Libo

地理人子须知(纲要)

明 · 徐善继、徐善述

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗

風水堪輿典籍

まず読む書が形勢か理気かを見極めてから条文に入るのがよい。派を跨いだ術語の混用が、この門で最もありがちな誤読の源である。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗

凡例

一、是編為人子術,非為術家設,故凡不傳之秘,一一敷陳口訣而作詩歌,以為不記誦便。二、是編惟務通俗,俾易知識,初無意於組織文辭,以絢觀美。是以直敘其旨而不嫌於鄙,詳述其奧而不慮乎繁。即於前後之重複,辨證之瑣屑,與夫照應不齊,言論膚淺,俱弗暇恤耳。

第一条、この書は人の子(親に孝を尽くす子、以下「人子」)が孝を尽くすために作られた実用の学であり、職業的な術士のために立てた説ではない。そこで古来秘して外に伝えなかった口訣を、いずれも一つずつ敷き並べて詩歌に編み、読者が暗記に苦しまずに済むようにした。第二条、この書はひたすら通俗であることを務め、人が容易に理解できればよいとして、もともと文辞を凝らし組織して観感の華美を求める意図はない。したがって宗旨を直截に叙述し、鄙陋と嫌われることを恐れず、奥深いところを詳しく展開しても煩瑣になることを案じない。前後の文の重複、辨析・考証の瑣末さ、照応の不備や議論の浅近さといった欠点については、いっさい顧みる余裕がなかったのである。

三、是編所收諸名地圖,不過為釋疑設耳。故於緊要相關處,援古證今,具圖詳說以發明之。其間或因論龍穴而略于于砂水,或因論砂水而略於龍穴,惟所重處特加詳焉,其它莫能悉及。蓋寸箋半簡間,摹數百十里山川,烏可兼備哉!闇者或病其不類,緣識見不同耳。祝觀物先生云:“圖圖圖,模糊模糊復模糊。一人摹一樣,十人畫九圖。”信哉!善觀者當自得其妙,又安可按圖索驥?

第三条、本書に収めた各地の名墓の図は、もっぱら疑難を解くために設けたものである。そこで紧要に関連する箇所では、いずれも古例を援用して今の事実に照らし、図形を添えて詳しく説明し、その理を闡明した。その中には「龍穴(りゅうけつ)」を論じるために「砂水(さすい)」を略したものもあり、砂水を論じるために龍穴を略したものもあり、重視する箇所だけをとりわけ詳しくし、その余はすべてに及ぶことができなかった。そもそも方寸の紙片の間に数百里の山川を描き写すのに、どうして万全を期せられようか。見識の浅い者は図が実際の山に似ていないと病めるかもしれないが、それは見る目の違いにすぎない。祝観物先生は言った。「図よ図よ図、模糊模糊また模糊。一人が写せば一つの姿、十人が描けば九つの図。」まことにその通りである。図を善く見る者はおのずから図の外にその妙を会得するのであり、どうして図様を頼りに按図索驥できようか。

四、凡諸名地圖,皆予兄弟足目所經涉者,或名師扦點,或課驗不爽,或發越確應,必有明徵可為法則者斯收之。否則,無徵不信,何可泛收?五、凡諸地圖,必著其土名山向,某師所卜,及詳所出人物官爵,不以瑣屑自嫌者,固所以徵其實跡,亦欲人子因此可以索微探頤,得意於筆舌之外,毋以是而反啟疑議焉。

第四条、収録した各地の名墓の図は、いずれも我ら兄弟が自ら足で歩き目で見たものである。あるものは名師が自ら点定した穴、あるものは繰り返し検証して誤りのなかったもの、あるものは後に発達して確かに応験したものであり、必ず明らかな証拠があって法式とし得るものを収めた。さもなくば証拠なく信ずるに足らず、どうして広く濫収できようか。第五条、各地の図には必ずその地の土名、山の坐向、どの地師が卜したかを記し、またその家から出た人物と官爵を詳しく載せる。瑣屑を嫌わないのは、もともとその真実の証跡を確かめるためであり、また人子がこれによって精微を索め奥義を探究し、筆舌の外に意を得て、これらの記載によってかえって疑いや議論を起こさないように願うためである。

六、凡引用諸名師語,或稱姓氏,或稱書名,或稱號,或稱字,或止稱某氏某公,從便也。其不著者,闕疑耳。多吾鄉者,考據切實雲。七、凡折衷諸說是非,亦惟據於已驗仙蹟,及名師議論之長者取證也。

第六条、各位の名師の言を引用するにあたり、あるいは姓を称し、あるいは書名を称し、あるいは号を称し、あるいは字を称し、あるいはただ某氏・某公と称するのは、すべて随宜に便を取ったからである。出所を記さなかったものは、疑わしきを闕いて妄断しないためである。本郷の地師を引用するのが最も多いのは、郷里の事は考証が最も切実だからである。第七条、諸家の説の是非を折衷判断するにあたっても、ただすでに応験した先賢の名穴の遺跡と、各位の名師の議論のうち立脚できる部分とに拠って証を取るのであり、空しく論を立てることはしない。

八、凡收諸名地圖,既有敘說矣,又間有補義釋義,及有傳奇傳疑者,或以取證,或以申明,非瑣也。九、凡設龍穴砂水諸圖式,立法有不得不然者,但不可執泥耳。生山不與畫山同,固有山水奇妙處,雖良工不能施其巧,在智者觸類旁推可也。

第八条、収録した各地の名墓の図には、すでに叙説の文字があるが、その間にしばしば「補義」「釈義」を附し、また奇聞や存疑の条目を記載している。あるいは証を取るため、あるいは理を明らかにするためであって、瑣屑で無用というものではない。第九条、「龍」「穴」「砂」「水」の種々の図式を立てるにあたり、立法には自ずからそうせざるを得ない道理があるが、読者はそれに拘泥し死守してはならない。生きた真の山と紙上に描き出した山とは結局異なり、山水にはもともと奇妙にして描写し難いところがあり、たとい高明な画工でもその巧みを施すことはできない。すべては知恵ある人が一隅を挙げて三隅を反り、類に触れて傍らに通ずるほかないのである。

十、凡名地,有遠至數百年後而方有福應者,有近只數年而即有福應者,世俗多泥葬地後所生人方能受蔭,即此太遠太近,豈不荒唐哉?予兄弟初嘗深疑,久而徧徵,灼然不爽。蓋驟發遲發,亦猶悟學有頓門漸門之義,漸發乃常理共知,不必辨。其驟發者,如陶氏之牛眠穴、王氏之折臂三公地,固已彰彰明驗於世,不可謂無此理也。茲於編中所收諸地,惟取其眞是應蔭者,不以年代遠近拘,特書諸此,以告觀者毋疑焉。

第十条、名地には、あるものは数百年後になって初めて福報の応験が見られ、あるものは数年のうちにすでに応験する。世俗は多く一つの説に固執し、下葬後に生まれた者だけが蔭庇を受けられると考えるが、ではこのような遠すぎたり近すぎたりする応験は、荒唐の話になってしまわないか。我ら兄弟も初めは深く疑っていたが、長くなるにつれあちこちで検証し、分毫の差もないことを知った。発福に速い遅いがあるのは、禅を参じ道を悟るのに「頓門」と「漸門」の別があるようなものである。ゆっくり発福するのは誰もが知る常理であり、あえて弁ずるまでもない。驟然に発福するものについては、例えば晋の陶侃の「牛眠穴」や、王氏の折臂三公を出すべき地など、すでに世に明らかに応験しており、この理がないとは言えない。いま書中に収める各地は、確かに真に蔭応のあるものだけを取り、年代の遠近に拘束されず、わざわざここに記して、読者が疑いを生じないようにするものである。

十一、不佞嘗謂地學須致力三多,而究心地書不與焉。何謂三多?多參明師則傳授眞而所聞博,多觀古格則所見廣而是非明,多經窀穸則歷練精而眞見定。地書固已多覽,然紙上陳言又在三多之外矣。且人子安能盡此三多?故於是編多載名圖,俾人子精加紬繹,虛心詳究,三多在其中。久之,自有心領神會,豁然貫通,而俗師淺巫莫能誑之,不於慎終之者有補矣夫!

第十一条、私が常に言うのは、地理を学ぶには「三多」に工夫を用いなければならず、埋头して地理書を読むことはその中に算入しないということである。三多とは何か。高明な地師を多く参訪すれば、得る伝授は真切で、聞くことは広博になる。前人の残した名墓の格局を多く見れば、見るところは広く、是非は分明になる。下葬・開壙の事を多く自ら経験すれば、練歴は精熟し、真の見識が定まる。地理書はもちろん多読すべきだが、紙上の陳言は結局三多の外にある。まして人子たる者がどうしてこの三多をすべて行えようか。そこで本書は名墓の図式を多く載せ、人子に仔細に抽繹し虚心に詳究させることで、三多の工夫をその中に寓すのである。久しきに及べばおのずから心に領り神に会し、豁然として貫通し、庸俗な地師や浅陋な巫者にもはや騙されることはない。これは葬送の大事を慎重に執り行おうとする者にとって、一つの助けではないか。

十二、凡巨室,美地固非一穴。楊公所謂“眾墳合力卻成大”,又云“取眾墳參互議”,斯確論也。故茲所收之圖,有一家而二三地者,職此耳。十三、地理家諸書繁浩,條緒多端,眞贗並列,未易悉辯。緣督仙翁所謂“得訣歸來好看書”,確論矣!茲於編中撮其精當者,取以質證。或摘一二句,或採一二節,或間摭庶人之言,或備錄一家之說,或斷章而取義,或檃括以為辭,意在發明,非敢務博也。編中曰右、曰按、曰已上、曰補議,皆理有未盡,而復申明之,特變其發語之辭耳。

第十二条、大族の家では、良い地はもともと一穴にとどまらない。楊筠松の言う「衆墳合力して却って大を成す」、また「衆墳を取りて参互に議す」は、いずれも確切な論である。だから本書に収める図には、一家で二三箇所の地を占めるものがあるのはこのためである。第十三条、地理家の著述は浩繁で、頭緒は多く、真書と偽書が混雑して並び、一々分弁するのは容易でない。趙縁督仙翁の言う「訣を得て帰りて書を看るに好し」は、まことに確論である。本書は各家の書から精当な部分を摘取して是非を質証する。あるいは一二句だけ摘み、あるいは一二節を採り、あるいは民間の平常な人の説をついでに拾い、あるいは某一家の整段の議論を完全に録し、あるいは章を断じてその義を取り、あるいは原意を括約して己の言葉とする。意図するのはいずれも道理を闡発することにあり、博洽を誇ることを敢えてしない。書中に現れる「右」「按」「已上」「補議」という種々の字は、いずれも道理がまだ尽きていないためにさらに一層の申説を加えるもので、ただ発語の辞頭を換えたにすぎない。

郢中重刻『人子須知』序

德興徐維志、維事兄弟蓋孿雲。少為邑諸生。遭家難,棄去,治形家言。德興故多堪輿家,見,以為未慊於志,更走四方,求勝己者而師事之。所歷燕、齊、吳、楚、閩、粵,名城大都偉麗之觀,絶嶂幽壑猿鳥之徑,遺墟荒隴,狐兔之宮,皆窮躋翔覽然後已。凡三十年而業成,著書曰《人子須知》。

江西徳興の徐維志・徐維事の兄弟二人は双生児である。年少の頃はともに県学の生員であったが、後に家に変故があり、挙業を棄てて堪舆形家の学を修めることに転じた。徳興は古来堪舆家が多く、二人は遍く訪ね歩いたがなお心志を満たすことができず、そこで四方に奔走し、己に勝る者に遇えば皆その師とした。足跡の及んだところは、今の河北・山東・江蘇・湖広・福建・広東の各地に及び、名城大都の壮麗な景観も、絶壁深谷で猿鳥のみ通じる小径も、廃墟荒塚で狐兎が出没する旧墓も、すべて登り遍覧してやまなかった。前後してちょうど三十年で学業が成り、一部の書を著して『人子須知』と名づけた。

學士大夫雅好之,造請無虛日,庭中羔雁為群矣。先通奉公居王父喪,取其書置几上,手校讎,紙弊墨渝弗釋也。無何,先通奉不祿。諸孤藐焉懼不足以襄大事,則迎致維事來與計之。君故儒者,恂恂若不能言。比登覽,即千里在指顧中。聚訟可否,眾莫能決,君徐出詞組而定,人人遜弗如也。

士大夫たちはこの書を大いに愛し、門を登って教えを求める者が一日も絶えることがなく、庭には見舞いの礼として贈られる羔羊・大雁が群を成した。私の先父の通奉公は祖父の喪に服する時、この書を取って案頭に置き、自ら校勘し、紙が摩滅し墨が変色するまでも放すことを惜しんだ。ほどなく先父が世を去った。幾人かの孤児は年幼く力弱く、自らこの大事を執り行えないことを恐れ、徐維事を迎え請うて議した。徐君はもともと読書人の出で、謙恭であまり言葉を解しないかのようであったが、山に登って視察するに及ぶと、千里の山川が彼の指さし顧眄する間に尽くあった。衆人が一つの地の可否を争って誰も決められない時、徐君は从容として数句の断語を出し、事は定まり、人は皆自ら彼に及ばないと認めた。

間嘗請曰:“述兄弟三十年功緒,盡在斯編矣。今又十年,而聞見日益。太史公幸為我忠臣。”不佞謝不敏。會君有郢曾司空聘,而維志適從荊南來,遞出所新得,相資損益殆半。司空遂以付剞劂焉,而謂不佞與聞首事,屬序以遠其傳。不佞竊嘆夫術業之難工,而盛名不易居也。

彼はかつて私に個人的に頼んで言った。「我ら兄弟の三十年の功夫の成績は、すべてこの書の中にある。いままた十年が過ぎ、見聞は日々増えている。太史公のあなたが私のために忠実な記録者となってくだされば幸いです。」私はその才力がないと辞した。折しも徐君は郢中の曽司空の招聘を受け、徐維志もちょうど荊南から駆けつけ、兄弟はそれぞれ新近に得たところを出し合って互いに参訂し、増刪した部分はほぼ半分を占めた。曽司空はそこで書を刻工に交付して印刷させ、また私がこの事の発起に参与したとして、序を書くよう嘱し、書をより遠くまで伝えようとした。私は窃かに嘆じた。一門の学問を精工に成し遂げるのはこれほど難しく、盛名もこれほど担い難いものか、と。

君恆言家世受《尚書》,學古有獲,多聞事。建始,吾求堪輿於書而不合也,自用則小,好問則裕。中,吾求之人而不合也,晚而求之古今墓宅成敗已驗之格,而合者十六七矣。夫兩戒山河,首西北而竟東南,其形勢利便,豈一端而已?自吾涉淮北,渡漢南,以窺中原秦蜀而驗吾格,與前代名家擘畫無不合者矣。胼手胝足,勞心焦思,其成之難如此。

徐君は常に言った。彼の家は代々『尚書』を伝習し、古を学んで得るところがあり、見聞も多い。彼は言う。「初め、私は書本の中に堪舆の理を求めたが、符合しなかった。ひたすら自分で主張すれば得るところは小さく、人に教えを請うことを肯んずれば得るところは寛裕である。中ごろ、私は人の上に求めたが、やはり符合しなかった。晚年になってようやく転じて古今の墳墓・宅第の成敗ですでに応験した実例の格局に求め、これで十中六七は符合するようになった。唐の一行和尚の言う南北「両戒」の山川は、西北に起首して東南に終わるが、その間の形勢の利便は、どうして一種だけであろうか。私が北に淮を渡り南に漢を渡り、中原と秦蜀の地を窺い、自ら立てた格局を検証すると、前代の名家の規画布置と合わないところが一つもなかった。手脚に繭ができ、心を労し思を苦しめ、学成の難しさはこのようなものである。」

君兄弟名藉甚,而忌者之口亦無所不至。初以不佞招入郢,人或詬曰:“是商顏郜首而儒衣冠者,英雄欺人耳!”市虎杯蛇,轉相扇惑,君幾無以自解。斯名為謗囮矣。嗟夫!無論君所執,無論今之人,漢子云氏作《大玄》,羽翼聖經,而舉世莫能知,獨桓譚奇其辭,謂“五百歲而後興”。老氏不云乎,“知我希者貴”。彼其之子,雖戶說以眇論,終不能化,復何有於不佞之言?君第藏之名山可矣!萬曆癸未歲孟春之吉,賜進士出身亞中大夫河南布政使司右參政前陝西按察司副使奉勅提督學校翰林院國史修撰雲杜利瓦伊禎敘。

徐氏兄弟の名声は大きく、それゆえ嫉妬する者の言挙げも至らないところがなかった。初め私が彼らを郢中に招いた時、人々は毀って言った。「これはただ形容枯槁して儒服を着た者で、英雄の架子をもって人を威嚇するだけだ。」三人成虎・杯弓蛇影、流言は輾転して煽惑し、徐君はほとんど自弁する術がなかった。名声そのものがかえって謗りを招く媒となった。ああ! 徐君の守る学問がどうかはともかく、今人がどうかも言うまい。漢の揚子雲は『太玄』を著して聖人の経典を羽翼したが、世の中にこれを読み解く者はなく、ただ桓譚だけがその文辞を賞し、この書は「五百年後に興る」と言った。『老子』は言っていなかったか、「我を知る者が少なければ少ないほど、我は貴い」と。かのような人は、たとい戸を逐一訪ねて精微の論を説いても、結局点化し得ないのであり、私のこの数句が何を済わせられようか。徐君はただ書を名山に蔵すればよいのである。万暦十一年癸未孟春吉日、賜進士出身・亜中大夫・河南布政使司右参政・前陝西按察司副使・奉敕提督学校・翰林院国史修撰の雲杜李維楨が序を作る。

重刊『人子須知』序

嘉靖辛酉春,餘從京邸會星橋金太史,談堪輿家書不下數十百種,類皆繁雜,互相牴牾。仁人孝子一旦當大事,悲傷慘怛之餘,取其書而覽之,無所適從,往往以弗克盡心為憾。惟德興徐氏兄弟所著《人子須知》一書,會諸書而折衷之,足以破群疑,當大事也。然餘聞其言,未見其書。

嘉靖四十年辛酉の春、私は京城の寓所で星橋金太史に会い、堪舆家の書は数十百種を下らないが、大抵は繁雑錯乱して互いに抵触すると談じた。仁人孝子はひとたび葬送という大事に遭えば、悲痛の余りこれらの書を取って見ても、従うべきところがまったくなく、往々にして親に心を尽くせなかった憾みを抱く。ただ徳興徐氏兄弟の著した『人子須知』一書だけは、各家の書を彙集して折衷を加え、衆多の疑惑を破るに足り、大事に応ずるのに用い得る。ただし私は当時金太史のこの言葉を聞いただけで、まだその書を見てはいなかった。

比自商於致政歸,訪其書於坊間,兩見刻本,深嘉二子用心之當,而服金太史之言非誣。惜字多訛舛,欲為厭觀也。辛巳冬,雲杜李太史為尊人方伯公卜地,乃移書中丞王公,為訪二子來雲杜。時伯子已入閩越,迎其季子來。

私が商於一帯から官を辞して帰り、書坊でこの書を訪ね求めた時、前後して二種の刻本を見て、兄弟二人の用心の精当さを深く称許し、金太史の言が虚言でないことにも感服した。惜しむらくは刻本に錯字・訛字があまりに多く、見て厭きを生ずるほどだった。万暦九年辛巳の冬、雲杜の李太史が父の方伯公のために葬地を卜択し、中丞王公に手紙を書いて、徐氏兄弟を雲杜に招き請うよう託した。当時兄の徐維志はすでに福建・浙東一帯に行っていたので、弟の徐維事だけを迎えた。

既襄大事,餘後自太史廬迎季子及高第弟子塗子於郢中,亦為卜地計。見季子儒雅蘊籍,迥異俗師。相與遊處幾一載,暇日出手錄善本示余。未幾,伯子亦自閩越至,更相是正者久之。餘因念茲會不偶,所著述已精,從而校定入梓,使海內之仁人孝子覽之而從事,庶無弗克盡心之憾矣乎!旹萬曆十有一年癸未孟夏月望日,郢中陽白居士曾璠子玉甫譔。

葬事が済んだ後、私はまた李太史の居所から徐維事とその高弟の塗子を郢中に招いた。これもまた葬地を卜択するためである。徐維事の人となりは儒雅含蓄で、一般の庸俗な地師とは大いに異なっていた。交わることほぼ一年、暇な時に彼は自ら抄録した善本を出して私に見せた。ほどなく兄の徐維志も福建・浙東から駆けつけ、兄弟はまた長い間互いに訂正し合った。私はそこでこのような機縁は偶然でないと思い、また彼らの著述がすでに精審であるので、これに校定を加えて付梓刊行し、天下の仁人孝子がこれを読み、照らして葬送を執り行えば、おそらくもはや心を尽くせなかった憾みはないであろう。時に万暦十一年癸未孟夏四月十五日、郢中の陽白居士曽璠(字は子玉)が撰す。

旧序(華亭徐階撰)

江右徐維志、維事氏伯仲,著資孝堪輿書曰《人子須知》,因通家仰湖費大人馳請余言。適客有在座者,遽矍然曰:“人子之所當知者,豈惟是哉!且孝亦未易以言也。若大舜終身之慕,武周之繼述,曾參之養志,斯孝矣。顧屑屑於一藝一能,謂之曰孝,吾惑焉。”

江西の徐維志・徐維事兄弟は、孝道を資する堪舆の書『人子須知』を著し、世交の仰湖費大人を通じてわざわざ私に序文を求めてきた。折しも座に一人の客人がいて、すぐさま驚いて言った。「人の子として知るべき事は、どうしてこれだけのものか。まして孝道もまた容易に説き明かせるものではない。大舜のように終身父母を思慕し、周武王・周公のように先人の事業を継承して成就し、曽参のように父の心志を奉養できてこそ、初めて孝というのだ。いま一門の技芸・一つの本领に斤斤として、これを孝と称するのは、私には解せない。」

餘解之曰:“人子之於親也,固當無所不用其極,況地理尤切於送終以當大事者乎!《傳》曰‘事死如事生’,茍於其親之沒也,置蟻泉沙礫中,無異委壑,孝安在哉?是故風水之說固不足信,而厝親之舉則當重也;生人之禍福不足計,而化者之安危則所當慮也。

私は彼のために解釈して言った。「子として父母に対するのは、もともと至るところで極致を尽くすべきものであり、まして地理という事は送終という大事と関係がとりわけ切実である。『礼記』は『死者に事えること生けるが如くせよ』と言う。もし父母が亡くなった後に、その遺体を蟻穴・泉眼・沙礫の中に安置したなら、それは親を山溝に棄てるのと分別がなく、孝はどこにあるか。だから言うのだ。風水の禍福の説は固より全信するに足らないが、父母を安葬するという事は郑重すべきであり、活人の禍福は計較するに足らないが、已故の親の遺体の安危は憂慮すべきである、と。」

曾謂舜之大孝,武周之達孝,曾參之純孝,厥念乃不逮此與?誦夫子宅兆之訓,程子五患之戒,則地理固人子當知之切務,而非彼一藝一能者比也。謂之曰資孝亦宜矣。且觀其書,分條析類,明切該博,闢諸家之陋習,啟天下以孝誠,信有補於世教者,不可以其術而忽之也。”客唯唯而退。因書以歸之。賜進士及第光祿大夫左柱國少師兼太子太師吏部尚書建極殿大學士知制誥經筵國史總裁華亭存齋徐階撰。

どうして言おう、舜の大孝・武王周公の達孝・曽参の純孝は、その念慮にこの一層が思い及ばなかったであろうか。孔子の『其の宅兆を卜して安厝す』という訓誨、程頤の『五患を避けよ』という告戒を一たび念ずれば、地理はもともと人子たる者が知るべき切要な事務であり、あの一技一能とは比較できないことが分かる。これを『資孝』の書と呼ぶのは、名実ともに副うというものだ。さらにこの書を見れば、条を分かち類を別ち、明白にして切要、かつ該博で、各家の陋習を掃除し、孝誠をもって天下の人を開導しており、実に世道教化に補益があり、術数を説くからといって軽忽すべきでない。」客人は声を連ねて是とし退いた。私はそこでこれらの言葉を書いて彼らに渡した。賜進士及第・光禄大夫・左柱国・少師兼太子太師・吏部尚書・建極殿大学士・知制誥・経筵国史総裁の華亭存斎徐階が撰す。

旧序(浮梁金達撰)

世所論堪輿家,率以相地之術易視之。夫勘輿非術也。昔神禹敷土,隨山刊木,因九河之勢,奠厥民居;公劉之遷都,相陰陽,觀流泉;周公卜洛營周,居於洛邑,自古重之久矣。自左僊著《龍經》,郭景純著《葬書》,俚談曲說之士,遂各以所見售世,流為藝術,則世之易視之也固宜。

世人は堪舆家を議論するに、大抵は相地という学問を看軽している。実は堪舆はただの一つの方術ではない。昔、大禹が土地を整治した時、山势に沿って木を伐り標を立て、九河の走勢に依って百姓の居処を安んじた。周の先祖の公劉が遷都した時には「陰陽を相(み)、流泉を観る」ことを要した。周公は洛地を卜筮して成周を営建し、国都を洛邑に定めた。古来この事を重視するのは由來が久しい。左仙が『龍経』を著し郭璞が『葬書』を著して以後、俚俗な歪理を説く者どもがそれぞれ自己の一点の見解を持って世に兜售し、堪舆は流れて一門の生計の技芸となった。それなら世人がこれを看軽するのも怪しむに足らない。

夫宇宙亦大矣!術家者既不能長騖萬里,窮章亥之所步,復泥俚談曲說,不取正於大方家,如執蹄涔議絳虯,安可得乎!論法象者莫辨於《易》,其曰“天地定位,山澤通氣。”夫位有定而氣實通焉。絪縕磅礡,游魂靈怪,氣也。蒸為風雨,應為列星,流形於山川草木,亦氣也。氣也者,載天地而浮之也。是故山氣多勇,澤氣多瘖,谷氣多痺,險阻氣多壽。

宇宙はなんと広大なことか。術士たちは万里を縦横に上古の大章・豎亥の丈量したところを歩き尽くすこともできず、また俚俗の歪理に拘泥して真の大家に正しさを求めることを肯んじない。これはまさに牛蹄の跡の一掬いの積水を守って深淵の赤龍を談ずるようなもので、どうして談じ明かせられようか。天地の法象を最も分明に説くのは『周易』に如くはなく、『説卦』は「天地定位し、山沢通気す」と言う。方位は固定しているが「気」は貫通流行することが見て取れる。あの弥漫充塞して変化測り難い游魂の霊怪は気であり、蒸騰して風雨となり、上応して列星となり、流布成形して山川草木となるのもまた気である。気というものは、天地を載せてその中に浮懸せしめるものである。だから山中に住む者は多く剛勇で、水沢に住む者は多く喑唖で、深谷に住む者は多く痹症で、険阻の地に住む者は多く長寿である。

郭景純曰“啟陳發新,朝海拱辰”。左僊以北戒山起于闐,左支極之於,南戒山自右支極五嶺。其言曰“山行有斷,脈不中絕”,山澤通氣之說也。世之業堪輿者能知之乎?夫建都立邑,載諸經者,吾無論已。郭景純論葬法曰:“葬者藏也,乘生氣也。”世遂以氣休咎論禍福,不揆葬義所自起。孟軻氏不云乎,“且比化者,無使土親膚。”於人心獨無恔乎?吾以是知葬之起也,蓋仁人孝子之心也。

郭璞は言った「陳を啓き新を発し、海に朝し辰に拱す」と。左仙は「北戒」の山は西域于闐に起こり、左に分かれる支脈は極遠まで伸び、「南戒」の山は右支から五嶺まで伸びると考えた。彼が言う「山行に断あり、脈は中絶せず」は、まさに『周易』の「山沢通気」の理を説いている。当世に堪舆を業とする者で、この一層を解する者がいるだろうか。都を建て邑を立てる事については、経書に皆記載があるので、私は多くを言わない。郭璞は葬法を説いて言う「葬とは蔵であり、生気に乗じ接するを要する」と。世人はそこで気の吉凶を以て人の禍福を談じるが、安葬という事の本意がどこから起こるかを推究しない。孟子は言っていなかったか「死者のためを思えば、泥土が直にその肌に著くを忍びない」と。これはまさに人の心の過ごし難いところではないか。私はこれによって安葬という事の起源は、もともと仁人孝子の一片の心から起こることを知った。

不乘生氣,避五患,萬一奪烏鳶而飼螻蟻,其與委溝壑者何殊哉!夫善愛親者,疾必擇名醫,葬不敢以付庸術,蓋慎之也。是故乘生氣,避五患,以寧吾親,以畢吾終天之願,此仁人孝子所為心也,非徒以禍福論休咎也。彼堪輿者,倘能以其所嘗試者藏遺器於造化,而畢吾仁人孝子之心,其道亦大矣哉!世烏得而易視之?

もし「生気」に乗じず、程頤の言う「五患」を避けず、万が一ただ遺体を烏鷹の口から奪い返してまた螻蟻に喰わせるだけなら、それは屍を沟壑に抛つのと何の違いがあろうか。真に父母を愛惜することを知る者は、父母が病めば必ず名医を選び、安葬もまた平庸な術士に託すことを敢えてしない。そのためのものは一つの「慎」の字である。だから言う、生気に乗じ五患を避け、我が父母をして安らかならしめ、我が終身の願いを了す。これこそ仁人孝子の用心の所在であり、ただ禍福を以て吉凶を論ずるのではない。あの堪舆を業とする者が、もし真に彼らの試験済みの本领を以て、親の遺体を天地造化の中に妥く蔵し、仁人孝子のこの心を全うできたなら、この学問もまた大きいのではないか。世人はどうしてこれを看軽できようか。

吾饒有儒生徐維志、維事伯仲,嘗輯堪輿書曰《人子須知》,就正於餘。閱其議論該博,發理精詳,會百用於一原,析貳疑於百氏,眞足以挽俚談曲說而歸之正者,因書此以序之雲。賜進士及第南京國子監司業前翰林院國史編修浮梁星橋金達撰。

我ら饒州に徐維志・徐維事という二人の読書人の兄弟があり、かつて一編の堪舆書『人子須知』を編み、持って来て私に是正を請うた。私が読んでみると、その議論は該博で、道理を発明すること精細詳尽にして、百種の用法を一つの本原に帰会させることができ、また百家の異説の中に剖いて両可で決し難い疑問を開き、真に俚俗の歪理を正路に引き戻すに足りた。そこでこれらの言葉を書して序とした。賜進士及第・南京国子監司業・前翰林院国史編修の浮梁星橋金達が撰す。

序(銀麓張琨撰)

予謝仕二十餘年,於六經外,百家之書,靡不探究,惟庖犧氏之卜筮,岐黃氏之醫藥,郭景純之葬法,誠可以利天下者,皆得謂之仁術。宜乎其河江屢變,浮雲芻狗,而三術之衍,於萬世者不廢也。蓋制作之美則愛,愛則傳,人情理勢其固然與。

私が官を辞してからすでに二十余年、六経以外は諸子百家の書で探究しないものはない。その中でただ伏羲氏の卜筮・岐伯黄帝の医薬・郭璞の葬法だけが、確かに天下に福を造ることができ、いずれも「仁術」と称し得る。怪しむに足りない。江河は屢々道を改め、世事は浮雲芻狗のように変幻して定まらないのに、この三門の学問の流衍だけは万世廃れることがない。おそらく創制が美善なるものは、人がこれを愛し、愛すればこそ伝流する。人情事理の必然の趨勢はもともとこのようなものであろう。

吾邑徐君,少峰仰峰二難。握其所譔資孝堪輿書出以示余,皆精神獨得之妙也。餘閱而繹之,見其廣搜乎天下山川脈絡之源,旁及乎遠近名家仙蹟之式,參之以古先鴻儒大方家之緒論,摹寫乎伍星變換不一之形體,逐節斷以己意,一理貫通而宜葉乎人情,誠有深得夫晉室明賢“乘生氣”之肯綮者。

我ら県の徐氏兄弟、号は少峰・仰峰、優劣の分かち難い二人の人才である。彼らは自ら撰した資孝の堪舆書を持って私に見せたが、すべて精神心得上の独得の妙であった。私が読んで細かく尋繹すると、彼らが広く天下の山川脈絡の本源を搜求し、傍ら遠近の名家の残した名穴の格式に及び、また古代の大儒と真の内行の議論を参照し、「五星」の変化不一の形体を摹写し、逐節に自らの見解をもって断を下し、一つの道理を以て終始を貫通し、かつ人情に切合していることが見えた。実に深く晋代の高賢郭璞の「生気に乗ず」一語の要害を得ている。

要皆明切簡易,暢於辭華。譬之翰墨家人稱為布帛菽粟,飫之而不厭者,覽之易入,習之易趨。允矣通世之寶訓,可愛而傳也!且其教人安厝以當大事,舉所珍重而得隆其孝,示所勿犯而得全其仁,端持身之德本,衍國家之風化者,由此而出矣。

概して言えば皆明白切実・簡易で分かりやすく、辞藻の華麗に勝る。文章家の言葉に比すれば、これは世に言う布帛菽粟の類のもので、毎日食しても厭かず、読んで入りやすく、学んで手に付きやすい。これは真に世に通行する貴重な訓条であり、愛すに足り伝流に値する。まして書中は人に教えて安葬を妥くし喪事の大を担い、珍重すべきところを指せば人はその孝を隆厚にでき、避忌すべきところを指せば人はその仁を保全できる。身を立てる德行の根本を正し、国家の風俗教化を推衍するのは、皆ここから生ずるのである。

矧二君以穎敏之資,有聲藝苑,行可大鋪張,而乃幡然,浮雲軒冕,放情山水,發其所蘊,以資孝道於天下後世,是二君雖遯世,而尤闡達者。及物之事功,謝上蔡所謂幾,枉一生之根,二君可免也。猗與休哉!一時賢士大夫,各出金石,固已有公論矣,又奚餘之喋喋乎?

ましてこの二人は聡穎敏悟の資質を以て、早くから士林の中に声名があり、もともと身手を大展できたのに、翻然として途を改め、官位爵禄を浮雲と看做し、山水の間に情を縦にし、胸中に蘊えたところを発抒して、以て天下後世の孝道を資した。この二人は世を避けて隠居したとはいえ、さらに道理を闡明通達させた人である。万物に推し及ぼす事功について、謝良佐の言う、ほとんど一生の根本を空しく虚擲するという毛病は、この二人は免れ得たのである。なんと美しいことか。当時の賢士大夫は各々金石の文字を書して称許し、公論は早くからそこにあり、どうして私がここで絮叨するを用いようか。

雖然,智者作法,愚者咻焉。賢者更制,不肖者拘焉。安得天下孝子慈孫誦君之書,超然陳跡之外,通其巧於心目之間,不遇以書而遇以目,不遇以目而遇以神,洞其眞而契其妙,以廣二君仁孝教天下之本心?此二君未露之美意也。餘固因其請而並以及之。二君生同一乳,宋太師忠愍公裔,理學秋谷先生八世孫,銀邑世家雲。隆慶己巳,八十四歲叟眷張琨書於銀麓精舍。

とはいえ、聡明な人が法度を立てれば、愚昧な人は傍らで吵嚷し、賢能な人が旧制を変更すれば、不肖な人は旧様を死抱して放さない。どうすれば天下の孝子賢孫に徐君の書を誦読させ、紙上の陳跡の外に超脱し、書中の巧妙を自己の心目の間に貫通させられるか。ただ書本を以て領会するだけでなく目を以て印証し、ただ目を以て印証するだけでなく心神を以て契合し、その中の真を看透しその中の妙を契合し、以てこの二人の仁孝を以て天下を教化する本心を推広するのか。これこそ両人が明言しなかった美意である。私はもともと彼らの請いに応じてついでにこの一層に言及した。両人は同胞の双生児で、宋代の太師忠愍公の後裔、理学家秋谷先生の八世孫であり、徳興県の世家である。隆慶三年己巳、八十四歳の老翁・姻眷の張琨が銀麓精舎にて書す。

序(鉛山余鋐撰)

古昔聖人握造化之樞,探陰陽之竅,仰觀俯察,以闢天文地理之蘊。故璣衡察而象緯之數莫爽。夫惟坤厚載物,山澤通氣,沖和鬱靈,微妙鮮測。粵自遷歧相洛,時其陰陽,而風水之說實肇其端。三代以上,遐哉邈矣。漢晉而下,哲人繼踵,其著名於世,有若郭、卜、曾、楊、吳、廖、賴傳者。稽其授受,有巒頭、天星之傳。觀其著述,有《青囊》、《葬經》等作。歷世漸遠,敷詞益繁,然皆逞其臆說,狃於偏習,而末能會其全也。

上古の聖人は造化の枢機を掌り、陰陽の竅要を探求し、仰いで天象を観、俯して地理を察し、以て天文地理の蘊奥を開き出した。だから璇璣玉衡を以て観測すれば、日月星辰の度数に差錯がない。まさに大地が厚重にして万物を承載し、山沢の間に気息が相通じ、冲和の気が鬱結して霊秀を成し、微妙にして測度し難いからである。周人が岐山に遷居し洛邑を相度して以来、陰陽寒暖を按じて時節を定めることになり、風水の説は実にその時に端を開いた。夏商周三代以上の事は、すでに遥かにして考え難い。漢晋以下、明哲の士は踵を接して出で、世に著名なのは郭璞・卜則巍・曽文辿・楊筠松・呉景鸞・廖瑀・頼文俊という一系の伝人である。彼らの師承授受を考察すれば「巒頭」と「天星」の二路に分かれ、彼らの著述を見れば『青嚢経』『葬経』などの書がある。年代は隔たること益々遠く、敷陳の言辞は益々繁となるが、大抵は一己の臆説を逞しゅうし、一路に偏る習気を固守し、全局を会通できた者はいない。

饒郡徐君伯仲,少負奇穎,馳譽芹泮。因襄大事,雅志山水,而於堪輿諸書研究底蘊巳,自諗曰:是局聞見,未悉大觀。乃遍歷寰宇,日與薦紳諸大夫遊,凡名山形勝,世族宅兆,登覽摹圖,相為印證,克然有得。

饒州の徐氏兄弟は、年少の頃から奇特な聡穎の名を負い、県学の中で声譽があった。後に父の葬送の大事を執り行うことになり、初めて山水の学に志を立て、堪舆各家の書を皆その底裏まで研究し尽くした。研究し終わって、彼らは自ら反省して言う。このようにして得た見聞はなお一隅に局限され、大きなところを見ていない、と。そこで天下を遍く走り、日々士紳大夫と交遊し、名山勝地・世家大族の墳塋に及ぶものは、皆登臨遊覧して図に摹画し、互いに印証し、明白に心を得た。

由是厭諸說之汗漫,乃旁稽博採,撮要刪繁,闡幽彰微,而凡形勢、天星不傳之秘,悉皆列欵圖形,分條析類,辭義備具,殆邃乎聖人俯察之理,而發前賢未發之秘者矣。編成示予,爰定其名曰《心學統會》。蓋取夫發揮純粹,而獨得乎心悟;芟祛偏臆,而統集乎大成者耳。授吾鉛王上舍梓傳,善乎二君之志也!其錫類於天下之仁人孝子者,厥功深矣哉!厥惠溥矣哉!隆慶戊辰仲冬之長至日奉直大夫南京刑部廣東清吏司員外郎鉛山東泉餘鋐譔。

ここに至って彼らは諸家の説の漫然として辺際なきを厭棄し、そこで旁搜博採して精要を撮取し繁冗を刪去し、幽隠なるを闡明し微細なるを彰顕し、「形勢」と「天星」の両派の秘して外に伝えざるものを、すべて条款を列出し図形を画して分条別類し、辞句と義理をともに備え、ほとんど聖人が大地を俯察する理に深入り、前賢の発掘しなかった秘要を発掘した。書が編み成ると持って私に見せ、私はそこでそのために名を定めて『心学統会』とした。取ったのは純粋の理を発揮して独り内心に得る体悟、偏執臆断を鏟除して大全に統会集成するという意である。彼らは書を我ら鉛山の王上舎に交付して刻板流伝させた。両人のこの心志は真に美しい。その天下の仁人孝子に推し及ぼす教化の功はなんと深く、恩恵はなんと広いことか。隆慶二年戊辰仲冬冬至日、奉直大夫・南京刑部広東清吏司員外郎の鉛山東泉余鋐が撰す。

序(南山祝眉寿撰)

三才一理,而天其宗乎?地匪天,塊然已,何以效厥能?人匪天,蠢然已,何以效厥靈?故地必曰理,有以哉!夫天言乎其氣,地言乎其形。而地之所以為地,則生生之氣。氣之所以為氣,則生生之理。《傳》曰“天包地外”,吾則曰天入地中。不特虛靈屬天,而盡九垓之下皆天也,亦徵矣。世之求地者,苟不從事乎天,則本先撥矣,又安足語此?

天・地・人の三才は同一の理から出るが、天はそれらの宗主と該当するのであろう。地はもし天を離れればただ一塊の頑土にすぎず、何を以てその能を施すか。人はもし天を離れればただ一つの蠢物にすぎず、何を以てその霊明を発揮するか。だから地に言及するには必ず「地理」と称するのには、所以がある。天は気に就いて言い、地は形に就いて言う。而して地が地たり得る所以は、生々して息まない気に依り、気が気たり得る所以は、生々して息まない理に依る。旧説は「天は地の外に包む」と言うが、私はむしろ天は地の中にも貫入すると言いたい。虚霊の処が天に属するばかりでなく、九重の地底の下にも全て天が満ちている。これもまた検証があるのだ。世に地を求める者が、もし天の上から着手しなければ、それはまず根本を撥ね除けることになり、何の地理を談ずることがあろうか。

稽諸古聖,未有以地言者。堯都平陽,舜都蒲坂,禹都安邑,湯都亳,天下之大地理歸焉。迨周公洛邑之營,夫子宅兆之訓,二聖人豈徒然哉。營洛為民,民安而國安。宅兆為親,親安而子孫安。是皆本天星,察地理,所謂仁人孝子之用心也。故人子卜宅兆,要當以安親為念,豈惟求諸地哉?必求諸吾靈臺方寸之天可也。

古代の聖人を考察すれば、ただ地のみに就いて説を立てた者は一人もいない。堯は平陽に都を建て、舜は蒲坂に都を建て、禹は安邑に都を建て、湯は亳に都を建てた。天下最大の地理はこの数処に帰結する。周公が洛邑を営建し、孔子が「其の宅兆を卜して安厝す」の訓誨を残すに及び、この二聖人はどうして徒らに為したであろうか。洛邑を営建したのは百姓のためで、百姓が安ければ国家が安らかである。墓地を卜択したのは父母のためで、父母が安ければ子孫が安らかである。これらは皆天の上の星象に本づき、地の下の形理を察したもので、まさにいわゆる仁人孝子の用心である。だから人子たる者が墓地を卜択するには、つねに父母を安んずることを以て念とすべきで、どうしてただ大地の上に求めるだけでよかろうか。必ず自己の心の方寸の地のあの一片の天の上に求めなければならないのである。

眷家徐維志、維事伯仲,少為邑弟子。未幾以家難棄去,因葬親不忍委庸術,遂雅志山水,偏遊四方。歷涉歲久,聞見日博,乃出心得,著堪輿書,命曰《人子須知》。鉛邑王上舍壽梓廣其傳,徵言於予。首誦十戒,良契吾天,特表之,以為外天言地者勸。若其論斷、圖形,觀者當自得之。二君與予際沙兄友善,嘗從海內諸大君子究性命學,此特其緒餘雲。隆慶己巳端陽後三日同邑暖川南山祝眉壽譔。

姻親の徐維志・徐維事兄弟は、年少の頃ともに県学生員であった。ほどなく家の変故で挙業を棄て、また父を安葬するに庸俗な術士に託すに忍びず、そこで専ら山水の学に留意して四方を遍遊した。経歴する歳月が久しく、見聞は日々広博となり、心得たところを書き出して堪舆書を著し、名を『人子須知』と取った。鉛山の王上舎が出資して刻板してその流伝を広め、私に序文一篇を求めた。私はまず巻首の十条の戒言を読み、深く私の言う「天」の意に契合するものがあり、わざわざこれを標挙して、天を撇いて空しく地を談ずる者を勧め戒めるのに用いた。書中の論断と図形については、読者がおのずから各々得るところがあるであろう。両人は私の兄の際沙と交好し、かつて海内の諸大君子に従って性命の学を探究した。この書は彼らにとって余事にすぎない。隆慶三年己巳端午の後三日、同県暖川の南山祝眉寿が撰す。

自序

擇地一事,人子慎終切務也。孔子有“卜宅兆”之訓,孟子謂“比化者無使土親膚”,程子有“避五患”之戒,朱子謂“必慎必誠,不使稍有他日之悔”。聖賢垂教,其慎如此。欽惟我皇朝以孝治天下,迄今二百餘年,聖聖相承,仁恩磅礴,大臣命婦,咸有卹典,親親之教,視古尤加。誠以生事死葬,禮之大焉。

親のために地を択んで安葬するという事は、人子たる者の慎終追遠の切要な事務である。孔子に「其の宅兆を卜して安厝す」の訓誨があり、孟子は「死者のためを思えば、泥土を直にその肌に著くを忍びない」と言い、程頤は「五患を避けよ」の告戒を立て、朱熹は安葬は必ず「必ず慎み必ず誠にして、他日の悔いを少しも有らしめず」と言った。聖賢の残した教誨は、このほどに郑重なのである。恭しく惟うに、本朝は孝道を以て天下を治め、今日に至るまで二百年余り、歴代の聖君が相承し、仁恩は広く被り、大臣と封を受けた命婦が亡くなれば皆撫恤の典礼があり、親を親しみ愛する教化は古代よりさらに厚重である。これは実に生前の奉養と身後の安葬が、礼制の中で最大の事だからである。

且事死如事生,而葬必慮夫親魂之安危。又天性有不可解者,豈惟拘拘於彼術家所謂禍福之說哉!但化者既寧,則生者自昌。先正謂由根達枝,斯定理也。予不幸早孤,思得善土以奉先靈,不敢付諸術。讀易之暇,因究其理,求其據且確者,盡安厝之誠,以塞人子當知之分,與夫分內之可為事耳。

まして死者に事えること生けるが如くし、安葬するには必ず親の魂魄の安危を顧慮しなければならない。この中にはまた天性に化じ解し難い一点の情があり、どうしてただ術士たちの説く禍福の説を死抱して放さないだけのものであろうか。亡者が安らかなれば、生者はおのずから昌盛する。先輩先賢はこれを養分が樹根から枝葉に通達するようなものと言い、これは一条の定理である。私は不幸にして幼年に父を喪い、一心に一塊の良い土を求めて先人を安奉しようとし、この事を術士に交付することを敢えてしなかった。そこで『易』を読む余暇にその中の道理を探究し、憑拠があって確鑿たる説を尋ね求め、安葬の一片の誠心を尽くして、以て人子たる者の知るべき本分、および本分の内で力の及ぶ事を填めんと求めただけである。

然天地大父母,則有生天地間者,皆吾同胞類也。吾不欲苟於窀穸以畢子職,而天下獨非盡人之子與?矧推親親之愛,大無我之公,尤吾儒所謂理一焉者,其寧恝然於斯耶?於是忘其僭陋,與弟善述日加鑽研,會諸說而折其衷,芟繁蕪而歸其要,合形勢方位於一家,以龍穴砂水為四例,輯成一書,簡易明切,頗有便於慎終者之探索。

然るに天地は万物の大父母であり、天地の間に生まるるものは皆我の同胞の類である。私自身が墓穴を軽率に遇して子の職分を了すことを肯んじないのに、天下の人は皆他人の子ではないのか。まして親を愛する心を推広し、無我の公を拡大することは、まさに我ら儒家の説く「理一分殊」であり、どうしてこれに対して淡然として管しないことができようか。そこで私は自己の僭越浅陋を顧みず、弟の徐善述と日々钻研し、諸家の説を会通して折衷を加え、繁蕪を刪去して要領に帰結し、「形勢」と「方位」の両派を合わせて一家と為し、「龍」「穴」「砂」「水」を立てて四大門類とし、一部の書に編成して、簡明扼要にして切実で、喪事を執り行う者が査考するに頗る方便である。

目曰《人子須知》,蓋欲天下之為子者各親其親,而吾之所知不獨為一人之知雲。昔人謂芻蕘之言,聖人擇焉。苟自其人心之有知與不可不知者,須以求之,則於卜宅兆,避五患,以畢夫安厝之大事者,斯有以得其要領,而不為邪說所惑,庶上可以敷聖君賢相,澤及枯骨之仁,下可以盡肖子賢孫,厚本慎終之孝,亦國家孝治天下之一端,吾儒窮理盡性分內事也。若概視為術家之說,非予兄弟搜輯之本意矣。嘉靖甲子孟春德興山人徐善繼書於雙芝堂。

題名を『人子須知』としたのは、天下の子たる者が各々皆その父母を親しみ愛することを願い、また私の知るところが私一人の知識となるだけでないことを願うためである。古人は言った、草を割り柴を打つ者の言でも、聖人は善を択んで取る、と。もし人人が自己の心のすでに知っているところと知らざるべからざるところから着手し、この書に照らして求索すれば、墓地を卜択し五患を避け、安葬という大事を立派に行う上で、要領を捉えて邪説に惑わされないことができる。こうすれば上には聖君賢相の恩沢が枯骨に及ぶその仁を推広でき、下には孝子賢孫の根本を厚くし送終を慎重にするその孝を尽くすことができ、国家が孝を以て天下を治める一つの方面ともなり、我ら儒者の物理を窮究し人の本性を尽くす分内の事である。もし一概にこれを術士の言と看做すなら、それは我ら兄弟が搜集編輯した本意ではない。嘉靖四十三年甲子孟春、徳興山人徐善継が双芝堂にて書す。

予嘗觀宋儒牧堂蔡先生家訓云:“為人子者,不可不知醫藥、地理。”惕然心動。不幸先君早逝,生無以為養,所可圖者,惟宅兆一事耳。於是與季兄棄舉子業,治堪輿家言。所過名山大川,古今陵墓,必周覽久之而後去。更事師亦不啻數十人。如此者垂三十年,而後稍有端緒。

私はかつて宋儒の蔡牧堂先生の家訓を読んで言うを得た。「子たる者は、医薬と地理を知らざるべからず」と。読み終えて心中凛然として感ずるところがあった。不幸にして先父は早く世を去り、生前に私はよく奉養することができず、設法して行い得るのは墓地を卜択するという一事だけが残った。そこで私は兄とともに科挙の功課を放棄し、専ら堪舆の学を治めた。歩き通った名山大川・古今の陵墓は、必ず仔細に見飽きて初めて去ることを肯んじ、前後して師として拝した者も数十人を下らなかった。こうしてほぼ三十年を過ごして、ようやく少しばかり頭緒を摸得した。

夫術家妙契陰陽,明通觀察,雖代不乏人,然各私相授受,其流之弊,遂致矛盾冰炭,言天星者黜巒頭,言形勢者闢方位,穿鑿附會之說,與詆譭聚訟之談,紛然莫可究詰。人子欲葬其親,茫無所據,有遺憾者多矣。予竊取而權衡之,形勢審於未穴之先,先天之本體也;方位察於倒杖之後,後天之妙用也。先天之體出乎自然,天也;後天之用盡乎當然,人也。體用不可偏廢,天與人相峙並行,烏得執彼廢此耶?

術家の中で精妙に陰陽に契合し観察が通明な者は、歴代少なくなかった。しかし各家が私に伝授し合い、流弊の至るところ、遂に彼此矛盾して水火相容れぬ地に至った。「天星」を講ずる者は「巒頭」を排斥し、「形勢」を講ずる者は「方位」を攻撃し、穿凿附会の説と相互に毀損争訟する言論が紛紛擾擾として、追究して明らかにすることができない。人子たる者が父母を安葬しようとして茫然として拠るところなく、憾みを抱く者が多い。私は窃かに両派を掂量してみた。形勢はまだ穴を定めない前に審察するもので、「先天」の本体に属する。方位は「倒杖」して穴を定めた後に察験するもので、「後天」の妙用に属する。先天の体は自然より出づ、それは天である。後天の用は尽く人事の当然にあり、それは人である。体と用は偏廃すべからず、天と人はもともと並立して同行するもので、どうして一辺を捉えて他辺を廃することができようか。

乃以平昔所講求經涉而有得者,定為成書。先列巒頭之要,次附天星之法,形勢方位,各有攸當,天人體用,不相背違。俾孝子慈孫欲安其先靈者,不為偏見所誤,命之曰《人子須知》。夫舉千古不決之疑,而撊然兼總其全,僭越之罪,何辭可解?乃私心要在於資孝云爾,世當有諒我者矣。嘉靖甲子孟春德興山人徐善述書於怡怡軒。

そこで平生講求探訪し自ら経歴して得たところのものを、定めて一部の書とした。まず「巒頭」の要領を列し、次いで「天星」の方法を附し、形勢と方位は各々その位置に帰し、天と人・体と用が彼此相い背かない。先人の魂霊を安頓せんとする孝子賢孫が一偏の見に耽誤されないようにするため、ここに題名を『人子須知』とした。千百年来決断し下せなかった疑難を一挙に兼収総括しようとする、この僭越の罪は、何の言葉を以て解脱できようか。ただ私の私心の要旨は孝道に資するにあるだけで、世には必ず私を体諒する人があるであろう。嘉靖四十三年甲子孟春、徳興山人徐善述が怡怡軒にて書す。

郢中重刻自序

不侫曩以先人襄事,與季兄究心堪輿家,間有一得,筆之為書,名曰《人子須知》。鉛山見溪王君、書林餘氏雖嘗兩刻,病其未備,每欲再訂,弗暇也。辛巳夏,中丞王公、太史李公召入郢。明年春,又知遇司空曾公,客郢兩寅,頗多隙日。乃取前書緒正之。會季兄亦自荊南來,更相與討論潤色,刪繁補遺,較昔所著,合者十又四五。錄成,司空不鄙,校梓廣傳。

私は以前、先人の喪事を執り行ったことから、兄とともに堪舆の学を専心研究し、その間偶々心得るところがあれば、筆録して書と成し、名を『人子須知』と取った。鉛山の見溪王君と書林余氏が先後して二度刻したが、私はつねにその不完備を嫌い、屢々改めて訂正しようと思いながら工夫を抽出できなかった。万暦九年辛巳の夏、中丞王公と太史李公が私を郢中に召した。第二年の春、また司空曽公の知遇を蒙った。郢中に客居すること二年、空閑の日が頗る多く、そこで旧書を取り出して整理訂正を加えた。折しも兄も荊南から駆けつけ、兄弟は改めてともに討論潤色し、繁冗を刪去し遺漏を補い、従前の著述と比べて、なお相合するのは十分の四五にすぎなかった。整理して稿を成すと、曽司空は鄙陋を嫌わず、校訂して付梓し流伝を広めた。

第蠡測管窺,極知不可以為訓。念吾兄弟,自少遨遊四方,今顛毛種種矣。三十年間,心力盡在此編。敝帚千金,不忍遽棄耳。或誚余嘗從薦紳談性命之學,何屑屑於此,迷而不返?余謂西山先生父子及草廬吳公,皆儒者宗,嘗著《發微論》,發揮《玉髓》,刪定《葬書》,君子不以此少之。即朱子所上《山陵議狀》,有味哉其言之也!

ただ私のこの見識は瓢を以て海を量り管の中から天を窺うにすぎず、訓条を立てるに足らないことはよく知っている。思うに我ら兄弟は幼少より四方に奔走し、いま頭髪はすでに斑白にして稀疏となった。三十年の間、一生の心力を皆この書に費やした。自家の破れた箒は千金より重く見るもので、実に棄てると言うに忍びない。或る人が私を譏笑した。あなたはかつて士紳たちと性命の学を談じたのに、どうしてこの種の小道に斤斤とし、執迷して返らないのか、と。私は答えた。蔡西山先生父子と草廬呉澄先生は皆儒者の中の宗師であり、彼らは『発微論』を著し『玉髄真経』を発揮し『葬書』を刪定したが、君子はこれを以て彼らを看軽しない。朱熹の上した『山陵議状』に至っては、その中の言葉も甚だ分量があって味わい深いではないか。

且送終,人子大事,而付之庸師之手,天親之謂何?餘為此舉,凡以共子職而已。天下豈有無親之人哉!敬與為人子者共之。高明之士,竄定紕繆,出特見以相長,尤所願也。萬曆癸未春月吉旦山人徐善述書於郢中之陽春書屋。

まして送終は人子の大事であり、これを庸俗な地師の手に交すなら、天倫骨肉の親を何物と看做すか。私がこの事を為すのは、ほかならず子の職分を尽くすためである。天下に父母のない人があろうか。私は恭しくこの書を取ってすべての子たる者とともに分かち享く。もし高明の士があってその中の疏漏錯誤を改正し、独得の見解を提出して彼此切磋して長進できたなら、それはさらに私の盼望するところである。万暦十一年癸未春月吉日、山人徐善述が郢中の陽春書屋にて書す。

引用諸名家堪舆書目

《青囊經》秦之隱君子體易而作,陳希夷註釋稱《天機書》。按:世言堪輿家為青囊術,蓋祖此耳。《青烏經》秦青烏子著。《搜山記》漢朱桃仙著。《赤霆經》漢留侯張子房著。《六甲配卦圖》漢京房著。《狐首經》按:曾葛溪謂得之沈氏萬卷樓中,無作者名氏。郭璞《葬書》所引之《經》即一也。《錦囊經》即《葬書》,晉叅軍河東郭璞著,宋西山蔡文節公訂定,草廬吳文正公刪定。《捉脈賦》晉太尉長沙公鄱陽陶侃著。侃將葬母,失牛,遇異人指牛眠穴,位至三公。今催官說始此。

『青嚢経』は、秦代の一人の隠居した君子が『易』理を体察して作ったもので、陳摶がそれに注を作った時『天機書』と称した。按:世が堪舆を「青嚢術」と称するのは、源がこの書にある。『青烏経』は秦代の青烏子が著した。『捜山記』は漢代の朱桃仙が著した。『赤霆経』は漢代の留侯張良が著した。『六甲配卦図』は漢代の京房が著した。『狐首経』は、按:元の曾葛溪がこの書は沈氏の万巻楼より得たと言い、作者の姓名がない。郭璞『葬書』の引くところの「経に曰く」と称するあの経は、これである。『錦嚢経』はすなわち『葬書』で、晋代の参軍・河東人の郭璞が著し、宋代の蔡西山(文節公)が訂定し、元代の呉澄(草廬・文正公)が刪定した。『捉脈賦』は晋代の太尉・長沙公・鄱陽人の陶侃が著した。陶侃が母を安葬しようとした時牛を走失し、異人に遇って「牛眠穴」一処を指し示され、後に官は三公に至った。今言うところの「催官」の説はここから始まる。

《小卷陰陽正要》唐司天李淳風著。《大衍曆分度》唐內供奉一行禪師著。《理氣心印》唐亞父聞喜丘延翰著。《雪心賦》唐昭文館學士章貢卜則巍著。《疑龍經》、《撼龍經》、《畫筴圖》、《筴四大穴法》、《立錐賦》、《撥砂圖》、《胎腹經》、《望龍經》、《倒杖法》俱贛州楊筠松著。筠松名益,號救貧仙,南唐時人,曾文辿師也。《心鏡》、《尋龍記》、《陰陽問答》雩都曾文辿著。《一粒粟》楊筠松著,劉誠意伯批註。《游氏家傳啟蒙》南唐僉判新安遊潛著。潛,國師何令通婿也。《金鎖秘訣》五代陳摶著。摶,字圖南,豪州人,受業曾文辿,隱居西華山。宋徵不起,賜號希夷先生。

『小巻陰陽正要』は唐代の司天監李淳風が著した。『大衍暦分度』は唐代の内供奉一行禅師が著した。『理気心印』は唐代の亜父・聞喜人丘延翰が著した。『雪心賦』は唐代の昭文館学士・章貢人卜則巍が著した。『疑龍経』『撼龍経』『画筴図』『筴四大穴法』『立錐賦』『撥砂図』『胎腹経』『望龍経』『倒杖法』は、皆贛州の楊筠松の著したところである。楊筠松は名は益、号は救貧仙、南唐の時の人で、曽文辿の師である。『心鏡』『尋龍記』『陰陽問答』は雩都の曽文辿が著した。『一粒粟』は楊筠松が著し、明代の誠意伯劉基が批注を作った。『游氏家伝啓蒙』は南唐の僉判・新安人游潜が著した。游潜は国師何令通の女婿である。『金鎖秘訣』は五代の陳摶が著した。陳摶は字は図南、亳州の人で、曽文辿に受業し、西華山に隠居した。宋朝が彼を徴召したが出仕を肯んじず、朝廷は号を希夷先生と賜った。

《黑囊經》五代范越鳳著。一雲楊筠松著。《洞林秘訣》、《尋龍入式歌》范越鳳著。《葬經》六卷隋肅吉著。《龍經》三卷左仙著。《太華經》太華眞人許亮著。《撥沙經》陳亞和著。《吳氏家傳口訣》五代德興吳克誠著。誠,南唐國師吳法旺子,受業陳希夷先生。《玉髓眞經》宋國師張子微著。子微名洞玄天師,張道陵三十三代孫。蔡西山先生增發揮。《吳公解義》批註心印。《龍格通玄歌》、《吳氏秘訣》俱宋國師景鸞著。克誠子。

『黒嚢経』は五代の范越鳳が著し、一説に楊筠松の著という。『洞林秘訣』『尋龍入式歌』は范越鳳が著した。『葬経』六巻は隋代の蕭吉が著した。『龍経』三巻は左仙が著した。『太華経』は太華真人許亮が著した。『撥沙経』は陳亜和が著した。『呉氏家伝口訣』は五代徳興人呉克誠が著した。呉克誠は南唐国師呉法旺の子で、陳摶希夷先生に受業した。『玉髄真経』は宋代の国師張子微が著した。張子微は名は洞玄天師、張道陵の三十三代孫で、蔡西山先生がかつてそのために増補発揮した。『呉公解義』は『理気心印』のために作った批注である。『龍格通玄歌』『呉氏秘訣』は皆宋代の国師呉景鸞の著すところである。呉景鸞は呉克誠の子である。

《洩天機》前廖瑀著。按:元曾葛溪《俯察要覽》云:“有兩廖瑀,前廖樂平人,後廖雩都人,俱號金精,術俱神。《洩天機》本前廖著,因餘芝孫增入後廖《地課》及《入式歌》,增首尾衍文,世遂莫知有前廖禹矣。”今考前廖著述,重巒頭;後廖著述,重天星。後廖乃張公道明為虔倅時拔者,卒傳吳氏學。

『泄天機』は前廖瑀が著した。按:元の曾葛溪『俯察要覧』は言う「歴史上に二人の廖瑀がある。前廖は楽平人、後廖は雩都人で、ともに金精と号し、術数は皆神験であった。『泄天機』はもともと前廖の著したところで、余芝孫が後廖の『地課』と『入式歌』を増補して入れ、また首尾に衍文を添加したため、世人はそこでもう一人の前廖瑀があることを知らなくなった。」いま考察するに、前廖の著述は「巒頭」に偏り重し、後廖の著述は「天星」に偏り重い。後廖は張道明公が虔州通判に任じた時選抜し出した者で、最終的に伝承したのは呉氏一派の学問である。

《陰契陽符》、《師門心法》、《金精口訣》、《懷玉經》、《赤人圖》後廖禹著。《司馬頭陀水法》馬仙著。荊門州馬仙觀有臺基尚存,即其成道之所也。《發徵論》宋閩蔡牧堂先生著。觧注十數家,惟明鄱陽方伯余佑注本最善。《囊金》一名《心經》,上牢劉謙著,新安謝子期批註。《光明大照圖》司馬大士著。《催官篇》、《旅寓集》宋賴文俊著。俊官建陽,棄職浪遊,號布衣子。後修眞太乙峰下,世傳仙去。《玄樹經》宋浙右方斗南著。《海底眼》劉白頭著。《分金斷訣》厲伯韶著。《三寳經》珏齋謝子逸著。

『陰契陽符』『師門心法』『金精口訣』『懐玉経』『赤人図』は後廖禹が著した。『司馬頭陀水法』は馬仙が著した。荊門州の馬仙観には今なお台基が残っており、彼が道を成したところである。『発微論』は宋代福建の蔡牧堂先生が著した。それに解注を作った者は十数家あるが、明代鄱陽の方伯余佑の注本だけが最も良い。『嚢金』はまたの名を『心経』といい、上牢の劉謙が著し、新安の謝子期が批注した。『光明大照図』は司馬大士が著した。『催官篇』『旅寓集』は宋代の頼文俊が著した。頼文俊はかつて建陽で官をし、後に職を棄て浪游し、号は布衣子、晩年太乙峰の下で修真し、世は彼が仙と成りて去ったと伝える。『玄樹経』は宋代浙西の方斗南が著した。『海底眼』は劉白頭が著した。『分金断訣』は厲伯韶が著した。『三宝経』は珏斎謝子逸が著した。

《陰陽正源》宋德興紫瓊張眞人著。《堪輿要約》南宋國師德興傅伯通著。《大理歌》南宋國師鄒仲容著。容,名寬,德興人,與伯通同師廖金精。《祝氏秘鉗》宋觀物先生祝秘著。《堪輿微義》元齋易巖著。《俯察元機》元學士傅文懿公立著。立,伯通玄孫,祝觀物甥,精皇極數,學通天文地理。《革象新書》元德興趙緣督眞人友欽著。《俯察要覽大全》元曾葛溪著。《平沙玉尺經》元太師劉秉忠著,明誠意伯劉伯溫解釋,賴敬迪補註,為當世所宗。《地理件目》吳折著。一名集解,又名眞指、快捷方式、指南。折,景鸞裔也。《金斗訣葬法》、《一掌金》云外老人傅地著。地,傅伯通後裔。《金函經》、《天玉經》俱未詳所著。

『陰陽正源』は宋代徳興の紫瓊張真人が著した。『堪舆要約』は南宋の国師・徳興人傅伯通が著した。『大理歌』は南宋の国師鄒仲容が著した。鄒仲容は名は寛、徳興人で、傅伯通とともに廖金精に師として拝した。『祝氏秘箝』は宋代の観物先生祝秘が著した。『堪舆微義』は元代の斎易岩が著した。『俯察元機』は元代の学士傅立(文懿公)が著した。傅立は傅伯通の玄孫・祝観物の外甥で、皇極数に精通し、学問は天文地理に貫通した。『革象新書』は元代徳興の趙友欽(縁督真人)が著した。『俯察要覧大全』は元代の曽葛溪が著した。『平沙玉尺経』は元代の太師劉秉忠が著し、明代の誠意伯劉基が解釈を作り、頼敬迪が補注して、当世に推崇される。『地理件目』は呉折が著し、またの名を『集解』といい、また『真指』『捷径』『指南』とも呼ぶ。呉折は呉景鸞の後裔である。『金斗訣葬法』『一掌金』は雲外老人傅地が著した。傅地は傅伯通の後裔である。『金函経』『天玉経』はいずれも作者が誰であるか明らかでない。

《分金瀛海經》明德興董德彰注。《四神秘訣》、《天卦》、《青囊》、《南針論》《分金解》董德彰注。《三易三元編》李玄緒著。《叢珠素書》陳彥繹著,遊潛湄齋註疏。《何家沙法》明豐城南塘何德宏著。《地理摘奇》樂平洪理著。《大地圖》松江徐長谷著。《陰陽定論》泰和周視著。《陰陽決疑》蜀太守南泉羅青霄著。《堪輿正要》泰和龍巖樵著。《堪輿管見》閩副憲雙湖謝延桂著。以下俱不詳著者姓名:《昏衢炬燭》、《萬萬山心法》、《趙緣督瑣錄》、《祝氏神龍經》、《水經》、《張落魄口訣》、《空山老人穴法》、《天涯海角經注》、《寸金穴法》、《四十字穴法》、《沙竹圖穴法》、《銅人穴法》、《相山骨髓》、《三式全書》《地脈經》《地理指南》、《堪輿指南》、《山海經》。

『分金瀛海経』は明代徳興の董徳彰が注を作った。『四神秘訣』『天卦』『青嚢』『南針論』『分金解』は皆董徳彰が注を作った。『三易三元編』は李玄緒が著した。『叢珠素書』は陳彦繹が著し、游潜(湄斎)が注疏を作った。『何家沙法』は明代豊城南塘の何徳宏が著した。『地理摘奇』は楽平の洪理が著した。『大地図』は松江の徐長谷が著した。『陰陽定論』は泰和の周視が著した。『陰陽決疑』は四川太守南泉羅青霄が著した。『堪舆正要』は泰和の龍岩樵が著した。『堪舆管見』は福建副憲双湖謝延桂が著した。以下の各書は皆作者の姓名が明らかでない。『昏衢炬燭』『万万山心法』『趙縁督瑣録』『祝氏神龍経』『水経』『張落魄口訣』『空山老人穴法』『天涯海角経注』『寸金穴法』『四十字穴法』『沙竹図穴法』『銅人穴法』『相山骨髄』『三式全書』『地脈経』『地理指南』『堪舆指南』『山海経』。

瑣言凡そ十条

一 地理を知らざるべからず

孔子曰“卜其宅兆而安厝之”。程子曰:“卜其宅兆者,卜其地之美惡也。地之美者,則神靈安,子孫盛。若培植其根而枝葉茂。”又曰:“祖父子孫同氣,彼安則此安,彼危則此危。”朱子曰:“葬之為言藏也,所以藏其祖考之遺體也。以子孫而藏其祖考之遺體,則必致其謹重誠敬之心,以為安固久遠之計。使其形體全而神靈得安,則其子孫盛而祭祀不絕。”

孔子は言った「墓地を卜択して妥く安葬せよ」と。程頤は言った「いわゆる其の宅兆を卜すとは、その地の善悪を卜択することである。地が良ければ先人の神霊は安寧し、子孫は興盛する。これは樹根を培壅すれば枝葉がおのずから茂盛するが如し」と。また言った「祖父と子孫は同一の気脈で、彼方が安ければ此方が安く、彼方が危なければ此方が危ない」と。朱熹は言った「葬という字の義は蔵であり、祖先の遺体を蔵するを要する。子孫たる者は祖先の遺体を蔵するからには、必ず郑重誠敬の心を出して、長久安固の打算を作さなければならない。遺体を保全して神霊を安んずれば、子孫は興盛して祭祀は断絶しない」と。

又曰:“其或擇之不精,地之不吉,則必有水泉、蟻螻、地風之屬以賊其內,使其形神不安,而子孫亦有死亡絕滅之憂,甚可畏也。”陸象山曰:“通天地人曰儒。地理之學雖一藝,然上以盡送終之孝,下以為啟後之謀,其為事亦重矣。親之生,身體髮膚皆當保愛,況親之歿也,奉親之體厝諸地,固乃付之庸師俗巫,使父母體魄不得其安,則孝安在哉!”

朱熹はまた言った「もし択ぶこと精審ならず、その地が不吉ならば、必ず水泉・螻蟻・地風の類がその中にあって侵害し、遺体と神霊とがともに安寧を得ず、而して子孫にも死亡絶滅の憂患がある。甚だ恐るべきものである」と。陸九淵は言った「天・地・人の三者を貫通し得てこそ儒と称するに配る。地理の学はただ一門の技芸にすぎないが、上に説けば送終の孝を尽くし、下に説けば後人のために打算を作すのであって、この事もまた重大と算えられる。父母が生きている時は、身体髪膚も皆保護愛惜すべきで、まして父母が世を去った後に、父母の遺体を土の中に安放するのに、竟にこれを庸俗な地師・市井の巫者に交付して、父母の体魄を安寧ならしめずとは、孝はどこにあるか」と。

夫觀聖賢所論如此,則擇地殯親之道,誠仁人孝子之不可忽者。若平居視地理為末務,而不之問,一旦有大故,則不免倉卒苟且為之,幸得吉地,固所願矣;不幸而置親體於蟻泉沙礫中,無異委之於壑坵,不孝孰甚?故人子須於平時講明其說,庶幾他日臨事不悞,而親魄得安於地下矣。

聖賢たちの議論がこの地步に至るのを見れば、地を択んで父母を安葬する道は、実に仁人孝子の軽忽すべからざるものと見える。もし平日に地理を末節小事と看做して、従来これを過問せず、一旦家中に大喪があれば、倉促草率に執り行わざるを得ない。僥倖して吉地を得れば、固より願うところである。不幸にして父母の遺体を蟻穴・泉眼・沙礫の中に置くならば、それは親を山溝土丘の裏に抛つのと分別がなく、これより不孝なるものがあろうか。だから人子たる者は必ず平日にこの套の道理を弄明白にしておき、こうすれば将来事に臨んで失誤に至らず、父母の魂魄は地下に安んずることを得るのである。

雖然,三折臂然後稱明醫,地之理又非膚淺及鮮傳者所能究竟也。苟曰予既已知之矣,而自用自專,悞凶為吉,牢不可破,則其害奚異於庸師俗巫哉!噫,萬鎰之玉,必付之玉人而後可也。

とはいえ、古語に腕を三度折って初めて良医と称するに足ると言い、地理という道理もまた浅く嘗めて輒に止め、真伝に欠ける者の窮究し尽くせるものではない。もし或る人が私はすでに懂ったと言い、そこで剛愎自用して独断専行し、凶地を誤って吉地と認め、なお固執して誰が言っても動かせないならば、彼の造る禍害は庸俗な地師・市井の巫者と何の両様があろうか。ああ、価値万鎰の美玉は、結局これを専門の琢玉の匠人に交付して処理せしめなければならないのである。

二 柩を停めて葬らざるべからず

司馬溫公曰:“今人有喪親者,往往久而不葬。問之,曰歲月未利也。又曰未有吉地也。遊宦遠方未得歸也。貧未能辦葬具也。至有終身累世而不葬,遂有棄失尸柩不知其處者。嗚呼!可不令人深嘆愍哉!人所貴於身後有子孫者,為能藏其形骸也。其所為乃如是,曷若無子孫死於道路,猶有仁者見而殣之耶。

司馬光は言った「今日の人は父母が死ぬと、往々にして久しく引き延ばして下葬しない。その故を問えば、年月が吉利でないと言い、またまだ良い地を見つけていないと言い、また自己が遠方で官をしていて帰れないと言い、また家が貧しくて葬葬の用具を置き办えられないと言う。甚だしきは一生を終えても下葬せず、数代に累及する者さえあり、棺柩が丢失してどこにあるかも知らないに至る。ああ! これはどうして人をして深く嘆息し憐憫せしめないことがあろうか。人が身後に子孫があることを重んずる所以は、人があって自己の形骸を安蔵し得るためのものである。所作所為が竟にこの地步に至るならば、むしろ子孫がなく路辺に死するに如かず、なお仁厚な人が見て彼のために掩埋してくれるであろう。」

且先王制禮,葬期遠不過七月,自王公以下,皆三月而葬。又禮,未葬不變服,食粥,居倚廬,哀親之未有所歸也。既葬,然後漸有變除。今之人背禮違法,未葬而除喪,從宦四方,食稻衣錦,飲酒作樂,於心安乎?”吳草廬曰:“喪不即舉,年代已遠,或子孫參差而人事不齊,或罹兵亂而水火不測,或貧病兼併而不能舉,或是非爭兢而害成,或官事牢獄而不可為,或日怠日忘而竟成棄置,皆停喪久遠而變見多端也。”

まして先王が礼法を制定するに、下葬の期限は最も遠くても七ヶ月を過ぎず、王公以下は皆三ヶ月で下葬する。礼制はまた規定して、下葬しなければ喪服を改換せず、稀粥のみ食し、牆に倚りて搭した草廬に住み、父母がまだ帰宿を得ないことを哀傷する。下葬した後に及んで、初めて漸々更変除服することがある。今日の人は礼法に違背し、まだ下葬しないうちに先に喪服を除き、四处して官を為し、好飯を食い錦衣を着て、飲酒作楽するが、心は過意なく過ごせるのか。」呉澄は言った「喪事を時に及んで執り行わなければ、年代が久しくなると、あるいは子孫が各自分散して人事が湊り合わず、あるいは兵乱に遭遇して水火が料り難く、あるいは貧病が交加して執り行うに起こせず、あるいは是非争執に因りて禍害を生じ、あるいは官司牢獄に摊上がって办理の法なく、あるいは一日一日怠慢遗忘して竟に完全に抛置するに至る。これは皆喪を停めること久しくて変故が百出する故である。」

愚按:二公所言,極其痛切。蓋今時之俗,平居多不講夫地理,及有變故,則懵無所措,停柩以侍擇地。初心雖切,久必因循,遂至醉夢過時,不知為天地間極大罪人。有子不能葬其父,有孫不能葬其祖,至於年代深遠,誠有如二公之所慮者。嗚呼!為人子者可不懍懍然而知所戒懼乎?

私按するに、司馬光・呉澄の両氏の言うところは、極めて痛切である。今日の風気は平日に大抵地理を講求せず、家裏に喪事が出るに及んで、懵懂として手足の措き所なく、やむを得ず棺柩を停めて地を択ぶのを待つ。起初の心意は懇切であっても、日子が長くなれば必ず因循拖沓し、終に渾渾噩噩のうちに時機を錯過し、自己はまだ知らず、すでに天地間の大罪人と成っている。子たる者が父を安葬できず、孫たる者が祖父を安葬できず、年深日久に拖到すれば、果たして両先生の憂慮したあの種の後果が現れる。ああ! 子たる者は能く心に戒惧を存し、警惕を知らざるべきか。

三 祖塚に侵葬すべからず

夫地理之法雖繁,而“葬乘生氣”一言,足以盡其肯綮。故千里來龍入首,惟融八尺之穴。諺云“陰地一線”是也。祖冢既已乘乎一線生氣,則其左右上下皆為死氣,葬之徒為蟻穴泉窟而已。不惟新葬之柩將為禍患,且又洩祖宗之生氣,驚祖宗之體魄,其為害不小也。

地理の法門は繁多であるが、「葬は生気に乗ず」という一句だけで、すでにその要害を説き尽くすに足る。だから千里より来たる「来龍」が「入首」の処に至っても、ただ八尺見方の一つの穴に凝聚する。俗に言う「陰地はただ一線」はまさにこの意である。祖墳がすでにこの一線の生気を占住したからには、その左右上下は全て死気であり、葬り入れてもただ自家の親人のために蟻穴泉窟を一つ見つけたにすぎない。こうすれば新たに葬る棺柩が禍患を出すばかりでなく、しかも祖宗の生気を泄漏し祖宗の体魄を驚動して、為害は小さくない。

或曰:中州之地,始葬者南面,後竁左右昭穆而殯,謂之族葬。有一穴安數十冢者,有一冢安十數柩者,似於侵葬,未聞其禍何也?予曰:中州之地,千里平洋,水深土厚,若得一穴,可安十數柩者有之,可安十數冢者有之。張子微所謂“也有一龍十數穴,也有一穴十數塋”者是耳。東南山叢,水駛土薄,易泉而多石,螻蟻生之,安可與中州比也?

或る人が問うた。中原一帯の規矩では、最も先に下葬した者が北に坐り南に向かい、後に壙を開く者は昭穆の次序に按って左右に分列して安葬するのを「族葬」と呼ぶ。一つの穴に数十座の墳を安下するものもあり、一つの墳に十数具の棺柩を安下するものもあり、見れば皆侵葬に似ているが、禍事が出たとは聞かない。これはなぜか。私は答えて言う。中原の地は千里平洋で、水位は深く土層は厚く、もし一つの穴を得れば、十数具の棺柩を安んじ得るものもあり、十数座の墳を安んじ得るものもある。張子微の言う「或いは一龍に十数穴あり、或いは一穴に十数塋あり」とは、まさにこの種の情形を説くのである。東南一帯は山巒が叢集し、水流は湍急で土層は淺薄く、水が出やすく石が多く、螻蟻が滋生して、どうして中原と比べられようか。

或又曰:附葬祖側,及父母必合葬,皆古禮,有不可議者。答曰:禮貴通變。附葬既有侵祖之嫌,而合葬或不得已,亦不必拘。予兄弟嘗遊閩至考亭,拜文公朱夫子遺像。及徧觀其先世坵壟,文公之祖退翁,名森,字良材,墓在政和縣感化裡護國寺西。父韋齋先生,名松,諡獻靖,墓在崇安縣上梅里寂歷山。母祝氏夫人,墓在建陽崇泰裡寒泉嶺仰天湖形。文公墓在建陽嘉禾裡九峰山下,風吹羅帶形。

また或る人が問うた。祖墳の傍らに附葬し、および父母が必ず合葬するのは、皆古礼であって、非議すべきでない、と。私は答えて言う。礼は通権達変を貴ぶ。附葬はすでに祖墳を侵犯する嫌疑があり、また合葬に已むを得ない情形があれば、必ずしも拘泥する必要はない。我ら兄弟はかつて福建を遊歴して考亭に至り、朱熹先生の遺像を拝謁し、また他家先世の墳塋を遍く見た。朱熹の祖父の退翁は名は森・字は良材で、墓は政和県感化里護国寺の西にある。父の韋斎先生は名は松・諡号は献靖で、墓は崇安県上梅里寂歴山にある。母の祝氏夫人の墓は建陽崇泰里寒泉嶺にあり、「仰天湖」の形である。朱熹本人の墓は建陽嘉禾里九峰山の下にあり、「風吹羅帶」の形である。

退翁以前墓皆在徽婺源,去考亭固已甚遠。而退公、韋齋、文公之墓,又各在一縣,去考亭皆百餘里,何嘗拘於附近祖冢之說?又,考文公葬父,亦嘗三遷,而最後遷處,與葬母同年按文公年譜,乾道六年正月葬母,八月改葬父,亦未嘗拘於父母合葬。噫!此見我文公先生燭理之明,不狃於俗,足可為法矣!

退翁以前の数代の墳墓は皆徽州婺源にあり、考亭からはすでに遠い。而して退翁・韋斎・朱熹の三代の墓はまた各々一つの県にあり、考亭から皆一百余里あって、何嘗祖墳に必ず近づかなければならないという説に拘泥したことがあろうか。さらに考えるに、朱熹が父を安葬するにも、かつて三度遷移し、而最後の遷葬は母を安葬したのと同じ年であった(『朱文公年譜』に拠れば、乾道六年正月に母を葬り、八月に父を改葬した)。これを見れば、父母が必ず合葬せねばならないにも拘泥しなかったのである。ああ! これを以て朱熹先生の事理に洞察した明白さ、流俗に迁就せず、足りて法式を立てることができることを見るに足る!

按:《文公年譜》云:紹興十四年,葬韋齋於西塔山,其後改葬於寂歷山中峰之原。及考韋公,《遷韋齋墓記》曰:初,府君將殆,欲葬崇安之五夫。卒之明年,遂定於靈梵院側。時熹幼未更事,卜地不詳。懼體魄之不安,乾道六年,遷於白水之鵝峰山下。又考文公慶元五年撰《韋齋行狀》云:公卒之明年,熹奉其柩葬於崇安縣之五夫。然公所藏,地勢卑溼,懼非久計,乃奉而遷武夷鄉上梅里寂歷山中峰僧舍之北。即此而觀,乃是三遷葬也。見《建寧郡志》。

按:『朱文公年譜』は言う、紹興十四年に韋斎先生を西塔山に葬り、後に寂歴山の中峰の原に改葬した、と。さらに朱熹の作った『遷韋斎墓記』を考えるに言う。当初父が病危の時、もともと崇安の五夫に葬ろうとし、去世の第二年になって初めて霊梵院の傍らに定まった。その時朱熹は年幼く事を経歴せず、地を卜するに詳審ならず、父の体魄が安寧を得ないことを恐れ、そこで乾道六年に白水の鵝峰山の下に遷った、と。また朱熹が慶元五年に撰した『韋斎行状』を考えるに言う。父が去世した第二年、朱熹は柩を奉じて崇安県の五夫に葬ったが、あの処の葬地は地勢が低窪して潮湿し、長久之計でないことを恐れ、そこで柩を奉じて武夷郷上梅里寂歴山中峰の僧舎の北面に遷った、と。これらの記載に照らせば、確かに三度の遷葬である。この事は『建寧郡志』に見える。

四 旧穴に葬るを図るべからず

曾葛溪曰:“圖葬舊穴,惑之甚也。嘗見一舊穴,雖前已發大貴,子孫不肖鬻之,凡三易主,葬二百餘年,卒無顯者。人但指而言曰:‘此某氏祖冢,徙墎賣與某氏。不利,又轉賣某氏,皆不利’。即此可知,舊穴無重發達之驗。

曽葛溪は言った。「他人が用いた旧穴に葬ろうと打算するのは、糊涂の極みである。私はかつて一処の旧穴を見た。昔は大貴人を出したことがあったが、後に子孫が不肖でそれを売り、前後して三度主を換え、葬って二百年余り、終に顕達な人を出さなかった。人々はただそれを指して言う。『これは某家の祖墳で、棺椁を遷して某家に売った。不吉で、また某家に転売したが、これも皆不吉である』と。この一事だけを見ても、旧穴に再び発達した験がないことが分かる。」

又有葬後風遷水易者,難以殫舉,竟未聞葬舊穴而獲福者。況憑福恃勢,發他人之墳,誅其用心,已不為天所佑,地何能福之哉?且地脈初興,如火之始然;及其既敗,如灰燼已冷。欲於冷灰中求炙手熱,決無是理。此古人謂圖葬舊穴,如求嗣續於鶴髮婦人耳。”

また葬って以後に風向が変わり水路が更易したものは、数え切れないほど多く、竟に旧穴に葬って福を得たとは聞かない。まして自家の金銭と勢力を恃んで他人の墳を掘るのは、心を誅して論ずれば、このような存心はすでに上天の保佑を得られず、土地もまたどうして彼に福を降らせられようか。さらに言えば、地脈が初めて興る時は、火がちょうど点いたばかりのようであり、そのすでに衰敗した時は、灰烬がとっくに冷え透ったようである。冷灰の中に炙手可熱を求めようとは、絶えてこの理がない。だから古人は言う、旧穴に葬るを図謀するのは、白髪の老婦に子嗣を求めるようなものだ、と。」

按:葛溪所論,誠皆切當。蓋人子求地葬親,當先修其德。謀葬已發之穴,徙人之親而葬其親,伐人之冢而為已冢,忍心害德,莫此為甚,縱得地理,天理何在?予嘗謂:人人難保百年墳,徙墎重扦太忍心。莫道天公無報應,後來還有伐墳人。求地者宜知所戒。

按:曽葛溪の議論は、確かに皆切当である。人子たる者が地を求めて父母を安葬するには、まず自己の德行を修養すべきである。すでに福を発した旧穴に葬るを図謀し、他人の先人を遷して自己の先人を安葬し、他人の墳を掘り去って自家の墳を作るとは、心腸の忍びなさ・徳を傷ることの深さ、これより甚だしいものはない。たとい地理を得ても、天理はどこにあるか。私はかつて数句を書いた。「人は皆自家の墳が百年守り満たせることを保ち難く、他人の棺椁を遷して改めて穴を点穴し下葬するのは実に忍びなさすぎる。老天に報応がないとは言うな、後にまた人が来てお前の墳を掘るであろう。」地を求める者は戒警を知るべきである。

五 公位に拘泥すべからず

世俗拘泥公位之說,兄弟眾多,各懐私意,爭論不決,遂有終身不殯其親者。噫!為人父母者,每以子多為幸。今若此,則是不若少子者,無房分之爭,得歸全於土,而免久暴之患矣!是故求地惟當辨眞偽,不可拘泥公位。地誠眞美,而於公位或有不齊,此亦付之子孫緣,不可挾私而久暴其親,亦不可信邪師之言,妄有作為而反壞其地。

世俗は「公位」の説に拘泥し、兄弟が多いと各々私心を懐いて争論が下らず、そこで竟に一生父母を安葬しない者がある。ああ!父母を為す者はつねに子が多いことを福と看做すが、いまこのように成っては、かえって子の少ない家に如かない。房分の間の争執がなく、父母は完整に土中に帰し、長く棺柩を暴露する禍患を免れるのだ。だから地を求めるにはただ真穴・假穴を分弁すべきで、公位に拘泥すべきでない。地がもし確かに真で美ならば、ただ公位の上で各房に均匀に及ばないかもしれないが、これは子孫各自の縁分に帰するほかなく、私心を挟帯して父母を長く暴露させてはならず、また邪師の言を聴信して、胡乱に布置を改動してかえって良い地を弄壊してもならない。

且欲房分之均,不可拘於一穴,宜別求一穴以補襯之,則得均矣。楊公云“豈可一墳分公位,必取眾墳叅互議”是也。大抵公位之說,只可置之勿論。蔡文節公云:“今人動爭公位之說,以致久不葬親,何所見之謬耶!造化者自區處,豈伊人力所能巧計?地不可不擇,當使亡魂安處。至於自求多福,乃在地理以外,非可以徇私為心。

さらに言えば、各房に均しく沾わせたければ、もともと一つの穴に死守する必要はなく、別にもう一つの穴を尋ねて補い襯えれば、これおのずから均しくなる。楊筠松が言う「豈にすべからく一墳をもって公位を分かたん、必ず衆墳を取りて参互に議せ」とは、この意である。大体言えば、公位という套の説は、ただ一辺に擱いて理会しないに限る。蔡元定(文節公)は言った。「今人は動もすれば公位の説を争い、以て久しく父母を葬らない。見識はなんと荒謬なことか。造化には自らその安排があり、どうして人力の巧計の安排し得るところか。地は択ばざるべからず、亡者の魂魄に安処する所を与えなければならない。自己が多福を求めることについては、それは地理の外の事で、徇私の心思を存すべきでない。」

才有私心,其計必左。世人以此誤自己,誤子孫者甚多。及不如意,從而遷徙,愈更愈錯,非地誤人,用心之誤也。”程子曰:“不以奉親為計,而專以利後為謀,非孝子安厝之用心。”誠為至論。故人子但以安親為念可也。若曰期生人之受蔭,冀富貴於將來,但末務耳。況有葬後沙水變易,而公位之說亦多不驗。為人子者,須知大義,豈可專泥於茲乎。

一たび私心があれば、算計は必ず落空する。世人がこれによって自己を耽誤し子孫を耽誤した者は多い。称心如らなくなるに及んで、それについて墳を遷し、改すれば改するほど錯誤する。これは地が人を耽誤したのではなく、用心が錯誤したのである。」程頤は言った。「父母を奉安することを以て打算とせず、専ら後人に利することを謀るのは、孝子が父母を安葬する存心ではない。」まことに至理の論である。だから人子たる者はただ一心に父母を安んずることを思えば足りる。活人が蔭庇を受けることや将来の富貴を盼望するのは、それは不过末節である。まして下葬した後に砂形・水路が変化を生ずるものもあり、公位の説も大抵応験しない。子たる者は大義を懂えなければならず、どうして専らこの一条に死守できようか。

六 軽易に改葬すべからず

孔子曰:“古者不修墓。”非不修墓也,蓋必誠必信已。當葬時而豫為一成不動之計,其慎重尚如此,況舉既葬之親而欲改遷之,何可以慎重不如是乎?今之人有輕信人言,或為富貴而動其念,或為禍患而惕其衷,往往易於改葬,彼其事得已耶?抑不得已耶?如其不得已,而有水蟻及他患也,改之無不可也。然亦有為野師所惑,誤改吉地者,令親體不免暴露,吾恐仁人孝子當不止其顙之有泚矣。

孔子は言った。「古は墓を修せず。」これは墓を修めることを肯んじなかったのではなく、下葬する時に必ず誠に必ず信にしていたと言うのである。当初安葬した時に予め一労永逸・永く変動しない打算を作し、郑重がこのほどであった。ましてすでに葬った父母をまた掘り出して改遷するのに、どうして同じく郑重でなくてよかろうか。今日の人はあるいは他人の言を軽信し、あるいは富貴を求めて墳を遷す念に動かされ、あるいは禍患に遭遇して心が慌て、往々にして軽易に改葬する。彼らのあの事は一体為さなくてもよいのか、それとも為さざるを得ないのか。もし確かに已むを得ず、墳中にすでに水・蟻あるいは他の禍患があれば、改葬は不可ではない。然るに江湖の術士に迷惑されて、もとの吉地を誤って改めてしまった者もあり、父母の遺体を暴露を免れず、私が見るに仁人孝子はあの時、おそらく額の汗ばかりでは済まないであろう。

《青烏經》云:“凡地有五不祥者可改:一冢無故自陷;二冢上草木枯死;三冢有淫亂風聲,少亡孤寡;四男女忤逆顛狂,刼害刑傷瘟火;五人口死絕,家產耗散,官訟不息。改之。如見三祥瑞則勿改:一見生龜蛇生氣物;二見紫藤交結棺木;三有水珠玸色如乳溫暖,或有氣如霧,穴中乾燥無水蟻,並吉。”甚哉,有味乎其言之也!

『青烏経』は言う。「凡そ墳地に五種の不祥の象ある者は改葬すべし。第一に、墳塚が故なく自ずから塌陷する。第二に、墳上の草木が枯死する。第三に、家中に淫乱の風言風語が現れ、あるいは少年が夭亡し孤児寡婦が不断となる。第四に、男女が忤逆・癲狂し、劫害・刑傷・瘟疫・火災に遭う。第五に、人口が死絶し家産が耗散し、官司訴訟が停まない。これらの情形は即ち改葬すべし。もし三種の祥瑞を見れば改めるな。第一に、生きた龜蛇の類の生気あるものを見る。第二に、紫藤が棺木に纏結するを見る。第三に、水珠の色沢が乳の如く温潤なもの、あるいは霧の如き気があり、穴中が乾燥して積水・蟻蛀がない。これらは皆吉象である。」この段の言葉は実に良い。よく反復して体味するに値する!

予茲推廣其意,特立五戒:曰人丁蕃衍者不遷,年代深遠者不遷,無五不祥者不遷,不犯五患者不遷程子曰:“須使他日不為道路,不為城郭,不為溝池窯灶,不為貴勢所奪,不為耕犂所及,家道平康者不遷。誠欲其人之慎之也。

私はここにその意を推広し、わざわざ五条の戒律を立てる。人丁が興旺なら遷さず、年代が久遠なら遷さず、上記五種の不祥の象が現れなければ遷さず、「五患」を触犯しなければ遷さず(程頤は言う「必ず墓地が他日道路に変わらず、城郭に変わらず、溝渠・池塘・窯竈に変わらず、権貴豪勢に奪われず、耕犁に翻されぬようせしめよ」と)、家道が平安康泰なら遷さず。こう戒を立てるのは、実に人に慎重に対待せしめるためである。

雖然,禮有改葬之服緦麻,歷頒啟攢之日,古人亦未嘗不遷。如不得已,須得明師再三商確。大抵地無全美,只當察其輕重緩急。如有財無人,須求溫暖之穴;有人無財,宜尋得水之地。審有其地果勝舊墳,然後議遷。如舊墳無大禍患,可以平穩,則當別求吉地接福於後,未為不可,奚必於改葬哉!是故“慎之”一字,改葬者所當繹思也。

とはいえ、礼制にはもともと改葬の時に緦麻の服を服する規定があり、暦書にも啓攅開壙の吉日を頒布している。これを見れば古人もまた従来墳を遷さなかったわけではない。もし確かに已むを得なければ、必ず高明な地師を請いて再三商定しなければならない。大体言えば、地に十全十美はなく、ただその中の軽重緩急を権衡すべきである。もし家に財があって人丁が興旺でなければ、温暖な穴を求めなければならない。もし人丁が興旺で財がなければ、水を得る地を尋ねなければならない。審察して新しい地が果たして旧墳に勝ることを確認して、然る後に初めて遷を談ずるに足る。もし旧墳に大きな禍患がなく、なお平稳と算えられるならば、別に一塊の吉地を求めて後の福を接続しても、これ未だ嘗て不可ではない。何も必ず改葬しなくてもよいではないか。だから「慎」という一字は、改葬を打算する者が反復尋思すべきものである。

七 専ら大を図るべからず

求地須辨眞偽,不必拘大小。若龍穴眞的,縱力量輕,猶能發越。徒慕大地,而不能辨眞偽,葬於假穴之中,是置親體於水泉蟻穴,求福得禍,顧何益哉!蓋大地難識,且有鬼神司之,不可強求。往往圖大地者,雖小地亦不得,而竟被假地所誤。

地を求めるには必ず真假を分弁すべきで、地の大小に拘泥する必要はない。「龍」が真で「穴」が的(あて)ならば、たとい力量が小さくても、なお福を発することができる。一味に大地を羨慕して真假を分弁できず、假穴の中に葬り入れれば、それは父母の遺体を水泉蟻穴に放り込むようなもので、本は福を求めてかえって禍を得る。何の益があろうか。大地は識別し難く、しかも鬼神がそこに主管しているのだから、強いて求めるべきでないことを知らなければならない。大地を図謀する人は往々にして小地さえも得られず、最後にかえって假地に耽誤される。

彼蓋不知安穩小地,在在有之,易於求索。況小地既眞,數穴併力,亦能致大。楊筠松云:“大地難得小易求,積累不已成山邱,眾墳合力卻成大,人說小地生公侯。”又云:“是眞不必問大小,積小成大最為好。”又云:“圖大不得且思次,此事當與智者議。”旨哉言乎!人子求地,且知辨眞偽,慎毋為圖大所惑。

彼らはおそらく知らないのだ、安穏な小地は到る処にあり、求めやすいことを。まして小地は真であれば、幾つかの穴が合わさって力を使い、大局を成すこともできる。楊筠松は言う。「大地は得難く小は求め易し、積累已まざれば山丘を成す。衆墳が力を合わせて却って大を成し、人は小地に公侯生ずと言う。」また言う。「真ならば必ずしも大小を問わず、小を積んで大を成すが最も良し。」また言う。「大を図って得ざれば且つ次を思え、この事は智者と議すべし。」これらの言葉はなんと道理があることか。人子たる者が地を求めるには、ただ真假を分弁することを懂ればよく、千萬に大地を貪る念に迷惑されてはならない。

八 古格を観ざるべからず

夫地理之學,有道眼,有法眼。道眼生知,不可尚矣。所謂法眼者,必從師授,徧觀名墓,何為而吉,何為而凶,龍穴何為而入格,砂水何為而合局,一一檢點,以之為法,故曰法眼。卜氏云:“追尋仙蹟,看格尤勝看書。”楊氏云:“勸君且去覆舊墳,勝讀十卷撼龍文。”又曰:“見格多時心易曉,見多勝耳千回聞。”又云“若不看格信人說,俗師不曉能惑人”是也。

地理という学問には、「道眼」と「法眼」がある。道眼は生まれながらにして有する悟性で、常人の企及し得るものではない。いわゆる法眼は、必ず師に従って伝を受け、歴代の名墓を遍く見て、どのようなものが吉と算え、どのようなものが凶と算え、「龍」「穴」がどうすれば格に入り、「砂」「水」がどうすれば局に合するかを、一処一処覈対検点し、以てそれを準縄とする。だから法眼と呼ぶのである。卜則巍は言った。「前賢の留めた名穴の遺跡を追尋し、実地の格局を見ることは書を読むより管く用いる。」楊筠松は言った。「君に勧む且く旧墳を覆(くつがえ)せ、十巻の撼龍文を読むに勝れり。」また言う。「格を見ること多ければ心は暁り易し、多く見るは耳の千回の聞に勝れり。」また言う「若し格を看て人の説を信ぜずんば、俗師曉らざる能く人を惑わす」、講ずるは皆この理である。

故將欲營宅兆,必須先去多觀仙蹟名墓,以彼為法,則庶幾心目有主,不被假地所惑,誠一緊要事也。為人子者,當念厝親是平生第一大事,上為親體安寧之謀,下保子孫久遠之計,而不可憚其登渉之勞也。

だから墓地を営造しようと打算する前に、必ず先に多く前賢の留めた名穴の古墓を見に行き、以てそれらを準則としなければならない。こうすれば心の中と眼の裏に主見があり、假地に迷惑されず、これは実に一つの緊要な事である。子たる者は思うべきだ、父母を安葬するのは一生の第一等の大事で、上は父母の遺体の安寧のために打算を作し、下は子孫の長久のために保障を為す。ここにおいて絶えて山に登り水を渉る辛苦を怕れてはならない。

九 良師を択ばざるべからず

曾葛溪曰:“求地必先擇良師,師非其人,為害不淺。”誠哉言也!蓋得地非難,得師為難。得其師,不患不得其地。苟師非其人,毀瓦畫墁,雖有美地,而或扦失其穴;雖得美穴,而或葬乖其法,況欲其尋地乎?故擇師又為求地之先務也。

曽葛溪は言った。「地を求めるには必ず先ず良い地師を択ぶ。地師がもし合適な人でなければ、為害は浅くない。」この言葉は実にその通りである。良い地を得るのは難しくないが、良い地師を得るのが難しい。ただ良い地師を得れば、良い地を得ないことを愁うには及ばない。もし地師があのような人でなければ、人の家の瓦を拆毁し壁に乱塗するようなもので、たとい美好の地があっても、彼は穴を点穴して偏すかもしれない。たとい美穴を得ても、彼は安葬するに法度に違背するかもしれない。まして彼に望んで地を尋ねさせられようか。だから地師を選択することはまた地を求める前の第一の要務である。

然地學之師亦難矣哉,非通儒不能窮理格物以致其知,非眞授受不識榘矱微妙以盡其奧。通儒術,得傳授,苟蔑其德,吾恐指鹿為馬,誑鳥為鸞,而為害尤甚。是故備斯三者,然後始為良師。雖然,師固不可不擇,擇而得其人,又須謁誠以感之,故曰取人以身。

然るに地理の師を為すことも真に難しい。通達の儒者でなければ、物理を窮究し格物致知して真知を得ることができない。真の師承授受がなければ、その中の規矩法度の微妙を認識できず、その深奥を窮尽することができない。しかし儒術に通暁しまた真伝を得たとしても、もし彼に德行がなければ、私は彼が鹿を指して馬と為し野鳥を以て鳳凰と説くことを恐れる。為害はかえって更大きい。だから必ず学問・師承・德行の三者を兼ね備えてこそ、初めて良師と算えられる。とはいえ、地師は固より択ばざるべからざるも、合適な人を択び得たら、さらに誠意を以て門を登って彼を感動せしめなければならない。だから言う「人を取るに身を以てす」と。まず自己を端正して、初めて人才を得ることができるのである。

十 陰徳を修めざるべからず

蔡文節公曰:“積德為求地之本也。凡人慾為子孫永遠計者,當以公心處世,方便行事。一念合理,百神歸向,擇地論穴又其次也。不然,吾德之不修,而徒責効於祖宗父母之遺骨,朝移夕改,愈更愈謬,其悖逆不孝之罪,適足以取誅譴於造物,顧何益哉!”

蔡元定(文節公)は言った。「徳を積むことは地を求める根本である。凡そ子孫のために長遠の打算を作さんとする者は、公心を以て世に処り、人と方便を以て事を行うべきである。ただ一念が天理に合すれば、百神は皆彼に帰し、地を択び穴を論ずるのはなおその次である。そうでなければ、自己の徳行を修養せずして、一味に祖宗父母の遺骨の上に効験を索取し、朝に遷し晩に改め、改すれば改するほど荒謬となる。その悖逆不孝の罪過は、恰好造物の誅責を招来するに足るだけで、何の益があろうか。」

吳文正公曰:“嘗見人家求得吉地,而後不蒙其福,反見凶禍者,何哉?若非立穴之誤,便是立向之差。又有掘鑿大過,傷龍傷穴,變吉成凶。又有已得吉地,又得明師,而乃固執己見,移穴易向。相地者惟務承順,不復執術,遂至防誤。又或術者憸心詭行,不肯盡術。又有既得吉地,葬之不差,而子孫輕信人言,輒遷改,他姓得之,因以獲福。凡此未必盡皆術者之過,往往冥冥中有使然者,由不積德之故也。不積德而求地,譬之不耕而求獲,寧有是理哉!”

呉澄(文正公)は言った。「常に見るに人家が吉地を求め得たのに、後に福報を蒙ることなく、かえって凶禍に遭遇する。これはなぜか。穴を点穴して錯誤したのでなければ、向を立てて偏したのであろう。また開挖しすぎて「龍」を傷り「穴」を傷り、吉を変じて凶と為したものもある。またすでに吉地を得て高明な地師を請けたのに、主家が己見を固執して強いて穴を移し向を改めようとし、地を相する者はただ主家の心意に順うことを求めて、もはや自己の法術を堅持せず、そこで失誤を醸成したものもある。あるいは術士が居心奸邪で行事詭詐で、本领を使い尽くすことを肯んじなかったものもある。またすでに吉地を得て葬りも悪くなかったのに、子孫が他人の言を軽信して動もすれば遷改し、別姓の人家にこの地を得させて、因りて発福したものもある。これらの事は未だ必ずしも全て術士の過錯ではなく、往々にして冥冥の中に何かがこれをさせたもので、根源は徳を積まないにある。徳を積まずして良い地を求めようとするのは、耕種せずして収穫せんとするに譬えて、どうしてこの理があろうか。」

按:二公所論切當。蓋欲陰地好,先要心地好。先大父存耕公嘗勸人不可以勢力營風水,因作詩云:踏破鐵鞋無覓處,得來全不費工夫,牛眠鶴舉獲奇遇,只存方寸地中求詩見《存耕稿》。鄉達松軒葉先生以之為名言。

按:蔡・呉両氏の議論は皆甚だ切当である。「陰地」が良いことを得るには、まず「心地」が良くなければならない。私の祖父の存耕公はかつて人に勧めて勢力を恃んで風水を営謀すべからずと言い、これがために一首の詩を作った。「鉄鞋を踏破すれども覓る処無し、得れば全く工夫を費やさず。牛眠鶴擧に奇遇を獲るも、ただ方寸の地の中に求むるに存す。」(詩は『存耕稿』に見える。)同郷の賢達松軒葉先生はこれを名言と推した。

又宋謙父詩曰:世人盡知穴在山,豈知穴在方寸間。好山好水世不欠,尚非其人尋不見。我見富貴人家墳,往往葬時皆貧賤。迨其富貴力可求,人事極時天理變。故得吉地,必有德可以膺福,然後神以吉地畀之。神之俾以吉地,即天之報善故也。欲求吉地,為祖父宅兆,俾先人之體魄安而後世之榮盛不替者,當先積德以端其本焉。

宋謙父にも詩があり言う。「世人は尽く穴は山に在りと知るも、豈に知らん穴は方寸の間に在ることを。好山好水は世に欠かざるも、なお其の人にあらざれば尋ねて見えず。我見るに富貴人家の墳、往々にして葬る時は皆貧賤なり。其の富貴に迨(およ)び力に求め得るも、人事極まる時は天理変ず。」だから吉地を得る人は、必ず徳行があって福報を承受するに足りて、然る後に神明は初めて吉地を彼に与える。神明が彼に吉地を与える所以は、まさに上天が善行に報答する故である。吉地を求め得て祖父のために墓穴を営造し、先人の体魄を安んじ後世の栄盛を衰えざらしめんとすれば、まず徳を積んで以てこの根本を端正すべきである。

或曰:求地必本於德,則亦修德而已,擇地之術,又焉用哉?予曰:擇地以藏親為計。人子之於親也,固當無所不用其極。苟慮夫親魄之安危,則豈容不慎重而廣擇之哉!修德以竢天,擇地以盡人,並行而不悖,仁人孝子之為心也。

或る人は言う。地を求めるに根本が德行にあるからには、徳を修めれば足りるのであって、地を択ぶ方術は何の用があるか、と。私は答えて言う。地を択ぶのは父母を妥く安蔵するためである。子たる者が父母に対するには、もともと至るところ極致を尽くすべきである。すでに父母の魂魄の安危を顧慮するからには、どうして慎重でなく広く択ぶことを容れられようか。徳を修めるは天意を待つのであり、地を択ぶは人事を尽くすのであり、両者は并行して冲突せず、これこそ仁人孝子の存心である。

附 少保都督南塘戚公『正止集』一款

嘗觀琥珀繫草,磁石引針之事而怪之。夫琥珀、磁石無知之物也。草既枯死,而針經火煅煉,生意何在?一被引繫,則舉躍動盪如生,而針則鋒鋒相連,可自變量個,墜而復躍。即此,則風水之說,信乎其有。枯骨無知,而未敢以為盡然。然琥珀、磁石其山川乎?針草,其遺骸乎?

私はかつて琥珀が草屑を吸い著け、磁石が鉄鍼を引くことを見て怪しいと思った。琥珀と磁石は皆知覚のない物であり、草はすでに枯死し鍼はまた烈火を経て鍛錬されて、何の生機が言えようか。然るに一たび吸引されれば、草屑は跳動揺蕩して活きたものの如く、鉄鍼は一本接一本に首尾相連なり、数本を連ねることができ、下に墜ちてまた上に跳ね上がる。ただこの一点を見るだけでも、風水の説は確かに根拠がある。枯骨に知覚がないという一層については、私はまだ敢えて完全にその通りとは言わない。ただ琥珀・磁石は山川に相当するのではないか。草屑・鉄屑・鉄鍼は遺骸に相当するのではないか。

謂風水不可信者,蓋以世人不修厥德,惟以是為務,至有傾人身家,忍心害理,專謀風水,以昌子孫者。卻不知地理與天理相為流通,茲一等人,又在天理處責他,而非地理之不驗也。

風水が信じられないと言う者たちは、大概は世人が德行を修めず、ただ風水を頭等の大事と看做し、甚だしきは人の身家性命を傾覆し、狠心して天理に違背し、専ら良い風水を謀って自家の子孫を昌盛せしめんとするのを見たためであろう。彼らは「地理」と「天理」が彼此貫通していることを知らない。この類の人には、上天は天理のあの一頭から彼を責罰するのであって、地理が霊験でないのではない。

曾聞一人謀人葬地,百計覓人訟害。其家諸禍並臻,思所以致之者。彼又買托卜者,向伊妄言曰:“某葬地不佳也,能遷之則安矣。”既而,伊家如其說遷之,彼即謀其故地以葬其父。葬未踰年,所得禍更甚。後疑而遷之,發土至棺,有白蟻蛀木成文曰:“此地若靈,是無天理;此地不靈,是無地理。”夫天產佳地,必待有德者得之,世人遺天理而求地理,惑哉!

かつて或る人が他家の葬地を図謀し、千方百計して人を買通して官司を訴えて相手を陥害したと聞く。あの人家には種種の禍事が接続して来て、ちょうどどう招いたかも分からなかった。図謀する者はまた一人の卜者を買通し、あの家人に胡説して言った。「あなたの家の葬地は良くない、遷し去れば平安である。」後にあの家人はその言の通りに墳を遷した。彼はすぐにあの旧地を手に入れて、用いて自己の父を安葬した。葬って一年に満たぬに、彼の家の遭う禍はさらに重かった。後に彼は疑心を起こしてまた墳を遷そうとし、土を掘り開いて棺木を見ると、ただ白蟻が蛀して成した痕跡が字と成っていた。「此地若し霊ならば、是れ天理無し。此地若し霊ならずば、是れ地理無し。」上天が良い地を生ずるには、必ず徳ある人が来て之を得るを待つ。世人は天理を丟開して地理を求めるとは、実に糊涂である。

按:戚少保所引琥珀吸草、磁石引針之說,與《葬書》“木華於春,栗芽於室;銅山西崩,靈鍾東應”之意相符,皆所謂氣之相感者也。祖父子孫同氣,更復何疑!末引地理本於天理之證,尤所痛快。予兄弟又嘗聞閩人言:朱子之同安,憇於途,見一墳地山水甚美,因問其樵者曰:“是墳子孫何如?”答曰:“先是富貴,今葬後退敗。”公嘆曰:“山有理,水有理,此地不發,是無地理。”樵者告公曰:“此山原是某家業,富家某貪其地占葬之。某貧弱不能爭辨。”公又嘆曰:“山有理,水有理,此地若發,是無天理。”一夕為雷所震。今閩鄉猶有能道其詳者。已上所言,皆慎終者所當先知,故特揭諸首,仰仁孝君子加察雲。

按:戚継光少保の引く琥珀の草を吸い磁石の鍼を引く説は、郭璞『葬書』の講ずる「春の来る時、樹木は花を開き、室内に蔵する栗子もまた芽を発す。西の銅山が崩れれば、東の霊鍾は自ら鳴りて相応ず」と同一の意で、皆いわゆる「気」の相互感応である。祖父と子孫はもともと同一の気脈で、何の疑いがあろうか。文末に引く地理は天理に本づく証拠は、とりわけ痛快に説き尽くしている。我ら兄弟はまたかつて福建人に聞いた。朱熹が同安に行き、路上で歇脚し、一処の墳地の山水が美しいのを見て、傍らの樵夫に問うた。「この墳の人家の子孫はどうか。」樵夫は答えた。「先は富貴でしたが、いま葬った後に敗落しました。」朱熹は嘆じた。「山には山の理、水には水の理がある。この地が若し発せざれば、地理がないのである。」樵夫は彼に告げた。「この山はもと某家の産業でしたが、或る富人がこの地を貪って強占して葬りました。あの家は貧弱で、争いに勝てませんでした。」朱熹はまた嘆じた。「山には山の理、水には水の理がある。この地が若し発せば、天理がないのである。」その晩あの墳は雷に撃たれて毀れた。いま福建の郷間にまだ詳細を言える人がある。以上の説くところは、皆喪事を慎重に執り行う者が先に知るべきもので、だからわざわざ全書の冒頭に揭示し、仁孝の君子に意を加えて省察してくださることを敬って願う。

附 雑説二欵

風水の名義を論ず

地理家以風水二字喝其名者,即郭氏所謂“葬者乘生氣也”。而生氣何以察之?曰:氣之來有水以導之,氣之止有水以界之,氣之聚無風以散之,故曰要得水,要藏風。又曰:氣乃水之母,有氣斯有水。又曰:噫氣惟能散生氣。又曰:外氣橫形,內氣止生。又曰:得水為上,藏風次之。皆言風與水,所以察生氣之來與止聚云爾。

地理家が「風水」という二字を以てこの学問を標擧するのは、郭璞の言う「葬は生気に乗じ接するを要す」を講ずるのである。然らば生気は何を以て察看するか。答えて言う。気の来るは水を以て導き、気の止るは水を以て界断し、気の聚るは風の吹き散らすなきを要す。だから言う、必ず「水を得」必ず「風を蔵」せよ、と。『葬書』はまた言う。気は水の母で、気あって初めて水あり。また言う。吹嘘の気は最もよく生気を吹き散らす。また言う。外気が横過して形を成せば、内気は初めて止蓄して生発し得る。また言う。水を得るを上と為し、風を蔵すること之に次ぐ。これらは皆風と水を講じ、その用意は皆生気がどこから来てどこに止蓄聚集するかを察看するにあるだけである。

總而言之,無風則氣聚,得水則氣融,此所以有風水之名。循名思義,風水之法無餘蘊矣。或曰:天地初分,混沌之始,只有風與水,兩相推蕩,故曰風水。又曰:風所以揚萬物,水所以滋萬物,故曰風水。此則皆不切於葬理。而又有水去則風來,水來則風去之說,益又舛矣。

総じて言えば、風がなければ気は聚り得住り、水があれば気は融結を得る。これが「風水」という名称の来歴である。名称に順って含義を体会すれば、風水の法門にもまた他の余蘊はない。或る人は言う。天地が剛に分かれ混沌が初めて闢けた時、ただ風と水の两样が彼此推蕩したので、だから風水と呼ぶ、と。また或る人は言う。風は万物を揚起し、水は万物を滋潤するので、だから風水と呼ぶ、と。これらの説は皆安葬の道理に相干らない。さらに「水去れば風来たり、水来れば風去る」というような説に至っては、さらに乖謬である。

龍脈穴砂の名義を論ず

地理家以山名龍,何也?山之變態千形萬狀,或大或小,或起或伏,或逆或順,或隱或顯。支壟之體段不常,咫尺之轉移頓異。驗之於物,惟龍為然,故以名之,取其潛、見、飛、躍,變化莫測云爾。

地理家が山を「龍」と称するのは、何の故か。山の変化は千形万状で、大あれば小あり、起あれば伏あり、逆あれば順あり、隠あれば顕あり、平岡と高壟の体段は変動して居らず、咫尺を隔てれば形勢は頓然として異なる。万物を以て対照すれば、ただ龍だけがこの様子である。だから龍を以てそれに命名し、取るのは『周易』乾卦の言う潜・見・飛・躍のあの変化測り難き意である。

曰脈者何也?人身脈絡,氣血所由運行,而一身之稟賦繫焉。凡人之脈,清者貴,濁者賤,吉者安,凶者危。地脈亦然。善醫者,察人之脈而知其安危壽夭;善地理者,審山之脈而識其吉凶美惡,此不易之論也。然龍與脈兩者相因,有龍則有脈,無脈則無龍。但龍兼指乎形之顯著,而脈又專主乎氣之隱微,故曰山尤難於認脈。

然らば「脈」と呼ぶのはまた何か。人の身の脈絡は気血の運行する通道で、一身の稟賦は皆その上に係わる。凡そ人の脈は、清なるは貴を主り、濁なるは賤を主り、吉は平安を主り、凶は危険を主る。地脈もまた同じである。高明な医は人の脈を診ればその安危寿夭を知り、高明な地師は山の脈を審察すればその吉凶美悪を識別できる。これは更易すべからざる道理である。ただ龍と脈とは両者互いに因依する。龍あれば脈あり、脈なければすなわち龍なし。ただ「龍」は兼ねて山形の顕露して見える部分を指し、「脈」は専ら気機の隠微にして察し難い部分を指す。だから言う、山を看るに最も難きは脈を認めることである、と。

穴者蓋猶人身之穴,取義至精。楊公云:“譬如銅人針灸穴,穴穴宛然方始當。”朱子云:“定穴之法,譬如針灸,自有一定之穴,而不可有毫釐之差。”此皆善狀穴之名義也。沙者,古人授受,以沙堆撥山形,因名沙耳。

いわゆる「穴」は、人の身の上の穴位に譬えるがごとく、その取義は極めて精当である。楊筠松は言う。「譬えば銅人の鍼灸の穴の如く、穴穴宛然として初めて当を得る。」朱熹は言う。「穴を定める方法は、鍼灸に譬えるがごとく、自ずから一定の穴位があり、毫厘の差錯を容れない。」これらは皆よく穴という名称の含義を状写している。「砂」に至っては、古人が師弟伝授する時に沙を積み撥ねて山の形状を作って演示したため、それで砂と呼ぶのである。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻一之上

此一冊専論天下大幹龍。龍居地理四科之首,堪輿家莫要於論龍。論龍而不知天下大干,則所見者近而不遠,所究者淺而不深,所窺者狹而不廣,烏乎可哉?故首論天下大幹龍,庶幾識其大者。

この一冊は専ら天下の「大干龍」を論ずる。「龍」は地理の四大門類(龍・穴・砂・水)の中で首位に居り、堪舆家は龍を論ずるより緊要な事はない。しかし龍を論じて天下の大干龍を知らなければ、それは近処だけを見て遠処を見ず、浅処だけを探究して深く入れず、狭小な一隅だけを窺って視野を放寛できない。これでどうしてよかろうか。だから本書はまず天下の大干龍を論じて、読者にその中の大きな格局を先に認識させるのである。

崑崙を諸山の祖と為すを論ず

《性理大全》臨川吳氏曰:“天下之山脈起於崑崙。”蔡牧堂《發微論》曰:“凡山皆祖崑崙。”陶公《捉脈賦》云:“大智察脈,起自崑崙。”《明山寳鑑》云:“山脈之起,本於崑崙。”郭氏《錦囊經》云:“葬者原其始,乘其止。”誠以地理之法,龍則原其始,穴則乘其止,故不可不審山之起祖處也。

『性理大全』は臨川の呉澄の言を引く。「天下の山脈は崑崙に起こる。」蔡元定(牧堂)の『発微論』は言う。「凡そ山は皆崑崙を以て祖と為す。」陶侃の『捉脈賦』は言う。「大智の人が山脈を察看するには、崑崙より起頭せよ。」『明山宝鑑』は言う。「山脈の起源は、崑崙に本づく。」郭璞の『錦嚢経』(すなわち『葬書』)は言う。「安葬はその起始を推原し、その止息に乗接するを要す。」これは確かに地理の法則である。「龍」を論ずるにはそれがどこから発端したかを追溯し、「穴」を論ずるにはそれがどこに止蓄したかに乗接せねばならず、だから山の起祖の処を審察せざるを得ないのである。

然觀山之所始,必究其水之所起;觀龍之所終,必察其水之所界。今以輿圖考之,天下之水皆原於西北。是可見山起於西北矣。蔡文正公曰:“山水皆原於西北,故禹敘山敘水,皆自西北而東南”是也。或云崑崙在西海戌地,北海亥地,東南接積石圃,西北接北戶之室,東北臨太活之井,西南至城南之谷,亦荒遠莫稽。

ただし山がどこから始まるかを見るには、必ず水がどこから発源するかを探究しなければならない。龍がどこで終止するかを見るには、必ず水がどこで界断するかを察看しなければならない。いま地図を以て覈対すれば、天下の水は皆西北に発源する。これを以て山もまた西北に起こることが見える。蔡沈(文正公)は言った。「山と水は皆西北に発源する。だから大禹が山を叙述し水を叙述するに、皆西北より東南に講じ及んだ。」講ずるはまさにこれである。また或る説は崑崙は西海の戌位・北海の亥位にあり、東南は積石圃に連なり、西北は北戸の室に連なり、東北は太活の井に臨み、西南は城南の谷に至ると称す。これらのところはあまりに荒遠で、査考する由もない。

而楊公又云須彌山生四龍,崑崙山特其南肢。葛溪氏述其說曰:“須彌山是天地骨,中鎭天心為巨物。四肢分作四世界,惟有南龍入中國。南龍入自崑崙山,龍子龍孫皆可別。”雖據佛經,人所罕見,闕之可也。今但以中國山川之可考者論之,則崑崙誠諸山之祖,在中國之西北。九峰蔡氏云:“中國山勢岡脊,大抵皆自西北而來。”蓋可見矣。

而して楊筠松はまた須弥山が四条の龍を生ずると言い、崑崙山は不过その南面の一肢にすぎないと。曽葛溪がこの説を転述して言う。「須弥山は天地の骨で、中に天心を鎮めて巨物と為す。四肢は分かれて四世界を作り、惟だ南龍のみ中国に入る。南龍は崑崙山より入り、龍子龍孫は皆別つべし。」これらは仏経に依拠するが、人の稀に見るところで、存して論ぜずにおけばよい。いまただ中国の山川の中の査考し得る部分に就いて言えば、崑崙は確かに衆山の祖で、中国の西北に位する。蔡沈(九峰)は言った。「中国の山勢の岡脊は、大体皆西北の方向より来たる。」この一点は明白に見える。

《崑崙說》曰:崑崙之山三汲,下曰樊桐,一名板松;二曰玄圃,一名閬風;上曰層城,一名天庭。是謂大帝之居,去嵩高五萬里,地之中也。《禹本紀》與此同。高誘稱河出崑崙,伏流地中萬三千里。禹道而通之,出積石山。按《山海經》,自崑崙至積石,一千七百四十里,自積石出隴西郡至洛,凖地志可五千餘里。

『崑崙説』は講ずる。崑崙山は三級に分かれ、最下の一級を樊桐と呼び、またの名を板松。第二級を玄圃と呼び、またの名を閬風。最上の一級を層城と呼び、またの名を天庭。ここはすなわち天帝の居所で、嵩山より五万里を距り、大地の中心である。『禹本紀』の説もこれと同じである。高誘は黄河は崑崙に発源し、地下に潜流して一万三千里、大禹が疏導して通行せしめ、積石山より流出したと言う。『山海経』に按ずれば、崑崙より積石に至るまで一千七百四十里あり、積石より流出して隴西郡を経て洛陽に至るまで、地理志に比照して推算すればおよそ五千余里である。

又按《穆天子傳》,天子自崑崙入於宗周萬里。西土之數,自宗周瀍水以西,北至於河宗之邦。陽紆之山,三千有四百里。自陽紆西至河首四千里,合七千四百里。外國圖又云,從大晉國正西七萬里得崑崙之墟,諸仙居之。”數說不同。其高萬一千里。《山海經》稱方八百里,高萬仞。郭景純以為自上二千五百餘里。《淮南子》稱高萬一千一百里一十四步二尺六寸。

また『穆天子伝』に按ずれば、周穆王は崑崙より宗周に帰るまで一万里を行った。西方の土地の里数は、宗周の瀍水以西より、北は河宗の邦・陽紆の山に至るまで共に三千四百里、陽紆より西は黄河の源頭に至るまで四千里、合計七千四百里である。『外国図』はまた言う、大晋国の正西より七万里で崑崙の墟に至り、衆仙は皆そこに住む、と。幾種もの説は各々相同じない。その高度に至っては、一説に高さ一万一千里、『山海経』は方円八百里・高さ一万仞と言い、郭璞は山上より算えて二千五百余里あると認め、『淮南子』は高さ一万一千一百里又一十四歩二尺六寸と言う。

中国の山を総論す

朱子曰:“河圖言崑崙為地之中,中國至於闐音田二萬里。于闐貢使自言西去四千三百餘里即崑崙。今中國在崑崙東南,而天下之山祖於崑崙,惟派三干以入中國。其入夷國之山無可考,亦不足論。今以中國言之,其河北諸山,則自北寰武、嵐憲諸州,乘高而來,山脊以西之水,流入龍門西河,脊東之水,流於幽冀,入於東海。

朱熹は言う。「河図は崑崙は大地の中心であると講じ、中国より于闐(「闐」は田と読む)に至るまで二万里ある。于闐より来たる貢使は自ら言う、于闐より西へ四千三百余里がすなわち崑崙であると。いま中国は崑崙の東南にあり、天下の山は皆崑崙を以て祖と為し、ただ三条の「干龍」を分け出して中国に入る。夷狄の国に入るあの山は考察する由なく、また論ずるに及ばない。いま単に中国に就いて言えば、黄河以北の衆山は、北面の寰州・武州・嵐州・憲州一帯より高勢に乗じて来たり、山脊以西の水は龍門の西河に流入し、山脊以東の水は幽州・冀州を流経し、東海に注入する。」

其西一支為湖口泰嶽。次一支包汾晉之原而南出,以為析城、王屋,而又西折為雷首。又一支為恆山,又一支為太行山。太行山一千里,其山高甚。上黨在山脊,河東河北諸州在山支。其最長一支為燕山,盡於平梁。大河以南諸山,則闗中之山,皆自蜀漢而來。一支至長安而盡。闗中一支生下函谷。以至嵩、少,東盡泰山。一支自嶓冡、漢水之北生下,盡揚州江南諸山,皆祖於岷江,出岷山。

その中の西の一支は壷口・太岳であり、第二支は汾水晋地の平原を包んで南に伸出し、析城山・王屋山と為り、また西に折れて雷首山と為る。また一支は恒山、また一支は太行山である。太行山は綿延一千里で、山勢は極めて高く、上党はその山脊の上にあり、河東・河北の各州はその支脈の上にある。その中で最長の一支は燕山で、平梁に止まる。黄河以南の衆山は、関中の山は皆蜀漢一帯より来たる。一支は長安に至りて止まる。関中のもう一支は下りて函谷を生じ、一直線に嵩山・少室山に至り、東は泰山に止まる。また一支は嶓塚山・漢水以北より生下りて、揚州に止まる。江南の衆山は皆岷江を以て祖と為し、岷山より発出する。

岷山夾江兩岸而行,那邊一支,去為江北許多去處。這邊一支,分散為湖南、閩、廣,盡於兩浙、建康。其一支為衡山,而盡於洞庭、九江之西。其一支度桂嶺,則包湘源,而北經袁筠之地,以盡於廬阜。其一支自南而東,則包彭蠡之原,度歙黃山,以盡於建康。又自天目山分一支,盡於浙江西之山,皆自五嶺贛上來,自南而北。閩廣之山,自北而南。一支則又包浙江之原,北首以盡會稽,南尾以盡閩粵。此中國諸山祖宗支派之大綱也。

岷山は長江の両岸を挟んで行く。あの一辺の一支は江北の許多の地方に往き、この一辺の一支は分散して湖南・福建・広東と為り、両浙と建康に止まる。その中の一支は衡山と為り、洞庭湖・九江以西に止まる。一支は桂嶺を越え、湘水の源頭を包んで、北は袁州・筠州一帯を経て、廬山に止まる。一支は南より東に向かい、鄱陽湖の水源を包んで、歙県の黄山を越え、建康に止まる。また天目山より一支を分け出し、浙江以西の山に止まる。これらの山は皆五嶺・贛江の上流より来たり、南より北に向かう。福建・広東の山は北より南に向かう。また一支は浙江の水源を包み、北頭は会稽に止まり、南尾は閩・粤に止まる。これが中国の衆山の祖宗支派の大綱である。

上特舉天下山而言,未及水也。復輯山水總說於後雲。按仁山金氏曰:天地常形,固相為勾連貫通,然亦各有脈絡。自崑崙而東北言之,則自積石而北,為涅水、星海、青海,以至浩亹,皆河源也。入匈奴以東,為陰山。又東南,自代北、雲朔,分而南趨,為北嶽,以至太行,是為河北之脊。壼口、雷首、太嶽、析城、王屋,皆其群峰。汾晉、涿易、滱漳、洹衛,則皆其諸水也。分而東趨者,行幽燕之北,為五闗之險。以至營平而為碣石,此北絡也。

以上はただ天下の山を挙げて言ったので、まだ水に講じ及んでいない。ここにさらに山水の総説を後に彙輯する。按:金履祥(仁山)は言う。天地の固定した形体は、もともと彼此勾連して貫通しているが、然るに各々その脈絡がある。崑崙より東北の方向に言えば、積石山より北は、涅水・星宿海・青海で、浩亹に至るまで、皆黄河の源頭一帯に属する。匈奴の地界に入って東は陰山である。さらに東南に、代北・雲州朔州より分出して南に奔走し、北岳恒山と為り、一直線に太行山に至る。これがすなわち河北の山脊である。壷口・雷首・太岳・析城・王屋は皆その群峰であり、汾水・晋水・涿水・易水・滱水・漳水・洹水・衛水は皆その衆水である。分かれ出でて東に走るあの一支は、幽燕の北を行経し、五関の険要を形成し、営州・平州に至って碣石と為るまで、此の一支を「北絡」と呼ぶ。

自崑崙以東言之,則自西傾而洮水出自北,入河。恆水出其南,入江。又東,為朱圉、鳥鼠諸隴,則為渭之源。以北即夾河源而北。以東,若岍岐,若荊山諸峰,涇水、漆、沮諸源也。自渭以南,即西傾而下諸峰亙為絡,南屹為太華,東北為殽陜,東南為熊耳、方外、嵩高、伊、洛之源。又南,為桐柏、淮源,以達於淮西諸山。此中絡也。

崑崙より正東の方向に言えば、西傾山より起こり、洮水はその北面より流出して黄河に注入し、恒水はその南面より流出して長江に注入する。さらに東は、朱圉山・鳥鼠山などの隴山で、あそこは渭水の源頭である。さらに北はすなわち黄河の源頭を挟んで北行する。東はすなわち岍山・岐山の如く、荊山の諸峰の如く、涇水と漆水・沮水の発源地である。渭水以南は、すなわち西傾山以下の諸峰が連綿として脈絡を成す。南面に高聳するは太華山、東北は崤山・陝地、東南は熊耳山・方外山・嵩高山で、また伊水・洛水の源頭でもある。さらに南は桐柏山と淮水の源頭で、一直線に淮西の衆山に通ずる。この一支を「中絡」と呼ぶ。

又自西傾朱圉而南分,是為嶓冡漢源,夾漢而趨者,北即終南、華、熊諸隴。南則蜀東諸峰。說者謂蜀東諸山皆嶓冡,正謂其岡岫綿亙耳。又東南言之,是為岷山江源,夾江而東者。北支即西傾以南,嶓冡以西之脈,為洹水,西漢水,如江陵諸源。其南支即南趨為蒙蔡諸山,青衣、大流、馬湖、江諸源。

さらに西傾山・朱圉山より南に分かれ出るは、すなわち嶓塚山と漢水の源頭である。漢水を挟んで行くのは、北面は終南山・華山・熊耳山という隴脈、南面は蜀東の諸峰である。或る人は蜀東の各山は皆嶓塚に属すると言うが、まさにそれらの岡巒が連綿として断えないに就いて言うのである。さらに東南の方向に言えば、すなわち岷山と長江の源頭で、長江を挟んで東に走るのは、北支はすなわち西傾山以南・嶓塚山以西の脈で、洹水・西漢水および江陵一帯の諸水の源頭である。南支はすなわち南に走りて蒙山・蔡山等の山と為り、青衣江・大流江・馬湖江等の江の源頭である。

又東包涪、黔,一盤而北,為三峽。其出者包絡九江之源。中盤中為衡山。其再盤而北,為廬阜。其嶺之東出者,又為袁、吉、章、貢、旺信諸江之源。至分水魚梁嶺,三盤而北趨,過新安,峙天目,盡升潤。再盤之間,其水聚洞庭。三盤之間,其水聚彭蠡。三盤以東,則南為閩浙,北為震澤。此南絡也。惟泰山則特起東方,橫亙左右,以障中原。此所以為異與。

さらに東は涪州・黔州を包み、盤繞して一周して北に向かい、三峡を形成する。ここより出でる部分は九江の水源を包絡する。第二次の盤繞の中間は衡山で、第二次の盤繞の後に北は廬山である。この一帯の山嶺が東に伸出するは、また袁江・吉水・章水・貢水・旺水・信江等の江の源頭である。分水嶺・魚梁嶺に至り、第三次に盤繞して北に走り、新安を経て、聳起して天目山と為り、昇州・潤州に止まる。第二次の盤繞の間は、水が聚まりて洞庭湖を成す。第三次の盤繞の間は、水が聚まりて鄱陽湖を成す。第三次の盤繞以東は、南面は福建・浙江、北面は太湖である。この一支を「南絡」と呼ぶ。ただ泰山は東方に特に抜起し、左右に横亙し、以て中原を屏障する。これがすなわちそれの衆と異なるところであろう。

又曰泰山特起東方,為中國水口表鎭。禹貢道水略云:“導河至同,為逆河,入於海。導漾至東,為北江,入於海。導江至東,為中江,入於海。導沇水至東北,會於汶,又東入於海。導淮至東,會於泗、沂,東入於海。導渭至東,過漆、沮入於河。導洛至東,會於伊,又東北入於河。此中國山水大勢也。

金履祥はまた言う。泰山は東方に特に抜起し、中国の「水口」上の標志的な鎮山である。『尚書・禹貢』は導水の大略を講じて言う。「黄河を疏導して同地に至り、逆河と為して大海に注入す。漾水を疏導して東に、北江と為して大海に注入す。長江を疏導して東に、中江と為して大海に注入す。沇水を疏導して東北に、汶水と会合し、さらに東して大海に注入す。淮水を疏導して東に、泗水・沂水と会合し、東して大海に注入す。渭水を疏導して東に、漆水・沮水を経て黄河に注入す。洛水を疏導して東に、伊水と会合し、さらに東北して黄河に注入す。」これがすなわち中国の山水の大勢である。

朱子曰:河圖言:“崑崙者,地之中也。”《素問》曰:“天不足西北,地不滿東南。”《水經》云:“崑崙取嵩山五萬里。”看來不會如此遠。葢中國至於闐二萬里。于闐至崑崙無緣更有三萬里。《文昌雜録》記于闐遣使來貢獻。使者自言其地四千三百餘里即崑崙山。今中國在崑崙之東南,而天竺諸國在其正南。大抵地形如饅頭然,其尖則崑崙也。

朱熹は言う。河図は「崑崙は大地の中心」と講ずる。『黄帝内経・素問』は「天は西北の方向に欠けるところあり、地は東南の方向に満たざるところあり」と言う。『水経』は「崑崙より嵩山に至るまで五万里あり」と言う。見るにそんなに遠くはあるまい。中国より于闐に至るまで才かに二万里で、于闐より崑崙に至るまでなお三万里あるはずがないからである。『文昌雑録』は于闐が使者を派して朝貢に来たことを記載し、使者は自ら言う、彼らのところより西へ四千三百余里がすなわち崑崙山である、と。いま中国は崑崙の東南にあり、而して天竺の各国は崑崙の正南にある。大体言えば、大地の形状は一つの饅頭の如く、その尖頂がすなわち崑崙である。

九峰蔡氏曰:河北諸山,根本脊脈皆自代北寰武、嵐憲諸州乘高而來。其脊以西之水,則西流以入龍門。西河之上流,其脊以東之水則東流而為桑乾、幽冀,以入於海。其西一支,為壼口、泰嶽。次一支,包汾晉之原而南出,以為析城、王屋。而又西折,以為雷首。又次一支,乃為太行,又次一支,乃為恆山。此大河北境之山也。其江漢南境之山,則岷山之脈,其北一支為衡山,而盡於洞庭之西。其南一支度桂嶺,北經袁筠之地,至德安之敷淺源。二支之間,湘水間斷,衡山在湘水西南,敷淺源在湘水東北。

蔡沈(九峰)は言う。河北一帯の衆山は、根本の脊脈は皆代北の寰州・武州・嵐州・憲州より高勢に乗じて来たる。山脊以西の水は、西に流れて龍門に入る。あれは西河の上流である。山脊以東の水は、東に流れて桑干河と為り、幽州・冀州を経て大海に注入する。その中の西の一支は壷口・太岳、第二支は汾水晋地の平原を包んで南に伸出して析城・王屋と為り、また西に折れて雷首と為る。さらに下の一支は太行、さらに下の一支は恒山である。これらは黄河以北の山である。長江漢水以南の山に至っては、すなわち岷山の脈より出づ。北面の一支は衡山と為り、洞庭湖以西に止まる。南面の一支は桂嶺を越え、北は袁州・筠州一帯を経て、徳安の敷浅原に至る。両支の間は湘水に隔て断ぜられる。衡山は湘水の西南にあり、敷浅原は湘水の東北にある。

朱子曰:天下之山,西北最高。自闗中一支生下函谷,以至嵩少,東盡泰山。此是一支。又自嶓冡漢水之北,生下一支,至揚州而盡。江南諸山,則又自岷山分一支,以盡於兩浙、閩廣。又曰:大凡兩水夾行,中間必有山;兩山夾行,中間必有水。江出岷山,岷山夾江兩岸而行,那邊一支去為江北許多去處,這邊一支為湖湘南。又一支為建康,又一支為福建二廣。

朱熹は言う。天下の山は西北を以て最も高しと為す。関中より一支を生出して下りて函谷を経て、一直線に嵩山・少室山に至り、東は泰山に止まる。これは一支である。また嶓塚山・漢水以北より一支を生下りて、揚州に至りて止まる。江南の衆山は、すなわちまた岷山より一支を分け出し、両浙と閩広に止まる。彼はまた言う。大凡そ両条の水が挟んで走れば、その中間に必ず山あり。両座の山が挟んで走れば、その中間に必ず水あり。長江は岷山より出づ。岷山は長江の両岸を挟んで行く。あの一辺の一支は江北の許多の地方に往き、この一辺の一支は湖南湘中一帯と為る。また一支は建康と為り、また一支は福建と両広と為る。

又曰:岷山之脈,其一支為衡山者,已盡於九江之西。其一支又南而東度桂嶺者,則包湘源,而北經袁筠之境,以盡於廬阜。其一支又南而東度庾嶺者,則包彭蠡之源,以北盡於建康。其一支則又東包浙江之原,而北其首以盡會稽,南其尾以盡於閩粵。

朱熹はまた言う。岷山の脈は、その中の衡山と為る一支は、すでに九江以西に止まった。もう一支が南しさらに東して桂嶺を越えたものは、すなわち湘水の源頭を包み、北は袁州・筠州の境内を経て、廬山に止まる。もう一支が南しさらに東して大庾嶺を越えたものは、すなわち鄱陽湖の水源を包み、北に止まりて建康に至る。さらに一支あり、すなわち東して浙江の水源を包み、北頭は会稽に止まり、南尾は閩粤に止まる。

《朱子語録》云:佛經云:崑崙山頂有阿耨大池,水流四面出,東南流入中國者,為黃河。其三方流者,為弱水、黑水之類。《東坡指掌圖》云:西域在匈奴之西,烏孫之南。南北有大山,中央有河,東則接漢。所以玉門、陽闗西,則限以蔥嶺。其南山東出金城,與漢南山屬焉。其河有兩源,一出蔥嶺,一出于闐。于闐在南山下,其河北流,與蔥嶺河合,東注浦昌海。其水停居,冬夏不増減。世皆以為潛行於地下,南出於積石山,為中國河雲。

『朱子語録』は言う。仏経に講ずるに、崑崙山の頂に阿耨達の大池があり、水は四面より流出し、その中の東南に流れて中国に入るものは黄河と為り、その余の三つの方向に流出するものは弱水・黒水の類と為る。蘇軾の『指掌図』は言う。西域は匈奴の西・烏孫の南にあり、南北に皆大山があり、中央に河があり、東は漢地に連接す。だから玉門関・陽関以西は、すなわち葱嶺を以て界と為す。その南面の山は東に伸出して金城に至り、漢地の南山と相連なる。あの河は二つの源頭があり、一つは葱嶺より出づ、一つは于闐より出づ。于闐は南山の脚下にあり、あそこの河は北に流れ、葱嶺より来たる河と会合し、東して蒲昌海に注入す。蒲昌海の水は停蓄して動かず、冬夏も皆増減しない。世人は皆それが地下に潜行して、南は積石山より冒出し、中国の黄河と為ると認める。

臨川吳氏曰:水發自崑崙者,其源為最遠。惟中國之河為然。漢之發源於嶓冡,江之發源於岷山以西,視他水亦可謂遠,而非極于山脈初起之處,則不得與河源並也。故天下有源之水,河為第一。古人祭川,先河後海,重其源也。朱子曰:女眞起處有鴨緑江。傳云:“天下有三處大水,曰黃河,曰長江,曰鴨緑江是也。

臨川の呉澄は言う。水が崑崙に発源するものは、源頭が最も遠く、ただ中国の黄河だけがこれである。漢水は嶓塚山に発源し、長江は岷山以西に発源し、別の水と比べてもまた遠いと算えられるが、皆一直線に上溯して山脈の最初に興起したところには至らない。だから黄河の源頭と並列できない。ここにおいて天下の源ある水は、黄河が第一と排される。古人が河川を祭祀するに、先ず河を祭り後に海を祭るのは、その源頭を重んずるためである。朱熹は言う。女真人の興起したところに鴨緑江がある。伝聞に言う。「天下に三処の大水あり、すなわち黄河・長江・鴨緑江である。」

蔡牧堂曰:凡山皆祖崑崙,分支分脈,愈繁愈細,此一本而萬殊也。凡水皆宗大海,異派同流,愈含愈廣,此萬殊而一本也。臨川吳氏曰:天下之山脈起於崑崙。山脈之所起,即水源之所發也。

蔡元定(牧堂)は言う。凡そ山は皆崑崙を以て祖と為し、一層層支を分かち脈を分かち、分かれば分かるほど繁となり分かれば分かるほど細となる。これは「一本して万殊」である。凡そ水は皆大海を以て宗と為し、不同の支派が同じく一処に帰し、匯すれば匯するほど多くなり匯すれば匯するほど広くなる。これは「万殊して一本」である。臨川の呉澄は言う。天下の山脈は崑崙に起こる。山脈の起頭する処は、すなわち水源の発端する処でもある。

《水經》云:江水出岷山,在蜀氐道縣,大江所出,東南過其縣北。岷山,即瀆山也,水曰瀆水。又謂之文阜山,在徼外,江水所導也。《益州記》曰:大江泉源,即今所聞始發羊膊嶺下。緑崖散漫,小大百數,殆未濫觴矣。東南下百餘里,至白馬嶺而歷天彭闕,亦謂之天谷。秦昭王以李冰為蜀守。冰見氐道縣有天彭山,兩山相對,其形如闕,謂之天彭闕,亦曰天彭門。江水自此以上,至微弱,所謂發源濫觴者。

『水経』は言う。江水は岷山より出づ。蜀地の氐道県にあり、大江の発源地で、東南に流れてその県の北面を過ぐる。岷山はすなわち涹山で、あそこの水を涹水と呼ぶ。またの名を文阜山といい、辺塞の外にあり、江水がここより導出する処である。『益州記』は言う。大江の泉源は、今日聞くところに拠れば、最初は羊膊嶺の下より発し、青崖に沿って散漫に流出し、大大小小上百股で、ほとんど酒杯を浮かべ得る程度にも達しない。東南に下行して一百余里、白馬嶺に至りて天彭闕を過ぐる。あそこはまた天谷とも呼ぶ。秦昭王は李冰を任命して蜀郡太守と為さしめ、李冰は氐道県に天彭山あるを見、両山が相対して形状は門闕の如く、すなわちこれを天彭闕と称し、また天彭門とも呼ぶ。江水はここより上るは、水勢は極めて微弱で、いわゆる「発源濫觴」のあの一段である。

淮水淮水出南陽平氐縣胎簪山東北,過桐栢山。《山海經》曰:淮出餘山,在朝陽東久鄉西。《尙書》“導淮自桐柏。”《地理志》曰:“南陽平氐縣,王莽之平善也。”《風俗通》曰:“南陽平氐縣,桐栢大復山在東南,淮水所出也。”淮,均也。《春秋說題辭》曰:“淮者,均其勢也。”《釋名》曰:“淮,韋也,韋統揚州北界,東至於海也”。

さらに淮水を言う。淮水は南陽平氏県の胎簪山より出で、東北に流れて桐柏山を過ぐる。『山海経』は言う。淮水は余山より出で、朝陽以東・久郷以西にある。『尚書・禹貢』は「淮を導くは桐柏自り」と言う。『漢書・地理志』は言う。「南陽平氏県は、すなわち王莽の時の平善県である。」『風俗通』は言う。「南陽平氏県、桐柏大復山はその東南にあり、淮水の発源地である。」「淮」は均の義である。『春秋説題辞』は言う。「淮とは、すなわちその水勢を均平ならしむることである。」『釋名』は言う。「淮とは、すなわち韋(囲)の義で、それは揚州の北界を囲遶統束し、東は一直線に海に至る。」

河水《春秋說題辭》曰:“河之為言,荷也。”《釋名》曰:“河,下也。隨地下處而通流也。”《考異郵》曰:“河者,水之氣,四瀆之精也。”《孝經援神契》曰:“河者,水之伯,上應天漢。”《新論》曰:“四瀆之源,河最高而長。從高注下,水流激浚,故其流忽。”徐幹《齊都賦》曰:“川瀆則洪河洋洋,發源崑崙;九流分遊,北朝滄淵。驚波沛厲,望海揚奔。”

さらに河水を言う。『春秋説題辞』は言う。「河の字の語源はすなわち荷で、負載の義を取る。」『釋名』は言う。「河はすなわち下で、地勢の低下した処に順って通行流走する。」『考異郵』は言う。「河は水の気で、江・河・淮・済の四涜の精華である。」『孝経援神契』は言う。「河は水中の霸主で、上は天上の銀河に応ず。」『新論』は言う。「四涜の源頭は、黄河が最高く且つ最も長い。高処より傾瀉して下るは、水流は湍急にして深峻、だからその流れは速い。」徐幹の『斉都賦』は言う。「川涜を言えば、すなわち浩蕩の黄河、崑崙に発源す。九条の支流は分頭して奔走し、北に朝会して滄海に至る。驚濤駭浪は汹涌激烈、大海を望んで飛奔して往く。」

《物理論》曰:“河色黃者,眾川之流,蓋濁之也。百里一小曲,千里一曲一直矣。”漢大司馬張仲議曰:“河水濁,清澄一石水,六斗泥。而民競引河溉田。今河不通利,至三月桃花水至,則河決,以其噎不洩也。禁民勿復引河。”是黃河兼濁河之名矣。《述徵記》曰:“盟津、河津恆濁,方河為狹,此淮濟為闊。寒則氷厚數丈。氷始合,車馬不敢過,須要狐行。雲狐善聽,氷下無聲,乃過。人見狐行,方渡。”

『物理論』は言う。「黄河の水色が黄を発するのは、衆多の河川が匯流してそれを濁らせたからである。それは百里毎に一つの小弯があり、千里毎に一弯一直である。」漢代の大司馬張仲は建議して言う。「河水は渾濁し、一石の河水を澄清すれば六斗の泥が沈下する。而して百姓は争って黄河水を引いて田を灌ぎ、いま河道が暢通せず、三月桃花汛の来るに至って河は決口する。水が壅塞して排出されざるを以ての故である。応に百姓が再び黄河水を引くを禁止すべし。」これを見れば黄河はまた兼ねて「濁河」という名称を有す。『述征記』は言う。「孟津・河津の水は常年渾濁する。河面に就いて言えばここは較べて窄く、淮水・済水に比べれば寛いと算えられる。天が冷える時は結氷の厚さ数丈に達す。氷が剛く合攏する時は車馬も敢えて過ぎず、必ず狐狸が先に走るを待たなければならない。説に狐狸は善く声を聴き、氷下に水声なきを聞いて初めて過ぐるを肯んず。人は狐狸の走り過ぐるを見て、初めて敢えて渡る。」

又《河水說》、《山海經》曰:“河水出渤海。”又海水西北入。禹所導積石山,山在隴西郡河間縣西南羌中。余考群書,咸言河出崑崙源,潛發淪於蒲昌,出於海水。故《洛書》曰:“河自崑崙出於重野。”謂此矣。經積石而為中國河,故成公子安《大河賦》曰:“覽百川之弘北,莫尙美於黃河。潛崑崙之峻極,出積石之嵯峨。”釋氏《西域傳》曰:“河自蒲昌潛行地下,南出積石。”而經文在此似乎不同。積石宜在蒲昌海下矣。

別に『河水説』と『山海経』は言う。「河水は渤海より出づ。」また言う。海水は西北より灌入す、と。大禹の疏導した積石山は、隴西郡河間県西南の羌人の地界にある。私は種種の書籍を考察するに、皆黄河は崑崙に発源し、蒲昌海に潜流沈没し、さらに海水の中より出づと言う。だから『洛書』は言う。「河は崑崙より重野に出づ。」講ずるはまさにこの事である。それは積石山を経過して中国の黄河と為る。だから成公綏(子安)の『大河賦』は言う。「遍く百川の浩蕩として北に向かうを覧るに、黄河より壮美なるはなし。それは崑崙の極高の処に潜行し、積石の嵯峨の間に湧出す。」仏家の『西域伝』は言う。「河水は蒲昌海より地下に潜行し、南は積石山より流出す。」而して経文のここの説はこれと異なるらしい。理に照らせば積石は応に蒲昌海の下游にあるべきである。

漢水漾水,即漢水發源也。漾水出隴西氐道縣嶓冡山東,至武都沮縣為漢水。又東南,至廣魏白水縣西。又東南,至葭萌縣東北,與漾水合,沔水即漢水。沔出武都沮縣東狼谷中,沔水一名沮水。闞駰曰:“以其初出沮洳然,故曰沮水。此縣之受名焉。導源南流,泉街水注之。出河池縣東南,流入沮縣,會於沔。沔水又東南,徑沮水成而東南流,注漢。而沮口所謂沔漢者也。

さらに漢水を言う。漾水はすなわち漢水の発源である。漾水は隴西氐道県嶓塚山の東面より出で、流れて武都郡沮県に至ればすなわち漢水と呼ぶ。さらに東南は広魏郡白水県以西に至る。さらに東南は葭萌県東北に至り、漾水と会合す。沔水もまたすなわち漢水で、武都沮県東面の狼谷の中より出づ。沔水はまたの名を沮水という。闞駰は言う。「それが剛に流出する時地面は沮洳潮湿するを以て、だから沮水と呼ぶ。沮県の名称はここより来たる。それは源を導きて南に流れ、泉街水がその中に注入す。泉街水は河池県東南より出で、沮県に流入し、沔水と会合す。沔水はさらに東南し、沮水の匯成する処を経て東南に流れ、漢水に注入す。而して沮口はすなわちいわゆる沔漢である。」

《尙書》曰:“嶓冡導漾東流為漢。”《山海經》所謂漢出鮒賂山也。東北流,得獻水口。庚仲雍云:是水南至闗城,合西漢水。漢水又東,北合沮口,同為漢水之源也。故如湻曰:“此方為漢水,為沔水。”故孔安國曰“漾水東流為沔”,葢與沔合也。至漢中為漢水,是互相通稱矣。濟水濟出王屋山,今孟州。始禹導水流而為濟,截河南渡,東流與汶水會。又北,東入於海。兗州在濟河之間,濟發源為名。今濟州乃發源也。濟水自王莽時入河,同流入海,濟河之地無濟水矣。

『尚書』は言う。「嶓塚山は漾水を導出し、東に流れて漢水と為る。」これはすなわち『山海経』の言う漢水は鮒賂山より出づということである。それは東北に流れ、献水口に至る。庚仲雍は言う。この水は南は関城に至り、西漢水と会合す。漢水はさらに東して、北辺で沮口と会合し、共に漢水の源頭を構成す。だから如淳は言う。「ここに至って初めて漢水と算え、初めて沔水と算える。」だから孔安国は「漾水は東流して沔と為る」と言う。それが沔水と会合したを以ての故である。漢中の一段に至ればすなわち漢水と呼ぶ。これを見れば二つの名称は互いに通用するのである。さらに済水を言う。済水は王屋山より出づ。すなわち今日の孟州である。当初大禹が水流を疏導して済水と為したは、黄河を横截して南に渡り、東流して汶水と会合し、さらに北、さらに東して大海に注入す。兗州は済水と黄河の間にあり、済水の発源を以て名を得た。今日の済州はすなわちその発源地である。済水は王莽の時より黄河に併入し、同じく流れて海に入り、ここより済河一帯はすなわち済水なし。

九州の山鎮川沢を論ず

按《周禮職方氏》曰:東南曰揚州,其山鎭曰會稽,其澤藪曰具區五湖也,在吳南,其川三江,其浸五湖。正南曰荊州,其山鎮曰衡山,其澤藪曰云夢,其川江漢,其浸穎湛湛未聞。河南曰豫州,其山鎮曰華山,其澤藪曰莆田在中牟,其川熒雒,其浸波音播溠。

『周礼・職方氏』に按ずれば言う。東南方を揚州と呼び、その鎮山は会稽山、その沼沢は具区(すなわち五湖、呉地の南面にある)、その河川は三江、その浸潤の水は五湖である。正南方を荊州と呼び、その鎮山は衡山、その沼沢は雲夢、その河川は長江・漢水、その浸潤の水は潁水と湛水(湛水の所在は詳らかならず)である。黄河以南を豫州と呼び、その鎮山は華山、その沼沢は莆田(中牟にある)、その河川は滎水・洛水、その浸潤の水は波水(「波」は播と読む)と溠水である。

正東曰青州,其山鎮曰沂山蓋在沂水所出,其澤藪曰望諸在睢陽,其川淮泗,其浸沂沐沐出東浣。河東曰兗州,其山鎮曰岱山,其澤藪曰大野在鉅野,其川河泲,其浸盧維盧維昔為雷雍,《禹貢》雷夏、雍沮是也。雷夏在城陽。正西曰雍州,其山鎮曰嶽山吳嶽也,在沂,其澤藪曰弦在汧蒲,其川涇在涇陽、汭在豳地,其浸渭、洛洛出懐德。

正東方を青州と呼び、その鎮山は沂山(大概沂水の発源処にある)、その沼沢は望諸(睢陽にある)、その河川は淮水・泗水、その浸潤の水は沂水と沭水(沭水は東莞より出づ)である。黄河以東を兗州と呼び、その鎮山は岱山(泰山)、その沼沢は大野(巨野にある)、その河川は黄河・済水、その浸潤の水は盧水・維水(盧維は従前雷雍と呼ばれ、すなわち『禹貢』の言う雷夏・雍沮である。雷夏は城陽にある)である。正西方を雍州と呼び、その鎮山は岳山(すなわち呉岳、汧地にある)、その沼沢は弦蒲(汧地にある)、その河川は涇水(涇陽にある)と汭水(豳地にある)、その浸潤の水は渭水・洛水(洛水は懐徳より出づ)である。

東北曰幽州,其山鎭曰醫無閭在遼東,其澤藪曰貕養在長廣,其川河、泲,其浸菑出萊蕪、時出般陽。河內曰冀州,其山鎭曰霍山在彘,其澤藪曰陽紆所在未聞。其川漳拙長,其浸汾出汾陽、潞出歸德。正北曰幷州,其山鎮曰常山在上曲陽,其澤藪曰昭餘祁在鄔,其川呼池出滷城、嘔夷出平舒,其浸淶出廣昌、易出故安。注曰:此九州島川界。揚、荊、豫、兗、雍、冀,與禹貢略同。青州則徐州之地,幽並則冀州之地,獨無樑雲。

東北方を幽州と呼び、その鎮山は医無閭山(遼東にある)、その沼沢は貕養(長広にある)、その河川は黄河・済水、その浸潤の水は菑水(萊蕪より出づ)と時水(般陽より出づ)である。黄河以内を冀州と呼び、その鎮山は霍山(彘地にある)、その沼沢は陽紆(所在詳らかならず)、その河川は漳水、その浸潤の水は汾水(汾陽より出づ)と潞水(帰徳より出づ)である。正北方を幷州と呼び、その鎮山は常山(上曲陽にある)、その沼沢は昭余祁(鄔地にある)、その河川は呼沱水(鹵城より出づ)と嘔夷水(平舒より出づ)、その浸潤の水は涞水(広昌より出づ)と易水(故安より出づ)である。注文は言う。これは九州の河川の分界である。その中の揚・荊・豫・兗・雍・冀の六州は『禹貢』と大致相同じ、青州は『禹貢』の徐州の地界、幽州・幷州は『禹貢』の冀州の地界で、ただ梁州がない。

山河両戒を論ず

按:唐一行以天下山河之象存乎兩戒。北戒自三危、積石,負終南地絡之陰,東及太華,逾河,並雷首、底柱、王屋、太行,北抵常山之右,乃東循塞垣,至濊貊、朝鮮,是謂北紀,所以限戎狄也。

按:唐代の一行禅師は天下の山河の形象は南北「両戒」に存在すると認めた。「北戒」は三危山・積石山より起こり、終南山の地絡の北面を背負い、東は太華山に至り、黄河を越え、雷首山・砥柱山・王屋山・太行山に連上し、北は常山の右側に抵達し、さらに東は長城の塞垣に沿って、一直線に濊貊・朝鮮に至る。此の一条を「北紀」と呼び、用いるは戎狄の界限を划断するためである。

南戒自岷山、嶓冡,負地絡之陽,東及太華,連商山、熊耳、外方、桐柏,自上洛南逾江、漢,攜武當、荊山,至於衡陽,乃東循嶺徼,達東甌、閩中,是謂南紀,所以限蠻夷也。故《星經》謂“北戒為‘胡門’,南戒為‘越門’。”

「南戒」は岷山・嶓塚山より起こり、地絡の南面を背負い、東は太華山に至り、商山・熊耳山・外方山・桐柏山に連上し、上洛より南は長江・漢水を越え、武当山・荊山を帯びて、一直線に衡陽に至り、さらに東は五嶺の辺徼に沿って、東甌・閩中に通ずる。此の一条を「南紀」と呼び、用いるは蛮夷の界限を划断するためである。だから『星経』は言う「北戒は『胡門』、南戒は『越門』」と。

河源自北紀之首,循雍州北徼,達華陰,而地絡相會,並行而東,至太行之曲,分而東流,與涇、渭、濟瀆相為表裡,謂之“北河”。江源自南紀之首,循梁州南徼,達華陽,而與地絡相會,並行而東,及荊山之陽,分而東流,與漢水、淮瀆相為表裡,謂之“南河”。

黄河の源頭は「北紀」の開端に起こり、雍州の北辺の徼外に沿って、華陰に到達し、あそこで地絡と相会し、一幷に東して行く。太行山の弯曲の処に至り、分かれて東に流れ去り、涇水・渭水・済水と互いに表裏と為る。此の一段を「北河」と称する。長江の源頭は「南紀」の開端に起こり、梁州の南辺の徼外に沿って、華陽に到達し、あそこで地絡と相会し、一幷に東して行く。荊山の南面に至り、分かれて東に流れ去り、漢水・淮水と互いに表裏と為る。此の一段を「南河」と称する。

故於天象則弘農分陜為西河之會,五服諸侯在焉。自陜而西為溱涼。北紀山河之曲為晉、代,南紀山河之曲為巴、蜀。皆負險用武之國也。自陜而東,三川、中嶽用為成周。西距外方、大伾,北至於濟,南至於淮,東達鉅野,為宋、陳、鄭、蔡。河內及濟水之陽為都、衛;漢東濱淮水之陰為東隨。皆四戰用文之國也。

だから天象の分野の上では、弘農・陝地一帯は西河の交会する処で、五服の諸侯は皆そこにいる。陝地より西は秦・涼であり、北紀の山河が弯曲する処は晋・代、南紀の山河が弯曲する処は巴・蜀である。これらは皆険要を憑恃し、武力を以て立国した処である。陝地より東は、三川と中岳一帯が成周と為り、西は外方山・大伾山に至り、北は済水に至り、南は淮水に至り、東は巨野に至る。この一帯は宋・陳・鄭・蔡である。黄河以内と済水之北は邘・衛であり、漢水之東・淮水之南は東随である。これらは皆四面敵を受け、ただ文徳を以て立国するほかない処である。

北紀之東,至北河之北,為邢、趙。南紀之東,至河南之南,為荊、楚。自北河下流,南距岱山,為三齊,夾右碣石為北燕。自南河下流,北距岱山,為鄒、魯。南渉江、淮,為吳、越。皆負海之國,貨殖之所阜也。自河源循塞垣北,東及海,為戎狄。自江源循嶺徼南,東及海,為蠻越。觀兩河之象,與雲漢之所終始,而分野可知矣。

北紀以東、直ちに北河以北に至るは、邢・趙である。南紀以東、直ちに黄河以南の南辺に至るは、荊・楚である。北河の下游より起こり、南は泰山に抵るは三斉である。右に碣石を挟むは北燕である。南河の下游より起こり、北は泰山に抵るは鄒・魯である。さらに南して長江・淮水を渡るは呉・越である。これらは皆大海を背負う国で、貨物貿易の興盛して富庶なる処である。黄河の源頭より塞垣に沿って北し、東して直ちに海辺に至るは戎狄である。長江の源頭より五嶺の辺徼に沿って南し、東して直ちに海辺に至るは蛮越である。南北両河の形象、および天上の銀河の起訖の位置を観察すれば、各地の星野の帰属は推知することができる。

三大干龍を論ず

朱子曰:天下有三處大水,曰黃河,曰長江,曰鴨緑江。今以輿圖考之,長江與南海夾南條,盡於東南海。黃河與長江夾中條,盡於東海。黃河與鴨緑江夾北條,盡於遼海。按:鴨緑江,近時使朝鮮諸臣至其地見之。回,謂其源甚短淺,必別有一水來送北幹。然荒溟莫之能考矣。

朱熹は言う。天下に三処の大水あり、すなわち黄河・長江・鴨緑江である。いま地図を以て覈対すれば、長江と南海は「南条」の干龍を挟み、東南の海に止まる。黄河と長江は「中条」の干龍を挟み、東海に止まる。黄河と鴨緑江は「北条」の干龍を挟み、遼海に止まる。按:鴨緑江は、近く朝鮮に出使した諸大臣があそこに至りて親しく見、帰りて言うに、その源頭は甚だ短く浅いという。然らば必ず別に一条の水ありて北干龍を送るのであろう。ただあの一帯は荒遠渺茫で、考究する由なし。

此則自其水原極遠者言之耳。若其分幹之條猶多,難以盡舉。如以江淮河漢四瀆論,則中幹又自分三條。大扺河源極長,江次之,淮漢又次之。故有三條四列之說,不過概論其大而已。

上面に講ずるところは、ただ水源の最も遠いあの几条に就いて言っただけである。もし分出する干支を論ずれば、条数はなお多く、一々に列挙しがたい。譬えば長江・淮水・黄河・漢水の四涜に按じて論ずれば、中干龍は自身また三条に分かれる。大体言えば、黄河の源頭が最も長く、長江はこれに次ぎ、淮水と漢水はまたこれに次ぐ。だからこそ「三条四列」の説があるも、概括的に一つの大勢を講じたに過ぎない。

南条干龍の脈絡を論ず

按廖氏金璧玄文云:“大江以南之龍,其脈起自岷山在茂州岷山縣。遶行向西,自西而南,至雲南之境,又東趨夜郎,踰桂嶺,至零陵,為九疑山,入桂連。”《撼龍經》云“五嶺分星入桂連”是也。過大庚嶺,出南雄山汀,從邵武抵信走徽,東行為天目。

廖氏の『金璧玄文』に按ずれば言う。「長江以南の龍は、脈は岷山より起こり(茂州岷山県にあり)、繞行して西に向かい、再び西より南に転じ、雲南の境内に至り、また東して夜郎に趨き、桂嶺を越え、零陵に至りて九疑山と為り、桂陽・連州に入る。」楊筠松の『撼龍経』の言う「五嶺分星して桂連に入る」は、講ずるはまさにこの一段である。それは大庾嶺を経過し、南雄・汀州一帯に出で、邵武より信州に抵達し、徽州に走向し、東して行きて天目山と為る。

一枝為錢塘。《經》云“一枝分送入海門”凡稱經者,即楊公三龍經。後仿此,又云“海門旺氣連閩粵,南隴支龍交相纏。此是海門南脈絡,貨財文武交相錯”是也。一枝為建康今南京應天府,盡江陰。《經》云“幹龍盡在江陰濱”是也。一枝逆長江盡鄱湖。其水源,自蜀岷山至於九江,會彭蠡,下而過秣陵,出京口,以入於海。

その中の一支は銭塘と為る。『撼龍経』は言う「一枝分かれて送りて海門に入る」(凡そ『経』と称するは、皆楊筠松の三部龍経を指す。以下これに同じ)、また言う「海門の旺気は閩粤に連なり、南隴の支龍は交相纏う。これは海門の南脈絡で、貨財・文武は交相錯う」、講ずるはまさにこの一支である。もう一支は建康と為る(すなわち今の南京応天府)、江陰に止まる。『経』の言う「干龍は尽く江陰の浜にあり」とはそれを指す。さらに一支あり、長江に逆らって行き、鄱陽湖に止まる。この一帯の水源は、四川の岷山より九江に流れ、鄱陽湖の水と会合し、下りて秣陵を流れ過ぎ、京口に出でて大海に注入する。

中条干龍の脈絡を論ず

大河以南,大江以北,乃中條幹龍。其脈起自西傾在洮州臨草縣,行隴右,《經》云“山來龍右尖如削,盡是貪狼更高卓”是也。過鳯翔,《經》云“行行退卻大散關在鳯翔府寳雞縣,百二山河在此間。大纏大護到函谷在宏農縣,水遶黃河如玦環”是也。為長安。

黄河以南・長江以北のものは、「中条」の干龍である。その脈は西傾山より起こる(洮州臨潭県にあり)、隴右を行経する。『撼龍経』の言う「山の来たる龍右は尖りて削ぐが如く、尽く是れ貪狼の更高卓」とはこの一段を指す。鳳翔を経過す。『経』は言う「行行退却して大散関(鳳翔府宝鶏県にあり)、百二山河は此間に在り。大纏大護は函谷に至り(弘農県にあり)、水は黄河を繞らして玦環の如し」、講ずるはまさにここである。さらに下りてすなわち長安と為る。

一枝出熊耳在高州,《經》云“低平漸漸出熊耳,萬里平洋漸如砥”是也。為嵩嶽,為汴,《經》云“大梁形勢亦無山,到此尋龍何處是?若無河流與淮水,渺渺茫茫不見山”是也。此處脈亂於河,《經》云“河流沖決山斷絶,又無石骨又無脈。君若到彼說星峰,一句不容三寸舌”是也。

その中の一支は熊耳山より出づ(虢州にあり)、『経』は言う「低平として漸々熊耳を出づ、万里の平洋は漸く砥の如し」とはそれを指す。さらに嵩山と為り、汴梁と為る。『経』は言う「大梁の形勢もまた山なし、此に至りて龍を尋ぬれば何れの処か是れ。若し河流と淮水なからんには、渺渺茫茫として山を見ず」、講ずるはまさにこの一帯である。この一処の龍脈は黄河に攪乱せられたり。『経』は言う「河流は冲決して山は断絶す、また石骨なくまた脈なし。君若し彼に至りて星峰を説かば、一句も三寸の舌を容れず」、説くはまさに此地である。

出兗為泰嶽,《經》云“黃河在北大江南,兩水夾行勢不絶。行到魯齊忽起峰,兗州東嶽揷天雄。分枝擘脈鍾靈氣,聖賢多在魯邦中”是也。一枝盡於滄棣,一枝盡於登萊。其水源則濟水出綘州垣曲縣,至孟州溫縣入河。復出河之南,溢而為滎。又東北,至於青州入海。自宋元以來,河水穿淮,黃河故道淤,而東嶽泰山今在河北矣。

兗州一帯に出でて東岳泰山と為る。『経』は言う「黄河は北に在り大江は南、両水は挟行して勢い絶えず。行きて魯斉に到り忽ち峰を起こし、兗州の東岳は天に插して雄し。分枝擘脈して霊気を鍾め、聖賢は多く魯邦の中に在り」、講ずるはまさにここである。別に一支ありて滄州・棣州に止まり、一支は登州・莱州に止まる。この一帯の水源は、済水は絳州垣曲県より出で、孟州温県に至りて黄河に注入し、また黄河の南岸より冒出し、漫溢して滎沢と為り、さらに東北して青州に至りて海に入る。宋元以来、黄河は淮を奪いて行き、旧黄河の河道は淤塞した。これにより東岳泰山はいま却って黄河の北面にある。

又一枝自嶓冡西行湄州、漢水之間,出武闗,由裕過唐,抵信陽,行淮水之南,趨廬,行淮水之東,為揚,盡於通。其水源,漢水出嶓冡,至漢陽縣入江。淮水出桐柏山在唐州桐柏縣,至淮安入海。此中幹分而為二,故曰三條四列。

また一支ありて嶓塚山より西に行き、湄州と漢水の間を走り、武関に出で、裕州より唐州を経過し、信陽に抵達し、淮水以南に沿って行き、廬州に趨き、さらに淮水以東に沿って行き、揚州と為り、通州に止まる。この一帯の水源は、漢水は嶓塚山より出で、漢陽県に至りて長江に注入する。淮水は桐柏山より出で(唐州桐柏県にあり)、淮安に至りて大海に注入する。これが中干龍のまた二支に分かれる所以で、だから「三条四列」と言うのである。

北条干龍の脈絡を論ず

大河以北之龍,其脈起自崑崙。《經》云“崑崙山腳出闐顏闐音田,西戎國名,只只都是破軍山。連綿走入瀚海北北海名,風俗強悍人粗頑。生兒五歲學騎射,骨鯁方剛是此間”是也。至白登山名,在大同府白登縣,西一枝為壺口在隰州吉鄉縣、太嶽在晉州霍邑。

黄河以北の龍は、脈は崑崙より起こる。『撼龍経』は言う「崑崙山の脚は闐顔に出に出づ(「闐」は田と読む、西戎の国名)、只只皆破軍の山。連綿として走り入る瀚海の北(北海の名)、風俗は強悍にして人は粗頑。児を生じて五歳にして騎射を学ぶ、骨鯁方剛は此間なり」、講ずるはまさにこの一段である。白登に至り(山名、大同府白登県にあり)、西面の一支は壷口と為り(隰州吉郷県にあり)太岳と為る(晋州霍邑にあり)。

次一枝南出為析城在澤州陽城縣、而又西折為雷首在河中府河中縣。又次一枝為太行在懐夢河內,北至幽州,九嶺綿亙一十二州之界,有八陘。又次一枝為恆山在定州曲陽縣。又次一枝為燕山,盡於平灤碣石山在平州廬縣。《經》云“若以幹龍論大盡,太行碣石至海堧 ”是也。其水源則汾水,出管州管涔山,至綘州入於海。

第二支は南に伸出して析城山と為る(沢州陽城県にあり)、また西に折れて雷首山と為る(河中府河中県にあり)。第三支は太行山と為る(懐慶河内にあり)、北は幽州に至り、九道の山嶺は綿亙して十二個州の地界に亙り、中間に八条の陘道ありて通ず。第四支は恒山と為る(定州曲陽県にあり)。第五支は燕山と為り、平州・灤州の碣石山に止まる(平州盧竜県にあり)。『経』は言う「若し干龍を以て大尽を論ぜば、太行・碣石は海堧に至る」、講ずるはまさにここである。この一帯の水源は汾水で、管州管涔山より出で、流れて絳州に至りて河海に注入す。

以上中國諸山,皆始崑崙,分脈四列,以遍九州島。北條出河北,入雲中,過雁門、代郡,復回南而太原帝邱,循太行、恆山,派九河。東北渡遼海以入於海,為冀燕之分。中條出河南,自秦、隴、三輔入豐、沛、汾、晉,派伊、洛,東而淮泗,以入於海,為雍、豫、青、徐之分。南條出江南,自陜右分出西鄙,回巴蜀,踰荊衡,入黔中。東而匡阜,南極嶺。復東北,渡閩粵,跨三吳,自浙右以入於海。為梁、荊、揚之分。此三干之佈於九州島也。

以上に講ずる中国の衆山は、皆崑崙より起こり、四列の脈絡に分かれて九州に遍布する。「北条」は河北より出で、雲中に入り、雁門・代郡を経過し、再び折れ返して南面し太原・帝丘に至り、太行山・恒山に沿って行き、九河を分出し、東北して遼海を渡りて海に入る。冀州・燕地の分野に属す。「中条」は河南より出で、秦地・隴地・三輔より豊・沛・汾・晋に入り、伊水・洛水を分出し、東して淮水・泗水を経て海に入る。雍・豫・青・徐の分野に属す。「南条」は江南より出で、陝右より西部辺地を分出し、繞回して巴蜀に入り、荊山・衡山を越え、黔中に入る。東して廬山に至り、南して五嶺の尽きる処に至り、再び折れて東北し、閩粤を渡り、三呉を横跨し、浙西一帯より海に入る。梁・荊・揚の分野に属す。これが三大干龍の九州に分布する大勢である。

三干之龍,中幹為最尊。次北幹,又次南幹。歷代以來,如漢高祖之泗上,漢光武之白水村,宋太祖之夾馬營,我太祖之鍾離鄉,我世宗肅皇帝之龍飛承天,皆在中幹。而唐虞之君,俱為北產。南幹至宋高宗南渡來,運氣方興,萃產朱子,為萬世儒宗。而邇來人物,東南頗多,其最長者為金陵,我國朝根本重地,太祖高皇帝龍興之畿也。

三条の干龍の中では、中干が最も尊貴で、其次は北干、再次は南干である。歴代以来、漢高祖は泗上より出で、漢光武帝は白水村より出で、宋太祖は夾馬営より出で、本朝太祖は鍾離郷より出で、本朝世宗粛皇帝は承天に龍飛した。皆中干に在り。而して唐堯・虞舜の両君主は、皆北干に出産した。南干は宋高宗の南渡以後に至りて気運が興起し、鍾聚して朱熹を生出し、万世の儒者の宗と為した。近く来る人物もまた東南一一帯に較べて多い。南干の最長の一処の結作は金陵で、あれは本朝の根本の重地、太祖高皇帝の龍興した畿輔の地である。

中幹之最長者盡東泰,翻身顧祖,東海外蕩,河江前回。萃產孔聖,及賢貴凝聚。宋末河徙,截其來脈者三,會通河復加截之,其力遂微。而中幹之旺氣乃萃於四州鳯陽。我皇朝熙祖仁祖二陵在焉。

中干の最長の一支は東岳泰山に止まり、あそこで翻身して回頭して祖山を朝顧し、東海は外面に蕩漾し、黄河と長江は前面に回繞す。ここに霊気を鍾聚して孔聖人を生出し、歴代の賢人・貴人もまた此に凝聚す。宋朝の末年黄河は改道し、その来脈を截断すること三処、後に会通河を開凿してまた一道を加截した。その力量はここにおいて転弱した。而して中干の旺気は便ち泗州・鳳陽一帯に鍾聚し、本朝の熙祖・仁祖の両座の陵寝はあそこにある。

按王文祿《龍興慈記》云:“泗州有楊家墩,墩有窩。熙祖嘗臥其中,有二道士過,指臥處曰:‘若塟此,出天子。’其徒曰:‘何也?’曰:‘此地氣暖。試以枯枝栽之,十日必生葉。’告煕祖起曰:‘汝聞吾言乎?’熙祖佯睡。乃以枯枝揷之去。熙祖候之十日,果生葉。熙祖拔去,另以枯枝揷之。二道士復來。其徒曰:“葉何不生?”是時熙祖在傍,睨之。道士指曰:‘此必人拔去矣。’熙祖知不能隱。道士謂之曰:‘汝有福,歿後當塟此,出天子。’

王文禄の『龍興慈記』に按ずれば言う。「泗州に楊家墩というのがあり、墩の上に凹窩がある。熙祖はかつてその中に躺いていた時、二人の道士が経過し、彼の躺卧した処を指して言う。『若しここに葬らば、天子を出さん。』徒弟が問う。『何の故ぞ。』師は言う。『この処は地気が温暖なり。試しに枯枝を一根插し入れよ、十日に必ず葉を長ぜん。』また熙祖を叫び起こして言う。『汝はわが言を聞きしか。』熙祖は睡るを仮装した。道士は便ち枯枝を插し下ろして去った。熙祖は十日を待ち、あの枯枝は果たして葉を生じ、それを拔き去り、別に枯枝を一根插し上げた。両人の道士はまた来たり、徒弟は言う。『葉はどうして長ぜざる。』当時熙祖は旁に在りて斜めに眼で看ていた。道士は指して言う。『これは必ず人に拔き去られたなり。』熙祖は瞞し得ざるを知った。道士は便ち彼に対して言う。『汝は福気あり。死後は応にここに葬るべし。天子を出さん。』」

熙祖語仁祖。後果得塟,塟后土自壅為墳。半載,陳太后孕太祖,皆言此墩有天子氣。仁祖徙鳯陽,生太祖於盱眙縣鍾離靈鄉,方圓丈許,至今不生草木。仁祖崩,太祖奉神柩至中途九龍崗,風雨大作,索斷,土自壅成墳。人言塟九龍頭上。”

熙祖はこの言を仁祖に告げた。後に果たしてあそこに葬り、葬り下ろした後泥土は自ら壅起して墳と為った。半年を過ぎ、陳太后は便ち太祖を懐妊し、人々は皆この土墩に天子の気ありと言った。仁祖は鳳陽に遷り、盱眙県鍾離の霊郷に太祖を生む。あの地は方円一丈ほど、今に至るまで草木を長ぜず。仁祖の去世の時、太祖は霊柩を奉じて半路の九龍崗に至り、忽然として風雨大作し、繩索は断え、泥土は自ら壅起して墳と為った。人々は皆これは九龍の頭上に葬りたるなりと言う。」

按松江徐長谷大地圖云:“熙祖陵龍脈發自中條,王氣攸萃。前瀦水成湖作內明堂。淮河、黃河合襟作外明堂。淮上九峰揷天,為遠案。黃河西遶。元末,東開會通河復遶之,而聖祖生矣。”仁祖陵即吳景鸞獻宋室者。宋不能用,葢天留以待我皇朝之厚福無疆也,豈偶然哉?

松江の徐長谷の『大地図』に按ずれば言う。「熙祖陵の龍脈は中条干龍より発し、王気は皆あそこに鍾聚す。陵の前に水を積みて湖と為し、以て「内明堂」と為す。淮河と黄河は交合して襟と為し、以て「外明堂」と為す。淮河の上流の九座の山峰は天に插して立ち、以て遠処の「案山」と為す。黄河は西面より環繞す。元朝の末年に東面に会通河を開凿し、また一重を環繞した。ここにおいて聖祖は降生した。」仁祖陵のあの地は、すなわち当年呉景鸞が宋朝皇室に進献したあの一処である。宋朝は福なくして享用せず、大概は上天が留めて本朝のあの無窮無尽の厚福を待たせたのであろう。これ豈に偶然ならんや。

北幹最長,為燕京,今京師也。朱子曰:“冀都是正天地中間,好個大風水。山脈從雲中發來。雲中正高脊處,自脊以西之水,則西流入於龍門、西河;自脊以東之水,則東流入於海。前面黃河環遶。右畔是華山聳立,為虎。自華來至中為嵩山,是為前案。遂過去為泰山,聳於左,是為龍。淮南諸山是第二重案,江南諸山及五嶺南安大庾嶺、桂陽騎田嶺、九眞都龐嶺、臨賀萌治嶺、治安越城嶺是也。又為第三四重案。”正謂此也。

北干の最長の一処の結作は燕京で、すなわち今日の京師である。朱熹は言う。「冀都は正に天地の中間に当たり、好ましい大なる風水なり。山脈は雲中より発来し、雲中は正に最高の山脊なり。山脊以西の水は西に流れて龍門・西河に入り、山脊以東の水は東に流れて大海に入る。前面に黄河の環繞あり。右は華山の聳立し、以て「白虎」と為す。華山より過ぎ来りて中間は嵩山、以て前面の「案山」と為す。さらに過ぎ去るは泰山、左に聳立し、以て「青龍」と為す。淮南の衆山は第二重の案山、江南の衆山および五嶺(南安の大庾嶺・桂陽の騎田嶺・九真の都龐嶺・臨賀の萌渚嶺・始安の越城嶺)はまた第三・第四重の案山を作る。」講ずるはまさにここである。

吳興唐子鎮以燕京為枝結,謂朱子所論冀都指作堯都,非也。彼葢未考舜分冀東為幽州,而幽燕古通稱冀耳。徜如所指,則朱子又何復曰“堯都中原,風水極佳,左河東太行諸山相繞,海島諸山亦皆相向”云云?此不待辨說而明矣。故邱文莊公《循義補》直以朱子所稱為今京師,誠確見也。其以燕京為枝結者,不為妄談乎?

