馬馬馬●●●●;發音清和律三之四;乃你女■引引引引 晚晚晚晚多可個舌;七音 內南年■引引引引 四音 晚晚晚晚禾火化八;三聲 老冷呂■引引引引 一聲 晚晚晚晚開宰愛○;鹿犖離■引引引引 晚晚晚晚回每退○;走哉足■引引引引 晚晚晚晚良兩向○;八音 自在匠■引引引引 四音 晚晚晚晚光廣況○;三聲 草采七■引引引引 二聲 晚晚晚晚丁井亙○;曹才全■引引引引 晚晚晚晚兄永瑩○。

この一段は左右の両側がそれぞれ二截に分かれる。正音図はまず第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」と第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」を出し、依然として第三声「引」で唱える。中間に「発音清和律三之四」の一目を挿入し、右表が第四音「晚」に改まって上に和することを標し、その後に左表は第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」と第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を続ける。右半の前の八行は、第三音「马」が第九声・第十声と配するもので、両声とも声位がないので、ことごとく「●●●●」である。目を換えた後は、第四音「晚」が第一声から並び始め、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」を列ね、次いで第二声の「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。音表は四十八行、声表は四十行で、長短がそろわないので、目を換える箇所は常に行の途中に落ちる。第四音の目「晚」は、正音図第四音第三等「武晚□尾」の発位の一格から取ったもので、「武晚□尾」の四格のうち收位に字がないので、「□」とするのである。

思三星■引引引引 晚晚晚晚千典旦○;九音 寺□象■引引引引 四音 晚晚晚晚元犬半○;三聲 □□□■引引引引 三聲 晚晚晚晚臣引艮○;□□□■引引引引 晚晚晚晚君允巽○;■山手■引引引引 晚晚晚晚刀早孝嶽;十音 ■士石■引引引引 四音 晚晚晚晚毛寶報霍;三聲 ■□耳■引引引引 四聲 晚晚晚晚牛斗奏六;■□二■引引引引 晚晚晚晚○○○玉;■莊震■引引引引 晚晚晚晚妻子四日;十一音 ■乍□■引引引引 四音 晚晚晚晚衰○帥骨;三聲 ■叉赤■引引引引 五聲 晚晚晚晚○○○德;■崇辰■引引引引 晚晚晚晚龜水貴北;■卓中■引引引引 晚晚晚晚宮孔眾○;十二音 ■宅直■引引引引 四音 晚晚晚晚龍甬用○;三聲 ■拆丑■引引引引 六聲 晚晚晚晚魚鼠去○;■茶呈■引引引引 晚晚晚晚烏虎兔○。

「引」が唱え「晚」が和する表は引き続き下に行く。正音図には最後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は第四音「晚」が上に和し、順に第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。第九音以下の諸音に多く「■」を用いるのは、邵雍がその箇所の発音の位はもともと存在しないと見なしたからである。「□」を用いる箇所は位次がなお存しており、ただ字を填めるものがないだけで、将来なお補い入れることができる。両者の含意は異なり、混同を許さない。「晚」は第六声「乌虎兔○」まで和しており、下の段に第七声が続いて列ねられ、一音は必ず十声の四十位を遍く和してから初めて一表を成すことがうかがえる。

上聲闢唱呂三之四;古甲九癸斗斗斗斗 晚晚晚晚心審禁○;一音 □□近揆斗斗斗斗 四音 晚晚晚晚○○○十;四聲 坤巧丘棄斗斗斗斗 七聲 晚晚晚晚男坎欠○;□□乾蚪斗斗斗斗 晚晚晚晚○○○妾;黑花香血斗斗斗斗 晚晚晚晚●●●●;二音 黃華雄賢斗斗斗斗 四音 晚晚晚晚●●●●;四聲 五瓦仰□斗斗斗斗 八聲 晚晚晚晚●●●●;吾牙月堯斗斗斗斗 晚晚晚晚●●●●;安亞乙一斗斗斗斗 晚晚晚晚●●●●;三音 □爻壬寅斗斗斗斗 四音 晚晚晚晚●●●●;四聲 母馬美米斗斗斗斗 九聲 晚晚晚晚●●●●;目貌眉民斗斗斗斗 晚晚晚晚●●●●;夫法□飛斗斗斗斗 晚晚晚晚●●●●;四音 父凡□吠斗斗斗斗 四音 晚晚晚晚●●●●;四聲 武晚□尾斗斗斗斗 十聲 晚晚晚晚●●●●;文萬□未斗斗斗斗 晚晚晚晚●●●●。

「上声辟唱呂三之四」は上声辟の第四声「斗」に改めて正音を遍く唱えるので、各行の末尾はこのため皆「斗斗斗斗」となる。唱われる音位は依然として第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。第四音第三等「武晚□尾」の中の「晚」は、ちょうど右表の用いる第四音の目であり、両方を対置して見ることができる。右半は依然として第四音「晚」が上に和し、まず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行いっさい「●●●●」となる。ここからうかがえるように、正声の十類のうち上声辟は前の七類だけが真に声位を有し、後の三類は空き檔である。表の中で空き檔を一つ一つ画き出して省略しないのは、まさに「声音之数」を図上で明白に算えさせるためである。「斗」はすなわち第四声第三等「牛斗奏六」の上声の一格である。十声のうち宰・井・引・斗の四声は連なって字があり、第五声に至れば位はあって字がない例に入る。

發音清和律三之五;卜百丙必斗斗斗斗 樸樸樸樸多可個舌;五音 步白備鼻斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸禾火化八;四聲 普撲品匹斗斗斗斗 一聲 樸樸樸樸開宰愛○;旁排平瓶斗斗斗斗 樸樸樸樸回每退○;東丹帝■斗斗斗斗 樸樸樸樸良兩向○;六音 兌大弟■斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸光廣況○;四聲 土貪天■斗斗斗斗 二聲 樸樸樸樸丁井亙○;同覃田■斗斗斗斗 樸樸樸樸兄永瑩○;乃你女■斗斗斗斗 樸樸樸樸千典旦○;七音 內南年■斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸元犬半○;四聲 老冷呂■斗斗斗斗 三聲 樸樸樸樸臣引艮○;鹿犖離■斗斗斗斗 樸樸樸樸君允巽○;走哉足■斗斗斗斗 樸樸樸朴刀早孝嶽;八音 自在匠■斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸毛寶報霍;四聲 草采七■斗斗斗斗 四聲 樸樸樸樸牛斗奏六;曹才全■斗斗斗斗 樸樸樸樸○○○玉。

「発音清和律三之五」は改めて一目を立て、右表は第五音「朴」に改まって上に正声と和し、各行の前に「朴朴朴朴」を冠する。「朴」はすなわち正音図第五音第三等「普扑品匹」の第二字で、篇首の標目とここでは「朴」とし、表内では「扑」とするのは、同じ字の異写である。左半は依然として第四声「斗」の唱えるところで、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ねる。右半は第一声から並び始める。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。「多可个舌」「禾火化八」の二行は平上去入の四格がすべて具わり、「开宰爱○」「回每退○」の二行は入声の一格に字がないので、それぞれ一つの「○」を綴る。

思三星■斗斗斗斗 樸樸樸樸妻子四日;九音 寺□象■斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸衰○帥骨;四聲 □□□■斗斗斗斗 五聲 樸樸樸樸○○○德;□□□■斗斗斗斗 樸樸樸樸龜水貴北;■山手■斗斗斗斗 樸樸樸樸宮孔眾○;十音 ■士石■斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸龍甬用○;四聲 ■□耳■斗斗斗斗 六聲 樸樸樸樸魚鼠去○;■□二■斗斗斗斗 樸樸樸樸烏虎兔○;■莊震■斗斗斗斗 樸樸樸樸心審禁○;十一音 ■乍□■斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸○○○十;四聲 ■叉赤■斗斗斗斗 七聲 樸樸樸樸男坎欠○;■崇辰■斗斗斗斗 樸樸樸樸○○○妾;■卓中■斗斗斗斗 樸樸樸樸●●●●;十二音 ■宅直■斗斗斗斗 五音 樸樸樸樸●●●●;四聲 ■拆丑■斗斗斗斗 八聲 樸樸樸樸●●●●;■茶呈■斗斗斗斗 樸樸樸樸●●●●。

「斗」が唱え「朴」が和する表は続行する。正音図は最後の四音に収まる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」で、行末には皆「斗斗斗斗」を綴る。右半は第五音「朴」が上に和し、順に第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、第八声は四行すべて「●●●●」となる。四つの記号の区別は記憶しておかねばならない。「○」は声位はあって字がなく、「●」は声位さえもなく、「□」は音位はあって字がなく、「■」は音位さえもない。十二音のうち、前の五音は四格がおおむね具わり、六音以下は閉位が次第に空き、九音以下は開位もまた空き、後に行くほど空缺が多くなる。これはまさに邵雍のいう、音には全きものと闕けるものとがあるという意である。

上聲闢唱呂三之五;古甲九癸○○○○ 樸樸樸樸●●●●;一音 □□近揆○○○○ 五音 樸樸樸樸●●●●;五聲 坤巧丘棄○○○○ 九聲 樸樸樸樸●●●●;□□乾蚪○○○○ 樸樸樸樸●●●●;黑花香血○○○○ 樸樸樸樸●●●●;二音 黃華雄賢○○○○ 五音 樸樸樸樸●●●●;五聲 五瓦仰□○○○○ 十聲 樸樸樸樸●●●●;吾牙月堯○○○○ 樸樸樸樸●●●●;發音清和律三之六;安亞乙一○○○○ 貪貪貪貪多可個舌;三音 □爻壬寅○○○○ 六音 貪貪貪貪禾火化八;五聲 母馬美米○○○○ 一聲 貪貪貪貪開宰愛○;目貌眉民○○○○ 貪貪貪貪回每退○;夫法□飛○○○○ 貪貪貪貪良兩向○;四音 父凡□吠○○○○ 六音 貪貪貪貪光廣況○;五聲 武晚□尾○○○○ 二聲 貪貪貪貪丁井亙○;文萬□未○○○○ 貪貪貪貪兄永瑩○。

「上声辟唱呂三之五」が唱えるのは上声辟の第五声であるが、この声はちょうど位はあって字がないので、行末には字を書かず、ただ「○○○○」の四格を書く。左半はまず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」と第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」を列ねる。中間に「発音清和律三之六」の一目を挿入し、右表は第六音「贪」に改まって上に和し、その後に左表は第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」と第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を続けて列ねる。右半の前の八行は、第五音「朴」が第九・第十の両声と配するもので、二声に位がないので、連ねて「●●●●」と書く。目を換えた後は「贪」が第一声から始まり、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声の「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。第五声は挙げるべき字こそないが、位次を裁ち去ることはできない。さもなければ十声の数が足りなくなる。十声のうち第五声は位はあって字がなく、第八・第九・第十の三声はその位をも併せてないので、上声辟で実用されるのは七声を得るのみで、篇首の「月星声七」の数とまさに合う。

卜百丙必○○○○ 貪貪貪貪千典旦○;五音 步白備鼻○○○○ 六音 貪貪貪貪元犬半○;五聲 普撲品匹○○○○ 三聲 貪貪貪貪臣引艮○;旁排平瓶○○○○ 貪貪貪貪君允巽○;東丹帝■○○○○ 貪貪貪貪刀早孝嶽;六音 兌大弟■○○○○ 六音 貪貪貪貪毛寶報霍;五聲 土貪天■○○○○ 四聲 貪貪貪貪牛斗奏六;同覃田■○○○○ 貪貪貪貪○○○玉;乃你女■○○○○ 貪貪貪貪妻子四日;七音 內南年■○○○○ 六音 貪貪貪貪衰○帥骨;五聲 老冷呂■○○○○ 五聲 貪貪貪貪○○○德;鹿犖離■○○○○ 貪貪貪貪龜水貴北;走哉足■○○○○ 貪貪貪貪宮孔眾○;八音 自在匠■○○○○ 六音 貪貪貪貪龍甬用○;五聲 草采七■○○○○ 六聲 貪貪貪貪魚鼠去○;曹才全■○○○○ 貪貪貪貪烏虎兔○。

第五声(位はあって字がないので「○」と書く)が唱え、第六音「贪」が和する表は続いて下がる。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末は依然として四つの「○」である。第六音第三等「土贪天■」の中の「贪」は、まさに右表の用いる第六音の目である。右半は続けて第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」を並べる。左表は「■」をもって閉位に音がないことを標し、右表は「○」をもって位はあって字がないことを標し、両側の記号は互いに犯さない。一表のうち、左側の行末の四格は終始同一であり(この表は四つの「○」)、右側の行首の四格も終始同一である(この表は四つの「贪」)。ここからうかがえるように、唱える者と和する者はそれぞれ動かず、相対する位だけが行ごとに推移するのである。

思三星■○○○○ 貪貪貪貪心審禁○;九音 寺□象■○○○○ 六音 貪貪貪貪○○○十;五聲 □□□■○○○○ 七聲 貪貪貪貪男坎欠○;□□□■○○○○ 貪貪貪貪○○○妾;■山手■○○○○ 貪貪貪貪●●●●;十音 ■士石■○○○○ 六音 貪貪貪貪●●●●;五聲 ■□耳■○○○○ 八聲 貪貪貪貪●●●●;■□二■○○○○ 貪貪貪貪●●●●;■莊震■○○○○ 貪貪貪貪●●●●;十一音 ■乍□■○○○○ 六音 貪貪貪貪●●●●;五聲 ■叉赤■○○○○ 九聲 貪貪貪貪●●●●;■崇辰■○○○○ 貪貪貪貪●●●●;■卓中■○○○○ 貪貪貪貪●●●●;十二音 ■宅直■○○○○ 六音 貪貪貪貪●●●●;五聲 ■拆丑■○○○○ 十聲 貪貪貪貪●●●●;■茶呈■○○○○ 貪貪貪貪●●●●。

依然として第五声の唱えるところ、第六音「贪」の和するところである。正音図はここで最後の四音を列ね尽くす。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は「贪」が第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と和し、この下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行とも「●●●●」となる。左側の行末の四つの「○」は唱えられる声が位はあって字がないことを示し、右側の行末の四つの「●」は和される声が位さえもないことを示す。二種の空白が同じ行にありながら含意は截然と別れるので、図を読むときに最も分辨を要する。行の標目「九音」から「十二音」と「五声」「六音」は、それぞれ左表の音等・唱えられる声と右表の和される音を指し示す。ここに至って第六音「贪」はすでに十声の四十位を和し終え、一表が成った。下の表は第七音「冷」に換わり、このように十二音がそれぞれ一表を成して、ちょうど和律の十二を満たす。

上聲闢唱呂三之六 發音清和律三之七;古甲九癸鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷多可個舌;一音 □□近揆鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷禾火化八;六聲 坤巧丘棄鼠鼠鼠鼠 一聲 冷冷冷冷開宰愛○;□□乾蚪鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷回每退○;黑花香血鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷良兩向○;二音 黃華雄賢鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷光廣況○;六聲 五瓦仰□鼠鼠鼠鼠 二聲 冷冷冷冷丁井亙○;吾牙月堯鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷兄永瑩○;安亞乙一鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷千典旦○;三音 □爻壬寅鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷元犬半○;六聲 母馬美米鼠鼠鼠鼠 三聲 冷冷冷冷臣引艮○;目貌眉民鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷君允巽○;夫法□飛鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷刀早孝嶽;四音 父凡□吠鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷毛寶報霍;六聲 武晚□尾鼠鼠鼠鼠 四聲 冷冷冷冷牛斗奏六;文萬□未鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷○○○玉。

「上声辟唱呂三之六」と「発音清和律三之七」が同じ行に起こる。左表は上声辟の第六声「鼠」に改めて正音を遍く唱え、右表は発音清の第七音「冷」に改まって上に正声と和す。左半は第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を列ね、行末には皆「鼠鼠鼠鼠」を綴る。右半は第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を列ね、行首には皆「冷冷冷冷」を冠する。両表の目が時折同じ行に起こるのは、一表は四十八行、一表は四十行で、入れ違いに推移してここに至ってちょうど揃ったからである。正声図の各声の四行のうち、第一・第三の二行は開口の「辟」に属し、第二・第四の二行は合口の「翕」に属する。上声辟の取るところはまさに第三行の上声の一格なので、その十声の目は「宰井引斗○鼠坎●●●」となる。

卜百丙必鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷妻子四日;五音 步白備鼻鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷衰○帥骨;六聲 普撲品匹鼠鼠鼠鼠 五聲 冷冷冷冷○○○德;旁排平瓶鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷龜水貴北;東丹帝■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷宮孔眾○;六音 兌大弟■鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷龍甬用○;六聲 土貪天■鼠鼠鼠鼠 六聲 冷冷冷冷魚鼠去○;同覃田■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷烏虎兔○;乃你女■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷心審禁○;七音 內南年■鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷○○○十;六聲 老冷呂■鼠鼠鼠鼠 七聲 冷冷冷冷男坎欠○;鹿犖離■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷○○○妾;走哉足■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷●●●●;八音 自在匠■鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷●●●●;六聲 草采七■鼠鼠鼠鼠 八聲 冷冷冷冷●●●●;曹才全■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷●●●●。

「鼠」が唱え「冷」が和する表は続行する。正音図のこの段は第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」である。第七音第三等「老冷吕■」の中の「冷」は、まさに右表の用いる第七音の目であり、互いに印証できる。右半は第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、第八声に至れば四行とも「●●●●」となる。第六声第三等「鱼鼠去○」の中の「鼠」もまた、まさに左表の唱える声であって、同じく対置して見ることができる。図中に用いる標目の字は、もともと図内から取られているのである。第八声以下の三行がことごとく「●」なのは、上声辟がここで唱えるべき声がすでにないことを説明する。その後の各表は第八・第九・第十の三声に遇うごとに、一律にこれに倣って黒い圏を画き満たす。

思三星■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷●●●●;九音 寺□象■鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷●●●●;六聲 □□□■鼠鼠鼠鼠 九聲 冷冷冷冷●●●●;□□□■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷●●●●;■山手■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷●●●●;十音 ■士石■鼠鼠鼠鼠 七音 冷冷冷冷●●●●;六聲 ■□耳■鼠鼠鼠鼠 十聲 冷冷冷冷●●●●;■□二■鼠鼠鼠鼠 冷冷冷冷●●●●;發音清和律三之八;■莊震■鼠鼠鼠鼠 采采采采多可個舌;十一音 ■乍□■鼠鼠鼠鼠 八音 采采采采禾火化八;六聲 ■叉赤■鼠鼠鼠鼠 一聲 采采采采開宰愛○;■崇辰■鼠鼠鼠鼠 采采采采回每退○;■卓中■鼠鼠鼠鼠 采采采采良兩向○;十二音 ■宅直■鼠鼠鼠鼠 八音 采采采采光廣況○;六聲 ■拆丑■鼠鼠鼠鼠 二聲 采采采采丁井亙○;■茶呈■鼠鼠鼠鼠 采采采采兄永瑩○。

左半はまず第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」と第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を列ね、依然として第六声「鼠」で唱える。中間に「発音清和律三之八」の一目を挿入し、右表は第八音「采」に転じて上に和し、その後に左表は第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を続けて列ねる。右半の前の八行は第七音「冷」が第九・第十の両声に配するもので、二声に位がないので、行連なり「●●●●」である。目を換えた後は、「采」が第一声から始まり、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声の「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。第八音の目「采」は、すなわち正音図第八音第三等「草采七■」の第二字である。第十一音・第十二音は開・閉の両位がともに欠け、そのうち「■乍□■」は発位の「乍」だけに字があり、收位は「□」として、位はあって字がないものである。

上聲闢唱呂三之七;古甲九癸坎坎坎坎 采采采采千典旦○;一音 □□近揆坎坎坎坎 八音 采采采采元犬半○;七聲 坤巧丘棄坎坎坎坎 三聲 采采采采臣引艮○;□□乾蚪坎坎坎坎 采采采采君允巽○;黑花香血坎坎坎坎 采采采采刀早孝嶽;二音 黃華雄賢坎坎坎坎 八音 采采采采毛寶報霍;七聲 五瓦仰□坎坎坎坎 四聲 采采采采牛斗奏六;吾牙月堯坎坎坎坎 采采采采○○○玉;安亞乙一坎坎坎坎 采采采采妻子四日;三音 □爻王寅坎坎坎坎 八音 采采采采衰○帥骨;七聲 母馬美米坎坎坎坎 五聲 采采采采○○○德;目貌眉民坎坎坎坎 采采采采龜水貴北;夫法□飛坎坎坎坎 采采采采宮孔眾○;四音 父凡□吠坎坎坎坎 八音 采采采采龍甬用○;七聲 武晚□尾坎坎坎坎 六聲 采采采采魚鼠去○;文萬□未坎坎坎坎 采采采采烏虎兔○。

「上声辟唱呂三之七」は上声辟の第七声「坎」に改めて正音を遍く唱えるので、各行の末尾は皆「坎坎坎坎」となる。列ねる音位は第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻王寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。第三音の第二等は底本では「□爻王寅」とあり、「王」は「壬」の字の誤りであろう。他の箇所は皆「□爻壬寅」とする。右半は第八音「采」が上に和し、順に第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。「坎」は上声辟の第七声であると同時に、またまさに正声図第七声第三等「男坎欠○」の第二字でもある。上声辟の七声はここで最も末の声まで唱え尽くし、その後の第八・第九・第十の三声はその位すらないので、唱うべきものがない。右側の十二音はまだ第八音「采」までしか和しておらず、なお四音が後にある。

卜百丙必坎坎坎坎 采采采采心審禁○;五音 步白備鼻坎坎坎坎 八音 采采采采○○○十;七聲 普撲品匹坎坎坎坎 七聲 采采采采男坎欠○;旁排平瓶坎坎坎坎 采采采采○○○妾;東丹帝■坎坎坎坎 采采采采●●●●;六音 兌大弟■坎坎坎坎 八音 采采采采●●●●;七聲 土貪天■坎坎坎坎 八聲 采采采采●●●●;同覃田■坎坎坎坎 采采采采●●●●;乃你女■坎坎坎坎 采采采采●●●●;七音 內南年■坎坎坎坎 八音 采采采采●●●●;七聲 老冷呂■坎坎坎坎 九聲 采采采采●●●●;鹿犖離■坎坎坎坎 采采采采●●●●;走哉足■坎坎坎坎 采采采采●●●●;八音 自在匠■坎坎坎坎 八音 采采采采●●●●;七聲 草采七■坎坎坎坎 十聲 采采采采●●●●;曹才全■坎坎坎坎 采采采采●●●●。

「坎」が唱え「采」が和する表は続行する。正音図には第五音四等「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音四等「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末には皆「坎坎坎坎」を綴る。右半は第八音「采」が上に和し、まず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行いっさい「●●●●」と書く。第七声の四等のうち、心・审・禁・男・坎・欠・十・妾の数字だけが実有で、その余の空きはいずれも位はあって字がないに属するので、「●」ではなく「○」を用いる。ここに至って第八音「采」はすでに十声の四十位を遍く和し、一表が成った。四等をもってこれを衡量すれば、第五音「卜百丙必」は卜が開位に居り、百が発位に居り、丙が收位に居り、必が閉位に居り、四格がともに備わる。第六音以下は閉位が皆空なので、「东丹帝■」には開・発・收の三字のみが見える。右側の第七声「心审禁○」は、心が平声、审が上声、禁が去声で、入声の一格は位はあって字がないので「○」と書く。

發音清和律三之九;思三星■坎坎坎坎 □□□□多可個舌;九音 寺□象■坎坎坎坎 九音 □□□□禾火化八;七聲 □□□■坎坎坎坎 一聲 □□□□開宰愛○;□□□■坎坎坎坎 □□□□回每退○;■山手■坎坎坎坎 □□□□良兩向○;十音 ■士石■坎坎坎坎 九音 □□□□光廣況○;七聲 ■□耳■坎坎坎坎 二聲 □□□□丁井亙○;■□二■坎坎坎坎 □□□□兄永瑩○;■莊震■坎坎坎坎 □□□□千典旦○;十一音 ■乍□■坎坎坎坎 九音 □□□□元犬半○;七聲 ■叉赤■坎坎坎坎 三聲 □□□□臣引艮○;■崇辰■坎坎坎坎 □□□□君允巽○;■卓中■坎坎坎坎 □□□□刀早孝嶽;十二音 ■宅直■坎坎坎坎 九音 □□□□毛寶報霍;七聲 ■拆丑■坎坎坎坎 四聲 □□□□牛斗奏六;■茶呈■坎坎坎坎 □□□□○○○玉。

「発音清和律三之九」は改めて一目を立てる。正音の十二音のうち、第九音の清声の一位は位はあって字がなく、標目に用いるべき字がないので、右半の各行は「□□□□」の四格を前に冠するほかない。字がなくとも、依然として一表に数え、字がないからといって省略しない。左半は依然として第七声「坎」の唱えるところで、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を列ねる。右半は第一声から並び始める。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。第九音の第三等は「□□□■」とし、その発位の一格がちょうど「□」であり、右表が四つの「□」を標目とするのは、まさにここから出る。第十音の第三等「■□耳■」の発位もまた「□」なので、次の表の標目も同じく「□□□□」であり、両表はただ「和律三之九」「和律三之十」の次第によって弁別するのみで、混同して見てはならない。

上聲闢唱呂三之八;古甲九癸●●●● □□□□妻子四日;一音 □□近揆●●●● 九音 □□□□衰○帥骨;八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 □□□□○○○德;□□乾蚪●●●● □□□□龜水貴北;黑花香血●●●● □□□□宮孔眾○;二音 黃華雄賢●●●● 九音 □□□□龍甬用○;八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 □□□□魚鼠去○;吾牙月堯●●●● □□□□烏虎兔○;安亞乙一●●●● □□□□心審禁○;三音 □爻壬寅●●●● 九音 □□□□○○○十;八聲 母馬美米●●●● 七聲 □□□□男坎欠○;目貌眉民●●●● □□□□○○○妾;東丹帝■●●●● □□□□●●●●;四音 允大第■●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 士貪天■●●●● 八聲 □□□□●●●●;同覃田■●●●● □□□□●●●●。

「上声辟唱呂三之八」が唱えるのは第八声であるが、上声辟は第八声以下に併せて声位がないので、左半の各行の末尾は皆「●●●●」と書き、表全体に唱うべき一字もないが、それでも順に十二音の四十八位を並べ尽くさねばならない。この表の音位の次第は他の表と異なる。一・二・三音の後に「四音」と標されるのは「东丹帝■」「允大第■」「士贪天■」「同覃田■」の一組で、この組は他の表では第六音に列ねられている。底本のここにはまた訛字を兼ねており、「允」は「兑」に、「第」は「弟」に、「士」は「土」に当たるべきである。右半は依然として第九音の空位「□□□□」が上に和し、順に第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、第八声は四行とも「●●●●」である。左右の両側は同じく空位でありながら記号に別れがある。左の「●」は声位がなく、右の「□」は位はあって字がない。四等を細かく校すれば、「东丹帝■」は東が開、丹が発、帝が收で、閉位に音がない。「允大第■」はすなわち「兑大弟■」に当たり、兑が開、大が発、弟が收である。「士贪天■」はすなわち「土贪天■」に当たり、土が開、贪が発、天が收である。「同覃田■」は同が開、覃が発、田が收である。底本がこの一組を「四音」と標したのは、他の表で第六音に列ねるのと合わず、刊刻の間に入れ乱れたのであろう。今は依然としてそのまま写して改めない。

爾你女■●●●● □□□□●●●●;五音 內南年■●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 老冷呂■●●●● 九聲 □□□□●●●●;鹿牽離■●●●● □□□□●●●●;夫法□飛●●●● □□□□●●●●;六音 父凡□吠●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 武晚□尾●●●● 十聲 □□□□●●●●;文萬□末●●●● □□□□●●●●;發音清和律三之十;卜白丙必●●●● □□□□多可個舌;七音 步白備鼻●●●● 十音 □□□□禾火化八;八聲 普樸呂匹●●●● 一聲 □□□□開宰愛○;旁排平瓶●●●● □□□□回每退○;走哉足■●●●● □□□□良兩向○;八音 自在匠■●●●● 十音 □□□□光廣況○;八聲 草采七■●●●● 二聲 □□□□丁井亙○;曹才全■●●●● □□□□兄永瑩○。

上の表を承け、音位の次第は依然として錯乱している。「五音」と標されるのは「尔你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿牵离■」で、他の表では第七音に列ねられ、そのうち「尔」は「乃」に、「牵」は「荦」に当たるべきである。「六音」と標されるのは「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□末」で、他の表では第四音に列ねられ、「末」は「未」に当たるべきである。「七音」と標されるのは「卜白丙必」「步白备鼻」「普朴吕匹」「旁排平瓶」で、他の表では第五音に列ねられ、「白」は「百」に、「朴」は「扑」に、「吕」は「品」に当たるべきである。その後にやっと第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」が続く。唱えるのは依然として声位のない第八声なので、行末はことごとく「●●●●」である。中間に「発音清和律三之十」の一目を挿入し、右表は第十音に改まって上に和す。第十音の清声の一位にも字がないので、依然として「□□□□」を冠し、第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」から並び始める。四音から七音までの次第は乱れているが、四組それぞれの四等は依然として完整しており、上下文を合わせて通算すれば、全表は依然として十二音四十八位で、一位も欠けない。錯乱はただ標目と排列にあるだけで、図の位数そのものは損なわれていないことがうかがえる。この表は訛字が篇中で最も多く、読むときは他の表で参校しなければならない。

思三星■●●●● □□□□千典旦○;九音 寺□象■●●●● 十音 □□□□元犬半○;八聲 □□□■●●●● 三聲 □□□□臣引艮○;□□□■●●●● □□□□君允巽○;■山手■●●●● □□□□刀早孝嶽;十音 ■士石■●●●● 十音 □□□□毛寶報霍;八聲 ■□耳■●●●● 四聲 □□□□牛斗奏六;■□二■●●●● □□□□○○○玉;■莊震■●●●● □□□□妻子四日;十一音 ■乍□■●●●● 十音 □□□□衰○帥骨;八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 □□□□○○○德;■崇辰■●●●● □□□□龜水貴北;■卓中■●●●● □□□□宮孔眾○;十二音 ■宅直■●●●● 十音 □□□□龍甬用○;八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 □□□□魚鼠去○;■茶呈■●●●● □□□□烏虎兔○。

第八声が唱え、第十音が和する表は続いて下がる。正音図は後の四音に収まる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」で、行末は依然として「●●●●」である。右半は第十音の和を承け、順に第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。この表の左右両側の標目はいずれも空位である。唱えられる声に位がなく、和される音に字がなく、それでも唱和の数は変わらず成り立つので、邵雍の重んじたのは位次であり、字の有無ではないことがうかがえる。四等に分ければ、「思三星■」は思が開、三が発、星が收で、閉位に音がない。「■山手■」は開・閉の両端ともになく、ただ山・手の二字が残る。「■乍□■」はさらに收位の字もなく、「□」と書く。右側の「刀早孝岳」の四字は平上去入がそろって備わり、左側の残欠とちょうど対照を成す。

上聲闢唱呂三之九;古甲九癸●●●● □□□□心審禁○;一音 □□近揆●●●● 十音 □□□□○○○十;九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 □□□□男坎欠○;□□乾蚪●●●● □□□□○○○妾;黑花香血●●●● □□□□●●●●;二音 黃華雄賢●●●● 十音 □□□□●●●●;九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 □□□□●●●●;吾牙月堯●●●● □□□□●●●●;安亞乙一●●●● □□□□●●●●;三音 □爻壬寅●●●● 十音 □□□□●●●●;九聲 母馬美米●●●● 九聲 □□□□●●●●;目貌眉民●●●● □□□□●●●●;夫法□飛●●●● □□□□●●●●;四音 父凡□吠●●●● 十音 □□□□●●●●;九聲 武晚□尾●●●● 十聲 □□□□●●●●;文萬□未●●●● □□□□●●●●。

「上声辟唱呂三之九」は第九声で正音を遍く唱える。第九声も同じく声位がないので、行末は依然として「●●●●」である。この表の音位の次第はすでに常の順序に回復している。第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」であり、まさに前の表の錯乱の箇所と校えることができる。右半は依然として第十音の空位「□□□□」が上に和し、まず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行とも「●●●●」となり、第十音の一表はここで終わる。表全体は左右とも一面の白黒の圈框であって一字も著さない。これがこの図の位次をもって数を立てる意を最もよく見せる。上声辟の七声がすでに尽きたので、その後の第八・第九・第十の三表はいずれも唱える名はあって唱える実がなく、まさに篇首の「月星声七、下に唱うる地の用音一百五十二」に応じる。七声がそれぞれ一百五十二の音を唱え、合わせて一千六十四を得、声なき三表は数に入らないのである。

發音清和律三之十一;卜百丙必●●●● 義義義義多可個舌;五音 步白備鼻●●●● 十一音 義義義義禾火化八;九聲 普撲品匹●●●● 一聲 義義義義開宰愛○;旁排平瓶●●●● 義義義義回每退○;東丹帝■●●●● 義義義義良兩向○;六音 兌大弟■●●●● 十一音 義義義義光廣況○;九聲 土貪天■●●●● 二聲 義義義義丁井亙○;同覃田■●●●● 義義義義兄永瑩○;乃你女■●●●● 義義義義千典旦○;七音 內南年■●●●● 十一音 義義義義元犬半○;九聲 老冷呂■●●●● 三聲 義義義義臣引艮○;鹿犖離■●●●● 義義義義君允巽○;走哉足■●●●● 義義義義刀早孝嶽;八音 自在匠■●●●● 十一音 義義義義毛寶報霍;九聲 草采七■●●●● 四聲 義義義義牛斗奏六;曹才全■●●●● 義義義義○○○玉。

「発音清和律三之十一」は改めて立て、右表は第十一音「义」に由って上に和し、各行の前に「义义义义」を冠する。「义」はすなわち正音図第十一音第三等「■叉赤■」の発位の一格であり、篇首の標目は「义」とし、表内では「叉」とするのは、同じ字の異写である。左半は依然として第九声の唱えるところで、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末は皆「●●●●」である。右半は第一声から始まる。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。この表と前の二表の最も肝要な区別は、右側の標目が空位の「□」から実字の「义」に換わったことにある。第九・第十の両音の清声は挙げるべき字がなく、第十一・第十二の両音の清声には字があるので、末の二表はいずれも実字をもって目とすることができ、もはや方框で代える必要がない。

思三星■●●●● 義義義義妻子四日;九音 寺□象■●●●● 十一音 義義義義衰○帥骨;九聲 □□□■●●●● 五聲 義義義義○○○德;□□□■●●●● 義義義義龜水貴北;■山手■●●●● 義義義義宮孔眾○;十音 ■士石■●●●● 十一音 義義義義龍甬用○;九聲 ■□耳■●●●● 六聲 義義義義魚鼠去○;■□二■●●●● 義義義義烏虎兔○;■莊震■●●●● 義義義義心審禁○;十一音 ■乍□■●●●● 十一音 義義義義○○○十;九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 義義義義男坎欠○;■崇辰■●●●● 義義義義○○○妾;■卓中■●●●● 義義義義●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十一音 義義義義●●●●;九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 義義義義●●●●;■茶呈■●●●● 義義義義●●●●。

第九声が唱え、第十一音「义」が和する表は続行する。正音図には末の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は「义」が第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と和し、第八声に至れば四行とも「●●●●」である。左側の第十一音第三等の「■叉赤■」は、まさに右側の標目「义」の字の本とするところの位であり、両表はここでちょうど顔を合わせ、図内の標目に図中から取らざるものが一つもないことがうかがえる。「■叉赤■」の四格のうち、開位と閉位はともに「■」で、ただ発位の「叉」・收位の「赤」が音を成す。篇首の標目はその発位を取って「义」と書くので、「义」と「叉」は実は同じ一位を指す。右側の第五声「妻子四日」は、妻が平、子が上、四が去、日が入で、四格が独り全く具わる。

上聲闢唱呂三之十;古甲九癸●●●● 義義義義●●●●;一音 □□近揆●●●● 十一音 義義義義●●●●;十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 義義義義●●●●;□□乾蚪●●●● 義義義義●●●●;黑花香血●●●● 義義義義●●●●;二音 黃華雄賢●●●● 十一音 義義義義●●●●;十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 義義義義●●●●;吾牙月堯●●●● 義義義義●●●●;發音清和律三之十二;安亞乙一●●●● 坼坼坼坼多可個舌;三音 □爻王寅●●●● 十二音 坼坼坼坼禾火化八;十聲 母馬美米●●●● 一聲 坼坼坼坼開宰愛○;目貌眉民●●●● 坼坼坼坼回每退○;夫法□飛●●●● 坼坼坼坼良兩向○;四音 父凡□吠●●●● 十二音 坼坼坼坼光廣況○;十聲 武晚□尾●●●● 二聲 坼坼坼坼丁井亙○;文萬□未●●●● 坼坼坼坼兄永瑩○。

「上声辟唱呂三之十」は第十声で正音を遍く唱える。第十声もまた声位がなく、行末は例によって「●●●●」とする。左半はまず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」と第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」を列ねる。中間に「発音清和律三之十二」の一目を挿入し、右表は第十二音「坼」に改まって上に和し、この後に左表は第三音「安亚乙一」「□爻王寅」「母马美米」「目貌眉民」と第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を続けて列ねる。そのうち「□爻王寅」の「王」は依然として「壬」の字の誤りである。右半の前の八行は第十一音「义」が第九・第十の両声と配するもので、ことごとく「●●●●」である。目を換えた後は「坼」が第一声から始まり、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。「坼」はすなわち第十二音第三等「■拆丑■」の発位の一格であり、標目は「坼」とし、表内では「拆」とする。上声辟の十声はここで唱え終わった。宰・井・引・斗の四声に字があり、第五声は位はあって字がなく、鼠・坎の二声に字があり、第八以下の三声はその位を併せてない。合計すれば位ある者は七で、まさに「月星声七」の数に合う。発音清の十二音は最も末の第十二音まで和した。

卜百丙必●●●● 坼坼坼坼千典旦○;五音 步白備鼻●●●● 十二音 坼坼坼坼元犬半○;十聲 普撲品匹●●●● 三聲 坼坼坼坼臣引艮○;旁排平瓶●●●● 坼坼坼坼君允巽○;東丹帝■●●●● 坼坼坼坼刀早孝嶽;六音 兌大弟■●●●● 十二音 坼坼坼坼毛寶報霍;十聲 土貪天■●●●● 四聲 坼坼坼坼牛斗奏六;同覃田■●●●● 坼坼坼坼○○○玉;乃你女■●●●● 坼坼坼坼妻子四日;七音 內南年■●●●● 十二音 坼坼坼坼衰○帥骨;十聲 老冷呂■●●●● 五聲 坼坼坼坼○○○德;鹿犖離■●●●● 坼坼坼坼龜水貴北;走哉足■●●●● 坼坼坼坼宮孔眾○;八音 自在匠■●●●● 十二音 坼坼坼坼龍甬用○;十聲 草采七■●●●● 六聲 坼坼坼坼魚鼠去○;曹才全■●●●● 坼坼坼坼烏虎兔○。

第十声が唱え、第十二音「坼」が和する表は続いて下がる。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末は皆「●●●●」である。右半は続けて第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」を並べる。観物篇四十一の両表はここでいずれも最も末の目まで推し進められた。左表は第十声、右表は第十二音であり、この次はすなわち収まりとなる。「坼」は正音図の中で第十二音の発位に居り、第十一音の発位の「叉」と隣り合う。十二音のうち、末の四音はいずれも発・收の二位にだけ字があり、開・閉の両端はいっさい「■」とするのは、全図で最も空疎な一段である。左側の行末の「●」と右側の行中の「○」は、一つは位なし、一つは字なしで、依然として分けて見なければならない。

思三星■●●●● 坼坼坼坼心審禁○;九音 寺□象■●●●● 十二音 坼坼坼坼○○○十;十聲 ■□□■●●●● 七聲 坼坼坼坼男坎欠○;□□□■●●●● 坼坼坼坼○○○妾;■山手■●●●● 坼坼坼坼●●●●;十音 ■士石■●●●● 十二音 坼坼坼坼●●●●;十聲 ■□耳■●●●● 八聲 坼坼坼坼●●●●;■□二■●●●● 坼坼坼坼●●●●;■莊震■●●●● 坼坼坼坼●●●●;十一音 ■乍□■●●●● 十二音 坼坼坼坼●●●●;十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 坼坼坼坼●●●●;■崇辰■●●●● 坼坼坼坼●●●●;■卓中■●●●● 坼坼坼坼●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十二音 坼坼坼坼●●●●;十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 坼坼坼坼●●●●;■茶呈■●●●● 坼坼坼坼●●●●。

本篇の最後の一段。正音図には第九音「思三星■」「寺□象■」「■□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を列ねる。第九音の第三等は底本では「■□□■」とあり、他の表は皆「□□□■」とするので、首格の「■」は「□」の字の誤りであろう。右半は第十二音「坼」が第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」と和し、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行とも「●●●●」となる。ここに至って上声辟の十声はそれぞれ正音を一遍唱え、発音清の十二音はそれぞれ正声を一遍和し、観物篇四十一の声音唱和図はすべて推衍し終わった。合計すれば上声辟の七声は、各声が下に地の用音一百五十二を唱えて一千六十四を得、発音清の十二音は、各音が上に天の用声一百十二を和して一千三百四十四を得た。篇首の両欄の小注に挙げられた数目は、ここに至っていずれも図の上に一つ一つ現れたのである。

観物篇四十二・声音唱和図(月辰声上翕 火石音発濁)

月辰聲上翕 火石音發濁;每永允○水 牙貌萬排覃;虎○●●● 犖才□□崇茶;月辰聲七,下唱地之 火石音十二,上和天;用音一百五十二,是 之用聲一百一十一, 謂上聲翕音。上聲翕 是謂發音濁聲。發音;音一千六十四。 濁聲一千三百四十四。 月辰聲上之四翕 火石音發之四濁。

本篇の標目も左右の二欄に分かれる。左欄の「月辰声上翕」は、正声十類のうち上声の系に属し、辰行(第四行)に居る一支で、合口の「翕」の音である。右欄の「火石音発濁」は、正音十二類のうち発位の系に属し、石行(第四行)に居る一支で、「濁」の声である。その下の二行にそれぞれの代表字が列ねられている。上声翕の十声は順に、每・永・允・○・水・虎・○・●・●・●。発音濁の十二音は、第一音の濁位にもともと挙げるべき字がなく、底本はこの行に牙・貌・万・排・覃・荦・才・□・□・崇・茶の十一字しか書き出さず、第一音の「□」を省いてしまっているので、読むときは十二の数に補足しなければならない。そのさらに下は両欄の対読の小注である。左欄を続けて読めば「月辰声七、下に唱うる地の用音一百五十二、是を上声翕音と謂う、上声翕音一千六十四」、右欄を続けて読めば「火石音十二、上に和する天の用声一百十一、是を発音濁声と謂う、発音濁声一千三百四十四」——十二に一百十二を掛けてこそ一千三百四十四を得るから、ここの「一百十一」は「一百十二」の誤りであろう。今は依然として底本の原文を存する。末行の「月辰声上之四翕」「火石音発之四濁」は、以下の各表がいずれも第四類に属することを標す。上声翕は前篇の上声辟と同じく上声に属し、異なるのは一つは辟(開口)、一つは翕(合口)なので、両篇の音位は全く同じで唱える声がそれぞれ別である。発音濁は発音清と同じく発位に属し、異なるのは一清・一濁なので、両篇の声位は全く同じで和する音がそれぞれ別である。四類が互いに配して、正声・正音はやっと漏れなく敷き詰められる。

上聲翕唱呂四之一 發音濁和律四之一;古甲九癸每每每每 □□□□多可個舌;一音 □□近揆每每每每 一音 □□□□禾火化八;一聲 坤巧丘棄每每每每 一聲 □□□□開宰愛○;□□乾蚪每每每每 □□□□回每退○;黑花香血每每每每 □□□□良兩向○;二音 黃華雄賢每每每每 一音 □□□□光廣況○;一聲 五瓦仰□每每每每 二聲 □□□□丁井亙○;吾牙月堯每每每每 □□□□兄永瑩○;安亞乙一每每每每 □□□□千典旦○;三音 □爻壬寅每每每每 一音 □□□□元犬半○;一聲 母馬美米每每每每 三聲 □□□□臣引艮○;目貌眉民每每每每 □□□□君允巽○;夫法□飛每每每每 □□□□刀早孝嶽;四音 父凡□吠每每每每 一音 □□□□毛寶報霍;一聲 武晚□尾每每每每 四聲 □□□□牛斗奏六;文萬□未每每每每 □□□□○○○玉。

「上声翕唱呂四之一」は、上声翕の第一声「每」をもって正音を遍く唱えるので、各行の末尾には「每每每每」が綴られる。「発音濁和律四之一」は、本来第一音の濁声をもって和すべきところ、第一音第四等「□□乾蚪」の発位に字がないので、右半の各行は「□□□□」を前に冠するほかない。左半は順に、第一音四等「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を列ねる。右半は順に、第一声四等「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声四等「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を列ねる。唱える「每」は、まさに第一声第四等「回每退○」の上声の一格である。和する第一音は挙げるべき字がなくとも、位次は欠かすことができないので、依然として「和律四之一」の一表を立て、後の十一表と並列する。これは前篇の第九音・第十音が「□」を目としたのとまさに同じ体例である。左側の「□□近揆」「□□乾蚪」二行は開・発の二位に字がなく收・閉の二位に字があるのも、同じ道理である。

卜百丙必每每每每 □□□□妻子四日;五音 步白備鼻每每每每 一音 □□□□衰○帥骨;一聲 普撲品匹每每每每 五聲 □□□□○○○德;旁排平瓶每每每每 □□□□龜水貴北;東丹帝■每每每每 □□□□宮孔眾○;六音 兌大弟■每每每每 一音 □□□□龍甬用○;一聲 土貪天■每每每每 六聲 □□□□魚鼠去○;同覃田■每每每每 □□□□烏虎兔○;乃你女■每每每每 □□□□心審禁○;七音 內南年■每每每每 一音 □□□□○○○十;一聲 老冷呂■每每每每 七聲 □□□□男坎欠○;鹿犖離■每每每每 □□□□○○○妾;走哉足■每每每每 □□□□●●●●;八音 自在匠■每每每每 一音 □□□□●●●●;一聲 草采七■每每每每 八聲 □□□□●●●●;曹才全■每每每每 □□□□●●●●。

「每」が唱える表は続行する。正音図は第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、第六音以下の第四格はいずれも「■」で、閉位に音がない。右半は依然として第一音の空位「□□□□」が和し、順に第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、第八声に至れば四行とも「●●●●」となる。上声翕は上声辟と同じく、前の七声だけが声位を有し、第八声以下はみなないので、篇首に「月辰声七」と称し、その数はまさに上声辟と同じである。四等で分ければ、第七音「乃你女■」は乃が開・你が発・女が收、第八音「走哉足■」は走が開・哉が発・足が收で、両音の閉位はいずれも「■」とする。右側の「妻子四日」は平上去入の四格が全く備わり、「衰○帅骨」は上声の一格に字がなく、「○○○德」はさらに入声の「德」の一字しか残らない。

思三星■每每每每 □□□□●●●●;九音 寺□象■每每每每 一音 □□□□●●●●;一聲 □□□■每每每每 九聲 □□□□●●●●;□□□■每每每每 □□□□●●●●;■山手■每每每每 □□□□●●●●;十音 ■士石■每每每每 一音 □□□□●●●●;一聲 ■□耳■每每每每 十聲 □□□□●●●●;■□二■每每每每 □□□□●●●●;發音濁和律四之二;■莊震■每每每每 牙牙牙牙多可個舌;十一音 ■乍□■每每每每 二音 牙牙牙牙禾火化八;一聲 ■叉赤■每每每每 一聲 牙牙牙牙開宰愛○;■崇辰■每每每每 牙牙牙牙回每退○;■卓中■每每每每 牙牙牙牙良兩向○;十二音 ■宅直■每每每每 二音 牙牙牙牙光廣況○;一聲 ■坼丑■每每每每 二聲 牙牙牙牙丁井亙○;■茶呈■每每每每 牙牙牙牙兄永瑩○。

左半は正音図の後の四音を列ね尽くす。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■坼丑■」「■茶呈■」である。末音の第三等は底本では「■坼丑■」とあり、他の箇所は皆「■拆丑■」とする。「坼」「拆」は同じ字の異写である。唱えるのは依然として第一声「每」である。右半の前の八行は、第一音の空位が第九・第十の両声と配するもので、両声は位がないので、連ねて「●●●●」と書く。その後に改めて「発音濁和律四之二」を立て、第二音「牙」に改まって上に和す。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」は第一声の四等、「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」は第二声の四等である。「牙」はすなわち第二音第四等「吾牙月尧」の発位の一格である。「吾牙月尧」の一行は第二音の第四等に属し、吾が開位に居り、牙が発位に居り、月が收位に居り、尧が閉位に居り、四格がともに具わる。前篇の発音清は第三等「五瓦仰□」の発位を取って「瓦」を目とし、本篇の発音濁は第四等の発位を取って「牙」を目とする。両者を対して見れば、清濁の別はまさに行次の三と四にある。

上聲翕唱呂四之二;古甲九癸永永永永 牙牙牙牙千典旦○;一音 □□近揆永永永永 二音 牙牙牙牙元犬半○;二聲 坤巧丘棄永永永永 三聲 牙牙牙牙臣引艮○;□□乾蚪永永永永 牙牙牙牙君允巽○;黑花香血永永永永 牙牙牙牙刀早孝嶽;二音 黃華雄賢永永永永 二音 牙牙牙牙毛寶報霍;二聲 五瓦仰□永永永永 四聲 牙牙牙牙牛斗奏六;吾牙月堯永永永永 牙牙牙牙○○○玉;安亞乙一永永永永 牙牙牙牙妻子四日;三音 □爻壬寅永永永永 二音 牙牙牙牙衰○帥骨;二聲 母馬美米永永永永 五聲 牙牙牙牙○○○德;目貌眉民永永永永 牙牙牙牙龜水貴北;夫法□飛永永永永 牙牙牙牙宮孔眾○;四音 父凡□吠永永永永 二音 牙牙牙牙龍甬用○;二聲 武晚□尾永永永永 六聲 牙牙牙牙魚鼠去○;文萬□未永永永永 牙牙牙牙烏虎兔○。

「上声翕唱呂四之二」は改めて一表を立て、上声翕の第二声「永」をもって正音を遍く唱えるので、各行の末尾はいずれも「永永永永」となる。「永」はすなわち第二声第四等「兄永莹○」の上声の一格である。唱われる音位は依然として第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第二音「牙」の和を承け、続けて第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」を列ねる。上声辟は各声の第三行を取り、上声翕は各声の第四行を取る。だから同じ第二声でも、一つの表の目は「井」(「丁井亘○」から出る)、一つの表の目は「永」(「兄永莹○」から出る)となる。同じ上声でありながら開合の別があるので、用いる字も一を二に分かれるのである。

卜百丙必永永永永 牙牙牙牙心審禁○;五音 步白備鼻永永永永 二音 牙牙牙牙○○○十;二聲 普撲品匹永永永永 七聲 牙牙牙牙男坎欠○;旁排平瓶永永永永 牙牙牙牙○○○妾;東丹帝■永永永永 牙牙牙牙●●●●;六音 兌大弟■永永永永 二音 牙牙牙牙●●●●;二聲 土貪天■永永永永 八聲 牙牙牙牙●●●●;同覃田■永永永永 牙牙牙牙●●●●;乃你女■永永永永 牙牙牙牙●●●●;七音 內南年■永永永永 二音 牙牙牙牙●●●●;二聲 老冷呂■永永永永 九聲 牙牙牙牙●●●●;鹿犖離■永永永永 牙牙牙牙●●●●;走哉足■永永永永 牙牙牙牙●●●●;八音 自在匠■永永永永 二音 牙牙牙牙●●●●;二聲 草采七■永永永永 十聲 牙牙牙牙●●●●;曹才全■永永永永 牙牙牙牙●●●●。

「永」が唱え「牙」が和する表は続いて下がる。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末には皆「永永永永」を綴る。右半はまず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行いっさい「●●●●」となり、第二音「牙」の一表はここで成る。左側の第二音第四等「吾牙月尧」はまさに「牙」の字の出るところの位であり、右側の第二声第四等「兄永莹○」はまさに「永」の字の出るところの位である。唱える者と和する者はそれぞれ本とするところがあり、逐一覆案することができる。第八声以下の三行に満ちる「●」は、前篇と同じ例であり、辟であれ翕であれ、上声は第七声までしか及ばないことがうかがえる。左側の「曹才全■」は曹が開・才が発・全が收で、閉位に音がなく、その発位の「才」はまさに後文の第八音の目の本とするところである。

發音濁和律四之三;思三星■永永永永 貌貌貌貌多可個舌;九音 寺□象■永永永永 三音 貌貌貌貌禾火化八;二聲 □□□■永永永永 一聲 貌貌貌貌開宰愛○;□□□■永永永永 貌貌貌貌回每退○;■山手■永永永永 貌貌貌貌良兩向○;十音 ■士石■永永永永 三音 貌貌貌貌光廣況○;二聲 ■□耳■永永永永 二聲 貌貌貌貌丁井亙○;■□二■永永永永 貌貌貌貌兄永瑩○;■莊震■永永永永 貌貌貌貌千典旦○;十一音 ■乍□■永永永永 三音 貌貌貌貌元犬半○;二聲 ■叉赤■永永永永 三聲 貌貌貌貌臣引艮○;■崇辰■永永永永 貌貌貌貌君允巽○;■卓中■永永永永 貌貌貌貌刀早孝嶽;十二音 ■宅直■永永永永 三音 貌貌貌貌毛寶報霍;二聲 ■拆丑■永永永永 四聲 貌貌貌貌牛斗奏六;■茶呈■永永永永 貌貌貌貌○○○玉。

「発音濁和律四之三」は改めて一目を立て、右表は第三音「貌」に改まって上に和し、各行の前に「貌貌貌貌」を冠する。「貌」はすなわち第三音第四等「目貌眉民」の発位の一格である。左半は依然として「永」の唱える表に属し、正音図の後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は頭から列ね始める。第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。第三音の四等は「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」とし、清声は第三等の発位の「马」を取り、濁声は第四等の発位の「貌」を取る。前篇は「马」を用い、本篇は「貌」を用いる。二字は同じく第三音から出て清濁に分属し、図例の厳しさが最もよく見える。

上聲翕唱呂四之三;古甲九癸允允允允 貌貌貌貌妻子四日;一音 □□近揆允允允允 三音 貌貌貌貌衰○帥骨;三聲 坤巧丘棄允允允允 五聲 貌貌貌貌○○○德;□□乾蚪允允允允 貌貌貌貌龜水貴北;黑花香血允允允允 貌貌貌貌宮孔眾○;二音 黃華雄賢允允允允 三音 貌貌貌貌龍甬用○;三聲 五瓦仰□允允允允 六聲 貌貌貌貌魚鼠去○;吾牙月堯允允允允 貌貌貌貌烏虎兔○;安亞乙一允允允允 貌貌貌貌心審禁○;三音 □爻壬寅允允允允 三音 貌貌貌貌○○○十;三聲 母馬美米允允允允 七聲 貌貌貌貌男坎欠○;目貌眉民允允允允 貌貌貌貌○○○妾;夫法□飛允允允允 貌貌貌貌●●●●;四音 父凡□吠允允允允 三音 貌貌貌貌●●●●;三聲 武晚□尾允允允允 八聲 貌貌貌貌●●●●;文萬□未允允允允 貌貌貌貌●●●●。

「上声翕唱呂四之三」は第三声「允」に改まって正音を遍く唱えるので、行末は皆「允允允允」となる。「允」はすなわち第三声第四等「君允巽○」の上声の一格である。列ねるのは依然として第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第三音「貌」が上に和し、続けて第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、第八声の四行は「●●●●」となる。左表の音位は一毫も変わらず、右表の声位は表ごとに推移し、両者が錯綜し合って、天下の声音の数はここに算えられる。「君允巽○」の一行は第三声の第四等に属し、君は平声、允は上声、巽は去声で、入声の一格は字がなく「○」と書く。上声翕はその上声を取るので、第三声の目は「允」となる。左側の「五瓦仰□」は閉位に字がなく、同じく「□」と書く。二種の空缺は声図と音図とに分属し、符号を通用させてはならない。

卜百丙必允允允允 貌貌貌貌●●●●;五音 步白備鼻允允允允 三音 貌貌貌貌●●●●;三聲 普撲品匹允允允允 九聲 貌貌貌貌●●●●;旁排平瓶允允允允 貌貌貌貌●●●●;東丹帝■允允允允 貌貌貌貌●●●●;六音 兌大弟■允允允允 三音 貌貌貌貌●●●●;三聲 土貪天■允允允允 十聲 貌貌貌貌●●●●;同覃田■允允允允 貌貌貌貌●●●●;發音濁和律四之四;乃你女■允允允允 萬萬萬萬多可個舌;七音 內南年■允允允允 四音 萬萬萬萬禾火化八;三聲 老冷呂■允允允允 一聲 萬萬萬萬開宰愛○;鹿犖離■允允允允 萬萬萬萬回每退○;走哉足■允允允允 萬萬萬萬良兩向○;八音 自在匠■允允允允 四音 萬萬萬萬光廣況○;三聲 草采七■允允允允 二聲 萬萬萬萬丁井亙○;曹才全■允允允允 萬萬萬萬兄永瑩○。

この一段は左右がそれぞれ二截に分かれる。正音図はまず第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」と第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」を出し、依然として第三声「允」で唱える。中間に「発音濁和律四之四」の一目を挿入し、右表は第四音「万」に改まって上に和し、この後に左表は第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」と第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を続けて列ねる。右半の前の八行は第三音「貌」が第九・第十の両声と配するもので、両声は位がなく、ことごとく「●●●●」である。目を換えた後は「万」が第一声から始まり、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声の「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。「万」はすなわち第四音第四等「文万□未」の発位の一格で、この等は收位に字がないので「□」とする。第四音の四等「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」は、四行の收位がいっさい「□」であり、この音の收位には位はあっても挙げるべき一字がないことがうかがえる。清声は第三等の発位の「晚」を取り、濁声は第四等の発位の「万」を取り、前後はまさに相対応している。

思三星■允允允允 萬萬萬萬千典旦○;九音 寺□象■允允允允 四音 萬萬萬萬元犬半○;三聲 □□□■允允允允 三聲 萬萬萬萬臣引艮○;□□□■允允允允 萬萬萬萬君允巽○;■山手■允允允允 萬萬萬萬刀早孝嶽;十音 ■士石■允允允允 四音 萬萬萬萬毛寶報霍;三聲 ■□耳■允允允允 四聲 萬萬萬萬牛斗奏六;■□二■允允允允 萬萬萬萬○○○玉;■莊震■允允允允 萬萬萬萬妻子四日;十一音 ■乍□■允允允允 四音 萬萬萬萬衰○帥骨;三聲 ■叉赤■允允允允 五聲 萬萬萬萬○○○德;■崇辰■允允允允 萬萬萬萬龜水貴北;■卓中■允允允允 萬萬萬萬宮孔眾○;十二音 ■宅直■允允允允 四音 萬萬萬萬龍甬用○;三聲 ■拆丑■允允允允 六聲 萬萬萬萬魚鼠去○;■茶呈■允允允允 萬萬萬萬烏虎兔○。

「允」が唱え「万」が和する表は続いて下がる。正音図は後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は第四音「万」が上に和し、順に第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。右表の第三声第四等「君允巽○」の中の「允」は、ちょうど左表の唱える声である。図内の標目と図内の字とが互いに照応し、この図はみずから閉じた推衍の体系を成していることがうかがえる。「文万□未」は文が開・万が発・未が閉で、收位に字がない。「■崇辰■」は開・閉ともになく、崇・辰の二字しか残らない。右側の「乌虎兔○」は乌が平声、虎が上声、兔が去声で、入声の一格が空いている。その中の「虎」はまさに上声翕の第六声の目で、下文はすなわちこれをもって正音を遍く唱える。

上聲翕唱呂四之四;古甲九癸○○○○ 萬萬萬萬心審禁○;一音 □□近揆○○○○ 四音 萬萬萬萬○○○十;四聲 坤巧丘棄○○○○ 七聲 萬萬萬萬男坎欠○;□□乾蚪○○○○ 萬萬萬萬○○○妾;黑花香血○○○○ 萬萬萬萬●●●●;二音 黃華雄賢○○○○ 四音 萬萬萬萬●●●●;四聲 五瓦仰□○○○○ 八聲 萬萬萬萬●●●●;吾牙月堯○○○○ 萬萬萬萬●●●●;安亞乙一○○○○ 萬萬萬萬●●●●;三音 □爻壬寅○○○○ 四音 萬萬萬萬●●●●;四聲 母馬美米○○○○ 九聲 萬萬萬萬●●●●;目貌眉民○○○○ 萬萬萬萬●●●●;夫法□飛○○○○ 萬萬萬萬●●●●;四音 父凡□吠○○○○ 四音 萬萬萬萬●●●●;四聲 武晚□尾○○○○ 十聲 萬萬萬萬●●●●;文萬□未○○○○ 萬萬萬萬●●●●。

「上声翕唱呂四之四」が唱えるのは第四声であるが、上声翕の第四声は位はあって字がないので、行末に字を書かず、ただ「○○○○」の四格を書く。唱われる音位は依然として第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は依然として第四音「万」が上に和し、まず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行いっさい「●●●●」である。上声翕の十声のうち、第四声と第七声はともに位はあって字がなく、第八声以下はその位を併せてないので、実用されるのは依然として七声だけで、「月辰声七」の説に合う。上声辟は第五声に字がなく、上声翕は第四声と第七声に字がない。位次は同じではないが、ともに位はあって字がない例に属する。第八・第九・第十の三声に至っては、両篇とも一律に「●」とし、位さえもないのである。空位に二等が分かれるのは、まさにこの図が数を記す要所である。

發音濁和律四之五;卜百丙必○○○○ 排排排排多可個舌;五音 步白備鼻○○○○ 五音 排排排排禾火化八;四聲 普撲品匹○○○○ 一聲 排排排排開宰愛○;旁排平瓶○○○○ 排排排排回每退○;東丹帝■○○○○ 排排排排良兩向○;六音 兌大弟■○○○○ 五音 排排排排光廣況○;四聲 土貪天■○○○○ 二聲 排排排排丁井亙○;同覃田■○○○○ 排排排排兄永瑩○;乃你女■○○○○ 排排排排千典旦○;七音 內南年■○○○○ 五音 排排排排元犬半○;四聲 老冷呂■○○○○ 三聲 排排排排臣引艮○;鹿犖離■○○○○ 排排排排君允巽○;走哉足■○○○○ 排排排排刀早孝嶽;八音 自在匠■○○○○ 五音 排排排排毛寶報霍;四聲 草采七■○○○○ 四聲 排排排排牛斗奏六;曹才全■○○○○ 排排排排○○○玉。

「発音濁和律四之五」は改めて一目を立て、右表は第五音「排」に改まって上に和し、各行の前に「排排排排」を冠する。「排」はすなわち第五音第四等「旁排平瓶」の発位の一格である。左半は依然として第四声の唱えるところで、この声は字がないので、行末は依然として四つの「○」である。列ねるのは第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」である。右半は第一声から並び始める。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。「旁排平瓶」の一行は旁が開・排が発・平が收・瓶が閉で、四格がともに具わり、第五音は十二音のうち最も完整した幾音かの一つである。前篇の発音清は第三等「普扑品匹」の発位を取って「扑」を目とし、本篇の発音濁は第四等の発位を取って「排」を目とする。前後はまさに相対応している。

思三星■○○○○ 排排排排妻子四日;九音 寺□象■○○○○ 五音 排排排排衰○帥骨;四聲 □□□■○○○○ 五聲 排排排排○○○德;□□□■○○○○ 排排排排龜水貴北;■山手■○○○○ 排排排排宮孔眾○;十音 ■士石■○○○○ 五音 排排排排龍甬用○;四聲 ■□耳■○○○○ 六聲 排排排排魚鼠去○;■□二■○○○○ 排排排排烏虎兔○;■莊震■○○○○ 排排排排心審禁○;十一音 ■乍□■○○○○ 五音 排排排排○○○十;四聲 ■叉赤■○○○○ 七聲 排排排排男坎欠○;■崇辰■○○○○ 排排排排○○○妾;■卓中■○○○○ 排排排排●●●●;十二音 ■宅直■○○○○ 五音 排排排排●●●●;四聲 ■拆丑■○○○○ 八聲 排排排排●●●●;■茶呈■○○○○ 排排排排●●●●。

第四声が唱え、第五音「排」が和する表は続行する。第四声は位はあって字がないので、左半の行末は四つの「○」しか書かない。正音図は最後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は「排」が上に和し、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、第八声に至れば四行とも「●●●●」となる。第五声第四等「龟水贵北」の中の「水」は、まさに次の表の唱える第五声の目である。図中の標目と図内の字とは環となって相環れ、読むとき随所に印証できる。第九音以下の四音は「□」と「■」の交錯がきわめて密である。「寺□象■」は発位に字がなく閉位に音がなく、「■□耳■」は開・閉の両端ともになく発位にも字がなく、ただ收位の「耳」が音を成すだけである。同一行のうちに二種の空缺が併せて現れるので、ことさら符号をもって細かく弁じなければならない。

上聲翕唱呂四之五;古甲九癸水水水水 排排排排●●●●;一音 □□近揆水水水水 五音 排排排排●●●●;五聲 坤巧丘棄水水水水 九聲 排排排排●●●●;□□乾蚪水水水水 排排排排●●●●;黑花香血水水水水 排排排排●●●●;二音 黃華雄賢水水水水 五音 排排排排●●●●;五聲 五瓦仰□水水水水 十聲 排排排排●●●●;吾牙月堯水水水水 排排排排●●●●;發音濁和律四之六;安亞乙一水水水水 覃覃覃覃多可個舌;三音 □爻壬寅水水水水 六音 覃覃覃覃禾火化八;五聲 母馬美米水水水水 一聲 覃覃覃覃開宰愛○;目貌眉民水水水水 覃覃覃覃回每退○;夫法□飛水水水水 覃覃覃覃良兩向○;四音 父凡□吠水水水水 六音 覃覃覃覃光廣況○;五聲 武晚□尾水水水水 二聲 覃覃覃覃丁井亙○;文萬□未水水水水 覃覃覃覃兄永瑩○。

「上声翕唱呂四之五」は第五声「水」に改まって正音を遍く唱えるので、行末は皆「水水水水」となる。「水」はすなわち第五声第四等「龟水贵北」の上声の一格である。左半はまず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」と第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」を列ねる。中間に「発音濁和律四之六」の一目を挿入し、右表は第六音「覃」に改まって上に和し、この後に左表は第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」と第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を続けて列ねる。右半の前の八行は第五音「排」が第九・第十の両声と配するもので、両声は位がなく、ことごとく「●●●●」である。目を換えた後は「覃」が第一声から始まり、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声の「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。「覃」はすなわち第六音第四等「同覃田■」の発位の一格で、この等は閉位に音がないので、末格を「■」とする。上声翕の十声は、第一・第二・第三声に字があり、第四声は位はあって字がなく、第五・第六声にまた字があり、第七声はまた欠け、第八声以下は位を併せてない。有無が相間にあって位次は乱れない。これこそこの図が数を立てる根本である。

卜百丙必水水水水 覃覃覃覃千典旦○;五音 步白備鼻水水水水 六音 覃覃覃覃元犬半○;五聲 普撲品匹水水水水 三聲 覃覃覃覃臣引艮○;旁排平瓶水水水水 覃覃覃覃君允巽○;東丹帝■水水水水 覃覃覃覃刀早孝嶽;六音 兌大弟■水水水水 六音 覃覃覃覃毛寶報霍;五聲 土貪天■水水水水 四聲 覃覃覃覃牛斗奏六;同覃田■水水水水 覃覃覃覃○○○玉;乃你女■水水水水 覃覃覃覃妻子四日;七音 內南年■水水水水 六音 覃覃覃覃衰○帥骨;五聲 老冷呂■水水水水 五聲 覃覃覃覃○○○德;鹿犖離■水水水水 覃覃覃覃龜水貴北;走哉足■水水水水 覃覃覃覃宮孔眾○;八音 自在匠■水水水水 六音 覃覃覃覃龍甬用○;五聲 草采七■水水水水 六聲 覃覃覃覃魚鼠去○;曹才全■水水水水 覃覃覃覃烏虎兔○。

「水」が唱え「覃」が和する表は続いて下がる。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末には皆「水水水水」を綴る。右半は第六音「覃」が上に和し、順に第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。左側の第六音第四等「同覃田■」の中の「覃」はまさに右側の標目の本とするところであり、右側の第五声第四等「龟水贵北」の中の「水」はまさに左側の唱える声である。一図のうちに、唱える者と和する者は互いに足るところを取り、外に求めない。第五音「卜百丙必」は四格が全く備わり、第六音以下は閉位に「■」が次第に現れる。右側の四声のうちでは「○○○玉」の一行だけが三字を欠き、その余は大体完整である。左表は後に行くほど疎になり、右表は前にあるほど密である。両者が錯綜し合いながらそれぞれ条理がある。

思三星■水水水水 覃覃覃覃心審禁○;九音 寺□象■水水水水 六音 覃覃覃覃○○○十;五聲 □□□■水水水水 七聲 覃覃覃覃男坎欠○;□□□■水水水水 覃覃覃覃○○○妾;■山手■水水水水 覃覃覃覃●●●●;十音 ■士石■水水水水 六音 覃覃覃覃●●●●;五聲 ■□耳■水水水水 八聲 覃覃覃覃●●●●;■□二■水水水水 覃覃覃覃●●●●;■莊震■水水水水 覃覃覃覃●●●●;十一音 ■乍□■水水水水 六音 覃覃覃覃●●●●;五聲 ■叉赤■水水水水 九聲 覃覃覃覃●●●●;■崇辰■水水水水 覃覃覃覃●●●●;■卓中■水水水水 覃覃覃覃●●●●;十二音 ■宅直■水水水水 六音 覃覃覃覃●●●●;五聲 ■拆丑■水水水水 十聲 覃覃覃覃●●●●;■茶呈■水水水水 覃覃覃覃●●●●。

「水」が唱え「覃」が和する表は収まる。正音図は最後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半はまず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行いっさい「●●●●」となり、第六音の表はここで成る。第九音以下の諸音は、開位あるいは閉位が往々にして列全体が空き、右側の後の三声の一面の黒圏と相映して、全図で最も空白の多いところである。それでも位次は依然として一つ一つ並べ出す。声音の数は位をもって相乗しなければならず、字がないからといって省略できないからである。次の表は第六声「虎」に改めて唱え、第七音「荦」に改まって和す。「虎」は第六声第四等「乌虎兔○」の上声の一格から出、「荦」は第七音第四等「鹿荦离■」の発位の一格から出る。二字ともに前段に列ねた諸行の中から見出せる。

上聲翕唱呂四之六 發音濁和律四之七;古甲九癸虎虎虎虎 犖犖犖犖多可個舌;一音 □□近揆虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖禾火化八;六聲 坤巧丘棄虎虎虎虎 一聲 犖犖犖犖開宰愛○;□□乾蚪虎虎虎虎 犖犖犖犖回每退○;黑花香血虎虎虎虎 犖犖犖犖良兩向○;二音 黃華雄賢虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖光廣況○;六聲 五瓦仰□虎虎虎虎 二聲 犖犖犖犖丁井亙○;吾牙月堯虎虎虎虎 犖犖犖犖兄永瑩○;安亞乙一虎虎虎虎 犖犖犖犖千典旦○;三音 □爻壬寅虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖元犬半○;六聲 母馬美米虎虎虎虎 三聲 犖犖犖犖臣引艮○;目貌眉民虎虎虎虎 犖犖犖犖君允巽○;夫法□飛虎虎虎虎 犖犖犖犖刀早孝嶽;四音 父凡□吠虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖毛寶報霍;六聲 武晚□尾虎虎虎虎 四聲 犖犖犖犖牛斗奏六;文萬□未虎虎虎虎 犖犖犖犖○○○玉。

「上声翕唱呂四之六」と「発音濁和律四之七」が同じ行に起こる。左表は第六声「虎」に改まって正音を遍く唱え、右表は第七音「荦」に改まって上に正声と和す。「虎」はすなわち第六声第四等「乌虎兔○」の上声の一格、「荦」はすなわち第七音第四等「鹿荦离■」の発位の一格である。左半は第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を列ね、行末には皆「虎虎虎虎」を綴る。右半は第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」を列ねる。この表の左右の両目が同じ行に起こるのは、音表は四十八行、声表は四十行で、累積した八行の差がここでちょうど揃い合うからである。前篇の「唱呂三之六」と「和律三之七」が同じ行に起こったのも、同じ缘故である。

卜百丙必虎虎虎虎 犖犖犖犖妻子四日;五音 步白備鼻虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖衰○帥骨;六聲 普撲品匹虎虎虎虎 五聲 犖犖犖犖○○○德;旁排平瓶虎虎虎虎 犖犖犖犖龜水貴北;東丹帝■虎虎虎虎 犖犖犖犖宮孔眾○;六音 兌大弟■虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖龍甬用○;六聲 土貪天■虎虎虎虎 六聲 犖犖犖犖魚鼠去○;同覃田■虎虎虎虎 犖犖犖犖烏虎兔○;乃你女■虎虎虎虎 犖犖犖犖心審禁○;七音 內南年■虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖○○○十;六聲 老冷呂■虎虎虎虎 七聲 犖犖犖犖男坎欠○;鹿犖離■虎虎虎虎 犖犖犖犖○○○妾;走哉足■虎虎虎虎 犖犖犖犖●●●●;八音 自在匠■虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖●●●●;六聲 草采七■虎虎虎虎 八聲 犖犖犖犖●●●●;曹才全■虎虎虎虎 犖犖犖犖●●●●。

「虎」が唱え「荦」が和する表は続行する。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末は皆「虎虎虎虎」である。第七音第四等「鹿荦离■」の中の「荦」は、まさに右表の標目の本とするところである。右半は第七音「荦」が上に和し、順に第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、第八声は四行とも「●●●●」となる。第六声第四等「乌虎兔○」の中の「虎」もまた、まさに左表の唱える声であり、両側は互いに検照できる。第七音は鹿が開・荦が発・离が收で、閉位に音がない。「荦」は濁声の目として第四等から取り、前篇の清声の目「吕」は同じ第七音の第三等「老冷吕■」から取る。同じ一音のうちで清濁は第三・第四の行次をもって分かれ、篇ごとに取る等が定まっている。

思三星■虎虎虎虎 犖犖犖犖●●●●;九音 寺□象■虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖●●●●;六聲 □□□■虎虎虎虎 九聲 犖犖犖犖●●●●;□□□■虎虎虎虎 犖犖犖犖●●●●;■山手■虎虎虎虎 犖犖犖犖●●●●;十音 ■士石■虎虎虎虎 七音 犖犖犖犖●●●●;六聲 ■□耳■虎虎虎虎 十聲 犖犖犖犖●●●●;■□二■虎虎虎虎 犖犖犖犖●●●●;發音濁和律四之八;■莊震■虎虎虎虎 才才才才多可個舌;十一音 ■乍□■虎虎虎虎 八音 才才才才禾火化八;六聲 ■叉赤■虎虎虎虎 一聲 才才才才開宰愛○;■崇辰■虎虎虎虎 才才才才回每退○;■卓中■虎虎虎虎 才才才才良兩向○;十二音 ■宅直■虎虎虎虎 八音 才才才才光廣況○;六聲 ■拆丑■虎虎虎虎 二聲 才才才才丁井亙○;■茶呈■虎虎虎虎 才才才才兄永瑩○。

左半はまず第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」と第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」を列ね、依然として第六声「虎」で唱える。中間に「発音濁和律四之八」の一目を挿入し、右表は第八音「才」に転じて上に和し、この後に左表は第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」と第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を続けて列ねる。右半の前の八行は第七音「荦」が第九・第十の両声に配するもので、両声は位がないので、連行して「●●●●」である。目を換えた後は「才」が第一声から始まり、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声の「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。「才」はすなわち第八音第四等「曹才全■」の発位の一格であり、前篇の発音清が第三等「草采七■」の発位を取って「采」を目としたのと、ちょうど清濁の対を成す。第十一音・第十二音の開位と閉位はいっさい「■」で、中間の二位には字があるものもあれば「□」とするものもある。「■乍□■」は発位の「乍」だけが音を成し、「■叉赤■」は発・收の二位ともに字がある。参差的な状が一望でわかる。

上聲翕唱呂四之七;古甲九癸○○○○ 才才才才幹典旦○;一音 □□近揆○○○○ 八音 才才才才元犬半○;七聲 坤巧丘棄○○○○ 三聲 才才才才臣引艮○;□□乾蚪○○○○ 才才才才君允巽○;黑花香血○○○○ 才才才才刀早孝嶽;二音 黃華雄賢○○○○ 八音 才才才才毛寶報霍;七聲 五瓦仰□○○○○ 四聲 才才才才牛斗奏六;吾牙月堯○○○○ 才才才才○○○玉;安亞乙一○○○○ 才才才才妻子四日;三音 □爻壬寅○○○○ 八音 才才才才衰○帥骨;七聲 母馬美米○○○○ 五聲 才才才才○○○德;目貌眉民○○○○ 才才才才龜水貴北;夫法□飛○○○○ 才才才才宮孔眾○;四音 父凡□吠○○○○ 八音 才才才才龍甬用○;七聲 武晚□尾○○○○ 六聲 才才才才魚鼠去○;文萬□未○○○○ 才才才才烏虎兔○。

「上声翕唱呂四之七」が唱えるのは第七声であるが、上声翕の第七声は位はあって字がないので、行末に字を書かず、ただ「○○○○」を書く。唱われる音位は依然として第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は第八音「才」が上に和し、順に第三声「干典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。第三声の首の等は底本では「干典旦○」とあり、「干」は「千」の字の誤りであろう。他の表は皆「千典旦○」とする。上声翕の七声のうち、第四声と第七声はともに位はあって字がないので、「唱呂四之四」と「唱呂四之七」の両表の行末はいずれも「○○○○」を書く。両者はただ表目の「之四」「之七」によって相分けられるだけで、符号が同じだからといって混同して見てはならない。

卜百丙必○○○○ 才才才才心審禁○;五音 步白備鼻○○○○ 八音 才才才才○○○十;七聲 普撲品匹○○○○ 七聲 才才才才男坎欠○;旁排平瓶○○○○ 才才才才○○○妾;東丹帝■○○○○ 才才才才●●●●;六音 兌大弟■○○○○ 八音 才才才才●●●●;七聲 土貪天■○○○○ 八聲 才才才才●●●●;同覃田■○○○○ 才才才才●●●●;乃你女■○○○○ 才才才才●●●●;七音 內南年■○○○○ 八音 才才才才●●●●;七聲 老冷呂■○○○○ 九聲 才才才才●●●●;鹿犖離■○○○○ 才才才才●●●●;走哉足■○○○○ 才才才才●●●●;八音 自在匠■○○○○ 八音 才才才才●●●●;七聲 草采七■○○○○ 十聲 才才才才●●●●;曹才全■○○○○ 才才才才●●●●。

第七声が唱え、第八音「才」が和する表は続いて下がる。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末は依然として四つの「○」である。右半はまず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行いっさい「●●●●」とする。左側の行末の「○」と右側の行末の「●」は同じ行に現れて指すところは迥然と異なる。一つは上声翕の第七声が実に位はあって字が欠けていること、一つは正声の第八声以下が位を併せてないことである。この表は二つの符号の分別を最もよく見せ、読者はことに留意しなければならない。「才」は第八音の濁声の目で、「曹才全■」の発位から取る。前篇の同じ音位の清声の目「采」は「草采七■」の発位から取る。二字は同じく第八音に属しながら第三・第四の二行に分かれ居り、清濁の判別はまさにここにある。

發音濁和律四之九;思三星■○○○○ □□□□多可個舌;九音 寺□象■○○○○ 九音 □□□□禾火化八;七聲 □□□■○○○○ 一聲 □□□□開宰愛○;□□□■○○○○ □□□□回每退○;■山手■○○○○ □□□□良兩向○;十音 ■士石■○○○○ 九音 □□□□光廣況○;七聲 ■□耳■○○○○ 二聲 □□□□丁井亙○;■□二■○○○○ □□□□兄永瑩○;■莊震■○○○○ □□□□千典旦○;十一音 ■乍□■○○○○ 九音 □□□□元犬半○;七聲 ■叉赤■○○○○ 三聲 □□□□臣引艮○;■崇辰■○○○○ □□□□君永巽○;■卓中■○○○○ □□□□刀早孝嶽;十二音 ■宅直■○○○○ 九音 □□□□毛寶報霍;七聲 ■拆丑■○○○○ 四聲 □□□□牛斗奏六;■茶呈■○○○○ □□□□○○○玉。

「発音濁和律四之九」は改めて一目を立てる。第九音の濁声の一位は位はあって字がなく、標目とすべき字がないので、右半の各行は「□□□□」の四格を前に冠するほかない。左半は依然として第七声の唱えるところで、第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を列ねる。右半は第一声から並び始める。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君永巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。第三声の末の等は底本では「君永巽○」とあり、「永」は「允」の字の誤りであろう。第九音の清声・濁声はともに挙げるべき字がないので、前篇の「和律三之九」と本篇の「和律四之九」は標目が同じく「□□□□」と書かれる。両表の列ねる声位は同じでも、属する清濁は異なるので、篇題の「発清」「発濁」によって分別しなければならない。

上聲翕唱呂四之八;古甲九癸○○○○ □□□□妻子四日;一音 □□近揆○○○○ 九音 □□□□衰○帥骨;八聲 坤巧丘棄○○○○ 五聲 □□□□○○○德;□□乾蚪○○○○ □□□□龜水貴北;黑花香血○○○○ □□□□宮孔眾○;二音 黃華雄賢○○○○ 九音 □□□□龍甬用○;八聲 五瓦仰□○○○○ 六聲 □□□□魚鼠去○;吾牙月堯○○○○ □□□□烏虎兔○;安亞乙一○○○○ □□□□心審禁○;三音 □爻壬寅○○○○ 九音 □□□□○○○十;八聲 母馬美米○○○○ 七聲 □□□□男坎欠○;目貌眉民○○○○ □□□□○○○妾;夫法□飛○○○○ □□□□●●●●;四音 父凡□吠○○○○ 九音 □□□□●●●●;八聲 武晚□尾○○○○ 八聲 □□□□●●●●;文萬□未○○○○ □□□□●●●●。

「上声翕唱呂四之八」が唱えるのは第八声である。篇首に列ねたところによれば、上声翕は第八声以下に併せて声位がなく、本来は行いっぱいに「●●●●」と書くべきところ、底本のこの表は一概に「○○○○」と書いており、前篇の「上声辟唱呂三之八」の書き方と異なる。刊本が分別に失したのであろう。今は依然としてそのまま写して改めない。唱われる音位は第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は依然として第九音の空位「□□□□」が上に和し、順に第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、第八声は四行とも「●●●●」である。この表の左側は「○」と書くが実は位がないのであり、これは底本の一時の誤りである。次の表「唱呂四之九」の前半もなおこの誤りに沿い、後半に至ってようやく「●」に改まる。校読のときは篇首に列ねた十声の目をもって準とすべきで、表中の偶誤によって図に異本があると疑うには及ばない。

卜百丙必○○○○ □□□□●●●●;五音 步白備鼻○○○○ 九音 □□□□●●●●;八聲 普撲品匹○○○○ 九聲 □□□□●●●●;旁排平瓶○○○○ □□□□●●●●;東丹帝■○○○○ □□□□●●●●;六音 兌大弟■○○○○ 九音 □□□□●●●●;八聲 土貪天■○○○○ 十聲 □□□□●●●●;同覃田■○○○○ □□□□●●●●;發音濁和律四之十;乃你女■○○○○ □□□□多可個舌;七音 內南年■○○○○ 十音 □□□□禾火化八;八聲 老冷呂■○○○○ 一聲 □□□□開宰愛○;鹿犖離■○○○○ □□□□回每退○;走哉足■○○○○ □□□□良兩向○;八音 自在匠■○○○○ 十音 □□□□光廣況○;八聲 草采七■○○○○ 二聲 □□□□丁井亙○;曹才全■○○○○ □□□□兄永瑩○。

上の表を承け、左半はまず第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」と第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」を出し、行末は依然として「○○○○」とする。中間に「発音濁和律四之十」の一目を挿入し、右表は第十音に改まって上に和す。第十音第四等「■□二■」の発位も同じく字がないので、依然として「□□□□」を冠する。この後に左表は第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」と第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を続けて列ねる。右半の前の八行は第九音の空位が第九・第十の両声と配するもので、ことごとく「●●●●」である。目を換えた後は、第一声「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」から並び始める。続けて二表がともに空位を目とするのは、十二音のうち最も分辨しにくい一段で、ただ「四之九」「四之十」の次第によってこれを別つことができる。この表で唱われる声はもともとその位がなく、和される音にはまたその字がなく、通篇に新しい字が一つも見えず、すべて標目と位次に依って維持される。邵雍が図を立ててこのような空表を避けなかったのは、まさに一百五十二音・一百十二声の乗数に欠損がないようにするためである。

思三星■○○○○ □□□□千典旦○;九音 寺□象■○○○○ 十音 □□□□元犬半○;八聲 □□□■○○○○ 三聲 □□□□臣引艮○;□□□■○○○○ □□□□君允巽○;■山手■○○○○ □□□□刀早孝嶽;十音 ■士石■○○○○ 十音 □□□□毛寶報霍;八聲 ■□耳■○○○○ 四聲 □□□□牛斗奏六;■□二■○○○○ □□□□○○○玉;■莊震■○○○○ □□□□妻子四日;十一音 ■乍□■○○○○ 十音 □□□□衰○帥骨;八聲 ■叉赤■○○○○ 五聲 □□□□○○○德;■崇辰■○○○○ □□□□龜水貴北;■卓中■○○○○ □□□□宮孔眾○;十二音 ■宅直■○○○○ 十音 □□□□龍甬用○;八聲 ■拆丑■○○○○ 六聲 □□□□魚鼠去○;■茶呈■○○○○ □□□□烏虎兔○。

第八声が唱え、第十音が和する表は続いて下がる。正音図は最後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」で、行末は依然として四つの「○」である。右半は第十音の和を承け、順に第三声「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」である。左側の唱われる声に字がなく、右側の和される音にも字がなく、それでも四十八位と四十位はなおきちんとそろって並ぶ。この図が立てたのは位次であって字面ではないことがうかがえる。四等に就いて言えば、「乃你女■」は乃が開・你が発・女が收、「鹿荦离■」は鹿が開・荦が発・离が收で、二行の閉位はともに「■」である。右側の「多可个舌」は平上去入の四字がともに具わり、正声図の中で最も完整した一行で、左側の空缺とちょうど対照を成す。

上聲翕唱呂四之九;古甲九癸○○○○ □□□□心審禁○;一音 □□近揆○○○○ 十音 □□□□○○○十;九聲 坤巧丘棄○○○○ 七聲 □□□□男坎欠○;□□乾蚪○○○○ □□□□○○○妾;黑花香血○○○○ □□□□●●●●;二音 黃華雄賢○○○○ 十音 □□□□●●●●;九聲 五瓦仰□○○○○ 八聲 □□□□●●●●;吾牙月堯○○○○ □□□□●●●●;安亞乙一○○○○ □□□□●●●●;三音 □爻壬寅○○○○ 十音 □□□□●●●●;九聲 母馬美米●●●● 九聲 □□□□●●●●;目貌眉民●●●● □□□□●●●●;夫法□飛●●●● □□□□●●●●;四音 父凡□吠●●●● 十音 □□□□●●●●;九聲 武晚□尾●●●● 十聲 □□□□●●●●;文萬□未●●●● □□□□●●●●。

「上声翕唱呂四之九」は第九声で正音を遍く唱える。この表の書き方は前後が一様でない。起首の十一行の行末は依然として「○○○○」とし、「九声 母马美米」の一行から「●●●●」に改まり、表末に至るまでそのままである。上声翕の第九声はもともと声位がないので、「●」とするのが正しく、前半の「○」は前の表の誤りを承けたものであろう。今はそのまま写して改めない。読者は篇首の「每永允○水虎○●●●」の十字をもって判断できる。唱われる音位は第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」、第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」である。右半は依然として第十音の空位が上に和し、まず第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を列ね、その下の第八・第九・第十の三声の十二行はいっさい「●●●●」とする。上声翕は第八声以下いずれもその位がないので、「唱呂四之八」「四之九」「四之十」の三表は通篇に唱うべき一字もない。三表を並列しながら省併を肯んじないのは、依然として十声の位を満たして唱和の数に依拠を持たせるためである。

發音濁和律四之十一;卜百丙必●●●● 崇崇崇崇多可個舌;五音 步白備鼻●●●● 十一音 崇崇崇崇禾火化八;九聲 普撲品匹●●●● 一聲 崇崇崇崇開宰愛○;旁排平瓶●●●● 崇崇崇崇回每退○;東丹帝■●●●● 崇崇崇崇良兩向○;六音 兌大弟■●●●● 十一音 崇崇崇崇光廣況○;九聲 土貪天■●●●● 二聲 崇崇崇崇丁井旦○;同覃田■●●●● 崇崇崇崇兄永瑩○;乃你女■●●●● 崇崇崇崇千典亙○;七音 內南年■●●●● 十一音 崇崇崇崇元犬半○;九聲 老冷呂■●●●● 三聲 崇崇崇崇臣引艮○;鹿犖離■●●●● 祟崇崇崇君允巽○;走哉足■●●●● 崇崇崇崇刀早孝嶽;八音 自在匠■●●●● 十一音 崇崇崇崇毛寶報霍;九聲 草采七■●●●● 四聲 崇崇崇崇牛斗奏六;曹才全■●●●● 崇崇崇崇○○○玉。

「発音濁和律四之十一」は改めて一目を立て、右表は第十一音「崇」に改まって上に和し、各行の前に「崇崇崇崇」を冠する。「崇」はすなわち第十一音第四等「■崇辰■」の発位の一格である。左半は第九声の唱えるところで、第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末は皆「●●●●」である。右半は第一声から始まる。「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声「良两向○」「光广况○」「丁井旦○」「兄永莹○」、第三声「千典亘○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」である。そのうち「丁井旦○」は「丁井亘○」に当たり、「千典亘○」は「千典旦○」に当たり、底本は「旦」「亘」の二字を互いに取り違えている。また「祟崇崇崇」の一箇所の「祟」もまた「崇」の字の誤りである。「崇」は正音図の中で第十一音の発位に居り、「辰」は收位に居り、開・閉の両端はもともと音がない。この音は第十二音とともに全図で最も残欠の多いところでありながら、位次は照り並べて誤らない。図が図たる所以は、字にあるのではなく位にあることがうかがえる。

思三星■●●●● 崇崇崇崇妻子四日;九音 寺□象■●●●● 十一音 崇崇崇崇衰○帥骨;九聲 □□□■●●●● 五聲 崇崇崇崇○○○德;□□□■●●●● 崇崇崇崇龜水貴北;■山手■●●●● 崇崇崇崇宮孔眾○;十音 ■士石■●●●● 十一音 崇崇崇崇龍甬用○;九聲 ■□耳■●●●● 六聲 崇崇崇崇魚鼠去○;■□二■●●●● 崇崇崇崇烏虎兔○;■莊震■●●●● 崇崇崇崇心審禁○;十一音 ■乍□■●●●● 十一音 崇崇崇崇○○○十;九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 崇崇崇崇男坎欠○;■崇辰■●●●● 崇崇崇崇○○○妾;■卓中■●●●● 崇崇崇崇●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十一音 崇崇崇崇●●●●;九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 崇崇崇崇●●●●;■茶呈■●●●● 崇崇崇崇●●●●。

第九声が唱え、第十一音「崇」が和する表は続行する。正音図は最後の四音を列ねる。第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」である。右半は「崇」が上に和し、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、第八声に至れば四行とも「●●●●」である。左側の第十一音第四等「■崇辰■」は、まさに右側の標目「崇」の字の本とする位である。この音は開・閉の両端がともになく、崇・辰の二字だけが発位と收位に分かれ居る。第九声にはすでに声位がないので、この表の左側は通篇みな黒圏である。それでも十二音の四十八位は依然としてそろって並び、右側の四十位も一つ一つ列ねられる。「无声」は「无位」と等しくないことがうかがえ、位次はなお占め尽くされてこそ、数もまた算えられるのである。

上聲翕唱呂四之十;古甲九癸●●●● 崇崇祟崇●●●●;一音 □□近揆●●●● 十一音 崇崇崇崇●●●●;十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 崇崇祟崇●●●●;□□乾蚪●●●● 崇崇崇崇●●●●;黑花香血●●●● 崇崇崇崇●●●●;二音 黃華雄賢●●●● 十一音 崇崇崇崇●●●●;十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 崇崇崇崇●●●●;吾牙月堯●●●● 崇崇崇崇●●●●;發音濁和律四之十二;安亞乙一●●●● 茶茶茶茶多可個舌;三音 □爻壬寅●●●● 十二音 茶茶茶茶禾火化八;十聲 母馬美米●●●● 一聲 茶茶茶茶開宰愛○;目貌眉民●●●● 茶茶茶茶回每退○;夫法□飛●●●● 茶茶茶茶良兩向○;四音 父凡□吠●●●● 十二音 茶茶茶茶光廣況○;十聲 武晚□尾●●●● 二聲 茶茶茶茶丁井亙○;文萬□未●●●● 茶茶茶茶兄永瑩○。

「上声翕唱呂四之十」は第十声で正音を遍く唱える。第十声は声位がなく、行末は例によって「●●●●」とする。左半はまず第一音「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」と第二音「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」を列ねる。中間に「発音濁和律四之十二」の一目を挿入し、右表は第十二音「茶」に改まって上に和し、この後に左表は第三音「安亚乙一」「□爻壬寅」「母马美米」「目貌眉民」と第四音「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」を続けて列ねる。右半の前の八行は第十一音「崇」が第九・第十の両声と配するもので、ことごとく「●●●●」であり、そのうち「崇崇祟崇」が二度現れるが、「祟」はいずれも「崇」に当たるべきである。目を換えた後は「茶」が第一声から始まり、「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」と第二声の「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」を列ねる。「茶」はすなわち第十二音第四等「■茶呈■」の発位の一格である。第十一音の濁声の目「崇」と第十二音の濁声の目「茶」は、一つは「■崇辰■」の発位から取り、一つは「■茶呈■」の発位から取る。前篇の清声は「■叉赤■」と「■拆丑■」の発位を取って「义」「坼」を目とした。四字は二つずつ相対し、清濁は明らかに分かれる。

卜百丙必●●●● 茶茶茶茶千典旦○;五音 步白備鼻●●●● 十二音 茶茶茶茶元犬半○;十聲 普撲品匹●●●● 三聲 茶茶茶茶臣引艮○;旁排平瓶●●●● 茶茶茶茶君允巽○;東丹帝■●●●● 茶茶茶茶刀早孝嶽;六音 兌大弟■●●●● 十二音 茶茶茶茶毛寶報霍;十聲 土貪天■●●●● 四聲 茶茶茶茶牛斗奏六;同覃田■●●●● 茶茶茶茶○○○玉;乃你女■●●●● 茶茶茶茶妻子四日;七音 內南年■●●●● 十二音 茶茶茶茶衰○帥骨;十聲 老冷呂■●●●● 五聲 茶茶茶茶○○○德;鹿犖離■●●●● 茶茶茶茶龜水貴北;走哉足■●●●● 茶茶茶茶宮孔眾○;八音 自在匠■●●●● 十二音 茶茶茶茶龍甬用○;十聲 草采七■●●●● 六聲 茶茶茶茶魚鼠去○;曹才全■●●●● 茶茶茶茶烏虎兔○。

第十声が唱え、第十二音「茶」が和する表は続いて下がる。正音図には第五音「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」、第六音「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」、第七音「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」、第八音「走哉足■」「自在匠■」「草采七■」「曹才全■」を列ね、行末は皆「●●●●」である。右半は続けて第三声四等「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、第五声四等「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○」「龙甬用○」「鱼鼠去○」「乌虎兔○」を並べる。観物篇四十二の両表はここでいずれも最も末の目まで推し進められた。左表は第十声、右表は第十二音で、ただ一段を残して収まりとなる。上声翕の十声はここで唱え終わった。每・永・允の三声に字があり、第四声に字がなく、水・虎の二声に字があり、第七声にまた字がなく、第八声以下は位を併せてない。実に位ある者はちょうど七声で、まさに「月辰声七」の数に合う。

思三星■●●●● 茶茶茶茶心審禁○;九音 寺□象■●●●● 十二音 茶茶茶茶○○○十;十聲 □□□■●●●● 七聲 茶茶茶茶男坎欠○;□□□■●●●● 茶茶茶茶○○○妾;■山手■●●●● 茶茶茶茶●●●●;十音 ■士石■●●●● 十二音 茶茶茶茶●●●●;十聲 ■□耳■●●●● 八聲 茶茶茶茶●●●●;■□二■●●●● 茶茶茶茶●●●●;■莊震■●●●● 茶茶茶茶●●●●;十一音 ■乍□■●●●● 十二音 茶茶茶茶●●●●;十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 茶茶茶茶●●●●;■崇辰■●●●● 茶茶茶茶●●●●;■卓中■●●●● 茶茶茶茶●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十二音 茶茶茶茶●●●●;十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 茶茶茶茶●●●●;■茶呈■●●●● 茶茶茶茶●●●●。

観物篇四十二の最後の一段。正音図には第九音「思三星■」「寺□象■」「□□□■」「□□□■」、第十音「■山手■」「■士石■」「■□耳■」「■□二■」、第十一音「■庄震■」「■乍□■」「■叉赤■」「■崇辰■」、第十二音「■卓中■」「■宅直■」「■拆丑■」「■茶呈■」を列ね、行末はことごとく「●●●●」である。右半は第十二音「茶」が上に和し、第七声四等「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」を配し、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行もまた全く「●●●●」とする。ここに至って上声翕の十声はそれぞれ正音を一遍唱え、発音濁の十二音はそれぞれ正声を一遍和した。七声はそれぞれ一百五十二音を唱えて一千六十四を得、十二音はそれぞれ一百十二声を和して一千三百四十四を得、篇首の小注に挙げられた数とまさに合う。巻八下の二篇の声音唱和図はここですべて終わる。巻八下の収める二篇は、一つは上声辟が発音清と配し、一つは上声翕が発音濁と配する。辟翕は開合を分かち、清濁は行次を分かち、二つずつ相乗して、上声一系の声音の数はここに備わる。正声の四調はそれぞれ辟翕に分かれ、正音の四位はそれぞれ清濁に分かれ、このように四四相対して合わせて十六篇を成し、天下の声音の全数はここから定まる。

皇極經世書卷九上

観物篇四十三・声音唱和図(星日声去辟 土水音收清)

星日聲去闢 土水音收清;個向旦孝四 九香乙□丙帝;眾禁●●● 女足星手震中;星日聲七,下唱地之 土水音十二,上和天;用音一百五十二,是 之用聲一百一十二, 謂去聲闢音。去聲闢 是謂收音清聲。收音;音一千六十四。 清聲一千三百四十四。 星日聲去之一闢 土水音收之一清。

本篇の標目も左右の二欄に分かれる。左欄の「星日声去辟」は、正声十類のうち去声の系に属し、日行(第一行)に居る一支で、開口の「辟」の音である。右欄の「土水音收清」は、正音十二類のうち收位の系に属し、水行(第一行)に居る一支で、「清」の声である。その下の二行にそれぞれの代表字が列ねられている。去声辟の十声は順に、个・向・旦・孝・四・众・禁・●・●・●。收音清の十二音は順に、九・香・乙・□・丙・帝・女・足・星・手・震・中で、そのうち第四音の收位に字がないので「□」とする。そのさらに下は両欄の対読の小注である。左欄を続けて読めば「星日声七、下に唱うる地の用音一百五十二、是を去声辟音と謂う、去声辟音一千六十四」、右欄を続けて読めば「土水音十二、上に和する天の用声一百十二、是を收音清声と謂う、收音清声一千三百四十四」となる。末行の「星日声去之一辟」「土水音收之一清」は、この下の諸表がいずれも第一類に属することを標しており、故にその目は改めて「唱呂一之一」「和律一之一」から起算し、巻八下が「三」「四」をもって序としたのとは異なる。

去聲闢唱呂一之一 收音清和律一之一;古甲九癸個個個個 九九九九多可個舌;一音 □□近揆個個個個 一音 九九九九禾火化八;一聲 坤巧丘棄個個個個 一聲 九九九九開宰愛○;□□乾蚪個個個個 九九九九回每退○;黑花香血個個個個 九九九九良兩向○;二音 黃華雄賢個個個個 一音 九九九九光廣況○;一聲 五瓦仰□個個個個 二聲 九九九九丁井亙○;吾牙月堯個個個個 九九九九兄永瑩○;安亞乙一個個個個 九九九九千典旦○;三音 □爻壬寅個個個個 一音 九九九九元犬半○。

「去声辟唱呂一之一」は、去声辟の第一声「个」をもって正音を遍く唱えるので、各行の末尾には「个个个个」が綴られる。「个」はすなわち第一声第一等「多可个舌」の去声の一格である。「收音清和律一之一」は、收音清の第一音「九」をもって上に正声と和すので、各行の前に「九九九九」を冠する。「九」はすなわち第一音第一等「古甲九癸」の收位の一格である。左半は順に、第一音四等「古甲九癸」「□□近揆」「坤巧丘弃」「□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血」「黄华雄贤」「五瓦仰□」「吾牙月尧」、および第三音の前の二等「安亚乙一」「□爻壬寅」を列ねる。右半は順に、第一声四等「多可个舌」「禾火化八」「开宰爱○」「回每退○」、第二声四等「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」、および第三声の前の二等「千典旦○」「元犬半○」を列ねる。この篇は各声・各音の第一行を取り換えたので、巻八下が第三・第四行を取ったのとは用字が全然異なるが、図の位は少しも改まっていない。

一聲 母馬美米個個個個 三聲 九九九九臣引艮○;目貌眉民個個個個 九九九九君允巽○;夫法□飛個個個個 九九九九刀早孝嶽;四音 父凡□吠個個個個 一音 九九九九毛寶報霍;一聲 武晚□尾個個個個 四聲 九九九九牛斗奏六;文萬□未個個個個 九九九九○○○玉;卜百丙必個個個個 九九九九妻子四日;五音 步白備鼻個個個個 一音 九九九九衰○帥骨。

上の表を承けて引き続き下に行く。正音図は続けて第三音の後の二等「母马美米」「目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞」「父凡□吠」「武晚□尾」「文万□未」、および第五音の前の二等「卜百丙必」「步白备鼻」を並べる。第四音の四行の收位はいっさい「□」とし、この音位はあって配すべき字がないので、篇首の收音清の十二音の目の第四位が「□」とするのとまさに相印証する。右半は続けて第三声の後の二等「臣引艮○」「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」、および第五声の前の二等「妻子四日」「衰○帅骨」を並べる。唱えるのは依然として第一声「个」、和するのは依然として第一音「九」である。この下の諸表も依然として同じ体例に循り、声ごと音ごとに次第に推衍して、十声が唱え遍くし十二音が和し遍くするに至る。

一聲:普撲品匹個個個個;五聲:九九九九○○○德。旁排平瓶個個個個;九九九九龜水貴北。東丹帝■個個個個;九九九九宮孔眾○。六音:兌大弟■個個個個;一音:九九九九龍甬用○。一聲:土貪天■個個個個;六聲:九九九九魚鼠去○。同覃田■個個個個;九九九九烏虎兔○。乃你女■個個個個;九九九九心審禁○。七音:內南年■個個個個;一音:九九九九○○○十。一聲:老冷呂■個個個個;七聲:九九九九男坎欠○。鹿犖離■個個個個;九九九九○○○妾。走哉足■個個個個;九九九九●●●●。八音:自在匠■個個個個;一音:九九九九●●●●。一聲:草采七■個個個個;八聲:九九九九●●●●。曹才全■個個個個;九九九九●●●●。思三星■個個個個;九九九九●●●●。九音:寺□象■個個個個;一音:九九九九●●●●。一聲:□□□■個個個個;九聲:九九九九●●●●。□□□■個個個個;九九九九●●●●。■山手■個個個個;九九九九●●●●。

この一段は「去声辟唱呂一之一」と「收音清和律一之一」の両図が並列する中段で、底本は左右の両欄を同一行上に圧してあるので、読むときは分けて見なければならない。左欄の各行はまず『正音図』の一行四字を写し、次に唱えるその去声の字を四度重ねて出す。ここで唱えるのは第一声第一等「多可个舌」の去声位「个」なので、一律に「个个个个」とする。列ねる音行は順に、第五音の第三等「普扑品匹」・第四等「旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、および第十音の第一等「■山手■」である。右欄の各行はまず和する收音の字を四度重ねて出し、次に『正声図』の一行四字を写す。和するのは第一音第一等「古甲九癸」の收位「九」なので、「九九九九」とする。配する声行は第五声の第三等「○○○德」・第四等「龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」で、第八声・第九声の四等および第十声の第一等はことごとく「●●●●」とする。四種の符号にはそれぞれ定義がある。「○」はこの声位に理の上では音があるべきながら当時配すべき字がないこと、「●」はこの位がそもそも声を成さないこと、「□」はこの音位に音はあって写すべき字がないこと、「■」はこの位がそもそも音を成さないことで、いずれも脱文ではなく、欠字として剔り去ってはならない。邵雍は日月星辰をもって声の四象とし、水火土石をもって音の四象とした。声の四象はそれぞれ平上去入に分かれ、音の四象はそれぞれ開発收閉に分かれる。左図が唱呂と称し右図が和律と称するのは、律は天声を主り呂は地音を主り、天声がまず唱(はじめ)て地音がこれに随うからである。この二図はまさに第一組の唱和の起こるところに当たり、唱える者は「个」、和する者は「九」で、その下の諸図はすなわち声と音の次第に依って位ごとに推移する。

收音清和律一之二

十音:■士石■個個個個;一音:九九九九●●●●。一聲:■□耳■個個個個;十聲:九九九九●●●●。■□二■個個個個;九九九九●●●●。收音清和律一之二。■莊震■個個個個;香香香香多可個舌。十一音:■乍□■個個個個;二音:香香香香禾火化八。一聲:■叉赤■個個個個;一聲:香香香香開宰愛○。■崇辰■個個個個;香香香香回每退○。■卓中■個個個個;香香香香良兩向○。十二音:■宅直■個個個個;二音:香香香香光廣況○。一聲:■拆丑■個個個個;二聲:香香香香丁井亙○。■茶呈■個個個個;香香香香兄永瑩○。

左欄は続けて「去声辟唱呂一之一」の末の十一行を並べ終える。第十音の第二等「■士石■」・第三等「■□耳■」・第四等「■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、各行の下には依然として「个个个个」が唱える。十二音はそれぞれ四等を具えて合わせて四十八行、ここに至って一図を唱え終わる。右欄はまず「九九九九」で第十声の第二・三・四等を和し終える。その三行は位はあって声がなく、全く「●●●●」とし、「收音清和律一之一」の四十行もまた終わる。続いて改めて「收音清和律一之二」を立て、第二音第一等「黑花香血」の收位「香」に改まって和字とし、四度重ねて行首に冠し、まず第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。声図は各声四行で、一・三の二行は「辟」すなわち開口に属し、二・四の二行は「翕」すなわち合口に属する。音図は各音四行で、一・三の二行は「清」に属し、二・四の二行は「濁」に属する。行中の「○」はその調に声はあって挙げるべき字がなく、「■」はこの音位がもともと立たないことを標す。一図の行数が左右で異なる所以は、音は十二類で類ごとに四行あるから唱図は四十八行、声は十類で類ごとに四行あるから和図は四十行となる。両欄が並列して進度が参差するので、図を換える箇所は同一行上にない。読者はそれぞれ本欄の標目に依ってその起訖を尋ねなければならない。「多可个舌」は声図の総標目で、多は平声・可是上声・个は去声・舌は入声であり、その余の各行は皆この四位に依って排定される。

去声辟唱呂一之二

去聲闢唱呂一之二。古甲九癸向向向向;香香香香千典旦○。一音:□□近揆向向向向;二音:香香香香元犬半○。二聲:坤巧丘棄向向向向;三聲:香香香香臣引艮○。□□乾蚪向向向向;香香香香君允巽○。黑花香血向向向向;香香香香刀早孝嶽。二音:黃華雄賢向向向向;二音:香香香香毛寶報霍。二聲:五瓦仰□向向向向;四聲:香香香香牛斗奏六。吾牙月堯向向向向;香香香香○○○玉。安亞乙一向向向向;香香香香妻子四日。三音:□爻壬寅向向向向;二音:香香香香衰○帥骨。二聲:母馬美米向向向向;五聲:香香香香○○○德。目貌眉民向向向向;香香香香龜水貴北。夫法□飛向向向向;香香香香宮孔眾○。四音:父凡□吠向向向向;二音:香香香香龍甬用○。二聲:武晚□尾向向向向;六聲:香香香香魚鼠去○。文萬□未向向向向;香香香香烏虎兔○。

「去声辟唱呂一之二」は改めて一図を立て、唱える字は第二声第一等「良两向○」の去声位「向」で、およそ四十八行は皆「向向向向」を綴る。この段は前の四音を列ねる。第一音四等は「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等は「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等は「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等は「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」である。各音の四字は「開、発、收、閉」に依って排列し、声の「平、上、去、入」と相対する。行間の「一音」「二声」といった類の小標目は、原表の両欄の行次記号で、音ごとに一度標し声ごとに一度標すもので、正文の語句ではない。右欄は依然として「收音清和律一之二」に帰し、「香香香香」をもって和し、続けて第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。そのうち「○○○玉」は平上去の三位に配すべき字がなく入声位に「玉」を得ることを示し、「○○○德」も同じ例で、四等のうちに空と満とがそろわず、まさに邵雍の顕そうとした声に闕あることである。音図は「古甲九癸」の一行をもって総標目とする。古は開・甲は発・九は收・癸は閉で、その余の四十七行は皆この四位に依って字を取る。第一音は大抵牙音の類に属し、第二音は喉音の類に属し、第三音は影喻の類に属し、第四音は軽唇の類に属し、下に行くほど音を成すところは唇歯に近づき、第十二音に至って尽きる。

卜百丙必向向向向;香香香香心審禁○。五音:步白備鼻向向向向;二音:香香香香○○○十。二聲:普撲品匹向向向向;七聲:香香香香男坎欠○。旁排平瓶向向向向;香香香香○○○妾。東丹帝■向向向向;香香香香●●●●。六音:兌大弟■向向向向;二音:香香香香●●●●。二聲:土貪天■向向向向;八聲:香香香香●●●●。同覃田■向向向向;香香香香●●●●。乃你女■向向向向;香香香香●●●●。七音:內南年■向向向向;二音:香香香香●●●●。二聲:老冷呂■向向向向;九聲:香香香香●●●●。鹿犖離■向向向向;香香香香●●●●。走哉足■向向向向;香香香香●●●●。八音:自在匠■向向向向;二音:香香香香●●●●。二聲:草采七■向向向向;十聲:香香香香●●●●。曹才全■向向向向;香香香香●●●●。

上を承け、左欄は「向」の唱える音行を第八音まで推し進める。第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」である。第六音から、各行の第四位は一律に「■」となる。「閉」の位は舌音・歯音の諸類に至ってもはや立てるべき音がないからで、写し損なったのではない。右欄の「收音清和律一之二」は「香香香香」で第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、この下の第八声・第九声・第十声の各四等は合わせて十二行全く「●●●●」とする。邵雍が正声の十図を立てて、実に字ある者は七声に止まり、八声以下の三声十二行は位はあって声がないので、『観物篇』は「声七」と称す。正音の十二図は「■」の諸位を除き、実用の音は一百五十二。七声はそれぞれ一百五十二音を唱え、十二音はそれぞれ一百十二声を和す。全書が推衍する声音の数の根柢は、まさにここにある。数をもって言えば、正声は四象十類、類ごとに四等、等ごとに四位で、合わせて一百六十位、第八・第九・第十の合わせて三類の四十八の空位を除き、実用は一百十二。正音は四象十二類、類ごとに四等、等ごとに四位で、合わせて一百九十二位、四十の「■」を除き、実用は一百五十二。この二つの数字は全篇の一切の乗積の根本である。

收音清和律一之三

收音清和律一之三。思三星■向向向向;乙乙乙乙多可個舌。九音:寺□象■向向向向;三音:乙乙乙乙禾火化八。二聲:□□□■向向向向;一聲:乙乙乙乙開宰愛○。□□□■向向向向;乙乙乙乙回每退○。■山手■向向向向;乙乙乙乙良兩向○。十音:■士石■向向向向;三音:乙乙乙乙光廣況○。二聲:■□耳■向向向向;二聲:乙乙乙乙丁井亙○。■□二■向向向向;乙乙乙乙兄永瑩○。■莊震■向向向向;乙乙乙乙千典旦○。十一音:■乍□■向向向向;三音:乙乙乙乙元犬半○。二聲:■叉赤■向向向向;三聲:乙乙乙乙臣引良○。■崇辰■向向向向;乙乙乙乙君允巽○。■卓中■向向向向;乙乙乙乙刀早孝嶽。十二音:■宅直■向向向向;三音:乙乙乙乙毛寶報霍。二聲:■拆丑■向向向向;四聲:乙乙乙乙牛斗奏六。■茶呈■向向向向;乙乙乙乙○○○玉。

左欄は「去声辟唱呂一之二」の最後の十六行を並べ終える。第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、依然として各々「向向向向」が唱え、ここに至って第二図の四十八行がそろう。第十音以下は各行の首位が皆「■」で、末位もまた「■」、中間の二位は字あるいは「□」で、歯舌の末に至るほど立てられる音が少ないことがうかがえる。右欄は新たに「收音清和律一之三」を立て、第三音第一等「安亚乙一」の收位「乙」を取って和字とし、「乙乙乙乙」とし、順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引良○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。第三声の第三等は底本では「臣引良」とあり、他の箇所は皆「臣引艮」とするので、ここの「良」は「艮」の形の誤りであろう。「乙」は第三音の收位で、影喻の類に属し、声の出ること最も軽細である。これをもって十声を遍く和す。第一声「多可个舌」から始まり、一声ごと一等ずつ推し去り、第十声第四等に至って止まり、合わせて四十行。和図はすでに音をもって声を領するので、收音の字を行首に冠する。唱図は声をもって音を領するので、唱える字を行末に綴る。一つは前にあり一つは後にあり、まさに天が唱(はじめ)て地が随う意を現す。

