子平真诠评注
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《子平真詮評註》 清 沈孝瞻 原著
八字命理典籍
初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。
《子平真詮評註》 清 沈孝瞻 原著
序
予自束髮就傳,即喜讀子史諸集,暇則子平《淵海》、《大全》略為流覽,亦頗曉其意。然無師授,而於五行生剋之理,終若有所未得者。後復購得《三命通會》、《星學大成》諸書,悉心參究,晝夜思維,乃恍然於命之不可不信,而知命之君子當有以順受其正。
私は髪を束ねて入学し、師について学問を受けたころから、諸子・史書や各家の文集を読むのが好きでした。暇があるたびに、子平家の《淵海子平》《三命大全》もざっと目を通し、その趣旨もかなり理解できました。ただ師の直授がなかったため、五行の相生相剋の理については、どうしても徹底的に会得しきれない部分があるように思われました。のちに《三命通會》《星學大成》などの書を購入し、一心に参究し、昼夜思索して、ようやく豁然と悟りました――人の命数は信じないわけにはいかない、そして天命を知る君子は天命に順い、それが与える正しい結果を受け入れるべきだということに。これこそ《孟子・盡心上》のいう「順受其正」です。
戊子歲予由副貢充補官學教習,館舍在阜城門右,得交同里章公君安,歡若生平,相得無間,每值館課暇,即詣君安寓談《三命》,彼此辯難,闡民無餘蘊。已而三年期滿,僦居宛平沈明府署,得山陰沈孝瞻先生所著子平手錄三十九篇,不覺爽然自失,悔前次之揣摩未至。遂攜其書示君安,君安慨然嘆曰:「此談子平家真詮也!」
戊子の年、私は副貢生の身分で官學教習に選任され、館舍は京の阜城門の右側にあったため、同郷の章君安先生と知り合いました。一見して多年の旧友のようで、互いに気が合い、隔たりはまったくありませんでした。館課の合間には、君安の寓所を訪ねて《三命通會》を談じ、二人で互いに詰難・論駁し、その義理を余すところなく闡明しました(底本は「闡民」、これは「闡發」の誤りでしょう)。三年の任期が満了した後、私は宛平県の沈知県の官署に間借りし、山陰の人・沈孝瞻先生が著した子平の手稿三十九篇を得て、読み終えると思わず茫然と自失し、これまでの揣摩がまだ及んでいなかったことを悔いました。そこでその書を携えて君安に見せたところ、君安は感慨深く嘆じて言いました。「これこそ子平の學を語る者の真詮だ!」
先生諱燡燔,成乾隆己未進士,天資穎悟,學業淵邃,其於造化精微,固神而明之,變化從心者矣。觀其論用神之成敗得失,又用神之因成得敗、因敗得成,用神之必兼看於忌神,與用神先後生克之別,並用神之透與全、有情無情、無力無力之辨,疑似毫芒,至詳且悉。是先生一生心血,生注於是,是安可以淹沒哉!
沈先生は燡燔という名で、乾隆己未年に進士に及第しました。天資は聡明にして学問は深く、造化の精微なところにはもともと心で領會し自在に変化できました。彼が「用神」の成敗・得失を論じ、また用神が格を成すことでかえって破敗を得、破敗することでかえって格を成すことを論じ、用神は必ず「忌神」と併せて見なければならないこと、用神の先後の生剋の次序の分別、さらに用神の透出と齊全、有情と無情、有力と無力の辨析(底本はここに誤って「無力」の二字を重ねている)など、似て非なり・毫釐の差しかない箇所を、いずれもきわめて詳しく綿密に論じています。これは先生の一生の心血で、すべてこの書に注ぎ込まれています(底本は「生注于是」、「生」は「盡」の誤りでしょう)。どうしてこれを埋もれさせて傳えないままでいられましょうか!
君安爰謀付剞劂,為天下談命者,立至當不易之準,而一切影響游移管窺蠡測之智,俱可以不惑。此亦談命家之幸也;且不談命家之幸,抑亦天下士君子之幸,何則?人能知命,則營競之可以息,非分之想可以屏,凡一切富貴窮通壽夭之遭,皆聽之於天,而循循焉各安於義命,以共勉於聖賢之路,豈非士君子厚幸哉!
君安はそこでこれを刻版して刊行し、天下で命理を論じる人々のために最も適切で易えることのできない準繩を立てて、一切の風を捕らえ影を捉えるような、游移不定の、管をもって豹を窺い蠡をもって海を測るような浅い見識が、もはや人を迷わすことのないようにしようと考えました。これは当然、命を談ずる者の幸いです。しかも単に命を談ずる者の幸いにとどまらず、天下の士人君子の幸いでもあります。なぜそう言うのでしょうか。人がおのれの命を知ることができれば、鑽營・争競の心は止められ、分に過ぎた望みは除くことができます。富貴・困頓・亨通・長寿・短命の類の遭際はすべて天に委ね、規矩を守ってそれぞれ道義と天命に安んじ、ともに聖賢の道を歩むよう励む――これは士人君子にとって大きな幸いではないでしょうか!
觀於此而君安之不沒人善,公諸同好,其功不亦多乎哉?愛樂序其緣起。乾隆四十一年歲丙申初夏同後學胡焜倬空甫謹識。
この一件から見るに、君安は他人の長所を埋もれさせず、良書を同好に公にしました。その功労は大きいのではないでしょうか。私はそこで喜んで、この書の成り立ちの由来を書いてこの序としました(底本は「愛樂序其緣起」、「愛」は「爰」の誤り、すなわち「ここに」)。乾隆四十一年、歳次丙申初夏、同じ後学の胡焜倬、字は空甫、謹んで題記します。
一、十干十二支を論ず
天地之間,一氣而已。惟有動靜,遂分陰陽。有老少,遂分四象。老者極動靜之時,是為太陽太陰;少者初動初靜之際,是為少陰少陽。有是四象,而五行具於其中矣。水者,太陰也;火者,太陽也;木者,少陽也;金者,少陰也;土者,陰陽老少、木火金水沖氣所結也。
沈氏の原文は開宗明義に言います。天地の間は、もともと一団の氣にすぎません。この氣に動があり靜があるので、「陰」と「陽」に分かれます。動靜にそれぞれ老・少の別があるので、また「四象」に分かれます。老とは動が極まり靜が極まったとき、すなわち「太陽」と「太陰」です。少とは動き始めたばかり、靜まり始めたばかりのとき、すなわち「少陰」と「少陽」です。この四象があれば五行もその中に含まれます。水は太陰に屬し、火は太陽に屬し、木は少陽に屬し、金は少陰に屬します。土に至っては、陰陽老少・木火金水というこれらの氣が互いに沖和し交會して凝結したものです。
有是五行,何以又有十干十二支乎?蓋有陰陽,因生五行,而五行之中,各有陰陽。即以木論,甲乙者,木之陰陽也。甲者,乙之氣;乙者,甲之質。在天為生氣,而流行於萬物者,甲也;在地為萬物,而承茲生氣者,乙也。又細分之,生氣之散佈者,甲之甲,而生氣之凝成者,甲之乙;萬木之所以有枝葉者,乙之甲,而萬木之枝枝葉葉者,乙之乙也。方其為甲,而乙之氣已備;及其為乙,而甲之質乃堅。有是甲乙,而木之陰陽具矣。
沈氏の原文は続けて自問します。五行がある以上、なぜ別に十天干・十二地支を立てるのでしょうか。これは先に陰陽があって五行が生まれ、五行の中でも各行がさらにそれぞれ陰陽に分かれるからです。木を例に取れば、甲と乙は木の陰と陽です。甲は乙の「氣」であり、乙は甲の「質」です。天上にあって生發の氣として萬物の間に流行するものが甲であり、地上にあって萬物となってこの生氣を受けるものが乙です。さらに細かく分ければ、生氣が散らばる面は甲中の甲、生氣が凝りて形となる面は甲中の乙、萬木が枝葉を出せるのは乙中の甲、そして実際に育った一枝一葉は乙中の乙です。それがまだ甲であるとき、乙の氣はすでに備わっています。乙となったとき、甲の質ははじめて堅実となります。甲乙という一対があって、木の陰陽は備わるのです。
何以復有寅卯者,又與甲乙分陰陽天地而言之者也。以甲乙而分陰陽,則甲為陽,乙為陰,木之行於天而為陰陽者也。以寅卯而陰陽,則寅為陽,卯為陰,木之存乎地而為陰陽者也。以甲乙寅卯而統分陰陽,則甲乙為陽寅卯為陰,木之在天成象而在地成形者也。甲乙行乎天,而寅卯受之;寅卯存乎地,而甲乙施焉。是故甲乙如官長,寅卯如該管地方。甲祿於寅,乙祿於卯,如府官之在郡,縣官之在邑,而各司一月之令也。
沈氏の原文は続けて問います。なぜ木には甲乙のほかに寅卯があるのでしょうか。それは甲乙と寅卯を並べて、さらに「天」と「地」の二層から陰陽を分けるためです。甲乙だけで陰陽を分ければ、甲は陽・乙は陰、これは木が天上を運行するときの陰陽です。寅卯だけで陰陽を分ければ、寅は陽・卯は陰、これは木が地下に存在するときの陰陽です。甲乙寅卯を合わせて総じて陰陽を分ければ、甲乙は陽に屬し寅卯は陰に屬する、これが木の「在天成象・在地成形」の分別です。甲乙は天を運行し、寅卯は下にあってそれを受けます。寅卯は地に存し、甲乙は氣をそれに施します。だから甲乙は官長のようなものであり、寅卯はその管轄する地のようなものです。甲は寅を「祿」とし、乙は卯を「祿」とします。ちょうど知府が府城に坐し、知県が県城に坐して、それぞれ一箇月の月令を主管するようなものです。
甲乙在天,故動而不居。建寅之月,豈必當甲?建卯之月,豈必當乙?寅卯在地,故止而不遷。甲雖遞易,月必建寅;乙雖遞易,月必建卯。以氣而論,甲旺於乙;以質而論,乙堅於甲。而俗書謬論,以甲為大林,盛而宜斬,乙為微苗,脆而莫傷,可為不知陰陽之理者矣。以木類推,餘者可知,惟土為木火金水沖氣,故寄旺於四時,而陰陽氣質之理,亦同此論。欲學命者,必須先知干支之說,然後可以入門。
沈氏の原文は言います。甲乙は天上にあるので流動して止まりません。正月は寅に建てますが、天干が必ず甲とは限りません。二月は卯に建てますが、天干が必ず乙とは限りません。寅卯は地上にあるので固定して遷りません。年がめぐり甲の字がどう替わろうと、正月は常に寅に建てます。乙の字がどう替わろうと、二月は常に卯に建てます。氣について言えば甲は乙より旺で、質について言えば乙は甲より堅いです。ところが俗書はみだりに立論し、甲を天に聳える大林で茂ったから伐るべきだとし、乙を纖細な幼い苗で脆くて傷つけられないとするのは、まさに陰陽の理を知らない人というべきです。木に準じて推せば、残りの四行も明らかです。ただ土だけは木火金水の四氣が沖和して成るので、四季の末の辰戌丑未に旺を寄せます。その陰陽氣質の道理も上に述べたのと同じです。命理を学ぼうとする者は、まず干支の道理を明らかにしてからでなければ入門とは言えません。
二、陰陽の生剋を論ず
四時之運,相生而成,故木生火,火生土,土生金,金生水,水復生木,即相生之序,循環迭運,而時行不匱。然而有生又必有克,生而不克,則四時亦不成矣。克者,所以節而止之,使之收斂,以為發洩之機,故曰「天地節而四時成」。即以木論,木盛於夏,殺於秋,殺者,使發洩於外者藏收內,是殺正所以為生,大易以收斂為性情之實,以兌為萬物所說,至哉言乎!譬如人之養生,固以飲食為生,然使時時飲食,而不使稍飢以待將來,人壽其能久乎?是以四時之運,生與克同用,克與生同功。
沈氏の原文は言います。四季の運転は五行の相生によって成し遂げられます。だから木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水はまた木を生じる――これが相生の次序です。このように循環して遞運することで、四時は推し進められて竭きることがありません。しかし生があれば必ず剋があり、生のみで剋がなければ四時もまた四時とはなりません。剋の作用はそれを節制し、止め、収斂させて、次の一巡の發泄の契機とならせることです。だから《易經・節卦・彖傳》は「天地節而四時成」と言います。木を例に取れば、木は夏に最も盛んで、秋になると肅殺されます。肅殺とは、外へ發泄していた生氣を内に收藏することです(底本は「藏收內」、語序が倒置されている)。肅殺がまさに來年の生發のためであることが分かります。《周易》は「収斂」を性情の実質と見なし、兌卦を萬物が欣悅する所と見なしています(「説」は「悅」に通ず)――この言葉は実に精到です!人の養生にたとえれば、確かに飲食で生命を維持しますが、もし時々刻々ずっと食べ続けて腸胃を少しも空けず次の食事を待たなければ、人は長寿でいられましょうか。だから四時の運行は生と剋を併用し、剋は生と同じ功をなします。
然以五行而統論之,則水木相生,金木相剋。以五行之陰陽而分配之,則生克之中,又有異同。此所以水同生木,而印有偏正;金同克木,而局有官煞也。印綬之中,偏正相似,生克之殊,可置勿論;而相剋之內,一官一煞,淑慝判然,其理不可不細詳也。
沈氏の原文は続けて言います。もし漠然と五行だけで論ずれば、水は木を生じ、金は木を剋する、です。しかしいったん五行にさらに陰陽を分けて配すれば、生と剋の中にもまた同と不同が生じます。これがなぜ同じ水生木でも「偏印」と「正印」に分かれ、同じ金剋木でも格局上「正官」と「七煞」に分かれるのかという理由です。印綬の類では偏印と正印は性質が近く、生剋の差が大きくないので措いて論じなくてよいですが、相剋の類では一つは正官、一つは七煞で、一善一悪の境界が明瞭です。その道理は細かく講明しないわけにはいきません。
即以甲乙庚辛言之。甲者,陽木也,木之生氣也;乙者,陰木也,木之形質也。庚者,陽金也,秋天肅殺之氣也;辛者,陰金也,人間五金之質也。木之生氣,寄於木而行於天,故逢秋天為官,而乙則反是,庚官而辛殺也。又以丙丁庚辛言之。丙者,陽火也,融和之氣也;丁者,陰火也,薪傳之火也。秋天肅殺之氣,逢陽和而克去,而人間之金,不畏陽和,此庚以丙為殺,而辛以丙為官也。人間金鐵之質,逢薪傳之火而立化,而肅殺之氣,不畏薪傳之火。此所以辛以丁為殺,而庚以丁為官也。即此以推,而餘者以相剋可知矣。
沈氏の原文は例を挙げて言います。甲・乙・庚・辛を例に取りましょう。甲は陽木で、木の生發の氣です。乙は陰木で、木の形體の質です。庚は陽金で、秋の肅殺の氣です。辛は陰金で、人間の金銀銅鐵錫という五金の實體です。木の生氣は樹木に寄託して天に運行するので、甲は秋の肅殺の氣に遭うとかえってそれが「正官」となります――制されて序があるのです。乙はその逆で、乙にとって庚は官であり辛こそが煞です(底本のこの句は文字がやや倒錯していますが、陰陽異性相制を官、同性相制を煞とする趣旨でしょう)。次に丙・丁・庚・辛を例に取りましょう。丙は陽火で、温暖融和の氣です。丁は陰火で、薪の相傳の火です。秋の肅殺の氣は温暖な陽和に遭うと剋されてしまいますが、人間の五金の實體は陽和を恐れません。だから庚は丙を煞とし、辛は丙を官とします。人間の金鐵の實體は薪の火に遭えばすぐ熔けますが、肅殺の氣は薪の火を恐れません。だから辛は丁を煞とし、庚は丁を官とします。この筋道に沿って推せば、残りの各行の相剋における官煞の分別もすべて明らかになります。
三、陰陽の生死を論ず(支藏人元司令の圖表を附す)
五行干支之說,已詳論於干支篇。干動而不息,支靜而有常。以每干流行於十二支之月,而生旺墓絕繫焉。
沈氏の原文は言います。五行と干支の道理は、すでに前の《十干十二支を論ず》の篇で詳しく述べました。天干は動して止まらず、地支は靜して常があります。各天干を十二地支の主る十二箇月の中に流行させれば、長生・帝旺・入墓・氣絕という一連の生死の状態がすべてそこに係ります。
陽主聚,以進為進,故主順;陰主散,以退為退,故主逆。長生沐浴等項,所以有陽順陰逆之殊也。四時之運,功成者去,等用者進,故每流行於十二支之月,而生旺墓絕,又有一定。陽之所生,即陰之所死,彼此互換,自然之運也。即以甲乙論,甲為木之陽,木之枝枝葉葉,受天生氣,已經收藏飽足,可以為來克發洩之機,此其所以生於亥也。木當午月,正枝葉繁盛之候,而甲何以死?卻不是外雖繁盛,而內之生氣發洩已盡,此其所以死於午也。乙木反是,午月枝葉繁盛,即為之生,亥月枝葉剝落,即為之死。以質而論,自與氣殊也。以甲乙為例,餘可知矣。
沈氏の原文は言います。陽の性は凝聚を主とし、前進をもって前進とするので順行します。陰の性は發散を主とし、後退をもって後退とするので逆行します。長生・沐浴という十二位に「陽順陰逆」の分別があるのは、このためです。四季の運行は、功を成した者が退き、用を待つ者が進みます(底本は「等用者進」、「等」は「待」の誤り)。だから各天干が十二支の月に一巡流行すると、長生・帝旺・入墓・氣絕には一定の位置があります。陽干の長生の処は、まさに陰干の死絕の処で、互いに入れ替わるのは自然の規律です。甲乙を例に取れば、甲は木の陽で、亥の月に至ると樹木の枝葉が受けた天の生氣はすでに飽滿に收藏され、來春の發泄の契機となりえます(底本は「來克」、「來春」の誤り)――これが甲木が亥に長生する所以です。木が午の月に至ると、ちょうど枝葉が最も繁るときですが、なぜ甲はかえって「死」と算されるのでしょうか。外見は盛んでも、内の生氣はすでに發泄し盡くしているのです(底本は「却不是」、「却不知」の誤り)――これが甲木が午に死する所以です。乙木はちょうど逆です。午月に枝葉が繁るのはそれにとって「生」であり、亥月に枝葉が凋落するのはそれにとって「死」です。乙は形質について論ずるので、甲の氣について論ずるのとは自ら異なります。甲乙を例とすれば、残りの各干も推し知ることができます。
支有十二月,故每干長生至胎養,亦分十二位。氣之由盛而衰,衰而復盛,逐節細分,遂成十二。而長生沐浴等名,則假借形容之詞也。長生者,猶人之初生也。沐浴者,猶人既生之後,而沐浴以去垢;如果核既為苗,則前之青殼,洗而去之矣。冠帶者,形氣漸長,猶人之年長而冠帶也。臨官者,由長而壯,猶人之可以出仕也。帝旺者,壯盛之極,猶人之可以輔帝而大有為也。衰者,盛極而衰,物之初變也。病者,衰之甚也。死者,氣之盡而無餘也。墓者,造化收藏,猶人之埋於土者也。絕者,前之氣已絕,後之氣將續也。胎者,後之氣續而結聚成胎也。養者,如人養母腹也。自是而後,長生循環無端矣。
沈氏の原文は言います。地支には十二箇月があるので、各天干も「長生」から「胎」「養」まで十二の位次に分かれます。氣は盛から衰に轉じ、衰からまた盛に轉じて、一節ずつ細分されるとちょうど十二段になります。長生・沐浴などの名目は、いずれも人生の経歴を借りて譬えた言い方です。「長生」は、人が生まれたばかりのようなもの。「沐浴」は、人が生まれて汚垢を洗い落とすようなもの、果核がすでに芽を出して苗となったら、先にそれを包んでいた青い殼は洗い捨てるようなものです。「冠帶」は、形體と氣力がだんだん長成し、人が成年して冠を戴き帶を束ねるようなもの。「臨官」は、長成して壮健となり、人が出て官に就けるようなもの。「帝旺」は、壮盛が極まり、人が帝王を輔佐して大いに作為できるようなもの。「衰」は、盛が極まって衰に轉じ、事物が変化し始めること。「病」は、衰がさらに甚だしくなったこと。「死」は、氣が盡きて何も余らないこと。「墓」は、造化がそれを收藏し、人が死んで土に埋められるようなもの。「絕」は、前の一段の氣がすでに絕え、後の一段の氣がまさに接続しようとすること。「胎」は、後の一段の氣が接して凝聚して胎を成すこと。「養」は、人が母の腹中で孕養を受けるようなもの。「養」の後にまた「長生」が接し、このように循環して始めも終わりもありません。
人之日主,不必生逢祿旺,即月令休囚,而年日時中,得長祿旺,便不為弱,就使逢庫,亦為有根。時產謂投庫而必沖者,俗書之謬也,但陽長生有力,而陰長生不甚有力,然亦不弱。若是逢庫,則陽為有根,而陰為無用。蓋陽大陰小,陽得兼陰,陰不能兼陽,自然之理也。
沈氏の原文は言います。人の日主は、必ずしも祿旺の月に生まれなければならないわけではありません。月令がそれに対して休・囚であっても、年・日・時の三支のうちに長生・祿・帝旺を得れば(底本は「長祿旺」、「生」の一字が脱けている)、弱とは算されません。たとえ墓庫に一つ出遭うだけでも、根があると算します。時下には「投庫」は必ず刑衝によって開くとする説がありますが(底本は「時產謂」、「產」は「説」の誤り)、これは俗書の謬論です。ただ陽干の長生は力があり、陰干の長生は力が大きくないですが、弱いとも算されません。墓庫に遭えば、陽干は根があると算しますが、陰干は用に立ちません。陽大陰小で、陽は陰を兼ね攝できるが陰は陽を兼ね攝できない――これは自然の道理です。
四、十干配合の性情を論ず
合化之義,以十干陰陽相配而成。河圖之數,以一二三四五配六七八九十,先天之道也。故始於太陰之水,而終於沖氣之土,以氣而語其生之序也。蓋未有五行之先,必先有陰陽老少,而後沖氣,故生以土。終之既有五行,則萬物又生於土,而水火木金,亦寄質焉,故以土先之。是以甲己相合之始,則化為土;土則生金,故乙庚化金次之;金生水,故丙辛化水又次之;水生木,故丁壬化木又次之;木生火,故戊癸化火又次之,而五行遍焉。先之以土,相生之序,自然如此。此十干合化之義也。
沈氏の原文は言います。天干の「合化」の道理は、十干の陰陽が二つずつ配されて成るものです。《河圖》の數は一二三四五で六七八九十に配り、これは先天の法則です。だから合化の序は太陰の水から始まり、沖和の氣が結んだ土で終わります。これは「氣」についてその相生の次序を言うものです。五行が未だ生ぜざる前に必ず先に陰陽老少があり、その後に沖和の氣があるので、生化は土で収結します。そして五行がすでに生成した後は、萬物はみな土の中から生じ、水火木金もみな形質を土に寄託するので、また土を先頭にします。したがって甲と己が合して首位に居り、化して土となります。土は金を生ずるので乙庚は金に化して第二、金は水を生ずるので丙辛は水に化して第三、水は木を生ずるので丁壬は木に化して第四、木は火を生ずるので戊癸は火に化して第五――こうして五行は周遍して漏れがありません。土を先に居らせるのは、相生の次序が自然にそうなるためです。これが十干合化の道理です。
其性情何也?蓋既有配合,必有向背。如甲用辛官,透丙作合,而官非其官;甲用癸印,透戊作合,而印非其印;甲用己財,己與別位之甲作合,而財非其財。如年己月甲,年上之財,被月合去,而日主之甲乙無分;年甲月己,月上之財,被年合去,而日主之甲乙不與是也。甲用丙食與辛作合,而非其食,此四喜神因合而無用者也。
沈氏の原文は続いて合の「性情」を講じます。配合がある以上、必ず偏向と背離があります。たとえば甲木が辛金を「正官」とする命で、丙火が透して辛と合すれば、この官星はもはや我が官ではありません。甲木が癸水を「正印」とするのに、戊土が透して癸と合すれば、この印ももはや我が印ではありません。甲木が己土を「正財」とするのに、己土がわざわざ他處の甲の字と合すれば、この財ももはや我が財ではありません。たとえば年干が己で月干が甲なら、年上の財は月干に合われて去り、日主の甲乙は分け与えられません。また年干が甲で月干が己なら、月上の財は年干に合われて去り、日主の甲乙はそれに与れません。また甲木が丙火を「食神」とするのに、丙が辛と合すれば、この食神もまた食神と成りません。財・官・印・食という四種の喜神は、みな合されることによって無用となることがあります。
蓋有所合則有所忌,逢吉不為吉,逢凶不為凶。即以六親言之,如男以財為妻,而被別干合去,財妻豈能親其夫乎?女以官為夫,而被他干合去,官夫豈能愛其妻乎?此謂配合之性情,因向背而殊也。
沈氏の原文は結論づけます。合する所があれば、忌む所があります。吉神に遭っても必ずしも真に吉とはならず、凶神に遭っても必ずしも真に凶とはなりません。六親を例に取れば、男命は財星を妻としますが、財星が他の天干に合われて去れば、この妻たる財星はまだその夫を親しめるでしょうか。女命は官星を夫としますが、官星が他の天干に合われて去れば、この夫たる官星はまだその妻を愛しめるでしょうか。これを配合の性情と言い、誰に偏向し誰に背離するかによってそれぞれ異なります。
五、十干の合して合せざるを論ず
十干化合之義,前篇既明之矣,然而亦有合而不合者,何也?蓋隔於有所間也,譬如人彼此相好,而有人從中間之,則交必不能成。譬如甲與己合,而甲己中間,以庚間隔之,則甲豈能越克我之庚而合己?此制於勢然也,合而不敢合也,有若無也。
沈氏の原文は言います。十干合化の道理は前篇で既に明らかにしました。しかし合えるように見えて実際は合えないものがあるのはなぜでしょうか。一つの情形は、中間が他の字に隔てられていることです。たとえば二人がもともと交好していても、誰かが間に横槍を入れれば交情は結べません。たとえば甲と己は本應合すべきですが、甲と己の間に庚が挟まれれば、庚は甲を剋する神なので、甲はどうして我を剋する庚を越えて己と合できましょうか。これは形勢に制されたもので、「合したいが敢えて合せぬ」に屬し、合があってもないのと同じです。
又有隔位太遠,如甲在年干,己在時上,心雖相契,地則相遠,如人天南地北,不能相合一般。然於有所制而不敢合者,亦稍有差,合而不能合也,半合也,其為禍福得十之二三而已。
沈氏の原文は言います。もう一つの情形は、位置があまりに遠く隔たることです。たとえば甲が年干にあり己が時干にあれば、両者は心は投合しても地位は隔たりすぎ、ちょうど二人が一人は天南、一人は地北にいるように、合する術がありません。ただこれは前の「制されて敢えて合せぬ」の情形とやや分かれます。あれは敢えて合せぬのであり、これは合したいが合わない、半合と算するだけで、それがもたらす吉凶禍福も正常な合局の十分の二三に過ぎません。
又有合而無傷於合者,何也?如甲生寅卯,月時兩透辛官,以年丙合月辛,是為合一留一,官星反輕。甲逢月刃,庚辛並透,丙與辛合,是為合官留煞,而煞刃依然成格,皆無傷於合也。
沈氏の原文は言います。また一つ、合したが格局に損なわないものがあるのはなぜでしょうか。たとえば甲木が寅月または卯月に生まれ、月干と時干にともに辛金の正官が透して官星の重みを嫌うとき、ちょうど年干に丙火があって月干の辛を合し留めれば、これを「合一留一」と言い、官星の分量がかえってちょうどよく軽減されます。また甲木が卯月に生まれて羊刃に坐し、庚金の七煞と辛金の正官が併せて透して官煞が混雜するとき、丙火が來て辛官を合し留めれば、これを「合官留煞」と言い、煞と刃は依然として「煞刃格」を配成します。この二種の情形では、合がかえって助けとなり、いずれも合に傷られたとは算しません。
又有合而不以合論者,何也?本身之合也。蓋五陽逢財,五陰遇官,俱是作合,惟是本身十干合之,不為合去。假如乙用庚官,日干之乙,與庚作合,是我之官,是我合之。何為合去?若庚在年上,乙在月上,則月上之乙,先去合庚,而日干反不能合,是為合去也。又如女以官為夫,丁日逢壬,是我之夫,是我合之,正如夫妻相親,其情愈密。惟壬在月上,而年丁合之,日干之丁,反不能合,是以己之夫星,被姊妹合去,夫星透而不透矣。
沈氏の原文は言います。また一つ、合ではあるが「合されて去った」とは論じないものがあります。それは日主自身が人と合するものです。五つの陽干が正財に遇い、五つの陰干が正官に遇えば、いずれも合を成しますが、日主自身が合するならば、それを合い去ったとは算しません。たとえば乙木が庚金を正官とし、日干の乙が庚と合すれば、この官はもともと我が官で、私自身がそれを合し留めるので、どうして「合去」と言えましょうか。逆に、庚が年干にあり乙が月干にあれば、月干の乙が先に庚を合し留めて日主はかえって合できず、これこそ「合去」です。また女命は官星を夫としますが、丁日が壬水に遇えば、これは我が夫で、私自身が彼と合するのは、ちょうど夫婦が相親しんで情意がいっそう親密になるようなものです。しかし壬が月干にあり、年干に別の丁があってそれを合い去れば、日主の丁はかえって合せず、これは自分の夫星が姉妹に合い去られたので、夫星は天干に透していても透していないのと同じです。
用神之情,不向日主,或日主之情,不向用神,皆非美朕也。
徐樂吾の評註はここで一つの通則を指摘します。用神の情意が日主に向かわないか、あるいは日主の情意が用神に向かわず、両者が互いに顧み合わないなら、いずれも良い兆しではありません(底本は「美朕」、「朕」は「兆」の誤り)。合と不合をこれほど細かく辨えるのは、まさに用神と日主の間のこの一点の向背の情を見極めるためです。
然又有爭合妒合之說,何也?如兩辛合丙,兩丁合壬之類,一夫不娶二妻,一女不配二夫,所以有爭合妒合之說。然到底終有合意,但情不專耳。若以兩合一而隔位,則全無爭妒。如庚午、乙酉、甲子、乙亥,兩乙合庚,甲日隔之,此高太尉命,仍作合煞留官,無減福也。
沈氏の原文は言います。また「爭合」「妒合」という説がありますが、これはどういうことでしょうか。たとえば二つの辛が一つの丙を合し、二つの丁が一つの壬を合する類です。一人の夫は二人の妻を娶れず、一人の女子は二人の夫に配せられないので、爭合・妒合の説があるのです。ただし結局は相合する意はあるので、ただ情意が專一でないだけです。もし二つが一つを合しに來て中間が隔てられれば、そもそも爭も妒も言えません。たとえば庚午年・乙酉月・甲子日・乙亥時という造では、月干と時干の二つの乙がともに年干の庚を合しようとしますが、甲の日主が間に横たわってそれらを隔てます――これは高太尉の命で、依然として「合煞留官」に準じて論じ、福分はこれによって減りません。
今人不知命理,動以本身之合,妄論得失;更有可笑者,書云「合官非為貴取」,本是至論,而或以本身之合為合,甚或以他支之合為合,如辰與酉合、卯與戌合之類,皆作合官。一謬至此子平之傳掃地矣!
沈氏の原文は批評します。今の人は命理を知らず、やたらに日主自身の合を持ち出して得失を妄論します。さらに可笑しいのは、書に「官を合すれば貴を取ったとは算せぬ」とあるのはもともと至理ですが、ある者はなんと日主自身が官星を合しに行くのも合官と算し、さらには地支同士の六合、辰と酉の合・卯と戌の合の類まで、ことごとく合官としてしまうのです。この荒唐無稽の極みでは、子平の學の傳承も地に墮ちて余すところがありません!
六、十干の時を得ても旺ならず時を失しても弱ならざるを論ず
書云,得時俱為旺論,失時便作衰看,雖是至理,亦死法也。然亦可活看。夫五行之氣,流行四時,雖日干各有專令,而其實專令之中,亦有並存者在。假若春木司令,甲乙雖旺,而此時休囚之戊己,亦未嘗絕於天地也。特時當退避,不能爭先,而其實春土何嘗不生萬物,冬日何嘗不照萬國乎?