呉興の唐子鎮は燕京はただ旁支の結ぶところと認め、朱熹の論ずる冀都は堯都を指すと言う。これは誤りである。彼は大概考察せざるなり。虞舜は冀州の東部を划分して幽州を設け、而して幽燕は古代に本来就に冀と通称した。倘若まことに彼の指すが如くならば、朱熹は何の故にまた別に「堯は中原に都し、風水極佳なり。左は河東・太行の諸山は環繞し、海島の諸山も皆それに朝向す」というような言を為したか。この一点は辯説せずとも甚だ明白である。だから丘濬(文荘公)の『大学衍義補』は徑直に朱熹の言う冀都を以て今日の京師と為す。実に確切の見解である。燕京をただ旁支の結作と為すあの種の説は、豈に妄談ならずや。

夫南幹正結為南畿,及我大祖高皇帝孝陵在焉。中幹正結為我熙祖泗州、仁祖鳯陽二陵。中結為我承天獻宗皇帝顯陵。北幹正結為今日京師暨天壽山昌平州列聖陵寢。三干之盡,惟我朝獨會其全。回視唐虞以來,或得正幹之一,或得分幹之一者,亦能衍數百年之基,則我皇朝三大干之全福力量,眞億萬斯年可預卜於茲也。草茅之士,躬逢其盛,寍不為聖朝之深慶哉。

南干の正結は南京の畿輔で、本朝太祖高皇帝の孝陵はすなわちあそこにある。中干の正結は本朝熙祖の泗州陵・仁祖の鳳陽陵、中間の一結は承天の献宗皇帝の顕陵。北干の正結は今日の京師および昌平州天寿山の列位聖君の陵寝である。三条の干龍の尽結の処は、ただ本朝だけがその全を独得した。唐堯虞舜以来を回頭して見れば、或るはただ正干の中の一処を得、或るはただ分干の中の一処を得たのみでも、なお数百年の基業を開くことができた。然らば本朝の兼ねて三大干龍の全部の福沢の力量を得たるは、真にここに億万年の国祚を預卜すべきである。我がごとき一介の草野の士、身を以てこのような盛世に趕え遇う、何ぞ聖朝のために深く慶幸せざらん。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻一之下

此一冊専論天下古今帝都及星垣所合形勢。頋草茅之士何敢僭議及此?且非人子求風水者之事。但欲論地,必先識大幹龍。而大幹龍之所鍾,必天下大都會大垣局,亦君子所當知者,爰輯其大概於左。

この一冊は専ら天下古今の帝都および天上の星垣と相合する形勢を論ずる。しかし我一介の草野の士、どうして敢えて僭越してこの一層に議論を及ぼさんや。況んやこれもまた人の子の為に風水を求める人の所需の事に非ず。ただ地を論ぜんと要すれば、必ず先ず大干龍を認識せねばならず、而して大干龍の鍾聚する処は、必ず天下の大都会・大垣局なり。これもまた君子の応に知るべきところ、ここにおいて大概の情形を下面に彙輯す。

帝都を論ず

夫地理之大,莫先於建都立國。稽古之先哲王,將營都邑,罔不度其可居之地以審其吉凶。如公劉將居豳也,其《詩》曰:“於胥斯原”。太王將居岐也,其《詩》曰:“聿來胥宇。”武王將居鎬京,其《詩》曰:“宅是鎬京。”成王將營洛邑,《書》曰:“召公既相宅。”衛文公將營楚丘,其詩曰:“升虛望楚。”見於經者如此,則宅都誠不可不重也。

地理の中の最大の事は、都を建て国を立つるより優先するはなし。古代のあの明哲なる先王を考察するに、凡そ都邑を営建せんとすれば、可居の地を度量してその吉凶を審察せざるはなし。譬えば公劉が将に豳地に定居せんとするや、『詩経・公劉』は言う「于胥に斯の原」(この原野を察看す)。太王が将に岐山に定居せんとするや、『詩経・綿』は言う「聿た来たりて宇を胥く」(来たりて住処を相看す)。武王が将に鎬京に定居せんとするや、『詩経・文王有声』は言う「是の鎬京に宅す」。成王が将に洛邑を営建せんとするや、『尚書』は言う「召公すでに宅を相す」(召公はすでに宅地を相看した)。衛文公が将に楚丘を営建せんとするや、『詩経・定之方中』は言う「虚に升りて楚を望む」(故城に登りて楚丘を眺望す)。経書に見るところこの如し。これを知れば国都を選定することは実に鄭重ならざるべからず。

雖然,張子微有云:“帝王之興也,以德而不以力;其守也,以道而不以地。”堯舜聖人,其所建立,未必慮及於風水之說。但聖人之興,自合造化,聖人所作,動為法則,風水固不拘,而密協於龜卜,即天造地設之自然者也。故《易》曰:“王公設險以守其國”,此理固先天地而有,即風水之攸始矣。

話は然りとはいえ、張子微はかつて言った。「帝王の興起は、徳に靠り武力に靠らず。帝王の守成は、道に靠り地利に靠らず。」堯舜は聖人で、彼らの都を建て国を立つるは未必風水の説を考慮したとはいえぬ。ただ聖人の興起は本来就に造化に暗合し、聖人の作為は動けば法則と為る。風水に拘束せらるることなしとはいえ、却って亀卜の結果と暗暗の中に相合す。これは正に天造地設の自然の理である。だから『周易』は言う「王公は険要を設置してその国を守る」。この道理は本来就に天地より先んじて存在し、すなわち風水の開端である。

予嘗稽諸歷代建都之地,得正龍之所鍾而合天星之垣局者,則傳代多,歷年久;非其正龍而不合星垣者,則皆隨建隨滅,豈非地理之明徵乎。謹將歷代建都之所詳録以備參考云爾。

私はかつて歴代の都を建てた処を考察した。凡そ「正龍」の鍾聚を得てしかも天上の星垣の格局に合うは、伝世の代数は多く、国を享くる年数は久しい。凡そ正龍に非ず、また星垣に合わざるは、皆剛に建立してすなわち滅亡す。これ豈に地理の霊験の明白な証拠ならずや。いま謹んで歴代の都を建てた処を詳細に記録し、以て参考に備えん。

歴代の帝都考

伏羲都陳今河南開封府陳州,在位一百一十五年。神農都陳河南,徙曲阜今山東兗州府曲阜縣,在位一百四十年。黃帝都涿鹿今北直隸涿州,傳四世,共三百九十年。堯都平陽今山西平陽府,在位七十二年。舜都蒲坂今山西蒲州,在位六十一年。禹都安邑今山西安邑縣,傳十七世,共四百五十八年。湯都亳今河南歸德府,傳二十八世,共六百四十四年。周都鎬闗中,東遷洛陽,傳三十七世,共八百七十三年。

伏羲は陳に都を建てたり(今の河南開封府陳州)、在位一百一十五年。神農は陳に都を建てたり(河南にあり)、後に曲阜に遷都す(今の山東兗州府曲阜県)、在位一百四十年。黄帝は涿鹿に都を建てたり(今の北直隸涿州)、四代を伝え、共に三百九十年。堯は平陽に都を建てたり(今の山西平陽府)、在位七十二年。舜は蒲坂に都を建てたり(今の山西蒲州)、在位六十一年。禹は安邑に都を建てたり(今の山西安邑県)、十七代を伝え、共に四百五十八年。商湯は亳に都を建てたり(今の河南帰徳府)、二十八代を伝え、共に六百四十四年。周は鎬に都を建てたり(関中にあり)、後に東遷して洛陽に至り、三十七代を伝え、共に八百七十三年。

秦都咸陽今陜西西安府,傳三世,共稱帝一十五年。西漢都闗中今陜西西安府,傳十二世,共二百一十四年。東漢都洛陽今河南府,傳十二世,共一百九十六年。三國漢都成都四川,二主,四十三年;魏都鄴,五主,四十六年;吳都建康,四主,五十二年。西晉都洛陽今河南府,傳四世,共三十七年。東晉都建康今應天府,傳十一世,共一百四年。南朝宋、齊、梁、陳皆都建康,宋八帝,五十九年;齊五主,二十三年;梁四主,五十六年;陳五主,三十三年。

秦は咸陽に都を建てたり(今の陝西西安府)、三代を伝え、帝と称すこと共に十五年。西漢は関中に都を建てたり(今の陝西西安府)、十二代を伝え、共に二百一十四年。東漢は洛陽に都を建てたり(今の河南府)、十二代を伝え、共に一百九十六年。三国の時期、蜀漢は成都に都を建てたり(四川にあり)、两位の君主、四十三年。曹魏は鄴に都を建てたり、五位の君主、四十六年。孫呉は建康に都を建てたり、四位の君主、五十二年。西晋は洛陽に都を建てたり(今の河南府)、四代を伝え、共に三十七年。東晋は建康に都を建てたり(今の応天府)、十一代を伝え、共に一百四年。南朝の宋・斉・梁・陳は皆建康に都を建てたり。宋は八位の皇帝、五十九年。斉は五位の君主、二十三年。梁は四位の君主、五十六年。陳は五位の君主、三十三年。

隋都長安今陜西,傳三世,共三十八年。唐都長安,傳一十八世,共二百六十九年;昭宗徙洛陽,傳二世,共十八年。宋都汴今河南,傳九世,共一百六十七年;高宗徙杭,傳九世,共一百五十三年。元都燕今京師順天府,傳九世,共八十八年。明太祖高皇帝都金陵今南京應天府,成祖文皇帝徙燕今京師即元故都。

隋は長安に都を建てたり(今の陝西)、三代を伝え、共に三十八年。唐は長安に都を建てたり、十八代を伝え、共に二百六十九年。昭宗は洛陽に遷都し、二代を伝え、共に十八年。宋は汴京に都を建てたり(今の河南)、九代を伝え、共に一百六十七年。高宗は杭州に遷都し、九代を伝え、共に一百五十三年。元は燕京に都を建てたり(今の京師順天府)、九代を伝え、共に八十八年。本朝太祖高皇帝は金陵に都を建てたり(今の南京応天府)、成祖文皇帝は燕京に遷都せり(今の京師、すなわち元朝の旧都)。

帝都は必ず星垣に合することを論ず

夫帝都者,天子之京幾,萬方之樞會。於以出政行令,蒞中國,撫四夷,宰百官,統萬民,天下至尊之地也。地理之大,莫先於此。必上合天星垣局,下鍾正龍王氣,然後可建立焉。葢在天為帝座星宮,在地為帝居都會,亦天象地形自然理耳。楊公云:“大抵山形雖在山,地有精光屬星次。體魄在地光在天,識得星光眞精藝。”故為地學,奚直俯察地理已哉!又須仰觀天文,始盡其奧。

いわゆる帝都は、天子の京畿・万方の枢紐会聚の地である。ここに政令を発布し、中国に君臨し、四夷を安撫し、百官を統領し、万民を統治す。天下の最も尊貴の処である。地理の中の最大の事は、これより優先するはなし。必ず上は天上の星垣の格局に合し、下は「正龍」の王気を鍾聚し、然る後に以て都を建つべし。天上においては帝座の所在する星宮なれば、地上においてはすなわち帝王の居住する都会なり。これもまた天象と地形の自然に相応ずる理である。楊筠松は言う。「大抵山形は山に在りとはいえ、地に精光ありて星次に属す。体魄は地に在り光は天に在り、星光を識得せば真の精芸なり。」だから地学を研究するは豈にただ俯して地理を察するのみで足らんや。必ずまた仰いで天文を観、以てその奥妙を窮尽するを要す。

按《天文志渾象》:中外官星凡二百四十六名,千二百八十一星。微星萬一千五百二十,分佈中外為垣者,曰紫薇、太薇、天市。垣之中皆有帝座,凡建都處,山川形勢,須與此合。楊公云:“要識垣中有帝星,皇都坐定甚分明。”廖氏云“帝都必要合星垣,紫薇在中天。其次太微與天市,皆有帝座位”是也。

『天文志・渾象』に按ずれば、中官と外官の星は共に二百四十六の名目・一千二百八十一顆の星あり、別に細微の小星一万一千五百二十顆あり。中外に分布して「垣」と為るは、紫微垣・太微垣・天市垣である。三垣の中に皆「帝座」あり。凡そ都を建てる処は、山川の形勢は必ずこれと相合せねばならぬ。楊筠松は言う。「要するに垣中に帝星あるを識れ、皇都の坐定するは甚だ分明なり。」廖瑀は言う「帝都は必ず要して星垣に合せよ、紫微は中天に在り。その次は太微と天市、皆帝座の位あり」、講ずるはまさにこの道理である。

今以三垣天星地形述後。外少微垣為士大夫權天帝文章之府。天苑、天園為天子養獸植菓之所。雖亦有垣,而無帝座正位,地形縱合,亦非統一寰宇,享有久遠之都在。

いま三垣の天星と相応する地形を後面に叙述す。此の外にさらに少微垣あり。あれは士大夫が天帝の文章を掌る府署である。天苑・天園はすなわち天子が禽獣を畜養し果木を種植する処である。この几処は垣を成すとはいえ、帝座の正位なし。地形は縦ひこれと相合するも、天下を統一し国を享くること長久の都城の所在に非ず。

按《天文志》,中天北極紫薇星垣,天皇之宸極,太乙之常居也。北極五星正臨亥地,為天帝之最尊,所以南面而治者也。三光迭運,極星不移。孔子所謂“北辰居其所而眾星拱之”是也。

『天文志』に按ずれば、中天北極の紫微星垣は、天皇の宸極の所在・太乙神の常住する処である。北極の五星は正しく地上の亥位に対し、天帝の中最も尊貴なり。だから北に坐し南に向かいて天下を治理す。日月星の三光は輪転して息まず、独り極星のみ岿然として動かず。これは正に孔子の言う「北辰はその所に居りて衆星これを拱く」である。

後有四輔四星居壬,勾陳六星居幹,天綱八星居戌,華葢九星居北,閣道五星居癸,咸池五星居丑,八轂八星居艮,天將軍四星居寅,內陛六星居甲,司命六貴人在震,三師三星在乙。

その後ろには四輔の四星が壬位にあり、勾陳の六星が乾位にあり、天綱の八星が戌位にあり、華蓋の九星が北面にあり、閣道の五星が癸位にあり、咸池の五星が丑位にあり、八穀の八星が艮位にあり、天将軍の四星が寅位にあり、内陛の六星が甲位にあり、司命等の六貴人が震位にあり、三師の三星が乙位にある。

又有天理四星居辰,五諸侯五星居巽,內廚二星居巳,四貴人四星臨丙,帝座二星居午,大理二星居丁,天槍三星居未。天床三星居坤。天梧五星居申,陽德、陰德二星居庚。內屏二星居兌。天乙、柱史、女史三星居辛。而有左衛七相、右衛七將以藩屏帝室。泰階、六符輔治北斗七政以翼垣。此紫微垣星局之懸象於天者也。

また天理の四星が辰位にあり、五諸侯の五星が巽位にあり、内厨の二星が巳位にあり、四貴人の四星が丙位に臨み、帝座の二星が午位にあり、大理の二星が丁位にあり、天槍の三星が未位にあり、天床の三星が坤位にあり、天梧の五星が申位にあり、陽徳・陰徳の二星が庚位にあり、内屏の二星が兌位にあり、天乙・柱史・女史の三星が辛位にある。別に左衛の七相・右衛の七将があり、以て帝室を屏衛する。泰階・六符は北斗七政の治理を輔佐し、以て星垣を護翼する。これがすなわち紫微垣の星局の天上に懸かる形象である。

《步天歌》:中元北極紫微宮,北極五星在其中。大帝之座第二珠,第三之星庶子居。第一號曰為太子,四為後宮五天樞。左右四星是四輔,天以太乙當門路。左樞右樞夾南門,兩面營衛一十五。上宰少尉兩相對,少宰上輔次少輔。上衛少衛次上丞,後門東邊大讚府。門西喚作一少丞,以次卻向前門數。

『歩天歌』は唱えていう。中元は北極の紫微宮、北極の五星はすなわちその中にあり。天帝の座位は第二顆、第三の星は庶子の位、第一顆を太子と呼び、第四顆は後宮、第五顆は天枢。左右の四星は四輔、天上は太乙を以て門路に当たる。左枢・右枢は南門を挟み、両側には共に営衛の十五顆の星あり。上宰と少尉は両々相対し、続くは少宰・上輔・少輔。さらに続くは上衛・少衛・上丞、後門の東は大賛府、門の西は少丞と呼ぶ。順次さらに前門へ数えて往け。

陰德門裡兩黃聚,尚書以次其位五。女史柱史各一戶,御女四星五天柱。大理兩星陰德邊,勾陳尾指北極顛,勾陳六星六甲前。天皇獨在勾陳裡,五帝內座後門是。華蓋並槓十六星,槓作柄象蓋傘形。蓋上連連九個星,名曰傳舍如連丁。垣外左右各六珠,右是內階左天廚。階前八星名八轂,廚下五個天棓宿。

陰徳門の裏に二顆の黄星が聚まり、尚書は順次排列して共に五顆。女史・柱史は各々一位を占め、御女の四星・天柱の五星。大理の両星は陰徳の旁にあり、勾陳の尾巴は北極の頂端を指し、勾陳の六星は六甲の前にあり。天皇の一星は独り勾陳の内に処り、五帝の内座はすなわち後門のあそこにあり。華蓋は杠星を連ねて共に十六顆、杠は柄を作り蓋は傘形を作る。蓋の上に連綿と九顆の星、名を伝舎と呼び、排ばれて「丁」の字の如く相連なる。垣外の左右に各々六顆の星あり、右は内階、左は天厨。内階の前の八顆の星を八穀と呼び、天厨の下の五顆の星は天棓。

天床六星左樞右,內廚二星右樞對。文昌斗上半月形,稀疏分明六個星。文昌之下曰三公,太尊只向三公明。天牢六星太尊邊,太陽之守四勢前。一個宰相太陽側,更有三公相西偏。即是天戈一星圓,天理四星斗裡暗。輔星近著闓陽淡,北斗之宿七星明。第一主宰名樞精,第二第三璇璣星,四曰權星第五衡,闓陽搖光六七星,搖光左三天槍明。

天床の六星は左枢の右にあり、内厨の二星は右枢と相対す。文昌は北斗の上に半月形を呈し、稀疏にして分明なる六顆の星。文昌の下を三公と呼び、太尊はただ三公に向かいて亮す。天牢の六星は太尊の旁にあり、太陽守は四勢の前にあり。一顆の宰相星は太陽守の側面にあり、別に三公相がありて西辺の偏処にあり、あれはすなわち渾円の天戈の一星。天理の四星は斗魁の裏に暗暗として蔵れている。輔星は開陽に緊く挨り、光色は較べて淡し。北斗の七宿は皆明亮、第一顆の主宰を枢精と呼び(天枢)、第二・第三は璇・璣、第四を権と呼ぶ(天権)、第五は衡(玉衡)、第六・第七は開陽・揺光。揺光の左の三顆の天槍星もまた甚だ明亮である。

左紫微垣列形於地之局勢大略也。楊公云:“紫微垣外前後門,華蓋三臺前後衛。中有過水名御溝,抱城屈曲中間流。”又云“直朝射入紫垣氣”。廖氏云“紫垣西藩星有七,東藩八星出。華蓋槓星在後門,天床前面陳。中央一水直朝入,抱城九回屈。萬山簇擁晝朝迎,拱極不虛稱”是也。

以上は紫微垣が地上に排列成形する局勢の大略である。楊筠松は言う。「紫微垣の外に前後門、華蓋三台は前後衛す。中に過水ありて名を御溝と呼び、城を抱いて屈曲し中間に流る。」また言う「直朝して紫垣の気を射入る」。廖瑀は言う「紫垣の西藩の星は七あり、東藩の八星出づ。華蓋・杠星は後門にあり、天床は前面に陳す。中央の一水は直朝して入り、城を抱きて九回屈す。万山は簇擁して昼朝迎え、極を拱するは虚称に非ず」、講ずるは皆この格局である。中央に要して一条の水ありて直朝して流入し、城池を環抱して屈曲九転し、四囲の万山が簇擁朝迎してこそ、「衆星極を拱く」という説に当たる。

右南宮太微星垣,三光之庭,天帝受釐告功之室也。中有五帝座,正居北地。太乙、五尚書正居巽地。內有郎官、即位、三公、謁者、九卿、五侯以輔導帝極。

其次は南宮の太微星垣。あれは日月星の三光の庭院で、また天帝が祭余の福胙を受け、功成を宣告する殿室である。垣中に五帝座あり、正しく地上の北方に当たる。太乙と五尚書は、正しく地上の巽位に当たる。垣内に郎官・即位・三公・謁者・九卿・五侯等の星あり、以て帝座を輔佐引導する。

前有明堂三星居巳,靈臺三星居午,常陳為耳目之官,西將、東相各四星為藩垣。東華、西華為門掖。掖左右二星為執法。後有太陽守、太陰守各二星,為衛。前有張、翼、軫三宿為侍,此太微垣星局之懸象於天者也。

垣前に明堂の三星が巳位にあり、霊台の三星が午位にある。常陳星は天帝の耳目の官。西辺の将星・東辺の相星は各々四顆、充てて藩籬の囲垣を作す。東華・西華は両側の掖門で、掖門の左右の二顆の星は執法の官。垣後に太陽守・太陰守各々二星ありて充てて衛士を作す。垣前に張宿・翼宿・軫宿の三宿ありて充てて侍従を作す。これがすなわち太微垣の星局の天上に懸かる形象である。

《步天歌》:上元天庭太微宮,昭昭列象在蒼穹。端門只是門之中,左右執法門西東。門左皂衣一謁者,以次則是烏三公。三黑九卿公背旁,五黑諸侯卿後行。四個門星主後屏,五帝內座於中正。倖臣太子並從官,烏列帝后從東定。郎將虎賁居左右,常陳郎位屈其後。常陳七星勿相誤,郎位陳東一十五。兩面宮垣十星布,左右執法是其數。宮外明堂布政宮,三個靈臺候雲雨。

『歩天歌』は唱えていう。上元の天庭は太微宮、明亮の星象は蒼穹に羅列す。端門はすなわち正門の当中にあり、左右の執法は分かれて門の西東に居す。門の左の黒色の一顆は謁者、順次過ぐるは三公の三顆の黒星。九卿の三顆の黒星は三公の背後にあり、諸侯の五顆の黒星はまた九卿の後に排す。四顆の門星は後面の屏障を主管し、五帝の内座は端居して正中にある。幸臣・太子および従官を連ね、几顆の黒星は帝座の後に排し、東辺より定位を為す。郎将と虎賁は分かれて左右に居り、常陳と郎位は屈曲してそれらの後ろにあり。常陳の七星は錯るなかれ、郎位は常陳の東に共に十五顆。両面の宮垣には十顆の星を布き、左右の執法はすなわちこの数の裏に算入る。宮外の明堂は布政の宮、三顆の霊台星は専ら雲雨を候す。

右太微垣列形於地之局勢大略也。楊公云“方正之垣號太微”。又云“橫城水繞太微勢”。又云“東華西華門水橫,水外四圍列峰位。此是垣前執法星,卻分左右為兵衛。”廖金精《洩天機》云“太微垣局最方正,左右執法並。西藩上將次將先,次相上相連。東藩上相及次相,次將與上將。兩藩九門分十星,一水繞城橫”是也。

以上は太微垣が地上に排列成形する局勢の大略である。楊筠松は言う「方正の垣を太微と号す」、また言う「横城水は太微の勢を繞らす」、また言う「東華・西華の門水は横たわり、水外の四囲に峰位を列ぬ。これは垣前の執法星、却って左右を分かちて兵衛と為る。」廖金精の『泄天機』は言う「太微垣局は最も方正、左右の執法は並び立つ。西藩の上将・次将は先んず、次相・上相は連なる。東藩の上相および次相、次将と上将。両藩の九門は十星を分かち、一水は城を繞って横たわる」、講ずるは皆この格局である。垣形は方正を要し、両側は対峙して執法の如く、一条の水は横たわりて城前を繞る。

右東府天市星垣,天帝泉貨之府也。中有帝座,正臨艮地。有秤、斗、車、舟、府庫、市樓、市肆以貫其中,貫索、宗人、左右侍衛。匡衛《列國分野二十二星》曰:宋、南海、燕、東海、徐、吳越、齊、中山、九河、河間、晉、鄭、周、秦、巴、蜀、梁、楚、韓、西河等藩以列四方。

再次は東府の天市星垣。あれは天帝が銭財貨物を掌管する府庫である。垣中に帝座あり、正しく地上の艮位に当たる。垣内に秤・斗・車・舟・府庫・市楼・市肆等の星ありてその間を貫串し、また貫索・宗人および左右の侍衛あり。『列国分野二十二星』の載する所に拠れば、宋・南海・燕・東海・徐・呉越・斉・中山・九河・河間・晋・鄭・周・秦・巴・蜀・梁・楚・韓・西河等の藩国の星は四方に羅列し、環衛して拱護す。

貴人一星旁照庚地,為捍衛庫之宮。司命一星正臨丁位,為五福壽命之司。此天市垣星局之懸象於天者也。

貴人の一星は旁に在りて庚位を照臨し、是れ府庫を護衛する宮位。司命の一星は正しく丁位に当たり、五福と寿命を主管す。これがすなわち天市垣の星局の天上に懸かる形象である。

《步天歌》:下元一宮名天市,兩扇垣牆二十二。當門六個黑市樓,門左兩星是車肆。兩個宗正四宗人,宗星一雙亦依次。帛度兩星屠肆前,侯星還在帝座邊。帝座一星常光明,四個微茫宦者星。以次兩星名列肆,斗斛帝前依其次。斗是五星斛是四,垣北九個貫索星。索口橫者七公成,天紀恰似七公形。數著分明多兩星,紀北三星名女床。此座還依織女旁,三元之象無相侵。二十八宿隨其陰,火水木土並與金,以次別有五行吟。

『歩天歌』は唱えていう。下元の第一宮は名を天市と呼び、両扇の垣牆は共に二十二顆の星。正しく門口に当たる六顆の黒色は市楼、門左の二顆の星は車肆。宗正は両顆、宗人は四顆、宗星の一対もまた順次排列す。帛度の両星は屠肆の前にあり、侯星はなお帝座の旁にあり。帝座の一星は常に光明し、四顆の微茫なるは宦者星。順次の両顆は名を列肆と呼び、斗と斛は帝座の前に順次排し開く。斗は五顆の星、斛は四顆の星。垣北に九顆の貫索星あり、貫索の口上に横列するは七公、天紀の形状は恰似して七公の如く、数えて分明に多く出づること二顆。天紀の北の三顆の星は名を女床と呼び、この一座はなお織女の旁に靠る。三元の星象は各々相犯せず、二十八宿はそれらの陰位に随って排布し、火・水・木・土に金を加え、順次別に『五行吟』ありて歌詠す。

右天市垣列形於地之局勢大略也。楊公云“垣有四門號天市。”又云“百源來聚天市垣。”廖公云“天市垣星二十二,名參國與地。國地中間有四門,東西南北分。眾水分流來此聚,大河在東注。帝座居北市樓南,垣局總為祥”是也。

以上は天市垣が地上に排列成形する局勢の大略である。楊筠松は言う「垣に四門ありて天市と号す」、また言う「百源は来たり聚まりて天市垣」。廖瑀は言う「天市垣の星は二十二、名は国と地に参ず。国地の中間に四門あり、東西南北を分かつ。衆水は分流して此に来たり聚まり、大河は東に在りて注ぐ。帝座は北に居り市楼は南、垣局は総て祥と為る」、講ずるは皆この格局である。四面に門あるを要し、衆水は分流してここに汇聚し、大河は東面に在りて注入し、このような垣局は総て吉祥である。

已上三垣天星之圖則本於《天文志》,地形之圖則本於廖氏《金璧玄文》,茲特合而一之,庶易於考索。然亦不必深泥圖局形象,膠柱鼓瑟。但依經文,以山形水勢取之。

以上の三垣は、天上の星象の図は『天文志』より取り、地上の形勢の図は廖瑀の『金璧玄文』より取った。ここに特に両者を合併して一と為し、以て査考に便ならしむ(底本のここにはもと紫微・太微・天市の三垣の星図と地形図の対照あり、いまはただ文字の叙述を存し、図形はすでに見るべからず)。ただしまた必ずしも図上の局形星象を死に抠ることなく、琴柱を膠住せしめて瑟を弾くがごとく拘泥せず、ただ経文に依りて、山の形状・水の走勢を以て取合すればよいのである。

如曰“紫微垣外前後門”,“華蓋三臺前後衛”,“方正之垣號太微”,“垣有四門號天市”。又曰“直城射入紫微氣”,“橫城水繞太微勢”,“百源來聚天市垣”之類,則以山水形勢之大象言之,楊筠松固已說得明白。其它星宿形象,又不必盡泥也。

譬えば「紫微垣の外に前後門」「華蓋三台は前後衛す」「方正の垣を太微と号す」「垣に四門ありて天市と号す」と言い、また「直城は射入りて紫微の気」「横城水は太微の勢を繞らす」「百源は来たり聚まりて天市垣」という類の言は、皆山水の形勢の大象に就いて講じたもので、楊筠松は本来すでに甚だ明白に説きたり。紫微は前後の門戸と衛護あるを要し、太微は垣形方正・横水が城を環るを要し、天市は四門俱備・百源の汇聚を要す。その余のあの星宿の具体の形象に至っては、样样皆死に套するに及ばぬ。

北龍の結ぶ帝都の垣局を論ず

北龍有燕山,即今京師也。以燕然山脈盡於此,故曰燕山。昔昭王築黃金臺以招賢者,因又稱金臺。古冀州地。舜分冀東北為幽州,故又謂之幽都。按邱文莊公《大學衍義補》云:“虞夏之時,天下分為九州島。冀州在中國之北,其北最廣,舜分冀為幽、並、滎,故幽與並、滎皆冀境也。”

北龍に燕山あり、すなわち今日の京師である。燕然山の脈絡がここに至りて終止するを以て、だから燕山と呼ぶ。当年燕昭王がここに黄金台を筑きて賢士を招攬したを以て、ここにおいてまた金台と称す。ここは古代の冀州の地界である。虞舜は冀州の東北部を划分して幽州を設けた。だからまた幽都と呼ぶ。丘濬(文荘公)の『大学衍義補』に按ずれば言う。「虞夏の時、天下を分かちて九州と為す。冀州は中国の北面にあり、その北部は最も広し。舜は冀州を分かちて幽州・幷州・営州と為したり。だから幽州と幷州・営州は皆冀州の地界に属す。」

楊公云“燕山最高象天市”,蓋北幹之正結。其龍發崑崙之中脈以華夷共視為中原,蓋鴨綠江外又有大干為護,綿亙數千里,至於闐,歷瀚海,之玄屈曲,出夷入貊。又萬餘里,始至燕然山,以入中國,為燕雲北京為山前曰燕,大同為山後曰云。復東行數百里,起天壽山,乃落平洋,方廣千餘里。

楊筠松は言う「燕山は最高くして天市を象る」。これを見ればここは北干龍の正結である。その龍は崑崙の中脈より発出す(若し華夏と夷狄を合わせて見れば、この一帯は正に中原である)、鴨緑江の外にさらに別に大干龍ありて護衛を作すを以ての故である。龍脈は綿亙して几千里、于闐に至り、瀚海を経過し、「之」の字「玄」の字の如く屈曲盤旋し、夷地に出で貊地に入り、また走ること一万余里にして、初めて燕然山に至りて中国に入り、「燕雲」と為る(北京は山の前にありて燕と呼び、大同は山の後にありて雲と呼ぶ)。さらに東行すること几百里、聳起して天寿山と為り、然る後に平洋に落入り、方円一千余里。

遼東、遼西兩枝開截黃河,前繞鴨綠,後纏而陰、恆、太行諸山,與海中諸島相應。近則灤河、潮河、桑河、易河並諸無名小水,夾身數源,界限分明。以地理之法論之,其龍勢之長,垣局之美,幹龍大盡,山水大會,帶黃河,扆天壽。鴨綠纏其後,碣石錀其門,最是合風水法度。

遼東・遼西の两支は張開し、黄河は中より截断し、前面に鴨緑江の環繞あり、後面に陰山・恒山・太行の諸山の纏護あり、また海中の島嶼と遥かに相呼応す。近処にはすなわち灤河・潮河・桑干河・易水および許多の無名の小水あり、龍身の両側に挟まりて几処かの水源を構成し、界限は分明なり。地理の法度を以て衡量すれば、ここの龍勢の長・垣局の美は、正に干龍の大尽頭・山水の大会合の処である。帯に黄河を腰とし、背に天寿山を屏とし、鴨緑江は後ろに纏繞し、碣石山は門戸を鎖す。最も風水の法度に合す。

又按《衍義補》云:“《朱子語錄》:‘冀都,天地間好個大風水!脈從雲中發來,前面黃河環繞,泰山聳左為龍,華山聳右為虎,嵩山為前案,淮南諸山為第二重案,江南五嶺諸山為第三重案。故古今建都之地,皆莫過於冀都。’”就朱子所謂風水之說觀之,謂無風以散之,有水以界之也。冀州之中,三面距河處,是為平陽、蒲坂,乃堯舜建都之地。其所分東北之境,是為幽州。

また『大学衍義補』の引く『朱子語録』に按ずれば言う。「冀都は真に天地間の好ましい大なる風水なり。山脈は雲中より発来し、前面は黄河が環繞し、泰山は左に聳立して「青龍」を作し、華山は右に聳立して「白虎」を作し、嵩山は前面の「案山」を作し、淮南の諸山は第二重の案山を作し、江南の五嶺の諸山は第三重の案山を作す。だから古今の都を建てた処、冀都に超過するはなし。」朱熹の講ずる風水に就いて見れば、説くは風の来たりて吹散するなく、水の来たりて界断するあるなり。冀州の中の三面河に臨む処は、平陽・蒲坂で、あれは堯舜の都を建てた地である。冀州より分出した東北の一境は、すなわち幽州である。

太行自西而來,演迤而北,綿亙魏、晉、燕、趙之境,東而極於醫無閭。重開疊阜,鸞鳯峙而蛟龍走,所以擁護而圍繞之者,不知幾千萬里也。形勢全,風氣密,堪輿家所謂藏風聚氣者,此地有之。其東一帶,則汪洋大海。稍北,乃古碣石淪入海處。稍南則九河既通,所歸宿之地,浴日月而浸乾坤,所以界之者,又如此其直截而廣大焉。堪輿家所謂“得水為上”者是也。

太行山は西辺より過ぎ来りて、逶迤として北し、魏・晋・燕・趙の境内に綿亙し、東は一直線に医無閭山に至りて止まる。重重の山巒・叠叠の岡阜、鸞鳳の対峙し蛟龍の奔走するが如く、用いてこの地を擁護環繞するは、几千里あるや知らざるなり。形勢は完備し、風気は緊密し、堪舆家の言う「風を蔵し気を聚む」は、ここに全く備わる。その東面の一帯は汪洋の大海である。稍や北はすなわち古代碣石の海中に沈んだところ。稍や南はすなわち九河の匯通し水流の帰宿する処で、海水は日月を沐浴し乾坤を浸潤す。用いてこの地を界断するは、またこのように直截にして広大なり。堪舆家の言う「水を得るを上と為す」は、正にこの種の局面を指す。

按:此皆以風水之美言之也。若以形勝論,則幽、燕自昔稱雄,左環滄海,右擁太行,南襟河濟,北枕居庸,蘇秦所謂天府百二之國,杜牧所謂王不得不可為王之地。楊文敏謂西接太行,東臨碣石,鉅野亙其南,居庸控其北,勢拔地以崢嶸,氣摩空而崱屴。又云:燕冀內跨中原,外控朔漠,眞天下都會。桂文襄公謂形勝甲天下,扆山帶海,有金湯之固。

按:以上は皆風水の美に就いて言うのである。若し「形勝」より論ずれば、幽燕は古より雄を称す。左は滄海を環し、右は太行を擁し、南面は黄河・済水を以て襟帯と為し、北面は居庸関を枕とす。これはすなわち蘇秦の言う「百二の険の天府の国」、杜牧の言う「王者はここを得ざれば王を為し成さざるの地」である。楊士奇(文敏)はそれが西は太行に接し東は碣石に臨み、巨野はその南に横亙し、居庸はその北を控扼し、山勢は地を抜きて崢嶸、気象は空を摩して高峻と言う。また燕冀は内は中原に跨拠し外は朔漠を控制し、真に天下の大都会なりと言う。桂萼(文襄公)はその形勝は天下第一、山を以て屏と為し海を以て帯と為し、金城湯池のごとき堅固ありと言う。

蓋眞定以北至永平,闗口不下百十,而居庸、紫荊、山海、喜峰、古北、黃花鎮,險隘尤著。會通漕運便利,天津又通海運,誠萬世帝王之都。自昔之都燕者,始於召公,而極於金元。然召公諸侯也,金元乃夷狄雜氣,皆不足以當其大。惟我皇朝,得國之正,同乎堯舜;拓地之廣,過於漢唐。功德隆盛,上當天心,下乘地氣,眞萬世不拔之洪基也。

真定以北より永平に至るまで、関口は下すこと百十処ならず、その中の居庸・紫荆・山海・喜峰・古北・黄花鎮の几处の険隘は尤も著名である。会通河は漕運を便利にし、天津はまた海運に通ず。実に万世の帝王の都である。古より来たりて燕地に都を建てたるは、最早は召公、最盛は金・元である。然而るに召公はただ諸侯、金・元は不过是れ夷狄の駁雑の気、皆この地の大格局に当たるに足らず。ただ本朝のみ国を得るの正は堯舜と同じく、疆土を開拓するの広は漢唐に超過し、功徳は隆盛、上は天心に応じ、下は地気に乗ず。真に万世動摇すべからざる宏大の基業である。

而議者乃謂北太近胡,距塞不二百里,無藩籬之固,而天子自為守。不知今之四夷,北虜為急,倏忽來去,邊備須嚴。若畿甸去遠而委守將臣,則非居重馭輕之道矣。故我成祖文皇帝,睿意建都於此,良謨遠猷,豈凡愚之所能及哉!

しかれども議論する人は却って京師は北方の胡地に太く靠近し、辺塞に距ること二百里に満たず、藩籬のごとき屏障なく、天子が親しく辺を守るに等しいと言う。彼らは知らず、当今の四方の夷狄の中、北方の虜患は最も急にして、来去は倏忽、辺防は必ず厳密を要することを。倘若京畿の離るること太く遠くして防守を全く将帥大臣に托付せば、すなわち「重を以て軽を馭る」の道理に合わず。だから成祖文皇帝は英明にしてここに都を建つことを決断した。その深遠の謀略は、豈に平庸愚昧の人の企及し得る所ならんや。

然當時未必慮及風水之說,而默契若此,是蓋聖王之興,動與法合,天地造化,有自然相符之理。昔堯舜禹三聖之都皆北龍。今我朝畿甸亦北龍,而形勝與風水法度又皆邁之,宜其駕唐虞,迫二代,全盛如此,是固我列聖之茂德神功鴻休駿烈之不可及。然地理之應亦或然也。愚何幸,躬逢其盛。

ただし当時は未必風水の説を考慮せざりしも、却ってこの地步に暗合した。これは正に聖王の興起は、一挙一動が自然に法度に合し、天地造化は本来自然に相符するの理あるを以てである。従前の堯・舜・禹の三位の聖人の都城は皆北龍にあり、いま本朝の京畿もまた北龍にあり、而して形勝と風水の法度はまた皆彼らに超過す。凌駕して唐虞を超え夏商に逼るに、全盛してこの地步に至るは怪しむに足らず。これは固然より列位の聖君の盛美の徳行・神奇の功業・宏大の休烈は人の及ぶ能わざるなれども、地理上の感応は、或いはまた確かにその事あるや。我は何ぞ幸いなるかな、身を以てこのような盛世に趕え遇うことを。

北龍之次,有平陽、蒲坂、安邑,亦冀境,乃堯舜所都之地。按:朱子曰:“河中地形極好,乃堯舜禹故都。今晉州河中府是也。左右多山,黃河繞之,嵩河列其前。”又曰:“河東、河北皆繞太行山,堯舜禹所都,皆在太行山下。”又曰:“上黨,太行山之極高處。平陽、蒲阪,山之盡頭。”

北龍の中の次一等のは、平陽・蒲坂・安邑あり、また冀州の地界に属し、堯舜の都を建てた処である。按:朱熹は言う。「河中一帯の地形は極好、堯・舜・禹の故都で、すなわち今日の晋州河中府である。左右に山多く、黄河は環繞し、嵩山と黄河は前面に羅列す。」また言う。「河東・河北は皆太行山を繞り、堯・舜・禹の建てた都城は皆太行山の下にあり。」また言う。「上党は太行山の最高き処、平陽・蒲坂はすなわち山の尽頭である。」

又曰:“堯舜都中原,風水極佳。左河東、太行諸山相繞,海島諸山亦皆相向。右河南繞,直至泰山湊海。第二重自蜀中出湖南,出廬山諸山。第三重自五嶺至明、越。又黑水之類,自北纏繞,至南海。”此皆以其大形勢而言之也。

朱熹はまた言う。「堯舜は中原に都を建て、風水極佳なり。左に河東・太行の諸山の環繞あり、海島の諸山も皆それに朝向す。右は黄河が南に環繞し、一直線に泰山に至りて大海に逼る。第二重は蜀中より湖南に出で廬山に出でるこの一帯の山。第三重は五嶺より明州・越州に至る。此の外さらに黒水の類の水あり、北面より纏繞し、一直線に南海に至る。」これらは皆その大形勢に就いて講じたものである。

張子微曰:“河中之地,右則西河,左則東河,前則南河。逾河而為壺口,近河而為覃懷,入河而為衡漳。三面距河,一面背山,所背恆山,相去甚遠,逶迤而下,其平如砥。方廣千里,夾水之外,四面皆有名山巨鎮迎送護衛。但堂局寬闊,非凡俗所能檢點。

張子微は言う。「河中のこの地は、右は西河、左は東河、前は南河。河を越え去るは壷口、河に靠近するは覃懐、河に注入するは衡漳。三面は河に臨み、一面は山を背負う。背負う所の恒山は相隔たること甚だ遠く、山勢は逶迤として下り、地面は平坦にして磨刀石の如く、方円一千里。挟水の外は、四面に皆名山大鎮ありて迎送護衛す。ただ明堂の格局は過度に寛濶にして、尋常の輩の一々検点し清め得る所に非ず。」

若兩腋無水夾截,即是水不交會,大龍如何得住?故夾身之左有小東河,右有西恆河。南有小南河闗截於內,而大河經之,龍將焉往?其它橈棹手腳,得無名之水界夾分明者,又不可數計。但眼目難於檢點,舉其堂局,形勢可以周知。此則以其親近者而言之也。雖然,堯舜禹聖人,道化天下,未必繫於風水。然天造地設,亦自然默契之理,有不可誣者。但今風水變遷,王氣銷竭,無復可都矣。

もし両腋に水の挟截なければ、すなわち水の交会せざるなり。然らば大龍は何を以て停駐せんや。だから龍身の両側は、左に小東河あり、右に西恒河あり、南面に小南河ありて内関に於いて拦截し断え、外面にまた大河の流経あり。龍はなお何処に往くことを得んや。その余のあの船桨・手脚の如き枝脚は、無名の小水に界挟せられて分明なるは、さらに数え勝たざるなり。ただ眼力は一々検点しがたく、その堂局を挙出すれば、形勢はすなわち大致知るべし。」これは近処の細部に就いて講じたものである。話は然りとはいえ、堯・舜・禹は聖人、道を以て天下を化育し、未必しも風水に係わらざりき。然而るに天造地設、また自ずから暗中契合の道理ありて、抹殺すべからざるなり。ただいまあそこは風水変遷し、王気は消竭し、再び都を建つべからず。

中龍の結ぶ帝都の垣局を論ず

中龍有關中曰豐、曰鎬、曰咸陽、長安,皆今陜西地,通曰關陜,古雍州也。楊公云“關中原是太微垣”,又曰“長安落在垣宿中。”蓋中幹之尊也。其龍發於崑崙。《經》曰:“黑水綿絡西河,橫山始起祖宗,轉滎、貊、澤,自西而東,盡於雍州。”

中龍に関中一帯あり、豊・鎬・咸陽・長安を包括し、皆今日の陝西の地界に在り、通称して関陝、古代の雍州である。楊筠松は言う「関中は元は太微垣」、また言う「長安は垣宿の中に落つ」。これを見ればここは中干龍の最も尊貴の結作である。その龍は崑崙より発す。『撼龍経』は言う。「黒水は綿絡して西河、横山より始めて祖宗を起こし、滎・貊・沢を転じ、西より東し、雍州に尽く。」

張子微曰:“長安之龍起於橫山,其山皆黃石,綿亙八百餘里,不生草木。及至雍州之地,涇水出安定,在雍州之西,自西而南入渭水。而北是為渭、汭。渭水出鳥鼠同穴,西為雍州之西山。至涇水所屬之地則為北。惟此依山挾水,號為天府之國。”

張子微は言う。「長安の龍は横山より起こり、あそこの山は皆黄石で、綿亙八百餘里、草木を長ぜず。雍州の境内に至りて、涇水は安定より出で、雍州の西面に在りて、西より南して渭水に注入す。而して北面は便ち渭・汭の一帯。渭水は鳥鼠同穴山より出で、あそこより西は雍州の西山。涇水の属する地界に至れば便ち北面と算う。惟だ独りこの一帯は山に依り水を挟み、天府の国と号称す。」

又曰:“秦都咸陽,非長安。以宮屬渭,跨渭為飛橋複道,以象天闕道而屬阿房。如驪山溫泉,又長安之枝龍也。長安之下則有岐、梁、荊諸山為護,灃、涇、漆、沮、河水界限為衛。”蔡文節公曰:“咸陽之地,龍合之玄格,前後左右,諸山包護。”此皆謂其風水之美也。

張子微はまた言う。「秦朝は咸陽に都を建て、長安に非ず。それは宮殿を渭水に連接し、渭水を跨ぎて飛橋複道を架け、以て天上の閣道を象徴し、一直線に阿房宮に通ず。驪山温泉のあの一帯の如きは、また長安の枝龍。長安の下に岐山・梁山・荊山の諸山ありて護衛を作し、灃水・涇水・漆水・沮水・黄河ありて界限護衛を作す。」蔡元定(文節公)は言う。「咸陽のこの地は、龍脈は「之」の字「玄」の字の盤曲の格局に合し、前後左右に皆衆山の包裹護衛あり。」これらの講ずるは皆その風水上の美処である。

若以形勝言之,則婁敬所謂“被山帶河,四塞為固。”張良所謂“左殽函,右隴蜀,沃野千里。南有巴蜀之饒,北有胡宛之利,阻三面而守,獨以一面東制諸侯,乃金城千里,天府之國”者是也。故史稱關中“阻山帶河,四塞之險,東有函關,西有散關,南有武關,北有蕭關。”呂成公亦謂關中是形勢之地。欲據形勢,須都關中。桂文襄公謂其山河四塞,形勢甲天下。《易》曰“天險不可升”。地險山川丘陵,王公設險以守其國,惟此為然耳。

若し「形勝」より来たりて言えば、すなわち婁敬の講ずる「山を披き河を帯び、四面は阻塞して堅固」、張良の講ずる「左は崤山・函谷関、右は隴地・蜀地、沃野千里。南に巴蜀の富饒あり、北に胡地の苑馬の便利あり。三面は険を拠りて固守し、ただ東面の一方を以て諸侯を控制す。これは千里の金城・天府の国」。だから史書は関中を称して「山を阻み河を帯び、四面は阻塞険固。東に函谷関あり、西に大散関あり、南に武関あり、北に蕭関あり」。呂祖謙(成公)もまた関中は形勢あるの地と言い、形勢を憑拠せんと要すれば必ず関中に都を建てよと。桂萼(文襄公)はその山河四塞、形勢は天下第一と言う。『周易』は言う「天険は攀升すべからず」、地険はすなわち山川丘陵、王公は険要を設置して国を守る。ただここだけが当たるに足る。

故關陜之地,形勝全,龍局美,王氣攸萃,而文武周公列聖篤生。自文王都岐徙豐,武王遷鎬京,成王實都於鎬,以據天下形勢。當西周全盛時,特往來朝諸侯於洛邑。至平王避犬戎,始遷都於洛陽,號曰東周,則周日微弱,而雍州王氣為秦得之。

だから関陝一帯は形勝完備し、龍局美好し、王気は鍾聚す。ここにおいて文王・武王・周公等の聖人は接続して誕生す。文王の岐山に都を建てて後に豊に遷りてより、武王は鎬京に遷り、成王は実際に鎬に定都し、以て天下の形勢を占拠す。西周の全盛の時、ただ往来して洛邑に至りて諸侯の朝見を受く。平王の犬戎を避くるに至りて、初めて洛陽に遷都し、東周と号称す。ここより周室は一天天衰微し、而して雍州の王気は便ち秦国に得去られたり。

蓋秦先世有非子者,善育馬,為周孝王主馬。馬大蕃息,分土為附庸,邑居秦。歷三世,至秦仲始大。歷莊襄,犬戎弒周王,襄公救周有功,封為諸侯,賜以西周畿內八百里之地。秦即其地,日以強盛,兼併天下,統一區宇。然無功德,肆暴虐,不足以當其地王氣之大。漢與,以婁敬、張良之議,遂因其故都而都之,傳十二帝,厯二百一十四年。其後,唐又都之,傳十八帝,厯二百六十九年。

秦の先世に非子と呼ばるる人あり、善く馬を養い、周孝王に替わりて馬政を主管す。馬匹は大量に繁殖し、孝王は便ち彼に土地を分け与えて附庸と為し、封邑は秦に在り。三代を伝え、秦仲に至りて才かに強大と為る。後に犬戎は周幽王を殺し、秦襄公は周を救うの功あり、諸侯に封ぜられ、西周の王畿の内の八百里の土地を賜る。秦はこの地を占拠し、一天天強盛し、終に天下を兼幷し区宇を統一す。但し秦に功徳なく、肆行して暴虐、この地の王気の大を担うに堪えず。漢朝の興起は、婁敬・張良の建議を採納し、すなわち秦の旧都を沿用してここに都を建て、十二位の皇帝を伝え、二百一十四年を歴す。後来唐朝またここに都を建て、十八位の皇帝を伝え、二百六十九年を歴す。

宋人亦嘗議欲都此,而以橫山未入版圖,故都大梁,以經營橫山。蓋橫山當宋時,諸戎所依,為戎夏必爭之地,不得之則不可都,故爾。邱文荘公曰:“秦地被山帶河,四塞以為固。所謂金城千里,天府之國,得天下之百二者也。周人初起於邠,繼都豐鎬,天下形勢之地,蓋莫有過焉者也。至平王東遷而棄其地與秦,秦地始大。戰國之世,山東之國六而秦居其一。六者為縱,而秦獨為衡焉。卒能以少制眾,並而有之,非獨人力,亦地勢然也。自高帝用婁敬言,西都關中,後世言形勝者必歸焉。唐起晉陽,亦都於斯。自宋人都汴之後,王氣消歇者五六百年於今矣。”

宋朝の人もかつてここに都を建てんと議論したれど、ただ横山はなお版図に収入せざりしを以て、だから先ず大梁に都を建て、以て横山を経営せんと便にしたり。横山は宋朝の時は各族の戎人の依恃する所で、戎・夏の必ず争う地、それを得ざれば都を建つべからざるを以て、かくの如くなり。丘濬(文荘公)は言う。「秦地は山を披き河を帯び、四面は阻塞して堅固。すなわちいわゆる千里の金城・天府の国、天下の二比百の地利を占有す。周人は最初邠に興起し、続いて豊・鎬に都を建て、天下に形勢あるの地はこれに超過するはなし。平王の東遷してこの地を秦国に丢与するに至りて、秦地は才かに拡大を始む。戦国時代、崤山以東に六国ありて秦はその一を占む。六国は合縦し、秦は独り連横し、終に以て少を以て衆を制し六国を兼幷すること能う。これは単に人力に非ず、また地勢の造成する所なり。漢高帝の婁敬の建議を採納して西して関中に都してより、後世の形勝を談ずるは必ずここに帰す。唐朝は晋陽に起こり、またここに都を建てたり。宋人の汴京に都を建ててより以後、ここの王気は消歇して今日に至るまで已に五六百年なり。」

詳究文莊茲論,確有所見,而議者乃謂漕運不便。不知周與漢唐各數百年,而其儲積豈無其道?且《禹貢》“若雍州,厥田惟上上”,史稱沃壤千里,可以儲貯。而秦號富強,顧所處之如何耳!大抵雍州非直形勢險固,風水融聚為美已也。且其水深土厚,民性質樸,易於從化,尤為可嘉。

仔細に丘文荘のこの番の議論を推究すれば、確かに彼の見地あり。而して議論する人は却って関中は漕運不便なりと言う。彼らは知らず、周と漢唐は各々国を享くること几百年、豈に糧食を儲備するの辦法なからんや。況んや『禹貢』は言う「雍州に至りて、あそこの田地は上上の等」と、史書はその沃土千里を称し、儲積するに足れり。秦国は富強と号称す。これを見れば関鍵はただ人の怎样に経営するに在るのみ。大体言えば、雍州はただ形勢険固・風水融聚の美なるのみならず、しかも水位深く土層厚く、民性は質朴、教化を受け易し。この一点は尤も貴ぶべし。

朱子曰:“岐豐之地,文王用之以興,二南之化,如彼其忠且厚也。秦人用之未幾,而一變其俗,尚氣概,先勇力,忘生輕死,悍然有招八州,朝同列之氣。其故何哉?誠以雍州土厚水深,其民重厚質直,無鄭、衛驕惰浮靡之習。以善道之,則易興起而篤於仁義;以猛驅之,則其強毅果敢之資,亦足以強兵力農而成富強之業,非山東諸國所及也。後世欲為定都立國之計,誠不可不監乎此。而於導民之路,尤不可不慎其所之。旨哉言乎!

朱熹は言う。「岐・豊のこの地は、文王はそれを用いて王業を興し、『周南』『召南』の教化のあのように忠厚なる。秦人はそれを用いること久しからざるに、却って風俗を一変して意気を崇尚し勇力を看重し、生を忘れ死を軽んじ、悍然として八州を招納し同列の諸侯を来朝せしむるの気概あり。これは何の故ぞ。実に雍州は土厚く水深く、あそこの百姓は敦厚質直にして、鄭・衛の地の驕惰浮靡の習気なきを以てなり。善道を以て彼らを引導すれば、彼らはすなわち奮起して篤く仁義を行うに易し。厳猛を以て彼らを駆使すれば、彼らのあの強毅果敢の資質もまた以て兵を強め農を務めて富強の事業を成就するに足る。崤山以東の各国の比ぶ所に非ず。後世に定都立国の打算を作らんと要するは、実にこれを以て鑑とせざるべからず。而して百姓を引導する路径の上に於いては、尤も彼らを導きて何れの処に向かわんとするかを慎重考慮せざるべからず。」この言は説かるること真有見地なり。

中龍之次有洛陽,即周營洛邑之地也。前值伊闕,後據邙山,左瀍右澗,洛水貫其中,以象河漢。此紫微垣局也。張子微曰:“洛邑是飛龍格勢,腳手本自分明,迎送卻從外假合。凡大地,迎送皆取諸外而不取諸本身。所謂本身手腳,一曲屈縈迴輒五六十里,或七八十里,故人不見其為手足。況遠外迎送,其得見乎?此其平夷之地,一望無際,惟審其水源而後識之也。

中龍の中の次一等には洛陽あり、すなわち周朝の営建した洛邑の地である。それは前面は正しく伊闕に対し、後面は邙山に憑拠し、左に瀍水・右に澗水あり、洛水は中間より貫穿して過ぐる。以て天上の銀河を象徴す。これは紫微垣の格局である。張子微は言う。「洛邑は「飛龍」の格勢で、龍の枝脚は本来分明なれど、迎送の砂は却って外面より借合して成る。凡そ大地は、迎送の砂は皆外面より取りて本身より取らず。いわゆる本身の枝脚は、一曲一折し縈回して動けば五六十里、或いは七八十里。だから人はそれがその手脚なるを看出せず。況んや遠く外面に在る迎送の砂を、さらに看出せんや。この一帯は平坦の地、一望の際なく、ただその水源を審察した後にのみ認出し得る。」

然洛邑居天下之中,為大龍之腹,四望平夷,近則熊耳居其右,西京在其左。取諸遠則上洛在其西,太華在其東,終南惇物在其北,內方則在河南。周公所以取制天下之中,猶腹為人身都會之所也。以水而言,則洛水自西而經其前,瀍、澗界其東,汾、 繞其後,伊水陳其面,最合風水法度。

然而るに洛邑は天下の中に居り、大龍の腹部なり。四面を望去れば一片の平坦。近処は熊耳山はその右にあり、西京の長安はその左にあり。遠処より取れば、上洛はその西面にあり、太華山はその東面にあり、終南山・惇物山はその北面にあり、内方山はすなわち河南に在り。周公のそれを取りて天下の中を控制する所以は、正に腹部が人身の各部の会聚する所なるが如し。水に就いて言えば、洛水は西辺よりその前面を流経し、瀍水・澗水はその東面を界断し、汾水等の水はその後面を環繞し、伊水はその正面に陳列す。最も風水の法度に合す。

但以形勝論之,則平夷無險,四面受敵,故周營洛邑,特以宅中圖治,道里適均之故,乃於此以朝諸侯,非建都也。按《大學衍義》,陳大猷曰:“成王實都鎬京,特往來朝諸侯,祀清廟於洛。故鎬京謂之宗周,以其為天下所宗也。洛邑謂之成周,以周道成於此也。

但し「形勝」より論ずれば、ここは平坦にして険なく、四面敵を受く。だから周朝の洛邑を営建するや、ただそれが中に居りて治理に便く、四方の道里の适中なるが故に、ここに於いて諸侯の朝見を受けたので、それを国都と為したに非ず。『大学衍義』に按ずれば、陳大猷は言う。「成王は実際に鎬京に定都し、ただ往来して洛邑に至りて諸侯の朝見を受け、清廟に於いて祭祀を舉行した。だから鎬京を宗周と称す。それが天下の宗仰する所なるを以てなり。洛邑を成周と称す。周朝の王道がここに於いて完成するを以てなり。」

洛邑天下之至中,豐鎬天下之至險。成王於洛邑定鼎,以朝諸侯,所以成天地中和之氣。宅中以蒞四海,其示天下也公。於鎬京定都以壯基本,所以據天下形勝,據上游以制六合,其慮天下也遠。”誠哉言也!後平王避犬戎,徙都於洛,則周室日衰,馴至不可為矣。

洛邑は天下の最も中に居る処、豊・鎬は天下の最も険要の処。成王が洛邑に於いて九鼎を安放し諸侯の朝見を受けたるは、天地中和の気を成就せんがため。中に居りて四海に臨御し、天下に顕示するは一つの「公」の字なり。鎬京に於いて定都して根本を壮固にしたるは、天下の形勝を占拠し、上游に居りて六合を控制し、天下の為に考慮するや長遠ならんがため。」この言は説くこと真に対なり。後に平王が犬戎を避けて洛陽に遷都し、周室は便ち一天天衰落し、終に挽回すべからざるの地步に至りき。

漢初,高祖亦欲都洛,以婁敬、張良之言,都於關中。光武中興,始於洛建都,謂之東都洛陽。卻在周都河南,又隔伊水,有諸水在後,而地方之備差完,頗為可取。然皆平夷,曠洋無蔽,有德易以王,無德易以亡,不可用也。

漢初の高祖もまた洛陽に都を建てんと思うたり。婁敬・張良の進言に因りて、才かに関中に定都す。光武帝の中興は、才かに洛陽に於いて都を建て始め、東都洛陽と称す。その位置は周朝の旧都の河南にあり、また伊水を隔て、後面に几条の水ありて、地方の守備は略々完備、頗る取るべき所あり。然而るに周囲は皆平坦の地、空曠にして遮蔽なく、徳ある人はここに於いて王業を成就し易く、徳なき人もまたここに於いて滅亡し易し。だから採用に宜ならず。

故東周都洛而能延數百年之久者,誠以文武之德,民不忍忘故爾。溫公《厯年圖》曰:“周自平王東遷,日以衰微。至於戰國,又分而為二。其土地人民不足以比強國之大夫。然天下猶尊而事之,以為共主,綿綿然久而不絕,其故何哉?文武之德植,本固而發源深也。不然,以區區數邑,處七暴國之間,一日不可存,況數百年乎?”此確論也。

だから東周が洛陽に都を建ててなお几百年の久を延續し得たるは、実に文王・武王の徳沢の深厚にして、百姓は忍びて遺忘せざるの故なり。司馬光の『歴年図』は言う。「周朝は平王の東遷より、一天天衰微し、戦国に至りてまた分裂して東西の二周と為る。その土地人民はなお強国の一个の大夫に及ばず。然而るに天下は旧にそれを尊奉し事奉し、以て共主と為し、綿延長久にして断絶せず。これは何の故ぞ。文王・武王の種え下したる徳の根基は牢固にして源頭は深遠なるを以てなり。然らざれば、区区幾個の城邑を以て七つの強暴の国の中間に処り、一天も存住せず、況んや几百年をや。」これは確切の論である。

中龍之又其次者,有汴梁。其龍自熊耳至此,平坦萬里。大河在其北,淮河在其南,亦天苑垣也。五代梁、漢、晉、周皆都於此,年代不永。宋都之,傳九帝,厯一百六十七年而南遷臨安。是時汴梁在河之南,猶差可取。今河水沖決而在於河之北,無復當時風水形勝矣。

中龍の再次一等のに、汴梁あり。その龍は熊耳山より過ぎ来り、ここに至りて一片の平坦、綿延万里。黄河はその北面にあり、淮河はその南面にあり、また天苑垣の格局に属す。五代の後梁・後漢・後晋・後周は皆ここに都を建てたり。年代は皆長久ならず。宋朝はここに都を建て、九位の皇帝を伝え、一百六十七年を歴して後に南は臨安に遷れり。あの時汴梁は黄河の南面にあり、なお勉めて取るべき所あり。いま黄河は冲決して改道し、汴梁は却って黄河の北面に落ち、再びあの時の風水形勝なし。

舊黃河在開封城北四十里。宋元以來,河徙穿淮。馴及我朝洪武二十四年,河決原武,東經開封城北五里,又南行至項城,經頴川以入淮。而舊河故道遂淤。正統十三年,又決滎陽,過開封城之西南,而城北之新河又淤。自是汴城在河之北,龍脈經河穿壞,形勝亦無,河繞可恃不可用也。

旧黄河は開封城の北四十里にあり。宋元以来、黄河は改道して淮を奪いて行けり。本朝洪武二十四年に至り、河は原武に决口し、東流して開封城の北五里を経、再び南して項城に至り、潁川を経て淮河に注入し、旧河道はここにおいて淤塞せり。正統十三年、また滎陽に决口し、開封城の西南より流れ過ぎ、而して城北の新河もまた淤塞せり。ここより汴城は黄河の北面に落ち、龍脈は黄河に穿凿破壊せられ、形勝もまたなし。あの黄河環繞して憑恃と為し得る格局は已に再用すべからず。

蓋河源於崑崙星宿海,又入地伏流數百里,不見其派。禹之所導,始於積石,初未曾窮河源也。河至於此,其勢橫放沖溢。外則涇、渭、漆、沮之會於渭、汭,又有伊、洛、瀍、澗、汾、 之會於底柱,所洩惟汝、泗二流。

黄河は崑崙の星宿海に発源し、また地下に潜入りて伏流すること几百里、その支派を見ず。大禹の疏導したるは、積石山より始まる。当初は未だ河源を窮究せざりき。黄河はこの一帯に流れて、水勢は横放して冲溢す。外面に涇水・渭水・漆水・沮水ありて渭・汭に会合し、また伊水・洛水・瀍水・澗水・汾水等ありて砥柱に会合す。而して宣泄し得るはただ汝水・泗水の两条のみ。

內則淡、濟內河,滹沱、恆、洚從而益之,至於九河逆河,勢雖遠而愈勝。故有河患,非人所能制者。自三代已然。由漢、唐、宋、元迄今,頻年沖決,而沿河之民悉魚鱉矣,況可都乎?

裏面にはすなわち淡水・済水等の内河あり、滹沱河・恒水・洚水はまた不断に增添し入り、九河・逆河一帯に至りて、水勢は流るること遠しといえども却って愈々強盛なり。だから黄河の水患は人力の控制し得る所に非ず、夏商周の三代より已にこの如し。漢・唐・宋・元より一直線に今日に至るまで、年年冲決し、沿河の百姓は皆魚鼈と為れり。況んやここに都を建てんや。

南龍の結ぶ帝都の垣局を論ず

南龍有金陵,即今之南畿,我太祖高皇帝建都之地也。戰國楚威王時,以其地有王氣,埋金以鎮之,故稱金陵。漢改曰秣稜。吳曰建業。晉曰建康。其形勢,前輩謂與洛陽同。廖氏云:“建康形勢洛陽同,王氣古云鍾。”蓋紫微垣局,南幹之盡也。

南龍に金陵あり、すなわち今日の南京の畿輔、本朝太祖高皇帝の都を建てた処である。戦国の時楚威王はこの地方に王気あるを以て、黄金を埋下して以てそれを鎮圧し、だから金陵と称す。漢代は改名して秣陵と為し、呉国は建業と呼び、晋代は建康と呼ぶ。その形勢は、前輩は洛陽と同じと言う。廖瑀は言う。「建康の形勢は洛陽と同じ、王気は古より鍾まると云う。」ここは紫微垣の格局に属し、南干龍の尽結の処である。

蘇伯衡謂劉迪簡云:“金陵地脈,自東南朔長江而西,數百里而止。其止也,蜒蜿磅礴,既翕復張。中脊而下,降為平衍。所謂土中於是乎在。西為雞籠、覆舟諸山,又西為石頭城。而鐘山峙其東,大江回抱,秦淮、玄武湖左右映帶,兩淮諸山合沓內向,若委玉帛而朝焉。

蘇伯衡は劉迪簡に対して言う。「金陵の地脈は、東南方より長江に逆らいて西に行き、走ること几百里にして止まる。それの止まり住する処は、蜿蜒磅礴にして、先ず収斂して然る後に展開す。中間の山脊は往々降下して平衍の地と為り、いわゆる『土中』はすなわちここに在り。西面は鶏籠山・覆舟山のこれらの山、さらに西は石頭城。而して鍾山はその東面に聳峙し、長江は回環して抱護し、秦淮河と玄武湖は左右に映帯し、両淮の衆山は重重叠叠として内に向かいて来たり、玉帛を捧げて朝見に来たるが如し。」

諸葛孔明謂鐘山龍蟠,石城虎踞,眞帝王都。昔始皇見金陵有王氣,東遊以壓之。其後三國吳都之,傳四世。東晉又都之,傳十一世,歷百餘年。南朝宋、齊、梁、陳、南唐皆都之,而年代不永,蓋以其雖合垣局,而垣氣多洩,故爾。楊筠松云“長江環外有三結,垣前中水列。垣中已是帝王都,只是垣城氣多洩”是也。

諸葛亮は鍾山は龍の蟠るが如く、石頭城は虎の踞するが如しと言い、真に帝王の都なり。当年秦始皇は金陵に王気あるを見て、特に東巡して以てそれを鎮圧せり。此の後三国の呉国はここに都を建て、四代を伝えたり。東晋またここに都を建て、十一代を伝え、一百多年を歴す。南朝の宋・斉・梁・陳および南唐は皆ここに都を建てたれども、年代は皆長久ならず。大概はそれが垣局に合するといえども、垣気の泄漏するや多きに過ぎるの故なり。楊筠松は言う「長江は環の外に三結あり、垣前に中水を列ぬ。垣中は已に帝王の都、ただ是れ垣城の気の多く泄るる」、講ずるは正にこの一点である。

若以形勝論之,則江限南北,古今恃為天險。朱子曰:“東南論都,必要都建康者,以建康正諸方水道所湊,一望則諸要會地都在面前,有相應處。”劉誠意謂“襟帶長江,勢甚險固。”桂文襄謂“金陵,江北則有徐、穎二州,地跨中原,瓜連數省,並稱雄鎮,為藩離,有控扼之勢。江南則有安慶,當長江委流,西控全楚,為江表門戶。”

若し「形勝」より論ずれば、長江は南北を隔断し、古今は皆それを倚りて天険と為す。朱熹は言う。「東南方に建都を論ずれば、必定建康に都を建てよ。建康は正に各方の水道の汇聚する処、一眼望去れば、各処の要衝の地は皆面前に在り、彼此は呼応する所有りを以てなり。」劉基(誠意伯)はそれを「長江を以て襟帯と為し、形勢は極めて険固」と言う。桂萼(文襄公)は言う。「金陵は江北に徐州・潁州の二州あり、地は中原に跨がり、瓜葛は相連なりて几個の省份、皆雄鎮と称して、その藩籬を作し、控扼の勢あり。江南に安慶あり、正しく長江の下流に当たり、西して全楚を控制す。江表の門戸なり。」

按諸君子所論形勢,是誠英雄用武之地,可以駕馭四方,號令天下而興王業者。我太祖高皇帝以之定鼎,良有以也。但以地理家言之,雖合紫微垣局,奈垣氣多洩,故成祖文皇帝再建燕京,為萬世不拔之基,豈偶然哉!蓋天眷皇朝,故二祖動即合法,而非有意於地理之說也。猗與盛哉!

諸位の先生の論ずる形勢に按ずれば、ここは確かに英雄の用武の地、四方を駕馭し天下を号令して王業を興起すべし。太祖高皇帝がここに定鼎したるは、自ずから彼の道理あり。ただ地理家の眼光を以て見れば、それは紫微垣局に合するといえども、奈んづるに垣気の泄漏するや太だ多し。だから成祖文皇帝は再び燕京を建て、以て万世動摇すべからざる基業と為す。これ豈に偶然ならんや。大概は上天が本朝を眷顧し、だから两位の祖宗の一挙一動はすなわち法度に合したり。有意に地理の説を講究するに非ず。何と盛大なるかな。

南龍之次有臨安今浙江杭州府。其龍脈自天目山入錢塘,而海門有龍赭二山在其中。郭景純紀云:“天目山前兩乳長,龍飛鳳舞到錢塘。海門更點巽風起,五百年間出帝王。”《經》云:“海門環合似天市,天目天池生侍衛。萬里飛來垣外挹,海外諸峰補垣氣。”廖氏云:“大江以南天目峙,海門似天市。”故臨安亦天市垣耳。

南龍の次一等のに臨安あり(今の浙江杭州府)。その龍脈は天目山より銭塘に入り、而して海門に龍山・赭山の两座の山ありてその中に挟まる。郭璞の記文は言う。「天目山の前に両乳長し、龍飛鳳舞して銭塘に到る。海門にさらに巽風の起こるを点ずれば、五百年の間に帝王を出さん。」『撼龍経』は言う。「海門の環合は天市に似たり、天目・天池は侍衛を生ず。万里飛来して垣外に挹み、海外の諸峰は垣気を補う。」廖瑀は言う。「大江以南に天目は峙ち、海門は天市に似たり。」だから臨安もまた天市垣の格局に属す。

若以形勝論之,則僻處一隅,子朱子謂“如入屋角房中,坐視外面,殊不相應。”宋高宗南遷建都於此,其卜相京畿國師,吾邑傳公少華伯通也。有臨安行在表,謂其地只可駐蹕,不宜建都,不過偏安之地。且主奸相弄權,武臣多咎。後宋竟未能恢復,而奸相如秦檜、賈似道諸人迭出,皆操弄國柄,武臣多不善終,果符傅公之言。

若し「形勝」より論ずれば、それは一隅に偏処す。朱熹はそれを「譬えば屋角の小房間に走り入りて、坐して外を看れば、甚だ相応ぜず」と言う。宋高宗は南遷してここに都を建てたるに、彼に替わりて京畿を卜相した国師は、正に我らが県の傅伯通公(号は少華)である。傅公はかつて一道の『臨安行在表』を上し、この地方はただ臨時に駐蹕すべく、都を建てるに宜ならず、不过是れ偏安の地なり、且つ姦相の権を弄し武臣の多く咎害に遭うを主すと言う。後に宋朝は竟に中原を恢復すること能わず、而して秦檜・賈似道のこれらの姦相は接続して出現し、皆国柄を操弄し、武臣は大多善終を得ず。果たして傅公の言に応えたり。

其表畧曰:顧此三吳之會,實為百粵之沖。錢氏以之開數世之基,郭璞占之有興王之運。天目雙峰屹立乎斗牛之上,海門一點橫當乎軫翼之間。臨安集秀氣於軒轅,吳會孕祥光於樞府。會稽、北固,堂堂乎天外之山;京口、姑蘇,眇眇兮域中之澤。四神具足,八景寬容。山勢北來,有朝海拱辰之象;水流東去,無鬼刼凌奪之憂。

あの道の表の大略は言う。ここは三呉の交会の地、実にまた百粤の要衝なり。呉越の銭氏はそれに靠りて几代の基業を開創し、郭璞は占卜してそれに興王の運ありと言う。天目の双峰は高く屹立して斗・牛の二宿の分野の上にあり、海門の一点は横に軫・翼の二宿の間に当たる。臨安は秀气を軒轅の星位に汇集し、呉会は祥光を枢府の星位に孕育す。会稽山・北固山は、堂堂たり天外の名山。京口・姑蘇は、渺渺たり域中の大沢。「四神」(青龍・白虎・朱雀・玄武)は斉全し、八方の景致は寛舒なり。山勢は自ずから北より来たり、朝拱して大海に向かい環衛して北辰するの気象あり。水は東に流れ去り、鬼星の劫奪凌逼するの憂患を被らず。

鳳閣龍樓,正當辛地;捍門華表,恰值星河。上合東宮天市之垣,下接揚州禹貢之域。然而金匱凌雲,雖少府有積年之聚;廉貞妬主,必大臣多持柄之虞。昴日星虧,武臣多咎;鬼金位起,閹寺施權。文曲多山,俗尚虛浮而詐;少微積水,人多文飾而貪。雖云自昔稱雄,實乃形局兩弱。只宜為一方之巨鎮,不宜作百祀之京畿。駐驆暫足偏安,建都難奄九有。

「鳳閣龍楼」の類の貴砂は正しく辛位に当たり、「捍門」「華表」は恰好よく天河に対す。上は東宮の天市垣に合し、下は『禹貢』の划した揚州の地域に接す。然而るに「金匱」は高聳して雲に入り、府庫は多年の積聚を有し得るといえども、「廉貞」は主を妬み、必定大臣の長期に権柄を把持するの憂患あり。昴日星は虧けあり、武臣は多く咎害に遭う。鬼金の位は隆起すれば、宦官は便ち権を弄す。文曲の一帯は山多く、風俗は虚浮と姦詐を崇尚す。少微の星処に水を積めば、人は多く矯飾にして貪婪なり。ここは古より雄を称すとはいえ、実に形勢と格局の両方面ともに弱し。ただ一方の大鎮を作るに適宜、国を享くること百世の京畿を作るに宜ならず。臨時の駐蹕の地を作れば勉めて偏安に足るも、都を建てんと要すれば九州を囊括するを難しとす。

按:傅公表上,乃升杭州為臨安府而稱行在,遂寢建都之義。又數年,秦檜專權,建和議而無恢復之志。當時諸臣亦有議都建康者,竟如檜議,定都臨安。而有宋卒不能克復舊物,令人有餘憾。雖然,天下事莫不有數。《宋史》記徽宗夢吳越武肅錢王鏐入宮而誕生高宗,則臨安之都,豈非數有預定者?吳錢王鏐,唐末封吳越王,梁篡唐,鏐遂據杭州。

按:傅公のこの道の表は上り去った後、朝廷は便ち杭州を升りて臨安府と為し「行在」と称し、ここにおいて都を建てんの打算を擱置したり。また几年を過ぎ、秦檜は権を専らにし、議和を主張して中原を恢復するの志なし。当時また大臣ありて建康に都を建てんと建議したれど、最終は旧に秦檜の意思に照らして臨安に定都せり。而して宋朝は終に旧有の疆土を収復すること能わず、人をして抱憾すること無窮ならしむ。話は然りとはいえ、天下の事は気数の支配を受けざるはなし。『宋史』は宋徽宗が呉越武粛王銭鏐の進宮して後に高宗を生むを夢見たを記載す。然らば臨安に都を建てたるは、豈に気数の早已に預定せしに非ざらんや。(呉越の銭鏐は、唐末に呉越王に封ぜられ、後梁が唐を篡ぬるや、銭鏐は便ち杭州を拠有せり。)

已上建都之地,其概如此。唐虞之都,以河溢為患。周洛邑以備守之難。大梁平夷無險。臨安僻處一隅。金陵形勝雖優,而垣氣多洩。兩淮龍氣大盡,而地勢卑下。東魯中幹雖尊,而已鍾孔聖。且今河水穿龍,皆非建都之宜。他如許昌、成都、南粵等處不足論矣。惟我京師為上,而關中次之,東漢所都之洛又次之。

以上に講ずる各処の都を建てた地は、大概の情形はすなわちこの如し。唐堯虞舜の都城は、黄河の泛濫に苦しむ。周朝の洛邑は、設防固守すること難し。大梁は平坦にして険の守るべきなし。臨安は一隅に偏処す。金陵は形勝好しといえども、惜しむべし垣気の泄漏するや太だ多き。両淮は龍気の大尽頭なるも、地勢は低窪。東魯は中干龍の尊貴の処なるも、霊気は已に鍾聚して孔聖人を生出せり。況んやいま黄河は龍脈を穿破し、これらは皆都を建てるに適宜ならず。その他の許昌・成都・南粤等の処の如きはさらに論ずるに及ばず。惟だ本朝の京師を上と為し、関中はこれに次ぎ、東漢の建都した洛陽はまたこれに次ぐ。

雖然,聖帝明王,要必有所重也。昔魏武侯浮西河而下,中流顧謂吳起曰:“美哉!山河之固,魏國之寶也。”起對曰:“在德不在險。昔三苗氏左洞庭,右彭蠡,禹滅之。桀之居,左河濟,右太華,伊關在其南,羊腸在其北,湯放之。紂之國,左孟門,右太行,恆山在其北,太河經其南,武王殺之。若不修德,舟中之人皆敵國也。”武侯善之。

話は然りとはいえ、聖明の帝王は必定別に看重する所の物あり。当年魏武侯は船に乗りて西河に順い下り、行きて中流に至りて回頭して呉起に対して言う。「真に美なりかな。山河の堅固、これは魏国の宝貝なり。」呉起は回答して言う。「国家の安危は徳に在り、険に在らず。従前三苗氏は左に洞庭あり右に彭蠡ありといえども、大禹はなおそれを滅ぼせり。夏桀の居処は左に黄河・済水あり右に太華山あり、伊闕はその南面に在り羊腸はその北面に在りといえども、商湯はなお彼を放逐せり。商紂の国土は左に孟門あり右に太行あり、恒山はその北面に在り黄河はその南面より流れ過ぐるといえども、周武王はなお彼を殺せり。若し徳を修めざれば、同じ一条の船上の人も皆敵国と変ぜん。」魏武侯は彼の説くを善しと為せり。

愚謂君子不以人廢言。起雖不足道,若斯者誠確論哉!不然,秦、隋嘗都關中矣,金、元嘗都燕京矣,風水之美,形勝之固,何獨於彼不驗哉!是故風水之說在於地,固有國者所當擇。而禍福得喪之機存乎人,尤有國者所當慎也。

私は認む、君子は人品を以てその言を廃棄せず。呉起の为人は称道するに足らずといえども、しかしこのような一番の議論は確かに確切の論なり。然らざれば、秦朝・隋朝は皆かつて関中に都を建て、金朝・元朝は皆かつて燕京に都を建て、風水あのように美にして形勝あのように固く、何の故に偏に彼らの身上に於いて応験せざるか。だから言う、風水の説は地上に落つるは、固然より国ある者の応に選択すべき所なり。而して禍福得失の机括は却って人に係わる。あれはさらに国ある者の応に謹慎すべき所なり。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻一下之二

江右山人徐善繼述 同著。此篇專論幹龍枝龍。夫龍之枝幹,形勢不一,茍無眞見,則登山汗漫,貿貿莫分。且辨龍枝幹,乃地理第一關鍵。此而不知,則大本已失。如宮牆外望,不得其門,何由升堂以入其室乎?故首論枝幹,蓋亦開關啟鍵意也。

本巻は江右(今の江西)の山人徐善継・徐善述の兄弟二人が共同に撰述する。この一篇は専ら「干龍」と「枝龍」を論ず。山龍に干あり枝あり、形態気勢は千差万別。もし真正の眼力なければ、一山に上れば便ち一片茫然、糊裏糊塗として何れが干何れが枝を分辯し得ず。而して龍の枝干を辮別するは、正に地理の学の第一道の関口である。この一関を過ぐる能わざれば、根本は已に失われたり。譬えば宮牆の外に立ちて张望し、大門を見付けず、又怎んぞ厅堂に登り内室に入ることを得んや。だから本書は枝干の辨を最前に放ちて講ず。用意もすなわち読者に替わりて鎖を開き門を啓かんがためなり。

枝干の総論

夫乾龍枝龍者,乃龍之有大有小,猶木之有幹有枝也。蓋幹為木之身,而枝柯所附以立。枝為木之衍,而條葉所自以蕃。論龍大小,取象莫辨於此。但枝幹之中,又各有大小之別。故有大幹龍、小幹龍,大枝龍、小枝龍。所謂幹中有幹,幹中有枝;枝中有幹,枝中有枝是也。吳國師有云:“枝幹明而嫡庶分,嫡庶分而力量見。”故論龍不可不辨枝幹,論枝幹又不可不辨大小,以審其力量之輕重也。

いわゆる「干龍」「枝龍」は、山龍に大あり小あるを指す。樹木に主干あり旁枝あるが如し。主干は樹の躯体で、一切の枝条は皆その身に依附して才かに立つるを得る。旁枝は主干の延伸で、条葉はすなわちここより生発繁茂す。龍の大小を判別するは、この取象より清楚なるはなし。ただし干と枝の内部はまた各々自ずから大小に分かる。だから「大干龍」「小干龍」あり、また「大枝龍」「小枝龍」あり。これはすなわち常に言う干の中にさらに干あり、干の中にまた枝あり、枝の中にさらに干あり、枝の中にまた枝あり。国師呉景鸞はかつて言った。枝と干を分け清楚せば、嫡出と庶出の名分はすなわち定まる。嫡庶の名分が一たび定まれば、各支の龍脈の力量の大小もすなわち顕出す。だから龍を論ずるは先ず枝干を辨ぜざるべからず、枝干を辨じてさらに大小を再辨ぜざるべからず。こうしてこそその力量の軽重を称量し出すを得る。

然審辨之法,以水源為定。故大幹龍則以大江大河夾送,小幹龍則以大溪大澗夾送,枝龍則以小溪小澗夾送,小枝龍則惟田源溝洫夾送而已。楊公云“水源亦自有長短,長作軍州短作縣”是也。故觀水源長短而枝幹之大小見矣。然此亦惟舉其大綱言之。至於節目之詳,即其行度形勢,亦自有別。具見下文。

辮別の辦法は、龍脈を夾送する水源の大小を以て準と為すを要す。大干龍の両側は大江大河の護送、小干龍の両側は大谿大澗の護送、枝龍の両側はただ小谿小澗の護送のみ、小枝龍はさらにただ田間の源頭水と溝渠田洫の相夾のみ。楊筠松は言う。水源は本身また長あり短あり、水源の長きは軍州一級の都会を結出し得、水源の短きはただ一个の県治を結ぶに足るのみ。講ずるは正にこの道理。だからただ水源の長短を看れば、枝干の大小はすなわち一目了然。ただしこれはただ大綱に就いて言う。至りて更に細なる条目、すなわち龍脈の行走の節奏と形勢上の分別は、各々講究あり。皆後文に詳見す。

干龍を論ず

夫乾龍有二,前所云大干小幹是也。所謂大幹龍者,即幹中之幹者也。其祖皆出名山,跨州連郡,延袤幾千百里,乃正氣所聚,鍾靈孕秀,頴異殊常,敻然高廣,而每有雲霧發現。《經》云“先尋霧氣識正龍”,又云“尋龍望氣先尋脈,雲霧多生在龍脊。春夏之交與二分,夜望雲霓生處覓”是也。蓋幹龍之祖極高大,故每有雲霧生其巔。此察識幹龍祖宗之大法也。

干龍は両種に分かる。すなわち前面に説いた大干と小干。いわゆる「大干龍」は、干の中の干である。その祖山は皆天下の名山より出で、数州を横跨し数郡を連接し、綿延して上千百里。天地の正気の聚結する処、鍾霊毓秀にして尋常に異なり、遠く望去れば高広遼濶、山頂には時常雲霧の涌現あり。『撼龍経』は言う「先ず霧気を尋ねて正龍を識れ」、また言う龍を尋ね気を望むは先ず脈を尋ねよ、雲霧は多半龍脊の上に生ず、春夏の交および春分・秋分の前後、夜に雲霞の昇起する処に向かいて尋覓せよ、講ずるは正にこの法門。干龍の祖山は高大なること出奇、山間の水汽は高峰に截住せられ、だから峰頂に常に雲霧の生成あり。雲霧の出没の処を観察するは、正に干龍の祖宗を辮認する最も緊要の大法である。

知其祖,又當於離祖分行,審其出身。聳拔雄偉,氣勢宏大,規模尊重,如王者駕出而百職咸隨,如大將赴敵而三軍聽命,巍峨卓異,豈若枝龍之出身,惟以細嫩活動,逶迤磊落為美哉!及其出身以來,則多牽連而行,不起星峰,惟兩旁枝腳、護衛、關峽等山,則星峰聳拔。俗眼不識幹龍形體,惟以星峰秀麗為愛,縱有所得,不過枝葉小穴而已。豈知正幹龍稟氣渾厚,不起正體星辰。

祖山を認出した後、さらに龍脈が祖山を離れ分道而往く処に於いてその「出身」を審察するを要す。大干龍の出身は高聳雄偉にして、気勢は宏大、規模は荘重。帝王の出行して百官は全数随行するが如く、また大将の戦場に奔赴して三軍は聴命するが如し。巍峨挺拔にして衆と異なり、何ぞ枝龍の出身の、ただ細嫩・活霊・逶迤磊落を以て美と為すに似んや。大干龍は出身した後、多半是れ一路牽連して行き、本身は並びに「星峰」を聳起せず。却って両旁の枝脚・護衛・関峡のこれら附従の山は、星峰高く聳起す。俗人の眼光は干龍の体貌を認めず、一味に星峰の秀麗を喜愛す。たとえ収穫あるも、不过是れ枝葉上の小穴のみ。彼らは豈に知らん、正干龍の禀受する気は渾厚朴実にして、本身は「正体星辰」を起さざることを。

《經》云:“尋龍何處使人疑,尋得星辰卻是枝。枝葉亂來無正穴,眞龍到處又疑非。只緣不識兩邊護,卻愛飛峰到腳隨。飛峰斜落是龍腳,腳上生峰一邊卓。眞龍平處無星峰,兩邊生峰至難捉。”又云:“疑龍何處最難疑,尋得星峰卻是枝。關峽從行並護托,矗矗旗槍左右隨。乾上星峰全不作,星峰龍法盡虛辭。”

『撼龍経』は言う。龍を尋ぬるに最も人をして疑わしむるは何ぞ。往々にして一座の漂亮の星峰を見付け、結果あれはただ枝龍なり。枝葉は紛乱に伸び来たり、その中に正穴なし。真龍は跟前に走り至り、却って人に疑われて是れに非ず。これは皆龍身の両旁の護従を認識せずして、却って偏にあの一路龍脚に跟い起伏する飛峰を喜愛するを以てなり。知るべし、斜々に落下する飛峰は本是れ龍の脚、脚上に生出する峰はただ一辺に偏して独り挺立す。真龍の平緩の処は並びに星峰を起さず、両辺は却って峰巒の叢生し、最も捉摸しがたし。又言う。疑龍の最も辨じがたき処は何れの処に在るか。亦た星峰を見付けてそれが枝龍に属するを発見するなり。関峡は龍に随いて同行し、護托の山は両側に夾侍し、矗立して旗の如く槍の如く、左右に追随す。真正の干龍の身上は根本に星峰を作さず。若し一味に星峰を以て龍法に套せば、あの説法は全く落空す。

又云:“凡有好山隨幹去,枝龍盡處有旗槍。旗槍也是星峰作,圓凈尖方高更卓。就中尋穴穴即無,幹去未休枝早落。”又云:“問君州縣大幹龍,似浪橫江那有峰?起峰皆是兩邊腳,去為小穴為村落。”又云:“兩邊起峰為護從,正龍低平最貴重。”又云“幹龍身上不生峰,有峰皆是枝葉送”是也。故凡幹龍,不可以星體拘之。

『撼龍経』はまた言う。凡そ好山は皆干龍に跟い一路に走去り、枝龍の尽頭は往々旗槍の如き峰巒を竪る。これらの旗槍もまた星峰の化する所、或いは圓潤潔浄、或いは尖鋭方正、且つ格外高聳卓立す。しかしあそこに至りて穴を尋ぬれば、穴は却ってなし。干龍はなお走完せず、枝葉は已に先んじて落下結束したるを以てなり。又言う。請う、あの州治県治を結出する大干龍は、形状は波浪の如く江面上に横鋪し、何れの処に高峰あらんや。凡そ峰を起すは皆両旁の枝脚、それらは伸出してただ小穴を結び村落を成すのみ。又言う。両旁に峰を起すは護従の山、正龍は却って低平、あれが才かに最も貴重なり。又言う、干龍の身上は峰を生ぜず、凡そ峰あるは皆枝葉の護送するなり。だから凡そ干龍に遇えば、絶対に星辰の体格を以て死に套すべからず。

惟是崇山大壟,如白浪湧波,層巒疊嶂,牽連而行,或百餘里,或七八十里,或二三十里只一斷。而斷處必是驛路通衢,人跡絡繹不絕之處。古人以人跡往來多寡驗峽之大小,以峽之大小定龍之大小,誠為有理。蓋幹龍脊脈,多為疆域界限,故其過峽斷處,必是省郡通衢。

干龍の形貌は、ただ崇山大嶺の連綿として断えず、白浪の翻涌するが如く、層巒叠嶂は一路牽連して行く。或いは走ること一百余里、或いは走ること七八十里、或いは走ること二三十里にして才かに一次断落す。而して断落の処は必定驿道の要衝、人の来たり往くは絡繹として絶えず。古人は往来の人跡の多寡を凭りて「過峡」の大小を検験し、再び峡の大小より龍の大小を判定す。確かに道理あり。干龍の脊脈は多半すなわち州郡の疆域の分界線なるを以て、だからその過峡断落の処は、必ず省城郡城の間の通衢大道なり。

然其斷亦有一伏或十餘里,或數十里平坦,了不知其去,而蹤跡詭異。或穿田渡坂,而有藕斷絲連;或石樑渡水,而為崩洪過脈;或拋蹤閃跡,而有馬跡蛛絲;或撒落平田,而藏形隱跡。前去忽起高山,又復牽連而行。行而又斷,斷而復起,延蔓廣袤,橫亙連綿,極其長遠,或千餘里,或數百里。

ただしその断落もまた別の一種の情形あり。一たび伏し下ればすなわち十幾里・幾十里の平坦の地面、人をして全く脈の何処へ往くを看出せしめず、行蹤は十分に詭秘なり。あるは田疇を穿ち坡坂を越え、ただ「藕断糸連」の如き微脈を留下す。あるは水中の石梁に凭りて河を渡り、「崩洪」の過脈と為る。あるは忽ち東し忽ち西して蹤跡を拋閃し、ただ「馬跡蛛糸」様の痕印を見るのみ。あるは干脆として平田の中に撒落し、形蹟を完全に蔵起す。さらに前に往けばまた忽然として高山を聳起し、重新に牽連して行く。行きてまた断え、断えてまた起こり、蔓延広遠、横亙連綿、極めて漫長、あるは走ること一千余里、あるは走ること几百里。

《經》云:“尋龍千里非迢遞,其次五百三百里。”子微云:“大龍千里費推尋,一二百里作郡邑。”廖氏云“幹龍住處分遠近,千里為大郡。二三百里可為州,過此即封侯。百里只堪為縣治,下此為鎮市”是也”。故幹龍之行度,極其長遠,愈長遠則力量愈大。其分去之龍,亦隨其正幹之大小而有差別。

『撼龍経』は言う。龍を尋ぬるに走ること上千里もまた遠と算えず、次一等もまた五百里・三百里あり。張子微は言う。大龍は動けば千里、甚だ推求を費やす。一二百里のは郡邑を結出し得。廖金精は言う、干龍の止歇する処は遠近を分かつを要し、行程千里のは大郡を結ぶ可く、二三百里のは州治を結ぶ可く、この数を超過すればすなわち封侯の家を出し得、ただ百里のは僅かに県治を作るに足り、さらに短きはただ鎮市のみ。これを見れば干龍の行程は極めて長遠、走ること愈遠ければ力量は愈々大なり。その中途に分出した支龍も、また正干本身の大小に随いて等第の差別あり。

如正幹龍去作京師,則其龍身分去小幹為省城,而省城龍身分去為郡邑,郡邑龍身分去為鄉村市井之類。《龍髓經》云“大龍行度自非常,離祖生來手腳長。橫亙鋪舒千百里,至微三百里中藏。一彎一觜皆開廣,終日循行尚未央。細葉猶為府州縣,巨枝畿甸植君王”是也。

比方すれば正干龍が最終に京師を結成すれば、然らばその龍身より分出した小干は便ち省城を結び、省城のこの龍身よりさらに分出したは郡邑を結び、郡邑の龍身より再び分出したはすなわち鄕村市井を結ぶ。層層に遞降す。『龍髄経』は言う。大龍の行度は本就に非凡、祖山を離れてより、手脚枝脚はすなわち伸ばすこと甚だ長し。横鋪して去ること上千百里、最も済まざるも三百里の規模を蔵る。それの毎一弯・毎一処の山嘴は開張寛濶、走ること一整天にしてなお走完せず。細小の枝葉すら府州県治を結出し得、粗大の枝干は便ち京畿一帯に於いて帝王を扶植す。正にこの意である。

且其從山及枝腳橈棹,皆有融結。爰是幹龍,氣勢雄大,佈置精巧,故隨從之龍,與本身透漏,皆能有穴。子微云“手腳橈棹皆有穴,此是大龍多餘氣”是也。然此等大龍,亦有行至將結穴處無手足橈棹,撒落平陽,單行獨出。而一屈一曲,動數十里,隔州隔水之山,遠來迎接,在數十里外,自相照應。

しかも大干龍の随従の山および「枝脚」「橈棹」も、また各々自ずから結作あり。正に干龍の気勢は雄大・布置は精巧なるを以て、だからそれに跟随する従龍は、本身より漏泄し出る余気を連れて、処処皆穴を結ぶを得。張子微は言う、手脚・橈棹の上は皆穴あり、これは大龍の多余の気の化する所、講ずるはまさにこの種の情形。ただしこの類の大龍も、また走りて将に穴を結ばんとする時に反って手足・橈棹を見ざるあり。それは平陽の地に撒落し、孤身単行独出し、一屈一曲は動けば幾十里、隔州隔水の遠山に靠りて前に来たりて迎接し、幾十里の外に於いて彼此相照応す。

《龍髓經》云:“不知大龍百十里,臨到作穴如蛇虺。單單灣環數十程,無手無腳如流水。若論纏護隔溪港,一望遮來數十里。若拘纏托與橈棹,不知此龍何者是。”故幹龍入首,必是外山隔水為迎為送,為纏為托。子微云:“小地結果論迎送,大地迎送隔江水。”楊公云:“大凡幹龍行盡處,外山隔水來相顧。”

『龍髄経』は言う。人々は知らず、大龍の走ること上百里、結穴に臨みて形状は竟に一条の蛇虺の如くなるを。孤零零として弯環すること幾十程、手无く脚无く流水の一般なり。若し纏護を講ぜば、あれは谿港を隔てたる山、一眼望去れば遮攔して出づること幾十里。若し硬く近身に纏托と橈棹を尋ぬんと要せば、すなわちこの龍の究竟に何処に在るを認出せず。だから干龍の「入首」は、必定外囲の水を隔てたる山に靠りて以て迎・送・纏・托を充当す。張子微は言う。小地の結作は才かに近処に於いて迎送を論じ、大地の迎送は江水を隔つ。楊筠松は言う。凡そ干龍の走りて尽頭の処に至るは、皆外山の水を隔てて相互に照顧するを由とす。

《發揮》云“譬之大貴人將至,不是自己帶來護衛,乃是千百里外係指揮。部屬之人,翕然聚集,刻日限時,罔敢不至”是也。《雪心賦》云:“求吾所大欲,無非逆水之龍。”此特枝龍而已。幹龍兩水夾送,安有逆水?惟是將及入首,翻身逆水,數十里或數里數節結穴為妙。所謂“順勢翻成逆勢”是也。

『発揮』は比方して言う。譬えば一位の大貴人の将に来たらんとするに、護衛は並びに彼自身の帯び来たるに非ず、而るに千百里の外の彼に節制せらるる下屬、一たび調遣を聞けば便ち紛々として聚集し、日期時辰を限定し、敢えて至らざるなし。干龍の迎送護従は正にこの如し。卜応天の『雪心賦』は言う。我が最も求めんと欲するを論ずれば、無非是れ逆水の龍なり。但しあれはただ枝龍に就いて言うのである。干龍は本来両側の水に由りて一路夾送せられ、豈に逆水あらんや。ただ将に「入首」せんとする時に翻身回頭して水に逆らいて走り、或いは幾十里、或いは幾里、幾節を経て結穴するを、才かに上妙と算う。これがすなわちいわゆる「順勢を翻して逆勢を成す」である。

其結穴際,必然山水大會,或山大曲,水大轉,而水口交固,明堂平廣,左右周迴,內局團聚,外陽寬暢,水朝山拱。有此形勢,即可尋穴。《經》云:“凡山大曲,水大轉,必有王侯居此間。”又云“到此先看水口山,水口交牙內局寬。便就寬容平處覓,左右周迴無空閒。斷然有穴在此處,更看朝水與朝山”是也。

干龍の結穴する時は、必然として群山衆水の大会聚なり。或いは山勢の大幅に弯曲し、或いは水流の大幅に回転し、而して「水口」の両辺は交鎖して緊固、「明堂」は平坦寛広、左右は環抱周回し、内局は団聚して散ぜず、外面の陽明の地は開闊舒暢、水は来たり朝拱し山は来たり環衛す。この種の形勢あれば、すなわちその中に穴を尋ぬるべし。『撼龍経』は言う。凡そ山の大弯・水の大転の処は、必定王侯の家ありてその間に安居す。又言う。ここに到りて先ず水口の山を看よ、水口は交牙して相鎖し内局は寛平、すなわち寛平の処に於いて找え、左右の環抱に空缺なく、然らば此処に必定穴あり、さらに一歩進みて来朝の水と来朝の山を看よ。

然幹龍正脈,將及結穴,必然連斷幾斷,脫卸殺氣,方有融結。不然,則撒落平洋結聚為佳。皆須依近大河耳。雖是依近大河,卻不暴頭露面,必居擁從之中。《龍髓經》所謂“萬卒影從成禁衛,千官環列是朝廷。”諺語云“好地如閨中美女”是也。

但し干龍の正脈は将に結穴せんとする時、必定接続して断落すること好几次、粗頑の殺気を層層に脱卸し乾浄にして、才かに真正の結作あるを得。若しこの如くならざれば、すなわち平洋の地に撒落して凝聚し穴を成すを以て好しと為し、しかも皆大河に靠近するを要す。大河に靠近すとはいえ、却って張揚して頭面を暴露すべからず、必定衆山の擁従する当中に蔵れん。『龍髄経』の言う「万卒は影従して禁衛を成し、千官の環列は是れ朝廷」、民諺の言う「好地は閨中の美女の如し」、講ずるは皆この道理である。

亦有翻身朝祖而結穴者,《經》云“請君看水交纏處,水外有山來會聚。翻身顧母顧祖宗,此是回龍轉身處。宛轉回龍似掛鉤,未作穴時先作朝。朝山皆是宗與祖,不拘千里遠迢迢”是也。亦有不迴轉而直受結穴者。《經》云“也有幹龍來兩水,更不回身直為地。只是兩護必不同,定有纏關交結秘”是也。亦有橫落入首,借鬼安穴者。《經》云“幹龍若是有鬼山,橫轉一邊寛處安”是也。

干龍にもまた翻身して来たり祖山に朝して結穴するあり。『撼龍経』は言う。請う看よ、あの水流の交纏する処、水外にさらに山ありて来たり会聚す。龍は身を翻して去りて母山を回顧し祖宗を回顧す。これがすなわち「回龍転身」の所在。宛転の回龍の形状は一只の挂鈎の如く、未だ穴を作さず、先ず朝山を備え好む。これらの朝山は原本すなわちそれの祖宗、相隔たること千里の遠も妨げず。もまた回転せず、直接に来脈を承受して結穴するあり。『撼龍経』は言う。亦た干龍ありて両水の間に夾まり、並びに回身せず、徑直に地を結ぶ。ただ両旁の護従は必定衆と異なり、一定に纏護関鎖交結の奥秘を蔵す。さらに横向に落脈入首し、「鬼山」を借りて穴を安んずるあり。『撼龍経』は言う。干龍若し鬼山を帯ぶれば、すなわち横転して一辺の寛敞の処に至りて穴を安んず。

雖是數等結穴不同,要之,皆必以兩河交劍處為盡。而其正受之穴,又不可以大窮盡處求索。《經》云:“君如尋得幹龍窮,二水相交穴受風。風吹水刦卻非穴,君如到處是疑龍。”又云:“大地皆從腰裡落,迴轉餘枝作城廓。”范越鳳云“大貴大富之地,必不在大窮盡處。大窮盡處多是風吹水刦”是也。

以上の幾種の結穴の方式は同じからずといえども、帰結すれば、皆必定両条の河の交匯して双剣の相接するが如き処を以て龍の止尽と為す。しかし真正の正受の穴場は、また大尽頭に至りて找すべからず。『撼龍経』は言う。汝若し干龍の窮尽の処を尋ね至らば、両水相交・穴場は風を受け、風に吹かれ水に劫せられ、然らばそれは穴に非ず。このように找し下れば、到る処皆可疑の龍と成る。又言う。大地は皆龍腰の上より落下する所、回転の余枝は則ち囲りて城廓を成す。范越鳳は言う、大富大貴の地は必定大尽頭に在らず、大尽頭は多半是れ風吹水劫の処。説くは皆同じ一つの事である。

故幹龍氣勢雄盛,結穴之外,必有餘氣之山,或去數十里,或去數里,皆暗拱,為正穴用神,或作下手,或作托樂,或反繞於身為關峽,或奔走於水口為門戶之類。其間又各有小穴,隨其力量,皆有發越,然莫得與正結比耳。

干龍は気勢雄盛にして、正穴の外に必定また余気の化する山あり。或いは遠く幾十里に在り、或いはただ几里を隔つるのみ、皆暗中に環拱し、正穴の「用神」を充当す。或いは下手砂を作りて水を収め、或いは背後の托山・楽山を作し、或いは反転して来たりて龍身の旁に繞りて関峡を形成し、或いは水口に奔りて門戸を充当す。これらの余気山の中にまた各々小穴を蔵し、各自の力量の大小に按じて、皆福を発するを得。ただ正穴の結作と相提並論すべからざるのみ。

但此等幹龍正結之穴,天珍地秘,多是丑拙隱怪,或在高山而結仰高天巧,或落平地而結藏龜沒泥,或為騎龍,或為石巧,奇蹤異跡,隱晦殊常。或有沙水飛走,或有殺氣錯雜,或有曜星奔竄,或有氈褥鋪展,或有元辰直長,故多有不利初代,及公位不均,離鄉遠去等事。

ただしこの類の干龍の正結の穴は、天地の珍藏する秘物で、多半は樣子丑拙・位置は隠僻古怪なり。或いは高山の上に結び、「仰高」「天巧」の類の穴を成す。或いは平地に落ち、「蔵亀」「没泥」の類の穴を成す。或いは龍脊の上に騎りて「騎龍穴」を作り、或いは石の奇に凭りて「石巧穴」を作る。蹤跡奇特、隠晦異常なり。それらは或いは砂水は外に飛去り、或いは未浄の殺気を雑え、或いは「曜星」は四竄し、或いは穴前に大片の毡褥を鋪出し、或いは穴前の「元辰水」は直長にして去る。だから常に不利第一代・諸房の福分不均・子孫の離郷远去のこの類の情形を出現す。

惟龍眞而不可舍,穴的而不可移,乃是造化無全功,亦須扦葬,不必以小嫌而去大地。但此又當詳審精察,切勿被圖大所惑。蓋庸師多以龍眞穴拙之說籍口,亂下有龍無穴凶惡假地,悞人最甚。

但ただ龍が確かに真龍なれば捨棄すべからず、穴が確かに的穴なれば挪移すべからず。これは造化が本来就に十全あり難きを以て、旧に応に下葬安墳すべく、一点の小毛病の為に大地を放過するを必とせず。ただここにまた必ず反復審察を要し、千万「大地を貪図する」の念に迷住せらるるなかれ。庸俗の地師は往々「龍真穴拙」のこの言を借口と為し、胡乱にあの龍あれども穴なき凶悪不堪の假地に葬り、人を誤ること最も深きを以てなり。

大抵幹龍眞穴,雖是隱怪,卻是穎異,如玉蘊山輝,珠藏淵媚,自然秀氣迸露,門戶迥別。或龜蛇交結,或獅象盤旋,或日月捍門,或劍戟羅列,或羅星重疊,或旗鼓把截。或華表聳於雲霄,北辰鎮居地戶;或樓臺鼓角列於羅城,金箱玉印塞於水口;或石筍游魚之忽見,平湖秀水之汪洋;或禽星獸星蹲居於水口,天關地軸佈置於局內。自有許多貴秀證佐,異於尋常。識者見之,則知其中融結不凡。

大体言えば、干龍の真穴は隠晦古怪なりといえども、却って自ずから人に過ぎる処あり。譬えば山中に美玉を藴むれば、整座の山は便ち光輝あり。深淵の裏に明珠を蔵すれば、一潭の水は便ち格外嫵媚なり。秀気は自然に迸発流露し、門戸の格局は別処と迥然として同じからず。その周囲は或いは亀形砂と蛇形砂の交結あり、或いは獅象の二山の盤旋守護あり、或いは日月の両山の門口を把守し、或いは剣戟の如き峰巒の羅列し、或いは「羅星」の重重叠叠、或いは旗鼓の山の横截把関す。或いは「華表」は高聳して雲に入り、「北辰」は水流出口を鎮守す。或いは楼台鼓角の類の山峰は羅城の上に排列し、金箱玉印の砂は水口に堵塞す。或いは忽然として石筍・游魚形の石砂を冒出し、眼前は平湖秀水の一片汪洋。或いは飛禽走獣形の山は水口に蹲り、「天関」「地軸」の両山は局内に分布す。凡そこの種種は、皆不同尋常の貴秀の憑証。行家は一見すれば、便ちここの裏面の結作の非同一般なるを知る。

但此等正幹大龍,其所結作,力量極大,或為畿甸,或結禁穴,或結省城藩鎮,或為名賢墓宅。雖有遺穴,天珍地秘,鬼神呵護,以俟有德,不可強求,不可妄指,況非時師所能尋曉。楊公云:“圖大不得且思次。”是故又當加意於小幹龍焉。

ただこの種の正干大龍の結作の力量は極めて大、或いは京畿の地と為り、或いは皇家の禁穴を結び、或いは省城・藩鎮の所在を結び、或いは名臣大賢の墳墓宅第と為る。たとえなお占用せられざる穴を留むるも、また天珍地秘にして、鬼神の呵護あり、専ら徳ある人を待つ。強求すべからず、また胡乱に指転すべからず。況んや本来就に一般の術士の尋訪し明白にする能わざる所ならずや。楊筠松は言う。「大を図ること得ざれば且く次を思え。」だから地を求める人はさらに心思を小干龍の上に多用すべし。

夫小幹龍者,即幹中之枝也。亦自大幹龍分來。分龍之際,必有大星辰、崇山高壟為祖宗。張子微云“分龍定起大星辰”是也。自此離祖而行,辭樓下殿,迢遞奔走,亦與夫大幹龍氣勢相類,特長短不同。大幹龍極長,動踰千里,或數百里。小幹龍只二三百里,或百餘里。又其次者,或七八十里。

いわゆる「小干龍」は、すなわち干の中の枝で、同じく大干龍の上より分かれ出づる。分龍の処は、必定一座の大星辰・崇山高嶺ありてその祖宗山を充当す。張子微は言う「分龍は定めて大星辰を起こす」、講ずるは正にこの一点。小干龍は祖山より出発し、「楼を辞し殿を下り」、一路遠く奔走し、気勢もまた大干龍と相類す。ただ長短の同じからざるあり。大干龍は極長、動けば千里を超過し、或いは几百里。小干龍はただ二三百里、或いは一百余里。再次一等のは、ただ七八十里。

而其龍身行度,大略皆與大幹龍無異。所分枝腳,亦多結鄉村市井。其水源有長短不同,大聚小聚亦別。《經》云“水源亦自有長短,長作軍州短作縣。枝枝節節是鄉村,乾上時時斷復斷。分枝擘脈散亂去,幹中有枝枝有幹”是也。其龍稟氣亦自渾厚,亦不可以星體拘之。

小干龍の龍身の行走の方式は、大体大干龍と分別なし。それの分出する枝脚も、また多半郷村市井を結成す。ただ水源に長短あり、山水の会聚の規模もまた大聚小聚の別あり。『撼龍経』は言う。水源は本に長短あり、長きは軍州を結び、短きは県治を結ぶ。枝枝節節の結出するは郷村、干龍の身上は則ち不断に断えてまた断つ。分枝劈脈して散乱して去り、干の中に枝あり、枝の中にまた干あり。これは正に小干龍を説く。それの禀受する気もまた渾厚なる、同じく星辰の体格を以て死に套すべからず。

必多延蔓廣袤,橫亙牽連,行五六十里,或二三十里,其次者或十餘里始一斷。而斷處亦是大關峽、大道路。而枝葉之山甚蕃衍,擁從護應峽場。此處龍氣甚旺,枝葉間必有融結小穴。《口訣》云“峽前峽後去尋地”是也。

それは多半もまた蔓延広遠、横亙牽連し、走ること五六十里、或いは二三十里、次一等は走ること十幾里にして才かに一次断落す。断落の処は同じく大関峡・大道路。両旁の枝葉の山は十分に繁茂し、簇擁して過峡の場地を護衛す。この一帯は龍気極旺、枝葉の間に必定結成の小穴あり。地理の『口訣』は言う「峡前峡後に地を尋ねよ」、指すはすなわちここである。

其龍行盡處,必以水大會為止,兩河交劍處為盡。《經》云“百里各有小幹龍,兩水生來尋曲岸。曲岸隨水抱龍頭,抱處好尋氣無散”是也。亦是兩水夾送,不可必其逆水。惟是結作之際,翻身曲轉,逆勢作穴,故有曲岸之水抱其龍頭耳。

小干龍は走りて尽頭に至り、必ず衆水の大会を以て止まりと為し、両条の河の交匯して双剣の相接するが如き処を以て終点と為す。『撼龍経』は言う。百里の内に各々小干龍あり、両水の間に於いて弯曲の河岸を找すべし。曲岸は水勢に順いて龍頭を抱住し、環抱の処は正に穴を尋ぬべし。あそこは気は散ぜず。これもまた両水夾送の格局、一定してそれの逆水を求めるべからず。ただ結作するに到りて、龍は翻身して弯転し、水勢に逆らいて穴を作す。だからこそ弯曲の河岸の龍頭を抱住するという景象あり。

其穴亦不在大窮盡處,亦多隱怪。將及結作之間,亦必連有脫卸,閃跌度峽,或連起峰巒,開帳穿心,而其手腳橈棹亦皆融有小穴。迎送護托之山亦是隔水相衛,遠來聚會。水口之山亦有數十里之遠。而門戶亦須穎異,有華表、北辰、游魚、石曜、龜蛇、獅象等沙。

小干龍の穴もまた大尽頭に在らず、形貌は同じく多半隠晦古怪。将に結作せんとする時も、また必定接続脱卸し、忽閃忽跌して峡を過ぎ、或いは接続して峰巒を聳起し、帳を開きて帳心より穿出す。その手脚・橈棹の上もまた各々小穴を結ぶ。迎送護托の山は同じく水を隔てて相衛し、遠処より趕え来たりて会聚す。水口の山もまた遠く幾十里の外に在り。門戸の砂もまた必ず出衆を要し、「華表」「北辰」および游魚・石曜・亀蛇・獅象の類の砂形あるを要す。

入局之際,亦必山水大會,朝案特達,左右周迴明堂舒暢,內局緊固,外陽寬闊,羅城秀列,禽曜出現,多結郡邑市鎮、衝要繁劇衙門,及王侯極貴基址。若結為陰地,則主分茅胙土、出將入相、皇親國戚、文武全材、忠臣烈士、清修賢儒、神童狀元,及鉅萬之富。子孫蕃衍,世代榮顯,滿門朱紫,與國同休,身後英靈,血食百世。

穴局に進入する時も、また必定山水の大会有り、朝山案山は格外突出、左右は環抱周回し、明堂は舒展開暢、内局は緊密堅固、外面の陽明の地は寛濶、羅城は秀麗羅列、禽星曜星は顕現す。この種の地は多半郡邑市鎮・要衝繁忙の官署衙門、および王侯極貴の家の基業を結成す。若し結作して陰宅の墳地と為らば、すなわち分封受土・出将入相し、皇親国戚・文武兼備の才・忠臣烈士・清修賢儒・神童状元、および万貫の巨富を出すを主す。子孫は繁衍し、世代顕栄し、満門は皆朱衣紫綬の高官、国家と共に太平を享受す。身後の英霊は散ぜず、百世の香火祭祀を享受す。

又有一等幹龍,稟氣凶惡而不清,本身帶殺而可畏。雖經脫卸,不改粗頑;雖見變剝,愈見雄悍。卻亦開帳穿心,分牙布爪,諸般貴格備具,亦有融結,但大福大禍,每每相半,或貴如淮陰而卒夷其族,或富如季倫而不善其後。

別にまた一種の干龍あり。禀する所の気は凶悪にして不清純、龍身は本来就に殺気を帯び、人をして畏れ生ぜしむ。それは脱卸を経過すといえども、粗頑の本色は改めず。剥換変化を見るといえども、却って愈々雄悍を顕す。しかしそれもまた照样に開帳穿心・分牙布爪し、各種の貴格は一応倶斉、確かにまた地を結ぶ能う。ただこの種の地は大福と大禍は往々各々半を占む。或いは貴く淮陰侯韓信の如く、最後は却って全族を誅滅せられ。或いは富みて石崇(字は季倫)の如く、善終を得ず。

其最凶者,或如王莽之纂位,或如趙高之擅權,或為割據偏方之偽主,或為草冦大盜之頭目。雖皆有富貴權爵、烜赫威名,一時榮耀而不得其正,不令其終,反得罪於天地間,遺臭無窮,君子不取也。此幹龍之不美者,尋幹龍者又須識此。

その中の最も凶なるは、或いは王莽の如く帝位を篡奪し、或いは趙高の如く朝権を專擅し、或いは一方に割拠する僭偽の主と為り、或いは草寇大盗の首領と為る。これらの人は皆富貴権位・顕赫の声威あり、一時の風光なりといえども、来路は正しからず、また善終を得ず、却って天地之間に罪を獲、無窮の臭名を留下す。これは君子の取る所に非ず。これがすなわち干龍の裏の好からざる一類、干龍を尋ぬる人もまた必ず認出し得るを要す。

上幹龍雖有大幹龍小幹龍之不同,然其體勢亦多相似,但以水源夾送之長短而驗其大小。故除中國三大正幹外,其幹龍之大者猶至千餘里,次者數百里,又其次者或百餘里,或七八十里,皆以山之發祖,水之大會,原其起止也。

以上に言う所の干龍は、大干龍・小干龍の分別ありといえども、体貌気勢は多半相似す。ただ夾送する水源の長短を凭りてその大小を検験するのみ。だから全国の三条の大正干を除去するの外、干龍の中の大はなお長さ一千余里に達し得、次一等は几百里、再次一等は或いは一百余里、或いは七八十里。判断の辦法は、皆山の発祖の処と水の大会の処を以て、その起点と終点を推原す。

然大龍則論大祖宗,小龍則論小祖宗。《玉髄經》云“祖宗勢大子亦大”是也。大龍論大纏護,小龍論小纏護。故曰“大龍迎送隔江水”,曰“外州外縣山為伴”。又曰“護纏亦自有大小,大小隨龍長短來。龍長纏護亦長遠,龍短纏山亦近挨”是也。

ただし大龍は大祖宗山を看るを要し、小龍はただ小祖宗山を看る。『玉髄経』は言う「祖宗の勢大なれば子も亦た大なり」、すなわちこの道理である。大龍は大纏護を論ずるを要し、小龍はただ小纏護を論ず。だから「大龍の迎送は江水を隔つ」という説法あり、また「外州外県の山を伴と為す」という説法あり。又言う。纏護の山は本身また大小あり、大小は龍身の長短に随いて定まる。龍長ければ、纏護もまたこれに随いて長遠。龍短ければ、纏護の山もすなわち身旁に貼近す。

大龍論大水源,小龍論小水源。故曰“水源亦自有長短,長作軍州短作縣”。如中國三大幹龍,則論長江、黃河、鴨綠江之水以為夾送也。大龍論大關攔,小龍論小關攔。故曰“大龍關攔數十里”。又曰“大地必有大關攔”。其規模愈大,則堂局愈闊。堂局愈闊,則關攔愈遠。如冀州關攔,乃在碣石;長安關攔,乃在荊山;洛邑關攔,乃在泰華之類是也。舉此為論,其它大小,皆可以類而推矣。

大龍は大水源を論ずるを要し、小龍はただ小水源を論ず。だから言う、水源もまた長短あり、長きは軍州を結び短きは県治を結ぶ。全国の三大干龍の如きは、すなわち長江・黄河・鴨緑江のような大水を拿りて以て夾送を充当す。大龍は大「関攔」を論ずるを要し、小龍はただ小関攔を論ず。だから言う「大龍の関攔は数十里」、また言う「大地は必ず大関攔あり」。格局規模は愈大なれば、堂局は愈々開濶。堂局愈々開濶なれば、関攔の山は愈々遠処に在り。譬えば冀州の関攔は遠く碣石山にあり、長安の関攔は遠く荊山にあり、洛邑の関攔は遠く泰山・華山にあり、皆この類に属す。これらの几個の例子を挙出して説明を作せば、その余の各種の大小の情形は、皆この類に照らして推す可し。

故凡幹龍入局之際,山水大聚,或結為垣,或結為局,大者為京畿,為禁穴,為聖賢之地;次者為省城、藩鎮,為郡邑市井,為王侯極貴之穴。所謂陽基則立郡建都,陰地則分茅胙土,惟幹龍為然,枝龍之地,斷然無此力量也。

だから凡そ干龍の結作の局に進入する時は、山水は大規模に聚会し、或いは囲りて天上の垣局の如き格局を成し、或いは結びて一方の堂局を成す。大は京畿の地・皇家の禁穴・聖賢の葬る処と為る。次一等は省城・藩鎮と為り、或いは郡邑市井、或いは王侯極貴の家の穴場と為る。いわゆる陽宅の基地は能く郡を設け都を建て、陰宅の墳地は能く土を封じ爵を授く。ただ干龍のみが才かに弁じ得る所。枝龍の結ぶ地は、絶対にこのような力量なし。

然其行度之間,穿落傳變,出帳入帳,亦不計其重。辭樓下殿、聚講疊雲、屯蜂聚蟻、尊極帝座、生龍紫微、天弧、天角、龍車、鳳輦、鼓角、樓臺、負扆、御屏、霞帔、雲錦、鶴駕、鑾輿、華蓋、寶蓋、冠蓋、芙蓉、罣罳、金花、飛蛾、三臺、九腦、冕旒、玉尺、千絲墜、萬石倉、金橋、仙橋、展誥、展帳、玉枕、玉屏、玉幾、頓笏、連璧、御階、幞頭、席帽、金鐘、玉磬、寶幢、降節、龍樓、寶殿、帝釋、堆甲、疊帳、穿珠、走馬、飛絲、捲簾、玉陛、飛帛、舒練、拋梭、佩珂、蘆花、蘆鞭、樓船出峽、紅船出海、閣門傳宣、推車進寶、天駟出廄、仙鶴垂喙、玉蟬脫殼、群仙出洞、群羊出棧、群雁穿云,諸般貴格,靡所不有。

干龍が一路行走する間は、「穿」「落」「伝」「変」の四種の変化は交替して出現し、一重の帳を出でてまた一重の帳に進み、重数は多くして数え清めがたし。それの具える形象貴格は、辞楼下殿・聚講叠雲・屯蜂聚蟻・尊極帝座・生龍紫微あり、天弧・天角・龍車・鳳輦・鼓角・楼台あり、負扆・御屏・霞帔・雲錦・鶴駕・鑾輿あり、華蓋・宝蓋・冠蓋・芙蓉・罥罳・金花・飛蛾あり、三台・九脳・冕旒・玉尺・千糸墜・万石倉あり、金橋・仙橋・展誥・展帳あり、玉枕・玉屏・玉几・頓笏・連璧・御階あり、幞頭・席帽・金鐘・玉磬・宝幢・降節あり、龍楼・宝殿・帝釈・堆甲・叠帳あり、穿珠・走馬・飛糸・巻簾・玉陛・飛帛・舒練・拋梭・佩珂・芦花・芦鞭あり、および楼船出峡・紅船出海・閣門伝宣・推車進宝・天駟出厩・仙鶴垂喙・玉蝉脱殻・群仙出洞・群羊出桟・群雁穿雲等々。これらの名目繁多の貴格は、大干龍の身上には有る所なきなし。

剝變骨節,過峽脫卸,穿田度坂,橫亙擺折,樓閣逶迤,珠絲馬跡,藕斷絲連,偷藏脈絡,奇蹤異跡,崩洪怪石,天漢天潢、左侍右衛、養蔭靈泉,諸般巧妙,無所不備。而其橈棹枝腳,虎踞龍翔,鸞飛鳳舞,頓旗列鼓、垂簾掛幙、文官武庫、天以太乙、列屏列幙、帶印帶劍、垂珠垂纓、排倉排庫、侍人從馬、金童玉女、旌節旗旄,諸般擁從,無所不具。分牙布爪,脫骨換胎,自尊而卑,自粗變細,千形萬狀,難於畢舉。

その「剥換」の骨節・峡を過ぎて脱卸し・田疇を穿越し・坡坂を翻るに至っては、横亙擺折して行き、楼閣の如く逶迤延伸し、珠糸馬跡・藕断糸連の痕跡を留下し、脈絡を偷偷として蔵起し、行蹤奇特。また崩洪の怪石・天漢天潢の如き水景・左侍右衛の護山・滋養蔭庇の霊泉あり。種種の巧妙の処もまた一応倶斉。その橈棹枝脚は、則ち虎の踞し龍の騰り、鸞の飛び鳳の舞うが如し。頓旗列鼓・垂簾挂幕あり、文官武庫・天乙太乙あり、列屏列幕・帯印帯剣・垂珠垂纓・排倉排庫あり、侍人従馬・金童玉女・旌節旗旄あり。各式の擁従の砂は、備わらざるなし。それは分牙布爪し、脱骨換胎し、尊貴より漸く卑小に降り、粗大より漸く細嫩に変ず。形状は千変万化、一々に挙げ尽しがたし。

蓋其行度之遠,故能備具諸格之奇;氣勢之宏,故能發現英華之妙;垣局之廣,故可受乎眾山眾水獻奇列秀之繁華;纏送護從之多,故能盡乎重岡疊帳、揷戟列屏、交結門戶、開鎖羅城之完美。

これはその行程の遥遠なるを以て、才かに各種の奇特の格局を倶備斉全すること能く。気勢の宏大なるを以て、才かに内藴の精華を完全に顕発し出すこと能く。垣局の寛広なるを以て、才かに衆山衆水の前に来たりて奇を献じ秀を列ぬる一派の繁華を容得下すこと能く。纏送護従の山の衆多なるを以て、才かに重岡叠帳・戟を插し屏を列び・門戸の交結・羅城の開鎖のこのごとき完美の排場を窮尽すること能く。

《葬書》所謂“貴若千乘,富如萬金”,又云“若懷萬寶而宴息,若具萬膳而潔齊”。卜氏所謂“三千粉黛,八百煙花”;子微所謂“萬卒影從成衛禁,千官擁護是朝廷”;范越鳳所謂“若相公之升堂,若大將之登營”,此皆幹龍結作之規模耳。故其力量宏大,發福悠久,不可限量。

郭璞の『葬書』の言う「貴は千乗の若く、富は万金の如し」、また言う万件の珍宝を懐抱して安然と休憩するが如く、万種の膳食を備えて斎戒潔身するが如し。卜応天の言う「三千の粉黛、八百の烟花」。張子微の言う「万卒影従して衛禁を成し、千官擁護して是れ朝廷」。范越鳳の言う宰相の厅堂に登り大将の軍営に入るが如し。これらの講ずるは皆干龍の結作する時の排場規模。だから干龍の力量は宏大、福を発すること長久、限量すべからず。

《經》云:“凡言大地多大話,下士聞之心已怕,中士聞之心信疑,上士聞之心欲為。何不觀之富貴家,子孫累世享榮華。蓋緣祖龍勢力大,食祿襲爵名世家。小地雖然亦小發,未及三世即歇滅。到此方知小易衰,大地富貴世不絕。”此幹龍之所以為貴也。

『撼龍経』は言う。凡そ大地を談論するは、説くは多く大話。見識低き人は一聴すればすなわち害怕し、中等の人は半信半疑し、上等の人は聴けば便ち心動かして為さんと欲す。何ぞあの富貴人家を看ざる。子孫は几代も皆栄華を享受す。これは皆祖龍の勢力の大なるを以て、だから世代禄を食み爵を襲ぎ、名門望族と為る。小地は小発一陣し得るといえども、往々三代に至らずして衰歇断絶す。ここに到りて初めて明白す。小地は衰敗し易く、大地の富貴は却って世代断絶せず。これがすなわち干龍の貴ぶべき所以の故である。

枝龍を論ず

楊筠松《龍經》千言萬語,皆歸重於幹龍,蓋舉其力量之大而言之耳。然山脈分枝分派,幹龍最少,枝龍極多。故論地只可以眞偽辨,不可以大小拘。《經》云“大地難得小易求”,烏可謂枝龍地小而忽之?況幹龍大地,有鬼神所司,苟無陰德,未可睥睨。而枝龍之地,在在有之,易於求索。故枝龍尤當究竟。

楊筠松の『撼龍経』は千言万語、重点は皆干龍の上に落つ。あれは干龍の力量の最大なるに就いて言うのである。然而るに山脈は分枝分派し、干龍は極めて少なく枝龍は極めて多し。だから一块の地を評判するはただ真假を以て分辮するのみ、大小を以て限死すべからず。『撼龍経』は言う「大地は難得小は求め易し」、怎んぞ枝龍の結ぶ地の小なるを因とし軽視するを得んや。況んや干龍の大地は自ずから鬼神の掌管あり、人は若し陰徳を積み下さざれば、覬覦するの資格すらなし。而して枝龍の地は処処皆あり、尋訪し易し。だから枝龍はさらに応に研究して到底すべし。

然枝龍亦有大枝小枝,不可不辯。夫所謂大枝龍者,即枝中之幹也。觀之,亦先其祖山。但幹龍則論大祖大宗,枝龍則論小祖小宗。故雖大枝龍,祖山亦不是遠高山巒,只小幹龍駐蹕處即龍祖矣。於此審其離祖分派,以原其始。要此處起有星辰,合五星正體中一星,或水或木,或漲天水、焰天火,或御屏土之類。

ただし枝龍もまた大枝・小枝に分かる、加えて辮別せざるべからず。いわゆる「大枝龍」は、すなわち枝の中の干。それを看るも同じく先ず祖山を看るを要す。ただ干龍の論ずるは大祖大宗、枝龍の論ずるは小祖小宗。だからたとえ大枝龍なるも、その祖山は遠処の高大の山巒に非ず、ただ小干龍の駐歇停頓するあの山があれば、すなわちその龍祖と算う。すなわちここに於いてその祖を離れ派を分かつの情形を審察し、以てその起点を推原す。ここに星辰の聳起するを要し、金木水火土の五星正体の中の某一星に合し、或いは水星、或いは木星、或いは「漲天水」「焔天火」、或いは「御屏土」の一類の格局を要す。

葢其發脈,中落為上。自離祖以後,又連起有星辰,謂之應龍,亦曰應星。有此應星合格,落脈更是中出,即謂之出身好,前去必結美地。自出身後,迢遞行度,看其穿落傳變等格何如,若眞是結地之龍,自然合格。

それの発脈の方式は、星辰の正中より落下するを以て最も好しと為す。祖山を離開した後、また接続して星辰を聳起す。これを「応龍」と呼び、また「応星」とも呼ぶ。合格の応星あれば、落脈はまた正中より出づれば、すなわち「出身好」と呼ぶ。前に往き走れば必定美地を結出す。出身以后は一路遠行し、すなわちその「穿」「落」「伝」「変」等の格局の如何を看るを要す。もし真に能く地を結ぶ龍なれば、自然に処処合格す。

或起或伏,有剝有變,或大頓小跌,或左棲右閃,或橫開闊帳而穿心中出,或之玄屈曲而擺折流行,或如生蛇之出洞,或如琢木之飛空,斷而復續,伏而再起,兩邊枝腳隨身擁護,不令風吹,或反借幹龍作遮護幛托。及其過峽之際,或穿田度脈,拋蹤閃跡,藕斷絲連。

それは或いは起こり或いは伏し、剥換あり変化あり、或いは大頓小跌の起落、或いは忽左忽右の栖閃、或いは横に一道の寛濶の帳幕を開きて帳心の正中より穿出し、或いは「之」の字「玄」の字の如く屈曲擺折して流走す。あるは活蛇の洞を出づるが如く、あるは啄木鳥の凌空して飛掠するが如し。断えてまた続き、伏し下りてまた起こる。両旁の枝脚は身に随いて擁護し、風に吹かるるを許さず。時には干脆として干龍を借りて以て遮蔽護衛の帳托を充当す。峡を過ぐるに到りては、或いは田地を穿りて脈を度し過ぎ、蹤跡を拋閃し、藕断糸連す。

脫卸之後,復起星辰,磊磊落落,或飛蛾降勢,或華蓋中抽,其本身枝腳擺列均勻,或帶倉庫,或帶旗鼓,或帶印笏,或帶劍戟,或成天乙、太乙,或成文官武將,左侍右衛,前呼後擁。

脱卸乾浄の後、また重新に星辰を聳起し、磊落分明。或いは「飛蛾」の下降の勢を作し、或いは「華蓋」の正中より脈を抽出す。それ本身の枝脚は排列均勻、或いは倉庫形の砂を帯び、或いは旗鼓形の砂を帯び、或いは印笏を帯び、或いは剣戟を帯び、或いは「天乙」「太乙」の二星を成し、或いは文官武将の形を成す。左右侍衛し、前呼後擁す。

及將結作之際,又起高大星辰,以為少祖。自此山下,或二三節,或四五節即作穴場,而穴後一節之山,或束氣結咽,或細嫩委曲,或閃斷為峽,頓起穴星,融結天然之穴,乃為最貴。其兩邊纏送護托之山,欲其重疊擁從,或住於穴後,或侍立左右。而朝迎之山,則應聳穴前。下手之山,則逆水數重,抱轉有力,乃為眞結。

将に結作せんとするに到りて、また一座の高大星辰を聳起して「少祖山」を充当す。この山より往下し、或いは二三節、或いは四五節、すなわち穴場を作出す。而して穴後に緊隣する一節の山は、或いは気脈を収束して咽喉を結成し、或いは細嫩曲折し、或いは忽閃断落して過峡と為り、随即に穴星を頓起し、天然の穴を凝結し出す。これが才かに最も貴重なり。それ両旁の纏送護托の山は、重重叠叠に簇擁随従するを要し、或いは穴後に停り、或いは左右に侍立す。朝迎の山は則ち応に穴前に聳立すべし。下手一側の山は則ち水勢に逆らいて層層に抱転し、収攔有力を要す。こうしてこそ真結作と算う。

《經》云“枝龍身上亦可截,半是虛花半是開。若是虛花無朝應,若是結實護纏回。護纏尚要觀疊數,一疊回來龍身顧,莫便將為眞寔觀,恐是護龍葉交互。三重五重抱回來,此就枝龍身上做”是也。

『撼龍経』は言う。枝龍の身上もまた以て穴場を截取し得、ただ一半は虚花にして結ばず、一半は真の開結作。若し虚花に属せば、すなわち朝山の呼応なし。若し真結なれば、護纏の山は便ち回環して内に向かう。護纏を看るにさらにそれに几重あるを数えるを要す。ただ一重回抱して龍身を顧るのみのは、すぐさま真と為すなかれ、恐らくあれはただ龍を護る枝葉の彼此交錯するのみ。三重五重ありて抱転して回り来たるを要し、才かに是れ枝龍の身上に做出した真結なり。

枝龍結穴多在盡處,則要天然明白為上,多是得水處結穴,故曰“未看山,先看水,有山無水休尋地”。多是下手之山有力,故曰“看地有何難?先觀下手山”。又曰“有地無地,先看下臂”是也。

枝龍の結穴は多く龍尽の処に在り、形勢天然・穴情明白を以て上と為す。しかも多半は水を得る処に於いて穴を結ぶ。だから「未だ山を看ず、先ず水を看よ、山ありて水なければ地を尋ぬるを休めよ」という説法あり。この類の穴もまた多半下手一側の山の有力に靠る。だから又言う「地を看るに何の難かあらん。先ず下手山を観よ」、また言う「地あるや无きや、先ず下臂を看よ」、講ずるは皆同じ一つの要領。

龍之貴者,則有貴應。或印浮水面,或龜蛇交結,或車馬聯駢,或樓臺鎮塞,或羅星關鎖,或旗鼓羅列,或日月對峙,或華表高聳。若此雖云枝龍,結作不及幹龍悠久,然有此規模,亦非中下地也。若安揷得法,主翰苑尙書侍從,方面文武之職,及富冠鄉邑,一時榮盛,朱紫滿門。

凡そ貴龍は、必ず貴気の応験の砂あり。或いは水面に印形の石を浮出し、或いは亀形砂と蛇形砂の交結し、或いは車馬形の山の連綴して行を成し、或いは楼台の山の要口を鎮塞し、或いは「羅星」の水口を関鎖し、或いは旗鼓の砂の両旁に羅列し、或いは日月の両山の対峙し、或いは「華表」の高く聳起す。これらあれば、ただ枝龍のみとはいえ、結作の福沢は干龍の如く長久ならずとも、こうある規模あれば、また中下等の地と算えず。若し向を立て葬を下すに法を得れば、翰林院・尚書省の侍従近臣を出し、一方を鎮守する文武大員、および一郷一県に富甲なる、一時興盛し、満門は皆朱衣紫綬なるを主す。

其次又有小枝龍,即枝中之枝者也。其大龍行去尙遠,而於行龍身上,或大龍峽邊,分落一枝,自起星辰,峰巒磊落,遠者三五里,近者十數節。子微云:“卻有枝龍但數節,不作穿心人易識。譬如丞參簿尉衙,豈似正衙門戶密。三節四節交節分,分得英華為子孫。”

再次一等のは「小枝龍」、すなわち枝の中の枝。この時大龍はなおさらに前に往きて甚だ遠し、却って行龍の身上、或いは大龍の過峡の旁に於いて一枝を分落し出し、自ずから星辰を聳起し、峰巒は磊落分明。遠きは走ること三五里、近きはただ十幾節。張子微は言う。亦た一種の枝龍ありてただ几節を走るのみ、並びに穿心出脈を作さず、人々は識別し易し。譬えば県丞・参軍・主簿・県尉の衙署、豈に正堂大衙の如く門戸の森厳ならんや。三節四節は交替して分かれ開け、分かち得た精華は便ち化して子孫の福分と為る。

須要成星體,合龍格,有起伏,有夾送,而龍虎、應案、堂氣、水城、下關、門戶皆合法度,穴情十分明白,始為眞結,亦主富貴。若此者雖是枝中之枝,來龍甚短,富貴不大,然發越極快,所謂寅葬卯發者,惟此為然矣。蓋此等龍氣結作力量輕,故多在龍大盡處成穴,必得水,必近堂,或臨田蘸水之穴,故財祿易發。惟是龍短而無大力量,雖富貴亦不久遠矣。

小枝龍は必ず自ずから星体を成し龍格に合し、起あり伏あり、夾あり送あり、しかも青龍白虎・朝応案山・堂中の気・水城の環抱・下関の収攔・水口の門戸は样样法度に合し、穴情は十分に清楚にして、才かに真結作と算え、また能く富貴を主す。この一類は枝の中の枝なるといえども、来龍は甚だ短く、富貴は大と算えざれども、発するや極めて速し。いわゆる「寅時に下葬せば卯時にすなわち発す」、ただこの種の地のみが才かに弁じ得る所。この類の龍気の結作の力量は軽きを以て、だから多く龍の大尽頭の処に於いて穴を成し、必定水を得るを要し、必定明堂に靠近するを要し、或いは田に臨み水に浸る穴。ここにおいて銭財禄位は発動し易し。ただ龍身は短促にして大力量なく、たとえ富貴なるも長久能わず。

又其次,有小枝中之尤小者,謂之旁枝。或五六節,或三四節,結為小小形穴。若星辰秀美,穴情明白,明堂平正,下手有力,四山團聚,水口關攔,亦能發福,但不長久,亦無大富貴耳。

さらに往下して、また小枝の中の格外細小の一種あり、「旁枝」と呼ぶ。それは或いは五六節、或いは三四節、すなわち甚だ小なる一个の形穴を結出す。ただ星辰秀美・穴情清楚・明堂平正・下手一側の砂有力・四面の山団聚して散ぜず・水口に山の関攔あれば、同じく能く福を発す。ただ福沢は長久ならず、また大富大貴を出さざるのみ。

《發揮》云:“小小形穴,或得三四節,或得五六節,不拘穿心,不限腳手,出節便做形穴,仍有朝對關纏。若此者亦可安葬,貴可一二人,富可數十年,隨其力量,皆能有驗。但不廣大久遠。”蓋出於大龍分漏秀氣,可以刦效取應,而不可憑恃,以為子孫綿遠計。然隨材取用,亦不可以其龍短力輕而棄之也。

『発揮』は言う。小小の形穴は、或いはただ三四節を得、或いは五六節を得、穿心出脈するや否やを講究せず、また枝脚の多少を限定せず、節を出でれば便ち形穴を作成す。ただなお朝山対案・関鎖纏護あればよい。このような地もまた安葬し得。貴は一两人を出し得、富は幾十年を維持し得。各々その力量の大小に随い、皆応験あり。ただ広大長久ならざるのみ。これはそれが大龍の分漏し出る一点の秀気より出づるを以て、借り来りて一時の効験を求取する可く、倚りて長久の計と為すべからず、子孫の綿延絶えざるを指望すべからず。ただし材に按じて取用すれば、またその龍の短く力の薄きを以て一概に棄置すべからず。

上枝龍雖有大枝、小枝、旁枝之不同,然要之,均稟於造化而有融結者,則亦不可棄也。惟要星峰秀麗,穴情明白。其穴多在龍氣盡處。其大枝亦有龍氣旺盛者,不在盡處。而結穴之外,有餘氣之山,轉為用神,此其力量差勝。

以上の枝龍は大枝・小枝・旁枝の分別ありといえども、根底に帰すれば、皆同じく天地造化を禀受して結作する所あり。だから皆軽易に捨棄すべからず。ただその星峰の秀麗・穴情の明白なるを求めればよい。この類の穴は多半龍気の止尽の処に在り。その中の大枝龍にもまた龍気の特別旺盛なるあり。穴はすなわち尽頭に在らず、而して結穴の外に別に余気の山ありて転じ来たりて「用神」を充当す。此一種の力量は略々一籌を勝るを要す。

大抵枝龍之地,必要星辰聳拔,起伏分明,屈曲盤桓,逶迤走弄,枝腳橈棹均勻,護從纏托齊整,穴場藏聚,證佐分明,前有朝迎,後有蓋送,左右周密,明堂平正,水城彎抱,四獸有情,下砂有力,水口交鎖,羅城稠疊,乃為吉也。如或龍無起伏,星峰不秀,穴道模糊,下手無力,堂氣不聚,朝案無情,水口寬曠,則無融結,不必顧矣。

大体上、枝龍の地は必ず星辰の高聳挺拔・起伏分明・屈曲盤旋し、逶迤婉転に行走し、枝脚橈棹は左右均勻、護従纏托は斉整周備、穴場は風を蔵し気を聚め、各種の佐証は清楚、前面に朝山の迎接あり、後面に蓋山の護送あり、左右の環衛は周密、明堂は平正、水城は弯環して穴を抱き、青龍白虎朱雀玄武の四獣は皆情ありて内に向かい、下手砂は収攔有力、水口の両山は交鎖し、羅城は重叠稠密にして、才かに吉地と算う。倘若龍身に起伏なく、星峰は秀ならず、穴位は模糊、下手は力なく、堂中の気は聚まらず、朝山案山は情なく、水口は空曠にして鎖せざれば、則ち結作なし。さらに看るに及ばず。

已上所論幹龍枝龍詳矣。卻又有等美地,只數節即結形穴,既非幹龍,又非枝比,謂之隨龍穴。依近省郡城市,即大干結作,山水大聚處結穴,龍氣大旺,寸寸是玉,只要穴眞,又不必拘。雖來龍或只數節,亦結大地,以其與大幹龍共祖同宗,朝應固已貴秀,局面亦自繁華。猶之近帝貴人,故曰隨龍穴,不可以長短論也。但要結穴處自立門戶為眞矣。如福建楊太師祖地,近城里許,乃隨龍穴格也,圖下。

以上の干龍・枝龍に関する討論は已に甚だ詳尽なり。しかしなお一類の美地あり、ただ几節を走ればすなわち形穴を結出し、既に干龍に属せず、また枝龍を以て比ぶ能わず、「随龍穴」と称す。それは省城郡城の近旁に依傍し、正に大干龍の結作・山水の大会聚する処である。あの一帯は龍気極旺、寸寸皆美玉と言う可し。ただ穴が真なれば、すなわち来龍の長短に拘泥するを必とせず。来龍は或いはただ几節のみといえども、照样に大地を結ぶ能う。それが大干龍と同祖同宗、朝応の砂は本来就に貴重秀麗、格局場面もまた自然に繁華なるを以てなり。これは譬えば帝王に親近する貴人の如し。だから「随龍穴」と呼び、来龍の長短を以て衡量する能わず。ただ結穴の処が自ずから別に門戸を立つるを求めれば、あれはすなわち真なり。譬えば福建の楊太師の祖墳は、城を離るること不過一里余、すなわち随龍穴の格局。図は下文に見ゆ。

楊氏又有白狸窩祖地,尤美。但此地葬後數年,文敏即發解,連第登宰輔,發越似乎太速。彼地三百年後始有應驗,又似太遲。此造化之妙,不可謂無此理也。白狸窩地見水法卷。

楊家は別にまた一処の白狸窩の祖地あり、格局はさらに美なり。しかしこの一処の地は葬後几年ならずして、楊文敏公は便ち郷試に中挙し、続いて連捷して第に登り、一直線に宰輔に至るまで做し、発するや似たりて太く速し。而して白狸窩のあの一処は却って三百年後に至りて才かに応験を見るを要し、また似たりて太く遅し。これは正に造化の微妙の処、此のような道理なしとは言えず。白狸窩のあの地は『水法』の巻に見ゆ。

右地在建寧府城東里許白鶴山,繫府龍分脈,數節結隨龍穴。入首頓起御屏土星。中垂正脈,鋪展而下。左有白鶴寺,右有東嶽廟,穴結山麓,臨田蘸水,前吐氈唇。帖身白虎橫抱過穴,成玉帶文星,逆收溪水,以關內氣有力。內堂緊小,外洋寬暢,前朝拱揖,得水藏風,眞催官之地。

右図のこの地は建寧府城の東一里余の白鶴山にあり、府城の主龍の分かれ出る支脈で、几節を走りて随龍穴を結成す。入首の処は頓然として「御屏」形の土星を聳起し、正中に正脈を垂下し、鋪展して落下す。左辺に白鶴寺あり、右辺に東岳廟あり、穴は山脚に結び、田に臨み水に浸る。穴前は一片の毡唇を吐出す。貼身の白虎砂は横抱して穴前を過ぎ、「玉帯」様の文星を形成し、方向に逆らいて谿水を収納し、内気を関攔するや甚だ力量あり。内堂は緊凑小巧、外面の洋面は寛濶舒暢、前方の朝山は拱手して揖を作し、既に水を得また風を蔵す。真に一処の官を催し爵を進むるの好地なり。

葬時文敏公年十三歲,不數年即發解進士,登宰輔三十三歲入內閣。子曰恭尙賓少卿。孫士倧、士偉,俱進士。曾孫旦進士吏部尙書、易進士副憲、亙南京戶部郎中,曰昉、曰昂,俱知縣。玄孫曰邁、宗、崇、疑、成、名、棐進士諸公,皆登科甲,躋膴仕封蔭奏名,登仕版者又數十人,福祉未艾。

下葬の時楊文敏公は才かに十三歳、幾年を過ぎずしてすなわち郷試の解元、進士を考中し、後来官は宰輔に至り、三十三歳にして内閣に入る。彼の兒子は名を恭とし、官は尚宝少卿に至る。孫輩の士倧・士偉は皆進士に中たる。曾孫の一輩:旦は進士、官は吏部尚書、易は進士、官は副都御史、亘は官は南京戸部郎中、昉・昂は皆かつて知県を做す。玄孫の一輩の邁・宗・崇・疑・成・名・棐の諸位の進士も、また皆科甲に登り、美官に躋身し、封蔭を受け奏名に列する、仕籍に進入するまた幾十人あり、福沢は今に至るまで未だ衰歇せず。

近郡に依る甫の随龍穴の諸名地の図は下に具す

右地在蘭谿縣東二里,地名瑞壟。其龍自金華峰作祖而來,五星聚講,復辭樓下殿,開帳磊落。正龍過峽去結縣治。其左枝分落後,復開金水帳。中抽出一脈,逶迤成垂頭紫氣貴格。《經》曰“垂頭紫氣號文星, 天下盡馳名。”面前大小雙峰,成天馬之格。斷曰:“大馬趕小馬,富貴傳天下。”葬後出唐漁石公唐龍,登進士,官至吏部尙書。其子小漁公汝楫,登嘉靖庚戌狀元。至今富貴未艾。

右図のこの地は蘭谿県の東二里にあり、地名は瑞壟。その龍は金華峰を以て祖山と為して来たり、五星はここに於いて聚会講議し、随後に楼を辞し殿を下り、帳を開き磊落として行く。正龍は峡を過ぎた後に去りて県治を結成す。それ左辺に分出する一枝は落下した後、また一重の金水形の帳幕を開出し、帳中より一条の脈を抽出し、逶迤婉転にして、「垂頭紫気」の貴格と為る。『撼龍経』は言う。垂頭紫気は名を文星と呼び、人をして天下に驰名せしむる能う。穴前に一大一小の两座の峰あり、「天馬」の格を成す。断語は言う。大馬は小馬を追趕し、富貴は天下に伝遍す。葬後は唐漁石公唐龍を出し、進士を考中し、官は吏部尚書に至る。彼の兒子の小漁公唐汝楫は、嘉靖庚戌年の状元に中たる。今日に至るまでこの一家の富貴はなお未だ衰歇せず。

其盡結者,為趙探花公志皋祖地,與狀元地共帳。入首大飛蛾頓起太陽金星,開鉗結穴。兩股直硬,元辰流長,虎沙順水尖竄,不利初代。將及百年,乃出貴先。是探花之祖,精堪輿學,自擇此地。至今人才富貴鼎盛。二妻各卜一地,一富一貴。

この条の龍の最尽頭に結成するは、探花の趙志皋公の祖墳で、前面の状元のあの地と同じく一帳より出づ。入首の処は大「飛蛾」の勢を作り、頓起して太陽金星、鉗口を開出して結穴す。ただ鉗口の両股は直硬、穴前の元辰水は流るること太く長く、白虎砂は水勢に順い尖尖として竄出す。ここにおいて第一代に利あらず。将近一百年の後、才かに先ず顕貴を出す。この位の探花の祖輩は堪舆の学に精通し、自らこの地を選定したるなり。到如今この一家は人才輩出・富貴鼎盛す。彼の两位の夫人は各々一块の地を占め、一処は富を主り、一処は貴を主る。

傳奇 探花公之祖官縣佐,精堪輿學,愛蘭谿山水秀麗,自衢遷蘭。二妻各卜一地,一貴一富。貴者乃飛鳯沖霄形,課云:“一木沖天勢挺然,文章四海有名傳。雖然衣紫腰金貴,畢竟家無二頃田。”其富者乃仰天湖形,課云:“分明一穴仰天湖,倉庫重重又秀孤。粟陳貫朽房房有,若要求官半個無。”今二房子孫貴者少富,富者少貴,果皆如其言。

附記此の事の伝聞:探花公の祖輩はかつて県丞の類の佐貳官を做り、堪舆に精通し、蘭谿の山水の秀麗を喜愛し、便ち衢州より蘭谿に遷れり。彼は两位の夫人の為に各々一块の地を占め、一処は貴を主り、一処は富を主る。貴を主るあの块は「飛鳳冲霄」形、断語は言う。一株の木星は天を冲いて起ち、気勢挺拔、文章名声は四海に伝遍す。紫袍を穿ち金帯を係え、顕貴に位する能うといえども、家裏は終に二頃の田産なし。富を主るあの块は「仰天湖」形、断語は言う。分明に一処の仰天湖の穴、倉庫形の砂は重重叠叠、秀麗にして孤高。陳粮は堆積し、銭を串る繩は皆朽爛し、房房皆銭財あり。ただし官職を求めんと想えば、半个もなし。いま両房の子孫、貴なるあの房は富少なり、富なるあの房は貴少なし。果たして全く彼の言に応えたり。

右地在杭州府,土名江頭九曜。但其龍乃自九曜逆生一脈,穿田過峽,頓起玉屏。屏中一脈,委迤清巧,復作金土結穴。穴星兩臂橫展,中開一坪。坪中立穴太闊,似乎散漫。且右臂牽拽遠去十餘里,以作江頭街陽基。此則橫龍落脈,一節而已。俗眼觀之,莫識其妙。爰是龍氣大旺,寸寸是玉處。

右図のこの地は杭州府にあり、土名は江頭九曜。その龍は九曜山より方向に逆らいて一条の脈を生出し、田地を穿りて峡を過ぎ、頓然として「玉屏」形の山を聳起す。屏山の正中に一脉を垂下し、曲折清巧、再び金星に土星を帯びたる穴を結成す。穴星の両臂は横に展開して去り、中間に一片の平坪を開出す。坪中に於いて穴を立てば、地方は顕わに太く寛濶、気は散じて聚まらざるが如し。しかも右臂は一直線に牽引して去ること十幾里、江頭街の陽宅地基と為れり。ここは実に横龍の落脈、ただ一節あるのみ。俗人の眼光の看去はその妙処を認出せず。原因はすなわち此処の龍気の極旺なるに在り、寸寸皆美玉と言う可し。

葬後生江公玭,登進士,官大參。子文昭公瀾,官南京禮部尙書。孫曉會魁,官工部侍郎,贈尙書;暉,會魁,翰林修撰。曾孫曰圻,登鄉魁進士,官提學副憲。玄孫曰鐸,登進士,現任北部正郎,福祉方隆。

葬後は江玭公を生み、進士を考中し、官は参政に至る。彼の兒子文昭公江瀾は、官は南京礼部尚書に至る。孫輩の江暁は会試の魁首、官は工部侍郎、死後は尚書を追贈さる。江暉もまた会試の魁首、翰林院修撰を任ず。曾孫の江圻は郷試の第一に中り并びに進士に登り、官は提学副都御史。玄孫の江鐸は進士に中り、現に北京の某部郎中を任じ、福沢は正に盛んなり。

右地在承天府東北。其龍發於大洪山,旺氣融結為府龍大干。又分注到此,入首橫列大帳,帳中抽出嫩條。廖氏謂之垂頭紫氣,清秀穎異。大凡木星,不下當頭。此地左右兩穴,虛中,正合倚杖葬法。張子微謂之天鼻穴。左右龍虎回抱,內外明堂環聚。近有玉帶砂關收內氣,遠有三臺峰獻秀,外洋北湖寬暢,漢水盤旋,四勢和平,三陽具足,龍旺穴奇,藏風得水,眞美地也。曾氏曾祖指揮公始葬其地,繼葬其祖知縣東莊公。今陽白公父子進士,通顯嗣續之蕃,詳見彭澤祖地第二十冊內。

右図のこの地は承天府の東北にあり。その龍は大洪山に発源し、旺気は凝結して府城主龍の大干と為る。また一支を分かれ出してここに灌注し、入首の処は一道の大帳を横列し、帳中より一条の嫩脈を抽出す。廖金精はこの種の格局を「垂頭紫気」と呼び、清秀出衆なり。凡そ木星形の山は、一般に正しく頭に当たりて下葬せず。この地は左右各々一穴あり、中間は虚して用いず、正に「倚杖」の一類の葬法に合す。張子微はこれを「天鼻穴」と称す。左右の青龍白虎は回環して抱護し、内外の明堂は層層囲聚す。近処に「玉帯砂」ありて内気を関収し、遠処に三台峰ありて秀色を献出す。外面の洋面上の北湖は開濶舒暢、漢水は盤旋環繞し、四方の形勢は和緩平正。内陽・中陽・外陽の三陽は斉備し、龍は旺にして穴は奇、既に風を蔵めまた水を得。真に一処の美地なり。曽家の曽祖指揮公は最も先ずここに葬り、随後また彼の祖父の知県東荘公を葬れり。いま陽白公父子は皆進士に中り、顕達にして子嗣繁盛。詳細は彭沢の祖地の第二十冊の中に見ゆ。

右地在休寧治北一里,地名尼姑庵。其龍與縣龍共祖,不悉述。分龍後開帳出脈,細嫩奇巧,為蘆鞭,連起兩節太陰文星,清秀均勻,展翅垂腳,俗呼雄牛趕雌牛形。正脈棲閃轉身,逆水結穴。穴下鋪坦餘氈,蘸水臨田,穴後抱托有力,前朝大小雙峰秀異。但明堂水過穴返去無情,水口不交為疵耳。葬後出襄毅公信,登進士,官至兵部尙書。子篁墩公敏政,登榜眼,官至禮部右侍郎、翰林學士,贈禮部尙書。

右図のこの地は休寧県治の北一里にあり、地名は尼姑庵。その龍は県城の主龍と同一の祖山、ここは細説せず。分龍の後、帳を開き脈を出し、細嫩奇巧、形は「芦鞭」の如く、接続して両節の太陰形の文星を聳起し、清秀にして均勻、両側は翅を展け脚を垂る。俗称「雄牛が雌牛を追趕する」形。正脈は忽栖忽閃に身を転じ来たり、水勢に逆らいて結穴す。穴下は平坦の余毡を鋪出し、水に浸り田に臨む。穴後に山の抱托有力あり、前面の朝山は一大一小の两座の秀峰。ただ明堂の水は穴前を流れ過ぎて便ち折返して去り、无情を顕し、水口の両辺は交鎖せず。これはそれの缺陷。葬後は襄毅公程信を出し、進士に中り、官は兵部尚書に至る。彼の兒子篁墩公程敏政は榜眼に中り、官は礼部右侍郎・翰林学士に至り、礼部尚書を追贈さる。

按:是地乘縣龍旺氣,格甚精俊。但繫戌乾轉坤申作穴,於天星非久永之兆。篁墩不察,襄毅之葬又卜南山乙辰,竟以受害。公言談地理四書,極詆天星,既以自誤,又以誤人,惜哉!

我が按ずるに、この地は県城主龍の旺気を承乗し、格局は甚だ精美挺拔なり。ただ来龍は戌位より坤に転じ・申位に於いて穴を作し、「天星」の角度より看れば長久の象に非ず。程篁墩は察覚せず、父襄毅公の為に別に葬地を択ぶにまた南山の乙辰の方位を選び、結果は却ってその害を受けたり。彼はかつて地理を談論する四種の書を撰述し、極力天星の説を詆毀し、既に自己を誤り、また他人を誤れり。実に惜しむべし。

左地在錢唐萬松嶺聖國寺後。其龍與杭州府龍共祖。此即數里之外,分出一脈,出身御屏高聳。屏下連珠數節,走馬到頭,起仰高太陽開口做穴。吐唇平坦,二十餘丈,地復峻陡。陡下卻是寺宇。登穴從左手一傍入,到穴中不見寺宇並陡峻處,但見四面遠峰矗矗,錢塘江水洋洋。對岸金馬門,門中貴人秀立。海門三山渺如拳。四神八將、三陽六秀皆相拱照。葬後出南宇公儀,登進士,入翰林,官至內閣大學士。今富貴未艾。

左図のこの地は銭塘万松嶺の聖国寺の後面にあり。その龍は杭州府城主龍と同祖、ただ几里の外に別に一脉を分出し、出身の処「御屏」は高聳す。屏下は連珠の如く接続して几節、「走馬」の勢を作りて頭に至り、「仰高」の太陽金星を聳起し、口を開きて結穴す。穴前の吐出した唇毡は平坦、二十余丈あり。さらに前に往けば地勢は陡然として下落し、陡坡の下面は便ち寺院。上穴は左手一側より繞り入るを要し、穴中に到れば既に寺院を見えず、また陡峻を看出せず、ただ四面の遠峰の矗立・銭塘江水の浩浩瀚瀚を見るのみ。対岸に「金馬門」あり、門中の貴人峰は秀麗挺立、海門外の三座の山は遠くして拳头の大小の如し。四神八将・三陽六秀は皆環拱照応す。葬後は南宇公儀を出し、進士に中り、翰林に入り、官は内閣大学士に至る。今に至るまでこの一家の富貴は未だ衰歇せず。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻一下之三

江右山人徐善繼述 同著。此一卷專論龍分支、壟。蓋高山平地,形勢不同,故支、壟之說不可不辯。故《葬經》云:“支、壟之辯,眩目惑心,毫釐之差,禍福千里。”是故尤當致辯於支、壟焉。

本巻は江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一巻は専ら龍の「支」と「壟」の両類を論ず。高山と平地は形勢同じからず。だから支・壟の説は加えて辮別せざるべからず。郭璞の『葬経』は言う。支と壟の辮別は最も眼花し心を迷わし易く、毫厘を差せば、禍福はすなわち千里を相隔つ。ここにおいて支・壟に対して尤も応に功夫を下し分辮すべし。

支壟を総論す

夫支者,平地之龍也;壟者,高山之龍也。其融結為地,力量輕重,大小貴賤,不以支壟而分優劣,但其形體有山峰平地之不同,故察識其情性之術亦各有異耳。蓋壟龍有星峰形勢,脈絡分明,易於尋索。支龍千里平夷,一望無際,難於追求。

いわゆる「支」は、平地の龍。いわゆる「壟」は、高山の龍。それらの結成する地の、力量の軽重・格局の大小貴賤は、並びに支なり壟なりを以て高下を分出せず。ただ形体上に山峰と平地の差別あるを以て、だから観察辮識するそれらの性情の方法も各々相同じからず。壟龍は星峰の形勢あり、脈絡分明、尋訪し易し。支龍は則ち千里平坦、一望辺無く、追尋し難し。

然壟龍則以磊落起伏、逶迤奔走為美,軟弱、瘦削、醜惡、崚嶒為凶。支龍則以相牽相連、隱隱隆隆、界水明白、脊脈分曉為妙;高低不明,來勢斷截,分水模糊為假。大凡壟欲峙於地上,支欲伏於地中;壟最忌於風吹,支尤嫌於水劫;壟結穴于山麓,支結穴於巔頂。《葬經》云:“卜支如首,卜壟如足。”又云“支葬其巔,壟葬其麓。”此支、壟龍穴不同之大法也。

壟龍は磊落起伏・逶迤奔走を以て美と為し、軟弱・痩削・醜悪・痩骨嶙峋を以て凶と為す。支龍は則ち彼此牽連断えず・隠隠約約些微の隆起あり・両側の界水分明・脊脈は看清楚なるを以て妙と為す。若し高低は看出せず・来势は中断・分水模糊なれば、あれはすなわち假なり。大体言えば、壟は地面の上に屹立するを要し、支は地面の中に潜伏するを要す。壟は最も風に吹かるるを怕れ、支は最も水に劫せらるるを忌む。壟は山脚に於いて穴を結び、支は微凸の頂上に於いて穴を結ぶ。『葬経』は言う。支穴を占するは頭部を看るが如く、壟穴を占するは脚部を看るが如し。又言う支はその頂上に葬るを要し、壟はその山麓に葬るを要す。これがすなわち支龍・壟龍の穴法不同の大原則である。

其間變態不一,咫尺頓殊。眞支眞壟固所易辯,柰何有似支之壟,似壟之支,或支來而壟止,壟來而支止;或壟變為支而復為壟,支變為壟而復為支。亦有以支為壇垜而行壟於上,以壟為壇垜而行支於上者。又有壟內而支外,支內而龍外者。

その間は変化多端、相隔たること不過咫尺、情形は便ち完全不同。真正の支・真正の壟は固然に分辮し易し。奈んづるにまた支に似たる壟・壟に似たる支あり。或いは支の形態を以て来たりて却って壟の形態を以て止歇し、或いは壟を以て来たり支を以て止まる。或いは壟は支に変じて後また壟に変じ返り、支は壟に変じて後また支に変じ返る。もまた支を以て台基と為して壟をその上に行走せしめ、壟を以て台基と為して支をその上に行走せしむるあり。さらに裏面は壟・外面は支、裏面は支・外面は壟のあり。

復有強支弱壟、急支緩壟、高支平壟、隆支隱壟、石支土壟、老枝嫩壟、偏支偏壟、半支半壟,及夫非支非壟,不可辯者。故郭氏云“支、壟之辯,眩目惑心”,自非明師耳提面命,莫能別也。學者先須察此,此而有得,尋龍之能事思過半矣。

此の外さらに強支と弱壟・急支と緩壟・高支と平壟・隆起の支と隠伏の壟・石質の支と土質の壟・老支と嫩壟・偏支と偏壟・半支半壟あり、乃至既に支に似ずまた壟に似ず・根本に分辮する由なきに至る。だから郭璞は言う「支・壟の辯は、目を眩まし心を惑わす」、若し高明の老師の当面指点なければ、実に辮じ清楚しがたし。地理を学ぶ人は首まずここに於いて工夫を下すべし。この一層を弄明白せば、龍を尋ぬるの本事は已に大半を掌握したり。

壟龍を論ず

夫壟者,山也。山壟之龍,祖宗欲其高大,來勢欲其雄偉,星峰欲其秀麗,剝換欲其相生,過峽欲其周密,枝腳欲其蕃衍,蓋送欲其重疊,行度欲其活變,護從欲其稠密,穴場欲其藏聚,四勢欲其和平。此皆山壟尋地之要訣耳。然壟龍勢險而有也,故於險中求平,所謂高山之窩是也。葬當避殺乘生,《經》曰“壟葬其麓”,為正法也。

いわゆる「壟」は、すなわち山である。山壟の龍は、祖宗山の高大・来势の雄偉・星峰の秀麗・「剥換」の時の五行相生・峡を過ぐる処の護衛周密・枝脚の繁茂・蓋山送山の重叠・行走の姿態の霊活多変・護従の山の稠密・穴場の能く風を蔵め気を聚むる・四面の形勢の和緩平正を要す。これらは皆山壟地帯に於いて地を尋ぬるの要訣。ただし壟龍は形勢険峻、だから険の中に平緩の処を求めるを要す。すなわちいわゆる高山上の窩穴。下葬の時は応に殺気を避け生気を承乗すべし。『葬経』は言う「壟はその麓に葬る」、これは正法である。

卻又有等以壟為體,而得支之情性者,則大山垂脈,落下平地,變為支體。此陰中含陽之義也,時師往往粘葬山麓,而以前拖平地為裀褥。殊不知龍勢未住,微有龜脊,隱隱隆隆,穴落平地,法當枕球而葬。然陰者為強,固宜避球湊簷。柰何性慢?以此要揷上,急其緩性。劉氏所謂“壟緩則入簷而湊球”是也。苟以壟法扦之,則敗絕立應。此高壟之至難體認者,不可不察也。

但し別に一種の壟を以て体と為すも、却って支の性情を帯ぶるあり。大山は脈を垂下して来たり、平地に落ちれば、すなわち変じて支の形体と為る。これは「陰中に陽を含む」の道理に属す。当今の地師は往々山脚に貼りて下葬し、前面に拖出する一片の平地を以て坐褥と為す。彼らは知らず、此処の龍勢は未だ止まらず、地面はなお微微に一線の亀背の如き脊あり、隠隠隆隆、穴は実に平地上に落ち、法に按じて応に「球」(脈気の結頂する処)に枕して下葬すべし。陰性は強に属し、本该球を避けて「檐」に靠近すべきも、しかしこの種の脈は性子偏に慢く、だから上に挿すこと一点を要し、以てそれの遅緩の性情を催急す。劉氏の言う「壟緩なれば則ち檐に入りて球に湊る」、すなわちこの意。假如旧に一般の壟法に照らして点穴下葬せば、敗絶は立刻に応験せん。これは高壟地帯の最も体認し難き処、細察せざるべからず。

支龍を論ず

夫支龍者,平地之龍也。平地之龍,其祖宗父母、剝變過峽,與夫枝腳橈棹、纏托護從,大段與壟龍無異。吳公《口訣》有云“臥倒星辰豎起看”,故亦有開帳穿心,亦有華蓋、三臺、御屏、玉枕等格,但龍行地中,皆平面,倒地多闊大,難於檢點,惟以相牽相連步其龍脈。

いわゆる「支龍」は、すなわち平地の龍。平地の龍の祖宗父母・剥換変化と峡を過ぐる・および枝脚橈棹・纏托護従は、大体壟龍と分別なし。呉景鸞の『口訣』は言う「卧倒の星辰は竪起して看よ」。だから平地にもまた開帳穿心の格局あり、また「華蓋」「三台」「御屏」「玉枕」のこれらの形格あり。ただ龍は地中に行走し、一切は皆平面、地上に倒卧して格外寛濶を顕し、甚だ逐項査点し難く、ただ彼此牽連相接の痕跡に循い、一歩歩龍脈に跟いて走るのみ。

高一寸為山,低一寸為水,察其隱隱隆隆之脊,或直或曲,動輒數十里,或數里,始有水分八字之峽,或有石骨微露蹤跡,或有銀錠束氣之脈。若前面遇水界截,則審隨龍之水,及諸水聚處為明堂,以求穴向。

平地の上は、高出すること一寸すなわち山と算え、低下すること一寸すなわち水と算う。あの隠隠隆隆の微脊を察看するを要し、或いは直或いは曲、往々走ること幾十里、或いは几里にして、才かに一処の両側の分水する「八」の字の如き峡を出現す。或いは石骨の微微に痕跡を露出するあり、或いは中間の収細して銀錠形の如く気脈を束住する処あり。若し前方に水の横截界断に遇えば、すなわち龍に随いて行く水、および衆水の会聚する処を審察し、あそこを以て明堂と為し、拠りて穴位と坐向を求定す。

其結穴處自然氣聚,或平中有突,或開鉗口,或吐唇氈,或微有靨,如雞窠,如旋螺之狀,必有龜脊牛背、草蛇灰線之脈,入首束聚結穴。而此處須要高低分明,有水纏繞,或水溶注,或水朝入,方為的實。又須審其來歷,有珠絲馬跡、貼地梅花、落地金錢等格,決是美地。扦得穴眞,葬得如法,富貴悠久。

支龍の結穴する処は、生気は自然に聚集す。或いは平地の当中に微微に凸起し、或いは鉗口を開出し、或いは唇毡を吐出し、或いは略々一个の凹靨あり、形状は鶏窩の如く、旋転の螺殻の如し。ここに到れば必定亀背牛背の如き微脊あり、草蛇灰線の如き隠脈あり、入首の処は収束凝聚して結穴す。此処はさらに必ず高低分明・水の環繞あり、或いは水の停蓄あり、或いは水の朝入ありて、才かに真切と算う。さらにその来歴を審察するを要す。若し「珠糸馬跡」「貼地梅花」「落地金銭」のこの類の格局あれば、あれは一定の美地。点穴の点得準く、安葬の法度に合せば、富貴は便ち長久能う。

若來歷不明,切勿妄下,平地無氣,易於絕滅。所謂來歷不明者,乃來脈龍勢一坦平陽,無脊可據,高低不分,全無界水,無過峽,無石骨證脈,無銀錠束氣,無龜背分水,無草蛇灰線、藕斷絲連之脈入穴;或已經斷而不相牽連,散漫無氣,必無融結。

若し来歴不清楚なれば、千万随り便に下葬するなかれ。平地上に生気なく、最も易く絶嗣滅門を招致す。いわゆる来歴不明は、来脈龍勢の一片平坦、凭拠すべき微脊なく、高低は分け出さず、完全に界水なく、過峡なく、脈絡を印証すべき石骨なく、銀錠形の束気の処なく、亀背式の分水なく、また草蛇灰線・藕断糸連の脈絡の穴場に進入するなくして、或いは脈は已に断えて前後相牽連せず、散漫気なし。然らば必定結作なし。

其父母兄弟之脈各自分飛,平地之上,雖或忽起墩埠,孤單無應,必作他龍之用神;或是龍腳所帶之秀氣,為印,為笏,為金箱、環佩之類,或是水口羅星、游魚等砂。故廖氏云“走珠墩阜在平地,三個五個是。”若孤單一突,又無分水度脈來歷,未可便作平中之突而有融結。

この種の地方は、父母・兄弟の各脈は各自飛散し、平地上にたとえ忽然として一个の土墩を凸起するも、孤零零として呼応なく、あれは必定別条の龍の「用神」。或いは龍脚の帯出する一点の秀気、化して印・化して笏・化して金箱環佩の一類の砂形を成し、或いは水口の処の「羅星」「游魚」等の砂。だから廖金精は言う。平地上の走珠墩阜は、総是れ三個五個成群にして出現す。若しただ孤零零一个の凸起のみ、また分水と度脈の来歴なく、すなわち貿然として平中の突と為してそれに結作ありと認定すべからず。

卜氏云:“星散孤村,秀氣全無半點”;又云:“滾浪浮花,隨風落葉,皆是無蒂無根,未必有形有氣。”此皆平支龍尋地之要訣耳。然支龍平坦夷曠,故於散中求聚,所謂平地之突是也。蓋當揭高就脈。《經》曰“支葬其巔”,為正法也。

卜応天は言う。孤零零一个の村落の如く星散分布する土阜は、半点の秀気もなし。又言う。翻滚浪頭上の浮花・風に随いて飄落する樹葉は、皆無蒂無根の物、未必真に形あり気ある。これらは皆平地の支龍の地を尋ぬるの要訣。支龍は一片の平坦空曠、だから散漫の中に凝聚を求めるを要す。すなわちいわゆる平地上の凸突。点穴の時は応に位置を略々抬高して去りてあの微脈に就くべし。『葬経』は言う「支はその巔に葬る」、これは正法である。

卻又有等以支為體,而得壟之情性者,則直如擲槍,急如繃線,術中謂之倒火硬木,此陽中含陰之義,法當避殺粘簷,架折而葬。劉氏所謂“直急則避球而湊簷”是也。但陽者為弱,本合湊入,柰何性急?以此要縮下,緩其急性。苟以支法扦之,則凶禍立應。此平支之至難體認者,不可不知也。

別に一種の支を以て体と為すも、却って壟の性情を帯ぶるあり。脈は直きこと擲出する長槍の如く、急なること繃緊の弦線の如く、術家はこれを「倒火」「硬木」と呼ぶ。これは「陽中に陰を含む」の道理に属し、法に按じて応に殺気を避けて「檐」に貼近し、架折の方式を以て下葬すべし。劉氏の言う「直急なれば則ち球を避けて檐に湊る」、すなわちこの意。陽性は弱に属し、本来応に裏に湊近して脈気に就くべきも、無奈この種の脈は性子太く急なり。だから下に縮むこと一点を要し、以てそれの急促の性情を緩和す。假如一般の支法に照らして点穴下葬せば、凶禍は立刻に応験す。これは平地の支龍の最も体認し難き処、知らざるべからず。

已上所論支、壟,大法如此。但壟之星峰易辯,支之脈絡難明,前輩謂支龍難於壟龍,尤當細察。茲故特集諸家平支之說附下,庶互有發明雲。《葬書》云:山貴平夷,土貴有支。支之所起,氣隨而止;支之所終,氣隨而鍾。觀支之法,隱隱隆隆,微妙玄通,吉在其中。又云:地有吉氣,土隨而起。支有止氣,水隨而比。勢順形動,回復終始。法葬其中,永吉無凶。

以上支と壟を討論するは、大要この如し。ただ壟の星峰は分辮し易く、支の脈絡は看清楚し難し。前輩は皆支龍は壟龍よりさらに難しと言い、尤も応に細看すべし。だからここに特に各家の平地の支龍を論ずる説法を下面に彙集し、好くそれらをして彼此発明せしむ。『葬書』は言う。山は平緩を以て貴と為し、土は支脈あるを以て貴と為す。支脈の起つ処、気は便ちこれに随いて停駐す。支脈の尽くる処、気は便ちこれに随いて凝聚す。支脈を観察するの方法は、あの隠隠隆隆の微起を看る。その中は微妙玄通、吉利はすなわち裏面に蔵る。又言う。地裏に吉気あれば、土は便ちこれに随いて隆起す。支の中に止住の気あれば、水は便ちこれに随いて相依す。形勢は順暢、形体は霊動、往復回環、始あり終あり。法に依りてその中に葬れば、永遠に吉利にして凶なし。

楊筠松《龍經》云:坪中還有水流坡,高水一寸即是阿。只為時師眼力淺,到彼茫然無柰何。便云無處尋蹤跡,直到有山方始識。如此之人豈可言,有穴在坪先自失。只來山下覓龍虎,又要乳頭始雲吉。不知山窮落平處,穴在坪中貴無敵。痴師誤了幾多人,又道藏埋畏卑溼。不知穴在水中者,如此難憑怕泉瀝。蓋緣水漲在中間,水退即同乾地力。且如兩淮平似掌,也有軍州落窠瀝,也有英雄在彼中。豈無墳墓與宮室,只將水注與水流,兩水夾來是龍脊。

楊筠松の『撼龍経』は言う。平坪の中もまたなお水流の坡度あり、水面より高出すること一寸すなわち山岡と算う。只当今の地師の眼力太く浅きを因とし、あそこに到れば一片茫然、無可奈何、便ちここは蹤跡を尋ぬべき処なしと言い、非ずして山を見れば認め得ずとす。このような人はなお何の地理を談ずるや。平坪の中に明明として穴あるを、彼は先ず自ら錯過せり。彼らはただ山脚下に到りて青龍白虎を找すのみ、さらに非ずして乳突形あらば才かに吉と言うを肯んず。殊に知らず、山は窮尽に走り平地に落入る処、穴はすなわち坪中に在り、貴く当たるべからず。糊塗の地師は多少の人を誤りしか、また言う低処に埋むるは潮湿を怕ると。彼らは穴もまた水中に在るありを懂せず。この種の地は看れば凭り難きに似て、怕るるは泉水の浸漬なり。其実不过是れ漲水の時は当中に淹れ、水一たび退けば乾地と同様に有力なり。譬えば両淮一帯の平坦なること手掌の如く、また照样に軍州の低窪窩処に落つるあり、また照样に英雄のあそこに出づるあり、怎んぞ墳墓宮室なからんや。あそこはただ水の停蓄と流動を以て準則と為し、両水夾送して来たる処はすなわち龍脊なり。

又云:莫道山高方有龍,卻來平地失其蹤。平洋龍從高處發,高起星峰低落穴。高山既認星峰起,平地兩傍觀水勢。兩水夾來是眞龍,枝葉周圍抱處是。莫令山返枝葉散,山若返兮水散漫。外山百里作羅城,此是平洋龍局段。星峰頓伏落平去,外山隔水來相護。平洋仰面似雞窠,隱隱微微立高埠。便從立埠覓回窠,或有勾鉗或如螺。勾鉗是案螺是穴,水揖明堂氣聚多。

『撼龍経』はまた言う。ただ高山のみ龍ありと為すを以て勿れ、一たび平地に到れば蹤跡を尋ね見ざるなり。平洋の龍もまた高処より脈を発するなり。高処は星峰を聳起し、低処は穴場を落下す。高山に在りては星峰の起伏を認るを靠り、平地に到ればすなわち両旁の水勢を看るを要す。両水夾送して来たるは便ち真龍、枝葉四周環抱の処は便ち結作。山をして背転せしめ枝葉をして散開せしむるなかれ。山は一旦背転すれば、水はすなわち散漫収らず。外囲の山は百里の外に於いて囲りて羅城を成す。これがすなわち平洋龍の局面格段。星峰は頓落伏下し、平地に進入した後は、水を隔てたる外山の前来護衛に靠るを要す。平洋の地は仰面して看去れば个の鶏窩の如く、隠隠微微として一処の高阜を立つ。すなわちこの高阜より去りて回環の窩形を找すべし。或いは勾鉗状、或いは螺殻の如し。勾鉗は是れ案、螺形は是れ穴。水は明堂に向かいて揖を作し朝拱し、生気はすなわち聚まること多し。

四傍水勢如城裹,水繞山回聚一窩。霜降水涸尋不見,春夏水高龍皆現。此是平洋捉龍法,過處如絲或如線。高水一寸即為山,低土一寸水回還。水纏便是山纏樣,纏得眞龍如仰掌。窩心掌裡如乳頭,端然有穴明天象。水繞山纏在平坡,遠有山岡近有河。只愛水環抱身體,不愛水返去尋地。水抱方有山來抱,水不抱兮山不到。莫道高山龍易識,行到平洋失蹤跡。藕斷絲連正好尋,退卸愈多愈有力。

四面の水勢は城墙の如く囲裹し、水は山を繞り回り、聚まりて一個の窩を成す。霜降以后水は干涸して却って尋出せず、春夏の水位高漲の時は龍脈は倒って皆顕現す。これがすなわち平洋の龍を捉るの方法、脈絡の経過する処は細きこと糸の如く線の如し。水面より高出すること一寸すなわち山と算え、地面より低くなること一寸すれば水はすなわち回環す。水の纏繞する様子はすなわち山の纏繞する様子に等し、纏りて真龍をして一只の仰ぐ手掌の如くせしむ。掌心の窩の裏に如し一点の乳頭の如き凸起あれば、端端正正としてすなわち穴、上は天象に応ず。水繞山纏は平坡の上に在り、遠処に山岡あり、近処に河流あり。ただ水の龍身を環抱するを喜び、水の反背して去るを喜ばず。あのようになればすなわちさらに地を找すに及ばず。水は抱住してこそ、才かに山の来たり抱するあり。水抱せざれば、山もまた来たらず。高山の龍は認め易しと為すを以て勿れ、一たび平洋に走り至れば蹤跡を丢するなり。この時正に応に藕断糸連の痕跡の裏より去りて尋ぬべし。脈気の退卸する愈々多きほど、力量は却って愈々大なり。

又云:大梁形勢亦無山,到此尋龍何處是?識得星峰是等閒,平地尋龍最是難。若無河流與淮水,渺渺茫茫不見山。河流沖決山斷絕,又無石骨又無脈。君若到彼說星峰,一句不容三寸舌。又云:十里半程無岡嶺,平洋沙漬煙塵迷。到此君須看水勢,水勢莫問江與溪。只要兩源相夾出,交鎖外結重重圍。又云:凡到平洋莫認蹤,只看水繞是眞龍。又云:高山大壟峰多秀,不似平原一錐卓。又云:也曾見穴在平洋,四畔周圍無高岡。

『撼龍経』はまた言う。大梁(開封)一帯の地勢もまた山なし、あそこに到れば何れに往きて龍を尋ぬるや。星峰を認るは本事と算えず、平地に於いて龍を尋ぬる才かに最も難し。あそこに若し黄河と淮水なければ、渺渺茫茫として一座の山を望見せず。河水は冲決し、山形は断絶し、既に石骨なく、また脈を看出せず。汝若しあそこに至りて星峰を講ぜば、三寸の舌は一句も説き出す能わず。又言う。走ること十里半程も皆岡嶺なく、平洋上は沙塵煙霧迷蒙の一片。ここに到れば汝は只須水勢を看よ、水勢は必ずしも江か谿かを分かつを要せず、ただ両条の源流ありて相夾して出で、外に於いて交鎖して重重の局面を囲成すればよい。又言う。凡そ平洋に到れば去りて山の蹤跡を認るなかれ、ただ水の環繞する処を看ればすなわち真龍。又言う。高山大壟の峰巒は多く秀なり、平原上のただ孤零零一个の錐形の土堆に似ず。又言う。もまたかつて穴の平洋に結ぶを見たり、四周囲は一座の高岡も皆なし。

又云:上智尋龍觀氣脈,指望高山散蹤跡。相連相接下鄉村,失跡遺蹤細尋覓。氣逢水界有住期,如緝悠悠細消息。平洋大地無影形,如灰拋線要君識。相粘相牽尋斷絕,盡是平洋眞口訣。過時如雁列深云,藏時猶似泥中鱉。平洋相併盞中酥,落在坪中誰辯別?