去声辟唱呂一之三

去聲闢唱呂一之三。古甲九癸旦旦旦旦;乙乙乙乙妻子四日。一音:□□近揆旦旦旦旦;三音:乙乙乙乙衰○帥骨。三聲:坤巧丘棄旦旦旦旦;五聲:乙乙乙乙○○○德。□□乾蚪旦旦旦旦;乙乙乙乙龜水貴北。黑花香血旦旦旦旦;乙乙乙乙宮孔眾○。二音:黃華雄賢旦旦旦旦;三音:乙乙乙乙龍甬用○。三聲:五瓦仰□旦旦旦旦;六聲:乙乙乙乙魚鼠去○。吾牙月堯旦旦旦旦;乙乙乙乙烏虎兔○。安亞乙一旦旦旦旦;乙乙乙乙心審禁○。三音:□爻壬寅旦旦旦旦;三音:乙乙乙乙○○○十。三聲:母馬美米旦旦旦旦;七聲:乙乙乙乙男坎欠○。目貌眉民旦旦旦旦;乙乙乙乙○○○妾。夫法□飛旦旦旦旦;乙乙乙乙●●●●。四音:父凡□吠旦旦旦旦;三音:乙乙乙乙●●●●。三聲:武晚□尾旦旦旦旦;八聲:乙乙乙乙●●●●。文萬□未旦旦旦旦;乙乙乙乙●●●●。卜百丙必旦旦旦旦;乙乙乙乙●●●●。

「去声辟唱呂一之三」は第三声第一等「千典旦○」の去声位「旦」に改まって唱字とし、全図の各行は皆「旦旦旦旦」を綴る。この段は第一音から始まる。「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」は第一音の四等、「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」は第二音の四等、「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」は第三音の四等、「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」は第四音の四等で、末行の「卜百丙必」は第五音の第一等である。およそ「□」のあるところ、たとえば第一音二等の頭の二位、第四音の第三位は、いずれも音はあって挙げるべき字がなく、「■」の併せて音もないのと判然と別れている。右欄の「收音清和律一之三」は「乙乙乙乙」で続けて第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声の四等および第九声の第一等は皆「●●●●」とする。「旦」は第三声第一等の去声位である。第三声一等「千典旦○」の四字は、千が平・典が上・旦が去で、入声位に字がないので「○」と書く。本図はすでに専ら去声を取るので、自ら「旦」をもって主とすべきである。この図は第一組の唱図の第三図で、十図のうちやっと三分の一に及び、その後になお孝・四・众・禁の諸字および三つの空図が相続ぐ。

五音:步白備鼻旦旦旦旦;三音:乙乙乙乙●●●●。三聲:普撲品匹旦旦旦旦;九聲:乙乙乙乙●●●●。旁排平瓶旦旦旦旦;乙乙乙乙●●●●。東丹帝■旦旦旦旦;乙乙乙乙●●●●。六音:兌大弟■旦旦旦旦;三音:乙乙乙乙●●●●。三聲:土貪天■旦旦旦旦;十聲:乙乙乙乙●●●●。同覃田■旦旦旦旦;乙乙乙乙●●●●。

左欄は続けて第五音の第二等「步白备鼻」・第三等「普扑品匹」・第四等「旁排平瓶」、および第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を列ね、依然として「旦旦旦旦」をもって唱とする。第五音の四行はいずれも重唇の字で、第六音の四行はいずれも舌頭の字で、末位が字あるものから「■」に転ずるのは、まさに邵雍の分音の界限のあるところである。右欄は「乙乙乙乙」で第九声の第二・三・四等と第十声の四等を和し終え、合わせて七行、全く「●●●●」とし、「收音清和律一之三」の四十行はここで収まる。声図の第八・第九・第十の三声は字もなく音もないので、和図の後段は常に黒点が篇を連ねる。読者は残欠と疑うには及ばない——邵雍はまさにこれらの空位をもって天下の声が実にその数あることを説明しようとしており、涯際なく漫然としているのではない。邵雍が十声を立てて実有は七、十二音を立てて位に四十の虚があるのは、むやみに増損したのではない。その意は、天地の数にはそれぞれ定まった限りがあり、声の類は十に当たり音の類は十二に当たるべきで、位はすでに立ちながら字は或いは足りない。まさにこれをもって人の言語にその窮まりがあることと、天地の数に欠けるところがないことを見るのである。これもまた『観物』一篇が声音をもって天地を験す用意のあるところである。

收音清和律一之四

收音清和律一之四。乃你女■旦旦旦旦;□□□□多可個舌。七音:內南年■旦旦旦旦;四音:□□□□禾火化八。三聲:老冷呂■旦旦旦旦;一聲:□□□□開宰愛○。鹿犖離■旦旦旦旦;□□□□回每退○。走哉足■旦旦旦旦;□□□□良兩向○。八音:自在匠■旦旦旦旦;四音:□□□□光廣況○。三聲:草采七■旦旦旦旦;二聲:□□□□丁井亙○。曹才全■旦旦旦旦;□□□□兄永瑩○。思三星■旦旦旦旦;□□□□千典旦○。九音:寺□象■旦旦旦旦;四音:□□□□元犬半○。三聲:□□□■旦旦旦旦;三聲:□□□□臣引艮○。□□□■旦旦旦旦;□□□□君允巽○。■山手■旦旦旦旦;□□□□刀早孝嶽。十音:■士石■旦旦旦旦;四音:□□□□毛寶報霍。三聲:■□耳■旦旦旦旦;四聲:□□□□牛斗奏六。■□二■旦旦旦旦;□□□□○○○玉。■莊震■旦旦旦旦;□□□□妻子四日。十一音:■乍□■旦旦旦旦;四音:□□□□衰○帥骨。三聲:■叉赤■旦旦旦旦;五聲:□□□□○○○德。■崇辰■旦旦旦旦;□□□□龜水貴北。■卓中■旦旦旦旦;□□□□宮孔眾○。十二音:■宅直■旦旦旦旦;四音:□□□□龍甬用○。三聲:■拆丑■旦旦旦旦;六聲:□□□□魚鼠去○。

「收音清和律一之四」は改めて立ち、第四音第一等「夫法□飞」の收位を用いて和字とする。この位はもともと書くべき字がないので、行首は一律に「□□□□」とし、四つの空框がすなわちあの音はあって字のない收位を代表する。順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和し、末は第六声の前三等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○」に及ぶ。左欄は続けて「去声辟唱呂一之三」を並べる。第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、さらに第十二音の前三等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■」を加え、各行は依然として「旦旦旦旦」が唱える。「□□□□」の四框は本図の和字であり、書くべき字はなくとも、その位は依然として存するので、例によって一図に列し、字ある諸図と併せて数える。もし字がないからといってこれを删れば、十二音は十図だけしか残らず、地数の十二と合わず、全篇の乗除も推し起こすところがなくなる。これがまさに邵雍がむしろ空位を列ねて省併を肯んじない缘故である。和図はすでに第四音の收位をもって十声を統領するので、その位は空でも、行次は動かせない。十二音の收位は順に九・香・乙・□・丙・帝・女・足・星・手・震・中であり、本図はちょうどその第四に当たる。左欄に並ぶのは第三唱図の後段で、唱字「旦」はなお在り、第十二音の第四等を並べ終わるを待って、ようやく改めて換えられる。この類の両欄並列の表を読むに、最も忌むべきは一行を単位として左右を牽合することである。左の行は左の行から数え、右の行は右の行から数え、それぞれ本欄の音次・声次をもって準とする。

去声辟唱呂一之四

■茶呈■旦旦旦旦;□□□□烏虎兔○。去聲闢唱呂一之四。古甲九癸孝孝孝孝;□□□□心審禁○。一音:□□近揆孝孝孝孝;四音:□□□□○○○十。四聲:坤巧丘棄孝孝孝孝;七聲:□□□□男坎欠○。□□乾蚪孝孝孝孝;□□□□○○○妾。黑花香血孝孝孝孝;□□□□●●●●。二音:黃華雄賢孝孝孝孝;四音:□□□□●●●●。四聲:五瓦仰□孝孝孝孝;八聲:□□□□●●●●。吾牙月堯孝孝孝孝;□□□□●●●●。安亞乙一孝孝孝孝;□□□□●●●●。三音:□爻壬寅孝孝孝孝;四音:□□□□●●●●。四聲:母馬美米孝孝孝孝;九聲:□□□□●●●●。目貌眉民孝孝孝孝;□□□□●●●●。夫法□飛孝孝孝孝;□□□□●●●●。四音:父凡□吠孝孝孝孝;四音:□□□□●●●●。四聲:武晚□尾孝孝孝孝;十聲:□□□□●●●●。文萬□未孝孝孝孝;□□□□●●●●。

首行の「■茶呈■」は第十二音の第四等で、「旦旦旦旦」を配した後、「去声辟唱呂一之三」の四十八行は全数を唱え終わる。同一行の右半は「□□□□」で第六声第四等「乌虎兔○」と和す。続いて「去声辟唱呂一之四」が改めて立ち、唱字は第四声第一等「刀早孝岳」の去声位「孝」を取り、以下は皆「孝孝孝孝」とし、まず第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」と配する。右欄の「收音清和律一之四」は「□□□□」で第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行ことごとく「●●●●」で、一図の四十行はここで完足する。「孝」は第四声第一等「刀早孝岳」から出て、刀は平・早は上・孝は去・岳は入で、四位いずれも字があり、十声のうち比較的完足した一行である。第四声の下の三等は「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」とし、入声位はそれぞれ霍・六・玉を得る。この類の入声が最も整斉であることがうかがえる。日月星辰をもって四声に配すれば、日は平・月は上・星は去・辰は入である。本巻の推す星日声・星月声・星星声は、頭の一字が皆「星」であり、すなわち去声を指し、第二字は第几等かを標す。同じ理で水火土石をもって四位に配すれば、水は開・火は発・土は收・石は閉であり、土水音・土火音・土土音の頭の一字は皆「土」で、すなわち收位を指す。

收音清和律一之五

收音清和律一之五。卜百丙必孝孝孝孝;內內內內多可個舌。五音:步白備鼻孝孝孝孝;五音:內內內內禾火化八。四聲:普撲品匹孝孝孝孝;一聲:內內內內開宰愛○。旁排平瓶孝孝孝孝;內內內內回每退○。東丹帝■孝孝孝孝;內內內內良兩向○。六音:兌大弟■孝孝孝孝;五音:內內內內光廣況○。四聲:土貪天■孝孝孝孝;二聲:內內內內丁井亙○。同覃田■孝孝孝孝;內內內內兄永瑩○。乃你女■孝孝孝孝;內內內內千典旦○。七音:內南年■孝孝孝孝;五音:內內內內元犬半○。四聲:老冷呂■孝孝孝孝;三聲:內內內內臣引艮○。鹿犖離■孝孝孝孝;內內內內君允巽○。走哉足■孝孝孝孝;內內內內刀早孝嶽。八音:自在匠■孝孝孝孝;五音:內內內內毛寶報霍。四聲:草采七■孝孝孝孝;四聲:內內內內牛斗奏六。曹才全■孝孝孝孝;內內內內○○○玉。

「收音清和律一之五」の和字は、本来第五音第一等「卜百丙必」の收位「丙」を取るべきところ、底本は「内」とし、四行とも「内内内内」と書く。「内」は第七音第二等「内南年■」の開位で、この表の次第とは合わず、伝写が形近によって誤ったのであろう。今はその旧のままにして改めない。この図はまず第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。左欄は「去声辟唱呂一之四」を承け、「孝孝孝孝」で第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。伝本のここの和字は表に列ねた行次と合わず、これは『皇極経世』の声音の諸図が流伝すでに久しく、転転と伝写模写された所致である。諸家の校本はあるいは径に「丙」に改め、あるいは疑いを存して断じない。今は全文源に依ってそのまま「内」と写し、訳文のうちにその誤りを標し出し、ほぼ原本の面目とあるべき次第とが両方とも掩われないようにする。

思三星■孝孝孝孝;內內內內妻子四日。九音:寺□象■孝孝孝孝;五音:內內內內衰○帥骨。四聲:□□□■孝孝孝孝;五聲:內內內內○○○德。□□□■孝孝孝孝;內內內內龜水貴北。■山手■孝孝孝孝;內內內內宮孔眾○。十音:■士石■孝孝孝孝;五音:內內內內龍甬用○。四聲:■□耳■孝孝孝孝;六聲:內內內內魚鼠去○。■□二■孝孝孝孝;內內內內烏虎兔○。■莊震■孝孝孝孝;內內內內心審禁○。十一音:■乍□■孝孝孝孝;五音:內內內內○○○十。四聲:■叉赤■孝孝孝孝;七聲:內內內內男坎欠○。■崇辰■孝孝孝孝;內內內內○○○妾。■卓中■孝孝孝孝;內內內內●●●●。十二音:■宅直■孝孝孝孝;五音:內內內內●●●●。四聲:■拆丑■孝孝孝孝;八聲:內內內內●●●●。■茶呈■孝孝孝孝;內內內內●●●●。

左欄は「孝」の唱える後の十六行を並べ終える。第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、「去声辟唱呂一之四」はここに四十八行がともに具わる。第九音の三・四の両等は挙げうる字さえもなく、ただ「□□□■」とするのみで、歯牙の音がここで尽きたことがうかがえる。右欄は「内内内内」で続けて第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声の四等は全く「●●●●」とする。「衰○帅骨」の一行は上声位に字がなく、「○○○德」の一行は入声のみ字があり、いずれも声にその位はあって字が足りないに属する。第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」は、前の二行にまだ星・象の二字があり、後の二行は開・発・收の三位が全く挙げるべき字がなく、ただ「□」をもってその位を存する。邵雍の分音はここに至ってすでに歯音の末に入り、音は弁じうれども字は得られない。まさにいわゆるその音あってその字なしである。

去声辟唱呂一之五

去聲闢唱呂一之五。古甲九癸四四四四;內內內內●●●●。一音:□□近揆四四四四;五音:內內內內●●●●。五聲:坤巧丘棄四四四四;九聲:內內內內●●●●。□□乾蚪四四四四;內內內內●●●●。黑花香血四四四四;內內內內●●●●。二音:黃華雄賢四四四四;五音:內內內內●●●●。五聲:五瓦仰□四四四四;十聲:內內內內●●●●。吾牙月堯四四四四;內內內內●●●●。

「去声辟唱呂一之五」は第五声第一等「妻子四日」の去声位「四」に改めて唱字とし、行行皆「四四四四」を綴る。この段はまず第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」を唱える。「□□近揆」「□□乾蚪」の二行は開・発の二位ともに挙げるべき字がないので「□」と書き、「五瓦仰□」は閉位に字がない。右欄は「内内内内」で第九声・第十声の八行と和し、ことごとく「●●●●」とし、「收音清和律一之五」の四十行はここで止まる。声は天に属し音は地に属し、天声は上に唱え、地音は下に和す。一声は十二音を唱え遍くし、一音は十声を和し遍くし、両表が交午して生じる。これが『観物篇』のいう声音の数である。「四」は第五声第一等「妻子四日」から出て、妻は平・子は上・四は去・日は入である。第五声の四等は「妻子四日」「衰○帅骨」「○○○德」「龟水贵北」とし、そのうち第二等は上声を欠き、第三等は入声だけを残し、参差してそろわない。本図は専ら第一等の去位を取るので、「四」の字を得て唱とする。

收音清和律一之六

收音清和律一之六。安亞乙一四四四四;帝帝帝帝多可個舌。三音:□爻壬寅四四四四;六音:帝帝帝帝禾火化八。五聲:母馬美米四四四四;一聲:帝帝帝帝開宰愛○。目貌眉民四四四四;帝帝帝帝回每退○。夫法□飛四四四四;帝帝帝帝良兩向○。四音:父凡□吠四四四四;六音:帝帝帝帝光廣況○。五聲:武萬□尾四四四四;二聲:帝帝帝帝丁井亙○。文萬□未四四四四;帝帝帝帝兄永瑩○。卜百丙必四四四四;帝帝帝帝千典亙○。五音:步白備鼻四四四四;六音:帝帝帝帝元犬半○。五聲:普撲品匹四四四四;三聲:帝帝帝帝臣引艮○。旁排平瓶四四四四;帝帝帝帝君允巽○。東丹帝■四四四四;帝帝帝帝刀早孝嶽。六音:兌大弟■四四四四;六音:帝帝帝帝毛寶報霍。五聲:土貪天■四四四四;四聲:帝帝帝帝牛斗奏六。

「收音清和律一之六」は第六音第一等「东丹帝■」の收位「帝」をもって和字とし、「帝帝帝帝」とし、まず第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四等と和し、再び第四声の前三等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六」に及ぶ。第三声の首行は底本では「千典亘○」とあり、「亘」は第二声第三等「丁井亘○」の字が竄り入ったもので、例に依れば「千典旦○」に当たるべきである。左欄は「去声辟唱呂一之五」を承け、「四四四四」で第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音の四等、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」および第六音の前三等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■」を唱える。第四音の第三等は底本では「武万□尾」とあり、他の箇所は皆「武晚□尾」とするので、「万」は「晚」の誤りである。「帝」は第六音第一等「东丹帝■」から出て、東は開・丹は発・帝は收で、閉位に音がないので「■」とする。第六音からは、四行の末位がすべて「■」である。これは舌音以下はさらに閉位を立てられないからである。「帝」はすでに收位に居り、ちょうど和字として用いられ、前の五音の九・香・乙・□・丙と同じく第一等の收である。

同覃田■四四四四;帝帝帝帝○○○玉。乃你女■四四四四;帝帝帝帝妻子四日。七音:內南年■四四四四;六音:帝帝帝帝衰○帥骨。五聲:老冷呂■四四四四;五聲:帝帝帝帝○○○德。鹿犖離■四四四四;帝帝帝帝龜水貴北。走哉足■四四四四;帝帝帝帝宮孔眾○。八音:自在匠■四四四四;六音:帝帝帝帝龍甬用○。五聲:草采七■四四四四;六聲:帝帝帝帝魚鼠去○。曹才全■四四四四;帝帝帝帝烏虎兔○。思三星■四四四四;帝帝帝帝心審禁○。九音:寺□象■四四四四;六音:帝帝帝帝○○○十。五聲:□□□■四四四四;七聲:帝帝帝帝男坎欠○。□□□■四四四四;帝帝帝帝○○○妾。■山手■四四四四;帝帝帝帝●●●●。十音:■士石■四四四四;六音:帝帝帝帝●●●●。五聲:■□耳■四四四四;八聲:帝帝帝帝●●●●。■□二■四四四四;帝帝帝帝●●●●。■莊震■四四四四;帝帝帝帝●●●●。十一音:■乍□■四四四四;六音:帝帝帝帝●●●●。

左欄は続けて並べる。第六音第四等「同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、および第十一音の第一等「■庄震■」・第二等「■乍□■」で、各行は依然として「四四四四」が唱える。右欄は「帝帝帝帝」で続けて第四声第四等「○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その後の第八声の四行と第九声の前の二行は皆「●●●●」である。「○○○玉」は入声のみ字があり、「○○○十」「○○○妾」も同じく入声の一位だけを残す。この類の残欠を邵雍は一概にそのまま写し、もって声の実数を見せるのに用いる。唱図は各行の音字が前にあり唱声が後にあり、和図は各行の和音が前にあり声字が後にあり、両欄の字序はちょうど互いに顛倒する。これは排印の便ではなく、声が上に唱え音が下に和する義を取るのである。唱える者は主として動くので、声字は音行の下に圧す。和する者は随って応ずるので、音字は声行の上に冠する。和図の各行はいずれも一声一等の四調の字で、読むときは横に見るべきである。たとえば「妻子四日」の一行は、妻は平・子は上・四は去・日は入で、四字は同じ韻で調を異にする。「○○○德」の一行は平上去の三調に字がなく、ただ入声に「德」を得る。唱図の各行は一音一等の四位の字で、たとえば「古甲九癸」は、古は開・甲は発・九は收・癸は閉で、四字は同じ類で位を異にする。

去声辟唱呂一之六・收音清和律一之七

五聲:■叉赤■四四四四;九聲:帝帝帝帝●●●●。■崇辰■四四四四;帝帝帝帝●●●●。■卓中■四四四四;帝帝帝帝●●●●。十二音:■宅直■四四四四;六音:帝帝帝帝●●●●。五聲:■拆丑■四四四四;十聲:帝帝帝帝●●●●。■茶呈■四四四四;帝帝帝帝●●●●。去聲闢唱呂一之六;收音清和律一之七。古甲九癸眾眾眾眾;女女女女多可個舌。一音:□□近揆眾眾眾眾;七音:女女女女禾火化八。六聲:坤巧丘棄眾眾眾眾;一聲:女女女女開宰愛○。□□乾蚪眾眾眾眾;女女女女回每退○。黑花香血眾眾眾眾;女女女女良兩向○。二音:黃華雄賢眾眾眾眾;七音:女女女女光廣況○。六聲:五瓦仰□眾眾眾眾;二聲:女女女女丁井亙○。吾牙月堯眾眾眾眾;女女女女兄永瑩○。安亞乙一眾眾眾眾;女女女女千典旦○。三音:□爻壬寅眾眾眾眾;七音:女女女女元犬半○。六聲:母馬美米眾眾眾眾;三聲:女女女女臣引艮○。

まず前の一対の図を収める。左欄の「■叉赤■」「■崇辰■」は第十一音の三・四等、「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」は第十二音の四等で、「四四四四」を配して「去声辟唱呂一之五」は終わる。右欄は「帝帝帝帝」で第九声の三・四等と第十声の四等を和し終え、六行とも「●●●●」で、「收音清和律一之六」もまた終わる。以下の両図は同じく起こる。「去声辟唱呂一之六」は第六声第一等「宫孔众○」の去声位「众」を取って唱とし、およそ「众众众众」と書き、まず第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」および第三音の前三等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米」を唱える。「收音清和律一之七」は第七音第一等「乃你女■」の收位「女」を取って和とし、「女女女女」と書き、まず第一声の四等、第二声の四等および第三声の前三等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○」と和す。一版の上で両図が同時に頭を換えるのは、唱図が四十八行で和図が四十行のため、図を経るごとに八行差が生じ、五図に累ると差が四十行に積もり、ちょうど和図の一図に当たるからである。だからここでは両欄がいっせいに図を転じ、唱える者は「四」から「众」に易え、和する者は「帝」から「女」に易える。邵雍の声音の数を推すことは、前の数巻の元会運世の数を推すことと理を同じくする。彼は年月日時を相乗して十二万九千六百を得、ここは声と音を相唱和して千百の数を得る。数の用は異なれど、位を立て、虚を去り、相乗する法は一つである。だから『観物』の諸篇は必ず声音の図をもって終える。

目貌眉民眾眾眾眾;女女女女君允巽○。夫法□飛眾眾眾眾;女女女女刀早孝嶽。四音:父凡□吠眾眾眾眾;七音:女女女女毛寶報霍。六聲:武晚□尾眾眾眾眾;四聲:女女女女牛斗奏六。文萬□未眾眾眾眾;女女女女○○○玉。卜百丙必眾眾眾眾;女女女女妻子四日。五音:步白備鼻眾眾眾眾;七音:女女女女衰○帥骨。六聲:普撲品匹眾眾眾眾;五聲:女女女女○○○德。旁排平瓶眾眾眾眾;女女女女龜水貴北。東丹帝■眾眾眾眾;女女女女宮孔眾○。六音:兌大弟■眾眾眾眾;七音:女女女女龍甬用○。六聲:土貪天■眾眾眾眾;六聲:女女女女魚鼠去○。同覃田■眾眾眾眾;女女女女烏虎兔○。乃你女■眾眾眾眾;女女女女心審禁○。七音:內南年■眾眾眾眾;七音:女女女女○○○十。六聲:老冷呂■眾眾眾眾;七聲:女女女女男坎欠○。

左欄は続けて「众众众众」で第三音第四等「目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、および第七音の前三等「乃你女■、内南年■、老冷吕■」を唱える。右欄は「女女女女」で続けて第三声第四等「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、および第七声の前三等「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。左右の両欄は行数が等しくない——音図は四十八行、声図は四十行——だから同一版上の両表の進度は常にずれており、図を転ずる箇所もお互いに当たらない。「众」は第六声第一等「宫孔众○」から出て、宮は平・孔は上・众は去で、入声位に字がない。「女」は第七音第一等「乃你女■」から出て、乃は開・你是発・女は收で、閉位に音がない。一つは声の去位を取り、一つは音の收位を取る。両字ともその類の第三位に居り、まさに去声と收音とが相応じる例に合う。

鹿犖離■眾眾眾眾;女女女女○○○妾。走哉足■眾眾眾眾;女女女女●●●●。八音:自在匠■眾眾眾眾;七音:女女女女●●●●。六聲:草采七■眾眾眾眾;八聲:女女女女●●●●。曹才全■眾眾眾眾;女女女女●●●●。思三星■眾眾眾眾;女女女女●●●●。九音:寺□象■眾眾眾眾;七音:女女女女●●●●。六聲:□□□■眾眾眾眾;九聲:女女女女●●●●。□□□■眾眾眾眾;女女女女●●●●。■山手■眾眾眾眾;女女女女●●●●。十音:■士石■眾眾眾眾;七音:女女女女●●●●。六聲:■□耳■眾眾眾眾;十聲:女女女女●●●●。■□二■眾眾眾眾;女女女女●●●●。

左欄は「众众众众」で第七音第四等「鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。右欄は「女女女女」で第七声第四等「○○○妾」と和し、続いて第八・第九・第十の三声は合わせて十二行全く「●●●●」とし、「收音清和律一之七」の四十行は終わる。一図に就いて言えば、和しうる声は前の七声の二十八行だけで、残りの十二行は位はあって声がない。音に就いて言えば、十二音四十八位のうち「■」となるものは四十で、実用は一百五十二。唱和を相乗すれば、すなわち『観物』の諸篇が反復して推衍する声音の用である。一図に就いて言えば、唱える者は一声をもって四十八行の音を遍歴し、和する者は一音をもって四十行の声を遍歴する。声の唱えうるものは七、音の和しうるものは十二で、七と十二はそれぞれ相手方の用数を係えて相乗し、すなわち『観物』の諸篇に列ねられた千百の数を得る。この篇に排せられた一つ一つの図は、いずれもこの乗法のうちの一つの因子にすぎない。

收音清和律一之八

收音清和律一之八。■莊震■眾眾眾眾;足足足足多可個舌。十一音:■乍□■眾眾眾眾;八音:足足足足禾火化八。六聲:■叉赤■眾眾眾眾;一聲:足足足足開宰愛○。■崇辰■眾眾眾眾;足足足足回每退○。■卓中■眾眾眾眾;足足足足良兩向○。十二音:■宅直■眾眾眾眾;八音:足足足足光廣況○。六聲:■拆丑■眾眾眾眾;二聲:足足足足丁井亙○。■茶呈■眾眾眾眾;足足足足兄永瑩○。

左欄は「众众众众」で第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、「去声辟唱呂一之六」の四十八行はここで唱え遍くす。右欄は改めて「收音清和律一之八」を立て、第八音第一等「走哉足■」の收位「足」を取って和字とし、「足足足足」と書き、まず第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。第一声の四等は「多、禾、开、回」をもって領起し、まさに平声の四つの韻位であり、その下の「可、火、宰、每」は上声、「个、化、爱、退」は去声、「舌、八、○、○」は入声で、一行の四字がすなわち平上去入を備え、末の二位に字がないので「○」と書く。「足」は第八音第一等「走哉足■」から出て、走は開・哉は発・足は收で、閉位に音がない。第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」は歯頭の類に属し、一・三の二行は清、二・四の二行は濁で、四行の收位はそれぞれ足・匠・七・全であり、本図はその第一等の「足」を取る。

去声辟唱呂一之七

去聲闢唱呂一之七。古甲九癸禁禁禁禁;足足足足千典旦○。一音:□□近揆禁禁禁禁;八音:足足足足元犬半○。七聲:坤巧丘棄禁禁禁禁;三聲:足足足足臣引艮○。□□乾蚪禁禁禁禁;足足足足君允巽○。黑花香血禁禁禁禁;足足足足刀早孝嶽。二音:黃華雄賢禁禁禁禁;八音:足足足足毛寶報霍。七聲:五瓦仰□禁禁禁禁;四聲:足足足足牛斗奏六。吾牙月堯禁禁禁禁;足足足足○○○玉。安亞乙一禁禁禁禁;足足足足妻子四日。三音:□爻壬寅禁禁禁禁;八音:足足足足衰○帥骨。七聲:母馬美米禁禁禁禁;五聲:足足足足○○○德。目貌眉民禁禁禁禁;足足足足龜水貴北。夫法□飛禁禁禁禁;足足足足宮孔眾○。四音:父凡□吠禁禁禁禁;八音:足足足足龍甬用○。七聲:武晚□尾禁禁禁禁;六聲:足足足足魚鼠去○。文萬□未禁禁禁禁;足足足足烏虎兔○。

「去声辟唱呂一之七」は第七声第一等「心审禁○」の去声位「禁」をもって唱字とし、各行は皆「禁禁禁禁」を綴る。この段は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を唱える。右欄は「足足足足」で続けて第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。「禁」は正声十図のうち最後の字ある去声辟位で、第八声以下はもはや唱うべき字がない。だからこの図以後の各図の唱位は「●」と書くほかない。「禁」は第七声第一等「心审禁○」から出て、心は平・審は上・禁は去で、入声に字がない。第七声の四等は「心审禁○」「○○○十」「男坎欠○」「○○○妾」とし、四行のうちに二行が入声の一位だけを残す。この類の字が最も零落していることがうかがえ、それでも去声位にはなお禁・欠の二字を挙げられる。

卜百丙必禁禁禁禁;足足足足心審禁○。五音:步白備鼻禁禁禁禁;八音:足足足足○○○十。七聲:普撲品匹禁禁禁禁;七聲:足足足足男坎欠○。旁排平瓶禁禁禁禁;足足足足○○○妾。東丹帝■禁禁禁禁;足足足足●●●●。六音:兌大弟■禁禁禁禁;八音:足足足足●●●●。七聲:土貪天■禁禁禁禁;八聲:足足足足●●●●。同覃田■禁禁禁禁;足足足足●●●●。乃你女■禁禁禁禁;足足足足●●●●。七音:內南年■禁禁禁禁;八音:足足足足●●●●。七聲:老冷呂■禁禁禁禁;九聲:足足足足●●●●。鹿犖離■禁禁禁禁;足足足足●●●●。走哉足■禁禁禁禁;足足足足●●●●。八音:自在匠■禁禁禁禁;八音:足足足足●●●●。七聲:草采七■禁禁禁禁;十聲:足足足足●●●●。曹才全■禁禁禁禁;足足足足●●●●。

左欄は「禁禁禁禁」で第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。右欄は「足足足足」で第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、この下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行とも「●●●●」で、「收音清和律一之八」の四十行は完足する。第五音の四行は重唇の音、第六音の四行は舌頭の音、第七音の四行は舌上・半舌の属、第八音の四行は歯頭の音である。閉位がすでに窮まったので、第六音から末字はことごとく「■」と書く。唱図は一声をもって四十八音を唱え、四十八位のうち「■」は四十を占め、実に相唱えうるものは一百五十二。本図はすでに「禁」をもって唱とするので、すなわち第七声第一等の去位が下に地の用音一百五十二を唱えるのであり、十声のうちこのように下唱しうるものは七声だけである。故に七に一百五十二を乗じて一千六十四を得、これがすなわち去声辟音の総数である。唱字は音行の後に綴って一字を四出し、その四位に当たることを取る。和字は声行の前に冠してまた一字を四出し、その四調に当たることを取る。四出して増減せぬは、まさに四象の義で、図中の類ごとに必ず四行・行ごとに必ず四字という体例と表裏を成す。

收音清和律一之九

收音清和律一之九。思三星■禁禁禁禁;星星星星多可個舌。九音:寺□象■禁禁禁禁;九音:星星星星禾火化八。七聲:□□□■禁禁禁禁;一聲:星星星星開宰愛○。□□□■禁禁禁禁;星星星星迴每退○。■山手■禁禁禁禁;星星星星良兩向○。十音:■士石■禁禁禁禁;九音:星星星星光廣況○。七聲:■□耳■禁禁禁禁;二聲:星星星星丁井亙○。■□二■禁禁禁禁;星星星星兄永瑩○。■莊震■禁禁禁禁;星星星星千典旦○。十一音:■乍□■禁禁禁禁;九音:星星星星元犬半○。七聲:■叉赤■禁禁禁禁;三聲:星星星星臣引艮○。■崇辰■禁禁禁禁;星星星星君允巽○。■卓中■禁禁禁禁;星星星星刀早孝嶽。十二音:■宅直■禁禁禁禁;九音:星星星星毛寶報霍。七聲:■拆丑■禁禁禁禁;四聲:星星星星牛斗奏六。■茶呈■禁禁禁禁;星星星星○○○玉。

左欄は「去声辟唱呂一之七」の末の十六行を並べ終える。第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、それぞれ「禁禁禁禁」をもって唱とする。右欄は新たに「收音清和律一之九」を立て、第九音第一等「思三星■」の收位「星」を取って和字とし、「星星星星」と書き、順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。「星」はここではただ歯音の一字であり、前文で元会運世の名として用いられた「星」とは関わりがない。「星」は第九音第一等「思三星■」から出て、思は開・三は発・星は收で、閉位に音がない。第九音は第八音と同じく歯類に属してやや異なり、四行の收位は星・象・□・□で、後の二行には挙げるべき字がない。だから十二の和図のうち、ただ第九音の一図のみその和字に「星」を得ることができ、もしその第三・第四等を取れば空框を作るほかない。

去声辟唱呂一之八

去聲闢唱呂一之八。古甲九癸●●●●;星星星星妻子四日。一音:□□近揆●●●●;九音:星星星星衰○帥骨。八聲:坤巧丘棄●●●●;五聲:星星星星○○○德。□□乾蚪●●●●;星星星星龜水貴北。黑花香血●●●●;星星星星宮孔眾○。二音:黃華雄賢●●●●;九音:星星星星龍甬用○。八聲:五瓦仰□●●●●;六聲:星星星星魚鼠去○。吾牙月堯●●●●;星星星星烏虎兔○。安亞乙一●●●●;星星星星心審禁○。三音:□爻壬寅●●●●;九音:星星星星○○○十。八聲:母馬美米●●●●;七聲:星星星星男坎欠○。目貌眉民●●●●;星星星星○○○妾。夫法□飛●●●●;星星星星●●●●。四音:父凡□吠●●●●;九音:星星星星●●●●。八聲:武晚□尾●●●●;八聲:星星星星●●●●。文萬□未●●●●;星星星星●●●●。卜百丙必●●●●;星星星星●●●●。五音:步白備鼻●●●●;九音:星星星星●●●●。八聲:普撲品匹●●●●;九聲:星星星星●●●●。旁排平瓶●●●●;星星星星●●●●。東丹帝■●●●●;星星星星●●●●。六音:兌大弟■●●●●;九音:星星星星●●●●。八聲:土貪天■●●●●;十聲:星星星星●●●●。同覃田■●●●●;星星星星●●●●。

「去声辟唱呂一之八」が唱うべきところは、第八声第一等の去声位である。第八声の四等はもともと全て「●」で、発すべき声がなく、だから各行の唱位は「●●●●」と書くほかない。これは脱字ではなく、邵雍が意図的に保留した空図である。十声のうち声あるものは七声に止まり、第八・第九・第十の三声はその位を列ねながら実にその声がない。もし省いて列さなければ、唱和の数はその所以然を見る由がなくなる。左欄のこの段は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を列ねる。右欄は「星星星星」で第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の十二行は皆「●●●●」で、「收音清和律一之九」はここで終わる。声図の第八・第九・第十の合わせて三類は全く黒点とする。邵雍が十をもって声の全数としながら実有は七に止まるので、虚しく三類を立ててその位を足すのである。唱図はすでに十声に依って十図を立てるので、この三類もまたそれぞれ一図を成さねばならず、ただ唱位に書くべき字がないだけである。空図と実図とが並列するのは、まさに天地の数に定まりあって人の言語に闕あることを見るべきである。この類の純黒の図を読むに、最も留意すべきはそれがあってもなくてもよいものではないことである。邵雍が声を十類に立てたのは、十は声の全数であるからで、全数すでに立てば、字がなくとも位を列さねばならず、そうして後初めて音の十二と相乗できる。もしこの三図を删り去れば、唱図は七だけを残して十声の名に副わず、その後の一切の乗除の数は附麗するところがなくなる。だからこの三図は通篇黒点でありながら、なお字ある諸図と併せて列ねて省かない。

收音清和律一之十

收音清和律一之十。乃你女■●●●●;手手手手多可個舌。七音:內南年■●●●●;十音:手手手手禾火化八。八聲:老冷呂■●●●●;一聲:手手手手開宰愛○。鹿犖離■●●●●;手手手手回每退○。走哉足■●●●●;手手手手良兩向○。八音:自在匠■●●●●;十音:手手手手光廣況○。八聲:草采七■●●●●;二聲:手手手手丁井亙○。曹才全■●●●●;手手手手兄永瑩○。思三星■●●●●;手手手手千典旦○。九音:寺□象■●●●●;十音:手手手手元犬半○。八聲:□□□■●●●●;三聲:手手手手臣引艮○。□□□■●●●●;手手手手君允巽○。■山手■●●●●;手手手手刀早孝嶽。十音:■士石■●●●●;十音:手手手手毛寶報霍。八聲:■□耳■●●●●;四聲:手手手手牛斗奏六。■□二■●●●●;手手手手○○○玉。■莊震■●●●●;手手手手妻子四日。十一音:■乍□■●●●●;十音:手手手手衰○帥骨。八聲:■叉赤■●●●●;五聲:手手手手○○○德。■崇辰■●●●●;手手手手龜水貴北。■卓中■●●●●;手手手手宮孔眾○。十二音:■宅直■●●●●;十音:手手手手龍甬用○。八聲:■拆丑■●●●●;六聲:手手手手魚鼠去○。

「收音清和律一之十」は第十音第一等「■山手■」の收位「手」を取って和字とし、「手手手手」と書き、順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和し、末は第六声の前三等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○」に及ぶ。左欄は依然として「去声辟唱呂一之八」で、唱位は空しく「●●●●」とし、配する音行は第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、さらに第十二音の前三等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■」を加える。第十音以下は開位が皆「■」で、ただ收位になお「手、石、耳、二」の諸字があり、本図の和字「手」はすなわちその第一等に取る。「手」は第十音第一等「■山手■」から出て、開位に音がないので「■」とし、山は発・手は收で、閉位にも音がない。第十音からは、四行の首末の二位が皆「■」で、立てられるのは発・收の二位にだけある。この類は大抵正歯と半歯の属で、故にその字は山・手・士・石・耳・二のごとく、皆舌を挙げて腭に近づけて成す。一図のうち、音の四十八行と声の四十行は各々系統を成しているが、同時に併せて観なければならない。唱図は天声の下に臨むを見、和図は地音の上に応ずるを見、両図を合わせて観て初めて、一つの完整な唱和となる。底本が両図を左右の両欄に分刻して一行をもって相属させたのは、まさに読者に随時対看させようとするのであって、左右の同行の字が互いに何らかの牽渉を持つというのではない。

去声辟唱呂一之九

■茶呈■●●●●;手手手手烏虎兔○。去聲闢唱呂一之九。古甲九癸●●●●;手手手手心審禁○。一音:□□近揆●●●●;十音:手手手手○○○十。九聲:坤巧丘棄●●●●;七聲:手手手手男坎欠○。□□乾蚪●●●●;手手手手○○○妾。黑華香血●●●●;手手手手●●●●。二音:黃華雄賢●●●●;十音:手手手手●●●●。九聲:五瓦仰□●●●●;八聲:手手手手●●●●。吾牙月堯●●●●;手手手手●●●●。安亞乙一●●●●;手手手手●●●●。三音:□爻壬寅●●●●;十音:手手手手●●●●。九聲:母馬美米●●●●;九聲:手手手手●●●●。目貌眉民●●●●;手手手手●●●●。夫法□飛●●●●;手手手手●●●●。四音:父凡□吠●●●●;十音:手手手手●●●●。九聲:武晚□尾●●●●;十聲:手手手手●●●●。文萬□未●●●●;手手手手●●●●。

首行の左半の「■茶呈■」は第十二音の第四等で、唱位は依然として空しく「●●●●」とし、「去声辟唱呂一之八」の四十八行はここで唱え終わる。右半は「手手手手」で第六声第四等「乌虎兔○」と和す。続いて「去声辟唱呂一之九」が改めて立ち、唱うべきは本来第九声第一等の去声位で、第九声の四等もまた全く声がないので、唱位は依りて「●●●●」とする。前の図と形同じくして主とする声が異なる。配する音行は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑华香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」である。第二音の第一等は底本では「黑华香血」とあり、他の箇所は併せて「黑花香血」とするので、「华」は「花」の誤りであろう。右欄は「手手手手」で第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の十二行はことごとく黒点で、「收音清和律一之十」は終わる。前後の両図は唱位が同じく黒点としながら主とするところが異なる。一之八は第八声第一等を主とし、一之九は第九声第一等を主とする。位次がすでに異なれば、その下に配する四十八行の音は同じでも、両図はなお合併できない。唱和の数は図をもって計するので、一図を減らせばすなわち一百五十二音の数を減らすからである。

收音清和律一之十一

收音清和律一之十一。卜百丙必●●●●;震震震震多可個舌。五音:步白備鼻●●●●;十一音:震震震震禾火化八。九聲:普撲品匹●●●●;一聲:震震震震開宰愛○。旁排平瓶●●●●;震震震震回每退○。東丹帝■●●●●;震震震震良兩向○。六音:兌大弟■●●●●;十一音:震震震震光廣況○。九聲:土貪天■●●●●;二聲:震震震震丁井亙○。同覃田■●●●●;震震震震兄永瑩○。乃你女■●●●●;震震震震千典旦○。七音:內南年■●●●●;十一音:震震震震元犬半○。九聲:老冷呂■●●●●;三聲:震震震震臣引艮○。鹿犖離■●●●●;震震震震君允巽○。走哉足■●●●●;震震震震刀早孝嶽。八音:自在匠■●●●●;十一音:震震震震毛寶報霍。九聲:草采七■●●●●;四聲:震震震震牛斗奏六。曹才全■●●●●;震震震震○○○玉。思三星■●●●●;震震震震妻子四日。九音:寺□象■●●●●;十一音:震震震震衰○帥骨。九聲:□□□■●●●●;五聲:震震震震○○○德。□□□■●●●●;震震震震龜水貴北。■山手■●●●●;震震震震宮孔眾○。

「收音清和律一之十一」は第十一音第一等「■庄震■」の收位「震」を取って和字とし、「震震震震」と書き、第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、および第六声第一等「宫孔众○」と和す。左欄は「去声辟唱呂一之九」を承け、唱位は空しく「●●●●」とし、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を列ね、末は第十音第一等「■山手■」に及ぶ。「震」は第十一音第一等「■庄震■」から出て、開位に音がなく、庄は発・震は收で、閉位にも音がない。第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」は正歯の類に属し、收位に震・□・赤・辰を得る。本図はその第一等の「震」を取る。

十音:■士石■●●●●;十一音:震震震震龍甬用○。九聲:■□耳■●●●●;六聲:震震震震魚鼠去○。■□二■●●●●;震震震震烏虎兔○。■莊震■●●●●;震震震震心審禁○。十一音:■乍□■●●●●;十一音:震震震震○○○十。九聲:■叉赤■●●●●;七聲:震震震震男坎欠○。■崇辰■●●●●;震震震震○○○妾。■卓中■●●●●;震震震震●●●●。十二音:■宅直■●●●●;十一音:震震震震●●●●。九聲:■拆丑■●●●●;八聲:震震震震●●●●。■茶呈■●●●●;震震震震●●●●。

左欄は「去声辟唱呂一之九」の末の十一行を並べ終える。第十音の第二等「■士石■」・第三等「■□耳■」・第四等「■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、唱位は一概に「●●●●」とする。右欄は「震震震震」で続けて第六声の第二・三・四等「龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、再び第八声の四行の「●●●●」に入る。「震」はもともと第十一音の正歯の字で、これをもって十声を遍く和す。およそ二十八行に和すべき声があり、十二行は位はあって声がなく、一図のうちに声の虚実が一目で了然である。十音以下の三類は字が最も少ないが、それでも図中に占める行数は前の九音と同じく、いずれも四行である。邵雍の音を立てるは類をもってし、字の多寡をもって増減しない。字があればこれを書き、なければ「□」をもってその位を存し、音がもともと立たなければ「■」をもってこれを標す。故に一図は必ず四十八行で、字の盈虚を問わない。

去声辟唱呂一之十

去聲闢唱呂一之十。古甲九癸●●●●;震震震震●●●●。一音:□□近揆●●●●;十一音:震震震震●●●●。十聲:坤巧丘棄●●●●;九聲:震震震震●●●●。□□乾蚪●●●●;震震震震●●●●。黑花香血●●●●;震震震震●●●●。二音:黃華雄賢●●●●;十一音:震震震震●●●●。十聲:五瓦仰■●●●●;十聲:震震震震●●●●。吾牙月堯●●●●;震震震震●●●●。

「去声辟唱呂一之十」は正声去声辟位の最後の一図で、主とするところは第十声第一等、その声もまたないので、唱位は依然として「●●●●」と書く。この段は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰■、吾牙月尧」を列ねる。第二音の第三等は他の箇所では皆「五瓦仰□」とし、ここでは末位を誤って「■」とした。「□」は音はあって字がなく、「■」は併せて音もない。両者は混同してはならない。右欄は「震震震震」で第九声・第十声の合わせて八行と和し、ことごとく「●●●●」で、「收音清和律一之十一」の四十行は終わる。ここに至って第一組の十の唱図は並べ終わった。十図のうち、前の七図は分かれて第一声から第七声第一等の去声位を主とし、个・向・旦・孝・四・众・禁の七字を得た。後の三図は分かれて第八・第九・第十の合わせて三声を主とし、その声は立たず、唱位は皆黒点とする。七字はそれぞれ一百五十二音を乗じ、すなわちいわゆる去声辟音一千六十四である。

收音清和律一之十二

收音清和律一之十二。安亞乙一●●●●;中中中中多可個舌。三音:□爻壬寅●●●●;十二音:中中中中禾火化八。十聲:母馬美米●●●●;一聲:中中中中開宰愛○。目貌眉民●●●●;中中中中回每退○。夫法□飛●●●●;中中中中良兩向○。四音:父凡□吠●●●●;十二音:中中中中光廣況○。十聲:武晚□尾●●●●;二聲:中中中中丁井亙○。文萬□未●●●●;中中中中兄永瑩○。卜百丙必●●●●;中中中中千典旦○。五音:步白備鼻●●●●;十二音:中中中中元犬半○。十聲:普撲品匹●●●●;三聲:中中中中臣引艮○。旁排平瓶●●●●;中中中中君允巽○。東丹帝■●●●●;中中中中刀早孝嶽。六音:兌大弟■●●●●;十二音:中中中中毛寶報霍。十聲:土貪天■●●●●;四聲:中中中中牛斗奏六。同覃田■●●●●;中中中中○○○玉。乃你女■●●●●;中中中中妻子四日。七音:內南年■●●●●;十二音:中中中中衰○帥骨。十聲:老冷呂■●●●●;五聲:中中中中○○○德。鹿犖離■●●●●;中中中中龜水貴北。

「收音清和律一之十二」は本篇の和図の末の一図で、第十二音第一等「■卓中■」の收位「中」を取って和字とし、「中中中中」と書き、順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和す。左欄は依然として「去声辟唱呂一之十」に属し、唱位は空しく「●●●●」とし、配する音行は第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」である。「中」は第十二音第一等「■卓中■」から出て、開位に音がなく、卓は発・中は收で、閉位にも音がない。第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」は舌上の類に属し、收位に中・直・丑・呈を得る。これは十二音の最も末の類で、本図はその第一等の「中」を取って和とする。

走哉足■●●●●;中中中中宮孔眾○。八音:自在匠■●●●●;十二音:中中中中龍甬用○。十聲:草采七■●●●●;六聲:中中中中魚鼠去○。曹才全■●●●●;中中中中烏虎兔○。思三星■●●●●;中中中中心審禁○。九音:寺□象■●●●●;十二音:中中中中○○○十。十聲:□□□■●●●●;七聲:中中中中男坎欠○。□□□■●●●●;中中中中○○○妾。■山手■●●●●;中中中中●●●●。十音:■士石■●●●●;十二音:中中中中●●●●。十聲:■□耳■●●●●;八聲:中中中中●●●●。■□二■●●●●;中中中中●●●●。■莊震■●●●●;中中中中●●●●。十一音:■乍□■●●●●;十二音:中中中中●●●●。十聲:■叉赤■●●●●;九聲:中中中中●●●●。■崇辰■●●●●;中中中中●●●●。■卓中■●●●●;中中中中●●●●。十二音:■宅直■●●●●;十二音:中中中中●●●●。十聲:■拆丑■●●●●;十聲:中中中中●●●●。■茶呈■●●●●;中中中中●●●●。

左欄は最後の二十行を並べ終える。第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、唱位は皆「●●●●」であり、「去声辟唱呂一之十」は終わり、星日声去之一辟の十図はここに全備した。右欄は「中中中中」で第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、この下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行とも「●●●●」で、「收音清和律一之十二」もまた終わり、土水音收之一清の十二図が同時に告げ成した。ここに至って『観物篇』第四十三に属する唱和の二組、合わせて二十二図が一つ残らず排定された。十二の和図はそれぞれ一音の收位をもって十声を遍く和し、図ごとに和しうる声は一百一十二、十二図で合わせて一千三百四十四。十の唱図はそれぞれ一声の去位をもって十二音を遍く唱え、唱えうるものは七図、図ごとに一百五十二音で合わせて一千六十四。両組の数は一つは地・一つは天で、相待って成る。『観物篇』第四十三の推衍はここに完備する。『観物篇』の声音の諸篇は、平上去入の四調に各々辟翕の四等を配して、合わせて十六組を成す。本巻に載するのは去声に属し、四等のうちすでにその一を排した。下篇はまさに去之二翕を推し、さらにその下は去之三辟・去之四翕で、四等すでに周り、然る後に入声に転入する。読者がこの次第に循えば、衆多の同名の図の中で迷失しないで済む。

観物篇四十四

觀物篇四十四。星月聲去翕;土火音收濁。化況半報帥;近雄王□備弟。用○●●●;年匠象石□直。星月聲七,下唱地之;土火音十二,上和天。用音一百五十二,是;之用聲一百一十二,謂去聲翕音。去聲翕;是謂收音濁聲。收音。音一千六十四。濁聲一千三百四十四。星月聲去之二翕;土火音收之二濁。

『観物篇』第四十四。この下に改めて一組の唱和図を立て、綱目を左右の両欄に分列するが、底本はすでに両欄を同一行に圧してあるので、元に還して読まなければならない。左欄が説くのは星月声去翕である。日月星辰をもって声に配し、「星」は去声を主とし、四等のうち「月」は第二等に当たり、第二等は「翕」すなわち合口に属する。それが用いる七つの唱字は「化、况、半、报、帅、用、○」で、第八・第九・第十の三声の「●●●」を加え、正対するのは正声十図第二等の去声位である——第一声「禾火化八」は「化」を得、第二声「光广况○」は「况」を得、第三声「元犬半○」は「半」を得、第四声「毛宝报霍」は「报」を得、第五声「衰○帅骨」は「帅」を得、第六声「龙甬用○」は「用」を得、第七声「○○○十」の去位は字がないので「○」とする。下文は星月声七、下に地の用音一百五十二を唱える、これを去声翕音と謂い、去声翕音一千六十四、すなわち七つの声ある位がそれぞれ一百五十二音を唱え、七に一百五十二を乗じて一千零六十四を得る。右欄が説くのは土火音收之二濁である。水火土石をもって音に配し、「土」は收位を主とし、「火」は第二等に当たり、第二等は「濁」に属する。用いる十二の和字は「近、雄、王、□、备、弟、年、匠、象、石、□、直」で、すなわち十二音第二等の收位であり、「王」は本来「壬」とすべきで、第四音と第十一音はこの位に字がないので「□」と書く。下文は土火音十二、上に天の用声一百一十二を和す、これを收音濁声と謂い、收音濁声一千三百四十四、すなわち十二音がそれぞれ一百一十二声を和し、十二に一百一十二を乗じて一千三百四十四を得る。邵雍は声を平上去入に分け、また毎類のうちで四等に分け、一・三を辟・二・四を翕とし、音を開発收閉に分け、また毎類のうちで四等に分け、一・三を清・二・四を濁とする。第四十三篇の推したのは声の第一等と音の第一等で、この篇は転じて声の第二等と音の第二等を推す。篇次は相承えて位次は递進し、その法は一つである。

去声翕唱呂二之一・收音濁和律二之一

去聲翕唱呂二之一;收音濁和律二之一。古甲九癸化化化化;近近近近多可個舌。一音:□□近揆化化化化;一音:近近近近禾火化八。一聲:坤巧丘棄化化化化;一聲:近近近近開宰愛○。□□乾蚪化化化化;近近近近回每退○。黑花香血化化化化;近近近近良兩向○。二音:黃華雄賢化化化化;一音:近近近近光廣況○。一聲:五瓦仰□化化化化;二聲:近近近近丁井亙○。吾牙月堯化化化化;近近近近兄永瑩○。安亞乙一化化化化;近近近近千典旦○。三音:□爻壬寅化化化化;一音:近近近近元犬半○。一聲:母馬美米化化化化;三聲:近近近近臣引艮○。目貌眉民化化化化;近近近近君允巽○。夫法□飛化化化化;近近近近刀早孝嶽。四音:父凡□吠化化化化;一音:近近近近毛寶報霍。一聲:武晚□尾化化化化;四聲:近近近近牛斗奏六。

両図が同時に頭を起こす。「去声翕唱呂二之一」は第一声第二等「禾火化八」の去声位「化」をもって唱字とし、およそ「化化化化」と書く。「收音濁和律二之一」は第一音第二等「□□近揆」の收位「近」をもって和字とし、およそ「近近近近」と書く。左欄に列ねた音行は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、および第四音の前三等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾」である。右欄の和する声行は第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、および第四声の前三等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六」である。前の組の唱字は声の第一等すなわち辟位を取り、この組は第二等すなわち翕位を取る。和字は前の組が音の第一等すなわち清位を取り、この組は第二等すなわち濁位を取る。体例は全く同じくして位次は递進する。「化」は第一声第二等「禾火化八」のうちにあり、禾は平・火は上・化は去・八は入で、四位ともに字がある。「近」は第一音第二等「□□近揆」のうちにあり、開・発の二位に字がないので「□」とし、近は收・揆は閉である。一つは天声の翕に属し、一つは地音の濁に属し、翕と濁とが相い値うのは、まさに本篇が図を立てる本意である。

文萬□未化化化化;近近近近○○○玉。卜百丙必化化化化;近近近近妻子四日。五音:步白備鼻化化化化;一音:近近近近衰○帥骨。一聲:普撲品匹化化化化;五聲:近近近近○○○德。旁排平瓶化化化化;近近近近龜水貴北。東丹帝■化化化化;近近近近宮孔眾○。六音:兌大弟■化化化化;一音:近近近近龍甬用○。一聲:土貪天■化化化化;六聲:近近近近魚鼠去○。同覃田■化化化化;近近近近烏虎兔○。乃你女■化化化化;近近近近心審禁○。七音:內南年■化化化化;一音:近近近近○○○十。一聲:老冷呂■化化化化;七聲:近近近近男坎欠○。鹿犖離■化化化化;近近近近○○○妾。走哉足■化化化化;近近近近●●●●。八音:自在匠■化化化化;一音:近近近近●●●●。一聲:草采七■化化化化;八聲:近近近近●●●●。曹才全■化化化化;近近近近●●●●。思三星■化化化化;近近近近●●●●。

左欄は「化化化化」で続けて第四音第四等「文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、および第九音第一等「思三星■」を唱える。右欄は「近近近近」で続けて第四声第四等「○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」、第八声の四行の「●●●●」、および第九声第一等の「●●●●」と和す。「近」は牙音の濁で、これをもって十声を遍く和し、和しうるものは二十八位、和しえぬものは十二位。唱図は第一音から順次に下り、四行ごとに転じ、第十二音に転じて周る。和図は第一声から順次に下り、四行ごとに転じ、第十声に転じて周る。読者はただ音は十二をもって周とし、声は十をもって周とすることを記えれば、いずれの一行においてもその本図中の位次を推し知ることができ、行を逐うて数えるに及ばない。いわゆる唱とは、一声をもって主として諸音を遍歴することであり、いわゆる和とは、一音をもって主として諸声を遍歴することである。主とする者は一で従う者は衆多だから、毎図は必ず一字を四出して首に居らせあるいは末に居らせ、その余の四十八行あるいは四十行は皆それに摂せられる。これは楽律が一均をもって七声を領し、一律をもって十二管を領するのと、意を取ることがまさに同じである。

九音:寺□象■化化化化;一音:近近近近●●●●。一聲:□□□■化化化化;九聲:近近近近●●●●。□□□■化化化化;近近近近●●●●。■山手■化化化化;近近近近●●●●。十音:■士石■化化化化;一音:近近近近●●●●。一聲:■□耳■化化化化;十聲:近近近近●●●●。■□二■化化化化;近近近近●●●●。

左欄は「化化化化」で第九音の第二等「寺□象■」・第三等「□□□■」・第四等「□□□■」、および第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。第九音の三・四の両等は挙げうる字が一つもなく、ただ三つの「□」をもって開・発・收の三位が音あって字なきことを標出し、末位の「■」は併せて音もない。右欄は「近近近近」で第九声の第二・三・四等と第十声の四等と和し、合わせて七行とも「●●●●」で、「收音濁和律二之一」の四十行はここで完足する。第九音の第三・第四の両等は「□□□■」とし、三つの空框に一つの黒塊を加え、全表のうち最も空しい二行である。空框はこの三位に音は弁ぜられども挙ぐべき字がないことを表明し、黒塊は閉位にもともと音を成さないことを表明する。両符が一行に併列するのは、ちょうど音あって字なしと併せて音もなしとの分別を分明に標するのに当たる。

收音濁和律二之二

收音濁和律二之二。■莊震■化化化化;雄雄雄雄多可個舌。十一音:■乍□■化化化化;二音:雄雄雄雄禾火化八。一聲:■叉赤■化化化化;一聲:雄雄雄雄開宰愛○。■崇辰■化化化化;雄雄雄雄回每退○。■卓中■化化化化;雄雄雄雄良兩向○。十二音:■宅直■化化化化;二音:雄雄雄雄光廣況○。一聲:■拆丑■化化化化;二聲:雄雄雄雄丁井亙○。■茶呈■化化化化;雄雄雄雄兄永瑩○。

左欄は「化化化化」で第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、「去声翕唱呂二之一」の四十八行を唱え終わる。右欄は改めて「收音濁和律二之二」を立て、第二音第二等「黄华雄贤」の收位「雄」を取って和字とし、「雄雄雄雄」と書き、まず第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。第十一音は正歯の類に属し、第十二音は舌上の類に属し、両音の四行は首位がことごとく「■」、末位もまた「■」で、挙げうる字は中間の二位にだけある。故にこの二音の收位は「震、□、赤、辰」と「中、直、丑、呈」を得るのみである。「雄」は第二音第二等「黄华雄贤」のうちにあり、黄は開・華は発・雄は收・賢は閉で、四位ともに字があり、十二音のうち比較的完足した一行である。第二音は大抵喉音に属し、故にその字は黑・花・香・血・黄・华・雄・贤のごとく、皆喉の間から発する。

去声翕唱呂二之二

去聲翕唱呂二之二。古甲九癸況況況況;雄雄雄雄千典旦○。一音:□□近揆況況況況;二音:雄雄雄雄元犬半○。二聲:坤巧丘棄況況況況;三聲:雄雄雄雄臣引艮○。□□乾蚪況況況況;雄雄雄雄君允巽○。黑花香血況況況況;雄雄雄雄刀早孝嶽。二音:黃華雄賢況況況況;二音:雄雄雄雄毛寶報霍。二聲:五瓦仰■況況況況;四聲:雄雄雄雄牛斗奏六。吾牙月堯況況況況;雄雄雄雄○○○玉。安亞乙一況況況況;雄雄雄雄妻子四日。三音:□爻壬寅況況況況;二音:雄雄雄雄衰○帥骨。二聲:母馬美米況況況況;五聲:雄雄雄雄○○○德。目貌眉民況況況況;雄雄雄雄龜水貴北。夫法□飛況況況況;雄雄雄雄宮孔眾○。四音:父凡□吠況況況況;二音:雄雄雄雄龍甬用○。二聲:武晚□尾況況況況;六聲:雄雄雄雄魚鼠去○。文萬□未況況況況;雄雄雄雄烏虎兔○。

「去声翕唱呂二之二」は第二声第二等「光广况○」の去声位「况」をもって唱字とし、各行とも「况况况况」と書き、まず第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰■、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を唱える。第二音の第三等はここでは末位を「■」とし、他の図は皆「五瓦仰□」とするので、「□」に従うべきである。右欄は「雄雄雄雄」で続けて第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。「况」は第二声第二等「光广况○」のうちにあり、光は平・広は上・况は去で、入声位に字がない。第二声の四等は「良两向○」「光广况○」「丁井亘○」「兄永莹○」とし、四行の入声位は全て空圈で、この類は平上去あって入なきことがうかがえる。

卜百丙必況況況況;雄雄雄雄心審禁○。五音:步白備鼻況況況況;二音:雄雄雄雄○○○十。二聲:普撲品匹況況況況;七聲:雄雄雄雄男坎欠○。旁排平瓶況況況況;雄雄雄雄○○○妾。東丹帝■況況況況;雄雄雄雄●●●●。六音:兌大弟■況況況況;二音:雄雄雄雄●●●●。二聲:土貪天■況況況況;八聲:雄雄雄雄●●●●。同覃田■況況況況;雄雄雄雄●●●●。乃你女■況況況況;雄雄雄雄●●●●。七音:內南年■況況況況;二音:雄雄雄雄●●●●。二聲:老冷呂■況況況況;九聲:雄雄雄雄●●●●。鹿犖離■況況況況;雄雄雄雄●●●●。走哉足■況況況況;雄雄雄雄●●●●。八音:自在匠■況況況況;二音:雄雄雄雄●●●●。二聲:草采七■況況況況;十聲:雄雄雄雄●●●●。曹才全■況況況況;雄雄雄雄●●●●。

左欄は「况况况况」で第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。右欄は「雄雄雄雄」で第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行とも「●●●●」で、「收音濁和律二之二」の一図は完足する。「况」は合口の去声で、「雄」は喉音の濁で、一唱一和は分かれて天地を主とする。声は上から下へ唱え、音は下から上へ和す。故に左図は唱呂と称し、右図は和律と称す。一唱一和の間に、天地の数は交午して生ずる。声は天なので、その符は円を用いる——位はあって字なきを「○」とし、併せて位もなきを「●」とする。音は地なので、その符は方を用いる——位はあって字なきを「□」とし、併せて位もなきを「■」とする。円方の別は随意に加えたものではなく、人をして一望して知らしめんとする、孰れが天声か孰れが地音かを。唱は左にあり和は右にあるのも、また自ずからその序がある。左は陽・天なので声を列ね、右は陰・地なので音を列ねる。天は先に動き地は後に応ずる。だから読むときは先ず左して後に右すべきである。底本は両欄に刻し、横行に転じた後は左右が相併するが、その先後の序はなお乱すべからずである。

收音濁和律二之三

收音濁和律二之三。思三星■況況況況;王王王王多可個舌。九音:寺□象■況況況況;三音:王王王王禾火化八。二聲:□□□■況況況況;一聲:王王王王開宰愛○。□□□■況況況況;王王王王回每退○。■山手■況況況況;王王王王良兩向○。十音:■士石■況況況況;三音:王王王王光廣況○。二聲:■□耳■況況況況;二聲:王王王王丁井亙○。■□二■況況況況;王王王王兄永瑩○。■莊震■況況況況;王王王王千典旦○。十一音:■乍□■況況況況;三音:王王王王元犬半○。二聲:■叉赤■況況況況;三聲:王王王王臣永艮○。■崇辰■況況況況;王王王王君允巽○。■卓中■況況況況;王王王王刀早孝嶽。十二音:■宅直■況況況況;三音:王王王王毛寶報霍。二聲:■拆丑■況況況況;四聲:王王王王牛斗奏六。■茶呈■況況況況;王王王王○○○玉。

左欄は「去声翕唱呂二之二」の末の十六行を並べ終える。第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、皆「况况况况」を綴る。右欄は新たに「收音濁和律二之三」を立て、第三音第二等の收位を取って和字とする。その位は他の箇所では「壬」とするが、この表は「王」と書き、四行とも「王王王王」とする。形が近くて相い乱れたが実は一字である。和するのは第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」である。第三声の第三等はここから以下、屡々「臣永艮」と書くが、正字は「臣引艮」とすべきである。底本のこの表の和字が他篇と互いに異なるのは、『皇極経世』の声音図が転転と伝写模写された所致である。およそこの類の形近の誤り、壬と王、引と永、花と華、晚と万の属は、本編は一概に全文源に依って照写し、ただ訳文のうちに正字を標明し、原貌と正読とを両方存せしめる。

去声翕唱呂二之三

去聲翕唱呂二之三。古甲九癸半半半半;王王王王妻子四日。一音:□□近揆半半半半;三音:王王王王衰○帥骨。三聲:坤巧丘棄半半半半;五聲:王王王王○○○德。□□乾蚪半半半半;王王王王龜水貴北。黑花香血半半半半;王王王王宮孔眾○。二音:黃華雄賢半半半半;三音:王王王王龍甬用○。三聲:五瓦仰■半半半半;六聲:王王王王魚鼠去○。吾牙月堯半半半半;王王王王烏虎兔○。安亞乙一半半半半;王王王王心審禁○。三音:□爻壬寅半半半半;三音:王王王王○○○十。三聲:母馬美米半半半半;七聲:王王王王男坎欠○。目貌眉民半半半半;王王王王○○○妾。夫法□飛半半半半;王王王王●●●●。四音:父凡□吠半半半半;三音:王王王王●●●●。三聲:武晚□尾半半半半;八聲:王王王王●●●●。文萬□未半半半半;王王王王●●●●。卜百丙必半半半半;王王王王●●●●。

「去声翕唱呂二之三」は第三声第二等「元犬半○」の去声位「半」をもって唱字とし、行行とも「半半半半」と書く。この段は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰■、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、および第五音第一等「卜百丙必」を唱える。右欄は「王王王王」で続けて第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声の四行と第九声の第一等は皆「●●●●」とする。「半」は第三声第二等「元犬半○」のうちにあり、元は平・犬は上・半は去で、入声位に字がない。第三声の四等は「千典旦○」「元犬半○」「臣引艮○」「君允巽○」とし、四行とも入声は空で、第二声と同じ例である。その去声位は旦・半・艮・巽の四字を得て、本篇は第二等の「半」を取る。第三声の四等の去声位は旦・半・艮・巽の四字を得、そのうち旦と艮は辟に属し、半と巽は翕に属する。第一組は旦と艮を用い、第二組は半と巽を用いる。これをもって推せば、およそ一声の四等は、組ごとにその二を分かち用い、両組を経て後に周尽する。これが数篇が相承えて相い重ならない道理である。

五音:步白備鼻半半半半;三音:王王王王●●●●。三聲:普撲品匹半半半半;九聲:王王王王●●●●。旁排平瓶半半半半;王王王王●●●●。東丹帝■半半半半;王王王王●●●●。六音:兌大弟■半半半半;三音:王王王王●●●●。三聲:土貪天■半半半半;十聲:王王王王●●●●。同覃田■半半半半;王王王王●●●●。

左欄は「半半半半」で続けて第五音の第二等「步白备鼻」・第三等「普扑品匹」・第四等「旁排平瓶」、および第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄は「王王王王」で第九声の第二・三・四等と第十声の四等と和し、七行はことごとく「●●●●」で、「收音濁和律二之三」の四十行は終わる。およそ和図は必ず四十行、唱図は必ず四十八行で、行数の斉しくならない所以は、声が十で音が十二、それぞれ四等を具える故である。両表は一版に並列するので、進度は自然に参差する。唱図は四十八行、和図は四十行で、相い差は八行。図を経るごとに両欄の起点は八行ずつ錯開し、五図の後には四十行に錯満し、ちょうど和図の一整図に当たり、そこで両欄はまた同時に頭を換える。本篇の図を換える箇所の或いは各別・或いは並列なる所以の縁故は、全てこの八行の差にある。

收音濁和律二之四

收音濁和律二之四。乃你女■半半半半;□□□□多可個舌。七音:內南年■半半半半;四音:□□□□禾火化八。三聲:老冷呂■半半半半;一聲:□□□□開宰愛○。鹿犖離■半半半半;□□□□回每退○。走哉足■半半半半;□□□□良兩向○。八音:自在匠■半半半半;四音:□□□□光廣況○。三聲:草采七■半半半半;二聲:□□□□丁井亙○。曹才全■半半半半;□□□□兄永瑩○。思三星■半半半半;□□□□千典旦○。九音:寺□象■半半半半;四音:□□□□元犬半○。三聲:□□□■半半半半;三聲:□□□□臣永艮○。□□□■半半半半;□□□□君允巽○。■山手■半半半半;□□□□刀早孝嶽。十音:■士石■半半半半;四音:□□□□毛寶報霍。三聲:■□耳■半半半半;四聲:□□□□牛斗奏六。■□二■半半半半;□□□□○○○玉。■莊震■半半半半;□□□□妻子四日。十一音:■乍□■半半半半;四音:□□□□衰○帥骨。三聲:■叉赤■半半半半;五聲:□□□□○○○德。■崇辰■半半半半;□□□□龜水貴北。■卓中■半半半半;□□□□宮孔眾○。十二音:■宅直■半半半半;四音:□□□□龍甬用○。三聲:■拆丑■半半半半;六聲:□□□□魚鼠去○。

「收音濁和律二之四」は第四音第二等「父凡□吠」の收位を取って和字とする。この位は音はあって字がないので、行首は一律に「□□□□」と書く。和するのは順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、および第六声の前三等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○」である。左欄は「去声翕唱呂二之三」を承け、「半半半半」で第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、および第十二音の前三等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■」を唱える。十二音のうち、第四音と第十一音の收位は挙げるべき字がないので、およそこの二位をもって和字とする図は、行首が皆四つの空框を書く。空框は字はなくとも、一音の位たることは字あるものと異ならない。故にこの図はなお十二図の一に居り、その和する声もなお一百一十二で、字がないをもって減じない。およそ空框をもって和字とする図は合わせて二つある。一つは第四音の收、一つは第十一音の收である。この二位は音はあって字がなく、邵雍はすでに他字を借りて数に充てるを肯んぜず、また併せてその図を省くを肯んぜず、遂に四框をもってこれを標す。空框と黒塊の分別は全表の符号の關鍵である。框は位存して字亡きもの、塊は併せて位もなきもの。前者はなお用数に入り、後者は須く一百九十二位の中から減ぜねばならず、正音の用数一百五十二はこのように算えられて出るのである。

去声翕唱呂二之四

■茶呈■半半半半;□□□□烏虎兔○。去聲翕唱呂二之四。古甲九癸報報報報;□□□□心審禁○。一音:□□近揆報報報報;四音:□□□□○○○十。四聲:坤巧丘棄報報報報;七聲:□□□□男坎欠○。□□乾蚪報報報報;□□□□○○○妾。黑花香血報報報報;□□□□●●●●。二音:黃華雄賢報報報報;四音:□□□□●●●●。四聲:五瓦仰□報報報報;八聲:□□□□●●●●。吾牙月堯報報報報;□□□□●●●●。安亞乙一報報報報;□□□□●●●●。三音:□爻壬寅報報報報;四音:□□□□●●●●。四聲:母馬美米報報報報;九聲:□□□□●●●●。目貌眉民報報報報;□□□□●●●●。夫法□飛報報報報;□□□□●●●●。四音:父凡□吠報報報報;四音:□□□□●●●●。四聲:武晚□尾報報報報;十聲:□□□□●●●●。文萬□未報報報報;□□□□●●●●。

首行の左半の「■茶呈■」は第十二音の第四等で、「半半半半」を綴って「去声翕唱呂二之三」は唱え終わる。右半は「□□□□」で第六声第四等「乌虎兔○」と和す。続いて「去声翕唱呂二之四」が改めて立ち、第四声第二等「毛宝报霍」の去声位「报」を取って唱字とし、「报报报报」と書き、第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を唱える。右欄は「□□□□」で第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、この下の十二行は皆「●●●●」で、「收音濁和律二之四」の一図はすでに終わる。「报」は第四声第二等「毛宝报霍」のうちにあり、毛は平・宝は上・报は去・霍は入で、四位ともに具わる。第四声の四等は「刀早孝岳」「毛宝报霍」「牛斗奏六」「○○○玉」とし、入声位に岳・霍・六・玉を得、これは十声のうち入声が最も完備した類である。第四声の入声位は岳・霍・六・玉の四字ともに全く、十声のうち入声が最も完なる類である。而して第一声はただ舌・八の二字を得るのみ、第二・第三声は全く入声なし。この種の参差は抄写の疏略ではなく、邵雍が当時の実際の語音に拠って定めたもので、故に各図の空圈の分布は彼此互いに見え、前後をもって印証できる。

收音濁和律二之五

收音濁和律二之五。卜百丙必報報報報;備備備備多可個舌。五音:步白備鼻報報報報;五音:備備備備禾火化八。四聲:普撲品匹報報報報;一聲:備備備備開宰愛○。旁排平瓶報報報報;備備備備回每退○。東丹帝■報報報報;備備備備良兩向○。六音:兌大弟■報報報報;五音:備備備備光廣況○。四聲:土貪天■報報報報;二聲:備備備備丁井亙○。同覃田■報報報報;備備備備兄永瑩○。乃你女■報報報報;備備備備千典旦○。七音:內南年■報報報報;五音:備備備備元犬半○。四聲:老冷呂■報報報報;三聲:備備備備臣永艮○。鹿犖離■報報報報;備備備備君允巽○。走哉足■報報報報;備備備備刀早孝嶽。八音:自在匠■報報報報;五音:備備備備毛寶報霍。四聲:草采七■報報報報;四聲:備備備備牛斗奏六。曹才全■報報報報;備備備備○○○玉。

「收音濁和律二之五」は第五音第二等「步白备鼻」の收位「备」を取って和字とし、「备备备备」と書き、第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。左欄は「去声翕唱呂二之四」を承け、「报报报报」で第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。「备」は重唇の濁に属し、「报」は唇歯相合の去声に属し、一つは地音・一つは天声で、ちょうど一唱一和を成す。「备」は第五音第二等「步白备鼻」のうちにあり、歩は開・白は発・备は收・鼻は閉で、四位ともに字がある。第五音の四行「卜百丙必」「步白备鼻」「普扑品匹」「旁排平瓶」は重唇の類に属し、一・三は清・二・四は濁で、收位に丙・备・品・平の四字を得る。

思三星■報報報報;備備備備妻子四日。九音:寺□象■報報報報;五音:備備備備衰○帥骨。四聲:□□□■報報報報;五聲:備備備備○○○德。□□□■報報報報;備備備備龜水貴北。■山手■報報報報;備備備備宮孔眾○。十音:■士石■報報報報;五音:備備備備龍甬用○。四聲:■□耳■報報報報;六聲:備備備備魚鼠去○。■□二■報報報報;備備備備烏虎兔○。■莊震■報報報報;備備備備心審禁○。十一音:■乍□■報報報報;五音:備備備備○○○十。四聲:■叉赤■報報報報;七聲:備備備備男坎欠○。■崇辰■報報報報;備備備備○○○妾。■卓中■報報報報;備備備備●●●●。十二音:■宅直■報報報報;五音:備備備備●●●●。四聲:■拆丑■報報報報;八聲:備備備備●●●●。■茶呈■報報報報;備備備備●●●●。

左欄は「报报报报」で第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、「去声翕唱呂二之四」の四十八行を唱え遍くす。右欄は「备备备备」で続けて第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、再び第八声の四行の「●●●●」に入る。一つの唱図が並べ終われば、すなわち一声の一位が十二音の四十八行を遍く唱えたことになる。そのうち「■」の四十位は用に入らず、実に相唱えるものは一百五十二位。第二組の唱図は合わせて十で、唱えうるものは依然として七図だから、去声翕音の数は去声辟音と同じく一千六十四であり、異なるのはただ等位が辟から翕に改まっただけである。一つの唱図が並べ終われば、次の図は改めて唱字を換えて四十八行の音を重ねて列ねる。音行の次第と用字は一字も改まらず、改まるのはただ唱位の一字のみ。十図のうち、唱位は七字三空を共用し、和図十二は、和位に十字二空を共用する。字は有限なれど、位位が相乗し、その数は遂に千百に至る。これが邵雍のいう以少御多である。

去声翕唱呂二之五

去聲翕唱呂二之五。古甲九癸帥帥帥帥;備備備備●●●●。一音:□□近揆帥帥帥帥;五音:備備備備●●●●。五聲:坤巧丘棄帥帥帥帥;九聲:備備備備●●●●。□□乾蚪帥帥帥帥;備備備備●●●●。黑花香血帥帥帥帥;備備備備●●●●。二音:黃華雄賢帥帥帥帥;五音:備備備備●●●●。五聲:五瓦仰□帥帥帥帥;十聲:備備備備●●●●。吾牙月堯帥帥帥帥;備備備備●●●●。

「去声翕唱呂二之五」は第五声第二等「衰○帅骨」の去声位「帅」を取って唱字とし、「帅帅帅帅」と書き、まず第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」を唱える。「衰○帅骨」の一行は上声位が空阙して「○」とするが、去声位は依然として「帅」の字を得る。故にこの図はなお唱うべき字がある。右欄は「备备备备」で第九声・第十声の合わせて八行と和し、ことごとく「●●●●」で、「收音濁和律二之五」の四十行は終わる。「帅」は第五声第二等「衰○帅骨」のうちにあり、衰は平、上声位に字がなく、帅は去・骨は入である。一行のうち一位が圈を作るのは、まさに声に位はあって字は必ず備わらないことを見せる。本図は第二組唱図の第五図で、その上はすでに化・况・半・报の四字を経、その下にはなお「用」と一つの空位、および三つの純黒の図がある。

收音濁和律二之六

收音濁和律二之六。安亞乙一帥帥帥帥;弟弟弟弟多可個舌。三音:□爻王寅帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟禾火化八。五聲:母馬美米帥帥帥帥;一聲:弟弟弟弟開宰愛○。目貌眉民帥帥帥帥;弟弟弟弟回每退○。夫法□飛帥帥帥帥;弟弟弟弟良兩向○。四音:父凡□吠帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟光廣況○。五聲:武晚□尾帥帥帥帥;二聲:弟弟弟弟丁井亙○。文萬□未帥帥帥帥;弟弟弟弟兄永瑩○。卜百丙必帥帥帥帥;弟弟弟弟千典旦□。五音:步白備鼻帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟元犬半○。五聲:普撲品匹帥帥帥帥;三聲:弟弟弟弟臣永艮○。旁排平瓶帥帥帥帥;弟弟弟弟君允巽○。東丹帝■帥帥帥帥;弟弟弟弟刀早孝嶽。六音:兌大弟■帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟毛寶報霍。五聲:土貪天■帥帥帥帥;四聲:弟弟弟弟牛斗奏六。

「收音濁和律二之六」は第六音第二等「兑大弟■」の收位「弟」を取って和字とし、「弟弟弟弟」と書き、第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦□、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、および第四声の前三等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六」と和す。第三声の第一等の末位は他の箇所では皆「千典旦○」とするが、ここでは誤って「□」と書く。左欄は「去声翕唱呂二之五」を承け、「帅帅帅帅」で第三音四等「安亚乙一、□爻王寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、および第六音の前三等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■」を唱える。第三音の第二等はここでは「□爻王寅」とし、他では「□爻壬寅」とする。「王」「壬」は相通ずる。「弟」は第六音第二等「兑大弟■」のうちにあり、兑は開・大は発・弟は收で、閉位に音がないので「■」とする。第六音の四行「东丹帝■」「兑大弟■」「土贪天■」「同覃田■」は舌頭の類に属し、收位に帝・弟・天・田を得、本図はその第二等の「弟」を取る。

同覃田■帥帥帥帥;弟弟弟弟○○○玉。乃你女■帥帥帥帥;弟弟弟弟妻子四日。七音:內南年■帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟衰○帥骨。五聲:老冷呂■帥帥帥帥;五聲:弟弟弟弟○○○德。鹿犖離■帥帥帥帥;弟弟弟弟龜水貴北。走哉足■帥帥帥帥;弟弟弟弟宮孔眾○。八音:自在匠■帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟龍甬用○。五聲:草采七■帥帥帥帥;六聲:弟弟弟弟魚鼠去○。曹才全■帥帥帥帥;弟弟弟弟烏虎兔○。思三星■帥帥帥帥;弟弟弟弟心審禁○。九音:寺□象■帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟○○○十。五聲:□□□■帥帥帥帥;七聲:弟弟弟弟男坎欠○。□□□■帥帥帥帥;弟弟弟弟○○○妾。■山手■帥帥帥帥;弟弟弟弟●●●●。十音:■士石■帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟●●●●。五聲:■□耳■帥帥帥帥;八聲:弟弟弟弟●●●●。■□二■帥帥帥帥;弟弟弟弟●●●●。■莊震■帥帥帥帥;弟弟弟弟●●●●。十一音:■乍□■帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟●●●●。

左欄は「帅帅帅帅」で続けて第六音第四等「同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、および第十一音の第一等「■庄震■」・第二等「■乍□■」を唱える。右欄は「弟弟弟弟」で続けて第四声第四等「○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声の四行および第九声の前の二行は皆「●●●●」とする。和図はおよそ四十行で、前の二十八行は第一声から第七声に属し、なお和すべき字があり、後の十二行は第八・第九・第十の合わせて三声に属し、位はあって声がないので、一概に黒点とする。毎図皆このようで、読者は篇を連ねる黒点を見れば、この図がすでに後段に入り、その下は数行に過ぎずまさに図を換えることを知る。和図の後の十二行は尽く黒点ながら、省いてはならない。黒点の標するのは第八・第九・第十の三声の四十八個の位で、まさにそれらを標出するからこそ、一百六十位から四十八位を減じて一百一十二の用声の数を得ることが根拠を持つのである。前段の二十八行は実、後段の十二行は虚で、虚実が並列して後に数が明らかになる。これは邵雍が表を立てる一貫の手法で、読者はその字がないことによってこれを忽にしてはならない。

去声翕唱呂二之六・收音濁和律二之七

五聲:■叉赤■帥帥帥帥;九聲:弟弟弟弟●●●●。■崇辰■帥帥帥帥;弟弟弟弟●●●●。■卓中■帥帥帥帥;弟弟弟弟●●●●。十二音:■宅直■帥帥帥帥;六音:弟弟弟弟●●●●。五聲:■拆丑■帥帥帥帥;十聲:弟弟弟弟●●●●。■茶呈■帥帥帥帥;弟弟弟弟●●●●。去聲翕唱呂二之六;收音濁和律二之七。古甲九癸用用用用;年年年年多可個舌。一音:□□近揆用用用用;七音:年年年年禾火化八。六聲:坤巧丘棄用用用用;一聲:年年年年開宰愛○。□□乾蚪用用用用;年年年年回每退○。黑花香血用用用用;年年年年良兩向○。二音:黃華雄賢用用用用;七音:年年年年光廣況○。六聲:五瓦仰□用用用用;二聲:年年年年丁井亙○。吾牙月堯用用用用;年年年年兄永瑩○。安亞乙一用用用用;年年年年千典旦○。三音:□爻壬寅用用用用;七音:年年年年元犬半○。六聲:母馬美米用用用用;三聲:年年年年臣永艮○。

まず前の一対の図を収束する。左欄の「■叉赤■」「■崇辰■」は第十一音の三・四等、「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」は第十二音の四等で、「帅帅帅帅」を綴って「去声翕唱呂二之五」は終わる。右欄は「弟弟弟弟」で第九声の三・四等および第十声の四等を和し終え、六行とも「●●●●」で、「收音濁和律二之六」もまた終わる。以下の両図は同じく起こる。「去声翕唱呂二之六」は第六声第二等「龙甬用○」の去声位「用」を取って唱とし、「用用用用」と書き、まず第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」および第三音の前三等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米」を唱える。「收音濁和律二之七」は第七音第二等「内南年■」の收位「年」を取って和とし、「年年年年」と書き、まず第一声の四等、第二声の四等および第三声の前三等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○」と和す。「用」は第六声第二等「龙甬用○」のうちにあり、竜は平・甬は上・用は去で、入声位に字がない。「年」は第七音第二等「内南年■」のうちにあり、内は開・南は発・年は收で、閉位に音がない。声はその去を取り、音はその收を取る。両欄はそれぞれ一字をもって主とし、相手方の全表を遍歴する。これが唱和図の通例である。両図が同時に頭を換える箇所は、底本では本来二つの並列した標題とし、横行に転じた後は一行に併せられた。だからこの段の首には「去声翕唱呂二之六」と「收音濁和律二之七」の二つの名目を兼ねて見る。

目貌眉民用用用用;年年年年君允巽○。夫法□飛用用用用;年年年年刀早孝嶽。四音:父凡□吠用用用用;七音:年年年年毛寶報霍。六聲:武晚□尾用用用用;四聲:年年年年牛斗奏六。文萬□未用用用用;年年年年○○○玉。卜百丙必用用用用;年年年年妻子四日。五音:步白備鼻用用用用;七音:年年年年衰○帥骨。六聲:普撲品匹用用用用;五聲:年年年年○○○德。旁排平瓶用用用用;年年年年龜水貴北。東丹帝■用用用用;年年年年宮孔眾○。六音:兌大弟■用用用用;七音:年年年年龍甬用○。六聲:土貪天■用用用用;六聲:年年年年魚鼠去○。同覃田■用用用用;年年年年烏虎兔○。乃你女■用用用用;年年年年心審禁○。七音:內南年■用用用用;七音:年年年年○○○十。六聲:老冷呂■用用用用;七聲:年年年年男坎欠○。

左欄は「用用用用」で続けて第三音第四等「目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、および第七音の前三等「乃你女■、内南年■、老冷吕■」を唱える。右欄は「年年年年」で続けて第三声第四等「君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、および第七声の前三等「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。声図の十類を、もし韻摂に擬すれば、第一声は歌戈と蟹摂の字を兼ね、第二声は宕梗に属し、第三声は山臻に属し、第四声は效流を兼ね、第五声は止蟹に属し、第六声は通遇に属し、第七声は深咸に属する。第八以下の三声はすでに挙げるべき字がなく、自然に指すべき摂もない。音図の第七音は舌上と半舌の字を兼ねて収め、故にその四行は「乃你女■」「内南年■」「老冷吕■」「鹿荦离■」とし、乃・内は泥娘の類、老・鹿は来母の類で、收位に女・年・呂・離の四字を得る。本篇の和字「年」はすなわちその第二等から出たものである。

鹿犖離■用用用用;年年年年○○○妾。走哉足■用用用用;年年年年●●●●。八音:自在匠■用用用用;七音:年年年年●●●●。六聲:草采七■用用用用;八聲:年年年年●●●●。曹才全■用用用用;年年年年●●●●。思三星■用用用用;年年年年●●●●。九音:寺□象■用用用用;七音:年年年年●●●●。六聲:□□□■用用用用;九聲:年年年年●●●●。□□□■用用用用;年年年年●●●●。■山手■用用用用;年年年年●●●●。十音:■士石■用用用用;七音:年年年年●●●●。六聲:■□耳■用用用用;十聲:年年年年●●●●。■□二■用用用用;年年年年●●●●。

左欄は「用用用用」で第七音第四等「鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。右欄は「年年年年」で第七声第四等「○○○妾」と和し、その後の第八・第九・第十の三声は合わせて十二行とも「●●●●」で、「收音濁和律二之七」の四十行は完足する。「年」は舌上の濁に属し、およそ声ある位は二十八、声なき位は十二で、和する数は依然として一百一十二である。一つ一つの和図の和する数は皆一百一十二で、十二図で合わせて一千三百四十四。これが本篇のいう收音濁声の数である。第一組の收音清声・第三組の收音清声も、算法はこれと全く同じで、異なるのはただ取る等にある。一つは清の第一、一つは濁の第二、一つは清の第三である。一組の和図は十二で、これはその七である。下にはなお匠・象・石・□・直の五字の図があり、並べ終わって後この組は終わる。毎図はそれぞれ四十行を占め、十二図で合わせて四百八十行。唱図は毎図四十八行で、十図もまた合わせて四百八十行。両組の総行数はちょうど相等しく、天地の数がここに相当する。

收音濁和律二之八

收音濁和律二之八。■莊震■用用用用;匠匠匠匠多可個舌。十一音:■乍□■用用用用;八音:匠匠匠匠禾火化八。六聲:■叉赤■用用用用;一聲:匠匠匠匠開宰愛○。■崇辰■用用用用;匠匠匠匠回每退○。■卓中■用用用用;匠匠匠匠良兩向○。十二音:■宅直■用用用用;八音:匠匠匠匠光廣況○。六聲:■拆丑■用用用用;二聲:匠匠匠匠丁井亙○。■茶呈■用用用用;匠匠匠匠兄永瑩○。

左欄は「用用用用」で第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、「去声翕唱呂二之六」の四十八行を唱え終わる。右欄は改めて「收音濁和律二之八」を立て、第八音第二等「自在匠■」の收位「匠」を取って和字とし、「匠匠匠匠」と書き、まず第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。歯頭の音の四行は「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」で、一・三は清・二・四は濁であり、「匠」はすなわちその第二等の收位である。「匠」は第八音第二等「自在匠■」のうちにあり、自は開・在は発・匠は收で、閉位に音がない。歯頭の音は第八音から始まり、その字は走・哉・足・自・在・匠・草・采・七・曹・才・全のごとく、皆舌尖が歯に抵って成る。四行の收位は足・匠・七・全を得る。

去声翕唱呂二之七

去聲翕唱呂二之七。古甲九癸○○○○;匠匠匠匠千典旦○。一音:□□近揆○○○○;八音:匠匠匠匠元犬半○。七聲:坤巧丘棄○○○○;三聲:匠匠匠匠臣永艮○。□□乾蚪○○○○;匠匠匠匠君允巽○。黑花香血○○○○;匠匠匠匠刀早孝嶽。二音:黃華雄賢○○○○;八音:匠匠匠匠毛寶報霍。七聲:五瓦仰□○○○○;四聲:匠匠匠匠牛斗奏六。吾牙月堯○○○○;匠匠匠匠○○○玉。安亞乙一○○○○;匠匠匠匠妻子四日。三音:□爻壬寅○○○○;八音:匠匠匠匠衰○帥骨。七聲:母馬美米○○○○;五聲:匠匠匠匠○○○德。目貌眉民○○○○;匠匠匠匠龜水貴北。夫法□飛○○○○;匠匠匠匠宮孔眾○。四音:父凡□吠○○○○;八音:匠匠匠匠龍甬用○。七聲:武晚□尾○○○○;六聲:匠匠匠匠魚鼠去○。文萬□未○○○○;匠匠匠匠烏虎兔○。卜百丙必○○○○;匠匠匠匠心審禁○。五音:步白備鼻○○○○;八音:匠匠匠匠○○○十。七聲:普撲品匹○○○○;七聲:匠匠匠匠男坎欠○。旁排平瓶○○○○;匠匠匠匠○○○妾。東丹帝■○○○○;匠匠匠匠●●●●。

「去声翕唱呂二之七」の主とするところは第七声第二等の去声位である。第七声の第二等は「○○○十」とし、平・上・去の三位ともに字がなくて入声にのみ「十」を得る。去位がすでに空なので、本図の唱位は「○○○○」と書くほかない——これはその声位はあって配すべき字がないのであって、第八声以下の「●」で全くその声がないのとは異なる。左欄に列ねた音行は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、および第六音第一等「东丹帝■」である。右欄は「匠匠匠匠」で第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」、および第八声第一等の「●●●●」と和す。空圈をもって唱字とするのは、全篇のうち比較的特別な一例である。第七声の第二等はすでにその声位はあって去声の字がなく、邵雍は別字をもって数に充てるを肯んぜず、また併せてこの図を省くを肯んぜず、旧に依って一図に列して四圈をもってその位を標す。これはまさに彼の位あれば列ね字なければ空とする通例に合い、第八声以下の純黒の図と判然と別れる。圆圈と黒点の別は、この図で最も真に見える。唱位の四圈は、第七声第二等の去位が声あって字なしであり、同一欄をさらに下に数図数えれば、唱位は四点となる。あれは第八声以下で併せて声もないのである。一圈一点、その間がまさに有と無の界限である。

六音:兌大弟■○○○○;八音:匠匠匠匠●●●●。七聲:土貪天■○○○○;八聲:匠匠匠匠●●●●。同覃田■○○○○;匠匠匠匠●●●●。乃你女■○○○○;匠匠匠匠●●●●。七音:內南年■○○○○;八音:匠匠匠匠●●●●。七聲:老冷呂■○○○○;九聲:匠匠匠匠●●●●。鹿犖離■○○○○;匠匠匠匠●●●●。走哉足■○○○○;匠匠匠匠●●●●。八音:自在匠■○○○○;八音:匠匠匠匠●●●●。七聲:草采七■○○○○;十聲:匠匠匠匠●●●●。曹才全■○○○○;匠匠匠匠●●●●。

左欄の唱位は依然として「○○○○」とし、続けて第六音の第二等「兑大弟■」・第三等「土贪天■」・第四等「同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を列ねる。この三音の第四位は一律に「■」で、舌頭・舌上・歯頭の諸類は閉という位に至ってすでに立つべき音がないからである。右欄は「匠匠匠匠」で第八声の第二・三・四等、第九声の四等と第十声の四等と和し、合わせて十一行はことごとく「●●●●」で、「收音濁和律二之八」の四十行はここで収束する。声図の後の三声が全く空なので、和図の末段はこのため常に黒点が片を成す。邵雍が列ねて删らないのは、まさにその位を存しその数を明らかにするためである。音の四位は開・発・收・閉で、後に往くほど口は愈々合する。開は大いに開き、発は微かに啓き、收は斂んで未だ閉ざさず、閉は全く合する。舌頭・舌上・歯頭の諸類の字は、閉という位に至ってすでに口を措くところがない。だから第六音以下の末位は皆黒塊とするのであって、抄写のとき脱落したのではない。

收音濁和律二之九

收音濁和律二之九。思三星■○○○○;象象象象多可個舌。九音:寺□象■○○○○;九音:象象象象禾火化八。七聲:□□□■○○○○;一聲:象象象象開宰愛○。□□□■○○○○;象象象象回每退○。■山手■○○○○;象象象象良兩向○。十音:■士石■○○○○;九音:象象象象光廣況○。七聲:■□耳■○○○○;二聲:象象象象丁井亙○。■□二■○○○○;象象象象兄永瑩○。■莊震■○○○○;象象象象千典旦○。十一音:■乍□■○○○○;九音:象象象象元犬半○。七聲:■叉赤■○○○○;三聲:象象象象臣永艮○。■崇辰■○○○○;象象象象君允巽○。■卓中■○○○○;象象象象刀早孝嶽。十二音:■宅直■○○○○;九音:象象象象毛寶報霍。七聲:■拆丑■○○○○;四聲:象象象象牛斗奏六。■茶呈■○○○○;象象象象○○○玉。

左欄は「去声翕唱呂二之七」の末の十六行を並べ終える。第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」で、唱位は皆「○○○○」である。右欄は新たに「收音濁和律二之九」を立て、第九音第二等「寺□象■」の收位「象」を取って和字とし、「象象象象」と書き、順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。「象」は第九音第二等「寺□象■」のうちにあり、寺は開、発位に字がないので「□」とし、象は收、閉位に音がないので「■」とする。一行のうち四位にして三様の符号は、ちょうど字あり・音あって字なし・併せて音もなしの三種の情形を併せて見せ、全表のうち最も符号の異同を弁識しやすい一行である。第九音の收位は第一等で「星」、第二等で「象」とし、第三・第四等には挙げるべき字がない。故に十二の和図のうち、およそ第九音を取るものは前の二等だけが字を成しうる。この図はすでに第二組に属し、取るのはまさにその第二等の「象」である。

去声翕唱呂二之八

去聲翕唱呂二之八。古甲九癸●●●●;象象象象妻子四日。一音:□□近揆●●●●;九音:象象象象衰○帥骨。八聲:坤巧丘棄●●●●;五聲:象象象象○○○德。□□乾蚪●●●●;象象象象龜水貴北。黑花香血●●●●;象象象象宮孔眾○。二音:黃華雄賢●●●●;九音:象象象象龍甬用○。八聲:五瓦仰□●●●●;六聲:象象象象魚鼠去○。吾牙月堯●●●●;象象象象烏虎兔○。安亞乙一●●●●;象象象象心審禁○。三音:□爻壬寅●●●●;九音:象象象象○○○十。八聲:母馬美米●●●●;七聲:象象象象男坎欠○。目貌眉民●●●●;象象象象○○○妾。夫法□飛●●●●;象象象象●●●●。四音:父凡□吠●●●●;九音:象象象象●●●●。八聲:武晚□尾●●●●;八聲:象象象象●●●●。文萬□未●●●●;象象象象●●●●。卜百丙必●●●●;象象象象●●●●。五音:步白備鼻●●●●;九音:象象象象●●●●。八聲:普撲品匹●●●●;九聲:象象象象●●●●。旁排平瓶●●●●;象象象象●●●●。東丹帝■●●●●;象象象象●●●●。六音:兌大弟■●●●●;九音:象象象象●●●●。八聲:土貪天■●●●●;十聲:象象象象●●●●。同覃田■●●●●;象象象象●●●●。

「去声翕唱呂二之八」の主とするところは第八声第二等の去声位である。第八声の四等は位はあって声がないので、唱位は一律に「●●●●」と書く。左欄の配する音行は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」である。右欄は「象象象象」で第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の十二行は皆「●●●●」で、「收音濁和律二之九」の一図は完足する。第二組の唱図は第一組と次第が全く同じである。前の七図は分かれて第一声から第七声第二等の去声位を主とし、化・况・半・报・帅・用と一つの空圈を得た。後の三図は第八・第九・第十の合わせて三声を主とし、その声は立たず、唱位は皆黒である。本図はすなわち後の三図の首である。四象をもって言えば、声の四象は日月星辰、音の四象は水火土石である。日声は平、月声は上、星声は去、辰声は入、水音は開、火音は発、土音は收、石音は閉。本巻の推すところはすでに去声と收音なので、篇首は星月声去之二翕と土火音收之二濁と標す——頭の一字「星」は去声を指し、次の一字「月」は第二等を指す。頭の一字「土」は收位を指し、次の一字「火」もまた第二等を指す。これをもって類推すれば、星日は去声の第一等、星星は去声の第三等、星辰は去声の第四等、土水は收音の第一等、土土は收音の第三等、土石は收音の第四等である。名目は繁なれど、その例は甚だ簡である。この一層を識れば、諸篇の標題は一つ残らず読み通すことができる。

收音濁和律二之十

收音濁和律二之十。乃你女■●●●●;石石石石多可個舌。七音:內南年■●●●●;十音:石石石石禾火化八。八聲:老冷呂■●●●●;一聲:石石石石開宰愛○。鹿犖離■●●●●;石石石石回每退○。走哉足■●●●●;石石石石良兩向○。八音:自在匠■●●●●;十音:石石石石光廣況○。八聲:草采七■●●●●;二聲:石石石石丁井亙○。曹才全■●●●●;石石石石兄永瑩○。思三星■●●●●;石石石石千典旦○。九音:寺□象■●●●●;十音:石石石石元犬半○。八聲:□□□■●●●●;三聲:石石石石臣永艮○。□□□■●●●●;石石石石君允巽○。■山手■●●●●;石石石石刀早孝嶽。十音:■士石■●●●●;十音:石石石石毛寶報霍。八聲:■□耳■●●●●;四聲:石石石石牛斗奏六。■□二■●●●●;石石石石○○○玉。■莊震■●●●●;石石石石妻子四日。十一音:■乍□■●●●●;十音:石石石石衰○帥骨。八聲:■叉赤■●●●●;五聲:石石石石○○○德。■崇辰■●●●●;石石石石龜水貴北。■卓中■●●●●;石石石石宮孔眾○。十二音:■宅直■●●●●;十音:石石石石龍甬用○。八聲:■拆丑■●●●●;六聲:石石石石魚鼠去○。

「收音濁和律二之十」は第十音第二等「■士石■」の收位「石」を取って和字とし、「石石石石」と書き、順に第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和し、末は第六声の前三等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○」に及ぶ。左欄は依然として「去声翕唱呂二之八」で、唱位は空しく「●●●●」とし、列ねるのは第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、および第十二音の前三等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■」である。「石」は第十音第二等「■士石■」のうちにあり、開位に音がなく、士は発・石は收で、閉位にも音がない。十音以下の三類の字は皆ただ二位に止まるが、それが一音の類たることは前の九音と別がない。故に各々四行を成し、各々一図を具え、地数の十二はここに欠けない。第十・第十一・第十二の三音は字が最も少なく、毎行は発・收の二位を挙げうるのみで、首尾の二位は皆黒塊である。それでも図のうちでは、それらはなお各々四行を占め、第一音の「古甲九癸」と全く差等がない。これは邵雍が音を分けるに類をもってして字をもってしないからである。類とは位であり、位すでに立てば行数は増減できない。字とは用であり、字に闕あっても位はそれによって廃されない。これを明らかにすれば、全表の大量の黒塊と空框はもはや缺漏ではなく、意図して為した標記であり、字ある行と同様に数の機能を担うのである。

去声翕唱呂二之九

■茶呈■●●●●;石石石石烏虎兔○。去聲翕唱呂二之九。古甲九癸●●●●;石石石石心審禁○。一音:□□近揆●●●●;十音:石石石石○○○十。九聲:坤巧丘棄●●●●;七聲:石石石石男坎欠○。□□乾蚪●●●●;石石石石○○○妾。黑花香血●●●●;石石石石●●●●。二音:黃華雄賢●●●●;十音:石石石石●●●●。九聲:五瓦仰□●●●●;八聲:石石石石●●●●。吾牙月堯●●●●;石石石石●●●●。安亞乙一●●●●;石石石石●●●●。三音:□爻壬寅●●●●;十音:石石石石●●●●。九聲:母馬美米●●●●;九聲:石石石石●●●●。目貌眉民●●●●;石石石石●●●●。夫法□飛●●●●;石石石石●●●●。四音:父凡□吠●●●●;十音:石石石石●●●●。九聲:武晚□尾●●●●;十聲:石石石石●●●●。文萬□未●●●●;石石石石●●●●。

首行の左半の「■茶呈■」は第十二音の第四等で、唱位は依然として空しく、「去声翕唱呂二之八」はここで唱え終わる。右半は「石石石石」で第六声第四等「乌虎兔○」と和す。続き起こる「去声翕唱呂二之九」の主とするところは第九声第二等の去声位で、その声もまたなく、唱位は依りて「●●●●」とし、配する音行は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」である。右欄は「石石石石」で第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の十二行はことごとく「●●●●」で、「收音濁和律二之十」の四十行は終わる。唱図の末の三図は唱うべき字がなくとも、なお行を逐うて四十八音を排出せねばならず、一行も省かない。これは図が図たるは字に在らず位に在るからで、位すでに全く列ねられて後、十声十二音の交午の数が図に按して得られる。もし字がないをもってこれを略すれば、一組は七図だけを残して十声の数と合わない。第九声第一等の空図は第一組に見え、「去声辟唱呂一之九」と題す。ここの第九声第二等の空図は第二組に属し、「去声翕唱呂二之九」と題す。声はすでに発さず、辟と翕はもともと分弁する由もないが、位次は混同を容れない。故になお各々一図に列し、両組を対看すれば、その序は自ずから明らかである。

收音濁和律二之十一

收音濁和律二之十一。卜百丙必●●●●;□□□□多可個舌。五音:步白備鼻●●●●;十一音:□□□□禾火化八。九聲:普撲品匹●●●●;一聲:□□□□開宰愛○。旁排平瓶●●●●;□□□□回每退○。東丹帝■●●●●;□□□□良兩向○。六音:兌大弟■●●●●;十一音:□□□□光廣況○。九聲:土貪天■●●●●;二聲:□□□□丁井亙○。同覃田■●●●●;□□□□兄永瑩○。乃你女■●●●●;□□□□千典旦○。七音:內南年■●●●●;十一音:□□□□元犬半○。九聲:老冷呂■●●●●;三聲:□□□□臣永艮○。鹿犖離■●●●●;□□□□君允巽○。走哉足■●●●●;□□□□刀早孝嶽。八音:自在匠■●●●●;十一音:□□□□毛寶報霍。九聲:草采七■●●●●;四聲:□□□□牛斗奏六。曹才全■●●●●;□□□□○○○玉。思三星■●●●●;□□□□妻子四日。九音:寺□象■●●●●;十一音:□□□□衰○帥骨。九聲:□□□■●●●●;五聲:□□□□○○○德。□□□■●●●●;□□□□龜水貴北。■山手■●●●●;□□□□宮孔眾○。十音:■士石■●●●●;十一音:□□□□龍甬用○。九聲:□□耳■●●●●;六聲:□□□□魚鼠去○。□□二■●●●●;□□□□烏虎兔○。■莊震■●●●●;□□□□心審禁○。十一音:■乍□■●●●●;十一音:□□□□○○○十。九聲:■叉赤■●●●●;七聲:□□□□男坎欠○。■崇辰■●●●●;□□□□○○○妾。■卓中■●●●●;□□□□●●●●。十二音:■宅直■●●●●;十一音:□□□□●●●●。九聲:■拆丑■●●●●;八聲:□□□□●●●●。■茶呈■●●●●;□□□□●●●●。

「收音濁和律二之十一」は第十一音第二等「■乍□■」の收位を取って和字とする。この位は音はあって字がないので、行首は皆「□□□□」と書く。和するのは第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、第四声四等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」、および第八声の四行の「●●●●」である。左欄は「去声翕唱呂二之九」を承け、唱位は依然として空しく「●●●●」とし、第五音以下の三十二行を一気に並べ終える。第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音四等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、□□耳■、□□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」である。第十音の三・四の両等はここでは首の二位を誤って「□□」とし、他の図は併せて「■□耳■」「■□二■」とするので、「■」に従うべきである。この図の右欄の和字もまた空框で、第四音の図と同じ例である。第十一音第二等「■乍□■」は、開と閉の两位に音がなく、乍は発で、收位に字がなく、故に四位のうち二黒一字一空である。このような空位をもって和字とし、依然として十声の一百一十二位を遍く和す。邵雍の重んずるところが位次にあって字面にないことがうかがえる。この段の左欄は一気に三十二行を並べたのは本組で最も長い一段で、原因は右欄がまさに一図の首に当たるのに左欄がすでに一図の尾に届いており、両欄の行差がちょうど最大に積もったことにある。第五音以下の八類の字は、重唇から次第に舌頭・舌上・歯頭・正歯に転じ、末の四類の首位は皆黒塊となり、挙げうる字は愈々少なくなる。しかし行数はその旧のまま一にして、類ごとに必ず四行である。全表を通観すれば知るべし。第一音から第五音の二十行八十位は大抵字があり、第六音から第九音の十六行の末位は皆虚、第十音から第十二音の十二行は首尾ともに虚である。四十個の黒塊はまさにこのように分布して出るのであって、減じた後、実用の音は一百五十二で、篇首に記されたものとちょうど合う。

去声翕唱呂二之十

收音濁和律二之十二

去聲翕唱呂二之十。古甲九癸●●●●;□□□□●●●●。一音:□□近揆●●●●;十一音:□□□□●●●●。十聲:坤巧丘棄●●●●;九聲:□□□□●●●●。□□乾蚪●●●●;□□□□●●●●。黑花香血●●●●;□□□□●●●●。二音:黃華雄賢●●●●;十一音:□□□□●●●●。十聲:五瓦仰□●●●●;十聲:□□□□●●●●。吾牙月堯●●●●;□□□□●●●●。收音濁和律二之十二。安亞乙一●●●●;直直直直多可個舌。三音:□爻壬寅●●●●;十二音:直直直直禾火化八。十聲:母馬美米●●●●;一聲:直直直直開宰愛○。目貌眉民●●●●;直直直直回每退○。夫法□飛●●●●;直直直直良兩向○。四音:父凡□吠●●●●;十二音:直直直直光廣況○。十聲:武晚□尾●●●●;二聲:直直直直丁井亙○。文萬□未●●●●;直直直直兄永瑩○。卜百丙必●●●●;直直直直千典旦○。五音:步白備鼻●●●●;十二音:直直直直元犬半○。十聲:普撲品匹●●●●;三聲:直直直直臣永艮○。旁排平瓶●●●●;直直直直君允巽○。東丹帝■●●●●;直直直直刀早孝嶽。六音:兌大弟■●●●●;十二音:直直直直毛寶報霍。十聲:土貪天■●●●●;四聲:直直直直牛斗奏六。

「去声翕唱呂二之十」は本篇の唱図の末の一図で、主とするところは第十声第二等、その声は立たず、唱位は一概に「●●●●」とする。まず第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」を唱え、これと並列する右欄は「□□□□」で第九声・第十声の合わせて八行を和し終え、「收音濁和律二之十一」はここに終わる。その下に「收音濁和律二之十二」が改めて立ち、第十二音第二等「■宅直■」の收位「直」を取って和字とし、「直直直直」と書き、第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣永艮○、君允巽○」、および第四声の前三等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六」と和す。左欄は同時に続けて第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音四等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、および第六音の前三等「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■」を唱える。一版のうちに両図が相継いで頭を換えるのは、唱図と和図の行差がここに積もってちょうど相い値うからである。左欄の第十図はここに起こって未だ終わらず、右欄の第十一図はここに終わって第十二図が継ぎ起こる。故に同じ一段のうちに両図の末と両図の首とを兼ねて見る。読むときは左右に分かれてそれぞれその起訖を尋ね、牽合して一つにしてはならない。この段は四図に横跨する。左欄は第二組唱図の第十図の首、右欄はまず第十一の和図を了え、次いで第十二の和図を起こす。唱図と和図は図を経るごとに八行ずつ錯開し、ここに至って多図の差数を累積して、ちょうど両欄の頭を換える箇所を一段のうちに併せる。読者がもし左右の両欄をそれぞれ写し出せば、左欄は「古甲九癸」から順次に「同覃田■」に至って尽きず、右欄は「□□□□」の八行がすでに終わり「直直直直」の十五行がまさに始まる、両者は相い渉らない。

同覃田■●●●●;直直直直○○○玉。乃你女■●●●●;直直直直妻子四日。七音:內南年■●●●●;十二音:直直直直衰○帥骨。十聲:老冷呂■●●●●;五聲:直直直直○○○德。鹿犖離■●●●●;直直直直龜水貴北。走哉足■●●●●;直直直直宮孔眾○。八音:自在匠■●●●●;十二音:直直直直龍甬用○。十聲:草采七■●●●●;六聲:直直直直魚鼠去○。曹才全■●●●●;直直直直烏虎兔○。思三星■●●●●;直直直直心審禁○。九音:寺□象■●●●●;十二音:直直直宜○○○十。十聲:□□□■●●●●;七聲:直直直直男坎欠○。□□□■●●●●;直直直直○○○妾。■山手■●●●●;直直直直●●●●。十音:■士石■●●●●;十一音:直直直直●●●●。十聲:■□耳■●●●●;八聲:直直直直●●●●。■□二■●●●●;直直直直●●●●。■莊震■●●●●;直直直直●●●●。十一音:■乍□■●●●●;十二音:直直直直●●●●。十聲:■叉赤■●●●●;九聲:直直直直●●●●。■崇辰■●●●●;直直直直●●●●。■卓中■●●●●;直直直直●●●●。十二音:■宅直■●●●●;十二音:直直直直●●●●。十聲:■拆丑■●●●●;十聲:直直直直●●●●。■茶呈■●●●●;直直直直●●●●。

左欄の唱位は依然として「●●●●」とし、続けて第六音第四等「同覃田■」、第七音四等「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音四等「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音四等「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音四等「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音四等「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音四等「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を列ね、「去声翕唱呂二之十」の四十八行を唱え遍くし、星月声去之二翕の十図はここに全備した。右欄は「直直直直」で第四声第四等「○○○玉」、第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声四等「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声四等「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、この下の十二行は皆「●●●●」で、「收音濁和律二之十二」もまた終わり、土火音收之二濁の十二図が同時に告げ成した。その間、第九音第二等の一行の和字は誤って「直直直宜」と書き、末字は「直」に当たるべきである。第十音第三等の一行の行次標目は誤って十一音と書き、十二音に当たるべきである。第二組の唱和はここに至ってともに終わる。唱図は十、星月声去之二翕を主とし、唱えうるものは七、それぞれ音一百五十二を得て合わせて一千六十四。和図は十二、土火音收之二濁を主とし、それぞれ声一百一十二を和して合わせて一千三百四十四。両者は一つは天一つは地で、相唱え相和し、『観物篇』第四十四の推す数はここに完足する。第二組すでに終われば、その数を総計できる。唱図は第一声から第七声第二等の去位をもって唱とし、化・况・半・报・帅・用の六字と一つの空圈を得て、七位はそれぞれ一百五十二音を唱え合わせて一千六十四。和図は十二音第二等の收位をもって和とし、近・雄・王・备・弟・年・匠・象・石・直の十字と二つの空框を得て、十二位はそれぞれ一百一十二声を和し合わせて一千三百四十四。唱える者は七で和する者は十二、一つは天一つは地で、交わり相いもって用となる。篇首に記された二つの総数はすなわちこれより来る。