沈氏の原文は言います。書に「時を得た者は一概に旺と見、時を失した者は衰と見なす」とあるのは確かに至理ですが、それは死んだ法であって、やはり活きて見なければなりません。五行の氣は四時に流行し、各天干にそれぞれ專主する時令がありますが、ある一行が專令するときでも、残りの各行も実は天地の間に併存しています。もし春に木が當令すれば甲乙は確かに旺ですが、このとき休囚にある戊己土も天地の間で斷絕してはいません。それは時令にあって退避し、先を爭えないだけです。実のところ、春の土も萬物を生養しないでしょうか。冬の太陽も萬國を照らさないでしょうか。
旺衰強弱四字,昔人論命,每籠統互用,不知須分別看也。大致得時為旺,失時為衰;黨眾為強,助寡為弱。故有雖旺而弱者,亦有雖衰而強者,分別觀之,其理自明。春木夏火秋金冬水為得時,比劫印綬通根扶助為黨眾。甲乙木生於寅卯月,為得時者旺;干庚辛而支酉丑,則金之黨眾,而木之助寡。干丙丁而支巳午,則火之黨眾,木洩氣太重,雖秉令而不強也。甲乙木生於申酉月,為失時則衰,若比印重疊,年日時支,又通根比印,即為黨眾,雖失時而不弱也。不特日主如此,喜用忌神皆同此論。
徐樂吾の評註はここで補正します。「旺・衰・強・弱」という四字は、昔の人が命を論じるとき漠然と混用して、分けて見なければならないことを知りませんでした。おおよそ言えば、時令を得たものを「旺」、時令を失ったものを「衰」と言い、同黨の衆多なものを「強」、助け手の稀なものを「弱」と言います。だから旺ではあるが弱であるものもあり、衰ではあるが強であるものもあります。分けて觀察すれば道理は自ずから明らかです。春の木・夏の火・秋の金・冬の水はすべて時を得たと算します。比肩劫財・印綬通根があって扶助すれば黨衆と算します。甲乙木が寅月・卯月に生まれれば時を得て旺ですが、もし天干に庚辛が透し地支に酉・丑があれば、金の黨が衆多で木の助け手が少ないのです。もし天干に丙丁が透し地支に巳・午があれば、火の黨が衆多で木は氣を泄らされすぎて、令を秉り權を當てても強とは算されません。甲乙木が申月・酉月に生まれれば時を失して衰ですが、もし比劫印綬が重ね重ねあって年・日・時の三支がすべて比・印の根に通じれば、これは黨衆で、時を失しても弱とは算されません。日主だけでなく、喜神・用神・忌神もみなこの道理で分辨します。
是故十干不論月令休囚,只要四柱有根,便能受財官食神而當傷官七煞。長生祿旺,根之重者也;墓庫餘氣,根之輕者也。天干得一比肩,不如得支中一墓庫,如甲逢未、丙逢戌之類。乙逢戌、丁逢丑、不作此論,以戌中無藏木,丑中無藏火也。得二比肩,不如得一餘氣,如乙逢辰、丁逢未之類。得三比肩,不如得一長生祿刃,如甲逢亥子寅卯之類。陰長生不作此論,如乙逢午、丁逢酉之類,然亦為明根,可比得一餘氣。蓋比劫如朋友之相扶,通根如室家之可住;干多不如根重,理固然也。
沈氏の原文は結論づけます。だから十天干は月令が休囚かどうかを問わず、四柱の中に根があれば、財・官・食神を受け止めることができ、傷官・七煞にも堪えられます。長生・祿・帝旺は根の重いもの、墓庫・余氣は根の軽いものです。天干の上で比肩を一つ多く得るより、地支の中で墓庫を一つ得るほうが良い――甲が未に逢い、丙が戌に逢う類です。乙が戌に逢い、丁が丑に逢うのはこのように算できません。戌中に藏するのは辛金・丁火で木はなく、丑中に藏するのは癸水・辛金で火はないからです。比肩を二つ得るより余氣を一つ得るほうが良い――乙が辰に逢い(辰中に乙を藏す)、丁が未に逢う(未中に丁を藏す)類です。比肩を三つ得るより長生・祿または羊刃を一つ得るほうが良い――甲が亥に逢って長生、寅に逢って祿、卯に逢って刃となる類です。陰干の長生はこのように算しません――乙が午に逢い、丁が酉に逢う類です。ただこれも明らかな根と算して、一つの余氣に抵当できます。比劫は朋友が相扶するようなもので、通根は自家の房屋で身を安んじられるようなものです。天干の上の字がいくら多くても、地支の根の厚重さには及びません。道理はもともとそうです。
七、刑衝會合の解法を論ず
刑者,三刑也,子卯巳申之類是也。沖者,六沖也,子午卯酉之類是也。會者,三會也,申子辰之類是也。合者,六合也,子與丑合之類是也。此皆以地支宮分而言,繫對射之意也。三方為會,朋友之意也。並對為合,比鄰之意也。至於三刑取廡,姑且闕疑,雖不知其所以然,於命理亦無害也。
沈氏の原文はまず名目に定義を下します。いわゆる「刑」とは三刑を指し、子が卯を刑し、巳が申を刑する類です。いわゆる「衝」とは六衝を指し、子午相衝・卯酉相衝の類です。いわゆる「會」とは三合會局を指し、申子辰が會して水局を成す類です。いわゆる「合」とは六合を指し、子と丑が相合する類です。これらはみな地支の方位宮分について言うもので、衝は正面から対射する意を帯び、三つの方位が會して局を成すのは朋友が相聚する意を帯び、二支が併列相対して合するのは鄰里が相親しむ意を帯びます。三刑が一体どこに取義するか(底本は「取廡」、字に訛誤あり)は、とりあえず存疑して論じません。たとえその所以然を知らなくても、推命には妨げがありません。
八字支中,刑沖俱非美事,而三合六合,可以解之。假如甲生酉月,逢卯則沖,而或支中有戌,則卯與戌合而不沖;有辰,則酉與辰合而不沖;有亥與未,則卯與亥未會而不沖;有巳與丑,則酉與巳丑會而不沖。是會合可以解沖也。又如丙生子月,逢卯則刑,而或支中有戌,則與戌合而不刑;有丑,則子與丑合而不刑;有亥與未,則卯與亥未會而不刑;有申與辰,則子與申辰會而不刑。是會合可以解刑也。
沈氏の原文は言います。八字の地支に、刑も衝も良いことではなく、三合・六合はそれらを化解できます。たとえば甲木が酉月に生まれ、命にまた卯に逢えば卯酉相衝です。このとき支中に別に戌があれば、卯と戌が合し留まり衝しません。辰があれば酉と辰が合し留まり衝しません。亥と未があれば卯と亥未が會して木局を成して衝しません。巳と丑があれば酉と巳丑が會して金局を成して同じく衝しません。會と合が衝を解くことが分かります。また丙火が子月に生まれ、卯に遇えば子卯相刑です。このとき支中に戌があれば卯と戌が合し留まり刑しません。丑があれば子と丑が合し留まり刑しません。亥と未があれば卯と亥未が會して木局を成して刑しません。申と辰があれば子と申辰が會して水局を成して同じく刑しません。會と合がまた刑を解くことが分かります。
又有因解而反得刑沖者,何也?假如甲生子月,支逢二卯相併,二卯不刑一子,而支又逢戌,戌與卯合,本為解刑,而合去其一,則一合而一刑,是因解而反得刑沖也。
沈氏の原文は言います。また、化解しようとしてかえって刑衝を招くものがあるのはなぜでしょうか。たとえば甲木が子月に生まれ、地支に二つの卯が併列し、二つの卯が争って一つの子を刑しようとしても力が分散し、もともと刑すに動きません。このとき支中にまた一つの戌が來て戌と卯が相合すれば、本意は刑を解くことですが、それは一つの卯しか合し留められず、一つは合されて留まり、もう一つはかえって手を空けて専ら子を刑します――これが解こうとしてかえって刑衝を招くものです。
又有刑沖而會合不能解者,何也?假如子年午月,日坐丑位,丑與子合,可以解沖,而時逢巳酉,則丑與巳酉會,而子復沖午;子年卯月,日坐戌位,戌與卯合,可以解刑,而或時逢寅午,則戌與寅午會,而卯復刑子。是會合而不能解刑沖也。
沈氏の原文は言います。また、會合はあっても刑衝を解けないものがあるのはなぜでしょうか。たとえば年支が子・月支が午で子午相衝し、日支が丑に坐して丑と子が合すれば、もともと衝を解けるはずですが、時支が巳または酉に逢えば、丑は引きずられて巳酉と會して金局を成し、子を合するのに及ばず、そこで子はまた翻って午を衝します。また年支が子・月支が卯で子卯相刑し、日支が戌に坐して戌と卯が合すれば、もともと刑を解けるはずですが、時支が寅または午に逢えば、戌は引きずられて寅午と會して火局を成し、そこで卯はまた翻って子を刑します。會合があっても必ずしも刑衝を解けるわけではないことが分かります。
更有刑沖而可以解刑者,何也?蓋四柱之中,刑沖俱不為美,而刑沖用神,尤為破格,不如以另位之刑沖,解月令之刑沖矣。假如丙生子月,卯以刑子,而支又逢酉,則又與酉沖不刑月令之官。甲生酉月,卯日沖之,而時逢子立,則卯與子刑,而月令官星,沖之無力,雖於別宮刑沖,六親不無刑剋,而月官猶在,其格不破。是所謂以刑沖而解刑沖也。如此之類,在人之變化而己。
沈氏の原文は言います。さらに刑衝を用いて刑衝を解くものがあるのはなぜでしょうか。四柱の中で刑も衝ももともと良いことではなく、刑衝が用神に及ぶと殊に格を破るので、むしろ他の位置の刑衝で月令上の刑衝を牽制させるのがよいのです。たとえば丙火が子月に生まれ、子中の癸水が正官で、卯が來て子を刑する場合、このとき支中にまた一つの酉に逢えば、卯は酉に衝されて牽制され、月令の官星を刑しに行かなくなります。また甲木が酉月に生まれ、日支が卯で、卯が來て月令の酉官を衝する場合、時支に一つの子が來れば、卯と子が相刑して卯が牽制され、月令の官星を衝する力が弱まります。このように他の宮位にはなお刑衝があって六親上にやむをえず多少の刑剋がありますが、月令の官星はなお存し、格局は破れません――これがいわゆる刑衝をもって刑衝を解くものです。この類はすべて人が局に臨んで靈活に變通するだけです(底本の「而己」は「而已」の誤り)。
八、用神を論ず
八字用神,專求月令,以日干配月令地支,而生克不同,格局分焉。財官印食,此用神之善而順用之者也;煞傷劫刃,用神之不善而逆用之者也。當順而順,當逆而逆,配合得宜,皆為貴格。
沈氏の原文は全書の根本大法を立てます。八字の「用神」は、專ら月令の中に求めます。日干と月令の地支を配して、生剋の関係が異なるため格局も分かれます。正財偏財・正官・正印偏印・食神という四類は性質が良善な用神で、その性に順って用います。七煞・傷官・劫財・陽刃という四類は性質が不善な用神で、その性に逆らって制します。順すべきは順にし、逆すべきは逆にして配合が宜しければ、いずれも貴格と成りえます。
取用之法不一,約略歸納,可分為下列五種: (一)扶抑。日元強者抑之,日元弱者扶之,此以扶抑為用神也。月令之神太強則抑之,月令之神太弱則扶之,此以扶抑月令為用神也。 (二)病藥。以扶為喜,則以傷其扶者為病;以抑為喜,則以去其抑者為病。除其病神,即謂之藥。此以病藥取用神也。 (三)調候。金水生於冬令,木火生於夏令,氣候太寒太燥,以調和氣候為急。此以調候為用神也。 (四)專旺。四柱之氣勢,偏於一方其勢不可逆,惟有順其氣勢為用,或從或化,及一方專旺等格局皆是也。 (五)通關。兩神對峙,強弱均平,各不相下,須調和之為美,此以通關為用也。
徐樂吾の評註はここで用神を取る門徑を五類に歸納します。その一は「扶抑」――日元が強ければそれを抑え、日元が弱ければそれを扶ける、これは日元を扶抑して用神を定めるものです。月令の神が強すぎれば抑え、弱すぎれば扶ける、これは月令を扶抑して用神を定めるものです。その二は「病藥」――扶を喜とする以上、この扶助の神を損傷するものが「病」です。抑を喜とする以上、この抑制の神を除くものも「病」です。病神を除けるその一つを「藥」と言い、これは病藥で用神を取るものです。その三は「調候」――金水の日主が冬令に生まれ、木火の日主が夏令に生まれれば、氣候が寒すぎるか燥しすぎるので、氣候を調和するのが當務の急となり、これは調候を用神とするものです。その四は「專旺」――四柱の氣勢が全体に一方に偏し、その勢いは違逆できず、この氣勢に順って用いるしかないものです。從格・化氣格および一方專旺の曲直・炎上などの諸格はみなこの類に屬します。その五は「通關」――二つの神が互いに對峙し、強弱が相當して誰も讓らないとき、必ず一物が中から調和してはじめて美となり、これは通關を用神とするものです。
是以善而順用之,則財喜食神以相生,生官以護財;官喜透財以相生,生印以護官;印喜官煞以相生,劫財以護印;食喜身旺以相生,生財以護食。不善而逆用之,則七煞喜食神以制伏,忌財印以資扶;傷官喜佩印以制伏,生財以化傷;陽刃喜官煞以制伏,忌官煞之俱無;月劫喜透官以制伏,利用財而透食以化劫。此順逆之大路也。
沈氏の原文は続けて言います。性質が良善な用神に順って用いるなら、財格は食神があってそれを生ずるを喜び、また官星を生じて財を護るを喜びます。官格は財を透してそれを生ずるを喜び、また印綬を生じて官を護るを喜びます。印格は官煞があってそれを生ずるを喜び、また劫財があって印を護るを喜びます。食神格は日主が身旺してそれを生ずるを喜び、また財を生じて食神を護るを喜びます。性質が不善な用神に逆らって制するなら、七煞は食神が來て制伏するを喜び、財印がそれを資助するのを最も忌みます。傷官は印を佩びて制伏するを喜び、あるいは財を生じて傷の氣を化泄します。陽刃は官煞が來て制伏するを喜び、官煞が一つもないのを最も恐れます。月劫は官星を透して制伏するを喜び、あるいは財を用いてさらに食神を透して劫の氣を化泄させます。これが順用・逆用の大まかな路数です。
今人不知專主提綱,然後將四柱干支,字字統歸月令,以觀喜忌,甚至見正官佩印,則以為官印雙全,與印綬用官者同論;見財透食神,不以為財逢食生,而以為食神生財,與食神生財同論;見偏印透食,不以為洩身之秀,而以為梟神奪食,宜用財制,與食神逢梟同論;見煞逢食制而露印者,不以為去食護煞,而以為煞印相生,與印綬逢煞者同論;更有煞格逢刃,不以為刃可幫身制煞,而以為七煞制刃,與陽刃露煞者同論。此皆由不知月令而妄論之故也。
沈氏の原文は批評します。今の人は月令の提綱を主とし、さらに四柱の干支を一字ずつ月令に歸して喜忌を見ることを知らず、それゆえ官格が印を佩びれば「官印雙全」と言って、印格に官を用いるのと混同し、財格が食神を透すれば「財に逢って食が生ず」とは言わずかえって「食神が財を生ず」と言って、食神格が財を生ずるのと混同し、偏印格が食神を透せば日主の秀氣を泄するとは言わずかえって「梟神が食を奪う」、財を用いて梟を制すべしと言って、食神格が梟に遇うのと混同し、煞格が食神に制されて印綬を露せば「食を去りて煞を護る」とは言わずかえって「煞印相生」と言って、印格が煞に逢うのと混同し、さらに煞格が羊刃に遇えば刃が身を助けて煞を擔うとは言わずかえって「七煞が刃を制す」と言って、陽刃格が煞を露すのと混同します。これらはみな月令を主とすることを明らかにせず胡乱に議論する故です。
然亦有月令無用神者,將若之何?如木生寅卯,日與月同,本身不可為用,必看四柱有無財官煞食透干會支,另取用神;然終以月令為主,然後尋用,是建祿月劫之格,非用而即用神也。
沈氏の原文は一層補います。しかし月令の中から用神が取れないものもあるではないか、それはどうするのでしょうか。たとえば甲乙木が寅月または卯月に生まれれば、日主と月令は同じ一氣に屬し、比劫自身は用神に當てられないので、四柱の中に財・官・煞・食が天干に透しているか地支の局を會成しているかを見て、別に一つの用神を取らなければなりません。しかし結局はなお月令を主として、それから用神を尋ねます――これが「建祿」「月劫」の二格で、月令自身は用神ではないが、取用を決める出發點です。
九、用神の成敗と救應を論ず
用神專尋月令,以四柱配之,必有成敗。何謂成?如官逢財印,又無刑沖破害,官格成也。財生官旺,或財逢食生而身強帶比,或財格透印而位置妥貼,兩不相剋,財格成也。印輕逢煞,或官印雙全,或身印兩旺而用食傷洩氣,或印多逢財而財透根輕,印格成也。食神生財,或食帶煞而無財,棄食就煞而透印,食格成也。身強七煞逢制,煞格成也。傷官生財,或傷官佩印而傷官旺,印有根,或傷官旺、身主弱而透煞印,或傷官帶煞而無財,傷官格成也。陽刃透官煞而露財印,不見傷官,陽刃格成也。建祿月劫,透官而逢財印,透財而逢食傷,透煞而遇制伏,建祿月劫之格成也。
沈氏の原文は言います。用神は專ら月令の中に尋ね、さらに四柱をもってそれに配すれば、必ず成と敗があります。何を「成」と言うのでしょうか。たとえば官格に財があって官を生じ、印があって官を護り、また刑衝破害がなければ、これは官格の成です。財格で財が旺して官を生ずることができるか、あるいは財が食神の生ずる所を得て日主の身が強く比肩を帶びるか、あるいは財格が印綬を透して位置の安排が妥当で財と印が互いに剋しないか、これは財格の成です。印格で印が軽く七煞に逢って印を生ずるか、あるいは官印雙全であるか、あるいは身と印がともに旺して食傷で秀を泄すか、あるいは印が多く財に逢ってその太過を損じ財がまた干に透して根が浅いか、これは印格の成です。食神が財を生ずるか、あるいは食神が煞を帶びて財がなく、いっそ食を捨てて煞に就き併せて印を透して身を護るか、これは食神格の成です。日主の身が強く七煞に制伏があれば、これは煞格の成です。傷官が財を生ずるか、あるいは傷官が印を佩びて傷官が旺し印にまた根があるか、あるいは傷官が旺して日主が弱く煞印相生を透すか、あるいは傷官が煞を帶びて財が煞を黨することがないか、これは傷官格の成です。陽刃格が官煞を透しまた財印を露して、しかも傷官が來て官星を傷るのを見なければ、これは陽刃格の成です。建祿・月劫格が官星を透してまた財印が相随うか、あるいは財星を透してまた食傷が轉化するか、あるいは七煞を透して制伏に遇うか、これは建祿月劫格の成です。
財旺生官者,月令星旺,四柱有官,則財旺自生官;或月令財星而透食神,身強則食神洩秀,轉而生財。財本忌比劫,有食神則不忌而喜,蓋有食神化之也。或透印而位置妥貼者,財印不相礙也(參觀財格佩印節)。如年干透印,時干透財,中隔比劫,則不相礙;隔官星則為財旺生官,亦不相礙,是為財格成也。
徐樂吾の評註は上文の「財格成」の三種の情形を逐一疏解します。いわゆる「財旺生官」は、月令の財星がもともと旺で、四柱にまた官星があれば、財が旺して自ずから官を生じることです。いわゆる「財逢食生」は、月令が財星で天干に食神を透し、日主の身が強ければ、食神は日主の秀を泄し、轉じて財を生じに行くことです。財はもともと比肩劫財が來て分奪するのを最も恐れますが、食神があれば、比劫は忌むばかりかかえって喜ばしいです。食神が比劫の氣を化し轉じて財を生じさせうるからです。いわゆる「財格透印而位置妥貼」は、財と印が隔たって擺けられ互いに妨げないことです(後の《論財》の中の財格佩印の節を參照)。たとえば年干に印を透し時干に財を透し、中間が比肩劫財に隔てられれば、両者は碰つき合いません。もし中間に隔たるのが官星なら、それは財旺生官で印がまた官を護ることとなり、同じく互いに妨げません。これらの種はいずれも財格の成と算します。
何謂敗?官逢傷克刑沖,官格敗也;財輕比重,財透七煞,財格敗也;印輕逢財,或身強印重而透煞,印格敗也;食神逢梟,或生財露煞,食神格敗也;七煞逢財無制,七煞格敗也;傷官非金水而見官,或生財而帶煞,或佩印而傷輕身旺,傷官格敗也;陽刃無官煞,刃格敗也;建祿月劫,無財官,透煞印,建祿月劫之格敗也。
沈氏の原文は言います。何を「敗」と言うのでしょうか。官星が傷官に剋され、あるいは刑され衝されれば、これは官格の敗です。財星が軽く比劫が重ねて來て爭奪するか、あるいは財星が透して出て七煞を黨助すれば、これは財格の敗です。印が軽く財に逢って印を壞すか、あるいは日主がすでに強く印がまた重くさらに七煞を透して印を生じに行けば、これは印格の敗です。食神が偏印に遇って食を奪われるか、あるいは食神が財を生じてまた七煞を露すれば、これは食神格の敗です。七煞が財に遇って煞を黨し食神の制伏がなければ、これは七煞格の敗です。傷官格が金水傷官でないのに官星を見るか、あるいは傷官が財を生じてまた煞を帶びるか、あるいは傷官が印を佩びて傷官が軽く日主がまた旺すれば、これは傷官格の敗です。陽刃格の中に官煞が來て刃を制するものがなければ、これは刃格の敗です。建祿月劫格の中に財も官もなくて七煞と印綬を透せば、これは建祿月劫格の敗です。
成中有敗,必是帶忌;敗中有成,全憑救應。何謂帶忌?如正官逢財而又逢傷;透官而又逢合;財旺生官而又逢傷逢合;印透食以洩氣,而又遇財露;透煞以生印,而又透財,以去印存煞;食神帶煞印而又逢財;七煞逢食制而又逢印;傷官生財而財又逢合;佩印而印又遭傷,透財而逢煞,是皆謂之帶忌也。
沈氏の原文は言います。格局がすでに成した中にまた敗象を暗に藏するのは、必ず忌神を帶びたものです。格局がすでに敗れた中からまた成局に轉じ出るのは、全く救應に頼ります。何を「帶忌」と言うのでしょうか。たとえば正官格に財があって生ずるのにまた傷官に碰うか、官星が透したのにまた人に合されて去られるか、財が旺して官を生ずるのにまた傷官に逢いまた官を合されるか、印格が食神を透して日主の秀を泄すのにまた財星が顯露して印を壞すのに遇うか、七煞を透して印を生じに行くのにまた財星を透して印を去らせて煞だけを残すか、食神格が煞印を帶びるのにまた財に逢って煞を黨するか、七煞が食神に制伏されるのにまた印に逢って食を奪い煞を護るか、傷官が財を生ずるのに財がまた合されて去るか、傷官が印を佩びるのに印がまた財に傷られるか、財格が透すのにまた七煞に遇って盗泄されるか――これらをみな帶忌と言います。
成中之敗,亦變化萬端,此不過其大概也。如財旺生官,美格也,身弱透官,即為破格。傷官見官,為格之忌,透財而地位配置合宜,則傷官生財來生官,反可以解,種種變化,非言說所能盡,在於熟習者之妙悟耳。
徐樂吾の評註は補充します。成格の中に藏す敗象は、變化が千頭萬緒で、上に挙げたのは大概に過ぎません。たとえば「財旺生官」はもともと美格ですが、日主の身が弱く官星がまた透せば、それは破格になります。また「傷官見官」はもともと格局の大忌ですが、もし財星を透し、しかも財と官・傷の四柱中の位置の安排が當を得れば、傷官は財を生じに行き、財がまた官を生じに行き、忌はかえって化解します。この類の變化は言語で言い盡くせるものではなく、全くこの道に熟習した人が自ら妙悟するにあります。
何謂救應?如官逢傷而透印以解之,雜煞而合煞以清之,刑沖而會合以解之;財逢劫而透食以化之,生官以制之,逢煞而食神制煞以生財,或存財而合煞;印逢財而劫財以解之,或合財而存印;食逢梟而就煞以成格,或生財以護食;煞逢食制,印來護煞,而逢財以去印存食;傷官生財透煞而煞逢合;陽刃用官煞帶傷食,而重印以護之;建祿月劫用官,遇傷而傷被合,用財帶煞而煞被合,是謂之救應也。
沈氏の原文は言います。何を「救應」と言うのでしょうか。たとえば官格が傷官に遇えば、印綬を透して傷を制して解救します。官の中に七煞が混じれば、煞を合する法で格局を清純にします。地支に刑衝があれば、會合に頼って化解します。財格が比劫に遇って奪われれば、食神を透して劫の氣を化轉させるか、あるいは官星を生じて比劫を制します。財格が七煞に遇えば、食神で煞を制しさらに財を生身の用に行かせるか、あるいは財を保ちながら煞を合し去ります。印格が財に遇って印を壞されれば、劫財に頼ってその財を奪って解救するか、あるいは財を合し留めて印を保存します。食神が梟神に遇って食を奪われれば、いっそ煞に就いて別に煞格を成すか、あるいは財を生じて食神を護ります。七煞が食神に制伏されるのにまた印が來て煞を護れば、財に逢って印を去り食神を保ちます。傷官が財を生じて七煞を透せば、煞がちょうど合され留まります。陽刃格が官煞で刃を制するのにまた傷食を帶びて官煞を傷れば、重ね重ねの印綬で官煞を護ります。建祿月劫格が官を用いて傷官に遇えば、傷官がちょうど合されます。財を用いて煞を帶びれば、煞がちょうど合されます。およそこれらの種をみな救應と言います。
八字妙用,全在成敗救應,其中權輕權重,甚是活潑。學者從此留心,能於萬變中融以一理,則於命之一道,其庶幾乎!
沈氏の原文はこの篇を収束します。八字推斷の精妙は全く成・敗・救應のこの数層にあり、その孰が軽く孰が重いか、いかに權衡するかは、極めて靈活で多變です。學ぶ者がもしここから留心して用功し、萬千の變化の中で一以貫之の道理を融會できれば、命理という學問に対して、ほぼ登堂入室したと言えるでしょう!