『撼龍経』はまた言う。上等の智慧の人は龍を尋ぬるに気脈を看る。一味に高山を指望すれば、却って蹤跡を把え失す。脈は相連相接して一路下りて郷村に至り、痕跡は時に断え時に続く。細心に尋覓するを要す。気は水の横界に遇えば停駐の期あり、線を捻りて追緝するが如く慢慢と消息を体察せよ。平洋の大地上は龍脈に形影なく、灰の上に一条の線を抛出するが如く、你自己に凭りて認るを要す。相粘相牽の中に於いてあの断えてまた続く処を尋ぬる。これが才かに平洋の真口訣。脈の経過する時は大雁の深雲の裏に排列するが如く、隠蔵する時はまた泥中の甲魚の如し。平洋の脈はまた盞の中に凝る酥油の如く、坪中に落つ。誰か分辮し出さんや。

楊公《畫筴圖》云:平地之脈,如草中之蛇,灰中之線。只看水分水聚之中,便是眞氣融結去處。又曰:臨田觀穴,不問大小八字,只看上面形勢,分曉下面證佐。或唇或口,便為眞氣正穴。又曰:平坡之脈如掌窩,水聚交而不流,鎖斷眞氣,便是關門立穴之處。仰看上面脈,必有翅翼,如燈影穿壁,輕薄而不動,自有高卑。

楊筠松の『画筴図』は言う。平地の脈は草叢の中の蛇・灰堆の上の線の如し。ただ水の分かれまた聚合する処を看れば、あそこはすなわち真気の凝結する処。又言う。田辺に於いて穴を看るは、分水八字の大小を計較するを必とせず、ただ上方の形勢を看、下方の佐証を辮認し清楚せよ。唇形或いは口形を見れば、すなわち真気の所在する正穴。又言う。平坡上の脈は手掌の中の窩の如く、水はあそこに聚まり交会して流走せず、真気を鎖断す。あれは便ち門を関し穴を立つる処。頭を抬げて上面の脈を看れば、必定翅翼の如き両片を帯び、灯影の墙壁に投ずるが如く、軽薄にして移動せず。自然に高低を分け出す。

又曰:高山落落平田,若有火嘴,要看尖盡處;若開鉗口,謂闇火開紅。此是火放灰中,似見火紅。如尖嘴不開鉗口,謂之死火帶殺,不可葬。又曰:龍到平洋臨田結穴者,上有來,下無出腳,但見田塍面前兜轉,似帶,似娥眉拱護,此上是穴。

又言う。高山は平田に落ち、若し火星の尖嘴を出現せば、あの尖の尽頭の処を看るを要す。若し尖頭は鉗口を開出せば、「暗火開紅」と呼ぶ。譬えば火の灰の裏に埋るるが如く、隠隠として一点の紅光を透出す。假如ただ尖嘴のみにして鉗口を開かざれば、すなわち「死火帯殺」と呼び、下葬すべからず。又言う。龍は平洋に走り至り田に臨みて結穴するは、上方に来脈あり、下方は却ってさらに脚を伸出せず。ただ田埂の穴前に於いて兜転して来たるを見、一条の帯の如く、一弯の蛾眉の如く拱衛護持す。これの上はすなわち穴。

又曰:龍落平坡,日久年深,人開成田地,要看兩邊形勢,田墈一層低一層,如急浪下灘。細尋前面水勢迴環,兩田如月角兜轉,始是眞龍作結之處,謂之浪花裡滾月。又曰:高山行龍,勢落平地,無蹤無跡無龍虎,形如鋪氈展席,散如碧玉之紋、浪花滾月、雪裡飄梅,如灰中之拽線,如草裡之尋蛇,詳加目力,細辯陰陽。切要諸水聚堂,朝對尊嚴,球簷下合分明,氣脈自然融結,沙水來去得位,門戶重重關閉,坐下賓主有情;又要明堂如鍋底,四圍不傾瀉,水口不通舟,可謂吉地矣。

又言う。龍は平坡上に落ち、年深日久にして人に開墾せられて田と為れば、すなわち両辺の形勢を看るを要す。田坎は一層低きこと一層に似て、急浪の灘に冲下するが好し。さらに細看せよ、前方の水勢の如何に回環するか、両片の田は月牙の両角の如く兜抱して転じ来たる。あれは才かに真龍の結作する処、「浪花裏に月を滾がす」と呼ぶ。又言う。高山の行龍は、気勢は平地に落ち、蹤なく跡なく、また青龍白虎もなし。形状は毡を鋪開し席を展開するが如く、散開すること碧玉上の文理の如く、浪花の月を滾がすが如く、雪裏に飄落する梅花の如く、灰の上に一条の線を拖出するが如く、草叢の裏に蛇を找るが如し。仔細に目力を用いて看るを要し、細辮せよ陰陽。最も緊要なるは衆水の明堂に聚まり、朝山対案は荘厳、「球」と「檐」は上下相合分明、気脈は自然に凝結し、砂と水の来去は各々その位を得、門戸は重重関鎖し、坐山と賓主は彼此有情あらんことを。さらに明堂は鍋底の如く凹聚し、四周は傾瀉して水を走らず、水口は窄くして船を通さざるを要す。これを以て吉地と称す可し。

陶公《捉脈賦》云:支阜平夷,如灰拽線,悠悠而縮瓜藏形,隱隱而無頭無面。豈知遇水為眞,乘風則散。又曰:大地平洋迴環,四顧得水藏風,時人罕遇。又曰:雞鳴犬吠,鬧市煙村,隆隆隱隱,孰探其原?若乃斷而復續,去而復留,奇形異相,千金難求。折藕貫珠,眞機茫漠。臨穴坦然,誠難攔摸。障空補缺,天造地設,留與至人,先賢難說。

陶侃の『捉脈賦』は言う。平地上の支阜は低平、灰の上に一条の線を拖出するが如く、悠悠緩緩として形体を縮め面目を蔵起し、隠隠約約として頭を看出せず面を看出せず。人々は豈に知らん、この種の脈は水に遇い界せらるるは才かに真なり、一旦風に当たれば便ち散ず。又言う。平洋上の大地は回環囲抱し、四面は既に水を得また風を蔵す。如今の人は遇い得ること少なし。又言う。鶏鳴狗吠の処・鬧市炊烟の郷、地脈は隆隆隠隠、誰かその来源を探究せん。あの断えてまた接し去りてまた留まり形状奇異なるに至っては、さらに千金求め難し。脈は折断の藕・串起の珠の如く、真机は茫昧にして測り難し。穴前に到れば一片平坦、実に摸捉する由なし。空缺を遮擋し不足を填補するを要す。これらは皆天造地設、徳の至高の人に留め遺す。前代の賢者もまた言伝し難し。

張子微云:中原平地及湖鄉,行龍入地至難詳。尋得龍來無穴下,茫茫闊遠何相當?此名天平只看水,水繞回環是穴中。若還舍水去尋穴,望望皆平無定蹤。龍如逢水穴方止,無水攔斷去不窮。諸公記此水龍訣,不與岡山一例同。

張子微は言う。中原の平地と湖沢の郷は、龍脈は地下に潜入し、最も看分明し難し。龍を找着すれども穴の下すべきなし、四望茫茫開濶、何れの処か合適の地なる。此の種の地形は「天平」と呼び、ただ水を看ればよい。水の環繞回抱する処、穴はすなわちその中に在り。若し水を撇いて去りて穴を尋ぬれば、放眼一片の平坦、永遠に定処を找出せず。龍は水に遇えば、穴は才かに停住す。水の攔截なければ、龍は便ち一直に走り下りて尽頭なし。諸位はこの套の水龍口訣を記住せよ。それは岡山地帯の看法と一概に論ずべからず。

劉氏云:中原,百里千里皆為平地,雖有高形可尋龍脈,無穴可下。蓋龍之隆隆隱伏,間有得見處。然到作穴,又無定蹤,只看水之曲折如何。水若環繞,攔截穴頭,固為易見。不然,水亦在前或在後,彎曲之處相當,即可定穴法。如無水處,雖有穴,亦必非龍脈盡處,不為端的。若以山鄉之法取之,則失之矣。

劉氏は言う。中原一帯は、百里千里皆平地、偶有りて高起の形状ありて以て龍脈を尋ぬるに据る可きも、往々下すべき穴を找得せず。龍脈は隆隆隠伏し、その間にもまた看見し得る処あり。しかし一たび穴を作す処に到れば、また一定の蹤跡に循るべきなし。ただ水の曲折の如何を看るのみ。水若し環繞して来たりて穴頭を攔まば、あれは自然に看出し易し。若しこの如くならざれば、水は或いは穴前に在り、或いは穴後に在り、ただ弯曲得当の処に在れば、また以て穴を定むるに据る可し。完全に水なき処に至っては、たとえ看て穴あるが如くとも、一定に龍脈の止尽の処に非ず、真切と算えず。倘若山区の方法を拿りて套用せば、則ち錯なり。

廖氏《洩天機》云:更有平洋局又別,傾廩為君說。星辰原出在高崗,撒脈下平洋。高岡聚講與過峽,行龍皆一法。撒落平洋始不同,切莫失眞蹤。地有高低即山水,節目同一體。遠山近水兩旁纏,脈似藕絲連。倒身龍格隱復現,脈上行時見。隱隱隆隆正好尋,尋得值千金。又曰:平地龍神觀水勢,認取原無異。

廖金精の『泄天机』は言う。さらに平洋の一種の局面ありてまた自ずから同じからず。我は倉廩を傾倒し出し毫も保留なく講じて汝に聴かせん。星辰は本来高岡の上に出で、脈を撒放し下して平洋に落とす。高岡の上に於いて衆山の聚会講議および峡を過ぐるの做法、行龍の法則は皆一様なり。ただ撒落して平洋した後のみ同じからず。切に真蹤跡を丢すなかれ。平地上ただ高低あれば、すなわち山水あるに等し、各種の節目は山区と本は一体。遠処の山・近処の水は両旁に於いて纏護し、脈は細きこと藕糸の相连の如し。龍脈の倒卧の格局は忽隠忽現、ただ脈の上に行走する時のみ看得见。隠隠隆隆の処は正好去りて尋ぬべし、尋ね着けば便ち千金に値す。又言う。平地上に於いて龍神を看るはすなわち水勢を看る。認取の道理は山区と原本差別なし。

范越鳳《洞林秘訣》云:平原曠野,茫然數百里之遠,視水所歸,則知來山。左右兩阜拱接分明,可以藏車隱馬。有盤曲之水,朝向之流,乃第一地也。高山平原本無二說,要以形勢為本。觀其來歷綿遠,氣象環合,高山無懸崖崩破之害,平原無斷壟橫塹之絕,乃葉吉卜。故陰陽家貴於心得意解,不可執一。又曰:相平地之法,四顧審其土脈,觀其流泉,得水為上也。

范越鳳の『洞林秘訣』は言う。平原曠野は茫茫として几百里の遠、ただ水の最後の帰向する所を看れば、すなわち来山の何処に在るかを知る。左右の両処の土阜は拱抱啣接して分明、以て車馬を遮蔵するに足り、また盤旋曲折の水・穴場に朝向する流水あれば、あれはすなわち第一等の好地。高山と平原は本来両套の説法なく、皆形勢を以て根本と為すを要す。それの来歴の綿遠・気象の環合を看、高山には懸崖崩塌の禍害なく、平原には断壟横溝の隔絶なし。これ才かに吉卜に合す。だから陰陽家は心領神会を貴び、一端に死執すべからず。又言う。平地を相するの方法は、四面環顧してその土脈を審察し、その泉流を観察し、水を得るを以て上と為す。

吳公《指南》云:古人謂大地落平洋,蓋以其祖宗發脈而來,中間剝變過度處多,氣脈既全,便無力亦水深土厚,此平洋所以為大地。然而平洋龍法,非俗眼所能尋識,多是高山大壟,忽然撒下平坦,人但見山勢已盡,而不知水分八字,界過護從,送出正龍,一脈如絲如線,在此處藏蹤閃跡,直拋過前面去,卻微微突起三五七個平低山阜出來,或土洲之類,牽連而行。

呉景鸞の『指南』は言う。古人の大地は平洋に落つと講ずるは、それが祖宗山より脈を発して来たり、中間の剥換変化・過渡する処は甚だ多く、気脈は已に完足するを以てなり。たとえ看れば力なきに似るも、また水深土厚なり。これがすなわち平洋の能く大地を結ぶ所以の故。然而るに平洋の龍法は俗人の眼力の尋認し得る所に非ず。それは多半是れ高山大壟の忽然として撒落して一片の平坦と為る。人々はただ山勢の已に走完せるを見て、知らず水は両旁に於いて八字に分かれ、界断して過ぎ去りてまた護送随行し、正龍を送り出す。あの一脉は細きこと糸線の如く、すなわちここに於いて蹤跡を蔵起し忽閃して過ぎ、一直線に前方へ抛り去り、随後また微微として三五七個のまた平また低の土阜を凸起し、或いは水中の沙洲の一類の形状の如く、牽連して前に往く。

又復跌斷,卻去前面,或作突中窩,或作窟中突,宛然成一天然之穴。其做穴處,四神八將,自然應副,堂局水城,自然回抱。乍看似無好處,細玩卻有妙理。故平洋地所以難尋而又難識也。

随後また跌落断開し、再走りて前面に至り、或いは凸突の当中の窩を作成し、或いは凹窟の当中の突を作成し、俨然として一個の天然の穴を形成す。それの穴を作す処は、四神八将は自然に配合斉備し、明堂格局と水城は自然に回環抱護す。一見すれば何の好処もなきが如く、細味すれば却って自ずから妙理あり。だから平洋の地は才かに尋ね難くまた認め難し。

《明山寶鑑》云:平洋大地,認水為龍。水勢若回,龍亦隨住。一丈之山,勝彼千丈;一尺之山,勝彼千尺。《尋龍歌》云:平洋大地無龍虎,杳杳渺渺尋何處?東西只把水為龍,下後出三公。《入式歌》云:茫茫四畔無龍虎,君欲尋龍向何處?地師只把水為龍,交流便是龍歸路。

『明山宝鑑』は言う。平洋の大地は水を以て龍と為して認るを要す。水勢一旦回環すれば、龍もまたすなわちこれに随いて停住す。平洋上の一丈高の土山は、山区の一千丈の山に勝る。一尺高の土阜は、山区の一千尺の山に勝る。『尋龍歌』は言う。平洋の大地は青龍白虎なく、杳杳渺渺として何処に往きて尋ぬるや。東西南北ただ水を以て龍と為せ、葬り下せば三公を出す可し。『入式歌』は言う。四面茫茫として青龍白虎なく、汝は龍を尋ねんとすれば何処に往くべき。地師はただ水を以て龍と為し、両水交流の処はすなわち龍の帰去の路。

卜則巍云:窮源千仞,不如平地一堆。又曰:水星多出平地,妙處難言。又曰:或隱顯於茫茫迥野。又曰:平中得一突為奇。又曰:彷彿高低,依稀繞抱。又曰:地卑處切忌泉流。又曰:平地起培塿,一東一西。又曰:平洋地當斟酌,不宜掘地及泉。又曰:平沙落雁偏宜水,泊岸浮簰不畏風。又曰:勢如波湧,何須卓立之峰?脈若帶連,何必高昂之阜。

卜応天は言う。千仞高の窮山源頭に跑り至るは、平地上の一个の土堆に如かず。又言う。水星形の地は多く平地に出ず、その中の妙処は言伝し難し。又言う。脈は時に茫茫遠野の間に隠現す。又言う。平地の裏に一処の凸突を得ればすなわち奇特と算う。又言う。高低は仿佛として辨じ可く、環抱は依稀として見る可し。又言う。地勢低窪の処は最も泉水の浸流を忌む。又言う。平地上に起る小土丘は、往々一個は東に在り一個は西に在り。又言う。平洋の地の下葬は斟酌を要し、泉水の出づる深度に挖り至るを宜しとせず。又言う。「平沙落雁」形は偏に水あるを適宜とし、「泊岸浮簰」形は風を怕れず。又言う。気勢は波浪の涌動するが如く、何必ずしも卓立の高峰あるを要せんや。脈若し帯の如く相连すれば、また何必ずしも高昂の土阜あるを要せんや。

《二十六脈歌》云:仙掌脈,少人知,平洋不怕八風吹。但尋眞脈堪埋玉,休管傍人說是非。水若抱龍龍抱水,背劍斬砍自由伊。《三十六穴歌》云:平洋尋取地中凸,覆鼎眞奇絕。頂上安墳最可求,迎取水來朝。

『二十六脈歌』は言う。「仙掌脈」は少なく人の認得するあり。それは平洋上に在りて八方の来風を怕れず。ただ真脈を尋ね到れば、すなわち美玉の如き先人を埋め入るるに値し、旁人の説三道四を理会するを必とせず。ただ水の龍を抱き龍の水を抱けば、あの「背剣」「斬砍」の類の忌諱は、それに任せて説かせよ。『三十六穴歌』は言う。平洋に於いて地面上の凸起を找るを要し、形は倒扣の鼎の如く便ち真に奇絶。その頂上に墳を安んずるは最も取る可く、正好水の朝拱し来たるを迎接す。

曾葛溪云:大山撒下一龍,穿田過峽,失脈失蹤,不見融結。曠野茫茫,無可捉摸。此乃愈剝愈精,愈換愈嫩,不肯暴頭露面,一向藏蹤隱跡。或奔溪澗江河,或入人村鬧市,或趨湖泊田塘,或出曠野田州。隱藏出沒,如江中拖練;藕斷絲連,如蜘蛛墜樓,流星渡漢。拋球走珠,鋪氈展席,金盆荷葉,如此等象,只看安穴處有無皮肉頭面。如明堂藏聚,水路迂迴,近應有情,纏護相照,此等之地,最為綿遠。

曾葛谿は言う。大山は一条龙を撒下し、田地を穿り峡口を越え、脈も踪も皆見えず、何処の結作するかを看出せず、曠野茫茫として捉摸する由なし。其実これは正に剥換する愈々多きほど精純、愈々換ゆるほど嫩く、それは頭面を抛露することを肯ぜず、一味に蹤跡を蔵起す。それは時に谿澗江河に奔向し、時に村落鬧市に進入し、時に湖泊田塘に趨往し、時に曠野沙洲に出ず。このように隠蔵出没し、江面上に一条の白練を拖るが如く、藕断糸連し、蜘蛛の糸を垂れて楼を下るが如く、流星の銀河を横渡するが如し。また抛球・滾珠の如く、毡を鋪き席を展くるが如く、金盆の如く荷葉の如し。この類の形象に遇えば、ただ穴を安んずる処に皮肉頭面の相あるや否やを看よ。若し明堂は風を蔵め気を聚め、水路は迂回曲折、近処の応砂は情あり、纏護の山は彼此照応すれば、このような地の福沢は最も綿長なり。

吳公《口訣》云:平洋之地,坦蕩迥野,蹤跡隱伏,散渙依稀。雖無峰巒之可證,亦有脈絡之可求,須要辯其來歷祖宗,以看出身。降勢撒落平洋,分毫之高者即為山,分毫之低者即為水。或隆隆似有,或隱隱如無。及至落穴之際,亦必微有形勢之可指。山水趨迎,氣脈藏聚,如露珠注在荷葉之中,乃為眞結作也。

呉景鸞の『口訣』は言う。平洋の地は坦荡遼遠、蹤跡は隠伏、散漫依稀。峰峦の印証すべきはなきといえども、却ってなお脈絡の尋求すべきあり。必ずその来歴祖宗を辮清し、その出身の如何を看るを要す。龍脈は勢を降下して平洋に撒落し、この時高く出づること一分一毫は便ち山と算え、低く下ること一分一毫は便ち水と算う。或いは隆起して存在するに似て、或いは隠没してなくするが如し。穴に落つるに及びても、また必定些微の形勢ありて指点し得。山と水は皆趨向前来して迎接し、気脈は蔵蓄凝聚し、一顆の露珠の荷葉の当中に注ぐが好し。これ才かに真正の結作。

張紫瓊《俯察》云:平地龍雖曰愈剝愈嫩,愈換愈精,也要穿田過峽處不被風吹,不遭水劫。出身太長,須要旁有金箱玉印、偃月七星、太陽太陰夾照為吉。左右隨龍水交會入首,或作鋪氈土、棋秤土、倒地木、浮簰水、水泡金、波浪金、波浪水及落地梅花、落地金錢、蜘蛛結網、沒泥龜、沒泥蛇之類,方是融結。若平田渺渺,更無高下,雖有堂氣,亦不結地。

張紫琼の『俯察』は言う。平地龍は剥換する愈々多きほど愈々嫩く愈々精純と説くといえども、またなお田を穿り峡を過ぐる処の風に吹かれず水に劫せられざるを求むを要す。倘若出身以后走ること太く長ければ、必ず旁に「金箱」「玉印」「偃月」「七星」・太陽太陰の一類の星体の夾照ありて才かに吉。左右の龍に随う水は入首の処に於いて交会し、穴形は或いは「鋪毡土」「棋秤土」「倒地木」「浮簰水」「水泡金」「波浪金」「波浪水」を作し、或いは「落地梅花」「落地金銭」「蜘蛛結網」「没泥亀」「没泥蛇」のこれらの格局を作し、才かに真の結作ありと算う。若是れ平田一望渺茫、さらに高低起伏なく、たとえ明堂に些かの気象あるも、また地を結成せず。

趙緣督《穴法》曰:平地有突,氣湧而生,絕勝萬仞。仙眼難明,只觀水勢,便見眞情。水如不繞,穴法無憑。謝子期云:迥野之脈,體段不一,有平坡渺渺茫茫,如鋪氈展席而來者;有田堘層層級級,若水之波而來者;有起峰墩,如星珠龜魚而來者;有微露毛脊,如浮漚鳧鳥而來者。是皆地之吉氣湧起,故土亦隨之而起凸也。其來也,兩邊有水以送之;其止也,左右有砂以衛之。且明堂寬正,又得橫水攔之。外陽、遠案在於縹渺之間,而四圍陰沙僅高數寸而已。此皆平洋龍之貴也。

趙縁督の『穴法』は言う。平地上に凸突あるは、生気の涌動して生成する所、遠く万仞の高山に勝る。この一層は神仙の眼力もまた看明白し難し。ただ水勢を観察すれば、便ち真情を見る能う。水若し環繞せざれば、穴法は便ち憑拠する所なし。謝子期は言う。遠野の中の脈は、体段は各々相同じからず。あるは平坡渺渺茫茫、毡を鋪き席を展くるが如くして来たり。あるは田埂層層級級、水波の一層層に推し来たるが如し。あるは峰墩を聳起し、星珠の如く亀魚の如くして来たり。あるはただ微かに一線の毛脊を露らし、水面の浮漚の如く野鴨の鳧游するが如くして来たり。これらは皆地中の吉気の涌起するを以て、だから泥土もまたこれに随いて凸起す。それの来たる時は、両辺に水の護送あり。それの止住する時は、左右に砂の護衛あり。しかも明堂は寛平端正、また横過の水ありて攔住す。外陽と遠案は則ち縹緲の間に在り、四周の陰砂は不過高出すること几寸のみ。これらは皆平洋龍の貴ぶべき処。

張落魄云:平湖之脈,坦夷曠蕩,卻是支龍行度。其體段若盞中之酥、雲中之雁、灰中之線、草裡之蛇。或沈潛,或無影無形,或藏幸而失跡遺蹤。生氣行乎其間,微妙隱伏而難見,全在心之智,目之明。以高一寸為山,低一寸為水,察其支之所起,辯其支之所終。起則氣隨之而始,終則氣隨之而鍾。若脈盡而水止,界合分明者,此平洋之大地也。

張落魄は言う。平湖一帯の脈は坦荡空濶、其実正に支龍の行走の方式。それの体段は盞中に凝る酥油・雲中に排列する大雁・灰上に拖出する線・草裏に游走する蛇の如し。時に沈潜し下り、時に影なく形なく、時に僥幸に蔵起して痕跡を留めず。生気はすなわちこの中間に於いて運行し、微妙隠伏、甚だ看見し難く、全く人心の思い聡敏・眼力の明白に靠る。高く出づること一寸を以て山と為し低く下ること一寸を以て水と為し、この条の支脈の何処より起るかを察看し、それが何処に至りて止まるかを辮明するを要す。起つ処は気は便ちこれに随いて開始し、止まる処は気は便ちこれに随いて凝聚す。若し脈は尽頭に走り至りて水もまた停住し、両側の界水と合水は分け清楚なれば、あれはすなわち平洋上の大地。

觀物祝公泌云:郭景純曰“支葬其巔”,蓋以平支龍必須起微突處,謂陽來陰受,方是結穴。若無突,要開鉗口方有穴。故曰“平地不開口,神仙難下手。”永和周氏云:平洋則山不拘於高,水不拘於深。但遇有尺寸高低,即可以辨。又云:在山者頗易看,在平洋者最難識。陶公所謂“頓起則時人曉會,牽連非達士難言”是也。蓋如灰中拽線,草裡尋蛇,沙裡揀金,泥中藏鱉,雲中騰雁,盞裡浮酥,隱而不露,斷而復續,並以兩邊導送之水為驗也。

観物先生祝泌は言う。郭璞の「支はその巔に葬る」と講ずるは、平地の支龍は必ず微微に凸起の処に於いて下葬するを要するを以て、すなわちいわゆる陽脈来たり陰穴受く、これ才かに結穴と算う。若し凸突なければ、すなわち鉗口を開出して才かに穴あり。だから言う「平地は口を開かざれば、神仙もまた下手し難し」。永和周氏は言う。平洋の地は、山は拘らず多高く、水は拘らず多深し。ただ尺寸の間の高低差別に遇えば、すなわち以て分辮するに据る可し。又言う。山地上に在りては比較的看易く、平洋上に在りては最も認識し難し。陶侃の言う「頓然隆起の地形は当今の人もまた懂得す、牽連不断の微脈は却って通達の士に非ざれば言説し難し」、正にこの意。この種の脈は灰の上に線を拖るが如く、草の裏に蛇を尋ぬるが如く、沙の中に金を揀るが如く、泥の中に甲魚を蔵るが如く、雲の中に飛騰する雁の如く、盞の裏に浮かぶ酥油の如し。隠れて露らさず、断えてまた接す。一概に両辺の引導護送する水に靠りて検証するを要す。

廖氏穴法中有沒牛吹氣穴詩云:沒牛吹氣失來蹤,隱隱伏眞龍。昂頭些子如吹氣,沒牛泅水勢。左回右抱脈微高,大則公侯小富豪。又云:龜魚螺蚌形,宛如水中生。水中自有眞龍聚,此地傳千古。梁箬溪云:龍勢洋洋落大坪,連天接野不分明。隆隆隱隱尋蹤跡,曲曲彎彎斷復生。忽然有突聯三五,認取開鉗是穴情。定要水來環抱穴,砂如牛角兩邊迎。

廖金精の穴法の中に一首の「没牛吹気穴」の詩ありて言う。没牛吹気のこの穴は龍蹤跡を看出さず、隠隠約約として一条の真龍を伏す。ただ一点々の昂起する頭は牛の気を吹くが如く、正に水牛の水を泅る時に鼻子を露出する様子。左辺は回環、右辺は抱護、脈は微微に高起す。格局の大は公侯を出し、小もまた富豪を出す。又言う。亀・魚・螺・蚌の一類の形状は、宛如として水中より生出す。水中は自ずから真龍の聚集あり。このような地は能く千古に流伝す。梁箬谿は言う。龍勢は浩浩荡荡として大坪上に落ち、天に連なり野に接して看分明せず。隆隆隠隠の間に於いてその蹤跡を尋ぬるを要す。それは曲曲弯弯、断えてまた続く。忽然として三五個の相连の凸突を出現せば、すなわちあそこに於いて鉗を開く処を認取せよ。あれは便ち穴情。さらに必ず水ありて来たりて穴場を環抱するを要し、砂は牛角の如く両辺より迎来す。

上諸家之說,各有攸當。大概平洋龍法,以高一寸為山,低一寸為水,隱隱隆隆,看兩邊分水,以認來龍之過度,突起支阜,以認穴道之融結。又須有四畔羅城秀峰,前應後照,如列屏鋪障,相與擁護,乃為盡善。大抵以得水為上。卜氏云“如在平洋,先須得水”,兼陰陽二宅言之矣。平支龍穴最難辯認,故引證諸家之說以明之,當詳察焉。

上面の各家の説法は、各々その道理あり。大致言えば、平洋の龍法は、高く出づること一寸を以て山と為し、低く下ること一寸を以て水と為し、隠隠隆隆の間に於いて両旁の分水を看、以て来龍の過渡する路線を認出し、さらに凸起の土阜を看、以て穴位の結作を認出す。此の外さらに必ず四周に羅城秀峰あり、前に呼応・後に照顧あり、屏風帳幕の如く排開し、共同に穴場を擁護するを要して、才かに完善と算う。総の原則は水を得るを以て上と為す。卜応天は言う「如し平洋に在らば、先ず水を得るを須す」、これは陰宅陽宅を一併に説く。平地の支龍の穴は最も辮認し難し。だから特に各家の説を引証して以て闡明を加え、読者は応に仔細に体察すべし。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻二之上

江右山人徐善繼述 同著。此冊專論龍身行度節目。蓋龍之節目有太祖、少祖,以及父母、胎息、孕育、入首諸格,皆觀龍之大旨。審龍者誠於此而有得,庶幾知其要歸雲。

本冊は江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一冊は専ら龍身の行走過程中の各個の節目を討論す。龍の節目は太祖山・少祖山を含み、および父母・胎・息・孕・育と入首の諸格は、皆龍脈を観察するの大綱要領。龍を審る人若し真にここに於いて領会する所有れば、また大致その帰宿の要点を掌握したり。

太祖山を論ず

夫尋龍之法,當原其所始,故先察祖宗山。《經》云:“尋龍鬚尋祖與宗,不辯祖宗何足語。”《賦》云:“問祖尋宗,豈可半途而止!”蓋山之有祖,亦猶木之有根,水之有源。根大則枝遠,源深則流長,自然理也。是故尋龍之法,必先究祖宗。知其祖宗,則龍之遠近長短,氣之輕重厚薄,力量大小,福澤久暫,皆可於此而察識之矣。

龍を尋ぬるの方法は、応にその源頭を追溯すべし。だから先ず祖宗山を考察するを要す。『撼龍経』は言う。龍を尋ぬるは必ず先ず祖山と宗山を尋ぬべし。祖宗すら分辮不清なれば、なお何の地理を談ぜん。『雪心賦』は言う。祖山を追問し宗山を尋訪す、怎んぞ半路に走り至りて停住することを得んや。山に祖山あるは、樹木に根あり河水に源あるが如し。根は粗大なれば、枝条は才かに伸ぶること遠し。源頭は深ければ、水流は才かに淌ること長し。これは自然の理。だから龍を尋ぬるは必ず先ず祖宗を追究す。その祖宗を知れば、然らば龍の遠近長短・気の軽重厚薄・力量の大小・福沢の久暫は、皆ここより察識し出す可し。

《龍髓經》云:“只用源流來處好,起家須是好公婆。”公婆即祖山也。卜則巍曰:“祖宗聳拔者,子孫必貴。”子孫指穴而言。皆謂有特異祖龍,必結富貴美地。故尋龍必先觀祖宗山。

『龍髄経』は言う。ただ源流の来処好ければ、一家の能否興起するやは、全く好き公婆あるや否やを看る。ここの「公婆」はすなわち祖山を指す。卜応天は言う。祖宗山の高聳挺拔なるは、子孫は必定顕貴。ここの「子孫」は穴場に就いて言う。両家の意思は皆言う。特別出衆の祖龍あれば、必定能く富貴の美地を結ぶ。だから龍を尋ぬるは一定要ず先ず祖宗山を看よ。

即其遠者而名之,有所謂太祖山焉,也曰始祖,以其去受穴處甚遠,如人之有始祖遠宗也。然此太祖山,必須高大迥異,或跨州連郡,延袤數百里,大者如名山五嶽,小者亦必高大冠於一州一郡,又小者,亦須冠於一邑一方,乃可謂之太祖山。其形則巍然高大,聳入雲霄。或如龍樓寶殿、千絲墜、萬石倉等格。其發出枝派蕃衍,不可悉數。如人之太祖,子孫眾多,未易歷舉者也。

その中の最も遠き一層に就いて命名すれば、便ちいわゆる「太祖山」あり、また「始祖」と呼ぶ。それの承穴の処を離るるや甚だ遠きを以て、譬えば人に始祖遠宗あるが如し。この座の太祖山は必ず高大なること衆と異なるを要す。或いは数州を横跨し数郡を連接し、綿延几百里。大なるは五岳の如き天下の名山、小さき一点のもまた必定高大なること一州一郡の首に居り、さらに小さき一点のは、至少もまた一県一方に於いて雄を称するを要す。こうして才かに太祖山と称するに配す。それの形状は巍然高大、直ちに雲霄に插す。或いは「龍楼宝殿」「千糸墜」「万石倉」等の格局を成す。それの発する枝派は十分に繁茂、数えるも清まらず。譬えば人の太祖の如く、子孫は衆多、一々に列挙し易からず。

祖山既高大異常,其天時將陰晦,則有雲霧生其巔。廖氏云“祖宗高頂名樓殿,常有雲氣現。”楊筠松云:“先尋霧氣識正龍。”又云:“尋龍望氣先尋脈,雲霧多生在龍脊。春夏之交與二分,夜望雲霓生處覓。雲霓先生絕高頂,此是龍樓寶殿定。”故觀雲霧之所生,以察山龍之太始,亦一訣耳。既能認太祖山,以次審其出身行度,及父母胎息,以至受穴之山,皆於此原其始矣。

祖山は既に高大異常、天の将に陰に転ぜんとするに毎に、山頂は便ち雲霧の生起あり。廖金精は言う。祖宗山の高頂は「楼殿」と呼び、上には常に雲気の顕現あり。楊筠松は言う。先ず霧気を尋ねて才かに正龍を認出す。又言う。龍を尋ね気を望むは先ず脈を尋ねよ。雲霧は多半龍脊の上に生ず。春夏の交および春分・秋分の前後、夜に雲霞の昇起する処に向かいて找え。雲霞は最先に極高の山頂に出現す。あそこは必定龍楼宝殿。だから雲霧の生起する処を観察し、以て山龍の最初の起源を考察するは、また一条の訣竅。太祖山を認出し得たるの後、再び依次にその出身・行度、および父母・胎・息を審察し、承穴の山に至るまで、全くここよりその起始を推原す可し。

少祖山を論ず

尋龍之法,須究祖宗。然太祖遠宗猶恐未眞,又當於少祖察其來歷,審其美惡,庶為親切,故不可不論少祖山也。夫少祖山者,即近祖次宗,廖氏又謂之主山。龍行既長,離祖已遠,各分枝派。將結穴處,忽起高大山巒,不過數節,即結穴場。其高大山巒,謂之少祖山也。

龍を尋ぬるの方法は必ず祖宗を追究するを要すれども、太祖遠宗は畢竟隔たること太く遠く、認めるや真切ならざるを恐る。だからさらに応に「少祖」の上に於いてその来歴を考察しその美悪を審辮すべし。こうして才かに貼切と算う。ここにおいて少祖山を討論せざるべからず。いわゆる少祖山は、すなわち較近の祖山・次一等の宗山。廖金精はまたそれを「主山」と称す。龍は走ること久しく、祖山を離るる已に遠く、沿途各自に枝派を分出す。将に結穴せんとする処に到りて、忽然として一座の高大の山峦を聳起し、さらに多からざる几節を過ぎてすなわち穴場を結出す。この座の高大の山峦は便ち少祖山と呼ぶ。

若其山分枝尚多,結穴尚遠,猶未可為少祖,乃是駐蹕山。住腳星辰猶是遠祖。若是少祖山,則自此山下,去穴不過數節。如節數太多,便謂離主星遠,力輕氣弱,又須再起主星方好。廖氏云:“若是山家結穴龍,定起主星峰。”言結地龍必有少祖山作主星也。

若しこの座の山は往下さらに甚だ多くの枝を分出し、結穴の処を離るるなお遠ければ、あればなお少祖と算えず、ただ「駐蹕山」と算うるのみ。是れ龍の途中に歇脚する星辰、旧に遠祖の列に属す。真正の少祖山は、それより往下して穴場に至る不過几節。假如節数太く多ければ、すなわち主星を離るること太く遠しと呼び、力量は軽く気勢は弱し。さらに必ず一座の主星を聳起して才かに好し。廖金精は言う。若是れ能く穴を結ぶ龍なれば、一定会ず主星峰を聳起す。意思是れ言う、能く地を結ぶ龍は必定少祖山ありて主星を充当す。

又云:“二三節內穴星成,福力實非輕。節數遠時福力少,再起主方妙。”言穴不宜去主山太遠也。又云:“主星大小合龍格,造化便可測。”言少祖山須合得龍家諸格,方有融結造化。故凡美地,必起近穴少祖山。

廖金精はまた言う。両三節の内に於いて穴星は就已に形成すれば、福力は実に軽からず。節数を拉し遠ければ福力はすなわち少なし。必ず再び一座の主星を聳起して才かに好し。これは説く、穴は主山を離るること太く遠きを宜しとせず。彼はまた言う。主星の大小若し龍格に合せば、この地の造化はすなわち推測し得。これは説く、少祖山は必ず堪舆家の各種の格局に合するを要して、才かに真正の結作生化あるを得。だから凡そ美地は、必定穴場に靠近する処に於いて少祖山を聳起す。

而少祖之山,必然奇異特達,秀麗光彩,或開大帳,或起華蓋寶蓋,或作三臺、玉枕、御屏諸般貴格,或成沖天木、獻天金、漲天水、焰天火、湊天土等星辰。既有此少祖山合星體,成龍格,必不虛生,定有融結。

而して少祖山は本身必定奇特出衆、秀麗にして光彩あり。或いは大帳を張開し、或いは聳りて「華蓋」「宝蓋」を成し、或いは「三台」「玉枕」「御屏」等の種種の貴格を作し、或いは「冲天木」「献天金」「漲天水」「焔天火」「湊天土」の此の類の星辰と為る。既にこのような一座の星体に合し龍格を構成する少祖山あれば、それは絶対に白く生成せず、一定会ず結作あり。

若此少祖山倚斜不正,孤露崚嶒、瘦削破碎、臃腫粗惡、巉巖帶殺、醜陋委靡、軟弱困頓,種種凶惡之形,不成星體,不合龍格,則無融結。縱有穴場、堂局諸般可愛,亦為不吉,的主凶禍。或誤下之,行至此節,各以類應,禍不爽矣。

倘若この座の少祖山は歪斜不正、孤零嶙峋・痩削破碎・臃腫粗悪・山石険峻にして殺気を帯び・醜陋萎靡・軟弱疲頓、凡そ此の種種の凶悪の形状は、既に星体を成さず、また龍格に合せざれば、則ち結作なし。たとえ穴場・堂局は样样看て可爱なるも、終に不吉、一定会ず凶禍を招来す。若し是れに誤葬せば、気運はこの一節の上に走り至りて、便ち各々その形象類別に按じて一々応験し、災禍は絲毫差えず。

右圖:此則將結穴,先起高大星辰作少祖山。自少祖山下,數節即結穴,極有力,為吉地也。左一:此則起少祖山以下節數已多,離少祖遠,卻又再起高大山,又為少祖,一節即入穴。此地力大福厚,極吉。左二:此則離太祖山以下迢迢而去,更無高大星辰作少祖山,委靡入穴,力輕氣弱,乃凶地也。

此処は元来三幅の図あり。今ただ図題と説明を存す。右図のこの一式:将に結穴せんとする時、先ず高大星辰を聳起して少祖山を充当し、少祖山より往下几節を走りて便ち結穴す。極めて力量あり、是れ吉地。左辺の第一式:少祖山を聳起した後の往下の節数は已に太く多く、少祖を離るること太く遠く、却って重新に一座の高大の山を聳起して再び少祖を充当し、ただ一節にしてすなわち穴に入る。この地は力量大・福沢厚、極めて吉利。左辺の第二式:太祖山以下より一路遠く走り去り、再び高大星辰の少祖山を充当するなく、脈は萎靡不振にして穴に入り、力量は軽く気勢は弱し。これは凶地。

右則自少祖山下,如生蛇擺動,入首結穴,亦為吉地也。不必拘其大起伏,只要曲動,龍格中謂之水木蘆鞭,極貴。吳公《口訣》云:“入首節內有蘆鞭,當代兒孫中狀元。”左則雖有少祖山,而醜惡不成星體,不合龍格。出脈又是偏落受風,縱有形穴,亦不可下,的主敗絕。

以下の両図もただ図説を存す。右辺の一式:少祖山より往下し、脈は活蛇の如く擺動して走来り、入首結穴す。もまた吉地。この種は必ずしも大起大伏するや否やに拘泥せず、ただ曲折霊動すればよい。龍格の中はそれを「水木芦鞭」と称し、極めて貴重。呉景鸞の『口訣』は言う。入首のあの几節の裏に若し芦鞭の形あれば、当代の子孫は便ち状元を考中し得。左辺の一式:少祖山あるといえども、しかし醜悪にして星体を成さず、龍格に合せず。脈を出すにまた一辺に偏落し、易く風を受け、たとえ看て形あり穴あるも、また下葬すべからず。必定敗落絶嗣を招致す。

不論後龍長短,只入局忽起少祖,高大尊嚴,挺秀冠乎群山,以作主星。自此山下,只一節或二三節即結穴,而穴場正座此星,貼近枕靠有力者,其地力量大,發福速,如建寧陳副憲祖地其格也。

後面の来龍の長きや短きやを論ぜず、ただ結作の局に進入する時に忽然として少祖山を聳起し、高大荘厳・挺拔秀麗・群山を圧倒し、主星を充当す。この座の山より往下ただ一節或いは両三節にしてすなわち結穴し、而して穴場は正しくこの星の下に坐し、貼身に枕靠するや甚だ力あり。このような地は力量大・発福速し。譬えば建寧の陳副都御史の祖墳は、すなわち此の種の格局。

右地在建寧府西北河西。其龍來遠不詳述。入首頓起主星,高大尊嚴,挺秀迥異,護從周密。正脈從中落下平地,穿峽起平坡即結穴。穴場正座主星有力,開鉗吐唇明白。前案低伏,近身如眠弓,抱穴有情,以關內氣,逆收大溪之水。內堂水口石墩如印。左右映帶,前朝秀麗,內堂緊巧,外洋寬暢。葬後即出羽泉公紀壬午年葬,甲申年羽泉生,登嘉靖丙辰進士,官副憲,封君縱遐壽康寧,累膺誥封。諸孫濟濟,福祉未艾。

右図のこの地は建寧府の西北の河西にあり。その来龍は甚だ遠し、細述せず。入首の処は頓然として主星を聳起し、高大荘厳・挺拔秀麗にして衆と異なり、護従の山は周密。正脈は主星の正中より平地に落ち、峡口を穿りて再起一片の平坡にしてすなわち結穴す。穴場は端端正正として主星の下に坐し、甚だ力量あり。鉗口を開出し唇毡を吐出し、格局分明。前面の案山は低伏し、穴身に貼近して一張の卧倒の弓の如く、穴を抱きて情あり、以て内気を関攔し、また方向に逆らいて大谿の水を収納す。内堂水口の処の石墩の形状は一方の印の如し。左右の砂手は交輝相映し、前方の朝山は秀麗、内堂は緊凑精巧、外面の洋面は寛濶舒暢。葬後すなわち羽泉公陳紀を出せり。壬午年に下葬し、甲申年に羽泉は出生し、嘉靖丙辰科の進士を考中し、官は副都御史に至る。封を受けた老太爷は寿を享け康寧し、屡々朝廷の誥封を得。衆孫輩は人才済済、福沢は今に至るまで未だ歇せず。

又德安楊方伯母地、承天張進士祖地,皆是少祖山近穴,當代出貴。二圖具下:左地在德安府東北六十里。其龍自槎山作祖,磊落奔騰二十餘里,乃大斷過峽,翻身逆盤,為回龍顧祖之勢。忽起主星,高大尊嚴,挺秀迥異,冠於群山。正脈從中逶迤落下,平坡結穴。穴前吐出氈唇,左右掬抱有情。前對祖山如唐帽,近有文星正應,下關緊固,水城繞帶,明堂寬平,後座主星尊重,得水藏風。離龍,扦丁山癸向。葬時次泉公芷方三歲次泉丙戌生,戊子年葬母,後登嘉靖癸丑進士,官至江西右佈政,福祉未艾。

別に徳安の楊布政使の母の為に卜した地・承天の張進士の祖墳も、また皆少祖山の穴場に靠近し・当代にすなわち顕貴を出すの例子。両図は下に列す。左図のこの地は徳安府の東北六十里にあり。その龍は槎山を以て祖と為し、磊落奔騰すること二十余里、然る後大断して峡を過ぎ、身を翻して逆向に盤繞し、「回龍顧祖」の勢を形成す。忽然として主星を聳起し、高大荘厳・挺秀出衆・群山を圧倒す。正脈は中より逶迤落下し、平坡上に於いて結穴す。穴前は毡唇を吐出し、左右の砂手は双手物を捧ぐが如く抱護有情。前方正対の祖山の形状は唐人の幞頭帽の如し。近処に文星ありて正に相呼応し、下関は収攔緊固、水城は帯の如く環繞し、明堂は寛平、背後の坐する主星は尊貴荘重。既に水を得また風を蔵す。離卦の龍に属し、丁山癸向を立つ。下葬の時次泉公楊芷は才かに三歳。次泉は丙戌年に生れ、戊子年に母を葬り、後来嘉靖癸丑科の進士を考中し、官は江西右布政使に至る。福沢は今に至るまで未だ歇せず。

右地在承天府北五十里,土名蒿河安平沖。其龍來遠不詳述。入局磊落,踴躍十餘里。將到頭,大斷過峽,翻身頓起主星,挺然端秀,冠於群峰,為華蓋貴格。中抽正脈,逶迤而下,一節即過,復起大突結穴。穴後正座主星,勢甚尊嚴。左右兩掬包顧有情。下關重疊。前朝群峰列秀,三尖卓筆正朝。近案拜伏,羅城水口周固。繫西兌庚辛龍,扦卯乙向,當代即出明宇公時照、載寰公坤,連登科甲。嘉靖乙巳年葬地,戊申年張明宇生,庚申年載寰公生,癸未進士。

右図のこの地は承天府の北五十里にあり、土名は蒿河安平冲。その来龍は甚だ遠し、細述せず。局中に進入して気象磊落、跳躍奔騰すること十余里。将に頭に到らんとする時、大断して峡を過ぎ、身を翻して頓く主星を起し、挺拔端秀、群峰を圧倒し、是れ「華蓋」の貴格。主星の正中より正脈を抽出し、逶迤として下り、一節にしてすなわち過ぎ去り、随後また一大凸突を起して結穴す。穴後は端坐して主星、気勢は十分に荘厳。左右両側の砂手は環抱照顧して情あり。下関は重重叠叠。前方の朝山の群峰は羅列秀麗、三座の尖峰は卓立の筆の如く正しく穴場に対す。近処の案山は俯首拜伏し、羅城と水口は四周厳密。西方の兌卦庚辛の龍に属し、卯山乙向を立つ。当代にすなわち明宇公張時照・載寰公張坤を出し、接続して科に登る。嘉靖乙巳年に地を葬り、戊申年に張明宇は出生し、庚申年に載寰公は出生し、癸未年に進士に中たる。

少祖山なきを論ず

凡平岡之龍,多隻逶迤而來。若行度擺折屈曲,亦不必拘其必有少祖山方為大地。只要將入穴際,二三節內跌斷束氣,結咽過脈,此即同有少祖山也。蓋山之一起氣固旺,而山之一伏氣尤旺,故不必拘於頓起高山為少祖耳。但其斷處的以近穴為貴,一節即入穴尤妙。切忌受風,必須從山相夾護也。

凡そ平緩の山岡上の龍は、多半ただ逶迤として来たるのみ。ただそれの行走する時の擺折屈曲の致あれば、また必ずしも少祖山ありて才かに大地と算うを要せず。ただ将に穴に入らんとする両三節の内に於いて跌断して気脈を収束し・咽喉を結出して再び脈を過ぐる処あれば、これはすなわち少祖山あるに等同す。山一たび起これば気は固然より旺なり。而して山一たび伏せば、気はさらに旺なり。だから「必ず頓起の高山ありて才かに少祖と算う」のこの条に死守するを必とせず。ただし跌断の処は確かに穴場に靠近するを以て貴と為し、断れた後一節にしてすなわち穴に入るはさらに妙。最も忌諱するは風に当たり吹を受くる、必ず随従の山ありて両旁に夾護して才かに可なり。

平地之龍亦然,必於穴後有束氣脈為妙。而其束處要微高,有分水明白,則束氣入穴有力,方為眞切。蓋平陽氣多散漫,貴於收斂。既無墩阜可為少祖,必當以斷處束氣為準。或成銀錠之脈,或有珠絲馬跡、草蛇灰線、藕斷絲連、龜脊牛背等形,則氣束得聚也。穴場乘得氣之聚處,乃是眞融結。否則,散漫無證,縱有坪中突窟,亦認脈不眞,不可下矣。

平地の龍もまた此の如し。一定要ず穴後に気脈を収束する処ありて才かに好し。収束の処は略微高起し、両側の分水は分け清楚ならんことを要す。こうして束めた気は穴場に進入して才かに力あり、才かに真切と算う。平陽の地は気多く散漫、貴ぶべきは正に収斂に在り。既に土墩土阜ありて以て少祖を充当することなければ、必ず跌断して気脈を収束する処を以て準と為すを要す。若し能く中細にして両頭寛き銀錠形の脈を形成し、或いは「珠糸馬跡」「草蛇灰線」「藕断糸連」「亀脊牛背」等の形状を出現せば、気はすなわち束め得住聚め得攏む。穴場は気聚の処に承乗して、才かに真結作。否然れば脈気散漫・毫も憑証なく、たとえ坪中に凸突或いは凹窟あるも、また脈を認るや真ならざるを説明す。下葬すべからず。

龍の父母胎息孕育を論ず

《經》曰“萬里之山,各起祖宗,而見父母胎息孕育,然後成形。”是以認形取穴,明其父之所生,母之所養。卜氏云:“問祖尋宗,豈可半途而止?”又云:“胎息孕育,神變化於無窮。”是皆言龍之有祖宗父母胎息孕育,然後始成穴也。

経書の上に説く。万里の内の山は、各自に祖宗山を聳起し、再び「父母」「胎」「息」「孕」「育」の几个の環節を顕出し、然る後に才かに形を成す。だから形体を辮認し穴場を選取するは、それが何れの層より生出し何れの層より養育するを弄清楚するを要す。卜応天は言う。祖山を追問し宗山を尋訪す、怎んぞ半途にして止まるを得んや。又言う。胎息孕育の間は、神妙変化無窮無尽。これらの話は皆講ず、龍は必ず祖宗・父母・胎・息・孕・育のこの一整套の環節を具備し、然る後に才かに穴を成す能う。

或曰:“先起高峰謂之祖,次起一峰謂之宗,再起左右雙峰謂之父母。”誠如其說,則是父母置之無為之地,而其所生,皆祖宗耳。張子微已嘗極辯其非。而洪悟齋又拘於節數,謂自玄武頂一節為父母,二節為少祖,三節為曾祖,四節為高祖,亦太泥耳。若用其說,則自四節已上之龍又將何名?

或る人は言う。先ず聳起の高峰は「祖」と呼び、続いて聳起する一峰は「宗」と呼び、再び聳起する左右の両峰は「父母」と呼ぶ。真に此の種の説法に按ずれば、父母は便ち無所作為の位置上に擺られ、一切の生育の功は全く祖宗に帰す。張子微は早已に極力その錯誤を辯明せり。而して洪悟斎はまた節数に死摳し、玄武頂より往上して一節を数えて父母、両節は少祖、三節は曾祖、四節は高祖と説く。これもまた太く拘泥なり。若し彼の説法に照らせば、あの第四節以上の龍はまた何と呼ぶべきか。

大抵龍之起身發脈處,必有高山大巒,謂之太詛。自此而下,辭樓下殿,迢遞而行,又起高峰,即謂之宗。復行逶迤,奔騰磊落,其間小可星峰則不必論。直至將及結作,必要再起高峰,迥然聳拔,超異眾山,謂之少祖。自此少祖山下,或起或伏,或大或小,或直或曲,但以玄武頂後一節之星名父母。父母之下落脈處為胎,如稟受父母之血脈為胎也。其下束氣處為息。如母之懷胎養息也。再起星面玄武頂為孕,如胎之男女有頭面形體也。融結穴處為育,如子之成,出胎而育也。

大体言えば、龍の起身発脈する処は必定高山大嶺あり、「太祖」と称す。ここより往下して楼を辞し殿を下り、一路遠行し、また一座の高峰を聳起すれば、すなわち「宗」と呼ぶ。再び前に往きて逶迤として行き、奔騰磊落、中間のあの関要ならざる小星峰は論ずるを必とせず。一直に走りて将に結作せんとするに至り、必定再び一座の高峰を聳起し、格外挺拔・衆山を超出す、「少祖」と称す。少祖山より往下し、或いは起或いは伏、或いは大或いは小、或いは直或いは曲、ただ玄武頂の後面に緊隣するあの一節の星辰を「父母」と呼ぶ。父母の下に落脈する処は「胎」と呼ぶ。譬えば父母の血脈を承受して胎を成すが如し。再び往下して気脈を収束する処は「息」と呼ぶ。譬えば母の胎を懐きて慢慢として養息するが如し。再び星体を聳起し、玄武頂と為るは「孕」と呼ぶ。譬えば胎児の已に頭面形体を長出したるが如し。最後に凝結して穴を成す処は「育」と呼ぶ。譬えば孩子の長成し、胎を出でて養育を得るが如し。

自少祖山至此,最關緊要,須是合諸吉格,束氣清切,護衛周密,乃以為吉。諸家喋喋之論,總不必拘,無非欲其尊卑有序,大小有倫,自高落下,自粗變細,自老抽嫩,星辰之生克不逆,橈棹之長短合法,則得祖宗父母胎息孕育之妙。乃有生氣融結而鍾靈孕秀,造化存焉。依法葬之,福應如響。其或祖宗當高而反低,當大而反小,胎息當細而反粗,當嫩而反老,此則尊卑失序,大小無倫,凶氣所集,不可下也。

少祖山よりここに至るは、最も関係緊要の一段。必ず各種の吉格に合し、気は束め清楚真切、護衛は周密にして、才かに吉利と算う。各家の喋々不休の争論は、総じて拘執するを必とせず。無非是れそれの尊卑に次序あり・大小に倫次あり、高より低に落ち、粗より細に変じ、老より嫩を抽出し、星辰の間は五行の生克は相違逆せず、橈棹の長短は法度に合するを求めるのみ。これらを做し得れば、すなわち祖宗父母胎息孕育の妙処を得着したり。こうしてこそ生気の凝結あり、霊秀を鍾聚し、造化はすなわちその中に在り。法に依りて安葬せば、福報の応験は回声の如く迅速。倘若祖宗山は応に高きが却って低く・応に大きが却って小さく、胎息の処は応に細きが却って粗く・応に嫩きが却って老ければ、あれはすなわち尊卑失序・大小無倫、凶気の聚集する処。下葬すべからず。

龍の入首を論ず

“未論千里來龍,且看到頭融結。”故凡觀龍之美惡,及諸般龍格,只於入首穴後二三節、四五節內以至少祖山為緊切。審其龍勢,若有起有伏,逶迤走弄,活動棲閃,而頭面端正,星峰秀麗,枝腳隨身,及有落、穿、傳、變、臺、屏、帳、蓋、走馬、珠串、蘆鞭、王字、個字、之字、拋梭、展翅、飛蛾種種貴格,而隨從之山及本身枝腳又起峰巒,如倉庫,如旗,如鼓,如天馬、貴人、笏印、金箱、寶劍、文官、武庫、天乙、太乙等形以夾送之,此為眞來。

俗に言う。先ず千里の来龍を管するなかれ、且く頭に到る処に結作あるや否やを看よ。だから凡そ龍の美悪および各種の龍格を察看するは、ただ入首の穴後の両三節・四五節、少祖山に至るまでのこの一段が、才かに最も緊要なり。この一段の龍勢を審察す。若し起あり伏あり、逶迤婉転、霊活に忽栖忽閃し、而して頭面端正・星峰秀麗・枝脚は身に随いて護持し、また「落」「穿」「伝」「変」および台・屏・帳・蓋・走馬・珠串・芦鞭・王字・个字・之字・拋梭・展翅・飛蛾等の種種の貴格を具備し、随従の山と本身の枝脚はまた峰峦を聳起し、形状は倉庫の如く・旗の如く・鼓の如く・天馬・貴人・笏印・金箱・宝剣・文官・武庫・天乙・太乙等の形の如く、両旁に於いて夾送す。これ才かに真龍の到来。

此處融結,是我所用,親切無疑,以其在近穴數節間也。似此之地,結作眞,力量大,發福速。若少祖至近穴節內並無吉星,不合諸格,或懶緩怯弱,死硬臃腫,粗惡直長無枝腳,或枝腳拖洩,散亂尖利而成鬼劫,任是龍虎、明堂、朝案件件皆美,奈何坐下無龍,眞氣不鍾,諸般美利,種種成空。

ここに結出する穴は、我が実実在在用い得る所、親切可靠。それがすなわち近穴の几節の間に在るを以て。このような地の如きは、結作は真・力量は大・発福は速し。反対に、若し少祖より近穴に至るこの几節の裏に根本に吉星なく、各種の格局に合せず、或いは懶散遅緩・怯弱無力、或いは死硬臃腫、或いは粗悪直長にして枝脚なく、或いは枝脚は拖泄し下り、散乱尖利にして「鬼劫」と為れば。然らば青龍白虎・明堂・朝山案山を任せて样样美好なるも、無奈坐するに真龍なく、真気は未曾だ凝聚せず。種種の好処もまた件件落空す。

切不可認少祖以上之龍特達可愛,而信庸師之言,謂“遠龍奇好,必後代有貴,但初代不吉”,恕近慕遠,希圖後代之富貴而誤下偽地,反消已福。不知千里來龍看到頭。若到頭近穴處龍既不好,其遠處雖有好龍,不能受用,或別有結作。

千万少祖以上の龍の格外出衆可爱なるを因とし、軽く庸師の話を信じ、何ぞ「遠龍は奇好、後代は必定貴を出す、ただ頭一代は不吉」と言うや。ここにおいて近処を忽略し遠処を羨慕し、後代の富貴を指望して假地に誤葬し、却って自家の現有の福分を消磨せしむ。知るを要す、千里の来龍は終に頭に到るを看るを要す。若し頭に到り近穴の処の龍已に好からざれば、遠処はたとえ好龍あるも、また享用し到らず。あの好龍は或いは別に他処に於いて結作す。

其好龍固非虛生,但不來此處融結。此山既非眞龍,必是眞龍正穴之奴從,或為纏托,或為夾送,或作下手關攔,或作捍門水口之砂,或是正龍枝腳橈棹倉庫等件。尤須檢點,再去審其少祖分行之處,某枝委是眞龍受穴之山。若是眞龍,自然尊貴特異,宜於此山追尋正穴,必有眞結。故審龍之要,必於入首近穴數節內為緊。

好龍は固然より白く生成せず。ただそれはここに来たりて結作せざるのみ。眼前のこの座の山は既に真龍に非ざれば、あれは必定真龍正穴の奴僕随従。或いは纏護托山を充当し、或いは夾送の山を充当し、或いは下手の関攔を作し、或いは水口を把守する捍門砂を作し、或いはただ正龍の枝脚・橈棹・倉庫の一類の附件。この一点は尤も応に仔細査点し、然る後再び少祖山の道を分かち行く処に回り、去りて究竟何れの一枝か才かに真龍の承穴の山なるを審辮す。若し真に真龍なれば、自然に尊貴出衆、すなわち応にあの座の山に順いて去りて正穴を追尋すべし。必定真結作あり。だから龍を審るの要領は、一定に入首近穴の几節を以て最も緊要と為す。

譬如人之遠祖,雖為王侯顯貴,已在數十代之前。至於其祖父,貧困無聊,遂為賤役。及其身,益伶仃不振,則其遠祖之王侯顯貴,安能庇及數十代後之子孫哉!遠祖雖或貧困,至於祖父而崛起,為王侯顯宦,則其一二代之子孫或受蔭為官,或貲產鉅富,必能藉其餘澤以享富貴,遠祖雖貧何害焉?此好龍所以欲其近穴,而遠龍雖美,不可恃也。故凡觀龍美惡及諸貴格,的於少祖山以下審之,合吉則吉,類凶則凶,禍福親切,不差毫末也。

比方を打てば。一個人の遠祖はかつて王侯顕貴を做りしも、あれは已に幾十代以前の事。彼の祖父の一輩に到りては、貧困潦倒し、賤役に淪落す。彼本人に到りては、さらに孤苦不振。然らば遠祖の王侯顕貴は、怎んぞ幾十代以後の子孫に庇蔭し到る能わんや。反対に、遠祖はたとえ貧困なるも、ただ祖父の一輩に到りて崛起し、王侯顕宦を做れば、然らば下一両代の子孫は或いは蔭を受けて仕に入り、或いは巨万の家産を積み下し、必定能く彼の余沢に凭りて富貴を享受す。遠祖の窮したるはまた何の妨げかある。これがすなわち好龍は必ず穴場に靠近するを要するの道理。遠龍は縱然美好なるも、また倚仗すべからず。だから凡そ龍の美悪および各種の貴格を察看するは、皆確確実実として少祖山以下のこの一段に於いて審辮するを要す。吉格に合すればすなわち吉、凶形に類すればすなわち凶、禍福は貼切、分毫差えず。

圖一:此遠龍不好,將入首近穴,剝變好龍,是吉地。但年代行到跌斷後龍氣不好處,即敗,宜別求吉地接福。圖二:此則遠龍好,將及入首近穴,變得不好,乃為不吉,主凶不可下也。

此処の両幅の図は今ただ図説を存す。第一図:遠処の龍は好からず、将に入首近穴に至らんとして剥換して好龍と為れり。これは吉地。ただ年代運数の走りて跌断以后の龍気好からざるあの一段に到るを待ちて、すなわち敗落せん。応に別に吉地を尋ねて以て福分を接続すべし。第二図:遠処の龍は好し、将に入首近穴に至らんとして却って変じて壊れり。これはすなわち不吉、凶を主り、下葬すべからず。

上審龍入首美惡,定地吉凶,乃緊關口訣,甚為簡要。大凡美地,皆以入首龍吉而致福應。如浮梁戴尚書祖地,後龍甚弱,而入首為美,亦出尚書。鉛山費狀元祖地,來龍甚遠,而近以入首三者為課,可見尋龍固當究遠,而尤必以入首為準也。二圖具下:右地在浮梁東鄉,後龍甚弱。惟到頭起三臺,一節結穴。左右抱衛,明堂平坦,內外應證。葬後初代出恭簡公珊,官至尚書。又進士數人,科第不替。出一神仙,名曰鐵仙。左地在鉛山縣二十八都,地名烏石山。其龍起自黃旗峰,迢遞百餘里,歷上七峰至徐源嶺,過峽頓起合珠山,重重開帳,不及詳述。將入首,穿田起玉枕落脈。左右小山夾照,狀如日月。正脈中起穿心,成三臺。兩畔均勻可愛。中落一節結穴,龍格甚貴。

以上は入首の龍の美悪を審辮して以て地の吉凶を判定することを講ず。是れ極めて緊要の口訣、また十分に簡明。大凡美地は、皆入首の龍の吉なるを因として福報を帯来す。譬えば浮梁の戴尚書の祖墳は、後面の来龍は甚だ弱し、而して入首の処の形勢は美好、照样に尚書を出せり。鉛山の費状元の祖墳は、来龍は甚だ遠し、而して応験は却って入首のあの三節を以て断と為す。見る可し、龍を尋ぬるは固然に応に遠処を追究すべきも、但し尤も必ず入首を以て準と為すを要す。以下はこの両幅の図の説明。右図のこの地は浮梁県の東郷にあり、後面の来龍は甚だ弱く、ただ頭に到る処に「三台」を聳起し、一節にしてすなわち結穴す。左右に砂の抱護あり、明堂は平坦、内外皆応験の憑証あり。葬後第一代にすなわち恭簡公戴珊を出し、官は尚書に至る。此の外さらに好几位の進士を出し、科第は不断。さらに一位の神仙を出し、号は鉄仙と曰う。左図のこの地は鉛山県二十八都にあり、地名は烏石山。その龍は黄旗峰より起こり、遠く走ること一百余里、上七峰を経過して徐源嶺に至り、峡を過ぎた後に頓起して合珠山、重重に帳を開く。ここは細説に及ばず。将に入首せんとする時、脈は田地を穿りて「玉枕」を起し、然る後脈を落とす。左右の两座の小山は夾りて照応し、形状は日と月の如し。正脈は中間より心を穿りて起ち、「三台」を形成し、両側は均勻可爱。中間に一節を落下して便ち結穴す。龍格は十分に貴重。

只是穴星獨高,似露。上聚似峻。護山低伏,穴上左右,一望青天,似寒。穴前右砂俯水,似攛。闊坂明堂,似曠。橫峰前朝,群山似亂。下關大琛山甚遠,似寬。對面觀之,本身下手無情,諸山順奔,勢隨流水,似不團聚,不入俗眼。

ただこの地の穴星は孤高、暴露するが好似。穴は上聚の処に結び、また陡峻を顕す。護山は低伏し、穴の上に立ちて左右を朝看すれば、一望皆青天、寒冷にして風を蔵めざるが好似。穴前の右側の砂は俯冲して水に向かい、竄走するが好似。明堂は一片の寛濶の坡坂、空曠を好似。前面の朝山は横列し、群峰は雑乱を好似。下関の大琛山はまた甚だ遠く、松寛を好似。対面より望み来たれば、本身の下手一側は无情を顕し、衆山は水に順い奔去り、気勢は流水に随いて走り、団聚せざるが好似。ここにおいて俗人の眼光に合せず。

殊不知穴山獨高眾山低者,高為尊也。穴前雖峻,“上聚星辰若開口,穴下不畏陡。放棺定有坦平坡,微乳或微窩。”正合此也。左右雖低,微窩緊夾,藏車隱馬,不畏寒也。虎沙順水,乃是明曜,而非攛也。外堂雖闊,內堂已聚,不為曠也。

彼らは知らず。穴山は独り高くして衆山は皆低きは、正に高を以て尊と為す。穴前は陡峻なるといえども、しかし口訣は言う「上聚の星辰はただ口を開けば、穴下は陡を怕れず。棺を放つ処は一定に平坦の坡あり、或いは微乳、或いは微窩」、正にこの地の情形に合す。左右は低矮なるといえども、但し微微の窩形ありて緊く夾護し、以て車馬を遮蔵するに足る。だから孤寒を怕れず。白虎砂は水に順いて去るは、あれは「明曜」、並びに竄走に非ず。外堂は寛濶なるといえども、内堂は已に気を聚め、だから空曠と算えず。

前朝雖亂,然皆堆堆累累,如狀元旗,如筆,如笏,如貴人誥軸、天馬、席帽,皆合貴格。《葬書》所謂“若具萬膳而潔齊”也。下關雖遠,“幹龍纏護隔江河也”。況信河之水朝入明堂,而河中大腳石截有力,又有綣績石塞鎮,叫巖山與大琛山交固關鎖,眞至吉之地。

前面の朝山は雑乱なるといえども、しかし一堆堆一層層、或いは状元旗の如く、或いは筆の如く・笏の如く・貴人の誥軸・天馬・席帽の如く、皆貴格に合す。正に『葬書』の言う「若し万膳を具えて潔斉せば」の気象。下関は遠きといえども、あれもまた正に「干龍の纏護は本来就に江河を隔つ」のこの言に応ず。況んや信河の水は明堂に朝して流入し、河中の大脚石は横截するや甚だ力あり、また絻績石ありて堵塞鎮守し、岩山と大琛山をして交鎖関固せしむ。実に極吉の地。

葬後四紀,長房三中科第,連喪其二,議欲改葬。豐城何巡司見而奇之曰:“玉枕龍,日月峽,隱隱三峰向前插,狀元宰輔此中生,兄弟叔侄同科甲。狀元出世矣,何可改也!”是時,文憲公宏已十歲餘,不數年果大魁天下,官至太保。

下葬四十八年の後、長房に三人の科第を考中するあり、却って接続して兩個死せり。家裏は商量して改葬せんと欲す。豊城の何巡司はこの地を見て却って奇特を覚え、言う。これは玉枕龍・日月峡、隠隠として三座の山峰ありて前に向かい插立す。状元宰輔はすなわちここより出づべし、兄弟叔侄は同榜に登科せん。状元は已に降生せり、怎んぞ改葬するを得んや。当時文憲公費宏は才かに十幾歳、幾年を過ぎずして果たして高く状元に中り名は天下に冠たり、官は太保に至る。

子懋賢登進士,官郎中;懋良官太守。玄曾諸孫皆貴。文憲公弟清湖公與侄探花懋中同科,九子皆貴。望湖公懋文與兄懋尹同科,參政公瑄與兄珣同科。禮部尙書鍾石公宷與侄懋和同科。尙書公子懋學官太守。侄懋樂官郎中。今唐衢公堯年登進士,躋顯宦,延之太僕寺丞。華,禮部主政。懋謙、懋稷諸公俱任京職。父子兄弟叔侄同朝,果符何氏之言云。

彼の兒子費懋賢は進士に中り官は郎中、費懋良は官は太守。曾孫玄孫の輩もまた皆顕貴。文憲公の弟弟清湖公は侄子の探花費懋中と同榜、彼の九個の兒子は皆顕貴。望湖公費懋文は兄長費懋尹と同榜、参政公費瑄は兄長費珣と同榜、礼部尚書鍾石公費寀は侄子費懋和と同榜。尚書公の兒子費懋学は官は太守、侄子費懋楽は官は郎中。如今唐衢公費尭年は進士に中り顕宦に躋身し、費延之は官は太僕寺丞、費華は官は礼部主事、費懋謙・費懋稷の諸位は皆京中に於いて任職す。父子兄弟叔侄は同朝に官を為す。果たして何巡司の話に応験せり。

按:是地也,來龍雖遠,至入首,穿田而起玉枕,又大斷而起三臺。中落一節結穴,為至貴之格,狀元由此而鍾,宰輔由此而孕。故觀龍的以入首三節為準也。前砂子峰獨秀,應文憲公戊子生。三臺繫丁未龍,故公以成化丁未狀元也。

我が按ずるに、この地は来龍は遠きといえども、但し入首に到りて田地を穿りて玉枕を聳起し、また大断の後に三台を聳起し、中間に一節を落下して結穴す。極貴の格局に属し、状元の気は此に由りて凝聚し、宰輔の命は此に由りて孕育す。見る可し、龍を看るは確かに入首の三節を以て準と為すを要す。穴前の砂の中の子位のあの峰は格外秀麗、文憲公の戊子年に生るるに応ず。三台は丁未の方位の龍に属し、だから彼は成化丁未年に状元に中たれり。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻二上之二

江右山人徐善繼述 同著。此一卷專論龍之出身,及剝換、過峽、橈棹、護送之詳。夫觀龍之法,既明其太祖、少宗、父母之節目,又當審其出身、剝換、度峽、橈棹、護送之玄微。蓋自祖而宗,自高而下,迢遞奔走,雖奴從之龍,凶惡之山,其勢相類。苟無術以鑑之,則吉凶莫辨。故必於其出身處以原其所始,於剝換處以察其所變,於過峽處以審其所度,於橈棹、護送處以觀其貴賤美惡,則龍之眞偽吉凶情狀自判然矣。

本巻は江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一巻は専ら龍の出身、および剥換・過峡・橈棹・護送等の内容を詳論す。龍を看るの方法は、既に太祖・少宗・父母のこれらの節目を弄清し、さらに応にその出身・剥換・度峡・橈棹・護送の間の玄妙細微の処を審察すべし。祖山より宗山に至り、高より下りて遠く奔走すれば、たとえ奴僕随従の龍・凶悪の山なるも、気勢は看去真龍と相類す。若し鑑別するの辦法なければ、吉凶は分け清め難し。だから必ず出身の処に於いてその起始を推原し、剥換の処に於いてその変化を察看し、峡を過ぐる処に於いてその如何に渡過するを審辮し、橈棹と護送の処に於いてその貴賤美悪を観察するを要す。このようになれば、龍の真偽吉凶の情状は自然に判然分明なり。

龍の出身を論ず

龍之出身,乃祖山發脈離祖分行處也。蓋一祖之下,必分數龍,其間美惡吉凶,端倪已兆。若此出身之際特異不凡,前去必有穿落傳變,融結富貴之穴。如或此處出身不美,縱去結有形穴,亦非吉地,不必追尋。

龍の「出身」は、祖山の脈を発し祖山を離開して道を分かち行くあの一段を指す。一座の祖山の下は必定好几条の龍を分出し、それらの美悪吉凶は、ここに於いて就已に端倪を露す。若し出身の際特別不凡なれば、前に往き走れば必定穿・落・伝・変の変化あり、能く富貴の穴を結出す。倘若此処の出身すなわち好からざれば、たとえ前に往きて有模有様の穴を結出するも、また吉地に非ず。さらに去りて追尋するを必とせず。

其出身吉者,或宏開闊帳而穿心出脈,或連起數峰而聳拔不凡,或辭樓下殿而磊落,或疊雲集蟻而繽紛,或五星聚講,或七政連班,正穿正出,中起中落,夾護拱照,氣象軒昂,枝葉蕃衍,步驟活動。

出身の吉利なるは、或いは宏大地に一道の闊帳を張開して帳心より脈を穿出し、或いは接続して几座の山峰を聳起して挺拔不凡、或いは楼を辞し殿を下りて気象磊落、或いは層雲堆叠・群蟻聚集の如く紛繁衆多、或いは五星はここに於いて聚会講議し、或いは日月五星の七政は一班に連成す。脈は正正として穿出し正正として発出し、中間より起ち中間より落ち、両旁は夾護拱衛照応し、気象は軒昂、枝葉は繁茂、歩履は霊活。

《玉髓經》云:“祖宗生龍百龍共,生出來時有輕重。大龍重處在中央,其次龍行枝葉長。”吳白雲云:“尋地須先認祖宗,更於離祖察行蹤。辭樓下殿峰巒秀,預識前途異氣鍾。”董德彰云:“大凡龍脈初發處,若屈曲如生蛇之下嶺,而兩邊有蟬翼護帶者,前去必結大地。其出身之不吉者,則瘦弱萎靡,不起不伏,不活動折擺。”子微云:“龍無星曜低低去,此是賤龍出身處。”

『玉髄経』は言う。一座の祖宗山は能く上百条の龍を生出す。生出する時分量は却って軽あり重あり。分量最も重き大龍は正中央を走り、次一等の龍は走るや枝葉は特別に長し。呉白云は言う。地を尋ぬるは必ず先ず祖宗山を認め、さらに祖を離るる処に於いてその行走の蹤跡を考察するを要す。若しそれの楼を辞し殿を下り・峰峦秀麗を見れば、便ち能く前方に将に異気の凝聚あらんを預知す。董徳彰は言う。大凡龍脈の剛に発出する処は、若し屈曲すること活蛇の下山嶺の如く、両旁また蝉翼の如き薄砂の護帯あれば、前に往き走れば必定大地を結ぶ。出身の不吉なるは、則ち痩弱萎靡、起たず伏さず、また霊活の擺折を見ず。張子微は言う。龍身の上に星曜なく低低として走り過ぐるは、これがすなわち賤龍の出身の処。

大抵龍之出身,如人之出處,出身不正,必非賢良,縱有顯位,奸邪誤國,天下受其禍。出處之光明正大者,必完名全節,天下受其福。龍脈出身何以異此!然又不可拘,固有前出不美,而後復變吉者;亦有前出大吉,而後卻變凶者。

大体言えば、龍の出身は人の出身と操守に譬う。出身正しからざる人は必定賢良に非ず、たとえ官は顕位に居るも、また奸邪にして国を誤り、天下人は彼の禍害を受く。出処の光明正大の人は、必定名節を保全し、天下人は彼の福蔭を受く。龍脈の出身はこれと何の両样あらん。ただしまた一概に論ずべからず。確かに先前出身美ならずして後来また変じて吉なるあり、もまた先前出身大吉にして後来却って変じて凶なるあり。

如人之先雖凶惡,而後能改過遷善,不害其為君子;先雖正大,而後乃變節為惡,終不免為小人。凡此之類,尤當詳辨,不可忽略。此而有誤,則認凶為吉,指吉為凶,是非顛倒,禍福謬戾矣。”上列龍脈出身圖,姑以為式,理難定拘,智者觸類而長之可也。

すなわち或る人は先前凶悪なるといえども、後来能く過を改め善に向かい、並びに彼の君子と為るを妨げず。或る人は先前正派なるといえども、後来却って節を変じて悪と為り、終に小人に淪落するを免れず。この一類の情形は尤も応に細辮し、疏忽すべからず。ここに於いて判断錯誤せば、すなわち凶を認めて吉と作し吉を指して凶と為し、是非は顛倒し、禍福は全く弄り返す。以上に列する龍脈の出身の各図は、姑く范式と作す。その中の道理は死定し難し。聡明の人は能く触類旁通し、一を挙げて三を反ればよい。

龍の開障を論ず

《發揮》云:“大凡開幛穿心,須是旁起而肩末如弓稍,肩如人有肩,稍如弓有稍,橫鋪闊遠,始為正穿心。”故此開幛穿心極貴,闊者或十數里,或五六里,狹者一二里,或三四里之遠。大龍佈置,百里、二三百里者,不在此例也。凡此方為正穿心。三五丈間不足謂之正穿心,不過為中心正出之龍耳。

『発揮』は言う。凡そ開帳穿心は、必ず両旁の隆起して肩頭の末端は弓梢の如くあらんことを要す。肩は譬えば人に肩膀あるが如く、梢は譬えば弓に弓梢あるが如し。横鋪するや寛濶悠遠、これ才かに真正の穿心と算う。だから開帳穿心は極めて貴重。寛きは十幾里あり、或いは五六里。窄きもまた一二里あり、或いは三四里の遠。大龍の布置する場面の、動けば一百里・二三百里のに至っては、この尺度の列に在らず。上述の条件に合して才かに正穿心と算う。若しただ三五丈の寛度のみあれば、すなわち正穿心に夠わず、不过是れ中心より正出の龍のみ。

但此開幛穿心亦不多見,間見三五節,或止一二節,但要其地傳變不雜,氣脈不散漫,帳中而行,或之玄飛走,或拋梭嫋鞭,或蜂腰鶴膝,或鸞鳳飛翔,或蛇回蟬蛻,或登梯降階,不一而足。只須龍眞脈的,不必全泥穿心,此皆吉地。

ただし開帳穿心もまた常見せず、偶偶三五節を見、或いはただ一両節のみ。ただこの地の伝変は雑乱せず、気脈は散漫せず、脈は帳中に行走し、或いは「之」の字「玄」の字の如く飛走し、或いは拋梭・嫋鞭の勢を作し、或いは蜂腰鶴膝を成し、或いは鸞鳳の飛翔の如く、或いは蛇の身を回し蝉の殻を蜕ぐが如く、或いは梯を登り階を下るが如く、形態は一にして足らず。総じてただ龍真脈的なれば、必ずしも完全に穿心あるや否やに拘泥せず、これらは皆吉地。

又有一種穿心,稍頭又起圓峰,高峻豐厚者,自帶倉庫隨行也,主大富盛。又有一種,開幛之後,絲線穿出,特立秀峰者,幛內貴人也,主大尊貴。又有一種,開幛之後,兩腋特起秀峰,不與本身聯屬,兩旁高聳端正,此暗庫星也,主其家富盛,愛妾寵妃,自收典質之狀。然此等龍極為希罕,蜈蚣節已為難遇,況開幛穿心乎?至於貴人、倉庫,尤為少見矣。

別に一種の穿心あり。帳梢の頭上にまた圓峰を聳起し、高峻豊厚。あれは龍の自ら倉庫を帯びて随行するなり。大富大盛を主す。又一種あり。開帳の後に一線の細脈ありて糸線の如く穿出し、旁に特に一座の秀峰を特立す。これを「帳内貴人」と呼び、大尊大貴を主す。さらに一種あり。開帳の後に両腋は特に秀峰を聳起し、龍身本体と並びに相连せず、ただ両旁に於いて高聳端正。これを「暗庫星」と呼び、この一家の富盛・姫妾の寵を受け・自家の経営する典当質庫の景象を主す。ただし此の類の龍は極めて罕見。「蜈蚣節」すら已に遇い難し、況んや開帳穿心をや。帳内貴人・随身倉庫に至っては、さらに少なき見え。

然此開幛穿心,故為貴格,亦未可便定前是何地,又須看前後穿變應帶。有一種祖宗不好,胎息偏傷,中間或有開障穿心,或一二節氣旺者。及至穿出處,或分枝分柯散亂,或為斷絕空亡,終不融結。此為假龍作假穿心也。

然而るに開帳穿心は貴格なるといえども、またなお立刻に前方に如何なる地を結ぶを断定する能わず。仍おその前後の穿落変化と随帯の砂形を看るを須す。一種の龍は祖宗本来好からず、胎息の処は偏斜受傷し、中間は偶偶にもまた開帳穿心あり、或いは一両節の気勢甚だ旺なり。しかし穿り出でたるの後を待てば、或いは分枝分杈して散乱収らず、或いは干脆として断絶落空し、終に結作せず。これを假龍の假穿心を作すと呼ぶ。

然何以辨龍作假穿心也?蓋從祖宗以來,已覺偏斜醜陋,此可見一也;穿出之後,又復緩漫散亂,此可見二也;入穴之際,無神無氣,臃腫昂雄,輕重不等,收拾不勻,堂局破碎,朝應無情,此可見三也。三者無取,雖有穿心,蓋游龍遠出,中間偶有一二節妙合貴格,然前後無足觀,縱有開幛穿心,起肩結稍,亦何用也?

然らば怎様に假穿心を辮認せん。第一、祖宗山より一路下り来たる就已に偏斜醜陋、これは一処の見る可き破綻。第二、穿り出でたるの後また変じて松緩散乱、これは第二処。第三、穴に入るに到りて神なく気なく、臃腫高揚、左右の軽重不均、收拾するや不勻称、堂局破碎、朝応无情、これは第三処。三処皆取る可からず。然らばたとえ穿心あるも、不过是れ一条の游荡遠行の龍、中間は偶然に一両節の碰巧貴格に合するあり、而して前後は皆看るに値せず。縱然帳を開き心を穿り肩を起し梢を結ぶも、また何の用かある。

廖氏曰:“龍開幛而出者,最為有力。金水腦為上,水星次之。要形如幛幙而角分明,有帶下垂方是。中出者為上,兩角出者次之。巨石在右為天關,在左為地障。形類龜蛇、串珠、印劍等格尤妙。得此護脈方可。如無,得障角遮護過亦可”。開帳原是龍格部,但此既論出身,則開帳亦是相連的,姑言其概。諸帳格詳見龍格部下。

廖金精は言う。龍の帳を開きて出づるは最も力あり。帳頂は金水相兼の脳を作すを以て上等と為し、純水星は次一等。形状は帳幕の如くして両角分明を求め、さらに帯子の如き砂ありて下に垂落して才かに算う。脈は帳中より出づるを以て上と為し、両角より出づるはこれに次ぐ。巨石ありて右辺に在るは「天関」と呼び、左辺に在るは「地障」と呼ぶ。石頭の形状は亀蛇・串珠・印剣等の格局の如きは尤も妙。これらありて来たりて脈を護れば才かに行く。若しなければ、帳角に靠りて脈を遮護し過ぎ去らしむるもまた可なり。開帳は本は「龍格」の一門に属す。但しここは既に出身を討論し、開帳は出身と相连す。姑く大概を講ぜん。各種の帳格は詳しくは後面の龍格一門に見ゆ。

龍の剥換を論ず

剝換者,變化也。龍之形體,自老變嫩,自粗變細,自凶變吉,皆造化之妙。楊公云:“一剝一換大生細,從大剝小眞奇異。剝換如換好衣裳,如蠶蛻殼蛾脫筐。”廖氏云:“脫卸剝換粗變細,凶星變吉氣。”卜氏云“星以剝換為貴”。是皆謂龍貴於有剝換也。

いわゆる「剥換」は、すなわち変化。龍の形体は老より嫩に変じ、粗より細に変じ、凶より吉に変ず。皆造化の妙用。楊筠松は言う。一剥一換、大より細を生出し、大より剥りて小と為す。真に奇特。剥換は一身の好衣裳を換上するが如く、また蚕の殻を蜕ぎ蛾の繭を出づるが如し。廖金精は言う。脱卸剥換、粗は細に変じ、凶星もまた変じて吉気と為る。卜応天は言う。星辰は能く剥換するを以て貴と為す。これらの話は皆講ず、龍は剥換あるを貴ぶ。

且如金星發祖,剝出水星,水星又剝木星,木生火,火生土,土生金之類,迢迢生峰,節節合格,是為富貴之地。若遇相剋,貴有救星。如金星行龍,木星作穴,金克木,本凶,左右得火星以制之,或得水星以助之,亦為吉也。以類而推,萬不失一。

譬えば金星を以て祖を発し、剥換して水星を出し、水星は再び剥換して木星を出す。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生ず。このように相生して下り、一路峰峦を生出し、節節格局に合すれば、これがすなわち富貴の地。若し途中に五行の相克に遇えば、貴ぶは救助の星あること。譬えば金星の行龍にして木星を以て穴を作すは、金は木を克して本来は凶。但し左右に若し火星ありて来たりて金を制住し、或いは水星ありて来たりて通関相助えば、すなわち転じて吉と為る。このように照らして類推すれば、万に一の失もなし。

《九星變》篇云:“凡觀一星便觀變,識得變星知近遠。遠從貪狼至破軍,換盡龍樓生寶殿。一剝一變形不同,豈可盡言顧祖宗。君如識得變星法,千里百里尋來龍。”然九星之變,只取貪、巨、武、輔、弼五者為吉,謂其體勢端正,頭面光彩,尖則清秀,圓則肥滿,方則平正,故吉。而文、廉、祿、破四者為凶。以其體勢欹斜,頭面臃腫,崚嶒竄險,惡石巉巖,故爾。此五星九星變剝吉凶之大概也。

『九星変』の篇は言う。凡そ一顆の星を看ればすなわちその変化を看るを要し、変星を認得して才かに龍の遠近を知る。遠処は貪狼より一路数えて破軍に至り、龍楼は換え尽して便ち宝殿を生出す。一剥一変して形状は各々相同じからず、怎んぞ一味にただ祖宗を回顧するを講ぜんや。汝若し変星の法を懂得せば、千里百里も皆能く来龍を尋ね到らん。九星の変化の中は、ただ貪狼・巨門・武曲・左輔・右弼のこの五星を取りて吉と為す。それらの体勢は端正・頭面は光彩あり・尖なるは清秀・圓なるは豊満・方なるは平正なるを以て、だから吉。而して文曲・廉貞・禄存・破軍のこの四星を凶と為す。それらの体勢は歪斜・頭面は臃腫・嶙峋竄険・悪石巉岩なるを以て、だから凶。これがすなわち五星九星の剥換吉凶の大概。

凡遠祖高峰是凶星發龍,卻跌斷過脈,退皮換骨,變出吉星作少祖山而結穴者,亦為美地。若後龍節節是吉星,中間一二節吉凶不明者,只小凶而已。若遠祖是吉星,而剝出凶星作少祖山結穴者,乃為凶地,不可下也。

凡そ遠祖の高峰は凶星に属して発出する龍は、若し中途に於いて跌断して脈を過ぎ、皮を脱ぎ骨を換え、変じて吉星を出して以て少祖山を充当し并びに結穴すれば、あれもまた美地。若し後龍は節節皆吉星にして、ただ当中の一両節は吉凶不明なれば、あれは不過小凶のみ。しかし若し遠祖は本是れ吉星にして、却って剥換して凶星を出して以て少祖山を充当し結穴せば、あればすなわち凶地。下葬すべからず。

後龍節節是凶星,只退換入首一二節是吉星結穴而葬者,亦得一代二代發福。駁到凶星,即主禍敗。後龍節節是吉星,只入首結穴一節是凶星,若穴情好,初代雖見退敗,至二三代剝到吉處,卻又發福久遠矣。此以剝換星體吉凶,觀前後節數,占年代、驗禍福之大概也。

後龍は節節皆凶星、ただ入首の一両節に於いて退换して吉星と為り結穴下葬するも、また能く一両代の福を発す。運数の交駁して凶星のあの一段に到るを待てば、すなわち禍敗を主す。反対に、後龍は節節皆吉星、ただ入首結穴の一節は凶星、若し穴情好ければ、第一代は退敗あるといえども、両三代の後に運数は剥換して吉の処に到り、また能く長久に発福す。これは剥換の星体の吉凶に根拠し、前後の節数を参看し、以て年代を推算し禍福を験証する大概の辦法。

若其起祖迢迢,行至入穴,全無跌斷過峽,則是無變化,必不融結。《發揮》云:“龍無傳變穿落,則無造化;不經退卸,則無秀氣。”雖有奔走之勢,擺折之形,亦為偽龍,多是奴從之山,不必尋穴。縱有形穴、龍虎、案對、明堂諸般合法,奈何龍無脫卸,無變剝,氣不全,脈不眞,徒有殺氣凶惡,乃花假之地。故凡尋龍,見無過峽剝變,決無融結造化,不必追尋矣。

若し一条龙は祖山より起ちて遠く走来り、穴に入るに至るまで完全に跌断過峡なければ、あればすなわち変化なし、必定結作せず。『発揮』は言う。龍に伝変穿落なければ、すなわち造化なし。退卸を経過せざれば、すなわち秀気なし。此の種の龍はたとえ奔走の気勢・擺折の形状あるも、また偽龍に属し、多半是れ奴僕随従の山。あそこに於いて穴を尋ぬるを必とせず。縱然形穴・青龍白虎・案山朝対・明堂は样样法に合するも、無奈龍は脱卸せず変剥せず、気は完足せず脈は真実ならず、白白と凶悪の殺気を留む。あれは虚花假地。だから凡そ龍を尋ぬるは、一たび過峡剥換なきを見れば、すなわちそれに絶対に結作造化なしと断定し、さらに追尋するを必とせず。

龍の過峡を論ず

相地之法,固妙於觀龍。觀龍之術,尤切於審峽。峽者,龍之眞情發現處也。未有龍眞而無美峽,未有峽美而不結吉地。審峽之美惡,則龍脈之吉凶、融結眞偽,皆可預知也,眞地理家不刊之秘訣也。

地を相するの方法は、固然より妙は龍を観るに在り。而して龍を観るの手段は、また尤も切要は峡を審るに在り。いわゆる「峡」は、龍の真情の流露する処。真龍にして美峡を帯びざるなく、また峡美にして吉地を結出せざるなし。ただ峡の美悪を審明すれば、龍脈の吉凶・結作の真假は、すなわち皆預めて知る可し。これは確かに地理家の更え難き秘訣。

蓋龍行延長,必須多有跌斷過峽,則氣脈方眞,脫卸方淨,力量方全。《經》云:“一斷二斷斷了斷,鶴膝蜂腰眞吉地。”又云:“十條九條亂了亂,若是眞龍斷了斷。”卜氏云:“一起一伏斷了斷,到頭定有奇蹤。”皆謂眞龍之過峽多也。

龍は走ること長遠なれば、必ず多く跌断過峡するを要して、気脈は才かに真、脱卸は才かに乾浄、力量は才かに完足。『撼龍経』は言う。一断二断、断えてまた断え、鶴膝蜂腰の形を出現せば、すなわち真吉地。又言う。十条の裏に九条は乱れてまた乱るる、若し真龍なれば必定断えてまた断つ。卜応天は言う。一起一伏・断えてまた断えれば、頭に到りて必定奇特の蹤跡あり。これらは皆説く、真龍の過峡は一定に多し。

然峽亦有吉有凶,尤當細察。過峽之脈,欲其逶迤嫩巧、活動悠揚,如梭帶絲,如針引線,如蜘蛛過水,如躍魚上灘,如馬跡渡河,如藕斷絲連,如草蛇灰線之類為美。然須有送有迎,有扛有夾,護衛周密,分水明白,不被風吹水劫為吉。

ただし峡もまた吉あり凶あり、尤も細看するを要す。峡を過ぐる脈は、最も好きは逶迤嫩巧・霊活悠扬。梭の糸を帯ぶが如く、鍼の線を引くが如く、蜘蛛の水を渡るが如く、魚の灘に躍上るが如く、馬蹄印の河を渡るが如く、藕断糸連の如く、草蛇灰線の如し。此一類は皆美と算う。同時にさらに必ず送あり迎あり、「扛」あり「夾」あり、護衛周密、両側の分水は分け清楚、風に吹かれず水に劫せられずして、才かに吉と算う。

楊氏云:“一剝一換尋斷處,斷處兩邊生擁護。”廖氏云:“蜂腰鶴膝最為奇,大忌被風吹。”范越鳳云:“度峽斷跌,切忌水劫。”祝觀物公《八段錦》云:“龍過脈,認蹤由,高低脊脈莫模糊。最要兩邊生護轉,卻愁一水過橫流。”《龍經》云“莫令四缺被風吹,切忌溜牙遭水刦”是也。蓋龍之過峽處,其氣束聚,最怕風吹水刦,故必有護峽之山,八字之水,乃以為眞護峽山。

楊筠松は言う。一剥一換は断落の処に於いて找るを要し、断落の処の両旁に擁護の山を生ず。廖金精は言う。蜂腰鶴膝は最も奇特、最も風に当たり吹かるるを忌む。范越鳳は言う。峡を過ぎ跌断の処は、切に水劫を忌む。観物先生祝泌の『八段錦』は言う。龍の脈を過ぐる処は蹤跡の来由を認清するを要し、高低の脊脈は模糊すべからず。最も緊要なるは両辺に護山を生出して回転せしめ、最も怕るるは一道の水の横流して穿り過ぐる。『撼龍経』は言う「四缺をして風に吹かるるを令せるなかれ、切に溜牙の水劫に遭うを忌め」、講ずるは皆この一点。龍は峡を過ぐる処に於いて気は収束聚拢するを以て、最も風吹水劫を怕る。だから必ず護峡の山・八字に分かれ作る水ありて、才かに真の護峡山ありと算う。

又喜合形像。廖氏云“兩邊遮護喜成形”是也。或如日月、旗鼓、天馬、貴人、金箱、玉印、垂纓、串珠、龜蛇、獅象、劍笏、戈矛等形者,貴格也,前去必結貴地。或如倉庫、廚櫃、穀堆、爛錢、辨錢、攤衣、質庫、銀瓶、盞筯、倒罍金罇等形者,富格也,前去必結富地。然亦不必過泥形狀,但以遮護周密、夾從有情為吉。

護峡の山はまた能く或る形象を合成するを以て好しと為す。廖金精の言う「両辺の遮護は形を成すを喜ぶ」すなわちこの意。形状は日月・旗鼓・天馬・貴人・金箱・玉印・垂纓・串珠・亀蛇・獅象・剣笏・戈矛の如きは、貴格に属し、前に往けば必定貴地を結ぶ。形状は倉庫・厨櫃・谷堆・散銭・数銭・攤晒する衣物・当鋪・銀瓶・杯箸・倒放の酒器金樽の如きは、富格に属し、前に往けば必定富地を結ぶ。ただしまた必ずしも形状に過分に拘泥せず、ただ遮護周密・夾侍随従有情あれば、すなわち吉と算う。

若是眞龍過峽度脈,自有兩邊護照之山遠來相應。《經》云“天弧天角龍欲度”者是也。其有峽不全美,而左邊不足,則穴之左亦有虧;峽之右有空缺,則穴之右亦不周。及有峽中定穴高下、左右,並向首之說,皆天造地設,自然之應也。

若し是れ真龍の峡を過ぎ脈を度すれば、自然に両旁の护照の山ありて遠処より趕え来たりて呼応す。『撼龍経』の言う「天弧天角 龍将に度らんと欲す」、指すはすなわちこれ。倘若峡は完美たらず、左辺に欠缺あれば、然らば穴の左辺もまた虧損あらん。峡の右辺に空缺あれば、穴の右辺もまた周全ならざらん。此の外さらに峡中より穴位の高低・左右および朝向を判定するの説法あり。これらは皆天造地設・自然而然の対応。

峽正出則穴亦正,左出則穴居左,右出則穴居右。又有正出而斜過者,則穴亦正出而斜倒;有側出而正過者,則穴亦側出而正倒;透頂出脈者,則穴居腳下;腳下出脈者,則穴居頂上。峽中左沙短,則穴前左沙必先到;峽中右沙短,則穴前右沙必先到。池湖過峽,前逢池住;幹墠過峽,逢幹墠住;石脈過峽,逢石曜住。旗鼓峽逢旗鼓住,龜蛇峽見龜蛇住。子午卯酉出脈,必作子午卯酉向,乾坤艮巽出脈,必作乾坤艮巽向,不離四字之中,餘皆以例推。

峡は正中より脈を出づれば、穴もまた正中に在り。左辺より出づれば、穴はすなわち左に偏す。右辺より出づれば、穴はすなわち右に偏す。さらに正中より脈を出でて却って斜に過ぎ去るあり、穴もまた正出にして斜倒。側面より脈を出でて却って端正に過ぎ去るあり、穴もまた側出にして正倒。山頂より脈を透出するは、穴はすなわち山脚に在り。山脚より脈を出づるは、穴は却って山頂に在り。峡中の左辺の砂短ければ、穴前の左辺の砂は必定先ず到る。峡中の右辺の砂短ければ、穴前の右辺の砂は必定先ず到る。池湖を以て峡を過ぐるは、前方に池湖に遇えばすなわち止住す。旱壇平地を以て峡を過ぐるは、旱壇に遇えばすなわち止住す。石脈を以て峡を過ぐるは、石曜に遇えばすなわち止住す。旗鼓峡は旗鼓に遇えば止住し、亀蛇峡は亀蛇を見れば止住す。子午卯酉の方位より脈を出づれば、必定子午卯酉の向を立つ。乾坤艮巽の方位より脈を出づれば、必定乾坤艮巽の向を立つ。皆この四个字の範囲を出でず。その余は照らして此の類に推す。

且其為格,有陽過,有陰過,有平地過,有穿田過,有池湖過,有草坪過,有半嶺過,有高山過,有正過、斜過、明過、偷過、長過、短過、硬過、直過、大過、小過、遠過、闊過。又有雙脈過、渡水石樑過,及張子微《峽訣》有所謂妝臺峽、臺星峽、幢節峽、華蓋峽、天池峽、平田穿珠峽、金箱玉印峽、雙溪峽、寶劍峽、雙龍峽、禁衛峽、圭璧峽、牛眠峽、石洞峽、驚蛇峽、亂茅峽、玄魚峽、貫魚峽、柳葉峽、重尸峽,凡二十格。

峡を過ぐるの格式はさらに多し。陽過・陰過あり、平地過・穿田過・池湖過・草坪過・半嶺過・高山過あり、正過・斜過・明過・偷過・長過・短過・硬過・直過・大過・小過・遠過・濶過あり。さらに双脉同過するあり、水中の石梁に靠りて渡過するあり。此の外張子微の『峡訣』の中に別立するは、妆台峡・台星峡・幢節峡・華蓋峡・天池峡・平田穿珠峡・金箱玉印峡・双谿峡・宝剣峡・双龍峡・禁衛峡・圭璧峡・牛眠峡・石洞峡・驚蛇峡・乱茅峡・玄魚峡・貫魚峡・柳葉峡・重尸峡あり、共に二十格。

蔡西山《峽訣》有所謂雙魚峽、垂珠峽、蓮花心峽、迎送峽、井欄峽、方勝峽、飛絲峽、三臺飛電峽、金魚佩峽、流星峽、釵股峽、玉帶峽、方城峽、玉池峽。除刪正外,凡五十九格。又有陽星九峽、陰星八峽,及三十六峽、七十二峽、陰陽臺伏之說,高齊雲、低印水等像,不可盡舉。

蔡元定(西山)の『峡訣』は則ち双魚峡・垂珠峡・蓮花心峡・迎送峡・井欄峡・方勝峡・飛糸峡・三台飛電峡・金魚佩峡・流星峡・釵股峡・玉帯峡・方城峡・玉池峡等を列す。刪削訂正するを除去するの外、共に五十九格。此の外さらに陽星九峡・陰星八峡、および三十六峡・七十二峡・陰陽台伏の一類の説法あり。また高きこと雲と斉しく、低きこと水中に映入る等の種種の形象あり。多くして挙げ勝ぐる能わず。

大抵龍之過峽,惟欲其脈之中出,勢之飛揚,形之活動,星之秀異,護從周密,分水伶俐,迎送均勻,扛夾照應,高過而不悍硬,低過而無傷殘,長過而不受風吹,短過而脈不粗腫,闊過而不懶散,直過而不死硬,遠過而有包藏,穿田而無水刦,渡水而有石樑,斯為美矣。若或奇巧異常,有池湖、靈泉、怪石之類,尤貴。

大体言えば、龍の峡を過ぐるはただ脈の正中より出で・気勢飛揚・形態霊活・星体秀異・護従周密・分水利落・迎送均勻・扛山夾山の彼此照応を求む。高処を過ぎて粗悍生硬ならず、低処を過ぎて傷損を受けず、長距離を過ぎて風吹を受けず、短距離を過ぎて脈は粗腫せず、寛濶の処を過ぎて懶散せず、筆直の処を過ぎて死硬せず、遠く過ぎ去りて遮蔽包蔵あり、田を穿りて水劫に遭わず、水を渡りて石梁あり。こうしてすなわち美と算う。若しさらに奇巧異常の処あれば、譬えば池湖・霊泉・怪石の類を帯ぶるが如き、あればさらに貴重。

其或龍雖可觀,而過峽不美,或空缺凹風,懶散死直,偏旁過脈,水刦傷殘,太長而無鶴膝蜂腰,太闊而無草蛇灰線,渡水而無石樑,穿田而無正脈,過阪而無珠絲馬跡,及其兩旁無迎送,無扛夾,或雖有護而低不及脈,有夾而低不及峽,前去必無融結,多有偽穴,切不可下。

倘若龍は看て不錯なるも、而して峡を過ぐるは却って美ならず。或いは両旁空缺・凹処は風を灌ぎ、或いは懶散筆直呆板、或いは脈は偏旁より過ぎ、或いは水に冲劫せられ傷残す。太く長きに鶴膝蜂腰の収束なく、太く寛濶に草蛇灰線の微脊なく、水を渡りて石梁なく、田を穿りて正脈なく、坡坂を過ぎて珠糸馬跡の痕印なく。両旁また迎送なく扛夾なく、或いは護山あるも低くして脈に夠わず、夾山あるも低くして峡に夠わず。このようになれば前に往きて必定結作なし、多半是れ假穴。千万不可下葬すべからず。

又有一等凶龍,迢迢而來,更不跌斷,全無過峽,直至穴場,雖極屈曲奔走之勢,然無峽則無脫卸,殺氣未除,不知者貪其氣勢之雄,星峰之美,而誤下之,必主凶禍惡逆。若抽脈落下平地,脫盡殺氣,變換而作穴者,不以此論。然平地亦有平地峽,與山峽無異,只看水分為凖。若平洋無峽,亦非眞龍也。

別に一類の凶龍あり、遠く走来りて始終跌断せず、完全に峡を過ぐることなく、一直に冲りて穴場に至る。それは極めて屈曲奔走の気勢あるといえども、しかし峡なければすなわち脱卸なく、殺気は未だ除かれず。明白せざる人はその気勢の雄壮・星峰の秀美を貪愛してあそこに誤葬すれば、必定凶禍と忤逆の事を招来す。若しそれは脈を抽出して平地に落ち、殺気を脱尽し、変換した後に再び穴を作せば、すなわちこの一条に照らして論ずべからず。ただし平地にもまた平地の峡あり、山峡と並びに両样なし。ただ両側の分水を以て準と為す。假如平洋の地は峡すらなければ、あれもまた真龍に非ず。

故審峽之訣,為地學關鍵,尋龍快捷方式。知此則龍亦易辨,穴亦易求,美惡吉凶,胚胎在此。此而得訣,則相地之能事畢矣。予嘗謂:尋龍妙訣不難知,但向峽中究隱微。師若肯傳峽裡訣,傾囊倒篋洩天機。

だから峡を審るの訣竅は地理の学の関鍵、また龍を尋ぬるの捷径。この一層を懂せば、龍は便ち辮じ易く、穴もまた找し易し。美悪吉凶の胚胎は全くここに在り。この上頭に於いて訣を得れば、地を相するの本事もまた大功告成す。我かつて言えり。龍を尋ぬるの妙訣は知り難からず。ただ峡の中に到りてあの隠微の処を探究すればよい。老師若し肯んじて峡裏の口訣を伝授せば、あれは便ち箱嚢を傾尽し天机を泄漏するなり。

諸峡の図式は下に具す

此為陽峽,凹中出脈,或凹腦坦中出脈。此為陰峽,其脈自頂有脊而出,或起突。此為曲峽,其脈屈曲活動,如生蛇渡水,至貴。小者尤佳。過峽之脈要曲,不宜直。直為死脈,不吉。中間有泡者,雖直亦吉。此為長峽,太長則易受風,宜遮護周密。又忌直長。若長而直,則為死脈,不吉。

以下の諸峡は今ただ図題と説明を存し、図形は已に佚す。第一式は「陽峡」。脈は凹処より出づ、或いは凹頂の平坦の処より出づ。第二式は「陰峡」。脈は山頂より脊背を帯びて出づ、或いは微微に突を起す。第三式は「曲峡」。脈は屈曲霊活、活蛇の水を渡るが如く、極めて貴重。形体小さきは尤も好し。第四式は峡を過ぐる脈は曲なるを要し、直を宜しとせずを説明す。直なるは死脈、不吉。ただし中間若し一個の泡状の凸起あれば、直なるもまた吉。第五式は「長峡」。太く長ければ易く風を受け、応に遮護周密すべし。また忌むは直くして長き、若し既に長く且つ直なれば便ち死脈、不吉。

此為短峽,峽短雖不受風,亦要斷跌明白,若模糊則非峽矣。闊峽氣散不聚,要中間有草蛇灰線、微高之脊則美。兩邊名氈褥,亦謂之霞帔峽,主大富貴。高峽者,山大而斷處未至平地也,多是人行之嶺。凡高過之峽,要護山周密。大龍峽亦有數十里坦過者,或數里塌過,亦曰遠峽。要兩邊迎送護應。此龍去甚遠,小龍無此峽。穿田峽,要兩邊皆低,中央過脈之田獨高,則分水明白。廖氏謂之青苗中過骨,此峽最吉。

第六式は「短峡」。峡短ければ風を受けざるといえども、また跌断するや清楚分明を要す。若し模模糊糊なればすなわち峡と算えず。第七式は「濶峡」。気は散じて聚まらず、中間に草蛇灰線の如き微高の脊線ありて才かに美を要す。両旁の平鋪の地は「毡褥」と呼び、此の種の峡もまた「霞帔峡」と称し、大富大貴を主す。第八式は「高峡」。山体は大にして断落の処はなお未だ平地に降り至らず、多半是れ行人往来の山嶺。凡そ高処を過ぐる峡は、護山の周密を求む。第九式は大龍の峡もまた平坦の地を過ぎ去ること幾十里のあり、或いは塌落して几里過ぎ去るを説く。また「遠峡」と呼び、両辺に迎あり送あり・護衛呼応するを要す。此の種の龍は走ること甚だ遠し。小龍にはこのような峡あらざらん。第十式は「穿田峡」。両旁の田は皆低く、中央の脈を過ぐるあの一条の田は独々高起するを要す。こうして両側の分水は才かに清楚。廖金精はこれを「青苗の中に骨を過ぐ」と称す。此の種の峡は最も吉。

渡水峽,要水中有石樑,謂之崩洪脈。《葬書》云“脈界水即止”。此謂渡水何也?蓋水不界石脈,而界土脈。邵子曰:“水即人身之血,石即人身之骨,土即人身之肉。”故血行於肉,不行於骨。血以資肉,肉以養骨以成身。惟氣則無往而不通者也。

「渡水峡」は水中に石梁あるを求め、「崩洪脈」と呼ぶ。『葬書』は言う「脈は水の界断に遇えばすなわち止住す」。然らば何の故にここはなお水を渡る能うや。水はただ土脈を界断する能く、石脈を界断する能わざるを以てなり。邵雍は言う。水は譬えば人身の血、石は譬えば人身の骨、土は譬えば人身の肉。血は肉の中に運行し、骨の中に運行せず。血は肉を滋養し、肉はまた骨を養う。合して一身を成就す。気に至っては、則ち通ぜざる処なし。

上峽圖九格,皆以脈言之也。而其脈又須有蜂腰鶴膝之形為美。末一格石脈,則有術家所謂崩洪十格,俱具圖於後。蜂腰鶴膝圖。凡龍脈束聚而成蜂腰鶴膝之形,其處氣旺,結穴必近,楊筠松云“蜂腰鶴膝龍欲成”是也。故凡見此形,則知龍將結作,可以求索穴場矣。

以上の峡図九格は、皆脈本身に就いて説く。而してこの条の脈はまた必ず蜂腰鶴膝の形状を帯びて才かに美を要す。最後の一格の講ずる石脈は、別に術家のいわゆる「崩洪十格」あり、皆後面に図を附す。以下は「蜂腰鶴膝図」。図形は已に佚し、ただ説明を存す。凡そ龍脈は収束凝聚して蜂腰鶴膝の形状を形成すれば、あそこは気最も旺、結穴は一定にすなわち附近に在り。楊筠松は言う「蜂腰鶴膝 龍将に成らんと欲す」、正にこの意。だから一たび此の種の形状を見れば、すなわち龍の将に結作せんとするを知り、あの一帯に於いて穴場を尋找す可し。

十大崩洪脈の図

石樑散亂,如手摸捉,在於水面者是也。石樑相牽相連,如瓜瓠在於水中是也。石樑如馬足跡在於水中是也。石樑如螺蚌之形在水是也。石樑生來如交角之形是也。石樑屈曲,如之玄字在水是也。石樑回抱如也字形是也。石樑三條如川字形是也。石樑縱橫如十字是也。石樑斷而復續是也。

以下の十格は今ただ図題を存し、図形は已に佚す。第一格:水中の石梁は散乱、一只の手の摸索抓取するが如く、水面上に露出す。第二格:石梁は彼此牽連相接し、瓜瓠の一串の水中に横たわるが如し。第三格:石梁の形は馬蹄印の如く、一個個水中に排す。第四格:石梁の形は螺蚌の如く、水裏に散布す。第五格:石梁は天生にして交角の形状を成す。第六格:石梁は屈曲し、「之」の字「玄」の字の水中に横たわるが如し。第七格:石梁は回環抱転し、「也」の字の形状の如し。第八格:石梁は三条並列し、「川」の字の如し。第九格:石梁は縦横交錯し、「十」の字の如し。第十格:石梁は断えてまた接続して下る。

上十大崩洪,乃石樑渡脈過水,其形有此十格。然亦難以此盡其形,舉此為式,觸類而長可也。蓋崩洪者,朋山共水之義也。廖氏云“朋山共水難尋脈,石上留眞跡。喚作崩洪有十名,官貴此中生”是也。其說出於楊筠松。《三十六脈歌》云:“崩洪之脈幾多般,朋山共水寔堪安。氣逢水界誰能別,眞龍偏向此中蟠。有人會得崩洪脈,腰懸金印入朝端。”

以上の十大崩洪は、石梁に靠りて脈を把り水を渡り去るを講ず。形状は約この十種の格式あり。ただしまたこれを以てその変化を窮尽し難し。挙出するはただ范例と作す。読者は能く触類旁通すればよい。いわゆる「崩洪」は、「朋山共水」(両山一水を夾む)の意思を取る。廖金精は言う。両山共に一水を夾むの処は最も脈を尋ね難く、石頭の上には却って真痕跡を留む。この種の格局は崩洪と呼び、共に十個の名目あり。官貴はすなわちここより出づ。此一説は楊筠松に源自す。『三十六脈歌』は言う。崩洪の脈は多少の種あるや。朋山共水は実に墳を安んず可し。気は水の界断に遇う、誰か分辮し出さん。真龍は偏偏としてすなわちこの中間に盤踞す。人若し崩洪脈を領会せば、便ち能く金印を腰に懸け朝班に位列せん。

其本旨則謂石脈之過水耳,後來因“眞龍偏向此中蟠”之句,遂誤謂脈中有穴,殊為可笑。矧此崩洪名目,以吾儒循名求義論之,亦當在擯斥之例,何也?山傾曰崩,水潰曰洪,乃惡名也。而術家乃為龍脈之美稱,何其背戾之甚。故張子微謂此乃術家以此暗藏機幸,闢之而不道。予於此收之,亦姑從俗借名,以證龍脈之渡水云耳。按:十大崩洪,李淳風《小卷》無十字、斷續二名,而有筋血、交劍,與楊公小異。以上所論過峽之脈,復有護峽之山圖具於後。

此一説の本意はただ石脈の水を渡るを講ずるのみ。後来「真龍は偏に此の中に蟠るを向く」の这一句を因とし、便ち誤解して石梁の当中に穴ありと為せり。実に可笑なり。況んや「崩洪」のこの名目は、我ら儒者の名に循い実を責むるの道理に按じて看れば、本来応に擯棄の列に在るべし。何を以てせん。山の塌陷は「崩」と呼び、水の潰決は「洪」と呼ぶ。皆悪名。術家は却ってそれを拿りて龍脈の美称と為す。実に太く常理に違背す。だから張子微はこれを術家のそれを借りて以て僥幸取巧の心思を暗藏するなりと認め、干脆として排斥して談ぜず。我がここに旧に収録するも、不过是れ姑く俗に随いてこの名称を借用し、以て龍脈の水を渡るこの事を説明するのみ。我が按ずるに、十大崩洪は李淳風の『小巻』の裏には「十字」「断続」の両個の名目なく、却って別に「筋血」「交剣」の両格あり、楊筠松の伝うる所と略微同じからず。以上の討論するは峡を過ぐるの脈。此の外さらに峡を護るの山あり。図は後面に列す。

護峡の山格

迎送凡脈離山而出,兩臂有護從之山,謂之送脈出身,亦曰送峽。脈起頂而上,兩臂有迴轉之山,謂之迎脈過峽,亦曰迎峽。此單迎單送也。迎送多者曰雙。此雙迎雙送,愈多愈好。大龍過峽,迎送有至數十重者,故以多為貴也。此有送無迎也。

先ず「迎送」を説く。凡そ脈は山体を離れて出づるに、両旁に護従の山ありて跟うれば、すなわち「脈を送りて出身す」と呼び、また「送峡」とも呼ぶ。脈は頂を起ちて上に向かい、両旁に回転して来たる山あれば、すなわち「脈を迎えて峡を過ぐ」と呼び、また「迎峡」とも呼ぶ。以下の几図は今ただ説明を存す。此一式は単迎単送。迎送の対を成すは「双」と呼び、此一式は双迎双送、愈々多きほど愈々好し。大龍の峡を過ぐるは、迎送の山の多きこと幾十重に至る皆あり。だから多きを以て貴と為す。此一式は送ありて迎なし。

此有迎無送也。凡有迎無送,有送無迎,若周密護得峽過,不受風吹,亦貴。此交互迎送也,也有吉有凶。此亦交互迎送也,力量差勝。上迎送峽,其迎龍之枝雖是逆轉迎峽,然不可認為逆龍。蓋逆龍枝腳一一望後,而正身前去,挺然獨出,故曰逆龍。此則惟是枝腳逆轉一二山顧峽,其正龍則自向前順去,隨身枝腳尤多且長也。胡直云“一種逆龍是迎接,反手雙雙開兩脅。接取龍來好處傳,此是龍生好枝葉。逆龍雖逆亦無害,一種交加是護峽。此等皆為富貴龍,左右均平龍在中”是也。

此一式は迎ありて送なし。凡そ迎ありて送なき・送ありて迎なきは、ただ護衛周密・峡を護送して過ぎ去りて風吹を受けざれば、また貴格と算う。此一式は交互迎送、吉もあり凶もあり。此一式もまた交互迎送、力量は略々一籌を勝る。以上は迎送峡を講ず。その中の龍を迎えるあの一枝は逆向に転じ来たりて峡口を迎接すといえども、それを以て「逆龍」と為すべからず。真正の逆龍は枝脚は一根根皆後に向かい指し、而して正身は旧に前に向かい挺然独出す。だから逆龍と呼ぶ。ここは不过是れ枝脚の中に一両座の山ありて逆転して峡口を照顧するのみ、正龍は仍旧として勢に順い前に走り去り、随身の枝脚は却ってさらに多くさらに長し。胡直は言う。一種の逆龍ありて是れ来たりて迎接する、反手の如く双双として両脅を張開し、龍を接住して好処に送り至る。これは正に龍の生出した好枝葉。逆龍は逆なるもまた妨害なし。別の一種の交錯相加するはすなわち峡を護る山。これらは皆富貴の龍に属す。ただ左右均平なれば、龍はすなわち正中を走る。

扛夾

凡脈從中過,兩旁客山或本山特起,高卓相應者謂之扛。外山隔水遠來護峽而相夾映者,謂之夾。凡扛、夾之山,最喜成形,如前所謂太陰、太陽、金箱、玉印、龜蛇、旗鼓之類,左右俱有極吉。若左右兩峰高聳峙立,又名曰天弧、天角,《經》云“天弧天角龍欲渡。”此本山扛峽,吉格。此外山扛峽,吉格。此外山隔水遠來扛峽,最吉格。此不成格,非峽。

凡そ脈は中間より過ぎ去るに、両旁に外来の客山或いは本身の山ありて特地聳起・高卓相対呼応するは、「扛」と呼ぶ。外山は水を隔てて遠処より趕え来たりて峡口を護住し・彼此夾峙映照するは、「夾」と呼ぶ。凡そ扛山・夾山は最も能く形象を構成するを好しと為す。前面に説いた太陰・太陽・金箱・玉印・亀蛇・旗鼓の類の如く、左右皆あるは極吉。若し左右の両峰は高聳対峙せば、また「天弧」「天角」と呼ぶ。『撼龍経』は言う「天弧天角 龍将に渡らんと欲す」。以下の几図はただ説明を存す。此一式は本身の山の峡を扛ぐ、吉格。此一式は外山の峡を扛ぐ、吉格。此一式は外山の水を隔てて遠く来たりて峡を扛ぐ、最も吉の格。此一式は格局を成さず、峡と算えず。

蔡西山先生の峡格

雙魚峽。如此乃為正出之峽,吉格。如此乃偏出脈,非峽。此偏出脈,非峽,亦謂之來去魚,主凶。垂珠峽。如此乃為正出之峽,吉。如此亦為正出之峽,吉。如此乃為偏出,不得為峽,主凶。如此則為偏寒,不吉,不可言峽。左右同。如此雖是峽,亦係偏斜,主奸險。

「双魚峡」、今ただ図題と断語を存す。此一式は脈の正中より出づるの峡、吉格に属す。此一式は脈の偏出、峡と算えず。此一式もまた偏出の脈、峡と算えず、また「来去魚」と呼び、凶を主す。「垂珠峡」。此一式は正出の峡、吉。此一式もまた正出の峡、吉。此一式は偏出、峡と算う能わず、凶を主す。此一式は偏にして孤寒、不吉、峡と称すべからず。左辺右辺の情形は相同じ。此一式は峡と算うるといえども、しかし偏斜、人の奸詐陰険を主す。

大凡峽,欲其脈從中出,而兩畔護送停均。如脈雖中出,而兩畔護山不勻,或邊有邊無,邊長邊短,邊多邊少,皆同偏論,有吉有凶。蓮化心峽。如此眞蓮花心峽,最為至貴。如此即小偏,力量輕減。如此全是偏斜,不可言峽。左右同。如此乃眞峽,極貴格。如此亦可言峽。如此亦可言峽。如此偏出,不可言峽矣。如此亦不可言峽,無用之龍耳。

大凡峡は、皆脈の正中より出で・而して両旁の護送の山の勻称相当するを希望す。假如脈は中より出づるといえども、両旁の護山は却って勻ならず、或いは一辺あり一辺なし、一辺長し一辺短し、一辺多し一辺少なし。皆「偏」を按じて論ずるを要す。その中に吉ありまた凶あり。「蓮花心峡」、今ただ図題と断語を存す。此一式は真正の蓮花心峡、最も貴重。此一式は稍稍偏り、力量は便ち減軽す。此一式は完全に偏斜、峡と算えず。左右両辺の情形は相同じ。此一式は真峡、極貴の格。此一式もまた以て峡と算う可し。此一式もまた以て峡と算う可し。此一式は偏出、すなわち峡と算う能わず。此一式は同じく峡と算う能わず、ただ一条の无用の龍。

迎送峽。如此則眞為有迎有送,至貴之峽。如此迎送尤佳,乃眞峽也,至貴。如此亦是眞峽,結貴地。如此即為偏出,非峽也。如此乃為交互迎送,半吉。如此全是偏出,大凶。如此極為偏枯,大凶。

「迎送峡」、今ただ図題と断語を存す。此一式は確かに迎あり送あり、是れ極貴の峡。此一式は迎送さらに好し、是れ真峡、極貴。此一式もまた真峡、能く貴地を結ぶ。此一式は偏出に属し、峡と算えず。此一式は交互迎送、半吉。此一式は完全に偏出、大凶。此一式は偏枯すること極点に至り、大凶。

玉井欄峽。如此眞玉井欄峽格,吉。如此名交互玉井欄,亦吉。如此亦是井欄迎送正格,吉。如此名右旋井欄,亦為正格吉。左旋同。如此係偏斜下品。如此名方旋井欄,亦為正格,吉。如此係偏出凶脈。如此乃迎接井欄,亦為正格,吉。

「玉井欄峡」、今ただ図題と断語を存す。此一式は真正の玉井欄峡格、吉。此一式は「交互玉井欄」と呼び、もまた吉。此一式もまた井欄迎送の正格、吉。此一式は「右旋井欄」と呼び、同じく正格、吉。左旋の情形は相同じ。此一式は偏斜、下品に属す。此一式は「方旋井欄」と呼び、もまた正格、吉。此一式は偏出の凶脈。此一式は「迎接井欄」と呼び、もまた正格、吉。

方脈峽。如此乃脈從中出,謂之正峽,吉。如此乃偏出,不可言峽,左右同。如此乃中出正峽,吉。如此為偏出,不得言峽,凶。飛絲峽。此但為飛絲脈,亦是偏出,不吉。此偏出之脈,不可言峽。飛絲雖從中出,兩旁不勻,亦不是峽。

「方脈峡」、今ただ図題と断語を存す。此一式は脈は正中より出で、正峡と称し、吉。此一式は偏出、峡と算う能わず。左右両辺の情形は相同じ。此一式は中出の正峡、吉。此一式は偏出、峡と算う能わず、凶。「飛糸峡」。此一式はただ飛糸脈と算うる能うのみ、しかもまた偏出、不吉。此一式は偏出の脈、峡と算う能わず。此一式は飛糸は中間より出づるといえども、可なりしも両旁は不勻称、同じく峡に非ず。

三臺飛電峽。此三臺飛電之峽,第一上格。此偏出之脈,非峽也。金魚佩峽。此為正峽,主一品侯王,極貴。此為偏出之脈,不可言峽,大凶。此亦是脈從中出之峽,大凶。流星峽。此眞流星峽也,至貴,主出神童。此偏出之脈,不可言峽,大凶。此亦不謂之峽。此為偏出之脈,不謂之峽。

「三台飛電峡」、今ただ図題と断語を存す。此一式は三台飛電の峡、第一等の上格。此一式は偏出の脈、峡に非ず。「金魚佩峡」。此一式は正峡、一品侯王を出すを主り、極貴。此一式は偏出の脈、峡と算う能わず、大凶。此一式はもまた脈の中より出づる峡なるも、却って大凶と断ず。「流星峡」。此一式は真流星峡、極貴、神童を出すを主す。此一式は偏出の脈、峡と算う能わず、大凶。此一式もまた峡と称す能わず。此一式は偏出の脈、同じく峡と算えず。

釵股峽。此乃正釵股峽格也,吉。此為偏出,不可言峽。玉帶峽。此為玉帶峽正格,主貴。此偏尤甚,何可言峽?此偏脈,極凶。方城峽。此為正峽,最貴。此亦正峽,最貴。此偏出之龍,不問左右,皆凶。玉池峽。此池當脈,至貴。此脈從池中過,兩畔皆水,大貴。此脈偏出,不可謂峽,凶。

「釵股峡」、今ただ図題と断語を存す。此一式は正釵股峡格、吉。此一式は偏出、峡と算う能わず。「玉帯峡」。此一式は玉帯峡の正格、貴を主す。此一式は偏ることさらに厳害、怎んぞ峡と呼ぶ能わんや。此一式は偏脈、極凶。「方城峡」。此一式は正峡、最も貴。此一式もまた正峡、最も貴。此一式は偏出の龍、偏左偏右を論ぜず、皆凶。「玉池峡」。此一式は池塘は正しく脈前に当たり、極貴。此一式は脈は池中より穿り過ぎ、両辺皆水、大貴。此一式は脈の偏出、峡と称す能わず、凶。

按:蔡西山曰:“峽之為格,其名不一,茲但舉其形體與正格相類,而脈從旁落者辨明之。大抵迴環如峽,而脈從中出,則乃所謂峽也。若迴環如峽,而脈從峽兩旁出,則是偏行之龍,不可謂之峽。今世俗之見,不問脈在中及在左右,但形體如峽,即以峽名,何其謬耶!夫所謂峽者,謂關峽之類。峽以蔽龍,關以收局。今脈在旁而猶謂之峽,則是兩旁惟一旁有蔽,一畔孤露風寒,何以謂之峽與?故錄諸格以見其旨焉。”

我が按ずるに、蔡元定は言う。峡の格式名目は一ならず、ここはただあの形体は正格と相似て而して脈は却って旁边より落下するの例を挙げて以て辮明を加う。大体言えば、両旁は回環して個の峡の如くして、而して脈は中間より出づれば、これ才かにいわゆる峡。若し両旁は回環して峡の如くして、脈は却って峡の両旁より出づれば、あればすなわち偏行の龍、峡と呼ぶ能わず。如今世俗の見は、脈の中間に在るや左右に在るやを問わず、ただ形体は峡の如くあればすなわちそれを峡と呼ぶ。何の荒謬ぞ。いわゆる「峡」は、本是れ関峡の一類のもの。峡は以て龍を遮蔽し、関は以て局面を収攏す。如今脈は旁边に在りてなおそれを峡と呼べば、すなわち両旁にただ一旁のみ遮蔽あり、別の一辺は孤零零として風に当たり寒を受くるに等し。怎んぞ峡と称する能わんや。だからこれらの格式を記録し、好くその中の旨意を顕明せんとす。

張子微の峡訣

子微《峽訣》共二十格圖。幕內美女照妝臺,出皇后、貴妃及一品夫人。出臺鼎大貴。此出神仙、清高貴人,吉。出大貴。此至貴。主大富貴,王侯地位。出內相翰苑才名。出豪貴。出將入相,先斬後奏。至貴。出禁穴。出王侯。濁富。大貴大凶。出妖術賊將等,大凶。出草冦大盜,極凶。主貴。半吉。半吉。大凶。

張子微の『峡訣』は共に二十格の図。今ただ各図の断語を存す。その一:帳幕の内、美女は妆台に対して鏡を照らす。皇后・貴妃および一品夫人を出すを主す。その二:宰輔台鼎一級の大貴を出す。その三:神仙と清高貴人を出す、吉。その四:大貴を出す。その五:極貴。その六:大富大貴・位は王侯に至るを主す。その七:内廷の宰輔・翰林院の文名の士を出す。その八:豪門の顕貴を出す。その九:将を出でて相に入り、先斬後奏の権あり。その十:極貴。その十一:皇家の禁穴を出す。その十二:王侯を出す。その十三:富みて清からず、濁富に属す。その十四:大貴にして却って大凶。その十五:妖術の士・盗賊の将領等を出す、大凶。その十六:草寇大盗を出す、極凶。その十七:貴を主す。その十八:半吉。その十九:半吉。その二十:大凶。

上張子微《峽訣》二十格,皆以左右護峽之形狀吉凶,定峽之美惡者也。以上峽圖,載為式耳。山形變化,豈止於斯?智者察其情性之眞,觸類而長之可也。夫蔡氏之論龍脈者,固有偏中之正,正中之偏,有似偏而實正,似正而實偏。有正出而偏落,有偏出而正落,有前偏而後變於正者,前正而後變於偏者。有脈雖偏於一邊,而外山照應親切,不至風吹者。有星頂正於左邊,而脈則出於右畔者。有星體偏於右邊,而左邊枝腳反多者。有雙脈相合者,有三脈五脈隱怪難明者,有石脈奇異及閃跡偷蹤偏正難辨者,有微而至於無形者,豈圖之所能盡哉!

以上の張子微の『峡訣』二十格は、皆左右の峡を護る山の形状の吉凶に凭りて、以て峡の美悪を判定す。前面に載する各種の峡図も、不过是れ范式と作すのみ。山形の変化は、豈にこれらのみに止まらんや。聡明の人はただその性情の真偽を体察し、触類旁通すればよい。蔡元定の論ずる所の龍脈は、本来より偏中の正・正中の偏あり、看似偏にして其の実正・看似正にして其の実偏なるあり。正出にして偏落するあり、偏出にして正落するあり。前段は偏にして後段は変じて正なるあり、前段は正にして後段は変じて偏なるあり。脈はたとい一辺に偏するも、而して外山の照応は親切にして風を受けるに至らざるあり。星頂は端にして正に左辺に在りて、脈は却って右辺より出づるあり。星体は右辺に偏して、左辺の枝脚は却って多きあり。双脈の相合するあり。三脈五脈の隠晦古怪にして看明し難きあり。石脈の奇異・および踪を閃かし跡を偷し・偏正辮じ難きあり。さらに細微にして几んど形なきに至るあり。これらは何れぞ几幅の図の窮尽し得る所ならんや。

其張子微之論護山者,則有不切之弊。如所謂玄魚、圭璧之吉應於兩旁,而或龍脈偏枯死弱,豈可以圭璧而謂之吉哉!蓋必以蔡氏為主,而子微之說兼之可也。大抵山形之微妙無窮,龍脈之變化不一,可以理推,難以形定。固有似吉而凶,似凶而吉者,有半吉半凶及可吉可凶者,有先吉後凶,有先凶後吉者。毫釐之間,禍福所繫,豈按圖索驥者可窺測哉!神而明之,存乎其人。

張子微の専ら護山を論ずるあの一套に至っては、すなわち切実ならざるの毛病あり。譬えば両旁に「玄魚」「圭璧」の形あれば便ち吉に応ずべしと説くも、万一龍脈の本身は偏枯死弱ならば、豈に圭璧の形に凭りてすなわち吉と断ず能わんや。だから応に蔡元定の説を以て主と為し、兼ねて張子微の説を采るを以て才かに对と為す。大体、山形の微妙は無窮無尽、龍脈の変化は一种に止まらず。ただ理を以て推求する能く、形状に凭りて死定し難し。確かに看似吉にして実凶・看似凶にして実吉なるあり、半吉半凶・吉たる可く凶たる可きあり、先吉後凶あり、もまた先凶後吉あり。毫厘の差、禍福はすなわちその間に繋がる。何れぞ図に照らして按図索驥する人の窺測し得る所ならんや。能く神会して洞明するや否やは、全く各人の自己に在り。

龍の枝脚橈棹を論ず

龍有貴賤美惡之不同,觀其枝腳橈棹而可見。蓋枝腳橈棹,龍之分氣也,其形體各以類從。故龍之長遠者,其枝腳橈棹亦長遠;龍之短小者,其枝腳橈棹亦短小。龍之吉者,其發為枝腳亦起星辰,帶貴氣;龍之凶者,其見於枝腳亦必惡陋,類凶形。是蓋龍氣吉凶不同,故迸露發洩於枝腳橈棹間,美惡情狀亦自不可掩耳。

龍に貴あり賤あり、美あり悪あり。その「枝脚」「橈棹」を看ればすなわち分辮する能う。枝脚橈棹は龍の分出せし気、形体は各々その類に按ず。だから龍は走ること長遠なれば、枝脚橈棹もまた長遠。龍は短小なれば、枝脚橈棹もまた短小。龍は吉なれば、発出する枝脚の上にもまた星辰を聳起し、貴気を帯ぶ。龍は凶なれば、枝脚の上に顕現するは必定醜悪鄙陋、形状は凶形に近し。これは龍気の吉凶同じからざるを以て、一旦枝脚橈棹の間より迸露発泄して出づれば、美悪の情状は自然に掩蔵し得住ず。

姑就易見者論之,如枝腳之山廣袤起伏,蕃衍擁從,或如倉如庫,如劍如印,如旗如鼓,或成天乙、太乙而侍立兩邊,或成御屏、展帳而蓋樂於後,或帶金箱玉印,或帶簡笏牙刀,或結天關地軸,或如武將文官,或類天馬貴人,或類龜蛇獅象,或如玉帶金章,或如玎璫珂佩,或拔若文筆,或連如串珠,或圓如覆釜傾鍾,或方若列屏貯櫃,或森若排衙唱喏,或擁如隊仗儀從,或濟濟如子孫丁壯之繁,或簇簇如奴僕畜養之眾,雲從霧集,侍衛森嚴,護定我身,不敢他往,此皆吉氣之發見者也。

姑く容易に看る得る方面に就いて言えば。枝脚の山は若し広濶綿延・起伏致あり、繁茂に簇擁随従し、或いは倉の如く庫の如く・剣の如く印の如く・旗の如く鼓の如し。或いは「天乙」「太乙」を成して両旁に侍立す。或いは「御屏」「展帳」を成して背後に於いて蓋山・楽山を作す。或いは金箱玉印を帯び、或いは簡笏牙刀を帯ぶ。或いは「天関」「地軸」を結成す。或いは武将文官の如く、或いは天馬貴人の如く、或いは亀蛇獅象の如し。或いは玉帯金章の如く、或いは叮当作響の玉佩の如し。或いは挺拔して文筆の如く、或いは相连して串珠の如し。或いは圓くして倒扣の釜・傾側の鐘の如く、或いは方くして排列の屏風・貯物の櫃の如し。或いは森然として衙役の排班唱喏の如く、或いは簇擁して儀仗随従の如し。或いは済済として子孫壮丁の衆多の如く、或いは密密として奴僕畜養の成群の如し。雲霧の如く聚拢して来たり、侍衛は森厳、龍身を護定し、他去るを敢てせず。これらは皆吉気の顕発して出づるの表現。

《明山寶鑑》云:“天以太乙者,富貴之本原;天祿天馬者,富貴之任用;文官武庫者,富貴之應驗;左輔右弼者,富貴之維持;男倉女庫者,富貴之設施。”廖氏云:“惟有本身枝腳重,隊仗眞得用。”大凡好砂,列於前者是客山,眾人所共。其在本身枝腳者,乃自家之物,一己之受用親切者也。故傅伯通云:“不貴其見而貴其不見”。廖氏云:“誰知不見乃為奇,福應沒差移。”

『明山宝鑑』は言う。天乙・太乙の二星は富貴の本原。天禄・天馬は富貴の任用。文官・武庫は富貴の応験。左輔・右弼は富貴の維繋。男倉・女庫は富貴の鋪陳。廖金精は言う。ただ本身の枝脚の厚重あるのみ、この一套の儀仗は才かに真に用い得上る。大凡好砂は、穴前に排するは客山に属し、是れ衆人の共有。本身の枝脚の上に長ずるは才かに自家のもの、是れ自己の貼身受用。だから傅伯通は言う。見る得るを以て貴と為さず、而して見えざるを以て貴と為す。廖金精は言う。誰か知らん、見えざるが却って奇特なるを、福報の応験は分毫差えず。

其或龍無枝腳橈棹者,謂之奴;雖有枝腳,不踴躍拔卓者,謂之弱;散漫委靡而無收拾者,謂之虛;反背無情而不顧本身者,謂之逆;凶惡尖利而反射本身者,謂之殺;拖拽太重而奔走東西者,謂之刦;及有枝腳不均,或邊有邊無,邊長邊短,邊順邊逆,邊美邊惡者,謂之病。

反対に、龍は若し根本に枝脚橈棹なければ、「奴」と呼ぶ。枝脚あるも踴躍挺拔せざれば、「弱」と呼ぶ。散漫萎靡にして收拾し得住ざれば、「虚」と呼ぶ。反背无情・本身を顧みざれば、「逆」と呼ぶ。凶悪尖利にして却って来たりて本身を刺射すれば、「殺」と呼ぶ。拖拽は過重にして東奔西走すれば、「劫」と呼ぶ。さらに枝脚の不均勻なるあり、或いは一辺あり一辺なし、一辺長し一辺短し、一辺順なり一辺逆なり、一辺美なり一辺悪なり、「病」と呼ぶ。

又或兩旁垂落,如拋槍揷竹、臥尸提籮,如繩如刀,如斬指斷頭,如茅葉之亂,死蛇之靡,灰囊投算、鵝頭鴨頸,種種不吉之形,皆凶氣之發見者也。似此龍神,縱有形穴,皆為不吉。若誤下之,主長病癆瘵而枉死少丁,或瘟癀災火而莫可援救,或官訟連年而田產退盡,或淫亂風聲而敗壞人倫,亦各以其類而應也。故橈棹枝腳為龍身發洩吉凶之驗,詎不信夫!具圖於後。

再び両旁に垂落して下る枝脚の、拋出の槍・插着の竹の如く、躺倒の尸首・提着の籮筐の如く、繩子の如く・刀の如く、斬断せる手指・砍下の頭顱の如く、乱茅葉の如く・死蛇の癱軟の如く、投擲の灰袋算籌の如く、鵝頭鴨頸の如き。種種の不吉の形は、皆凶気の顕発して出づるの表現。このような龍神は、たとえ形あり穴あるも、また一概に不吉。若しその中に誤葬せば、すなわち長年の疾病・癆瘵の身に纏いて年軽の者の枉死を主り、或いは瘟疫火災にして救援するに由なく、或いは官司連年にして田産は敗尽し、或いは淫乱の名の伝出して人倫を敗壊す。もまた各々その形状類別に按じて一一応験す。だから橈棹枝脚は正に龍身の吉凶を泄露するの憑証。怎んぞ信ぜざるを得んや。図は後面に列す。

此龍身枝腳間所帶諸貴格之略也。傅國師云:“凡後龍節節枝腳垂落處,要起星辰,成形像,如天馬、倉庫、交床、旌鼓、劍印、展帳、列屏、天乙、太乙、文官、武將等件,而順護龍身,前去必結大地。”《一粒粟》云“不貴其見而貴其不見”者,乃此謂矣。天乙、太乙主位居臺閣,日月、輔弼主位至公孤,玉佩、文武主王侯極品,男倉、女庫主人財富盛,展旗、頓戟主威武,左右侍從主尊榮,旗旄、誥軸、御屏、錦帳、馬旗、相臺主出將入相,印笏主神童狀元。

此図(図形は已に佚)の示す所は、是れ龍身の枝脚の間に帯ぶる所の各種の貴格の大略。傅国師は言う。凡そ後龍の節節の枝脚垂落の処は、皆星辰を聳起し形象を構成するを要す。天馬・倉庫・交床・旌鼓・剣印・展帳・列屏・天乙・太乙・文官・武将等々の如く、しかも勢に順いて龍身を護れば、前に往きて必定大地を結ぶ。『一粒粟』の言う所の「その見ゆるを貴ばずしてその見えざるを貴ぶ」、正にこれを指す。各形象の応験は。天乙・太乙は位の台閣に居るを主す。日月・輔弼は位の三公三孤に至るを主す。玉佩と文武の形は王侯極品を主す。男倉・女庫は人丁財貨の豊盛を主す。展旗・頓戟は威武を主す。左右の侍従は尊栄を主す。旗旄・誥軸・御屏・錦帳・馬旗・相台は将を出でて相に入るを主す。印笏は神童状元を出すを主す。

右龍身枝腳所帶諸凶之大略也。《快捷方式》云:“凡後龍枝腳節節垂落處,或尖利帶殺,或瘦弱崚嶒,或臃腫醜惡,反背走攛,或拖拽太重,或大小無倫,或長硬如槍,或細繞如索,或如重尸,或如斷頭,或如煙包,或如投算,種種丑形,則為凶惡,縱有形穴,亦不可下。

右図(図形は已に佚)の示す所は、是れ龍身枝脚の帯ぶる所の各種の凶形の大略。『捷径』は言う。凡そ後龍の枝脚節節垂落の処は、若し尖利にして殺を帯び、或いは痩弱嶙峋、或いは臃腫醜悪・反背して竄走し、或いは拖拽過重、或いは大小失倫、或いはまた長くまた硬くして一杆の槍の如く、或いは細細として纏繞して一条の索の如く、或いは重畳の尸首の如く、或いは断掉の頭顱の如く、或いは煙包の如く、或いは拋擲の算籌の如き。種種の醜形は皆凶悪に属す。縱然形あり穴あるも、また下葬すべからず。

左回龍顧祖之地,本身秀氣呈露於前,作我朝對。《經》云“未作穴時先作朝”是也。前謂“不貴其見而貴其不見”,若此者,見又何害?大抵貴通活變,莫泥陳言可也。以上所論龍身枝腳吉凶大概,皆以垂落之形言之,未及自身發出均勻、長短、有無之親切也。並述於後。

左図(図形は已に佚)は是れ回龍顧祖の地。本身の秀気は前方に呈露し、正に好く自己の朝山対案を充当す。『撼龍経』の言う「未だ穴を作さざる時先ず朝を作す」、すなわち此の種の情形。前面に講ずる「見る得るを以て貴と為さず、而して見えざるを以て貴と為す」、しかし此のような地の如きは、見る得るはまた何の妨げかある。総じて貴ぶは通達活変、成説に死守するなかれ。以上の討論する龍身枝脚の吉凶の大概は、皆枝脚垂落の形状に就いて説く。まだ枝脚自身の発出する時の均勻の与否・長短如何・有無怎様のこれらのさらに貼身の問題に談じ至らず。一併に後面に叙述す。

右龍身枝腳對節均勻之格,至貴。蓋龍身枝腳,貴其對節生出,兩邊均勻,有無、長短、大小相同,正脈中出,乃為上格。術家名曰梧桐枝。張子微曰“停均惟有梧桐枝,雙送雙迎兩平勢。對節分生作穿心,祖宗兒子都相類”是也。

右図(図形は已に佚)はこの条の龍、枝脚は節に対して生じ両辺均勻の格局、極めて貴重。龍身の枝脚は、貴ぶは成対にして同一の節上より生出し、両辺均勻。有無相同じ・長短相同じ・大小相同じ、正脈はまた中間より穿出す。これ才かに上格。術家はこれを「梧桐枝」と称す。張子微は言う。真正勻称のはただ梧桐枝、双送双迎、両辺の形勢は平斉。節に対して分生して正脈は心を穿る、祖宗と児孫の形貌は皆彼此相類す。説くは正にこの一格。

蔡西山云:“龍之所以貴其枝腳對生,如梧桐枝為龍中第一貴者,其理易見。今不問名花卉木,對生為貴。凡野生草木花卉,若對節間生枝發葉者,皆可為醫藥,用以拯疾。此可見天地間凡對生者,皆受天地之靈氣。人之手足筋骨,鳥獸之足翼,皆對生者也。其有藥中木瓜、荳蔻、縮砂、大黃、黃連、黃芩等,皆不對生,然卻有奇處,終與凡草有異。龍之奇者亦然。故之玄屈曲,與特地聳拔,又皆不可以穿心論。此惟圓機通變,知識過人者可與語此。”余按:西山此論精當明切,論龍枝腳之妙思過半矣。

蔡元定は言う。龍の枝脚の対生を以て貴と為す所以は、梧桐枝の如くして龍中の第一貴格と為る、道理は甚だ看明白し易し。如今何の名花草木を論ぜず、皆対生を以て貴と為す。凡そ野生の草木花卉は、若し是れ対節の処に枝を生じ葉を発すれば、大多は以て薬に入れて病を治す可し。これに由りて見る可し、天地の間は凡そ対生するは、皆天地の霊気を禀受せり。人の手足筋骨・鳥獣の双足双翼も、また皆是れ対生。薬材の中の木瓜・豆蔻・縮砂・大黄・黄連・黄芩等は並びに対生せざるといえども、却って自ら奇特の処あり、終に尋常の草木と同じからず。龍裏のあの奇特なるもまた此の如し。だから「之」の字「玄」の字の如く屈曲の龍・および格外聳拔の龍は、皆穿心の与否を拿りて以て衡量し去る能わず。この一層は、ただ心思の圓活通変・見識の人に過ぐる者のみ談じ得来る。我が按ずるに、蔡元定のこの番の議論は精当明白、龍枝脚の妙処を論じて、已に大半を講通せり。

右龍身枝腳橈棹雖長短不對,而交互停均,脈卻穿心,術家名曰芍藥枝格也。張子微云“一等名為芍藥枝,左右相生亦相似。分處光圓有枝葉,交互亦有停均理”是矣。愚謂此龍格枝腳雖長短不同,然左股或先一節長,必後一節短;右股雖先一節短,必後一節長。兩相抵對,卻有停均之理。況節節正脈穿心,雖左右長短不齊,不害其為貴龍也。

右図(図形は已に佚)はこの条の龍、枝脚橈棹は長短対を成さざるといえども、却って交錯して大致勻称、正脈は仍旧として心を穿りて出づ。術家は「芍薬枝」格と称す。張子微は言う。別に一種ありて芍薬枝と呼ぶ、左右相生の様子もまた彼此相似。分枝の処は光潤圓整、枝葉を帯び、交互の間は同じく勻称の道理あり。我は此の種の龍格の枝脚は長短一ならざるといえども、但し左辺の一股は若し前一節長ければ、後一節は必定短し。右辺の一股は若し前一節短ければ、後一節は必定長し。両相抵補し、仍お勻称の理ありと認む。況んや節節皆正脈穿心、たとえ左右の長短不斉なるも、またそれの貴龍と為るを妨げず。

左圖龍身枝腳雖不對節,而左右交互停均,術家名曰蒹葭葉。子微云:“左有右無過一節,右有左無本非異。此名原是蒹葭樣,但要星辰得地位。”愚按:此與梧桐枝對節力量殊異,而與芍藥枝頗同,其枝葉亦是來去開枝,但枝末多生丫丫,帶力差重者也。此蒹葭葉枝末無丫,故力輕耳。然力量雖有不同,融結本無二理,烏可以其力輕而棄之?

左図(図形は已に佚)はこの条の龍、枝脚は対節を成さざるといえども、可なりしも左右は交錯して大致勻称。術家は「蒹葭葉」と称す。張子微は言う。左辺あり右辺なし、一節を過ぎてまた反す。右辺あり左辺なし、本来もまた怪と算えず。この名目は原よりすなわち蒹葭様と呼ぶ。ただ星辰の処する方位の得当なればよい。我が按ずるに、この一格は梧桐枝対節と相較べて力量は大いに同じからず、而して芍薬枝と頗る接近す。芍薬枝の枝葉もまた一来一去に開出し、ただ枝梢の上に小杈を多生す。だから帯ぶる力量は略々重き些。蒹葭葉の枝梢は小杈なし。ここにおいて力量は軽し。ただし力量は大小あるといえども、結作の道理は本来並びに両样なし。怎んぞそれの力軽きを因として棄置して用いざるを得んや。

右龍一邊有枝腳而長,一邊微有枝腳之狀,術家名曰楊柳枝。子微:“又有偏生楊柳枝,邊有邊無極乖異。”又謂:“若有形穴,纏送山周密,亦可下。”愚謂此等龍,公位不均,一位富足多子,一位貧寒廢疾絕嗣,偏枯太甚,縱有形穴,亦不可下。公位雖不必泥,然若此者,計子孫利害之重,亦當審擇可也。

右図(図形は已に佚)はこの条の龍、一辺は枝脚ありしかも長し、別の一辺はただ略々一点の枝脚の様子のみ。術家は「楊柳枝」と称す。張子微は言う。また一種の偏生の楊柳枝あり、一辺あり一辺なし、極めて乖異。彼はまた言う。若し是れ形あり穴あり、纏護送従の山は周密なれば、もまた以て下葬す可し。我は此の類の龍は各房の福分を不均ならしむと認む。一房は富足多子、別の一房は貧寒残疾にして以て嗣を絶つに至る。偏枯するや太く厳害。たとえ形あり穴あるも、また下葬すべからず。「公位」の説は必ずしも死摳せざるも、但し此の種の情形に遇えば、子孫の利害重大を考慮し、も応に慎重選択すべし。

左龍一邊有枝腳,一邊全無枝腳,乃是奴龍,不結地也。其有腳邊乃為山面,以顧乎主,無腳邊乃為山背耳。張子微謂此格合柳星亦能出貴,但公位偏枯。愚謂此等龍是奴僕之山,決無融結道理。雖合柳星,有形穴,亦當棄置,不可下也。子微雖或有見,予不敢附和耳。

左図(図形は已に佚)はこの条の龍、一辺は枝脚あり、別の一辺は完全になし。これは「奴龍」、地を結ぶ能わず。脚あるあの一辺は山の正面、以てその侍奉する所の主龍を照顧す。脚なきあの一辺はただ山背のみ。張子微はこの一格は若し「柳星」に合せばもまた能く貴を出すと認むも、ただ各房の福分は偏枯。我は此の種の龍は本是れ奴僕の山、決して結作の道理なし、たとえ柳星に合し看て形あり穴あるも、も応に棄置して用いず、下葬すべからずと認む。張子微は或いは自ら彼の見地あらん、我は却って附和を敢てせず。

大抵龍之枝腳,貴於均勻為美。如人手足,如鳥獸之翼腳,缺一邊則不能飛走,其不至於廢棄也寡矣。此理勢之必然,不待智者而後知也。地理之與物理,相為流通者也,奚可以差殊觀哉!

大体、龍の枝脚は均勻を以て美と為す。これは人の手足・鳥獣の翅膀と腿脚の如し。一辺を缺けばすなわち飛び動かず走る能わず、廃棄の地步に落ち至らざるは尠し。これは事理の必然此の如く、聡明の人の点破を待つを必とせず。地理の道は万物の理と本来より彼此相通ず。怎んぞ以て両回事と作して看るを得んや。

右龍枝腳一邊長一邊短,本自不均。卻是節節中出,其枝短一旁又有一大枝纏送到頭,亦為貴格。術家謂之捲簾殿試格。張子微云“卻有偏生極貴龍,名為捲簾登殿試,不問偏斜,黃甲及第”是也。

右図(図形は已に佚)はこの条の龍、枝脚は一辺長く一辺短く、本来不均勻。しかしそれは節節皆正中より脈を出で、しかも枝脚短きあの一側に別に一条の大枝ありて一路纏護して頭に送る。だから仍お貴格と算う。術家は「巻簾殿試」格と称す。張子微は言う。もまた一種の偏生の極貴の龍あり、名は巻簾登殿試。その偏斜の与否を管せず、照样に能く金榜題名す。説くは正にこの一格。

右龍雖一邊枝腳長,一邊枝腳短,本自不均。然短邊卻傍祖山,貼身障護,又不可以長短不均論也。諺云“一祖當千山”,如人之奴僕、護從雖多,不若祖宗之庇廕福澤所及為大也。

右図(図形は已に佚)はこの条の龍、たとい一辺の枝脚長く一辺の枝脚短く、本来不均勻なれども、但し短きあの一辺は正に祖山に靠り、祖山は身に貼いて遮擋護衛す。すなわち再び長短不均を拿りて来たりて評論する能わず。諺語は言う「一祖は千山に当たる」。譬えば一個人の奴僕随従は再び多しとも、また祖宗の庇蔭の帯来する所の福沢の深厚に比べ及ばざるが如し。

左龍枝腳一畔美一畔惡也。大凡龍神枝腳,欲其兩邊均勻為美。若一邊好,一邊不好,或邊有邊無,邊長邊短,邊順邊逆,邊多邊少,皆為不吉,縱有形穴,亦不可下。龍之枝腳橈棹,亦如人之手足,固宜其長而忌其短。然亦有短而吉者,須是節節均勻,從中出脈,兩邊護山貼身纏從方可。即術家所謂蜈蚣節龍格也(如右圖)。張子微云:“兩旁有護,極清極貴。”《發揮》云:“此格腳短,必假外山纏護周密,而後可以極其清貴。”愚謂此等龍須要到頭穴星開窩開鉗,有龍有虎,不假外山護衛而穴場自暖方可。否則不吉,不可下也。

左図(図形は已に佚)はこの条の龍、枝脚は一辺美なり一辺悪なり。大凡龍神の枝脚は皆両辺均勻を以て美と為す。若し一辺好く一辺好からず、或いは一辺あり一辺なし、一辺長し一辺短し、一辺順なり一辺逆なり、一辺多し一辺少なし。皆不吉に属す。縱然形あり穴あるも、また下葬すべからず。龍の枝脚橈棹は人の手足に譬う。本応に長を以て宜と為し短を以て忌と為す。ただしもまた短にして吉なるあり、あれは必ず節節均勻・脈は正中より出で・両旁また護山ありて身に貼いて纏随して才かに行く。これがすなわち術家の言う所の「蜈蚣節」龍格(右図の如し)。張子微は言う。両旁に護衛あり、極清極貴。『発揮』は言う。この一格は枝脚短し、必ず外山の纏護周密を借助して、然る後に才かにその清貴を極むる能う。我は此の類の龍はさらに必ず頭に到る処の穴星は能く窩を開き鉗を開き、本身に青龍白虎あり、外山の護衛を借せずして穴場は自然に温暖ならんことを要して、才かに合格と算うと認む。否然ればすなわち不吉、下葬すべからず。

左龍全身活動擺折,如生蛇出洞、仙帶飄空,即蘆鞭嫋、之玄龍、九天飛帛等格也。此等龍不論枝腳,但要纏從周密,又必起頂結穴,有本身龍虎,不藉外山而穴自暖,乃為眞結。此格最貴。若出自臺屏帳蓋之下者,主神童狀元,才名冠世。

左図(図形は已に佚)はこの条の龍は通身霊活擺折、活蛇の洞を出づるが如く、仙人の飄帯の凌空舞動するが如く、すなわち「芦鞭嫋」「之玄龍」「九天飛帛」の此一類の格局。此の種の龍は必ずしも枝脚を論ぜず、ただ纏護随従周密にして、しかも必定頂を起ちて結穴し、本身に青龍白虎あり、外山に靠らずして穴場は自然に温暖なれば、才かに真結作と算う。この一格は最も貴重。若しそれは台・屏・帳・蓋の一類の貴格の下より出づれば、すなわち神童状元を出すを主り、才名は当世に冠絶す。

以上所論龍身枝腳橈棹之美惡,及均勻、長短、有無等說,姑就淺近者言耳。至於大龍,又難如此拘執。蔡文節公曰:“迎送、交互、手腳、橈棹,此看龍之常法也。然大龍漸近融結處,多是單行,無手腳橈棹可見。其逶迤轉折,平行低度,狀如流水。或忽然斷絕,無蹤可尋;或小如引線,不認悠往。

以上は龍身枝脚橈棹の美悪、および均勻・長短・有無等の説法を討論し、姑くただ浅近の処に就いて言う。大龍に至っては、すなわちこのように成規に死守し難し。蔡元定(文節と諡す)は言う。迎送・交互・手脚・橈棹、これらは是れ龍を看るの常法。しかし大龍は愈々結作の処に接近すれば、多半は単身独行、何の手脚橈棹をも見えず。それは逶迤転折し、低平地に一路行き去り、形状は流水の如し。或る時忽然断絶し、蹤あって尋ぬる可からず。或る時細小なること一条の引線の如く、人をしてそれが悠悠として何の処に向かい去るを認め出さしめず。

其低平之處,或為平田曠野,橫闊多至數十里。或為溝池田疇,或為人煙園塹,或為小關墟市。或迥無人居,彌望無際;或渺茫沙阜,不堪步履;或隱隱隆隆,忽似黿鼉;或堆堆累累,忽如古墓。前去則逢瀰漫巨浸,江湖交會,然無山可依,無形可辨。此大龍之大盡處也。巨眼見此,知為大地,或可為京畿,或可為藩鎮。從頭檢點,來龍分明,纏護無缺,之玄曲屈,手足擺佈,無不具備,特人不識造化之廣狹耳。”

それの低平なるあの一段は、或いは平田曠野、横寛は常に幾十里に達す。或いは溝渠池塘田疇、或いは人家園圃壕塹、或いは小関口と墟集市鎮。或るものは荒れて人煙なく、一望に辺なし。或るものは渺茫の沙丘、脚も踏み上ぐる能わず。或るものは隠隠隆隆、忽然として一只の大黿大鰐の如し。或るものは堆堆累累、忽然として一座の古墓の如し。再び前に往けばすなわち浩渺の大水に遇い、江湖交会す。しかし再び依傍す可き山なく、分辮す可き形状なし。これがすなわち大龍の大尽頭。眼力大なる人は此の種の処を見れば、すなわち是れ大地なるを知り、或いは以て京畿を作す可く、或いは以て藩鎮を作す可し。頭より細細として査点すれば、来龍分明、纏護は缺口なく、之字玄字の如く屈曲し、手足枝脚の布置は一として備わらざるなし。ただ常人は造化格局の広狭を識得せざるのみ。

愚按:此論大龍,不可以枝腳橈棹常法拘之,最為切當。子微亦云:“且如龍行看送迎,手腳交接如蟹動。”不知大龍百十里,或數十里,俗眼以常法拘之,豈能識此?是故龍身橈棹枝腳之說,又須辨認龍之枝幹大小,而後始盡其微妙。若徒以常法拘之,則未免坎蛙之見矣。

我が按ずるに、この段の大龍は枝脚橈棹の常法を拿りて去りて拘泥する能わずを論ずるは、最も切当。張子微もまた言う。龍の行走を看るは迎送を看るを要し、手脚の交接は螃蟹の爬動の如し。しかし人々は大龍は一走ればすなわち百十里・幾十里なるを知らず、俗人の眼光はただ常法を用いて去りて套す。怎んぞ認め出さんことを能くせんや。だから龍身橈棹枝脚に関する種種の説法は、さらに必ず先ずこの条の龍の究竟是れ枝か干か・是大か小かを辮明して、然る後に才かにその中の微妙を窮尽する能う。若し一味に常法を用いて去りて死套せば、すなわち井底の蛙の見識を免れ難し。

龍の護送を論ず

《黑囊經》云:“龍要有蓋送,蓋送龍神重。”《發揮》云:“貴龍全在護從多。”卜氏云:“德不孤,必有鄰,看他護從。”《龍經》云:“眞龍身上多護衛,山水有情來拱揖。”又云:“只有眞龍坐局內,亂山卻在外為纏。”又云:“纏多不許外山走,那堪長遠作水口?送從托山若兩全,富貴雙全眞罕有。”是皆言眞龍融結,必有護從迎送諸山以衛區之。

『黒嚢経』は言う。龍は蓋山送山あるを要し、蓋送あれば、龍神は才かに厚重。『発揮』は言う。貴龍は全く護従の山の多きに在り。卜応天は言う。徳ある人は孤单せず、必定隣居の相伴するあり。看るはすなわちその護従。『撼龍経』は言う。真龍の身上は護衛甚だ多く、山水は皆情を含みて前に来たりて拱手作揖す。又言う。ただ真龍は局内に端坐し、雑乱の群山は却って外面に於いて纏護を充当す。又言う。纏護多ければすなわち外山の走散を許さず、況んやさらに遠く去りて水口を作さんをや。送従の山と背後の托山は若し能く両全せば、富貴双倶の地は実に少有。これらの話は皆説く、真龍の結作する時は必定護従迎送の諸山ありて来たりてこの一片の区域を衛護す。

如大貴人出入,必前呼後擁,行者辟易,觀者環堵。居則侍妾數百人,或兵卒數千輩,披堅執銳,以護衛之。張子微云:“王侯簇衛須隨從,出入坐起多迎送。”又云:“萬卒影從成禁衛,千官環列是朝廷。”莫非取諭眞龍有眾山之擁從耳。

これは大貴人の出行に譬うれば、必定前呼後擁、路人は紛紛として避譲し、熱鬧を看るは一堵の墻を圍成す。居家すれば則ち侍妾数百人あり、或いは士卒数千名あり、身は堅甲を披り手は利刃を執りて彼を護衛す。張子微は言う。王侯の身辺に簇擁する衛隊は必ず随従あり、出入起居は皆許多の迎送あり。又言う。万名の士卒は影の如く形に随えば便ち禁衛を成し、千名の官員は側に環列すれば便ち朝廷なり。これらは無非是れ拿りて来たりて真龍に群山の擁護随従あるを比喻するのみ。

其單獨孤寒之龍,如貧賤之人,家徒四壁,室如懸磬,妻子且無,況奴僕使令者乎?及其出外,遍國中無與立談者,況隨從呵殿者乎?故單寒之龍,最為無用,前去多作神壇社廟而已。楊公云:“若是孤行無護衛,定作神祠佛道宮。”張子微云:“孤生獨活無人伴,只好焚香作廟居。”

あの孤单寒素の龍に至っては、すなわち貧賤の人の如し。家裏はただ四堵の墻を剩し、屋中は空きて掛起せる磬の如く、妻子児女すらなし。況んや使喚に供する奴僕をや。彼は門を出でて外に在れば、満城に一個の肯んじて站住して彼と説話する人を找し得ず。況んや前呼後擁の随従をや。だから孤寒の龍は最も用处なし。前に往けば多半ただ神坛社廟を作すのみ。楊筠松は言う。若し孤零零として走りて護衛なければ、一定ただ神祠仏寺道観を作す。張子微は言う。孤生独活して伴侣なければ、只好く人をしてあそこに於いて香を焚き廟を建てしむ。

然龍固貴於有護從,尤貴於護從多。蓋護從多則地愈大。《經》云:“護從多愛到穴前,三重五重福綿延。一重護衛一代貴,護衛十重宰相地。兩重亦主典專城,一重只出丞簿尉。”又云:“尋龍千萬看纏山,一重纏是一重關。關門若有十重鎖,定有王侯居此間。”

龍は固然より護従あるを以て貴と為し、さらに護従多きを以て貴と為す。護従は愈々多ければ、地はすなわち愈々大なるを以て。『撼龍経』は言う。護従の山は最も好きは皆穴前に伸び来たり、三重五重あれば、福沢はすなわち綿長。一重の護衛は一代の貴を出し、十重の護衛は便ち宰相の地。両重もまた一城の政を執掌するを主り、ただ一重のみあればすなわちただ県丞・主簿・県尉の此の類の小官を出す能うのみ。又言う。龍を尋ぬるは千万纏護の山を看るを要し、一重の纏護はすなわち一重の関口。関門若し十重の鎖閉あれば、あそこは一定王侯住む。

范越鳳云:“大富大貴之地,如大官行衙,前呼後擁之多。小地如小官出入,從者不過數人而已。”又有長短大小之分。龍大則纏護山亦大,龍長則纏護山亦長。短小之龍,纏護之山亦只短小而已。《經》云“護纏亦自有大小,大小隨龍長短來。龍長纏護亦長遠,龍短纏護亦近挨”是也。

范越鳳は言う。大富大貴の地は、好比は大官の出巡して衙を開く、前呼後擁の人は極めて多し。小地は好比は小官の出入、随従は不过几个人のみ。此の外さらに長短大小の分あり。龍大なれば、纏護の山もまた大。龍長ければ、纏護の山もまた長し。短小の龍は、纏護の山もまたただ短小のみ。『撼龍経』は言う「護纏もまた自ら大小あり、大小は龍の長短に随いて来たる。龍長ければ、纏護もまた長遠。龍短ければ、纏護もまたただ身旁に貼近す」、すなわちこの意思。

枝龍必須纏護周密,朝迎秀異,送從齊整,下手重疊,方有結作。不可以一山有情而取之。《經》云:“枝龍身上亦可裁,半是虛花半是開。若是虛花無朝應,若是結實護纏回。護纏定要觀疊數,一疊回來龍身顧,莫便將為眞實看,恐是護龍葉交互。三重五重抱回來,此就枝龍身上做。”

枝龍は必ず纏護周密・朝迎の山秀麗出衆・送従の山斉整・下手砂重重叠叠にして、才かに結作あり。ただ一座の山の有情に凭りてすなわちそれを選定すべからず。『撼龍経』は言う。枝龍の身上もまた以て穴場を裁取する可きも、ただ一半是れ虚花・一半是れ真開。若し虚花に属せば、すなわち朝山の呼応なし。若し是れ真結なれば、護纏の山は便ち回環して内に向かう。護纏を看るは一定要ずそれに几重あるを数えるを要す。ただ一重の回抱・龍身を顧るのみあれば、すなわち真と作すを要せず。恐らくはただ龍を護る枝葉の彼此交錯するのみ。必ず三重五重の抱転して回るありて、あれ才かに枝龍の身上に做り出す真結なり。

幹龍則取遠迎遠送、大纏大護,在眼界寬闊中認之。張子微云:“大地迎送隔江水。”又云:“大龍行到水盡頭,或作州縣回迤逞。必有高山作外纏,不在身旁數十里。”《龍經》云:“不知幹長纏亦長,外州外縣山為伴。”又云:“大凡幹龍行盡處,外山隔水來相顧。”

干龍は則ち遠処の迎送・大範囲の纏護を取るを要し、必ず開濶の視野の中に於いて辮認するを要す。張子微は言う。大地の迎送は江水を隔つ。又言う。大龍は水の尽頭に走り至れば、或るものは州治県治を結成し、回環舒展す。必定高山ありて外圍に於いて纏護を作し、しかも身旁に在らず、往往として遠く幾十里の外に在り。『撼龍経』は言う。人々は干龍長きを知らず、纏護もまた長し、外州外県の山は皆来たりて伴を作す。又言う。凡そ干龍は尽頭に走り至るの処、外山は水を隔てて前に来たりて相互照顧す。

《玉髓經》云:“大龍迎送、倉庫,皆非本身自帶。如大官出入,自有部封屬境,節次措辦供帳、次舍、倉庫、委積,以候其求,而貴人不過隨帶騶從而往耳。”每經過處,無不聚起觀瞻,翕集迎送。大龍之行,無以異此。小龍如小官出入,凡需用之物,莫不自帶。又如富人出入,器皿帷幙,莫不畢備。然皆自己之物,不容取於他人。但車馬齊整,人從偉燁,經過未嘗不起觀瞻,或有莊佃參覿也。

『玉髄経』は言う。大龍の迎送の山と倉庫の砂は、皆本身自帯に非ず。好比は大官の出行、沿途は自ら所属の州县あり、站次に按じて預め帳幕・館舎・倉儲・物資を備辨し、彼の随時取用を待つ。而してこの位の貴人は不过幾名の随従騎手を帯びて前に往くのみ。彼は一処を経過する毎に、衆人の聚集観看・紛紛迎送を引致せざるなし。大龍の行走の情形はこれと毫も二致なし。小龍は則ち小官の出行の如く、凡そ需用の物は無くして自ら帯びざるなし。また富人の出門の如く、器皿帷幕は样样斉備すといえども、可なりしもあれは皆自家のもの、別人に索取する能わず。ただ車馬は斉整、随従は光鮮、経過する時もまた未だ嘗て人の観看を引かざるなし、或いは荘戸佃客ありて前に来たりて参見す。

大小龍之別如此,故大龍迎送、纏護諸山,各有龍脈奔來,與正龍隔水相會以為用。然不可一概取遠者為護,而於空曠受風處,亦指遠山為侍從。竊恐無識者睥睨大地,被野師所誑,而以單獨凶龍為結大地,強指遠山作纏護,執《玉髓》之說以藉其口。是又為圖大所惑也,切要入穴不受風為眞。

大龍小龍の分別はすなわち此の如し。だから大龍の迎送と纏護の諸山は、各自別に龍脈ありて奔湧して来たり、水を隔てて正龍と会合し、正龍の取用に供す。ただしもまた一概に遠山を把りて皆護従と当て、甚至くは空曠受風の処に於いても遠山を指して侍从と説くべからず。我の擔心するは、見識なき人は大地を妄想し、江湖術士に騙されて、孤单の凶龍を説きて大地を結ぶと為し、硬く遠山を指して纏護を作し、さらに『玉髄経』の説法を搬出して来たりて以て借口と当つ。あればすなわちまた「図大」の二字に迷惑せらる。最も緊要の一条は、穴に入るの処は風を受けずして、才かに真と算う。

故凡護山,必有近者為侍為從,而又有遠者為纏為迎方可。且其緊要過峽關節去處,必以近者為準。譬如奴僕,近在身側,則驅使得力。若去身已遠,則呼喚未及,使令不便,安能得其力哉!又須稍高大,不可太低小,如幼童侍衛我旁。彼幼無知,不能勝我驅使之任矣;然亦不可太高大,有奴來欺主之狀。只宜相稱於大小高低遠近之間,斯盡其妙。智士胸中自當有活潑之機也,豈筆端所能悉哉!

だから凡そ護山を講ずるは、必ず近処に山ありて侍従を作し、遠処また山ありて纏護迎接を作して、才かに完備と算う。しかも峡を過ぐるの此の類の緊要関節の処に於いては、一定要ず近処の護山を以て準と為す。これは奴僕に譬うれば、身辺に近ければ才かに使喚し動かす得。若し身を離るるや已に遠ければ、招呼は及ばず・差遣は方便ならず。怎んぞ彼の助力を得んや。護山はさらに必ず稍稍高大なるを要し、太く低小なるべからず。否然ればすなわち幼童をして旁に侍立せしむるが如し。彼は年幼無知、我の駆使に供するの職責を擔い起す能わず。然而るにまた太く高大なるべからず。あれはまた奴僕の欺圧主人の様子と成る。ただ応に大小・高低・遠近の間に於いて彼此相称して、才かにその中の妙処を窮尽すと算う。聡明の人は心中自ら一副の活溌の機変あり。これは何れぞ筆墨の説き尽し得る所ならんや。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻二上之二

江右山人徐善繼述 同著。此一卷專論龍有旁正、老嫩、長短、眞偽、貴賤諸體之殊。蓋行龍之形勢不同,至其結作之吉凶亦異。於此諸體辨別之眞,則涇渭以明,而取舍始有定也。否則,差之毫釐,謬以千里,而吉凶混淆矣,可不知所察乎?