皇極経世書巻九下

観物篇四十五

皇極經世書卷九下。觀物篇四十五。星星聲去闢;土土音收清。愛亙艮奏○;丘仰美□品天。去欠●●●;呂七□耳赤丑。星星聲七。下唱地之;土土音十二,上和天。用音一百五十二,是;之用聲一百一十二,謂去聲闢音。去聲闢;是謂收音清聲。收音。音一千六十四。清聲一千二百四十四。星星聲去之三辟;土土音收之三清。

『皇極経世書』巻九下。『観物篇』第四十五。本篇は転じて第三組の唱和図に入り、綱目は依然として左右の両欄に分かれる。左欄は星星声去辟である。「星」は去声を主とし、四等のうちでさらに日月星辰をもって相配し、「星」は第三等に当たり、第三等は「辟」すなわち開口に属する。用いる唱字は「爱、亘、艮、奏、○、去、欠」で、その下の第八・第九・第十の三声は「●●●」とし、正対するのは正声十図第三等の去声位である——第一声「开宰爱○」は「爱」を得、第二声「丁井亘○」は「亘」を得、第三声「臣引艮○」は「艮」を得、第四声「牛斗奏六」は「奏」を得、第五声「○○○德」の去位は字がないので「○」とし、第六声「鱼鼠去○」は「去」を得、第七声「男坎欠○」は「欠」を得る。下文は星星声七、下に地の用音一百五十二を唱える、これを去声辟音と謂い、去声辟音一千六十四、すなわち七つの声ある位がそれぞれ一百五十二音を唱え、七に一百五十二を乗じて一千零六十四を得る。右欄は土土音收之三清である。「土」は收位を主とし、四等のうち「土」はまた第三等に当たり、第三等は「清」に属する。用いる和字は「丘、仰、美、□、品、天、吕、七、□、耳、赤、丑」で、すなわち十二音第三等の收位であり、第四音と第九音はこの位に字がないので「□」と書く。下文は土土音十二、上に天の用声一百一十二を和す、これを收音清声と謂い、收音清声一千二百四十四とする。按ずるに十二に一百一十二を乗じれば一千三百四十四を得るべきところ、底本は一千二百四十四とするのは、「二」はおそらく「三」の誤りである。三組の唱和図の分別は、全て取る等に在る。第四十三篇は声の第一等と音の第一等を取り、辟と清とが相配する。第四十四篇は第二等を取り、翕と濁とが相配する。この篇は第三等を取り、また還って辟と清となる。四等は递遷し、第四等に至って周り、天声地音の開合清濁はここに窮尽する。

去声辟唱呂三之一・收音清和律三之一

去聲闢唱呂三之一;收音清和律三之一。古甲九癸愛愛愛愛;丘丘丘丘多可個舌。一音:□□近揆愛愛愛愛;一音:丘丘丘丘禾火化八。一聲:坤巧丘棄愛愛愛愛;一聲:丘丘丘丘開宰愛○。□□乾蚪愛愛愛愛;丘丘丘丘回每退○。黑花香血愛愛愛愛;丘丘丘丘良兩向○。二音:黃華雄賢愛愛愛愛;一音:丘丘丘丘光廣況○。一聲:五瓦仰□愛愛愛愛;二聲:丘丘丘丘丁井亙○。吾牙月堯愛愛愛愛;丘丘丘丘兄永瑩○。安亞乙一愛愛愛愛;丘丘丘丘千典旦○。三音:□爻壬寅愛愛愛愛;一音:丘丘丘丘元犬半○。一聲:母馬美米愛愛愛愛;三聲:丘丘丘丘臣引艮○。目貌眉民愛愛愛愛;丘丘丘丘君允巽○。夫法□飛愛愛愛愛;丘丘丘丘刀早孝嶽。四音:父凡□吠愛愛愛愛;一音:丘丘丘丘毛寶報霍。一聲:武晚□尾愛愛愛愛;四聲:丘丘丘丘牛斗奏六。

両図が同じく起こる。「去声辟唱呂三之一」は第一声第三等「开宰爱○」の去声位「爱」をもって唱字とし、「爱爱爱爱」と書く。「收音清和律三之一」は第一音第三等「坤巧丘弃」の收位「丘」をもって和字とし、「丘丘丘丘」と書く。左欄に列ねた音行は第一音四等「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音四等「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音四等「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、および第四音の前三等「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾」である。右欄の和する声行は第一声四等「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声四等「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声四等「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、および第四声の前三等「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六」である。三組の唱和図は声と音の第一・第二・第三等を递々に用い、辟翕清濁が循環して相配し、その法は終始一貫している。「爱」は第一声第三等「开宰爱○」のうちにあり、開は平・宰は上・爱は去で、入声位に字がない。「丘」は第一音第三等「坤巧丘弃」のうちにあり、坤は開・巧は発・丘は收・弃は閉で、四位ともに具わる。声は第三等の去を取り、音は第三等の收を取る。両欄は同じく起こって各々その表を行く。

文萬□未愛愛愛愛;丘丘丘丘○○○玉。卜百丙必愛愛愛愛;丘丘丘丘妻子四日。五音:步白備鼻愛愛愛愛;一音:丘丘丘丘衰○帥骨。一聲:普撲品匹愛愛愛愛;五聲:丘丘丘丘○○○德。旁排平瓶愛愛愛愛;丘丘丘丘龜水貴北。

左欄は「爱爱爱爱」で続けて第四音第四等「文万□未」、および第五音四等「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」を唱える。右欄は「丘丘丘丘」で続けて第四声第四等「○○○玉」、および第五声四等「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和す。第五声の第一等「妻子四日」は四字ともに平上去入を備え、第二等「衰○帅骨」は上声を欠き、第三等「○○○德」は入声だけを残し、第四等「龟水贵北」はまた復た斉全する。参差の状はすなわち声の実情である。この組の唱和図は以下に続き推すが、本組に収めるところはここまでである。本巻に収めるところはここまでで、第三組の唱和図はなお並べ終えず、その下はまさに「去声辟唱呂三之二」と「收音清和律三之二」の諸図をもって続け、依然として亘・艮・奏の諸字をもって唱とし、仰・美・□の諸字をもって和とし、次第に十図と十二図に推し至って後に止まる。

観物篇四十五・去声辟唱呂三之一と收音清和律三之一(前を承く)

東丹帝■愛愛愛愛 丘丘丘丘宮孔眾○;六音 兌大弟■愛愛愛愛 一音 丘丘丘丘龍甬用○;一聲 土貪天■愛愛愛愛 六聲 丘丘丘丘魚鼠去○;同覃田■愛愛愛愛 丘丘丘丘烏虎兔○;乃你女■愛愛愛愛 丘丘丘丘心審禁○;七音 內南年■愛愛愛愛 一音 丘丘丘丘○○○十;一聲 老冷呂■愛愛愛愛 七聲 丘丘丘丘男坎欠○;鹿犖離■愛愛愛愛 丘丘丘丘○○○妾;走哉足■愛愛愛愛 丘丘丘丘●●●●;八音 自在匠■愛愛愛愛 一音 丘丘丘丘●●●●。

この下の十行は依然として二枚の表を並べて刻印し、一行一行の横排に写されたものである。左半は「去声辟唱呂三之一」に属する。唱う固定の字は「爱」で、一声の第三行「开宰爱○」の第三の格から取ったもの、すなわち星位・去声・開口(辟)だから「去声辟」と呼ぶ。四回連書するのは、向かい側の一組の声母の四つの等第と格ごとに相配するためである。それと相唱えるのは、順に第六音の「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、および第八音の頭の二行「走哉足■、自在匠■」である。行間に挟まる「六音」「一声」「七音」「八音」はこれらの組の座標標目であって、正文の用字ではない。これら二組の声母は末の格が皆「■」と書くが、これはその位にもともとこの音がないことを言うのであって、音があって字が欠けたのではない。右半は「收音清和律三之一」に属する。和する固定の字は「丘」で、一音の第三行「坤巧丘弃」の第三の格から取ったもの、すなわち土位・收音・清声だから「收音清」と称する。それと相和するのは第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」、および第八声の頭の二行である。韻表の中の「○」はこの声位は存在するが、ただ填める字が見つからないことを言い、第八声に至って行を挙げて「●」と書くのは、この位には声さえもないことを表す。

一聲 草采七■愛愛愛愛 八聲 丘丘丘丘●●●●;曹才全■愛愛愛愛 丘丘丘丘●●●●;思三星■愛愛愛愛 丘丘丘丘●●●●;九音 寺□象■愛愛愛愛 一音 丘丘丘丘●●●●;一聲 □□□■愛愛愛愛 九聲 丘丘丘丘●●●●;□□□■愛愛愛愛 丘丘丘丘●●●●;■山手■愛愛愛愛 丘丘丘丘●●●●;十音 ■士石■愛愛愛愛 一音 丘丘丘丘●●●●;一聲 ■□耳■愛愛愛愛 十聲 丘丘丘丘●●●●;■□二■愛愛愛愛 丘丘丘丘●●●●。

続いて下ると、左表は依然として一声去声辟の「爱」をもって唱とし、第八音の後の二行「草采七■、曹才全■」を配し終え、次いで第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」と第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を配する。第九音の後の二行は行を挙げてただ一つの「■」をもって収め、前の三格は皆「□」と書く。これは開・発・收の三位は音位はあるが挙げて充てる字がないことを言う。第十音はこれと反対で、頭の一格に「■」を書き、開口の一位にはもともと音がないことを説明し、挙げられるのは「山手」「士石」「□耳」「□二」の数個の字だけである。右表は一音收音清の「丘」をもって和とし、対する第八声・第九声・第十声の合わせて十二行は全て「●●●●」である——邵雍が十声の位を立てたが、実際に弁じうる声あるものは第七声までに止まり、末の三声は格はあって声がないので、片一面に黒記を留める。行間の「一声」と「八声、九声、十声」は、それぞれ左表の唱える声と右表の和する声の序次を標出する。

收音清和律三之二

■莊震■愛愛愛愛 仰仰仰仰多可個舌;十一音 ■乍□■愛愛愛愛 二音 仰仰仰仰禾火化八;一聲 ■叉赤■愛愛愛愛 一聲 仰仰仰仰開宰愛○;■崇辰■愛愛愛愛 仰仰仰仰回每退○;■卓中■愛愛愛愛 仰仰仰仰良兩向○;十二音 ■宅直■愛愛愛愛 二音 仰仰仰仰光廣況○;一聲 ■拆丑■愛愛愛愛 二聲 仰仰仰仰丁井亙○;■茶呈■愛愛愛愛 仰仰仰仰兄永瑩○。

左表はここで「去声辟唱呂三之一」を収尾する。一声の「爱」は最後に第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」と相唱える。この二組はともに「■」をもって頭を起こすが、これはそれらが開口の一位に挙げるべき音がないことを言う。第十一音の第二行の「■乍□■」の中間にまた「□」が現れるのは、收音の一位にその音あって字なきである。十二音を配し終え、一声と十二音の唱和はすなわち完備する。右表は新しい一枚に換わり、「收音清和律三之二」と題し、和する固定の字は「仰」に改まる——「仰」は二音の第三行「五瓦仰□」の第三の格から取ったもので、同じく土位・收音・清声である。それはまず第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と相和し、次いで第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と相和す。第一声の四行のうち、平上去入の四格は「多可个舌」「禾火化八」だけが四字ともに備わり、後の二行の末格は皆「○」とする。これは入声位に声あって字なしである。

去声辟唱呂三之二

古甲九癸亙亙亙亙 仰仰仰仰千典旦○;一音 □□近揆亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰元犬半○;二聲 坤巧丘棄亙亙亙亙 三聲 仰仰仰仰臣引艮○;□□乾蚪亙亙亙亙 仰仰仰仰君允巽○;黑花香血亙亙亙亙 仰仰仰仰刀早孝嶽;二音 黃華雄賢亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰毛寶報霍;二聲 五瓦仰□亙亙亙亙 四聲 仰仰仰仰牛斗奏六;吾牙月堯亙亙亙亙 仰仰仰仰○○○玉;安亞乙一亙亙亙亙 仰仰仰仰妻子四日;三音 □爻壬寅亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰衰○帥骨;二聲 母馬美米亙亙亙亙 五聲 仰仰仰仰○○○德;目貌眉民亙亙亙亙 仰仰仰仰龜水貴北;夫法□飛亙亙亙亙 仰仰仰仰宮孔眾○;四音 父凡□吠亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰龍甬用○;二聲 武晚□尾亙亙亙亙 六聲 仰仰仰仰魚鼠去○;文萬□未亙亙亙亙 仰仰仰仰烏虎兔○。

左表は改めて一枚の「去声辟唱呂三之二」を立て、唱声は第二声の「亘」に換わる——二声の第三行「丁井亘○」の第三の格から取ったもので、依然として星位・去声・開口である。それは頭から輪を起こし、まず第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と相唱え、次いで第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」と相唱える。これらの声母組の中の「□」、たとえば「□□近揆」「□爻壬寅」「夫法□飞」は、いずれもその格に音位はあって字が見つからないものである。右表は「收音清和律三之二」を続け、二音の「仰」は順に第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と相和す。第四声・第五声のうちに現れる「○○○玉」「衰○帅骨」「○○○德」は、いずれも同一行のうち部分の声位が声あって字なきの書き方である。

卜百丙必亙亙亙亙 仰仰仰仰心審禁○;五音 步白備鼻亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰○○○十;二聲 普撲品匹亙亙亙亙 七聲 仰仰仰仰男坎欠○;旁排平瓶亙亙亙亙 仰仰仰仰○○○妾;東丹帝■亙亙亙亙 仰仰仰仰●●●●;六音 兌大弟■亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰●●●●;二聲 土貪天■亙亙亙亙 八聲 仰仰仰仰●●●●;同覃田■亙亙亙亙 仰仰仰仰●●●●;乃你女■亙亙亙亙 仰仰仰仰●●●●;七音 內南年■亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰●●●●;二聲 老冷呂■亙亙亙亙 九聲 仰仰仰仰●●●●;鹿犖離■亙亙亙亙 仰仰仰仰●●●●;走哉足■亙亙亙亙 仰仰仰仰●●●●;八音 自在匠■亙亙亙亙 二音 仰仰仰仰●●●●;二聲 草采七■亙亙亙亙 十聲 仰仰仰仰●●●●;曹才全■亙亙亙亙 仰仰仰仰●●●●。

左表は二声の「亘」の唱和を続け、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、および第八音の前の二行「走哉足■、自在匠■」と後の二行「草采七■、曹才全■」を配する。第五音の四行は字字ともに斉備し、十二音のうち稀な満格である。第六音からは、末の一格が一律に「■」とする。これはこれら数類の声母が閉口の一位に音なきことを表す。右表は二音の「仰」をもって第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、続いて第八・第九・第十の三声は各々四行とも「●●●●」と書く。ここでまさに「○」と「●」の別を見ることができる。第七声のうち「○○○十」は入声位だけに「十」の字が用いられ、残りの三位は声あって字なしであり、第八声以下は声位さえも立たないので、満行が皆「●」である。この一片はまた唱表の通例をも見せる。唱声はひとたび選定されれば、通篇の四十八行はいずれも更換せず、递次に移換するのはただそれと相配する十二音のみである。和表はこれに反して、音字は動かず和する声が組を逐うて递遷する。一縦一横は、まさに邵雍の声は天に唱え音は地に和すという説に合い、故に声表は「呂」と題し、音表は「律」と題する。律呂相応の義を取ったのである。

收音清和律三之三

思三星■亙亙亙亙 美美美美多可個舌;九音 寺□象■亙亙亙亙 三音 美美美美禾火化八;二聲 □□□■亙亙亙亙 一聲 美美美美開宰愛○;□□□■亙亙亙亙 美美美美回每退○;■山手■亙亙亙亙 美美美美良兩向○;十音 ■士石■亙亙亙亙 三音 美美美美光廣況○;二聲 ■□耳■亙亙亙亙 二聲 美美美美丁井亙○;■□二■亙亙亙亙 美美美美兄永瑩○;■莊震■亙亙亙亙 美美美美千典旦○;十一音 ■乍□■亙亙亙亙 三音 美美美美元犬半○;二聲 ■叉赤■亙亙亙亙 三聲 美美美美臣引艮○;■崇辰■亙亙亙亙 美美美美君允巽○;■卓中■亙亙亙旦 美美美美刀早孝嶽;十二音 ■宅直■亙亙亙亙 三音 美美美美毛寶報霍;二聲 ■拆丑■亙亙亙亙 四聲 美美美美牛斗奏六;■茶呈■亙亙亙亙 美美美美○○○玉。

左表は第九音から第十二音をもって「去声辟唱呂三之二」を収束する。二声の「亘」はまず第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を配し、次に第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を配する。そのうち「■卓中■亘亘亘旦」の一行は、末の字が底本では「旦」とし、上下文の四字連書の「亘」の体例と合わない。「亘」の字の訛りであろう。今は依然として底本に依って写し出す。右表は改めて「收音清和律三之三」を立て、和音は第三音の「美」に換わる——三音の第三行「母马美米」の第三の格から取ったもので、土位・收音・清声である。それは第一声から輪を起こして和す。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」である。

去声辟唱呂三之三

古甲九癸艮艮艮艮 美美美美妻子四日;一音 □□近揆艮艮艮艮 三音 美美美美衰○帥骨;三聲 坤巧丘棄艮艮艮艮 五聲 美美美美○○○德;□□乾蚪艮艮艮艮 美美美美龜水貴北;黑花香血艮艮艮艮 美美美美宮孔眾○;二音 黃華雄賢艮艮艮艮 三音 美美美美龍甬用○;三聲 五瓦仰□艮艮艮艮 六聲 美美美美魚鼠去○;吾牙月堯艮艮艮艮 美美美美烏虎兔○;安亞乙一艮艮艮艮 美美美美心審禁○;三音 □爻壬寅艮艮艮艮 三音 美美美美○○○十;三聲 母馬美米艮艮艮艮 七聲 美美美美男坎欠○;目貌眉民艮艮艮艮 美美美美○○○妾。

左表は改めて「去声辟唱呂三之三」を立て、唱声は第三声の「艮」に換わる——三声の第三行「臣引艮○」の第三の格から取ったもので、これも星位・去声・開口である。四字連書の「艮艮艮艮」は、依然として声母の一組四等に対応する。それはまず第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と相唱え、次いで第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」と相唱える。「□□乾蚪」の「乾」は別の箇所でも「干」と書くが、同一の字の繁簡の両形である。右表は第三音の「美」の和声を続け、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を配する。第五声の第二行「衰○帅骨」の上声位、第三行の前の三位は、いずれも「○」をもって声あって字なしを標出する。

夫法□飛艮艮艮艮 美美美美●●●●;四音 父凡□吠艮艮艮艮 三音 美美美美●●●●;三聲 武晚■尾艮艮艮艮 八聲 美美美美●●●●;文萬□未艮艮艮艮 美美美美●●●●;卜百丙必艮艮艮艮 美美美美●●●●;五音 步白備鼻艮艮艮艮 三音 美美美美●●●●;三聲 普撲品匹艮艮艮艮 九聲 美美美美●●●●;旁排平瓶艮艮艮艮 美美美美●●●●;東丹帝■艮艮艮艮 美美美美●●●●;六音 兌大弟■艮艮艮艮 三音 美美美美●●●●;三聲 土貪天■艮艮艮艮 十聲 美美美美●●●●;同覃田■艮艮艮艮 美美美美●●●●。

左表は三声の「艮」をもって続けて下の輪を相唱え、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚■尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を配する。第四音の第三行は底本では「武晚■尾」とし、同一の行は別の箇所では一様に「武晚□尾」とする。ここの「■」はまさに「□」の誤刻であろう——その位は音はあって字がないのであって、音なしではない。右表のこの十二行は、第三音の「美」が和するところは第八声・第九声・第十声で、三声は各々四行ともすべて「●●●●」と書く。この一片の黒記はまさに邵雍の立てた十声がただ十位の数を取り足したにすぎないことを説明する。実際に分弁しうる声類は第七声までで、その後の三声は位はあって声がなく、したがって配すべき字がなく、いずれの音とも相和する由がないのである。

收音清和律三之四

乃你女■艮艮艮艮 □□□□多可個舌;七音 內南年■艮艮艮艮 四音 □□□□禾火化八;三聲 老冷呂■艮艮艮艮 一聲 □□□□開宰愛○;鹿犖離■艮艮艮艮 □□□□回每退○;走哉足■艮艮艮艮 □□□□良兩向○;八音 自在匠■艮艮艮艮 四音 □□□□光廣況○;三聲 草采七■艮艮艮艮 二聲 □□□□丁井亙○;曹才全■艮艮艮艮 □□□□兄永瑩○;思三星■艮艮艮艮 □□□□千典旦○;九音 寺□象■艮艮艮艮 四音 □□□□元犬半○;三聲 □□□■艮艮艮艮 三聲 □□□□臣引艮○;□□□■艮艮艮艮 □□□□君允巽○。

左表は三声の「艮」をもって続けて下の輪を行き、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を配する。第九音の後の二行は前の三格が皆「□」で末格は「■」とするが、これはこの類の声母の開・発・收の三位に音位はあれども代表字を挙げられず、閉口の一位にはもともとその音がないことを言う。右表は改めて「收音清和律三之四」を立て、和音は本来第四音の第三行「武晚□尾」の第三の格であるべきところ、その格はまさに一つの「□」である——この音位はあって挙げるべき字がない。だから全表の和音は「□□□□」と書くほかなく、依然として四位を並列して声行の四等と相配する。それはまず第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次に第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。

■山手■艮艮艮艮 □□□□刀早孝嶽;十音 ■士石■艮艮艮艮 四音 □□□□毛寶報霍;三聲 ■□耳■艮艮艮艮 四聲 □□□□牛斗奏六;■□二■艮艮艮艮 □□□□○○○玉;■莊震■艮艮艮艮 □□□□妻子四日;十一音 ■乍□■艮艮艮艮 四音 □□□□衰○帥骨;三聲 ■叉赤■艮艮艮艮 五聲 □□□□○○○德;■崇辰■艮艮艮艮 □□□□龜水貴北;■卓中■艮艮艮艮 □□□□宮孔眾○;十二音 ■宅直■艮艮艮艮 四音 □□□□龍甬用○;三聲 ■拆丑■艮艮艮艮 六聲 □□□□魚鼠去○;■茶呈■艮艮艮艮 □□□□烏虎兔○。

左表は「去声辟唱呂三之三」を配し満たす。三声の「艮」は第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」と相唱える。この三類の声母は頭の一格が一律に「■」で、末の一格も多く「■」である。それらが開口と閉口の两位にいずれも音がないことを説明する。「■□耳■」「■□二■」「■乍□■」の中間の「□」は、音位はあって字がないものである。ここに至って第三声と十二音はすべて唱え終わった。右表は続けて「□□□□」という字なき第四音をもって、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。

去声辟唱呂三之四

古甲九癸奏奏奏奏 □□□□心審禁○;一音 □□近揆奏奏奏奏 四音 □□□□○○○十;四聲 坤巧丘棄奏奏奏奏 七聲 □□□□男坎欠○;□□乾蚪奏奏奏奏 □□□□○○○妾;黑花香血奏奏奏奏 □□□□●●●●;二音 黃華雄賢奏奏奏奏 四音 □□□□●●●●;四聲 五瓦仰□奏奏奏奏 八聲 □□□□●●●●;吾牙月堯奏奏奏奏 □□□□●●●●;安亞乙一奏奏奏奏 □□□□●●●●;三音 □爻壬寅奏奏奏奏 四音 □□□□●●●●;四聲 母馬美米奏奏奏奏 九聲 □□□□●●●●;目貌眉民奏奏奏奏 □□□□●●●●;夫法□飛奏奏奏奏 □□□□●●●●;四音 父凡□吠奏奏奏奏 四音 □□□□●●●●;四聲 武晚□尾奏奏奏奏 十聲 □□□□●●●●;文萬□未奏奏奏奏 □□□□●●●●。

左表は改めて「去声辟唱呂三之四」を立て、唱声は第四声の「奏」に換わる——四声の第三行「牛斗奏六」の第三の格から取ったもので、星位・去声・開口である。「奏奏奏奏」の四字連書は、依然として声母の一組の四等に対当する。それは第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」から唱え起こり、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を歴る。右表は第四音のあの字なき表を末尾まで和す。まず第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、この下の第八・第九・第十声は合わせて十二行とも「●●●●」とする。一枚の表はすでに「□」をもって和音とし、また「●」をもって和するところの声とする。これは両頭ともに空であるに等しく、まさに邵雍の位を存して字を存せざるの排法である。その算法に按すれば、十声の四十行は合わせて一百六十位で、声なき四十八位を除き、天の用声一百一十二を得る。十二音の四十八行は合わせて一百九十二位で、音なき四十位を除き、地の用音一百五十二を得る。図中のこれらの空格は、まさに除かれたあの一部分で、数目は一々考証できる。

收音清和律三之五

卜百丙必奏奏奏奏 品品品品多可個舌;五音 步白備鼻奏奏奏奏 五音 品品品品禾火化八;四聲 普撲品匹奏奏奏奏 一聲 品品品品開宰愛○;旁排平瓶奏奏奏奏 品品品品回每退○;東丹帝■奏奏奏奏 品品品品良兩向○;六音 兌大弟■奏奏奏奏 五音 品品品品光廣況○;四聲 土貪天■奏奏奏奏 二聲 品品品品丁井亙○;同覃田■奏奏奏奏 品品品品兄永瑩○;乃你女■奏奏奏奏 品品品品千典旦○;七音 內南年■奏奏奏奏 五音 品品品品元犬半○;四聲 老冷呂■奏奏奏奏 三聲 品品品品臣引艮○;鹿犖離■奏奏奏奏 品品品品君允巽○;走哉足■奏奏奏奏 品品品品刀早孝嶽;八音 自在匠■奏奏奏奏 五音 品品品品毛寶報霍;四聲 草采七■奏奏奏奏 四聲 品品品品牛斗奏六;曹才全■奏奏奏奏 品品品品○○○玉。

左表は第四声の「奏」を続けて唱え、順に第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を配する。第六音以下は末格が皆「■」で、第五音の四格全備とちょうど対照を成す。右表は改めて「收音清和律三之五」を立て、和音は第五音の「品」に換わる——五音の第三行「普扑品匹」の第三の格から取ったもので、土位・收音・清声である。「品品品品」は第一声から相和す。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」。第一声の前の二行は四字ともに備わり、後の二行の末位は皆「○」とする。入声の一位が最も字を足し難いのは、十声のうちの通例である。

思三星■奏奏奏奏 品品品品妻子四日;九音 寺□象■奏奏奏奏 五音 品品品品衰○帥骨;四聲 □□□■奏奏奏奏 五聲 品品品品○○○德;□□□■奏奏奏奏 品品品品龜水貴北;■山手■奏奏奏奏 品品品品宮孔眾○;十音 ■士石■奏奏奏奏 五音 品品品品龍甬用○;四聲 ■□耳■奏奏奏奏 六聲 品品品品魚鼠去○;■□二■奏奏奏奏 品品品品烏虎兔○;■莊震■奏奏奏奏 品品品品心審禁○;十一音 ■乍□■奏奏奏奏 五音 品品品品○○○十;四聲 ■叉赤■奏奏奏奏 七聲 品品品品男坎欠○;■崇辰■奏奏奏奏 品品品品○○○妾;■卓中■奏奏奏奏 品品品品●●●●;十二音 ■宅直■奏奏奏奏 五音 品品品品●●●●;四聲 ■拆丑■奏奏奏奏 八聲 品品品品●●●●;■茶呈■奏奏奏奏 品品品品●●●●。

左表は第九音から第十二音をもって第四声を唱え終わる。「奏」は第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を配する。第九音の後の二行は三つの「□」を連書し、第十・十一・十二音は首格が皆「■」である。一つは音あって字なし、一つは本位に音なしで、二種の空位が同一の片のうちに併せて見える。右表は第五音の「品」をもって第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声に至れば「●●●●」の四行に転じ、声位はすでに尽きる。一枚の和表は一音をもって十声四十行を遍歴し、一枚の唱表は一声をもって十二音四十八行を遍歴する。行数は異なれど体例は同じく、配するところの一方は四行ごとに一組を換え、行間の小字の標目もそれに随って递進する。あの小字はただ座標であり、唱和の列には入らない。読むときは正文の字組と分けて見るべきである。

去声辟唱呂三之五

古甲九癸○○○○ 品品品品●●●●;一音 □□近揆○○○○ 五音 品品品品●●●●;五聲 坤巧丘棄○○○○ 九聲 品品品品●●●●;□□乾蚪○○○○ 品品品品●●●●;黑花香血○○○○ 品品品品●●●●;二音 黃華雄賢○○○○ 五音 品品品品●●●●;五聲 五瓦仰□○○○○ 十聲 品品品品●●●●;吾牙月堯○○○○ 品品品品●●●●。

左表は改めて「去声辟唱呂三之五」を立てる。例に按すれば、この一枚の唱声は第五声の第三行「○○○德」の第三の格を取るべきところ、あの格はちょうど「○」である——声位は存在して挙げるべき字がなく、だから全表の唱声は「○○○○」と書くほかなく、四位を並列し、依然として声母の四等と相当する。それはまず第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と相唱え、次いで第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」と相唱える。右表は第五音「品」の和声を収尾し、対する第九声・第十声の八行は全て「●●●●」と書く。左は「○」をもって唱とし、右は「●」をもって和とし、二種の空記が一行に併列する。最もよく邵雍が「有声無字」と「本位無声」とを分かつ用心を見せる。

收音清和律三之六

安亞乙一○○○○ 天天天天多可個舌;三音 □爻壬寅○○○○ 六音 天天天天禾火化八;五聲 母馬美米○○○○ 一聲 天天天天開宰愛○;目貌眉民○○○○ 天天天天回每退○;夫法□飛○○○○ 天天天天良兩向○;四音 父凡□吠○○○○ 六音 天天天天光廣況○;五聲 武晚□尾○○○○ 二聲 天天天天丁井亙○;文萬□未○○○○ 天天天天兄永瑩○;卜百丙必○○○○ 天天天天千典旦○;五音 步白備鼻○○○○ 六音 天天天天元犬半○;五聲 普撲品匹○○○○ 三聲 天天天天臣引艮○;旁排平瓶○○○○ 天天天天君允巽○;東丹帝■○○○○ 天天天天刀早孝嶽;六音 兌大弟■○○○○ 六音 天天天天毛寶報霍。

左表は依然として「去声辟唱呂三之五」で、唱声は「○○○○」と書く。第五声の去声辟のこの格はもともと挙げるべき字がなく、ただ声位を存するだけだからである。それは順に第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」および第六音の前の二行「东丹帝■、兑大弟■」と相唱える。右表は改めて一枚の「收音清和律三之六」を立て、和音は第六音の「天」——六音の第三行「土贪天■」の第三の格から取ったもので、土位・收音・清声である。その行の末格の「■」はまさに第六音が閉口位に音なきことを説明する。「天天天天」は第一声から相和す。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、続いて第四声の「刀早孝岳、毛宝报霍」を接ぐ。

五聲 土貪天■○○○○ 四聲 天天天天牛斗奏六;同覃田■○○○○ 天天天天○○○玉;乃你女■○○○○ 天天天天妻子四日;七音 內南年■○○○○ 六音 天天天天衰○帥骨;五聲 老冷呂■○○○○ 五聲 天天天天○○○德;鹿犖離■○○○○ 天天天天龜水貴北;走哉足■○○○○ 天天天天宮孔眾○;八音 自在匠■○○○○ 六音 天天天天龍甬用○;五聲 草采七■○○○○ 六聲 天天天天魚鼠去○;曹才全■○○○○ 天天天天烏虎兔○;思三星■○○○○ 天天天天心審禁○;九音 寺□象■○○○○ 六音 天天天天○○○十;五聲 □□□■○○○○ 七聲 天天天天男坎欠○。

左表はあの一組の字なき「○○○○」をもって相唱え続け、第六音の「土贪天■、同覃田■」を配し終え、次いで第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、および第九音の「思三星■、寺□象■、□□□■」を配する。第九音の第三行は三格とも「□」で、開・発・收の三位に音位はあって挙げるべき字がなく、末格の「■」は本位に音なしで、二つの記号は同一行のうちに意が同じではない。右表は第六音の「天」をもって続けて第四声の後の二行「牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、および第七声の前の三行「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。声行の四格は順に平・上・去・入、音行の四格は順に開・発・收・閉である。一つの唱声あるいは一つの和音が四回連書されなければならないのは、まさに向かい側のあの一組の四格と一つ一つ対当するためで、畳字をもって声を取るのではない。

□□□■○○○○ 天天天天○○○妾;■山手■○○○○ 天天天天●●●●;十音 ■士石■○○○○ 六音 天天天天●●●●;五聲 ■□耳■○○○○ 八聲 天天天天●●●●;■□二■○○○○ 天天天天●●●●;■莊震■○○○○ 天天天天●●●●;十一音 ■乍□■○○○○ 六音 天天天天●●●●;五聲 ■叉赤■○○○○ 九聲 天天天天●●●●;■崇辰■○○○○ 天天天天●●●●;■卓中■○○○○ 天天天天●●●●;十二音 ■宅直■○○○○ 六音 天天天天●●●●;五聲 ■拆丑■○○○○ 十聲 天天天天●●●●;■茶呈■○○○○ 天天天天●●●●。

左表は第九音の末行「□□□■」、および第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって、第五声の一枚を唱え終わる。この十二音のうち、およそ首格が「■」となるものは、皆開口の一位に音なきである。「■□耳■」「■□二■」「■乍□■」の中間の「□」は、音はあって字がないものである。右表は第六音の「天」をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、その下の第八声・第九声・第十声の十二行はことごとく「●●●●」とする。左の唱声は「○」を用い、右の和声は「●」を用い、同じ頁に併せて見え、まさに両者を分弁できる。前者は声位はなお在って字はすでになく、後者は声位そのものが立たない。「□」と「■」は音表でもまたこのような一対である。「□」はこの音位はあって字書に字なきもの、「■」はこの位にもともと音なきもの。四つの記号は両々に分工し、声表はただ円記を用い、音表はただ方記を用いる。全書の通例はこのようで、相い混ぜて用いない。

去声辟唱呂三之六 收音清和律三之七

古甲九癸去去去去 呂呂呂呂多可個舌;一音 □□近揆去去去去 七音 呂呂呂呂禾火化八;六聲 坤巧丘棄去去去去 一聲 呂呂呂呂開宰愛○;□□乾蚪去去去去 呂呂呂呂回每退○;黑花香血去去去去 呂呂呂呂良兩向○;二音 黃華雄賢去去去去 七音 呂呂呂呂光廣況○;六聲 五瓦仰□去去去去 二聲 呂呂呂呂丁井亙○;吾牙月堯去去去去 呂呂呂呂兄永瑩○;安亞乙一去去去去 呂呂呂呂千典旦○;三音 □爻壬寅去去去去 七音 呂呂呂呂元犬半○;六聲 母馬美米去去去去 三聲 呂呂呂呂臣引艮○;目貌眉民去去去去 呂呂呂呂君允巽○;夫法□飛去去去去 呂呂呂呂刀早孝嶽;四音 父凡□吠去去去去 七音 呂呂呂呂毛寶報霍。

二枚の新しい表が同時に開卷する。左半は「去声辟唱呂三之六」で、唱声は第六声の「去」に換わる——六声の第三行「鱼鼠去○」の第三の格から取ったもので、星位・去声・開口である。それは第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、および第四音の「夫法□飞、父凡□吠」と相唱える。右半は「收音清和律三之七」で、和音は第七音の「吕」に換わる——七音の第三行「老冷吕■」の第三の格から取ったもので、土位・收音・清声である。「吕吕吕吕」は頭から和し起こす。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、および第四声の「刀早孝岳、毛宝报霍」である。

六聲 武晚□尾去去去去 四聲 呂呂呂呂牛斗奏六;文萬□未去去去去 呂呂呂呂○○○玉;卜百丙必去去去去 呂呂呂呂妻子四日;五音 步白備鼻去去去去 七音 呂呂呂呂衰○帥骨;六聲 普撲品匹去去去去 五聲 呂呂呂呂○○○德;旁排平瓶去去去去 呂呂呂呂龜水貴北;東丹帝■去去去去 呂呂呂呂宮孔眾○;六音 兌大弟■去去去去 七音 呂呂呂呂龍甬用○;六聲 土貪天■去去去去 六聲 呂呂呂呂魚鼠去○;同覃田■去去去去 呂呂呂呂烏虎兔○;乃你女■去去去去 呂呂呂呂心審禁○;七音 內南年■去去去去 七音 呂呂呂呂○○○十;六聲 老冷呂■去去去去 七聲 呂呂呂呂男坎欠○。

左表は第六声の「去」を接続して唱える。まず第四音の「武晚□尾、文万□未」を補い足し、次いで第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、および第七音の「乃你女■、内南年■、老冷吕■」を配する。ここで十二音の二種の格局を見ることができる。一から五の音は四格に多く字を足しえ、六音以下は末格が一律に「■」で、すなわち閉口の一位に音なしである。右表は第七音の「吕」をもって第四声「牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和し、さらに第七声の「心审禁○、○○○十、男坎欠○」を接ぐ。留意すべきは、ここの左表の唱える「去」の字は、まさに右表の和する第六声第三行から取ったもので、唱和の二表の用字が同じく一源から出ていることである。

鹿犖離■去去去去 呂呂呂呂○○○妾;走哉足■去去去去 呂呂呂呂●●●●;八音 自在匠■去去去去 七音 呂呂呂呂●●●●;六聲 草采七■去去去去 八聲 呂呂呂呂●●●●;曹才全■去去去去 呂呂呂呂●●●●;思三星■去去去去 呂呂呂呂●●●●;九音 寺□象■去去去去 七音 呂呂呂呂●●●●;六聲 □□□■去去去去 九聲 呂呂呂呂●●●●;□□□■去去去去 呂呂呂呂●●●●;■山手■去去去去 呂呂呂呂●●●●;十音 ■士石■去去去去 七音 呂呂呂呂●●●●;六聲 ■□耳■去去去去 十聲 呂呂呂呂●●●●;■□二■去去去去 呂呂呂呂●●●●。

左表は第六声の唱和を続け、第七音の末行「鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を配する。第九音の後の二行はただ一つの「■」が末位に残り、前の三位は三つの「□」を並列するが、これはこの類の声母はその位はあれども、当時の字書のうちに用いるに合う字が見つからないことを言う。第十音の首格の「■」は開口の一位にもともとこの音がないことを表明する。右表は第七音の「吕」をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、この下の第八声・第九声・第十声の合わせて十二行は皆「●●●●」とし、これは十声のうち末の三声が位はあって声なきところである。邵雍が十声十二音を立てたのは、十干十二支の数を取って天地に象るのであって、故に声は必ず十に満ち、音は必ず十二に満つる。而して実際に分弁しうる声は七類だけで、音もまた十二類に満たない。残りは空記をもってその位を補い足して、図式が一格も欠けないようにする。

收音清和律三之八

■莊震■去去去去 七七七七多可個舌;十一音 ■乍□■去去去去 八音 七七七七禾火化八;六聲 ■叉赤■去去去去 一聲 七七七七開宰愛○;■崇辰■去去去去 七七七七回每退○;■卓中■去去去去 七七七七良兩向○;十二音 ■宅直■去去去去 八音 七七七七光廣況○;六聲 ■拆丑■去去去去 二聲 七七七七丁井亙○;■茶呈■去去去去 七七七七兄永瑩○。

左表はここで第六声を唱え終わる。「去」は第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」と相配し、十二音はここに全く輪を一過する。この二組の声母は首尾の両格が多く「■」とし、中間にのみ字がある。これは歯音・舌上の一路の声母が開・閉の两位に音なき通例である。右表は改めて「收音清和律三之八」を立て、和音は第八音の「七」に換わる——八音の第三行「草采七■」の第三の格から取ったもので、土位・收音・清声である。「七七七七」はまず第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。第一声の後の二行と第二声の四行の末格はいずれも「○」で、すなわち入声の一位に声はあって填める字がないのである。

去声辟唱呂三之七

古甲九癸欠欠欠欠 七七七七千典旦○;一音 □□近揆欠欠欠欠 八音 七七七七元犬半○;七聲 坤巧丘棄欠欠欠欠 三聲 七七七七臣引艮○;□□乾蚪欠欠欠欠 七七七七君允巽○;黑花香血欠欠欠欠 七七七七刀早孝嶽;二音 黃華雄賢欠欠欠欠 八音 七七七七毛寶報霍;七聲 五瓦仰□欠欠欠欠 四聲 七七七七牛斗奏六;吾牙月堯欠欠欠欠 七七七七○○○玉;安亞乙一欠欠欠欠 七七七七妻子四日;三音 □爻壬寅欠欠欠欠 八音 七七七七衰○帥骨;七聲 母馬美米欠欠欠欠 五聲 七七七七○○○德;目貌眉民欠欠欠欠 七七七七龜水貴北;夫法□飛欠欠欠欠 七七七七宮孔眾○;四音 父凡□吠欠欠欠欠 八音 七七七七龍甬用○;七聲 武晚□尾欠欠欠欠 六聲 七七七七魚鼠去○;文萬□未欠欠欠欠 七七七七烏虎兔○。

左表は改めて「去声辟唱呂三之七」を立て、唱声は第七声の「欠」——七声の第三行「男坎欠○」の第三の格から取ったもので、依然として星位・去声・開口に属する。「欠欠欠欠」は第一音から唱え起こり、第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を歴る。この四組は喉・牙・唇の一路で、格内に多く字があり、ただ「□□近揆」「五瓦仰□」「□爻壬寅」「夫法□飞」の諸所に「□」が見える。右表は第八音の「七」をもって、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。そのうち「衰○帅骨」の上声の一位、「○○○玉」の前の三位は、いずれも声はあって字書に字なきところである。

卜百丙必欠欠欠欠 七七七七心審禁○;五音 步白備鼻欠欠欠欠 八音 七七七七○○○十;七聲 普撲品匹欠欠欠欠 七聲 七七七七男坎欠○;旁排平瓶欠欠欠欠 七七七七○○○妾;東丹帝■欠欠欠欠 七七七七●●●●;六音 兌大弟■欠欠欠欠 八音 七七七七●●●●;七聲 土貪天■欠欠欠欠 八聲 七七七七●●●●;同覃田■欠欠欠欠 七七七七●●●●;乃你女■欠欠欠欠 七七七七●●●●;七音 內南年■欠欠欠欠 八音 七七七七●●●●;七聲 老冷呂■欠欠欠欠 九聲 七七七七●●●●;鹿犖離■欠欠欠欠 七七七七●●●●;走哉足■欠欠欠欠 七七七七●●●●;八音 自在匠■欠欠欠欠 八音 七七七七●●●●;七聲 草采七■欠欠欠欠 十聲 七七七七●●●●;曹才全■欠欠欠欠 七七七七●●●●。

左表は第七声の「欠」を続けて唱え、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を配する。およそ末格に「■」を作るものは、皆閉口の一位にもともとその音がなく、前の唇音の一路で四格とも字を足すものとは異なる。右表は第八音の「七」をもって第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」——この一声はまさに左表の唱声「欠」の出どころである——と和し、続いて第八・第九・第十の三声の十二行は書くところが皆「●●●●」である。十声の実際の界限はここに顕露する。弁じうる声は七類だけで、末の三類は徒らにその位を具えるのみである。声ある位をもって音ある位に乗じ、さらにそれぞれ四等をもって相乗すれば、すなわち毎篇の末尾に記す「一千六十四」「一千三百四十四」の類の数目を得る。これらの数は虚設ではなく、まさに『観物外篇』が動植の数を推衍する張本である。だから図中は一格も省略を肯じない。

收音清和律三之九

思三星■欠欠欠欠 □□□□多可個舌;九音 寺□象■欠欠欠欠 九音 □□□□禾火化八;七聲 □□□■欠欠欠欠 一聲 □□□□開宰愛○;□□□■欠欠欠欠 □□□□回每退○;■山手■欠欠欠欠 □□□□良兩向○;十音 ■士石■欠欠欠欠 九音 □□□□光廣況○;七聲 ■□耳■欠欠欠欠 二聲 □□□□丁井亙○;■□二■欠欠欠欠 □□□□兄永瑩○;■莊震■欠欠欠欠 □□□□千典旦○;十一音 ■乍□■欠欠欠欠 九音 □□□□元犬半○;七聲 ■叉赤■欠欠欠欠 三聲 □□□□臣引艮○;■崇辰■欠欠欠欠 □□□□君允巽○;■卓中■欠欠欠欠 □□□□刀早孝嶽;十二音 ■宅直■欠欠欠欠 九音 □□□□毛寶報霍;七聲 ■拆丑■欠欠欠欠 四聲 □□□□牛斗奏六;■茶呈■欠欠欠欠 □□□□○○○玉。

左表は第九音から第十二音をもって第七声を唱え終わる。「欠」は第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を配する。右表は改めて「收音清和律三之九」を立てる。次第に按れば、この一枚の和音は本来第九音の第三行の第三の格を取るべきところ、第九音の第三・第四の両行はもともと「□□□■」と書かれ、收音の一位に音はあって字がない。したがって和音は「□□□□」とするほかない。それは旧に照らして第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。和音はすでに字がないが、和するところの声は行行に字がある。この種の一空一実の配法は、図中に屡々見られる。

去声辟唱呂三之八

古甲九癸●●●● □□□□妻子四日;一音 □□近揆●●●● 九音 □□□□衰○帥骨;八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 □□□□○○○德;□□乾蚪●●●● □□□□龜水貴北;黑花香血●●●● □□□□宮孔眾○;二音 黃華雄賢●●●● 九音 □□□□龍甬用○;八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 □□□□魚鼠去○;吾牙月堯●●●● □□□□烏虎兔○;安亞乙一●●●● □□□□心審禁○;三音 □爻壬寅●●●● 九音 □□□□○○○十;八聲 母馬美米●●●● 七聲 □□□□男坎欠○;目貌眉民●●●● □□□□○○○妾。

左表は改めて「去声辟唱呂三之八」を立てる。第八声はもともと位はあって声なきの一類で、四行とも「●」である。だからこの一枚の唱声は「●●●●」と書くほかなく、第五声のあの枚が「○○○○」と書いた情形とまた同じではない。一つは声あって字なし、一つは併せてその声もなしである。そうであっても、邵雍は依然として体例に照らしてそれを第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」と一々相唱え、もって図式の全きを見せる。右表は第九音のあの字なき表を続け、「□□□□」をもって第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和す。

夫法□飛●●●● □□□□●●●●;四音 父凡□吠●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 武晚□尾●●●● 八聲 □□□□●●●●;文萬□未●●●● □□□□●●●●;卜百丙必●●●● □□□□●●●●;五音 步白備鼻●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 普撲品匹●●●● 九聲 □□□□●●●●;旁排平瓶●●●● □□□□●●●●;東丹帝■●●●● □□□□●●●●;六音 兌大弟■●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 土貪天■●●●● 十聲 □□□□●●●●;同覃田■●●●● □□□□●●●●。

左表は声なき第八声「●●●●」をもって続けて第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右表のこの十二行は、第九音のあの字なき表が第八声・第九声・第十声と相和するもので、声母の辺は「□□□□」と書き、韻母の辺は「●●●●」と書き、両頭ともに実字がない。この類の片を挙げて空なる格子は、図中では廃筆と算えない。邵雍が十声をもって十二音に配したのは、もともと天地の数を凑え足さんとするのであって、声音の有無・字の有無はいずれも各々その位に安んぜねばならず、有無が相い形を成して、初めて声音の全体を見ることができる。だからこの類の図を見るに、ただ字ある格を数えてはならない。字なき格と字ある格とは同じく一位であり、邵雍の顕示しようとするのはまさに「位」の斉斉しさであって、字の挙げうるか否かは、一時一地の方音と字書に係わることで、位の有無とは両別の事である。

收音清和律三之十

乃你女■●●●● 耳耳耳耳多可個舌;七音 內南年■●●●● 十音 耳耳耳耳禾火化八;八聲 老冷呂■●●●● 一聲 耳耳耳耳開宰愛○;鹿犖離■●●●● 耳耳耳耳回每退○;走哉足■●●●● 耳耳耳耳良兩向○;八音 自在匠■●●●● 十音 耳耳耳耳光廣況○;八聲 草采七■●●●● 二聲 耳耳耳耳丁井亙○;曹才全■●●●● 耳耳耳耳兄永瑩○;思三星■●●●● 耳耳耳耳千典旦○;九音 寺□象■●●●● 十音 耳耳耳耳元犬半○;八聲 □□□■●●●● 三聲 耳耳耳耳臣引艮○;□□□■●●●● 耳耳耳耳君允巽○。

左表は依然として第八声の「●●●●」をもって唱とし、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を配する。右表は改めて「收音清和律三之十」を立て、和音は第十音の「耳」に換わる——十音の第三行「■□耳■」の第三の格から取ったもので、土位・收音・清声である。この一行は首尾ともに「■」で、中間にまた一つの「□」がある。第十音はただ收音の一位にのみ「耳」の字を挙げられることがうかがえる。「耳耳耳耳」はまず第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。

■山手■●●●● 耳耳耳耳刀早孝嶽;十音 ■士石■●●●● 十音 耳耳耳耳毛寶報霍;八聲 ■□耳■●●●● 四聲 耳耳耳耳牛斗奏六;■□二■●●●● 耳耳耳耳○○○玉;■莊震■●●●● 耳耳耳耳妻子四日;十一音 ■乍□■●●●● 十音 耳耳耳耳衰○帥骨;八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 耳耳耳耳○○○德;■崇辰■●●●● 耳耳耳耳龜水貴北;■卓中■●●●● 耳耳耳耳宮孔眾○;十二音 ■宅直■●●●● 十音 耳耳耳耳龍甬用○;八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 耳耳耳耳魚鼠去○;■茶呈■●●●● 耳耳耳耳烏虎兔○。

左表は第八声の空唱を底まで配する。第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」と相当し、十二音はここで輪を尽くし、「去声辟唱呂三之八」の一図は告げ成した。右表は第十音の「耳」をもって第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。第四声の第四行「○○○玉」は入声位にのみ「玉」の字があり、第五声の第二・三行もそれぞれ「○」があり、いずれもその声はあって字書に字なきところである。声母の辺の情形もこれと類する。第十音の「■□耳■」はすなわち顕著な例で、首尾に音なく、第二位は音あって字がなく、四位のうちただ收音の一位のみ「耳」の字を挙げられる。全類の窄まりは、ここにて見える。

去声辟唱呂三之九

古甲九癸●●●● 耳耳耳耳心審禁○;一音 □□近揆●●●● 十音 耳耳耳耳○○○十;九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 耳耳耳耳男坎欠○;□□乾蚪●●●● 耳耳耳耳○○○妾;黑花香血●●●● 耳耳耳耳●●●●;二音 黃華雄賢●●●● 十音 耳耳耳耳●●●●;九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 耳耳耳耳●●●●;吾牙月堯●●●● 耳耳耳耳●●●●;安亞乙一●●●● 耳耳耳耳●●●●;三音 □爻壬寅●●●● 十音 耳耳耳耳●●●●;九聲 母馬美米●●●● 九聲 耳耳耳耳●●●●;目貌眉民●●●● 耳耳耳耳●●●●;夫法□飛●●●● 耳耳耳耳●●●●;四音 父凡□吠●●●● 十音 耳耳耳耳●●●●;九聲 武晚□尾●●●● 十聲 耳耳耳耳●●●●;文萬□未●●●● 耳耳耳耳●●●●。

左表は改めて「去声辟唱呂三之九」を立て、唱声は第九声に属する。第九声は第八声と同じく位はあって声がなく、四行とも「●」である。故に唱声もまた「●●●●」と書く。それは第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」と相唱える。右表は第十音の「耳」をもって第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の第八・第九・第十の三声は皆「●●●●」とする。この片は左右の両辺に同時に行を挙げた黒記が現れ、まさに十声の末と十声の末とが相い遇うところで、声位はともに空である。左辺の黒記は唱声から出、右辺の黒記は和するところの声から出る。来る路は異なれど理は一つである。およそ第八・第九・第十の三声は、唱に居るも和に居るも、言うべき声がない。故にただ四つの黒点をもってその位次を存し、十声の数を欠かせない。ここまで読めば、十声の虚実はすでに一目で瞭然である。前の七類は実、後の三類は虚である。

收音清和律三之十一

卜百丙必●●●● 赤赤赤赤多可個舌;五音 步白備鼻●●●● 十一音 赤赤赤赤禾火化八;九聲 普撲品匹●●●● 一聲 赤赤赤赤開宰愛○;旁排平瓶●●●● 赤赤赤赤回每退○;東丹帝■●●●● 赤赤赤赤良兩向○;六音 兌大弟■●●●● 十一音 赤赤赤赤光廣況○;九聲 土貪天■●●●● 二聲 赤赤赤赤丁井亙○;同覃田■●●●● 赤赤赤赤兄永瑩○;乃你女■●●●● 赤赤赤赤千典旦○;七音 內南年■●●●● 十一音 赤赤赤赤元犬半○;九聲 老冷呂■●●●● 三聲 赤赤赤赤臣引艮○;鹿犖離■●●●● 赤赤赤赤君允巽○;走哉足■●●●● 赤赤赤赤刀早孝嶽;八音 自在匠■●●●● 十一音 赤赤赤赤毛寶報霍;九聲 草采七■●●●● 四聲 赤赤赤赤牛斗奏六;曹才全■●●●● 赤赤赤赤○○○玉。

左表は依然として「去声辟唱呂三之九」で、唱声は第九声にもともとその声がないために「●●●●」と書き、依りて第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」と相唱える。右表は改めて「收音清和律三之十一」を立て、和音は第十一音の「赤」——十一音の第三行「■叉赤■」の第三の格から取ったもので、土位・收音・清声である。「赤赤赤赤」は第一声から和し起こす。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」である。第十一音は開口の一位に音がないので、本行の首格は「■」とし、四格のうちに挙げられるのは「叉」「赤」の二字だけである。

思三星■●●●● 赤赤赤赤妻子四日;九音 寺□象■●●●● 十一音 赤赤赤赤衰○帥骨;九聲 □□□■●●●● 五聲 赤赤赤赤○○○德;□□□■●●●● 赤赤赤赤龜水貴北;■山手■●●●● 赤赤赤赤宮孔眾○;十音 ■士石■●●●● 十一音 赤赤赤赤龍甬用○;九聲 ■□耳■●●●● 六聲 赤赤赤赤魚鼠去○;■□二■●●●● 赤赤赤赤烏虎兔○;■莊震■●●●● 赤赤赤赤心審禁○;十一音 ■乍□■●●●● 十一音 赤赤赤赤○○○十;九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 赤赤赤赤男坎欠○;■崇辰■●●●● 赤赤赤赤○○○妾;■卓中■●●●● 赤赤赤赤●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十一音 赤赤赤赤●●●●;九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 赤赤赤赤●●●●;■茶呈■●●●● 赤赤赤赤●●●●。

左表は第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって、第九声のこの一枚を唱え終わる。右表は第十一音の「赤」をもって第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声に転じ入れば「●●●●」である。この片のうちの「■叉赤■」の一行は、すなわち右表の和音「赤」の本位であり、また左表のうちでは声母の一つとして扱われて空声と相唱える。同一の字が唱表と和表で担当する役割は同じではないことがうかがえる。唱表は声をもって音を領し、一声の下に十二音の四十八行を遍く列ねる。和表は音をもって声を領し、一音の下に十声の四十行を遍く列ねる。同一の字が、ここでは唱えられる音となり、かの所では主として和する音となる。全てそれがいずれの表に落ちるかを見るだけである。

去声辟唱呂三之十

古甲九癸●●●● 赤赤赤赤●●●●;一音 □□近揆●●●● 十一音 赤赤赤赤●●●●;十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 赤赤赤赤●●●●;□□乾蚪●●●● 赤赤赤赤●●●●;黑花香血●●●● 赤赤赤赤●●●●;二音 黃華雄賢●●●● 十一音 赤赤赤赤●●●●;十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 赤赤赤赤●●●●;吾牙月堯●●●● 赤赤赤赤●●●●。

左表は改めて「去声辟唱呂三之十」を立てる。これは「去声辟」の一路の最後の一枚である。第十声もまた位はあって声がなく、唱声は「●●●●」と書き、まず第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」と相唱える。右表は第十一音の「赤」をもって第九声・第十声と和し、八行ともに「●●●●」とする。この八行は左右の両辺を合わせて見れば、声母には字があって韻母には声がなく、実際には一つの音節を唱え成せない。邵雍は依然として一格も省かずに排出する。これは十声十二音の相配する全数を顕示しようとするのであって、有声無声・有字無字がいずれも各々その位を占め、空缺によってその格を廃さない。

收音清和律三之十二

安亞乙一●●●● 王王王王多可個舌;三音 □爻壬寅●●●●;十二音 王王王王禾火化八;十聲 母馬美米●●●● 一聲 王王王王開宰愛○;目貌眉民●●●● 王王王王回每退○;夫法□飛●●●● 王王王王良兩向○;四音 父凡□吠●●●● 十二音 王王王王光廣況○;十聲 武晚□尾●●●● 二聲 王王王王丁井亙○;文萬□未●●●● 王王王王兄永瑩○;卜百丙必●●●● 王王王王千典旦○;五音 步白備鼻●●●● 十二音 王王王王元犬半○;十聲 普撲品匹●●●● 三聲 王王王王臣引艮○;旁排平瓶●●●● 王王王王君允巽○;東丹帝■●●●● 王王王王刀早孝嶽。

左表は第十声の空位を続けて唱え、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、および第六音の首行「东丹帝■」を配する。そのうち「三音 □爻壬寅●●●●」の一行の下の右欄の文字は、別の行に写し落とされてしまい、遂に两截となった。読むときは「十二音 王王王王禾火化八」を右欄に接ぎ戻すべきである。右表は改めて「收音清和律三之十二」を立て、これは「收音清」の一路の末の一枚である。次第に按すれば、和音は第十二音の第三行「■拆丑■」の第三の格「丑」を取るべきところ、底本は「王」と書く。字形が「丑」と近いので、まさに刊刻の訛りであろう。今は依然として底本の原字を存する。「王王王王」は第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、および第四声の首行「刀早孝岳」と和す。

六音 兌大弟■●●●● 十二音 王王王王毛寶報霍;十聲 土貪天■●●●● 四聲 王王王王牛斗奏六;同覃田■●●●● 王王王王○○○玉;乃你女■●●●● 王王王王妻子四日;七音 內南年■●●●● 十二音 王王王王衰○帥骨;十聲 老冷呂■●●●● 五聲 王王王王○○○德;鹿犖離■●●●● 王王王王龜水貴北;走哉足■●●●● 王王王王宮孔眾○;八音 自在匠■●●●● 十二音 王王王王龍甬用○;十聲 草采七■●●●● 六聲 王王王王魚鼠去○;曹才全■●●●● 王王王王烏虎兔○;思三星■●●●● 王王王王心審禁○;九音 寺□象■●●●● 十二音 王王王王○○○十;十聲 □□□■●●●● 七聲 王王王王男坎欠○。

左表は第十声の空唱をもって第六音の「兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を配し終え、次いで第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、および第九音の「思三星■、寺□象■、□□□■」を配する。右表は第十二音のあの字形すでに訛れた和音を用い、続けて第四声の後の三行「毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。行間の「十二音」と「四声、五声、六声、七声」は、右表が組を逐うて推移する標目であり、左辺の「十声」は終始動かない。これは一枚の唱表はただ一つの声を用いるからである。この類の展平された表行を読むに、每一行はいずれも左右の両欄が各々一行を出して拼合して成ることを記えなければならない。左欄は唱表に属し、右欄は和表に属し、両辺の内容は互いに相い干わず、連ねて一句にしてはならない。中間に挟まる「十二音」「四声」などの小字もまた、ただそれぞれのあの欄の座標にすぎない。

□□□■●●●● 王王王王○○○妾;■山手■●●●● 王王王王●●●●;十音 ■士石■●●●● 十二音 王王王王●●●●;十聲 ■□耳■●●●● 八聲 王王王王●●●●;■□二■●●●● 王王王王●●●●;■莊震●●●●。 王王王王●●●●;十一音 ■乍□■●●●● 十二音 王王王王●●●●;十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 王王王王●●●●;■崇辰■●●●● 王王王王●●●●;■卓中■●●●● 王王王王●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十二音 王王王王●●●●;十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 王王王王●●●●;■茶呈■●●●● 王王王王●●●●。

左表は第九音の末行「□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって収束する。そのうち「■庄震●●●●。」の一行は、本来「■庄震■」とすべきところ、底本は末位の「■」を脱し、一つの句号を衍出させた。今は照らし写して改めない。右表は第十二音をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、以下の第八・第九・第十の三声の十二行は全て「●●●●」である。ここに至って、星位去声・開口の一路の十枚の唱表と、土位收音・清声の一路の十二枚の和表は、いずれも配し終わり、観物篇四十五の声音図は一段落する。この一篇を合計すれば、唱表十枚、枚ごとに四十八行で合わせて四百八十行。和表十二枚、枚ごとに四十行でまた合わせて四百八十行。左右はちょうど相当する。故に両欄を並べて一箇所に刻することができ、展平した後に初めて現在のような一行両截の様子となったのである。

観物篇四十六

星辰聲去翕 土石音收濁 退瑩巽○貴 乾月眉□平田 兔○●●● 離全□二辰呈 星辰聲七,下唱地之 土石音十二,上和天 用音一百五十二,是 之用聲一百一十二, 謂去聲翕音。去聲翕 是謂收音濁聲。收音 音一千六十四。 濁聲一千三百四十四。

この段の題記はもともと左右の両欄に並列したが、横行に写されてから両欄の文字が交錯した。拆き分けて読まなければならない。左欄の標目「星辰声去翕」は、本篇の取るところが、十声のうち「星」の位と「辰」の行とが相交わる一格を言う——「星」は去声に当たり、「辰」は合口に当たり、合わせて「去声翕」と称す。この十個の格子は順に「退、莹、巽、○、贵、兔、○、●、●、●」で、第四声と第七声は声はあって挙げるべき字がなく「○」と書き、第八から第十声はもともとその声がなく「●」と書く。実に声位あるものは合わせて七類である。左欄の正文を連ねて読めば、「星辰声七、下に地の用音一百五十二を唱う、これを去声翕音と謂う。去声翕音一千六十四」。七つの声位がそれぞれ地上の用いうる一百五十二個の音を唱えに下り、七に一百五十二を乗じ、一千零六十四を得る。右欄の標目「土石音收濁」は、本篇の音が、十二音のうち「土」の位と「石」の行とが相交わる一格を取ることを言う——「土」は收音に当たり、「石」は濁声に当たる。この十二個の格子は「干、月、眉、□、平、田、离、全、□、二、辰、呈」で、第四音と第九音は音位はあって字がなく「□」と書き、十二音の位には一つの空缺もない。右欄の正文を連ねて読めば、「土石音十二、上に天の用声一百一十二を和す、これを收音濁声と謂う。收音濁声一千三百四十四」。十二の音位がそれぞれ天上の用いうる一百一十二個の声を和しに上り、十二に一百一十二を乗じ、一千三百四十四を得る。声は天にあって唱を主とするので、その表を「呂」と称し、音は地にあって和を主とするので、その表を「律」と称す。

星辰声去之四翕 土石音收之四濁

去声翕唱呂四之一 收音濁和律四之一

古甲九癸退退退退 乾乾乾乾多可個舌;一音 □□近揆退退退退 一音 乾乾乾乾禾火化八;一聲 坤巧丘棄退退退退 一聲 乾乾乾乾開宰愛○;□□乾蚪退退退退 乾乾乾乾回每退○;黑花香血退退退退 乾乾乾乾良兩向○;二音 黃華雄賢退退退退 一音 乾乾乾乾光廣況○;一聲 五瓦仰□退退退退 二聲 乾乾乾干丁井亙○;吾牙月堯退退退退 乾乾乾乾兄永瑩○;安亞乙一退退退退 乾乾乾乾千典旦○;三音 □爻壬寅退退退退 一音 乾乾乾乾元犬半○;一聲 母馬美米退退退退 三聲 乾乾乾乾臣引艮○;目貌眉民退退退退 乾乾乾乾君允巽○;夫法□飛退退退退 乾乾乾乾刀早孝嶽;四音 父凡□吠退退退退 一音 乾乾乾乾毛寶報霍。

二枚の新しい表が併せて起こる。左半は「去声翕唱呂四之一」で、唱声は第一声の「退」——一声の第四行「回每退○」の第三の格から取ったもので、すなわち辰位・去声・合口(翕)である。これは前の一篇に用いた「爱」と同じく第一声の去声に属し、ただ開合の別があるだけである。「退退退退」は第一音から唱え起こす。第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、および第四音の「夫法□飞、父凡□吠」である。右半は「收音濁和律四之一」で、和音は第一音の「干」——一音の第四行「□□乾蚪」の第三の格から取ったもので、すなわち石行・收音・濁声である。「干」と「乾」は同一の字の両書である。「干干干干」は第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和し、さらに第四声の「刀早孝岳、毛宝报霍」を接ぐ。

一聲 武晚□尾退退退退 四聲 乾乾乾乾牛斗奏六;文萬□未退退退退 乾乾乾乾○○○玉;卜百丙必退退退退 乾乾乾乾妻子四日;五音 步白備鼻退退退退 一音 乾乾乾乾衰○帥骨;一聲 普撲品匹退退退退 五聲 乾乾乾乾○○○德;旁排平瓶退退退退 乾乾乾乾龜水貴北;東丹帝■退退退退 乾乾乾乾宮孔眾○;六音 兌大弟■退退退退 一音 乾乾乾乾龍甬用○;一聲 土貪天■退退退退 六聲 乾乾乾乾魚鼠去○;同覃田■退退退退 乾乾乾乾烏虎兔○;乃你女■退退退退 乾乾乾乾心審禁○;七音 內南年■退退退退 一音 乾乾乾乾○○○十;一聲 老冷呂■退退退退 七聲 乾乾乾乾男坎欠○。

左表は第一声の「退」を接続して唱える。第四音の「武晚□尾、文万□未」を補い足し、次いで第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、および第七音の「乃你女■、内南年■、老冷吕■」を配する。第四音の三行にはいずれも「□」があり、発音の一位に音あって字なきである。第六・第七音の末格の「■」は、閉口の一位に音なきである。右表は第一音の「干」をもって第四声「牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。第五声の第三行「○○○德」は入声位にのみ「德」の字があり、残りの三位は声あって字なしである。まさに左表の唱声が第一声の第四行から出たと照り映える。同じ格のうちに字を挙げられるかどうかは、全て当時の字書を見る。

鹿犖離■退退退退 乾乾乾乾○○○妾;走哉足■退退退退 乾乾乾乾●●●●;八音 自在匠■退退退退 一音 乾乾乾乾●●●●;一聲 草采七■退退退退 八聲 乾乾乾乾●●●●;曹才全■退退退退 乾乾乾乾●●●●;思三星■退退退退 乾乾乾乾●●●●;九音 寺□象■退退退退 一音 乾乾乾乾●●●●;一聲 □□□■退退退退 九聲 乾乾乾乾●●●●;□□□■退退退退 乾乾乾乾●●●●;■山手■退退退退 乾乾乾乾●●●●;十音 ■士石■退退退退 一音 乾乾乾乾●●●●;一聲 ■□耳■退退退退 十聲 乾乾乾乾●●●●;■□二■退退退退 乾乾乾乾●●●●。

左表は第七音の末行「鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」をもって続けて「退」と相唱える。第九音の後の二行は開・発・收の三位に三つの「□」を並列し、第十音は首格が「■」である。一つは音あって字なし、一つは本位に音なしで、図を読むとき混同してはならない。右表は第一音の「干」をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、その下の第八声・第九声・第十声の合わせて十二行は皆「●●●●」とする。十声のうち真に声を成すのは七類だけである。だから每一枚の和表は末尾に至ると、つねにこのような一片の黒記をもって収場する。振り返って唱表を見れば、每一枚は必ず第十一音・第十二音をもって収束する。あの二類の声母は開口の一位に音がないので、行首に多く「■」とする。一辺は声に尽き、一辺は音に尽きる。両表の収梢にはそれぞれ定式があり、翻検するにこれに依ればどの枚の末尾に読み至ったかを判断できる。

收音濁和律四之二

■莊震■退退退退 月月月月多可個舌;十一音 ■乍□■退退退退 二音 月月月月禾火化八;一聲 ■叉赤■退退退退 一聲 月月月月開宰愛○;■崇辰■退退退退 月月月月回每退○;■卓中■退退退退 月月月月良兩向○;十二音 ■宅直■退退退退 二音 月月月月光廣況○;一聲 ■拆丑■退退退退 二聲 月月月月丁井亙○;■茶呈■退退退退 月月月月兄永瑩○。

左表は第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって第一声を唱え終わり、「去声翕唱呂四之一」はここに篇を完うする。右表は改めて「收音濁和律四之二」を立て、和音は第二音の「月」に換わる——二音の第四行「吾牙月尧」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。「月月月月」はまず第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。第一声の頭の二行は四字ともに斉備し、全図のうち最も完整の一格である。この後の各行は末位に多く「○」を作り、入声の一位はその声あれども、通行の字を挙げて数に充てられないことを説明する。

去声翕唱呂四之二

古甲九癸瑩瑩瑩瑩 月月月月千典旦○;一音 □□近揆瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月元犬半○;二聲 坤巧丘棄瑩瑩瑩瑩 三聲 月月月月臣引艮○;□□乾蚪瑩瑩瑩瑩 月月月月君允巽○;黑花香血瑩瑩瑩瑩 月月月月刀早孝嶽;二音 黃華雄賢瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月毛寶報霍;二聲 五瓦仰□瑩瑩瑩瑩 四聲 月月月月牛斗奏六;吾牙月堯瑩瑩瑩瑩 月月月月○○○玉;安亞乙一瑩瑩瑩瑩 月月月月妻子四日;三音 □爻壬寅瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月衰○帥骨;二聲 母馬美米瑩瑩瑩瑩 五聲 月月月月○○○德;目貌眉民瑩瑩瑩瑩 月月月月龜水貴北;夫法□飛瑩瑩瑩瑩 月月月月宮孔眾○;四音 父凡□吠瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月龍甬用○;二聲 武晚□尾瑩瑩瑩瑩 六聲 月月月月魚鼠去○;文萬□未瑩瑩瑩瑩 月月月月烏虎兔○。

左表は改めて「去声翕唱呂四之二」を立て、唱声は第二声の「莹」に換わる——二声の第四行「兄永莹○」の第三の格から取ったもので、辰位・去声・合口である。「莹莹莹莹」は頭から輪を唱える。第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」。右表は第二音の「月」を続け、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左表の唱える「莹」は、ちょうどよく右表の和する第二声の行内にも現れる。唱と和が字を取るのは同源でありながら、分かれて両表に属する。これは偶合ではない。唱表の声と和表の和する声とはもともと同一副の十声図であり、唱表の配する音と和表の音もまた同じく一副の十二音図から出る。ただ取用の方向が一縦一横であるために、つねに同じ片のうちで彼此照面するのである。

卜百丙必瑩瑩瑩瑩 月月月月心審禁○;五音 步白備鼻瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月○○○十;二聲 普撲品匹瑩瑩瑩瑩 七聲 月月月月男坎欠□;旁排平瓶瑩瑩瑩瑩 月月月月□□□妾;東丹帝■瑩瑩瑩瑩 月月月月●●●●;六音 兌大弟■瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月●●●●;二聲 土貪天■瑩瑩瑩瑩 八聲 月月月月●●●●;同覃田■瑩瑩瑩瑩 月月月月●●●●;乃你女■瑩瑩瑩瑩 月月月月●●●●;七音 內南年■瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月●●●●;二聲 老冷呂■瑩瑩瑩瑩 九聲 月月月月●●●●;鹿犖離■瑩瑩瑩瑩 月月月月●●●●;走哉足■瑩瑩瑩瑩 月月月月●●●●;八音 自在匠■瑩瑩瑩瑩 二音 月月月月●●●●;二聲 草采七■瑩瑩瑩瑩 十聲 月月月月●●●●;曹才全■瑩瑩瑩瑩 月月月月●●●●。

左表は第二声の「莹」をもって続けて相唱え、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を配する。右表は第二音の「月」をもって第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠□、□□□妾」と和し、この下の第八・第九・第十の三声は皆「●●●●」とする。留意しなければならないのは、第七声の後の二行は他処の体例に照らせば「男坎欠○」「○○○妾」とすべきところ、ここでは「□」に刻んである。「□」は音表の用いる空記であって、声行のうちに用いるのは全書の通例に合わない。まさに刊版のとき誤って別種の記号を用いたのであろう。今は依然として底本の旧に存する。本書の伝本は屡々翻刻を経て、記号の互いに窜り、字形の相い乱れるところは一見に止まらない。読むにただ上下の同一の格の書き方を比較対照すれば、いずれが正かを判定でき、必ずしも誤本に拠って正文を改易してはならず、またこの類の刻誤を邵雍が別に深意あると見做してもならない。

收音濁和律四之三

思三星■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉多可個舌;九音 寺□象■瑩瑩瑩瑩 三音 眉眉眉眉禾火化八;二聲 □□□■瑩瑩瑩瑩 一聲 眉眉眉眉開宰愛○;□□□■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉回每退○;■山手■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉良兩向○;十音 ■士石■瑩瑩瑩瑩 三音 眉眉眉眉光廣況○;二聲 ■□耳■瑩瑩瑩瑩 二聲 眉眉眉眉丁井亙○;■□二■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉兄永瑩○;■莊震■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉千典旦○;十一音 ■乍□■瑩瑩瑩瑩 三音 眉眉眉眉元犬半○;二聲 ■叉赤■瑩瑩瑩瑩 三聲 眉眉眉眉臣引艮○;■崇辰■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉君允巽○;■卓中■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉刀早孝嶽;十二音 ■宅直■瑩瑩瑩瑩 三音 眉眉眉眉毛寶報霍;二聲 ■拆丑■瑩瑩瑩瑩 四聲 眉眉眉眉牛斗奏六;■茶呈■瑩瑩瑩瑩 眉眉眉眉○○○玉。

左表は第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって第二声を唱え終わる。右表は改めて「收音濁和律四之三」を立て、和音は第三音の「眉」——三音の第四行「目貌眉民」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。「眉眉眉眉」は第一声から和し起こす。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」である。第三音の四行十六格は字が最も完足し、第九音以下の動もすれば行を挙げて空缺するものと比べ、正に十二音の疏密の斉しからざるを見る。この種の斉しからざるはそのものが、すなわち邵雍の記録しようとする事実であり、図中には斉しさを求めるがために妄りに一字を補うこともしない。

去声翕唱呂四之三

古甲九癸巽巽巽巽 眉眉眉眉妻子四日;一音 □□近揆巽巽巽巽 三音 眉眉眉眉衰○帥骨;三聲 坤巧丘棄巽巽巽巽 五聲 眉眉眉眉○○○德;□□乾蚪巽巽巽巽 眉眉眉眉龜水貴北;黑花香血巽巽巽巽 眉眉眉眉宮孔眾○;二音 黃華雄賢巽巽巽巽 三音 眉眉眉眉龍甬用○;三聲 五瓦仰□巽巽巽巽 六聲 眉眉眉眉魚鼠去○;吾牙月堯巽巽巽巽 眉眉眉眉烏虎兔○;安亞乙一巽巽巽巽 眉眉眉眉心審禁○;三音 □爻壬寅巽巽巽巽 三音 眉眉眉眉○○○十;三聲 母馬美米巽巽巽巽 七聲 眉眉眉眉男坎欠○;目貌眉民巽巽巽巽 眉眉眉眉○○○妾。

左表は改めて「去声翕唱呂四之三」を立て、唱声は第三声の「巽」に換わる——三声の第四行「君允巽○」の第三の格から取ったもので、辰位・去声・合口である。「巽巽巽巽」は第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」と相唱える。右表は続けて第三音の「眉」をもって第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和す。左表の末行の「目貌眉民」はまさに右表の和音「眉」の本行で、両表はここの所に交わる。唱える者と和する者はもともと同一枚の声音総図から出ることがうかがえる。

夫法□飛巽巽巽巽 眉眉眉眉●●●●;四音 父凡□吠巽巽巽巽 三音 眉眉眉眉●●●●;三聲 武晚□尾巽巽巽巽 八聲 眉眉眉眉●●●●;文萬□未巽巽巽巽 眉眉眉眉●●●●;卜百丙必巽巽巽巽 眉眉眉眉●●●●;五音 步白備鼻巽巽巽巽 三音 眉眉眉眉●●●●;三聲 普撲品匹巽巽巽巽 九聲 眉眉眉眉●●●●;旁排平瓶巽巽巽巽 眉眉眉眉●●●●;東丹帝■巽巽巽巽 眉眉眉眉●●●●;六音 兌大弟■巽巽巽巽 三音 眉眉眉眉●●●●;三聲 土貪天■巽巽巽巽 十聲 眉眉眉眉●●●●;同覃田■巽巽巽巽 眉眉眉眉●●●●。

左表は第三声の「巽」を続けて唱え、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を配する。第四音の四行は中間の一格が皆「□」で、発音の一位に音位あって字がなく、第六音の末格の「■」は閉口の一位に音なきである。右表のこの十二行は、第三音の「眉」が第八声・第九声・第十声と相和するもので、ことごとく「●●●●」とする。およそ一枚の和表が第八声以下に推し至れば、必ずこのような片を挙げた黒記となる。十声のうち真に声を成すのは第七声までに止まり、末の三声はただ十位を凑え足すために設けたものだからである。声は必ず十に満ち、音は必ず十二に満つる。これが全図の間架である。声は天に属して十干の数を用い、音は地に属して十二支の数を用いる。字の有無・声の有無は、いずれもこの間架の内にあって各々その位に安んずる。

收音濁和律四之四

乃你女■巽巽巽巽 □□□□多可個舌;七音 內南年■巽巽巽巽 四音 □□□□禾火化八;三聲 老冷呂■巽巽巽巽 一聲 □□□□開宰愛○;鹿犖離■巽巽巽巽 □□□□回每退○;走哉足■巽巽巽巽 □□□□良兩向○;八音 自在匠■巽巽巽巽 四音 □□□□光廣況○;三聲 草采七■巽巽巽巽 二聲 □□□□丁井亙○;曹才全■巽巽巽巽 □□□□兄永瑩○;思三星■巽巽巽巽 □□□□千典旦○;九音 寺□象■巽巽巽巽 四音 □□□□元犬半○;三聲 □□□■巽巽巽巽 三聲 □□□□臣引艮○;□□□■巽巽巽巽 □□□□君允巽○。

左表は第三声の「巽」をもって第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を配する。右表は改めて「收音濁和律四之四」を立てる。次第に按すれば第四音の第四行「文万□未」の第三の格を取って和音とすべきところ、あの格はちょうど「□」である——この音位はあって挙げるべき字がない。だから全表の和音は「□□□□」と書き、依然として四位を並列してもって声行の四等に配する。それはまず第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左表の末行の「君允巽○」はまさに唱声「巽」の本行であり、唱える者と和するところの声とが同じ片のうちに照面する。

■山手■巽巽巽巽 □□□□刀早孝嶽;十音 ■士石■巽巽巽巽 四音 □□□□毛寶報霍;三聲 ■□耳■巽巽巽巽 四聲 □□□□牛斗奏六;■□二■巽巽巽巽 □□□□○○○玉;■莊震■巽巽巽巽 □□□□妻子四日;十一音 ■乍□■巽巽巽巽 四音 □□□□衰○帥骨;三聲 ■叉赤■巽巽巽巽 五聲 □□□□○○○德;■崇辰■巽巽巽巽 □□□□龜水貴北;■卓中■巽巽巽巽 □□□□宮孔眾○;十二音 ■宅直■巽巽巽巽 四音 □□□□龍甬用○;三聲 ■拆丑■巽巽巽巽 六聲 □□□□魚鼠去○;■茶呈■巽巽巽巽 □□□□烏虎兔○。

左表は第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって、第三声のこの一枚を唱え満たす。この三類の声母は首格が一概に「■」で、それらが開口の一位に音なきことを説明し、挙げられる字はいずれも発・收の两位に集まる。右表は第四音のあの組の字なき和音を続けて用い、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。和音はすでに「□」であるが、和するところの声には字がある。邵雍が表を立てるのは声位・音位をもって相配するのであって、字の有無をもって断としないことがうかがえる。

去声翕唱呂四之四

古甲九癸○○○○ □□□□心審禁○;一音 □□近揆○○○○ 四音 □□□□○○○十;四聲 坤巧丘棄○○○○ 七聲 □□□□男坎欠○;□□乾蚪○○○○ □□□□○○○妾;黑花香血○○○○ □□□□●●●●;二音 黃華雄賢○○○○ 四音 □□□□●●●●;四聲 五瓦仰□○○○○ 八聲 □□□□●●●●;吾牙月堯□□□□ □□□□●●●●;安亞乙一○○○○ □□□□●●●●;三音 □爻壬寅○○○○ 四音 □□□□●●●●;四聲 母馬美米○○○○ 九聲 □□□□●●●●;目貌眉民○○○○ □□□□●●●●;夫法□飛○○○○ □□□□●●●●;四音 父凡□吠○○○○ 四音 □□□□●●●●;四聲 武晚□尾○○○○ 十聲 □□□□●●●●;文萬□未○○○○ □□□□●●●●。

左表は改めて「去声翕唱呂四之四」を立てる。この一枚の唱声は第四声の第四行「○○○玉」の第三の格を取るべきところ、あの格はまさに「○」、すなわち声位あって字がない。故に通篇は「○○○○」と書く。それは順に第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」と相唱える。そのうち「吾牙月尧」の一行の唱声は底本では「□□□□」と刻し、全表が「○○○○」とするのと合わない。声表にはもともと「□」を用いるべきではなく、まさに刻工が誤って音表の記号を置いたのであろう。右表は第四音のあの字なき表を和し終える。まず第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の第八・第九・第十の三声は皆「●●●●」である。本篇の用いる唱声は、およそ「○」を取ったもの、たとえば第四声・第七声のこの二枚は、通篇が皆円圏となり、およそ「●」を取ったもの、たとえば第八・第九・第十のあの三枚は、通篇が皆黒点となる。表は空なれども位は廃さない。これがこの図の一定の体例である。

收音濁和律四之五

卜百丙必○○○○ 平平平平多可個舌;五音 步白備鼻○○○○ 五音 平平平平禾火化八;四聲 普撲品匹○○○○ 一聲 平平平平開宰愛○;旁排平瓶○○○○ 平平平平回每退○;東丹帝■○○○○ 平平平平良兩向○;六音 兌大弟■○○○○ 五音 平平平平光廣況○;四聲 土貪天■○○○○ 二聲 平平平平丁井亙○;同覃田■○○○○ 平平平平兄永瑩○;乃你女■○○○○ 平平平平千典旦○;七音 內南年■○○○○ 五音 平平平平元犬半○;四聲 老冷呂■○○○○ 三聲 平平平平臣引艮○;鹿犖離■○○○○ 平平平平君允巽○;走哉足■○○○○ 平平平平刀早孝嶽;八音 自在匠■○○○○ 五音 平平平平毛寶報霍;四聲 草采七■○○○○ 四聲 平平平平牛斗奏六;曹才全■○○○○ 平平平平○○○玉。

左表は依然として第四声のあの組の字なき「○○○○」をもって唱とし、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を配する。右表は改めて「收音濁和律四之五」を立て、和音は第五音の「平」——五音の第四行「旁排平瓶」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。この一行は四字ともに斉い、十二音のうち稀な満格である。「平平平平」は第一声から和し起こり、第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」を歴る。第五音は四位ともに備わり、十二音のうち字が最も完足の一類である。故にこの一枚の和表は首から尾まで実字の対することがある。

思三星■○○○○ 平平平平妻子四日;九音 寺□象■○○○○ 五音 平平平平衰○帥骨;四聲 □□□■○○○○ 五聲 平平平平○○○德;□□□■○○○○ 平平平平龜水貴北;■山手■○○○○ 平平平平宮孔眾○;十音 ■士石■○○○○ 五音 平平平平龍甬用○;四聲 ■□耳■○○○○ 六聲 平平平平魚鼠去○;■□二■○○○○ 平平平平烏虎兔○;■莊震■○○○○ 平平平平心審禁○;十一音 ■乍□■○○○○ 五音 平平平平○○○十;四聲 ■叉赤■○○○○ 七聲 平平平平男坎欠○;■崇辰■○○○○ 平平平平○○○妾;■卓中■○○○○ 平平平平●●●●;十二音 ■宅直■○○○○ 五音 平平平平●●●●;四聲 ■拆丑■○○○○ 八聲 平平平平●●●●;■茶呈■○○○○ 平平平平●●●●。

左表は第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって第四声を唱え終わる。右表は第五音の「平」をもって第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声に至れば「●●●●」の四行に転ずる。この片のうち、左辺の唱声は通篇が「○」で、右辺の和するところの声は字あるところから漸く声なきに入る。両辺の空記の性質は各々異なる。一つは字の欠け、一つは声の亡びである。字の欠けたる者は他日あるいは補いうべく、声の亡びたる者はついに補いうべからず。邵雍が二種の記号を分かち設けたのは、まさに「補うべき」と「補うべからず」とを画したいのであって、図を読む者をして字なきを誤って声なしと認めず、また声なきを誤って偶然その字を欠くと認めざらしめる。

去声翕唱呂四之五

古甲九癸貴貴貴貴 平平平平●●●●;一音 □□近揆貴貴貴貴 五音 平平平平●●●●;五聲 坤巧丘棄貴貴貴貴 九聲 平平平平●●●●;□□乾蚪貴貴貴貴 平平平平●●●●;黑花香血貴貴貴貴 平平平平●●●●;二音 黃華雄賢貴貴貴貴 五音 平平平平●●●●;五聲 五瓦仰□貴貴貴貴 十聲 平平平平●●●●;吾牙月堯貴貴貴貴 平平平平●●●●。

左表は改めて「去声翕唱呂四之五」を立て、唱声は第五声の「贵」——五声の第四行「龟水贵北」の第三の格から取ったもので、辰位・去声・合口である。この一行は四字ともに具わり、同一声の第三行「○○○德」が入声の一格のみ字あると、ちょうど対照を成す。開合の両呼の字数の多寡の懸殊がうかがえる。「贵贵贵贵」はまず第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」と相唱える。右表は第五音「平」の和声を収尾し、対する第九声・第十声の合わせて八行は皆「●●●●」である。声位がすでにないので、自然にも音と相和するとは言い得ない。

收音濁和律四之六

安亞乙一貴貴貴貴 田田田田多可個舌;三音 □爻壬寅貴貴貴貴 六音 田田田田禾火化八;五聲 母馬美米貴貴貴貴 一聲 田田田田開宰愛○;目貌眉民貴貴貴貴 田田田田回每退○;夫法□飛貴貴貴貴 田田田田良兩向○;四音 父凡□吠貴貴貴貴 六音 田田田田光廣況○;五聲 武晚□尾貴貴貴貴 二聲 田田田田丁井亙○;文萬□未貴貴貴貴 田田田田兄永瑩○;卜百丙必貴貴貴貴 田田田田千典旦○;五音 步白備鼻貴貴貴貴 六音 田田田田元犬半○;五聲 普撲品匹貴貴貴貴 三聲 田田田田臣引艮○;旁排平瓶貴貴貴貴 田田田田君允巽○;東丹帝■貴貴貴貴 田田田田刀早孝嶽;六音 兌大弟■貴貴貴貴 六音 田田田田毛寶報霍。

左表は第五声の「贵」を続けて唱え、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、および第六音の前の二行「东丹帝■、兑大弟■」を配する。右表は改めて「收音濁和律四之六」を立て、和音は第六音の「田」——六音の第四行「同覃田■」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。その行の末格の「■」は第六音が閉口の一位に音なきことを説明し、故にただ三字を挙げられるのみである。「田田田田」は第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和し、さらに第四声の「刀早孝岳、毛宝报霍」を接ぐ。第四声の後の二行は下の片を俟たなければ配し斉えることができない。図中は四行ごとに一組を成し、ここの中断はまさに組内に落ちる。

五聲 土貪天■貴貴貴貴 四聲 田田田田牛斗奏六;同覃田■貴貴貴貴 田田田田○○○玉;乃你女■貴貴貴貴 田田田田妻子四日;七音 內南年■貴貴貴貴 六音 田田田田衰○帥骨;五聲 老冷呂■貴貴貴貴 五聲 田田田田○○○德;鹿犖離■貴貴貴貴 田田田田龜水貴北;走哉足■貴貴貴貴 田田田田宮孔眾○;八音 自在匠■貴貴貴貴 六音 田田田田龍甬用○;五聲 草采七■貴貴貴貴 六聲 田田田田魚鼠去○;曹才全■貴貴貴貴 田田田田烏虎兔○;思三星■貴貴貴貴 田田田田心審禁○;九音 寺□象■貴貴貴貴 六音 田田田田○○○十;五聲 □□□■貴貴貴貴 七聲 田田田田男坎欠○。

左表は第六音の「土贪天■、同覃田■」を接続して唱え、次いで第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、および第九音の「思三星■、寺□象■、□□□■」を配する。右表は第六音の「田」をもって第四声「牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。ここの左表の唱える「贵」は、まさに右表の和する第五声「龟水贵北」から出たものであり、右表の和する「同覃田■」の一行は、また左表のこの片のうちの一つの声母である。唱表と和表は首尾が相い啣らい、同じく一副の字を用いる。この類の互見は図中に屡々現れる。およそ和表の音字は必ず唱表のある一行の声母のうちの一位であり、およそ唱表の声字もまた必ず和表のある一行の韻母のうちの一位である。両表の拠るところは、もともと同一枚の声音総図であり、ただ取用の方向が異なるために、分かれて唱と和の両路となったのである。

□□□■貴貴貴貴 田田田田○○○妾;■山手■貴貴貴貴 田田田田●●●●;十音 ■士石■貴貴貴貴 六音 田田田田●●●●;五聲 ■□耳■貴貴貴貴 八聲 田田田田●●●●;■□二■貴貴貴貴 田田田田●●●●;■莊震■貴貴貴貴 田田田田●●●●;十一音 ■乍□■貴貴貴貴 六音 田田田田●●●●;五聲 ■叉赤■貴貴貴貴 九聲 田田田田●●●●;■崇辰■貴貴貴貴 田田田田●●●●;■卓中■貴貴貴貴 田田田田●●●●;十二音 ■宅直■貴貴貴貴 六音 田田田田●●●●;五聲 ■拆丑■貴貴貴貴 十聲 田田田田●●●●;■茶呈■貴貴貴貴 田田田田●●●●。

左表は第九音の末行「□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって、第五声の一枚を唱え終わる。第九音の末行は三つの「□」が並列し、開・発・收の三位に音あって字がなく、第十音以下の首格の「■」は開口の一位に音なきで、両者は相い混じえられない。右表は第六音の「田」をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、この下の第八・第九・第十の三声の十二行は皆「●●●●」とする。「收音濁和律四之六」はここに至って和し終わる。一枚の和表はおよそ四十行で、前の二十八行は前の七声に配してなお挙げるべき字があり、後の十二行は末の三声に配して全て空位に属する。だから每一枚の和表の下の三分の一は、見るところつねに一片の墨版のようである。これは図式がそうさせるのであって、底本が漫漶したのではない。

去声翕唱呂四之六 收音濁和律四之七

古甲九癸兔兔兔兔 離離離離多可個舌;一音 □□近揆兔兔兔兔 七音 離離離離禾火化八;六聲 坤巧丘棄兔兔兔兔 一聲 離離離離開宰愛○;□□乾蚪兔兔兔兔 離離離離回每退○;黑花香血兔兔兔兔 離離離離良兩向○;二音 黃華雄賢兔兔兔兔 七音 離離離離光廣況○;六聲 五瓦仰□兔兔兔兔 二聲 離離離離丁井亙○;吾牙月堯兔兔兔兔 離離離離兄永瑩○;安亞乙一兔兔兔兔 離離離離千典旦○;三音 □爻壬寅兔兔兔兔 七音 離離離離元犬半○;六聲 母馬美米兔兔兔兔 三聲 離離離離臣引艮○;目貌眉民兔兔兔兔 離離離離君允巽○;夫法□飛兔兔兔兔 離離離離刀早孝嶽;四音 父凡□吠兔兔兔兔 七音 離離離離毛寶報霍。

二枚の新しい表が同時に首を起こす。左半は「去声翕唱呂四之六」で、唱声は第六声の「兔」——六声の第四行「乌虎兔○」の第三の格から取ったもので、辰位・去声・合口である。この一行は入声の一位のみ「○」とし、残りの三位には字がある。「兔兔兔兔」は第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、および第四音の「夫法□飞、父凡□吠」と相唱える。右半は「收音濁和律四之七」で、和音は第七音の「离」——七音の第四行「鹿荦离■」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。「离离离离」は第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和し、さらに第四声の「刀早孝岳、毛宝报霍」を接ぐ。

六聲 武晚□尾兔兔兔兔 四聲 離離離離牛斗奏六;文萬□未免兔兔兔 離離離離○○○玉;卜百丙必兔兔兔兔 離離離離妻子四日;五音 步白備鼻兔兔兔兔 七音 離離離離衰○帥骨;六聲 普撲品匹兔兔兔兔 五聲 離離離離○○○德;旁排平瓶兔兔兔兔 離離離離龜水貴北;東丹帝■兔兔兔兔 離離離離宮孔眾○;六音 兌大弟■兔兔兔兔 七音 離離離離龍甬用○;六聲 土貪天■兔兔兔兔 六聲 離離離離魚鼠去○;同覃田■兔兔兔兔 離離離離烏虎兔○;乃你女■兔兔兔兔 離離離離心審禁○;七音 內南年■兔兔兔兔 七音 離離離離○○○十;六聲 老冷呂■兔兔兔兔 七聲 離離離離男坎欠○。

左表は第六声の「兔」を接続して唱える。第四音の「武晚□尾、文万□未」を補い足し、次いで第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、および第七音の「乃你女■、内南年■、老冷吕■」を配する。そのうち「文万□未免兔兔兔」の一行は、唱声の四字が底本では首字を「免」と刻し、上下文が一様に「兔」とするのと合わない。まさに形近により誤ったのであろう。今はその旧を存する。右表は第七音の「离」をもって第四声「牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。左表の唱声「兔」の出どころである「乌虎兔○」は、ちょうど右表のこの片の内にある。

鹿犖離■兔兔兔兔 離離離離○○○妾;走哉足■兔兔兔兔 離離離離●●●●;八音 自在匠■兔兔兔兔 七音 離離離離●●●●;六聲 草采七■兔兔兔兔 八聲 離離離離●●●●;曹才全■兔兔兔兔 離離離離●●●●;思三星■兔兔兔兔 離離離離●●●●;九音 寺□象■兔兔兔兔 七音 離離離離●●●●;六聲 □□□■兔兔兔兔 九聲 離離離離●●●●;□□□■兔兔兔兔 離離離離●●●●;■山手■兔兔兔兔 離離離離●●●●;十音 ■士石■兔兔兔兔 七音 離離離離●●●●;六聲 ■□耳■兔兔兔兔 十聲 離離離離●●●●;■□二■兔兔兔兔 離離離離●●●●。

左表は第七音の末行「鹿荦离■」——この一行はまさに右表の和音「离」の出どころである——をもって続けて「兔」と相唱え、その下に第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を配する。右表は第七音の「离」をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、続く第八声・第九声・第十声の十二行はことごとく「●●●●」である。同一の行を左右に併せて見る。左辺は声母に字があり唱声にも字があり、右辺は和音に字がありながら和するところの声は全て空である。一副の図のうちに二種の情形が併列し、正に邵雍の位をもってし字をもってせざるの排法を見る。もし字ある格だけを取って数えれば、声音の数には定準がない。必ず位をもって準とし、然して後に天の用声一百一十二・地の用音一百五十二が初めて確数となり、篇末のあの相乗の数もまた落ち着くところを得る。

收音濁和律四之八

■莊震■兔兔兔兔 全全全全多可個舌;十一音 ■乍□■兔兔兔兔 八音 全全全全禾火化八;六聲 ■叉赤■兔兔兔兔 一聲 全全全全開宰愛○;■祟辰■兔兔兔兔 全全全全回每退○;■卓中■兔兔兔兔 全全全全良兩向○;十二音 ■宅直■兔兔兔兔 八音 全全全全光廣況○;六聲 ■拆丑■兔兔兔兔 二聲 全全全全丁井亙○;■茶呈■兔兔兔兔 全全全全兄永瑩○。

左表は第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■祟辰■」と第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって第六声を唱え終わり、「去声翕唱呂四之六」はここに篇を完うする。第十一音の第四行は他処では皆「■崇辰■」とするが、ここでは「■祟辰■」と刻す。「祟」は「崇」の形訛である。今は依然として底本に照らして写し出す。右表は改めて「收音濁和律四之八」を立て、和音は第八音の「全」——八音の第四行「曹才全■」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。「全全全全」はまず第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。

去声翕唱呂四之七

古甲九癸○○○○ 全全全全千典旦○;一音 □□近揆○○○○ 八音 全全全全元犬半○;七聲 坤巧丘棄○○○○ 三聲 全全全全臣引艮○;□□乾蚪○○○○ 全全全全君允巽○;黑花香血○○○○ 全全全全刀早孝嶽;二音 黃華雄賢○○○○ 八音 全全全全毛寶報霍;七聲 五瓦仰□○○○○ 四聲 全全全全牛斗奏六;吾牙月堯○○○○ 全全全全○○○玉;安亞乙一○○○○ 全全全全妻子四日;三音 □爻壬寅○○○○ 八音 全全全全衰○帥骨;七聲 母馬美米○○○○ 五聲 全全全全○○○德;目貌眉民○○○○ 全全全全龜水貴北;夫法□飛○○○○ 全全全全宮孔眾○;四音 父凡□吠○○○○ 八音 全全全全龍甬用○;七聲 武晚□尾○○○○ 六聲 全全全全魚鼠去○;文萬□未○○○○ 全全全全烏虎兔○。

左表は改めて「去声翕唱呂四之七」を立てる。この一枚の唱声は第七声の第四行「○○○妾」の第三の格を取るべきところ、ちょうど「○」で、すなわち声位は存して字は挙げられない。故に通篇は「○○○○」とする。それは第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」と相唱える。右表は第八音の「全」を続け、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」の四行は末位が一律に「■」で、この一類の声母が閉口位に音なきことが知られる。その收音の一位の「全」は、すなわち本表の用いる和音である。

卜百丙必○○○○ 全全全全心審禁○;五音 步白備鼻○○○○ 八音 全全全全○○○十;七聲 普撲品匹○○○○ 七聲 全全全全男坎欠○;旁排平瓶○○○○ 全全全全○○○妾;東丹帝■○○○○ 全全全全●●●●;六音 兌大弟■○○○○ 八音 全全全全●●●●;七聲 土貪天■○○○○ 八聲 全全全全●●●●;同覃田■○○○○ 全全全全●●●●;乃你女■○○○○ 全全全全●●●●;七音 內南年■○○○○ 八音 全全全全●●●●;七聲 老冷呂■○○○○ 九聲 全全全全●●●●;鹿犖離■○○○○ 全全全全●●●●;走哉足■○○○○ 全全全全●●●●;八音 自在匠■○○○○ 八音 全全全全●●●●;七聲 草采七■○○○○ 十聲 全全全全●●●●;曹才全■○○○○ 全全全全●●●●。

左表は依然として第七声のあの組の字なき「○○○○」をもって唱とし、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を配する。右表は第八音の「全」をもって第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」——左表の唱声はまさに末の一行「○○○妾」の去声の一位から取ったもの——と和し、その下の第八・第九・第十の三声は皆「●●●●」とする。左表の末行の「曹才全■」もまたまさに右表の和音「全」の本行である。唱和の二表はこの片のうちにちょうどよく互いにその本を見る。「全」は唱表のうちではただ第八音第四行の一位にすぎないが、和表のうちでは升って一枚の表全ての主和の音となる。同一の字が居る位に随ってその用を易える。これはまさに唱和図が尋常の韻書と同じからぬところである。一図の内に、唱える者と和する者は互いに賓主となり、読むときはまずいずれの欄が唱え、いずれの欄が和するかを認め清めて、初めて錯認するに至らない。

收音濁和律四之九

思三星■○○○○ □□□□多可個舌;九音 寺□象■○○○○ 九音 □□□□禾火化八;七聲 □□□■○○○○ 一聲 □□□□開宰愛○;□□□■○○○○ □□□□回每退○;■山手■○○○○ □□□□良兩向○;十音 ■士石■○○○○ 九音 □□□□光廣況○;七聲 ■□耳■○○○○ 二聲 □□□□丁井亙○;■□二■○○○○ □□□□兄永瑩○;■莊震■○○○○ □□□□千典旦○;十一音 ■乍□■○○○○ 九音 □□□□元犬半○;七聲 ■叉赤■○○○○ 三聲 □□□□臣引艮○;■崇辰■○○○○ □□□□君允巽○;■卓中■○○○○ □□□□刀早孝嶽;十二音 ■宅直■○○○○ 九音 □□□□毛寶報霍;七聲 ■拆丑■○○○○ 四聲 □□□□牛斗奏六;■茶呈■○○○○ □□□□○○○玉。

左表は第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって、第七声のあの字なき「○○○○」を唱え終わり、「去声翕唱呂四之七」はここに篇を完うする。右表は改めて「收音濁和律四之九」を立てる。次第に按すれば、この一枚の和音は第九音の第四行の第三の格を取るべきところ、第九音の第三・第四の両行はもともと「□□□■」と書かれ、收音の一位に音あって字なきので、故に和音は「□□□□」とするほかない。それは第一声から和し起こす。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」。第九音の四行は、前の二行はなお「思、三、星」「寺、象」の諸字あるも、後の二行は全て空記である。字数の衰え減る跡は歴歴として見える。

去声翕唱呂四之八

古甲九癸●●●● □□□□妻子四日;一音 □□近揆●●●● 九音 □□□□衰○帥骨;八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 □□□□○○○德;□□乾蚪●●●● □□□□龜水貴北;黑花香血●●●● □□□□宮孔眾○;二音 黃華雄賢●●●● 九音 □□□□龍甬用○;八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 □□□□魚鼠去○;吾牙月堯●●●● □□□□烏虎兔○;安亞乙一●●●● □□□□心審禁○;三音 □爻壬寅●●●● 九音 □□□□○○○十;八聲 母馬美米●●●● 七聲 □□□□男坎欠○;目貌眉民●●●● □□□□○○○妾。

左表は改めて「去声翕唱呂四之八」を立てる。第八声はもともと位はあって声なきの一類で、四行とも「●」。故に唱声は「●●●●」と書く。これは前の第四声・第七声のあの「○○○○」と書いた二枚と同じではない——「○」は声はあって字が欠け、「●」は声がもともと立たない。そうであっても、依然として体例に照らして第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」と一々相配する。右表は第九音のあの組の字なき和音をもって続け、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和す。

夫法□飛●●●● □□□□●●●●;四音 父凡□吠●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 武晚□尾●●●● 八聲 □□□□●●●●;文萬□未●●●● □□□□●●●●;卜百丙必●●●● □□□□●●●●;五音 步白備鼻●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 普撲品匹●●●● 九聲 □□□□●●●●;旁排平瓶●●●● □□□□●●●●;東丹帝■●●●● □□□□●●●●;六音 兌大弟■●●●● 九音 □□□□●●●●;八聲 土貪天■●●●● 十聲 □□□□●●●●;同覃田■●●●● □□□□●●●●。

左表は第八声の空唱をもって第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を配する。右表のこの十二行は、第九音のあの字なき表が第八声・第九声・第十声と相和するもので、音位の辺は「□」と書き、声位の辺は「●」と書き、通片に一つの実字もない。この類の満格皆空のところ、『皇極経世』は削り省かない。声の有無は天に属し、音の有無は地に属し、字の有無は人に属す。三者は各々限りとなり、図中に一格も省かざるは、まさに天地人の三层の界限を併せて陳べようとするである。したがって図を読むとき、「●」の多いところに天の限りを見、「■」の多いところに地の限りを見、「○」「□」の多いところに人の限りを見る。三種の界限が交錯して、全図の疏密はこのようにして成る。

收音濁和律四之十

乃你女■●●●● 二二二二多可個舌;七音 內南年■●●●● 十音 二二二二禾火化八;八聲 老冷呂■●●●● 一聲 二二二二開宰愛○;鹿犖離■●●●● 二二二二回每退○;走哉足■●●●● 二二二二良兩向○;八音 自在匠■●●●● 十音 二二二二光廣況○;八聲 草采七■●●●● 二聲 二二二二丁井亙○;曹才全■●●●● 二二二二兄永瑩○;思三星■●●●● 二二二二千典旦○;九音 寺□象■●●●● 十音 二二二二元犬半○;八聲 □□□■●●●● 三聲 二二二二臣引艮○;□□□■●●●● 二二二二君允巽○。

左表は依然として第八声の「●●●●」をもって唱とし、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を配する。右表は改めて「收音濁和律四之十」を立て、和音は第十音の「二」——十音の第四行「■□二■」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。この一行は首尾ともに「■」で、第二の格もまた「□」である。第十音はただ收音の一位にのみ「二」の字を挙げられることがうかがえる。「二二二二」は第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。

■山手■●●●● 二二二二刀早孝嶽;十音 ■士石■●●●● 十音 二二二二毛寶報霍;八聲 ■□耳■●●●● 四聲 二二二二牛斗奏六;■□二■●●●● 二二二二○○○玉;■莊震■●●●● 二二二二妻子四日;十一音 ■乍□■●●●● 十音 二二二二衰○帥骨;八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 二二二二○○○德;■崇辰■●●●● 二二二二龜水貴北;■卓中■●●●● 二二二二宮孔眾○;十二音 ■宅直■●●●● 十音 二二二二龍甬用○;八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 二二二二魚鼠去○;■茶呈■●●●● 二二二二烏虎兔○。

左表は第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって、第八声のこの一枚を底まで唱え、「去声翕唱呂四之八」は告げ成した。左表の第四行の「■□二■」は、ちょうど右表の和音「二」の本行である。一字が唱表のうちでは声母に充てられ、和表のうちでは和音となる。位置は異なれど字は一つである。右表は続けて第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左表は通篇黒記で右表は字字に落ち着くところがあり、一行の内に二種の景象が併せて陳ぶ。左辺の唱える声はもともと声を成さず、右辺の和するところの声は声字ともに備わる。唱と和は各々その盈虚あり、読者はまさにこの一片に就いて全図の体例を見出すべきである。

去声翕唱呂四之九

古甲九癸●●●● 二二二二心審禁○;一音 □□近揆●●●● 十音 二二二二○○○十;九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 二二二二男坎欠○;□□乾蚪●●●● 二二二二○○○妾;黑花香血●●●● 二二二二●●●●;二音 黃華雄賢●●●● 十音 二二二二●●●●;九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 二二二二●●●●;吾牙月堯●●●● 二二二二●●●●;安亞乙一●●●● 二二二二●●●●;三音 □爻壬寅●●●● 十音 二二二二●●●●;九聲 母馬美米●●●● 九聲 二二二二●●●●;目貌眉民●●●● 二二二二●●●●;夫法□飛●●●● 二二二二●●●●;四音 父凡□吠●●●● 十音 二二二二●●●●;九聲 武晚□尾●●●● 十聲 二二二二●●●●;文萬□未●●●● 二二二二●●●●。

左表は改めて「去声翕唱呂四之九」を立て、唱声は第九声に属する。第九声は第八声と同じく位はあって声がないので、故にまた「●●●●」と書き、順に第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」と相唱える。右表は第十音の「二」をもって第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の第八・第九・第十の三声は皆「●●●●」とし、「收音濁和律四之十」は和し終わる。この片より以後、左右の両辺に行を挙げた黒記が相い対する格子がますます多くなり、図勢は漸く尾声に近づく。これは唱表がすでに第九声に推し至り、和表がすでに第十音に推し至ったためで、両辺とも各々の末位に迫る。声は第七類に尽き、音は第十二類に尽き、後に行くほど挙げうる字は少なく、空記もまたますます密となり、末の枚に至るまでほとんど通篇に字がない。この後の諸表の存するものは、大半はただ位次のみで、実字は寥寥として数えられる。

收音濁和律四之十一

卜百丙必●●●● 辰辰辰辰多可個舌;五音 步白備鼻●●●● 十一音 辰辰辰辰禾火化八;九聲 普撲品匹●●●● 一聲 辰辰辰辰開宰愛○;旁排平瓶●●●● 辰辰辰辰回每退○;東丹帝■●●●● 辰辰辰辰良兩向○;六音 兌大弟■●●●● 十一音 辰辰辰辰光廣況○;九聲 土貪天■●●●● 二聲 辰辰辰辰丁井亙○;同覃田■●●●● 辰辰辰辰兄永瑩○;乃你女■●●●● 辰辰辰辰千典旦○;七音 內南年■●●●● 十一音 辰辰辰辰元犬半○;九聲 老冷呂■●●●● 三聲 辰辰辰辰臣引艮○;鹿犖離■●●●● 辰辰辰辰君允巽○;走哉足■●●●● 辰辰辰辰刀早孝嶽;八音 自在匠■●●●● 十一音 辰辰辰辰毛寶報霍;九聲 草采七■●●●● 四聲 辰辰辰辰牛斗奏六;曹才全■●●●● 辰辰辰辰○○○玉。

左表は第九声の空唱をもって続けて第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を配する。右表は改めて「收音濁和律四之十一」を立て、和音は第十一音の「辰」——十一音の第四行「■崇辰■」の第三の格から取ったもので、石行・收音・濁声である。この「辰」は声音図のうちの代表字で、前文の「辰日声」に行位の名として用いた「辰」と同形にして用を異にする。混じて見てはならない。「辰辰辰辰」は第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。第十一音は開口の一位に音がなく、四格のうち挙げられるのは「叉、赤」「崇、辰」の数個の字に過ぎない。故にこの一枚の和表の用いる「辰」は、とりわけ得難いものである。

思三星■●●●● 辰辰辰辰妻子四日;九音 寺□象■●●●● 十一音 辰辰辰辰衰○帥骨;九聲 □□□■●●●● 五聲 辰辰辰辰○○○德;□□□■●●●● 辰辰辰辰龜水貴北;■山手■●●●● 辰辰辰辰宮孔眾○;十音 ■士石■●●●● 十一音 辰辰辰辰龍甬用○;九聲 ■□耳■●●●● 六聲 辰辰辰辰魚鼠去○;■□二■●●●● 辰辰辰辰烏虎兔○;■莊震■●●●● 辰辰辰辰心審禁○;十一音 ■乍□■●●●● 十一音 辰辰辰辰○○○十;九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 辰辰辰辰男坎欠○;■崇辰■●●●● 辰辰辰辰○○○妾;■卓中■●●●● 辰辰辰辰●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十一音 辰辰辰辰●●●●;九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 辰辰辰辰●●●●;■茶呈■●●●● 辰辰辰辰●●●●。

左表は第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって、第九声の一枚を唱え終わる。そのうちの「■崇辰■」はまさに右表の和音「辰」の自ら出るところである。右表は第十一音の「辰」をもって第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、第八声に至れば四行の「●●●●」である。およそ一枚の和表は一音をもって十声の四十行を遍歴し、一枚の唱表は一声をもって十二音の四十八行を遍歴する。一縦一横は、まさに声は天に唱え音は地に和すの義に合う。故に声表は「呂」と題し、音表は「律」と題する。律呂相応の意を取ったのであって、別に楽律の名を指すのではない。これを明らかにすれば、各表の標題の中の「唱呂」「和律」の四字は、もはや虚設の名目ではない。

去声翕唱呂四之十

古甲九癸●●●● 辰辰辰辰●●●●;一音 □□近揆●●●● 十一音 辰辰辰辰●●●●;十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 辰辰辰辰●●●●;□□乾蚪●●●● 辰辰辰辰●●●●;黑花香血●●●● 辰辰辰辰●●●●;二音 黃華雄賢●●●● 十一音 辰辰辰辰●●●●;十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 辰辰辰辰●●●●;吾牙月堯●●●● 辰辰辰辰●●●●。

左表は改めて「去声翕唱呂四之十」を立てる。これは辰位去声・合口の一路の最後の一枚である。第十声は位はあって声がなく、唱声は依然として「●●●●」と書き、まず第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」と相唱える。右表は第十一音の「辰」をもって第九声・第十声と和し、八行はいずれも「●●●●」で、「收音濁和律四之十一」はここに至って和し終わる。この八行は左右ともに空である。読者はこれにより数え出すことができる。十声のうち真に声を成すものは七で、残りの三声はただ十位を補い足すのみである。まさにこの故をもって、本篇の冒頭に「星辰声七」と言い、七に一百五十二を乗じて一千零六十四を得たのである。

收音濁和律四之十二

安亞乙一●●●● 呈呈呈呈多可個舌;三音 □爻壬寅●●●● 十二音 呈呈呈呈禾火化八;十聲 母馬美米●●●● 一聲 呈呈呈呈開宰愛○;目貌眉民●●●● 呈呈呈呈回每退○;夫法□飛●●●● 呈呈呈呈良兩向○;四音 父凡□吠●●●● 十二音 呈呈呈呈光廣況○;十聲 武晚□尾●●●● 二聲 呈呈呈呈丁井亙○;文萬□未●●●● 呈呈呈呈兄永瑩○;卜百丙必●●●● 呈呈呈呈千典旦○;五音 步白備鼻●●●● 十二音 呈呈呈呈元犬半○;十聲 普撲品匹●●●● 三聲 呈呈呈呈臣引艮○;旁排平瓶●●●● 呈呈呈呈君允巽○;東丹帝■●●●● 呈呈呈呈刀早孝嶽;六音 兌大弟■●●●● 十二音 呈呈呈呈毛寶報霍。