十、用神の變化を論ず
用神既主月令矣,然月令所藏不一,而用神遂有變化。如十二支中,除子午卯酉外,餘皆有藏,不必四庫也。即以寅論,甲為本主,如郡之有府,丙其長生,如郡之有同知,戊亦長生,如郡之有通判;假使寅月為提,不透甲而透丙,則如知府不臨郡,而同知得以作主。此變化之由也。故若丁生亥月,本為正官,支全卯未,則化為印。己生申月,本屬傷官。藏庚透壬,則化為財。凡此之類皆用神之變化也。
沈氏の原文は言います。用神は月令を主とする以上、月令の地支に藏する人元は往々にして一つに止まらないので、用神はこれによって變化を生じます。十二地支の中、子・午・卯・酉が單氣であるほか、残りの各支にはみな幾人元かが藏され、辰戌丑未の四墓庫に限りません。寅を例に取れば、甲木はその本氣の主で、一郡に知府があるようなものです。丙火は寅に長生し、郡に同知があるようなものです。戊土も寅に長生し、郡に通判があるようなものです。もし寅月を提綱として、天干が甲を透さず丙を透せば、知府が到任せず同知が主となるようなものです。これが用神變化の由來です。だから丁火が亥月に生まれる場合、亥中の壬水はもともと正官ですが、地支に卯未が齊って木局を會成すれば、官は印に化します。己土が申月に生まれる場合、申中の庚金はもともと傷官ですが、庚金が藏して壬水が透せば、傷官は財に化します。およそこの類はみな用神の變化です。
變之而善,其格愈美;變之不善,其格遂壞。何謂變之而善?如辛生寅月,逢丙而化財為官;壬生戌月逢辛而化煞為印。癸生寅月,不專以煞論。此二者以透出而變化者也。
沈氏の原文は言います。變化が良ければ格局はいっそう精美となり、變化が悪ければ格局はこれによって敗壞します。何を變化が良いと言うのでしょうか。たとえば辛金が寅月に生まれ、寅中の甲木はもともと辛の正財ですが、寅中の丙火が長生して丙が一たび透すれば辛の正官となり、ここに「財を化して官と為す」。壬水が戌月に生まれ、戌中の戊土はもともと壬の七煞ですが、戌中の辛金が一たび透せば、煞は轉じて印となり、ここに「煞を化して印と為す」。また癸水が寅月に生まれ、寅中の戊土はもともと癸の正官、丙火は財、甲木は傷ですが、專ら煞で論ずることはできません(底本のこの句は文字がやや脱誤)。以上のものはみな、地支に藏する神が天干に透して變化を生じたものです。
癸生寅月,月令傷官秉令,藏甲透丙,會午會戌,則寅午戌三合,傷化為財;加以丙火透出,完全作為財論,即使不透丙而透戊土,亦作財旺生官論。蓋寅午戌三合變化在前,不作傷官見官論也。乙生寅月,月劫秉令,會午會戌,則劫化為食傷,透戊則為食傷生財,不作比劫爭財論。此二者因會合而變化者。因變化而忌化為喜,為變之善者。
評註は上に承けて、會合によって生じる變化を申し述べます。癸水が寅月に生まれ、寅中の甲木は傷官が當令して、甲が藏して丙が透し、地支がまた午と會し戌と會すれば、寅午戌が三合して火局を成し、傷官は財に化します。さらに丙火が干に透せば、完全に財格として論じます。たとえ丙が透さず戊土が透しても、「財旺生官」と見なします。寅午戌の三合の變化が先だから、もはや「傷官見官」では論じません。また乙木が寅月に生まれ、寅中の甲木は月劫が當令して、地支が午と會し戌と會して火局を成せば、劫財は食神傷官に化します。さらに戊土を透せば食傷生財となり、もはや「比劫爭財」では論じません。この二例はみな會合によって生じた變化です。この種の變化により、もともとの忌神が轉じて喜神となる、これがいわゆる「變之善者」です。
何謂變之而不善?如丙生寅月,本為印綬,甲不透干而會午會戌,則化為劫。丙生申月,本屬偏財,藏庚透壬,會子會辰,則化為煞。如此之類亦多,皆變之不善者也。
沈氏の原文は言います。何を變化が良くないと言うのでしょうか。たとえば丙火が寅月に生まれ、寅中の甲木はもともと丙の印綬ですが、甲が干に透さず、地支がかえって午と會し戌と會して火局を合成すれば、印は劫財に化し、日主はすでに旺なのにさらに旺します。また丙火が申月に生まれ、申中の庚金はもともと丙の偏財ですが、庚が藏して壬水が透し、地支がまた子と會し辰と會して水局を合成すれば、財は七煞に化し、かえって身を攻めます。この類の例も多く、いずれも變化が良くないものに屬します。
又有變之而不失本格者。如辛生寅月,透丙化官,而又透甲,格成正財,正官乃其兼格也。乙生申月,透壬化印,而又透戊,則財能生官,印逢財而退位,雖通月令,格成傷官,戊官忌見。丙生寅月,午戌會劫,而又或透甲,或透壬,則仍為印而格不破。丙生申月,逢壬化煞,而又透戊,則食神能制煞生財,仍為財格,不失富貴。如此之類甚多,是皆變而不失本格者也。是故八字非用神不立,用神非變化不靈,善觀命者,必於此細詳之。
沈氏の原文は言います。また一つ、變化は起きても本格を失わないものがあります。たとえば辛金が寅月に生まれ、丙を透して財を化して官と為しても、甲木もまた透し出れば、格局は依然として正財を成し、正官はただその兼格に過ぎません。また乙木が申月に生まれ、壬を透して官を化して印と為しても、戊土もまた透し出れば、戊財は申中の庚官を生じに行け、印は財に遇えばその次に退きます。申中の庚金は乙に対して正官ですが、乙の傷官丙火が勢を得れば格は傷官を成し、このとき戊土の生ずる官星は忌んで見るべきものです(底本のこの段は文字に訛脱あり、大意はこの通り)。また丙火が寅月に生まれ、地支の午戌が會して火局を成して印を化して劫としても、もし別に甲木または壬水を透せば、依然として印格と算して格は破れません。また丙火が申月に生まれ、壬に逢って財を化して煞としても、もしさらに戊土を透せば、食神は煞を制しまた財を生じえて、依然として財格と算し、富貴を失いません。この類の例は多く、いずれも變化しても本格を失わないものです。だから言います、八字は用神なくして立たず、用神は變化を知らなければ靈活でない、と。善く命を看る者は、必ずここに細かく推詳しなければなりません。
十一、用神の純雜を論ず
用神既有變化,則變化之中,遂分純、雜。純者吉,雜者凶。何謂純?互用而兩相得者是也。如辛生寅月,甲丙並透,財與官相生,兩相得也。戊生申月,庚壬並透,財與食相生,兩相得也。癸生未月,乙己並透,煞與食相剋,相剋而得其當,亦兩相得也。如此之類,皆用神之純者。
沈氏の原文は言います。用神に變化がある以上、變化の中に「純」と「雜」の分かれがあります。純なれば吉、雜なれば凶です。何を純と言うのでしょうか。二つの神が交互に用を為して互いに相投相得するものが純です。たとえば辛金が寅月に生まれ、寅中の甲木と丙火が併せて透し、甲は財・丙は官で、財が官を生じえて両者が相得します。また戊土が申月に生まれ、申中の庚金と壬水が併せて透し、壬は財・庚は食神で、食神が財を生じえて両者が相得します。また癸水が未月に生まれ、未中の乙木と己土が併せて透し、己は七煞・乙は食神で、食神が煞を剋し、剋するところを得れば、これも両者が相得と算します。この類はみな用神が純粹です。
何謂雜?互用而兩不相謀者是也。如壬生未月,乙己並透,官與傷相剋,兩不相謀也。甲生辰月,戊壬並透,印與財相剋,亦兩不相謀也。如此之類,皆用之雜者也。純雜之理,不出變化,分而疏之,其理愈明,學命者不可不知也。
沈氏の原文は言います。何を雜と言うのでしょうか。二つの神が交互に用を為すが各々その是を行い互いに相謀らないものが雜です。たとえば壬水が未月に生まれ、未中の乙木と己土が併せて透し、己は正官・乙は傷官で、傷官がひたすら官星を剋しに行けば、両者は相謀りません。また甲木が辰月に生まれ、辰中の戊土と癸水(ここで壬が透しても同じ)が併せて透し、水は印・土は財で、財がひたすら印を壞しに行けば、両者もまた相謀りません。この類はみな用神が駁雜です。純と雜の道理は、結局はなお「變化」の上から來ます。それを分けて疏解すれば道理はいっそう分明です。命を學ぶ者は知らないではいられません。
十二、用神格局の高低を論ず
八字既有用神,必有格局,有格局必有高低,財官印食煞傷劫刃,何格無貴?何格無賤?由極貴而至極賤,萬有不齊,其變千狀,豈可言傳?然其理之大綱,亦在有情無情、有力無力之間而已。
沈氏の原文は言います。八字に用神があれば必ず格局があり、格局があれば必ず高低の分があります。財・官・印・食・煞・傷・劫・刃という八種の格のうち、どの格に貴人が出なかったことがありましょうか。どの格に賤命が出なかったことがありましょうか。極貴から極賤に至るまで、參差萬狀・變化千端であって、言語で一々言い盡くせるものでありましょうか。ただその道理の大綱は、「有情無情」「有力無力」というこの二言の間に過ぎません。
如正官佩印,不如透財,而四柱帶傷,反推佩印。故甲透酉官,透丁合壬,是謂合傷存官,遂成貴格,以其有情也。財忌比劫,而與煞作合,劫反為用。故甲生辰月,透戊成格,遇乙為劫,逢庚為煞,二者相合,皆得其用,遂成貴格,亦以其有情也。
沈氏の原文は「有情」の例を挙げます。一般に正官格は印を佩びるより財を透すほうが良いとしますが、もし四柱に傷官を帶びれば、かえって印を佩びるのを推重します。だから甲木は酉中の辛金を官として、命に丁火の傷官を透し、また壬水があって丁を合し留めれば、これを「合傷存官」と言い、ここに貴格を成します――この一合が有情に來るからです。また財格は比肩劫財が來て奪うのを最も恐れますが、劫財が偏に七煞と相合すれば、劫はかえって用いられる物となります。だから甲木が辰月に生まれ、戊土を透して財格を成し、乙木に遇えば劫財、庚金に逢えば七煞で、乙庚が一合すれば、忌神が二つ二つ牽制して各々が用に立つ、ここに貴格を成します――これもまた合が有情だからです。
身強煞露而食神又旺,如乙生酉月,辛金透,丁火剛,秋木盛,三者皆備,極等之貴,以其有力也。官強財透,身逢祿刃,如丙生子月,癸水透,庚金露,而坐寅午,三者皆均,遂成大貴,亦以其有力也。
沈氏の原文は「有力」の例を挙げます。日主の身が強く、七煞が透して、食神がまた旺します。たとえば乙木が酉月に生まれ、辛金の七煞が透し、丁火の食神が剛健で、秋の乙木自身もまた比印の助を得て盛んで、煞・食・身の三者が具備すれば、これは極品の貴命です――三者が皆有力だからです。また官星が強く財星が透し、日主自身がまた祿に坐し刃に坐します。たとえば丙火が子月に生まれ、癸水の正官が透し、庚金の財星が顯露し、日支・時支に寅木と午火が坐れば、官・財・身の三者の力が均衡して、ここに大貴を成します――これもまた有力だからです。
又有有情而兼有力,有力而兼有情者。如甲用酉官,壬合丁以清官,而壬水根深,是有情而兼有力者也。乙用酉煞,辛逢丁制,而辛之祿即丁之長生,同根月令,是有力而兼有情者也。是皆格之最高者也。
沈氏の原文は言います。また有情でかつ有力、有力でかつ有情のものがあります。たとえば甲木が酉中の辛金を官と用い、壬水が丁火の傷官を合し留めて官星を清純にし、この壬水自身がまた根深く力があれば、これは有情にして兼ねて有力です。また乙木が酉中の辛金を煞と用い、辛煞が丁火の食神に制され、辛金の祿が酉にあり丁火の長生もまた酉にあり、両者がともに月令に根を生すれば、これは有力にして兼ねて有情です。およそこれらはみな格局中の最高の一等に屬します。
如甲用酉官,透丁逢癸,癸克不如壬合,是有情而非情之至。乙逢酉逢煞,透丁以制,而或煞強而丁稍弱,丁旺而煞不昂,又或辛丁並旺而乙根不甚深,是有力而非力之全,格之高而次者也。
沈氏の原文は続けて言います。たとえば甲木が酉官を用い、丁火の傷官を透して癸水でそれを剋する場合、剋を用いるより壬水で合するほうが潔いですが、これを有情であるが情の至ではないと言います。また乙木が酉月に生まれて七煞に遇い、丁火を透して煞を制するが、あるいは煞が強く丁がやや弱いか、あるいは丁が旺で煞が昂揚に足りないか、あるいは辛煞と丁食がともに旺なのに乙木自身の根が深く足りないか――これを有力であるが力の全ではないと言います。この類は格局は高いが次の一等のものです。
至如印用七煞,本為貴格,而身強印旺,透煞孤貧,蓋身旺不勞印生,印旺何勞煞助?偏之又偏,以其無情也。傷官佩印,本秀而貴,而身主甚旺,傷官甚淺,印又太重,不貴不秀,蓋欲助身則身強,制傷則傷淺,要此重印何用?是亦無情也。又如煞強食旺而身無根,身強比重而財無氣,或夭或貧,以其無力也。是皆格之低而無用者也。然其中高低之故,變化甚微,或一字而有千鈞之力,或半字而敗全局之美,隨時觀理,難以擬議,此特大略而已。
沈氏の原文はさらに反面の例を挙げます。印格が七煞を用いて印を生ずるのは、もともと貴格ですが、日主がすでに身強で印もまたすでに旺なのに、さらに七煞を透せば、かえって孤苦貧寒となります。身旺なら印に生じてもらう必要がなく、印旺なら煞に助けてもらう必要がないからです。これは偏に偏を重ねるので、無情と言います。また傷官が印を佩びるのは、もともと秀でかつ貴ですが、日主が非常に旺し傷官はとても浅く印がまた重すぎれば、貴にも秀にもなりません。印で身を助けようとすれば身はもともとすでに強く、印で傷を制しようとすれば傷はもともとすでに浅い――これほど重い印を何に用いるのでしょうか。これもまた無情です。また七煞が強く食神が旺なのに日主に毫も根氣がないか、あるいは日主が身強で比劫がまた重いのに財星に毫も氣勢がなければ、夭折するか貧困するかです。これは無力だからです。これらはみな格局が低下して用いる所がないものです。しかしその中の高低の縁由は、變化が極めて細微です。ある字が千鈞の力を持つときもあれば、半字が全局の美を敗すときもあり、ただ時に隨い局に就いて理を觀るだけで、豫め擬定するのは難しく、上に講じたのは大略に過ぎません。
十三、用神の成により敗を得、敗により成を得るを論ず
八字之中,變化不一,遂分成敗;而成敗之中,又變化不測,遂有因成得敗,因敗得成之奇。是故化傷為財,格之成也,然辛生亥月,透丁為用,卯未會財,乃以黨煞,因成得敗矣。印用七煞,格之成也,然癸生申月,秋金重重,略帶財以損太過,逢煞則煞印忌財,因成得敗也。如此之類,不可勝數,皆因成得敗之例也。
沈氏の原文は言います。八字の中は變化が一様でないので、成と敗があります。そして成敗の中にも變化が測れないので、「因成得敗」「因敗得成」という奇局が現れます。たとえば傷官を化して財とするのは、もともと格局の成ですが、辛金が亥月に生まれ、亥中の壬水が傷官で、天干に丁火を透して七煞として取用し、地支にさらに卯未があって會して木局を成せば、木の財が一成してかえって丁煞を黨助して身を攻めに行く――これが因成得敗です。また印格が七煞で印を生ずるのは、もともと格局の成ですが、癸水が申月に生まれ、秋の金が重ね重ねで印が多すぎるとき、もともと財をやや帶びてその太過を損ずべきところ、一旦また七煞に逢えば、煞印相生の格局は財が來て印を壞すのを最も忌み、財と煞は両々相容れません――これも因成得敗です。この類の例は數え切れず、みな因成得敗の様子です。
官印逢傷,格之敗也,然辛生戊月,年丙時壬,壬不能越戊克丙,而反能洩身為秀,是因敗得成矣。煞刃逢食,格之敗也,然庚生酉月,年丙月丁,時上逢壬,則食神合官留煞,而官煞不雜,煞刃局清,是因敗得成矣。如此之類,亦不可勝數,皆因敗得成之例也。
沈氏の原文は言います。反対に、官印格が傷官に遇うのは、もともと格局の敗ですが、辛金が戌月に生まれれば(底本の「戊月」は「戌月」の誤り)、年干の丙火は官、時干の壬水は傷官で、中間に月干の戊土が隔たり、壬水は戊土を越えて丙火を剋に行けず、かえって辛金の身を泄して秀氣を成します――これが因敗得成です。また煞刃格が食神に遇うのは、もともと格局の敗ですが、庚金が酉月に生まれて羊刃に坐し、年干の丙火は七煞、月干の丁火は正官で官煞が混雜し、時上にまた壬水の食神に逢えば、壬と丁が合して官を合し去らせて煞を留め、官煞はもはや混雜せず、煞刃格はかえって清純となります――これも因敗得成です。この類の例も同じく數え切れず、みな因敗得成の様子です。
其間奇奇怪怪,變幼無窮,惟以理權衡之,隨在觀理,因時運化,由他奇奇怪怪,自有一種至當不易不論。觀命者毋眩而無主、執而不化也。
沈氏の原文は収束します。この中は奇怪で變幻が窮まりません(底本の「變幼」は「變幻」の誤り)。ただ道理をもってそれを權衡し、隨處に局に就いて理を看、時令と運勢に隨って變通するのみです。それがいくら奇怪であっても、自然に一つの最も恰當で移易できない定論があります(底本の「不易不論」は「不易之論」の誤り)。命を看る者は、これらの手品に目を眩まされて心中に主を失ってはならず、また一つの法を死んだように執して變通を知らないでもあってはなりません。
十四、用神に氣候を配する得失を論ず
論命惟以月令用神為主,然亦須配氣候而互參之。譬如英雄豪傑,生得其時,自然事半功倍;遭時不順,雖有奇才,成功不易。是以印綬遇官,此謂官印雙全,無人不貴。而冬木逢水,雖透官星,亦難必貴,蓋金寒而水益凍,凍水不能生木,其理然也。身印兩旺,透食則貴,凡印格皆然。而用之冬木,尤為秀氣,以冬木逢火,不惟可以洩身,而即可以調候也。
沈氏の原文は言います。命を論ずるには月令の用神を主としますが、必ず氣候を併せ配して參看しなければなりません。たとえば英雄豪傑も、その時に生を逢えば自然に事半而功倍ですが、時勢が順でなければ、たとえ奇才があっても成功は難しいです。だから印綬格が官星に遇えば「官印雙全」と言って貴でないものはありませんが、冬の木は水を印とし、金を透して官星としても、必ずしも貴とはなりません。金は冬に本來寒冷で、かえって水をいっそう氷凍させ、凍った水は木を生じられない、道理はここにあります。また身と印が両旺して食神を透せば貴を主とし、およそ印格はみなこのようですが、冬の木に用いればとりわけ秀氣が顯れます。冬の木が火に逢えば、日主の秀を泄せるだけでなく、同時に寒暖の候を調和できるからです。
傷官見官,為禍百端,而金水見之,反為秀氣。非官之不畏夫傷,而調候為急,權而用之也。傷官帶煞,隨時可用,而用之冬金,其秀百倍。傷官佩印,隨時可用,而用之夏木,其秀百倍,火濟水,水濟火也。
沈氏の原文は言います。傷官が官星を見れば、例によって禍患が百出ですが、金水傷官は官星を見てかえって秀氣を成します。これは官星が傷官を恐れないというのではなく、冬月の金水があまりに寒くて調候がいっそう切迫するので、軽重を權衡してそれを用いるしかないからです。また傷官が七煞を帶びるのは、いつ用いても用に立ちますが、冬の金に用いれば、秀氣が百倍も勝ります。傷官が印を佩びるのも、いつ用いても用に立ちますが、夏の木に用いれば、秀氣が同じく百倍も勝ります――これこそ火が來て水を救い、水が來て火を救う道理です。
傷官用財,本為貴格,而用之冬水,即使小富,亦多不貴,凍水不能生木也。傷官用財,即為秀氣,而用之夏木,貴而不甚秀,燥土不甚靈秀也。
沈氏の原文は言います。傷官が財を用いるのは、もともと貴格ですが、冬の水日主に用いれば、木が傷、火が財となり、たとえ小さく富厚があっても大半は貴ではありません。氷凍した水は木を生じられず、傷官が力なく自然に財を生じ起こせないからです。傷官が財を用いること自体が秀氣ですが、夏の木日主に用いれば、火が傷、土が財となり、貴ではあってもあまり秀とは言えません。夏月は火が炎し土が燥して、燥土自身があまり靈秀でないからです。
春木逢火,則為木為通明,而夏木不作此論;秋金遇水,則為金水相涵,而冬金不作此論。氣有衰旺,取用不同也。春木逢火,木火通明,不利見官;而秋金遇水,金水相涵,見官無礙。假如庚生申月,而支中或子或辰,會成水局,天干透丁,以為官星,只要壬癸不透露干頭,便為貴格,與食神傷官喜見官之說同論,亦調候之道也。
沈氏の原文は言います。春の木が火に遇えば「木火通明」と言い(底本の「則為木為通明」は「則為木火通明」の誤り)、夏の木はこのようには論じません。秋の金が水に遇えば「金水相涵」と言い、冬の金もこのようには論じません。氣に衰があり旺があるので、取用は自ずから異なります。春木が火に逢って木火通明を成せば、さらに官星が來て身を剋するのを宜としませんが、秋金が水に遇って金水相涵を成せば、官星を見ても妨げがありません。たとえば庚金が申月に生まれ、地支に子または辰があって會して水局を成し、天干に丁火を透して官星とすれば、壬水・癸水が天干に透して丁を傷らなければ貴格です――これは「食神傷官は官を見るを喜ぶ」という説と同じ道理で、調候の路数に屬します。
食神雖逢正印,亦謂奪食,而夏木火盛,輕用之亦秀而貴,與木火傷官喜見水同論,亦調候之謂也。此類甚多,不能悉述,在學者引伸觸類,神而明之而已。
沈氏の原文は言います。食神はたとえ正印に碰っても「奪食」と算しますが、夏の木は火氣が盛んすぎるので、やや印を用いて潤澤すれば、かえって秀でかつ貴です。これは「木火傷官は水を見るを喜ぶ」という説と同じ道理で、同じく調候の意です。この類の情形は多く、一々言い盡くせず、全く學者が自ら一を挙げて三を返し、類に觸れて傍通し、融會貫通して心に領り神に會するだけです。
十五、相神の緊要を論ず
月令既得用神,則別位亦必有相,若君之有相,輔者是也。如官逢財生,則官為用,財為相;財旺生官,則財為用,官為相;煞逢食制,則煞為用,食為相。然此乃一定之法,非通變之妙。要而言之,凡全局之格,賴此一字而成者,均謂之相也。
沈氏の原文は言います。月令にすでに用神を取り定めれば、他の位置上にも必ず一つの「相神」があって、たとえば君主の下に宰相があるように、用神を輔佐するものです。たとえば官星が財の生ずるを得れば、官は用神、財は相神です。財が旺して官を生じえれば、財は用神、官は相神です。七煞が食神の制伏を得れば、煞は用神、食神は相神です。ただしこれは死んだ例示であって、まだ通權達變の妙味には及びません。扼要して言えば、全局の格局が全くある一文字に頼って成立するなら、その字を相神と言います。
傷用神甚於傷身,傷相甚於傷用。如甲用酉官,透丁逢壬,則合傷存官以成格者,全賴壬之相;戊用子財,透甲並己,則合煞存財以成格者,全賴己之相;乙用酉煞,年丁月癸,時上逢戊,則合去癸印以使丁得制煞者,全賴戊之相。
沈氏の原文は言います。用神を傷るのは日主を傷るよりも甚だしく、相神を傷るのは用神を傷るよりもさらに甚だしいです。たとえば甲木が酉中の辛金を官と用い、天干に丁火の傷官を透してまた壬水に逢えば、傷官を合し去り官星を保って格を成せるのは、全く壬水という相神に頼ります。戊土が子中の癸水を財と用い、天干に甲木の七煞を透してまた己土が併列すれば、七煞を合し去り財星を保って格を成せるのは、全く己土という相神に頼ります。乙木が酉中の辛金を煞と用い、年干は丁火の食神、月干は癸水の偏印で、癸は丁を剋して煞を制なしとしようとするとき、時上にちょうど戊土があって癸印を合し去り丁火に煞を制させえれば、全く戊土という相神に頼ります。
癸生亥月,透丙為財,財逢月劫,而卯未來會,則化水為木而轉劫以生財者,全賴於卯未之相。庚生申月,透癸洩氣,不通月令而金氣不甚靈,子辰會局,則化金為水而成金水相涵者,全賴於子辰之相。如此之類,皆相神之緊要也。
沈氏の原文はさらに二例を挙げます。癸水が亥月に生まれ、天干に丙火を透して財としますが、亥中の壬水は月劫で、まさに財を奪おうとします。このとき地支に卯と未があって亥と會して木局を成せば、水を化して木とし、劫財は轉じて財を生じに行きます。これは全く卯未という二つの相神に頼ります。また庚金が申月に生まれ、天干に癸水を透して秀を泄しますが、癸水が月令の根に通じなければ、金の氣は靈秀を顯しません。このとき地支に子と辰があって申と會して水局を成せば、金を化して水とし、「金水相涵」を成就します。これは全く子辰という二つの相神に頼ります。この類はすべて相神の緊要が見えます。
相神無破,貴格已成;相神相傷,立敗其格。如甲用酉官,透丁逢癸印,制傷以護官矣,而又逢戊,癸合戊而不制丁,癸水之相傷矣;丁用酉財,透癸逢己,食制煞以生財矣,而又透甲,己合甲而不制癸,己土之相傷矣。是皆有情而化無情,有用而成無用之格也。凡八字排定,必有一種議論,一種作用,一種棄取,隨地換形,難以虛擬,學命者其可忽諸?
沈氏の原文は言います。相神が破られなければ貴格はすでに成立し、相神が一旦傷られれば格局はただちに敗れます。たとえば甲木が酉官を用い、丁火の傷官を透して癸水の印綬があれば、もともと傷官を制し官星を護っていたのに、偏にまた一つの戊土に逢い、癸水は戊土と相合して行き、丁を制する手が空かなくなります――これは癸水という相神が傷られたものです。また丁火が酉中の辛金を財と用い、天干に癸水の七煞を透して己土の食神があれば、もともと煞を制して財を生じていたのに、偏にまた一つの甲木を透し、己土は甲木と相合して行き、癸を制する手が空かなくなります――これは己土という相神が傷られたものです。これらはみなもともと有情だったのがかえって無情になり、もともと有用だったのがかえって無用になった格局です。およそ一つの八字が排定されれば、必ず一套の議論・一種の作用・一番の取捨があり、局面の異なるに隨って形態もそれぞれ異なり、空から擬想できません。命を學ぶ者はどうして相神を忽せにできましょうか?
十六、雜氣はいかに取用するかを論ず
四墓者,雜氣也,何以謂之雜氣?以其所藏者多,用神不一,故謂之雜氣也。如辰本藏戊,而又為水庫,為乙餘氣,三者俱有,於何取用?然而甚易也,透干會取其清者用之,雜而不雜也。何謂透干?如甲生辰月,透戊則用偏財,透癸則用正印,透乙則用月劫是也。何謂會支?如甲生辰月,逢申與子會局,則用水印是也。一透則一用,兼透則兼用,透而又會,則透與會並用。其合而有情者吉,其合而無情者則不吉。
沈氏の原文は言います。辰・戌・丑・未という四つの墓庫を「雜氣」と言います。なぜ雜氣と言うのでしょうか。それらの中に藏する人元が多く、取れる用神が一つに止まらないので、雜氣と稱します。たとえば辰は、本氣に戊土を藏し、同時に水の墓庫であり、また乙木の余氣でもあり、三様が具わっていて、一体どれを取って用とすべきでしょうか。実はとても簡単です。天干に何が透し、地支に何の局を會成するかを見て、その中で最も清純な一つを取って用いれば、雜に見えて実は雜ではありません。何を「透干」と言うのでしょうか。たとえば甲木が辰月に生まれ、戊土を透せば偏財を用い、癸水を透せば正印を用い、乙木を透せば月劫を用います。何を「會支」と言うのでしょうか。たとえば甲木が辰月に生まれ、地支にさらに申と子に逢って會して水局を成せば、水を印として用います。一つ透せば一つを用い、二つとも透せば二つを兼ねて用います。透干があり會支もあれば、透と會を併せて用います。それらが配合して有情なら吉、配合して無情なら不吉です。
何謂有情?順而相成者是也。如甲生辰月,透癸為印,而又會子會申以成局,印綬之格,清而不雜,是透干與會支,合而有情也。又如丙生辰月,透癸為官,而又逢乙以為印,官與印相生,而印又能去辰中暗土以清官,是兩干並透,合而情也。又如甲生丑月,辛透為官,或巳酉會成金局,而又透己財以生官,是兩干並透,與會支合而有情也。
沈氏の原文は言います。何を有情と言うのでしょうか。互いに順承して相成就するものが有情です。たとえば甲木が辰月に生まれ、癸水を透して印とし、地支にまた子と會し申と會して水局を合成すれば、印綬格は清純で雜らず、これは透干と會支の配合が有情です。また丙火が辰月に生まれ、癸水を透して正官とし、同時にまた乙木があって印とすれば、官が印を生じ印が身を生じ、しかも乙木という印はさらに辰中に暗藏する戊土を疏らして官星が土の混濁を受けないようにします。これは两干が併せて透して配合が有情です。また甲木が丑月に生まれ、丑中の辛金が透して官となり、あるいは地支の巳酉が丑と會して金局を成し、同時に己土を透して財として官を生じに行かせれば、これは两干が併せて透してさらに會支を加え、配合して有情です。
何謂無情?逆而相背者是也。如壬生未月,透己為官,而地支會亥卯以成傷官之局,是透官與會支,合而無情者也。又如甲生辰月,透戊為財,又或透壬癸以為印,透癸則戊癸作合,財印兩失,透壬則財印兩傷,又以貪財壞印,是兩干並透,合而無情也。又如甲生戌月,透辛為官,而又透丁以傷官,月支又會寅會午以成傷官之局,是兩干並透,與會支合而無情也。
沈氏の原文は言います。何を無情と言うのでしょうか。互いに相逆し相背離するものが無情です。たとえば壬水が未月に生まれ、己土を透して正官としますが、地支がまた亥卯と會して木局を成し傷官の局となれば、傷官はまさに官を剋しようとします。これは透官と會支の配合が無情です。また甲木が辰月に生まれ、戊土を透して財とし、同時に壬水または癸水を透して印とすれば、癸を透すなら戊と癸が相合して財と印が兩處とも空しく、壬を透すなら財が印を剋し印がまた火土の勢を剋しようとして、財印が兩傷し、なお「貪財壞印」の名を負います。これは两干が併せて透して配合が無情です。また甲木が戌月に生まれ、辛金を透して官とし、同時に丁火の傷官を透して辛を剋しに行かせ、月支がまた寅・午と會して火局を成して傷官を助長すれば、これは两干が併せて透してさらに會支を加え、配合して無情です。
又有有情而卒成無情者,何也?如甲生辰月,逢壬為印,而又逢丙,印綬本喜洩身為秀,似成格矣,而火能生土,似又助辰中之戊,印格不清,是必壬干透而支又會申會子,則透丙亦無所礙。又有甲生辰月,透壬為印,雖不露丙而支逢戌位,戌與辰沖,二者為月沖而土動,干頭之壬難通月令,印格不成,是皆有情而卒無情,富而不貴者也。
沈氏の原文は言います。また本来有情だったのに結果的に無情となるものがあるのはなぜでしょうか。たとえば甲木が辰月に生まれ、壬水に逢って印とし、同時に丙火の食神に逢えば、印格はもともと食傷が身を泄して秀となるのを喜ぶので、格を成したように見えますが、火は土を生じえて、丙火はかえって辰中の戊土を助長し、土が旺すれば水を剋しに來て、印格は清純でなくなります。この情形は、必ず壬水が天干に透して地支がまた申と會し子と會して水局を成し、印の根が深厚であれば、さらに丙火を透しても妨げはありません。また甲木が辰月に生まれ、壬を透して印とし、丙火を露さなくても、地支が一つの戌に逢えば、戌と辰が相衝して月支が衝されて土が動き、天干の壬水は月令の根に通じ難く、印格も立ちません。これらはみな本来有情だったのに終わりは無情で、富にはなれても貴にはなれない命です。
又有無情而終有情者,何也?如癸生辰月,透戊為官,又有會申會子以成水局,透干與會支相剋矣。然所克者乃是劫財,譬如月劫用官,何傷之有?又如丙生辰月,透戊為食,而又透壬為煞,是兩干並透,而相剋也。然所克者乃是偏官,譬如食神帶煞,煞逢食制,二者皆是美格,其局愈貴。是皆無情而終為有情也。
沈氏の原文は言います。また本来無情だったのに結果的に有情となるものがあるのはなぜでしょうか。たとえば癸水が辰月に生まれ、戊土を透して正官とし、地支がまた申と會し子と會して水局を合成すれば、透干の土と會支の水はちょうど相剋します。しかし土に剋されるのは水局の劫財なので、これは月劫格が官星を用いて劫を制するようなもので、何の妨害がありましょうか。また丙火が辰月に生まれ、戊土を透して食神とし、同時に壬水を透して七煞とすれば、两干が併せて透して水火が相剋します。しかし食神に剋されるのは偏官なので、これは食神が煞を帶びて煞が食神の制伏を得るようなもので、两者とも美格であり、局面はかえっていっそう貴となります。これらはみな本来無情だったのに終わりは有情となったものです。
十七、墓庫刑衝の說を論ず
辰戌丑未,最喜刑沖,財官入庫不沖不發——此說雖俗書盛稱之,然子平先生造命,無是說也。夫雜氣透干會支,豈不甚美?又何勞刑沖乎?假如甲生辰月,戊土透豈非偏財?申子會豈非印綬?若戊土不透,即辰戌相沖,財格猶不甚清也。至於透壬為印,辰戌相沖,將以累印,謂之沖開印庫可乎?
沈氏の原文は言います。「辰戌丑未は刑衝を最も喜び、財官が墓庫に入れば衝しなければ發せない」――この説は俗書に到處傳誦されていますが、子平先生が法を立てて命を論ずるに、この一条はありません。雜氣の月令は天干に透があり地支に會があれば、それだけで十分に美しいのではないでしょうか。何の勞して刑し衝する必要がありましょう。たとえば甲木が辰月に生まれ、戊土が一たび透せば、それは偏財格ではありませんか。申子が一たび會すれば、それは印綬格ではありませんか。もし戊土が透しなければ、たとえ辰戌が相衝して庫を衝き開いても、財格は依然として清純とは算されません。壬水を透して印とするに至っては、一旦辰戌が相衝すれば、土が動いてかえって印星を累わせます。なおこれを「印庫を衝き開いた」と言えましょうか?
況四庫之中,雖五行俱有,而終以土為主。土沖則靈,金木水火,豈取勝以四庫之沖而動乎?故財官屬土,沖則庫啟,如甲用戊財而辰戌沖,壬用己官而丑未沖之類是也。然終以戊己干頭為清用,干既透,即不沖而亦得也。至於財官為水,沖則反累,如己生辰月,壬透為財,戌沖則劫動,何益之有?丁生辰月,透壬為官,戌沖則傷官,豈能無害?其可謂之逢沖而壬水之財庫官庫開乎?
沈氏の原文は言います。何况四墓庫の中は五行が俱備していても、結局は土を本氣の主とします。土が衝されてはじめて靈動を顯すのであって、金木水火という寄藏の物が、四庫の相衝によって動き出せるでありましょうか。だから、もし取った財官がちょうど土であるなら、一衝して確かに庫を啓開できます――たとえば甲木が戊土を財として辰戌が相衝し、壬水が己土を官として丑未が相衝する類です。しかし結局のところ、戊己が天干に透して取用するのが最も清純です。天干がすでに透していれば、衝しなくても照樣に用いられます。取った財官が水であるに至っては、一衝すればかえって累を受けます。たとえば己土が辰月に生まれ、壬水を透して財とし、戌が來て辰を衝せば、辰中の戊土という劫財が衝動されて水を剋しに行き、財に何の好處がありましょうか。また丁火が辰月に生まれ、壬を透して官とし、戌が來て辰を衝せば、辰中の乙木傷官が衝動されて官を剋しに行き、どうして害がないでありましょうか。なおこれを衝に逢えば壬水の財庫・官庫を打開したと言えましょうか?
