Libo

太上老君说常清静经

唐 · 佚名

老君は言う、大道には形がなく、しかし天地を生育する。大道には偏った情がなく、しかし日月を運行させる。大道には名称がなく、しかし万物を長養する…

道家典籍

まず老子と荘子内篇を読み、列子・文子・淮南子へ進む。道教が「道」をどう修持として書いたかを見るには、陰符経・黄庭・参同契・悟真篇と抱朴子を読む。

老君曰:大道無形,生育天地;大道無情,運行日月;大道無名,長養萬物;吾不知其名,強名曰道。夫道者:有清有濁,有動有靜;天清地濁,天動地靜;男清女濁,男動女靜。降本流末,而生萬物。清者濁之源,動者靜之基。人能常清靜,天地悉皆歸。

老君は言う、大道には形がなく、しかし天地を生育する。大道には偏った情がなく、しかし日月を運行させる。大道には名称がなく、しかし万物を長養する。わたしはこれを何と呼ぶべきか知らない。強いて「道」と名づけるほかない(老子はこの字を借りて万物の本原と運行のあり方を指す。それ自体は名づけえない)。この道の中には清もあり濁もあり、動もあり静もある。天は清に属し地は濁に属し、天は動を主とし地は静を主とする。男は清に属し女は濁に属し、男は動を主とし女は静を主とする。根本から末に降り流れて、万物がここに生成する。清は濁の源であり、動は静の本である。人がもし常に清静を保てば、天地万物はみな彼に帰する。

夫人神好清,而心擾之;人心好靜,而慾牽之。常能遣其慾而心自靜,澄其心而神自清。自然六慾不生,三毒消滅。所以不能者,為心未澄,慾未遣也。能遣之者,內觀於心,心無其心;外觀於形,形無其形;遠觀於物,物無其物。三者既悟,唯見於空。觀空亦空,空無所空;所空既無,無無亦無;無無既無,湛然常寂;寂無所寂,慾豈能生?慾既不生,即是真靜。真常應物,真常得性;常應常靜,常清靜矣。如此清靜,漸入真道;既入真道,名謂得道,雖名得道,實無所得;為化眾生,名謂得道;能悟之者,可傳聖道。

人の神はもともと清明を好むが、心に掻き乱される。人の心はもともと安静を好むが、欲望に引かれる。もし常に欲望を遣り除けることができれば、心はおのずと静まる。心を澄み定めれば、神はおのずと清くなる。こうすれば六欲(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根から起こる貪求)は起こらず、三毒(貪・瞋・痴)も消滅する。そうできないのは、心がいまだ澄み定まらず、欲がいまだ遣り除かれていないからである。遣り除け得る者は、内に自らの心を観れば、実在の心はないことに気づく。外に自らの形を観れば、実在の形はないことに気づく。さらに遠く外物を観れば、実在の物はないことに気づく。心・形・物の三つを見透かせば、見えるのはただ空である。しかしさらに進んで、この空すらも空と観じる——空にして再び空にすべきものなくなれば、空しめられたものが既になくなった以上、あの「無」もまた無に帰する。無すらもなくなれば、湛然として澄み、恒常に寂静である。寂静にして寂静とも言えなくなれば、欲望はいずこから生まれようか。欲望が生ぜざれば、これが真の静である。この真常の心をもって万物に応接すれば、物に応じる中で本性を得ることができる。常に応じ常に静まり、すなわち常に清く常に静かである。このように清静を重ねれば、次第に真道に入る。すでに真道に入れば、これを得道という。得道とはいうものの、実は何かを得たわけではない——ただ衆生を教化するために、強いて得道という名目を設けたにすぎない。この一層を悟れる者にのみ、聖道を伝授できる。

老君曰:上士無爭,下士好爭;上德不德,下德執德;執著之者,不名道德。眾生所以不得真道者,為有妄心。既有妄心,即驚其神;既驚其神,即著萬物;既著萬物,即生貪求;既生貪求,即是煩惱;煩惱妄想,憂苦身心;便遭濁辱,流浪生死,常沉苦海,永失真道。真常之道,悟者自得。得悟道者,常清靜矣。

老君は言う、上等の資質を持つ者は人と争わず、下等の資質を持つ者は争うことを好む。上徳の人は徳を自負せず、下徳の人は徳に執着して離さない——徳(道が具体の事物に落ちて顕れる性能であって、倫理的意味の徳ではない)は、いったん執着すれば真の道徳とは言えない。衆生が真道を得られないのは、妄心があるからである。妄心があれば神が驚かされ、神が驚けば万物に粘着し、万物に粘着すれば貪求が生じ、貪求が生じれば煩悩となる。煩悩と妄想が身に纏いつき、憂愁と苦しみが身心を苛め、こうして汚濁と屈辱を受け、生死の中を漂流し、長く苦海に沈淪して、永遠に真道を失う。あの真常の道は、悟る者がおのずと得る。真に道を悟った者は、すなわち常に清く常に静かである。

仙人葛玄曰:吾得真道,曾誦此經萬遍。此經是天人所習,不傳下士。吾昔受之於東華帝君。東華帝君受之於金闕帝君,金闕帝君受之於西王母。西王母皆口口相傳,不記文字。吾今於世書而錄之。上士悟之,昇為天官。中士修之,南宮列仙。下士得之,在世長年,遊行三界,昇入金門。

仙人の葛玄は言う、わたしが真道を得る前に、この経を一万遍誦したことがある。この経は天上の神人が修習するもので、下等の資質の者には伝えない。わたしはかつて東華帝君からこれを受けた。東華帝君は金闕帝君から受け、金闕帝君は西王母から受けた。西王母のもとでは従来すべて口から口への相伝で、文字を残さなかった。わたしはいま人間界でこれを書き記して書物とする。上等の資質の者がこれを悟れば天官に昇ることができ、中等の資質の者がこれを修めれば南宮に仙班に列することができ、下等の資質の者がこれを得ても世にあって長寿を得、三界を遨遊して金門に昇る。

左玄真人曰:學道之士,持誦此經,即得十天善神擁護其人。然後玉符寶神,金液鍊形,形神俱妙,與道合真。

左玄真人は言う、道を学ぶ者はただこの経を持誦すれば、十天の善神の護衛を得る。そののちさらに玉符をもって神を安鎮し、金液(内丹家が修錬中に得る津液の精華を指す)をもって形を鍛錬すれば、形と神がともに精妙に臻り、道と合して真となる。

正一真人曰:人家有此經,悟解之者,災障不幹,眾聖護門,神昇上界,朝拜高尊。功滿德就,相感帝君。誦持不退,身騰紫雲。

正一真人は言う、人の家にこの経を蔵して、もしその解会を悟ることができれば、災禍や魔障は彼を侵しえず、衆多の聖真が彼の門戸を守護し、彼の神は天界に昇って至高の尊神を拝謁できる。功行が円満し徳業が成就すれば、帝君に感通できる。持誦して退転しなければ、この身は紫雲に乗って飛昇する。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.