左表は第十声の空位を続けて唱え、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、および第六音の首の二行「东丹帝■、兑大弟■」を配する。右表は改めて「收音濁和律四之十二」を立てる。これは石行收音・濁声の一路の末の一枚で、和音は第十二音の「呈」——十二音の第四行「■茶呈■」の第三の格から取ったものである。「呈呈呈呈」は第一声から和し起こす。第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、さらに第四声の「刀早孝岳、毛宝报霍」を接ぐ。「呈」は「■茶呈■」の第三位から取ったもので、その行は首尾ともに「■」である。第十二音はただ発・收の两位にのみ字を挙げられることが知られ、十二音のうち格局の最も狭き一類で、第一音の四位ほとんど全備のものとは相去ること遠い。

十聲 土貪天■●●●● 四聲 呈呈呈呈牛斗奏六;同覃田■●●●● 呈呈呈呈○○○玉;乃你女■●●●● 呈呈呈呈妻子四日;七音 內南年■●●●● 十二音 呈呈呈呈衰○帥骨;十聲 老冷呂■●●●● 五聲 呈呈呈呈○○○德;鹿犖離■●●●● 呈呈呈呈龜水貴北;走哉足■●●●● 呈呈呈呈宮孔眾○;八音 自在匠■●●●● 十二音 呈呈呈呈龍甬用○;十聲 草采七■●●●● 六聲 呈呈呈呈魚鼠去○;曹才全■●●●● 呈呈呈呈烏虎兔○;思三星■●●●● 呈呈呈呈心審禁○;九音 寺□象■●●●● 十二音 呈呈呈呈○○○十;十聲 □□□■●●●● 七聲 呈呈呈呈男坎欠○。

左表は第十声の空唱をもって第六音の「土贪天■、同覃田■」を配し終え、次いで第七音「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、および第九音の「思三星■、寺□象■、□□□■」を配する。右表は第十二音の「呈」をもって第四声「牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。行間の左標の「十声」は動かず、右標は「四声」から「七声」に递り及ぶ。一唱一和の推移の次第は、ここに最も分明である。唱表の声はひとたび標定されれば通篇を改めず、和表の音もしかり。変動するところはただこれと相配する他方のみで、四行ごとに一組を換え、十声あるいは十二音が輪を遍くするまで、一枚の表は配し満たされたと算えて、然して改めて一枚を起こす。

□□□■●●●● 呈呈呈呈○○○妾;■山手■●●●● 呈呈呈呈●●●●;十音 ■士石■●●●● 十二音 呈呈呈呈●●●●;十聲 ■□耳■●●●● 八聲 呈呈呈呈●●●●;■□二■●●●● 呈呈呈呈●●●●;■莊震■●●●● 呈呈呈呈●●●●;十一音 ■乍□■●●●● 十二音 呈呈呈呈●●●●;十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 呈呈呈呈●●●●;■崇辰■●●●● 呈呈呈呈●●●●;■卓中■●●●● 呈呈呈呈●●●●;十二音 ■宅直■●●●● 十二音 呈呈呈呈●●●●;十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 呈呈呈呈●●●●;■茶呈■●●●● 呈呈呈呈●●●●。

左表は第九音の末行「□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって収束する。右表は第十二音の「呈」をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、この下の第八・第九・第十の三声の十二行はことごとく「●●●●」である。末行の左辺の「■茶呈■」は、まさに右辺の和音「呈」の本行で、一図の終わりにして首尾が相い啣らう。ここに至って、辰位去声・合口の十枚の唱表と、石行收音・濁声の十二枚の和表は全部が配し終わり、観物篇四十六の声音図は告げ成した。前後の各篇を合わせて通計すれば、天の用声は一百一十二、地の用音は一百五十二。二数を相乗すれば一万七千零二十四を得る。邵雍はすなわちこれをもって動植万物を推衍する本とす。声音の諸図が排布してここに至り、初めてその帰宿のあるところを見る。

皇極経世書巻十上

観物篇四十七

辰日聲入闢 石水音閉清 舌○○嶽日 癸血一飛必■ ○○●●● ■■■■■■ 辰日聲七,下唱地之 石水音五,上和天之 用音一百五十二,是 用聲一百一十二,是 謂入聲闢音。入聲闢 謂閉音清聲。閉音清 音一千六十四。 聲五百六十。

この段の題記もまた左右の両欄に並列していたが、横行に写されてから彼此が交交錯した。欄を分けて読まなければならない。左欄の標目「辰日声入辟」は、本篇の取るところが、十声のうち「辰」の位と「日」の行とが相交わる一格を言う——「辰」は入声に当たり、「日」は開口に当たり、合わせて「入声辟」と称す。この十個の格子は順に「舌、○、○、岳、日、○、○、●、●、●」で、そのうち第一声は「多可个舌」の「舌」を取り、第四声は「刀早孝岳」の「岳」を取り、第五声は「妻子四日」の「日」を取り、第二・第三・第六・第七声は声あって字がなく「○」と書き、第八から第十声はもともとその声がなく「●」と書く。実に声位あるものは七類である。左欄の正文を連ねて読めば、「辰日声七、下に地の用音一百五十二を唱う、これを入声辟音と謂う。入声辟音一千六十四」。七に一百五十二を乗じ、一千零六十四を得る。右欄の標目「石水音閉清」は、本篇の音が、十二音のうち「石」の位と「水」の行とが相交わる一格を取ることを言う——「石」は閉音に当たり、「水」は清声に当たる。この十二個の格子は「癸、血、一、飞、必」とその下の七つの「■」で、すなわち第一音は「古甲九癸」の「癸」を取り、第二音は「黑花香血」の「血」を取り、第三音は「安亚乙一」の「一」を取り、第四音は「夫法□飞」の「飞」を取り、第五音は「卜百丙必」の「必」を取り、第六音以下は閉口の一位に併せてその音なし。故に一概に「■」とし、実に音位あるものはただ五類である。右欄の正文を連ねて読めば、「石水音五、上に天の用声一百一十二を和す、これを閉音清声と謂う。閉音清声五百六十」。五に一百一十二を乗じ、五百六十を得る。

辰日声入之一辟 石水音閉之一清

入声辟唱呂一之一 閉音清和律一之一

古甲九癸舌舌舌舌 癸癸癸癸多可個舌;一音 □□近揆舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸禾火化八;一聲 坤巧丘棄舌舌舌舌 一聲 癸癸癸癸開宰愛○;□□乾蚪舌舌舌舌 癸癸癸癸回每退○;黑花香血舌舌舌舌 癸癸癸癸良兩向○;二音 黃華雄賢舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸光廣況○;一聲 五瓦仰□舌舌舌舌 二聲 癸癸癸癸丁井亙○;吾牙月光舌舌舌舌 癸癸癸癸兄永瑩○;安亞乙一舌舌舌舌 癸癸癸癸千典旦○;三音 □爻壬寅舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸元犬半○;一聲 母馬美米舌舌舌舌 三聲 癸癸癸癸臣引艮○;目貌眉民舌舌舌舌 癸癸癸癸君允巽○;夫法□飛舌舌舌舌 癸癸癸癸刀早孝嶽;四音 父凡□吠舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸毛寶報霍。

新篇の二枚の頭表が併せて起こる。左半は「入声辟唱呂一之一」で、唱声は第一声の「舌」——一声の第一行「多可个舌」の第四の格から取ったもので、すなわち日行・入声・開口、故に「入声辟」と称す。「舌舌舌舌」を四回連書するのは、依然として声母の一組の四等に対当する。それは第一音から唱え起こす。第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月光」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、および第四音の「夫法□飞、父凡□吠」である。そのうち「吾牙月光」の一行は、他処では皆「吾牙月尧」とする。ここの「光」はまさに「尧」の形訛であろう。今は依然として底本に照らして写し出す。右半は「閉音清和律一之一」で、和音は第一音の「癸」——一音の第一行「古甲九癸」の第四の格から取ったもので、すなわち水行・閉音・清声である。「癸癸癸癸」は第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和し、さらに第四声の「刀早孝岳、毛宝报霍」を接ぐ。

一聲 武晚□尾舌舌舌舌 四聲 癸癸癸癸牛斗奏六;文萬□未舌舌舌舌 癸癸癸癸○○○玉;卜百丙必舌舌舌舌 癸癸癸癸妻子四日;五音 步白備鼻舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸衰○帥骨;一聲 普撲品匹舌舌舌舌 五聲 癸癸癸癸○○○德;旁排平瓶舌舌舌舌 癸癸癸癸龜水貴北;東丹帝□舌舌舌舌 癸癸癸癸宮孔眾○;六音 兌大弟□舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸龍甬用○;一聲 土貪天□舌舌舌舌 六聲 癸癸癸癸魚鼠去○;同覃田□舌舌舌舌 癸癸癸癸烏虎兔○;乃你女■舌舌舌舌 癸癸癸癸心審禁○;七音 內南年■舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸○○○十;一聲 老冷呂■舌舌舌舌 七聲 癸癸癸癸男坎欠○。

左表は第一声の「舌」を接続して唱える。第四音の「武晚□尾、文万□未」を補い足し、次いで第五音「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音「东丹帝□、兑大弟□、土贪天□、同覃田□」、および第七音の「乃你女■、内南年■、老冷吕■」を配する。第六音の四行の末格は、他処では一律に「■」とするが、ここでは「□」に刻んである。二つの記号は一つは音なし、一つは音あって字なしで、含義が異なる。「■」とするものを正とすべきであろう。今は依然として底本の原字を存する。右表は第一音の「癸」をもって第四声「牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声「心审禁○、○○○十、男坎欠○」と和す。左表の唱声「舌」と右表の首行「多可个舌」とは同じ一格から出ている。此の篇の唱・和の字がいずれも同一副の声音総図から取られたことがうかがえる。

鹿犖離■舌舌舌舌 癸癸癸癸○○○妾;走哉足■舌舌舌舌 癸癸癸癸●●●●;八音 自在匠■舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸●●●●;一聲 草采七■舌舌舌舌 八聲 癸癸癸癸●●●●;曹才全■舌舌舌舌 癸癸癸癸●●●●;思三星■舌舌舌舌 癸癸癸癸●●●●;九音 寺□象■舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸●●●●;一聲 □□□■舌舌舌舌 九聲 癸癸癸癸●●●●;□□□■舌舌舌舌 癸癸癸癸●●●●;■山手■舌舌舌舌 癸癸癸癸●●●●;十音 ■士石■舌舌舌舌 一音 癸癸癸癸●●●●;一聲 ■□耳■舌舌舌舌 十聲 癸癸癸癸●●●●;■□二■舌舌舌舌 癸癸癸癸●●●●。

左表は第七音の末行「鹿荦离■」、第八音「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」をもって続けて「舌」と相唱える。第九音の後の二行は三つの「□」を並列し、開・発・收の三位に音あって字なきであり、第十音の首格の「■」は開口の一位に音なきである。右表は第一音の「癸」をもって第七声の末行「○○○妾」と和し、その下の第八声・第九声・第十声の合わせて十二行は皆「●●●●」とする。此の篇の音は五類しか挙げられない。だから「閉音清和律」の一路にはただ五枚の和表しかなく、「入声辟唱呂」の一路の十枚の唱表と多寡が同じではない。まさに篇首の「石水音五」「辰日声七」の数に応じたのである。閉口の一位はただ前五音に各々一字を存し、残りの七音はいずれも挙げるべき音がない。故に和表は五枚に止まる。入声の開口の一位は、十声のうちなお七位が唱えうる。故に唱表は依然として十枚を備える。多寡の別は、全て声音そのものの有無によりて定まるのであって、書を刻む者が省略したのではない。

閉音清和律一之二

■莊震■舌舌舌舌 血血血血多可個舌;十一音 ■乍□■舌舌舌舌 二音 血血血血禾火化八;一聲 ■叉赤■舌舌舌舌 一聲 血血血血開宰愛○;■崇辰■舌舌舌舌 血血血血回每退○;■卓中■舌舌舌舌 血血血血良兩向○;十二音 ■宅直■舌舌舌舌 二音 血血血血光廣況○;一聲 ■拆丑■舌舌舌舌 二聲 血血血血丁井亙○;■茶呈■舌舌舌舌 血血血血兄永瑩○。

左表は第十一音「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」をもって第一声を唱え終わり、「入声辟唱呂一之一」はここに篇を完うする。この二組の声母は首尾に多く「■」を作り、挙げられる字はいずれも発・收の两位に在る。これは歯音の一路の通例である。右表は改めて「閉音清和律一之二」を立て、和音は第二音の「血」に換わる——二音の第一行「黑花香血」の第四の格から取ったもので、水行・閉音・清声である。「血血血血」はまず第一声「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。

入声辟唱呂一之二

古甲九癸○○○○ 血血血血千典旦○;一音 □□近揆○○○○ 二音 血血血血元犬半○;二聲 坤巧丘棄○○○○ 三聲 血血血血臣引艮○;□□乾蚪○○○○ 血血血血君允巽○;黑花香血○○○○ 血血血血刀早孝嶽;二音 黃華雄賢○○○○ 二音 血血血血毛寶報霍;二聲 五瓦仰□○○○○ 四聲 血血血血牛斗奏六;吾牙月堯○○○○ 血血血血○○○玉;安亞乙一○○○○ 血血血血妻子四日;三音 □爻壬寅○○○○ 二音 血血血血衰○帥骨;二聲 母馬美米○○○○ 五聲 血血血血○○○德;目貌眉民○○○○ 血血血血龜水貴北;夫法□飛○○○○ 血血血血宮孔眾○;四音 父凡□吠○○○○ 二音 血血血血龍甬用○;二聲 武晚□尾○○○○ 六聲 血血血血魚鼠去○。

左表は改めて「入声辟唱呂一之二」を立てる。この一枚の唱声は第二声の第一行「良两向○」の第四の格を取るべきところ、ちょうど「○」である——入声の一位にその声あって挙げるべき字がない。故に通篇は「○○○○」と書く。それは第一音から唱え起こす。第一音「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、および第四音の「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾」である。右表は第二音の「血」を続け、第三声「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、および第六声の「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○」と和す。左表の第五行の「黑花香血」は、まさに右表の和音「血」の本行である。本組が分ける段落はここに止まり、両表ともいまだ配し終えず、その下文は後に接続する。

文萬□未○○○○,血血血血烏虎兔○;卜百丙必○○○○,血血血血心審禁○;五音:步白備鼻○○○○,二音:血血血血○○○十;二聲:普撲品匹○○○○,七聲:血血血血男坎欠○;旁排平瓶○○○○,血血血血○○○妾;東丹帝■○○○○,血血血血●●●●;六音:兌大弟■○○○○,二音:血血血血●●●●;二聲:土貪天■○○○○,八聲:血血血血●●●●;同覃田■○○○○,血血血血●●●●;乃你女■○○○○,血血血血●●●●;七音:內南年■○○○○,二音:血血血血●●●●;二聲:老冷呂■○○○○,九聲:血血血血●●●●。

この一段は、二枚の図が並び合わせて刊刻され、また平らに引き伸ばされて一行々の文字となった結果である。每一行の前半は左図に属し、後半は右図に属す。左図は上文の『入声辟唱呂一之二』を承け、唱うところは正声第二類の日行「光广况○」の入声位である。この位は声はあって書くべき字がない。故に図の通じてただ「○」とし、四つ連畳し、順に右辺の一行の開・発・收・閉の四つの音字を唱えに行く。左欄はここでまず第四音の末行「文万□未」を収め終える——「未」は地支の字を借りて音例に充てたもので、その本音を読み、否定の詞と見做さない——続いて第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を排し、さらに第七音の「乃你女■、内南年■、老冷吕■」を排す。第六・第七の両音は每一行の末位が「■」である。この格に根本より音位がないことを表し、「□」(音位はあって配する字が得られない)とは判然として両事である。右欄は『閉音清和律一之二』に属し、和する字は第二音の水行「黑花香血」の閉位「血」で、同じく四つ連畳し、左側の声字の平・上・去・入の四位を和しに行く。まず第六声の辰行「乌虎兔○」と和する——烏・虎・兔は平上去の三位を占め、入位は字がなく「○」とする。次いで第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和す。この下の第八・第九の両声は各行全て「●」と書く。これは声位さえも存在しない。行間に標出した「五音」「六音」「七音」と「二音」「二声」「七声」「八声」「九声」は、それぞれ左右の両欄が現在至っている音次と声次を記したものである。

鹿犖離■○○○○,血血血血●●●●;走哉足■○○○○,血血血血●●●●;八音:自在匠■○○○○,二音:血血血血●●●●;二聲:草采七■○○○○,十聲:血血血血●●●●;曹才全■○○○○,血血血血●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之二』は第七音の末行「鹿荦离■」を収め終え、すなわち第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱え過ぐ。この一音は歯頭の一系に属し、四行の第四位はいずれも立つことができない。故に一律に「■」とする。四行の下には各々四つの「○」を綴る。依然として唱うところのあの入声の空位を四遍重畳し、開・発・收・閉の四字と一々相配するのである。右欄の『閉音清和律一之二』は、第二音の閉位の字「血」を四回連書し、第九声の末行と第十声の全部四行を和しに行く。この五行は邵雍の図のうちにもともと声位がない。だから片を挙げて「●●●●」と書く。左右の両欄が各々「八音」「二声」と「二音」「十声」を標すのは、まさに読者に提じ醒ますのであって、一欄は音の次第を行き、一欄は声の次第を行き、同一行の上の二組の字は相い属さないのである。

閉音清和律一之三

閉音清和律一之三;思三星■○○○○,一一一一多可個舌;九音:寺□象■○○○○,三音:一一一一禾火化八;二聲:□□□■○○○○,一聲:一一一一開宰愛○;□□□■○○○○,一一一一回每退○;□山手■○○○○,一一一一良兩向○;十音:□士石■○○○○,三音:一一一一光廣況○;二聲:□□耳■○○○○,二聲:一一一一丁井亙○;□□二■○○○○,一一一一兄永瑩○;■莊震■○○○○,一一一一千典旦○;十一音:■乍□■○○○○,三音:一一一一元犬半○;二聲:■叉赤■○○○○,三聲:一一一一臣引艮○;■崇辰■○○○○,一一一一君允巽○。

右欄はここで改めて一図を立て、「閉音清和律一之三」と題す。和するところは第三音の水行「安亚乙一」の閉位の字「一」で、以下の每一行はこれを四遍連写し、分かれて左側に列ねた声字の平・上・去・入の四位を和しに行く。それはまず第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次に第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、さらに第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す——第二・第三の両声は各行の末位の「○」が、いずれもこの声位あって配する字を得られないものである。左欄は依然として『入声辟唱呂一之二』の続文で、順に第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「□山手■、□士石■、□□耳■、□□二■」、および第十一音の「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を排し出す。この数音は空格が最も多い。「□」は音位あって字なきもの、「■」は併せてこの音位がないもので、二つの符は混じて見てはならない。両欄を対読すれば、図中の四種の記号が各々帰属するところあるを見る。

■卓中■○○○○,一一一一刀早孝嶽;十二音:■宅直■○○○○,三音:一一一一毛寶報霍;二聲:■拆丑■○○○○,四聲:一一一一牛斗奏六;■茶呈■○○○○,一一一一○○○玉。

左欄は第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を収束する。この一音はただ中間の両位のみ字を立てるに堪え、首末の両位はいずれも「■」とする。これはこの音位なきである。四行の下には各々「○○○○」を綴る。すなわち唱うところのあの入声の空位は依然として四畳し、四つの音字と相配する。右欄の『閉音清和律一之三』は「一」の字を四畳して、続けて第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」を和しに行く。末の一行は平・上・去の三位に字がなく「○」とし、ただ入位に「玉」あるのみ配しうる。ここに至って左図の十二音四十八位は排し満たされ、右図もすでに四声を和し過いだ。

入声辟唱呂一之三

入聲闢唱呂一之三;古甲九癸○○○○,一一一一妻子四日;一音:□□近揆○○○○,三音:一一一一衰○帥骨;三聲:坤巧丘棄○○○○,五聲:一一一一○○○德;□□乾蚪○○○○,一一一一龜水貴北;黑花香血○○○○,一一一一宮孔眾○;二音:黃華雄賢○○○○,三音:一一一一龍甬用○;三聲:五瓦仰□○○○○,六聲:一一一一魚鼠去○;吾牙月堯○○○○,一一一一烏虎兔○;安亞乙一○○○○,一一一一心審禁○;三音:□爻壬寅○○○○,三音:一一一一○○○十;三聲:母馬美米○○○○,七聲:一一一一男坎欠○;目貌眉民○○○○,一一一一○○○妾。

左欄は改めて『入声辟唱呂一之三』を立てる。唱うところは正声第三類の日行「千典旦○」の入声位である。この位は声はあって字がない。図の通じてただ「○」とし、每一行に四つ畳写し、同一行の四つの音字を唱えに行く。それは第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」から唱え起こり、次いで第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」に及び、さらに第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」に及ぶ。「□□近揆」「五瓦仰□」のうちの「□」は、この音位はあるがいまだその字を得なかったものである。右欄は依然として『閉音清和律一之三』で、第三音の閉位の字「一」を四畳して用い、順に第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和す。「乌虎兔○」のような一行は、第六声の第四等で、平上去の三位に烏・虎・兔が読め、入位は空きで「○」と記す。

夫法□飛○○○○,一一一一●●●●;四音:父凡□吠○○○○,三音:一一一一●●●●;三聲:武晚□尾○○○○,八聲:一一一一●●●●;文萬□未○○○○,一一一一●●●●;卜百丙必○○○○,一一一一●●●●;五音:步白備鼻○○○○,三音:一一一一●●●●;三聲:普撲品匹○○○○,九聲:一一一一●●●●;旁排平瓶○○○○,一一一一●●●●;東丹帝■○○○○,一一一一●●●●;六音:兌大弟■○○○○,三音:一一一一●●●●;三聲:土貪天■○○○○,十聲:一一一一●●●●;同覃田■○○○○,一一一一●●●●。

左欄は『入声辟唱呂一之三』を承け、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を一々唱え過ぐ。第四音は軽唇の一系で、四行の第三位はいずれも「□」と書く。音位はあって字なきであり、末行の「未」は依然として地支の字を借りて音を立てたものである。第六音の四行は末位が皆「■」で、この格には音位さえもないことを説明する。右欄の『閉音清和律一之三』の「一」の字は、このとき第八・第九・第十の三声を和しに至る。この三声は邵雍の声図のうちに全て無声の位に属する。だから整らんとした十二行はいずれも「●●●●」と書く——これは漏刻ではなく、「ここに声なし」を実のままに標出したものである。細かく見ればすなわち知れる。両欄の空位の符は各々帰属するところがある。左欄の音字行のうちの「□」「■」は音図に属し、右欄の声字行のうちの「○」「●」は声図に属す。反対に、左欄の行末に四畳するものは声位で、右欄の行首に四畳するものは音位である。故に両側の用いる符号はちょうど互いに換わる。

閉音清和律一之四

閉音清和律一之四;乃你女■○○○○,飛飛飛飛多可個舌;七音:內南年■○○○○,四音:飛飛飛飛禾火化八;三聲:老冷呂■○○○○,一聲:飛飛飛飛開宰愛○;鹿犖離■○○○○,飛飛飛飛回每退○;走哉足■○○○○,飛飛飛飛良兩向○;八音:自在匠■○○○○,四音:飛飛飛飛光廣況○;三聲:草采七■○○○○,二聲:飛飛飛飛丁井亙○;曹才全■○○○○,飛飛飛飛兄永瑩○;思三星■○○○○,飛飛飛飛千典旦○;九音:寺□象■○○○○,四音:飛飛飛飛元犬半○;三聲:□□□■○○○○,三聲:飛飛飛飛臣引艮○;□□□■○○○○,飛飛飛飛君允巽○。

右欄は改めて『閉音清和律一之四』を立てる。和するところは第四音の水行「夫法□飞」の閉位の字「飞」で、每一行に四畳して、左側の声字の平上去入の四位と相当する。それは順に第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声辟唱呂一之三』で、続けて第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。第九音の後の二行はほとんど全て「□」で、ただ末位の「■」を残す。この一系の韻図に留まり得る字が極めて少ないことがうかがえる。第九音の「思三星」一系は、邵雍の図のうちで位次が後に靠り、字例はもともと零落している。ますます下に行くほどますます空格が見えるのは、刻本が残缺したのではなく、当時の字音の実録がそうであったのである。図中の「三声」「四音」の類の小注は、行に随って標出した位次である。

■山手■○○○○,飛飛飛飛刀早孝嶽;十音:■士石■○○○○,四音:飛飛飛飛毛寶報霍;三聲:■□耳■○○○○,四聲:飛飛飛飛牛斗奏六;■□二■○○○○,飛飛飛飛○○○玉;■莊震■○○○○,飛飛飛飛妻子四日;十一音:■乍□■○○○○,四音:飛飛飛飛衰○帥骨;三聲:■叉赤■○○○○,五聲:飛飛飛飛○○○德;■崇辰■○○○○,飛飛飛飛龜水貴北;■卓中■○○○○,飛飛飛飛宮孔眾○;十二音:■宅直■○○○○,四音:飛飛飛飛龍甬用○;三聲:■拆丑■○○○○,六聲:飛飛飛飛魚鼠去○;■茶呈■○○○○,飛飛飛飛烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂一之三』は最後の三音まで唱える。第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」。この三音の首位と末位は大抵「■」で、もともとこの音なきである。行末に綴る「○○○○」は、終始あの声あって字なき入声の空位を四畳したものである。右欄の『閉音清和律一之四』の「飞」の字は、順に第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。そのうち「衰○帅骨」「○○○玉」「乌虎兔○」の諸行の「○」は、いずれも声位あって字なきである。一図の内に、四十八の音位が各々四字を配し、合わせて一百九十二の唱和の数を得る。字あるなしにかかわらず、位次は一つも少なからぬを肯んじない。これは『皇極経世』が声音の数を推する通則である。

入声辟唱呂一之四

入聲闢唱呂一之四;古甲九癸嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛心審禁○;一音:□□近揆嶽嶽嶽嶽,四音:飛飛飛飛○○○十;四聲:坤巧丘棄嶽嶽嶽嶽,七聲:飛飛飛飛男坎欠○;□□乾蚪嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛○○○妾;黑花香血嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛●●●●;二音:黃華雄賢嶽嶽嶽嶽,四音:飛飛飛飛●●●●;四聲:五瓦仰□嶽嶽嶽嶽,八聲:飛飛飛飛●●●●;吾牙月堯嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛●●●●;安亞乙一嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛●●●●;三音:□爻壬寅嶽嶽嶽嶽,四音:飛飛飛飛●●●●;四聲:母馬美米嶽嶽嶽嶽,九聲:飛飛飛飛●●●●;目貌眉民嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛●●●●。

左欄は改めて『入声辟唱呂一之四』を立てる。唱うところの字は正声第四類の日行「刀早孝岳」の入声位「岳」である——この位はただ声があるのみならず、しかも字がある。だから図の通じて「岳」の字を実写し、每一行に「岳岳岳岳」と畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱えに行く。四畳の用意は、同一行の四つの音字(開・発・收・閉)と分かれて一唱一和の配を成さんとするにある。右欄の『閉音清和律一之四』の「飞」の字は、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」まで和し、その下の第八・第九の両声は合わせて八行とも「●●●●」で、無声の位に属する。邵雍は「日月星辰」をもって声の四行と名づけ、「水火土石」をもって音の四行と名づけた。図題のうちの「一」はまさに声の日行を指す。日行の入声に「岳」を得た。故に本図は「岳」をもって唱とす。唱うところの字はただ一つであるが、歴るところの音位は四十八あり、一唱四和して得る数は一百九十二である。

夫法□飛嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛●●●●;四音:父凡□吠嶽嶽嶽嶽,四音:飛飛飛飛●●●●;四聲:武晚□尾嶽嶽嶽嶽,十聲:飛飛飛飛●●●●;文萬□未嶽嶽嶽嶽,飛飛飛飛●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之四』は「岳」の字を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を唱え過ぐ。この一音は每一行の第三位が皆「□」で、音位あって字なきである。末行の「文万□未」の「未」は依然として地支の字を借りて音を立てたものである。右欄の『閉音清和律一之四』は「飞」の字を四畳して、第十声の四行と和す。第十声は全く声位がないので、四行はことごとく「●●●●」とする。これはまさに本図が最後まで和した収尾である。

閉音清和律一之五

閉音清和律一之五;卜百丙必嶽嶽嶽嶽,必必必必多可個舌;五音:步白備鼻嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必禾火化八;四聲:普撲品匹嶽嶽嶽嶽,一聲:必必必必開宰愛○;旁排平瓶嶽嶽嶽嶽,必必必必回每退○;東丹帝■嶽嶽嶽嶽,必必必必良兩向○;六音:兌大弟■嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必光廣況○;四聲:土貪天■嶽嶽嶽嶽,二聲:必必必必丁井亙○;同覃田■嶽嶽嶽嶽,必必必必兄永瑩○;乃你女■嶽嶽嶽嶽,必必必必千典旦○;七音:內南年■嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必元犬半○;四聲:老冷呂■嶽嶽嶽嶽,三聲:必必必必臣引艮○;鹿犖離■嶽嶽嶽嶽,必必必必君允巽○。

右欄は改めて『閉音清和律一之五』を立てる。和するところは第五音の水行「卜百丙必」の閉位の字「必」で、每一行に四つ連写し、左側の一行の声字の平上去入の四位と相当する。それはまず第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と和し、次いで第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、さらに第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声辟唱呂一之四』で、「岳」の字を四畳し続けて第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」を唱える。第五音は四位ともに具わり、第六・第七の両音は末位が皆「■」で、この音位なきである。図題のうちの「一之五」の「一」は声の日行を指し、「五」は正声第五類を指す。下文の『入声辟唱呂一之五』に唱う「日」の字は、まさにこの序数の上から排し下ってきたものである。左右の両欄の図次が斉しくないのは、音図が四十八位、声図が四十位で、行数の長短がもともと同じではないためである。

走哉足■嶽嶽嶽嶽,必必必必刀早孝嶽;八音:自在匠■嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必毛寶報霍;四聲:草采七■嶽嶽嶽嶽,四聲:必必必必牛斗奏六;曹才全■嶽嶽嶽嶽,必必必必○○○玉;思三星■嶽嶽嶽嶽,必必必必妻子四日;九音:寺□象■嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必衰○帥骨;四聲:□□□■嶽嶽嶽嶽,五聲:必必必必○○○德;□□□■嶽嶽嶽嶽,必必必必龜水貴北;■山手■嶽嶽嶽嶽,必必必必宮孔眾○;十音:■士石■嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必龍甬用○;四聲:■□耳■嶽嶽嶽嶽,六聲:必必必必魚鼠去○;■□二■嶽嶽嶽嶽,必必必必烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂一之四』は「岳」の字を四畳して、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱え過ぐ。ますます後に至るほど、坐実し得る字はますます少ない。第九音の後の二行はただ「□」と「■」を残し、第十音はさらに首位に多く「■」とする。右欄の『閉音清和律一之五』の「必」の字は、順に第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。「乌虎兔○」は第六声の第四等で、前の三位に字があり、入位は空缺して「○」とする。左欄の列ねるところはますます後ほどますます虚しく、右欄の和するところは字字に読むべきがある。一実一虚が同行に併せて見え、まさに邵雍の位を列ねるを先とし字を著すを後とする次第を見出すべきである。位は数を推するに必須であり、字はあれば書し、なければ闕くのである。

■莊震■嶽嶽嶽嶽,必必必必心審禁○;十一音:■乍□■嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必○○○十;四聲:■叉赤■嶽嶽嶽嶽,七聲:必必必必男坎欠○;■崇辰■嶽嶽嶽嶽,必必必必○○○妾;■卓中■嶽嶽嶽嶽,必必必必●●●●;十二音:■宅直■嶽嶽嶽嶽,五音:必必必必●●●●;四聲:■拆丑■嶽嶽嶽嶽,八聲:必必必必●●●●;■茶呈■嶽嶽嶽嶽,必必必必●●●●。

左欄は『入声辟唱呂一之四』を収束する。「岳」の字を四畳して第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。この両音は開位・閉位が全て「■」で、ただ中間の発・收の两位に偶々挙げうる字がある。故に一図のうちに留白が最も多い。右欄の『閉音清和律一之五』の「必」の字は、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と第八声の四行と和す。第七声の四行はいずれも「○」を挟み、第八声は片を挙げて「●●●●」とする。一つは声あって字なし、一つは併せてその声もなしである。第七声の「心审禁○」の類は字例が最も少なく、四行のうち過半は空位である。

入声辟唱呂一之五

入聲闢唱呂一之五;古甲九癸日日日日,必必必必●●●●;一音:□□近揆日日日日,五音:必必必必●●●●;五聲:坤巧丘棄日日日日,九聲:必必必必●●●●;□□乾蚪日日日日,必必必必●●●●;黑花香血日日日日,必必必必●●●●;二音:黃華雄賢日日日日,五音:必必必必●●●●;五聲:五瓦仰□日日日日,十聲:必必必必●●●●;吾牙月堯日日日日,必必必必●●●●。

左欄は改めて『入声辟唱呂一之五』を立てる。唱うところの字は正声第五類の日行「妻子四日」の入声位「日」である。この位は声あってまた字あり。故に「日」を実写し、每一行に「日日日日」と畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」を唱えに行く。「日」は『皇極経世』のうちで極めて緊要な一字で、入声の字であるとともに「日月星辰」の名に相い渉る。ここではただその声を取る。右欄の『閉音清和律一之五』は「必」の字をもって収尾し、第九声・第十声の合わせて八行と和す。全て「●●●●」で、和すべき声なしである。左右の両欄は一実一空でちょうど対照を成す。読者は右欄を漏刻と誤認してはならない。

閉音清和律一之六

閉音清和律一之六;安亞乙一日日日日,■■■■多可個舌;三音:□爻壬寅日日日日,六音:■■■■禾火化八;五聲:母馬美米日日日日,一聲:■■■■開宰愛○;目貌眉民日日日日,■■■■回每退○;夫法□飛日日日日,■■■■良兩向○;四音:父凡□吠日日日日,六音:■■■■光廣況○;五聲:武晚□尾日日日日,二聲:■■■■丁井亙○;文萬□未日日日日,■■■■兄永瑩○;卜百丙必日日日日,■■■■千典旦○;五音:步白備鼻日日日日,六音:■■■■元犬半○;五聲:普撲品匹日日日日,三聲:■■■■臣引艮○;旁排平瓶日日日日,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音清和律一之六』を立てる。前の数図と異なるのは、和するところの第六音の水行が「东丹帝■」で、その閉位にはもともと音がない。故に図の通じて和字は「■」と書くほかなく、每一行に四畳するも依然として旧例に照らす。これはすなわち、この一図は一つの空位を和するのであって、ただ体例を排し足すためである。それは順に第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声辟唱呂一之五』で、「日」の字を四畳し続けて第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」を唱える。本図より、閉音の一系は連ねて六図を排し、和するところの字はただ「■」のみである。その故は第六音以下の諸音の閉位にもともと音がないことにあり、邵雍は字なきをもって位を廃することを肯んぜず、依然として一図又一図と排し下る。まさに十二音の全数を凑え足さんがためである。

東丹帝■日日日日,■■■■刀早孝嶽;六音:兌大弟■日日日日,六音:■■■■毛寶報霍;五聲:土貪天■日日日日,四聲:■■■■牛斗奏六;同覃田■日日日日,■■■■○○○玉;乃你女■日日日日,■■■■妻子四日;七音:內南年■日日日日,六音:■■■■衰○帥骨;五聲:老冷呂■日日日日,五聲:■■■■○○○德;鹿犖離■日日日日,■■■■龜水貴北;走哉足■日日日日,■■■■宮孔眾○;八音:自在匠■日日日日,六音:■■■■龍甬用○;五聲:草采七■日日日日,六聲:■■■■魚鼠去○;曹才全■日日日日,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂一之五』は「日」の字を四畳して、続けて第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。この三音はいずれも每一行の前三位に字があり、末位は「■」とする。舌音・歯音の一系が閉位の上には音を立てるべきものがないことがうかがえる。右欄の『閉音清和律一之六』は依然として空位の符「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す——一辺は音なき位、一辺は声ある字で、両々に対看すれば、正に邵雍が虚位を存しても妄りに填めない意を見る。第六音「东丹帝■」、第七音「乃你女■」、第八音「走哉足■」の三系は、いずれも每一行に三字あって一空く。閉位に音なきことが舌歯の一路に最も普びくことを見るべきである。

思三星■日日日日,■■■■心審禁○;九音:寺□象■日日日日,六音:■■■■○○○十;五聲:□□□■日日日日,七聲:■■■■男坎欠○;□□□■日日日日,■■■■○○○妾;■山手■日日日日,■■■■●●●●;十音:■士石■日日日日,六音:■■■■●●●●;五聲:■□耳■日日日日,八聲:■■■■●●●●;■□二■日日日日,■■■■●●●●;■莊震■日日日日,■■■■●●●●;十一音:□乍□■日日日日,六音:■■■■●●●●;五聲:■叉赤■日日日日,九聲:■■■■●●●●;■崇辰■日日日日,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之五』は「日」の字を四畳して、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。三音のうちは「□」と「■」とが交錯する。前者は音位あって字はいまだ得ず、後者は併せて音位なきものである。右欄の『閉音清和律一之六』の空位の符「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、次いで第八声・第九声の合わせて八行と和す。後の八行は皆「●●●●」で、無声の位である。ここに至って一行の内に左右ともに空であり、まさに全図の最も虚しきところである。左欄の唱える「日」の字は、正声第五類の日行「妻子四日」の入声位から出ている。この字は『皇極経世』のうちに屡々見え、入声の実字であるとともに「日月星辰」の名に相い渉る。ここではただその声読を取り、その義には渉らない。全段は左に音字あり、右に声位なし。全図の最も虚しき一片である。

■卓中■日日日日,■■■■●●●●;十二音:■宅直■日日日日,六音:■■■■●●●●;五聲:■拆丑■日日日日,十聲:■■■■●●●●;■茶呈■日日日日,■■■■●●●●。

左欄は『入声辟唱呂一之五』を収束し、「日」の字を四畳して第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。四行の首末の両位は皆「■」である。右欄の『閉音清和律一之六』は空位の符「■」を四畳して、第十声の四行と和す。四行もまた皆「●●●●」である。左図の四十八音位・右図の四十声位はここに同時に排し満たされ、次の一行は改めて新しい図に換わる。

入声辟唱呂一之六 閉音清和律一之七

入聲闢唱呂一之六 閉音清和律一之七;古甲九癸○○○○,■■■■多可個舌;一音:□□近揆○○○○,七音:■■■■禾火化八;六聲:坤巧丘棄○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;□□乾蚪○○○○,■■■■回每退○;黑花香血○○○○,■■■■良兩向○;二音:黃華雄賢○○○○,七音:■■■■光廣況○;六聲:五瓦仰□○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;吾牙月堯○○○○,■■■■兄永瑩○;安亞乙一○○○○,■■■■千典旦○;三音:□爻壬寅○○○○,七音:■■■■元犬半○;六聲:母馬美米○○○○,三聲:■■■■臣引艮○;目貌眉民○○○○,■■■■君允巽○。

この一行は同時に二つの図題を標出する。左欄は改めて『入声辟唱呂一之六』を立て、右欄は改めて『閉音清和律一之七』を立てる。左図の唱うところは正声第六類の日行「宫孔众○」の入声位で、声あって字がなく「○」と書き、每一行に四畳する。右図の和するところは第七音の水行「乃你女■」の閉位で、もともとこの音なきもの、「■」と書き、每一行にも四畳する。一つは声あって字なき、一つは併せてその音なきで、二種の空位が同一行の上に併列し、まさに「○」と「■」の分工の細を見るべきである。左欄はこの段で第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱え、右欄は第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。両図が併せて起こるので、故にこの行には独り二つの図題がある。

夫法□飛○○○○,■■■■刀早孝嶽;四音:父凡□吠○○○○,七音:■■■■毛寶報霍;六聲:武晚□尾○○○○,四聲:■■■■牛斗奏六;文萬□未○○○○,■■■■○○○玉;卜百丙必○○○○,■■■■妻子四日;五音:步白備鼻○○○○,七音:■■■■衰○帥骨;六聲:普撲品匹○○○○,五聲:■■■■○○○德;旁排平瓶○○○○,■■■■龜水貴北;東丹帝■○○○○,■■■■宮孔眾○;六音:兌大弟■○○○○,七音:■■■■龍甬用○;六聲:土貪天■○○○○,六聲:■■■■魚鼠去○;同覃田■○○○○,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂一之六』は「○」を四畳して、続けて第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。第四音の各行の第三位は皆「□」で、末行の「未」は地支の字を借りて音例としたものである。右欄の『閉音清和律一之七』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。第四声の末行「○○○玉」は入位にのみ字があり、第五声の次行「衰○帅骨」は上声位に字を欠き、いずれも「○」をもって標出する。

乃你女■○○○○,■■■■心審禁○;七音:內南年■○○○○,七音:■■■■○○○十;六聲:老冷呂■○○○○,七聲:■■■■男坎欠○;鹿犖離■○○○○,■■■■○○○妾;走哉足■○○○○,■■■■●●●●;八音:自在匠■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:草采七■○○○○,八聲:■■■■●●●●;曹才全■○○○○,■■■■●●●●;思三星■○○○○,■■■■●●●●;九音:寺□象■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:□□□■○○○○,九聲:■■■■●●●●;□□□■○○○○,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之六』は「○」を四畳して、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。右欄の『閉音清和律一之七』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、その下の第八・第九の両声の八行はことごとく「●●●●」である。第七声の四行のうちの「○」は合わせて五箇所あり、いずれも声位はあって配する字を得られないもので、右欄の和字の「■」と相い対し、一虚一空で各々分際がある。左欄の第七・第八・第九の三音は、每一行の末位に皆音がなく、ただ前三位に字を著す。右欄の第八・第九の両声は声位さえもないので、八行はことごとく「●」である。同じく空白であって、左側は「■」とし右側は「●」とする。一つは音図に属し、一つは声図に属して、互いに易えられない。標す「七音」「八音」「九音」と「七声」「八声」「九声」は、両欄の現在の位次を分かれて記したものである。

■山手■○○○○,■■■■●●●●;十音:■士石■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:■□耳■○○○○,十聲:■■■■●●●●;■□二■○○○○,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之六』は第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。四行の開位は多く「■」とし、收位には偶々「耳」「二」などの字を得て、末位は一律に音なきである。右欄の『閉音清和律一之七』は「■」を四畳して第十声の四行と和す。四行は皆「●●●●」である。左右の両図はここに同時に収まる。左図は四十八音位を唱え満たしてなお二音を余し、右図はすでに四十声位を和し遍くした。

閉音清和律一之八

閉音清和律一之八;■莊震■○○○○,■■■■多可個舌;十一音:■乍□■○○○○,八音:■■■■禾火化八;六聲:■叉赤■○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;■崇辰■○○○○,■■■■回每退○;■卓中■○○○○,■■■■良兩向○;十二音:■宅直■○○○○,八音:■■■■光廣況○;六聲:■拆丑■○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;■茶呈■○○○○,■■■■兄永瑩○。

右欄は改めて『閉音清和律一之八』を立てる。和するところは第八音の水行「走哉足■」の閉位で、もともとこの音なきもの。故に依然として「■」を四畳して和字とし、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」を和しに行く。左欄は『入声辟唱呂一之六』の収尾で、入声の空位「○」を四畳して、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。この両音は正歯・舌上の一系に属し、開位・閉位ともに音がない。だから每一行はただ中間の二格のみ字を坐せる。両欄は各々改めて起こるので、位次は遂に相い値わなくなる。

入声辟唱呂一之七

入聲闢唱呂一之七;古甲九癸○○○○,■■■■千典旦○;一音:□□近揆○○○○,八音:■■■■元犬半○;七聲:坤巧丘棄○○○○,三聲:■■■■臣引艮○;□□乾蚪○○○○,■■■■君允巽○;黑花香血○○○○,■■■■刀早孝嶽;二音:黃華雄賢○○○○,八音:■■■■毛寶報霍;七聲:五瓦仰□○○○○,四聲:■■■■牛斗奏六;吾牙月堯○○○○,■■■■○○○玉;安亞乙一○○○○,■■■■妻子四日;三音:□爻壬寅○○○○,八音:■■■■衰○帥骨;七聲:母馬美米○○○○,五聲:■■■■○○○德;目貌眉民○○○○,■■■■龜水貴北。

左欄は改めて『入声辟唱呂一之七』を立てる。唱うところは正声第七類の日行「心审禁○」の入声位で、声あって字がなく「○」と書き、每一行に四畳し、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱える。右欄の『閉音清和律一之八』は依然として「■」を四畳して和字とし、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和す。左右の両欄の図次はこのときすでに相い値わない。まさに声図は四十位、音図は四十八位で、行数の長短がもともと同じではないためである。『皇極経世』は声唱音和を綱とす。声は上にあって唱え、音は下にあって和す。一声すでに定まれば、四十八音を遍歴し、一音すでに定まれば、四十声を遍和す。左欄はまさに前者、右欄はまさに後者である。故に同一行の上の二組の字は相い属さず、必ず各々本欄の上下に依って読み行かなければならない。

夫法□飛○○○○,■■■■宮孔眾○;四音:父凡□吠○○○○,八音:■■■■龍甬用○;七聲:武晚□尾○○○○,六聲:■■■■魚鼠去○;文萬□未○○○○,■■■■烏虎兔○;卜百丙必○○○○,■■■■心審禁○;五音:步白備鼻○○○○,八音:■■■■○○○十;七聲:普撲品匹○○○○,七聲:■■■■男坎欠○;旁排平瓶○○○○,■■■■○○○妾;東丹帝■○○○○,■■■■●●●●;六音:兌大弟■○○○○,八音:■■■■●●●●;七聲:土貪天■○○○○,八聲:■■■■●●●●;同覃田■○○○○,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之七』は「○」を四畳して、続けて第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄の『閉音清和律一之八』は「■」を四畳して、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八声の四行と和す。第六声の四行の入位は全て欠け、第七声は「○○○十」「○○○妾」の両行に入位にのみ字があり、第八声はさらに片を挙げて「●●●●」とし、和すべき声なきである。第六声の四行の入位は全て欠け、第七声の「○○○十」「○○○妾」の両行は入位にのみ字を著す。およそこれらはいずれも「○」をもってその位を補う。第八声は声さえもないので、「●」をもって標す。両符は形は近いが義は判たれ、一つは声あって字なし、一つは併せてその声もなきものである。

乃你女■○○○○,■■■■●●●●;七音:內南年■○○○○,八音:■■■■●●●●;七聲:老冷呂■○○○○,九聲:■■■■●●●●;鹿犖離■○○○○,■■■■●●●●;走哉足■○○○○,■■■■●●●●;八音:自在匠■○○○○,八音:■■■■●●●●;七聲:草采七■○○○○,十聲:■■■■●●●●;曹才全■○○○○,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之七』は「○」を四畳して、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」と第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。両音の各行は前三位に字があり、末位は「■」とする。右欄の『閉音清和律一之八』は「■」を四畳して、第九声と第十声の合わせて八行と和し、全て「●●●●」とする。本図はここに至って和し終わる。一行の内に左は音字あるも右は声位なし。ちょうど「音多く声少なし」の顕著な証である。左欄の第七音「乃你女■」と第八音「走哉足■」の両系は、各行の末位が皆「■」で、閉位に音なきである。右欄の第九・第十の両声は声位さえもないので、八行は全て「●」とする。左は字あり、右は全て空。まさに『皇極経世』のいわゆる「音多く声少なし」である。

閉音清和律一之九

閉音清和律一之九;思三星■○○○○,■■■■多可個舌;九音:寺□象■○○○○,九音:■■■■禾火化八;七聲:□□□■○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;□□□■○○○○,■■■■回每退○;■山手■○○○○,■■■■良兩向○;十音:■士石■○○○○,九音:■■■■光廣況○;七聲:■□耳■○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;■□二■○○○○,■■■■兄永瑩○;■莊震■○○○○,■■■■千典旦○;十一音:■乍□■○○○○,九音:■■■■元犬半○;七聲:■叉赤■○○○○,三聲:■■■■臣引艮○;■崇辰■○○○○,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音清和律一之九』を立てる。第九音の水行は「思三星■」で、その閉位に音なし。故に和字は依然として「■」と書き、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声辟唱呂一之七』で、「○」を四畳して続けて第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。左欄は紙に満つる「□」「■」、右欄は紙に満つる「■」と字ある声で、虚実が相い形を成し、一覧して弁ぜられる。第九音以下の諸音は、正字はますます少なく空位はますます多い。「□」は音位はあって字はいまだ得ずと記し、「■」はもともと音位なきを記す。両符が行に夾まり雑じるので、読むときは格を逐うて分弁しなければならず、一概に欠字と見做してはならない。

■卓中■○○○○,■■■■刀早孝嶽;十二音:■宅直■○○○○,九音:■■■■毛寶報霍;七聲:■拆丑■○○○○,四聲:■■■■牛斗奏六;■茶呈■○○○○,■■■■○○○玉。

左欄の『入声辟唱呂一之七』は「○」を四畳して、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図は告げ成した。右欄の『閉音清和律一之九』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。末行は前三位に字がなく「○」とし、ただ「玉」の字が入位に居る。

入声辟唱呂一之八

入聲闢唱呂一之八;古甲九癸●●●●,■■■■妻子四日;一音:□□近揆●●●●,九音:■■■■衰○帥骨;八聲:坤巧丘棄●●●●,五聲:■■■■○○○德;□□乾蚪●●●●,■■■■龜水貴北;黑花香血●●●●,■■■■宮孔眾○;二音:黃華雄賢●●●●,九音:■■■■龍甬用○;八聲:五瓦仰□●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;吾牙月堯●●●●,■■■■烏虎兔○;安亞乙一●●●●,■■■■心審禁○;三音:□爻壬寅●●●●,九音:■■■■○○○十;八聲:母馬美米●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;目貌眉民●●●●,■■■■○○○妾。

左欄は改めて『入声辟唱呂一之八』を立てる。正声第八類は日行以下の四行に全く声位がなく、その入声位は声あって字なきではなく、根本より声なしである。だから唱字は「●」と書くほかなく、每一行に四畳する。このような純粋の虚位をもって第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱えに行く。まさに邵雍の「位あれば必ず列ね、字なければ填めず」の排法である。右欄の『閉音清和律一之九』は依然として「■」を四畳して、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」、さらに第九声の四行と和す。正声の第八・第九・第十の三類は通じて声がなく、邵雍は依然としてこれがために図を立て位を立て、ただ每一格を「●」と書くだけである。これはまさに彼の「声音之数」を推して全備を務める弁法である——数は必ずその位を尽くし、字はその自然に聴く。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音:父凡□吠●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:武晚□尾●●●●,八聲:■■■■●●●●;文萬□未●●●●,■■■■●●●●;卜百丙必●●●●,■■■■●●●●;五音:步白備鼻●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:普撲品匹●●●●,九聲:■■■■●●●●;旁排平瓶●●●●,■■■■●●●●;東丹帝■●●●●,■■■■●●●●;六音:兌大弟■●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:土貪天■●●●●,十聲:■■■■●●●●;同覃田■●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之八』は無声の符「●」を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄の『閉音清和律一之九』は無音の符「■」を四畳して、第八・第九・第十の三声の合わせて十二行と和す。それらは全く声位がないので、行行に皆「●●●●」である。整段の左半にはなお音字あるも読み得、右半は声・音ともに空である。全書の最も虚しき一片である。符号は紙に満つれども、各々確かに指すところがある。「●」は無声、「■」は無音、「○」は声あって字なし、「□」は音あって字なし。全段の符号は紙に満つれども、各々確かに指すところがある。「●」は無声、「■」は無音、「○」は声あって字なし、「□」は音あって字なし。四符は分かれて声・音の両図に属し、読者は欄に按って分かれて見れば、自ずから混同するに至らない。

閉音清和律一之十

閉音清和律一之十;乃你女■●●●●,■■■■多可個舌;七音:內南年■●●●●,十音:■■■■禾火化八;八聲:老冷呂■●●●●,一聲:■■■■開宰愛○;鹿犖離■●●●●,■■■■回每退○;走哉足■●●●●,■■■■良兩向○;八音:自在匠■●●●●,十音:■■■■光廣況○;八聲:草采七■●●●●,二聲:■■■■丁井亙○;曹才全■●●●●,■■■■兄永瑩○;思三星■●●●●,■■■■千典旦○;九音:寺□象■●●●●,十音:■■■■元犬半○;八聲:□□□■●●●●,三聲:■■■■臣引艮○;□□□■●●●●,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音清和律一之十』を立てる。第十音の水行「□山手■」の閉位に音なし。和字は依然として「■」とし、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声辟唱呂一之八』で、「●」を四畳して続けて第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。右欄のこの図の和するところは第十音の水行の閉位で、もともとその音なし。故に通篇を「■」を四畳して和字とす。虚位の相和といえども、四十声位は依然として一位も欠くことなく排し足す。左欄は字例なお多く、脣・舌・歯の三路の代表字が次第に唱え過ぐ。

■山手■●●●●,■■■■刀早孝嶽;十音:■士石■●●●●,十音:■■■■毛寶報霍;八聲:■□耳■●●●●,四聲:■■■■牛斗奏六;■□二■●●●●,■■■■○○○玉;■莊震■●●●●,■■■■妻子四日;十一音:■乍□■●●●●,十音:■■■■衰○帥骨;八聲:■叉赤■●●●●,五聲:■■■■○○○德;■崇辰■●●●●,■■■■龜水貴北;■卓中■●●●●,■■■■宮孔眾○;十二音:■宅直■●●●●,十音:■■■■龍甬用○;八聲:■拆丑■●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;■茶呈■●●●●,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂一之八』は「●」を四畳して、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、ここに至って本図は唱え終わる。右欄の『閉音清和律一之十』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。第五声の次行「衰○帅骨」の上声位と第六声の末行「乌虎兔○」の入声位は、いずれも声あって字なしで、各々「○」をもってその空を補う。第十・第十一・第十二の三音の開位と閉位は大抵音がなく、ただ中間の発・收の両格が字を坐せる。故に左欄は每一行にただ二字のみ読み得る。右欄の和するところの第四・第五・第六の三声は、字例は比較的全きも、ただ各行の入位に時に空缺あり。

入声辟唱呂一之九

入聲闢唱呂一之九;古甲九癸●●●●,■■■■心審禁○;一音:□□近揆●●●●,十音:■■■■○○○十;九聲:坤巧丘棄●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;□□乾蚪●●●●,■■■■○○○妾;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音:黃華雄賢●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:五瓦仰□●●●●,八聲:■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●;安亞乙一●●●●,■■■■●●●●;三音:□爻壬寅●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:母馬美米●●●●,九聲:■■■■●●●●;目貌眉民●●●●,■■■■●●●●。

左欄は改めて『入声辟唱呂一之九』を立てる。正声第九類は通じて声なし。その日行の入位は自然と「●」と書くほかなく、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱えに行く。右欄の『閉音清和律一之十』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。後の八行は皆「●●●●」である。正声第九類はすでに声位なし。本図の唱字はただ一つの純粋の虚格である。しかるに唱はすでに立つ。四十八音はなお必ず一一に歴り、一位も少なからざるべからず。右欄の和するところの第七声は、四行とも「○」を挟み、第八・第九の両声の「●」と併せて一段の内に見える。虚実の別は尤も分明で、前は位はあって字が亡び、後は位がもともと立たない。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音:父凡□吠●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:武晚□尾●●●●,十聲:■■■■●●●●;文萬□未●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之九』は無声の符「●」を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を唱える。四行の第三位は皆「□」で、音位あってその字をいまだ得ず。末行の「未」は地支の字を借りて音例に充てたものである。右欄の『閉音清和律一之十』は無音の符「■」を四畳して、第十声の四行と和す。四行はことごとく「●●●●」とし、本図は和し終わる。

閉音清和律一之十一

閉音清和律一之十一;卜百丙必●●●●,■■■■多可個舌;五音:步白備鼻●●●●,十一音:■■■■禾火化八;九聲:普撲品匹●●●●,一聲:■■■■開宰愛○;旁排平瓶●●●●,■■■■回每退○;東丹帝■●●●●,■■■■良兩向○;六音:兌大弟■●●●●,十一音:■■■■光廣況○;九聲:土貪天■●●●●,二聲:■■■■丁井亙○;同覃田■●●●●,■■■■兄永瑩○;乃你女■●●●●,■■■■千典旦○;七音:內南年■●●●●,十一音:■■■■元犬半○;九聲:老冷呂■●●●●,三聲:■■■■臣引艮○;鹿犖離■●●●●,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音清和律一之十一』を立てる。第十一音の水行は「■庄震■」で、その閉位に音なし。和字は依然として「■」と書き、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。第二・第三の両声の八行の入位は全く字がなく、一律に「○」とする。左欄は依然として『入声辟唱呂一之九』で、「●」を四畳して続けて第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」を唱える。第十一音の「■庄震■」一系は、開位・閉位ともに音なし。故にその水行の閉格を取って和字とするとき、「■」と書くほかない。左欄の第五音は重脣の一路で、四行に四字ともに具わり、右欄の虚位とちょうど対照を成す。

走哉足■●●●●,■■■■刀早孝嶽;八音:自在匠■●●●●,十一音:■■■■毛寶報霍;九聲:草采七■●●●●,四聲:■■■■牛斗奏六;曹才全■●●●●,■■■■○○○玉;思三星■●●●●,■■■■妻子四日;九音:寺□象■●●●●,十一音:■■■■衰○帥骨;九聲:□□□■●●●●,五聲:■■■■○○○德;□□□■●●●●,■■■■龜水貴北;■山手■●●●●,■■■■宮孔眾○;十音:■士石■●●●●,十一音:■■■■龍甬用○;九聲:■□耳■●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;■□二■●●●●,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂一之九』は「●」を四畳して、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。右欄の『閉音清和律一之十一』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。第五声の三行「○○○德」は入位にのみ字があり、第六声の四行は入位がことごとく缺き、いずれも「○」をもって位を補う。右欄の和字の「■」とちょうど一虚一无で、混同すべからず。左欄の第八音は歯頭に属し、第九音は歯音の細に属し、第十音は舌歯相兼。三音の末位は一概に音なき。右欄の和するところの三声は字例なお多いも、ただ入位に屡々空しき。一行の内に左右各々一図に拠り、音次と声次とは決して相干らぬ。

■莊震■●●●●,■■■■心審禁○;十一音:■乍□■●●●●,十一音:■■■■○○○十;九聲:■叉赤■●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;■崇辰■●●●●,■■■■○○○妾;■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音:■宅直■●●●●,十一音:■■■■●●●●;九聲:■拆丑■●●●●,八聲:■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

左欄は『入声辟唱呂一之九』を収束し、「●」を四畳して第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。右欄の『閉音清和律一之十一』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と第八声の四行と和す。第七声の四行は各々空位ありて「○」とし、第八声は片を挙げて「●●●●」である。第十一・第十二の両音は正歯・舌上の一路で、開閉の両格ともに音なし。故に每一行はただ中間の二字のみ。右欄の第七声の四行は字ありといえども、処処に空しきを見る。

入声辟唱呂一之十

入聲闢唱呂一之十;古甲九癸●●●●,■■■■●●●●;一音:□□近揆●●●●,十一音:■■■■●●●●;十聲:坤巧丘棄●●●●,九聲:■■■■●●●●;□□乾蚪●●●●,■■■■●●●●;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音:黃華雄賢●●●●,十一音:■■■■●●●●;十聲:五瓦仰□●●●●,十聲:■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●。

左欄は改めて『入声辟唱呂一之十』を立てる。正声第十類は通じて声なし。日行の入位は自然とただ一つの純粋の虚位で、「●」と書き、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」を唱えに行く。右欄の『閉音清和律一之十一』は「■」を四畳して、第九声・第十声の合わせて八行と和す。八行は皆「●●●●」で、本図は和し終わる。このように虚をもって虚を唱え、空をもって空を和し、依然として一位も欠くことなく排し足す。まさにこの図は「数」を見んことを重んじて、専ら「字」を見んとしないを肯んじる。虚をもって虚を唱え、依然として一位も欠かず、まさに邵雍の図を作るに「数」を見んことを重んじ、専ら「字」を見んとしないを見る。

閉音清和律一之十二

閉音清和律一之十二;安亞乙一●●●●,■■■■多可個舌;三音:□爻壬寅●●●●,十二音:■■■■禾火化八;十聲:母馬美米●●●●,一聲:■■■■開宰愛○;目貌眉民●●●●,■■■■回每退○;夫法□飛●●●●,■■■■良兩向○;四音:父凡□吠●●●●,十二音:■■■■光廣況○;十聲:武晚□尾●●●●,二聲:■■■■丁井亙○;文萬□未●●●●,■■■■兄永瑩○;卜百丙必●●●●,■■■■千典旦○;五音:步白備鼻●●●●,十二音:■■■■元犬半○;十聲:普撲品匹●●●●,三聲:■■■■臣引艮○;旁排平瓶●●●●,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音清和律一之十二』を立てる。第十二音の水行は「■卓中■」で、閉位に音なし。和字は「■」とし、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声辟唱呂一之十』で、「●」を四畳して続けて第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」を唱える。『閉音清和律』の一系はここに第十二図に至り、十二音の水行の閉位は遂に排し終わる。そのうち第一音は「癸」を得、第二音は「血」を得、第三音は「一」を得、第四音は「飞」を得、第五音は「必」を得、余りの七音は皆音がなく「■」とする。

東丹帝■●●●●,■■■■刀早孝嶽;六音:兌大弟■●●●●,十二音:■■■■毛寶報霍;十聲:土貪天■●●●●,四聲:■■■■牛斗奏六;同覃田■●●●●,■■■■○○○玉;乃你女■●●●●,■■■■妻子四日;七音:內南年■●●●●,十二音:■■■■衰○帥骨;十聲:老冷呂■●●●●,五聲:■■■■○○○德;鹿犖離■●●●●,■■■■龜水貴北;走哉足■●●●●,■■■■宮孔眾○;八音:自在匠■●●●●,十二音:■■■■龍甬用○;十聲:草采七■●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;曹才全■●●●●,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂一之十』は「●」を四畳して、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。右欄の『閉音清和律一之十二』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左欄の第六音は舌頭の一路、第七音は泥来の一路、第八音は歯頭の一路で、三音の閉格は一律に音なし。右欄の第四声の末行「○○○玉」は入位にのみ字を著し、第五声の次行「衰○帅骨」は上声位に字を缺き、第六声の四行は入位が全て空しく、いずれも「○」をもって位を補う。ゆえに同じく空白であって、左は「■」を作り右は「○」を作す。各々その図に帰る。

思三星■●●●●,■■■■心審禁○;九音:寺□象■●●●●,十二音:■■■■○○○十;十聲:□□□■●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;□□□■●●●●,■■■■○○○妾;■山手■●●●●,■■■■●●●●;十音:■士石■●●●●,十二音:■■■■●●●●;十聲:■□耳■●●●●,八聲:■■■■●●●●;■□二■●●●●,■■■■●●●●;■莊震■●●●●,■■■■●●●●;十一音:■乍□■●●●●,十二音:■■■■●●●●;十聲:■叉赤■●●●●,九聲:■■■■●●●●;■崇辰■●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之十』は「●」を四畳して、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。右欄の『閉音清和律一之十二』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」である。左欄の三音のうち、「□」と「■」とが行に交錯する。前は音位あって字はいまだ得ず、後は併せて音位なきもの。右欄の第七声の四行にはなお心・审・禁・男・坎・欠の諸字が読み得られ、第八・第九の両声は一字も著さず、通じて「●」とする。左欄は音の次第を行き、右欄は声の次第を行く。同一行にあって各々相い属さぬは、これ本篇の諸図の一貫の排法である。

■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音:■宅直■●●●●,十二音:■■■■●●●●;十聲:■拆丑■●●●●,十聲:■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声辟唱呂一之十』は第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、右欄の『閉音清和律一之十二』は第十声の四行と和す。ここに至って、「日」行の入声をもって唱とする十図と、「水」行の閉音をもって和とする十二図とが全部排し終わり、およそ四百八十の唱位と四百八十の和位が一一に列ね足らされ、下文は改めて一系に換わる。

観物篇四十八

觀物篇四十八;辰月聲入翕 石火音閉濁;八○○霍骨,揆賢寅吠■;○十●●●,■■■■■■;辰月聲七,下唱地之 石火音五,上和天之;用音一百五十二,是 用聲一百一十二,是;謂入聲翕音。入聲翕 謂閉音濁聲。閉音濁;音一千六十四。 聲五百六十;辰月聲入之二翕 石火音閉之二濁。

『観物篇』第四十八は、専ら「辰月声入翕」と「石火音閉濁」の一対の位を論ず。「辰月声入翕」は正声図のうちに「辰」の位(四位のうちの入声)と「月」の行(四行のうちの第二行で、翕に属し、すなわち合口)との交会するところを取る。「石火音閉濁」は正音図のうちに「石」の位(四位のうちの閉音)と「火」の行(四行のうちの第二行で、濁に属す)との交会するところを取る。底本の両欄は頁を併せて刻され、横行に転じてからは句の前半は声に属し、後半は音に属す。分かれて読まなければならない。「八○○霍骨」「○十●●●」の十字は、十類の正声の入声翕位における代表字である。第一声は「八」を得、第四声は「霍」を得、第五声は「骨」を得、第七声は「十」を得、第二・第三・第六声は声位あって配する字なき「○」とし、第八・第九・第十声は声位さえもなき「●」とす。声あるもの七なり。故に下文に「辰月声七」と云う。「揆贤寅吠■」「■■■■■■」は、十二類の正音の閉音濁位における代表字である。第一音は「揆」、第二音は「贤」、第三音は「寅」、第四音は「吠」、余りは皆「■」で、すなわちこの音なし。下文の「石火音五」に照らして推せば、第五音にはまさに「鼻」の字あるべきところ、ここの底本に脱文あり。今はその旧に仍りて補わない。両欄の説明を分かれて読めば、「辰月声七、下に地の用音一百五十二を唱う、これを入声翕音と謂う。入声翕音一千六十四」。七声が各々下に一百五十二の可用の音を唱え、七を乗じて一千六十四を得る。「石火音五、上に天の用声一百一十二を和す、これを閉音濁声と謂う。閉音濁声五百六十」。五音が各々上に一百一十二の可用の声を和し、五を乗じて五百六十を得る。末題は「辰月声入之二翕」「石火音閉之二濁」。以下の諸図が皆第二系に属することを標明す。

入声翕唱呂二之一 閉音濁和律二之一

入聲翕唱呂二之一 閉音濁和律二之一;古甲九癸八八八八,揆揆揆揆多可個舌;一音:□□近揆八八八八,一音:揆揆揆揆禾火化八;一聲:坤巧丘棄八八八八,一聲:揆揆揆揆開宰愛○;□□乾蚪八八八八,揆揆揆揆回每退○;黑花香血八八八八,揆揆揆揆良兩向○;二音:黃華雄賢八八八八,一音:揆揆揆揆光廣況○;一聲:五瓦仰□八八八八,二聲:揆揆揆揆丁井亙○;吾牙月堯八八八八,揆揆揆揆兄永瑩○;安亞乙一八八八八,揆揆揆揆千典旦○;三音:□爻壬寅八八八八,一音:揆揆揆揆元犬半○;一聲:母馬美米八八八八,三聲:揆揆揆揆臣引艮○;目貌眉民八八八八,揆揆揆揆君允巽○。

この一行は左右同時に改めて新しい図を立てる。左欄は『入声翕唱呂二之一』、右欄は『閉音濁和律二之一』。左図の唱うところは正声第一類の月行「禾火化八」の入声の字「八」で、この位は声あり字あり。故に「八」を実写し、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱えに行く。右図の和するところは第一音の火行「□□近揆」の閉位の字「揆」で、同じく四畳して、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。四畳の数は、まさに同行の四字の四等に対す。音図にあっては開・発・收・閉、声図にあっては平・上・去・入である。「八」は「禾火化八」より出、「揆」は「□□近揆」より出ず。一つは声の入位を取り、一つは音の閉位を取る。

夫法□飛八八八八,揆揆揆揆刀早孝嶽;四音:父凡□吠八八八八,一音:揆揆揆揆毛寶報霍;一聲:武晚□尾八八八八,四聲:揆揆揆揆牛斗奏六;文萬□未八八八八,揆揆揆揆○○○玉;卜百丙必八八八八,揆揆揆揆妻子四日;五音:步白備鼻八八八八,一音:揆揆揆揆衰○帥骨;一聲:普撲品匹八八八八,五聲:揆揆揆揆○○○德;旁排平瓶八八八八,揆揆揆揆龜水貴北;東丹帝■八八八八,揆揆揆揆宮孔眾○;六音:兌大弟■八八八八,一音:揆揆揆揆龍甬用○;一聲:土貪天■八八八八,六聲:揆揆揆揆魚鼠去○;同覃田■八八八八,揆揆揆揆烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之一』は「八」の字を四畳して、続けて第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之一』は「揆」の字を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。「衰○帅骨」の上声位、「○○○玉」の平上去の三位、「乌虎兔○」の入声位は、いずれも声あって字なし。故に「○」を填める。第六音の四行の末位の「■」は、併せてこの音なきものである。第四音は軽脣の一路、第五音は重脣の一路、第六音は舌頭の一路で、三音のうちただ第六音の閉格に音なし。右欄の和するところの三声は、字例は比較的全きも、入位に屡々空しき。左欄の行末の四畳は声、右欄の行首の四畳は音である。故に左欄の「○」「●」を用いるところは必ず行末にあり、右欄の「○」「●」を用いるところは必ず行末の字のうちにある。位置は一望して分かれる。

乃你女■八八八八,揆揆揆揆心審禁○;七音:內南年■八八八八,一音:揆揆揆揆○○○十;一聲:老冷呂■八八八八,七聲:揆揆揆揆男坎欠○;鹿犖離■八八八八,揆揆揆揆○○○妾;走哉足■八八八八,揆揆揆揆●●●●;八音:自在匠■八八八八,一音:揆揆揆揆●●●●;一聲:草采七■八八八八,八聲:揆揆揆揆●●●●;曹才全■八八八八,揆揆揆揆●●●●;思三星■八八八八,揆揆揆揆●●●●;九音:寺□象■八八八八,一音:揆揆揆揆●●●●;一聲:□□□■八八八八,九聲:揆揆揆揆●●●●;□□□■八八八八,揆揆揆揆●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之一』は「八」の字を四畳して、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之一』は「揆」の字を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」とす。第九音の後の二行の「□□□■」は、前三位は音位あって字はいまだ得ず、末位はこの音なし。一行のうちに両符が併せて見え、最もよく邵雍の虚実を分かつ用心を看て取れる。第九音の後の二行はただ「□」と「■」を残すのみ。これ一路の字例の最も零落のところである。右欄は第七声の四行の後、第八・第九の両声は一字も著さず、全て「●」とす。左欄の唱う「八」は実字、右欄の和する「揆」もまた実字で、二つの実字が各々一図を領して、音位と声位とを遍歴す。得るところの唱和の数は、左図は一百九十二、右図は一百六十である。

□山手■八八八八,揆揆揆揆●●●●;十音:□士石■八八八八,一音:揆揆揆揆●●●●;一聲:■□耳■八八八八,十聲:揆揆揆揆●●●●;□□二■八八八八,揆揆揆揆●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之一』は「八」の字を四畳して、第十音の四行「□山手■、□士石■、■□耳■、□□二■」を唱える。本音の開位・閉位は大抵字なしか音なしで、ただ「山・手・士・石・耳・二」の数字を挙げ得。右欄の『閉音濁和律二之一』は「揆」の字を四畳して、第十声の四行と和す。四行はことごとく「●●●●」で、本図は和し終わる。

閉音濁和律二之二

閉音濁和律二之二;■莊震■八八八八,賢賢賢賢多可個舌;十一音:■乍□■八八八八,二音:賢賢賢賢禾火化八;一聲:■叉赤■八八八八,一聲:賢賢賢賢開宰愛○;■崇辰■八八八八,賢賢賢賢回每退○;■卓中■八八八八,賢賢賢賢良兩向○;十二音:■宅直■八八八八,二音:賢賢賢賢光廣況○;一聲:■拆丑■八八八八,二聲:賢賢賢賢丁井亙○;■茶呈■八八八八,賢賢賢賢兄永瑩○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之二』を立てる。和するところは第二音の火行「黄华雄贤」の閉位の字「贤」で、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。左欄は『入声翕唱呂二之一』の収尾で、「八」の字を四畳して第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。両音の開位・閉位は皆音なし。故に每一行はただ中間の二格に字を著す。第二音の火行「黄华雄贤」の閉位に「贤」の字を得。故に本図は「贤」をもって和とす。これは前図の「揆」の字を取ると同例で、いずれも本音の火行の末の一格に就きて字を取るのである。

入声翕唱呂二之二

入聲翕唱呂二之二;古甲九癸○○○○,賢賢賢賢千典旦○;一音:□□近揆○○○○,二音:賢賢賢賢元犬半○;二聲:坤巧丘棄○○○○,三聲:賢賢賢賢臣引艮○;□□乾蚪○○○○,賢賢賢賢君允巽○;黑花香血○○○○,賢賢賢賢刀早孝嶽;二音:黃華雄賢○○○○,二音:賢賢賢賢毛寶報霍;二聲:五瓦仰□○○○○,四聲:賢賢賢賢牛斗奏六;吾牙月堯○○○○,賢賢賢賢○○○玉;安亞乙一○○○○,賢賢賢賢妻子四日;三音:□爻壬寅○○○○,二音:賢賢賢賢衰○帥骨;二聲:母馬美米○○○○,五聲:賢賢賢賢○○○德;目貌眉民○○○○,賢賢賢賢龜水貴北。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之二』を立てる。唱うところは正声第二類の月行「光广况○」の入声位で、声あって字なきもの、「○」と書き、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之二』は「贤」の字を四畳して、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和す。本図の唱字は正声第二類の月行の入位に取れり。その位は声あって字がない。故にただ「○」とす。右欄の「贤」の字の和するところの第三・第四・第五の三声は、字例比較的全し。第三声の四行は末位が皆空しく、第四声の末行は入位にただ「玉」あり、第五声の次行は上声位と三行の前三位が皆空しく、一一に「○」をもって標出す。

夫法□飛○○○○,賢賢賢賢宮孔眾○;四音:父凡□吠○○○○,二音:賢賢賢賢龍甬用○;二聲:武晚□尾○○○○,六聲:賢賢賢賢魚鼠去○;文萬□未○○○○,賢賢賢賢烏虎兔○;卜百丙必○○○○,賢賢賢賢心審禁○;五音:步白備鼻○○○○,二音:賢賢賢賢○○○十;二聲:普撲品匹○○○○,七聲:賢賢賢賢男坎欠○;旁排平瓶○○○○,賢賢賢賢○○○妾;東丹帝■○○○○,賢賢賢賢●●●●;六音:兌大弟■○○○○,二音:賢賢賢賢●●●●;二聲:土貪天■○○○○,八聲:賢賢賢賢●●●●;同覃田■○○○○,賢賢賢賢●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之二』は「○」を四畳して、続けて第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之二』は「贤」の字を四畳して、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八声の四行と和す。第六声の四行の入位は全て欠けて「○」とし、第八声は声を挙げるべくなく、通じて「●●●●」とす。左欄の第四音の末行の「未」と、第六音の四行の末位の「■」とは、一つは地支の字を借りて音例に充て、一つは併せてこの音なし。両者は混じて見てはならない。右欄の第六声の四行の入位は全て欠け、第七声の四行は処処に空しきを見、第八声は通じて声なし。同じく留白であって、声図は「○」「●」を用い、音図は「□」「■」を用いる。各々分際あり。

乃你女■○○○○,賢賢賢賢●●●●;七音:內南年■○○○○,二音:賢賢賢賢●●●●;二聲:老冷呂■○○○○,九聲:賢賢賢賢●●●●;鹿犖離■○○○○,賢賢賢賢●●●●;走哉足■○○○○,賢賢賢賢●●●●;八音:自在匠■○○○○,二音:賢賢賢賢●●●●;二聲:草采七■○○○○,十聲:賢賢賢賢●●●●;曹才全■○○○○,賢賢賢賢●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之二』は「○」を四畳して、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」と第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。両音の各行の末位は皆「■」である。右欄の『閉音濁和律二之二』は「贤」の字を四畳して、第九声と第十声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」で、本図は和し終わる。第七音の「乃你女■」と第八音の「走哉足■」は、各行の末位に皆音なし。右欄の第九・第十の両声は声位さえもなし。この段の左欄にはなお八字読み得、右欄は一字も著さぬは、まさに声少なく音多きの験である。

閉音濁和律二之三

閉音濁和律二之三;思三星■○○○○,寅寅寅寅多可個舌;九音:寺□象■○○○○,三音:寅寅寅寅禾火化八;二聲:□□□■○○○○,一聲:寅寅寅寅開宰愛○;□□□■○○○○,寅寅寅寅回每退○;■山手■○○○○,寅寅寅寅良兩向○;十音:■士石■○○○○,三音:寅寅寅寅光廣況○;二聲:■□耳■○○○○,二聲:寅寅寅寅丁井亙○;■□二■○○○○,寅寅寅寅兄永瑩○;■莊震■○○○○,寅寅寅寅千典旦○;十一音:■乍□■○○○○,三音:寅寅寅寅元犬半○;二聲:■叉赤■○○○○,三聲:寅寅寅寅臣引艮○;■崇辰■○○○○,寅寅寅寅君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之三』を立てる。和するところは第三音の火行「□爻壬寅」の閉位の字「寅」で、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。「寅」は前図の「揆」「贤」と同例で、いずれも本音の火行の末の一位の字を取って和とす。左欄は依然として『入声翕唱呂二之二』で、「○」を四畳して続けて第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。「寅」は音図のうちで第三音の火行の末格に居り、取りて和字と為すは、前の両図の「揆」「贤」と同一の法より出ず。およそ和律の図は、皆本音の某行の閉位の字を取り、字なければ「□」をもって代え、音なければ「■」をもって代う。左欄のこの段の第九・第十・第十一の三音は、空位すでに多く、まさに右欄の行に満つる実字と互いに看るべきである。

■卓中■○○○○,寅寅寅寅刀早孝嶽;十二音:■宅直■○○○○,三音:寅寅寅寅毛寶報霍;二聲:■拆丑■○○○○,四聲:寅寅寅寅牛斗奏六;■茶呈■○○○○,寅寅寅寅○○○玉。

左欄の『入声翕唱呂二之二』は第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図は唱え終わる。右欄の『閉音濁和律二之三』は「寅」の字を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。末行はただ入位に「玉」の字あり、平上去の三位は皆空しくて「○○○」とす。

入声翕唱呂二之三

入聲翕唱呂二之三;古甲九癸○○○○,寅寅寅寅妻子四日;一音:□□近揆○○○○,三音:寅寅寅寅衰○帥骨;三聲:坤巧丘棄○○○○,五聲:寅寅寅寅○○○德;□□乾蚪○○○○,寅寅寅寅龜水貴北;黑花香血○○○○,寅寅寅寅宮孔眾○;二音:黃華雄賢○○○○,三音:寅寅寅寅龍甬用○;三聲:五瓦仰□○○○○,六聲:寅寅寅寅魚鼠去○;吾牙月堯○○○○,寅寅寅寅烏虎兔○;安亞乙一○○○○,寅寅寅寅心審禁○;三音:□爻壬寅○○○○,三音:寅寅寅寅○○○十;三聲:母馬美米○○○○,七聲:寅寅寅寅男坎欠○;目貌眉民○○○○,寅寅寅寅○○○妾。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之三』を立てる。唱うところは正声第三類の月行「元犬半○」の入声位で、声あって字なきもの、「○」と書き、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之三』は「寅」の字を四畳して、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和す。本図の唱うところは依然として一つの声あって字なき位。故に通篇を「○」とす。右欄の「寅」の字の和するところの第五・第六・第七の三声は、合わせて十二行。第五声の「衰○帅骨」は上声を缺き、「○○○德」は入声のみを余し、第六声の四行は入位が全て空しく、第七声の四行もまた空格多し。およそこれらはいずれも「○」をもって標し、左欄の音字行のうちの「□」「■」とは判然として両事である。

夫法□飛○○○○,寅寅寅寅●●●●;四音:父凡□吠○○○○,三音:寅寅寅寅●●●●;三聲:武晚□尾○○○○,八聲:寅寅寅寅●●●●;文萬□未○○○○,寅寅寅寅●●●●;卜百丙必○○○○,寅寅寅寅●●●●;五音:步白備鼻○○○○,三音:寅寅寅寅●●●●;三聲:普撲品匹○○○○,九聲:寅寅寅寅●●●●;旁排平瓶○○○○,寅寅寅寅●●●●;東丹帝■○○○○,寅寅寅寅●●●●;六音:兌大弟■○○○○,三音:寅寅寅寅●●●●;三聲:土貪天■○○○○,十聲:寅寅寅寅●●●●;同覃田■○○○○,寅寅寅寅●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之三』は「○」を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之三』は「寅」の字を四畳して、第八・第九・第十の三声の合わせて十二行と和す。皆「●●●●」で、本図は和し終わる。左半に排するは脣音・舌音の実字、右半に排するは三類の無声の位で、同一行にあって虚実は迥かに異なる。左欄の第四音の四行の收位は皆「□」で、音位あって字はいまだ得ず。第六音の四行の閉位は皆「■」で、併せて音位なきもの。右欄の和するところの第八・第九・第十の三類の正声は、通じて声なし。故に十二行三十六格は全て「●」と書く。一段のうちに四種の記号が斉く備わる。ちょうどよくこれを拠りて邵雍のいわゆる「その位あってその字なし」と「併せてその位なし」との分際を分弁すべきである。

閉音濁和律二之四

閉音濁和律二之四;乃你女■○○○○,吠吠吠吠多可個舌;七音:內南年■○○○○,四音:吠吠吠吠禾火化八;三聲:老冷呂■○○○○,一聲:吠吠吠吠開宰愛○;鹿犖離■○○○○,吠吠吠吠回每退○;走哉足■○○○○,吠吠吠吠良兩向○;八音:自在匠■○○○○,四音:吠吠吠吠光廣況○;三聲:草采七■○○○○,二聲:吠吠吠吠丁井亙○;曹才全■○○○○,吠吠吠吠兄永瑩○;思三星■○○○○,吠吠吠吠千典旦○;九音:寺□象■○○○○,四音:吠吠吠吠元犬半○;三聲:□□□■○○○○,三聲:吠吠吠吠臣引艮○;□□□■○○○○,吠吠吠吠君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之四』を立てる。和するところは第四音の火行「父凡□吠」の閉位の字「吠」で、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声翕唱呂二之三』で、「○」を四畳して続けて第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。「吠」は第四音の火行の末格に居り、取りて和と為す。左欄の第七音は泥来の一路、第八音は歯頭の一路、第九音は心邪の一路で、三音の閉格は一概に音なし。故に每一行の末位は皆「■」。右欄の和するところの三声は字例比較的全し。ただ第二・第三の両声の入位は皆空しく、「○」をもって補う。

■山手■○○○○,吠吠吠吠刀早孝嶽;十音:■士石■○○○○,四音:吠吠吠吠毛寶報霍;三聲:■□耳■○○○○,四聲:吠吠吠吠牛斗奏六;■□二■○○○○,吠吠吠吠○○○玉;■莊震■○○○○,吠吠吠吠妻子四日;十一音:■乍□■○○○○,四音:吠吠吠吠衰○帥骨;三聲:■叉赤■○○○○,五聲:吠吠吠吠○○○德;■崇辰■○○○○,吠吠吠吠龜水貴北;■卓中■○○○○,吠吠吠吠宮孔眾○;十二音:■宅直■○○○○,四音:吠吠吠吠龍甬用○;三聲:■拆丑■○○○○,六聲:吠吠吠吠魚鼠去○;■茶呈■○○○○,吠吠吠吠烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之三』は「○」を四畳して、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図は唱え終わる。右欄の『閉音濁和律二之四』は「吠」の字を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左欄の三音の開位と閉位は大半音がなく、ただ中間の二格に字を著す。全図の最も疎なるところである。右欄の第四声の末行はただ入位に「玉」あり、第五声の次行は上声を缺き、第六声の四行は入位が全て空し。両欄は同行に併列して各々自ら図を為す。左辺は音位を数え、右辺は声位を数う。音位は四十八、声位は四十。多寡斉しからず。故に図題の先后もまたこれに随いて錯き開く。

入声翕唱呂二之四

入聲翕唱呂二之四;古甲九癸霍霍霍霍,吠吠吠吠心審禁○;一音:□□近揆霍霍霍霍,四音:吠吠吠吠○○○十;四聲:坤巧丘棄霍霍霍霍,七聲:吠吠吠吠男坎欠○;□□乾蚪霍霍霍霍,吠吠吠吠○○○妾;黑花香血霍霍霍霍,吠吠吠吠●●●●;二音:黃華雄賢霍霍霍霍,四音:吠吠吠吠●●●●;四聲:五瓦仰□霍霍霍霍,八聲:吠吠吠吠●●●●;吾牙月堯霍霍霍霍,吠吠吠吠●●●●;安亞乙一霍霍霍霍,吠吠吠吠●●●●;三音:□爻壬寅霍霍霍霍,四音:吠吠吠吠●●●●;四聲:母馬美米霍霍霍霍,九聲:吠吠吠吠●●●●;目貌眉民霍霍霍霍,吠吠吠吠●●●●。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之四』を立てる。唱うところは正声第四類の月行「毛宝报霍」の入声の字「霍」で、声あり字あり。故に「霍」を実写し、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之四』は「吠」の字を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」である。「霍」は正声第四類の月行「毛宝报霍」より出る。この位の上の得難き実字である。故に本図は実字をもって唱とするを得る。右欄の「吠」の字の和するところの第七声の四行にはなお心・审・禁・男・坎・欠の諸字あり、第八・第九の両声は通じて声なし。故に八行は皆「●」。左は唱え右は和し、各々その位を歴て互いに相い渉らず。

夫法□飛霍霍霍霍,吠吠吠吠●●●●;四音:父凡□吠霍霍霍霍,四音:吠吠吠吠●●●●;四聲:武晚□尾霍霍霍霍,十聲:吠吠吠吠●●●●;文萬□未霍霍霍霍,吠吠吠吠●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之四』は「霍」の字を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を唱える。四行の第三位は皆「□」で、音位あって字はいまだ得ず。右欄の『閉音濁和律二之四』は「吠」の字を四畳して、第十声の四行と和す。四行はことごとく「●●●●」で、本図は和し終わる。

閉音濁和律二之五

閉音濁和律二之五;卜百丙必霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻多可個舌;五音:步白備鼻霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻禾火化八;四聲:普撲品匹霍霍霍霍,一聲:鼻鼻鼻鼻開宰愛○;旁排平瓶霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻回每退○;東丹帝■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻良兩向○;六音:兌大弟■霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻光廣況○;四聲:土貪天■霍霍霍霍,二聲:鼻鼻鼻鼻丁井亙○;同覃田■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻兄永瑩○;乃你女■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻千典旦○;七音:內南年■霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻元犬半○;四聲:老冷呂■霍霍霍霍,三聲:鼻鼻鼻鼻臣引艮○;鹿犖離■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之五』を立てる。和するところは第五音の火行「步白备鼻」の閉位の字「鼻」で、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。前の篇首の音位の総表はこの「鼻」の字を脱去していた。ここはまさに証と為すべきである。左欄は依然として『入声翕唱呂二之四』で、「霍」の字を四畳して続けて第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」を唱える。「鼻」は第五音の火行「步白备鼻」の閉位の字である。本篇の開首の音位の総表はこの一格を漏去して、ただ「揆贤寅吠■」とす。「石火音五」の数とこの図の用うる字とに据って推せば、底本に確かに脱文あるを知るべし。今は原文に一ただその旧に仍り、あえて擅りに補わない。

走哉足■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻刀早孝嶽;八音:自在匠■霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻毛寶報霍;四聲:草采七■霍霍霍霍,四聲:鼻鼻鼻鼻牛斗奏六;曹才全■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻○○○玉;思三星■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻妻子四日;九音:寺□象■霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻衰○帥骨;四聲:□□□■霍霍霍霍,五聲:鼻鼻鼻鼻○○○德;□□□■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻龜水貴北;■山手■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻宮孔眾○;十音:■士石■霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻龍甬用○;四聲:□■耳■霍霍霍霍,六聲:鼻鼻鼻鼻魚鼠去○;■□二■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之四』は「霍」の字を四畳して、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、□■耳■、■□二■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之五』は「鼻」の字を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左欄の第十音の第三行の底本は「□■耳■」とし、他処の「■□耳■」と小異す。今は依然として照録する。左欄の第八音は歯頭に属し、第九音は字例が零落し、第十音は「□」「■」が交錯す。ますます末音に近づくほどますます字を得難きを見るべし。右欄の第四・第五・第六の三声の入位は屡々空しく、皆「○」をもって位を補う。両欄を併せて読めば、左側は音を数え、右側は声を数う。四畳の数は一なり。一唱は必ず四和に配し、一和は必ず四声の位に対す。

■莊震■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻心審禁○;十一音:■乍□■霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻○○○十;四聲:■叉赤■霍霍霍霍,七聲:鼻鼻鼻鼻男坎欠○;■崇辰■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻○○○妾;■卓中■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻●●●●;十二音:■宅直■霍霍霍霍,五音:鼻鼻鼻鼻●●●●;四聲:■拆丑■霍霍霍霍,八聲:鼻鼻鼻鼻●●●●;■茶呈■霍霍霍霍,鼻鼻鼻鼻●●●●。

左欄は『入声翕唱呂二之四』を収束し、「霍」の字を四畳して第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之五』は「鼻」の字を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と第八声の四行と和す。第七声の四行の空缺は「○」をもって標出し、第八声は四行皆「●●●●」である。第十一・第十二の両音は開閉の両格ともに音なし。故に左欄は每一行にただ二字のみ。右欄の第七声はなお字を挙げ得、第八声は一字も著さず。

入声翕唱呂二之五

入聲翕唱呂二之五;古甲九癸骨骨骨骨,鼻鼻鼻鼻●●●●;一音:□□近揆骨骨骨骨,五音:鼻鼻鼻鼻●●●●;五聲:坤巧丘棄骨骨骨骨,九聲:鼻鼻鼻鼻●●●●;□□乾蚪骨骨骨骨,鼻鼻鼻鼻●●●●;黑花香血骨骨骨骨,鼻鼻鼻鼻●●●●;二音:黃華雄賢骨骨骨骨,五音:鼻鼻鼻鼻●●●●;五聲:五瓦仰□骨骨骨骨,十聲:鼻鼻鼻鼻●●●●;吾牙月堯骨骨骨骨,鼻鼻鼻鼻●●●●。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之五』を立てる。唱うところは正声第五類の月行「衰○帅骨」の入声の字「骨」で、声あり字あり。「骨」を実写し、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」を唱える。「衰○帅骨」の一行は、上声位に字なく「○」とし、入声位に「骨」あって挙げ得。まさに同一行の内の四位に実あり虚あるを見る。右欄の『閉音濁和律二之五』は「鼻」の字を四畳して、第九声・第十声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」で、本図は和し終わる。「衰○帅骨」の一行は、上声位に字なくして入声位に字あり。まさに同一行の内の四位に虚あり実あるを見る。

閉音濁和律二之六

閉音濁和律二之六;安亞乙一骨骨骨骨,■■■■多可個舌;三音:□爻壬寅骨骨骨骨,六音:■■■■禾火化八;五聲:母馬美米骨骨骨骨,一聲:■■■■開宰愛○;目貌眉民骨骨骨骨,■■■■回每退○;夫法□飛骨骨骨骨,■■■■良兩向○;四音:父凡□吠骨骨骨骨,六音:■■■■光廣況○;五聲:武晚□尾骨骨骨骨,二聲:■■■■丁井亙○;文萬□未骨骨骨骨,■■■■兄永瑩○;卜百丙必骨骨骨骨,■■■■千典旦○;五音:步白備鼻骨骨骨骨,六音:■■■■元犬半○;五聲:普撲品匹骨骨骨骨,三聲:■■■■臣引艮○;旁排平瓶骨骨骨骨,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之六』を立てる。第六音の火行は「兑大弟■」で、その閉位に音なし。故に和字は「■」と書くほかなく、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。これより以下の六図は、和するところは皆音なき位で、ただ十二音の位次を排し足すためである。左欄は依然として『入声翕唱呂二之五』で、「骨」の字を四畳して続けて第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」を唱える。本図より、濁和律の一系の余りの六図の和字はただ「■」のみ。その故は第六音以下の火行の閉格にもともとその音なきにある。邵雍は列ねて填めざる。まさに十二音の数を排し足すためである。読者は紙に満つる「■」を見て、位は数のうちに在って音は得られないことを知るべく、刻本の漫漶ではない。

東丹帝■骨骨骨骨,■■■■刀早孝嶽;六音:兌大弟■骨骨骨骨,六音:■■■■毛寶報霍;五聲:土貪天■骨骨骨骨,四聲:■■■■牛斗奏六;同覃田■骨骨骨骨,■■■■○○○玉;乃你女■骨骨骨骨,■■■■妻子四日;七音:內南年■骨骨骨骨,六音:■■■■衰○帥骨;五聲:老冷呂■骨骨骨骨,五聲:■■■■○○○德;鹿犖離■骨骨骨骨,■■■■龜水貴北;走哉足■骨骨骨骨,■■■■宮孔眾○;八音:自在匠■骨骨骨骨,六音:■■■■龍甬用○;五聲:草采七■骨骨骨骨,六聲:■■■■魚鼠去○;曹才全■骨骨骨骨,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之五』は「骨」の字を四畳して、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之六』は無音の符「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左欄の第六音は舌頭の一路、第七音は泥来の一路、第八音は歯頭の一路で、三音の閉格は皆音なし。右欄は虚位をもって和とすといえども、四十声位は依然として一一に歴る。第四声の末行はただ入位に「玉」を著し、第五声の次行は上声を缺き、第六声の四行は入位が全て空しく、各々「○」をもって標す。左の「■」右の「○」は、一つは音図に属し一つは声図に属す。位置すでに異なり、取りうる義もまた別なり。

思三星■骨骨骨骨,■■■■心審禁○;九音:寺□象■骨骨骨骨,六音:■■■■○○○十;五聲:□□□■骨骨骨骨,七聲:■■■■男坎欠○;□□□■骨骨骨骨,■■■■○○○妾;■山手■骨骨骨骨,■■■■●●●●;十音:■士石■骨骨骨骨,六音:■■■■●●●●;五聲:■□耳■骨骨骨骨,八聲:■■■■●●●●;■□二■骨骨骨骨,■■■■●●●●;■莊震■骨骨骨骨,■■■■●●●●;十一音:■乍□■骨骨骨骨,六音:■■■■●●●●;五聲:■叉赤■骨骨骨骨,九聲:■■■■●●●●;■崇辰■骨骨骨骨,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之五』は「骨」の字を四畳して、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之六』は無音の符「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」である。第七声の「○○○十」「○○○妾」の両行は、いずれも入声位にのみ字を坐せるに堪え、前三位は声あって字なし。故に「○」をもって四等の数を補い足す。第七声の字例は十声のうちで最も零落し、四行のうちに過半は空位である。第八・第九の両声はさらに声位さえもなし。左欄の第九・第十・第十一の三音は「□」「■」が相い間し、字もまた幾ばくなし。両欄は同行に併列し、左は音次を記し、右は声次を記して、各々「九音」「十音」「十一音」と「七声」「八声」「九声」とを標す。読者は欄に依って分かれて見れば、自ずから牽合するに至らない。

■卓中■骨骨骨骨,■■■■●●●●;十二音:■宅直■骨骨骨骨,六音:■■■■●●●●;五聲:■拆丑■骨骨骨骨,十聲:■■■■●●●●;■茶呈■骨骨骨骨,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之五』は第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図は唱え終わる。右欄の『閉音濁和律二之六』は「■」を四畳して第十声の四行と和す。四行は皆「●●●●」で、本図もまた終わる。両図は同時に排し満たされ、故に次の一行は左右併せて新題を立てる。両図同じく尽きる。故に下行は併せて新題を立つ。

入声翕唱呂二之六 閉音濁和律二之七

入聲翕唱呂二之六 閉音濁和律二之七;古甲九癸○○○○,■■■■多可個舌;一音:□□近揆○○○○,七音:■■■■禾火化八;六聲:坤巧丘棄○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;□□乾蚪○○○○,■■■■回每退○;黑花香血○○○○,■■■■良兩向○;二音:黃華雄賢○○○○,七音:■■■■光廣況○;六聲:五瓦仰□○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;吾牙月堯○○○○,■■■■兄永瑩○;安亞乙一○○○○,■■■■千典旦○;三音:□爻壬寅○○○○,七音:■■■■元犬半○;六聲:母馬美米○○○○,三聲:■■■■臣引艮○;目貌眉民○○○○,■■■■君允巽○。

この一行は左右同時に改めて立つ。左欄は『入声翕唱呂二之六』、右欄は『閉音濁和律二之七』。左図の唱うところは正声第六類の月行「龙甬用○」の入声位で、声あって字なきもの、「○」と書く。右図の和するところは第七音の火行「内南年■」の閉位で、もともとこの音なきもの、「■」と書く。二つの符号は形近いが義は別なり。「○」は位はあって字が亡び、「■」は位がもともと立たぬ。左欄は「○」を四畳して第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱え、右欄は「■」を四畳して第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄の唱うところは声、右欄の和するところは音。一図は四十八音位を歴り、一図は四十声位を歴る。長短斉しからず。故に図題は遂に時に合い時に分かる。

夫法□飛○○○○,■■■■刀早孝嶽;四音:父凡□吠○○○○,七音:■■■■毛寶報霍;六聲:武晚□尾○○○○,四聲:■■■■牛斗奏六;文萬□未○○○○,■■■■○○○玉;卜百丙必○○○○,■■■■妻子四日;五音:步白備鼻○○○○,七音:■■■■衰○帥骨;六聲:普撲品匹○○○○,五聲:■■■■○○○德;旁排平瓶○○○○,■■■■龜水貴北;東丹帝■○○○○,■■■■宮孔眾○;六音:兌大弟■○○○○,七音:■■■■龍甬用○;六聲:上貪天■○○○○,六聲:■■■■魚鼠去○;同覃田■○○○○,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之六』は「○」を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、上贪天■、同覃田■」を唱える——第六音の第三行の底本は「上贪天■」とし、他処の「土贪天■」と小異す。今は照録して改めない。右欄の『閉音濁和律二之七』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。「乌虎兔○」は第六声の第四等で、烏・虎・兔は平上去に居り、入位は空缺して「○」とす。左欄の第四音の收位は皆「□」、第六音の閉位は皆「■」。両符は一つは音あって字なし、一つは併せてその音なし。右欄の第四声の末行「○○○玉」は入位にのみ字を著し、第五声の次行「衰○帅骨」は上声を缺き、いずれも「○」をもって位を補う。

乃你女■○○○○,■■■■心審禁○;七音:內南年■○○○○,七音:■■■■○○○十;六聲:老冷呂■○○○○,七聲:■■■■男坎欠○;鹿犖離■○○○○,■■■■○○○妾;走哉足■○○○○,■■■■●●●●;八音:自在匠■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:草采七■○○○○,八聲:■■■■●●●●;曹才全■○○○○,■■■■●●●●;思三星■○○○○,■■■■●●●●;九音:寺□象■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:□□□■○○○○,九聲:■■■■●●●●;□□□■○○○○,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之六』は「○」を四畳して、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之七』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の八行と和す。皆「●●●●」である。左欄の三音の閉格は一概に音がなく、右欄の第八・第九の両声は通じて声なし。故に一段のうちに「■」と「●」とが各々その半を占める。同じく空白であって分かれて両符を書するは、左欄の記するところを音と為し、右欄の記するところを声と為すに因る。位すでに異属ならば、符もまた同じからざる。この図の標す「七音」より「九音」までと「七声」より「九声」までは、まさに両欄の各々の位次で、牽合して一つと為すべからず。

■山手■○○○○,■■■■●●●●;十音:■士石■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:■□耳■○○○○,十聲:■■■■●●●●;■□二■○○○○,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之六』は第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱え、右欄の『閉音濁和律二之七』は「■」を四畳して第十声の四行と和す。四行は皆「●●●●」で、本図は和し終わる。この段は左右の両欄が合わせて十六格に、一格も字を著すことなく、全て「○」「■」「●」の三種の空位が交錯す。最もよく邵雍の位を列ねて字を填めざる体例を見出せる。

閉音濁和律二之八

閉音濁和律二之八;■莊震■○○○○,■■■■多可個舌;十一音:■乍□■○○○○,八音:■■■■禾火化八;六聲:■叉赤■○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;■崇辰■○○○○,■■■■回每退○;■卓中■○○○○,■■■■良兩向○;十二音:■宅直■○○○○,八音:■■■■光廣況○;六聲:■拆丑■○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;■茶呈■○○○○,■■■■兄永瑩○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之八』を立てる。第八音の火行は「自在匠■」で、閉位に音なし。和字は「■」とし、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。左欄は『入声翕唱呂二之六』の収尾で、「○」を四畳して第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。左欄の両音の開閉の両格は皆音なし。故に每一行はただ中間の二字のみ読み得。右欄は虚位をもって和とすといえども、依然として一声一声に排し下り、一位を少なうすることを肯んぜず。

入声翕唱呂二之七

入聲翕唱呂二之七;古甲九癸十十十十,■■■■千典旦○;一音:□□近揆十十十十,八音:■■■■元犬半○;七聲:坤巧丘棄十十十十,三聲:■■■■臣引艮○;□□乾蚪十十十十,■■■■君允巽○;黑花香血十十十十,■■■■刀早孝嶽;二音:黃華雄賢十十十十,八音:■■■■毛寶報霍;七聲:五瓦仰□十十十十,四聲:■■■■牛斗奏六;吾牙月堯十十十十,■■■■○○○玉;安亞乙一十十十十,■■■■妻子四日;三音:□爻壬寅十十十十,八音:■■■■衰○帥骨;七聲:母馬美米十十十十,五聲:■■■■○○○德;目貌眉民十十十十,■■■■龜水貴北。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之七』を立てる。唱うところは正声第七類の月行「○○○十」の入声の字「十」である。この一行は平・上・去の三位皆字なく「○」とし、独り入声位に「十」あって挙げ得。故に本図の唱字は「十」を実写し、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之八』は「■」を四畳して、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」と和す。本図の唱字「十」はこの一行の上の唯一の実字で、その上の平・上・去の三位は皆空しい。右欄の和するところの第三・第四・第五の三声は、字例比較的全し。ただ入位に屡々空缺あり。左は一つの入声の字を取りて四十八音を遍唱し、右は一つの閉音の位を取りて四十声を遍和す。両図は並行して相い渉らず。

夫法□飛十十十十,■■■■宮孔眾○;四音:父凡□吠十十十十,八音:■■■■龍甬用○;七聲:武晚□尾十十十十,六聲:■■■■魚鼠去○;文萬□未十十十十,■■■■烏虎兔○;卜百丙必十十十十,■■■■心審禁○;五音:步白備鼻十十十十,八音:■■■■○○○十;七聲:普撲品匹十十十十,七聲:■■■■男坎欠○;旁排平瓶十十十十,■■■■○○○妾;東丹帝■十十十十,■■■■●●●●;六音:兌大弟■十十十十,八音:■■■■●●●●;七聲:土貪天■十十十十,八聲:■■■■●●●●;同覃田■十十十十,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之七』は「十」の字を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之八』は「■」を四畳して、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八声の四行と和す。左欄の第四音の末行の「未」は依然として地支の字を取りて音例と為す。ただその声を借るのみ、その義を取らず。左欄の三音のうち、第六音の閉格に音なし。右欄の第六声の四行は入位が全て空しく、第七声の「○○○十」「○○○妾」の両行は入位にのみ字を著し、第八声は一字も著さず。声図の空は「○」「●」を用い、音図の空は「□」「■」を用い、両々分明である。

乃你女■十十十十,■■■■●●●●;七音:內南年■十十十十,八音:■■■■●●●●;七聲:老冷呂■十十十十,九聲:■■■■●●●●;鹿犖離■十十十十,■■■■●●●●;走哉足■十十十十,■■■■●●●●;八音:自在匠■十十十十,八音:■■■■●●●●;七聲:草采七■十十十十,十聲:■■■■●●●●;曹才全■十十十十,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之七』は「十」の字を四畳して、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」と第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之八』は「■」を四畳して、第九声・第十声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」で、本図は和し終わる。この段の左欄にはなお八行の音字が読み得、右欄は第九・第十の両声が一字も著さず、全て「●」とす。正声のうち声の用うべきはただ七類あり、その三類は空く懸かる。正音のうち音の用うべきもまたその数に満たず。これはすなわち下文が「七」「五」をもって算と為す由来である。

閉音濁和律二之九

閉音濁和律二之九;思三星■十十十十,■■■■多可個舌;九音:寺□象■十十十十,九音:■■■■禾火化八;七聲:□□□■十十十十,一聲:■■■■開宰愛○;□□□■十十十十,■■■■回每退○;■山手■十十十十,■■■■良兩向○;十音:■士石■十十十十,九音:■■■■光廣況○;七聲:■□耳■十十十十,二聲:■■■■丁井亙○;■□二■十十十十,■■■■兄永瑩○;■莊震■十十十十,■■■■千典旦○;十一音:■乍□■十十十十,九音:■■■■元犬半○;七聲:■叉赤■十十十十,三聲:■■■■臣引艮○;■崇辰■十十十十,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之九』を立てる。第九音の火行は「寺□象■」で、閉位に音なし。和字は「■」とし、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声翕唱呂二之七』で、「十」の字を四畳して続けて第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。第九音の火行「寺□象■」の閉格に音なし。故に和字は「■」とするほかない。左欄の第九・第十・第十一の三音は、まさにこれ空位の最も多き一段で、「□」と「■」とが相い間して行を成す。両欄は同じく留白といえども、指すところは分かれて音位の字なきと音位の立たざるとに属す。読むときは格を逐うて分弁せざるべからず。

■卓中■十十十十,■■■■刀早孝嶽;十二音:■宅直■十十十十,九音:■■■■毛寶報霍;七聲:■拆丑■十十十十,四聲:■■■■牛斗奏六;■茶呈■十十十十,■■■■○○○玉。

左欄の『入声翕唱呂二之七』は「十」の字を四畳して、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図は唱え終わる。右欄の『閉音濁和律二之九』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」と和す。末行はただ入位に「玉」の字あり。

入声翕唱呂二之八

入聲翕唱呂二之八;古甲九癸●●●●,■■■■妻子四日;一音:□□近揆●●●●,九音:■■■■衰○帥骨;八聲:坤巧丘棄●●●●,五聲:■■■■○○○德;□□乾蚪●●●●,■■■■龜水貴北;黑花香血●●●●,■■■■宮孔眾○;二音:黃華雄賢●●●●,九音:■■■■龍甬用○;八聲:五瓦仰□●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;吾牙月堯●●●●,■■■■烏虎兔○;安亞乙一●●●●,■■■■心審禁○;三音:□爻王寅●●●●,九音:■■■■○○○十;八聲:母馬美米●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;目貌眉民●●●●,■■■■○○○妾。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之八』を立てる。正声第八類は通じて声なし。月行の入位は一つの純粋の虚位である。故に唱字は「●」と書き、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻王寅、母马美米、目貌眉民」を唱える——第三音の第二行の底本は「王寅」とし、他処は皆「壬寅」とす。今は底本の原様を存す。右欄の『閉音濁和律二之九』は「■」を四畳して、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和す。一つの無声の位をもって四十八音を遍唱す。字は成らざるといえども、位は欠かざる。これは『皇極経世』の数を推す定例である。右欄の和するところの三声のうち、第五声の「衰○帅骨」は上声を缺き、「○○○德」は入声のみを余し、第六声の四行は入位が全て空しく、第七声もまた空格多し。一一に「○」をもって標出す。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音:父凡□吠●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:武晚□尾●●●●,八聲:■■■■●●●●;文萬○未●●●●,■■■■●●●●;卜百丙必●●●●,■■■■●●●●;五音:步白備鼻●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:普撲品匹●●●●,九聲:■■■■●●●●;旁排平瓶●●●●,■■■■●●●●;東丹帝■●●●●,■■■■●●●●;六音:兌大弟■●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:土貪天■●●●●,十聲:■■■■●●●●;同覃田■●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之八』は「●」を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万○未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。第四音の末行は他処では皆「文万□未」とすが、ここの底本は「文万○未」とし、收位は改めて声図の空位の符を用いた。今は照録する。右欄の『閉音濁和律二之九』は「■」を四畳して、第八・第九・第十の三声の合わせて十二行と和す。皆「●●●●」で、本図は和し終わる。左欄のこの段の音字はなお多く、右欄は第八・第九・第十の三類の正声が通じて声なし。十二行は皆「●」とす。同一行の内に左は実、右は虚。まさに邵雍のいわゆる声少なく音多きを見るべきである。正声の十類のうち用うべきは七、正音の十二類のうち用うべきは五。篇首の算法はすなわちこれより起こる。

閉音濁和律二之十

閉音濁和律二之十;乃你女■●●●●,■■■■多可個舌;七音:內南年■●●●●,十音:■■■■禾火化八;八聲:老冷呂■●●●●,一聲:■■■■開宰愛○;鹿犖離■●●●●,■■■■回每退○;走哉足■●●●●,■■■■良兩向○;八音:自在匠■●●●●,十音:■■■■光廣況○;八聲:草采七■●●●●,二聲:■■■■丁井亙○;曹才全■●●●●,■■■■兄永瑩○;思三星■●●●●,■■■■千典旦○;九音:寺□象■●●●●,十音:■■■■元犬半○;八聲:□□□■●●●●,三聲:■■■■臣引艮○;□□□■●●●●,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之十』を立てる。第十音の火行は「■士石■」で、閉位に音なし。和字は「■」とし、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声翕唱呂二之八』で、「●」を四畳して続けて第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。第十音の火行「■士石■」の閉格に音なし。故に和字は「■」とす。左欄の第七音は泥来の一路、第八音は歯頭の一路、第九音は字例が零落す。三音の閉格もまた皆音なし。左右併列して、一つは音次を記し、一つは声次を記す。故に行首に標す「七音」「八音」「九音」と「一声」「二声」「三声」は、分かれて両図に属す。

■山手■●●●●,■■■■刀早孝嶽;十音:■士石■●●●●,十音:■■■■毛寶報霍;八聲:■□耳■●●●●,四聲:■■■■牛斗奏六;■□二■●●●●,■■■■○○○玉;■莊震■●●●●,■■■■妻子四日;十一音:■乍□■●●●●,十音:■■■■衰○帥骨;八聲:■叉赤■●●●●,五聲:■■■■○○○德;■崇辰■●●●●,■■■■龜水貴北;■卓中■●●●●,■■■■宮孔眾○;十二音:■宅直■●●●●,十音:■■■■龍甬用○;八聲:■拆丑■●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;■茶呈■●●●●,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之八』は「●」を四畳して、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図は唱え終わる。右欄の『閉音濁和律二之十』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左欄の第十より第十二音までは、開閉の両格に大いに音がなく、ただ中間の二字のみ読み得。右欄の和するところの三声は字例比較的全し。ただ入位に屡々空しき。一図の内に、唱字は一にして和位は四十八、和字は一にして唱位は四十。四畳の数はまさに每一行の四等に配合す。音図にあっては開・発・收・閉、声図にあっては平・上・去・入である。

入声翕唱呂二之九

入聲翕唱呂二之九;古甲九癸●●●●,■■■■心審禁○;一音:□□近揆●●●●,十音:■■■■○○○十;九聲:坤巧丘棄●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;□□乾蚪●●●●,■■■■○○○妾;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音:黃華雄賢●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:五瓦仰□●●●●,八聲:■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●;安亞乙一●●●●,■■■■●●●●;三音:□爻壬寅●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:母馬美米●●●●,九聲:■■■■●●●●;目貌眉民●●●●,■■■■●●●●。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之九』を立てる。正声第九類は声なし。月行の入位は依然として「●」とし、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之十』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」である。正声第九類はすでに声位なし。唱うところはただ一つの虚格である。しかるに唱はすでに立つ。四十八音はなお必ず遍歴すべし。右欄の和するところの第七声にはなお心・审・禁・男・坎・欠の諸字あり、第八・第九の両声は一字も著さず。左欄の行に満つる「●」は声の无、右欄の行に満つる「●」は声の无で、左欄の音字行のうちの「■」はすなわち音の无。三者は同じく空白といえども、分かれて声・音の両図に属し、混同すべからず。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音:父凡□吠●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:武晚□尾●●●●,十聲:■■■■●●●●;文萬□未●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之九』は「●」を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之十』は「■」を四畳して、第十声の四行と和す。四行は皆「●●●●」で、本図は和し終わる。左欄の第四音の四行の收位は皆「□」で、音位あって字なきもの。右欄の第十声の四行は声位さえもなき。故に「●」とす。

閉音濁和律二之十一

閉音濁和律二之十一;卜百丙必●●●●,■■■■多可個舌;五音:步白備鼻●●●●,十一音:■■■■禾火化八;九聲:普撲品匹●●●●,一聲:■■■■開宰愛○;旁排平瓶●●●●,■■■■回每退○;東丹帝■●●●●,■■■■良兩向○;六音:兌大弟■●●●●,十一音:■■■■光廣況○;九聲:土貪天■●●●●,二聲:■■■■丁井亙○;同覃田■●●●●,■■■■兄永瑩○;乃你女■●●●●,■■■■千典旦○;七音:內南年■●●●●,十一音:■■■■元犬半○;九聲:老冷呂■●●●●,三聲:■■■■臣引艮○;鹿犖離■●●●●,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之十一』を立てる。第十一音の火行は「■乍□■」で、閉位に音なし。和字は「■」とし、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄は依然として『入声翕唱呂二之九』で、「●」を四畳して続けて第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」を唱える。第十一音の火行「■乍□■」の閉格に音なし。和字は遂に「■」とす。左欄の第五音は重脣の一路で、四字ともに具わり、第六・第七の両音の閉格は音なし。一実一虚が同段に併せて見え、まさに音図の各類の字例の多寡が等しからずして、位次はなお十二を排し足さねばならぬを看るべきである。