今人不知此理,甚有以出庫為投庫。如丁生辰月,壬官透干,不以為庫內之壬,干頭透出,而反為干頭之壬,逢辰入庫,求戌以沖土,不顧其官之傷。更有可笑者,月令本非四墓,別有用神,年月日時中一帶四墓,便求刑沖;日臨四庫不以為身坐庫根,而以為身主入庫,求沖以解。種種謬論,令人掩耳。
沈氏の原文は批評します。今の人はこの道理を知らず、甚だしくは「出庫」を「投庫」としています。たとえば丁火が辰月に生まれ、壬水の官星がすでに天干に透していれば、もともと庫中の壬水がすでに透し出たと見るべきなのに、彼は偏に反對して天干の壬水が辰に碰えば庫に入ったと言い、そこで一味に戌を尋ねて土を衝して庫を開こうとし、この一衝がかえって官星を傷るのを全く顧みません。さらに可笑しいのは、月令がもともと四墓でなく別に用神があるのに、ただ年月日時の中に一つの墓庫を帶びているが故に、必ず刑を求め衝を求めます。日支が四庫に坐していれば、日主が庫根に坐しているとは言わず、かえって身主が墓に入ったと言って、必ず衝き開かなければ解救としません。この種々の謬論は、実に聞くに堪えません。
然亦有逢沖而發者,何也?如官最忌沖,而癸生辰月,透戊為官,與戌相沖,不見破格,四庫喜沖,不為不足。卻不知子午卯酉之類,二者相仇,乃沖剋之沖,而四墓土自為沖,乃沖動之沖,非沖剋之沖也。然既以土為官,何害於事乎?是故四墓不忌刑沖,刑沖未必成格。其理甚明,人自不察耳。
沈氏の原文は言います。しかし確かに衝に逢ってかえって發達するものもあるのはなぜでしょうか。官星は衝されるのを最も忌みますが、癸水が辰月に生まれ、戊土を透して官とし、辰と戌が相衝しても破格を見ないので、そこで「四庫は衝を喜ぶ」という言葉も必ずしも間違いではないと言う人がいます。しかし子午・卯酉という類の相衝は、两者が互いに仇剋し合う「衝剋之衝」に屬し、四墓は同じく土に屬して、彼此が相衝するのはただ土を衝き動かすだけで、「衝動之衝」に屬し、衝剋の衝ではないことを知りません。すでにもともと土を官としているのに、土が衝動しても官星に何の妨害がありましょうか。だから言います、四墓は刑衝を忌まないが、刑衝が必ずしも格を成すとも限らない、と。この道理はもともとよく明白ですが、ただ人々が自ら細かく察しないだけです。
十八、四吉神が格を破りうるを論ず
財官印食,四吉神也,然用之不當,亦能破格。如食神帶煞,透財為害,財能破格也;春木火旺,見官則忌,官能破格也;煞逢食制,透印無功,印能破格也;財旺生官,露食則雜,食能破格也。
沈氏の原文は言います。財・官・印・食という四種は吉神ですが、用い方が當を失すれば、同じく格局を破りえます。たとえば食神格が七煞を帶び、もともと食神で煞を制するのに頼るのに、このとき財を透せば、財は行って七煞を黨助し、財が破格の物となります。また春の木が火に遇って旺して木火通明の秀を成すとき、さらに官星が來て身を剋し秀を奪うのを最も忌み、官が破格の物となります。また七煞がすでに食神の制伏を得たのに、さらに印綬を透して食を奪い煞を護れば、煞を制する功が廢れ、印が破格の物となります。また財が旺して官を生ずるのはもともと好格ですが、偏にまた食神を露して官を剋せば、格局が駁雜となり、食神が破格の物となります。
十九、四凶神が格を成しうるを論ず
煞傷梟刃,四凶神也,然施之得宜,亦能成格。如印綬根輕,透煞為助,煞能成格也。財逢比劫,傷官可解,傷能成格也。食神帶煞,靈梟得用,梟能成格也。財逢七煞,刃可解厄,刃能成格也。是故財不忌傷,官不忌梟,煞不忌刃,如治國長搶大戟,本非美具,而施之得宜,可以戡亂。
沈氏の原文は言います。七煞・傷官・梟神・陽刃という四種は凶神ですが、安排が宜しければ、同じく格局を成就できます。たとえば印綬の根氣が浅薄なとき、七煞を透して印を生じさせれば、煞は成格の物となります。また財格が比肩劫財に遇って爭奪されるとき、傷官があれば比劫の氣を化し去らせて轉じて財を生じさせえ、傷官は成格の物となります。また食神格が七煞を帶びて、もともと梟神が食を奪うのを恐れるのに、もし食神が旺しすぎて煞が制えなければ、梟神を用いてやや裁抑を加えるとかえって靈動して用いられ、梟神は成格の物となります。また財格が七煞に遇って煞を黨し身を攻めるとき、羊刃があって身を助け煞に敵せば、この危厄を解くことができ、陽刃は成格の物となります。だから言います、財は傷官を忌まず、官は梟神を忌まず、煞は陽刃を忌まない、と。これは國を治めるに長槍大戟を用いるようなものです(底本の「長搶」は「長槍」の誤り)。兵器はもともと祥和の物ではありませんが、使用が宜しければ、まさに禍亂を平定するのに用いられます。
二十、生剋の先後に吉凶を分かつを論ず
月令用神,配以四柱,固有每字之生克以分吉凶,然有同此生克,而先後之間,遂分吉凶者,尤談命之奧也。如正官同是財傷並透,而先後有殊。假如甲用酉官,丁先戊後,則以財為解傷,即不能貴,後運必有結局。若戊先而丁後時,則為官遇財生,而後因傷破,即使上運稍順,終無結局,子嗣亦難矣。
沈氏の原文は言います。月令の用神に四柱を配すれば、確かに各字の生剋によって吉凶を分けます。しかしさらに一層があります。同じこの幾つかの字の生剣でも、ただ排列の先後が異なるだけで、吉凶が截然として両様になります。これがさらに命を談ずる深奧な處です。たとえば正官格は同じく財と傷官が併せて透しても、先後が異なれば結果に差があります。たとえば甲木が酉中の辛金を官とし、丁火の傷官が前にあり戊土の財星が後にあれば、財が後頭で傷官の氣を化し去らせて轉じて官を生じえるので、たとえ顯貴できなくても、後半生の運程は必ず良い収まりがあります。もし戊財が前にあり丁傷が後にあって時柱に落ちれば、官星が先に財の生を得て後にまた傷官に破られることになり、たとえ前半段の運がやや順でも、終わりは結局がなく、子嗣もまた艱難です。
印格同是貪財壞印,而先後有殊。如甲用子印,己先癸後,即使不富,稍順晚境;若癸先而己在時,晚景亦悴矣。食神同是財梟並透,而先後有殊。如壬用甲食,庚先丙後,晚運必亨,格亦富而望貴。若丙先而庚在時,晚運必淡,富貴兩空矣。
沈氏の原文は言います。印格は同じく「貪財壞印」でも、先後が異なれば差があります。たとえば甲木が子中の癸水を印とし、己土の財星が前にあり癸水の印星が後にあれば、印を壞す物がすでに過ぎ、印が後頭で權を當てるので、たとえ富まなくても晩境は総じてやや順です。もし癸印が前にあり己財が時柱に落ちれば、晩年は凄凉です。食神格は同じく財と梟神が併せて透しても、先後が異なれば差があります。たとえば壬水が甲木を食神とし、庚金の梟神が前にあり丙火の財星が後にあれば、食を奪う物が先行し財を生ずる物が後にあるので、晩運は必ず亨通し、格局も富んで貴に望みがあります。もし丙財が前にあり庚梟が時柱に落ちれば、晩運は必ず清淡で、富と貴が兩頭とも空しくなります。
七煞同是財食並透,而先後大殊。如己生卯月,癸先辛後,則為財以助用,而後煞用食制,不失大貴。若辛先而癸在時,則煞逢食制,而財轉食黨煞,非特不貴,後運蕭索,兼難永壽矣。
沈氏の原文は言います。七煞格は同じく財と食神が併せて透しても、先後が異なれば差はさらに大きいです。たとえば己土が卯月に生まれ、卯中の乙木は七煞で、癸水の財星が前にあり辛金の食神が後にあれば、財が先に來て所用の煞を資助し、隨後に食神がまた來て煞を制して、煞は有力でまた制もあり、大貴の格を失いません。もし辛食が前にあり癸財が時柱に落ちれば、煞は食神に制されはしても、後頭の財がまた食神の氣を轉じさせて七煞を黨助しに行き、それならば貴ではないばかりか、後運は蕭條冷落で、壽數もまた久長し難いです。
丙生辛酉,年癸時己,傷因財間,傷之無力,間有小貴。假如癸己產並而中無辛隔,格盡破矣。辛生申月,年壬月戊,時上丙官,不愁隔戊之壬,格亦許貴。假使年丙月壬而時戊,或年戊月丙而時壬,則壬能克丙,無望其貴矣。
沈氏の原文はさらに二造を挙げます。丙火が辛酉月に生まれ、辛金は正財・酉は財地で、年干の癸水は正官・時干の己土は傷官です。己傷はもともと癸官を剋しようとしますが、幸いに中間が辛財に隔てられ、傷官の氣は財に通關され化し去られて、傷官は官を剋する力がありません。だからなお時折小貴があります。もし癸と己が直接相併んで中間に辛金が隔たっていなければ(底本の「產併」は「相併」の誤り)、格局は全く破られてしまいます。また辛金が申月に生まれ、年干の壬水は傷官・月干の戊土は正印・時上の丙火は正官です。壬水はもともと丙を剋しようとしますが、戊土が中間に隔たってまた壬を制しえるので、あの隔てられた壬水は愁うに足りず、格局は彼に顯貴を許します。もし年丙・月壬・時戊と排し、あるいは年戊・月丙・時壬と排すれば、壬水はみな直接丙火を剋し得て、それなら顯貴の望みはありません。
以上舉官星為例,餘如印畏財破,財懼比劫,食傷忌梟印,意義相同。救應之法,亦可例推矣。
沈氏の原文は收結します。以上はみな官星を例としました。残りの、印が財に破られるのを恐れ、財が比劫に奪われるのを恐れ、食傷が梟印に奪われるのを恐れる類は、道理が全く同じで、みな忌神と救神の孰が先で孰が後かを見なければなりません。各種の救應の辦法も、この例に照らして推衍できます。
二十一、星辰は格局に關らざるを論ず
八字格局,專以月令配四柱,至於星辰好歹,既不能為生克之用,又何以操成敗之權?況於局有礙,即財官美物,尚不能濟,何論吉星?於局有用,即七煞傷官,何謂凶神乎?是以格局既成,即使滿盤孤辰入煞,何損其貴?格局既破,即使満盤天德貴人,何以為功?今人不知輕重,見是吉星,遂致拋卻用神,不管四柱,妄論貴賤,謬談禍福,甚可笑也。
沈氏の原文は言います。八字の格局は專ら月令に頼って四柱を配します。神煞星辰の善惡については、それらは五行の生剋作用に參與もしないのに、何をもって格局の成敗を左右できましょうか。何况格局に妨げのあるものは、たとえ財官のような美物でも、なお局を救えないのに、いわんや吉星をや。格局に用のあるものは、たとえ七煞・傷官でも、どうして凶神と呼べましょうか。だから格局が一旦成立すれば、たとえ滿盤が孤辰・入煞の類の惡名であっても、その貴に損はありません。格局が一旦破れれば、たとえ滿盤が天德・貴人であっても、何の作用を起こせましょうか。今の人は軽重を分かち辨えず、吉星と見れば、用神を抛却して四柱の配合を顧みず、胡乱に貴賤を評斷し荒謬に禍福を談ずるのは、実に可笑しいです。
況書中所云祿貴,往往指正官而言,不是祿堂貴人。如正財得傷貴為奇,傷貴也,傷官乃生財之具,正財得之,所以為奇,若指貴人,則傷貴為何物乎?又若因得祿而避位,得祿者,得官也,運得官鄉,宜乎進爵,然如財用傷官食神,運透官則格條,正官運又遇官則重,凡此之類,只可避位也。若作祿堂,不獨無是理,抑且得祿避位,文法上下相顧。古人作書,何至不通若是!
沈氏の原文は言います。何况命書に講ずる「祿」「貴」は、往々にして正官を指し、祿堂・貴人という神煞ではありません。たとえば「正財得傷貴為奇」という句、いわゆる「傷貴」は傷官で、傷官こそ財を生ずる工具で、正財がそれを得たので奇と稱します。もし「貴」を貴人と講ずれば、あの「傷貴」はまた何物でしょうか。また「因得祿而避位」という句、いわゆる「得祿」は官を得ることです。理から言えば行運が官鄕に至れば、まさに爵を進め官を升るべきですが、しかし財格が傷官食神を用いる類は、運に官が透せば格局を駁雜にし(底本の「格條」は「格雜」の誤り)、正官格の行運がまた官に遇えば官星が重すぎるので、この類の情形はただ位を退き避けるほかありません。もし「祿」を祿堂とすれば、講じ通らないばかりか、「得祿」と「避位」という上下の二句はもともと文意が相顧みるべきなのです――古人が書を著すに、どうして不通がこの地步に至りましょうか!
又若女命,有云「貴眾則舞裙歌扇」。貴眾者,官眾也,女以官為夫,正夫豈可疊出乎?一女眾夫,舞裙歌扇,理固然也。若作貴人,乃是天星,並非夫主,何礙於眾,而必為娼妓乎?
沈氏の原文は言います。また女命について「貴衆則舞裙歌扇」という言葉があります。いわゆる「貴衆」とは、官星が多すぎることです。女子は官星を夫とするので、正夫はどうして重ね重ね出現できましょうか。一人の女子で衆多の夫があれば、歌舞して客を待ち迎える境地に落ちるのは道理が自然にそうです。もし「貴」を貴人とすれば、それはただ天上の星名であって夫主ではなく、幾つか多くても何の妨げがありましょう、どうして必ず娼妓に淪落するでありましょうか?
然星辰命書,亦有談及,不善看書者執之也。如「貴人頭上帶財官,門充駟馬」,蓋財官如人美貌,貴人如人衣服,貌之美者,衣服美則現。其實財官成格,即非貴人頭上,怕不門充駟馬!又局清貴,又帶二德,必受榮封。若專主二德,則何不竟云帶二德受兩國之封,而必先曰無煞乎?若云命逢險格,柱有二德,逢凶有救,有免於危,則亦有之,然終無關於格局之貴賤也。
沈氏の原文は言います。ただし命書にも確かに神煞を談じたところがありますが、善く讀書しない者が死んだように抱えて離さないだけです。たとえば「貴人頭上帶財官、門充駟馬」という句、財官は人の美貌のようなもので、貴人は人の衣服のようなものです。容貌がもともと美しければ、さらに良い衣服を着れば自然にいっそう顯れます。実はただ財官が格を成せば、たとえ貴人の頭上になくても、どうして門前に四馬の車を排列できないでありましょうか。また「局面清貴、又帶天月二德、必受榮封」と言いますが(底本の引文は節略あり)、もし真に二德を主とするなら、どうして「二德を帶びれば兩國の封を受く」と言い切らず、必ず先に前提を言うのでしょうか。もし命に險惡の格局に逢い、柱中に二德があって、凶に遇って救いがあって危難を免れられる、というならこれは確かにその事はありますが、終じて格局の貴賤とは關りません。
二十二、外格の用舍を論ず
八字用神既專主月令,何以又有外格乎?外格者,蓋因月令無用,權而用之,故曰外格也。如春木冬水、土生四季之類,日與月同,難以作用,類象、屬象、沖財、會祿、刑合、遙迎、井欄、朝陽諸格,皆可用也。若月令自有用神,豈可另尋外格?又或春木冬水,干頭已有財官七煞,而棄之以就外格,亦太謬矣。是故干頭有財,何用沖財?干頭有官,何用合祿?書云「提綱有用提綱重」,又曰「有官莫尋格局」,不易之論也。
沈氏の原文は言います。八字の用神はすでに專ら月令を主とするのに、なぜまた「外格」があるのでしょうか。いわゆる外格は、月令の中に用神を取り出せず、權宜のうち別に一路を求めるので、外格と言います。たとえば春の木・冬の水・土が辰戌丑未の四季月に生まれる類は、日主と月令が同氣で比劫を用神に當てられないので、類象・屬象・衝財・會祿・刑合・遙迎・井欄・朝陽という諸格を、みな採用できます。もし月令にもともと用神があれば、どうして別に外格を尋ねることができましょうか。またあるいは春木冬水であっても、天干の上にすでに財・官・七煞があって取れるのに、それらを抛却して外格を湊り合わせれば、なおさら荒謬です。だから言います、天干の上に財があれば、何の「衝財」をする必要があろう。天干の上に官があれば、何の「合祿」をする必要があろう、と。書に「提綱有用提綱重」と言い、また「有官莫尋格局」と言うのは、みな移易できない定論です。
然所謂月令無用者,原是月令本無用神,而今人不知,往往以財被劫官被傷之類。用神已破,皆以為月令無取,而棄之以就外格,則謬之又謬矣。
沈氏の原文は補正します。しかし「月令無用」というのは、もともと月令の中にもともと用神を取り出せないことを指します。今の人はこの一点を明らかにせず、往々にして財が比劫に奪われ、官が傷官に剋壞されるという類の情形も、月令無用と算します。実はそれは用神が破壞されたのであって、月令に用神がないのではありません。それなのにこれによって月令に取るべきなしと斷定し、それを抛却して外格を湊り合わせる――それはまことに錯に錯を重ねることです。
二十三、宮分の用神に六親を配するを論ず
人有六親,配之八字,亦存於命。其由宮分配之者,則年月日時,自上而下,祖父妻子,亦自上而下。以地相配,適得其宜,不易之位也。
沈氏の原文は言います。人には父母・兄弟・夫妻・子女という六親があり、それらを八字に配れば、みな命の中に存在します。まず「宮位」に準じて配するのを言います。年・月・日・時の四柱は上から下へ排列し、祖輩・父母・妻室・子女という幾層かの関係もまた上から下へ順に對應します。地位の高下をもって相配すれば、ちょうど各々その宜しきを得ます。これは移易できない位次です。
其由用神配之者,則正印也母,身所自出,取其生我也。若偏財受我剋制,何反為父?偏財者,母之正夫也,正印為母,則偏財為父矣。正財為妻,受我剋制,夫為妻綱,妻則從夫。若官煞則剋制乎我,何以反為子女也?官煞者,財所生也,財為妻妾,則官煞為子女矣。至於比肩為兄弟,又理之顯然者。
沈氏の原文は言います。次に「用神」の十神に準じて配するのを言います。正印は母親です。我が身が彼女から出たので、その我を生ずる意を取るのです。偏財は我に剋されるものなのに、どうしてかえって父親とするのでしょうか。偏財は母親の正夫だからです――正印がすでに母なら、偏財は自然に父です。正財は妻子で、我に剋されるもので、「夫は妻の綱、妻は夫に從うべし」の意を取ります。官煞は我を剋制するものなのに、どうしてかえって子女とするのでしょうか。官煞は財の生ずる所だからです――財がすでに妻妾なら、官煞は自然に子女です。比肩が兄弟であるに至っては、なおさら一目で分かる道理です。
其間有無得力,或吉或凶,則以四柱所存或年月或日時財官傷刃,繫是何物,然後以六親配之用神。局中作何喜忌,參而配之,可以瞭然矣。
沈氏の原文は言います。これらの六親が得力か不得力か、吉か凶かは、四柱の中の、年月にあろうと日時にあろうと、そこに擺かれた財・官・傷・刃が一体何物であるかを見ます。そして六親の名分と十神の用神を一つずつ對應させ、さらにそれが全局にあって喜か忌かを參照し、合わせて推敲すれば、六親の情形は一清二楚です。
二十四、妻子を論ず
大凡命中吉凶,於人愈近,其驗益靈。富貴貧賤,本身之事,無論矣,至於六親,妻以配身,子為後嗣,亦是切身之事。故看命者,妻財子提綱得力,或年干有用,皆主父母身所自出,亦自有驗。所以提綱得力,或年干有用,皆主父母雙全得力。至於祖宗兄弟,不甚驗矣。
沈氏の原文は言います。およそ命の吉凶は、本人に關係が貼り近いほど應驗が靈験です。富貴貧賤は自身の上の事なので言うまでもなく、六親については、妻子は自身と相配し、兒子は自分の後嗣で、みな切身の事です。だから命を看る者は妻と子を最も重んじます。月令の提綱が得力するか、あるいは年干に用があれば、父母が俱全してしかも得力を主とします。父母は自分の出所の根源なので、この層もまた自ら應驗があります(底本のこの段は竄文が重出、「妻財子提綱得力」の句の下に「亦有驗」の意を接すべき)。祖宗・兄弟というやや遠い関係に至っては、あまり靈驗ではありません。
以妻論之,坐下財官,妻當賢貴;然亦有坐財官而妻不利,逢傷刃而妻反吉者,何也?此蓋月令用神,配成喜忌。如妻宮坐財,吉也,而印格逢之,反為不美。妻坐官,吉也,而傷官逢之,豈能順意?妻坐傷官,凶也,而財格逢之,可以生財,煞格逢之,可以制煞,反主妻能內助。妻坐陽刃,凶也,而或財官煞傷等格,四柱已成格局,而日主無氣,全憑日刃幫身,則妻必能相關。其理不可執一。
沈氏の原文は言います。まず妻子について論じます。日支に財または官が坐すれば、妻子は当然賢慧で身分があります。しかし財官に坐して妻がかえって不利であったり、傷官・陽刃に遇って妻がかえって吉利であったりするものがあるのはなぜでしょうか。これは月令の用神が配されて喜か忌かを見なければなりません。たとえば妻宮に財が坐するのはもともと吉ですが、印格がそれに遇えば財が來て印を壞すのでかえって美しくありません。妻宮に官が坐するのはもともと吉ですが、傷官格がそれに遇えば傷官見官で、どうして稱心できましょうか。妻宮に傷官が坐するのはもともと凶ですが、財格がそれに遇えば傷官はちょうど財を生じ、煞格がそれに遇えば傷官はちょうど煞を制して、かえって妻子が内助できるを主とします。妻宮に陽刃が坐するのはもともと凶ですが、もし財・官・煞・傷などの格で四柱がすでに成局していて、日主自身に氣がなく、全く日支の刃に頼って身を助けるなら、妻子は必ず自分に助力を與えられます(底本の「相關」は「相幫」の誤り)。この道理は一端に執定できません。
既看妻宮,又看妻星。妻星者,干頭之財也。妻透而成局,若官格透財、印多逢財、食傷透財為用之類,即坐下無用,亦主內助。妻透而破格,若印輕財露、食神傷官、透煞逢財之類,即坐下有用,亦防刑剋。又有妻透成格,或妻宮有用而坐下刑沖,未免得美妻而難偕老。又若妻星兩透,偏正雜出,何一夫而多妻?亦防刑剋之道也。
沈氏の原文は言います。妻宮を見るだけでなく、妻星も見なければなりません。いわゆる妻星とは、天干上の財です。妻星が透して格を成すのに助けとなるもの――たとえば官格が財を透して官を生じ、印が多くて財に逢ってその太過を損じ、食傷が財を透して財を用とする類――なら、たとえ日支に坐するものに用がなくても、妻の内助を得るを主とします。妻星が透してかえって格局を破壞するもの――たとえば印が軽く財が露して印を壞し、食神格が財を透してまた七煞を帶び、煞を透して財に逢って煞を黨する類――なら、たとえ日支に坐するものに用があっても、刑剋を提防しなければなりません。また妻星が透して格を成すか、あるいは妻宮がもともと有用なのに、偏に日支が刑され衝されれば、好い妻を娶っても白頭偕老できないことを免れません。さらにもし妻星が二つとも透して正財・偏財が雜然と併せて出れば、一人の夫にどうしてこれほど多くの妻がありましょう。これも刑剋を提防する一つの路数です。
至於子息,其看宮分與星所透喜忌,理與論妻略同。但看子息,長生沐浴之歌,亦當熟讀,如「長生四子中旬半,沐浴一雙保吉祥,冠帶臨官三子位,旺中五子自成行,衰中二子病中一,死中至老沒兒郞,除非養取他之子,入墓之時命夭亡,受氣為絕一個子,胎中頭產養姑娘,養中三子只留一,男子宮中子細詳」是也。
沈氏の原文は言います。子女に至っては、時柱の宮位と透する子星の喜忌を見れば、道理は妻を論ずるのと大略同じです。ただ子息を見るには、長生沐浴のあの歌訣も暗誦すべきで、すなわちこの一首です。子星が長生に臨めば四個の兒子、中旬なら減半。沐浴に臨めば一雙を得て吉祥を保てる。冠帶・臨官に臨めば各々三子を主る。帝旺に臨めば五子で行列を自ら成す。衰に臨めば二子を主り、病に臨めばただ一子。死に臨めば老いて兒郎なく、他人の子を過繼しない限り。墓に臨めば子は夭亡が多い。絕に臨めば受氣の初めで一子を得るのみ。胎に臨めば頭胎は女兒を生む。養に臨めば三子あっても終に留めるは一つ。およそ男命の子女宮を看るにはみなこのように細かく推詳すべきです。
然長生論法,用陽而不用陰。如甲乙日只用庚金長生,巳酉丑順數之局,而不用辛金逆數之子申辰。雖書有官為女煞為男之說,然終不可以甲用庚男而用陽局,乙用辛男而陰局。蓋木為日主,不問甲乙,總以庚為男辛為女,其理為然,拘於官煞,其能驗乎?
沈氏の原文は言います。ただし長生訣で子女を推すには、陽干のみを用い陰干は用いません。たとえば甲日・乙日はともにただ庚金の長生に準じて數え、庚は巳に長生して酉丑へと順行します。辛金の逆數する子・申・辰のあれは用いません。書には「官星は女、七煞は男」という説がありますが、結局は甲が庚を男とするから陽干の順局を用い、乙が辛を男とするから陰干の逆局を用いるというわけにはいきません。日主はすでに木なのだから、それが甲であれ乙であれ、総じて庚金を男、辛金を女とする、この道理こそ講じ通ります。官煞の陰陽分配を死んだように泥んでも、どうして應驗できましょうか?
所以八字到手,要看子息,先看時支。如甲乙生日,其時果係庚金何宮?或生旺,或死絕,其多寡已有定數,然後以時干子星配之。如財格而時干透食,官格而時干透財之類,皆謂時干有用,即使時逢死絕,亦主子貴,但不甚繁耳。若又逢生旺,則麟兒繞膝,豈可量乎?若時干不好,子透破局,即逢生旺,難為子息。若又死絕,無所望矣。此論妻子之大略也。
沈氏の原文は言います。だから八字が手に入れば、子女を見るにはまず時支を見ます。たとえば甲乙日生の人は、時支が一体庚金の十二宮のどの位に落ちるかを見ます。生旺か死絕か――子女の多寡はすでに一つの定數があります。それから時干の上の子星をもってそれに配します。たとえば財格で時干に食神を透す、官格で時干に財を透すという類は、みな時干に用があると算します。このようにすれば、たとえ時支が死絕の地に落ちても、子女が貴顯するを主とし、ただ數目が多くないだけです。もし時支がまた生旺に逢えば、兒孫が堂に滿ちて限量できません。反対に、もし時干が好くなくて、透した子星が格局を破れば、たとえ時支が生旺に逢っても好い子息は難しいです。もし時支がさらに死絕に落ちれば、なおさら何の指望もありません。以上が妻を論じ子を論ずる大略です。
二十五、行運を論ず
論運與看命無二法也。看命以四柱干支,配月令之喜忌,而取運則又以運之干,配八字之喜忌。故運中每運行一字,即必以此一字,配命中干支而統觀之,為喜為忌,吉凶判然矣。
沈氏の原文は言います。大運を推すのと本命を看るのに二套の方法はありません。本命を看るのは四柱の干支をもって月令の定めた喜忌に配します。大運を取るのは運の上の干支をもってさらに八字全体の喜忌に配します。だから大運で一つの字を走るごとに、必ずこの字と命中の干支を合わせて通盤に觀察しなければなりません。それが喜神か忌神か、吉凶は自然に分明です。
何為喜?命中所喜之神,我得而助之者是也。如官用印以制傷,而運助印;財生官而身輕,而運助身;印帶財以為忌,而運劫財;食帶煞以成格,身輕而運逢印,煞重而運助食;傷官佩印,而運行官煞;陽刃用官,而運助財鄉;月劫用財,而運行傷食。如此之類,皆美運也。
沈氏の原文は言います。何を喜と言うのでしょうか。命中が喜ぶあの神を、運がそれを助ければ、それが喜です。たとえば官格が印を用いて傷官を制すれば、運がまた印を助けます。財が官を生じえて日主が偏に輕ければ、運が來て身を助けます。印格の中に財を帶びるのが忌神なら、運が比劫を走ってあの財を奪います。食神が煞を帶びて格を成すとき、身が輕ければ運が印に逢って身を助け、煞が重ければ運が食神を助けて煞を制させます。傷官が印を佩びれば、運が官煞を行じて印を生じさせます。陽刃格が官を用いて刃を制すれば、運が財鄕を助けて官を生じさせます。月劫格が財を用いれば、運が食傷を行じて劫を化して財を生じさせます。この類はみな美運です。
何謂忌?命中所忌,我逆而施之者是也。如正官無印,而運行傷;財不透食,而運行煞;印綬用官,而運合官;食神帶煞,而運行財;七煞食制,而運逢梟;傷官佩印,而運行財;陽刃用煞,而運逢食;建祿用官,而運逢傷。如此之類,皆敗運也。
沈氏の原文は言います。何を忌と言うのでしょうか。命中が忌むあの一路に、運が偏に逆らって來てそれに加われば、それが忌です。たとえば正官格に印が來て官を護るものがないのに、運が傷官を走れば。財格が食神を透して通關させないのに、運が七煞を走れば。印綬格が官を用いて印を生じさせるのに、運が官を合し去れば。食神格が七煞を帶びて食神でそれを制するのに頼るのに、運が財を走って煞を黨すれば。七煞がすでに食神の制伏を得たのに、運が梟神に逢って食を奪えば。傷官が印を佩びるのに、運が財を走って印を壞せば。陽刃格が煞を用いて刃を制するのに、運が食神に逢ってあの煞を制し去れば。建祿格が官を用いるのに、運が傷官に逢って官を剋せば。この類はみな敗運です。
其有似喜而實忌者,何也?如官逢印運,而本命有合,印逢官運,而本命用煞之類是也。有似忌而實喜者,何也?如官逢傷運,而命透印,財行煞運,而命透食之類是也。
沈氏の原文は言います。また喜のように見えて実は忌であるものがあるのはなぜでしょうか。たとえば官格が印運を走るのはもともと喜のはずですが、本命の中に別の一文字があってこの印を合し去れば、印は助けに及びません。また印格が官運を走るのはもともと喜のはずですが、本命がもともと七煞を用いて印を生じさせていたのに、官が來ればかえって官煞混雜となります。反対に、忌のように見えて実は喜であるものもあります。たとえば官格が傷官運を走るのはもともと忌のはずですが、命中に印が透していれば、印は傷を制して官を護れます。また財格が七煞運を走るのはもともと忌のはずですが、命中に食神が透していれば、食神は煞を制して財を生じえます。
又有行干而不行支者,何也?如丙生子月亥年,逢丙丁則幫身,逢巳午則相沖是也。又有行支而不行干者,何也?如甲生酉月,辛金透而官猶弱,逢申酉則官植根,逢庚辛則混煞重官之類是也。
沈氏の原文は言います。また天干を走るのは宜しく地支を走るのは宜しくないものがあるのはなぜでしょうか。たとえば丙火が子月に生まれ年支が亥で、水が旺して身が弱ければ、運が丙丁の天干に逢えば身を助けられます。しかし運が巳午の地支に逢えば、命中の亥・子と相衝して、衝激してかえって禍を生じます。また地支を走るのは宜しく天干を走るのは宜しくないものもあります。たとえば甲木が酉月に生まれ、辛金は透しても官星がなお弱いと嫌われれば、運が申酉の地支に逢えば官星は根を下ろせます。しかし運が庚辛の天干に逢えば、庚は七煞であり、さらに一つの辛が來ればまた官が重いと嫌われ、混煞か重官かです。
又有干同一類而不兩行者,何也?如丁生亥月,而年透壬官,逢丙則幫身,逢丁則合官之類是也。又有支同一類而不兩行者,何也?如戊生卯月,丑年,逢申則自坐長生,逢酉則會丑以傷官之類是也。
沈氏の原文は言います。また天干が同じ類に屬するのに一概に論じられないものがあるのはなぜでしょうか。たとえば丁火が亥月に生まれ、年干に壬水を透して正官とするとき、運が丙火に逢えば身を助けられますが、同じ火でも丁火に逢えば、丁は行って壬と合して官星を合し去ってしまいます。また地支が同じ類に屬するのに一概に論じられないものもあります。たとえば戊土が卯月に生まれ年支が丑で、運が申に逢えば、戊土は自ら長生に坐して氣を得ます。同じ金の支でも酉に逢えば、酉は丑と會して金局を成し、かえって傷官となって卯中の官星を剋しに行きます。
又有同是相沖而分緩急者,何也?沖年月則急,沖日時則緩也。又有同是相沖而分輕重者,何也?運本美而逢沖則輕,運既忌而又沖則重也。
沈氏の原文は言います。また同じく相衝なのに緩急を分けるものがあるのはなぜでしょうか。年月の两柱に衝すれば急であり、日時の两柱に衝すれば緩です。年月は提綱の根本の所在だからです。また同じく相衝なのに軽重を分けるものもあります。運自体が美運なら、衝に逢っても為害は軽いです。運自体がすでに忌運なら、さらに衝が加わって、為害は重いです。
又有逢沖而不沖,何也?如甲用酉官,行卯則沖,而本命巳酉相會,則沖無力;年支亥未,則卯逢年會而不沖月官之類是也。又有一沖而得兩沖者,何也?如乙用申官,兩申並而不沖一寅,運又逢寅,則運與本命,合成二寅,以沖二申之類是也。
沈氏の原文は言います。また明らかに衝に遇ったのに衝が動かないものがあるのはなぜでしょうか。たとえば甲木が酉中の辛金を官と用い、運が卯を行じて酉を衝しようとしても、本命の地支にすでに巳と酉が相會して金局を成していれば、酉に助け手があって衝の力は弱まります。また年支に亥または未があれば、運の卯は先に年支に引かれて會して木局を成し、月令の官星を衝するに及ばなくなります。反対に、また一つの衝が二重の衝に變るものがあります。たとえば乙木が申中の庚金を官と用い、命に二つの申が併列して力が分散し、一つの寅を衝して動かせません。運にさらに一つの寅が來れば、運と本命が湊って二つの寅を成し、ちょうどあの二つの申を衝しに行って、衝力は倍になります。
二十六、行運の成格變格を論ず
命之格局,成於八字,然配之以運,亦有成格變格之要權。其成格變格,較之喜忌禍福尤重。何為成格?本命用神,成而未全,從而就之者是也。如丁生辰月,透壬為官,而運逢申子以會之;乙生辰月,或申或子會印成局,而運逢壬癸以透之。如此之類,皆成格也。
沈氏の原文は言います。命の格局は八字で定まりますが、しかし一たび大運を配せば、なお「成格」「變格」という一層の緊要な權衡があります。この層は、ただ運の喜忌禍福を論ずるよりもさらに緊要です。何を成格と言うのでしょうか。本命の用神にすでに雛形がありながらまだ完全でないとき、大運に頼ってそれを湊り成すことを、成格と言います。たとえば丁火が辰月に生まれ、壬水を透して正官とすれば、官星は未だ單薄を免れませんが、運が申または子に逢って辰と會して水局を成せば、官星は厚くなります。また乙木が辰月に生まれ、地支にすでに申または子があって會して水局を成して印とし、運にちょうど壬癸を透して印を天干上に明らかに擺します。この類はみな成格です。
何為變格?如丁生辰月,透壬為官,而運逢戌,透出辰中傷官;壬生戌月,丁己並透,而支又會寅會午,作財旺生官矣,而運逢戊土,透出戌中七煞;壬生亥月,透己為用,作建祿用官矣,而運逢卯未,會亥成本,又化建祿為傷。如此之類,皆變格也。
沈氏の原文は言います。何を變格と言うのでしょうか。たとえば丁火が辰月に生まれ、壬を透して官とするのに、運が戌に逢って辰を衝し、辰中に藏する乙木の傷官を衝き出せば、官格は變わります。また壬水が戌月に生まれ、丁火と己土が併せて透し、地支がまた寅と會し午と會して火局を成し、もともと「財旺生官」と看るのに、運が戊土に逢って戌中に藏する七煞を透し出せば、官格は變じて煞格となります。また壬水が亥月に生まれ、己土を透して用とし、もともと「建祿用官」と看るのに、運が卯または未に逢って亥と會して木局を成せば(底本の「成本」は「成木」の誤り)、建祿は化して傷官となってあの己官を剋しに行きます。この類はみな變格です。
然亦有逢成格而不喜者,何也?如壬生午月,運透己官,而本命有甲乙之類是也。又有逢變格而不忌者,何也?如丁生辰月,透壬用官,逢戊而命有甲;壬生亥月,透己用官,運逢卯未,而命有庚辛之類是也。成格變格,關係甚大,取運者其細詳之。
沈氏の原文は言います。しかし成格に逢いながら必ずしも可喜でないものもあるのはなぜでしょうか。たとえば壬水が午月に生まれ、運に己土を透して官とすれば、本應成格ですが、本命の中に甲乙木があれば、木が一たび來れば己官を剋壞して、成しても徒に成です。また變格に逢いながら必ずしも忌むに足りないものもあります。たとえば丁火が辰月に生まれ壬を透して官を用い、運が戊土に逢って壬を剋すのに、命中に甲木があって戊を制しえれば、官星は恙ありません。また壬水が亥月に生まれ己を透して官を用い、運が卯未に逢って會して木局を成して官を傷ろうとするのに、命中に庚辛金があって木を制しえれば、官星も保てます。成格と變格の關係は極めて大きいことが見えます。運を取る者は務めて細かく推詳しなければなりません。
二十七、喜忌は干支に別あるを論ず
命中喜忌,雖支干俱有,而干主天,動而有為,支主地,靜以待用,且干主一而支藏多,為福為禍,安不得殊?譬如甲用酉官,逢庚辛則官煞雜,而申酉不作此例。申亦辛之旺地,辛坐申酉,如府官又掌道印也。逢二辛則官犯重,而二酉不作此例。辛坐二酉,如一府而攝二郡也,透丁則傷官,而逢午不作此例。丁動而午靜,且丁己並藏,安知其為財也?
