信心铭
至高の道は決して難しくはない。ただあなたがその中で取り捨て・選択することが恐ろしいだけだ。憎しみと愛着という分別心さえ起こさなければ、
仏家典籍
短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。
信心銘
至道無難唯嫌揀擇但莫憎愛
至高の道は決して難しくはない。ただあなたがその中で取り捨て・選択することが恐ろしいだけだ。憎しみと愛着という分別心さえ起こさなければ、
洞然明白毫釐有差天地懸隔
それはおのずから明らかに洞徹する。いったん毫釐の差が生じれば、天と地のように懸隔してしまう。
欲得現前莫存順逆違順相爭
それをいま眼前に現前させたければ、順意・逆意という分別を抱いてはならない。逆と順が心の中で争い合うのは、
是為心病不識玄旨徒勞念靜
これこそが心の病である。幽玄な宗旨を知らないまま、ひたすら静かさを求めても、徒らに力を費やすだけである。
圓同太虛無欠無餘良由取捨
道は太虚のように円満で、欠けるものも余るものもない。まさにあなたに取る心と捨てる心があるからこそ、
所以不如莫逐有緣勿住空忍
それと相応しないのだ。目の前の因縁を追い求めるなかれ、「空」の境地に止まって安住してもならない。
一種平懷泯然自盡止動歸止
一味平等の心をもって対せば、あらゆる分別はおのずから消え失せる。止めて動を停めようとすれば、
止更彌動唯滯兩邊寧知一種
その「止」がかえって攪乱を増す。動と静という両辺に滞っているかぎり、どうして平等の一味を悟れようか。
一種不通兩處失功遣有沒有
平等という関門を通らなければ、動・静どちらも徒労となる。「有」を遣り除けようとすれば、かえって有に陥り、
從空背空多言多慮轉不相應
「空」に順おうとすれば、かえって空に背く。言葉が多くなり、思慮が多くなるほど、ますます相応しなくなる。
絕言絕慮無處不通歸根得旨
言語を断ち、思慮を断てば、通達しないところはない。根本に帰ることで宗旨を得るが、
隨照失宗須臾返照勝卻前空
外に照らすことを追えば宗本を見失う。わずか一瞬の間に光を返し照らせば、先に執していたあの空をも超える。
前空轉變皆由妄見不用求真
以前のあの空が移り変わるのは、すべて妄見が作り出したものである。真を求める必要はなく、
唯須息見二見不住慎勿追尋
ただ自分の見解を止めればよい。対立する二つの見解には留まらず、決して追い求めてはならない。
才有是非紛然失心二由一有
是非の心が起こりさえすれば、たちまち紛然として本心を見失う。「二」は「一」があるからこそ現れるのだから、
一亦莫守一心不生萬法無咎
この「一」さえ守ってはならない。一念の心が起きなければ、万法はおのずから過咎がない。
無咎無法不生不心能隨境滅
過咎がなければ執すべき法もなく、念が起きなければ執する心もない。能知の心は所知の境とともに消滅し、
境逐能沈境由能境能由境能
所知の境は能知の心とともに沈み隠れる。境が境として成り立つのは心によるもので、心が心として成り立つのは境によるものである。
欲知兩段元是一空一空同兩
知るべきは、能と所という二つはもともと同一の空であることだ。この同一の空は両辺に貫徹し、
齊含萬像不見精麁寧有偏黨
平等に万象を包み含む。精細と粗劣を分かつことがなければ、どうして偏頗がありえよう。
大道體寬無易無難小見狐疑
大道の本体は広大で、容易とも困難ともいえない。見識の狭い者は狐疑を抱き、
轉急轉遲執之失度心入邪路
急げば急ぐほどかえって遅れる。それに執着すれば度合いを失い、心は邪道に入る。
放之自然體無去住任性合道
手を離して自然に任せれば、本体にもとより去来・住留などない。本性に任せれば道に合い、
