李虚中命书
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李虚中命書 欽定四庫全書子部七 提要
八字命理典籍
初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。
李虚中命書 欽定四庫全書子部七 提要
李虛中命書三卷,術數類五,命書相書之屬。
《李虚中命書》は全部で三巻、《四庫全書》では子部術數類の第五門に隸し、「命書相書の屬」に歸入されている。この著錄の仕方は、清代の館臣がこれを人の命の禄貴夭壽を推算する専書と見做し、堪輿・占卜・相術と並列しつつ各々門を分かつたことを示している。
臣等謹案:《李虛中命書》三卷,舊本題鬼谷子撰,唐李虛中注。虛中字常容,魏侍中李沖八世孫,進士及第,元和中官至殿中侍御史。韓愈為作墓誌銘,見於《昌黎文集》。後世傳星命之學者皆以虛中為祖。愈墓誌中所云:「最深五行書,以人之始生年月日所值日辰支干相生勝衰死王相,斟酌推人壽夭貴賤、利不利,輒先處其年時,百不失一二者」是也。然韓但極稱其說之汪洋奧義、萬端千緒,而不言有所著書。
四庫館臣謹んで按ず:《李虚中命書》三巻、舊本には周代の鬼谷子の撰と題し、唐代の李虚中が注を作ったとす。李虚中は字を常容といい、北魏の侍中李冲の第八世孫で、進士に及第し、唐憲宗元和年間に官は殿中侍御史に至った。韓愈はかつて彼のために墓誌銘を撰し、《昌黎先生文集》に收められており、後世「星命の學」を傳習する人はみな李虚中を祖師と奉じた。韓愈の墓誌には、彼が最も五行の書に精通し、人の生まれた年・月・日の値する干支に據り、その間の相生・相勝と「衰」「死」「旺」「相」などの氣勢を推究し、斟酌して人の壽命の長短・地位の貴賤・行事の順不順を推斷して、往々にして先ず應驗する年份時節を指し出し、百回のうち一二度を錯らなかった——まさにこの學を指す、とある。ただ韓愈はただ極力彼の學説が博大精深にして頭緒萬千なるを稱贊したのみで、彼が何の書を著したかは言わなかった。
《唐書·藝文志》亦無是書之名,至《宋志》始有《李虛中命書格局》二卷,鄭樵《藝文略》則作《李虛中命術》一卷、《命書補遺》一卷,晁公武《誦書志》又作《李虛中命書》三卷,焦氏《經籍志》又於命書三卷外別出《命書補遺》一卷,名目卷數皆參錯不合。世間傳本久絕,無以考證其異同,惟《永樂大典》所取其文尚多完具,卷帙前後亦頗有次第,並載有虛中自序一篇,稱司馬季主於壺山之陽遇鬼谷子,出遺文九篇,論幽微之理,虛中為掇拾諸家註釋成集云云。
《新唐書・藝文志》にもこの書の書名はなく、《宋史・藝文志》に至って始めて《李虚中命書格局》二巻が現れる。鄭樵《通志・藝文略》の著錄したのはむしろ《李虚中命術》一巻・《命書補遺》一巻で、晁公武《郡齋讀書志》はまた《李虚中命書》三巻と作り、焦竑《國史經籍志》は命書三巻の外に別に《命書補遺》一巻を列す。書名と卷數とは彼此參差して互いに吻合せず。民間に流傳する本子は久しくすでに斷絶して、これらの異同を核對する由なし。ただ《永樂大典》の收錄したこの書は文字がなお相當に完整で、卷次の前後も頗る條理があり、かつ李虚中の一篇の自序を載せて、司馬季主が壺山の南で鬼谷子に遇い、鬼谷子が遺文九篇を出して幽深微妙の理を講論し、李虚中はここに諸家の注釋を蒐集して集に編した云云をいう。館臣がこの一連の互いに矛盾する著錄を列擧するのは、この書の書名・卷數が宋代以後すでに混亂し、今本の據る底本は實に《永樂大典》の輯錄に出て、唐代舊帙の原貌ではないことを明らかにするためである。
詳勘書中義例,首論六十甲子,不及生人時刻干支,其法頗與韓愈墓誌所言始生年月日者相合;而後半乃多稱「四柱」,其說實起於宋,與前文殊相謬戾。且其他職官稱謂多涉宋代之事,其不盡出虛中手尤為明甚。中間文筆有古奧難解者,似屬唐人所為;又有鄙淺可嗤者,似出後來附益。真偽雜出,莫可究詰。疑唐代本有此書,宋時談星學者以說闡入其間,託名於虛中之注鬼谷,以自神其術耳。今以其議論精切近理,多得星命正旨,與後來之幻測恍惚者不同,故依晁氏原目釐為三卷著之於錄,以存其法,而於其依託之顯然者則各加案語隨文糾正,俾讀者勿為所惑焉。
細かに書中の體例を核對するに:冒頭は六十甲子納音を論じ、出生時辰の干支に涉らず、この算法は韓愈の墓誌のいう「出生年月日を以て推算す」と正しく吻合す。しかるに後半部は屢々「四柱」を講じ、年月日時の四柱の説は實に宋代に興起したもので、前半の文字と大いに相矛盾す。加うるに書中その他の職官の稱呼は多く宋代の制度に牽涉し、これを以てその全てが李虚中の手に出ずるに非ざるを見るべく、この點ことに明らかなり。書中の文筆に古奧にして懂り難きあり、唐人の寫したるに似たり。又有るは粗淺にして笑うべき、後人の添加したるに似たり。眞僞攙雜して、一々追究し明かす能わず。これに據りて推測す:唐代にもとよりかかる一部の書あり、宋代に星命を談ずる人が己が説を闡發して其中に攙入し、假り李虚中が鬼谷子の遺文に注せると託して、以て自家の術法を神化せしめたのみ。如今それが議論精切にして事理に切合し、多く「星命」一門の正宗の要旨を得、後來の恍惚玄虚の臆測と異なるがゆえに、晁公武の元來の目錄に依照して釐定して三巻と為し《四庫全書》に收め、以てこの一家の法を保存す。およそ明らかに假託に出づる處は、各々按語を加え文に随って糾正し、讀者をしてその惑わされざらしめんとす。
乾隆四十六年九月恭校上。總篡官臣紀昀、臣陸錫熊、臣孫士毅,總校官臣陸費墀。
乾隆四十六年九月に校訂畢り、恭しく進呈す。總纂官を擔任するは紀昀・陸錫熊・孫士毅の三臣、總校官を擔任するは陸費墀なり。これは《四庫全書》各書の提要末尾の固定の署銜で、本書の入庫の年月と經手の館臣とを標明す。
原序
昔司馬季主居壺山之陽,一夕雨餘,風輕月朗,有叟踵門,自謂鬼谷子。季主因與談天地之始,論河洛之書,箕子九疇、文王八卦,探跡幽微造化。至曉,出遺文九篇,包括三才,指陳萬物。季主得而明之,每言人之禍福時數,吉凶應如神察,為當時所貴。今餘得其舊文稽考,頗經證效。惟歷世之久,篇目次序似乎乖異,其五行之要尚或備載。餘恐其本術將至湮沒,故掇拾諸家註釋成集,非敢補於缺文,且傳之不朽,高明君子毋我誚焉。
昔、漢代に善く占う司馬季主は壺山の南に住せり。ある夜、雨まさに霽れて、風輕く月明なり。一人の老人あり門を登りて造訪し、自ら鬼谷子と稱す。司馬季主は便ち彼と天地開闢の初めの理を談じ、《河圖》《洛書》を討論し、《尚書・洪範》の記する箕子の九疇・周文王の演じたる八卦に講じ、造化の幽深微妙の蹤迹を探尋す。談じて天明に至り、老人は遺文九篇を拿出し、内容は天・地・人「三才」を囊括し、條分縷析して萬物の理を指陳す。司馬季主はこの九篇の文字を得てかつこれを通曉し、此の後人の禍福と氣數時節とを談ずる毎に、吉凶應驗して神明の洞察のごとく、因りて當時の人に推重せらる。今われ(李虚中)はこの批の舊文を得て考校を加え、頗る驗證の效あり。ただ流傳の年代久遠にして、篇目の次序錯亂あるに似たるも、五行推命の要領はなお大致保存完整なり。われこの本術のまさに湮沒失傳せんことを恐れ、ゆえに諸家の注釋を蒐羅して集に編す——敢えて缺失の文字を補足したとは言わず、ただその流傳不朽せんことを求むるのみ。高明の君子はわれを譏笑することなかれ。
唐元和初載九月十三日殿中侍御史李常容虛中序。案:唐惟天寶、至德稱「載」,此序後元和而亦稱「載」,是即作偽之一證。
落款に曰く:唐憲宗元和初年九月十三日、殿中侍御史李常容(虚中)序を作る、と。四庫館臣の按語に指摘す:唐代はただ天寶・至德の二年號の間「年」を「載」と稱したり。この序はその後の元和年間に作るも、また「載」の字を用ゆ。これまさにこの序の後人の僞託に出づるの一條の證據なり。
李虚中命書
李虚中命書卷上
甲子天官藏,是子旺母衰之金,溺於水下而韜光,須假火革,有旺盛之氣,方可以揚名顯用。(命入貴格,明暗取官。)乙丑祿官承,乃庫墓守財之金,不嫌鬼旺之方,喜見祿財之地,水土砥礪,忽然有氣,亦可以為器成材。(平和貴格,不須祿到。)
六十甲子は各々一つの「納音」五行を配し、甲子・乙丑は同じく海中金に屬す。本書はすなわち年柱の納音を以て一命の本と為し、全部の旺衰生克はみな納音に就いて立論す。これは後世の子平法が日干を主とするの口徑と根本より異なり。讀むに先ず分かち明らかにすべし。「甲子」の一位は名づけて「天官藏」という、子旺にして母衰の金なり。子水はまさに旺に當たり、金を生ずる母氣(土)はすでに衰え、金は水底に沈沒して光芒掩わる。必ず火を借りて煅煉改造し、金氣の重ねて旺盛なるを俟ちて、こそ名を揚げ世に見用せられん。李虚中の注にこの位は貴格に入り、天干に明見し地支に暗藏する「官」(我を克する神)いずれも取用しうるという。「乙丑」の一位は名づけて「禄官承」という、庫墓の中に收藏して財を守る金なり。「鬼」(身を克する神)の旺に當たる方位に行くを怕れず、却って禄地・財地を見るを喜ぶ。水あり土ありて砥礪を加えれば、金氣は忽然として回復し、同じく器を成し材を成しうる。注文にこれは平和の貴格で、必ずしも禄郷に行かざるを要せずという。
丙寅祿地元,是子母相承之火,先煙後焰,抽其明而三進,喜木為助,嫌水陵遲,五行相養,雖在死方,亦可光耿。(命入貴格,不用子祿。)丁卯貴祿奇,乃本旺祿休之火,惟欲陰旺,惡處盛陽,若火木相資,連於艮震之方,必能變鼎味而成享禮也。(欲逢官鬼,始得貴奇。)
「丙寅」の一位は名づけて「禄地元」という、納音は爐中火、子母相承の火に屬す。寅木は丙火を生じ、母子相生して、火起る時は先ず煙を冒し後に焰と成り、光明は一層々抽發して三度進長す。木の來助を喜び、水の來りて欺凌し拖延するを嫌う。ただ五行彼此涵養すれば、たとい火の死地に落つとも、なお能く光明耿耿たる。注にこの位は貴格に入り、「子禄」を借るを必ずしも要せず(底本此處に舊より校語ありて「子」は當に「干」と作るべしと疑う)という。「丁卯」の一位は名づけて「貴禄奇」という、本氣は旺なれど禄氣すでに休せる火なり。ただ陰氣の旺なるを得んことを望み、最も身が陽氣過盛の地に處るを怕る。もし火木の互いに資養するを得、連なりて艮(東北)・震(東)の方に接すれば、必ず鼎中の調味のごとく生を変じて熟と為し、祭享の禮を成就せん——その人の大用を擔當しうるを喻指す。注に「官鬼」(身を克する神)に遇い來りて制せられて、こそ貴にして奇なるを顯すという。
戊辰神頭祿,乃華實兼榮之木,愛乎水土,忌見火金,有所養於金,乃英實之命也。相乘可貴,不畏鬼臨。己巳地奇備,乃氣勝體剛之木,生逢對旺干鬼相加,或木來比助、金伐以成,為棟樑之材,皆得終美。貴無官鬼,須見角音。
「戊辰」の一位は名づけて「神頭禄」という、納音は大林木、花と果と同時に繁榮する木なり。水と土の滋養を喜び、火を見金を見るを忌む。もし金の克制がちょうど宜しきを得てかえって培育と成れば、すなわち開花しまた結實する好命なり。注に彼此相乘じてかえって貴と為しうる、「鬼」(我を克する金)の身に臨むを怕れずという。「己巳」の一位は名づけて「地奇備」という、氣勢が形體に勝ち、質地剛硬の木なり。己と相對する旺方に生まれ、たとい天干の「鬼」が加臨し、あるいは同類の木が來りて幫扶し、また金斧に砍伐加工せらるとも、いずれも棟梁の材と成りうる。結局みな美なり。注にこの一位の貴は官鬼を見ざるに在り、ただ「角音」(五音の木に屬する者)の同類の相助を見るを須とすという。
庚午天祿承,是含輝始育之土,氣數未備,惟喜旺方,得數己完,尚嫌水重,若獨祿會命旺身絕,豈是貴地。祿鬼自處,不假官鬼。辛未祿自藏,乃自本立形之土,有火相助,得木相乘,水輕木重亦可以小康,若敗而乘祿,多方為厚載之福。喜見干連,不畏木重。
「庚午」の一位は名づけて「天禄承」という、納音は路旁土、光輝を含んでまさに孕育せる土なり。氣數いまだ完備せず、ただ旺方に行くを喜ぶ。たとい氣數すでに補足せりとも、なお水の重すぎるを嫌う。ただ孤零零として禄に會するのみにして、命(地支)旺にして身(納音)絕せば、それ何ぞ貴地と算せんや。注にそれ自身すでに兼ねて禄と鬼と有り、さらに外來の官鬼を借るを要せずという。「辛未」の一位は名づけて「禄自藏」という、本氣に依託して形を立つる土なり。火ありて相助け、木ありて相加えば、たとい水輕く木重くとも、小康しうる。もし身が敗地に處りてまた禄氣を乘ずれば、多方培植して厚く萬物を載せるの福と成る。注に天干相連相生を見るを喜び、木多きを怕れずという。
壬申地天祿,乃自仕權制之金,剛而有斷,愛土木而嫌火重,雖居財旺身衰,亦主清華之貴。真假財官,貴之為貴。癸酉貴符印,乃剛銳利用之金,不嫌絕敗,惟畏鬼多,若平易而不相刑,當有自然之材器。庚辛無鬼,不假官貴。
「壬申」の一位は名づけて「地天禄」という、納音は劍鋒金、自ら任事し權を掌りて裁斷ある金なり。性剛にして決斷力あり、土木(土はこれを生じ、木はその財なり)を喜び、火の重すぎるを嫌う。たとい財旺にして身弱の格局に處るとも、清貴顯要の位を主る。注に眞財眞官か假借の財官かを問わず、能く貴なればすなわち貴なりという。「癸酉」の一位は名づけて「貴符印」という、同じく劍鋒金、剛銳にして利用に供すべき金なり。絶地敗地に落つるを怕れず、ただ「鬼」(身を克する火)の多すぎるを怕る。もし命局平順にして刑克なければ、自ずから材を成し器を成す。注に庚辛の金は鬼の來克なくば、すなわちさらに官星を借りて貴を取るを要せずという。
甲戌祿臨官,乃墓成息用之火,不求壯旺,欲物平資,福祿可以高厚。入格可貴,干不必官。乙亥地祿承,為氣散游魂之火,生於木火榮方,上下不逢相制,僅而成達,多助尤崇。真官相制,得貴亦崇。
「甲戌」の一位は名づけて「禄臨官」という、納音は山頭火、墓に入り形を成して止息し用を待つ火なり。壯盛旺極を求めず、ただ外物の平和に資養を供給すれば、福と禄とは高厚ならんことを得。注にただ格に入ればすなわち貴と為しうる、天干は必ずしも官星を見るを要せずという。「乙亥」の一位は名づけて「地禄承」という、氣すでに渙散して遊魂のごとき火なり。木火繁榮の方位に生まれ、上下(干支)ともに克制を遭わずんば、勉めても通達しうる。もし多く幫助を得れば、地位ことに崇高なり。注にもし眞の官星ありて來り制せば、貴を得るも同じく崇顯なりという。
丙子天祿承,乃深沉停會之水,若會源得生,用制於東南,為出常之器。自有真官,佳期祿會。丁丑祿自守,乃漸下欲流之水,得水土相承,經於敗地,源脈不斷,可升而濟物,功德昭著也。丑有癸藏,不明見官。
「丙子」の一位は名づけて「天禄承」という、納音は澗下水、深沉停蓄して匯聚して成れる水なり。もし能く水源に會して生氣を得、また東南木火の方に於て制用を加えれば、すなわち尋常を超する器局なり。注にそれ自身すでに眞官を帶び、最佳の時機は行運が禄地に會するなりという。「丁丑」の一位は名づけて「禄自守」という、漸々下り向いてまさに奔流せんとする水なり。水と土とが互相承接するを得れば、たとい敗地を經るとも、源頭脈絡は斷絶せず、昇騰して雲雨と成りて萬物を潤澤し、功德昭彰たら。注に丑中にもとより癸水を藏し、さらに官星を明見するを宜しからずという。
戊寅地官承,乃生體安和之土,若資之以火土俱盛,金旺之榮,雖多反制,尚可高崇,為不常之用。得官不旺,貴出自然。己卯地官承,為鬼旺體堅之土,生於金重木多,而見財重,乃富貴長遠。得官不旺,貴出自然。
「戊寅」の一位は名づけて「地官承」という、納音は城頭土、生機安和の土なり。もし火を以て資生して火土兩旺たらしめ、また金旺の榮氣あれば、克制の神多きと雖もかえって節制を形成し、なお地位高崇、尋常ならざる用を成就しうる。注に官星を得て官星過旺ならざれば、貴氣は自然より出づという。「己卯」の一位もまた「地官承」と名づく、鬼(我を克する木)旺なれど本體堅實の土なり。金重く木多き處に生まれ、また財星の厚重を見れば、すなわち富貴にしてかつ長久ならん。注に同じく官星は太旺を宜しとせず、かくのごときこそ貴氣は自然より出づという。
庚辰祿暗會,乃顯光之金而未成材,金剛土重,得期相會,無炎火之官,乃大臣之制。不假祿合,祿干剋期。辛巳地官承,為資始之金,身堅而體柔,欲平火之制,若金助土成,則為光大之器。丙官在下,務貴於祿。
「庚辰」の一位は名づけて「禄暗會」という、納音は白蠟金、すでに光澤を現すもいまだ成材せざる金なり。金質剛硬にして土氣厚重なり。もし能く期に按じて會合し、また熾烈の火の官星と為りて煎熬するなければ、すなわち大臣に位居する格局なり。注に禄の會合を借るを必ずしも要せず、天干の禄は自ずから期に按じて克制の力を發揮すという。「辛巳」の一位は名づけて「地官承」という、まさに資生の始を取得せる金なり。身骨堅にして體質柔なり。平和の火ありて鍛煉せんことを望む。もし金の助を得て土また成全せば、光大の器物と成る。注に丙火の官は巳中の下に藏伏し、貴を取るは禄に重んずという。
壬午天官合,乃化薪之木,畏在火強,得水資之,或處生旺而逢土,亦可富貴。若獨見金制在死敗之鄉,非長久之命。丁壬德合,寄任旺官。癸未祿自備,為伐根之木,氣敗而體柔,不嫌金制,喜水之榮,及會元而借生主,乃重器成德之材。癸在巳中,喜逢甲乙。
「壬午」の一位は名づけて「天官合」という、納音は楊柳木、すでに化して柴薪と為れる木なり。最も火勢の強すぎるを怕れ、水を得て滋養するを良しとす。あるいは身が生旺の地に處りてまた土に逢えば、また富貴しうる。ただ金の來克を見て、かつ死敗の郷に落つれば、長壽の命に非ず。注に丁と壬と相合して徳合と為す、旺相の官星を寄托し任用しうるという。「癸未」の一位は名づけて「禄自備」という、根すでに砍伐せられたる木なり。氣衰敗にして體質柔弱なり。金の來りて裁制するを怕れず、水の滋榮を喜ぶ。元氣に會し、生ずる我が主を借るを俟ちて、すなわち重器を成し徳業を成しうるの材なり。注に癸の貴人は巳中に在り、甲乙同類の木に逢うを喜ぶという。
甲申地祿生,乃源泉之水,務有資助流長而無鬼,則為運廣之淵,可享高厚之福。祿始生,要干生旺而無官。乙酉貴還命,乃母旺進趨之水,若資以金、濟用以火,自乾東而震北,亦超卓輔弼之用。干之無官,會合而貴。
「甲申」の一位は名づけて「地禄生」という、納音は井泉水、源頭活泉の水なり。必ず資助ありてその流れ長遠ならしめ、また「鬼」(身を克する土)の來りて阻斷するなきを要す。すなわち水量寬廣の深淵と成りて、高厚の福を享受しうる。注に禄氣まさに發生し、天干が生旺の地に處りて官星を見ざるを須とすという。「乙酉」の一位は名づけて「貴還命」という、母氣まさに旺にして斷えず前に推進する水なり。もし金を以て資生し、火を以て調劑使用すれば、西北乾位より東へ、東方震位より北へ流轉し、また超群卓越の輔弼の才と成りうる。注に天干上に官星を見ず、支干の會合に靠りて貴を取るという。
丙戌祿德合,乃祿資支附堅固、火鍾之土,若資之以木,光耀不群,蓋本重不須旺也。自有卒符,不畏偏貴。丁亥地貴符,乃福壯臨官之土,若潤之以水,麗澤以金,處魁罡坤艮之方,可以顯功遂名。貴守官藏,真鬼德旺。
「丙戌」の一位は名づけて「禄徳合」という、納音は屋上土、禄氣の資助あり、支干依附して堅固にして、火氣を聚集せる土なり。もしさらに木を以て資養すれば、光彩耀眼にして流俗を超出す。本氣すでに厚重なれば、さらに旺極を求むるを要せず。注にそれ自身「卒符」の神を帶び、偏位の貴人を怕れずという。「丁亥」の一位は名づけて「地貴符」という、福氣壯盛にしてまさに臨官に當たる土なり。もし水を以て潤澤し、金を以て彩を添え、また魁罡(辰戌)と坤(西南)・艮(東北)の方に處れば、すなわち功業を建立し名声を成就しうる。注に貴氣は守りて官星は潛藏し、眞の「鬼」はかえって徳氣を旺盛ならしむという。
戊子天祿合,乃神龍之火,利於震巽,不畏水刑,支干得官皆可顯用,水木盛則尤佳。自有癸財,不必會祿。己丑神頭祿,乃餘光不凡之火,惟期體重,不假奇財,若祿有資而命有成,方人康榮之貴局。貴財相會,無祿亦榮。
「戊子」の一位は名づけて「天禄合」という、納音は霹靂火、神龍の火と稱さる。震(東)・巽(東南)の木方に行くに利あり、水の來りて刑克するを怕れず、天干地支はただ官星を得ればいずれも顯達任用しうる。水木旺盛なればさらに良し。注にそれ自身すでに癸水ありて財と為す、さらに禄に會しに行くを要せずという。「己丑」の一位は名づけて「神頭禄」という、餘光不凡の火なり。ただ本體の厚重を求め、奇特の財星を借助するを必ずしも要せず。もし禄に資助あり、命局に成就あれば、安康榮顯の貴格に入る。注に貴人と財星と相會すれば、たとい禄を見ずとも同じく榮顯なりという。
庚寅地奇備,不避刑沖,寧辭衰敗,乃五行堅實之木,若得和柔之氣,德貴相符,必作顯揚大用。祿位生旺,得官鬼成。辛卯貴沖命,自旺經制之木,不畏霜雪,氣節凌雲,可制之以金,損之以火,而逢旺相即成巨室之材。若平易而無金,火生於曲直之會,亦為貴重矣。祿命相擊,不畏官耗。
「庚寅」の一位は名づけて「地奇備」という、納音は松柏木。刑と冲とを躲避せず、また衰と敗とを推辭せず、五行中に質地最も堅實の木なり。もしさらに和順柔潤の氣を得、徳神と貴神と彼此相符せば、必ず顯達揚名して大用を擔當す。注に禄位は生旺に處り、さらに官鬼を得てこれを成就すという。「辛卯」の一位は名づけて「貴冲命」という、自身旺盛にして裁制を經受せる木なり。霜雪を怕れず、氣節は雲霄を凌ぐ。金を以て裁制し、火を以て消損しうる。一旦旺相の運に逢えば、巨室を營建する大材と成る。もし命局平順にして金なく、ただ火が「曲直」(木局)の會合の中に生ずれば、同じく貴重なり。注に禄と命と相冲擊するも妨げず、官星の來りて耗損するを怕れずという。
壬辰祿清潔,乃會貴守成之水,五行不雜,在兌坎之間無物來制,文明清異之資,可享高厚之福。喜於寅亥,見戌亦清。癸巳地帶合,乃流遠澄清之水,若溢之以水,在火木榮方,音中無土,則有濟物惠施之德也。真氣得用,官氣尤清。
「壬辰」の一位は名づけて「禄清潔」という、納音は長流水、貴神に會合して成を守り失わざる水なり。五行純粹にして雜らず、兌(西)・坎(北)の金水の間に處りて別の物の來りて克制するなく、文采光明・清雅出衆の資質なり。高厚の福を享受しうる。注に寅・亥(水木長生の地)を見るを喜び、戌を見るも同じく清貴なりという。「癸巳」の一位は名づけて「地帶合」という、流れ遠くして澄澈せる水なり。もしさらに水ありて增益し、火木繁榮の方に處り、しかも納音の中に土を攙雜せざれば、萬物を濟助し他人に惠を施すの徳を具備す。注に眞氣は實用を得、官星の氣ことに清正なりという。
甲午天符祿,乃沙汰之金,志大而有節操,或零火蓋之而嚴,或旺金集之而剛,不遇丁壬,始可陶熔之寶。祿神敗而食子,欲妻剛而子旺。乙未祿印綬,乃強悍剛礦之金,欲金相用在火盛處,父子相乘,皆為珍寶。德神當位,喜見印官。
「甲午」の一位は名づけて「天符禄」という、納音は沙中金、沙の裡より淘洗して出づる金なり。志向遠大にして節操あり。あるいは零星の火ありて其上を覆い嚴整と顯れ、あるいは旺金ありて其間に聚集して剛強と顯る。ただ丁と壬とに遇わざれば(丁壬は木を化してその氣を泄す)、すなわち熔鑄しうる寶物なり。注に禄神はすでに敗れて食神の子を生ず。ゆえに財(妻)の剛健にして子息の旺盛ならんを望むという。「乙未」の一位は名づけて「禄印綬」という、強悍にして質地粗糙の礦金なり。金が能く火盛の處に取用せられんを望む。父(金)と子(火)とが互相乘承して、いずれも煉成して珍寶と成りうる。注に徳神各々其の位に當たり、印星と官星とを見るを喜ぶという。
丙申地官承,乃無資之火,金木壯旺而有制,得干生即為厚實,若祿盛而無依,即灰飛而不焰矣。官在生方,不須癸壬。丁酉貴自承,乃平易無為之火,得木旺則大炎見,木多則成用,得火助則不清,在火位則常存,人生得此,無不貴豪。丁連丙貴,見合不清。
「丙申」の一位は名づけて「地官承」という、納音は山下火、資養なき火なり。金と木と皆壯旺にして彼此制約あり。もしさらに天干の生扶を得れば厚實にして靠みがたし。ただ禄氣旺盛にして依託する所なければ、灰飛煙滅して焰を燃成さざるがごとし。注に官星は長生の方に在り、すなわちさらに壬癸の水を要せずという。「丁酉」の一位は名づけて「貴自承」という、平易無為の火なり。木氣旺を得れば大いに光焰を放ち、木多ければ大用と成る。もしさらに火を得て來助せばかえって清純ならず。火位の上に處れば能く長久に存留す。人生にこれに逢えば、顯貴豪盛ならざるなし。注に丁と丙と相連なりて貴を取る、ただ合を見ればかえって清ならずという。
戊戌神頭祿,乃不材之木,喜逢水旺乃可資榮,豈厭生成,伐宜金敗,真運自然,不嫌祿鬼,方可高崇。明合暗官,成於旺方。己亥地官承,乃糞水育苗之水,水多土而臨旺,皆有成就,然逢敗絕為殃,亦主富貴榮盛。干支財祿,瞿彼官鬼。
「戊戌」の一位は名づけて「神頭禄」という、納音は平地木、材を成さざる木なり。水旺に逢うを喜びてこそ資養を得て繁榮しうる。何ぞ生成の氣を厭棄せんや。砍伐せらるるに金氣衰敗の時に宜しく、眞運自然にして至る。「禄鬼」(身を克する神)の同現を嫌わず、かくのごときこそ地位高崇ならんことを得。注に明處に合あり暗處に官あり、成就は旺方に在りという。「己亥」の一位は名づけて「地官承」という、納音は平地木の後の一位、糞壤の水を以て禾苗を培育する水なり。水多くして土また旺に臨めば、いずれも成就あるを得。然れども敗地絶地に遇えば災殃と成る。もし配合當を得れば、また富貴榮盛を主る。注に干支上に財あり禄あるを要し、あの身を克する官鬼に對しては須らく警惕すべしという。
庚子天雲日承,乃氣過浮虛之土,得重土相資,水木不剛即享福壽。官鬼不刑,衰絕自保。辛丑祿承庫,乃氣衰就本之土,欲承之以火,制之以木,或重遇木土有刑沖,須假祿元生旺,造化應斯,功名可立。官鬼不加,祿剛則貴。
「庚子」の一位は名づけて「天雲日承」という、納音は壁上土、氣が虚浮に過ぐる土なり。厚重の土を得て資助し、水木また剛強ならざれば、能く福を享け壽を享く。注にただ官鬼の來りて刑克せざれば、たとい衰地衰地絶地に處るとも能く自ら保つという。「辛丑」の一位は名づけて「禄承庫」という、氣すでに衰え、退きて本位に歸する土なり。火ありて承接し木ありて疏理せんことを望む。あるいは重重木土に遇いて刑を帶び冲を帶ぶれば、須らく禄元を借りて生旺の地に處るべし。造化もしこのごとく配合せば、功名は建立しうる。注に官鬼身に加わらず、禄氣剛健なればすなわち貴を取りうるという。
壬寅地會義,乃藏用體柔之金,喜土資之以旺,財官不可太剛,若能應此,富貴始得久遠。艮土包命,祿須貴旺。癸卯貴會源,乃財旺體弱之金,財命相乘,喜身在生旺之方,或得真官真氣,無不配合,貴源莫不易而厚祿也。貴源多會,不在多逢。
「壬寅」の一位は名づけて「地會義」という、納音は金箔金、藏めて用を待ち、質體柔軟の金なり。土の來りて資生して轉旺せしめるを喜び、財と官と皆剛強に過ぐべからず。もし能くこのごとく配合せば、富貴は長久ならんことを得。注に艮方の土は本命を包裹し、禄は須らく貴旺の地に處るべしという。「癸卯」の一位は名づけて「貴會源」という、財旺にして本體薄弱の金なり。財と命とが互相乘承し、身(納音)の生旺の方に落つるを喜ぶ。もしさらに眞官眞氣を得れば、彼此配合せざるなし。貴氣の來源は得難からずして禄もまた豐厚なり。注に貴源の貴は會得の恰當なるに在り、遇の多きに在らずという。
甲辰祿馬承,乃始壯之火,欲多生我,或會本源,卻無炎光之極,自然超卓,水輕而無土,亦可騰達矣。甲丙生寅,明我生氣。乙巳地官承,乃進功之火,欲輔助之不息,不必旺極,得木火相乘,雖死敗而可貴。或同音煞丙,亦生貴。
「甲辰」の一位は名づけて「禄馬承」という、納音は覆燈火、まさに壯盛の火なり。多く生ずる我が木あるか、あるいは本身の源頭に會するを望むも、炎光極點に至らず、かくのごとき自然超群卓越す。水氣輕くしてまた土の來りて掩うを見ざれば、また騰達しうる。注に甲と丙と皆寅に長生し、まさに我が生氣の在る所を顯明すという。「乙巳」の一位は名づけて「地官承」という、功業まさに進取の火なり。輔助の源源として絶えざるを望み、旺の極點に至るを必ずしも要せず。木火の互相乘承を得れば、たとい死地敗地に落つとも能く貴顯す。注にあるいは同納音に遇いて煞と成る丙も、同じく能く貴氣を生ずという。