沈氏の原文は言います。命中の喜神・忌神は、天干にも地支にもあります。しかし天干は天に屬して動いて作為があり、地支は地に屬して靜かに人の取用を待ちます。しかも天干の一位はただ一物を主り、地支の一位は幾人元かを藏します。こうである以上、それらがもたらす福と禍にどうして分別がないでありましょうか。たとえば甲木が酉中の辛金を官と用いる場合、天干に庚辛に遇えば、庚は煞・辛は官で、官煞混雜となります。しかし地支に申酉に遇えばこのようには算できません。申もまた辛金の旺地で、辛が申酉に坐するのは、知府がまた道台の印信を兼掌するようなもので、官星が有力であって混煞ではありません。また天干に二つの辛に遇えば官星が重すぎると嫌いますが、地支に二つの酉があればこのようには算できません。辛が二つの酉に坐するのは、一人の知府が二郡を兼管するようなもので、依然として一つの官です。また天干に丁を透せば傷官ですが、地支に午に逢えばこのようには算できません。丁は天干にあっては動、午は地支にあっては靜であり、何况午中の丁火は己土と同藏して、誰がそれを必ず傷であって財でないと言えましょうか。
然亦有支而能作禍福者,何也?如甲用酉官,逢午酉未能傷,而又遇寅遇戌,不隔二位,二者合而火動,亦能傷矣。即此反觀,如甲生申月,午不制煞,會寅會戌,二者清局而火動,亦能傷矣。然必會有動,是正與干有別也。即此一端,餘者可知。
沈氏の原文は言います。しかし地支にもまた禍を興し福を致すことができるのはなぜでしょうか。たとえば甲木が酉官を用い、ただ一つの午に逢うだけでは、まだ酉を傷れません。しかしもしさらに寅に遇い戌に遇い、しかも彼此が隔たり遠からず、寅午戌が會合して火局を成せば、火が一たび動き起これば、照樣に官星を傷れます。反対に見れば、甲木が申月に生まれ、申中の庚金が七煞で、ただ一つの午ではまだ煞を制えませんが、寅と會し戌と會して火局を成せば、火が一たび動き起これば、照樣に煞を制えます。地支は會合に頼ってはじめて動き起これることが見えます。これこそ天干と異なるところです。一を挙げて三を返せば、残りの道理も明らかになります。
二十八、支中の喜忌が運に逢いて透清するを論ず
支中喜忌,固與干有別矣,而運逢透清,則靜而待用者,正得其用,而喜忌之驗,於此乃見。何謂透清?如甲用酉官,逢辰未即為財,而運透戊,逢午未即為傷,而運透丁之類是也。
沈氏の原文は言います。地支中の喜忌は確かに天干と別がありますが、一たび大運がその藏する人元を透し出して清楚分明となれば、それらもともと靜かに用を待っていたものは、ちょうど用場に遇い、喜忌の應驗もまたこの時に顯現します。何を「透清」と言うのでしょうか。たとえば甲木が酉官を用い、命に辰に遇い未に遇えば、辰未の中にはみな戊己土の財を藏し、もともと隱れて顯れませんが、運に戊土を透せば財は明らかに擺れます。また命に午に遇い未に遇えば、午未の中にはみな丁火の傷官を藏し、もともと隱れて顯れませんが、運に丁火を透せば傷官は明らかに擺れます。
故凡一八字到手,必須逐干逐支,上下統看。支為干之生地,干為支之發用。如命中有一甲字,則統觀四支,有寅亥卯未等字否,有一字,皆甲木之根也。有一亥字,則統觀四支,有壬甲二字否。有壬,則亥為壬祿,以壬水用;用甲,則亥為甲長生,以甲木用;用壬甲俱全,則一以祿為根,一以長生為根,二者並用。取運亦用此術,將本命八字,逐干支配之而已。
沈氏の原文は言います。だからおよそ一つの八字が手に入れば、必ず天干一つずつ地支一つずつ過し、上下を通盤に見なければなりません。地支は天干が根を下ろす地であり、天干は地支が作用を發揮する出口です。たとえば命中に一つの甲字があれば、四つの地支を通看して、寅・亥・卯・未という字があるかどうかを見ます。一つでもあれば、それはみな甲木の根です。また地支に一つの亥字があれば、四つの天干を通看して(底本は「統觀四支」、「統觀四干」の誤り)、壬・甲という二つの字があるかどうかを見ます。壬があれば亥は壬の祿で、壬水を用いられます。甲があれば亥は甲の長生で、甲木を用いられます。壬甲が二つともあれば、一つは祿を根とし一つは長生を根として、两者を併用します。大運を取るのもこの辦法に照らして、本命の八字を逐一に運の上の干支をもってそれに配する、ただそれだけです。
二十九、時說が格局に拘泥するを論ず
八字用神專憑月令,月無用神,徐尋格局。月令,本也;外格,末也。今人不知輕重,拘泥格局,執假失真。故戊生甲寅之月,時上庚甲,不以為明煞有制,而以為專食之格,逢甲減福。
沈氏の原文は言います。八字の用神は專ら月令に憑って定まり、月令の中に用神を取れないときにのみ、別に格局を尋ねます(底本の「徐尋」は「始尋」の誤り)。月令は本であり、外格は末です。今の人は本末・軽重を分かち辨えず、一味に外格の名目に拘泥し、假を抱えて真を棄てます。たとえば戊土が甲寅月に生まれ、寅中の甲木は七煞で月干に明らかに透し、時上にまた庚金がある――庚は食神で、ちょうど煞を制します。もともと「七煞有制」の美格と斷ずべきなのに、彼は偏にこれを「專食之格」と言い、しかも甲木に遇えば福を減ずとまで言います。
丙生子月,時逢巳祿,不以為正官之格,歸祿幫身,而以為日祿歸時,逢官破局。辛日透丙,時遇戊子,不以為辛日得官逢印,而以為朝陽之格,因丙無成。
沈氏の原文は言います。また丙火が子月に生まれ、子中の癸水は正官で、時支に巳に逢うのは丙の祿です。もともと正官格と斷じて歸祿が身を助けるべきなのに、彼は偏にこれを「日祿歸時」と言い、官星を見れば破局だと言います。また辛金の日主が天干に丙を透して正官とし、時柱が戊子に遇う――戊は正印、子は食神で、もともと辛日が官を得てまた印に相護されると斷ずべきなのに、彼は偏にこれを「六陰朝陽格」と言い、丙火があるがゆえに格を成せないと言います。
財逢時煞,不以為生煞攻身,而以為時上偏官。癸生巳月,時遇甲寅,不以為暗官受破,而以為刑合成格。
沈氏の原文は言います。また財格で時上に七煞に逢うのは、もともとこれが財が去って煞を生じ煞が來て身を攻する凶兆と看るべきなのに、彼は偏にこれを「時上偏官」の貴格と言います。また癸水が巳月に生まれ、巳中の戊土は癸の正官で、藏して露れません。時柱が甲寅に遇う――甲木は傷官で、寅はまた巳を刑します。もともと暗藏の官星が破られたと斷ずべきなのに、彼は偏にこれを「刑合成格」と言います。
癸生冬月,酉日亥時,透戊坐戌,不以為月劫建祿,用官通根,而以為拱戌之格,填實不利。辛日坐丑,寅年,亥月,卯時,不以為正財之格,而以為填實拱貴。乙逢寅月,時遇丙子,不以為木火通明,而以為格成鼠貴。
沈氏の原文は言います。また癸水が冬月に生まれ、日支が酉、時支が亥で、天干に戊土を透して官とし戌上に坐して根がある――もともと月劫建祿格で官星を用い官がまた根に通ずと斷ずべきなのに、彼は偏にこれを「拱戌の格」と言い、しかも戌字が塡實されてかえって不利だと嫌います。また辛金の日主が丑に坐し、年支が寅、月支が亥、時支が卯で、寅亥卯はみな木、木は辛の財――もともと正財格と斷ずべきなのに、彼は偏にこれを拱貴が塡實されたと言います。また乙木が寅月に生まれ、時柱が丙子に遇う――丙火は傷官吐秀で、もともと「木火通明」と斷ずべきなのに、彼は偏にこれを「六乙鼠貴」格と言います。
三十、時說が訛をもって訛を傳えるを論ず
八字本有定理,理之不明,遂生異端,妄言妄聽,牢不可破。如論干支,則不知陰陽之理,而以俗書體象歌訣為確論;論格局,則不知專尋月令,而以拘泥外格為活變;論生克,則不察喜忌,而以傷旺扶弱為定法;論行運,則不問同中有導,而以干支相類為一例。
沈氏の原文は言います。八字にはもともと一定の道理があり、道理が明らかでなければ、種種の異端が生じます。説く者は亂に説き、聞く者は亂に聞き、積習は破り難いほど牢です。たとえば干支を論ずれば、陰陽の理を懂らずして、俗書のあの「甲は大林、乙は微苗」の體象歌訣を定論とします。格局を論ずれば、專ら月令の中に尋ねることを懂らずして、外格の名目に死抠するを靈活變通とします。生克を論ずれば、全局の喜忌を細察せずして、「旺すれば損、弱ければ扶」を死法とします。行運を論ずれば、同類の中にさらに引導の差別あるを分辨せずして(底本の「同中有導」は、同類の中に別に分別ありを謂う)、干支の同じ類に屬するものを一概に等同と見ます。
究其緣由,一則書中用字輕重,不知其意,而謬生偏見;一則以鵒書無知妄作,誤會其說,而深入迷途;一則論命取運,偶然湊合,而遂以己見為不易,一則以古人命式,亦有誤收,即收之不誤,又以己意入外格,尤為害人不淺。
沈氏の原文はこれらの謬誤の由來を推究します。一つは書中の用字に輕重があり、讀む者がその意味を明らかにせず、因って偏見を生じます。一つは坊間のあの通じない書が口を信じて妄造し、讀む者がその說法を誤會して、ますます陷り深くなります(底本の「鵒書」の字は訛誤で、俗書を指すべき)。一つは自ら論命取運して偶然一囘當てただけで、一己の見を移易しがたい定法とします。一つは古人の載せた命式にもともと取り違えがあり、取り得たが正しくても、後人がまた自意に照らしてそれを硬くある外格に塞ぎ込む――この條はことに人を害すること淺からざるです。
如壬申、癸丑、己丑、甲戌,本雜氣財旺生官也,而以為乙亥時,作時上偏官論,豈知旺財生煞,將救死之不暇,於何取貴?此類甚多,皆誤收格局也。如己未、壬申、戊子、庚申,本食神生財也,而欲棄月令,以為戊日庚申合祿之格,豈知本身自有財食,豈不甚美?又何勞以庚合乙,求局外之官乎,此類甚多,皆硬入外格也。
沈氏の原文は例を挙げて言います。たとえば壬申年・癸丑月・己丑日・甲戌時という一造は、己土日主が丑月に生まれ、丑は雜氣で、壬癸水は財・甲木は官、もともと「雜氣財旺生官」です。ある人は時柱を誤って乙亥と記して、「時上偏官」として論じます。どうして知らない、旺財が去って七煞を生じれば、命を救うに及ばず、どこで貴を取るに足ることがありましょうか。この類は多く、みな格局を収め損なったものです。また己未年・壬申月・戊子日・庚申時という一造は、戊土が申月に生まれ、庚金の食神が當令し壬水は財、もともと「食神生財」です。ある人はあえて月令を丢けて、これを戊日が庚申を見る「合祿格」と言います。どうして知らない、本命自身に財があり食がある、豈にすでに美ではありませんか。何のためにまた庚金を勞して乙木を合しに行き、局外にて一つの官星を求めますか。この類もまた多く、みな硬く外格に塞ぎ込むものです。
人苟中無定見,察理不精,睹此謬論,豈能無惑?何況近日貴格不可解者,亦往往有之乎?豈知行術之人,必以貴命為指歸,或將風聞為實據,或探其生日,而即以己意加之生時,謬造貴格,其人之八字,時多未確,即彼本身,亦不自知。若看命者不究其本,而徒以彼既富貴遷就其說以相從,無惑乎終身無解日矣!
沈氏の原文は言います。人がもし心中に定見なく察理が精細でなければ、これらの謬論を見て、どうして惑わされずにいられましょうか。何况近來また常に貴人の命造があって、理に照らせばどうしても講じ通りません。知るべし、江湖術士はいつも貴命を招牌とします。あるものは道聽塗說を實據とし、あるものはただ人の生日を聞いただけで、自意に憑って彼のために一つの生時を安じ、硬く一つの貴格を造り出します。その人の八字は、生時は多く確實でなく、彼本人もまた必ずしも知りません。命を看る者がもしこの根本を追究せず、ただ人がすでに富貴であるがゆえにあの說法に遷就して附和すれば、一生に解惑の日がないのも怪しむに足りません。
三十一、正官を論ず
官以克身,雖與七煞有別,終受彼制,何以切忌刑沖破害,尊之若是乎?豈知人生天地間,必無矯焉自尊之理,雖貴極天子,亦有天祖臨之。正官者分所當尊,如在國有君,在家有親,刑沖破害,以下犯上,烏乎可乎?
沈氏の原文は言います。官星は我を剋する者で、七煞と分別はあるものの、終局我がそれの管制を受けます。なぜかえって最も刑衝破害を忌み、それをこの地步に尊崇するのでしょうか。須知、人は天地の間に生まれ、矯然と自尊して目中に人なしの道理は断じてありません。貴が天子と為っても、頭上にはなお上天と祖宗があります。正官こそ名分上尊奉すべきものです。國には君があり、家には親があります。刑衝破害をもってそれに對付するは、即ち下をもって上に犯すで、どうして可でありましょうか。
以刑沖破害為忌,則以生之護之為喜矣。存其喜而去其忌則貴,而貴之中又有高低者,何也?以財印並透者論之,兩不相礙,其貴也大。如薛相公命,甲申、壬申、乙巳、戊寅,壬印戊財,以乙隔之,水與土不相礙,故為大貴。若壬戌、丁未、戊甲、乙卯,雜氣正官,透干會支,最為貴格,而壬財丁印,二者相合,仍以孤官無輔論,所以不上七品。
沈氏の原文は言います。すでに刑衝破害を忌とすれば、すなわち官を生じ官を護るを喜とします。喜する所を留め忌する所を去れば、便ち貴を主ります。しかし貴の中にまた高低の分があるのはなぜでしょうか。財と印が併透するものをもって言えば、両者が擺り開き互いに妨げなければ、貴は大です。たとえば薛相公の命。甲申年・壬申月・乙巳日・戊寅時。乙木日主が申月に生まれ、申中の庚金は正官です。月干の壬水は正印、時干の戊土は正財で、中間に乙日主が隔って、水と土は合一わず、財は印を壞せず印は財を沒せず、所以に大貴です。反対に、壬戌年・丁未月・戊申日・乙卯時という一造(底本の「戊甲」は「戊申」の誤り)は、戊土が未月に生まれ、未は雜氣で、乙木の正官はすでに時干に透してまた卯と會して木局を成し、もともと最上等の貴格です。奈何、年干の壬水偏財と月干の丁火正印が兩兩相合し、財印が同じく歸於盡で、依然として「孤官無輔」に照らして論ずるほかなく、所以に官位は七品に上りません。
若財印不以兩用,則單用印不若單用財,以印能護官,亦能洩官,而財生官也。若化官為印而透財,則又為甚秀,大貴之格也。如金狀元命,乙卯、丁亥、丁未、庚戌,此並用財印,無傷官而不雜煞,所謂去其忌而存其喜者也。
沈氏の原文は言います。假令財と印が同時に併用できなければ、單に印を用いるは單に財を用いるに如きません。印は確かに官を護れますが、同時に官の氣を泄しもするのに、財は專ら官を生じに來るものだからです。もし官を化して印としながら財を透し出せば、それは格外に清秀で、大貴の格です。たとえば金狀元の命。乙卯年・丁亥月・丁未日・庚戌時。丁火日主が亥月に生まれ、亥中の壬水はもともと正官ですが、地支の亥卯未が三合して木局を成し、官は便ち化して印となります。時干の庚金は正財で、透し出てまた水の官を生じられます。これがすなわち財印併用で、傷官が來て官を剋することもなく、七煞が來て混雜することもなく、正に所謂忌する所を去り喜する所を留めるです。
然而遇傷在於佩印,混煞貴乎取清。如宣參國命,己卯、辛未、壬寅、辛亥,未中己官透干用清,支會木局,兩辛解之,是遇傷而佩印也。李參政命,庚寅、乙酉、甲子、戊辰,甲用酉官,庚金混雜,乙以合之,合煞留官,是雜煞而取清也。
沈氏の原文は言います。官格が傷官に遇うのは、全く印を佩んで傷を制するに賴ります。官中に七煞が混じったのは、取清に貴びがあります。たとえば宣參國の命。己卯年・辛未月・壬寅日・辛亥時。壬水日主が未月に生まれ、未中の己土は正官で年干に透し、取用は清純です。しかし地支の亥卯未が會して木局を成して傷官となって來て官を剋しますが、幸いに月干・時干の二つの辛金の正印が木局を制住します。これがすなわち傷に遇えて印を佩むです。また李參政の命。庚寅年・乙酉月・甲子日・戊辰時。甲木が酉中の辛金を正官と用い、年干の庚金は七煞が來て混雜し、月干の乙木は庚金と相合して煞を合し去り官を留めます。これがすなわち煞に雜りて清を取るです。
至於官格透傷用印者,又忌見財,以財能去印,未能生官,而適以護傷故也。然亦有逢財而反大貴者,如范太傅命,丁丑、壬寅、己巳、丙寅,支具巳丑,會金傷官,丙丁解之,透壬豈非破格?卻不知丙丁並透,用一而足,以丁合壬而財去,以丙制傷而官清,無情而愈有情。此正造化之妙,變幻無窮,焉得不貴?
沈氏の原文は言います。官格が傷官を透して印を以て制する者は、また最も財を見るを忌みます。財は印を去りえ、官を生ずるどころか、反って傷官を保護するに等しいからです。しかし財に逢ってかえって大貴となるものもあります。たとえば范太傅の命。丁丑年・壬寅月・己巳日・丙寅時。己土日主が寅月に生まれ、寅中の甲木は正官です。地支の巳と丑が會して金局を成して、即ち傷官が來て官を剋しますが、幸いに年干の丁火・時干の丙火の两層の印綬が金局を制住します。しかし月干にまた壬水を透して財とし、財は印を壞しうるのに、豈に破格ではありませんか。知らざるか、丙丁の两印が併透し、一つ用いればすでに足ります。丁火が去って壬水と相合して財を合掉し、丙火が留まって專ら傷官を制すれば、官星は便ち清です。無情に見えて、反っていよいよ有情です。これぞ造化の巧妙、變幻無窮で、どうして貴ならざるを得ましょうか。
三十二、正官の取運を論ず
取運之道,一八字則有一八字之論,其理甚精,其法甚活,只可大略言之。變化在人,不可泥也。如正官取運,即以正官所統之格分而配之。正官而用財印,身稍輕則取助身,官稍輕則助官。若官露而不可逢合,不可雜煞,不可重官。與地支刑沖,不問所就何局,皆不利也。
沈氏の原文は言います。取運の道理は、一つの八字に一つの八字の說法があり、その理は極めて精しく、その法は極めて活きて、ただ大略を講じるのみです。具體の變化はすべて人が局に臨んで體會するに在り、拘泥してはなりません。正官格の取運について言えば、正官格の下に所轄する幾種の小格に按じてそれぞれ配しなければなりません。正官であって財と印を兼用するもの。日主が略々輕ければ身を助ける運を取り、官星が略々輕ければ官を助ける運を取ります。もし官星がすでに天干に明透していれば、すなわち再び官を合する運に逢すること不可、七煞が來て混雜すること不可、再び官星に遇ってそれを重すぎさせることも不可です。地支上の刑衝については、それが成すのがどの局であるかを問わず、一概にみな不利です。
正官用財,運喜印綬身旺之地,切忌食傷。若身旺而財輕官弱,即仍取財官運可也。正官佩印,運喜財鄉,傷食反吉。若官重身輕而佩印,則身旺為宜,不必財運也。
沈氏の原文は言います。正官格が財を用いて官を生ずる者は、行運は印綬と身旺の地を喜び、日主が財官を擔うに足るようにします。最も忌むのは食神傷官の運が來て官を剋することです。もし日主がもともと身旺で財輕官弱なら、それはやはり財運・官運を取るを良とします。正官格が印を佩む者は、行運は財の郷を喜びます。財が官を生じ官がまた印を生ずるからです。食傷の運はかえって吉利です。印があるからそれを制しえ、しかも身の秀を泄しえます。もし官重身輕で印を佩めば、それは身旺の運を宜とし、必ずしも財運を走って官を生じに行かなくてもよいです。
正官帶傷食而用印制,運喜官旺印旺之鄉,財運切忌。若印綬疊出,財運亦無害矣。正官而帶煞,傷食反為不礙。其命中用劫合煞,則財運可行,傷食可行,身旺,印綬亦可行,只不過復露七煞。若命用傷官合煞,則傷食與財俱可行,而不宜逢印矣。
沈氏の原文は言います。正官格が食傷を帶びて印を以て制伏する者は、行運は官旺・印旺の郷を喜び、財運は切切に忌みます。財が一たび來れば印を壞すからです。もし命中の印綬が重ねて疊出すれば、財運もまた害ありません。正官格で七煞を帶びる者は、食傷の運は反って妨げありません。食傷が正にあの七煞を制しに行くからです。もし命に劫財を用いて煞を合すれば、財運は行うべく食傷運も行うべく身旺の運も行うべく、印綬の運もまた行うべきですが、ただ宜しくないのは再び七煞を露らすことです。もし命に傷官を用いて煞を合すれば、食傷と財の運はみな走れますが、印に逢うを宜としません。印が一たび來れば煞を合する傷官を制してしまうからです。
此皆大略言之,其八字各有議論。運中每遇一字,各有研究,隨時取用,不可言形。凡格皆然,不獨正官也。
沈氏の原文は收結して言います。以上はみな大略について言ったまでで、具體に一つ一つの八字に至っては、それぞれそれぞれの說法があります。大運の中で一つの字に遇うごとに、みな各自に推敲研究し、時に随って局に因って取用し、あらかじめ一つの固定した樣子を說定することはできません。各種の格局はみなこのようで、正官格だけがこのようであるわけではありません。
三十三、財を論ず
財為我克,使用之物也,以能生官,所以為美。為財帛,為妻妾,為才能,為驛馬,皆財類也。財喜根深,不宜太露,然透一位以清用,格所最喜,不為之露。即非月令用神,若寅透乙、卯透甲之類,一亦不為過,太多則露矣。然而財旺生官,露亦不忌,蓋露不忌,蓋露以防劫,生官則劫退,譬如府庫錢糧,有官守護,即使露白,誰敢劫之?如葛參政命,壬申、壬子、戊午、乙卯,豈非財露?唯其生官,所以不忌也。
沈氏の原文は言います。財は我が剋して、我の使用に供するもので、それが官を生ずるゆえに貴ぶべきです。錢財・貨帛、妻子・妾侍、才干・本領、驛馬・奔走はみな財という一類に歸します。財は根が深く扎るを喜び、顯露しすぎるを宜としません。ただし天干上に一位を透して取用を清楚にするのは、格局の最も喜ぶところで、「露」とは算しません。月令の用神でなくても、寅月に乙を透し卯月に甲を透する類のように、一つ透すのは過分と算せず、透しすぎれば便ち露となります。しかし財が旺して官を生じうる者は、露し出ても忌諱しません。露を怕れる所以は、比劫が來て奪うを怕れるからです。一たび財が去って官を生じ、官が劫を制しえれば、比劫は自然に退避します。譬えば府庫の中の錢糧に官兵が看守していれば、明らかに擺らいてあっても、誰が敢えて來て奪いましょうか。たとえば葛參政の命。壬申年・壬子月・戊午日・乙卯時。戊土日主が子月に生まれ、二つの壬水と子水はみな財、豈に財が露すこと甚だしくありませんか。ただ時干の乙木官星に財が來て生ずるがあるがゆえに、併して忌諱しません(底本のこの段の「蓋露不忌」の四字は重出)。
財格之貴局不一,有財旺生官者,身強而不透傷官,不混七煞,貴格也。有財用食生者,身強而不露官,略帶一位比劫,益覺有情,如壬寅、壬寅、庚辰、辛巳,楊待郎之命是也。透官身弱,則格壞矣。
沈氏の原文は言います。財格が貴局を成す路數は一種に止まりません。第一種は「財旺生官」。日主が身強で、また傷官を透して官を剋さず、七煞を混ぜて官を奪わなければ、貴格です。第二種は「財用食生」。日主が身強で官星を露さず、命に略しく比肩・劫財を一位帶びれば、かえっていよいよ有情を覺えます。比劫が食神を生じ、食神がまた去って財を生ずるからです。たとえば壬寅年・壬寅月・庚辰日・辛巳時、これは楊侍郎の命。庚金日主が辰に坐して根があり、寅中の甲木は偏財、年月の二つの壬水は食神、時干の辛金は劫財で、食神が通關して劫は財を奪わず。この格はもし官星を透して日主がまた弱ければ、格局は壞れます。
有財格佩印者,蓋孤財不貴,佩印幫身,即印取貴。如乙未、甲申、丙申、庚寅,曾參政之命是也,然財印宜相併,如乙未、己卯、庚寅、辛巳,乙與己兩不相能,即有好處,小富而已。
沈氏の原文は言います。第三種は「財格佩印」。孤零零とした一つの財は貴を主れず、印を佩んで身を助ければ、この印を以て貴を取ります。たとえば乙未年・甲申月・丙申日・庚寅時、これは曾參政の命。丙火日主が申月に生まれ、申中の庚金は偏財で時干に庚が透し、年干の乙木・月干の甲木はみな印で、寅はまた丙の長生、身は托するところがあり財は生ずるところがあります。ただし財と印は併列して相碍まらないを善とします。反対に乙未年・己卯月・庚寅日・辛巳時という一造を見れば、庚金日主が卯月に生まれ、乙木の正財は年干に透し、己土の正印は月干に透し、乙木が偏に己土を剋して両者互いに相容れません(底本の「両不相能」は互いに為難するを謂う)。たとい幾分かの好處があっても、不過小富に過ぎません。
有用食而兼用印者,食與印兩不相礙,或有暗官而去食護官,皆貴格也。如吳榜眼命,庚戌、戊子、戊子、丙辰,庚與丙隔兩戊而不相剋,是食與印不相礙也。如平江伯命,壬辰、乙巳、癸巳、辛酉,雖食印相剋,而欲存巳戊官,是去食護官也。反是則減福矣。
沈氏の原文は言います。第四種はすでに食神を用いまた印を兼用するもの。食と印が擺り開いて互いに妨げないか、あるいは局中に別に官星を藏して印を借りて食神を去り官星を保護するか、二樣とも貴格です。たとえば呉榜眼の命。庚戌年・戊子月・戊子日・丙辰時。戊土日主が子月に生まれ、子中の癸水は正財、年干の庚金は食神が來て財を生じ、時干の丙火は偏印です。庚と丙の中間に日月の二つの戊土が隔って、火は金を剋するに及ばず、これがすなわち食と印が互いに相碍まらないです。また平江伯の命。壬辰年・乙巳月・癸巳日・辛酉時。癸水日主が巳月に生まれ、巳中の丙火は財・戊土は暗藏の正官です。月干の乙木は食神、時干の辛金は偏印で、印と食はもともと相剋ですが、正に辛金に頼って乙木を去り、巳中の戊官を保せしめる、これがすなわち食を去って官を護るです。もし反対に排せば、福分は折り打たれます。
有財用傷官者,財不甚旺而比強,輅露一位傷官以化之,如甲子、辛未、辛酉、壬辰,甲透未庫,逢辛為劫,壬以化劫生財,汪學士命是也,財旺無劫而透傷,反為不利,蓋傷官本非美物,財輕透劫,不得已而用之。旺而露傷,何苦用彼?徒使財遇傷而死生官之具,安望富貴乎?