走哉足■●●●●,■■■■刀早孝嶽;八音:自在匠■●●●●,十一音:■■■■毛寶報霍;九聲:草采七■●●●●,四聲:■■■■牛斗奏六;曹才全■●●●●,■■■■○○○玉;思三星■●●●●,■■■■妻子四日;九音:寺□象■●●●●,十一音:■■■■衰○帥骨;九聲:□□□■●●●●,五聲:■■■■○○○德;□□□■●●●●,■■■■龜水貴北;■山手■●●●●,■■■■宮孔眾○;十音:■士石■●●●●,十一音:■■■■龍甬用○;九聲:■□耳■●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;■□二■●●●●,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之九』は「●」を四畳して、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之十一』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左欄の第八音は歯頭に属し、第九音は心邪に属し、第十音は「□」「■」が相い間す。右欄の和するところの三声は字例比較的全し。ただ入位に屡々空しき。左欄の行末に四畳するは声位、右欄の行首に四畳するは音位。故に両欄の用いる空位の符はちょうど互いに換わる。一辺は「●」をもって無声を誌し、一辺は「■」をもって無音を誌す。

■莊震■●●●●,■■■■心審禁○;十一音:■乍□■●●●●,十一音:■■■■○○○十;九聲:■叉赤■●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;■崇辰■●●●●,■■■■○○○妾;■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音:■宅直■●●●●,十一音:■■■■●●●●;九聲:■拆丑■●●●●,八聲:■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

左欄は『入声翕唱呂二之九』を収束し、「●」を四畳して第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之十一』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と第八声の四行と和す。第八声の四行はことごとく「●●●●」である。左欄の両音の開閉の両格は皆音がなく、右欄の第七声の四行は処処に空しきを見、第八声は一字も著さず。標す「十一音」「十二音」と「七声」「八声」は、各々本欄の位次を記す。

入声翕唱呂二之十

入聲翕唱呂二之十;古甲九癸●●●●,■■■■●●●●;一音:□□近揆●●●●,十一音:■■■■●●●●;十聲:坤巧丘棄●●●●,九聲:■■■■●●●●;□□乾蚪●●●●,■■■■●●●●;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音:黃華雄賢●●●●,十一音:■■■■●●●●;十聲:五瓦仰□●●●●,十聲:■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●。

左欄は改めて『入声翕唱呂二之十』を立てる。正声第十類は声なし。月行の入位は「●」とし、每一行に四畳して、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」と第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之十一』は「■」を四畳して、第九声・第十声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」で、本図は和し終わる。正声第十類は通じて声なし。故に唱うところはただ虚格のみ。右欄の和するところの第九・第十の両声もまた挙げべき声なし。虚をもって虚を唱えて位次欠かず。まさにこの図は数を見んことを重んずるを見るべきである。ここに至って月行の入声をもって唱とするはすでに第十図に排し至り、十類の正声は遂に周遍を告ぐ。

閉音濁和律二之十二

閉音濁和律二之十二;安亞乙一●●●●,■■■■多可個舌;三音:□爻壬寅●●●●,十二音:■■■■禾火化八;十聲:母馬美米●●●●,一聲:■■■■開宰愛○;目貌眉民●●●●,■■■■回每退○;夫法□飛●●●●,■■■■良兩向○;四音:父凡□吠●●●●,十二音:■■■■光廣況○;十聲:武晚□尾●●●●,二聲:■■■■丁井亙○;文萬□未●●●●,■■■■兄永瑩○;卜百丙必●●●●,■■■■千典旦○;五音:步白備鼻●●●●,十二音:■■■■元犬半○;十聲:普撲品匹●●●●,三聲:■■■■臣引艮○;旁排平瓶●●●●,■■■■君允巽○。

右欄は改めて『閉音濁和律二之十二』を立てる。第十二音の火行は「■宅直■」で、閉位に音なし。和字は「■」とし、四畳して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。これは「濁和律」の一系の末の一図である。左欄は依然として『入声翕唱呂二之十』で、「●」を四畳して続けて第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」を唱える。第十二音の火行「■宅直■」の閉格に音なし。故に和字は依然として「■」とす。第六音以下の七図は、和字は皆虚位で、ただ前の五図に「揆」「贤」「寅」「吠」「鼻」の五つの実字を得る。これはまさに篇首の「石火音五」の数と相い合う。

東丹帝■●●●●,■■■■刀早孝嶽;六音:兌大弟■●●●●,十二音:■■■■毛寶報霍;十聲:土貪天■●●●●,四聲:■■■■牛斗奏六;同覃田■●●●●,■■■■○○○玉;乃你女■●●●●,■■■■妻子四日;七音:內南年■●●●●,十二音:■■■■衰○帥骨;十聲:老冷呂■●●●●,五聲:■■■■○○○德;鹿犖離■●●●●,■■■■龜水貴北;走哉足■●●●●,■■■■宮孔眾○;八音:自在匠■●●●●,十二音:■■■■龍甬用○;十聲:草采七■●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;曹才全■●●●●,■■■■烏虎兔○。

左欄の『入声翕唱呂二之十』は「●」を四畳して、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之十二』は「■」を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。左欄の第六音は舌頭の一路、第七音は泥来の一路、第八音は歯頭の一路で、閉格は皆音なし。右欄の第四声の末行はただ入位に「玉」を著し、第五声の次行は上声を缺き、第六声の四行は入位が全て空しく、各々「○」をもって標す。両欄を併せて読めば、左は音位を数え、右は声位を数う。四十八と四十との差は、まさに両図の題次が時々に錯き開く所以である。

思三星■●●●●,■■■■心審禁○;九音:寺□象■●●●●,十二音:■■■■○○○十;十聲:□□□■●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;□□□■●●●●,■■■■○○○妾;■山手■●●●●,■■■■●●●●;十音:■士石■●●●●,十二音:■■■■●●●●;十聲:■□耳■●●●●,八聲:■■■■●●●●;■□二■●●●●,■■■■●●●●;■莊震■●●●●,■■■■●●●●;十一音:■乍□■●●●●,十二音:■■■■●●●●;十聲:■叉赤■●●●●,九聲:■■■■●●●●;■崇辰■●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之十』は「●」を四畳して、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。右欄の『閉音濁和律二之十二』は「■」を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」である。左欄の第九・第十・第十一の三音は、「□」と「■」とが行に交錯す。右欄の第七声にはなお六字読み得、第八・第九の両声は一字も著さず。一段の内に四符斉く備わる。「○」は声あって字なし、「●」は併せてその声なし、「□」は音あって字なし、「■」は併せてその音なし。前の二者は声図に属し、後の二者は音図に属す。各々所在の欄に随いて定まり、通用すべからず。

■卓中■●●●●,■■■■●●●●;十二音:■宅直■●●●●,十二音:■■■■●●●●;十聲:■拆丑■●●●●,十聲:■■■■●●●●;■茶呈■●●●●,■■■■●●●●。

左欄の『入声翕唱呂二之十』は第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、右欄の『閉音濁和律二之十二』は第十声の四行と和す。「月」行の入声をもって唱とする十図と、「火」行の閉音をもって和とする十二図とは、ここに至って全部排し終わり、『観物篇』第四十八の領する一系は告げ成した。

皇極經世書巻十下

観物篇四十九

皇極經世書卷十下;觀物篇四十九;辰星聲入闢 石土音閉清;○○○六德,棄□米尾匹■;○○●●●,■■■■■■;辰星聲七,下唱地之 石土音五,上和天之;用音一百五十二,是 用聲一百一十二,是;謂入聲闢音。入聲闢 謂閉音清聲。閉音清;音一千六十四。 聲五百六十;辰星聲入之三辟 石土音閉之三清。

『皇極經世書』巻十下。『観物篇』第四十九が論ずるは、「辰星声入辟」と「石土音閉清」の一対の位である。「辰星声入辟」は正声図の上に「辰」の位(入声)と「星」の行(四行のうちの第三行で、辟に属し、すなわち開口)との交会するところを取る。「石土音閉清」は正音図の上に「石」の位(閉音)と「土」の行(四行のうちの第三行で、清に属す)との交会するところを取る。底本は依然として両欄を併せて刻み、横行に引き伸ばしてからは前半は声に属し、後半は音に属す。「○○○六德」「○○●●●」の十字は、十類の正声の入声辟位における代表字である。第四声は「六」を得、第五声は「德」を得、第一・二・三・六・七声は声位あって字なき「○」とし、第八・九・十声は声位なき「●」とす。故に下文に「辰星声七」と云う。「弃□米尾匹■」「■■■■■■」の十二字は、十二類の正音の閉音清位における代表字である。第一音は「弃」、第三音は「米」、第四音は「尾」、第五音は「匹」、第二音は音位あって字なき「□」とし、第六音以下は皆「■」。故に下文に「石土音五」と云う。両欄の説明を分かれて読めば、「辰星声七、下に地の用音一百五十二を唱う、これを入声辟音と謂う。入声辟音一千六十四」。七つの可用の声が各々下に一百五十二の可用の音を唱え、一千六十四を得る。「石土音五、上に天の用声一百一十二を和す、これを閉音清声と謂う。閉音清声五百六十」。五つの可用の音が各々上に一百一十二の可用の声を和し、五百六十を得る。末題は「辰星声入之三辟」「石土音閉之三清」。以下の各図がことごとく第三系に属することを標明す。

入声辟唱呂三之一 閉音清和律三之一

入聲闢唱呂三之一 閉音清和律三之一;古甲九癸○○○○,棄棄棄棄多可個舌;一音:□□近揆○○○○,一音:棄棄棄棄禾火化八;一聲:坤巧丘棄○○○○,一聲:棄棄棄棄開宰愛○;□□乾蚪○○○○,棄棄棄棄回每退○;黑花香血○○○○,棄棄棄棄良兩向○;二音:黃華雄賢○○○○,一音:棄棄棄棄光廣況○;一聲:五瓦仰□○○○○,二聲:棄棄棄棄丁井亙○;吾牙月堯○○○○,棄棄棄棄兄永瑩○;安亞乙一○○○○,棄棄棄棄千典旦○;三音:□爻壬寅○○○○,一音:棄棄棄棄元犬半○;一聲:母馬美米○○○○,三聲:棄棄棄棄臣引艮○;目貌眉民○○○○,棄棄棄棄君允巽○。

この一行は左右同時に改めて立つ。左欄は『入声辟唱呂三之一』、右欄は『閉音清和律三之一』。左図の唱うところは正声第一類の星行「开宰爱○」の入声位で、声あって字なきもの、「○」と書き、每一行に四畳す。右図の和するところは第一音の土行「坤巧丘弃」の閉位の字「弃」で、音あり字あり。「弃」を実写し、每一行にも四畳す。左欄は第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘弃、□□乾蚪」、第二音の四行「黑花香血、黄华雄贤、五瓦仰□、吾牙月尧」、第三音の四行「安亚乙一、□爻壬寅、母马美米、目貌眉民」を唱え、右欄は第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」、第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」と和す。左欄の唱うところの第三行「坤巧丘弃」は、ちょうど右欄の和字「弃」の出処で、一字が両見して職分は同じからず。左にあっては唱えられる音、右にあっては主として和する字である。左欄の唱うところは虚位、右欄の和するところは実字で、一虚一実が併行して下る。

夫法□飛○○○○,棄棄棄棄刀早孝嶽;四音:父凡□吠○○○○,一音:棄棄棄棄毛寶報霍;一聲:武晚□尾○○○○,四聲:棄棄棄棄牛斗奏六;文萬□未○○○○,棄棄棄棄○○○玉;卜百丙必○○○○,棄棄棄棄妻子四日;五音:步白備鼻○○○○,一音:棄棄棄棄衰○帥骨;一聲:普撲品匹○○○○,五聲:棄棄棄棄○○○德;旁排平瓶○○○○,棄棄棄棄龜水貴北;東丹帝■○○○○,棄棄棄棄宮孔眾○;六音:兌大弟■○○○○,一音:棄棄棄棄龍甬用○;一聲:土貪天■○○○○,六聲:棄棄棄棄魚鼠去○;同覃田■○○○○,棄棄棄棄烏虎兔○。

左欄の『入声辟唱呂三之一』は「○」を四畳して、第四音の四行「夫法□飞、父凡□吠、武晚□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、步白备鼻、普扑品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「东丹帝■、兑大弟■、土贪天■、同覃田■」を唱える。右欄の『閉音清和律三之一』は「弃」の字を四畳して、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝报霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帅骨、○○○德、龟水贵北」、第六声の四行「宫孔众○、龙甬用○、鱼鼠去○、乌虎兔○」と和す。第四声の末行「○○○玉」と第六声の末行「乌虎兔○」とは、一つはただ入位に字を著し、一つはただ入位に空缺す。ちょうど対照を成す。左欄の第四音の收位は皆「□」、第六音の閉位は皆「■」。右欄の第五声の次行は上声を缺き、三行はただ入声を余し、第六声の四行は入位が全て空し。左右の両欄の空位の符は相い通用せず、一望すればすなわちその属するところを知る。この図は左に四十八音を唱え、右に四十声を和し、各々その位を尽くして後に止む。

乃你女■○○○○,棄棄棄棄心審禁○;七音:內南年■○○○○,一音:棄棄棄棄○○○十;一聲:老冷呂■○○○○,七聲:棄棄棄棄男坎欠○;鹿犖離■○○○○,棄棄棄棄○○○妾;走哉足■○○○○,棄棄棄棄●●●●;八音:自在匠■○○○○,一音:棄棄棄棄●●●●;一聲:草采七■○○○○,八聲:棄棄棄棄●●●●;曹才全■○○○○,棄棄棄棄●●●●;思三星■○○○○,棄棄棄棄●●●●;九音:寺□象■○○○○,一音:棄棄棄棄●●●●;一聲:□□□■○○○○,九聲:棄棄棄棄●●●●;□□□■○○○○,棄棄棄棄●●●●。

左欄の『入声辟唱呂三之一』は「○」を四畳して、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷吕■、鹿荦离■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草采七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。右欄の『閉音清和律三之一』は「弃」の字を四畳して、第七声の四行「心审禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と和し、さらに第八・第九の両声の合わせて八行と和す。皆「●●●●」である。左欄の第七・第八・第九の三音の閉格は皆音がなく、右欄の第八・第九の両声は通じて声なし。同段の内に、左辺の「■」は音の立たざるを誌し、右辺の「●」は声の立たざるを誌す。両符はいずれも黒方黒円といえども、指すところはこれ二套の位次である。図中の「七音」より「九音」までと「七声」より「九声」までの小注は、分かれて左欄の音次と右欄の声次とを記す。必ず各々本欄に依って読み行くべし。

■山手■○○○○,棄棄棄棄●●●●;十音:■士石■○○○○,一音:棄棄棄棄●●●●;一聲:■□耳■○○○○,十聲:棄棄棄棄●●●●;■□二■○○○○,棄棄棄棄●●●●。

左欄の『入声辟唱呂三之一』は「○」を四畳して、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。右欄の『閉音清和律三之一』は「弃」の字を四畳して、第十声の四行と和す。四行はことごとく「●●●●」で、本図は和し終わる。左欄の第十音は「□」「■」が相い間し、字例極めて少し。右欄の第十声は声位さえもなき。故に四行は皆「●」。

閉音清和律三之二

閉音清和律三之二;■莊震■○○○○,□□□□多可個舌;十一音:■乍□■○○○○,二音:□□□□禾火化八;一聲:■叉赤■○○○○,一聲:□□□□開宰愛○;■崇辰■○○○○,□□□□回每退○;■卓中■○○○○,□□□□良兩向○;十二音:■宅直■○○○○,二音:□□□□光廣況○;一聲:■拆丑■○○○○,二聲:□□□□丁井亙○;■茶呈■○○○○,□□□□兄永瑩○。

右欄は改めて『閉音清和律三之二』を立てる。第二音の土行は「五瓦仰□」で、その閉位は音あって字なし。故に和字は「□」と書くほかなく、每一行に四畳す。これは前後の各図が「■」をもって和字とするものと同じからず——「□」は位はあって字が亡び、「■」は位がもともと立たぬ。読者は決して形の近いに因りて誤認してはならない。それは第一声の四行「多可个舌、禾火化八、开宰爱○、回每退○」と第二声の四行「良两向○、光广况○、丁井亘○、兄永莹○」と和す。左欄は『入声辟唱呂三之一』の収尾で、「○」を四畳して第十一音の四行「■庄震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。

入声辟唱呂三之二

入聲闢唱呂三之二;古甲九癸○○○○,□□□□千典旦○;一音:□□近揆○○○○,二音:□□□□元犬半○;二聲:坤巧丘棄○○○○,三聲:□□□□臣引艮○;□□乾蚪○○○○,□□□□君允巽○;黑花香血○○○○,□□□□刀早孝嶽;二音:黃華雄賢○○○○,二音:□□□□毛寶報霍;二聲:五瓦仰□○○○○,四聲:□□□□牛斗奏六;吾牙月堯○○○○,□□□□○○○玉;安亞乙一○○○○,□□□□妻子四日;三音:□爻壬寅○○○○,二音:□□□□衰○帥骨;二聲:母馬美米○○○○,五聲:□□□□○○○德;目貌眉民○○○○,□□□□龜水貴北。

左欄に改めて《入声辟唱呂三之二》を立てる。唱えるのは正声第二類の星行「丁井亘○」の入声位で、声はあるが字はなく、「○」と書く。各行四疊で、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」、第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」、第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」を唱える。右欄の《閉音清和律三之二》はなお「□」の四疊を和字とし、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」を和す。一行のうち、左欄の「○」と右欄の「□」が並んで出る。前者は声図の空位、後者は音図の空位で、位置が異なれば指すものも異なる。左欄が唱えるのは声の星行から取り、右欄が和するのは音の土行から取る。図題の「三」は、まさに声・音両図の第三行を指す。前の二系は日行・月行に属したため「一之N」「二之N」の目があったが、ここで「三之N」に換わる。

夫法□飛○○○○,□□□□宮孔眾○;四音:父凡□吠○○○○,二音:□□□□龍甬用○;二聲:武晚□尾○○○○,六聲:□□□□魚鼠去○;文萬□未○○○○,□□□□烏虎兔○;卜百丙必○○○○,□□□□心審禁○;五音:步白備鼻○○○○,二音:□□□□○○○十;二聲:普撲品匹○○○○,七聲:□□□□男坎欠○;旁排平瓶○○○○,□□□□○○○妾;東丹帝■○○○○,□□□□●●●●;六音:兌大弟■○○○○,二音:□□□□●●●●;二聲:土貪天■○○○○,八聲:□□□□●●●●;同覃田■○○○○,□□□□●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之二》は「○」の四疊で、第四音の四行「夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■」を唱える。第四音四行の収位はすべて「□」で、末行の「未」は地支の字を借りて音例としたものである。右欄《閉音清和律三之二》は「□」の四疊を和字とし、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和し、さらに第八声の四行を和す。第八声には声位がなく、四行とも「●●●●」である。左欄の第四音は軽唇の一路、第五音は重唇の一路、第六音は舌頭の一路である。右欄の第六声四行は入位がすべて空、第七声も空格が多く、第八声は一字も着かない。左欄行末の四疊は声に属し、右欄行首の四疊は音に属するので、同一行に二套の空位符が現れ、それぞれその図に従って定まる。

乃你女■○○○○,□□□□●●●●;七音:內南年■○○○○,二音:□□□□●●●●;二聲:老冷呂■○○○○,九聲:□□□□●●●●;鹿犖離■○○○○,□□□□●●●●;走哉足■○○○○,□□□□●●●●;八音:自在匠■○○○○,二音:□□□□●●●●;二聲:草采七■○○○○,十聲:□□□□●●●●;曹才全■○○○○,□□□□●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之二》は「○」の四疊で、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■」と第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■」を唱える。右欄《閉音清和律三之二》は「□」の四疊で、第九声・第十声あわせて八行を和し、すべて「●●●●」で、本図の和はここに畢る。この八行は左に音字があり右に声位がない、まさに「音多く声少なし」の常態である。この段の左欄にはなお八行の音字があるが、右欄は第九・第十の両声が全体として無声である。図中に標す「七音」「八音」と「九声」「十声」は、まさに両欄それぞれが辿り着いた位次である。

閉音清和律三之三

閉音清和律三之三;思三星■○○○○,米米米米多可個舌;九音:寺□象■○○○○,三音:米米米米禾火化八;二聲:□□□■○○○○,一聲:米米米米開宰愛○;□□□■○○○○,米米米米回每退○;■山手■○○○○,米米米米良兩向○;十音:■土石■○○○○,三音:米米米米光廣況○;二聲:■□耳■○○○○,二聲:米米米米丁井亙○;■□二■○○○○,米米米米兄永瑩○;■莊震■○○○○,米米米米千典旦○;十一音:■乍□■○○○○,三音:米米米米元犬半○;二聲:■叉赤■○○○○,三聲:米米米米臣引艮○;■崇辰■○○○○,米米米米君允巽○。

右欄に改めて《閉音清和律三之三》を立てる。和するのは第三音土行「母馬美米」の閉位の字「米」で、音も字もあるため実写で「米」とし、各行四疊で、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」、第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」を和す。左欄は依然《入声辟唱呂三之二》で、「○」の四疊をもって第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■土石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を続唱する。第十音第二行は底本では「■土石■」と作り、他の箇所では多く「■士石■」と作るが、ここではなお底本のまま録す。「米」は第三音土行「母馬美米」の閉位から出たものである。およそ清和律の諸図は、いずれも本音の土行の末格の字を取って和とする。字あれば実写し、音あって字なければ「□」と作り、その音をそもそも有さなければ「■」と作る。この三つの情形は本篇の中に一つずつ備わっている。

■卓中■○○○○,米米米米刀早孝嶽;十二音:■宅直■○○○○,三音:米米米米毛寶報霍;二聲:■拆丑■○○○○,四聲:米米米米牛斗奏六;■茶呈■○○○○,米米米米○○○玉。

左欄《入声辟唱呂三之二》は「○」の四疊で、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図の唱はここに畢る。右欄《閉音清和律三之三》は「米」字の四疊で、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」を和し、末行は入位にのみ「玉」があり、その上の三位は「○」と作る。

入声辟唱呂三之三

入聲闢唱呂三之三;古甲九癸○○○○,米米米米妻子四日;一音:□□近揆○○○○,三音:米米米米衰○帥骨;三聲:坤巧丘棄○○○○,五聲:米米米米○○○德;□□乾蚪○○○○,米米米米龜水貴北;黑花香血○○○○,米米米米宮孔眾○;二音:黃華雄賢○○○○,三音:米米米米龍甬用○;三聲:五瓦仰□○○○○,六聲:米米米米魚鼠去○;吾牙月堯○○○○,米米米米烏虎兔○;安亞乙一○○○○,米米米米心審禁○;三音:□爻壬寅○○○○,三音:米米米米○○○十;三聲:母馬美米○○○○,七聲:米米米米男坎欠○;目貌眉民○○○○,米米米米○○○妾。

左欄に改めて《入声辟唱呂三之三》を立てる。唱えるのは正声第三類の星行「臣引艮○」の入声位で、声はあるが字はなく、「○」と書く。各行四疊で、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」、第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」、第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」を唱える。右欄《閉音清和律三之三》は「米」字の四疊で、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和す。左欄第三音の第三行はまさに「母馬美米」で、右欄の和字「米」と同じ所から出ており、唱・和両図の取字の法がもともと相通じていることが見える。左欄が唱えるのは声あって字なき位で、右欄が和するのは実字の「米」である。第五声は「衰○帥骨」が上声を欠き、「○○○徳」は入声のみを余し、第六声四行は入位がすべて空、第七声も空格が多い。およそこれらは皆「○」をもって位を補い、左欄の音字行のうちの「□」「■」とは分かれて二図に属する。

夫法□飛○○○○,米米米米●●●●;四音:父凡□吠○○○○,三音:米米米米●●●●;三聲:武晚□尾○○○○,八聲:米米米米●●●●;文萬□未○○○○,米米米米●●●●;卜百丙必○○○○,米米米米●●●●;五音:步白備鼻○○○○,三音:米米米米●●●●;三聲:普撲品匹○○○○,九聲:米米米米●●●●;旁排平瓶○○○○,米米米米●●●●;東丹帝■○○○○,米米米米●●●●;六音:兌大弟■○○○○,三音:米米米米●●●●;三聲:土貪天■○○○○,十聲:米米米米●●●●;同覃田■○○○○,米米米米●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之三》は「○」の四疊で、第四音の四行「夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■」を唱える。右欄《閉音清和律三之三》は「米」字の四疊で、第八・第九・第十の三声あわせて十二行を和し、すべて「●●●●」で、本図の和はここに畢る。左欄第四音四行の収位は皆「□」、第六音四行の閉位は皆「■」で、一つは音あって字なく、一つはその音をそもそも有さない。右欄が和する第八・第九・第十の三類の正声は全体として無声であるため、十二行三十六格はすべて「●」と作る。正声十類のうち用い得るのは七類のみで、この三類がすなわちあの三つの空懸の位であり、篇首の「辰星声七」の数はここから来ている。

閉音清和律三之四

閉音清和律三之四;乃你女■○○○○,尾尾尾尾多可個舌;七音:內南年■○○○○,四音:尾尾尾尾禾火化八;三聲:老冷呂■○○○○,一聲:尾尾尾尾開宰愛○;鹿犖離■○○○○,尾尾尾尾回每退○;走哉足■○○○○,尾尾尾尾良兩向○;八音:自在匠■○○○○,四音:尾尾尾尾光廣況○;三聲:草采七■○○○○,二聲:尾尾尾尾丁井亙○;曹才全■○○○○,尾尾尾尾兄永瑩○;思三星■○○○○,尾尾尾尾千典旦○;九音:寺□象■○○○○,四音:尾尾尾尾元犬半○;三聲:□□□■○○○○,三聲:尾尾尾尾臣引艮○;□□□■○○○○,尾尾尾尾君允巽○。

右欄に改めて《閉音清和律三之四》を立てる。和するのは第四音土行「武晩□尾」の閉位の字「尾」で、各行四疊で、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」、第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」を和す。この行の収位はもと「□」と作るが、ただ閉位に「尾」字を得たので、立てて和字とすることができる。左欄は依然《入声辟唱呂三之三》で、「○」の四疊をもって第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を続唱する。左欄の第七音は泥来の一路、第八音は歯頭の一路、第九音は心邪の一路で、三音の閉格はいずれも無音である。右欄が和する三声のうち、第二・第三の両声の入位は皆空で、「○」をもってこれを補う。この図は一つは四十八音を唱え、一つは四十声を和し、位次に多寡はあれど、取字の法は同じである。

■山手■○○○○,尾尾尾尾刀早孝嶽;十音:■土石■○○○○,四音:尾尾尾尾毛寶報霍;三聲:■□耳■○○○○,四聲:尾尾尾尾牛斗奏六;■□二■○○○○,尾尾尾尾○○○玉;■莊震■○○○○,尾尾尾尾妻子四日;十一音:■乍□■○○○○,四音:尾尾尾尾衰○帥骨;三聲:■叉赤■○○○○,五聲:尾尾尾尾○○○德;■崇辰■○○○○,尾尾尾尾龜水貴北;■卓中■○○○○,尾尾尾尾宮孔眾○;十二音:■宅直■○○○○,四音:尾尾尾尾龍甬用○;三聲:■拆丑■○○○○,六聲:尾尾尾尾魚鼠去○;■茶呈■○○○○,尾尾尾尾烏虎兔○。

左欄《入声辟唱呂三之三》は「○」の四疊で、第十音の四行「■山手■、■土石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図の唱はここに畢る。右欄《閉音清和律三之四》は「尾」字の四疊で、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」を和す。左欄の三音は開・閉の両格が大半無音で、ただ真ん中の二字のみ読め、本図で最も疎なところである。右欄の第四声末行は入位にのみ「玉」を著し、第五声次行は上声を欠き、第六声四行は入位がすべて空である。左欄の空は「■」と作り、右欄の空は「○」と作る。一つは無音、一つは声あって字なし。読者が欄に依って弁ずれば、自ずから誤ることはない。

入声辟唱呂三之四

入聲闢唱呂三之四;古甲九癸六六六六,尾尾尾尾心審禁○;一音:□□近揆六六六六,四音:尾尾尾尾○○○十;四聲:坤巧丘棄六六六六,七聲:尾尾尾尾男坎欠○;□□乾蚪六六六六,尾尾尾尾○○○妾;黑花香血六六六六,尾尾尾尾●●●●;二音:黃華雄賢六六六六,四音:尾尾尾尾●●●●;四聲:五瓦仰□六六六六,八聲:尾尾尾尾●●●●;吾牙月堯六六六六,尾尾尾尾●●●●;安亞乙一六六六六,尾尾尾尾●●●●;三音:□爻壬寅六六六六,四音:尾尾尾尾●●●●;四聲:母馬美米六六六六,九聲:尾尾尾尾●●●●;目貌眉民六六六六,尾尾尾尾●●●●。

左欄に改めて《入声辟唱呂三之四》を立てる。唱えるのは正声第四類の星行「牛斗奏六」の入声の字「六」で、声も字もあるため実写で「六」とし、各行四疊で、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」、第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」、第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」を唱える。四疊の数は、同行の開・発・収・閉の四音と一つずつ相配し、四つの唱和の音を成すためのものである。右欄《閉音清和律三之四》は「尾」字の四疊で、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和し、さらに第八・第九の両声あわせて八行を和し、すべて「●●●●」である。「六」は正声第四類の星行「牛斗奏六」から出たもので、この位における得がたい実字である。右欄が和する第七声にはなお心・審・禁・男・坎・欠の諸字が読めるが、第八・第九の両声は全体として無声で、八行とも「●」である。左に唱え右に和し、各々一図に拠り、行首に標す音次と声次もまた二欄に分属する。

夫法□飛六六六六,尾尾尾尾●●●●;四音:父凡□吠六六六六,四音:尾尾尾尾●●●●;四聲:武晚□尾六六六六,十聲:尾尾尾尾●●●●;文萬□未六六六六,尾尾尾尾●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之四》は「六」字の四疊で、第四音の四行「夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未」を唱える。右欄《閉音清和律三之四》は「尾」字の四疊で、第十声の四行を和し、四行とも「●●●●」で、本図の和はここに畢る。左欄のこの四行の収位と右欄の和字は、ちょうど同じ「尾」が在る音で、一つは唱えられる側、一つは主和の側である。

閉音清和律三之五

閉音清和律三之五;卜百丙必六六六六,匹匹匹匹多可個舌;五音:步白備鼻六六六六,五音:匹匹匹匹禾火化八;四聲:普撲品匹六六六六,一聲:匹匹匹匹開宰愛○;旁排平瓶六六六六,匹匹匹匹回每退○;東丹帝■六六六六,匹匹匹匹良兩向○;六音:兌大弟■六六六六,五音:匹匹匹匹光廣況○;四聲:土貪天■六六六六,二聲:匹匹匹匹丁井亙○;同覃田■六六六六,匹匹匹匹兄永瑩○;乃你女■六六六六,匹匹匹匹千典旦○;七音:內南年■六六六六,五音:匹匹匹匹元犬半○;四聲:老冷呂■六六六六,三聲:匹匹匹匹臣引艮○;鹿犖離■六六六六,匹匹匹匹君允巽○。

右欄に改めて《閉音清和律三之五》を立てる。和するのは第五音土行「普撲品匹」の閉位の字「匹」で、各行四疊で、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」、第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」を和す。左欄は依然《入声辟唱呂三之四》で、「六」字の四疊をもって第五音の四行「卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■」を続唱する。「匹」は第五音土行「普撲品匹」の閉位から出たもので、前の四図の「棄」「□」「米」「尾」と同じ例である。ここに至って清和律の一系はすでに四つの実字と一つの「□」を得て、まさに篇首の「石土音五」の数に合う。第六音以下は閉格が皆無音で、和字は「■」と作るほかない。

走哉足■六六六六,匹匹匹匹刀早孝嶽;八音:自在匠■六六六六,五音:匹匹匹匹毛寶報霍;四聲:草采七■六六六六,四聲:匹匹匹匹牛斗奏六;曹才全■六六六六,匹匹匹匹○○○玉;思三星■六六六六,匹匹匹匹妻子四日;九音:寺□象■六六六六,五音:匹匹匹匹衰○帥骨;四聲:□□□■六六六六,五聲:匹匹匹匹○○○德;□□□■六六六六,匹匹匹匹龜水貴北;■山手■六六六六,匹匹匹匹宮孔眾○;十音:■士石■六六六六,五音:匹匹匹匹龍甬用○;四聲:■□耳■六六六六,六聲:匹匹匹匹魚鼠去○;■□二■六六六六,匹匹匹匹烏虎兔○。

左欄《入声辟唱呂三之四》は「六」字の四疊で、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱える。右欄《閉音清和律三之五》は「匹」字の四疊で、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」を和す。左欄の第八音は歯頭に属し、第九音は字例が零落し、第十音は「□」と「■」が相間する。右欄が和する三声のうち、第四声末行は入位にのみ「玉」を著し、第五声次行は上声を欠き、第六声四行は入位がすべて空である。左に音を記し右に声を記し、両欄の四疊の数は同じでも、配する四等は一つは開発収閉、一つは平上去入である。

■莊震■六六六六,匹匹匹匹心審禁○;十一音:■乍□■六六六六,五音:匹匹匹匹○○○十;四聲:■叉赤■六六六六,七聲:匹匹匹匹男坎欠○;■崇辰■六六六六,匹匹匹匹○○○妾;■卓中■六六六六,匹匹匹匹●●●●;十二音:■宅直■六六六六,五音:匹匹匹匹●●●●;四聲:■拆丑■六六六六,八聲:匹匹匹匹●●●●;■茶呈■六六六六,匹匹匹匹●●●●。

左欄は《入声辟唱呂三之四》を収束し、「六」字の四疊で第十一音の四行「■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。右欄《閉音清和律三之五》は「匹」字の四疊で、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」と第八声の四行を和す。前の四行はそれぞれ「○」で空を補い、後の四行は通じて「●●●●」と作る。左欄の両音は開・閉の両格とも無音なので、各行は真ん中の二字のみ。右欄の第七声は随所に空が見え、第八声は一字も着かない。図中の「十一音」「十二音」と「七声」「八声」は、両欄の位次を分けて記したものである。

入声辟唱呂三之五

入聲闢唱呂三之五;古甲九癸德德德德,匹匹匹匹●●●●;一音:□□近揆德德德德,五音:匹匹匹匹●●●●;五聲:坤巧丘棄德德德德,九聲:匹匹匹匹●●●●;□□乾蚪德德德德,匹匹匹匹●●●●;黑花香血德德德德,匹匹匹匹●●●●;二音:黃華雄賢德德德德,五音:匹匹匹匹●●●●;五聲:五瓦仰□德德德德,十聲:匹匹匹匹●●●●;吾牙月堯德德德德,匹匹匹匹●●●●。

左欄に改めて《入声辟唱呂三之五》を立てる。唱えるのは正声第五類の星行「○○○徳」の入声の字「徳」である。この行は平・上・去の三位が皆字なく「○」と作るが、ただ入声位に「徳」があり挙げられるので、本図は「徳」を唱字とし、各行四疊で、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」と第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」を唱える。右欄《閉音清和律三之五》は「匹」字の四疊で、第九声・第十声あわせて八行を和し、すべて「●●●●」で、本図の和はここに畢る。「○○○徳」の一行は入声位にのみ字があり、その上の三位は皆空で、まさに同一行内で四位に虚実があることが見える。本図はその入位の字を取って唱とするので、篇中一貫して実写で「徳」とする。

閉音清和律三之六

閉音清和律三之六;安亞乙一德德德德,■■■■多可個舌;三音:□爻壬寅德德德德,六音:■■■■禾火化八;五聲:母馬美米德德德德,一聲:■■■■開宰愛○;目貌眉民德德德德,■■■■回每退○;夫法□飛德德德德,■■■■良兩向○;四音:父凡□吠德德德德,六音:■■■■光廣況○;五聲:武晚□尾德德德德,二聲:■■■■丁井亙○;文萬□未德德德德,■■■■兄永瑩○;卜百丙必德德德德,■■■■千典旦○;五音:步白備鼻德德德德,六音:■■■■元犬半○;五聲:普撲品匹德德德德,三聲:■■■■臣引艮○;旁排平瓶德德德德,■■■■君允巽○。

右欄に改めて《閉音清和律三之六》を立てる。第六音土行は「土貪天■」で、その閉位に音がないため、和字は「■」と書き、各行四疊で、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」、第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」を和す。ここから以下の清和律諸図では、和字は皆このような虚位であり、ただ十二音の次第を列ね尽くすためだけのものである。左欄は依然《入声辟唱呂三之五》で、「徳」字の四疊をもって第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」、第四音の四行「夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶」を続唱する。左欄の第三音は影喻明母の一路、第四音は軽唇の一路、第五音は重唇の一路で、字例はいずれもなお完整している。右欄は虚位をもって和とし、両者を対照すれば、音図の各類の多寡が等しくないことがいよいよ見える。およそこのような無音の位を、邵雍は列ねても填めず、ただ十二音の位次を排し尽くすためである。

東丹帝■德德德德,■■■■刀早孝嶽;六音:兌大弟■德德德德,六音:■■■■毛寶報霍;五聲:土貪天■德德德德,四聲:■■■■牛斗奏六;同覃田■德德德德,■■■■○○○玉;乃你女■德德德德,■■■■妻子四日;七音:內南年■德德德德,六音:■■■■衰○帥骨;五聲:老冷呂■德德德德,五聲:■■■■○○○德;鹿犖離■德德德德,■■■■龜水貴北;走哉足■德德德德,■■■■宮孔眾○;八音:自在匠■德德德德,六音:■■■■龍甬用○;五聲:草采七■德德德德,六聲:■■■■魚鼠去○;曹才全■德德德德,■■■■烏虎兔○。

左欄《入声辟唱呂三之五》は「徳」字の四疊で、第六音の四行「東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■」、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■」を唱える。右欄《閉音清和律三之六》は「■」の四疊で、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」を和す。左欄が唱える「徳」字は、まさに右欄のこの段が和する第五声第三行「○○○徳」から出たもので、一図の中で互いに見える。左欄第六音の閉格は無音で、第七・第八の両音も同様である。右欄の第四声末行は入位にのみ「玉」を著し、第五声次行は上声を欠き、第六声四行は入位がすべて空で、皆「○」をもって標す。左欄の「■」と右欄の「○」は、一つは音図、一つは声図に属し、同じ段に並んで見えても混ざり合わない。

思三星■德德德德,■■■■心審禁○;九音:寺□象■德德德德,六音:■■■■○○○十;五聲:□□□■德德德德,七聲:■■■■男坎欠○;□□□■德德德德,■■■■○○○妾;■山手■德德德德,■■■■●●●●;十音:■士石■德德德德,六音:■■■■●●●●;五聲:■□耳■德德德德,八聲:■■■■●●●●;■□二■德德德德,■■■■●●●●;■莊震■德德德德,■■■■●●●●;十一音:■乍□■德德德德,六音:■■■■●●●●;五聲:■叉赤■德德德德,九聲:■■■■●●●●;■崇辰■德德德德,■■■■●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之五》は「徳」字の四疊で、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を唱える。右欄《閉音清和律三之六》は「■」の四疊で、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和し、さらに第八・第九の両声あわせて八行を和し、すべて「●●●●」である。左欄の第九・第十・第十一の三音は、「□」と「■」が交錯して行を成す。前者は音位あって字を得ず、後者は音位をそもそも有さない。右欄の第七声にはなお六字が読めるが、第八・第九の両声は一字も着かず、通じて「●」と作る。左欄は四十八音位を行き、右欄は四十声位を行く。行数が揃わないので、両欄の図題の先後は錯落し、各々その次第を標す。

■卓中■德德德德,■■■■●●●●;十二音:■宅直■德德德德,六音:■■■■●●●●;五聲:■拆丑■德德德德,十聲:■■■■●●●●;■茶呈■德德德德,■■■■●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之五》は第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱えて本図の唱を畢え、右欄《閉音清和律三之六》は「■」の四疊で第十声の四行を和して、これも和を畢える。両図が同時に排し満たされたので、次の行は左右ともに新題を立てる。両図が同時に排し満たされ、四十八音位と四十声位は各々その数を尽くした。

入声辟唱呂三之六 閉音清和律三之七

入聲闢唱呂三之六 閉音清和律三之七;古甲九癸○○○○,■■■■多可個舌;一音:□□近揆○○○○,七音:■■■■禾火化八;六聲:坤巧丘棄○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;□□乾蚪○○○○,■■■■回每退○;黑花香血○○○○,■■■■良兩向○;二音:黃華雄賢○○○○,七音:■■■■光廣況○;六聲:五瓦仰□○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;吾牙月堯○○○○,■■■■兄永瑩○;安亞乙一○○○○,■■■■千典旦○;三音:□爻壬寅○○○○,七音:■■■■元犬半○;六聲:母馬美米○○○○,三聲:■■■■臣引艮○;目貌眉民○○○○,■■■■君允巽○。

この行は左右同時に改めて立てる。左欄は《入声辟唱呂三之六》、右欄は《閉音清和律三之七》。左図が唱えるのは正声第六類の星行「魚鼠去○」の入声位で、声はあるが字はなく、「○」と書く。右図が和するのは第七音土行「老冷呂■」の閉位で、もともとこの音がなく、「■」と書く。左欄は「○」の四疊で第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」、第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」、第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」を唱え、右欄は「■」の四疊で第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」、第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」を和す。左に唱え右に和し、一虚一実が交錯して行き、四十声位と四十八音位がここに再び一遍を行く。左に唱え右に和し、一図は四十八音位を歴め、一図は四十声位を歴めるので、図題は時に合し時に分かれる。

夫法□飛○○○○,■■■■刀早孝嶽;四音:父凡□吠○○○○,七音:■■■■毛寶報霍;六聲:武晚□尾○○○○,四聲:■■■■牛斗奏六;文萬□未○○○○,■■■■○○○玉;卜百丙必○○○○,■■■■妻子四日;五音:步白備鼻○○○○,七音:■■■■衰○帥骨;六聲:普撲品匹○○○○,五聲:■■■■○○○德;旁排平瓶○○○○,■■■■龜水貴北;東丹帝■○○○○,■■■■宮孔眾○;六音:兌大弟■○○○○,七音:■■■■龍甬用○;六聲:土貪天■○○○○,六聲:■■■■魚鼠去○;同覃田■○○○○,■■■■烏虎兔○。

左欄《入声辟唱呂三之六》は「○」の四疊で、第四音の四行「夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■」を唱える。右欄《閉音清和律三之七》は「■」の四疊で、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」を和す。「魚鼠去○」はまさに左欄のこの図の唱字の出る所であり、その入位の空缺は「○」をもって標す。左欄第四音の収位は皆「□」、第六音の閉位は皆「■」。右欄の第四声末行は入位にのみ「玉」を著し、第五声次行は上声を欠き、第六声四行は入位がすべて空で、各々「○」をもって補う。左欄の空は音図に属し、右欄の空は声図に属し、二套の記号が一行に並んで見えても各々指す所がある。

乃你女■○○○○,■■■■心審禁○;七音:內南年■○○○○,七音:■■■■○○○十;六聲:老冷呂■○○○○,七聲:■■■■男坎欠○;鹿犖離■○○○○,■■■■○○○妾;走哉足■○○○○,■■■■●●●●;八音:自在匠■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:草采七■○○○○,八聲:■■■■●●●●;曹才全■○○○○,■■■■●●●●;思三星■○○○○,■■■■●●●●;九音:寺□象■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:□□□■○○○○,九聲:■■■■●●●●;□□□■○○○○,■■■■●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之六》は「○」の四疊で、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を唱える。右欄《閉音清和律三之七》は「■」の四疊で、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和し、さらに第八・第九の両声あわせて八行を和し、すべて「●●●●」である。左欄第七音第三行の「老冷呂■」は、すなわち右欄の和字の本とする位で、その閉格は無音なので、右欄は「■」をもって和とするほかない。左欄の三音の閉格はいずれも無音、右欄の第八・第九の両声は全体として無声である。同じ段のうち、「■」と「●」が各々その半を占める。前者はここに音なきを言い、後者はここに声なきを言う。行首に標す「七音」から「九音」と「七声」から「九声」は、それぞれ左右両欄の辿り着いた位次を記したもので、必ず各々本欄の上下に依って読み進め、横に見て牽合してはならない。

■山手■○○○○,■■■■●●●●;十音:■士石■○○○○,七音:■■■■●●●●;六聲:■□耳■○○○○,十聲:■■■■●●●●;■□二■○○○○,■■■■●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之六》は第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」を唱え、右欄《閉音清和律三之七》は「■」の四疊で第十声の四行を和し、四行とも「●●●●」で、本図の和はここに畢る。この一段十六格のうちに実字は一つもなく、「■」と「●」が各々その位を守る。前者は無音を言い、後者は無声を言う。

閉音清和律三之八

閉音清和律三之八;■莊震■○○○○,■■■■多可個舌;十一音:■乍□■○○○○,八音:■■■■禾火化八;六聲:■叉赤■○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;■祟辰■○○○○,■■■■回每退○;■卓中■○○○○,■■■■良兩向○;十二音:■宅直■○○○○,八音:■■■■光廣況○;六聲:■拆丑■○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;■茶呈■○○○○,■■■■兄永瑩○。

右欄に改めて《閉音清和律三之八》を立てる。第八音土行は「草採七■」で、閉位に音がなく、和字は「■」と作り、四疊して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」と第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」を和す。左欄は《入声辟唱呂三之六》の収尾で、「○」の四疊で第十一音の四行「■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■祟辰■」と第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱える。第十一音末行は底本では「■祟辰■」と作り、他の箇所は皆「■崇辰■」と作るが、ここでは底本の原様を存する。両音とも開・閉の両格に音がないので、各行は真ん中の二字のみ読める。

入声辟唱呂三之七

入聲闢唱呂三之七;古甲九癸○○○○,■■■■千典旦○;一音:□□近揆○○○○,八音:■■■■元犬半○;七聲:坤巧丘棄○○○○,三聲:■■■■臣引艮○;□□乾蚪○○○○,■■■■君允巽○;黑花香血○○○○,■■■■刀早孝嶽;二音:黃華雄賢○○○○,八音:■■■■毛寶報霍;七聲:五瓦仰□○○○○,四聲:■■■■牛斗奏六;吾牙月堯○○○○,■■■■○○○玉;安亞乙一○○○○,■■■■妻子四日;三音:□爻壬寅○○○○,八音:■■■■衰○帥骨;七聲:母馬美米○○○○,五聲:■■■■○○○德;目貌眉民○○○○,■■■■龜水貴北。

左欄に改めて《入声辟唱呂三之七》を立てる。唱えるのは正声第七類の星行「男坎欠○」の入声位で、声はあるが字はなく、「○」と書く。各行四疊で、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」、第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」、第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」を唱える。右欄《閉音清和律三之八》は「■」の四疊で、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」を和す。左欄が唱えるのは声あって字なき位、右欄が和するのはその音をそもそも有さない位で、両図とも虚位をもって起こす。右欄が和する第三・第四・第五の三声は字例が較べて全い。第三声四行の末位は皆空、第四声末行は入位にのみ「玉」があり、第五声次行は上声を欠き三行は入声のみを余し、一つずつ「○」をもって標す。

夫法□飛○○○○,■■■■宮孔眾○;四音:父凡□吠○○○○,八音:■■■■龍甬用○;七聲:武晚□尾○○○○,六聲:■■■■魚鼠去○;文萬■未○○○○,■■■■烏虎兔○;卜百丙必○○○○,■■■■心審禁○;五音:步白備鼻○○○○,八音:■■■■○○○十;七聲:普撲品匹○○○○,七聲:■■■■男坎欠○;旁排平瓶○○○○,■■■■○○○妾;東丹帝■○○○○,■■■■●●●●;六音:兌大弟■○○○○,八音:■■■■●●●●;七聲:土貪天■○○○○,八聲:■■■■●●●●;同覃田■○○○○,■■■■●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之七》は「○」の四疊で、第四音の四行「夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万■未」、第五音の四行「卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■」を唱える。第四音末行は他の箇所では皆「文万□未」と作るが、ここでは底本が「文万■未」と作り、収位に無音の符を改めて用いたので、ここでは照録して改めない。「未」字はなお地支の字を借りて音を立てたものである。右欄《閉音清和律三之八》は「■」の四疊で、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和し、さらに第八声の四行を和す。右欄の第六声四行は入位がすべて空、第七声の「○○○十」「○○○妾」の両行は入位にのみ字を著し、第八声は一字も着かない。左欄の空は「□」「■」を用い、右欄の空は「○」「●」を用い、各々属する図に随って定まる。

乃你女■○○○○,■■■■●●●●;七音:內南年■○○○○,八音:■■■■●●●●;七聲:老冷呂■○○○○,九聲:■■■■●●●●;鹿犖離■○○○○,■■■■●●●●;走哉足■○○○○,■■■■●●●●;八音:自在匠■○○○○,八音:■■■■●●●●;七聲:草采七■○○○○,十聲:■■■■●●●●;曹才全■○○○○,■■■■●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之七》は「○」の四疊で、第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■」と第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■」を唱える。右欄《閉音清和律三之八》は「■」の四疊で、第九声・第十声あわせて八行を和し、すべて「●●●●」で、本図の和はここに畢る。この段の左欄にはなお八行の音字が読めるが、右欄は第九・第十の両声が全体として無声である。正声十類のうち用い得るのは七、正音十二類のうち用い得るのは五で、篇首の「辰星声七」「石土音五」の説は、このような箇所で最も見やすい。

閉音清和律三之九

閉音清和律三之九;思三星■○○○○,■■■■多可個舌;九音:寺□象■○○○○,九音:■■■■禾火化八;七聲:□□□■○○○○,一聲:■■■■開宰愛○;□□□■○○○○,■■■■回每退○;■山手■○○○○,■■■■良兩向○;十音:■士石■○○○○,九音:■■■■光廣況○;七聲:■□耳■○○○○,二聲:■■■■丁井亙○;■□二■○○○○,■■■■兄永瑩○;■莊震■○○○○,■■■■千典旦○;十一音:■乍□■○○○○,九音:■■■■元犬半○;七聲:■叉赤■○○○○,三聲:■■■■臣引艮○;■崇辰■○○○○,■■■■君允巽○。

右欄に改めて《閉音清和律三之九》を立てる。第九音土行は「□□□■」で、前の三位は音位あって字なく、閉位は音がないため、和字はなお「■」と書き、四疊して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」、第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」を和す。左欄は依然《入声辟唱呂三之七》で、「○」の四疊をもって第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」を続唱する。第九音土行「□□□■」は前の三位が音位あって字なく、閉位は音がないため、和字は「■」と作るほかない。左欄の第九・第十・第十一の三音も、まさに空位の最も多い一段である。両欄とも同じく留白だが、一つは音に属し一つは声に属するので、読むときは必ず格ごとにその所属を弁じなければならない。

■卓中■○○○○,■■■■刀早孝嶽;十二音:■宅直■○○○○,九音:■■■■毛寶報霍;七聲:■拆丑■○○○○,四聲:■■■■牛斗奏六;■茶呈■○○○○,■■■■○○○玉。

左欄《入声辟唱呂三之七》は「○」の四疊で、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図の唱はここに畢る。右欄《閉音清和律三之九》は「■」の四疊で、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」を和す。右欄の第四声末行「○○○玉」は入位にのみ字を著し、その上の三位は皆空である。

入声辟唱呂三之八

入聲闢唱呂三之八;古甲九癸●●●●,■■■■妻子四日;一音:□□近揆●●●●,九音:■■■■衰○帥骨;八聲:坤巧丘棄●●●●,五聲:■■■■○○○德;□□乾蚪●●●●,■■■■龜水貴北;黑花香血●●●●,■■■■宮孔眾○;二音:黃華雄賢●●●●,九音:■■■■龍甬用○;八聲:五瓦仰□●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;吾牙月堯●●●●,■■■■烏虎兔○;安亞乙一●●●●,■■■■心審禁○;三音:□爻壬寅●●●●,九音:■■■■○○○十;八聲:母馬美米●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;目貌眉民●●●●,■■■■○○○妾。

左欄に改めて《入声辟唱呂三之八》を立てる。正声第八類は全体として無声で、星行の入位は純粋な虚位であり、唱字は「●」と書く。各行四疊で、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」、第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」、第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」を唱える。無声の位をもって四十八音を遍く唱えるのは、字は成さなくても位は欠いてはならないからで、これは邵雍が「声音の数」を推すに必ずその全を尽くす定例である。右欄《閉音清和律三之九》は「■」の四疊で、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和す。右欄が和する三声のうち、第五声の「衰○帥骨」は上声を欠き、「○○○徳」は入声のみを余し、第六声四行は入位がすべて空、第七声も空格が多く、皆「○」をもって位を補う。左欄の満行の「●」は声の無で、音字行末の「■」は音の無であり、両符は二図に分属する。

夫法□飛●●●●,■■■■●●●●;四音:父凡□吠●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:武晚□尾●●●●,八聲:■■■■●●●●;文萬□未●●●●,■■■■●●●●;卜百丙必●●●●,■■■■●●●●;五音:步白備鼻●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:普撲品匹●●●●,九聲:■■■■●●●●;旁排平瓶●●●●,■■■■●●●●;東丹帝■●●●●,■■■■●●●●;六音:兌大弟■●●●●,九音:■■■■●●●●;八聲:土貪天■●●●●,十聲:■■■■●●●●;同覃田■●●●●,■■■■●●●●。

左欄《入声辟唱呂三之八》は「●」の四疊で、第四音の四行「夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未」、第五音の四行「卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶」、第六音の四行「東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■」を唱える。右欄《閉音清和律三之九》は「■」の四疊で、第八・第九・第十の三声あわせて十二行を和し、すべて「●●●●」で、本図の和はここに畢る。整段のうち、左欄にはなお唇音・舌音の字が読めるが、右欄は声・音ともに空である。左欄第四音の収位は皆「□」、第六音の閉位は皆「■」。右欄が和する第八・第九・第十の三類の正声は全体として無声で、十二行とも「●」である。四種の記号がこの段に一時にすべて見える。「○」は声あって字なし、「●」はその声をそもそも有さず、「□」は音あって字なし、「■」はその音をそもそも有さず、前の二つは声図、後の二つは音図に属し、互いに通じない。

閉音清和律三之十

閉音清和律三之十;乃你女■●●●●,■■■■多可個舌;七音:內南年■●●●●,十音:■■■■禾火化八;八聲:老冷呂■●●●●,一聲:■■■■開宰愛○;鹿犖離■●●●●,■■■■回每退○;走哉足■●●●●,■■■■良兩向○;八音:自在匠■●●●●,十音:■■■■光廣況○;八聲:草采七■●●●●,二聲:■■■■丁井亙○;曹才全■●●●●,■■■■兄永瑩○;思三星■●●●●,■■■■千典旦○;九音:寺□象■●●●●,十音:■■■■元犬半○;八聲:□□□■●●●●,三聲:■■■■臣引艮○;□□□■●●●●,■■■■君允巽○。

右欄に改めて《閉音清和律三之十》を立てる。第十音土行は「□□耳■」で、閉位に音がなく、和字は「■」と作り、四疊して下り、第一声の四行「多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○」、第二声の四行「良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○」、第三声の四行「千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○」を和す。左欄は依然《入声辟唱呂三之八》で、「●」の四疊をもって第七音の四行「乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■」、第八音の四行「走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■」、第九音の四行「思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■」を続唱する。第十音土行「□□耳■」の閉格は無音なので、和字は「■」と作る。左欄の第七音は泥来の一路、第八音は歯頭の一路、第九音は字例が零落し、三音の閉格もまた皆無音である。左に音次を記し右に声次を記し、行首に標す「七音」「八音」「九音」と「一声」「二声」「三声」は二図に分属し、合わせて読んではならない。

■山手■●●●●,■■■■刀早孝嶽;十音:■士石■●●●●,十音:■■■■毛寶報霍;八聲:■□耳■●●●●,四聲:■■■■牛斗奏六;■□二■●●●●,■■■■○○○玉;■莊震■●●●●,■■■■妻子四日;十一音:■乍□■●●●●,十音:■■■■衰○帥骨;八聲:■叉赤■●●●●,五聲:■■■■○○○德;■崇辰■●●●●,■■■■龜水貴北;■卓中■●●●●,■■■■宮孔眾○;十二音:■宅直■●●●●,十音:■■■■龍甬用○;八聲:■拆丑■●●●●,六聲:■■■■魚鼠去○;■茶呈■●●●●,■■■■烏虎兔○。

左欄《入声辟唱呂三之八》は「●」の四疊で、第十音の四行「■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■」、第十一音の四行「■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■」、第十二音の四行「■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■」を唱え、本図の唱はここに畢る。右欄《閉音清和律三之十》は「■」の四疊で、第四声の四行「刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉」、第五声の四行「妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北」、第六声の四行「宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○」を和す。左欄の第十から第十二音は、開・閉の両格が大抵無音で、ただ真ん中の二字が読める。右欄が和する三声は字例が較べて全いが、ただ入位にしばしば空がある。この図は一つは四十八音位を遍く唱え、一つは四十声位を遍く和し、四疊の数は同じである。音図では開・発・収・閉に配し、声図では平・上・去・入に配するので、毎格必ず四書して後に足る。

入声辟唱呂三之九

入聲闢唱呂三之九;古甲九癸●●●●,■■■■心審禁○;一音:□□近揆●●●●,十音:■■■■○○○十;九聲:坤巧丘棄●●●●,七聲:■■■■男坎欠○;□□乾蚪●●●●,■■■■○○○妾;黑花香血●●●●,■■■■●●●●;二音:黃華雄賢●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:五瓦仰□●●●●,八聲:■■■■●●●●;吾牙月堯●●●●,■■■■●●●●;安亞乙一●●●●,■■■■●●●●;三音:□爻壬寅●●●●,十音:■■■■●●●●;九聲:母馬美米●●●●,九聲:■■■■●●●●;目貌眉民●●●●,■■■■●●●●。

左欄に改めて《入声辟唱呂三之九》を立てる。正声第九類は無声で、星行の入位はなお「●」と作る。各行四疊で、第一音の四行「古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪」、第二音の四行「黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭」、第三音の四行「安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民」を唱える。右欄《閉音清和律三之十》は「■」の四疊で、第七声の四行「心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾」を和し、さらに第八・第九の両声あわせて八行を和し、すべて「●●●●」である。以下の第四音以次の諸行は、なおこの図に接続して排し続ける。正声第九類はすでに声位がなく、唱えるのはただ一つの虚格だが、四十八音はなお遍歴しなければならない。右欄の第七声にはなお心・審・禁・男・坎・欠の諸字があり、第八・第九の両声は一字も着かない。左欄の「●」は声の立たないことを志し、音字行末の「■」は音の立たないことを志し、右欄の「●」もまた声の立たないことを志す。同じ黒記でも二図二欄に分属するので、読者が欄に依って分けて見れば、ようやく誤ることがない。

夫法□飛●●●● ■■■■●●●● 四音 父凡□吠●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 武晚□尾●●●● 十聲 ■■■■●●●● 文萬□未●●●● ■■■■●●●●

左半の四行は《入声辟唱呂三之九》の第四音に属し、右半の四行は《閉音清和律三之十》の第十声に属する。左半は第四音の四行の代表字を列ねる。夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未で、各行の四字は「開・発・収・閉」の四位に依って音を取り、地の「水火土石」に配する。第三格は「□」と作り、この音位は有るが、充てるべき適当な字が見つからないことを示す。四行の右側には各々「●●●●」を系し、これは第九声が「入声辟」という格の上で取る値である。「●」はこの位にそもそも声がないことを示すので、四格がすべて空である。右半は「■■■■」をもって領し、「■」は第十音の「閉音清」位に立てる音がないことを示す。これと和する第十声も、四行とも全て「●」と作る。両辺とも空に空を対し、邵雍は例によって格子を満たす。声と音の相配する数を一位置も欠かせないためである。

閉音清和律三之十一

卜百丙必●●●● ■■■■多可個舌 五音 步白備鼻●●●● 十一音 ■■■■禾火化八 九聲 普撲品匹●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 旁排平瓶●●●● ■■■■回每退○ 東丹帝■●●●● ■■■■良兩向○ 六音 兌大弟■●●●● 十一音 ■■■■光廣況○ 九聲 土貪天■●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 同覃田■●●●● ■■■■兄永瑩○ 乃你女■●●●● ■■■■千典旦○ 七音 內南年■●●●● 十一音 ■■■■元犬半○ 九聲 老冷呂■●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ 鹿犖離■●●●● ■■■■君允巽○ 走哉足■●●●● ■■■■刀早孝嶽 八音 自在匠■●●●● 十一音 ■■■■毛寶報霍 九聲 草采七■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 曹才全■●●●● ■■■■○○○玉

左半は《入声辟唱呂三之九》を承け、順に第五・六・七・八音を唱え出す。右半は《閉音清和律三之十一》で、第十一音をもって第一声から第四声までを和す。左半の第五音は重唇の一類、卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶。第六音は舌頭の一類、東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■。第七音は泥来の一類、乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■。第八音は歯頭の一類、走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■。六・七・八の三音の末位は皆「■」と作り、この三類の音には立てるべき「閉」位がないことを言う。四音の下には一律に「●●●●」を配し、すなわち第九声の「入声辟」格に取るべき声がない。右半の「■■■■」は第十一音の「閉音清」位で、同じく無音。これと相和する四声は字字落ち着き所があり、第一声は多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○、第二声は良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○、第三声は千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○、第四声は刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉。各行四字は平・上・去・入の順に排列し、その中の「○」はこの声位は有るが配すべき字がないことを示す。両欄を並列すれば、まさに邵雍の用意が見える。音には音の空缺があり、声には声の空缺があり、ただ字有り・位有って字無し・もともと位無しの三つの情形をすべて標し出してこそ、声音が相唱和する総数が算定できるのである。

思三星■●●●● ■■■■妻子四日 九音 寺□象■●●●● 十一音 ■■■■衰○帥骨 九聲 □□□■●●●● 五聲 ■■■■●●●德 □□□■●●●● ■■■■龜水貴北 ■山手■●●●● ■■■■宮孔眾○ 十音 ■士石■●●●● 十一音 ■■■■龍甬用○ 九聲 ■□耳■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ ■□二■●●●● ■■■■烏虎兔○ ■莊震■●●●● ■■■■心審禁○ 十一音 ■乍□■●●●● 十一音 ■■■■○○○十 九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ ■崇辰■●●●● ■■■■○○○妾 ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十一音 ■■■■●●●● 九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●●

左半は《入声辟唱呂三之九》を続け、第九音から第十二音までを唱える。右半は依然《閉音清和律三之十一》で、転じて第五声から第八声までを和す。第九音は思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■と作り、後の二行は「開・発・収」の三位さえ挙げる字がないので、三つの「□」を連書する。第十音は■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■と作り、第十一音は■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■、第十二音は■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■——この三音の首位と末位はいずれも「■」で、正歯・舌上の一類は「発・収」の两位においてのみ音が立つのが見える。それらの下にも同じく「●●●●」を系し、なお第九声の入声辟位の空缺である。右半の第五声は妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北、第六声は宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○、第七声は心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾。第八声に至っては四行すべて「●●●●」で、第八・九・十の三声は邵雍の声図においてもともと格あって声なき虚位であり、ただ十声の数を満たすために用いられるからである。

入声辟唱呂三之十

古甲九癸●●●● ■■■■●●●● 一音 □□近揆●●●● 十一音 ■■■■●●●● 十聲 坤巧丘棄●●●● 九聲 ■■■■●●●● □□乾蚪●●●● ■■■■●●●● 黑花香血●●●● ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十一音 ■■■■●●●● 十聲 五瓦仰□●●●● 十聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯●●●● ■■■■●●●●

《入声辟唱呂三之十》は改めて一図を立て、改めて第十声の「入声辟」位をもって十二音を唱え、冒頭の二行は第一音と第二音である。第一音の四行は古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪、第二音の四行は黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭。四行のうち、第一・三行は清に属し、第二・四行は濁に属し、「□」の箇所はなお音位あって挙げる字なしである。しかしそれらの配するものは一律に「●●●●」——第十声にはもともと入声辟位がないので、領唱する側が空なのである。右半は同時に《閉音清和律三之十一》の収尾を並べる。第十一音の閉清位は「■」で、それをもって第九声・第十声を和すが、この両声の四行もまたすべて「●」である。ここは紙一面が圈塊で一字もない、全図で最も空の段である。字有る者は少なく位無き者は多いが、邵雍は照るべくして一格も省かずに列ね出す。

閉音清和律三之十二

安亞乙一●●●● ■■■■多可個舌 三音 □爻壬寅●●●● 十二音 ■■■■禾火化八 十聲 母馬美米●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 目貌眉民●●●● ■■■■回每退○ 夫法□飛●●●● ■■■■良兩向○ 四音 父凡□吠●●●● 十二音 ■■■■光廣況○ 十聲 武晚□尾●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 文萬□未●●●● ■■■■兄永瑩○ 卜百丙必●●●● ■■■■千典旦○ 五音 步白備鼻●●●● 十二音 ■■■■元犬半○ 十聲 普撲品匹●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ 旁排平瓶●●●● ■■■■君允巽○ 東丹帝■●●●● ■■■■刀早孝嶽 六音 兌大弟■●●●● 十二音 ■■■■毛寶報霍 十聲 土貪天■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 同覃田■●●●● ■■■■○○○玉

左半《入声辟唱呂三之十》は第三音から第六音までを続唱する。第三音は安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民(影喻明の一類)、第四音は夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未(軽唇の一類)、第五音は卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶(重唇の一類)、第六音は東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■(舌頭の一類)。配するのは依然「●●●●」で、第十声の入声辟位には唱うべき声がない。右半は改めて《閉音清和律三之十二》が領起する。第十二音の「閉音清」位は「■」と作り、立てる音はないが、なお天の十声を遍く和さなければならない。ここではまず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。声の四行は「辟・翕・辟・翕」の交替に依り、すなわち開口・合口が相間し、毎行四字は平・上・去・入の順に依る。

乃你女■●●●● ■■■■妻子四日 七音 內南年■●●●● 十二音 ■■■■衰○帥骨 十聲 老冷呂■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 鹿犖離■●●●● ■■■■龜水貴北 走哉足■●●●● ■■■■宮孔眾○ 八音 自在匠■●●●● 十二音 ■■■■龍甬用○ 十聲 草采七■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ 曹才全■●●●● ■■■■烏虎兔○ 思三星■●●●● ■■■■心審禁○ 九音 寺□象■●●●● 十二音 ■■■■○○○十 十聲 □□□■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ □□□■●●●● ■■■■○○○妾

左半は第七・八・九音まで唱える。第七音は乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■、第八音は走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■、第九音は思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■。三音の末位は皆「■」と作り、第九音の後の二行はさらに「□□□■」で、開・発・収の三位さえ挙げる字がない。これらの行の下にもなお「●●●●」を系し、第十声が入声辟位において無声だからである。右半は《閉音清和律三之十二》が「■」をもって第五声・第六声・第七声を和す。第五声は妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北、第六声は宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○、第七声は心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾。この三声のうち「○」が特に多いのは、韻位は備わっても当時指すべき字がなかったことを説明する。邵雍はむしろ空に留めても、字を湊えて数を充てることを肯んじなかった。

■山手■●●●● ■■■■●●●● 十音 ■士石■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■□耳■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■□二■●●●● ■■■■●●●● ■莊震■●●●● ■■■■●●●● 十一音 ■乍□■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■叉赤■●●●● 九聲 ■■■■●●●● ■崇辰■●●●● ■■■■●●●● ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■拆丑■●●●● 十聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●●

左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声辟唱呂三之十》を収束し、十二音はここに唱え遍し、配するのは依然第十声の空位「●●●●」である。右半《閉音清和律三之十二》も第八・九・十声まで和しきったが、この三声の四行は皆「●」なので、整段は「■■■■●●●●」の黒白の方陣のみが残る。ここに至って、《観物篇四十九》に属する「辰辰声入之三辟」と「石石音閉之三清」の両図はすべて列ね畢った。字有る所には字を標し、位有って字無き所には「○」「□」を標し、位無き所には「●」「■」を標し、一格も含糊に肯んじない。邵雍がこのようにするのは、彼が算定しようとするのがもともと某の字がどう読まれるかではなく、天地の間の声と音が相配する総格数だからである。格数が一乱れれば、後の「声音の数」の推演は全盤が空しいものとなる。

観物篇五十

辰辰聲入翕 石石音閉濁 ○○○玉北 蚪堯民未瓶■ ○妾●●○ ■■■■■■

これは《観物篇五十》図首の標目と取り値で、左右両欄はそれぞれ竪読みする。左欄に標す「辰辰声入翕」は、天声のうち「辰声」の第四行(翕、すなわち合口)が入声の一格において取る値を指す。以下の「○○○玉北」「○妾●●○」はまさに第一声から第十声までがこの格における実際の内容である——第一・二・三・六・十声は位あって字なし、ゆえに「○」と作し、第四声は「玉」を得、第五声は「北」を得、第七声は「妾」を得、第八・九声は声位さえもなく、ゆえに「●」と作す。右欄に標す「石石音閉濁」は、地音のうち「石音」の第四行(濁)が閉音の一格において取る値を指す。「蚪堯民未瓶■」「■■■■■■」は第一音から第十二音までがこの格における内容である——第一音は「蚪」を得、第二音は「堯」を得、第三音は「民」を得、第四音は「未」を得、第五音は「瓶」を得、第六音以下の七音はすべて音位がなく、ゆえに七つの「■」を連書する。

辰辰聲七,下唱地之 石石音五,上和天之 用音一百五十二,是 用聲一百一十二,是 謂入聲翕音。入聲翕 謂閉音濁聲。閉音濁 音一千六十四。 聲五百六十。

原図は左右両欄に分かれて竪読みされ、源文は行に従って横に録したので、二つの句が交錯して一つになっている。左欄を続けて読めば「辰辰声七、下に地の用音一百五十二を唱う、これを入声翕音と謂う。入声翕音一千六十四」——「入声翕」という格に処る天声は全部で七位が用いられ、それをもって下に向かい地上で用いられる一百五十二の音を唱えれば、七に一百五十二を乗じて一千六十四を得、これがすなわち「入声翕音」の総数である。右欄を続けて読めば「石石音五、上に天の用声一百一十二を和す、これを閉音濁声と謂う。閉音濁声五百六十」——「閉音濁」という格に処る地音はわずか五位が用いられ、それをもって上に向かい天上で用いられる一百一十二の声を和すれば、五に一百一十二を乗じて五百六十を得、これがすなわち「閉音濁声」の総数である。天の用声が一百一十二なのは、十声のうち前の七声のみが成立し、七声がそれぞれ四行四位で得られるからである。地の用音が一百五十二なのは、十二音がそれぞれ四行四位であわせて一百九十二位あり、四十個の「■」が標す無音の位を減じて得られるからである。邵雍のすべての推演は、この二つの数字の上に建立されている。

辰辰聲入之四翕 石石音閉之四濁

これは以下の二図の正式な標目である。左図は「辰辰声」の入声・第四行・合口(翕)の格を取り、右図は「石石音」の閉音・第四行・濁声の格を取る。声は四行に分かれ、第一・三行を「辟」(開口)とし、第二・四行を「翕」(合口)とする。音も四行に分かれ、第一・三行を「清」とし、第二・四行を「濁」とする。ゆえに「入之四翕」と「閉之四濁」は、まさにそれぞれの方陣の最末行にあるあの交点を指す。

入声翕唱呂四之一 閉音濁和律四之一

古甲九癸○○○○ 蚪蚪蚪蚪多可個舌 一音 □□近揆○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪禾火化八 一聲 坤巧丘棄○○○○ 一聲 蚪蚪蚪蚪開宰愛○ □□乾蚪○○○○ 蚪蚪蚪蚪回每退○ 黑花香血○○○○ 蚪蚪蚪蚪良兩向○ 二音 黃華雄賢○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪光廣況○ 一聲 五瓦仰□○○○○ 二聲 蚪蚪蚪蚪丁井亙○ 吾牙月堯○○○○ 蚪蚪蚪蚪兄永瑩○ 安亞乙一○○○○ 蚪蚪蚪蚪千典旦○ 三音 □爻壬寅○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪元犬半○ 一聲 母馬美米○○○○ 三聲 蚪蚪蚪蚪臣引艮○ 目貌眉民○○○○ 蚪蚪蚪蚪君允巽○ 夫法□飛○○○○ 蚪蚪蚪蚪刀早孝嶽 四音 父凡□吠○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪毛寶報霍 一聲 武晚□尾○○○○ 四聲 蚪蚪蚪蚪牛斗奏六 文萬□未○○○○ 蚪蚪蚪蚪○○○玉

ここから《観物篇五十》の正図に入る。左半は《入声翕唱呂四之一》で、第一声の「入声翕」位をもって十二音を唱える。この位は声あって字なし、ゆえに篇中一貫して「○○○○」と作し、四つの圈が音の開・発・収・閉の四格に対応する。まず第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。右半は《閉音濁和律四之一》で、第一音の「閉音濁」位をもって十声を和す。この位は字があり、すなわち「蚪」なので、四格に連書して「蚪蚪蚪蚪」とし、まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。左は唱える側が空、右は和する側に字あり、一空一実が並列して、まさに「声はその呂を唱え、音はその律を和す」という様式である。

卜百丙必○○○○ 蚪蚪蚪蚪妻子四日 五音 步白備鼻○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪衰○帥骨 一聲 普撲品匹○○○○ 五聲 蚪蚪蚪蚪○○○德 旁排平瓶○○○○ 蚪蚪蚪蚪龜水貴北 東丹帝■○○○○ 蚪蚪蚪蚪宮孔眾○ 六音 兌大弟■○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪龍甬用○ 一聲 土貪天■○○○○ 六聲 蚪蚪蚪蚪魚鼠去○ 同覃田■○○○○ 蚪蚪蚪蚪烏虎兔○ 乃你女■○○○○ 蚪蚪蚪蚪心審禁○ 七音 內南年■○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪○○○十 一聲 老冷呂■○○○○ 七聲 蚪蚪蚪蚪男坎欠○ 鹿犖離■○○○○ 蚪蚪蚪蚪○○○妾

左半は続けて第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)を唱え、唱えているのは依然として第一声のあの位あって字なき入声翕格「○○○○」である。右半は依然として第一音の閉濁位「蚪」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第五声第二行「衰○帥骨」は上声の字を欠き、第三行「○○○徳」は入声の一字のみを存す。第七声第二行「○○○十」、第四行「○○○妾」も同様に入声の上にのみ字が挙げられる。およそこのような空缺はいずれも「○」をもって実録し、他の字をもって填め補わないのは、まさに用い得る声の数目が虚しく増えないためである。

走哉足■○○○○ 蚪蚪蚪蚪●●●● 八音 自在匠■○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪●●●● 一聲 草采七■○○○○ 八聲 蚪蚪蚪蚪●●●● 曹才全■○○○○ 蚪蚪蚪蚪●●●● 思三星■○○○○ 蚪蚪蚪蚪●●●● 九音 寺□象■○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪●●●● 一聲 □□□■○○○○ 九聲 蚪蚪蚪蚪●●●● □□□■○○○○ 蚪蚪蚪蚪●●●● 翻山手■○○○○ 蚪蚪蚪蚪●●●● 十音 ■士石■○○○○ 一音 蚪蚪蚪蚪●●●● 一聲 ■□耳■○○○○ 十聲 蚪蚪蚪蚪●●●● ■□二■○○○○ 蚪蚪蚪蚪●●●●

左半は第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)を唱え、唱える者は依然として第一声の空位「○○○○」である。右半は第一音の「蚪」をもって第八・九・十の三声を和すが、この三声の四行は皆無声なので、一律に「蚪蚪蚪蚪●●●●」と書く——音あって和すべき声なくとも、格子は照らすように列ねる。この一段は最も邵雍の造図の規矩を見せる。唱われる声に字の有無あれ、和される音に位の有無あれ、四行四格は一概に省かず、ただ異なる符号をもって「位有って字無し」と「もともとその位無し」の二種の空缺を分けて標す。ただこのようであるからこそ、前に言った「用声一百一十二、用音一百五十二」という数目が符合するのである。第十音の首行は底本が「翻山手■」と印すが、「翻」は明らかに「■」の形近の誤りであり、今もなお底本に依って字を録し、改動を加えない。

閉音濁和律四之二

■莊震■○○○○ 堯堯堯堯多可個舌 十一音 ■乍□■○○○○ 二音 堯堯堯堯禾火化八 一聲 ■叉赤■○○○○ 一聲 堯堯堯堯開宰愛○ ■崇辰■○○○○ 堯堯堯堯回每退○ ■卓中■○○○○ 堯堯堯堯良兩向○ 十二音 ■宅直■○○○○ 二音 堯堯堯堯光廣況○ 一聲 ■拆丑■○○○○ 二聲 堯堯堯堯丁井亙○ ■茶呈■○○○○ 堯堯堯堯兄永瑩。

左半は第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)と第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之一》を唱え畢え、十二音四行あわせて四十八格はここに円満し、配したのは終始、第一声のあの空いている入声翕位「○○○○」であった。右半は改めて《閉音濁和律四之二》を立てる。第二音の「閉音濁」位は字があり、「堯」と作すので、連書して「堯堯堯堯」とし、まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)と第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)を和する。末行の「堯堯堯堯兄永瑩。」の句末の一点は底本の誤刻で、前後の各図の通例に依れば、ここはもともと「○」と作すべきで、第二声第四行の入声位が声あって字なしを示す。今は底本のまま迻録するが、読者は「○」として解すべきである。

入声翕唱呂四之二

古甲九癸○○○○ 堯堯堯堯千典旦○ 一音 □□近揆○○○○ 二音 堯堯堯堯元犬半○ 二聲 坤巧丘棄○○○○ 三聲 堯堯堯堯臣引艮○ □□乾蚪○○○○ 堯堯堯堯君允巽○ 黑花香血○○○○ 堯堯堯堯刀早孝嶽 二音 黃華雄賢○○○○ 二音 堯堯堯堯毛寶報霍 二聲 五瓦仰□○○○○ 四聲 堯堯堯堯牛斗奏六 吾牙月堯○○○○ 堯堯堯堯○○○玉 安亞乙一○○○○ 堯堯堯堯妻子四日 三音 □爻王寅○○○○ 二音 堯堯堯堯衰○帥骨 二聲 母馬美米○○○○ 五聲 堯堯堯堯○○○德 目貌眉民○○○○ 堯堯堯堯龜水貴北 夫法□飛○○○○ 堯堯堯堯宮孔眾○ 四音 父凡□吠○○○○ 二音 堯堯堯堯龍甬用○ 二聲 武晚□尾○○○○ 六聲 堯堯堯堯魚鼠去○ 文萬□未○○○○ 堯堯堯堯烏虎兔○

左半は改めて《入声翕唱呂四之二》が領唱する。第二声の入声翕位も同様に声あって字なし、「○○○○」と作し、順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻王寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。そのうち「□爻王寅」の「王」は、他の図では皆「壬」と作るが、ここは底本の形の誤りであり、今はなお旧来のまま録す。右半《閉音濁和律四之二》は「堯」をもって引き続き第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)、第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)を和す。左欄の唱える者は字なくして右欄の和する者は字あり、一図のうち空実が相形する。邵雍がこの図を立てたのは、もともと音を審らかに字を弁ずるためではなく、天地の間で声音が相配する位数を核定するためである。ゆえに字有る者は字を列ね、位有って字無き者は圈を列ね、もともとその位無き者は塊を列ね、三者は断じて混ぜてはならない。

卜百丙必○○○○ 堯堯堯堯心審禁○ 五音 步白備鼻○○○○ 二音 堯堯堯堯○○○十 二聲 普撲品匹○○○○ 七聲 堯堯堯堯男坎欠○ 旁排平瓶○○○○ 堯堯堯堯○○○妾 東丹帝■○○○○ 堯堯堯堯●●●● 六音 兌大弟■○○○○ 二音 堯堯堯堯●●●● 二聲 土貪天■○○○○ 八聲 堯堯堯堯●●●● 同覃田■○○○○ 堯堯堯堯●●●● 乃你女■○○○○ 堯堯堯堯●●●● 七音 內南年■○○○○ 二音 堯堯堯堯●●●● 二聲 老冷呂■○○○○ 九聲 堯堯堯堯●●●● 鹿犖離■○○○○ 堯堯堯堯●●●● 走哉足■○○○○ 堯堯堯堯●●●● 八音 自在匠■○○○○ 二音 堯堯堯堯●●●● 二聲 草采七■○○○○ 十聲 堯堯堯堯●●●● 曹才全■○○○○ 堯堯堯堯●●●●

左半は続けて第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)を唱え、領唱するのは依然として第二声のあの空いている入声翕位である。第六・七・八の三音の末位は皆「■」と作し、舌頭・泥来・歯頭の三類は「閉」位において音が立たないことを説明する。右半《閉音濁和律四之二》はまず第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和し、そのうち第二行・第四行はいずれも入声の上にのみ字があり、上去の二声は皆空である。続いて第八・九・十の三声を和すが、この三声の四行はすべて声位がなく、ここにおいて一路「堯堯堯堯●●●●」と書く。音あって和すべき声なくとも格を列ねる——これこそまさに邵雍が尋常の韻図と異なるところである。韻図は実有の音のみを収めるが、彼は二種の空缺を分けて標し出し、十声十二音が各々その四行四位を得て総数が誤らないようにする。両欄を合わせて見れば、左は一声が往って十二音を唱え、右は一音が往って十声を和し、一縦一横が交織して天地の声音が相配する全表を成す。

閉音濁和律四之三

思三星■○○○○ 民民民民多可個舌 九音 寺□象■○○○○ 三音 民民民民禾火化八 二聲 □□□■○○○○ 一聲 民民民民開宰愛○ □□□■○○○○ 民民民民回每退○ ■山手■○○○○ 民民民民良兩向○ 十音 ■士石■○○○○ 三音 民民民民光廣況○ 二聲 ■□耳■○○○○ 二聲 民民民民丁井亙○ ■□二■○○○○ 民民民民兄永瑩○ ■莊震■○○○○ 民民民民千典旦○ 十一音 ■乍□■○○○○ 三音 民民民民元犬半○ 二聲 ■叉赤■○○○○ 三聲 民民民民臣引艮○ ■崇辰■○○○○ 民民民民君允巽○ ■卓中■○○○○ 民民民民刀早孝嶽 十二音 ■宅直■○○○○ 三音 民民民民毛寶報霍 二聲 ■拆丑■○○○○ 四聲 民民民民牛斗奏六 ■茶呈■○○○○ 民民民民○○○玉

左半《入声翕唱呂四之二》は第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)まで唱え、十二音はここに唱え畢り、領唱したのは終始、第二声のあの位あって字なき入声翕格「○○○○」であった。この四音あわせて十六格のうち「■」が十格を占めるのは、正歯・舌上の類に至るほど、立て得る音位がいよいよ少ないことを見せる。右半は改めて《閉音濁和律四之三》を立てる。第三音の閉濁位は字があり、「民」と作し、ここに「民民民民」が順に第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和する。声の毎行四字は平・上・去・入を取り、まさに天の日・月・星・辰に応じる。音の毎行四字は開・発・収・閉を取り、まさに地の水・火・土・石に応じる。邵雍は声をもって天に属させ、音をもって地に属させ、唱える者を律とし、和する者を呂とする。声音相配の道理はこの二組の四位の上に落ちている。

入声翕唱呂四之三

古甲九癸○○○○ 民民民民妻子四日 一音 □□近揆○○○○ 三音 民民民民衰○帥骨 三聲 坤巧丘棄○○○○ 五聲 民民民民○○○德 □□乾蚪○○○○ 民民民民龜水貴北 黑花香血○○○○ 民民民民宮孔眾○ 二音 黃華雄賢○○○○ 三音 民民民民龍甬用○ 三聲 五瓦仰□○○○○ 六聲 民民民民魚鼠去○ 吾牙月堯○○○○ 民民民民烏虎兔○ 安亞乙一○○○○ 民民民民心審禁○ 三音 □爻壬寅○○○○ 三音 民民民民○○○十 三聲 母馬美米○○○○ 七聲 民民民民男坎欠○ 目貌眉民○○○○ 民民民民○○○妾

左半は改めて《入声翕唱呂四之三》が領唱する。第三声の入声翕位は依然として声あって字なし、「○○○○」と作し、まず第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)を唱える。第一音四行のうち、「古甲九癸」と「坤巧丘棄」は清に属し、「□□近揆」と「□□乾蚪」は濁に属し、濁行の開・発の两位は挙げる字がないので、ともに「□□」と書く。右半は依然《閉音濁和律四之三》で、「民」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第七声は十声のうち最後に真に声を有するもので、これを過ぎる三声は全て虚位に入る。

夫法□飛○○○○ 民民民民●●●● 四音 父凡□吠○○○○ 三音 民民民民●●●● 三聲 武晚□尾○○○○ 八聲 民民民民●●●● 文萬□未○○○○ 民民民民●●●● 卜百丙必○○○○ 民民民民●●●● 五音 步白備鼻○○○○ 三音 民民民民●●●● 三聲 普撲品匹○○○○ 九聲 民民民民●●●● 旁排平瓶○○○○ 民民民民●●●● 東丹帝■○○○○ 民民民民●●●● 六音 兌大弟■○○○○ 三音 民民民民●●●● 三聲 土貪天■○○○○ 十聲 民民民民●●●● 同覃田■○○○○ 民民民民●●●●

左半は続けて第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)、第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)を唱え、配するのは依然第三声の空圈である。第四音は軽唇の一類で、四行の第三位は皆「□」と作し、すなわち「法」「凡」「晩」「万」の下に本来その位がありながら挙げる字がない。第六音は舌頭の一類で、四行の末位は皆「■」と作し、音位さえもない。右半《閉音濁和律四之三》は第八・九・十の三声まで和したが、この三声の四行は皆無声なので、連書して「民民民民●●●●」とする。ここに至って第三音の「民」はすでに十声四十位を遍く和したが、そのうち真に声があって和し得るのは前の七声二十八位のみで、残りの十二位は尽く空である——これこそまさに「天之用声一百一十二」の由来である。十声のうち前の七声のみを取り、七声がそれぞれ四行四位で、ちょうど一百一十二を得る。

閉音濁和律四之四

乃你女■○○○○ 未未未未多可個舌 七音 內南年■○○○○ 四音 未未未未禾火化八 三聲 老冷呂■○○○○ 一聲 未未未未開宰愛○ 鹿犖離■○○○○ 未未未未回每退○ 走哉足■○○○○ 未未未未良兩向○ 八音 自在匠■○○○○ 四音 未未未未光廣況○ 三聲 草采七■○○○○ 二聲 未未未未丁井亙○ 曹才全■○○○○ 未未未未兄永瑩○ 思三星■○○○○ 未未未未千典旦○ 九音 寺□象■○○○○ 四音 未未未未元犬半○ 三聲 □□□■○○○○ 三聲 未未未未臣引艮○ □□□■○○○○ 未未未未君允巽○

左半は第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)を唱え、領唱する者は依然第三声の空圈である。第九音の後の二行「□□□■」は、この類の音が開・発・収の三位の上でいずれも字を見つけられず、閉位では音さえもないことを言う。右半は改めて《閉音濁和律四之四》を立てる。第四音の閉濁位は字があり、「未」と作し、「未未未未」はまず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)を和する。この三声の毎行の第四字は大半が「○」と作り、入声の位はあって字がない。ただ第一声の首行「多可个舌」は四位とも具わり、全図の様板として見るべきものである。

■山手■○○○○ 未未未未刀早孝嶽 十音 ■士石■○○○○ 四音 未未未未毛寶報霍 三聲 ■□耳■○○○○ 四聲 未未未未牛斗奏六 ■□二■○○○○ 未未未未○○○玉 ■莊震■○○○○ 未未未未妻子四日 十一音 ■乍□■○○○○ 四音 未未未未衰○帥骨 三聲 ■叉赤■○○○○ 五聲 未未未未○○○德 ■崇辰■○○○○ 未未未未龜水貴北 ■卓中■○○○○ 未未未未宮孔眾○ 十二音 ■宅直■○○○○ 四音 未未未未龍甬用○ 三聲 ■拆丑■○○○○ 六聲 未未未未魚鼠去○ ■茶呈■○○○○ 未未未未烏虎兔○

左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之三》を唱え畢える。この三音は各行の首尾が皆「■」で、「発・収」の两位の上にのみ字があり、「山手」「士石」「荘震」「卓中」の類は、まさに宋の時代の正歯・舌上の諸音の実況である。右半《閉音濁和律四之四》は「未」をもって第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)、第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)を和す。第四声第四行「○○○玉」は入声の「玉」字のみで、この「玉」はまさに前の「辰辰声入翕」の一欄において第四声が取った字であり、図首の取値表と正図が互いに表裏となることが見える。

入声翕唱呂四之四

古甲九癸玉玉玉玉 未未未未心審禁○ 一音 □□近揆玉玉玉玉 四音 未未未未○○○十 四聲 坤巧丘棄玉玉玉玉 七聲 未未未未男坎欠○ □□乾蚪玉玉玉玉 未未未未○○○妾 黑花香血玉玉玉玉 未未未未●●●● 二音 黃華雄賢玉玉玉玉 四音 未未未未●●●● 四聲 五瓦仰□玉玉玉玉 八聲 未未未未●●●● 吾牙月堯玉玉玉玉 未未未未●●●● 安亞乙一玉玉玉玉 未未未未●●●● 三音 □爻壬寅玉玉玉玉 四音 未未未未●●●● 四聲 母馬美米玉玉玉玉 九聲 未未未未●●●● 目貌眉民玉玉玉玉 未未未未●●●● 夫法□飛玉玉玉玉 未未未未●●●● 四音 父凡□吠玉玉玉玉 四音 未未未未●●●● 四聲 武晚□尾玉玉玉玉 十聲 未未未未●●●● 文萬□未玉玉玉玉 未未未未●●●●

左半は改めて《入声翕唱呂四之四》が領唱する。この図は前の三図と異なり、第四声の入声翕位には字があり、すなわち「玉」なので、毎行の下に連書して「玉玉玉玉」とし、もはや空圈ではない。それは順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。四つの「玉」字の並列は、同一の声位がそれぞれその音の開・発・収・閉の四位と相配して、四組の声音を配出することを言う。右半《閉音濁和律四之四》は「未」をもって第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)まで和し、続いて第八・九・十の三声は皆声位がなく、「未未未未●●●●」と書く。一図のうち、左は虚から実に転じ、右は実から虚に入り、ちょうど対照を成す。邵雍のいわゆる「唱」と「和」は、真に人があって誦読するのではなく、毎一つの声位と毎一つの音位を強いて相配させ、この一百一十二声と一百五十二音の間にあわせてどれだけの組合せが生じ得るかを見るのである。

閉音濁和律四之五

卜百丙必玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶多可個舌 五音 步白備鼻玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶禾火化八 四聲 普撲品匹玉玉玉玉 一聲 瓶瓶瓶瓶開宰愛○ 旁排平瓶玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶回每退○ 東丹帝■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶良兩向○ 六音 兌大弟■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶光廣況○ 四聲 土貪天■玉玉玉玉 二聲 瓶瓶瓶瓶丁井亙○ 同覃田■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶兄永瑩○ 乃你女■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶千典旦○ 七音 內南年■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶元犬半○ 四聲 老冷呂■玉玉玉玉 三聲 瓶瓶瓶瓶臣引艮○ 鹿犖離■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶君允巽○ 走哉足■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶刀早孝嶽 八音 自在匠■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶毛寶報霍 四聲 草采七■玉玉玉玉 四聲 瓶瓶瓶瓶牛斗奏六 曹才全■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶○○○玉

左半は続けて「玉」をもって第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)を唱える。この四音のうち、唇音の一類は四位とも具わり、舌頭・泥来・歯頭の三類は閉位が皆欠ける。右半は改めて《閉音濁和律四之五》を立てる。第五音の閉濁位は字があり、「瓶」と作し、「瓶瓶瓶瓶」が第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和する。「蚪・堯・民・未・瓶」は石音閉濁のこの格にのみある五つの字で、第五音の「瓶」は最後の一つである。第六音以下はすべて「■」であり、いわゆる「石石音五」は、この五つの字を指す。

思三星■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶妻子四日 九音 寺□象■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶衰○帥骨 四聲 □□□■玉玉玉玉 五聲 瓶瓶瓶瓶○○○德 □□□■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶龜水貴北 ■山手■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶宮孔眾○ 十音 ■士石■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶龍甬用○ 四聲 ■□耳■玉玉玉玉 六聲 瓶瓶瓶瓶魚鼠去○ ■□二■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶烏虎兔○ ■莊震■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶心審禁○ 十一音 ■乍□■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶○○○十 四聲 ■叉赤■玉玉玉玉 七聲 瓶瓶瓶瓶男坎欠○ ■崇辰■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶○○○妾 ■卓中■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶●●●● 十二音 ■宅直■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶●●●● 四聲 ■拆丑■玉玉玉玉 八聲 瓶瓶瓶瓶●●●● ■茶呈■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶●●●●

左半は第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之四》を唱え畢え、「玉」字は十二音四十八位を遍く唱えて止む。右半《閉音濁和律四之五》は「瓶」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和し、第八声に至っては四行とも「●」で、「瓶瓶瓶瓶●●●●」と書く。声図のうちの「○」と「●」は判然として別れる。「○」はこの声位が存在し、ただ当時充てる字を見つけられなかったもの、「●」は声位さえもないものである。音図のうちの「□」と「■」もこの分別と同じである。四種の符号は一つも欠いてはならず、さもなくば一百一十二と一百五十二の二つの数は算い立てる由がない。

入声翕唱呂四之五

古甲九癸北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●● 一音 □□近揆北北北北 五音 瓶瓶瓶瓶●●●● 五聲 坤巧丘棄北北北北 九聲 瓶瓶瓶瓶●●●● □□乾蚪北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●● 黑花香血北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●● 二音 黃華雄賢北北北北 五音 瓶瓶瓶瓶●●●● 五聲 五瓦仰□北北北北 十聲 瓶瓶瓶瓶●●●● 吾牙月堯北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●●

左半は改めて《入声翕唱呂四之五》が領唱する。第五声の入声翕位もまた字があり、「北」と作すので、毎行の下に連書して「北北北北」とする。それはまず第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)と第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)を唱える。この「北」字は、すなわち図首「辰辰声入翕」の一欄において第五声が取った字で、第四声の「玉」、第七声の「妾」とともに、この格にのみある三つの実字である。右半《閉音濁和律四之五》は「瓶」をもって第九声・第十声を和すが、両声の四行は皆なく、ゆえに通じて「瓶瓶瓶瓶●●●●」と作す。第五音はここに至って十声を和し遍し、本図は終わる。

閉音濁和律四之六

安亞乙一北北北北 ■■■■多可個舌 三音 □爻壬寅北北北北 六音 ■■■■禾火化八 五聲 母馬美米北北北北 一聲 ■■■■開宰愛○ 目貌眉民北北北北 ■■■■回每退○ 夫法□飛北北北北 ■■■■良兩向○ 四音 父凡□吠北北北北 六音 ■■■■光廣況○ 五聲 武晚□尾北北北北 二聲 ■■■■丁井亙○ 文萬□未北北北北 ■■■■兄永瑩○ 卜百丙必北北北北 ■■■■千典旦○ 五音 步白備鼻北北北北 六音 ■■■■元犬半○ 五聲 普撲品匹北北北北 三聲 ■■■■臣引艮○ 旁排平瓶北北北北 ■■■■君允巽○ 東丹帝■北北北北 ■■■■刀早孝嶽 六音 兌大弟■北北北北 六音 ■■■■毛寶報霍 五聲 土貪天■北北北北 四聲 ■■■■牛斗奏六 同覃田■北北北北 ■■■■○○○玉

左半は続けて「北」をもって第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)、第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之六》を立てるが、第六音の閉濁位はすでに立てる音がなく、ただ「■」と作し、ここに通篇「■■■■」と書いて天声を和す。まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。音位がもともとなければ、なぜなお一つずつ和するのか。邵雍が要するのは一つの完整な方陣だからである。十二音が各々四行四位を占め、あわせて一百九十二格、音ある者一百五十二、音なき者四十、両数を加えてこそ天地の間の音位の全数となる。この四十格を欠けば、一百五十二の数は対照する所がない。

乃你女■北北北北 ■■■■妻子四日 七音 內南年■北北北北 六音 ■■■■衰○帥骨 五聲 老冷呂■北北北北 五聲 ■■■■○○○德 鹿犖離■北北北北 ■■■■龜水貴北 走哉足■北北北北 ■■■■宮孔眾○ 八音 自在匠■北北北北 六音 ■■■■龍甬用○ 五聲 草采七■北北北北 六聲 ■■■■魚鼠去○ 曹才全■北北北北 ■■■■烏虎兔○ 思三星■北北北北 ■■■■心審禁○ 九音 寺□象■北北北北 六音 ■■■■○○○十 五聲 □□□■北北北北 七聲 ■■■■男坎欠○ □□□■北北北北 ■■■■○○○妾

左半は「北」をもって第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)を唱える。第九音の第三・四行は連書して「□□□■」で、全図で最も徹底して空の一類である。三位は音あって字なく、一位は音さえもない。右半《閉音濁和律四之六》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第六声の四行はいずれも「○」をもって収め、宮・竜・魚・烏の这一类の合口韻が入声において相応する字を持たないことを説明する。第七声は却って反対で、入声位の上にのみ「十」「妾」の二字があり、平・上・去の三位は却って空いている。

■山手■北北北北 ■■■■●●●● 十音 ■士石■北北北北 六音 ■■■■●●●● 五聲 ■□耳■北北北北 八聲 ■■■■●●●● ■□二■北北北北 ■■■■●●●● ■莊震■北北北北 ■■■■●●●● 十一音 ■乍□■北北北北 六音 ■■■■●●●● 五聲 ■叉赤■北北北北 九聲 ■■■■●●●● ■崇辰■北北北北 ■■■■●●●● ■卓中■北北北北 ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■北北北北 六音 ■■■■●●●● 五聲 ■拆丑■北北北北 十聲 ■■■■●●●● ■茶呈■北北北北 ■■■■●●●●

左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之五》を唱え畢え、「北」字は十二音を遍く唱えて止む。右半《閉音濁和律四之六》は第八・九・十の三声まで和したが、声位はすでになく音位もまたなく、ここにおいて整段の十二行はすべて「■■■■●●●●」と作し、一字もない。この一片の純粋な符号の方陣は最も後人に殘欠と見做されて剔去されやすいが、実はそれこそまさに邵雍の推数の骨格である。ただ空位も格を占めてこそ、「声一百一十二、音一百五十二」の乗積に落ち着き所があり、声音が相唱和する数をもって万物の身の上に推し及ぼすことができるのである。

入声翕唱呂四之六 閉音濁和律四之七

古甲九癸○○○○ ■■■■多可個舌 一音 □□近揆○○○○ 七音 ■■■■禾火化八 六聲 坤巧丘棄○○○○ 一聲 ■■■■開宰愛○ □□乾蚪○○○○ ■■■■回每退○ 黑花香血○○○○ ■■■■良兩向○ 二音 黃華雄賢○○○○ 七音 ■■■■光廣況○ 六聲 五瓦仰□○○○○ 二聲 ■■■■丁井亙○ 吾牙月堯○○○○ ■■■■兄永瑩○ 安亞乙一○○○○ ■■■■千典旦○ 三音 □爻壬寅○○○○ 七音 ■■■■元犬半○ 六聲 母馬美米○○○○ 三聲 ■■■■臣引艮○ 目貌眉民○○○○ ■■■■君允巽○ 夫法□飛○○○○ ■■■■刀早孝嶽 四音 父凡□吠○○○○ 七音 ■■■■毛寶報霍 六聲 武晚□尾○○○○ 四聲 ■■■■牛斗奏六 文萬□未○○○○ ■■■■○○○玉

左半は改めて《入声翕唱呂四之六》が領唱する。第六声の入声翕位は再び声あって字なしに戻り、「○○○○」と作し、順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之七》を立てる。第七音の閉濁位は無音で、依然「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和する。源文はここで二図の標題を一つの行に併せているが、これはまさに左右両欄がもともと各々独立した二枚の表で、ただ同じ版面に刻まれたために並列して行を成すに過ぎないことを説明する。読むときは必ず各々本欄に依って直下し、横に連読してはならない。

卜百丙必○○○○ ■■■■妻子四日 五音 步白備鼻○○○○ 七音 ■■■■衰○帥骨 六聲 普撲品匹○○○○ 五聲 ■■■■○○○德 旁排平瓶○○○○ ■■■■龜水貴北 東丹帝■○○○○ ■■■■宮孔眾○ 六音 兌大弟■○○○○ 七音 ■■■■龍甬用○ 六聲 土貪天■○○○○ 六聲 ■■■■魚鼠去○ 同覃田■○○○○ ■■■■烏虎兔○ 乃你女■○○○○ ■■■■心審禁○ 七音 內南年■○○○○ 七音 ■■■■○○○十 六聲 老冷呂■○○○○ 七聲 ■■■■男坎欠○ 鹿犖離■○○○○ ■■■■○○○妾

左半は続けて第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)を唱え、領唱するのは依然第六声の空圈である。第五音の四行十六位には一つの空缺もなく、十二音のうち最も完整な一類である。第六・七の両音は閉位が皆ない。右半《閉音濁和律四之七》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第五声第二行「衰○帥骨」は、上声の一位が音あって字なし。第三行「○○○徳」は、平・上・去の三位が皆空で独り入声の「徳」字を存する。このような参差不斉の箇所を、邵雍は一概に実のまま標し出し、足を削って履に適わせることを肯んじない。

走哉足■○○○○ ■■■■●●●● 八音 自在匠■○○○○ 七音 ■■■■●●●● 六聲 草采七■○○○○ 八聲 ■■■■●●●● 曹才全■○○○○ ■■■■●●●● 思三星■○○○○ ■■■■●●●● 九音 寺□象■○○○○ 七音 ■■■■●●●● 六聲 □□□■○○○○ 九聲 ■■■■●●●● □□□■○○○○ ■■■■●●●● ■山手■○○○○ ■■■■●●●● 十音 ■士石■○○○○ 七音 ■■■■●●●● 六聲 ■□耳■○○○○ 十聲 ■■■■●●●● ■□二■○○○○ ■■■■●●●●

左半は第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)をもって唱え続け、第六声の入声翕位は終始空圈である。右半《閉音濁和律四之七》は第八・九・十の三声まで和し、四行とも無声なので、併せて「■■■■●●●●」と作す。左右を合わせて見れば、左欄は一つの空の声位が往って十二個の音を唱え、右欄は一つの空の音位が往って十個の声を和し、両辺が同時に落空しながら、格式は少しも乱れない。邵雍が《皇極経世》を作ったのは、もともと数をもって天地の終始を推すもので、声音の一門もこの路数である——まず用い得る位数を定め死ぬほど固め、次に声をもって音に乗じ、音をもって声に乗じて、声音相配の総数を得、然る後に声音の数から転じて動植万物の数を説く。

閉音濁和律四之八

■莊震■○○○○ ■■■■多可個舌 十一音 ■乍□■○○○○ 八音 ■■■■禾火化八 六聲 ■叉赤■○○○○ 一聲 ■■■■開宰愛○ ■崇辰■○○○○ ■■■■回每退○ ■卓中■○○○○ ■■■■良兩向○ 十二音 ■宅直■○○○○ 八音 ■■■■光廣況○ 六聲 ■拆丑■○○○○ 二聲 ■■■■丁井亙○ ■茶呈■○○○○ ■■■■兄永瑩○

左半は第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)と第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之六》を唱え畢え、第六声の空位はここに十二音を遍く配した。右半は改めて《閉音濁和律四之八》を立てる。第八音の閉濁位も同様に無音で、「■■■■」と作し、まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)と第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)を和する。第六音から起こって、閉濁のこの一格は連なる七つの音がすべて「■」なので、ここから本篇の終わりに至るまで、右欄には再び一つの音字も現れず、ただ「■■■■」が十声と輪転して相配するのみである。

入声翕唱呂四之七

古甲九癸妾妾妾妾 ■■■■千典旦○ 一音 □□近揆妾妾妾妾 八音 ■■■■元犬半○ 七聲 坤巧丘棄妾妾妾妾 三聲 ■■■■臣引艮○ □□乾蚪妾妾妾妾 ■■■■君允巽○ 黑花香血妾妾妾妾 ■■■■刀早孝嶽 二音 黃華雄賢妾妾妾妾 八音 ■■■■毛寶報霍 七聲 五瓦仰□妾妾妾妾 四聲 ■■■■牛斗奏六 吾牙月堯妾妾妾妾 ■■■■○○○玉 安亞乙一妾妾妾妾 ■■■■妻子四日 三音 □爻壬寅妾妾妾妾 八音 ■■■■衰○帥骨 七聲 母馬美米妾妾妾妾 五聲 ■■■■○○○德 目貌眉民妾妾妾妾 ■■■■龜水貴北 夫法□飛妾妾妾妾 ■■■■宮孔眾○ 四音 父凡□吠妾妾妾妾 八音 ■■■■龍甬用○ 七聲 武晚□尾妾妾妾妾 六聲 ■■■■魚鼠去○ 文萬□未妾妾妾妾 ■■■■烏虎兔○

左半は改めて《入声翕唱呂四之七》が領唱する。第七声の入声翕位は字があり、「妾」と作すので、毎行の下に連書して「妾妾妾妾」とする。これは「辰辰声入翕」の一格における第三番目にして最後の実字で、前の二つは第四声の「玉」と第五声の「北」である。それは順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。右半《閉音濁和律四之八》は「■」をもって第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)、第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)を和す。左欄に字ありて右欄に音なし。この一段は全篇のうち「実唱虚和」が最も分明なところである。

卜百丙必妾妾妾妾 ■■■■心審禁○ 五音 步白備鼻妾妾妾妾 八音 ■■■■○○○十 七聲 普撲品匹妾妾妾妾 七聲 ■■■■男坎欠○ 旁排平瓶妾妾妾妾 ■■■■○○○妾 東丹帝■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 六音 兌大弟■妾妾妾妾 八音 ■■■■●●●● 七聲 土貪天■妾妾妾妾 八聲 ■■■■●●●● 同覃田■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 乃你女■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 七音 內南年■妾妾妾妾 八音 ■■■■●●●● 七聲 老冷呂■妾妾妾妾 九聲 ■■■■●●●● 鹿犖離■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 走哉足■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 八音 自在匠■妾妾妾妾 八音 ■■■■●●●● 七聲 草采七■妾妾妾妾 十聲 ■■■■●●●● 曹才全■妾妾妾妾 ■■■■●●●●

左半は続けて「妾」をもって第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)を唱える。右半《閉音濁和律四之八》はまず第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。ここで右欄に現れる「妾」字と左欄が唱える「妾」は、まさに同一の声位が二図における二種の身分である。唱図のうちではそれは領唱者で、和図のうちではそれは和される者であり、一唱一和してその字は易らない。続いて第八・九・十の三声を和し、四行とも「●」で、ついに「■■■■●●●●」と作す。第七声第四行「○○○妾」は通行するのがただこの一字で、邵雍はあえてそれを取って「辰辰声入翕」に列する。いわゆる「用声」は格を逐って点数したもので、估算したものではないことが見える。

閉音濁和律四之九

思三星■妾妾妾妾 ■■■■多可個舌 九音 寺□象■妾妾妾妾 九音 ■■■■禾火化八 七聲 □□□■妾妾妾妾 一聲 ■■■■開宰愛○ □□□■妾妾妾妾 ■■■■回每退○ ■山手■妾妾妾妾 ■■■■良兩向○ 十音 ■士石■妾妾妾妾 九音 ■■■■光廣況○ 七聲 ■□耳■妾妾妾妾 二聲 ■■■■丁井亙○ ■□二■妾妾妾妾 ■■■■兄永瑩○ ■莊震■妾妾妾妾 ■■■■千典旦○ 十一音 ■乍□■妾妾妾妾 九音 ■■■■元犬半○ 七聲 ■叉赤■妾妾妾妾 三聲 ■■■■臣引艮○ ■崇辰■妾妾妾妾 ■■■■君允巽○ ■卓中■妾妾妾妾 ■■■■刀早孝嶽 十二音 ■宅直■妾妾妾妾 九音 ■■■■毛寶報霍 七聲 ■拆丑■妾妾妾妾 四聲 ■■■■牛斗奏六 ■茶呈■妾妾妾妾 ■■■■○○○玉

左半は「妾」をもって第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)を唱え、《入声翕唱呂四之七》はここに唱え畢る。右半は改めて《閉音濁和律四之九》を立てる。第九音の閉濁位は無音で、依然「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和する。十声のうち前の七声はあわせて二十八行、一行四位で、合して一百一十二となる。およそ「■■■■」の音はいずれもこの一百一十二位と一つずつ相配せねばならず、たとえ一字も生じなくとも、格数はなお満ち行かねばならない。

入声翕唱呂四之八

古甲九癸●●●● ■■■■妻子四日 一音 □□近揆●●●● 九音 ■■■■衰○帥骨 八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 ■■■■○○○德 □□乾蚪●●●● ■■■■龜水貴北 黑花香血●●●● ■■■■宮孔眾○ 二音 黃華雄賢●●●● 九音 ■■■■龍甬用○ 八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ 吾牙月堯●●●● ■■■■烏虎兔○ 安亞乙一●●●● ■■■■心審禁○ 三音 □爻壬寅●●●● 九音 ■■■■○○○十 八聲 母馬美米●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ 目貌眉民●●●● ■■■■○○○妾

左半は改めて《入声翕唱呂四之八》が領唱するが、第八声は邵雍の声図のうちで声位さえもなく、四行とも「●」なので、領唱する側は「●●●●」と書く——これは全篇で最も徹底した空唱である。それはなお順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)を唱える。右半《閉音濁和律四之九》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。声なき声が往って字有る音を唱え、音なき音が往って字有る声を和す。両欄は一虚一実、位置は顛倒しても体例は改まらない。

夫法□飛●●●● ■■■■●●●● 四音 父凡□吠●●●● 九音 ■■■■●●●● 八聲 武晚□尾●●●● 八聲 ■■■■●●●● 文萬□未●●●● ■■■■●●●● 卜百丙必●●●● ■■■■●●●● 五音 步白備鼻●●●● 九音 ■■■■●●●● 八聲 普撲品匹●●●● 九聲 ■■■■●●●● 旁排平瓶●●●● ■■■■●●●● 東丹帝■●●●● ■■■■●●●● 六音 兌大弟■●●●● 九音 ■■■■●●●● 八聲 土貪天■●●●● 十聲 ■■■■●●●● 同覃田■●●●● ■■■■●●●●

左半は第八声の空位をもって第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)、第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)を唱える。右半《閉音濁和律四之九》は第八・九・十の三声まで和し、声位はすでになく音位もまたなく、十二行は尽く「■■■■●●●●」である。第八・九・十の三声と第六から第十二までの七音は、邵雍が留めた虚位である。声はもともと十あるが実用は七、音はもともと十二あるが、閉濁のこの格について言えば実用はただ五である。虚実を並列してこそ、「体には定数があり用には不足あり」が見える——これはまさに《皇極経世》という書が反復して申し説く「体四用三」の義が声音の上に落実したものである。読者がもし空位を一概に删去すれば、図は清爽でも数は全く乱れる。

閉音濁和律四之十

乃你女■●●●● ■■■■多可個舌 七音 內南年■●●●● 十音 ■■■■禾火化八 八聲 老冷呂■●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 鹿犖離■●●●● ■■■■回每退○ 走哉足■●●●● ■■■■良兩向○ 八音 自在匠■●●●● 十音 ■■■■光廣況○ 八聲 草采七■●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 曹才全■●●●● ■■■■兄永瑩○ 思三星■●●●● ■■■■千典旦○ 九音 寺□象■●●●● 十音 ■■■■元犬半○ 八聲 □□□■●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ □□□■●●●● ■■■■君允巽○

左半は第八声の空位をもって第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之十》を立てる。第十音の閉濁位は無音で、「■■■■」と作し、まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)を和する。第一声のこの四行は全部の声図のうち字が最も斉った一声で、十六位のうち欠けるのはただ二位である。後へ行くほど「○」がいよいよ多くなり、第八声に至っては一字も存しない。声の盛から衰へ至るさまは、図上で分明に見える。

■山手■●●●● ■■■■刀早孝嶽 十音 ■士石■●●●● 十音 ■■■■毛寶報霍 八聲 ■□耳■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 ■□二■●●●● ■■■■○○○玉 ■莊震■●●●● ■■■■妻子四日 十一音 ■乍□■●●●● 十音 ■■■■衰○帥骨 八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 ■崇辰■●●●● ■■■■龜水貴北 ■卓中■●●●● ■■■■宮孔眾○ 十二音 ■宅直■●●●● 十音 ■■■■龍甬用○ 八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ ■茶呈■●●●● ■■■■烏虎兔○

左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之八》を唱え畢え、第八声の空位は十二音四十八格を遍歴して止む。右半《閉音濁和律四之十》は「■」をもって第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)、第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)を和す。第四声の首行「刀早孝岳」、次行「毛宝報霍」、三行「牛斗奏六」は、入声の一位にいずれも字があり、独り第四行は「玉」のみを残す。この四行の入声の字「岳・霍・六・玉」は、まさに宋の時代に入声がなお存した実証である。

入声翕唱呂四之九

古甲九癸●●●● ■■■■心審禁○ 一音 □□近揆●●●● 十音 ■■■■○○○十 九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ □□乾蚪●●●● ■■■■○○○妾 黑花香血●●●● ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯●●●● ■■■■●●●● 安亞乙一●●●● ■■■■●●●● 三音 □爻壬寅●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 母馬美米●●●● 九聲 ■■■■●●●● 目貌眉民●●●● ■■■■●●●● 夫法□飛●●●● ■■■■●●●● 四音 父凡□吠●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 武晚□尾●●●● 十聲 ■■■■●●●● 文萬□未●●●● ■■■■●●●●

左半は改めて《入声翕唱呂四之九》が領唱する。第九声は第八声と同様に声位さえもなく、ゆえに依然「●●●●」と作し、順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。右半《閉音濁和律四之十》は第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和した後、第八・九・十の三声は皆空で、「■■■■●●●●」と作し、第十音はここに和し畢る。両欄とも空をもって空に対しながら、十二音の代表字は依然として一字も減らず列ね尽くす。読者に清楚に見せようとするのである。唱和の数はゼロでも、唱和の位は宛然として俱に在ることを。邵雍の算法はもともと先に位を定め、後に数を計る。位が備わらねば数は実らない。ゆえにむしろ紙一面を圈塊にしても、一格を省くことを肯んじない。

閉音濁和律四之十一

卜百丙必●●●● ■■■■多可個舌 五音 步白備鼻●●●● 十一音 ■■■■禾火化八 九聲 普撲品匹●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 旁排平瓶●●●● ■■■■回每退○ 東丹帝■●●●● ■■■■良兩向○ 六音 兌大弟■●●●● 十一音 ■■■■光廣況○ 九聲 土貪天■●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 同覃田■●●●● ■■■■兄永瑩○ 乃你女■●●●● ■■■■千典旦○ 七音 內南年■●●●● 十一音 ■■■■元犬半○ 九聲 老冷呂■●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ 鹿犖離■●●●● ■■■■君允巽○

左半は第九声の空位をもって第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)を唱える。この三音のうち、第五音は重唇に属し、第六音は舌頭に属し、第七音は泥来に属する。後の二類は閉位が皆無音なので、毎行の末位は皆「■」と作す。毎音の四行はまた清・濁の二類に分かれ、第一・三行は清に属し、第二・四行は濁に属す。たとえば「卜百丙必」は清で「歩白備鼻」は濁、「普撲品匹」は清で「旁排平瓶」は濁と、両々相対して一望すれば弁じられる。右半は改めて《閉音濁和律四之十一》を立てる。第十一音の閉濁位は無音で、「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)を和する。

走哉足■●●●● ■■■■刀早孝嶽 八音 自在匠■●●●● 十一音 ■■■■毛寶報霍 九聲 草采七■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 曹才全■●●●● ■■■■○○○玉

左半は第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)をもって上文に接続し、配するのは依然第九声のあの声位さえもない空格「●●●●」である。右半《閉音濁和律四之十一》は「■■■■」をもって第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。第八音は歯頭の一類で、四行の閉位は皆「■」と作し、ただ開・発・収の三位の上に字がある。第四声四行の入声の字は順に「岳」「霍」「六」「玉」で、独り第四行の平・上・去の三位が空缺するので、「○○○玉」と作す。一虚一実が同一版面に並んで陳べられるのは、まさにこの套の図の常態である。

思三星■●●●● ■■■■妻子四日 九音 寺□象■●●●● 十一音 ■■■■衰○帥骨 九聲 □□□■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 □□□■●●●● ■■■■龜水貴北 ■山手■●●●● ■■■■宮孔眾○ 十音 ■士石■●●●● 十一音 ■■■■龍甬用○ 九聲 ■□耳■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ ■□二■●●●● ■■■■烏虎兔○ ■莊震■●●●● ■■■■心審禁○ 十一音 ■乍□■●●●● 十一音 ■■■■○○○十 九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ ■崇辰■●●●● ■■■■○○○妾 ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十一音 ■■■■●●●● 九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●●

左半は第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之九》を唱え畢える。右半《閉音濁和律四之十一》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和し、第八声に至っては「■■■■●●●●」と作す。第五声第四行「亀水貴北」の「北」は、すなわち前の第五声が「辰辰声入翕」を充てるのに用いた字である。同じ一つの字が、唱図のうちでは領唱を為し、和図のうちでは被和を為し、両処に並んで見えて各々その位がある。邵雍の編次の細かさが見える。

入声翕唱呂四之十

古甲九癸○○○○ ■■■■●●●● 一音 □□近揆○○○○ 十一音 ■■■■●●●● 十聲 坤巧丘棄○○○○ 九聲 ■■■■●●●● □□乾蚪○○○○ ■■■■●●●● 黑花香血○○○○ ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢○○○○ 十一音 ■■■■●●●● 十聲 五瓦仰□○○○○ 十聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯○○○○ ■■■■●●●●

左半は改めて《入声翕唱呂四之十》が領唱する。第十声はこの格の上でまた声あって字なし、「○○○○」と作し、まず第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)と第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)を唱える。篇首「辰辰声入翕」の一欄に按ずれば、第十声に標すのはまさに「○」で、こことまさに吻合する。右半《閉音濁和律四之十一》は「■」をもって第九声・第十声を和し、両声ともないので、「■■■■●●●●」と作し、第十一音は和し畢る。これは《観物篇五十》の最後の一組の図の開端で、十声と十二音の相配はここに至って收尾のみが残る。

閉音濁和律四之十二

安亞乙一○○○○ ■■■■多可個舌 三音 □爻壬寅○○○○ 十二音 ■■■■禾火化八 十聲 母馬美米○○○○ 一聲 ■■■■開宰愛○ 目貌眉民○○○○ ■■■■回每退○ 夫法□飛○○○○ ■■■■良兩向○ 四音 父凡□吠○○○○ 十二音 ■■■■光廣況○ 十聲 武晚□尾○○○○ 二聲 ■■■■丁井亙○ 文萬□未○○○○ ■■■■兄永瑩○ 卜百丙必○○○○ ■■■■千典旦○ 五音 步白備鼻○○○○ 十二音 ■■■■元犬半○ 十聲 普撲品匹○○○○ 三聲 ■■■■臣引艮○ 旁排平瓶○○○○ ■■■■君允巽○ 東丹帝■○○○○ ■■■■刀早孝嶽 六音 兌大弟■○○○○ 十二音 ■■■■毛寶報霍 十聲 土貪天■○○○○ 四聲 ■■■■牛斗奏六 同覃田■○○○○ ■■■■○○○玉

左半は第十声の空位をもって第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)、第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之十二》を立てる。これは本篇最後の和律図である。第十二音の閉濁位は無音で、「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。声図の十声は各々四行の代表字を取る。第一声は歌戈と咍灰の開合を取り、第二声は陽唐庚青を取り、第三声は寒先真諄を取り、第四声は豪肴尤を取る。毎行四字はその平・上・去・入を標す。これらの字は義を釈するためではなく、ただ位を標するためである。

乃你女■○○○○ ■■■■妻子四日 七音 內南年■○○○○ 十二音 ■■■■衰○帥骨 十聲 老冷呂■○○○○ 五聲 ■■■■○○○德 鹿犖離■○○○○ ■■■■龜水貴北 走哉足■○○○○ ■■■■宮孔眾○ 八音 自在匠■○○○○ 十二音 ■■■■龍甬用○ 十聲 草采七■○○○○ 六聲 ■■■■魚鼠去○ 曹才全■○○○○ ■■■■烏虎兔○ 思三星■○○○○ ■■■■心審禁○ 九音 寺□象■○○○○ 十二音 ■■■■○○○十 十聲 □□□■○○○○ 七聲 ■■■■男坎欠○ □□□■○○○○ ■■■■○○○妾

左半は第十声の空位をもって第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)を唱える。右半《閉音濁和律四之十二》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第九音四行のうち、「思三星」「寺□象」にはなお挙げる字があるが、第三・四行は併せて「□□□」と作り、この類の音が開・発・収の三位の上でいずれも字を見つけられないことを言う。「寺□象」の中間の一位もまた欠け、同様に「□」をもってこれを存する。およそ字を欠く所はむしろ空に留めても、音の近い字をもって数を充てない。これは邵雍の立表の定例である。

■山手■○○○○ ■■■■●●●● 十音 ■士石■○○○○ 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■□耳■○○○○ 八聲 ■■■■●●●● ■□二■○○○○ ■■■■●●●● ■莊震■○○○○ ■■■■●●●● 十一音 ■乍□■○○○○ 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■叉赤■○○○○ 九聲 ■■■■●●●● ■崇辰■○○○○ ■■■■●●●● ■卓中■○○○○ ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■○○○○ 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■拆丑■○○○○ 十聲 ■■■■●●●● ■茶呈■○○○○ ■■■■●●●●

左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之十》を唱え畢える。右半《閉音濁和律四之十二》は第八・九・十の三声まで和し、四行とも空で、「■■■■●●●●」と作す。ここに至って、《観物篇五十》に属する「辰辰声入之四翕」の十図と「石石音閉之四濁」の十二図はすべて列ね畢った。篇首に定めた数を回り見れば、入声翕のこの一格の天声で用い得るのは七、それをもって下に地上一百五十二音を唱えて一千六十四を得、閉音濁のこの一格の地音で用い得るのは五、それをもって上に天上一百一十二声を和して五百六十を得る。全部の声音唱和図は、十声十二音の毎一格をこのように一遍推算し、最後に声音の数から転じて動植万物の数を出す。これがすなわち邵雍の「物をもって物を観る」之学の算法の根基である。

皇極経世書巻十一

観物篇五十一

物之大者無若天地,然而亦有所盡也。天之大,陰陽盡之矣;地之大,剛柔盡之矣。陰陽盡而四時成焉,剛柔盡而四維成焉。夫四時四維者,天地至大之謂也。凡言大者,無得而過之也,亦未始以大為自得,故能成其大。豈不謂至偉至偉者歟?