本巻は江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一巻は専ら龍脈が「旁正」「老嫩」「長短」「真偽」「貴賤」のこの几組の体格上の差別を討論す。行龍の形勢は各々相同じからず、凝結して穴を成すの時に到れば、吉凶の応験もまたそれに随いて同じからず。この几組の体格を辮じ真切实れば、好壞は涇水と渭水の如く清濁分明なり、何れの条を取り何れの条を舎くべきや才かに準則の拠る可きあり。否然れば手を起す時はただ一糸一毫を差うるも、結果に落ち至れば便ち謬りて以て千里なり、吉と凶は混雑して分け難し。地理を学ぶ人は怎んぞここに於いて細加考察せざるを得んや。

龍の旁正を論ず

夫龍一也,而有旁正之分。蓋正龍者,稟受得正氣而行,而其旁受諸山皆來拱衛者也。故一祖之下必有數龍,觀龍者須審其孰為正龍受穴之山,孰為旁龍從衛之山,於此分別明白,則取舍有正見也。夫所為旁正之分者,有數說焉。

龍脈は本是れ同じ一件の事物なれども、却って「正龍」と「旁龍」の分あり。いわゆる正龍は、是れ山川の正気を禀受して行走するあの一条。それの両旁の偏気を承受する衆山は、皆来たりてそれを拱抱護衛す。だから同一座の祖山の下は必定好几条の龍を分出す。龍を看る人は必ず審清するを要す。何れの一条か正龍・是れ将来に穴を受け墳を安んずる山、何れの一条か旁龍・是れ随行護衛の山。この一層を分辮明白すれば、取舎は才かに正確の主見あり。旁と正を区分するの辦法に至っては、前人に好几種の説法あり。

《葬經》曰:“重岡疊阜,群壟眾支,當擇其特大則特小,特小則特大。”此則以大小特異者為正龍也。一行禪師云:“數龍並出孰為先?長短高低是妙玄。眾短要從長處覓,眾長須向短中扦。高下亦當依此訣,石山元在土星邊。君今但指朝山看,朝應無情定是偏。”此則以長短、高低、土石及朝應之特異者為正龍也。

『葬経』は言う。岡峦は重重・丘阜は層層、成群の大壟と衆多の小支は交錯して一緒に在る時、あの与衆不同なるを挑るを要す。衆山皆大なれば、すなわちその中の特別小なるを取る。衆山皆小なれば、すなわちその中の特別大なるを取る。此一説は是れ大小上の特異を以て正龍を定む。唐代の僧一行禅師は言う。几条の龍は一斉に発出す、何れの一条か首を為す。奥妙はすなわち長短高低の上に在り。衆龍皆短ければ、長きあの条の上に到りて找るを要す。衆龍皆長ければ、却って応に短きあの条の上に於いて下葬すべし。高低の取舎もまたこの口訣に照らす。石山の真機は原本よりすなわち土星の旁に貼す。汝はただ管く朝山を指して去りて看よ。朝山若しそれに対して无情なれば、この条の龍は一定是れ偏なり。此一説は是れ長短・高低・土石および朝山の呼応上の特異を以て正龍を定む。

吳公云:“數龍隨出孰為奇?貴賤尊卑總要知。三五七龍同發跡,正龍必定是中枝。更看星體還特異,又審穿峽有護持。若是從龍俱不應,便於此處別玄微。”此則以龍之居中而星辰特異、過峽周密者為正龍也。要之,諸說各有攸當,而吳為密。

呉公は言う。几条の龍は接続して発出す、何れの一条か最も奇。貴賤尊卑は総じて先ず分け清むるを要す。三条・五条・七条の龍は同時に歩を起こせば、正龍は必定居中のあの一枝。再びその「星体」が格外特異なるや否やを看、またそれの山峡を穿り過ぐる時に峰峦の護持あるや否やを察すを要す。倘若随従の衆龍は皆それと呼応せざれば、すなわちここに於いて別にその中の細微の玄機を辮ずるを要す。此一説は是れ居中にして星体特異・峡を過ぐる処また護衛周密なるを以て正龍と為す。総じて言えば、几家の説法は各々その合理の処あり、而して呉公の説は最も縝密なり。

蓋中即正也,旁即偏也。特小特大、特長特短、特高特低,亦須居中為正。不但三枝五枝並出而居中,但自離祖出身,行度過峽,其脈常不離中,乃為至美。或三臺九腦而中抽,或華蓋個字而中出,或玉枕御屏而中落,皆謂之中。其偏龍稟氣之偏,故凡出脈行度,自是偏斜,多為正龍從衛。

居中はすなわち正、辺に靠るはすなわち偏。前面の言う所の特別小・特別大、特別長・特別短、特別高・特別低も、また皆居中のあの一条を以て正と為す。しかもいわゆる居中は、ただ三枝五枝の同出する時の中間に排するを指すのみならず、さらにその自ら祖山を離れ身を起す以后、一路の行走・峡を過ぐるに、脈気の始終中線に偏離せざるを看るを要す。これ才かに最も上乘。或るものは「三台」「九脳」の此の類の星峰の正中より抽出し、或るものは「華蓋」「个字」の此の類の帳幕の正中より穿出し、或るものは「玉枕」「御屏」の此の類の星体の正中より落下す。皆中を走ると算う。偏龍の禀受するは是れ偏気。だから脈を出でて行走する時自然に偏斜歪側し、多半ただ正龍に随従護衛を充当するを与えんのみ。

《地理集解》云:“凡自祖山上發出五七枝龍者,須仔細辨認某枝是正龍受穴之山。”若是正龍,自出身離祖以來,自然尊重。及到過峽處,兩旁必有峰巒遮護,不令風吹水射。其行動曲折處,皆活動逶迤;其起伏頭面,皆端嚴秀麗;其手腳橈棹,皆光彩圓淨,自與眾山不同。

『地理集解』は言う。凡そ祖山の上より五枝七枝の龍を発出するは、必ず仔細に何れの一枝か才かに正龍・是れ能く穴を受くる山なるを辮認するを要す。若し真に正龍なれば、祖を離れ身を起して以来、気象は自然に尊貴穏重。峡を過ぐるの処に到れば、両旁に一定峰峦ありて遮擋護衛し、風をして来たりて吹かしめず・水をして来たりて射せしめず。それの転折行進の処は、皆霊活曲折・綿延致あり。それの起伏の間の山頭山面は、皆端厳斉整・清秀俊麗。それの両側に伸出する「枝脚」「橈棹」は、皆光潤圓潔、周囲の衆山と一看すればすなわち同じからず。

或眾山高大此獨低小,或眾山低小此獨高大。又且兩旁山之形勢,皆顧定我身,不敢有離動別去之狀。至入穴處,其旁龍山若不是住在正龍穴後作送托、夾照之山,必是繞出穴前,堰取左右數源之水,聚在面前,為正龍穴前聚作明堂,及作護關、案山,或作捍門、水口。故正龍自是尊重,而旁龍必為正龍之用神也。

或る時は衆山皆高大、独りそれは低小。或る時は衆山皆低小、独りそれは高大。再び言えば、両旁の山峦の形勢は、皆正龍のこの一身に朝して回顧守定し、敢て離散別去の様子あらず。入首結穴の処に到れば、あの旁龍の山は若し正龍の穴後に停在して「送托」「夾照」を充当せざれば、必定穴前に遶り、左右の几条の源頭の水を攔聚し、穴の正面に匯して、正龍の穴前の為に「明堂」を聚成し替え、或いは護関・「案山」を充当し、或いは「捍門」を充当して以て水口を把守す。だから正龍は自然に尊貴、而して旁龍は必定正龍の駆使に供す可き「用神」に淪落す。

大抵正龍之於旁龍,猶麒麟之於走獸,鳳凰之於飛鳥,自然出類拔萃,繫山川正氣所鍾,故融結孕育,多為賢人君子、忠臣烈士、崇儒碩輔。而先天地間一切正人,皆正龍中出之地所能鍾孕。是亦氣相感召,自然之理也。

大体上説けば、正龍は旁龍に比するに、麒麟の走獣の中・鳳凰の飛鳥の中に在るが如く、自然に出類拔萃す。それは山川正気の鍾聚を繋ぐ。だから凝結孕育して出づるは、多是れ賢人君子・忠臣烈士・儒学を尊崇する輔弼重臣。天地の間の一切の品行端正の人物は、皆能く正龍中出の地脈に由りて鍾秀孕育せらる。これもまた気類の相互感召の道理、本は自然而然に属す。

其有雖居貴顯,而心術不正,或為奸臣,為妬後,為邪侫之流者,則是其地雖美,而非正氣所鍾,或星辰欹側之不尊,或五行克戰之不美,或沙水奔流之不純,故爾。及有父子兄弟祖孫而賢愚不一,邪正不齊者,則又當於龍之節數、年代及砂水之方位中求之。或美中有疵,醇中有醨,未能純粹,故值其吉者為吉人,值其凶者為凶人。此亦天地無全功,造化無全能耳。

もまた身は顕貴に居るといえども、心術は却って端正ならず、奸臣・妒后・邪佞の一流の人物と成るあり。あれは是れ地は看て好くとも、却って正気の鍾する所に非ざるを以て。或いは星峰は歪斜にして尊厳に夠わず、或いは五行の間は相克交戦して和美に夠わず、或いは砂水は奔流して純正に夠わず。だから此の如し。同一家の中の父子・兄弟・祖孫の賢愚同じからず・邪正一ならざるに至っては、すなわち龍の節数の多少・応験の年代の先後・および砂水の居する方位の中に到りて推求するを要す。往往是れ好中に瑕を帯び・醇厚の裏に薄酒を攙したるが如く、純粋する能わず。だから吉気を承応するあの一房は吉人を出し、凶気を承応するあの一房は凶人を出す。これもまた不过是れ天地に十全の功用なく・造化に十全の能力なきのみ。

至於旁龍,亦雖有穴如大貴人,所至之地,必有從行隨帶部屬,及卑職小官,然力量為輕,卻多與正龍共祖宗,共門戶,共堂局、羅城、案對者,尤宜詳辨,不可以旁為正,以正為旁。然一登正穴,觀正龍之規模、態度,自然氣象不侔。

旁龍に至っては、たといもまた能く穴を結ぶも、就好比は一位の大貴人の到る所、必定随行の部暑と一些の低階小官を帯ぶるが如し。ただそれの力量は軽微、しかも常に正龍と共用する一個の祖宗・共出する一個の門戸・連ねて「堂局」「羅城」と対面の「案山」も皆是れ共有。だから尤も仔細に辨別するを要し、旁龍を把りて正龍と当てるべからず、また正龍を把りて旁龍と看るべからず。不过ただ正穴に登りて、正龍の規模格局と体态神情を一看すれば、あの份の気象は自然に旁龍と比較する能わず。

蓋旁龍自有俯伏揖讓退遜之狀,及奴顏婢膝顧主之形不可掩者,雖二龍並出,亦有尊卑之殊,不難見也。其旁龍之有融結者,必須本身亦有起伏頓跌,亦有橈棹枝腳,亦有傳變穿落,特正龍尊貴證得,旁龍不尊耳。固雖優劣不同,未可謂其全無融結造化也。若是旁龍別無護從,而全身是為正龍所用,則無融結,縱有形穴不足取也。

旁龍は総じて俯身低伏・拱手退譲の姿態を帯び、あの種の奴顔婢膝・頭を回して主人を看る様子は掩飾し得住ず。たとえ两条の龍は一同に発出するも、尊卑の別はまた見出し難からず。旁龍の裏の能く穴を結び地を成すは、本身もまた必ず起伏頓跌あり、「橈棹」「枝脚」あり、伝変・穿落のこれらの変化あり。ただ正龍に種種の尊貴の証佐の験す可きあり、旁龍は尊貴に夠わざるのみ。見る可し、二者は優劣の分あるといえども、却って旁龍は全然地を結ぶ能わずと説く能わず。倘若旁龍に自己の護従なく、整条の身子は完全に正龍に用いられれば、あればすなわち凝結あらず。縱然看て個の穴形あるも、また取るに値せず。

龍の老嫩を論ず

夫龍一也,而有老嫩之殊。廖氏云:“老是大山毛骨粗,嫩是換皮膚。”其說雖發於《穴星篇》內,然論龍老嫩,亦不外是。蓋粗大者為老,巧小者為嫩;綿亙者為老,退卸者為嫩。老龍山巒蠻蠢,星體渾濁,枝腳縮短,無有脫卸剝換,徑直而不活變,粗飽而不發揚,崚嶒醜陋而無嫵媚之態。如老婦形容枯槁,顏色憔悴,無有生育之理者,故不可以求穴也。

龍脈は本是れ同じ一件の事物なれども、却って「老」「嫩」の区別あり。廖金精は言う。老は、是れ大山の骨相の粗糙。嫩は、是れ已に一層の皮肤を換え過ぐる。彼のこの話は『穴星篇』の裏に出づるといえども、用いて龍の老嫩を論ずるもまた同じく合适なり。大致、粗大なるは是れ老、巧小なるは是れ嫩。連綿不断なるは是れ老、一節節に退卸して細に変ずるは是れ嫩。老龍の山峦は蠢笨、星体は渾濁不清、枝脚は短縮、「脱卸剥換」に粗より細に転ずるの変化なく、一味に直く去りて霊活せず、粗飽臃腫にして舒展せず、嶙峋醜陋にして一点の秀媚の態なし。恰も一個の形容枯槁・面色憔悴の老婦、已に生育の可能なきが如し。だから此の種の龍の上に於いて穴を求む能わず。

嫩龍則有起有伏,有大有小,一高一下,一頓一跌,左棲右閃,之東走西,活變百端,奇巧萬狀,斷而復起,起而又斷。自粗變細,自凶換吉,脫卸清巧,如樹木新發枝柯,自然條暢,開花結實,生意不息。故此龍可以索穴也。然嫩龍亦自老龍變出,故曰:“老龍抽出嫩枝柯,跌斷不嫌多。”

嫩龍は則ち起あり伏あり、大あり小あり、忽ち高く忽ち低く、一頓一跌し、忽然而りて左に栖り忽然而りて右に閃き、一時東に向かい一時西に往き、霊活変化百出、奇巧姿態万千、断えてまた起ち、起ちてまた断つ。それは粗より細に変じ、凶より吉に換え、一層層に脱卸するや清爽軽巧、好比は樹木の新たに枝條を抽出し、自然に舒展通暢、能く花を開き能く果を結び、生機は停まず。だからこのような龍は才かにその上に於いて穴を尋ぬる可し。不过嫩龍もまた老龍より変じ出づ。だから説く。老龍は嫩枝條を抽出し、中間の跌断は愈々多きほど愈々嫌わず。

大抵老龍如巨家老宿,氣象厚重,容貌質樸,不事修飾。然含蓄儲峙,養育子孫,皆此人也。嫩龍如千金之子,嬌脆細膩,承師就保,衣服鮮明,容貌美好,享有厚福。娶名家女,生貴顯孫,乃此人也。故老龍多是未經脫卸,可以為祖。而嫩龍則有穿落傳變之巧,而為受穴之山也。若老龍一向不變細嫩,則為老亢,無生成之理,不必尋地。俗亦謂之老椿,以其如老枯之木,而無有枝葉之發暢也。又有一等眞龍,結穴已完,猶有餘氣山延袤而去者,亦名曰老,是又以脈盡氣絕為老。李淳風謂“龍有歸於老者”是也。此處亦不結穴,不須著眼。

大体上、老龍は好比は大戸人家の裏の老前輩、気象は厚重、容貌は朴素、修飾を講究せず。然而るに家底の藴蓄積攅・子孫の撫養教育は、全くこのような人に靠る。嫩龍は好比は富貴人家の公子、嬌嫩細致、小より老師の教導あり・保姆の照看あり、衣着は鮮亮、容貌は俊秀、厚福を享受す。将来に名門の女を娶り顕貴の孫を生ずるは、もまた正にこのような人。だから老龍は多半はなお未だ脱卸を経過せず、ただ祖山を充当する能うのみ。嫩龍は則ち穿帳・落脈・伝変の巧妙変化を具備し、才かに穴を受くる山と為る能う。假如一条の老龍は始終変じて細嫩せざれば、あればすなわち「老亢」と呼び、生発の理なし。それの身上に於いて地を尋ぬるを必とせず。民間もまたそれを「老椿」と称し、それを説いて一株の枯老の樹の如く、再び暢茂の枝葉を長出す能わずと為す。別に一種の真龍あり、結穴は已に完成し、さらに余気の山の綿延伸出して去るあり。この一段もまた老と呼ぶ。あれは是れ脈気の頭に到り生気已に絶えたるを以て説く。李淳風の講ずる「龍に老に帰する有り」、正に此の種の情形を指す。この一段は同じく穴を結ばず。それの上に於いて留意するを必とせず。

龍の長短を論ず

夫龍一也,而有長短之異。楊公云:“尋龍千里非迢遞,其次五百三百里。”張子微云:“大龍千里費推尋,一二百里作郡邑。”顏氏云:“幹龍住處分遠近,千里為大郡。二三百里可為州,過此則封侯。百里只堪為縣治,下此為鎮市。”是皆言龍之長者結作大,短者結作小,理固然矣。

龍脈は本是れ同じ一件の事物なれども、却って長短の別あり。楊筠松は言う。龍を尋ぬるは千里を以て常と為し、並びに太く遠しと算えず。次一等もまた五百里・三百里あり。張子微は言う。千里の大龍は推尋に力を費やすを要し、一二百里を行くは郡邑の地を結成す可し。顔氏は言う。干龍の止住する処は遠近を分けて看るを要す。千里に行き至るは大郡を成す可く、二三百里は一州を作す可く、この数を超過すれば便ち能く侯に封ずるの地を出す。ただ百里のみあれば不过一個の県治を作すに夠わず、再び短ければ便ちただ鎮市を成す。此の几家は皆説く、龍長ければ結作すなわち大、龍短ければ結作すなわち小、道理は本来此の如し。

但此等長龍,大者即大幹龍,小者即小幹龍。或結禁穴,或為郡邑市鎮,雖有遺穴,天珍地秘,鬼神呵護,以俟有德,不可妄意睥睨。今尋龍只須得百里,或五七十里,或三四十里,其次或一二十里,又其次或二三十節,亦可謂之長矣。《玉髓經》云:“小龍不下五十里,二十三十皆好地。”又云:“龍行五里亦有地,何必千里百里蹤?”凡求地,當辨其結穴眞偽,不必拘其龍之長短遠近也。

不过此の類の長龍は、大なるはすなわち大「干龍」、小なるはすなわち小干龍。それらは或いは帝王陵寝の禁穴を結成し、或いは郡邑市鎮の基址と為る。たとえさらに未用の穴を留遺するも、もまた是れ天地の珍藏・鬼神の守護、専ら徳ある人を待つ。是れ随に意に窺伺す可きに非ず。今天龍を尋ぬるは、ただ能く百里を得、或いは五七十里、或いは三四十里、次一等の一二十里、再次一等の二三十節を得れば、もまた以て長と算う可し。『玉髄経』は言う。小龍は五十里より少なからざれ、二十里・三十里の皆能く好地を成す。又言う。龍は五里を行くも一様に地あり。何必に千里百里の来蹤を追尋せんや。凡そ地を求むるは、応に先ずその結穴の真假を辮明し、必ずしも龍の長短遠近に死摳せず。

且眞龍融結,分牙布爪,其長者多為纏護,為下手,為水口關攔。正穴藏縮居內,又不可一概取長者為貴。《經》云“龍無貴賤只論長,纏龍纏過前更強。君若論長不論貴,纏龍有穴反為良”者是也。況龍變化不一,固有望之似長而步之又短者。《發揮》云:“龍望之若近,尋之卻遠,此是龍勢之玄屈折,逶迤擺佈,所以若近而寔遠。此為上等之龍。若龍雖遠而行易至,此是龍徑直而無活動擺佈,非美龍也。”是故論龍遠近、長短,又當如此審究,大抵不可執一。

況んや真龍の凝結して穴を成す時、両旁に牙爪の如き支脈を分出す。その中の長きあの些は多半是れ纏繞護衛・下手の一臂を把守し・或いは水口に於いて攔関する角色を充当す。正穴は却って収斂して裏面に蔵す。見る可し、一概に長を以て貴と為す能わず。『龍経』は言う。龍を論じて若し貴賤を分かたずただ長短を比べれば、然らば遶護の纏龍は穴前よりさらに強し。汝若しただ長を論じて貴を論ぜざれば、倒に纏龍の上の穴は才かに好しと説かん。況んや龍の変化は一种に止まらず、本来より遠く望んで似て甚だ長く、実際は走り行けば却って甚だ短きあり。『発揮』は言う。或る龍は望み上ぐるや甚だ近く、走り過ぎ去りて尋ぬれば却って甚だ遠し。これは是れ龍勢の「之」の字「玄」の字を作すが如く屈曲折転し、綿延擺布するを以て、だから看て近くして其の実遠し。これは是れ上等の龍。之に反して、或る龍は看て遠く、走り過ぎ去れば却って容易に到る。あれは是れそれの一味に直く去りて霊活の擺布なき。是れ好龍に非ず。だから龍の遠近長短を論ずるは、さらにこのように細加審究するを要す。総じて一端に拘執すべからず。

譬如人之受氣於父母,有頎而長者,有縮而短者。然賢不肖非在長短。湯九尺,而曹交九尺四寸。以長固無補於智愚,何長短之拘哉!但龍節長者受氣多,福力必深遠;短者受氣淺,福力易止歇。此則有之,其於融結則無異也。

これは人の父母の気を禀受して生ずるに譬うれば、或るものは身材頎長、或るものは身量短小。しかし賢と不肖は並びに身材の長短に在らず。商湯は身の高さ九尺、曹交は身の高さ九尺四寸。個子の高きは智愚に対して並びに補益なし。然らば龍を論ずるはまた何必に長短に死摳せんや。ただ龍の節数長ければ、気を受くるや多く、福力は必定深遠。節数短ければ、気を受くるや浅く、福力は容易に中止す。この一層の差別は是れあり。能く穴を結び地を成すや否やに至っては、則ち並びに分別なし。

《靈臺明堂經》及《寶鑑》諸書乃謂貴龍有七十二骨節,釋之者又謂應七十二候,節數不足者非眞龍。其謬益甚。蓋龍自有骨節,如左仙《七星經》所謂“行度須觀骨節奇,入穴須教骨節稱”者是也。然亦特論其美惡耳,非謂拘其節數也。若必拘其七十二節,及三百六十節之說,以定龍之長短,決優劣,是執一而不通矣。子微云:“若是執一去尋龍,行遍江湖無一地。”此類是也。

『霊台明堂経』と『宝鑑』の一類の書は貴龍に七十二個の骨節ありと説き、解釈する人はまたこれは一年の七十二候に対応すると説く。節数は夠わざればすなわち真龍に非ず。これはすなわち錯えりてさらに厳害。龍は確かに骨節あり。左仙の『七星経』の説く如く。行走する時は骨節の奇特なるや否やを看るを要し、穴に入る時は骨節の勻称なるや否やを看るを要す。但しあれは不过是れその好壞を評する、並びに節数を拘定するを要せず。若し非ずんば七十二節・三百六十節の説に按じて来たりて龍の長短を判定し優劣を決定すれば、あればすなわち一端に執著して通変せず。張子微は言う。若し是れ一条の規矩に死守して去りて龍を尋ぬれば、江湖を走り遍すともまた一塊の地を找し得ず。説くはすなわち此の種の人。

龍の真假を論ず

夫龍一也,而有眞偽之辨。蓋地理之說無他,大要只在辨得眞偽明白。人子求地,上以安父母,下以保子孫,顧乃往往窀穸蟻泉砂礫中,豈其願哉!良由不能辨眞偽以致此耳。是故辨龍眞假,乃地理第一義。

龍脈は本是れ同じ一件の事物なれども、却って真偽の辨あり。地理のこの門の学問は別になし。緊要の処はただ真偽を辮じ明白にするに在るのみ。子孫を做る人は一塊の地を求め、上は是れ父母を安葬するを為し、下は是れ子孫を保全するを為す。結果は却って常に先人を蟻穴・泉眼・砂礫の中に葬り入る。これは豈に彼らの願う所ならんや。実在は是れ真偽を分辮する能わざるを因として才かにこの歩に落ち至る。だから龍の真假を辨別するは、是れ地理学の第一要義。

凡龍之眞者,祖宗迥異,出身活動。其行度間,或開帳穿心,或星峰秀麗,有橈棹枝腳,有起伏頓跌,有剝換轉變,有過峽束脈,有擺佈攸揚,有屈曲奔走可愛之勢。及其入首,穴情明白,下手有力,明堂平正,前案特達,四獸有情,水城水口,俱合法度。皆天造地設,生成自然之妙,初無一毫勉強。才有勉強,便非眞結作。惟辨得龍眞,扦得穴的,則諸般自然皆應副矣。

凡そ真龍は、祖山は衆と同じからず、起身の処は霊活生動。それは一路行走し、或いは帳幕を張開して帳心より穿出し、或いは星峰は清秀俊麗、「橈棹」「枝脚」ありて両旁に向かい伸展し、起伏頓跌の節奏あり、剥換転変の層次あり、峡を過ぐる時の脈気収束あり、擺布舒展の気勢あり、屈曲奔走の人をして喜愛せしむる姿態あり。入首の処に到れば、穴情は清楚、下手の一臂は力あり、「明堂」は平正、前面の「案山」は端然特出、青龍・白虎・朱雀・玄武の四獣は皆穴に朝して情あり、「水城」と水口は全く法度に合す。これらは皆天造地設・自然生成の妙処、起初は一糸一毫の勉强なし。ただ一点の勉强あれば、便ち真の結作に非ず。ただ龍は真なるを辮准し穴位を点准せば、其余の種種は自然に皆配合して上がらん。

奈何天地間凡物有眞便有偽,有正即有邪。而假偽之龍亂眞眩正者,亦有祖宗,亦有開帳,亦有秀麗星峰,亦有手腳橈棹,亦有起伏頓跌,亦有剝換轉變,亦有過峽束脈,亦有擺佈攸揚,亦有屈曲奔走可愛之勢。入首之際,亦有下手,亦有明堂,亦有龍虎,亦有朝對,奇峰羅列,逞異獻秀,登局快目。昧者不察而葬之,往往求福得禍。起而視之,非螻蟻囓其棺,則黃泉浸其骨,其故何哉?蓋不識龍有眞偽,不能辨認,為庸師所誤耳。

無奈天地の間の凡物は真あればすなわち假あり、正あればすなわち邪あり。あの假を以て真を乱り邪を以て正を眩ます假龍は、同じく祖山あり、同じく帳を開く能く、同じく秀麗の星峰あり、同じく枝脚橈棹あり、同じく起伏頓跌あり、同じく剥換転変あり、同じく峡を過ぎ脈を束むあり、同じく擺布舒展あり、同じく屈曲奔走の可爱の姿態あり。入首の処に到れば、同じく下手の臂あり、明堂あり、龍虎の二砂あり、朝山対案あり、奇峰は羅列し、奇を争い秀を献じ、局中に登りて看去甚だ悦目。糊塗の人は察辮を加えずしてすなわち葬り下す。往往福を求めて却って禍を得。後来棺を起して一看すれば、螻蟻の棺木を咬壊するに非ざれば、すなわち地下水の骸骨を浸泡せるなり。これは何の緑故ぞ。すなわち龍に真あり假あるを懂得せず、辮認する能わず、平庸の地師に誤られたればなり。

《玉髓經》云“亦有龍勢,侵天如登,落地如墜,起星甚秀,行地如宛,而不結地”是也。噫!天下事正而勝者常少,不正而勝者常多。故紫常以奪乎朱,鄭聲常亂乎雅樂,樲棘有類乎美檟,而稊稗有似乎良苗。苟非胸中有一定之見以勘破之,鮮不以是為非,以非為是,以眞為偽,以偽為眞者矣。然眞眞與眞偽皆易識,惟似是而非,似眞而偽者,眩人心目,最難察識。凡物皆然,不特地也。

『玉髄経』は言う。もまた一種の龍あり、上に向かい天際に聳入して攀登の如く、下に向かい大地に墜落して下墜の如く、起す星峰は十分に秀麗、地に行走するも曲折宛転なれども、却って終に地を結ばず。可歎なるかな。天下の事は、正の一方の取勝する時は常に少なく、不正の一方の取勝する時は常に多し。だから間色の紫は総じて正色の朱を奪去する能く、鄭国の靡靡の音は総じて雅正の楽を擾乱する能く、酸棗樹は看て美好の楸木の如く、稗草は看て好苗の如し。若し胸中に一定の見識ありて去りてそれを勘破せざれば、对を以て錯と当て錯を以て对と当て、真を以て假と当て假を以て真と当てざるは尠し。真正の真と明顕の假はさほど辮認し易し。独りあの似是而非・貌似真にして其の実假なるは、最も能く人の眼目を迷惑し、最も察識し難し。万物は皆此の如し。ただ地理のみならず。

但此等假偽之龍,縱然可觀,終覺勉強。姑揭其概而論之:假龍雖有祖宗,而出脈不美,或強硬突露無逶迤,或崚嶒帶殺無秀媚,雖有開帳而脈不穿心,或有穿心而無迎送。雖有秀麗星峰而孤削無枝葉,或偏斜帶石無蓋從。雖有枝腳橈棹而兩臂不均,或反逆帶殺而尖利,或臃腫粗惡而醜陋,或拖拽太重而不顧本身。

不过此の類の假龍は、縱然看て可観なるも、終に勉强を顕す。ここは姑くその大概を挙げて来たりて説く。假龍は祖山あるといえども、脈を出づるは却って美ならず。或いは強硬突露にして綿延屈曲を缺少し、或いは嶙峋にして煞を帯びて秀媚を缺少す。開帳あるといえども、脈は却って帳心より穿出せず、或いは帳心より穿出するも、両旁は却って迎送の砂なし。秀麗の星峰あるといえども、却って孤削にして枝葉の相輔なく、或いは偏斜して石を帯びて蓋送の山の跟随なし。枝脚橈棹あるといえども、両臂は却って不均勻、或いは反背して逆去り・煞を帯びて尖利、或いは臃腫粗悪にして醜陋、或いは外に向かい拖拽太重にして本身を顧み及ばず。

雖有起伏而過脈無線,或懶緩不明。雖有過峽而無遮護,水劫風吹,或長腰硬直,或斜出偏落。雖有剝變而愈剝愈粗,或先吉而剝後反凶,或先強而剝後反弱。雖有擺佈攸揚,而軟弱委靡,雖有屈曲奔走可愛之勢而護從不周。

起伏あるといえども、脈を過ぐるの処は却って一線の細脈を牽出せず、或いは懈怠遅緩・脈路不明。過峡あるといえども、両旁は却って遮護なく、水劫風吹に任憑し、或いは峡身の腰段は太く長くして僵直し、或いは斜に伸出し偏に落下す。剥換変化あるといえども、却って愈々剥るほど愈々粗く、或いは先前は吉利にして剥換の後は却って凶、或いは先前は強健にして剥換の後は却って弱。擺布舒展の姿態あるといえども、却って軟弱委靡。屈曲奔走の可爱の勢あるといえども、護従の山は却って周全ならず。

及其入首之際,多是穴情模糊,或無穴可下,或有乳而直硬臃腫,或有鉗而開闊直長,或有窟而深曠空亡,或有突而孤露懶散。雖有星體而飽硬峻急,粗大雄頑,或欹頭破面。雖有下手而直懶無情,或凶惡高壓,或低遠無力。

入首の時に到れば、多半は穴情模糊、或いは根本に穴なくて下す可からず。或いは「乳」ありて僵直硬挺・臃腫不清、或いは「鉗」ありて口を開くや過濶・直長収なく、或いは「窩」ありて深曠空虚、或いは「突」ありて孤露懶散。星体あるといえども、却って飽満僵硬・陡急にして親しみ難く、粗大雄頑、或いは頭部歪斜・山面破損。下手の一臂あるといえども、却って直去懶散にして无情、或いは凶悪高圧して穴を逼り、或いは低伏遠離して無力。

雖有明堂,或傾側破瀉,或直牽捲簾。雖有水城,或牽鼻割腳,或反跳翻弓,或沖射穿箭。雖然有龍虎,或反走無情,或曲腰折臂。雖有朝山,頭或尖圓而可愛,腳則走攛而可嫌。蓋大本已失,龍既不眞,則融結花假,自然件件不美。所謂一事假,其餘皆假,縱使龍虎、對案、堂局、砂水一一合法,文筆插天,秀水特朝,亦無甚益,況背戾者哉!

明堂あるといえども、却って傾斜破漏して気を泄し、或いは一直に牽拽して下りて巻起の帘子の如し。水城あるといえども、却って穴前に貼いて鼻を牽きて去り・脚を割りて流れ、或いは反跳して外に向かい翻転の弓の如く、或いは直冲斜射して穿り来たる箭の如し。龍虎の二砂あるといえども、却って反背して走り開きて无情、或いは腰身彎曲・臂膀折断。朝山あるといえども、山頭は或いは尖圓可爱なるも、山脚は却って竄逃して出でて人をして生厭せしむ。根本は一たび失われば、龍は既に真ならず、凝結して出づるは便ち虚花假穴。自然に样样美ならず。いわゆる一処假なれば、其余は処処皆假。縱使龍虎・対案・堂局・砂水は一一法度に合し、文筆峰は高く雲天に插立し、秀水は特地に来たりて朝すとも、またなお多大の益処なし。況んやあの背離乖戾のをや。

然此假偽之龍,多是為大龍作應護於數十里之外,或為正龍作關峽於數里之間,或孕育蛟龍而有潭窟靈湫,或結為巖岡而有奇怪仙宮,或發洩精氣而有硃砂礦石,或迸露英華而為湯泉醴井,此其形體甚美,而星峰甚秀者耳。

不过これらの假龍は、多半是れ幾十里の外に於いて大龍に替わりて呼応護衛を充当し、或いは数里の間に於いて正龍に替わりて関峡を把守す。或るものは蛟龍を孕育して深潭洞窟霊湫を生出し、或るものは凝結して岩岡を成して奇異の仙宮道観を出現し、或るものは精気を泄露して朱砂礦石を生出し、或るものは英華を迸発して温泉甜井を湧出す。これらは皆是れ形体甚だ美・星峰甚だ秀のあの一類の假龍。

其次者,但為結穴眞龍作侍衛、朝案、羅城、水口、關攔、纏托、照樂及諸般用神而已。以眞龍力量大,故其從衛之龍亦長遠,逆水奔走赴局以供服役。而其行度假冒,似亦可觀。只是入首結穴,必無足取。故今辨龍眞偽要訣,只入首近穴數節內察之。遠龍雖尋常,入穴數節合格者,決為眞;遠龍雖美,入穴數節內不吉者,決為假。又須以穴辨之。假龍必無穴,眞龍必有穴。此又至緊要的切法也。蔡西山云:“假龍誤人甚多,其擺佈精神,起人眼目,與眞龍無異,只是到頭結果無取。故世俗之人止謂其氣秀特,而時師又以眞龍丑穴之說文之,鮮有不為所惑者。”誠確論也。

再次一等のは、すなわちただ結穴の真龍に替わりて侍衛・朝山案山・羅城・水口・関攔・纏繞托送・照応と楽山のこれらの「用神」を充当するのみ。真龍の力量大なるを以て、だからそれに随いて護衛する龍もまた走ること長遠、水勢に逆いて局中に奔赴しその役使に供す。此の類の龍は一路行き来たりて真龍を假冒し、看て似乎るもまた可観。ただ入首結穴の処に到れば、必定取る可きの処なし。だから今天龍の真偽を辨別するの要訣は、ただ入首の穴場に靠近するあの几節の上に於いて察看するに在り。遠処の龍は平常なるといえども、ただ穴に入る几節は合格せば、一定是れ真。遠処の龍は美なるといえども、ただ穴に入る几節の内は不吉なれば、一定是れ假。別にさらに穴を用いて以て験証するを要す。假龍は必定穴なく、真龍は必定穴あり。これまた是れ最も緊要・最も貼切の辦法。蔡西山は言う。假龍は人を誤ること甚だ多し。それの擺布して出すあの副の精神は、人の注目を惹き、真龍と両样なし。ただ頭に到り果てるや結果は取る可きなし。世俗の人はただそれの気象秀異を説き、而して当時の地師はまた「真龍醜穴」の説法を用いてそれに替わりて文飾す。人の迷惑せられざるは尠し。これは確かに要害に切中する議論。

龍の貴賤を論ず

夫龍一也,而有貴賤之別。是故觀龍貴賤之法,當先察其祖宗父母。如人之祖考繫貴人賢士,其子孫亦多肖其先世。《龍經》云:“生子生孫巧相似。”又云“蓋由種類生出來。”卜則巍云:“祖宗聳拔者,子孫必貴。”《玉髓經》云:“貴龍胎息已非常,生出兒孫踵祖光。巧妙多傳愈精細,愈遠愈清貴巨量。”亦此意也。

龍脈は本是れ同じ一件の事物なれども、却って貴賤の別あり。だから龍の貴賤を看るは、応に先ずその祖山と父母山を察すべし。恰も人の祖輩父輩は若し是れ貴人賢士なれば、子孫もまた多半是れ彼の先世に象るが如し。『龍経』は言う。生出の子孫は巧妙に祖先と相似す。又言う。これは是れ種類の裏より生出する。卜則巍は言う。祖山の聳拔なるは、子孫は必定顕貴。『玉髄経』は言う。貴龍は胎息の時に於いて就已に尋常に同じからず、生出の児孫は祖上の光彩を承継す。巧妙の格局は伝えること愈々多きほど愈々精細、走ること愈々遠きほど愈々清貴・気量愈々大。説くは皆この意思。

故凡貴龍,其祖山必秀麗巍峨,軒昂俊偉。或寶殿龍樓,或御屏負扆,或金鑾綺閣,必侵雲之高,延袤之廣。及其離祖出身,辭樓下殿,精神卓絕,氣象尊嚴。行度之間,重重開帳。《經》云:“貴龍多是穿心出。”又云:“帳中過脈中央行,不出中央不入相。”又云:“穿心中出是眞龍,龍不穿心力量細。”楊公云:“龍不穿心,官不入相。”

だから凡そ貴龍は、それの祖山は必定秀麗巍峨・軒昂俊偉。或いは「宝殿」「龍楼」の形を呈し、或いは「御屏」「負扆」の状を作し、或いは金鑾綺閣の如し。一定是れ高きこと雲中に插入し・広きこと綿延数十百里。それの祖を離れ身を起し・楼殿を辞別して下るを待てば、精神は卓絶、気象は尊厳。一路行走し、層層に帳幕を張開す。『龍経』は言う。貴龍は多半是れ帳幕の中心より穿り出づる。又言う。帳中は脈を過ぐるは正中を走るを要し、正中より出でざればすなわち宰輔に位列する能わず。又言う。心を穿りて中出するは才かに真龍、心を穿らざる龍は力量はすなわち細弱。楊筠松は言う。龍は心を穿らざれば、官を做るもすなわち相位に入る能わず。

大抵貴龍雖千變萬化,若不可以一律拘之,然未嘗離乎中也。如行度之間,自出身至入首結穴處,或起或落,凡有走弄屈曲,過峽度脈,頓跌飛舞,之東走西,棲閃萬態,而皆不離於中。子微云:“三臺出龍三公位,華蓋出龍並高貴。”亦必以中出為美。故龍格中凡玉枕、御屏、飛蛾、個字、帳幕,種種貴格,必是脈從中出,方是貴龍。若或偏落旁出,縱有貴格,亦不足取。

大体上説けば、貴龍は千変万化するといえども、好像は一条の規矩を用いて去りて框定する能わざるが如し。しかしそれは始終一個の「中」の字を離開せず。それの一路行走し、起身より入首結穴に至り、或いは起或いは落、凡そ曲折游走・峡を過ぎ脈を度し・頓跌飛舞・忽東忽西・栖閃して千姿百态を出すの処、脈気は皆中線を離れず。張子微は言う。「三台」星峰より出づる龍は三公の位を主り、「華蓋」星峰より出づる龍は同じく高貴。これもまた中出を以て美と為す。だから龍の格局の裏に於いて、凡そ「玉枕」「御屏」「飛蛾」「个字」「帳幕」種種の貴格は、必ず脈の正中より出でて、才かに貴龍と算う。若し一辺に偏落し旁側より出づれば、縱然貴格を擺くとも、また取るに値せず。

又須星辰秀媚,護從迎托重疊。一行禪師云:“青山一樣並頭行,貴賤須分兩等名。貴者星辰多秀麗,更看纏護別眞情。”又云“賤龍亦自有中穿,腳似蜈蚣不盡偏。惟乏迎送不開帳,縱饒有穴不端然”是也。

此の外さらに星峰の秀麗嫵媚・前迎後托の護従の山の重重叠叠するを要す。一行禅師は言う。几条の青山は一様に並排して前行すといえども、貴賤は却って両等に分かちて称呼するを要す。貴のあの条の星峰は多半是れ秀麗、さらに纏繞護衛の山を看て才かに真情を辮出す能う。彼はまた言う。賤龍は自己もまた中間に穿り出づる脈あらん、枝脚は蜈蚣の脚の如くして並びに全偏せず。ただ迎送の砂を缺少し・また帳幕を開かず、縱然個の穴あるもまた端正ならず。説くは正にこの層の道理。

至於龍有天池者,有侍衛、養蔭者,尤貴。《經》云:“高山頂上有池水,此是眞龍樓上氣。”又云:“池平兩水夾又清,此處名為天漢星。天漢天潢入閣道,此星入相居中庭。”且貴龍自然迥異,如鶴立雞群,如沙中金礫。《經》云:“十山九水雖同聚,貴龍居中必異常。”

龍身の上に「天池」ある、侍衛の砂あり・養蔭の山あるに至っては、尤も貴重。『龍経』は言う。高山の頂上に池水あり、これは是れ真龍楼台の上の霊気。又言う。池面は平静・両側は水夾にして清澈、この個の処は「天漢星」と呼ぶ。天漢・天潢は閣道の象に連なる。此の種の星格は人の位は宰輔に列し身は朝廷中庭に居るを主す。しかも貴龍は自然に衆と同じからず。好比は鶴の鶏群の裏に立ち、好比は沙裏の金粒。『龍経』は言う。十座の山九条の水は一処に聚まるといえども、居中のあの条の貴龍は必定尋常に異ならん。

及至入穴之際,前迎後擁,左侍右衛。或秀水潮入明堂,奇峰列於天表;或龜蛇禽曜之發露,印劍旗鼓之羅列。所謂“三千粉黛、八百煙花”,莫不有之。《葬書》云:“若懷萬寶而宴息,若具萬膳而潔齊。”其氣象規模鬧熱如此,此貴龍出身行度結穴之大規模矣。

入首結穴の時に到るを待てば、前に迎接あり・後に擁護あり、左に侍従あり・右に衛護あり。或いは秀麗の水流は「明堂」に涌入し、奇峰は天辺に羅列す。或いは「亀」「蛇」「禽」「曜」等の砂形は顕露して出で、印・剣・旗・鼓等の貴器の形は四周に排布す。いわゆる「三千の粉黛・八百の煙花」の熱鬧景象は、样样皆あり。『葬書』は言う。万件の珍宝を懐抱してあそこに安歇するが如く、万種の佳肴を備下してあそこに斎戒するが如し。気象規模は熱鬧してこの地步に到れば、これがすなわち貴龍の起身・行走より結穴に至るの整体の格局。

至於賤龍,自出身以來,星峰不見,起伏不明,頭面破碎而醜惡,過脈偏斜而受風,巒頭帶石而巉巖,枝腳尖利而反逆。或左空右曠,或邊生邊死。其起者,或臃腫粗頑,或崚嶒瘦削。其伏者,或散漫無收,或長腰直硬。

賤龍に至っては、起身以来すなわち様になる星峰を見ず、起伏もまた分明ならず。山頭山面は破碎醜悪、脈を過ぐるの処は偏斜にして風吹を受け、峦頭は石を帯びて険峻嶙峋、枝脚は尖利にして反背逆去す。或る時は左辺空し右辺曠し、或る時は一辺に生気あり一辺は死板。それの隆起する処は、或いは臃腫粗頑、或いは嶙峋痩削。それの伏し下る処は、或いは散漫にして收拾し得住ず、或いは腰段は拖りてまた長くまた僵直。

其過峽之際,出脈偏斜,無迎無送。或長闊散撒而不明,或風吹水劫而多害。其行度之間,無穿落傳變之諸體,無臺屏蓋帳之諸格。護從不隨其身,托送不衛其主。或如死鰍死鱔之直長,或如餓馬瘦牛之委靡,或粗雄而無脫卸,或分擘而成鬼劫。

それの峡を過ぐる時は、脈を出づるは偏斜、前に迎砂なく後に送砂なし。或いは峡身はまた長くまた濶く・散乱不清、或いは風吹水劫を受けて妨害多し。それの一路行走し、既に穿帳・落脈・伝変のこれらの形体なく、また台・屏・蓋・帳のこれらの格局なし。護従の山はそれの身子に跟い走らず、托送の山はそれのこの主を護衛せず。看去或いは死泥鰍死黄鱔の如く僵直細長、或いは餓馬痩牛の如く委靡不振、或いは粗大雄頑にして未曾だ脱卸せず、或いは分枝して脈を擘りて「鬼」「劫」と成れり。

及至入首,或懶坦無收,或散亂無序,四勢不交,八風相射。或如灰囊,或如投算,此皆不入相之龍,不受穴之山也。登局之間,砂飛水走,明堂傾瀉,下手無力,水口空曠,決無融結,不足觀也。

入首の処に到るを待てば、或いは懈怠平坦にして毫も収束なく、或いは散乱無序、四面の山勢は交會せず、八方より来たる風は互相冲射す。或るものは一只の灰を装える口袋の如く、或るものは随手に拋下の算籌の如し。これらは皆位列宰輔する能わざる龍、穴を受くる能わざる山。局中に登りて看去れば、砂頭は飛散・水流は奔走、明堂は傾斜泄漏、下手の一臂は無力、水口は空曠にして関せず。絶対に凝結あらず。看るに値せず。

然此等之龍,本體既賤,或為貴龍作傳送,或為貴龍作朝迎,或作護衛關峽,或作門戶水口。如奴僕隸卒,奔走供役於貴人而無所取裁矣。子微云:“貴龍自祖宗父母而次,胎息渾厚。及子孫脫胎出世,便如貴家子弟,未嘗單獨出入。其出入,必有儀從車騎呵殿,先驅行者辟易,觀者環堵。

此一類の龍は本身は既に低賤なれば、すなわちただ貴龍に替わりて伝送を充当し、或いは貴龍に替わりて朝迎を充当し、或いは護衛と関峡を充当し、或いは門戸と水口を充当する能うのみ。好比は奴僕差役の奔走して貴人に服侍する、本身は何の取裁す可きもなし。張子微は言う。貴龍は祖山・父母山より依次に伝下し、胎息は渾厚。子孫の脱胎して世に出るを待てば、便ち富貴人家の子弟の如く、従来単独の出入せず。彼は一たび出で一たび入れば、必定儀仗随従・車馬の前呼後擁あり、路を開く先駆の一到れば、行人は紛紛として讓避し、囲観の人は一堵の墻を挤成す。

或有時微行,則其侍衛必在前後觀瞻伺候,不敢相遠。一聞號召,趨奔翕合。有時過關度險,如孟嘗脫厄於秦關,狗盜雞鳴,爭先效力;高祖解圍於白登,獻奇書策,兢為釋憂。一旦出關,千駟馬騎,兵衛愈壯。

或る時彼は微服出行するも、侍衛もまた必定前後に於いて瞻望伺候し、敢て遠く離れず、一たび召喚を聴けばすなわち立刻に聚拢して奔来す。或る時関口を過ぎ険境を経るを要すれば、すなわち孟嘗君の秦国の函谷関に於いて険を脱するが如く、能く狗盗を作し能く鶏鳴を学ぶ門客に靠りて先を争い力を出す。また漢高祖の白登に於いて匈奴に围困せられ、謀士の献上する奇計密策に靠り、人人争い彼に替わりて憂を解くが如し。一旦関を出でれば、千乗の車馬・成群の騎士は随行し、兵衛の陣容は却ってさらに壮盛。

又如見羽鴻門,劍盾交進,而沛公已在九霄之外。渡兵滹沱,千騎俱脫,蕭然僅有一騎之遺。一旦脫離患難,奄六合,統八荒,萬國貢珍,八蠻款塞,此貴龍之氣象如此。其賤龍,祖宗父母,如寒戶老翁,終日兀坐,無人侍奉。指望兒孫逐日經紀求趁供菽米。

また劉邦の鴻門に於いて項羽に会見するが如く、剣と盾は交錯して逼進するも、而して沛公は早已に脱身して九霄の外。また光武帝の滹沱河を渡りて兵を用うるが如く、千騎は走散し、孤单にしてただ一騎の相随を剩すのみ。しかし一旦患難を脱離すれば、便ち能く六合を囊括し八荒を統摂し、万国は珍宝を進貢し、四方の蛮夷は関を叩きて帰附す。貴龍の気象はすなわち此の如し。賤龍に至っては、それの祖山父母山は貧寒人家の老翁の如く、整天として呆坐し、人の侍奉なく、ただ児孫の毎日出でて去りて点小買賣を做り・一点の米豆を掙回して度日するを指望す。

子孫初生,胎養之時,母心憂愁,營衛乖戾。及胎成形,狀貌瘦瘠,骨相迷邅,皮膚焦粗,氣宇愁戚,日出趁食,亂走散行,初無委曲詳緩之勢;問米求財,定非寬和靜定之容。如包胥乞師,倚牆孤泣,范睢脫難,出廁尸行。又如僕隸隨人,看他飲食,亦似吏卒從官,供應唯喏。此賤龍之態度如此矣。”愚按:子微此論貴賤龍神之祖宗、父母、行度、關節,形容殆盡,無復餘蘊。精詳玩索而體認之,斯得其妙矣。

このような人家の子孫は剛に出生し・なお胎養の時に在れば、母親は心裏に憂愁し、気血営衛は失調。胎児の形を成すを待てば、形貌は痩弱、骨相は坎坷、皮肤は焦枯粗糙、神気は愁苦。天は一たび明ければすなわち門を出でて生活を討し、乱走散走し、全く从容曲折の気度なし。口を開きて人に向かい米を討い財を求むるも、また決して寛和安定の神色あらざらん。恰も申包胥の秦国に到りて救兵を求め、ただ墻に靠りて独自哭泣する能うのみの如く。范雎の禍難を逃出し・廁所の裏より爬り出で来たる時は形同僵尸の如し。また僕役の人に跟いて走り・主人の臉色を看て飯を喫するが如く。小吏の長官に跟い・ただ唯唯諾諾に応承する能うのみの如し。賤龍の姿態はすなわち此の如し。徐氏按ず。張子微の此の一段の貴龍賤龍の祖宗・父母・行走と関節を論ずるは、形容するや淋漓尽致、再び剩義なし。仔細に玩味体会せば、便ち能くその中の妙処を得ん。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻二之下

江右山人徐善繼述 同著。此一卷專論龍有駐蹕、行止及分劈、餘氣、背面之所當辨,乃堪輿中奧旨,故著其要以決疑雲。

本巻は同じく江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一巻は専ら龍脈が「駐蹕」・行と止・分枝劈脈・余気および背面向背の此の几方面に於いて応に辮明するの道理を討論す。これらは皆堪舆学の中の深奥の要旨。だからその中の関鍵を写し出して、人の疑難を解決するに供す。

龍の駐蹕を論ず

駐蹕山者,乃行龍暫止,如王者之駐蹕也。亦謂之住腳星辰。蓋此處分龍雖多,而正龍特起高大之山,暫爾停息,猶去未住。其分龍則以此山為太祖耳,故有大駐蹕、小駐蹕。大者延袤數百里,跨州連郡。其數百源小水於此分派,數百枝分龍於此發軔。小者亦冠一州一郡一府,或數十里。又小者冠一邑一鄉,不過數里,亦必有數十源水、數十枝龍從此去也。

いわゆる「駐蹕山」は、是れ行龍の暫時停住する処、好像は帝王の出巡の途中に於いて暫く車駕を駐する、だから駐蹕と呼び、また「住脚星辰」とも呼ぶ。ここは多許の龍を分出すといえども、但し正龍はただ特地に一座の高大の山を聳起して暫く歇息を作し、さらに前行を継続するを要し、並びに未だ真に止住せず。あの分出去りし龍は、則ちこの座の山を把りて自己の太祖山と当つ。駐蹕に大有り小有り。大なるは綿延数百里、州を跨ぎ郡に連なり、几百条の小水はここに於いて分流し、几百枝の分龍はここより歩を起す。小なるもまた能く一州一郡一府を統領し、方圓数十里。再び小なるは一県一郷を統領し、不过数里なるも、但しも必定几十条の水源・几十枝の龍ありてここより分出去る。

然皆巍峨高大,群峰攢聚,萬嶺嵸巃。又為分龍之太祖。其大小雖有不同,不可認為少祖山也。以其大龍尚去未住,故曰駐蹕。以其自此分出眾龍,故曰太祖。如王者尊居帝位,而百僚咸集,萬姓觀瞻。其分出力量輕重,猶之朝廷,尊卑並列,可得其概。

これらの駐蹕山は皆巍峨高大、群峰は攅聚し、万嶺は崇隆、また皆是れ分龍の太祖山。それらの規模は大小同じからざるあるといえども、却って皆「少祖山」と誤認する能わず。大龍はさらに前行して並びに未だ止住せざるを以て、だから駐蹕と呼ぶ。衆龍はここより分出するを以て、だから太祖と呼ぶ。これは帝王の皇位に尊居し・百官斉集し・万民瞻仰するに象る。それより分出去る各龍の力量は軽あり重あり、もまた朝廷上の尊卑の並列するが如く、大致の情形は一望して知る可し。

所貴於觀龍者,見其駐蹕之山,看其某枝是正龍分派,某枝是從龍分派,前去結作大小、美惡,察其貴賤吉凶,一見了然。楊公《畫筴圖》所謂源派者是也。但人多畏其登高陟遠,縱有眼力,每憚陟履之勞,只在眼前山麓間尋地,已失要領。

龍を看るの可貴の処は、すなわち駐蹕山に見遇する時に在り、能く何れの一枝か正龍の分派・何れの一枝か従龍の分派を看出し、前に往きて地を結ぶの大小好壞・貴賤吉凶を、一眼にすなわち分明。これがすなわち楊筠松の『画筴図』の裏の言う所の「源派」。ただ多数人は登高走遠を怕れ、縱然眼力あるも、また常に跋涉の労を畏懼し、ただ眼前の山脚一帯に於いて地を找す。あればすなわち已に要領を丟了せり。

縱得龍之枝腳,或亦有穴情,不過些須小地而已。豈知專龍正氣,鍾孕融會,宏遠廣邈,動收數百里山川,酰雞井蛙之見,何足語此?楊公云:“誰人識得大龍脊,山正好觀無腳力。裹費不惜力不窮,其家世代腰金公。”誠確論耳。

縱然龍の枝脚を找着するも、あそこは或いは些かの穴情あらん、不过是れ些微小の地のみ。何れぞ専一の龍の正気は、鍾聚孕育・融會貫通し、気局は宏遠広大、動けば数百里の山川を収摂するを知らんや。酒瓮の裏の小虫・井底の青蛙の如き見識は、怎んぞこれらを談じ得上げんや。楊筠松は言う。誰か能く大龍の山脊を認得せん。山は正好に看る可きも、却って走到するの脚力なし。肯んじて盤纏を惜しまず気力を吝かせず去りて走る人は、彼の家は世代皆能く金印を腰に佩ぶるの貴人を出さん。これは確かに切実の議論。

龍の行止を論ず

紫瓊云:“山去水去隨送去,此是龍行猶未住。山走斜飛水不停,不是眞龍作穴處。”誠以龍行未止,不可尋穴,謂之行龍,又謂之過龍。《葬書》云:“氣以勢止,而過山不可葬也。”蓋龍原其所起,穴乘其所止,必須辨認龍止處,方可求穴。《青囊奧語》云:“第一議,要識龍身行與止。”

張紫瓊は言う。山は前に往き水もまた前に往き、一路相随して送るは、これは龍はなお走りて並びに未だ住み下らず。山勢は斜に飞奔し水流もまた停歇せざれば、すなわち真龍の穴を作すの処に非ず。確かに、龍はなお行進中なればすなわち穴を尋ぬる能わず。此の種の龍は「行龍」と呼び、また「過龍」とも呼ぶ。『葬書』は言う。生気は山勢に随いて止す。だからただ路過の山は以て下葬すべからず。龍を看るはそれが何処より起るを追溯するを要し、穴を点ずるはそれが何処に止まるに乗ずるを要し、必ず龍の止住する処を辮認して出でて、才かに以て穴を求む可し。『青嚢奥語』は言う。第一件の議す可き事は、すなわち要ず龍身は是れ行中か已に止れるかを認得するを要す。

故凡山勢奔走不停,水勢峻急不環,門戶不關,羅城不衛,水山不團聚,皆是龍行之處,未為止息。雖有奇形巧穴,而山水無情,亦不足論。若乃龍之眞止者,則玄武頂自然尊重不動。《葬書》云“其止如尸”。下手諸山則自逆水回攔,左右隨從之山則自枝枝齊止,不敢他往。朝對迢迢遠來,亦並止於穴前,如拜如伏。

だから凡そ山勢は奔走して停まず・水勢は陡急にして環抱せず・門戸は関閉せず・羅城は護衛せず・山と水は団聚せざるの処は、皆龍の行走する処に属し、なお未だ止息せず。此の種の処は縦に奇特巧妙の穴形あるも、山水は无情、もまた討論するに値せず。龍の真正に止住する様子に至っては、是れ穴後の「玄武」頂は自然に尊重安穏・紋糸動かず、『葬書』のいわゆる「その止るや尸の如し」。下手方向の衆山は自ら水勢に逆いて回転攔截し、左右随従の山は自ら一枝一枝一斉に停住し、敢て別に他処に往かず。遠々として来たりて朝する対山も、も一併に穴前に停在し、跪拜する在り・俯伏する在りの如し。

訣云:“止之中有大止者,謂諸山諸水皆無不止也。”其水必數源齊會,或匯為深潭,或折如阿房,或彎如繞帶,或聚如鍋底、掌心,溶注不散,無瀉漏傾倒、牽拽直去之患。《葬書》云“洋洋悠悠,顧我欲留”是也。

口訣は言う。止住の中にさらに「大止」あり、意思は衆山衆水は一処として停住せざるなし。此の種の処の水は必定几条の源頭は一斉に會合し、或いは深潭に匯成し、或いは折転して阿房宮の曲廊の如く、或いは彎成して一条の環身の帯子、或いは聚まるや鍋底の如く手掌心の如し。深注して散ぜず、泄漏・傾倒・牽拽せられて直去の毛病なし。『葬書』は言う「洋洋悠悠、我を顧みて留まらんと欲す」、形容するは正に此の種の水情。

見眾山咸止,諸水咸聚,是山水大會處,必有眞龍融結,宜於此處尋覓眞龍受穴之山。若大地止聚之處,猶必有北辰、華表、捍門、游魚、禽曜、羅星等象列於水口。必內寬外窄,堂局廣而水口狹,重重關鎖,方是大地規模。

衆山皆停住し・衆水皆匯聚するを見れば、これがすなわち山水大会の処。必定真龍ありてここに於いて凝結す。応にここに於いて真龍の穴を受くる山を尋找すべし。若し是れ大地の止聚の処なれば、水口の上にさらに一定会ず「北辰」「華表」「捍門」「游魚」「禽曜」「羅星」のこれらの砂象を排列す。整个の格局は必ず内は寛外は窄・堂局は開濶にして水口は狭窄・一重重に関鎖して、才かに大地の規模と算う得上る。

若山水雖有團聚之狀,而門戶不關,或有關而低小,或一重遠一重,一山低一山,大象似關,而實則曠闊無交鎖,則亦無大融結。縱有小可結作,亦易衰敗,不足取也。故審山水之止聚,於水口即可見之。蓋水口關鎖則內氣融聚。故論龍之行止者,於水口亦得其大情焉。

若し山水は団聚の様子あるも、門戸は却って関閉せず。或いは関攔あるも却って低小。或いは一重は一重より遠く・一山は一山より低く、大体看て似て関攔あるが如く、実際は空曠にして交鎖なし。あれもまた大なる凝結あらざらん。縦然点の小結作あるも、また容易に衰敗し、取るに値せず。だから山水の止聚するや否やを審察するは、水口の上よりすなわち看出来る能う。水口は関鎖し得住れば、内裏の生気は才かに凝聚す。ここにおいて龍の行と止を論ずるは、水口の処に於いてもまた大概を把握する能う。

龍の分劈を論ず

龍以正來氣聚為吉。其枝腳雖貴蕃衍,而自有旁正尊卑之不同。而好龍正氣自專。若分枝劈脈拽拖太重,則分散精靈,力輕氣弱,不能融結。謝子期云:“龍脈擺劫散亂,或去或來,分奪不定,則生氣為其所耗,而吉穴不能成也。”分劈短而少者為鬼,長而多者為劫。《龍經》又謂之漏胎洩氣。

龍は正脈直来・生気凝聚するを以て吉と為す。それの枝脚は繁茂を以て貴と為すといえども、その中は却って自ら旁と正・尊と卑の分別あり。好龍の正気は総じて一身に専注す。若し分枝劈脈の拖拽するや太く厲害なれば、すなわち精気を分散し、力軽気弱、凝結して穴を成す能わず。謝子期は言う。龍脈は擺動劫奪・散乱不定、忽ち去り忽ち来たり、分奪するや準頭なく、生気はすなわちそれに耗され、吉穴もまた結成し得ず。分劈出去る支脈の短くして少なきは「鬼」と呼び、長くして多きは「劫」と呼ぶ。『龍経』はまた此の種の情形を「漏胎泄気」と呼ぶ。

故凡鬼劫之龍,氣弱力衰,不結吉穴,但能為寺、觀、庵、廟而已。《坤鑑歌》云:“劈脈分枝是鬼龍,直如鵝頸曲如弓。小名為鬼大為劫,只為神廟有靈通。”若分去之龍又迴轉護我,作我用神,則又不畏其分劈去也。

だから凡そ鬼劫の一類に属する龍は、気は弱く力は衰え、吉穴を結ぶ能わず。ただ寺・観・庵・廟の基址を作す能うのみ。『坤鑑歌』は言う。脈を劈き枝を分かつは是れ鬼龍、直なるは鵝頸の如く、彎なるは弓の如し。小なるは鬼と呼び、大なるは劫と呼ぶ。ただ神廟を作すに配して才かに霊験を顕す。不过分出去りし龍は若しまた回転して来たりて本身を護衛し・我の用い得る「用神」と成れば、あればすなわちそれの分劈出去るを怕るるを必とせず。

楊公以龍之分劈,名曰天劫。故云“天劫便是龍分去,劫去不回無美利。天劫雖去若回來,回朝面前攔穴水。”又云:“天劫又去作他穴,已去又復分腳轉,攔在面前看優劣。”又云:“水若迂迴山若轉,定知天劫不為災。”故分去之山,若迴轉亦不妨。如不回則凶也。《經》云:“分枝劈脈不回頭,奪我正身少全氣。”

楊筠松は龍の分劈を把りて「天劫」と呼ぶ。だから説く。天劫はすなわち龍の分かれて出去りしなり。劫して去りて回頭せざればすなわち好処なし。天劫は去るといえども、若し肯んじて回り来たれば、すなわち穴前に転じて流水を攔住せん。又言う。天劫は走り開きて別に別の穴を結び、去りし以后また脚を分出して転回し、穴前に攔住す。好壞はすなわちこの一転を看る。又言う。水若し迂回し山若し回転せば、以て天劫の災を成さざるを断定す可し。だから分出去りし山はただ肯んじて回転せば、すなわち妨事なし。回転せざればすなわち凶なり。『龍経』は言う。枝を分かち脈を劈きて回頭せざれば、すなわち我のこの一身の正気を奪走し、全気をして虧あらしむ。

吳公《快捷方式》云:“若後龍分劈已去之山,又復回轉,或來前面作朝應,或隨龍之左右作纏護,或去水口作捍門、關鎖,或住穴後作樂托、遮帳,則雖分去,復來為我用神,不可作分劈論。”

呉公の『地理捷径』は言う。若し後龍の分劈出去りし山はまた回転して来たり、或いは前面に到りて朝応を充当し、或いは龍の左右に随在して纏護を充当し、或いは水口に到りて捍門・関鎖を充当し、或いは穴後に停在して楽山・托山と遮擋の帳幕を充当せば、然らばそれは分出去りしといえども、却ってまた回り来たりて我の「用神」と成れり。すなわち分劈と当てて看待する能わず。

大抵枝龍最怕分劈,蓋枝龍氣薄,再有分劈,則氣愈耗散,是為鬼劫之龍,安能融結吉穴?若幹龍則氣旺盛,其發一枝一葉,尚去數十里,安能拘其無分劈?而其分去枝葉,皆有結作,但力量輕重不及正穴耳。是故幹龍必有分枝劈脈,故其融結眞穴,必不在大窮盡處。楊公云:“大地多從腰裡落,餘枝前去作城郭。”又云:“有劫方為福,無鬼不成官。”其即此之謂歟?

大体上、「枝龍」は最も分劈を怕る。枝龍は本来気薄きを以て、再び一たび分劈せば、気はすなわちさらに耗散し、鬼劫の龍と成る。怎んぞなお吉穴を結出する能わんや。「干龍」に至っては、気勢は旺盛、随に便に一枝一葉を発出するも皆能く幾十里を走出す。怎んぞそれに分劈せざるを要求する能わんや。しかもそれの分出去りし枝葉もまた各々結作あり、ただ力量の軽重は正穴に比べ及ばざるのみ。正に干龍は必定分枝劈脈あるを以て、だからそれの凝結する真穴は一定に最尽頭の処に在らず。楊筠松は言う。大地は多半は龍身の腰部より落下す。剩余の余枝は前に往きて城郭を囲成す。又言う。劫ありて才かに福を成す能く、鬼なければすなわち官を做り成す能わず。説くは大概すなわちこの意思。

龍の背面を論ず

夫背面者,山龍有情無情之分也。蓋開面處自然光彩齊整,秀媚好看,如人面向有情,此處始可尋地。背立處自然巉巖破碎,粗丑不美,如人背向無情,此處不必著目。故辨背面乃堪輿家一件緊關,於此一失,萬無一用。《玉髓經》云:“人有背面地亦然,要須細認乃可扦。”

いわゆる背と面は、すなわち山龍の穴に対して情ありと无情の分別。面を開くあの一側は自然に光彩斉整・秀媚好看、好比は人の正臉は汝に朝して情ありを顕す。この一側は才かに地を尋ぬる可し。背立のあの一側は自然に険峻破碎・粗醜不美、好比は人の背は汝に対して情なしを顕す。この一側はすなわち留意するを必とせず。だから背面を辨別するは是れ堪舆家の一道の緊要の関口。ここに一たび手を失せば、全盤皆用い成さず。『玉髄経』は言う。人に正面背面あり、地もまた一様。必ず細細として辮認して才かに以て下葬す可し。

吳公《指南》云:“凡大小山嶺,與山枝腳,皆有背面。肥飽、拱突、峻急、粗惡、醜陋、無枝腳而曲瘦凌夷者為背,秀麗者為面。安墳立宅在面一壁,主人財興旺,綿綿不絕。”是言背面之當審也。但祖有祖之背面,護有護之背面,穴有穴之背面,山龍平地,莫不皆然。

呉公の『地理指南』は言う。凡そ大小の山嶺および山の枝脚は、皆背あり面あり。肥飽・拱突・陡急・粗悪・醜陋、或いは枝脚なくして彎痩零落の一側は是れ背。秀麗の一側は是れ面。墳墓或いは住宅を面あるの一側に安ずれば、人丁財物の興旺・綿延不断を主す。これは説く、背面は必ず審察するを要す。不过祖山に祖山の背面あり、護山に護山の背面あり、穴場に穴場の背面あり。山地を論ぜず平地を論ぜず、無くして此の如しならざるなし。

以祖山言之,大山行龍,出身頓起星辰,必有背面。《指南》云龍樓寶殿,亦有背面之狀,不可不審。其面一壁迥然秀麗,離祖出身,迢迢行去,起祖發身,堆堆跌跌,隱隱隆隆,或三五里,或十數里,必去融結美地。

祖山に就いて言えば、大山の行龍は、起身の時に頓く星峰を起し、必定背あり面あり。『指南』は説く、たとえ「龍楼」「宝殿」のこのような貴格なるも、また背面の別あり、審せざる可からず。それの面あるの一側は格外秀麗。この一側より祖を離れ身を起し、迢迢として前行し、祖を起ち身を発し、一堆一跌・隠隠隆隆、或いは三五里を走り、或いは十幾里を走り、必定去りて好地を凝結して出さん。

其背一壁,則漫漫壁立,拱突粗惡,不生乳脈,亦無枝腳垂落。藉也有之,亦只懸針尖利,不離大山,不起主山,不結星辰,亦不出身行去。縱出身行去,亦不過半里、二三里而止,不能融結美地,但為神壇佛宮而已。即有形穴,必有坑陷不足處。所以尋地須審背面。若是山背,決然無地,不必登山索穴矣。此論主山背面也。

それの背の一側は則ち漫漫として壁立し、拱起突出して粗悪、乳脈を生出せず、また枝脚の垂落なし。たとえ一点あるも、ただ是れ懸鍼の如く尖利、大山に貼して離開せず。既に主山を起さず、また星峰を結ばず、さらに起身前行する能わず。縱然起身前行するも、不过是れ半里・二三里にしてすなわち止住す。好地を凝結して出さず、ただ神坛仏寺を作す能うのみ。たとえ個の穴形あるも、必定坑陷缺損を帯ぶ。だから地を尋ぬるは必ず背面を審するを要す。若し山背に落ちれば、あそこは決然として取る可き地なし。さらに山に登りて穴を找るを必とせず。これは是れ主山の背面に就いて言う。

至於從山護衛,眞龍勢趨一邊,亦有背面。故其向主一壁,有擁護主龍之情者為面;其突兀崚嶒,或枝腳尖利,或枝腳全無,而本身壁立者,即背也。凡此護龍背向者,必無結作;護龍面向者,始可尋地也。

随従護衛の山に至っては、真龍の気勢は一辺に偏向するを因とし、それらもまた背面の分あり。主龍に朝するあの一側の、主龍を擁護するの情を帯ぶるは是れ面。あの突兀嶙峋・枝脚は尖利或いは全く枝脚なき・本身は壁立して墻の如きの一側は、すなわち是れ背。凡そ龍を護るは背を以て相向するの処は、必定結作なし。面を以て相向するの処は、才かに地を尋ぬる可し。

大龍行度之間,分牙布爪,踴躍馳驟,兩邊均勻,無分背面。惟將及作穴之際,則有背面之分。開面處本身寬平,枝腳交護,內堂平聚,外陽開暢,洋朝迂迴,水城環抱。《經》云“若是面時寬且平,若是背時多陡岸。面時平坦中立穴,若是面時朝水緩。縈紆環抱入懷來,不似背邊風蕩散”是也。

大龍は行走の途中に於いて、両旁に向かい牙爪の如き支脈を分出し、踴躍奔馳し、両辺均勻、並びに背面を分かたず。ただ将に穴を結ばんとする時のみ、才かに背面の別あり。面を開くの処は、本身は寛濶平坦、枝脚は交錯護衛し、内堂は平聚、外面の明堂は開濶舒暢、遠処の洋朝の水は迂回して来たり、「水城」は穴場を環抱す。『龍経』は言う。是れ面の時は便ち寛濶平坦、是れ背の時は多是れ陡峭の崖岸。面上の地勢は平坦なれば、すなわちその当中に於いて穴を立つ。是れ面の時は朝来の水もまた走るや舒緩、縈回環抱して懐中に涌入し、背の一辺の如く風に吹かれて散乱するに似ず。講ずるは正にこれ。

其背邊山水無情,或空缺,或逼窄,或陡峻,或醜陋,或巉巖,多受風吹水劫。《經》云:“山回水繞雖似面,浪打風吹崖壁寒。”子微云:“山水無情未是面。”故凡正龍,將及結作,必逆向一邊而入局,開面結穴,前有氈褥,後有蓋托,左右有兩山來衛,下手一臂有力,有堂氣局面可證,山水翕集有情,自不同也。《龍髓經》云:“龍面有山兼有水。”又云:“山環水聚為龍面。”其背邊自然無許多形狀。此論山龍背面也。

背の一辺は山水无情。或いは空缺、或いは逼窄、或いは陡峻、或いは醜陋、或いは険岩嶙峋、多半是れ風吹水劫を受くるを要す。『龍経』は言う。山回水繞は看て似て面の如くとも、浪は打ち風は吹くの下、崖壁は依旧として寒冷。張子微は言う。山水无情なればすなわち面と算えず。だから凡そ正龍は、将に結作せんとする時、必定逆に一辺に向かい局に入り、面を開きて結穴す。穴前に「毡」「褥」の鋪展あり、穴後に蓋山托山あり、左右に両山ありて来たりて護衛し、下手の一臂は力あり、堂気と局面ありて以て印証す可く、山水は聚合有情、気象は自然に同じからず。『龍髄経』は言う。龍の正面は山ありまた水あり。又言う。山環水聚の一面はすなわち龍面。背のあの一辺は自然にこの多くの形状なし。これは是れ山地の龍の背面に就いて言う。

至於平地之龍,亦有背面。《玉髓經》云:“若遇穴在平田,四面皆山水朝應,不知何如分背面?曰:逼窄水割處是背,砂寬水緩處是面。有一種區穴,一畔砂繞水纏而太迫,俗師泥山水所在,遂以背為面。不知平田曠野,未嘗無內明堂。須面前有天然內堂,然後可扦。如四面皆無明堂,即是絕氣之地,雖有朝應,不可下矣。切勿謂穴在平陽,只取外陽朝應為證,而失背面趨向之正也。”

平地の龍に至っては、もまた背面の分あり。『玉髄経』は言う。若し穴が平田の中に落つるに遇えば、四面皆山水の朝応あり、背面を怎様に分かつを知らず。回答は曰く。逼窄にして水は脚を割るの一辺は是れ背、砂勢は寛舒にして水流は平緩の一辺は是れ面。一種の低窪処の穴あり、一辺は砂環水繞するも却って貼りて太く緊し。庸俗の地師は山水の所在に拘泥して、すなわち背を把りて面と当てたり。彼らは平田曠野もまた未だ必ずしも「内明堂」なきに非ざるを懂せず。必ず穴前に天然の内堂ありて、才かに以て下葬す可し。若し四面皆明堂なければ、あればすなわち絶気の地。縦に遠処の朝応あるも、また下葬する能わず。切に穴は平陽に在るを因として、ただ外面の朝応を拿りて憑拠と作し、而して背面趨向の正理を丟去するべからず。

葢平洋穴,必須開口方有憑據。師云:“平洋不開口,神仙難下手。”既有鉗口,自有內堂。堂既正,自有案山。無案山亦須有朝水。口訣所謂“穴證朝堂堂證穴”,“無山要水朝”是也。故平洋地,以開堂辨背面,極親切妙訣焉。

平洋の穴は必ず口を開きて、才かに憑拠の依る可きあり。前輩師の伝は説く。平洋地若し口を開かざれば、神仙もまた手を下し難し。既に「鉗口」あれば、自然に内明堂あらん。内堂は既に端正なれば、自然に案山あらん。たとえ案山なかるも、も必ず朝来の水あるを要す。口訣のいわゆる「穴は朝堂を証し・堂は穴を証す」「山なければ水の朝を要す」、すなわちこの意思。だから平洋の地に於いて、明堂を開出するや否やを用いて以て背面を辮ずるは、是れ極めて貼切の妙訣。

以上論背面詳矣,然又不可泥執。有一等龍氣極旺處,一起一伏,一屈一曲,皆合龍格,成星體,而過峽脫卸猶多。兩邊俱有形穴,雖其結作有正受旁受不同,力量大小不一,然此處之背面,則難以一律拘矣。

以上の背面を論ずるは已に甚だ詳細。しかしまた死守する能わず。一種の龍気極めて旺の処あり、一起一伏・一屈一曲皆龍の格局に合し、処処星体を成し、峡を過ぎ脱卸するの次数はさらに特別に多し。此の種の処は両辺皆穴形あり。結作に「正受」と「旁受」の別・力量に大小の分あるといえども、但しここの背と面は、すなわち一条の規矩を以て去りて框定し難し。

呉公《秘訣》云:“也有眞龍似瓜藤,一回起伏一彎轉。彎轉之中皆有穴,此處未容分背面。兩邊皆有穴星明,穴穴皆有眞應現。豈無假穴使君疑,到此尤宜詳細辨。”《龍經》云:“縱饒已能分背面,面得寛平背崖岸。假如兩水夾龍來,屈曲翻身時大轉。一回頓伏一番身,一回轉換一回斷。兩邊皆有山水朝,兩邊皆有水打岸,兩邊皆有形穴眞,兩邊皆有山水案。兩邊朝迎皆可觀,兩邊明堂皆入選。兩邊纏護一般來,兩邊下手皆迴轉。此山背面未易分,心下狐疑又難判。不應兩邊皆立穴,大小豈容無貴賤?”

呉公の『秘訣』は言う。もまた真龍ありて形は瓜藤の如く、起伏一回すればすなわち彎転一回。毎一処の彎転の中は皆穴あり。此の種の処はさらに背面を分かつを容れず。両辺皆明白の穴星あり、毎個の穴は皆真切の応験の象あり。豈に假穴ありて汝をして生疑せしむるなきや。ここに到りて尤も仔細に分辮するを要す。『龍経』は言う。縱然汝已に能く背面を分かつとも—面は是れ寛平、背は是れ崖岸—可なりしも假如是れ両水夾送して龍を来たらしめ、屈曲翻身する時また大幅に転折す。一回頓伏・一回翻身、一回転換・一回跌断。両辺皆山水ありて来たりて朝し、両辺皆水の岸を拍ち、両辺皆真切の穴形あり、両辺皆山ありて案を作す。両辺の朝迎は皆好看、両辺の明堂は皆格に夠わん。両辺の纏護は一様に来たり、両辺の下手は皆能く回転す。この時山の背面はすなわち分かち易からず、心裏は疑を犯してまた判断し難し。総じて両辺皆穴を立つべからざらん。大小の間に豈に貴賤の別なからんや。

是言眞龍氣旺處,兩邊俱有形穴。但正受旁受,大小貴賤,力量不同,而結作則不異也,未可以背面拘之。然亦未嘗無背面之分。但認背面,不以龍而以穴,故曰“眞龍無分背面,惟結穴處乃有背面。其外應亦各立門戶,而有堂局案對以證之也。”

これは説く、真龍の気旺の処は、両辺皆穴形あり。ただ「正受」あり「旁受」あり、大小貴賤同じからず、力量は別あり。能く地を結ぶこの一点は却って差異なし。背面を拿りて去りて死套すべからず。当然もまた完全に背面の分なきに非ず。ただ背面を認る時は龍を看ずして穴を看る。だから説く。真龍の本身は背面を分かたず、ただ結穴の処のみ才かに背面あり。それらの外面の呼応もまた各自別に門戸を立て、各々堂局と案山対山ありて以て印証す可し。

如吾邑南門外諸名墓,只在三四里間山水,而結數十穴吉地。雖大小不同,富貴有異,而其融結為穴,則皆塜塜有格,且多吳、賴、傅、董諸仙師所下,有課驗證應,是其式也。圖具右:右地在吾邑治南五里,土名長塘。其龍與縣龍同祖少華,迢遞三百餘里,不詳述。將入局,至長塘鋪復開大帳,一脈穿田,頓起重帳,始與縣龍分脈。分後自蛟池山連起群峰,為五星聚講,頓伏卓拔,秀異敻別。

譬えば我らの県城の南門外のあの几処の名墓は、山水は不过三四里の間にして、却って幾十個の吉穴を結出せり。大小同じからず・富貴は別あるといえども、可なりしもそれらの凝結して穴を成すは、座座皆格局に合し、しかも多半是れ呉景鸞・頼布衣・傅伯通・董徳彰の几位の名師の点たる所にして、皆課記の応験の考す可きあり。正に此の種の情形の様板。原書の此処に図を配すも、今ただ図題を存し、図形は已に見る可からず。図上に記する所の地は本県の県治の以南五里にあり、地名は長塘。この条の龍は県城の龍と同じく少華山の祖より出で、迢迢として三百多里して来たれり。ここは細説せず。将に局に入らんとする時、長塘鋪に到りてまた一座の大帳を張開し、一条の脈は田野を穿り過ぎ、頓起して重重の帳幕、才かに県城の龍と分かれたり。脈を分かちし後、蛟池山より接続して群峰を聳起し、「五星聚講」を形成し、頓伏卓立、秀異なること別処と迥然として同じからず。

復橫列闊帳,群龍枝枝出自帳中,棲閃走弄,磊落繽紛,變態萬狀,節節合格。如撒珠,如拋梭,如墜絲,如瓜藤,枝枝葉葉,俱有結作。毎一轉換,一頓跌間,則有穴情,而南北東西坐向各異。爰是龍氣旺甚,故無背面之分。所謂枝枝結果,節節生芽者也。

続いてまた横列して一道の寛濶の帳幕を出し、群龍は一枝一枝帳中より出で、左に栖り右に閃き・来回游走し、磊落繽紛、姿態は万変し、一節一節皆格局に合す。或るものは撒落せる珠子の如く、或るものは拋出せる織梭の如く、或るものは垂下せる糸線の如く、或るものは蔓生の瓜藤の如し。枝枝葉葉皆能く地を結ぶ。毎一処の転換・毎一次の頓跌の間にすなわち穴情あり。而してこれらの穴は南北東西の坐向は各々相同じからず。正に龍気の極めて旺なるを以て、だから背面の分なし。これがすなわちいわゆる枝枝皆果を結び節節皆芽を生ず。

其正結者為孫尙書祖地。入首走馬文星數節,復起側腦太陽金星。扦挨金剪火之穴。右臂拖出曜星石印,圓平奇特,以鎭下關,此貴證也。繫本邑郎慶和下。葬後歲寒公原貞登進士,官至兵部尙書。其孫清簡公需,官吏部尙書。二公皆戊辰生,以石曜在辰也。至今富貴未艾。此地穴前左砂入堂順水,富貴皆在長房。葬時歲寒公已數歲,催官地也。

その中の正結の一処は是れ孫尚書の祖地。入首の処は几節の「走馬文星」を走り、また一座の側脳の太陽金星を起し、点ずるは「挨金剪火」の穴。右臂は一塊の曜星石印を拖出し、圓平奇特、用いて下手関口を鎮住す。これは是れ貴地の証佐。此地は本県の地師郎慶和の点たる所。安葬の後、歳寒公孫原貞は進士を考中し、官は兵部尚書に做り至れり。彼の孫子清簡公孫需は、官は吏部尚書に至れり。两位は皆戊辰年に生る。あの塊の石曜は正に辰方に落つるを以て。今天に到るも孫家の富貴はなお未だ衰歇せず。此地の穴前の左辺の砂は水に順いて堂に入る。だから富貴は皆長房に応ず。下葬の時歳寒公は已に几歳なりき。見る可し、これは是れ一塊の「催官地」。

左一穴餘氏眠犬形,富地,稅糧千石,出一侍御。後一穴亦餘氏,風吹羅帶形,國師傅伯通下。課云:“秀水東流三百步,子孫五世拜皇恩。”果五世出貴。右一穴朱氏地,出觀吾公尙賓,登高科,躋膴仕未艾。對面地餘氏,草蛇吐舌形,賴布衣下,出進士數人。

左辺の一穴は余家の地、形は「眠犬」の如し、富地に属し、納糧千石、一位の侍御史を出せり。それの後面の一穴もまた余家の、形は「風吹羅帯」の如し、国師傅伯通の点たる所。課記は説く。秀水は東に向かい流出すること三百歩、子孫は五代に皇恩を拜受せん。後来果たして五代に貴を出せり。右辺の一穴は朱家の地、観吾公朱尚賓を出し、高科を考中し、官位は優厚にして未だ衰えず。対面の一処は余家の地、形は「草蛇吐舌」の如し、頼布衣の点たる所、好几位の進士を出せり。

餘氏地頂背,方氏掛壁燈形,出東岡公定,官僉憲。方地左一穴,蔣氏蓮花形,郎慶和下,亦有富有貴。又左一穴,祝都諫祖地,舒馬山大同下,詳穴忌卷。上一穴亦蔣氏,仰天螺螄形,郎慶和下。祝地前一穴,餘氏蛇形地,趙緣督翁下,有富有貴。蛇形對岸一枝,亦餘氏,工字龍地,有富有貴。

余家のあの塊の地の頂背は、是れ方家の地、形は「挂壁燈」の如し、東岡公方定を出し、官は僉都御史に至れり。方家の地の左辺の一穴は蒋家の、形は「蓮花」の如し、郎慶和の点たる所、もまた富あり貴あり。再び左に往く一穴は祝都諫の祖地、舒馬山大同の点たる所、詳情は本書の穴忌を論ずるあの一巻に見ゆ。上面の一穴もまた蒋家の、形は「仰天螺螄」の如し、郎慶和の点たる所。祝家の地の前面の一穴は余家の蛇形地、趙縁督老先生の点たる所、富あり貴あり。蛇形地の対岸の一枝もまた余家の、是れ「工字龍」の地、同じく富あり貴あり。

廟左一穴天門徐眞州公墓,出二理學,三忠四孝,典州郡邑佐數十人,芳谷公三省提學。其左一穴,朱氏富地。又左一穴,餘氏富地。內一穴孫氏地,出薦山公汝逹,官文林郎,未艾。餘氏風吹羅帶形左一穴,鍾氏地,有富有貴未艾。

廟の左辺の一穴は是れ天門徐真州公の墓。後代は两位の理学名家を出し、三位の忠臣・四位の孝子あり、州郡県の佐官を做るは幾十人あり。その中の芳谷公はかつて三省の提学を任ず。それの左辺の一穴は朱家の富地、再び左の一穴は余家の富地。裏面の一穴は孫家の地、薦山公孫汝達を出し、官は文林郎に至り、家運は未だ衰えず。余家の「風吹羅帯」形の左辺の一穴は鍾家の地、もまた富あり貴あり、至今未だ衰えず。

田中一穴,吳氏銅羅形,董德彰下,出吳公以清知縣,子護太僕寺臣,孫浚進士州守,玄孫寵進士寺丞,今福祉未替。山麓一穴,朱氏,蜂桶形,張落魄公下,富旺未替。其右一穴亦朱氏,寒牛出欄形,郎慶和下,鉅富旺人。其下郎慶和自卜陽基壽藏,出入康寧壽考,和議清高。

田中の一穴は呉家の地、形は「銅鑼」の如し、董徳彰の点たる所、呉以清を出して知県を做らしめ、その子呉護は官は太僕寺の属官に至り、その孫呉浚は進士に中りて州守を做し、玄孫呉寵は進士に中りて寺丞を做す。如今福沢は仍お未だ衰替せず。山脚の一穴は朱家の地、形は「蜂桶」の如し、張落魄先生の点たる所、富旺は至今減ぜず。それの右辺の一穴もまた朱家の、形は「寒牛出栏」の如し、郎慶和の点たる所、巨富にして人丁は興旺。再び下面は郎慶和の自己に替わりて選定せる陽宅と生壙、一生の出入は平安・康寧長寿、人と為るは和順清高。

其右一穴董氏,寳劍出匣形,董德彰為族人下,今世襲千兵。課云:“出匣寳劍使人驚,世代為將統千兵。”其內一穴,張尙書公憲祖母徐氏夫人地,俗呼猛虎跳牆形,催貴地也。左一穴,餘氏,黃龍出洞形,出背山公鍧,官太守。

それの右辺の一穴は董家の地、形は「宝剣出匣」の如し、董徳彰の本族の人に替わりて点たる所、如今世代は千夫の職を承襲す。課記は説く。匣を出づる宝剣は人をして心惊せしむ、世代将を為して千兵を統領せん。裏面の一穴は張尚書張憲の祖母徐夫人の地、俗には「猛虎跳墻」形と称し、是れ一塊の催貴の地。左辺の一穴は余家の地、形は「黄龍出洞」の如し、背山公余鍧を出し、官は太守に至れり。

沿河逆上,一坪坡中為煙村,盡為孫氏伯清公地,倒地貪狼格也。穴前原是平中一窟,有水。因悞淹一小皃,今填平而非本來面目矣。其前為餘氏、鍾氏、張氏諸地,不能悉。黃龍出洞右一穴,土星掛角,蔣氏地。蔣地右一穴,蛇形,為彭氏地。彭地又右一穴,仙人大座形,餘氏地。

河に沿いて逆流して上れば、一片の坪坡の中の村落ありて烟村と呼ぶ。あの一帯は全是れ孫家の伯清公の地、「倒地貪狼」格に属す。穴前は原本より平地の中の一処の凹窟、裏面に水あり。かつて誤りて一個の小孩を淹死せしめたるを因とし、如今は填平せられ、已に本来の面目に非ず。それの前面にさらに余家・鍾家・張家の几処の地あり、一一に説き全うする能わず。「黄龍出洞」の右辺の一穴は「土星挂角」、蒋家に属す。蒋家の地の右辺の一穴は蛇形、彭家に属す。彭家の地の再び右の一穴は「仙人大座」形、余家に属す。

又其右,為仰天湖,賴布衣下。餘氏名地又其右,為蔣氏上下二穴,郎慶和下。又其右,為程氏二穴,上穴眠犬形,董仙下;下穴猛虎吐涎形,張落魄翁下。以上諸地,皆名師課驗名墓。尙有數穴,莫能悉圖。又有遺珍,以俟有德。由其龍氣盛旺,故融結之多如此矣。

再び右に往けば是れ「仰天湖」、頼布衣の点たる所、もまた余家の名地。再び右に往けば是れ蒋家の上下両穴、郎慶和の点たる所。再び右に往けば是れ程家の両穴。上穴の形は「眠犬」の如し、董徳彰の点たる所。下穴の形は「猛虎吐涎」の如し、張落魄老先生の点たる所。以上のこれらの地は、皆是れ名師の点定・課記の応験ある名墓。此の外さらに几个の穴あり、図上に於いて一一に画出する能わず。もまた未だ曾て用去られざる珍地あり、留待して徳ある人を待つ。正にここは龍気の旺盛なるを以て、だから凝結の吉地は才かにこの多し。

龍の賓主を論ず

賓主者,乃受穴之山與朝迎之山相對之謂也。受穴山為主,朝迎山為賓。最要主賓形勢相稱,情意相孚。切忌賓山陵主,情性背馳。子微云:“主要欺客客迎主。”蔡牧堂云:“地理與人事不遠。人之情性不一,而向背之道可見。其向我者,必有周旋相與之意;其背我者,必有厭棄不顧之狀。雖有暫焉矯飾,而眞態自不可掩。凡相對如君臣,相戀如夫婦,相親相愛如兄弟骨肉,此皆向我之情也。凡相視如仇敵,相拋如路人,相忌相嫉如仇讎逆寇,此皆背我之情也。觀形貌者得其偽,觀情性者得其眞。向背之理明而禍福之幾見,此深得賓主相稱相孚之意也。”

いわゆる賓主は、是れ穴を受くる山と前来りて朝迎する山の両相対峙を指す。穴を受くる山は主を為し、朝迎する山は賓を為す。最も緊要なるは主と賓の形勢相称・情意相合、最も忌諱するは賓山の欺凌主山・彼此性情背離。張子微は言う。主山は客山を圧し得住るを要し、客山は来たりて主山を迎えるを要す。蔡牧堂は言う。地理は人事と相去ること遠からず。人の性情は各々相同じからず、而して向背の道は却って看出来る。我に向かうは、必定周旋相与の意思あり。我に背くは、必定厭棄不顧の様子あり。縱然一時に装点掩飾するも、真実の情態は終に掩い住がたし。凡そ彼此相対して君臣の如く・相恋して夫婦の如く・相親相愛して兄弟骨肉の如きは、これらは皆是れ我に向かうの情。凡そ彼此相視して仇敵の如く・相拋して路人の如く・相猜相忌して冤家逆寇の如きは、これらは皆是れ我に背くの情。ただ形貌を看れば、得る是れ假象。能く性情を看れば、得るは才かに真相。向背の理は明白なれば、禍福の先兆もまた顕現す。この番の話は深く賓主相称相合の旨趣を得たり。

若賓主無分,亦不可下。《葬書》云:“參形雜勢,主客同情不葬。”蓋地雖貴賓主有情,尤貴賓主分明。若賓主不明,陰陽無別,是之謂爭龍爭主,不可用也。范越鳳云:“千山萬水難形狀,中有來龍為主將。前峰磊落盡拱揖,端然一穴龍頭上。忽然破碎無定形,爭龍爭主休尋訪。”

若し賓主分かたざれば、もまた以て下葬すべからず。『葬書』は言う。形勢は混雑参錯・主客は分かたず情状雷同の処は、葬らず。地は固然より賓主の有情あるを以て貴と為し、尤も賓主の分明なるを以て貴と為す。賓主不明・陰陽別なきは、これを「争龍争主」と呼び、取用す可からず。范越鳳は言う。千山万水は形容し難し。その中は総じて一条の来龍ありて主将を作す。前面の峰峦は磊落、一斉に拱手作揖し、端端正正の一個の穴はすなわち龍頭の上に在り。若し忽然破碎にして定形なければ、あれは便ち争龍争主。さらに去りて尋訪するを必とせず。

夫眾山相聚,其受穴山必獨尊貴,異於他山。而左右護送諸山,皆纏從拱揖,雖有起伏、頓跌、逶迤、星峰、枝腳,而奴顏婢膝,顧主之態自不可掩,其貴賤固易辨。惟朝山龍亦自遠來,《經》云:“朝山與龍一般遠,共祖同宗來作伴。客山千里來作朝,朝在面前為近案。”以其遠來朝拜,故亦有星體,亦有起伏頓跌,亦有枝腳護衛。及其止處,亦自尊重可愛。苟不細察,亦與受穴之龍無異。此最能惑人。

衆山の一処に聚まる時、穴を受くるあの座の山は必定独り尊貴を顕し、別の山と同じからず。左右護送の衆山は則ち皆纏繞随従・拱手作揖す。それらは起伏頓跌・綿延屈曲あり・星峰枝脚あるといえども、可なりしもあの副の奴顔婢膝・頭を回して主を看る様子は終に掩い住がたし。貴賤は本来容易に分辮す。独り朝山のこの条の龍もまた是れ遠道而來。『龍経』は言う。朝山は本龍と一様に遠く、同じく一個の祖宗を共着して結伴して来たる。客山は千里の外より来たりて朝を作し、朝山は近く穴前に在ればすなわち案山と成る。それは是れ遠来朝拜するを以て、だから同じく星体あり、同じく起伏頓跌あり、同じく枝脚護衛あり。それの止住するを待つ時も、もまた自ら一副の尊重可爱の模様あり。若し細察せざれば、看起来竟に穴を受くる龍と両样なし。この一点は最も能く人を迷惑す。

《經》云:“凡有星峰去作朝,此龍骨裡福全消。譬如隸兵與奴僕,終朝跪起庭前伏,那有精神自立身?時師只說同關局。”以其既為朝拜之山,則非眞龍,本身已為他人作用神,豈有眞氣融結?時師不識此理,或謂其同關局,或謂其好龍身,妄於作用。

『龍経』は言う。凡そ星峰ありて走り去りて別人に替わりて朝山を作すは、この条の龍の骨子裏の福気はすなわち全く消えたり。好比は差役兵卒と奴僕、整天として庭前に於いて跪起俯伏す。何れぞなお精神ありて門戸を自立せんや。当時の地師は却ってただそれの正穴と同一の関局の内に在るを説くのみ。既にそれは已に朝拜の山と為れれば、すなわち真龍に非ず。本身は已に別人の「用神」を充当せり。何れぞさらに真気の凝結あらんや。地師はこの道理を懂せず、或るものはそれの正穴と同じく関局を説き、或るものはそれの龍身は長じて好しと説き、すなわちその上に於いて胡乱に穴を点ず。

不知大地融會處,眾山眾水有情。正穴既立,朝應及左右之龍皆踴躍奔騰,如赴君召,安得不有可觀處?《玉髓經》云:“月自西升東岸白,雲從上起下方陰。”陸象山釋之曰:“月生於西,而白乃從東,以白處為月則非矣;雲起於上,而陰乃在下,以陰處為雲則非矣。”猶言穴在於西,而有情之應在東,不知者求穴於有情之應則非矣。楊公云:“窗外月明窗內白,水邊花發水中紅。”與此義同。

彼らは知らず、大地融会の処に於いては、衆山衆水は皆情を含む。正穴は一たび立定せば、朝応の山と左右の龍は皆踴躍奔騰し、君王の召喚に奔赴するが如し。怎んぞ可観の処なからんや。『玉髄経』は言う。月は西辺より升るも、東岸は却って先に白を発す。雲は上面より生ずるも、陰影は却って下方に落つ。陸象山は解釈して曰く。月は西辺に生ずるも、白光は却って東辺に出現す。若し白を発するの処を把りて月と当てればすなわち錯えり。雲は上面に起つるも、陰影は却って下面に在り。若し陰影あるの処を把りて雲と当てればすなわち錯えり。これは穴は西辺に在りて、而して情あるの呼応は東辺に顕るに譬う。懂せざる人は情あるあの一辺に跑り去りて穴を求むれば、すなわち錯えり。楊筠松は言う。窓外の月は明ければ、窓内は才かに白を発す。水辺の花は開けば、水中は才かに紅を映ず。意思はこれと相同じ。

吳公《地理快捷方式》云:“凡南北兩山相對,皆可作穴者,須當辨認主客。作穴為主,作對為客。是主山必起伏而屈曲,是客山則堆疊而直朝。蓋主山之龍自然特異,客山雖有似主之狀,細察其行度,自有不足處,必無穿變纏落諸格,必無過峽、度脈、脫卸。縱有之,亦受風吹,無扛夾護送。

呉公の『地理捷径』は言う。凡そ南北両山の相対して看て皆能く穴を作すの処は、必ず主と客を辮認するを要す。穴を作すの一辺は是れ主、それと相対するの一辺は是れ客。是れ主山のは、必定起伏して屈曲す。是れ客山のは、ただ堆畳して直挺々として来たりて朝す。主山のこの条の龍は自然に衆と同じからざるを以て。客山は一副の主山の如き様子を擺くといえども、それの一路行走を細看すれば、総じて不足の処あり。必定穿帳・伝変・纏護・落脈のこれらの格局なく、必定峡を過過ぎ脈を度し脱卸するの層次なし。縱然あるも、も是れ風吹を受くる、両旁に山ありて来たりて扛夾護送するなし。

不是星峰孤露,則是星面峻急頑硬;不是全無枝腳,則是枝腳短少不揚,來勢似活而實直,護從似隨而實散。及至入首,手足斂伏,星辰開面,雖有假形,類於穴情,必然陡峻頑硬,突露臃腫,而無安和攸揚舒泰之情。其明堂、水城自然反背,或割腳,或沖心,或射脅,或當面流去朝主。

客山は星峰は孤零外露するに非ざれば、すなわち山面は陡急頑硬。全く枝脚なきに非ざれば、すなわち枝脚は短少にして舒展せず。来勢は看て霊活の如くして其の実直硬、護従は看て相随の如くして其の実散乱。入首の処に到れば、手脚は収斂し・星峰は面を開き・一個の假形を擺出して、甚だ穴情あるに似るといえども、可なりしもそれは必定陡峻頑硬・突露臃腫、あの種の安穏舒緩・从容舒泰の情態なし。それの明堂と「水城」は自然に反背す。或いは穴脚に貼いて割り去り、或いは直冲して穴心を射、或いは斜射して穴の両脅を射、或いは当面流走去りて主山のあの一辺を朝す。

吳公《快捷方式》云:“只把兩邊水消詳,若南山是主,水城必抱歸南邊,北山是主,水城必抱歸北邊。”《龍經》云“問君主客皆端正,兩岸尖圓巧相應。主是三山品字安,客亦三山形一般。客山上見主山好,主山上見客山端。此處如何辨賓主?只憑水抱便為眞。水城反處便為客,多少時師誤殺人”是也。

呉公の『捷径』は言う。ただ両辺の水を把りて仔細審量すればすなわち行く。若し南山は主なれば、水城は必定南辺を環抱す。若し北山は主なれば、水城は必定北辺を環抱す。『龍経』は言う。請問主客皆端正・両岸の山峰は尖圓にして巧妙相応する時は怎様せん。主の一辺は三座の山は品の字に排し、客の一辺もまた三座の山の形状一様。客山の上に立ちて主山を看れば甚だ好く、主山の上に立ちて客山を看ればもまた端正。この時怎様に賓主を辮せん。ただ水の何れの一辺を環抱するに凭れ、何れの一辺かすなわち真。水城の反弓する一辺は便ち客。多少の地師はすなわちここに於いて人の性命を誤る。説くは正にこの意。

如或水只平過,則又審其護從之山何邊有情。客山必無從龍擁護。《經》云:“凡看疑穴看堂局,堂局眞處抱身曲。忽然平過卻如何?即以從纏分部屬。從纏護托辨眞假,朝山無從托其身。朝山直來身不曲,眞龍屈曲不朝人。”或兩邊皆有結作者,必不與穴相登對。吳公云:“或有南北兩岸,二龍皆有形穴可葬者,亦必水城抱歸南邊,又復抱歸北邊方可。”《明堂經》云:“水曲朝南,水北穴明;水曲歸北,水南穴情。水灣所掬,此穴堪營。”

若し水はただ平平として流れ過ぎ・何れの辺にも偏抱せざれば、すなわち再び護従の山は何れの一辺に於いて有情を顕すを看るを要す。客山は必定従龍の擁護なし。『龍経』は言う。凡そ可疑の穴に遇えば、先ず堂局を看よ。堂局真の処は水は身を抱きて彎曲す。忽然水の平平して過ぎ去るに遇う時は怎様せん。すなわち随従纏護の山を用いて来たりて主従を分け清む。従山の纏護托送は以て真假を辮ず可し。朝山は従山ありて来たりてそれのこの一身を托するなし。朝山は直来にして身は彎曲せず、真龍は則ち是れ屈曲、別人を朝拜し去る能わず。若し両辺皆結作あれば、あの両個の穴もまた必定正対せざらん。呉公は言う。或る時南北両岸の两条の龍は皆穴形ありて葬る可きなれば、あれもまた必ず水城は先ず南辺を抱き・再び転じ回りて北辺を抱いて才かに行く。『明堂経』は言う。水は曲りて南に向かい朝せば、水北の穴はすなわち明けん。水は曲りて北に帰せば、水南の穴は才かに情あり。水の彎曲する所の捧持するあの一辺、この個の穴は才かに営建す可し。

大抵尋地大法,凡到一村一鄉,一源一局之間,先看水勢歸於何處。其水城弓抱,與水勢明堂相聚之處,則可尋地;水城反背,與水勢明堂傾跌之邊,不須著眼。前輩謂“未看山,先看水”;又云“知水之所在,則知穴之所在”,誠捷法口訣也。兩岸皆有龍穴,則水城先抱一家,又轉一局復抱一家,方扦兩岸之穴,是其式也。

大体上、地を尋ぬるの大法は。毎に一村一郷・一条の水源一個の局面の中に到れば、先ず水勢の帰向する処を看よ。水城は弓形を作して環抱し・水勢は明堂と相聚するの処は、すなわち以て地を尋ぬ可し。水城は反背し・水勢は明堂と傾瀉跌落するの一辺は、留意するを必とせず。前輩は説く「未だ山を看ず、先ず水を看よ」、又説く「水の何処に在るを知れば、すなわち穴の何処に在るを知る」、これは確かに快捷の口訣。原書の此処に図あり、今ただ図題を存す。両岸皆龍穴ある時、水城は先ず一辺を環抱し、再び転じ出でて一局して回りて別の一辺を環抱し、両岸の穴は才かに皆点ず可し。これがすなわちその様式。

龍の奴従を論ず

奴從者,即眞龍之纏送護托、侍衛朝迎等山也。既有眞龍融結,自有諸山擁從,如雲從龍,風從虎,眾星拱極,自然之應也。但所處之地不同,其名亦因之不一。在後曰送,曰托,曰樂。在前曰朝,曰案,曰應,曰對。遠抱過前曰纏,奔走相揖曰迎,列於左右曰侍衛、夾輔。

いわゆる「奴従」は、すなわち真龍の身辺に纏繞・送行・護衛・托靠・侍立・朝迎するあの些の山。既に真龍ありて凝結して穴を成せば、自然に衆山ありて簇擁随従す。恰も雲の龍に跟い・風の虎に跟い・衆星の北極を囲繞するが如く、是れ自然而然の呼応。ただそれらの処する位置は同じからず、名称もまたそれに随いて同じからず。穴後に在るは「送」と呼び・「托」と呼び・「楽」と呼ぶ。穴前に在るは「朝」と呼び・「案」と呼び・「応」と呼び・「対」と呼ぶ。遠処より穴前に環抱するは「纏」と呼ぶ。奔走过来りて揖を作すは「迎」と呼ぶ。左右に排列するは「侍衛」「夾輔」と呼ぶ。

廖氏云:“迎龍先在穴前揖,送龍穴後立。纏龍纏過龍虎前,托龍居後邊。”楊公云:“送龍之山短在後,托山不抱左右手。纏龍纏過龍虎前,三重五重福延綿。”《洩天機》云:“當面推來名曰朝,不怕遠迢迢。送是隨龍來百里,見穴卻停止。迎是隨龍先出來,見穴卻回頭。或隨朝迎來聚集,遠望低頭揖。衛是護龍左右隨,不令曲風吹。侍在穴前分兩邊,端拱默無言。”

廖金精は言う。迎龍は先ず穴前に於いて拱手し、送龍は穴後に立つ。纏龍は龍虎の二砂の前に纏繞し、托龍は後辺に居す。楊筠松は言う。龍を送るの山は短く、後面に留む。托山は左右の両臂を抱かず。纏龍は龍虎の前に纏り過ぎ、三重五重を纏上すれば、福気はすなわち綿延不絶。『泄天機』は言う。当面に推涌して来たるは「朝」と呼び、それの天辺に遠きを怕れず。「送」は是れ龍に随いて上百里を走り、穴を見れば便ち停住す。「迎」は是れ龍に随いて先ず走り出で、穴を見れば便ち頭を回して来たる。或るものは朝山迎山に随いて一処に聚まり、遠く望去れば頭を低めて揖を作す。「衛」は是れ護龍して左右に相随し、斜風をして吹き入らしめず。「侍」は是れ穴前の両辺に分列し、端正拱手・黙然として語らず。

又曰:“遠迎近侍不可缺,只喜皆羅列。”又曰:“夾衛輔從兩邊生,後送更前迎。”是皆狀諸從山之形容。而眞龍正穴吉地,必有此等從龍以輔相擁從,亦造化自然融會,非勉強所能致也。郭景純曰:“氣以龍會,獨山不葬。”《寶鑑》云“眞龍之行,群山朝揖,有隨有從,有迎有送,有關有護”是也。

又言う。遠処の迎・近処の侍は皆缺くべからず、最も喜ぶはそれらの一の一斉に羅列する。又言う。夾衛輔従は両辺より生出し、後面に送あり・前面に迎あり。これらは皆随従の山の形態を描摹するに在り。真龍正穴の吉地は、必定このような従龍ありて来たりて輔佐擁護す。これもまた造化自然の融会、是れ勉强して安排して得来るに非ず。郭璞は言う。生気は龍脈に因りて聚會す。孤单一座の山は下葬すべからず。『宝鑑』は言う。真龍の行走する時、群山は拱手して来たりて朝し、随あり従あり、迎あり送あり、関攔あり護衛あり。説くは皆これ。

然從龍之山不曰從砂,而曰從龍,必其亦有星峰磊落,奔走棲閃,逶迤活弄,頓跌起伏,橈棹擺佈,亦能眩惑人目。昧者多誤以從龍認作正龍。不知從龍既為正龍所用,則其本體不尊,縱別立門戶,為隨帶旁受之穴,其力量終不及正龍專受之大且尊也。《經》云:“朝迎護從亦有穴,形穴雖成有優劣。”又云:“朝迎護從豈無穴,輕重多與貴龍別。”

随従の山は「従砂」と呼ばずして「従龍」と呼ぶ。正にそれもまた磊落の星峰あり、もまた奔走栖閃・綿延游動・頓跌起伏し・両旁に向かい橈棹を擺開する能く、同じく人の眼睛を迷惑する能うを以て。糊塗の人は多半是れ従龍を錯認して正龍と為す。彼らは懂せず。従龍は既に正龍に用いらるれば、本身はすなわち尊貴ならず。縱然別に門戸を立てて、随帯の「旁受」の穴を結成するも、力量は終に正正龍の専受の穴の如く大而尊には及ばず。『龍経』は言う。朝迎護従の山の上にもまた穴あり。穴形は結成するといえども、却って優劣の分あり。又言う。朝迎護従は怎んぞ穴なからんや。ただ軽重は多半是れ貴龍と別あるのみ。

又有一等奴砂,乃從山之至賤者,旁落偏出,粗頑無星體,委靡不頓跌,醜陋斜側,臃腫孤露,水割風吹;或嵯峨巉巖,高昂雄惡;或破碎懶散,全無枝腳。種種凶形,如奴隸武夫,供給賤役,無所取裁,決不可尋穴也。圖見上右。

さらに一類の「奴砂」あり、是れ随従の山の裏の最も下賤。旁边より偏落して出で、粗頑にして星体を成さず、委靡にして頓跌なく、醜陋歪斜・臃腫孤露、水に割られ風に吹かる。或るものは嵯峨険峻・高昂雄悪、或るものは破碎懶散・完全に枝脚なし。種種の凶形は、好比は奴隷武夫のただ役使に供する、何の取裁す可きもなし。絶対にその上に於いて穴を尋ぬる能わず。原書の此処に図は上方右側に見ゆと注明すも、今図形は存せず、僅かにこの語を照録す。

龍の余気を論ず

凡幹龍大地,龍長氣盛,結穴已完,山勢難止,必有餘氣之山,或去數里,或去數十里。其去又多融結小穴,隨其力量,皆有發越。切不可認大盡處為正結,以正結穴為腰落。誤認則正受旁受無分,力量大小不辨,反以大地為小穴不取,而以小穴為大地矣。

凡そ干龍の結成する大地は、龍身は長く・気勢は盛なり。穴を結び完成した後も山勢はなお停住し難く、必定一段の「余気」の山あり、或いは几里を伸出し、或いは幾十里を伸出す。この段の余気は前に往きて、また多半是れ些小の穴を結出す。各々その力量の大小に随いて皆能く発福す。千万不可最尽頭の処を把りて正結と当て、却って正結の穴を把りて腰間落脈と看作すべからず。一旦錯認せば、正受と旁受はすなわち分け清めず、力量大小もまた辮明せず、却って大地を把りて小穴と当てて棄置し、小穴を把りて大地と当てて争取せん。

世人不識大地,多被餘氣山所混。彼無眞見,必於盡處結穴,方為龍盡氣鍾。不知大地結作,不在大窮盡處,多在四山擁從之中,結了必有餘氣之山。《經》云:“君如尋得幹龍窮,二水相交穴受風。風吹水劫卻非穴,君尋到處是疑龍。”張子微云:“龍將盡時難更去,分付從茲是餘氣。或為枝葉或餘波,要識此般總無氣。”

世人は大地を認識せず、多半是れ余気の山に攪乱せらる。彼らは真見識なく、一定要ず尽頭の処に於いて穴を結びて、才かに龍は頭に到り気は鍾聚と算う。彼らは大地の結作は並びに最尽頭の処に在らず、多是れ四面の山峦の擁護の中に在るを懂せず。結成の後に必定さらに余気の山あり。『龍経』は言う。汝若し干龍の尽頭・両水の相交する処に尋ね到れば、穴は風を受けん。風に吹かれ水に劫せられるの処はすなわち穴に非ず。汝があそこに找到するはただ一条の疑龍に遇上せるのみ。張子微は言う。龍は将に尽きんとする時はさらに前に往き難し。一句を交代す。ここより起つるはすなわち余気。それは或いは枝葉と化作し、或いは余波と化作す。此の類は総じて生気なきを認清するを要す。

故凡尋龍,須識大小受穴不同。小龍鬚盡處求穴,大龍則不然。蓋緣龍長力大,到結穴處氣甚旺盛,一齊收斂不盡,故此去猶長爾。然扦得眞穴,其去山雖遠,而氣脈皆收轉穴內受用,謂之牽前扯後,故力量大。

だから龍を尋ぬるは必ず大龍小龍の穴を受くるの方式の同じからざるを懂得するを要す。小龍は要ず尽頭の処に於いて穴を求む。大龍はすなわち此の如くあらず。龍は長く力は大なるを以て、穴を結ぶの処に到りて気はなお甚だ旺盛、一時に収斂し尽さず。だから前に往きて伸び出去る一段はなお甚だ長し。然而るにただ真穴を点中せば、あの伸び出去りし山は遠きといえども、気脈は却って皆収転して回りて穴内に受け用いらる。これを「牽前扯後」と呼ぶ。だから力量は才かに大なり。

卻又不可誤認停驛龍歇穴作幹龍正結。停驛龍歇之穴,乃是斬關腰結之地,大龍前去,自有正穴。《經》所謂“譬如人行適千里,豈無解鞍並頓宿?頓宿之所雖未住,亦有從行並部曲。”然此亦是大龍旺盛處透漏餘氣,小有結作而已。

不过もまた「停駅」「龍歇」の穴を誤認して干龍の正結と為す能わず。停駅龍歇の穴は「斬関腰結」の地に属す。大龍は継続して前に往き走り、自らその正穴あり。『龍経』の言う所。好比は人の一千里の路を走らんと要するに、途中に於いて怎んぞ鞍を解きて歇宿せざらんや。歇宿の処は終点に非ざるといえども、あそこもまた随行の人馬と部暑あり。不过此の種の処もまたただ大龍の気旺の処より泄露して出づる一点の余気、略有の小結作のみ。

幹龍正受之穴,乃是融結已畢,而有餘剩之氣,延袤而去,自不與停驛龍歇同也。楊公所謂“眞龍勢踴難頓住,結穴定了氣遠去”是也。然其去也,或回為下手,或轉為托樂,或反遶身為纏護,或奔走水口為門戶,或聳於前為案,或發於左右為曜,或拖於後為鬼,或鋪於前為氈。

干龍の「正受」の穴は、是れ凝結已に完畢した後にさらに一股の気を剩余し、綿延伸展して出去るなり。これは停駅龍歇と自然に同じからず。楊筠松の言う所の「真龍の気勢は踴躍、驟に停住し難し。穴は結び定まりて、気はさらに遠く走り去るを要す」、講ずるはすなわちこれ。不过それは走り出去りし以后、或いは回転して来たりて下手の一臂を充当し、或いは身を転じて穴後の托山楽山を充当し、或いは反遶して来たりて穴身を護住して纏護を充当し、或いは水口に奔りて門戸を充当し、或いは穴前に於いて聳起して案山を充当し、或いは左右より生出して「曜星」を充当し、或いは穴後に拖りて「鬼」を充当し、或いは穴前に鋪きて「毡」を充当す。

要皆為我用神,雖去不足畏,非分散龍氣,為鬼刦之比。楊公云:“大地皆從腰裡落,迴轉餘枝作城郭。”吳公云:“餘氣不去數十里,決然不是王候地。”故大龍氣盛者,方結此穴,小龍無之。又須詳審精察,不可以過龍虛偽之處而誤下也。

総じてこれらは皆我の用い得る「用神」と成れり。走り出去りしといえどもまた怕るるを必とせず。あの種の龍気を分散するの「鬼」「劫」とは是れ一回事に非ず。楊筠松は言う。大地は多半是れ龍身の腰間より落下し、回転の余枝はすなわち外圍の城郭と成る。呉公は言う。余気若し幾十里を伸出せざれば、決然として王侯の地に非ず。だからただ大龍の気盛なるのみこの種の穴を結ぶ。小龍には此の種の情形なし。不过さらに必ず細審精察し、ただ路過の假結の処を誤認して穴と作して下葬すべからず。

張紫瓊云:“不必山窮水盡方可作穴,大盡處多應休囚死絕,或風吹水割,反不受穴。眞龍正穴盤泊之處,分牙布爪,結穴外有三五里或十數里山勢未盡,皆是餘氣。眞穴必居囊肚之間,氣脈平正,明堂隱約,如封君甲第、大官行衙,必有堂階門郎,必有引從護衛。”

張紫瓊は言う。必ずしも山窮水尽に到りて才かに穴を作すを要せず。最尽頭の処は多半是れ休囚死絶の地に応ずべし、或いは風に吹かれ水に割られて、却って穴を受くる能わず。真龍正穴の盤踞停泊する処は、牙爪の如き支脈を分出す。結穴の外にさらに三五里或いは十幾里の山勢の走り未完せるあり。あれは皆是れ余気。真穴は必定口袋の肚子の如く包裹せられし当中に居り、気脈は平正、明堂は隠約見る可し。好比は封を受けし貴人の宅第・大官の官衙、一定に堂階門房あり、一定に路を引く随従と護衛あり。

趙綠督云:“尋龍鬚大盡為好。太窮盡則風吹水割,又反無力。須結穴了有餘氣方為大地。切莫錯認大窮盡處穴。一則脈窮氣散,二則護漸包穴不過,三則風吹水割,四則局面明堂寬廣不聚,五則受氣不盛,後托無力,決非大地。從有地亦不過一點露華垂於草尾而已。”

趙縁督は言う。龍を尋ぬるは要ず大処の尽頭に走り至りて才かに好し。しかし走るや太く尽きれば、すなわち風吹水割し、却って無力。必ず穴を結びし後にさらに余気ありて、才かに大地と算う。切不可最尽頭の処に於いて錯認して穴と為すべからず。一来すれば脈已に窮み気已に散ず。二来すれば護衛の山は漸々として穴を包み住がたし。三来すれば風吹水割。四来すれば局面明堂は過度に寛広にして気を聚めず。五来すれば気を受くるや盛ならず・後面の托山は無力。決して大地に非ず。縦然あそこに地あるも、不过是れ一滴の露水の草尖に挂かるが如し。

范越鳳云:“大富大貴之地,必不在大窮盡處。大窮盡處多是風吹水刦。眞龍盤泊,必分牙布爪,結穴之外,有三五里或十數里餘氣,並皆暗助。如人之巨室,其寢息之處,必在堂奧之中矣。”

范越鳳は言う。大富大貴の地は、必定最尽頭の処に在らず。最尽頭の処は多半是れ風吹水劫の所。真龍の盤踞停泊する時、一定に牙爪の如き支脈を分出す。結穴の外にさらに三五里或いは十幾里の余気あり、皆暗中に於いて幫襯す。これは人家の大宅院に譬うれば、主人の安寝する処は一定に堂屋の深処に在り。

右餘氣之說,本是怪穴。此等名墓,處處有之。如婺源朱夫子祖地、莆田林婆墓、樂平洪忠宣公、馬碧梧丞相、吾邑張忠定公諸祖地,皆其格也,圖附下。右地在婺源縣二十七都,地名官坑嶺,乃朱夫子四世祖妣墓也。予兄弟曩在朱氏觀文公家譜,雲四世祖名惟甫,配程氏,行恭二,名荳蔻,葬二十七都丹陽鄉環石裡,地名官坑半嶺,金斗形樑上穴。庚申山,正坎作丙向,嘉佑四年己亥八月吳景鸞下。

以上の余気に関する説法は、本来講ずる是れいわゆる「怪穴」。此一類の名墓は到る処皆あり。譬えば婺源の朱熹の祖地・莆田の林婆墓・楽平の洪忠宣公・馬碧梧丞相および本県の張忠定公の几処の祖地、皆この格に属す。図は下面に附す。図中に記する所の地は婺源県二十七都にあり、地名は官坑嶺、是れ朱熹の四世祖母の墓。我ら兄弟は従前に朱氏の観文公の家譜の上に見て曰く。四世祖の名は惟甫、配偶は程氏、排行は恭二、名は荳蔻、二十七都の丹陽郷環石里に葬る、地名は官坑半嶺、形は「金斗形」、穴は梁の上に在り。庚申の山に坐し、正坎方に於いて丙向を立つ。嘉祐四年己亥八月に呉景鸞に由りて点定せらる。

課云:“金斗穴居梁,朝案信鴉崗。溪山環九曲,道學世流芳。”未下之前有記云:“官坑龍勢異,穴高眾山聚。坎離交媾精,筆峰天外起。富不及陶朱,貴不過五府。當出一賢人,聰明如孔子。”

当時の課記は説く。金斗形の穴は梁の上に居り、朝山案山は正しく信鴉崗に対す。谿水と山峦は環出して九道の彎曲。道学の名は世代流芳せん。下葬の前に別に一段の記語ありて説く。官坑のこの条の龍は気勢特異、穴位は高く居りて衆山は攅聚す。坎離の二気は交媾して精を成し、筆架の如き山峰は天外より聳起す。富を論ずれば陶朱公に比べ及ばず、貴を論ずれば五府の職を超過せず。しかし応に一位の賢人を出すべし、聡明なること孔子の如し。

按:此地正幹,迢迢甚遠,不能悉述。比入首,橫列雲錦帳。帳之巔微起雙峰。峰下各出微脈,隱隱隆隆,數節走馬娥眉大星,貼在帳身。微茫合氣,細察則有,粗看則無,非俗眼所能檢點。入首束氣結咽,復頓起土星開窩之格,形體甚秀。窩間又有微乳,穴粘乳頭。坐下平坦,藏風聚氣,穴情完固可愛。

徐氏按ず。此地の走るは是れ正干龍、来路は迢迢として甚だ遠し、一一に叙述する能わず。将に入首せんとする時、横列して一道の「雲錦帳」を出し、帳頂は微微として两座の山峰を起し、峰下は各自細微の脈を伸出し、隠隠隆隆。接続して几節の「走馬娥眉」の如き大星、帳身の上に貼す。この股の脈気は細微なること几んど見えず、細察して才かにあり・粗看すればすなわちなし。是れ俗人の眼力の検点し得る所に非ず。入首の処は気脈は収束し・咽喉を結成し、また頓起して一座の土星を開きて窩形の格局を出す。形体は十分に清秀。窩中にさらに一点の微微の「乳」あり、穴はすなわち乳頭の上に粘す。穴下の坐処は平坦、風を蔵得住・気を聚得住、穴情は完固可爱。

兩旁拱衛羅列,莫知為萬仞山巔。元辰水雖當前傾跌三十餘步,得本身一掬近案橫攔,緊巧有力,不見水去,且迂迴曲折,亦不為害。但主離鄉而已。故文公遷居建陽,乃其驗也。近有鵝子峰作案,已自秀異。而外陽又有特異奇峰,遠在天表,聳入雲漢。登穴視之,勢如熖動,清奇可愛。

両旁の山は拱衛羅列し、あそこに立って根本に自己が万仞の高き山頂の上に在るを覚察して出さず。穴前の「元辰水」は前に向かい傾瀉すること三十多歩なるも、好し本身に一段の近案ありて手掌の一掬の如く横攔し、緊湊巧妙にして力あり、水流の去るを望見せず。水はまた迂回曲折して、もまた害を為さず。只不过子孫の郷を離るるを主すのみ。だから朱熹は後来建陽に遷居せしは、正にこの一点の応験。近処に鵞子峰ありて案山を作し、已に秀異に夠う。外面の明堂にまた特別奇異の山峰あり、遠く天辺に在り、高聳して雲に入る。穴場に登りて望去れば、あの気勢は火焰の跳動するが如く、清奇可爱。

且水星帳北,火星朝南,東木西金夾照,土星結穴居中,謂之五星守垣,眞至貴之地也。然以俗眼觀之,龍身奔去三十餘里始盡,而此間以橫落微茫數節之脈結穴,高在山巔,無明堂,而水又流去甚遠,孰識為此等大地?雖然,我文公朱夫子乃間氣所鍾,固非一穴之地所能孕育。然以課記考之,其符應若是,孰謂於地理盡無與哉!

再び格局を看る。水星は帳の北面にあり、火星は南面に於いて来たりて朝し、東辺の木星と西辺の金星は左右に夾照し、土星は穴を結びて正中に居す。これを「五星守垣」と呼ぶ。確かに極貴の地。しかし俗人の眼裏には、この条の龍身はさらに三十多里を奔出して才かに尽頭に到り、而して此処は却って横落して下りし几節の細微の脈を用いて穴を結び、高く山巔に踞り、明堂なく、水はまた流れ去ること甚だ遠し。誰か認出し得ん、これが是れこのような一塊の大地なるを。話は此の如しといえども、我らの文公朱夫子は乃是れ天地の間の隔世に一出の秀気の鍾する所、本是れ一処の穴地の孕育し得る所に非ず。然而るに当年の課記を拿りて対照すれば、応験は竟に此の如く絲絲入扣。誰か能く地理のこれに対して全く干係なしと説かんや。

傳疑:樂平洪士良同師吳景鸞至官坑嶺下。士良偶渴,探泉飲之。走謂師曰:“此泉甚異,當有至貴之地。”國師亦往,索泉嘗之曰:“是泉有翰墨香,豈但貴也,當產大賢!”因至山巔觀之,果見其穴。呀曰:“秀鍾於此,以報朱氏。”

以下の一段は伝聞の存疑に属す。楽平の人洪士良は彼の老師呉景鸞に随い官坑嶺の下に走り至り、士良は偶然口の渇き、泉水を找到して飲み、跑り去りて老師に対して曰く。この泉水は甚だ特別、附近に応に極貴の地あるべし。国師呉景鸞もまた走り過ぎ去り、泉水を要して一口を嘗めて、説く。この泉水の裏に翰墨の香気あり。豈に貴のみならん、応に大賢を出すべし。ここに於いて山巔に登りて察看すれば、果たしてあの穴を找到し、驚歎して曰く。山川の秀気はここに鍾聚す。是れ朱氏の一家に報答せんと欲するなり。

然其地自山下至穴所約七里許,而送龍兩水,右出石檢土名,前水直流五店土名,穴高水遠,不利初代。窀穸畢,用巨石壓而封之。後果以不利慾遷焉,竟得石壓而止。又云:初,獻地者謂有天子氣象,未決。往邀其師,繫一僧來觀,曰:“當出夫子”。吳公晚年落髮學禪,故傳為僧耳。按《吳公傳》有“髠髮自縱”是也。

不过この塊の地は山下より穴場に至るまで約七里あり、龍を送るの两条の水は、右辺の一条は地を名づけて石検と曰うの処に流出し、前面の一条は直流して地を名づけて五店と曰うの処に到る。穴は高くして水は遠し。頭の几代に利せず。下葬を完畢した後、巨石を用いて圧住して封好す。後来果たして不利を因として遷葬せんと欲するも、終に巨石の圧する有るを因として罷めたり。もまた一説あり。起初に地を献ずる人は此地に天子の気象ありと称し、主意を拿り定めず、すなわち彼の老師を請いに去る。請い来たるは是れ一位の僧人、看て後に説く。此地は応に夫子を出すべし。これは是れ呉景鸞の晩年に髪を剃り禅を学ぶを以て、だから伝説の裏に於いて僧人と成れり。『呉公伝』の裏に「髪を剃り去り・自ら放達を求む」の話あるを查すれば、以て証と為す可し。

右地在福建興化府城內,土名烏石山。其龍與府龍共祖,來歷甚遠。至紫帽山,連生紫微、紫霄,名曰三紫。磅礴綿亙數百里,盤旋融會,氣勢雄偉,千形萬狀,不可殫述。將入局,開帳重重,巍峨嵡嵷。復大斷過峽,分為兩枝。其右出者結府治及莆田縣都閫、衛所、儒學各衙門;其左出者,自分脈後復穿田,連過數峽,頓伏棲閃,逶迤活弄,莫可測度。

下一幅の図に記する所の地は福建の興化府城の内にあり、地名は烏石山。この条の龍は府城の龍と同一の祖、来歴は甚だ遠し。紫帽山に到り、接続して紫微・紫霄の両峰を生出し、合して「三紫」と称す。気勢は磅礴、綿亙数百里、盤旋融會、雄偉壯濶、千形万状、説いて尽す能わず。将に局に入らんとする時、重重に帳を開き、巍峨崇峻。続いて大幅に跌断して峡を過ぎ、分かれて両枝と為る。右に往きて出づる一枝は府衙および莆田県の都司・衛所・儒学の各处の衙門を結成す。左に往きて出づる一枝は、脈を分かちし後また田野を穿り過ぎ、接続して幾個の山峡を経過し、頓伏栖閃・綿延游動し、変化は測り難し。

入首,起走馬三臺仙帶貴格,卓起巨石,如奇葩,如靈芝。穴結石下,僅尋丈之土,為騎龍穴。穴前不數丈,復起巨石,昂然朝拱,取作觀音坐蓮形,以其群石遶穴也。穴下龍脈撒落平陽,去結方、林、黃、陳諸族陽基。正近穴前,為演武場。右水遶左,以接海潮。壼公山端嚴朝拱,以為正案。

入首の処、「走馬三台」「仙帯」のこのような貴格を起し、また卓然として巨石を立て、奇花の如く、霊芝の如し。穴は石の下に結び、ただ丈把見方の土のみあり、「騎龍穴」に属す。穴前は不过几丈、また一塊の巨石を起し、昂然として朝拱す。ここにおいて名を取りて「観音坐蓮」の形と為す。それの群石の穴場を環繞するの意を取る。穴下の龍脈は平原に撒落し、前に往きて方・林・黄・陳の几姓の族人の陽宅基址を結成す。穴前に緊挨するは演武場。右辺の水は左辺に遶りて、海潮を接ぎに去る。壺公山は端厳斉整に朝拱して来たり、正案を作す。

但左邊一曠百里,直抵大海,莫有下關,龍勢不止。右砂攛過明堂,兼以巨石磷磷,無龍無虎,孰信以為大地?唐時,林母賣餈粿。有藍縷生日逐食粿。母與之不吝。歲久,生謂母曰:“吾受母惠,無以報。吾將去矣。烏石山有大地,母可圖為壽藏,異曰富貴無窮。”林母從其言,果葬之,今稱為餈婆墓,福建各林之祖。世謂“無林不開榜”,此地之鐘秀也。自唐宋迨今,科甲之多,海內莫與倫焉。

ただ左辺は空曠百里、一直に大海に通じ、下手の関攔なく、龍勢は似て未だ止住せざるの如し。右辺の砂はまた明堂を竄り過ぎ、加うるに巨石は嶙峋、既に青龍なくまた白虎なし。誰か肯んじてこれを信ぜん、是れ一塊の大地ならんと。唐朝の時、林家の老母親は餈粑を売るを以て生を為し、一個の衣衫襤褸の書生ありて天天来たりて餈粑を討ち喫す。老母親は彼に給うや従りて吝惜せず。日子は久しきを久し、書生は彼女に対して曰く。我は您の恩恵を受け、以て報いる無し。我は将に去らんとす。烏石山の上に一塊の大地あり。您は以て寿蔵の所を謀り来る可し。日后富貴は無窮ならん。林母は彼の話に依り、果たしてあそこに葬る。如今は餈婆墓と称す。是れ福建の各支の林姓の祖墳。世人は説く「林を姓するなければすなわち榜を開き出す能わず」、正にこの塊の地の鍾秀の致す所。唐宋より直到今天に至るまで、林氏の科挙登第の多きは、海内に比する能うるなし。

右穴在樂平,地名巖前,宋忠宣公洪皓曾祖妣地也,乃公曾祖士良所下。士良嘗師吳景鸞,深得其旨。扦此地,具圖作課,用硃筆於出使馬處拖之記云:“後世吾子孫有出使外國,久不遠鄉者,可以拖處鑿斷即返。”後果忠宣公使金,久未歸家。檢此圖,如其語斷之,公遂得返。迄今鑿處跡存。忠宣公三子:文惠公適官樞密使,文安公遵官同知樞密,文敏公邁官端明學士,世稱三洪雲。

下一幅の図に記する穴は楽平に在り、地名は岩前、是れ宋代の忠宣公洪皓の曾祖母の墓地、洪公の曾祖洪士良の点たる所に由る。士良はかつて呉景鸞に師従し、深くその中の要旨を得たり。彼は此地を点定した後、図を画きて課を作し、朱筆を用いて図上のあの匹の出使を象徴する「馬」の形の砂の処に於いて一筆を拖り、記して曰く。後世の我が子孫若し外国に出使し久留して帰らざるあらば、以て拖筆の処を鑿断すべし。人はすなわち回り来たらん。後来忠宣公は果たして金国に出使し、甚だ久しく家に帰る能わず。家人はこの幅の図を查検し、彼の話に照らしてあの処を鑿断し、洪公はここに於いて返回するを得たり。到今天に到るも鑿り過ぎし痕跡はなお在り。忠宣公に三個の児子あり。文恵公洪适は官は枢密使に至り、文安公洪遵は官は同知枢密院事に至り、文敏公洪邁は官は端明殿学士に至る。世人は之を「三洪」と称す。

按:是地來龍極旺,入局為三臺飛蛾,中抽一脈,穿田過峽即結穴。穴甚清巧可愛。穴下鋪平坦,前為幹墠,復自左起微埠,頓二小峰為案,拖腳順水,為馬頭帶劍,主使外國耳。但穴前逼迫,既無龍虎,又無明堂。其穴後之山又連起四峰,成星體,而去甚遠。雖重重衛穴,然以俗觀,則鬼刦太重,烏知此餘氣適足以證力量之大耶!

徐氏按ず。此の塊の地は来龍極めて旺。局に入る時は「三台飛蛾」の形を成し、正中より一条の脈を抽出し、田野を穿り・山峡を過ぎてすなわち穴を結ぶ。穴形は十分に清巧可爱、穴下は鋪展平坦、前面は一片の乾净の平場。また左辺より一座の小土埠を起し、頓く两個の小峰を出して案を作し、拖出の脚は水に順いて去り、形は「馬頭帯剣」の如し。だから子孫の外国に出使するを主す。ただ穴前は逼窄、既に龍虎の二砂なく、も明堂なし。穴後の山はまた接続して四座の峰を起し、皆星体を成し、しかも伸出すること甚だ遠し。これらの山は重重に穴を護衛するといえども、可なりしも俗人の看ては、「鬼」「劫」は未免太く重し。彼らは何れぞ知らん、此の一段の余気は恰恰として以て此地の力量の大なるを証明す足るを。

且拖去之曜,當時已知為離鄉砂矣,乃不鑿天於葬之日,而顧俟其出使久不回也,使鑿之。鑿之而果回也,是何料事於豫如目前也哉!地理自有符驗處,要之,哲師之有眞傳,有定衡,有灼見,俱不可少也。藉令鑿於未有忠宣以前,則曜氣被傷,安知果能得忠宣者起而應之?又不然而即鑿於出使之初,吾恐出使者又禍且不測矣。噫!各各不爽,此所以稱哲師哉!

再説あの拖出去りし「曜星」は、当時就已に看出して是れ離郷の砂と為せり。洪士良は却って下葬の当天に於いて鑿断せず、偏偏として子孫の出使して久久帰らざる時に到るを待って才かに人を叫びて去りて鑿がしめたり。一たび鑿れば果たしてすなわち回り来たれり。此の種の預先に事を料るや竟に眼前を看るが如し。何等の準確なるや。地理は自ら応験の処あり。総じて、明師は必ず真伝あり・定准あり・透徹の見識ありを要し、三者は一を欠く可からず。假使忠宣公のなお未だ出生せざる以前に於いて鑿断せば、曜気は傷を受け、怎様に保証してなお能く忠宣公の此の如き人ありて起ちて此地に応ぜんや。再び然らざれば、若し彼の剛に出使せし時に於いてすなわち鑿せば、我は出使の人の却って不測の禍に遭わんを怕る。ああ。毎一歩皆分毫を差えず。これ才かに明師と称すに配す。

右丞相馬廷鸞祖地,在樂平縣,地名雀兒龍。廖金精課云:“先師黃老善尋龍,五福源頭兩發蹤。山東地名來祖四十里,丙午丁未山為龍。迢迢宛轉乾亥骨,乾亥五里穴其中。丑癸二山為出面,出面是穴為仙宮。坐癸向丁來正案,案前聳出貴人峰。

下一幅の図に記するは是れ丞相馬廷鸞の祖地、楽平県に在り、地名は雀児龍。廖金精の作る所の課記は説く。先師黄老先生は善く龍を尋ぬ、五福の源頭は両処より蹤跡を発出す。山東のあの処の地名の来祖は四十里遠し、丙午丁未の方位の上の山は是れこの条の龍。迢迢曲折、走る是れ乾亥方の骨脈、乾亥方の五里の内に穴はすなわちその中に在り。丑癸の两座の山は是れ出面の処、出面の地方に穴を結び、便ち仙宮と成る。癸に坐して丁に向かい、正案は迎面して来たり、案前に一座の貴人峰を聳起す。

貴人卓入青雲裡,日月捍門山更隆。秀山在案頭邊出,排衙列陣山重重。男女子孫分位次,一十二座貪狼峰。庚寅生人遇年月,甲科當出狀元公。午未生年為最妙,高薦及第榮祖宗。子午命,庚寅官。”龍圖廷鸞命壬午,至丁未及第,登臺鼎位,果符金精之課。惜乎水短居絕位,富夭貧強貴不終。

課記は続いて説く。貴人峰は高聳して青雲に插入し、日月の両山は水口を守りてさらに崇隆を顕す。秀麗の山は案頭の一側より生出し、官府の排衙列陣の如く重重叠叠。男女子孫の位次は山峰に由りて分定し、共に十二座の貪狼峰あり。庚寅年生の人は若し応期の年月に逢上せば、科甲の中は応に状元を出すべし。午年未年生のは最も妙、高く中りて第に及び・祖宗を栄耀せん。子午の命は、庚寅に官を得ん。龍図閣学士馬廷鸞は是れ壬午年生、丁未年に到りて進士を考中し、官は宰輔の位に登り、果たして廖金精の課記に応ぜり。可惜水流は太く短くまた絶位に落つるを以て、だから富は長久せず・貧の時は却って強く、貴もまた善終する能わず。

按:是地以廉貞作祖,迢遞數十里,入局開帳頓跌,大小一十二峰,龍勢旺處,轉身結顧祖之穴,極其藏聚。穴垂乳頭,前吐氈褥,下臂抱裹,四勢擁從有情,近案圓平,遠朝秀異,雖穴在窮源,局甚逼窄,而山皆光彩不麄。

徐氏按ず。此の塊の地は「廉貞」火星を以て祖山を作し、迢迢として数十里して来たれり。局に入る時は帳を開き頓跌し、大小共に十二座の峰。龍勢の最も旺の処に於いて身を転じて祖山を回顧して穴を結び、収蔵聚気すること極処に到れり。穴上は乳頭形を垂れ、穴前は毡褥を吐出し、下手の一臂は環抱包裹し、四面の山勢は擁護有情。近処の案山は圓平、遠処の朝山は秀異。穴は水の窮尽の源に落ち・局面は甚だ逼窄なるといえども、但しあの些の山は皆光潤有彩・並びに粗悪ならず。

且水出口處,兩岸卓立石墩,水從中流,謂之日月捍門,至貴之證也。餘氣山去數里,又結方御史祖地,正見氣盛不已也。但坐後仰瓦,又無樂山,橫龍結穴,形勢不止,又扦粘穴,非明師其孰能之?相傳黃師所下,惜失其名。廖金精撰課稱曰“先師”,蓋亦深服之矣。

再者水流の出口する処は、両岸は卓然として石墩に立ち、水は当中より流れ過ぐ。これを「日月捍門」と呼ぶ。是れ極貴の証佐。余気の山は几里を伸出し、また方御史の祖地を結成す。正に此地の気盛にして止まざるを見る可し。ただ穴後の地形は仰瓦の如く凹陷し、また楽山なし。横龍の結穴に属し、形勢は並びに未だ真に停住せず。さらに点ずるは「粘穴」。是れ明師に非ざれば誰か能く到做せん。相伝えて一位の黄師の点たる所と為すも、可惜姓名は失伝。廖金精の課記を写す時に彼を「先師」と称す。見る可し、もまた是れ十分に佩服するなり。

右倒騎龍穴,地在吾邑新營水南五里,土名烏石源,遊蜂戲蝶形。宋參知政事忠定公燾祖地,繫國師吳景鸞下。課曰:“前有三峰,後有七星,水分八字,官顯無涯。”後出一宰執、二候、進士五十餘人,登仕藉者百餘人。子孫甚蕃,稱十院張氏。今富貴未艾。

下一幅の図は是れ一処の「倒騎龍」穴、地は本県の新営水南五里に在り、地名は烏石源、形は「游蜂戯蝶」の如し。是れ宋代の参知政事忠定公張燾の祖地、国師呉景鸞の点たる所に由る。課記は説く。前面に三峰あり、後面に七星あり、水流は分かれて八字を作し、官位は顕達無辺。後来此の一家は一位の宰執・两位の封侯・五十多位の進士を出し、仕籍に登るは一百多人あり。子孫は極めて繁盛、人は「十院張氏」と称す。如今富貴は仍お未だ衰歇せず。

按:是地龍自高嶺天池峰卸下霞帔,垂絲落脈,為岡埠,在平坡間磊磊落落,如蜂屯蟻聚者,相望數里。過峽重重,而枝葉甚蕃衍,護從極周密。比入局,卻又如拋梭,如撒珠,之玄走弄,棲閃萬狀,不可捉摸。殆未易以形容其美也。有龍如此,安得不結極美之穴?

徐氏按ず。此の塊の地の龍は高嶺天池峰より霞帔の如き山勢を卸下し、糸を垂るが如く脈を落し、一片の岡埠と化成し、平坡の間に磊落散布し、蜂屯蟻聚の如く綿連数里。峡を過ぐること一重また一重、枝葉は極めて繁茂、護従は極めて周密。将に局に入らんとする時、また拋出せる梭子・撒開せる珠子の如く、「之」の字「玄」の字を作すが如く游走し、左栖右閃・姿態万千、人をして捉摸せしめ定まらず、简直にその美を形容し難し。このような龍あれば、怎んぞ極美の穴を結出せざらんや。

故其穴結後,又有許多餘氣去為陽基,為陰地,適見正穴之力量極大耳。但餘氣山雖去,為橫帳列於穴後,枝枝葉葉,包裹穴之左右,併為水口兩邊龜蛇等砂。卻登穴不見有山,立於墳頭,回視背後及左右,一望皆為青天,似於空曠。而結穴處最低平,又非高壟俯視群卑之比。遠著腳力,仔細檢點,始知群山皆顧定穴場,未敢離也。

だからそれの穴を結びし后、さらに許多の余気ありて伸び出去り、或るものは陽宅基址と成り、或るものは陰宅墳地と成る。恰好に正穴の力量極大を顕出す。これらの余気の山は走り出去りしといえども、却って横に帳幕を成して穴後に排し、枝枝葉葉は穴の左右を包裹し、さらに水口両辺の亀砂蛇砂を兼作す。しかし穴場に登れば却って山を見ず。墳頭に立ちて背後と左右を回望すれば、一眼に望去皆是れ青天、似て甚だ空曠の如し。而して結穴の処はまた最も低平、並びに高壟の上の如く群山を俯視するに似ず。要走り遠く一些に細細として検点して、才かに群山は皆この処の穴場を回顧守定し、誰も敢て離開せざるを知らん。

且近案既不端尊,遠朝又不秀異,又無龍虎,又無明堂,又不見水。面前簇簇多山,似於逼窄。而穴後反空,無一可入俗眼,誰信為此等大地?予兄弟初嘗裹糧擔簦往觀數次,莫測其奧,駁難推求,竟亦無憑。後獲穴法眞傳,始知其妙,妙在穴也。故此等怪穴,茍非有天然之美,即過龍矣。《葬書》五凶,此其一也。趙緣督翁云“十個騎龍九個假”,正恐人不識有穴無穴而誤下過龍耳。故哲師全在識穴。

しかも近案は既に端正尊貴ならず、遠朝はまた清秀奇異ならず、既に龍虎の二砂なく、また明堂なく、も水を見ず。面前は山峰簇簇、似て逼窄の如く、穴後は却って空曠。一処として能く俗人の眼に入るなし。誰か肯んじてこれを信ぜん、是れこのような一塊の大地ならんと。我ら兄弟は当初かつて乾糧を帯び・行装を挑いて去看すること好几次せり。其中の奥妙を猜透せず、反復辯難推求するも、終に憑拠なかりき。後来点穴の法の真伝を得て、才かにその妙は何処に在るを明白す。妙はすなわちあの個の穴の上に妙あり。だから此一類の怪穴は、若し是れ天然の美を具備せざれば、すなわちただ過龍のみ。『葬書』の列する所の五種の凶地、これは便ちその中の一种。趙縁督老先生の説く「十個の騎龍は九個は假」、正に是れ人の穴あり穴なきを分け清めず、誤りて過龍を把りて穴と当てて葬り下すを怕るるなり。だから明師の本事は全く穴を識るに在り。

以上諸圖,皆是結穴之後,有餘氣之山奔去數十里。其去者因皆為我用神,而卻又有結作,但力量為輕耳。如文公祖地結穴後,去數十里結方憲副祖地仙人抱龍形,及黃氏祖地海口董氏虎形。林婆墓結後,又去作諸貴族陽基。

以上の此の几幅の図は、皆是れ穴を結びし后にさらに余気の山ありて幾十里を奔出するの例子。走り出去りしこれらの山は既に皆我の用い得る「用神」と成り、同時にそれらは自己もまた能く地を結ぶ。ただ力量は較軽なるのみ。譬えば朱熹の祖地は穴を結びし后、前に往きて幾十里に方憲副の祖地「仙人抱龍」形・および黄氏の祖地・海口董氏の虎形地を結成す。林婆墓は結成の后、余気はまた前に往きて几家の顕貴族人の陽宅基址と成れり。

張忠定公祖地結後,又去作桃枝源金鵝抱卵形,出尚書張公憲。馬丞相祖地結後,又去作月形方氏祖地,出御史公幹。凡此之類,務須詳辨,不可以正結之穴誤認為停驛,為斬關腰結小康之地,而以大盡處餘氣所結小穴,反認為正結大地也。

張忠定公の祖地は結成の后、余気は又去りて桃枝源の「金鵞抱卵」形を結成し、尚書張憲を出せり。馬丞相の祖地は結成の后、余気は又去りて月形の方氏祖地を結成し、御史方干を出せり。此一類の情形は務めて仔細に分辮し、正結の穴を誤認して「停駅」と作し・斬関腰結の小康の地と当てる可からず。反対にまた最尽頭の処の余気の結ぶ小穴を、誤認して正結の大地と作す可からず。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻二下之二

江右山人徐善繼述 同著。此卷專論龍有山壟、平岡、平地之不同,初落、中落、末落之不一;又有生死、強弱、順逆、進退、福病、刦殺之殊,出脈受穴,入首結局之異,皆龍家之肯綮也。

本巻は同じく江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一巻は専ら龍に山壟・平岡・平地の三種の形勢の不同あり・初落・中落・末落の三種の落局の分別ありを討論す。又生と死・強と弱・順と逆・進と退・福と病・劫と殺等の格の差異、および脈を出で・穴を受け・入首・結局の上の種種の不同あり。これらは皆龍を論ずる一家の最も関鍵の骨節の所在。

龍の分かれて三勢を為すを論ず

《經》曰:“五氣行乎地中,發而生乎萬物。其行也,因地之勢;其聚也,因勢之止。是故氣囿於形。”而形分三勢焉,曰山壟之勢,曰平岡之勢,曰平地之勢也。何謂山壟之勢?其龍踴躍奔騰,起伏頓跌,磊落低昂,《葬書》所謂“若伏若連,其原自天。若水之波,若馬之馳。”又曰:“勢如萬馬,自天而下。”吳公譬之“群羊之出棧”者是也。李淳風名為起伏脈。

『葬経』は言う。五行の気は地中に於いて運行し、発出すればすなわち万物を生成す。それの運行するは地の形勢に依り、それの聚集するは形勢の止歇に依る。だから気は形に限定せらる。而して形は三種の勢に分かつ。一は是れ山壟の勢、二は是れ平岡の勢、三は是れ平地の勢。何をか山壟の勢と謂う。此の種の龍は踴躍奔騰・起伏頓跌、山峰は磊落にして忽低忽高。すなわち『葬書』の言う所。伏するに似てまた連なるに似て、源頭は天際より来自す。水面の波浪の如く、奔馳の馬群の如し。又言う。気勢は万馬の天より下るが如し。呉公はそれを把りて「羊群の欄を出づ」に比作す。説くはすなわち此の種。李淳風はそれに名を取りて「起伏脈」と呼ぶ。

何謂平岡之勢?其龍逶迤奔走,屈曲擺折,之東走西,活動宛轉,《葬書》所謂“宛委自復,迴環重複。”又曰“逶走東西,或為南北。”吳公譬之“生蛇之出洞”者是也。李淳風名為“仙帶脈”。

何をか平岡の勢と謂う。此の種の龍は綿延奔走・屈曲擺折、忽東忽西・霊活宛転。すなわち『葬書』の言う所。曲折回旋にして自ら相往復し、環繞重叠す。又言う。蜿蜒として時に東西・時に南北。呉公はそれを把りて「活蛇の洞を出づ」に比作す。説くはすなわち此の種。李淳風はそれに名を取りて「仙帯脈」と呼ぶ。

何謂平支之勢?其龍坦夷曠闊,相牽相連,珠絲馬跡,藕斷絲牽。平中一突,鋪氈展席,《葬書》所謂“隱隱隆隆,微妙玄通,吉在其中。”又曰:“地有吉氣,土隨而起;支有止氣,水隨而比。”吳公譬之“草蛇灰線”者是也。李淳風名為“平受脈龍”。

何をか平支の勢と謂う。此の種の龍は平坦開濶、前後は相牽連し、痕跡は串珠の如く細かく・馬蹄印の如く微かに、好像は藕は断えるといえども糸はなお連なるが如し。平地の当中に微微として一たび突き、一張の毡を鋪き・一領の席を展ぐるが如し。すなわち『葬書』の言う所。隠隠約約・若有若無、微妙にして玄通、吉気はすなわちその中に在り。又言う。地裏に吉気あれば、土はすなわちそれに随いて隆起す。支脈に止気あれば、水はすなわちそれに随いて相依す。呉公はそれを把りて「草中の蛇・灰上の線」に比作す。説くはすなわち此の種。李淳風はそれに名を取りて「平受脈龍」と呼ぶ。

雖變態不一,若難以定法拘。然大都不外此三勢耳。三勢不同,其融結力量輕重大小,本無二致。然所謂山谷多起伏格,平岡多仙帶格,平陽多平受格,亦只舉大概言之。要之,三格之龍皆起於高山大壟,而分落平岡平地,故雖山谷亦有落平岡平地而結穴者。平地中亦有墩埠忽然連起而結穴者,此則又為奇特。

龍の変化は多端なるといえども、好像は固定の法則を以て去りて框定し難し。可なりしも大体上は此の三種の勢を出でず。三勢は同じからざるといえども、それらの凝結して穴を成すの力量軽重大小は、本来並びに高下の別なし。説くに山谷は多是れ起伏格・平岡は多是れ仙帯格・平陽は多是れ平受格に至っては、あれもまた不过是れ大概を挙ぐるのみ。総じて、此の三格の龍は皆高山大壟に発源し、然る後に平岡平地に分落す。だからたとえ山谷の裏に在るも、もまた平岡平地に落ちて才かに穴を結ぶあり。平地の中もまた忽然として几座の土墩を連起して穴を結ぶあり。あればすなわちさらに奇特を為す。

蓋山谷以起伏為常,而落平田則脫卸得清;平田以平受為常,而起墩埠則氣聚得旺。《經》曰:“高山大嶺多尖峰,不似平原一錐卓。”《賦》曰:“窮源千仞,不如平地一堆。”是言平地以墩埠為貴也。《經》曰:“山來壟右尖如削,盡起貪狼更高卓。此地如何不出文,只為峰多反成濁。”又曰:“或從高山落平地,或從大山落低小。不知山窮落坪處,穴在坪中貴無敵。”是言山谷以落坪為貴也。

山谷の裏は起伏を以て常態と為し、一旦平田に落ちれば、すなわち脱卸するや乾净を顕す。平田の裏は平受を以て常態と為し、一旦土墩を起せば、すなわち聚気特別に旺を顕す。『龍経』は言う。高山大嶺の上は尖峰甚だ多し、却って平原の上の孤零零として卓立せる一個の錐形の土堆に如かず。『賦』の裏は説く。窮源の処は山高千仞、平地の上の一個の土堆に如かず。これは説く、平地は墩埠を以て貴と為す。『龍経』又言う。山は壟右より来たり、尖きこと削り過ぐるが如し。尽頭の処は貪狼星を起してさらに高聳す。此の如き地は何を因として文人を出さざる。只因峰は太く多くして却って混濁せり。又言う。或るものは高山より平地に落ち、或るものは大山より低小の形に落成す。山の尽きて坪に落つるの処、穴は坪中に在りて貴きこと無敵なるを知らず。これは説く、山谷は落坪を以て貴と為す。

然起伏格雖星峰磊落,而平岡平地亦有星辰。惟是倒地平面,未易檢點。吳公《口訣》云:“眠倒星辰豎起看,卻與高峰同一樣。高峰萬仞受風吹,不是平波龍氣旺。”是故三勢之龍,各自有妙,未可以星峰高下論優劣也。如以天下大形勢論之,隴、蜀、兩廣多山,冀、周、齊、魯多平洋,吳越多岡埠,而人才在在有之。可見高山平地之融結,其稟有造化則一也。

起伏格は固然に星峰磊落なるも、可なりしも平岡平地の上もまた一様に星辰あり。ただそれらは是れ躺倒の平面、容易に検点し難きのみ。呉公の『口訣』は言う。躺倒の星辰を把りて竪起して看れば、其の実は高峰と一模一様。高峰万仞は却って風吹を受くるを要し、却って平緩起伏の処の龍気の来るや旺に如かず。だから三種の勢の龍は各々その妙処あり。星峰の高低を拿りて来たりて優劣を論ずる能わず。若し天下の大形勢を以て看れば、隴右・蜀地・両広は山多く、冀州・周地・斉魯は平洋多く、呉越の一帯は岡埠多し。而して各地は皆人才を出す。見る可し、高山と平地の凝結は、造化を禀受する此の一点は是れ一様。

左起伏格:一起一伏,大頓小跌,斷而復起,起而又斷。或高或下,有低有昂。卜氏云:“一起一伏斷了斷,到頭定有奇蹤。”宜星峰磊落,山勢奔騰,千峰聳秀,萬嶺巍峨,為得其本體。左仙帶格:屈曲擺折,逶迤活動,如生蛇,如飄練,如之玄,如飄帶。卜氏云“脈若帶連,何必高昂之阜”是也。宜活動擺折,屈曲悠揚,為得其本體。左平受格:脈落平洋,一望無際,相牽相連,微有體勢,高一寸為山,低一寸為水。卜氏云“勢如浪湧,何須卓立之峰”是也。要平中有突,為得其體。

原書の此処に三格の図を配すも、今図形は存せず、ただ図題と説明を照録す。左辺は是れ「起伏格」。一起一伏、大処は頓・小処は跌、断えてまた起ち・起ちてまた断つ、忽高忽低・俯あり仰あり。卜応天は言う。一起一伏・断えてまた断えば、頭に到りて必定奇特の蹤跡あり。此の一格は星峰磊落・山勢奔騰・千峰聳秀・万嶺巍峨に宜しく、才かにその本体を得ると算う。左辺は是れ「仙帯格」。屈曲擺折・綿延霊動、活蛇の如く、飄動の白練の如く、「之」の字「玄」の字の如く、飄起の衣帯の如し。卜応天の言う「脈若し帯子の如く相連なれば、何必に高昂の土阜を要せん」、正にこの意。此の一格は霊活擺折・屈曲舒揚に宜しく、才かにその本体を得ると算う。左辺は是れ「平受格」。脈は平洋に落ち、一望するに際なし、前後は相牽連し、ただ微微の体勢あり。高きこと一寸あればすなわち山と算え、低きこと一寸下ればすなわち水と算う。卜応天の言う「気勢は浪涌の如く、何の卓立の山峰を須いん」、正にこの意。此の一格は平中に突起あるを要して、才かにその本体を得ると算う。

龍の三落を論ず

龍之落局,融結不一。而其大要有三:有初落,有中落,有末落。李淳風雲:“龍有旺於初者,有盛於中者,有歸於盡者。”《明山寶鑑》云:“有少龍之穴,有中龍之穴,有盡龍之穴。”二說皆言初落、中落、末落之理,無異意也。然此三落之勢,特言融結力量之大者耳。其間分擘小康之穴尤多,固不可以小康為正三落之正,亦不可拘三落之正而棄小康之地,貴在人之通變矣。

龍の局に落ちて地を結ぶの方式は一种に止まらず、大要に三あり。一は是れ「初落」、二は是れ「中落」、三は是れ「末落」。李淳風は言う。龍に旺は起初に在るあり、盛は中途に在るあり、結帰は尽頭に於いてするあり。『明山宝鑑』は言う。少龍の穴あり・中龍の穴あり・尽龍の穴あり。此の両家の説くは皆是れ初落・中落・末落の道理、意思は並びに同じからず。不过此の三落の指す所は、ただ凝結力量の大なるに就いて言う。その間の分枝擘脈に由りて結成する小康の穴は尤も多し。既に小康の穴を把りて正規の三落と当つ可からず、も三落の正格に死守して小康の地を丟去る可からず。可貴なるは是れ人の能く通権達変するなり。

初落龍

初落龍者,自祖山發下,離祖不遠即結頂,降勢過脈,起星結穴開局。朝山聳前,托山列後,或祖山作樂作障,而龍虎護衛,明堂融聚,下手重重,水口周密,四山團擁,骨肉一家,亦為眞結。但以其離祖未遠,故名初落。顧氏云:“初落由來近祖山,局勢必須完。”李氏云“龍有旺於初者”是也。

いわゆる「初落龍」は、是れ祖山より脈を発して下り来たり、祖を離るること遠からずしてすなわち頂を結び、然る後に勢を降して脈を過ぎ、星峰を起し・穴を結び・局面を開出す。前面に朝山の聳立あり、後面に托山の排列あり、或る時は干脆として祖山を以て楽山を作し・屏障を作す。龍虎の二砂は護衛し、明堂は気を聚め、下手は一重また一重、水口は周密、四面の山は団団として擁抱し、彼此は一家の骨肉の如し。これもまた真結と算う。只因それの祖山を離るるやなお遠からざる、だから初落と呼ぶ。顧氏は言う。初落は向來祖山に靠近し、局勢は必ず完備するを要す。李淳風の説く「龍に旺は起初に在るあり」、指すはすなわち此の一種。

中落龍

中落者,自祖山發下,去祖已遠,迢迢而來,大頓小伏,中間忽起高山以為少祖。自少祖下,或六七節,或十數節,再起星辰結頂,降勢過脈,落局束咽融結。其大龍猶自作勢遠去,而分行卻在少祖之前。此處特一關局,未為大盡,故名中落。

いわゆる「中落」は、是れ祖山より脈を発して下り来たり、祖を離るること已に遠く、迢迢として行き来たり、大処は頓・小処は伏、中途に於いて忽然として一座の高山を聳起して「少祖山」を作す。少祖山より往下に六七節を走り、或いは十幾節、再び星峰を起して頂を結び、勢を降して脈を過ぎ、局に落つる時は咽喉を収束して凝結して穴を成す。この時大龍の本身はなお気勢を擺りて遠去らんと要するも、枝を分かちて行くは却って少祖山の前に於いて発生せり。此処はただ特地に結出せる一個の関局、なお是れ大尽頭に非ず。だから中落と呼ぶ。

朝迎山則拜於前,護從山則障於後。其分去之山,回作我用,或為下手,為水口,為關攔,為托樂,為城郭,為關鎖。楊公云:“大地皆從腰裡落,迴轉餘枝作城郭。”廖氏云:“中落餘枝作城郭,吉氣於斯泊。”李氏云“有盛於中”是也。

此の種の局の裏は、朝迎の山は前面に於いて拜伏し、護従の山は後面に於いて屏障を作す。分出去りし山はまた回り返りて来たりて我の用に為り、或いは下手の一臂を充当し、或いは水口を充当し、或いは関攔を充当し、或いは托山楽山を充当し、或いは城郭を囲成し、或いは関鎖を作す。楊筠松は言う。大地は多半是れ龍身の腰間より落下し、回転の余枝はすなわち城郭を囲成す。廖金精は言う。中落の余枝は城郭を囲成し、吉気はすなわちここに於いて停泊す。李淳風の説く「盛は中途に在るあり」、指すはすなわち此の一種。

末落龍

末落者,自祖山發下,迢迢行度,一起一伏,奔東走西,離祖極遠。山勢將盡,前去或臨大江大河,或臨大溪大湖,或臨田坂小澗,山脈已盡,再無去處。而於將盡未盡之際,頓起高山以為少祖。自少祖而下,或數節即結頂,降勢束氣,結咽成穴。

いわゆる「末落」は、是れ祖山より脈を発して下り来たり、迢迢として行走し、一起一伏・忽東忽西、祖を離るること極めて遠し。山勢の将に走り尽さんとする時に到れば、前面は或いは大江大河に臨み、或いは大谿大湖に臨み、或いは田坂小澗に臨み、山脈は已に尽き、再び去る処なし。すなわち将に尽きんとして未だ尽きざるの際に於いて、頓起して一座の高山を以て少祖山を作す。少祖山より往下に几節を走ればすなわち頂を結び、勢を降して気脈を収束し、咽喉を結成して穴を成す。

或據江湖,或據溪澗,或下山一臂橫攔,或翻身逆張大局,而有隔水外洋朝拱。或脫落平洋,藏跡隱蹤,如蜘蛛墜樓,流星度漢,拋球閃跡,鋪氈仰掌,金盤金盆而作平地之穴矣。隔江隔河,遠山朝應。凡此皆規模宏大,局勢廣闊,三陽六建,莫不具備。廖氏云:“末落名為大盡龍,氣勢最豪雄。”李氏云“龍有歸於盡者”是也。然亦不必拘於據江臨河極窮盡處尋穴,必結穴之外有餘氣,方是大龍末落之穴也。

此の類の穴は或いは江湖に拠り、或いは谿澗に拠り、或いは下山の一条の臂膀に由りて横向に攔護し、或いは身を翻して勢に逆いて一個の大局を張開す。水を隔ててさらに外洋の水ありて前来りて朝拱す。もまた平洋の裏に脱落し、蹤跡を蔵起し、形状は蜘蛛の糸を垂れて墜下するに似・流星の銀河を划过するに似・拋出の球の一閃して没するに似、或いは鋪開して毡の如く仰開して掌の如し、或いは金盤金盆の形を作し、すなわち平地の上に於いて穴を成す。江河を隔てて、遠山は遥遥として朝応す。凡そ此の種種は、皆是れ規模宏大・局勢広濶、「三陽」「六建」は样样具備す。廖金精は言う。末落はまた大尽龍と名づく、気勢は最も豪雄を為す。李淳風の説く「龍に結帰は尽頭に於いてするあり」、指すはすなわち此の一種。不过も必ずしも江に臨み河に臨むの極尽頭の処に死守して穴を尋ぬるを要せず。必ず結穴の外にさらに余気ありて、才かに大龍末落の穴と算う。

按:諸書有言初落、中落、末落者,有言少龍、中龍、盡龍者,其義皆同。惟《洩天機》復有“分落後龍擘脈去”之說,而淳風《小卷》有“龍有歸於老者”之說。二說另為一例。要之,至理則老龍當與盡龍同科,分落宜與中落互論。但老者,大盡窮絕不可取;分落數節,短小不盡同,皆非龍家之美,在人以意會之。

徐氏按ず。各家の書の裏に初落・中落・末落を講ずるあり、少龍・中龍・尽龍を講ずるあり。意思は皆一様。ただ『泄天機』は別に「分落は是れ後龍の脈を擘りて出去る」の説法あり、李淳風の『小巻』は別に「龍に老に帰する有り」の説法あり。此の両説は別に一類を立つるを要す。根を帰り底を尽くせば、至理に就いて言えば、老龍は応に尽龍と帰し同一科と為し、分落は応に中落と対照して討論すべし。ただいわゆる老は、走りて大尽頭に到りて気窮り力絶ゆるを指し、取用す可からず。いわゆる分落は、ただ几節を走り、短小にして中落と尽く同じからず。此の両類は皆是れ龍を論ずる家の称美する所に非ず。全く人の自ら意會するに靠る。

龍の形勢十二格を論ず

《洩天機》龍格曰生,曰死,曰強,曰弱,曰順,曰逆,曰進,曰退,凡八格。以生、強、順、進為四吉,死、弱、逆、退為四凶,固為攸當。而《明山寶鑑》又有生、死、枉、福、鬼、刦、應、遊、死、楫、病、絕,凡十二格。除生死二名相同,其應、揖、遊、絕、鬼、刦之龍,各亦形同名異。如應、揖即順、進之屬,遊、枉、絶即死、弱、退、逆之類。

廖金精の『泄天機』の立つる所の龍格に生・死・強・弱・順・逆・進・退の共に八格あり、生・強・順・進を把りて四種の吉格と定め、死・弱・逆・退を把りて四種の凶格と定む。このように分かつは本来すなわち甚だ恰当。而して『明山宝鑑』は別に生・死・枉・福・鬼・劫・応・游・死・揖・病・絶の共に十二格を立つ。その中の「死」の字は重出す。是れ原書の名を列するや此の如し。生・死の両個の名目は前の一家と相同じるを除き以外、其余の応・揖・游・絶・鬼・劫の几種の龍も、も皆是れ形態相同じにしてただ一個の名称を換えたるのみ。応龍・揖龍は順龍・進龍の一類に属し、游龍・枉龍・絶龍は死龍・弱龍・退龍・逆龍の一類に属す。

而福、病、刦、殺四格,猶出廖氏八格之外,亦不可遺。今合取之,共為十二格。《大全》中復有毒龍、枉龍、傷龍、蛀龍等名,無非病龍、殺龍、逆龍之類,茲不重收。下此又有所謂斗龍、衡龍、樞龍、機龍、胎息龍種種異名,則無理致,不敢取也。今將諸龍名義異同開列於下:

福・病・劫・殺の此の四格に至っては、廖金精の八格の外を超出し、もまた遺漏す可からず。現在両家を合わせて取用し、共に十二格を成す。『地理大全』の裏にさらに毒龍・枉龍・傷龍・蛀龍等の名目あり。其の実は是れ病龍・殺龍・逆龍の一類に非ざるなし。ここは再び重複して収録せず。再び往下にさらにいわゆる鬥龍・衡龍・枢龍・機龍・胎息龍の種種の異名あり。あの些は何の道理なし。敢て採取せず。現在種種の龍名の異同を開列して下に如し。

枉龍:祖山而下,侷促不舒,全無收拾,即弱龍。鬼龍:分枝擘脈,即刦龍。游龍:悠然而去,即弱龍。絕龍:孤單無力,水刦風吹,即死龍。毒龍:枝腳反序,尖利帶殺,即逆龍。枉龍:尊卑失序,大小無論,即退龍。傷龍:傷損崩破,鑿斷來脈,即病龍。蛀龍:穿鑿洩氣,空洞巖穴,即弱龍。

枉龍。祖山より下り来たりて局促して舒展せず、完全に收拾なし。すなわち是れ弱龍。鬼龍。枝を分かち脈を擘る。すなわち是れ劫龍。游龍。悠悠然として一直に走り開く。すなわち是れ弱龍。絶龍。孤单無力、水に劫せられ風に吹かる。すなわち是れ死龍。毒龍。枝脚の次序は顛倒し、尖利にして煞を帯ぶ。すなわち是れ逆龍。枉龍。尊卑は次序を失い、大小は論ぜず。すなわち是れ退龍。傷龍。山体は傷損崩破し、来脈は鑿断せらる。すなわち是れ病龍。蛀龍。穿鑿せられて気を泄し、山中に空洞岩穴あり。すなわち是れ弱龍。此処の両処の「枉龍」は名は同じにして指す所は同じからず。一は弱に属し・一は退に属す。読者は応に釈する所の義に依りて分別すべし。

敗龍:氣脈枯竭,不生草木,即弱龍。斗龍:枝腳反序,尖利帶殺,即逆龍。衡龍:枝腳鋪揚,氣勢雄偉,即強龍。樞龍:穴後一節高一節,即進龍。機龍:枝腳順序,即順龍。胎息龍:有起有伏,即生龍。踏確龍:穴後一節低一節,即退龍。孤龍:全無護從,即弱龍。奴龍:枝腳偏枯,即從龍。

敗龍。気脈は枯竭し、山上は草木を生ぜず。すなわち是れ弱龍。鬥龍。枝脚の次序は顛倒し、尖利にして煞を帯ぶ。すなわち是れ逆龍。衡龍。枝脚は鋪展飛揚し、気勢は雄偉。すなわち是れ強龍。枢龍。穴後は一節は一節に高く過ぐ。すなわち是れ進龍。機龍。枝脚の次序は井然。すなわち是れ順龍。胎息龍。起あり伏あり。すなわち是れ生龍。踏碓龍。穴後は一節は一節に低く過ぐ。すなわち是れ退龍。孤龍。完全に護従なし。すなわち是れ弱龍。奴龍。枝脚は偏枯。すなわち是れ随従の龍。

生龍者,星峰磊落,枝腳活弄,行度擺拽之謂也。《入式歌》曰“生是低昂多節目”,蓋其龍自出身以來,一起一伏,有低有昂,分牙布爪,左趨右閃,活動逶迤,如鸞翔鳯翥,如魚躍鳶飛,而皆有生意也。《寶鑑》云:“自祖山發足而來,大頓小伏,如生蛇之渡水,如啄木之飛空。至降勢出身,左右有腳。入穴端正,應案分明,謂之生龍。此龍最吉,必結富貴大地,主人丁生旺,弈世富貴。”

いわゆる「生龍」は、是れ星峰磊落・枝脚霊活・一路行走して擺動拖曳するの龍を指す。『入式歌』は説く「生龍は是れ忽低忽昂・節目衆多」。此の種の龍は起身以来、一起一伏・低あり昂あり、両旁に向かい牙爪を分出し、忽左忽右に趨閃し、霊活綿延、鸞鳳の飛翔するが如く、魚の躍り鳥の飛ぶが如く、処処皆生意あり。『宝鑑』は言う。祖山より歩を起して来たり、大処は頓・小処は伏、活蛇の水を過ぐるが如く、啄木鳥の空に凌りて飛行するが如し。勢を降し身を起す時に到れば、左右皆枝脚あり。穴に入るや端正、朝応と案山は分明。これをすなわち生龍と呼ぶ。此の種の龍は最も吉、必定富貴の大地を結成し、人丁興旺・世代富貴を主す。

死龍者,峰巒模糊,腳手彷彿,本體直硬之謂也。《入式歌》曰“死是無起伏”,蓋其龍自離祖以來,粗頑臃腫,無起伏,無擺折。其勢如魚失水,如木無枝,如順水隨流,如死鰍死鱔,而皆無生意也。此格最凶,不能融結。縱有形穴,必為虛偽。若誤下之,主窮苦下賤,遂以死絕。雖作神壇社廟,亦不顯靈。

いわゆる「死龍」は、是れ峰峦模糊・枝脚は依稀として辮し難く・本身は僵直硬挺するの龍を指す。『入式歌』は説く「死龍は是れ起伏なきなり」。此の種の龍は祖を離るる以来、粗頑臃腫、既に起伏なく、も擺折なし。あの気勢は魚の水を離るるが如く、樹の枝なきが如く、水に順い漂流するが如く、死泥鰍死黄鱔の如し。全く生意なし。此の一格は最も凶、凝結して穴を成す能わず。縱然個の穴形あるも、も必定是れ虚假。若し誤りて此に葬れば、子孫の窮苦下賤を主り、以て絶嗣に至らん。たとえその上に神坛社廟を建てるも、もまた顕霊せざらん。

強龍者,星峰逈異,枝腳撐拏,體格雄健之謂也。《入式歌》云“強是奔走勢力弘”。蓋其龍自離祖以來,形勢軒昂,力量盛大,擺折橫闊,行度自由,如猛虎出林,渴龍奔海,指爪攖拏,鱗甲堅立而強盛也。此格最吉。如融結成穴,主驟富驟貴,威名掀揭,一時功業強盛。

いわゆる「強龍」は、是れ星峰迥然として不凡・枝脚は撐張して力あり・体格は雄健の龍を指す。『入式歌』は説く「強龍は是れ奔走する時に気勢宏大」。此の種の龍は祖を離るる以来、形勢は軒昂、力量は盛大、擺折するや横濶開張、行走は自如、猛虎の林を出づるが如く、渇龍の大海に奔るが如し、爪指は抓攫し、鱗甲は竪立し、一派の強盛の象。此の一格は最も吉。若し凝結して穴を成せば、骤然として富貴し・威名遠揚し・一時の間に功業強盛を主す。

弱龍者,星峰骨瘦,枝腳短縮,本體攸緩之謂也。《入式歌》曰“弱是瘦崚嶒”。蓋其龍自離祖以來,飄飄散散,全無收拾。險峻嵯峨,浮筋露骨。尖小懶緩,隨斜無依。陷削而不充實,虛浮而不光彩。形如鵝頭鴨頸,敗柳殘花。勢如餓馬伏櫪,孤雁失群,而怯弱欹攛也。此龍多遭風吹水刦,不能融結。縱有形穴,亦為虛偽。若下之,主孤貧伶仃,疾苦困弱。

いわゆる「弱龍」は、是れ星峰骨痩・枝脚短縮・本身は松緩無力の龍を指す。『入式歌』は説く「弱龍は是れ痩にして嶙峋」。此の種の龍は祖を離るる以来、飄飄散散、全く收拾なし。険峻嵯峨、筋骨は浮露。尖小懈怠、処に随い歪斜にして依托なし。凹陷削痩にして充実せず、虚浮にして光彩なし。形状は鵞頭鴨頸の如く、敗柳残花の如し。気勢は餓馬の馬槽の辺に伏するが如く、孤雁の群を失えるが如し、怯弱にして歪斜して倒れんと欲す。此の種の龍は多半是れ風吹水劫に遭い、凝結して穴を成す能わず。縦に穴形あるも、も是れ虚假。若しここに葬れば、子孫の孤苦貧寒・伶仃无依・疾病困弱を主す。

順龍者,星峰順出,枝腳順布,行度團聚之謂也。《入式歌》云“順是開掙向前往”。蓋其龍自離祖以來,尊卑有次,送從趨前,上下照應,左右環抱,有瞻戀之情,有照顧之意。如星拱北,如水朝東,而眷戀不忘也。此龍最貴,如融結成穴,主富貴綿遠,百子千孫,孝順和睦,多福多壽。

いわゆる「順龍」は、是れ星峰は方向に順いて出で・枝脚は次序に順いて布き・一路行走して団聚して散ぜざるの龍を指す。『入式歌』は説く「順龍は是れ開張して挣起し・一路向前」。此の種の龍は祖を離るる以来、尊卑に次序あり、送行随従の山は皆前方に趨り、上下は互相照応し、左右は彼此環抱し、瞻望依恋の情・彼此照顧の意を帯ぶ。衆星の北極に拱向するが如く、江河の東海に朝向するが如く、眷戀して離棄するを肯んぜず。此の種の龍は最も貴。若し凝結して穴を成せば、富貴は綿長久遠・子孫は百千・孝順和睦・多福多寿を主す。

逆龍者,星峰側立,枝腳逆趨,行度乖戾之謂也。《入式歌》曰“逆自望後去”,蓋其龍自離祖以來,高下不倫,忘前忽後,行度處橈棹不隨,入穴處龍虎不衛,如水之逆行,如鷁之退飛,而肆散背戾也。此穴最凶,縱有形穴,亦為不吉,主兇暴忤逆,盜寇軍配。亦有邊順邊逆者,子微云“一種半逆半順行,多為反戟禍不輕。長幼吉凶分左右,悖逆爺孃身受刑”是也。故逆龍切不可下。

いわゆる「逆龍」は、是れ星峰は側りて立ち・枝脚は方向に逆いて走り・一路行進して乖張背戾するの龍を指す。『入式歌』は説く「逆龍は是れ頭を回して後を望みて走る」。此の種の龍は祖を離るる以来、高低は倫次を成さず、前を顧みて後を忘る。行走する時は橈棹の砂はそれに随い走らず、穴に入る時は龍虎の二砂は来たりて護衛せず。水の倒流するが如く、鷁鳥の倒退して飛ぶが如し、一味に放散背離す。此の種の穴は最も凶。縦に穴形あるもまた不吉。子孫の凶暴忤逆・或いは盗寇を作し・或いは発配して軍に充てらるるを主す。もまた一辺順一辺逆のあり。張子微は言う。一種の半逆半順にして行くの龍あり、多半是れ反過りの戟の如し、禍を招くこと軽からず。長房幼房の吉凶は左右に按じて分かれ、父母に悖逆する人は自身は刑を受くるを要す。だから逆龍は千万不可葬すべからず。

進龍者,星辰迭次,枝腳均勻,行度有序之謂也。《入式歌》云“進是龍身節節高”。蓋其龍自離祖以來,辭樓下殿,精神俊異,起伏低昂,倫序不紊。自粗剝細,由老出嫩,如鳳覽德輝而下,如鴻戲水而飛,而進趨有漸也。此格最吉,如融結成穴,主文華弈世,富貴雙全,蟄蟄螽斯,滿門朱紫,發福悠長,進益不替。

いわゆる「進龍」は、是れ星峰は依次に迭起し・枝脚は均勻・一路行走して井然有序の龍を指す。『入式歌』は説く「進龍は是れ龍身の一節は一節に高く過ぐ」。此の種の龍は祖を離るる以来、楼殿を辞別して下り、精神は俊逸不凡、起伏高低は皆倫次ありて紊乱せず。粗より剥換して細に至り、老より転出して嫩を為す。鳳凰の徳ある光輝を見て飛下るが如く、鴻雁の水に戯れて飛起するが如し、一歩一歩漸次に前進す。此の一格は最も吉。若し凝結して穴を成せば、文采は世代相承・富と貴は兼備・子孫は衆多して螽斯の繁衍の如く・満門皆是れ朱衣紫綬の顕貴・発福悠久・日進して衰えずを主す。

退龍者,星辰失次,枝腳不倫,而行度退後之謂也。《入式歌》曰“退時漸消條”。蓋其龍自離祖以來,本無正氣,勉強行度,始小終大,龍低穴高,如人之踏碓,如船之上灘,而高下失等也。此格最凶,縱有形穴,亦為不吉,主一發即退,無多力量。

いわゆる「退龍」は、是れ星峰は次序を失い・枝脚は倫次を成さず・一路行走して却って節節に退後するの龍を指す。『入式歌』は説く「退龍は是れ愈々走るほど愈々消瘦細弱」。此の種の龍は祖を離るる以来、本来すなわち正気なく、ただ勉强して行進す。頭を起すは小・後来に到りて却って大、龍身は低くして穴位は高く、人の碓を踩む時の一頭起ち一頭落つるが如く、船の灘に逆いて上に拖るが如し。高低は応有の等次を失えり。此の一格は最も凶。縦に穴形あるもまた不吉。子孫の一たび発せばすなわち退き、多少の力量なきを主す。

福龍者,祖宗貴而從衛多也。其龍自離祖以來,護從稠密,前後相應。枝腳雖不大揚,而有倉有庫;星峰雖不卓拔,而不惡不粗。但無大擺布爾。如有福之人,上得前人之蔭,下得奴僕之供,而坐享安樂也。主發福悠遠,富貴康寧和義。

いわゆる「福龍」は、是れ祖山尊貴にして随従護衛の衆多なる龍。此の種の龍は祖を離るる以来、護従は稠密、前後は互相呼応す。枝脚は十分に張揚せざるといえども、却って倉砂庫砂あり。星峰は特別に高聳せざるといえども、却って粗悪ならず。ただ大開大合の擺布を缺少するのみ。それは好比は一個の福気ある人、上に祖先の蔭庇あり、下に奴僕の供養あり、安坐して清福を享く。発福悠遠・富貴の外にさらに康寧と和順を兼ぬるを主す。

病龍者,本體雖美,而有瑕疵者也。其龍自離祖以來,稟氣偏駁,美中不純。出身行度,起伏頓跌,變動活走,雖皆可觀,而枝腳邊有邊無,邊生邊死,邊美邊惡。或一畔周密,一畔陷缺;或一節活動,一節死硬;或一邊圓凈,一邊破碎;或星峰美惡不一;或四山送從不周。凡此之類,皆謂病也。雖有結作,而禍福相半,好中不足,美事不周。

いわゆる「病龍」は、是れ本身は美なるも却って瑕疵を帯ぶるの龍。此の種の龍は祖を離るる以来、禀受の気は偏雑不純、美中は総じて夾雑あり。それは起身行走し、起伏頓跌・変化霊動、看て样样可観。可なりしも枝脚は却って一辺あり一辺なし、一辺に生気あり一辺は死板、一辺は美一辺は悪。或いは一側は周密・一側は陷缺、或いは一節は霊活・一節は僵硬、或いは一辺は圓潤潔净・一辺は破碎、或いは星峰は美あり醜あり、或いは四面の送従の山は周全ならず。凡そ此の一類に属するは皆病と呼ぶ。それは能く地を結ぶといえども、却って禍福は各半、好の裏に不足あり、美事は総じて円満ならず。

又有一等病龍,離祖以來,星峰秀麗,過峽周密,枝腳橈棹,蓋送纏護,件件合法。只是龍身當緊要處,或經鑿斷,或以崩頹,或蛟龍沖壞,或取土取石,或開窟井,或當穴踏路成坑,破損穴相。或穴頂開造寨廟,傷損星頭。或前葬已多,而鑿損眞穴。或誤開陽基而掘墾破壞。凡此之類,皆傷氣脈,故曰病龍,亦曰傷龍、蛀龍、殘龍。如人斷腰折頸,破面損頭,無能再續之理。縱有諸般美處,皆為無益。若誤下之,主凶敗廢疾,少亡孤寡。

さらに一種の病龍あり、祖を離るる以来星峰は秀麗、峡を過ぐるは周密、枝脚橈棹・蓋送纏護は件件法に合す。ただ龍身は緊要の処に於いて損傷を受けたり。或いは人に鑿断せられ、或いは自行して崩塌し、或いは山洪蛟龍に冲壊せられ、或いは人に土を取り石を取られ、或いは窟井を開かれ、或いは穴前は人に路を踩み出されて坑と陷成り、穴の形相を破壊せり。或いは穴頂の上に寨堡廟宇を蓋い、星峰の頭を傷えり。或いは前人は已に葬ること太く多く、真穴を鑿損せり。或いは誤りて此地に於いて陽宅基址を開き、掘墾破壊せり。此一類は皆気脈を傷う。だから病龍と呼び、また傷龍・蛀龍・残龍とも呼ぶ。恰も人の腰を断ち・頸を折り・面を破り・頭を損じ、再接続するの道理なきが如し。縦に種種の美処あるもも皆益なし。若し誤りて此に葬れば、凶敗残疾・少年夭亡・孤児寡婦を主す。

刦龍者,龍身分擘多也。自離祖以來,無有正條,東牽西拽,左分右擘,嫡庻不明,旁正莫辨,眞氣分散,龍脈不聚,全無收拾。《明山論》云:“分枝擘脈,或反或走,或離或析,或欹或側,或尖或石,或高而枯槁,低而薄弱,皆名鬼刦。”凡龍以分擘多者為刦,少者為鬼,在前者主官事,在後者主疾患是也。此格最凶,縱有形穴,必不可下。主盜賊侵刦,疾病官災。若刦去而復回,作我用者,不以此格拘。

いわゆる「劫龍」は、是れ龍身の枝を分かち脈を劈くこと太く多きの龍。それは祖を離るる以来一条の正脈なく、東に牽き西に扯り、左に分かち右に劈き、嫡出庶出は分け清めず、旁龍正龍は辮明せず。真気は分散せられ、龍脈は聚まり攏まらず、全く収束なし。『明山論』は言う。枝を分かち脈を劈くの山は、或るものは反背し、或るものは走り開き、或るものは離散し、或るものは裂析し、或るものは歪斜し、或るものは側傾し、或るものは尖利し、或るものは石を帯び、或るものは高くして枯槁し、或るものは低くして薄弱。これらは皆「鬼劫」と呼ぶ。凡そ龍の分劈するや多きは劫と呼び、分劈するや少なきは鬼と呼ぶ。穴前に在るは官司詞訟を主り、穴後に在るは疾病を主す。此の一格は最も凶。縦に穴形あるもまた決して葬る可からず。盗賊劫掠・疾病官災に遭うを主す。若し是れ劫して去りし後また回転して来たりて我の用に為るは、すなわち此の一格の限制を受けず。

殺龍者,龍身帶殺而未經脫卸者也。自離祖以來,巉巖險壁,醜惡粗雄,露骨帶石,枝腳尖利,破碎欹斜,臃腫硬直。或全無跌斷過峽,或雖經脫卸,而惡形不改,觀之而毛骨悚,步之而心神驚。凡此之類,皆謂殺氣凶露,名曰殺龍,最為凶惡。若誤下之,主兇狠強梁,為嗜殺誅夷慘滅之應。

いわゆる「殺龍」は、是れ龍身は煞を帯びて而して脱卸を経過せざるの龍。それは祖を離るる以来、処処険岩峭壁・醜悪粗雄、骨石は外露し、枝脚は尖利、破碎歪斜・臃腫僵直。或いは一路完全に跌断過峡せず、或いは脱卸を経るも凶悪の形は依旧として改めず。看て人をして毛骨悚然たらしめ、走り上れば人をして心惊せしむ。凡そ此の一類に属するは、皆是れ煞気の凶露、名づけて殺龍と曰い、最も凶悪を為す。若し誤りて此に葬れば、子孫の凶狠強横を主り、嗜殺して誅せられ・家族は惨たり滅絶せられんの報応を招く。

龍の脈を出づる三格を論ず

凡龍之穿落纏變,皆有出脈,其格有三:曰中出、左出、右出。其融結力量大小輕重,皆於此決之。廖氏云:“穴後落脈要中出,中出方為吉。左出為輕右更輕,輕重此中生。”是眞偽美惡,禍福吉凶,皆胚胎於此,寔地學之關鍵,不可不察也。

凡そ龍の穿帳・落脈・纏護・伝変は、皆脈を出づる有るを要し、脈を出づるの格局は三種あり。中出・左出・右出。それの凝結して穴を成す時の力量の大小軽重は、全くここに由りて決定す。廖金精は言う。穴後の落脈は中間より出づるを要し、中出は才かに吉と算う。左出の力量はすなわち軽く、右出はさらに軽し。軽重はすなわちここより分かれ出づ。見る可し、真と偽・美と悪・禍と福・吉と凶は、皆ここに於いて孕育して形を成す。実在は是れ地理学の関鍵、細察せざる可からず。

以此為例,凡兩畔山形均勻者皆是,不論起頂降勢,或高或下。中出脈者,受穴之龍自離祖、出身、落脈及過峽、落穴等處,脈從中出,左右均勻,蟬翼仙帶,夾護齊整。或開帳貫中出脈,謂之穿心;或列屏臺蓋星,而脈從中落;或左右擺佈均勻,而脈從中發,皆謂之中出脈。若護山周密,不被風吹,則其融結必眞,力量必大,主鉅富顯貴。凡賢人君子,一切光明正大之士,皆中出脈所孕毓也。

これを以て例と為す。凡そ両側の山形の均勻なるは皆此一類に属す。それは頂を起すか勢を降すかを論ぜず、も高低を論ぜず。いわゆる「中出脈」は、是れ穴を受くる龍は祖を離れ・身を起し・脈を落しより峡を過ぎ・穴に落つるの各处に到るまで、脈は皆正中より出で、左右は均勻、「蝉翼」「仙帯」等の夾護の砂は斉斉整整。或るものは帳幕を開出して脈は帳心を貫穿して出づ。之を「穿心」と呼ぶ。或るものは屏・台・蓋等の星体を排出して脈は正中より落下す。或るものは左右は擺布均勻にして脈は正中より発出す。これらは皆中出脈と呼ぶ。若し護衛の山は周密・風吹を受けざれば、然らばそれの凝結は必定真実、力量は必定大、巨富顕貴を主す。凡そ賢人君子・一切の光明正大の人物は、皆是れ中出脈の孕育して出づる所。

左出脈者,龍之出身、發脈,及行度、過峽、入穴等處,脈從左畔而出。山之形勢,左少右多,兩畔不均。只是蟬翼、仙帶及外從皆照應周密,故前去亦有結作。若偏旁出脈,而從山不周,則無融結,不必追尋矣。

いわゆる「左出脈」は、是れ龍は起身・発脈および行走・過峡・入穴の各处に於いて、脈は皆左辺より出づ。山の形勢は是れ左辺少く右辺多く、両側は均からず。只因蝉翼・仙帯と外圍の随従の山は皆照応周密、だから前に往きてもまた能く地を結ぶ。若し是れ偏出の脈にして随従の山はまた周全ならざれば、あればすなわち凝結せざらん。去りて追尋するを必とせず。

右出脈者,龍之出身、發脈,及行度、過峽、入穴等處,脈從右落。山之形勢,右少左多,兩畔不均。只是蟬翼、仙帶及外從皆照應周密,故前去亦有結作。若偏旁出脈,而從山不周,則無融結,不必追尋矣。

いわゆる「右出脈」は、是れ龍は起身・発脈および行走・過峡・入穴の各处に於いて、脈は皆右辺より落下す。山の形勢は是れ右辺少く左辺多く、両側は均からず。只因蝉翼・仙帯と外圍の随従の山は皆照応周密、だから前に往きてもまた能く地を結ぶ。若し是れ偏出の脈にして随従の山はまた周全ならざれば、あればすなわち凝結せず、同じく去りて追尋するを必とせず。

凡脈之左右微有形跡,護脈出身者,名蟬翼,亦曰蟬翅。而旁送脈之砂高大而長,名曰仙帶,欲其均勻。以上出脈三格,中出為上,左出次之,右出又次之,左右全偏則無足取。但山龍變態不常,固有前中出而後偏者,亦有前偏出而後中者,又有交互中偏者,又有似偏而寔中者,必須詳辨,庶得其情性之眞。圖具下。

凡そ脈の左右に微微として些かの痕跡ありて・脈を護りて一同に起身するの砂は、之を「蝉翼」と呼び、また「蝉翅」とも呼ぶ。而して旁边に於いて脈を送り・また高大また長きの砂は、之を「仙帯」と呼ぶ。最も好しは左右均勻。以上の脈を出づる三格は、中出は上を為し、左出は之に次ぎ、右出はまた之に次ぐ。若し完全に左辺或いは右辺に偏在せば、すなわち取用するに値せず。不过山龍の変化は無常、本来すなわち前段は中出にして後段は偏出のあり、も前段は偏出にして後段は中出のあり、さらに中と偏の交替して出現するあり、さらに看て偏出の似る而して実は中出のあり。必ず仔細に分辮して、才かに能くその情性の真相を得ん。原書の此処に図を配すも、今ただ図題を存す。

此全是中出,至貴,主文章勲業榮顯,王侯極品。此先中出而後偏者,不吉。縱有形穴,小康而已。此先偏出而後中者,亦作次格,主小貴鉅富。此交互中出,亦主富貴,而心術不甚正矣。

以下に各図の図題を照録す。此一図は全く中出に属し、最も貴を為す。文章と勲業と皆栄耀顕達し、王侯の極品に致る可きを主す。此一図は是れ先ず中出して而して後に偏出する、不吉。縱然穴形あるも、不过是れ小康の家のみ。此一図は是れ先ず偏出して而して後に中出する、以て次一等の格局と算う可し。略有の官貴にして家資は巨富を主す。此一図は是れ中と偏の交互して出づる、もまた富貴を主す。ただ心術は太く端正ならず。

此交互偏出,一左一右,卻相承應,亦作吉格。此似偏出而實中者,不可誤作偏斜,主文章榮顯。此格似中出而實偏,然節節相稱,而脊脈屈曲均勻,亦作次吉。此亦中出之格,最為閃巧,然而亦作吉,主貴而不至極品。此則全偏,不能結地,只作奴僕砂。

此一図は是れ交互に偏出し、一左一右なれども却って前後は承接呼応し、もまた吉格と算う。此一図は看て偏出の似る而して其の実は中出。誤りて偏斜と当てる可からず。文章の栄顕を主す。此の一格は看て中出の似る而して其の実は偏出。但し節節相称、脊上の脈は屈曲均勻、もまた次一等の吉格と算う。此一図もまた中出の格に属し、最も閃巧霊動を為し、同じく吉と算う。顕貴を主すも却って極品に到らず。此一図は則ち完全に一辺に偏し、地を結ぶ能わず。ただ奴僕の砂を作す能うのみ。

龍の穴を受くる三等を論ず

凡龍之受穴,初落、中落、末落之外,又分三等。其力量輕重,亦有不同。所謂三等者,曰正受,曰分受,曰旁受也。正受之穴,力量極大,發福悠久;分受次之,旁受為下耳。此以力量大小品其優劣。但結作眞實,三者皆吉,不可以旁受力量之小而專一圖其正受之地。

凡そ龍の穴を受くるは、前面に講じ過ぎし初落・中落・末落の三種の落局を除くの外、さらに再び三等に分かつを要し、各等の力量軽重もまた相同じからず。いわゆる三等は、すなわち「正受」「分受」「旁受」。正受の穴は力量極大、発福は悠久。分受は次一等。旁受は則ち末に居す。これは単に力量大小に按じて以てそれらの優劣を評定する。しかしただ結作真実せば、此の三者は皆是れ吉地。旁受の力量小なるを因として、すなわち一味にただあの正受の大地を謀取せんと欲し、其余を一概に軽看する能わず。

明師下地,如大匠用木,大者為椽,細者為桷,槫櫨椳闑居楔,各當其宜,豈可以其為小材而棄之?卜氏云“大富大貴而大者受用,小福小吉而小者宜當”是也。大以成大,小以成小,良師豈可無善裁之術乎?