沈氏の原文は言います。第五種は「財用傷官」。財は甚だ旺たず比劫は却って強ければ、一位の傷官を露して比劫の氣を化轉して財を生ぜしめます。たとえば甲子年・辛未月・辛酉日・壬辰時、これは汪學士の命。辛金日主が未月に生まれ、年干の甲木は正財で未庫に通根し、月干の辛金は劫財が來て財を奪わんとしますが、幸いに時干の壬水の傷官があり、劫氣を化して去って轉じて財を生じます(底本の「輅露」の字は訛り、「略露」に作るべき)。反対に、もし財がもともと旺んであり比劫が來て奪うこともなく、偏に傷官を透し出せば、それは反って不利です。傷官はもともと良いものではありません。ただ財輕して劫財を透すがゆえに、已むを得ずしてそれを用います。財がすでに旺んでなお傷官を露して、何の苦してそれを用いますか。徒に財を傷官に牽累させ、また官を生ずる憑藉を斷送して、なお何の富貴を指望しますか。
有財帶七煞者,或合煞存財,或制煞生財,皆貴格也,如毛狀元命,乙酉、庚辰、甲午、戊辰,合煞存財也;李御史命,庚辰、戊子、戊寅、甲寅,制煞生財也。
沈氏の原文は言います。第六種は「財帶七煞」。處理の辦法は、あるいは煞を合掉して財を留め、あるいは煞を制住して財をして去って官を生ぜしめる、二樣とも貴格です。たとえば毛狀元の命。乙酉年・庚辰月・甲午日・戊辰時。甲木日主が辰月に生まれ、時干の戊土は偏財、月干の庚金は七煞、年干の乙木は劫財で、乙と庚が一たび合すれば、煞は合し去られて財は留まります。これがすなわち煞を合して財を存するです。また李御史の命。庚辰年・戊子月・戊寅日・甲寅時。戊土日主が子月に生まれ、子中の癸水は正財、時干の甲木は七煞、年干の庚金は食神で、庚金が甲煞を制住すれば、財は便ち安然として去って官を生じます。これがすなわち煞を制して財を生ずるです。
有財用煞印者,黨煞為忌,印以化之,格成富局,若冬土逢之亦貴格。如趙侍郎命,乙丑、丁亥、乙亥,化煞而即以解凍,又不露財以雜其印,所以貴也。若財用煞印而印獨,財煞並透,非特不貴,亦不富也。
沈氏の原文は言います。第七種は「財用煞印」。財が去って七煞を黨助するはもともと忌諱ですが、印に頼って煞を化け開けば、格局は便ち富局を成します。もし冬月の土日主がこの配合に遇えば、また貴格と算します。たとえば趙侍郎の命。乙丑年・丁亥月・乙亥日(底本のこの造は時柱を脱す、敢えて臆補せず)。乙木日主が亥月に生まれ、丑中の辛金は七煞・己土は財で、財は正に煞を黨します。二つの亥中の壬水は正印で、煞氣を化轉して來て身を生じ、月干の丁火はまた冬月のために寒凍を解きます。しかも天干に財星を露して印星を攪混せず、所以に貴を主ります。もし財が煞印を用いて印が孤零零とした一つでしかなく、財と煞が雙雙として透し出れば、それは貴ばないのみならず、富にも談じられません。
至於壬生午月,癸生巳月,單透財而亦貴,又月令有暗官也。如丙寅、癸巳、癸未、壬戌,林尚書命是也。又壬生巳月,單透財而亦貴,以其透丙藏戊,棄煞就財,美者存在贈者棄也。如丙辰、癸巳、壬戌、壬寅,王太僕命是也。至於劫刃太重,棄財就煞,如一尚書命,丙辰、丙申、丙午、壬辰,此變之又變者也。
沈氏の原文は言います。壬水が午月に生まれ癸水が巳月に生まれるものは、ただ單單と一つの財を透しても貴を主りえます。月令の中に別に官星を藏するがゆえです。たとえば丙寅年・癸巳月・癸未日・壬戌時、これは林尚書の命。癸水が巳月に生まれ、年干の丙火は正財、巳中の戊土は暗藏の正官で、財は暗中に官を生じえます。また壬水が巳月に生まれ、單に一つの財を透しても貴ぶのは、透し出るのが丙火の偏財で藏するのが戊土の七煞で、索性七煞を捨てて財に就き、良いのを留めて悪いのを丢くからです(底本の「贈者」は「憎者」に作るべき)。たとえば丙辰年・癸巳月・壬戌日・壬寅時、これは王太僕の命。比劫・羊刃が重すぎて、反って財を捨てて去り七煞に就くものについては、たとえば某尚書の命。丙辰年・丙申月・丙午日・壬辰時。丙火日主が午に坐して羊刃とし、年月の二つの丙は比肩で、申中の庚金は財なれど擔ぐに足らず、已まず時干の壬水の七煞を取って身を制します。これがすなわち變化の外にまた變化を生ずるです。
三十四、財の取運を論ず
財格取運,即以財格所就之局,分而配之。其財旺生官者,運喜身旺印綬,不利七煞傷官;若生官而後透印,傷官之地,不甚有害。至於生官而帶食破局,則運喜印綬,而逢煞反吉矣。
沈氏の原文は言います。財格の取運は、財格の成すあの一種の局に就いてそれぞれ配します。「財旺生官」の一路は、行運は身旺と印綬の地を喜び、日主が財官を擔うに足らせます。七煞と傷官に利あらず。煞が來て官を混ぜ、傷が來て官を剋するからです。もしすでに官を生じて後にまた印を透して官を護れば、傷官の地を走ってもそれほど害ありません。財が官を生じながら食神を帶びて來て官を剋し、格局を破ったものに至っては、行運は印綬が來て食を制し官を護るを喜び、七煞の運に逢えば反って吉利です。食神に制すべき煞があって、再び官を傷らないからです。
財用食生,財食重而身輕,則喜助身;財食輕而身重,則仍行財食。煞運不忌,官印反晦矣。財格佩印,運喜官鄉,身弱逢之,最喜印旺。
沈氏の原文は言います。「財用食生」の一路。財と食がともに重く日主が偏に輕ければ、身を助ける運を喜びます。財と食がともに輕く日主が偏に重ければ、それはやはり財運・食運を走ります。この一路で七煞の運を走るは忌むに及ばず。食神があって煞を制しうるからです。反って官運・印運が格局を黯淡ならしめます。官が來て食神の用を奪い、印が來て食神の氣を奪うからです。「財格佩印」の一路。行運は官の郷を喜びます。官が印を生じうるからです。日主がもし弱ければ、印旺の運に遇うが最も稱心です。
財用食印,財輕則喜財食,身輕則喜比印,官運有礙,煞反不忌也。財帶傷官,財運則亨,煞運不利,運行官印,未見其美矣。
沈氏の原文は言います。「財が食と印を兼用する」の一路。財が輕ければ財運・食運が來て財源を充實させるを喜び、日主が輕ければ比劫と印運が來て身を助けるを喜びます。官運は妨げがあります。官が身を剋しまた食を奪うからです。七煞運は反って忌みません。食神があってそれを制するからです。「財帶傷官」の一路。財運を走れば便ち亨通します。傷官が正に財を生ずるからです。煞運は不利です。煞が傷官と財を牽累するからです。官運・印運を走るに至っては、また何の好處も見えません。官は傷官の剋する所であり、印はまた財を生ずる傷官を制住するからです。
財帶七煞。不論合煞制煞,運喜食傷身旺之方。財用煞印,印旺最宜,逢財必忌。傷食之方,亦任意矣。
沈氏の原文は言います。「財帶七煞」の一路。命が煞を合するか制するかを論ぜず、行運は食傷と身旺の方を喜びます。食傷は煞を制しえ、身旺は財を擔い煞を擔いえます。「財用煞印」の一路。印旺の運が最も相宜です。印が煞を化して身を生ずるからです。一たび財運に逢えば必ず忌みます。財が來れば印を壞すからです。食傷の運に至っては、行うべくもあり行うべからずもあり、關係は軽重に係りません。
三十五、印綬を論ず
印綬喜其生身,正偏同為美格,故財與印不分偏正,同為一格而論之。印綬之格局亦不一,有印而透官者,正官不獨取其生印,而即可以為用,與用煞者不同。故身旺印強,不愁太過,只要官星清純,如丙寅、戊戌、辛酉、戊子,張參政之命是也。
沈氏の原文は言います。印綬が貴ばれるのは我が身を生じうるに在り、正印も偏印も同じく美格です。だから財と印はともに正偏を分かたず、それぞれ併せて一つの格を作して論じます。印綬の格局もまた一種に止まりません。第一種は「印にして官を透す」。ここの正官はただそれが來て印を生ずるを取るだけでなく、それ自身が用神に充てられます。七煞を用いて印を生ずる情形と同じではありません。だからたとい日主が身旺で印がまた強くても、生ずること太過ぎるを愁えず、ただ官星が清純であれば善いです。たとえば丙寅年・戊戌月・辛酉日・戊子時、これは張參政の命。辛金日主が戌月に生まれ、月干と時干の二つの戊土は正印、年干の丙火は正官で、官清く印厚く、日主は酉に坐して祿を得ます。
然亦有帶傷食而貴者,則如朱尚書命,丙戌、戊戌、辛未、壬辰,壬為戊制,不傷官也。又如臨淮侯命,乙亥、己卯、丁酉、壬寅,己為乙制,己不礙官也。有印而用傷食者,身強印旺,恐其太過,洩身以為秀氣。如戊戌、乙卯、丙午、乙亥,李狀元命也,若印淺身輕,而用層層傷食,則寒貧之局矣。
沈氏の原文は言います。ただし印格が食傷を帶びてなお顯貴するものもあります。たとえば朱尚書の命。丙戌年・戊戌月・辛未日・壬辰時。辛金日主で、月干の戊土は印、年干の丙火は官、時干の壬水は傷官で本來丙を剋さんとしますが、幸いに壬水が戊土に制されて、官を傷れません。また臨淮侯の命。乙亥年・己卯月・丁酉日・壬寅時。丁火日主が卯月に生まれ、乙木は印で年干に透し、時干の壬水は正官、月干の己土は食神で本來壬を剋さんとしますが、幸いに己土が乙木に制されて、官を妨げられません。第二種は「印にして食傷を用いる」。日主が身強で印がまた旺んであり、生ずること太過ぎるを怕れて、食傷を用いて身を泄して秀氣を成します。たとえば戊戌年・乙卯月・丙午日・乙亥時、これは李狀元の命。丙火が卯月に生まれ、月時の二つの乙木は印、年干の戊土は食神吐秀です。もし印淺身輕で、かえって層層の食傷を用いて泄すれば、それは寒微・貧寒の局となります。
有用偏官者,偏官本非美物,藉其生印,不得已而用之。故必身重印輕,或身輕印重,有所不足,始為有性。如茅狀元命,己巳、癸酉、癸未、庚申,此身輕印重也。馬參政命,壬寅、戊申、壬辰、壬寅,此身重印輕也。若身印並重而用七煞,非孤則貧矣。有用煞而兼帶傷食者,則用煞而有制,生身而有洩,不論身旺印重,皆為貴格。
沈氏の原文は言います。第三種は印格の「偏官を用いる」。七煞はもともと良いものではなく、ただそれを借りて印を生ずるのみ、已むを得ずして用います。だから必ず身重して印輕、あるいは身輕して印重、要は一頭に不足があり、煞を用い起こしてはじめて有情と算します(底本の「有性」は「有情」に作るべき)。たとえば茅狀元の命。己巳年・癸酉月・癸未日・庚申時。癸水日主が酉月に生まれ、酉中の辛金と時干の庚金はみな印で、印は甚だ重いです。年干の己土は七煞で、これは身輕印重で煞を借りて印を生ずるです。また馬參政の命。壬寅年・戊申月・壬辰日・壬寅時。壬水日主で、年月時の三處の水氣と辰申が會局して、身は甚だ重いです。申中の庚金は印なれど透せず、月干の戊土は七煞で、これは身重印輕で煞を借りて印を生ずるです。もし身と印がともに重くてなお七煞を用いれば、それは孤苦でなければ貧寒です。第四種は煞を用いてまた食傷を兼帶するもの。煞を用い食傷が來てそれを制し、印が來て身を生じまた食傷が來てそれを泄す、こうすれば日主の身旺でも印重でも、いずれも貴格と算します。
有印多而用財者,印重身強,透財以抑太過,權而用之,只要根深,無防財破。如辛酉、丙申、壬申、辛亥,汪侍郎命是也。若印輕財重,又無劫財以救,則為貪財破印,貧賤之局也。
沈氏の原文は言います。第五種は「印多くして財を用いる」。印が重すぎて日主がまた強ければ、財を透してこの太過を抑制する、權宜の用に屬します。ただ印の根が深く扎れば、財が來てそれを破るを怕れません。たとえば辛酉年・丙申月・壬申日・辛亥時、これは汪侍郎の命。壬水日主が申月に生まれ、申中の庚金と年干・時干の二つの辛金はみな印で、印は實に多すぎます。月干の丙火は偏財で、ちょうどその太過を損し、しかも壬水が申に坐してまた亥に通ずれば、日主と印にみな深根があって、財はそれを破して動かせません。反対に、もし印輕して財重し、また比劫が來て印を救うことがなければ、それは「貪財破印」となって、貧賤の局です。
即或印重財輕而兼露傷食,財與食相生,輕而不輕,即可就富,亦不貴矣。然亦有帶食而貴者,何也?如庚寅、乙酉、癸亥、丙辰,此牛監薄命,乙合庚而不生癸,所以為貴,若合財存食,又可類推矣。如己未、甲戌、辛未、癸巳,此合財存食之貴也。
沈氏の原文は言います。たとい印重財輕でも、もし同時に食傷を露せば、食傷が財を生じて財は便ち輕より重に轉じ、それは富を得るのみで貴を得られません。しかし食神を帶びて反って顯貴するものもあるのはなぜでしょうか。たとえば庚寅年・乙酉月・癸亥日・丙辰時、これは牛監簿の命。癸水日主が酉月に生まれ、年干の庚金は正印、月干の乙木は食神で本來身を泄さんとし、また時干の丙火の財を生じて來て印を壞さんとします。幸いに乙木が庚金に合されて、癸を生ぜず火を生ぜず、印は保全を得て、所以に貴を主ります。これが「合食存印」。もし反対に財を合して食神を留めるなら、またこの類に照らして推せます。たとえば己未年・甲戌月・辛未日・癸巳時、これはすなわち財を合して食を存して貴ぶの例。辛金日主で、戌未中の戊己土は印、月干の甲木は正財、年干の己土は甲と相合して財を合し去り、時干の癸水の食神を留めて吐秀せしめます。
又有印而兼透官煞者,或合煞,或有制,皆為貴格。如辛亥、庚子、甲辰、乙亥,此合煞留官也;壬子、癸卯、丙子、己亥,此官煞有制也。至於化印為劫;棄之以就財官,如趙知府命,丙午、庚寅、丙午、癸已,則變之又變者矣。
沈氏の原文は言います。また印格で官と煞が併せて透し出るものは、あるいは煞を合掉し、あるいは煞を制住すれば、いずれも貴格と算します。たとえば辛亥年・庚子月・甲辰日・乙亥時。甲木日主が子月に生まれ、子中の癸水は正印、年干の辛金は正官・月干の庚金は七煞で、官煞混雜ですが、幸いに時干の乙木が庚金と相合します。これがすなわち煞を合して官を留めるです。また壬子年・癸卯月・丙子日・己亥時。丙火日主が卯月に生まれ、卯中の乙木は正印、年干の壬水は七煞・月干の癸水は正官で、時干の己土は傷官で、正にそれらを制伏しえます。これがすなわち官煞有制です。印を化して劫とし、索性印を捨てて去り財官に就くものに至っては、たとえば趙知府の命。丙午年・庚寅月・丙午日・癸巳時(底本の「癸已」は「癸巳」に作るべき)。丙火が寅月に生まれてもともと印格ですが、寅と二つの午が會して火局を成し、印は便ち化して劫となります。ここにおいて印を捨てて用いず、改めて月干の庚金の財と時干の癸水の官を取る――これがすなわち變化の外にまた變化を生ずるです。
更有印透七煞,而劫財以存煞印,亦有貴格,如庚戌、戊子、甲戌、乙亥是也。然此格畢竟難看,宜細詳之。
沈氏の原文は言います。さらに印格が七煞を透して、劫財を用いて牽制して、煞印相生のこの層を保全するものもまた貴格を成します。たとえば庚戌年・戊子月・甲戌日・乙亥時。甲木日主が子月に生まれ、子中の癸水は正印、年干の庚金は七煞、時干の乙木は劫財です。乙と庚が相合して、煞に肆に身を攻さしめず、また煞が印を生じ印が身を生ずるこの路を留めます。ただしこの格は畢竟に看準し難く、細かく推詳すべきです。
三十六、印綬の取運を論ず
印格取運,即以印格所成之局,分而配之。其印綬用官者,官露印重,財運反吉,傷食之方,亦為最利。若用官而帶傷食,運喜官旺印綬之鄉,傷食為害,逢煞不忌矣。
沈氏の原文は言います。印格の取運は、印格の成すあの一種の局に就いてそれぞれ配します。「印綬用官」の一路。官星がすでに明透して印がまた重ければ、財運を走るは反って吉利です。財が官を生じ、またあの太過の印を損しうるからです。食傷の地を走るも最も利あり、身印の太過を泄し去りえます。もし官を用いて命中に食傷を帶びて來て官を剋するなら、それは行運が官旺・印旺の郷を喜びます。官旺なら官星に力あり、印旺なら食傷を制しえます。食傷の運は為害ですが、七煞の運に逢えば反って忌むに及ばず。食傷が正に制すべき煞があるからです。
印綬而用傷食,財運反吉,傷食亦利,若行官運,反見其災,煞運則反能為福矣。印用七煞,運喜傷食,身旺之方,亦為美地,一見財鄉,其凶立至。
沈氏の原文は言います。「印綬用食傷」の一路。財運を走るは反って吉利です。食傷が財を生じ、財はまたあのもともと旺んだ印を壞すに至らないからです。食傷の運を走るも利ありです。もし官運を走れば、反って災を見ます。官が來て印を生じ、印はいよいよ旺んで食傷の秀を奪うからです。煞運を走れば却って福を為しえます。煞が食傷の制する所で、正にその用を得るからです。「印用七煞」の一路。行運は食傷が來て煞を制するを喜び、身旺の方もまた美地です。一たび財の郷に走り至れば、財は去って印を壞しまた煞を黨して、凶禍は即刻に至ります。
若用煞而兼帶傷食,運喜身旺印綬之方,傷食亦美,逢官遇財,皆不吉也。印綬遇財,運喜劫地,官印亦亨,財鄉則忌。
沈氏の原文は言います。もし煞を用いてまた食傷を兼帶する者は、行運は身旺と印綬の方を喜び、食傷の運も美です。一たび官運に逢えば便ち官煞混雜し、一たび財運に遇えば便ち印を壞して煞を黨して、みな吉利でありません。「印綬遇財」の一路――すなわち印が財に困される者は、行運は比劫の地を喜び、劫財をしてあの財を奪って印を救わせます。官運・印運もまたみな亨通します。官が印を生じ、印が身を助けるからです。ただ再び財の郷を走れば忌諱となります。
印格而官煞競透,運喜食神傷官,印旺身旺,行之亦利。若再透官煞,行財運,立見其災矣。印用食傷,印輕者亦不利見財也。
沈氏の原文は言います。印格で官と煞が爭って透し出る者は、行運は食神・傷官が去ってそれらを制伏するを喜びます。印旺・身旺の運を走るも利ありです。もし行運がさらに官煞を透し出し、あるいは財運に走り至って官煞を生助すれば、災禍は即刻に顯現します。印格が食傷を用いる者に至っては、もし印がもともと輕ければ、それもまた財を見るを宜としません。財が一たび來れば、この點の薄印を徹底に壞し盡くすからです。
三十七、食神を論ず
食神本屬洩氣,以其能生正財,所以喜之。故食神生財,美格也。財要有根,不必偏正疊出,如身強食旺而財透,大貴之格。若丁未、癸卯、癸亥、癸丑,梁丞相之命是也;己未、壬申、戊子、庚申,謝閣老之命是也。
沈氏の原文は言います。食神はもともと我の氣を泄するもので、ただそれが正財を生じうるがゆえに、人々はそれを喜びます。それゆえ「食神生財」は一つの美格です。財は根があるを要しますが、正財・偏財が重ねて疊出するを必ずしも要しません。もし日主が身強で食神がまた旺んで財が天干に透すれば、それは大貴の格です。たとえば丁未年・癸卯月・癸亥日・癸丑時、これは梁丞相の命。癸水日主が卯月に生まれ、卯中の乙木は食神、三つの癸と亥丑が水を成して身は極強、年干の丁火は偏財で食神の生ずる所を得ます。また己未年・壬申月・戊子日・庚申時、これは謝閣老の命。戊土日主が申月に生まれ、時干の庚金は食神、月干の壬水と日支の子水はみな財で、食が旺んで財を生じます。
藏食露傷,主人性剛,如丁亥、癸卯、癸卯、甲寅,沈路分命是也。偏正疊出,富貴不巨,職甲午、丁卯、癸丑、丙辰,龔知縣命是也。夏木用財,火炎土燥,貴多就武。如己未、已巳、甲寅、丙寅,黃都督之命是也。
沈氏の原文は言います。食神が地支に藏して傷官が天干に露する者は、その人の性情は剛強です。たとえば丁亥年・癸卯月・癸卯日・甲寅時、これは沈路分の命。癸水日主で、二つの卯中の乙木は食神で藏して露せず、時干の甲木は却って傷官で明透です。財星が正偏重疊して出る者は、富貴が宏大でありません。たとえば甲午年・丁卯月・癸丑日・丙辰時、これは龔知縣の命。癸水が卯月に生まれ、年干の甲木は傷官・卯中の乙木は食神で食傷併出し、丙丁の两火はまた正財・偏財が雜陳です(底本の「職」の字は「如」に作るべき)。夏の木が財を用いるに至っては、火勢が炎烈し土がまた乾燥し、貴を取るは多く武職の一路を走ります。たとえば己未年・己巳月・甲寅日・丙寅時、これは黄都督の命。甲木が巳月に生まれ、時干の丙火は食神、年月の二つの己土は正財です(底本の「已巳」は「己巳」に作るべき)。
若不用財而就煞印,最為威權顯赫。如辛卯、辛卯、癸酉、己未,常國公命是也。若無印綬而單露偏官,只要無財,亦為貴格,如戊戌、壬戌、丙子、戊戌,胡會元命是也。
沈氏の原文は言います。もし財を用いずして改めて煞印に就けば、それは最も威權顯赫です。たとえば辛卯年・辛卯月・癸酉日・己未時、これは常國公の命。癸水日主が卯月に生まれ、卯中の乙木は食神、時干の己土は七煞、年月の二つの辛金は偏印で、日主がまた酉に坐して印の根を得、煞印相生して食神が吐秀します。もし印綬がなくて單單に一つの偏官を露するだけなら、局中に財が去って煞を黨することがなければ、また貴格です。たとえば戊戌年・壬戌月・丙子日・戊戌時、これは胡會元の命。丙火日主で、三つの戊土は食神、月干の壬水は七煞で、食重煞輕にして財が來て煞を助けるを見ず。
若金水食神而用煞,貴而且秀,如丁亥、壬子、辛巳、丁酉,舒尚書命是也。至於食神忌印,夏火太炎而木焦,透印不礙,如丙午、癸巳、甲子、丙寅,錢參政命是也。食神忌官,金水不忌,即金水傷官可見官之謂。
沈氏の原文は言います。もし金水の食神で七煞を用いれば、それは貴であり且つ秀です。たとえば丁亥年・壬子月・辛巳日・丁酉時、これは舒尚書の命。辛金日主が子月に生まれ、水が旺んで秀を泄し、年干と時干の二つの丁火は七煞で、冬水の寒凝は正に火に賴って局を暖め、所以に貴であり且つ秀です。食神が印を忌むというに至っては、それは常例です。しかし夏の火は太過炎烈し木は烤焦されるとき、ここに印を透して潤澤すれば反って碍ありません。たとえば丙午年・癸巳月・甲子日・丙寅時、これは錢參政の命。甲木が巳月に生まれ、年干・時干の二つの丙火は食神、月干の癸水は正印で、ちょうど炎を解きます。また食神が官を忌むと言うも、それもまた常例です。しかし金水の日主は忌まず、これが正に「金水傷官は官を見るべし」の意です。
至若單用食神,作食神有氣,有財運則富,無財運則貧。更有印來奪食,透財以解,亦有富貴,須就其全局之勢而斷之。至於食神而官煞競出,亦可成局,但不甚貴耳。更有食神合煞存財,最為貴格。
沈氏の原文は言います。ただ單單に一つの食神を用いるに至っては、ただ食神に氣があれば、行運が財に遇えば富し、財に遇わなければ貧します。さらに印が來て食を奪うのに、財を透して去って印を制して解救するものもまた富貴を有しえます。これは全局の氣勢に就いて判斷するを要します。食神格で官と煞が爭って透し出るに至っては、また局を成しえますが、ただあまり貴くないだけです。もう一種は食神が七煞を合し住めて、財星を保住するもので、それは最上等の貴格です。
至若食神透煞。本忌見財,而財先煞後,食以間之,而財不能黨煞,亦可就貴。如劉提臺命,癸酉、辛酉、己卯、乙亥是也。其餘變化,不能盡述,類而推之可也。
沈氏の原文は言います。食神格で七煞を透するに至っては、もともと最も財を見るを忌み、財が去って七煞を黨助するを怕れます。しかしもし財が前にあり煞が後にあり、中間にまた食神を隔てば、財は煞に及ばず、また貴を取りえます。たとえば劉提台の命。癸酉年・辛酉月・己卯日・乙亥時。己土日主が酉月に生まれ、月干の辛金は食神、年干の癸水は偏財、時干の乙木は七煞です。財は年にあり煞は時にあり、中間は食神に隔斷されて、財は去って煞を黨する能くなく、食神は却って煞を制しえます。殘りの變化は言い盡くせず、この路子に照らして類推すればよいです。
三十八、食神の取運を論ず
食神取運,即以食神所成之局,分而配之。食神生財,財食輕,則行財食,財食重則喜幫身。官煞之方,俱為不美。食用煞印,運喜印旺,切忌財鄉。身旺,食傷亦為福運,行官行煞,亦為吉也。
沈氏の原文は言います。食神格の取運は、食神の成すあの一種の局に就いてそれぞれ配します。「食神生財」の一路。財と食がともに輕ければ、財運・食運を走ってそれらを補足します。財と食がともに重ければ、身を助ける運を喜んで日主に擔ぐに足らせます。官運・煞運はともに美ありません。官が來て食を奪い、煞が來て身を攻するからです。「食神用煞印」の一路。行運は印旺を喜びます。印が煞を化して身を生ずるからです。切に忌むのは財の郷に走り至ることで、財が來れば印を壞しまた煞を黨します。日主がもし旺んなれば、食傷の運もまた福運と算します。官運を行じ煞運を行じても、同じく吉利です。
食傷帶煞,喜行印綬,身旺,食傷亦為美運,財則最忌。若食太重而煞輕,印運最利,逢財反吉矣。
沈氏の原文は言います。「食傷帶煞」の一路。印綬の運を走って來て煞を化し身を護るを喜び、身旺の運もまた善く、食傷の運も同じく美運です。ただ財運だけが最も忌むべきです。財が食傷の氣を轉じて去って七煞を助長させるからです。もし食神が重すぎて七煞が偏に輕く、制することが頭を過ぎれば、それは印運を最も利ありとします。印が食を抑えて煞を存するからです。ここに財運に逢えば反って吉利です。財が食を泄して煞を生じ、あの足りなき煞を補足するからです。
食神太旺而帶印,運最利財,食傷亦吉,印則最忌,官煞皆不吉也。若食神帶印,透財以解,運喜財旺,食傷亦吉,印與官煞皆忌也。
沈氏の原文は言います。食神が太過旺んで命中にまた印を帶びる者は、行運で最も利あるのは財です。財が印を制して食を護り、また食を泄して用と為すからです。食傷の運も吉です。印運は最も忌みます。さらに一層の食を奪う物を添えるからです。官運・煞運もまたみな吉ありません。もし食神帶印ですでに財を透して解救したものは、行運は財旺の地を喜んで、この層の解救を坐實させるを善とします。食傷の運も吉です。印と官煞の運は則ち一概にみな忌諱となります。
三十九、偏官を論ず
煞以攻身,似非美物,而大貴之格,多存七煞。蓋控制得宜,煞為我用,如大英雄大豪傑,似難駕馭,而處之有方,則驚天動地之功,忽焉而就。此王侯將相所以多存七煞也。七煞之格局亦不一:煞用食制者,上也,煞旺食強而身健,極為貴格。如乙亥、乙酉、乙卯、丁丑,極等之貴也。
沈氏の原文は言います。七煞は來て身を攻するもので、見たところ良いものに似ません。しかし大貴の格局の中には、多く七煞があります。ただ控制が宜しければ、煞は我の用と為るがゆえです。大英雄・大豪杰のように、見るに馭し難いようですが、一たび安置が法を得れば、驚天動地の功業は轉眼に成します。これが正に王侯將相の命に多く七煞がある緣故です。七煞の格局もまた一種に止まりません。食神を用いて煞を制するが最上乘です。煞が旺し食が強く日主の身體が健旺なら、極貴の格です。たとえば乙亥年・乙酉月・乙卯日・丁丑時。乙木日主が酉月に生まれ、酉中の辛金は七煞で、煞は正に當令です。時干の丁火は食神が來て煞を制します。三つの乙木はまた亥に坐し卯に坐して、日主の身は健やかです。三者俱備して、極品の貴命です。
煞用食制,不要露財透印,以財能轉食生煞,而印能去食護煞也。然而財先食後,財生煞而食以制之,或印先食後,食太旺而印制,則格成大貴。如脫丞相命,壬辰、甲辰、丙戌、戊戌,辰中暗煞,壬以透之,戊坐四支,食太重而透甲印,以損太過,豈非貴格?若煞強食洩而印露,則破局矣。
沈氏の原文は言います。食神を用いて煞を制する者は、財を露さず、また印を透さないを要します。財が食神の氣を轉じて去って煞を生じ、印がまた食神を去って反って煞を保護するからです。しかしもし財が前にあり食が後にあり、財が先に煞を生起して食神が随って後にそれを制するか、あるいは印が前にあり食が後にあり、食神が太過旺んで印に由ってそれを裁抑するなら、それは反って大貴の格を成します。たとえば脫丞相の命。壬辰年・甲辰月・丙戌日・戊戌時。丙火日主で、二つの辰中に壬癸の暗煞を藏し、年干の壬水は正にそれを透し出しています。戊土の食神は四つの地支の上に坐して、食神は實に重すぎますが、幸いに月干が甲木の偏印を透して來てその太過を損ずれば、豈に貴格ではありませんか。反対に、もし煞がもともと強く、食神がまた日主を泄し弱めて、なお偏に印を露して食を奪い煞を護れば、それは破局です。
有七煞用印者,印能護煞,本非所宜,而印有情,便為貴格。如何參政命,丙寅、戊戌、壬戌、辛丑,戊與辛同通月令,是煞印有情也。亦有煞重身輕,用食則身不能當,不若轉而就印,雖不通根月令,亦為無情而有情。格亦許貴,但不大耳。
沈氏の原文は言います。また七煞で印を用いるものもあります。印は煞を護れますが、もともと合適でありません。しかし印の用い方が有情であれば、便ち貴格を成します。たとえば何參政の命。丙寅年・戊戌月・壬戌日・辛丑時。壬水日主が戌月に生まれ、月干の戊土は七煞、時干の辛金は正印です。戊と辛はともに戌の月令中に通根し、煞印が同一の源より出る、これがすなわち煞印有情です。また煞が重くて日主の身が輕い者もあり、もし食神を用いて制せば、日主は自ら先に擔い承けられず、むしろ轉じて印に就き、印に煞を化して身を生ぜしめるに如かず。こうすればたとい印が月令の根に通ぜなくても、無情より有情に轉じたと算し、格局もまた他の顯貴を許しますが、ただ大きくはなりません。
有煞而用財者,財以黨煞,本非所喜,而或食被制,不能伏煞,而財以去印存食,便為貴格。如周丞相命,戊戌、甲子、丁未、庚戌,戊被制不能伏煞,時透庚財,即以清食者,生不足之煞。生煞即以制煞,兩得其用,尤為大貴。
沈氏の原文は言います。また七煞で財を用いるものもあります。財が去って七煞を黨助するは、もともと喜ぶ所ではありません。しかしもし食傷が印に制されて、煞を伏せる能くなければ、財に賴って印を去り食傷を保住して、それは便ち貴格を成します。たとえば周丞相の命。戊戌年・甲子月・丁未日・庚戌時。丁火日主が子月に生まれ、子中の癸水は七煞です。年干の戊土は本來煞を制しえたが、月干の甲木の正印に制されて力を使えません。時干に庚金の財星を透して、一面で甲印を去って戊土に煞を制し得せしめ、一面でまたあのもともと足りなき煞を生起します。煞を生ずるは正に煞を制するを成全する所以で、两頭ともに用場に派し、所以に格外に大貴です。
又有身重煞輕,煞又化印,用神不清,而借財以清格,亦為貴格。如甲申、乙亥、丙戌、庚寅,劉運使命是也。更有雜氣七煞,干頭不透財以清用,亦可取貴。
沈氏の原文は言います。また日主が身重で七煞が偏に輕く、煞がまた印に化されて、用神を不清にしてしまい、已まず財を借りて來て格局を理清するものも、貴格と算します。たとえば甲申年・乙亥月・丙戌日・庚寅時、これは劉運使の命。丙火日主が亥月に生まれ、亥中の壬水は七煞ですが、年干の甲木・月干の乙木はみな印で、煞を化し盡くします。時干の庚金は偏財で、一に來て印を損しえ、二に來て煞を生じえて、格局は便ち清です。さらにもう一種は雜氣月令中に藏する七煞で、天干上に財を透して局を攪さず、取用が清純なら、また貴を取りえます。