丙午神頭祿,乃至陰之水,發於陽明,蒸氣氤氳,何所不及,處金木旺而沖刑祿,得炎而財盛,始可貴矣。身同官鬼,不避掩沖。丁未祿文承,乃祿旺育生之水,宜於水火之中,得五行死敗之氣,祿干自旺,財貴會於乾方,乃富貴顯揚之用,惟嫌土在旺鄉,即非長久。喜遇丙丁,畏官當用。
「丙午」の一位は名づけて「神頭禄」という、納音は天河水、至陰の水にして至陽の位に發生す。陽氣蒸騰し水氣氤氳して、到らざる所なし。金木旺盛にしてその禄を冲刑する局面に處り、また炎火を得て財氣を興盛ならしめて、これを貴と算す。注に身(納音水)と官鬼(火)と一位に同居す。ゆえに掩蔽と冲克とを回避するを要せずという。「丁未」の一位は名づけて「禄文承」という、禄氣旺盛にしてまさに生發を孕育する水なり。水火の間に處るを宜とし、五行死敗の氣を得て收斂す。禄の天干は自身旺にして、財と貴とまた西北乾方に會合せば、すなわち富貴顯揚の格局なり。ただ土の旺郷に落ちて堵塞するを嫌う。それすなわち長久ならず。注に丙丁の火に遇うを喜び、怕るるは官星の權を當てて取用するなりという。
戊申地符會,乃柔順發生之土,喜臨四季,得木為榮,獨居水火榮方,未得尊高之著。真官符用,不畏鬼臨。己酉貴承,乃子旺母衰之土,喜火土之榮,慶從革之地,或水輕木柔,亦是滋生之德,倘能應此,軒冤非難。不必正應,要臨辛丙。
「戊申」の一位は名づけて「地符會」という、納音は大驛土、柔順にして能く萬物を發生する土なり。辰戌丑未の四季月に臨むを喜び、木を得て疏導するを榮とす。もし孤零零として水火旺盛の方に處れば、尊貴高顯の名位を得ず。注に眞の官星と符神と用に堪えれば、すなわち「鬼」(身を克する木)の身に臨むを怕れずという。「己酉」の一位は名づけて「貴承」とう、子(金)旺にして母(土)衰の土なり。火土の榮氣を喜び、また「從革」(金)の地に走るを樂しむ。あるいは水輕く木柔なるも、また滋生の徳と算す。もし能くこのごとく配合せば、車に登り冕を服するは困難ならず。注に正位相應を求むるを必ずしも要せず、要は辛と丙とに臨むに在りという。
庚戌祿符源,乃鈍弱成用之金,火輕金重,魁罡相乘,可以休逸,福祿自然,忌木火之極,則命迪蹇。旺逢妻鬼,遇鬼反榮。辛亥地祿印,乃木旺祿休之金,得平火之革,然後制於克伐,或沖擊於金水之中,得以平安守職,富貴優遊。喜於金助,不畏丁鬼。
「庚戌」の一位は名づけて「禄符源」という、納音は釵釧金、質鈍り力弱くして器と成りうる金なり。火輕く金重く、また魁罡(辰戌)の相乘あれば、安閒自在にして福禄自ずから來る。木火の極點に至るを忌む。かくのごときは命途まさに艱難蹇滯せんとす。注に旺時に妻財と鬼煞とに逢い、鬼に遇えばかえって榮顯すという。「辛亥」の一位は名づけて「地禄印」という、木氣旺にして禄氣休の金なり。平和の火を得て鍛煉改造し、然るのちこそ克伐に禁えうる。あるいは金水の中に冲擊を受くるも、能く平安に職位を守住して富貴にして從容たらん。注に金の來助を喜び、丁火の鬼と為るを怕れずという。
壬子神頭祿,乃體柔用剛之木,居旺相而得金,遇貴地而無火,則可以揚名當世。祿旺須官,音盛畏鬼。癸丑祿得源,乃剛柔相濟之木,水土承於旺方,則生育利物,金制於生成,皆可以立功立事,惟恐生旺逢火。祿居北地,畏鬼掩沖。
「壬子」の一位は名づけて「神頭禄」という、納音は桑柘木、體質柔軟にして用處剛強の木なり。旺相の地に處りてまた金を得て裁制し、貴人の地に遇いて火の來りて焚灼するを見ざれば、名を當世に揚げうる。注に禄旺の時は須らく官星ありて節制し、納音の氣過盛なれば鬼の來克を怕るるべしという。「癸丑」の一位は名づけて「禄得源」という、剛柔相濟の木なり。水と土と旺方に承接すれば、能く萬物を生育し物に利益す。金の克制がもし生成の階段に發生せば、いずれも功業を建功しうる。ただ生旺の時にまた火に逢い來りて泄耗するを怕る。注に禄は北方の水地に居り、鬼の來りて掩蔽し冲克するを怕るという。
甲寅神頭祿,乃淵深處靜之水,若資之木旺土衰,則為奇特貴異。庚辛不畏,清在丁壬。乙卯神頭祿,乃死中受氣之水,雖敗無妨,或會源於音地,木有不達之者,此一水皆喜土而清,若水多而無土,則為伏寒之氣。癸馬為官,勝於戊己。
「甲寅」の一位は名づけて「神頭禄」という、納音は大溪水、深潭靜水なり。もし木旺にして土衰なるを得てこれを資助せば、奇特出衆の貴格と成る。注に庚辛の金を怕れず、清貴は丁と壬との配合に在りという。「乙卯」の一位もまた「神頭禄」と名づく、死地に氣を受けて成れる水なり。敗地に落つるも妨げなし。あるいは同納音の地に於て水源に會合すれば、木は通達せざるなし。この一位の水はいずれも土あるを喜びてこそ清純を顯し、もし水多くして土なければ、潛伏の寒滯の氣と成る。注に癸の驛馬を以て官星と為すは、戊己の土を用ゆるに勝れりという。
丙辰祿自裕,乃發施養生之土,喜於火助,不畏掩沖,夫如是者,自然榮貴。水在庫中,無官自裕。丁巳神頭祿,是絕中受氣之土,喜逢土助,不畏死敗,惟能朝命建元,可以文章妙選。上下火乘,鬼無害也。
「丙辰」の一位は名づけて「禄自裕」という、納音は沙中土、能く生機を施布して萬物を養育する土なり。火の來助を喜び、掩蔽冲克せらるるを怕れず。能くかくのごときならば、自ずから榮顯尊貴す。注に水は辰の庫中に收まり、たとい官星なくとも自ずから寬裕なりという。「丁巳」の一位は名づけて「神頭禄」という、絶地に氣を受けて成れる土なり。土に逢い來助するを喜び、死地敗地を怕れず。ただ能く本命を朝拱して元氣を建立せば、文章を以て選拔せらるるを得。注に上下ともに火ありて乘承す、「鬼」もまた為害する由なしという。
戊午天祿備,乃神發離明之火,旺中受絕,喜木助於衰方,忌火乘於己旺,生之應此,必作魁英。真假居壯,水盛不傷。己未神頭祿,乃成功之火,得季夏之炎陽,守小吉之貴地,生自東北之南,有所資附則能享福厚矣。甲巳扶持,不須更旺。
「戊午」の一位は名づけて「天禄備」という、納音は天上火、神氣が離位に發する光明の火なり。旺の極處に至りてかえって絶を受く。木の衰方に於て來助するを喜び、火のまた自身すでに旺の時に乘ずるを忌む。生辰能くこの理に合せば、必ず人中の魁首と成る。注に眞氣假氣皆壯盛の位に居り、水多しと雖もこれを傷る能わずという。「己未」の一位は名づけて「神頭禄」という、すでに成功せる火なり。季夏六月の炎陽の氣を得、「小吉」(未位の六壬神將名)のこの貴地を守りて、東北方より生起して南方に趨向す。もし依附資助する所有れば、厚福を享受しうる。注に甲と己と扶持すれば、すなわちさらに更旺を求むるを要せずという。
庚申神頭祿,乃未堅柔末之木,春相夏旺,金重而得火,土重而得水,則為出常之器。不畏陽官,要官鬼旺。辛酉神頭祿,乃未堅柔末之木,春相夏旺,金重而得火,土重而得水,則為出常之器。不畏陽官,要官鬼旺。
「庚申」の一位は名づけて「神頭禄」という、納音は石榴木、いまだ堅硬ならず、枝梢柔嫩の木なり。春は相、夏は旺と為る。金氣重過ぎて能く火を得て金を制し、土氣重過ぎて能く水を得て土を潤せば、すなわち尋常を超する器局なり。注に陽干の官星を怕れず、かえって官鬼の旺盛を要すという。緊接の一條は底本に「辛酉」と題すれども、文字は「庚申」の條と一字も差わらず、顯に傳抄重出の衍文に係る。下文に別に一條の辛酉あり、これこそ辛酉の正解なり。此處は底本の原樣に依りて收錄し、删改を作さず、また別本に據りて臆補せず。
辛酉神頭祿,乃包秀結英之木,喜於生旺,忌見金多,得土水相乘為物之貴,二者各旺而不得水,亦為奇特之材。不嫌官鬼,厭甲為財。壬戌祿官順,乃杳冥之水,喜於死敗,要土之擊發,則能博施之功及物也。正氣自守,持祿亦榮。
「辛酉」の一位は名づけて「神頭禄」という、苞を含み秀を吐きて花英を結ぶ木なり。生旺の氣を喜び、金の多すぎるを見るを忌む。土と水とが互相承接するを得れば、すなわち物中の貴なり。土水の二者各自當旺にして偏に水の來潤を得ざるも、なお奇特の材なり。注に官鬼を嫌わず、却って甲木を以て財と為すを厭惡すという。「壬戌」の一位は名づけて「禄官順」という、納音は大海水、幽深測り難き水なり。死地敗地に處るを喜び(水は靜にして深し)、土ありて激發せんことを要し、こそ廣施博濟の功用を萬物に及ぼしうる。注に己が正氣を守住すれば、禄を持するも同じく榮顯なりという。
癸亥神頭祿,乃始進成終之水,喜逢貴地,忌在祿鄉,三元相反,福慶自然,蓋其為用也大而廣,故不可以守常為尚,須升而為雨霧,散而為江河,乃為大用也。
「癸亥」の一位は名づけて「神頭禄」という、まさに進氣せるもまた六十甲子の終點に居る水なり。貴人の地に逢うを喜び、禄郷に落つるを忌む。たとい「三元」(干禄・支命・納音身)彼此相反するとも、福慶はなお自ずから至る。この一位の水の功用廣大なれば、固守常規を以て高と為す能わず。必ず昇騰して雲雨煙霧と化し、流散して江河と成りて、こそ大用を發揮したと算す。六十甲子納音ここに至りて一段落し、全部年柱納音を以て說を立つ。これまさに李虚中一系と後來子平法との根本の分界なり。
此六十位五行支干相乘,要分輕重。若金溺水下,火出水上,木不得金之所制,木無成也,如甲子、乙亥是也。金溺水下,火出水上,金不得火之所制,金無成也,如辛亥之金是也。夫如是而推伏現之情,則造化之機自理。鬼谷子以此十二音五行分輕重之用,以推通變之妙者,尚恐人執守方隅,故言稱顯隱可測,造化之說也。
以上六十位は、みな五行が支干に随いて相乘配合して成れるなり。關鍵は各々の輕重を分かち清めるを要す。たとえば金が水下に沈み、火が水上に浮かぶとき、木が金の裁制を得ずんば、木は材を成す能わず。甲子・乙亥の两位はすなわちこの種の情形なり。同じく、金が水下に沈み、火が水上に浮かぶとき、金が火の鍛煉を得ずんば、金もまた器を成す能わず。辛亥のこの一位の金はすなわちこのごとし。能くこのごとく五行の潛伏と顯現との實情を推究せば、造化の機理は自ずから理め清めらる。鬼谷子はこの十二組の納音五行を以て輕重取用を分辨して、從りて通變の奧妙を推演せしも、なお後人が某一方位・某一成規に死守せんことを慮り、ゆえに特に顯と隱と皆測知しうるを說明せり——これまさに彼の造化を談ずるの本意なり。
本家貴人命者,如甲人有戊、有庚、有丑、有未是也,大貴;如甲人得丁丑、辛未,又其次也,蓋甲年丑上遁得丁、未上遁得辛也。更有一種貴人,亦為福甚重,得者必貴:甲戊庚得乙丑、癸未,乙得庚子、戊申,己得丙子、甲申,丙丁得丁酉、乙亥,壬癸得乙卯、癸巳,六辛得丙寅、戊午是也。甲陽木,戊陽土,庚陽金,皆喜土位,而未者土之正位,丑者土之安靜之地,故以牛羊為貴;然細分之,則甲尤喜未,庚尤喜丑,各歸其庫也。
いわゆる「本家貴人」とは、本命年干に對應する天乙貴人を指す。たとえば甲年生の人は、四柱中に戊を見、庚を見、丑を見、未を見れば、すなわち本家貴人で、大貴を主る。もし甲年の人が丁丑・辛未の兩柱を得れば、則ち次一等——甲年は遁月起し遁時起し、丑位の上に丁を遁得し、未位の上に辛を遁得して、干支ちょうど相配するがゆえに。このほかまた一種の貴人ありて、福力もまた極めて重く、之を得る人は必ず顯貴す。甲・戊・庚の三干の人は乙丑と癸未とを得、乙干の人は庚子と戊申とを得、己干の人は丙子と甲申とを得、丙丁の人は丁酉と乙亥とを得、壬癸の人は乙卯と癸巳とを得、辛干の人は丙寅と戊午とを得る。その中の道理は:甲は陽木、戊は陽土、庚は陽金で、いずれも土位を喜び、しかも未は土の正位、丑は土の安靜の處なれば、牛(丑)羊(未)を取りて貴と為す。もしさらに細分せば、甲はことに未を喜び、庚はことに丑を喜び、各々本本氣の庫地に歸入す。
戊子、戊寅、戊午喜丑,丑者火人胎養之鄉;戊辰、戊申、戊戌喜未,未者木人之庫、土人生旺之地也。乙者陰木,己者陰土也,陰土喜生旺,陰木喜陽水,所以鼠猴為貴;然乙尤喜申,申者木之絕鄉也,己尤喜子,子者坤之正位也。丙丁屬火,火墓在戌;壬癸屬水,墓在辰;辰戌為魁罡之地,貴人所不臨,故尋寄火貴於酉亥,寄水貴於卯巳,皆歸靜復之鄉。六辛陰金喜陽火生旺之地,故以馬虎為貴。雖然,宜以納音互換推尋,須皆和則其貴為福;若丙寅火得酉,則火至此焉足為貴哉。廣錄。
戊子・戊寅・戊午の三位は丑を喜ぶ。丑は火命の人の胎養の郷なればなり。戊辰・戊申・戊戌の三位は未を喜ぶ。未は木命の人の墓庫なるのみならず、また土命の人の生旺の地なればなり。乙は陰木、己は陰土なり。陰土は生旺の氣を喜び、陰木は陽水の滋潤を喜ぶ。ゆえに鼠(子)猴(申)を取りて貴と為す。細分して言えば、乙はことに申を喜ぶ。申は木の絶郷(絶處に生に逢う)なればなり。己はことに子を喜ぶ。子は坤土の正位なればなり。丙丁は火に屬し、火の墓は戌に在り。壬癸は水に屬し、水の墓は辰に在り。辰戌は「魁罡」の地で、天乙貴人はここに臨まず。ゆえに火の貴人を酉と亥とに寄せ、水の貴人を卯と巳とに寄す。いずれも安靜復返の郷に歸するなり。辛は陰金にして、陽火生旺の地を喜ぶ。ゆえに馬(午)虎(寅)を取りて貴と為す。然と雖も、なお納音を結びて彼此推求すべく、必ず五行皆調和して、あの貴氣こそ眞に福と成る。たとえば丙寅の納音は爐中火で、もし酉(火の死地)に行けば、火はここに至りて何ぞ貴と稱するに配せんや。この條末は出處を《廣錄》と注明す。
天乙貴人者,三命中最吉之神也。若人遇之,主榮名早達,官錄易進。若更三命皆乘旺氣,終登將相公卿之位。大小運行年至此,亦主遷官進財,一切加臨至此,皆為吉兆。三命指掌。
「天乙貴人」は「三命」(干禄・支命・納音身)の當中に最も吉利の神煞なり。人もし命中にこれに遇わば、聲名早成・官職俸禄の進取し易きを主る。もし三命また皆旺氣に乘ずれば、終に將相公卿の高位に登りうる。大運・小運および流年が貴人の在る處に行至れば、また官職の升遷・財帛の增進を主る。一切の吉神凶煞がこの位置に加臨すれば、皆轉じて吉兆と為る。この條は《三命指掌》に出づ。
論貴神優劣:乙丑文星貴神,乙未華蓋貴神、截路空亡,丁未退神、羊刃貴神(一雲半吉),己未羊刃貴神(一雲半吉),辛未華蓋貴神(一雲空亡大敗),癸未伏神、華蓋貴神。己上甲戊庚人月日時貴神。
以下に各組貴神の優劣を分辨す。およそ甲・戊・庚の三干の人は、天乙貴人は丑と未とに在り。ゆえに月・日・時の三柱中に出現する丑未の干支を以てその等第を論ず。乙丑は「文星貴神」で、文采を主る。乙未は「華蓋貴神」で、ただまた「截路空亡」を犯し、吉中に損を帶ぶ。丁未は「退神」なるのみならずまた「羊刃貴神」で、一説にただ半吉と算すのみ。己未は羊刃貴神で、亦一説にただ半吉と算すのみ。辛未は華蓋貴神で、別の一説にそれは空亡大敗に屬すと為す。癸未は「伏神」にして兼ねて華蓋貴神なり。以上は皆甲・戊・庚の三干の人の月・日・時上に見る所の貴神なり。いわゆる「華蓋」は星名で、孤高藝文を主る。字を拆きて誤解すべからず。
甲子進神貴神,丙子交神貴神,戊子伏神貴神,庚子德合貴神,壬子羊刃貴神,甲申截路空亡貴神(一雲半吉),丙申大敗貴神,戊申伏馬貴神,庚申建祿馬貴神,壬申大敗貴神(一雲半吉)。己上乙巳人月日時貴神。乙酉破祿貴神,丁酉喜神貴神(一雲大敗),己酉進神貴神,辛酉建祿交貴神,癸酉伏神貴神(一雲吉),乙亥天德貴神,丁亥丈星貴神。己上丙丁人月日時貴神。
乙干と己干との人は、天乙貴人は子と申とに在り。ゆえに月日時上に見る子申の干支の分等は以下のごとし。甲子は「進神貴神」、丙子は「交神貴神」、戊子は「伏神貴神」、庚子は「徳合貴神」、壬子は「羊刃貴神」。甲申は「截路空亡貴神」(一説に半吉)、丙申は「大敗貴神」、戊申は「伏馬貴神」、庚申は「建禄馬貴神」(禄と驛馬と俱全りて、最も得力なり)、壬申は「大敗貴神」(一説に半吉)。以上は乙・己の人の月日時上の貴神なり(底本此處「乙巳」は當に「乙己」の訛るべし)。丙丁の兩干の人は、貴人は酉と亥とに在り。乙酉は「破禄貴神」、丁酉は「喜神貴神」(一説に大敗に屬す)、己酉は「進神貴神」、辛酉は「建禄交貴神」、癸酉は「伏神貴神」(一説に吉と為す)、乙亥は「天徳貴神」、丁亥は「丈星貴神」(すなわち文星)。以上は丙・丁の人の月日時上の貴神なり。
甲午進神貴神,丙午交羊刃貴神(一雲半吉),戊午伏羊刃貴神,庚午文星截路貴神(一雲半吉),壬午祿旺氣貴神,甲寅文星建祿貴神,丙寅文星貴神,戊寅伏馬貴神,庚寅破祿馬貴神,壬寅截路貴神。己上六辛人月日時貴神。乙卯天喜貴神,丁卯截路貴神(一雲半吉),己卯進神貴神,辛卯交破祿貴神,癸卯旺祿貴神,乙巳正祿馬貴神,丁巳九天祿庫貴神,己巳九天祿馬庫貴神,辛巳截路貴神(一雲半吉),癸巳伏馬貴神。己上壬癸人月日時貴神。
およそ辛干の人(六つの辛日辛年は通稱「六辛」)は、天乙貴人は午と寅とに在り。甲午は「進神貴神」、丙午は「交羊刃貴神」(一説に半吉)、戊午は「伏羊刃貴神」、庚午は「文星截路貴神」(一説に半吉)、壬午は「禄旺氣貴神」。甲寅は「文星建禄貴神」、丙寅は「文星貴神」、戊寅は「伏馬貴神」、庚寅は「破禄馬貴神」、壬寅は「截路貴神」。以上は辛干の人の月日時上の貴神なり。壬癸の兩干の人は、貴人は卯と巳とに在り。乙卯は「天喜貴神」、丁卯は「截路貴神」(一説に半吉)、己卯は「進神貴神」、辛卯は「交破禄貴神」、癸卯は「旺禄貴神」。乙巳は「正禄馬貴神」、丁巳は「九天禄庫貴神」、己巳は「九天禄馬庫貴神」、辛巳は「截路貴神」(一説に半吉)、癸巳は「伏馬貴神」。以上は壬・癸の人の月日時上の貴神なり。
凡如此己上貴神,若與祿馬同窠,不犯交退伏神,支干相合者,定須官高職清。若無德更值空亡、交退伏神、五行無氣,至死不貴。緊要在月日時支干相合則為吉,不然乃庸常流也。並同金書命訣。
以上の列する所の各種の貴神は、もし「禄」「驛馬」と同一柱に處り、また「交神」「退神」「伏神」を犯さず、しかも支と干と彼此相合すれば、それすなわち一定官位高く職任清要なり。反して言えば、もし徳神なきのみならず、また空亡・交退伏神に碰い、五行なお全く氣勢なければ、その終一生も顯貴せず。要なる處は月・日・時の三柱の干支が必ず相合してこそ吉と算し、然らずんばただ平庸の輩に過ぎず。この條は《金書命訣》の載する所と同じ。
此格有三:干合為上,支合次之,無合又次之。如甲子己未,此為上格,蓋甲己合也。無死絕沖破空亡,更有福神助之,當極一品之貴宰;有死絕為鄙吝殺也,如有死絕沖破空亡之類,只作正郎員郎,然多難無福耳。如戊子己丑,此為次格,若無死絕沖破空亡,須作兩制兩省,少年登科,當居清要華近之選,更有福神相助為兩府矣;有死絕即減作正郎員郎,亦須有職名;若有沖破空亡,只作一多難州縣官,晚年得至朝官極矣。
貴人の成格は三等に分かつ。天干相合するを上等とし、地支相合するを次の一等とし、全く合なきをまた次の一等とす。たとえば甲子に己未を配するは上格に屬す。甲と己と天干相合するがゆえに。もし命中に死地絶地を見ず、冲破空亡を見ず、また福神ありて來りて幫扶せば、一品の宰輔たることを成しうる。もし死絶を帶ぶれば、鄙吝の煞と成る。およそ死絶冲破空亡の類を帶ぶるは、ただ郎中・員外郎一級の官を成しうるのみにして、しかも多災多難・福氣なし。またたとえば戊子に己丑を配するは次格に屬す。もし死絶冲破空亡なければ、兩制(知制誥・翰林學士)・兩省(中書門下)の職に入りうる。少年にして科に登り、清要にして君主に近い位置に居る。さらに福神の相助あれば、兩府(中書・樞密)に入りうる。もし死絶を帶ぶれば、すなわち降じて郎中員外郎と為るも、なお總じて職名あり。もし冲破空亡を帶ぶれば、ただ一個の多災多難の州縣官に過ぎず、晚年に至りて最も多くして朝官を為すのみ。
如辛未庚寅,此為第三等,若無死絕沖破空亡,即作正郎卿監,少達歷清要差遣,更有福神為之助,往往為兩制矣。若有死絕,即作員郎京朝官;更有沖破空亡,平生多難,只作州縣卑冗之官,縱得改官易位,壽不永矣。五命林開。
またたとえば辛未に庚寅を配するは第三等に屬す。もし死絶冲破空亡を帶びざれば、郎中・卿監一級まで成りうる。年少にして通達し、歷任して清要の差遣なり。もしさらに福神の相助あれば、往々にして兩制に升入りうる。もし死絶を帶ぶれば、ただ員外郎あるいは京朝官を為すのみ。もしまた冲破空亡を帶ぶれば、一生多災多難にして、ただ州縣裡の卑微冗散の職務を擔任しうるのみ。たとい僥倖にして官職品位を換うとも、壽命は長からざらん。この條は《五命林開》に出づ。この三等の格局は說明す:同じく貴人成格なりとも、なお死絶冲破空亡と福神との有無を見て實際の高下を決定せんことを。
紫虛局:「貴人交互人多貴,旺氣相乘館殿資,切莫五行傷著主,令人閒地冷清虛。」寸珠尺璧:凡月日時互換見貴,太歲不帶者不貴。
《紫虚局》に一首の歌訣ありていう:命中の貴人彼此交互に出現せば、この人多半顯貴す。加うるに旺氣層層相承せば、館閣殿職を為すの資本あり。千萬に五行をして本命の主を傷らしむるなかれ。然らずんば人をして閒散の地に落ち、冷清として虚しく度らしめん。《寸珠尺璧》は則ち補充していう:およそ月・日・時の三柱彼此交換して貴人を見て、太歲(年柱)は卻って貴人を帶びざれば、依然として貴と算せず——見るべし、本書は始終年柱を以て一命の本と為し、別柱たとい良くとも年上に根あるを要するを。
貴合貴食:有貴合則官位穹崇,所作契合;有貴食則祿豐足,所成造望。如甲戊庚貴在丑未,甲得己丑己未,戊得癸丑癸未,庚得乙丑乙未;乙巳貴在申子,乙得庚子庚申,己得甲子甲申;丙丁貴在亥酉,丙得辛酉辛亥,丁得壬寅壬辰。如此之類,謂之貴合。
さらに「貴合」と「貴食」の兩種の配法を言う。命中に貴合あれば、官位は高峻崇顯にして、為す所作為皆上意に投合しうる。貴食あれば、俸禄は豐厚充足にして、成就する所もまた聲望あり。貴合の起法は:本干の天乙貴人の在る支の上に、さらに遁じ出すは本干と相合する天干なり。たとえば甲・戊・庚の三干は貴人は丑未に在り、甲と己とは合す。ゆえに甲人は己丑・己未を得て貴合と為す。戊と癸とは合す。ゆえに戊人は癸丑・癸未を得る。庚と乙とは合す。ゆえに庚人は乙丑・乙未を得る。乙と己とは貴人は申子に在り、乙と庚とは合す。ゆえに乙人は庚子・庚申を得る。己と甲とは合す。ゆえに己人は甲子・甲申を得る(底本「乙巳」は當に「乙己」と作るべし)。丙丁は貴人は亥酉に在り、丙と辛とは合す。ゆえに丙人は辛酉・辛亥を得る。丁と壬とは合す。ゆえに丁人は壬寅・壬辰を得る。これらの類は、皆貴合と名づく。
甲食丙、乙食丁,丙丁貴在酉亥,甲得丙寅丙辰,乙得丁酉丁亥;庚食壬、辛食癸,壬癸貴在卯巳,庚得壬申壬戌,辛得癸卯癸巳。如此之類,謂之貴食。有貴合則官多稱意,有貴食則祿多稱意,二者兼之,官高祿重,無往不利。閻東叟書。
貴食の起法は:本干の生ずる所の「食神」の干が、ちょうどまた食神自身の貴人位の上に坐するなり。甲は丙を以て食神と為し、乙は丁を以て食神と為す。しかして丙丁の貴人は酉と亥とに在り。ゆえに甲人は丙寅・丙辰を得、乙人は丁酉・丁亥を得る。庚は壬を以て食神と為し、辛は癸を以て食神と為す。しかして壬癸の貴人は卯と巳とに在り。ゆえに庚人は壬申・壬戌を得、辛人は癸卯・癸巳を得る。これらの類は、皆貴食と名づく。命に貴合あれば、官職多く稱心しうる。命に貴食あれば、俸禄多く如意しうる。兩者兼備せば、官高く禄厚くして、何を為すも皆順利なり。この條は閻東叟の書に出づ。
天乙貴神合者,謂天乙在貴神,亦合上是也。甲戊庚在子午,乙己在丑巳,丙丁在寅辰,壬癸在申戌,辛在亥未,皆主大福。遇兩合以上者主貴。三命提舉。
いわゆる「天乙貴神合」とは、天乙貴人が自身またこれと相合する位置の上に坐することを言う。その配法は:甲・戊・庚の三干は子と午とを取り、乙・己は丑と巳とを取り、丙・丁は寅と辰とを取り、壬・癸は申と戌とを取り、辛は亥と未とを取る。およそ命中に見えば、皆大福を主る。もし兩重以上のこのごとき會合に遇えば、顯貴を主る。この條は《三命提舉》に出づ。底本の原文「甲戊庚在子,午乙己在丑,巳丙丁在寅,辰壬癸在申,戌辛在亥未」は斷句錯亂せり。今干支の配對に按じて讀み通ず。文字は一としてその舊に仍る。
李虚中命書卷中
通理物化
清氣陽為天,杳杳而上沖乎陽;濁氣陰為地,冥冥而下從其物。太虛之先,升寂何有?至精感微而真一生焉,真一運靈而元氣自化。自化元氣者,乃無中之有、有中之無,廣不可量,微不可察,氤氳漸著,混漠無倪,萬象之端,朕兆於此。於是有清通澄朗之氣化而為天,濁滯煩昧之氣積而為地。故清者自濁而澄,高者自下而上。天高而浮,地厚而沉。浮者有彰動之象,故為陽;沉者有寂沒之理,故為陰。清者上騰,高而純陽,故充滿;濁者下沉,密而純陰,故冥寂。而萬物從化之,故沖於上者為陽而生萬物,沉於下者為陰而成萬物,然而實始於一者也。
清輕の氣は陽に屬して天と成り、渺渺茫茫として上に向かって陽位に昇騰す。重濁の氣は陰に屬して地と成り、昏昏冥冥として下に向かって萬物に隨附す。太虚の先に在りては、一片に升沉寂滅して、本來なにも有りなし。最も精微なる者相互感應するに及びて、「眞一」の氣便ち生出す。眞一は靈機を運化して、元氣はすなわち自ずから變化す。この自ずから變化する元氣は、無中に有を含み有中に無を含み、廣大にして度量しうるなく、細微にして察覺しうるなし。それ氤氳彌漫して漸く顯著となり、混沌廣漠にして邊際なし。萬象の開端はここに於て朕兆を露す。ここに於て清通澄澈の氣は化して天と成り、濁滯煩昧の氣は積して地と成る。ゆえに清は濁の裡より澄み出づるなり、高は下の上より昇り上がるなり。天高くして輕浮し、地厚くして沉重す。浮くは顯明躁動の象あり、ゆえに陽に屬す。沉むは寂靜隱沒の理あり、ゆえに陰に屬す。清氣は上騰して高遠にして純陽なるがゆえに、充滿周遍す。濁氣は下沉して緊密にして純陰なるがゆえに、幽暗寂靜す。萬物これに随いて化生す。ゆえに上冲の陽氣は萬物を生出し、下沉の陰氣は萬物を成就す——然れども根を追い底を究めれば、皆あの「一」に發端す。
清濁交分,人物混成,造化始於無相,因而三生。太樸之散,乾坤之形,分體一定乎尊卑,有陰陽之相摩,有剛柔之相推,變動以行其道,經緯以成其事。凡垂象於天者,莫非文也;有高下之相傾,廣輪之相推,動靜之所生,形勢之所持,凡其質於地者,莫非禮也。
清と濁と交相分判し、人と物と混然として生成す。造化は本より形相なき狀態に起り、ここよりして天地人の三者の産生あり。太朴一旦分散せば、乾坤の形體便ち顯現し、體段を分かち、尊卑これに随いて確定す。陰と陽との相互摩蕩あり、剛と柔との相互推移あり、變動を靠りてその規律を施行し、縱橫經緯を靠りてその事功を成就す。およそ天上に形象を垂示するは、「文」ならざるなし。高と下との相傾き、廣度と長度との相推するに至りては、動靜より生じ、形勢によりて維持せられ、およそ地上に形を成し質を取るは、「禮」ならざるなし。此處に文と禮とを以て天地に分屬するは、天象に條理あり地形に秩序あるを說明せんとするなり。五行推命の吉凶を言いうる所以の、根據はまさにこの條理秩序の上に在り。
故萬物生於其間者,亦且出機入機,出冥人冥,方生方死,方死方生,域於輪轉之地,而機之動不能自己。故草木黃落而菊始華,倉庚嗚而鷹以化。一根發之細,不知誰與之扶持;一昆蟲之微,不知誰與之生死。戢戢而動植,非物與之雕刻也;芸芸而歸根,非物與之揪斂也。自消自息,自智自力,自形自色,曾不知有造化之者,是人物混然而立也。
ゆえに天地の間に生ずる萬物も、また皆この一機括の中より出でて、またこの一機括の中に還り、幽冥の中より出でて、また幽冥に歸入す(底本「入」は訛って「人」と作る)。まさに生ずればすなわち死に在り、まさに死すればまた生に在り、輪轉不息の地に局限せられて、この機括の運動は自ずから停止する能わず。ここを以て草木凋零枯黃の時節に、菊花こそまさに開放す。黃鶯鳴叫の時節に、鷹隼は卻って化して鳩鳥と為る。一條の草根のごとき細きもの(底本「發」は當に「荄」と作るべし)は、誰かそれを扶持するかを知らず。一隻の昆虫のごとき微小の生命は、誰かその生死を主宰するかを知らず。密密麻麻の動物植物は、誰かあって彼らのために形を雕刻するに非ず。紛紛紜紜として各々本根に歸るも、また誰かあって彼らを收斂し去るに非ず。それら自ずから消歇し自ずから生息し、自らその智あり自らその力あり、自らその形を成し自らその色を成して、渾然として一個の「造化者」の存在あるを覺えず——人と萬物とはまさにこのごとく混然として天地の間に並立す。
則其光為日月,其文為星辰,其澤為雨露,其威為雷霆,辰集於房,月湛而明,日遄而化,此天之道也。其高為山嶽,其大為江湖,其文為草木,其富為百穀,載萬物而不懾,生萬物而無窮,此地之德也。高而為君父,貴而為王侯,大而為郡牧,下而為庶民,文於仁義忠信,富於財穀布帛,成而祀天地,靈而驅萬物,此人之事也。莫大乎天,莫厚乎地,莫靈於人,是以因於天體,成於地儀,範圍天地之化三才,由一而生也。