明師の地を点ずるは、好比は高明の木匠の木料を用うるが如し。粗大のは椽を做り、細小のは桷を做り、棟梁・斗栱・門臼・門橛・門枕・門楔は、各自は恰当の処に於いて用う。怎んぞそれは小材なるを以てすなわち棄丟せんや。卜応天の説く「大富大貴の地は大材に由りて去りて受用し、小福小吉の地は小材に由りて去りて承当す」、正にこの意。大なるは大なるを成就し、小なるは小なるを成就す。好の地師は怎んぞ善く裁度取用するの本事なからんや。

正受穴

正受者,龍勢迢迢,雖分牙布爪,萬嶺千山,皆為我用,千里百里,盡鍾於此。而特結正受之穴,其力量最大,其發富最久。《至寶經》云:“正龍專受,富貴長久。”

いわゆる「正受」は、是れ龍勢は迢迢として来たり、一路は牙爪の如き支脈を分出するといえども、千山万嶺は却って皆我の用に為る。千里百里の気脈は、全都此の一処に鍾聚す。ここに於いて特地に正受の穴を結出す。此の種の穴は力量最も大、発福は最も久し。『至宝経』は言う。正龍は専一に穴を受く。富貴は長久。

分受穴

分受穴者,正龍身上分出一枝,起星辰,有枝腳,過峽傳變,皆有護衛。自立門戶,自開堂局,以結形穴,不為他人作用神也。但非正枝,乃分落之龍融結者,故曰分受穴。力量隨龍長短,亦能發福,但不如正受之長遠耳。《至寶經》云:“掛龍分受,富貴難久。”

いわゆる「分受穴」は、是れ正龍の身上より分かれ出づるの一枝。それは自己に星峰を起し、自己に枝脚あり、峡を過ぎと伝変の処もまた皆山ありて来たりて護衛す。それは自ら門戸を立て・自ら堂局を開き、穴形を結出し、並びに去りて別人に替わりて「用神」を充当せず。只因それは是れあの条の正枝に非ず、而して是れ分落して下りし龍の凝結する所。だから分受穴と呼ぶ。それの力量は此の一枝の龍の長短に随いて定まる。同じく能く発福す。ただ正受の穴の如く長遠ならざるのみ。『至宝経』は言う。挂け出去る一枝の龍の如く分受して一個の穴、富貴はすなわち持久し難し。

旁受穴

旁受者,多是正龍旺盛,或於過峽處,或於枝腳橈棹間,或於纏送護托從龍之上,或龍虎餘氣、官鬼之所,帶有小穴。傍城借勢,或別立門戶,隨其大小,結為形穴。穴情明白,四面登對,亦能發越,但易成易敗,力量全輕。

いわゆる「旁受」は、多半是れ正龍の気勢旺盛、ここに於いて峡を過ぐるの処に於いて、或いは枝脚橈棹の間に於いて、或いは纏送護托の従龍の身上に於いて、或いは龍虎二砂の余気および「官」「鬼」の処に於いて、附帯して些小の穴を結出す。それらは大局に靠りて勢を借る。或るものは別に門戸を立て、各自の大小に随いて穴形を結成す。此の類の穴は穴情清楚、四面もまた対応あり、同じく能く発達す。ただ容易に成りまた容易に敗れ、力量は全然軽微。

子微《玉髓》云:“也有一龍生數穴,或輕或重故有訣。”楊公云:“千里來龍只一穴,正者為優旁者劣。”蔡西山云:“大凡一龍,不專一穴,本身隨帶,必有小穴。如大官宦必有從官,大衙府必有曹屬。第輕重大小不同耳。”此旁受穴之謂也。然此等小穴,發福極速。但正穴下後,奪其龍氣,必敗。訣云:“正龍未下旁龍發,下了正龍旁龍歇。”《捉脈賦》云:“眞穴未葬,雖邊傍而可發;正穴既下,盡氣脈以兼收。”此之謂也。

張子微の『玉髄経』は言う。もまた一条の龍は好几个の穴を生出するあり。軽重の別は自ら口訣ありて辮ず可し。楊筠松は言う。千里の来龍はただ一個の正穴を結ぶ。正のは優を為し、旁のは劣を為す。蔡西山は言う。大凡そ一条の龍は一個の穴のみならざらん。それの本身の随帯するは必定さらに小穴あり。好比は大官は必ず随従の属官あり、大衙門は必ず属曹あり。ただ軽重大小の同じからざるのみ。これらの講ずるは皆是れ旁受の穴。不过此の類の小穴は発福極めて快し。しかし一旦正穴葬り下されば、龍気を奪去し、それは必定敗落す。口訣は説く。正龍はなお未だ葬らざるは、旁龍は先に発す。正龍は一たび葬れば、旁龍はすなわち歇む。『捉脈賦』は言う。真穴はなお未だ安葬せざる時、たとい旁辺の穴なるもまた能く発す。正穴は一旦葬り下されば、気脈はすなわちそれに全部収去らる。説くは正にこの道理。

龍の入首五格を論ず

龍之入首,其格有五:曰橫,曰直,曰回,曰飛,曰潛是也。廖氏云:“直龍原是撞背來,中出貴徘徊;橫龍原是從側落,逆轉須磅礴;回龍原是曲翻身,顧祖要逡巡。飛龍原是結上聚,昂首眞奇異;潛龍原是落平洋,蔽脈自悠揚。”然此五格,特舉其入首一節言之。故直龍不必拘其後之屈曲,橫龍不必拘其後之不橫,學者毋以辭害意可也。

龍の入首の方式は五種の格局あり。横・直・回・飛・潜。廖金精は言う。直龍は本是れ背後より直撞して来たり、脈は正中より出づるは最も可貴。横龍は本是れ側面より落下し、勢に逆いて回転して気魄磅礴を顕するを要す。回龍は本是れ身を屈して翻転し、祖山を回顧する時は从容徘徊するを要す。飛龍は本是れ高処に於いて気を聚め穴を結び、頭を昂めて真正の奇异を顕す。潜龍は本是れ平洋に落ち、脈は隠蔽して見えずして気は自ら舒揚す。不过此の五格はただ入首のあの一節に就いて説く。だから直龍はそれの後面の龍身は屈曲するや否やを計較するを必とせず、横龍もまたそれの後面は横ならずや否やを計較するを必とせず。学ぶ者は字面に拘泥して本意を誤解する勿れ。

直龍者,乃撞背入首,頂對來脈而結穴者也。此等撞背龍結穴,發福極快,或稍逐元辰亦不為害。以其撞背直來,氣勢雄大,必有餘氣為氈為褥耳。橫龍者,乃橫脈入首而結穴者也。或從右來,或從左來,須要穴後有樂有鬼。廖氏云“橫龍穴後必要鬼,樂星宜後峙”是也。此穴不宜元辰直長。

いわゆる「直龍」は、是れ背後より直撞して入首し・穴頂は正しく来脈に対して穴を結ぶ。此の種の撞背龍の結ぶ穴は発福極めて快く、たとい穴前の元辰水は稍稍順流して去るもまた害を為さず。それは背を撞き直来し・気勢雄大を以て、穴前は必定余気ありて「毡」「褥」を鋪成して承接す。いわゆる「横龍」は、是れ脈は横にして入首して穴を結ぶ。或いは右辺より来たり、或いは左辺より来たり。必ず穴後に楽山あり・鬼砂あるを要す。廖金精の説く「横龍は穴後に必ず鬼砂あるを要し、楽星は応に後面に於いて峙立すべし」、正にこの意。此の種の穴は元辰水のまた直くまた長きに宜しからず。

飛龍者,乃上聚仰高而結穴者也。以其勢高而昂,故曰飛龍。須四應皆高,立聳上聚,仰勢受穴,方為眞結。此穴力量最大,貴重富輕,以其水多不聚故也。必交牙關鎖為吉。潛龍者,龍氣撒落平地而結穴者也。即所謂平受之脈,高一寸為山,低一寸為水。須要平地有凹,或開鉗口,水勢環繞,方為眞結也。

いわゆる「飛龍」は、是れ気は高処に聚まり・頭を仰ぎて上に向かいて穴を結ぶ。それの気勢高昂なるを以て、だから飛龍と呼ぶ。必ず四面呼応の山は皆高く、一斉に聳立して上に向かい気を聚め、穴は仰勢を取りて承受して、才かに真結と算う。此の種の穴は力量最も大、貴気は重くして富気は軽し。水は多半是れ聚攏する能わざるを以て。必ず水口に山ありて犬牙の如く交錯して関鎖して才かに吉。いわゆる「潜龍」は、是れ龍気は平地に撒落して穴を結ぶ。すなわち前面の説く「平受」の脈。高きこと一寸あればすなわち山と算え、低きこと一寸下ればすなわち水と算う。必ず平地の上に凹陷あり、或いは鉗口を開出し、水勢は環繞して、才かに真結と算う。

回龍者,乃翻身顧祖而結穴者也。《經》云“宛轉回龍似掛鉤,未作穴時先作朝。朝山皆是宗與祖,不拘十里遠迢迢”是也。然亦有大回龍、小回龍及盤龍穴等格,皆是也。以上入首五格,出《洩天機》,固為精當。但龍有藏蹤隱跡,入首閃側而出於五格之外者,今增閃龍入首一格,庶極其微妙雲。

いわゆる「回龍」は、是れ身子を翻転して祖山を回顧して穴を結ぶ。『龍経』は言う。宛転の回龍は一只の挂钩の如く、未だ穴を作さざる以前に先ず朝を做成せり。朝山は原来すなわち自家の祖宗の山。相隔すること十里とも更に遠しとを管せず。説くは正に此の種。此の外さらに大回龍・小回龍および盤龍穴等の格あり、皆回龍の一類に属す。以上の入首五格は『泄天機』より出づ。本来已に甚だ精当。ただ龍もまた蹤跡を蔵起し・入首の時に側閃して出去りて此の五格の外を超出するあり。だから現在増補して一格の「閃龍入首」、好んでその中の微妙を講じ尽さんとす。

閃龍入首

閃龍入首者,龍脈棲側躲閃結穴也。山勢直去,而脈側偷閃於側以結穴。若泥於直步龍神,撞脈取穴,則誤矣。吳公云“只泥穿心直串去,不識眞龍轉身處。眞龍閃巧轉身多,豈惟直串為可據。俗師不識玄微訣,只向直穿尋正穴。尋到山窮脈盡時,不論有穴並無穴。惟以撞脈頂來龍,下了誤人貧與絕”是也。蓋頂龍求穴,固是正理。但眞龍奇巧處,有閃脈而融結者,如蔡西山祖地其格也。

いわゆる「閃龍入首」は、是れ龍脈は側りて栖閃し・正路を躲開して穴を結ぶ。山勢は一直に前に往き去るも、脈は却って側旁より偷偷として閃出して穴を結ぶ。若し龍身に順いて直く走り・来脈に対して穴を取るに拘泥せば、すなわち錯えり。呉公は言う。ただ心を穿りて直串して過ぐるに拘泥するを知りて、真龍の身を轉ずるの処を認得せず。真龍の閃巧して身を轉ずる時は多し。何れぞただ直串の一種のみ以て憑拠と為す可けんや。庸師は此の条の玄微の口訣を懂せず、ただ直穿の方向に朝して正穴を找し、一直に山窮脈尽に找到するまで、もあそこに到底穴ありや穴なきやを管せず、一味に来脈を頂いて脈に撞きて下葬す。葬り下せば便ち人を貧窮断絶に誤る。龍脈を頂いて穴を求むるは固然是れ正理なれども、可なりしも真龍の奇巧の処は、もまた一脉を閃出して凝結するあり。蔡西山の祖地はすなわち此の一格。

右地在建陽麻沙,土名母雞嶺。過峽,其龍頓跌三十一峰,入首起木星展翅,中出蘆鞭正貫。盡處雖有明堂、龍虎、秀峰可觀,而眞氣不到,不結穴。其脈閃過右邊,成文星,落平田結穴。右山橫一字文星為案,外聳秀峰為應。左山列屏赦文,橫截水口。但堂氣傾斜故發福遲,大星奔攛故西山遭貶道州,不入俗眼。

此の図に記する所の地は建陽の麻沙に在り、地名は母鶏嶺。峡を過ぎし後、この条の龍は三十一座の山峰を頓跌して出づ。入首の処は一座の木星の「展翅」の形を起し、中間より「芦鞭」を抽出して筆直に貫下す。尽頭の処に走り到れば、明堂・龍虎・秀峰は皆甚だ可観なるも、可なりしも真気は並びに到らず。だから穴を結ばず。それの脈は右辺に閃き去りて、文星と成り、平田に落ちて穴を結ぶ。右辺の山は横に一字の文星を成して案を作し、外面は秀峰を聳起して呼応を作す。左辺の山は屏風と「赦文」の形に排し、水口を横截す。ただ堂気は傾斜、だから発福は較遅し。大星は外に向かい奔竄す。だから蔡西山は後来道州に貶せられしなり。此の種の地は是れ俗人の眼に入る能わざるなり。

其先課云:“螺螄吐肉穴居肉,九世九賢出。”果九代出牧堂先生發以曾孫杭貴贈少保、西山文節公元定以孫貴贈太傳、九峰先生沈以子杭貴贈太師,國朝進崇安伯,諡文正及節齋淵、復齊沉、丞相文肅公杭,與覺軒模、素軒格、靜軒權,世稱九賢,果應其課云。

当初の課記は説く。形は「螺螄が肉を吐く」の如く、穴はすなわち吐出せる肉の上に落つ。九代は九位の賢人を出すを要す。後来果たして九代の中にこれらの人物を出せり。牧堂先生蔡発は、曾孫蔡杭の顕貴に因りて少保を追贈せらる。西山文節公蔡元定は、孫輩の顕貴に因りて太傅を追贈せらる。九峰先生蔡沈は、児子蔡杭の顕貴に因りて太師を追贈せられ、本朝はまた崇安伯を進封し・文正を諡す。此の外さらに節斎蔡淵・復斎蔡沉・丞相文粛公蔡杭、および覚軒蔡模・素軒蔡格・静軒蔡権あり。世人は之を「九賢」と称す。果たしてあの一段の課記に応ぜり。

右地在吾邑,地名暖川香潭嶺,去縣東南八十里,俗呼群雁度關形。其龍來勢甚遠,南溪、暖溪兩水夾送約百餘里。將至入局,翻身大轉,逆奔而上,頓起貪狼峰一十餘座,凌雲高秀,逈然奇異。至將盡未盡之際,閃落一脈結穴,不見大局。左右曜氣飛揚。對面觀之,儼若龍虎不包。顧及登穴,則拱衛有情。少祖山下,發出一山,拜伏於前,以為近案。內局團聚,外陽暗拱,水繞青龍而纏玄武,門戶交固。後樂龍樓寶殿,勢貼青霄,眞美地也。

此の図に記する所の地は本県に在り、地名は暖川香潭嶺、県城の東南八十里を離れ、俗には「群雁度関」の形と称す。この条の龍は来勢甚だ遠く、南谿・暖谿の两条の水は夾みて送行すること約一百多里。将に局に入らんとする時、それは身を翻して大幅に転折し、水勢に逆いて奔涌して上り、十幾座の貪狼峰を頓起し、高聳して雲に入り・清秀奇异。将に尽きんとして未だ尽きざるの際に到りて、一条の脈を閃落して穴を結び、穴の上より見れば整个の大局を見ず。左右の「曜気」は飛揚し、対面より望み過過ぎれば、儼然として龍虎の二砂は包み住がたきが如し。可なりしも穴場に登るを待って、才かに拱衛有情を見ん。少祖山の下は別に一座の山を発出し、穴前に拜伏して近案を作す。内局は団聚し、外面の明堂は暗中に於いて拱抱し、水は青龍を遶りて玄武を纏住し、門戸は交鎖牢固。穴後の楽山は龍楼宝殿の如く、気勢は直に青天に貼す。真に是れ一塊の美地。

左臂龍勢盡處,後串來龍。前局寬廣,秀峰重疊。人皆貪其砂秀、堂寬、龍盡,葬者皆不吉。殊不知眞龍多閃拋,而不在於直串之山勢;好局多緊夾,而不在於寬大之明堂;好砂只拜伏,而不在於奇峰之重疊。此造化隱妙之秘也。祝氏葬後三紀,南山公眉壽發解嘉靖甲子,彭島維敬、虛堂世祿諸君,兄弟叔侄聯登科第,人才疊出,福祉方隆。

左臂の龍勢の走り尽くるの処は、後面にさらに来龍を串連す。あそこは前面の局面は寛広、秀峰は重叠。人は皆それの砂秀・堂寛・龍はまた頭に到るを貪る。あそこに葬るは却って皆不吉。彼らは懂せず。真龍は多半是れ閃出して・正路を拋開す。並びに直串して過ぐるの山勢の上に在らず。好局は多半是れ緊緊として夾護する。並びに寛大の明堂の上に在らず。好砂はただ肯んじて拜伏せばよし。並びに奇峰の重叠の上に在らず。これは是れ造化隠微奥妙の秘密。祝家は葬り下し三十六年の後、南山公祝眉寿は嘉靖甲子年に於いて解元を考中す。彭島祝維敬・虚堂祝世禄の几位は、兄弟叔侄は接続して科挙登第し、人才輩出、福沢は正に盛んなり。

按:此閃龍入首之說,前輩已嘗論之,茲故特收名地三格為式,庶可因類以推,曲盡微妙。但此等之穴,實多隱怪。識者取決於龍穴,昧者徒惑於砂水。故貪大堂局,愛秀峰,為地理之所當順;而直串來龍取穴,亦或有誤,不可執一也。

徐氏按ず。閃龍入首の此一説は、前輩は已に論じ過ぎたれども、ここに特地に三処の名地を収進して様式と作し、好んで人をしてこれに由りて類推せしめ、その中の微妙を講透せんとす。ただ此一類の穴は実在は多半是れ隠蔽古怪。識見ある人は龍と穴に凭りて決断す。糊塗の人はただ砂水に迷惑せらる。だから大の堂局を貪図し・秀麗の山峰を偏愛するは、地理上は原是れ人の常情。可なりしも一味に直串の来龍に順いて去りて穴を取れば、或る時は却って錯えらん。一端に死守する能わず。

龍の穴に入る十二脈を論ず

龍之結穴,必於入首之際,過脈結咽,束氣入穴。其脈則有十二格,皆於穴後審之。所謂十二格者,曰正、曰偏、曰大、曰小、曰短、曰長、曰高、曰低、曰曲、曰直、曰斷、曰續。廖氏云“欲作穴時看出脈,原有十二格。正偏大小與短長,高低要審詳。更有曲直並斷續,吉凶皆在目”是也。

龍は穴を結ばんと要すれば、必定入首の時に於いて脈を過ぎ・咽喉を結成し、気を収束して穴中に送進す。此の一段の脈は共に十二種の格局あり、皆穴後に於いて察看するを要す。いわゆる十二格は、すなわち正・偏・大・小・短・長・高・低・曲・直・断・続。廖金精は言う。穴を作さんと要する時は先ず脈を出づるを看よ。本来すなわち十二格あり。正と偏・大と小および短と長、高と低は皆審詳するを要す。再加うるに曲と直・断と続、吉凶はすなわち皆眼前に擺る。説くは正にこれ。

正即中也。要星辰端正,脈從中出,而兩畔山之形勢均勻,故曰正脈。此格極吉,即中出脈。或從左,或從右,偏於一畔,而山之形勢不均,故曰偏。此格力減。龍大脈宜大。大曰蠻脈,即潤脈也。宜有草蛇灰線之脈居其中。龍大脈小者曰巧脈。此格最貴。

以下に十二格の図題と説明を照録す。「正」はすなわち是れ中。要ず星峰は端正、脈は中間より出で、両側の山の形勢は均勻。だから正脈と呼ぶ。此の一格は極吉、すなわち前面の説く中出脈。「偏」は是れ脈は或いは左より・或いは右より一側に偏し、山の形勢は両辺均からず。だから偏と呼ぶ。此の一格の力量はすなわち減ず。龍の大なるは、脈もまた大なるに宜し。大脈はまた「蛮脈」と呼び、すなわち寛濶の脈。最も好しは中間にさらに一線ありて草中の蛇・灰上の線の如き細脈ある。龍大にして脈小なるは「巧脈」と呼ぶ。此の一格は最も貴。

短則氣脈易行,要束脈嫩細者,短而大則不吉。長則氣脈難過,必中間有泡引氣則吉。又宜活動。若硬直則為死,不吉。大抵長脈易受風吹,且力弱氣緩,不能融結。高脈易成貫頂,且星辰頭面淺薄,惟串珠一格有之,亦當於三四節外,看有過峽出氣者方可取。低從腳下過脈,要分水明白,則非斷截。如水不分八字,即是斷截,不吉。

脈の短きは、気は容易に通行す。但し収束するや嫩にして細なるを要す。又短くまた粗大なればすなわち不吉。脈の長きは、気は過ぎ難し。必ず中間に小土泡ありて気を引き過ぎ来るを待って才かに吉、しかも要ず霊活。若し僵硬筆直なればすなわち死脈と成り、不吉。大体上長脈は容易に風吹を受け、加うるに力は弱く気は緩し、凝結する能わず。脈の高きは容易に「貫頂」を造成し、しかも星峰の頭面は浅薄を顕す。ただ「串珠」の一格のみ此の種の情形あり。たとい串珠なるも、も三四節以外に峡を過ぎ気を出づるあるや否やを看るを要して、才かに以て取る可し。脈の低きは山脚の下より過ぐ。要ず両旁の水を分かつの分かつや明白にして、才かに截断せられざると算えず。若し水は八字形を分成せざれば、あればすなわち脈は截断せられしなり。不吉。

屈曲活動,最為貴脈。然大而曲者,亦尋常矣。直脈不吉。若短而直,亦不為害。長者忌直,謂之死脈。高山跌斷謂之斷。雖斷,不宜如刀斬之齊,恐是鑿斷則凶。要如耦斷絲連,脈自相牽為吉。續脈者,既斷而復續。須要氣脈連接,極吉。上脈形十二格,本於廖氏《洩天機》。其正偏二格,實統諸格而皆有之。即前中出、左出、右出三格也。但彼以後龍行度出落而言,此專以受穴一節而言,尤為緊要,故復詳之。

脈の屈曲して霊活なるは、最も是れ貴脈。不过また粗大また彎曲なるは、もすなわち平常。直脈は不吉。若し又短くまた直なれば、倒にも害を為さず。長脈は最も筆直を忌み、あれは死脈と呼ぶ。高山の間に脈は跌落中断するを「断」と呼ぶ。断えるといえども、却って断口の斉整なること刀に斬り過ぐるが如きに宜しからず。あれは恐らく人工の鑿断、すなわち凶なり。要ず藕断糸連・脈気の自ら相牽引するが如くして才かに吉と算う。「続脈」は是れ断えし以后また接上する。必ず気脈は連接し得住るを要す。極吉。以上の十二種の脈形は、本是れ廖金精の『泄天機』より出づ。その中の正・偏の両格は其の実は其余の各格を統摂し・処在せざるなし。すなわち前面に講じたる中出・左出・右出の三格。ただ前面は是れ後龍の一路行走出落に就いて言い、ここは専ら穴を受くるあの一節に就いて言う。尤も緊要。だから再び詳説一遍す。

龍の穴を結びて局を成す五局を論ず

龍之結穴成局,有五格,皆以水為準。一曰朝水局,乃水自當面洋朝也;二曰橫水局,乃水城橫繞,不拘左右來去也。三曰據水局,乃穴前諸水融聚為湖也;四曰去水局,乃水自穴前流去也;五曰無水局亦曰幹龍也,乃穴前全不見水也。雖有五局結穴不同,龍眞穴的,皆主富貴。惟去水局不利初年也。

龍の穴を結びて局を成すは、五種の格式あり、皆水を以て准と為す。第一は「朝水局」と呼ぶ。是れ水は正面より浩蕩として朝来。第二は「横水局」と呼ぶ。是れ水城は横向に環繞し、左より来たるか右より来たるか・何れの辺に往き去るかを論ぜず。第三は「据水局」と呼ぶ。是れ穴前の衆水は匯聚して湖を成す。第四は「去水局」と呼ぶ。是れ水は穴前より流走去る。第五は「無水局」と呼ぶ、また干龍局とも呼ぶ。是れ穴前は完全に水を見ず。此の五局は穴を結ぶの方式は同じからざるといえども、但し龍真穴准なれば、皆富貴を主す。ただ去水局は頭の几年に利あらざるのみ。

朝水局はまた名づけて逆水局

朝水之局,多是翻身逆勢結穴,以受當面洋朝之水。要穴星高大,有餘氣,或有低砂橫攔,不使水沖割為吉。又須水流之玄屈曲,或平田洋朝為善。若急流沖射,又反為凶。惟天穴及仰高穴,則不怕遠水特朝。若穴場卑弱,星辰低小,山不稱水則凶,不可一概為逆局而吉也。

「朝水局」は多半是れ身を翻して水勢に逆いて穴を結び、用いて当面の浩蕩として朝来の水を承受す。要ず穴星は高大・余気あり、或いは低矮小の砂ありて横向に攔護し、水をして直冲割脚せしめずして、才かに吉と算う。さらに水流は「之」の字「玄」の字を作すが如く屈曲し、或いは平田の上より浩蕩として来たるを要して才かに好し。若し是れ急流の直冲斜射なれば、却って凶を為す。ただ「天穴」と「仰高穴」は遠水の特地に来たりて朝するを怕れず。假如穴場は低窪軟弱・星峰は低小、山は水に配不上せば、あればすなわち凶なり。一概に逆水の局はすなわち吉と認為する可からず。

此穴又多結於水口之間,或下關山短縮,亦不為害。但要穴場藏聚,水來纏繞,穴不受風為眞。廖氏云:“翻身逆勢去當朝,不怕八風搖。”乃言其龍勢,非言其穴也。卜氏云“莫把水為定格,但求穴裡藏風”則善矣。大抵地理之法,得水為上。翻身逆當朝水之局,陰陽交會而有融結,故為貴也。

此の類の穴はまた多く水口の一帯に結び、たとい下手関攔の山は短縮するも、もまた害を為さず。ただ穴場は収蔵聚気し・水は来たりて纏繞し・穴は風を受けざれば、すなわち是れ真。廖金精は言う。身を翻して勢に逆いて去りて朝水を承当し、八方の風の揺撼するを怕れず。あれは是れ龍勢に就いて言う。是れ穴に就いて言うに非ず。卜応天の説く「水を把りて定死の格式と当てる勿れ、ただ穴裏の能く風を蔵するを求めよ」、この話はすなわちさらに妥当。大体上地理の法は水を得るを以て上と為す。身を翻して勢に逆いて朝水を承受するの局は、陰陽はここに於いて交會して而して凝結あり。だから可貴。

横水局

橫水局者,龍之結穴,或水自左來流右去,或水自右來流左去。要水勢彎環,抱穴如繞帶為美。又要下關山逆土攔水有力,及水纏玄武,水口緊密為吉。此局極平穩。

いわゆる「横水局」は、是れ龍の穴を結ぶの処、水は或いは左辺より来たりて右辺に向かい流れ去り、或いは右辺より来たりて左辺に向かい流れ去る。緊要なるは是れ水勢の彎環、穴場を抱住して一条の身を繞る帯子の如くして才かに美と算う。さらに下手関攔の山は水勢に逆いて・水を攔する力あり、しかも水は要ず穴後の「玄武」を繞過し、水口は収むるや緊密。此の如くして才かに吉。此の一局は最も平穏を為す。

据水局

據水局者,龍之結穴,前臨大湖,或深潭,或大池塘。此局極吉。蓋地以得水為上,而水以凝靜為佳。今穴居深水,則無沖割穿射之患,而有得水之宜也,何吉如之?龍穴眞,此局主大貴大富,綿遠榮盛。

いわゆる「据水局」は、是れ龍の穴を結ぶの処、前面は大湖に臨み、或いは深潭、或いは大池塘。此の一局は極吉。地は水を得るを以て上と為し、而して水はまた凝聚安静を以て佳と為すを以て。如今穴は一片の深水に臨み、既に冲射・割脚・穿心の禍患なく、また水を得るの好処を占尽せり。さらにこれより吉なる何ぞや。ただ龍真穴准なれば、此の一局は大富大貴・綿長久遠・栄盛して衰えずを主す。

順水局は亦名づけて去水局

去水局者,必要來龍長遠,力量宏大,四勢周密,水口交固。吳公云:“水雖去而山交回則善。”楊公云:“也有幹龍來兩水,更不回身直為地。只是兩護必不同,定有纏關交結秘。”若水去而山不交回,穴場見水蕩然而去,此等局勢,決無融結,不必著眼矣。大抵順局地,縱有融結,亦不發財,主初年退敗。縱龍穴吉,有貴,亦須賣盡田廬始出官,或離鄉始貴。如或龍穴稍有不吉,則立主退敗滅絕無救,此局多凶,不可輕取。

いわゆる「去水局」は、必ず来龍は長遠・力量は宏大・四面の山勢は周密・水口に山ありて交鎖牢固するを要す。呉公は言う。水は流去るといえども、ただ山は交鎖回抱せば好し。楊筠松は言う。もまた干龍ありて两条の水の間に夾まりて来たり、一直に身を回さずしてすなわちあそこに於いて地を成す。ただそれの両旁の護山は必定衆と同じからず、一定に纏護関攔交結の隠秘の処あり。若し水は流去るも山は交鎖回抱せず、穴場の上に立ちて水の荡荡然として一去りて返らざるを看れば、此の種の局勢は決然として凝結なし。留意するを必とせず。大体上順水の局は縱然地を結ぶも、もまた発財せず。頭の几年の破敗を主す。たとい龍真穴吉・能く貴を出すも、も先ず田産房屋を売尽して才かに上官を做り得、或いは郷を離れし后に才かに貴を顕す。倘若龍穴は稍やかに不吉なれば、立刻にすなわち敗落絶嗣・挽救す可きなしを主す。此の一局は多凶、軽易に取用す可からず。

無水局は亦名づけて旱龍局

無水局者,穴結幹坡,山勢盤聚而不見明堂之水也。凡幹龍穴,多是左右山橫攔,遮卻明堂,穴不見水,或穴高在半山,無水可見。俗人不識,必謂有山無水。不知山谷以藏風為貴。只要穴場藏聚,乘得生氣,發達極快,何必拘其有水無水?但此等地,多先貴後富,或多清貴不富。若謂有砂無水不登科則非也。然亦有穴不見水而鉅富者,要龍神帶有倉庫耳。董德彰云:“有人無財,須尋倉庫之龍;有財無人,莫下孤寒之穴。”確論也。

いわゆる「無水局」は、是れ穴は乾燥の山坡上に結び、山山勢は盤繞聚合して而して明堂裏の水を見ず。凡そ干龍の穴は、多半是れ左右に山ありて横向に攔擋し、明堂を遮住し、穴の上に立ちて水を見ず。或いは穴は高く半山腰に在りて、本来すなわち見る可き水なし。俗人は懂せず、一定にこれを説いて山あり水なしと為す。彼らは山谷の地は能く風を蔵するを以て貴と為すを知らず。ただ穴場は収蔵聚気し・生気に乗じ得住れば、発達極めて快し。何必に水あり水なしに死摳せんや。ただ此一類の地は多半是れ先ず貴して後に富し、或いは清貴にして富ならず。若し砂あり水なければすなわち登科する能わずと説かば、あればすなわち錯えり。もまた穴の上に於いて水を見ずして却って巨富を成すあり。あればすなわち龍身は帯びて倉砂庫砂あるや否やを看るを要す。董徳彰は言う。人丁ありて銭財なければ、すなわち倉庫を帯ぶる龍を找しに去るを要す。銭財ありて人丁なければ、すなわち孤寒の穴を葬る勿れ。これは是れ切実の議論。

龍の結局して三聚に分かるを論ず

龍之結局有三聚:曰大聚、中聚、小聚。廖氏云:“帝都山水必大聚,中聚為城市。墳宅宜居小聚中,消息奪神功。”誠以百里來龍,則有百里規模;千里來龍,則千里氣象。故帝都、省郡,其龍長,其局廣,宜矣。墳宅之龍,即長者亦安可比省郡城市?故多是小聚處。山水翕集,四勢團近有情。而眞穴必居包裹擁從之中,所謂藏風聚氣者也。

龍の結成する局面は三種の聚合あり。大聚・中聚・小聚。廖金精は言う。帝王の都城の山水は必定是れ大聚、中聚は城市と成る。墳墓と住宅は応に小聚の中に安ずべし。此の層の消息を斟酌する能ければ、すなわち造化の功を奪得す。確かに、百里の来龍あればすなわち百里の規模あり、千里の来龍あればすなわち千里の気象あり。だから帝都与省會郡城は、龍は長く局は広し。本是れ応然。墳宅の依る所の龍は、たとい長と算うるも、また怎んぞ省郡城市に比得上せんや。だから多く小聚の処に在り。山水は聚合し、四面の形勢は団抱するや近くして情あり。真穴は必定層層の包裹擁護の中に居す。これがすなわちいわゆる蔵風聚気。

不侫兄弟多見名地,內局聚固,外洋寬暢;或穴中舉無所見,遠秀羅列,皆外面暗拱。如王者深居九重,而聲教施及蠻貊。故曰“不貴其見而貴其不見。”昧者不知,徒貪廣闊堂局,羅列遠秀。猶之吾輩論學,眩於紛華外誘,而不知格、致、誠、正之用力於內也。蓋緊夾則風藏氣聚,寬曠則風蕩氣微。不察龍力大小、三聚之別,徒欲收數百里山川歸諸眼界,必為花假所誤矣。

我ら兄弟は許多の名地を看過せり。皆是れ内局は聚むるや緊固、外面の明堂は寛濶舒暢。或るものは穴中に立ちて何をも望見せず、遠処のあの些の秀麗山峰は外に羅列し、皆ただ外圍に於いて暗暗に拱抱す。これは帝王の深く九重の宮禁の中に居りて、而して声威教化は却って蛮荒の地に遠播するに象る。だから説く。可貴なるは看見し得るに非ず、而して是れ看見し得ざる。糊塗の人は懂せず、一味に寛広の堂局・羅列の遠秀を貪図す。正に我らの学問を做る人の外面の繁華に引誘迷惑せられて、而して格物・致知・誠意・正心の功夫は要ず内裏に於いて用うるを知らざるが如し。緊緊に夾護せば則ち風は蔵れて気は聚まり、寛曠遮なければ則ち風は蕩れて気は微なるを知るを要す。若し龍力の大小・三聚の分別を察せずして、ただ几百里の山川を皆眼界の裏に収進せんと欲せば、必定虚花假穴に誤られんを要す。

其有依近省郡山水大聚處結穴者,謂之借局。如近臣侍從至尊,雖沽榮寵,而九重之森嚴,千官之擁護,與夫百辟來朝,萬邦納貢,於已何有?然接天顏之咫尺,依日月之光輝,宗廟之美得而瞻,百官之富得而與,比之三家村中守財主人,逈然不侔矣。此借局之地,雖小亦大,猶有取焉耳。又必結穴處自有門戶乃可,不然,亦虛花而已矣。

別に一種あり、是れ省城郡城のこれらの山水大聚の処に靠近して結ぶ穴、之を「借局」と呼ぶ。これは近臣の天子の左右に侍奉するに譬うれば、栄寵を沾るといえども、可なりしも九重宮禁の森厳・千官の擁護、および百官の来朝・万邦の進貢は、彼の自己とまた多少の相干あらん。然而るに彼は畢竟能く咫尺の間に於いて天顔を見・日月の如き光輝を沐浴し、宗廟の壯美は彼の看得到る所・百官の富盛は彼の参与得上る所。小村子の裏に於いて一点の家私を守る土財主に比ぶれば、あればすなわち大いに同じからず。だから借局の地は小なるもまた大と算う。仍お取る可きの処あり。不过必ず穴を結ぶの処は自己に門戸あらんを要す。否然ればもまた不过是れ一処の虚花假穴のみ。

大聚局

大聚為都會,數千萬里山水大會。次者為省城,亦不下二三千里大會。其局以寬廣愈大愈美。

「大聚」は都會を結成す。是れ数千万里の山水の大會合。次一等は省城を結成し、もまた二三千里の山水の會合を下らず。此一類の局面は寛広を以て貴と為し、愈々大なれば愈々美し。

中聚局

中聚為大郡,千里山水大會。其次為州邑,五七百里,或二三百里大會。又其次者,或百里,或七八十里大會。其局以寬廣適中為美。

「中聚」は大郡を結成す。是れ千里の山水の大會合。次一等は州邑を結成し、五七百里或いは二三百里の山水の會合を為す。再次一等は、或いは百里、或いは七八十里の山水の會合。此一類の局面は寛広适中を以て美と為し、太く大なるも太く小なるも皆合适せず。

小聚局

小聚為鄉村陽宅,及富貴陰地。大者百里,或六七十里山水會集。次者三四十里,或一二十里。又次者十數里,或五七里山水團聚。其局以緊固為佳。陰地愈固愈好。

「小聚」は郷村の陽宅および富貴人家の陰宅墳地を結成す。大なるは百里或いは六七十里の山水の會集、次一等の三四十里或いは一二十里、再次一等の十幾里或いは五七里の山水団聚。此一類の局面は緊密牢固を以て佳と為し、陰宅の地はさらに愈々緊固なれば愈々好し。

上三聚之局,雖各有大小不同,而都會則愈大愈好,省郡須寬廣適中,陰陽二宅以固密為上也。其大中二聚,結穴處以收斂為眞。或平中有突,或高處開窩,必有小界水、小明堂,或貼近之砂左右交固,或低伏之案以關內氣,然後外面卻有寬闊之羅城,廣大之局勢,斯為美矣。

以上の三聚の局面は各々大小同じからざるあるといえども、但し都會は愈々大なれば愈々好く、省城郡城は寛広适中するを要し、陰宅陽宅の両種の住処は則ち緊固周密を以て上と為す。大聚・中聚の両種の局に至っては、それらの穴を結ぶの処は仍お収斂を以て真と為すを要す。或いは平地の当中に微微として突起し、或いは高処に於いて一個の窩を開出す。必定小の界水・小の明堂あり、或いは貼近の砂ありて左右に於いて交鎖牢固し、或いは低伏の案山ありて内気を関住す。然る後に外面はさらに寛濶の羅城・広大の局勢ありて、これ才かに美と算う。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻三之上

江右山人徐善繼述 同著。此冊専論五星。按:五星雲者,金曰太白,木曰歲星,水曰辰星,火曰熒惑,土曰鎮星。茲五者,即五行也。在天成象,在地成形,精繫於天,形著於地。盈天地間萬物萬事,莫不本此,地理之妙豈外此乎?《經》曰:“天分星宿,地列山川。”良有以也。

本冊は同じく江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一冊は専ら五星を論ず。徐氏按ず。いわゆる五星は、金は太白と呼び、木は歳星と呼び、水は辰星と呼び、火は熒惑と呼び、土は鎮星と呼ぶ。此の五者はすなわち是れ五行。天上に於いて凝りて星象を成し、地上に於いて凝りて山形を成す。精気は天に繋り、形体は地に着く。天地の間に充満する万事万物、以て根本と為さざるはなし。地理の奥妙はまた怎んぞ五行の外を出でんや。『経』は言う「天上には星宿を分布し、地上には山川を排列す」、この話は確かに道理あり。

五星の総論

夫五星即五行也。按邵子曰:“太極分而為陰陽,陰陽播而為五行。五行散殊而萬物。”故五行精繫於天,為五星;形效於地,為五材;氣統於歲,為五辰。在人則為五臓,在物則為五色、五音、五味,施於行則為五常。是以人君乘五運,置五宮,分五禮,設五形,萬方以治,民用咸若。

五星はすなわち是れ五行。邵雍は言う。太極は分かれ開きて陰陽を成し、陰陽は散布して五行を成し、五行は散じて万殊と為りて万物を生出す。だから五行の精気は天上に繋るは、すなわち是れ五星。形体は地に效法すは、すなわち是れ金木水火土の五種の材質。気は歳時に統摂せらるは、すなわち是れ五辰。人身の上に在るは是れ五臓、事物の上に在るは是れ五色・五音・五味、品行に落実せしむればすなわち是れ仁義礼智信の五常。ここにおいて君主は五運に順いて政を施し、五宮を設置し、五礼を分定し、五種の刑罰を制定す。天下四方はこれに由りて治を得、百姓ももまた各々その所を得たり。

然後以五事察其得失,以觀雨、暘、燠、寒、風,與動植、災禍、祥青之變。雖萬物紛紜,乾坤廣大,各從其類,則莫不由乎五行也。是以五行之變,而吉凶不可勝占;五材之變,而形氣不可勝用;五辰之變,而逆順不可勝計。人受天地之中,得其秀氣以生,視聽食息,未有離於五行者也。地法因之,而以山形分別五星,以驗吉凶,最為攸當。故《貫珠圖》有“五星為陰陽骨髄”之說,卜氏有“詳審五星變化”之言,皆確論也。鄱陽餘氏佑注《發徵論》,乃謂五星似是而非,彼蓋未之審矣。

然る後に貌・言・視・聴・思の此の「五事」を用いて以て政を為すの得失を考察し、用いて雨・晴・暖・寒・風の時序、および動物植物・災禍と祥瑞の変化を観察す。万物は紛紜繁雑なるといえども、天地は広大無辺なるといえども、各自類に依りて相従い、而して五行を出でざるなし。だから五行は一たび変ずれば、吉凶はすなわち占いても占い勝がたし。五材は一たび変ずれば、形と気はすなわち用いても用い勝がたし。五辰は一たび変ずれば、順と逆はすなわち算えても算え勝がたし。人は天地中和の気を禀受し・その秀気を得て生ず。視・聴・飲食・呼吸は一样として五行を離開し得るなし。地理の法はすなわちこの道理に依りて、山形を用いて来たりて五星を分辨し、拠りて吉凶を験証す。最も恰当。だから『貫珠図』に「五星は是れ陰陽の骨髓」の説あり、卜応天に「要ず五星の変化を詳審せん」の語あり。皆是れ確切の議論。鄱陽の余佑が『発微論』に注して、竟に説く、五星の説は似是而非。あれは是れ彼の考察して明白ならざるなり。

五星の形を論ず

夫五星形體,古人以木之條達而取象於直,火之炎熖而取象於鋭,土之厚重而取象於方,金之周堅而取象於圓,水之流動而取象於曲。故凡山形之曲動者為水星,光圓者為金星,方正者為土星,尖鋭者為火星,直聳者為木星。此亦自然之理,而非牽強也。

五星の形体は、古人は是れ此のように取象せり。木は条達舒展す。だから「直」を取りて象と為す。火は炎上して焰あり。だから「鋭」を取りて象と為す。土は厚重。だから「方」を取りて象と為す。金は周密堅固。だから「圓」を取りて象と為す。水は流動。だから「曲」を取りて象と為す。ここにおいて凡そ山形の彎曲流動するは水星に属し、光潤圓渾のは金星に属し、方正のは土星に属し、尖鋭のは火星に属し、直くして聳立するは木星に属す。これもまた是れ自然の理、並びに牽強附會に非ず。

但五星形又有不純者,謂之變格。故後人又立九星之名焉。其寔九星不能外是五星耳。或曰:五星為正,九星為變,今只取五星,不取九星,是用其正不用其變。曰:非也。五星之變,不可勝形,九星烏足以盡其變?惟守約該博,則五星寔有以統之矣,奚取夫九星之異名哉!

不过五星の形体もまた純粹ならざるあり。あれを「変格」と呼ぶ。だから後人はまた別に九星の名目を立てたり。其の実は九星は終に此の五星の範囲を出づる能わず。人ありて問う。五星は是れ正、九星は是れ変。如今ただ五星を取りて九星を取らざれば、豈に是れただその正を用いてその変を用いざらんや。回答は曰く。否。五星の変化は説いても説き尽さず。九星は怎んぞその変化を窮尽する能わんや。ただ簡約を守住して而して又広博を包羅する能ければ、五星は其の実已に一切を統摂するに足る。何必にさらに九星のあの些の同じからざる名目を取らんや。

金星圖 木星圖 水星圖 火星圖 土星圖。金星圓。上為金星立眠二格 木星直。上為木星立眠二格 水星曲。上為水星立眠二格 火星鋭。上為火星立眠二格 土星方。上為土星立眠二格。上五星之形,姑圖立眠二格正體為式。其各星又有兼形未純者,皆為變體,不悉圖。

原書の此処に五星の図を配すも、今ただ図題と図注を存し、図形は見る可からず。照録して下に如し。金星図・木星図・水星図・火星図・土星図。金星は圓形を取り、上面に画く所は是れ金星の直立と横卧の両種の格式。木星は直形を取り、上面に画く所は是れ木星の直立と横卧の両種の格式。水星は曲形を取り、上面に画く所は是れ水星の直立と横卧の両種の格式。火星は鋭形を取り、上面に画く所は是れ火星の直立と横卧の両種の格式。土星は方形を取り、上面に画く所は是れ土星の直立と横卧の両種の格式。以上の五星の形は、姑く直立・横卧の両種の正体を画出して様式を作す。各星にさらに別星の形を兼帯して純粹ならざるに至っては、皆変体に属す。すなわち一一に図を作さず。

五星の名を論ず

金曰太白,木曰歲星,水曰辰星,火曰熒惑,土曰鎮星,此固五星之名也。而地理家以山形論星名,必寓以吉凶之辨,前輩於此頗相抵捂。如廖金精以金星為文星、木為將星,張子微以金為武星、木為文星,楊筠松以土為尊星,而子微、金精又以土為財星,若此之類,是皆以一星而拘之矣。

金は太白と呼び、木は歳星と呼び、水は辰星と呼び、火は熒惑と呼び、土は鎮星と呼ぶ。これは本是れ天文上の五星の名称。而して地理家は山形を以て星名を論ずれば、必定さらに名称の裏に於いて吉凶の分辨を寄寓するを要す。前輩は此の一点の上に於いて却って頗る抵触あり。譬えば廖金精は金星を把りて文星と呼び・木星を将星と呼ぶも、張子微は却って金星を把りて武星と呼び・木星を文星と呼ぶ。楊筠松は土星を把りて尊星と呼び、而して張子微・廖金精はまた土星を把りて財星と呼ぶ。此の一類の説法の如きは、皆是れ一顆の星を把りて死んでもまで一個の用途の上に限定する。

愚竊謂五星之變化無窮,即一星之用亦可為武、為文、為富、為貴、為吉凶,第觀其發現何如耳。苟以一星拘之,理難包括,莫盡其蘊。今以清、濁、凶分為三格以例其名,庶幾各極其妙,而諸家之說相為貫通,不致矛盾雲。

私の私下に認むるは、五星の変化は窮尽なし。たとい同一顆の星なるも、それの作用はも武を主る可く・文を主る可く・富を主る可く・貴を主る可く・吉を主る可くも凶を主る可し。ただそれの顕現して出づるの形態の如何を看るのみ。若し一顆の星を一個の名目の上に限死せば、道理はすなわち包み全からず、もまたその蘊涵を発揮し尽さず。だから現在「清」「濁」「凶」に按じて三格に分かって以てそれらの各自に名を定む。此のようにして毎一格は皆各々その妙を尽す能く、而して各家の説法もまた彼此貫通し得て、至らずして自相矛盾せざるなり。

五星分清、濁、凶三格:凡星辰秀麗光彩者為清,凡星辰肥厚端重者為濁,凡星辰丑惡帶殺者為凶。補義或問:卜氏有金清土濁火燥水柔之說。今謂五星各有清、濁、凶三格,而又不詳燥柔之論,何也?答曰:彼以情性論,而不及夫形象;此以形象論,而兼推其情性。若專論情性,則其說固當。然必使形象而察其情性,則其言未為盡善。蓋地理家因形察氣,不可舍形象而専情性。若以形言,則金之肥大粗飽者不可謂清,土之骨立方正者不可謂濁,火之秀麗者不可純謂之燥,水之特達者不可純謂之柔,故必兼形象情性而始盡其妙,此五星所以必各分清、濁、凶三格也。

五星は各々清・濁・凶の三格に分かる。凡そ星峰の秀麗にして光彩あるは清に属し、凡そ星峰の肥厚にして端重のは濁に属し、凡そ星峰の醜悪にして煞を帯ぶるは凶に属す。以下は是れ補充して申説す。人ありて問う。卜応天に「金は清を主り・土は濁を主り・火は燥を主り・水は柔を主る」の説法あるも、如今は講じて五星は各々清濁凶の三格あり、却ってまた燥と柔を細説せず。是れ何を為すか。回答は曰く。卜氏は是れ情性に就いて立論し、未だ形象に顧及せず。ここは是れ形象に就いて立論し、同時に兼ねてその情性を推す。若し単に情性を論ぜば、彼のあの一説は本来錯えらず。可なりしも形象に靠りて去りて情性を察知せんとすれば、彼の話はすなわち周全たらず。地理家は是れ形に因りて気を察す。形象を撇開して専ら情性を講ずる能わず。若し形の上より言えば、金星の肥大粗飽なるはすなわち清と呼ぶ能わず、土星の骨骼は聳立して方正なるはすなわち濁と呼ぶ能わず、火星の秀麗なるは一概に燥と呼ぶ能わず、水星の特出顕達なるは一概に柔と呼ぶ能わず。だから必ず形象と情性を兼顧して、才かに能くその精妙を尽さん。これがすなわち五星の各々清・濁・凶の三格に分かるの緑故を以てなり。

金星

清者曰官星,主文章顯達,忠正貞烈。濁者曰武星,主威名烜赫,秉殺氣之權。凶者屬厲星,主殺戮、軍賊、殘傷、夭札、絕滅。釋義金,西方之星也,於時為秋。然金明而貴,鏗鍧有聲,且為世珍重,百鍊不變,輝煌貫日,鋒利堅剛。猶世之貴人,剛直忠正,不屈不撓。故其星之清者為官星,官貴之象也。其主為文章清秀,功名顯達,剛正忠貞節烈之應。若其濁而不秀,如天文金星有變異,則主兵革。金倍明,芒角赤,主用兵。故其星之濁者為武星,威武之象也。其所主為元戎殺伐,威名烜赫之應。然金氣粛而凋萬類,故秋殺斂藏。如古者,兵刑之用必以秋,以金主殺伐。故其星之凶者為厲星,慘暴之象也。其所主為軍賊、大盜、誅夷、慘酷、絕滅之應。

金星の清に属するは「官星」と呼び、文章の顕達・人と為りて忠正貞烈を主す。濁に属するは「武星」と呼び、威名顕赫・生殺の権を掌握するを主す。凶に属するは「厲星」と呼び、殺戮・兵禍盗賊・傷残・夭亡・絶嗣を主す。以下は義を取るを解釈す。金は是れ西方の星、四時に配するは秋。金は光明にして貴重、敲き起せば鏗鏘として声あり、世人の珍重する所と為り、百錬して変質せず、輝光は以て日を貫く可く、鋒利にして堅剛。好比は世上の貴人の剛直忠正・不屈不撓。だから金星の清なる者は官星。是れ官貴の象。文章の清秀・功名の顕達および剛正忠貞節烈の応験を主す。若しそれは渾濁して清秀ならざれば、天文上の金星が変異を出現するに象るが如くすなわち兵革の事を主す。金星は加倍して明亮・芒角は紅を発せば、すなわち兵を用うるを主す。だから金星の濁なる者は武星。是れ威武の象。兵を統べ殺伐し・威名顕赫の応験を主す。然而るに金気は粛殺、能く万物を凋零せしむ。だから秋天は収斂粛殺を主す。古人は兵を用い刑を行うは必定秋天に在り。すなわち就中は金の殺伐を主るに因る。だから金星の凶なる者は厲星。是れ惨暴の象。兵匪大盗・誅戮惨酷・家族滅絶の応験を主す。

木星

清者曰文星,主文章科名,聲譽貴顯。濁者曰才星,主勳業、才能、技藝。凶者曰刑星,主刑傷克害,及遭刑犯法,夭札殘病。釋義木,東方之星也,於時為春。春主發生。方春之時,萬卉秀發,奇葩豔萼,獻異爭奇,此木之文也。故其星之清者為文星,文華之象也。其主為文章清秀,科名顯達之應。

木星の清に属するは「文星」と呼び、文章と科第功名・声誉貴顕を主す。濁に属するは「才星」と呼び、勲業・才能与技芸を主す。凶に属するは「刑星」と呼び、刑傷克害、および刑に遭い法を犯し・夭亡残病を主す。以下は義を取るを解釈す。木は是れ東方の星、四時に配するは春、春天は生発を主す。正当の春天は、百草は秀を争い、奇花艶萼は争い奇を献じ艶を鬥す。これがすなわち木の文采。だから木星の清なる者は文星。是れ文華の象。文章の清秀・科第の顕達の応験を主す。

然木之體,長茂條暢,鳴風撼雨,淅瀝有聲,伐之則丁丁,僕之轟轟,故又主聲譽遠著,名姓播揚。至於為器用車座,文理可觀,憑藉適意。以為大廈,則棟樑椽角,莫不具備,故其星之濁者為才星,才用之象也。其主為榮貴勳業,多才多藝之應。

再び説いて木の本体は、長じて茂盛条暢し、風に吹かれ雨に打たれる時は淅瀝として響き作す。之を砍伐すれば則ち丁丁として声あり、之を推倒すれば則ち轟然として響き作す。だからまた声誉の遠播・名姓の伝揚を主す。器具車座を做成するに至っては、木紋は可観、凭靠使用は皆意に称う。用いて大屋を建造すれば、棟梁椽角は样样具備す。だから木星の濁なる者は才星。是れ才能実用の象。栄顕貴盛の勲業および多才多芸の応験を主す。

然其凶者,或為枯槁摧折,或秀而不實,朽壞倒撲,又能壞物。以為枷紐桎梏之屬,乃為刑具。故其星之凶者為刑星,刑傷之象也。其所主為刑傷克害、夭折殘疾、官訟牢獄、孤寡困頓之應。

木の凶の一面に至っては。或いは枯槁摧折し、或いは花を開き秀やかに美なるも却って果を結ばず、朽壊傾倒し、反ってまた能く別のものを損壊す。枷鎖鐐銬の一類を做成せば、便ち刑具と成る。だから木星の凶なる者は刑星。是れ刑傷の象。刑罰傷害・親人を克害し・夭折残疾・官司牢獄および孤寡困頓の応験を主す。

水星

清者曰秀星,主聰明、文章、智巧、明潔、度量及女貴。濁者曰柔星,主昏頑、委靡、懦弱不振、疾苦不壽及諂諛阿邪。凶者曰蕩星,主淫慾、邪蕩、奸詐、貧窮、長病、夭折、客亡、流移、水溺。

水星の清に属するは「秀星」と呼び、聡明・文章・智巧・心地明潔・度量寛宏、および女子の貴を得るを主す。濁に属するは「柔星」と呼び、昏昧頑鈍・委靡不振・懦弱無為・疾病痛苦にして長寿ならず、および諂媚阿諛・邪僻に依附するを主す。凶に属するは「蕩星」と呼び、淫欲・邪蕩・奸詐・貧窮・久病・夭折・他郷に客死・流離迁徙および溺水の禍を主す。

釋義水乃北方之星也,於時為冬。其精光之懸象於天者,常隨乎太陽而行。故其應於人事之吉,亦為近帝之貴。以其行於地者言之,則風行而紋生,且清澈可鑑,變動不拘,可方可圓。推而行之,可以運舟,可以灌溉,光瑩照耀,精粗不遺。故其星之清者為秀星,性行明潔,度量汪洋之應。

以下は義を取るを解釈す。水は是れ北方の星、四時に配するは冬。それの天上に懸るの精光は、常常として太陽に随いて運行す。だから人事の吉処に応ずるも、もまた是れ帝王の貴気に接近す。それの地上に於いて流行するに就いて言えば。風は一たび吹けば便ち波紋を生じ、清澈にして以て人影を照見す可く、変動して拘らず、方る可く圓る可し。それを推動せば、以て船を行う可く、以て灌溉す可し。それの光瑩照耀するは、精粗の物を論ぜず皆能く映照して遺すなし。だから水星の清なる者は秀星。性情品行の明潔・度量の汪洋浩大の応験を主す。

然水本內明而外暗,體柔性順,故其星之濁者為柔星,卑弱之象也。其所主為昏愚、卑陋、柔弱、委靡、諂諛、阿邪之應。然水暴漲而滔天漫野,蕩析民居,無有救遏。而溝渠之間,穢汙混濁,此皆不美。故其星之凶者曰蕩星,流蕩之象也。其所主為兇狠殘暴、流蕩忘返、酒色傾家、淫濫不潔、離鄉客死之應。

然而るに水は本来内裏は明澈にして外表は晦暗、体質は柔和・性情は順従。だから水星の濁なる者は柔星。是れ卑下軟弱の象。昏愚・卑陋・柔弱・委靡・諂諛・邪僻に依附するの応験を主す。再び説いて水は一旦暴漲せば、天を滔り野に漫り、民居を冲毀して而して阻擋するに従なし。溝渠の間はまた穢汚混濁。これらは皆好からず。だから水星の凶なる者は蕩星と呼ぶ。是れ流蕩の象。凶狠残bao・流蕩して外に在りて家に返るを知らず・酒色に沉溺して家産を傾蕩し・淫濫不潔および郷を離れ客死するの応験を主す。

火星

清者為顯星,主文章發達,大貴、烜赫、勢熖。濁者曰燥星,主剛烈燥暴、作威福、奸險、夭折,禍福相半,有吉有凶,易興易敗之應。然火之為物,其起甚微,其發甚盛,其滅甚速。與物無情,金入則熔,木入則焚,土入則焦,水入則涸。故其星之凶者為殺星,絕物之象也。其所主為殺伐、慘酷、大盜、誅夷絕滅之應。

火星の清に属するは「顕星」と呼び、文章発達・大貴・声勢の顕赫烜炎を主す。濁に属するは「燥星」と呼び、性情剛烈躁暴・擅ちに威福を作し・奸険、および夭折を主す。禍福は各々半を占め、吉ありもまた凶あり、容易に興起しも容易に敗落す。此処の底本に脱文あり。前の几星の体例に依れば、本来応に先ず「凶者曰く殺星」の一条を列し、再び別に「釈義」の一段を起すべし。今本は却って凶格の解釈を直接に燥星の後に接す。読む時は応に留意すべし。下面は接続して説く。火の此の样东西は、起る時は極めて微小、発作する時は極めて旺盛、熄滅する時はまた極めて迅速。それの万物に対して情なし。金はそれに遇えばすなわち熔化し、木はそれに遇えばすなわち焚毀し、土はそれに遇えばすなわち焦裂し、水はそれに遇えばすなわち乾涸す。だから火星の凶なる者は殺星。是れ万物を滅絶するの象。殺伐・惨酷・大盗・誅戮して族を滅すの応験を主す。

大抵火星欲其脫卸多,或撒落平洋,或穿田渡水,重疊過峽,然後結穴則吉。吳公云:“若見火星焰動時,到處須尋一百里。”言其遠則脫卸淨耳。《斷法》云:“五七火星連節起,列土王候地。脫落平洋近大江,結穴始相當。”亦此意也。

大体上、火星は総じてそれの脱卸するや多きを希望す。或いは平洋に撒落し、或いは田野を穿ち・水面を渡り、重重叠叠に峡を過ぎ、然る後に再び穴を結んで才かに吉。呉公は言う。若し火星の焰頭の跳動するを見れば、すなわち一路に前に向かい百里を尋上るを要す。意思是れ走るや遠く、煞気は才かに脱卸するや乾净なり。『断法』は言う。五座七座の火星は接続して節を成して起るは、是れ分封裂土の王侯の地。要ず平洋に脱落し・大江に靠近して、結出する穴は才かに相称と算う。講ずるもまた是れこの意思。

若火星未經脫卸,縱龍穴入格,必主大福大禍,未有盡善。如袁州嚴閣老祖地,在洪山,五七火星連節而起,尖炎焰動。其陽基乃穿水而起,脫卸後結。其陰地則未經穿水而結穴,雖龍格甚秀,結作極美,只是火性易發易散,故介溪公連登科第,位極人臣,富甲天下,而一敗塗地。亦如火之燼則灰飛煙滅耳。洪山之下有空洞,按《袁州郡志》,為葛洪煉丹之所,舊有記云:“洪山肚裡空,五世出三公。雖然居一品,家業盡成空。”亦奇矣哉!

倘若火星は脱卸を経過せざれば、縱然龍と穴は皆合格するも、も必定大福の後に大禍を継ぐを主り、十全十美する能わず。譬えば袁州の厳閣老の祖地は洪山に在り、五座七座の火星は接続して節を成して起り、尖峰は火焰の跳動するが如し。彼の家の陽宅基址は是れ水面を穿過しし后に才かに起り、脱卸の後に結成するに属す。陰宅の地は却って水を穿ちて便ち穴を結べり。龍の格局は甚だ秀・結作極めて美なるといえども、只是火性は容易に発しもまた容易に散ず。だから厳嵩は接続して科挙登第し、位は人臣に極まり、富は天下に甲たりしも、最後に却って一敗塗地せり。正に火の灰を焼成しし后の灰飛煙滅するに象るが如し。洪山の下に一個の空洞あり。『袁州郡志』の記載に拠れば是れ葛洪の丹を錬るの処。旧に記語ありて言う。洪山の肚子の裏は是れ空、五代は三公を出すを要す。身は一品に居るといえども、家業は終に空を成す。もまた真に奇なるに足る。

補義 楊公云:“大地若非廉作祖,為官終不至三公。”乃以廉貞屬火,而火星宜作祖龍矣。蓋五行之中,金分則輕,木分則小,水分則淺,土分則微,惟火星愈分越盛,如一星之火,分而為萬里之炎,此所以宜作祖龍耳。大抵天下名山大嶽,未有不是火星者,此亦可見造化之妙也。

以下は是れ補充して申説す。楊筠松は言う。大地は若し「廉貞」を以て祖山を作さずば、官を做るは終に三公に到らず。廉貞は火に属す。見る可し、火星は祖龍を充当するに宜し。五行の中に於いて、金は一分かれればすなわち軽く、木は一分かれればすなわち小さく、水は一分かれればすなわち浅く、土は一分かれればすなわち薄し。唯だ火星のみ愈々分かれば愈々旺盛。一星の火の如く、分かれ出去れば以て万里の烈焰を焼成す可し。これがすなわちそれの祖龍を作すに宜しきの緑故。大体上天の下の名山大岳は、火星形ならざるはなし。ここよりもまた造化の奇妙を見る可し。

土星

清者曰尊星,主極品王候,分茅胙土,勳業崇高,慶澤綿衍,五福全運祚永。濁者曰富星,主多財產豐富,壽算綿延,人丁蕃衍。凶者曰滯星,主昏愚懦弱,疾病纏綿,黃腫牢獄不振。

土星の清に属するは「尊星」と呼び、位は人臣に極まるの王侯の貴を主り、能く封を受け土を授かり・国を建て家を立て、勲業崇高・福沢綿延・五福斉全にして国運家運は長久。濁に属するは「富星」と呼び、財産豊厚・寿命綿長・人丁繁盛を主す。凶に属するは「滞星」と呼び、昏愚懦弱・疾病纏綿して愈えず、および黄腫の疾・牢獄の災・一たび蹶えばすなわち振わずを主す。

釋義 土為鎮星,含弘鎮靜,德居中央,功為地載,位為帝星。故其星之清者為尊星,其所主為王侯極品之貴,鎮靜以安社稷,普惠以澤民生之應。然五星之中,土為重濁,故鎮星之行度最遲,大率二十年一周天。而土之性情最緩,發達鈍慢,最能耐久。其生物甚繁,故其星之濁者為富星,其所主為多貲財,田產豐饒之應。然土無處無之,雖凶亦不為大禍,故重濁之土為滯星,壅塞之象也。其所主為滯鈍、頑昏、疾病纏綿之應。

以下は義を取るを解釈す。土は天に在りて鎮星、含容宏大にして鎮定安静、徳性は中央に居り、功用は是れ大地を承載し、星位は帝王の星に属す。だから土星の清なる者は尊星。王侯極品の尊貴を主り、能く鎮静を以て社稷を安定し・普遍の恩惠を以て民生に沢及す。然而るに五星の中に土は最も重濁。だから鎮星の運行は最も慢く、大約二十年に才かに天を一週す。土の性情もまた最も遅緩、発達の来たるは鈍慢、却って最も能く持久す。それの万物を生養するは極めて繁盛。だから土星の濁なる者は富星。資財衆多・田産豊饒の応験を主す。不过土は処在せざるなし。たとい凶なるも至らずして大禍を醸成せず。だから過度に重濁なる土は便ち滞星。是れ壅塞の象。遅滞鈍拙・頑固昏昧・疾病纏綿の応験を主す。

補義 木有華麗,萬紫千紅,香氣襲人。金有光彩,有聲音。水有波紋,盪漾飛瀉。火有光明焰動。故木為文星,金為官星,而火之顯為文明之象,水之秀有智巧之能,而土不與焉。然不知土於五行為至尊,於五方居中,為萬物之母,有配天之德,天下之貴孰加焉?

以下は是れ補充して申説す。木は華麗あり、万紫千紅、香気は人を襲う。金は光彩あり、また能く声音を発出す。水は波紋あり、蕩漾飛瀉す。火は光明あり、焰頭は跳動す。だから木は文星と成り、金は官星と成り、火の顕耀は是れ文明の象、水の清秀は智巧の能を含む。此の几様の裏には皆土の份なし。可なりしも人は知らず。土は五行の中に於いて最も尊貴、五方の中に於いて正中に居り、是れ万物の母親、天と相配する可きの徳性を具有す。天下の貴はさらにそれを超過する能く何ぞや。

惟其渾厚質樸,不露圭角,不逞華麗,故凡文章科第、威武昂軒、烜赫華耀、聰明才辨,則少讓於水火金木。若夫爵祿之厚,品位之高,王侯公輔之尊,及延長之慶,嗣續之衍,萬全之福,非土星不能也。是土星力量豈不冠絕於四星乎!卜氏謂“土旺牛田”,廖氏謂“土主家多豪富”,非知土星之大者也。

只因土は渾厚質朴、棱角を露せず、華麗を炫耀せず。だから文章科第・威武軒昂・顕赫華耀・聡明善辯を論ずれば、それは水火金木に稍遜るを要す。可なりしも爵禄の豊厚・品位の崇高・王侯公卿輔相の尊貴、および福慶の綿長・子嗣の繁衍・万全無缺の福気に説いて到れば、あればすなわち土星に非ざれば給与する能わず。此のように看れば、土星の力量は豈に其余の四星に冠絶せざらんや。卜応天の説く「土旺んれば則ち牛畜田産は興盛す」、廖金精の説く「土は家中の豪富多きを主る」、あれらは皆なお真に土星の大処を懂得せざるを算さず。

五星の高山平岡平地の三格に分かるを論ず

金星。高山之金,如鍾如釜,頭圓不欹,光彩肥潤,金之吉者也。平岡之金,如笠如馬,倒木圓挎,如珠走盤,金之吉者也。平地之金,圓如糖餅,肥滿光潔,有弦有稜,金之吉者也。木星。高山之木,高聳卓筆,挺然峙立,不欹不側,木之吉者也。平岡之木,枝柯宛轉,回抱袤延,勢若之玄,木之吉者也。平地之木,軟圓平直,枝柯曲延,苞節牽連,木之吉者也。

先ず金星を説く。高山上の金星は、形状は鐘に象り釜に象り、山頭は渾圓にして歪斜せず、光彩は肥潤。これは是れ金星中の吉。平岡上の金星は、斗笠に象り伏馬に象り、横倒の木形にして圓渾の勢を帯び、珠子の盤中に滾動するが如し。これは是れ金星中の吉。平地上の金星は、圓きこと糖餅の如く、肥満光潔、辺縁に弦あり棱あり。これは是れ金星中の吉。再び木星を説く。高山上の木星は、高聳すること卓立の筆の如く、挺然として峙立し、歪まず側らず。これは是れ木星中の吉。平岡上の木星は、枝柯の如き支脈は宛転し、回抱して綿延伸展し、走勢は「之」の字「玄」の字の如し。これは是れ木星中の吉。平地上の木星は、柔軟圓渾にして平直、枝柯は曲折延伸し、節苞は相互に牽連す。これは是れ木星中の吉。

水星。高山之水,山泡曲灩,勢如展帳,橫闊擺列,水之吉者也。平岡之水,平腳平鋪,勢如行云,逶迤曲折,水之吉者也。平地之水,展席鋪毯,波浪暈界,有低有昂,水之吉者也。火星。高山之火,秀麗尖聳,焰焰燒空,為祖為宗,火之吉者也。平岡之火,手足袤延,縱橫生焰,得水相連,火之吉者也。平地之火,斜飛閃閃,田中生曜,水裡石樑,火之吉者也。土星。高山之土,如倉如屏,重厚雄偉,端正方平,土之吉者也。平崗之土,如幾如圭,重厚濁肥,不傾不欹,土之吉者也。平地之土,塹傍如削,方厚平齊,有高有低,土之吉者也。

再び水星を説く。高山上の水星は、山泡は起伏して波光は曲折し、気勢は張開の帳幕の如く、横向に寛濶に排列す。これは是れ水星中の吉。平岡上の水星は、山脚は平平として鋪開し、気勢は行雲の如く、綿延曲折す。これは是れ水星中の吉。平地上の水星は、展開の席・鋪開の毯の如く、波浪の如く起伏して暈界の分かる可きあり、低あり昂あり。これは是れ水星中の吉。再び火星を説く。高山上の火星は、秀麗尖聳し、火焰の如く直に天空を焼き、以て祖山宗山を充当す可し。これは是れ火星中の吉。平岡上の火星は、手脚の如き支脈は伸展綿長、縦横の間に焰形を生出し、また水の相連なるを得る。これは是れ火星中の吉。平地上の火星は、斜斜に飛出し・光影は閃閃、田中に「曜」の形を生出し、水裏に石梁を横たう。これは是れ火星中の吉。再び土星を説く。高山上の土星は、糧倉に象り屏風に象り、厚重雄偉、端正方平。これは是れ土星中の吉。平岡上の土星は、几案に象り玉圭に象り、厚重肥渾、傾かず斜まず。これは是れ土星中の吉。平地上の土星は、辺坎は刀に削るが如く斉整、方厚平斉、高あり低あり。これは是れ土星中の吉。

五星の体性を論ず

金之體圓而不尖,金之性靜而不動。山勢定靜光圓則吉,流動不正則凶。山面圓肥平正則吉,欹斜雍腫則凶。山頂平圓肥滿則吉,破碎巉巖則凶。山腳圓齊肥潤則吉,尖斜走竄則凶。木之體直而不方,木之性順而條暢。山勢直硬清秀則吉,欹斜散漫則凶。山面光潤清勁則吉,崩石破碎則凶。山頂直削圓靜則吉,臃腫欹斜則凶。水之體動而不靜,水之性沈泥就下。山勢橫波層疊則吉,牽拽蕩散則凶。山面水泡磊磊則吉,嫩坦散漫則凶。山頂圓曲欲動則吉,欹斜崚嶒則凶。山腳平鋪流瀉則吉,蕩然不收則凶。

金の体は円くして尖らず、金の性は静にして動かず。山勢が安定して静かに沈み、光沢円潤であれば吉、流れ散じて端正でなければ凶。山の面が円く肥えて平正であれば吉、斜め歪み膨れ腫れれば凶。山頂が平らかに円く肥え満ちれば吉、破砕し険しければ凶。山脚が円く整い肥え潤えば吉、尖り斜めに奔り走れば凶。木の体は直にして方ならず、木の性は順にして条達する。山勢が真っ直ぐに硬く秀麗清潔であれば吉、斜め散漫であれば凶。山の面が光潤にして清らかに勁ければ吉、石が崩れ山体が破砕すれば凶。山頂が直く削げて円く静かであれば吉、膨れ歪めば凶。水の体は動にして静ならず、水の性は沈んで泥に就き下へ向かう。山勢が層をなす横波のように畳み重なれば吉、牽き引き蕩け散れば凶。山の面に水泡のように磊々と隆起すれば吉、ただ平らかに軟らかく散漫であれば凶。山頂が円く曲がり動かんとすれば吉、歪み嶙峋とすれば凶。山脚が平らに敷き水の泻るが如くであれば吉、蕩然として収まるところなければ凶。

火之體銳焰動而不圓,火之性炎焰縹緲而不靜。山勢硝峻焰動則吉,不經脫卸則凶。山面平靜下闊則吉,亢頭破頂則凶。山腳飛斜帶曜則吉,返逆醜惡則凶。土之體方凝而正,土之性鎮靜而遲。山勢渾厚高雄則吉,欹斜傾陷則凶。山面平正聳立則吉,臃腫破陷則凶。山頂方平闊厚則吉,圓角軟怯則凶。山腳齊平端斂則吉,牽拖破浪則凶。

火の体は尖鋭にして焰の如く、跳ね動いて円ならず、火の性は炎上し飄忽として安らかならず。山勢が峭拔して焰の如く跳ね動けば吉、脱卸を経ていなければ凶。山の面が平穏で下部が開けていれば吉、山頭が高く亢え頂が破損すれば凶。山脚が斜めに飛び「曜」を帯びれば吉、反背して逆らい去り醜悪であれば凶。土の体は方正にして凝重、土の性は鎮静にして遅緩。山勢が浑厚にして高く雄大であれば吉、歪み傾き陥没すれば凶。山の面が平正にして聳え立てば吉、膨腫し破れ陥没すれば凶。山頂が方く平らかで広く厚ければ吉、辺角が円く軟らかく怯え弱ければ凶。山脚が斉しく平らで端正に収斂すれば吉、牽れ拖れ散り乱れて破浪の如きは凶。

五星の忌むところを論ず

五星不宜太肥太瘦。金太肥則飽,飽則凶。金太瘦則缺,缺則凶。木太肥則腫,腫則凶。木太瘦則枯,枯則凶。水太肥則蕩,蕩則凶。水太瘦則涸,涸則凶。火太肥則滅,滅則凶。火太瘦則燥,燥則凶。土太肥則壅,壅則凶。土太瘦則陷,陷則凶。

五星はいずれも肥え過ぎるのを宜とせず、また痩せ過ぎてもいけない。金が肥え過ぎれば飽満となり、飽満なれば凶。金が痩せ過ぎれば欠損があり、欠損あれば凶。木が肥え過ぎれば臃腫となり、臃腫なれば凶。木が痩せ過ぎれば枯槁となり、枯槁なれば凶。水が肥え過ぎれば泛蕩となり、泛蕩なれば凶。水が痩せ過ぎれば乾涸となり、乾涸なれば凶。火が肥え過ぎれば熄えようとし、熄えれば凶。火が痩せ過ぎれば焦燥となり、焦燥なれば凶。土が肥え過ぎれば壅塞となり、壅塞なれば凶。土が痩せ過ぎれば塌陷し、塌陷すれば凶。

五星の喜ぶところを論ず

金喜圓靜,正而不偏,偏則缺損,缺損非所喜矣。木喜聳秀,直而不欹,欹則枯槁,枯槁所非喜矣。水喜活潑,動而不傾,傾則漂盪,漂盪非所喜矣。火喜雄健,明而不燥,燥則燎爍,燎爍非所喜矣。土喜方正,厚而不薄,薄則怯弱,怯弱非所喜矣。

金は円渾にして安らかに静かで、端正にして偏斜しないことを喜ぶ。一たび偏斜すれば欠損があり、欠損あればその喜ぶところではない。木は高く聳えて清秀で、真っ直ぐにして歪斜しないことを喜ぶ。一たび歪斜すれば枯槁が現れ、枯槁なればその喜ぶところではない。水は活発で、流動して傾泻しないことを喜ぶ。一たび傾泻すれば漂蕩となり、漂蕩なればその喜ぶところではない。火は雄健で、光明にして焦燥ならないことを喜ぶ。一たび焦燥すれば灼焼となり、灼焼なればその喜ぶところではない。土は方正で、厚実にして単薄ならないことを喜ぶ。一たび単薄なれば怯弱が現れ、怯弱なればその喜ぶところではない。

五星聚講を論ず

夫五星聚講者,金木水火土之五星,團聚而起,森森羅立,如孔門諸賢相聚而講談道德也。其山皆須秀麗尊嚴,方合此格。多作龍祖,主至貴。右五星聚講,或在太祖山,或在少祖山。在少祖福力尤緊,此格至貴。五星相聚,不論生克。

「五星聚講」とは、金・木・水・火・土の五つの星体が一か所に集まって起ち、森然として羅列し、さながら孔門の衆賢が集まって道徳を講論するがごときものである。これらの山はいずれも秀麗で尊厳でなければ、この格に合わない。それらは多く龍の祖山となり、極めて貴いことを主る。図に画かれた五星聚講は、あるものは太祖山に現れ、あるものは少祖山に現れる。少祖山に現れるものは、福力がとりわけ緊切である。この格は極めて貴重で、五星が相聚まる時、互いの相生相克を論ずる必要はない。

如漢受命,則五星聚於東井,秦之分野也,滅秦受命之應。宋朝受命,五星聚奎,文明盛治之應。故宋朝眞儒輩出,先聖大統,始有所屬。國朝嘉靖甲申正月,五星聚室,為宗室蕃昌之應。故世廟以宗室入繼大統,治教休明,為本朝中興之盛。凡五星之聚,為世大詳。地理家五星聚講之理,亦與天文五星相聚一同。故龍有此格者,前去多結大貴之地,及聖賢墓宅,位極人臣,王侯將相妃后之貴。

例えば漢が天命を受けた時、五星は東井宿に聚まった――東井は秦の分野であり、まさに秦を滅ぼして命を受けたことに応じた。宋が天命を受けた時、五星は奎宿に聚まり、文治が昌明し政教が興隆したことに応じた。だから宋代には真の儒者が輩出し、古聖より伝わる道統に帰属があったのである。本朝嘉靖甲申年正月、五星は室宿に聚まり、皇室宗族の繁盛に応じた。ゆえに世宗は宗室の身分をもって大統を入れ継ぎ、政治教化は清明となり、本朝の中興の盛事となった。およそ五星が相聚まるのは、世人がみな大いなる祥瑞と見なすところである。地理家の言う五星聚講は、天文上の五星相聚と理が全く一致する。ゆえに龍にこの格のあるものは、前へ進んで往々にして大貴の地を結び、あるいは聖賢の墳墓住宅となり、子孫が位人臣を極め、王侯将相および后妃の貴を出すことを主る。

五星連珠を論ず

夫五星連珠者,金木水火土之五星串連而不相間也。蓋五星聚講,不論在前後左右,四畔之山生來團聚,皆為聚講。且欲其相聚而不拘其相間也。連珠則牽連而去,不必相聚,惟欲其相聯屬,相聚為連珠,聚講尤貴,故與聚講為異耳。是以聚講不論生克,而連珠則論生克以定吉凶。

「五星連珠」とは、金・木・水・火・土の五つの星体が首尾相接して一連に串なり、中間に他の山形を挟まないものをいう。「五星聚講」はこれと異なる。これらの星体が前・後・左・右のどの面にあろうと、四周の山が天生に聚まり団らんとなれば聚講とする。聚講はただ一か所に聚まることを求め、中間に他の山が挟まることを忌まない。連珠は牽連して一路に行き、聚まって一塊となることを要せず、ただ互いに首尾が相連属することを求める。もし連属しながら能く聚合すれば、それは連珠にして兼ねて聚講であり、単なる聚講よりもいっそう尊貴である。これがまさに両者の分かれるところである。ゆえに聚講を見るには五行の相生相克を推究する必要がなく、連珠を見るには排列の先後の次序に従って生克を推し、これによって吉凶を判定する。

補義 五星聚講及連珠格,皆極貴。聚講有大小不同,連珠則無分大小,惟論生克。蓋大聚講星辰闊大,如水星,或平闊至二三十里,火星延袤至五七十里、十數里。金、木、土亦如之。五星共廣不下一二百里,此大聚講也。此等龍多為京畿及大藩鎮,或帝王陵寢、聖賢墓宅。小聚講則只五星各起數座,或各只一座而已。然數座不若各止一座,尤清。力量之輕重,雖不能如大聚,卻亦非中下地所能有也。

補足して言えば、「五星聚講」と「五星連珠」の二種の格局はいずれも極めて尊貴である。聚講に大小の分があり、連珠は大小を分けず、ただ五行の生克のみを論ずる。大聚講とは、各星体の規模がいずれも極めて広大であることをいう。水星は横に開けて二三十里の広さ、火星は綿延して五七十里あるいは十数里の長さ、金星・木星・土星もこの体量であり、五星を合わせて占める地は一二百里を下らない。これを大聚講という。この等の龍脈は多く京城や大藩鎮の所在を結び、あるいは帝王の陵寝、聖賢の墓宅となる。小聚講はただ五星がそれぞれ数座の山頭を起こし、あるいは毎星がただ一座を起こすのみである。ただし毎星が数座を起こすのは、かえって毎星がただ一座を起こすほど清純でない。小聚講の力は大聚講に及ばないが、決して中下等の地の具え得るところでもない。

五星帰垣を論ず

夫五星歸垣者,一名五氣朝元,亦曰五星升殿,至貴之格也。水星帳於北,火星聳於南,木星列於東,金星侍於西,土星結穴,正居平中。登局觀之,四面相等,各得其位,乃天造地設,五氣之精,萬靈所萃,正氣所鍾,上應天星,下合方位,至尊至貴,萬不逢一。但要星辰眞正,不欹斜破碎,不帶凶殺,遠近相稱,高低大小各得其宜,方為合格。多結禁穴,主出聖賢。其次者亦出王侯宰輔,貴極人臣,流芳百世,皇親國戚,文武全才,出將入相,狀元神童。朱文公祖地合此格。文公祖地圖見第八冊《龍法餘氣》篇下。

「五星帰垣」とは、また「五気朝元」とも「五星升殿」ともいい、最も尊貴な一種の格局である。その様子は、水星が北方に帳幕を張り、火星が南方に高く聳え、木星が東方に排列し、金星が西方に侍立し、土星は正中の平坦なところに穴を結ぶ。局中に登り環顧すれば、四面の山勢は互いに均しく称い、五星は各々その本行に属する方位を占める。これは天生地設の安排であって、五行の気の精華、万種の霊秀の汇聚、天地の正気の凝結がここにあり、上は天上の五星に応じ、下は地面の五方に合い、尊貴極まり、一万処の地にも一处に遇い難い。ただし必ず星体が端正真確で、歪斜破碎せず、凶悪な殺気を挟帯せず、遠近が互いに相称し、高低大小が各々宜しきを得てこそ、合格とする。この種の地は多く朝廷の禁じる貴穴を結び、聖賢を出すことを主る。次の等のものも王侯宰相を出し、位人臣を極め、声名は百世に流れ、あるいは皇親国戚となり、あるいは文武全才で出将入相し、あるいは状元に中り神童を出す。朱熹の祖墳はまさにこの格に合する。朱熹祖墳の図は本書第八冊『龍法余気』篇の下に見える。

補義 或問:水、火、木、金、土五星,於理正矣。而楊氏之貪、巨、祿、文、廉、武、破、輔,與廖氏之太陽、太陰、金水、天財、紫氣、天罡、孤曜、燥火、掃蕩,二家九星,皆可盡棄矣。何是編中不盡削其名,而往往亦稱之,豈非自相矛盾乎?

補足して言う。ある人が問う。水・火・木・金・土の五星をもって山形を分類するのは、道理の上で正当である。ならば楊筠松一家の立てた貪狼・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍・輔弼と、廖金精一家の立てた太陽・太陰・金水・天財・紫気・天罡・孤曜・燥火・掃蕩という二家の九星の名目は、いずれも一概に廃棄すべきではないか。なぜ本書はそれらの名称を全て削除せず、かえって随処に沿い用いているのか。これは自相矛盾ではないか。

答曰:二家九星,亦自五星中來,未可全謂無理,特不醇正耳。然亦各有所用。如觀幹龍及龍祖星辰,當用楊氏九星為善。蓋幹龍稟氣厚,不可以一星拘之,故貞廉、貪狼等星辰形象,只取其山頂而已。乃其山之氣有渾厚,不純屬火,不純屬木者。特起為頭頂山巒,是眞氣發現,為木為火。術家因其發現之形,而別以九星,曰貪狼、廉貞云耳。此處若直以木星、火星名之,非為不類其形,亦且不盡山之稟賦矣。此楊氏九星用之幹龍可也。

答えていう。両家の九星はもともと五星の中から派生したもので、全く道理なしとは言えず、ただ純正でないだけである。しかも各々その用がある。例えば「幹龍」と龍脈の祖山の星体を観察するには、楊筠松の九星をもってするのが良い。幹龍の禀受する地気は浑厚で、単独の一種の星体をもってそれを框めることができないからである。ゆえに廉貞・貪狼の類の星象は、ただ山頂の形状を取って名を立てる。この類の山の気はもともと浑厚で、純粋に火に属さず、純粋に木にも属さず、ただ特に一段の山頂を聳え立たせる。それは真気が顕れ出たもので、あるいは木形を現し、あるいは火形を現す。術家は顕れた形状に依って別に九星の名を立て、貪狼・廉貞と称す。このところで直ちにこれを木星・火星と称すれば、実際の形状と相類しないばかりか、この山の禀受した全部の気質を言い尽くすこともできない。ゆえに楊氏九星を用いて幹龍を見るのは可行である。

廖氏九星,亦以五星不純合夫圓、直、曲、尖、方之五體。故其金不純金,而帶土者為太陰,帶火者為天罡。土不純土,而帶金者為孤曜。水不純水,而帶金者為金水之類。《入式歌》云“圓直曲尖方五體,本是五行氣。直曲方尖各帶圓,湊作九星全”是也。此廖氏九星,用之以察枝龍及穴法亦可也。

廖金精の九星も、また実際の山形が往々にして円・直・曲・尖・方の五種の本体に純粋に合うことができないために設立されたものである。ゆえに金星は純粋に金ではない。土気を帯びるものを「太陰」といい、火気を帯びるものを「天罡」という。土星は純粋に土ではなく、金気を帯びるものを「孤曜」という。水星は純粋に水ではなく、金気を帯びるものを「金水」という。その余は類推できる。『入式歌』に「円直曲尖方の五体は、本は五行の気なり。直曲方尖各々円を帯び、湊りて九星を全うす」というのは、まさにこの道理を言うのである――五種の本体が各々さらに一点の円意を掺えれば、湊り合わさって九星となる。ゆえに廖氏九星を用いて「枝龍」と点穴の法を審察するのも、また可行である。

或又問曰:既二家九星,一可以觀幹龍之用,一可以觀枝龍及穴星之用,則不必議其非而從之可也。何又立五星之名耶?答曰:楊氏九星,惡其名義欠當。如貪且狼而為吉,廉且貞而為凶,及歷代《天文志》中無此名目。廖氏九星,惡其拘於九變,多牽強,天文亦無此星。大抵二氏九星,皆無所根據,術家多遷就,凶吉不明,人子未必通曉,故直取五星定名,以清濁凶三格別之,欲人因名知義,乃為切寔,凶吉不淆云耳。

またある人が問う。両家の九星は一家は幹龍を見るに用い、一家は枝龍と穴星を見るに用い得るのだから、その短所を挑剔する必要はなく、そのまま用いればよいではないか。なぜ別に五星の名を立てるのか。答えていう。楊氏九星は、私はその名と義の相称しないことを嫌う――「貪狼」は貪にして狼であるのに吉星と定め、「廉貞」は廉にして貞であるのに凶星と定める。いわんや歴代正史の『天文志』に全くこれらの名目がない。廖氏九星は、私はその九種の変化を死守し、多く牽強附会であることを嫌う。天文上も同様にこれらの星名はない。大体にして両家の九星はいずれも根拠に乏しく、術家が用いるには多く迁就凑合し、吉凶の界限は含混で、人の子弟たる者は必ずしも明白にし得ない。ゆえに本書は直ちに五星を採用して名を定め、さらに清・濁・凶の三等をもって区別を加え、人に名称を見れば即ち含義を知らしめる。これが切実で信頼でき、吉凶もまた混淆しない所以である。

予豈敢立異哉!故集中多稱二氏九星之名者,亦以其可取處而取之。倘不疑義理,吾何為盡削之?可取而不取,則是術家各立門戶之私意,而非公心也。矧星辰亦輕可事,予兄弟所見,往往怪穴大地,都是不合星辰。常人見不合星辰,遂不敢下手。哲師有眞見,不拘星辰,故能下之。人見其不拘星辰,遂以為怪,而有怪穴之稱耳。

私はどうして敢えて標新立異しようか。書中に多くなお両家九星の名目を称引しているのは、まさにそれらの取るべきところを取るのである。もし義理の上で疑うべきところがなければ、私はなぜ一概に削除しようか。取るべきものを偏に取らざれば、それは術家が各々門戸を立てる私心となり、持平の論ではない。いわんや星体はもともと最も緊要な一事でもない。我ら兄弟が親しく目に見たところでは、およそ形状が古怪で力量が極めて大きい地は、往々にして星体の規矩に合わない。尋常の人は一見して星体に合わなければ、下手して安葬することを敢えてしない。高明な師は真の見識があり、星体に拘られないから、敢えて下すのである。傍人はその星体に拘らぬを見て離奇と感じ、ここに「怪穴」の名目がある。

觀吳仲祥、董德彰,皆能隨山點穴,又何嘗拘於星辰?但彼皆已到地理化處,能如是耳。在他人,欲不論星辰,是不知有下學工夫,而遽欲躐等上達,正所謂欲以效顰,適增其丑。曰:到化處,如何便不拘星辰?曰:“葬者乘生氣也”,識得“乘生氣”三字,則地理之能事畢矣,又何用五星九星之拘哉。

呉仲祥・董德彰の両先輩を見よ。いずれも能く山の本来面目に順い点穴し、かつて星体に拘束されたことがあったか。ただ彼らはすでに地理の一道に出神入化の地步に到り、始めてこれを為し得たのである。他人に換えて、一上來に星体を論ぜず撇き去らんとすれば、それは尚お循序漸進の基本功あるを知らずして、急いで級を越えて高深を求めるもので、まさに東施が顰みを効うが如く、ただその醜を顕すのみである。ある人が問う。化境に到ればなぜ星体に拘らなくてよいのか。答えていう。『葬書』に「葬る者は生気に乗るなり」という。真に「生気に乗る」の三字を得れば、地理の一道の全部の本領はその中に在り、どうして五星・九星に框められるを用いんや。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻三上之二(江右山人徐善繼・徐善述同著)

穴法総論

夫地理龍穴之說,乃天造地設,生成自然之妙,初無一毫勉強。才有勉強,便非眞造化。卜氏云:“既有生成之龍,必有生成之穴。”故凡龍穴既皆生成,則砂水莫不應副,而龍虎、明堂、水城、對案、羅城、水口,自然件件合法。何則?蓋龍譬之君也,穴譬之臣也,砂水譬之天下民庶也。君明臣良,則萬邦莫不向化,四夷莫不賓服,如雲之從龍,風之從虎,各以其類應耳。苟龍不眞,則穴與砂水亦皆背戾。縱有假情,終是勉強,有眞見者不為其所惑。是故相地之法,先須察龍。

地理家の言う龍と穴は、天生地就して自然にして然るべき妙処を指し、もともと一糸一毫の勉强凑合の成分もない。一たび勉强あれば、それは真の造化ではない。卜応天がいう「既に生成の龍あれば、必ず生成の穴あり」。龍と穴が天然に出る以上、砂と水もまた必ず一々配合し得る。左右に護衛する「龍虎」、穴前の「明堂」、環抱する「水城」、正対する「案山」、外囲の「羅城」、去水する処の「水口」は、自然に様々法に合う。なぜか。龍は君主に比し、穴は臣子に比し、砂水は天下の百姓に比するからである。君主が賢明で臣子が良善なれば、万邦帰化せざるなく、四夷賓服せざるなし。まさに雲が龍に従い風が虎に随い、各々同類に応ずるが如し。もし龍それ自体が真でなければ、穴と砂水もまた一緒に乖違悖反する。縦い一応の様をなす假の情態を摆しても、終に勉强做作であって、真の眼力ある者はそれに惑わされない。ゆえに相地の法は、第一步に必ず先ず龍脈を審察しなければならない。

《經》曰:“恐君疑穴難取裁,好向後龍身上別。龍上生峰是根核,前頭形穴是花開。根核若眞穴不假,蓋從種類生出來。”又云:“龍若眞兮穴便眞,龍不眞兮少眞穴。”皆謂有眞龍方有眞穴。若龍不眞,縱有天然可愛之穴,亦為花假虛偽,而生氣不鍾矣。

『疑龍経』にいう「君の穴の取裁し難きを疑うを恐る。好く後龍の身上に向かいて別たるべし。龍上に峰を生ずるは根核なり、前頭の形穴は花の開くるなり。根核若し真ならば穴假ならず。蓋し種類より生じ来るなり」――君が穴の真假を分別し出せないことを恐れ、最も良いのは後ろの來龍の身上に返って辨認することである。龍の身上に聳え起つ山峰は根であり、前頭に結成する穴は開いた花である。根が既に真なれば花は假であることなく、花はこの一株の根から生じ出たものだからである。またいう「龍若し真ならば穴便ち真なり。龍真ならざれば真穴少なし」。いずれも真龍あってこそ真穴あることを言う。もし龍が真でなければ、縱い眼前に天然可愛の穴形あっても、不過虚花の假象で、生気はそこに凝聚していない。

然辨穴固在審龍,而有龍無穴,法亦不葬。故楊公三不葬,首言有龍無穴不葬。厲伯韶四不下,亦首言無穴不下。蔡牧堂先生亦謂一不可下者天也,有龍而無穴者也。夫所謂有龍無穴者,乃假偽之龍,非眞龍也。龍不眞固無融結造化,不能作穴,而無穴可下。

しかるに穴を辨ずるは龍を審するに靠るが、龍あって穴なきは、法に按じても同様に下葬できない。ゆえに楊筠松は「三不葬」を立て、頭一条が即ち有龍無穴は葬らず、厲伯韶は「四不下」を立て、頭一条もまた無穴は下さず、蔡發(号は牧堂)もまた第一種の下葬すべからざる情形を「天」と呼び、指すは正に有龍にして無穴である。ここにいう有龍無穴は、実はその龍は本が假龍で、真龍ではない。龍が既に真でなければ、もともと真気凝聚して結作する造化なく、穴を結成し得ず、自然に下す可き穴もない。

蔡西山云:“假龍誤人甚多,其擺佈精神,起人眼目,與眞龍無異。只是到頭結果無取,世俗之人止謂其氣秀特,而時師又以眞龍丑穴之說文之,鮮有不為所惑者。子微云“假龍亦有穿心開帳,有星辰秀麗,有橈棹手腳,亦有擺佈,但無迎送。或蜿蜒四五里,或縈紆數十里,到大盡處,乃無穴可下”是也。故龍之與穴,不可缺一。或有龍無穴,或有穴無龍,皆非眞地。

蔡元定(号は西山)がいう。假龍が人を誤ること極めて多く、それが鋪排開くその氣勢はよく人の眼目を聳動し、見るに真龍と絲毫の分別もない。ただ尽頭に走り至れば結果取るべきなし。世俗の人はただその氣象の清奇なるを見、当時の庸師はまた「真龍醜穴」の説をもってそれが掩飾を為す。惑わされざる者鮮し。張子微がいう。假龍もまた「穿心」し、もまた「開帳」し、秀麗の星峰もあり、「橈棹」一類の枝脚もあり、一番の鋪排もある。唯だ迎送の護從山なきのみ。あるものは蜿蜒四五里、あるものは縈廻数十里、大盡頭に走り至るに、然るに穴下すべきなし。――講ずるは正にこの種の情形。ゆえに龍と穴の二者は一も缺くべからず。有龍無穴なりと、有穴無龍なりと、いずれも真の吉地に非ず。

今之言地理者,往往以有龍無穴指作龍眞穴怪,勉強安扦,掘窩雖頂,自謂功力之巧。不知龍眞穴怪,乃是有穴而特丑拙奇怪,非若假龍之無收拾結果,而為粗惡、臃腫、急峻、頑硬、散漫、懶坦、蕩闊、軟皮、巉巖、瘦削、突露、孤寒、陡瀉、崩陷、飽肚、繃面、墜足、貫頂諸般凶惡之形,無穴可下也。世之僥富貴,圖大地者,多被術家所誤,以龍眞穴怪為藉口,亂下無穴之地,求福得禍,誠為可憫。

今地理を談ずる者は、常有龍無穴の地を「龍真穴怪」と說い、硬く頭皮を著えて安葬し、人工で窝を挖り出し頂を削り去り、還って自ら手段巧妙を誇る。彼らは明白せず、所謂龍真穴怪は、本來穴あるが、不過醜陋拙笨で形狀奇特なるのみ、假龍の通體收束結果なく、一味に粗惡・臃腫・急峻・頑硬・散漫・懶坦・蕩闊・軟皮・巉巖・瘦削・突露・孤寒・陡瀉・崩陷・飽肚・繃面・墜足・貫頂の如き許多の凶惡形狀を呈し、根本に下すべき穴なきが如きに非ず。世上の僥倖に富貴を求め、大地を圖謀する人は、多く術士に誤られ、「龍真穴怪」を藉口と為し、胡亂に無穴の地に葬り、福を求めて反って禍を招く。實に憫むべし。

彼蓋不知地理之法,雖重於尋龍,猶切於扦穴。楊公云:“尋龍容易點穴難。”古歌云:“望勢尋龍易,須知點穴雖。若還差一指,如隔萬重山。”誠以千里來龍,入首惟融八尺之穴。乘生氣,注死骨,造化全在於此。苟穴無定準,可以從人作為,可以上下左右,則察識地中生氣之法,皆渺茫無據,豈不大謬矣乎!故不識穴法之妙者,皆是不得傳授,自作聰明,偏執臆見,其誤可勝言哉!

彼らは懂らず、地理の法は雖も尋龍を看重すと、更に喫緊は點穴に在り。楊筠松がいう「龍を尋るは易く、穴を點ずるは難し」。古歌にいう「勢を望みて龍を尋るは易し。須知穴を點ずるは難しと。若し還って一指差わらば、萬重の山を隔つるが如し」――氣勢を望みて龍を尋るは易く、穴を點ずるが難き、下葬一指の寬さを錯うるのみにして、效驗は萬重の山を隔つるが如し。確かに千里迢迢として奔り來る龍脈は、「入首」の處に至りても只だ八尺見方の一個の穴に凝成するのみ。生氣を承接し遺骨を安頓す。全副の造化は即ちこの一點に集中す。假如穴に一定の準則なく、人の隨意の安排に任せ、上下左右に任意に挪移し得るとせば、則ち地中の生氣を察識する方法は便ち全て空泛にして憑るなく、豈に大錯特錯ならずや。ゆえに點穴の妙を識らざる者は、皆師傳を得ず、自ら聰明を作し、一己の臆見を固執する者で、その貽誤は真に言い盡くし難し。

地理家穴法,自有一定不易繩墨,才失毫釐,便有乖戾,變吉為凶。子朱子《山陵義狀》所謂:“定穴之法,譬如針灸,自有一定之穴,而不可有毫釐之差。”誠確論也。予嘗歷覽富貴祖墳,有前人已下數穴,而差失尺寸,皆不發福,後遇明師扦點眞穴,而遂獲富貴者。亦有先輩已下眞穴,發越既過,後人妄覬其福,侵槨附葬,而福竟蔑聞者。何也?良由一穴之間,數尺之內,眞氣融聚,不可過高,不可過低,不可偏左,不可偏右,不可太深,不可太淺。如方諸取水,陽燧取火,不爽毫髮,始得無中生有之妙。

地理家の點穴の法は、自ら一條の固定して移易し得ざる準繩あり。稍や一毫釐を失えば、便ち乖違錯亂し、吉地を變じて凶地と為す。朱熹の『山陵議狀』にいう所謂「穴を定むるの法は、譬えば針灸の如し。自ら一定の穴あって、毫釐の差あるべからず」は、實に確切の論なり。我曾て遍く富貴人家の祖墳を覽て、前人が同一處の山上に已に幾個の穴を下しながら、位置數尺の差によりて、皆發福せず、後に高明の師に遇い別に真穴を點じ、於是富貴を獲たるを見たり。また前輩の本已に真穴上に葬り、發達の氣運已に過去し、後人妄にこの福に沾らんと圖り、緊く原棺に挨り附葬し入れ、結果一點の福報も聽かざるを見たり。何を以て此の如くなるや。正に一個の穴の範圍の内、數尺の間に、真氣凝聚に它の固定の位置あるが為なり。高きべからず、低きべからず、左に偏すべからず、右に偏すべからず、深きべからず、淺きべからず。譬えば「方諸」を用いて月に向い水を取り、「陽燧」を用いて日に向い火を取るが如く、分毫錯差せずして、乃ち無中に有を生ずる妙用を得るなり。

楊公云:“裁穴要知聚水火,遠近高低皆不可。聚光若能得中正,火卻炎炎水傾墜。鑑取於水月中精,鑑必凹深取月明。其光圓聚方諸上,一點精光似水晶。太近光時水不滴,太遠光時亦不溼。只要當中取正光,頃刻之間水盈溢。陽燧取火亦復然,日光聚正卻生煙。莫令太近莫太遠,只要當中火即然。若曾親自取水火,便識高低皆不可。日月在天幾萬里,陽燧方諸毫髮細。聚光回射當凹中,水火即從生聚起。要識裁穴亦如斯,穴聚前朝由水氣。來山既聚眾氣來,下了須臾百祥至。取水取火須自為,方識陰陽論氣聚。”

楊筠松に一首歌訣ありて專らこの層の道理を講ず。開頭にいう「穴を裁つには要に水火の聚るを知るべし。遠近高低皆不可なり」と。彼は水を取り火を取るを藉りて比方を打つ。月に向い水を取るに用うる銅鑑は、鏡面必ず凹むること够深くあらざれば、月光を收得住せず。月華「方諸」に凝り至り、亮しく一點の水晶の如し。然るに鏡の離るること太近ければ、一滴の水も凝り出でず。離るること太遠ければ、潤濕するにも及ばず。唯だ恰恰焦點に對準し、頃刻の間に水便ち盈滿して溢出す。「陽燧」を用い日に向い火を取るも同様此の如し。日光の聚まること正しければ、乃ち煙を冒し火を起し、太近く太遠きも皆成らず、唯だ正中の焦點上に落ちて火乃ち燃著す。日月天外幾萬里に遠く、陽燧・方諸不過毫髮大小の一片の凹面、光線回射して凹心に會聚し、水と火便ちこの一點より生じ出ず。凡そ親く一度水火を取りし者は、自然に遠近高低半點の馬虎もならざるを懂る。點穴の道理此と一般に二つなし。穴の能く氣を聚むる所以は、前方の朝山と水氣の回照に靠る。來龍既に聚まれば、衆山の氣跟うて皆來り、葬り下して多時ならず百樣の吉祥到らん。この種の事は須く自ら動手して體會し過ぎ、乃ち真に陰陽聚氣の說を懂るを算す。

故點穴不可有差尺寸,高低、左右、深淺、向首俱要合法,一或少差,遂失生氣,縱是眞龍,亦為毋益。《地理指南》云:“立穴高低裁不正,縱饒吉地也徒然。”《經》云:“穴若在低高下了,穴在承漿卻下腦。穴若居高裁處低,當針百會卻針臍。高低若是差裁卻,恰是盲髠針腿腳。穴隔分寸尚無功,況是高低針不著?”是言不可有高低之失也。

ゆえに點穴は一寸一尺も錯うべからず。高低・左右・深淺・朝向必ず法に合せよ。只だ稍偏差あれば、生氣を接ぐこと得ず、縱い真龍なるも毫も益處なし。『地理指南』にいう「穴を立つる高低裁正せざれば、縱饒吉地も徒然なり」と。『葬経』にいう「穴若し低に在りて高下せば、穴承漿に在りて却って腦を下さん。穴若し高に居りて裁處低ければ、當に百會に針すべきを却って臍に針せん。高低若し差裁せば、恰も盲髠の腿脚を針するが是れ。穴分寸を隔つる尚功なく、況んや高低針著かざるをや」と。これ仍お針灸を以て譬を取る。穴本低處に在るに高處に葬るは、譬えば該に下巴の「承漿」穴を扎すべきを却って後腦を扎するが如し。穴本高處に在るに低處に葬るは、譬えば該に頭頂の「百會」穴を扎すべきを却って肚臍を扎するが如し。高低裁錯せば、便ち瞎眼の庸醫專ら腿脚に向い亂扎するに同じ。針灸分寸を差開く尚效なく、況んや高低全く穴位を扎著かざるをや。この一段は講ずるは高低上に差錯を出すを許さざるなり。

董德彰云:“下穴不容少偏頗,左右如差福成禍。”吳景鸞云:“龍從左來,氣從右注;龍從右來,氣從左注。就生棄死,葬乘生處。左右如差,福應難許。”是言不可有左右之失也。《寶鑑》云:“天然正穴不須移,案正山齊乃合宜。午向忽然差作丙,即傷龍脈損根基。”又云:“就中安向如差悞,變福為災起禍愆。”是言立向不可有失也。《葬經》云:“淺深得乘,風水自成。”蔡牧堂云:“下地必以深淺為凖的。當淺而深,則氣從上過;當深而淺,則氣從下過。雖得其地而效不應。”是言淺深不可有失也。

董德彰がいう「穴を下すには少しの偏頗も容れず。左右如し差わらば福と成りて禍と成る」。呉景鸞がいう「龍左より來れば、氣右に注す。龍右より來れば、氣左に注す。生に就き死を棄て、葬は生處に乘れ。左右如し差わらば、福應許し難し」――龍脈左邊より自來すれば、生氣便ち右邊に注す。右邊より自來すれば、生氣便ち左邊に注す。下葬は生氣有る一側に就き、氣無き一側を舍掉し、左右一たび錯れば、福報指望し難し。これは講ずるは左右上に差錯を出すを許さざるなり。『寶鑑』にいう「天然正穴移せず。案正しく山齊しき乃ち合宜なり。午向忽然として差りて丙と作れば、即ち龍脈を傷り根基を損す」と。またいう「中に就き向を安ずる如し差悮あれば、福を變じて災と為し禍愆を起す」――本當に午向を立つべきを、只だ相鄰る丙向に挪到すれば、便ち龍脈を傷り根基を壞す。これは講ずるは向を立つるに差錯を許さざるなり。『葬経』にいう「淺深乘を得ば、風水自成る」。蔡發がいう「地を下るは必ず深淺を以て準的と為す。當に淺きを深くせば、則ち氣上より過ぐ。當に深きを淺くせば、則ち氣下より過ぐ。其の地を得るも效應せず」――該に淺葬すべきを挖深くせば、氣棺の上頭より走り過ぐ。該に深葬すべきを挖淺くせば、氣棺の底下より走り過ぐ。雖も吉地を占住すと效驗應ぜず。これは講ずるは深淺に差錯を許さざるなり。

蓋穴乃放棺的切處,是地理緊關玄竅,毫釐有差,禍福千里。高一尺則犯罡斗殺,傷龍;低一尺則犯蕩脫脈,傷穴。偏左一尺,水蟻侵左;偏右一尺,水蟻侵右。深一尺則氣從上過,水自底生;淺一尺則氣從下過,蟻自蓋入。直來直下,氣從腦散。饒減太過,接氣不著。諺云“陰地一線”是也。

要に知るべし、穴は即ち棺木を放置する確切の位置で、整個の地理中最も緊要なる玄妙の關竅なり。毫釐を差えば便ち禍福千里を相去る。葬高き一尺は、便ち「罡斗殺」を犯し、來龍を傷及す。葬低き一尺は、便ち「蕩脫脈」を犯し、穴場を傷つ。偏左一尺は、水と白蟻左邊より侵入す。偏右一尺は、水と白蟻右邊より侵入す。挖深一尺は、氣棺上より走り過ぎ、水便ち坑底より渗出す。挖淺一尺は、氣棺下より走り過ぎ、蟻便ち棺蓋より鑽入す。若し來脈直ちに冲り下り又直ちに其中に葬れば、氣頭頂より散掉す。若し「饒減」(左右前後の挪讓)の做すこと過頭なれば、又龍氣を接上げず。俗諺にいう「陰地一線」、講ずるは正にこの一線の差なり。

苟有少差,縱見眞龍、奇砂、秀水、百般美處,種種成空。是故必有天然之穴,依繩墨以定高低、左右、向首、淺深,則自無數者之失。苟無天然之穴,而妄以臆見察地中之生氣,必渺茫毋據。生氣既無可據,定為蟻穴,為泉窟。以親體置之蟻穴泉窟之中,其禍必不旋踵而至矣。噫!穴之所繫如此,其可忽乎?

稍偏差あれば、縱い眼前に真龍・奇砂・秀水ありても、種種の好處皆落空す。ゆえに必ず先ず天生の穴場あって、再び一定の準繩に依りて高低・左右・朝向と深淺を定め、自然上面幾種の錯を犯さず。倘若並びに天生の穴なく、却って一己の臆測を憑りて地中の生氣所在を推斷せば、那は必定空泛にして憑るなく、生氣既に依據する無く、葬り下せば蟻窩ならざれば泉眼なり。父母の遺體を蟻窩泉眼の中に安放する、災禍必定轉眼に就到せん。唉、穴の干係重大此の地步に到る、怎んぞ輕忽せんや。

術家雖各有穴法,諸說略無統紀。論百物形象者失之誕,論九星變態者失之支,論天星方位者失之鑿,論精神動靜者失之異。而相山骨髓,及四十字銅人、空山、赤圖、寸金諸家之說,又皆失之漶漫隱僻,殊非至當歸一之論,訛謬相傳,人心愈惑,竊嘗病之。

術家各々其の穴法有る雖も、衆說紛紜として統緒無し。專ら百物形象を講ずるは、荒誕に失す。專ら九星變化を講ずるは、支離に失す。專ら天星方位を講ずるは、穿鑿に失す。專ら山川精神動靜を講ずるは、詭異に失す。至るに『相山骨髓』、及び『四十字銅人』『空山』『赤圖』『寸金』諸家の說法は、又皆模糊晦澀・隱僻難通に失し、遠く妥當歸一の定論に非ず。これらの訛誤輾轉相傳ふ。人心愈發迷惑す。我私に一向に此を以て病と為す。

今以諸家之法,參之吳、董心機,定為穴法標準。一曰穴形,非百物形象之形,而取夫楊筠松四象,窩、鉗、乳、突之形;二曰穴星,非九星之星,而取夫張子微五星,金、木、水、火、土之星;三曰穴證,則兼取夫前後左右、龍虎明堂之諸應;四曰穴忌,則致辨夫粗惡、急峻、臃腫、虛耗之諸凶,列為四卷,曰形、星、證、忌。俾觀其星,究其形,審其證,察其忌,則出龍之性情,融結眞偽,自不能遁。而仁人孝子之慾卜宅兆以寕其親者,不致眩惑訛謬雲。應沙道人徐善述識。

今我諸家の法を匯總し、再び呉景鸞・董德彰兩位の心法に參酌し、一套の點穴の標準を定出し、分けて四項と為す。第一項は「穴形」と叫ぶ。百物取象の那種の形に非ず、而も楊筠松の四象――窩・鉗・乳・突を採用す。第二項は「穴星」と叫ぶ。九星の那種の星に非ず、而も張子微の五星――金・木・水・火・土を採用す。第三項は「穴證」と叫ぶ。兼ねて穴の前後左右・龍虎砂與明堂等各種の印證を取る。第四項は「穴忌」と叫ぶ。著重して粗惡・急峻・臃腫・虛耗一類の凶象を分辨す。此の四項分列して四卷と為し、便ち形・星・證・忌と叫ぶ。人をして先ず其の何の星に屬するを看、再び其の何の形を成すを推究し、再び佐證有無を審核し、再び忌を犯すか犯さざるを考察せしめ、那末此條の龍の性情如何、結作是真假は、自然遁形する無からん。此の如く、凡そ仁心ある孝子想い一處の墓地を擇び雙親を安頓せんとするは、不至訛謬の說に眼花繚亂せしめられん。應沙道人徐善述記す。

此一冊專ら穴形を論ず

夫穴之形體,變態萬狀,不一而足。寔則不過陰陽兩字,曰陰來陽受,陽來陰受而已。其為形則凹凸是也。陰中有陽,陽中有陰,故有太陽、少陽,有太陰、少陰。其為形則窩、鉗、乳、突是也。各得生氣,其形始眞。故一言以蔽之,曰“葬乘生氣”。蓋生氣者,太極也。凹凸者,兩儀也。窩、鉗、乳、突者,四象也。太極兩儀,兩儀四象,寔古今之正傳,穴法之定論也。

穴の形體の變化萬端、說いて勝げず。其の實結び歸すれば不過「陰陽」の二字。陰脈來れば則ち陽形を以て承受し、陽脈來れば則ち陰形を以て承受す。形狀に落到すれば、即ち凹與凸の兩種。陰中又陽を含み、陽中又陰を含む。故に太陽・少陽有り、太陰・少陰有り。形狀に落到すれば、即ち窩・鉗・乳・突の四種。此の四種の形狀皆各々生氣を承接し得住すを要し、形乃ち真なり。故に一句話に概括すれば、便ち「葬は生氣に乘る」と叫ぶ。生氣は譬えば「太極」、凹凸は譬えば「兩儀」、窩・鉗・乳・突は譬えば「四象」。太極より兩儀を生じ、兩儀より四象を生ずるは、此れ古今相承の正傳にして、亦穴法の定論なり。

夫何各立機軸,支離其說,而有三十六形、八十一變、三百六十五體、三百八十九像?種種多門,不勝蕃衍,使易簡之理,反為分析隱晦。是皆欲以形盡山勢,而不知山勢變態不常,咫尺轉移頓異,只可以理會,不可以形拘。《玄機論》云:“論星則胸中有主,喝像使眾人皆知。”是形像不過為眾人設耳。若曰山必合某形,穴當安某處,以某物為應案,乃刻舟求劍,膠柱鼓瑟,非達理之論也。

何を以て後人偏に各々機杼を出し、說法を支離破碎に弄し、三十六形・八十一變・三百六十五體・三百八十九像を弄出するや。門類愈分愈多、繁衍盡きず、反って本來簡明易行の道理を割裂し晦暗難明と為す。此れらの人皆形象を用いて山勢を窮盡せんと欲し、却って山勢の變化無常、數尺を挪開せば面貌大いに相同じからず、只だ道理を以て領會し、形象を以て框死すること得ざるを知らず。『玄機論』にいう「星を論ずれば胸中主有り。像を喝して衆人皆を知らしむ」と。見るべし星體に按じて論を立つる是自己心裡に準あり、山形の為め「某某形」の名號を起すは不過衆人に說き聽かし、人人明白に便ならしむるのみ。若し此山必定要ある形に合し、穴一定要ある部位に安んじ、還って某樣の東西を以て對應の案山と作さば、那は即ち刻舟求劍・膠柱鼓瑟、事理を通達する議論に非ず。

餘氏云:“尋龍點穴,不過陰陽動靜,足以盡其微妙。間有龍穴融結,偶合物形,因以名之可也。若野俗之書,專以人物取像地形而較美惡,則失之遠矣。”誠為確論。且物類有古方今圓,古長今短,古貴今賤,古有今無之不同,豈可以擬一定之山形哉!范越鳳及劉公謙皆嘗鄙誚之,謂如虎形,既虎能傷人,又安可葬?肉堆案亦嘗食之否乎?其論不為無理。

余氏がいう「龍を尋ね穴を點ず、不過陰陽動靜、足以其の微妙を盡さん。間や有りて龍穴融結し、偶々物形に合すれば、因りて以て之を名づくる可きのみ。若し野俗の書、專ら人物を以て地形に像を取り美惡を較べば、則ち之を失すること遠し」――龍を尋ね穴を點ずるは只だ陰陽動靜の間に在り、已に其の中の奧妙を窮盡するに足る。偶々龍穴の結作恰も某樣の東西に像るに碰上れば、口に順いて它に名を起すも妨なし。至るに那些の鄙俗の書、專ら人物を拿って地形に比附し、還って此に據りて好壞を評定せば、那便ち離題太遠なり。

況物類形像相似者,尤難辨別,又烏得無指鹿為馬、認烏為鸞者乎?愚故曰:山川只可以理會,不可以形拘。《葬書》謂“在天成象,在地成形”,亦只指五星之形言之,非言山形與百物類也。今故屏去百物形象之說,不使眩惑心目。惟以楊筠松穴形四格,窩、鉗、乳、突以論形,則庶幾守約盡博,而易簡之理得矣。“葬乘生氣”之眞機,又豈有餘蘊哉!穴形諸圖解見下。

況んや物類の中形狀相近き最も分辨し難きをや、又怎んぞ鹿を指して馬と為し、烏鴉を認めて鸞鳳と為さざるを保證せんや。故に我いう、山川は只だ道理を以て領會し得るのみ、形象を以て框死する能わず、と。『葬書』の講ずる「天に在りて象を成し、地に在りて形を成す」、那も亦只だ五星之形に就きて言うのみ、並びに山形百物に比附すべきを說くに非ず。因此本書一概に百物形象之說を擯棄し、人の心目を迷亂するを免れんが為め、單に楊筠松の穴形四格――窩・鉗・乳・突を用いて形を論ず。此の如く既に簡約を守り得住し、又能く繁複の情形を包擧遺なし、簡明易行の道理亦便ち得たり。「葬は生氣に乘る」の真機竅、還って什麼の剩義あらんや。各種穴形の圖解は下文に見る。

窩形の穴を論ず

窩穴,即廖氏開口穴也,亦曰窟穴。《葬書》云“形如燕窠,法葬其窩,胙土分茅”是也。凡曰雞窩、鍋底、掌心、旋螺、金盆、銅鑼等形,皆窩穴之異名耳。乃穴星開口生兩掬者也。平地高山皆有之,而高山為多高山以窟為眞,平地以突為眞,故高山多。俗亦名仰天湖格。除星體另論外見穴星卷,而窩之為形,凡四格:曰深窩,曰淺窩,曰狹窩,曰闊窩。皆以左右兩掬均勻為正格,左右不同為變格。

「窩穴」は即ち廖金精の所謂「開口穴」、亦「窟穴」と叫ぶ。『葬書』のいう「形は燕窠の如く、法に其の窩に葬り、胙土茅を分かつ」、講ずるは即ち它――形狀燕子窩に像り、法に照りて窩心に葬り、封土授爵を得る能し。凡そ鶏窩・鍋底・掌心・旋螺・金盆・銅鑼一類の名目と叫ぶは、皆不過窩穴の別稱。其の様子は穴星前に向い一口を張開し、左右兩道の環抱する臂膀を生出す。平地と高山皆窩穴有り、而して高山を以て多しと為す(原注、高山は窟有るを以て真と為し、平地は突有るを以て真と為す。故に高山の窩穴多し)。民間亦それを「仰天湖格」と叫ぶ。星體の分類は別に專卷討論有り(原注、本書の穴星卷を見よ)。單に窩の形狀に就きて說けば、共に四格有り、深窩・淺窩・狹窩・闊窩。四格皆左右兩臂の均勻相称なるを以て「正格」と為し、左右一樣ならざるを「變格」と為す。

而各有二體:一是左右交會,名曰藏口窩;一是左右不交會,名曰張口窩。四格之形,又各有俯仰不同。身俯則須窩中微有乳,穴就乳脈安扦;面仰則須窩中微有突,穴就窩心突頂安扦,此為最吉。廖氏云“凡開口之穴,靈光合聚於中,餘氣分行於外,雌雄相顧,血脈交通,所以謂之吉穴”是也。

每一格又各々兩種の體式有り。左右兩臂前面に在りて交搭會合するは、「藏口窩」と叫ぶ。左右兩臂交會せず口を敞ぐは、「張口窩」と叫ぶ。四格の形狀還って各々俯・仰の別有り。山身前に向い俯するは、窩中必ず微微に一點の乳形を生出し、下葬時乳脈に就着き棺木を安放す。山面上に向い仰ぐは、窩中必ず微微に一點の突を起し、下葬時窩心那點の突の頂端に就着き棺木を安放す。此の如く最も吉なり。廖金精のいう「凡そ開口の穴は、靈光中に合聚し、餘氣外に分行し、雌雄相顧み、血脈交通す。所以之を吉穴と謂う」、說くは正に此の道理。靈秀之氣窩心に合聚し、多餘之氣窩外に分散し、兩臂一雌一雄彼此照應し、血脈貫通す。故に吉穴と稱す。

惟要弦稜伶俐,兩掬彎環,口中圓淨,窩內沖融;切忌落槽,最嫌偏陷。《經》曰“窠形須是曲如窩,左右不容少偏頗。偏頗不可名窩穴,倒側傾摧禍奈何”是也。又有懶坦、空亡、崩洪、破陷,謂之假窩、虛窩,務須詳辨。如誤下之,主淫亂少亡、貧窮絕嗣,不可不慎。若後龍眞的,入首明白,星辰合格,證佐分曉,此穴至貴。

窩穴は只だ幾件事を求む。窩口邊緣の「弦棱」清晰利落、左右兩臂彎環相抱し、窩口之内圓整潔淨、窩中氣象和融充盈す。最も忌諱するは窩底落成する一條の水槽、尤其嫌うは一邊偏陷す。『葬經』のいう「窠形須く是れ曲りて窩の如く、左右容れず少しも偏頗を。偏頗は窩穴と名づく可からず。倒側傾摧せば禍奈何せん」、正是此の意。窩形必ず曲抱して巢の如く、左右半點の偏斜を容れず。偏斜するは配して窩穴と叫ばず、那種の歪倒傾塌の形狀は只だ禍を招く。此外還って一種の懶散平坦・中間空亡・山體崩塌洪破の所謂「假窩」「虛窩」有り。務必仔細に分辨せよ。若し誤りて其中に葬らば、淫亂之事・少年夭亡、及び貧窮絕嗣を生出すを主り、慎重せざる可からず。倘若後面の來龍真確、「入首」一節清楚明白、星體合格、各種佐證分明ならば、那末窩穴は極めて尊貴なり。

窩形四格:深窩、淺窩、闊窩、狹窩 左為深窩圖。此深窩者,開口中深藏也。然窩既深藏,不宜太深坑陷,須是深得其宜。惟窩中有微乳、微突者,謂之陽中有陰,雖深不忌。若無乳突,切忌深陷。又須窩中圓淨,弦稜明白,兩掬弓抱,方為合格。若窩太深陷,又無乳突,弦稜不圓,左右偏頗,即是虛窩,不可下也。

圖題は「窩形四格、深窩・淺窩・闊窩・狹窩」と作る。原書此處本に四幅の圖有り、今底本只だ圖題を存し、圖形已に佚す。第一幅は深窩の圖。說明如下。所謂深窩とは、開口の窩深深として裏頭に藏るを指す。窩雖も深藏を要すと、却って深く一個の坑陷と成るを宜とせず。深淺須く恰好好處を得よ。只だ窩中別に一點の微乳或は微突を生出する有るを、乃ち「陽中に陰有り」と叫ぶ。此の如く卽ち深些するも忌諱せず。若し窩裏既に乳無く又突無ければ、便ち切に深陷を忌む。此外還って窩内圓整潔淨、「弦棱」(窩口の邊棱)清楚分明、左右兩臂彎弓の如く環抱し、乃ち合格を算す。倘若窩太も深陷し、又乳突無く、弦棱圓整ならず、左右偏斜均しからざれば、那便ち「虛窩」、下葬す可からず。

左為淺窩圖。此淺窩者,開口中平淺也。不宜太淺,太淺則不明。須是淺得其宜,如金盤,如荷葉之類,而又窩中弦稜明白,兩掬弓抱,方為合格。若窩中太淺,弦稜不明,懶坦無情,則非眞窩,不可下也。左為闊窩圖。此窩形之闊者,開口中寬闊也。窩既寬闊,不宜太深,須左右交會。要窩中有微乳、微突,就乳頭突頂安扦,方為合格。不然,多是空亡虛冷之窩,氣不凝聚。又須窩中圓淨,弦稜明白,兩掬彎抱,乃為合法。若窩形太闊,又無乳突,弦稜不明,左右偏頗,或兩掬不交,則不可下也。

第二幅は淺窩の圖(圖形今佚し、僅かに圖題與說明を存す)。所謂淺窩は、開口處平にして淺し。但し太淺を宜とせず。太淺なれば則ち窩形顯れず。淺は淺く恰當を得、金盤に像り荷葉に像るが如く、同時に窩内弦棱分明、左右兩臂彎弓環抱し、乃ち合格を算す。若し窩中過度に淺く、弦棱清からず、一味に懶散平坦にして毫も情意無ければ、那便ち真窩に非ず、下葬す可からず。第三幅は闊窩の圖。所謂闊窩は、開口處寬闊なり。窩既に寬闊なれば、便ち更に深きを宜とせず。且つ必ず左右兩臂前面に在りて交搭會合せよ。還って窩中一點の微乳或は微突を生出し、乳頭・突頂に就着き下葬し、乃ち合格を算す。不然れば多く空亡虛冷の窩、氣聚まり攏らず。此外仍お窩内圓整潔淨、弦棱分明、兩臂彎抱し、乃ち合法を算す。倘若窩形太も闊く、又乳突無く、弦棱清からず、左右偏斜し、或は兩臂敞開して交わらざれば、皆下葬す可からず。

左為狹窩圖。此窩形之狹者,開口中狹小也。窩雖狹小,亦要相停,不可太狹。太狹則恐開口不眞。須是狹小得中,如燕窩,如雞窩之類,而又窩中圓淨,弦稜明白,兩掬彎抱,方為合格。若窩中太狹小,口內不圓,弦稜不明,左右不抱,則非眞窩,不可下也。

第四幅は狹窩の圖(圖形今佚し、僅かに圖題與說明を存す)。所謂狹窩は、開口處狹小なり。窩雖も狹小なりと、也要整座星體の規模と相称し、過度に狹窄す可からず。太も狹窄なれば怕る此の「開口」真に非ざるを。狹は狹く適中を得、燕子窩に像り鶏窩に像るが如く、同時に窩内圓整潔淨、弦棱分明、左右兩臂彎抱し、乃ち合格を算す。若し窩中過分に狹小、口内圓ならず、弦棱清からず、左右兩臂又環抱せざれば、那便ち真窩に非ず、下葬す可からず。

以上窩形四格之圖。其左右兩掬均勻者,乃為正格,有五體。左右兩掬不均勻者,為變格,有二十體。圖具下:正格凡五格 上圖為正格,凡五體,乃左右兩掬均勻者也,下仿此。變格凡二十 以上變格,乃左右兩掬所轉不同,凡二十體,穴星仿此。帶曜凡八格 已上帶曜諸格,後皆仿此,圖繁,亦不重載。窩穴名地諸圖附後。

以上は窩形四格の圖なり。其中左右兩臂の均勻相称なるは「正格」に屬し、共に五種の體式有り。左右兩臂均勻ならざるは「變格」に屬し、共に二十種の體式有り。圖は下面に列す(以下三組の圖は、底本只だ圖題を存し、圖形皆佚す)。一組題して「正格凡そ五格」と作り、其の後說明す。上面所列は正格、共に五體、皆左右兩臂均勻のもの、以下各類此に依り類推す可し。一組題して「變格凡そ二十」と作り、其の後說明す。以上是變格、左右兩臂轉折の方向各々相同じからざるに因りて分かつ、共に二十體、後面穴星を講ずるも亦此に照りて類推す。一組題して「帶曜凡そ八格」と作り、其の後說明す。以上「曜氣」を帶びる各格、後面皆此に依り類推す可し。圖太も繁多なるに因り、不再重複刊載せず。窩穴の名地諸圖は後面に附す。

右地在吾邑南門外,與縣龍分脈後,起五星聚講,開帳入局,又大斷過脈,列芙蓉大帳。帳中穿心出脈,垂落清秀。入首結開口仰天窩穴。窩中圓淨,兩掬均勻,口中平坦,左右重重包裹,前朝秀麗,明堂融聚,水城繞抱,水口關鎖,繫艮龍,扦丙向,俗傳仰天湖,賴布衣下。後餘低出朝議大夫,數代清貴,至今福祉未艾。

右邊此の塊の地は我らの縣城南門外に在り。其の龍脈は縣城の主龍と分開し後、先ず「五星聚講」を起し、帳幕を張開して本局に入り、又一度の大斷續脈を經、一列の芙蓉の如き大帳を排出す。龍脈帳幕の正中より「穿心」して出で、垂落して清秀觀る可し。「入首」の處に到り一個の開口向上の仰天窩穴を結成す。窩内圓整潔淨、左右兩臂均勻、窩口平坦、四外層層包裹し、前面朝山秀麗、明堂氣を聚め、水城環繞抱護し、水口山の關鎖有り。此地艮方の來龍に屬し、丙向を立つ。民間相傳えて「仰天湖」と叫び、賴布衣の點じし所なり。後來余氏朝議大夫を出し、幾代皆清貴人家、到今福澤仍未だ衰歇せず。

朱國本問曰:餘氏此地,分幹大龍開帳,穿心中落結美穴,明堂、龍虎、朝對、水城、水口,無一不貴。艮龍丙向,又合天星。賴公所下,葬法又善,宜其貴列三公。乃僅止此,何也?儓仙曰:善哉!問此地龍穴、砂水俱上格,葬又合法,而貴不窮顯者,有二缺焉:少餘氣,無曜星矣。吳公云:“餘氣不去數十里,決然不是王侯地。”楊公云:“龍眞穴眞只無曜,空有星峰重疊照。”故大貴須有餘氣、曜星。此地缺此,《葬書》謂“十一不具,是為其次。”此地是也。

朱國本發問す。余氏此の塊の地は、幹龍大脈上より分出し帳を開き、龍脈帳心を穿りて落ち、好穴を結成す。明堂・龍虎砂・朝山對案・水城・水口、一樣として貴ならざる無し。艮方の來龍丙向を立つる、又天星方位に合す。加うるに賴布衣の點じし所、葬法も又妥當。理に照れば當に三公の地位に貴きべし、何を以て只だ此の地步に到るや。儓仙回答す。問うこと好し。此の塊の地は龍・穴・砂・水皆上格に屬し、葬法又規矩に合す。而して貴氣到底極顯する能わざるは、兩處の欠缺有るが為なり。一は穴後の「餘氣」太短し、二は「曜星」無し。呉景鸞がいう「餘氣去りて數十里ならざれば、決然王侯の地に非ず」。楊筠松がいう「龍真穴真只だ曜無くば、空しく星峰重疊に照る有らん」――龍真穴真にして曜氣を缺けば、縱い重重の星峰照應有るも白搭なり。ゆえに大貴の地は必ず餘氣長く曜星顯れんを要す。此地正に此の兩項を缺く。『葬書』の所謂「十一具ならざるは、是れ其の次と為す」、講ずるは即ち此の種の情形なり。

右地在泰寕,土名洪港口。其龍乃南幹正條,穿草坪峽後,少華大旺處,分正脈一派,巍峨廣袤,綿亙紆盤數百里,皆極其高大,非足力所能及。一枝一葉,亦甚長遠。入局起漲天水星,橫列十數里。帳之中垂落一脈,欲斷不斷,復頓高金,貼在帳下,圓滿光肥。兩畔帳帶,如垂絲串珠者數十條,護從繁華。

右邊此の塊の地は泰寧縣に在り、地名を洪港口といふ。其の龍脈は南幹の正條大龍に屬し、草坪峽を穿りて後、少華山氣勢最も旺なる處に在りて一支の正脈を分出し、山體巍峨廣闊、盤繞綿延數百里、處處極めて高大、脚力に靠る根本に走り到頭し得ず。連なる其の一枝一葉の旁出小脈も、亦皆甚だ長遠なり。本局に入りて後、先ず一座の「漲天水星」を起し、橫に鋪き十幾里の長さ。帳幕正中一條の龍脈を垂落し、斷ずるに似て非ざり、接着再び一座の高大の金星を頓起し、緊く帳下に貼し、形體圓滿光潤豐肥。帳幕兩邊の「帳帶」は、垂下する絲線の珠を串るが如き幾十條、護衞隨從の山極めて繁盛なり。

於高金星面,微開小窩,於上聚處結穴,弦稜伶俐,兩掬彎環,窩間平坦圓整,不深不闊,宛然如燕窠,僅可藏車隱馬。龍勢雄大,穴情巧小,眞貴格也。不假外山包裹,穴自周密藏聚,天然可愛。穴前又平坦數尺,下注嘉泉,廣不盈畝,四時不涸不溢。此池即內堂也。

即ち此の座の高金星の正面に在り、微微に一個の小窩を開出し、氣上部に聚まる處に結穴す。窩口の弦棱清晰利落、左右兩臂彎環相抱し、窩内平坦圓整、深からず闊からず、活きて一個の燕子窩の如く、大小僅かに一辆の車を藏下し一匹の馬を遮るに够る。來龍氣勢雄大、而して穴情却って小巧、此れ正に真の貴格なり。它は必ず外面の山を藉りて包裹するを要せず、穴本身周密藏聚、天然可愛。穴前又幾尺の平地有り、往下に一泓の好泉を積み、面積一畝に到らず、一年四季既に乾涸せず又滿溢せず。此の水池便ち内明堂を充当す。

堂之前一山,近可攀摘,秀媚方平,不迫不欹,整然端拱。穴間惟見此山,其外洋及左右一切山水,俱所不見,恬然安靜,如坐密室。而後坐大帳,高貼有力,不啻端居幃幄之中。俗傳“珍珠涼傘蓋交椅”形,幞頭案,誠切當矣。從而檢點,外面諸山,重重疊疊,擁護羅列,合沓暗拱,有萬卒影從之勢。

明堂前面一座の山有り、近く手を伸ばし及ぶ可き、形狀秀美方正平整、既に逼壓せず又歪斜せず、端端正正として彼處に拱立す。穴上に坐して只だ此の一座の山を見る可きのみ、外面の大局及び左右一切の山水皆望み到らず、安恬寧靜、如同密室之中に坐するが如し。而して背後大帳に靠り、高く貼護し、甚だ力量有り、直ちに帷幕の當中に端坐するに像る。民間それを「珍珠涼傘蓋交椅」形と叫び、前案を「幞頭案」と稱す。此の名字取る實に貼切なり。再び外に向い一層層檢點すれば、外圍衆山重重疊疊、簇擁羅列し、層層疊疊として暗中に朝拱し、有りて萬名士卒影に隨うが如き氣勢なり。

混港,洪港兩溪夾送龍身,交會於五里外。水口諸山,皆大龍交纏。但穴結山腰,下鋪田畲,餘氣甚長,不免頓跌,勢似順局為異。然山勢高大,穴雖高,猶是山麓間。而登穴夷坦藏聚,不知為高,亦不知有外面傾跌之患,此所以為美也。但離鄉而貴,亦職此故爾。然龍勢牽連,煞氣未淨,高金結穴,又是武星。金旺於西,以庚脈入首,作卯向,宜其貴皆以武功。且正幹分受,鍾山川正氣,主忠貞而悠永不替焉。

混港・洪港兩條の溪水一左一右龍身を夾護して送り來り、五里之外に在りて交會す。水口一帶の衆山は、皆大龍の枝脚交錯纏護せるなり。只だ此の穴山腰上に結び、下方一片の田畲を鋪き、餘氣拖る甚だ長く、不免頓挫跌落し、看て「順局」に似たる有り、常格と稍や異なり。不過山勢本來高大、穴雖も高處に在ると、仍お算して山脚一帶に在り。穴場に登れば、四面平坦氣を聚め、既に高きを覺えず、又外面に傾瀉跌落の毛病有るを看出さず。此れ正に其の好處なり。只だ後人要に離鄕して乃ち發貴す。亦正に此の緣故に因る。再者、龍勢牽連未だ斷ぜず、煞氣尚未だ除盡せず、又是高金星結穴、武星に屬す。金西方に旺え、此地庚方之脈を以て入首し、卯向を立つ。ゆえに後人の顯貴皆武功上に出ず。而且其の禀受するは正幹分下の脈、山川の正氣を凝聚す。故に子孫忠貞、福澤悠久替わらずを主る。

舊有記云:混港東,洪港西,裡有池塘外有溪言二水夾送眞龍,而結穴處裡有泉注,外有溪送。一如龍子去尋母老龍抽嫩枝,盤桓眷戀,又如龍母去盤兒大山包裹,小山結穴。遠看山斷卻不斷,近看子母不相離穴星貼大帳中。滿床牙笏渾閒事,百萬軍聲唱若齊言貴之多皆以武也。今鄉傳為楊筠松益避巢亂,過此愛之,求以葬母。後其孫有為麟州刺史者,值時亂,天下分南北,莫能歸,遂居太原,世為邊將雲。即楊無敵等,亦莫考其寔。

舊時一段の鉗記有りて說く「混港東、洪港西、裡に池塘有り外に溪有り」――原注此れ說くは兩條の水真龍を夾送し、結穴之處裏面泉水注積有り、外面溪流護送有り。「一たび龍子の母を尋ね去るが如く」――原注此れ說くは老龍嫩枝を抽出し、盤桓して去らず母山に依戀す。「又龍母の兒を盤くが如し」――原注此れ說くは大山外に包裹し、小山中间に結穴す。「遠く看れば山斷るも却って斷えず、近く看れば子母相離れず」――原注穴星緊く大帳の中に貼るを說く。「滿牀の牙笏渾として閒事、百萬軍聲齊しきが若く唱す」――原注此れ說くは富貴雖も多しと、却って皆武功上より得るを。如今鄕里相傳ふ。是れ楊筠松黃巢之亂を躲避せんが為め、此地を路過し之を愛戀し、此の塊の地を求得し母を葬る。後來其の孫輩の中麟州刺史に做到する有り。正に亂世に逢い、天下南北に分かれ、返鄉する無法、於是太原に定居し、世代邊將を做る。至於是不是楊無敵那一支も、亦考實する無きのみ。

按:是地山勢麄雄,不見脫卸,而煞氣未除。兼以僻在萬山中,局甚逼窄,無龍虎明堂,不見外洋,不入俗眼。只是穴情一小窩可受,所謂璞中之玉,非哲師莫辨。傳疑楊無敵,宋初太原人。父信漢,麟州刺史。無敵名業,事劉崇,屢立戰功,時號無敵。太宗征太原,業勸其主繼禮降,以保生眾。太宗召見,以業為代州兼三交駐泊兵馬都部署,屢與契丹戰,被擒,不食而死。業不知書,忠烈武勇,有智謀,與士卒同甘苦,故士卒樂為之用。

按語。此の塊の地山勢粗獷雄壯、層層の剝換脫卸の痕跡を看出さず、煞氣還って褪盡せず。加うるに它僻處萬山の中、局面甚だ逼仄、龍虎砂と明堂無く、外面の大局を望見せず。因而俗人の眼に入らず。所能取は只だ穴情上那の一個の小窩生氣を承接す可き、正に所謂璞玉石中に藏る、高明の師父に非ざれば分辨出來せず。以下是姑く疑說を存する楊無敵事跡。楊無敵は宋初の太原人。父楊信後漢時麟州刺史を做る。無敵本名楊業、起初北漢劉崇に事奉し、屢々戰功を立て、當時人他を「無敵」と稱す。宋太宗太原を征討し、楊業其の君主劉繼元に勸め以て禮を以て歸降し、以て衆人の性命を保全せしむ。太宗召見後、楊業を代州刺史兼三交駐泊兵馬都部署に任じ、他多次契丹と交戰し、後來俘に為られ、絕食して死す。楊業文墨に通ぜず、却って忠烈勇武、甚だ謀略有り、士卒と甘苦を同じくす。故に士卒皆樂んで他の為め效命す。

子延昭,太宗時以崇儀使知保州,屢敗契丹。後為商陽關副都部署,智勇善戰。契丹憚之,目為楊六郎。昭子文廣,從狄青南征,為廣西鈐轄,知宜、邕二州,英宗稱為名將。屢遷興州防禦使、秦鳳副總管。後徙定州,遷部軍都虞候。遼人爭地界,文廣獻陣圖,並取幽、燕策,未報而卒。其後世為邊帥。

其の兒子楊延昭、太宗時崇儀使の身份を以て保州知州に任じ、多次契丹を擊敗す。後來商陽關副都部署に出任し、智謀有り又善戰、契丹人他を畏懼し、他を「楊六郎」と稱す。楊延昭の兒子楊文廣、狄青の南征に隨い、廣西鈐轄に任じ、宜州・邕州兩州知州を做り過ぎ、宋英宗他を名將と稱す。此後屢次升遷し、興州防禦使・秦鳳路副總管に做到し、後又定州に調到し、部軍都虞候に升任す。遼人來り地界を爭う時、楊文廣陣圖を獻上し、並びに幽州・燕州を收取の方略を進呈す。朝廷未だ答復せざるに他去世す。其の後代世代邊疆の統帥を做る。

左地在豐城縣,土名堯坊筲箕窩,乃陸氏祖墓。其龍起自眞軍腦,沖天火星作祖而來。迢遞至堯坊,脫卸平崗,左棲右閃,逶迤活動。將入首,頓起走馬金星。數節大斷,起正體太陽金星,開口成大窩穴格。登穴視之,有似空曠粗大。殊不知逆水漲潮,妙在粗大。穴雖空曠,亦不足畏。下手廟山,收盡洋朝諸流之水,山川相等,四獸和平。陸氏葬後,人財聚發,時通公官侍御。夢麟侍御,夢豹主事;曰應川、曰策,登科甲,福祉未艾。

左邊此の塊の地は豐城縣に在り、地名を堯坊筲箕窩といふ。是れ陸氏の祖墳なり。其の龍脈は真軍腦に發源し、一座の冲天の火星を以て祖山と作し來り、遠々迤邐して堯坊に到り、剝換脫卸して平緩の山崗と成り、忽ち左忽ち右穿插閃跌し、逶迤にして靈活なり。「入首」に到らんと將に、一座の走馬金星を頓起し、又幾節の大斷續脈を經、一座の正體太陽金星を起し、前に向い口を開き、大窩穴の格局と成る。穴場に登り一見すれば、似乎空曠にして粗大と顯る。殊に知らず此地水流逆りて來朝し、漲潮の上涌するが如く、妙處恰恰粗大上に在り。ゆえに穴雖も空曠なるも亦懼るに足らず。下手方向一座の廟山有り、外洋朝來の各路の水を皆收攏し住す。山と水彼此均稱、四方の護衞之山平和有序。陸氏安葬後、人丁と財富一齊に興發す。陸時通官侍御史に至り、陸夢麟亦侍御史を做り、陸夢豹主事を做る。此外陸應川・陸策皆科甲を考中す。福澤至今未だ歇せず。

右地在樂平縣南七十里,土名軍山。其龍來歷長遠,不詳述。將入局,平田廣野中崛起高山,勢侵雲漢,綿亙百餘里,雄冠一方。峰巒層疊,正脈中出,枝腳蕃衍。入首開大帳,帳中落脈,屈曲而下,走弄如蛇。抽出平崗,貼在邊帳之內。復起頂開窩結穴,窩中平淺如仰盤,弦稜圓整,天然可愛。兩掬彎抱有情,左臂一山逆抱過穴,為近案,以收大溪之水。隔溪遠山朝拱,四勢尊嚴,內堂緊夾,外洋寬暢,誠吉地也。取作漁翁撒網形,卯龍,庚酉向。許氏樂邑右族,而此地又許氏諸地之首稱。廖金精嘗讚美之曰:“行盡樂平路,無如許婆墓。”誠非虛譽。

右邊此の塊の地は樂平縣南七十里に在り、地名を軍山といふ。其の龍脈の來歷は甚だ遠く、此處詳述せず。本局に入らんと將にする時、平疇曠野の中に突如一座の高山を起し、氣勢直ちに雲天に插し、綿延一百餘里、一方に雄踞す。峰巒層層疊疊、正脈中間より抽出し、枝脚繁衍衆多。「入首」の處に到り大帳を張開し、龍脈帳中より落下し、屈曲下行し、遊走盤繞すること一條の蛇の如く、一段の平岡を抽出し、緊く邊帳の内に貼す。隨後又一座の山頂を起し、窩を開き穴を結ぶ。窩中平淺にして一隻の仰放する盤の如く、弦棱圓整、天然可愛。左右兩臂彎抱情意有り、左臂の那座の山逆向に抱えて穴前を過ぎ、近案を充当し、以て大溪之水を收納す。溪を隔つる遠山前に來り朝拱し、四面形勢莊嚴、内明堂緊湊、外洋開闊、實に塊の吉地なり。名を取りて「漁翁撒網」形と為す。卯方の來龍、庚酉向を立つ。許氏は樂平縣の望族、而して此の塊の地又許氏各處墳地中最も盛名を負う。廖金精曾て贊美していう「樂平の路を行き盡くすに、許婆の墓の如く無きなり」と。此れ實に虛譽に非ず。

葬後,自宋元以來,許氏出科第數十人,登仕籍者百餘人,且多忠貞節義雲。但穴後一水,春夏之交自帳上飛下,如瀑布百丈,乃白刃之象。此瀑布穴上不見,亦不聞聲,但自穴後飛下。故國初,許瑗以忠奮死節於太平府。太祖平定寰宇後,論功追封高陽候,是其應也。今人丁蕃衍,富貴未艾。按:瀑布泉乃如白刃之狀,宅墓俱不宜見,即吉地亦有兵刃之應。此水宜居水口間,謂之掛劍水,於內必有大地。如匡廬瀑布泉,乃西江水口也。

安葬の後、宋・元以來、許氏幾十位の登科する人を出し、仕籍に入る者一百餘人、而且多く忠貞節義之士有り。只だ穴後一股の水有り、春夏之交帳幕上より飛瀉し下り、百丈の瀑布の如く、此れ「白刃」の象なり。所幸此の道の瀑布穴上に在りて既に見えず、又聲を聽かず、只だ穴後より飛落す。ゆえに本朝開國の初、許瑗忠憤に因り奮發して太平府に殉節す。明太祖天下を平定し後功を論じ、他を追封して高陽侯と為す。此れ正に那の道の瀑布の應驗なり。如今許氏人丁繁衍、富貴仍未だ衰歇せず。按語。瀑布泉形狀如同白刃、住宅と墳墓皆之を見るを宜とせず。卽便吉地なるも亦刀兵の應有らん。此の種の水宜しく水口の間に處る、那便ち「掛劍水」と叫び、其の内必ず大地有らん。譬えば廬山の瀑布泉、便ち正當西江の水口に當る。

右地在吾邑南門外五里,地名長塘。其龍與縣龍分脈後,起五星聚講,入局開五腦梅花帳,磊落數節,大斷穿田,起串珠金四座。又大斷走弄,三星結金星開口,成深窩穴格。窩既深,卻中垂微乳,穴安乳頭,賴公所下,取曰草蛇吐舌形。艮龍,扦癸山丁向。葬後,餘氏連登科甲,富貴雙全,迄今未艾。

右邊此の塊の地は我らの縣城南門外五里に在り、地名を長塘といふ。其の龍脈縣城主龍と分開し後、先ず「五星聚講」を起し、本局に入り一座の五腦梅花帳を張開し、磊落として起伏すること幾節、一度の大斷を經て田を穿りて過ぎ、四座の串珠の如き金星を起す。再一次大斷、盤繞遊走し、三座の星峰の後一座の金星を結成し前に向い口を開き、深窩穴の格局と成る。窩既に深く、中間却って一點の微乳を垂下すれば、便ち穴を乳頭上に安ず。此れ賴布衣の點じし所、名を取りて「草蛇吐舌」形と為す。艮方の來龍、癸山丁向を立つ。安葬の後、余氏接連して科甲を考中し、富と貴兼得、到今天未だ衰歇せず。

按:深窩格,窩既深,必有微乳,乃陽中又有陰,方有融結。否則,純陽無化氣,不能結穴,謂之空窩,葬之主絕人丁。但此等微乳,非哲師莫能辨。此地若以山勢星辰取形,全不類蛇。賴公乃命形曰“草蛇吐舌”,蓋全以穴情取之,其旨微矣妙矣。哲師之重穴如此,孰謂賴氏專於天星而不論形穴哉!

按語。深窩此の格、窩既に深ければ、便ち必定一點の微乳有るを要す。那れ乃ち「陽中又陰有り」、方能凝結して穴を成す。否則純陽無陰、交感化生之氣無く、結成して穴と成らず、「空窩」と叫ばる。葬り入れば人丁斷絕を主る。不過此の種の微乳極めて細微、高明の師父に非ざれば分辨出來せず。此の塊の地若し山勢星體に按じて形を取らば、完全に蛇に像らず。賴布衣却って命名して「草蛇吐舌」と為す。那は全く穴情上より著眼して取りし名、用意精微にして巧妙なり。高明の師父穴を看重すること此の地步に到る。誰か還って賴氏只だ天星方位を講じて形與穴を論ぜずと說かんや。

以上開窩穴格,即廖金精開口穴也。姑附此數圖,以見其概。夫窩穴為穴法第一格,惟要大小深淺適得其宜,不可太小,不可太大,不可太深,不可太淺。大窩、深窩又須窩內有微乳微突,方有化氣。其小窩、淺窩,切有弦稜明白,兩掬彎抱,窩中平坦天然,此為融結得眞。如太小淺,恐開窩不明,又非眞結。務宜細察,不可潦草,慎之!慎之!

以上是窩穴を開く各格、即ち廖金精の所謂開口穴なり。姑く此の幾幅の圖を附し、以て其の大概を見ん。窩穴は穴法中の第一格、只だ大小深淺皆恰好好處に到るを求む。太小す可からず、太大す可からず、太深す可からず、太淺す可からず。大窩と深窩は、還って必ず窩内一點の微乳或は微突有るを要し、乃ち交感化生之氣有らん。至於小窩と淺窩は、一定要弦棱分明、左右兩臂彎抱し、窩中平坦にして天然に出ず。此れ乃ち真に凝結を算す。倘若過分に小さく淺ければ、怕る開窩の象顯れず、那も亦非真結作。務必仔細に審察し、草率す可からず。切記切記。

鉗形の穴を論ず

凡鉗中微有乳,宜就乳頭扦穴,忌乳頭峻急,腳下落槽。凡鉗中微有窩,宜就窩中扦穴。忌漏槽、貫頂、界水淋頭。鉗穴即廖氏開腳穴也。凡曰釵,曰虎口,曰合谷,曰夾穴,曰僊宮,曰單提、雙臂、單股、弓腳等形,皆鉗穴之異名耳。乃穴星開兩腳者也,平地高山皆有之。除星體另論外見穴星卷,而鉗之為形,凡八格,曰直鉗,曰曲鉗,曰長鉗,曰短鉗,曰雙鉗。此五者為正格。

圖旁兩條の注語說く。凡そ鉗口中微微に乳形を生出するは、應當乳頭に就着き下葬し、忌諱するは乳頭陡峻急促・脚下落成する水槽。凡そ鉗口中微微に窩有るは、應當窩裏に就着き下葬し、忌諱するは「漏槽」(槽水漏泄)・「貫頂」(水頂上より直冲)と「界水淋頭」。以下是正文。鉗穴は即ち廖金精の所謂「開脚穴」。凡そ釵・虎口・合谷・夾穴・仙宮、及び單提・雙臂・單股・弓脚等等の名目と叫ぶは、皆不過鉗穴の別稱。其の様子は穴星前に向い兩條の脚を分開す。平地と高山皆有り。星體の分類別に專卷討論有り(原注、穴星卷を見よ)。單に鉗の形狀に就きて說けば、共に八格有り。直鉗・曲鉗・長鉗・短鉗・雙鉗、此の五種は正格なり。

又有邊直邊曲,曰仙官;邊長邊短,曰單提;邊單邊雙,曰疊指。此三者為變格。八格各有二體,一是鉗中微有乳,乃乳穴之變來者,宜就乳頭插穴。要兩邊界水明白,頂頭圓正。切忌乳頭粗硬,腳下落槽,左右折陷,元辰直長。一是鉗中微有窩,乃窩形之變來者,宜就窩間扦穴。要弦稜分明,頂頭圓正。切忌漏槽、貫頂、界水淋頭,不可不審。

此外還って一邊直一邊曲の有り、「仙官」と叫ぶ。一邊長一邊短のは、「單提」と叫ぶ。一邊單一邊雙のは、「疊指」と叫ぶ。此の三種は變格なり。八格各々兩種の體式有り。一種は鉗口中微微に乳形を生出し、那は乳穴より變化して來り、應に乳頭に就着き下葬す。兩邊の「界水」分明、頂端圓正を求め、切に忌むは乳頭粗硬・脚下落成する水槽・左右塌陷・穴前の「元辰水」筆直長瀉。另一種は鉗口中微微に窩有り、那は窩形より變化して來り、應に窩中に就着き下葬す。窩口弦棱分明、頂端圓正を求め、切に忌むは漏槽・貫頂と界水淋頭。此れら皆細察せざる能わず。

八格之形,又各有俯仰不同。身俯則須微乳,面仰多是微窩,葬同前推。廖氏云 “凡開腳之穴,靈光向內而潛藏,餘氣貼身而護衛,左右或有不齊,上下初無二用,所以謂之吉穴”是也。大要頂上端圓,鉗中藏聚,弓腳必須逆水,單股切忌直長。最怕漏槽貫頂,界水淋頭,元辰傾瀉,堂水卷廉。

八格の形狀又各々俯・仰の別有り。山身前に向い俯するは、鉗中須く微乳有るべし。山面上に向い仰ぐは、鉗中多く微窝。下葬の辦法前面所說と相同、類推す可し。廖金精のいう「凡そ開脚の穴は、靈光内に向い潛藏し、餘氣身に貼して護衛し、左右或いは不齊有り、上下初め二用無し。所以之を吉穴と謂う」――靈秀之氣内に向い潛藏し、多餘之氣山身に貼して護衛を充当し、左右兩脚時に長短不齊、可上下相承の用法始終一致。故に吉穴と稱す。總の要求は頂上端正渾圓、鉗中氣を藏得住し、彎弓の如き脚必ず水勢に逆りて兜轉し、單股の一邊切に直く長きを忌む。最怕るは漏槽・貫頂・界水淋頭・元辰水傾瀉直出、及び明堂之水反向に卷き去る(「卷簾」)。

《經》曰:“鉗穴如釵掛壁隈,惟嫌頂上有水來。釵頭不圓多破碎,水傾穴內必生災。”吳公《秘訣》云“鉗穴元辰多不收,莫教直瀉退田牛。明堂融聚財砂遶,定有榮名播九州島”是也。又有橈棹之間、枝葉之內、界水之中,多有直鉗,謂之假鉗、虛鉗,務須詳辨。如誤下之,主退敗資財,多出疾病幼孤老寡,隨以絕滅,不可不慎。若後龍眞的,入首明白,星辰合格,證佐分曉,此穴最貴。

『葬經』にいう「鉗穴は釵の壁隈に挂くるが如し。惟だ頂上水の來る有るを嫌う。釵頭圓ならず破碎多ければ、水傾きて穴内に入れば必ず災を生ぜん」――鉗穴形は玉釵の牆角に挂るに像り、最怕るは頂上に水冲り下る。釵頭圓ならず破碎多ければ、水一たび穴中に傾り入れば必ず災禍を生ず。呉景鸞の『秘訣』にいう「鉗穴元辰多く收めず。直瀉して田牛を退かしむること莫れ。明堂融聚し財砂遶れば、定まりて榮名の九州島に播る有らん」――鉗穴の元辰水多く收拾し住せず。切に它を直瀉出すこと莫れ。那会田產を敗退せしむ。若し明堂氣を聚め財砂環繞せば、便ち必定榮名の九州に傳播する有らん(底本「九州」誤り衍して「九州島」と作る。仍お照錄す)。另外、「橈棹」枝脚の間・枝葉の内・界水の中にも、亦常に直鉗の様子を出現す。那を「假鉗」「虛鉗」と叫ぶ。務必仔細に分辨せよ。若し誤り其中に葬らば、家財敗退、多く疾病を出し、及び幼年父を喪う孤兒と寡を守る老婦を主り、隨後便ち絕嗣に告ぐ。慎まざる可からず。倘若後面の來龍真確、入首清楚、星體合格、佐證分明ならば、那末鉗穴は最も尊貴なり。

鉗形八格:直鉗、曲鉗、短鉗、長鉗、雙鉗,以上五者正格也;邊曲邊直鉗、邊長邊短鉗、邊單邊雙鉗,以上三者,變格也。直鉗圖 曲鉗圖 長鉗圖 短鉗圖 凡直鉗者,左右兩腳皆直也。兩腳既直,切忌長硬,須是婉媚短小為佳。若近前有案橫攔為美。大要頂上端圓,鉗中藏聚,方為合格。若兩腳直長,拖拽太重,而上不周正,下復陡瀉,內氣既傾,外無闌截,則非融結,不可下也。凡曲鉗者,左右兩腳彎曲抱內也。兩腳既曲,最要彎如牛角,弓抱穴場,左右交牙猶妙。大要頂上端圓,鉗中藏聚,方為合格。若兩腳雖曲,頂不端圓,界水淋頭,則非眞結,不可下也。

鉗形八格是れ直鉗・曲鉗・短鉗・長鉗・雙鉗、此の五種を正格と為す。邊曲邊直鉗・邊長邊短鉗・邊單邊雙鉗、此の三種を變格と為す。以下四幅の圖題は「直鉗圖」「曲鉗圖」「長鉗圖」「短鉗圖」。底本圖形已に佚し、僅かに圖題與逐格の說明を存す。先ず直鉗を說く。所謂直鉗は、左右兩脚皆筆直なり。兩脚既に直ければ、便ち切に又長く又硬きを忌む。須く是れ柔婉短小なるを良しとす。若し近前案山の横攔有らば、更に美なり。總の要求は頂上端正渾圓、鉗中氣を藏得住し、乃ち合格を算す。倘若兩脚又直く又長く、拖拽すること太過、上頭又不周正、下面還って陡然傾瀉し、内氣既に傾泄し、外面又遮攔收束無ければ、那就真結作に非ず、下葬す可からず。再び曲鉗を說く。所謂曲鉗は、左右兩脚彎曲して内に向い環抱す。兩脚既に彎曲すれば、最も緊要は彎ること牛角の如く、弓身穴場を抱住す。若し左右兩脚還って能く牙齒の如く交錯搭合せば、那就更に妙なり。同樣に頂上端正渾圓、鉗中氣を藏得住し、乃ち合格を算す。倘若兩脚雖も彎曲すと頂端却不端正渾圓、又界水頂上より淋り下る有れば、那就真結作に非ず、下葬す可からず。

凡長鉗者,左右兩腳皆長也。兩腳既長,切忌直硬,亦不可太長,太長則元辰直瀉,牽動土牛。須是長得其宜,而婉媚為佳。惟近有低案橫抱,則不忌長。大要頂上周圓,鉗中藏聚,方為合格。若兩腳長硬,元辰傾瀉,內氣不收,外復曠野,則無融結,不可下也。

所謂長鉗は、左右兩脚皆長し。兩脚既に長ければ、便ち切に又直く又硬きを忌み、亦過長す可からず。太長なれば則ち穴前の元辰水筆直に瀉り走り、地氣を牽動して外流せしむ。長は長く適度を得、而且姿態柔婉なるを良しとす。只だ一種の例外的り。近前若し低矮の案山の横抱有らば、那就不長きを忌諱せず。總の要求は頂上周正渾圓、鉗中氣を藏得住し、乃ち合格を算す。倘若兩脚又長く又硬く、元辰水傾瀉して出で、内氣收拾し住せず、外面又是一片の曠野、那就結作無し、下葬す可からず。

凡短鉗者,左右兩腳皆短也。不宜太短,太短則護穴不過,開腳不眞。須是短得其中,或外有抱衛,方為合格。若短不護穴,至於漏胎。若外無包裹,穴必孤寒。兼以星頭峻急,或不周圓,皆非眞結。況短鉗之穴,最忌粗大。惟嫩巧婉媚,頭面光彩,四應有情為美。若反此則無融結,不可下也。

所謂短鉗は、左右兩脚皆短し。但し太短を宜とせず。太短なれば便ち穴を護住し得ず、「開脚」の象亦真ならず。短は短く適中を得、或は外面別に山の來り環抱護衛する有り、乃ち合格を算す。若し短く到るに穴を護住し得ざれば、便ち「漏胎」――胎息之氣外泄す。若し外面又包裹無ければ、穴便ち必定孤單寒薄。再加上星峰の頭部陡峻急促、或是不够周正渾圓、那皆真結作に非ず。況んや短鉗之穴最も粗大を忌む。只だ嫩巧柔婉・頭面光潤・四周照應有情有るのみ乃ち美を算す。若し此と相反せば、便ち結作無し、下葬す可からず。

凡直鉗、長鉗,皆緊夾貼身,入穴抱掬有情。不似龍虎推車,長直無情之比,方為眞格。雙鉗圖一 雙鉗圖二 雙鉗圖三 此兩邊齊對,一長一短,不相閗競,乃為吉。 此兩宮弓抱,一前一後,穿牙護穴,不相尖射,乃為吉。 此內兩臂甚短小,名曰夾勢,忌其尖射,名曰夾刃,凶也。

凡そ直鉗・長鉗は、兩脚皆緊緊に夾護し、山身に貼し、進みて穴前に到る時能く環抱兜掬し、情意有るを顯し、「龍虎推車」の如く又長く又直く毫も情意無きに像らず、此れ乃ち真格を算す。以下三幅の圖題は「雙鉗圖一」「雙鉗圖二」「雙鉗圖三」。底本圖形已に佚し、僅かに圖題與各圖說明を存す。第一幅。兩邊齊整相對し、一長一短、彼此不爭不鬥、是れ吉。第二幅。兩側の脚彎弓相抱し、一前一後、牙齒交錯の如く穴場を護住し、彼此尖角を以て相射せず、是れ吉。第三幅。裏面那の兩條の臂膀甚だ短小、「夾勢」と叫ぶ。但し要に忌諱す它らの尖角相射、那就「夾刃」と叫び、是れ凶。

凡雙鉗者,兩腳左右皆生雙枝者也。或三或四以上皆同。但鉗多必須交牙為美,否則元辰太長,眞氣不聚。凡雙鉗之格,有三體。有左右皆雙到者,要彎曲有情,不成相閗。有左右一前一後到者,要交牙弓抱,不相尖射。有內兩臂短小者,廖氏謂之夾勢。不可尖射,尖射則為夾刃。夾勢貴,夾刃凶。宜用工鋤去尖利,作馬蹄形則吉。大抵雙鉗,宜左右相護交牙,方為合格。若兩宮對射,或閒曠不交,皆非吉穴,不可謂其合雙鉗而用之也。

所謂雙鉗は、左右兩脚各々又兩條の枝を生出する。三條・四條乃至更多を生ずるも、道理相同。不過鉗脚一たび多ければ、必ず彼此交錯搭合して乃ち美なり。否則元辰水路太長、真氣聚まり住せず。雙鉗一格共に三種の體式有り。一種は左右皆雙を成して來り、彎曲有情・至らず互相爭鬥するを要す。一種は左右一前一後して來り、交錯弓抱し・尖角を以て互射せざるを要す。一種は裏側那の兩條の臂膀短小、廖金精之を「夾勢」と稱す。亦尖角相射す可からず。一たび相射すれば「夾刃」と成る。夾勢は貴を主り、夾刃は則ち凶。此の時宜しく動工して尖利の處を鋤掉し、馬蹄形に修成すれば便ち吉なり。大體にして雙鉗は應當左右互相護衛・交錯搭合し、乃ち合格を算す。若し兩側尖角相對互射し、或は空曠散開して互に交搭せざれば、皆吉穴に非ず。它の「雙鉗」の名に合乎するに因りて貿然使用する能わず。

鉗形變格 邊曲邊直圖 邊長邊短圖 邊單邊雙 此右曲左直,名曰右仙官,亦曰右官腳。 此左曲右直,名曰左仙宮,亦曰左官腳。 此右長左短,名曰左單提。 此左長右短,名曰左單提。 此右雙左單鉗穴,名曰右疊指。 此左雙右單鉗穴,名曰左疊指。

以下是鉗形の變格、三幅の圖題分別是れ「邊曲邊直圖」「邊長邊短圖」「邊單邊雙」。底本圖形已に佚し、僅かに圖題及び六條の圖注を存す。圖注依次に、右邊彎曲・左邊筆直のは、「右仙官」と叫び、亦「右官脚」と叫ぶ。左邊彎曲・右邊筆直のは、「左仙宮」と叫び、亦「左官脚」と叫ぶ。右邊長・左邊短のは、「左單提」と叫ぶ。左邊長・右邊短のは、亦「左單提」と叫ぶ(兩條の圖注原文此の如し、一名兼ねて兩式を指す)。右邊成雙・左邊單條の鉗穴は、「右疊指」と叫ぶ。左邊成雙・右邊單條の鉗穴は、「左疊指」と叫ぶ。

此鉗之左右不均,邊曲邊直者。廖氏名曰弓腳,乃左右之腳,或左曲右直,或右曲左直。亦名仙宮。必須曲股逆水,乃為合格。若曲股順水,加以尖利走竄,最為不吉。卜氏云:“東宮竄過西官,長房敗絕;右臂尖射左臂,幼子貧寒。”極驗,不可下也。

此の一式は鉗の左右不勻・一邊彎曲一邊筆直のもの。廖金精它を「弓脚」と叫び、左右兩脚或は左曲右直、或は右曲左直を指し、亦「仙宮」と稱す。它は必ず彎曲する那一股を水勢に逆りて兜轉せしめ、乃ち合格を算す。倘若彎曲の一股水に順い走り、再加上脚頭尖利・竄逃奔走の勢有れば、那是最も不吉利。卜應天のいう「東宮西官を竄過すれば、長房敗絕す。右臂尖射左臂せば、幼子貧寒なり」――左邊の砂右邊に竄過すれば、長房便ち敗落絕嗣す。右臂尖角を以て左臂に射れば、幼子便ち貧寒。此の話極めて靈驗、此の種の形勢に遇上すれば下葬す可からず。

此鉗之左右不均,邊長邊短者。廖氏名曰單股,乃左右之腳,或左長右短,或左短右長。亦謂之單提。必須長股逆水,方為合格。若長股順水,則非吉穴。此鉗之左右不均,邊單邊雙者。廖氏名曰疊指,乃左右之腳,或左單右雙,或右單左雙是也。雖其左右單雙不均,卻要穴上見其均勻為佳。又須雙邊逆水,外股長曲弓抱,方為合格。若長枝順水,有飛走之勢,不可下也。此穴形類疊指,主人戲樂無度,愛賭博。然龍眞穴的,決不破家。直至龍盡氣止,福力已竭,亦以賭錢而敗。主生六指之人。

此の一式は鉗の左右不勻・一邊長一邊短のもの。廖金精它を「單股」と叫び、左右兩脚或は左長右短、或は左短右長を指し、亦「單提」と叫ぶ。它は必ず長の那一股を水勢に逆りて兜轉せしめ、乃ち合格を算す。若し長の一股水に順い下れば、便ち吉穴に非ず。再び一式は鉗の左右不勻・一邊單條一邊雙條のもの。廖金精它を「疊指」と叫び、左右兩脚或は左單右雙、或は右單左雙を指す。雖も左右單雙不勻、却って穴上に立ちて看るに均勻を顯すを要求す。還って雙を成す那一邊逆水し、外側一股長く彎曲して弓抱し來るを要し、乃ち合格を算す。倘若長の枝脚水に順い去り、飛奔逃走の勢頭を帶びれば、便ち下葬す可からず。此の種の穴形狀疊起の手指に像り、人の貪玩無度・賭博を喜好するを主る。不過只だ龍真穴的なるを要し、終に破家せず。一直に到るに龍脈走盡・地氣止息・福力耗竭の時、乃ち仍お賭錢に因り敗落す。此の格還って六指の人を生出すを主る。

凡鉗穴,各有二體。一是鉗中微有乳,一是鉗中惟有窩。其鉗之曲直長短等格,又各有左右轉金、轉火、轉水、轉木、轉土,及一腳轉金,一腳轉木,一腳轉水,一腳轉火,一腳轉土,凡二十五格,及帶曜穴格,各與前窩穴相類。圖繁不載,學者例推之可也。鉗穴名地諸圖附後。

凡そ鉗穴は、皆各々兩種の體式有り。一種は鉗中微微に乳形を生出し、一種は鉗中只だ一個の窩有り。鉗の曲・直・長・短等各格、又各自還って左右兩脚同く金形に轉じ・同く火形に轉じ・同く水形に轉じ・同く木形に轉じ・同く土形に轉ずるの分別有り、及び一脚金に轉じ而も另一脚木に轉じ・水に轉じ・火に轉じ・土に轉ずる之類の搭配、總共二十五格。此外還って「曜氣」を帶びる各種の穴格有り。此れら皆前面窩穴を講ずる時の分法に相類す。圖太も繁多なるに因り、不再刊載せず。學者例に依り類推すれば是れなり。鉗穴の名地諸圖は後面に附す。

右地在京山縣南二十里,土名歐家沖。其龍來遠,不詳述。入局起御屏土星,正脈中落,逶迤數節,到頭復束氣,起金星,開鉗結穴。鉗腳掬抱,彎曲有情。下吐餘氈平坦,明堂田源之水特朝。前沙天馬、貴人、旗鼓、排衙羅列,水口交固,而兌峰卓立特秀,乃催貴之地。王氏葬御史虹塘公,宗茂公女配太史李公維楨,以茂齡膺誥封,是其應也。今福祉方隆。凡巽、離、兌三位之峰特秀者,主出女貴。此地兌峰獨秀,甲於群山,故女貴應之。

右邊此の塊の地は京山縣南二十里に在り、地名を歐家冲といふ。其の龍脈來る甚だ遠く、此處細說せず。本局に入り先ず一座の御屏樣の土星を起し、正脈中間より落下し、逶迤幾節、盡頭の處に到り又收束して氣を成し、一座の金星を起し、前に向い鉗を開き穴を結ぶ。鉗脚兜抱環拱、彎曲有情。穴下一片の平坦の餘氈を吐出し、明堂裏田源之水特に來朝す。前面の砂山天馬・貴人・旗鼓等の形有り、衙役排班の如く羅列し、水口交錯緊固。而して西方兌位の山峰卓然挺立・格外秀麗、此れ貴氣を催發する地なり。王氏御史虹塘公を此處に葬り、後來宗茂公の女兒太史李維楨に嫁ぎ、年紀甚だ輕くして誥封を受く。此れ正に其の應驗なり。如今福澤方に興す。凡そ巽・離・兌三個方位の山峰格外秀麗のは、顯貴の女子を出すを主る。此の塊の地獨り兌峰最も秀、群山に冠たり。ゆえに女貴上に應ず。

左地在承天府北四十里,地名老人倉。龍遠不述。入局平崗開帳過峽,牽連如浪湧,擺折活動。入首成太陰金星,開兩鉗結穴。頂圓而鉗腳直夾,細嫩嫵媚。穴下平坦如掌心,四勢和平。葬後第四代出端愍公,大節登進士,官至兵部左侍郎,贈尚書。今世宦未艾。

左邊此の塊の地は承天府北四十里に在り、地名を老人倉といふ。龍脈來る遠く、此處述べず。本局に入り後是一段の平緩の山岡、張帳過峽し、牽連起伏波浪の涌動するが如く、摆折轉折して靈活なり。「入首」の處に到り一座の太陰金星を成し、前に向い兩鉗を開出し穴を結ぶ。星頂渾圓にして兩條の鉗脚筆直に夾護し、形體細嫩嫵媚。穴下平坦手掌心の如く、四面形勢和平均稱。安葬の後第四代端愍公を出し、大節に因り聞こえ、進士を考中し、官兵部左侍郎に到り、死後尚書を追贈す。如今此の一家仍お世代官を為り、未曾衰歇せず。

左地在莆田城北一里。其龍分府幹旺氣,奔騰磊落。入首起金星,開鉗結穴。後坐九華,前對壼山,穴甚尊貴。但兩鉗既長,前鋪餘土,壅塞內堂。葬後三代,偶去穴前之土,二泉公澄源即登會魁,官至方伯。今人文濟濟,福祉未艾。按:是地龍旺穴秀,撞脈安棺,極善。去其餘土,亦天啟其衷耳。造化福善,豈偶然哉!