有煞而雜官者,或去官,或去煞,取清則貴。如嶽統制命,癸卯、丁巳、庚寅、庚辰,去官留煞也。夫官為貴氣,去官何如去煞?豈知月令偏官,煞為用而官非用,各從其重。若官格雜煞而去官留煞,不能如是之清矣。如沈郎中命,丙子、甲午、辛亥、辛卯,子沖午而克煞,是去煞留官也。
沈氏の原文は言います。また七煞で正官を混雜したものもあり、あるいは官を去り、あるいは煞を去り、その清純を取れば便ち貴です。たとえば岳統制の命。癸卯年・丁巳月・庚寅日・庚辰時。庚金日主が巳月に生まれ、巳中の丙火は七煞、月干の丁火は却って正官で、官煞混雜です。年干の癸水が去って丁官を剋する、これがすなわち官を去って煞を留めるです。ある人が問うでしょう。官は貴氣で、官を去るはどうして煞を去るに比べられましょうか。須知、月令自身は偏官で、煞こそ用神で官は併して用神ではありません。それぞれ分量の重いあの一方に聽従します。もし官格に煞が混じったのに、官を去って煞を留めれば、このように清純ではいられません。また沈郎中の命。丙子年・甲午月・辛亥日・辛卯時。辛金日主が午月に生まれ、午中の丁火は七煞、年干の丙火は正官です。日支の亥と年支の子が來て午を衝して、煞を剋掉する、これがすなわち煞を去って官を留めるです。
有煞無食制而用印當者,如戊辰、甲寅、戊寅、戊午,趙員外命是也。至書有制煞不可太過之說,雖亦有理,然運行財印,亦能發福,不可執一也,乃若棄命從煞,則於外格詳之。
沈氏の原文は言います。また七煞があって食神が來て制するなく、ただ印を用いて承當する者もあります。たとえば戊辰年・甲寅月・戊寅日・戊午時、これは趙員外の命。戊土日主が寅月に生まれ、月干の甲木は七煞、寅中の丙火と時支の午火はみな印で、煞が印を生じ印が身を生じ、一路に化解します。書上に「煞を制するは太過ならざれ」という說法があるに至っては、道理はあるものの、しかし制すること頭を過ぎても、行運が財と印に走り至れば、同じく福を發しえ、一端に死執してはなりません。日主が全く根氣なく、干脆命を棄てて煞に從う者に至っては、それは外格の一篇に至って細講します。
四十、偏官の取運を論ず
偏官取運,即以偏官所成之局分而配之。煞用食制,煞重食輕則助食,煞輕食重則助煞,煞食均而日主根輕則助身。忌正官之混雜,畏印綬之奪食。煞用印綬,不利財鄉,傷官為美,印綬身旺,俱為福地。
沈氏の原文は言います。偏官格の取運は、七煞の成すあの一種の局に就いてそれぞれ配します。「煞用食制」の一路。煞が重くて食が輕ければ、食を助ける運を走ります。煞が輕くて食が重ければ、煞を助ける運を走ります。煞と食の力量が相當で日主の根氣が淺薄なら、身を助ける運を走ります。最も忌むのは正官が來て混雜することで、また印綬の運が來て食を奪うを怕れます。「煞用印綬」の一路。財の郷を走るは利ありません。財が印を壞しまた煞を黨するからです。傷官の運を走るは反って美です。傷官は煞を制しえて、かつ食神のように印に全奪されるに至らないからです。印綬の運と身旺の運は、みな福地です。
七煞用財,其以財而去印存食者,不利劫財,傷食皆吉,喜財怕印,透煞亦順。其以財而助煞不及者,財已足,則喜食印與幫身;財未足,則喜財旺而露煞。
沈氏の原文は言います。「七煞用財」の一路はまた二種に分かれます。第一種は財に賴って印を去り食神を保住するもの。それは劫財の運を走るに利あらず(劫財はこの財を奪い去る)、食傷の運はみな吉で、財を喜んで印を怕れ、運にまた七煞を透してもまた順當と算します。第二種は煞自身が足りず財に賴ってそれを助けるもの。財がもしすでに足りれば、食神・印綬と身を助ける運を喜びます。財がもしなお足りなければ、財旺の運を喜び、併せて運にまた七煞を露し出します。
煞帶正官,不論去官留煞,去煞留官,身輕則喜助身,食輕則喜助食。莫去取清之物,無傷制煞之神。煞無食制而用刃當煞,煞輕刃重則喜助煞,刃輕煞重,則宜制伏,無食可奪,印運何傷?七煞既純,雜官不利。
沈氏の原文は言います。七煞が正官を帶びる者は、命が官を去って煞を留めるか煞を去って官を留めるかを論ぜず、日主が輕ければ身を助ける運を喜び、食神が輕ければ食を助ける運を喜びます。緊要なのは、運にあの格局を清純ならしめる字を去らせてはならないこと、また煞を制するあの神を傷してはならないことです。七煞に食神が來て制するなく、羊刃を用いて承當する者に至っては、煞が輕くて刃が重ければ、煞を助ける運を喜びます。刃が輕くて煞が重ければ、七煞を制伏する運を走るべきです。この一路はもともと奪われるべき食神がないので、印運を走って何の妨げかありましょうか。ただ七煞がすでに純粹であれば、さらに官星を混じ入れるは不利です。
四十一、傷官を論ず
傷官雖非吉神,實為秀氣,故文人學士,多於傷官格內得之。而夏木見水,冬金見火,則又為秀之尤秀者也。其中格局比他格多,變化尤多,在查其氣候,量其強弱,審其喜忌,觀其純雜,微之又微,不可執也。
沈氏の原文は言います。傷官は吉神とは算せないものの、實際は日主の吐き出した秀氣です。だから文人學士の命は、多く傷官格の中より出ます。しかも夏の木が水を見、冬の金が火を見れば、それはさらに秀氣の中の最秀です。傷官のこの門の中の格局は他の格より多く、變化もまた格外に繁複です。その氣候の寒暖を察看し、その強弱を衡量し、その喜忌を審辨し、その純雜を觀察し、細かくしてまた細かくし、一端に死執してはなりません。
故有傷官用財者,蓋傷不利於民,所以為凶,傷官生財,則以傷官為生官之具,轉凶為吉,故最利。只要身強而有根,便為貴格,如壬午、己酉、戊午、庚申,史春芳命也。
沈氏の原文は言います。第一種は「傷官用財」。傷官が凶と算される所以は、それが官星に利あらぬがゆえです(底本の「不利于民」は「不利于官」に作るべき)。一たび傷官が去って財を生ずれば、傷官は轉じて官を生ずる工具となり、凶より吉に變じ、所以に最も利ありです。ただ日主が身強で根があれば、便ち貴格です。たとえば壬午年・己酉月・戊午日・庚申時、これは史春芳の命。戊土日主が酉月に生まれ、酉中の辛金と時干の庚金はみな食傷、年干の壬水は偏財です。日主は午に坐し年支もまた午で、身強にして根あり、食傷が財を生じて源流は絶えません。
至於化傷為財,大為秀氣,如羅狀元命,甲子、乙亥、辛未、戊子,干頭之甲,通根於亥,然又會未成局,化水為木,化之生財,尤為有情,所以傷官生財,冬金不貴,以凍水不能生木。若乃化木,不待於生,安得不為殿元乎?至於財傷有情,與化傷為財者,其秀氣不相上下,如秦龍圖命,己卯、丁丑、丙寅、庚寅,己與庚同根月令是也。
沈氏の原文は言います。傷官を全體として財に化するに至っては、それはさらに大に秀氣があります。たとえば羅狀元の命。甲子年・乙亥月・辛未日・戊子時。辛金日主が亥月に生まれ、亥中の壬水はもともと傷官です。天干の甲木は正財で、恰好亥に通根し、地支の亥と未がまた會して木局を成し、ここにおいて水を化して木となし、傷官は徑直に變じて財となり、格外に有情です。もともと傷官が財を生ずるのに、冬の金は貴ばれません。冰凍の水が木を生じ得ないからです。今や干脆化して木となれば、水がそれを生ずるを更に待つに及ばず、どうして狀元に中らざるを得ましょうか。財と傷官の配合が有情に至っては、その秀氣は傷を化して財と為すと相上下しません。たとえば秦龍圖の命。己卯年・丁丑月・丙寅日・庚寅時。丙火日主が丑月に生まれ、年干の己土は傷官・時干の庚金は偏財で、己と庚はともに丑の月令中に通根し、一氣相生します。
有傷官佩印者,印能制傷,所以為貴,反要傷官旺,身稍弱,始為秀氣。如孛羅平章命,壬申、丙午、甲午、壬申、傷官旺,印根深,身又弱,又是夏木逢潤,其秀百倍,所以一品之貴。然印旺極深,不必多見,偏正疊出,反為不秀,故傷輕身重而印綬多見,貧窮之格也。
沈氏の原文は言います。第二種は「傷官佩印」。印が傷官を制しうるゆえに貴と為します。この格は反って傷官が旺し日主が稍々弱きを要して、はじめて秀氣を見出します。たとえば孛羅平章の命。壬申年・丙午月・甲午日・壬申時。甲木日主が午月に生まれ、午中の丁火と月干の丙火はみな食傷で、傷官は極旺です。年時の二つの壬水は偏印で、二つの申に通根して、印の根は甚だ深いです。日主自身は反って偏に弱し。何况夏の木が水の滋潤を得れば、秀氣は百倍に勝り、所以に一品に位します。ただし印はただ旺んで根深ければ足り、あまりに多く見るを要しません。正印・偏印が重ねて疊出すれば、反って秀なりません。だから傷官が輕く日主が重く印綬がまた多く見る者は、それは貧窮の格です。
有傷官兼用財印者,財印相剋,本不併用,只要干頭兩清而不相礙;又必生財者,財太旺而帶印,佩印者印太重而帶財,調停中和,遂為貴格。如丁酉、己酉、戊子、壬子,財太重而帶印,而丁與壬隔以戊已,兩不礙,且金水多而覺寒,得火融和,都統制命也。又如壬戌、己酉、戊午、丁巳,印太重而隔戊已,而丁與壬不相礙,一丞相命也。反是則財印不併用而不秀矣。
沈氏の原文は言います。第三種は傷官が財と印を兼用するもの。財と印はもともと相剋で、理に照らせば併用できませんが、ただ天干上の两边が各自に清楚で互いに妨げなければよいです。しかも必ず財を用いるあの一路が財の太過旺んで印を帶びて平衡を來し、印を用いるあの一路が印の重すぎて財を帶びて平衡を來し、調停して中和を得て、ここにおいて貴格を成します。たとえば丁酉年・己酉月・戊子日・壬子時。戊土日主が酉月に生まれ、酉金は傷官、二つの子水と時干の壬水は財で、財は實に重すぎて、所以に年干の丁火の印を帶びます。丁と壬の中間に戊・己の两土を隔て、两り相碍まらず。何况金水が多く寒冷を覺え、火を得て來て融和する、これは都統制の命。また壬戌年・己酉月・戊午日・丁巳時。印が重すぎてはじめて年干の壬水の財を帶び、丁と壬の間に同じく戊己を隔て、两り相碍まらず、これは一丞相の命。もし反対に排せば、財印が彼此に妨げて併用できず、秀でありません。
有傷官用煞印者,傷多身弱,賴煞生印以幫身而制傷,如己未、丙子、庚子、丙子,蔡貴妃也。煞因傷而有制,兩得其宜,只要無財,便為貴格,如壬寅、丁未、丙寅,夏閣老命是也。有傷官用官者,他格不用,金水獨宜,然要財印為輔,不可傷官並透。如戊申、甲子、庚午、丁丑,藏癸露丁,戊甲為輔,官又得祿,所以為丞相之格。若孤官無輔,或官傷並透,則發福不大矣。
沈氏の原文は言います。第四種は「傷官用煞印」。傷官が多すぎて日主が弱ければ、七煞に賴って去って印を生じ、印が來て身を助けて兼ねて傷官を制します。たとえば己未年・丙子月・庚子日・丙子時、これは蔡貴妃の命。庚金日主で、三つの子水は傷官で、傷することが重すぎます。月干・時干の二つの丙火は七煞、年干の己土は正印で、煞が印を生じ、印が身を助けまた傷を制します。七煞はまた傷官が去ってそれを剋するがあるがゆえに節制を受け、两下ともに各々その宜を得、ただ局中に財が來て煞を黨することがなければ、便ち貴格です。たとえば壬寅年・丁未月・丙寅日、これは夏閣老の命(底本のこの造は時柱を脱す、敢えて臆補せず)。第五種は「傷官用官」。他の日主はこの一路を用いず、ただ金水の日主のみ相宜です。しかし財と印を以て輔佐と為すを要し、また傷官と官星が一同に透し出るも不可です。たとえば戊申年・甲子月・庚午日・丁丑時。庚金が子月に生まれ、子中の癸水は傷官で藏して露せず、時干の丁火は正官で明透、年干の戊土は印・月干の甲木は財で輔佐と為し、官星はまた午上に祿を得て、所以に丞相の格を成します。もし孤官無輔、あるいは官と傷が併透すれば、それは發福が大きくありません。
若冬金用官,而又化傷為財,則尤為極秀極貴。如丙申、己亥、辛未、己亥,鄭丞相命是也。然亦有非金水而見官,何也?化傷為財,傷非其傷,作財旺生官而不作傷官見官,如甲子、壬申、己亥、辛未,章丞相命也。至於傷官而官煞並透,只要干頭取清,金水得之亦清,不然則空結構而已。
沈氏の原文は言います。もし冬の金が官星を用い、同時に傷官を化して財と為せば、それは極秀極貴です。たとえば丙申年・己亥月・辛未日・己亥時、これは鄭丞相の命。辛金が亥月に生まれ、亥中の壬水はもともと傷官ですが、亥と未が會して木局を成し、傷官は化して財となります。年干の丙火は正官、二つの己土は印で輔を作し、財は去って官を生じ、官はまた清純です。しかし金水日主でなくて官星を見るものもあるのはなぜでしょうか。傷官がすでに化して財と為り、それはもはや傷官ではなく、ただ「財旺生官」に按じて看て、「傷官見官」に按じて看ないからです。たとえば甲子年・壬申月・己亥日・辛未時、これは章丞相の命。己土が申月に生まれ、申中の庚金は傷官ですが、申子が會して水、亥未が會して木、傷は化して財となり財が旺んで年干の甲木の正官を生じます。傷官格で官と煞が併せて透し出るに至っては、ただ天干上に清純を取り得れば善いです。金水日主がそれに遇えばまた清くなりえますが、そうでなければ不過架構だけの空結構に過ぎません。
四十二、傷官の取運を論ず
傷官取運,即以傷官所成之局,分而配之。傷官用財,財旺身輕,則利印比;身強財淺,則喜財運,傷官亦宜。傷官佩印,運行官煞為宜,印運亦吉,傷食不礙,財地則凶。
沈氏の原文は言います。傷官格の取運は、傷官の成すあの一種の局に就いてそれぞれ配します。「傷官用財」の一路。財が旺んで日主が輕ければ、印と比劫の運が來て身を助けるに利あり。日主が強くて財が淺ければ、財運を喜び、傷官の運もまた相宜して、財を生じえます。「傷官佩印」の一路。行運は官煞に走るを宜とします。官煞が印を生じうるからです。印運も吉です。食傷の運は妨げありません。印があってそれを制するからです。ただ財地に走り至れば便ち凶です。財が來れば印を壞すからです。
傷官而兼用財印,其財多而帶印者,運喜助印,印多而帶財者,運喜助財。傷官而用煞印,印運最利,傷食亦亨,雜官非吉,逢財即危。
沈氏の原文は言います。傷官で財と印を兼用する者は、どちらの頭が偏重するかを看るを要します。財が多くて印を帶びる者は、行運は印を助けるを喜び、两边を扯り平げるを善とします。印が多くて財を帶びる者は、行運は財を助けるを喜び、道理は同じです。「傷官用煞印」の一路。印運が最も利ありで、食傷の運も亨通します。官星を混じ入れれば便ち不吉です。一たび財運に逢えば、財は印を壞しまた煞を黨して、即刻に危險となります。
傷官帶煞,喜印忌財,然傷重煞輕,運喜印而財亦吉。惟七煞根重,則運喜傷食,印綬身旺亦吉,而逢財為凶矣。傷官用官,運喜財印,不利食傷,若局中官露而財印兩旺,則比劫傷官,未紿非吉矣。
沈氏の原文は言います。「傷官帶煞」の一路。印を喜んで財を忌みます。ただしもし傷官が重くて七煞が輕く、制することが頭を過ぎれば、行運は印を喜ぶものの、財運を走るも吉です。財があの足りなき煞を補足しうるからです。ただ七煞の根氣が深重なもののみ、行運は食傷が去ってそれを制するを喜び、印綬と身旺の運も吉で、財運に逢えば凶となります。「傷官用官」の一路。行運は財と印を喜びます。財は官を生じ、印は傷を制するからです。食傷の運に利あらず。もし局中の官星がすでに露して財印が两旺して格局が穩固なら、たとい比劫を走り傷官の運を走っても、必ずしも不吉ではありません(底本の「未紿」は「未始」に作るべき)。
四十三、陽刃を論ず
陽刃者,劫我正財之神,乃正財之七煞也。祿前一位,惟五陽有之,故為陽刃。不曰劫而曰刃,劫之甚也。刃宜伏制,官煞皆宜,財印相隨,尤為貴顯。夫正官而財印相隨美矣,七煞得之,夫乃甚乎?豈知他格以煞能傷身,故喜制伏,忌財印;陽刃用之,則賴以制刃,不怕傷身,故反喜財印,忌制伏也。
沈氏の原文は言います。所謂「陽刃」とは、我の正財を搶奪するあの神で、即ち正財の七煞です。それは日主の祿位の前の一位にあり、五つの陽干のみこれがあり、所以に陽刃と呼びます。それを「劫」と呼ばずして「刃」と呼ぶのは、それが搶奪すること格外に厉害なるを言うのです。刃は伏制を加えるべきで、官と煞はともに合用します。さらに財・印が隨行すれば、いよいよ貴顯です。正官を用いて財印が相隨するは、もともと善いです。七煞を用いて財印が相隨するは、豈にいよいよ過分ではありませんか。須知、他の格の七煞は身を傷る要あり、所以に制伏を喜んで財印が去ってそれを助くるを忌みます。しかし陽刃格は正にこの煞に頼って刃を制し、併してそれが身を傷るを怕れず、所以に反って財印を喜んで、煞を制伏し掉るを忌みます。
陽刃用官,透刃不慮;陽刃露煞,透刃無成。蓋官能制刃,透而不為害;刃能合煞,則有何功?如丙生午月,透壬制刃,而又露丁,丁與壬合,則七煞有貪合忘克之意,如何制刃?故無功也。
沈氏の原文は言います。陽刃格が正官を用いる者は、天干上にさらに刃を透しても顧慮するに及ばず。陽刃格が七煞を露する者は、天干上にさらに刃を透せば格を成しません。官は刃を制しうるゆえに、刃が透し出ても害なし。しかし刃は煞を合し住めうるゆえに、煞が合されてはなお何の功用を談ぜん。たとえば丙火が午月に生まれ刃に坐し、天干に壬水の七煞を透して來て刃を制するのに、偏偏とまた一つの丁火を露す――丁と壬が相合して、七煞は便ち貪戀合情・去って剋することを忘れる意があり、なおどうして刃を制せん。だから功がないと為るのです。
然同是官煞制刃,而格亦有高低,如官煞露而根深,其貴也大;官煞藏而不露,或露而根淺,其貴也小。若己酉、丙子、壬寅、丙午,官透有力,旺財生之,丞相命也。又辛酉、甲午、丙申、壬辰,透煞根淺,財印助之,亦丞相命也。
沈氏の原文は言います。同じく官煞を用いて刃を制するも、格局にもまた高低の分があります。官煞が明透して根深きは、貴が大きいです。官煞が藏して露せず、あるいは露すと雖も根が淺きは、貴が小さいです。たとえば己酉年・丙子月・壬寅日・丙午時。壬水日主が子月に生まれ、子は即ち壬の羊刃です。年干の己土は正官で、明透して時支の午に通根し、官星は有力です。月干・時干の二つの丙火は財で、旺財がまた來て官を生ず――これは丞相の命。また辛酉年・甲午月・丙申日・壬辰時。丙火が午月に生まれ刃に坐し、時干の壬水は七煞で、辰に通根し申に生ぜられますが、根は畢竟淺いです。善いのは年干の辛金が財で來て煞を生じ、月干の甲木が印で來て身を護り、財印が相助ける――これもまた丞相の命。
然亦有官煞制刃帶傷食而貴者,何也?或是印護,或是煞太重而裁損之,官煞輕而取清之,如穆同知命,甲午、癸酉、庚寅、戊寅,癸水傷寅午之官,而戊以合之,所謂印護也,如賈平章命,甲寅、庚午、戊申、甲寅,煞兩透而根太重,食以制之,所謂裁損也。如丙戌、丁酉、庚申、壬午,官煞競出,而壬合丁官,煞純而不雜。況陽刃之格,利於留煞,所謂取清也。
沈氏の原文は言います。しかし官煞を用いて刃を制しながら食傷を帶びてなお顯貴するものもあるのはなぜでしょうか。原因は三種に外なりません。一は印が來て官煞を護る、二は煞が重すぎて食傷を借りて裁損を加える、三は官煞が混雜して食傷を借りて一つを去って清を取る、です。たとえば穆同知の命。甲午年・癸酉月・庚寅日・戊寅時。庚金日主が酉月に生まれ刃に坐し、寅午の中の丙丁火は官煞が來て刃を制し、月干の癸水は偏偏とあの官星を傷らんとしますが、幸いに時干の戊土が癸と相合して、それを拴し住めます――これがすなわち所謂印護。また賈平章の命。甲寅年・庚午月・戊申日・甲寅時。戊土が午月に生まれ刃に坐し、年干・時干の二つの甲木は七煞で、また两寅に通根して、根は實に重すぎ、月干の庚金の食神に頼って去ってそれを制します――これがすなわち所謂裁損。また丙戌年・丁酉月・庚申日・壬午時。庚金が酉月に生まれ刃に坐し、年干の丙火は七煞・月干の丁火は正官で、官煞が爭って透し出るのに、時干の壬水が丁官を合掉して、煞のみを残し、純にして雜らず。何况陽刃格はもともと煞を留めるに宜し――これがすなわち所謂取清。
其於丙生午月,內藏己土,可以克水,尤宜帶財佩印,若戊生午月,干透丙火,支會火局,則化刃為印,或官或煞,透則去刃存印其格愈清。倘或財煞並透露,則犯去印存煞之忌,不作生煞制煞之例,富貴兩空矣。更若陽刃用財,格所不喜,然財根深而用傷食,以轉刃生財,雖不比建祿月劫,可以取貴,亦可就富。不然,則刃與財相搏,不成局矣。
沈氏の原文は言います。丙火が午月に生まれるに至っては、午中にまた己土を藏し、己土は水を剋しえて、壬癸の官煞が刃を制するを妨げます。だから殊に財を帶び印を佩んで周旋するを宜とします。もし戊土が午月に生まれ、天干に丙火を透し地支がまた會して火局を成せば、羊刃は便ち化して印となります。このとき官を透すも煞を透すも、一たび透し出れば便ち刃を去って印を留めて、格局はいよいよ清純です。倘若財と煞が雙雙として透露すれば、「印を去り煞を存す」の忌諱を犯し、また尋常の生煞・制煞に照らして論ずる能くなく、それは富と貴と两頭ともに落空します。また陽刃格が財を用いるは、もともと格局の喜ぶ所ではありません。ただしもし財の根が深く、また食傷を用いて羊刃の氣を轉じて去って財を生ぜしめれば、建祿月劫格のように貴を取りうるには及ばないものの、また富を致しえます。さもなくば、刃と財が硬碰硬に相搏して、局を成しません。
四十四、陽刃の取運を論ず
陽刃用官,則運喜助官,然命中官星根深,則印綬比劫之方,反為美運,但不喜傷食合官耳。陽刃用煞,煞不甚旺,則運喜助煞;煞若太重,則運喜身旺印綬,傷食亦不為忌。陽刃而官煞並出,不論去官去煞,運喜制伏,身旺亦利,財地官鄉反為不吉也。
沈氏の原文は言います。陽刃格が正官を用いる者は、行運は官を助ける地を喜びます。ただし命の官星がもともと根深ければ、印綬・比劫の運は反って美運となります。ただ食傷が去って官を剋するを喜ばず、また官を合する字に遇うを喜ばないだけです。陽刃格が七煞を用いる者。煞が甚だ旺たざれば、行運は煞を助けるを喜びます。煞がもし重すぎれば、行運は身旺と印綬の地を喜び、食傷の運もまた忌むに及ばず、ちょうどあの過重の煞を制しに行きます。陽刃格で官と煞が併せて透し出る者。命が官を去るか煞を去るかを論ぜず、行運は制伏の神あるを喜び、身旺の運もまた利ありです。反って財地を走り官郷を走れば不吉です。財が去って官煞を生じ、官がまた來れば便ちまた混雜するからです。
四十五、建祿・月劫を論ず
建祿者,月建逢祿堂也,祿即是劫。或以祿堂透出,即可依以用者,非也。故建祿與月劫,可同一格,不必加分,皆以透干支,別取財官煞食為用。祿格用官,干頭透出為奇,又要財印相隨,不可孤官無輔。有用官而印護者,如庚戌、戊子、癸酉、癸亥,金丞相命是也。有用官而財助者,如丁酉、丙午、丁巳、壬寅,李知府命是也。
沈氏の原文は言います。所謂「建祿」とは、月建がちょうど日主の祿位に落ちることです。祿は實は即ち比劫です。ある人は祿堂はただ天干上に透せば、それに據って取用できると以為しますが、これは誤りです。だから建祿と月劫は併せて一つの格を作して、別に分かつを要せず、みな天干・地支に何を透すかを看て、別に財・官・煞・食を取って用神と為します。祿格が官を用いる者は、官星が天干上に透するが最も難得で、さらに財・印が相隨するを要し、孤零零とした一つの官で輔佐なきは不可です。官を用いて印を以て官を護るものあり。たとえば庚戌年・戊子月・癸酉日・癸亥時、これは金丞相の命――癸水が子月に生まれ建祿と為し、月干の戊土は正官、年干の庚金は正印で、官が印を生じ印が身を生じ、官星に護りあり。官を用いて財を以て官を助くるものあり。たとえば丁酉年・丙午月・丁巳日・壬寅時、これは李知府の命――丁火が午月に生まれ建祿と為し、時干の壬水は正官、年支の酉金は財で來て官を生ず。
有官而兼帶財印者,所謂身強值三奇,尤為貴氣。三奇者,財官印也,只要以官隔之,使財印兩不相傷,其格便大,如庚午、戊子、癸卯、丁巳,王少師命是也。祿劫用財,須帶食傷,蓋月令為劫而以財作用,二物相剋,必以傷食化之,始可轉劫生財,如甲子、丙子、癸丑、壬辰,張都統命是也。
沈氏の原文は言います。官がありて財と印を兼帶する者は、すなわち所謂「身強して三奇に值う」で、殊に貴氣があります。三奇は財・官・印の三者を指します。ただ官星を用いて中間に隔て、財と印をして彼此相傷まらしめれば、格局は大です。たとえば庚午年・戊子月・癸卯日・丁巳時、これは王少師の命――癸水が子月に生まれ建祿と為し、月干の戊土は正官、年干の庚金は正印、時干の丁火は偏財で、官は中に居り財印は両端に分列し、各々相犯せず。祿劫格が財を用いる者は、必ず食傷を帶びるを要します。月令は比劫であるのに、財を拿って用神と為すゆえに、劫と財の两物は相剋して、必ず食傷が中より化轉するを得て、はじめて劫氣を轉じて去って財を生ぜしめえます。たとえば甲子年・丙子月・癸丑日・壬辰時、これは張都統の命――癸水が子月に生まれ建祿と為し、月干の丙火は正財、年干の甲木は傷官で間に居り通關します。
至於化劫為財,與化劫為生,尤為秀氣。如己未、己巳、丁未、辛丑,丑與巳會,即以劫財之火為金局之財,安得不為大貴?所謂化劫為財也。如高尚書命,庚子、甲申、庚子、甲申,即以劫財之金,化為生財之水,所謂化劫為生也。
沈氏の原文は言います。干脆劫を化して財と為し、あるいは劫を化して財を生ずる神と為すに至っては、それはさらに秀氣です。たとえば己未年・己巳月・丁未日・辛丑時。丁火が巳月に生まれてもともと建祿ですが、時支の丑と月支の巳が會して金局を成し、ここにおいてもともと劫財に屬した巳火が、一轉して金局の財と成れば、どうして大貴ならざるを得ましょうか。これがすなわち所謂「劫を化して財と為す」。また高尚書の命。庚子年・甲申月・庚子日・甲申時。庚金が申月に生まれ建祿と為し、二つの申はもともと劫ですが、申と二つの子が會して水局を成し、劫財の金は便ち化して財を生ずる水となります(水は年月の二つの甲木の財を生ず)。これがすなわち所謂「劫を化して生を為す」。
祿劫用煞,必須制伏,如婁參政命,丁巳、壬子、癸卯、己未,壬合丁財以去其黨煞,卯未會局以制伏是也。至用煞而又逢財,本為不美,然能去煞存財,又成貴格。戊辰、癸亥、壬午、丙午,合煞存財,袁內閣命是也。
沈氏の原文は言います。祿劫格が七煞を用いる者は、必ず制伏の物があらねばなりません。たとえば婁參政の命。丁巳年・壬子月・癸卯日・己未時。癸水が子月に生まれ建祿と為し、時干の己土は七煞です。年干の丁火は偏財で、本來去って七煞を黨助せんとしますが、幸いに月干の壬水が丁を合し住めて、煞を黨する物を去ります。さらに日支の卯と時支の未に由って會して木局を成して來て己土を制伏する――一去一制して、煞は便ち伏帖します。煞を用いてまた財に逢うに至っては、もともと美ありません。しかしもし煞を去り得て財を保住すれば、反って貴格を成します。たとえば戊辰年・癸亥月・壬午日・丙午時、これは袁內閣の命。壬水が亥月に生まれ建祿と為し、年干の戊土は七煞、月干の癸水は戊と相合して煞を合し去ります。時干の丙火と二つの午はみな財で、財は保全を得、これがすなわち煞を合して財を存するです。
其祿劫之格,無財官而用傷食,洩其太過,亦為秀氣。唯春木秋金,用之則貴,蓋木逢火則明,金生水則靈。如張狀元命,甲子、丙寅、甲子、丙寅,木火通明也;又癸卯、庚申、庚子、庚辰,金水相涵也。更有祿劫而官煞競出,必取清方為貴格。如一平章命,辛丑、庚寅、甲辰、乙亥,合煞留這也;如辛亥、庚寅、甲申、丙寅,制煞留官也。
沈氏の原文は言います。祿劫格の中にもし財もなく官もなければ、食傷を用いてその太過の氣を泄し、また秀氣と算します。ただし春の木・秋の金のみこの一路を用いて貴と為ります。木が火に遇えば便ち通明し、金が水を生ずれば便ち靈秀するからです。たとえば張狀元の命。甲子年・丙寅月・甲子日・丙寅時――甲木が寅月に生まれ建祿と為し、二つの丙火は食神の吐秀で、正に木火通明です。また癸卯年・庚申月・庚子日・庚辰時――庚金が申月に生まれ建祿と為し、申子辰が會して水局を成し、正に金水相涵です。さらに祿劫格で官と煞が爭って透し出る者は、必ずその清純を取ってはじめて貴格を成します。たとえば某平章の命。辛丑年・庚寅月・甲辰日・乙亥時――甲木が寅月に生まれ建祿と為し、年干の辛金は正官・月干の庚金は七煞で、時干の乙木が庚と相合して、煞を合し去り官を留めます(底本の「留這」は「留官」に作るべき)。また辛亥年・庚寅月・甲申日・丙寅時――同じく官煞併透で、時干の丙火の食神に頼って去って庚煞を制し、辛官を留めます。
倘或兩官競出,亦須制伏,所謂爭正官不可無傷也。若夫用官而孤官無輔,格局更小,難於取貴,若透傷食便不破格。然亦有官傷並透而貴者,何也?如己酉、乙亥、壬戌、庚子,庚合乙而去傷存官,王總兵命也。
沈氏の原文は言います。倘若二つの正官が爭って透し出れば、また制伏の物あるを要し、これがすなわち所謂「正官を爭うは傷なかるべからず」――官星が重ければ、反って傷官に頼って去ってその一つを損せしめます。官を用いて孤官無輔の者に至っては、格局はいよいよ小さく、貴を取り難いです。このときもし食傷を透し出れば、反って破格と算しません。しかし官と傷が併せて透し出てなお顯貴するものもあるのはなぜでしょうか。たとえば己酉年・乙亥月・壬戌日・庚子時、これは王總兵の命。壬水が亥月に生まれ建祿と為し、年干の己土は正官、月干の乙木は傷官で本來官を剋さんとしますが、幸いに時干の庚金が乙と相合して、傷官を去って官星を保住します。
用財而不透傷食,便難於發端,然干頭透一位而不雜,地支根多,亦可取富,但不貴耳。用官煞重而無制伏,運行制伏,亦可發財,但不可官煞太重,致令身危也。
沈氏の原文は言います。祿劫格が財を用いて食傷を透さない者は、劫と財が直接に相爭して、開端を成し難いです。ただし天干上にただ一位の財を透して駁雜せず、地支の財根がまた多ければ、また富を致しえますが、ただ顯貴はできないだけです。官を用いて官煞が過重で、命にまた制伏の物がなければ、行運が制伏の地に走り至るを待って、同じく發財しえます。ただ官煞は重すぎてはならず、重きが日主を壓して危殆ならしめるに至れば、それは行けません。
四十六、建祿月劫の取運を論ず
祿劫取運,即以祿劫所成之局,分而配之。祿劫用官,印護者喜財,怕官星之逢合,畏七煞之相乘。傷食不能為害,劫比未即為凶。財生喜印,宜官星之植根,畏傷食之相侮,逢財愈見其功,雜煞豈能無礙?