逍遙絕惱繫念乖真沈惛不好
逍遙自在で煩悩は断たれる。念に繋がれば真実に背き、昏沈して溺れるのも良くない。
不好勞神何用疎親欲趣一乘
良くないものを力を尽くして対治しようとするなら、疎と親を分かつ必要などなかろう。一乗に趣こうとすれば、
勿惡六塵六塵不惡還同正覺
色・声・香・味・触・法という六塵を厭ってはならない。六塵を厭わなければ、六塵は正覚と異ならない。
智者無為愚人自縛法無異法
智慧ある者は作為することがなく、愚人はみずから自分を縛る。法と法の間にもとより差別はなく、
妄自愛著將心用心豈非大錯
あなたが勝手に貪愛・執着を生じさせているのだ。一つの心をもって別の心を対治するのは、まさに大きな誤りではないか。
迷生寂亂悟無好惡一切二邊
迷っている時こそ静寂と散乱の分別が生まれるのであり、悟れば善悪もない。一切の対立する両辺は、
妄自斟酌夢幻空華何勞把捉
すべて自分が勝手に量りはかったものである。夢幻であり、空の花であるからこそ、わざわざ掴もうとする必要はない。
得失是非一時放卻眼若不眠
得と失、是と非を、ともに放下する。目が眠らなければ、
諸夢自除心若不異萬法一如
さまざまな夢境はおのずから消える。心に分別が起きなければ、万法はみな同一の真如である。
一如體玄兀爾忘緣萬法齊觀
この同一真如の本体は幽深で、兀然として住し、一切の攀縁を忘れる。万法を平等に見れば、
歸復自然泯其所以不可方比
本来の自然に帰る。「そうである」道理さえも一併に泯滅すれば、その境地は比喩しようがない。
止動無動動止無止兩既不成
止をもって動を停めようとしても、実は停めるべき動はなく、動をもって止を破ろうとしても、実は破るべき止もない。動と止の両端が成立しない以上、
一何有爾究竟窮極不存軌則
あの「一」もまた問題にならない。究極まで推究すれば、軌範や法則さえ残らない。
啟心平等所作俱息狐疑盡淨
心が開ければ平等であり、一切の造作は止息する。狐疑は一掃されてきれいになり、
正信調直一切不留無可記憶
正信は調い正直になる。何も残らなければ、記憶すべきものもない。
虛明自然不勞心力非思量處
虚豁明徹で、自ずから然り、費力する必要はない。それは思量の及ぶところではなく、
識情難測真如法界無他無自
識心・情見で測り知れるものでもない。真如法界の中では、他もなく自もない。
要急相應唯言不二不二皆同
早く相応したければ、「不二」と言うほかない。不二であればこそ、一切は皆同じであり、
無不包容十方智者皆入此宗
包容されないものは何もない。十方の智者はみなこの宗旨に帰する。
宗非促延(一念萬年萬年一念)無在不在
この宗旨には短促も久長もない――底本に「一念万年、万年一念」という小字注があるが、ここは原文の夾注で、今は文に随って写し出す――それはどこか一か所に在るのでもなく、在らないところもない。
十方目前極小同大妄絕境界
十方世界はまさに眼前にある。極小と極大は等しい。妄心が一たび断たれれば、境界の限界もなくなるからだ。
極大同小不見邊表有即是無
極大と極小は等しく、辺際の表相は見えない。有はすなわち無であり、
無即是有若不如是必不須守
無はすなわち有である。このような見地に達しなければ、あえて固守する必要はない。
一即一切一切即一但能如是
一はすなわち一切、一切はすなわち一。このようにできるならば、
何慮不畢信心不二不二信心
成し遂げられない事があるだろうか。信心そのものが不二であり、不二そのものが信心である。
言語道斷非去來今
ここに至って言語の道は断たれ、それは過去・未来・現在のいずれの時にも属さない。
信心銘之終
信心銘の終わり