左邊此の塊の地は莆田城北一里に在り。其の龍脈府城幹龍の旺氣より分かれ、奔騰磊落として來り、「入首」の處に到り一座の金星を起し、前に向い鉗を開き穴を結ぶ。背後九華山に靠り、前面壺山に對し、穴位十分尊貴。只だ兩條の鉗脚既に長く、穴前又堆鋪する多餘の土有り、内明堂を壅塞し住す。安葬の後三代を過ぎ、偶然穴前那の堆の土を除去すれば、二泉公鄭澄源隨即會試第一を考中し、官方伯(布政使)に到る。如今此の一家人材濟濟、福澤未だ歇せず。按語。此の塊の地龍氣旺・穴形秀、又是脈氣に撞着き棺木を安放し、極めて妥善。至於多餘の土を除去するも、亦是れ上天上人の心意を啟發する。造化善人に降福する、哪里か偶然ならんや。

右地在興化府治南三里。其龍分府龍之旺,磅礴綿亙,氣勢雄偉。比入首,大斷穿田,變為平岡。枝腳均勻合格,結倒地木星節包之穴。開鉗明白,兩掬微茫高尺許,彎抱有情。穴上吐出氈唇,證佐分曉。明堂融聚,水口一墩,關鎖交固,誠美地也。葬後,出梅峰公珩,登進士,官方伯。子曰士賓,登會魁,官正郎。孫荊坡公九金,以少年登嘉靖戊辰進士,累任僉憲。人才迭出,富貴方隆。

右邊此の塊の地は興化府衙南面三里に在り。其の龍脈府城主龍の旺氣より分かれ、磅礴綿延、氣勢雄偉。「入首」に到らんと將に一度の大斷を經、田を穿りて過ぎ、平緩の山岡と變じ、枝脚均勻合格、一個の「倒地木星」の節苞之穴を結成す。鉗を開く形象分明、左右兩臂只だ隱約一尺許り高出し、却って彎抱有情。穴上氈唇を吐出し、各種佐證清清楚楚。明堂氣を聚め、水口一座の土墩有り、關鎖交固嚴密、實に塊の好地なり。安葬の後梅峰公方珩を出し、進士を考中し、官方伯に至る。他の兒子方士賓會試第一を考中し、官正郎に至る。孫子荊坡公方九金少年時便ち嘉靖戊辰科進士を考中し、歷任僉都御史。人才一代代出で、富貴正在興盛す。

右地在臨海縣西南五里。其龍發自望海峰左枝,頓起大帳。中有沖天木星,番身轉換,抽出水木,連行數節。兩畔送從齊來。中脈跌斷過峽,有扛夾。再起大帳,落脈做穴,開鉗分明,坐辰向戌,乘幹氣入首。前案如屏如幾,逆水有情。大江橫繞,隔江幘山挺然,臨江雙塔秀異。明堂平坦,又有小水交鎖。登穴觀之,諸峰逞異,雖俗眼亦知其吉地。蓋陽龍陽向,結成陽局,形勢雄勇,力量必大,此其證也,孰謂辰戌可棄諸?但要避其金氣為妙耳。

右邊此の塊の地は臨海縣西南五里に在り。其の龍脈望海峰の左側一枝より發し、一座の大帳を頓起す。帳中一座の冲天木星有り、翻身して方向を轉換し、水星・木星相間の脈を抽出し、連行數節、兩側の護送之山齊頭並進す。中脈跌斷過峽し、兩旁扛夾之山の護持有り。再び一座の大帳を起し、脈を落して穴を做り、鉗を開く形象分明。此の穴辰に坐し戌に向い、乾方之氣を承接して入首す。前面の案山屏風の如く几案の如く、水勢に逆りて來り、甚だ情意有り。大江穴前を橫繞し、江を隔てて幘山挺立し、江に臨む兩座の塔尤其秀異。明堂平坦、又小水交錯鎖護有り。穴場に登り看れば、衆峰各々異態を逞し、連れて外行人も看得出是れ塊の吉地を。此れ因るは陽龍陽向を配し、陽局を結成し、形勢雄壯勇猛、力量必定甚だ大きし。此地即ち明證なり。誰か說かん辰・戌兩個方位該に一概捨棄すべしと。只だ要に設法して其中の金氣を避開して乃ち妙なり。

四金者,辰戍丑未是也。辰有亢金,戍有婁金,丑有牛金,未有鬼金。乘氣分金,必避此亢、婁、牛、鬼之度。然天度五行,又有微妙。四金宿間,復有屬土屬水者,尤為吉度,不可一概謂金氣也。故丑未勝於辰戍。辰戍亦有大吉之度,必眞傳者能知之,能用之耳。此台州王車溪公墓,出五代連登進士。石樑公官太守。曰王宗,會魁、進士,官知府。曰文,進士,官參政。曰冕,鄉魁。曰願,刑部員外。曰璘,進士。曰度,進士、知府。曰胤東、曰亮,進士。福祉未艾。

所謂「四金」は、辰・戌・丑・未四個方位を指す。辰位上亢金龍有り、戌位上婁金狗有り、丑位上牛金牛有り、未位上鬼金羊有り。地氣を承接し坐度を分定する時、必ず亢・婁・牛・鬼此の幾宿の占める度數を避開せよ。不過天上度數の配する五行還って別に微妙之處有り。此の四個の金宿の間、仍お土に屬し水に屬する度數を夾み、那反って最も吉の度なり。一概に金氣と說成す能わず。ゆえに丑・未兩位辰・戌兩位に比して要好し。而して辰・戌の中にも亦大吉の度數有り、只だ真傳を得過ぎたる人乃ち懂得し、乃ち用い來る。此處說く是れ台州王車溪公の墳墓、一連五代皆進士を出す。石梁公官太守に至る。王宗中會試第一・進士を成り、官知府に至る。王文成進士、官參政に至る。王冕鄉試第一を中る。王愿官刑部員外郎。王璘進士を成る。王度進士を成り・官知府。王胤東・王亮も亦皆進士を成る。福澤至今未だ歇せず。

右地在龍泉縣東北三里。其龍分縣龍旺氣,開帳過峽,連起三節金星,即結二穴,皆吉。而右為正穴,乃御史父地。左穴其祖也,曜氣發揚,不利初年。葬後稍不吉,三十年後出貴,大旺,主顯貴鉅富,今福祉方亨。按:是地也,龍分縣脈旺氣,開帳過峽,數節結穴,穴情明白,曜氣發揚,誠吉地也。左穴力差輕。右為正穴,其葬未久,福祉猶未發越。御史公名元啟,號文峰。

右邊此の塊の地は龍泉縣東北三里に在り。其の龍脈縣城主龍の旺氣より分かれ、張帳過峽し、接連して三節の金星を起し、隨即兩個の穴を結成し、皆吉穴なり。其中右邊是れ正穴、葬る是れ御史の父親。左邊那の個の穴葬る是れ他の祖父、「曜氣」發露張揚するに因り、頭幾年不利、安葬の後稍不順有り、三十年之後乃ち貴人を出し、家勢大旺、顯貴與巨富を主り、如今福澤正に亨通す。按語。此の塊の地龍脈縣脈の旺氣より分かれ、張帳過峽し、幾節之後結穴し、穴情清楚明白、曜氣發露張揚、實に塊の吉地なり。左穴の力量稍輕し。右邊是れ正穴、安葬時間還って長からず、福澤尚未だ充分顯發せず。此の位の御史名は元啟、號は文峰。

乳形の穴を論ず

不紐會圖 左右兩臂弓抱,不紐會。 紐會圖 左右兩臂弓抱而紐會。乳穴即廖氏懸乳穴也。一名垂乳,一名乳頭,乃穴星開兩臂,中間生乳者是也。平地高山皆有之。除星體另論外見穴星卷,而乳之為形,凡六格:曰長乳,曰短乳,曰大乳,曰小乳。此四者為正格。曰雙垂乳,曰三垂乳。此兩者為變格。

篇首兩幅の圖有り、底本圖形已に佚し、只だ圖題與注語を存す。一幅題して「不紐會圖」と作り、注に云く左右兩臂彎弓環抱するも、兩端並びに交搭せず。一幅題して「紐會圖」と作り、注に云く左右兩臂彎弓環抱し而且兩端交搭して一處に在り。以下是正文。乳穴は即ち廖金精の所謂「懸乳穴」、又「垂乳」と叫び、亦「乳頭」と叫ぶ。樣子是れ穴星前に向い兩臂を張開し、中間一道の乳形を垂生す。平地と高山皆有り。星體の分類別に專卷討論有り(原注、穴星卷を見よ)。單に乳の形狀に就きて說けば、共に六格有り。長乳・短乳・大乳・小乳、此の四種是れ正格。雙垂乳・三垂乳、此の兩種是れ變格。

六格各有二體,一是左右兩臂弓抱紐會,一是左右兩臂弓抱不紐會。蓋乳穴最忌缺露凹折,故必有兩臂衛區,方為眞結作耳。六格之形,又各有俯仰不同。身俯則須脫煞就粘,面仰又宜湊球接脈,不可不審。若後龍眞的,入首明白,星辰合格,證作分曉,此穴極貴。廖氏云 “凡懸乳之穴,生氣凝聚而下垂,靈光發露而外見,兩宮具到,一乳正中,所以謂之吉穴”是也。

六格各々兩種の體式有り。一種は左右兩臂彎弓環抱し且つ兩端交搭し、一種は環抱して兩端交搭せず。因るに乳穴最も缺口外露・凹陷折斷を忌諱すれば、故に必ず兩臂此の一片の穴場を護住する有りて、乃ち真結作を算す。六格の形狀還って各々俯・仰の別有り。山身前に向い俯するは、須く「脫煞就粘」の法を用い、穴を乳脚下方に退いて以て急煞を避開す。山面上に向い仰ぐは、則ち宜しく「凑球接脈」し、穴を乳上の球檐に湊近けて來脈を承接す。此の兩者細審せざる能わず。倘若後龍真確、入首清楚、星體合格、佐證分明ならば、此の種の穴極めて尊貴。廖金精のいう「凡そ懸乳の穴は、生氣凝聚して下垂し、靈光發露して外見し、兩宮具到し、一乳正中す。所以之を吉穴と謂う」――生氣凝聚して乳に順い下垂し、靈秀之氣發露して外に見る可く、左右兩邊俱全、一道の乳形端正に正中に居る。故に吉穴と稱す。

大要圈中舒暢,乳上光圓。最忌兩臂無情,左空右缺,折陷凹虧,水穿風射。《經》云“乳頭之穴怕風缺,風缺入來人滅絕”是也。又有垂乳而斜曲者,謂之假乳。《經》云“凡是乳穴曲即非,曲是包裹非正穴”是也。蓋正中是垂乳,斜曲是山腳,故爾。

總の要求は兩臂の圍む圈內舒展暢達、乳身上面光潤渾圓なり。最も忌諱するは兩臂毫も情意無く、左邊空缺右邊殘破、折斷凹陷し、水を穿らせ風を直射し入らしむる。『葬經』にいう「乳頭之穴は風缺を怕る。風缺入り來れば人滅絕す」――乳頭穴最も怕るは缺口有りて風を漏る。風一たび灌り入れば便ち人丁滅絕す。此外還って一種乳形垂下するも歪斜彎曲の有り、「假乳」と叫ぶ。『葬經』にいう「凡そ乳穴曲れば即ち非ず。曲は是れ包裹にして正穴に非ず」――凡そ乳穴一たび彎曲すれば便ち真に非ず。那彎曲の其の實是れ包裹護衛の砂、並びに正穴に非ず。因るに真の垂乳必ず正中に在り、歪斜彎曲の那是山脚なり。道理即ち此處に在り。

及有垂乳而粗頑、臃腫、峻急、崚嶒、突露、硬惡,皆謂凶乳。廖氏云:“飽肚粗如覆箕様,醜惡那堪相。”吳公云“粗雄臃腫及峻急,斗煞沖刑大不宜”是也。凡此之類,務須詳辨。如誤下之,主軍賊少亡,孤寒絕嗣,不可不慎。

另外還って垂乳にして形體粗頑・臃腫・陡峻急促・嶙峋不平・突兀外露・僵硬凶惡の有り、皆「凶乳」と叫ぶ。廖金精のいう「飽肚粗きこと覆箕樣の如く、醜惡那堪相なり」――肚腹鼓脹し、粗きこと倒扣の簸箕の如く、醜惡にして看るに堪えず。呉景鸞のいう「粗雄臃腫及び峻急は、鬥煞冲刑大いに不宜なり」――粗豪臃腫又陡峻の乳は、鬥煞冲刑之氣を帶び、最も相宜ならず。凡そ此の一類に屬するは、務必仔細に分辨せよ。若し誤り其中に葬らば、子孫從軍し盜を為り・少年夭亡、或は孤苦寒微以至絕嗣を主る。慎重せざる能わず。

乳形六格:長乳、短乳、大乳、小乳。此四者正格也。雙垂乳、三垂乳。此二者變格也。長乳圖 短乳圖 大乳圖 小乳圖 此長乳者,兩掬中間垂乳長也。不宜太長,太長則脈不活。前輩多以長乳分三停立穴,謂之天、地、人三才之穴,必須要有宛然平坦處,審前後左右四勢情意扦點。不可於峻急、直硬強勉鑿穴。大要兩弓將抱,一乳正中,不欹不側,不峻不粗,方為合格。若長而硬,粗而峻,如飽肚腫腳,如竹篙,如擲槍之類,則非眞結,不可下也。

乳形六格是れ長乳・短乳・大乳・小乳、此の四種を正格と為す。雙垂乳・三垂乳、此の兩種を變格と為す。以下四幅の圖題は「長乳圖」「短乳圖」「大乳圖」「小乳圖」。底本圖形已に佚し、僅かに圖題與逐格の說明を存す。先ず長乳を說く。所謂長乳は、左右兩臂中間垂下の乳形甚だ長し。但し太長を宜とせず。太長なれば則ち脈氣靈活ならず。前輩多く長乳を分けて上・中・下三停と為し穴を立て、「天・地・人」の「三才穴」と稱す。不過必ず宛然平坦の地方を找到し、再び前後左右四面山勢の情意を審視して點穴せよ。陡峻急促・僵直硬實の地方に硬く一個の穴を鑿出す可からず。總の要求は左右兩臂彎弓將に抱かんとし、一道の乳形居中、歪まず側せず、陡からず粗からず、乃ち合格を算す。倘若又長く又硬く、又粗く又峻く、鼓脹の肚子と腫起の脚に像り、一根の竹篙に像り、擲出の長槍に像れば、那就真結作に非ず、下葬す可からず。

此短乳者,兩掬中間垂乳短也。不可太短,太短則力微氣弱。須是短得其宜,界水明白為佳。大要左環右抱,一乳正中,不粗不峻,方為合格。若太短而急硬粗峻,界水不明,或如覆箕,或如頓鍾之類,則非眞結,不可下也。

所謂短乳は、左右兩臂中間垂下の乳形短し。但し太短す可からず。太短なれば則ち力量微弱・氣勢不足。短は短く適宜を得、兩旁の「界水」分明を以て好しと為す。總の要求は左邊環り右邊抱き、一道の乳形居中、粗からず陡からず、乃ち合格を算す。倘若過短にして又急硬粗峻、界水不分明、形狀倒扣の簸箕に像り頓放の大鐘に像れば、那就真結作に非ず、下葬す可からず。

此大乳者,兩掬中間垂乳大也。大近於粗。不可太大,太大則必粗頑臃腫。須是大得其中,不粗不飽為佳。大要左右彎環,抱衛有情,一乳正中,不欹不峻,方為合格。若大而粗,硬而急,肚飽臃腫,闊大懶坦,則無融結,不可下也。

所謂大乳は、左右兩臂中間垂下の乳形大なり。大なれば便ち粗に流れ易し。ゆえに太大す可からず。太大なれば必定粗頑臃腫。大は大く適中を得、粗からず鼓脹せざるを以て好しと為す。總の要求は左右兩臂彎環し、抱護有情、一道の乳形居中、歪まず陡からず、乃ち合格を算す。倘若又大く又粗く、又硬く又急く、肚腹飽脹臃腫、或は寬闊にして懶散平坦なれば、那就結作無し、下葬す可からず。

此小乳者,兩掬中間有微乳也。不可太小,太小則力微氣弱。又恐左右兩掬雄壓欺穴。須是小得其中,乳頭光圓,左右相稱為美。大要兩宮環抱,一乳正中,小而不弱,界水分明,不欹不峻,乃為合格。若太小而甚微,瘦弱尖細,左右欺穴,旁山高壓,則非眞穴,不可下也。

所謂小乳は、左右兩臂中間只だ一點微微の乳形有り。但し太小す可からず。太小なれば則ち力量微弱・氣勢不足。還って左右兩臂過於雄壯にして穴場を壓欺するを怕る。小は小く適中を得、乳頭光潤渾圓・左右と相称するを以て美と為す。總の要求は兩邊環抱し、一道の乳形居中、雖も小なるも弱からず、界水分明、歪まず陡からず、乃ち合格を算す。倘若小く到るに極其細微、瘦弱尖細、左右兩臂反って穴場を欺壓し、旁邊の山又高々と壓住すれば、那就真穴に非ず、下葬す可からず。

雙垂乳圖 三垂乳圖 此乳形變格之雙垂乳者,兩掬中間垂下二乳也。要大小、長短均勻。可下雙穴,福力相等。須星辰尊重,雙乳齊垂,左右抱衛有情,方為合格。若一長一短,一大一小,一瘦一肥,一斜一正則非。宜審其特異者下之。若更不周正,勢非自然,必無融結,不可下也。

以下兩幅の圖題は「雙垂乳圖」「三垂乳圖」。底本圖形已に佚し、僅かに圖題與說明を存す。先ず雙垂乳を說く。此れ是れ乳形の變格。左右兩臂中間兩道の乳形を垂下す。兩乳大小・長短均勻を要求し、並びに兩個の穴を下す可し。兩穴の福力相等し。還って須く星體尊貴莊重、雙乳齊々しく下垂し、左右抱護有情、乃ち合格を算す。倘若一長一短・一大一小・一瘦一肥・一斜一正なれば、便ち不合格。此の時應當其中特別出衆の那一道を審察し、只だ它の上面に下葬す。若し連れて周正も談に足らず、形勢天然に出でざれば、那必定結作無し、下葬す可からず。

此乳形變格之三垂者,兩掬中間垂下三乳也。要大小、長短、肥瘦相等。可下三臺穴。須是後龍旺盛,氣勢弘大,方結此穴。必要三乳同垂,左右迴環,方為合格。若是三乳不均,偏正美惡有異,宜審中乳合格者下之。如中乳又不足觀,則非融結,不可下也。

再び三垂乳を說く。此れ亦是れ乳形の變格。左右兩臂中間三道の乳形を垂下す。三乳大小・長短・肥瘦彼此相等を要求し、並びに三個の穴を下す可し、「三台穴」と稱す。必ず後面來龍旺盛・氣勢宏大、乃ち此の種の穴を結得成す。三道の乳一定要齊々しく下垂し、左右回環護衛、乃ち合格を算す。倘若三乳參差不齊、偏有り正有り・好有り壞有れば、便ち應當居中那一道合格するか否かを審察し、合格なれば便ち中乳上に葬れ。若し連れて中乳も觀に足らざれば、那就真結作に非ず、下葬す可からず。

乳穴,其乳下又各有出金、出木、出水、出火、出土五格,具下:垂 金 生 水 夾 木 帶 火 穿 土 圓者為垂金,當乘金向墜處立穴,方為合法。 曲者為生水,當乘水動下平處立穴,方為合法。 直者為夾木,當分三停立穴,方為合法。 尖者為帶火,當壓殺剪火立穴,方為合法。 方者為穿土,當乘圓就方,量中心立穴。垂乳之下平齊即穿土。凡乳穴者,皆有此五等,及帶曜八格。圖繁,不及詳具。後穴星皆仿此。乳穴名地諸圖附下。

乳穴は乳の下端に在り、又各々出金・出木・出水・出火・出土の五格有り、下面に分列す。五幅の圖題依次に「垂金」「生水」「夾木」「帶火」「穿土」。底本圖形已に佚し、僅かに圖題與圖注を存す。圖注說く。乳下圓形を呈するは「垂金」と叫び、應當金氣を承け・圓勢下墜の處に穴を立て、乃ち合法を算す。乳下曲形を呈するは「生水」と叫び、應當水氣を承け・曲動之下の平處に穴を立て、乃ち合法を算す。乳下直形を呈するは「夾木」と叫び、應當乳身を分けて上中下三停と為し穴を立て、乃ち合法を算す。乳下尖形を呈するは「帶火」と叫び、應當煞氣を壓住し・火尖を剪去して再び穴を立て、乃ち合法を算す。乳下方形を呈するは「穿土」と叫び、應當圓勢を承けて方形に就き、中心を量準して穴を立てよ。垂乳之下平齊方整のは、即ち穿土なり。凡そ乳穴皆有り此の五等、及び「曜氣」を帶びる八格。圖太も繁多なるに因り、一々詳列に及ばず。後面穴星を講ずる時皆此に照りて類推す。乳穴の名地諸圖は下面に附す。

右地在銀邑治南五里,土名桐木塢。其龍來遠不述。比入局,開大帳,帳頂起三臺,落脈磊落,如群羊出棧奔躍,數峰可愛。入首復大斷過脈,轉身頓起星辰結穴。中垂長乳,旁開兩肩,穴安乳頭,不急不飽。前吐餘氈,右拖曜氣。近案一山,緊關內氣,逆收大河。前朝馬上貴人,端拱有情。內堂緊夾,外洋開暢。賴布衣記曰:“桐木塢中扦甲向,三代郡侯家富旺。”餘氏葬後,果出三郡守,曰述先者,其一也。皆守磁州,富盛未艾。左地在吾邑水車宅背。塢龍入局,連立數峰,奔騰磊落。將入首,大斷度脈,轉身垂短乳結穴。前吐餘氈,後拖鬼星。下臂逆掬有力,大溪環繞。前峰馬上貴人朝拱。葬後出念庭公鰲,登進士,官御史,今福祉未艾。

右邊此の塊の地は銀邑縣衙南五里に在り、地名を桐木塢といふ。其の龍脈來る遠く、此處述べず。本局に入り後大帳を張開し、帳頂三台形の山峰を起し、脈を落して磊落有致、一群の羊の欄圈を出で奔躍し下るが如く、好幾座の山峰皆甚だ可愛。「入首」の處に到り又一度の大斷續脈を經、轉身して星峰を頓起し穴を結ぶ。星體中間一道の長乳を垂下し、兩旁肩膀を張開し、穴便ち乳頭上に安んじ、既に急促せず亦鼓脹せず。穴前一片の餘氈を吐出し、右邊曜氣を拖出す。近處一座の案山有り、内氣を緊緊に關攔し、大河之水を逆向に收納す。前面朝山「馬上貴人」形を作り、端正拱揖、甚だ情意有り。内明堂緊湊、外洋開闊。賴布衣の記文說く「桐木塢中甲向を扞す。三代郡侯家富旺なり」。余氏安葬の後、果然三位の郡守を出し、其中一位名は余述先、三人皆磁州知州を做り過ぎ、家道富盛至今未だ歇せず。左邊此の塊の地は我ら縣水車村の宅後に在り。塢中の龍脈本局に入り、接連して幾座の山峰を立起し、奔騰磊落。「入首」に到らんと將に一度の大斷度脈を經、轉身して一道の短乳を垂下し穴を結ぶ。穴前餘氈を吐出し、穴後鬼星を拖る。下方一臂逆向に兜抱し、甚だ力量有り、大溪環繞して過ぐ。前面の山峰「馬上貴人」形を作り前來朝拱す。安葬の後念庭公余鰲を出し、進士を考中し、官御史に至る。如今福澤未だ歇せず。

下地在臺州府治東南七十里,地名水家洋。其龍來自蒼山,厯黃岩,迢遞數百里。中間剝換,不及詳述。至將結數里之外,如雲從霧擁,頓起星峰,橫開大帳,重重過峽,湧起御屏。屏中抽出一脈,石骨清奇,尖秀特異,如玉筍,呼為牛角尖。尖下串珠走馬,又過峽,頓起大陽。中垂大乳,兩肩開翅,亦如唐帽之勢。取仙人坦腹形,仙童案。

下面此の塊の地は台州府衙東南七十里に在り、地名を水家洋といふ。其の龍脈蒼山より來り、黃巖を經、迢迢數百里。中間の層層剝換細說に及ばず。結穴將に成らんとする數里之外に到り、山巒雲涌霧擁の如く、星峰を頓起し、大帳を橫開し、重重過峽し、一座の御屏形の山を涌起す。屏中一條の脈を抽出し、石骨清奇、尖峭秀異、一支の玉筍の如く、人「牛角尖」と稱す。牛角尖之下是れ串珠・走馬一類の過渡山形、又一峽を過ぎ、一座の太陽金星を頓起す。星體中間一道の大乳を垂下し、兩肩翅膀の如く張開し、又幾分唐帽の樣子有り。此地名を取りて「仙人坦腹」形と為し、前案「仙童案」と稱す。

其前朝之山,乃自數十里共祖分枝,遶轉二十里,逆水上奔至穴當前,以為正應。又收明堂之水。其左山亦在十里前共祖分枝,星峰秀異,迭送至穴上手而止。頓起高巖白樓峰,是為北辰,鎮塞內水,挺然可怪,穴中不見。其水即左右兩源,皆自十里外夾送至穴前小明堂交紐。海潮一來,九曲而入。其大江水大交會,一邊天台、仙居、臨海三縣水會,一邊太平、黃岩二縣水會。大海門二山,皆在千里之外,至此交會,以作門戶。此門即臺郡大水口,此地卻近門戶,所謂“大地多居水口間”者是也。

它の前面の朝山は、幾十里外に在り本山と同一祖山の處より分出の枝脚、繞轉二十里、水勢に逆りて上奔し穴の正前方に到り、正對の應山を充当し、同時に明堂裏の水を收住す。左邊那座の山も亦是れ十里之前同祖より枝を分け、星峰秀異、層層護送して穴の上手方に到り停住す。那里高岩上の白樓峰を頓起し、即ち所謂「北辰」、内堂之水を鎮塞し住し、挺拔して些か奇怪、但し穴上に在りては見えず。至於水、即ち左右兩個の源頭、皆十里之外より夾送して來り、穴前の小明堂の處に到り交結す。海潮一たび漲き上れば、曲曲折折九道彎に灌入す。再び外に往けば大江的大交會之處。一邊是天台・仙居・臨海三縣之水の會合、一邊是太平・黃巖二縣之水の會合。大海門の兩座の山皆千里之遙に遠く、此處に到り交會し、水口の門戶を充当す。此の道の門即ち台州一郡の大水口、而して此地恰恰門戶に靠近し、正に「大地多く水口間に居る」の句に合す。

葬後,出太守公龐,登癸丑進士。尚書公寬,登庚戍進士。儒官麟橋。坐庚向甲,貴應庚甲。尚書公甲戍生,太守公庚午生。但庚、酉、辛、甲、癸生人皆貴。且穴星端巖,昌、曲應位,宜有理學名臣、忠孝廉節之應。穴形乳頭大,而復開口平坦,做穴奇怪。初葬下級,復遷上級而得眞穴。

安葬の後、太守公某龐を出し、癸丑科進士を考中す。尚書公某寬、庚戌科進士を考中す。還って儒學官を做る麟橋有り。此の穴庚に坐し甲に向かう。ゆえに顯貴庚・甲兩字上に應ず。尚書公甲戌年生まれ、太守公庚午年生まれ。凡そ庚・酉・辛・甲・癸年生の人皆顯貴。加上穴星端嚴、文昌・文曲兩星本位に應ず。ゆえに宜しく理學名臣及び忠孝廉節之士の應驗有るべし。此の穴の形狀是れ乳頭甚だ大きし、可是乳頭上又口を開き而且平坦、穴を做る手法頗る奇特。起初下面一級に葬り、後來上面一級に改遷し、乃ち真穴を得たり。

右地在臺州府治南三里,土名紫紗岙。其龍發自望海峰,辭樓下殿,大頓小伏,委蛇奔行,有剝有換。比至結穴,作巨門土星。中落一脈,成帶福金星,微微開口,卻吐出唇氈,平坦百丈。後枕巨門如屏。屏後望海峰插入雲中。兩畔聳起尖峰,天乙、太乙、四神、八將、三吉皆相拱照。青龍本身一臂包外,雙塔挺然,應山遠在雲霄。下關逆水遶上,又有陰砂彎抱,小水纏於足下,交固周密,眞吉地也。其左畔一穴尤妙,蓋自帶福金星前分落,又復曲行數節,轉身做穴。界合明白,而內堂之水至此聚注。前有逆水下關之山以為正案,近身陰砂彎如金帶。乃其始祖葬後,科甲蟬聯,乃立愛、立微二公祖也。

右邊此の塊の地は台州府衙南三里に在り、地名を紫紗岙といふ。其の龍脈望海峰より發し、樓臺を辭別し・殿閣を走下するが如く層層降落し、大起大伏又小起小伏し、蜿蜒奔行し、一路剝換す。結穴の處に到らんと將に、一座の巨門土星を作成す。中間一條の脈を落下し、「帶福金星」と成り、微微口を開くも、却って一片の唇氈を吐出し、平坦百丈に達す。背後巨門土星を枕き屏風の如く、屏後望海峰直ちに雲中に插す。兩旁尖峰を聳起し、天乙・太乙・四神・八將・三吉諸星皆環拱照應す。青龍方本身一臂外に包み到る有り、兩座の塔挺然として立ち、應山と作し雲霄に遠し。下手關攔之山水に逆り繞り上り、又陰砂の彎環抱護有り、小水脚下に纏り、交結緊固周密、確かに塊の吉地。它の左邊の一個の穴尤其妙なり。那是帶福金星前面より分落し、又曲折幾節を走り、轉身して穴を做り、界水分合清楚、内明堂之水此處に到り聚注す。前面逆水下關の山有り正案を作し、身に貼する陰砂彎れて一條の金帶の如し。此處是れ他家始祖の葬地、葬後科甲連綿不斷、即ち立愛・立微兩位公の祖墳なり。

右地在南康府治北,土名五里牌。其龍起廬山五老峰,廉貞火星作祖,開大帳,正脈中出,逶迤大斷過峽,起少祖山,又開帳連節,星峰頓跌棲閃,穿田度峽,起金水星,展翅飛蛾入首結穴。開鉗中垂小乳,伶俐圓淨。穴前平坦,氈唇左右彎環掬抱有情。其府治龍,自少祖山分左脈,逆水奔上,纏過穴前,包裹有力。當穴前塌落平田,以獻外秀。塌後復起高山,橫遶右畔,關鎖緊密,以收內氣。前小明堂低田僅十數丈。外陽洋瀾,左蠡大湖數十里暗朝。前面馬上貴人,隔湖端拱。其下白沙山,如褰旗,如橫枷,如叩首,如囚奴,伏列於下,眞美地也。葬後,出劍峰公陶尚德,登嘉靖丙戍進士,官至刑部尚書。母百歲重封,人丁大旺。

右邊此の塊の地は南康府衙北面に在り、地名を五里牌といふ。其の龍脈廬山五老峰より起し、廉貞火星を以て祖山と為し、大帳を張開し、正脈中間より抽出し、逶迤して行き、一度の大斷過峽を經、少祖山を起す。又連れて帳を張ること數節、星峰頓跌起伏・忽棲忽閃し、田を穿り峽を過ぎ、一座の金水星を起し、飛蛾の翅を展くるが一般「入首」の處に到り穴を結ぶ。星體鉗を開き、鉗中一道の小乳を垂下し、形體伶俐圓淨。穴前平坦、氈唇左右彎環兜抱、甚だ情意有り。府城の龍脈少祖山より左邊一支を分出し、水に逆り奔り上り、穴前を纏繞過ぎ、包裹甚だ力量有り。正當穴前塌落して一片の平田を成し、外面の秀色を獻進し入る。塌落處之後又高岡を起し、右側を橫繞し、關鎖緊密、以て内氣を收住す。穴前の小明堂是れ一片の低田、只だ十幾丈の寛さ。外面是れ浩瀚の水面、左蠡大湖數十里遠處に在りて暗暗に來朝す。前方「馬上貴人」形の山湖を隔てて端正拱揖す。其の下の白沙山、形狀あるは卷起の旗に像り、あるは橫放の枷に像り、あるは叩首之人に像り、あるは被囚の奴僕に像り、一々下方に伏列す。實に塊の美地。安葬の後、劍峰公陶尚德を出し、嘉靖丙戌科進士を考中し、官刑部尚書に至る。他の母親百歲の時又重封を受け、人丁極めて旺なり。

重刊『人子須知』資孝地理心學統宗 巻三之下(江右山人徐善繼・徐善述同著)

突形の穴を論ず

突 穴 圖 山谷之穴要藏風。故山谷之突穴,須左回右抱,切忌孤露受風。卜氏云“山谷且要藏風”是也。 平洋之穴要得水。故平洋之突,四畔坦夷,亦不為害。但要界水分明,水勢注聚,或遶抱為佳。卜氏云“平洋先須得水”。突穴即泡穴也。《葬書》云“形如覆金,其巔可富”是矣。凡曰雞心、魚泡、鵝卵、龍珠,及夫紫微旺龍等形,皆突穴之異名耳。乃穴星平中起突者也。

篇首題して「突穴圖」と作る。底本圖形已に佚し、只だ圖題與兩條の注語を存す。一條說く、山谷中の穴要に能く風を藏す。ゆえに山谷裏の突穴必ず左邊回環・右邊抱護し、切に孤零零暴露して風を受くるを忌む。卜應天のいう「山谷且く風を藏す要あり」、正是此の意。另一條說く、平洋之地の穴要に水を得る能し。ゆえに平洋の突穴四周雖も一片坦夷なるも、亦妨害と算せず。只だ界水分明、水勢注聚して潭を成し、或は環繞抱護すれば、便ち好し。卜應天のいう「平洋先ず須く水を得べし」。以下是正文。突穴は即ち「泡穴」。『葬書』のいう「形は覆金の如く、其の巔富む可し」――形狀倒扣の金鐘に像り、其の頂上に葬れば致富し得る。講ずる即ち它。凡そ鶏心・魚泡・鵝卵・龍珠、及び紫微旺龍等等の形名と叫ぶは、皆不過突穴の別稱。其の様子是れ穴星平緩の處に在りて忽然一個の突を鼓起す。

廖氏云如旋螺,如覆杓;卜氏云“平中一突為奇”;郭參軍曰“地有吉氣,土隨而起”者;皆突穴之謂也。平地高山皆有之,而平地為多。高山之突,必須左右環抱,兩臂周遮,方為眞。切忌孤露受風,生氣飄散。平洋之地,忽然起突,惟要界水明白,來脈分曉,左右雖皆平坦,亦不為害。高山求窟,平洋求突,故平洋多。俗謂蜘蛛結網、沒泥龜蛇等形。蓋平地風從地面而過,故不畏風。楊公云“平洋不怕八風吹”是也。

廖金精它を形容して旋轉の田螺に像り倒扣の木杓に像ると。卜應天のいう「平中一突を奇と為す」――平地上忽ち一突起るは最も奇特。郭璞(曾て參軍に任ず)のいう「地吉氣有れば、土隨いて起る」――地下吉氣有れば、地面の土便ち隨いて隆起す。講ずる皆突穴なり。平地と高山皆突穴有り、而して平地を以て多しと為す。高山上の突は、必ず左右兩臂環抱周遮し、乃ち真突を算す。切に孤零暴露・風に當りて立つを忌む。那会生氣を飄散せしむ。平洋之地忽然一個の突を鼓起すれば、只だ界水分明・來脈清楚を要し、卽便左右皆平地なるも、亦妨害と算せず(原注、高山は窟を找め、平洋は突を找む。ゆえに平洋の突多し)。民間它を蜘蛛結網・沒泥龜蛇一類の形名と叫ぶ。因るに平地上の風是れ地面に貼して掠過する。ゆえに風を怕れず。楊筠松のいう「平洋八風の吹くを怕れず」、正是此の意。

除星體另論外見穴星卷,而突穴之為形,凡四格:曰大突,曰小突,二者為正格;曰雙突,曰三突,二者為變格。四格之形,又各有俯仰不同。身俯則穴宜湊簷避球,面仰則穴宜湊球避簷,不可不審。若後龍眞的,入首明白,星辰合格,證佐分曉,此穴最貴。蓋起突之穴,靈光凝聚於中,餘氣瀰漫於外,所以謂之吉穴。

星體の分類別に專卷討論有り(原注、穴星卷を見よ)。單に突の形狀に就きて說けば、共に四格有り。大突・小突、此の兩種是れ正格。雙突・三突、此の兩種是れ變格。四格の形狀又各々俯・仰の別有り。山身前に向い俯するは、穴宜しく下方の「檐」に湊近きて上方の「球」を避開すべし。山面上に向い仰ぐは、穴宜しく「球」に湊近きて「檐」を避開すべし。此の一點細審せざる能わず。倘若後龍真確、入首清楚、星體合格、佐證分明ならば、此の種の穴最も尊貴。因るに一突を鼓起の穴は、靈秀之氣突の中心に凝聚し、多餘之氣突の外圍に瀰漫す。ゆえに它を吉穴と稱す。

大要突面光圓,形體穎異。高山切忌風吹,平洋必須得水,乃為至要。又有行龍引脈,水口羅星、關峽墩埠、山腳漏落、神龍倉庫及印墩之類,皆有突象,謂之假突虛突,務須詳辨。如誤下之,主貧窮孤苦,飄蕩伶仃,不可不慎。

總の要求は突の表面光潤渾圓、形體特出不凡なり。高山上の突切に風に吹かるるを忌み、平洋の突必ず水を得る能くせよ。此れ是最も緊要の兩條。此外、行龍途中脈氣を牽引の小泡・水口處の羅星・關峽間の土墩・山脚漏落下來の餘塊・護衛真龍の所謂「倉庫」以及印墩之類、皆突の形象を帶びる。此れらを「假突」「虛突」と叫ぶ。務必仔細に分辨せよ。若し誤り其中に葬らば、子孫貧窮孤苦・漂泊無依を主る。慎重せざる能わず。

突形四格 大突、小突,此二者為正格。雙突、三突,此二者為變格。圖具下:大突圖 小突圖 雙突圖 三突圖 此大突者,其突高大也。平地高山皆不宜太高大。若太高大則近粗頑,不成突格。須是大而相停,不至粗腫頑懶為佳。切要突面光圓,形體穎異,乃為合格。大突多為水口羅星,及龍身漏落倉庫、金箱玉印之屬,務宜詳辨,不可誤也。

此の一節題して「突形四格」と作る。大突・小突を正格と為し、雙突・三突を變格と為す。圖下面に列す。四幅の圖題依次是れ「大突圖」「小突圖」「雙突圖」「三突圖」。底本圖形已に佚し、僅かに圖題與逐格の說明を存す。先ず大突を說く。所謂大突は、此の突生得高大なり。無論平地還是高山、皆太高大を宜とせず。太高大なれば便ち粗頑に近づき、突の格局を成さず。大は大く四周と相称し、至らず粗腫頑懶なるを良しとす。一定要突面光潤渾圓・形體特出不凡、乃ち合格を算す。大突多く是れ水口處の羅星、或は龍身漏落下來の所謂倉庫・金箱・玉印之類。務必仔細に分辨し、弄錯す可からず。

此小突者,微起小突也。平地高山皆不宜太小。若太小,則起突不眞。須是小而合格,不至微弱無依為佳。切要突面光肥,形體穎異,乃為合格。如或微小,高低不明,界水曠闊,或水割四畔,微弱無依,皆非眞穴。凡小突多為引脈氣泡,或關峽幾珠,或印墩之屬,務須詳辨,不可誤也。

所謂小突は、微微鼓起の小突なり。無論平地還是高山、皆太小を宜とせず。太小なれば則ち「起突」の象真ならず。小は小く合格を得、至らず微弱無依なるを良しとす。一定要突面光潤豐肥・形體特出不凡、乃ち合格を算す。倘若過分細微、高低分清楚せず、兩旁界水又太寬闊、或は四面水に割破され、微弱無依を顯せば、那皆真穴に非ず。小突多く是れ脈氣を牽引の氣泡、或は關峽處幾粒の串珠の如き小土堆、或は印墩之類。務必仔細に分辨し、弄錯す可からず。

此雙突者,穴星並起雙突也。昔人謂之雙星,亦有兩畔生聊牙歧者,昔人謂之麒麟,皆可下兩穴。切要大小、高低、肥瘦均勻,突面周正,形體穎異,方為合格。若大小不等,肥瘦不勻,高下參差,務須詳辨,擇特異者下之。若彼此似可而不正,狐疑難辨,美惡不分,皆非眞結,不可下也。此三突者,穴星並起三突也。昔人謂之三臺,可下三穴。切要大小相等,突面光肥,形體穎異,方為合格。若大小不均,又當審其特異者下之。如彼此疑惑,美惡不辨,則非眞結,不可下也。

所謂雙突は、穴星上並排して兩個の突を鼓起す。前人它を「雙星」と稱す。亦兩旁別に交牙分歧之形を生出する有り、前人「麒麟」と稱す。此の兩種皆可並びに兩個の穴を下す。一定要兩突大小・高低・肥瘦均勻、突面周正、形體特出不凡、乃ち合格を算す。倘若大小不等・肥瘦不勻・高下參差なれば、便ち必ず仔細に分辨し、那の格外出衆のを挑選して下葬せよ。若し兩個看着都還可以するも都端正ならず、人を狐疑難決・好壞分別出來せしめば、那就皆非真結作、下葬す可からず。再び三突を說く。所謂三突は、穴星上並排して三個の突を鼓起す。前人它を「三台」と稱す。並びに三個の穴を下す可し。一定要三突大小相等、突面光潤豐肥、形體特出不凡、乃ち合格を算す。倘若大小不均なれば、便要其中格外出衆の那一個を審察して下葬せよ。若し三個彼此人を疑惑せしめ、好壞分辨出來せざれば、那就真結作に非ず、下葬す可からず。

凡突形有突而圓者⊙,突而方者 ,突而稜者 ,突而直者 ,突而橫者 ,突而曲者 ,固不能悉述。又有出金、出木、出水、出火、出土五格。圓者為出金,當乘金向墜處立穴。 直者為出木,當剪木安穴。 曲者為出水,當乘動處安穴。 尖者為出火,當剪火立穴。 方者為出土,當乘圓就方立穴。上突穴皆有此五者,及帶曜八格,圖繁,不及詳載。後穴星各突穴皆仿此。突穴諸仙蹟具下:右地在石埭城縣後,龍與縣共,不述。入首,平地連起三珠,盡突結穴,突面圓平,破突扦穴。後頂來脈,前據唇氈,左右交會,大溪橫遶,名堂、朝對、水口皆吉。葬後松坡公鏘登會魁,累官戶部尚書,今福祉未艾。

突の形狀圓突・方突・棱角有る突・豎直の突・橫長の突・彎曲の突有り(底本此處各々一個の符號を附して示意す。圓突を除き「⊙」を作る外、其餘符號已に佚す)。實に一々說盡す能わず。此外又出金・出木・出水・出火・出土五格有り。圖注依次說く。圓形の是れ「出金」、應當金氣を承け・下墜の處に穴を立てよ。直形の是れ「出木」、應當木の直硬處を剪去して再び穴を安んぜよ。曲形の是れ「出水」、應當曲動之處に就着き穴を安んぜよ。尖形の是れ「出火」、應當火尖を剪去して再び穴を立てよ。方形の是れ「出土」、應當圓勢を承けて其の方形に就き穴を立てよ。以上突穴皆具備此の五種、還って「曜氣」を帶びる八格有り。圖太も繁多なるに因り、詳載に及ばず。後面穴星を講ずる時各種突穴皆此に照りて類推す。下面突穴の諸處名蹟を列舉す。右邊此の塊の地は石埭縣城之後に在り、龍脈縣城と共用一條、此處述べず。「入首」の處に到り、平地上接連して三顆の珠形の土堆を鼓起し、最後一個の突上に結穴す。突面圓にして平、突頂を破開し下葬す。後に山頂來脈有り、前に唇氈承托有り、左右界水交會し、大溪橫繞し、明堂・朝對之山・水口皆吉。安葬の後、松坡公某鏘會試第一を考中し、歷官戶部尚書に至る。如今福澤未だ歇せず。

左地在江山縣南六十里,土名石門龜山。其龍發自江郎山,落脈下平田,過闊阪一里許,復束聚結咽,成蘆鞭格,作銀錠束脈,頓起大突,成太陰金星,連氣結突穴。突上微開鉗口,俗呼龜形,繫巽、巳、丙龍入首,扦亥向兼壬。葬後出方泉公鏜,登嘉靖丁未進士,入翰林,官至都御史。至今人才迭出,福祉未艾。

左邊此の塊の地は江山縣南六十里に在り、地名を石門龜山といふ。其の龍脈江郎山より發し、脈を落して平田に下り、一里多寬の坡阪を經、又收束聚攏し・咽喉狀の束氣處を結成し、「蘆鞭格」を形成し、銀錠の如き束脈を作出し、隨即一個の大突を頓起し、太陰金星と成り、氣脈相連して突穴を結成す。突上微微一個の鉗口を開出し、民間它を「龜形」と叫ぶ。此地係る巽・巳・丙三字方位の龍入首、亥向を立て壬を兼ぬ。安葬の後方泉公某鏜を出し、嘉靖丁未科進士を考中し、翰林院に入り、官都御史に至る。至今人才輩出、福澤未だ歇せず。

右地在豐城縣東南八十里,土名龍門。其龍來自羅山。將入首,橫列大帳,周圍圈幢。正脈從中頓起飛蛾,一氣九星。到頭起土星御屏,屏下太陽金星,垂脈清奇,而結突穴,小巧圓淨可愛。穴下雖峻,而貼身龍虎彎抱交固。左右御屏夾耳,外重龍虎疊交,水遶之玄,獅象龜蛇鎮塞水口,取作將軍大座形,陰囊穴。登山萬仞之高,亦天巧穴也。近有貴人秀案,遠有掛榜列朝。葬後出朏公,登進士,官大參。曰翰,登進士,官太守。又有一父九子,人文鼎盛,富貴雙全,福祉未艾。

右邊此の塊の地は豐城縣東南八十里に在り、地名を龍門といふ。其の龍脈羅山より來り。「入首」に到らんと將に、一座の大帳を橫列し、四周旌旗の圍繞するが如し。正脈帳中より飛蛾形の山を頓起し、一氣九座の星峰を連起す。盡頭の處に到り一座の土星御屏を起し、屏下是れ太陽金星、垂下の脈清奇不凡、因而突穴を結成し、小巧圓淨、十分可愛。穴下雖も陡峻、可是身に貼する龍虎砂彎抱交固。左右御屏之山夾護し兩耳の如く、外面一重の龍虎又層層交疊し、水流環繞して「之」字「玄」字形を成し、獅・象・龜・蛇諸形之山水口を鎮守す。此地名を取りて「將軍大座」形と為し、穴名を「陰囊穴」とす。登り上れば萬仞之高有り、亦天造巧成之穴と算す。近處貴人形の秀麗案山有り、遠處掛榜形の山朝向に列す。安葬の後某朏公を出し、進士を考中し、官大參(參政)に至る。某翰進士を考中し、官太守に至る。此外還って一位の父親九個の兒子を生み、文教鼎盛、富貴雙全、福澤未だ歇せず。

右地在黃安縣西南二十里。其龍來自七個山,分出右枝,磊落奔騰十餘里。比入局,翻身逆轉開帳,為折三臺中抽下平岡,又頓跌數節,抽脈落山麓,臨田蘸水,起一小突結穴。突面平圓,下開鉗口。破穴對口扦穴,內堂融聚,下關有力。左有順纏近繞,低伏過穴。復起墩埠,以關內氣,以塞水口。而外堂田源之水十餘里特朝,得水藏風,誠美地也。但其前朝席帽貴沙失於登對,乘氣稍乖,葬法未善,未出顯貴,惟鉅富旺人,以歲薦及應例登仕版者十餘人耳。然吾友少虞君心學,以理學鳴時,為邑儒宗,亦是地之鍾秀也。

右邊此の塊の地は黃安縣西南二十里に在り。其の龍脈七個山より來り、右邊一枝を分出し、磊落奔騰十幾里。本局に入らんと將に、翻身逆轉して帳幕を張開し、折疊の三台形と成り、中間より一段の平岡を抽出し、又頓跌幾節、脈を抽き山脚に落し、田に臨み水に浸り、一個の小突を鼓起し穴を結ぶ。突面平にして圓、下方鉗口を開出し、突面を破開し正對鉗口に下葬す。内明堂氣を聚め、下手の關攔有力。左邊順向纏護の砂有り身に近く環繞し、低低に伏して穴前を過ぎ、再び往前又一座の土墩を起し、以て内氣を關住し・水口を塞住す。而して外堂田源之水十幾里外より特に來朝す。既に水を得又風を藏す。實に塊の美地。只だ前面朝山中那座の席帽形の貴砂正對上せず、氣を承くる稍偏差有り、葬法も亦妥善ならず。ゆえに顯貴を出さず、只だ巨富・人丁興旺、歲貢と依例入仕做官に靠る十幾人有るのみ。不過我の朋友少虞君心學に深く、理學を以て當時に名重く、一縣の儒者宗師と為る。此れ亦是れ此の塊の地の鍾靈毓秀の結果なり。

左地在豐城縣東半里,土名白沙墩。其龍結縣後,餘氣崩洪過脈,復起平田,鋪氈展席,馬跡蛛絲。忽起平中一突,平面太陰開口,成天然之窩。但後龍穿鑿,失其本體,不易詧認。丁氏葬後,科甲迭登。曰維城,官御史。維南,官寺丞。維陽,官主政。曰俊、曰仕、曰璣、曰璨、曰侃,俱貴。曰璐,官大參。曰錬,官少卿,富貴未艾。

左邊此の塊の地は豐城縣東半里に在り、地名を白沙墩といふ。其の龍脈縣城後面に在りて地を結び、餘氣崩洪瀉落して脈を過ぎ、又平田中に在りて隆起し、鋪開の氈毯・展開の席子の如く、脈痕細きこと馬蹄印・蛛絲の如し。忽然平地中に在りて一個の突を鼓起し、平面の太陰金星前に向い口を開き、天然の窩と成る。只だ後面の來龍人に開鑿破壞され、本來面目を失い、容易に辨認し得ず。丁氏安葬の後、科甲接連登第す。丁維城官御史、丁維南官寺丞、丁維陽官主政、丁俊・丁仕・丁璣・丁璨・丁侃皆顯貴、丁璐官大參、丁錬官少卿。富貴至今未だ歇せず。

右地在袁坊,龍遠不述。入局開平地帳,坦夷無際。入首水中一埠,突出圓淨。突下吐唇,四面巨浸,左右湖岸遶抱有情。遠峰一點來朝。離脈,扦癸向。葬後科甲連登。曰潤,進士。芳,進士, 參議。光儒,知州。光翰、城、應、旗、寔、遊、國、寕,俱進士。光度、均、咸、伯嵩、伯睿、伯鑰、伯雅、奎,俱鄉薦,世宦未艾。

右邊此の塊の地は袁坊に在り、龍脈來る遠く、此處述べず。本局に入り後一座の平地帳を張開し、坦蕩無邊。「入首」の處に到り、水中一座の土埠有り、突起して圓淨。突下唇氈を吐出し、四面皆浩渺の水、左右湖岸環繞抱護、甚だ情意有り。遠處一點の山峰前來朝拱す。此地離方之脈に屬し、癸向を立つ。安葬の後科甲連年登第す。某潤是れ進士、某芳是れ進士・官參議、某光儒官知州、光翰・光城・光應・光旗・光寔・光游・光國・光寕皆是れ進士、光度・光均・光咸・伯嵩・伯睿・伯鑰・伯雅・某奎皆鄉試を中る。世代官を為り至今未だ歇せず。

已上窩、鉗、乳、突,穴形妙用,無踰於此。但造化之機,隱顯不一。顯則易明,隱則難辨。立諸形格,乃其顯體,按圖索理,人猶可知。至於正體之外,復有異形,曰邊窩、並窩,曰分鉗、合鉗,曰閃乳、側乳,曰鶻突、並突,及有窩鉗而不葬窩鉗,有突乳而不葬突乳數者,又其怪體,隱微難辨。苟非明師傳示,厯審古格,驟而見之,必駭而疑。正所謂“任君聰慧過顏閔,不遇眞師莫強猜”者也。

以上窩・鉗・乳・突四種、穴形の妙用此の範圍を超出する能くする無し。但し造化の機關隱有り顯有り。顯の容易に看明白、隱の便ち分辨し難し。上面所立の各種形格は、顯露の一類に屬し、圖に照りて道理を推求すれば、一般人還って懂り得。至於正體之外還って別に異形有り、邊窩・並窩と叫び、分鉗・合鉗と叫び、閃乳・側乳と叫び、鶻突・並突と叫ぶ。此外還って明明是れ窩是れ鉗にして偏に窩鉗上に葬らず、明明是れ突是れ乳にして偏に突乳上に葬らざる幾種有り。此れら怪體に屬し、隱微辨り難し。若し明師親自指點し、又逐一古人の成格を考察過ぎずんば、猛一見るに、必定驚駭疑を生ぜん。正に所謂「君の聰慧顏閔に過ぐるに任せよ、真師に遇わずんば强猜すること莫れ」――縱令你聰明顏回・閔子騫に勝るも、真師に遇わずんば硬猜する勿れ。

此等異穴,形體雖有不同,力量本無二致。但至貴之龍,方有此穴。必得眞師傳授,始識此格。如或未契肯綮,自任聰明,妄指平坡死塊為邊並之窩,欹斜山腳為閃側之乳,界水漏槽為分合之鉗,闊蕩頑硬為鶻並之突,籍口怪異,胡作亂為,是猶學步邯鄲,而為害愈甚矣。慎之慎之!謹將異體怪形諸格口訣述後。窩之體二,曰邊窩、並窩。鉗之體二,曰分鉗、合鉗。乳之體二,曰閃乳、側乳。 突之體二,曰鶻突、並突。

この類の異穴は形體各々相同じからざる雖も、力量は並びに高下無し。只だ最も尊貴の龍乃ち此の種の穴を結出し得、亦必ず真師の傳授を得て、乃ち此の種の格局を認得す。倘若未だ要領を摸着せざれば、便ち自ら聰明を恃み、胡亂に平坡上の死土塊を指して邊窩・並窩と作し、歪斜の山脚を指して閃乳・側乳と作し、界水漏槽を指して分鉗・合鉗と作し、寬闊頑硬の地方を指して鶻突・並突と作し、「怪異」の二字を藉て口實と為し、胡作非為すれば、那便ち邯鄲學步の如く、為害更に甚だし。切記切記。現に異體怪形諸格の口訣を後に敘述す。窩に兩體有り、邊窩・並窩と叫ぶ。鉗に兩體有り、分鉗・合鉗と叫ぶ。乳に兩體有り、閃乳・側乳と叫ぶ。突に兩體有り、鶻突・並突と叫ぶ。

邊窩の格を論ず

邊窩者,窩之弦稜欠缺一邊,故曰邊窩,乃窩體之變格。蓋星辰已止,而面峻闊露,不能融穴,卻於其下吐出平坡,如鋪氈吐唇,而一邊微起彎抱,是為邊窩。窩中最宜淺狹平坦,弦稜明白,藏聚有情,四方拱夾,方為合格。切忌窩中太闊,口內坑陷。太闊則生氣不聚,坑陷則造化不融,皆不可下,尤宜慎之。此穴多在高山,作仰高之體,平地鮮有。惟吾邑宋國師伯通先生自葬父地合此格,卻在山麓,切近平地。圖具後。

所謂邊窩は、窩口の弦棱一邊を缺く。故に邊窩と叫び、窩體の變格に屬す。其の成因は、星體已に止住するも、正面陡峻寬闊にして暴露し、凝りて穴を成さず、却って下方一片の平坡を吐出し、鋪開の氈・吐出の唇氈の如し。而して平坡の一邊微微隆起し・彎環抱護す。此れ即ち邊窩なり。窩中最好は淺く狹くして平坦、弦棱分明、氣を藏得住して情意有り、四面山の拱夾有りて、乃ち合格を算す。切に忌むは窩中太も寬闊・窩口裏面坑陷すること。太寬闊なれば則ち生氣聚まり住せず、坑陷なれば則ち造化融結する能わず。兩者皆下葬す可からず、尤其謹慎を要す。此の種の穴多く高山に在り、「仰高」の體式を作し、平地少く有らず。只だ我ら縣宋朝國師賴伯通先生自己父親の為め選びし葬地此の格に合す。却って是れ山脚下に在り、甚だ平地に靠近す。圖後面に列す。

左地在吾邑十四都,地名傅家村。其山自大龍分下,開帳出脈,磊磊落落。數節走馬文星,開 展翅。入首特起金星,正面峻急,鋪下平坡。左畔微高五七寸,彎掬抱穴,合邊窩格。外來石山高聳,其勢如凌壓。俗眼觀之,但見穴離星體,接脈不著。且下抱短縮,右畔高昂,莫不棄之。殊不知木星峻急,氣聚平坡。下沙雖縮,而貼穴一掬,彷佛高低,依稀遶抱。右山雖高,以本窩缺右,宜其補襯護穴。故取天馬嘶風之格。

左邊此の塊の地は我ら縣十四都に在り、地名を傅家村といふ。山大龍上より分下し、帳を張り脈を出し、磊落有致、幾節の走馬文星を走り、又張開して鳥の翅を展くるが如し。「入首」の處に到り特に一座の金星を聳起し、正面陡峻急促、往下一片の平坡を鋪出す。平坡左邊微微五七寸高出し、彎環して穴場を兜抱す。正に邊窩之格に合す。外來の石山高聳、氣勢凌逼壓制せんと欲するが如し。外行人一見すれば、只だ穴星體を離れ、來脈を接上げず、加上下方兜抱の砂又短縮し、右側の山又高昂し、之を丢開せざる無し。他ら知らず、木星陡峻、氣正に平坡上に聚まる。下手の砂雖も短縮すと、但し穴場に貼する那一兜は、高低隱約辨る可く、依稀環抱の意有り。右邊の山雖も高し、正に此の窩右邊に缺くるに因り、它恰好補襯して穴場を護住す。ゆえに此地「天馬嘶風」之格を取る。

兼以前朝秀麗,水口闗欄,下後伯通奉高宗詔,拜異人,持節卜相臨安有《臨安行在表》。其孫文懿公又號初庵,官至集賢大學士。學士子巖卿,官至集賢直學士,人丁大旺不替。又,廖金精為吾邑張氏下白牛坦地,乃合此格。其地大龍前去,中腰一枝開帳。帳中落脈數節,山半忽然平坦,左畔微茫掬轉,成邊窩之格。其左掬亦僅高數寸,墳頭尙露,惟可護棺而已。此外則山勢低下,一望青天,甚為空曠。面前一重案山,近而且高。穴在源頭高曠之所,俗眼見之,莫不驚駭而訾其非也。

加上前面朝山秀麗、水口山の關攔有り。安葬の後、賴伯通宋高宗之詔を奉じ、異人と尊ばれ、節を持して臨安の為め都城地形を相度す(原注、『臨安行在表』世に傳わる有り)。他の孫子文懿公又號を初庵とし、官集賢殿大學士に至る。大學士の兒子賴巖卿、官集賢殿直學士に至る。人丁大旺、久久衰えず。另外、廖金精我ら縣張氏の為め點じし白牛坦一地、亦此の格に合す。那地是大龍繼續往前に行き、半腰上に在りて一枝を分出し帳を開き、帳中脈を落すこと幾節、山腰に到り忽然一片の平坦を出現す。左側極めて隱約の一兜轉抱有り、邊窩之格と成る。那左邊の一兜も亦只だ幾寸高出し、墳頭還って外面に露われ、僅かに棺木を護住するに够るのみ。除此之外山勢皆低下去し、一望只だ青天を見る、非常に空曠。正面一重の案山、既に近く又高し。穴又水の源頭高く空曠の地方に落ち、外行人之を見れば、驚駭して它の不對を指責せざる無し。

殊不知回龍之穴,翻身顧祖,自然水源不遠,案雖近高,乃係本祖,如子孫之見祖父,不為壓穴。後龍雖去,而本枝轉身結成大帳,帳中出脈結穴,其去山乃餘氣耳。雖高峻,本身一臂掬轉,前面陡峻,皆蔽而不見。登穴平坦,不覺其為萬仞山巔也。左邊雖曠,而青龍兜轉,依稀遶抱,穴不受風。此乃地理之至妙,而金精巧於作用者也。其山結穴之下,山腳四五飄然去,故俗喚錦帳掛銀鉤之格。葬後張氏出一文一武一神仙,富貴綿遠,至今不替。雖不盡繫之此,而廖金精為張氏作地,惟此最先,則此又張氏富貴之藪也,其圖於下。

他ら明白せず。回龍結の穴要に翻身して祖山を回顧す。自然水の源頭より遠からず。案山雖も又近く又高し、那本自家の祖山、如同子孫祖父に面對す、穴を壓すると算せず。後面の龍脈雖も繼續前行すと、可是本枝已に轉身して大帳を結成し、帳中より脈を出して結穴す。那往前に去る山不過餘氣のみ。穴處雖も高峻、但し本身一臂の兜轉過來有り、前面の陡峻處皆遮られ見えず。穴場に登りて只だ平坦を覺え、根本自己萬仞山巔上に立つを覺えず。左邊雖も空曠、可是青龍砂兜轉過來、依稀環抱之勢を成し、穴並びに風を受けず。此れ正に地理中最も精妙之處、亦是れ廖金精の善く運用する之處。此山結穴之下、山脚四五道の飄然として去る有り。ゆえに民間它を「錦帳掛銀鈎」之格と叫ぶ。安葬の後、張氏一位の文臣・一位の武將・一位の神仙を出し、富貴綿長久遠、至今衰えず。雖も全く此の塊の地の功勞と說く能わずと、但し廖金精張氏の為め點じし地此處を以て最早し。ゆえに此處又張氏富貴の淵藪なり。圖下面に列す。

按:金精為張氏所下地,諸課總為一帖,題曰《鍾秀圖》。考其年月,此最先也。廖金精下吳園張氏白牛坦地圖。課曰:其山遠,自乾亥高聳結頂,轉艮如蛇行如旙。入丁、酉、兌,又轉艮,屈曲入亥,作丙向,發元辰丙水,五步歸丁,轉卯轉巽長流,蟠龍玩月形。面前旗鼓文筆排列,天馬門中貴人朝拱。擇已酉七月十四日戊寅申時,開土深五尺。

按語。廖金精張氏の為め點じし各處の地、歷次の課單合裝して一冊と為し、題名『鍾秀圖』。其中の年月を考訂すれば、此の一處最早し(圖題は「廖金精下吳園張氏白牛坦地圖」と作る。底本圖形已に佚す)。課單說く、此座の山來る遠く、乾・亥方より高聳結頂し、艮方に轉じ、行くこと長蛇の如く・飄ること旌旗の如し。丁・酉・兌三字方位に進入し、又艮方に轉向し、屈曲して亥方に進入し、丙向を立つ。穴前元辰水丙方より發出し、五步を走りて丁方に歸り、再び卯に轉じ・巽に轉じて長流して去る。名を取りて「蟠龍玩月」形と為す。正面旗形・鼓形・文筆形の山一々排列し、天馬の間貴人峰前來朝拱す。己酉年七月十四日戊寅日申時を選定し動工し、土を開くこと深さ五尺。

記曰:騰雲紫氣欲侵天,左左陰陽近穴前。山水並朝廉貞現,為官清正四方傳。木金高聳兩相看,一土陰陽並一段。殺氣入雲攢簇簇,鳳書來聘去為官。仙橋帳下勢盤桓,登穴分明在半天。南極聳奇辛巽應,有文有武有神仙。熙寕二年八月廖禹記。按:是地登穴高三里,又平坦畝餘如掌心。穴下餘氣山去甚長,鑿井截其氣,且以大龍帳中落脈結穴,穴在萬仞山巔。

鉗記寫していう、紫氣雲を騰じ直ちに霄漢に上侵せんと欲し、左右陰陽兩片近く穴前に逼る。山與水一同に來朝し、廉貞星顯現し、官を為り清正・聲名四方流傳を主る。木星與金星高々と聳立し・兩兩相望み、一座の土星陰陽を連ね並びに一段を成す。殺氣雲霄に冲入し、攢聚簇擁し、將に鳳書の徵聘・出でて官を為らんとす。仙橋の如き帳幕之下氣勢盤桓して去らず、穴場に登りて分明是れ半天之上に在り。南極方位奇峰を聳起し、辛・巽二方に應じ、此地文臣を出し・武將を出し、亦神仙を出す。熙寧二年八月廖禹記す。按語。此の塊の地穴場に登るに三里之高有り、穴場却又平坦一畝多く、手掌心の如し。穴下の餘氣之山拖る甚だ長く、後人井を鑿き此の股の氣を截斷す。而且它是れ大龍帳中より脈を落して結穴し、穴萬仞山巔之上に在り。

其妙惟在峻處有平,登穴不知其高,是為天巧之穴,非常見所識。世俗尋龍,但知大盡處求地。此等穴則在所棄。噫!非廖師之神目,主人之明見,孰能作之?其後果出忠定公燾,為參知政事;甲公,封忠烈侯;仙君範——紫瓊眞人,卒如金精之言云紫瓊眞人詳見列仙傳。

它の妙處全く陡峻の中一塊の平地有るに在り、穴場に登りて高きを感覺せず。此れ即ち「天巧之穴」と叫ぶ、尋常見識の認識し得る所に非ず。世俗龍を尋るは、只だ龍脈の大盡頭に到りて地を找むるを知る。此の一類の穴便ち他らの舍棄の列に在り。唉、若し廖師父那の副の神眼・主人那の份の明見無くば、誰か能く此の件事を做成せんや。後來張氏果然忠定公張燾を出し、官參知政事に至る。張甲公、忠烈侯に封ず。還って仙君張範有り、即ち紫瓊真人――終に廖金精の預言に應驗す(原注、紫瓊真人の事跡詳しく『列仙傳』に見る)。

並窩の格を論ず

並 窩 圖 此二窩之並結者,要二穴俱下即發。 此三窩之並結者,宜並下三穴。此並窩者,一星而有數窩也。有兩窩可下兩穴,有三窩可下三穴,皆有富貴。三窩中穴力量差勝,來龍甚貴者方結此等形穴。要窩中圓浄,弦稜明白,大小相等,方為合法。浙江餘姚周氏祖地合此格。

圖題は「並窩圖」と作る。底本圖形已に佚し、只だ圖題與兩條の注語を存す。一條說く、此れ是れ兩個の窩並列して結作する、兩個の穴一同に下葬して乃ち發すを要す。一條說く、此れ是れ三個の窩並列して結作する、宜しく三個の穴一同に下葬すべし。正文說く、所謂並窩は、一座の星體上好幾個の窩有り。兩個の窩有れば便ち兩個の穴を下す可し、三個の窩有れば便ち三個の穴を下す可し、皆富貴を得る能し。三個の窩の中、居中那の個の穴の力量稍強し。必ず來龍極其尊貴、乃ち此の種の形穴を結得成す。窩内圓整潔淨、弦棱分明、幾個の窩大小相等を要求し、乃ち合法を算す。浙江餘姚周氏の祖墳便ち此の格に合す。

左地在浙江餘姚縣,地名聞家堰。其龍甚美,將入首,起華蓋三臺,撒落平地。穿湖,湖中頓起太陰金星,而結並窩之格。四面皆湖水,汪洋巨浸。穴左突出石印浮水,甚為奇特。諸峰羅列,拱揖齊整。宋時姓聞者葬右穴,出狀元、進士十數人,發越已過。今周氏葬左窩,葬後五十年,出科第十餘人,至今富貴未艾。其地繫泛水文星。若葬法深淺、分金合矩,則周氏宜出一甲之貴。眾星伴月形,亥龍入首。聞氏扦丙向,周氏扦巽向。中穴數家皆敗。

左邊此の塊の地は浙江餘姚縣に在り、地名を聞家堰といふ。其の龍脈極めて美し。「入首」に到らんと將に一座の華蓋三台形の山を起し、平地上に散落し、再び湖底を穿過し、湖中に在りて一座の太陰金星を頓起し、並窩之格を結成す。四面全是湖水、汪洋一片。穴の左邊一塊の石印水面に浮びて突出し、非常に奇特。衆峰羅列、拱揖整齊。宋代姓聞の人家右邊那の個の穴に葬り、狀元と十幾位の進士を出し、那一段興發の氣運已に過去す。如今周氏左邊那の個の窩に葬り、葬後五十年、十幾位の科第中人を出し、至今富貴未だ歇せず。此の塊の地「泛水文星」に屬す。如果葬法の深淺・分金坐度皆規矩に合せば、周氏本當に一甲の大貴を出すべし。此地名を取りて「衆星伴月」形と為す。亥方の來龍入首、聞氏丙向を立ち、周氏巽向を立つ。至於居中那の個の穴、先後幾家の葬り過ぎる有り、皆敗落す。

分鉗の格を論ず

此分鉗者,即鉗體中直鉗之變格也。乃星辰開口結穴,而兩鉗分向左右,故曰分鉗。要鉗中藏聚,弦稜明白,登穴不見兩邊分飛之勢。下有氈唇平坦,外護包裹,眞氣融結,方為合格。最忌穴中見其左右分飛,下無氈唇,外護不抱,穴下落槽,界水淋頭,即非眞結,不可下也。此格大要前鋪餘氈為吉。如吾邑孫氏下洋地,其格也。

所謂分鉗、便ち是れ鉗體の中直鉗の變格。它是れ星體口を開き結穴し、而して兩條の鉗脚分別して左右に岔開す。ゆえに分鉗と叫ぶ。鉗中氣を藏得住し、弦棱分明、穴上に立ちて兩邊分飛離散之勢有るを看出さざるを要求す。穴下平坦の氈唇有り、外圍山の包裹有り、真氣凝結し、乃ち合格を算す。最も忌諱するは穴中に立ちて便ち左右兩脚分飛して去るを看見し、下面氈唇無く、外圍の護山環抱する肯んぜず、穴下水槽に落成し、界水頂上より淋り下る――此れら有れば便ち真結作に非ず、下葬す可からず。此の一格の要領是れ穴前一片の餘氈を鋪出して乃ち吉なり。像我ら縣孫氏の下洋那の塊の地、便ち是れ此の格局なり。

左地在吾邑五都,土名下洋。其龍來遠不詳述。比入局,連聳數峰,磊磊落落。又頓四座貪狼,飛蛾降勢,垂脈下平坡。復起金星開口,成分鉗之格結穴。穴下平鋪氈唇。鉗中頂口分明,前有印星證應,流神環遶融注,明堂團聚,水口交固,龍旺穴暖,誠美地也。朝山雙峰卓秀,以山腳飛揚之勢,取作回子舞獅形。葬後出西溪公 ,官雅、鄭、泰三州州守。春公富壽康寕,宗武、宗道俱歲薦,登郎官,至今人財兩盛,福祉方隆。右地在徽州府黟縣,地名黃坂垣。兌山發龍,轉亥,脫落平洋,成分鉗之穴,粘突就窩放棺,外沙包裹,前朝秀麗。塟後出侍郎,又州縣官不替。土人呼為汪婆墓。

左邊此の塊の地は我ら縣五都に在り、地名を下洋といふ。其の龍脈來る遠く、此處細說せず。本局に入らんと將に、接連して幾座の山峰を聳起し、磊落有致。又四座の貪狼星を頓起し、飛蛾降落之勢の如く、脈を垂下して平坡に下る。隨後再び一座の金星を起し、前に向い口を開き、分鉗之格を成して結穴す。穴下平々しく氈唇を鋪き、鉗中の頂と口皆分明。前面印星有り印證を作し、水流環繞注聚し、明堂團聚し、水口交固し、龍氣旺・穴場暖、實に塊の美地。朝山兩峰卓立秀美、加上山脚飛揚の姿態、名を取りて「回子舞獅」形と為す。安葬の後西溪公某を出し(底本此處一字を缺く)、官雅州・鄭州・泰州三州知州に至る。春公富貴・長壽・康寧。宗武・宗道皆歲貢より出身し、官郎官に至る。至今人丁與財富兩旺、福澤正に盛ん。右邊此の塊の地は徽州府黟縣に在り、地名を黃坂垣といふ。龍兌方より發脈し、亥方に轉じ、脫卸して平洋に落ち、分鉗之穴と成り、「粘突就窩」の法を用いて棺を放つ。外圍砂の包裹有り、前面朝山秀麗。安葬の後侍郎を出し、此後州・縣一級の官亦代代不絕。當地人它を「汪婆墓」と叫ぶ。

合鉗の格を論ず

左合鉗者,即鉗格之變體也。氣從兩鉗而合,故曰合鉗。乃龍脈已盡,星辰已止,而總會處峻硬無穴,鉗中又無微乳微窩,氣融在下,兩鉗收處,中間合聚成穴,微有突泡,如鉗之鉗物,俗亦呼作雙筯夾饅頭之形。要氈唇圓整,曜氣證應,星辰仰面,方為合格。最忌槽中太深,鉗口不收,唇氈不明,曜星不照,有一於此,則非眞結,不可下也。吳國師為吳園張氏下一地合此格,俗呼玉筯夾饅頭形。圖具於下。

左圖所示の合鉗も、亦是れ鉗格の變體。地氣兩條の鉗脚に順い前方に在りて合攏す。ゆえに合鉗と叫ぶ。其の成因は、龍脈已に盡頭に到り、星體已に止住するも、總匯聚の處陡峻僵硬・結不成穴、鉗中又微乳・微窩無く、氣反って下方に凝る――便ち兩條の鉗脚收攏之處に在り、中間合聚して穴を成し、微微一點の突泡有り、好もしく鉗子一件の東西を夾住するが如し。民間亦它を「雙筯夾饅頭」形と叫ぶ。氈唇圓整、曜氣有りて印證を作し、星體の面上に向い仰ぐを要求し、乃ち合格を算す。最も忌諱するは槽中太深・鉗口收攏せず・唇氈不分明・曜星不照應――只だ一條を犯上せば、便ち真結作に非ず、下葬す可からず。國師呉景鸞吳園張氏の為め點じし一塊の地此の格に合す。民間「玉筯夾饅頭」形と叫ぶ。圖下に列す。

右地在吾邑,地名金山,土窖穴上有槽,俗呼金梘銀槽,亦曰玉筯夾饅頭。癸山丁向,吳景鸞先生為其婿張須公葬祖。下後,須公官虔州倅。張根、張樸俱入翰林。廣永豐縣亦有一穴,與此同。俗云亦玉筯夾饅頭形。友人鉛山任思梅為予言之。予未見,不具圖。

右邊此の塊の地は我ら縣に在り、地名を金山といふ。穴一處の土窖上に在り、穴上一道の槽有り。民間它を「金梘銀槽」と叫び、亦「玉筯夾饅頭」と叫ぶ。此の穴癸山丁向を立て、是れ呉景鸞先生他の女婿張須公の為め祖先を安葬して點じし所。安葬の後、張須公虔州通判を做る。張根・張朴皆翰林院に進む。廣信府永豐縣も亦一個の穴此と相同有り、民間亦說く是れ玉筯夾饅頭形。此れ是れ我の朋友鉛山人任思梅の告訴する所。我本人見たる無し。ゆえに圖を附さず。

閃乳の格を論ず

右閃乳者,乳從偏落,閃在一旁,故為之閃。如小皃閃躱之義,即乳體之變格也。龍勢到此起頂,偏下作穴,而中出之乳粗硬斜曲,無穴可下,正氣閃在一邊,乃以中乳為龍虎護衛之沙,此穴極為難認。龍從左來,閃乳在右;龍從右來,閃乳在左。亦有龍脈中起均勻,兩穴皆可下者。最宜乳頭光彩,兩掬有情,不粗不峻,方為合格。若粗飽峻急,瘦弱微小,則非眞結,不可下也。董德彰為婺源倪氏下一地合此格。圖具下。

右圖所示の閃乳は、乳形偏りて落下し・一旁に躲閃す。ゆえに「閃」と叫ぶ。小孩子の身を閃して躲避する意を取る、即ち乳體の變格なり。其の成因は、龍勢此處に到り頂を起すも、却って一側に偏向して穴を作り、而して正中出來の那道の乳粗硬歪曲、下すべき穴無く、真の地氣一邊に閃き去る。於是反って中間の那道の乳を用いて龍虎護衛の砂を充当す。此の種の穴極めて辨認し難し。規律是れ、龍左邊より來れば、閃乳便ち右邊に在り。龍右邊より來れば、閃乳便ち左邊に在り。亦龍脈居中して頂を起し而も兩邊均勻・左右兩穴皆下し得る有り。最好は乳頭光潤彩有り、左右兩臂情意有り、粗からず陡からず、乃ち合格を算す。倘若粗脹陡急、或は瘦弱細小なれば、那就真結作に非ず、下葬す可からず。董德彰婺源倪氏の為め點じし一塊の地此の格に合す。圖下面に列す。

婺源倪氏御史祖地 倪氏地正穴,以左山包裹,面前盡遮,外洋山水,一切不見。局又逼窄,明堂朝山俱無。只是藏風聚氣,穴場甚暖。所以塟下當代即出御史,驟發富貴。與廖金精下明溪許學士祖地當代出貴相同,皆是穴間緊固,一切不見。噫!此等地,非哲師明主,則棄物耳。

圖題は「婺源倪氏御史祖地」と作る。底本圖形已に佚す。說明云く、倪氏此の塊の地の正穴、因るに左邊の山包裹過來、正面を全く擋住し、外面の山水一概看見せず。局面又逼仄、明堂と朝山皆無く、只だ能く風を藏し氣を聚め、穴場十分溫暖。ゆえに下葬當代便ち御史を出し、富貴驟然として發す。此れ與廖金精の點じし明溪許學士の祖墳當代貴を出す是一樣的道理――皆是れ穴場緊湊固密、外面什麼も看見せず。唉、此の類の地若し高明の師父・見識有る主人に遇上せずんば、便ち只だ人の丢棄する東西のみ。

右地在婺源縣大白巡司東一里,其龍迢迢而來,磊落奇特。將入首,穿峽開帳,星辰尊重。結穴藏聚,兩畔護從重重。下關一山逆河纏遶,關收內堂,蔽障外曠。而隨龍田水平坦,四勢團集,融結固佳。而穴甚奇怪,董德彰初下中乳天空,以貪外秀。不利,復扦低穴就堂,又不利。倪氏欲遷別所。董師乃自訟曰:眞龍毋虛生之理。有龍如此,豈可舍乎?必我悞也。

右邊此の塊の地は婺源縣大白巡檢司東面一里に在り。其の龍脈迢迢として來り、磊落奇特。「入首」に到らんと將に峽を穿り帳を張り、星體尊貴莊重。結穴處氣を藏聚し、兩旁護從重重疊疊。下手一座の山有り河流に逆りて纏繞過來し、内明堂を關住し、外面の空曠を遮擋す。龍に隨いて來る田間之水平坦、四面形勢團聚、結作本來極好。只だ穴甚だ奇特。董德彰起初穴を中間那道の乳上に點じ・位置偏高にして空に臨み、為めに是れ外面の秀色を貪圖し、結果不利。又低處の穴を改點し・明堂に就着き、仍舊不利。倪氏另に別處に遷らんと打算す。董師父於是自ら責めて說く、真龍白く生成の道理無し。此の如き龍脈有る、怎んぞ舍棄す可きや。一定是れ我錯りたり。

乃私往其山,周帀詳審,因知結穴閃乳,前所下者皆非。蓋中乳上既直硬,而下復彎曲顧內,故正脈鍾於閃乳,而中乳乃其護砂。但閃乳之穴甚丑怪,而一臂左砂又盡障外秀,不見明堂朝對,如坐井面牆,非俗眼所知,直指必不我信。欲立名以歆之,未得其當。隨入村莊,偶見機織,豁然有悟。遂喚美女擲梭之形,穴扦動乳。復報倪氏,果信之,遂扦葬焉。繫亥、艮行龍,轉折酉、辛,戌、幹入首,扦辛山乙向。頂急乳小,用離杖下之。下後倪氏出進賢,登進士,官御史。曰以孚,曰鼎,登鄉試。一時驟發。但御史為人,亦不甚正,亦閃斜之召耳。

於是他獨自再び那座の山に上り、周圍仔細に審察し、此れ乃ち明白す真の結穴閃乳上に在るを。先前兩次の點じし皆不對。原來中間那道の乳上段既に直く且つ硬く、下段又彎曲して內に回顧す。ゆえに正脈の氣閃乳に凝り、而して中乳只だ它の護砂。可是閃乳此の個の穴形狀甚だ醜怪、左邊一臂の砂又外面の秀色を全く擋住し、明堂と朝對之山を看不到し、如同井裏に坐し・牆に面對す。此れ不是外行人の懂り得る所、直說出來他們必定信ぜず。他想個動聽の名字主人を打動せんと、一時又想不出合適の。隨後村莊に走進し、偶然織布機の布を織るを看見し、忽然大悟す。於是此地を「美女擲梭」形と叫び、穴那道の動氣有る乳上に點ず。再去倪氏に告訴すれば、果然信じ、便ち此に照り安葬す。此地係る亥・艮方行龍、轉折酉・辛に到り、戌・乾方より入首し、辛山乙向を立つ。因るに星頂急促而乳小、「離杖」の法を用いて下葬す。葬後倪氏倪進賢を出し、進士を考中し、官御史に至る。倪以孚・倪鼎鄉試を中る。一時驟然興發す。只だ那位の御史為人亦不甚端正、此れ亦是れ穴形閃斜の招致する所なり。

補義按:是地也,先葬中乳總會,又葬中乳盡頭。要知皆緣貪砂水、明堂、龍虎為悞。復扦閃乳之上,始得其眞。籲!以董公之明,尙至三扦而得正穴,況其它乎?可見砂水之誘人,雖明師所不免。有志者尙當參酌其可否,毋徒見一不利而即有所棄也。

補充按語。此の塊の地先是中乳氣脈總匯之處に葬り、後又中乳の盡頭に葬る。要知兩次皆砂水・明堂・龍虎を貪圖するに因りて誤判せるを。直到閃乳之上に改點し、乃ち真穴を得著す。唉、以て董德彰那樣高明なるも、尚且三次下點して乃ち正穴を找到す。況んや別人をや。見るべし砂水人を誘惑する、連れて明師も難免なり。此道に志有る人更に應當反復斟酌可否し、不要只見一次不利便ち把地丢開す。

側乳の格を論ず

此側乳者,乳從側落,偏於一畔而不正之謂也。邊有邊無,多作金釵、蟠龍及掛樹蛇等形。要外山湊集,方為合格。貴溪夏閣老父地合此式。右為夏文愍公言父地。穴前一掬緊固,藏風聚氣。但逼窄無明堂,不見外洋。當代出貴,與倪氏地同。

所謂側乳は、乳形側面より落下し、一邊に偏して正中に居らず。它往往一邊護有り一邊護無く、多く金釵・蟠龍以及掛樹蛇一類の形名を取る。必ず外面山の湊攏聚集有りて、乃ち合格を算す。貴溪夏閣老父親の葬地便ち此の一式に合す。右圖所示是れ夏文愍公夏言父親の葬地(圖形今佚す)。穴前一兜の緊湊固密有り、能く風を藏し氣を聚む。只だ局面逼仄、明堂無く、外洋を望見せず。當代便ち貴人を出し、前面倪氏那の塊の地情形相同。

該地在貴溪縣,土名流口,蟠龍形,乃側乳穴也。其龍穴皆貴,但堂氣逼窄。前山既近且高,不見外朝。桂翁晩年無子,自疑地理家有“一重案外見青天,後代少人煙”之說,乃徙遷之。開壙時,其下棺木如新,茜藤交結,氣起如蒸。未幾,公即遭禍。但此地葬時,公已貴矣。其禍福未必盡繫於此。嘗觀其一祖墳,在上清宮,土名桂樹洲者,甚美。拜相乃在於彼。是時亦大興造築,傷箋龍脈,填塞界水。又新塟一地,在上饒鄭坊,穴前正見石人山,儼然一斷頭之像,皆能召禍。雖然,公端人也,以身殉國,乃其素志。隨讒被戳,未必盡繫於地。但揆之術家,禍福之驗,似亦不誣。並録於此,似為輕舉者之戒云。

此の塊の地は貴溪縣に在り、地名を流口といふ。「蟠龍」形を取り、是れ側乳穴。其の龍與穴皆尊貴。只だ明堂之氣逼仄、前山又近く又高く、外面の朝山を看不見す。夏桂翁(夏言)晚年兒子無く、自己疑心は應じて地理家「一重案外青天を見れば、後代人烟少し」の句に。於是父親の墳を遷走す。墓穴を開挖する時、下面の棺木新た初葬の如く、茜草藤蔓交結纏繞し、地氣蒸騰して起る。沒過多久、夏公便ち禍に遭う。不過下葬此の塊の地の時候、夏公已に顯貴、禍福未必全く此に係る。我曾て他の另一處の祖墳を看過ぎ、上清宮に在り、地名桂樹洲、形勢甚だ美し。他拜相の應驗其實那裏に在り。只だ當時亦大興土木、龍脈を傷り、界水を塡塞す。他又一新處の地を葬る、上饒鄭坊に在り、穴前正對石人山、儼然是れ一個の斷頭の形象――此れら皆足以禍を招く。話雖如此、夏公是れ端方之士、身を以て國に殉ず本他素來の志向、讒言に遭り殺され、未必全く風水の所致。但し術家の說法に按じて推求すれば、禍福の應驗似乎亦虛妄と算せず。一幷に此處に記し、或可く輕舉妄動者の鑑戒と作さん。

鶻突の格を論ず

此鶻突者,模糊不明之謂也。穴星闊大,微有界水,粗看則無,細察則有,亦太極暈之類也,最為貴穴。吳公下浮梁盧氏九癭夫人祖地,及豐城楊尙書祖地合此。圖具下。左地在浮梁縣東鄉,吳國師景鸞下也。國師與李德鴻善。凡其鄉之山水,亦多指示。獨此地為盧氏下。既下,謂李曰:“昨為盧氏下一國後地。” 李曰:“何不指我?”國師曰:“子美地已多,何其貪耶?”李曰:“公侯將相,何能敵國後之尊乎?”國師曰:“是不難,吾為子圖之。”曰:“令起而鬻之乎?”曰:“不然,令彼貴氣歸子家耳。但勿洩。”

所謂鶻突、便ち是れ模糊不分明の意思。此の種の穴星寬闊高大、只だ極細微の界水有り、粗看似乎無く、細察乃ち發現有り。亦「太極暈」一類に屬し、是れ最も尊貴の穴。呉景鸞浮梁盧氏の為め點じし九癭夫人祖墳、及び豐城楊尚書の祖墳、皆此の格に合す。圖下面に列す。左邊此の塊の地は浮梁縣東鄉に在り、是れ國師呉景鸞の點じし所。呉國師與李德鴻交好、那一帶の山水他大多指點過ぎ、唯獨此の塊の地是れ盧氏に點じ給ふ。點完之後、他對李德鴻說く「昨天替盧家點了一塊出國母的地」。李說く「為什麼不指給我」。國師說く「你家的好地已經够多了、何必這樣貪心」。李說く「公侯將相之貴、怎麼敵得過國母之尊呢」。國師說く「這不難、我替你設法」。李問く「是叫他家賣掉那塊地嗎」。國師說く「不是、是讓那份貴氣歸到你家來、只是不可泄露」。

於是,國師詔盧曰:“前所下地將軍仗劍形,劍上宜堆九星,則其應神速。”盧果堆之。國師囑李曰:“子宜戒爾子孫,盧氏有女選妃,臨行而發癭,乃貴女也,宜娶之。他日產子,必貴。”李氏如其言以戒子孫,有“娶婦須娶盧氏女”之訓。其後,盧氏果生一女,應朝選,至期忽發九癭,不入選。李氏子孫如公所戒,果娶此女。其後生九子,皆貴顕,俱腰金。至今浮梁相傳為九癭夫人云。

於是國師告訴盧家說「先前點的那塊地是『將軍仗劍』形、劍身上應當堆起九座星堆、應驗就會格外神速」。盧家果然照堆了。國師又囑咐李德鴻說「你要告誡子孫、盧家將來有個女兒要應選入宮做妃子、臨行前會長出癭瘤、那是位貴女、應當娶她。日後她生的兒子必定顯貴」。李家依他的話告誡子孫、家中留下「娶婦須娶盧氏女」的祖訓。後來盧家果然生了一個女兒、應朝廷選妃、到期忽然長出九個癭瘤、沒能入選。李家子孫依照吳公的告誡、果然娶了這個女子。此後她生了九個兒子、都顯貴、個個腰佩金印。直到今天浮梁一帶還相傳她為「九癭夫人」。

右地在豐城縣東南二十里,土名石灘,俗呼笑天龍形。其龍起自聳峰山作祖,撒落平洋,順流逶迤而來。二十餘里,隱隱隆隆,鋪氈展席。將及結穴,翻身逆水張朝,大展平面飛蛾。角上出脈,穴臨水際。登穴視之,似於散亂無情。細察其穴,略起微泡,左右依稀遶抱。當面石灘高田橫攔,以為近案。案外徐山華蓋遠朝。面前東鄉之水朝穴。下手銅釘口外有游魚鎭塞水口。山水大會,眞貴地也。楊氏塟後,出月湖公廉,官至尙書,為國朝理學名臣,迄今子孫鼎盛未艾。

右邊此の塊の地は豐城縣東南二十里に在り、地名を石灘といふ。民間它を「笑天龍」形と叫ぶ。其の龍脈聳峰山より起し祖山を作し、平洋に散落し、水流に順い逶迤して來り、二十多里を走り、隱隱隆隆、鋪開氈毯・展開席子の如し。快く結穴處に到り、翻身して水に逆り來水に面朝し、大大地一個の平面飛蛾形を展開し、蛾角上より脈を出し、穴水邊に臨む。穴場に登り看れば、似乎散亂にして無情。細察此の個の穴、只だ略略一點の微泡を鼓起し、左右依稀環抱之意有り。正面石灘の高田橫に攔り、近案を充当す。案外徐山の華蓋形山遠々來朝す。前面東鄉之水穴場に朝向す。下手銅釘口之外游魚形の山有り水口を鎮塞す。山與水大會此に於す。確かに塊の貴地。楊氏安葬の後、月湖公楊廉を出し、官尚書に至り、本朝理學名臣と為る。至今子孫鼎盛未だ歇せず。

並突の格を論ず

此並突者,兩突相粘聯起也,法當扦交界之間。蓋以兩突合氣,融聚在中,故曰並。此穴極貴,惟大龍旺盛者方有此穴,至難體認,務須細辨,不可忽略。吳國師仲祥下吾邑董氏一地,兩虎爭肉形,合此式,圖具下。

所謂並突は、兩個の突彼此粘連して一同に隆起す。法に按じて應當穴を兩突交界の中間に點ずべし。因るに兩個の突の氣中間に在りて合攏凝聚す。ゆえに「並」と叫ぶ。此の種の穴極めて尊貴、只だ大龍氣勢旺盛の地方乃ち有り。它最も體認し難し。務必仔細に分辨し、忽略す可からず。國師吳仲祥我ら縣董氏の為め點じし一塊の地、名を取りて「兩虎爭肉」形と為す、便ち此の一式に合す。圖下面に列す。

右地在吾邑八都,土名海口南五里。其龍甚旺,將入首,起太陰,落為平坡,復起太陰,兩星相照,穴立平坡之中二突相併處。前朝貴人立馬案。葬後出進士數十人,翰林、理學數人。盤澗先生銖、深山先生鼎,皆朱子門人,此地之鍾也。兩面俱是太陰星夾穴,取兩虎爭肉形,穴居肉。

右邊此の塊の地は我ら縣八都に在り、地名を海口南五里といふ。其の龍氣極めて旺し。「入首」に到らんと將に一座の太陰金星を起し、平坡に落成し、再び一座の太陰金星を起し、兩星彼此照應し、穴便ち平坡當中兩突相並之處に立つ。前面朝山是れ貴人形、馬形の案山を配立す。安葬の後幾十位の進士を出し、還って幾位の翰林と理學之士有り。盤澗先生董銖・深山先生董鼎皆朱熹の門人、正是此の塊の地の鍾靈の所致。圖注說く、兩邊皆是れ太陰金星穴を夾護し、「兩虎爭肉」形を取り、穴便ち「肉」の位置上に落つ。

左地在南昌白湖嶺南。其龍分省龍之旺氣,透漏而結穴者也。自鶴仙岡開金水帳,帳中抽出。至東城門渡峽,復到帳幕嶺五星聚講,橫開仙橋大帳,中抽出。至西城門,又大斷,起白湖沖天木星,清秀可愛。正脈渡江去結省城。此龍發自白湖側面,成正體三臺。中峰一線小脈抽下,復起太陽金星,老龍抽出嫩枝結穴。但正面夷坦,似窩非窩,乃是空窩,無氣。穴閃一邊,且落低平,結成下聚。昧者或病其龍短。不知此乃大干旺處,寸寸是玉。矧三臺一節結穴,為至貴之格。只是穴星有窩而不葬,極為難認。蓋眞氣閃於左畔,略成微突,如老蚌吐珠,穎異非常。左右彎抱有情,面前河水纏遶,奇峰朝揖,眞美地也。宣德九年劉氏葬後,人財大旺,科甲纏聯。何野雲鉗記録於後。

左邊此の塊の地は南昌白湖嶺南面に在り。其の龍脈省城主龍の旺氣より分かれ、是れ旁邊より透漏出來して結穴する。自ら鶴仙岡一座の金水帳を張開し、帳中より抽出し、東城門に到り峽を渡る。再到帳幕嶺「五星聚講」を起し、一座の仙橋大帳を橫開し、又中より抽出す。西城門に到り再一次大斷し、白湖冲天木星を起し、清秀可愛。正脈江を渡り去り、省城を結成す。此の條の支龍是れ白湖の側面より發出し、正體三台形を成す。中峰一線の小脈を抽下し、又一座の太陽金星を起し、正是老龍嫩枝を抽出して結穴す。只だ它正面平坦、似窩非窩、其實是れ個の空窩、並びに氣無し。真穴一邊に閃き、而且落る低平、「下聚」の格局を結成す。不明白の人或いは它の龍脈太短を嫌まん。却不知此處正是大幹龍の旺處、寸寸皆是れ美玉。況んや三台之下一節便ち結穴するは、最も尊貴の格局。只だ此の個の穴星明明窩有るに窩上に葬らず、極めて辨認し難し。原來真氣左邊に閃き、略略一點の微突を成し、好もしく老蚌明珠を吐出し、特出非常。左右彎抱有情、面前河水纏繞、奇峰朝揖、實に塊の美地。宣德九年劉氏安葬の後、人丁與財富大旺、科甲連綿。何野雲の鉗記後面に抄錄す。

宣德十年,歲在乙卯,予道經南昌之梓溪,因訪劉氏季直,相見如故,朝夕不怠。與論陰陽地理之說曰:“‘卜其宅兆而安厝之’,此人子大事。矧自古以來,有國有家者,莫不擇乎山川形勢,以定陰陽二宅,為子孫久遠之計。”季直唯唯。又旬餘,告予曰:“某舊冬葬先室於白湖嶺,願師一鍳之。”予諾之。遂往觀之。見其地誠為千載松楸之所也,因留鉗為後驗雲。

宣德十年・歲在乙卯、我南昌の梓溪を路過し、順道劉家の季直を拜訪し、一見如故、早晚往來不倦。我與他陰陽地理之說を談論して說く『孝經』講ずる「其の宅兆を卜して安厝す」、此れ是れ人子と為る的大事。況んや自古以來、凡そ國有り家有る人、山川形勢を選擇して以て陽宅與陰宅を定め、子孫長久の打算と作さざる無し、と。季直连聲稱是。又過了十幾天、他告訴我說「我去年冬天把亡妻葬在白湖嶺、希望師父去看一看」。我答應了、於是前往察看、見那塊地確實是可傳千載的墳山、因此留下一段鉗記、以待日後驗證。

鉗曰:湖峰美地穴難扦,左畔仙宮汝佔先。二十四神皆揖拱,三十八將盡朝元。搗藥杵聲猶未息,此龍杖住老龍眠。丑山未向坤申水,子息金階玉殿宣。先出文林並奉議,南鄉北保置莊田。稅錢三萬七千貫,金玉盈箱不計年。三代神童如及第,生成鐵樹亦生煙。若問人丁多少數?芝麻一石數當添。兄弟四房俱發福,燒些錢帋玉爐邊。

鉗記寫していう、白湖山峰此の美地、穴位點定し難く、左側の仙宮之位已に你家の先占する所。二十四位の神靈皆來りて拱揖し、三十八員の將星盡く朝元す。藥を擣る杵聲至今未だ歇まず、此の條の龍此處に在りて杖を拄きて歇下し、老龍便ち此に就きて安眠す。丑山に坐し未方に向い、坤申方水を來し、子孫將に金階に登り・玉殿上に在りて宣召されんとす。先ず文林郎と奉議郎一類の官を出し、南鄉北保に在りて莊田を置辦す。每年田稅錢三萬七千貫、金玉滿箱多得年を數えず。三次官を為りて歸りて隱居し、一百二十歲にして命終す。

右地在華容縣東八十里,土名七峰山。其龍來脈甚遠,不詳述。比入局,開大帳,頓跌數峰,磊磊落落,龍勢雄昂,氣甚旺盛。卻入首一節,抽出平緩,為蘆鞭貴格結穴。穴開鉗口,鉗中陡峻,不能融結。乃就脈棄鉗而點蓋穴,沙水亦皆應副。此緩來急受,故不葬鉗而挈高取穴,亦以避其鉗中之峻耳。與鉛山費狀元烏石山祖地頗相似,乃江右雷氏所卜。嘉靖已丑年葬,癸巳年生喬桂公,登戊辰進士,官翰林吉士,今福祉未艾。

右邊此の塊の地は華容縣東八十里に在り、地名を七峰山といふ。其の來龍甚だ遠く、此處詳述せず。本局に入らんと將に大帳を張開し、頓跌して幾座の山峰を起し、磊落有致、龍勢雄昂、氣極めて旺盛。可是「入首」此の一節却って抽る平緩、「蘆鞭」貴格と成りて結穴す。穴星雖も鉗口を開出すと、鉗中却って陡峻、凝りて穴を成さず。於是脈氣に就着き鉗口を舍棄し、改めて「蓋穴」を點ず。砂與水亦皆相應配合す。此れ是れ來脈平緩にして承接する急なれば、鉗裏に葬らず、而是れ高きを提げて穴を取る。亦正に鉗中の陡峻を避くるが為めなり。此地與鉛山費狀元烏石山の祖墳頗る相似たり。是れ江右雷氏の卜定する所。嘉靖己丑年安葬し、癸巳年喬桂公を生下し、戊辰科進士を考中し、官翰林院庶吉士。如今福澤未だ歇まず。

右地在吾邑治南五里,土名長塘。其龍來遠不述其龍法背面下。入首工字龍格,霞帔度脈。起土星掛角穴,乃脈從左來,穴以右受,有垂珠倒氣,成太陽頭腦,開口腦下,合土星角穴正格。故不取乳,以中乳直硬不受穴,掛角聚氣藏風,後有鬼星,前有氈褥,左右夾照,弦稜明白,證得穴眞。俗呼眠犬形,懷中氣動穴。葬後出肯由公鍧,登嘉靖丙戌進士,官衢州府太守,人丁大旺,鉅富,稅銀千石,應例登仕籍衣冠數十人,福祉方隆。

右邊此の塊の地は我ら縣衙南面五里に在り、地名を長塘といふ。其の來龍甚だ遠く、此處述べず(原注、此の條の龍の形法「背面」一篇之下に見る)。「入首」の處に到りて是れ「工」字形の龍格、脈霞帔の如く鋪展して過來し、一座の土星を起し、「掛角穴」を結ぶ。此れ是れ脈左邊より來るに因り、穴便ち右邊に就りて承受し、垂珠の如き倒轉之氣有り、太陽金星の頭腦を形成し、頭腦之下に在りて口を開き、正に土星角穴の正格に合す。ゆえに乳穴を取らざるは、因るに中間の那道の乳又直く又硬く、穴を承る住む可からず。而して掛角之處能く氣を聚め風を藏し、後面鬼星有り、前面氈褥有り、左右夾护照應し、弦棱分明。此の穴の真なるを證す可し。民間它を「眠犬」形と叫び、穴名「懷中氣動穴」。安葬の後肯由公某鍧を出し、嘉靖丙戌科進士を考中し、官衢州府太守に至る。家中人丁大旺、巨富と成り、每年稅銀千石を納め、例に依り仕えて官を為る士人幾十位有り。福澤正に盛ん。

左地在永康縣西五里。其龍與邑龍數十里外分脈,逆溪水上奔。復盤轉入局,逆田源朝北結穴。穴形奇怪有突。有突而不塟於突,不串龍勢,不對明堂、龍虎,俗眼即為死氣之處。左砂硬奔,攔在面前,明堂傾斜。殊不知十里田源暗朝,遶過明堂而纏玄武,大溪水交會,眞龍盡氣鍾之吉也。先一家塟,退敗遷去。明師劉永太復為徐氏指塟舊所。徐氏曰:“彼既不吉,何為塟舊穴?”劉曰:“淺深不同,乘氣有異。且此地本主先凶後吉。今彼既已退敗一代,而君塟則凶氣已去,吉氣將來。”徐如其言,塟之,果出侍郎。又科第數人,富貴未艾。今太守公師夔、師皋諸貴,皆出此地。劉永太課云:一代伶倌二代貧,三代頗有讀書生,四代為官常近帝,五代六代榜聯登。巳山亥向。

左邊此の塊の地は永康縣西五里に在り。其の龍脈幾十里外に在りて縣城主龍と分開し、溪水に逆りて上に奔行し、又盤旋轉折して本局に進入し、田源に逆りて北に朝りて結穴す。穴形奇特、一個の突有るも、可是突有るに突上に葬らず、亦龍勢に順い串接せず、更に明堂と龍虎に正對せず。外行人一見すれば便ち死氣之地と當作す。左邊の砂又硬く又奔り、正前方に攔り、明堂亦是れ傾斜。他ら知らず、十里長の田源之水暗地裏に來朝し、明堂を繞過し而して穴後の玄武を纏住し、又與大溪之水交會す。此れ正是真龍走り盡き・地氣凝聚の吉象。先前一家此處に葬りて有り、家道敗退すれば便ち遷走す。明師劉永太又徐氏の為め指點し、仍就舊處に葬る。徐家問く「他家既然不吉、為什麼還葬這個舊穴」。劉永太說く「深淺不同、所承的氣就不一樣。何況這塊地本來就主先凶後吉。如今他家已經敗退了一代、你家葬進去、凶氣已去、吉氣正要來」。徐家依他的話安葬、果然出了侍郎、又出了幾位科第中人、富貴至今未歇。如今的太守公徐師夔・徐師皋等貴人、都出自這塊地。劉永太的課單說、第一代出藝人、第二代貧寒、第三代頗有讀書人、第四代做官常在皇帝身邊、第五代第六代榜上連登。坐巳山向亥方。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷三下之二(江右山人徐善繼・徐善述同著)

此一卷専論穴星。凡點穴,須審入首之山成某星體。星體明白,方是眞氣融結。若入首之山不成星體,即是眞氣不融。楊公云:“觀星裁穴始為眞,不論星辰是虛誑。”但諸家星體,立法殊途,故美惡吉凶,紛紜不一。議者或為五星為正,九星為變。殊不知五星即五行也。五行之變,不可勝形。朱子謂“五行之變,至於不可窮盡。”然則九星又安能盡其變哉!惟其融結成穴,雖有正變不同,而其形體未嘗離於五星。是五星誠守約賅博,一定不易之理。又何泥夫諸家巧立異名之謬哉!謹以子微五星,參酌廖氏模範,定為穴星三格。端正者曰正體,偏斜者曰側腦,倒地者曰平面。而各貫以窩、鉗、乳、突四象,庶幾星形明白,免於眩惑,而易簡之理得矣。

此の一卷專ら「穴星」を討論す。凡そ穴を點ずるは、必ず先ず「入首」那座の山何の星體を成すかを審察せざる可からず。星體分明、乃是れ真氣凝結。若し入首之山星體を成さずんば、那便ち是れ真氣未だ凝結せず。楊筠松說く「觀星裁穴始為眞、不論星辰是虛誑」――星體を看准して再び穴位を裁定して乃ち真を為すを算し、星體を講ぜざれば便ち是れ虛妄人を欺く。但し各家星體を論ずるに、立法各々相同じからず、因而美惡吉凶紛紜として一ならず。人に五星是れ正體・九星是れ變體と主張する者有り。殊不知五星便ち是れ五行、而して五行の變化說くも盡くさず。朱熹說く「五行之變、至於不可窮盡」、那麼區區九星又怎んぞ能く其の變化を窮盡せんや。凡そ凝結して穴を成すは、雖も正體變體之別有りと、其の形體卻未だ嘗て五星を離れざる有り。見る可し五星確實に簡約にして又賅備・固定不移の道理なり。又何必拘泥して各家巧みに異名を立てるの謬說をや。現に謹んで張子微の五星に依り、廖金精の規範を參酌し、穴星三格を定出す。端正のを「正體」と叫び、偏斜のを「側腦」と叫び、倒臥地に在るを「平面」と叫ぶ。每一格再び窩・鉗・乳・突四象を以て貫く。此の如くすれば星體の形狀便ち分明、眩惑を免る可く、簡明易行の道理亦得著す。

穴星三大格

一曰正體。夫所謂正體者,以其星辰頭面端正,而規模尊重也。凡正體穴星,鍾五行之正氣,融星象之正形,故其結作,若星體清秀,龍合上格,主極品之貴。星體龐濁,龍非正格,亦主小貴鉅富。二曰側腦。夫所謂側腦者,以其星辰頭腦偏斜,而形體欹側也。凡側腦穴星,頭顱雖有不同,融結本無異別。但其閃巧奇藏,故必以樂托為準。若星體清秀,龍合上格,主貴,有威權。若星體龐濁,龍無正格,主慳吝、詭詐、殷富。三曰平面。夫所謂平面者,以其星辰倒地,而形體平夷也。凡平面穴星,高低雖有不同,力量本無二致。若星體清秀,龍合上格,主富貴綿延。若星體龐濁,龍格不明,亦主富厚。

第一格「正體」と叫ぶ。所謂正體は、說く此の座の星體の頭臉端正、格局尊貴莊重。凡そ正體の穴星は、五行の正氣を凝聚し、星象の正形を融合す。ゆえに其の結作、若し星體清秀・龍脈上格に合せば、位極人臣の大貴を出すを主る。若し星體龐大渾濁・龍脈正格に合せずんば、亦小貴と巨富を主る。第二格「側腦」と叫ぶ。所謂側腦は、說く此の座の星體の頭腦偏斜、形體一側に歪向く。凡そ側腦の穴星は、頭部形狀雖も各々相同じからず、結作本身却って並びに差別無し。只だ它閃巧奇特にして藏隱すれば、ゆえに必ず背後の「樂山」倚托を以て準則と作すを要す。若し星體清秀・龍脈上格に合せば、顯貴にして威權有るを主る。若し星體龐大渾濁・龍脈正格に合せずんば、則ち子孫吝嗇・詭詐にして富足を主る。第三格「平面」と叫ぶ。所謂平面は、說く此の座の星體倒臥地に在り、形體平坦。凡そ平面の穴星は、高低雖も不同有り、力量却って並びに二致無し。若し星體清秀・龍脈上格に合せば、富貴綿延を主る。若し星體龐大渾濁・龍格不明なれば、亦家道富厚を主る。

穴星三格辨

或問:諸家穴法,莫詳於《洩天機》。其例以九星各九變,曰正體、開口、懸乳、弓腳、雙臂、單股、側腦、沒骨、平面,皆可以下穴。今何止取正體、側腦、平面三者,而稱穴星三大格?又不即以為穴,且去其六格者,不與同列,何也?

人の問く、各家の穴法、《泄天機》より詳盡なる有る莫し。其の體例是れ九星を把りて各々九變に分かち、正體・開口・懸乳・弓脚・雙臂・單股・側腦・沒骨・平面と叫ぶ。此の九種皆穴を下す可し。如今你為什麼只取正體・側腦・平面三種、稱為穴星三大格。而且還不把它們直接當作穴、又把其餘六格撇開、不與這三格並列、這是什麼道理。

答曰:《洩天機》穴法固極精美。但拘於九變,而穴星與穴形二者混立穴星者,太陽、太陰、金水、天財、紫氣、燥火、掃蕩、孤曜、天罡九星也。穴形者,窩、鉗、乳、突之形也。如曰正體,乃穴星之端正者也。曰側腦,乃穴星之偏側者也沒骨即側腦之變。曰平面,乃穴星之倒於平地者也。茲三者,乃穴之星辰有此三格,而未可便以為穴。必須於此穴星之間,又各有窩、鉗、乳、突之形,方是有穴。若無此形,而遽於正體、側腦、平面之上扦葬,則瀰漫無下手處。惟金星一格,有頑金開窩之法,亦須微有窩坦則可。若渾頑飽面強鑿之,凶禍立至,豈可直以正體、側腦、平面為穴哉!

回答是、《泄天機》的穴法固然極其精美、只是它拘泥於九種變化、把「穴星」和「穴形」兩回事混在一起立名了。(原注、穴星、指太陽・太陰・金水・天財・紫氣・燥火・掃蕩・孤曜・天罡九星。穴形、指窩・鉗・乳・突四形。)比如說「正體」、那是穴星之中端正的一類。說「側腦」、那是穴星之中偏側的一類(原注、「沒骨」就是側腦的變體)。說「平面」、那是穴星倒臥在平地上的一類。這三者只是說穴的星體有這三種格局、還不能就當作穴。必須在這三種穴星之上、各自又生出窩・鉗・乳・突的形狀、才算真有穴。若沒有這些形狀、就貿然在正體・側腦・平面上下葬、那便一片漫漶、無處下手。只有金星一格另有「頑金開窩」的辦法、但也須微微有點窩坦才行。若是渾然頑硬、面部鼓脹而硬去開鑿、凶禍立刻就到――怎麼可以逕直把正體・側腦・平面當作穴呢。

其曰開口,即窩形之穴;曰懸乳,即乳形之穴;曰弓腳、雙臂、單股,即鉗形之窩。茲五者乃穴形之格,而不可與穴星之格並列者也。若一例立之,則穴形之格混於穴星矣。今故特以正體、側腦、平面三者,列為穴星三大格,而各貫以窩、鉗、乳、突之形,則廖氏之九變,固以包括於其內,而有星無穴之弊,庶幾可免也夫。

至於它所说的「开口」、就是窝形的穴。「悬乳」、就是乳形的穴。「弓脚」「双臂」「单股」、就是钳形的穴。这五种乃是穴形的格、不能与穴星的格并列。若一概并列、穴形的格就跟穴星混淆了。所以我如今特地只把正体・侧脑・平面三者列为穴星三大格、再在每一格上分别贯以窝・钳・乳・突之形。这样一来、廖金精所立的九变本已包括在其中、而「有星无穴」的流弊也大致可以避免了。

穴星諸形

金星形圓,有二體:上下俱圓者曰太陽金,上圓帶方者曰太陰金,俱有正體、側腦、平面三格。正體金星,形圓而端正者也,穴結於中;側腦金星,形圓而身側者也,穴結於旁;平面金星,面仰而身圓者也,穴結於頂。木星形直 正體木星,頭圓身聳而端正者是也,穴結於中;側腦木星,頭圓身聳而欹側者是也,穴結於旁;平面木星,面仰而身平長硬者是也,穴結節苞。

金星の形狀是れ圓なり。兩種の體式有り。上下皆圓なるを「太陽金」と叫び、上頭圓にして略方を帶ぶるを「太陰金」と叫ぶ。兩者皆正體・側腦・平面三格有り。正體金星、形圓にして端正、穴正中に結ぶ。側腦金星、形圓にして山身偏側、穴旁邊に結ぶ。平面金星、山面上に向い仰ぎ而して身形渾圓倒臥し、穴頂上に結ぶ。木星の形狀是れ直なり。正體木星、山頭圓・山身高聳にして端正、穴正中に結ぶ。側腦木星、山頭圓・山身高聳にして歪斜、穴旁邊に結ぶ。平面木星、山面上に向い仰ぎ而して身形平長堅硬、穴脈上鼓起の節苞處に結ぶ。

水星形曲 正體水星,頭圓身曲而端正者是也,穴結於中;側腦水星,頭圓身曲而欹斜者是也,穴結於旁;平面水星,面仰身曲而倒地者是也,穴結於頂。火星形尖,故不結穴。土星形方 正體土星,頭方身平而端正者是也,穴結於中;側腦土星,頭方身平而欹側者是也,穴結於旁;凹腦土星,頭方而中凹身平者是也,穴結凹下;平面土星,面仰而身方倒地者是也,穴結於頂。

水星の形狀是れ曲なり。正體水星、山頭圓・山身彎曲にして端正、穴正中に結ぶ。側腦水星、山頭圓・山身彎曲にして歪斜、穴旁邊に結ぶ。平面水星、山面上に向い仰ぎ・身形彎曲にして倒臥地に在り、穴頂上に結ぶ。火星の形狀是れ尖なり。ゆえに穴を結ばず。土星の形狀是れ方なり。正體土星、山頭方・山身平にして端正、穴正中に結ぶ。側腦土星、山頭方・山身平にして歪斜、穴旁邊に結ぶ。凹腦土星、山頭方にして中間凹陷・山身平坦、穴凹陷之下に結ぶ。平面土星、山面上に向い仰ぎ・身形方正にして倒臥地に在り、穴頂上に結ぶ。

火星穴を結ばざる辨

或問:五星皆有生物之理,而火星獨不結穴,何也?曰:火性至燥,金入之而鎔,木入之而焚,水入之而涸,土入之而焦。故火星不能結穴,惟作穴之曜氣,及龍祖、前沙則美。郭氏《葬經》言:“乘金相水,穴土印木。”而不及火。吳草廬、蔡牧堂、洪天與諸公釋之,皆謂火不結穴,故不言火也。然火既為穴曜、龍祖及前沙,固已見生物之妙,又何拘於結穴而始謂之生物哉!

人の問く、五星皆萬物を生養する道理有り、為什麼唯獨火星穴を結ばず。回答、火の性質極其乾燥、金它に遇えば便ち熔化し、木它に遇えば便ち焚毀し、水它に遇えば便ち乾涸し、土它に遇えば便ち焦裂す。ゆえに火星穴を結成すること能わず。它只有穴の「曜氣」を充當し、或は龍脈の祖山・穴前の砂山を作して、乃ち美を算す。郭璞『葬經』講ずる「乘金相水、穴土印木」、獨獨火を提さず。吳澄(草廬)・蔡發(牧堂)・洪天與諸位の先生此の句を解釋し、皆說く火穴を結ばず、ゆえに火を提さずと。不過火既然能く穴曜を作し・龍祖を作し・前砂を作す、本來已に它の萬物を生養する妙用を顯出す。何必一定要能結穴才算生物呢。

且予兄弟厯觀四方名墓,金、土二穴最多,木次之,水又次之,而火星之穴,未見其一。惟浮梁縣景德鎮陽基是落地火星,入首、落脈,穿田發五枝,為五火落地,而四面皆水。水以濟火,故亦有融結。然其為陶冶之場,數十里間,煙熖燭天,晝夜不息,此固火星之應矣。而人多剛燥,俗尙繁華,易於興替,且不免回祿時發之災。此又火星之病也。

再說、我ら兄弟遍觀各地名墓、金星穴和土星穴最多、木星穴次之、水星穴又次之、至於火星的穴、一個也沒有見過。只有浮梁縣景德鎮的陽宅基址是「落地火星」。入首・落脈之後穿過田野分出五枝、成為五道火形落地、而四面都是水。有水來調濟火、所以也能凝結成局。可是那裏是陶瓷窯冶的場所、方圓幾十里煙焰燭天、晝夜不息、這固然是火星的應驗。然而當地人多半性情剛烈躁急、風俗崇尚繁華、家業容易興也容易敗、而且免不了時常發生火災。這又是火星帶來的毛病。

夫以火得水濟,其結作且不能全美如此,況純火之穴豈可用乎?或曰:火星至燥而不結穴,已聞命矣。水星至柔,而能結穴,何也?曰:純水亦不能融結,須兼於金,金水相溶,方有結作。故廖氏以金水名之。曰:廖氏既以金水名矣,而今止曰水星穴者,何也?曰:金星已有定穴,此特水星兼金,蓋以水為主,故専名也。或又問曰:廖氏九星之中,有金水,今専以水星名穴,固所以破九星之謬矣。而金星穴中,復以太陽、太陰名之,何也?曰:金星有高低二體,而太陽、太陰各稱其形。且五星七政,理之切寔,非若巨、武、破、廉、天罡、孤曜諸說之不經,能眩惑於人者,從之可也。茲蓋惟理是適,初非有意立異,而故訾九星云耳。

可見即便火得到水的調濟、它的結作尚且不能十全十美到這個地步、何況純火的穴、怎麼能用呢。有人又說、火星極燥而不結穴、這一點我已經領教了。水星極柔、卻能結穴、這是什麼緣故。回答、純粹的水也結不成穴、必須兼帶金氣、金與水相融合、才有結作、所以廖金精把這種星體命名為「金水」。又問、廖氏既然命名為金水、如今你卻只叫它水星穴、這是為什麼。回答、金星已經另有專門的穴格了、這裏只是水星兼帶金氣、仍以水為主、所以單稱水星。又有人問、廖氏九星之中本有「金水」一名、如今你專用水星來命名此穴、固然是為了破除九星的謬誤。可是在金星穴中、你又用太陽・太陰來命名、這又是為什麼。回答、金星有高・低兩種體式、「太陽」「太陰」正好各自切合它們的形狀。何況五星與七政之說、道理切實可據、不像巨門・武曲・破軍・廉貞・天罡・孤曜那些不經之談會迷惑人、所以這兩個名目可以沿用。這裏不過是唯理是從、本來就沒有存心標新立異・故意詆毀九星的意思。

金星穴

金體必圓。其上下皆圓而身高者,曰太陽金。上圓帶方而身低者,曰太陰金,各有正體、側腦、平面三格。三格又各有窩、鉗、乳、突之形,方為眞結。其有頑金打開水窩裁者,亦必開面,微有窩坦。若是頑硬粗飽,即是生氣不融,不可勉強鐫鑿,以亂下凶惡之地。《洩天機》穴法,諸正體穴正坐此弊,不可悞用,學者審之。

金星の形體必定是れ圓なり。上下皆圓にして山身高きを「太陽金」と叫び、上頭圓にして略方を帶び・山身低きを「太陰金」と叫ぶ。兩者各有り正體・側腦・平面三格。三格之上又各々須く窩・鉗・乳・突之形有りて、乃ち真結作を算す。其中亦頑硬の金星上に在りて一個の水窩を打開して穴を裁する有り。但那も亦必ず星體已に「開面」し、微微一點の窩坦を帶びて乃ち行ふ可し。倘若通體頑硬・粗脹鼓面なれば、那就是生氣沒有凝結、不可勉強開鑿、以致胡亂葬在凶惡之地。《泄天機》的穴法、各種「正體穴」正犯這個毛病、不可誤用、學者應當審慎。

正體金星穴格

類別 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 太陽金 太陰金 上正體金星穴,各有坐、眠、立三勢,大小、高低、肥瘦六格,俯仰二體,及窩穴有深、淺、闊、狹,鉗穴有長短、雙單、曲直,乳穴有大小、長短,突穴有大小、雙三等格。其乳、突二穴之下,又有出金、出木、出水、出火、出土各五格。而窩、鉗二穴之左右兩臂,又有轉金、轉木、轉水、轉火、轉土,及一腳轉金,一腳轉水、木、火、土者;一腳轉水,一腳轉金、木、火、土者;一腳轉木,一腳轉金、水、火、土者;一腳轉火,一腳轉金、木、水、土者;一腳轉土,一腳轉金、木、水、火者。各二十體,為變格也。諸體又各有帶曜者,圖繁,俱不詳載。以下側腦、平面穴格皆仿此論,不復重述。

底本此處是れ一張の圖表、橫欄を「類別・窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、豎欄を「太陽金」「太陰金」兩類と為す。各格圖形今已に散佚し、只だ欄目を存す。表後說明、以上正體金星の穴、各有り坐・眠・立三種の姿勢、有り大・小・高・低・肥・瘦六格、有り俯・仰兩體。其中窩穴又深・淺・闊・狹に分かち、鉗穴又長短・雙單・曲直に分かち、乳穴又大小・長短に分かち、突穴又大小・雙突三突等格に分かつ。乳穴・突穴の下端、還って各有り出金・出木・出水・出火・出土五格。而して窩穴・鉗穴の左右兩臂、又有り兩脚同轉金・同轉木・同轉水・同轉火・同轉土の分別、以及一脚轉金而另一脚分別轉水・木・火・土。一脚轉水而另一脚分別轉金・木・火・土。一脚轉木而另一脚分別轉金・水・火・土。一脚轉火而另一脚分別轉金・木・水・土。一脚轉土而另一脚分別轉金・木・水・火――各有り二十體、皆變格を算す。以上各體又各有り「曜氣」を帶ぶるの、因るに圖太も繁多、一概詳載せず。下文側腦・平面兩類穴格皆此に照らし類推し、不再重複敘述。

夫正體金星之穴,星辰尊重,造化完全,故為最貴。但窩穴要窩中圓凈,弦稜明白。鉗穴要鉗中藏聚,凹間彎環。乳穴要圈中舒暢,乳上光圓。突穴要突面光圓,形體穎異,此為穴形入相。又須證佐明白,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

正體金星の穴、星體尊貴莊重、造化完備、ゆえに最も尊貴。不過還要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・凹處彎環相抱。乳穴要兩臂所圍的圈內舒展暢達・乳上光潤渾圓。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這樣才算穴形合於相法。此外還須各種佐證清楚、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

側腦金星穴格

類別 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 太陽金 太陰金 上為側腦金星穴諸格,左右圖同,不必重載。又有雙側腦者,見下:雙側腦擔凹穴 雙側腦扳鞍穴 頭高頭低而中凹結穴者曰扳鞍穴。雙腦同高而中凹結穴者,曰擔凹穴。 凹間彎者曰雙金扛水,平者曰雙金扛土,各有窩、鉗、乳、突四格,圖繁不載。

底本此處又是一張圖表、橫欄為「類別、窩穴、鉗穴、乳穴、突穴」、豎欄為「太陽金」「太陰金」、圖形今佚。表後說明、以上是側腦金星的各種穴格。偏左偏右兩式的圖相同、不必重複刊載。此外還有「雙側腦」一類、見下面兩幅圖、圖題為「雙側腦擔凹穴」「雙側腦扳鞍穴」、圖形亦佚、僅存圖注。圖注說、兩個星頂一高一低而在中間凹處結穴的、叫「扳鞍穴」。兩個星頂同樣高而在中間凹處結穴的、叫「擔凹穴」。又說、凹處呈彎曲狀的叫「雙金扛水」、凹處平坦的叫「雙金扛土」、各自都有窩・鉗・乳・突四格、因圖太繁多、不再刊載。

夫側腦金星之穴,星體偏斜,勢趍一畔,穴不枕腦,借樂安扦乳、突二穴,無樂亦可。形體雖偏,力量無異。但窩穴要窩中圓浄,弦稜分明。鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環。乳穴要乳上光圓,圈中舒暢。突穴要突面光圓,形體穎異,此為穴形入相。又須證佐分明,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

側腦金星的穴、星體偏斜、氣勢趨向一邊、穴不能枕在星頂上、須借背後的「樂山」為依託來安葬(原注、乳穴・突穴兩種、沒有樂山也可以)。形體雖然偏斜、力量並無差別。不過仍要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要乳上光潤渾圓・圈內舒展暢達。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這樣才算穴形合於相法。此外還須佐證分明、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

平面金星穴格

類別 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 太陽金 太陰金 夫平面金星之穴,或出高山,或出平地,而平地為多,至難辨認。蓋高山有似龍格,平地有似羅星。但龍格未住,羅星孤寒,此為異耳。平地高山,各有四格,窩、鉗、乳、突是也。但窩穴要窩內圓浄,弦稜明白,穴宜揭高就脈。鉗穴要鉗中藏聚,兩畔均勻,穴宜湊球避簷。乳穴要乳上光圓,左右曲抱,穴宜蘸球就脈。突穴要突面光圓,形體穎異,穴宜當突就脈。廖氏云:“凡平面星辰,靈光自出於頂中,生氣聚浮於面上。”故此穴最吉,力量極大,必須龍脈眞奇,證佐分曉,流神合法,方為眞穴。務宜仔細檢點,不可忽也。

底本此處仍是一張圖表、橫欄為「類別、窩穴、鉗穴、乳穴、突穴」、豎欄為「太陽金」「太陰金」、圖形今佚。正文說、平面金星的穴、有的出在高山、有的出在平地、而以平地居多、極難辨認。因為在高山上它像行龍的格局、在平地上它又像水口的「羅星」。分別只在於、行龍的格局是還沒有止住的、羅星則孤單寒薄、與真穴不同。無論平地高山、都各有四格、就是窩・鉗・乳・突。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明、穴應提高一些去承接來脈。鉗穴要鉗中藏得住氣・兩邊均勻、穴應湊近上方的「球」而避開下方的「簷」。乳穴要乳上光潤渾圓・左右彎曲環抱、穴應貼着球去承脈。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡、穴應正對突心去承脈。廖金精說「凡平面星辰、靈光自出於頂中、生氣聚浮於面上」。所以這種穴最吉、力量極大。但必須龍脈真奇、佐證分明、水流走向合法、才算真穴。務必仔細檢點、不可忽略。

已上金星諸穴,坐向得申、庚、酉、辛、幹、坤、艮,皆為得地,氣旺形應。安扦合法,主生人相貎潔白,心性明達。庚、申、辛、酉金水生人受蔭,已、酉、丑年福應。若星辰清秀,龍合上格者,主翰苑清貴,位極人臣。合中格者,主職兼文武,出典大藩。合下格者,貴為牧守。全無貴格,亦主聰明才辯之士,名譽遠揚。若星體龐濁,則主武貴,及鉅富豪爽,武霸鄉曲,剛直果斷,人咸畏服。及清高之士,自重自尊,不於寵榮,高尙其志。初生肥白聲朗之人,氣至而盛。至生瘖啞之人,則氣盡而衰矣。

以上金星的各種穴、坐向若得申・庚・酉・辛・乾・坤・艮諸方、都算「得地」、地氣旺盛而形勢相應。安葬合法、主後代生的人相貌白淨、心性通達聰明。庚・申・辛・酉等屬金水的年命之人受它蔭庇、巳・酉・丑年應驗福報。若星體清秀・龍脈合於上格、主入翰林院成為清貴之臣、位極人臣。合於中格、主職務文武兼領、出任大藩的長官。合於下格、也貴為州郡長官。即使全無貴格、也主出聰明善辯之士、聲名遠揚。若星體龐大渾濁、則主武職顯貴、或者巨富而豪爽、以武力稱霸鄉里、剛直果斷、人人畏服。也主出清高之士、自重自尊、不慕榮寵、志趣高尚。當初生出體胖膚白・聲音洪亮之人時、是地氣到了・家道興盛。等到生出喑啞之人、那就是地氣已盡・家道要衰了。

木星穴

木體必直,其未必圓。凡穴星上尖而圓,身直而聳者是也。端正者曰正體,欹側者曰側腦,倒地者曰平面。各有窩、鉗、乳、突之形,方為眞結。正體木星穴格 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 上正體木星穴諸格,各有坐、眠、立三勢,大小、高低、肥瘦六格,俯仰二體,及窩穴有深、淺、闊、狹,鉗穴有長短、雙單、曲直,乳穴有大小、長短,突穴有大小、雙三等格。其乳、突二穴之下,又有出金、出木、出水、出火、出土各五格。而窩、鉗二穴之左右兩臂,又有轉金、轉木、轉水、轉火、轉土,及一腳轉金,一腳轉水、木、火、土者;一腳轉水,一腳轉金、木、火、土者;一腳轉木,一腳轉金、水、火、土者;一腳轉火,一腳轉金、木、水、土者;一腳轉土,一腳轉金、木、水、火者。各二十體,為變格也。諸體又各有帶曜者,圖繁,俱不詳載。以下側腦、平面穴格皆仿此論,不復重述。

木星の形體必定是れ直なり、其の末端却って略円を帶ぶ。凡そ穴星上端微尖にして円・山身筆直高聳の、便是れ木星。端正のを「正體」と叫び、歪斜のを「側腦」と叫び、倒臥地に在るを「平面」と叫ぶ。每一格皆窩・鉗・乳・突之形を具備して、乃ち真結作を算す。下面一節題を「正體木星穴格」と作す。原有り一張の圖表、橫欄を「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、圖形今佚す。表後說明、以上正體木星の各種穴格、各有り坐・眠・立三種の姿勢、有り大・小・高・低・肥・瘦六格、有り俯・仰兩體。其中窩穴深・淺・闊・狹に分かち、鉗穴長短・雙單・曲直に分かち、乳穴大小・長短に分かち、突穴大小・雙突三突等格に分かつ。乳穴・突穴の下端、還って各有り出金・出木・出水・出火・出土五格。窩穴・鉗穴の左右兩臂、又有り兩脚同轉金・同轉木・同轉水・同轉火・同轉土之別、以及一脚轉金而另一脚分別轉水・木・火・土。一脚轉水而另一脚分別轉金・木・火・土。一脚轉木而另一脚分別轉金・水・火・土。一脚轉火而另一脚分別轉金・木・水・土。一脚轉土而另一脚分別轉金・木・水・火――各有り二十體、皆變格に屬す。各體又各有り「曜氣」を帶ぶるの、因るに圖太も繁多、一概詳載せず。下文側腦・平面兩類穴格皆此に照らし類推し、不再重述。

夫正體木星之穴,星辰尊重,造化完全,故為最貴。但窩穴要窩中圓凈,弦稜明白。鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環。乳穴要圈中舒暢,乳上光圓。突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須證佐明白,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

正體木星の穴、星體尊貴莊重、造化完備、ゆえに最も尊貴。不過還要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環相抱。乳穴要兩臂所圍的圈內舒展暢達・乳上光潤渾圓。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須佐證清楚、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

側腦木星穴格

窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 夫側腦木星之穴,星體偏斜,勢趍一畔,穴不枕腦,借樂安扦乳、突二穴,毋樂亦可。形體雖偏,力量極大。但窩穴要窩中圓浄,弦稜分明。鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環。乳穴要乳上光圓,圈中舒暢。突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須證佐分明,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

此處原有り一張の圖表、橫欄を「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、圖形今佚す。正文說、側腦木星の穴、星體偏斜、氣勢一邊に趨向し、穴星頂上に枕す可からず、須く背後の「樂山」を借りて依託と為して安葬す(原注、乳穴・突穴兩種、樂山無くても可なり)。形體雖も偏斜すと、力量却って極めて大。不過仍要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要乳上光潤渾圓・圈內舒展暢達。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須佐證分明、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

平面木星穴格

類別 直木 橫木 曲木 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 此星身長而直,面平而低,故名曰平面木星。有三體。其木直來,有如卜字者,有如下字者,凡直體皆是也。不可當頭下穴,為犯閗脈煞。吳公《口訣》云:“木星忌下當頭穴,斗煞人丁絶。或粘或倚穴為奇,閃脫要君知。”故凡直木,須尋粘穴以脫煞,或倚穴以閃煞。粘有唇氈,倚有節苞。此要訣也。

此處原有り一張の圖表、橫欄を「類別・直木・橫木・曲木」と為し、豎欄を「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為す、圖形今佚す。正文說、此の種の星體山身長くして直く、山面平にして低し。ゆえに「平面木星」と叫ぶ、共に三體有り。其中脈直きて來るは、形狀「卜」字の如き有り、「下」字の如き有り、凡そ直なるは皆此の一類に屬す。直木正對脈頭して穴を下す可からず、那是れ「鬥脈煞」を犯す。吳景鸞『口訣』說く「木星忌下當頭穴、鬥煞人丁絶。或粘或倚穴為奇、閃脫要君知」――木星忌諱正對脈頭下穴、犯鬥煞會絕人丁。要麼用「粘穴」、要麼用「倚穴」才算高明、閃開・脫卸的訣竅你須知道。ゆえに凡そ直木に遇えば、必ず「粘穴」を找して以て煞氣を脫開し、或は「倚穴」を找して以て煞氣を閃開す。粘穴の憑據是れ下面唇氈有り、倚穴の憑據是れ旁邊節苞有り。此れ是れ要訣。

其脈橫來,有如工字者,土字、上字者,凡橫體皆是也。不可當腰下穴,為犯斬脈煞。吳公《口訣》云:“倒地木星長百丈,不論橫直皆可塟。直尋粘倚莫當頭,橫要中間苞節旺。”蓋橫木猶難下穴,要突、窩、鉗口為憑,此要訣也。直木、橫木二者為正格。又有其脈曲來如曲尺者,如之玄字者,於曲動處尋穴,此乃變格也。

脈橫きて來るは、形狀「工」字の如き有り、「土」字・「上」字の如き有り、凡そ橫なるは皆此の一類に屬す。橫木正對山腰して穴を下す可からず、那是れ「斬脈煞」を犯す。吳景鸞『口訣』說く「倒地木星長百丈、不論橫直皆可塟。直尋粘倚莫當頭、橫要中間苞節旺」――倒地の木星縱く百丈之長有りとも、橫的直的皆葬る能し。直的要找粘穴・倚穴、別正對脈頭。橫的要看中段的節苞是否氣旺。橫木直木に比べ更に穴を下し難し。須く突・窩或は鉗口を以て憑據と為す、此れ是れ要訣。直木・橫木兩種是れ正格。此外還って脈彎曲して來り・形如曲尺或「之」字「玄」字の有り、便ち彎曲動意有る之處に在りて穴を尋る、此れ變格に屬す。

曰直、曰橫、曰曲三格,皆須要立穴處有窩、鉗、乳、突,萌櫱節苞,方為眞的。直脈宜審後龍來處,分左右尋萌櫱,立倚穴。粗大則可尋粘穴粘穴要有氈唇。橫脈宜審龍來,左右中節,尋萌櫱,立撞穴。體亦難拘,但橫直不亂者便是。皆要脊上平正,兩弦起稜一邊起稜亦可。亦須稍闊大,不可狹小如帶,亦不可懶坦無休。懶坦則眞氣不聚,狹小亦眞氣已絶,皆不可不察。

直・橫・曲此の三格、皆必ず立穴の地方に在りて窩・鉗・乳・突有り、以及草木新芽の如き「萌蘖」と節苞有りて、乃ち真的を算す。直脈、應當後龍來の方向を審察し、左右に分かちて萌蘖を找め、「倚穴」を立つ。如果脈身粗大、亦可以找「粘穴」(原注、粘穴要氈唇為憑)。橫脈、應當龍從哪邊來を審察し、左右居中の一節上に在りて萌蘖を找め、「撞穴」を立つ。其の體式亦難く拘定す、只だ橫直分明亂れざれば便ち是。此れら皆脈脊上平正・兩側弦邊棱を起すを要求す(原注、只有一邊起棱也可以)。還須略微寬闊一些、不可窄小得像一條帶子、也不可懶散平坦・綿延無盡。懶散平坦則真氣聚不住、窄小則真氣已經斷絕、此れら皆不能不細察。

夫平面木星之穴,惟平處有之。眞龍起伏多者,方結此穴,力量極大。廖氏云:“凡平面星辰,靈光凝聚於坦夷,生氣流行於低下,精神收斂,造化完全,此所謂之吉穴是也。必須龍脈眞奇,證佐分曉,流神合法,方為眞結。務宜仔細檢點,不可忽也。”

平面木星の穴、只有平坦的地方才有。必須真龍一路起伏很多、才結得成這種穴、它的力量極大。廖金精說「凡平面星辰、靈光凝聚於坦夷、生氣流行於低下、精神收斂、造化完全、此所謂之吉穴是也。必須龍脈眞奇、證佐分曉、流神合法、方為眞結。務宜仔細檢點、不可忽也」――凡平面的星體、靈秀之氣凝聚在平坦處、生氣流行在低下處、精神內斂、造化完備、所以稱為吉穴。但必須龍脈真而奇特、佐證分明、水流走向合法、才算真結作、務必仔細檢點、不可忽略。

已上木星諸穴,坐向得寅、甲、卯、乙、巽,皆為氣旺而形應。若安扦合法,主生人相貎清秀,心性坦夷,行事遠大。甲、乙、寅、卯、丙、丁、巳、午木火生人受蔭,亥卯未年發達。若穴星清秀,龍合上格,主狀元及第,官至極品;合中格,應舉登第,官至方面;合下格者,官至宰邑;全無貴格,亦主明經秀土,大有文名。若星辰龐濁,龍無正格,亦主富而好禮,身膺五福,子孫蕃衍。初生清秀身長之人,則氣至而盛;至生黃瘦矮小之人,則氣盡而衰矣。

以上木星の各種穴、坐向若し寅・甲・卯・乙・巽諸方を得れば、皆地氣旺盛にして形勢相應を算す。安葬合法、主後代生的人相貌清秀、心性平和坦蕩、行事有遠大氣象。甲・乙・寅・卯・丙・丁・巳・午等屬木火的年命之人受它蔭庇、亥・卯・未年發達。若穴星清秀・龍脈合於上格、主狀元及第・官至極品。合於中格、主科舉登第・官至一方大員。合於下格、主官至縣令。即使全無貴格、也主出通經的秀士、很有文名。若星體龐大渾濁・龍脈不合正格、也主富有而崇尚禮義、身受五福、子孫繁衍。當初生出清秀而身材高長之人時、是地氣到了・家道興盛。等到生出面黃肌瘦・身材矮小之人、那就是地氣已盡・家道要衰了。

水星穴

水性本動,其質柔弱,賴金以成。必兼金方能結穴。金圓水曲,凡穴星頭圓而身曲者是也。有三大格:端正者曰正體,欹斜者曰側腦,倒地者曰平面。各有窩、鉗、乳、突之形,方為眞結。正體水星穴格 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 上正體水星諸穴格,各有坐、眠、立三勢,大小、高低、肥瘦六格,俯仰二體,及窩穴有深、淺、闊、狹,鉗穴有長短、雙單、曲直,乳穴有大小、長短,突穴有大小、雙三等格。其乳、突二穴之下,又有出金、出木、出水、出火、出土各五格。而窩、鉗二穴之左右兩臂,又有轉金、轉木、轉水、轉火、轉土,及一腳轉金,一腳轉水、木、火、土者;一腳轉木,一腳轉金、水、火、土者;一腳轉水,一腳轉金、木、火、土者。一腳轉火,一腳轉金、木、水、土者;一腳轉土,一腳轉金、木、水、火者,各二十體,為變格也。諸體又各有帶曜者,圖繁,俱不詳載。以下諸穴格皆仿此論,不復重述。

水の性質本來好動、質地柔弱、要靠金來成全、必須兼帶金氣才能結穴。金主圓・水主曲、凡是穴星頭部渾圓而山身彎曲的、就是水星。它有三大格、端正的叫「正體」、歪斜的叫「側腦」、倒臥在地的叫「平面」。每一格都要具備窩・鉗・乳・突之形、才算真結作。下面一節題作「正體水星穴格」、原有一張圖表、橫欄為「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」、圖形今佚。表後說明、以上正體水星的各種穴格、各有坐・眠・立三種姿勢、有大・小・高・低・肥・瘦六格、有俯・仰兩體。其中窩穴分深・淺・闊・狹、鉗穴分長短・雙單・曲直、乳穴分大小・長短、突穴分大小・雙突三突等格。乳穴・突穴的下端、還各有出金・出木・出水・出火・出土五格。窩穴・鉗穴的左右兩臂、又有兩脚同轉金・同轉木・同轉水・同轉火・同轉土之別、以及一脚轉金而另一脚分別轉水・木・火・土。一脚轉木而另一脚分別轉金・水・火・土。一脚轉水而另一脚分別轉金・木・火・土。一脚轉火而另一脚分別轉金・木・水・土。一脚轉土而另一脚分別轉金・木・水・火――各二十體、都屬變格。各體又各有帶「曜氣」的、因圖太繁多、一概不詳載。以下各類穴格都照此類推、不再重述。

夫正體水星之穴,星辰尊重,造化完全,故為最貴。但窩穴要窩中圓淨,弦稜明白;鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環;乳穴要圈中舒暢,乳小光圓;突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須證佐明白,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

正體水星の穴、星體尊貴莊重、造化完備、ゆえに最も尊貴。不過還要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要圈內舒展暢達・乳雖小而光潤渾圓。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須佐證清楚、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

側腦水星穴格

窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 上側腦水星穴諸格,左右同,圖繁不載。夫側腦水星之穴,星體偏斜,勢趍一畔,穴不枕腦,借樂安扦乳、突二穴無樂亦可。形體雖偏,力量無異。但窩穴要窩中圓淨,弦稜分明;鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環;乳穴要乳上光圓,圈中舒暢;突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須證佐分明,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

此處原有り一張の圖表、橫欄を「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、圖形今佚す。表後說明、以上是側腦水星的各種穴格、偏左偏右兩式相同、因圖太繁多不再刊載。正文說、側腦水星の穴、星體偏斜、氣勢趨向一邊、穴不能枕在星頂上、須借背後的「樂山」為依託來安葬(原注、乳穴・突穴兩種、沒有樂山也可以)。形體雖然偏斜、力量並無差別。不過仍要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要乳上光潤渾圓・圈內舒展暢達。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須佐證分明、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

平面水星穴格

窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 此星腦圓而曲,面平而低,故名曰平面水星,即廖氏平面金水穴格也。其體不一,或如荷葉,如荷花,如葵花,如梅花者,為正格。如絛環,如梭子,如龜,如魚者,變格也。但要圓曲分明,初無定體。高山少見,多在平洋,有似羅星,務宜細辨。羅星孤虛無龍,此體左右必有應、從、照、樂、纏護、拱揖,自是不同。或結穴於中,或結穴於側,須尋開口,為窩,為鉗,為乳、為突,四象立穴,不可有悞。若毋四象,便是無穴假埠、水口。《羅星賦》云:“水星多在平地,妙處難言。”誠以水曰潤下,故平地多有水星平面之穴,亦天造地設,自然之理也。

此處原有り一張の圖表、橫欄を「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、圖形今佚す。正文說、此の種の星體頭部渾圓にして彎曲、山面平にして低し。ゆえに「平面水星」と叫ぶ、也就是廖金精所說的「平面金水穴格」。其の體式不止一種。像荷葉・像荷花・像葵花・像梅花的、屬正格。像絲縧環・像織布梭・像烏龜・像游魚的、屬變格。總之要圓與曲兩樣都分明、本來沒有固定的體式。這種穴高山少見、多半在平洋、樣子很像水口的「羅星」、務必細辨――羅星孤單虛浮・背後無龍、而這種穴的左右必定有應山・從山・照山・樂山・纏護之山前來拱揖、兩者自然不同。它或者結穴在中間、或者結穴在側邊、必須找出「開口」之處、或成窩・或成鉗・或成乳・或成突、依這四象來立穴、不可弄錯。若沒有這四象、那便是無穴的假土埠或水口。『羅星賦』說「水星多在平地、妙處難言」。確實、水的本性是「潤下」、所以平地多有水星平面之穴、這也是天造地設・自然而然的道理。

夫平面水星之穴,惟平處有之。眞龍起伏多者,方結此穴,力量極大。廖氏云:“凡平面星辰,靈光出自頂中,生氣聚浮面上,精神收斂,造化完全,所以謂之吉穴是也。”但要形勢、來脈分明,水法、堂局周美,賓主有情,左右無缺,穴形入相,證佐分明,方是眞結。切忌胎息孤寒,流神反背。孤寒則人丁衰替,反背則家業消亡。務須仔細檢點,不可忽也。

平面水星の穴、只有平坦的地方才有。必須真龍一路起伏很多、才結得成這種穴、力量極大。廖金精說「凡平面星辰、靈光出自頂中、生氣聚浮面上、精神收斂、造化完全、所以謂之吉穴是也」――靈秀之氣從星頂正中透出、生氣聚浮在星面之上、精神內斂、造化完備、所以叫吉穴。但還要求形勢與來脈分明、水法與堂局周備完美、主山與客山彼此有情、左右不缺不陷、穴形合於相法、佐證分明、才算真結作。最忌諱胎息孤單寒薄・水流反背而去。孤寒則人丁衰落、反背則家業消亡。務必仔細檢點、不可忽略。

已上水星諸穴,坐向得亥、壬、子、癸,皆謂得地,氣旺形應。若安扦合法,主生人相貎清潔,心性疏通,行事活潑。亥、子、壬、癸金水命人受蔭。申子辰年發達。若穴星清俊,龍合上格者,主狀元、宰相、尙書、九卿;合中格者,方面重臣;合下格者,州郡之職;全無貴格,亦主因女得貴。若穴星龐濁,主中富多浮財。初生清俊之人,氣至而旺。至出遊漡之人,則氣盡而衰矣。

以上水星の各種穴、坐向若し亥・壬・子・癸諸方を得れば、皆「得地」を算し、地氣旺盛にして形勢相應す。安葬合法、主後代生的人相貌清潔、心性通達疏朗、行事靈活。亥・子・壬・癸等屬金水的年命之人受它蔭庇、申・子・辰年發達。若穴星清秀俊逸・龍脈合於上格、主出狀元・宰相・尚書・九卿。合於中格、主出一方重臣。合於下格、主任州郡之職。即便全無貴格、也主因女子而得貴。若穴星龐大渾濁、則主中等富家而多浮動之財。當初生出清秀俊逸之人時、是地氣到了・家道興旺。等到出了遊蕩無行之人、那就是地氣已盡・家道要衰了。

土星穴

土星厚重,其形端正。凡穴星頭方正而身平者是也。有四大格。其端正者曰正體,偏斜者曰側腦,頭方而中凹者曰凹腦,倒地者曰平面。各有窩、鉗、乳、突之形,方為眞結,詳具下文。正體土星穴格 類別 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 中穴 角穴 上正體土星穴諸格,各有坐、眠、立三勢,大小、高低、肥瘦六格,俯、仰二體,及窩穴有深、淺、闊、狹,鉗穴有長短、雙單、曲直,乳穴有大小、長短,突穴有大小、雙三等格。其乳、突二穴之下,又有出金、出木、出水、出火、出土各五格。而窩、鉗二穴之左右兩臂,又有轉金、轉木、轉水、轉火、轉土,及一腳轉金,一腳轉水、木、火、土者;一腳轉木,一腳轉金、水、火、土者;一腳轉水,一腳轉金、木、火、土者;一腳轉火,一腳轉金、木、水、土者;一腳轉土,一腳轉金、木、水、火者,各二十體,為變格也。諸體又各有帶曜者,圖繁不載。以下諸格仿此。

土星敦厚凝重、形狀端正。凡是穴星頭部方正而山身平坦的、就是土星。它有四大格、端正的叫「正體」、偏斜的叫「側腦」、頭方而中間凹陷的叫「凹腦」、倒臥在地的叫「平面」。每一格都要具備窩・鉗・乳・突之形、才算真結作、詳見下文。下面一節題作「正體土星穴格」、原有一張圖表、橫欄為「類別・窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」、豎欄為「中穴」「角穴」、圖形今佚。表後說明、以上正體土星的各種穴格、各有坐・眠・立三種姿勢、有大・小・高・低・肥・瘦六格、有俯・仰兩體。其中窩穴分深・淺・闊・狹、鉗穴分長短・雙單・曲直、乳穴分大小・長短、突穴分大小・雙突三突等格。乳穴・突穴的下端、還各有出金・出木・出水・出火・出土五格。窩穴・鉗穴的左右兩臂、又有兩脚同轉金・同轉木・同轉水・同轉火・同轉土之別、以及一脚轉金而另一脚分別轉水・木・火・土。一脚轉木而另一脚分別轉金・水・火・土。一脚轉水而另一脚分別轉金・木・火・土。一脚轉火而另一脚分別轉金・木・水・土。一脚轉土而另一脚分別轉金・木・水・火――各二十體、都屬變格。各體又各有帶「曜氣」的、因圖太繁多不再刊載、以下各格照此類推。

夫正體土星之穴,星辰尊重,造化完全,故為最貴。但窩穴要窩中圓淨,弦稜明白;鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環;乳穴要圈中舒暢,乳上光圓;突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須證佐明白,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

正體土星の穴、星體尊貴莊重、造化完備、ゆえに最も尊貴。不過還要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要圈內舒展暢達・乳上光潤渾圓。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須佐證清楚、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

側腦土星穴格

窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 上側腦土星,左右皆同,圖繁不載。夫側腦土星之穴,星體偏斜,勢趍一畔,穴不枕腦,借樂安扦乳、突二穴無樂亦可。形體雖偏,力量無異。但窩穴要窩中圓淨,弦稜分明;鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環;乳穴要乳上光圓,圈中舒暢;突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須證佐分明,流神合法,方為眞結。必須仔細檢點,不可忽也。

此處原有り一張の圖表、橫欄を「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、圖形今佚す。表後說明、以上是側腦土星、偏左偏右兩式都相同、因圖太繁多不再刊載。正文說、側腦土星の穴、星體偏斜、氣勢趨向一邊、穴不能枕在星頂上、須借背後的「樂山」為依託來安葬(原注、乳穴・突穴兩種、沒有樂山也可以)。形體雖然偏斜、力量並無差別。不過仍要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要乳上光潤渾圓・圈內舒展暢達。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須佐證分明、水流走向合法、才算真結作。必須仔細檢點、不可忽略。

凹腦土星穴格

窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 此星腦凹,身方面平,故名曰凹腦土星。有樂為眞,最忌腰長。腰長則為土星見水,主出黃腫。此穴多是橫龍入首,故必要後樂。如無樂星,要有孝順鬼及包裹重疊亦可。乳、突之穴,亦不拘樂。窩、鉗二穴,穴多搭脊,亦謂之沒骨,必要有樂為眞。亦有撞背結穴者,無樂亦可。橫脈結穴,氣蹙於前,宜後宮仰瓦。若仰瓦內又出一乳,則非眞結。或仰瓦而後宮無樂星,又無包裹,亦非眞結,皆不可下。此穴結作若眞,力量極大。

此處原有り一張の圖表、橫欄を「窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、圖形今佚す。正文說、此の種の星體頭頂凹陷、山身方正・山面平坦、ゆえに「凹腦土星」と叫ぶ。它以背後有「樂山」為真、最忌諱山腰太長――腰長就成了土星見水之象、主後代出黃腫之病。這種穴多半是橫龍入首、所以必須有後樂。如果沒有樂星、只要有「孝順鬼」(穴後順貼的鬼星)以及重重包裹之山、也可以。乳穴・突穴兩種、則不拘有無樂山。窩穴・鉗穴兩種、穴多半搭在脊背上、也叫「沒骨」、必須有樂山才算真。也有從背後撞脈結穴的、那就沒有樂山也行。橫脈結穴、氣逼聚在前方、穴後應當呈仰瓦(微凹上翹)之形。若仰瓦之中又長出一道乳、就不是真結作。或者雖有仰瓦而後方沒有樂星、又沒有包裹之山、也不是真結作、這些都不可下葬。這種穴若結得真、力量極大。

夫凹腦土星之穴,中低旁高,坐下凹軟,故又謂之沒骨星辰。有凹為凖,形體怪奇,頗難察識。多有花假,不可不辨。若融結眞寔,最為極貴。廖氏謂之“天財凹腦,最旺蠶絲、禾穀、金銀,大利商賈。”蓋指謂富星矣。若星體濁者,其言固當。如或穴星清秀,龍格奇特,又主王侯極品之貴。予兄弟遊覽名墓,凡出爵位之高者,莫不皆是土星結穴。但窩穴要窩中圓淨,弦稜明白;鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環;乳穴要圈中舒暢,乳上光圓;突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須證佐明白,流神合法,方為眞結。務須仔細檢點,不可忽也。

凹腦土星の穴、中間低而兩旁高、穴的坐後凹陷柔軟、所以又叫「沒骨星辰」。它以中間有凹為準則、形體奇怪、相當難辨認、而且多有虛花假象、不可不細辨。一旦結作真實、就是極貴之地。廖金精說它是「天財凹腦、最旺蠶絲・禾穀・金銀、大利商賈」、意思是把它當作富星。若星體渾濁、廖氏這話固然說得對。但如果穴星清秀・龍格奇特、它又主王侯極品的大貴。我們兄弟遊歷各處名墓、凡是出高爵顯位的、無一不是土星結穴。不過仍要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要圈內舒展暢達・乳上光潤渾圓。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須佐證清楚、水流走向合法、才算真結作。務必仔細檢點、不可忽略。

平面土星穴格

類別 窩穴 鉗穴 乳穴 突穴 方形 稜形 此星方平,出於平地,故名曰平面土星。廖氏謂之平面天財。凡曰棋盤、土方、勝土、柿蒂、土玉、繭土、鋪裀土、玉琴土,皆其略名也。夫平面土星之穴,惟平處有之。眞龍起伏多者,方結此穴,力量極大。廖氏云“凡平面星辰,靈光凝聚於坦夷,生氣流行於低下,精神收斂,造化完全,故此為吉”是也。但窩穴要窩中圓淨,弦稜分明;鉗穴要鉗中藏聚,兩掬彎環;乳穴要圈中舒暢,界水分明;突穴要突面光圓,形體穎異。此為穴形入相。又須龍脈眞奇,證佐分曉,流神合法,方為眞結。務須仔細檢點,不可忽也。

此處原有り一張の圖表、橫欄を「類別・窩穴・鉗穴・乳穴・突穴」と為し、豎欄を「方形」「棱形」と為す、圖形今佚す。正文說、這種星體方正平坦、出現在平地、所以叫「平面土星」、廖金精稱之為「平面天財」。凡是叫棋盤・土方・勝土・柿蒂・土玉・繭土・鋪裀土・玉琴土的、都是它的別名。平面土星的穴、只有平坦處才有。必須真龍一路起伏很多、才結得成這種穴、力量極大。廖金精說「凡平面星辰、靈光凝聚於坦夷、生氣流行於低下、精神收斂、造化完全、故此為吉」――靈秀之氣凝聚在平坦處、生氣流行在低下處、精神內斂、造化完備、所以為吉、正是這個意思。不過仍要看穴形。窩穴要窩內圓整潔淨・弦棱分明。鉗穴要鉗中藏得住氣・左右兩臂彎環。乳穴要圈內舒展暢達・兩旁界水分明。突穴要突面光潤渾圓・形體特出不凡――這才算穴形合於相法。此外還須龍脈真而奇特、佐證分明、水流走向合法、才算真結作。務必仔細檢點、不可忽略。

已以土星諸穴,坐向得丑、艮、未、坤、巳、午,皆為氣旺形應。若安扦合法,生人相貎肥厚,度量寛洪,行事樸寔。戊、己、辰、戌、丑、未金土命人受蔭,申子辰年發達。若穴星清秀,後龍合上格者,官至王侯、宰輔,裂土分茅;合中格者,官至司農,方面鉅萬之富;合下格者,官至鹽運、工、戶司財之職;全無貴格,亦主納粟奏名,及倉庫雜職之官。若穴星龐厚,主鉅萬之富,冠於州邑,厚福高壽。初生肥矮胖大之人,氣至而盛;至生黃腫之人,則氣盡而衰矣。

以上土星の各種穴、坐向若し丑・艮・未・坤・巳・午諸方を得れば、皆地氣旺盛にして形勢相應を算す。安葬合法、主後代生的人相貌豐厚、度量寬宏、行事樸實。戊・己・辰・戌・丑・未等屬金土的年命之人受它蔭庇、申・子・辰年發達。若穴星清秀・後龍合於上格、主官至王侯宰輔、裂土封爵。合於中格、主官至司農(戶部長官)、或作一方大員而擁巨萬之富。合於下格、主官至鹽運使以及工部・戶部掌財之職。即使全無貴格、也主靠納粟得名、或做倉庫一類雜職之官。若穴星龐大厚重、則主巨萬之富、冠絕州縣、福厚壽高。當初生出體胖矮壯之人時、是地氣到了・家道興盛。等到生出患黃腫病之人、那就是地氣已盡・家道要衰了。

上金、木、水、土諸星結穴,必須皆有窩、鉗、乳、突之形,方是有穴,眞氣融結。若徒有星像,而無窩、鉗、乳、突之形,即是無穴,眞氣不結。蓋穴法推其極致,星亦為輕。何也?山固有周正光彩,成好星辰而不結地者。予兄弟歷覽四方名墓,凡怪穴地,多是穴形合法,只丑不成星,而人遂以為恠。此可見星之輕耳。然舍星則又不可,故必以形與星合為凖焉。

以上金・木・水・土各星結穴、都必須具備窩・鉗・乳・突之形、才算真有穴・真氣凝結。若只有星體的模樣、而沒有窩・鉗・乳・突之形、那就是無穴、真氣並未凝結。其實把穴法推到極致、星體反倒是次要的。為什麼。因為確實有些山周正光潤・成了很好的星體、卻並不結地。我們兄弟遍觀各地名墓、凡是所謂怪穴之地、多半是穴形合法、只因外貌醜陋・不成星體、人們才當作怪。由此可見星體是次要的。然而完全撇開星體也不行、所以必須以「形」與「星」兩相契合為準則。

且《葬書》凡形字,多是指穴。如曰“千尺為勢”,言龍來之遠也。“百尺為形”,言穴止之近也。又云“形與勢順,是謂全氣”言龍、穴皆吉也。“形與勢逆,是謂乖氣”言龍、穴互有吉凶也。“勢吉形吉,是謂重吉”龍、穴皆吉則全氣也。“勢凶形凶,是謂重凶”龍、穴皆凶,故曰重凶。“勢凶形吉,百福希一”言龍凶穴吉,百福猶能希一。“勢吉形凶,禍不旋日”言龍吉穴凶,凶禍立至。此形、勢二字,即龍、穴二字也。審此數語,可知地理之法雖重於龍,尤重於穴。穴若有差,龍吉何益?故曰“望勢尋龍易,登山點穴難。若還差一指,如隔萬重山。”甚哉有味乎,其言之也!

再說『葬書』裏凡是用「形」字的地方、多半是指穴。比如說「千尺為勢」、講的是來龍之遠。「百尺為形」、講的是穴場之近。又說「形與勢順、是謂全氣」(原注、意謂龍與穴都吉)。「形與勢逆、是謂乖氣」(原注、意謂龍與穴一吉一凶)。「勢吉形吉、是謂重吉」(原注、龍穴都吉、就是氣全)。「勢凶形凶、是謂重凶」(原注、龍穴都凶、所以叫重凶)。「勢凶形吉、百福希一」(原注、龍凶而穴吉、百樣福氣還能指望上一樣)。「勢吉形凶、禍不旋日」(原注、龍吉而穴凶、凶禍立刻就到)。可見這裏的「形」「勢」二字、就是「穴」「龍」二字。細審這幾句話、就知道地理之法雖然看重龍、尤其看重穴。穴若有偏差、龍再吉又有什麼用。所以說「望勢尋龍易、登山點穴難。若還差一指、如隔萬重山」。這話說得實在太有意味了。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷三下之三

江右山人徐善繼述 同著。此一卷専論穴證。蓋眞龍結穴,必有證佐。證佐明白,穴斯的矣。所謂證佐者,求之於前則朝案美,明堂正,水勢聚;求之於後則樂山峙,鬼星撐;求之於左右,則龍虎有情,纏護俱夾;求之穴下,則唇氈正;求之四方,則十道全;求之界水,則分合明白。此數者,穴之證佐也。故點穴之法,必以此數者為標凖。於此而精察之,寕有不得其要領者乎?

江右山人徐善繼撰述、與其弟徐善述共同編著。這一卷專講「穴證」、也就是驗證穴位真假的憑據。真龍一旦結穴、必定留下可供查驗的證佐。證佐辨得明白、穴位才算點得準確。所謂證佐。向穴前找、是朝山案山秀美・明堂端正・水勢匯聚。向穴後找、是樂山聳峙・鬼星在背後撐托。向左右找、是青龍白虎有情・纏山護山層層夾衛。向穴下找、是唇氈平正。向四面找、是「天心十道」四應俱全。向界水找、是上分下合清楚分明。這幾樣、就是穴的證佐。所以點穴的方法、必須拿這幾樣當作衡量的標準。能在這上頭精細體察、哪裏還會抓不住要領呢。

朝山證穴を論ず

《撼龍經》云:“眞龍藏幸穴難尋,惟有朝山識幸心。朝若高時高處下,朝若低時低處針。”《指南》云:“古人一語值千金,高欲齊眉低應心。”《圓機歌》云:“秀應在左穴居左,秀應在右用右奇。”是皆朝山定穴之法也。

楊筠松『撼龍經』說、真龍把穴藏得隱祕、穴場很難尋見、只有對面的朝山認得出它的心意。朝山高時就在高處下穴、朝山低時就在低處落針。『指南』說、古人這一句話值千金――朝山高要與眉齊、朝山低要與心相應。『圓機歌』說、秀麗的應山在左、穴就居左。秀麗的應山在右、就取右邊為妙。這些講的都是用朝山定穴的方法。

故朝山高,穴宜高;朝山低,穴宜低。朝山近,恐凌壓,穴必上聚,宜尋天穴;朝山遠,則氣易散,穴必融結於低處,或就堂氣,或就下砂,宜尋地穴。秀應之沙在左,則穴宜向左;秀應之山在右,則穴宜向右。此其梗概也。

所以朝山高、穴就該點得高。朝山低、穴就該點得低。朝山逼得近、怕它欺壓穴場、氣必然向上聚結、應當在高處尋「天穴」。朝山離得遠、氣容易散失、穴必然結在低處、或者靠攏明堂之氣、或者靠攏下手砂、應當在低處尋「地穴」。秀麗的應砂在左邊、穴就該偏向左邊。秀麗的應山在右邊、穴就該偏向右邊。這是大致的綱領。

然又有遠近不同。其外洋遠朝之山雖秀麗,只要面前有,不必拘於登對。登對合法,固是全美。或徒貪外洋遠秀,而失坐下穴場氣脈,則尤不可。故朝山證穴之法,必以近案有情為主,其外洋遠應之峰,雖不甚登對,亦不為礙。

不過朝山還有遠近的分別。外洋遠處來朝的山雖然秀麗、只要穴前有它就够了、不必拘泥於要它與穴位正正相對。遠山與穴恰好登對而又合乎法度、固然十全十美。若只顧貪圖外洋遠山的秀色、反倒失掉坐下穴場的氣脈、那就更加要不得。所以用朝山驗穴的辦法、必須以近處的案山有情為主。外洋遠應的峰巒即使不很登對、也不算妨礙。

大抵天造地設,必是近案有情。所謂有情者,求之水城必美,求之向家必利,求之後樂必對,求之四圍必無缺陷。若徒貪外洋,則近身必有不合不利之處。蔡氏云:“秀峰當面,固是嘉美。必不得已,當以近案為據,不可取外洋而棄近案也。”卜氏云:“外洋千重,不若就身一案。”又云:“欲求眞的,遠朝不如近朝。”又云:“多是貪遠尖而嫌近小,誰知就近是而貪遠非。”

大凡天造地設的真結作、近處的案山一定有情。所謂有情、是拿水城去衡量、它必定美好。拿立向的法度去衡量、它必定有利。拿背後的樂山去對照、它必定相當。拿四周去查看、它必定沒有缺陷。若一味貪圖外洋遠山、貼身近處必定有不合法・不吉利的地方。蔡元定說、秀峰正當穴前、固然是好事。但萬不得已時、應當以近案為憑據、不可要了外洋而丟掉近案。卜應天說、外洋縱有千重山、抵不上貼身的一重案山。又說、想求得真穴、遠朝比不上近朝。又說、世人多半貪遠山尖秀而嫌近案矮小、殊不知就近的才對、貪遠的反而錯了。

《龍髄經》云:“譬如尊貴之人,必據案區取事宜。設或有貴人朝謁,曹屬稟承,必不敢當面相敵。”謂尊不敢對,此亦一說耳。然不必泥,必是遠近相符為善。偶有不符者,又當活法裁處。大抵明堂案對,亦門戶外事,當內以穴中塟法、乘氣為主,外立門向,以納堂案之秀。所謂“內藏黃金斗,外掩時師口。四勢任君談,五行當自守。”如浮梁李八公壽域,是其證也。

張子微『龍髓經』說、好比一位尊貴的人、必定憑着几案來處置事務。假使有貴人來朝見・屬官來稟事、也決不敢與他正面平起平坐。這是說尊者面前不宜有山與之對峙、也算一種講法。但不必死守、最好還是遠山近案彼此相稱。偶爾遇上不相稱的、就要靈活裁奪處置。大體上明堂與案山的對應、屬於門戶以外的事。對內應當以穴中的葬法・乘氣為根本、對外再立門向、把明堂案山的秀氣收納進來。就是所謂「內藏黃金斗、外掩時師口。四勢任君談、五行當自守」――內裏的真功夫自己守住、任憑外人去議論。像浮梁李八公的生基、就是這話的印證。

附 元余宗益氏述李八公事寔

浮梁界田李八公德鴻,與樂平洪士良、舒南二長老同受業於吾邑國師吳公仲祥。八公擇地塟親,及營壽域,皆所自卜。予於癸未歲至其裡,宿其裔平甫家,厯觀其壽藏,在東鄊地名,眞武仗劍形,劍壩穴。亥山一脈直垂而下。扦二穴,相隔五尺,同向丙。

浮梁界田的李八公、名德鴻、與樂平的洪士良・舒南兩位長老一同拜在本縣國師吳仲祥門下學地理。八公替父母選葬地、以及給自己營造生基「壽域」、都是他親手卜定的。我在癸未那年到他鄉裏去、借宿在他後裔平甫家中、把他的壽藏一處處看遍。地在東鄉、底本此處未寫出土名、形象稱作「真武仗劍形」、穴名「劍壩穴」。亥山方位來的一條脈直垂而下、在上頭點了兩個穴、相距五尺、同樣立丙向。

一穴偏左,而案與明堂皆不正;一穴居中,而朝案明堂皆端正。水居庚兌。田心二墩,一方一圓,為金箱玉印。詢其所由,繫覓裡中人地。里人阻之。公曰:“山有兩穴,吾出貲營造,任爾揀一穴,吾取一穴為壽域。”里人擇明堂案山端正者。

其中一穴偏在左邊、案山與明堂都不端正。另一穴居中、朝山・案山・明堂卻都很端正。水從庚・兌方位流去。田當中有兩座土墩、一方一圓、稱為「金箱玉印」。我打聽這地的來歷、原來是李八公看中了鄉里別人家的山地、那鄉人阻攔不肯給。八公便說、這山上有兩個穴、我出錢來營造、隨你挑一個、我取另一個作壽域。鄉人挑走了明堂案山端正的那一個。

是不明受脈乘氣為急務,而徒以堂局案對所眩耳。咫尺之間,侯虜有間。李氏享數百年富貴,里人冺沒無聞。穴法乘氣之妙,神乎!神乎!至人奪神功,改天命,其機在此矣。至正壬辰,銀邑餘宗益謹述。

這是不懂得承接來脈・乘取生氣才是頭等要務、只被明堂格局與案山的對稱迷了眼。相差不過咫尺、封侯與為奴的分別就在其中。此後李氏享了幾百年富貴、那鄉人卻湮沒無聞。穴法上乘氣的奧妙、真是神奇啊、真是神奇。高明的人能奪造化之功・改先天之命、機關就在這裏。至正壬辰年、銀邑余宗益謹記。

右地在浮梁東鄉,其龍來遠不詳述。入局開帳過峽,頓跌數節,起高金。復斷,再起金水星,落平坡結穴。穴前吐出長舌,剪木鍬皮取倚穴,呼作眞武仗劍形,劍欛穴。明堂、前案、下關俱有情,水口金箱玉印交固。亥龍入首,扦丙向。

上面這塊地在浮梁東鄉、來龍很遠、不細說了。進入局中先張開帳幕・穿過山峽、接連頓跌幾節、起一座高大的「金星」。再斷而復起、成「金水星」、落到平坡上結穴。穴前吐出一條長舌、把樹木砍去・把表土剷平、取「倚穴」下葬、形象叫作「真武仗劍形」、穴名「劍欛穴」。明堂・前案・下手關攔都有情、水口有「金箱」「玉印」兩墩交鎖牢固。亥方來龍入首、立丙向。

塟後李氏出四神童、三學士、侯二、侍郎五、開國食邑者一,科第數十人,封蔭應例登仕版者百餘人。自宋迄今,世宦未艾。又廖金精為樂邑劉坊劉氏卜軍山王字龍格,將軍大坐形,劉氏貪朝山,失塟法,變吉為凶。圖具下。

葬後李氏出了四位神童・三位學士・兩位列侯・五位侍郎・一位開國食邑的功臣、考中科第的幾十人、靠封蔭或依例進入仕籍的一百多人。從宋代到如今、世代做官不曾斷絕。另有一例。廖金精替樂平縣劉坊的劉氏卜下軍山一塊地、龍脈走成「王字龍」的格局、形象叫「將軍大坐形」。劉氏貪圖朝山端正、壞了葬法、把吉地變成了凶地。圖附在下面。

右地在樂平縣,土名軍山。其龍來脈甚遠,入局自平田曠野中崛起,高山綿亙,雄冠一方。橫展大帳數十里,正脈穿心,自帳中抽出。復頓跌踴躍數節,變為平岡。擺折又數里,成王字龍格。入首頓起高金結穴,穴星尊重。

上面這塊地在樂平縣、土名軍山。它的來脈極遠、進入局中時從平田曠野裏突然崛起、高山連綿、雄踞一方。橫展開幾十里的大帳、正脈從帳子的中心穿出。此後又接連頓跌騰躍幾節、變成平緩的山岡。再擺折幾里、走成「王字龍」的格局。入首處猛地聳起高大的金星結穴、穴星形體尊貴穩重。

中垂一乳,旁開兩肩,為將軍大座形。龍虎有情,明堂融聚。前案端粛如幞頭,外洋羅列,旗鼓、劍印咸備。庚脈入首,作卯向,本武貴吉地。初是廖金精所卜。既定穴,劉氏遂自塟之,不合深淺、饒減、乘氣出煞、消納控制之宜。

穴星中間垂下一條乳突、兩旁張開兩肩、成「將軍大坐形」。青龍白虎抱得有情、明堂氣水融聚。前面的案山端正肅穆、像一頂幞頭。外洋群山羅列、旗山・鼓山・劍砂・印砂樣樣齊備。庚方脈氣入首、立卯向、本是出武貴的吉地。當初由廖金精卜定。穴位既已定好、劉氏卻自己動手安葬、深淺・饒減・乘氣出煞・消納控制這些法度一樣也不合。

金精嘆曰:“合法出王侯,不合法出賊頭。”因題於吳園曰:“軍山帳中王字脈,武公大座勢尊雄。我做定產王侯扶聖主,他做草冦強梁不善終。”後果出漢四兄弟八人,雄霸一方,事偽漢陳友諒,授偽萬戶侯職,而不克令終矣。今劉氏之盛者,非此派也。

廖金精歎道、合法就出王侯、不合法就出賊頭。於是在吳園題了一首詩。軍山大帳中走出王字脈、武公大坐的氣勢尊貴雄壯。我做的定當產出王侯輔佐聖主、他做的卻是草寇強梁不得善終。後來果然出了姓漢的四兄弟共八人、雄霸一方、投靠僭號稱漢的陳友諒、受了偽萬戶侯的職銜、終究沒能善終。如今劉氏興盛的那一支、並不是這一房。

按:是地也,龍眞穴眞,而塟乖於法,變吉為凶,侯虜有間如此,可不慎哉!《葬經》云:“穴吉葬凶,與棄尸同。”楊公謂“地吉葬凶禍先發,名曰棄尸福不來。”卜氏謂:“地雖吉而葬多凶,終無一發。”諸公之言,信不我欺矣!

按語。這塊地龍是真龍・穴是真穴、只因下葬違背法度、把吉地變成凶地、封侯與為奴的分別竟到這個地步、能不謹慎嗎。郭璞『葬經』說、穴是吉的而葬法是凶的、跟把屍首丟掉沒有分別。楊筠松說、地吉而葬凶、禍先發作、這叫「棄屍」、福氣不會來。卜應天說、地雖然吉、葬法多凶、終究一樣也發不了。幾位前賢的話、確實沒有欺騙我。

鄉傳金精為劉氏卜將軍大座形,幞頭案。庚脈扦卯向,幞頭山不正。劉氏愛其端正,遂扦辰向兼乙,不用金精言,並其淺深、分控、葬法胥失。金精嘆曰:“我做出將軍,他做出賊頭。”後果如其言。

鄉里傳說、廖金精替劉氏卜下「將軍大坐形」、以幞頭山為案。原本從庚方脈入首、該立卯向、那樣看去幞頭山是不端正的。劉氏偏愛幞頭山端正的樣子、就改立辰向兼乙、不聽廖金精的話、連帶深淺・分金控制・下葬手法全都失了準。廖金精歎道、我做出來是將軍、他做出來是賊頭。後來果然應驗了這句話。

又有特拜之朝,開面秀媚,眞作證應看。如樂平戴家秦廣一公地,其格也。右地在樂平十六都,土名汪坑口。其龍來脈甚遠。入局為平崗。忽磊落數節,龍勢大旺。轉身逆盤結穴。後托低遠。只是當面兩水夾送一山,頓起圓整,開面秀媚,拜伏尊重,有情可愛,證得穴眞。穴下平坦,明堂融聚,水口交固,亦自相應。

另有一種特地拜伏而來的朝山、山面舒展・秀麗嫵媚、才真能當作證應來看。像樂平戴家秦廣一公的地、就是這個格式。上面這塊地在樂平十六都、土名汪坑口。它的來脈極遠、進入局中成為平岡。忽然連起幾節磊落的山峰、龍勢大為興旺。再轉過身來逆盤結穴。背後的托山又低又遠、全靠當面兩條水夾送着的一座山、突然聳起、圓整周正、山面舒展秀媚、拜伏之狀莊重可敬、有情可愛、憑它便驗證得出穴是真的。穴下平坦、明堂氣水融聚、水口交鎖牢固、也都彼此相應。

初,魏克政樂邑名師為廣一公卜以塟子。既葬,課云:“三朝小凶,一七大凶。凶過而發福攸遠,富至萬石。”果三朝而虎傷一馬,一七而公病。公遂命起其子而另葬,以此地為己塋。未幾,公卒,遂葬之。葬後人丁大旺,鉅富冠鄉,積穀數萬石。舊有偈云:“獺趕鯉魚走,走到汪坑口。有人葬得著,量金須用斗。”

當初、樂平名師魏克政替廣一公卜下這塊地、本是用來葬他兒子的。葬後魏克政推斷說、三天之內有小凶、頭七之內有大凶。凶事過去便發福長遠、富到萬石。果然第三天老虎咬傷了一匹馬、頭七之內廣一公自己病倒。廣一公於是命人把兒子的棺起出來另葬別處、把這塊地留作自己的墓穴。沒多久他去世、就葬在這裏。葬後人丁大旺、成為鄉里首富、積穀幾萬石。舊時有句偈語說、水獺趕着鯉魚跑、一路跑到汪坑口。有人能葬得着、量金子要用斗來量。

明堂證穴を論ず

楊公云“立穴欲得明堂正”。又云“眞氣聚處看明堂”。又云“凡看疑穴觀堂局,堂局眞處抱身曲。”《琢玉集》云:“斜側偏正脈眞的,更向明堂覓。明堂不背水城弓,扦著產英雄。”《明堂經》云:“斜巧正拙,難可優劣。有情於我,是為眞穴。”是皆明堂證穴之說也。

楊筠松說、立穴要得明堂端正。又說、真氣聚結的地方、就看明堂。又說、凡是遇到拿不準的穴、先看堂局、堂局真的地方、水必抱身彎曲。『琢玉集』說、脈不論斜・側・偏・正、只要是真的、就再到明堂上去找印證。明堂不背離水城的弓形環抱、葬下去就出英雄。『明堂經』說、斜而巧與正而拙、很難分出高下、只要對我有情、就是真穴。這些講的都是用明堂驗穴的道理。

蓋尋龍之法,先求氣脈。點穴之法,先定明堂。故曰“穴證明堂堂證案”。若明堂不正不聚,而傾瀉倒側,則是眞氣不融,縱有美穴,亦須棄置。吳公《口訣》云:“明堂傾倒,休誇穴好。”故眞穴必有眞堂。

尋龍的方法、先求氣脈。點穴的方法、先定明堂。所以說「穴要靠明堂來驗證、明堂要靠案山來驗證」。假如明堂不端正・不匯聚、反而傾瀉歪斜、那就是真氣沒有融結、縱然有個好看的穴、也只得捨棄。吳景鸞『口訣』說、明堂傾倒、就別誇穴好了。所以真穴必定配有真明堂。

然亦有三說:曰小明堂,曰中明堂,曰大明堂。小、大明堂,又謂之內、外明堂。小明堂在圓暈下,最為立穴緊要。見此小明堂平正,可容人側臥,則穴居此,不可左右上下。如悞扦,則為失穴。中明堂是龍虎裡,立穴要使相交會,否則失消納。大明堂在案山內,立穴要向融聚處為眞,否則非惟失穴,恐結作皆偽。故明堂定穴之法,不可忽也。

明堂又分三種說法、小明堂・中明堂・大明堂。小明堂與大明堂又叫內明堂・外明堂。小明堂在圓暈之下、是立穴時最緊要的地方。看見這小明堂平正、能容一個人側身躺下、穴就點在這裏、不可再往左右上下挪動。一旦點錯、就是失穴。中明堂在青龍白虎之內、立穴要讓龍虎在這裏交會、否則就失了消納之功。大明堂在案山之內、立穴要朝着氣水融聚之處才算真、否則不但失穴、只怕整個結作都是假的。所以用明堂定穴的方法、不可輕忽。

水勢證穴を論ず

《葬經》云“得水為上”。楊公云“未看山,先看水。”又云“凡有眞龍與眞穴,必有潮源水合聚。”又云“山隨水曲抱彎彎,有穴分明在此間。”廖氏云“眞龍落處眾水聚。”又云“穴若正時水便聚,不正迢迢去。”又云“穴居隱怪卻難扦,細把水來辨。”皆謂眞穴必然諸水會聚,或遶抱,或潮入。有此水勢,穴必在焉。

郭璞『葬經』說、得水是第一等。楊筠松說、還沒看山、先看水。又說、凡有真龍真穴的地方、必定有源頭之水朝來匯聚。又說、山跟着水彎彎環抱、穴分明就在這中間。廖金精說、真龍落脈的地方、衆水都來聚會。又說、穴點得正、水自然聚攏。點得不正、水就迢迢流走。又說、穴藏得隱蔽古怪・難以下手時、就細細拿水來辨認。這些話都是說、真穴一定有衆水會聚、或者繞抱、或者朝入。有這樣的水勢、穴必定就在那裏。

故曰“不知水,不足以言穴。知水之所趍,則知穴之所止。”是以登山點穴,須看水勢。如水勢聚於左堂,或水城弓抱左邊,則知穴居左。若水勢聚歸右堂,或水城弓抱右邊,則知穴居右。若正中水潮,或正中溶注,或正中水城圓抱有情,則知穴居中。若潮源遠,則明堂寛,穴宜高;或元辰長,局勢順,則穴宜低。此皆水勢定穴之大法也。

所以說、不懂水、就不配談穴。知道水往哪裏去、就知道穴在哪裏止。因此登山點穴必須先看水勢。假如水勢聚在左邊的明堂、或者水城像弓一樣抱住左邊、就知道穴在左。假如水勢聚歸右邊的明堂、或者水城像弓一樣抱住右邊、就知道穴在右。假如水從正中朝來、或在正中汪汪匯注、或正中的水城圓抱有情、就知道穴在正中。若來水的源頭遙遠、明堂便寬闊、穴宜點高。若穴前的「元辰水」流得長・局勢又順水而去、穴就宜點低。這些都是用水勢定穴的大法。

樂山證穴を論ず

夫樂山者,穴後應樂之山也。不拘本身山、客山、護從翼蔽之山,或起峰巒,或不起峰巒,或尖或圓,或方或長,或高或大,或暗或顯,惟要有此。穴上見者為上,明堂中見者次之。凡橫龍結穴者,必要枕樂。如沒骨、凹腦、側腦諸穴尤緊,無樂則穴不眞。

所謂「樂山」、是穴背後用來照應・枕托的山。不論它是本身龍脈分出的山・外來的客山、還是護送翼蔽的山、也不論它起不起峰巒、是尖是圓・是方是長・是高是大・是隱是顯、只要有它就好。站在穴場上能看見的最上等、只能在明堂裏看見的次一等。凡是橫龍結的穴、必定要有樂山可枕。像沒骨穴・凹腦穴・側腦穴這幾類尤其要緊、沒有樂山、穴就不真。

故枕樂證穴之法,樂山在左則穴居左,樂山在右則穴居右,樂山居中則穴居中。左右俱枕樂山,則必結雙穴,或結一穴居中。樂山近則依近,短則取長,少則枕多。以樂而推,一定不易。樂在此,斷穴在此住,過則風搖。若撞背特來為樂者,力尤大,橫來貼穴成星體者亦美。

所以用枕樂驗穴的辦法是、樂山在左、穴就點在左。樂山在右、穴就點在右。樂山居中、穴就點在正中。左右都有樂山可枕的、必定結成雙穴、或者只在正中結一穴。樂山靠得近就依着近的、兩座長短不齊就取長的、一邊少一邊多就枕多的那邊。照樂山推斷、一定不會錯。樂山到哪裏為止、就斷定穴在哪裏停住。穴若越過了樂山、背後就要受風搖動。若樂山是從背後特地撞來的、力量尤其大。橫過來貼着穴場・自成星體的、也很美。

其或如屏如帳,如華蓋、三臺、玉枕、簾幕、覆鍾、頓鼓等形者,又樂山之至貴者也。雖其樂穴,又不可太高雄聳峙,有凌轢欺壓之勢,嵯峨可畏之狀。如有此,則不可以其為樂而依之,當迴避立穴。

至於樂山的形狀像屏風・像帳幕、或者作「華蓋」「三臺」「玉枕」「簾幕」「覆鐘」「頓鼓」這些形體的、更是樂山裏最尊貴的。不過即便是給這個穴充當樂山、也不可太高太雄・聳峙壓頂、擺出欺凌壓迫的架勢、露出嵯峨可怕的樣子。如果是這樣、就不能因為它是樂山便去依傍它、應當避開它另立穴位。

如左山壓穴,則穴居右;右山壓穴,則穴居左;前山壓穴,穴歸後;後山壓穴,穴居前。四圍山皆均平,穴居中心,切不可取雄強可畏者為樂,犯此必凶敗。然既謂之樂山,則自不欺壓,欺壓決非眞穴。《俯察》詩云:“左高龍氣須歸右,右聳穴居左畔藏。莫把樂山同概論,壓山凶禍寔難當。”

比如左邊的山壓穴、穴就移到右邊。右邊的山壓穴、穴就移到左邊。前面的山壓穴、穴就退到後面。後面的山壓穴、穴就進到前面。四周的山都均勻平和、穴就點在正中心。切不可把雄強可怕的山當作樂山、犯了這一條必定凶敗。話說回來、既然稱得上樂山、本身自然不會欺壓。會欺壓的、決不是真穴。『俯察』詩說、左邊高、龍氣就須歸到右邊。右邊聳、穴就藏到左畔。別把壓山與樂山一概而論、壓山帶來的凶禍實在難當。

樂穴圖。說明:此樂在左穴居左,同左圖,此樂在右穴居右,同左圖,此樂在中穴居中。樂穴圖。說明:同右上,此樂在兩邊穴居中,樂在四應穴居中,此以長者為樂,此以多者為樂。

這裏是「樂穴圖」的圖題與說明、底本只存文字、圖形已佚、今照錄圖題並逐幅解說。第一組六圖。樂山在左的、穴就點在左邊。下一幅同左圖。樂山在右的、穴就點在右邊。下一幅同左圖。樂山居中的、穴就點在正中。第二組六圖。第一幅與右上一幅相同。兩邊都有樂山的、穴點在正中。四面都有樂山相應的、穴也點在正中。這一幅取兩座之中較長的一座為樂山。這一幅取數目較多的一邊為樂山。

鬼星證穴

鬼星證穴者,惟橫落偏斜之穴,穴後必要有鬼星。其直來撞背結穴者,則不必論鬼。吳香山云:“穴有偏斜處,卻有借鬼為證者。”廖氏云:“橫龍出穴必要鬼。”蓋橫落偏斜之穴,後宮無鬼則空缺而氣不融聚。故以鬼證穴之法,鬼在此止,穴在此住,鬼在彼生,穴在彼處。鬼不抱身而散漫者,則不結穴。

用鬼星驗穴、只針對橫落偏斜的穴。這類穴的背後必須有鬼星撐托。至於龍脈直來撞背所結的穴、就不必論鬼星了。吳香山說、穴有偏斜的地方、卻可以借鬼星來作憑證。廖金精說、橫龍出穴一定要有鬼。因為橫落偏斜的穴、後面若沒有鬼星、背後就空缺、氣便不能融聚。所以用鬼星驗穴的辦法是、鬼星在哪裏止住、穴就在哪裏停住。鬼星從哪一邊生出、穴就落在哪一邊。鬼星若不回抱穴身而散漫無收、就不算吉。

大要使穴場截得鬼住,以收回鬼氣。若立穴稍偏,則鬼奪氣去,穴不能收,則為失穴,禍敗隨至。是故鬼高則穴高,鬼低則穴低。鬼出於左穴居左,鬼出於右穴居右。所謂對鬼坐穴者,即鬼星證穴之法也。然鬼亦不可太長,太長則奪我本身眞氣。又有橫龍天財穴,氣蹙於前,宜後宮仰瓦者,則取其兩邊生來之孝順鬼矣。

關鍵是要讓穴場截得住鬼星、把鬼星帶走的氣收回來。若立穴稍稍偏了、鬼星就把氣奪走、穴收不住、這就是失穴、禍敗隨之而來。所以鬼星高、穴就點高。鬼星低、穴就點低。鬼從左邊出、穴就居左。鬼從右邊出、穴就居右。所謂「對着鬼星坐穴」、就是用鬼星驗穴的方法。不過鬼星也不可太長、太長就把穴本身的真氣奪走了。另有一種橫龍所結的「天財穴」、氣在穴前局促、宜於後面作仰瓦之形的、那就取兩邊生來的「孝順鬼」作憑證。

此鬼星撐於穴後正中,故穴安中。此以鬼撐在左,穴居左。此以鬼撐在右,穴居右也。此兩旁拱抱,名曰孝順鬼,吉。此一邊逆抱托穴,吉。若順托,貼身彎抱有情,亦吉。此對穴護托鬼,吉。

以下是鬼星諸圖的圖說、底本只存文字、圖形已佚、今照錄並逐幅解說。這一幅鬼星撐在穴後正中、所以穴安在正中。這一幅鬼撐在左邊、穴就點在左邊。這一幅鬼撐在右邊、穴就點在右邊。這一幅鬼星從兩旁拱抱穴場、名叫「孝順鬼」、吉。這一幅鬼星從一邊逆抱托住穴場、吉――若是順勢相托、只要貼身彎抱有情、也算吉。這一幅鬼星正對穴場護托、吉。

龍虎證穴を論ず

董德彰《秘訣》云:“觀龍虎住處,定穴之虛寔;觀龍虎先後,定穴之左右。龍有力則倚左,虎有力則倚右。龍虎低則避風,就明堂扦地穴;龍虎高則避壓,舍明堂尋天穴。”范越鳳云:“龍強從龍,虎強從虎。”皆龍虎定穴之大法也。誠以龍虎為衛區親切,穴場取以為證,亦至當不易之理。

董德彰『祕訣』說、看青龍白虎在哪裏止住、就斷定穴的虛實。看青龍白虎哪一邊先到、就斷定穴在左還是在右。青龍有力就靠左、白虎有力就靠右。龍虎低矮就要避風、遷就明堂點「地穴」。龍虎高峻就要避壓、舍開明堂去尋「天穴」。范越鳳說、青龍強就跟從青龍、白虎強就跟從白虎。這些都是用龍虎定穴的大法。的確、龍虎是最貼身的護衛、拿它們給穴場作憑證、也是最恰當・不可移易的道理。

是故龍山逆水則穴依龍,虎山逆水則穴依虎。左單提則穴挨左,右單提則穴挨右。龍虎山高則穴亦高,龍虎山低則穴亦低。龍山有情穴在左,虎有情穴在右。龍虎山皆有情,不高不低,則穴居中。此皆龍虎證穴之要訣也。

因此青龍一邊逆着水勢、穴就依着青龍。白虎一邊逆着水勢、穴就依着白虎。左邊只伸出一臂的「單提」、穴就挨向左。右邊單提、穴就挨向右。龍虎山高、穴也點高。龍虎山低、穴也點低。青龍有情、穴在左。白虎有情、穴在右。龍虎兩邊都有情、又不高不低、穴就點在正中。這些都是用龍虎驗穴的要訣。

復有龍山欺穴,宜避其龍而依虎,虎山壓塜,須避其虎而依龍。龍山先到則收龍,虎山先到則收虎,皆莫不以龍虎二山而取則焉。其有無龍虎者,則卜氏有云“無龍要水繞”。左宮無虎要水遶右畔,此不易之論也。穴依其有,不依其無。

另外還有青龍一邊欺壓穴場的、就該避開青龍而依着白虎。白虎一邊壓住墳塋的、就該避開白虎而依着青龍。青龍先到便收青龍、白虎先到便收白虎、無不以龍虎兩山作為準則。至於根本沒有龍虎砂的地方、卜應天說過、沒有青龍、就要有水來環繞。同樣、左宮缺了白虎、就要有水繞到右畔來補它、這是不可移易的定論。總之、穴依着現成有的一邊、不依着空缺的一邊。

纏護證穴を論ず

纏護者,譬若貴人之有奴隸也。奴隸之侍衛,不敢遠離於貴人之側,亦不敢近逼於貴人之身。是故纏護證穴之法,護於此拱,穴於此立;纏於此遶,穴於此取。毋敢或離,毋敢或背,此纏護證穴之大法也。葛溪氏云“凡地有三塔兩塔者,當以送山定之。送短穴在內,送長穴在盡,送偏穴亦偏,送盡穴即止”是也。

所謂「纏護」、好比貴人身邊的僕從。僕從侍立護衛、既不敢遠離貴人身側、也不敢逼近貴人身上。所以用纏護驗穴的辦法是、護山在哪裏拱衛、穴就立在哪裏。纏山在哪裏環繞、穴就取在哪裏。它們不敢稍有離散、也不敢稍有背向、這就是纏護驗穴的大法。葛溪氏說、凡一塊地上有三處・兩處可下之所的、應當用送山來判定――送山短、穴在裏面。送山長、穴在盡頭。送山偏向一邊、穴也偏。送山到此為止、穴也就到此為止。說的正是這個道理。

唇氈證穴を論ず

唇氈者,穴下餘氣之發露也。大者曰氈,小者曰唇。氈如氈褥之氈,唇謂嘴唇之唇。凡眞龍結穴,必有餘氣吐露而為唇氈。故氈在此鋪,穴在此住;唇於此吐,穴於此扦。天造地設,自然之應。無此即非眞結作耳。橫龍之穴,尤須認此,不可忽也。

所謂「唇氈」、是穴場下方餘氣外露而鋪成的一片平地。面積大的叫「氈」、小的叫「唇」。氈取氈褥之氈的意思、唇取嘴脣之脣的意思。凡是真龍結穴、必定有餘氣吐露出來成為唇氈。所以氈鋪在哪裏、穴就停在哪裏。脣吐在哪裏、穴就點在哪裏。這是天造地設的自然感應、沒有唇氈就不是真結作。橫龍所結的穴尤其要認清這一點、不可輕忽。

楊公《龍經》云:“貴龍落處有氈唇,氈唇之穴富貴局。問君氈唇如何認?穴下有坪如鱉裙。譬如貴人有拜席,又如僧道氈具伸。眞龍到穴有裀褥,便是枝龍也富足。”

楊筠松『撼龍經』說、貴龍落脈的地方有氈脣、有氈脣的穴便是富貴之局。要問氈脣怎麼認。穴下有一片平坪、像鱉的裙邊一樣鋪開。譬如貴人座前鋪着拜席、又像僧道打坐時攤開的氈具。真龍到了穴場自有這層「裀褥」、即便只是枝龍、也主富足。

此橫結穴,直者仿此。凡穴下鋪氈,宜平坦圓正。大者曰氈褥,小者曰吐唇。有此則穴眞。

以下是唇氈圖的圖題與圖說、底本只存文字、圖形已佚、今照錄並加解說。此圖畫的是橫龍所結的穴、直龍結穴的情形可以照此類推。凡是穴下鋪展出來的氈、都應當平坦圓正。面積大的稱「氈褥」、小的稱「吐脣」。有了這一片餘氣鋪展、穴便是真的。

左地在南昌,地名中洲高田。其龍自教本寺北渡溪,至後城觀而起,挨痕溪而下。一起一伏,曲折寛衍。穿帳將入局,橫開平面水星,自帳中抽一脈,隱隱隆隆,微起平坡,散中有聚。穴甚奇巧,吐出一小唇以為穴證。收斂似小檢點。

左邊這塊地在南昌、地名中洲高田。它的來龍從教本寺北面渡過溪水、到後城觀處聳起、沿着痕溪一路而下、一起一伏、曲折而寬舒。穿過帳幕將要入局時、橫開一座平面的「水星」、從帳中抽出一條脈、隱隱約約・若斷若續、微微隆起一片平坡、散漫之中自有聚結。穴點得極奇巧、吐出一小片脣作為穴的憑證。整個格局收斂緊湊、看去氣象略小、需要仔細檢點。

大勢觀之,前面痕溪彎抱有情,不見浩蕩。溪中低田橫列,狀如玉帶拜伏,以為正案,外陽遠山暗朝。若以形勢而論,全無旗鼓、屯兵、疊甲等沙,當不自武功中貴。只是庚、辛、酉來龍受氣,入首是平面太陽金星結穴。金為武星,旺於西兌。吳國師云:“庚兌千步威聲顕,面取震東居將營。”其形狀龜,亦甲冑之屬,此所以有武貴也。

從大勢看、前面痕溪彎抱有情、並不顯得浩蕩奔瀉。溪中低田橫列、形狀像一條玉帶拜伏在前、用作正案。外面明堂的遠山暗暗來朝。若單論形勢、這裏完全沒有旗砂・鼓砂・屯兵砂・疊甲砂之類、本不該由武功而得貴顯。只是來龍從庚・辛・酉三個方位受氣、入首處是一座平面的「太陽金星」結穴。金是主武的星、旺於西方兌位。吳國師說、庚兌方位上千步之內威聲顯赫、正面取震東方位安置將營。這塊地形狀像龜、龜甲也屬於甲冑一類、這就是它出武貴的緣故。

大抵中洲之龍,仙橋作祖,多出異人。其下三段,過脈亦巧,故出萬祺,以祿命術受知英廟,位至尙書。段眞人朝佐,以方士受知世廟,榮寵殊渥。宜乎草堂公亦以編氓驟立奇勳,秉元戎,位都閫矣。

大體上中洲一帶的龍脈以仙橋山為祖山、多出奇異之人。它下面三段過脈也走得極巧、所以出了萬祺、憑推算祿命的術數受知於英宗皇帝、官做到尚書。又出了真人段朝佐、以方士的身份受知於世宗皇帝、恩寵格外優厚。這樣看來、草堂公以一介平民百姓的身份驟然立下奇功、執掌軍權、做到鎮守一方的都閫、也就不足為怪了。

按:草堂名顕,先龔姓,南昌人。贅於四川劉揮使,冒劉姓,以武功官至都督雲。又嘗見江山王上舍兼濟祖地,臨穴平坦,無一可據。只吐出氈褥穎異,證得穴眞,是此格也,圖如右。

按語。草堂公名顯、原本姓龔、南昌人。入贅四川劉揮使家、就冒姓了劉、憑武功做官做到都督。此外我還見過江山縣王上舍兼濟的祖墳。走到穴場一帶平平坦坦、沒有一樣可以據以斷穴的東西、唯獨穴前吐出一片氈褥格外奇異、憑它便驗得穴是真的。這也屬於用唇氈證穴的格式、圖如右邊所示。

右地在江山縣城外西南半里,分縣龍旺氣融結。入首開帳落脈下平坡。脈甚模糊,雜以巨石磷磷。至結穴處,一坦平夷。左右皆低平寛闊,界水微茫,無一可入俗眼。只是穴前吐出氈褥,十分穎異可愛,證得穴眞。

上面這塊地在江山縣城外西南半里、是本縣龍脈分出的旺氣融結而成。入首處張開帳幕、落脈下到平坡。脈走得很模糊、還夾雜着嶙峋的巨石。到了結穴的地方、一片平坦。左右都低平寬闊、界水細微難辨、沒有一樣能入尋常人的眼。唯獨穴前吐出一片氈褥、十分奇異可愛、憑它驗得穴是真的。

王氏初非擇而取之。因疫卒,停柩其上,以磚封之。數年,家日昌盛。議欲另葬。其外父知地理,見而驚曰:“此美地也,何可另葬?加封土於上為善。”婿不之信,開磚視之,果見茜藤交結於棺,暖氣蒸騰如霧。

王家當初並不是挑選之後才用這塊地的。家裏有人因瘟疫去世、就把棺柩暫停在這片坡上、用磚砌起來封着。過了幾年、家道一天天興旺、便商量着要另擇地安葬。他家岳父懂地理、一見就吃驚地說、這是塊好地、怎麼可以另葬。在上面加培封土才是上策。女婿不信、把磚啟開來看、果然見茜草藤蔓在棺木上盤結交纏、暖氣蒸騰像霧一樣。

逐加封土成墳焉。今王氏富盛冠其邑,應例登仕版者十餘人。按:地前有文星近拜,外有遠秀特朝,龍開大帳,穴枕祿儲,不但富而已矣。第不知合葬法矩度否?