万物の中で最大なるものは天と地に勝るものはないが、しかし天地にも窮め尽くされうる時がある。天の大たる所以は、「陰」「陽」の二字で言い尽くされる。地の大たる所以は、「剛」「柔」の二字で言い尽くされる。陰陽が言い尽くされれば、春夏秋冬の四時がここより成る。剛柔が言い尽くされれば、東南西北の四維がここより立つ。四時と四維、これが天地の大の全部の内容である。およそ「大」と称するに足るものは、再びこれを超えるものがないものである。しかるに天地はかつて自らの大を自得すべき事としたことがない。まさに自らその大に居らないゆえに、その大を成し遂げたのである。これをいわば偉大の極み、偉大の極みと言うべきではないか。

天生於動者也,地生於靜者也。一動一靜交,而天地之道盡之矣。動之始則陽生焉,動之極則陰生焉。一陰一陽交,而天之用盡之矣。靜之始則柔生焉,靜之極則剛生焉。一柔一剛交,而地之用盡之矣。

天は「動」によって生じ、地は「静」によって生じる。一動一静が交わり相用いられ、天地の運行の道理がすべてここにある。動が始まりに至れば陽気が生じ、動が極点に至れば陰気が生じる。一陰一陽が交わり相用いられ、天の功用がすべてここにある。静が始まりに至れば柔の性質が生じ、静が極点に至れば剛の性質が生じる。一柔一剛が交わり相用いられ、地の功用がすべてここにある。邵雍は動静をもって天地の本とし、陰陽剛柔をもって天地の用とした。下文の一切の推演は皆この四字のうちから生じる。

動之大者,謂之太陽;動之小者,謂之少陽;靜之大者,謂之太陰;靜之小者,謂之少陰。太陽為日,太陰為月,少陽為星,少陰為辰。日月星辰交,而天之體盡之矣。靜之大者,謂之太柔;靜之小者,謂之少柔;動之大者,謂之太剛;動之小者,謂之少剛。太柔為水,太剛為火,少柔為土,少剛為石。水火土石交,而地之體盡之矣。日為暑,月為寒,星為晝,辰為夜。暑寒晝夜交,而天之變盡之矣。水為雨,火為風,土為露,石為雷。雨風露雷交,而地之化盡之矣。暑變物之性,寒變物之情,晝變物之形,夜變物之體。性情形體交,而動植之感盡之矣。雨化物之走,風化物之飛,露化物之草,雷化物之木。走飛草木交,而動植之應盡之矣。

動して大なるを「太陽」と言い、動して小なるを「少陽」と言う。静して大なるを「太陰」と言い、静して小なるを「少陰」と言う。太陽は日に落実し、太陰は月に落実し、少陽は星に落実し、少陰は辰に落実する。日月星辰が交わり相用いられ、天の形体は言い尽くされる。静して大なるを「太柔」と言い、静して小なるを「少柔」と言う。動して大なるを「太剛」と言い、動して小なるを「少剛」と言う。太柔は水に落実し、太剛は火に落実し、少柔は土に落実し、少剛は石に落実する。水火土石が交わり相用いられ、地の形体は言い尽くされる。日は暑を主り、月は寒を主り、星は昼を主り、辰は夜を主る。暑寒昼夜が交わり相用いられ、天の変動は言い尽くされる。水は雨を成し、火は風を成し、土は露を成し、石は雷を成す。雨風露雷が交わり相用いられ、地の化育は言い尽くされる。暑は物の「性」を変え、寒は物の「情」を変え、昼は物の「形」を変え、夜は物の「体」を変える。性情形体が交わり相用いられ、動物植物が感ずるところは言い尽くされる。雨は化育して走獣を出し、風は化育して飛禽を出し、露は化育して草を出し、雷は化育して木を出す。走飛草木が交わり相用いられ、動物植物が応ずるところは言い尽くされる。邵雍はここで天を日月星辰の四象に分かち、地を水火土石の四体に分かち、さらに各々四変四化を生ぜしめ、一層一層皆四分に拠り、後文の一切の数目のために框架を立てた。

走感暑而變者,性之走也;感寒而變者,情之走也;感晝而變者,形之走也;感夜而變者,體之走也。飛感暑而變者,性之飛也;感寒而變者,情之飛也;感晝而變者,形之飛也;感夜而變者,體之飛也。草感暑而變者,性之草也;感寒而變者,情之草也;感晝而變者,形之草也;感夜而變者,體之草也。木感暑而變者,性之木也;感寒而變者,情之木也;感晝而變者,形之木也;感夜而變者,體之木也。

走獣で暑気を感じて変化するのは、「性」の層の上の走獣である。寒気を感じて変化するのは、「情」の層の上の走獣である。白昼を感じて変化するのは、「形」の層の上の走獣である。黒夜を感じて変化するのは、「体」の層の上の走獣である。飛禽もまたこのようである。暑を感じて変わるのは性の飛で、寒を感じて変わるのは情の飛、昼を感じて変わるのは形の飛、夜を感じて変わるのは体の飛である。草もまたこのようである。暑を感じて変わるのは性の草、寒を感じて変わるのは情の草、昼を感じて変わるのは形の草、夜を感じて変わるのは体の草である。木も同じくこのようである。暑を感じて変わるのは性の木、寒を感じて変わるのは情の木、昼を感じて変わるのは形の木、夜を感じて変わるのは体の木である。走・飛・草・木の四類が各々性・情・形・体の四層に配され、四四相乗して十六を得る。これが天が暑寒昼夜をもって万物を「変」ずる十六種の情形である。

性應雨而化者,走之性也;應風而化者,飛之性也;應露而化者,草之性也;應雷而化者,木之性也。情應雨而化者,走之情也;應風而化者,飛之情也;應露而化者,草之情也;應雷而化者,木之情也。形應雨而化者,走之形也;應風而化者,飛之形也;應露而化者,草之形也;應雷而化者,木之形也。體應雨而化者,走之體也;應風而化者,飛之體也;應露而化者,草之體也;應雷而化者,木之體也。

反対に見れば、「性」が雨に応和して化生するのは、走獣の具える性である。風に応和して化生するのは、飛禽の具える性である。露に応和して化生するのは、草の具える性である。雷に応和して化生するのは、木の具える性である。「情」もまたこのようである。雨に応じて化するは走獣の情、風に応じて化するは飛禽の情、露に応じて化するは草の情、雷に応じて化するは木の情である。「形」もまたこのようである。雨に応ずるは走獣の形、風に応ずるは飛禽の形、露に応ずるは草の形、雷に応ずるは木の形である。「体」もまたこのようである。雨に応ずるは走獣の体、風に応ずるは飛禽の体、露に応ずるは草の体、雷に応ずるは木の体である。前の段は天が暑寒昼夜をもって物を「変」じ、物が性情形体をもって往って「感」ずるを説いた。この段は地が雨風露雷をもって物を「化」し、物が走飛草木をもって往って「応」ずるを説く。感と応が各々十六を得て、合して三十二を成し、天地と万物の間の往来がこのようにして一枚の方格のうちに安置された。

性之走善色,情之走善聲,形之走善氣,體之走善味;性之飛善色,情之飛善聲,形之飛善氣,體之飛善味;性之草善色,情之草善聲,形之草善氣,體之草善味;性之木善色,情之木善聲,形之木善氣,體之木善味;走之性善耳,飛之性善目,草之性善口,木之性善鼻;走之情善耳,飛之情善目,草之情善口,木之情善鼻;走之形善耳,飛之形善目,草之形善口,木之形善鼻;走之體善耳,飛之體善目,草之體善口,木之體善鼻。夫人也者,暑寒晝夜無不變,雨風露雷無不化,性情形體無不感,走飛草木無不應,所以目善萬物之色,耳善萬物之聲,鼻善萬物之氣,口善萬物之味。靈於萬物,不亦宜乎!

性の層の走獣は色を弁ずるに長じ、情の層の走獣は声を弁ずるに長じ、形の層の走獣は気を弁ずるに長じ、体の層の走獣は味を弁ずるに長ずる。飛禽・草・木を性情形体に分かちて見れば、も各々色・声・気・味に長ずる。反対に言えば、走獣の性は耳に長じ、飛禽の性は目に長じ、草の性は口に長じ、木の性は鼻に長ずる。走獣の情・形・体の三層、および飛禽・草・木のこの三層も、同じく各々耳・目・口・鼻をもって長と為す。人に至っては、暑寒昼夜のいずれも彼を変えざる能わず、雨風露雷のいずれも彼を化せざる能わず、性情形体のいずれも感ぜざる能わず、走飛草木のいずれも応ぜざる能わず。ゆえに人の目は万物の色を尽く収める能くし、耳は万物の声を尽く収める能くし、鼻は万物の気を尽く収める能くし、口は万物の味を尽く収める能くす。人が万物の中で最も霊秀たるは、当然の理ではないか。邵雍はまず動植を十六類に分かちて各々長ずる所有りとし、次にただ人のみが四感四応を兼ね備え、色声気味を総攬することを指摘した。これが次の篇の「人は物の至れる者」のためにあらかじめ本を張ったものである。

観物篇五十二

人之所以能靈於萬物者,謂其目能收萬物之色,耳能收萬物之聲,鼻能收萬物之氣,口能收萬物之味。聲色氣味者,萬物之體也;目耳鼻口者,萬人之用也。體無定用,惟變是用。用無定體,惟化是體。體用交而人物之道於是乎備矣。

人が万物の中にあって独り霊秀と称し得る所以は、目が万物の顔色を収納する能くし、耳が万物の声音を収納する能くし、鼻が万物の気息を収納する能くし、口が万物の滋味を収納する能くするからである。声・色・気・味は万物の「体」で、目・耳・鼻・口は衆人の「用」である。体に定まった用はなく、「変」に随って用を生ずる。用に定まった体はなく、「化」に随って体を成す。体と用が交わり相用いられ、人と物の間の道理はすなわち完備する。邵雍がここで言う体は、認め取られる対象である。言う用は、認め取る能くする官能である。二者が相交わって、はじめていわゆる認識がある。

然則人亦物也,聖亦人也。有一物之物,有十物之物,有百物之物,有千物之物,有萬物之物,有億物之物,有兆物之物。為兆物之物,豈非人乎?有一人之人,有十人之人,有百人之人,有千人之人,有萬人之人,有億人之人,有兆人之人。為兆人之人,豈非聖乎?

このように言えば、人もまた物の一種であり、聖人もまた人の一種である。物のうちには、ただ一物に抵る物があり、十物に抵る物があり、百物・千物・万物・億物・兆物に抵る物がある。兆物に抵り得るあの一種の物は、いわば人ではないか。人のうちでも同様に、ただ一人に抵る人があり、十人・百人・千人・万人・億人・兆人に抵る人がある。兆人に抵り得るあの一種の人は、いわば聖人ではないか。邵雍が一・十・百・千・万・億・兆の七級をもって物と人を衡量するのは、同じく物・同じく人でありながら、その分量が億兆の数ほどに相違し得ることを説明するためである。人は物の中で最高の一級に居り、聖は人の中で最高の一級に居る。

是知人也者,物之至者也;聖也者,人之至者也。物之至者,始得謂之物之物也;人之至者,始得謂之人之人也。夫物之物者,至物之謂也;人之人者,至人之謂也。以一至物而當一至人,則非聖人而何?人謂之不聖,則吾不信也。何哉?謂其能以一心觀萬心,一身觀萬身,一物觀萬物,一世觀萬世者焉。又謂其能以心代天意,口代天言,手代天功,身代天事者焉。又謂其能以上識天時,下盡地理,中盡物情,通照人事者焉。又謂其能以彌綸天地,出入造化,進退古今,表裡人物者焉。

これより知るべし。人は物の中の登峰造極であり、聖人は人の中の登峰造極である。ただ物中の至極者のみが「物の物」と称するに足り、ただ人中の至極者のみが「人の人」と称するに足る。いわゆる物の物とは至極の物であり、いわゆる人の人とは至極の人である。一つの至極の物をもって一つの至極の人に充てれば、それは聖人でなくて何であろうか。もし人あってこのような人はなお聖とするに足らないと言うなら、私は信じない。なぜか。彼は一己の心をもって万人の心を看透し、一己の身をもって万人の身を看透し、一物をもって万物を看透し、一世をもって万世を看透する能くするからである。彼は己の心をもって天の意旨に代わって行い、己の口をもって天の言語に代わって宣べ、己の手をもって天の功業に代わって成し、己の身をもって天の事務に代わって任ずる能くするからである。彼は上には天時の運行を識り、下には地理の条貫を尽くし、中には万物の情状を尽くし、あわせて人間の事を一概に照察して余さないからである。また彼は天地を包挙し、造化のうちに出入し、古今の間に上下し、人と物の表裏を貫通せしめる能くするからでもある。

噫!聖人者,非世世而效聖焉,吾不得而目見之也。雖然吾不得而目見之,察其心,觀其跡,探其體,潛其用,雖億千萬年亦可以理知之也。人或告我曰:“天地之外,別有天地萬物,異乎此天地萬物。”則吾不得而知之也。非惟吾不得而知之也,聖人亦不得而知之也。凡言知者,謂其心得而知之也;言言者,謂其口得而言之也。既心尚不得而知之,口又惡得而言之乎?以心不可得知而知之,是謂妄知也;以口不可得言而言之,是謂妄言也。吾又安能從妄人而行妄知妄言者乎?

ああ。聖人は代々にあるものではなく、私は親しく見る機会がなかった。親しく見ることは得られなくても、ただその用心を考察し、その行跡を観察し、その本体を探究し、その功用を体味すれば、たとえ千万億年を隔てても、同じく道理を憑って彼を推知することができる。もし人あって私に言わく「この天地の外に、別に一重の天地万物があり、眼前の天地万物と截然として異なる」と。それは私の知る由もないところである。ただ私が知る由なきのみならず、聖人もまた知る由がない。およそ「知」と言うは、心が領会する能くすることを指す。およそ「言」と言うは、口が説き出す能くすることを指す。心すなわち領会する由がなければ、口はまたどうして説き出すことができようか。心がもともと知り得ない事をもって偏に知ると言うを、これを「妄知」と言う。口がもともと説き清め得ない事をもって偏に説かんとするを、これを「妄言」と言う。私はまたどうしてこのような荒誕の人に従って妄知妄言の事をなさんか。

観物篇五十三

《易》曰:“窮理盡性以至於命。”所以謂之理者,物之理也。所以謂之性者,天之性也。所以謂之命者,處理性者也。所以能處理性者,非道而何?是知道為天地之本,天地為萬物之本。以天地觀萬物,則萬物為萬物;以道觀天地,則天地亦為萬物。道之道盡之於天矣,天之道盡之於地矣,天地之道盡之於萬物矣,天地萬物之道盡之於人矣。人能知其天地萬物之道所以盡於人者,然後能盡民也。

《周易・説卦伝》に言う。「物理を窮め、本性を尽くし、天命に至るまで推す」と。ここに言う「理」は万物の理であり、言う「性」は上天の賦与する本性であり、言う「命」は理と性を安置するあの根拠である。理と性を安置する能くするものは、「道」をおいて他に何があろうか。これより知るべし。道は天地の根本であり、天地は万物の根本である。天地の立場に立って万物を見れば、万物はただ万物である。しかし道の立場に立って天地を見れば、天地もまた万物の中の一員に過ぎない。道の道理は天において最も完全に体現され、天の道理は地において最も完全に体現され、天地の道理は万物において最も完全に体現され、天地万物の道理は人において最も完全に体現される。人もし天地万物の道がなぜ独り人の身において完全な体現を得るかを明らかにし得て、然る後に百姓の事を料理し尽くすと言うに足る。

天之能盡物,則謂之曰昊天;人之能盡民,則謂之曰聖人。謂昊天能異乎萬物,則非所以謂之昊天也;謂聖人能異乎萬民,則非所以謂之聖人也。萬民與萬物同,則聖人固不異乎昊天者矣。然則聖人與昊天為一道。聖人與昊天為一道,則萬民與萬物亦可以為一道。一世之萬民與一世之萬物既可以為一道,則萬世之萬民與萬世之萬物,亦可以為一道也,明矣。

上天は万物を照料し尽くす能くす。ゆえにこれを「昊天」と称す。聖人は百姓を照料し尽くす能くす。ゆえにこれを「聖人」と称す。もし昊天と万物は二つの事と言わば、則ち昊天と叫ぶに足らない。もし聖人と万民は二つの事と言わば、則ち聖人と叫ぶに足らない。万民と万物はすでに同類に属し、聖人は自ずから昊天と異なることなし。このようであれば、聖人と昊天は同じ一条の道を行くのである。聖人と昊天がすでに同じ一条の道であれば、万民と万物もまた同じ一条の道と見做し得る。一つの時代の万民と一つの時代の万物がすでに同じ一条の道と見做し得れば、万世の万民と万世の万物が同じく一道たることも、明白に疑いない。

夫昊天之盡物,聖人之盡民,皆有四府焉。昊天之四府者,春夏秋冬之謂也,陰陽升降於其間矣;聖人之四府者,《易》、《書》、《詩》、《春秋》之謂也,禮樂汙隆於其間矣。春為生物之府,夏為長物之府,秋為收物之府,冬為藏物之府。號物之庶謂之萬,雖曰萬之又萬,其庶能出此昊天之四府者乎?《易》為生民之府,《書》為長民之府,《詩》為收民之府,《春秋》為藏民之府。號民之庶謂之萬,雖曰萬之又萬,其庶能出此聖人之四府者乎?昊天之四府者,時也;聖人之四府者,經也。昊天以時授人,聖人以經法天,天人之事當如何哉?

昊天が万物を照料し、聖人が万民を照料するに、各々四座の「府庫」がある。昊天の四府はすなわち春・夏・秋・冬で、陰陽の二気がその中に昇降往来する。聖人の四府はすなわち《易》《書》《詩》《春秋》で、礼楽がその中に或いは衰え或いは盛んである。春は生物の府庫、夏は長物の府庫、秋は収物の府庫、冬は蔵物の府庫である。世人が物類の多きを形容してこれを「万」と称すが、しかしたとえ万にまた万を重ねても、いわば昊天のこの四座の府庫を跑出することができようか。《易》は生民の府庫、《書》は長民の府庫、《詩》は収民の府庫、《春秋》は蔵民の府庫である。世人が民衆の多きを形容してもまたこれを「万」と称すが、しかしたとえ万にまた万を重ねても、いわば聖人のこの四座の府庫を跑出することができようか。昊天の四府は「時」で、聖人の四府は「経」である。昊天は四時をもって節候を人に授け、聖人は四経をもって往って上天に取法する。天と人の間の事は、これ以外にまたどうあろうか。

観物篇五十四

觀春則知《易》之所存乎?觀夏則知《書》之所存乎?觀秋則知《詩》之所存乎?觀冬則知《春秋》之所存乎?

春を見れば、《易》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。夏を見れば、《書》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。秋を見れば、《詩》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。冬を見れば、《春秋》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。前の篇がすでに春夏秋冬を《易》《書》《詩》《春秋》に配したので、ここでは便ち反対に言う。四時の生・長・収・蔵は、まさに四部の経書の用意の在る所である。

《易》之《易》者,生生之謂也;《易》之書者,生長之謂也;《易》之《詩》者,生收之謂也;《易》之《春秋》者,生藏之謂也。《書》之《易》者,長生之謂也;《書》之《書》者,長長之謂也;《書》之《詩》者,長收之謂也;《書》之《春秋》者,長藏之謂也。《詩》之《易》者,收生之謂也;《詩》之《書》者,收長之謂也;《詩》之《詩》者,收收之謂也;《詩》之《春秋》者,收藏之謂也。《春秋》之《易》者,藏生之謂也;《春秋》之《書》者,藏長之謂也;《春秋》之《詩》者,藏收之謂也;《春秋》之《春秋》者,藏藏之謂也。

《易》中の《易》は「生中の生」を説き、《易》中の《書》は「生中の長」を説き、《易》中の《詩》は「生中の収」を説き、《易》中の《春秋》は「生中の蔵」を説く。《書》中の《易》は「長中の生」を説き、《書》中の《書》は「長中の長」、《書》中の《詩》は「長中の収」、《書》中の《春秋》は「長中の蔵」である。《詩》中の《易》は「収中の生」、《詩》中の《書》は「収中の長」、《詩》中の《詩》は「収中の収」、《詩》中の《春秋》は「収中の蔵」である。《春秋》中の《易》は「蔵中の生」、《春秋》中の《書》は「蔵中の長」、《春秋》中の《詩》は「蔵中の収」、《春秋》中の《春秋》は「蔵中の蔵」である。四経が各々四義を含み、四四相乗して十六を得る。邵雍はこれをもって四部の経書を交織して一張の方陣と成し、前の日月星辰に水火土石を配した算法と同じ路数である。この段の第二句は底本では「《易》之書者」と作り、「書」字に書名号を加えていないが、今はその旧に仍る。

生生者,修夫意者也;生長者,修夫言者也;生收者,修夫象者也;生藏者,修夫數者也。長生者,修夫仁者也;長長者,修夫禮者也;長收者,修夫義者也;長藏者,修夫智者也。收生者,修夫性者也;收長者,修夫情者也;收收者,修夫形者也;收藏者,修夫體者也。藏生者,修夫聖者也;藏長者,修夫賢者也;藏收者,修夫才者也;藏藏者,修夫術者也。

「生中の生」が修する所は「意」であり、「生中の長」が修する所は「言」であり、「生中の収」が修する所は「象」であり、「生中の蔵」が修する所は「数」である。「長中の生」が修する所は「仁」、「長中の長」が修する所は「礼」、「長中の収」が修する所は「義」、「長中の蔵」が修する所は「智」である。「収中の生」が修する所は「性」、「収中の長」が修する所は「情」、「収中の収」が修する所は「形」、「収中の蔵」が修する所は「体」である。「蔵中の生」が修する所は「聖」、「蔵中の長」が修する所は「賢」、「蔵中の収」が修する所は「才」、「蔵中の蔵」が修する所は「術」である。上一段の十六格はここに至って各々一つの綱目に配される。意・言・象・数は《易》に属し、仁・礼・義・智は《書》に属し、性・情・形・体は《詩》に属し、聖・賢・才・術は《春秋》に属する。

修夫意者,三皇之謂也;修夫言者,五帝之謂也;修夫象者,三王之謂也;修夫數者,五伯之謂也。修夫仁者,有虞之謂也;修夫禮者,有夏之謂也;修夫義者,有商之謂也;修夫智者,有周之謂也。修夫性者,文王之謂也;修夫情者,武王之謂也;修夫形者,周公之謂也;修夫體者,召公之謂也;修夫聖者,秦穆之謂也;修夫賢者,晉文之謂也;修夫才者,齊桓之謂也;修夫術者,楚莊之謂也。

「意」を修するは、三皇を指す。「言」を修するは、五帝を指す。「象」を修するは、三王を指す。「数」を修するは、春秋の五覇を指す。「仁」を修するは、虞舜の世を指す。「礼」を修するは、夏代を指す。「義」を修するは、商代を指す。「智」を修するは、周代を指す。「性」を修するは、周文王を指す。「情」を修するは、周武王を指す。「形」を修するは、周公旦を指す。「体」を修するは、召公奭を指す。「聖」を修するは、秦穆公を指す。「賢」を修するは、晋文公を指す。「才」を修するは、斉桓公を指す。「術」を修するは、楚荘王を指す。邵雍は上一段の十六の綱目を一つずつ具体の朝代と人物の身の上に落とし、歴史もここにおいて彼のあの四乗四の方格のうちに編み込まれた。

皇、帝、王、伯者,《易》之體也;虞、夏、商、周者,《書》之體也;文、武、周、召者,《詩》之體也;秦、晉、齊、楚者,《春秋》之體也。意、言、象、數者,《易》之用也;仁、義、禮、智者,《書》之用也;性、情、形、體者,《詩》之用也;聖、賢、才、術者,《春秋》之用也。用也者,心也。體也者,跡也。心跡之間,有權存焉者,聖人之事也。

皇・帝・王・覇のこの四等は、《易》の「体」である。虞・夏・商・周のこの四代は、《書》の体である。文王・武王・周公・召公のこの四人は、《詩》の体である。秦・晋・斉・楚のこの四国は、《春秋》の体である。意・言・象・数は《易》の「用」である。仁・義・礼・智は《書》の用である。性・情・形・体は《詩》の用である。聖・賢・才・術は《春秋》の用である。いわゆる用とは心を指し、いわゆる体とは跡を指す。そして心と跡の間にさらに一つの「権」がある——時に因り宜しきを制し、事に随いて斟酌する。それこそ聖人の分内の事である。

三皇同意而異化,五帝同言而異教,三王同象而異勸,五伯同數而異率。同意而異化者,必以道。以道化民者,民亦以道歸之,故尚自然。夫自然者,無為無有之謂也。無為者,非不謂也,不固為者也,故能廣;無有者,非不有也,不固有者也,故能大。廣大悉備而不固為固有者,其惟三皇乎?是故知能以道化天下者,天下亦以道歸焉。所以聖人有言曰:“我無為而民自化,我無事而民自富,我好靜而民自正,我無慾而民自樸。”其斯之謂歟?

三皇は「意」の上において相同じくして各々の教化は同じからず、五帝は「言」の上において相同じくして各々の教導は同じからず、三王は「象」の上において相同じくして各々の勧勉は同じからず、五覇は「数」の上において相同じくして各々の統率は同じからない。いわゆる意を同じくして化を異にするは、必ず「道」に憑る。道をもって百姓を化育すれば、百姓もまた道をもって彼に帰附する。ゆえに三皇の世は自然を崇ぶ。いわゆる自然とは「無為」「無有」である。無為は何も為さないことではなく、固執して為さないことである。ゆえに広くなる能くす。無有は何も有しないことではなく、固執して占有しないことである。ゆえに宏大なる能くす。広く宏大にして様様具わりながら、固執して為さず固執して占有せざるは、おそらく三皇のみが為し得るところか。これより知るべし。道をもって天下を化育する能くする者には、天下もまた道をもって彼に帰附する。ゆえに《老子》第五十七章に言う。「我妄りに作為せずして百姓自然に帰化し、我事を生じて民を擾らさずして百姓自然に富み、我清浄を好みて百姓自然に正しく、我貪欲なくして百姓自然に淳し」と。説く所はまさにこの道理であろう。別に按ずるに、「無為者、非不謂也」の「謂」字は底本このようで、「為」字の誤りであるべきだが、今はその旧を存す。

三皇同仁而異化,五帝同禮而異教,三王同義而異勸,五伯同智而異率。同禮而異教者,必以德。以德教民者,民亦以德歸之,故尚讓。夫讓也者,先人後己之謂也。以天下授人而不為輕,若素無之也。受人之天下而不為重,若素有之也。若素無素有者,謂不己無己有之也。若己無已有,則舉一毛以取與於人,猶有貪吝之心生焉,而況天下者乎?能知其天下之天下,非己之天下者,其惟五帝乎?是故知能以德教天下者,天下亦以德歸焉。所以聖人有言曰:“垂衣裳而天下治。”蓋取諸乾坤,其斯之謂歟?

三皇は「仁」の上において相同じくして教化は各々異なり、五帝は「礼」の上において相同じくして教導は各々異なり、三王は「義」の上において相同じくして勧勉は各々異なり、五覇は「智」の上において相同じくして統率は各々異なる。いわゆる礼を同じくして教を異にするは、必ず「徳」に憑る。徳をもって百姓を教導すれば、百姓もまた徳をもって彼に帰附する。ゆえに五帝の世は謙譲を崇ぶ。いわゆる譲とは、人に先んじ己に後るることである。全天下を人に交えても軽く捨てたとは覚えず、あたかも己がもともとかつて有したことがないが如し。人の交え来る天下を接け取っても重き負担とは覚えず、あたかも己がもともとすでに有したが如し。いわゆる「本来かつて有さず、本来すでに有す」とは、「無」と「有」を己の身に繋がないことを言う。もし心に「我は有さず」「我は有す」の念を存せば、則ち一本の毫毛をもって人と往来するも、貪吝の心を生ずるであろう。いわんや全天下をや。天下は天下人の天下であって自己一人の天下ではないと明らかにし得るは、おそらく五帝のみか。これより知るべし。徳をもって天下を教導する能くする者には、天下もまた徳をもって彼に帰附する。ゆえに《周易・繫辞下》に言う。「衣を垂れ手を拱して天下大いに治まる」と。あれは乾・坤の両卦に取法した意で、説く所はまさにこの道理であろう。

三皇同性而異化,五帝同情而異教,三王同形而異勸,五伯同體而異率。同形而異勸者,必以功。以功勸民者,民亦以功歸之,故尚政。夫政也者,正也,以正正夫不正之謂也。天下之正,莫如利民焉;天下之不正,莫如害民焉。能利民者正,則謂之曰王矣;能害民者不正,則謂之曰賊矣。以利除害,安有去王耶?以王去賊,安有弒君耶?是故知王者正也,能以功正天下之不正者,天下亦以功歸焉。所以聖人有言曰:“天地革而四時成。湯武革命,順乎天而應乎人。”其斯之謂歟?

三皇は「性」の上において相同じくして教化は各々異なり、五帝は「情」の上において相同じくして教導は各々異なり、三王は「形」の上において相同じくして勧勉は各々異なり、五覇は「体」の上において相同じくして統率は各々異なる。いわゆる形を同じくして勧を異にするは、必ず「功」に憑る。功業をもって百姓を勧勉すれば、百姓もまた功業をもって彼に帰附する。ゆえに三王の世は政事を崇ぶ。いわゆる政とは「正」であり、端正をもって端正ならざるを糾正する。天下の最も端正なる事は、百姓に利せしめるに若くはない。天下の最も不端正なる事は、百姓に害するに若くはない。百姓に利せしめる能くすれば則ち正で、このような人をこれを王と称す。百姓に害すれば則ち不正で、このような人をこれを賊と称す。有利なるをもって有害なるを除き去るを、どうして王を除くと言うに足らん。王をもって賊を除き去るを、どうして君を弑すると言うに足らん。これより知るべし。王はすなわち正である。功業を憑って天下の不正を糾正する能くする者には、天下もまた功業をもって彼に帰附する。ゆえに《周易・革卦》の彖伝に言う。「天地は更革して四時形成す。商湯・周武は天命を変革し、上は天意に順い下は人心に応ず」と。説く所はまさにこの道理であろう。

三皇同聖而異化,五帝同賢而異教,三王同才而異勸,五伯同術而異率。同術而異率者,必以力。以力率民者,民亦以力歸之,故尚爭。夫爭也者,爭夫利者也。取以利不以義,然後謂之爭。小爭交以言,大爭交以兵,爭夫強弱者也。猶借夫名焉者,謂之曲直;名也者,命物正事之稱也;利也者,養人成務之具也。名不以仁,無以守業;利不以義,無以居功。利不以功居,名不以業守,則亂矣,民所以必爭之也。

三皇は「聖」の上において相同じくして教化は各々異なり、五帝は「賢」の上において相同じくして教導は各々異なり、三王は「才」の上において相同じくして勧勉は各々異なり、五覇は「術」の上において相同じくして統率は各々異なる。いわゆる術を同じくして率を異にするは、必ず「力」に憑る。武力をもって百姓を統率すれば、百姓もまた武力をもって彼に帰附する。ゆえに覇者の世は争奪を崇ぶ。いわゆる争とは、争う所は利である。物を取るにただ利を講じて義を講ぜず、これを争と叫ぶ。小さき争いは彼此に言語をもって交鋒し、大きき争いは彼此に兵刃をもって交鋒し、争う所は誰が強く誰が弱いかである。争闘のうちにさらに一つの名義を借りる。それがいわゆる曲直である。「名」は事物に称呼を定め、事情を正しく置く称谓であり、「利」は人を養い事業を成す憑藉である。名もし仁を本とせざれば、基業を守る能わず。利もし義を本とせざれば、功労を担う能わず。利が功労に憑らずして据えられ、名が基業に憑らずして保守せられれば、天下は乱れ、百姓もまたこれに因り争わざるを得ない。

五伯者,借虛名以爭實利者也。帝不足則王,王不足則伯,伯又不足則左衽矣。然則五伯不謂無功於中國,語其王則未也,過左衽則遠矣。周之東遷,文武之功德於是乎盡矣,猶能維持二十四君,王室不絕如線,秦楚不敢屠害中原者,由五伯借名之力也。是故知能以力率天下者,天下亦以力歸焉。所以聖人有言曰:“眇能視,跛能履。履虎尾,咥人凶。武人為于大君。”其斯之謂歟?

五覇とはすなわち虚名を借りて実利を争う人である。帝を為す分量足らずして退いて王を為し、王を為す分量足らずして退いて覇を為し、覇を為す分量さらに足らざれば、中原は髪を被り衽を左にする夷狄の地に淪落せんとする。このように言えば、五覇の中原に対しては功労なしとは言えない。彼らが王道に足ると講ずるには、なお一層を欠くが、左衽に淪るに比べれば、畢竟相去ること遠い。周室が東に遷って以後、文王武王の功徳はここに至ってすでに尽きたが、それでもなお二十四代の君主を維持し得て、王室は衰えながら未だ絶えず、秦・楚は公然と中原を屠戮することを敢えてしなかった。憑る所はまさに五覇が名号を借りて生じたあの一点の力である。これより知るべし。武力を憑って天下を統率する能くする者には、天下もまた武力をもって彼に帰附する。ゆえに《周易・履卦》六三の爻辞に言う。「目半ば盲んで強いて見る能くし、腿脚跛えて強いて歩く能くす。老虎の尾を履みて、虎に咬まるる、凶。これは勇武の人が大君のために事を為す様なり」と。説く所はまさに五覇のこのような情形であろう。

夫意也者,盡物之性也;言也者,盡物之情也;象也者,盡物之形也;數也者,盡物之體也。仁也者,盡人之聖也;禮也者,盡人之賢也;義也者,盡人之才也;智也者,盡人之術也。盡物之性者謂之道,盡物之情者謂之德,盡物之形者謂之功,盡物之體者謂之力。盡人之聖者謂之化,盡人之賢者謂之教,盡人之才者謂之勸,盡人之術者謂之率。道德功力者,存乎體者也;化教勸率者,存乎用者也。體用之間有變存焉者,聖人之業也。

いわゆる「意」とは、物の性を窮め尽くすこと。いわゆる「言」とは、物の情を窮め尽くすこと。いわゆる「象」とは、物の形を窮め尽くすこと。いわゆる「数」とは、物の体を窮め尽くすこと。いわゆる「仁」とは、人の身上の聖を窮め尽くすこと。いわゆる「礼」とは、人の身上の賢を窮め尽くすこと。いわゆる「義」とは、人の身上の才を窮め尽くすこと。いわゆる「智」とは、人の身上の術を窮め尽くすこと。物の性を窮め尽くすを「道」と言い、物の情を窮め尽くすを「徳」と言い、物の形を窮め尽くすを「功」と言い、物の体を窮め尽くすを「力」と言う。人の聖を窮め尽くすを「化」と言い、人の賢を窮め尽くすを「教」と言い、人の才を窮め尽くすを「勧」と言い、人の術を窮め尽くすを「率」と言う。道・徳・功・力は「体」の側に属し、化・教・勧・率は「用」の側に属する。そして体と用の間になお一つの「変」を存する。それが聖人の事業である。

夫變也者,昊天生萬物之謂也;權也者,聖人生萬民之謂也。非生物,非生民,而得謂之權變乎?

いわゆる「変」とは、昊天が万物を化生することを指す。いわゆる「権」とは、聖人が万民を養育することを指す。もし万物を化生する能わず、また万民を養育する能わざれば、なお権変と称するに足らんや。上文は体用の間に「変」あり、心跡の間に「権」ありと言い、ここでは便ち点明する。変と権はいずれも事に臨んで巧みを取る機変ではなく、造化と治化の生々して息まざる能力である。

観物篇五十五

善化天下者,止於盡道而已;善教天下者,止於盡德而已;善勸天下者,止於盡功而已;善率天下者,止於盡力而已。以道德功力為化者,乃謂之皇矣;以道德功力為教者,乃謂之帝矣;以道德功力為勸者,乃謂之王矣;以道德功力為率者,乃謂之伯矣。以化教勸率為道者,乃謂之《易》矣;以化教勸率為德者,乃謂之《書》矣;以化教勸率為功者,乃謂之《詩》矣;以化教勸率為力者,乃謂之《春秋》矣。此四者,天地始則始焉,天地終則終焉,終始隨乎天地者也。

天下を化育するに善き者は、「道」を尽くすに至って頭を極める。天下を教導するに善き者は、「徳」を尽くすに至って頭を極める。天下を勧勉するに善き者は、「功」を尽くすに至って頭を極める。天下を統率するに善き者は、「力」を尽くすに至って頭を極める。道・徳・功・力をもって化育に用いるを、便ち皇と称す。教導に用いるを、便ち帝と称す。勧勉に用いるを、便ち王と称す。統率に用いるを、便ち覇と称す。反対に、化・教・勧・率を帰結して道と為すは、《易》と成る。帰結して徳と為すは、《書》と成る。帰結して功と為すは、《詩》と成る。帰結して力と為すは、《春秋》と成る。皇帝王覇のこの四等とこの四部の経書は、天地が始まればそれらも始まり、天地が終結すればそれらも終結し、終始ともに天地に随って行く。

夫古今者,在天地之間猶旦暮也。以今觀今,則謂之今矣;以後觀今,則今亦謂之古矣;以今觀古,則謂之古矣;以古自觀,則古亦謂之今矣。是知古亦未必為古,今亦未必為今,皆自我而觀之也。安知千古之前,萬古之後,其人不自我而觀之也。

いわゆる古と今とは、天地の間に置かれて、ただ一日のうちの早朝と晩夕の如きに過ぎない。今日に立って今日を見れば、それは自ずから「今」と叫ぶ。後世に立って今日を見れば、今日もまた「古」と成る。今日に立って従前を見れば、あれを「古」と叫ぶ。しかし古人に自らその時代を見せれば、古も同じく「今」である。これより知るべし。古は必ずしも真に古ではなく、今は必ずしも真に今ではなく、全ては誰の位置から見るかによる。またどうして知らん、千古の前の人、万古の後の人も、各々彼らの位置に立ってこのように見ていることを。

若然,則皇帝王伯者,聖人之時也;《易》、《書》、《詩》、《春秋》者,聖人之經也。時有消長,經有因革。時有消長,否泰盡之矣;經有因革,損益盡之矣。否泰盡而體用分,損益盡而心跡判。體與用分,心與跡判,聖人之事業於是乎備矣。

このようであれば、皇・帝・王・覇は聖人の処した「時」であり、《易》《書》《詩》《春秋》は聖人の立てた「経」である。時には消退と増長があり、経には因襲と変革がある。時の消長は、《否》《泰》の両卦をもって説き尽くされる。経の因革は、《損》《益》の両卦をもって説き尽くされる。否泰が説き尽くされれば、体と用は分かれて清くなり、損益が説き尽くされれば、心と跡は判じて明らかになる。体用が一分かれ、心跡が一明らかになれば、聖人の事業もまた完備する。

所以自古當世之君天下者,其命有四焉:一曰正命,二曰受命,三曰改命,四曰攝命。正命者,因而因者也;受命者,因而革者也;改命者,革而因者也;攝命者,革而革者也。因而因者,長而長者也;因而革者,長而消者也;革而因者,消而長者也;革而革者,消而消者也。革而革者,一世之事業也;革而因者,十世之事業也;因而革者,百世之事業也;因而因者,千世之事業也。可以因則因,可以革則革者,萬世之事業也。一世之事業者,非五伯之道而何?十世之事業者,非三王之道而何?百世之事業者,非五帝之道而何?千世之事業者,非三皇之道而何?萬世之事業者,非仲尼之道而何?是知皇帝王伯者,命世之謂也。仲尼者,不世之謂也。

ゆえに古来自り天下に君臨した人々の、命を受けた方式には四種ある。一に正命、二に受命、三に改命、四に摂命である。正命とは、すでに因襲しかつまた因襲すること。受命とは、まず因襲して後に変革すること。改命とは、まず変革して後に因襲すること。摂命とは、すでに変革しかつまた変革すること。すでに因りかつ因るは、長かつまた長なるもの。因りて後に革するは、先に長して後に消するもの。革して後に因るは、先に消して後に長するもの。すでに革しかつ革するは、消かつまた消するもの。すでに革しかつ革するは、ただ一世の事業を成す。革して後に因るは、十世の事業を成す。因りて後に革するは、百世の事業を成す。すでに因りかつ因るは、千世の事業を成す。因襲すべき時に因襲し、変革すべき時に変革するに至っては、それこそ万世の事業である。一世の事業とは、五覇の道ではないか。十世の事業とは、三王の道ではないか。百世の事業とは、五帝の道ではないか。千世の事業とは、三皇の道ではないか。万世の事業とは、孔子の道ではないか。これより知るべし。皇・帝・王・覇はいずれも一時の命に応じて生まれた人物に過ぎない。孔子は、ある一世に限られない人である。

仲尼曰:“殷因於夏禮,所損益可知也;周因於殷禮,所損益可知也;其或繼周者,雖百世可知也。”如是,則何止於百世而已哉?億千萬世皆可得而知之也。

孔子は《論語・為政》のうちで言う。「殷代は夏代の礼制に因襲し、そのうち何を減じ何を増したかは、考知し得る。周代は殷代の礼制に因襲し、そのうち何を減じ何を増したかも、考知し得る。将来もし周に継いで起こる朝代あらば、たとえ百代を過ぎても、同じくあらかじめ知ることができる」と。この道理に照らして推し下れば、何ぞ百代のみならん。億万千代でも、同じく推知することができる。

人皆知仲尼之為仲尼,不知仲尼之所以為仲尼。不欲知仲尼之所以為仲尼則已,如其必欲知仲尼之所以為仲尼,則舍天地將奚之焉?人皆知天地之為天地,不知天地之所以為天地。不欲知天地之所以為天地則已,如其必欲知天地之所以為天地,則舍動靜將奚之焉?夫一動一靜者,天地之至妙者歟?夫一動一靜之間者,天地人之至妙至妙者歟?是故知仲尼之所以能盡三才之道者,謂其行無轍跡也。故有言曰:“予欲無言。”又曰:“天何言哉!四時行焉,百物生焉。”其斯之謂歟?

人は皆孔子が孔子であることを知るが、孔子が孔子と成った所以の縁を知らない。知ろうと思わなければそれで罷むが、もし必ず孔子がなぜ孔子と成ったかを知らんとするならば、天地を撇いてなおどこに答えを求めんか。人は皆天地が天地であることを知るが、天地が天地と成った所以の縁を知らない。知ろうと思わなければそれで罷むが、もし必ず天地がなぜ天地と成ったかを知らんとするならば、「動」「静」の二字を撇いてなおどこに答えを求めんか。一動一静、おそらく天地の間の最も精微なる道理か。そして一動一静の交接の処は、おそらく天・地・人の三者の中の精微にしてさらに精微なる所在か。これより知るべし。孔子が天・地・人の三才の道を窮め尽くし得た所以は、まさに彼が事を行うに痕跡を落とさなかったからである。ゆえに彼は言う。「私は何も言わないと思う」と。また言う。「上天は何を言ったか。四季は照らして運行し、百物は照らして生長する」と。二句とも《論語・陽貨》に見え、説く所はまさにこの意であろう。

観物篇五十六

孔子贊《易》自羲軒而下,序《書》自堯舜而下,刪《詩》自文武而下,修《春秋》自桓文而下。自羲軒而下,祖三皇也;自堯舜而下,宗五帝也;自文武而下,子三王也;自桓文而下,孫五伯也。祖三皇,尚賢也;宗五帝,亦尚賢也。三皇尚賢以道,五帝尚賢以德。子三王,尚親也;孫五伯,亦尚親也。三王尚親以功,五伯尚親以力。

孔子は《周易》のために伝を作るに、伏羲・軒轅から説き起こし、《尚書》を編次するに、堯・舜から説き起こし、《詩経》を删定するに、文王・武王から説き起こし、《春秋》を修撰するに、斉桓公・晋文公から説き起こした。伏羲軒轅から説き起こしたのは、三皇を先祖とするため。堯舜から説き起こしたのは、五帝を宗主とするため。文武から説き起こしたのは、三王を兒子とするため。桓文から説き起こしたのは、五覇を孫子とするため。三皇を祖とするは、賢徳を崇ぶこと。五帝を宗とするも、また賢徳を崇ぶこと——ただ三皇の尚賢は「道」に憑り、五帝の尚賢は「徳」に憑るのみ。三王を子とするは、親近を崇ぶこと。五覇を孫とするも、また親近を崇ぶこと——ただ三王の尚親は「功」に憑り、五覇の尚親は「力」に憑るのみ。

嗚呼!時之既往億萬千年,時之未來亦億萬千年。仲尼中間生而為人,何祖宗之寡而子孫之多耶?此所以重贊堯舜,至禹則曰:“禹,吾無間然矣。”仲尼後禹千五百餘年,今之後仲尼又千五百餘年。雖不敢比夫仲尼上贊堯舜禹,豈不敢比孟子上贊仲尼乎?人謂仲尼,惜乎無土。吾獨以為不然。匹夫以百畝為土,大夫以百里為土,諸侯以四境為土,天子以四海為土,仲尼以萬世為土。若然,則孟子言“自生民以來未有如夫子”,斯亦未為之過矣。

ああ。すでに過ぎ去った時間は億万千年あり、未だ到来していない時間もまた億万千年ある。孔子はちょうどその中間に生まれて一人の人となったが、なぜ彼の祖宗はあのように少なく、子孫はあのように多いのか。まさにこのため、彼は再び再び堯・舜を称賛し、大禹に講じてはさらに言う。「禹、私は彼に対して一点の毛病も摘出できない」と。孔子は大禹の後の一千五百余年に生まれ、今また孔子の後の一千五百余年にある。私は孔子のように上って堯・舜・禹を称賛することに比すことを敢えてしないが、いわば孟子のように上って孔子を称賛することに比すことをも敢えてしないであろうか。世人が孔子を言い起こすとき、いつも彼に一块の封土がなかったことを惋惜する。私は偏に然らずと認める。平民は百畝の田をもって封土とし、大夫は百里の地をもって封土とし、諸侯は四境をもって封土とし、天子は四海をもって封土とし、そして孔子は万世をもって封土とした。このように見れば、孟子の「人類ある以来、いまだ孔夫子に比する者なし」と言うも、算えて過分ではない。

夫人不能自富,必待天與其富,然後能富。人不能自貴,必待天與其貴,然後能貴。若然則富貴在天也,不在人也。有求而得之者,有求而不得者矣,是繫乎天者也。功德在人也,不在天也,可修而得之,不修則不得。是非繫乎天也,繫乎人者也。夫人之能求而得富貴者,求其可得者也;非其可得者,非所以能求之也。

人は自らによって富に変わる能わず、必ず上天が彼に富を与えて、はじめて富めるようになる。人は自らによって貴に変わる能わず、必ず上天が彼に貴を与えて、はじめて貴れるようになる。このように言えば、富と貴は天に在りて人に在らず。或る人は求めて得られ、或る人は求めて得られない。これが天に係るあの一部分である。功業と徳行は却って人に在りて天に在らず、肯んじて修めれば得られ、修めざれば得られない。これは天に係らずして人に係る。人が求めて富貴を得る能くする所以は、求める所がもともと可得の列に在るからである。もともと可得の列に在らざるは、根本より求める由がない。邵雍はここで「命」と「功」を截然として分かつ。一半を天に交え、一半を人に留める。これが彼の命を談ずる前提である。

昧者不知求而得之,則謂其己之能得也,故矜之。求而失之,則謂其人之不與也,故怨之。如知其己之所以能得,人之所以能與,則天下安有不知量之人耶?天下至富也,天子至貴也,豈可妄意求而得之也?雖曰天命,亦未始不由積功累行。聖君艱難以成之,庸君暴虐以壞之,是天歟?是人歟?是知人作之咎,固難逃已;天降之災,禳之奚益?積功累行,君子常分,非有求而然也。有求而然者,所謂利乎仁者也。君子安有餘事於其間哉?然而有幸有不幸者,始可以語命也已。

糊涂な人はこの層の道理を明らかにしない。求めて得られれば、則ちすべて己の本事と為して自ら誇り、求めて落空すれば、則ち他人の肯んじて成全しないと為して怨嗟する。もし自己が何に憑って得られるか、他人が何に憑って肯んじて給与するかを懂得せば、天下にどうして自ら量らざる人あらんか。天下は最大の財富であり、天子は最高の尊位である。いわば一廂情願を憑って求めて得られるものであろうか。これを天命と言うと雖も、しかし一點一滴に功業徳行を積み累ねて得たものでもある。聖明の君主は艱難を歴尽してこれを建立し、昏庸の君主は暴虐をもってこれを毀壊する。これは天意と算すべきか、人事とすべきか。これより知るべし。人が自ら招いた禍咎は、もともと逃れ難い。上天の降す災殃は、往って禳解してまた何の用があろうか。功を積み徳を累ねるは君子の本分で、何かを求取するために往って為すのではない。もし何かを求取するためにこそ為すならば、則ち《周易・繫辞上》の言う「利仁」の一路に落ち入る。君子は本分の外にどうして別の事があろうか。同じく徳を修めて或る人は幸運、或る人は不幸運なるに至って、はじめて「命」を説くに足る。

夏禹以功有天下,夏桀以虐失天下;殷湯以功有天下,殷紂以虐失天下;周武以功有天下,周幽以虐失天下。三者雖時不同,其成敗之形一也。平王東遷,無功以復王業;赧王西走,無虐以喪王室,威令不逮一小國諸侯,仰存於五伯而已。此又奚足道哉!但時無真王者出焉,雖有虛名,與杞宋其誰曰少異?是時也,《春秋》之作不亦宜乎?

夏禹は功業を憑って天下を取得し、夏桀は暴虐に因って天下を失掉した。商湯は功業を憑って天下を取得し、商紂は暴虐に因って天下を失掉した。周武王は功業を憑って天下を取得し、周幽王は暴虐に因って天下を失掉した。この三組は時代こそ同じからざれ、成敗の形態は全く同じである。周平王が東に遷るに至っては、彼に王業を復興するに足る功業はなかった。周赧王が西に逃ぐるに至っては、彼に王室を断送するに足る暴虐もなかった——ただ威望号令がなお一个小国の諸侯に如かず、ただ五覇に仰頼して勉めて保存したのみである。これはまた言うべきことがあろうか。ただ当時に真の王者が出なかったために、周室はなお天子の虚名を掛けていたが、杞・宋の類の前朝后裔の小国とまた幾分かの差異があろうか。このような時代に処して、孔子が《春秋》を作ったは、また当然の理ではないか。

仲尼修經周平王之時,《書》終於晉文侯,《詩》列為王國風,《春秋》始於魯隱公,《易》盡於未濟卦。予非知仲尼者,學為仲尼者也。禮樂賞罰,自天子出。而出自諸侯,天子之重去矣。宗周之功德,自文武出。而出自幽厲,文武之基息矣,由是犬戎得以侮中國。周之諸侯非一,獨晉能攘去戎狄,徙王東都洛邑,用存王國,為天下伯者之倡。秬鬯圭瓚之所錫,其能免乎?

孔子が群経を整理したは、まさに周平王の時代に当たる。《尚書》は晋文侯を記した《文侯之命》をもって結びとし、《詩経》は周王畿の詩を降って《王風》に列し、《春秋》は魯隠公から記を起こし、《周易》は《未済》卦をもって尾を収めた。私は孔子を懂得する人ではなく、ただ孔子のような人をなすことを学ぶのみである。礼楽征伐は本来天子より発すべきものが、一旦諸侯より発するに改まれば、天子の威重はなくなる。宗周の功徳は本来文王武王が開創したものが、一旦幽王・厲王の手に落ちれば、文武の基業は断絶し、ここに犬戎が中原を欺侮し得るようになった。周朝の諸侯は一家に止まらないが、独り晋国のみが戎狄を駆走し、周王を護送して東の洛邑に遷し、王室を保ち、天下に覇を称する者の首唱となった。周天子が秬鬯の美酒と圭瓚の玉器を晋国に賜うて褒奨を示す。この賞賜は、晋国がどうして推辞し去ることができようか。

傳稱子貢欲去魯告朔之餼羊。孔子曰:“賜也,爾愛其羊,我愛其禮。”是知名存實亡者,猶愈於名實俱亡者矣。禮雖廢而羊存,則後世安知無復行禮者乎?晉文公尊王,雖用虛名,猶能力使天下諸侯知有周天子,而不敢以兵加之也。及晉之衰也,秦由是敢滅周。斯愛禮之言,信不誣矣!

《論語・八佾》に記す。子貢は魯国が每月告朔の礼に用いるあの活羊を撤去しようとした。孔子は言う。「賜や、汝はあの羊を惜しむが、我はあの套の礼を惜しむ」と。これより知るべし。名存して実亡するは、総じてなお名実俱に亡ぶに勝る。告朔の礼はすでに廃弛したと雖も、あの羊はなおそこに擺らている。後世はどうして再び礼を行い起こす人がいないと知ることができようか。晋文公は周王を尊崇する旗号を打ち掲げ、用いたのは虚名ながら、真に天下の諸侯になお一位の周天子が在ることを記らせ、兵を発して加害することを敢えてしめしなかった。晋国が衰落するを待って、秦国はここに敢えて手を動かして周室を滅した。孔子のあの礼制を愛惜する言は、実に虚言ではない。

齊景公嘗一日問政於孔子。孔子對曰:“君君臣臣,父父子子。”公曰:“善哉!信如君不君,臣不臣,父不父,子不子,雖有粟,吾得而食諸?”是時也,諸侯僭天子,陪臣執國命,祿去公室,政出私門。景公自不能上奉周天子,欲其臣下奉己,不亦難乎?厥後齊祚卒為田氏所移。夫齊之有田氏者,亦猶晉之有三卿也。晉之有三卿者,亦猶周之有五伯也。韓、趙、魏之於晉也,既立其功,又分其地,既卑其主,又奪其國。田氏之於齊也,既得其祿,又專其政,既殺其君,又移其祚。其如天下之事,豈無漸乎履霜之戒,寧無思乎?

斉景公がある日孔子に為政の道を請い教えた。孔子は答えて言う。「君は君に像くべく、臣は臣に像くべく、父は父に像くべく、子は子に像くべし」と。景公は言う。「説くこと好し。もし真に君が君に像かず、臣が臣に像かず、父が父に像かず、子が子に像かぬ地歩に至らば、たとえ満倉の糧食あらば、我はなお喫し着くことがあらんか」と。あの時、諸侯は天子の名分を僭越し、大夫の家臣は国政を把持し、俸禄の権は公室を離れ、政令は私家の門戸より出た。景公は自己ですらなお上に周天子に奉事する能わざるに、臣下が自己に奉事することを指望せんとするは、いわば難からずや。後に斉国の国祚はついに田氏に奪われた。斉国に田氏が出たは、晋国に韓・趙・魏の三卿が出たが如し。晋国に三卿が出たは、また周朝に五覇が出たが如し。韓・趙・魏の晋国に対しては、まずそのために功を立て、続いてその土地を瓜分した。まずその国君を圧低し、続いてその国家を奪った。田氏の斉国に対しては、まずその俸禄を領し、続いてその政務を独攬した。まずその国君を殺し、続いてその国祚を挪えた。天下の事情、どれ一つとしてこのように一步一步来たものでないものがあろうか。《周易・坤卦》初六の「霜を履みて堅氷至る」の告誡は、いわば深思するに値しないか。

傳稱王者,往也。能往天下者,可以王矣。周之衰也,諸侯不朝天子久矣。及楚與中國會盟,仲尼始進爵為之子。其於僭王也,不亦陋乎?

古書が「王」字を訓釈するに、王とはすなわち「往」であり、天下人が皆肯んじて彼に帰往する、このような人がはじめて王と称するに足ると。周室が衰微して以後、諸侯は久しく天子に朝見に来ない。楚国が中原の諸侯の会盟に参与するを待って、孔子が《春秋》を修するにやっとその称谓を提升し、これを「子」と称した。楚君はもともと王号を僭称していたが、今この「子」の名分と一比すれば、いわば鄙しむべしと現れないか。

夫以力勝人者,人亦以力勝之。吳嘗破越,而有輕楚之心。及其破楚,又有驕齊之志。貪婪功利,不顧德義,侵侮齊晉,專以夷狄為事,遂復為越所滅。越又不鑑之,其後復為楚所滅;楚又不鑑之,其後復為秦所滅;秦又不鑑之,其後復為漢所代。恃強凌弱,與豺虎何以異乎?非所以謂之中國義理之師也。

武力を憑って人に勝った者には、人もまた武力を憑って彼に勝ちに来る。呉国は越国を打ち破ったが、ここにおいて楚国を軽視する心を起こした。楚国を打ち破るを待って、また斉国を驕慢する念を起こした。それは功利を貪求し、徳義を顧みず、斉・晋を侵凌し、一味に夷狄の手段をもって事を行い、結局反って越国に滅された。越国は呉国を鏡とせず、後にまた楚国に滅された。楚国は越国を鏡とせず、後にまた秦国に滅された。秦国は楚国を鏡とせず、後にまた漢朝に取代された。強大を依仗して弱小を欺凌するは、豺狼虎豹と何の異なるところがあろうか。このような軍旅は、中原の義理を講ずる師と称するに足らない。

宋之為國也,爵高而力卑者乎?盟不度德,會不量力,區區與諸侯並驅中原,恥居其後。其於伯也,不亦難乎?

宋国という国家は、おそらく爵位は甚だ高くして実力は甚だ弱い一类であろう。会盟の時に自己の徳望を掂量せず、聚会の時に自己の力量を估量せず、小小の一国が偏に大国とともに中原で先を争い、なお人後に落つるを恥とした。これを憑って覇主を為さんと思うは、いわば難からずや。

周之同姓諸侯而克永世者,獨有燕在焉。燕處北陸之地,去中原特遠。苟不隨韓、趙、魏、齊、楚較利刃,爭虛名,則足以養德待時,而觀諸侯之變。秦雖虎狼,亦未易加害。延十五六年後,天下事未可知也。

周朝の同姓諸侯のうち長久に世を伝える能きは、ただ燕国一国のみである。燕国は地が北方に処し、中原に離れること特に遠い。それもし韓・趙・魏・斉・楚に随って兵刃の鋭利を比べ、一つの虚名を争わなければ、本来徳望を涵養し、静かに時機を候い、旁から各国の変故を観るに足った。秦国は虎狼の如く凶狠なりと雖も、容易に彼に加害する能わざったろう。もしさらに十五六年を拖し得たならば、天下の局勢は必ずしも後のあのようにはならなかったろう。

中原之地方九千里,古不加多,而今不加少。然而有祚長祚短、地大地小者,攻守異故也。自三代以降,漢唐為盛,秦界於周漢之間矣。秦始盛於穆公,中於孝公,終於始皇。起於西夷,遷於岐山,徙於咸陽,兵瀆宇內,血流天下,併吞四海,更革古今。雖不能比德三代,非晉隋可同年而語也。其祚之不永,得非用法太酷、殺人之多乎?所以仲尼序《書》終於《秦誓》一事。其旨不亦遠乎?

中原の土地は方円九千里で、古よりかつて一分を多く出さず、今もかつて一分を少く去らない。しかし各朝の国祚に長短あり、疆域に大小あるは、原因は攻取と守成の方式が同じからざるに在る。三代以後、漢・唐の両朝をもって最も興盛とし、秦朝は則ち周と漢の間に夾まる。秦国の興起は穆公に始まり、中に孝公の変法を経て、ついに始皇に成った。それは西方の戎狄の地より起こり、まず岐山に遷り、再び咸陽に遷り、兵を用いて海内を攪乱し、血は地に流れ遍く、四海を呑併し、古来の制度を一挙に更改した。それは三代の徳行に比ぶるには及ばないが、しかし晋・隋のような短命の朝の並び論じ得る所でもない。その国祚が長久なる能わざるは、いわば刑法が太だ苛酷にして人を殺すこと太だ多きに因るではないか。ゆえに孔子が《尚書》を編次するに、《秦誓》の一篇を最末に置いた。このうちの用意は、また甚だ深遠ではないか。

夫好生者,生之徒也;好殺者,死之徒也。周之好生也,以義;漢之好生也,亦以義。秦之好殺也,以利;楚之好殺也,亦以利。周之好生也以義,而漢且不及;秦之好殺也以利,而楚又過之。天之道,人之情,又奚擇於周、秦、漢、楚哉?擇乎善惡而已。是知善也者,無敵於天下,而天下共善之;惡也者,亦無敵於天下,而天下亦共惡之。天之道,人之情,又奚擇於周、秦、漢、楚哉?擇乎善惡而已。

生養を好むは、生の一路に属す。殺戮を好むは、死の一路に属す。周朝は生養を好み、義に出た。漢朝は生養を好み、また義に出た。秦国は殺戮を好み、利に出た。楚国は殺戮を好み、また利に出た。周朝は義をもって生を好み、しかし漢朝はなおそれに及ばず。秦国は利をもって殺を好み、しかし楚国はそれに比べてさらに過分である。上天の道理、人心の常情は、どうして周・秦・漢・楚の間に挑揀偏袒することがあろうか。ただ善と悪を挑揀するのみである。これより知るべし。善というものは天下に敵する者なく、因って天下人が共同にこれを称許する。悪というものは同じく天下に敵する者なく、因って天下人が共同にこれを憎悪する。上天の道理、人心の常情は、どうして周・秦・漢・楚の間に挑揀偏袒することがあろうか。ただ善と悪を挑揀するのみである。末尾の二句は上文と重出するが、これは邵雍が意を致して複述し、もってその叮嚀の意を致すのである。

皇極経世書巻十二

観物篇五十七

昔者孔子語堯舜,則曰“垂衣裳而天下治”;語湯武,則曰“順乎天而應乎人”。斯言可以該古今帝王受命之理也。堯禪舜以德,舜禪禹以功。以德,帝也;以功,亦帝也。然而德下一等則入於功矣。湯伐桀以放,武伐紂以殺。以放,王也;以殺,亦王也。然而放下一等則入於殺矣。是知時有消長,事有因革。前聖後聖,非出乎一途哉!

従前孔子が堯・舜を講じれば、則ち彼らは「衣を垂れ手を拱して天下太平」と言い、商湯・周武を講じれば、則ち彼らは「上は天意に順い下は人心に応ず」と言った。この二句は古今の帝王が命を受ける道理を全て包み入れるに足る。堯は帝位を舜に禅譲し、憑ったのは徳である。舜は帝位を禹に禅譲し、憑ったのは功である。徳に憑るは帝で、功に憑るもまた帝である。しかし徳が往って一等降れば便ち功に落ち入る。商湯は夏桀を討伐してこれを放逐し、周武は商紂を討伐してこれを誅殺した。放逐は王道で、誅殺もまた王道である。しかし放逐が往って一等降れば便ち誅殺に落ち入る。これより知るべし。時運には消あり長あり、事情には因襲あり変革あり。前代の聖人と後代の聖人が行ったは、もとは同じ一条の路ではなかったのだ。

天與人相為表裡。天有陰陽,人有邪正。邪正之由,繫乎上之所好也。上好德,則民用正;上好佞,則民用邪。邪正之由,有自來矣。雖聖君在上,不能無小人,是難其為小人。雖庸君在上,不能無君子,是難其為君子。自古聖君之盛,未有如唐堯之世,君子何其多耶!時非無小人也,是難其為小人。故君子多也。所以雖有四凶,不能肆其惡。自古庸君之盛,未有如商紂之世,小人何其多耶!時非無君子也,是難其為君子。故小人多也。所以雖有三仁,不能遂其善。是知君擇臣、臣擇君者,是繫乎人也;君得臣、臣得君者,是非繫乎人也,繫乎天者也。

天と人は互いに表裏である。天には陰陽の二気があり、人には邪正の二途がある。邪と正はどこから来るか。上位に在る者の喜好に係る。上に在る者が徳行を喜好すれば、百姓は正路を行く。上に在る者が諂佞を喜好すれば、百姓は邪路を行く。邪正の由来は、その源頭がある。たとえ聖明の君主が上に在っても、小人なきこと能わざるも、ただあのような世道は人をして小人を為し難からしめる。たとえ平庸の君主が上に在っても、君子なきこと能わざるも、ただあのような世道は人をして君子を為し難からしめる。自古聖君の世の鼎盛は、唐堯のあの時代に比するはなく、君子はどうしてあのように多かったか。あの時に小人がなかったのではなく、小人を為し難かったので、ゆえに君子が顕れて多く見えた。ゆえにたとえ共工・驩兜・三苗・鯀のこの四凶あれども、手を放して悪を為す能わざった。自古庸君の世の極端は、商紂のあの時代に比するはなく、小人はどうしてあのように多かったか。あの時に君子がなかったのではなく、君子を為し難かったので、ゆえに小人が顕れて多く見えた。ゆえにたとえ微子・箕子・比干のこの三位の仁人あれども、彼らの善道を成全する能わざった。これより知るべし。君主が臣子を挑選し、臣子が君主を挑選するは、これは人力に係る。君主が真にあの臣子を得、臣子が真にあの君主に遇うに至っては、これは人力に係らず、天に係る。

賢愚人之本性,利害民之常情。虞舜陶於河濱,傅說築於巖下,天下皆知其賢,而百執事不為之舉者,利害使之然也。籲!利害叢於中,而矛戟森於外,又安知有虞舜之聖而傅說之賢哉?河濱非禪位之所,巖下非求相之方。昔也在億萬人之下,而今也在億萬人之上,相去一何遠之甚耶?然而必此云者,貴有名者也。

賢と愚は人の本性であり、利に趨り害を避けるは百姓の常情である。虞舜はかつて黄河の辺で陶を焼き、傅説はかつて傅巖の下で墻を築いた。天下人は皆彼らの賢能を知っていたが、満朝の事を弁する官員に肯んじて挙薦する者は一つもなかった。まさに利害の心が彼らをしてこのようにせしめた。ああ。人々の心のうちには利害の算計が塞がり満ち、外にはまた矛戟の如き攻訐があり、また誰かこのうちに虞舜のような聖人、傅説のような賢者があると認め出す者があろうか。黄河の辺はもともと帝位を禅譲する地方ではなく、傅巖の下はもともと宰相を訪求する門路ではない。彼らは従前は億万人の下に身を在したが、後には却って億万人の上に站った。前後の相差は何と懸殊なるか。しかし記載が必ずこのように写し出すのは、「名」を看重するからである。名分が一旦立ち起これば、賢者ははじめて人に見られる。

《易》曰:“坎有孚,維心亨,行有尚。”中正行險,往且有功,雖危無咎,能自信故也,伊尹以之。是知古之人患名過實者,有之矣。其間有幸與不幸者,雖聖人,力有不及者矣。伊尹行冢宰,居責成之地,借使避放君之名,豈曰不忠乎?則天下之事去矣,又安能正嗣君,成終始之大忠者乎?籲!若委寄於匪人,三年之間,其如嗣君何?則天下之事亦去矣,又安有伊尹也?“坎有孚,維心亨”,不亦近之乎?

《周易・坎卦》の卦辞に言う。「身は重険に陥りて心中に誠信を存し、ただその内心の亨通によりて、行動こそ人に推崇せらる」と。中正の徳をもって険境に行走し、往って事を弁して成功する能くし、危地に処すと雖も災禍を招致せざるは、能く自信するに憑る。伊尹は便ちこのような人である。これより知るべし。古人の中には確かに名声が実際を超過する者がある。このうちには幸と不幸の分別があり、たとえ聖人と雖も、また力量の顧み及ばざる所がある。伊尹は身に冢宰を任じ、必ず事を弁成すべき位置上に処った。もし彼が「国君を放逐する」の悪名を躲れるために袖手して動かざれば、旁人はいわば彼の不忠を指責せんか。しかしあのようになれば、天下の大事は全て毀れ、彼はまたどうして嗣君太甲を匡正し、あの有始有終の大忠を成就することができようか。ああ。もし国政を不合適な人に托付せば、短短の三年のうちに、嗣君はどんな様子に変わるか。天下の大事は同じく毀れ、世上にもまた伊尹この人はなくなったろう。「坎有孚、維心亨」この一句を伊尹の身に用いるは、甚だ貼切ではないか。

《易》曰:“由豫,大有得,勿疑。朋盍簪。”剛健主豫,動而有應,群疑乃亡,能自強故也,周公以之。是知聖人不能使人無謗,能處謗者也。周公居總己當任重之地,借使避滅親之名,豈曰不孝乎?則天下之事去矣,又安能保嗣君,成終始之大孝乎?籲!若委寄於匪人,七年之間,其如嗣君何?則天下之事亦去矣,又安有周公也?“由豫,大有得,勿疑。朋盍簪。”不亦近之乎?

《周易・豫卦》九四の爻辞に言う。「衆人は彼に由って歓豫を得て、大いに得る所有り。遅疑するなかれ、朋友は便ち髪簪の髪を聚めるが如く迅速に聚攏して来る」と。剛健の徳をもって歓豫の局を主持し、一動して衆人が響応し、種種の猜疑はここにおいて消散する。能く自強するに憑る。周公は便ちこのような人である。これより知るべし。聖人は人をして己を誹謗せしめざる能わず、ただ妥善に誹謗の中に処る能くするのみ。周公は政を摂して百官を総攬し、身に重任を負った。もし彼が「親兄弟を誅戮する」の悪名を躲れるために兵を按して動かざれば、旁人はいわば彼の不孝を指責せんか。しかしあのようになれば、天下の大事は全て毀れ、彼はまたどうして嗣君成王を保全し、あの有始有終の大孝を成就することができようか。ああ。もし国政を不合適な人に托付せば、七年の間に、嗣君はどんな様子に変わるか。天下の大事は同じく毀れ、世上にもまた周公この人はなくなったろう。「由豫、大有得、勿疑、朋盍簪」この幾句を周公の身に用いるは、甚だ貼切ではないか。

夫天下將治,則人必尚行也。天下將亂,則人必尚言也。尚行則篤實之風行焉,尚言則詭譎之風行焉。天下將治,則人必尚義也。天下將亂,則人必尚利也。尚義則謙讓之風行焉,尚利則攘奪之風行焉。三王,尚行者也;五伯,尚言者也。尚行者必入於義也,尚言者必入於利也。義利之相去,一何遠之若是耶?

天下がまさに大治せんとする時、人々は必ず実行を崇ぶ。天下がまさに大乱せんとする時、人々は必ず空談を崇ぶ。実行を崇べば、篤実の風気は流行し開く。空談を崇べば、詭詐の風気は流行し開く。天下がまさに大治せんとする時、人々は必ず義を崇ぶ。天下がまさに大乱せんとする時、人々は必ず利を崇ぶ。義を崇べば、謙譲の風気は流行し開く。利を崇べば、搶奪の風気は流行し開く。三王は実行を崇ぶ者で、五覇は空談を崇ぶ者である。実行を崇ぶ者は必ず義に帰り、空談を崇ぶ者は必ず利に帰る。義と利の相距ることの遠きは、どうしてこのような地歩に至ったか。

是知言之於口,不若行之於身;行之於身,不若盡之於心。言之於口,人得而聞之;行之於身,人得而見之;盡之於心,神得而知之。人之聰明猶不可欺,況神之聰明乎?是知無愧於口,不若無愧於身;無愧於身,不若無愧於心。無口過易,無身過難;無身過易,無心過難。心既無過,何難之有?籲!安得無心過之人,而與之語心哉!是知聖人所以能立無過之地者,謂其善事於心者也。

これより知るべし。口で言うのは、身で行うに如かず。身で行うのは、心で徹底的に為し遂げるに如かない。口で言うならば、他人は聞き得る。身で行うならば、他人は見得る。心で徹底的に為し遂げれば、それはただ神明のみが知る。人の耳目ですらなお誤魔化し得ないのに、いわんや神明の耳目をや。これより知るべし。口に愧じないは、身に愧じないに如かず。身に愧じないは、心に愧じないに如かない。口に過失なきを成すは易く、身に過失なきは則ち難い。身に過失なきを成すは易く、心に過失なきはさらに難い。心がすでに過失なきとすれば、なお何の難事があろうか。ああ。どこに行って心に過失なき人を求め、彼と「心」という一事について語らうべきか。これより知るべし。聖人が過失なき地位に立ち得る所以は、彼が己の心の上に工夫するに善きからである。

観物篇五十八

仲尼曰:“《韶》,盡美矣,又盡善也;《武》,盡美矣,未盡善也。”又曰:“管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到於今受其賜。微管仲,吾其被髮左衽矣。”是知武王雖不逮舜之盡善盡美,以其解天下之倒懸,則下於舜一等耳。桓公雖不逮武王之應天順人,以其霸諸侯一匡天下,則高於狄亦遠矣。以武比舜,則不能無過;比桓,則不能無功。以桓比狄,則不能無功;比武,則不能無過。

孔子は言う。「《韶》楽は美を尽くし、かつ善を尽くす。《武》楽は美を尽くすが、しかしまだ善を尽くさない」と。また言う。「管仲は斉桓公を輔佐し、諸侯に覇を称え、一挙に天下を匡正し、百姓は今日に至るまでなお彼の恩惠を受けている。もし管仲なかりせば、我らはおそらくとうに髪を被り衽を左にし、夷狄に淪落していたであろう」と。これより知るべし。周武王は虞舜の尽美尽善に及ばないが、しかし彼は天下の倒懸の苦しみを解救した。ゆえにただ舜より一等低いのみである。斉桓公は武王の順天応人に及ばないが、しかし彼は諸侯に覇を称え、一匡して天下を正した。夷狄に比べれば畢竟高きこと甚だ遠い。武王をもって舜と比すれば、武王は顕れて過失あり。武王をもって桓公と比すれば、武王は顕れて功労あり。桓公をもって夷狄と比すれば、桓公は功労あり。桓公をもって武王と比すれば、桓公は過失あり。

漢氏宜立乎桓武之間矣。是時也,非會天下之民厭秦之暴且甚,雖十劉季、百子房,其如人心之未易何?且古今之時則異也,而民好生惡死之心非異也。自古殺人之多,未有如秦之甚,天下安有不厭之乎?夫殺人之多,不必以刃。謂天下之人無生路可趨也,而又況以刃多殺天下之人乎?

漢朝の位置は、斉桓公と周武王の間に擺るべきである。当時もし恰好して天下の百姓が秦朝の暴政を厭悪するに至極に達せざれば、たとえ十人の劉邦、百人の張良あれども、人心の肯んじて軽く転ぜざるに対して、またどうすることができようか。いわんや古今の時勢は同じからざれども、百姓が生を好み死を悪む心は同じからない。自古以来、人を殺すことの多きは、秦朝に比ぶるはなく、天下人はどうしてこれを厭棄せざらんか。実に人を殺すこと多きは、必ずしも刀刄に非ざるを不可としない——天下人を逼って路なきところに至らしめれば、すでにこれは人を殺したのであり、いわんや秦朝は真に刀刄をもって天下の人を大量に屠戮したことをや。

秦二世,萬乘也,求為黔首而不能得;漢劉季,匹夫也,免為元首而不能已。萬乘與匹夫,相去有間矣。然而有時而代之者,謂其天下之利害有所懸之耳。天之道,非禍萬乘而福匹夫也,謂其禍無道而福有道也;人之情,非去萬乘而就匹夫也,謂其去無道而就有道也。萬乘與匹夫,相去有間矣。然而有時而代之者,謂其直以天下之利害有所懸之耳。

秦二世は貴くして万乗の君たりと雖も、終に一介の普通百姓を為そうと欲しても及ばなかった。漢高祖劉邦は本は一介の平民なりしが、元首の位に推し上げられることを推辞し得なかった。万乗の君と一介の平民、地位の相差は何と懸殊なるか、しかるに竟に一日として彼此対調するに至った。原因はただ天下の利害がとうに明白白白としてそこに擺らてあったに在る。上天の道理は、万乗の君に禍を降し平民に福を賜わんとするに非ず、無道なるに禍を降し有道なるに福を賜わんとするのである。人心の常情も、また万乗の君を離れて平民に帰附せんとするに非ず、無道なるを離れて有道なるに帰附せんとするのである。万乗の君と一介の平民、地位の相差は何と懸殊なるか、しかるに竟に一日として彼此対調するに至った。原因はただ天下の利害がとうに清清楚楚としてそこに擺らてあったに在る。この段の首尾の二節の文字はほとんど相同しいが、これは邵雍の反復して意を致す筆法であって、伝抄の誤衍ではない。

日既沒矣,月既望矣,星不能不希矣。非星之希,是星難乎其為光矣。能為其光者,不亦希乎?漢唐既創業矣,呂武既擅權矣,臣不能不希矣。非臣之希,是臣難乎其為忠矣。能為其忠者,不亦希乎?

太陽はすでに落下して行き、月亮はすでに満円となれば、星星は顕れて疎稀なるを得ない。星星が真に少ないのではなく、満月の光輝の下において、星星が自らの光を顕出し難いのである。このような時においてなお照旧として光を発する星は、また格別に稀少ではないか。これは一つの比方である。漢朝・唐朝の基業はすでに開国の君によりて創下され(日没に比ぶ)、呂后・武則天の一类の后妃が続いて大権を独攬した(月望に比ぶ)ならば、忠臣は稀少なるを得ない。忠臣が真に少ないのではなく、権柄が旁に落ちた形勢の下において、臣子を為す者が自らの忠を尽くし難いのである。このような時においてなお照旧として忠を尽くす人は、また格別に稀少ではないか。

是知成天下事易,死天下事難;死天下事易,成天下事難。苟能成之,又何計乎死與生也?如其不成,雖死奚益?況其有正與不正者乎?與其死於不正,孰若生於正?與其生於不正,孰若死於正?在乎忠與智者之一擇焉。

これより知るべし。一面から見れば、天下の大事を弁成するはなお容易く、天下の大事のために死するこそ難し。另一面から見れば、天下の大事のために一死して了するはなお容易く、真に天下の大事を弁成するこそ難し。このようであれば、ただ事の弁成し得るを要とし、また何ぞ必ずしも自己の生か死かを計較せんか。もし事が弁成せざれば、たとえ一死するもまた何の益あらん。いわんやこのうちに正道に合うと正道に合わざるの分別があることをや。不正の路上に死するに與りて、正道の中に生くるに如かず。不正の路上に生くるに與りて、正道の中に死するに如かず。これは全て忠臣と智者が当下にいかに択択するかを看るのみである。

死固可惜,貴乎成天下之事也。如其敗天下之事,一死奚以塞責?生固可愛,貴乎成天下之事也。如其敗天下之事,一生何以收功?噫!能成天下之事,又能不失其正而生者,非漢之留侯、唐之梁公而何?微斯二人,則漢唐之祚或幾乎移矣!豈若虛生虛死者焉?夫虛生虛死者,譬之蕭艾。忠與智者,不遊乎其間矣。

死は固より可惜なるが、貴べき所はこの一死が天下の大事を成就し得るに在る。もし天下の事が反って自己に敗壊せられれば、一死してまた何をもって罪責を抵塞せんか。生は固より可愛なるが、貴べき所もまたこの一命が天下の大事を成就し得るに在る。もし天下の事が反って自己に敗壊せられれば、一生してまた何の効功を収めんか。ああ。よく天下の大事を成就し、かつ正道を失わずして性命を保全する者は、漢代の留侯張良、唐代の梁国公狄仁杰を除いて、なお誰かならん。張良は「商山四皓」の策をもって太子を安んじ、狄仁杰は力めて武則天を勧めて廬陵王李顕を迎還せしめた。この二人の人なかりせば、漢・唐の国統はおそらく呂氏・武氏の手裏に落ち入らんとしたろう。このような人は、どうしてあの白く生き白く死する人の及び得るところであろうか。白く生き白く死する之輩は、田野のうちの「蕭」「艾」の如し——《離騒》はまさにこの二種の香気なき賎草をもって、芳草より変質した小人を比喻する。忠臣と智者は、この类人の中間に身を置くことはない。

観物篇五十九

仲尼曰:“善人為邦百年,亦可以勝殘去殺矣。”誠哉是言也。自極亂至於極治,必三變矣。三皇之法無殺,五伯之法無生,伯一變至於王矣,王一變至於帝矣,帝一變至於皇矣。其於生也,非百年而何?是知三皇之世如春,五帝之世如夏,三王之世如秋,五伯之世如冬。如春,溫如也;如夏,燠如也;如秋,悽如也;如冬,冽如也。

孔子は《論語・子路》のうちで言う。「善人が相続して国を治めて満百年ならば、もまた殘暴の徒を感化し、殺戮の刑を廃することができる」と。この話は真に対し。極乱の世道より極治の世道に至るには、必ず三度の転変を経るを要す。「三皇」の政法のうちに殺伐なく、「五伯」(五覇)の政法のうちに生養なし。「伯」より変じて一度「王」に升り、「王」より変じて一度「帝」に升り、「帝」より変じて一度「皇」に升る。この三変をもって皆「生養」の上頭に落実せしめんとするは、上百年を用いざればどうして足らんや。これより知るべし。三皇の世は春天に比し、五帝の世は夏天に比し、三王の世は秋天に比し、五伯の世は冬天に比す。春天に像くは温和であり、夏天に像くは燠熱であり、秋天に像くは凄清であり、冬天に像くは凛冽である。

春夏秋冬者,昊天之時也。《易》、《書》、《詩》、《春秋》者,聖人之經也。天時不差,則歲功成矣;聖經不貳,則君德成矣。天有常時,聖有常經。行之正則正矣,行之邪則邪矣。邪正之間,有道在焉。行之正則謂之正道,行之邪則謂之邪道。邪正之由人乎?由天乎?

春・夏・秋・冬は、蒼天の運行する四種の時令であり、《易》《書》《詩》《春秋》は、聖人の留めたる四部の経典である。邵雍はこの二組を一つずつ相配す。《易》は春に配し、《書》は夏に配し、《詩》は秋に配し、《春秋》は冬に配す。すなわち分かちて三皇・五帝・三王・五伯の四つの時代に対応する。天時が差錯を出さざれば、一年の收成はすなわち成就する。聖人の経典に歧異を生ぜざれば、君主の徳行はすなわち養成される。上天に恒常の時令あり、聖人に恒常の常経あり。それに照らして行うに正しければ、則ち正。それに照らして行うに邪なれば、則ち邪。邪と正の中間に、自ずから一つの「道」がそこに擺らている。それに照らして行うに正しければ、「正道」と叫ぶ。それに照らして行うに邪なれば、「邪道」と叫ぶ。然らば邪と正とは、畢竟人に取決するか、それとも天に取決するか。

天由道而生,地由道而成,物由道而行。天地人物則異也,其於由道一也。夫道也者,道也。道無形,行之則見於事矣。如道路之道坦然,使千億萬年行之,人知其歸者也。

上文の問題の答えは「道」の上に在る。天は「道」を憑って生じ、地は「道」を憑って成り、万物は「道」を憑って運行する。天・地・人・物は彼此各々相同じからざれども、同じく「道」に出ずるこの一点は全く一致する。いわゆる「道」とは、本義は人の脚下の走る道路である。「道」自体に形体なく、ただそれに照らして為すに由って、はじめて具体の事の上に顕現する。一条の大路が平平坦坦としてそこに擺らて、千万億年の人がその上を走るに任せれば、人は皆それがどこに通ずるかを知るが如し。

或曰君子道長,則小人道消。君子道消,則小人道長。長者是,則消者非也。消者是,則長者非也。何以知正道邪道之然乎?籲!賊夫人之論也,不曰君行君事,臣行臣事,父行父事,子行子事,夫行夫事,妻行妻事,君子行君子事,小人行小人事,中國行中國事,僭竊行僭竊事,謂之正道;君行臣事,臣行君事,父行子事,子行父事,夫行妻事,妻行夫事,君子行小人事,小人行君子事,中國行僭竊事,僭竊行中國事,謂之邪道。

或る人は言う。君子の道が増長すれば、小人の道は則ち消退し、君子の道が消退すれば、小人の道は則ち増長すと。増長する一方若し是なれば、消退する一方は便ち非。消退する一方若し是なれば、増長する一方は便ち非。この種の説法に照らせば、また何を憑ってどれが正道どれが邪道かを分弁せんか。ああ、これは人を害する議論である。どうしてこのように言わないか。君は君の為すべき事を為し、臣は臣の為すべき事を為し、父は父の為すべき事を為し、子は子の為すべき事を為し、丈夫は丈夫の為すべき事を為し、妻子は妻子の為すべき事を為し、君子は君子の為すべき事を為し、小人は小人の為すべき事を為し、中原正統の邦は中原正統の邦の事を行い、僭号窃據の割據政権は割據政権の事を行う。これを「正道」と叫ぶ。反対に、君が臣の事を為し、臣が君の事を為し、父が子の事を為し、子が父の事を為し、丈夫が妻子の事を為し、妻子が丈夫の事を為し、君子が小人の事を為し、小人が君子の事を為し、中原正統の邦が反って僭窃の事を行い、僭窃の国が反って中原正統の事を行う。これを「邪道」と叫ぶ。

至於三代之世治,未有不治人倫之為道也;三代之世亂,未有不亂人倫之為道也。後世之慕三代之治世者,未有不正人倫者也;後世之慕三代之亂世者,未有不亂人倫者也。自三代而下,漢唐為盛,未始不由治而興,亂而亡,況其不盛於漢唐者乎?其興也,又未始不由君道盛、父道盛、夫道盛、君子之道盛、中國之道盛;其亡也,又未始不由臣道盛、子道盛、妻道盛、小人之道盛、夷狄之道盛。

夏・商・周三代の治世を説けば、いずれも人倫を整治することを「道」とせざるはない。三代の乱世も、いずれも人倫を攪乱することを「道」とせざるはない。後世およそ三代の治世を仰慕するは、人倫を端正せざるはなく、後世およそ三代の乱世を重蹈するは、人倫を攪乱せざるはない。三代以下、漢・唐をもって最も興盛とし、それらは同じくいずれも治に因って興起し乱に因って滅亡せざるはなく、いわんやあのなお漢唐の興盛に及ばざる朝代をや。それらの興起する時は、いずれも君の道の盛ん、父の道の盛ん、夫の道の盛ん、君子の道の盛ん、中原の道の盛んに由る。それらの滅亡する時も、いずれも臣の道の盛ん、子の道の盛ん、妻の道の盛ん、小人の道の盛ん、夷狄の道の盛んに由る——上位の者が反って下位の者に圧し去られるは、まさに人倫顛倒の徴象である。

噫!二道對行,何故治世少而亂世多耶?君子少而小人多耶?曰:“豈不知陽一而陰二乎?”天地尚由是道而生,況其人與物乎?人者,物之至靈者也。物之靈未若人之靈,物尚由是道而生,又況人靈於物者乎?是知人亦物也,以其至靈,故特謂之人也。

ああ。正・邪の両条の道が世に并行するに、なぜ治世少なく乱世多きか。君子少なく小人多きか。答えは。いわば「陽一にして陰二」を知らざるや——《易》数のうち陽奇を一とし陰偶を二とし、陰の分量はもともと陽より一倍多出する。天地ですらなおこの比例に照らして生成せられたのに、いわんや人と物をや。人は、万物の中の最も霊性あるものである。物の霊性は人の霊性に及ばず、物ですらなおこの道に照らして生成せんとするのに、いわんや万物に霊なる人をや。これより知るべし。人もまた実は物である。ただ彼が最も霊性あるあの一種なるがゆえに、特に彼を「人」と叫ぶ。

観物篇六十

日經天之元,月經天之會,星經天之運,辰經天之世。以日經日,則元之元可知之矣;以日經月,則元之會可知之矣;以日經星,則元之運可知之矣;以日經辰,則元之世可知之矣。以月經日,則會之元可知之矣;以月經月,則會之會可知之矣;以月經星,則會之運可知之矣;以月經辰,則會之世可知之矣。以星經日,則運之元可知之矣;以星經月,則運之會可知之矣;以星經星,則運之運可知之矣;以星經辰,則運之世可知之矣。以辰經日,則世之元可知之矣;以辰經月,則世之會可知之矣;以辰經星,則世之運可知之矣;以辰經辰,則世之世可知之矣。

太陽が天上に運行して経緯するは「元」である。月亮が運行して経緯するは「会」である。星が運行して経緯するは「運」である。辰が運行して経緯するは「世」である。これは天の四象日・月・星・辰を四級の時間単位元・会・運・世に一つずつ相配するものである。日は最も尊く最も大なり、ゆえに最大の「元」(十二万九千六百年)に配す。月はこれに次ぎ、「会」(一万零八百年)に配す。星はまたこれに次ぎ、「運」(三百六十年)に配す。辰は最も小さく、「世」(三十年)に配す。相配すでに定まれば、便ち両両交錯して彼此経を為すを得る。日をもって日を経れば、「元中の元」を推知するを得る。日をもって月を経れば、「元中の会」を推知するを得る。日をもって星を経れば、「元中の運」を推知するを得る。日をもって辰を経れば、「元中の世」を推知するを得る。月をもって日を経れば、「会中の元」を推知するを得る。月をもって月を経れば、「会中の会」を推知するを得る。月をもって星を経れば、「会中の運」を推知するを得る。月をもって辰を経れば、「会中の世」を推知するを得る。星をもって日を経れば、「運中の元」を推知するを得る。星をもって月を経れば、「運中の会」を推知するを得る。星をもって星を経れば、「運中の運」を推知するを得る。星をもって辰を経れば、「運中の世」を推知するを得る。辰をもって日を経れば、「世中の元」を推知するを得る。辰をもって月を経れば、「世中の会」を推知するを得る。辰をもって星を経れば、「世中の運」を推知するを得る。辰をもって辰を経れば、「世中の世」を推知するを得る。

元之元一,元之會十二,元之運三百六十,元之世四千三百二十;會之元十二,會之會一百四十四,會之運四千三百二十,會之世五萬一千八百四十;運之元三百六十,運之會四千三百二十,運之運一十二萬九千六百,運之世一百五十五萬五千二百;世之元四千三百二十,世之會五萬一千八百四十,世之運一百五十五萬五千二百,世之世一千八百六十六萬二千四百。

「元中の元」は一、「元中の会」は十二、「元中の運」は三百六十、「元中の世」は四千三百二十。「会中の元」は十二、「会中の会」は一百四十四、「会中の運」は四千三百二十、「会中の世」は五万一千八百四十。「運中の元」は三百六十、「運中の会」は四千三百二十、「運中の運」は十二万九千六百、「運中の世」は一百五十五万五千二百。「世中の元」は四千三百二十、「世中の会」は五万一千八百四十、「世中の運」は一百五十五万五千二百、「世中の世」は一千八百六十六万二千四百。この一連の数目は皆両両に相乗して得たるものである。一元は十二会・三百六十運・四千三百二十世を統す。ゆえに元は一を取り、会は十二を取り、運は三百六十を取り、世は四千三百二十を取る。十二に十二を乗じて一百四十四を得、十二に三百六十を乗じて四千三百二十を得、十二に四千三百二十を乗じて五万一千八百四十を得、三百六十を自乗して十二万九千六百を得、三百六十に四千三百二十を乗じて一百五十五万五千二百を得、四千三百二十を自乗して便ち一千八百六十六万二千四百を得る。

元之元,以春行春之時也;元之會,以春行夏之時也;元之運,以春行秋之時也;元之世,以春行冬之時也。會之元,以夏行春之時也;會之會,以夏行夏之時也;會之運,以夏行秋之時也;會之世,以夏行冬之時也。運之元,以秋行春之時也;運之會,以秋行夏之時也;運之運,以秋行秋之時也;運之世,以秋行冬之時也。世之元,以冬行春之時也;世之會,以冬行夏之時也;世之運,以冬行秋之時也;世之世,以冬行冬之時也。

ここに再び元・会・運・世の四者に四季を配す。元は春に配し、会は夏に配し、運は秋に配し、世は冬に配す。前の一字はこの時間自身の性質を指し、後の一字はそれが遇上した時令を指す。ここにおいて「元中の元」とは、春天をもって春天の時令を行うこと。「元中の会」とは、春天をもって夏天の時令を行うこと。「元中の運」とは、春天をもって秋天の時令を行うこと。「元中の世」とは、春天をもって冬天の時令を行うこと。「会中の元」とは、夏天をもって春天の時令を行うこと。「会中の会」とは、夏天をもって夏天の時令を行うこと。「会中の運」とは、夏天をもって秋天の時令を行うこと。「会中の世」とは、夏天をもって冬天の時令を行うこと。「運中の元」とは、秋天をもって春天の時令を行うこと。「運中の会」とは、秋天をもって夏天の時令を行うこと。「運中の運」とは、秋天をもって秋天の時令を行うこと。「運中の世」とは、秋天をもって冬天の時令を行うこと。「世中の元」とは、冬天をもって春天の時令を行うこと。「世中の会」とは、冬天をもって夏天の時令を行うこと。「世中の運」とは、冬天をもって秋天の時令を行うこと。「世中の世」とは、冬天をもって冬天の時令を行うこと。両相が搭配し、世運の温厚と凛冽もまた分かち出された。

皇之皇,以道行道之事也;皇之帝,以道行德之事也;皇之王,以道行功之事也;皇之伯,以道行力之事也。帝之皇,以德行道之事也;帝之帝,以德行德之事也;帝之王,以德行功之事也;帝之伯,以德行力之事也。王之皇,以功行道之事也;王之帝,以功行德之事也;王之王,以功行功之事也;王之伯,以功行力之事也。伯之皇,以力行道之事也;伯之帝,以力行德之事也;伯之王,以力行功之事也;伯之伯,以力行力之事也。

人事の一辺も同じ格式に照らして排き開く。皇は「道」に配し、帝は「徳」に配し、王は「功」に配し、伯は「力」に配す。四者は両両に相乗し、もまた十六種である。ゆえに「皇中の皇」とは、道をもって道の事を弁ずること。「皇中の帝」とは、道をもって徳の事を弁ずること。「皇中の王」とは、道をもって功の事を弁ずること。「皇中の伯」とは、道をもって力の事を弁ずること。「帝中の皇」とは、徳をもって道の事を弁ずること。「帝中の帝」とは、徳をもって徳の事を弁ずること。「帝中の王」とは、徳をもって功の事を弁ずること。「帝中の伯」とは、徳をもって力の事を弁ずること。「王中の皇」とは、功をもって道の事を弁ずること。「王中の帝」とは、功をもって徳の事を弁ずること。「王中の王」とは、功をもって功の事を弁ずること。「王中の伯」とは、功をもって力の事を弁ずること。「伯中の皇」とは、力をもって道の事を弁ずること。「伯中の帝」とは、力をもって徳の事を弁ずること。「伯中の王」とは、力をもって功の事を弁ずること。「伯中の伯」とは、力をもって力の事を弁ずること。前の一字はこの時代自身の品位で、後の一字はそれが実際に行う路数である。両者は必ずしも相合せず、治乱の差等はまさにここに在る。

時有消長,事有因革,非聖人無不盡之。所以仲尼曰:“可與共學,未可與適道。可與適道,未可與立。可與立,未可與權。”是知千萬世之時,千萬世之經,豈可畫地而輕言也哉?

時勢に消あり長あり、世事に因襲あり変革あり、聖人を除いて、いずれもそのうちの道理を窮め尽くす能くする者なし。ゆえに孔子は《論語・子罕》のうちで言う。「彼とともに書を読むべき人は、必ずしも彼とともに正道に上るべからず。彼とともに正道に上るべき人は、必ずしも彼とともに立場を堅守すべからず。彼とともに立場を堅守すべき人は、必ずしも彼とともに通変を権衡すべからず」と。これより知るべし。千万世の時勢、千万世の常経は、どうして地上に手頼みて一個の圏子を画くが如く、軽易に断語を下すことができようか。

三皇,春也;五帝,夏也;三王,秋也;五伯,冬也。七國,冬之餘冽也。漢王而不足,晉伯而有餘。三國,伯之雄者也;十六國,伯之叢者也;南五代,伯之借乘也;北五代,伯之傳舍也。隋,晉之子也;唐,漢之弟也。隋季諸郡之伯,江漢之餘波也;唐季諸鎮之伯,日月之餘光也;後五代之伯,日未出之星也。

三皇は春に属し、五帝は夏に属し、三王は秋に属し、五伯は冬に属す。戦国の七雄は、則ち冬天の残剩する寒気である。漢朝は「王」と算するになお一截を欠き、晋朝は「伯」と算するにまた綽々として余あり。三国は、「伯」のうちに雄を称したる。十六国は、「伯」のうちに叢生并起したる。南朝の宋・斉・梁・陳一系の五代は、「伯」の借り来れる車乗——車は自らに属せず、ただ暫く借りて一程を坐すのみ。北朝の元魏・東魏・西魏・北斉・北周一系の五代は、「伯」の歇脚する驛舎——一陣住めば便ち動身するを得べし。隋朝は晋朝の兒子であり、唐朝は漢朝の弟弟であり、説く所はそれらの気象が各々承うる所有るを言う。隋末の各郡の割據する「伯」は、長江・漢水の泛濫の後の余波である。唐末の各藩鎮の「伯」は、日月の沉落の後の残光である。後梁・後唐・後晋・後漢・後周のこの後五代の「伯」は、則ち天未だ亮まざる時に天辺に残留する星である。

自帝堯至於今,上下三千餘年,前後百有餘世。書傳可明紀者,四海之內,九州之間,其間或合或離,或治或隳,或強或羸,或唱或隨,未始有兼世而能一其風俗者。籲!古者謂三十年為一世,豈徒然哉!俟化之必洽,教之必浹,民之情始可一變矣。苟有命世之人繼世而興焉,則雖民如夷狄,三變而帝道可舉矣。惜乎時無百年之世,世無百年之人。比其有代,則賢之與不肖,何止於相半也?時之難,不其然乎?人之難,不其然乎?