天の光明は日月に表現し、紋理は星辰に表現し、恩澤は雨露に表現し、威嚴は雷霆に表現す。日月星辰は房宿に會聚して、月は澄澈にして明亮、日は迅速に運行して萬物を化育す——これ天の道なり。地の高聳は山嶽に表現し、廣大は江湖に表現し、紋理は草木に表現し、豐饒は百穀に表現す。萬物を承載してその重きを懼れず、萬物を生養して窮盡あることなし——これ地の徳なり。人の當中に位高きは君と父、尊貴なるは王と侯、權大なるは郡守州牧、在下なるは百姓なり。仁義忠信を以て文采と為し、財穀布帛を以て富足と為し、成就の後天地を祭祀し、靈性を憑じて萬物を驅使す——これ人の事なり。天より大なるはなく、地より厚きはなく、人より靈なるはなし。ゆえに人は天の形體に依託し、地の法度に憑藉して、天地の化育を範圍し成して「三才」と為す。しかして三才は皆あの「一」より生出せるなり。
天一地二,蓋乾坤之體。坤為土也,乾為金,金亦土也,為水母。天一地二,奇偶之策也。三奇為乾,三偶為坤,是一而兩之之義也。故陰陽自始者謂之太始,陰陽自明者謂之太極。則萬物之始於乾也,亦由天地之所資以始,是以知乾為之太始;萬物之所資生於坤也,亦由天地之所資以生,是以知坤為之太極。故乾之卦所以在西北,坤之卦所以在西南。以乾為太始,以坤為大極,可知矣。是以太始之極,一而兩之,作乾坤之象,金土同體而異名,有此見一數之終始也矣。
「天一地二」の講ずるは乾坤兩卦の本體なり。坤は土と為り、乾は金と為る。しかして金は本より土より出づ。ゆえに金もまた土と算しうる、同時にまた水の母親なり。天一・地二とは、すなわち奇數と偶數との籌策なり。三畫皆奇は乾と為り、三畫皆偶は坤と為る。これすなわち「一を分かちて二と為す」の意なり。ゆえに陰陽ここより發端するを「太始」といい、陰陽ここより顯明するを「太極」という。萬物は乾に起始す。すなわち天地の氣に憑藉して起始す。ここを以て乾は太始なるを知る。萬物は坤に資生す。すなわち天地の氣に憑藉して生養す。ここを以て坤は太極なるを知る。ゆえに後天卦位の上に、乾卦は西北に排せられ、坤卦は西南に排せらる。乾を以て太始と為し坤を以て太極と為せば、道理すなわち清楚なり。ここを以て太始の極は一を分かちて二と為し、乾坤の象と成る。金と土とは同一本體にして名稱を同じゅせず——ここよりして「一」この數のいかに始終を貫穿するかを見るべし。
四正四隅,何遐邇之為正?艮為土也,應乎坤;巽為風也,風出木。乾坤艮巽,四隅也,而為天地之大紀;坎離震兌,四正也,而為乾坤之大綱。曾不知廣輪之艮而有會通之情也。然則萬物之始終莫盛乎艮,故應乾坤之節制;莫始於巽,故為風。然風非出於木,而鼓舞於萬物,為事由動之生息也,故巽繼於震。
四正と四隅と、何ぞ遠近正偏の分別あらんや。艮は土に屬し、坤土と相應す。巽は風と為り、しかして風は木の中より生出す。乾・坤・艮・巽は四隅に居るも、卻って天地の大綱紀なり。坎・離・震・兌は四正に居るも、卻って乾坤の大綱領なり。人は往々にして知らず、廣袤方位の中の艮位に別に會合貫通の意味あるを。萬物の開始と終結と、艮より盛なるはなし(艮は終りてまた始まる)。ゆえにそれ乾坤の節制を承應す。萬物の發動、巽より早きはなし。ゆえに巽は風と為る。ただ風は並に眞に木の裡より生出するに非ず。それ萬物を鼓動するは、一切の事由が皆「動」の中より氣息を生出するがゆえに。ゆえに八卦の次序の上に巽は緊接して震(動)の後に在り。
坎離未判以清濁明水火,震兌之前以左右用金木。天一地六相合生水,地二天七相合生火。言水則含知而內明,言火則崇禮而外照。內明足以應物,外照足以知人。知人者無所不知,應物者無所不應。故清之為水得天一,辰中是奇內而天一、偶外而地六,其為卦也曰坎;故濁之為火得地二,辰中是偶合而地二、奇外而天七,其為卦也曰離。夫二者本水火南北之分,為乾坤男女之體,亦由清濁判於自然也。
坎離いまだ分判せざるの時、すでに清と濁とを以て水と火とを標明せり。震兌排定する前に、すでに左と右とを以て金と木とを分派せり。天數一と地數六と相合して水を生じ、地數二と天數七と相合して火を生ず。水を言えば、それ智慧を含藏して内裡明澈す。火を言えば、それ禮節を推崇して外に向かって照耀す。内裡明澈なるは萬物に應對するに足り、外向照耀なるは他人を識別するに足る。能く人を識れば知らざるなし、能く物に應ずれば應ぜざるなし。ゆえに清の一面は水と成りて天數一を得。その位中は内を奇數と為して天一に屬し、外を偶數と為して地六に屬し、卦を成せばすなわち「坎」と叫ぶ。濁の一面は火と成りて地數二を得。その位中は内を偶數と為して地二に屬し、外を奇數と為して天七に屬し、卦を成せばすなわち「離」と叫ぶ。この兩者は本より水火南北の分位にして、また乾坤・男女の本體なり。同じく清濁自然の分判に出づ。
天三地八相合而生木於東方,木生風以動之,故為卦曰震;地四天九相合而生金於西方,金生水以澤物而物脫之,故為卦曰兌。然東木受西金之制,而左言木右言金者,是震男兌女尊卑之義也。
天數三と地數八と相合して、東方に木を生出す。木は能く風を生じて萬物を鼓動す。ゆえに卦を成して「震」と叫ぶ。地數四と天數九と相合して、西方に金を生出す。金は能く水を生じて萬物を潤澤し、萬物をして形質を脱せしむ。ゆえに卦を成して「兌」と叫ぶ。東方の木は西方の金の克制を受くるを要すと雖も、排列するに先ず左邊の木を說き、後に右邊の金を說く。これは震は長男、兌は少女と為り、先ず男後に女として、尊卑の次序の義を取るがゆえに。これまた後學に提示す:五行の方位の排布は並にただ生克を講ずるに非ず、なお一套の人倫尊卑の取象を含むことを。
易八卦者以剛柔相半,連四象者分逆順而生成。易以八卦兼三才而兩立,為天地廣輪之體用,故始三,一而為乾、二為坤,生六六九九之變,為四象五行之數。然後聖人分陰分陽、迭用柔剛以相易之,故天地位而成章也。列萬匯而象之,以別盛衰矣。四象者,大而為日月星辰,廣而為金木水火。八卦由四象而兩制之,則有陰中之陽、陽中之陰,寒暑運行而萬物化育也。
《易》の八卦は、剛爻柔爻各々半を占む。八卦と相連なる四象は、則ち逆行と順行とを分かちて以て生成の功を完成す。《易》は八卦を以て兼ねて三才を包みて兩兩竝立し、天地廣袤の體と用と為す。ゆえに三畫より卦を起し、第一卦は乾、第二卦は坤、ここより六六・九九の種種の變化を生出して、四象と五行との數と成る。然るのち聖人は陰を分かち陽を分かち、交替して柔と剛とを使用してそれらを相互變易せしむ。ここに於て天地各々その位を得て文理成章と成る。さらに萬類を羅列して取象し、以て盛と衰とを分辨す。いわゆる四象とは、大きく言えばすなわち日月星辰、廣く言えばすなわち金木水火なり。八卦は四象が一を分かちて二と為して成り、ここに於て陰中の陽・陽中の陰あり。寒暑ここより運行し、萬物ここより化育す。
二儀分列,各包四象之形;乾坤音土,遂作五行之用。天地為二儀,則上有日月星辰運於無為,下有金木水火濟於有用。金生於土而聚於土者,然乾坤本一而立二,為清濁之別,包括四象為五行,以盡天地之數,備萬物之成終也。
兩儀一たび分立を經れば、各々四象の形態を包含す。乾坤納音は同じく土に歸し、ここに於て五行の功用を構成す。天と地とはすなわち兩儀なり。上に在りては日月星辰ありて作為なく運行し、下に在りては金木水火ありて切實有用に萬物を濟助す。金は土の中より生出してまた土に聚斂す。ゆえに金土は合看しうる。乾坤は本より一體にして立てて兩個と為す。ただ清と濁との分別のみ。四象を包括し來れば便ち五行と成り、以て天地の數を窮め、萬物の生成と終結とを齊備す。本書が納音を講ずるに金土同體を以て樞紐と為す、この一段はまさにその理論の根據なり。
一而兩之道,法乎自然;八卦九宮,乘陰陽以數。道生一,一雖立而道未離也;一生二,二名成而道斯遠矣。是故道非數,而數之所生;一非二,而一之所出。陰陽之在天地,其妙有機,而物之所始;其顯有數,而物之所生,始終如一。一有二而不可以相無,然陰雖有佐於陽,陽實始之而無恃焉;陽雖有賴於陰,陰實由之而不與焉。
「一を分かちて二と為す」の道理は、自然に取法す。八卦と九宮とは、皆陰陽に乘じて數を以て推演するなり。道は「一」を生出し、「一」は確立せると雖も、道はなおそれを離れず。「一」は「二」を生出し、「二」の名目一たび成立せば、道を離るること漸く遠し。ゆえに道は本身數に非ずと雖も、卻って數の從生する所なり。「一」は本身「二」に非ずと雖も、卻って「二」の從出する所なり。陰陽は天地の間に存在し、その奧妙は機括あるに在りて、萬物ここより開端す。その顯現は數あるに在りて、萬物ここより産生し、始より終に至るまで貫通して一のごとし。「一」あればすなわち「二」あり、二者は彼此缺少する能わず。然れども陰は陽を輔佐すと雖も、陽は實は自ら發端して陰に依賴せず。陽は陰を靠りて完成するを要すと雖も、陰は實はただ順承して並に創始に參與せず。
是陽常始而陰常成,陽常唱而陰渾和,有自然之理,故陽奇陰偶迭用生成。而天五地六,二五而成十,五十有五之策,所以行變化而明鬼神也。故乾坤之策萬有一千五百二十,當期之日,當萬物之數。四營成易,十有八變成卦,發剛柔而生爻,以八八於四維,則居中者盡乎九也。
ゆえに總じて陽が來りて開始し、陰が來りて完成し、陽が來りて倡導し、陰が來りて應和す。これ自然の理なり。ここを以て陽は奇數を取り、陰は偶數を取り、交替して生成の作用を發揮す。天數五、地數六、兩個の五相加えて十と成り、天地の數は總合して五十有五策は、正しく以て變化を推行し鬼神を顯明せんとするなり。ゆえに乾坤兩卦の策數は共に一萬一千五百二十にして、ちょうど一年の日數に相當し、また萬物の數に相當す。《易》の筮法は四道の程序を經てこそ一變と成り、十八變してこそ一卦と成る。剛柔の發動によりて爻象を生出し、八卦を重ねて六十四卦と為して四方四隅に分布せば、則ち中央に居る數は便ち九に窮盡す。
五行分陰陽為十干,清而不下;五支易剛柔為十支,濁而不上。天地之數各成於五。然始立甲者,本乎上之氣申乾坤皆土之義,始於甲乙丙丁,次生戊己庚辛壬癸,如一之有二,而為十干之氣,主曰清則騰而生,故不同下之五行也。五支,言道生一而支散為五,以成五行之數,乃濁者下沉而生二五如十,剛分支列於乾坤之廣輪,如甲之生乙、丙之生丁之義,故寅則運於卯、巳則運於午。然而同類為陰陽,而不同支干之生。
五行各々陰陽を分かてば便ち十天干と成り、その氣は清にして下沉せず。五支各々剛柔を變ずれば便ち十二地支と成る(此處は成數を舉げて「十支」と言う)。その氣は濁にして上昇せず。天數と地數とは皆五を以て一成と為す。何を以て「甲」より始まるかに至っては、在上の氣が「乾坤同じく土に歸す」の意を申明するに本ず。甲乙丙丁より起頭し、續いて戊己庚辛壬癸を生出し、まさに「一」の中に「二」を含むがごとく、して十干の氣と成る。清に主とするがゆえに、上騰して生發し、在下の五行と同じからず。いわゆる「五支」とは、道は一を生出し、しかして支は分散して五と為り、以て五行の數を湊成すと言う。これは濁氣の下沉し、兩個の五相生して十のごとく、剛氣分派して支位は乾坤廣袤の方位の中に排列せられ、甲が乙を生じ丙が丁を生ずるがごときがゆえに、寅の後は卯に運行し、巳の後は午に運行す。ただ同類相續はただ陰陽の推移に過ぎず、干支の間の相生の關係と並同じからず。
土逐四時之氣,故有十二支。十二支以夫婦為體,十干以父子相乘。四時乃四季也,順四象之用,然四象為兩立成八支,惟土者本天地,各五而兩之,則分四支列乎四維,以終四象之變。蓋辰戌同體,丑未同形,子陽亥陰,寅陽卯陰之類,如夫婦之同體;甲生乙,乙生丙類,如父子相生,本乎一而為五。
土は四時の氣に随いて流轉す。ここを以て十二地支あり。十二支は夫婦同體を以て結構と為し、十天干は父子相生を以て次第と為す。いわゆる四時とは、すなわち四季で、四象に順って以て作用を發揮す。四象兩兩竝立して本より八個の支位を成すべきも、唯獨土は天地に本ず。天五地五各自加倍して、ここに於て四個の支位を分かち出でて辰・戌・丑・未の四維の上に排列し、以て四象の變化を終結す。ゆえに辰と戌とは同體、丑と未とは同形、子は陽に屬し亥は陰に屬し、寅は陽に屬し卯は陰に屬す。このごときの類は、夫婦の同體に譬ゆ。しかして甲が乙を生じ乙が丙を生ずるのこの一類は、父子の相生に譬ゆ。皆「一」に本づきて分かれて「五」と為るなり。
三才有陰陽之天地,五行運物化之人倫。分明陽則為天地,立父子則為人倫,故干陽也亦有乙丁巳辛癸之為陰,支陰也亦有子寅辰午申戌之為陽,是知陰陽之相覆,奇偶相匹。故萬物化成,生者為父為母、為子為孫,配之為夫為婦,以別人倫之要也。
三才の中に陰陽に分屬する天と地とあり、五行の運轉は則ち人間の倫理を化生す。分辨明白す:陰陽はすなわち天地、父子を確立するはすなわち人倫なり。ゆえに天干は本より陽に屬す。その中の乙・丁・己(底本は「巳」と作る)・辛・癸は卻って陰と為る。地支は本より陰に屬す。その中の子・寅・辰・午・申・戌は卻って陽と為る——ここよりして陰陽の互相覆蓋包含し、奇數偶數の彼此匹配するを知るべし。ゆえに萬物化育成形の後、我を生ずる者は父と為り母と為り、我が生ずる者は子と為り孫と為り、我と相配する者は夫と為り婦と為る。かの套の關係を用いて以て人倫の要領を分別す。命理上に六親を論ずるは、根子はまさにここに在り。
故曰甲己真宮,乙庚真商,丙辛真羽,丁壬真角,戊癸真徵。甲木二五之始,名而為土,六位相成於己,故曰真宮。土生始成終,故金次於土。羽,水之音;角,木之音;徵,火之音。此十干皆天之清氣,生數成於五,至六而為偶,為陰陽之始,作天地之真運。然而真運在天,必自地而得之矣。何則?天罡本乎辰也,陽動而陰靜,得十二常轉位,自甲子為始,至於辰則見戌,是地之功也。故甲之為土明矣,是知直運在天,自地而得之也。
ゆえに曰く:甲と己と合して化して「眞宮」と為る(宮は土音なり)、乙と庚と合して化して「眞商」と為る(商は金音なり)、丙と辛と合して化して「眞羽」と為る(羽は水音なり)、丁と壬と合して化して「眞角」と為る(角は木音なり)、戊と癸と合して化して「眞徵」と為る(徵は火音なり)。甲は本より木に屬し、天地二五の數の開端なり。此處卻ってこれを土と名づく。甲より己に數えてちょうど六位にして相合して土と成るがゆえに。ゆえに眞宮と叫ぶ。土は能く始を生じ能く終を成す。ゆえに金は緊接して土の後に在り。羽は水の音、角は木の音、徵は火の音なり。この十干は皆天の清氣に屬し、生數は五に成り、六に至れば便ち偶數と成り、陰陽交合の開端にして、天地の眞正の運化を構成す。然れども眞運は天上に在ると雖も、必ず地上より取得することを須とす。何を以ての故に。「天罡」は本より辰位に在り、陽は動を主り陰は靜を主る。十二支は常に位次を轉換し、甲子より數え起し、辰位に數え至ればすなわち戌を見る——これまさに地の功用なり。ここよりして甲の土を化する所以の道理を見れば、また明白なり。眞運は天に在ると雖も、卻って地支に靠りてこそ求め得べし。
寅午戌火體,亥卯未木體,申子辰水體,巳酉丑金體,斯非真體,乃五行生旺庫之地,土則從四事成之。四象之體而終皆土,故戊至辛而金之土也。六十納音者,配由十干十二支,周而終之數也。干支相乘,歸天地始終之數,為六十也。
寅午戌は合して火の形體を成し、亥卯未は合して木の形體を成し、申子辰は合して水の形體を成し、巳酉丑は合して金の形體を成す。この四組の三合は並に五行の眞正の本體に非ず。ただ各々長生・帝旺・墓庫の三地の會聚のみ。土は則ちこの四組に依附して以て自己を成就す。四象の形體は最終に皆土に歸す。ゆえに戊より辛に數え至れば、正しく金はもと土の生ずる所なるを見出す。「六十納音」に至っては、十天干と十二地支と相配し、循環一周して終了するの數なり。干支彼此相乘して、天地始終の數に歸して、ちょうど六十位なり。
自生成而言之,則水得一,火得二,木得三,金得四,土得五;感物化而言之,則火得一,土得二,木得三,金得四,水得五。生成者,天地生成之數;物化則五行支干相成納音之數也。法乎天地,支干數乘。此十干配天,十二支配地,而合成萬物動靜之機,充合端委之數也。
「生成」の角度より言えば、水は一に配し、火は二に配し、木は三に配し、金は四に配し、土は五に配す。これは《河圖》の天一生水・地二生火のかの套の天地生成の數なり。「物化」の角度より言えば、則ち火は一に配し、土は二に配し、木は三に配し、金は四に配し、水は五に配す。これは納音を推する時に用いる所の數なり。兩套の數は混淆すべからず。前者は天地が萬物を生成するの次序、後者は五行が干支に随って相配し、納音を結成する時に取る所の數なり。推算する時は天地に取法して、干と支との各々の數を相乘相加す。十天干は天に配し、十二地支は地に配し、兩者合して萬物動靜の機括を構成し、また首尾完備の數を湊足す。
支干配則甲己子午九,乙庚丑未八,丙辛寅申七,丁壬卯酉六,戊癸辰戌五,巳亥支數四。自九之數損之又損也。然於巳亥者,不由巳而存,乾之一二,坤之二三,是道始一至三,錯綜而生諸數,以合乾坤覆載之功。若夫前所謂支干之配,則道生一,一生二,二生三,三之又三,則九為陽生。言數以甲己為造化之首,子午為陰陽之至,取極之數而先稱九,而後損之八七五□□□也。
干支各々數を配する規矩は:甲・己・子・午は皆九と作し、乙・庚・丑・未は皆八と作し、丙・辛・寅・申は皆七と作し、丁・壬・卯・酉は皆六と作し、戊・癸・辰・戌は皆五と作し、巳と亥との兩支は四と作す。これは九より始まり一路遞減して來れるなり。ただ巳亥のこの一檔は、並に巳の字に順って自然に排して下るに非ず、而も乾の一二・坤の二三を取る——すなわち道は一より起りて數は三に至って止む、錯綜交互して各數を生出し、以て乾覆坤載の功用に合せんとす。前の說く所の干支配數に至っては、その理は道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三さらに三を乘ずれば便ち九、九は陽數の極なり。ゆえに數を立つるに甲己を以て造化の首と為し、子午を以て陰陽の極と為し、先ず極數の九を取り、然るのち依次遞減して八・七・五と為す。此處底本は三字を脱去せり(當に「六」「四」などの減數たるべし)。今原樣に照りて缺文符號を保留し、臆補を作さず。
子寅同途,歲上辰下,未可俱言,其支先甲後子納音金者數也,始父母之氣而成音,離天地則見名數。子得同壬,寅得同甲,歲木辰水,如寅為木二合,若見子而得寅者,亦是甲子之金,不可獨言木也。甲臨於子而金者,是支干化納音之數也。干支五行始因天五地五之數變,而納音九八七六五四之數相成,上下而得,卻須坎離五六之數也。
子と寅とは同じく一條の路上に在るも、一は歲位の上に在り、一は辰位の下に在り。一概を以て論ずべからず。說く所の「先に甲あり後に子ありて納音を金と為す」とは、講ずるはまさに數なり。先ず父母の氣(干支)ありて後に納音の音を結成し、天地生成の數を脱離せばただその名と數とを見るのみ。子の本氣は壬に同じく、寅の本氣は甲に同じ。歲は木に屬し辰は水に屬す。たとえば寅は木と為りて他支と二合す。もし子を見てまた寅を得れば、それなお甲子のこの一位の金なり。単にそれを木とは言いうるならず。甲が子の上に落ちて納音を金と為す、これすなわち干支の化成して納音と為るの數理なり。干支五行は最初天五・地五の數より變化して來り、さらに納音の九・八・七・六・五・四のこの套の數を用いて彼此湊成し、上下相加して得る。ただ最後に還は須らく坎(水)五・離(火)六の數を用いて以て歸屬を定むべし。
天五地五則為造化之先,除其數則納音之用。天地變通,二五為十,終成萬物。始一終五皆陽,合之為六則陰,為六五數外,即天地數所納五行之數也。假令水得五者,是本音以土權礙也,然後有音,故丙子丁丑共得三十之數,而六五皆土,而得納音為水也。
天五・地五は造化が先に在るの根本の數なり。この數を總和の中より除去せば、剩るはすなわち納音の取用する數なり。天地變化貫通して、兩個の五合して十と為りて、こそ終に萬物を成す。一より起頭して五に至るまで皆陽に屬し、合して六と為れば便ち陰に屬す。六と五とのこの兩重の數を扣除したる後、剩るはすなわち天地の數の納する五行の數なり。例を舉げて言えば、水の五に配する所以は、水は本身聲音なきがゆえに、土を靠りて阻攔蓄積し、然るのちこそ聲響を發す。ゆえに丙子・丁丑の兩柱の數は:丙七・子九・丁六・丑八にして、共に三十を得。三十はちょうど六個の五にして、盡數土に屬して除盡し、餘數は便ち五と算す。ここを以て納音は水と為る(丙子丁丑はまさに澗下水なり)。
火得一者,是火無音,因水沃之然後有音,故戊子己丑共得三十一數,而除六五而有一數,而納音得火也。木得三者,蓋木有本音,故壬子癸丑共得二十八數,而有五之數是三數,而納音得木也。金得四者亦金是木音,而甲子乙丑共得三十四數,而除六五之數外是四數,乃金也。土得二者,蓋土本無音,火陶之然後有音,故庚子辛丑共得三十二數,而除五六之數而納音為土也。故經云:「先甲後子納音金者數也。」得此則彼可知也。
火は一に配す。火は本身無聲にして、水を以てこれに澆ぐるこそ聲響を發するがゆえに。戊子・己丑の數は戊五・子九・己九・丑八にして、共に三十一。三十(六個の五)を減じて一を餘す。ゆえに納音は火を得(戊子己丑はまさに霹靂火なり)。木は三に配す。木は本身聲あるがゆえに。壬子・癸丑の數は壬六・子九・癸五・丑八にして、共に二十八。二十五(五個の五)を減じて三を餘す。ゆえに納音は木を得(壬子癸丑はまさに桑柘木なり)。金は四に配す。金もまた木に借りて(木を擊ちて)こそ音を成すがゆえに。甲子・乙丑の數は甲九・子九・乙八・丑八にして、共に三十四。三十を減じて四を餘す。ゆえに金と為る(甲子乙丑はまさに海中金なり)。土は二に配す。土は本身無聲にして、火燒陶を經てこそ聲あるがゆえに。庚子・辛丑の數は庚八・子九・辛七・丑八にして、共に三十二。三十を減じて二を餘す。ゆえに納音は土と為る(庚子辛丑はまさに壁上土なり)。ゆえに經文に「先に甲あり後に子ありて納音を金と為す、講ずるは數なり」と曰う。この一例を掌握せば、その餘の五十餘位は皆これに照らして推し得べし。
自乾而生順,從坤而產逆,陰陽機括於五行,五行之體依八卦。父生順,母生逆。假如甲己干正月建丙寅,丙丁火,故木生順;母己之干在木死為逆,故甲為父、己為母。在寅之家,天一生水,則由乾為屬金,金水也,故自乾生而順及納音,即甲子乙丑金為首。蓋乾納甲子,即是天五地五於坤數中生逆,其終數而生,亦由先九而從至四數也。陰陽者乾坤,故金土一而兩之以備五行,五行分體用而為八卦。
乾位より起算するは順生、坤位より起算するは逆産なり。陰陽の機括は皆五行の上に落ち、しかして五行の體段はまた八卦に依附す。父は順生を主り、母は逆生を主る。たとえば甲と己と相合す。甲己の年は正月に月建を丙寅と起し、丙丁は火に屬し、木は火を生ず。ゆえに木は順生と言う。しかして母親一方の己土は、木の死地の上に起算す。ゆえに逆行なり——ここを以て甲は父と為り己は母と為る。寅のこの一家に於て、天一は水を生じ、水は乾金より由來し、金は能く水を生ず。ゆえに乾位より順生して下りて納音を配せば、すなわち甲子・乙丑の金を以て六十位の首と為す。乾卦は甲子を納す。まさに天五地五の數が坤數の中に逆生し、終數より往回して生起す。すなわち先ず九を取り、再び依次減じて四に至るのこの一路の數なり。陰陽はすなわち乾坤。ゆえに金と土とは本より一體にして分かれて兩名と為り、以て五行を湊足す。五行さらに體と用とを分かてば、八卦と成る。
火愛乾為會,水利巽而享,歲守坤鄉,金藏艮位。乾純陽也,處西北,故至亥而顯明。水性本下,巽出東南順下也,故水己為利也。坤則成物,歲以終之,故至申萬物介然守禮;用艮終始萬物而仕於坤,故金至寅終藏於土下。
火は乾位に會合するを喜び、水は巽位に最も通利し、歲星(木)は坤方に守り、金は艮位に潛藏す。乾は純陽の卦にして西北方に居る。ゆえに火が亥(西北)に行くとかえって光明を顯出す——これ絶處生に逢うの道理なり。水性は本來下に向かい、巽は東南に居り勢いに順って下る。ゆえに水は巽方に至れば便ちその利を得。坤は萬物を成就することを主り、歲木ここに到れば便ち終結を告ぐ。ゆえに申位に行く時萬物は皆收斂自守して禮に合す。艮は既に萬物の終點にしてまた起點にして、しかも坤土に聽命す。ゆえに金は寅位に行けば終りて土の下に藏伏す。この幾句は納音五行の旺衰を八卦方位の上に寄托して講ずるなり。後世にただ十二長生を論ずるの講法と互いに表裏と為る。
木落糞本,水流趨末,火顯諸用,金蔽於光。各任性鄉,故守坤鄉;水趨末則利巽方,火顯用則愛於乾,金蔽於光則又藏於艮也。水土金性本下,木火性本巍。水流就溼,土積而載,金重而沉,故日本下。巍者,上也,木漸上而火性炎上。
樹葉は落ちて肥料と化して本根に歸し、水流は總じて末梢に奔向し、火は實用の上に顯現せんとし、金の光華は則ち潛蔽して露われず。各々皆本性の歸する所の方位に順う。ゆえに木は坤郷を守る。水は末梢に趨れば、すなわち巽方を以て利と為す。火はその用を顯せば、すなわち乾位を喜愛す。金はその光を蔽えば、また艮位に藏る。水・土・金の三者の性質は本來下に向かう。水流は總じて低濕の處に往き、土は堆積して萬物を承載し、金質は重くして下沉す。ゆえにそれらを「本下」と言う。「巍」は向上の意なり。木は一層々上に向かって生長し、火の本性はさらに炎炎として上騰す。
沉者得形而上騰,升者期卑而高會。水得土而木生,是土克水而生木,木之克土而上騰,則水土之氣自木而上也。火得水而上為既濟,蓋推五行之性,沉者、升者皆必以形為用也。
下沉の物は一旦形を成せばかえって上騰しうる。上昇の物は卻って先ず卑下に居りてこそ高會しうる。水は土を得てこそ木を生出す。これは土が水を克するも因りて木を生ずるなり。木はまた反って土を克して上に向かって生長し、ここに於て水と土との氣は木に借りて上に往く。火は水を得て上下交通して、便ち《既濟》の象と成る。見るべし、五行の性情を推究する時、沈を主とするも升を主とするも論わず、皆須らく有形の物に落ち着いてこそ功用を談じうる——これまさに本書が納音(有形の象)を重んじて干支の空理に專執せざるの用意なり。
以坎為離,精玄者能知;易兌作震,通鬼神而作旨。庚申辛酉木在巳申酉之中,亦當作金,或卯人遇三酉之類而可言金,餘準此推之,則妙窮造化,但以本納音為用。所謂「易兌作震通鬼神而作旨」,此也。假令丙午水得癸巳月、丙寅日、戊戌時,己午木為火之本方,寅戌午之正體,又上下俱火,雖納音為水,多變作炎上之火看;或水多人金在巳午未生,而不犯本命支,更干頭有氣,亦宜作火看,不可謂之休囚。此所謂「以坎為離,精玄妙者為能知」。
坎水を看て離火と作すは、玄理に精通する人のみ明白す。兌金を變じて震木と作すは、鬼神の妙に通ずる人のみその旨を領會す。たとえば庚申・辛酉の納音は本より石榴木に屬すれども、それらの支が巳・申・酉のこれらの金位の中に坐すれば、すなわちまた金に按じて看るべし。または卯年の人が三個の酉の類に遇うも、また金を論じうる。その餘は皆これに照らして推求せば、造化の妙を窮盡しうる——但しなお本身の納音を以て根本として取用すべし。いわゆる「兌を變じて震と作し鬼神に通ず」とは、說くはすなわちこの種の活看なり。さらに一例を舉ぐ:丙午納音天河水の人が、癸巳月・丙寅日・戊戌時を得れば、午木は本より火の本方、寅戌午はまた合して火局の正體と成り、上下干支皆火なり。則ち本命は納音水なると雖も、また多半は變じて「炎上」の火と作して看るべし。または水多き人が、金が巳午未の三月に落ちて出生し、しかも本命の地支を冲犯せず、天干上にまた氣あれば、同じく火と作して看るべく、一概にそれを休囚と言う能わず。これすなわち「坎を以て離と為すは、唯精微玄妙なる者のみ能く知る」の意なり。
故以庚申乙卯為夫婦之本宗,子癸亥壬丁為丙蛇之寄位。此論干祿也。季主所謂先南北之陽以辨東西之陰,陰祿陽而陽祿陰,金自金而木自木,故金木自然而得專位;水火土從造化,故陽寄於陰而陰寄陽也。
ゆえに庚申と乙卯とを以て夫婦の本宗と看做し、子中の癸・亥中の壬・丁と丙との蛇位(巳)を以て寄托の位と看做す。この一段の講ずるは天干の「禄」なり。司馬季主の說く:先ず南北の陽位を分かち、再び東西の陰位を辨ず。陰干は陽位に禄を寄せ、陽干は陰位に禄を寄す。金は自ずから金を成し、木は自ずから木を成す。ゆえに金木の兩行は自然各々専位を占む(庚の禄は申に在り、辛の禄は酉に在り、甲の禄は寅に在り、乙の禄は卯に在り)。水火土の三者は造化に随いて寄居することを要す。ゆえに陽干は陰位に寄せ、陰干は陽位に寄す(たとえば丙戊の禄は巳に在り、丁己の禄は午に在り、壬の禄は亥に在り、癸の禄は子に在り)。