於是就加土封成墳塋。如今王氏的富盛在本縣首屈一指、依例進入仕籍的有十幾人。按語。這塊地穴前有文星在近處拜伏、外面有遠處秀峰特地來朝、龍脈張開大帳、穴又枕着「祿儲」之山、所主的不止是富而已。只是不知道當初下葬時、合不合葬法的規矩尺度罷了。

天心十道證穴を論ず

天心十道者,前後左右四應之山也。穴法得後有蓋山,前有照山,左右兩畔有夾耳之山,謂之四應登對,蓋照拱夾。故以此證穴,不可有一位空缺。凡眞穴必有之。

所謂「天心十道」、指前後左右四面照應的山。穴法上要求、背後有「蓋山」、前面有「照山」、左右兩畔有「夾耳」之山、這就叫四應登對、蓋・照・拱・夾樣樣俱全。所以拿它來驗穴、四個方位不能有一處空缺。凡是真穴、必定四應齊備。

點穴之際,須宜詳審,勿使偏脫。才有偏脫,即為失穴,吉地變為凶地。故左右夾耳之山,不可脫前,不可脫後。前後蓋照之山,不可偏左,不可偏右,如十字登對為美。《琢玉集》云:“發露天機眞脈處,十字峰為據。”

點穴的時候必須仔細審視、別讓穴位偏出四應之外。只要一有偏脫、就算失穴、吉地立刻變成凶地。所以左右夾耳的山、穴不可脫到它前面、也不可脫到它後面。前後蓋照的山、穴不可偏在它左邊、也不可偏在它右邊――要像十字交叉那樣正正登對纔好。『琢玉集』說、天機真脈顯露的地方、就拿這四面交成十字的峰巒作憑據。

此天心十道全,只要立穴立向勿偏勿脫則吉。此天心十道不應,不是眞地也,不可下。

這兩幅圖的圖說如下、底本只存文字、圖形已佚、今照錄並加解說。前一幅畫的是天心十道四應俱全的樣子、只要立穴・立向不偏不脫、就是吉。後一幅畫的是天心十道四面不相照應的樣子、這就不是真地、不可下葬。

右地在順昌縣,土名沙口下,金盤形,珠上穴,乃郭子云下也。其龍開帳,自帳中抽下,大頓小伏,左棲右閃。將及結穴,撒落平田。田中復起一突,前後左右四金相照,有合天心十道,穴甚清巧可愛,眞美地也。葬後出廖元,官副憲;廖忠,為縣令。科第數人,迄今榮盛不替。

上面這塊地在順昌縣、土名沙口下、形象叫「金盤形」、穴點在盤中的珠上、是郭子云所點。它的來龍張開帳幕、從帳中抽脈而下、大處頓伏・小處起落、左邊棲息・右邊閃讓。將到結穴處、散落進平田之中。田裏又鼓起一個突泡、前後左右有四座金星彼此照應、正合「天心十道」、穴點得清巧可愛、真是塊美地。葬後出了廖元、官至副憲。廖忠、做過縣令。考中科第的好幾人、到如今榮盛不衰。

分合證穴を論ず

《家寶經》云:“大凡點穴,先看大八字下有小八字,兩邊有蝦鬚水送氣脈下來,交到三叉盡處,必開口。然如是,又要辯認上分下合分曉,方知眞假。若上面有分,下面有合,陰陽交度,乃為眞穴。或上面有分,下而無合,則是陰陽不交度,乃為假穴。”

『家寶經』說、大凡點穴、先看「大八字」下面有沒有「小八字」、兩邊有沒有細如蝦鬚的水送着氣脈流下來、交會到三叉的盡頭處、那裏必定張開一個口。即便如此、還要把上面分水・下面合水辨認清楚、纔知道真假。若上面有分水・下面有合水、就是陰陽交會、這纔是真穴。若上面有分水而下面沒有合水、就是陰陽不曾交會、那便是假穴。

分合有三:其一乃球簷水分來下合,為第一合;其二乃小八字水分來下合,為第二合;其三乃大八字水分來下合,為第三合。《神寶經》曰:“三合三分,見穴土乘金之理;兩片兩翼,察相水印木之情。”

分合共有三重。第一重是「球簷」處分開的水在下面交合、叫第一合。第二重是「小八字」分開的水在下面交合、叫第二合。第三重是「大八字」分開的水在下面交合、叫第三合。『神寶經』說、從三分三合之中、可以見到「穴土」「乘金」的道理。從兩片兩翼之中、可以察出「相水」「印木」的情狀。

按:此皆穴中之至秘也。有合無分,則其來不眞,內無生氣可接。有分無合,則其止不明,外無界脈之可證,皆非眞結作也。故分合證穴,最為的切,不可不察。但分合之說,須明師口傳可也。不然,則多有悞。蓋窩鉗之穴,無傳度口功,鮮能知之,故爾。

按語。這些都是穴法中最機密的東西。只有合水而沒有分水、說明脈氣來得不真、穴內沒有生氣可以承接。只有分水而沒有合水、說明脈氣止得不明、穴外沒有界脈可以驗證――兩者都不是真結作。所以用分合驗穴最為貼切準確、不可不細察。不過分合的講法、須得明師當面口傳纔行、否則多半要弄錯。因為窩穴・鉗穴這一類、沒有師傳的口訣功夫、很少有人能看懂、正是這個緣故。

已上證穴諸論,姑就其常理而言之。又當活潑,不可拘執。蓋地固有無朝應、明堂、鬼樂、龍虎、纏護、夾照而有結作者,豈可盡泥於此乎?噫!非圓機之土,其孰能之?

以上講證穴的種種議論、姑且只就常理來說。實際運用還要靈活、不能死守。因為確實有些地方沒有朝應、沒有明堂、沒有鬼星樂山、沒有青龍白虎、沒有纏護夾照、卻照樣有真結作、怎麼能一概拘泥於上面這些條目呢。唉、不是心思圓轉通達之士、誰能做到這一步。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷四之上

江右山人徐善繼述 同著。此冊専論穴之所忌。夫穴之所忌,亦於形而察之耳。蓋塟者乘生氣也。而氣囿於形,因形察氣。故山粗惡者其氣暴,山單寒者其氣微,散漫則氣亦散漫,虛耗則氣亦虛耗。及夫巉巖、陡瀉、臃腫、凹缺、幽冷、峻急、頑硬等類,皆莫不以形而見其氣之吉凶。是穴之所當忌避而不可忽者,輯之。

江右山人徐善繼撰述、與其弟徐善述共同編著。這一冊專講穴場所忌諱的種種情形。穴的忌諱、也不過是從形體上去察看罷了。安葬是要乘生氣的、而氣受形體的拘限、所以要憑形體去推察氣。山勢粗惡的、氣就暴戾。山形孤單寒薄的、氣就微弱。形體散漫、氣也散漫。形體虛耗、氣也虛耗。至於巉巖・陡瀉・臃腫・凹缺・幽冷・峻急・頑硬這些類型、無不是從形體上看出氣的吉凶。這些都是點穴時應當忌避・不可輕忽的、所以匯集在這裏。

粗惡

粗惡者,山勢粗雄醜惡,或帶石蠻大,而不嫩媚細巧者也。凡結穴處,貴其穴星嫩媚、光彩、細巧,忌其粗蠻、醜惡。蓋相山亦似相人。人之粗惡醜陋者,其心亦必兇狠不良,即所謂貌陋心險,如盧□藍面而奸險者是也。

所謂「粗惡」、是山勢粗壯雄橫・醜陋可憎、或者夾帶石頭・蠻橫巨大、而不顯得嫩潤秀媚・細巧的樣子。凡是結穴的地方、貴在穴星嫩潤秀媚・光彩細巧、最忌粗蠻醜惡。看山其實跟看人一樣。人生得粗惡醜陋的、心地也多半兇狠不良、就是所謂貌醜而心險、像盧某那樣面色發藍而心懷奸險的人便是(其名底本缺一字)。

故山形清秀,則出人清秀;山形醜惡,則出人醜惡。不可不慎。不但立穴欲其清奇,忌其粗惡,凡至一縣一鄉,其山形醜惡、粗蠻,亦必其地多凶險之人,嗜殺好勇,民多爭闘。此亦氣相召感之理耳。

所以山形清秀、出的人也清秀。山形醜惡、出的人也醜惡、不能不謹慎。不單立穴時要挑清奇・忌粗惡。凡是走到一縣一鄉去看、只要那裏山形醜惡粗蠻、當地必定多凶險之人、好殺逞勇、百姓常起爭鬥。這也是氣類彼此感召的道理。

峻急

峻急者,山勢峻急而不能立步也。凡立穴處,貴其平坦柔緩,忌其峻急直硬。蓋峻急本無容受,不融結。若於峻急處勉強鑿穴,謂之斗煞,法主傷人及官訟、軍配,立見兵火,至凶,不可不慎。若峻急中忽有平坦,卻是貴穴,不以此論。

所謂「峻急」、是山勢陡峻急促、人連脚都站不住。凡是立穴的地方、貴在平坦柔緩、最忌陡峻僵直。陡峻的山本來就無處容納生氣、不會融結成穴。若在陡峻處硬鑿一個穴、這叫「鬥煞」、按法度主傷人・打官司・被判充軍、兵火之災立刻就到、凶到極點、不可不慎。若陡峻之中忽然出現一片平坦、那反倒是貴穴、不按這一條論。

或上峻急而下平坦,則穴就平坦中扦,用拋、離等法下之,亦吉。惟是初塟亦不免有凶,凶應之後方發福也。如廖金精下樂平山下朱氏祖地,課云“半夜夫妻八百丁”。又董德彰為徽州歙縣景春程氏下一虎形地,課與朱氏同。又休寕縣山斗程氏一虎形地,亦合此格,相傳亦是董德彰下。三地皆峻急,點粘穴,以離杖下之而吉,是其格也。圖具下。

或者上半截陡峻而下半截平坦、那就把穴點在平坦處、用「拋杖」「離杖」等法下葬、也吉。只是剛葬下時仍免不了有凶事、凶應過去之後纔發福。例如廖金精替樂平山下朱氏點的祖墳、斷語說「半夜夫妻八百丁」。董德彰替徽州歙縣景春程氏點的一處虎形地、斷語與朱氏那處相同。還有休寧縣山斗程氏的一處虎形地、也合這個格式、相傳也是董德彰所點。三處地都是山勢陡峻、點的是「粘穴」、用離杖之法下葬而得吉、正是這個格式。圖附在下面。

穴星上峻急,不立穴。下鋪餘氈平坦,扦粘穴,用離杖下之。坤龍,寅水朝。左地在樂平,土名十八都前山下,繫廖金精下。課云“半夜夫妻八百丁”,俗喚猛虎出林形。穴星峻急,下鋪平坡,繫乾亥行龍,轉子、酉、辛,又轉坤脈入首,扦寅甲向,寅水朝入。塟後先凶,出寡母持家,大富。二代後人丁大旺,果符其課云。

圖說如下、底本只存文字、圖形已佚。穴星上半截陡峻、不在那裏立穴。下面鋪出的餘氈平坦、就點「粘穴」、用離杖之法下葬。坤方來龍、寅方水來朝。左邊這塊地在樂平、土名十八都前山下、是廖金精所點。斷語說「半夜夫妻八百丁」、俗名叫「猛虎出林形」。穴星陡峻、下面鋪着一片平坡。龍從干亥方行來、轉子・轉酉・轉辛、又轉坤方脈氣入首、立寅甲向、寅方水朝入穴前。葬後先出凶事、寡母當家、家道大富。到第二代以後人丁大旺、果然應驗了那句斷語。

傳疑朱氏塟後半紀,有仁九者,只一子,名拱。年二十而新娶。娶之夕,睡之半夜,鄰家逐虎聲喧。拱睡酣驚覺,以火虎音悞,倉皇披衣出戶,意謂救火。適遇其虎,被傷而卒。新婚僅半夜之合,婦即懷孕,後生男,名遺。遺生九子,一十六孫,人丁大旺。至今鄉人咸稱為虎咬山下朱雲。

姑且記下這段傳聞。朱氏葬後過了半紀、族中有位仁九、只有一個兒子名叫拱、二十歲上剛娶親。成親那夜睡到半夜、鄰家趕虎、人聲喧鬧。朱拱睡得正沉、被驚醒過來、把「虎」字聽成了「火」字、慌忙披衣出門、以為是去救火、恰好撞上那隻老虎、被咬傷而死。新婚只得半夜的夫妻之合、媳婦卻已懷孕、後來生下一個男孩、取名叫遺。遺生了九個兒子・十六個孫子、人丁大旺。到如今鄉里人還都稱他們作「虎咬山下朱」。

又董德彰為徽州景春程氏下一祖地,山之形勢與來龍方向,穴形水法,與此大同,課驗亦符,今不録。又董德彰為休寕山斗程氏下一虎形,在山斗官路側,亦與此同,圖具右。

另外董德彰替徽州景春程氏點過一處祖墳、山的形勢・來龍方位・穴的形狀與水法、都跟前面這處大同小異、斷語的應驗也相符、這裏就不再錄了。董德彰還替休寧山斗程氏點過一處虎形地、在山斗大路旁邊、情形也與前一處相同、圖附在右邊。

穴星上峻急不立穴。下鋪餘氈平坦,扦粘穴,用離杖下之。山向水法同前。該地在休寕縣,地名山斗,程氏祖壟也。課云“半夜夫妻八百丁”,俗喚猛虎跳澗形,又曰猛虎下山形。塟後先凶,出寡母持家。後大富,人丁蕃衍,果符其課云。

圖說如下、底本只存文字、圖形已佚。穴星上半截陡峻、不在那裏立穴。下面鋪出的餘氈平坦、就點「粘穴」、用離杖之法下葬。坐山・立向與水法都與前一處相同。這塊地在休寧縣、地名山斗、是程氏的祖墳。斷語說「半夜夫妻八百丁」、俗名叫「猛虎跳澗形」、又叫「猛虎下山形」。葬後先出凶事、寡母當家。後來家道大富、人丁繁衍、果然應驗了那句斷語。

傳疑徽州程氏名乾仁者,年五十,只一子,名奉。洪武七年,幹妻汪氏卒。董公為扦其地,課云“半夜夫妻八百丁”。葬後半紀,乾子新婚。初娶之夜,有虎入其外室,行步有聲,如人履地。奉乃疑為賊,越地開門捕之,為虎所傷。新婚僅半夜之合,婦即有孕,後子孫蕃盛,果符課語。

姑且記下這段傳聞。徽州程氏有個叫干仁的、五十歲上只有一個兒子、名叫奉。洪武七年、干仁的妻子汪氏去世、董德彰替他點了這塊地、斷語說「半夜夫妻八百丁」。葬後過了半紀、干仁的兒子新婚。成親頭一夜、有隻老虎闖進外屋、走動有聲、像人踩在地上一樣。程奉疑心是賊、穿過院子開門去捉、被老虎咬傷。新婚只得半夜的夫妻之合、媳婦卻已懷孕、後來子孫繁盛、果然應驗了那句斷語。

按:已以三地,其課皆云“半夜夫妻八百丁”,似於怪誕,然皆符驗。至今二鄉土俗傳說不誣,亦神矣哉!誠以三地形勢、穴星、方位、水法皆同。穴上峻急帶煞,故先見凶禍。坤龍入首,稟鬼金之氣,故出寡母。箕度水入,故遭虎傷。穴下皆有餘氈,所以旺人。夫董氏之術,傳自廖氏,而善用之斯,亦可見其概也。地理家法眼之說,渠不信與!

按語。以上三塊地、斷語都說「半夜夫妻八百丁」、聽着像是荒誕之談、卻都一一應驗。至今兩地鄉俗流傳的說法並非虛妄、也真够神奇了。這是因為三處地的形勢・穴星・方位・水法完全相同。穴上陡峻帶煞、所以先見凶禍。坤方龍脈入首、稟受二十八宿裏鬼宿屬金之氣、所以出寡母當家。箕宿分度上的水朝入、所以有被虎咬傷之應。穴下都有餘氈鋪展、所以人丁興旺。董德彰的術法傳自廖金精、而他能善加運用、從這幾例也可見其大概。地理家所說的「法眼」、難道還能不信嗎。

單寒

單寒者,孤山獨壟,四面無從,或臨穴孤露而不藏聚者也。楊公云:“龍怕孤單穴怕寒。”故立穴處貴其周密暖固,而忌其單露孤寒也。凡孤寒之穴,主貧窮孤寡,漸以絶滅,不但門戶衰薄而已。此最為凶,不可不慎。其有大龍獨高,入首結穴,而穴間開窩鉗,自能衛穴,不受風吹,所謂登穴煨聚者,又不以此拘。

所謂「單寒」、是孤零零一座山・一條壟、四面沒有隨從的山。或者到了穴場一帶孤零零暴露在外、藏不住・聚不攏。楊筠松說、龍怕孤單、穴怕寒露。所以立穴的地方貴在周密・溫暖・堅固、忌諱孤單暴露・寒氣逼人。凡是孤寒之穴、主貧窮孤寡、漸漸至於絕滅、不只是門戶衰敗單薄而已。這一條最凶、不可不慎。也有大龍獨自高聳、入首結穴、而穴間開出窩形鉗形、本身就能護衛穴場・不受風吹的、就是所謂一登上穴場便覺溫煨聚氣的、那又不受這一條拘束。

臃腫

臃腫者,星辰粗臃肥腫,而不開鉗窩頭面也。凡穴,貴其星辰開面,如人眉目光彩。忌其臃腫粗飽,瀰漫蠻丑。若悞下之,主禍立至,不可不慎。

所謂「臃腫」、是星辰粗大臃腫肥胖、既不開出鉗形窩形、也沒有面目可辨。凡是穴、貴在星辰開面、像人的眉目一樣有神采。忌諱臃腫粗飽、漫無邊際而蠻橫醜陋。若錯點在這種地方、禍事立刻就到、不可不慎。

虛耗

虛耗者,龍氣虛弱,而蛇、鼠因得之以傷耗者也。蓋生氣融聚之處,其地堅寔,物固無能傷耗之矣。惟其虛浮,故螻蟻蛇虺狐鼠之屬,得以穿漏出入,發洩地脈,土虛氣耗而不可用也。蔡文節公曰:“諸家塟書,莫不以蛇窩蟻穴為戒。而時俗輙以掘地得生氣之說飾其非,卒以取禍。”此確論也。

所謂「虛耗」、是龍氣虛弱、蛇和鼠便乘虛而入、把地氣侵蝕損耗掉。生氣融聚的地方、土地堅實、蟲物本來無從傷損。正因為土質虛浮、螻蟻・蛇虺・狐狸・老鼠之類纔能穿洞進出、把地脈的氣泄漏出去、土虛氣耗、這塊地便不能用了。蔡元定說、各家葬書沒有不把蛇窩蟻穴當作戒條的、可是時下的風氣動輒拿「掘地得見生氣」的說法替自己的錯處遮掩、結果招來禍患。這話說得確當。

亦有一等地脈溫暖,而有生氣物,如龜、如蛇、如禽、如獸者,自是不同,不穿窩竇而在數尺之下耳。亦只一二枚。如多則凶。其有穿為虛窟空竉者,則皆有凶無吉矣。

也有一類地方地脈溫暖、土中生有活物、像龜・像蛇・像飛禽・像走獸、那就另當別論了。它們並不穿鑿洞窟、只是伏在地下幾尺深處、而且不過一兩隻。若數目多了、仍舊是凶。至於把土穿成一個個空洞虛窟的、那就有凶無吉了。

傳疑天台方孝儒先生未生時,其父將塟其祖,已預擇某日矣。忽夜夢一朱衣人前跪曰:“聞執事要尊翁之藏於某山之原。然吾九族居此已數百年,子孫蕃衍,不知其數。望執事再緩二月,吾當徙而避之。願以仁恕為心,俯從所請。”言訖辭去。明日起工,即得一穴,闊六丈許,中有赤蛇千餘尾共一穴,其長數尺,蓋所夢之赤衣也。

姑且記下這段傳聞。天臺方孝孺先生還沒出生的時候、他父親要安葬祖父、日子都已經預先選定。忽然夜裏夢見一個穿紅衣的人上前跪下說、聽說您要把令尊安葬在某山的原上。可是我們九族住在這裏已經幾百年、子孫繁衍不知有多少。盼望您再寬限兩個月、我們自當遷走避開。願您存一點仁恕之心、俯允這個請求。說完便告辭而去。第二天動工、挖開就見一個穴洞、寬六丈上下、裏頭有一千多條赤蛇同住一穴、每條長好幾尺、想來就是夢裏那個紅衣人。

先生之父素不信鬼神事,見蛇,不願亦不憶夢中之言,積薪縱火焚之。有煙一道,直指先生之家。是時母方孕數月,先生生焉,其狀甚異,舌前餂入鼻中。幼穎悟,長師宋景濂,為文滂沛,官至學士,盡忠於君,遭赤九族,蓋蛇氣之報雲。按《孤樹衰談》所記如此。雖其害物之報,寔亦山川毒氣所鍾,故孕育多蛇。從而塟之,亦召奇毒之禍。録之,並以為鑑。

方先生的父親一向不信鬼神之事、見了蛇、既不肯遷就、也不再想起夢中的話、就堆起柴薪放火燒了它們。有一道煙筆直飄向他家。當時方先生的母親已懷孕幾個月、方先生隨後出生、相貌很特別、舌頭伸出來能舔到鼻子裏。他幼年却聰穎、長大後師從宋濂、作文汪洋恣肆、官做到學士、對君主盡忠、最終遭到誅滅九族之禍、據說就是那批蛇的報應。按、『孤樹衰談』裏的記載是這樣。雖說這是殘害生物招來的報應、其實也因為山川的毒氣聚集在此、所以孕育出這麼多蛇。跟着又葬在這裏、同樣招來奇毒之禍。把它錄下來、一併當作鑑戒。

凡開穴見有龜、蛇、蟲、魚之物,切勿妄有所害。況喪生非仁者之德也,慎之。穴中證應之說,術家假此以自神,其於地之吉凶,本無所預。偶或有物,不足為奇。況渉怪誕,明者所鄙,安厝君子切不可泥。

凡是開穴時見到龜・蛇・蟲・魚之類、千萬不要隨意傷害它們。何況殺生本就不是仁者的德行、務須謹慎。至於穴中出現「證應」之物的說法、是術士拿來自神其術的、對這塊地本身的吉凶其實毫不相干。偶然遇上一兩樣活物、也不值得稱奇。何況這類話涉於怪誕、為明白人所鄙薄、替長輩安葬的君子切不可拘泥。

凹缺

凹缺者,凹陷低缺也。當立穴之處,貴其周密遮障,忌其左空右缺。若適當穴處凹缺折陷,賊風射穴,最為不吉,決主人丁絶滅,左長右幼,受禍親切。《賦》云:“若居山谷,且要藏風。”蓋平洋之地,四面無遮,則索性不畏風吹。山谷之中,忽有凹斷,最為可畏。

所謂「凹缺」、就是凹陷低窪・缺了一口。立穴的地方貴在四周周密有遮擋、忌諱左邊空・右邊缺。若恰好在穴位所在處凹陷折斷、讓「賊風」直射穴場、最為不吉、一定主人丁絕滅。缺在左邊應長房、缺在右邊應幼房、受禍最為貼身。『雪心賦』說、若是住在山谷裏、就得能藏得住風。平洋之地四面本來無遮無擋、反倒索性不怕風吹。山谷之中忽然出現一處凹斷、那纔最可怕。

如人在廣邈,處處受風,雖隆冬極寒,不能致病。若門隙窗罅,有賊風射入,或刺背吹頭,則其冷如箭,必中其毒。此穴場所以忌凹缺也。

就像人站在曠野裏、四面都在受風、即使隆冬極冷也不會因此得病。可要是門縫窗隙裏透進一股賊風、或刺着背・或吹着頭、那寒氣就像箭一樣、必定中它的毒。這就是穴場忌諱凹缺的道理。

亦有似凹缺而非凹缺者,本身龍虎或低或陷,而外山輳集補障,則無所忌。蔡西山所謂“久缺不齊,天地之奇。”以此藏匿大地,使人不識。如鉛山餘員外公祖地,及豐城湖茫李氏、吾邑祝黃門祖地是其格也。圖具下。

也有看似凹缺其實不算凹缺的。本身的青龍白虎或低或陷、可是外圍的山湊集攏來補上了這道屏障、那就不必忌諱。蔡西山所說「久缺不齊、正是天地的奇處」、天地就用這種辦法把大地藏匿起來、叫人認不出。像鉛山余員外公的祖墳、以及豐城湖茫李氏・本縣祝黃門的祖墳、都是這個格式。圖附在下面。

右地在鉛山,地名新豐,俗呼仙人大坐形。其龍發自統王峰,迢迢奔驣,行數十里。入局頓起芙蓉大帳,落一脈,起雲中金星,飛蛾降勢,成華蓋、三臺,磊落入首,結太陽開鉗上聚穴。穴前平坦數丈,但下臂低伏,龍山高起,右畔凹陷。且穴在山半,俗眼難認。

上面這塊地在鉛山、地名新豐、俗稱「仙人大坐形」。它的龍脈發自統王峰、迢迢奔騰幾十里。入局時猛地聳起一座芙蓉大帳、落下一條脈、起「雲中金星」、作飛蛾下降之勢、結成「華蓋」「三臺」的形體、磊落入首、結成太陽金星開鉗的上聚之穴。穴前平坦有好幾丈、只是下手一臂低伏、青龍一邊高起、右畔凹陷。加上穴點在半山腰、尋常人的眼力很難辨認。

及登穴,夷坦如在平地。而當穴處不受凹缺之風,穴場甚暖。前有帳下貴人、牙刀、金印、天馬、報捷、仙詔、交床、旌節種種貴沙,重重排列。塟後二紀,先出一中宦,日近天顏。員外公鋐,以鄉魁任京職。其父屢膺封誥,壽考康寕。諸孫濟濟,富貴未艾。

等真登上穴場、卻平坦得像在平地一樣。而且穴位所在正好不受凹缺處灌來的風、穴場很暖。前面有「帳下貴人」「牙刀」「金印」「天馬」「報捷」「仙詔」「交牀」「旌節」種種貴砂、一重重排列。葬後二紀、先出了一位內廷官員、天天在皇帝跟前當差。員外公余鋐以鄉試第一的身份出任京官。他父親屢次受到朝廷封誥、長壽而康寧。衆孫輩人才濟濟、富貴方興未艾。

右地在縣南二里,地名長塘。繫縣龍分結。分龍後,自蛟池山發脈,有五星聚講。乃橫開大帳成五腦,帳中脈磊落棲閃數節,大斷過峽。兩畔太陰、太陽夾照龍脈。復起,連聳四節串珠金星,均勻合格,成太陰文星結穴。只是左右兩臂俱凹缺,似於受風。其寔穴場有太極圓暈奇巧,穴下左右龜蛇捧足,餘氣鋪氈。前有靈泉水,小如鏡,而四季不溢不涸,俗呼驪龍戲珠形,繫亥龍,辛、戌入首,扦卯向。

上面這塊地在縣城南面二里、地名長塘、是本縣龍脈分出來結的。分龍之後從蛟池山發脈、有五星聚會論議之象。接着橫開一座大帳、帳頂起成五個腦。帳中的脈磊落棲閃幾節、大斷而過峽。兩畔有「太陰」「太陽」兩星夾照着龍脈。此後重新起勢、接連聳出四節串珠形的金星、節節均勻合格、成「太陰文星」結穴。只是左右兩臂都凹缺、看去像要受風。其實穴場上有太極圓暈、奇巧異常、穴下左右有龜砂蛇砂捧住穴脚、餘氣鋪展成氈。穴前有一泓靈泉、小得像面鏡子、卻四季不溢也不涸、俗稱「驪龍戲珠形」。來龍屬亥、從辛・戌方入首、立卯向。

外堂卯水特朝,前向秀峰羅列。繫吾邑馬山舒文同下。課云:“一代伶仃,二代平平,三代四代頗有讀書生。五代六代科甲連登。七代八代田連阡陌,應例奏名。九代十代世沐榮恩。吾宗一女,亦配辰生,直言敢諌,朝野聞名。終當出一才子,俊偉聰明,能文能武,威鎮邊廷。”

外明堂有卯方之水特地來朝、穴前秀峰羅列。這塊地是本縣馬山舒文同所點。他的斷語說、第一代孤單伶仃、第二代平平常常、第三・四代頗出讀書人。第五・六代科舉接連登第。第七・八代田連阡陌、依例向朝廷報名入仕。第九・十代世世代代蒙受榮恩。我族中有一個女兒、也會嫁給辰年生的人、此人直言敢諫、朝野聞名。最終還當出一位才子、俊偉聰明、能文能武、威鎮邊關。

葬後果初代不利。五代生鎭公,發高科。其孫約齋瀾,丙辰生,登進士,官都給事,諫武廟被撻,直聲振天下,果符直言敢諫之說。其夫人舒氏,馬山先生從侄女,果符吾宗一女配辰生之應。而介軒、靜庵、廉同及太宇諸公,聯登科第,躋顯宦,人丁稅糧隆盛冠邑,果符科甲聯登及田連阡陌之應。今富貴未艾。

葬後果然頭一代不順。到第五代生了鎮公、考中高科。他的孫子約齋公名瀾、丙辰年生、考中進士、官任都給事中、因勸諫武宗皇帝被廷杖、剛直的名聲震動天下、正應了「直言敢諫」那句話。約齋公的夫人姓舒、是馬山先生的堂侄女、也正應了「我族中一女嫁給辰年生的人」那句話。此外介軒・靜庵・廉同以及太宇幾位、接連考中科第、躋身顯宦、家中人丁與田賦之盛為全縣之冠、正應了「科甲連登」「田連阡陌」兩句。到今天他家的富貴還方興未艾。

此穴極怪。陳靈泉當日斜時往觀,見日影映出穴畔太極圓暈。予與少峰兄葉理峰、祝際沙亦日斜往觀,果見其妙,始知此穴之貴。

這個穴形極為古怪。陳靈泉曾趁太陽西斜的時候去看、見日影把穴旁的太極圓暈映了出來。我和少峰兄以及葉理峰・祝際沙、也挑日頭偏斜時去看、果然見到那份奇妙、這纔知道此穴的貴重。可見這類隱微的圓暈、非得借斜射的光線纔照得出輪廓、正午頂光之下反而看不見。

左地在豐城縣東四十里,土名湖茫棲龍山。其龍起自招雲嶺,焰天火星作祖而來。行三十餘里,中間穿田渡峽,出帳入帳,不能悉述。將及結局,頓起星峰,踴躍奔騰,甚是雄偉。到頭直硬劍脊,穴上繃面,微開窩靨。橫放其棺,名曰銜柴葬法。登穴促迫,不入俗眼。

左邊這塊地在豐城縣東面四十里、土名湖茫棲龍山。它的龍脈起自招雲嶺、以「焰天火星」作祖山發來、走了三十多里、中間穿過田野・渡過山峽、一會兒出帳一會兒入帳、說也說不盡。將要結局時、猛地聳起星峰、踊躍奔騰、非常雄偉。到頭一段又直又硬、山脊像一把劍。穴位上方山面繃得很緊、只微微開出一個窩靨。棺木要橫着放下去、這種葬法叫「銜柴葬法」。登上穴場只覺逼仄局促、入不了尋常人的眼。

外面檢點,山水聚會。又且結穴之後,白虎星辰頓跌奔去,而結楊都憲祖地。枝腳雖去,卻有回顧。左畔近穴稍空,外邊青龍亦遠轉作正案。當面三臺,席帽重疊。又有鶴仙崗、白湖嶺、帳幕山,如貴人、天馬、錦帳以作遠朝,局勢完固,山水盤桓。

可是到外圍去查看、山與水都會聚攏來。而且結穴之後、白虎那一邊的星辰頓跌奔馳而去、另結成楊都憲的祖墳。枝脚雖然走了、卻仍有回頭照顧之意。左畔靠近穴場處稍顯空缺、外邊的青龍也遠遠轉過來充當正案。正面有三臺山、像一頂頂席帽重重疊疊。又有鶴仙崗・白湖嶺・帳幕山、像貴人・天馬・錦帳一樣充作遠朝。整個局勢完固、山水盤桓不去。

李氏塟後,幼房連登科甲。次發中房。惟長房不發,因近穴青龍之曠也。後遇明師,教之加土築小青龍,呼為折角蜈蚣形。諺曰:“折角蜈蚣添一角,此去湖茫大發作。”湖茫乃長房也。如此之後,父子兄弟連登科甲。禮部尙書公璣、兵部尙書公遂,皆其長房也。

李氏葬後、幼房接連科舉登第、其次發的是中房、唯獨長房不發、就因為靠近穴場的青龍那一邊空曠。後來遇到明師、教他們培土築起一道小青龍、把這形象稱作「折角蜈蚣形」。諺語說、折角的蜈蚣補上一隻角、從此湖茫大發作。湖茫指的正是長房。這樣做過之後、父子兄弟接連考中科第。禮部尚書李璣・兵部尚書李遂、都出在長房。

傳疑異僧辜托者,南昌辜坊辜氏族人也。少出家,居豐城龍門寺。善堪輿,世家名墓多經品題。凡有遺穴,留有讖語。時遊湖茫龍安寺,為李氏卜棲籠山,龍勢直急,中有劍脊。當塟期,約曰:“俟我返龍安寺,鳴鐘方可下殔。”及行至半路,偶龍峭寺鳴鐘。李氏不知,應鐘而下。

姑且記下這段傳聞。有位奇異的僧人叫辜託、是南昌辜坊辜氏的族人。他年少出家、住在豐城龍門寺、精於堪輿、世家大族的名墓多半經他品評過。凡是他留下不用的穴、都附有讖語。當時他游到湖茫龍安寺、替李氏卜下棲籠山這塊地。龍勢又直又急、當中還有一道劍脊。到了下葬那天、他約定說、等我回到龍安寺敲響鐘聲、纔可以落棺。等他走到半路、恰好龍峭寺敲起鐘來。李氏不知情、應着鐘聲就把棺落了下去。

時偶有雷震巨聲,而失僧所在。鄉人謂僧被雷所斃,理或然也。廖氏云:“第一莫下劍脊龍,殺師在其中。”托固知之,而卒不能避矣。業是術者,當知所懼。

那一刻恰好一聲巨雷震響、僧人從此不知去向。鄉里人說僧人是被雷擊死的、按理或許真是如此。廖金精說、第一條戒律是別在劍脊龍上下葬、殺師之禍就藏在裏頭。辜託本來懂得這個道理、最終卻沒能避開。凡是以這一行為業的人、應當知道害怕。

夫已上三地,俱後龍甚美,只入穴凹缺,祝氏地左右俱凹缺,李氏地左缺,餘氏地右缺。且穴場隱怪,似乎模糊。而皆葬後榮盛,誠以眞龍大地,乃靈氣所鍾,造化所秘,鬼神所司,非明師莫能扦,非厚德莫能得,非慶緣輻輳莫能信。

以上三塊地、後頭的來龍都很美、只是到了入穴的地方有凹缺。祝氏那塊左右都凹缺、李氏那塊缺在左邊、余氏那塊缺在右邊。加上穴場隱晦古怪、看去像是模糊不清。可是葬後都榮盛起來。這實在是因為真龍大地乃靈氣匯聚之處、為造化所祕藏、由鬼神所掌管。不是明師點不下去、不是厚德之家得不到、不是種種福緣湊合到一處也不肯相信。

嗟夫!蔡文節公云:“端正之穴,齊整之局,人所易識。惟奇怪之形,欠缺之局,為難扦而難信。”蓋天地閉藏造化,不以正形發見,卻示人以丑相,如頑石之中韞藏美玉,識者得之,則為連城之璧矣。

唉、蔡元定說、端正的穴・齊整的局、人人都容易認出來。唯獨形狀奇怪・格局帶缺的、既難點穴又難取信於人。這是因為天地要把造化閉藏起來、不肯用端正的形貌顯現、偏偏拿醜陋的相貌給人看、就像頑石裏頭蘊藏着美玉。識貨的人一旦得到、那就是價值連城的璧了。

瘦削

瘦削者,當穴處山形不肥彩而弱瘦薄削也。廖氏云“弱是瘦崚嶒”,誠以龍氣微弱,如人氣血衰敗,而形貎萎瘦耳。此等山形,不須尋地。緃是入格之龍,亦只為神棲之地矣。

所謂「瘦削」、是穴位所在處山形不肥潤有光彩、反而柔弱瘦薄如同刀削。廖金精說「弱就是瘦而棱角嶙峋」、這實在是因為龍氣微弱、好比人氣血衰敗、形貌自然乾癟消瘦。碰上這種山形、不必再費力尋地。縱然龍脈本身合格、也只能作神靈棲止的廟宇之地罷了。

突露

突露者,當穴處不藏聚而突露受風也。突露穴多是單寒龍。蓋龍孤則生氣不來,穴露則生氣不聚。庸師無傳,但見一峰獨秀,則以為美。殊不知星峰不出帳下,雖秀非奇,以其孤寒也。

所謂「突露」、是穴位所在處藏不住・聚不攏、突兀暴露在外任憑風吹。突露的穴多半出在孤單寒薄的龍身上。龍孤單、生氣就不來。穴暴露、生氣就不聚。平庸的地師沒有師傳、只見一座山峰獨自秀麗、便當作好地。卻不知道星峰若不是從帳幕下面走出來的、雖然秀麗卻算不上奇特、正因為它孤寒。

《坤鑑歌》云:“隴脈低平只一峰,若無開賬號孤龍。此龍只合為僧寺,學道參禪一老翁。”吳公云:“龍無展帳只孤單,秀入雲霄也是閒。若更去為孤露穴,參禪訪道坐寒山。”楊公云:“貴龍重重出入帳,賤龍無帳空雄強。”

『坤鑑歌』說、隴上的脈低平、只孤零零一座峰、若不曾開帳、就叫「孤龍」。這種龍只配蓋僧寺、出一個學道參禪的老翁。吳景鸞說、龍不展帳只是孤單、縱然秀麗得插入雲霄也是白搭。若再去結成孤露之穴、不過是參禪訪道・坐守寒山罷了。楊筠松說、貴龍一重重地出帳入帳、賤龍沒有帳幕、只是空自雄強。

故好星峰必欲其在帳中,貴人不可孤露,所謂“必在簾幙內”也。諺云:“好地如閨中美女,不肯暴頭露面。”天地造化,自然默合。孤寒之龍,前去不為神祠佛殿,必為孤露偽穴,必無下關。緃有下關,必低小不能護穴,謂之假關,最能悞人。若為庸師所惑而下之,主孤寡少亡、僧道緇流而已,不可不慎。

所以好的星峰一定要在帳幕之中、貴人不可孤零零地暴露在外、就是所謂「必定在簾幕之內」。諺語說、好地像閨中的美女、不肯拋頭露面。天地造化、自然而然暗合這個道理。孤寒的龍一路走下去、不是變成神祠佛殿、就必定結成孤露的假穴、而且必定沒有下手關攔。縱然有下手關攔、也一定低小得護不住穴、這叫「假關」、最能誤人。若被庸師迷惑而葬在這種地方、主孤兒寡婦・少年夭亡、或者只出僧道之流、不可不慎。

若龍成貴格,不幸而孤寒者,如有天然完美之穴,亦有大貴,但多僧道而已。廖氏云:“若還格好只孤寒,僧道做高官。”如黃崗陶眞人父地是此格也。

至於龍脈本已成了貴格、只是不幸帶着孤寒的、若有天然完美的穴、也照樣出大貴、只不過多半應在僧道身上。廖金精說、格局本來好、只是失於孤寒、那就出僧道去做高官。像黃岡陶真人父親的墳地、就屬於這個格式。

其地在團風上三十里,土名方一渡。龍自文台山來,甚遠。左源麻城,右源黃安。兩邑兩河夾送,合於大江。二百餘里,巍峨大壟。入局變為平岡,蔓衍數十里,落湖濱,又為平坡數里,如生蛇奔江之勢。復大斷踴起高坡,走馬三臺,左閃一脈,平中有突。突上開口結穴。右砂順水纏過穴前,如眠弓彎抱,十分有情。

那塊地在團風鎮往上三十里、土名方一渡。龍脈從文臺山來、路程很遠。左邊發源於麻城、右邊發源於黃安、兩縣兩條河夾着送行、最後匯入大江。兩百多里都是巍峨的大壟。入局後變為平緩的山岡、蔓延幾十里、落到湖邊、又成幾里平坡、像一條活蛇奔向江水的姿勢。此後大斷而復起、踊出一片高坡、走成「走馬三臺」、向左閃出一條脈、平坦之中帶着突起。突起之上開口結穴。右邊的砂順着水勢纏繞到穴前、像一張放平的弓彎彎抱住、十分有情。

貼身一水,隨沙纏繞,是為玉帶之沙、玉帶之水。此外復有江水特朝。遠峰羅列,誠亦美地。惜其龍格單獨,結穴孤寒。又係牛金入首受氣,而扦鬼金之向。塟後數年,眞人卻以方術受知於粛皇帝,膺殊寵異典,累官至少師,兼少傅、少保、禮部尙書。大眞人恭誠伯,諡榮康。

貼身還有一道水、跟着砂一同纏繞、這就叫「玉帶砂」「玉帶水」。此外又有江水特地來朝、遠處峰巒羅列、確實也是塊美地。可惜龍格孤單、結出的穴孤寒。又是二十八宿中牛宿屬金的方位入首受氣、卻立了鬼宿屬金的向。葬後幾年、陶真人竟以方術受知於世宗肅皇帝、蒙受特殊的恩寵與禮遇、歷官做到少師、兼少傅・少保・禮部尚書、封大真人・恭誠伯、諡號榮康。

傳疑黃岡陶仲文為府椽,喪父覓地時,適團風有河伯所官,精堪輿,與之善。謂之曰:“濱江湖岸有大地,可當代腰玉。但此為漁人合旁,宜往圖之。”陶如其言,買舍為易之。及塟,指穴開井曰:“我不識汝福何如,不敢擇時。爾自求兆下殔。”陶睡穴中,掛麻衣於竹籬。陶夢大蟒蛇盤繞其衣,警醒曰:“是時矣!”遂塟,果爾。當代蟒袍玉帶之貴。

姑且記下這段傳聞。黃岡的陶仲文當府衙掾吏時、父親去世要尋墓地、恰好團風有位河伯所的官員精通堪輿、與他交好、對他說、臨江湖岸邊有塊大地、可以當代就腰繫玉帶做大官、只是那裏緊挨着漁人的合葬處、你該去設法弄到手。陶仲文依他的話、買下房舍去交換。到下葬時、那人指定穴位・挖開金井說、我不知道你的福分有多大、不敢替你擇時辰、你自己去求個吉兆再落棺。陶仲文便睡在穴中、把麻布孝衣掛在竹籬上、夢見一條大蟒蛇盤繞在那件衣服上、驚醒過來說、時辰到了。於是下葬、後來果然如此、當代就應了穿蟒袍・繫玉帶的貴顯。

破面

破面者,乃當穴處穴星頭面之間掘鑿以取土石,使星辰頭面破碎也。立穴處欲其完固無傷,忌其破碎。蓋破碎氣脈發洩,塟之則有禍無福。凡此者不問龍脈貴賤、眞假,皆不取。縱使龍脈貴秀,朝應情來,明堂水城俱美,不幸而庸夫野人不知所以,徒以土石之便,日夕鑿掘,或深入數尺,或長至丈餘,而正當穴脈,發洩龍氣,則不可用矣。《明堂經》云:“鑿石取土,撼山警神,斷脈洩氣,傷寒損眞,法不可塟,損人致貧。”

所謂「破面」、是在穴位所在的穴星頭面之間開挖、取走土石、把星辰的頭面弄得破碎。立穴的地方要完整堅固・沒有損傷、最忌破碎。破碎了、氣脈就泄漏出去、葬在那裏有禍無福。凡屬這種情形、不管龍脈是貴是賤・是真是假、一概不取。縱使龍脈貴秀、朝山應山含情而來、明堂水城樣樣美好、只可惜庸夫野人不懂其中道理、圖取土石方便、日夜開鑿、有的挖進去幾尺、有的挖長到一丈多、而且正挖在穴脈上、把龍氣泄掉、這塊地就不能用了。『明堂經』說、鑿石取土、會撼動山體・驚動山神、截斷脈絡・泄漏地氣、損傷元氣・虧折真機、按法度不可安葬、否則損人而致貧。

若小可掘傷,不當穴脈,未至已甚,亦可取用,又不如此論也。《發揮》謂“當依醫地法救之。譬如人稍有傷害皮膚,不致腹心之憂,則猶可醫療而愈。若或傷鑿已甚,則不復可為矣。”晉王佑祖墓,相者謂有天子氣。佑鑿之,相者復曰:“猶出折臂三公。”俄而佑墜馬折臂,蓋其鑿處不當脈而在臂,故應折臂耳。

若只是小小的掘傷、又不在穴脈上、還沒到嚴重的地步、仍舊可以取用、就不按這一條論了。蔡元定『發揮』說、應當依照「醫地」的辦法去補救。好比人皮膚上稍受了點傷、不至於傷到腹心、還可以醫治痊癒。若已經鑿傷得很厲害、那就無可挽回了。晉人王佑的祖墳、看相的說有天子之氣。王佑把它鑿斷、看相的又說、還能出個折臂的三公。不久王佑墜馬摔斷了手臂――原來他鑿的地方不在正脈上而在「臂」上、所以應在折臂這件事上。

又有曾經國代鑿毀龍脈,或掘損穴場,既深且闊,乃已傷敗,不可復下。又有水源發洪,崩頹溜路,皆凶不可葬者。既多掘鑿傷敗,生氣耗散者,亦不可塟。凡遇此等,必是龍形虎勢,頗入俗眼,而非正龍眞的之穴。徒以前朝砂水秀麗而亂下之,故塟者子孫皆以衰替,墳墓無主,任人鑿犯,必非佳境。

還有一類地方、歷朝歷代曾經鑿毀過龍脈、或者掘傷過穴場、挖得又深又寬、已經傷敗、不能再葬。也有水源發大水、山體崩塌衝出溜溝的、都凶而不可葬。凡被掘鑿得傷敗・生氣耗散的、同樣不可葬。碰上這類地方、一定是山形看去龍騰虎踞、頗能唬住尋常人的眼、其實並不是正龍真的的穴。只因前面朝山砂水秀麗、人們就亂葬進去、所以葬下去的人家子孫都衰敗下去、墳墓無人料理、任憑旁人開鑿侵犯――這就絕不是好地方。

亦有龍脈穴場皆吉,而亂下傷穴,鑿掘已多,失卻本來面目,不復可為。亦有一種好龍,其穴詭怪,人皆知為好地,而不能定穴。塟者者禍敗,從而改徙,出以與人,甲者既非,乙者又未得穴。前轍既覆,後車不戒,遞遞相承,愈塟愈失,愈傷愈敗。

也有龍脈與穴場本來都吉、卻被人亂葬傷了穴、鑿掘得太多、失掉了本來面目、再也無法挽救。還有一種好龍、穴形詭異古怪、人人都知道是塊好地、卻誰也定不準穴位。葬下去的人家遭了禍敗、就改葬遷走、把地讓給別人。甲家沒點對、乙家也沒點着。前車已經翻了、後車仍不引以為戒、一家接一家地承襲下去、越葬越失、越傷越敗。

術者急於謀利,乃謂向來雖有理塟,正穴皆未下著。今若得之,深鑿金井,則旺氣皆傾以蔭我。殊不知穴既傷敗,地脈已散,譬如人之頭面,穿鑿刈臠,殆無全處。其人生乎?其人死乎?

術士急於謀利、就說、這裏從前雖然有人葬過、正穴都沒點中。如今我們既然得手、把金井鑿得深些、旺氣就全傾瀉過來庇蔭我家。他們哪裏知道、穴一旦傷敗、地脈已經散盡、就好比人的頭臉被穿鑿割剮、幾乎沒有一處完好――這個人還活着嗎、還是已經死了呢。

故子微乃以掘鑿亂理者,謂之死玄武,不可復用。誠以一乳頭鑿數十墳,或存或沒,破碎如此,雖果是眞龍正穴,奈何傷敗之餘,不可復用。

所以張子微把被人亂掘亂理過的地方叫作「死玄武」、不能再用。的確、一個乳突頭上鑿了幾十座墳、有的還在・有的已廢、破碎到這個地步、即使真是真龍正穴、無奈已在傷敗之餘、終究不能再用了。

切不可信時師深塟之說,以為可以聚眾穴之氣,傾眾穴之脈,而悞下深穴,以取敗絶也。況穴法之深淺,自有一定不易之理。當淺而深,氣從上過,豈有過於深龍奪眾穴之氣者乎?斷斷焉無此理也。慎之!

千萬不要相信當時地師「葬得深」的說法、以為深挖就能把衆墳的氣聚過來・把衆墳的脈傾過來、於是錯下深穴、招來敗絕。何況穴法的深淺自有一定不移的道理。本該淺葬卻葬深了、氣就從上頭越過去了、哪裏會有靠挖得深就把衆穴之氣奪過來的事。斷斷沒有這個道理。務必謹慎。

又有當穴處曾經鑿基,欲作住場、神祠、書舍。凡此皆已傷敗,發洩生氣,不可遷塟。蓋其鑿必深,其墳必高。欲低下穴,則脈已斷,欲高下穴,則脈已急。假饒不斷不峻急,亦傷破星辰頭面,鋤壞唇口鉗窩。廖金精云:“若還打破太極暈,水蟻便侵棺。”張落魄云:“若將唇口都鋤破,任是神仙也有疑。”

還有一類是穴位所在處曾經開鑿過地基、打算蓋住宅・神祠或書舍。凡屬這種、都已經傷敗、把生氣泄掉了、不可再遷葬進去。因為地基鑿得必定深、墳就必定要壘得高。想把穴點低、脈已經斷了。想把穴點高、脈又已經急了。就算僥倖脈既沒斷也不陡急、開鑿也已經傷破了星辰的頭面、鋤壞了脣口與鉗窩。廖金精說、要是打破了太極暈、水和螞蟻馬上就侵進棺裏。張落魄說、要是把脣口都鋤破了、任憑神仙來看也要犯疑。

況傷敗如此,縱是龍眞穴美,識者見之,不過嘆其可惜而已。若復亂下,必主家道亦如山之斷絶損折,業退祀絶矣。

何況傷敗到這個地步、縱然龍是真龍・穴是美穴、行家看了也不過歎一聲可惜罷了。若再亂葬進去、必定主家道也像這座山一樣斷絕損折、家業退敗・香火斷絕。

疙頭

疙頭者,乃黑白沙石相間錯雜,不生木植。惟黃茅疏草而闊遠芋剌,隨生隨死,如頭病疙瘡,短髮間出者也。在人則為氣血蠹敗,膚脈不活,故成此病。在地則為龍神枯悴,氣脈虛弱,故成此形。張子微云:“遷塟為墳氣不注,子孫衰絶業難守。”

所謂「疙頭」、是黑白沙石交雜錯落、長不出樹木、只有稀稀落落的黃茅野草、間距很遠・葉片扎手、隨生隨死、好像人頭上生了疙瘩瘡、短頭髮一撮撮夾雜着長出來。在人身上、這是氣血敗壞・肌膚經脈不活、所以生這種病。在地面上、這是龍神枯槁憔悴・氣脈虛弱、所以現出這種形狀。張子微說、遷到這種地方做墳、地氣注不進來、子孫衰敗斷絕、家業難守。

《玉峰寳傳》云:“山有石骨,有沙骨。”石骨之山,氣脈完固,不肯發洩,渾渾沌沌,不生草木者。非童也,根著不立故也。此龍若帶星辰,出為土穴,必脆巧清秀,出入必渾厚沈密,堅固禁耐,富則必盛,貴則必顯。子孫亦必綿遠。

『玉峰寶傳』說、山有「石骨」、也有「沙骨」。石骨的山、氣脈完固、不肯外泄、渾渾沌沌地長不出草木。這並不是寸草不生的「童山」、只是草木的根扎不住罷了。這種龍若帶着星辰形體、落下來結成土穴、穴土必定細脆巧緻・清秀可愛。出的人必定渾厚沉穩縝密、堅固能耐。主富則富得興盛、主貴則貴得顯赫、子孫也必定綿延久遠。

沙骨之山,本是氣脈枯竭,不能融結。堅不為石,疏不為土,故散為沙礫,或白或黑,如人無脈,如血無肉,所以草木不生,惟有黃茅,春生夏枯,秋黃冬死。間有麋沙碎石,鳥啄為子,暫生小木,不盈咫尺,終以乾死。

沙骨的山、本來就是氣脈枯竭、不能融結成穴。它堅不成石、疏又不成土、所以散成沙礫、或白或黑、好比人沒有脈息・有血而無肉、因此長不出草木、只有黃茅、春天生出、夏天就枯、秋天變黃、冬天死盡。中間偶有細沙碎石處、鳥啄來的種子暫時長出小樹、也不滿一尺來高、終究要乾死。

此龍定是不帶星辰,出為嵯峨麄穴,沙礫滿前,泉溜石溼,出人必庸丑愚頑難訓。富則必險,貴則必微。婦人難產,財物耗散。若枯涸已甚,不能陰注枯稿,必至絶嗣也。

這種龍一定不帶星辰形體、落下來只是嵯峨的粗穴、穴前滿是沙礫、泉水滲流・石頭潮濕。出的人必定庸俗醜陋・愚頑難教。主富則富得凶險、主貴也貴得低微。婦人難產、財物耗散。若枯竭得太厲害、地氣不能暗中滋養、一味枯槁下去、必至斷絕子嗣。

按:《寳傳》此論沙骨之地,其結穴必是穴星疙頭,主尸幹骨枯而不可塟。子微又有玄武憔悴,玄武涸燥之說。要之,皆沙石之地,草茅疏黃,無生意而涸枯耳。宋儒謂“擇其地之美者則神靈安。”何為地之美?亦以土肉深厚、草木之茂盛為驗而已矣。

按語。『寶傳』這一段講沙骨之地、它所結的穴一定是穴星生了疙頭、主屍身乾縮・骨殖枯朽、不可安葬。張子微另有「玄武憔悴」「玄武涸燥」的說法。總而言之、都是沙石之地、茅草稀疏枯黃、毫無生意而乾涸罷了。宋儒說、選那塊地美的、神靈纔得安寧。怎麼纔算地美呢、也不過拿土層深厚・草木茂盛來驗證而已。

散漫

散漫者,懶坦闊蕩也。凡立穴,貴其收斂束聚,忌其散漫。若穴場懶坦闊蕩,而無界水,又無突窩,則無融結。於此下之,主黃腫貧困,漸以絶人,不可不愼。

所謂「散漫」、是地面懶散平坦・空闊蕩漾。凡立穴、貴在收斂緊束・氣有所聚、忌諱散漫無歸。若穴場懶坦空闊、既沒有界水分合、又沒有突起或窩陷、那就沒有融結。葬在這裏、主生黃腫之病・家道貧困、漸漸至於人丁斷絕、不可不慎。

幽冷

幽冷者,陰幽寒冷之地也。主養尸不壞,雖百年餘,開棺如生,而不改色,皮膚瑩嫩。露風之後,始變色也。大凡養尸之地,乃是龍無眞脈,山無正穴,而塟處脫脈無氣,只是四山高障,不受風吹,此乃陰寒淒冷,故能養尸。子微云“四向山高形穴壯,古木萬仞開高枝。龍虎交牙內深邃,山無正穴勉強為”是也。

所謂「幽冷」、是陰暗寒冷的地方。這種地會把屍身養着不腐壞、雖經一百多年、開棺時仍像活人壱樣、面色不改、皮膚瑩潤細嫩。等見了風之後纔開始變色。大凡養屍之地、都是龍沒有真脈・山沒有正穴、而下葬之處脫離了脈氣・本身無氣、只不過四面高山圍擋、吹不到風、因而陰寒淒冷、纔能把屍身養住。張子微說、四面山高、穴形看着壯實、古木萬仞高處纔分枝。龍虎交錯咬合、裏頭幽深、其實山中並無正穴、不過勉強湊合罷了。說的正是這種地方。

或難予曰:人子求地所以安親。今乃有地養尸,百年不壞,容顏如生,何吉如之?顧乃棄此而欲易腐易朽之穴,俾親體之速腐,冀富貴於生人,豈孝子之心哉!答曰:非此之謂也。萬物同歸於化,安有不化之理?彼養尸不化者,乃至陰極寒之地,如北人藏冰,乃苦寒之地,故水不化。南方無苦寒,則水易化而不能藏也。

有人詰問我說、做兒子的求地、為的是安頓親人。如今既有能養屍的地、一百年不腐壞、容顏像活着一樣、還有比這更吉的嗎。你卻要捨棄它、去挑一個容易腐朽的穴、讓親人的遺體盡快腐化、只圖活人的富貴、這難道是孝子的心腸嗎。我回答說、不是這麼講的。萬物最終都要歸於變化、哪有不化的道理。那種養屍不化的、是至陰極寒之地。好比北方人能藏冰、是因為那裏苦寒、所以冰不化。南方沒有苦寒、冰容易化、就藏不住。

古人殯妃,以水銀灌入尸中,亦久而不化。乃以水銀至冷養尸,故不化耳。今養尸之地,冷氣侵尸,尸雖不化,而魂骸不寕,豈人子安親之心哉!且感召生人,不生子嗣,或生而不育,漸至絶嗣,又豈人子孝親之心哉!《塟書》謂枯骸得氣者,乃地脈沖和之生氣,非至陰之冷氣也。得生氣則暖,暖則腐肉易化,而骨骸久存,遺體亦因之以蔭,嗣續蕃昌,祭祀不替,大孝在是矣。

古人給妃子殯葬、把水銀灌進屍身、也能久而不化、那是借水銀的極冷來養屍、所以不化。如今這種養屍之地、冷氣侵蝕屍體、屍身雖不化、魂魄骸骨卻不得安寧、這難道合乎做兒子的安親之心嗎。何況它感召到活人身上、會使人生不出子嗣、或者生下來養不活、漸漸斷了後代、這又哪裏合乎做兒子的孝親之心呢。『葬書』說枯骨要得氣、指的是地脈沖和的生氣、不是至陰的冷氣。得了生氣就暖、暖則腐肉容易化盡、而骨殖長久保存、遺體也因此得到蔭庇、子孫繁盛、祭祀不斷――最大的孝道正在這裏。

尖細

尖細者,當穴處尖鋭微細也。董氏云:“鎗頭莫下,鼠尾休扦。”以其尖細微弱,生氣不鍾故耳。卻有大山撒落坪坡,氣聚尖頭者,要尖處起突,復有鉗口,有包裹方可。

所謂「尖細」、是穴位所在處尖銳而細弱。董德彰說、槍頭一樣的地方別葬、老鼠尾巴一樣的地方別點。就因為它尖細微弱、生氣聚不攏。不過也有大山散落成坪坡、氣恰好聚在尖頭上的。那就要求尖處能鼓起一個突泡、又開出鉗口、四周還有山來包裹、這纔可以用。

蕩軟

蕩軟者,當穴處塌闊蕩曠,軟如牛皮懶坦者是也。立穴處宜束聚,束聚則有生氣。忌其蕩軟,蕩軟則是死塊,不可扦穴。平地最忌,若悞下之,主水浸尸骨,家厄消耗,人丁乏絶,至為凶惡,不可不慎。若平中有突,或平中開鉗口,又是散中有聚,不以此論。

所謂「蕩軟」、是穴位所在處塌陷寬闊・空曠蕩漾、軟得像一張牛皮那樣懶散平攤。立穴的地方應當束聚、束聚了纔有生氣。最忌蕩軟、蕩軟就是一塊死土、不能點穴。平地上尤其忌諱這一條、若錯葬進去、主水浸屍骨、家裏遭災破財、人丁稀少以至斷絕、凶惡到極點、不可不慎。若平坦之中有突起、或者平坦之中開出鉗口、那便是散中有聚、不按這一條論。

頑硬

頑硬者,山形死直,不活動而粗頭急硬也。凡立穴處,貴其活動宛媚,忌其粗頑急硬。蓋此等頑硬,非峻直即多倒地直急之山,本無融結,不可立穴。若不知避忌,而強於頑急處鑿穴,凶禍立至。若果龍眞,宜尋其開鉗窩,有節泡處,或低平處,有氈有唇,則下倚粘之穴,以脫閃煞氣方可。如無窩鉗節泡等形,則非眞結,不可顧也。

所謂「頑硬」、是山形死板筆直、毫不靈動、而且頭粗勢急・僵硬。凡立穴的地方、貴在靈動柔婉可愛、忌諱粗頑急硬。這類頑硬的山、不是陡峻筆直、就多半是倒伏在地一路直急的山、本來就沒有融結、不能立穴。若不懂得避忌、硬在頑急處鑿穴、凶禍立刻就到。倘若龍脈確實是真的、就該去找它開出鉗形窩形・有節有泡的地方、或者低平而帶氈帶脣的地方、在那裏下「倚穴」「粘穴」、把煞氣閃脫開去纔行。如果連窩・鉗・節・泡這些形狀都沒有、那就不是真結作、不必去理會。

巉巖

巉巖者,臨穴處石出崢嶸,而巉巖可畏也。《塟書》云:“氣以土聚,而石山不塟。”吳公云:“石為山骨欲其藏,切忌粗雄與惡昂。”凡立穴處,宜皮面光彩,忌惡石巉巖。若不知避此而悞下之,主凶惡殺戮,軍配爭鬥之禍。

所謂「巉巖」、是靠近穴場的地方有石頭突兀崢嶸、嶙峋可怕。『葬書』說、氣要靠土來聚、所以純石之山不能安葬。吳景鸞說、石頭是山的骨頭、要它藏在裏面、最忌它粗雄醜惡・高高昂起。凡立穴的地方、宜於表面光潤有彩、忌諱惡石嶙峋。若不懂得回避而錯葬進去、主凶惡殺戮・充軍鬥毆之禍。

亦有大龍氣盛,結穴星辰有石磷磷,卻穴間不見其巉巖可畏之形,而為石山土穴者,又是好地,不以此拘。如茅狀元地在杭州西湖者,進賢樊氏、莆田蕭氏諸地,是其格也。圖具下。

也有大龍氣勢旺盛、結穴的星辰上石頭嶙峋、可是穴場當中偏偏看不到那副可怕的巉巖之形、成了「石山土穴」的、那又是好地、不受這一條拘束。像杭州西湖那處茅狀元的地、以及進賢樊氏・莆田蕭氏幾處地、都屬於這個格式。圖附在下面。

右地在進賢,地名漸嶺。其龍自前嶺作祖,辭樓下殿,踴躍奔騰十餘里,頓起漸嶺,成御屏聳立。抽出結有數穴,皆共一局,俱逆水面河而用順纏闗遶。其盡結者為樊氏祖地,俗呼獅形鈴下穴,太陽金星開口。穴星巨石巉巖,可警可畏,正當穴上,不入俗眼。此乃幹龍大盡,傍在大河,正要石曜發露,方為眞結。故樊氏塟後,連發六科,富貴旺盛。

上面這塊地在進賢、地名漸嶺。它的龍以前嶺為祖山、辭別樓殿而下、踊躍奔騰十幾里、猛地聳起漸嶺、成一座「御屏」直立。從中抽出脈來、結了好幾個穴、都同處一局、一律逆着水勢面向河流、而用順纏的砂來關鎖環繞。其中在龍脈盡頭所結的是樊氏祖墳、俗稱「獅形鈴下穴」、屬太陽金星開口。穴星上巨石嶙峋、觸目驚心、又正壓在穴的上方、入不了尋常人的眼。可這裏是幹龍走到大盡頭、緊靠大河、正需要「石曜」顯露出來、纔算真結。所以樊氏葬後、接連六科登第、富貴旺盛。

其首結者,為齊氏祖地,托長老下,俗稱百子千孫地,自御屏中落,垂乳結穴,龍虎彎抱有情,穴前餘氣長,故人丁旺。出一大參,富貴雙全。其徐氏、王氏、李氏,皆為吉地,悉發科第。蓋由幹龍力大,而依傍大河,龍盡氣鍾故爾。

排在最前面所結的那一處、是齊氏的祖墳、由託長老所點、俗稱「百子千孫地」。脈從御屏正中落下、垂出乳突結穴、青龍白虎彎抱有情、穴前餘氣很長、所以人丁興旺、出了一位參政、富貴雙全。此外徐氏・王氏・李氏幾家的墳也都是吉地、全都科舉得中。這都因為幹龍力量大、又緊靠着大河、龍走到盡頭而氣聚在此的緣故。

左地在莆山縣東南八十里。其龍來歷甚遠。至於海濱,盤旋踴躍,千形萬態,活變叵測。巨石巖巖,可警可諤。將入首,遶折側落,偷閃結穴。穴下開鉗明白,左右掬抱有情。近面石峰卓立為朝,挺然端拱。四勢周密,藏聚可愛。海濱之地,易於受風,最忌空曠。此穴如坐室中,斯所以為美也。

左邊這塊地在莆山縣東南八十里。它的龍來歷很遠、走到海邊、盤旋踊躍、千形萬態、靈動多變・難以預測。巨石嶙峋、令人驚愕。將要入首時、繞折側落、偷偷閃出一步結穴。穴下開出的鉗口分明、左右兩臂像雙手捧物一樣抱得有情。近處有石峰卓然挺立充當朝山、端端正正地拱向穴場。四面形勢周密、藏得住・聚得攏、很是可愛。海邊的地容易受風、最忌空曠。這個穴卻像坐在屋子裏一樣、這正是它的好處。

蕭氏塟後,出燕山公奇勳,登嘉靖癸丑進士,官南京戶部員外,所至有聲。其弟曰奇熊,見任州守。曰奇烋,理學雋才。人文濟濟,富貴隆盛。一門百口,和義藹然,六世同居,今上旌表之。

蕭氏葬後、出了燕山公蕭奇勳、考中嘉靖癸丑科進士、官任南京戶部員外郎、所到之處都有聲譽。他弟弟蕭奇熊、現任知州。蕭奇烋、是理學中的俊才。一門人才濟濟、富貴隆盛。全家上百口人、和睦講義、一團和氣、六代同堂、當今皇上還下詔旌表了他家。

右地在莆田城西三里。其龍分府幹旺氣,來歷甚遠。自三紫磅礴綿亙數百里,盤旋融會,氣勢雄偉,千形萬狀,不可殫述。將入局,開帳巍峨,嵡嵸層疊。正脈自帳中棲閃逶迤,莫可捉摸。入首結垂頭紫氣穴。穴前平坦,左右擁從。而府龍逆抱,以作下關,收盡諸山諸水,十分有力。前朝雙峰秀入雲霄,眞美地也。

上面這塊地在莆田城西三里。它的龍分自府城幹龍的旺氣、來歷很遠。從三紫山起、磅礴綿亙幾百里、盤旋融會、氣勢雄偉、千形萬狀、說也說不盡。將要入局時、開出巍峨的帳幕、山勢高聳層疊。正脈從帳中棲閃逶迤而來、叫人捉摸不定。入首處結成垂頭的「紫氣穴」。穴前平坦、左右有隨從簇擁。而府城的龍脈逆勢回抱、充當下手關攔、把衆山衆水統統收住、十分有力。前面來朝的雙峰秀麗得直插雲霄、真是塊美地。

但滿山巨石林立,不入俗眼。卻登穴不見,所以為美。繫辛龍入首,扦酉山卯向。以丁酉、丁卯分金。塟後出石溪公言,丁卯生,登鄉會二魁,官郎中。子粛庵公經邦,丁酉生,登鄉會二魁,入翰林,見任太子賓客、禮部侍郎,福祉未艾。

只是滿山巨石林立、入不了尋常人的眼。然而一登上穴場就看不見那些石頭、這纔顯出它的美處。此地屬辛方來龍入首、立酉山卯向、用丁酉・丁卯分金。葬後出了石溪公、名言、丁卯年生、鄉試・會試都名列榜首、官任郎中。他兒子肅庵公、名經邦、丁酉年生、同樣鄉試・會試兩榜奪魁、入了翰林、現任太子賓客・禮部侍郎、福澤方興未艾。

右地在杭州月波門外,西湖裡面。(將軍大座形)其龍即三天竺發出,頓起大帳,重重開肩展翅。中出骨脈清奇,星辰秀異,有剝有換。至入首作穴,成帶福金星。前對南高峰,到此又是五鳳樓臺作正案。但就身右沙攛入明堂,而左沙繫下手反輕,故其穴下數墓皆不吉,惟張氏祖穴揭土作天穴,即四獸和平。

上面這塊地在杭州月波門外・西湖裏邊、形象叫「將軍大座形」。它的龍就是從三天竺發出來的、猛地聳起大帳、一重重地張肩展翅。從帳中出來的骨脈清奇、星辰秀異、一路有剝有換。到入首作穴處、成一座「帶福金星」。前面正對南高峰、到這裏又有五鳳樓臺形的山充作正案。只是貼身右邊的砂竄進明堂、而左邊的砂本該是下手卻反而輕弱、所以這個穴下方的幾座墳都不吉、唯獨張氏的祖穴把土揭高・點成「天穴」、四獸纔歸於和平。

石巧穴乃自飛來峰出脈,落平地一線,復起高墩做穴,頂龍順局。二水交於穴前,九曲出口,注於西湖。穴中不見湖水,但見南北二高峰列於左右。其後龍石骨巉巖數里,頓起一山,內皆空洞如石屋,四門明朗,入內可容百十人設坐。四邊垂四柱,石紋與地不相聯屬,故號飛來峰。舊有鉗云:“天上飛來人不識,良珠萬斛藏頑石。有人下得肉中穴,生者封侯死廟食。”

這個石巧穴是從飛來峰出脈、落到平地上只剩一線、又起一座高土墩來做穴、頂着龍脈・順着局勢。兩條水在穴前交會、曲曲折折九道彎流出水口、注入西湖。在穴上看不見湖水、只見南・北兩座高峰分列左右。它背後的來龍有幾里長的石骨嶙峋、忽然聳起一座山、山裏都是空洞、像一間石屋、四面門戶明朗、進去可容一百來人坐下。四邊垂着四根石柱、石頭的紋理與地面並不相連、所以叫「飛來峰」。舊時有一則鉗記說、從天上飛來、人們認不得。萬斛良珠藏在頑石裏。有人若能葬着那個「肉中穴」、活着封侯、死後受廟食。

張氏遇明師點土墩穴,取螺螄吐肉形,以石洞山為螺殼,而土墩為螺肉,吐於外,故云“肉中穴”。塟後出元洲公澣,登進士,官至吏部尙書。濂,解元、進士,官至左僉都御史。曰應祺,進士。曰應佑,鄉魁,封兵部主政。曰洽、曰洵、曰溥、曰洲、曰江、曰洙諸公,皆連登科第,人文濟濟,福祉方隆。

張家遇到明師、點中了那座土墩上的穴、取象為「螺螄吐肉形」。把石洞山當作螺殼、土墩當作螺肉、吐露在殼外、所以叫「肉中穴」。葬後出了元洲公張澣、考中進士、官至吏部尚書。張濂、先中解元後成進士、官至左僉都御史。張應祺、進士。張應佑、鄉試第一、封兵部主事。此外張洽・張洵・張溥・張洲・張江・張洙幾位、也都接連科舉登第、人才濟濟、福澤正隆。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷四上之二

江右山人徐善繼述 同著。太極靜而生陰,故圓暈瘦陷者為陰,謂有窟之形狀,故為靜中之動,即泡中有窩、突中有窟之謂也。開塋宜深,不宜淺。太極動而生陽,故圓暈肥起者為陽,謂有突之形狀,故為動中之靜,即窩中有泡、窟中有突之穴也。開塋宜淺,不宜深。

江右山人徐善繼撰述、與其弟徐善述共同編著。卷首先列兩幅圖、其說如下。太極靜而生陰、所以圓暈中瘦而凹陷的屬陰、指的是帶窟的形狀、屬於靜中之動、也就是泡裏有窩・突裏有窟。這一類開挖墓穴宜深不宜淺。太極動而生陽、所以圓暈中肥而隆起的屬陽、指的是帶突的形狀、屬於動中之靜、也就是窩裏有泡・窟裏有突。這一類開挖墓穴宜淺不宜深。

此冊專論定穴之要。夫定穴固在於主山:陽來陰受,陰來陽受;斜來正下,正來斜下;直者穴曲,曲者穴直;急穴其緩,緩穴其急;硬來軟下,軟來硬下;山高昂則扦低平,山低平則扦高昂。此一定不易之法。而太極、兩儀、三勢、四煞與夫饒減、向背、近取諸身、遠取諸物等訣,亦皆定穴之要,輯之以見其槩雲。

這一冊專講定穴的要領。定穴本來取決於主山。陽脈來就用陰穴承接、陰脈來就用陽穴承接。斜着來的正下、正着來的斜下。脈直的把穴取曲、脈曲的把穴取直。脈急的要在緩處下穴、脈緩的要在急處下穴。來勢硬的要軟下、來勢軟的要硬下。山高昂就點在低平處、山低平就點在高昂處。這是一定不移的法則。此外太極・兩儀・三勢・四煞、以及饒減・向背・近取諸身・遠取諸物這些口訣、也都是定穴的要領、一併匯集起來、好讓人看到個大概。

太極を以て穴を定む

先儒曰:“太極者,陰陽之本體。”又曰“物物有一太極”。蓋理氣之原也。以太極定穴者,籍其隱微彷彿之狀,以觀穴之的焉耳。《萬萬山穴法口訣》云:“隱隱微微,仿彷彿佛,粗看有形,細看無物。”趙緣督《穴訣》曰:“遠看似有,近看則無,側看則露,正看模糊。”皆善狀太極之微也。

前代儒者說、太極是陰陽的本體。又說、每一件事物各有一個太極。它是理與氣的本原。所謂用太極定穴、就是借那隱微恍惚的形狀、來驗看穴位究竟準在哪裏。『萬萬山穴法口訣』說、隱隱約約、恍恍惚惚、粗看好像有形、細看又空無一物。趙緣督『穴訣』說、遠看似乎有、近看卻沒有。側着看就顯露、正面看反而模糊。這些都很能形容太極圓暈的微妙。

故以太極定穴法,於穴場中回顧,見有圓暈在微茫隱顯之間,是謂太極暈。上要水分,暈下要水合。水是稍低處,高一寸即為山,低一寸即為水也。水之合處曰小明堂,不必拘其寬闊,但能容人側臥便可。有圓暈則生氣內聚,故為眞穴。無此則非矣。

所以用太極定穴的做法是、站在穴場上四下回望、看見有一圈圓暈在若隱若現之間、這就叫「太極暈」。圓暈上方要有水分開、圓暈下方要有水交合。這裏所說的水、其實只是略低的地方――高出一寸就算山、低下一寸就算水。水交合的地方叫「小明堂」、不必講究它多寬闊、只要能容一個人側身躺下就行。有這圈圓暈、生氣就聚在裏面、所以是真穴。沒有它、就不是真穴。

見暈分明,便於暈心倒杖。要坐正,或串來脈,或枕樂山,內乘生氣,外接堂氣。前要對案山,下要就明堂,左右要分龍虎,十道無偏方可。卻於暈心立一標準,上下弦各立一標準。凡饒減進退,皆以此定分數。若於暈頂再見一二半暈,如蛾眉月樣,名曰天輪。有三輪,乃大貴之地也。

圓暈看得分明了、就在暈心處「倒杖」定穴。要坐得端正、或者貫串來脈、或者枕住樂山、對內乘住生氣、對外承接明堂之氣。前面要正對案山、下面要遷就明堂、左右要分清青龍白虎、天心十道不偏不斜纔行。然後在暈心立一根標杆、圓暈的上弦・下弦再各立一根標杆。凡是饒減進退的分寸、都拿這幾根標杆來量定。若在圓暈頂上又見到一兩道半圓的弧暈、像蛾眉月的形狀、就叫「天輪」。能見到三重天輪的、便是大貴之地。

上太極定穴,最為親切,尤宜細認,不可潦草。廖公云:“若遠鋤破太極圈,水蟻便侵棺。”又云:“蘭臺只在圓暈中,鋤出便傷龍。”《經》曰:“外氣橫形,內氣止生。”外氣者,拶道也;內氣者,圓暈也。

以上講的太極定穴、最為貼切親近、尤其應當仔細辨認、不可草率。廖金精說、要是把太極圈鋤破了、水和螞蟻馬上就侵進棺裏。又說、蘭臺就在圓暈之中、一鋤出來便傷了龍。『葬經』說、外氣橫着成形、內氣便止住而生。這裏的外氣、指的是圓暈兩旁的「拶道」。內氣、指的就是圓暈本身。

楊公以圓暈為金,圓金分轉,左者為陽,右者為陰,故曰龍分而片為“陰陽取”。拶道為血脈,從左右分為小明堂,故曰“水合三叉細認蹤”。所謂雌雄交度者也,或謂之球簷、合襟、羅紋、土宿、一點靈光、仰覆梅花等,皆異名耳。

楊筠松把圓暈看作「金」、圓金分開旋轉、左邊一片為陽、右邊一片為陰、所以說龍分兩片、要按「陰陽」去取。拶道就是血脈、從左右分下來匯成小明堂、所以說「水合三叉細認蹤」。這就是所謂的雌雄交度。它又有球簷・合襟・羅紋・土宿・一點靈光・仰梅花覆梅花等稱呼、不過是同一樣東西的不同名目罷了。

《葬書》云“乘金相水,穴土印木”,亦不過一太極之暈而已。乘金者,乘太極之圓暈突起處也;相水者,要兩邊夾輔圓暈之水分八字,來小明堂處合也;穴土者,居中不偏而淺深適宜也;印木者,要穴前有氈有唇,吐出尖圓之證也。不言火者,火則尖利帶殺,且火無穴耳。

『葬書』說「乘金・相水・穴土・印木」、講的也不過是這一圈太極暈。所謂乘金、是乘着太極圓暈隆起的那一處。所謂相水、是要兩旁夾輔圓暈的水分成八字形、流到小明堂處交合。所謂穴土、是穴居正中不偏、深淺又恰到好處。所謂印木、是要穴前有氈有脣、吐出尖圓的形狀作憑證。四者之中獨不提火、是因為火形尖利帶煞、而且火星本來就不結穴。

大凡點穴,務須伐木斬草淨盡,上下左右立標,諦觀詳審,察此太極圓暈。取穴不可過高過低,偏左偏右,則得穴法玄妙。切忌鋤破圓暈,傷壞口鼻。吾鄉唐宋名墓,原形具在,窩、鉗、乳、突分明,界水伶俐無損者,固賴哲師吳、廖諸公口授,不許妄有培闢,亦以風俗嚴於侵葬之禁,是以經久猶有本來面目之妙。他鄉罕及之。

大凡點穴、務必先把手目野草砍除乾淨、在上下左右立好標杆、仔細端詳審視、把這圈太極圓暈察看清楚。取穴不可過高過低・偏左偏右、這樣纔能得着穴法的玄妙。切忌把圓暈鋤破、傷壞了穴的口鼻。我們鄉里唐宋以來的名墓、原形都還在、窩・鉗・乳・突分得清清楚楚、界水利落無損。這固然靠吳景鸞・廖金精幾位明師當年口口相傳、不許隨意培土開挖。也因為當地風俗對侵葬的禁令很嚴、所以歷時久遠仍保有本來面目的妙處、別的地方很少趕得上。

每見務為觀美者,輙加興作。而不知美也,切忌妄有培闢以壞眞形,或傷破星辰頭面,或剪去餘氣唇氈,或壅塞界脈之水,或戕傷太極之圈。此為毀瓦畵墁,變吉為凶。

常見有人一味追求墳塋好看、動不動就大興土木、其實並不懂什麼纔叫美。千萬忌諱隨意培土開挖去破壞真形。有的傷破了星辰的頭面、有的剪掉了餘氣的脣氈、有的壅塞了界脈的水、有的戕害了太極的圓圈。這就叫「毀瓦畫墁」、好端端的東西反被弄壞、吉地也就變成凶地。

況又有廣築垣牆,深開月池,多起堂宇,高豎牌坊,及為崇臺望石,俾吉方之沙水障礙不見,吉位之贅疣堆累近身,幾何而不自取敗禍哉!《葬書》謂“工力之具”,卜氏謂:“山有餘,當闢則闢;土不足,當培則培。”蓋指沙水而言,非謂龍穴可以作為也。智者審之。

何況還有人大築圍牆、深挖月池、多蓋廳堂屋宇、高立牌坊、又築起高臺・豎上望柱石、把吉方的砂水擋得看不見、卻在吉位上堆起一堆多餘的累贅緊挨着墳身、這樣怎麼可能不自招敗禍呢。『葬書』所說的「工力之具」、卜應天所說的「山有多餘、該剷就剷。土有不足、該培就培」、指的都是砂與水、並不是說龍脈與穴場可以任人改造。明智的人應當細加分別。

兩儀を以て穴を定む

兩儀者,陰陽也。萬物莫不有陰陽。天以日月為陰陽,人以男女為陰陽,物以牝牡為陰陽,地以山水為陰陽。而陰陽之中又各有陰陽。故地理家龍有龍之陰陽,穴有穴之陰陽。所謂穴之陰陽者,其暈間肥起者為陽,瘦陷者為陰,是為兩儀。

所謂「兩儀」、就是陰陽。萬物沒有不分陰陽的。在天以日月為陰陽、在人以男女為陰陽、在物以雌雄為陰陽、在地以山水為陰陽。而陰陽之中又各自再分陰陽。所以地理家講龍有龍的陰陽、穴有穴的陰陽。所謂穴的陰陽、是指圓暈當中肥厚隆起的屬陽、瘦薄凹陷的屬陰、這就是兩儀。

凡就龍身作穴者,乃為陰龍宜陽穴。若再起星者,為陽龍,宜陰穴。反此,縱龍穴眞,初扦亦必有咎。《龍穴歌》云:“陽龍切莫下陽穴,路死生離別。若扦陰穴正相宜,子息居官位。陰龍若是下陰穴,女人公事發。若扦陽穴定為官,富貴足田莊。”

凡是就着龍身直接作穴的、算「陰龍」、宜配陽穴。若龍脈又重新起了一座星峰的、算「陽龍」、宜配陰穴。反過來配、縱然龍真穴真、剛葬下去也必定出岔子。『龍穴歌』說、陽龍切莫點陽穴、會應死於道路・骨肉生離。若點陰穴纔正相宜、子孫能居官位。陰龍若是點了陰穴、婦女要惹上官司。若點陽穴、一定出官員、富貴而田莊豐足。

或上截肥起,下截瘦陷;或下截肥起,上截瘦陷;或左邊肥起,右邊瘦陷;或右邊肥起,左邊瘦陷。皆為二氣交感,不問陰陽龍皆可用。凡陰陽穴,皆當饒減。若不饒減,則氣直來,正穴必偏枯。饒減法見後。

也有上半截肥厚隆起・下半截瘦薄凹陷的。或者下半截肥起・上半截瘦陷。或者左邊肥起・右邊瘦陷。或者右邊肥起・左邊瘦陷。這些都屬於陰陽二氣交感、不管來的是陰龍還是陽龍、都可以用。凡是陰穴陽穴、都應當作「饒減」。若不饒減、氣就直衝下來、正穴必定偏枯。饒減的做法見後文。

惟此交感之穴,則取陰陽之中,不用饒減,最為貴格。但微茫高下,彷彿瘦肥,亦未易體認。必須芟除草木,使穴場光淨,然後可辨,庶不致悞。切勿草率茍且。

唯獨這種二氣交感的穴、要取陰陽之間的正中下葬、不用饒減、是最貴重的格局。只是那一點高低差別極其細微、肥瘦之別也只在恍惚之間、本來就不容易體認。必須把草木芟除乾淨、讓穴場清爽明淨、然後纔辨得出來、纔不至於弄錯。切不可草率苟且。

陰陽交感圖。此圖以黑白分陰陽,以喻穴之肥起瘦陷者也。不論直脈、橫脈,穴星、後龍,只看立穴之處,或上截肥起,或下截肥起,或左肥,或右肥,以肥者為陽,其瘦者即陰。放棺當於半肥半瘦處,為二氣交感也。

這是「陰陽交感圖」、底本只存圖題與文字說明、圖形已佚、今照錄圖題並解說其意。此圖用黑白兩色分陰陽、用來比喻穴場肥厚隆起與瘦薄凹陷的分別。不論來脈是直是橫、也不論看的是穴星還是後龍、只看立穴的那一處。或上半截肥起、或下半截肥起、或左邊肥、或右邊肥。肥的一邊為陽、瘦的一邊就是陰。放棺應當放在半肥半瘦的交界處、那裏正是二氣交感之所。

補義《易》曰:“天地氤氳,萬物化醇;男女媾精,萬物化生。”男女即陰陽也。《太極圖說》曰:“二氣化生萬物。”故圓暈中以肥起者為陽,瘦陷者為陰。或上截肥起,下截瘦陷;或下截肥起,上截瘦陷;或左邊肥起,右邊瘦陷;或右邊肥起,左邊瘦陷。皆為二氣交感,陰陽配合,不拘陰來陽來之龍,皆吉。

補充申說。『周易・繫辭』說、天地二氣交融絪縕、萬物因而化育醇厚。男女交合精氣、萬物因而化生。這裏的男女就是陰陽。周敦頤『太極圖說』說、陰陽二氣化生萬物。所以圓暈之中、肥厚隆起的算陽、瘦薄凹陷的算陰。或上半截肥起而下半截瘦陷、或下半截肥起而上半截瘦陷、或左邊肥起而右邊瘦陷、或右邊肥起而左邊瘦陷、這些都是二氣交感・陰陽配合、不管來的是陰龍還是陽龍、都吉。

而立穴居於半陰半陽、半肥半瘦之間,乃陽氣下降,陰氣上升,地天交泰、水火既濟、陰陽聚會之所,不須饒減。不論平地高山,要立穴處有形影口角、窩突弦稜、化生腦、球簷、蝦鬚蟹眼、仰梅花、覆梅花,金魚界合,上陰下陽、上陽下陰、左陰右陽、右陽左陰、邊明邊暗、邊死邊生、邊硬邊軟、邊肥邊瘦,皆謂陰陽交媾之處,穴之吉也。

而把穴立在半陰半陽・半肥半瘦的中間、那裏正是陽氣下降・陰氣上升、如同『泰』卦地天交通・『既濟』卦水火相成、是陰陽聚會之所、不必再作饒減。不論平地還是高山、只要立穴的地方有隱約的輪廓口角・有窩有突・有弦有棱、有「化生腦」「球簷」「蝦鬚蟹眼」「仰梅花」「覆梅花」、有金魚水的分界與交合、上陰下陽・上陽下陰・左陰右陽・右陽左陰、一邊明一邊暗・一邊死一邊生・一邊硬一邊軟・一邊肥一邊瘦――這些都叫作陰陽交媾之處、是穴中的吉處。

三勢を以て穴を定む

三勢者,乃立勢、坐勢、眠勢也。即天、地、人三等穴法。廖公云:“一個星辰有三勢,坐眠立各異。立是身聳氣上浮,天穴此中求。坐是身屈氣中藏,人穴最相當。眠是身仰氣下墜,地穴斯為是。”此三勢之定格也。天穴:仰高穴、騎刑穴、憑高穴。地穴:乳頭穴、脫殺穴、藏龜穴。人穴只有一等,名藏殺穴。

所謂「三勢」、就是立勢・坐勢・眠勢、也就是天・地・人三等穴法。廖金精說、一座星辰有三種姿勢、坐・眠・立各不相同。立、是山身聳起・氣往上浮、天穴就在這裏求。坐、是山身屈折・氣藏在中間、人穴最為相當。眠、是山身仰臥・氣往下墜、地穴便是這一類。這就是三勢的定格。天穴一類包括仰高穴・騎刑穴・憑高穴。地穴一類包括乳頭穴・脫殺穴・藏龜穴。人穴只有一等、名叫藏殺穴。

天穴者,山勢如立,星頭如俯,出脈、結穴、生暈皆高,朝對、龍虎、四勢相等,明堂、水城件件應副,穴前又有平地,此皆山水結聚於上,移下則散。其體有三:在山頂上者,名仰高穴,在星頭下者,名憑高穴,皆用蓋法;在山脊間者,名騎刑穴,天財搭脊者皆是也,用撞法。

所謂「天穴」、是山勢像人站立、星峰的頂頭像在俯視。出脈・結穴・生暈的位置都高、朝山案山・龍虎與四面形勢都與這個高度相稱、明堂・水城樣樣配合得上、穴前又有一片平地。這都是山水結聚在上部、把穴移到下面氣就散了。它的體式有三種。點在山頂上的叫「仰高穴」、點在星峰頂頭之下的叫「憑高穴」、都用「蓋法」下葬。點在山脊之間的叫「騎刑穴」、凡是天財星搭在山脊上的都屬這一類、用「撞法」下葬。

他如巔穴、雄穴、坐殺穴,凡上聚之穴皆是也。穴雖高,而登穴臨局,如在平地,不覺其高方可。況天穴如乘風而下,脈來宜緩,若脈急則非也。

其他像巔穴・雄穴・坐殺穴、凡屬氣聚在上部的穴、都歸這一類。穴位雖然高、但登上穴場俯臨全局時、要感覺像站在平地上一樣、並不覺得高、這纔算合格。何況天穴等於是乘着風落下來的、來脈宜緩。若來脈急促、就不是天穴了。

穴在巔嶺仰面,故曰仰高。要立穴處有平坦為眞。穴在龍脊上,故曰騎刑,要立穴處平坦為眞。亦曰玄武吐舌。《吳公穴法》云:“玄武嘴長高處點,高處尋平坦。”楊公謂之地刦。《經》云:“地刦穴下原有嘴,玄武扛尸正謂此。退田筆動土牛走,其寔玄武長而已。雖長山水若橫闌,地刦翻然增福祉。”與壓殺穴同。穴在星頭之下,故曰憑高。要立穴處有平坦為眞。

以下三幅天穴圖的圖說、底本只存文字、圖形已佚、今照錄並加解說。穴點在山巔仰面之處、所以叫「仰高」、要立穴的地方有一片平坦纔是真的。穴點在龍脊上、所以叫「騎刑」、同樣要立穴處平坦纔真、這一式又叫「玄武吐舌」。『吳公穴法』說、玄武的嘴長、就往高處點、在高處尋一塊平坦地。楊筠松把它叫作「地刦」。『經』說、地刦是穴下原本伸出一條嘴、所謂「玄武扛屍」正指此而言。一見它就說要退田・要動土牛、其實不過是玄武伸得長罷了。它雖長、只要山水橫向攔阻、地刦反倒能增添福祉。這一式與「壓殺穴」相同。穴點在星峰頂頭之下、所以叫「憑高」、也要立穴處有平坦纔真。

地穴者,山勢如臥,星頭如仰,出脈、結穴、生暈皆低,朝應、龍虎四勢相等,明堂、水城件件應副。此是山水結聚於下,移上則散。

所謂「地穴」、是山勢像人躺臥、星峰的頂頭像在仰面。出脈・結穴・生暈的位置都低、朝山應山・龍虎與四面形勢都與這個低度相稱、明堂・水城樣樣配合得上。這是山水結聚在下部、把穴移到上面氣就散了。

其體有三:在山麓者即懸乳穴,在星體之下者即脫殺穴。其在正體之下,忌交劍水,如月形藏龜,所謂“水邊花發水中紅”者也,宜用粘法。在平地之上,田之中者,即藏龜穴,宜用撞法。地穴就水而下,脈來宜急也。此穴得水近堂,若明堂端正,水合法度,求富甚快。

它的體式有三種。點在山脚下的就是「懸乳穴」。點在星體之下的就是「脫殺穴」。至於點在正體之下的、要忌「交劍水」、像月形山下的藏龜穴、就是所謂「水邊花開映得水中通紅」那一類、宜用「粘法」下葬。點在平地之上・田地當中的、就是「藏龜穴」、宜用「撞法」下葬。地穴是就着水而下的、來脈宜急。這類穴離水近・貼着明堂、若明堂端正・水法合度、求富來得很快。

懸乳穴在垂乳頭,粘山麓處結穴,宜用粘法,以綴杖下之。脫殺穴在星體之下,離山脈處結穴。宜用粘法,以離杖下之。藏龜穴在平地,有微鉗微突處結穴,宜用撞法下之。

以下三幅地穴圖的圖說、底本只存文字、圖形已佚。懸乳穴在垂下來的乳頭上、緊貼山脚處結穴、宜用粘法、以「綴杖」下葬。脫殺穴在星體之下・脫離山脈的地方結穴、宜用粘法、以「離杖」下葬。藏龜穴在平地上、於略有鉗形・略有突起處結穴、宜用撞法下葬。

人穴者,山勢如坐,星頭不俯不仰,出脈、結穴、生暈皆不高不低,朝應、龍虎、四勢相等,明堂、水城件件應副。此是山水結聚於中,移上移下皆散,唯一體,在山之腰,名藏殺穴,用撞法。若脈來急,用倚法。人穴避風而下,來脈宜不緩不急。人穴唯此一格,在山之腰。脈來緩者,穴居其中,即撞法。脈來急者,穴居一邊,即倚法。穴不可太高,太高則為天罡穴,傷龍;不可太低,太低則為泥水穴,傷穴。

所謂「人穴」、是山勢像人端坐、星峰的頂頭既不俯也不仰。出脈・結穴・生暈的位置都不高不低、朝山應山・龍虎與四面形勢都相稱、明堂・水城樣樣配合得上。這是山水結聚在中間、往上移・往下移氣都會散。它只有一種體式、點在山腰上、名叫「藏殺穴」、用撞法。若來脈急促、就用「倚法」。人穴是避着風落下來的、來脈宜不緩不急。圖說亦云、人穴只此一格、位置在山腰。來脈緩的、穴居正中、就是撞法。來脈急的、穴挨向一邊、就是倚法。穴不可太高、太高就成「天罡穴」、會傷龍。也不可太低、太低就成「泥水穴」、會傷穴。

天穴主貴,地穴主富,人穴有富有貴,此大概之言,不可信也。但貴地多高明,富地多沈暗。高明多是天穴,沈暗多是地穴。蓋貴地其龍穴沙水自然清秀,天穴山水擴,富穴多臨田醮水,山不明,水不秀,而近於濁,亦自然之應也。

說天穴主貴・地穴主富・人穴既富且貴、這只是籠統的說法、不可盡信。不過貴地大多高爽明朗、富地大多低沉幽暗。高爽明朗的多是天穴、低沉幽暗的多是地穴。因為貴地的龍・穴・砂・水自然清秀、天穴所在山水開闊。富穴則多半臨着田・挨着水、山不明朗・水不秀麗、偏于渾濁――這也是自然而然的對應。

凡高穴不可拘明堂,但要沙關攔,穴上不見水出,或全不見水亦不妨。楊公云“高山不論水”。張紫瓊眞人《穴法詩》云:“上停之穴家豪強,賓主達特龍虎昂。高山不必問流水,時師休要泥明堂。”廖氏云“若是穴高明堂遠,只要有城轉。莫因此様便疑心,龍住乃為眞”是也。

凡是高處的穴、不必拘泥明堂、只要有砂關攔、站在穴上看不見水流出去就行、甚至完全看不到水也不妨。楊筠松說、高山上不論水。張紫瓊真人『穴法詩』說、上停的穴主人家豪強、賓主通達・龍虎昂揚。高山上不必問流水、當時的地師不要死摳明堂。廖金精說、如果穴點得高・明堂離得遠、只要有水城回轉就行。別因為這個樣子便起疑心、龍脈在此停住、纔是真的。說的都是這個意思。

三停を以て穴を定む

按《地理集解》云:“凡三停點穴之法,即天、地、人三才穴法也。當點穴之際,須仔細取諸山相稱,避凶殺,合法度,點裁不可潦草。若左右山低,應案又低,須就財祿而點地穴,不可貪遠山而點天穴與人穴,悞也。如點天穴、人穴,則左右山皆踏倒在腳下。既踏落左右山、應案山在腳下,便是財山不上手,定主資財耗散。況四山既低而穴獨高,必然孤露,便受風,主子息伶仃孤寡。

按。『地理集解』說、三停點穴的方法、就是天・地・人三才穴法。點穴的時候、必須仔細取各山彼此相稱、避開凶煞、合乎法度、裁定不可草率。假如左右的山低、應山案山也低、就該遷就財祿點「地穴」、不可貪圖遠山而點天穴或人穴、那是錯的。若點了天穴或人穴、左右的山就全被踩在脚下。左右山與應山案山既然都落在脚下、那就是「財山不上手」、一定主錢財耗散。何況四面的山既低而穴獨高、必然孤零零暴露在外、立刻受風、主子孫伶仃孤寡。

若左右山高大,應、案山亦高大,遮蔽前山,雖尋高處,見前山分明,合點天穴,不可怕穴高水跌。又玄武觜長,反點人穴、地穴,俱為悞也。如點人穴,則左右山,應、案山欺壓過眼,主子孫頑鈍,福祿不旺。若點地穴,則左右山,應、案山壓倒穴場,主子孫衰絕,禍患頻並,久則人丁絕,財產敗盡。

假如左右的山高大、應山案山也高大、把前面的山都遮住了、那就該往高處找、找到能把前山看分明的位置、正合點天穴、不要怕穴點得高・水往下跌。也不要因為玄武的嘴伸得長、反倒去點人穴・地穴、那都是錯的。若點了人穴、左右的山和應山案山就欺壓得越過眼界、主子孫頑劣遲鈍、福祿不旺。若點了地穴、左右的山和應山案山就把穴場整個壓倒、主子孫衰敗斷絕、禍患接連不斷、時間一久人丁絕滅、財產也敗光。

若左右山,應、案山不高不低,則當就財祿而點人穴為當,不可怕玄武長水跌而點地穴。其地穴雖是財祿不退,亦不能大興發,又且不耐久。況四山高壓,必不旺人。亦不可貪遠秀而悞點天穴。蓋天穴高而財祿低,主冷退財產,及離鄉敗絕。”

假如左右的山與應山案山不高不低、就該遷就財祿點人穴纔恰當、不要因為怕玄武長・水往下跌就去點地穴。地穴雖然財祿不至於退敗、卻也不能大發、而且不能持久。何況四面山高壓頂、人丁必定不旺。同樣也不可貪圖遠處秀峰而誤點天穴、因為天穴位置高而財祿低、主家道冷落・財產退敗、甚至離鄉背井・敗落絕嗣。

補義右三停點穴之法,乃《地理集解》所著如此。愚按:穴法如銅人針灸,按穴而治,毫髮不差。有生成之龍,必有生成之穴,不可高一尺,不可低一尺,不可過於左,不可過於右。才有過失,便乘氣不著,水蟻侵棺,傷龍傷穴,禍不可言。《集解》之說,似是而非。若無口訣,必致有誤。

補充申說。上面這套三停點穴的方法、是『地理集解』所主張的。我以為、穴法就像鍼灸用的銅人、按準穴位下針、毫髮不能差。有天生成的龍、就必定有天生成的穴。高不得一尺、低不得一尺、偏左不行、偏右也不行。只要稍有閃失、便乘不着氣、水和螞蟻侵進棺內、傷了龍也傷了穴、禍患說不盡。『集解』這套說法似是而非、若沒有口訣在手、一定要出錯。

三停取穴之法,專以左右山,朝、應山之高下而定之,不容不辨。《經》曰:“太高則露,太低則沈。”又曰:“高用藏風,低莫失脈。”又曰:“高則傷龍,低則傷穴。”又曰:“高則犯罡,低則犯蕩。犯罡則殺,犯蕩則絕。”

三停取穴的方法、專拿左右兩邊的山以及朝山・應山的高低來定穴、這一點不能不辨。『經』說、太高就暴露、太低就沉埋。又說、高處要能藏風、低處不要失脈。又說、太高就傷龍、太低就傷穴。又說、太高就犯「罡」、太低就犯「蕩」。犯罡主殺傷、犯蕩主絕嗣。

是皆以本山之有自然的定之所,穴當高則高,穴當低則低,穴當中則中,不可移易。而左右之山與應案之山,自然相符,為盡善也。故曰“高低不用度前峰。”然亦不可拘泥天星,故又曰“莫把羅經移上下,箇中原自有高低。”豈可專泥左右與應對之山之高低定穴?

這些話都是說、本山自有它天然確定的受穴之處――穴該高就高、該低就低、該居中就居中、不可挪移改易。而左右的山與應山案山、自然會與它相符、這纔算盡善。所以說「高低不必去量前面的山峰」。可是也不能死摳天星方位、所以又說「不要拿着羅盤把穴挪上挪下、那當中本來自有高低」。哪裏可以專門死守左右與朝應之山的高低來定穴呢。

故三停取穴,雖古人立法之精微,然尤不可按圖索驥,但見一山垂乳而下,更不論其急峻頑硬,惟左右朝應之山高,則於高處扦穴,謬謂天穴;而左右朝應之山中平,便於山腰鑿穴,謬謂人穴;而四山低微,便於山腳鑿穴,而謬謂地穴以悞人也。

所以三停取穴雖是古人立法的精微處、卻尤其不可按圖索驥。只見一座山垂下乳突、也不管它是不是又急又陡・頑硬無情、單憑左右朝應之山高、就在高處點穴、硬說這是天穴。左右朝應之山高低適中、就在山腰鑿穴、硬說這是人穴。四面的山低矮、就在山脚鑿穴、硬說這是地穴――這樣就把人給誤了。

不知古人所謂三停者,其受穴處自然寬平容納,宛然窩、鉗、乳、突,無峻急危險之勢,特以四山而酌量其高下之凖的爾,豈可於頑硬峻急之山以鑿壁立之穴哉!

他們不懂得、古人所說的三停、是指那受穴之處本身自然寬平・能夠容納、分明有窩・有鉗・有乳・有突、沒有陡峻危險的形勢。只不過再拿四面的山來斟酌它高低的準頭罷了。哪裏可以在頑硬陡峻的山上鑿一個壁立的穴呢。

《地理集解》乃吳國師之裔吳晳所著,名曰《往目》,後人往往更改書名,一曰《直解》,一曰《指南》,一曰《快捷方式》,一曰《啟蒙掌心訣》,一曰《家傳口訣》。或作蘇氏著,或作張落魄著,或作鄧氏著,或作徐氏著,或作餘氏著,或作游氏著,皆非也。是皆愛之而攘為已有者也。

『地理集解』是吳國師後裔吳晳所著、原名『往目』、後人常常給它改書名。有叫『直解』的、有叫『指南』的、有叫『快捷方式』的(底本如此、當是『捷徑』一類書名的訛字)、有叫『啟蒙掌心訣』的、有叫『家傳口訣』的。署名也亂。有說是蘇氏作的、有說是張落魄作的、有說是鄧氏・徐氏・余氏・游氏作的、都不對。這些都是喜歡這部書而把它據為己有的人幹出來的。

吾邑方伯舒直庵公清嘗刻傳之。近鉛山餘員外公鋐又刻於蜀之長壽,傳於四遠。其書醇醨相半,便於初學。今採其精者,收入諸論篇中。惟三停點穴之說甚悞,茲特辨正雲。

本縣方伯舒直庵公、名清、曾經刻印流傳過這部書。近來鉛山余員外公鋐又在四川長壽刻了一版、傳到四方。這書精醇與浮薄各佔一半、便於初學者入門。如今我把其中精當的採錄出來、收進各篇議論之中。唯獨三停點穴那一說錯得厲害、所以特地在這裏辨正。

前篇三勢定穴之法,乃以穴星為主,因穴星有坐、眠、立三勢,則其氣之所聚亦因其勢而分天、地、人三等,此自然一定不易之理也。此篇三停取穴,乃以一山分三停,因四應之山高低,而隨其應之高低,以定穴之上下,必有自然窩坦,在心目之巧而審的之矣。

前一篇「三勢定穴」的方法、是以穴星本身為主。因為穴星有坐・眠・立三種姿勢、氣所聚的位置也隨着姿勢分成天・地・人三等、這是自然一定不移的道理。這一篇「三停取穴」、則是把一座山分成上中下三停、依據四面照應之山的高低、隨着它們的高低來定穴位的上下。但受穴處仍必須有天然的窩坦、全靠眼力與心思的靈巧去審定準確。

三停圖。側面三才。三停穴,要宛然窩坦,可藏車隱馬,乃是眞穴。若平坦在上,是上停穴;在山腰,是中停穴;在低處,是下停穴。正面天人地三穴:天穴登風而下,要有窩藏聚;人穴避風而下,要上不急,下不陡;地穴就水而下,要四山低,來勢猛。

以下是「三停圖」與「側面三才」兩組圖的圖題及圖說、底本只存文字、圖形已佚、今照錄並解說。三停穴要有分明的窩坦、大到能藏下車馬、纔算真穴。平坦處若在上部、就是上停穴。在山腰、就是中停穴。在低處、就是下停穴。正面的天・人・地三穴。天穴是乘風而下的、要有窩能藏氣聚氣。人穴是避風而下的、要上面不急・下面不陡。地穴是就水而下的、要四面山低・來勢迅猛。

側面三才,乃穴星側面處有窩坦。在高曰天穴,在中曰人穴,在低曰地穴。俱要立穴處不峻,有窩坦為眞。側坡天人地三穴:側坡亦有三格,與正面穴法相同,皆要生成窩泡方是,若免強鑿穴則非也。

所謂「側面三才」、是指穴星側面有窩坦可點。在高處的叫天穴、在中間的叫人穴、在低處的叫地穴、都要求立穴處不陡峻・有窩坦纔算真。側坡上的天・人・地三穴。側坡也分這三格、與正面的穴法相同、都要有天生的窩形泡形纔行。如果勉強鑿出一個穴來、就不是了。

張子微《玉髓經》云:“勸君不必論三才,但要天然穴自在。”蔡西山《發揮》云:“三才論穴,此乃術人遷就以玩俗人,要求財物。其說以為得若干則與扦天穴,若干則與扦人穴,倘賞不到,則與扦地穴。

張子微『玉髓經』說、勸你不必去論什麼三才、只要穴是天然生成・自在無礙就好。蔡西山『發揮』說、拿三才來論穴、這是術士遷就世俗・哄弄外行以索取財物的手段。他們的說法是、給多少錢就替你點天穴、給多少錢就替你點人穴。要是賞錢沒到位、就只給你點地穴。

世俗不惟昏愚者以為然,高明者亦或然之。不知穴法乃天造地設,不可遷易。雖或有迴避惡殺,或有貪見前面山水為之高下者,亦是天然宜高宜下,非人力所能遷就也。

世俗之人不只糊塗愚昧的信這一套、連高明之士有時也跟着信。他們不知道穴法是天造地設、不能隨人挪移。雖然有時為了回避惡煞・或者為了貪看前面的山水而把穴略作高低調整、那也是天然該高就高・該低就低、並不是人力所能遷就的。

但有一星而止結一穴者,有結二穴三穴俱可下者,如婺源王知縣祖地、麻城黃副憲祖地,可下三穴,然終歸重於一穴為正耳。二圖俱下。此地在新安,土名赤山,繫蛇形。初葬下穴,出莆田主簿,敗。又一家葬中穴,出莆田縣丞,敗。王氏得之,葬上穴,出貴亦莆田知縣。天地人三穴皆官莆田,是分野之應也。三穴以王氏為正穴。

不過也有一座星峰只結一個穴的、也有結成兩穴三穴都可以下葬的。像婺源王知縣的祖墳・麻城黃副憲的祖墳、都可以下三個穴、但終究要以其中一個為正穴纔是根本。兩幅圖都附在下面。這塊地在新安、土名赤山、屬蛇形。最先有人葬了下穴、出了個莆田主簿、後來敗落。又一家葬了中穴、出了個莆田縣丞、也敗落。王氏得了這塊地、葬在上穴、出的貴人同樣是莆田知縣。天・地・人三穴出的官都在莆田、這是星野分度的對應。三穴之中以王氏那一個為正穴。

左地在縣西四十里萬人厓。入首木星,結天地人三穴,以中穴為正。九曲水朝,秀峰特立。出副憲公卷及□公,官州守;解元公海宇。福祉方隆。以龍勢、水法、朝對論之,眞臺座氣象也。

左邊這塊地在縣城西面四十里的萬人崖。入首處是木星、結成天・地・人三個穴、以中穴為正。有九曲之水來朝、秀峰卓然獨立。這裏出了副憲公名卷、以及□公、官任知州。還出了解元公海宇。福澤正隆。就龍勢・水法與朝案的對應來看、真有臺閣重臣的氣象(其中一人之名底本缺字)。

四殺を以て穴を定む

四殺者,藏殺、壓殺、閃殺、脫殺也。廖公云:“點穴必先分四殺,留心莫亂穵。”所謂殺者,即尖利與直硬之總名。故云“惡殺無過直與尖,眞個得人嫌。”然亦有二說:一是來脈入首結穴處帶殺,一是穴星及左右龍虎山帶殺,皆當以此四殺法定穴。

所謂「四殺」、是藏殺・壓殺・閃殺・脫殺。廖金精說、點穴必先分清四殺、留心別亂挖。這裏的「殺」、是尖利與直硬的總名、所以說「最惡的煞莫過於直和尖、實在叫人厭惡」。不過它又分兩種情形。一種是來脈入首結穴處帶殺、一種是穴星以及左右龍虎山帶殺。兩種都應當用這四殺之法來定穴。

凡來脈悠揚和緩,不直不急,不硬不峻,則下藏殺穴即撞法也;來脈直下吐出尖利急硬之形,不可迴避,又難剪除,則下壓殺穴即蓋法也;來脈直出頭尖,不可粘脫,四勢中聚,則下閃殺穴即倚法也;來脈急,山勢峻,四應下聚,則下脫殺穴即粘法也。此以來脈之四殺定穴也。

凡來脈悠揚和緩、不直不急・不硬不陡的、就下「藏殺穴」、也就是撞法。來脈直衝下來、吐出尖利急硬的形狀、既躲不開又難以剷除的、就下「壓殺穴」、也就是蓋法。來脈直出而頭部尖銳、無法粘脫、四面形勢又聚在中間的、就下「閃殺穴」、也就是倚法。來脈急・山勢陡、四面照應之山聚在下方的、就下「脫殺穴」、也就是粘法。這是按來脈的四殺來定穴。

其穴星左右兩腳下,及近穴兩邊龍虎山皆圓淨,並無尖直,謂之神殺藏伏,穴宜居中,則下藏殺穴與撞法相似,但此以形言,彼以脈言也。穴星左右或腳下尖直,及兩邊龍虎之山有尖直,謂之神殺出現,穴宜高處。董氏云:“高則群凶降伏,宜下壓殺穴,謂之騎刑破殺”,與蓋法相似,但此以形言,彼以脈言也。

若穴星左右兩脚之下、以及靠近穴場兩邊的龍虎山都圓淨、沒有尖直之形、這叫「神殺藏伏」、穴宜居中、就下藏殺穴――與撞法相似、只是這裏是從形狀上說、那裏是從脈上說。若穴星左右或脚下有尖直、兩邊的龍虎山也有尖直、這叫「神殺出現」、穴宜點在高處。董德彰說、點得高、衆凶就都降伏了、宜下壓殺穴、這叫「騎刑破殺」――與蓋法相似、只是這裏從形狀上說、那裏從脈上說。

穴星及龍虎山,或左或右有尖直,謂之神殺偏露,穴直挨圓淨一邊,謂之趨吉避凶,當下閃殺穴,閃惡脈以就吉氣,脫凶而葬與倚法相似,但此以形言,彼以脈言也。穴星形勢峻急,左右低下,謂之神殺奔竄,穴穴居低,當下脫殺穴。有四體,皆以應樂為證佐也。

若穴星與龍虎山或左或右有尖直、這叫「神殺偏露」、穴就該挨向圓淨的那一邊、叫作趨吉避凶、應當下「閃殺穴」、閃開惡脈去就吉氣、脫開凶處而葬――與倚法相似、只是這裏從形狀上說、那裏從脈上說。若穴星形勢陡急・左右低下、這叫「神殺奔竄」、穴就該點在低處、應當下「脫殺穴」。脫殺穴共有四種體式、都拿背後的樂山作憑證。

輳星腳為綴穴,下一位為粘穴,並以後山為穴星。粘穴下一位為接穴,又下一位為拋穴,並以後山為龍格,平坡為穴星。而接拋二體,須是有酥在盞之象者方可。不然,則易致脫脈,或泥水穴,及鱉裙絕等穴也。

緊湊着星峰脚下點的是「綴穴」、再往下一位是「粘穴」、這兩種都以後面的山作穴星。粘穴再往下一位是「接穴」、又往下一位是「拋穴」、這兩種以後山為龍格・以平坡為穴星。而接・拋這兩種體式、必須有「酥油盛在盞中」那樣的意象纔可以用。否則就容易脫離脈氣、或者落成泥水穴、以及「鱉裙絕」一類的凶穴。

又皆忌交劍水,用土培接,使流兩邊方可略與粘法相似,但此以形言,彼以脈與星言也。此穴星與龍虎帶殺,而以四殺法定穴也。圖具下。

這幾種又都忌諱「交劍水」、要用土培接起來、讓水從兩邊分流纔行――大致與粘法相似、只是這裏是從形狀上說、那裏是從脈與星上說。以上講的是穴星與龍虎帶殺時、如何用四殺之法定穴。圖附在下面。

廖公云:“兩邊圓淨名全吉,藏殺穴第一。無饒無減穴居中,妙用奪神功。”穴星左右兩腳下皆圓淨,並無尖直,來脈和緩,結穴自然,故曰藏殺。廖公云:“穴下如生直尖腳,壓殺穴宜作。騎刑高下自無凶,挨金法一同。”穴星左右或腳下尖直,來脈結聚於上,以其穴在高處,故曰壓殺穴。

以下兩幅圖的圖說、底本只存文字、圖形已佚、今照錄並加解說。廖金精說、兩邊都圓淨、名叫全吉、藏殺穴排在第一。不用饒也不用減、穴就點在正中、妙用可奪造化之功。這是說穴星左右兩脚之下都圓淨、沒有尖直之形、來脈和緩、結穴自然、所以叫「藏殺」。廖金精又說、穴下若長出筆直尖銳的脚、就該作壓殺穴。用「騎刑」之法把穴點高、自然無凶、與「挨金」之法是一個道理。這是說穴星左右或脚下有尖直、來脈的氣結聚在上部、因為穴點在高處、所以叫「壓殺穴」。

脫殺穴有四格。廖公云:“氣脈直來形勢急,脫殺穴宜立。須知粘穴落平夷,休嫌穴水泥。”穴星形勢峻急,左右低下,穴居低處,故曰脫殺穴。

脫殺穴共有四格、圖說如下、底本只存文字、圖形已佚。廖金精說、氣脈直衝下來・形勢急促、就該立脫殺穴。要知道粘穴是落在平坦之地的、不要嫌穴場近水帶泥。這是說穴星形勢陡急、左右兩邊低下、穴便點在低處、所以叫「脫殺穴」。

閃殺穴圖。廖公云:“一邊尖直來相從,閃殺穴宜用。從來倚脈亦如然,莫道穴居偏。”穴星或左或右有尖直,穴挨圓淨,躲在一邊,故曰閃殺。

這是「閃殺穴圖」、底本只存圖題與文字說明、圖形已佚。廖金精說、一邊有尖直之形跟隨而來、就該用閃殺穴。歷來倚脈之法也是這樣、別說穴點偏了就不對。這是說穴星或左或右有尖直、穴便挨向圓淨的一邊、躲在旁側、所以叫「閃殺」。

雌雄を以て穴を定む

楊公云“雌雄十道與東西,料想時師總不知。下穴只圖盤局好,不知座下有□□。高低不必度前峰,一氣沖和聚散中。識得毫釐無差謬,須知坐下有雌雄。”皆明雌雄穴法,只在聚散中定耳,上氣散則正氣必下聚結雌穴,下氣散則正氣必上聚結雄穴。所謂雌雄猶高低也。

楊筠松說、雌雄・天心十道與東西兩卦、料想當時的地師全都不懂。下穴只圖盤面格局好看、不知道坐山之下另有講究(底本此處缺兩字)。高低不必去量前面的山峰、一團沖和之氣就在聚散之間。能辨得毫釐不差、就該知道坐下自有雌雄。這些話都在闡明雌雄穴法、其實只在「聚散」二字上定奪。上面的氣散了、正氣必定聚到下面、結成雌穴。下面的氣散了、正氣必定聚到上面、結成雄穴。所謂雌雄、也就等於高低。

凡雄穴上聚者,多結穴高憑。繞穴四山俱高,穴坦,星勢立,上聚下散,即天穴也。凡雌穴下聚者,多結粘穴、綴穴、脫殺穴。四山俱低,而穴多氈褥,上散下聚,穴星急,勢臥,即地穴也。

以下兩幅圖的圖說、底本只存文字、圖形已佚。凡是氣聚在上的雄穴、多半結在高處可憑之地――環繞穴場的四面山都高、穴場平坦、星辰的姿勢是站立的、上聚而下散、這就是天穴。凡是氣聚在下的雌穴、多半結成粘穴・綴穴・脫殺穴――四面的山都低、而穴下多有氈褥鋪展、上散而下聚、穴星急促、姿勢是臥倒的、這就是地穴。

饒減を以て穴を定む

鐃減者,消長陰陽之義,收左右沙水顧穴也。大抵以先到者為主,而以逆水下關為是,多在龍虎二山消息之。故龍山先到則減龍而饒虎,其穴必居左;虎山先到則減虎而饒龍,其穴必居右。

所謂「饒減」、取的是陰陽消長的意思、目的是把左右的砂與水收攏過來照顧穴場。大體上以先到的一邊為主、而以逆水的下手關攔為正、多半要在青龍・白虎兩山上斟酌進退。所以青龍一邊先到、就減青龍而饒白虎、穴必定偏在左邊。白虎一邊先到、就減白虎而饒青龍、穴必定偏在右邊。

穴左則取左山為關,須右邊水過宮鎖斷;穴右則取右山為關,須左邊水過宮鎖斷。自上而下謂之饒,自下而上謂之減。又云多者為減,少者為饒。而饒減亦謂之順逆。

穴偏左、就取左邊的山作關攔、必須讓右邊的水流過本宮時被鎖斷。穴偏右、就取右邊的山作關攔、必須讓左邊的水流過本宮時被鎖斷。從上往下讓出一段叫「饒」、從下往上收進一段叫「減」。又有一說、多的一邊該減、少的一邊該饒。饒減也叫作「順逆」。

古云“正受曰順,斜下曰逆。”在急緩脈上分別。當逆而順則生蟻,當順而逆則溼壞。脫氣則木根生入,傷龍則骨幹壞而微赤。若直下不折,則骨幹淨而生白鮮。當上而下則上水淋頭,下水刦穴。不知避者,則生黑泥水之患。”

古人說、正面承受來脈叫「順」、斜着下葬叫「逆」、要在脈的急緩上分別。該逆的卻順了、棺中會生螞蟻。該順的卻逆了、棺中會潮濕朽壞。脫了脈氣、樹根就長進棺裏。傷了龍、骨殖就朽壞而泛出微紅。若正對來脈直下而不折轉、骨殖倒能乾淨、只是生出白色霉斑。該往上點卻點到下面、就上有水淋頭・下有水刦穴。不懂得回避的、便招來黑泥水浸棺的禍患。

又云:“饒減之法,逆受來脈。若龍脈順,不曾饒減,謂之傷龍,主枉死、少丁、公事;若穴無脈,坐虛立向,而饒減太過,接脈不著,謂之傷穴,主退敗絕人。

又有一說、饒減的做法、是要斜逆着承接來脈。假如龍脈順勢而來、卻不曾作饒減、這叫「傷龍」、主橫死・人丁稀少・官司纏身。假如穴上本無脈氣、坐在虛處立向、而饒減又過了頭、接不着脈、這叫「傷穴」、主家道退敗・人丁斷絕。

一謂氣來而止,一謂脈直而急,故左山逆水轉則減龍,右山逆水轉則減虎,皆在本身脈上論順逆。此本諸《龍經》之說。然凡挨入,自二分至三分止。如過分數,則又非也。大抵倒仗既明,饒減在其中矣。饒減之法,諸書多誤。如《地理摘奇》、《地理會元》皆不曾認得明白。

前一種毛病在於氣來了卻被截住、後一種毛病在於脈直而急。所以左邊的山逆着水轉過來、就減青龍。右邊的山逆着水轉過來、就減白虎――都是在本身脈氣上論順逆。這本是『龍經』的講法。不過凡是挨移、只能挨進二分到三分為止、超出這個分數就又不對了。總的說來、倒杖之法一旦明白、饒減自然就在其中。饒減這套方法、各家書裏多有錯講、像『地理摘奇』『地理會元』都不曾認得明白。

右山先到虎抱龍,穴向右枕左,為饒龍減虎。要水自左來,從右去,右山逆水。左山先到龍抱虎,穴向左枕右,為饒虎減龍。要水自右來,從左去,左山逆水。

這兩幅圖的圖說如下、底本只存文字、圖形已佚。右邊的山先到、白虎回抱青龍、穴就朝右而枕左、這叫「饒龍減虎」。要求水從左邊來・往右邊去、右邊的山逆着水。左邊的山先到、青龍回抱白虎、穴就朝左而枕右、這叫「饒虎減龍」。要求水從右邊來・往左邊去、左邊的山逆着水。

聚散を以て穴を定む

氣聚者吉,氣散者凶。故立穴之法,當察其氣之聚處扦之。然聚散有二:有大勢之聚散,有穴場之聚散。必先審其大勢之聚散,然後審穴場之聚散。所謂大勢之聚散者,眾山團聚,眾水相匯,羅城周密,風氣融結,補缺障空,不陷不跌。

氣聚就吉、氣散就凶。所以立穴的方法、應當察明氣聚的地方再下葬。不過聚散分兩層。有大勢的聚散、有穴場的聚散。必須先審大勢的聚散、然後再審穴場的聚散。所謂大勢的聚散、是衆山團團圍聚、衆水一齊匯合、羅城周密、風與氣在此融結、有缺口的地方有山來補、有空處的地方有山來擋、既不塌陷也不跌落。

有此大聚之勢,則當於此審受穴之山,觀其來脈止於何所。脈止之所,有宛然窩窟,或垂乳,或開口,或吐唇,或為鉗,或為泡,四山擁從,下手有力,此氣之聚處也。必有界水分明,上有分,下有合,前有應,後有樂,是為眞氣融結。其明堂之水,自然來會,或湖潭,或池沼,或溪澗,或田源。若非溶注,定得特朝,是水亦從而聚矣。

有了這樣大聚的形勢、就該在這裏審察受穴的那座山、看它的來脈止在什麼地方。脈止之處、會有分明的窩窟、或者垂下乳突、或者開口、或者吐脣、或者成鉗、或者成泡。四面的山簇擁隨從、下手一邊有力――這就是氣聚的地方。那裏必定界水分明。上有分水、下有合水、前有朝應、後有樂山、這纔叫真氣融結。明堂裏的水自然會流來會合。或是湖潭、或是池沼、或是溪澗、或是田間之源。即使不是汪汪匯注在那裏、也一定有水特地朝來――這就是水也跟着聚了。

但眞氣聚處,明堂決不寬曠。明堂曠,局勢大,又須穴前有內堂,或低田,或小水,或靈泉,或池湖注聚,方是眞融聚。故曰:“明堂容萬馬,亦忌曠而野。”必須有陰洲橫關住內氣,而元辰之水聚於明堂,外水或遠潮,或橫帶,如此則明堂雖曠無妨也。

但真氣聚結的地方、明堂決不會空曠。若明堂空曠・局勢又大、就還須穴前另有一重內明堂。或是一片低田、或是一道小水、或是一泓靈泉、或是池湖匯注、這纔算真融聚。所以說、明堂大得能容一萬匹馬、也仍舊忌諱它曠遠荒野。必須有一道橫起的沙洲把內氣攔住、讓穴前的「元辰水」聚在明堂裏、外面的水或遠遠朝來・或橫向環帶。這樣一來、明堂即使寬曠也不妨事。

又有穴星之散聚,尤宜細審。氣脈聚於上,則穴宜高;氣脈聚於下,則穴宜低;氣脈聚於中,則穴宜居中;氣脈聚於左,則穴宜歸左;氣脈聚於右,則穴亦挨右。此皆聚散定穴之妙也。

此外還有穴星本身的聚散、尤其應當細細審察。氣脈聚在上部、穴就該點高。氣脈聚在下部、穴就該點低。氣脈聚在中間、穴就該居中。氣脈聚在左邊、穴就該歸到左邊。氣脈聚在右邊、穴也就挨到右邊。這些都是用聚散來定穴的妙處。

向背を以て穴を定む

蔡牧堂云:“向背者,山川之情性也。”夫地理之與人事不遠。人之情性不一,而向背之道可見。其向我者,必有周旋相與之意;其背我者,必有棄厭不顧之狀。故審穴之法,凡賓主相對有情,龍虎抱衛,無他顧外往之態,水城抱身無斜走,堂氣歸聚無傾瀉,氈褥鋪展無陡峻,此皆氣之融結,而山水之情相向也。

蔡牧堂說、所謂向背、是山川的性情。地理與人事其實相去不遠。人的性情各不相同、從他向着你還是背着你就看得出來。向着我的、必定有周旋親近的意思。背着我的、必定有厭棄不顧的樣子。所以審穴的方法是、賓山主山相對有情、青龍白虎回抱護衛、沒有別向他處・往外奔逃的姿態、水城抱住穴身而不斜走、明堂之氣歸聚而不傾瀉、氈褥鋪展而不陡峻――這些都是氣已融結・山水之情朝向穴場的表現。

吳公《口訣》云:“但登正穴試一觀,呼吸四維無不至。”其不曾下得眞穴者,必細審無情。雖共山共水共明堂,共龍虎案對,只咫尺間,或高或下,或偏左,或偏右,便非正穴,自然山水不相照應。大勢似有情,而細審是乖戾。

吳景鸞『口訣』說、只要登上正穴試着一看、四面八方的氣息呼吸相通、無不到齊。凡是沒能點着真穴的、仔細審視必定無情。雖然與真穴共一座山・共一道水・共一個明堂、共着同樣的龍虎與案山、可是只差咫尺――或高一點・或低一點・或偏左・或偏右――就不是正穴了、山水自然與它不相照應。粗看大勢像是有情、細審起來卻處處乖違。

故云“共山共水共來岡,磊磊排來似種姜。只有一墳能發福,來山去水盡合情”。又云:“若遠差一指,如隔萬重山。”董公德彰云:“一個山頭下十墳,一墳富貴九墳貧,共山共向共流水,只看穴情眞不眞。”

所以說、同一座山・同一道水・同一條來岡、墳頭一個個排下去像種薑一般、可是只有一座墳能發福、因為唯獨它來山去水樣樣合情。又說、只要差開一指之遠、就像隔着萬重山。董德彰說、一個山頭上葬了十座墳、一座富貴九座貧。同一座山・同一個向・同一道流水、只看穴情真不真罷了。

蓋正穴當高而扦低,則四山高壓,安得有情?正穴當低而扦高,則擁護夾照不過,安得有情?正穴當居中而扦於左右,則案山堂氣皆偏,而白虎青龍失位,或攛或急,或下明堂,或壓塜,安得有情?故不可有咫尺之悞,務使中正無偏,自然山水四向有情,而得其穴之的也。

正穴本該點高卻點低了、四面的山就高高壓頂、哪裏還有情。正穴本該點低卻點高了、護衛夾照的山就夠不上來、哪裏還有情。正穴本該居中卻點到左右去了、案山與明堂之氣就都偏了、白虎青龍也失了本位、有的竄出・有的急促、有的插進明堂・有的壓住墳塋、哪裏還有情。所以連咫尺的差錯都不能有、務必使穴中正不偏、自然四面山水都朝向有情、也就點準了那個穴。

張山食水を以て穴を定む

《指南》云:“凡立穴,若見前面山水從左畔來,即於左畔立穴場;若山水從右畔來,即於右畔立穴場;山水若從當面正中來,即就中心立穴場。此為張山食水尋穴。反此,則容納山水不著,主凶。”

『指南』說、凡是立穴、若見前面的山與水從左畔而來、就在左畔立穴場。若山水從右畔而來、就在右畔立穴場。若山水從正當面的中間來、就在正中立穴場。這就叫「張山食水」的尋穴法。反着來做、便承接不住這些山水、主凶。

《琢玉集》云:“立穴要迎財接祿。”又云:“有財有祿須迎接,迎接來歸穴。迎接不得不相干,空有萬重山。或灣或曲窈蕩過,迎取歸向坐。”又云:“千山萬水明堂秀,穴裡教消受。”丘公《指迷詩》云:“莫令收拾不來時,萬水千山皆不顧。”鄒國師仲容口訣曰:“就水就山取自扦,安得百餘年。”

『琢玉集』說、立穴要迎財接祿。又說、有財有祿的山水、必須迎接過來、迎接進來纔歸屬於穴。迎接不到、它就與你不相干、空有萬重山也沒用。水或彎或曲・悠悠蕩蕩地流過、就要把它迎取過來、歸到穴的坐向裏。又說、千山萬水在明堂裏顯出秀氣、都要讓穴中受用得着。丘公『指迷詩』說、別弄到收拾不進來的地步、那時萬水千山都不肯照顧你。鄒國師仲容的口訣說、只知就着水・就着山胡亂自行點穴、哪能安穩上百年。

皆謂穴場要收拾得好山好水也。故點穴之法,但看眼前有好山好水,須用意消詳,立穴去收拾消受之,使好山好水迎接得入穴場,不可錯過,使有消受不得。若雖有奇山秀水,而穴場受用不著,便非眞穴,必不發福。其能張山食水,迎接得山水者,必易發福。此為迎清挹秀之法,即迎官就祿之意以定穴也。

這些話都是說穴場要把好山好水收拾進來。所以點穴的辦法是、只要看到眼前有好山好水、就得用心細細斟酌、把穴立在能收納受用牠們的位置上、讓好山好水都迎接進穴場、不可錯過、弄到有些山水受用不着。假如雖有奇山秀水、穴場卻受用不着、那便不是真穴、一定不發福。能夠張山食水・把山水迎接進來的、必定容易發福。這叫「迎清挹秀」之法、也就是用迎官就祿的意思來定穴。

然此特一說耳。正穴眞龍,自然默合,不待勉強。若本無穴,勉強貪著奇山秀水,以立空虛無氣之穴,則雖有好山好水,亦不應福。所謂“坐下無龍,朝對成空”。又謂“貪朝失穴,逐使文筆變為畫筆,牙刀化作殺刀”,亦何益哉!訣云:“坐下若無眞氣脈,面前空有萬重山。”其審之哉!謝雙湖氏論得水之說最善,蓋食水者,亦得水之義也。

不過這也只是一種講法。真龍正穴、本來自然而然就與山水暗合、用不着勉強。若本來沒有穴、硬去貪圖奇山秀水、在空虛無氣的地方立穴、那麼縱有好山好水、也不會應出福來。就是所謂「坐下沒有龍、朝對全落空」。又叫「貪朝失穴」、結果文筆峰變成了畫筆、牙刀砂化作了殺刀、又有什麼好處呢。口訣說、坐下若沒有真氣脈、面前空有萬重山。務必細察這一點。謝雙湖論「得水」的說法最好――所謂「食水」、其實也就是得水的意思。

枕龍耳角を以て穴を定む

枕龍耳角定穴之法,即坐後穿樂夾耳之意也。蓋角在耳後,為應樂,不相登對,是穴無樂而有風搖,不吉。取穴量度,與耳平稱,相登而已,不可妄移上下。耳與穴相停,角與穴相脫,故曰:“安龍頭,枕龍耳,不三年,生貴子;安龍頭,枕龍角,不三年,家消爍。”所謂牝牡相應,以蔽地中之風者也。

「枕龍耳角」的定穴之法、就是坐山背後貫串樂山・兩旁夾耳的意思。角在耳的後面、屬於應樂之山、與穴不能正相登對。穴若枕到角上、等於沒有樂山、還要受風搖動、不吉。取穴時量度高低、只求與「耳」齊平相稱・彼此登對、不可隨意上下挪動。耳與穴的位置恰好相當、角與穴則彼此脫開、所以說、安下龍頭、枕在龍耳上、不到三年就生貴子。安下龍頭、枕在龍角上、不到三年就家道消亡。這就是所謂雌雄相應、用來遮蔽地中之風。

按:《地理大全》謂此是淺深之法,切不可妄移上下,要以聚散定穴,然後就酌穴之淺深。詩云:“龍脈多從耳角逃,淺深穴裡定分毫。四平妙應藏珍處,不怕四風生怒號。”又云:“深淺時師那得知,龍頭安枕貴精推。本根獨怕風搖動,一插芙蓉莫亂為。”

按。『地理大全』說這屬於淺深之法、切不可隨意上下挪動、應當先用聚散來定穴、然後再斟酌下葬的深淺。詩說、龍脈多半從耳・角處溜走、淺深就在穴裏分毫定奪。四面平和・妙合感應而藏得住珍寶的地方、不怕四面的風怒號。又說、深淺二字、當時的地師哪裏懂得。龍頭安枕、貴在精細推求。穴的根本最怕受風搖動、插下這一枝芙蓉般的穴位、切莫胡來。

又“安龍頭兮枕龍耳,隱而不露眞可取。兩邊樂山在耳旁,下後自然多富貴。安龍頭兮枕龍角,露而不隱穴應錯。左右樂山不照穴,扦之定主家消索。”又皆以耳、角、枕、樂定穴之高下。要之,深淺高下,皆當以此枕、樂不脫為貴也。附圖

又說、安下龍頭啊枕在龍耳上、藏而不露纔真可取。兩邊的樂山就在耳旁、葬後自然多出富貴。安下龍頭啊枕在龍角上、露而不藏、這穴一定點錯了。左右的樂山照不到穴、葬下去必定主家道蕭索。這些也都是用耳・角・枕・樂來定穴的高低。總而言之、無論深淺高低、都以枕得住・樂山不脫開為貴。以下附圖。

安龍頭,枕龍耳,隱而不露。兩畔取耳樂照穴,或兩臂上下不拘,山峰肩翼厚處亦是。安龍頭,枕龍角,露而不隱。兩畔脫角,樂不照穴,非的穴也。蓋角耳之下,百尺之山,十尺相稱,隨山大小而分。

兩幅圖的圖說如下、底本只存文字、圖形已佚。其一、安下龍頭枕在龍耳上、藏而不露。兩畔取耳部的樂山來照應穴場、兩臂的上下位置不必拘泥、山峰肩翼厚實的地方也算是耳。其二、安下龍頭枕在龍角上、露而不藏。兩畔都脫到角外、樂山照不到穴、這就不是準確的穴。大抵角與耳的分際、是在百尺高的山上取十尺相稱、隨山的大小按比例劃分。

趨吉避凶・藏神伏煞を以て穴を定む

《玉髓經》云:“凡面前尖曜,世俗每見此,望而畏之。雖有周孔之地不用,雖有曾楊之術不信矣。殊不知五星之秀,合兩儀之精,皆有曜氣,此最為奇,全在收拾如何,尖射奚害?

『玉髓經』說、凡穴前有尖銳的「曜」石、世俗之人一見就望而生畏。哪怕是周公孔子那樣的聖賢指點的地也不肯要、哪怕是曾文辿・楊筠松那樣的高手所用的法也不肯信。他們哪裏知道、五星的秀氣配上陰陽二儀的精華、都會生出曜氣、這最為奇特、全看你怎麼收拾它、尖銳的照射又有什麼妨害呢。

所惡者直射、當面、橫射、過身,謂穴中所見者謂之刑殺,卻不可用耳。然果龍眞穴正,猶當以避就之法用之。避就不可,然後舍去。或堪施堆阜,植屏障,亦可用也。此如醫師療病,消癭去瘤。夫豈無術,第須龍穴不可合者,用此等法。若詳觀審擇,地無足取,棄之可也。

真正可厭的、是那種直衝・正對・橫射・穿身而過、站在穴上一眼就看得見的、纔叫「刑殺」、那確實不能用。不過果真龍真穴正、仍舊應當用避・就的手法去處置。避不開・就不成、然後纔捨棄它。或者可以堆起土阜・栽上屏障來遮擋、照樣能用。這好比醫生治病、消掉癭瘤――難道沒有辦法嗎。只是要在龍穴實在配不攏的時候纔用這些手段。若仔細看過・慎重挑選、這塊地本來就不值得取、那就丟開也可以。

卜氏云:“立向貴迎官就祿,作穴須趨吉避凶。”此藏神伏殺定穴訣也。《指南》云:“大凡穴前明堂內有破碎之山,凶惡之水,皆是神殺。立穴之時,或高或下,或左或右,或出或入,可避則避之,使眼界中淨潔為吉。

卜應天說、立向貴在迎官就祿、作穴必須趨吉避凶。這就是「藏神伏殺」的定穴口訣。『指南』說、大凡穴前明堂之內有破碎的山・凶惡的水、都屬於「神殺」。立穴的時候、或高或低・或左或右・或往外挪或往裏收、能避開就避開、讓視野之內乾乾淨淨纔是吉。

蓋好山好水在前,未必能為福;而凶山凶水當面,卻恐立招禍。《入式歌》云:“眾山合形一山破,直射明堂如仰臥。舊說名為吊破軍,福祿未來先受禍。”

因為好山好水擺在前面、未必就能帶來福氣。而凶山凶水正對着穴、卻怕立刻招來禍事。『入式歌』說、衆山的形勢本來相合、偏有一座山破了相、直射明堂、像仰面躺着一樣。舊說把它叫作「吊破軍」、福祿還沒來、先受了禍。

眞龍融結,或有小節之疵,當於立穴定向處以迴避之,謂之趨吉避凶。若可去者去之,可培者培之。如人有贅疣,當去則去,不害其為吉。如不能去,又不能避者,則是刦。訣云:“刦山刦水全無地,刦向穴前無躲避。時師切莫亂安墳,下後人家災禍至。”

真龍融結的地方、偶有小節上的瑕疵、就該在立穴定向的時候把它回避掉、這叫趨吉避凶。可以剷除的就剷除、可以培土的就培土。好比人身上長了贅疣、該割就割、並不妨礙它仍是塊吉地。若既除不掉・又躲不開、那就是「刦」。口訣說、刦山刦水、整塊地都不能用。刦向正在穴前、無處躲避。地師切莫亂安墳塋、葬下去人家就要遭災。

然眞龍融結,水秀沙明,諸山諸水,皆有顧主不敢他往之態。如臣面君,如奴衛主,端敬恭莊之不暇,安敢有走攛、飛動、斜傾、沖斗、尖射、醜惡之狀哉!有此則非吉地,非眞融結耳。

話說回來、真龍融結之處、水秀砂明、衆山衆水都是一副顧着主人・不敢跑到別處去的樣子。像臣子面見君王、像奴僕護衛主人、端莊恭敬還唯恐不及、哪裏敢有奔竄・飛動・斜傾・衝鬥・尖射・醜惡的形狀。有這些形狀、就不是吉地、也不是真融結。

但天地無全功,山川之所鍾,不能件件合法。純粹之氣不能無駁雜。既不能無駁雜,則妍媸丑好紛然前陳,亦其勢也。是故山川之融結在天,而山水之裁成在人。其始也,不過目力之巧,工力之具。其後也,奪神功,改天命,而人與天無間。

只是天地沒有十全的造化、山川所鍾聚的形勢不可能樣樣合法、純粹之氣不可能毫無駁雜。既然免不了駁雜、那麼美的醜的紛然陳列在眼前、也是勢所必然。所以山川的融結在於天、而山水的裁剪成就在於人。起初不過是眼力的巧・工力的具備。到後來便能奪造化之功・改先天之命、人與天之間再無隔閡。

故雖有凶山惡水,在人趨避何如。且大貴之地,本身龍氣重,未免毋殺氣。而護從、朝應之山水,如武夫悍卒,披堅執銳於側,未免無可畏之狀。然不知皆侍衛我者,為我所用,非侮我者也。故曰“沙如美女,貴賤從夫;水似精兵,退進由將。”在龍穴之貴賤,不在沙水之美惡。苟龍穴不眞,雖牙刀化作殺刀,文筆化為畫筆,況凶惡可畏者乎?

所以縱有凶山惡水、也全看人怎麼趨避。何況大貴之地本身龍氣厚重、難免帶些殺氣。護從的・朝應的山水、就像披甲執銳立在旁邊的武夫悍卒、難免有些可怕的樣子。人們卻不知道、這些都是侍衛我的、供我驅使、並不是欺侮我的。所以說、砂像美女、貴賤隨她的丈夫而定。水像精兵、進退由將領指揮。關鍵在龍穴的貴賤、不在砂水的美惡。倘若龍穴不真、連牙刀砂都會化成殺刀・文筆峰都會化成畫筆、何況本來就凶惡可怕的東西呢。

此所謂趍避者,乃龍眞穴眞,不過有凶殺照射耳。張子微云:“如龍眞穴眞,而有凶殺照射,惟在收拾。能收拾,則縱有凶殺,既為我用,不相刑指。譬如達官大宦,黥卒賤徒皆為我用。何者?權在我故也。

這裏所說的趨避、是指龍真穴真、只不過有些凶煞照射過來罷了。張子微說、如果龍真穴真而有凶煞照射、關鍵只在會不會「收拾」。會收拾、縱有凶煞、既然為我所用、就不會來刑剋指害我。好比做了達官大宦、連黥面的士卒・下賤的差役都歸我使喚。為什麼、因為權柄在我手裏。

又如嗜殺之人,竊發草莽,貪利等輩,奪壞閭里。一旦收拾,隨材任使,或可為大將,或可為謀主,小者亦可充將校頭目,但不可使之無所歸宿耳。此皆趍避裁成之意。郭景純云“趍全避缺,逐鬼迎神。”亦無非躲閃凶神惡殺而已。

又好比那些嗜殺之徒、在草莽間伺機作亂。那些貪利之輩、搶掠糟蹋鄉里。一旦被收編起來、按各人的材質派用場、大的可以做大將、或者做出謀劃策的主腦、小的也可以充當將校頭目――只是不能讓他們無處安頓罷了。這些都是趨避裁成的意思。郭璞說、趨向完全的、避開殘缺的。驅走凶鬼、迎來吉神。也無非是躲閃凶神惡煞而已。

故穴法趍避之訣,左山壓塜穴歸右,右山壓塜穴歸左。或左水沖射,或左沙凶惡,或左邊明堂傾倒,或青龍無情,或青龍帶殺,或左沙飛走,或左山醜惡,或左邊水雜陰陽,或左有空缺,或左邊朝山無情,或左山破碎之類。凡此則宜穴依於右,或向扦顧右,以避其凶而趍其有情吉美之山水。

所以穴法趨避的口訣是、左邊的山壓住墳塋、穴就歸到右邊。右邊的山壓住墳塋、穴就歸到左邊。凡是左邊有水衝射、或左邊的砂凶惡、或左邊明堂傾倒、或青龍無情、或青龍帶煞、或左邊的砂飛走、或左邊的山醜惡、或左邊的水陰陽駁雜、或左邊有空缺、或左邊的朝山無情、或左邊的山破碎、諸如此類――遇到這些、穴就該依向右邊、或者把向立得偏顧右邊、以躲開那一側的凶、而趨就有情吉美的山水。

若右宮沙水有如此者,則穴宜扦依左,或向扦顧左,以就左邊山水有情美好者。此趍避之道耳。或高扦而群雄降伏,或低下而四獸和平,或退後數尺而不見沙飛,或進前數尺而不見水走,皆趍吉避凶之法也。

如果右邊一宮的砂水有這些毛病、那穴就該依向左邊、或者把向立得偏顧左邊、去就左邊有情美好的山水。這就是趨避之道。或者把穴點高一些、衆多雄悍之山便都降伏。或者點低一些、四獸便歸於和平。或者往後退幾尺、就看不見砂的飛走。或者往前進幾尺、就看不見水的直去――這些都是趨吉避凶的辦法。

蔡牧堂云:“山川之變態不一,咫尺之移轉頓殊。或低視而丑,高視而好;或左視而妍,右視而媸;或秀氣聚下而高則否;或情意集右而左則虧;如此者不可不知所決擇。知所決擇,庶得趍避之道。”亦確論也。

蔡牧堂說、山川的形態變化不一、位置只挪動咫尺、面貌就大不相同。有的從低處看很醜、從高處看卻好。有的從左看秀美、從右看卻難看。有的秀氣聚在下方、站高了便看不到。有的情意集在右邊、偏到左邊就虧損了。碰到這類情形、不能不懂得取捨抉擇。懂得抉擇、纔算得着趨避之道。這也是切中要害的議論。

龍眞穴的,而偶有一沙之嫌,人莫敢信者,則思喝形以制之。蓋喝形亦可壓制諸沙。卜氏云“尖鎗本凶器,遇武士以為奇;浮尸固不祥,見群鴉而反吉”之類,亦有理致。故凡見砂有不淨者,則思喝形以控制之,亦一法耳。如旗山本忌當面,或作將軍大坐,或作眞武作法等形,則在所用,不為忌也。此皆存乎人之活潑,觸類而長矣。

龍真穴準、偏偏有一處砂讓人嫌忌、別人都不敢相信、這時就可以想一個「喝形」的名目來壓制它。喝形確實也能壓得住各種砂。卜應天說、尖槍本是凶器、遇上武士反成奇物。浮屍固然不祥、見到群鴉反倒是吉。這一類說法也有它的道理。所以凡見到砂有不乾淨處、就想個形象名目去控制它、也算一法。比如旗山本來忌諱正對穴前、可若把整個局喝作「將軍大坐」、或者喝作「真武作法」等形、旗山反倒正好派上用場、不再算忌諱。這全在於人的靈活變通、由此類推・舉一反三。

如廖金精下明溪許氏祖地,在樂平縣陳家源者,其穴前之沙有斷頭山、牢獄山。廖知不為害。既下,有蠻師者往觀之。蠻師曰:“斷頭山現。”金精曰:“我斬他人頭!”蠻師曰:“牢獄山現!”金精曰:“赦文水朝。”後許氏果出貴,掌藩臬,專殺伐,而有我斬他人之應。此喝形控制之善者矣。圖具上。

例えば廖金精が楽平縣陳家源で明溪許氏のために點した祖墳は、穴前の砂に「斷頭山」「牢獄山」があったが、廖金精はそれらが害を為さないことを知っていた。葬った後、南方から來た術士が見に行って言った、斷頭山が現れた。廖金精は答えた、あれは私が他人の首を斬るのだ。其の術士は又言った、牢獄山が現れた。廖金精は答えた、赦文の水が來朝している。後に許氏は果たして貴人を出し、一省の藩司・臬司を掌り、專ら刑殺を主り、正しく「我が他人の首を斬る」の句に應じた。これは喝形の制御運用がうまくいった例である。圖は上に附す。

公課云:十里迢迢遠,龍來亥上盤。秀峰辰丁立,吉水澗中盤。若問前程事,為官鎮大藩。後來無識者,休說事多端。熙寕三年八月記

廖公の斷語に曰く、十里迢迢として來る遠龍、亥方に走到して盤旋して停駐す。秀峰は辰・丁の二方位に立ち、吉水は山澗の中に回環す。若し後代の前程如何を問はば、官を為して一方の大藩を鎭守せん。後世若し貨を識らぬ人に逢はば、彼と口舌を多く費やすに及ばず。熙寧三年八月記す。

近く諸身に取るを以て穴を定む

近取諸身定穴者,即金精以人身骨節動處喻穴之法也。金精嘗著《赤人圖》,與人論穴云:“動處是穴。”論者頗悟。今以人身言之,有頂門百會穴、咽喉穴、肩井穴、心胸穴、乳穴、臍穴、丹田穴、膀胱穴、懷抱穴、曲池穴、搭膝穴、鼠肉穴、挽籃穴、掬搭穴、擺腳穴、垂頭穴、腰穴、獻花穴、腳跟穴、腳□穴、指掌穴、叉手穴、左右仙官穴,格圖如下。

所謂「近取諸身」定穴とは、廖金精が人身の骨節の活動する部位を取りて穴位に喩へる方法である。廖金精は嘗て一幅の『赤人圖』を畫き、人と穴を論じて曰く、動くところが即ち穴であると。聽く人頗る領悟した。今人の身を取りて言へば、頂門百會穴・咽喉穴・肩井穴・心胸穴・乳穴・臍穴・丹田穴・膀胱穴・懷抱穴・曲池穴・搭膝穴・鼠肉穴・挽籃穴・掬搭穴・擺脚穴・垂頭穴・腰穴・獻花穴・脚跟穴・脚□穴・指掌穴・叉手穴・左右仙官穴があり、格式の圖を下に列す(其中一穴の名は底本に一字を缺く)。

奶乳穴、臍輪穴、丹田穴、膀胱穴、懐抱穴、曲池穴。詩曰:大龍雙乳穴同垂,兩穴同扦福力齊。單下一穴難見發,教君此理有玄微。詩曰:降勢端圓氣脈雄,兩邊龍虎卻平胸。直須透取臍輪穴,高點低扦總是空。

以下六幅の圖の圖題と題詩、底本は文字のみ存し、圖形は已に佚す。奶乳穴・臍輪穴・丹田穴・膀胱穴・懷抱穴・曲池穴。奶乳穴の詩に曰く、大龍が一對の乳突を垂下し、兩つの穴を同じく點し下して、福力纔に齊等なり。一穴のみ葬れば發を見ること難し、こころに此の中の玄妙を記えよ。臍輪穴の詩に曰く、落勢端正して圓滿、氣脈雄壯、兩邊の龍虎が恰も胸口と齊平なら、即ち必ず透りて臍輪の那一穴を取るべし。點して高すぎるも低すぎるも皆落空せん。

詩曰:龍虎盤旋開股肱,丹田之穴要分明。高犯天罡低犯絶,股肱登對穴相停。詩曰:降勢雄高龍虎低,兩邊垂下又坑溪。只宜塟取膀胱穴,若高一穴便凶危。詩曰:懷抱穴居懷抱中,若扦頂上便遭凶。為緣頂穴元辰陡,懐抱之間水聚溶。詩曰:水宿多應結曲池,兩邊作穴少人知。天星突起方為的,或如草尾露珠垂。

丹田穴の詩に曰く、龍虎盤旋して張きたる兩臂の如く、丹田這の穴は認めて分明なるを要す。高く點すれば「天罡」を犯し、低く點すれば「絕」を犯す。只だ兩臂と穴とが登對して相稱なる時のみ、穴纔に停當せん。膀胱穴の詩に曰く、來勢雄高にして龍虎低伏し、兩邊に又坑溪を垂下す。此れ即ち只だ宜しく膀胱穴を葬り取るべし。若し上に高く一穴あれば便ち凶險あり。懷抱穴の詩に曰く、懷抱穴は懷抱の當中に點すべし。若し頂上に點せば便ち凶を遭はん。頂上の穴は前の元辰水が太だ陡く、懷抱の間の水は纔に汪汪として聚まるを以てなり。曲池穴の詩に曰く、水に屬する星宿は多く曲池を結び、兩邊に穴を作る道理を知る人少なし。天星突き起こるを要して纔に準なり。あるいは草の尖に一顆の露珠を垂るるが如し。

膝頭穴、鼠肉穴、節腰穴、陰囊穴、腳跟穴、腳□穴。詩曰:三星蓋穴認明堂,一山回抱一山長。大坐仙人翹足勢,膝頭安穴最為良。詩曰:鼠肉穴居手臂間,穴雖偏處勢彎環。明堂平正為眞的,切忌元辰傾瀉長。詩曰:得法安墳葬節腰,蜂腰鶴膝是龍苗。腰肢凹凸皆堪葬,須要山環及水朝。

以下又六幅の圖の圖題と題詩。膝頭穴・鼠肉穴・節腰穴・陰囊穴・脚跟穴・脚□穴(末の一穴の名は底本に一字を缺く)。膝頭穴の詩に曰く、三座の星峰が穴を蓋ひ、明堂を認め取るを要す。一邊の山は回抱し、一邊の山は伸長す。仙人大坐して一足を翹げる形勢の如く、穴を膝頭の上に安ずるを最も好しとす。鼠肉穴の詩に曰く、鼠肉穴は手臂の間に點し、穴は一側に偏すと雖も、形勢卻て彎環して情あり。明堂平正なるのみ纔に眞なり。最も忌むは元辰水の傾瀉して太だ長きこと。節腰穴の詩に曰く、法度を得れば即ち墳を節腰の上に安んじ、蜂腰・鶴膝は正に眞龍の苗脈なり。腰肢の凹凸の處は皆葬るべし。只だ山の環抱し水の來朝するを要す。

詩曰:陰囊一穴最蹊蹺,穴在低兮不用疑。最要前朝為秀麗,定生中貴侍彤墀。詩曰:來勢重重氣脈舒,中間一穴卻成虛。眞龍偏向腳跟穴,亦為明堂眾未趍。詩曰:山水堂堂列面前,□頭一穴自天然。雖然此地無龍虎,水繞山環氣脈全。

陰囊穴の詩に曰く、陰囊這の一穴は最も蹊蹺なり。穴は低處に在りて疑ふを用ゐず。最も緊要なるは前朝秀麗なり。即ち必ず中等の貴人を生じて丹墀の側に侍立させん。脚跟穴の詩に曰く、來勢重重、氣脈舒展す。中間の那一穴は卻て虛なり。眞龍偏に脚跟の這一穴に落ち、亦明堂の衆砂未だ趨附し攢まらざるを以てなり。末の一穴の詩に曰く、山水堂堂として正々面前に排列す。□頭の這一穴は天然に出づ。此地雖龍虎砂無きも、卻て水繞り山環り、氣脈完全なり。

挽籃穴、掬搭穴、擺腳穴、垂頭穴、頂門百會穴、咽喉穴。詩曰:來龍起伏結扳鞍,此穴憑君正處安。有應挽籃為正穴,若無應樂墜□扦。詩曰:掬搭之穴枕樂安,氣須斜插要前寬。本身一臂如牛角,下後兒孫代有官。詩曰:擺腳之穴動處扦,要尋宛宛有天然。兩旁有護龍身貴,為官必定到簾前。

以下又六幅の圖の圖題と題詩。挽籃穴・掬搭穴・擺脚穴・垂頭穴・頂門百會穴・咽喉穴。挽籃穴の詩に曰く、來龍起伏し、扳鞍の形を結ぶ。この穴は端正の處に安ずるを請ふ。照應ある「挽籃」なるのみ纔に正穴なり。若し應樂無ければ、即ち下に墜ちて一段して點ぜよ。掬搭穴の詩に曰く、掬搭の穴は樂山を枕として安放するを要し、氣は斜めに插して入り、前面は寬敞なるを須とす。本身に一臂彎出して牛角の如くあれば、葬後兒孫代代官を為る人あり。擺脚穴の詩に曰く、擺脚の穴は活動の處に點し、那の宛然として天成の地を尋ねよ。兩旁に護衛あれば、龍身即ち貴重なり。官を為れば必ず皇帝の簾幕の前に到ることを得ん。

詩曰:垂頭玄武有眞龍,此穴天然不易逢。急來緩受宜離杖,百口兒孫祿萬鍾。詩曰:支葬其巔穴頂門,平中一凸最為眞。若還開口鉗唇出,穴向鉗唇開口尋。詩曰:來勢粗雄穴必高,四邊朝應插雲霄。叅隨護送皆高仰,好向咽喉用意消。

垂頭穴の詩に曰く、玄武頭を垂るるのみ纔に眞龍あり。この穴は天然に出づるも、遇ふこと容易ならず。來勢急にして緩々として承接するを要し、宜しく離杖の法を用ゐべし。百口の兒孫萬鍾の俸祿を享くるを保せん。頂門百會穴の詩に曰く、山巔の上に「支葬」を作り、穴は頂門に點す。平坦の中に一處の凸起あるが最も眞なり。若し還た口を開きて鉗脣を吐かば、即ち鉗脣の開口の處に向かつて穴を尋ぬべし。咽喉穴の詩に曰く、來勢粗雄なれば、穴は必ず高きを要す。四邊の朝應の山高く雲霄に插し、隨從し護送する山も皆高く仰げば、即ち好好咽喉一帶に用心して消詳せよ。

當心穴。詩曰:無饒無減穴當心,四勢端然不用尋。朝案有情堂炁聚,寅時下了卯除貧。肩井穴。詩曰:山如人坐作人形,龍虎騰騰作氣迎。肩井窠中鍾正氣,高低取應要分明。

以下兩幅の圖の圖題と題詩。當心穴。詩に曰く、饒するを用ゐず減ずるを用ゐず、穴は正當心に點す。四面の形勢端正、更に他處に尋ねるに及ばず。朝山・案山情あり、明堂の氣聚攢し、寅時に葬り下せば、卯時に卽ち貧を脫す。肩井穴。詩に曰く、山人の端坐するが如く、人形を作り成し、龍虎騰騰として氣勢に迎ふ。肩井の窩臼の裏に正氣を鍾聚し、高低は取りて四應と分明に相稱するを要す。

《指南》云“凡地起頂垂乳,又有兩臂作龍虎者,便以人形取之,下嚥喉、肩井等穴。若無兩臂,但作小坡鉗之類,即以手訣取之,下大指根,及點塩指根,並虎口中等法,所謂“有臂盤環只象人,無臂手中分”者是也。今將指掌定穴之訣細陳於下。

『指南』に曰く、凡そ一塊の地が頂を起し乳を垂れ、又兩臂有りて青龍白虎を充當するは、即ち人形に按じて取り、咽喉穴・肩井穴の類を點すべし。若し兩臂無く、只だ小坡・小鉗の類を作り成すは、即ち改めて「手訣」を用ゐて取り、大拇指根・食指根及び虎口の當中等の處に點す。此れ即ち所謂「臂あれば盤環して只だ人を象り、臂無ければ手中に分かつ」なり。今指掌にて穴を定むる口訣を詳細に下面に陳述す。

指掌を以て穴を定む

陶公《捉脈賦》云:“豈知掌穴爰分於左右,兩指則虎口為貴,中尊則倒處為奇。小指乃為富穴,無名枉費心機。”卜應天《雪心賦》云:“左掌右臂,緩急若氷炭之殊;食指無名,咫尺有云泥之異。”

陶公『捉脈賦』に曰く、焉んぞ知らん掌上の穴は仍ほ左右手に分かるるを。兩指の間は「虎口」を以て貴とし、居中にして尊きは指端の倒垂する處を以て奇とす。小指の那一處は富穴、無名指の那一處は則ち心機を白く費やす。卜應天『雪心賦』に曰く、左手の掌と右手の臂、緩急は冰と炭の如き懸殊あり。食指と無名指、咫尺を相隔つも雲泥の別あり。

楊公云:“仰掌要在掌中裡,左右挨排恐非是。”又云:“也曾見穴如側掌,卻與仰掌無兩樣。”又云:“有臂盤桓只象人,無臂手中分。第一點塩指根貴,大指根為最。”是皆以指掌定穴者也。洪悟齋復推演十二字杖訣,亦以指掌申明之,無非欲人易知其妙,如指諸掌耳。今以諸圖開示於後。

楊筠松曰く、仰掌形の穴は掌心の裏に點ずるを要し、左右挨り排ねるは恐らく皆對ならず。又曰く、亦嘗て形の側掌の如き穴を見たり、其實仰掌と幷び無きに兩樣ならず。又曰く、臂の盤繞し環抱するは即ち人形に按じて取り、臂無きは即ち「手」の中に就いて分かつ。第一に貴きは食指根、大拇指根は最上なり。これらの講る所は皆指掌を以て穴を定むるなり。洪悟齋は又十二字の倒杖口訣を推衍し出で、亦指掌を取りて申說す。無非れ人に其中の妙處を明白し易からしめ、自己の手掌を指して看るが如く清楚ならんと欲するのみ。今各幅の圖を後面に列示す。

凡不起兩臂,只作小坡鉗者,宜下虎口穴。頂得來脈者,不可太低,犯軟肉穴者,主絕。看龍勢從大指邊來,則下大貴穴,從點塩指邊來,則下大富穴。皆須有應樂方眞。

凡そ兩臂を起さず、只だ小坡・小鉗を作り成すは、宜しく「虎口穴」を點すべし。若し穴頂が來脈を承接して得住せば、即ち太だ低く點ずる可からず。「軟肉穴」を犯せば、絕嗣を主す。龍勢を看るに若し大拇指の那一邊より來れば、即ち「大貴穴」を點じ、食指の那一邊より來れば、即ち「大富穴」を點ず。兩者皆必ず照應の樂山有らば、纔に眞穴と算す。

右圖為仙宮,共七穴,四穴吉,三穴凶。《圓機歌》云“七個建星三個凶,左右仙宮一樣同”是也。球穴在大指、點塩指中,似虎口穴也,吉。大富穴在大指第一節,吉穴也。紅旗穴在第二指一節,吉穴也。曲池穴在第二指二節,吉穴也。絕穴在大指表頭,主絕,凶。掃蕩穴上無頂而下散,凶穴也。燥火穴上亦無頂而下尖,凶穴也。

右の圖に畫くは「仙宮」、共に七つの穴、四吉三凶なり。『圓機歌』に曰く「七つの建星の裏に三つの凶あり、左右兩隻の仙宮道理一樣」、正に此れを指す。穴を逐ひて分說す。球穴は大拇指と食指の間に在り、虎口穴に類似し、吉。大富穴は大拇指の第一節に在り、是れ吉穴。紅旗穴は第二指の第一節に在り、是れ吉穴。曲池穴は第二指の第二節に在り、亦是れ吉穴。絕穴は大拇指の指端表面に在り、絕嗣を主し、凶。掃蕩穴は上面に頂無くして下面渙散す、是れ凶穴。燥火穴は上面も亦頂無くして下面尖削す、同じく是れ凶穴。

大富穴要起頂端正,否則近絕穴易差,宜詳審焉。《詩》曰:“大富水迎先到山,東西宜有水迴環。更須節氣無欹側,切忌長流戶不關。”曲池穴要起頂,有後樂,小明堂平正水聚。怕元辰直。若元辰不聚而無關攔者,不可下。《詩》曰“餘氣迢迢到曲池,偏宜後樂障風吹。更防箭射元辰水,左右交流不可虧。

圖說續いて云く、大富穴は頂を起して端正なるを要す。否らざれば絕穴に挨近し、點し差へ易し、當に仔細に審辨すべし。詩に曰く、大富穴は水の先到の山に迎ふる有るを要し、東西兩邊は水の回環するに宜し。還た節節に氣脈偏斜せざるを須とし、切に忌むは水の長流して門戶關せざること。曲池穴は頂を起すを要し、背後に樂山あり、小明堂平正にして水聚攢し、最も怕るるは元辰水の直去なり。若し元辰水聚まらず又關攔無ければ、即ち點ず可からず。詩に曰く、餘氣迢迢一路曲池に到るも、偏に後樂の風吹を擋ぐを要す。更に隄防するは元辰水の箭の如く直射せんことを。左右交流の水一處も缺く可からず。

球穴在大指、點食指之間,似虎口穴也,最吉。《詩》曰“球中平穴貴周圓,水要灣環到面前。若也交流前直去,也須凶惡退牛田。”上無頂而下尖利者,謂之燥火穴,大凶,誤下主瘟火。

球穴は大拇指と食指の間に在り、虎口穴に類似し、最も吉。詩に曰く、球中の平穴は四周圓滿を貴び、水は彎環して面前に流るるを要す。若し是れ交流の後向前直去ならば、亦一樣に凶惡なり、田產・牛畜を退くを要す。上面に頂無くして下面尖利なるは、「燥火穴」と曰ふ、大凶なり。誤り點せば瘟疫と火災を主す。

上有頂而下凸散者,謂之掃蕩穴,誤下,主絕滅。上有頂而下圓者,謂之紅旗穴,大吉,主富貴。《詩》曰“紅旗燥蕩卻相憐,下穴猶宜著眼眞。更要天心明凸起,若還欹側總非神。

上面に頂有りて下面凸出し渙散するは、「掃蕩穴」と曰ふ、誤り點せば絕滅を主す。上面に頂有りて下面圓滿なるは、「紅旗穴」と曰ふ、大吉、富貴を主す。詩に曰く、紅旗と燥火・掃蕩の三者は形狀相憐れ相近し、混淆し易し。穴を下す時更に著實に看眞するを要す。還た天心の處に明白に凸起するを須とす。若し是れ歪斜傾側ならば、總じて歸ずる所眞にあらず。

燥火穴、掃蕩穴、紅旗穴,三者一體而分三格,吉凶天淵。燥、蕩欹側斜倒,而無端正體格,紅旗起頂吐唇,端正尊重,迥不同耳。

燥火穴・掃蕩穴・紅旗穴、三者は同一體より出でて三格に分かるも、吉凶卻て天淵の別あり。燥火と掃蕩は歪斜傾倒し、端正の體格無し。紅旗は則ち頂を起し脣を吐き、端正尊重す。兩者迥然として同じからず。

掌心之訣,乃是凹窠正中處立穴。亦有弦厚處,接得來脈者可點穴。則要兩邊應樂,及四山明堂合法。故云小指乃為富穴,大指根為貴穴。在山勢龍脈如何耳。

掌心の一訣は、凹窩の正中の處に穴を立つるなり。亦弦邊厚實にして來脈を接し得住する地に穴を點ずる有り。則ち兩邊に應樂の山有るを要し、四面の山と明堂も亦法度に合す。所以に曰く、小指の那一處は富穴、大拇指根の那一處は貴穴と。究竟何れの一處を取るかは、全く山勢・龍脈の如何を看るに在り。

卜公云:“尊指無名,咫尺有云泥之異。”正謂中指倒處,是掌心穴。其它指倒處,皆偏而不正,不可立穴。楊公所謂“仰掌要在掌心裡,左右挨排恐非是。”斯言懇到,殆無餘蘊矣。凡仙人獻掌形,必須如此究竟,則穴不悞也。

卜應天曰く、中指と無名指、咫尺を相隔つも雲泥の別あり。此れ正に中指の指端倒垂の處即ち掌心穴なるを說く。其他各指の指端倒垂の處は、皆偏して正ならず、穴を立つ可からず。楊筠松の所說「仰掌形の穴は掌心の裏に點ずるを要し、左右挨り排ねるは恐らく皆對ならず」、此の話は懇切到位に說き得たり、幾ほど剩義無し。凡そ「仙人獻掌」形は、必ず此の如く推究して底に到らば、穴纔に點し錯らざらん。

左仙宮。右仙宮。財山左抱右宮扦,氣脈行來在左邊。正折明堂之字水,長房葬後富連天。財山右抱左宮扦,或在當頭或在肩。明堂端正砂環繞,小房富貴百餘年。

此の兩幅の圖の圖題と題詩は如下、底本は文字のみ存し、圖形は已に佚す。左仙宮・右仙宮。財山が左邊より抱き來れば、即ち右宮に點す。氣脈は左邊より行り來るを以てなり。明堂裏の水は正に「之」の字形に折れ、長房は葬後富貴天に連ならん。財山が右邊より抱き來れば、即ち左宮に點し、あるいは當頭に點し、あるいは肩上に點す。明堂端正にして砂環繞して護れば、小房の富貴一百餘年に延ぶ可し。

夫仙宮穴,乃撲手第一義,為諸穴之祖。彭子宜山人云:“千穴萬穴,只有兩穴。兩穴之中,只有一穴。”蓋分而言之則為左右仙宮,總而言之只一仙宮穴。而千萬穴皆從此變出矣。

仙宮穴は「撲手」一訣の中の第一要義、各種穴法の祖と為す。彭子宜山人曰く、千穴萬穴、其實只だ兩個の穴のみ。兩個の穴の中、又只だ一個の穴のみ。分かちて說けば即ち左仙宮・右仙宮、合はせて說けば不過一個の仙宮穴のみ。千萬種の穴は皆它より變化して出づるなり。

左咬蝨。右咬蝨。凡單提穴、紐會穴、仙人咬蝨穴、弓腳穴,皆仙宮之變格。此一穴名仙人咬蝨穴,亦謂之紐會穴。左側掌。右側掌。側掌之穴,其中堂山水不聚,星體側於一邊,或借樂,或不必借樂,但看前朝與水城登對明白,下手有力為正。詩曰:一邊山水聚相迎,仙人側掌大分明。後來左右有長短,須要前朝案有情。

以下幾幅の圖の圖題と圖說、底本は文字のみ存し、圖形は已に佚す。左咬虱・右咬虱。凡そ單提穴・紐會穴・仙人咬虱穴・弓脚穴は、皆仙宮穴の變格に屬す。此の一穴の名は「仙人咬虱穴」と曰ひ、亦「紐會穴」と曰ふ。左側掌・右側掌。側掌の穴は、中明堂一帶の山水幷びに聚攢せず、星體は一邊に偏側し、あるいは樂山を借るを要し、あるいは借らざるを必ずしもせず。只だ前朝と水城の登對分明なるか否か、下手一邊の力有るか否かを看る。力有るのみ纔に正と算す。詩に曰く、一邊の山水聚攢して相迎へ、仙人側掌の形大いに分明なり。後面左右兩邊に長有り短有り、總じて前朝の案山の情有るを要す。

補義大凡穴前,未有元辰不去之理。只要有沙腳交結,左右攔截,使元辰水屈曲之玄則吉。立穴緊要,先須審此。若穴前有橫沙兜攔元辰,則結穴眞。緣督《瑣訣》云:“十個單提九個眞,十個仙宮九個貴”《賦》云:“外聳千重,不若眠弓一案。”皆謂穴前有橫沙攔收元辰,使氣脈融聚,或穴下有平田囊注之水,皆能關聚生氣。卜氏云“穴前忌見深坑”,又曰“穴下切忌漏槽”。皆謂其不能收固元辰矣。

補充申說。大凡穴前、元辰水の往外に流れずんばあらざるの道理無し。只だ砂脚の交結し左右攔截し、元辰水をして屈曲して「之」「玄」の形を成さしむる有れば、即ち吉なり。穴を立つる最も緊要なるは、先ず此の一點を審するなり。若し穴前に橫砂有りて兜み攔み元辰水を留めば、所結の穴即ち眞なり。趙緣督『瑣訣』に曰く、十個の單提穴は九個は眞、十個の仙宮穴は九個は貴なり。『雪心賦』に曰く、外に聳立する千重の山、一重の眠弓形の案山に抵れず。これらは皆穴前に橫砂有りて元辰水を攔收し、氣脈を融聚せしむるを說く。あるいは穴下に平田に囊袋の如く匯注する水有るも、亦能く關し住め聚めて生氣を止む。卜應天の說く「穴前は深坑を見るを忌む」、又曰く「穴下は切に漏槽を忌む」、講る所は皆此の兩者の元辰水を收め住めざるなり。

今人動言“入山尋水口”,殊不知水口是城門,眾家所共。先須要自家房屋緊固。如人住室,財寶俱在房奧之中,先須要中門緊密,再要一門、二門、大門,然後才要城門。故單提、仙宮之穴,皆切近於穴有關攔,如房奧之有中門緊密,而能藏珍寶也。

如今の人は動もすれば「山に入れば先ず水口を尋ねよ」と說くも、殊に知らず水口は一城の城門、衆家の共有なり。先ず自家の房屋の關する嚴緊なるを得ざれば可ならず。人の住宅に居るが如く、錢財・珍寶は皆内室の中に放り置き、先ず中門の關する密實なるを得、再び一門・二門・大門有るを要し、然る後纔に城門に輪到す。所以に單提穴・仙宮穴は皆穴場に貼近する地に關攔有りて、内室の外面に一道の緊密なる中門有るが如く、纔に珍寶を藏め住むるを得るなり。

遠く諸物に取るを以て穴を定む

自晉以前專論星,自唐以來專論形。然論星則胸中有主,論形使眾人皆知。雙湖謝氏云:“喝形本欲教初學,而初學懵於五星、頂脈、龍虎、分合之理,決不能因形知穴。明於風水者,則自能知穴,又不待求之物象之粗。”誠確論矣。但形象之法,亦有偶合者,不可盡廢,惟不可盡拘耳。

晉代以前は專ら星體を講じ、唐代以來は專ら形象を講ず。然れども星體を講ずれば、胸中自ら主見あり。形象を講ずれば、衆人皆能く聽懂す。雙湖謝氏曰く、喝形は本來初學の人を教ふるが為なり。然れども初學者は五星・頂脈・龍虎・分合の道理に未だ蒙昧にして清らかならず、決して形象に憑りて穴を認め出づる能はず。眞に風水を明白する人は、本來能く穴を認め、又粗淺の物象の上に求むるを用ゐず。此の話は確かに中肯なり。不過形象の法も亦偶然吻合の時有り、全く廢す可からず、只だ一味拘泥す可からざるのみ。

張子微一代偉人,所著《玉髓經》何其該博。只因論地專泥於形以點穴,遂不得與曾、楊、吳、廖分庭抗禮也。蓋形乃山之表,雖云形眞則穴眞,然虎與獅皃相似,雁與鳳皇何殊?苟泥於形,豈無認蚓為蛇、指鹿為馬者乎?是故山川則可以理會,不可以形拘,斯定論也。但可因穴喝形,不可因形泥穴。若逐形畫象,是又膠柱鼓瑟也,故特擯斥,不贅及之矣。

張子微は一代の偉人、所著の『玉髓經』何等か博洽なる。只だ地を論ずるに一味形象に拘泥して穴を點ずるを以て、能く曾文辿・楊筠松・吳景鸞・廖金精の幾位と分庭抗禮するを得ず。形象は不過山の外表、雖說形眞なれば則ち穴眞なりと、然れども老虎と獅子は模樣相似、大雁と鳳凰は又甚の分別かあらん。倘若形象を死摳せば、豈に蚯蚓を認めて蛇と作し、鹿を指して馬と曰はん人あらんや。所以に山川は道理を以て領會す可く、形象を以て框殺す可からず、此れ是れ定論なり。只だ穴に因りて形を喝する可く、形に因りて穴を拘殺す可からず。若し形象に照らし一々描畫せば、那は又膠柱鼓瑟と成らん。故に特に此の一路を摒棄し、再び贅述せず。

流星を以て穴を定む

楊公云:“我觀星辰在龍上,預定前頭穴形象。為鉗為乳或為坡,或險或夷或為掌。歷觀形穴無不然,大小隨形無兩樣。此是流星定穴法,不肯向人謾空誑。”愚按:此是龍之與穴,有自然應合之理。故《經》又云:“今人裁穴只論向,更不觀星後龍上。觀星裁穴始為眞,不論星辰是虛誑。”又云:“穴隨星降作鉗乳,形神大小隨龍宗。”

楊筠松曰く、我れ龍身の星辰を看れば、即ち豫め斷じて前頭の穴の形象を知る。是れ鉗か是れ乳か還た是れ坡か、是れ險か是れ平か還た是れ掌形か。歷來看過の形と穴と此の如くならざる無く、大小は形體に隨て定まり、幷びに兩樣無し。此れ即ち「流星定穴」の法、我れ空話を把りて人を騙さず。我が按ずるに、此れは龍と穴の間に自然應合の道理有るを說く。所以に『經』又曰く、今人穴位を裁定するに只だ朝向を論じ、再び背後の龍身に到りて星辰を看ず。星を觀て而る後穴を裁すのみ纔に眞と算し、星辰を論ぜざるは皆虚妄なり。又曰く、穴は星に隨て降り下り、鉗形・乳形を作り成す。形神の大小は、皆龍の宗祖に隨て定まる。

所謂望龍知穴,見穴識龍,本相符合,非有神異。亦猶審出脈、過峽而知前去結穴之法,其理一也。大旨要在觀詧龍身星體,方知前面結穴之的。但眞龍千變萬化,態度不常,寧可步龍審穴,而不在望龍定穴之巧也。為地師者,不可逞異以行怪。而求地之家,尤不可輕信以自惑。茲特揭其名以辨之,而不復贅其詳矣。

所謂龍を望めば即ち穴を知り、穴を見れば即ち龍を認むるは、本是れ彼此相符し、幷びに神異無し。亦出脈・過峽を審看すれば能く前面結穴の方法を推知するが如く、道理は一樣なり。大旨は龍身の星體を觀察して、纔に前面結穴の準處を知るに在り。但し眞龍は千變萬化、姿態常無し。寧ろ一步步龍脈を踏みて穴を審し、望龍定穴の巧妙を逞しうせざるを宜とす。地師を作るは奇を炫ひ異を立つ可からず。地を求むる人家は、尤其も輕信して自ら迷惑に陷る可からず。此處特に此の名目を標出し辨明を加ふ、再び詳述せず。

八卦を以て穴を定む

觀物翁曰:“察來山之形勢,水神之曲直。若龍虎有情,賓主相應,件件合法,然後察脈點穴。點穴既定,然後定向。方向既定,然後證之以天星法度即八卦方位之訣也。按《洩天機》云:“四象既定,當分八卦。先於穴星分水脊上下盤針,定脈從何方來。次於暈心標下下盤針,定脈從何方去。又於明堂中下盤針,定水從何方來,何方去。

觀物翁曰く、先ず來山の形勢・水神の曲直を察看し、若し青龍・白虎情有り、賓山・主山相應し、樣樣法度に合せば、然る後再び脈を察し穴を點ず。穴既に點定し、然る後向を定む。方向既に定まり、然る後天星の法度を把りて印證せしむ。此れ即ち八卦方位の口訣なり。按、『泄天機』に曰く、四象既に定下せば、即ち八卦を分かつべし。先ず穴星分水の脊の上に羅盤の針を放下し、脈の何れの方位より來るかを測定す。其次圓暈中心の標杆の下に羅盤針を放下し、脈の何れの方位に往くかを測定す。再び明堂の中間に羅盤針を放下し、水の何れの方位より來り何れの方位に往くかを測定す。

如陽脈得陽向,陽水來,陽水去;陰脈得陰向,陰水來,陰水去,謂之陰陽純粹,大吉。若陽脈見陰水來去,或扦陰向;陰脈見陽水來去,或扦陽向,謂之陰陽駁雜,大凶。向吉水凶,先吉後凶;向凶水吉,先凶後吉。此八卦定穴綱領也。

如果陽脈が陽向に配し、來水・去水も皆陽に屬し、陰脈が陰向に配し、來水・去水も皆陰に屬すれば、此れを「陰陽純粹」と曰ふ、大吉なり。若し陽脈に卻て陰水の來去に遇ひ、あるいは陰向を立つるか、陰脈に卻て陽水の來去に遇ひ、あるいは陽向を立つるは、此れを「陰陽駁雜」と曰ふ、大凶なり。向吉にして水凶なるは、先吉後凶。向凶にして水吉なるは、先凶後吉。此れ即ち八卦定穴の綱領なり。

按:向與水如不合,而形勢、龍穴、沙水、堂氣自吉,則穴內用控制之法,所謂“卦向穴中作”也。大抵向水駁雜者,雖是禍福相雜,然不害富貴。轉凶為吉,全在葬法合矩耳。八卦統干支,所屬方位、陰陽見坤冊。

按。假如向と水と配せず、而して形勢・龍穴・砂水・明堂の氣本身皆吉ならば、即ち穴內に「控制」の法を用ゐて調停せしむ。即ち所謂「卦向は穴中に作る」なり。大體上向と水と駁雜するは、雖然禍福夾雜すれども、富貴を妨げず。能く凶を轉じて吉と為すや否やは、全く葬法の規矩に合するや否やを看る。八卦は天干・地支を統轄し、它らの屬する方位と陰陽は、本書の坤冊に見ゆ。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷四之下

江右山人徐善繼述 同著。此冊續論穴忌。夫五患、五要、五不塟、六戒、十不相、三十六怕等訣,及三十六絶、十般無脈等凶,皆穴之所忌,不可不詧者。採而輯之,俾知所慎雲。

江右山人徐善繼撰述、其の弟徐善述と共同編著す。此の一冊は接ぎて穴の忌諱を講ず。所謂五患・五要・五不葬・六戒・十不相・三十六怕の口訣、及び三十六絕・十般無脈等の凶忌は、皆穴場の當に忌避すべく、細察せざる可からざるなり。因りて采集し彙編して此處に在り、人に謹慎すべき處を知らしめんと好す。

程子曰:“擇地先須避五患。須使他日不為道路,不為城郭,不為溝池,也不為貴勢所奪,不為耕犁所及。”又曰:五患者,溝渠、道路、避村落、遠井窯。

程頤曰く、墓地を選ぶに先ず「五患」を避くるを要し、必ず它の日後道路と變ぜず、城郭と變ぜず、溝渠・池塘と變ぜず、權勢有る人に奪ひ去られず、耕犂に翻されざるを保證すべし。又曰く、五患は即ち溝渠・道路、村落を避け、水井と磚瓦窯を遠ざくるなり。

按程子《語錄》云:“卜其宅兆者,卜其地之美惡也,非陰陽家所謂禍福者也。地之美者,則神靈出,子孫盛。若培壅其根而枝葉茂,理固然也。地之惡者則反是。”然則曷謂地之美者?土色之光潤,草木之茂盛,乃其驗也。父祖子孫同氣,彼安則此安,彼危則此危,亦其理也。若不以奉先為計,而專以利後為慮,尤非孝子安厝之用心也。惟五患者,不得不謹。

按。程頤『語錄』に曰く、所謂「其の宅兆を卜す」は、此の地の美惡を卜す、幷びに陰陽家の講ずる那の禍福の套にあらず。地美なれば、神靈即ち安んじて子孫興盛す。樹根に土を培ひ壅き肥やすが如く、枝葉自ら茂盛す、道理本來此の如し。地惡なれば、情形即ち相反す。然らば怎樣にして纔に地美と算すか。土色光潤・草木茂盛、即ち其の驗證なり。父祖と子孫とは同一氣脈、彼の邊安ければ即ち此の邊安し、彼の邊危ければ即ち此の邊危し、此れ亦常理なり。若し先人を奉養するを心上に放らず、專門に怎樣にして後代に利有らんを盤算せば、那は尤其も孝子の親を安葬する用心にあらず。只だ此の五患は、謹慎せざるを得ざるなり。

朱子曰:“凡擇地,必先論其主勢之強弱,風氣之聚散,水土之淺深,穴道之偏正,力量全否。”又曰:“其或擇之不精,地之不吉,則必有水泉、螻蟻、地風之屬以賊其內,使其形神不安。而子孫亦有死亡絕滅之憂,甚可畏也。

朱熹曰く、凡そ地を選ぶに、必先ず其の主山氣勢の強弱・風と氣の聚散・水土の深淺・穴道の偏正、及び力量の完全なるか否かを論ず。又曰く、如果選ぶ精からず、地又吉ならざれば、然らば必ず泉水・螻蟻・地風の類の物有りて裏面に害を為し、亡者の形神を安からざらしむ。而して子孫も亦死亡・絕滅の憂有り、甚だ可怕なり。

其或雖得吉地,而葬之不厚,藏之不深,則兵戈亂離之際,無不遭罹發掘暴露之變,此又其所慮大者也。”又曰:“穿鑿已多之處,地氣已洩,雖有吉地,亦無全力。而祖瑩之側,數興土工,以致驚動,亦能挻災。”

又曰く、假如雖吉地を得たりとも、下葬厚實ならず、埋藏の深さ足らざれば、然らば一旦兵戈・喪亂に遇はば、發掘・屍骨暴露の變に遭遇せざる無し。此れ又是れ更に憂へるに值する大事なり。又曰く、已に人に穿鑿せられて甚だ多き地は、地氣早く就きて泄れたり。縱然是れ吉地なるも、亦完全の力量無し。而して祖墳の旁邊に屢次土を動かし施工し、以致りて地氣を驚動せば、同じく能く災禍を招來す。

丘文壯公曰:“風水之說,雖不可信,若夫乘生氣以安祖考之遺體,蓋有合於伊川本根枝葉之論,先儒往往取之。文公先生與蔡季通預卜藏穴,門人裹糗行紼,六日始至,蓋亦慎擇也。朱子論擇地,謂必先論其主勢之強弱,得風氣之聚散,水土之淺深,穴道之偏正,力量之全否,然後可以較其地之美惡。後之擇葬地者,誠本朱子是說,而叅以伊川光潤、茂盛之驗,及五患之防可也。”

丘文壯公曰く、風水の說は雖然盡く信ず可からざれども、生氣を乘りて祖先の遺體を安頓せんを說くは、此れ卻て程頤の「根本と枝葉」の議論と相合す。前代儒者往往採納す。朱文公先生と蔡季通とは豫め墓穴を卜定し、門人は乾糧を帶び引紼を執り、六日を走りて纔に到れり。他も亦是れ慎重挑選なるを見るべし。朱子の選地を論ずるに、必先ず主山氣勢の強弱・風と氣の聚散・水土の深淺・穴道の偏正・力量の完全なるか否かを論じ、然る後纔に能く此の地の美惡を比較すと曰ふ。後人の葬地を選ぶに、果眞に朱子此の番の話を以て根本と為し、再び程頤の所說の土色光潤・草木茂盛の驗證、及び五患に對する防範を參照せば、亦而已まる。

郭景純《葬書》云山之不可葬者五:“氣以生和,而童山不可葬也。”洪氏理曰:“不生草木,謂之無衣,曰童。程子以土色光潤,草木茂盛為地之美者。”

郭璞『葬書』に曰く、山に五種の葬る可からざる有り。第一、氣は生機に靠りて調和するを要す。故に寸草も生ぜざる「童山」は葬る可からず。洪氏の解釋に曰く、草木を長ぜざるは、衣服無きに等し、即ち「童」と曰ふ。程頤は正に土色光潤・草木茂盛を把りて地美の標準と作るなり。

“氣因形來,斷山不可葬也。”洪氏曰:“若崩陷鑿斷,氣脈不續者,不可葬也。”《秘要》曰:“一息不來身是殼。”正此謂也。卻亦與自然脫斷者不同。山行有斷,脈不斷則吉耳。

第二、氣は形體に隨て而來す。故に斷裂の山は葬る可からず。洪氏曰く、如果崩塌・陷落・鑿斷せられ、氣脈接がざれば、即ち葬る可からず。『祕要』に曰く、一口氣接不上來れば、此の身子即ち一具の空殼と成る。正に此の意思なり。不過此れは山の自然脫斷の情形と又同じからず。山の形體雖斷處有れども、只だ脈斷えざれば、仍ほ是れ吉なり。

“氣因土行,而石山不可葬也。”洪氏曰:“溫潤顏色鮮明者,吉也。”又有奇異地,隱於石間而有土穴者,又有鑿開頑石,下有土穴者,又皆吉地,不以此拘。惟焦壇、麻黑、青板,錐鑿不入,頑硬之石,不可葬也。

第三、氣は土に順て而行す。故に純石の山は葬る可からず。洪氏曰く、石頭溫潤にして顏色鮮明なるは、是れ吉なり。另外又奇異の地有り、穴は石頭の間に隱れて實に土穴為る。亦頑石を鑿開き、底下は土穴為る有り。これらは皆吉地と算し、此の一條の拘束を受けず。只だ那種燒焦たる壇・麻黑色・青石板の如く、錐子鑿りて入らざる頑硬の石のみ、纔に葬る可からず。

“氣以勢止,而過山不可葬也。”洪氏曰:“氣因勢而止,穴因形而結。若其勢竟去不住,曰過龍。兩邊插橈棹,似龍虎,昧者誤下。又有腰結及斬關穴不同者。”楊公云:“好地多從腰裡落,迴轉餘枝作城廓。”非過也。何以辨之?曰有穴。

第四、氣は山勢に隨て止住す。故に「過山」は葬る可からず。洪氏曰く、氣は勢に因りて止み、穴は形に因りて結ぶ。若し山勢一路奔り去りて停住するを肯ぜざれば、即ち「過龍」と曰ふ。它の兩邊に橈棹の枝を插出し、看るに龍虎に似たり、昏昧の人便ち誤りて那裏に葬る。不過另有「腰結」と「斬關穴」、情形此れと同じからず。楊筠松曰く、好地は多く山腰の裏より落下し、回轉の餘枝城郭を作り成す。那は則ち「過」と算せず。怎麼分辨すか。答へて曰く、它の穴有るや無きやを看る。

“氣以龍會,而獨山不可葬也。”支龍行度,兄弟同宗,雌雄並出。及其止也,城郭完密,眾山會集,方成形穴。今則單山孤露無情,故不可葬。

第五、氣は衆龍の聚會に靠るを要す。故に孤單一座の山は葬る可からず。支龍の行走する時、兄弟同宗・雌雄幷出の如し。它の止住するに到りて、城郭完密・衆山會聚し、纔に形と穴を結成す。眼下若し只だ單山孤零零として暴露し、毫も情意無ければ、故に葬る可からず。

卻有等支龍,不生手足,一起一伏,金木行度,一路平陽,兩邊以水為衛送,為養蔭。及其止也,雌雄交會,大江或朝或橫,外陽遠案,在乎縹緲之間。縱有陰砂,僅高數寸而已。此又不可以孤露而棄之。何也?蓋得水為上,藏風次之,所以貴也。

不過另有一種の支龍、兩旁に手足・枝脚を生ぜず、一起一伏、金星・木星の形態に按じて行走し、一路平陽の地を走り、兩邊水に靠りて護送され水に靠りて滋養さる。它の止住するに到りて、雌雄交會し、大江あるいは朝來しあるいは橫過し、外明堂の遠案は縹緲の間に隱約として見ゆ。縱有りて內側の陰砂も、亦不過高出幾寸のみ。此の一種は則ち它の孤露を以て丟棄す可からず。為甚麼か。水を得るは第一等、風を藏むる纔に第二等を以てなり。故に它照樣貴重なり。

又穴有五要,葬有六凶。葬其所會,乘其所來,審其所廢,擇其所相,避其所害。陰陽交錯為一凶,歲時之乖為二凶,力小圖大為三凶,憑福恃勢為四凶,替上逼下為五凶,變應怪見為六凶。

另外、穴に五個の要點有り、葬に六種の凶忌有り。五要是れ、氣の會聚する處に葬り、氣の來る方向に乘り、何れが廢棄無氣なるかを審察し、彼此相輔相成するを選擇し、妨害を造成するを避開す。六凶是れ、陰陽交錯するを第一凶と為し、年月日時相違するを第二凶と為し、力量小にして圖謀大なるを第三凶と為し、福分と權勢に仗りて蠻幹するを第四凶と為し、尊長を代替し卑下を逼壓するを第五凶と為し、反常怪異の徵應出現するを第六凶と為す。

又穴有三吉:天光下臨,地德上載,藏神合朔,神迎鬼避一吉也洪氏曰:“天有一星,地有一穴。天星地形,上下相應。”張燕公曰:神謂人之神魂。合朔謂歲月日時也。謂藏神合夫吉朔也。神迎鬼避,亦年月得吉之義。

另外穴に還た三吉有り。第一吉是れ、天光自ら上より照臨し、地德自ら下より承載し、神を藏め朔に合し、吉神來迎へ凶鬼退避す。洪氏の解釋に曰く、天上に一顆の星有れば、地上に一個の穴有り。天星と地形上下相應す。張燕公曰く、此處の「神」は人の神魂を指し、「合朔」は年月日時を指す。意思は亡者の神魂を安頓するに吉利の時日に合上するを要す。「神迎へ鬼避く」も、亦是れ年月の吉利を擇び得る意思なり。

陰陽沖和,五士四備,二吉也孤陽不生,獨陰不成。二五感合,乃能沖和。乃剛柔相濟之處,是為吉穴。《中庸》曰:“致中和,天地位焉,萬物育焉。”其斯之謂與?五土四備,黑不與。紅黃為上也。

第二吉是れ、陰陽沖和、五色の土其の四を具備す。解說是れ、孤陽は生ず能はず、獨陰は成る能はず。陰陽二氣と五行と相感じ相合し、纔に能く沖和す。此れ正に剛柔相濟の處、即ち吉穴なり。『中庸』に曰く、中和を致せば、天地便ち各その位を安んじ、萬物便ち生養を得るに及ぶ。說く所大概即ち此れか。所謂五土其の四を備ふるは、黑土は算入せず、紅色・黃色の土を以て上等と為すを說く。

目力之巧,工力之具,趍全避缺,增高益下,三吉也目力巧而能趍全避缺,工力具則能增高益下,是故裁成輔相在人。大凡作用之法,隨宜料理,千變萬化,本無定式,全在心目靈巧而相度之。蔡牧堂所謂“善者盡其當然,而不害其為自然;不善者泥乎自然,而卒不知其所當然。”道不虛行,存乎人耳。

第三吉是れ、眼力精巧・人工齊備、完整に趨向し殘缺を避開し、該當增高するは增高し該當墊低するは墊低す。解說是れ、眼力巧なるのみ纔に能く全に趨き缺を避く。人工備はるのみ纔に能く高を增し下を益す。故に裁剪成就・輔助調理、全く人為に在り。大凡施工の辦法、皆宜に隨て料理し、千變萬化、本來固定格式無し。全く心思と眼力の靈巧なるに靠りて相度するを頼る。蔡牧堂の所說「高明の人は人事上該當做るを做り盡くすも、卻て妨げず它仍ほ自然なり。不高明の人は自然を死守し、最終に人事上何を做るべきかを懂得せず」、正に此の意なり。道は空に憑りて自行せず、全く人の實踐を看るのみ。

楊公三不葬:一曰有龍無穴不葬,二曰有穴無人不葬無德之人,三曰有人無時不葬年月未利。厲伯韶四不下:無穴不下,無德不下,無福不下,無期不下。

楊筠松に「三不葬」有り。第一、龍脈有りて眞穴無きは葬らず。第二、穴有りて合適の人無きは葬らず。指す所是れ無德の人。第三、人有りて合適の時無きは葬らず。指す所是れ年月不利。厲伯韶に「四不下」有り。穴無ければ下葬せず、德無ければ下葬せず、福無ければ下葬せず、吉期に到らざれば下葬せず。

陳希夷先生四要:要龍眞,要穴正,要葬善,要時宜。按:希夷先生為種仿扦一地葬母,在豹林谷。既定穴,時未利,約以期。至期,先生未至,種遂葬。窀穸畢,先生至,嘆曰:“此地當出數代宰執,惜葬法未善,但出數將而已。”果復出种世衡、种諤等數人,為將有聲。見朱子所著《宋代名臣言行錄種仿傳》。此見葬法矩度,不可有失。而扦穴之妙,誠難矣哉!

