般若波羅蜜多心経
*玄奘訳・唐貞観23年(649年)*
仏家典籍
短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。
*玄奘譯·唐貞觀廿三年(公元649年)*
*玄奘訳・唐貞観23年(649年)*
觀自在菩薩,行深般若波羅蜜多時,照見五蘊皆空,度一切苦厄。
観自在菩薩(すなわち観世音菩薩。玄奘は「自在に観照し、何にも滞らない」義を取って観自在と訳した)が、甚深の般若波羅蜜多(般若はボレーと読み、実相を見抜く智慧を指し、世間の聡明さとは別物である。波羅蜜多は「彼岸に到る」義、すなわち生死の此岸から解脱の彼岸へ渡ること)を行じた時、五蘊――色・受・想・行・識という心身を構成する五つの要素――がすべて空で、独立不変の自体を持たないことを照らし見て、一切の苦厄を度脱した。
「舍利子!色不異空,空不異色,色即是空,空即是色;受、想、行、識,亦復如是。
舎利子よ!色(あらゆる物質的現象、自分のこの身体を含む)と空は二つのものではない。色は空の外にあるのでもなく、空が色の外にあるのでもない。色はそのまま空であり、空はそのまま色である。受(感受)・想(表象の認識)・行(意志の造作)・識(識別)という四つの精神作用についても、すべて同じ道理である。
「舍利子!是諸法空相,不生不滅,不垢不淨,不增不減。是故,空中無色,無受、想、行、識;無眼、耳、鼻、舌、身、意;無色、聲、香、味、觸、法;無眼界,乃至無意識界;無無明,亦無無明盡,乃至無老死,亦無老死盡;無苦、集、滅、道;無智,亦無得,以無所得故。
舎利子よ!あらゆる現象は、その空性において生もなく滅もなく、垢でもなく浄でもなく、増もなく減もない。だから空性のうちには、色もなければ受・想・行・識もない。眼・耳・鼻・舌・身・意もなく、色・声・香・味・触・法もない。眼界から意識界に至るまでの一切もなく、無明もなければ無明の尽きることもなく、老死までの一切とその尽きることもない。苦・集・滅・道もなく、智もなく、また得るものもない。得るものがないゆえに。
「菩提薩埵,依般若波羅蜜多故,心無罣礙;無罣礙故,無有恐怖,遠離顛倒夢想,究竟涅槃。三世諸佛,依般若波羅蜜多故,得阿耨多羅三藐三菩提。
菩提薩埵(略して菩薩。みずから覚りを求めつつ衆生をも度す者)は、般若波羅蜜多に依るがゆえに心に罣礙がない。罣礙がないがゆえに恐れもなく、一切の顛倒した認識と虚妄の夢想を離れて、ついに涅槃(煩悩の止まり、生死を転ずることのない境地)に至る。過去・現在・未来の三世の諸仏も、みな般若波羅蜜多に依って阿耨多羅三藐三菩提(無上正等正覚、最高の完全な悟り)を得たのである。
「故知般若波羅蜜多,是大神咒,是大明咒,是無上咒,是無等等咒,能除一切苦,真實不虛。」
だから知るべきである。般若波羅蜜多は大いなる神咒であり、無明の暗を破る大明咒であり、これを超えるもののない無上咒であり、比肩するもののない無等等咒である。一切の苦を除き去ることができ、真実にして虚ならざるものである。
故說般若波羅蜜多咒,即說咒曰:
それで般若波羅蜜多の咒を説くのである。すなわち咒に曰く:
「揭諦揭諦波羅揭諦波羅僧揭諦菩提薩婆訶」
これは『心経』の咒文である。玄奘の「五種不翻」のうち「秘密なるがゆえに翻さず」の例により、咒は古来音写して持誦するものとされ訳さない。ここも例に従って訳さない。あえて字義を言うなら、梵文の大意は「往け、往け、彼岸へ往け、全く彼岸へ往け、覚りを成就せよ」である。