勞而不息,驛居病方。五行支病處而為驛,驛所以休息也。馬得縱橫,更觀乎干;生而不運,以氣建推之。以申子辰水位處驛為病也,以寅為驛,所謂馬必以氣建者,而驛之為馬也。且甲子人正月丙為馬,然不在正月,亦自得地位建丙,亦是馬,故曰馬得縱橫矣。珞碌子云:「見不見之形,無時不有。」正謂此也。
人事奔勞止まず、しかして「驛馬」は恰恰として病地に安んず。五行が地支の病位に在ればすなわち立てて驛馬と為す。驛站は本より人の歇息する處に供するがゆえに。驛馬の縱橫活用心否は、還はさらに天干を看るを要す。もしただ生出して運轉し能わざれば、すなわち月建の氣を用いて推すべし。たとえば申子辰は三合成して水局と為り、水の病地は寅に在り。ゆえに寅を以て驛馬と為す——いわゆる驛馬は必ず氣と月建とに按じて定む。驛站もまた馬と成る。またはたとえば甲子年生の人が、正月に丙寅を遁得すれば、丙はすなわち彼の馬なり。たとい正月に生まれずとも、ただ別に地支の位ありて丙を遁得すれば、同じく馬と算す。ゆえに「馬は縱橫を得」と言う。珞琭子の「見ざる之形を見、時なくして有らざるなし」と曰えるは、講ずるはまさにこの道理なり。
出五行之外者,生死在乎我;居清濁之內者,存亡從數焉。凡修德養性、煉假守真,靈臺內靜,反覆還元,神遊六合之外,必造五行之先,則欲生欲死、欲隱欲顯皆由乎我,是謂神仙真人矣,豈由天地鬼神時數所拘哉。此欲人之自修,不可專滯乎命;彼生死猶可任,況修德致祥、轉禍為福。夫人居清濁之內,皆由情性善惡死生而未能逃五行之數者,何也?蓋未嘗能煉陽純陰、煉陰純陽,雖存念至道,亦不能出於清濁之間,徒自苦形而不逃存亡之數也。
能く五行の外に超出する人は、生と死とは自己より主を作す。なお清濁の内に處る人は、存と亡とはただ定數に聽憑するのみ。およそ徳性を修養し、假我を煉去して眞性を守住し、心地を内に虚静ならしめ、反覆して本元に回歸し、精神能く天地四方の外に遨遊するは、必ずすでに五行未分の先に抵達せり。則ち生せんとし死せんとし、隱れんとし顯れんとするも皆自己に由る。これを神仙眞人と叫ぶ。何ぞなお天地鬼神と時數とに拘束せられんや。この番の話は人に自ら修為せしめんとするなり。一味に命に滯泥すべからず。生死すらなお由己しうるに、まして徳を修めて祥を招き、禍を轉じて福と為すをや。普通人の身が清濁の中に處るに至っては、情性の善惡・生死の禍福は皆五行の數を逃出る能わず。これ何の故ぞや。彼らはかつて陽を煉りて純陰と成し、陰を煉りて純陽と成さざるがゆえに。心裡に至道を存想すと雖も、終に清濁の間を出づる能わず、白白と形體を折磨し、依然として存亡の數を逃るる能わず。
元命勝負,三元者干祿、支命、納音身,各分衰旺之地。三元各分生旺庫之地而為九命,是主祿主三會也。干主名祿貴權,為衣食受用之基;支主金珠積富,為得失榮枯之本;納音主材能器識,為人倫親屬之宗。乾為天元祿,故主貴爵衣食之正本也;支為地元財命,至此比形立象,始終之元,故主貧富運動榮枯;納音為人元身命,故主賢愚好丑、形貌材能度量,凡有生則披我生克愛憎,故為人倫親眷也。
本命の勝負を論ずるに、先ず「三元」を立つるを要す。天干を「禄」と為し、地支を「命」と為し、納音を「身」と為し、三者各々その處する衰地と旺地とを分辨す。三元また各々長生・帝旺・墓庫の三地を分かち、合して「九命」と成る。これすなわち禄を主り三會を主るの根本の框架なり。天干は名位・俸禄・尊貴と權柄とを主り、衣食受用の基礎なり。地支は金玉珠寶の積聚を主り、得失榮枯の根本なり。納音は才幹・器量と見識とを主り、六親人倫の繫る所なり。具體に言えば:天干は天元の禄なれば、爵位と衣食との正本を主るを以てなり。地支は地元の財と命とにして、ここに到りてこそ形體を比擬し物象を樹立し、始終の繫る所の元なれば、貧富・動止と榮枯とを主るを以てなり。納音は人元の身命なれば、賢愚美醜・形貌才能と器量とを主るを以てなり——およそ生ある物は、皆それによりて我を生じ我を克し、愛すべく憎むべきの關係を顯出す。ゆえにそれ六親眷屬を統領す。この套の三元架構は、本書の全部の推斷の骨幹なり。
支干納音之氣,順四柱以定休囚;祿馬神煞之方,分二儀以求勝負。劫災天歲遇用處不能為凶,祿馬奇舉逢破處未始為福。三元五行亦各分四季定休旺之氣。於中所用神煞乃天之清氣,支中所用神煞乃地之濁氣,凡言神煞各分天地二氣,勝負吉凶支煞自有諸例言。劫災天歲四煞雖凶,若支干配合有用則為福祿之神;祿馬奇舉雖干之清氣、富貴之神,主福祿尊貴,若支神配合為破敗者,則反為貧賤凶害之煞。
干・支・納音の三者の氣は、四柱に順って以てそれらの休と囚とを判定するを要す。禄・馬と各種の神煞との在る方位は、則ち天地兩儀を分かち出でて以て勝負を推求するを要す。劫煞・災煞・天煞・歲煞がもし用ある處に碰上れば、すなわち凶と成る能わず。禄・馬・三奇の類の吉神がもし破敗の處に落ちれば、また必ずしも福を成さず。三元五行は同じく四季に按じて休旺の氣を分定するを要す。およそ天干上に用ゆる所の神煞は天の清氣に屬し、地支上に用ゆる所の神煞は地の濁氣に屬す。神煞を講ずるに必ず先ず天地二氣を分かち清めるを須とし、勝負吉凶に至っては、地支の煞は別に成例ありて循るべし。劫・災・天・歲の四煞は凶に屬すと雖も、ただ干支配合して能く用を得れば、かえって福禄の神と成る。禄・馬・三奇は天干清氣に屬し、富貴の神にして福禄尊榮を主ると雖も、ただし一旦支神が配合して破敗の局と成れば、反って變じて貧賤凶害の煞と為る。見るべし、吉凶は神煞の名目に在らず、配合に在るを。
四柱者,胎月日時。三元為萬物之本,四柱乃五行之輔佐,亦猶乾坤之有四時,上有四象,人有四肢。故珞碌子云:「根在苗先,實從花後。」者,四柱有偏枯,則隨所主而論之。
本書の說く所の「四柱」とは、胎・月・日・時の四位を指す(後世の子平の年月日時を以て四柱と為すと同じからず)。三元は萬物の根本にして、四柱は則ち五行の輔佐なり。たとえば乾坤に四季あり、天上有四象あり、人身に四肢あるがごとし。ゆえに珞琭子の曰く:「根は苗の先に長し、果は花の後に結ぶ」と。四柱もし偏枯不全あらば、すなわちその主る所のあの一位に依照して論斷す。讀者は須らく注意すべし:本書は年柱納音を以て本命の主と為し、胎月日時はただ輔佐のみ。これは後世の子平法が日干を主と為し年月日時を以て四柱と為すの體例と完全に同じからず。
胎主父母祖宗者十分,主事者二分。萬物之根本,固在我名之先有也,故主祖宗者十分。然而根在物之先而花實苗之後,雖主事二分,亦當以胎為本氣。
胎元のこの一位は、父母祖宗を主管する方面に十分の分量を占め、本人事業を主管する方面にただ二分を占むのみ。萬物の根本は本來我が名分に先んじて存在するがゆえに、ゆえに祖宗を論ずる時それは十分を占め足る。然れども根は固然として萬物の先に生ずれども、しかして花と果とは卻って苗の後に結ぶ。ゆえに胎元はただ二分の事權を占むと雖も、命を推する時なおそれを當に本氣と看做して對待すべし。
月主時氣者十分,主事者六分。月為建元,分四時之休旺,故主三元氣用所出十分。是月與時為賓主以輔三元,故主立氣立事十分,是將來臨月分,亦定災福之六分。
月柱のこの一位は、時令の氣を主管する方面に十分を占め、人事を主管する方面に六分を占む。月は「建元」にして、四季の休と旺とを劃分す。ゆえに三元の氣の何處より發出するかは、全くそれによりて決定せらる。因りて氣の上に十分を占め足る。月と時とは互いに賓主と為して三元を輔助す。ゆえに氣機を確立し事功を確立する上に十分を占む。しかして將來行運が某月分に臨み到る時、それもまた六分の災と福とを決定す。
日主未得氣者十分,主事者八分;時主用度進退向背、力氣勝負皆十分,吉與凶同。日主月內四時向背之氣十分,三元貴賤之氣及胎本共時八分;時主元吉凶及胎月日之氣皆十分,故言吉凶變異勝負之力同等也。
日柱のこの一位は、いまだ氣を得ざる時に十分を占め、人事を主管する上に八分を占む。時柱のこの一位は、用度の進退向背を主管するも、氣力の勝負を主管するもを論わず、皆十分を占め、吉と凶との分量相等し。細かに說けば:日柱は一月の内に四時向背の氣を主りて十分を占め、三元貴賤の氣は胎元と時柱とに連同して合わせて八分を占む。時柱は本元の吉凶および胎・月・日の三位の氣を主りて皆十分を占む。ゆえにそれは吉凶變異・勝負消長の上の力量は別柱と相等しという。この幾條は本書が四柱に權重を定むるの條例なり。推斷する時は分量の輕重に按じて取捨す。
九命論互相奔刑反順生煞,以別源流。三元四柱祿馬為九命,須遞相往來,取刑沖德合逆順盛衰,以定清濁之理。先看重輕盛衰尊卑逆順,次分彼我緊慢情意,相續干音親義四柱,然不合沖類干頭配合之理。先看三元支干本意,以辨四柱之力:有形視形氣之厚薄,凡化象之有性,操用度之淺深,勿論得地不得地,辨尊卑之勝負也。凹柱相沖然無配合納音,取賓主保義情親,以定勝負。
「九命」の論は、講ずるは各位の間の互相奔冲・刑克・反覆・順從・相生・成煞にして、以て命理の源と流とを分辨す。三元に四柱を加えさらに禄と馬とを加えて、合わせて九命と稱す。必ずそれらを彼此往來推求せしめ、刑・冲・徳・合と逆順盛衰とを取りて、以て清濁の道理を判定す。推斷の次序は:先ず各位の輕重・盛衰・尊卑・逆順を看て、其次に彼此の間の關係の緊密と疏緩・情意の向背とを分辨し、再び天干と納音との親疏恩義を四柱の上に連貫す。あの成合せずただ冲を成すの類に至っては、則ち別に天干配合の理に按じて看るを要す。總じて先ず三元干支の本身の意向を看て、以て四柱の力量を分辨す。形體あるはすなわち形氣の厚薄を看て、およそ化氣成象するはすなわちその性情如何・操持する所の用度の深淺を看る。必ずしもただ地を得地を得ざると計較せず、要なるは辨明するは尊卑の間の孰が勝ち孰が負くるかなり。四柱(底本「凹」は「四」の訛)が互相冲擊して納音また配合を成さざる時、すなわち賓主の間に情義親厚を保全するや否やを取り、これに據りて勝負を判定す。
大抵年為本則日為主,月為使則時為輔。年為日之本,日為命主,如君之有臣、父之有子、夫之有婦、國之有王,是胎月生時為主本之扶援,欲得以序相承順也。
總じて言えば:年柱は根本、日柱は主宰、月柱は使者、時柱は輔佐なり。年は日の根本、日は一命の主なり。兩者の關係はすなわち君に臣あり、父に子あり、夫に婦あり、國に王あるがごとし。胎元・月柱・生時は則ち主と本との扶助援手にして、最も能く次序に按じて層層相承し、順にして逆ならざるを良しとす。ここに「日は命主」と言うと雖も、そのいわゆる主はなお年に承けて立つなり。全局の根本は依然として年柱納音に在り。子平法の專ら日干を以て我と為すの立場と混同すべからず。
主本保合,未有貧賤之人;時日乖違,豈有久榮之理。主本保和相育為貴。年剋日減力也;日克年雖主貴氣,亦多迪剝;況日時俱克於年,乖離尤甚也。三元入墓,日時自旺,雖運並絕逢鬼,鬼亦不能取。本人墓中卻主相輔,行在旺鄉,雖逢並絕更來加身,命雖災而未至死厄。
主と本と和合を保持せば、貧賤の人なし。時柱と日柱と彼此乖違せば、何ぞ長久榮顯の道理あらん。主本和順にして互相養育してこそ貴と算す。年が日を克すれば、力量は減損するを要す。日が年を克すれば、貴氣を主ると雖も、多く坎坷剥落あり。まして日と時とが一齊に年を克すれば、それすなわち乖離することさらに厲害なり。もし三元皆すでに墓に入りて、しかして日柱時柱自身當旺なれば、たとい行運が並臨に遇い、絶地また「鬼」に逢うとも、鬼もまたそれを奈何しうるならず。本命が墓の中に入りてかえって輔助を得、行運が旺郷を走れば、たとい並絶の氣に碰上し再び身に加わるとも、命中に災殃ありと雖も、死厄に至らず。
四柱集旺,運逢於祿馬,祿馬無用。三元四柱俱到旺處,或生時又使過,若曾發祿於閒地,雖逢祿馬而必災。過與不及、游移顛倒,氣數中庸應期而發。五行喜剛柔得中,三命忌盛衰太過。
四柱の氣聚集して太旺なれば、行運さらに禄と馬とに遇上せば、禄馬はかえって用處なし。三元四柱皆旺地に走り至り、あるいは生時の氣またしても太過ならしめば、加うるに從前すでに閒散の地に禄を發せり。則ち禄馬に逢うと雖も必ず災を招く。およそ太過あるいは不及、游移不定あるいは前後顛倒するは、皆不吉なり。ただ氣數中を持するのみ、こそ期に應じて發しうる。五行は剛柔適中を貴び、三命は最も盛衰の頭を過ぐるを忌む——これは全書の旺衰を論ずるの總綱なり。
方信陽唱陰和,須分干正支邪。陰靜陽從,更忌祿衰鬼旺。如乙酉得甲辰,雖天地合,卻甲喂辛,見乙畏酉,金火畏死地逢子也。又如戊逢癸亥,是干正支邪;戊午丙子,支正干邪;然水火陰陽相和,則不如干合為正也。又如丙辰見中為祿衰,土逢壬為鬼丁,人見乙卯癸卯之類。
これにこそ陽が唱えて陰が和するの道理を信ず。ただ須らく分かち清めるべし、天干を正と為し地支を邪と為すか、あるいは相反するかを。陰は靜を主りて陽來りて相從す。ことに禄氣衰えて鬼氣旺なるを忌む。例を舉げて說けば:乙酉が甲辰に遇うは、天干地支兩兩相合すと雖も、然るに甲は辛に制せられ、乙はまた酉金を怕る。金と火と皆死地に落ちてまた子水に逢うを怕る。またたとえば戊が癸亥に遇うは、天干が正を得て地支偏邪なり。戊午に丙子を配するは、則ち地支が正を得て天干偏邪なり。この兩種は水火陰陽彼此調和すと雖も、終に天干相合の來るがごとき純正に如かず。またたとえば丙辰が某位を見て禄衰と成り、土が壬に遇えば鬼と成り、丁日の人が乙卯・癸卯の類を見れば、皆この例に屬す。この段の底本の文字は訛脱較多し(たとえば「甲喂辛」は當に「甲畏辛」たるべし)。今照錄して改めず。
必死有生,凶中反吉。如庚子見丁卯,死而得生;甲子見戊寅,凶中反吉。旺衰之理審量生克,輕重之名須識向背。三元旺地畏忌衰處好生,須臨時審其輕重。如壬申癸酉本重,壬寅癸卯本輕,卻取輕重扶持為用,始分向背之力氣。
必死の中に往々にして生機を含み、凶險の中にかえって吉利を轉出す。たとえば庚子(壁上土)が丁卯(爐中火)に遇えば、本より死地に在るも卻って火生を得。甲子(海中金)が戊寅(城頭土)に遇えば、凶中かえって吉を得。旺衰の道理を論ずるに、生と克とを仔細に衡量するを要す。輕重の名目を講ずるに、向と背とを辨識するを須とす。三元が旺地に處る時は衰處に轉入するを怕るる所なり。衰處に處る時は生扶に遇うを喜ぶ所なり。必ず局に臨み時に随いてそれらの輕重を審察するを須とす。たとえば壬申・癸酉の納音劍鋒金は本氣重し。壬寅・癸卯の納音金箔金は本氣輕し。まさにこの輕重を取りて以て互相扶持して用と為し、こそ向背の間の力量の大小を分かち出づるを得。
輕得地而可敵重衰,重無地而制之輕敗。如土制水,則丙辰丁巳之土能制丙子癸亥之水也;壬申癸酉之金雖重,卻遇戊子己丑丙寅丁卯之火,雖金重亦受制於火,蓋火向旺、金絕方也。
輕の一方がもし地を得れば、重にして衰の一方に抵當しうる。重の一方がもし地を失えば、かえって輕の一方に制せられて敗陣す。たとえば土を以て水を制す:丙辰・丁巳の納音沙中土が地を得れば、能く丙子・癸亥の澗下水と大海水とを制住しうる。またたとえば壬申・癸酉の劍鋒金は本氣重しと雖も、一旦戊子・己丑の霹靂火と丙寅・丁卯の爐中火とに遇上せば、金たとい重くとも火の克制を受くるを要す——この時火はまさに旺地に走向し、しかして金は恰も絶地に在るがゆえに。見るべし、輕重は死したるに非ず、方位と旺衰とに合せて併看するを要するを。
各衰各旺,輕重自然。如辛卯見癸酉,戊午見丙子,乃旺處相敵,支氣不比,卻有相敵為變化發揚也。甲寅水見庚午辛未土,力氣各衰,水土和柔則有化育之道矣,餘準此。守凶煞者,在其尊者制其卑;生克交加,應得先者令其後。吉神凶煞四柱先後,干神可制支煞,更分生克之理。
各々衰あり、各々旺あり、輕重は自ずから分明なり。たとえば辛卯(松柏木)が癸酉(劍鋒金)に遇い、戊午(天上火)が丙子(澗下水)に遇うは、皆雙方が旺地の上に相持す。地支の氣は相類せずと雖も、勢均力敵なるがゆえに、かえって能く變化を生出して發揚光大す。またたとえば甲寅(大溪水)が庚午・辛未(路旁土)に遇うは、雙方の力量皆すでに衰弱にして、水と土とは柔和に相處し、ここに於て化育の功あり。その餘はこれに依りて類推しうる。凶煞を制伏するに至っては、地位尊きに靠りて地位卑きを制するを要す。生と克と交錯並見する時は、先に勢を得たる一方をして後に至る一方を支配せしむべし。吉神と凶煞とは四柱中に先後の別あり。天干の神は能く地支の煞を制伏しうるも、還はさらにその間の相生相克の道理を分辨するを要す。
五行相敵,二凶一吉。五行相敵,輕重相等,遇鬼二則為凶,一重為鬼,猶凶中反吉。復以輕重之理,方得貴賤之原。須以六十納音支干輕重取衰旺制度,方定貴賤也。
五行が勢均力敵なる時、兩重の鬼煞に逢えば凶と為り、ただ一重に逢えばかえって吉と為る。細かに說けば:五行が彼此相當にして輕重相等しければ、もし兩重の「鬼」(身を克する神)に遇上せば凶と成る。もしただ一重の鬼なれば、それはなお凶中に反吉に屬す。さらに一歩進めて輕重の理を用いて推して、こそ貴賤の根源を求め得べし。必ず六十納音干支の各々の輕重に依照し、衰旺の節制の程度に配合して、こそ一命の貴賤高下を斷定しうる。この一句は本書の命を論ずるの方法の總結なり。單個の神煞の吉凶を看ず、先ず納音の斤兩を稱る。
至如體輕用重不免漂沉,本重末輕廣謀自勝,主客從容優遊享福。如庚午辛未土本輕也,見壬戌癸亥丙子之水,是本輕用重反散流也。辛未年壬辰月甲申日甲戌時,此正應體輕用重之格。如庚子辛丑土見癸巳乙卯,是本重廣謀自負之人也。五行主客輕重等,以制用有法,水土和柔,金火平適,則康寧。
また言う:本體輕くして用ゆる者重ければ、漂泊沈浮を免れず。本身厚重にして末梢輕ければ、則ち謀略廣遠にして自ら能く取勝し、主と客と從容として相處し、安閒にして福を享く。たとえば庚午・辛未の納音路旁土は、本氣輕薄なり。もし壬戌・癸亥の大海水と丙子の澗下水とを見れば、すなわち本輕くして用重きなり。土はかえって水に冲散流失せらる。辛未年・壬辰月・甲申日・甲戌時のこの命例は、まさに「體輕用重」の格局に合す。またたとえば庚子・辛丑の納音壁上土は、本氣厚重にして、癸巳(長流水)・乙卯(大溪水)に遇上せば、すなわち本重にして謀略廣遠・自視甚だ高きの人なり。總じて五行の主と客との輕重相當にして、制約と取用とまた法度あれば、水と土とは柔和相濟し、金と火とは平正適中にして、一生すなわち安康寧泰なり。
水得水多,則沉潛伏溺,小巧多權,苗而不秀,聲譽汪洋,然而富貴則無變通而勢不崢嶸矣。水得火多,則崇禮貪饕,自恃深慮多憂,猛斷後悔。水遇火多,其性如此,不妨名利也。水得木多,則流而不止,執志反柔,臨事汗漫,奢儉失中。水生木,木克土,土散而無止,故此情性也。
以下に納音五行の多寡に按じて人の性情を論ず。水にしてまた水を多く見る人は:性情沈潛内斂にして甚だしきは耽溺し、機巧細密にして權謀多く、禾苗の穗を抽きて花を開かざるがごとし——才ありて顯れず。聲譽は傳わること甚だ廣く、然れどもたとい富貴なりとも、變通を知らざるに失し、氣勢は崢嶸卓立する能わず。水にして火を多く見る人は:禮節を崇尚するもまた口腹を貪求し、自ら聰明を恃み、思慮深沈にして憂愁多く、事に臨みて果斷なるも太猛にして、事後また悔ゆ。水が多火に碰うれば、性情はすなわちこのごとし。ただしその名利を求取するを妨げず。水にして木を多く見る人は:水の流れ出づればすなわち收め止めがたきがごとく、志向は執着なるに似て實は柔軟にして、事に臨みて散漫にして邊涯なく、奢と儉と皆分寸を失す。水が木を生じ、木はまた土を克し、土一たび散ずれば堤防攔阻なきがゆえに、性情かくのごとし。
水得金多,則本末常安,多得資援,好義不實,智大多淫,智勝義負則性靈強。水得土多,則沉靜執塞,內利外鈍,忍妒多恨,信義無決。此論五行之性,不取神煞論也。
水にして金を多く見る人は:本と末と皆安穩にして、常に他人の資助援手を得るを得。義氣を講ずるを喜ぶも實在せず、智謀大にして放縱に失す。智が義を壓倒するに當たれば、心思はことに靈活強悍なり。水にして土を多く見る人は:沈靜にして固執壅塞し、内心精明にして外表遲鈍、能く忍耐すれども嫉妒を好み、怨を積むこと多く、信義を講ずる時はまた決斷足らず。注意すべし、これ一整套の講ずるは五行本身の性情にして、並に神煞を攙入して論斷せず——これまさに本書が五行の本氣を重んじ神煞の名目を輕んずるの一貫の態度なり。
火得火多,則崇禮義泊,明外昏內,自華而儉,既旺既己,不可速達。火星暴而無制,福至則禍來連。火得火多,則崇禮義泊,明外昏內,自華而儉,既旺即己,不可速達。火星暴而無制,福至則禍來連。
火にしてまた火を多く見る人は:禮節を崇尚して義氣淡薄、外に對して明亮にして内裡昏昧、外表華美にして自處儉素。一旦旺の極點に至ればすなわち止み、迅速に通達する能わず。火性は暴烈にして節制なく、福まさに至らんとすれば、禍はすなわちそれに隨いて來る。この條の底本は兩遍連寫し、文字はただ「既旺既己」と「既旺即己」との一字の差のみ。顯に傳抄の重出に係る。今底本の原樣に依りて收錄し、删竝せず、また他本に據りて字を改めず。讀者はただ一條と當てて看れば可なり。
火得木多,則自恃威福,聰明志懦,動思依輔,靜則志明,好辯是非。仁與禮不足,雖和而多忘。火得金多,則志不自勝,好辯而剛,禮義失中,直而招謗。火金兩強,故多克辯。火得土多,則立用沉密,利害敢為,言清行濁,執不通變。火絕得土,土蔽火光,故所適不變利。
火にして木を多く見る人は:自ら威を施し福を作す能と恃むと雖も、聰明なるも意志懦弱にして、一たび念を動かせばすなわち人を尋ねて依靠せんとし、靜かなる時は志向かえって清明にして、是非を爭辨するを好む。この類の人は仁と禮と皆足らず、人に和氣を待すと雖も健忘なり。火にして金を多く見る人は:志氣盛にして己れも壓えがたく、辯を好みて剛強にして、禮と義と皆中道を失し、性情耿直なるがゆえに毁謗を招く。火と金との兩強相遇えば、ゆえに多く克伐爭辨あり。火にして土を多く見る人は:立身處事沈穩縝密にして、利害の關頭に遇えば敢作敢為し、言辭清高にして行爲混濁、固、固執して變通を知らず。これは火が本よりすでに絶地に至りてまた土を得、土が火光を遮蔽せしめたればなり。ゆえにその走る所の路子は機に隨い應變する能わず、また利益を見ざるなり。
火得水多,則為德不均,巧而忘禮,多易多難,摭取艱險,計深反害。水火未濟,多智多傷。火得木多,則柔懦泛交,曲直自循,多學不實,聰明華沽。木主仁柔,色以表形。
火にして水を多く見る人は:徳を施して均ならず、機巧にして禮數を忘れ、事情は忽ち容易にして忽ち艱難にして、專ら艱難險阻の路を拾取して走り、算計深すぎてかえって自己を害す。これは水火いまだ相濟せざるなり。智謀多くして傷損もまた多し。下の一條の底本は「火得木多」と作るも、しかして注文に「木は仁柔を主る」と說き、かつ前面にすでに「火得木多」の一條あれば、この處は當に「木得木多」と作るべく、底本の訛字なるを知るべし。木にして木を多く見る人は:性情柔弱にして事を怕れ、交游泛泛にして深からず、凡事曲直に順って自らその道を行い、學ぶこと多くして紮實ならず、聰明外露にして幾分の虚浮做作を帶ぶ。木は仁徳柔順を主り、その氣色はすなわち形貌の上に表現す。原文の訛字は今なお照錄して改めず。
木得金多,則剋制憔悴,剛而無斷,靜思悔動,譽義不常。義勝於仁,反吝於心。木得土多,則取舍自信,華而不奢,體柔伏剛,言必鑑人,智不自勝。仁輕信過,無禮節也。木得水多,則漂流不定,言行相違,處吉不寧,趨時委曲。木華水智,故多順取。木得火多,則馳騁聰明,好學不切,禮繁義亂,明他害己,善惡決發。火得木而熾,木無以自容。
木にして金を多く見る人は:處處克制を受けて形容憔悴し、剛強なるに見えて決斷なく、靜にしてまた己が擧動に悔ゆる。名譽と義氣と皆持久する能わず。これは義が仁を壓過して、かえって内心を吝嗇に變成せしめたればなり。木にして土を多く見る人は:取捨全く自信に憑り、外表華美にして奢侈ならず、體質柔順にして能く剛強を降伏し、言葉するに必ず先ず對方を揣度するも、智謀は己が執念に勝る能わず。これは仁徳輕くして信實頭を過ぐれば、因りて禮節を失するなり。木にして水を多く見る人は:漂泊定まらず、言と行と相違背し、順境に處るも安寧ならず、時勢に趨附して委曲求全す。木は文華を主り水は智巧を主る。ゆえに多く勢いに順い巧みを取る。木にして火を多く見る人は:聰明外馳し、學を好みて切實ならず、禮數繁瑣にして義理紊亂し、他人を照亮して自己を害し、善惡皆發作するに決絶なり。火は木を得て熾盛なれば、木は自身に容身する處なし。
金得金多,則剛直尚勇,見義必為,過不自知,忘仁好義,思禮好勝。金重慾火,故思禮。金得木多,則辯分曲直,利害兼資,置德懷忿,朋友失義。仁義相伐,必有所失。金得火多,則口才辯利,好禮忘義,動止寬和,中心鄙吝。火勝於金,有義禮也。
金にしてまた金を多く見る人は:剛強正直にして勇力を崇尚し、爲すべき事に見れば必ず之を爲す。過失あれば自己は卻って覺えず。仁厚を忘れて義氣を偏好し、心裡に禮數を想うも事事勝を好む。金氣重過ぎれば火の來りて鍛煉するを渴望す。火は禮を主るがゆえに、彼は「禮を思う」なり。金にして木を多く見る人は:曲直を分辨するに善く、利と害との兩頭皆兼顧しうるも、卻って恩徳を一邊に擱きて憤恨を懷き、朋友と相處して義を失い易し。これは仁と義とが互相攻伐して、必ず損失する所有ればなり。金にして火を多く見る人は:口才敏捷にして辯に善く、禮節を講究して義氣を忘れ、擧止寬厚平和にして、内心は卻って鄙吝小氣なり。これは火が金を壓過せば、ゆえに義と禮とに偏あるなり。
金得水多,則計慮不深,為人無恩,臨事齷齪,或是或非。水重金藏,多計無剛。金得土多,則失中有成,口儉心慈,作為闇昧,多處嫌疑。金蔽土中,則求之者成。
金にして水を多く見る人は:謀慮深遠ならず、人を待するに恩情缺け、事に臨みて瑣屑に拘泥し、是非游移定まらず。これは水重過ぎて金潛藏し、心計多きと雖も剛斷の氣なきなり。金にして土を多く見る人は:行事中道を失すと雖も、終に成就あることを得。言語儉省にして心地慈善、作爲光明足らずして、常常として嫌疑の地に處る。これは金が土の中に埋められ、人の發掘するを須とす。肯んじて心を用い求取する人は便ち事を成しうる。
土得土多,則重厚藏密,守信容物,或招毀謗,恩害敢為。土雖守信,深厚難知。土得金多,則信而好義,剛而多躁,不能持重,庶事無容。金上爭麗,兩不自持。土得木多,則形勞志大,雜好狂徒,用柔爽信,曲直黨情。木克土則信虧。
土にしてまた土を多く見る人は:厚重にして深藏して露われず、信用を守り人を容れうるも、時に反ってこれに因りて毁謗を招き、恩を施すも害を加うるも敢作敢當す。土は信を守るを主ると雖も、然るに深沈厚重にして、人をして窺測し難からしむ。土にして金を多く見る人は:信用を講じ義氣を好むも、性格剛強にして多く躁動し、持重する能わず、凡事皆人を容れざる。これは金が土の上に勝を爭い美を求め、兩下裡に持守しえざればなり。土にして木を多く見る人は:身形勞碌にして志向遠大、愛好駁雜にして狂放の徒に近く、柔和の手段を用いて卻って信實を失し、是非曲直は全く私情によりて偏袒す。木が土を克すれば、土の「信」はすなわち虧損するがゆえに。
土得火多,則施義忘親,外明少斷,奢儉失中,好禮口惠。土得火助,信有所毀。土得水多,則貪功好進,泛順伏機,志善若昏,愛惡無義。土雖克水,水多則土失信。
土にして火を多く見る人は:外人に義氣を施すに肯んじて親人を忘れ、外表明達にして決斷缺け、奢侈と節儉と皆分寸を失し、禮數を喜好するもただ口頭上に人に好處を與うるのみ。これは土が火の幫助を得てかえって頭を過ぐれば、「信」のこの一徳便ち毁損する所有ればなり。土にして水を多く見る人は:功名を貪圖して進取に急ぎ、表面上は處處順從して暗中に機心を埋伏し、志向は本より善なるも一層の昏昧を蒙るがごとく、愛憎全く準則なし。土は能く水を克すと雖も、ただ水一たび多ければ、土はかえって信實を失す。以上二十餘條は、五行の多寡を直接性情品格の上に落とし、後文の貴賤壽夭を論ずるに依據を立つるなり。
誠能以此更分輕重,明作為之性情,消息盈虛依於禍福,然後為能言。以前五行多寡論性情,而復推禍福正氣無刑。如庚祿在申,氣當用甲,如諸位中不見庚之刑甲,或他位見甲,即為無庚是也。名背之半,不見正錄,如得己而無乙,亦是所謂得一分三之說,雖背正祿必為福。