帝堯より今日に至り、前後三千余年、一百余個の「世」を歴経した。およそ史籍の明確に記載し得るところ、四海の内、九州の間、その間時には統一し時には分裂し、時には大治し時には敗壊し、時には強盛し時には羸弱し、時には領唱し時には随和する。かつていずれの一朝か幾世を連ねて風俗を一致に帰し得たることなし。ああ。古人が三十年をもって一「世」と称したは、どうして口を随いて定めたものであろうか。教化が確かに沾溉し、確かに浸透するを待って、はじめて民情が一度転変する可能あり。もし真に運に応じて生まれた人物が一世に一世と接いて興起するならば、百姓はたとえ夷狄の如く粗野なれども、三度の転変を経て、「帝」のこの一等の治道もまた行い挙げるべくなる。惜しむべきは時運のうちに連貫する百年の世なく、世上にも活き満たす百年の人なきこと。改朝換代の際に及べば、賢者と不肖の徒の比例は、また何ぞ各々一半を占むるのみならん。時運の難しは、まさにこのようではないか。人才の難しは、まさにこのようではないか。

観物篇六十一

太陽之體數十,太陰之體數十二;少陽之體數十,少陰之體數十二;少剛之體數十,少柔之體數十二;太剛之體數十,太柔之體數十二。進太陽、少陽、太剛、少剛之體數,退太陰、少陰、太柔、少柔之體數,是謂太陽、少陽、太剛、少剛之用數;進太陰、少陰、太柔、少柔之體數,退太陽、少陽、太剛、少剛之體數,是謂太陰、少陰、太柔、少柔之用數。

太陽の「体数」は十、太陰の体数は十二。少陽の体数は十、少陰の体数は十二。少剛の体数は十、少柔の体数は十二。太剛の体数は十、太柔の体数は十二。ここに太陽・太陰・少陽・少陰は天の四象で、日・月・星・辰に配す。太剛・太柔・少剛・少柔は地の四象で、火・水・石・土に配す。およそ陽に属し剛に属するは一律に十を取り、取る所は十天干の数である。およそ陰に属し柔に属するは一律に十二を取り、取る所は十二地支の数である。太陽・少陽・太剛・少剛のこの四者の体数を進め上げ、再び太陰・少陰・太柔・少柔の四者の体数を退け去れば、所得は則ち太陽・少陽・太剛・少剛の「用数」と叫ばれる。反対に、太陰・少陰・太柔・少柔の四者の体数を進め上げ、太陽・少陽・太剛・少剛の四者の体数を退け去れば、所得は則ち太陰・少陰・太柔・少柔の「用数」と叫ばれる。

太陽、少陽、太剛、少剛之體數一百六十,太陰、少陰、太柔、少柔之體數一百九十二,太陽、少陽、太剛、少剛之用數一百一十二,太陰、少陰、太柔、少柔之用數一百五十二。以太陽、少陽、太剛、少剛之用數,唱太陰、少陰、太柔、少柔之用數,是謂日月星辰之變數;以太陰、少陰、太柔、少柔之用數,和太陽、少陽、太剛、少剛之用數,是謂水火土石之化數。日月星辰之變數一萬七千二十四,謂之動數;水火土石之化數一萬七千二十四,謂之植數。再唱和日月星辰水火土石之變化通數二萬八千九百八十一萬六千五百七十六,謂之動植通數。

太陽・少陽・太剛・少剛の体数は合計一百六十、太陰・少陰・太柔・少柔の体数は合計一百九十二、太陽・少陽・太剛・少剛の用数は一百一十二、太陰・少陰・太柔・少柔の用数は一百五十二。算法はこのようである。陽に属し剛に属する四者は各々十を得て、相加えて四十と為し、再び四をもってこれに乗じて一百六十を得る。陰に属し柔に属する四者は各々十二を得て、相加えて四十八と為し、四をもってこれに乗じて一百九十二を得る。一百六十より陰の四十八を減じて、一百一十二を剩す。一百九十二より陽の四十を減じて、一百五十二を剩す。太陽・少陽・太剛・少剛の用数をもって「唱」(先発)し太陰・少陰・太柔・少柔の用数に臨めば、則ち一百一十二に一百五十二を乗ずる。これが日月星辰の「变数」である。太陰・少陰・太柔・少柔の用数をもって「和」(応答)し太陽・少陽・太剛・少剛の用数に臨めば、仍ほこの二数を相乗する。これが水火土石の「化数」である。日月星辰の变数は一万七千零二十四で、「动数」と称し、动物一类の総数である。水火土石の化数もまた一万七千零二十四で、「植数」と称し、植物一类の総数である。再び日月星辰と水火土石の变数・化数を彼此に唱和相乗し、一万七千零二十四を自乗して、二万八千九百八十一万六千五百七十六を得る。「动植通数」と称す。

日月星辰者,變乎暑寒晝夜者也。水火土石者,化乎雨風露雷者也。暑寒晝夜者,變乎性情形體者也;雨風露雷者,化乎走飛草木者也。暑變飛走草木之性,寒變飛走草木之情,晝變飛走草木之形,夜變飛走草木之體。雨化性情形體之走,風化性情形體之飛,露化性情形體之草,雷化性情形體之木。性情形體者,本乎天者也;飛走草木者,本乎地者也。本乎天者,分陰分陽之謂也;本乎地者,分柔分剛之謂也。夫分陰分陽分柔分剛者,天地萬物之謂也。備天地萬物者,人之謂也。

天上の日・月・星・辰は、下に向かって暑・寒・昼・夜を変出す。日は暑を生じ、月は寒を生じ、星は昼を生じ、辰は夜を生ずる。地上の水・火・土・石は、下に向かって雨・風・露・雷を化出す。水は雨を成し、火は風を成し、土は露を成し、石は雷を成す。暑寒昼夜は再び下に変じ、万物の「性・情・形・体」を変出す。雨風露雷は再び下に化し、「走・飛・草・木」の四類の生物を化出す。分かちて言えば。暑は飛禽走獣草木の「性」を変出し、寒はそれらの「情」を変出し、昼はそれらの「形」を変出し、夜はそれらの「体」を変出す。雨は性情形体を帯びたる走獣を化生し、風は飛禽を化生し、露は百草を化生し、雷は林木を化生する。性・情・形・体のこの一系は、根子は天に在る。飛・走・草・木のこの一系は、根子は地に在る。根子が天に在るは、分陰分陽を講ずる。根子が地に在るは、分柔分剛を講ずる。いわゆる分陰分陽・分柔分剛とは、天地万物を説くのであり、天地万物を統べて一身に具備する能くするは、人を説くのである。

観物篇六十二

有日日之物者也,有日月之物者也,有日星之物者也,有日辰之物者也。有月日之物者也,有月月之物者也,有月星之物者也,有月辰之物者也。有星日之物者也,有星月之物者也,有星星之物者也,有星辰之物者也。有辰日之物者也,有辰月之物者也,有辰星之物者也,有辰辰之物者也。

万物の中に、「日日」の物あり、「日月」の物あり、「日星」の物あり、「日辰」の物あり。「月日」の物あり、「月月」の物あり、「月星」の物あり、「月辰」の物あり。「星日」の物あり、「星月」の物あり、「星星」の物あり、「星辰」の物あり。「辰日」の物あり、「辰月」の物あり、「辰星」の物あり、「辰辰」の物あり。これは天の四象日・月・星・辰を両々に相配するものである。前の一字を主と為し体と為し、後の一字を客と為し用と為し、全部で十六格を排き出し、もって天下の物類を全部収攝し入れる。

日日物者,飛飛也;日月物者,飛走也;日星物者,飛木也;日辰物者,飛草也。月日物者,走飛也;月月物者,走走也;月星物者,走木也;月辰物者,走草也。星日物者,木飛也;星月物者,木走也;星星物者,木木也;星辰物者,木草也。辰日物者,草飛也;辰月物者,草走也;辰星物者,草木也;辰辰物者,草草也。

この十六格が各々対応するは。「日日」の物はすなわち飛中の飛で、「日月」の物は飛中の走、「日星」の物は飛中の木、「日辰」の物は飛中の草である。「月日」の物は走中の飛、「月月」の物は走中の走、「月星」の物は走中の木、「月辰」の物は走中の草である。「星日」の物は木中の飛、「星月」の物は木中の走、「星星」の物は木中の木、「星辰」の物は木中の草である。「辰日」の物は草中の飛、「辰月」の物は草中の走、「辰星」の物は草中の木、「辰辰」の物は草中の草である。この一層の依拠は。日は飛禽に配し、月は走獣に配し、星は林木に配し、辰は百草に配す。ゆえに天上の四象が両々に相配した後、地上に落ちれば便ち一つずつ坐実して飛・走・草・木の四類の生物と成る。

有皇皇之民者也,有皇帝之民者也,有皇王之民者也,有皇伯之民者也。有帝皇之民者也,有帝帝之民者也,有帝王之民者也,有帝伯之民者也。有王皇之民者也,有王帝之民者也,有王王之民者也,有王伯之民者也。有伯皇之民者也,有伯帝之民者也,有伯王之民者也,有伯伯之民者也。

人のこの一辺も照様に排き開く。「皇皇」の民あり、「皇帝」の民あり、「皇王」の民あり、「皇伯」の民あり。「帝皇」の民あり、「帝帝」の民あり、「帝王」の民あり、「帝伯」の民あり。「王皇」の民あり、「王帝」の民あり、「王王」の民あり、「王伯」の民あり。「伯皇」の民あり、「伯帝」の民あり、「伯王」の民あり、「伯伯」の民あり。これは人事の四等皇・帝・王・伯を両々に相配するもので、前の日月星辰をもって十六類の物を配出したると同じく、もまた十六格を排き出し、もって天下の人を分け尽くす。

皇皇民者,士士也;皇帝民者,士農也;皇王民者,士工也;皇伯民者,士商也。帝皇民者,農士也;帝帝民者,農農也;帝王民者,農工也;帝伯民者,農商也。王皇民者,工士也;王帝民者,工農也;王王民者,工工也;王伯民者,工商也。伯皇民者,商士也;伯帝民者,商農也;伯王民者,商工也;伯伯民者,商商也。

この十六格が対応するは四民である。「皇皇」の民はすなわち士中の士で、「皇帝」の民は士中の農、「皇王」の民は士中の工、「皇伯」の民は士中の商である。「帝皇」の民は農中の士、「帝帝」の民は農中の農、「帝王」の民は農中の工、「帝伯」の民は農中の商である。「王皇」の民は工中の士、「王帝」の民は工中の農、「王王」の民は工中の工、「王伯」の民は工中の商である。「伯皇」の民は商中の士、「伯帝」の民は商中の農、「伯王」の民は商中の工、「伯伯」の民は商中の商である。この一層の配当は。皇は士に配し、帝は農に配し、王は工に配し、伯は商に配す——治道は高より低へ、民業もまた士より商へ依次相当する。

飛飛物者,性性也;飛走物者,性情也;飛木物者,性形也;飛草物者,性體也。走飛物者,情性也;走走物者,情情也;走木物者,情形也;走草物者,情體也。木飛物者,形性也;木走物者,形情也;木木物者,形形也;木草物者,形體也。草飛物者,體性也;草走物者,體情也;草木物者,體形也;草草物者,體體也。

再び裏に向かって一層を追えば、飛走草木はまた各々性情形体に対応す。飛は「性」に配し、走は「情」に配し、木は「形」に配し、草は「体」に配す。ここにおいて飛中の飛の物は、すなわち性中の性。飛中の走の物は、性中の情。飛中の木の物は、性中の形。飛中の草の物は、性中の体。走中の飛の物は、情中の性。走中の走の物は、情中の情。走中の木の物は、情中の形。走中の草の物は、情中の体。木中の飛の物は、形中の性。木中の走の物は、形中の情。木中の木の物は、形中の形。木中の草の物は、形中の体。草中の飛の物は、体中の性。草中の走の物は、体中の情。草中の木の物は、体中の形。草中の草の物は、体中の体。

士士民者,仁仁也;士農民者,仁禮也;士工民者,仁義也;士商民者,仁智也。農士民者,禮仁也;農農民者,禮禮也;農工民者,禮義也;農商民者,禮智也。工士民者,義仁也;工農民者,義禮也;工工民者,義義也;工商民者,義智也。商士民者,智仁也;商農民者,智禮也;商工民者,智義也;商商民者,智智也。

四民を再び裏に向かって一層追えば、則ち各々四徳に対応す。士は「仁」に配し、農は「礼」に配し、工は「義」に配し、商は「智」に配す。ここにおいて士中の士の民は、すなわち仁中の仁。士中の農の民は、仁中の礼。士中の工の民は、仁中の義。士中の商の民は、仁中の智。農中の士の民は、礼中の仁。農中の農の民は、礼中の礼。農中の工の民は、礼中の義。農中の商の民は、礼中の智。工中の士の民は、義中の仁。工中の農の民は、義中の礼。工中の工の民は、義中の義。工中の商の民は、義中の智。商中の士の民は、智中の仁。商中の農の民は、智中の礼。商中の工の民は、智中の義。商中の商の民は、智中の智。

飛飛之物一之一,飛走之物一之十,飛木之物一之百,飛草之物一之千。走飛之物十之一,走走之物十之十,走木之物十之百,走草之物十之千。木飛之物百之一,木走之物百之十,木木之物百之百,木草之物百之千。草飛之物千之一,草走之物千之十,草木之物千之百,草草之物千之千。

この十六類の物はなお各々自らの位数を有す。飛は一に配し、走は十に配し、木は百に配し、草は千に配す——愈々霊動尊貴なるほど位数愈々小さく、愈々繁滋卑下なるほど位数愈々大きい。ここにおいて飛中の飛の物は一の一、飛中の走の物は一の十、飛中の木の物は一の百、飛中の草の物は一の千。走中の飛の物は十の一、走中の走の物は十の十、走中の木の物は十の百、走中の草の物は十の千。木中の飛の物は百の一、木中の走の物は百の十、木中の木の物は百の百、木中の草の物は百の千。草中の飛の物は千の一、草中の走の物は千の十、草中の木の物は千の百、草中の草の物は千の千。

士士之民一之一,士農之民一之十,士工之民一之百,士商之民一之千。農士之民十之一,農農之民十之十,農工之民十之百,農商之民十之千。工士之民百之一,工農之民百之十,工工之民百之百,工商之民百之千。商士之民千之一,商農之民千之十,商工之民千之百,商商之民千之千。

四民の位数も同じくこのようである。士は一に配し、農は十に配し、工は百に配し、商は千に配す。ここにおいて士中の士の民は一の一、士中の農の民は一の十、士中の工の民は一の百、士中の商の民は一の千。農中の士の民は十の一、農中の農の民は十の十、農中の工の民は十の百、農中の商の民は十の千。工中の士の民は百の一、工中の農の民は百の十、工中の工の民は百の百、工中の商の民は百の千。商中の士の民は千の一、商中の農の民は千の十、商中の工の民は千の百、商中の商の民は千の千。

一一之飛當兆物,一十之飛當億物,一百之飛當萬物,一千之飛當千物。十一之走當億物,十十之走當萬物,十百之走當千物,十千之走當百物。百一之木當萬物,百十之木當千物,百百之木當百物,百千之木當十物。千一之草當千物,千十之草當百物,千百之草當十物,千千之草當一物。

位数が一定すれば、各類の物が抵り得る分量もまた定まり、しかも反比を成す。両個の位数愈々大きければ、抵する物数愈々小さく、兆・億・万・千・百・十より一路降って一に至り、全部で七等。一の一の飛禽は兆数の物に抵り、一の十の飛禽は億数の物に抵り、一の百の飛禽は万数の物に抵り、一の千の飛禽は千数の物に抵る。十の一の走獣は億数の物に抵り、十の十の走獣は万数の物に抵り、十の百の走獣は千数の物に抵り、十の千の走獣は百数の物に抵る。百の一の林木は万数の物に抵り、百の十の林木は千数の物に抵り、百の百の林木は百数の物に抵り、百の千の林木は十数の物に抵る。千の一の百草は千数の物に抵り、千の十の百草は百数の物に抵り、千の百の百草は十数の物に抵り、千の千の百草はただ一物に抵り得るのみ。

一一之士當兆民,一十之士當億民,一百之士當萬民,一千之士當千民。十一之農當億民,十十之農當萬民,十百之農當千民,十千之農當百民。百一之工當萬民,百十之工當千民,百百之工當百民,百千之工當十民。千一之商當千民,千十之商當百民,千百之商當十民,千千之商當一民。

人のこの一辺は同じ一張の表に照らして遞降す。一の一の士は兆数の民に抵り、一の十の士は億数の民に抵り、一の百の士は万数の民に抵り、一の千の士は千数の民に抵る。十の一の農は億数の民に抵り、十の十の農は万数の民に抵り、十の百の農は千数の民に抵り、十の千の農は百数の民に抵る。百の一の工は万数の民に抵り、百の十の工は千数の民に抵り、百の百の工は百数の民に抵り、百の千の工は十数の民に抵る。千の一の商は千数の民に抵り、千の十の商は百数の民に抵り、千の百の商は十数の民に抵り、千の千の商はただ一民に抵り得るのみ。

為一一之物能當兆物者,非巨物而何?為一一之民能當兆民者,非巨民而何?為千千之物能分一物者,非細物而何?為千千之民能分一民者,非細民而何?固知物有大小,民有賢愚。移昊天生兆物之德而生兆民,則豈不謂至神者乎?移昊天養兆物之功而養兆民,則豈不謂至聖者乎?吾而今而後,知踐形為大。非大聖大神之人,豈有不負於天地者乎?

身に一の一の物と為りて兆数の物に抵り得るは、最大の物でなくして何か。身に一の一の民と為りて兆数の民に抵り得るは、最大の人でなくして何か。身に千の千の物と為りてただ一物の分量を分得るは、最も細微なる物でなくして何か。身に千の千の民と為りてただ一民の分量を分得るは、最も細微なる人でなくして何か。これより知るべし。物に大小の別あり、人に賢愚の分あり。誰かよく蒼天の億兆万物を生育する仁徳を挪え来りて億兆の民を生育する者あらば、いわば「至神」と称すべきではないか。誰かよく蒼天の億兆万物を養育する功用を挪え来りて億兆の民を養育する者あらば、いわば「至聖」と称すべきではないか。私は今より後にしてはじめて明白す。《孟子・尽心上》の言う「践形」——天の賦与するこの一副の形体の含む本分を完全に実現し出すこと——こそ天下第一等の大事である。大聖大神のような人でなければ、どの一つか天地に辜負せざらんか。

夫所以謂之觀物者,非以目觀之也。非觀之以目,而觀之以心也。非觀之以心,而觀之以理也。天下之物莫不有理焉,莫不有性焉,莫不有命焉。所以謂之理者,窮之而後可知也;所以謂之性者,盡之而後可知也;所以謂之命者,至之而後可知也。此三知者,天下之真知也,雖聖人無以過之也。而過之者,非所以謂之聖人也。

いわゆる「観物」とは、眼睛をもって看ることではない。眼睛をもって看ることではなく、心をもって看る。もまた心をもって看るに止まらず、「理」をもって看る。天下の物に、一つとして「理」を含まざるなく、一つとして「性」を含まざるなく、一つとして「命」を含まざるなし。いわゆる「理」は、ずっと推究して底に至ってはじめて知るを得る。いわゆる「性」は、ずっと発揮して尽に至ってはじめて知るを得る。いわゆる「命」は、ずっと抵达して彼処に至ってはじめて知るを得る——まさにこれは《説卦》の講ずる「窮理尽性以至於命」である。この三様の知は、天下の真の知である。たとえ聖人と雖もそれを超出する能わず。もし誰か自ら称してそれを超出したと言う者あれば、それは聖人と叫ぶに足らない。

夫鑑之所以能為明者,謂其能不隱萬物之形也。雖然鑑之能不隱萬物之形,未若水之能一萬物之形也。雖然水之能一萬物之形,又未若聖人之能一萬物之情也。聖人之所以能一萬物之情者,謂其聖人之能反觀也。所以謂之反觀者,不以我觀物也。不以我觀物者,以物觀物之謂也。既能以物觀物,又安有我於其間哉?是知我亦人也,人亦我也,我與人皆物也。

鏡子が明と称し得る所以は、それが万物の形状を照し出して掩蔵を加えざるを以てとする。しかし鏡子は万物の形を掩蔵し得ざると雖も、なお水の万物の形を一同に映現して浑然として一を為すに如かず。水は万物の形を一体に合する能くすると雖も、また聖人の万物の情を一体に合する能くするに如かず。聖人が万物の情を合する能くする所以は、彼が「反観」する能くするに在る。いわゆる反観とは、「我」の立場の上に立って物を看らざること。我の立場の上に立って物を看らざれば、すなわち物自体の立場をもって物を看る。すでに物をもって物を観る能くすれば、あの中間にどうしてなお一つの「我」が在らんか。これより知るべし。我もまた人なり、人もまた我なり、我と别人は同じく皆物なり。

此所以能用天下之目為己之目,其目無所不觀矣;用天下之耳為己之耳,其耳無所不聽矣;用天下之口為己之口,其口無所不言矣;用天下之心為己之心,其心無所不謀矣。夫天下之觀,其於見也不亦廣乎?天下之聽,其於聞也不亦遠乎?天下之言,其於論也不亦高乎?天下之謀,其於樂也不亦大乎?夫其見至廣,其聞至遠,其論至高,其樂至大,能為至廣至遠至高至大之事,而中無一為焉,豈不謂至神至聖者乎?非惟吾謂之至神至聖,而天下亦謂之至神至聖。非惟一時之天下謂之至神至聖,而千萬世之天下亦謂之至神至聖者乎?過此以往,未之或知也已。

ただこのようであるがゆえに、聖人は天下人の眼睛をもって自己の眼睛と為す能くし、あの眼睛に見るところなきはない。天下人の耳朵をもって自己の耳朵と為す能くし、あの耳朵に聞くところなきはない。天下人の嘴巴をもって自己の嘴巴と為す能くし、あの嘴巴に説き出せざるところなきはない。天下人の心をもって自己の心と為す能くし、あの心に謀るところなきはない。天下人をもってともに看れば、所見は極めて広博ではないか。天下人をもってともに聞けば、所聞は極めて辽遠ではないか。天下人をもってともに説けば、所論は極めて高明ではないか。天下人をもってともに謀れば、その中の楽しみは極めて宏大ではないか。所見極めて広く、所聞極めて遠く、所論極めて高く、所楽極めて大なり、至広・至遠・至高・至大の事を為す能くして、しかも自己の心裏に一件として刻意して為すものなし。これをいわば「至神至聖」と称すべきではないか。単に我が彼を至神至聖と称するのみならず、全天下も彼を至神至聖と称す。単に当世の天下が彼を至神至聖と称するのみならず、千万世の後の天下も同じく彼を至神至聖と称す。これよりさらに上一層の境界に至っては、則ち我の知る能くする所ではない。

皇極経世書巻十三

観物外篇上

天數五,地數五,合而為十數之全也。天以一而變四,地以一而變四,四者有體也,而其一者無體也,是謂有無之極也。天之體數四而用者三,不用者一也。地之體數四而用者三,不用者一也。是故無體之一,以況自然也。不用之一,以況道也。用之者三,以況天地人也。

《易・繋辞》は一・三・五・七・九をもって天数と為し、全部で五個。二・四・六・八・十をもって地数と為し、もまた五個。両者合わせて、はじめて「十」この完完満の数を湊成す。天は「一」より四象を変出し、地もまた「一」より四象を変出す。変出したる四は形体あるも、あの本源と為す「一」は自身に形体なし。これを「有」と「無」の両極と叫ぶ。天の「体数」は四にして実際に動用するは三のみ、一個を留めて用いず。地の体数もまた四にして実際に動用するは三のみ、同じく一個を留めて用いず。ゆえにあの形体なき「一」は、もって「自然」を比況し、あの存して用いざる「一」は、もって「道」を比況し、実際に動用する三は、則ちもって天・地・人の三才を比況する。

天有四時,一時四月,一月四十日,四四十六,而各去其一。是以一時三月,一月三十日也。四時,體數也;三月、三十日,用數也。體雖具四,而其一常不用也。故用者止於三而極於九也。體數常偶,故有四有十二;用數常奇,故有三有九。

体数に就いて言えば、天に四時あり、一時に四箇月あるべく、一箇月に四十日あるべし。四に四を乗じて十六を得るが、しかし每一層にそのうちの一份を減ずるを要す。ゆえに実際は一時に三箇月のみ、一箇月に三十日のみある。四時は「体数」で、三月と三十日は「用数」である。体は四份を具備するも、そのうち常に一份は存して用いず。ゆえに用数はただ三に至り、推して極処に至っても三三して九を得るに過ぎない。体数はつねに偶数で、ゆえに四あり、十二あり。用数はつねに奇数で、ゆえに三あり、九あり。

大數不足而小數常盈者,何也?以其大者不可見,而小者可見也。故時止乎四,月止乎三,而日盈乎十也。是以人之支體有四,而指有十也。天見乎南,而潛乎北。極於六,而餘於七。是以人知其前,昧其後,而略其左右也。

大きい数はつねに不足で、小さい数は却ってつねに有余あるは、これはなぜか。大きいは見る能わず、小さいは見る能くするがゆえである。ゆえに時はただ四に至り、月はただ三に至るも、日は却って満ちて十に至る。人の身上もまたこの様子である。四肢はただ四支あるも、手指は却って十根ある。天象は南方に顕現し、北方に潜蔵す。南天の可見の限度は六に至って止み、余出する一分を加えれば便ち七となる。人もまたこのようである。自己の眼前の事を知るも、背後の事には一片の昏昧であり、左右の両辺には則ち粗略に照顧するのみできる。

天體數四而用三,地體數四而用三。天克地,地克天,而克者在地,猶晝之餘分在夜也。是以天三而地四,天有三辰,地有四行也。然地之大,且見且隱,其餘分之謂耶?

天の体数は四にしてその三を動用し、地の体数は四にしてその三を動用す。天は地を克し、地は天を克し、両辺互いに克するも、しかし克せられたる結果は皆地の上に落ちる。白昼の多出したる零頭が黒夜の帳上に算入せらるるが如し。ゆえに天は三を取り地は四を取ると説く。天の四象日・月・星・辰の中、辰は見る能わざるもので、可見なるはただ日・月・星の三辰のみ。地の四象水・火・土・石は則ち四者俱全なり。ゆえに四行と称す。しかし地はこのように広大なれども、時に顕現し時に隠没す。これはおそらくいわゆる「余分」であろう。

體者八變,用者六變。是以八卦之象,不易者四,反易者二,以六卦變而成八也;重卦之象,不易者八,反易者二十八,以三十六變而成六十四也。故爻止於六,卦盡於八,策窮於三十六,而重卦極於六十四也。卦成於八,重於六十四,爻成於六,策窮於三十六,而重於三百八十四也。

体数は八変を走り、用数は六変を走る。ゆえに八卦の卦象のうち、倒して看てもなお本卦たる「不易」の卦は四個(乾・坤・坎・離)あり、倒して就ち别一卦と成る「反易」の卦は両対(震と艮、巽と兌)あり、四に二を加えて全部で六個の変化単位、この六変に由って八卦と成る。六十四重卦の卦象のうち、不易の卦は八個あり、反易の卦は二十八対あり、八に二十八を加えて全部で三十六個の変化単位、この三十六変に由って六十四卦と成る。ゆえに爻は六に至って止み、卦は八に至って止み、策数は三十六に窮尽し、重卦は推して極処に至れば六十四である。卦は八に成り、これを重ねれば則ち六十四。爻は六に成り、策は三十六に窮み、これを重ねれば則ち三百八十四爻。

天有二正,地有二正,而共用二變以成八卦也。天有四正,地有四正,而共用二十八變以成六十四卦也。是以小成之卦,正者四,變者二,共六卦也;大成之卦,正者八,變者二十八,共三十六卦也。乾、坤、離、坎為三十六卦之祖也,兌、震、巽、艮為二十八卦之祖也。

天に両個の「正」卦あり(乾・離)、地に両個の正卦あり(坤・坎)。この外共用するに両組の反易の変あり、合わせて八卦を成就す。六十四卦の上に放れば、天に四個の正卦あり、地に四個の正卦あり、この外共用するに二十八組の反易の変あり、合わせて六十四卦を成就す。ゆえに小成の八卦のうち、正にして変わらざるは四個あり、反易して変わるは両対あり、全部で六卦。大成の六十四卦のうち、正にして変わらざるは八個あり、反易して変わるは二十八対あり、全部で三十六卦。乾・坤・離・坎はあの三十六卦の祖宗で、兌・震・巽・艮は則ちあの二十八対の変卦の祖宗である。

卦之正變共三十六,而爻有二百一十六,則用數之策也。三十六去四,則三十二也。又去四,則二十八也。又去四,則二十四也。故卦數三十二位,去四而言之也;天數二十八位,去八而言之也;地數二十四位,去十二而言之也。四者,乾、坤、離、坎也;八者,並頤、中孚、大小過也;十二者,並兌、震、泰、既濟也。

卦の正卦と変卦を合せて共に三十六、每卦六爻、三十六に六を乗じて二百一十六爻を得る。これがまさに乾の策二百一十六、すなわち「用数」の策である。三十六より四を減じて三十二を得、再び四を減じて二十八を得、再び四を減じて二十四を得。ゆえに卦数は三十二位と説く。あれは三十六のうちより四個を去りて言うのである。天数は二十八位で、八個を去りて言うのである。地数は二十四位で、十二個を去りて言うのである。去る所の四個は、乾・坤・離・坎を指す。去る所の八個は、この四卦の外に再び頤・中孚・大過・小過を加えたる。去る所の十二個は、またこの八卦の外に再び兌・震・泰・既済(それらの反対の卦を連ねて)を加えたる。

乾七子,兌六子,離五子,震四子,巽三子,坎二子,艮一子,坤全陰,故無子。乾七子,坤六子,兌五子,艮四子,離三子,坎二子,震一子,巽陰剛,故無子。乾坤七變,是以晝夜之極不過七分也;兌艮六變,是以月止於六,共為十二也;離坎五變,是以日止於五,共為十也。震巽四變,是以體止於四,共為八也。

先天八卦の乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の次序に按じて数え下れば、首位に排する乾は七個の「子」を生じ得、兌は六個を生じ得、離は五個、震は四個、巽は三個、坎は両個、艮は一個、坤は純陰にしてまた末位に居るがゆえに、一個も生じ得ず。別の一種の排法を換えて、八卦を乾坤・兌艮・離坎・震巽の両両に成偶するに按じて数えれば、則ち乾は七子、坤は六子、兌は五子、艮は四子、離は三子、坎は両子、震は一子、巽は陰にして二陽の下に居る剛中の陰にして末に居るがゆえに、子なし。乾坤のこの一対は変じて七に至り、ゆえに昼夜の長短の極限は七分を過ぎず。兌艮のこの一対は変じて六に至り、ゆえに月はただ六に至り、両辺相合すれば便ち十二箇月。離坎のこの一対は変じて五に至り、ゆえに日はただ五に至り、両辺相合すれば便ち十日(十天干)。震巽のこの一対は変じて四に至り、ゆえに体はただ四に至り、両辺相合すれば便ち八(八卦)。

日有八位而用止於七,去乾而言之也;月有八位而用止於六,去兌而言之也;星有八位而用止於五,去離而言之也;辰有八位而用止於四,去震而言之也;日有八位而數止於七,去泰而言之也;月自兌起者,月不能及日之數也,故十二月常餘十二日也。

日は本来八位を占めて実際に動用するはただ七に至る。あれは乾のこの一位を除去して算えざるを以てとする。月は本来八位を占めて動用するはただ六に至る。兌のこの一位を除去して算えざるを以てとする。星は本来八位を占めて動用するはただ五に至る。離のこの一位を除去して算えざるを以てとする。辰は本来八位を占めて動用するはただ四に至る。震のこの一位を除去して算えざるを以てとする。日は八位を占めて配する数ただ七に至るは、則ち泰のこの一卦を除去して算えざるを以てとする。月が兌より起算するを要するに至っては、月行の数が日行の数に及ばざるがゆえに、ゆえに十二個の朔望月が一歳の日数につねに短少し、十二日を多出して補足するを要する。

乾陽中陽,不可變,故一年止舉十二月也;震陰中陰,不可變,故一日十二時,不可見也。兌陽中陰,離陰中陽,皆可變,故日月之數可分也。是以陰數以十二起,陽數以三十起,而常存二六也。

乾は陽中の陽で、純にして雑ならず、再び変ずる由なし。ゆえに一年はただ十二箇月を挙げ得るのみ。震は陰中の陰で、もまた再び変ずる由なし。ゆえに一日十二時の数はただ推算する能くして形跡を見る能わず。兌は陽中に陰を含み、離は陰中に陽を含み、両者とも再び変ずる能くす。ゆえに日・月の数ははじめて分かち開かる。ここにおいて陰数は十二より起算し(十二辰・十二月)、陽数は三十より起算し(一月三十日)、そして両者の中に総じて「二」と「六」のこの両個の基数を保留す。

舉年見月,舉月見日,舉日見時,陽統陰也。是天四變,含地四變。日之變,含月與星辰之變也。是以一卦含四卦也。日一位,月一位,星一位,辰一位。日有四位,月有四位,星有四位,辰有四位。四四十有六位,盡此一變,而日月之數窮矣。

年を提起すれば則ち月を見る能くし、月を提起すれば則ち日を見る能くし、日を提起すれば則ち時を見る能くす。これは陽が陰を統攝する故である。ここにおいて天の四変のうちに則ち地の四変を包含し、日の変化のうちに則ち月と星辰の変化を包含す。ゆえに一卦の中に四卦を含む。日は一位を占め、月は一位を占め、星は一位を占め、辰は一位を占む。そして日はまた各々四位あり、月は各々四位あり、星は各々四位あり、辰は各々四位あり、四に四を乗じて共に十六位。この十六位を走り尽くして一輪すれば、日月の数目もまた窮尽す。

天有四變,地有四變。變有長也,有消也。十有六變而天地之數窮矣。日起於一,月起於二,星起於三,辰起於四。衍而伸之,陽數常六,陰數常二。十有二變,而大小之運窮矣。

天に四変あり、地に四変あり、每一変のうちにまた増長の一面あり、消退の一面あり。四に四を乗じて共に十六変、天地の数はすなわち窮尽す。日は一より起算し、月は二より起算し、星は三より起算し、辰は四より起算す。それらを推衍伸展し開けば、陽に属する数はつねに六、陰に属する数はつねに二。このように十二変を走り満たせば、大運と小運の数もまた窮尽す。

三百六十變為十二萬九千六百,十二萬九千六百變為一百六十七億九千六百一十六萬,一百六十七億九千六百一十六萬變為二萬八千二百一十一兆九百九十萬七千四百五十六億。以三百六十為時,以十二萬九千六百為日,以一百六十七億九千六百一十六萬為月,以二萬八千二百一十一兆九百九十萬七千四百五十六億為年,則大小運之數立矣。

三百六十を自乗して、十二万九千六百と変ず。十二万九千六百を自乗して、一百六十七億九千六百一十六万と変ず。一百六十七億九千六百一十六万を再び自乗して、二万八千二百一十一兆九百九十万七千四百五十六億と変ず——每一層は皆上一層を自乗する一度、逐層に翻り上げる(邵雍の用いる「兆」は「億億」、すなわち万々億である)。然る後に三百六十を取って「時」と為し、十二万九千六百を取って「日」と為し、一百六十七億九千六百一十六万を取って「月」と為し、二万八千二百一十一兆九百九十万七千四百五十六億を取って「年」と為せば、大運・小運の数目はすなわち立ち上がる。

二萬八千二百一十一兆九百九十萬七千四百五十六億,分而為十二,前六限為長,後六限為消,以當一年十二月之數,而進退三百六十日矣。一百六十七億九千六百一十六萬,分而為三十,以當一月三十日之數,隨大運之消長,而進退六十日矣。十二萬九千六百,分而為十二,以當一日十二時之數,而進退六日矣。三百六十以當一時之數,隨小運之進退,以當晝夜之時也。

二万八千二百一十一兆九百九十万七千四百五十六億のこの「年」数を分かちて十二段と為し、前の六段は増長に属し、後の六段は消退に属し、もって一年十二箇月に対応し、その間に進退して三百六十日。一百六十七億九千六百一十六万のこの「月」数を分かちて三十份と為し、もって一月三十日に対応し、大運の消長に随い、その間に進退して六十日。十二万九千六百のこの「日」数を分かちて十二份と為し、もって一日十二時に対応し、その間に進退して六日。三百六十は則ちもって一時の数に対応し、小運の進退に随い、ちょうど昼夜の時刻に当たる。

十六變之數,去其交數,取其用數,得二萬八千二百一十一兆九百九十萬七千四百五十六億,分為十二,前六限為長,後六限為消,每限得一百六十七億九千六百一十六萬,每一百六十七億九千六百一十六萬衍開一分,進六十日也。六限開六分,進三百六十日也。猶有餘分之一,故開七分,進三百六十日也。其退亦若是矣。

十六変の得たる総数より、交界に属して用いざる「交数」を去り、ただ実際に動用する「用数」を取れば、便ち二万八千二百一十一兆九百九十万七千四百五十六億を得る。それを分かちて十二段と為し、前の六段を増長と為し、後の六段を消退と為し、每一段に一百六十七億九千六百一十六万を得る。每一个の一百六十七億九千六百一十六万を推衍し開きて算して一分と為し、六十日を進む。六段に六分を開き出せば、則ち三百六十日を進む。この外にまだ余分の一份を剩す。ゆえに七分に開き至るを要し、仍ほ三百六十日をもって計る。消退の一辺も、算法もまたこの様子に照らす。

十二萬九千六百,去其三者,交數也;取其七者,用數也。用數三而成於六,加餘分,故有七也。七之得九萬七百二十年,半之得四萬五千三百六十年,以進六日也。日有晝夜,數有朓肭,以成十有二日也。每三千六百年進一日,凡四萬三千二百年,進十有二日也。餘二千一百六十年,進餘分之六,合交數之二千一百六十年,共進十有二分,以為閏也。故小運之變,凡六十而成三百六十六日也。

十二万九千六百のこの数に、去る十分の三は「交数」で、取用する十分の七は「用数」である。用数は本来三に成り六に足り、さらに余出する一分を加えて、ゆえに七である。その十分の七を取れば、九万零七百二十年を得る。折半して、四万五千三百六十年を得、もって六日を進む。日はすでに昼夜を分かち、月行にまた「朓」「肭」の盈縮あり(月末に東方に早く見るを肭と叫び、月初に西方に遅く見るを朓と叫ぶ)、両辺合わせて便ち十二日と成る。三千六百年に一日を進むを照らして算えば、四万三千二百年はちょうど十二日を進む。剩りの二千一百六十年は、余分の六を進む。再び交数のあの辺の二千一百六十年を合して、共に十二分を進み、則ちそれをもって閏を置く。ゆえに小運の変化は、六十を走り満たせば便ち三百六十六日の一年の数を湊成す。

天統乎體,故八變而終於十六。地分乎用,故六變而終於十二。天起於一,而終於七秭九千五百八十六萬六千一百一十垓九千九百四十六萬四千八京八千四百三十九萬一千九百三十六兆;地起於十二,而終於二百四秭六千九百八十萬七千三百八十一垓五千四百九十一萬八千四百九十九兆七百二十萬億也。

天は「体」をもって統属と為す。ゆえに八変を走りて十六に終結す。地は「用」をもって分派と為す。ゆえに六変を走りて十二に終結す。天は一より起算し、一路推して七秭九千五百八十六万六千一百一十垓九千九百四十六万四千八京八千四百三十九万一千九百三十六兆に至って止む。地は十二より起算し、一路推して二百四秭六千九百八十万七千三百八十一垓五千四百九十一万八千四百九十九兆七百二十万億に至って止む。この両個の大数がすなわち天数と地数が各々推衍して尽頭に至る界限である。

乾為一,乾之五爻分而為大有,以當三百六十之數也;乾之四爻分而為小畜,以當十二萬九千六百之數也;乾之三爻分而為履,以當一百六十七億九千六百一十六萬之數也;乾之二爻分而為同人,以當二萬八千一百一十一兆九百九十萬七千四百五十六億之數也;乾之初爻分而為姤,以當七秭九千五百八十六萬六千一百十垓九千九百四十六萬四千八京八千四百三十九萬一千九百三十六兆之數也。是謂分數也,分大為小,皆自上而下,故以陽數當之。(如一分為十二,十二分為三百六十也。)

乾卦の六爻は純陽で、取って「一」と為す。乾の第五爻は陽より分かれて陰と為り、大有卦と成る。もって三百六十のこの数に当てる。第四爻が再び分かれて、小畜卦と成る。もって十二万九千六百のこの数に当てる。第三爻が再び分かれて、履卦と成る。もって一百六十七億九千六百一十六万のこの数に当てる。第二爻が再び分かれて、同人卦と成る。もって二万八千一百一十一兆九百九十万七千四百五十六億のこの数に当てる(底本ここに「一百一十一兆」と作り、前文の「二百一十一兆」と同じからず、まさに伝写の小異であるべし)。初爻が再び分かれて、姤卦と成る。もって七秭九千五百八十六万六千一百十垓九千九百四十六万四千八京八千四百三十九万一千九百三十六兆のこの数に当てる。この一路を「分数」と叫ぶ。大きいを分かちて小さいと為すは、皆上より下へと逐爻に剥落する。ゆえに陽数を取ってそれに配す。(例えば一を分かちて十二と為し、十二を再び分かちて三百六十と為す。)

一生二為夬,當十二之數也;二生四為大壯,當四千三百二十之數也;四生八為泰,當五萬五千九百八十七萬二千之數也;八生十六為臨,當九百四十三千六百九十九萬六千九百一十五億二千萬之數也;十六生三十二為復,當二千六百五十二萬八千八百七十垓三千六百六十四萬八千八百京二千九百四十七萬九千七百三十一兆二千萬億之數也;三十二生六十四為坤,當無極之數也。是謂長數也。長小為大,皆自下而上,故以陰數當之。

反対に、坤の一辺より下より上へと長ず。一は二を生じて、夬卦と成り、十二のこの数に当たる。二は四を生じて、大壮卦と成り、四千三百二十のこの数に当たる。四は八を生じて、泰卦と成り、五万五千九百八十七万二千のこの数に当たる。八は十六を生じて、臨卦と成り、九百四十三千六百九十九万六千九百一十五億二千万のこの数に当たる。十六は三十二を生じて、復卦と成り、二千六百五十二万八千八百七十垓三千六百六十四万八千八百京二千九百四十七万九千七百三十一兆二千万億のこの数に当たる。三十二は六十四を生じて、坤卦と成れば、あれは則ち「無極」の数に当たり、大にして計量する由なし。この一路を「長数」と叫ぶ。小さいを長じて大きいと為すは、皆下より上へと逐爻に生起する。ゆえに陰数を取ってそれに配す。

天自臨以上,地自師以上,運數也。天自同人以下,地自遁以下,年數也。運數則在天者也,年數則在地者也。天自賁以上,地自艮以上,用數也。天自明夷以下,地自否以下,交數也。天自震以上,地自晉以上,有數也。天自益以下,地自豫以下,無數也。

この一張の卦数の図の上に、天の一辺は臨卦より上り、地の一辺は師卦より上るは、「運数」に属す。天の一辺は同人卦より下り、地の一辺は遯卦より下るは、「年数」に属す。運数は天の管に帰し、年数は地の管に帰す。天は賁卦より上り、地は艮卦より上るは、実際に動用する「用数」に属す。天は明夷卦より下り、地は否卦より下るは、交界にして用いざる「交数」に属す。天は震卦より上り、地は晋卦より上るは、「有数」に属し、なお計量し得べし。天は益卦より下り、地は豫卦より下るは、「無数」に属し、すでに算い出す能わず。

天之有數,起乾而止震,餘入於無者,天辰不見也。地去一而起十二者也,地火常潛也。故天以體為基,而常隱其基;地以用為本,而常藏其用也。一時止於三月,一月止於三十日,皆去其辰數也。是以八八之卦六十四,而不變者八,可變者七,七八五十六,其義亦由此矣。

天のこの一辺の計量し得る数は、乾卦より起きて震卦に至って止み、その余は皆「無」のうちに落ち入った。これはまさに天の四象の中の「辰」が見えざるに対応す。地のこの一辺は則ち「一」を去りて十二より起算す。これは地の四体の中の「火」がつねに潜伏して露われざるに対応す。ゆえに天は体をもって根基と為しながら、つねに根基を隠して起き、地は用をもって根本と為しながら、つねに用を蔵して起きる。一時に三箇月のみあり、一箇月に三十日のみあるは、皆「辰」のあの一份の数を扣掉したるがゆえである。ゆえに八八相重る六十四卦のうち、倒して変わらざるは八個あり、変わり得るはその余の七組で、七に八を乗じて五十六を得る。道理もまたここより来る。

有地然後有二,有二然後有晝夜。二三以變,錯綜而成,故《易》以二為生數,以十二而起,而一非數也。非數而數,以之成也。天行不息,未嘗有晝夜。人居地上,以為晝夜。故以地上之數為人之用也。

先に地ありて、はじめて「二」のこの数あり。二ありて、はじめて昼と夜の分別あり。二と三が互相に変化し、彼此錯綜し、ここにおいて万数生成す。ゆえに《易》は「二」を取って生数と為し、十二より起算し、そして「一」自身は算えて数と為さず。それは数に非ざると雖も、一切の数は却って皆それに倚って生成す。天体の運行は永く停息せず、本来いわゆる昼夜なし。人は地面の上に住して、はじめて昼夜の分あり。ゆえに《易》は地面上の数を取って、人の使用する所の数と為す。

陽爻,晝數也;陰爻,夜數也。天地相銜,陰陽相交,故晝夜相雜,剛柔相錯。春夏陽多也,故晝數多夜數少;秋冬陰多也,故晝數少夜數多。

陽爻は白昼の数を代表し、陰爻は黒夜の数を代表す。天と地は首尾相銜じ、陰と陽は彼此交合す。ゆえに昼と夜は互相に夾雑し、剛と柔は互相に交錯す。春夏の両季は陽気多し。ゆえに昼の份数多く夜の份数少なし。秋冬の両季は陰気多し。ゆえに昼の份数少なく夜の份数多し——一卦の中の陰陽爻の多寡は、まさに一年の内の昼夜の長短に対応す。

體數之策,三百八十四。去乾坤離坎之策,為用數三百六十。體數之用,二百七十。去乾與離坎之策,為用數之用二百五十二也;體數之用,二百七十。其一百五十六為陽,一百十四為陰。去離之策得一百五十二陽,一百一十二陰,為實用之數也。蓋陽去離而用乾,陰去坤而用坎也。

体数の策数は三百八十四、すなわち六十四卦各々六爻の総数である。乾・坤・離・坎の四卦の二十四策を除去して、三百六十を剩す。すなわち「用数」である。体数の中に実際に動用するは二百七十。再び乾と離・坎の策数を除去して、二百五十二を剩す。便ち「用数の用」である。この二百七十のうち、一百五十六は陽に属し、一百一十四は陰に属す。離卦の策数を去りて、一百五十二陽・一百一十二陰を得る。これがはじめて真正の実用の数である。縁故は。陽の一辺は離を舍てて乾を用い、陰の一辺は坤を舍てて坎を用いる。

是以天之陽策一百十二,去其陰也。地之陰策一百十二。陽策四十,去其南北之陽也。極南大暑,極北大寒,物不能生,是以去之也。其四十為天之餘分耶?陽侵陰,晝侵夜,是以在地也。合之為一百五十二陽,一百十二陰也。陽去乾之策,陰去坎之策,得一百四十四陽,一百八陰,為用數之用也。陽三十六,三之為一百八;陰三十六,三之為一百八。三陽三陰,陰陽各半也。陽有餘分之一,為三十六。合之為一百四十四陽,一百八陰也。故體數之用二百七十,而實用者二百六十四,用數之用二百五十二也。

ゆえに天の陽策は一百一十二。あれはその中の陰を扣除した後の数である。地の陰策もまた一百一十二。別に四十策の陽あり。あれは南北両極の陽を去りてはじめて剩ったるもの。極南の酷暑、極北の厳寒は、皆物を生ずる能わず。ゆえに扣除するを要す。あの四十策はおよそ天の多出したる「余分」であろうか。陽は陰を侵占し、昼は夜を侵占す。この多出したる部分は便ち地の上に落ちる。两下合わせて、共に一百五十二陽・一百一十二陰。陽の一辺が再び乾の策数を去り、陰の一辺が再び坎の策数を去りて、一百四十四陽・一百零八陰を得る。これがすなわち「用数の用」。陽爻は一爻三十六策、三倍は一百零八。陰爻は一爻三十六策、三倍もまた一百零八。三陽三陰、陰陽ちょうど各々半なり。陽は別に余分の一份あり、また三十六。合わせて便ち一百四十四陽・一百零八陰。ゆえに体数の用は二百七十、而も実際に用い得るは二百六十四、用数の用は則ち二百五十二。

卦有六十四,而用止乎三十六;爻有三百八十四,而用止乎二百一十六也。六十四分而二百五十六,是以一卦去其初上之爻,亦二百五十六也。此生物之數也。故離坎為生物之主,以離四陽,坎四陰。故生物者必四也。陽一百一十二,陰一百一十二,去其離坎之爻,則二百一十六也。陰陽之四十,共為二百五十六也。是以八卦用六爻,乾坤主之也;六爻用四位,離坎主之也。故天之昏曉不生物,而日中生物;地之南北不生物,而中央生物也。

卦は共に六十四、実際に動用するはただ三十六。爻は共に三百八十四、実際に動用するはただ二百一十六。六十四卦は每卦に四爻を取りて、二百五十六を得る。算法を換えて、每卦に初爻と上爻を去りて、四爻を剩す。同じく二百五十六——これがすなわち「生物の数」。ゆえに離・坎の両卦は生物の主宰である。離卦は上下相重りて四個の陽爻あり、坎卦は上下相重りて四個の陰爻あるに因る。生物は必ず四をもって則と為すを見るべし。陽一百一十二・陰一百一十二、離坎の爻を去れば、便ち二百一十六を剩す。陰陽の両辺に各々余る四十を合わせて、まさに二百五十六。ゆえに八卦は各々六爻を用い、乾坤によりて主を為す。六爻の中にただ四位を用い、離坎によりて主を為す。この道理は実処に落ちれば便ち。天は黄昏と破暁の時に物を生ぜず、正午にこそ物を生ず。地は極南極北に物を生ぜず、中間の地帯にこそ物を生ず。

體數何為者也?生物者也。用數何為者也?運行者也。運行者,天也;生物者,地也。天以獨運,故以用數自相乘,而以用數之用為生物之時也;地偶而生,故以體數之用陽乘陰,為生物之數也。

体数は何を為すものか。これはもって物を生ずるに用いる。用数は何を為すものか。これはもって運行するに用いる。運行を主るは天で、生物を主るは地である。天は独り運転して配偶なく、ゆえに用数を取って自らに自らを乗じ、再び「用数の用」を取って生物の時節に当てる。地は必ず双を成し対を成してはじめて生育する能くす。ゆえに体数の用のうちの陽を取って陰に乗じ、それをもって生物の数目に当てる。

天數三,故六六而又六之。是以乾之策二百一十有六;地數兩,故十二而十二之,是以坤之策百四十有四也。乾用九,故三其八為二十四,而九之亦二百一十六。兩其八為十六,而九之亦百四十有四。坤用六,故三其十二為三十六,而六之亦二百一十六。兩其十二為二十四,而六之亦百四十有四也。坤以十二之三,十六之四,六之一與半為乾之餘分,則乾得二百五十二,坤得一百八也。

天数は三を取る。ゆえに六に六を乗じた後に再び六を乗じて、二百一十六を得る。これがすなわち《繋辞》の言う乾の策数二百一十六である。地数は二を取る。ゆえに十二に十二を乗じて、一百四十四を得る。これがすなわち坤の策数一百四十四である。乾は九を用いる。ゆえに八の三倍は二十四、再び九を乗じてもまた二百一十六。八の两倍は十六、再び九を乗じてもまた一百四十四。坤は六を用いる。ゆえに十二の三倍は三十六、再び六を乗じてもまた二百一十六。十二の两倍は二十四、再び六を乗じてもまた一百四十四。もし坤のこの一辺の十二の三分、十六の四分、六の一份半を皆乾の多出したる余分と算すれば、然らば乾は二百五十二を得、坤は一百零八を得る。

體有三百八十四,而用止於三百六十,何也?以乾、坤、離、坎之不用也。乾、坤、離、坎之不用,何也?乾、坤、離、坎之不用,所以成三百六十之用也。故萬物變易,而四者不變也。夫惟不變,是以能變也。用止於三百六十,而有三百六十六,何也?數之贏也。數之贏則何用也?乾全用也。乾坤不用,則離坎用半也。乾全用者何也?陽主贏也。乾坤不用者何也?獨陽不生,專陰不成也。離坎用半何也?離東坎西,當陰陽之半,為春秋晝夜之門也。

体数に三百八十四あり、動用するは却って三百六十に至るのみ、なぜか。乾・坤・離・坎の四卦が存して用いざるがゆえである。この四卦はなぜ用いざるか。まさにそれらが用いざるがゆえに、はじめてあの三百六十の用を成全す。ゆえに万物は変化停まらざると雖も、この四者は終始変わらず。もまたまさに変わらざるがゆえに、それらは別のものを変えしめる能くする。用数はただ三百六十に至るも、実際は一年に三百六十六日あり、またなぜか。あれは数目の多出したる盈余である。この盈余はどう安置するか。乾によりて全数を承当せしむ。乾坤はすでに用いざれば、則ち離坎に各々一半を用いしむ。なぜ乾によりて全用せしめるか。陽は盈余を主るがゆえである。なぜ乾坤は用いざるか。孤陽は生ずる能わず、純陰は成す能わざるがゆえである。なぜ離坎はただ一半を用いるか。離は東に在り、坎は西に在り、まさに陰陽の分界の処に当たり、春秋の両分と昼夜の交替の門戸なるがゆえである。

或用乾,或用離坎,何也?主陽而言之,故用乾也。主贏分而言之,則陽侵陰,晝侵夜,故用離坎也。陽主贏,故乾全用也。陰主虛,故坤全不用也。陽侵陰,陰侵陽,故離坎用半也。是以天之南全見,而北全不見,東西各半見也。離坎陰陽之限也,故離當寅,坎當申,而數常逾之者,蓋陰陽之溢也。然用數不過乎寅,交數不過乎申也。(或離當卯,坎當酉。)

或る時は乾を用いると説き、或る時は離坎を用いると説く。これはどういう事か。陽のこの一面に就いて説けば、ゆえに乾を取る。盈余のあの一分に就いて説けば、陽が陰に侵入し昼が夜に侵入する。ゆえに離坎を取る。陽は盈を主る。ゆえに乾は全用す。陰は虚を主る。ゆえに坤は全く用いず。陽は陰を侵し、陰もまた陽を侵す。ゆえに離坎は各々一半を用いる。これは天象の上に落ちれば便ち。南天は全部可見、北天は全部不可見、東西の両辺は各々半を見る。離と坎は陰陽の界限で、ゆえに離は寅位に当たり、坎は申位に当たる。而も実際の数はつねにこの界限を越え越す。あれは陰陽に溢出する所有るがゆえである。ただし用数は寅を越えず、交数もまた申を越えず。(一説に離は卯位に当たり、坎は酉位に当たるとす。)

乾四十八,兌三十,離二十四,震十,坤十二,艮二十,坎三十六,巽四十。乾三十六,坤十二,離、兌、巽二十八,坎、艮、震二十。乾四十八而四分之一為陰所克;坤四十八而四分之一為所克之陽也。故乾得三十六,而坤得十二也。陽主進,是以進之為三百六十日;陰主消,是以十二月消十二日也。陽四卦十二爻,八陽四陰,以三十六乘其陽,以二十四乘其陰,則三百八十四也。

八卦の各々配する所の数は。乾四十八、兌三十、離二十四、震十、坤十二、艮二十、坎三十六、巽四十。もし単に陽策を論ずれば、則ち乾三十六、坤十二、離・兌・巽は各々二十八、坎・艮・震は各々二十。乾は本来四十八あり、その四分の一が陰に克し去られた。坤もまた本来四十八あり、その四分の一がすなわち克し来られたるあの份の陽である。ゆえに乾は実に三十六を得、坤は実に十二を得る。陽は前進を主る。ゆえに一路進み上りて三百六十日を成す。陰は消減を主る。ゆえに十二個の朔望月は一年より十二日を少く去る。陽に属する四卦は共に十二爻あり、その中八個の陽爻・四個の陰爻。三十六を取って陽爻に乗じ、二十四を取って陰爻に乗ずれば、二百八十八に九十六を加えて、ちょうど三百八十四。

圓者,星也,曆紀之數,其肇於此乎?方者,土也,畫州井地之法,其仿於此乎?蓋圓者,河圖之數;方者,洛書之文。故羲、文因之而造《易》,禹、箕敘之而作《範》也。圓數有一,方數有二,奇偶之義也。六即一也,十二即二也。

円の一辺は星象に属す。暦法紀年の数目は、およそここに発端するか。方の一辺は土地に属す。九州を劃分し井田を経営する弁法は、およそこれに倣傚するか。説き尽くせば、円なるは《河図》の数で、方なるは《洛書》の文である。ゆえに伏羲・文王はそれに依って《易》を造出し、大禹・箕子はそれに依って《洪範》を排出した。円数の根本は一で、方数の根本は二。これがすなわち奇と偶の分別である。六はただ一の六倍に過ぎず、仍ほ一に帰し、十二はただ二の六倍に過ぎず、仍ほ二に帰す。

圓者徑一圍三,重之則六。方者徑一圍四,重之則八也。天圓而地方。圓者之數起一而積六,方者之數起一而積八。變之則起四而積十二也。六者常以六變,八者常以八變,而十二者亦以八變,自然之道也。八者,天地之體也;六者,天之用也;十二者,地之用也。天變方為圓,而常存其一;地分一為四,而常執其方。天變其體,而不變其用也;地變其用,而不變其體也。六者,並其一而為七;十二者,並其四而為十六也。陽主進,故天並其七而為七;陰主退,故地去其四而止於十二也。是陽常存一,而陰常晦一也。故天地之體止於八,而天之用極於七,地之用止於十二也。

円形は直径を一と為せば周長は三で、加倍すれば便ち六。方形は直径を一と為せば周長は四で、加倍すれば便ち八。天は円なり、地は方なり。ゆえに円の数は一より起きて積して六を成し、方の数は一より起きて積して八を成す。もし再び一層を変ずれば、則ち四より起きて積して十二を成す。六はつねに六に按じて変じ、八はつねに八に按じて変じ、而も十二もまた八に按じて変ず。これは皆自然にして然る道理である。八は、天地の共有する「体」。六は、天の「用」。十二は、地の「用」。天は方を変じて円と為し、而も終始あの「一」を保留す。地は一を分かちて四と為し、而も終始あの方を守る。天の変ずるはその体で、変わらざるはその用。地の変ずるはその用で、変わらざるはその体。六にそれの一を加えれば便ち七、十二にそれの四を加えれば便ち十六。陽は前進を主る。ゆえに天はあの一份を併せ入れて七を成す。陰は後退を主る。ゆえに地はあの四份を去りて十二に止まる。陽はつねに「一」を保存し、陰はつねに「一」を隠晦するを見るべし。ゆえに天地の体は八に至って止み、而も天の用は七に極み、地の用は十二に止まる。

圓者裁方以為用,故一變四。四去其一,則三也。三變九,九去其三,則六也。方者引圓以為體,故一變三,並之四也。四變十二,並之十六也。故用數成於三而極於六,體數成於四而極於十六也。是以圓者徑一而圍三,起一而積六;方者分一而為四,分四而為十六,皆自然之道也。

円は方を裁削して取り来りて作用と為す。ゆえに一は変じて四と成る。四はその中の一份を去りて、三を剩す。三は再び変じて九と成り、九はその中の三份を去りて、六を剩す。方は円を牽引して取り来りて体を為す。ゆえに一は変じて三と成り、本身を併せ入れれば便ち四。四は変じて十二と成り、本身を併せ入れれば便ち十六。ここにおいて用数は三に成りて六に極み、体数は四に成りて十六に極まる。ゆえに円は直径一にして周長三、一より起きて積して六を成す。方は一を分かちて四と為し、四を再び分かちて十六と為す——これらは皆自然にして然る道理である。

圓者一變則生六,去一則五也;二變則生十二,去二則十也;三變則生十八,去三則十五也;四變則二十四,去四則二十也;五變則三十,去五則二十五也;六變則三十六,去六則三十也。是以存之則六六,去之則五五也。五則四而存一也,四則三而存一也,三則二而存一也,二則一而存一也。故一生二,去一則一也;二生三,去一則二也;三生四,去一則三也;四生五,去一則四也。是故二以一為本,三以二為本,四以三為本,五以四為本,六以五為本。(更思之。)

円数は変ずる一度に六を生出し、一份を去りて五を剩す。変ずる両度に十二を生出し、両份を去りて十を剩す。変ずる三度に十八を生出し、三份を去りて十五を剩す。変ずる四度は二十四、四份を去りて二十を剩す。変ずる五度は三十、五份を去りて二十五を剩す。変ずる六度は三十六、六份を去りて三十を剩す。ゆえに保留して算えば便ち六六三十六、去りて後に算えば便ち五五二十五。同じく然り。五はすなわち四に再び一個の一を存したる、四はすなわち三に再び一個の一を存したる、三はすなわち二に再び一個の一を存したる、二はすなわち一に再び一個の一を存したる。ゆえに一は二を生じ、あの一份を去りて仍ほ一。二は三を生じ、一份を去りて二。三は四を生じ、一份を去りて三。四は五を生じ、一份を去りて四。これより見るべし。二は一をもって本と為し、三は二をもって本と為し、四は三をもって本と為し、五は四をもって本と為し、六は五をもって本と為す。(ここにはなお再加の体味を要す。)

方者一變而為四,四生八,並四而為十二;八生十二,並八而為二十;十二生十六,並十二而為二十八;十六生二十,並十六而為三十六也。一生三,並而為四也;十二生二十,並而為三十二也;二十八生三十六,並而為六十四也。(更思之。)

方数は変ずる一度に四と成る。四は八を生じ、元来の四を併せ入れれば便ち十二。八は十二を生じ、元来の八を併せ入れれば便ち二十。十二は十六を生じ、元来の十二を併せ入れれば便ち二十八。十六は二十を生じ、元来の十六を併せ入れれば便ち三十六。再び総合を看れば。一は三を生じ、両数相併せて四。十二は二十を生じ、両数相併せて三十二。二十八は三十六を生じ、両数相併せてまさに六十四卦の数。(ここにはなお再加の体味を要す。)

一役二以生三,三去其一則二也。三生九,九去其一則八也,去其三則六也。故一役三,三復役二也;三役九,九復役八與六也。是以二生四,八生十六,六生十二也。三並一則為四,九並三則為十二,十二又並四則為十六。故四以一為本,三為用。十二以三為本,九為用。十六以四為本,十二為用。(更思之。)

一は二を駆使して三を生出し、三はあの一を減じて便ち二に回る。三は九を生じ、九は一を減じて便ち八、三を減じて便ち六。ゆえに一は三を駆使し、三はまた転じて二を駆使す。三は九を駆使し、九はまた転じて八と六を駆使す。ここにおいて二は四を生じ、八は十六を生じ、六は十二を生ず。三に一を加えれば便ち四、九に三を加えれば便ち十二、十二に再び四を加えれば便ち十六。見るべし。四は一をもって本と為し三をもって用と為し、十二は三をもって本と為し九をもって用と為し、十六は四をもって本と為し十二をもって用と為す。(ここにはなお再加の体味を要す。)

裁方而為圓,天之所以運行;分大而為小,地之所以生化。故天用六變,地用四變也。一八為九,裁為七,八裁為六,十六裁為十二,二十四裁為十八,三十二裁為二十四,四十裁為三十,四十八裁為三十六,五十六裁為四十二,六十四裁為四十八也。一分為四,八分為三十二,十六分為六十四,以至九十六分為三百八十四也。

方形を裁削して円形を成す。これは天が運行して息まざる能くする所以の道理。大きいを分かちて小さいと為す。これは地が生育化育する能くする所以の道理。ゆえに天は六変を走り、地は四変を走る。裁削は四分去一の比例に按じて来る。一に八を加えて九と為し、四分の一を裁し去りて七を余す。八を裁して六と為し、十六を裁して十二と為し、二十四を裁して十八と為し、三十二を裁して二十四と為し、四十を裁して三十と為し、四十八を裁して三十六と為し、五十六を裁して四十二と為し、六十四を裁して四十八と為す。分割は則ち四倍に按じて来る。一を分かちて四と為し、八を分かちて三十二と為し、十六を分かちて六十四と為し、一路推して九十六を分かちて三百八十四と為すに至る——まさに六十四卦三百八十四爻の数。

一生六,六生十二,十二生十八,十八生二十四,二十四生三十,三十生三十六。引而伸之,六十變而生三百六十矣。此運行之數也。四生十二,十二生二十,二十生二十八,二十八生三十六,此生物之數也。故乾之陽策三十六,兌離巽之陽策二十八,震坎艮之陽策二十,坤之陽策十二也。

一は六を生じ、六は十二を生じ、十二は十八を生じ、十八は二十四を生じ、二十四は三十を生じ、三十は三十六を生ず。この六六に遞加する路数に照らして牽引伸展し下れば、六十変を走り満たして便ち三百六十を生出す。これは「運行の数」。別の一路は四が十二を生じ、十二が二十を生じ、二十が二十八を生じ、二十八が三十六を生じ、每次八を遞加す。これは「生物の数」。ゆえにこの路数に照らして八卦の陽策に配す。乾は三十六、兌・離・巽は各々二十八、震・坎・艮は各々二十、坤は十二。

圓者六變,六六而進之,故六十變而三百六十矣。方者八變,故八八而成六十四矣。陽主進,是以進之為六十也。六變而成三十六矣,八變而成六十四矣,十二變而成三百六十四矣。六六而變之,八八六十四變,而成三百八十四矣。八八而變之,七七四十九變,而成三百八十四矣。

円は六変を走り、六個の六に按じて遞進す。ゆえに六十変にして三百六十を成す。方は八変を走る。ゆえに八八相乗して六十四を成す。陽は前進を主る。ここにおいて一路進みて六十に至る。再び算えば。六変にして三十六を成し、八変にして六十四を成し、十二変にして三百六十四を成す(底本このよう、疑らくは三百六十と作るべし)。六六をもって一節と為して変ずれば、八八六十四変にして、便ち三百八十四を成す。八八をもって一節と為して変ずれば、七七四十九変にして、同じく三百八十四を成す——両条の路は底に走り尽くして、皆六十四卦三百八十四爻の上に帰す。

蓍德圓,以況天之數,故七七四十九也。五十者存一而言之也。卦德方,以況地之數,故八八六十四也。六十者,去四而言之也。蓍者,用數也;卦者,體數也。用以體為基,故存一也;體以用為本,故去四也。圓者本一,方者本四,故蓍存一而卦去四也。蓍之用數七,並其餘分,亦存一之義也;掛其一,亦去一之義也。

蓍草の徳性は円なり。もって天数を比況す。ゆえに七七四十九を取る。大衍の数五十と説くは、あの存して用いざる一を算え入れて講ずるのである。卦の徳性は方なり。もって地数を比況す。ゆえに八八六十四を取る。六十と説くは、乾坤離坎の四卦を去りて講ずるのである。蓍は用数に属し、卦は体数に属す。用は体をもって根基と為すを要す。ゆえに一個を留めて用いず。体は用をもって根本と為すを要す。ゆえに四個を去る。円は一をもって本と為し、方は四をもって本と為す。ここにおいて蓍は一を留めて卦は四を去る。蓍の用数は七を取り、余分を併せ入れて算えるも、もまた「存一」の意である。起卦の時に先ず一根を挂け出して用いざるも、もまた「去一」の意である。

蓍數不以六而以七,何也?並其餘分也。去其餘分則六,故策數三十六也。是以五十者,六十四卦閏歲之策也。其用四十有九,六十四卦一歲之策也。歸奇掛一,猶一歲之閏也。卦直去四者,何也?天變而地效之。是以蓍去一,則卦去四也。

蓍数はなぜ七を取りて六を取らざるか。余出したるあの一分を併せ入れたるがゆえである。もし余分を去れば便ち六。ゆえに一爻の策数は六六三十六。まさにこのため、五十のこの数は、六十四卦に閏年を配する策数である。実際に四十九を用いるは、六十四卦に平年を配する策数である。揲蓍の時に零頭を帰攏し先ず一根を挂け出すは、一年のうちに一個の閏月を安んずるに比す。卦のこの一辺はなぜ径直に四個を去るか。天が先に変じて地がそれに随って效法するがゆえである。蓍が一を去れば、卦は則ち相応して四を去る。

蓍之用數,掛一以象三。其餘四十八,則一卦之策也。四其十二為四十八也。十二去三而用九,四三十二所去之策也,四九三十六所用之策也,以當乾之三十六陽爻也。十二去五而用七,四五二十所去之策也,四七二十八所用之策也,以當兌離之二十八陽爻也。十二去六而用六,四六二十四所去之策也,四六二十四所用之策也,以當坤之二十四陰爻也。十二去四而用八,四四十六所去之策也,四八三十二所用之策也,以當艮坎之二十四爻,並上卦之八陰,為三十二爻也。是故七九為陽,六八為陰也。

蓍の用数は四十九。先ず一根を挂け出してもって天地人の三才に象り、剩る四十八は、まさに一卦の策数——四に十二を乗じて便ち四十八。十二のうち三を去りて九を用いる。四に三を乗じて十二を得るは、去る策。四に九を乗じて三十六を得るは、用上の策で、ちょうど乾卦の三十六陽爻に抵る。十二のうち五を去りて七を用いる。四に五を乗じて二十を得るは、去る策。四に七を乗じて二十八を得るは、用上の策で、兌・離の二十八陽爻に抵る。十二のうち六を去りて六を用いる。四に六を乗じて二十四を得て、二十四を去り、用上もまた二十四で、坤卦の二十四陰爻に抵る。十二のうち四を去りて八を用いる。四に四を乗じて十六を得るは、去る策。四に八を乗じて三十二を得るは、用上の策で、艮・坎の二十四爻に抵り、さらに卦の八個の陰爻を加えて、共に三十二爻。ゆえに七と九は陽に帰し、六と八は陰に帰す。

九者陽之極數,六者陰之極數。數極則反,故為卦之變也。震巽無策者,以當不用之數。天以剛為德,故柔者不見。地以柔為體,故剛者不生。是以震巽無策也。或先艮後兌離。乾用九,故其策九也,四之者以應四時,一時九十日也。坤用六,故其策亦六也。

九は陽数の極点で、六は陰数の極点である。数は極点に走れば則ち反転するを要す。ゆえに老陽老陰こそ一卦の変爻の根拠である。震・巽の両卦は策数を配せず。あれはそれらを取って存して用いざるあの一份に充当するのである。天は剛をもって徳と為す。ゆえに柔の一面は顕れ出づる能わず。地は柔をもって体と為す。ゆえに剛の一面は生出する能わず。震巽はここにおいて策なし。もまた艮を前に排し兌離を後に排する排法あり。乾は九を用いる。ゆえにその策は九をもって準と為し、再び四を乗じてもって四時に対応し、一時はまさに九十日。坤は六を用いる。ゆえにその策もまた六をもって準と為す。

奇數四,有一有二有三有四。策數四,有六有七有八有九。合而為八數,以應方數之八變也。歸奇合掛之數有六,謂五與四四也,九與八八也,五與四八也,九與四八也,五與八八也,九與四四也,以應圓數之變六也。

揲蓍の得たる零頭に四種あり、一・二・三・四である。零頭に由って定まる策数にも四種あり、六・七・八・九である。両辺合わせて共に八個の数、まさに方数の八変に対応す。零頭を帰攏し、挂け出したるあの一根を連ねて合わせて算うるに至っては、その結果に六種あり、すなわち五と四四、九と八八、五と四八、九と四八、五と八八、九と四四で、まさに円数の六変に対応す。

奇數極於四,而五不用。策數極於九,而十不用。五則一也,十則二也。故去五十而用四十九也。奇不用五,策不用十,有無之極也,以況自然之數也。蓍數全,故陽策三十六與二十八,合之為六十四也。卦數去其四,故陰策二十四與三十二,合之為五十六也。九進之為三十六,皆陽數也,故為陽中之陽;七進之為二十八,先陽而後陰也,故為陽中之陰;六進之為二十四,皆陰數也,故為陰中之陰;八進之為三十二,先陰而後陽也,故為陰中之陽。

零頭の数は四に至って止み、五は則ち用いず。策数は九に至って止み、十もまた用いず。五は還原すればすなわち一、十は還原すればすなわち二なるがゆえである。ゆえに大衍の数は五十にして実用は四十九。零頭は五を用いず、策数は十を用いず。これがまさに「有」と「無」の両極で、もって自然生成の数を比況す。蓍数は完整なり。ゆえに陽策三十六と二十八を相加えて六十四と為す。卦数はすでに四個を去れたり。ゆえに陰策二十四と三十二を相加えて五十六と為す。九は四をもって進みて三十六を得、四・九は皆陽数。ゆえに陽中の陽と叫ぶ。七は四をもって進みて二十八を得、四は陽にして七はその後に居りて陰。ゆえに陽中の陰と叫ぶ。六は四をもって進みて二十四を得、皆陰数。ゆえに陰中の陰と叫ぶ。八は四をもって進みて三十二を得、先に陰にして後に陽。ゆえに陰中の陽と叫ぶ。

蓍四進之則百,卦四進之則百二十。百則十也,百二十則十二也。歸奇合掛之數,得五與四四,則策數四九也;得九與八八,則策數四六也;得五與八八,得九與四八,則策數皆四七也;得九與四四,得五與四八,則策數皆四八也。為九者,一變以應乾也;為六者,一變以應坤也;為七者,二變以應兌與離也;為八者,二變以應艮與坎也。五與四四,去掛一之數,則四八三十二也;九與八八,去掛一之數,則四六二十四也;五與八八、九與四八,去掛一之數,則四五二十也;九與四四、五與四八,去掛一之數,則四四十六也。故去其三四五六之數,以成九八七六之策也。

蓍数二十五を四をもって進めば一百を得、卦数三十を四をもって進めば一百二十を得。一百は帰結すれば仍ほ十、一百二十は帰結すれば仍ほ十二。零頭を帰攏して挂一を連ねて合算す。五と四・四を得るは、策数は四九三十六。九と八・八を得るは、策数は四六二十四。五と八・八、或いは九と四・八を得るは、策数は皆四七二十八。九と四・四、或いは五と四・八を得るは、策数は皆四八三十二。九を得るは、ただ一変すれば便ち乾に対応し得。六を得るは、ただ一変すれば便ち坤に対応し得。七を得るは、両変するを要してもって兌と離に対応す。八を得るは、両変するを要してもって艮と坎に対応す。五と四・四は、挂け出したる一份を去りて、四八三十二。九と八・八は、挂一を去りて、四六二十四。五と八・八及び九と四・八は、挂一を去りて、皆四五二十。九と四・四及び五と四・八は、挂一を去りて、皆四四十六。ゆえにまさに三・四・五・六のこの幾組の数を去るを倚って、はじめて九・八・七・六のこの四種の策を成就す。

天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十,參伍以變,錯綜其數也。如天地之相銜,晝夜之相交也。一者數之始,而非數也。故二二為四,三三為九,四四為十六,五五為二十五,六六為三十六,七七為四十九,八八為六十四,九九為八十一,而一不可變也。百則十也,十則一也,亦不可變也。是故數去其一而極於九,皆用其變者也。五五二十五,天數也;六六三十六,乾之策數也;七七四十九,大衍之用數也;八八六十四,卦數也;九九八十一,玄範之數也。

《繋辞》は天一・地二、天三・地四、天五・地六、天七・地八、天九・地十と説き、奇偶相間じて、三番五次に交互に変化し、錯綜して数を成す。天と地が首尾相銜じ、昼と夜が彼此に交替するが如し。「一」は数の開端で、自身は却って算えて数と為さず。ゆえに二の自乗は四、三の自乗は九、四の自乗は十六、五の自乗は二十五、六の自乗は三十六、七の自乗は四十九、八の自乗は六十四、九の自乗は八十一、独り一の自乗は仍ほ一にして、変じ出でず。一百は帰結して十、十はまた帰結して一、同じく変じ出でず。ここにおいて計数は「一」を撇き開けて、而も九をもって極と為す。取る所は皆変じ得るあの部分である。五五二十五は、天数の和である。六六三十六は、乾の一爻の策数である。七七四十九は、大衍の実用の数である。八八六十四は、卦数である。九九八十一は、則ち揚雄の《太玄》八十一首と《尚書・洪範》九疇の本とする所の数である。

大衍之數,其算法之源乎?是以算數之起,不過乎方圓曲直也。乘數,生數也;除數,消數也。算法雖多,不出乎此矣。《易》之大衍,何數也?聖人之倚數也。天數二十五,合之為五十;地數三十,合之為六十。故曰“五位相得,而各有合也”。五十者,蓍之數也;六十者,卦之數也。五者,蓍之小衍也。故五十為大衍也。八者,卦之小成,則六十四為大成也。

大衍の数は、およそ一切の算法の源頭であろうか。ゆえに算数の起源は、方・円・曲・直の幾種の形の外に出ず。乗法は数を増生せしめる、除法は数を消減せしめる。算法の名目は多しと雖も、この両様を跳出す能わず。然らば《易》のうちの大衍は畢竟何の数か。これは聖人が天地の数に憑依して擬設し出したる数である。天数一・三・五・七・九は合計二十五、加倍すれば便ち五十。地数二・四・六・八・十は合計三十、加倍すれば便ち六十。ゆえに《繋辞》は「五位相得て各々合あり」と説く。五十は蓍の数で、六十は卦の数である。五は、蓍の「小衍」で、推して之を広めれば、五十は便ち「大衍」。八は、卦の「小成」で、推して之を広めれば、六十四は便ち「大成」。

五十分之則為十。若參天兩之,則為六。兩地又兩之,則為四。此天地分太極之數也。天之變六,六其六得三十六,為乾一爻之數也。積六爻之策,共得二百一十有六,為乾之策。六其四得二十四,為坤一爻之策。積六爻之數,共得一百四十有四,為坤之策。積二篇之策,乃萬有一千五百二十也。

五十を平分して五份と為せば、每份は十。もし「参天」に照らして三を取り、再加倍すれば、便ち六。「両地」に照らして二を取り、再加倍すれば、便ち四。これがすなわち天地が太極を分割して得たる数である。天の变数は六で、六個の六にして三十六を得るは、乾の一爻の策数である。六爻の策を累加すれば共に二百一十六、すなわち乾の策である。六個の四にして二十四を得るは、坤の一爻の策数である。六爻を累加すれば共に一百四十四、すなわち坤の策である。《易》の上下両篇六十四卦の策数を全部累加すれば、便ち一万一千五百二十、まさに万物の数に当たる。

陽得陰而生,陰得陽而成,故蓍數四而九,卦數六而十也。猶干支之相錯,乾以六終,而支以五終也。卦有六十四,而用止六十者,何也?六十卦者,三百六十爻也。故甲子止於六十也。六甲,天道窮矣。是以策數應之,三十六與二十四合之則六十也,三十二與二十八合之亦六十也。乾四十八,坤十二,震二十,巽四十,離兌三十二,坎艮二十八,合之亦六十也。

陽は陰を得てはじめて生ずる能くし、陰は陽を得てはじめて成ずる能くす。ゆえに蓍数は四と九と相配し、卦数は六と十と相配す。これは干支が互相に交錯するに比す。十干は六輪を循環して頭に至り、十二支は五輪を循環して頭に至り、皆六十に終わる。卦は共に六十四、実際に動用するは却って六十に至るのみ、なぜか。六十卦はまさに三百六十爻で、ちょうど一年三百六十日に当たり、而も甲子の一周もまたまさに六十なるがゆえである。六甲が走り尽くせば、天道は則ち一圈を転ず。策数もまたこれに相応す。三十六と二十四を相加えて六十、三十二と二十八を相加えてもまた六十。乾四十八に坤十二を加え、震二十に巽四十を加え、離兌三十二に坎艮二十八を加え、相加えて同じく皆六十。

三四十二也,二六亦十二也。二其十二,二十四也。三八亦二十四也,四六亦二十四也。三其十二,三十六也。四九亦三十六也,六六亦三十六也。四其十二,四十八也。三其十六亦四十八也,六八亦四十八也。五其十二,六十也。三其二十亦六十也,六其十亦六十也。皆自然之相符也。(此蓋陰數分其陽數耳,是以相因也。如月初一分作十二也。二十四氣、七十二候之數,亦可因以明之。)

三に四を乗じて十二、二に六を乗じてもまた十二。十二の两倍は二十四、三に八を乗じてもまた二十四、四に六を乗じてもまた二十四。十二の三倍は三十六、四に九を乗じてもまた三十六、六に六を乗じてもまた三十六。十二の四倍は四十八、三に十六を乗じてもまた四十八、六に八を乗じてもまた四十八。十二の五倍は六十、三に二十を乗じてもまた六十、六に十を乗じてもまた六十。同じからざる路数に算い出して同一の数に至るは、皆自然の暗合である。(これはただ陰数が陽数を分割するに過ぎず。ゆえに彼此互いに因数と為り得る。譬えば每月の初一を分かちて十二份と為せばすなわち是。一年の二十四節気・七十二候の数目も、またこの弁法に照らして推明し得る。)

四九三十六也,六六三十六也。陽六而又兼陰六之半,是以九也。故以二卦言之,陰陽各三也;以三爻言之,天地人各二也。陰陽之中,各有天地人。天地人之中,各有陰陽。故參天兩地而倚數也。

四に九を乗じて三十六、六に六を乗じてもまた三十六。陽は本身六を占め、また陰のあの六の一半を兼併し、合わせてゆえに九。ゆえに上下の二卦に就いて言えば、陰と陽は各々三爻を占む。三才の位に就いて言えば、天・地・人は各々二爻を占む。陰陽の中、各々天地人を含む。天地人の中、また各々陰陽を含む。まさにこのため、はじめて「参天両地而倚数」と説く——天の三を取り、地の二を取り、それらに憑依して擬設し出して全部の数と為す。

《易》有真數,三而已。參天者,三三而九。兩地者,倍三而六。參天兩地而倚數,非天地之正數也。倚者,擬也,擬天地正數而生也。《易》之數窮天地終始。或曰:“天地亦有終始乎?”曰:“既有消長,豈無終始?”天地雖大,是亦形器,乃二物也。

《易》の真正の根数はただ一個の三のみである。いわゆる「参天」は、三個の三にして九を得。いわゆる「両地」は、三の两倍にして六を得。「参天両地而倚数」の得たる所は、並びに天地自体の正数ではなく、擬設の数である——「倚」はすなわち比擬で、天地の正数に比して推衍し出したるもの。《易》の数は天地の開端と終結を窮尽する能くす。或る人は問う。「天地もまた開端と終結あるか」と。答えて言う。「すでに消あり長あれば、どうして終始なからんや」と。天地は広大なりと雖も、説き尽くせば仍ほ有形の器で、ただ両個の物に過ぎない。

《易》之生數,一十二萬九千六百,總為四千三百二十世。此消長之大數,衍三十年之辰數,即其數也。歲三百六十日,得四千三百二十辰。以三十乘之,得其數矣。凡甲子甲午為世首,此為經世之數,始於日甲月子星甲辰子。又云,此經世日甲之數,月子星甲辰子從之也。

《易》の生数は十二万九千六百、合共四千三百二十世。これは消長の総数である。その来歴は、すなわち三十年の含む辰数を推衍し出したるもの。一年三百六十日、每日十二辰、四千三百二十辰を得る。再び三十年を乗じて、ちょうど十二万九千六百を得る。およそ甲子・甲午に逢えば便ち一世の首と算う。これがすなわち「経世」の数で、起点は日甲・月子・星甲・辰子のこの一格の上に在る。また説く。これは経世の表裏に日が甲位に在る数で、月子・星甲・辰子の三項は皆それに随って排し下る。

十、百、千、萬、億為奇,天之數也。十二、百二十、千二百、萬二千、億二萬為偶,地之數也。十干天也,十二支地也,支干配天地之用也。乾者,乾之義,陽也;支者,枝之義,陰也。乾十而支十二,是陽數中有陰,陰數中有陽也。陽數一,衍之為十,十干之類是也;陰數二,衍之為十二,十二支、十二月之類是也。陽無十,故不足於後;陰無一,故不足於首。

十・百・千・万・億のこの一系は奇で、天の数に属す。十二・一百二十・一千二百・一万二千・一億二万のこの一系は偶で、地の数に属す。十天干は天に属し、十二地支は地に属す。干と支の相配するは、まさに天地の用の体現である。「干」は樹干の意を取り、陽に属す。「支」は枝條の意を取り、陰に属す。天干は十にして地支は十二。陽数の中に陰を含み、陰数の中に陽を含むを見るべし。陽の本数は一で、推衍し開けば十と成る。十天干の一类は便ち是。陰の本数は二で、推衍し開けば十二と成る。十二地支・十二月の一类は便ち是。陽のこの一系のうちに「十」のこの整位なし。ゆえに末尾に一分を欠缺す。陰のこの一系のうちに「一」なし。ゆえに開頭に一分を欠缺す。

陽數於三百六十上盈,陰數於三百六十上縮。體四而變六,兼神與氣也。氣變必有故,三百六十也。氣以六變,體以四分。天地之交十之三。

一年三百六十日をもって準と為せば、陽数はこの数の上に盈余あり、陰数はこの数の上に亏縮あり。体は本来四なりしが、変じ起これば却って六。多出したる両分は「神」と「気」をも算え入れたるもの。気の変化は必ず個の定準あり。あの定準はすなわち三百六十。気は六に按じて変じ、体は四に按じて分かつ。天と地の交接する部分は、十分の三を占む。

凡事為之極,凡十之七,則可以正矣。蓋夏至之日,止於六十,兼之以晨昏分,可辨邑矣。庶幾乎十之七也。正音律數行至於七而止者,以夏至之日出於寅而入於戌,亥子丑三時,則日入於地,而目無所見。此三數不行者,所以比於三時也。故生物之數亦然。非數之不行也,有數而不見也。

およそ一件の事を為すに、極処に為して、およそ十分の七に至ればもまた成と算して可なり。譬えば夏至のこの一天、白昼の行く所は六十分を過ぎず、さらに早晨と黄昏の微光を加えて、すでに城邑の輪郭を辨認するに足り、もまた差不多く十分の七である。音律を校正するに、数は七に推して便ち停まる。縁故は夏至のあの日に太陽が寅時より升起し戌時に至って落下し、亥・子・丑のこの三個の時辰に太陽は地底に沉み、眼睛は何も見る能わざるに在る。この三份の数が推し下る能わざる所以は、まさにあの三個の時辰に対応す。生物の数もまた同じ道理である。並びに数自体が推し下る能わざるに非ず、数はそこに在ると雖も、人は却って見る能わざるのである。

天下之數出於理。違乎理,則入於術。世人以數而入術,故失於理也。

天下の一切の数は、皆「理」のうちより生出したるものである。一旦理に背離すれば、則ち堕落して方術と成る。世人はただ数目を摆弄するを顧みて方術の一路に落ち入る。ゆえに理を丢掉した——これは邵雍が自己の象数の学のために劃定したる界限である。数はもって理を見るに用いるのであって、もって命を算い巧みを弄するに用いるのではない。

太極既分,兩儀立矣。陽下交於陰,陰上交於陽,四象生矣。陽交於陰,陰交於陽,而生天之四象;剛交於柔,柔交於剛,而生地之四象。於是八卦成矣。八卦相錯,然後萬物生焉。是故一分為二,二分為四,四分為八,八分為十六,十六分為三十二,三十二分為六十四。故曰分陰分陽,迭用柔剛,易六位而成章也。

太極が一たび分判を経れば、陰陽の両儀は則ち立ち上がる。陽は下に向かって陰と交合し、陰は上に向かって陽と交合し、四象は便ち生出す。陽は陰に交わり、陰は陽に交わりて、天の四象太陽・太陰・少陽・少陰を生出す。剛は柔に交わり、柔は剛に交わりて、地の四象太剛・太柔・少剛・少柔を生出す。ここに至って、八卦は則ち形を成す。八卦は彼此に交錯し、然る後に万物ははじめて生出す。ゆえに一は分かれて二と為り、二は分かれて四と為り、四は分かれて八と為り、八は分かれて十六と為り、十六は分かれて三十二と為り、三十二は分かれて六十四と為る。《説卦》はまさにこれに就いて説く。陰を分かち陽を分かち、輪換して柔と剛を用い、《易》は六個の爻位をもって排布して篇章と成す。

十分為百,百分為千,千分為萬,猶根之有乾,乾之有枝,枝之有葉。愈大則愈少,愈細則愈繁,合之斯為一,衍之斯為萬。是故乾以分之,坤以翕之,震以長之,巽以消之。長則分,分則消,消則翕也。乾坤定位也,震巽一交也,兌離坎艮再交也。故震陽少而陰尚多也,巽陰少而陽尚多也,兌離陽浸多也,坎艮陰浸多也,是以辰與火不見也。

この路数に照らして下に推せば、十は分かれて百と為り、百は分かれて千と為り、千は分かれて万と為る。樹根の上に干を生じ、干の上に枝を生じ、枝の上に葉を生ずるが如し。愈々大きいは愈々少なく、愈々細かいは愈々繁し。收攏し起こればすなわち一個、鋪展し開けばすなわち万個。ゆえに乾は分かつを主り、坤は收斂を主り、震は生長を主り、巽は消減を主る。長じて頭に至れば則ち分かち、分かちて頭に至れば則ち消し、消して頭に至れば則ち收斂す。乾坤は上下の位を定める、震巽は初めて相交わる、兌離坎艮は再び相交わる。ゆえに震は陽剛初めて生じて陰がなお多数を占め、巽は陰柔初めて生じて陽がなお多数を占め、兌と離は陽が漸々増多し、坎と艮は陰が漸々増多す。もまたまさに陰陽の偏勝がこのようであるがゆえに、天の四象のうちの「辰」と地の四体のうちの「火」が隠れて見えざる。

一氣分而陰陽判。得陽之多者為天,得陰之多者為地。是故陰陽半而形質具焉,陰陽偏而性情分焉。形質又分,則多陽者為剛也,多陰者為柔也。性情又分,則多陽者陽之極也,多陰者陰之極也。兌離巽得陽之多者也,艮坎震得陰之多者也,是以為天地用也。乾陽極,坤陰極,是以不用也。

一団の元気が一たび分かれ開けば、陰と陽は判然として別つ。陽多きを得るは天と成り、陰多きを得るは地と成る。陰陽の両辺が各々一半を占むる時、形と質は則ち具備す。陰陽に偏勝ある時、性と情は則ち分かち出づ。形質は再び下に分かち、陽多きは剛と成り、陰多きは柔と成る。性情は再び下に分かち、陽多きは便ち陽の極点、陰多きは便ち陰の極点。兌・離・巽は陽較多きを得たる、艮・坎・震は陰較多きを得たる。ゆえにこの六卦は天地の取用に供し得べし。乾は陽の極点で、坤は陰の極点で、太だ純にして太だ満ち、反って存して用いず。

乾坤之名位不可易也,坎離名可易而位不可易也,震巽位可易而名不可易也,兌艮名與位皆可易也。離肖乾,坎肖坤,中孚肖乾,頤肖離,小過肖坤,大過肖坎。是以乾、坤、離、坎、中孚、頤、大過、小過,皆不可易者也。離在天而當夜,故陽中有陰也;坎在地而當晝,故陰中有陽也。震始交陰而陽生,巽始消陽而陰生。兌陽長也,艮陰長也。震兌在天之陰也,巽艮在地之陽也。故震兌上陰而下陽,巽艮上陽而下陰。

乾・坤の卦名と方位は皆動かす能わず。坎・離の名は互換し得べくして位は動かす能わず。震・巽の位は互換し得べくして名は動かす能わず。兌・艮は則ち名と位皆互換し得べし。卦形に就いて言えば、離は乾に像り、坎は坤に像り、中孚は乾に像り、頤は離に像り、小過は坤に像り、大過は坎に像る——それらは倒転して来ても皆なお本卦である。ゆえに乾・坤・離・坎・中孚・頤・大過・小過のこの八個は、皆反覆して変わらざる卦である。離は本は天に属すと雖も夜位に当たり。陽中に陰を含むを見るべし。坎は本は地に属すと雖も昼位に当たり。陰中に陽を含むを見るべし。震は陽剛初めて陰と交わりて陽気はじめて生ずる、巽は陽剛初めて消減せられて陰気はじめて生ずる。兌は陽の増長中、艮は陰の増長中。震と兌は天の一辺の陰で、巽と艮は地の一辺の陽である。ゆえに震兌は皆上爻を陰と為し下爻を陽と為し、巽艮は皆上爻を陽と為し下爻を陰と為す。

天以始生言之,故陰上而陽下,交泰之義也;地以既成言之,故陽上而陰下,尊卑之位也。乾坤定上下之位,離坎列左右之門。天地之所闔闢,日月之所出入。是以春夏秋冬,晦朔弦望,晝夜長短,行度盈縮,莫不由乎此矣。

天は万物の初生のこの一面に就いて説く。ゆえに陰は上に在り陽は下に在り、取る所は《泰》卦の天地交合の意である。地は万物の已成のこの一面に就いて説く。ゆえに陽は上に在り陰は下に在り、取る所は尊卑各々その位に安んずるの意である。乾坤は上下の方位を定め、離坎は左右の門戸に排す。天地はここに開合し、日月はここに出入す。ゆえに春夏秋冬の推移、晦朔弦望の円缺、昼夜長短の消長、日月行度の疾徐盈縮は、一つとしてここより出でざるなし。

乾四分取一以與坤,坤四分取一以奉乾,乾坤合而生六子,三男皆陽也,三女皆陰也。兌分一陽以與艮,坎分一陰以奉離,震巽以二相易,合而言之,陰陽各半。是以水火相生而相剋,然後既成萬物也。

乾は自己の四分の一の陽を分かちて坤に給し、坤は自己の四分の一の陰を奉じて乾に給し、乾坤は交合して便ち六個の子女を生ず。震・坎・艮の三男は皆陽に属し、巽・離・兌の三女は皆陰に属す。兌は一個の陽を分かち出して艮に給し、坎は一個の陰を奉じ出して離に給し、震と巽は則ち両個の爻を互相に交換す。合わせて看れば、陰と陽はちょうど各々半を占む。まさにこのようであるがゆえに、水と火はすでに相生しまた相克し、万物もまたこの相生相克の中に於て完成した。

乾坤縱而六子橫,《易》之本也。震兌橫而六卦縱,《易》之用也。起震終艮一節,明文王八卦也。天地定位一節,明伏羲八卦也。八卦相錯者,相交錯而成六十四卦也。數往者順,若順天而行,是左旋也,皆已生之卦也,故云數往也;知來者逆,若逆天而行,是右行也,皆未生之卦也,故云知來也。夫《易》之數由逆而成矣。此一節直解圖意,若逆知四時之謂也。

乾坤は竪に立て、六子は横に排す。これは《易》の本体である。震兌は横に排し、その余の六卦は竪に立つ。これは《易》の功用である。《説卦》のうちの「帝出乎震……成言乎艮」のあの一一節は、講ずる所は文王八卦である。「天地定位、山沢通気」のあの一節は、講ずる所は伏羲八卦である。いわゆる「八卦相錯」とは、すなわち八卦が彼此に交錯して六十四卦を成すこと。「数往者順」は、天の方向に順って走る、すなわち左旋で、数う所は皆すでに生成したる卦。ゆえに「数往」と叫ぶ。「知来者逆」は、天の方向に逆らって走る、すなわち右行で、推す所は皆未だ生成せざる卦。ゆえに「知来」と叫ぶ。《易》の数は、まさに逆推を倚ってはじめて成立す。この一節は直接に先天図の用意を解説するもので、倒れて予め四時を知るが如し。

陽在陰中,陽逆行;陰在陽中,陰逆行。陽在陽中,陰在陰中,則皆順行。此真至理,按圖可見之矣。順數之,乾一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八;逆數之,震一、離兌二、乾三、巽四、坎五、艮坤六也。

陽は陰の領域のうちに処れば、陽は則ち逆らって走る。陰は陽の領域のうちに処れば、陰は則ち逆らって走る。陽は陽の領域のうちに処り、陰は陰の領域のうちに処れば、則ち皆順って走る。これは真正の至理で、先天図に対して一見すれば便ち明白す。順って数え下れば、乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八。逆らって数え回れば、則ち震一、離と兌は并列して二、乾三、巽四、坎五、艮と坤は并列して六。

四正者,乾坤坎離也。觀其象無反覆之變,所以為正也。卦之反對,皆六陽六陰也。在《易》則六陽六陰者,十有一對也。去四正者,八陽四陰、八陰四陽者,各六對也。十陽二陰、十陰二陽者,各三對也。

いわゆる「四正」とは、乾・坤・坎・離の四卦を指す。それらの卦象を看れば、倒して看てもなお原様のまま、反覆の変化なし。ゆえに正と称す。およそ両卦の反対に相配するは、合わせてつねに六個の陽爻・六個の陰爻。《易》のうちに、この種の六陽六陰の配对は共に十一対あり。四正を除くの外、八陽四陰と八陰四陽のは、各々六対あり。十陽二陰と十陰二陽のは、各々三対あり。

復至乾,凡百有十二陽;姤至坤,凡八十陽;姤至坤,凡百有十二陰;復至乾,凡八十陰。夫《易》根於乾坤,而生於姤復。蓋剛交柔而為復,柔交剛而為姤,自茲而無窮矣。無極之前,陰含陽也;有象之後,陽分陰也。陰為陽之母,陽為陰之父。故母孕長男而為復,父生長女而為姤。是以陽起於復,而陰起於姤也。

復卦より数えて乾卦に至り、共に一百一十二個の陽爻。姤卦より数えて坤卦に至り、共に八十個の陽爻。姤卦より数えて坤卦に至り、共に一百一十二個の陰爻。復卦より数えて乾卦に至り、共に八十個の陰爻。《易》は乾坤をもって根と為し、而も実際に生発するは姤・復の両卦に在る。剛は往って柔に交われば便ち復と成り、柔は往って剛に交われば便ち姤と成る。ここより変化は無窮無尽に始まる。「無極」がまだ形を顕さざる前は、陰のうちに陽を含む。形象ありての後は、陽のうちに陰を分かつ。陰は陽の母親で、陽は陰の父親である。ゆえに母親は長男を孕育して復卦を成し、父親は長女を生出して姤卦を成す。ここにおいて陽気は復に起き、陰気は姤に起きる。

諸卦不交於乾坤者,則生於否泰。否泰,乾坤之交也。乾坤起自奇偶,生自太極。自泰至否,其間則有蠱矣;自否至泰,其間則有隨矣。一變而二,二變而四,三變而八卦成矣。四變而有十六,五變而三十有二,六變而六十四卦備矣。

およそ直接に乾坤と相交わりて来らざる卦は、則ち皆否・泰の両卦より生出す。否・泰は本身まさに乾と坤の相交の産物である。乾坤は則ち奇偶の両画に起き、太極に生ず。泰卦より否卦に転ずるに、中間に蠱卦を経るを要す。否卦より泰卦に転じ回るに、中間に随卦を経るを要す。生卦の次第に至っては。一は変じて二と為り、二は変じて四と為り、三変して八卦形を成し、四変して十六を得、五変して三十二を得、六変して六十四卦は則ち全備す。

至哉!文王之作《易》也,其得天地之用乎?故乾坤交而為泰,坎離交而為既濟也。乾生於子,坤生於午,坎終於寅,離終於申,以應天之時也。置乾於西北,退坤於西南,長子用事,而長女代母。坎離得位,兌艮為偶,以應地之方也,王者之法其盡於是矣。

おおいなるかな、文王の《易》を演ぶるは、およそ天地の「用」を皆掌握し尽くしたるか。ゆえに乾坤は相交わりて泰を成し、坎離は相交わりて既済を成す。乾気は子位に生じ、坤気は午位に生じ、坎は寅位に終わり、離は申位に終わる。これはもって天の時序に対応す。乾を西北に安放し、坤を西南に退けしめ、長子震によりて事を主らしめ、長女巽によりて母職を代行せしめ、坎離は各々正位を得、兌艮は一対を結成す。これはもって地の方位に対応す。王者の為に天下を治める法度は、尽くこのうちの頭に在る。

《易》者,一陰一陽之謂也。震兌始交者也,故當朝夕之位。離坎交之極也,故當子午位。巽艮雖不交,而陰陽猶雜也,故當用中之偏位。乾坤純陰陽也,故當不用之位。坤純三女於西南,乾純三男於東北。道生天,天生地。及其功成而身退,故子繼父禪,是以乾退一位也。

いわゆる《易》とは、すなわち一陰一陽の交替である。震と兌は陰陽の初交の卦で、ゆえに早晨と傍晚の位置に安んず。離と坎は交わりて極処に至る卦で、ゆえに子位と午位に安んず。巽と艮は相交わらざると説くと雖も、陰陽はなお夾雑して一処に在り。ゆえに動用の中の偏側の位置に安んず。乾と坤は純陽純陰で、ゆえに存して用いざる位置に安んず。ここにおいて坤は三個の女児を帯びて西南に聚まり、乾は三個の兒子を帯びて東北に聚まる。道は天を生出し、天は地を生出す。功業成就するを及んで便ち自身引退す。兒子が父親の禅譲を承接するに比す。ゆえに乾は正位の上より一個の位を退譲するを要す。

《易》之首於乾坤,中於坎離,終於水火之交不交,皆至理也。自乾坤至坎離,以天道也;自咸恆至既濟未濟,以人事也。乾坤交而為泰,變而為雜卦也。上經起於三,下經起於四,皆交泰之義也。

《易》は乾坤をもって開頭と為し、坎離をもって中に居らしめ、水火相交の既済と水火不交の未済をもって尾を収む。皆極めて精微なる道理である。乾坤より坎離に至るこの一段は、講ずる所は天道である。咸恒より既済未済に至るこの一段は、講ずる所は人事である。乾と坤は相交わりて便ち泰卦と成り、再び下に変化して、則ち《雑卦》の列するあの錯綜の卦と成った。上経は共に三十卦で、その数は三に起きる。下経は共に三十四卦で、その数は四に起きる。三は天数で、四は地数で、天三地四相合す。皆天地の交泰の意を取る。

乾坤坎離為上篇之用,兌艮震巽為下篇之用也。頤、中孚、大過、小過為二篇之正也。乾坤天地之本,坎離天地之用。是以《易》始於乾坤,中於坎離,終於既濟未濟。而泰否為上經之中,咸恆為下經之首,皆言乎其用也。故《易》者,用也。乾用九,坤用六,大衍用四十九,而潛龍勿用也。大哉用乎!吾於此見聖人之心也。

乾・坤・坎・離は上篇の動用する四卦で、兌・艮・震・巽は下篇の動用する四卦である。頤・中孚・大過・小過は則ち上下両篇を貫通する正卦である。乾坤は天地の本体で、坎離は天地の功用である。ゆえに《易》は乾坤より開頭し、坎離をもって中に居らしめ、既済・未済に至って尾を収む。而も泰・否は上経の中に居り、咸・恒は下経の首に居る。講ずる所は皆一個の「用」字である。ここにおいて《易》のこの部書は、説き尽くせばすなわち用を講ずるものである。乾は「用九」と説き、坤は「用六」と説き、大衍の数は五十にして「其の用四十有九」と説き、乾の初九はまた「潜龍勿用」と説く。「用」のこの字は実に太だ重大なり。私はここより聖人の心を見た。

夫卦各有性有體,然皆不離乾坤之門,如萬物受性於天,而各為其性也。在人則為人之性,在禽獸則為禽獸之性,在草木則為草木之性。不知乾,無以知性命之理。在人則乾道成男,坤道成女;在物則乾道成陽,坤道成陰。

每一卦にその性あり、その体あり。しかし一卦として乾坤のこの一道の門戸を離れ得るなし。万物が皆天の彼処より本性を禀受し、而もまた各々成じて自らの性と為るが如し。人の身の上に落ちればすなわち人の性、禽獣の身の上に落ちればすなわち禽獣の性、草木の身の上に落ちればすなわち草木の性。乾を懂得せざれば、則ち性命の道理を懂得する由なし。この道理は人の身に落ちれば、乾道は男を成就し、坤道は女を成就す。万物の身に落ちれば、乾道は陽を成就し、坤道は陰を成就す。

君子於《易》,玩象、玩數、玩辭、玩意。象起於形,數起於質,名起於言,意起於用。有意必有言,有言必有象,有象必有數。數立則象生,象生則言彰,言彰則意顯。象數則筌蹄也,言意則魚兔也。得魚兔而忘筌蹄則可也,舍筌蹄而求魚兔則未見其得也。

君子は《易》を読むに、四件の事の上に於て反復して体味するを要す。卦象を体味し、卦数を体味し、卦爻辞を体味し、辞外の意旨を体味す。象は形状に由って生出し、数は質料に由って生出し、名称は言語に由って生出し、意旨は功用に由って生出す。意旨あれば必ず言語を倚り、言語あれば必ず卦象を倚り、卦象あれば必ず卦数を倚る。数が一たび立てば、象は則ち生出す。象が一たび生じれば、言は則ち明白す。言が一たび明白なれば、意旨は則ち顕現す。象と数は《荘子》のうちの言う魚筌と兎蹄に比し、言と意は筌蹄の捕らえんとする所の魚と兎に比す。魚兎を捉えて筌蹄を忘掉するは、あれは可なり。筌蹄を丢開して空想をもって魚兎を求めれば、あれはかつて誰か手に得手るを見ざる。

《易》有意象,立意皆所以明象。統下三者有言象,不擬物而直言以明事;有象象,擬一物以明意;有數象,七日、八月、三年、十年之類是也。《易》有內象,理致是也;有外象,指定一物而不變者是也。自然而然,不得而更者,內象內數也,他皆外象外數也。乾為天之類,本象也;為金之類,別象也。

《易》のうちに「意象」あり。およそ意を立るるは、皆象を説き明かさんとするためで、それは底下の三類を統攝する。一は「言象」で、具体の物事に比擬せず、径直に言語をもって一件事を説明す。二は「象象」で、ある一样东西に比擬してもって意旨を説明す。三は「数象」で、卦爻辞のうちの「七日」「八月」「三年」「十年」のこの一类は便ち是。《易》にまた「内象」あり、指す所は義理の帰趣である。「外象」あり、指す所はある一件の具体の物事を認定して変換せざる説法である。およそ自然にして然りて更改する能わざるは、内象内数に属す。その余は皆外象外数である。譬えば乾卦は、象を取って天と為すは、その本象である。象を取って金の一类と為せば、すなわちその別象である。

乾,奇也,陽也,健也。故天下之健,莫如天。坤,偶也,陰也,順也。故天下之順,莫如地,所以順天也。震,起也,一陽起也。起,動也。故天下之動,莫如雷。坎,陷也,一陽陷於二陰。陷,下也。故天下之下,莫如水。艮,止也,一陽於是而止也。故天下之止,莫如山。巽,入也,一陰入二陽之下。故天下之入,莫如風。離,麗也,一陰離於二陽,其卦錯然成文而華麗也。故天下之麗,莫如火。故又為附麗之麗。兌,說也,一陰出於外而說於物。故天下之說,莫如澤。

乾は奇画で、陽に属し、徳性は剛健。ゆえに天下の最も剛健なるは天に若くはない。坤は偶画で、陰に属し、徳性は柔順。ゆえに天下の最も柔順なるは地に若くはない。それはまさにもって天を順承するに用いる。震は「起」で、一個の陽爻が下に在って奮起す。起はすなわち動。ゆえに天下の最も動く能くするは雷に若くはない。坎は「陷」で、一個の陽爻が両個の陰爻の間に陷落す。陷はすなわち下に往く。ゆえに天下の最も低処に往く能くするは水に若くはない。艮は「止」で、一個の陽爻が上頭に升ってここに就いて停まる。ゆえに天下の最も止まる能くするは山に若くはない。巽は「入」で、一個の陰爻が両個の陽爻の下面に鑚り入る。ゆえに天下の最も鑚入する能くするは風に若くはない。離は「麗」で、一個の陰爻が両個の陽爻の間に附着し、卦画交錯して文采と成り、顕れて華麗なり。ゆえに天下の最も華麗なるは火に若くはない。ここより「麗」はまた転じて附着依麗の意を出す。兌は「説」で、一個の陰爻が外面に露れて万物を欣悦せしむ。ゆえに天下の最も人を欣悦せしめる能くするは沢に若くはない。

火內暗而外明,故離陽在外,火之用,用外也。水外暗而內明,故坎陽在內,水之用,用內也。震為龍,一陽動於二陰之下,震也。重淵之下有動物者,豈非龍乎?兌,說也,其他說皆有所害,惟朋友講習無說於此,故言其極者也。以尊降卑曰臨,以上觀下曰觀。

火焔の内心は暗く、外囲にこそ明亮あり。ゆえに「離」卦は陽爻を上下の両端に放ち、陰爻を中間に夾む。外面の両陽は火が外に向かって発散する光焔を象徴し、中間の一陰は火心の幽暗を象徴す。火の功用は外に向かって物を照らし、外に向かって物を焚く。ゆえに火は「用外」と説く。水はちょうど反対である。水面は幽暗にして透らず、水の内里は却って清澈にして通明す。ゆえに「坎」卦は陽爻を中間に放ち、陰爻を上下の両端に放つ。中間の一陽は水の内在的の澄明を象徴し、外面の両陰は水面の晦暗を象徴す。水の功用は内に向かって浸潤し、内に向かって含蓄す。ゆえに水は「用内」と説く。邵雍の卦象を立つる路数は、まず一物の性状を看明清め、再びそれに拠ってそれの対応する卦画がいかに排布するかを断定するを見るべし。「震」卦は象を取って竜と為す。一個の陽爻が両個の陰爻の下に在って鼓動を始める。これがすなわち震の卦形である。重重の深淵の最も底に竟に動作する能くする生物あり。あれはまさに竜ではないか。「兌」卦は喜悦の意である。世間の別の喜悦は皆損害を夾帯す。独り朋友の間の学問を講習するあの份の喜悦のみ一点の害処なし。ゆえに《兌》卦の《大象伝》は「君子以朋友講習」と説く。講ずる所はまさに喜悦が極処に到ったあの一種である。尊貴の一方をもって身を屈して卑下の一方に臨むを、「臨」と叫ぶ。上位に居て下方を俯察するを、「観」と叫ぶ——《臨》《観》の両卦の卦名は、このように上下二体の関係の上より取ったものである。

復次剝,明治生於亂乎?姤次夬,明亂生於治乎?時哉!時哉!未有剝而不復,未有夬而不姤者。防乎其防,邦家其長,子孫其昌。是以聖人貴未然之防。是謂《易》之大綱。寂然不動,反本復靜,坤之時也。感而遂通天下之故。陽動於中,間不容髮,復之義也。

《周易》の卦序のうちに、《復》卦は緊く《剥》卦の後に接す。これはまさに太平は禍乱のうちより生出すを説明するではないか。《姤》卦は緊く《夬》卦の後に接す。これはまさに禍乱は太平のうちより生出すを説明するではないか。関鍵は全て一個の「時」字に在る。全て一個の「時」字に在る。かつて剥落して尽頭に至りて回復せざるなく、もまたかつて陽剛が陰柔を決尽して重新に一陰の侵し来るに遇わざるなし。禍患がまだ成形せざる時に於て層層に防を設くる能くすれば、国家こそ長久し、子孫こそ昌盛する能くす。ゆえに聖人の最も看重するは、未だ発生せざる事に対する預防である。これがすなわち《周易》全書の大綱領。《坤》卦の六爻は純陰で、寂静にして動かず、万物は本根に返帰し、静に復帰す。これは「坤」の主る所の時段である。而も《繋辞伝》の説く所の「感じて遂に天下の故に通ず」は、講ずる所は則ち《復》卦——一陽が群陰の中に在って萌動を始め、静と動の間は一根の頭髪も插し入るる能わず。これがすなわち「復」の含義である。

不見動而動,妄也,動於否之時是也。見動而動,則為無妄。然所以有災者,陽微而無應也。有應而動,則為益矣。大過,本末弱也。必有大德大位,然後可救常分。有可過者,有不可過者。有大德大位,可過者也,伊周其人也,不可懼也;有大德無大位,不可過也。孔孟其人也,不可悶也。其位不勝德邪?大哉位乎!待才(一雲時)用之宅也。

行動すべき徴兆を見ずして硬に行動するは、これを「妄」と叫ぶ。《否》卦のあのような天地交わらず上下閉塞の時節のうちに妄動するは、まさにこの種の情形である。行動すべき徴兆を看清めてはじめて動くは、あれは則ち《无妄》。しかし《无妄》卦のうちに仍ほ「无妄の災」を説く。原因は卦中の陽爻の勢力が微弱にしてまた相応する爻の呼応を得ざるに在る。もし呼応ありて然る後に行動せば、則ち転じて《益》卦と成り、増益する所有る。《大過》卦の初六と上六は皆陰爻。ゆえに《彖伝》はそれを「本末弱なり」と説く——根柢と梢頭が皆結実せず。この種の局面に碰上すれば、必ず既に大徳行ありかつ大権位に居るを要して、はじめてこの種の超常規の危難を挽救する能くす。世上に或る人は常人の上を超出して手を放して為す能くし、或る人は則ち不可なり。既に大徳ありまた大位あるは、手を放して為す能くする一类に属す。伊尹・周公はすなわちこのような人で、彼らは畏懼するを必とせず。ただ大徳ありて大位なきは、則ち硬に為す可からず。孔子・孟子はすなわちこのような人で、彼らもまた郁悶するを必とせず。いわば彼らの地位が彼らの徳行に配上せざるか。位子の作用は真に重大なり。それはまさに才干(一本に「時機」と作る)の来りて居住し施展せんを待つあの間の屋子である。

作《易》者,其如知乎?聖人知天地萬物之理,而一以貫之。夫《易》者,聖人長君子消小人之具也。及其長也,闢之於未然;及其消也,闔之於未然。一消一長,一闔一闢,渾渾然無跡。非天下之至神,其孰能與於此?神者,《易》之主也,所以無方;《易》者,神之用也,所以無體。神無方而《易》無體,滯於一方,則不能變化,非神也;有定體則不能變通,非《易》也。《易》雖有體,體者象也,假象以見體,而本無體也。

《周易》を創作した聖人は、およそ真に天地の理に通暁した人であろうか。彼は天地万物の道理を洞悉し、かつ一個の根本原則をもってそれらを貫穿した。《周易》のこの部書は、聖人がもって君子を培植し小人を消退する工具である。君子を培植せんとするには、事の未だ発生せざる時に先に門を打開す。小人を消退せんとするには、事の未だ発生せざる時に先に門を関上す。一消一長、一関一開、浑然として一体にして如何なる痕跡をも留めず。もし天下の最も神妙なる存在に非ざれば、誰かこの種の境界のうちに参与する能わんか。「神」は《周易》の主宰で、ゆえにそれは固定の方所の上に落ちず。《周易》は「神」の発用で、ゆえにそれは固定の形体の上に落ちず。《繋辞伝》は「神無方而易無体」と説く。一旦ある一個の方位に滞留すれば、則ち随時に変化する能わず。あれは便ち「神」ではない。一旦固定の形体有れば、則ち変通する能わず。あれは便ち《易》ではない。《周易》はもまた「体」を講ずると雖も、しかしその体はただ卦爻の「象」であって、象を借りてもって体を顕示するに過ぎず、本身はもとは実体なきのである。

《易》無體也,曰既有典常,則是有體也,恐遂以為有體,故曰不可為典要。既有典常,常也。不可為典要,變也。生而成,成而生,《易》之道也。元亨利貞,變易不常,天道之變也;吉凶悔吝,變易不定,人道之應也。天變而人效之,故元亨利貞,《易》之變也;人行而天應之,故吉凶悔吝,《易》之應也。以元亨為變,則利貞為應;以吉凶為應,則悔吝為變。元則吉,吉則利,應之亨則凶,凶則應之以貞;悔則吉,吝則凶。是以變中有應,應中有變也。變中之應,天道也。故元為變,則亨應之;利為變,則應之以貞。應中之變,人事也。故變則凶,應則吉;變則吝,應則悔也。悔者吉之先,而吝者凶之本,是以君子從天不從人。

《周易》は本来固定の形体なし。《繋辞伝》は「既有典常」と説く。字面に照らして看ればそれは形体あるが如し。邵雍は人々がここより誤認してそれ真に実体ありと為すを恐れ、ゆえに《繋辞伝》は緊接してまた「不可為典要」と説く。「既有典常」が講ずるはそれの恒常の一面で、「不可為典要」が講ずるはそれの変動の一面である。生出して就ち成就に走向し、成就して又重新に生発す。これがすなわち《周易》の道。「元・亨・利・貞」の四徳は変動して居らず、天道方面の「変」に属す。「吉・凶・悔・吝」の四者は変動して定まらず、人道方面の「応」に属す。天が先に変動して人が往ってそれを效法す。ゆえに元亨利貞は《易》の「変」である。人が先に作為ありて天が来りて彼に回応す。ゆえに吉凶悔吝は《易》の「応」である。もし「元・亨」を変と看なせば、然らば「利・貞」はすなわち応。もし「吉・凶」を応と看なせば、然らば「悔・吝」はすなわち変。元を得れば則ち吉、吉なれば則ち利を獲、これと相応する亨は反って凶を伏せ、凶はまた貞正を用いて往って回応するを要す。悔は吉に転向する能くし、吝は則ち凶に趨向す。ゆえに変のうちに応を含み、応のうちにもまた変を含む。変のうちのあの応は天道に属す。ここにおいて元をもって変と為せば、則ち亨ありてそれに回応し、利をもって変と為せば、則ち貞を用いてそれに回応す。応のうちのあの変は人事に属す。ここにおいて人が一たび妄変すれば則ち凶を招き、能く順応すれば則ち吉を得。妄変すれば則ち吝を生じ、順応すれば則ち悔を生ず。悔は吉の先兆で、吝は凶の根苗である。ゆえに君子は寧ろ天道に順従して、人為の機巧に遷就せず。

元者,春也,仁也。春者時之始,仁者德之長。時則未盛,而德足以長人,故言德而不言時。亨者,夏也,禮也。夏者時之盛,禮者德之文。盛則必衰,而文不足救之,故言時而不言德,故曰“大哉,乾元!而上九有悔也”。利者,秋也,義也。秋者時之成,義者德之方,萬物方成而獲利,義者不通於利,故言時而不言德也。貞者,冬也,智也。冬者時之末,智者德之衰。正則吉,不正則凶。故言德而不言時也。故曰利貞者,性情也。元亨利貞之德,各包吉凶悔吝之事。雖行乎德,若違於時,亦或凶矣。

「元」は四季の中の春天に配し、五常の中の仁に配す。春天は一年の時序の開端で、仁は四徳の中の最も生長する能くする一種である。この時節令はなお旺盛と算さずと雖も、しかし仁徳はすでに他人を養育するに足る。ゆえに「元」を談ずるは徳に着眼して時に着眼せず。「亨」は夏天に配し、礼に配す。夏天は時序の最も盛んなる段階で、礼は徳行の外在的の文飾である。極盛の後は必ず衰に転じ、而も単に文飾に頼ってはこの衰を救う能わず。ゆえに「亨」を談ずるは時に着眼して徳に着眼せず——ここにおいて《乾・彖伝》がはじめて「大なるかな乾元」と讃嘆し、而も《乾》卦の上九に「亢龍有悔」ある所以。「利」は秋天に配し、義に配す。秋天は時序の果実を結ぶ段階で、義は徳行の方正の準則である。万物は剛に成熟して利益を獲ると雖も、義を講ずる人は私利をもって通途と為さず。ゆえに「利」を談ずるもまた時に着眼して徳に着眼せず。「貞」は冬天に配し、智に配す。冬天は時序の末尾で、智は則ち四徳のうちの最も衰竭に接近する一種である。正を守れば則ち吉、正ならざれば則ち凶。ゆえに「貞」を談ずるはまた回って徳に着眼して時に着眼せず。ここにおいて《乾・文言》は「利貞とは、性情なり」と説く。元亨利貞のこの四種の徳は、各々吉凶悔吝のこの四類の人事を包裹す。一人の人はたとえ徳に依って事を為すと雖も、もし時勢に違背せば、もまた仍ほ凶険を招来し得る。

初與上同,然上之亢,不及初之進也;二與五同,然二之陰中,不及五之陽中也;三與四同,然三處下卦之上,不若四之近君也。六虛者,六位也,虛以待變動之事也。《易》有三百八十四爻,真天文也。圖雖無文(先天圖也),吾終日言而未嘗離乎是。蓋天地萬物之理盡在其中矣。先天圖者,環中也。

一卦六爻、初爻と上爻は同じく一卦の両端に処すが、しかし上爻は窮極亢満の地に居り、初爻の方興して未だ艾まざりて前に推進する可きに比ぶべからず。二爻と五爻は同じく上下二体の中位たるが、しかし二爻は陰位の中で、五爻の陽位の中の尊貴に比ぶべからず。三爻と四爻は同じく上下二体の交界に処すが、しかし三爻はただ下卦の頂端に過ぎず、四爻の五爻の君位に緊貼するに如かず。《繋辞伝》の説く所の「六虚」とは、すなわち一卦の六個の爻位である。之を「虚」と叫ぶ所以は、この六個の位子が本身空きて、変動の事の来りて充填せんを待つがゆえである。《周易》の六十四卦は共に三百八十四爻。これは真に一幅の天文図である。先天図の上には一個の字もないと雖も(ここに説くは「先天図」)、しかし私は終日講説してかつてそれを離れたことなし。天地万物の道理が全てそのうちに収められているがゆえである。いわゆる先天図とは、説き尽くせば講ずる所はあの環形の中心である。

先天學,心法也。故圖皆自中起,萬化萬事生乎心也。先天學主乎誠,至誠可以通神明,不誠則不可以得道。先天之學,心也;後天之學,跡也。堯之前,先天也;堯之後,後天也。後天乃效法耳。《易》始於三皇,《書》始於五帝,《詩》始於三王,《春秋》始於五霸。所謂皇帝王霸者,非獨謂三皇五帝三王五霸而已,但用無為則皇也,用恩信則帝也,用公正則王也,用智力則霸也。

先天の学は一門の心を修める功夫で、ゆえに先天の諸図は皆円図の中心より画き起こす。意は千変万化・千頭万緒の事情が皆心より生出すを言う。先天の学は「誠」をもって主と為す。誠は極処に至れば便ち神明に貫通する能くし、誠ならざれば則ち道を得る由なし。先天の学が講ずるは心で、後天の学が講ずるは心の留めたる行跡である。唐堯以前は先天に属し、唐堯以後は後天に属す。後天はただ先天の様子に照らして往って效法するに過ぎない。典籍に就いて論ずれば、《周易》は伏羲・神農・黄帝のこの三皇の世に起き、《尚書》は五帝の世に起き、《詩経》は夏禹・商湯・周文武のこの三王の世に起き、《春秋》は五覇の世に起きる。いわゆる皇・帝・王・覇とは、並びに単に三皇・五帝・三王・五覇のこれらの具体の人を指すに非ず。およそ「無為」をもって世を治するは則ち皇、恩徳信義をもって世を治するは則ち帝、公平正直をもって世を治するは則ち王、智謀武力をもって世を治するは則ち覇である。

法始乎伏羲,成乎堯,革於三王,極於五霸,絕於秦。萬世治亂之跡,無以逃此矣。秦穆公伐鄭敗,而有悔過自誓之言。此非止霸者之事,幾於王道,能悔則無過矣。此聖人所以錄於書末也。平王名雖王,實不及一小國之諸侯。齊晉雖侯,而實僭王。此《春秋》之名實也。子貢欲去告朔之餼羊。羊,名也;禮,實也。名存而實亡,猶愈於名實俱亡。苟存其名,安知後世無王者作?是以有所待也。

天下を治める法度は、伏羲に創始し、唐堯に完備し、夏商周の三王の手裏に至って変革を作り、春秋の五覇の手裏に至って極限に推し、秦朝に至って則ち断絶した。万世の治乱の踪跡は、皆この条の線索を跳出す能わず。秦穆公は鄭を襲い崤山に失敗し、国に帰って《秦誓》の一篇を作り、甚だ多くの悔過自責の話を説いた。これはすでにただ覇主の有すべき作為のみならず、ほとんど王道に接近す——悔改する能くするは、すなわち過ちなきに等し。これがまさに聖人が《秦誓》を《尚書》の最も末の一篇に収めた用意である。周平王は名義の上では天子なれども、実力は一個の小国の諸侯に比ぶべからず。斉・晋の両国は名義の上ではただ侯爵なれども、実際の上では却って僭越して天子の権を行使す。これがすなわち《春秋》の辨明せんとする所の「名」と「実」である。子貢は每月告朔の礼の上のあの徒らに形式を具えたる活羊を撤掉せんと欲したが、孔子は許さず——羊は「名」で、礼こそ「実」である。名分はなお留まって実質はすでに亡失するは、総じて名と実が一緒に亡失するより勝れり。ただこの名分がなお保存する有る限り、どうして後世に再び真の王者出でざると知ることができようか。それを保住するは、まさに一份の等待を留めるためである。

秦穆公有功於周,能遷善改過,為霸者之最;晉文侯世世勤王,遷平王於洛,次之;齊桓公九合諸侯,不以兵車,又次之;楚莊強大,又次之;宋襄公雖霸而力微,會諸侯而為楚所執,不足論也。治《春秋》者,不先定四國之功過,則事無統理,不得聖人之心矣。《春秋》之間有功者,未見大於四國者。有過者,亦未見大於四國者也。故四國者,功之首,罪之魁也。五霸者,功之首,罪之魁也。

秦穆公は周王室に功労あり、また過ちを改め善に向かう能くし、覇主のうちに当に第一を推すべし。晋文侯は世代王事に勤め、周平王を護送して東の洛邑に遷す。第二に排す。斉桓公は多く諸侯を召集して会盟するも兵車を動用せず。第三に排す。楚荘王は国勢強大。第四に排す。宋襄公は覇を称すると号すと雖も、実力は甚だ単薄で、諸侯を会盟して反って楚国に捕らえ去られた。提起するに足らず。《春秋》を研治する人は、もし先に秦・晋・斉・楚のこの四国の功と過を判定して清楚せざれば、史事に統貫の条理なく、もまた聖人の心意を体会し得る能わず。整部《春秋》の期間、功労を論ずればこの四国より大なるなく、罪過を論ずればもこの四国より大なるなし。ゆえにこの四国はすでに功労の頭一名であり、もまた罪悪の頭一名である。五覇もまさにこのようで、功はその首に居りて罪もまたその首に居る。

《春秋》者,孔子之刑書也,功過不相掩。聖人先褒其功,後貶其罪。故罪人有功者,亦必錄之,不可不恕也。某人受《春秋》於尹師魯,師魯受於穆伯長。某人後復攻伯長,曰:“《春秋》無褒,皆是貶也。”田述古曰:“孫復亦云,《春秋》有貶而無褒。”曰《春秋》禮法廢,君臣亂,其間有能為小善者,安得不進之也。況五霸實有功於天下,且五霸固不及於王,不猶愈於左衽乎?安得不與之也?治《春秋》者,不辨名實,不定五霸之功過,則未可言治《春秋》。先定五霸之功過而治《春秋》,則大意立。若事事求之,則無緒也。《春秋》為君弱臣強而作,故謂之名分之書。

《春秋》は孔子の作った一部の罪を判ずる書で、功と過は彼此相い掩わず。聖人は先に一人の功労を表彰し、再び彼の罪過を貶責す。ゆえにたとえ罪ある人と雖も、ただ功あらば、必ず照様に記し下る。一分の寛恕を留めざる能わず。一人の人ありて尹洙(字は師魯)の彼処より《春秋》を学び、尹洙もまた穆修(字は伯長)の彼処より学び来たれる。この人は後に反って穆修を攻駁して、説く。「《春秋》のうちに褒揚なく、通篇皆貶責なり」と。田述古は口を接いで言う。「孫復もまた講じたり、《春秋》は貶ありて褒なしと」と。邵雍は答えて曰く。春秋の世は礼法廃弛し君臣の秩序錯乱せり。あのような世道のうちに人ありて肯んじて一点の小小の善事を為すを、どうして彼を上に提げ一提げせざるべけんや。いわんや五覇は天下に対し確かに功あり。五覇は固より王道に及ばざるが、しかし中原が淪じて被髪左衽の夷狄の俗と成るに比べれば、なお強きこと甚だ多きではないか。どうして彼らに一分の肯定を給えざらんか。《春秋》を研治する人は、名と実を分辨せず、五覇の功過を判定せざれば、則ちなお《春秋》を読むを會すると談ずるに足らず。先に五覇の功過を定め下して然る後に読み往けば、全書の大意は則ち立ち上がる。もし一件一件に零碎に摳り往けば、反って頭緒を理し出す能わず。《春秋》は君権衰弱・臣権強横の局面に針対して作られたる。ゆえにそれを一部の「名分」を講ずる書と称す。

人言《春秋》非性命之書,非也。至於書“郊牛之口傷,改卜牛。牛死乃不效,猶三望”,此因魯事而貶之也。聖人何容心哉?無我故也,豈非由性命而發言也?又云,《春秋》皆因事而褒貶,豈聖人特立私意哉?人知《春秋》聖人之筆削,為天下之至公,不知聖人之所以為公也。如因牛傷,則知魯之僭郊;因初獻六羽,則知舊僭八佾;因新作雉門,則知舊無雉門。皆非聖人有意於其間,故曰《春秋》盡性之書也。魯之兩觀郊天大禘,皆非禮也。諸侯苟有四時之禘,以為常祭可也,至於五年大禘,不可為也。

或る人は《春秋》は一部の性命の学を講ずる書に非ずと説くが、この話は対ならず。ただそれの「郊祭に用うる牛の口部が受傷し、ここにおいて別に占卜して一頭の牛を換え、換え来たる牛はまた死し、郊祭は終に挙行せられざるも、却って仍ほ三望の祭を挙行した」と記載するあの一条を取って言えば、これは魯国の具体の事情を借りて貶責を施加する。聖人はその中に何の私心を摻進したことがあらんか。なし。彼が「無我」を為し得たるがゆえに、これはいわばまさに性命の本源の上より発せられたる話ではないか。或る人はまた説く。《春秋》は皆事に就き事を論じて褒貶する、いわば聖人は別に一套の私意を立てんやと。人々はただ《春秋》のうちの聖人の落筆と删削が天下の最も公正なるを知るのみ、しかし聖人が何を憑ってこのように公正たる能くするかを知らず。譬えば牛の受傷を記したるに因って、我らははじめて魯国が僭越して天子の郊祭を行えりを知る。「初献六羽」を記したるに因って、はじめて魯国が従前一直に天子の八佾の舞を僭用せりを知る。「新作雉門」を記したるに因って、はじめて魯国が原本雉門なかりしを知る。これらは皆聖人が事先に存心して掲発せんと欲したに非ず。ゆえに《春秋》は一部の人性を徹底的に顕し尽くした書と説く。魯国が宮門の前に両観を建造し、天を祭る郊礼と五年に一度の大禘を挙行するは、皆礼制に合わず。諸侯もしただ春夏秋冬の四時の禘を行うは、常規の祭祀と當做して可なり。五年に一度の大禘に至っては、あれは絶対に為すべからざるである。

始作兩觀,始者,貶之也,誅其舊無也。初獻六羽,初者,褒之也,以其舊僭八佾也。晉狐射姑殺陽處父,《春秋》書“晉殺其大夫陽處父”,上漏言也。君不密則失臣,故書“國殺”。夫聖人之經,渾然無跡,如天道焉。故《春秋》錄實事,而善惡形於其中矣。《春秋》三傳之外,陸淳啖助可以兼治。

《春秋》の「始作両観」と記するは、一個の「始」字を用いて、こは貶責に在り。魯国の従前本にこの種の僭越して天子の門闕なかりしを指斥す。「初献六羽」と記するは、一個の「初」字を用いて、却ってこは褒揚に在り。魯国の従前一直に天子規格の八佾の舞を僭用せしが、如今六羽に減じて反って諸侯の礼に合するに因る。晋国の狐射姑は人を派して陽処父を殺したれども、《春秋》は却って「晋は其の大夫陽処父を殺す」と写し成す。これは晋君が機密を走漏したに因る。《周易・繋辞伝》は「君密ならざれば則ち臣を失う」と説く。ゆえに史官は兇手の名字を写さず、而も写し成して全国が彼を殺したりと為す。聖人の作った経書は浑然として一体にして痕跡を露さず、天道の運行の如し。ゆえに《春秋》はただ実に照らして事情を記録し、善と悪は自然に記載の中に於て顕現す。《春秋》を研読するに、《左氏伝》《公羊伝》《穀梁伝》の外に、唐代の陸淳・啖助の両家の説法もまた一に参治すべし。

管仲用智數,晚識物理,大抵才力過人也。叔向、子產、晏子之才相等埒,季札之才近伯夷。伯夷義不食周粟,至餓且死,止得為仁而已。伯夷、柳下惠得聖人之一端,伯夷得聖人之清,柳下惠得聖人之和。孔子時清時和,時行時止,故得聖人之時。顯諸仁,藏諸用,孟子善藏其用乎?