沈氏の原文は言います。祿劫格の取運は、それが成すあの一種の局に就いてそれぞれ配します。「祿劫用官にして印を以て官を護る」の一路。行運は財を喜びます。財が官を生じ、官がまた印を生ずるからです。怕れるのは官星が運上に合し去られることで、また七煞が虛に乘じて來て混雜するを怕れます。食傷の運はそれを害しえず(印があって制しうる)、比肩・劫財の運もまた必ずしも凶ではありません。「祿劫用官にして財を以て官を生ず」の一路。印を喜び、官星が運上に根を下ろすを宜とします。食傷が來て官星を欺侮するを怕れます。財運に逢えばいよいよその功用を顯し。七煞を混じ入れるに至っては、どうして妨げがないことがありましょうか。
祿劫用財而帶傷食,財食重則喜印綬,而不忌比肩;財食輕則宜助財,而不喜印比。逢煞無傷,遇官非福。祿劫用煞食制,食重煞輕,則運宜助煞;食輕煞重,則運喜助食。
沈氏の原文は言います。「祿劫用財にして食傷を帶ぶ」の一路。財と食がともに重ければ、印綬の運が來て太過を收斂するを喜び、比肩の運もまた忌むに及ばず。財と食がともに輕ければ、財を助ける運を走るべく、印と比劫を喜びません。この一路で七煞の運に逢うは妨げなく(食傷があって制しうる)、官星に遇うは反って福でありません(官が來て身を剋しまた食傷の用を奪う)。「祿劫用煞にして食神を以て煞を制す」の一路。食が重くて煞が輕ければ、行運は煞を助けるに宜しく、食が輕くて煞が重ければ、行運は食を助けるを喜びます。
若用煞而帶財,命中合煞存財,則傷食為宜,財運不忌,透官無慮,身旺亦亨。若命中合財存煞,而用食制,煞輕則助煞,食輕則助食則已。
沈氏の原文は言います。もし煞を用いてまた財を帶びる者は、命の中がどの一種の安排であるかを看るを要します。命中が煞を合掉して財を保住するものなら、食傷の運は相宜で、財運もまた忌むに及ばず、運に官星を透しても顧慮するに足らず、身旺の運も同じく亨通します。命中が財を合掉して煞を保住して食神を用いて去ってそれを制するものなら、それは依然として食煞の輕重に照らして調する――煞が輕ければ煞を助け、食が輕ければ食を助くる、ただそれだけです。
祿劫而用傷食,財運最宜,煞亦不忌,行印非吉,透官不美。若命中傷食太重,則財運固利,而印亦不忌矣。祿劫而官煞並出,不論合煞留官,存官制煞,運喜傷食,比肩亦宜,印綬未為良圖,財官亦非福運。
沈氏の原文は言います。「祿劫用食傷」の一路。財運が最も相宜で、秀氣を實果に收めえます。煞運もまた忌むに及ばず、食傷があってそれを制します。印運を走れば便ち不吉で、印が食を奪います。運に官星を透してもまた美ありません。もし命中の食傷がもともと重すぎれば、財運は固より利ありで、印運もまた忌むに及ばず、ちょうど太過を收斂します。「祿劫にして官煞併出」の一路。命が煞を合して官を留めるか官を存して煞を制するかを論ぜず、行運は食傷が去って制伏するを喜び、比肩の運もまた相宜です。印綬の運は善い打算と算せず、財と官の運もまたみな福運ではありません。それらはただ官煞を助長するのみです。
四十七、雜格を論ず
雜格者,月令無用,以外格而用之,其格甚多,故謂之雜。大約要干頭無官無煞,方成格,如有官煞,則自有官煞為用,列外格矣。若透財尚可取格,然財根深,或財透兩位,則亦以財為重,不取外格也。
沈氏の原文は言います。所謂「雜格」とは、月令の中に用神を取り出せず、已まず外格を改めて用いるものです。この類の格は名目が繁多で、所以に雜と呼びます。大体において天干上に官もなく煞もないを要して、はじめて格を成しえます。もし官煞があれば、自然に官煞を以て用神と為し、更に外格を列するに及ばず。もしただ財を透し出るのみなら、却ってなお外格を取りえます。ただし財の根がもし甚だ深いか、あるいは財が天干に两位を透せば、それもまた財を以て重きと為すべく、外格を取りません。
試以諸格論之,有取五行一方秀氣者,取甲乙全亥卯未、寅卯辰,又生春月之類,本是一派劫財,以五行各得其全體,所以成格,喜印露而體純。如癸亥、乙卯、乙未、壬午,吳相公命是也。運亦喜印綬比劫之鄉,財食亦吉,官煞則忌矣。
沈氏の原文は格ごとに講じます。第一種は五行が一方に專聚する秀氣を取るもの。たとえば甲乙木の日主で、地支に亥卯未の三合または寅卯辰の三會を湊り齊え、また春月に生まれる類です。これはもともと滿盤の劫財ですが、ただ五行の中で木がその全體を得たがゆえに、格を成しえます。天干に印を露して來てそれを生じ、本體を純粹ならしめるを喜びます。たとえば癸亥年・乙卯月・乙未日・壬午時、これは呉相公の命。乙木が卯月に生まれ、地支の亥卯未が全く、年干の癸水・時干の壬水はみな印で、木氣は純一です。行運もまた印綬と比劫の郷を喜び、財と食神の運も吉で、官煞の運は則ち忌諱となります。一には旺神を剋傷し、二には全局の氣勢に違逆するからです。
有從化取格者,要化出之物,得時乘令,四支局全。如丁壬化木,地支全亥卯未、寅卯辰,而又生於春月,方為大貴。否則,亥未之月亦是木地,次等之貴,如甲戌、丁卯、壬寅、甲辰,一品貴格命也。運喜所化之物,與所化之印綬,財傷亦可,不利官煞。
沈氏の原文は言います。第二種は從化して格を取るもの。緊要なのは化し出るあの一物が必ず時を得て當令し、地支の局もまた湊り全くなるを要します。たとえば丁と壬が相合して木を化するは、地支に亥卯未または寅卯辰を湊り齊え、また春月に生まれて、はじめて大貴と算します。さもなくば、亥月または未月に生まれてもまた木地と算して、次の一等の貴を得えます。たとえば甲戌年・丁卯月・壬寅日・甲辰時、これは一品の貴格の命。壬水日主が月干の丁火と相合し、卯月に生まれ、地支にまた寅・卯・辰があり、木の元神たる甲がまた两透して、化木が真を成します。行運は化し出るあの一物(木)と、この一物を生ずる印綬(水)を喜び、財と傷の運もまた走れますが、ただ官煞に利あらず。金が來て木を剋すれば、便ち化神を傷るからです。
有倒沖成格者,以四柱列財官而對面以沖之,要支中字多,方沖得動。譬如以弱主邀強官,主不眾則賓不從。如戊午、戊午、戊午、戊午,是沖子財也;甲寅、庚午、丙午、甲午,是沖子官也。運忌填實,餘俱可行。
沈氏の原文は言います。第三種は倒衝して格を成すもの。命にもともと財官がなければ、四柱の地支を用いて去って向いのあの一位を衝して、財官を衝き出します。地支中に同じ字が多いを要して、はじめて衝して動かしえます。主人が力弱くして強賓を邀請せんとするに譬え、主人のこなた人が多くなければ、客は肯んじて來ません。たとえば戊午年・戊午月・戊午日・戊午時、四つの午が去って子を衝す――子中の癸水は正に戊土の財。また甲寅年・庚午月・丙午日・甲午時、三つの午が去って子を衝す――子中の癸水は正に丙火の官。この格の行運は最も衝するあの字を塡實するを忌み(運上に真に子を見れば)、殘りの運はみな走れます。
有朝陽成格者,戊去朝丙,辛日得官,以丙戊同祿於巳,即以引汲之意。要干頭無木火,方成其格,蓋有火則無待於朝,有木財觸戊之怒,而不為我朝。如戊辰、辛酉、戊子,張知縣命是也。運喜土金水,木運平平,火則忌矣。
沈氏の原文は言います。第四種は朝陽して格を成すもの。戊土を用いて去って丙火を朝迎して、辛金日主に官星を得せしめます。丙と戊がともに巳上に祿を得るがゆえに、戊土は便ち丙火を引汲して來る意があります。天干上に木もなく火もないを要して、はじめてこの格を成しえます。火があれば、去って朝迎するを用いず。木があれば、木は戊土の財で、反って戊土を觸動して財を貪らしめ、便ち肯んじて我のために朝迎しません。たとえば戊辰年・辛酉月・戊子時、これは張知縣の命(底本のこの造は一柱を脱す、後文に據れば辛酉日であるべき、敢えて徑に補せず)。行運は土・金・水を喜び、木運は平平、火運は則ち忌諱となります。
有合祿成格者,命無官星,借干支以合之。戊日庚申,以庚合乙,因其主而得其偶。如己未、戊辰、戊辰、庚申,蜀王命是也。癸日庚申,以申合巳,因其主而得其朋,如己酉、癸未、癸未、庚申,趙丞相命是也。運亦忌填實,不利官煞,理會不宜以火克金,使彼受制而不能合,餘則吉矣。
沈氏の原文は言います。第五種は合祿して格を成すもの。命に官星がなければ、干支を借りて去ってそれを合して來ます。戊土日主が庚申時に逢えば、庚金を用いて去って乙木を合す――乙は戊の正官で、これをその本主よりその配偶を招くと謂います。たとえば己未年・戊辰月・戊辰日・庚申時、これは蜀王の命。癸水日主が庚申時に逢えば、申を用いて去って巳を合す――巳中の戊土は癸の正官で、これをその本主よりその同伴を招くと謂います。たとえば己酉年・癸未月・癸未日・庚申時、これは趙丞相の命。この格の行運もまた塡實を忌み、官煞に利あらず。理に照らせばさらに火運を走って金を剋するを宜とせず、一たび金を剋すれば、それは制を受けて合を成しえません。殘りの運はみな吉です。
有棄命保財者,四柱皆財而身無氣,舍而從之,格成大貴。若透印則身賴印生而不從,有官煞則亦無從財兼從煞之理,其格不成。如庚申、乙酉、丙申、乙丑,王十萬命造也。運喜傷食財鄉,不宜身旺。
沈氏の原文は言います。第六種は棄命從財(底本は「保財」に作る)。四柱の通盤がみな財で、日主自身に毫も氣力がなく、索性己を舍ててそれに順從する、格が成れば便ち大貴です。もし天干に印を透し出れば、日主は印に依るべくあるがゆえに肯んじて從いません。もし官煞があれば、またすでに財に從いまた煞に從うの道理なく、格は成しません。たとえば庚申年・乙酉月・丙申日・乙丑時、これは王十萬の命造。丙火日主が酉月に生まれ、滿盤の庚辛申酉丑はみな金の財で、丙火に毫も根氣なく、二つの乙木はまた庚に從って金を化し、ただ命を棄てて財に從うのみ。行運は食傷と財の郷を喜び、身旺の地を走るを宜としません。
有棄命從煞者,四柱皆煞,而日主無根,舍而從之,格成大貴。若有傷食,則煞受制而不從,有印則印以化煞而不從。如乙酉、乙酉、乙酉、甲申,李侍郎命是也。運喜財官,不宜身旺,食傷則尤忌矣。
沈氏の原文は言います。第七種は棄命從煞。四柱の通盤がみな煞で、日主に毫も根氣がなく、索性己を舍ててそれに順從する、格が成れば便ち大貴です。もし食傷があれば、煞は制を受けて、日主は便ち肯んじて從いません。もし印があれば、印が煞を化し去って、日主もまた肯んじて從いません。たとえば乙酉年・乙酉月・乙酉日・甲申時、これは李侍郎の命。三つの乙木はみな酉上に坐し、時支はまた申で、滿盤の金煞、乙木に全く根氣なく、ただ命を棄てて煞に從うのみ。行運は財と官を喜び(財は煞を生じ、官は煞を助く)、身旺の地を走るを宜とせず、食傷の運は殊に忌むを要します。
有井欄成格者,庚金生三七月,方用此格。以申子辰沖寅午戌,財官印綬,合而沖之,若透丙丁,有巳午,以現有財官,而無待於沖,乃非井攔之格矣。如戊子、庚申、庚申、庚申,郭統制命也。運喜財,不利填實,餘亦吉也。
沈氏の原文は言います。第八種は井欄叉して格を成すもの。庚金日主が三月または七月に生まれて、はじめてこの格を用いえます。地支の申子辰を用いて去って寅午戌を衝して、寅中の財・午中の官・戌中の印を一齊に衝き出します。もし天干にすでに丙丁を透し、地支にすでに巳午があれば、それは現成に財官があり、去って衝するを用いず、便ち井欄の格ではありません。たとえば戊子年・庚申月・庚申日・庚申時、これは郭統制の命。三つの申に一つの子を加え、水局が成して衝力が足ります。行運は財を喜び、衝する所の字を塡實するに利あらず、殘りの運もまたみな吉です。
有刑合成格者,癸日甲寅時,寅刑巳而得財官,格與合祿相似,但合祿則喜以合之,而刑合則硬以致之也。命有庚申,則木被沖剋而不能刑;有戊己字,則現透官煞而無待於刑,非此格矣。如乙未、癸卯、癸卯、甲寅,十二節度使命是也。運忌填實,不利金鄉,餘則吉矣。
沈氏の原文は言います。第九種は刑合して格を成すもの。癸水日主が甲寅時に逢えば、寅を用いて去って巳を刑し、巳中の丙火の財・戊土の官を刑し出します。この格は合祿格と相似たり、ただ合祿は你情我願で合して來るのに、刑合は硬くそれを逼め出すだけです。命中にもし庚申があれば、寅木は衝され剋されて、刑して動かせません。もし戊己の字があれば、それは官煞がすでに現成に透し出て、更に刑するを用いず、すなわちこの格ではありません。たとえば乙未年・癸卯月・癸卯日・甲寅時、これは十二節度使の命。行運は塡實を忌み、金の郷を走るに利あらず(金が寅木を剋すれば便ち刑を成さず)、殘りの運はみな吉です。
有遙合成格者,巳與丑會,本同一局,丑多則會巳而辛丑處官,亦合祿之意也。如辛丑、辛丑、辛丑、庚寅,章統制命是也。若命是有子字,則丑與子合而不遙,有丙丁戊己,則辛癸之官煞已透,而無待於遙,另有取用,非此格矣。至於甲子遙已,轉輾求俁,似覺無情,此格可廢,因羅御史命,聊復存之。為甲申、甲戌、甲子、甲子,羅御史命是也。
沈氏の原文は言います。第十種は遙合して格を成すもの。巳と丑はもともと巳酉丑の同一の局に屬し、丑字が多ければ巳を會して來え、辛金日主は便ち巳中の丙火を得て官と為します(底本のこの句の文字にやや訛脱あり)、これもまた合祿の意です。たとえば辛丑年・辛丑月・辛丑日・庚寅時、これは章統制の命。もし命に子字があれば、丑は子と合して住み、遙し過ぎ去れません。もし丙丁戊己があれば、それは辛金の官煞がすでに明透して、更に遙するを用いず、別に取用があって、すなわちこの格ではありません。甲子日が遙合する巳という說法に至っては、輾轉牽求して(底本の「求俣」の字は訛り)、實に無情に見え、この格はもともと廢すべきです。ただ羅御史の一造があるがゆえに、姑らく保留します。それは甲申年・甲戌月・甲子日・甲子時、羅御史の命です。
若夫拱祿、拱貴、趨乾、歸祿、夾戌、鼠貴、騎龍、日貴、日德、富祿、魁罡、金神、時墓、兩干不雜、干支一氣、五行俱足之類,一切無理之格,既置勿取。即古人格內,亦有成式,總之意為牽就,硬填入格,百無一是,徒誤後學而已。乃若天地雙飛,雖富貴亦有自有格,不全賴此。而亦能增重基格,即用神不甚有用,偶有依以為用,亦成美格。然而有用神不吉,即以為凶,不可執也。
沈氏の原文は言います。拱祿・拱貴・趨乾・歸祿・夾戌・鼠貴・騎龍・日貴・日德・富祿・魁罡・金神・時墓・两干不雜・干支一氣・五行俱足という類に至っては、一概に道理なき格で、みな一邊に擱いて取らざるべきです。たとい古人の格譜の中に成式を立ててあっても、總じて隨意に牽就して、硬く八字を格の中に塞ぎ込むで、百箇の中に一つも說き通るものなく、徒に後學を耽误するのみです。「天地雙飛」の一類に至っては、人は富貴なれど、その富貴はもともと自らその格局があり、併して全くこの名目に頼りません。ただしそれもまた確かに本格に分量を増加しえ(底本の「基格」は「其格」に作るべき)、たとい用神が甚だ有用と算しなくとも、偶にそれに依って取用すれば、また一つの美格を成しえます。しかしもし用神自身が不吉なら、便ちそれを凶と斷定する――このように一端に死執するも、また不可です。
其於傷官傷盡,謂是傷盡,不宜一見官,必盡力以傷之,使之無地容身,現行傷運,便能富貴,不知官有何罪,而惡之如此?況見官而傷,則以官非美物,而傷以制之,又何傷官之謂凶神,而見官之為禍百端乎?予用是術以歷試,但有貧賤,並無富貴,未輕信也,近亦見有大貴者,不知何故。然要之極賤者多,不得不觀其人物以衡之。
沈氏の原文は言います。「傷官傷盡」というこの說に至っては、傷するには傷して乾淨にし、一つの官星も見るを許さず、それを傷って地に容身なからしめなければならず、傷官の運に行き至れば便ち富貴しえると講じます。私は實に明らかにせず。官星は何の罪を犯して、こうもそれを厭惡するのでしょうか。何况もし官を見ればそれを傷るべきなら、それは官は良いものではなく傷官を用いて去ってそれを制すべきと言うに等しい。それならまたなぜ傷官を凶神と呼び、官を見るを禍患百出と說くのでしょうか。私はこの說法を持って一一に試驗したが、見る所はただ貧賤のみで、併して富貴はなく、だから敢えて輕信しません。近來もまた幾箇かの大貴を見たが、何の緣故かを知りません。總じて極賤のものが多く居り、たださらにこの人の品貌・氣度を參看して權衡するほかありません。
徐注:用傷官之忌見官星,亦猶用官之忌傷,用印之忌財,用財之忌劫也。何格無喜忌,豈獨傷官?況官星有喜見不喜見之別乎?至於格局之不可解者甚多。我人學識不足,未窮奧妙,知之為知之,不知為不知,正不必曲為諱飾也。
徐樂吾の評註はここに申明します。傷官を用いるが官星を見るを忌むは、正に官を用いるが傷官を見るを忌み、印を用いるが財を見るを忌み、財を用いるが比劫を見るを忌むと同じく、みな同一の道理です。どの格かその喜と忌のないものがありましょうか。豈に單單に傷官格のみあるでありましょうか。何况官星自身はまた喜んで見ると喜んで見ざるの二種の情形に分かれます。格局が講じ通らぬ例子に至っては實に多く、それは我らの學識が足りず、その中の奥妙を窮究していないのです。知るは知ると為し、知らざるは知らざると為して、實に曲意に掩飾するに及ばず。
四十八、附・雜格の取運を論ず
徐注:雜格不一,大都氣勢偏旺,出於五行常理之外。昔人評命,泥於財官之說,四柱無財可取,則不惜遙合倒沖,牽強附會,以期合於財官,未免可嗤。命理不外乎五行,氣勢雖為偏旺,而偏旺之中,仍有正理可取,詳《滴天髓徵義》。偏旺之格,取運大都須順其氣勢,雖干支喜忌,須察四柱之配合,而順勢取運,大致有定。茲就本篇所引各造,約略言之。
徐樂吾の評註は言います。雜格は名目が一ならず、大抵は氣勢が一方に偏して特に旺し、五行の常理の外に跳出したものです。昔の人が命を評するに、财官の說を死に抱えて放さず、四柱の中に取るべき财官を見出せなければ、遙合・倒衝という手法を惜しまず牽強附會して、硬く一つの财官を湊り合わせようとして、未免笑うべきです。命理は終究五行の範圍を出ず。氣勢は偏旺すれども、偏旺の中に依然として正當の道理が循るべくあり、この層は《滴天髓征義》の中に詳しく講じてあります。およそ偏旺の格は、取運は大体においてその氣勢に順って走るを要します。具體の干支の喜忌はなお四柱が如何に配合するかを察看するを須つと雖も、「勢に順って運を取る」というこの大方向は定準があります。以下に本篇の引いた各命造に就いて、扼要に講じます。
曲直仁壽格
癸亥 乙卯 乙未 壬午 甲寅 癸丑 壬子 辛亥 庚戌 己酉 甲乙日主,支全亥卯未或寅卯辰,乃曲直仁壽格也。氣勢偏旺於木,宜行水木火運,官煞運最忌,財運亦不宜。丙丁日主,支全寅午戌、或巳午未,為炎上格。戊已日主,支全辰戌丑未為稼穡格。庚辛日主,支全巳酉丑或申酉戌,為從革格。壬癸日主支全甲子辰或亥子丑,為潤下格。五種意義相同。
徐樂吾の評註は呉相公の一造を挙げます。四柱は癸亥年・乙卯月・乙未日・壬午時。大運は順に甲寅・癸丑・壬子・辛亥・庚戌・己酉。彼は言います。甲乙木の日主で、地支に亥卯未の三合または寅卯辰の三會を湊り齊えれば、即ち「曲直仁壽格」です。この一局は氣勢が全體として木に偏旺し、行運は水・木・火を走るを宜とします。水は木を生じ、木は木を助け、火は木の秀を泄すからです。官煞の運は最も忌みます。金が來て木を剋して旺神に逆らうからです。財運もまた相宜ではありません。木が土を剋して反って全局を搖動するからです。同じ道理で、丙丁日主で地支に寅午戌または巳午未を湊り齊えれば「炎上格」。戊己日主で地支に辰戌丑未を湊り齊えれば「稼穡格」(底本の「戊已」は「戊己」に作るべき)。庚辛日主で地支に巳酉丑または申酉戌を湊り齊えれば「從革格」。壬癸日主で地支に申子辰または亥子丑を湊り齊えれば「潤下格」(底本の「甲子辰」は「申子辰」に作るべき)。この五種の格の取運の意義は全く同じです。
化氣格
甲戌 丁卯 壬寅 甲辰 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 丁壬化木,生於春月,時逢甲辰,木之元神透出,乃化木格。氣勢偏於木也。化神喜行旺地,最宜東方寅卯辰比劫鄉,而忌官煞,日主還原之地亦忌,其中略分別,如丁壬化木,日元壬水,行亥子丑印地,生起化神亦吉;若甲已化土,而行寅卯辰,克我化神,為大忌也。化氣格有甲己化土、乙庚化金、丙辛化水、丁壬化木、戊癸化火五種,意義略同。
徐樂吾の評註は化木の一造を挙げます。四柱は甲戌年・丁卯月・壬寅日・甲辰時。大運は順に戊辰・己巳・庚午・辛未・壬申・癸酉。彼は言います。日干の壬が月干の丁と相合して木を化し、また卯月の春令に生まれ、時柱が甲辰に逢い、木の元神が透し出て、これが化木格で、氣勢は全體として木に偏します。およそ「化神」はその當旺の地を走るを喜び、所以に東方の寅卯辰という一片の比劫の郷が最も宜しく、官煞が來て化神を剋するを忌みます。日主が本來面目に回復するあの一片の地もまた忌むを要します。その中にまた略しく分別があります。丁壬が木を化するのは、日元はもともと壬水で、亥子丑という一片の印地に行けば、水が化神の木を生起しえ、また吉と算します。しかしもし甲己が土を化するのに、寅卯辰に行けば、木が來て我の化神の土を剋して、それは大忌です。化氣格には甲己化土・乙庚化金・丙辛化水・丁壬化木・戊癸化火の五種があり、取運の意義は大致同じです。
倒衝格
戊午 戊午 戊午 戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥 甲子 兩神成象,而氣勢偏於火土,為從旺格。最宜金運,洩土之氣,但火炎土燥,究嫌偏枯,宜帶水之土以護之。如庚辰辛丑等運為最佳,若見水運,如以一杯水救車薪之火。立見其災。所謂倒沖最忌填實,即此意也。木運逆土之性,增火之焰,亦不相宜。
徐樂吾の評註は四柱純一の造を挙げます。戊午年・戊午月・戊午日・戊午時。大運は順に己未・庚申・辛酉・壬戌・癸亥・甲子。彼は言います。これは火と土の「两神成象」で、氣勢は全體として火土に偏し、「從旺格」に按じて論ずべきで、併して倒衝ではありません。行運は金を走るが最も宜しく、土の旺氣を泄し去りえます。ただし火炎土燥で、終にその偏枯を嫌い、最も良いのは水氣を帶びた土が來てそれを護ることで、所以に庚辰・辛丑の類の干金支濕の運が最佳です。もし單に水運を見れば、一杯の水を以て一車の柴薪の火を救うに譬えて、災禍は即刻に至ります――舊說の所謂「倒衝は最も塡實を忌む」は、講ずる所は實はこの意です。木運に至っては、土の本性に違逆し、また火の氣焰を助長して、また相宜ではありません。
甲寅 庚午 丙午 甲午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥 丙子 庚金無根,置之不論,氣偏木火,格成炎上,最宜土運洩火之氣。說見前仁壽格。以上兩造皆俗所謂倒沖格也。
徐樂吾の評註はさらに一造を挙げます。甲寅年・庚午月・丙午日・甲午時。大運は順に辛未・壬申・癸酉・甲戌・乙亥・丙子。彼は言います。月干の庚金は全く根氣なく、擱いて論ずるを得ます。全局の氣勢は木火に偏し、格局は便ち「炎上」です。行運は土を走るが最も宜しく、土を用いて火の旺氣を泄し去ります。道理はすでに前の曲直仁壽格の中に講じました。以上のこの两造は、即ち俗人の所謂「倒衝格」――實はみな順勢の從旺格に按じて看るべきです。
朝陽格
戊辰 辛酉 辛酉 戊子 壬戌 癸亥 甲子 乙丑 丙寅 丁卯 此金水傷官,原無官星,氣勢偏於金水,以順其性。行土金水運為美,火運為忌。帶水之木尚可行,而帶火之木則不宜見。此俗所謂朝陽格也。
徐樂吾の評註は張知縣の一造を挙げます。戊辰年・辛酉月・辛酉日・戊子時。大運は順に壬戌・癸亥・甲子・乙丑・丙寅・丁卯。彼は言います。これはもともと「金水傷官」で、命に原本より官星がなく、氣勢は金水に偏し、取運はただその性に順うを須つとします。土・金・水の運を走るを美とします。土は金を生じ、金は金を助け、水は秀を泄すからです。火運は則ち忌むを要します。火が來て金を剋して旺神に逆らうからです。水を帶びた木運(壬寅・癸卯の類)はなお走れますが、火を帶びた木運(丙寅・丁卯の類)は見るを宜としません。これが即ち俗人の所謂「朝陽格」です。
合祿格
己未 戊辰 戊辰 庚申 丁卯 丙寅 乙丑 甲子 癸亥 壬戌 此土金食神也。比劫重重,氣勢偏於土金,以金運洩土之秀為最吉,水運亦美,火運為忌,木亦不美,所謂土盛木折也。俗以庚合乙為官星,稱為合祿格,又不要明見,喜財以生之。取運略同。
徐樂吾の評註は蜀王の一造を挙げます。己未年・戊辰月・戊辰日・庚申時。大運は順に丁卯・丙寅・乙丑・甲子・癸亥・壬戌。彼は言います。これは實は「土金食神」格です。命中の比肩・劫財が重ねて疊なり、氣勢は土金に偏し、所以に金運を走って土の秀を泄するが最も吉で、水運もまた美しく(金は水を生じえ、水はまた財と為り)、火運は則ち忌み(火が來て土を生じて土はいよいよ壅塞し)、木運もまた美ありません。木は土を剋しうれども、土が太過盛んで、反って木を折斷する、これがすなわち所謂「土盛木折」です。俗人が時干の庚金を拿って去って乙木を合し、乙を以て戊土の官星と為して、それを「合祿格」と稱し、またこの官星は明現するを要せず却って財が去ってそれを生ずるを喜ぶと言う。實はこの格に照らして運を取れば、結論もまた上面と大致同じです。
合祿格
己酉 辛未 癸未 庚申 庚午 己巳 戊辰 丁卯 丙寅 乙丑 俗亦名之為合祿格,以申合巳中戊土為官星也。月令偏官,年上透出,時上庚印化煞為用(見論偏官篇),格正局清,有何不美?若取巳中戊土官星,豈非官煞混雜耶?
徐樂吾の評註は趙丞相の一造を挙げます。己酉年・辛未月・癸未日・庚申時。大運は順に庚午・己巳・戊辰・丁卯・丙寅・乙丑。彼は言います。俗人もまたこの一造を「合祿格」と呼んで、時支の申を用いて去って巳中の戊土を合し、好くして癸水の官星に當てると言います。實は癸水が未月に生まれ、未中の己土は偏官で、また年干に透し出ています。時干の庚金は正印で、ちょうど煞を化して身を生ずる、これぞ真の用神です(前の《論偏官》の一篇を參看すべし)。格はすでに端正で局はまた清純、何の美ならざるがありましょうか。もし必ず巳中の戊土を取って官星と為さんとすれば、あの己煞と戊官が同じく來て、豈に官煞混雜となりませんか。
從財格
庚申 乙酉 丙申 己丑 丙戌 丁亥 戊子 己丑 庚寅 辛卯 乙從庚化,不作印論,丙火臨申,坐於病地,四柱無根,時上己丑又來生金,氣勢偏於金旺,為棄命從財格也。運宜行土金水,南方火鄉最忌,木亦不利。
徐樂吾の評註は王十萬の一造を挙げます。庚申年・乙酉月・丙申日・己丑時。大運は順に丙戌・丁亥・戊子・己丑・庚寅・辛卯。彼は言います。月干の乙木はもともと丙火の正印ですが、それは年干の庚金に合化して金を成し、更に印に照らして論ずる能くなりません。丙火が申上に坐するは、正に十二宮の中の「病」の地で、四柱の中に毫も根氣なく、時柱の己丑はまた土で來て金を生じます。全局の氣勢は金旺に偏し、所以に「棄命從財格」です。行運は土・金・水を走るを宜とします。土は金を生じ、金は金を助け、水はまた金の生ずる所でその勢に順うからです。南方の火郷は最も忌みます。火は丙火の根を復起して財勢に反抗せんとするからです。木運もまた利ありません。木は衆金に剋されて、徒に招搖するのみです。
從煞格
乙酉 乙酉 乙酉 甲申 甲申 癸未 壬午 辛巳 庚辰 己卯 乙木無根,氣勢偏於金,為棄命從煞格。金運最美,水土亦吉。木運為乙木逢根,火運逆其旺勢,皆忌見。與上從財格大致相同。
徐樂吾の評註は李侍郎の一造を挙げます。乙酉年・乙酉月・乙酉日・甲申時。大運は順に甲申・癸未・壬午・辛巳・庚辰・己卯。彼は言います。三つの乙木はみな酉上に坐し、時支はまた申で、乙木は通盤に根なく、氣勢は金に偏し、所以に「棄命從煞格」です。行運は金運を以て最も美とし、水運・土運もまた吉です。土は金を生じえ、水は金を泄すと雖も依然として順勢の内に在るからです。木運は則ち宜しくありません。木が一たび來れば乙木は便ち根を有して、從う所の煞と相爭わんとするからです。火運はさらに旺勢に逆らって金を剋しに行き、みな忌見です。これは上の從財格と道理が大致同じです。
井欄叉格
戊子 庚申 庚申 庚辰 辛酉 壬戌 癸亥 甲子 乙丑 丙寅 此俗所謂井欄叉格。庚金乘旺洩秀,支全申子辰水局。氣勢偏於金水,當順其勢以取運。土金水運均美,木運亦可,行火運逆其旺勢不利。
徐樂吾の評註は郭統制の一造を挙げます。戊子年・庚申月・庚申日・庚辰時。大運は順に辛酉・壬戌・癸亥・甲子・乙丑・丙寅。彼は言います。これが即ち俗人の所謂「井欄叉格」です。實は庚金が秋令の旺に乘じて水を用いて秀を泄し、地支の申子辰が恰好水局を湊り成したものです。氣勢は金水に偏し、取運はそれに順って走るべきです。土・金・水の運はみな美。木運もまた走れます。水が旺んでちょうど木を生じ、木がまた水を泄しうるからです。ただ火運のみこの旺勢に違逆して、最も不利です。
遙合格
辛丑 辛丑 辛丑 庚寅 庚子 己亥 戊戌 丁酉 丙申 乙未 此俗所謂丑遙巳格。土金成局,生於十二月,時上寅木無氣,不能為用。勢象偏於土金,宜土金水運,木火逆其旺勢為不宜。與遙巳格取運相同也。
徐樂吾の評註は章統制の一造を挙げます。辛丑年・辛丑月・辛丑日・庚寅時。大運は順に庚子・己亥・戊戌・丁酉・丙申・乙未。彼は言います。これが即ち俗人の所謂「丑遙巳格」です。實は土と金が一片を成し、十二月の丑令に生まれ、時支の寅木は嚴冬に毫も氣力なく、根本に用神に當てられません。全局の勢象は土金に偏し、所以に土・金・水の運を走るを宜とし、木運・火運は旺勢に違逆して、みな相宜ではありません。それは前のあの遙合の取運と路數が全く同じです。
丑遙巳祿格(またの名を刑合)
乙未 癸卯 癸卯 甲寅 壬寅 辛丑 庚子 己亥 戊戌 丁酉 《喜忌篇》云,「癸日進逢寅位,歲月怕戊已二方」,以寅刑出巳中戊土為格,其實乃從兒格也。氣勢偏於木,行運最喜木火。從格忌見比劫,而從兒有食傷引化,不忌比劫,此為不同之點。官煞大忌,印運亦忌。
徐樂吾の評註は十二節度使の一造を挙げます。乙未年・癸卯月・癸卯日・甲寅時。大運は順に壬寅・辛丑・庚子・己亥・戊戌・丁酉。彼は言います。《喜忌篇》に「癸日が寅位に進み逢えば、歲月は戊己の二方を怕る」という言あり、舊說は便ち寅を拿って去って巳中の戊土を刑し出して格を立てます。實はこの一造は「從兒格」と算すべきです。日主の癸水が一路に木を生じて、その生ずる所に從う。氣勢は木に偏し、行運は最も木と火を喜びます。木は從う所の兒で、火はまた木の生ずる所です。一般の從格はみな比肩・劫財を見るを忌みますが、從兒格は食傷が中間にあって引化し、比劫の氣もまた順って木中に流入し、所以に比劫を忌まず、これがそれの他の從格と異なるところです。官煞の運は大忌で、印運もまた忌みます。それらはみな來てこの木勢を剋傷せんとするからです。
子遙巳祿格(またの名を遙合格)
甲申 甲戌 甲子 甲子 乙亥 丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 《喜忌篇》云,「甲子日再遇子時,畏庚辛申酉丑午,以子遙合巳為格」,其實月令偏財,用財損印,何必另取格局?戌藏丁火,生起財星,遇運透清為美,庚辛申酉官煞生印為忌,午沖子、丑刑戌均為忌也。
徐樂吾の評註は羅御史の一造を挙げます。甲申年・甲戌月・甲子日・甲子時。大運は順に乙亥・丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰。彼は言います。《喜忌篇》に「甲子日がさらに子時に遇うは、庚辛申酉丑午を畏れ、子を以て遙に巳を合して格と為す」という言あり。實はこの一造は月令の戌中の戊土は偏財で、二つの子水はまた印で、財を用いて去ってあの太過の印を損すれば足り、何ぞ必ず別に何の格局を立てん。戌中にまた丁火を藏し、火は財星を生起しえ、所以に行運がもし丁火を透し出して取用が分明なら、便ち美運です。庚辛申酉は官煞で、來れば反って印を生じて、印の偏枯を加重する、所以に忌と為します。午が來て子を衝し、丑が來て戌を刑するに至っては、印と財の根を動搖して、またみな忌です。