果して能くこの基礎の上にさらに輕重を分辨し、一個人の作爲の性情を弄清し、消長盈虚と禍福とを對應せしめて、然るのちこそ命を論ずるに談足る。前面は五行の多寡を用いて性情を論じ、接きては還は禍福を推せんとす。關鍵は本氣の純正にして刑克を受けざるに在り。たとえば庚の禄は申に在り、氣上に當に甲を取りて用と為すべし。もし各柱中に庚の來りて甲を刑克するを見ず、あるいは別の位置上に甲を見れば、それすなわち「庚なし」に等しくして甲は安然として用と為しうる。いわゆる「名背之半」とは、正禄を見えざるを指す。たとえば己を得て乙なきは、これすなわち「一分を得て三を得る」の說——正禄を背離せると雖も、依然として福と成りうる。
馬無害,祿無鬼,食無亡,支合無元干,祿無厄。如甲子得丙寅為馬,見壬午及水在丙寅六合破利之上;如不見正氣,卻見他干在祿位,其祿干亦要無鬼也。倒食順食皆要無空亡亡神也;支神名合要無元辰,十干合處要無六厄。
取用の通例は:驛馬は六害を帶ぶべからず、禄は鬼を帶ぶべからず、食神は亡神を帶ぶべからず、地支相合の處は元辰の干を冲犯すべからず、禄位は六厄を帶ぶべからず。例を舉げて說けば:甲子年の人は丙寅を以て驛馬と為す。もし壬午を見、あるいは水が丙寅と六合して破損と成るの處に落ちれば、馬は便ち害を受く。もし本位に正氣を見ず、卻って別の天干上に禄位を見れば、則ちこの禄の天干は同じく必ず鬼の來克なきを須とす。倒食(梟神の食を奪う)と順食(正食)とは皆空亡と亡神とに遇わざるを求む。地支上に名義相合するは、元辰を見ざるを求む。十天干相合の處は、六厄を犯さざるを求む。これらは皆「吉神は須らく淨なれ」の條件にして、一を缺けば便ち福力を折損す。
旺無喪,衰無吊,妻無刃,財無飛,孟無孤,季無寡,生無劫,死無敗。如癸丑木命不要卯,此則旺無喪;如壬午木命不要辰,此則衰無吊。用制陰為妻,不可在羊刃上,故妻欲無刃。命後四辰曰飛廉,我克者為財,不可犯之。四孟之人不得見孤辰在命,四季之人不得見孤宿在地。長生處要不值劫煞,如乙巳丁酉乙丑見寅是也。死處忌見八敗沐浴金神。
別に八條の禁忌あり:旺位は喪門を帶ぶべからず、衰位は弔客を帶ぶべからず、妻宮は羊刃を帶ぶべからず、財位は飛廉を帶ぶべからず、四孟(寅申巳亥)の人は孤辰を帶ぶべからず、四季(辰戌丑未)の人は寡宿を帶ぶべからず、長生の處は劫煞を帶ぶべからず、死絶の處は八敗を帶ぶべからず。逐條に說けば:癸丑の納音桑柘木は、木の旺は卯に在り。命中はすなわち卯を見るを要せず(丑の前二位は喪門と為る)。これを旺に喪なしと叫ぶ。壬午の納音楊柳木は、木の衰は辰に在り。命中はすなわち辰を見るを要せず(午の後二位は弔客と為る)。これを衰に弔なしと叫ぶ。我の克制する陰干を取りて妻と為し、妻は羊刃の上に落つべからず。ゆえに妻宮は刃なきを要すと言う。本命の後の第四辰を飛廉と叫び、我の克する所は財なり。財位はこれを冲犯すべからず。四孟生の人は命の上に孤辰を見るべからず、四季生の人は地支に寡宿を見るべからず。長生の地は劫煞を避くるを要す。たとえば乙巳・丁酉・乙丑の三柱は同じく巳酉丑金局に屬し、長生は巳に在りて劫煞は寅に在り。寅を見れば便ち犯す。死絶の地は則ち八敗・沐浴と金神とを見るを忌む。
火無水,水無土,土無木;木須金,金須火。火無水降亦能自潤,水無土壅莫不成流,土無木制曠野安然;木須金克可以成材,金無火鍛不能成器。
五行は還は「無」と「須」との分別あり。火は水なきを可とし、水は土なきを可とし、土は木なきを可とす。しかして木は必ず金あるを須とし、金は必ず火あるを須とす。分かちて解釋す:火はたとい水の來りて降伏するなくとも、本身能く自我滋潤す。水は土の壅塞するなければ、處として流を成さざるなし。土は木の克制するなければ、曠野のごとく安然自在なり。木に至っては、必ず金ありて砍削してこそ器材と成るを得。金はもし火の鍛煉するなければ、器を成す能わず。この四句は本書の用神を取るの基本の口訣なり——克は必ずしも害に非ず、關鍵は「須」なるや否やを看るに在り。
體重須鬼,祿輕須官,刑雖全,敗雖孤,夫須鮮,妻須倍,吉須顯煞,凶須沉昧,天盤須會,地帶須連。五行本重須鬼損裁;祿輕須官,如甲人祿位雖辛亦貴;四柱之刑各須全見;八敗之地不畏本氣在孤病;夫須鮮者,已不可見甲眾也;妻須倍者,甲見已在旺地也;五行在吉神方須顯然見其清氣,凶位見五行須得凶煞沉昧,斯能無害;甲丙庚壬須左右朝揖,是天盤須會也;亥子丑寅卯須交連左右,是地帶須連也。
さらに十條の要訣を列ぐ:本體重過ぎるは鬼ありて裁損するを要し、禄氣輕きは官ありて扶持するを要し、刑は齊全せるを見るを要し、敗地は能く孤立無援なるを要し、夫(我を克する者)は少なきを宜とし、妻(我が克する者)は多きを宜とし、吉神は顯露するを要し、凶煞は沈伏するを要し、天干は彼此朝會するを要し、地支は左右連貫するを要す。逐句に申說す:五行の本氣重過ぎるは、須らく「鬼」に靠りて損削裁制すべし。禄氣輕きは須らく官あるべし。たとえば甲年の人の禄位の上にたとい辛を見るも、同じく貴と為る。四柱中の三刑は各々見全してこそ數と作す。八敗の地に處るは、ただ本氣が孤地病地に在らざればすなわち怕るるを必ずしも要せず。いわゆる「夫は鮮きを須とす」とは、己は甲を多く見るべからずを言う。いわゆる「妻は倍なきを須とす」とは、甲は己を見て旺地に坐するを要すを言う。五行が吉神方位に落つるは、須らくその清氣を明見し、凶位に落つる時は則ち須らく凶煞沈伏昏昧なりて、かくのごときこそ害なからん。甲丙庚壬の四陽干は左右に拱揖圍繞するを要す。これすなわち「天盤は會するを須とす」なり。亥子丑寅卯のこれらの地支は左右交接相連するを要す。これすなわち「地帶は連なるを須とす」なり。
干全順則為清,氣完和者為貴。如甲乙丙丁戊為十於全,須歲胎月日時順則為清;如水在申子辰中,或在女子丑中制用,氣完乃為貴。陰附陽帶歲則富貴,陽合陰背本則虛浮。陽支互合,陰干不來朝命,及本向衰,則無有用也。
天干齊全にして順次排列すればすなわち「清」と叫び、氣完足にして調和すればすなわち「貴」と叫ぶ。たとえば甲乙丙丁戊の排り下る(底本「十于全」は當に「十干全」と作るべし)は、必ず歲・胎・月・日・時の五位依次順行してこそ清と算す。またたとえば納音水が申子辰の三合水局の中に落ち、あるいは亥子丑の三會水方の中に落ちて(底本「女」は「亥」の訛)能く制化取用せば、氣完足してこそ貴と算す。陰干が陽干に依附し、また年歲と相帶するは、富貴を主る。陽干は陰干と相合すと雖も、卻って本命に背離するは、すなわち虚浮に流る。もしただ陽支が彼此相合するのみにして、陰干は並に來りて本命を朝拱せず、加うるに本命また衰地に走向すれば、それすなわち全く用處なし。
應凶觀空而無空,旺相得空而尤利。應煞害刑在空亡無合,動不為凶也;旺相處明暗合,或逢天月德見空亡亦吉。至若空亡有用,賴虛中而有應。夫響之有聲,莫非中虛也。至若鐘鼓之聲,虛中則擊而嗚遠,若實之則不應。是以大人之命,要虛中,德必居空,空自旺有用,乃有大聲之應器也。
凶に應ずべき地方は、それが空亡の上に落つるを見れば、かえって空亡なきに等し。旺相の地が空亡を得れば、ことに利あり。およそ煞・害・刑が空亡に落ちてまた合を成さざれば、たとい引動せらるとも凶と成らず。旺相の處にもし明合暗合あり、あるいは天徳月徳に逢いてまた空亡を見れば、同じく吉なり。空亡の能く用ある所以に至っては、全く「中虚」なるがゆえにこそ回應あり。およそ能く回響を發出する物は、中間空虚ならざるなし。鐘鼓の聲のごとき、中間空虚にして、一たび敲けば聲は甚だ遠く傳わる。もしそれを填實せば、すなわち敲き響かせる能わず。ゆえに貴人の命は「虚中」するを要し、徳神は必ず空亡の位に居る。空亡は自身當旺にして能く取用して、こそ大聲を發出する器具と成る。作者李虚中の名はまさにこの意を取るなり。これまた全書最も意味あるの一段の議論なり。
庫中鬼勿取生旺,繼衰殃。當生旺者更引旺處,福與禍並庫中之鬼,如甲見辛未,金見己丑。木本離而化薪,金趨坎而育水。木見火多,或木重運至離宮,則化柴薪也。雖金生於水,然子勝而母負也。
墓庫の中に藏する「鬼」は、さらにそれを引きて生旺の地に到らしむるなかれ。然らずんば接きてはすなわち衰敗災殃なり。本來生旺に當たるは、もしさらに旺處に引き至れば、福と禍と一齊に來る。まして庫中に還は鬼を藏するをや。たとえば甲木が辛未を見るは(未は木庫にして辛は木の鬼なり)、納音金が己丑を見るは(丑は金庫にして己土中に金鬼を暗藏す)なり。木は本來離位(南方火)に向かって柴薪と化成し、金は本來坎位(北方水)に趨向して水を生養す。木はもし火を見ること多すぎれば、あるいは木は木氣重すぎて行運が離宮に走り至れば、化して柴薪と成りて燒盡す。金は能く水を生ずと雖も、然るに水一たび旺なれば、すなわち子強くして母弱と成り、金はかえって損を受く。
水有火,火有金,金有木,木有土,土有水。如壬中有丁,丙中有辛,庚中有乙,甲中有己,戊中有癸。干備而祿備,命成而財成,身有地而官行,貴賤自此而見矣。乾為天祿,要正氣而有地,備足貴扶之類;支為命,納音為身,身命順旺,財在中也。又能先論納音輕重而分干祿命財,更身有命,則貴可知也。
五行の中に彼此暗く相合する一方を含む。水裡は火を含み、火裡は金を含み、金裡は木を含み、木裡は土を含み、土裡は水を含む。これは天干五合に就いて言うなり。壬中は丁を含み(丁壬合)、丙中は辛を含み(丙辛合)、庚中は乙を含み(乙庚合)、甲中は己を含み(甲己合)、戊中は癸を含む(戊癸合)。天干完備せば、禄もまた完備す。命局成就せば、財もまた成就す。身(納音)が地を得れば、官星はこそ行き通ず——貴賤はここより便ち看出しうる。具體に言えば:天干は「天禄」にして、本氣純正にしてまた地支の承載あり、還は貴神扶助の類あるを要す。地支は「命」にして、納音は「身」なり。身と命と順暢にして旺なれば、財は自ずから其中に在り。さらに能く先ず納音の輕重を衡量し、これに據りて干禄・支命と財との次第を分判し、加うるに身また命ありて相配すれば、貴なるや否やは、一目瞭然なり。
祿為君子之性,命為定性,身為用性,時納音為居性。言性則可至於命,祿主貴,故為君子之性;支為定局,取其屬以見人之定性;納音主財能器,為用性也;有時則三元之氣備,所以見人居止動靜情性也。
「禄」(天干)は君子の品性を代表し、「命」(地支)は定まれる本性を代表し、「身」(納音)は施用の性情を代表し、生時の納音は則ち居處の性情を代表す。性情を談ずればすなわち命の上に推し至るべし。禄は貴顯を主る。ゆえにそれを君子の性と言う。地支は固定の局面を構成し、それの屬する所の五行を取ればすなわち一個人の定型の性格を看出しうる。納音は財貨・才能と器量とを主る。ゆえに施用の性なり。生時あれば、三元の氣はこそ完備と算し、因りて一個人の起居動靜の間の情性を看出しうる。この四層は干・支・納音・時辰を分かちて同じからざる性情層面に配するなり。本書の人品を論ずるの框架なり。
貴氣無地,賤生貴中;本賤有時,貴生賤內。本於日時土旺相保和,卻得貴氣來,時上衰敗,始貴終賤;四柱落在貧賤氣中,而時運在旺方,逢時之貴氣,賤中反貴。貴絕處觀殃,因貴賤中亡;賤臨貴鬼旺,賤向貴中死。貴備之氣至絕處更帶鬼,雖貴人死於終賤;主本賤臨鬼旺而有鬼氣來承,雖賤而後亦貴。
貴氣にもし地支の承載なければ、貧賤はすなわち貴氣の中より生出す。本來低賤なるはもし好時辰を得れば、貴氣はかえって低賤の中より生出す。たとえば日・時の土を以て旺相に當たりて彼此保和し、また貴氣の到來あれども、然るに時柱が衰敗の地に落つれば、それすなわち先ず貴にして終に賤なり。反して言えば、四柱皆貧賤の氣の裡に落ちて、しかして時運は卻って旺方に走り至り、まさに時に逢う貴氣あれば、すなわち賤中の反貴なり。貴氣が絶處に行至れば災殃の有無を看るを要す。貴は賤の中に夭亡しうるがゆえに。低賤の命がもし貴に臨みて鬼氣まさに旺なれば、則ち賤より貴の中に走向して死するなり。細かに說けば:貴氣完備の人は一旦絶地に行至りてまた鬼を帶ぶれば、貴人なりと雖も、最終に淪落に死す。本より低賤を主る人は鬼旺に臨みて、卻ってまた鬼氣ありて來りて承接化解すれば、低賤より起ると雖も、後來もまた能く顯貴す。
支干太和而塞,夫婦失時而凶。五行支干納音專位相和則蹇剝,如甲子逢己巳在秋生,又見甲午沖命,兩金克己巳木也。三元有地而貴,四柱遞合而崇。三元俱有用得地,必富貴清顯;胎月日時交互相合而朝命,即是崇貴相輔清顯之命也。
干支が過分に和順なるはかえって壅塞不通にして、夫婦(相配の兩位)が時令を失えばすなわち凶を主る。五行の干・支・納音がもし各々專位を占めて一味に相和すれば、かえって蹇滯剥落す。たとえば甲子(海中金)が己巳(大林木)に遇上して秋天に生まれ、また甲午(沙中金)の來りて本命を冲するを見れば、兩重の金が一齊に己巳の木を克して、すなわちこの種の局面と成る。反して言えば、三元が各々着落あればすなわち貴し。四柱が層層相合すればすなわち尊崇せらる。三元皆取用着いて地を得れば、必ず富貴清顯なり。胎・月・日・時の四位が交互に相合して本命を朝拱すれば、すなわち尊貴相輔・清正顯達の命なり。
眞假邪正
變通拙而蔽於神,執一明而瞽於眾,辨明真假消息盈虛。陰陽無形,為道至妙,須在智識變通為比,察觀真假消息盈虛,則靈於神明。守位則正,失方則邪。如甲寅乙卯在亥卯未乃得正體,若居巳酉丑之方,謂之失位,他皆仿此。
變通に善くざる人は、便ち神煞の名目に蒙蔽せらる。一條の道理を死守する人は、自ら明白と以為すと雖も、衆多の變化に對しては盲人のごとし。ゆえに眞と假・消と長・盈と虚とを辨明するを要す。陰陽に形體なく、「道」として極めて精微にして、全く人の智識に靠りて變通比類す。能く眞假を察看し消息盈虚を體會すれば、神明よりも靈驗なり。本位を守住すればすなわち「正」と叫び、方位を失えばすなわち「邪」と叫ぶ。たとえば甲寅・乙卯は本より木に屬し、亥卯未の木局の中に落ちれば便ちその正體を得。もし巳酉丑金局の方に落ちれば、すなわち失位と叫ぶ。その餘は皆これに照らして類推せよ。
陰生陽死,逆順相因。甲氣申方,乙絕酉位。四時一陽生、六陰死,然陽道行左,陰道行右。如甲乙皆木也,甲陽生亥而順行,至午則死;乙陰在午而逆行,至酉為絕。
陰氣の生ずる地方はまさに陽氣の死する地方なり。逆行と順行とは互いに因果と為す。甲の氣は申方(絶)に至り、乙の絶は酉位に在り。四時の中、一陽始めて生ずる之處は便ち六陰消盡の之處なり。ただ陽の運行は左(順時針)に走り、陰の運行は右(逆時針)に走る。たとえば甲と乙と同じく木に屬す:甲は陽木にして、長生は亥に在りて順行し、午に到れば便ち死地なり。乙は陰木にして、長生は午に在りて逆行し、酉に到れば便ち絶地なり。これすなわち十二長生の陰陽順逆分行の通例なり。本書の衰旺を論ずるを讀むに須らく先ずこの法を立つべし。
子為天正,歲時始於一陽;寅為地首,陽備人興於甲。建子之月一陽生焉,是為歲首,則一日建子,子時當為一日之首。建寅之月草木甲拆,則陽氣備、歲時興;建寅之時則人興,寢日事始,非天道之始,為地首矣。
子を「天正」と為し、一年一日の時序は皆ここより一陽初生を始む。寅を「地首」と為し、ここに到りて陽氣こそ完備し、人事もまた草木の甲を破るに隨いて興起す。具體に言えば:月建が子の十一月は、一陽始めて生ず。これは天道の歲首なり。これに照らして推せば、一日の中もまた子時を以て建子と為し、子時は便ち一天の開端なり。月建が寅の正月に到れば、草木は外殼を裂開して萌發し、陽氣はこれに於てこそ完備し、歲時はこれに於てこそ興旺す。一日の中の寅時は人が活動を始め、睡臥より起身して百事發端す——これは天道の開始に非ずして、地道の開端なり。ゆえに地首と叫ぶ。夏正の寅を建て周正の子を建つるの分別は、根據まさにここに在り。
天左中而左吉,地右半而坤鄉。太陽法天,正月自子左行,至六月在未,未小吉也,以是子為天正也。月建法地,自正月建寅,至六月在未,未坤之境也,而天地異見而至同焉。
天道は左に向かって運行し、中途に行きて吉神に遇上す。地道は右に向かって運行し、半ばに行きて坤鄕に到達す。太陽の行度は天に取法す。正月の太陽は子に在り、子より左に順行して、六月に到ればまさに未に在り。しかして未は六壬神將の中に「小吉」と叫ぶ。ゆえに子を天正と言う。月建は則ち地に取法す。正月は寅を建て、一路數えて六月に到ればまさに未に在り。しかして未は坤位の境域に屬す。天と地とは起點同じからず路數各異なれども、最終に卻って同一の未位の上に會合す——これまさに天地異途にして同歸するの證據なり。
先天後地,宮土其中,人中貴神,丑上己土,正體大吉,形體小吉。言天自子行,太陽至未如月建至寅,然往而中會於未,終於丑,故宮土其中也。天地自寅子左右行,至中而終於丑,常中於地之道者,未有人中之貴神,丑為大吉,未為小吉,巳同丑未之體,左右天地中會其方小吉,所以立貴神用巳丑為家也。夫貴神者,在天為紫微星,在地為天乙貴神,領諸干神助地旋德,奉天行道以及乎人。
先ず天を論じ後に地を論ず。土に屬する宮音は其の中に居り、人間の貴神は則ち丑位の己土の上に落つ。丑の正體は「大吉」と叫び、未の形體は「小吉」と叫ぶ。これは說く:天は子より起りて行き、太陽は未に到る。まさに月建が寅に到るがごとく、前に推して中途に未に會合し、最終に丑に止まる。ゆえに土に屬する宮音は天地の中に居る。天と地とは各々寅より・子より左右兩路に向かって運行し、中途に到りて丑に終結す。およそ常に地道の中に居るは、なお人間の貴神と算せず。丑は大吉と為り、未は小吉と為る。巳は丑未と同體なり。天地左右兩路はここに會合し、その方位もまた小吉と稱す。ゆえに天乙貴神を確立する時はすなわち巳・丑を以て家と為す。いわゆる貴神は、天上に在っては紫微星、地上に在っては天乙貴神にして、衆干神を統領し、地道がその徳を旋轉するを輔助し、天道を奉行して人に施及す。
戌亥為天之成,辰巳為地之往,故貴神逢天則左,遇地則右。言亥為地之陰極,戌為天之神極,守萬物成功卑用之位,是謂天之成也。巳乃地之陽極,辰為天陰之始,是萬物榮枯往來進功。又戌為魁成,辰為罔斡,故貴神逢天地真運進退之所,領諸神避之,故逢天則左行,遇地則右行也。
戌と亥とは天道成就の處、辰と巳とは地道往行の處なり。ゆえに貴神は天位に遇えばすなわち左に向かって行き、地位に遇えばすなわち右に向かって行く。細かに說けば:亥は地の陰極、戌は天の神極にして、萬物功を成して卑位に退居する處を守る。これを「天之成」と叫ぶ。巳は地の陽極、辰は天陰の開始にして、ここはまさに萬物榮枯往來・遞進功用の所在なり。さらに戌は「天魁」と稱して成を主り、辰は「天罡」(底本は「罔斡」と作る)と稱して斡旋を主る。ゆえに貴神は一旦天地眞運進退の關口に遇上せば、便ち衆神を帶領して回避す。これに因りて天位に逢えば左に順行し、地位に遇えば右に逆行す。これすなわち天乙貴人が晝夜・順逆の兩路に分かちて排布するの來歷なり。
天乙不守魁罡,庚辛陰陽合異。天罡、天魁是天地造化立事、營始成終之位,二辰主生殺之權、行刑政之統。天乙紫微以吉德善輔,行道而不亂,典彝行令而不殺戮,惟以正道尊嚴天德,故分旦募之位以別相儀,陰陽之卜以當進退。人能審是,則見五行盈虛之異用矣。
天乙貴人は辰戌魁罡の位に落ちず。庚と辛とは同じく金に屬すと雖も、陰陽分配の貴人もまた各々相同じからず。天罡(辰)と天魁(戌)とは天地造化が事功を建立し開創して終を成すの位置にして、この兩個の辰は生殺の權を主掌し刑政の統を施行す。天乙紫微は則ち吉徳を以て善く輔助し、道を行いて紊亂せず、典章を掌り號令を施して殺戮を動かさず、ただ正道を以て天徳を尊崇す。ゆえに晝・夜(旦暮)の兩個の位置を分かち出でて以て儀軌を區別し、かつ陰陽に按じて進退を占定す。人もし能くこの一層を審察せば、五行盈虚の間の用法の差異を看出しうる。
魁為大煞,正月厭元;亥為地將,正期神合。魁主肅殺揪斂之辰,寅為和氣生育之首,故正月生體以九月為厭元;亥為登明,正月將與合德期合也。德將無厭,清華總領之人;德合月承,金殿凰臺之貴。亥人正月生,得亥而無戌;又此月生人,天德在丁,月德在丙,更與四柱德合。若人生有天月二德朝命承之,必歷顯位。
天魁(戌)は大煞にして、正月の「厭元」はすなわち戌に落つ。亥は地上の月將にして、正月とまさに相合す。戌は肅殺收斂を主る辰位なるがゆえに、しかして寅は和氣生育の首なれば、ゆえに正月生の人は九月(戌)を以て厭元と為す。亥は六壬の中に「登明」と叫び、正月の月將にして、月建の寅と徳を合し應ず。もし徳神と月將と俱全にして厭煞を犯さざれば、すなわち清貴華要・一方を統領するの人なり。もし徳合にしてまた月將の承接を得れば、便ち金鑾殿・鳳凰臺のごとき貴氣あり。具體に言えば:亥年の人が正月に生まれ、命上に亥を得て戌を見ざる。さらに正月生の人は、天徳は丁に在り月徳は丙に在り。もしこの兩個の徳神また四柱と相合すれば、すなわちさらに好し。人生もし天徳・月徳の二徳ありて本命を朝拱し並びに承接せらるれば、必ず顯要の位に歴任す。
金墜於土,乾坤妙用無方。金土一也,主色麗而堅剛於土,陽自陰生而尊於陽。土重而金生,金強而育水,水流而歲成,木交而火熾。清者自濁而澄,靜者乃動之機,是土重則金生矣。溼生土,土生金,故云金生水;水實地中行,非假金,故云金土一也。水既生旺,則木榮長矣,木相摩而火熾。
金が土中に墜落するや、乾坤の妙用に一定の方所なし。金と土とは本より一體にして、ただ金の色澤艷麗にして土よりも堅剛なるのみ。陽は原本陰の中より生出するも、陰よりもさらに尊し。土は厚重なればすなわち金を生出し、金は強盛なればすなわち水を養育し、水は長流すれば則ち歲木は材を成し、木は相摩擦すれば則ち火勢熾盛なり。清は濁の裡より澄み出づるなり。靜は動の機括なり。ゆえに土一たび厚重なれば、金はすなわち生出す。濕氣は土を生じ、土は再び金を生ず。これに因りて金は水を生ずと說く。其實水は地中に運行し、本より金を借るを必ずしも要せず。ゆえにまた金と土とは元來一回事と說く。水は既に生旺せば、木は便ち繁榮生長す。木と木と相摩すれば、火は便ち熾烈に起る。この一段は五行相生を連ねて一環と為すなり。全書「金土同體」の說の落腳處なり。
火無我也,夫薪歸土。火遇土不能生鬼,在旺方看五行之輕重。火無相托物現形,故謂之神;青赤而為父子,故火天木則化灰塵也。盈虛相代,逆順相成,未始有生,未始有死,綿綿無窮,妙應無方,用之不匱,乃五行之陰陽。
火に自己の實體なく、柴薪燒盡して終に土に歸す。火が土に遇えば、能く「鬼」を生出する能わず。この時須らく旺方の上に五行の輕重を衡量すべし。火に依托すべき物なければすなわち形狀を現出せず。ゆえにそれを「神」と稱す。青(木)と赤(火)とは父と子との關係なり。ゆえに火は一旦木を燒盡せば、木はすなわち灰塵と化成す(底本「火天木」は當に「火焚木」の類たるべく、文字に訛あり、今その舊に仍る)。盈と虚とは彼此替代し、逆と順とは互相成就す。從來眞の生なく、また眞の死なく、綿綿不絶・無窮無盡、應變の妙に定方なく、取用竭きず——これすなわち五行の陰陽なり。
測於無形,不執手相乃得真際。五行支干相因而生,納音五行周運無窮。陰陽之道不見聲形,無以比擬,執相之論直須盡神據披變通,乃不亂用。或有陽守陰多而利,陰逢陽盛而殃。一者眾之歸,故陽多得陰而利;陰卑而陽盛,故一陰眾陽必多殃競。
無形の處に於て測度し、表面形迹に拘執せずしてこそ、眞實の境界を得るを得。五行は干支に隨いて相因りて生じ、納音五行は循環運轉して窮盡なし。陰陽の道は聲音を聽取せず形體を看見せず、比擬するに由なく、およそ形相に拘執する議論は、皆必ず神思を窮盡し變通の理を剖開してこそ、亂用に至らざるを得。ある時は陽がその位を守りて陰多ければ、かえって利あり。ある時は陰が陽盛に遇上すれば、かえって殃と成る。「一」は衆の歸宿なるがゆえに、ゆえに陽多くして一陰の來歸を得れば、便ち利あり。しかして陰は本より卑弱にして、陽また太盛なれば、一陰が衆陽に對すれば、必ず多くの災殃と爭奪とを招來す。
日遇隔角孤,有用陽就妻而成家;婦若奔夫,二位雖貴,合六馬。以年為夫,以日為婦。如日在孤絕隔角,卻於年上有吉神之氣,宜陽就陰為吉。如甲辰得己酉,是陽不往合其陰也,為婦奔夫,禮所屈也。若己丑合甲子,是夫位有貴神,財命進旺,故從夫也。
日柱もし隔角・孤辰に遇い孤立すれば、須らく陽が陰に就き夫が妻に就くに靠りてこそ家を成しうる。もし反して婦が夫に奔るとなれば、則ち兩位縱い皆貴なるとも、ただ六馬の數に合するを算ずるのみ。ここに年柱を以て夫と為し日柱を以て婦と為す(なお本書の年を以て本と為すの立場を見る)。假に日柱が孤絶隔角の地に落ちて、しかして年柱上に卻って吉神の氣あれば、當に陽が陰に就くに由るべく、こそ吉と為る。たとえば甲辰が己酉を見るは、陽が主動して陰に合せざるなり。婦の夫に奔ると成りて、禮數の上に委屈なり。もし己丑の來りて甲子に合するは、それは夫位の上に貴神あり、財と命と皆旺地に進入す。ゆえに婦の夫に從うは順理成章なり。
先上清而得之下濁,後下濁而升越上清。先取上之輕清為用神之福,次看濁氣居下。上雖清而不秀,則取下濁有用之氣為福,所升越為上矣。
先ず上に在る清氣を取る。もし得る所の卻って下に在る濁氣ならば、則ち後來この下に在る濁氣もまた能く升越して上に在る清氣と成るを得。推斷の次序は:先ず上位の輕清の氣を取りて、以て用神の福と作す。其次に再び下位に居る濁氣如何を看る。倘若上位清なると雖も秀發せざれば、便ち轉じて下位濁氣の中の眞に有用の一股を取りて以て福氣と作す。それ一旦升騰超越せば、すなわち上位の清氣と成る。これは清濁の死定に非ず、關鍵は用あるや否やに在るを說明す。
甲子己丑是天地合,輕重自分;丁亥壬辰清潔會,支干尤亨。彼我往來皆在囚死,故雖有貴者不能拔萃,猶不若己丑見甲子是也。丁亥地貴符,壬辰祿清潔,丁壬合氣為木生於亥,而更辰與亥為秀,德合貴氣互換,乃清潔也。若壬辰生而得丁亥,未為盡善。
甲子が己丑に配するは、天干地支の兩兩相合なれども、輕重は自ずから分別あり。丁亥が壬辰に配するは、清潔の氣の會聚にして、干支の間ことに通暢なり。甲子己丑のこの一組は、彼此往來皆囚死の地に落つ。ゆえに縱い貴氣あるとも出類拔萃する能わず、かえって倒して己丑より甲子を見るに如かず。丁亥に至っては、その位の名を「地貴符」と曰い、壬辰はその位の名を「禄清潔」と曰う。丁と壬と相合して化氣を木と為し、木はまた亥に長生し、加うるに辰と亥と相配して秀と為り、徳合と貴氣と交互調換す。ゆえに清潔と稱す。ただしもし壬辰年生にして丁亥を得れば、次序顛倒して、十全十美に算上せず。
寅中有甲,得陰土以為妻,方知甲與己合,丑寅未會。甲乙寅未相合,甲寅同體,丑未同己,故寅見丑未為合。子巳體壬丁之會,卯申同乙庚之交,丙午辛酉無干不為破刑,癸始亥中,辰戌得同乎戊。此乃有無之相承,異乎六合之配偶。此言皆天地同道而分,一二三生而陰陽數異而為支干,故同體者支配干合矣。
寅中に甲木を藏し、甲は陰土の己を得て妻と為す。これに由りてこそ甲と己との相合すを明白し、しかして丑・寅・未の三者は會聚しうる。甲乙と寅未と相合するは、甲と寅と同じく一體に屬し、丑未また同じく己土に屬するがゆえに。ゆえに寅が丑未を見れば便ち合と算す。同理:子中に癸を藏し巳中に丙を藏すは、壬と丁との會合と看なしうる。卯中に乙を藏し申中に庚を藏すは、まさに乙庚の交なり。丙午と辛酉とは、ただ天干上に克破を出現せざれば、破とも刑とも算せず。癸の氣は亥中より起り、辰と戌とは同じく戊土に歸す。これらは皆「有」と「無」との互相承接の關係にして、地支六合のあの種の成對の配偶と同じからず。この番の話は天地同じく一道より出でて後に分途し、一・二・三より生化し下りて、陰陽の數目同じからずして干と支とに分成すを說く。ゆえに同體の支はすなわち相應の干と合を成す。
同形則貴在巖廊,六合或清居邦教。辰亥子巳之數皆同形之合,故貴而遇者必高大;六合專位,貴為清選。連屬不言孤寡清絕,一作純粹,可勝乖違。如亥得寅戌、寅見丑未,或支干朝會包裡貴人連屬,本命雖犯孤寡亦吉。如壬辰丁亥午巳未,雖主木乖違,卻有清純秀氣,可以為福。