管仲の憑ったるは智謀権術で、晚年に至ってはじめて事物の理に通暁し、総じて説けば才干気力が常人を超過す。晋国の叔向・鄭国の子産・斉国の晏嬰、三人の才干は大致相当す。呉国の季札の才干は則ち伯夷に接近す。伯夷は義を守って周朝の糧食を喫するを肯ぜず、首陽山に餓死するに至るまで、ただ一個の「仁」字を成就したのみ。伯夷と柳下恵は各々聖人の品格の一端を得たり。伯夷の得たるは聖人の「清」で、柳下恵の得たるは聖人の「和」である。孔子は却って清すべき時に清く、和すべき時に和し、出仕すべきに則ち出仕し、退隠すべきに則ち退隠す。ゆえに彼の得たるは聖人の「時」である。《繋辞伝》は天地の「諸を仁に顕し、諸を用に蔵す」と講ず。孟子はおよそあの種の自己の功用を蔵め去るに善き人であろうか。

聖人之難,在不失仁義忠信而成事業,何如?則可在於絕四:毋意、毋必、毋固、毋我。合而言之則一,分而言之則二。合而言之則二,分而言之則四。始於有意,成於有我。有意然後有必,必生於意。有固然後有我,我生於固。意有心必有待固不化我,有己也。

聖人の難処は、仁・義・忠・信を丢掉せざるに於て、また事業を為し成す能くするに在る。これはどう弁ずべきか。弁法は《論語・子罕》の説く所の「絶四」に在る。空に臆測せず、絶対に期必せず、成見を固執せず、自ら以て是と為さず。この四条は合わせて看れば一件事で、分かちて看れば両件事。再び合わせて看れば両件事で、再び分かちて看れば則ち四件事と成る。その起点は「有意」に在り、その完成は「有我」に在る。先に臆測ありて、然る後に絶対の期必あり。「必」は「意」のうちより生出す。先に固執ありて、然る後に自我あり。「我」は「固」のうちより生出す。いわゆる「意」は、心のうちに先ず一個の念頭を横たうること。いわゆる「必」は、心のうちに一份の期待を存すること。いわゆる「固」は、僵えて変化するを肯ぜざること。いわゆる「我」は、処処に一個の自己を擺ること。

劉絢問無為,對曰:“時然後言,人不厭其言;樂然後笑,人不厭其笑;義然後取,人不厭其取。”此所謂無為也。時然後言,乃應變而言,言不在我也。知之為知之,不知為不知,聖人之性也。苟不知而強知之,非情而何?失性而情則眾人矣。

門人の劉絢は「無為」を何と叫ぶかを請教す。邵雍は《論語・憲問》の中の孔子が公叔文子を称許する話を引いて答えて曰く。「説くべき時に至ってはじめて説けば、別人は彼の話を厭煩せず。真に快楽してはじめて笑えば、別人は彼の笑を厭煩せず。義に合してはじめて取れば、別人は彼の取を厭煩せず」と。これがすなわちいわゆる「無為」。説くべき時に至ってはじめて説くは、事勢の変化に順応して発言するので、主動権は並びに自己の身上に在らず。「知るは則ち知ると説き、知らざるは則ち知らずと説く」、これは聖人の本性である。もし並びに知らざるに硬に装じて知ると為さば、あれは「情」の作用でなくてまた何か。本性を丢掉して情識に落ち入れば、則ち普通の人と同じくなった。

志於道者,統而言之,志者,潛心之謂也。德者,得於己,有形故可據。德主於仁,故曰依。君子喻於義,賢人也。小人喻於利而已。義利兼忘者,唯聖人能之。君子畏義而有所不為,小人直不畏耳。聖人則動不逾矩,何義之畏乎?

《論語・述而》は「志于道、據于徳、依于仁」と説く。いわゆる「志于道」は、総体に就いて言うので、「志」はすなわち心を沈潜し入れるの意である。「徳」はすでに自己の身上に得たるもので、すでに形跡を成せるがゆえに、「據」すべし。徳はまた仁をもって主干と為すがゆえに、仁に対して一個の「依」字を用いる。義の上に着眼するを懂得するは君子で、あれは賢人の層次である。小人は則ちただ利の上に着眼するを懂得するのみ。把して義と利を一並びに忘掉するに至っては、ただ聖人のみが為し得る。君子は「義」を敬畏するに因りて、ゆえに或る事情は堅決に為さず。小人はただ根本より敬畏を知らざるに過ぎない。聖人は却って一挙一動が自然に規矩を越出せず。なお何の義を敬畏せんことを要するや。

誰能出不由戶?戶,道也。未有不由道而能濟者也。不由戶者,開穴隙之類是也。多聞,擇其善者而從之。雖多聞,必擇善而從之;多見而識之,識別也。雖多見,必有以別之。三人行,必有師焉。至於友一鄉之賢、天下之賢,以天下為未足。又至於上論古人,無以加焉。當仁不讓於師者,進人之道也。有馬者,借人乘之,舍己以從人也。

《論語・雍也》は「誰か出でて戸に由らざる」ことを説く——誰か門を出でて門戸を経ざる能わんや。ここの「戸」が比喻するはまさに道で、かつて道に循わずして事を成す能くするなし。いわゆる門戸を走らざるとは、墻洞を鑿ち空子を鑚るあの一类の勾当である。孔子は「多く聞き、その善なるを択びてこれに従え」と説く。聞くこと多きは固より好しと雖も、しかし必ずその中の好きを挑出して遵循するを要す。また説く「多く見てこれを識れ」と。この「識」は分辨の意である。見ること多きは固より好しと雖も、しかし必ず分辨あるを要す。「三人行けば、必ず師あらん」、これより推し開けば、一郷の賢者と結交し、天下の賢者と結交する可きも、なお天下の内に足らざるを嫌う。再び上に追溯して、古人と論交せば、則ち再びこれよりさらに一歩進むなきなし。「仁に当たりて師に譲らず」は、人を勉励して上進せしめる弁法である。「馬ある者は人を借りて之に乗らしむ」は、講ずる所は自己の成見を舍弃して往って別人に聴従する。

或問:“才難,何謂也?”曰:“臨大事然後見才之難也。”曰:“何獨言才?”曰:“才者,天之良質也,學者所以成其才也。”曰:“古人有不由學問而能立功業者,何必曰學?”曰:“周勃、霍光能成大事,唯其無學,故未盡善也。”人而無學,則不能燭理。不能燭理,則固執而不通。

或る人は問う。「孔子は『才難』と説く。何の意か」と。邵雍は答えて曰く。「大事に臨面する時を待って、はじめて人才の難く得るを看出し得」と。また問う。「なぜ単に才を強調するか」と。答えて曰く。「才は上天の賦与する優良の資質で、而も学問はもってこの份の資質を成全し起こすに用いる」と。再び問う。「古人にも学問に靠らずして功業を建立したるあり。何ぞ必ずしも学を講ずるを要せん」と。答えて曰く。「周勃は諸呂を平定し、霍光は昌邑王を廃立し、皆大事を弁成したれども、しかしまさに彼らが学問を缺少したるに因りて、ゆえに為すこと尽善に足らざったり」と。人もし学問なければ、則ち道理を照明する能わず。道理を照明する能わざれば、則ち一端を固執して通達する能わず。

人有出人之才,必以剛克中。剛則足以立事業,處患難。若用於他,反為邪惡。故孔子以申棖為焉得剛。既有欲心,必無剛也。仲弓可使南面,可使從政也。顏子不遷怒,不貳過。遷怒貳過,皆情也,非性也。不至於性命,不足以謂之好學。

一人の人もし常人を超出する才具あらば、必ず剛強に靠って自己を克制し中道を持守する。剛強こそ事業を建立するに足り、患難の中に站り住むに足る。この份の力気をもし別処に使い往かば、反って邪悪に変成せん。ゆえに《論語・公冶長》のうちに人ありて申棖を挙げて剛者と算すに、孔子は「棖や欲あらば、焉んぞ剛を得ん」と説く——申棖は心裏にすでに嗜欲あれば、則ち必ず剛を談ずるに足らず。仲弓に至っては、孔子は彼を「南面せしむべし」と説く。意は彼をして往って政事を主持せしむべきを言う。顔回は「怒を遷さず、過を貳せず」を為し到った。怒を遷すと同一の過錯を重犯するは、皆「情」の活動に属し、「性」に属さず。学問もし性命の層次に深入せざれば、則ち「好学」と称するに足らず。

顏子不貳過,孔子曰“有不善未嘗不知,知之未嘗復行”是也,是一而不再也。韓愈以為將發於心而使能絕去,是過與顏子也。過與是為私意,焉能至於道哉?或曰:“與善不亦愈於與惡乎?”曰:“聖人則不如是,私心過與善惡同矣。”

顔回の「不貳過」は、すなわち《周易・繋辞伝》の引く孔子の話「不善あらば未だ嘗て知らざるなく、之を知りて未だ嘗て復び行わざる」——同一の過錯を一度犯したれば、絶対に再び第二次を犯さず。韓愈は却って解釈して顔回は念頭が剛に心裏より発動せんとする時に則ちそれを断絶し掉る能くすと為す。これは顔回を抬挙して頭を過ぎたり。抬挙して頭を過ぎれば、則ち評論者の私意を摻進したり。このようにしてどうして道に達到する能わんか。或る人は説く。「一人の善を過分に褒奨するは、総じて彼の悪を過分に指摘するより勝れりか」と。邵雍は答えて曰く。「聖人はこのように為さず。ただ私心を動かせば、褒めて頭を過ぎると貶して頭を過ぎるは一様の毛病なり」と。

知《易》者不必引用講解,是為知《易》。孟子之言未嘗及《易》,其間《易》道存焉,俾人見之者鮮耳。人能用《易》,是為知《易》。如孟子,可謂善用《易》者也。瞽瞍殺人,舜視棄天下猶棄敝屣也,竊負而逃,遵海濱而處終身,欣然樂而忘天下,聖人雖天下之大,不能易天性之愛。湯放桀,武王伐紂,而不以為弒者,若孟子言“男女授受不親,禮也;嫂溺則援之以手,權也”。故孔子既尊夷齊,亦與湯武。夷齊仁也。湯武義也。唯湯武則可,非湯武則是篡也。

真に《周易》を懂る人は口を張れば則ち引経拠典に講解するを必とせず。これこそ《易》を懂ると叫ぶ。孟子の言論はかつて《周易》に提到せざるも、しかし《易》の道理は則ち彼の話のうちに蔵まる。ただ看て出す能くする人少なきのみである。人は《易》理を事の上に用い得て、はじめて《易》を懂ると算す。孟子の如きは、すなわち《易》を用いるに善き人と説き得べし。《孟子・尽心上》は設想す。もし舜の父親瞽瞍が人を殺せば、舜は天下を一雙の破れたる草鞋の如く看て丢掉し、偸々として父親を背負い起きて逃走し、海辺に沿いて一生住み、高興興として快楽して天下を忘掉せんと。見るべし。聖人の心裏に於ては、天下は大なりと雖も、もまた天性の中の父親に対するあの份の愛を換え掉る能わず。商湯は夏桀を流放し、周武王は商紂を討伐したれども、人々はこれを弑君と當做せず。道理は孟子の説く「男女授受せず、礼なり。嫂溺れば則ち之に援くるに手を以てす、権なり」の如し——常法の外にまた権変あり。ゆえに孔子はすでに周粟を食せざる伯夷・叔斉を尊崇し、もまた湯・武の挙事を肯定す。伯夷・叔斉の守るは仁で、湯・武の行うは義である。ただ湯・武のような人の為すのみ可なり。別人に換えて為せば、あれは則ち簒奪である。

《中庸》非天降地出,揆物之理,度人之情,行其所安,是為得矣。《中庸》之法,自中者,天也;自外者,人也。《老子》五千言,大抵皆明物理。老子知《易》之體者也。《莊子》曰:“庖人雖不治庖,尸祝不越樽俎而代之。”此君子思不出其位,素位而行之意也。

《中庸》の講ずる道理は、並びに天上より掉落し来り地里より冒出し来る何の玄妙のものに非ず。それは不過事物の理を揣度し、人心の情を体察し、自己の心裏安穩なる事を為し、能くこのようであれば則ち得たりと算す。《中庸》の功夫は両路に分かつ。自身の内部の中正の処より発し出ずるは、天に属す。外面の規範に靠って約束し入るは、人に属す。《老子》の五千言は、大体の上に於て皆事物の理を闡明するに在り。老子は《周易》の「体」を懂得する人である。《荘子・逍遥遊》は説く。「廚師はたとえ厨に下らずと雖も、主祭の人もまた礼器を越えて往って彼に代わりて飯を為さざる」と。これはまさに《周易・艮卦》の説く「君子は思いて其の位を出でず」、《中庸》の説く「其の位を素にして行う」の意に合す。

《莊子·齊物》未免乎較量。較量則爭,爭則不平,不平則不和。莊子與惠子游於濠梁之上,莊子曰:“鰷魚出游從容,是魚樂也。”此盡己之性,能盡物之性也。非魚則然,天下之物皆然。若莊子者,可謂善通物矣。莊子雄辯,數千年一人而已。如庖丁解牛,曰“躊躇四顧”。孔子觀呂梁之水,曰“蹈水之道無私”,皆至理之言也。

《荘子》の《斉物論》は終竟一番の比較計較を免れず。一比較すれば則ち争いを要し、一争えば則ち不平あり、不平あれば則ち和諧を談ずるに足らず。荘子と恵施は濠水の橋の上に遊玩す。荘子は説く。「鰷魚の従容自在に遊び出ずるは、これは魚の快楽なり」と。これはまさに《中庸》の講ずる先に自己の本性を尽くし、然る後に能く万物の本性を尽くす。単に魚のみこのようなりに非ず、天下の物は皆このようである。荘子のような人は、すなわち万物と相通ずるに善きと説き得べし。荘子の雄弁は、幾千年のうちにただこの一人。譬えば《養生主》は庖丁の牛を解くを写して、彼が解き完りて後に刀を提げて站ち起き、四下に環顧し躊躇満志するを説き、《達生》は孔子が吕梁に於て瀑布を観看するを写して、善く遊ぶ人の水に蹈む道は水性に順って私の心を摻まざるに在りを説く。これらは皆道理を講じて極処に至った話である。

莊子氣豪,若呂梁之事,言之至者也。《盜跖》,言事之無可奈何者,雖聖人亦莫如之何。《漁父》,言事之不可強者,雖聖人亦不可強。此言有為無為之理,順理則無為,強則有為也。莊子著《盜跖篇》,所以明至惡,雖至聖亦莫能化。蓋上智與下愚不移故也。魯國之儒一人者,謂孔子也。莊荀之徒失之辯。佛氏棄君臣父子夫婦之道,豈自然之理哉?智哉!留侯善藏其用。

荘子は気魄豪迈で、吕梁の丈夫の水に蹈むあの一段の如きは、すなわち彼が話を説きて極処に至る地方である。《盗跖》の一篇は、講ずる所は事情に如何ともする可からざる時ありて、聖人と雖ももそれを拿る弁法なきを言う。《漁父》の一篇は、講ずる所は事情に勉強して来る能わざる時ありて、聖人と雖もも硬に来る能わざるを言う。この両篇の説くはまさに「有為」と「無為」の分別である。事理に順って走れば則ち無為、硬に拗ねて来れば則ち有為。荘子が《盗跖》を写したるは、用意は極悪の人は最高の聖人と雖も感化する能わざるを説明せんとするに在る。孔子が「唯上智と下愚とは移らざる」と説いたりしがゆえに。《荘子》のうちに魯国の真の儒者はただ一人ありと説く。指す所は孔子である。荘子・荀子のこの一路の人の毛病は、過ぎて弁を逞しゅうするに出ず。仏家は君臣・父子・夫婦の間の倫常の道を舍弃す。これはいわば自然の理に合せんや。留侯張良は真に智慧あり。彼は最も自己の才用を蔵め起きるに善し。

漢儒以反經合道為權,得一端者也。權所以平物之輕重。聖人行權,酌其輕重而行之,合其宜而已。故執中無權者,猶為偏也。王通言:“《春秋》,王道之權。”非王通莫能及此。故權在一身,則有一身之權;在一鄉,則有一鄉之權。以至於天下,則有天下之權。用雖不同,其權一也。

漢代の儒者は「常法に違反して暗に道に合す」を「権」と當做す。あれはただ一個の側面を説き中ったのみ。権は本来は秤の錘で、もって事物の軽重を称量するに用いる。聖人の権を行うは、不過軽重を斟酌して然る後に往って為し、為して恰当合宜に至るのみ。ゆえに《孟子》は「中を執りて権なければ、猶ほ一を執るがごとし」と説く——ただ死守して中間にして称量する能わざるは、仍ほ偏なり。隋代の王通は説く。「《春秋》は王道の権なり」と。この句の話は王通を除き、別人は説き出す能わず。ゆえに権は一人の身の上に落ちれば、則ち一身の権あり。一郷に落ちれば、則ち一郷の権あり。天下に推して至れば、則ち天下の権あり。用処は大小の別ありと雖も、あの杆の称量する秤は同一の杆である。

《文中子》曰:“易樂者必多哀,輕施者必好奪。”或曰:“天下皆爭利棄義,吾獨若之何?”子曰:“舍其所爭,取其所棄,不亦君子乎?”若此之類,禮義之言也,心跡之判久矣;若此之類,造化之言也。《太玄》九日當兩卦,餘一卦當四日半。揚雄作《玄》,可謂見天地之心者也。

《文中子》は王通の話を記す。「容易に高興する人は一定に悲哀多し、軽易に施舍する人は一定に掠奪を愛す」と。また或る人は問う。「天下人は皆利を争い皆義を抛弃す。我一个人はどう弁ずべきか」と。王通は答えて曰く。「衆人の争う所を譲り出し去り、衆人の棄てる所を撿い帰り来れば、則ち君子ではないか」と。この一类の話の如きは、礼義を講ずる層次に属す。彼の説く「心と跡の分判は由来すでに久し」のこの一类に至っては、則ち造化を講ずる層次に属す。揚雄の《太玄》は九天をもって両卦に配し、余下の一卦は四天半に配す。揚雄が《太玄》を作るは、すなわち天地の心を看見した人と説き得べし。

落下閎改顓頊曆為太初曆,子云準《太初》作《太玄》,凡八十一卦,九分共二卦。凡一五隔一四,細分之則四分半當一卦氣,起於中心,故首中卦。曆不能無差。今之學曆者,但知曆法,不知曆理。能布算者,落下閎也;能推步者,甘公石公也。落下閎但知曆法,揚雄知曆法又知曆理。五星之說,自甘公石公始也。

西漢の落下閎は顓頊暦を改造して太初暦と成した。揚雄(字は子雲)は《太初暦》の框架に依照して《太玄》を作り、全書は共に八十一首で、八十一卦に相当す。毎九分合わせて両卦に配す。その排法は一個の「五」に一個の「四」を隔て、細分し下れば四分半に一卦の気を配す。起算点は中央に定まるがゆえに、ゆえに《太玄》は《中》首を最も前に排す。暦法は誤差なき能わざるべからず。如今暦を学ぶ人は、ただ暦法の算式を懂得して、暦法の背後の道理を懂得せず。算籌を擺りて数を推する能くするは落下閎で、天象を推歩する能くするは戦国の甘徳・石申である。落下閎はただ暦法を知るのみ、揚雄は却ってすでに暦法を知りまた暦理を知る。五大行星の学説に至っては、甘徳・石申の両家より始まる。

《素問》、《陰符》,七國時書也。《素問》密語之類,於術之理可謂至矣。韻法,闔闢者律天,清濁者呂地。韻法,先閉後開者,春也;純開者,夏也;先開後閉者,秋也;冬則閉而無聲。東為春聲,陽為夏聲。此見作韻者亦有所至矣。銜凡,冬聲也。

《黄帝内経・素問》と《陰符経》は、皆戦国七雄の時代の書である。《素問》のうちのあの些の隠秘の口訣の类は、術数の理に就いて言えば講じて極処に至ったと算し得べし。音韻を講ずる法則。口腔の一合一開は「律」に属し、天に対応す。声音の一清一濁は「呂」に属し、地に対応す。再び四時より来り看れば。発音の時に先に閉じて後に開くは、春に属す。頭より尾に至るまで皆口を張りているは、夏に属す。先に開きて後に閉ずるは、秋に属す。冬天に至れば則ち口を閉じて声なし。ゆえに「東」韻は春天の声音で、「陽」韻は夏天の声音——編制して韻書を為す人もまた領会する所有るを見るべし。「銜」韻と「凡」韻に至っては、あれは則ち冬天の声音である。

皇極経世書巻十四・観物外篇下

太極,一也,不動。生二,二則神也。神生數,數生象,象生器。太極不動,性也。發則神,神則數,數則象,象則器,器之變復歸於神也。心為太極,又曰道為太極。太極,道之極也;太玄,道之玄也;太素,色之本也。太一,數之始也;太初,事之初也。其成功則一也。

「太極」は浑然の一で、それ自身動かず。それより「二」を生出し、二は便ち「神」。神は「数」を生出し、数は「象」を生出し、象は「器」を生出す。太極の動かざるあの一面はすなわち「性」。一旦発動すれば便ち神と成り、神は落成して数、数は落成して象、象は落成して器、而も器は変化して尽頭に至り、又重新に神に回帰す。ゆえに心はすなわち太極と説き、また道はすなわち太極と説く。「太極」は道の極至で、「太玄」は道の幽深で、「太素」は形色の本原で、「太一」は数の開端で、「太初」は万事の起点——名目は分かれて好幾個と成すと雖も、それらの成就する所は実は同一の事である。

元有二,有生天地之始者,太極也。有萬物之中各有始者,生之本也。萬物各有太極、兩儀、四象、八卦之次,亦有古今之象。陰陽分而生二儀,二儀交而生四象,四象交而生八卦,八卦交而生萬物。故二儀生天地之類,四象定天地之體,四象生八卦之類,八卦定日月之體,八卦生萬物之類,重卦定萬物之體。類者,生之序也;體者,象之交也。推類者,必本乎生。觀體者,必由乎象。生則未來而逆推,象則既成而順觀。是故日月一類也,同出而異處也,異處而同象也。推此以往,物焉逃哉?

「元」に両層の含義あり。一層は天地を生出するあの総開端で、あれは則ち太極。別の一層は万物が各々自身の上に有するあの開端で、あれはそれ自身の生命の根本である。万物の身上は皆太極・両儀・四象・八卦のこの一層層の次第を具備し、もまた皆古と今の形象を帯びる。陰陽は一分かれて則ち両儀を生出し、両儀は相交われば則ち四象を生出し、四象は相交われば則ち八卦を生出し、八卦は相交われば則ち万物を生出す。ゆえに両儀は天地のこの一「類」を生出し、四象は天地の「体」を定下す。四象は八卦のこの一类を生出し、八卦は日月の体を定下す。八卦は万物のこの一类を生出し、重畳して六十四卦と為りてはじめて万物の体を定下す。いわゆる「類」とは、化生の次序を指す。いわゆる「体」とは、象と象の交会して成った結果を指す。類を推求するは、必ず化生の上より手を入れるを要す。体を観察するは、必ず象の上より手を入れるを要す。化生の事は未だ到来せざれば、ただ逆らって回りて推す能くす。象の事はすでに形を成せれば、順って下に看る可し。ゆえに日と月は本来同一の類に属し、同じく陽の中より出でて処する位置同じからず、位置同じからざるに取る所の象は却って相同じ。この弁法に照らして一路推し下れば、天下にまた何の物か逃げ出す能くするあらんか。

天變時而地應物。時則陰變而陽應,物則陽變而陰應。故時可逆知,物必順成。是以陽迎而陰隨,陰逆而陽順,本一氣也。生則為陽,消則為陰。故二者一而已矣,六者三而已矣,八者四而已矣。是以言天而不言地,言君而不言臣,言父而不言子,言夫而不言婦也。然天得地而萬物生,君得臣而萬化行,父得子、夫得婦而家道成。故有一則有二,有二則有四,有三則有六,有四則有八。

天の変動する所は時令で、地の回応する所は物類である。時令に就いて説けば、陰が先に変じて陽が来りて回応す。物類に就いて説けば、陽が先に変じて陰が来りて回応す。ゆえに時令は逆らって前に向かって預知する可く、物類は却って必ず次序に順ってはじめて成就する能くす。ここにおいて陽は前に在りて迎え、陰は後に在りて随い、陰の走るは逆行で陽の走るは順行、然れどもそれらは本来ただ同一股の気である。この股の気は生発する時に陽と叫び、消退する時に陰と叫ぶ。ゆえにいわゆる「二」は実はただ一、いわゆる「六」は実はただ三、いわゆる「八」は実はただ四。まさにこのため、古人は天を説けば便ち地を再び説くを必とせず、君を説けば便ち臣を再び説くを必とせず、父を説けば便ち子を再び説くを必とせず、夫を説けば便ち婦を再び説くを必とせず。然れども天は必ず地を得着してはじめて、万物こそ生じ出ずる能くし、君は必ず臣を得着してはじめて、万般の教化こそ推行し開く能くし、父は子を得着し夫は婦を得着してはじめて、一家の道こそ成立し得と算す。ゆえに一あれば則ち二あり、二あれば則ち四あり、三あれば則ち六あり、四あれば則ち八あり。

語其體,則天分而為地,地分而為萬物,而道不可分也。其終,則萬物歸地,地歸天,天歸道。是以君子貴道也。一陰一陽之謂道。道無聲無形,不可得而見者也。故假道路之道而為名。人之有行,必由乎道。一陰一陽,天地之道也。物由是而生,由是而成者也。

もし「体」の上より講ぜば、天は分化して地を出し、地は分化して万物を出す。独り道のみは分かつ可からざる。終了の時に至っては、万物は地に帰還し、地は天に帰還し、天は道に帰還す。ゆえに君子は最も道を看重す。《繋辞伝》は「一陰一陽これを道と謂う」と説く。道に声音なく形状なく、これは見る能わざるのである。ここにおいて道路の「道」字を借用してそれに命名す。人は出行せんとするに、必ず道路を経由するを要す。一陰一陽の往复交替は、すなわち天地の道である。万物はそれに由って生じ、もまたそれに由って成る。

陽者道之用,陰者道之體。陽用陰,陰用陽。以陽為用則尊陰,以陰為用則尊陽也。陰幾於道,故以況道也。陽尊而神,尊故役物,神故藏用。是以道生天地萬物而不自見也,萬物亦取法乎道也。陰對陽為二,然陽來則生,陽去則死。天地萬物生死主於陽,則歸之於一也。

陽は道の発用で、陰は道の形体である。陽は陰を憑借するを要し、陰もまた陽を憑借するを要す。陽を把して用と當做する時は、則ち陰をもって尊と為し、陰を把して用と當做する時は、則ち陽をもって尊と為す。陰は静にして含蔵し、様子は最も道に接近す。ゆえにつねに陰を取って道を比況す。陽は則ちすでに尊貴にしてまた神妙。尊貴なるがゆえに万物を役使する能くし、神妙なるがゆえに作用を蔵め起きる能くす。まさにこのため、道は天地万物を生出してかつて自己を顕露せず、万物もまた皆道に取法す。陰と陽は相対して、看て去れば「二」。然れども陽は一たび到来すれば万物は則ち生じ、陽は一たび離去すれば万物は則ち死す。天地万物の生死はすでに全て陽に由って主を為す以上、則ち仍ほ「一」に帰結す。

自下而上謂之升,自上而下謂之降。升者,生也;降者,消也。故陽生於下,而陰生於上。是以萬物皆反生。陰生陽,陽生陰,陰復生陽,陽復生陰,是以循環而無窮也。性非體不成,體非性不生。陽以陰為體,陰以陽為性。動者,性也;靜者,體也。在天則陽動而陰靜,在地則陽靜而陰動。性得體而靜,體隨性而動,是以陽舒而陰疾也。(更詳之。)

下より上に向かうを「升」と叫び、上より下に向かうを「降」と叫ぶ。升はすなわち生長で、降はすなわち消退である。陽気は下面より生じ起き、陰気は上面より生じ起きる。ゆえに万物は皆「反生」——根は下に扎して枝葉は上に朝り、ちょうど陰気の下行する方向と相反す。陰は陽を生ずる能くし、陽は陰を生ずる能くし、陰はまた再び陽を生じ、陽はまた再び陰を生ず。ここにおいて循環往复して窮尽なし。性に体なければ則ち形を成す能わず、体に性なければ則ち生出する能わず。陽は陰を把して自己の体と當做し、陰は陽を把して自己の性と當做す。動く能くするは性に属し、静かなる能くするは体に属す。天上に在っては陽は動にして陰は静、地上に到れば則ち陽は静にして陰は動と変ず。性は体を得着して便ち安静し、体は性に随って便ち動き起きる。ゆえに陽の運行は舒緩にして陰の運行は急促なり。(この条はなお再加の詳考を要す。)

陽不能獨立,必得陰而後立,故陽以陰為基;陰不能自見,必待陽而後見,故陰以陽為唱。陽知其始而享其成,陰效其法而終其用。陽能知而陰不能知,陽能見而陰不能見也。能知能見者為有,故陽性有,而陰性無也。陽有所不偏,而陰無所不偏也。陽有去,而陰常居也。無不偏而常居者為實,故陽體虛而陰體實也。

陽は単独に站り住む能わず、必ず陰を得着してはじめて立ち起きる能くす。ゆえに陽は陰を把して自己の根基と當做す。陰は自己顕現する能わず、必ず陽の来りて領き起くるを待ってはじめて顕現す。ゆえに陰は陽を把して領唱する人と當做す。陽は事情の開端を知りてその成果を享受し、陰は則ち陽の法度を效法してその功用を為し完る。陽は知る能くして陰は知る能わず、陽は見る能くして陰は見る能わず。知る能くし見る能くするは「有」と算す。ゆえに陽の性は有に属し、陰の性は無に属す。陽にそれの遍及せざる地方あり、陰は却って処として遍布せざるなし。陽に離去する時あり、陰は却って常駐して走らず。処として遍布せざるなくまた常駐して走らざるは「実」と算す。ゆえに陽の体は虚で、陰の体は実である。

陽之類圓,成形則方;陰之類方,成形則圓。陰事太半,蓋陽一而陰二也。陽主闢而出。陰主翕而入。春陽得權,故多旱;秋陰得權,故多雨。冬至之子中,陰之極;春分之卯中,陽之中;夏至之午中,陽之極;秋分之酉中,陰之中。凡三百六十,中分之則一百八十。此二至二分相去之數也。

陽のこの一类は本身は円なれども、凝結して形を成せば却って方。陰のこの一类は本身は方なれども、凝結して形を成せば却って円。世間の事は陰が一大半を承担するを要す。陽はただ一份を算えて陰は両份を算うるを要するがゆえである。陽は張開を主として外に向かって発出し、陰は收合を主として内に向かって吸納す。春天は陽気が権を當て、ゆえに旱多し。秋天は陰気が権を當て、ゆえに雨多し。冬至は十二辰の子位の正中に落ち、陰の極点である。春分は卯位の正中に落ち、陽の中点である。夏至は午位の正中に落ち、陽の極点である。秋分は酉位の正中に落ち、陰の中点である。周天は共に三百六十度、半に対分すればすなわち一百八十度。これがすなわち両至と両分の彼此相距する数目である。

二至相去,東西之度凡一百八十,南北之度凡六十。冬至之後為呼,夏至之後為吸。此天地一歲之呼吸也。朔,《易》以陽氣自北方而生,至北方而盡,謂變易循環也。東赤、南白、西黃、北黑,此正色也。驗之於曉、午、暮、夜之時可見之矣。

冬至と夏至のこの両点の相距るは、東西の方向の上に於ては一百八十度、南北の方向の上に於ては六十度。冬至の後は陽気が外に向かって発出す。天地の呼気するに比す。夏至の後は陰気が内に向かって收斂す。天地の吸気するに比す。これがすなわち天地の一年の間の一呼一吸である。每月の朔日を説いて至れば、《周易》は陽気は北方より生起し、また走り回りて北方に窮尽すると認む。講ずる所はまさに変易循環して已まざるである。東方は赤、南方は白、西方は黄、北方は黒。これは四方の天色の正色である。清晨・正午・傍晚・深夜のこの四個の時段を取って驗証し往けば、則ち看て出す能くす。

天地之氣運,北而南則治,南而北則亂。亂久則復北而南矣。天道人事皆然。推之歷代,可見消長之理也。天地之本其起於中乎?是以乾坤屢變而不離乎中。人居天地之中,心居人之中,日中則盛,月中則盈,故君子貴中也。

天地の気の運行は、北より南に向かって推移すれば天下は則ち太平、南より北に向かって推移すれば天下は則ち動乱す。乱れて久しきは、また重新に北より南に向かう。天道このようであれば、人事もまたこのよう。歴代の興亡を取って印証し往けば、則ち消と長の道理を看出し得。天地の根本は、およそ一個の「中」字に起きるか。ゆえに《乾》《坤》の両卦は屡屡変化するも、しかし終始中を離れず。人は天地の正中に処り、心はまた人身の正中に処る。太陽は中天に走到して最も盛ん、月亮は中天に走到して最も円なり。ゆえに君子は最も「中」を看重す。

生者性,天也;成者形,地也。得天氣者動,得地氣者靜。天以氣為主,體為次。地以體為主,氣為次。在天在地者亦如之。天主用,地主體,聖人主用,百姓主體。故日用而不知。顯諸仁者,天地生萬物之功,則人可得而見也。所以造萬物,則人不可得而見,是藏諸用也。

生発する能くするは性で、天に属す。成就する能くするは形で、地に属す。天気を禀得するは動きを好み、地気を禀得するは静かを好む。天は気をもって主と為し体をもって次と為し、地は体をもって主と為し気をもって次と為す。天に在る万物と地に在る万物も、またこの比例に照らして分配す。天は「用」を主管し、地は「体」を主管す。聖人は用を主管し、百姓は体を主管す。ゆえに《繋辞伝》は百姓の「日に用いて知らず」と説く。いわゆる「諸を仁に顕す」とは、天地が万物を生養する功効を指す。この一層は人の見る能くする所である。天地が何を憑って万物を造出するかに至っては、人は却って見る能わず。あれは則ち「諸を用に蔵す」。

或問:顯諸仁、藏諸用。曰:“若日月之照臨,四時之成歲,是顯諸仁也;知其度數之然,而不知其所以然,是藏諸用也。”天之象類,則可得而推。如其神用,則不可得而測也。天以理盡,而不可以形盡。渾天之術,以形盡天,可乎?倚蓋之說,崑崙四垂而為海。推之理則不然。夫地直方而靜,豈得如圓動之天乎?

或る人は「顕諸仁、蔵諸用」をどう講ずべきかを請教す。邵雍は答えて曰く。「日月が大地を照臨し、四時が湊まりて一年と成るが如きは、これがすなわち諸を仁に顕す。我らはそれらの度数がこのようであるを算い出す能くすれども、しかしそれらがなぜこのようであるかを説き出す能わず。これがすなわち諸を用に蔵す」と。天の形象と類別は推算し得べきものである。それの神妙の作用に至っては、則ち測度する能わざるものである。天はただ「理」をもって往って窮尽する能くするのみ、「形」をもって窮尽する能わず。渾天家は一個の球形を用いて天を説き尽くさんと欲す。行き通る可きか。蓋天家は天は一頂の斜倚したる傘蓋の如しを講じ、崑崙山は四面下垂して大海と為る。道理に按じて推究すれば、もまたこのようではない。地は本来方正にして安静なり。どうしてあの円転して運動する天の如くならんか。

天圓而地方,天南高而北下,是以望之如倚蓋焉;地東南下西北高,是以東南多水西北多山也。天覆地,地載天,天地相函,故天上有地,地上有天。天之陽在南,故日處之;地之剛在北,故山處之。所以地高西北,天高東南也。天之陽在南,而陰在北;地之陰在南,而陽在北;人之陽在上,而陰在下。既交,則陽下而陰上。

天は円にして地は方なり。天は南辺に高く北辺に低し。ゆえに人は望み上げて一頂の斜倚したる傘蓋の如し。地は東南に低く西北に高し。ゆえに東南に江河湖海多く、西北に高山峻嶺多し。天は地を覆盖し、地はまた天を承载す。天と地は互相に包含す。ここにおいて天の上に地あり、地の上にもまた天あり。天の陽気は南方に聚まり、太陽は便ちそこに居る。地の剛質は北方に聚まり、山岳は便ちそこに居る——地勢の西北高なる所以、天勢の東南高なる所以は、すなわちこの縁故である。天の陽は南に在りて陰は北に在り、地の陰は南に在りて陽は北に在り、人の陽は上に在りて陰は下に在り。一旦陰陽交合すれば、則ち変じて陽は下降し陰は上升す。

極南大暑,極北大寒,故南融而北結,萬物之死地也。夏則日隨斗而北,冬則日隨斗而南,故天地交而寒暑和,寒暑和而物乃生也。天渾渾於上而不可測也,故觀斗數以占天也。斗之所建,天之行也。魁建子,杓建寅,星以寅為晝也。斗有七星,是以晝不過乎七分也。(更詳之。)

極南は酷熱、極北は酷寒。ゆえに南辺のものは一味に融化し、北辺のものは一味に凝結す。あの両処は皆万物の死地である。夏天は太陽が北斗に随って北方に偏向し、冬天は太陽が北斗に随って南方に偏向す。ここにおいて天地の気は交通して寒暑は調和を得る能くし、寒暑調和して万物はこそ生長する能くす。天は上面に在りて浑然として一片、測度する由なし。ゆえに人々は北斗の度数を観察してもって天象を推占す。北斗の指す所の方位は、すなわち天の運行である。斗魁は子位を指向し、斗柄は寅位を指向し、星象は便ち寅位をもって白昼の起点と為す。北斗は共に七顆の星あり。ゆえに白昼の長度は七分を超過せず。(この条はなお再加の詳考を要す。)

天行所以為晝夜,日行所以為寒暑。夏淺冬深,天地之交也;左旋右行,天日之交也。日朝在東,夕在西,隨天之行也;夏在北,冬在南,隨天之交也。天一周而超一星,應日之行也。春酉正,夏午正,秋卯正,冬子正,應日之交也。冬至之月,所行如夏至之日;夏至之月,所行如冬至之日。

天の周日の旋転は昼夜を造成し、太陽の周年の行度は寒暑を造成す。夏天は日影浅く、冬天は日影深し。これは天と地の交会する結果である。天は左に旋りて日は右に行く。これは天と日の交会する結果である。太陽は早晨は東に在り傍晚は西に在る。あれは天の旋転に随って走る。夏天は北に偏し冬天は南に偏す。あれは天日の交会に随って走る。天は転じて一周を満たせば便ち一星の数を多出す。あれは太陽の行度と相応ずる。黄昏の見る所の中星は春は酉正・夏は午正・秋は卯正・冬は子正に在る。あれは天日の交会と相応ずる。冬至のあの月のうちに月亮の走る所の路線は、夏至の時の太陽の走ると一様。夏至のあの月のうちに月亮の走る所の路線は、冬至の時の太陽の走ると一様。

陽主舒長,陰主慘急。日入盈度,陰從於陽;日入縮度,陽從於陰。日行陽度則盈,行陰度則縮,賓主之道也。月去日則明生而遲,近日則魄生而疾,君臣之道也。日以遲為進,月以疾為退。日月一會而加半日,減半日,是以為閏餘也。日一大運而進六日,月一大運而退六日,是以為閏差也。

陽の性情は舒緩にして生長し、陰の性情は急促にして肅殺す。太陽は「盈」の度数に進入する時は、陰が陽に順從す。「縮」の度数に進入する時は、陽が陰に順從す。太陽は陽度の上に走りて行速余裕あるを盈と叫び、陰度の上に走りて行速不足なるを縮と叫ぶ。これは賓と主の相待する道理である。月亮は太陽より離るること愈々遠ければ、光を受くる明面愈々大にして行度は顕れて愈々慢く、太陽より離るること愈々近ければ、黒魄愈々大にして行度は顕れて愈々快し。これは君と臣の相従する道理である。太陽は行くこと慢きをもって前進と算し、月亮は行くこと快きをもって後退と算す。日月は会合する每に一度、則ち半日を加え半日を減ずるを要す。閏余はすなわちこのように来る。太陽は一個の大運の周期を走り完れば六日を多出し、月亮は一個の大運の周期を走り完れば六日を少く去る。閏差はすなわちこのように来る。

一歲之閏,六陰六陽,三年三十六日,故三年一閏,五年六十日,故五年再閏。《堯典》期三百六旬有六日,夫日之餘盈也六,則月之餘縮也亦六。若去日月之餘十二,則有三百五十四,乃日行之數。以十二除之,則得二十九日。

一年の中の閏は、六個の陰・六個の陽を包含す。三年積みて三十六日と成る。ゆえに三年に一個の閏月を安排す。五年積みて六十日と成る。ゆえに五年の内に再び一度閏するを要す。《尚書・堯典》は一周年は三百六十六日と説く。太陽のこの一辺の多出したる盈数は六日で、月亮のあの一辺の少く下去したる縮数もまた六日。もし日月の両頭のこの十二日の余数を皆扣掉せば、則ち三百五十四日を剩す。これは日行に按じて折算し出したる数目である。再び十二を取って除せば、每箇月に便ち二十九日を得る。

陽消則生陰,故日下而月西出也;陰盛則敵陽,故日望而月東出也。天為父,日為子,故天左旋,日右行;日為夫,月為婦,故日東出,月西生也。日月之相食,數之交也。日望月則月食,月掩日則日食,猶水火之相剋也。是以君子用智,小人用力。月體本黑,受日之光故白。日入地中,構精之象也。

陽は一たび消退すれば陰は則ち生出す。ゆえに太陽が西に沉む時に新月は西辺より現身す。陰は一たび盛壮なれば則ち陽と抗衡するに足る。ゆえに望日に至れば太陽は未だ落ち尽さざるに月亮はすでに東辺より升起す。天は父親に比し、太陽は兒子に比す。ゆえに天は左に旋りて日は右に行く。太陽は丈夫に比し、月亮は妻子に比す。ゆえに日は東方より出でて月は西方より生ず。日食と月食は、両者の度数の交会する結果である。太陽が正しく月亮に対して月が掩わるるは則ち月食、月亮が太陽を遮住するは則ち日食。これは水と火の互相に克制するに比す。これより知るべし。君子の靠る所は智慧で、小人の靠る所は気力である。月亮の本体はもとは黒く、太陽の光を受けてはじめて白色を顕出す。太陽が地下に沉入するは、まさに天地陰陽の交媾して精を結ぶ象である。

日隨天而轉,月隨日而行,星隨月而見,故星法月,月法日,日法天。天半明半晦,日半盈半縮,月半盈半虧,星半動半靜,陰陽之義也。天晝夜常見,日見於晝,月見於夜而半不見,星半見於夜,貴賤之等也。月晝可見也,故為陽中之陰;星夜可見也,故為陰中之陽。

太陽は天に随って旋転し、月亮は太陽に随って運行し、星星は月亮に随って顕現す。ゆえに星は月に取法し、月は日に取法し、日は天に取法す。天に一半の明あり一半の晦あり、日に一半の盈あり一半の縮あり、月に一半の円あり一半の缺あり、星に一半の動あり一半の静あり。これは皆陰陽の対分する道理である。天は昼夜を論ぜず終始可見、太陽はただ白天のみ可見、月亮は夜裏に可見にしてしかも一半の時候は看る能わず、星星は夜裏にもまた一半のみ見るを得。これはまた尊卑貴賎の等級である。月亮は白天にも時に看るを得るを見る能くす。ゆえにそれは「陽中の陰」。星星は夜裏に至ってはじめて看るを得るを見る能くす。ゆえにそれは「陰中の陽」。

陽中有陰,陰中有陽,天之道也。陽中之陽,日也,暑之道也;陽中之陰,月也,以其陽之類,故能見於晝;陰中之陽,星也,所以見於夜。陰中之陰,辰也,天壤也。辰數十二,日月交會謂之辰。辰,天之體也。天之體,無物之氣也。辰至日為生,日至辰為用。蓋順為生而逆為用也。星為日餘,辰為月餘。星之至微如塵沙者,隕而為堆阜。

陽のうちに陰を含み、陰のうちに陽を含む。これは天の法則である。陽中の陽は太陽で、暑熱の道を主管す。陽中の陰は月亮で、それは仍ほ陽の一类に属するがゆえに、ゆえに白天にも見られ得べし。陰中の陽は星で、ゆえに夜裏に顕現す。陰中の陰は辰で、あれは天の空隙の処である。辰の数目は十二で、日と月は交会する每に一度を則ち一辰と叫ぶ。辰は天の本体で、而も天の本体は、ただ一団の物と為すに足らざる気である。辰より数えて日に至るは「生」の方向で、日より数えて辰に至るは「用」の方向——順って数えれば則ち生で、逆らって数えれば則ち用。星は日の剩りたる余数で、辰は月の剩りたる余数である。星のうちの細微にして塵沙の如きのものは、墜落し下来れば便ち積みて土堆山丘と成った。

天奇而地偶,是以占天文者觀星而已,察地理者觀山水而已。觀星而天體見矣,觀山水而地體見矣。天體容物,地體負物,是故體幾於道也。日月星辰共為天,水火土石共為地,耳目鼻口共為首,髓血筋骨共為身,此乃五之數也。天有五辰,日月星辰與天而為五;地有五行,金木水火與土而為五。五行之木,萬物之類也。五行之金,出乎石也。故水火土石,不及金木,金木生其間也。

天の数は奇で、地の数は偶である。ゆえに天文を推占する人はただ星象を観察するを要し、地理を考察する人はただ山川水土を観察するを要す。星を観れば天の形体は則ち顕現し、山水を観れば地の形体は則ち顕現す。天の形体は万物を容納する能くし、地の形体は万物を負載する能くす。ゆえに「体」のこの东西はすでに甚だ道に接近す。日・月・星・辰は合わせて天を構成し、水・火・土・石は合わせて地を構成し、耳・目・鼻・口は合わせて頭を構成し、髄・血・筋・骨は合わせて身を構成す——每一組は皆四様にそれらの総名を加えて、共に五数を成す。これがすなわち「五」のこの数の来歴である。天に五辰あり、日・月・星・辰にさらに天自身を加えて五を湊成す。地に五行あり、金・木・水・火にさらに土を加えて五を湊成す。五行のうちの木は万物の一类に属し、五行のうちの金は則ち石頭の中より出でたる。ゆえに邵雍が地を論ずるはただ水・火・土・石を列して、金・木を列せず。金と木はこの四者の間より派生し出でたるに因る。

陽中陽,日也;陽中陰,月也;陰中陽,星也;陰中陰,辰也。柔中柔,水也;柔中剛,火也;剛中柔,土也;剛中剛,石也。夫四象在錯綜而用之。日月,天之陰陽;水火,地之陰陽;星辰,天之剛柔;土石,地之剛柔。天之陽在東南,日月居之;地之陰在西北,火石處之。天以剛為德,故柔者不見;地以柔為體,故剛者不主。是以震,天之陰也;巽,地之陽也。

陽中の陽は太陽、陽中の陰は月亮、陰中の陽は星、陰中の陰は辰。柔中の柔は水、柔中の剛は火、剛中の柔は土、剛中の剛は石。この両組の四象は交錯して綜合して使用するを要す。日と月は天の陰陽で、水と火は地の陰陽。星と辰は天の剛柔で、土と石は地の剛柔。天の陽気は東南に在り。ゆえに日月はそこに居る。地の陰気は西北に在り。ゆえに火と石はそこに処す。天は剛をもってその徳性と為す。ゆえに柔に属する一面は顕れ出づる能わず。地は柔をもってその形体と為す。ゆえに剛に属する一面は主を為す能わず。まさにこのため、《震》卦は一陽が下に在り、八卦のうちに陽に属すと雖も、実際は却って天の陰である。《巽》卦は一陰が下に在り、陰に属すと雖も、実際は却って地の陽である。

地,陰也,有陽而陰效之。故至陰者辰也,至陽者日也,皆在乎天,而地則水火而已。是以地上皆有質之物,陰伏陽而形質生,陽伏陰而性情生。是以陽生陰,陰生陽,陽克陰,陰克陽。陽之不可伏者,不見於地;陰之不可克者,不見於天。伏陽之少者,其體必柔,是以畏陽而為陽所用。伏陽之多者,其體必剛,是以御陽而為陰所用。故水火動而隨陽,土石靜而隨陰也。(一說云,陰效陽而能伏,是以辰在天,而地之四物皆有所欠也。)

地は陰に属す。つねに先に陽ありて前に在り、陰は再び照らして往って效法す。ゆえに最も陰なるは辰で、最も陽なるは日で、この両様は皆天上に在る。而も地上の有する所は、不過水と火のみである。ここにおいて地上は尽く有形質の东西あり。陰は陽を制伏し住せば、形と質は則ち生出す。陽は陰を制伏し住せば、性と情は則ち生出す。ここにおいて陽は陰を生ずる能くし、陰は陽を生ずる能くす。陽は陰を克する能くし、陰もまた陽を克する能くす。あの種の伏せ得ざる陽は、地上に於て見る能わず。あの種の克し得ざる陰は、天上に於て見る能わず。制伏する陽少なきは、その体は必ず柔軟なり。ゆえに陽を怕れて陽に駆使せらる。制伏する陽多きは、その体は必ず堅硬なり。ゆえに陽に抵じ住する能くして陰に駆使せらる。ここにおいて水と火は動きを好み、陽に随って走る。土と石は静かを好み、陰に随って走る。(別の一種の説法は。陰は陽を效法して陽を制伏する能くす。ゆえに辰は天上に留まり、而も地上の水火土石のこの四様は便ち各々欠缺ありと。)

陽生陰,故水先成;陰生陽,故火後成。陰陽相生也,體性相須也。是以陽去則陰竭,陰盡則陽滅。火以性為主,體次之;水以體為主,性次之。天火,無體之火也;地火,有體之火也。火無體,因物以為體。金石之火烈於草木之火者,因物而然也。火生於無,水生於有。

陽は陰を生ずる能くす。ゆえに水は先に凝成す。陰は陽を生ずる能くす。ゆえに火は後に成形す。陰と陽は互相に化生し、体と性は互相に依待す。ここにおいて陽は一たび離去すれば陰は則ち枯竭し、陰は一たび窮尽すれば陽もまた随いて熄滅す。火は性をもって主と為し体をもって次と為し、水は体をもって主と為し性をもって次と為す。天上の火は形体なき火で、地上の火は形体ある火である——火本身は並びに体なく、燃焼する所のものを借りて當做自己の体と為すを要す。金石の燃え起こす火は草木の燃え起こす火より猛烈なり。まさに依附する所の物の同じからざるがゆえである。火は「無」の中より生出し、水は「有」の中より生出す。

海潮者,地之喘息也。所以應月者,從其類也。燈之明暗之境,日月之象也。水者,火之地;火者,水之氣。黑者,白之地;寒者,暑之地。月者,日之影也;情者,性之影也;陰者,陽之影;鬼者,人之影也。明則有日月,幽則有鬼神。

海上の潮汐は、大地の喘息である。それが月亮に随って漲落する所以は、水と月が同一の類に属し、同気相求するがゆえである。燈焔の上の明暗の交界のあの一圈は、まさに日と月の縮影である。水は火の依附する処所で、火は水の蒸発し出でたる気である。黒は白の依附する処所で、寒は暑の依附する処所である。月亮は太陽の影子で、情は性の影子で、陰は陽の影子で、鬼は人の影子である。ゆえに明処に在れば則ち日月あり、幽処に在れば則ち鬼神あり。

鬼神者,無形而有用,其情狀可得而知也,於用則可見之矣。若人之耳目鼻口手足,草木之枝葉華實顏色,皆鬼神之所為也。福善禍淫,主之者誰耶?聰明正直,有之者誰邪?不疾而速,不行而至,任之者誰邪?皆鬼神之情狀也。天地之心者,生萬物之本也;天地之情者,情狀也,與鬼神之情狀同。以天地生萬物,則以萬物為萬物;以道生天地,則天地亦萬物也。天地生萬物,聖人生萬民。生生長類,天地成功;別生分類,聖人成能。

いわゆる鬼神とは、形体なきにして作用ある东西である。その情状は知るべくする能くするもので、ただその作用の上より看れば則ち見え着く。譬えば人の耳・目・鼻・口・手・足、草木の枝・葉・花・果・顔色は、皆鬼神造化の手筆である。善人に福を降し淫邪に禍を降すは、主宰してこの件の事をするは誰か。いわゆる聡明正直、这份の品格を具備するは誰か。《繋辞伝》は「疾ならずして速く、行かずして至る」と説く。这份の職分を担当するもまた誰か。これらは皆鬼神の情状である。天地の心は、すなわち万物を生養する根本である。天地の情は、すなわちそれの表現し出ずる情状で、鬼神の情状と同一の事である。天地が万物を生ずるこの角度より看れば、万物はただ万物である。然れどももし道が天地を生ずるこの角度より看れば、天地自体もまた不過万物の中の一員である。天地は万物を生出し、聖人は則ち万民を生養す。生命を一代一代繁衍せしめ、種類を断えず生長せしめるは、これは天地の成就する所の功である。各様の生命を分辨し開き、種類を区別して清楚せしめるは、これは聖人の成就する所の能である。

動物自首生,植物自根生。自首生,命在首;自根生,命在根。本乎天者親上,本乎地者親下。故變之與應,常反對也。有變則必有應也,故變於內者應於外,變於外者應於內,變於下者應於上,變於上者應於下也。天變而日應之,故變者從天,而應者法日也。是以日紀乎星,月會於辰,水生於土,火潛於石,飛者棲木,走者依草。心肺之相聯,肝膽之相屬,無它變應之道也。

动物は頭部より生長を始め、植物は根部より生長を始む。頭部より生ずるは、性命は頭の上に寄托す。根部より生ずるは、性命は根の上に寄托す。《乾・文言》は「天に本ずる者は上に親しみ、地に本ずる者は下に親しむ」と説く。ゆえに「変」と「応」のこの両頭は、つねに彼此相反して相対す。変あれば則ち必ず応あり。ここにおいて変は内に発生すれば、応は則ち外に出現す。変は外に発生すれば、応は則ち内に出現す。変は下に発生すれば、応は則ち上に出現す。変は上に発生すれば、応は則ち下に出現す。天は先に変じて太陽は往ってそれに回応す。ゆえに「変」に属する一方は天を效法し、「応」に属する一方は日を效法す。まさにこのため、太陽は衆星をもって綱紀と為し、月亮は十二辰と相交会す。水は土の中より生出し、火は石頭のうちに潜蔵す。飛ぶ能くするは樹上に栖り、走る能くするは草叢に依る。人の身上は心と肺は相連なり、肝と胆は相属す——これらは皆別の道理に非ず、全て「変」と「応」の道理である。

陽交於陰而生蹄角之類也,剛交於柔而生根荄之類也,陰交於陽而生羽翼之類也,柔交於剛而生枝幹之類也。天交於地,地交於天,故有羽而走者,足而騰者。草中有木,木中有草也。各以類而推之,則生物之類不過是矣。走者便於下,飛者利於上,從其類也。水之物無異乎陸之物,各有寒熱之性。大較則陸為陽中之陰,而水為陰中之陽。

陽と陰は相交わりて、長蹄長角の走獣の一类を生出す。剛と柔は相交わりて、土中に根を扎す草根の一类を生出す。陰と陽は相交わりて、長羽長翅の飛禽の一类を生出す。柔と剛は相交わりて、枝條樹干の一类を生出す。天と地は相交わり、地と天は相交わる。ゆえに世上に羽毛を生ずれどもただ跑るのみ能くする鳥あり、もまた脚を生ずれども騰躍する能くする獣あり。草のうちに木性を摻み、木のうちにもまた草性を摻む。各々門類に按じてこのように推し下れば、天下の生物の種類は不過これらのみである。走獣は低処に於て活動するに便く、飛禽は高処に於て活動するに利く、各々自己の類に順る。水裏の生物と陸上の生物は並びに根本の差別なく、もまた各々寒に属し熱に属する性子を分かち出す。大体に説けば、陸地は「陽中の陰」で、水域は「陰中の陽」である。

陸中之物水中必具者,猶影象也。陸多走,水多飛者,交也。是故巨於陸者,必細於水;巨於水者,必細於陸也。水之族以陰為主,陽次之;陸之類以陽為主,陰次之。故水類出水則死,風類入水則死。然有出入之類者,龜蟹鵝鳧之類是也。

陸上にある物類は、水中にも必ず相対応する一份がある。影が本形を映照するが如し。陸上は行走するものを多しと為し、水裏は却って「飛」遊するものを多しと為す。これは天地の交錯する致す所である。ここにおいて陸上に於て体形の巨大なるは、水中に到って対応するあの種は細小。水中に於て体形の巨大なるは、陸上に到って対応するあの種は細小。水族は陰をもって主と為し陽をもって次と為し、陸上の物類は陽をもって主と為し陰をもって次と為す。ゆえに水族は水を離れれば則ち死し、風に属する陸生の类もまた水に入れば死す。ただ能く出で能く入る両棲の类もまたあり。亀・蟹・鵝・野鴨はすなわちこのようである。

魚在於水則生,離則死,交與不交之謂也。魚者,水之族也;蟲者,風之族也。風類水類,小大相反。在水者不瞑,在風者瞑。走之類上睫接下,飛之類下睫接上,類使之然也。在水而鱗鬣,飛之類也;龜獺之類,走之類也。飛之類喜風而敏於飛上,走之類喜土而利於走下。飛之走,雞鳧之類是也;走之飛,龍馬之屬是也。

魚は水裏にあれば則ち活き、水を離れれば則ち死す。説く所はまさに本類と相交わるか相交わらざるかである。魚は水のこの一族に属し、虫は風のこの一族に属す。風族と水族は、大小ちょうど相反す。水裏に生ずるは寝て目を閉ざさず、風中に生ずるは寝て目を閉ずるを要す。走獣は上眼瞼が下に向かって合い、飛禽は下眼瞼が上に向かって合う。これは皆各々の類性がそれをこのようせしむる。水裏の鱗を長じ鬣を長ずる魚は、実は「飛」の一类に帰するを要す。亀と水獺の一流は、則ち「走」の一类に帰す。飛の一类は風を好み、上に向かって騰飛するに善し。走の一类は土を好み、地面に於て奔走するに便し。飛類の中の走に偏するは、鶏と野鴨のこの一流。走類の中の飛に偏するは、竜と馬のこの一属。

馬牛皆陰類,細分之則馬為陽,而牛為陰。鷹鵰之類食生,而雞鳧之類不專食生;虎豹之類食生,而貓犬之類食生又食穀。以類推之,從可知矣。虎豹之毛猶草也,鷹鸇之羽猶木也。草伏之獸,毛如草之莖;林棲之鳥,羽如林之葉。類使之然也。

馬と牛は皆陰の一类に属し、細分し起これば則ち馬は陽に偏り牛は陰に偏す。鷹・鵰のこの一类はただ生肉を食し、鶏・野鴨のこの一类は却って専ら生食を食せず。虎・豹のこの一类はただ生肉を食し、猫・狗のこの一类はすでに生肉を食しまた穀物を食す。この門類に按じて推し下れば、その余もまた知り想うべし。虎豹の身上の毛は草に像り、鷹鸇の身上の羽は木に像る。草叢のうちに伏する獣は、毛の様子はすなわち草茎に像る。林中に栖む鳥は、羽の様子はすなわち樹葉に像る。これは皆各々の類性がそれをこのようせしむる。

禽蟲之卵,果穀之類也。穀之類多子,蟲之類亦然。蠶之類,今歲蛾而子,來歲則子而蠶。蕪菁之類,今歲根而苗,來歲則苗而子。木者星之子,是以果實象也。木之支干,土石之所成,所以不易。葉花,水火之所盛,故變而易也。葉,陰也;華實,陽也。枝葉耎而根幹堅也。

禽鳥と昆虫の産する所の卵は、草木の果実と穀粒に相当す。穀のこの一类は子を結ぶこと極めて多し。虫のこの一类は卵を産むこともまた極めて多し。蚕のこの一类は、今年は蛾に由って卵を産み下し、明年に再び卵に由って蚕を孵成す。蕪菁のこの一类は、今年は根に由って苗を長じ出で、明年に再び苗に由って籽を結出す。樹木は星の兒子で、ゆえにそれの結出する果実もまた星の形象を帯びる。樹木の枝干は土と石の凝成したるで、ゆえに堅固にして改変し易からず。葉子と花朵は水と火の催盛したるで、ゆえに時に随って変化して凋落し易し。葉は陰に属し、花と果は陽に属す。枝葉は柔軟にして根干は堅硬なり。

木之堅,非雷不能震;草之柔,非露不能潤。草類之細入於坤。水之木,珊瑚之類是也;石之花,硝鹽之類是也。龍能大能小,然亦有制之者。受制於陰陽之氣,得時則能變化,變變則不能也。有一日之物,有一月之物,有一時之物,有一歲之物,有十歲之物,至於百千萬皆有之。天地亦物也,亦有數焉。雀,三年之物;馬,三十年之物。凡飛走之物,皆可以數推。

樹木は堅硬で、雷霆に非ざればそれを震動せしめ得ず。草類は柔弱で、雨露に非ざればそれを滋潤せしめ得ず。草類の中の最も細微なる一等は、「坤」に帰属す。水裏に長じ出でたる木は、すなわち珊瑚の一类である。石頭の上に開き出でたる花は、すなわち硝と塩の一类である。竜は能く大きく変じ能く小さく変ずるも、然れどもそれは同じく制約せらるる時あり。それは陰陽二気の支配を受け、時令を得着すれば則ち変化する能くし、変じて頭を過ぎれば則ち変動する能わず。世上有りて一日のみ活くる东西あり、一月のみ活くるあり、一季のみ活くるあり、一年活くるあり、十年活くるありて、百年・千年・万年に至るまで皆あり。天地自体もまた一物で、ゆえにまたそれの定数あり。麻雀は三年を活くる东西で、馬は三十年を活くる东西——およそ飛ぶ能くし走る能くする物類は、寿数は皆数をもって推算し出す能くす。

人,百有二十年之物。人為萬物之靈,寄類於走。走,陰也,故百有二十。人寓形於走類,何也?走類者,地之長子也。動者體橫,植者體縱。人宜橫而反縱也。人之骨巨而體繁,木之乾巨而葉繁,應天地之數也。飛者有翅,走者有趾。人之兩手,翅也;兩足,趾也。飛者食木,走者食草,人皆兼之,而又食飛走也,故最貴於萬物也。

人は一百二十年を活くる东西である。人は万物の霊たると雖も、形体は却って走獣のこの一类のうちに寄托す。走獣は陰に属す。ゆえに人の天年は定めて一百二十と為す。人はなぜ形体を走獣の一类に寄托するか。走獣は大地の長子なるがゆえである。動く能くする動物の身体は横にし、長ずる能くする植物の身体は竪にす。人は本は横たるべきに、却って竪と成った。人の骨頭は粗大にして肢体は繁多、樹木の主干は粗大にして枝葉は繁多なり。これはまさに天地の数と相応す。飛禽に翅膀あり、走獣に脚趾あり。人の両只の手はすなわち翅膀で、両只の脚はすなわち脚趾である。飛禽は樹上の果実を食し、走獣は地上の草を食す。人は両様皆食し、しかもまた飛禽走獣を食す。ゆえに万物の中に於て最も尊貴なり。

天六地四,天以氣為質,而以神為神;地以質為質,而以氣為神。唯人兼乎萬物,而為萬物之靈。如禽獸之聲,以其類而各能得其一。無所不能者,人也。推之他事,亦莫不然。唯人得天地日月交之用,他類則不能也。人之生,真可謂之貴矣。天地與其貴而不自貴,是悖天地之理,不祥莫大焉。

天の数は六で、地の数は四である。天は気を取って来てその質に充当し、而も神を取って来てその神に充当す。地は形質を取って来てその質に充当し、而も気を取って来てその神に充当す。ただ人のみが万物の性能を兼具し、ここにおいて万物の霊と成る。譬えば禽獣の叫声は、各々その類に按じてただその中の一種を発する能くするのみ、而も発せざるなきのはすなわち人である。別の事の上に推して至れば、もまたこのようせざるなし。ただ人のみが天地日月の交会する全部の功用を得着する能くし、別の物類は為す能わず。人のこの一生は、真に尊貴と説き得べし。上天は人に这份の尊貴を給い、人は自己卻って珍重を知らず。則ち天地の理に違背し、これより不祥なるなきの事である。

天有四時,地有四方,人有四支。是以指節可以觀天,掌文可以察地。天地之理,具乎指掌矣,可不貴之哉?人之四支各有脈也,一脈三部,一部三候,以應天數也。身,地也,本乎靜,所以能動者,氣血使之然也。水在人之身為血,土在人之身為肉。日為心,月為膽,星為脾,辰為腎藏也;石為肺,土為肝,火為胃,水為膀胱府也。天地並行,則藏府配。四藏,天也;四府,地也。藏者,天行也;府者,地行也。天地並行,則配為八卦。

天に春夏秋冬の四時あり、地に東西南北の四方あり、人に両手両足の四肢あり。ゆえに手指の骨節を数えて天時を推観する可く、掌上の紋路を看て地理を考察する可し——天地の道理は皆この一双の手掌の上に斉備す。どうして珍重せざるべけんや。人の四肢は各々脉絡あり、一条の脉は寸・関・尺の三部に分かち、一部はまた浮・中・沉の三候に分かち、もって天の数に対応す。身体は地に属し、本性は静で、それが動く能くする所以は、気と血の推動する結果である。水は人の身上に於て化して血と為り、土は人の身上に於て化して肉と為る。天上の日は心に対応し、月は胆に対応し、星は脾に対応し、辰は腎に対応す。この四様は「蔵」である。地上の石は肺に対応し、土は肝に対応し、火は胃に対応し、水は膀胱に対応す。この四様は「府」である。天と地は並行して悖らず、蔵と府は則ち対を配成す。四蔵は天に属し、四府は地に属す。蔵は天の路数を走り、府は地の路数を走る。天地は並行し、配し起こればちょうど八卦と成る。

體必交而後生,故陽與剛交而生心肺,陽與柔交而生肝膽,柔與陰交而生腎與膀胱,剛與陰交而生脾胃。心生目,膽生耳,脾生鼻,腎生口,肺生骨,肝生肉,胃生體,膀胱生血。故乾為心,兌為脾,離為膽,震為腎,坤為血,艮為肉,坎為髓,巽為骨,泰為目,中孚為鼻,既濟為耳,頤為口,大過為肺,未濟為胃,小過為肝,否為膀胱。

形体は必ず交合してはじめて生成する能くす。ゆえに陽と剛は相交わりて心と肺を生出し、陽と柔は相交わりて肝と胆を生出し、柔と陰は相交わりて腎と膀胱を生出し、剛と陰は相交わりて脾と胃を生出す。心は眼睛を長じ出で、胆は耳朵を長じ出で、脾は鼻子を長じ出で、腎は嘴を長じ出で、肺は骨頭を長じ出で、肝は肌肉を長じ出で、胃は躯体を長じ出で、膀胱は血を長じ出ず。これに拠って卦をもって相配す。《乾》は心に配し、《兌》は脾に配し、《離》は胆に配し、《震》は腎に配し、《坤》は血に配し、《艮》は肉に配し、《坎》は髄に配し、《巽》は骨に配す。再び四正四隅の外の重卦をもって相配す。《泰》は眼に配し、《中孚》は鼻に配し、《既済》は耳に配し、《頤》は口に配し、《大過》は肺に配し、《未済》は胃に配し、《小過》は肝に配し、《否》は膀胱に配す。

天地有八象,人有十六象,何也?合天地而生人,合父母而生子,故有十六象也。心居肺,膽居肝,何也?言性者必歸之天,言體者必歸之地。地中有天,石中有火,是以心膽象之也。心膽之倒懸何也?草木者,地之本,體也。人與草木反生,是以倒懸也。

天地にただ八象あるのみ、人は却って十六象あり。なぜか。天と地を合してはじめて人を生じ出ずる能くし、父と母を合してはじめて子を生じ出ずる能くするを要するがゆえである。両重相い合せり。ゆえに人の身上に便ち十六象あり。心は肺のうちに包まれ、胆は肝の上に附す。なぜか。「性」を講ずるは一定に天に帰するを要し、「体」を講ずるは一定に地に帰するを要するがゆえである。地の中に天を含み、石頭のうちに火を蔵す。心と胆はまさに象をこれより取る。心と胆はなぜ倒懸しているか。草木は大地の根本で、「体」に属し、而も人の生長の方向は草木とちょうど相反するがゆえに、ゆえに人の身内のこの両様もまた倒挂し来った。

口目橫而鼻耳縱,何也?體必交也,故動者宜縱而反橫,植者宜橫而反縱,皆交也。目口凸而耳鼻竅。竅者,受臭嗅氣物,或不能閉之。凸者,視色別味物,則能閉之也。四者雖象於一,而各備其四矣。鼻之氣,目見之;口之言,耳聞之,以類應也。膽與腎同陰,心與脾同陽。心主目,脾主鼻。

嘴と眼は横に生じ、鼻と耳は縦に生ず。なぜか。形体は必ず交錯するを要するがゆえである。動く能くする動物は本は縦向たるべきに却って横に長じ、長ずる能くする植物は本は横向たるべきに却って縦に長ず。皆交錯の縁故である。眼と口は凸れ出でたる、耳と鼻は凹み入りたる孔竅である。凹みて孔竅と成りたるは、気味の一类の無形の物を接納するを負責す。ゆえに時に閉じ住する能わず。凸れ出でたるは、顔色と滋味の一类の有形の物を辨别するを負責す。ゆえに閉合する能くす。この四様は各々一より象を取ると雖も、然れども每一样はまた各々四重の功能を具備す。鼻子の呼び出す気は、眼睛の見る得る所。嘴裏の説く話は、耳朵の聴く得る所。これは同類の相応す。胆と腎は同じく陰に属し、心と脾は同じく陽に属す。心は眼睛を主管し、脾は鼻子を主管す。

《素問》肺主皮毛,心脈脾肉肝筋腎骨,上而下,外而內也。心血腎骨交,法也。交即用也。心藏神,腎藏精,脾藏魂,膽藏魄,胃受物而化之,傳氣於肺,傳血於肝,而傳水穀於脬腸矣。神者人之主,將寐在脾,熟寐在腎,將寤在膽(又言在肝),正寤在心。

《黄帝内経・素問》は肺は皮毛を主り、心は血脉を主り、脾は肌肉を主り、肝は筋を主り、腎は骨を主ると説く。この次序は上より下に向かい、外より内に向かって排列したものである。心は血に属し腎は骨に属す。一は外に在り一は内に在り、両頭交会す。これは天地の交合に取法す。いわゆる交とは、すなわち作用を発生することである。心裏に神を蔵し、腎裏に精を蔵し、脾裏に魂を蔵し、胆裏に魄を蔵す。胃は食物を接受してそれを消化し、再び気を肺に輸送し、血を肝に輸送し、水穀を膀胱と腸道に輸送す。神は人の主宰である。将に睡せんとして未だ睡らざる時にそれは脾に在り、熟睡する時にそれは腎に在り、将に醒めんとして未だ醒めざる時にそれは胆に在る(別の一説に肝に在るとす)、完全に清醒する時にそれは心に在る。

天之神棲乎日,人之神棲乎目。人之神,寤則棲心,寐則棲腎,所以象天,此晝夜之道也。天地之大寤在夏。人之神則存於心,神統於心,氣統於腎,行統於首。形氣交而神主乎其中,三才之道也。氣一而已,主之者乾也。神亦一而已,乘氣而變化,能出入於有無死生之間,無方而不測者也。

天の神は太陽の上に棲息し、人の神は眼睛のうちに棲息す。人の神は、清醒する時に心のうちに棲み、睡着する時に腎のうちに棲む。これはまさに天に取象するので、すなわち昼と夜の道理である。天地の最大なる一次の醒むるは夏天に在る。人の神は心裏に存放す。神は心に統攝せられ、気は腎に統攝せられ、行動は頭に統攝せらる。形と気は交会し、而も神はその中に在って主を為す。これがすなわち天・地・人の三才の道理である。気はただ一個あり、それを主宰するは《乾》である。神もまたただ一個あり、それは気に乗って変化し、有と無・生と死の間に於て出入往来する能くし、固定の方所に落ちず、もまた測度する由なし。

潛天潛地,不行而至,不為陰陽所攝者,神也。出入有無死生者,道也。神無所在,無所不在。至人與他心通者,以其本於一也。道與一,神之強名也。以神為神者,至言也。所以造物者,神也。神不死,所更者,四時也。所以造人者,神人也。神亦不死,假如一木結實而種之,又成是木而結是實。木非舊木也,此木之神不二也。此實生生之理也。(造物,一作造萬物。神人,一無人字。)

天に潜み入り地に潜み入る能くし、行走せずしてすでに到達し、陰陽に拘限せられざるは、あれは則ち神である。有と無・生と死の間に於て自由に出入する能くするは、あれは則ち道である。神に一処の固定の所在なく、而もまた処として在らざるなし。修養して極処に到った人は別人と心心相通ずる能くす。大家の根本はもとは同一なるに因る。「道」と「一」は、皆不過神に勉強に名字を安んじたるである。ただ「神」を用いて神を称呼するのみ、こそ最も恰当の説法なれ。万物を造出するは神で、神は死せず。更替するはただ四季のみである。人を造出するは神人で、神もまた同じく死せず。譬えば一樹の木が果実を結び、果実を取って種え下せば、また長じて同様の樹と成り同様の果を結ぶ——樹はすでにもはや原來のあの樹に非ずと雖も、然れどもこの樹の神は並びに第二個に変成せざりき。これがまさに生生して已まざる道理である。(「造物」は一本に「造万物」と作る。「神人」は一本に「人」字なし。)

氣者,神之宅也;體者,氣之宅也。形可分,神不可分。精氣為物,形也;游魂為變,神也。又曰,精氣為物,體也;游魂為變,用也。氣形盛則魂魄盛,氣形衰則魂魄亦從而衰矣。魂隨氣而變,魄隨形而止。故形在則魄存,形化則魄散,見氣變而形化。人得中和之氣則剛柔均,陽多則偏剛,陰多則偏柔。

気は神の居住する所の房子で、形体はまた気の居住する所の房子である。形体は分割する可くして、神は却って分割する能わず。《繋辞伝》は「精気は物を為す」と説く。講ずるは形である。「遊魂は変を為す」と説く。講ずるは神である。説法を換えれば。「精気は物を為す」が講ずるは体で、「遊魂は変を為す」が講ずるは用である。気と形が旺盛の時は、魂と魄もまた随いて旺盛なり。気と形が衰弱の時は、魂と魄もまた随いて衰弱す。魂は気に随って変動し、魄は形に随って停住す。ゆえに形体はなお在れば、魄は則ちなお存し、形体は一旦消解すれば、魄は則ち散去す——ここよりまさに気は一変じ形は随いて化するの道理を看出し得。人もし中和の気を禀受せば、剛と柔は則ち均衡す。陽気偏りて多きは失として剛に過ぎ、陰気偏りて多きは失として柔に過ぐ。

氣則養性,性則乘氣。故氣存則性存,性動則氣動也。神無方而性有質。有形則有體,有性則有用。心性而膽情,陽性而陰情,性神而情鬼。發於性則見於情,發於情則見於色,以類而應也。天使我有,是之謂命。命之在我之謂性,性之在物之謂理。理窮而後知性,性盡而後知命,知而後至。

気はもって性を涵養するに用い、性は則ち気を乘駕す。ゆえに気はなお在れば、性は則ちなお在り。性は一たび発動すれば、気もまた随いて発動す。神は固定の方所の上に落ちずと雖も、性は却ってそれの質地あり。形有れば則ち体あり、性有れば則ち用あり。心は性に属し胆は情に属し、陽は性に属し陰は情に属し、性は神に偏りて情は鬼に偏す。性の上より発し出づれば、則ち情と表現す。情の上より発し出づれば、則ち顔色と表現す。これは皆同類の相応す。上天は我にこの一切を具備せしめたり。これを「命」と叫ぶ。命は我が身の上に落ちて「性」と叫び、性は物の上に落ちて「理」と叫ぶ。《説卦伝》は「理を窮め性を尽くして命に至る」と講ず。理を推究して尽頭に至り、然る後にはじめて性を認識し得。性を発揮して極処に至り、然る後にはじめて命を認識し得。認識し得て、然る後にこそ真にあの地步に到ったと算す。

人之類備乎萬物之性。人之貴兼乎萬類,自重而得其貴,所以能用萬類。仁配天地謂之人,唯仁者其可謂之人矣。人之神則天地之神,人之自欺,所以欺天地,可不慎哉?人之精神貴藏而用之,苟衒於外,則鮮有不敗者。如利刃,物來則剸之。若恃刃之利而求割乎物,則刃與物俱傷矣。

人のこの一类の身上は、万物の有する所の性を具備す。人の尊貴は兼ねて各類の物の長処を有するに在る。能く自己を看重するを得て、はじめて这份の尊貴に配上する能くし、もまた万類を駕馭する能くする才を得。仁徳をもって天地と并列するこそ人と叫ぶ。ただ仁を講ずる人のみが一個の「人」字を称り得べし。人の神はすなわち天地の神である。ゆえに一人が自己を欺騙するは、天地を欺騙するに等し。能く謹慎せざるべけんや。人の精神は蔵め起きて再び用いるに貴し。もし一味に外に向かって炫耀せば、失敗せざるもの少なからず。これは一把の快刀に比す。东西が跟前に送り至れば、手に順って則ち切り開く。もし刀の快きを仗じて、専ら东西を找して来りて割かば、則ち刀と物は両敗して倶に傷づく。

精義入神以致用也,不精義則不能入神,不能入神則不能致用也。無思無為者,神妙致一之地也,所謂一以貫之。聖人以此洗心,退藏於密。心一而不分,則能應萬變。此君子所以虛心而不動也。人心當如止水則定,定則靜,靜則明。任我則情,情則蔽,蔽則昏矣。因物則性,性則神,神則明矣。

《繋辞伝》は「精義は神に入りて、以て用を致すなり」と説く。義理を精微に研究せざれば、則ち神の層次に深入する能わず。神の層次に深入する能わざれば、則ちそれを用い出す弁法なし。いわゆる「思なく為なし」とは、神妙にして純一に帰する境地で、すなわち孔子の説く「一を以てこれを貫く」である。聖人はこれに憑って自己の心を洗浄し、退き帰りて幽密の処に蔵む。心は専一にして分散せざれば、則ち万般の変化に応付する能くす。これがまさに君子の心を虚にして外物のために動揺せられざる所以の縁故である。人心は静止した水の如くなるべし。静止すれば則ち安定し、安定すれば則ち寧静し、寧静すれば則ち明澈す。一味に自我に任せれば、便ち「情」に落ち入る。情に落ち入れば則ち遮蔽せられ、遮蔽せられれば則ち昏暗す。物の本然に順って往って看れば、便ち「性」に合す。性に合すれば則ち神に通じ、神に通ずれば則ち明澈す。

以物觀物,性也;以我觀物,情也。性公而明,情偏而暗。誠者,主性之具,無端無方者也。資性得之天也,學問得之人也。資性由內出者也,學問由外入者也。自誠明,性也;自明誠,學也。至理之學,非至誠則不至;物理之學或有所不通,不可以強通,雖通則有我,有我則失理,而入於術矣。

物本身の立場に立って物を看るは、あれは「性」である。我の立場に立って物を看るは、あれは「情」である。性は公正にして明澈で、情は偏私にして昏暗なり。「誠」は性を主管するあの件の器具で、それは頭緒なく方所なし。天資は上天より得たる、学問は他人より得たる。天資は内より外に向かって発し出ずる、学問は外より内に向かって装い入る。《中庸》は「誠より明るし、これを性と謂う。明より誠なり、これを教と謂う」と説く——前の一路は性に属し、後の一路は学に属す。最高の道理を研究する学問は、至誠の地步に到らざれば則ち家に到る能わず。事物の理を研究する学問は、時に講じて通て通ぜざる地方に碰上することあり。則ち硬に講じ通す可からず。硬に講じ通せば、裏頭に便ち一個の「我」を摻進す。「我」有れば則ち理を丢掉し、ここにおいて術数の一路に滑り入った。

言發於真誠,則心不勞而逸,久久而信之;作偽任數,一時或可以欺人,持久必敗。天地日月,悠久而已。故人當存乎遠,不可見其近。智數或能施於一朝,蓋有時而窮,惟至誠與天地同久。天地無則至誠可息,苟天地不能無,則至誠亦不息也。

話は真誠より出づれば、心裏は力を費やさずして安閑にして、日子久しければ別人は自然に相信す。弄虚作偽して専ら機心権術に靠れば、一時は或いは人を騙し過す能くするも、時間長ければ必定に敗露す。天地日月の長く在る所以は、靠る所は不過一個の「悠久」である。ゆえに人は眼光を遠く放つべくして、ただ眼前を盯る可からず。智謀権術は或いは一朝一夕に効を見る能くするも、然れども総じて尽頭に走到する時あり。ただ至誠のみが天地と一様に長久する能くす。天地が消亡するに非ざれば、至誠こそ停歇する可し。天地が消亡する能わざる以上、然らば至誠もまた永く止息せず。

為學養心,患在不由直道。去利慾,由直道,任至誠,則無所不通。天地之道,直而已,當以求之。若用智數,由徑以求之,是屈天地而徇人慾也,不亦難乎?人必內重,內重則外輕。苟內輕,必外重,好利好名,無所不至。義重則內重,利重則外重。

学問を為し心性を養うに、最も怕れるは正直の路を走らざるである。私利と嗜欲を去掉し、正直の路を走り、一に至誠に任せば、則ち講じて通ぜざるなきなし。天地の道は、説き尽くせばただ一個の「直」字で、人はこの条の路に照らして往って求むべし。もし智謀権術を動用して、小路を抄して往って求めば、あれは天地に自己を委屈せしめて来りて人の私欲に遷就せしむるに等し。太だ難きに非ずや。人は必ず内在を看重するを要す。内在重ければ、外在の东西は自然に軽し。もし内在軽ければ、外在は必定に重く、ここにおいて利を貪り名を好み、如何なる事も為し出で得。義を看重すれば、内在は則ち重し。利を看重すれば、外在は則ち重し。

凡處失在得之先,則得亦不喜;若處得在失之先,則失難處矣,必至於隕穫。天下之事,皆以道致之,則休慼不能至矣。事無大小,皆有道在其間。能安分則謂之道,不能安分謂之非道。人之為道,當至於鬼神不能窺處,是為至矣。

およそ「失」を「得」の前頭に擺りて先に想い明白なる人は、真に得たるも狂喜せず。もし「得」を「失」の前頭に擺りて往って想えば、一旦失去すれば則ち自処し難く、必定に魂も魄も落とす地步に弄り至る。天下の事は、もし皆道を用いて処置せば、外来の憂と喜は自己の身上に侵擾し到る能わず。事情は大小を分かたず、中間に皆一個の道あり。能く本分に安んずるを則ち道と叫び、本分に安んずる能わざるは則ち道に非ず。人の道を修めるは、鬼神もまた深浅を窥探し出す能わざる地步に修め至って、あれはこそ家に到ったと算す。

凡人之善惡,形於言發於行,人始得而知之。但萌諸心發於慮,鬼神已得而知之矣。此君子所以慎獨也。(又云,思慮一萌,鬼神得而知之矣,故君子不可不慎獨。)人之畏鬼,亦猶鬼之畏人。人積善而陽多,鬼益畏之矣;積惡而陰多,鬼弗畏之矣。大人者,與鬼神合其吉凶,夫何畏之有?

一般人の善と悪は、それが言語の上に顕現し、行動の上に発作するを待って、別人ははじめて知る。然れどもそれが剛に心裏に萌芽し、剛に一個の念頭に化成したるに、鬼神はすでにすでに知る。これがすなわち君子が必ず「慎独」せざるべからざる縁故である。(別の一種の説法は。思慮は一旦萌動すれば、鬼神は便ちすでに知暁す。ゆえに君子は慎独せざる可からずと。)人は鬼を怕る。実は鬼もまた人を怕る。人は善行を多く積めば、身上の陽気は則ち多く、鬼は愈々発って彼を怕る。人は悪行を多く積めば、身上の陰気は則ち多く、鬼は則ち彼を怕れず。《乾・文言》の説く所の「大人」に至っては、「鬼神と其の吉凶を合す」る能くす。あれにまた何の怕るべきあらんや。

循理則為常,理之外則為異矣。能循天理動者,造化在我也。天下言讀書者不少,能讀書者少。若得天理真樂,何書不可讀?何堅不可破?何理不可精?得天理者,不獨潤身,亦能潤心。不獨潤心,至於性命亦潤。君子之學,以潤身為本。其治人應物,皆餘事也。

理に順って走るを「常」と叫び、理の外に越出すれば則ち「異」と成る。能く天理に依って行動する人は、造化の権柄は則ち自己の手裏に握る。天下に読書する人を自ら称するは少なからず、真に読書を會するは却って少なし。もし真に天理の裏頭のあの份の楽趣を嘗め得れば、また何の書か読み下去る能わざるあらんか。また何の堅硬の関口か攻め破る能わざるあらんか。また何の道理か精しからざるを弄せんや。天理を得着する人は、単に自己の身体を滋潤する能くするのみならず、また自己の心を滋潤する能くす。単に心を滋潤するのみならず、性命を連ねて一に滋潤を得る。君子の学問を為すは、自身を滋潤するをもって根本と為す。他人を治理し外物に応付するに至っては、皆不過余下の枝節である。

一國一家一身皆同,能處一身,則能處一家;能處一家,則能處一國;能處一國,則能處天下。心為身本,身為家本,家為國本,國為天下本。心能運身。苟心所不欲,身能行乎?君子處畎畝則行畎畝之事,居廟堂則行廟堂之事。故無入不自得。變從時而便,天下之事不失禮之大經;變從時而順,天下之理不失義之大權者,君子之道也。

一国・一家・一身、道理は同一個である。能く自身を安頓し好せば、則ち能く一家を安頓し好す。能く一家を安頓し好せば、則ち能く一国を安頓し好す。能く一国を安頓し好せば、則ち能く天下を安頓し好す。心は身の根本で、身は家の根本で、家は国の根本で、国は天下の根本である。心は身体を支使する能くす——もし心裏に根本として為さんと欲せざれば、身体は為し出で得るか。君子は身は田間に在れば則ち田間の事を為し、身は朝堂に在れば則ち朝堂の事を為す。ゆえに《中庸》は彼を「入るとして自ら得ざるなし」と説く。時勢に随って変通して処処便當にして、天下の事を弁ずれども礼の大原則を丢掉せず。時勢に随って変通して処処順當にして、天下の理を明けども義の大権衡を丢掉せず。これがすなわち君子の道である。

斂天下之智為智,斂天下之善為善,則廣矣,自用則小。人患乎自滿,滿則止也。故禹不自滿,假所以為賢。雖學亦當常若不足,不可臨深以為高也。人必有德器,然後喜怒皆不妄。為卿相,為匹夫,以至學問高天下,亦若無有也。無德者,責人,怨人,易滿,滿則止也。

天下人の智慧を收攏し来りて當做自己の智慧と為し、天下人の善を收攏し来りて當做自己の善と為せば、胸襟は則ち寛広す。ただ自己のあの一点を用いれば、則ち狭小す。人の最も怕る毛病は自満で、一たび満たれば則ち停まりて長ぜず。ゆえに《尚書》は大禹を「自ら満假せず」と称賛す。まさにこの因りて、彼はこそ賢と称り得べし。すなわち学問を為するも、また応につねに足らざると覚えるべくして、深谷の辺上に立って則ち自ら以て高しと為す可からず。人は必ず先に徳行の器量有るを要し、然る後に喜と怒は皆失當せざるを得。こういう人は、卿相を做到するも好く、ただの平民に過ぎざるも好く、甚だしきは学問天下に冠絶するも、もまた仍ほ何も有せざるが如し。徳なき人は則ち専ら別人を責備し別人を埋怨し、甚だ自満し易く、一たび満たれば則ち停まりて長ぜず。

人貴有德。小人有才者有之矣,故才不可恃,德不可無。經綸天地之謂才,遠舉必至之謂志,並包含容之謂量。剸割者,才力也;明辨者,智識也;寬弘者,德器也。三者不可缺一。人苟用心,必有所得。獨有多寡之異,智識之有深淺也。(又云,凡人用心者,必有所得,只是有多寡。)事必量力,量力故能久。

人の貴ぶべきは徳有るである。小人のうちにも甚だ才あるあり。才干は靠る能わざるを見るべし。徳行は却って有らざる能わず。能く天地を経緯するを「才」と叫び、能く志を立てて高遠にして必定に抵达するを「志」と叫び、能く兼収并蓄して一切を包容するを「量」と叫ぶ。果断に裁決するは才力に靠り、明白に分辨するは智識に靠り、寛厚弘大なるは徳器に靠る——この三様は一も缺く可からず。人はただ肯んじて心を用いれば、必定に得る所有る。区別はただ得ることの多と少に在るのみ。あれは智識の深浅の同じからざるのみである。(別の一種の説法は。およそ肯んじて心を用いる人は必定に得る所有るに、不過多少あるのみと。)事を為すに必ず先に自己の力量を估量するを要す。力量を估量して、はじめて長久に為し下去る能くす。

聖人利物而無我。易地而處,則無我也。不我物,則能物物。以物喜物,以物悲物,此發而中節也。人智強,則物智弱。夫弓固有強弱,然一弓二人張之,則有力者以為弓弱,無力者以為弓強。故有力者,不以己之力有餘,而以為弓弱;無力者,不以己之力不足,而以為弓強。何不思之甚也?一弓非有強弱者,二人之力強弱不同也。今有食一杯在前,二人大餒而見之,若相讓,則均得食矣,相奪則爭。非徒爭之而已,或不得其食矣。此二者,皆人之情也,知之者鮮。知此,則天下之事皆如是也。

聖人は万物に利を得せしめて一個の「我」を摻進せず。身を設けて地に処りて対方のために着想すれば、「我」は自然に無し。外物を把して己が有と為さざれば、はじめて真に外物を駕馭する能くす。物本身の可喜なるに順って喜び、物本身の可悲なるに順って悲しむ。これがすなわち《中庸》の説く所の「発して皆中節」。人の智力強ければ、物の智力は則ち弱しと顕る。一張の弓は本来軟あり硬あれども、然れども両個の人をして先后に同じ一張の弓を拉かしむれば、力気大なるはこの弓を軟と説き、力気小なるはこの弓を硬と説かん。力気大なるは肯んじて自己の力気余裕あるを承認せず、ただ弓の軟きを説く。力気小なるは肯んじて自己の力気不足なるを承認せず、ただ弓の硬きを説く——これは何たる肯んじて脳筋を動かさざるか。あの張の弓は並びに軟硬の別なし。両個の人の力気に強弱あるのみである。または譬えば面前に一杯の飯を擺り、両個の餓え極まる人が同時に看見す。もし彼此相い譲れば、両人皆喫するを得。もし互相に争奪せば、則ち打ち起き起きて、しかもただ一架を打つのみならず、弄り好かざれば誰も喫し成さざらん。この両件の事は皆人の常情なれども、然れども看り明白なる人少なし。この両件の事を明白すれば、天下の事情もまた皆このようなものである。

金須百鍊然後精,人亦如此。今有人登兩臺,兩臺皆等,則不見其高。一臺高,然後知其卑下者也。室中造車,天下可行,軌轍合故也。苟順義理,合人情,日月所照皆可行也。所行之路不可不寬,寬則少礙。能醫人能醫之疾,不得謂之良醫;醫人之所不能醫者,天下之良醫也。能處人所不能處之事,則能為人所不能為之事也。

金属は千錘百錬を経てはじめて純なり。人もまたこのようである。もし人ありて両座の台子に登れば、両座は一般に高く、則ち高低を分かち出す能わず。必ず一座ありて更に高ければ、はじめて別の一座の低きを知る。屋子のうちに車を造り、造り成して後に天下は皆通行する能くす。車轍の寛窄が通用の規矩に合乎するがゆえである。同じく、ただ義理に順い人情に合せば、およそ日月の照り到る地方は皆行き通る能くす。人の走る所の路は寛からざる可からず。路寛ければ則ち阻礙は則ち少なし。能く別人の治し得る病を治するは、良医と算すに足らず。能く別人の治し得ざる病を治するは、こそ天下の良医なれ。同じく、能く別人の処置し得ざる事を処置せば、必定に別人の為し成さざる事を為し成す能くす。

良藥不可以離手,善言不可以離口。大羹可和,元酒可漓,則是造化亦可和可漓也。自然而然者,天也,唯聖人能索之。效法者,人也。若時行時止,雖人也,亦天也。人謀,人也;鬼謀,天也。天人同謀而皆可,則事成而吉也。事無鉅細,皆有天人之理。修身,人也;遇不遇,天也。得失不動心,所以順天也;行險僥倖,是逆天也。求之者,人也;得之與否,天也。得失不動心,所以順天也。強取必得,是逆天理也。逆天理者,患禍必至。

好薬は手を離るべからず、好話は口を離るべからず。祭祀の用うる所の大羹は本は調料を加えざる肉汁で、元酒は本は別物を摻まざる清水である。もし大羹はなお調味する可し元酒はなお淡に兌する可しと説かば、則ち造化もまた人に任せて調兌せしめんと説くに等し。自然にして然るあの一層は天に属し、ただ聖人のみが探求し得べし。様子に照らして往って效法するあの一層は人に属す。行すべきに則ち行い止まるべきに則ち止まるに至っては、看去は人の為す所にして、実はもまた天である。人の自己の謀画は人に属し、卜筮して神に問う謀画は天に属す。天と人の両辺の謀算し下るに皆行う可しと説けば、事情は弁じ起きて成功して吉利なり。事情は大小を論ぜず、裏面に皆天と人の両重の道理を含む。自身を修養するは人のこの一辺の事で、遇う遇わざる機会は天のあの一辺の事である。得るも好し失するも好し皆心を動かさず。これがすなわち順天。鋌りて険を走りて僥幸を博する。これがすなわち逆天。往って求取するは人のこの一辺の事で、求めて得る得ざるは天のあの一辺の事である。得失は心を動かさず。ゆえに順天と叫ぶ。是非に硬に奪い来る可からざれば、あれは則ち天理に違逆し、而も天理に違逆する人は、禍患は一定に門に尋ね上る。

天之孽十之一猶可違,人之孽十之九不可逭。天道之變,王道之權也。為治之道,必通其變,不可以膠柱,猶春之時不可行冬之令也。用兵之道,必待人民富,倉廩實,府庫充,兵強名正,天時順,地利得,然後可舉。天時、地理、人事三者,知之不易。學以人事為大。今之經典,古之人事也。學不際天人,不足以謂之學;學不至於樂,不可謂之學。記問之學,未足以為事業。凡人為學,失於自主張太過。學在不止,故王通云“沒身而已”。

《尚書・太甲》は「天の孽を作すは、猶ほ違うべし。自ら孽を作すは、逭るべからず」と説く。上天の降し下す災殃は、十分のうちになお一分の躲け開くべきあり。人の自ら造り下す禍殃は、十分のうちに九分の逃げ掉る能わざるあり。天道の変化は、王道の上の権変に相当す。天下を治理する弁法は、必ず時に随って変通するを懂得するを要し、琴柱に膠死したるが如く死守して一個の調子と為す可からず——まさに春天は冬天の政令を推行する能わざるが如し。兵を用いる弁法は、必ず百姓の富足・糧倉の充実・府庫の充盈・軍力の強盛・名義の正当・天時の順遂・地利の我に在るを待って、然る後にこそ発動する可し。天時・地理・人事のこの三様は、真に懂るは容易ならず。而も学問を為すは人事の一項をもって最も緊要と為し、今天の読む所の経典は、まさに古人の人事記録である。学問もし天と人に貫通する能わざれば、則ち学問と算すに足らず。学問もし快楽の地步に達する能わざれば、もまた学問と算すに足らず。ただ死記硬背に靠りて、人に問答を供する学問は、一番の事業を撑え起くる能わず。一般人の学問を為すの通病は、自ら主張を作すこと太だ過ぐるに在る。学問を為すは永く停止せざるに貴し。ゆえに王通は「身を没するのみ」と説くを要す——死に至って方に休む。

附録

皇極経世機要図(宋・張行成《皇極経世索隠》より選ぶ)

右總元會、運、世之數,《易》所謂“天地之數”也。日為元,一甲主一元。月為會,自子至亥,分十二會。星為運,自甲至癸,凡三周,得三十運為一會。十二會,則自甲至癸,三十六周,得三百六十運而為一元。辰為世,自子至亥一周,得十二世為一運。三十周三百六十世為一會,三百六十周四千三百二十世為一元,三十年為一世,則一運得三百六十年,一會得一萬八百年,一元得一十二萬九千六百年。

上面のこの幅の図は元・会・運・世の数目を総括し、すなわち《周易・繋辞伝》の説く所の「天地之数」である。邵雍は天上の四象を取って人間の四種の時間単位に配す。太陽は「元」に配し、一個の甲子が一元を主管す。月亮は「会」に配し、子より亥に至って十二会に分かつ——月亮が一年に太陽と交会する十二次に因りて、ゆえに十二のこの数を用いる。星は「運」に配し、甲より癸に至って一周を算え、三周は共に三十運で一会を合成す。十二会は各々甲より癸に走り、共に三十六周で、三百六十運を得て一元と成る。辰は「世」に配し、子より亥に転じて一周して、十二世を得て一運と為し、三十周を転じて共に三百六十世を得て一会と為し、三百六十周を転じて共に四千三百二十世を得て一元と為す。三十年をもって一世と為して折算すれば、一運は便ち三百六十年、一会は便ち一万零八百年、一元は便ち十二万九千六百年。

天地之數,體一用三。元之用至世,故以元經會。書至世,而止會之用至年,故以會經運。始書年運之用至月,而以運經世。不書月者,省文以藏用。於堯、舜、禹三書正月五代末,再書正月餘月,則間一書之以示義也。會之用,雖止於年,然會之比元,皆以月當年。故會經運之數於堯、舜、禹,亦三書正月,與運經世同,以示用起於寅也。

天地之数は、「体」が一份を占め「用」が三份を占む。「元」の作用は一直に「世」に貫く。ゆえに《以元経会》の一篇は元を用いて会を統攝し、記事はただ世までに写して止む。「会」の作用は一直に「年」に貫く。ゆえに《以会経運》の一篇は会を用いて運を統攝し、年に按じて記事を始む。「運」の作用は一直に「月」に貫く。ゆえに《以運経世》の一篇は運を用いて世を統攝す。月を逐いて記載せざる所以は、文字を省略してもって「用」を蔵めんとするためである。ただ唐堯・虞舜・夏禹の三処に「正月」を写し出し、五代の末にまた一度正月を写し出し、その余の月份は則ち一段を隔てて一回を写し、もって体例を提示するに用いる。会の作用はただ年までに至るのみと雖も、然れども会と元と比ぶれば、皆一個の月を取って一年に抵ると算う。ゆえに《以会経運》の数目もまた堯・舜・禹の三処に照様に正月を写し出し、《以運経世》と一致して、もって「用」は寅位より起算するを表明するに用いる。

以元經會,其數自冬至而起,至大雪末而終。總一元有十二會,三百六十運,四千三百二十世。一元在大化中,猶一年,會當月,運當日,世當時也。以會經運,其數自開物於寅之半而始,至閉物於戌之半而終,總八會,二百四十運,二千八百八十世,八萬六千四百年。自冬至日甲月子星甲辰子起,凡二會半,七十五運,九百世二萬七千年,而開物及閉物後有一會半,四十五運五百四十世,一萬六千二百年,而一元之數終矣。以運經世,其數始於月會巳之六星,運癸之百八十辰,世未之二千一百五十六甲辰年。堯即位,至五代周恭帝末,凡三千三百一十六年。

《以元経会》の一篇、その数は冬至より起算し、大雪の末尾に至って終止す。総計して一元は十二会・三百六十運・四千三百二十世を包含す。一元を整個の大化流行の中に放って看れば、則ち一年に相当す。会は月に相当し、運は日に相当し、世は時辰に相当す。《以会経運》の一篇、その数は万物の寅位の一半の処に開闢するより起き、万物の戌位の一半の処に閉蔵するに至って止む。総計して八会・二百四十運・二千八百八十世・八万六千四百年。冬至のあの一刻の日は甲に在り月は子に在り星は甲に在り辰は子に在るより起算し、両会半を経て則ち七十五運・九百世・両万七千年にして、はじめて開物に到る。而も閉物の後になお一会半すなわち四十五運・五百四十世・一万六千二百年ありて、一元の数はこそ走り完ると算す。《以運経世》の一篇、その数は月会の巳位の第六星・運の癸位の第一百八十辰・世の未位の第二千一百五十六年甲辰に起きる。唐堯の即位より算い起きて、五代の後周恭帝の末年に至り、共計して三千三百一十六年。

律呂声音機要図(宋・張行成《皇極経世索隠》より選ぶ)

右律呂聲音之數,《易》所謂“萬物之數”也。十聲者,十日也。一聲有十六聲者,日、月、星、辰互變一聲,各成四聲也。十二音者,十二辰也。一音有十六音者,水、火、土、石互變一音,各成四音也。十聲全數百六十者,陽剛之體數也。去其無聲者四十八,餘百一十二,則陽剛之用數也。十二音全數一百九十二者,陰柔之體數也。去其無音者四十,餘百五十二,則陰柔之用數也。以體數相唱和,則聲音各得三萬七百二十者,動植體數也。以用數相唱和,則聲音各得一萬七千二十四者,動植用數也。

上面のこの幅の図は律呂声音の数を排す。すなわち《周易・繋辞伝》の説く所の「万物之数」である。いわゆる「十声」とは、十天干に配する。一声がまた十六声に分かち出ずる所以は、日・月・星・辰の四者が互相に交変し、每一声は各々四声に化成し、四四相乗して便ち十六と成るがゆえである。いわゆる「十二音」とは、十二地支に配する。一音がまた十六音に分かち出ずる所以は、水・火・土・石の四者が互相に交変し、每一音は各々四音に化成し、同じく四四相乗して十六を得るがゆえである。十声の全数は一百六十で、すなわち十に十六を乗ず。これは陽剛の「体数」である。その中の位ありて声なき四十八を扣掉して、一百一十二を余す。すなわち陽剛の「用数」である。十二音の全数は一百九十二で、すなわち十二に十六を乗ず。これは陰柔の「体数」である。その中の位ありて音なき四十を扣掉して、一百五十二を余す。すなわち陰柔の「用数」である。両辺の体数を取って彼此に唱和して相乗ずれば、声と音は各々三万零七百二十を得る。これは動物植物の体数である。両辺の用数を取って彼此に唱和して相乗ずれば、声と音は各々一万七千零二十四を得る。これは動物植物の用数である。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

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