同形の合の人は、朝廷廊廟の上に貴し。六合の貴の人は、あるいは清要に邦國教化の職に任職す。辰と亥・子と巳のこれらの數目は皆同形の合に屬す。ゆえに命裡に遇いしかして貴なるは、地位必ず高大なり。六合が各々專位を占むるは、清選の途に貴し。およそ干支連屬貫串するは、すなわちさらに孤辰寡宿と清絶とを論ずるを必ずしも要せず——ある本子は「純粹」と作り、意思是純粹の氣足りて乖違に勝つを以てなり。たとえば亥が寅と戌とを得、寅が丑と未とを見、あるいは干支朝拱會合して、貴人を中間に包裹して連成一片と為せば、則ち本命縱い孤寡を犯すとも依然として吉なり。またたとえば壬辰・丁亥と午巳未と同現すれば、木の一路に於て乖違ありと雖も、卻って自ら清純秀發の氣あり。同じく福を成しうる。
大凡多取真形,慎勿專持假體。寅午戌氣禧於申,更觀干頭之輕重;合守安馬於戌,全要無形;土馬守於離,陽晶應於子。五行支干配用,先推真者為用,則五行之妙見也。火體氣病散禧於申,須看干頭所配生殺、三支輕重,以論乎吉凶。三合季地乃華蓋下之暗馬,會之者亦當富貴,大忌沖破之處。土無正氣,寄於離火為精神,而祿應於子也,則土水為夫婦,由水之於火,正守子午之位。
大體に於て當に眞實の形體を多く取るべし。切に專ら假借の軀殼に執るべからず。寅午戌の三合火局は、その氣申に到りて歇息し、還はさらに天干の輕重を看るを要す。馬を戌上に安頓して守候するは、全くそれの形迹を露わさざるに在り。土の驛馬は離位に守り、しかして太陽(陽精)は卻って子位に應ず。およそ五行干支の配合取用は、先ず眞のあの一方を推出して以て用神と作せば、五行の奧妙は便ち顯現す。火の形體は申に到れば便ち病散して申に止息す。必ず天干の配する所の生なるや殺なるや、および三個の地支の輕重を看て、これに據りて吉凶を論斷せよ。三合が辰戌丑未の四季の地に會するは、すなわち華蓋の下に藏する暗驛馬にして、會得する人もまた當に富貴たるべし。最も忌むは冲破の處に落つるなり。土は本身に正位の氣なく、離火の中に寄托して以て精神に充當し、しかしてその禄は卻って子位に應ず。ここに於て土と水と結びて夫婦と為る。まさに水の火に於けるが、恰恰として各々子・午の兩位を守ればなり。
三元失地,雖貴而弗貴;上下得真,雖賤而未賤。三元失地,雖貴者必遭貶而不康寧;如甲子得壬子己丑、甲寅乙卯癸亥戊辰,乃天地之吉氣,雖賤而不知卑矣。蓋陽盛則禧陽,陰極則殺陰是也。陰陽各得專位而不為遇極,雖身受死絕,亦有富貴之理。凡論陰陽勝負,必分真假邪正,斯可矣。
三元もし地を失えば、縱い貴氣あるとも貴しと成る能わず。上下もし皆眞氣を得れば、縱い出身低賤なるとも一直に低賤なるならず。三元失地の人は、たとい顯貴なりとも必ず貶黜を遭いて安寧を得ず。反して、たとえば甲子が壬子・己丑に遇い、甲寅・乙卯が癸亥・戊辰に遇うは、皆天地間の吉氣なり。出身低微なると雖も、また自ら卑下に居らず。總じて說けば、陽は極盛に到ればすなわち陽に止息し、陰は極處に到ればすなわち陰に殺伐す。ただ陰陽各々專位を占めて極端に走り至らざれば、則ちたとい死絶の地に身を處すとも、依然として富貴の道理あり。およそ陰陽勝負を論ずるは、必ず先ず眞と假・邪と正とを分清して、然るのちこそ準確に談足る。
升降清濁
父子之行年同體,子享父利;夫婦之祿馬並傷,妻殃夫病。年父時子,生我為父,克我為子,二者氣用在行年上分吉凶,各隨其用以分休咎。年祿日馬、日祿年馬,各有時害,則夫婦並傷也。
父と子との行く流年がもし同一の體位の上に落つれば、兒子たるは能く父親の光に沾う。夫と婦との禄と馬とがもし一同に傷を受くれば、則ち妻子殃を遭い丈夫病を得る。ここに年柱を以て父と為し時柱を以て子と為す。我を生ずるは父と算し、我を克するは子と算す。この兩者の氣と用とは皆流年の上に吉凶を分かち出で、各々その取用に按じて休咎を斷ず。年上に禄ありて日上に馬あり、あるいは日上に禄ありて年上に馬あるに至っては、兩邊各々時令の妨害に遇上せば、すなわち夫婦一同に傷を受くるの象なり。
五墓為歲藏之地,時貴亦妨;四孟是孤絕之方,帶煞必克。四季為五行之墓,萬物之所終也,生時逢之,雖會吉而貴,亦主妨害尊親也。四孟上有孤辰氣絕,若更見亡神動煞歲利,亦主妨害父母也。
辰戌丑未の四位に土の墓を加えて、合して「五墓」と稱し、年歲收藏の地なり。生時もしここに落つれば、縱い貴を帶ぶとも妨礙あり。寅申巳亥の四孟は孤辰絶氣の方にして、もしさらに凶煞を帶ぶれば、必ず克あり。辰戌丑未の四季は五行の墓庫・萬物終結の處なるがゆえに、生時これに逢えば、たとい吉神に會して顯貴すとも、尊長親屬を妨害するを主る。四孟の位の上に孤辰ありて本氣また絶なれば、もしさらに亡神・動煞と歲運の利と相冲するを見れば、同じく父母を妨害するを主る。
子午乃陰陽之至,卯酉為日月之門,死敗全逢,刑猶壽考。四仲時生主無妨敗,若年死敗有生,主有壽及父母。有祿者干支生成,動則周觀;闕祿者財命身祿,行遊一理。干祿破傷,五行不秀,須推財命,不可一揆推其官鬼,至於行運亦不論干頭祿馬矣。
子と午とは陰陽の極至、卯と酉とは日月出入の門なり。これらの四仲の位に生るる人は、たとい死敗の氣を全く碰上しまた刑克に逢うとも、なお長壽しうる。およそ生時が子午卯酉の四仲に落つるは、妨礙敗損なきを主る。もし年柱たとい死敗に處るも別に生氣ありて來りて救えば、自己長壽にして父母に惠及するを主る。命中に禄ある人は、干支生成有序にして、一たび動けばすなわち通盤に觀照するを要す。命中に禄を缺く人は、ただ財・命・身・禄のこれらの幾項に就き一體に推求するのみ。もし天干の禄すでに破傷せられ五行また清秀ならざれば、必ず轉じて財と命とを推するを須とし、一概にただ官鬼に按じて推す能わず。行運を論ずる時に至っては、すなわちもはや天干上の禄と馬とを計較せず。
祿位有無,認於官鬼;官鬼兌馳,災殃並亂。身有地、祿氣無刑,更要干中無官鬼;有官鬼雖貴而多殃。身土遇火生而漸利,命水得金降而優長。金多須火,或從革以成名;木重得金,揉曲直而任使;水流不止,息土以攘之;火盛無依,惟水以濟之。生命喜於生旺,祿干不嫌剋制。金重無火而集旺於酉中,亦可以成名;木重須金,如無金而亥卯未,亦為曲直理斷之任使。水流不止,惟土以防之;水流不進,欲以土克發,仍有水土之輕重。如火之盛旺,左右無木,須得水制方成既濟,使不極也;火輕則不然。
禄位に着落あるや否やは、官鬼の上より辨認するを要す。官鬼一旦交錯奔馳せば、災殃はすなわち一齊に來る。身(納音)に地支の承載あり禄氣また刑を受けず、還は天干中に官鬼なきを要す。もし官鬼あれば、顯貴なりと雖も多く災殃あり。納音土に屬する人は火の來りて生ずるに遇えば、利益漸漸增長す。本命水に屬する人は金の來りて生ずるを得れば、氣勢悠長なり。具體に取用す:金多きは須らく火の來りて鍛煉するあるを要し、あるいは「從革」の性に順いて成名す。木重きは金の來りて砍削するを得るを要し、曲直の材を加工して器と為して任用に供す。水は流れて停まざれば、土を用いて止息攔阻するを要す。火勢太盛にして依托する所なければ、ただ水を以て調濟するのみ。本命は生旺に處るを喜び、天干の禄は卻って克制を受くるを怕れず。金氣重くして火なきは、ただ酉中に聚旺せば、同じく能く成名す。木氣重きは本より須らく金あるべし。もし金なくして地支亥卯未木局と成れば、また依然として曲直断事の用と作しうる。水流止まざれば、ただ土のみ能く防堵す。水流前に進まざれば、すなわち土を用いて克發するを要す。その間還は水と土との輕重を看るを要す。たとえば火勢旺盛にして左右に木なければ、必ず水ありて制約してこそ《旣濟》と成りて過極に至らず。火勢輕きは便ちかくのごとく處理する能わず。
丙寅丁卯,秋冬宜以保持;戊午庚申,彼我得之超異。木不南奔,火無西旺,故火木至秋冬勢恐不久。庚申石榴木夏旺,故喜戊午;蓋天官旺而有榴之木性得時。戊午乃旺極之火氣,喜於甲見天馬相資也。
丙寅・丁卯の納音爐中火は、秋冬に生まれて善く保全するを要す。戊午・庚申の兩位が彼此相遇えば、則ち超羣出衆なり。木は一味に南奔(火郷に氣を泄す)せざるを宜とし、火は西方に在りて旺を得る能わず。ゆえに火と木と秋冬に到れば、氣勢は恐らく持久し難し。庚申の納音石榴木は、夏天に最も旺なり。ゆえに戊午に配するを喜ぶ——この時天官まさに旺にして、しかして石榴木の木性は恰も時を得ればなり。戊午の納音天上火は、旺の極點に到れる火氣にして、甲に遇い天馬を見て資助するを喜ぶ。
時居日祿,當得路於青雲;五馬交加,可致身於黃閣。生月生日兩祿干在時,如敏少宰己巳年、己巳月、己巳日、庚午時是也。注云:甲日得寅時須有氣而能朝命,主本三無氣亦可清貴,但壽福不永耳。年月日時胎五馬不閒,定為文儒之貴;若年馬、時馬、華蓋馬及二位天馬不閒亦是,如王安中左丞乙卯年、丁亥月、乙巳日、丁亥時是也。
生時がまさに日干の禄なれば、便ち青雲の路上に得志しうる。五處の驛馬が交相會集すれば、すなわち相府黃閣に身登しうる。いわゆる生月・生日の兩個の禄干が皆時の上に聚まるは、たとえば某姓敏の少宰あれど、命造は己巳年・己巳月・己巳日・庚午時——己の禄は午に在り、恰も時上に在るなり。古注に曰く:甲日生にして寅時を得る(甲の禄は寅に在り)は、必ず氣ありて能く本命を朝拱するを要す。たとい主本三元皆氣なしとも、なお能く清貴なり。ただ壽命福分の長久ならざるのみ。年・月・日・時・胎の五處の驛馬皆空閒ならざれば、必ず文儒の貴なり。もしただ年馬・時馬・華蓋馬および兩處の天馬の空閒ならざるのみなれば、またこの格と算す。たとえば左丞王安中の命造:乙卯年・丁亥月・乙巳日・丁亥時。この兩個の例は皆宋代の官稱を用う。これまた四庫館臣が書中に宋人の說を攙入せりと斷定するの證據の一なり。
丁壬喜乎丙辛,乙庚愛乎甲己。言彼有此,辨一分氣,是得一分三之義,乃氣相生也。甲午愛官旺,辛酉忌生旺。強悍砂袱之金,欲得官鬼有生旺之氣,亦可為貴,旺不必為官也。辛酉氣絕之木,欲生旺以為榮,然金中之木,金木未成器,為貴美亦可矣。
丁壬のこの一組は丙辛を喜び、乙庚のこの一組は甲己を喜ぶ。これは說く:あの一邊に有れば、この一邊にも有るなり。一分の氣を辨出せば、すなわち「一分を得て三を得る」の道理なり。兩氣本より相生すればなり。甲午のこの一位は官星の當旺を喜び、辛酉のこの一位は卻って生旺を忌諱す。甲午の納音沙中金は、強悍にして砂を帶びたる金にして、官鬼を得しかつ官鬼に生旺の氣あらんことを希望す。かくのごときもまた貴と為しうる——旺盛は必ずしも官に當らざるを要せず。辛酉の納音石榴木は、氣すでに絶えたる木にして、生旺の地に走り至りてこそ榮顯せんことを希望す。ただそれは金中の木にして、金と木と皆未だ器を成さず。かくのごとく貴美を保持するもまた未だ可ならざるならず。
物之未哄,盛衰有漸。物生有漸則堅實,蓋其進銳者其退速,是以五行之命貴在中庸之氣。以慶為吉,慶弗吉;知凶遠凶,凶敗無。作福作威,返福為禍;知命畏天,轉禍為福。
事物のいまだ喧騰興盛の時ならざるに、盛と衰とは皆漸を以て來る。萬物の生長に次第ありてこそ堅實なり。進むこと太猛なるは退くことまた速きがゆえに、ゆえに五行の命を論ずるに最も中庸の氣を看重す。喜慶を以て必吉と作せば、喜慶はかえって不吉なり。凶險を預知して遠く避くれば、凶敗もまたなし。勢いを恃みて威を作し福を作す人は、福は反轉して禍と成る。天命を懂得して敬畏を心存する人は、能く禍を轉じて福と為す。この兩句はすでに術數より說きて修身に至り、前文の「五行の外に出づる者は生死は我に在り」と一脈相承す。
有根而無苗,實貧而尚可甘食;本氣絕而花繁,縱子成而味拙。根基主本有氣,雖食運不扶合,亦可作六親優備、平生自足之命;三元四柱本無旺氣,得到福祿之運,亦乍舉乍勝,不可以大榮達也。
根ありて苗を出さざる人は、實に貧寒なりと雖も、倒ってなお粗茶淡飯を安享しうる。本氣すでに絶えて花の開くこと繁盛なる人は、縱い果を結ぶとも、滋味は好からず。これは說く:根基と主本とに氣ある人は、たとい食禄の運の來りて扶助配合せざるとも、なお能く六親齊備にして一生自給自足す。これに反して、三元四柱本より旺氣なき人は、一旦福禄の運に行き至れば、ただ忽起忽落して些かの上風を占むるのみ、大富大貴・顯達終身する能わず。
君子小人之用,否泰各端;支煞納音之情,體何揆。支干配祿馬貴神,君子之事也;納音財帛支煞,小人之用也。乃分君子小人兩端推之。
君子と小人との取用に於ては、否と泰と各々一頭を占む。地支の煞と納音の情とは、本體はまたいかに衡量すべきか。干支は禄・馬・貴神に配上し、君子一路の事に屬す。納音の主る所の財帛および地支の凶煞は、小人一路の用に屬す。ゆえに命を推する時は須らく君子・小人の兩端を分かちて各々推すべし。一路は爵禄名位を看、一路は貨財實利を看る。混同して一談と為すべからず。
寅申巳亥生成,而有子有孫;祿命身源衰旺,而存終辨始。四孟上見四柱之生旺,更不必推,乃有子有孫也。又說須是六合相合方論此,如見六害卻無息也。如癸亥年庚申月壬寅日乙巳時,卻無嗣。先看三元輕重,次看四柱盛衰,既見主本高低,乃論運中得失。
寅申巳亥の四位もし生成完備せば、すなわち子孫昌盛す。禄・命・身の三者の源頭の衰旺は、則ち終點より起點を回看して分辨するを要す。およそ四孟の位の上に四柱の生旺の氣を見れば、すなわちさらに推するを要せず、自然に子あり孫あり。また一說あり:必ず六合相合してこそかくのごとく斷じうる。もし六害を見れば、かえって後なし。たとえば癸亥年・庚申月・壬寅日・乙巳時は、四孟俱全なるも、卻って終に嗣なし。ゆえに推斷の次序は:先ず三元の輕重を看、再び四柱の盛衰を看、主本の高低の分曉を見るを待ちて、こそ行運中の得失を談ず。
順往而亨,逆者則否,逆順之情從大小運而言之。言三元分於四柱,要互換生旺,然後以九命看二運,上要休旺相順為吉,勝負相逆為否。智仁禮信義,水木火土金,論十二數者,支干極也。水即言智,木則近仁,火則主禮,土則主信,金則主義,以支干相配五行,各有十二位也。
順行すれば則ち通達し、逆行すれば便ち閉塞す。この逆と順との情形は須らく大運小運の上より講ずるを要す。意思是:三元が四柱の中に分布し、彼此交換して各々生旺を得しむを要し、然るのち九命を用いて大小二運を看る。運上の休と旺と相順應すればすなわち吉、勝と負と相逆冲すればすなわち否なり。智・仁・禮・信・義の五徳に至っては、水・木・火・土・金の五行に配す。いわゆる十二數を論ずるは、干支の周遍に就いて言うなり。水はすなわち智、木は仁に近し、火は禮を主り、土は信を主り、金は義を主る。干支と五行とを相配せば、每一行各々十二個の位次を占む。
智仁則清,禮義則濁,信從四時之氣。水木和柔,主文章清秀;金火剛暴,主威武濁勇;土隨四時而有濁有清,當隨所犯而言之。清無地而後濁,濁有時而返清;清得地而轉清,濁會濁而愈濁。水木失地,雖貴必俗濁而為武人;金火得四時之十旺氣反清貴,而主文章繼世,為天下英賢秀士。如木生亥卯未而有水生之性也;金水有用,可武耀於疆場,為天下元帥。
智と仁とは清に屬し、禮と義とは濁に屬し、信は則ち四時の氣に隨いて定まる。水木は柔和にして、文章清秀を主る。金火は剛烈暴急にして、威武を主るも濁勇に失す。土は四季に隨いて流轉し、ある時は濁ある時は清にして、それの觸犯する所の何たるかを看て再び論ずるを要す。清氣もし地支の承載なければ、後に往きて濁に轉ず。濁氣もし時令を得れば、かえって清に回歸す。清氣は地を得ればますます清、濁氣また濁に會すればますます濁なり。たとえば水木が地を失えば、貴なりと雖も必ず俗濁に落ちて武人と成る。金火もし四季土旺の氣を得れば、かえって轉じて清貴と為り、文章世代相承を主りて、天下の英賢俊秀と成る。またたとえば木が亥卯未木局の中に生ずれば、便ち水ありて來りてそれを生ずるの性情を帶ぶ。金水配合して用を得れば、すなわち疆場の上に威武を耀い揚げて、天下の統帥を為しうる。
旺相之義,官鬼豈分;清濁之源,輕重可別。戊午火旺盛,見木水相乘,則官在其間也;如無水木,即須見祿。水木金火各先分所得納音之氣輕重,然後論所得之地,以辨輕重清濁。
旺相の道理を講ずるに、何ぞなお官と鬼とを分かつを要せんや。清濁の來源を講ずるに、ただ輕重を辨明すれば足れり。たとえば戊午の納音天上火は、本よりすでに旺盛なり。もし木と水と相繼いで乘承するを見れば、官星はすなわちその中に在り。もし水木なければ、則ち必ず禄を見るを要す。水・木・金・火の各行は、皆須らく先ず得る所の納音の氣の輕重を分清して、然るのちそれの處する地支を論じ、これに據りて輕重と清濁とを辨別すべし。この一條は再び表明す、本書の氣の厚薄を重んじ神煞の名色を重んぜざるの立場を。
應得墓者,守成而無害;臨生旺者,自損抑則崇性。凡得五行在墓,其中見財富官貴者發旺,即已當功成身退,守之乃榮。本末皆旺,而運氣更臨生旺,是人富貴得時者,宜自謙退。
命當に墓に入るべき人は、成を守り進まざればかえって害處なし。まさに生旺に臨む人は、能く自我損抑してこそ徳性こそ崇高なれ。およそ五行が墓庫の中に落ちて、その間また財富官貴を見て發旺するは、すなわち當に功を成し身を退き、己有を守住するはすなわち榮耀たるべし。本と末と皆旺にして、行運また再び生旺の地に臨むに至っては、この種の人はまさに富貴時を得るの際にして、さらに當に自己謙退すべし。この兩句は術數と處世の道とを合せて講ずるなり。盈滿すれば則ち損す。これ命理なり、また人事なり。
祿馬氣聚,刑備貴全,清則清貴,濁則濁榮。祿馬在身命之刑位者,若見貴人全聚、德合生氣聚旺,不論清濁,皆主富貴。偶者則升,孤者則降。支干祿會,福祿集聚,則升清為上格;如不得天元一氣,若又支干孤絕、正氣刑破,卻逢身會旺相有貴者,當降為下品之格。
禄と馬との氣が一處に聚まり、刑もまた齊備し貴もまた周全ならば、則ち清の一路は便ち清貴と成り、濁の一路は便ち濁榮と成る。およそ禄馬が身命の刑位の上に落つるは、ただ貴人齊聚し徳合と生氣と皆匯聚して旺なるを見れば、清に屬するも濁に屬するも論わず、皆富貴を主る。成雙成對なるは上に往きて升り、孤零零なるは下に往きて降る。干支上に禄氣會合し福禄集聚するは、升りて清貴の上格と為る。もし天元一氣を得ざり、又加うるに干支孤絶・正氣の刑破せらるるに、卻ってなお身會旺相に逢いて貴を帶ぶるを得れば、ただ降りて下品の格と為るを得るのみ。
德將相扶,金印垂腰之貴;遞相揖讓,調鼎位極人臣。天月德臨月將,事合神,乃主紫綬金章之貴;支干六合清氣合四柱,支干左右朝命柱者,乃極品之貴人也。
徳神と月將とが互相扶持すれば、すなわち腰に金印を懸けたる貴命なり。干支彼此拱揖謙讓すれば、すなわち能く鼎鼐を調和して位極人臣す。具體に言えば:天徳・月徳が月將の上に臨み、諸事また神煞と相合すれば、紫綬を佩び金章を懸くるの顯貴を主る。干支六合にして清氣が四柱と相合し、干支また左右より本命の柱を朝拱するは、すなわち極品に位列するの貴人なり。この一節は「升降清濁」の一篇を收束す。升と降・清と濁とは、最終に皆干支彼此の朝拱扶持するや否やの上に落つ。
李虚中命書 卷下
衰旺取時
論一方之氣,不可過角。進角為孤,退角為寡。一方之氣,則四象各主於一時之偶也,如寅卯辰則巳孤丑寡。既旺不過一方之氣,卻言衰者成功也。木水亥衰於辰,是木出東方春位而衰,此本末衰旺,功成身退,子結花落也。
某一方位の氣を論ずるに、その邊角を越出すべからず。前の角を越ゆればすなわち「孤」、後の角に退けばすなわち「寡」なり。いわゆる一方の氣とは、四象が各々一季を主管するの成對支位を說く。たとえば春方を寅卯辰と爲せば、則ちその前の巳はすなわち孤、後の丑はすなわち寡なり。旺氣は一方の範圍を出ざればこそ、則ち「衰」を講ずるは、其實まさに功成の意なり。木の長生は亥に在りて衰は辰に在るとは、すなわち木が東方春位より生出し、辰に到れば便ち轉衰するを說く。これは本末の間の衰旺相繼にして、功成身退・結子して花謝するに譬ゆ。見るべし、本書の衰を講ずるは、並に一味に壞事と作さず。
華過衰而實成,是窮則變通之象。始生於沐浴,為風水陶化之因;冠帶則材器可任,臨官則鬼害之難。物主臨官則氣血堅壯,可受制敵,不畏其鬼。旺則剛介自處,衰則去華立實,病者孤也。病者形勢孤弱,如木病巳,則寅辰之孤也。
花謝してのち果實こそ結成す。これまさに《易》のいわゆる「窮すれば則ち變じ變ずれば則ち通ず」の氣象なり。十二長生を以て論ずれば:初生の後「沐浴」に進入するは、風と水とが陶冶化育するの原因なり。「冠帶」に到れば、材質器局は便ち任事を擔當しうる。「臨官」に到れば、こそ鬼煞の侵害に經得起す。事物が臨官の位に處れば、氣血堅實強壯にして、克制せらるるに禁得住して敵と相抗する能く、ゆえにその鬼を怕れず。「帝旺」に到れば、すなわち剛強耿介にして自らその位を守る。「衰」に到れば、便ち浮華を褪ぎて實處に落つ。「病」に到れば、すなわち孤單に變成す。いわゆる病とは、形勢孤弱なるを言う。たとえば木の病地は巳に在り。それはまさに寅・辰のこの春方の外の孤位なり。
死兮無物,墓藏為造化之終;絕煞有鼎新之氣,氣盡後成胞胎,凝結始分形狀。此長生之氣,言五行至絕受氣而成形,十二支位之經,乃代謝自然。夫物出自然,端倪莫測,直須仔細探賾,消息龜數。五行之造化,萬物之盈虧,以盡蓍龜之數。
「死」に到れば便ち一無所有なり。「墓」は收藏にして、造化の終點と為る。「絶」は看るに煞氣に似たるも、その中に卻って革故鼎新の機を含む——氣數盡きたるのち胞胎を結成し、漸漸凝聚してこそ形狀を分かち出づ。これすなわち長生の氣の來歷なり。五行が絶地に走り至りてかえって氣を受け形を成し、十二支位のこの套の經緯は、說く所まさに自然の新陳代謝なり。萬物は自然より出づるも、頭緒端倪は測度し難し。ただ能く幽深の理を仔細に探索し、消長を體察するに揲蓍灼龜のごとくするのみ。五行の造化・萬物の盈虧は、すなわち須らく蓍龜の推知しうる所の數を窮盡すべし。
衰病之所,有鬼則止,無鬼則停。止則窮己,停則流滯。如丙至壬戌壬申則絕,至庚申乙亥則流滯而不通。水性本寒,火體本熱,極寒則丑寅以為期,大暑則未申而自定。極也反也,五行之常體;生也殞也,萬物之自然。五行各有正性,在人所稟有吉凶,發覺未萌,須在期程之所極可定。賦云:「三冬暑少九陽多。」亦以正氣為憑也。五行之運,陰陽相推,亦有不應和者,亦極相反,是謂死兮生之本、生兮死之源。
衰地病地に處りて、もし「鬼」の來りて克するあれば便ちこれに於て止まり、鬼なければ則ちただ停滯するのみ。止まるはすなわち本身が盡頭に走り至れるなり。停滯は則ち壅積不通なり。たとえば丙火が壬戌・壬申に行き至れば便ち絶に入り、庚申・乙亥に行き至ればすなわち流滯して通暢せず。水性は本來寒冷、火體は本來炎熱なり。最も寒き時は丑・寅を以て期と為し、最も熱き時は未・申に到りて自然定住す。極處に走り至ればすなわち反轉するを要す。これは五行の常態なり。生あればすなわち殞滅あり。これは萬物の自然なり。五行各々本正の性あり。人は稟受し下りて便ち吉あり凶あり。事情いまだ萌芽せざるの時に察覺せんとするは、すなわち氣數の極める所の期程の上に判定するを要す。賦文に「三冬は暑少なく九陽は多し」と說くも、また本正の氣を以て憑據と為すなり。五行運轉・陰陽相推すれども、また並に彼此應和せざるあり。極端に走り至りてかえって相反する。これを死は生の根本・生は死の源頭と叫ぶ。
歲隱其神,神成而歲死。歲木也,神火也,火盛則木死,勢不兩立,因恩而生害。智從義出,智盛則主藏。智,水也;義,金也。金生水,水盛金藏,未嘗不失於義也。信從四事,物物皆歸,鍾於土是也。辰為木之土,戌為金之土,未為火之土,丑為水之土。
歲星が神明を潛藏せしめ、神明一旦成就せば、歲星はすなわち死す。歲は木を指し、神は火を指す。火太盛なれば則ち木は燒死せらる。兩者勢い兩立せず、本より相生の恩なるに、かえって禍害を生出す。智慧は義氣の中より生出す。智慧太盛なれば、義はかえって潛藏す。智は水、義は金なり。金は能く水を生ずれども、水一たび旺盛なれば金は便ち隱沒し、また義に失するを免れず。信は則ち四方の事を統攝し、萬物は最終に皆それに歸す。信は土の上に鍾聚するがゆえに。四季の土は各々屬する所有り。辰は木の土、戌は金の土、未は火の土、丑は水の土なり。この四條は五常と五行との相生相害を講透す。まさに前面の性情を論ずるの理論根據なり。
鬼財相會,則凶中得吉。如庚申得癸卯,是庚申月乙卯,有合會德之財,癸卯為木之鬼。觀刑逢妻,生旺不取。生月為父,胎月為母,身克為妻,妻生為子,時生是妻子之數,成敗自然。以火克金為父,則以生月定之,然後看日時承受、胎月有無刑害。身克為妻,以日論之;妻生為子,以時推之:乃看生旺刑制五行之定數也。
鬼と財とが一處に會すれば、かえって凶中に吉を得。たとえば庚申が癸卯に遇上すれば、もし庚申月にして乙卯を見れば、便ち合會して徳を成すの財あり。しかして癸卯の納音金はまさに木の鬼なり。刑を見てまた妻位に逢うは、すなわち生旺を取らず。本書の六親を論ずるの規矩は:生月を父と爲し、胎月を母と爲し、我が克する所を妻と爲し、妻の生ずる所を子と爲し、生時は則ち妻と子との分數の在る處なり。成敗は自然に見えたり。たとえば火を以て金を克し父を取れば、先ず生月に由りて定め、然るのち日・時の承受しうるや否やを看、再び胎と月との間に刑害あるや否やを看る。我が克する者は妻なり。日柱上より論ず。妻の生ずる者は子なり。時柱上より推す。總じて皆生旺と刑制とのこの套の五行の定數を看るを要す。
胎氣同往,當有異母;月干相逢,須依二父。受胎正在受氣之地,而與日時支干同者,當食二母之乳;月於與年干相連,而同在父母生地,當相交或立身於二事而成也。
胎氣と別位とが一同に前往すれば、兩個の母親あるを主る。月干と年干とが相逢えば、則ち兩個の父親に依るを要す。細かに說けば:受胎が恰恰として受氣の地に落ち、しかして胎の干支また日・時の干支と相同じければ、この人は當に兩位の母親の乳を喫すべし——あるいは繼母・乳母あり。月干と年干と相連なりて、しかして兩者また同じく父母の生地に處れば、則ちあるいは父母に再婚交錯の事あり、あるいは本人が兩種の事業上に立身してこそ成就しうる。この類の斷法は皆三元と四柱との干支重合關係の上より取象す。
子息則先明生氣,或用克以推之。如丁巳土以木為子孫,建至亥上得辛,若四柱見丁在無氣,更有刑害者,必少子孫也。自生自旺,更看運元胎月。如生納音在月旺處,更不論刑害子孫之地;如胎月在有氣處於生時之上,亦不絕子也。
子息を論ずるに先ず生氣を弄清するを要し、あるいは「克」の關係を用いて推す。たとえば丁巳の納音沙中土は、土はその克する所の木を以て子孫と爲す。月建より亥上に數えて辛を得。もし四柱中に見る所の丁すでに氣なく、また刑害あれば、それ必ず子孫稀少なり。もし本身自ら生じ自ら旺なれば、還はさらに行運の元と胎・月の兩位とを看るを要す。たとえば本命納音が月建の旺處に落つれば、すなわちさらに子孫位上の刑害を計較するを要せず。またたとえば胎と月と皆氣ある地に處り、しかして生時の上に加えば、同じく絶嗣せず。
祿馬不閒,子孫未必絕滅。若人生時見祿馬往來朝命,不犯孤寡,亦有子孫。陰陽和會,交友結心,同氣連枝,同名定數。五行須和順者,四海之人亦心於交友相結,況同胞兄弟豈不得力;但五行中以此為兄弟而無災位也。
禄と馬と皆空閒ならざる人は、子孫必ずしも斷絶せず。假使生時に禄馬の往來して本命を朝拱するを見、また孤辰寡宿を犯さざれば、同じく子孫あること得べし。陰陽能く和合會聚する人は、朋友を交わりて心裡に交わり入るを得。同氣連枝の兄弟は、さらに同名にして一份の定數を共にす。五行ただ和順ならば、四海の人もまた能く誠心結交す。まして同胞兄弟をや、豈に得力せざらんや。兄弟を論ずる時はすなわち五行の中の和順なるあの一位を以て兄弟宮と爲し、ただそれが災位の上に落ちざれば好し。
或有偶然同產一母,以生須分深淺之時,復看五音向背。凡一時有八刻二十分,故有淺深前後吉凶不同,其有以生須分深淺;異姓則論五音向背。本音生旺,須至福勝於休囚;時日初終,更看先後之凶吉。異姓同時,音得旺相者福祿深厚;言同時則看先後吉凶。
ある時は偶然同一の母親の生ずる所(雙生子)なれば、すなわち必ず出生時刻の先後深淺に按じて分かち、還はさらに五音の向背を看るを要す。一個の時辰に八刻二十分あり。ゆえに同一時辰の内にもまた前後深淺の別あり。吉凶は因りて同じからず——これすなわち「生を以て深淺を分かつを須とす」なり。もし同胞に非ずしてただ同時に出生せる異姓人なれば、すなわち五音の向背を論ず。本身納音が生旺に處るは、福氣必ず休囚に處るに勝る。同一時辰の内は、還はさらに時と日との初段末段を看て、先後の吉凶を分辨す。異姓にして同時に出生し、納音が旺相を得るは福禄深厚なり——いわゆる同時とは、すなわち須らく先後の上に吉凶を分かち出づべし。
歲月各計於氣交,胎月定推於干數。有年未交而氣先交者,氣己交而月未建者,須以交氣為定人之生也。稟五行四時之氣為性命,且年歲乃辰煞而己,其餘建月不足月,俱以十月為胎,以同天干之數。
年と月とは皆節氣の交接に按じて計算するを要し、胎元は則ち天干の數に按じて推定す。あるは年まだ交わらずして節氣先に交わるあり、あるは節氣すでに交わるも月建まだ換わり來らざるあり。この時必ず交氣を以て準と為して人の出生を斷定するを要す。人の稟受する所は五行四時の氣にして以て性命を成すがゆえに、年歲に至っては不過辰位と神煞とのみ。その餘は月建の足月するや否やを論ぜず、一律に十個月を以て胎期と爲し、それが天干の數と相同ずるを取る(天干十位、まさに十月懷胎に合す)。生月の上より一位を逆推し再び一位を進めれば、すなわち胎元を得。
是以天奇地偶,有萬不同;陰煞陽生,無形自運。察衰旺於氣數之中,則萬物變論之必應。天地生物不同,如人質未嘗相肖,蓋使有造化之別爾。陽主生,陰主煞,乃運於無形之中,而萬物先後自然應備。五行衰旺以四時輪轉,則萬物從而化育,至如鷹入水化為鳩、蚯蚓結之類是也。
ゆえに天數は奇を取り、地數は偶を取りて、千差萬別あり。陰は肅殺を主り、陽は生發を主りて、皆無形の中に自ら運轉す。ただ氣數の中に衰旺を考察せば、則ち萬物の變化は推論するに必ず應驗す。天地が萬物を生育するに各々相同じからず、人の資質に全く相像する未だかつてあらざるがごとし。これは造化本身に分別あるがゆえの故なり。陽は生を主り陰は殺を主りて、皆無形の中に運行し、しかして萬物の先後次序は自ずから齊備す。五行の衰旺は四時に隨いて輪轉し、萬物は便ちそれに跟って化育す。たとえば《月令》の記する所の鷹の水に入りて鳩と化し、蚯蚓の結ぶの類の物候變化は、皆この道理なり。
貴賤所成,刑聚敗極:甲申得丁巳己卯己巳之類。四柱不收:甲子得丙寅丁巳辛亥壬申之類。五行未備:甲子得庚子己卯癸巳之類。
以下に幾種の敗格を舉出して、貴賤のいかに定まるかを說明す。その一は「刑聚敗極」と叫ぶ。すなわち刑と敗と一處に聚まりて極點に到るなり。たとえば甲申年が丁巳・己卯・己巳のこの一類を得るがごとし。その二は「四柱不收」と叫ぶ。すなわち四柱が各々散漫にして收束して本命を住すること得ざるなり。たとえば甲子年が丙寅・丁巳・辛亥・壬申のこの一類を得るがごとし。その三は「五行未備」と叫ぶ。すなわち五行殘缺不全なり。たとえば甲子年が庚子・己卯・癸巳のこの一類を得るがごとし。これらの命例は皆年柱を以て本命と爲し、再びその餘の各柱の收攝相應するや否やを看る。
數無取用:如不合干不沖支,而上下相異其氣。一方前後:如木命人己丑之類。數無取用:如不合干不沖支,而上下相異其氣。一方前後:如木命人己丑之類。
その四は「數無取用」と叫ぶ。すなわち天干と相合せず、また地支と相冲せず、上下の間の氣類は彼此相異にして、取用するに由なし。その五は「一方前後」と叫ぶ。すなわち本命の氣が一方の前角あるいは後角の上に落つるなり。たとえば木命の人が己丑の類を見るがごとし(丑は寅卯辰春方の後に在り、まさに寡位なり)。この兩條の底本は連ねて重複して一遍抄寫し、文字完全に相同じ。顯に傳寫の重出に係る。今底本の原樣に照りて收錄し、删竝を作さず。
柱多隔角:辛丑得辛卯,甲子得甲戌。真者失時:如丙辛合在二月六月,丁壬合在秋月。假者殃克:五行納音本輕,卻多逢剋制。
その六は「柱多隔角」と叫ぶ。すなわち柱と柱との間に一位を相隔てて相接せざるなり。たとえば辛丑が辛卯を得る(丑と卯との間に一寅を隔つ)、甲子が甲戌を得る(子と戌との間に一亥を隔つ)がごとし。その七は「眞者失時」と叫ぶ。すなわち眞合の氣が生まれて時に逢わざるなり。たとえば丙辛合して水と化すも卻って二月あるいは六月に生まれ、丁壬合して木と化すも卻って秋月に生まるるがごとし。合は眞なるも時は助けず。その八は「假者殃克」と叫ぶ。すなわち五行納音の本氣は元來輕薄なるに、偏にまた屢々克制に遇上して、ここに於て災と成る。
主本倒亂:火年水日,列先逢生旺,繼逢死絕。父子乖違:日克年,時克月。貧賤之人皆從此出。人生元命犯以上之格,皆主貧賤害身;如此而元命有氣,卻得富貴者,必不久而多凶也。
その九は「主本倒亂」と叫ぶ。すなわち主と本との次序顛倒錯亂す。たとえば火年にして水日なれば、排り下れば先ず生旺に逢い、接きてすなわち死絶に逢うがごとし。その十は「父子乖違」と叫ぶ。すなわち日柱が年柱を克し、時柱が月柱を克し、下を以て上に犯すなり。貧賤の人は皆これらの格局の裡より出づるなり。人の元命もし以上の各格を犯せば、皆貧賤を主りかつ自身を損害す。倘若これらの格を犯すも元命なお氣ありて、居然としてまた富貴なるに至れば、それもまた必ず長久する能わず、しかも多く凶險あり。
祿期本地,身命旺相;祿承馬在,貴合兩同。如甲人生女卯未地,或寅卯辰中,即生旺氣也;如壬辰得辛亥丙寅己亥,甲寅得乙未丙子己亥也。真冀體守位,如丁人得壬而在寅卯辰亥之中,或見丙辛各在旺地,而別旺無丁壬也。
禄が期のごとく本地に落ち、身と命と皆旺相に處る。禄に承接あり馬また位に在り、貴と合と兩下相同じ——これは好格なり。たとえば甲年の人が亥卯未の木局の地に生まれ、あるいは寅卯辰の春方に生まるれば、それすなわち生旺の氣を得たるなり。またたとえば壬辰の命が辛亥・丙寅・己亥を得、甲寅の命が乙未・丙子・己亥を得るは、皆この類に屬す。いわゆる「眞氣守位」とは、たとえば丁年の人が壬を得て(丁壬相合)、しかもまた寅・卯・辰・亥の中に落ち(合化の木が地を得)、あるいは丙と辛と各々旺地に處るを見、しかして別處旺なると雖も再び丁と壬とを重見せず——重複せずしてこそ純正を見るなり。
假音得時,如上人生夏季,或居申子辰中,連四季皆是。寶義制伐四事顯明:尊生早曰寶,早生尊曰義,上克下曰制,下賤上曰伐。以此四者,胎月日時上下相生相剋是也。
いわゆる「假音得時」とは、納音は眞氣に非ずと雖も恰も時令に逢うを說く。たとえば土命の人が夏季に生まれ(火は土を生ず)、あるいは申子辰の中に落ちてまた四季の月に連及するは、皆この類に屬す。「寶・義・制・伐」の四事は說くこと甚だ明白なり。尊長の一方が卑幼の一方を生助するを「寶」と叫び、卑幼の一方が反って尊長の一方を生助するを「義」と叫び、上に在るの下に在るを克するを「制」と叫び、下に在るの上に在るを欺凌するを「伐」と叫ぶ。この四個の名目を用いて、胎・月・日・時の上下の間の相生相克を看れば、すなわち格局の順逆を定め出づることを得。この四字訣は本書が四柱の尊卑關係を判斷するの核心の口訣なり。
五行不雜,九命相養。謂三元各處一方,帶本近祿而和,及三元各居生旺庫,而納音支干相生育也。木官不重,木須要金,而木通用甲重而無金者,須得支有。金鬼無偏,金須要火,而金相當,或須重而合會於丙。
五行純粹にして駁雜せず、九命の間彼此涵養す——これは三元が各々一方を占め、本氣を帶びてまた禄位に靠近し彼此調和し、かつ三元が各別に長生・帝旺・墓庫の三地に居り、納音と干支との間相生相育するを說く。木の官星は過重を宜とせず。木は必ず金ありて砍削するを要すれども、もし甲木通體過重にしてまた全く金なければ、すなわち須らく地支裡に別に金氣あるを要す。金の鬼煞は偏重すべからず。金は必ず火ありて鍛煉するを要し、しかして火と金と要するに勢力相當すべし。もし金氣特に重ければ、すなわち須らく丙火に會合してこそ用に足る。
用刑者有時,如寅刑巳而生在春,制克有用。守刑者不亂,如癸巳刑戊申而無丁干者是。明官德合,如丁亥得壬辰壬戊壬寅,又己卯得甲戌甲寅。暗逢支祿,甲人得丑未亥之類。
刑を用うるは時令を看るを要す。たとえば寅が巳を刑すれば、もし春天に生まれれば、木旺にして能く制克す。この刑は便ち用あり。刑を守るは亂れざるを要す。たとえば癸巳が戊申を刑して、しかして天干上に並に丁の來りて攪局するなければ、すなわち刑を守りて亂れずと叫ぶ。「明官徳合」とは、官星明現してまた徳合を成すを言う。たとえば丁亥が壬辰・壬戌(底本は「壬戊」と作る)・壬寅を得(丁壬相合)、またたとえば己卯が甲戌・甲寅を得る(甲己相合)がごとし。「暗逢支禄」とは、禄は明見せずして地支の中に暗藏するを言う。たとえば甲年の人が丑・未・亥のこの一類を得るがごとし(その中に乙・己・壬などの干の禄氣を暗藏す)。
支純干一,有貴來朝。本命四柱支干純一,或四柱干目純帶貴神來朝本命,或四柱並在一支上見貴神。主旺本成,會於一方。庚子土得庚辰日、癸未時、丙戌月、丁丑胎之類,雖沖破卻會在本氣之方,更有祿馬尤吉。
地支純一・天干一致にして、また貴人ありて前に來りて朝拱するは、上格なり。いわゆる支純干一とは、本命四柱の干支が純粹一色なるを指す。あるいは四柱の天干が名目純淨にして皆貴神を帶びて來りて本命を朝す。あるいは四柱が一齊に同一の地支上に落ちて貴神を見る。「主旺本成」とは、各柱が同一方位の上に會聚するを說く。たとえば庚子(壁上土)年にして庚辰日・癸未時・丙戌月・丁丑胎を得れば、四柱の辰戌丑未俱全なり。彼此冲破すと雖も、卻って皆土の本氣の方に會す。もしさらに禄と馬とあれば、さらに吉なり。
金逢五事順得三奇。金木水火土、金而三元有旺氣,得生克相順尤嘉也。辛酉生人得甲午月、戊寅日、庚申時者,是三奇之順得也。富貴之人皆能應此。人生元命支干四柱應以上諸格者主富貴,縱無氣亦主聞名挺特出群。
金が五行俱備にして次序順暢なるに遇上し、また三奇を得るは、好格なり。いわゆる五事とは、すなわち金・木・水・火・土の五行齊全なり。金命にして三元また旺氣あり、生と克と彼此順承せば、則ちさらに好し。たとえば辛酉年生の人が、甲午月・戊寅日・庚申時を得れば、その中の甲・戊・庚はまさに「三奇」にして、しかも排列するに順を得。これを順に三奇を得ると叫ぶ。富貴の人は皆能くこれらの格と相應す。およそ人の元命干支四柱もし以上の各種の格局に合上せば、すなわち富貴を主る。縱い本氣無力なるとも、また聲名遠播・挺拔出衆を主る。
五行各有奇儀,須分逆順。若三奇各帶合,須前後五辰合為上,更分順逆之用。甲戊庚金奇喜辰戌丑未或金方,乙丙丁火奇喜寅午戌或酉方,丙辛癸水奇喜亥子丑申辰方,丁壬甲木奇喜寅卯辰亥方,甲己丙土奇喜四季及寅亥午申方。歲胎月日時者順,時日月胎歲者逆。三奇亦要合而貴,五位得逆順三奇皆吉,惟嫌不連順。
五行各々自己の奇儀あり。必ず逆行と順行とを分清するを要す。もし三奇各々合を帶ぶれば、須らく前後五個の辰位皆相合するを以て上格と爲し、還はさらに順用と逆用とを分かつを要す。各組の三奇の喜忌は:甲戊庚は金奇にして、辰戌丑未あるいは金方に落つるを喜ぶ。乙丙丁は火奇にして、寅午戌火局あるいは酉方に落つるを喜ぶ。丙辛癸は水奇にして、亥子丑と申・辰の方とに落つるを喜ぶ。丁壬甲は木奇にして、寅卯辰と亥の方とに落つるを喜ぶ。甲己丙は土奇にして、四季の月および寅・亥・午・申の方に落つるを喜ぶ。排列の上は、歲・胎・月・日・時の次序に按ずるは順にして、時・日・月・胎・歲の次序に按ずるは逆なり。三奇もまた合を成してこそ貴と算す。五個の位次上に順に得るも逆に得るも論わず三奇を得れば皆吉と算す。ただそれの排ること連貫順ならざるを嫌うのみ。
胎本立於歲前,因歲得之胎月,故立胎在歲後月前。空刑敗害、日時倒亂,卻得順奇,不為倒也。三刑八敗六害、空亡相生相絕倒亂者,卻得三奇順在本方,亦主富貴。
胎元は本應歲位の前に立つべし。ただ胎月は年歲より推得するがゆえに、ゆえに實際排位する時は胎を歲の後・月の前に放つ。命中たとい空亡・刑・敗・害あり、日と時との次序また顛倒錯亂すとも、ただ順排の三奇を得れば、すなわち顛倒と算せず。すなわち言う:三刑・八敗・六害を犯し、あるいは空亡・相生相絶にして次序倒亂するも、ただ三奇が本命の喜ぶ所の方に順排すれば、同じく富貴を主る。この條は破格の命に一條の轉圜の路を與う。
日時無方,東里多迪;根鮮枝榮,西門寡祿;根固時雄,花實無忒。日時之力不輔三元,或耗或克,主災多。行年根苗花實,乃胎月日時相順為貴;若五行更到旺方,即為長遠。
日と時とがもし方位を失えば、東邊巷裡に住む人もまた多く坎坷あり。根須稀薄にして枝葉茂盛なれば、西門に住む人もまた俸禄少なし。根の扎ること牢にして生時また雄壯なれば、則ち花を開き果を結ぶも皆差錯あらず。これは說く:日柱時柱の力量もし三元を輔助する能わざれば、かえって耗泄あるいは克伐して、すなわち災殃多きを主る。流年を推する時は胎・月・日・時を比して根・苗・花・實と作し、四者相順相承してこそ貴と算す。もし五行さらに旺方に走り至れば、福氣は便ち長遠なり。
應得位者,支干各有所刑官或無氣也,上下須依乎父母。入前格而貴者,支干中須有沖刑之官;如無官,須以德運為清也。當死絕處須要逢父母,故子晉云:「賴五行之救助。」
いわゆる「應得位」とは、干支に各々刑する所の官星あり、あるいは官星本身氣なきを指し、この時上下は必ず父母(我を生ずる神)に依靠するを須とす。およそ前面のあの格局に合して顯貴するは、干支の中に必ず冲を帶び刑を帶びたる官星あるを須とす。もし官星なければ、すなわち徳神と行運とに靠りて清を取るを要す。死地絶地に走り至る時、ことに須らく父母に遇上して來りて生扶するを要す。ゆえに子晋は「全く五行の救助に仗る」と曰う。これまた點出す、本書の吉凶を論ずる時、救助の神は神煞名目よりもさらに要緊なるを。
四柱主本,祿馬往來,須分建破;天乙扶持,將得侍衛,更辨尊卑。謂當用處有建不可破,已破卻不可建,吉神在四柱中,各在四時用干為貴。真合為緊,子巳卯中之合為真。
四柱と主本との間に、禄と馬と往來交錯し、必ず何處が「建」(成立)で何處が「破」(破壞)かを分清するを須とす。天乙貴人の來りて扶持するは、譬すれば大將の侍衞を得るがごとし。還はさらに尊卑次序を辨明するを要す。意思是:當に取用する處もしすでに建を成せば、すなわち再び破せらるべからず。すでに破せられたるも、また再び建と算する能わず。吉神が四柱の中に落つるは、各々四時に合する天干の上に出現してこそ貴と算す。眞合は最も緊要なり。子・巳・卯の中に藏する所の干支が相合するを、こそ眞合と叫ぶ。
德合不清:甲子己丑、丙戌辛卯連順而貴,尚不如壬予癸丑。連珠未顯:連珠支干前後顛倒,皆不為顯。空合何榮:四柱相合,不扶六馬本命,即為不貴。
「徳合不清」とは說く:たとえば甲子が己丑に配し、丙戌が辛卯に配するのごとき連貫順暢にして貴を成すも、依然として壬子が癸丑に配するの來れる純正に如かず(底本「壬予」は當に「壬子」と作るべし)。「連珠未顯」とは說く:連珠格も若干支の前後次序顛倒せば、すなわち皆顯達する能わず。「空合何榮」とは說く:四柱は彼此相合すと雖も、卻って能く六馬と本命とを扶助せざれば、それもまた貴と算上せず。この三條は皆「看れば格を成すに似たるも實は成さず」の辨僞の例なり。
支連干會,連珠真同鳳凰藪;刑全貴全,天赦祿食麒麟窟。甲子乙丑丙寅連順而貴,尚不如壬子癸丑甲寅乙卯為鳳凰藪,其貴清異。人生二刑更晝夜貴神全,皆主文章清秀之貴。
地支相連・天干會合して、眞正の連珠格は便ち鳳凰の聚居する藪澤のごとし。三刑齊全・貴神齊全にして、さらに天赦・禄と食神とを加えれば、便ち麒麟の棲止する洞窟のごとし。たとえば甲子・乙丑・丙寅の連排して貴と成るも、なお壬子・癸丑・甲寅・乙卯の四柱連貫に如かず。それこそ「鳳凰藪」と叫ぶべく、その貴は清雅出衆なり。人もし命中に兩重の刑を帶びて、しかして晝貴神と夜貴神とまた皆齊全なれば、皆文章清秀の貴を主る。
卯酉自分承不承,魁罡言之會不會。乙酉得辛卯,辛酉得癸卯,而有辰戌,言支干相承用。魁罡辰戌也,辰戌相沖,須有寅亥申支乃為相會,不相會為凶。罡中旺乙,魁裡伏辛,貴神得癸,小吉隱丁。辰中是乙,戌中是辛,乙丑為貴神,丑中有癸,未中是丁。
卯と酉との間は須らく自己に承接し上ぐるや上げざるやを分清し、辰と戌との間は會し攏むるや攏めざるやを看るを要す。たとえば乙酉が辛卯に遇い、辛酉が癸卯に遇い、その間また辰と戌とあれば、これすなわち干支彼此承接して用いうるなり。魁罡は辰と戌とを指す。辰戌は本より相冲す。必ず別に寅・亥・申などの支ありて通關してこそ相會と算す。相會する能わざればすなわち凶と成る。さらに地支藏干を說く:天罡辰中は乙木當旺し、天魁戌中は辛金潛伏し、貴神丑中は癸水を得、小吉未中は丁火を隱す。すなわち辰中は乙を藏し、戌中は辛を藏し、乙丑は貴神にして丑中に癸あり、未中は則ち丁なり——これらの幾個の藏干は魁罡の會するや否やを判斷するの關鍵なり。
有陰而無陽,乃四方之貢土。言癸乙丁辛皆陰干,四位中貫成其物之土。陽守正於魁罡,陰有用於丑未。金在火鄉,貴而遷;逐財則孤勞。戊同辰戌,己同丑未。金命在火鄉,貴人多黜;貴財人則孤勞。
ただ陰干ありて陽干なければ、それすなわち四方より進貢し來れる土なり。これは癸・乙・丁・辛は皆陰干にして、辰戌丑未の四個の位次の中に分藏し、貫串し起れば土のこの物を成就することを說く。陽干は正位を守りて辰戌魁罡の上に在り、陰干は則ち丑未の上に作用を發揮す。戊土は辰戌と同氣、己土は丑未と同氣なり。金命の人が火郷に行き至れば、貴なりと雖もまた遷調を要す。もしただ財利を追逐するを顧みれば、便ち孤單勞碌に落得す。總じて金が火郷に落つれば、たとい貴人なるとも多く貶黜を遭い、しかして財を以て貴と爲す人は便ちさらに孤苦操勞す。
體重為從革日新,本輕則災殃短折。金以火為官,若體重者為火位中生,亦可成器;若金本輕而生於火鄉,更遇之多,必短夭刑折。須詳生克之愛憎,舉一隅而辨眾。如金在火鄉,各以其義辨生克愛憎而言吉凶;如水木火土,各以金之義而推之,故一隅足以辨眾。
本體厚重なるは、「從革」の象にして能く日新月異す。本氣輕薄なるは、便ち災殃夭折あり。金は火を以て官星と爲すがゆえに。本體厚重の金もし火位の中に生ずれば、同じく能く鍛煉して器を成す。もし金の本氣元來輕薄にして、また火郷に生まれ、さらに屢々火に遇上せば、それ必ず短命夭折しあるいは刑傷を遭う。ゆえに必ず生と克との間の愛と憎とを詳細に分辨し、一隅を舉げて能くその餘を推知するを要す。たとえば金が火郷に落つれば、すなわち各々の義理に按じて生克愛憎を辨じて吉凶を斷ず。水・木・火・土の諸行も、皆金のこの例に照らして推せよ——ゆえに一隅を舉ぐれば便ち衆多の情形を辨明するに足る。
支干論配合之情,力氣取四時之義。五行生在三合中,各以生克物化人倫之義以辨吉凶;更看四時中所得力氣,及支干配合真假,以定吉凶。仍分尊卑上下、筋脈交連、神煞吉凶,以分高下。此重言者,欲人不忽於消息。言更看上下先后尊卑、見不見抽不抽之筋脈情理,乃神煞吉凶而定榮謝也。
干支の間は須らく配合の情意を論じ、力量氣勢は則ち四時の義理を取るべし。五行が三合局の中に生ずるは、各々生克・物化と人倫との義理に按じて吉凶を辨じ、還はさらにそれが四時の中に多少の力氣を得るか、および干支配合の眞なるや假なるやを看て、これに據りて吉凶を斷定す。これに加えてなお尊卑上下・筋脈のいかに交接貫連するか・神煞の吉なるや凶なるやを分辨して、以て高下を判定するを用う。ここに重複して叮嚀する所以は、人に消息盈虚の細微の處を忽略すべからざらしめんとするなり。須らく上下先後の尊卑を看、あの顯現する與顯現せざる・抽出する與未抽出の筋脈情理を看て、然るのち神煞吉凶に配合してこそ、一生の榮と謝とを斷定しうる。
至若貴神當位,諸煞伏藏,三元旺相,豈專神煞。言天乙貴人論於干,看五行四時之氣及晝夜之干而定;若有氣,天乙當位,則煞自藏矣。五行三元為本,若在旺相之地,不背克生氣,不論神煞也。
貴神のまさにその位に當たるに至っては、各種の凶煞は自然に潛伏隱藏し、三元また皆旺相に處れば、何ぞなお專ら神煞に靠りて命を斷ずるを用いんや。これは說く:天乙貴人は須らく天干上より論じ、五行四時の氣および晝干夜干を看て以て確定す。ただ本氣有力にして天乙また位に當たれば、凶煞は自然に藏れ去る。五行と三元とこそ根本なり。もし旺相の地に處りて、また我を克し我を生ずるの氣に違背せざれば、則ち必ずしもさらに神煞を計較するを要せず。この句は全書の神煞に對する最終の定論と看做しうる。神煞は末なり、五行三元は本なり。
或遇七元,刑劫敗害、元亡沖破,在上無可救者,為頭目之疾。七元干鬼者,對命是也。三刑劫煞、八敗六害、元亡沖破者,犯真祿之位,見干鬼及三兩位並犯胎命之建,更地位無救,主頭目疾。在下無可救者,為手足之厄。只犯納音支者,乃手足股肱之病。
もし「七元」に遇上し、また三刑・劫煞・八敗・六害・元辰・亡神・冲・破などを加え、しかして上位(天干)に救助すべきなければ、すなわち頭部と眼目との疾病を主る。いわゆる七元の干鬼とは、すなわち本命と相對して命を克するあの天干なり。具體に言えば:三刑・劫煞・八敗・六害・元亡冲破のこれらは、もし眞禄の位を冲犯し、また天干の鬼を見、かつ兩三個の位次ありて一齊に胎元と本命の月建とを冲犯し、さらに地支方位上に救助なければ、すなわち頭目の疾を主る。もし下位(地支)に在りて救助すべきなければ、それすなわち手足の災厄なり。ただ納音と地支とを冲犯するは、手足四肢の一類の病なり。これは本書の命理より疾病を推するの條例にして、取象は上下に人身上の上下に對應す。
父母之孫奚能免害?生時既用,行運亦然。如此之人亦須妨害六親,以三元尊卑而言也。又言己土七煞之凶,不惟生時用於上下之災,行運太歲亦當與日時通論。
父母と子孫とまたどうして牽累を免れんや。生時既にかくのごとく取用するを要せば、行運もまた同じ道理なり。この種の人は必ずさらに六親を妨害す。これは三元の尊卑關係に就いて言うなり。さらに說く所の己土七煞の凶險は、單に生時上に於て上下の災患を造成するのみならず、行運と太歲と同じく當に日柱・時柱と合せて通盤に論斷すべし——ただ本命の一處を看る能わず。
木火則奔速,土金水乃容之。所遇上件破害,當向坐時運中,更分五行遲速之性:火木漸上主速,土金水沉下主遲緩也。噫!造化廖廓,禍福杳微。或積善而有災殃,或積惡而多喜慶,蓋禍福定於生時,善惡由人;然而天道福善禍淫,故君子修身以俟命。
木と火とは性急にして、來ること速し。土・金・水は性緩にして、能く遲延を容受す。およそ上面の說く所のあの破害に遇上せば、當に坐する所の時運に結合して看、再び五行遲速の性情を分辨すべし。火と木とは漸次上昇して、應驗迅速を主る。土・金・水は沈降して下に在り、來ること遲緩を主る。ああ!造化はかくのごとく空闊無邊、禍福はかくのごとく幽深難測なり。善を行う人あれど災殃を遭い、惡を作す人あれどかえって喜慶多し——これは禍福は出生の時辰によりて定下し、しかして善惡は卻って人の自己に由りて決定するがゆえの故なり。然れども天道は終究善人に福を降し淫惡の人に禍を降る。ゆえに君子はただ自身を修養し、靜かに天命を候ぐのみ。この句は修身を以て結と作す。まさに「衰旺取時」の一篇の歸宿なり。
三元九限
三元者,大小氣運也;九限者,三運之榮謝也。自生得節日為初,陽男陰女順而理,陰男陽女逆而推。曏者數之未來,背者用之已往。十干分之為月,三日成之一年。向背之數須得其實,未來無日,謂當日得節也,當虛作歲,背之同推。行遊四柱,吉凶自然;小運同途,盛衰理異。運至四柱中伏反生克,吉凶自然;同年小運,四柱所生有別也。
いわゆる「三元」とは、ここに大運・小運と氣運とを指す。いわゆる「九限」とは、三種の運が各々榮と謝とを分かちて成るの九種の限なり。運を起こすは出生のあの日より交節の日に算起す。陽年生の男・陰年生の女は順行推算し、陰年生の男・陽年生の女は逆行推算す。前に向かって數うるは未來の日子、後に向かって數うるは已過の日子なり。十天干を以て分配して月と爲し、每三日を折りて一年と合す。向と背との日數は必ず覈實するを要す。もし未來に餘日なければ、すなわち當日まさに節氣を交えるを說く。それすなわち當に虚歲一歲と作して算し、逆推するもまたこれに照らして辦理す。運が四柱の各位を行經せば、吉凶は自然に顯現す。小運は大運と同行一路なりと雖も、盛衰の道理は卻って一樣ならず。運が四柱の中に行至りて伏吟・反吟と生克とに遇えば、吉凶は自然にそれに隨う。同一年の小運は、四柱の生ずる所の氣の同じからざるに因りて、結果もまた各々分別あり。
伏反之狀災福,仍分本主之基,以辨吉凶之變。伏,守也,逢合則動;反,動也,逢合則靜。先分君子小人之主本,次看運中吉凶變通。小運天左地右,陽備於寅,陰備於申,故男一歲起於寅,女一歲起於申。寅為三陽化主,申為三陰肅煞,故男小運起於寅,女小運起於申。假如甲子年,男起丙寅,女起壬申之類是也。
伏吟と反吟との帶來する所の災と福とは、なお須らく本命と主位との根基を分清して、こそ吉凶の變化を辨明しうる。「伏」は靜守にして、合に遇えばすなわち動き起る。「反」は躁動にして、合に遇えばかえって靜かに下る。推斷する時は先ず君子一路なるや小人一路なるやの主本を分清し、再び運中の吉凶のいかに變通するかを看る。小運の排法は天道は左に向かい地道は右に向かうなり。陽氣は寅に完備し、陰氣は申に完備す。ゆえに男子一歲の小運は寅より起り、女子一歲の小運は申より起る。寅は三陽の化する所の主、申は三陰肅殺の地なり。これに因りて男は寅に起り女は申に起る。例を舉げて說けば、甲子年生の人は、男の小運は丙寅より起り(甲年は寅を遁じて丙を得)、女は壬申より起る。その餘はこれに照らして類推せよ。
以建元而論勝負,助歲運而依吉凶。小運各以年遁月建五行而分生克勝負,小運助大運,太歲相依輔而為吉凶也。反破刑孤,凶中有吉;寅申二命,小運不專。返吟沖、伏吟害及孤病之類,雖是凶運,其中亦有吉者;二運生而小運伏吟反吟,故不以小運專仕太歲乏上也。
月建の元を以て勝負を論じ、それを用いて歲運を輔助して以て吉凶を定む。小運は各々本年の遁出する月建の五行に按じて生克勝負を分かつ。小運は大運を幫助し、太歲はそれと互相依輔して、共に吉凶を構成す。反吟・破・刑・孤のこれらは、凶中にもまた吉あり。寅・申の兩位に生るるの命は、小運は單獨に以て準と作すべからず。返吟相冲・伏吟爲害および孤辰病地の類は、凶運に屬すと雖も、その中にも轉吉するあり。まして大運小運の二者相生する時、小運偏偏また伏吟反吟に逢うをや。ゆえにただ小運に憑りて太歲を一邊に撇く能わず。
一歲一移,周而復始。若一年各有一建而循環也,不可以氣運取。男三干而女二干,陽自戊子、陰自庚子,男得丁巳、女得辛巳,男順十月至丙寅、女逆十月至壬寅也。氣者時也,未有時而氣未定,既有時而氣以完。用之納音者,緣有身而得之氣也。言氣運取生時五行納音之休旺。
小運は一年に一位を移動し、周にして復た始まる。既に一年各々一個の月建循環あれば、すなわちそれを拿りて當に氣運と作して取用する能わず。男女の起法は同じからず。男は三干を進め、女は二干を退く。陽干は戊子より起り、陰干は庚子より起る。男は丁巳を得、女は辛巳を得。男は順行して十個月に丙寅に到り、女は逆行して十個月に壬寅に到る。いわゆる「氣」とは、指すは時辰なり。まだ時辰なければ、氣はすなわち未だ定まらず。時辰あれば、氣はこそ完備と算す。納音を用ゆる所以は、「身」(納音)ありてこそ氣を得るに談足ればなり。これはすなわち說く、氣運は須らく生時の五行納音の休と旺とを取りて推すべしと。
身者三元之本也,氣者身之本也。運既順而氣逆,運若逆而氣順,自生時為始轉行不已,推遷逐歲一宮,以大小運分吉凶休祥,非命之也。甲己土運,乙庚金運,乃天道起魁罡之運,主國家運祚之休祥,非雲命之氣運也。
「身」(納音)は三元の根本、「氣」はまた身の根本なり。大運順行する時は氣はすなわち逆行し、大運逆行する時は氣はすなわち順行す。皆生時より起算し、輾轉推移して停まず、每一年一宮を推進し、大運小運を用いて吉凶禍福を分かつ——これは本命本身に非ずして、行運なり。甲己合して土運と化し、乙庚合して金運と化すのこの一套に至っては、それは天道が魁罡より起算するの大運にして、一國國運の興衰祥否を主るなり。並に個人命造の氣運を說くに非ず。兩者は混同して一談と爲すべからず。
氣運並絕則厄。太歲為君王,大運為元帥,氣運如曹使,小運若使臣。帥凶則曹使不能吉。氣運二真運祿馬之氣並絕則死。太歲為百神之主,人運氣運欲轉輪不絕,則主本優遊;大運主生煞之柄,故曹使不能違理。
氣と運とが一同に斷絶すれば、便ち災厄あり。四者の分量は譬すれば一套の官制のごとし。太歲は君王、大運は元帥、氣運は各曹の屬吏に似、小運は命を奉ずる使臣に似たり。元帥一たび凶なれば、屬吏は便ち吉ならざることを得。倘若氣運と兩重の眞運(禄と馬)の氣とが一齊に斷絶せば、それすなわち死なり。太歲は百神の主なり。人の行運と氣運とただ能く循環流轉して斷絶せざれば、主本は便ち安閒自在なり。大運は生と殺との權柄を掌握す。ゆえに屬吏(氣運・小運)は能くその道理に違背する能わず。
會吉會凶,作用定矣。在三元生旺庫及祿馬旺處為會吉;居三元沐浴衰病死絕處,逢祿馬為鬼,無和順者,為會凶。其象大者至於死絕,小者期於災撓。身須逐運,運須逐身。柱助運而凶反吉,柱敗運而吉復凶。時運逢馬,吉凶馬上。一吉呼而百吉會,一凶馳而眾凶符。太歲起大運及主本尊者,則大危或死亡矣;小者有用,雖自有福,若傷慢處亦主災撓。身運二者須左右有符合資助為吉。柱為主,運為客,客為主害,無不凶也。三二運到馬上,即看馬上之吉凶。馬主動,必須細取三月元四柱論,不可以馬吉而不言馬上有凶也。
「會吉」なるや「會凶」なるやは、取用一定すれば便ち分明なり。三元の生・旺・庫および禄馬旺處に落つるは、會吉なり。三元の沐浴・衰・病・死・絶の處に落ちて、また禄馬に逢うもかえって鬼煞と成りて毫も和順ならざるは、會凶なり。應驗の程度は:重きは死絶に到り、輕きは不過災擾のみ。身は須らく運に隨いて走り、運もまた須らく身に隨いて走るべし。四柱が行運を幫助しうるは、凶もまた吉に轉ず。四柱が行運を敗壞するは、吉はまた凶に轉ず。時運が驛馬に逢上せば、吉凶はすなわち馬上に應ず。一個の吉神一呼せば、百吉皆來りて會合す。一個の凶煞一動せば、衆凶皆來りて應和す。もし太歲が大運および主本の中の最尊の一位を觸動せば、すなわち大いに危險にして乃至死亡す。分量輕きはなお用あり・自ずからその福あれども、しかし一旦輕慢の處に傷つけば、また災擾を主る。身と運との兩者は、必ず左右に符合の神ありて來りて資助してこそ吉なり。四柱は主、行運は客なり。客が反って主に加害すれば、凶ならざるなし。大運小運が驛馬の上に走り至れば、すなわち須らく馬上の吉凶を看るべし。馬は動を主る。必ず三元と四柱とを仔細に結合して論ずるを須とし、馬の吉なるがゆえを以て馬上にもまた凶を帶ぶを得るを提せざるべからず。
吉若勝凶,凶藏吉內;凶若勝吉,吉隱凶中。其言吉凶有相反,如季主云:「使盡吉合則殃也。」
吉もし凶を壓過せば、凶はすなわち吉の裡面に藏る。凶もし吉を壓過せば、吉はすなわち凶の裡面に隱る。これは說く、吉と凶と常常として相互包含し彼此反轉す。まさに司馬季主の說く所のごとし:假使一味に全を求め、吉と合とを皆占め盡せば、かえって災殃を生ぜんとす。この話は前文の「盛衰太過を忌と爲す」と一貫す。命理は最も十全を怕る。一分の餘地を留めてこそ長久の道なり。
運限之道,有天官限者,三元到中庸之地,見貴逢合,或只有貴卻無合,或有合而無貴,四柱相生,運歲相輔;凡得此限,君子將榮,庶人獲安,事事皆吉。有得勢限,三元俱到旺相地,四柱相貴承。有龜藏限,如祿金入土干下者是也;命金入土支下,身金入上,納音下者,則暮春之優遊,不利君子、利平小人,蓋子弱母勝也。
行運の限に若干種あり。第一種は「天官限」と叫ぶ。三元が中和の地に走り至り、貴人を見てまた合に逢い、あるいはただ貴人有りて合なし、あるいは合ありて貴人なし、加うるに四柱相生・大運と太歲と互相扶助せば。およそこの限を得れば、官を做るは榮升有らんとし、百姓もまた安寧を得て、事事皆吉なり。第二種は「得勢限」と叫ぶ。三元皆旺相の地に走り至り、四柱また彼此貴を以て相承す。第三種は「龜藏限」と叫ぶ。たとえば金に屬する禄が土干の下に落つれば、すなわちこの一限なり。本命の金が土支の下に落ち、身の金が上に在りて納音が下に在れば、それすなわち暮春時節のごとく閑適なり——君子に對しては不利にして、かえって平民小人に對して利あり。これは子弱くして母強しの格局なるがゆえに。
有波浪限,金人運到亥子歲,乃小運上是也,木人大危,餘人意思不調,飄泛如舟也。有風雨限,運到三元衰絕處,氣運小運又為祿鬼,如此則吉凶相繼,來去迅速,勢若風雨暴遇而無所繫也。有布素限,行運到身旺相、支干死絕是也;若太歲小運扶助,本命雖入災運,於十載之間亦有五年之吉,不至於凶甚,以此消息,故名布素。限分前後:五年不吉,後運則助五年無凶;後運若凶,則凶咎。
第四種は「波浪限」と叫ぶ。金命の人が亥・子の年に行運すれば、ことに小運上に應ず。木命の人は則ち大いに危險にして、その餘の各命もまた心意順ならず、小船のごとく漂泊定まらず。第五種は「風雨限」と叫ぶ。三元の衰絶の處に行運至り、氣運と小運とまた皆禄上の鬼と成れば、かくのごとく吉凶接き續いて來り去來迅速にして、形勢は便ち驟然に風雨に遇上して依傍する所なきがごとし。第六種は「布素限」と叫ぶ。身が旺相に處るも干支は卻って死絶に在るに行運至れば、すなわちこの限なり。もし太歲と小運とありて來りて扶助せば、本命たとい災運に進入すとも、十年の間なお五年は吉なるあり、太凶に至らず——その中にかくのごとき消長あるがゆえに、ゆえに「布素」(粗布素衣、平淡に日を度る)と叫ぶ。この限は前後兩段を分かつ。前五年は不吉にして、後運は能く救助して後五年をして凶なからしむ。もし後運本身また凶なれば、則ち眞に凶咎と成る。
有失所限,三元俱值鬼,二運見三刑並沖,柱主本與行年不相承,作黃泉失所之命也。有破碎限,此非死限,只是金破碎,去如流水而不返,諸運氣沐浴更逢真鬼,謂甲衰而有庚之類。有災位限,運至伏吟,上逢喪吊,見白衣、飛廉、孤寡、歲刑剋身者,是主災位之事;凡得此限,則親戚不利,主有喪服。
第七種は「失所限」と叫ぶ。三元皆鬼に遇上し、大運小運また三刑並冲を見、四柱主本と流年と互不承接せば、これすなわち魂の黃泉に歸し安身する處なきの命と成る。第八種は「破碎限」と叫ぶ。これは並に死限に非ず。ただ金器の破碎するがごとく、去ればすなわち流水のごとく再び回來せず。各運の氣が沐浴の地に落ちてまた眞鬼に逢う。たとえば甲木すでに衰えて命中有庚金の類あるがごとし。第九種は「災位限」と叫ぶ。行運が伏吟に走り至り、上面また喪門・弔客に逢い、再び白衣・飛廉・孤辰寡宿および歲刑の來りて身を克するを見れば、すなわち災位上の事を主る。およそこの限を得れば、親戚不利にして、喪服の事あるを主る。以上すなわち三元と相配するの「九限」なり。
夫二元九限者,乃人之利也;四柱三才者,乃人之本也。本輕則大者小利,小則主本貧,而更無運路,亦惶惶無所依矣。本大者得之小,猶勝小者得之大;本小者得之大,未及大看得之小。本重則利重,本輕則利輕。本重得小者遐邇無凶,得大者官清祿崇;本輕則小者且福且利,得大者吉極防凶。有小者如物待時,得時則萬物滋長。
大運小運と九限とは、人の「利」なり。四柱と三才とは、こそ人の「本」なり。根本輕薄の人は、たとい大運に行き至るも小利あるのみ。もし小利すらなければ、則ち本身貧寒にして、また運路の走るべきなく、ただ惶惶然として依靠する所なきのみ。根本厚大にして小運に行至るは、なお根本單薄にして大運に行至るに勝る。根本單薄にして大運に行至るは、かえって根本厚大にして小運に行至るに如かず。本重ければ則ち得る所の利もまた重し。本輕ければ則ち得る所の利もまた輕し。本重き人は小運を行けば、遠近皆凶險なく、大運を行けば則ち官職清要・俸禄崇高なり。本輕き人は小運を行けば還は福あり利ありと算す。大運を行けばかえって吉の極處に到りて轉凶を提防するを要す。根本なお小なるに至っては、便ち萬物の時令を待つがごとく、一旦時を得れば便ち滋長し起る。
本無者,如折木懸空氣,過則花實並敗。是故木生於震,臨離兌以多殃;火產東南,赴天門而寡祿;金降自乾東而震北,遇坤鄉而敗祿;衰官水長,逢火木崇,方復乾宮而潛身退跡。五土忌於真敗,隨氣運以詳之。又土無正位,隨真運而敗:甲己土敗在酉,乙庚金敗在午,丙辛水敗在酉,丁壬木敗在子,戊癸火敗在卯,各以十干所配消息而取用也。
根本全く無き人に至っては、便ち折斷の樹枝の空中に懸るがごとく、氣一たび過ぎ去れば、花と果と一齊に敗落す。ゆえに說く:木は震(東方)に生じ、離(南)・兌(西)に行き至れば多く災殃あり。火は東南に産し、天門(西北乾位)に奔向すれば俸禄少なし。金は乾位西北より下降し、東方震位を經てさらに北に往き、坤鄕(西南)に遇上せば便ち禄を敗す。官氣すでに衰えて水勢まさに長ずるは、火と木とに逢えばかえって崇盛なり。乾宮に回り到るを待てばすなわち當に潛身退迹すべし。五方の土は最も眞正の敗地を忌む。須らく氣運に隨いて詳細に分辨すべし。土は本來自己の正位なく、ただ合化の眞運に隨いて以て敗地を定むるのみ。甲己合して土と化し、敗は酉に在り。乙庚合して金と化し、敗は午に在り。丙辛合して水と化し、敗は酉に在り。丁壬合して木と化し、敗は子に在り。戊癸合して火と化し、敗は卯に在り。各々十干の配する所の化氣に按じて消長を斟酌して取用せよ。
天承地禄
日之火也,陽之晶;月之水也,陰之極。日自左而奔右,歲行一周;月自陰而還陽,三旬一往。子為天正,寅為地常。四正為上,以左右為門,陰陽旋轉之機,應天地虧盈之數。六十載支干同日神頭,後有顯說。
太陽は火に屬し、陽氣の精華なり。月亮は水に屬し、陰氣の極致なり。太陽は左より右に向かって運行し、一年に天を一周を繞る。月亮は陰處より陽處に回り、三十天に一趟を走る。子は天の正位、寅は地の常位なり。四正(子午卯酉)は首要に居り、左右を以て門戶と爲し、陰陽旋轉の機括は、まさに天地盈虧の數に應合す。六十年の中、およそ干支が本日と同位なるを「神頭」と叫ぶ。後面に別に明白なる解說あり。以下すなわち六十甲子の中の兩兩相配する三十組の「徳」を列舉す。
六合之德:甲子己丑,換貴德;甲寅己亥,三元承天德;甲辰己酉,敗干失地德;甲午己未,敗夫承妻神貴德;甲申己巳,陰往陽承、陽干敗絕德;甲戌己卯,自官從旺夫妻德。
これは六合の徳の第一組にして、甲と己とを以て相配す(甲己合して土と化す)。甲子は己丑に配し、兩邊の貴人互換す。「換貴徳」と叫ぶ。甲寅は己亥に配し、三元皆能く天氣を上承す。「三元承天徳」と叫ぶ。甲辰は己酉に配し、天干敗れ地支位を失す。「敗干失地徳」と叫ぶ。甲午は己未に配し、夫位すでに敗れて妻位に由りて貴神を承接す。「敗夫承妻神貴徳」と叫ぶ。甲申は己巳に配し、陰氣往きて陽氣來りて承ぐるも、然るに陽干は敗絶の地に落つ。「陰往陽承・陽干敗絶徳」と叫ぶ。甲戌は己卯に配し、自身官を帶びて旺氣に從い、夫妻相得す。「自官從旺夫妻徳」と叫ぶ。いわゆる「徳」とは、すなわち兩柱相合して成る一種の配偶格局にして、名目の裡にすでに吉凶を含む。
丙於辛丑,陰盛歸陽藏敗德;丙寅辛亥,天地貴神重換德;丙辰辛酉,丙祿相合承地復敗德;丙午辛未,祿氣相資生合德;丙申辛巳,祿承本祿生成德;丙戌辛卯,陽承本官干合德。
第二組は丙と辛とを以て相配す(丙辛合して水と化す)。丙子は辛丑に配す(底本「丙于」は「丙子」の訛)。陰氣極盛にして陽に歸し、藏中に敗を帶ぶ。「陰盛歸陽藏敗徳」と叫ぶ。丙寅は辛亥に配し、天上地下の貴神再び交換す。「天地貴神重換徳」と叫ぶ。丙辰は辛酉に配し、丙の禄それと相合して地氣を承接するも卻って轉敗す。「丙禄相合承地復敗徳」と叫ぶ。丙午は辛未に配し、禄氣彼此資助して相生相合す。「禄氣相資生合徳」と叫ぶ。丙申は辛巳に配し、禄は本身の禄を承接して生成す。「禄承本禄生成徳」と叫ぶ。丙戌は辛卯に配し、陽位は本身の官星を承接して天干相合す。「陽承本官干合徳」と叫ぶ。
戊子癸丑,陽附貴而陰懷德;戊寅癸亥,陽附陰神相濟德;戊辰癸酉,祿命吉神德;戊午癸未,祿命太過不承德;戊申癸巳,各守舉而不敢刑德;戊戌癸卯,陰貴暗符重貴德。
第三組は戊と癸とを以て相配す(戊癸合して火と化す)。戊子は癸丑に配し、陽は貴人に依附して陰は徳氣を懷藏す。「陽附貴而陰懷徳」と叫ぶ。戊寅は癸亥に配し、陽は陰神に依附して彼此調濟す。「陽附陰神相濟徳」と叫ぶ。戊辰は癸酉に配し、禄と命と皆吉神に遇う。「禄命吉神徳」と叫ぶ。戊午は癸未に配し、禄と命と太過してかえって承接し上げず。「禄命太過不承徳」と叫ぶ。戊申は癸巳に配し、兩邊各々本位を守住して敢えて相刑せず。「各守舉而不敢刑徳」と叫ぶ。戊戌は癸卯に配し、陰位の貴人暗中相符して貴氣重疊す。「陰貴暗符重貴徳」と叫ぶ。
庚子乙丑,支干合換貴自盛德;庚寅乙亥,陽附陰大貴德;庚辰乙酉,金水未成用德;庚午乙未,干祿不備自敗德;庚申乙巳,帶刑帶鬼帶食德;庚戌乙卯,祿承陰會小享德。
第四組は庚と乙とを以て相配す(乙庚合して金と化す)。庚子は乙丑に配し、干支相合・貴人互換して自身興盛す。「支干合換貴自盛徳」と叫ぶ。庚寅は乙亥に配し、陽は陰に依附して大貴を成す。「陽附陰大貴徳」と叫ぶ。庚辰は乙酉に配し、金と水と未だ器を成して用いうるならず。「金水未成用徳」と叫ぶ。庚午は乙未に配し、天干の禄不完備にして自ら敗落す。「干禄不備自敗徳」と叫ぶ。庚申は乙巳に配し、既に刑を帶びまた鬼を帶び還は食神を帶ぶ。「帶刑帶鬼帶食徳」と叫ぶ。庚戌は乙卯に配し、禄に承接あり・陰と相會してただ小小の享受を得るのみ。「禄承陰會小享徳」と叫ぶ。
壬子丁丑,祿會官承換官德;壬寅丁亥,祿貴本元生氣德;壬辰丁酉,貴會氣承清潔德;壬午丁未,支干不合、陽祿陰符德;壬申丁巳,本合無刑陰貴德;壬戌丁卯,往來換官德。
第五組は壬と丁とを以て相配す(丁壬合して木と化す)。壬子は丁丑に配し、禄會合して官に承接あり彼此官を換す。「禄會官承換官徳」と叫ぶ。壬寅は丁亥に配し、禄と貴と皆本元に在りて生氣充足す。「禄貴本元生氣徳」と叫ぶ。壬辰は丁酉に配し、貴人會合・氣に承接ありて清正潔淨なり。「貴會氣承清潔徳」と叫ぶ。壬午は丁未に配し、干支合を成さず、ただ陽禄と陰符と相對するのみ。「支干不合・陽禄陰符徳」と叫ぶ。壬申は丁巳に配し、本身相合して刑なく、陰位貴を得。「本合無刑陰貴徳」と叫ぶ。壬戌は丁卯に配し、官星往來交換す。「往來換官徳」と叫ぶ。以上三十組の「徳」は、六十甲子を天干五合に按じて兩兩配對し、逐組その吉凶體性を標出し、命を推する時に圖に按じて索驥するに供す。
若夫顯說之外,非至聖則難言。二儀同德,歸一而可測;搜造化伏現之機,格有無奇儀之會,發揚妙旨,神鬼何誅。疑「誅」為「殊」,乃鬼谷自謂臨於神鬼之妙,豈鬼神之所見誅也。
明白に說き出だせるこれら以外に至っては、極聖明の人に非ざれば言傳し難し。天地兩儀は同一徳性にして、「一」の上に歸結すれば便ち測知しうる。造化の潛伏と顯現との機括を搜求し、有と無・奇と儀との會合を推究し、精微の旨趣を發揚せば、鬼神またそれを奈何せんや。原文の「神鬼何誅」の「誅」字は、疑わく當に「殊」と作るべし。鬼谷子が自らその術すでに神鬼のごとき奧妙に臻れりと謂うにして、並に鬼神に誅責せらるるを說くに非ず。以下さらに天干五合に按じて三十組の「格」を列す。前面の三十組の「徳」と相爲表裏なり。
甲寅己未己丑,上文秀人臣調鼎格,下秀而不清中貴格。甲辰甲戌己亥,上下祿命秀合重者,守德侍從,一本添己酉。甲午己酉,重敗祿夫奔妻,有秀無祿格。甲申己卯,正夫絕妻貴奔夫正貴格,可作侍臣,並非長遠之用。甲子己巳,祿厚重合奔妻,夫地清貴上品格。
第一組は甲を以て己に配す。甲寅は己未・己丑に配す。上の一配は文采秀發にして位人臣に至りて能く鼎鼐を調和するの格なり。下の一配は秀なると雖も清ならず、ただ中等の貴格のみ。甲辰・甲戌は己亥に配す。上下禄と命と皆秀合して厚重なるは、守徳侍從の職に任じうる。ある本子はここに還は一個の己酉を添えたり。甲午は己酉に配す。禄は兩重敗落し、夫去りて妻に奔るにして、秀氣ありて禄なきの格なり。甲申は己卯に配す。正夫すでに絶えて妻が貴を帶び妻去りて夫に奔る。正貴格に屬し、侍從の臣たるべきも、長久の用に非ず。甲子は己巳に配す。禄厚くして重重相合し夫去りて妻に奔る。夫位清貴にして、上品格に屬す。ここにいわゆる夫妻は、なお兩柱の間の陰陽相就の關係を指し、人の婚配を指すに非ず。
丙寅辛未辛丑,上承妻貴奔夫大順格,下夫奔妻德通變秀和格。丙辰丙戌辛亥,上自合承官妻貴格,下德貴相承自清格。丙午辛酉,秀合神頭祿,先利後敗,夫婦文貴格。丙申辛卯,支干無地秀而不英格。丙子辛巳,陽祿扶義,陰德相承,生旺格。
第二組は丙を以て辛に配す。丙寅は辛未・辛丑に配す。上の一配は妻方の貴氣を承接して妻の來りて夫に奔る、極めて順遂の格なり。下の一配は夫去りて妻に奔り、徳能く通變して秀氣和順の格なり。丙辰・丙戌は辛亥に配す。上の一配は自身相合して官星を承接し、妻が貴氣を帶ぶ。下の一配は徳と貴とが互相承接して、自然清正なり。丙午は辛酉に配す。秀氣相合して「神頭禄」を成し、先ず利を得て後に轉敗す。夫婦皆文名の貴格あるなり。丙申は辛卯に配す。干支皆地を得ず、秀なると雖も英發せず。丙子は辛巳に配す。陽禄は義氣を扶助し、陰徳互相承接す。生旺の格なり。
戊寅癸未癸丑,上有貴暗官不清格,下有地相通貴蝕格。戊辰戊戌癸亥,上妻奔夫神頭祿清貴格,下官輕承秀兵印大權格。戊午癸酉,支干失地,無官有祿,空秀格。戊申癸卯,妻貴扶祿承合不秀格。戊子癸巳,癸祿往還秀氣人臣格。
第三組は戊を以て癸に配す。戊寅は癸未・癸丑に配す。上の一配は貴あると雖も官星暗藏して、清純足らず。下の一配は地氣相通ずるも卻って貴氣侵蝕せらる。戊辰・戊戌は癸亥に配す。上の一配は妻の來りて夫に奔りて神頭禄を成すの清貴格なり。下の一配は官星輕しと雖も卻って秀氣を承接し、兵權印信の大權を主掌す。戊午は癸酉に配す。干支皆地を失し、官なくして禄あり、ただ空しく秀氣あるのみ。戊申は癸卯に配す。妻が貴を帶びて禄を扶助し承接相合す。可惜秀ならず。戊子は癸巳に配す。癸の禄は往來流通し、秀氣聚集す。人臣の格なり。
庚寅乙未乙丑,妻重貴秀合兵印重權,上清下濁格。庚辰庚戌乙亥,二者乃魁罡相承,兵印重承,上清下濁。庚午乙酉,夫旺妻旺格,中而必敗。庚申乙酉,祿頭專合人臣剛毅格。庚子乙巳,秀合暗官奔夫貴格。
第四組は庚を以て乙に配す。庚寅は乙未・乙丑に配す。妻方の貴氣重疊し、秀氣相合して、兵權印信の重權を主掌し、上位清にして下位濁なり。庚辰・庚戌は乙亥に配す。この兩配は皆魁罡(辰戌)相承にして、兵權印信層層承接す。同じく上清下濁なり。庚午は乙酉に配す。夫と妻と皆旺にして、看るに均衡なるに似て、實は中途必ず敗す。庚申は乙酉に配す。禄頭專一相合して、人臣中の剛毅の格なり。庚子は乙巳に配す。秀氣相合して暗中に官星あり。妻の來りて夫に奔るの貴格なり。
壬寅丁未丁丑,上陰地陽承反覆格,下秀合不清高上格。壬辰壬戌丁亥,上秀清祿會格,下濁名卑位高格。壬午丁酉,陰附陽錄,陽承陰貴格。壬申丁卯,妻貴夫承,官德相交,中貴格。壬子丁巳,祿德會合,暗官虛中大用格。
第五組は壬を以て丁に配す。壬寅は丁未・丁丑に配す。上の一配は陰地にして陽來りて承ぐる、反覆不定の格なり。下の一配は秀氣合すと雖も清ならず、依然として高上の格に屬す。壬辰・壬戌は丁亥に配す。上の一配は秀にして清・禄氣會合す。下の一配は濁なると雖も、卻って名位卑なるも職任高し。壬午は丁酉に配す。陰は陽禄に依附し、陽は陰貴を承接す。壬申は丁卯に配す。妻が貴を帶びて夫來りて承接し、官と徳と相交わる。中等の貴格なり。壬子は丁巳に配す。禄と徳と會合し、官星暗藏して中虚にして用あり。大用の格なり。ここに至りて三十徳・三十格全部列畢す。まさに卷首の六十甲子納音と首尾照應す。
夫寅午戌之類,乃五行體合三生之會也;子丑之類,地支歲合也;甲己之類,真氣德合也;寅丑未之類,天地真刑會也;甲得丑未,無合有合也;丁見亥之類,祿氣通合也;申見乙,支合干也;甲見亥,干合支也。各看失位之輕重、得地之清濁、上下配偶親疏之緊慢也。其神頭祿者,乃陰陽專位天地神會也。列八卦之真源,演五行之成敗,剛柔相推,有無合化也。
總じて各種の「合」の類別を結す。寅午戌の一類は、五行本體相合・三處相生の會聚なり(三合局)。子と丑との一類は、地支が歲位に按じて相合するなり(六合)。甲と己との一類は、眞氣徳合なり(天干五合)。寅と丑未との一類は、天地間の眞正の刑會なり。甲が丑未を得るは、看るに合なきに似て實は合あり(丑未は甲の貴人なり)。丁が亥を見るの一類は、禄氣相通じて合す。申が乙を見るは、地支の來りて天干に合す。甲が亥を見るは、天干の來りて地支に合す。毎一種皆須らくそれの失位の輕重・得地の清濁、および上下配偶の間の親疏緊慢の分寸を看るべし。いわゆる「神頭禄」に至っては、陰陽各々專位を占めて天地の神の會聚する處なり。それは八卦の眞源を排列し、五行の成敗を推演し、剛と柔と互相推移し、有と無と彼此合化す。
故壬子之水應北方之坎,丙午之火實南宮之離,所以丙午得王子不為破,丁巳得癸亥不為沖,是水火相濟之源,有夫婦配合之理。坎離為男女精神之中者也。壬子見丙午,癸丑見丁巳,則先水後火,有未濟之象,又不如丁巳見壬子、丙午得癸亥也。
ゆえに壬子の水は北方坎卦に應じ、丙午の火はまさに南宮離卦なり。これに因りて丙午が壬子に遇上するは破と算せず(底本「王子」は「壬子」の訛)、丁巳が癸亥に遇上するは冲と算せず——これは水火旣濟の源頭にして、夫婦相配の道理を含む。坎と離とは、まさに男女精神の會聚する所の中樞なり。ただしもし壬子が前に在りて丙午を見、癸丑が前に在りて丁巳を見れば、それすなわち先ず水して後に火にして、《未濟》の象と成り、かえって丁巳が前に在りて壬子を見、丙午が前に在りて癸亥を得るに如かず。見るべし、同じ兩柱なるも、先後次序一たび變ずれば、吉凶は便ちそれに隨いて變ずるを。
庚申辛酉之金,應西方之兌;甲寅乙卯之木,象東方之震。凡甲寅得庚申不為刑,乙卯得辛酉不為鬼,是木女金夫之正體,明左右之神化也。木主魂,金主魄,二者左右相間不合;若能全合,則神之化生以間也。若庚申見乙卯、辛酉得甲寅,不為變識之用也。
庚申・辛酉の金は、西方兌卦に應ず。甲寅・乙卯の木は、東方震卦に象を取る。ゆえに甲寅が庚申に遇上するは刑と算せず、乙卯が辛酉に遇上するは鬼と算せず。これは木を女と爲し金を夫と爲すの正體なるがゆえに、まさに左右兩方の神妙なる化育を顯出す。木は魂を主り、金は魄を主る。魂魄は一左一右にして彼此間隔するも本より相合せず。もし能く完全に會合せば、則ち神の化生は便ちこの間隔の中に完成す。反して庚申が前に在りて乙卯を見、辛酉が前に在りて甲寅を得るに至っては、則ち能く變化識見の用と作す能わず——次序顛倒して、夫婦の位もまた亂るるがゆえに。
戊辰戊戌之土,為魁罡相會。乾坤厚德,覆載含生,不得以為反吟也。戊辰戊戌不為沖破,是土得正位於守元會也。
戊辰と戊戌との兩位の土は、天罡と天魁との相會なり。乾坤に厚重の徳ありて、能く覆蓋承載し衆生を包含す。ゆえにこの一組は當に「反吟」と作して看るべからず。戊辰と戊戌と彼此冲破と算せず。土はここに於てまさにその位を得、本元を守住して會聚するがゆえに——辰戌の冲は、別の五行に於ては凶なれど、土に於てはかえって各々その位に安んずるなり。
己丑己未是貴神形體具備,守位貴貞,動靜不常。此四維真土,有萬物終始之道,非才能明於日月、器度廣于山川、大人君子,孰能備德?況神頭祿各有神以主之,應日臨神,或左右運動於六合之中,盈縮于吉凶之變也。
己丑と己未との兩位は、貴神の形體完備の處にして、本位を守住して貞正に貴し。動と靜と皆常規なし。この四維(辰戌丑未)の眞土は、萬物終にして復た始まるの道理を含む。才智の明日月のごとく、器量の廣山川のごとき大人君子に非ざれば、誰か能くかくのごとき徳行を具備せんや。まして各個の「神頭禄」は皆別に神明の主管あり、日辰に隨いて某神に臨み、あるいは六合の中に左右運轉し、吉凶變化に隨いて盈縮伸屈す。以下便ち十二位の神頭禄を逐一に六壬十二天將に配上し、各々の主る所を說明す。
己丑土為天乙貴人,乙未土為太常福神,解百煞之凶,配一人之德,吉以吉應,逐凶釋凶。若得之當用,則為橫財之善。若戊辰為勾陳,戊戌為天空亡之神,多遷改君師,外藩出鎮邊防,有所不常矣。丁巳為騰蛇之神,凶以凶用,吉以吉承,多熒惑之憂,有滑稽之性。丙午為朱雀之神,應陽明之體,文辭藻麗。
己丑の土は「天乙貴人」、己未の土は「太常」福神(底本「乙未」は當に「己未」と作るべし)にして、能く各種の凶煞を化解し、一個人の徳行に配上す。吉に遇えばすなわち吉を以て應じ、凶に遇えば則ち凶氣を驅散す。もしそれの位に當たり用いうるを得れば、便ち意外の財の好處あり。戊辰は「勾陳」、戊戌は「天空」なり。この兩位の神は多次の遷調改任を主り、あるいは藩鎮に外放し邊防を出守して、行止常なし。丁巳は「騰蛇」にして、凶の時は凶の着に用い吉の時は吉の着に承ぐ。多く驚疑惶惑の憂ありて、性情詼諧善謔なり。丙午は「朱雀」にして、陽明の體に應じ、文辭華美富麗を主る。
甲寅為青龍之神,博施濟眾,得四方之利。乙卯為六合之神,主發生榮華和弱順倘。壬子為天后之神,主陰隙天德,容美多權。癸亥為玄武之神,乃陰陽極終,有潛伏之氣,從下如流,雖名大智,非軒昂超達於士,不司姑息,順則安平,逆則奸危。庚申為白虎之神,利於武而不利於文,有抱道旅羈之性,善中嚴內,色厲內荏,有仁義,好幽僻。辛酉為太陰之神,懷肅殺之氣者,有清白之風,為文章和易不世之才。然後各以親疏休旺定之也。
甲寅は「靑龍」にして、恩惠を廣施し衆人を周濟し、四方の利を得るを主る。乙卯は「六合」にして、發生榮華を主り、性情和順柔弱なり。壬子は「天后」にして、陰徳暗施・天の徳を承ぐるを主り、容貌美好にして權變多し。癸亥は「玄武」にして、陰陽終極の地に處り、潛伏の氣を帶び、水のごとく低處に向かって流る。大智と號すと雖も、卻って軒昂通達の士に非ず。事を辦するに姑息するを肯んぜず、それに順えば安穩にして、それに逆えば姦險なり。庚申は「白虎」にして、武職に利ありて文職に利なし。道を守りて羈旅漂泊の性情あり。外表嚴整にして内裡必ずしも然らず、色厲にして内荏なるも、卻ってまた仁義を講じ、幽僻の處を喜ぶ。辛酉は「太陰」にして、肅殺の氣を懷き、清白の風操あり。文章平和・擧世少有の人才なり。これらの神の力量を定むるに、還は須らく各々それと本命との親疏および休旺に按じて決斷すべし。
水土名用
土本無一方之氣,從水妻之義也,陰陽各逐四時成就。辰中有乙,則木土成之,故在寅卯辰中之土隨木之生旺也;魁裡藏辛,則金土成之,故在申酉戌之土隨金之生旺也;貴神得癸,則水土成之,故在亥子丑之土隨水之生旺也;未隱丁火,則火土成之,故在巳午未之土隨火之生旺也。大體如此,則其土之用皆喜於辰戌丑未也。
土は本身に專屬の一方の氣なく、それは「水を以て妻と爲す」の意を取り、陰陽と四時とに隨いて各々成就す。辰中は乙木を藏し、木と土と合成す。ゆえに寅卯辰の春方に落つる土は、便ち木の生旺に跟って走る。戌(天魁)中は辛金を藏し、金と土と合成す。ゆえに申酉戌の秋方に落つる土は、便ち金の生旺に跟って走る。丑(貴神)中は癸水を藏し、水と土と合成す。ゆえに亥子丑の冬方に落つる土は、便ち水の生旺に跟って走る。未中は丁火を隱し、火と土と合成す。ゆえに巳午未の夏方に落つる土は、便ち火の生旺に跟って走る。大體かくのごとし。ゆえに土の取用は總じて辰・戌・丑・未のこの四個の位置を喜ぶ。これまさに全書「土に正位なし・四季に旺を寄す」の說の落實の處なり。
戊氣從戌從巳,戌火鍾而土育,巳火極而土成;己氣從亥從午,亥火之絕也,土生午火之旺也,土音蓋己午為火極,戌亥為火熄,父母極熄而子孫成之,與水之異也。二氣俱逆,戊得丑而為巳得未,己自亥逆至木旺,戌自己逆至丑旺。天地之中庫於辰,金土之會成於戌,然則水上當育於寅。陰陽之中,卯酉為無止之地,子午為夫旺婦極之所。丑乃木立形而上藏,甲為金成而土衰,戌作魁而利,乃土發之獨用,不從四時之義也。其立用之方,蓋土無定形,雖載其文,而未可究其指,故存之以待來者。
戊土の氣は戌と巳とより來る。戌位は火氣聚鐘して土は孕育を受け、巳位は火極處に到りて土は成形を得。己土の氣は亥と午とより來る。亥は火の絶地にして、しかして土は卻って午のこの火の旺地に生ず。ゆえに納音の音に就いて論ずれば、己と午とは火の極點、戌と亥とは火の熄滅の處なり。父母(火)が極點あるいは熄滅に到りて、子孫(土)こそ成就す——これは水の情形とまさに同じからず。この兩股の氣は皆逆行なり。戊は丑を得て如く未を得るに同じく、己は亥より逆行して木旺の處に至り、戌は己より逆行して丑旺の處に至る。天地の氣は辰のこの中庫に收まり、金と土と會合して戌に成就すれば、則ち水の孕育は當に寅に在るべし。陰陽の中に於て、卯と酉とは止息する所なきの地、子と午とは夫旺にして婦極まるの所なり。丑は木の初めて形を立てて上に向かって潛藏するの位なり。甲木は金成の時に土かえって衰え、戌は天魁と作るも卻って土に利あり——これまさに土の發用するに獨有の一條にして、四時の常例に隨わず。その立用の方位に至っては、土本より定形なきがゆえに、たといこれらの文字を記載し下すとも、なおその確切の旨意を窮究する能わず。ゆえに姑く保存して、以て後來の明白人に待つ。全書ここに至りて終篇す。