陳摶希夷先生に「四要」有り。要す龍眞、要す穴正、要す葬り得て法を得、要す時日相宜。按。希夷先生嘗て種放の為に豹林谷に一塊の地を點じて母を葬らしめたり。穴既に定下し、時辰還た利ならず、便ち一個の日期を約定す。那の日に到りて先生趕き到らず、種放即ち自行して下葬せり。墓穴封じ完れば、先生纔に到り、歎じて曰く、此の地本來數代の宰相・執政を出すべきも、可惜葬法做好せず、只だ能く幾員の武將を出すのみ。後來果然種世衡・種諤等の好幾個を出で、將領を為りて甚だ聲名有り。此の事は朱熹所著の『宋代名臣言行錄・種放傳』に見ゆ。此れに由りて見るに葬法の規矩尺度は閃失有る能はざる、而して點穴の妙は、實在に難きなり。

廖金精六戒:第一莫下去水地,立見敗家計;第二休尋劍脊龍,殺師在其中;第三最忌凹風穴,決定人丁絕;第四尤嫌無案山,衣食必艱難;第五生怕明堂跌,決是破家業;第六偏憎龍虎飛,人口主分離。

廖金精に「六戒」有り。第一、水の流走する地に葬る勿れ、立刻就きて家業敗落を見ん。第二、劍脊の一樣の龍を找す勿れ、殺師の禍即ち裏頭に在り。第三、最も忌む凹風に吹著せらるる穴、一定人丁斷絕す。第四、尤其も嫌ふ案山無き、衣食必定艱難す。第五、最も怕る明堂の往下に跌落する、一定家業を破掉す。第六、特別討厭する龍虎砂の向外に飛走する、家中人口分離せんと要す。

靑鳥仙十不相

一不相粗頑丑石。頑石粗丑,形類凶惡者不可相也。亦有龍身及穴星,左右龍虎皆粗石,而穴間不見,且穴星純土者,則吉。如沐國公地,來龍純石,拔聳入雲。近而視之,巉巖峻峭可驚。及臨穴,左右皆石,只是當穴純土,光彩明白,所以吉也。福建興、泉諸名地,多有石。

第一、粗頑醜陋の石頭を看ず。頑石粗糙醜陋、形狀凶惡の物に類似するは、它を相る可からず。不過亦龍身及び穴星・左右龍虎全是れ粗石なる有れども、穴場の當中に看見せず、而且穴星是れ純土なるは、即ち吉なり。沐國公の那塊の地の如く、來龍純是れ石頭、地を拔きて雲中に聳入す。走近して看れば、巉巖峻峭にして人を嚇かす。等到穴の上に到れば、左右も皆是れ石、只だ正當穴處是れ純土、光彩分明、故に吉なり。福建興化・泉州一帶の許多の名地も、亦多く是れ石を帶ぶ。

二不相急水爭流。急水交劍爭流,穴前見之極凶,不可相也。三不相窮源絕境。卜氏云:“窮源僻塢,豈有眞龍?”誠以窮僻水尾,乃龍脈發身處,不可相也。有等大龍,翻身入源,奔至塢底而結穴者,不以此拘。四不相單獨龍頭。單山獨壟,孤寒無倚,不可相也。洪氏云:“獨當作露,不露不忌。”亦有大龍獨行,而至結穴處,開窩鉗,有龍虎者不忌。

第二、急水の劍を交えて流れを爭ふ處を看ず。急水が兩把の劍の交叉するが如く爭つて奔流し、穴前に見るは極凶、相る可からず。第三、窮源絕境を看ず。卜應天曰く、水源窮盡したる僻靜の山塢の裏に、焉んぞ眞龍あらんやと。的確に、窮僻の水尾は正に龍脈の起身する處、相る可からず。不過一種の大龍が翻身して回りて源頭に入り、塢底に奔りて纔に穴を結ぶは、則ち此の一條の拘束を受けず。第四、孤單の龍頭を看ず。單獨の一座の山・一條の壟、孤寒にして依る無きは、相る可からず。洪氏曰く、「獨」の字は當に「露」の字と作るべし。暴露せざれば則ち忌むに及ばず。亦大龍の獨自行走し、結穴の處に到りて窩形・鉗形を開出し、又龍虎有るは、同じく忌まず。

五不相神前佛後。卜氏云“神前佛後,忌聞鐘鼓之聲”是也。然予兄弟多見美地,不以此拘。如福建建寜楊文敏公祖地在白鶴山者,弋陽汪尚書祖地在叫巖寺者,皆切近禪室。又如廖金精扦張少保壽基,神廟先據,去其廟而立穴。若此之類,莫能殫舉。

第五、神前佛後を看ず。卜應天の曰く「神前佛後、鐘鼓の聲を聞くを忌諱す」、即ち此の一條なり。然れども我ら兄弟は少なからず美地の此の拘束を受けざるを見たり。福建建寧楊文敏公の白鶴山の祖墳・弋陽汪尚書の叫巖寺の祖墳の如く、皆禪房に緊挨す。又如廖金精が張少保の為に生基を點ずるに、那の地本來神廟に先んじて占められ、他は廟を拆して纔に穴を立てたり。此の一類の例子は擧げても盡くす能はず。

然則神前佛後,似亦不足忌與?竊謂神廟寺觀,多是孤陰寡陽、單獨龍神,或水口之山,故在不相。偶亦有結地者,則龍有臺屏帳蓋,而非單獨之比。有陰有陽,擁從侍衛,而非水口用神之屬。特其龍甚旺,故山川靈氣所鍾,未下之前,而有神靈依棲者,或餘氣發洩而為神廟寺觀者,若此之類,何神前佛後之足畏?諺云“天下名山僧占多”,其斯之謂與!

然らば神前佛後、亦忌諱するに值せざるが如しか。我れ竊かに以て、神廟寺觀は多く孤陰寡陽・龍神單獨の地に建てられ、あるいは水口の山の上に建てらる。故に「不相」に列せらる。偶爾亦地を結ぶ有るは、那は龍身に臺有り・屏有り・帳有り・蓋有りて、孤單一路と同じからず。陰有り陽有り、簇擁侍衛し、亦水口の神を用ゐる那一類に屬せず。只だ其の龍氣極めて旺にして、山川の靈氣此處に鍾聚し、人の葬り入る之前に先んじて神靈の依附し棲止する有り、あるいは餘氣發泄して神廟寺觀と成る有るを以てなり。此の一類の如きは、神前佛後又何の可怕るるあらん。諺語に曰く「天下の名山僧の占る多し」、說く所大概即ち此れか。

雖然,猶不可概以壇廟處有穴,而專慕於此。此等去處,不結穴者極多,結穴者乃偶有一二而已。若於不結穴處勉強扦葬,尤非所宜,不可不慎。誠有吉穴,務須至誠,以善求之,不可則止,付之緣份。切不可恃勢強求,以為理外之事。多見因此風水且未得,而反賈奇禍者,君子可不慎之哉!

話雖此の如し、仍ほ一概に壇廟の所在すれば即ち穴有りと認め、專門に此の類の地を羨慕しに行く可からず。此種の去處の穴を結ばざるは極めて多く、穴を結ぶは偶爾纔に一兩處有るのみ。若し穴を結ばざる地に勉強して下葬せば、尤其も不妥なり、慎まざる可からず。倘若那裏に確實に吉穴有らば、務めて至誠の心・正當の手段を以て求めよ。求め得ざれば即ち罷め、緣分に交せよ。切に勢を仗りて強奪し、它を情理之外に硬取す可き物と作す可からず。常に人の此れが為に風水還た手に到らず、卻て奇禍を招來するを見る。君子能く謹慎せざらんや。

傳疑建安楊文敏公祖達卿,好施與,以木萬株施之白鶴山僧,因得其地。先是,有望氣者言此山有異氣,欲斷之。且斷而夜復滿,遂止。楊氏葬後,文敏公榮登第,官太師。又科第數十人,至今富貴不替。

姑且此の傳聞を記す。建安楊文敏公の祖父名は達卿、施舍を喜好し、上萬株の樹木を白鶴山の僧人に施し、因りて那塊の地を得たり。此の前に、望氣を會する人の此の山に奇異の氣有りと說き、它を鑿斷せんと欲したる有り。然れども白日鑿斷せば、夜裏又長滿して初の如く、只だ罷めたり。楊家葬後、文敏公榮登科第し、官太師に至る。此外科第に考中する還た幾十人有り、到如今富貴衰えず。

按:是亦催官地也。葬此地時,文敏公十餘歲矣。公有《白鶴山房記》詳載得地之由,見《建寧志》,圖見龍法卷。又廖金精為張潛公扦壽域於德興鑄印墩,其穴為吳王芮廟基,神甚顯,不可犯。廖曰:“姑置,俟壬申歲,君家必產貴子,可令乳母襁褓中訓食為拆。

按。此れ亦一塊の「催官地」なり。下葬の那年、文敏公已經十幾歲なり。他の寫す『白鶴山房記』は、地を得るの緣由を詳細記載し、『建寧志』に見ゆ。圖は本書の龍法を論ずる那一卷に見ゆ。另外廖金精が張潛公の為に德興鑄印墩に生基を點ずるに、那の穴正に吳王吳芮廟の地基、神靈甚だ顯赫、冒犯す可からず。廖金精曰く、先ず一擱せよ。壬申年に到りて、你家必定貴子を生下せん。乳母をして他襁褓の中に在りて就きて他に「拆」這の字を念ずるを教へしむ可し。

三四歲語言明白,可負此子入廟,據案上,令乳母以果品食之,彼必言拆。預名僕伕百餘人至廟間,候童言拆,群聲應曰“領鈞旨”一時撤廟,然後扦穴可也。”果歲至壬申而誕張忠定公壽,如廖公語,撤廟扦穴。後忠定官至少保,贈潛亦少保,今稱少保墓。

等他三四歲にして話を說き清めるを得れば、即ち此の孩子を廟裏に背負ひ入れ、他を神案の上に坐せしめ、乳母に由りて果品を把りて他に喂らしめば、他必定「拆」の字を說き出さん。事先一百多名の仆役を約し廟中に等し、此の孩子一に「拆」を說けば、衆人齊聲に一句「鈞旨を領す」と應じ、當場廟を拆掉し、然る後即ち點穴す可し。後來果然壬申年に到りて張忠定公を生下し、名は壽。一切廖公の話に照らし、廟を拆し穴を點ず。此後忠定公官少保に至り、其の父張潛も獲贈少保、如今那裏即ち「少保墓」と稱作す。

六不相墓宅休囚。墓宅休囚,氣運衰敗,縱有吉穴,亦不發福,不可相也。蓋地之氣運有盛有衰。當其盛時,則小結作亦能發福;當其衰敗,則雖有上結亦不發越。故古今一洛邑也,古今一長安也,昔為富貴繁華之地,而今為草莽荊棘之場,非陵谷變遷,亦氣運使之耳。地師先須識此。

第六、墓宅休囚の地を看ず。墓地・宅地の氣運休囚衰敗するは、縱然吉穴有るも發福せず、相る可からず。地の氣運に盛有り衰有るを以てなり。當它旺盛の時、即使小小の結作も能く發福す。當它衰敗の時、縱有りて上等の結作も發し起る能はず。所以に古今同是れ一個の洛邑、同是れ一個の長安、從前是れ富貴繁華の地、如今卻て草莽荆棘の場と成れり。此れ幷びに山陵河谷形を改めたるにあらず、亦是れ氣運の使然なり。地師を作るは先ず此の一點を懂得するを要す。

七不相山岡潦亂。山勢岡壟走亂,條條無情之處,龍穴不聚,不可相也。八不相風水悲愁。風水悲愁者,山粗雄而不媚,水峻急而有聲,風交吹,如號如泣。或湖泊之間,或渺茫之坂,或山鄉之處,風水悲愁,多為戰鬥之場,每數十年,必有一次戰爭殺伐。或賊寇所過,或剿滅強梁之類,此必然之應也。

第七、山岡潦亂の地を看ず。山勢・岡壟亂走し、一條條毫も情意無き地は、龍氣と穴氣聚まらず、相る可からず。第八、風水悲愁の地を看ず。所謂風水悲愁は、山粗雄にして秀媚ならず、水陡急にして聲響有り、風は幾面より交り吹き來り、號叫の如く又啼哭の如し。あるいは湖泊の間、あるいは渺茫の坡坂の上、あるいは深山鄉野の處、凡そ風水悲愁の地方は多く戰場と成らん。每隔幾十年必ず一次の戰爭殺伐有り。あるいは賊寇の過境、あるいは官軍の剿滅強梁の類、此れ是必然の應驗なり。

九不相坐下低軟。凡主山,欲其盛旺高明。若坐下低軟,則無氣脈,多為軟弱蕩皮死氣之類,不可相也。十不相龍虎尖頭。龍虎尖頭相鬥乃凶。若尖而不射不斗,多是曜星發露,為貴地之證,又未可盡以為凶。楊公云:“或斗或射尖如針,兩邊相指穴前尋。非為子息多清貴,更須積玉與堆金。”蓋此等龍虎,若龍穴眞,乃為明曜,主貴尤顯。

第九、坐下低軟の地を看ず。凡そ主山は、皆它の旺盛高朗なるを要す。若し坐山低陷綿軟なれば、即ち氣脈無し。多く是れ軟弱・蕩皮・死氣の一類に屬し、相る可からず。第十、龍虎尖頭を看ず。龍虎尖著頭彼此相斗すのみ纔に凶と算す。若し只だ尖にして互射せず相斗はざれば、那は多く是れ「曜星」の顯露、正に貴地の憑證、一概に凶と作す能はず。楊筠松曰く、あるいは斗しあるいは射る、尖銳針の如く、兩邊互指し、穴即ち此の中間に就て尋ねよ。不但子孫多く清貴を出し、還た玉を積み金を堆せよ。見る可し此の一類の龍虎、只だ龍眞穴眞なれば、即ち「明曜」、貴を主し尤其も顯赫なり。

廖金精穴星八病:斬指摺痕項下拖,破碎石嵯峨。斷肩有水穿膊出,剖腹腦長窟。折臂原來左右低,破面浪痕垂。陷是腳頭竄入水,吐舌生尖嘴。又穴面四病:貫頂脈從腦上抽,星峰不見頭。墜足脈從□□下去,靈光內所聚。繃面橫生脈數條,生氣自潛消。飽肚粗如覆箕樣,醜惡那堪相。

廖金精の所說穴星の八種の病。「斬指」は項下に一道の折痕を拖出す。「破碎」は石頭嵯峨零亂。「斷肩」は水有りて肩膊の處より穿出す。「剖腹」は腦の上に長窟窿を生出す。「折臂」原本是れ左右兩臂低陷す。「破面」は面上に波浪般の痕迹を垂る。「陷」は脚頭水裏に竄入す。「吐舌」は尖々の嘴を生出す。另有穴面四病。「貫頂」は脈腦頂より直抽し、星峰頭を見えず。「墜足」は脈□□より往下に走り、靈光皆裏面に聚まる(此處底本二字を缺く)。「繃面」は橫生じて好幾條の脈、生氣自然潛消す。「飽肚」は粗く倒扣の簸箕の如く、醜惡にして看る法無し。

李淳風論脈有八病:如葫蘆則非乳,如魚胞則非泡。貫頂如竹不起頂,非節。透頂出脈,非硬。圓有脊,非塊。串不明,非珠。流動出脈,非轉皮。八病圖

李淳風の脈の八種の病を論ず。形狀葫蘆の如きは、即ち「乳」にあらず。魚鰾の如きは、即ち「泡」にあらず。貫頂竹竿の如くして頂を起さざるは、「節」にあらず。脈頂上より透出するは、「硬」にあらず。圓にして脊を帶ぶるは、「塊」にあらず。串連の分明ならざるは、「珠」にあらず。流動して脈を出ずるは、「轉皮」にあらず。以下題して「八病圖」と曰ふ、底本は圖題のみ存し、圖形は已に佚す。

又穴有七凶:貫頂串脈、露胎、繃面、死鱉背、斷如斬、受殺、吐殺。

此外穴場に還た七種の凶象有り。一是れ「貫頂串脈」、來脈星峰頂上より直穿して下り、結頂束氣の過程無し。二是れ「露胎」、穴心赤裸暴露し、四周遮攔包裹無し。三是れ「繃面」、穴面繃緊生硬、橫生じて幾條の直紋あり。四是れ「死鱉背」、穴形圓鈍僵硬、陰陽界線全然分かれず。五是れ「斷如斬」、脈氣此處に到りて刀に斬斷せらるるが如し。六是れ「受殺」、穴場正に尖射衝刑の處に當る。七是れ「吐殺」、穴星自身尖利の物を吐出し穴心を指向す。此の七樣只だ一樣を犯すのみ、即ち下葬す可からず。

泓師三十六絕穴

覆月:太陰星下角穴,何以謂之覆月絕哉?必孤露飽硬,無受穴之處,來龍不眞。多作水口羅星之類,誤下則絕。牛鼻:獨高而孤垂,無遮護,風交吹者是也。訣云:“雨打蛤蟆背,風吹牛鼻頭,有人扦此穴,田地不留坵。”窮源:源之窮盡處,乃龍未住,大山發足處耳,必山勢雄逼。《雪心賦》曰:“窮源僻塢,豈有眞龍?”亦有大龍翻身屈曲,結穴於源頭者,亦有似源頭寔非源頭者,又不以此拘。

「覆月」、指すは「太陰星」の下角に穴を取る。為甚麼把它覆月絕に列するか。此種の地方必定孤零裸露・飽滿僵硬、根本承受穴氣の窩面無く、來龍も不眞を以てなり。此の一類の山形多く是れ水口處の「羅星」の屬、誤り葬り下せば即ち絕嗣せん。「牛鼻」、指すは山頭獨自高起し、孤零零として垂れ下り、四周遮攔護衛無く、八面來風交り吹打す。口訣曰く、雨は蛤蟆の背上に打ち、風は牛鼻の頭上に吹く。若し人此處に穴を下せば、家裏の田地一坵も留め住めざらん。「窮源」、指すは水源窮盡の處、那裏龍還た停住せず、只だ大山起脚の處、山勢必定雄壯逼壓す。『雪心賦』曰く、窮源僻塢、那裏會眞龍あらん。不過亦大龍此處に翻身屈曲し、眞に源頭に結穴する有り、亦看似源頭其實幷び源頭にあらざる有り、則ち一概に此の一條に照らし拘殺す能はず。

牛角:尖露而出不多,是曜氣,不結穴,誤下必絕。釵股:硬露脈盡氣絶。帶刀:峻硬側斜,無立穴處。牽城:水斜牽無情,必不融結。倒城:傾瀉。三箭:水直射峻急,而來去皆凶。撞城:水直撞射穴。斷城:水沖破。四吊:四水直去無溶注。裹城:水裹頭無餘氣。訣云:“裹頭城裡莫扦墳,刦卻東西便動瘟。”

「牛角」、山脚尖利外露して伸出長からず、那是れ龍身の「曜氣」、本身幷びに穴を結ばず、誤葬必定絕嗣す。「釵股」、山脈僵硬裸露、到此脈盡き氣絕す。「帶刀」、山身陡峻僵硬にして又側身歪斜、立穴す可き地無し。「牽城」、水斜々として牽引して去り、穴に對し毫も情意無し、必定融結生氣する能はず。「倒城」、指すは堂局傾側・水一瀉して下る。「三箭」、水流直射して而且陡急、無論來水去水皆凶を主す。「撞城」、水直々として穴場を撞射す。「斷城」、指すは堂局水に衝破缺口せらる。「四吊」、四面の水皆直去し、一處も停蓄回注無し。「裹城」、水緊貼穴頭纏裹し、穴前一點の餘氣を留めず。口訣曰く、裹頭城裏墳を扦する勿れ。一旦東邊西邊の水皆來り劫奪せば、家中便ち瘟疫を鬧さん。

蛇頭:氣暴殺重,不開窩鉗,不可扦穴。若有氈者,下粘穴,又不拘此。或下王字穴,或下耳穴,皆要有自然窩泡,否則主凶。蛇尾:尖利而小且長,亦脈盡氣絕之所矣。浮牌:闊而氣散,不結穴。或龍眞者,可為陽基。遠岡:是纏護之沙,風吹水刦,無枝腳,或縱橫路遶,皆凶。犁壁:高峻而下尖,八風交吹,無藏蓄之態,主凶。

「蛇頭」、氣勢暴烈・殺氣甚だ重し、穴星又「窩」を開かず「鉗」を開かず、穴を扦する能はず。如果穴前「氈」を鋪出せば、「粘穴」を下す可く、則ち此の一條の限制を受けず。あるいは「王字穴」を下し、あるいは「耳穴」を下すも、但し皆天然の窩泡の承接有るを要し、否らざれば仍ほ凶を主す。「蛇尾」、山形尖利にして又細く又長し、亦是れ脈氣頭に到り生氣斷絕の地。「浮牌」、山面寬闊にして生氣渙散し、陰宅の穴を結ぶ能はず。若し來龍確實眞龍なれば、倒れて把它陽宅基地と做す可し。「遠岡」、那是れ纏繞護衛主龍の砂山、四面受風し又被水劫奪され、本身枝脚無し、あるいは縱橫の道路に環繞切割せらる、皆凶を主す。「犁壁」、山身高峻にして下端尖削し、八面來風交り吹打し、全く藏聚蓄氣の形態無し、凶を主す。

交劍:山之交劍者,尖利相指射。水之交劍者,兩水相交會。山交劍主殺斗軍配,水交劍是脈大盡處,主絕。死蛇:死蛇不屈曲而軟弱無氣,主絕。垂足:箕踞之狀,凶。天敗:崩陷之所,氣敗處也。誤認為窩而下之,主絕。懸針:大龍行去而垂枝腳,上大而下尖利如懸針,不結穴,主絕。鞋尖:微有起而孤露,無來脈,風吹水割。狼牙:尖露。離鄉:左右山飛走順水,無收拾。弓鞠:兩垂。弓弦:直急。鼠頭:尖縮。

「交劍」は山水兩種に分かつ。山の交劍は、兩邊山脚尖利相對し彼此指射す。水の交劍は、兩道の水迎面し相匯合す。山交劍は殺傷爭斗・發配充軍を主し、水交劍は則ち龍脈大盡の處、絕嗣を主す。「死蛇」、山脈直挺不屈曲し、軟弱にして生氣無し、絕を主す。「垂足」、山形人の兩腿を張き箕踞して坐するが如し、凶。「天敗」、是れ山體崩塌陷落の處、即ち地氣敗壞の地。若し誤りて崩陷處を把りて「窩」と當て葬り下せば、絕を主す。「懸針」、大龍行走の時垂下の枝脚、上頭粗大にして下頭尖利懸る針の如し。此樣の枝脚は穴を結ばず、誤葬絕を主す。「鞋尖」、微微隆起すれども孤零裸露し、來脈相連無く、風吹き水割く。「狼牙」、山脚尖銳外露す。「離鄉」、左右兩邊の山皆水勢に順て飛走し、一處も收攢無し。「弓鞠」、兩頭皆往下に垂る。「弓弦」、山脈直挺急促す。「鼠頭」、山頭尖細にして內に向て縮む。

過宮:氣去不融結。《葬書》云:“氣以龍止,而過山不可葬也。”不蓄:陰陽不交,界合不明,生氣散漫而無收拾。謂之不蓄,言不聚蓄也。《葬書》云“不蓄之穴,腐骨之藏”是也。騰漏:左空右缺,前曠後跌,地中生氣悉為風所蕩散,不能融聚。壟之沉氣升騰於上,支之浮氣漏洩於下,葬之無益於存亡,適足以腐敗棺骨。《經》曰“騰漏之穴,敗棺之藏”是也。臥尸:壅腫直硬,如死尸臥地。龍之無逶迤不結穴者也。誤下主絕。釵頭:前言釵股,乃硬而露。此言釵頭,乃硬而尖,皆凶。

「過宮」、龍氣只だ路過して停住するを肯ぜず、故に融結成穴する能はず。郭璞『葬書』曰く、生氣は龍脈に隨て停駐して纔に聚まり得住す。因此行走中正の過路の山は下葬す可からず。「不蓄」、指すは陰陽相交媾せず・界水合襟分明ならず、生氣散漫にして收攢する處無し。故に不蓄と曰ふ、即ち聚まり住めず蓄へ成らざるの意思。『葬書』の所說「不蓄の穴、腐骨の藏」正に此種を指す。「騰漏」、左邊空く右邊缺け、前面空曠にして後面跌落し、地中生氣全く風に吹蕩散せられ、凝聚する法無し。高壟の地は沉伏の氣向上に騰散し、平支の地は浮淺の氣向下に漏泄す。此處に葬れば生者死者に對して皆好處無く、只だ棺木・屍骨を漚爛せしむるに足るのみ。『葬經』の所說「騰漏の穴、敗棺の藏」正に此種を指す。「臥屍」、山身壅腫僵直、死屍の地に橫臥するが如し。此れ是れ龍身毫も逶迤生動無く、結穴する能はざる形狀、誤葬絕を主す。「釵頭」、前面講ずる「釵股」是れ硬にして裸露、此處講ずる釵頭則ち硬にして尖し。兩者皆凶を主す。

入式十二例雜論吉凶有り

一曰破:崩破峰壟,斷岡壞塹之地,或流水沖損,霹歷所驚。二曰歹:欹歹不正,在右邊則女不正破產,在左則出奸滑人。三曰流:流走不顧,隨水而去。或左右山不收,或玄武、朱雀尖竄。四曰射:山直來,尖射向塜宅。或如拖槍,或如懸刀,或如虯尾。

第一曰く「破」。山峰・山壟崩塌破損し、岡脊斷裂・壕塹壞毀し、あるいは流水に沖刷損傷せられ、あるいは雷霆の震擊に遭過す。第二曰く「歹」。山形歪斜不正。右邊に歪けば、女子行為不正・家業破敗を主す。左邊に歪けば、奸猾の人を出すを主す。第三曰く「流」。山勢一味流走して頭を回らし穴場を照顧せず、水に隨て一直に去りぬ。あるいは左右兩邊の山收攢せらず、あるいは後面の「玄武」・前面の「朱雀」尖削竄出す。第四曰く「射」。山直々として衝來し、尖頭墳墓・宅舍を射向す。あるいは形狀拖着の長槍の如く、あるいは懸るの刀の如く、あるいは虬龍の尾巴の如し。

五曰回:峰巒環合,入來相揖,龍虎宛轉回抱,歸向不流者是也。六曰伏:其山偃伏低下,不能高聳,或如覆尸,或如臥蠶是也。七曰圓:山欲圓而不欲粗,欲小而不欲大。粗大則鈍濁,圓小則清奇。八曰巧:巧者,秀麗如描畫,聳立如卓旗。或橫如玉帶,或突如跪爐,或轉如勒馬,或盤如戲龍,或疊如垂簾,或簇如懸幕,或列如排衙,或據如案床,或如驅羊,或如飛鳳,千狀萬類,不可盡載,智者自能明之。

第五曰く「回」。四圍峰巒環抱合攢し、一齊に穴場に朝し拱揖して來り、左邊「青龍」右邊「白虎」宛轉回抱し、皆穴心に歸向して水に隨て流走せず。第六曰く「伏」。山身偃臥低伏し、起き來るも聳き高くもせず、あるいは覆る屍體の如く、あるいは蜷臥の蠶の如し。第七曰く「圓」。山形は圓潤を要して粗蠢を要せず、小巧を要して肥大を要せず。粗大は則ち鈍濁を顯し、圓小纔に清秀奇特を顯す。此の三例皆吉象に屬す。第八曰く「巧」。所謂巧は、秀麗にして描畫し出せるが如く、聳立して插起の旗幟の如し。あるいは橫陳して玉帶の如く、あるいは突起して跪る香爐の如く、あるいは回轉して繮繩を勒する馬の如く、あるいは盤曲して戲耍の龍の如く、あるいは重疊して垂下の簾幕の如く、あるいは簇擁して高懸の帷幕の如く、あるいは排列して衙門裏班に分かち站立の差役の如く、あるいは憑據して公案坐牀の如く、あるいは羊群を驅趕するが如く、あるいは翅を展し飛ぶ鳳の如し。千形萬狀、一々記載する法無し。見識有る人自ら能く辨明せん。

九曰暗:形狀不明,在陰暗之處。或模糊不清,或眾山共圍一山。十曰亂:雜亂繁多,並無條理,如亂花,如投算,四散不可紀是也。十一曰水:有山無水謂之孤,有水無山謂之寡。水欲深而不急,欲平而無聲。十里之外有秀水入明堂者,大貴之地也。十二曰石:開壙見青石者凶,紅粉者吉。獨石如鼓,丑石如崩崖,尖利頑塊,俱凶。石碎巉巖,與山無草木,及石間有溼潤者,俱凶。若有五色石,細膩如粉,並五色土者,主大富貴之地。

第九曰く「暗」。山の形狀看り分明ならず、陰暗背光の處に處す。あるいは輪廓模糊不淸、あるいは衆山一齊に一座の山を圍困す。第十曰く「亂」。山形雜亂繁多にして毫も條理無し、散落の亂花の如く、擲翻の算籌の如く、四面散開し數へて數盡さず。第十一曰く「水」。山有りて水無きを「孤」と曰ひ、水有りて山無きを「寡」と曰ふ。水は深きを要して急を要せず、平靜を要して聲響を出さず。如果十里之外秀美の水「明堂」に流れ入る有れば、那は即ち大貴の地。第十二曰く「石」。開挖壙穴の時青石を見るは凶を主し、紅色土粉を見るは吉を主す。孤零零一塊の石頭鼓の如く、醜陋の石頭崩塌の山崖の如く、及び尖利の頑石塊、皆凶を主す。石頭碎裂して山勢險峻嶙峋、あるいは滿山草木を生ぜず、あるいは石縫の間濕漉漉として水を滲す、亦皆凶を主す。如果五色の石を開き出し、細膩粉の如く、并且五色の土を伴有れば、那は即ち大富大貴の地を主す。

劉白頭十般無脈絕

山凹絶、城門絶、覆鍾絶、馬眼絶、幹流絶。如居山谷,且要藏風。此山凹而龍虎腰缺陷,風吹其穴,主絶。廖氏云:“第一莫下凹風穴,決定人丁絶。”眞龍正穴結作於內,而門戶間雖似星辰,乃不結穴,謂之城門絶。形如覆鍾,高聳而直硬峻急,可尋下吐粘穴,要龍虎護衛其覆鍾。俗取向上穴者非是。若果有穴,則開窩鉗。來龍急而玄武高昂,不受穴,孤露受風吹,水必不聚堂,一無可取,何必泥亥龍艮龍哉!橫龍有空亡窩,趕元辰幹流,而左右山皆走竄,龍去別處做穴,乃過龍也。悞下必絕人丁。

此の一節原有五幅の圖、如今只だ圖題を存す。山凹絕・城門絕・覆鍾絕・馬眼絕・幹流絕、圖形已に佚し、下面依次は五幅圖の說明。山凹絕。若し山谷の中に安居せば、首先能く風を藏むるを要す。此處山形凹陷し、左右「龍虎」砂の腰身又缺口有り、風直に穴場を吹き、絕嗣を主す。廖金精曰く、第一凹風の穴を下す勿れ、人丁必定斷絕す。城門絕。眞龍正穴は裏面に結び、水口門戶の間雖亦有りて像樣の星峰、卻て幷びに穴を結ばず。誤りて門戶を把りて穴場と作せば、即ち城門絕と曰ふ。覆鍾絕。山形倒扣の鍾の如く、高聳して僵直陡急し、只だ能く山脚吐出の處に「粘穴」を尋ね、還た龍虎砂の此の覆鍾を護衛する有るを要す。世俗鍾頂に穴を取る是れ錯り。若し果眞穴有れば、必定「窩」「鉗」を開出せん。馬眼絕。來龍急促にして後山「玄武」高々と昂起し、穴を受くるを肯ぜず、孤露して風に當り、水も必定明堂に聚まる能はず。一も取る可き無し、何必死守亥龍・艮龍の類の方位の說。幹流絕。橫行の龍身に空亡の假窩有り、緊趕て「元辰水」幹流して下り、左右の山又皆走竄し出づ。龍其實是れ別處に到りて結穴せんと要す、此れ只だ一條の過路の龍、誤葬必定人丁を斷絕せん。

犁嘴絶、鵝頭絶、幹窠絶、初龍絶、大坂絶。降勢急而尖如犁嘴,直硬帶殺,不可扦穴,誤下必絕。護送不包穴而皆尖利,本身雖逶迤,不可謂龍活,乃鵝頭鴨頸,單寒微弱,故主絕。過龍假結幹窠,橫脈不能斗虎,又無唇氈證穴,必是花假,主絕。眞是初龍結穴則吉。但非初龍,而千龍發處,扦無脈無穴之地,山粗水短,無龍無穴,主絕。大坂之中,無龍脈,無突,無來歷,一坦平洋,或經斷脈水刦,不相聯屬,葬之主絕。

下一組も只だ五個の圖題を存す。犁嘴絕・鵝頭絕・幹窠絕・初龍絕・大坂絕、說明依次如下。犁嘴絕。山勢下降急促にして末端犁頭の如く尖し、僵直堅硬にして殺氣を帶び、穴を扦する能はず、誤葬必定絕嗣す。鵝頭絕。護送の砂包裹穴場するを肯ぜず而且個個尖利。本身山脈雖逶迤の狀有るも、亦活龍と算作す能はず。此れ是れ鵝頭鴨頸の形狀、孤單瘦寒・氣力微弱、故に絕を主す。幹窠絕。過路の龍假裝して一個の幹窩を結出し、橫來の脈氣能く右邊「白虎」と斗合せず、穴前又唇氈無くして印證せず、必定是れ虛花假穴、絕を主す。初龍絕。如果眞に初起の龍の結穴なれば、那自ら吉。但し幷びに初龍にあらず、只だ千百條の枝龍發脈の處、無脈無穴の地に下葬し、山勢粗蠢・水流短促、既に龍無し又穴無し、絕を主す。大坂絕。大片坂田の中龍脈無く、突起無く、來歷無く、一望平坦洋の如し、あるいは曾て斷脈の水に劫奪せられ、前後相聯屬せず、葬り下せば絕を主す。

洪梧齋二十四殺穴

若星頭不明,不土不金,肢腳走閃,巖峻破碎,崩崕洪赤,倒旗惡石,肥壅腫粗,茅葉拖鎗,歹欹軟蕩,架柴曬網,破傘嵯峨,柔弱屈曲,死蛇死鱔,散花亂衣,迎送不來,順下斜飛,披頭撒掌,均陷客風,當面捲簾,土牛牽動等穴,若不避忌,悞人敗絶,宜加精辨,庶眞假得分也。

洪梧齋の所列の二十四種の殺穴是れ此樣の形狀なり。穴星の頭面分明ならず、既に「土星」を成さず「金星」を成さず。肢脚走竄躲閃す。山巖陡峻にして破碎す。崖壁崩塌し土色赤紅なり。山形倒插の旗幟の如く遍く惡石を布く。肥胖壅腫にして粗蠢なり。茅草の葉の如く・拖着の長槍の如し。歪斜軟塌搖蕩す。架起の柴堆の如く・曬開の漁網の如し。破傘の如く・嵯峨亂石の如し。柔弱にして屈曲無力。死蛇・死鱔の如し。散亂の花・凌亂の衣の如し。迎砂・送砂皆到來せず。順水直下し斜身飛走す。披頭散髮し掌を攤開す。四面塌陷して外來の風灌入す。當面卷簾して水直瀉す。土牛水に牽動せらる。此れらの穴形若し避忌を知らざれば、即ち人の性命を誤り家を敗し嗣を絕さん。當に格外精細に分辨し、眞假纔に分かれ清まるべし。

玄武垂下,頸長如繩,而且纖細。頭上成星,而入首不昂,兩邊殺水又刦,全無生氣,不吉而凶。《雪心賦》云:“穴後須防仰瓦。”蓋後宮仰瓦,則氣不融結,何得有地?惟天財穴又喜仰瓦。不生胞乳,又無氈唇,龍必不眞,不須著眼。玄武吐舌,若龍眞而左右有情,亦有截法,所謂“玄武嘴長高處截”是也。壅腫彎來似壅弦,金魚不到土牛牽。時師道是窠囊裡,枉費心機空費錢。如人扶起筲箕樣,水直金魚會不成。氣脈不藏空立穴,子孫窮苦受伶仃。

以下是れ二十四殺穴圖の圖說、原書每則一圖を配し、此處圖形已に佚し、只だ說明を存す。其一「頸長」。後山「玄武」垂落下來し、頸項長く一條の繩子の如く、而且非常に纖細なり。頭上雖星體を結成すれども、入首處昂起せず、兩邊又殺水有りて劫奪し、全く生氣無し。不但不吉、而且凶を主す。其二「仰瓦」。『雪心賦』曰く、穴後須要隄防仰瓦せよ。後宮仰瓦なれば、氣即ち融結する能はず、那裏還た地あらん。只だ「天財穴」一格反りて仰瓦を喜ぶ。其三「無胞乳」。既に胞乳を生出せず、穴前又氈脣無ければ、來龍必定不眞、眼力を費やして看るに及ばず。其四「吐舌」。玄武吐舌の形、若し來龍眞・左右砂又情有れば、亦截取の法有り。即ち所謂玄武の嘴長、高處に截り住むを要す。其五「甕弦」。山身壅腫彎來して鼓起の弦の如く、「金魚水」穴前に到らず、土牛水に牽動せらる。時下の地師只だ它を窩囊の地と當て、心機を白く費やし錢を白く費やす。其六「仰箕」。形狀人の筲箕を扶起するが如し、水直去し金魚水會合成さず。氣脈藏め住む能はざるに憑空に穴を立つ、子孫只だ能く窮苦伶仃す。

牛軛形橫無節枝,兩邊水散局順飛。硬直挺然無護揖,誤扦枉死少年兒。如人擁膝坐寒爐,健硬生來氣脈粗。左右不回山水散,田連阡陌也如無。廖公云:繃面橫生脈數條,生氣自潛消。與此稍異,要之皆為凶穴,不可下也。廖公云:墜足脈從腳下出,此謂頭細頭粗,皆一理耳,俱不可下。《葬書》云:氣以生和,而童山不可葬也。蓋童禿之山,草木不能生育,安能有生氣以蔭人哉!竹篙頭硬而帶殺,既無節又無痕,誠一死硬物耳,安可下穴?

其七「牛軛」。形牛軛の橫陳するが如く、節苞・枝脚無く、兩邊水散り堂局水に順て飛去す。山身僵硬挺直にして護衛拱揖無し、誤葬すれば少年子弟を枉死せしめん。其八「擁膝」。形狀人の膝蓋を抱き冷竈前に坐するが如く、生來強健僵硬・氣脈粗蠢なり。左右砂回抱せず、山水四散し、縱然田連阡陌も、亦等しく無きに同じ。其九「繃面」。廖金精曰く、繃面の山橫生じて幾條の直脈、生氣自然暗々に消盡す。此處所指と廖公所說と略不同有れども、總じて歸ずる所皆凶穴、下葬する能はず。其十「墜足」。廖金精曰く、墜足是れ脈山脚底下より出づ。此處講ずる是れ上頭細くして下頭反りて粗し、道理是れ一樣、皆下葬す可からず。其十一「童頭」。郭璞『葬書』曰く、生氣は草木生發に靠りて纔に調和す。故に寸草不生の童山は下葬す可からず。童禿の山は連ちて草木も養活せず、那裏還た生氣有りて後人を蔭庇せん。其十二「竹篙」。山身竹竿の如く頭硬にして殺氣を帶び、既に節苞無し又痕迹無し、實在只だ一件の死硬の物、怎麼能く上面に穴を下さんや。

穴星不成,而硬直如搖拳,孤露受風,必來龍不眞,故有此丑穴,不必顧矣。反肘無情向穴,謂之龍虎反眥,主悖逆爭鬥,不孝不義,凶莫大焉。硬面天罡帶火如弩觜,不受穴,切勿輕下,主瘟火人命,枉死少丁。禾鍬面峻硬壁立,不受穴,是龍不眞,故成此形狀,不必追尋耳。玄武不垂頭者,謂之拒尸。故但凡穴前,必須要平坦,否則不納穴,皆是拒尸。白虎入明堂,兒孫主少亡。蓋虎山高昂,謂之銜尸。又入明堂,謂之拭淚,俱大凶。若水到右,白虎宜強,不以此拘。

其十三「搖拳」。穴星結ばりて形を成さず、僵硬挺直一隻の揮出の拳頭の如く、孤露して風を受く。此れ必定是れ來龍不眞、纔に此種の醜陋の穴を生出す。理會しに行くに及ばず。其十四「反肘」。山臂手肘の反轉するが如く、毫も情意無くして穴場に對す。「龍虎反眥」と曰ふ、子孫悖逆爭斗・不孝不義を主し、凶惡極點に到る。其十五「天罡帶火」。山面僵硬、「天罡」の形又火星を帶び、弩嘴の如く尖し、根本穴を受けず。切に輕易に下葬す可からず、瘟疫・火災・人命枉死・子丁稀少を主す。其十六「禾鍬」。山面陡峻僵硬・壁立牆の如く、穴を受くる能はず。此れ是れ龍身不眞纔に此の副形狀を長成す、再び追尋するに及ばず。其十七「拒屍」。後山「玄武」頭を垂るるを肯ぜざるを、拒屍と曰ふ。故に凡そ穴前は皆必ず平坦を須とし、否らざれば棺穴を容納する能はず、皆拒屍の類に屬す。其十八「虎逼堂」。「白虎」砂闖入明堂せば、子孫早亡を主す。虎山高昂するを「銜屍」と曰ふ、再び明堂に闖入するを「拭淚」と曰ふ、皆大凶なり。但し若水左邊より流れ右邊に到れば、白虎砂本就きて強きべし、則ち此の一條の拘束を受けず。

右二十四位殺穴:頸長者,來弱也;翅短者,無包藏也;貫頂者,無主星也;繃面者,生氣殺也;若如死鱉者,陰陽不分也;墜足者,後輕前重也;童頭者,躁禿無生氣也;竹篙、搖拳者,直殺也;水現、甕弦、空窩者,無頂乳虛窩也;死塊者,頑硬也;鱉裙者,氣散也;突肚似冬瓜,與覆鍾、筲箕,皆死硬粗峻也;箕口,散也;仰箕,虛窩也;擁膝,逼迫也;仰瓦,後空也;吐舌,露胎也;玄武壁立,不納也;虎逼堂,捶胸拭淚也。大抵穴星粗頑,破碎、壁峻、醜惡、壅腫、尖利、瘦削、柔弱、脈露、硬直不悠揚,皆謂之殺穴,必來龍不眞,故作穴不美,而水城、案對、龍虎縱合矩度,亦為虛花,不可貪砂水而失龍穴之根本也。

以上二十四種の殺穴、各其の病根有り。「頸長」是れ來脈衰弱。「翅短」是れ包藏遮護無し。「貫頂」是れ主星結頂無し。「繃面」是れ生氣變じて殺氣と成る。形「死鱉」の如き是れ陰陽分かれず。「墜足」是れ後輕前重。「童頭」是れ乾燥禿裸・生氣無し。「竹篙」「搖拳」是れ直硬にして殺を帶ぶ。「水現」「甕弦」「空窩」是れ頂乳無くして只だ虛窩有り。「死塊」是れ頑鈍僵硬。「鱉裙」是れ氣散り聚まらず。「突肚」冬瓜の如く、「覆鍾」「筲箕」と一樣、皆是れ死硬粗峻。「箕口」是れ散漫。「仰箕」是れ虛窩。「擁膝」是れ逼迫局促。「仰瓦」是れ後頭空缺。「吐舌」是れ穴胎裸露。「玄武壁立」是れ棺穴を容納する能はず。「虎逼堂」則ち胸を捶き淚を拭ふの狀の如し。大體說き來れば、穴星粗蠢頑鈍、あるいは破碎、あるいは壁立陡峻、あるいは醜惡、あるいは壅腫、あるいは尖利、あるいは瘦削、あるいは柔弱、あるいは脈氣裸露、あるいは僵直にして悠揚起伏の勢無し、此れら皆殺穴と曰ふ。它ら必定是れ來龍不眞、故に結び出せる穴不美なり。此の時縱然「水城」・案山朝對・左右龍虎皆規矩尺度に合すも、也只だ是れ虛花假象。切に砂水の好看を貪戀して、龍と穴此の根本を丟掉す可からず。

紫瓊張眞人穴法三十六怕

穴怕斗煞直扦。穴怕臃腫頑堅。穴怕孤露單寒。穴怕惡石巉巖。穴怕坐下低軟。穴怕卑溼瀝泉。穴怕懶坦平洋。穴怕崩破鑿傷。穴怕前高後低。穴怕四山壓欺。穴怕左空右缺。穴怕明堂傾跌。穴怕鎗頭鼠尾。穴怕鵝頭鴨嘴。穴怕高山峻嶺。穴怕面牆坐井。穴怕水走沙飛。穴怕燒窯築陂。

紫瓊張眞人の所列の三十六忌、先ず前十八條を說く。穴忌む斗煞相衝の處に直硬に下扦す。忌む山身臃腫にして頑鈍堅硬。忌む孤零裸露・單薄寒瘦。忌む四圍惡石嶙峋。忌む坐山の下低陷軟塌。忌む地勢低濕・終年泉水を滲出す。忌む一片懶散平坦平洋の如く起伏無し。忌む山體崩塌破損あるいは人に開鑿損傷せらる。忌む前面高くして後面低し。忌む四面の山壓迫欺凌す。忌む左邊空虛にして右邊缺口。忌む明堂傾側跌落す。忌む砂形槍頭の如く・鼠尾の如し。忌む鵝頭の如く・鴨嘴の如し。忌む高山峻嶺の頂。忌む面前牆壁の如く遮堵し身井底に在るが如し。忌む水走り砂飛び四散無收。忌む近旁燒窯築壩の類の人工破壞有り。

穴怕捲簾水現。穴怕刦砂當面。穴怕凹風吹射。穴怕元辰直瀉。穴怕堂氣不收。穴怕箭水直流。穴怕界水淋頭。穴怕牽動土牛。穴怕明堂空曠。穴怕界水塞暗。穴怕八風交吹。穴怕劍水沖摧。穴怕全無餘氣。穴怕路行穿臂。穴前怕見深坑。穴前怕見反城。穴後怕是仰瓦。穴後怕是高掛。

後十八條是れ此の如し。穴忌む穴前層層跌落卷簾の如く・堂水一覽無遺。忌む劫砂當面直衝す。忌む凹風灌進來て穴場を吹射す。忌む「元辰水」穴前より直瀉して出づ。忌む明堂の氣收攢し住めず。忌む箭の如き直水流出す。忌む界水穴頂より淋頭して下る。忌む水「土牛」を牽動し沖垮す。忌む明堂空曠にして關攔無し。忌む界水壅塞せられ暗滯通ぜず。忌む八面來風交り吹打す。忌む劍の如き水沖刷摧折す。忌む穴後全く餘氣承接無し。忌む道路有りて龍虎兩臂を橫穿す。穴前忌む深坑陷落を見、忌む反弓無情の水城を見る。穴後忌む是れ仰瓦の形、忌む高々と懸掛して依托無し。

紫淸眞人白玉蟾四喻

龍雖好而無穴,謂之有若無;穴雖好而無龍,謂之寔若虛;地雖吉而葬不得法,謂之有官而無祿;地雖吉而年月失利,謂之有舟無楫。傳疑玉蟾仙翁為臨川吳氏扦新畲陽基,在縣北百里,鱔魚形。吳氏舊基乏人。翁曰:“扦此大旺人丁,但年月未利。”吳氏欲速,不暇筮期。仙翁曰:“亥卯水流乾戌合,年月不利貴來遲。”吳氏果大旺人丁。自宋迄今,三百年後始出中江公璁,登嘉靖乙未進士,官籤憲。曰方、曰慧、曰宗漢諸君,連登科第方亨。

龍脈雖好、卻て眞穴を結び出さず、此れを「有若無」と曰ふ。看る是れ有るも、其實等しく無きに同じ。穴形雖好、背後卻て眞龍の接續無し、此れを「實若虛」と曰ふ。看る是れ實在も、其實是れ空なり。地氣雖吉、下葬卻て法度に合せず、此れを「有官而無祿」と曰ふ。名分是れ有るも、實惠卻て拿るに到らず。地氣雖吉、選定の年月卻て時利を失ふ、此れを「有舟無楫」と曰ふ。船是れ有るも、卻て划動す可き楫無し。白玉蟾此の四個の比喻は、要點明する龍・穴・葬法・年月四者一も缺く可からず。下面此の段は傳聞存疑の說に屬す。白玉蟾仙翁曾て臨川吳氏の為に新畬の陽宅基地を點定し、位置縣城以北一百里、形鱔魚の如し。吳家原來の舊基人丁凋零す。仙翁曰く、此處に遷れば人丁大旺せん、只だ是れ年月還た不吉利なり。吳家急ぎて動工せんと要し、卜擇日期に及ばず。仙翁便ち課語を留下して曰く、亥卯の水幹戌と相合し、年月既然不利なれば、貴氣就きて遲く來らんと要す。後來吳家果然人丁大旺し、宋代より直到今天、三百年を過て纔に中江公吳璁を出し、嘉靖乙未科進士に考中し、僉都御史を做到す。此後吳方・吳慧・吳宗漢等人接連登科し、家道此れ纔に亨通して起來り。

辨穴眞假

附:凡定穴,有天然的定之所,一步不可移易者,方為眞穴。如人灼艾用針,自有一定之穴,不可差毫釐。若移左一步放棺亦似是,移右一步放棺亦似,移上亦正,移下亦正,無的然之所者,則非眞穴。術家謂之菩薩面,面面皆好,決非眞穴。無蹤跡個字,無燕尾三叉,無唇氈證佐。有個字,有唇氈,有三叉。龍分兩片穴三叉,證佐分明始是眞。平正尖圓隨步有,也應此地小榮華。

附論一則。凡是點定穴位、必定有一處天然確定の位置、挪動一步都不行、此れ纔算真穴。就像醫家用艾灸・用針刺、人身上自有一定の穴道、差一絲一毫都不成。如果向左挪一步放棺看著也像、向右挪一步放棺看著也像、往上移也端正、往下移也端正、找不出那個非此不可の定點、那就不是真穴。術家把此種情形叫做「菩薩面」。四面八方看去處處都好、恰恰說明它決不是真穴。此處原有真假兩穴對照之圖、圖形已佚、只留下兩則圖說。假穴一圖說的是。穴上看不出「個」字形の分水蹤跡、沒有燕尾一般の「三叉」合水、也沒有唇氈可作憑證。真穴一圖說的是。有「個」字分水、有唇氈承托、有三叉合水。龍脈到穴頂分成兩片流下、穴前有三叉水交會、此れ些憑證淸淸楚楚、纔算得上真穴。至于穴形是平是正・是尖是圓、隨著步位高低各有不同、只要證佐分明、縱然格局不大、也能應出一份小小の榮華。

傷龍傷穴說

附:傷龍傷穴有兩說,一是點穴太高為傷龍,穴點太低為傷穴;一是順來順下,氣沖於腦,謂傷龍;斜插太過,氣不貫耳,謂傷穴。二說俱是。以氣言,高則氣太急,低則脫氣,順來順下,鬥氣沖腦,饒減太過,脈注不著。故云“高低饒減咫尺間,得失吉凶從此定。”不可不慎。傷龍主禍速,傷穴主禍遲。古人謂“寧可傷穴,不可傷龍。”以取禍之遲速言耳。其實二者均不可傷。一說掘鑿太廣傷龍,開井太深傷穴,皆當慎之。

附論一則。傷龍・傷穴有兩種講法。一種是穴點得太高叫傷龍、穴點得太低叫傷穴。另一種是脈氣順來而又順著直下、氣直衝穴腦、叫傷龍。下扦時斜插過了頭、氣貫不到穴耳、叫傷穴。此兩種講法都對。從氣上說、點得太高則氣來得太急、點得太低則脫開了氣。順來順下、斗氣直衝腦門。「饒減」讓得過了頭、脈氣就注不到穴心。故に說、高低饒減不過在咫尺之間、一穴の得失吉凶就由此定了、不能不謹慎。傷龍の禍來得快、傷穴の禍來得慢。古人說寧可傷穴、不可傷龍、只是就取禍の遲速而言、其實兩者都傷不得。還有一種說法。開挖の面積太大是傷龍、金井掘得太深是傷穴、都應當小心。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷四下之二

江右山人徐善繼述 同著。此冊專論怪穴。夫怪穴者,異常之穴也。眞龍藏幸,穴多異常,人難測識,故曰怪穴。寔乃造化隱機,以俟有德。故凡大地,多是怪穴。但常穴易安穩,怪穴多僥險;常穴雖時師猶可知,怪穴非法眼不可辨。若識怪不眞,為害不淺。本欲置之不談,尙恐庸師嗜利者,籍口奇怪,黎首飲鴆。又愳自認聰明者,索隱好奇,置身險地。是以將言復輟,欲罷不能。謂如隱秘而不談,孰若直陳而破惑?敢將師訣,參以己知,立歌補註,用述其概云。

江右山人徐善繼・徐善述兄弟合著。此の一冊專門討論怪穴。所謂怪穴、就是不合常格の穴。真龍善於隱藏躲閃、所結之穴多半異乎尋常、人不容易看破、故に稱為怪穴。它實在是造化有意藏起來の機關、專等有德之人。因此凡是大地、多半是怪穴。只是常穴容易安穩、怪穴多帶僥倖凶險。常穴連一般時師也還看得出、怪穴不是具眼の行家分辨不來。倘若認怪認得不真、害處不淺。本來打算擱下不談、又怕貪利の庸師借「奇怪」二字作幌子、讓人白白服毒送命。又怕自作聰明の人搜奇好異、把自己置於險地。因此話到嘴邊又停住、想罷手卻罷不了。與其隱祕不說、不如直說出來替人破除疑惑。于是把師傳口訣連同自己の心得、編成歌訣並補上註解、把大略講一講。

怪穴破惑歌

眞龍藏幸穴奇怪,俗眼何曾愛?天珍地秘鬼神司,指點待明師。注:藏者,晦而隱也。幸者,譎而險也。蓋眞龍融結,福量非常,故其為穴,亦殊常格。潛蹤閃跡,韜光斂華,而為詭異形穴,若有閉藏之狀,不使時俗易識,故曰藏幸。厲伯韶云:“天機好處從來秘,不教俗眼識其奇。”

歌訣說。真龍善於藏幸、結出の穴奇特古怪、世俗の眼光哪裏會喜歡它。此れ是上天珍藏・大地祕惜・鬼神看管著の東西、要等明師來指點。註解。所謂「藏」、是晦暗而隱蔽。所謂「幸」、是詭譎而險峻。真龍融結之處福分非同尋常、故に它結の穴也異於常格。把蹤跡潛藏起來・把鋒芒收斂起來、做成詭異の形狀、像是有意閉藏、不讓世俗輕易認出、故に叫「藏幸」。厲伯韶說。天機最好の地方從來都是祕密の、不讓俗人の眼睛看出它の奇處。

然大地吉穴,人不易識。若天地之有呵護以待厚德,不輕與人者。苟非明師深契奧妙,何以發天地之隱,洩鬼神之機哉!陳氏名策,號靈泉,銀邑人云“地出生成捉穴易,不須師管郭。地逢怪異穴難扦,遂要遇神仙”是也。但怪穴雖待明師而後扦,名師亦必積德而可致。故積德為圖地之本,良有以也。苟使穴皆不怪,人皆可扦,則為惡之家亦可以得吉地,豈造化福善禍淫之微意哉!

然而大地吉穴、人不容易認得出來。那情形就像天地在旁邊呵護著它、專等厚德之人、不肯輕易給誰。若不是明師深深契合其中の奧妙、怎麼揭得開天地の隱祕・泄得出鬼神の機關。陳策。號靈泉、銀邑人。說過。地若生成得現現成成、捉穴就容易、用不着請管輅・郭璞那樣の高手。地若長成怪異模樣、穴就難扦、非得遇上神仙不可。不過怪穴雖然要等明師纔扦得下、明師本身也要靠積德纔請得到。故に說積德是求地の根本、此話很有道理。假使天下の穴都不怪、人人都能扦、那麼作惡之家也照樣能得吉地、哪裏還談得上造化「福善禍淫」の深意呢。

明師堪破玄機訣,秘密不敢說。恐君緣福或輕微,指出反驚疑。注:天造地設,或好地丑形,或好形丑病。如杜後無齒,侍周王則生;鉤弋手拳,遇漢武則伸。俟其人耳。明師之識怪穴,怪穴之待明師,豈偶然哉!

歌訣說。明師看破了其中の玄機口訣、卻祕而不宣、不敢說出來。只怕你の福緣太薄、指點出來反而惹得你驚疑不信。註解。天造地設の東西、有の是好地卻生就醜形、有の是形狀好卻帶著醜病。就像後周太祖の杜太后天生無齒、侍奉周王之後牙齒纔長出來。漢武帝の鉤弋夫人兩手蜷曲不能伸、遇上漢武帝手纔張開。都是在等那個對の人罷了。明師能識怪穴、怪穴在等明師、哪裏是偶然の事。

但此等大地,明師雖能識之,奈何形穴怪異,隱晦殊常,苟非陰功重厚,福人慶門,雖有曾楊之能,周孔之地,獻之必不受,告之必不信,反致掩口胡盧,或驚駭疑怖,甚至訕謗詆譭而咎之。若吳國師景鸞獻中乾地,而反遭禁錮者,世豈少哉!

只是此の一類大地、明師雖然認得出、無奈它形狀怪異・隱晦異常。求地の人如果沒有深厚の陰德・不是有福有慶の人家、那麼縱使地師有曾文辿・楊筠松の本事、指點の是周公孔子那樣の吉壤、獻給他他也一定不肯要、告訴他他也一定不肯信、反而會掩著嘴偷笑、或者驚駭疑懼、甚至譏諷毀謗、把過錯都推到地師身上。像吳景鸞國師進獻中幹龍の吉地、反倒因此遭到囚禁、此樣の例子世上難道還少嗎。

何也,誠以此等大地,非淺福薄德所宜受用。苟不度德而妄獻輕指,則天地鬼神加怒,而地師反遭禍害。故明師雖遇此眞龍大地怪異之穴,必須珍重,毋得輕洩,以取禍愆。賴氏云:“世降風移人少淳,大地相逢勿輕許。”廖氏云:“世人將信又將疑,枉自洩天機。”

為甚麼會此樣。實在是因為此の一類大地、本來就不是福淺德薄の人所能消受の。倘若不衡量對方の德行就胡亂進獻・輕易指點、天地鬼神就會發怒、地師自己反而要遭禍害。故に明師即便遇上此種真龍大地上の怪異之穴、也必須鄭重珍惜、不可輕易泄露、免得招來罪愆。賴布衣說。世道日下・風氣轉移、人心少有淳厚の、遇上大地不要輕易許人。廖金精說。世人聽了半信半疑、白白把天機泄露了。

地有奇巧有丑拙,總名為怪穴。巧是穴形美且奇,地位使人疑。拙是穴形媸且丑,狐疑難下手。高人造化蘊胸中,巧拙盡玄通。注:眞龍之融結,有處於非常之地者,謂之巧。有結為詭丑之形者,謂之拙。總名曰怪穴,惟高術之士能明之。

歌訣說。地有奇巧の一路、也有醜拙の一路、總名都叫怪穴。所謂巧、是穴形既美又奇、只是所處の位置讓人生疑。所謂拙、是穴形又醜又難看、叫人狐疑不敢動手。高明の人胸中蘊著造化之理、巧也好拙也好、都能一一看通。註解。真龍の融結、有の落在極不尋常の位置上、此れ叫做巧。有の結成詭異醜陋の形狀、此れ叫做拙。兩者合起來總稱怪穴、只有術業高深の人纔明白。

大凡怪穴有蹺蹊,龍要十分奇。認得龍神的的眞,怪穴始堪針。注:怪奇以龍為取舍,故必有十分美龍,方可下之。不然則多謬戾,禍不旋踵。《經》云:“龍若眞兮穴便眞,龍不眞兮少眞穴。”又云“恐君疑穴難取裁,好向後龍身上推。龍上生峰是根核,前頭形穴是花開。根荄若眞穴不假,蓋從種類生出來”是也。

歌訣說。凡是怪穴總有蹊蹺之處、來龍必須十分奇秀。認定龍神確確實實是真の、怪穴纔可以下針點定。註解。判斷奇怪之穴、取舍全看來龍、故に必須有十分美好の龍、纔可以下葬。不然多半要出差錯、災禍轉眼就到。『葬經』說。龍若是真の、穴自然就真。龍若不真、就少有真穴。又說。怕你對穴形拿不定主意、最好回到後面の來龍身上去推求。龍身上生出の星峰是根、前頭の形穴是花。根若是真の、花就不會假、因為花本來就是從此の根上長出來の。

巧穴巧穴何巧穴,仔細與君說。或然高在萬山巔,天巧穴堪扦。注:地有結於萬仞山巔而為天巧之穴者,子微云:“第一天巧最高穴,常人懼怕輕棄撇。只言高處穴難安,不知巧穴有眞訣。天巧山頂分龍虎,峻地平夷有門戶。人到穴中有半天,四望百里堪摘取。此地神童及狀元,子子孫孫皆過府。”

歌訣說。巧穴啊巧穴、究竟甚麼算巧穴。讓我細細講給你聽。有の高高地結在萬山之頂、那就是可以下扦の「天巧穴」。註解。確實有結在萬仞山巔而成為天巧之穴の。張子微說。第一等の天巧穴位置最高、常人望而生畏、輕易就把它捨棄了、只說高處安不下穴、不知道巧穴自有真訣。天巧之穴在山頂上分出「龍虎」二砂、陡峻之地上偏有一塊平夷之處、還帶著門戶。人站到穴中像懸在半空、四面望出去百里山川都可摘取。此樣の地出神童・出狀元、子子孫孫都做官過府。

釋之者曰:“穴不在天而名曰天巧,以其高出雲霄,如在天上,故曰天巧。每見龍穴湫窟、仙祠佛宇,多在崇岡疊嶺之上。登山或數十里,或二三十里,多至五六十里,方見窟穴宮室。所在莫不別有天地境界。觀其龍穴,其為龍宮,其為仙廟,其為佛剎,各隨其宜,不可更革。蓋天造地設,逞奇顯異,山上出泉,冬夏不竭。峰巔有田,多至萬傾。未經開荒,則長林茂木、惡蜂、毒蛇、鬼神占護。及其緣會遇合,則風霆開霹,鬼神剪除,長徑屈蟠,廣途平坦。此造化之玄也。天巧之穴,無以異此。”信哉,言也!

解釋此の一格の人說。穴並不真在天上、卻叫做天巧、是因為它高出雲霄、彷彿懸在天上、故に稱天巧。常見龍潭深窟・神仙祠宇・佛家寺院、多半坐落在高岡疊嶺之上。上山有の要走幾十里、有の二三十里、多の到五六十里、纔見得到那處洞窟宮室、而所在之處無不別有一番天地境界。看那裏の龍穴、該做龍宮の做龍宮、該做仙廟の做仙廟、該做佛剎の做佛剎、各自適得其宜、誰也改動不了。此れ都是天造地設、故意逞奇顯異。山頂上冒出泉水、冬夏不竭。峰巔上有田、多到萬頃。未曾開墾時、那裏是高林密木・惡蜂毒蛇、還有鬼神占守。等到機緣湊合、便風雷劈開・鬼神讓路、長長の小徑盤繞而上、寬闊の大道平坦好走。此れ就是造化の玄妙。天巧之穴の道理、和此れ沒有兩樣。此番話說得實在中肯。

是故凡天巧之穴,雖在高山,及登其所,豁然開闊,局勢寬平,如在平地,不知為萬仞山巔。但見四面八方,獻奇列秀,如三千粉黛、八百煙花,次第羅列。城郭周完,朝案重疊,明堂團緊,左右環抱,三陽具備,諸吉拱護,水不傾瀉,穴不孤寒,乃為眞結,力量極大。上格貴龍,乃為禁穴,或出聖賢;中格龍亦能出將入相、皇妃國戚、神童狀元、滿門朱紫;下格龍無此融結也。

故に凡是真正の天巧之穴、雖然位在高山、等你登上去一看、眼前豁然開闊、局勢寬平、就像站在平地上一樣、根本覺不出是在萬仞山巔。只見四面八方群峰獻奇羅秀、好比三千粉黛・八百煙花依次排列。「羅城」周正完整、朝山案山重重疊疊、「明堂」團聚緊湊、左右環抱有情、「三陽」齊備、各樣吉砂拱衛護持、水不傾瀉而去、穴場不孤零寒冷。此樣纔算是真結、力量極大。上等格局の貴龍結此穴、屬於「禁穴」、甚至能出聖賢。中等格局の龍也能出將入相・出皇妃國戚・出神童狀元、滿門顯貴。下等格局の龍則根本結不出此種穴來。

予兄弟所見者,如漢高祖祖地在寕都縣靈雲山牙鼓峒見朝州府郡《志》及《一統志》、舊名虔州府虔化縣,朱夫子祖地在婺源縣官坑嶺金斗形樑上穴,笵文正公祖地,在蘇州大湖格名萬笏朝天,及吾邑廖公下張氏白牛坦祖地出一文一武一神仙:張忠定公燾為叅知政事,文也;甲公忠利侯,武也;紫瓊眞人張君範,仙也,泉州曾丞相公亮祖地番天馬蹄形,皆其格也。

我們兄弟親眼見過の天巧之穴、例如漢高祖の祖地、在寧都縣靈雲山牙鼓峒、此地見於州府志書和『大明一統志』、寧都舊名虔州府虔化縣。朱熹先生の祖地、在婺源縣官坑嶺、金斗形の梁上穴。范仲淹の祖地、在蘇州太湖、格名叫「萬笏朝天」。以及我們本縣廖金精為張氏點の白牛坦祖地。此の一地出了一文一武一神仙。張忠定公張燾官至參知政事、是文。張甲受封忠利侯、是武。紫瓊真人張君範、是仙。還有泉州曾丞相曾公亮の祖地、形名「番天馬蹄」。此れ些都屬於天巧一格。

大抵此等地,要穴場極暖,雖在高山,不知其高則善。否則,據高挹秀,未免風寒,又多結為神仙窟宅。如太和山之玄帝宮、九華山之地藏殿、匡廬天池寺、雁蕩羅漢巖,與夫武夷天遊、西華仙掌、太華三仙、黃梅四祖等處,皆天巧穴也。

大體說來、此の一類地要緊の是穴場極其溫暖、雖然身在高山、卻感覺不出它高、此れ纔算好。否則只是占著高處採納遠秀、難免風寒侵襲、那樣の地方多半結成神仙洞府・僧道居所。像武當山の玄帝宮・九華山の地藏殿・廬山の天池寺・雁蕩山の羅漢巖、以及武夷山の天游峰・西嶽華山の仙人掌・太華の三仙・黃梅の四祖寺等處、都屬於天巧之穴。

凡修佛,亦須擇取名山,然後以成道。蓋亦收山川之靈秀耳。人嘗謂“修仙先要選名山如許眞君煉丹洞,郭景純選酉山金氏宅而後成道,切忌孤峰四望寒。請君古來成道處,洞天福地不尋常古云“天下名山僧占多”不其然乎。”

凡是修佛の人、也一定要挑選名山、然後纔能成道、無非是要收攝山川の靈秀之氣罷了。有人說過。修仙先要選名山。像許真君の煉丹洞・郭璞選定酉山金氏の宅地、都是先得名山而後成道の。最忌孤零一座山峰・四面望去一片寒涼。請看自古以來成道の地方、那些洞天福地哪一處是尋常之地。古語說「天下名山僧占多」、不正是此の道理嗎。

或然低在深山裡,沒泥穴可取。注:地有結於平田汙下之處者。廖氏曰“藏龜閃跡在田中”是也。張子微謂之天平穴。中原平洋之地,龍行地中而不可見,間露毛脊,為石骨,為墩阜。及結穴處,亦要高下分明,此亦名為沒泥龍蛇,藏蟄於泥,時有毛脊露出泥外,取其不見龍身,間露一二,知其為蛇龍之蟄藏耳。此格全在觀水勢以尋穴。故楊公云“平地龍神因水勢”,又云“凡到平洋莫問蹤,只觀水遶是眞龍。”但龍平田散亂難見,而又雜以溝洫,諸水縱橫,未易檢點,必心目聰巧,而後可識。不然,亦水邊日耳。

歌訣說。有の卻低低地藏在深山裏、泥水之中反倒有穴可取。註解。確實有結在平田低窪汙濕之處の地。廖金精所說「藏龜閃跡在田中」、指の就是它。張子微把它叫做「天平穴」。中原一帶の平洋之地、龍在地中潛行而看不見、只是間或露出一線微脊、或成石骨、或成小墩阜。到了結穴の地方、也還是要高低分明。此の一格又叫「沒泥龍蛇」。龍蛇蟄伏在泥中、時時有一線脊背露出泥外。取の正是看不見整條龍身・只偶爾露出一兩處、由此知道它是龍蛇潛蟄。此の一格全靠觀察水勢來尋穴、故に楊筠松說。平地の龍神要憑水勢去認。又說。凡到平洋不必問它の蹤跡、只看水繞之處便是真龍。只是龍在平田裏散亂難辨、又夾雜著溝渠、諸水縱橫交錯、不容易一一檢點、必須心思眼力都極靈巧、纔認得出來。不然、也只是在水邊空耗時日罷了。

或然孤露八風吹,登穴自隈聚。注:廖氏云:“坐空轉面去當朝,不怕八風搖。”然亦不可穴上受風,登穴隈聚則善也。張子微天風穴云:“八風可至之地,望之若寒,即之則溫;望之似露,登之則藏。”《發揮》云:“山峻穴高,蓋於峻中求平;山露穴出,蓋以兩肩有蔽。”似於孤露受風,其實則藏風聚氣,此所以吉。俗眼不識,嫌其露也。或然直出兩水射,臨穴有憑藉。注:楊公云“亦曾見穴直如鎗,兩水射脅似難當”是也。然兩水射脅之穴,必要當水射處,或有石曜沖出,或有山頭夾照,穴間不見水來,故曰“臨穴有憑藉”。

歌訣說。有の穴看去孤零裸露・八面來風、等你登上穴場、卻自有一處隈藏聚氣之地。註解。廖金精說。坐後空虛而轉身去朝對來水、就不怕八風搖撼。不過穴場本身仍舊不能受風、要登上去果然有隈藏聚氣之感纔好。張子微講「天風穴」說。八面來風都能吹到の地方、遠望像很寒冷、走近了反而溫暖。遠望像很裸露、登上去反而藏得住。『發揮』說。山陡峻而穴位高、要在陡峻中找一塊平地。山裸露而穴位突出、要靠兩肩有所遮蔽。此種穴看起來像是孤露受風、實際上卻能藏風聚氣、故に為吉。俗人の眼力認不出來、只嫌它裸露。歌訣說。有の穴直挺挺地伸出去、兩邊有水直射它の脅側、可是到了穴上自有依憑遮擋。註解。楊筠松說、也曾見過穴形直得像一杆槍、兩道水射著它の兩脅、看似難以承當。然而此種兩水射脅の穴、必定要在水所射到の位置上、或者有「石曜」衝出來擋住、或者有山頭夾在旁邊照護、站在穴中根本看不見水射過來、故に說「臨穴有憑藉」。

或然結在水中央,四畔水汪洋。注:楊公云:“也有穴在深潭裡。”卜氏云:“水底穴,必須道眼。”謝子期釋之曰:“水底之穴,甚難尋究,必是來脈精奇,蹤跡怪異,自然超拔,與眾不同。脈跡奇異而來,臨於深淵大澤,忽然隱脈,必其穴生水底,惟道眼者知之。”張子微亦云:“要知水巧在何處,行水中間龍脈繫。或見或隱或夾流,尋得龍來穴無地。居然卻在水中央,百個山人無一喜。正緣見脈不分明,巧在水中難指耳。”

歌訣說。有の穴結在水の中央、四面一片汪洋。註解。楊筠松說、也有穴在深潭裏の。卜應天說、水底之穴、必須有得道の眼力纔看得出。謝子期解釋道。水底之穴極難尋究、那必定是來脈精妙奇特・蹤跡怪異、自然超拔而與衆不同。脈跡奇異地行來、臨近深淵大澤時忽然隱沒、那麼穴必定生在水底、只有具道眼の人纔知道。張子微也說。要知道「水巧」在甚麼地方、行水の中間正繫著龍脈。它或現或隱或夾在水流之間、尋著龍來了、卻看不到落穴之地。竟然是在水中央、一百個地師沒有一個歡喜の。正因為看不淸脈絡、巧就巧在藏於水中而難以指認。

誠如諸公所說,則安穴水裡。以愚庸見,則為不然。嘗究廖氏《怪穴破惑歌》云:“捉月雖云在水中,還要土來封。”正恐人以水中安穴,而不能用土封耳,故指出。穴在水中,四畔皆水,乃是水中突出山阜,于山阜上結穴,而四面迴環周帀,皆汪洋巨浸,即是穴在水中,為水巧之穴。不可悞作穴安水底,方為水中怪穴。且天地間安有水中作穴扦葬之理?苟或有之,亦行險僥倖,仁人孝子豈忍以親體置之水中,而自取悖逆之罪,以希圖富貴哉!

上面の幾位が說く所に照らせば、即ち穴を水の裏に安ずると成る。我ら淺陋の見に依れば、事情幷びに此の如しにあらず。曾て細かに廖金精の『怪穴破惑歌』を窮究すれば、裏面に說く、捉月の穴雖說きて水中に在るも、還た是れ土を用ゐて封ずるを要す。此れ正に人の水中に穴を安ずるの說を聽信して土を用ゐて封ぜざるを怕る、故に特意點明す。所謂穴水中に在り・四面皆水は、其實是れ水中に一座の山阜を突出し、山阜の上に結穴し、四圍環繞する皆汪洋の巨浸なり。此れ纔に穴水中に在ると曰ふ、是れ「水巧」の穴なり。誤解して棺穴を水底に安ずると成す能はず。那樣纔に水中の怪穴と算す。何况天地の間那に水裏に穴を做して下葬するの道理あらんや。就算眞に有るも、亦是れ險を行ひ僥倖するなり。仁心有る孝子、怎麼忍心して父母の遺體を水中に放進し、替りて自己に悖逆の罪を招來し、去りて甚麼の富貴を指望せんや。

蔡西山亦嘗有云:“水巧之穴,尤其難見,亦且難信。宇宙之間,水中融結固不多見。扦於水中,尤屬罕聞。或者舍山而就水,舍高而就低,理則有之,亦須龍穴眞的無疑方可。不然,反成絕穴。況扦於水中乎?非審詧地理精熟透徹,何敢以前人體魄嘗試險穴?”誠確論也。

蔡元定も亦曾て說きて曰く、水巧の穴尤其も見ること難し、而且取信し難し。天地の間、水中の融結本來多く見ること無し、穴を水裏に扦するは更是れ罕有聞くことなり。あるいは山を舍てて水に就き、高處を舍てて低處に就くは、道理の上に講じて通ず。但しも必ず龍眞穴的・毫も疑義無くして纔に可なり。不然なれば反りて絕穴と成らん。何况是れ水中に扦するをや。若し是れ地理を審察して精熟透徹の地步に到るにあらざれば、誰敢へて先人の遺骨を把りて此種の險穴を試みんや。此の話說きて實在確當なり。

或然結在頑石裡,鑿逢土脈取。注:子微云:“也有石山石片漫,皆無寸土穴難安。不合龍眞難舍去,尋趂十日無足觀。此名天完混沌氣,龍皮粗厚頭面幹。時人莫道無草木,不知童山是兩般。童山土色細雜碎,可栽木植生長難。天完之地無縫路,蕩蕩光滑如削刓。卻須迴環四獸地,自有土潤草木山。只有相當作穴處,頭面漫漫皆石盤。石必有縫可鐫鑿,石板之下有土山。若得土時穴須淺,不必深鑿入其間。”是謂穴結石裡也。但頑石漫漫,不易測識。苟非高術法眼相度,安知頑石之下,可以鑿縫土而安柩哉!故卜氏云“石間穴貴得明師。”

歌訣曰く、あるいは穴頑石の裏面に結び、石を鑿開き土脈に遇はば纔に取用す可し。註解。張子微曰く、亦整座の石山・石片一片鋪開き、寸土全く無く、穴安ず可き處無し有り。只だ因るに來龍確實眞實、舍てて放棄するに忍びず、一連找して十天に上るも名堂を看出せず。此の一種を「天完混沌氣」と曰ふ。龍の表皮粗厚、頭面乾枯す。當時の人不要一見草木無ければ即ち斷定して不好とせよ。須知童山と天完是れ兩回事なり。童山の土色細碎雜亂、樹木を栽下すも長活し難し。天完の地則ち通體縫路無く、光溜溜として被削平打磨せらるが如し。此種の地方只だ四獸回環合抱すれば、自然另有土潤草茂の處。只だ正に穴を作す那一塊、頭面上の一片皆是れ石盤なり。石頭上必定縫有りて鐫鑿す可く、石板底下即ち土山なり。鑿りて土に到るの時、穴は淺葬を要し、不必深裏に向て鑿進せよ。此れ說く即ち穴石頭の裏面に結ぶを謂ふ。只是頑石漫漫一片、容易に測識せず。若し是れ術業高深・法眼を具備する人の相度にあらざれば、誰知道頑石の下還た石縫を鑿開き土を見て靈柩を安放するを得るをや。所以卜應天曰く、石間の穴、貴んで能く明師を請得するに在り。

或然有穴瞰泉竅,葬後泉乾燥。注:眞龍氣旺,故結穴完而其氣又有餘盛,從而漏為靈泉。子微所謂“龍氣之旺,迸裂不禁者”是也。亦謂之“龍漏穴”,本是眞龍漏天地之秘,示人以自然之穴。但造物玄機,以泉惑人,故未易測。然其泉亦必甘美異常,又非冷泉險潰之比。

歌訣曰く、あるいは穴泉眼を俯臨し、葬り下すの後泉水反りて乾涸す。註解。眞龍氣勢旺盛、結穴し完るの後氣仍ほ餘有り、即ち旁より漏出して靈泉と成る。張子微の所說「龍氣太旺、迸裂して止住する能はず」、指す即ち此種なり。此れも亦「龍漏穴」と曰ふ。本是れ眞龍天地の祕密を漏泄し、天然の穴を指點して人に看るなり。只是造物の玄機偏に泉水を用ゐて人を迷惑す、故に容易に測度せず。不過此種の泉水必定甘美異常、那種陰冷險惡・動輒潰流する泉と一類にあらず。

西山云:“泉有數種,惟冷漿泉不可灌溉,不堪盥俯,不入炊飲,滋滋浸漬,清不能澄,濁不能混。此無用之泉也。紅泉之地,不可取用,恐有銀脈。腥泉之地,不宜留意,恐有鐵礦。溫泉、醴泉則旺氣已鍾於泉,不復成地。若泉清,可椈,可澣,可灌,澄之愈清,混之難濁,春夏不盈,秋冬不涸,皆泉水之美者也。

蔡元定曰く、泉水有好幾種有り。只だ冷漿泉は既に田を灌ぐ能はず、亦手を洗ひ臉を洗ふ能はず、更不能く飯を煮り飲用に用ゐ、只だ滋滋として浸潤滲漏す。它を澄まさんと欲するも清まる能はず、它を攪かんと欲するも濁らす能はず。此れ是れ無用の泉なり。泉水紅を發する地方は取用す可からず、恐怕地下に銀礦脈有らん。泉水腥を發する地方は留意するに及ばず、恐怕地下に鐵礦有らん。溫泉と甜美の醴泉は、則ち旺氣已經全く泉の上に鍾聚し、再び地を結成せんと說明す。如果泉水淸澈、掬飲す可く、洗滌す可く、灌溉す可く、越て澄めば越て清く、攪くも攪れ渾らず、春夏漲滿を見ず、秋冬枯竭を見ず、此れら皆是れ泉水中の上品なり。

穴適值此,則為佳脈。瞰泉竅上弦以治穴納棺,此泉必縮為生氣,不復流注。若夫得雨則盈,雨霽則涸,望之似可揚塵,踐之或可沒脛,此不瀦之地,地脈疏漏,最為無用。或春夏有泉,秋冬乾涸;或雨則泉迸,晴則泉幹,皆不足用。故穴逢龍漏,又須論泉而後論地,泉吉而穴吉是也。然亦不必拘於葬後泉幹,亦有不幹而吉者,但要泉美為凖耳。

穴場恰好此樣の泉に碰上すれば、即ち好脈なり。泉眼上方の弦邊に壙穴を整治し棺木を安放せば、此の道の泉必定收縮して回去り生氣と化し、再び流淌せず。至于那種一下雨すれば即ち滿ち、雨一停まれば即ち乾く、遠く看れば揚起塵土す可きが如く、踩上去すれば卻て小腿に陷る、屬する是れ水を蓄え住めざる地、地脈疏松漏氣、最是れ沒用。還有春夏泉有り秋冬乾涸す、あるいは下雨すれば泉即ち迸出し、天晴すれば泉即ち干掉する、皆堪へ取用す可からず。所以穴若し「龍漏」に遇へば、必ず先ず泉の好坏を論じ、再び地の好坏を論じ、泉吉にして穴纔に吉なり。不過亦不必「葬後泉乾」の一條を死守す。亦泉乾せずして照樣吉の有り、只だ泉水美好を以て準と為すのみ。

或然有穴逼水邊,葬後水城遷。注:龍眞穴正,不幸而逼近水涯,或水沖割,此亦造化留心待人主耳,故葬後水徙而吉。卜氏云“水有陵遷谷變”是也。《史記》:“晉郭璞葬母於暨陽,去水百步,人以為言。璞曰:‘當即為陸矣!’其後沙漲,皆為桑田。”

歌訣曰く、あるいは穴緊逼水邊に在り、葬り下すの後水城反りて道を改め遷走す。註解。龍眞穴正、不巧卻て水涯に逼近す、あるいは水の沖刷切割を受く。此れも是れ造化有意に留下し主人を待つなり。故に葬後水會遷移して轉吉す。卜應天の曰く「水有陵遷谷變」、正に此の意なり。『史記』記載す。晉人郭璞は母親を暨陽に葬る。水を離るる只だ一百步、衆人皆此の事を議論す。郭璞曰く「此處馬上即ち陸地と變成せん」。後來泥沙淤漲し、那一帶全く桑田と變成れり。

或然有穴居龍脊,騎龍貴無敵。注:廖氏曰“騎龍須要居龍脊,龍住應無敵”是也。蓋騎龍穴力量最大,乃龍氣旺盛,故結穴後猶有餘氣之山。以其穴不居盡處,故曰騎龍。舊說前去山皆不結穴。予兄弟見仙蹟騎龍穴結後,再去山多有結作,但力量有大小,受穴有正副不同耳。

歌訣曰く、あるいは穴就て龍脊の上に坐す。此種の「騎龍穴」貴にして當る可からず。註解。廖金精曰く、騎龍の穴必ず龍の脊背の上に坐するを要す。龍一停住せば、應驗即ち人能く敵する無し。騎龍穴の力量最大、那是れ因るに龍氣太旺、結穴し完るの後前面還た餘氣の山を剩下す。穴既然龍の盡頭に在らず、故に騎龍と曰ふ。舊說以て穴前に繼續行去の山皆再び穴を結ばずと認む。我ら兄弟看過古仙留下の騎龍穴、結穴の後再び前に往て行く山、多く仍ほ結作有り、只是力量大小有り・所受の穴正副有るのみ。

如吾邑吳國師為十院張氏下一騎龍穴,在新營河南五里,土名烏石源,出張忠定公燾,為宰執。甲公封忠利侯,進士五十餘人。其龍結穴後,復起大山,去土名桃芝源,又結董德彰下金鵝抱卵形地,出尚書省齋公張憲。

譬如本縣吳景鸞國師が十院張氏の為に點ずる一處の騎龍穴、新營河以南五里、地名烏石源。此の一穴出ずる張忠定公張燾、官宰執に至り、又張甲を出して忠利侯を受封し、還た五十多名の進士を出す。此の條の龍結穴の後、前面又重ねて大山を聳起し、行きて地名桃芝源の地方に到り、董德彰が那裏に一處の「金鵝抱卵」形の地を點じ、尚書省齋公張憲を出せり。

又如績溪縣汪五祖地,將軍踏弩形;景德鎮劉御史祖地,猛虎下山形;福建林見素尚書祖地,鳳凰銜書形等穴,皆是騎龍,結穴後復去,俱結富貴地,寔皆仙蹟可證者。蓋以龍氣極旺,故餘氣透漏,猶有融結耳。古歌一篇,論騎龍穴意頗詳盡,坿錄於此。

又如績溪縣汪五の祖地、形「將軍踏弩」の如し。景德鎮劉御史の祖地、形「猛虎下山」の如し。福建林見素尚書の祖地、形「鳳凰銜書」の如し。此の幾處皆是れ騎龍穴、結穴の後龍還た繼續前行し、前行處又皆富貴の地を結成し、全是れ古仙遺蹟印證す可きなり。此れ是れ因るに龍氣極旺、餘氣仍ほ透漏して在るを以て、故に還た能く再結す。古人有一篇の歌訣、騎龍穴を講じて相當詳盡、附錄して下面に在り。

歌云:三十六座騎龍穴,不是神仙難辨別。水分八字兩邊流,且到穴前傾又跌。無龍無虎無明堂,水去迢迢數里長。玄武雖端氣還過,庸師安敢忘評章?眞龍踴勢難頓住,結穴定了氣還去。就身作起案端嚴,四正八方皆會聚。外陽休問有和無,只看藩垣與夾扶。左右護龍並護水,迴環交鎖正龍居。或作龜背或牛肩,或作鶴嘴蜘蛛肚。鳳凰銜印龍吐珠,天馬昂頭蛇過路。前案不拘尖與圓,或橫或直正無偏。

歌訣曰く、三十六座の騎龍の穴、是れ神仙にあらざれば分辨し難し。穴頂の水八字に分かれ兩邊に向て流下し、穴前に到りて又傾瀉し又跌落す。看上去青龍無し・白虎無し・明堂無し、水一直に去りて幾里之外に至る。後山玄武雖端正、龍氣卻て仍舊過去りぬ、平庸の地師那裏敢へて評斷を下さん。眞龍奔踊の勢驟然に停住し難し、穴雖結定すれども、氣還た繼續前行せんと要す。于是即ち自身の山體上に案山を起出し、端正嚴整、四正八方の砂水皆來り聚會す。外面明堂の秀峰有無皆問ふに及ばず、只だ看る藩籬圍垣と左右夾輔の有る無し。左右兩邊既に龍身を護り又流水を護り、回環交鎖の中正に真龍の居る所なり。穴形あるいは龜背の如く、あるいは牛肩の如く、あるいは鶴嘴の如く、あるいは蜘蛛肚の如く、あるいは鳳凰銜印、あるいは游龍吐珠、あるいは天馬昂頭、あるいは長蛇過路。前面の案山尖に拘らずあるいは圓、あるいは橫陳あるいは直伸、只だ端正不偏を要す。

但尋眞氣居何地,認取天心十道全。或在平陽或溪灣,或在高峰半山上。或然山連千萬重,或然水去千萬丈。神仙方識此規模,自可一湖通百湖。巧目神機扦正穴,何須逐一看沙圖?教君細認毋怪奇,左右纏護不曾離。水雖前去三五里,之玄屈曲合天機。更有異穴倒騎龍,前後妙在看形容。千變萬化理歸一,盡在高人心目中。要妙無過捉氣脈,吉凶禍福分黑白。君如下得騎龍穴,百子千孫非浪說。騎龍之穴福非輕,世代富貴無休歇。狀元及第總堪誇,將相公侯盈帝闕。按:歌理攸當,但三十六穴之說則拘矣,學者不可泥之。

只須尋出眞氣落つる何處を、認準「天心十道」四面周全。它あるいは平陽の地、あるいは溪流轉彎の處、あるいは高峰半山の上。有時是れ千萬重の山連綿して來り、有時是れ水流千萬丈遠去す。唯有神仙纔に此の格局を認得し、一通百通、一湖を見れば便ち百湖を通曉す可し。眼力靈巧・心機通神、一下に即ち正穴を點中す。何必一張張に向て砂圖を對照せん。奉勸你細心辨認せよ、不要一見すれば即ち怪と叫べ。左右の纏護の砂其實從不曾離開せず。水雖向前流去三五里、卻て之字・玄字の如く屈曲有情、正に天機に合す。還有一種の異穴「倒騎龍」と曰ふ、妙處全く細看前後の形態に在り。千變萬化、道理一條に歸し、全く高人の心中眼中に在り。最要緊の莫過は氣脈を捉住するに在り、吉凶禍福就此黑白分明す。你若し能く騎龍の穴を下さば、百子千孫絕不是虛話。騎龍の穴福分不輕、世代富貴斷絕の時候無し。狀元及第固然誇る可し、將相公侯還た朝廷に擠滿せん。作者按。此の歌の道理甚だ恰當、只是「三十六穴」の說法未免拘泥、學者死守す可からず。

或然有穴截龍脈,斬關古有格。注:斬關穴者,乃斬截行龍氣脈而結穴也。蓋龍之大勢已去,旺氣暫注,亦成星辰,有形穴可下,故斬氣截脈下之,非勉強斬截龍脈而立穴也。此地發福極快,但不悠久。蓋為龍盡處自有正穴,故爾。《經》云“假穴斬關莫道眞,正穴眞形都差了。京口丹徒之後山,常有雲氣聚其間。曲阿之中有一穴,卻被劉翹斬一關。斬關之穴始於此,只得二代生龍顏”是也。曲阿在丹徒縣,即劉裕父墳。

歌訣曰く、あるいは穴是れ截斷龍脈して成り、「斬關」一格子古就きて有り。註解。所謂斬關穴は、攔腰に截り住む行走中正の龍氣脈絡して結穴す。龍の大勢雖已經過去、旺氣卻て此處に暫時停注し、亦星體を結成し、明確の形穴有りて下す可し。故に勢に順て氣を斬り脈を截り此處に葬る。幷びに硬く龍脈を斬斷して穴を立つるにあらず。此種の地發福極快、只是長久する能はず、因るに龍の盡頭自有正穴有るの緣故。『葬經』曰く、假穴の斬關は眞のと當成する勿れ。眞正の正穴と真形全く被錯過せらる。京口丹徒の後山、常に雲氣那裏に聚まる有り。曲阿一帶本有一穴有るも、卻て劉翹に一關を斬られぬ。斬關の穴就此處より開始し、也只だ兩代の天子を旺したり。曲阿は丹徒縣に在り、即ち劉裕父親の墳なり。

或然有穴在湖濱,秋冬始見眞。注:穴有結於湖濱者,春夏水漲之時,四望皆水。直至秋冬水退,而穴形始見。如認龍眞,亦可用之,不畏其卑溼也。楊公云:“也曾見穴臨水際,俗人見穴無包藏。”又云:“平中還有水流坡,高水一寸即是阿。只為時師眼力淺,到彼浩然無奈何。便言無處尋蹤跡,直到有山方識得。如此之人豈可言,有穴在坪原自失。只來山上覓龍虎,又要乳頭始雲吉。不知山窮落坪去,穴在坪中貴無敵。痴師悞了幾多人,又道葬埋畏卑溼。不知穴在水中者,如此難憑怕泉瀝。蓋緣水漲在中間,水退卻同乾地力。”此說曲盡湖濱穴法之妙。

歌訣曰く、あるいは穴湖邊に結び、秋冬に到りて纔に真形を現出す。註解。確有湖濱に結ぶの穴。春夏漲水の時候、四面望去皆是れ水。一直等到秋冬水退せば、穴形纔に顯露出來す。只だ認定來龍是れ眞なれば、照樣可以用す、不必怕它低窪潮濕。楊筠松曰く、也曾見る穴水邊に臨む、俗人看了只だ說く此の穴包藏無しと。又曰く、平地の中還有水流の斜坡、水面より一寸高きは即ち高地と算す。只因時下地師眼力太淺、那裏に到りて一片汪洋を望着束手無策し、即ち說く此處蹤跡を尋找する處無し、非要山を見て纔に認得出すと。此樣の人那裏談得上地理を懂す、穴平坪の上に在るに、他自己錯過せり。他只知道山に上りて龍虎砂を找ひ、又非要乳頭有らば纔に吉と說くを肯す。殊不知山行きて盡頭に到り平坪に落進し、穴即ち坪中に在り、貴にして當る可からず。痴愚の地師誤り了幾多の人、又說く下葬怕低濕と。他們不明白穴水中に在るの道理、只覺得難憑難信・怕有泉水滲漏。其實不過是漲水時它水の中間に在り、水一退せば、力量即ち乾地と一樣なり。此の番の話湖滨穴法の妙處を講透せり。

或然有穴落田疇,春夏水交流。注:平田之地,高一寸為山,低一寸為水。原自高山撒落平洋,牽連鋪展,平坦而來,微有脊脈。當春夏灌溉之時,滿目皆水,俗眼見此,不忽其為泥汙,則棄其為水瀝,安知其有美地存焉?但結穴之處,必須有銀錠,束氣融聚,分水伶俐,忽起微突,開口明白,界水交織,方為眞穴。雖水田滿目,不足畏也。

歌訣曰く、あるいは穴田疇の中に落ち、春夏兩季四面皆是れ流水。註解。平田の地、一寸高きは即ち山と算し、一寸低きは即ち水と算す。此種の地本是れ高山より撒落して平洋に至り、一路牽連鋪展・平平坦坦として過來し、只だ微微一線の脊脈有るのみ。春夏灌田の時節に到り、滿眼皆是れ水。俗人見了、不是嫌它泥汚、就是當它是水浸の地して丟開す。那裏知道其中藏著美地。不過眞正結穴の地方、必ず「銀錠」の如き束腰有りて氣を收聚し、分水乾淨利落に分得、忽然微微一個の突を隆起し、開口分明、界水穴前に交織合襟し、此れ纔是眞穴。縱然滿眼水田、亦不必害怕す。

或然穴在土皮上,名曰培土葬。注:培土葬者,其地氣浮於上,故下棺之時,不深穿井,放棺土皮之上,外以客土培之,故曰培土葬也。朱子曰:“漳、泉間,棺只浮於土上,深者僅有一半入地,所以上面封土甚高。後來見福州人舉移舊墓,稍深者無不有水,方知興化、漳、泉淺葬者,防水耳。”按:淺葬之法,不特漳、泉為然。蓋地土有厚薄之殊,龍脈有浮沉之異。地土厚,龍脈沉,有葬至數丈者,不謂之過深;地土薄,龍脈浮,有安柩土皮之上,用客土培成塜者,不謂之過淺。噫!非圓機之士,其孰能之?

歌訣曰く、あるいは穴就て土皮の上に安ず。此れを「培土葬」と曰ふ。註解。所謂培土葬は、因るに那塊の地の生氣表層に浮在す、故に下棺の時深く金井を挖らず、棺木を土皮の上面に放ち、外圍再び別處より運來の客土を用ゐて墳堆を培成す。因此培土葬と曰ふ。朱熹曰く、漳州・泉州一帶、棺木只だ土面の上に浮在し、埋め深きも不過一半土に入る、故に上面封ずる土甚だ高し。後來福州人の舊墳を遷移するを看て、凡そ埋め稍深き莫不積水有るを、纔に明白興化・漳・泉の淺葬是れ防水の為なりを。作者按。淺葬の法幷不只有漳・泉此の如し。地土厚薄有り、龍脈沉浮有り。地土厚く龍脈沉の、有りて幾丈深に葬る、不算太深。地土薄く龍脈浮の、有りて靈柩を土皮上に安じ客土を用ゐて墳を培成す、不算太淺。唉、不是心思圓通不拘の人、誰能く此の分寸を拿捏し得住せん。

或然穴在石罅中,有土氣斯通。注:此石山土穴也。《葬經》云:“氣因土行,而石山不可葬。”蓋頑石之不可掘鑿者,則隔斷生氣,且多生水,所以不可下也。故石山必有土穴為眞。廖氏云“漱石莫疑安石罅,土穴端無價”是也。楊公云“也有穴在大石間”,卜氏云“石間穴貴得明師”,皆言石間有穴,卻不明言,立穴處必須有土為眞。

歌訣曰く、あるいは穴石縫の當中に在り、要は土氣貫通有らば纔に行ふ。註解。此れ說く是れ石山上の土穴なり。『葬經』曰く、生氣土脈に隨て運行す、故に純石の山は下葬す可からず。因るに開鑿する法無き頑石會生氣を隔斷し、而且石中多く水を生ず、故に葬る能はず。見る可し石山上必ず土穴有らば纔に眞と算す。廖金精曰く、石上水漱洗有るも不必懷疑、盡可石縫裏に安ず。那樣の土穴實在無價。楊筠松曰く亦有穴大石の間に在り、卜應天曰く石間の穴貴んで能く明師を請得するに在り。皆是れ講ず石頭中間穴有るも、卻て話を說明白せず。立穴の地方必ず土有らば、纔算是眞穴なり。

張子微云:“石巧之穴石盤生,如琢如鐫如切成。上無縫脈穿鑿計,且無寸土為遮蔽。”又云:“此穴依山不須鑿,結切安柩平處是。自然融結得山脈,不必鑿開洩石氣。”則又直指頑石之上安柩。誠如所言,是又與《葬經》相背。且石山土穴,或石山鑿見土脈為穴,予聞其語矣,亦見其地也。石穴不可掘鑿,則是頑石,無生氣。今言安柩其上,以土封之,吾聞其語矣,未見其地也。雖云有之,終於我心有所不安,不敢取以為法,寕從廖,不從張。

張子微曰く、石巧の穴石盤の上に生ず、雕琢し過ぎ・鐫刻し過ぎ・切割し過ぎたるが如し。上面縫隙無く穿鑿に供せず、亦寸土無く遮蔽を作す。他又曰く、此種の穴山勢に依りて不必開鑿し、就きて平處に貼切に靈柩を安放す。山脈自然已經融結し、不必鑿開して石氣を泄せよ。此れ即ち直截了當に頑石の上面に柩を安ずるを主張す。果真他の所說に照らせば、那又『葬經』の說法と相抵觸せり。况且石山中の土穴、あるいは石山上に鑿開き土脈を見て成穴す、此種の說法我們聽過、那樣の地も親眼見過。至于石穴開鑿する能はざれば、那即ち頑石、本無生氣。如今卻說靈柩を其の上に安放し土を用ゐて封起す。此種の說法我們聽過、那樣の地卻て見過こと無し。縱然眞有るも、終究心裏不安、敢へて取來して定法を作さず。寧ろ廖金精に依從し、張子微に依從せず。

也曾見穴水直流,下後出公侯。注:眞龍大地,包裡重疊,而正穴必居眾山擁從之內,小水直流,勢所必有。陶公云:“直流百步,弈世為官。”必須外面大河大溪,逆潮橫遶,而山腳重重攔截。《賦》云“元辰水當心直出,未可言凶。外面山轉首橫攔,得之反吉”是也。然直流之穴,必須龍長氣旺,力量極大,又得兩畔山腳包收,水雖去而山則回,穴甚周密則可。若龍短力少,一步去水亦不可下。廖氏云:“第一莫下去水地,立見敗家計。”至驗至驗,戒之戒之!

歌訣曰く、也曾見る穴前の水直流出去り、葬り下すの後反りて公侯を出す。註解。眞龍大地包裹重疊、正穴必定衆山簇擁の內に居す。穴前小水有りて直流出去るは、那是れ勢の難免なり。陶侃曰く、水直流一百步も、亦能く世代做官す。但前提是外面必ず大河・大溪有りて逆著來潮し橫向環繞し、而且山脚重重攔截す。『雪心賦』曰く、「元辰水」穴心より當面直出すも、還不能就斷為凶。外面山頭を回り橫攔し住む有れば、得了此の一層反而是吉。然而直流の穴、必ず來龍長く・氣勢旺しく・力量極大なるを要し、又要兩邊山脚包裹收攢し、水雖去了、山卻回抱し、穴場十分周密、此れ纔可以。如果龍短力薄なれば、哪怕只有一步の去水も下葬する能はず。廖金精曰く、第一不要下去水の地、立刻就見敗家す。此の話極其靈驗、務必戒之せよ。

也曾見穴砂斜飛,下後著裶衣。注:眞龍貴穴,面前或多順水之砂,俗眼必望而畏之,或指為退田筆,或指為離鄉砂,縱有美地,亦不敢信。豈知此乃曜氣,為極貴之應哉!楊公云:“或如刀,或如劍,隨水順流俱冉冉。庸師只斷定離鄉,豈知內有眞龍占。”蓋眞龍正穴既已融結,雖有微砂順水,多是秀曜,不可一例斷作退田筆、離鄉砂。何也?蓋砂如美女,貴賤從夫,故爾。

歌訣曰く、也曾見る穴前砂脚斜々に飛出す、葬後子孫反而朝服を穿上せり。註解。眞龍貴穴の面前、有時多有順水而去の砂。俗人望見必定害怕し、あるいは指它為「退田筆」、あるいは指它為「離鄉砂」、縱然是美地也不敢相信。那裏知道此れ正是龍身の「曜氣」、是極貴の徵應。楊筠松曰く、有的像刀、有的像劍、隨著水順流而下緩緩伸出。平庸の地師一口咬定主離鄉、那知道裏面正有眞龍占據。眞龍正穴既然已經融結、縱有幾條細小の砂順水而去、多半是秀麗の曜氣、不能一概斷作退田筆・離鄉砂。為甚麼。因為砂就像美女一樣、貴賤皆跟著丈夫走。

如大貴人既在此建府創第,或開藩建節,則軍將兵衛,或左或右,或出或入,皆是為貴人奔走服役,故順去者亦無所畏,乃為秀曜貴氣之驗。然亦須要收拾之,不可使蕩然而去。張子微云:“如龍穴眞正,而有凶殺照射,或順水走攛,惟在收拾。能收拾,則縱有凶殺,既為我用,不相刑射。譬如大官貴宦,黥卒賤徒,皆為我用。何者?權在我故也。故大貴之地,本身龍氣重,未免無殺氣,而護從朝應之山,如武夫悍卒,披堅執銳於我側,未免無可畏狀。然不知皆侍衛我者,非悔我者也。為我所用,何畏之有?適足為貴證矣。

譬如一位の大貴人此地に府第を建起し、あるいは開府建節一方を鎮守せば、那麼將官兵衛あるいは左在り右在り・進み出づ、皆是れ替貴人奔走服役するなり。故に順著流水去る那些の砂も不必怕、正是秀曜貴氣の驗證。不過仍舊要把它們收拾住、不能讓它們一瀉無餘地散去。張子微曰く、假如龍眞穴正、卻有凶殺の砂照射、あるいは順水竄走、關鍵全在能不能收拾。能收拾住、縱有凶殺也已為我所用、不會再來刑傷衝射。就像大官顯宦手下の黥面兵卒・卑賤之徒、一樣都為我所使喚。為甚麼。因為權柄在我手裏。故に大貴の地本身龍氣厚重、難免帶有殺氣。那些護從朝應の山就像披甲執銳の武夫悍卒站在我身旁、看上去難免有幾分可怕、卻不知道他們都是侍衛我的、不是來欺凌我的。既然為我所用、有甚麼可怕。恰恰足以作為貴氣の憑證。

也曾見穴無包藏,一突在平洋。注:包藏者,穴之護衛,以蔽風寒,不可無也。訣云:“立穴處最怕風吹。”又云:“穴要有包裹。包裹穴無破。”甚言穴之貴於包藏也。但法貴通變。如平洋一突,又不必若是之泥矣。蔡文節公云:“平洋之地不畏風。”楊公云:“平洋不怕八風吹。”此皆直指平洋不須畏風,不必論其左右之有無也。蓋以平洋之地,一望無際,風行地面,不入地中,故雖無包藏,亦不為害。譬如人在平原曠野,皆無障蔽,終日受風,不至為病害。若居密室坐臥之所,有窗欞罅隙,賊漏射入之風,則能為患。故山谷最怕凹風,而平洋之地,既無凹風,又何必拘於周密乎?

歌訣曰く、也曾見る穴場包藏無し、孤零零一個の突起平洋に立つ。註解。所謂包藏、就是穴の護衛、用來遮擋風寒、本是不能缺的。口訣曰く、立穴の地方最怕風吹。又曰く、穴要有包裹、有包裹穴纔不破。此れ都是極力強調穴以能藏為貴。但法度貴在通變、像平洋上の一個突起、就不必此樣死守成規。蔡元定曰く、平洋の地不怕風。楊筠松曰く、平洋不怕八面風吹。此れ都是直截了當に指出平洋不必畏風、用不著計較左右有沒有護砂。因為平洋の地一望無際、風只在地面上走、進不到地中去、故に雖然沒有包藏、也不成害。好比人站在平原曠野、四面毫無遮蔽、整天受風、也不至於生病。若是住在緊閉の屋子裏、睡臥之處の窗櫺有縫隙、那種偷偷漏射進來の風、反倒能致人生病。故に山谷の地最怕凹風、而平洋の地既然沒有凹風、又何必拘泥於四面周密呢。

也曾見穴多餘氣,山去數十里。注:大龍氣盛,一時收斂不盡,故結穴後有餘氣之山,或去數十里。此地力量極大,俗眼觀之,龍氣未盡,必懷疑惑,不敢下之。殊不知大福力地,其結穴必不在大窮盡處。《經》云:“大地皆從腰裡落,餘枝前去作城郭。”吳公云“餘氣不去數十里,決然不是王候地”是也。范越鳳云:“眞龍蟠泊,必分牙布爪,結穴之外,有三五里餘氣,並皆暗拱。如人之巨室,寢息之處,必在堂奧之中。”喻亦親切。但所去之山,必須迴環護穴,或去為下手,或去為後槓,或去為障峽,或去為水口捍門,雖去猶為我所用則可矣。

歌訣曰く、也曾見る穴場餘氣很多、山還要往前走幾十里。註解。大龍氣勢旺盛、一時收斂不盡、故に結穴之後仍有餘氣の山、有的一去幾十里。此種の地力量極大、俗人看去只覺龍氣還沒有走完、必定心存疑惑、不敢下葬。殊不知福力大の地、結穴一定不在大盡頭處。『葬經』曰く、大地都是從龍腰上落穴、多餘の枝脚往前去做城郭。吳景鸞曰く、餘氣若不去上幾十里、那絕不是王侯の地。范越鳳曰く、眞龍盤踞停駐、必定分牙布爪、結穴之外還有三五里餘氣、都在暗暗拱衛。就像人家の大宅、睡臥安息之處必定在堂奧の深處。此の比喻也很貼切。只是那些前去の山、必須回環護住穴場。或者去做「下手砂」、或者去做後托、或者去做屏障關峽、或者去做水口の「捍門」。雖然去了、仍舊為我所用、此れ纔可以。

也曾見穴坐後空,得水不嫌風。注:廖氏云“坐空轉面去當朝,不怕八風搖”是也。蓋來龍躍踴雄猛,及入首結穴之際,忽然翻身轉面,逆水當其洋潮,雖或坐空,必有水繞,不足畏也。《葬經》云:“得水為上,藏風次之。”此類是矣。然亦須穴場藏聚,如前所謂登穴煨聚則善。

歌訣曰く、也曾見る穴の坐山背後空虛、只要得水、就不嫌它受風。註解。廖金精曰く、坐後空虛而轉過身來朝對來水、就不怕八面風搖撼、講的正是此一格。來龍一路躍踊雄猛、到入首結穴の時候忽然翻身轉面、逆著水迎向那一片來潮、此樣縱然坐後空虛、前面必有水環繞、就不足為懼。『葬經』曰く、得水為上、藏風還在其次。指的就是此一類。不過仍舊要求穴場本身能藏能聚、像前面所說登上穴場自有一處溫暖隈聚之地、那纔算好。

也曾見穴面前欺,顧祖不嫌低。注:此回龍顧祖之穴也。張子微云:“高山落平岡之穴,而為回龍顧祖之地,則前朝之山皆我祖宗父母,雖高無害,亦不惡其逼迫。”卜氏云:“回龍顧祖,祖不厭高。”蓋以子孫見祖宗,則尊卑之禮出乎自然,雖高逼不以為欺,非客山來朝之比。若是客山高迫,則有陵壓之患,謂之客山欺主,不可下也。然顧祖穴雖不畏前朝高逼,亦須其山開面平正秀麗,而無粗惡欹斜、臃腫醜陋形狀,及尖射飛走、破碎巉巖等像則可。

歌訣曰く、也曾見る穴前の山高得像在欺壓穴場、可若是回龍顧祖、就不嫌它壓得低。註解。此れ說的是「回龍顧祖」之穴。張子微曰く、由高山落到平岡而成回龍顧祖之地的、前面朝對の山都是我的祖宗父母、縱然高也無妨、也不必厭惡它逼近。卜應天曰く、回龍顧祖、祖山不嫌其高。因為子孫面對祖宗、尊卑之禮出於自然、雖然高而逼近也不算欺壓、與外來客山來朝の情形不同。若是客山高壓逼近、就有陵駕壓制之患、叫做「客山欺主」、不能下葬。不過顧祖之穴雖然不怕前朝高逼、也要那座山開面平正秀麗、沒有粗惡歪斜・臃腫醜陋の形狀、也沒有尖射飛走・破碎嶙峋一類の模樣、纔算合格。

也有巧穴名合氣,來脈雙龍至。注:合氣之穴,力量極大,或二龍、三龍,以至九龍,合者愈多愈勝。《經》云“更有二龍合一氣,兩水三山共一場”是也。也有巧穴名龍脫,來脈水中過。注:龍脫者,山脈斷絕,穿落過水,如人脫離而去,無所拂著之意。卜氏云:“棄甲曳兵,過水重興營寨。”陶公云:“馬跡過水,攬衣渡河。”皆謂龍脈從水中渡過,然後復起星辰結穴也。

歌訣曰く、還有一種巧穴叫做「合氣」、來脈是兩條龍一同到來。註解。合氣之穴力量極大。有兩條龍合來的、有三條龍合來的、甚至多到九條龍合來。合來的龍越多、力量越強。『葬經』曰く、還有兩條龍合成一股氣、兩道水・三重山共處一個場中。講的就是此一格。此種穴の關鍵、在於幾條龍脈到頭能真正交會成一股氣、而不是各行其是・貌合神離。歌訣曰く、還有一種巧穴叫做「龍脫」、來脈是從水中穿過去的。註解。所謂龍脫、是山脈到此斷絕、潛落下去從水底穿過、好像人脫身而去、甚麼也不牽掛沾帶。卜應天曰く、丟下盔甲・拖著兵器、過了水再重新紮下營寨。陶侃曰く、馬蹄過水、提起衣裳渡河。說的都是龍脈從水中渡過去、然後重新聳起星峰結穴。

然氣乘風則散,脈界水則止。今言過水,何也?蓋必有石樑之脈穿水過,如俗所謂“十大崩洪”石樑渡脈過水之說方是。如海中諸島,亦是水底石脈聯屬耳。蓋水不界石脈,而界土脈。邵子曰:“水則人身之血,石則人身之骨,土則人身之肉。故血行於肉,不行於骨。血以資肉,肉以養骨以資身。惟氣無往而不通也。”訣曰:“漏脈過時看不得,留心仔細看龍格。穿河渡水過其蹤,認他石骨為眞脈。”此詧龍脈渡水之要訣也。此皆奇巧令人疑,造化隱眞機。注:已上皆巧穴而怪者,共二十二體,乃造化隱機,必俟有德之人而後得之耳。

可是生氣一遇風就散、脈絡一遇水就止、如今卻說龍能過水、此れ甚麼道理。那必定是有石梁一樣の脈穿水而過、就是俗話所說「十大崩洪」那種石梁渡脈過水の情形、纔算數。像海中の許多島嶼、也是水底石脈彼此相連而成。因為水截不斷石脈、只截得斷土脈。邵雍曰く、水好比人身の血、石好比人身の骨、土好比人身の肉。故に血在肉裏流行、不在骨中流行。血用來滋養肉、肉用來養骨・養全身、只有氣是無往而不通的。口訣曰く、脈從水下漏過去の時候看不見、要留心仔細察看龍の格局。它穿河渡水、蹤跡難辨、認準那道石骨纔是眞脈。此れ是察看龍脈渡水の緊要口訣。歌訣最後說、以上這些都奇巧得令人生疑、造化把眞機藏起來了。註解。上面所講都是屬於巧而怪の穴、一共二十二種、都是造化隱藏の機關、必定要等有德之人纔能得到。

更有丑穴尤難識,福應無差忒。丑拙丑拙何丑拙,眞有玄微訣。君子盛德貌如愚,良賈藏若虛。注:眞龍藏幸而為丑拙之穴,極其難識。即其形狀,若為可棄。然驗之仙蹤,福應無爽毫末。若此者,豈非其有玄微妙訣乎?故得其訣,雖丑拙亦為可取。猶之大智若愚,大巧若拙。老子曰“良賈深藏若虛,君子盛德,容貌若愚”是也。以穴之丑拙而棄美地,猶以貌取人,而失之子羽矣。

歌訣曰く、還有一類醜穴更加難認、可它的福應卻分毫不差。醜拙啊醜拙、究竟甚麼是醜拙。此裏頭真有玄微の口訣。就像德行深厚の君子外貌顯得愚鈍、善于經商の人把貨藏得像甚麼都沒有。註解。眞龍藏幸而結成醜拙之穴、極其難認。單看它的形狀、簡直像可以丟開不要。然而拿古仙遺蹟去驗證、福應沒有一絲一毫の差錯。此樣の穴、豈不是自有玄微妙訣在其中。故に只要得了口訣、即便醜拙也照樣可取、正如大智看似愚笨・大巧看似笨拙。老子曰く、會做生意の人把貨深藏起來像是空的、德行深厚の君子容貌看去像是愚鈍。若因為穴形醜拙就丟開美地、那就和以貌取人一樣、孔子當年正是因此錯看了澹臺滅明。

又如女子德淑賢,貌醜不須嫌。注:悅色而不好德,世俗之蔽。如女子貌陋而有淑德,世多以丑棄之。貌美如有穢行,世反以美取之,識者必為長太息也。西施絕色,適以傾人之國;而無鹽丑女,乃以興邦。信不在色,而在德耳。故凡論穴,當以龍為主。龍既眞,則穴必的。外雖丑拙,而內含眞氣融結,法有可取。猶女子之有淑德,而特外貌不揚。君子取以自配,必成內助之功。若必欲拘於穴之明顯,而不審乎龍之是非,是為悅色而不好德也,寕不置美地於無用哉!

歌訣又曰く、好比女子品德賢淑、容貌醜一些也不必嫌棄。註解。喜愛美色而不看重德行、是世俗の通病。譬如女子相貌醜陋卻有賢淑之德、世人多半嫌她醜就丟開。相貌美麗卻有汙穢行為の、世人反倒因為她美而娶了她。明白事理の人必定為此長歎。西施是絕色、恰恰傾覆了一個國家。無鹽是醜女、卻幫著振興了邦國。見る可し可靠の不在顏色、而在德行。故に凡是論穴、應當以龍為主。龍既然眞、穴必定の確。外表雖然醜拙、內裏含著眞氣融結、按法度就有可取之處。正像女子有賢淑之德、只是外貌不出衆、君子娶來作配、必定能成就內助之功。如果一味拘泥於穴形要明顯好看、卻不去審察龍の眞假、那就是喜愛美色而不看重德行、豈不是白白把美地棄置不用。

為君洩破天機秘,丑拙莫輕棄。也曾見穴乳直長,左右莫攔當。注:長乳者,一乳中出獨長,兩邊龍虎抱衛不過。人之見此,莫不以脈露而棄之。殊不知正脈中出,氣力旺盛,勢難頓止,故獨出而且長也。至結穴處,開窩開鉗,自有本身龍虎衛穴,外山護脈,雖後來左右為托送之山短縮,纏不過穴,亦不為害。楊公云“貪變廉貞梳齒樣,長枝有穴無人葬。人言龍虎不歸隨,誰知葬後生公相”是也。若乳頭不開窩鉗,或轉向左右,則是抱衛他山之砂而孤露矣,不可下也。

歌訣曰く、為你泄破此天機の祕密、醜拙之穴不要輕易丟棄。也曾見る穴上の乳突筆直伸長、左右兩邊の砂根本攔不住它。註解。所謂長乳、是中間出來の此一條乳突獨自伸得很長、兩邊の「龍虎」砂抱不過來。人一見此種形狀、無不嫌它脈氣外露而丟開。殊不知此れ是正脈從中間出來、氣力旺盛、勢頭難以驟然停住、故に纔獨自伸出而且很長。到了結穴の地方、自然會開出「窩」「鉗」、本身也自有龍虎二砂衛護穴場、外面還有山護送來脈。即便後面左右托送之山短了些、纏繞不過穴前、也不成妨害。楊筠松曰く、貪狼變作廉貞・形如梳齒の地方、長枝上有穴卻沒有人敢葬。人們說龍虎不肯歸隨、誰知道葬後偏出公侯將相。倘若乳頭不開窩鉗、或者轉身偏向左右、那就是去抱衛別處の山而自身孤露了、不能下葬。

也曾見穴腦偏側,時俗難辨識。注:眞龍閃跡,變態不一。世俗只識端正之穴,豈知藏幸之龍穴,多在偏側處融聚。厲伯韶云“談水談山世俗多,用拙不能將奈何?誤葬每因求正面,不扦渾是棄偏頗。豈識眞玄奇妙處,仙人多是下偏坡”是也。但偏側之穴,後有鬼樂方為眞的。如無鬼樂,不可妄下。

歌訣曰く、也曾見る穴腦偏在一側、時下の人難以辨識。註解。眞龍躲閃藏跡、變化形態各不相同。世俗只認得端端正正の穴、那裏知道藏幸之龍所結の穴、多半在偏側の地方融聚。厲伯韶曰く、談山談水の人世上多得很、真要用起醜拙之穴來卻束手無策。誤葬往往是因為一味求端正の正面、不肯下手則全因為嫌它偏斜。那裏懂得真正玄妙之處、神仙多半是下在偏坡上の。不過偏側之穴、背後要有「鬼星」和「樂山」纔算眞的。如果既無鬼又無樂、就不可亂下。

也有穴下生尖嘴,楓葉三丫體。注:楓葉三丫,星長穴下出嘴,騎刑坐煞扦之,主貴有威權,文官兼武。也有穴前嘴直長,鑿作臂回遠。注:結穴已完,而餘氣猶去不住,當鑿其去處為內堂,作一臂逆掬為妙。如婺源縣九都程氏一地在長慶者,開帳而下,結穴甚美。只是前去直長,俗皆於盡處取穴,不利。程氏於頂來脈成星體處扦穴,而截去直長之贅疣,鑿作逆掬一臂為內堂,當代出貴,聯登科第。

歌訣曰く、也有的穴下方生出一個尖嘴、形狀像楓葉分成三丫。註解。楓葉三丫の形狀、是星體伸長而在穴下吐出尖嘴。跨騎著刑氣・坐鎮著煞氣把穴扦下去、主子孫顯貴而有威權、文官還能兼掌武事。歌訣又曰く、也有的穴前尖嘴筆直伸長、應當鑿斷它・做成一條回抱の手臂。註解。穴已經結完、餘氣卻還一直往前去停不住、就該把它去の那一段鑿開做成內明堂、留出一條手臂逆勢兜抱過來纔好。譬如婺源縣九都程氏在長慶の一處地、開帳落脈下來、結穴很美、只是穴前一條直長の餘氣伸出去。世俗都在此條餘氣の盡頭取穴、結果不利。程家改在頂上來脈結成星體の地方扦穴、把那段直長の贅疣截去、鑿成一條逆兜の手臂作內堂、當代就出了貴人、接連登科。

也有穴後是空槽,玉筋夾饅頭。注:陽中陰之變也,即合鉗穴。也有穴前是深溝,金梘與銀槽。注:陰中陽之變也,即正鉗同。也有丑穴如鶴爪,突露無人曉。注:楊公云“祿存帶祿為異穴,異穴生成鶴爪形。鶴爪之形兩邊短,一距天然撐正身。此是祿存帶祿去,長股之穴為正形。起頂或成衣冠吏,短短低生左右臂。左臂短如揷笏形,右臂短如佩魚勢。時師到此多狐疑,卻嫌龍虎不纏衛”是也。

歌訣曰く、也有的穴後是一道空槽、形如兩根玉筷夾著一個饅頭。註解。此れ是「陽中陰」の變格、也就是合鉗之穴。歌訣曰く、也有的穴前是一條深溝、形如金製の水梘・銀製の水槽。註解。此れ是「陰中陽」の變格、與正鉗穴相同。歌訣曰く、也有醜穴形如鶴爪、突兀裸露而無人識得。註解。楊筠松曰く、「祿存」星帶祿氣就成異穴、此種異穴天生成鶴爪の形狀。鶴爪之形兩邊都短、只有一根距爪天然撐住正身。此れ是祿存帶著祿氣而去、長の那一股上所結の穴纔是正形。起頂の地方有時結成衣冠小吏の模樣、左右兩臂又短又低。左臂短得像插著の笏板、右臂短得像佩著の魚袋。時下の地師到了此裏多半遲疑、只嫌龍虎砂不肯纏繞衛護。

也有丑穴似牛皮,懶坦使人疑。注:平坡之穴,微有窟突,俗眼視之,如牛皮懶坦,無處可下。不知散中求聚,力量極大。楊公云“撒網之形似牛皮,不著緋衣多食祿”是也。也有丑穴少一臂,時師容易棄。注:世俗論地,只愛左右均勻。才有欠缺,則所不取,此其常耳。卻不知有等眞龍大地,結作詭異之穴,多不齊整。或有龍無虎,或有虎無龍。明師見之,自有定訣。古歌云:“有龍無虎亦為吉,有虎無龍未是凶。只要外山連接應,分明有穴福常豐。”

歌訣曰く、也有醜穴像一張牛皮、懶懶地攤平在那裏、叫人生疑。註解。此れ是平坡上の穴、坡面上只有微微の一點窩或一點突。俗人看去、就像一張牛皮懶散攤開、沒處可以下葬。他們不懂在散漫之中尋找聚氣之點、此種穴の力量其實極大。楊筠松曰く、形狀像撒開の漁網・像一張牛皮、縱然穿不上緋色官袍、也多有食祿。歌訣曰く、也有醜穴缺了一條臂膀、時下の地師很容易就把它丟開。註解。世俗論地、只喜歡左右兩邊勻稱、稍有缺欠就不肯要、此れ是常情。卻不知道有一類眞龍大地、結出來の穴詭異非常、多半並不齊整。有的有青龍而無白虎、有的有白虎而無青龍。明師見了、自有一定の口訣去對付。古歌曰く、有龍無虎也照樣是吉、有虎無龍未必就凶。只要外面の山連綿接應得上、分明有穴、福氣常常豐厚。

卜氏云:“或有龍無虎,或有虎無龍,無龍要水繞左邊,無虎要水纏右畔。”范越鳳云:“水來自左,無左亦可;水自右來,無右亦裁。”張子微云:“又有如釵長短股,無乳無穴何處取?此名龍縮縮處尋,短股頭間氣脈聚。或左或右穴皆然,定有外山作龍虎。”楊公云:“也有左長右枝短,也有左短右枝長,世俗庸師多不取,豈知異穴生賢良。”皆確論也。蔡氏云:“欠缺不齊,天地之奇。”此類是矣。

卜應天曰く、或者有龍無虎、或者有虎無龍。缺青龍の要有水從左邊繞過來、缺白虎の要有水從右邊纏過去。范越鳳曰く、水從左邊來、左邊沒有砂也可以。水從右邊來、右邊沒有砂也裁得成穴。張子微曰く、還有形如髮釵・兩股一長一短の、既無乳也無穴、從哪裏取。此れ叫做「龍縮」、就在收縮之處去尋。短の那一股頭上、氣脈正聚在那裏。穴或偏左或偏右都是一樣、必定另有外來之山充當龍虎。楊筠松曰く、也有左邊長右邊短の、也有左邊短右邊長の、世俗の庸師大多不肯取、那知道此種異穴偏偏出賢良之人。此れ些都是確切之論。蔡元定曰く、欠缺不齊、正是天地の奇處。指的就是此一類。

也有丑穴體粗頑,細認太極安。注:粗頑之處,人多厭棄。不知其有微茫大極窟突之形,蝦鬚、蟹眼界水分合明白,乃為貴穴。然此穴多能誤人,若體察不眞,不可草草,必須細察龍脈眞的,方可扦之。也有怪穴是擔凹,樂起貼身高。注:張子微所云“又有凹穴兩肩起,正對主峰凹入底。乳頭又更對凹生,作穴如何安頓是?此名天潛不可輕,凹處深藏有妙理”者是也。凡擔凹之穴,必要有後樂貼身蓋照。若垂乳結穴而乳頭長者,則是氣鍾於乳,雖無樂亦不妨,卻要後宮包裹,不可空曠,或有孝順鬼尤妙。

歌訣曰く、也有醜穴山體粗蠢頑鈍、要細細認出「太極暈」纔好安穴。註解。粗頑の地方人多半嫌棄、不知道其中有微茫難辨の太極窩突之形、「蝦鬚水」「蟹眼水」界分合襟清清楚楚、那纔是貴穴。不過此種穴最容易誤人、如果體察得不眞切、就不可草率行事、必須細看龍脈確實是眞の、纔可以下扦。歌訣曰く、也有一種怪穴叫「擔凹」、後面の「樂山」貼著穴身高高聳起。註解。張子微所說の正是此一格。還有一種凹穴、兩肩都起、正對著主峰の凹口一直入到底。乳頭又偏偏對著此の凹口生出來、穴該怎麼安放纔是。此一格名叫「天潛」、不可輕視、凹處深藏著妙理。凡是擔凹之穴、必須有後樂貼身蓋照。如果是垂乳結穴而乳頭較長の、那就是氣鍾聚在乳上、縱然沒有樂山也不妨礙、但後宮一定要有包裹、不能空曠。若再有一座「孝順鬼」就更妙。

也有怪穴是仰瓦,氣蹙前頭下。注:凹腦之穴,氣蹙於前,必要後宮仰瓦。若仰瓦內又出一乳,則非眞結。此穴須有後樂為準。若垂乳者,穴立乳頭。後有孝順鬼,無樂亦好。此與擔凹穴同一格耳。

歌訣曰く、也有一種怪穴是「仰瓦」、氣都聚在前頭低處。註解。凹腦之穴、氣收縮在前方、後宮必須呈仰瓦之形。如果仰瓦裏面又長出一條乳來、那就不是眞結。此種穴要以背後有「樂山」為準。若是垂乳の、穴就立在乳頭上。後面有「孝順鬼」承托、即便沒有樂山也好。此一格與前面の擔凹穴其實屬於同一類。

也有怪穴似拖槍,只要護纏長。注:楊公云:“尖槍之山要外裹,外裹不牢反生禍。外山包裹穴如槍,左右包來尖不妨。山來雄勇勢難竭,是致尖形也作穴。只要前山曲抱轉,針著正形官不絕。”又云“有如破軍變貪狼,貪狼入穴如拖槍。拖槍之穴人嫌丑,只緣纏護兩山長”者是也。

歌訣曰く、也有一種怪穴像拖著長槍、只要纏護之山夠長就行。註解。楊筠松曰く、尖如槍の山要靠外面包裹、外圍包裹得不牢固反而生禍。外山既然把穴包住、穴形像槍也不要緊、左右都包過來、尖也不妨。山勢來得雄勇、氣勢一時收不住、故に纔成了尖形、可也照樣結穴。只要前面の山彎曲抱轉過來、對準正形下針、做官就不會斷絕。他又曰く、有的是破軍變作貪狼、貪狼入穴形如拖槍。拖槍之穴人人嫌它醜陋、其實妙處正在於左右纏護兩山都很長。

也有怪穴如鬪斧,須要鬼樂守。注:鬪斧之穴,如穿針對線,橫來直受,直來橫受。楊公云“亦有異穴如鬪斧,不拘左右生龍虎。橫龍卻向直中扦,直山卻向橫中處”是也。卻要有鬼有樂以為證應,方可安穴。廖氏云:“橫龍結穴必要鬼,樂山宜後峙。”蔡氏云:“此等之穴,先看有鬼無鬼,次看前山朝水。二者相應,再看托樂,便可下手扦之。若無鬼樂,從有前面山水,不可下也。”

歌訣曰く、也有一種怪穴形如「斗斧」、必須有「鬼星」和「樂山」守護。註解。斗斧之穴好比穿針引線、橫著來の脈要直著受、直著來の脈要橫著受。楊筠松曰く、也有異穴形如斗斧、不必拘泥左右是否生出龍虎。橫行之龍偏要在直の地方扦、直來之山偏要在橫の地方安。不過要有鬼有樂作為憑證呼應、纔可以安穴。廖金精曰く、橫龍結穴必須有鬼星、樂山應當在背後聳峙。蔡元定曰く、此一類穴、先看有沒有鬼星、再看前山與朝水。兩樣都相應了、再看背後の托樂、便可以動手下扦。如果既無鬼又無樂、即便前面山水再好、也不能下葬。

也有怪穴無龍虎,何人將眼睹?注:世俗看地,惟求龍虎二山弓抱而已,此外無復知識。楊公云“只來山上覓龍虎,又要圓頭始雲吉”是也。殊不知龍穴眞結,不必有龍有虎。若龍穴不眞,縱是有龍有虎,反為花假之地。《經》云“君如識穴不識怪,只愛左右包者是。此與俗人無以異,多是葬在虛花裡。虛花左右似有情,仔細辨來非正形。虛化作穴更是巧,仔細看來無甚好”是也。

歌訣曰く、也有一種怪穴根本沒有龍虎二砂、有誰肯拿正眼去看它。註解。世俗看地、只求左右龍虎兩山像弓一樣抱過來、此外別無見識。楊筠松曰く、只知道到山上去找龍虎、又非要圓頭纔肯說吉。殊不知龍穴若是眞結、不一定非有龍有虎。龍穴若不眞、縱然龍虎俱全、反倒是虛花假地。『葬經』曰く、你若只識常穴而不識怪穴、一味喜歡左右有包裹の、那就和俗人沒有兩樣、多半葬在虛花之中。虛花之地左右看去也像有情、仔細分辨卻不是正形。虛花做出來の穴反而更顯得巧、細看下去其實沒有甚麼好處。

也有怪穴無案山,諸水聚其間。注:天造地設眞龍正穴,有主山必有賓山。廖氏云:“第一尤嫌無案山,衣食必艱難。”今乃有眞穴而無案對,俗眼見之,必以有主無賓棄之。豈知水潮即是山朝,楊公云“也有眞形無朝山,只看諸水聚其間。汪汪萬頃明堂外,內局周迴如抱環”是也。

歌訣曰く、也有一種怪穴沒有案山、只有衆水匯聚在穴前。註解。天造地設の眞龍正穴、有主山就該有賓山。廖金精曰く、第一最嫌沒有案山、衣食必定艱難。如今偏有眞穴而沒有案山朝對、俗人見了、必定以為有主無賓而丟開。哪裏知道水來潮抱就等於山來朝拱。楊筠松曰く、也有眞形之地並無朝山、只看衆水聚在其間。明堂之外一片汪洋萬頃、內局四周回環得像抱成一個圓環。

也有怪穴如反掌,窩靨形微坦。注:楊公云:“也曾見穴如反掌,卻與仰掌毋兩樣。”蓋反掌之地,形體偏反,但亦有窩靨之穴,卻與仰掌之掌心穴法不異矣。也有怪穴要鍬皮,苞節認玄微。注:木星之穴,以其來勢直急,恐有殺氣,故鍬皮下之。必要立穴處有苞節芽櫱,方為眞穴。不可於硬峻急直之所強勉鑿穴。故曰“苞節認玄微”。

歌訣曰く、也有一種怪穴形如翻過來の手掌、上面の窩靨略顯平坦。註解。楊筠松曰く、也曾見過穴形像反掌、其實跟仰掌並沒有兩樣。反掌之地形體偏側翻轉、但上面照樣有窩靨可作穴、取穴之法與仰掌形取掌心那一處並無不同。關鍵仍在窩靨是否分明・界水是否合襟、不在手掌是仰是覆。歌訣曰く、也有一種怪穴要用「鍬皮」之法、玄妙處全在辨認「苞節」。註解。「木星」所結之穴、因為來勢直而急、怕帶著殺氣、故に只把表皮鏟開一層淺淺安葬、此れ叫鍬皮。但必須立穴の地方有苞節芽蘗一般の微微起伏、纔算眞穴。不可在僵硬陡峻・又急又直の地方硬去鑿穴。故に說、玄微之處要從苞節上去認。

有如壁上撲飛蛾,細看突無多。注:貼壁飛蛾,微有突穴,安突中,粗中細也。有如壁上掛燈盞,但見窩微仰。注:楊公云“落在高山掛燈樣”,急中緩也。急山忽然一坦平,穴向此間停。注:急中有緩,多結仰高之穴。廖金精為吾邑張氏下一貴地,土名白牛坦,乃萬仞山半,忽然一塊平坦,穴安坦中,是急中緩也。緩龍到頭突忽起,穴向此中取。注:平洋之地,龍勢似緩。入首忽然突起,謂之平中之突。《葬書》所謂“地有吉氣,土隨而起”者是也。此穴至貴,但宜葬於巔,緩中急也。

歌訣曰く、有的像撲在牆壁上の飛蛾、細看那個突起並不明顯。註解。貼壁飛蛾此一格、壁面上只有極微の一點突、就安在此點突の中間、屬於粗中取細。歌訣又曰く、有的像掛在牆壁上の燈盞、只見一個略微仰起の小窩。註解。楊筠松所說「落在高山、形如掛燈」就是此一格、屬於急中取緩。歌訣曰く、陡急の山勢中忽然出現一塊平坦之地、穴就停在此裏。註解。此れ是急中有緩、多半結成「仰高穴」。廖金精為本縣張氏點の一處貴地、地名白牛坦、就在萬仞高山の半腰上、忽然有一塊平坦、穴便安在此塊平地當中、此れ就是急中取緩。歌訣又曰く、舒緩の龍到了頭忽然突起、穴就在此の突上取。註解。平洋之地龍勢看似舒緩、到入首處忽然隆起一個突、叫做「平中之突」。『葬書』所說「地裏有吉氣、土便隨著隆起」正指此意。此種穴極貴、但應當葬在突の頂上、屬於緩中取急。

精神顯露反非祥,隱拙乃為良。注:卜氏云:“何精神顯露者反不祥?何形勢隱拙者反為吉?隱拙者定有奇蹟異蹤,顯露者多是花穴假形。”良有以也。眞龍藏幸韜神機,奇怪使人疑。注:眞龍藏幸,至結穴處,韜光斂華,晦其神機,而為奇怪形穴,使人見之,群疑滿腹。非有灼見,不敢下也。

歌訣曰く、精神外露の反而不是好兆頭、隱晦拙朴の纔是佳穴。註解。卜應天曰く、為甚麼精神顯露の反而不吉。為甚麼形勢隱拙の反而為吉。因為隱拙の地方必定藏著奇蹟異蹤、而顯露の多半是虛花之穴・假造之形。此話很有道理。歌訣又曰く、眞龍藏幸而把神機收斂起來、奇奇怪怪の形狀使人生疑。註解。眞龍善於藏幸、到了結穴之處更是韜光斂華、把神機隱晦起來、做成奇怪の形穴、人一見就滿腹疑慮。若不是有眞切の見識、誰也不敢下手。

奇怪奇怪何奇怪,千形並萬態。能乘生氣任君針,奇怪莫心疑。注:山龍之變態無窮,奇形怪穴,安可悉舉?一言以蔽之,曰“葬乘生氣”而已。苟能於地理中識透“葬乘生氣”妙訣,任君所扦,皆能獲福,何奇怪之足畏哉!廖氏云:“變化無窮聊舉例,作用皆如是。乘得生氣任君裁,奇怪不須猜。”楊公云“怪形異穴人厭看,如何子孫世為官?只恐怪穴君未識,識得裁穴卻無難”是也。

歌訣曰く、奇怪啊奇怪、究竟甚麼算奇怪。形態千變萬化。只要能乘得生氣、隨你在哪裏下針、奇怪也不必心存疑慮。註解。山龍の變化無窮無盡、奇形怪穴哪裏舉得完。一句話概括、不過是「葬乘生氣」四個字罷了。若能在地理之中把「葬乘生氣」の妙訣識透、隨你扦在哪裏都能得福、奇怪有甚麼可怕。廖金精曰く、變化無窮、姑且舉幾個例子、用法都是一樣の。乘得住生氣、隨你裁奪、奇怪不必去猜。楊筠松曰く、怪形異穴人人不愛看、可為甚麼它の子孫世代做官。只怕是怪穴你還不認得、認得了裁穴其實並不難。

大抵奇形並怪穴,只怕龍神別。認得龍眞穴便眞,此訣值千金。注:有眞龍則有眞穴。龍既眞的,穴雖奇怪,亦不足畏。楊公云:“大凡諸山來此聚,諸水流來聚此處,定有眞龍此間作,只恐不知龍住處。住處多為醜惡形,世俗庸師心裡懼。”故扦怪穴之法,惟在審龍。誠於龍認得眞,何奇怪之足畏哉!善夫西山之言曰“《葬書》千經萬緒,地理千形萬狀,言不能盡,狀不能徧。約而蔽之,不過龍眞朝的,水土交會,穴必在焉。雖神秘怪異,亦可測識。若外此以求善法,非吾之所知也。

歌訣曰く、大凡奇形與怪穴、只怕龍神是另一路。認定龍是眞の、穴自然就眞、此一句口訣值一千金。註解。有眞龍就有眞穴。龍既然確實是眞の、穴縱然奇怪、也不足為懼。楊筠松曰く、凡是衆山都來此裏聚會・衆水都流來此裏匯合、此間必定有眞龍作穴、只怕人不知道龍停住在何處。而龍停住の地方多半形狀醜惡、世俗の庸師心裏就發怵了。故に扦怪穴の方法、全在審察來龍。果真把龍認準了、還有甚麼奇怪值得害怕。蔡元定有一段話說得極好。『葬書』講了千頭萬緒、地理有千形萬狀、言語說不盡・形狀舉不遍。簡要概括起來、不過是龍眞・朝的・水土交會、穴必定就在那裏。縱然神祕怪異、也一樣測度得出。若離開此幾條另去求甚麼好法門、那就不是我所知道の了。

假龍無穴不堪安,莫作怪穴看。若將藉口亂安墳,悞盡世間人。用怪不能當守拙,緘口休談說。要知官穴有眞玄,須遇至人傳。注:大凡無穴,必是龍假。蔡西山云:“假龍誤人甚多,其擺佈精神,起人眼目,與眞龍無異。只是到頭結果無取,故世俗之人,正謂其有秀特。而時師又以眞龍丑穴之說文之,鮮有不為所惑者。”子微云“假龍亦有穿心開帳,有星辰秀麗,有橈棹手腳,亦有擺佈,但無迎送,或蜒蜿四五里,或縈迂數十里,至大盡處,乃無穴可下”是也。

歌訣曰く、假龍上面沒有穴、不能安葬、不要把它當成怪穴看待。如果拿「怪穴」作藉口亂安墳墓、就要誤盡天下人。用怪穴の本事若還不到家、不如老老實實守著常法、閉口不談為好。要知道真正の官貴之穴自有眞玄妙處、須得遇上高人傳授。註解。大凡結不出穴の、必定是假龍。蔡元定曰く、假龍誤人很多、它擺布出來の精神氣象足以吸引人の眼目、跟眞龍沒有兩樣、只是到頭來結果無可取。故に世俗之人正誇它秀麗特出、而時下地師又拿「眞龍醜穴」の說法替它文飾、很少有人不被迷惑。張子微曰く、假龍也會穿心開帳、也有秀麗の星峰、也有橈棹手脚、也有擺布の架勢、只是沒有迎送之砂。有的蜿蜒四五里、有的縈回幾十里、走到大盡頭處、竟無穴可下。

故眞龍怪穴,乃是有穴而特丑拙,或有穴而特奇巧,非若假龍之無收拾結果。至盡處,或有窠而虛闊空亡,有乳而直峻粗大,有鉗而漏槽破頂,有突而破碎懶坦,不可扦葬者。若不能辨龍眞假,而以假龍無穴之處指為龍眞穴怪,強勉鑿穴,以此藉口而誤世人,其害不淺,不若置怪穴於不談,尤為愈也。噫!業地學者,當虛心訪求明師,極辨而研窮之,不可草率鹵莽,強不知以為知,苟一朝之財賄。前輩謂醫藥有誤,禍止一人;地理有誤,禍及一家。捧誦斯言,尤當悚惕,可不戒哉!可不慎哉!

故に眞龍の怪穴、是確實有穴而形狀格外醜拙、或者確實有穴而位置格外奇巧、絕不像假龍那樣收拾不住・結不出結果。假龍走到盡頭、或者有窩而空闊虛脫、或者有乳而直硬陡峻粗大、或者有鉗而槽底漏氣・頂上破損、或者有突而破碎懶散平塌。此れ些都是不能扦葬の。倘若分不清龍の眞假、卻把假龍無穴之處指作「龍眞穴怪」、勉強鑿開下葬、還拿此の當藉口去誤導世人、害處不淺。那還不如乾脆把怪穴擱下不談、反倒更好。唉、以地理為業の人、應當虛心訪求明師、把道理辨到極處・研究到底、不可草率魯莽、硬把不懂の說成懂の、只圖眼前一點錢財。前輩說過、醫藥用錯了、禍害只及一人。地理看錯了、禍害要連累一家。捧讀此の句話、格外應當心驚自省。怎能不戒懼、怎能不謹慎。

補義:上巧穴二十有二,以其穴形完美,而所處之地異於常,故曰巧。拙穴二十有二,以其穴形隱拙,而丑異之態出於常,故曰拙。兼巧與拙,總名曰怪,凡四十有四。然怪穴亦不止此,在智者觸類而長之耳。夫所謂怪穴者,乃權變怪異之說也。如三出其妻者,似閨化之不行;兩棄其子者,似家教之不立。君臣有義也,而有放伐之舉;兄弟貴友也,而有破斧之詣。此皆聖賢制禮之極,而乃出於常理之外。地理怪穴之說,無以異此。

補充說明。上面所講の巧穴共二十二種、因為它們穴形完美、只是所處の位置異乎尋常、故に叫巧。拙穴也是二十二種、因為它們穴形隱晦拙朴、醜異の形態超出常格、故に叫拙。巧與拙合起來、總名叫怪、一共四十四種。不過怪穴其實不止此れ些、就看有智慧の人能不能觸類旁通・舉一反三了。所謂怪穴、講の是權變怪異の道理。譬如古人有三次休妻の、看上去像是家門內の教化行不通。有兩次遺棄兒子の、看上去像是家教沒有立起來。君臣之間講の是義、卻有放逐征伐の舉動。兄弟之間貴在友愛、卻有『破斧』詩中東征の事情。此れ些都是聖賢制禮達到極處の表現、偏偏又出乎常理之外。地理上講怪穴、和此れ是一個道理。

故《葬書》云“過山不葬”,乃正論也,而怪穴有騎龍斬關之法;“石山不葬”,乃正論也,而怪穴有扦於石間之法;“獨山不葬”,乃正論也,而怪穴有扦於無包藏之法。《雪心賦》云“脈界水則止”,乃正論也,而怪穴有扦於龍脫之法;“穴後須防仰瓦”,乃正論也,而怪穴有扦於仰瓦之法;“可惡者泥水地旁尋穴”,乃正論也,而怪穴有扦於沒泥之法。

故に郭璞『葬書』說「過山不葬」、此れ是正論、可怪穴偏有騎龍・斬關の葬法。說「石山不葬」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在石縫之間の葬法。說「獨山不葬」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在毫無包藏之處の葬法。『雪心賦』說「脈遇界水就止住」、此れ是正論、可怪穴偏有「龍脫」。脈從水中穿過去の葬法。說「穴後須防仰瓦」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在仰瓦之形上の葬法。說「最可厭的是在泥水之地旁邊尋穴」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在「沒泥」之處の葬法。

《洞林訣》云“穴欲住而不欲吐”,乃正論也,而怪穴有扦於長枝中腰之法;《黑囊經》云“穴要有包裹,包裡穴無破”,乃正論也,而怪穴有扦於無龍虎之法;廖金精云“第一莫下去水地”,乃正論也,而怪穴有扦於直流之法;董德彰云“鎗頭休下,鼠尾莫扦”,乃正論也,而怪穴有扦於拖槍之法。凡此之類,本皆出常入怪,舍經從權。卜氏所謂“更有異穴怪形,我之所取,人之所棄”是也。

『洞林訣』說「穴要停住、不要吐出」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在長枝中腰上の葬法。『黑囊經』說「穴要有包裹、有包裹穴就不破」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在沒有龍虎二砂之處の葬法。廖金精說「第一不要下去水之地」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在水直流出去之處の葬法。董德彰說「槍頭不要下、鼠尾不要扦」、此れ是正論、可怪穴偏有扦在拖槍之形上の葬法。凡屬此の類、本來都是走出常法而進入怪格、捨棄經常之道而採用權變之道。卜應天所說「還有一種異穴怪形、正是我要取の・別人要丟の」、指的就是此の。

然古今怪穴名墓,處處有之,固非鑿空妄誕之說。但俗鮮其傳,而知之者寡。一得於驟見之間,固宜其心駭而疑也。惟高術之士,得其眞傳,會山川之性情,識生氣之聚散,苟穴與目遇,即目與心通,雖拙而亦以為美,雖丑而亦以為妍,是常亦常,怪亦常,不知怪之為怪矣。

然而古往今來の怪穴名墓、處處都有、本來就不是憑空杜撰の說法、只是世俗少有傳授、知道の人不多。忽然乍見一處、自然心裏驚駭懷疑。唯有術業高深の人、得了眞傳、能領會山川の性情、認得出生氣の聚與散、只要穴一入眼、眼就與心相通。雖然拙、他也看作美。雖然醜、他也看作妍。到此地步、常穴是常、怪穴也是常、根本不覺得怪有甚麼可怪の了。

張子微云:“平夷之地,俊秀之峰,端正之穴,人所易見。惟諺語云‘若要發,險中做’者,須明眼高師能之。”楊筠松云:“怪形異穴人厭看,如何子孫世為官?只恐怪形君未識,識得裁穴卻無難。”識怪不易,信怪尤難。師識而主不之信,傍又從而破之,奈之何哉!此皆天造地設,以俟有福緣者耳。

張子微曰く、平坦之地・俊秀之峰・端正之穴、是人人都容易看出來の。只有諺語所說「若要發、險中做」此一路、非得有眼力の高明師傅纔辦得到。楊筠松曰く、怪形異穴人人不愛看、可為甚麼它の子孫世代做官。只怕是怪形你還不認得、認得了裁穴其實並不難。認識怪穴不容易、相信怪穴更難。地師認出來了、主家卻不肯信。旁人又跟著來拆臺、那還有甚麼辦法。此れ些都是天造地設、專等有福緣の人罷了。

故此等風水,易得難扦,易扦難信。有造物主之,常人以丑怪而不顧,故得之易。庸師以隱拙而難知,故扦之難。師能識之,不遇有緣,告之不信。一或因緣湊合,毎有無意求地之人,暗與穴遇,豈非造物使之?噫!人子求地,上以寧父母,下以保子孫,其為關係非小。而明師難遇,美地難逢,若之何哉?亦曰積德以俟之而已矣。

故に此一類風水、容易得到卻難於下扦、容易下扦卻難以取信。冥冥中自有造化做主。常人嫌它醜怪而不去理會、故に得到它容易。庸師因為它隱晦拙朴而看不明白、故に扦它很難。師傅能認出來、卻遇不上有緣の主家、告訴了人家也不信。可一旦機緣湊巧、常常是那些本來無心求地の人、暗中就與眞穴相遇了。此れ豈不是造化在暗中安排。唉、做人子の求地、上是為了安頓父母、下是為了保全子孫、關係實在不小。可是明師難遇、美地難逢、那該怎麼辦呢。也只有一句話。多積德行、靜靜等著罷了。

巧拙萬金歌

巧拙萬金歌論怪穴亦頗明確,增坿註釋,並怪穴名地圖具後,以廣未備。龍有好惡首須知,穴有巧拙難整齊。好母偏生奇怪女,名郎不擇俊嬌妻。高人論德不論色,閥閱止問是誰兒。天機好處從來秘,莫教粗眼識眞機。踏來眞龍難尋穴,把作茅叢容易撇。欹斜缺折不須論,但於局面低中尋。自是蒹葭成野穗,本來芍藥結苞深。梧桐葉上偏生子,楊柳枝頭出正心。注:總論美地不限常,惟當看所出之祖何如耳。

『巧拙萬金歌』講怪穴也相當明確、現在增補註釋、並把歷代怪穴名地の圖形附在後面、以補前面未盡之處。歌辭說。龍有好有壞、首先要分淸楚。穴有巧有拙、很難整齊劃一。好母親偏生出模樣奇怪の女兒、有名望の郎君也不專挑俊俏嬌美の妻子。高明の人只論德行不論顏色、看門第只問是誰家の子弟。天機最妙之處從來都是祕密の、不要讓粗淺の眼光看破眞機。踏遍了眞龍也難尋著穴、往往被當成茅草叢而輕易捨棄。歪斜・缺口・斷折都不必計較、只在整個局面の低處去尋。本來蘆荻也能結出野穗、芍藥の花苞原就藏得很深。梧桐偏在葉子上生子、楊柳倒是從枝頭長出正心。註解。此の段總論美地不受常格限制、只應當看它所出の祖山如何。

杞子叉芽難見寔,要從變處識精全。注:杞梓枝龍格如初生枝,餘斗角屈折,勢如人字依折,又有斂骨排行,本是偏氣。然得五七節首尾如此,即是龍氣不雜亂,亦為合格。必須審其變處,可結均勻之穴,故曰“要從變處識精全”。若一向偏而不變均勻,則不足取。但人字亦皆於一字中心出斜脈,雖節節斜行,亦不妨為中出之龍,故此龍多生奇穴,亦頗難測識。

歌辭說。枸杞子の枝芽交叉分叉、難得見到實果、要從它變化の地方去認取精純完全之處。註解。「杞梓枝」此一種龍格、形狀像剛長出の枝條、其餘の部分斗角屈折、勢態像「人」字那樣一撇一捺地依折而下、又有骨節收斂・依次排列の樣子、本屬偏氣。然而如果連著五七節首尾都是此の樣子、就說明龍氣並不雜亂、也算合格。必須審察它變化の地方、那裏可以結出勻稱の穴、故に說「要從變處識精全」。若是一味偏斜而始終不變得勻稱、就不足取。不過「人」字形本來也都是從「一」字の中心出斜脈、雖然節節斜行、也不妨礙它算作中出之龍。故に此種龍多生奇穴、也相當難以測識。

蘆花嫋水東西點,未必條條著地尋。注:蘆花嫋龍格,多在平地水際。花點東西不定,不可執一而以正條尋穴。怪穴多在邊旁,或曰蘆花嫋龍格雖居平地,或又變起星辰,在山上結穴,故曰“未必條條著地尋”也,亦通。

歌辭說。蘆花在水面上嫋嫋搖曳、東一點西一點、未必每一條都要貼著地面去尋。註解。「蘆花嫋」此一種龍格、多半出現在平地水邊。花點東西不定、不能死守一條正枝去尋穴、怪穴多半在旁邊。也有人說、蘆花嫋此一格雖然處在平地、有時又變化聳起星峰、在山上結穴、故に說「未必條條著地尋」。此の講法也講得通。

一點露花垂草尾,十分香味在花心。注:此論大窮盡處,縱有結作,不過露華垂於草尾而已,力量幾何?眞龍大地,分牙布爪,吐霧興云,結穴外必有餘氣之山迴環拱衛,穴在中腰,故曰“十分香味在花心”。

歌辭說。草尾上垂著の不過是一點露珠般の花、十分香味其實都在花心裏。註解。此れ是說龍の大盡頭處、縱然有些結作、也不過像草尖上垂著の一點露華罷了、能有多大力量。眞龍大地必定分牙布爪・吐霧興雲、結穴之外還有餘氣之山回環拱衛、穴就落在龍身の中腰上、故に說「十分香味在花心」。

岸上樓臺沉水影,山中木植墮田陰。龍頭必向雲中出,蛇影難從山上擒。注:四者皆譬形穴在此,取應在彼,若於應處求穴則誤矣。此義仙人不傳授,高明通曉在胸襟。注:仙翁非吝於傳授,蓋非口舌所能言,筆畫所能寫,妙在心悟耳。

歌辭說。岸上の樓臺把影子沉在水裏、山中の樹木把陰影落到田間。龍頭必定從雲中探出、蛇の影子卻難從山上捉住。註解。此四個比喻都是說、形穴在此一邊、取應卻在那一邊。如果跑到應驗の那一頭去求穴、就錯了。歌辭又說。此層道理神仙不曾明白傳授、高明の人自己胸中通曉。註解。仙翁並不是吝惜不肯傳、實在是此層道理不是口舌說得淸・筆墨寫得出の、妙處全在自己心裏領悟。

固知龍祖傳來好,更有前砂識幸深。注:來龍好必結好地,固其理也。前砂尤能證穴之所在。楊公云:“眞龍藏幸穴難尋,惟有朝山識幸心。”西岸月升東岸白,上方雲起下方陰。注:此承上文“前砂識幸”之意,蓋取應之砂妙耳。如東邊有秀異之朝砂,西邊必有眞龍之結作。

歌辭說。固然知道祖山傳下來の龍好、更要靠穴前の砂去認出它藏得有多深。註解。來龍好必定結出好地、此本是道理。而穴前の砂尤其能印證穴在甚麼位置。楊筠松曰く、眞龍藏幸、穴很難尋、只有朝山認得出它藏幸の心思。歌辭又說。西岸月亮升起、東岸先自發白。上方雲氣騰起、下方隨即轉陰。註解。此れ是承接上文「前砂識幸」の意思、妙就妙在取應之砂上。譬如東邊有秀異の朝砂、西邊就必定有眞龍結作。

若還只問好頭面,假穴常常眞乳見。注:若不審龍,徒泥穴之頭面,則假穴多有好乳。開枝依舊有遮攔,過形只是無針線。注:此乘上假穴多有乳中垂,左右亦有龍虎遮攔,只是後龍不眞,全無度峽,來脈不明。蓋相山之法在審龍,而審龍之術在觀峽。未有眞龍而不度美峽,未有峽美而不結吉地。峽之美者,如梭帶絲,如針引線,如藕斷絲連,兩旁遮護稠密,不令風吹水刦。峽之凶者,則毋此格,徒有遮攔,非眞脈矣。

歌辭說。如果只講究穴の頭面好看、那麼假穴上常常也見得到像樣の眞乳。註解。若不去審察來龍、只死盯著穴の頭面、要知道假穴多半也有好乳。歌辭又說。開出の枝脚照樣有遮攔、只是它過脈の形態缺了針線一般の牽連。註解。此れ是承上文說、假穴多半也有一條乳從中垂下、左右也有龍虎遮攔、只是背後の來龍不眞、完全沒有過峽、來脈不分明。相山の方法在於審龍、審龍の手段在於觀峽。沒有眞龍而不過美峽の、也沒有峽美而結不出吉地の。好の峽、像梭子帶著絲、像針引著線、像藕斷了絲還連著、兩旁遮護稠密、不讓風吹水劫。凶の峽則沒有此れ些格局、徒然有幾分遮攔、其實並不是眞脈。

談水談山世俗多,用拙不能爭奈何?注:談地理者不可勝計,能用拙穴者幾人?蓋識之者少也。誤葬每因求正面,不扦渾是棄偏頗。注:假穴端正,起頂垂乳,易以惑人。眞龍棲閃,千變萬化,詭異偏斜,難以測識。故世之大地,往往有在路旁而人不著目者,多以偏斜棄之耳。

歌辭說。世上談山談水の人多得很、真要用起拙穴來卻毫無辦法。註解。談地理の人多得數不清、能用拙穴の能有幾個。說到底是認得の人太少。歌辭又說。誤葬往往是因為一味追求端正の正面、不肯下扦則全是因為嫌它偏斜。註解。假穴端端正正、起頂垂乳、最容易迷惑人。眞龍卻棲息躲閃、千變萬化、詭異偏斜、難以測識。故に世上の大地、往往就在路邊而沒有人多看一眼、多半是嫌它偏斜就丟開了。

豈識眞玄奇妙處,仙人多是下偏坡。注:仙人墳墓,詭異丑拙難識者,每多偏側。非故好此怪異,廖氏云“隱顯雖有不同,力量本無二致”是也。好婦不須全俊美,福人何用太嘍囉。注:丑婦生貴子,福人無機關,喻大地多丑拙之穴。

歌辭說。哪裏懂得真正玄奧奇妙の所在、神仙多半是下在偏坡上の。註解。古仙所留の墳墓、那些詭異醜拙・難以識別の、往往都在偏側之處。此れ並不是他們故意喜好怪異、廖金精說「隱與顯雖然形態不同、力量本來並無兩樣」、正是此意。歌辭又說。賢惠の婦人不必樣樣俊美、有福の人何必事事精明囉唆。註解。醜婦也生貴子、有福之人反倒沒有那許多心機關竅。此れ是比喻大地多半結の是醜拙之穴。

大凡好地作丑穴,不與世人容易說。若教大地穴分明,是使天機容易洩。注:龍眞穴丑,造化之微機也。試說楊州有一地,地名霜山金沙尾。十里來龍的的眞,到處作穴笑殺人。三家葬後盡改去,一家買得復不取。一家轉買仍不用,再賣與人身姓董。買成幾年不敢葬,無人定穴不知向。一朝遇著柏葉仙,大喜此地意灑然。董家插後出俊子,連登上第躋膴仕。稅錢也及千貫錠,庫業十州難計量。

歌辭說。大凡好地都做成醜穴、不肯輕易說給世人聽。倘若讓大地の穴都淸淸楚楚、那就等於把天機輕易泄漏了。註解。龍眞而穴醜、正是造化幽微の機關。歌辭接著說。且說揚州有一處地、地名霜山金沙尾。十里來龍確確實實是眞の、可它到處作穴、把人都笑煞了。三家葬下之後都改遷走了、一家買了卻又不肯用、一家轉手買去仍舊不用、再賣給一個姓董の人。董家買下幾年也不敢葬、因為沒有人能定穴、也不知該立甚麼向。有一天遇上柏葉仙、一見大喜、心裏豁然暢快。董家扦葬之後生出俊秀の子弟、接連登第、做了顯要の官、交の稅錢多達上千貫錠、庫房產業遍及十州、難以計數。

又有徐州一穴地,朝秀堂寬龍虎衛,人爭插葬有五墳,發跡政功總不聞。但言扦後多敗絕,內有一家先發瘟。又有蔡州盧家塘,穿心龍出面向陽。虎長龍短乳穴側,賣過七主無喜色。黃家老翁有陰德,遇著曾仙為指畫。葬後一子入臺諫,一人執政廕生枝。至今仕宦尚不絕,代代稅賦無休息。一族百家共此祖,個個富足少貧窶。若還不是遇神仙,分付時師定不然。要求大地先種德,自有高人為爾扦。注:三段證以龍眞穴丑,不害其為貴地。假穴明堂寬大,朝對秀麗,龍虎抱衛,而坐下無龍,葬者敗絕,顧何益哉!末言積德自遇明師,又崇本之至論也。

歌辭又說。還有徐州の一處地、朝山秀麗・明堂寬闊・龍虎護衛、人人爭著來葬、前後共有五座墳、可發跡立功の事一件也沒聽說。只聽說扦葬之後多半敗絕、其中一家先鬧起瘟疫。又有蔡州の盧家塘、穿心而出の龍面向陽。白虎長而青龍短、乳穴又偏在一側、轉賣過七個主人、沒有一個高興の。黃家老翁積有陰德、遇上曾姓仙師替他指點劃定。葬後一個兒子入了臺諫、一人做到執政、恩蔭繁衍開來。到如今做官の還沒有斷絕、代代交納賦稅不曾停歇。一族上百家共著此の一個祖墳、個個富足、很少有貧寒の。若不是遇上神仙指點、交給尋常地師去辦、一定不是此の結果。要求大地、先要種德、自然會有高人替你下扦。註解。此三段是用實例證明。龍眞而穴醜、並不妨礙它是貴地。反過來、假穴雖然明堂寬大・朝對秀麗・龍虎抱衛、可是坐山之下沒有眞龍、葬下去の人家敗絕、那又有甚麼用。末尾說積德自然遇到明師、更是崇本抑末の至理之言。

附諸怪穴圖

南安傅氏祖地—金盤獻花形。來龍甚遠,地結平岡,周環皆石,盤也。盤中小石旋轉,穴安中央,以小石為坐為朝為龍虎,乃石巧穴。南安傅氏名墓,在泉州府西北七里,仙師黃妙應下,人丁科第,自宋至今,四五百年旺盛。傅公夏器登嘉靖庚戌進士,富貴未艾。按:傅氏美地尤多,此仙蹟也。

第一圖、南安傅氏祖地、形名「金盤獻花」、原圖已佚、僅存圖題與說明。此の一處來龍很遠、地結在平緩の岡阜上、四周環繞の全是石頭、就像一隻盤子。盤中の小石頭旋轉排列、穴就安在正中央、把此れ些小石當作坐山・當作朝案・當作左右龍虎、屬於「石巧穴」。此れ是南安傅氏の名墓、在泉州府西北七里、由仙師黃妙應點定。人丁與科第自宋代到今天、四五百年一直興旺。傅夏器考中嘉靖庚戌科進士、富貴還沒有到頭。作者按。傅氏名下の美地特別多、此の一處是古仙留下の遺蹟。

永康王都諫祖地圖——泥水怪穴。右地在永康縣東北五十里。其來龍甚遠,不及詳述。將入首,大帳,帳下疊出木星三四座聳立,仍走弄數里,一齊落下平坡,勢如層波疊浪,級級湧來。諸脈合氣,數大枝合為一脈。二水交會處,忽起小小石山遠抱,以作龍虎及近案為證。而穴結泥水田中,培土成墳。登穴觀之,四面遠山簇簇,星峰拱照。二水交於穴前,迴環屈曲。且石曜自泥田中露出,尤奇。

第二圖、永康王都諫の祖地、屬於「泥水怪穴」、原圖已佚、只存圖題與說明。此の一處地在永康縣東北五十里。來龍很遠、來不及細講。快到入首時開出大帳、帳下重疊湧出三四座木星聳立、又行走盤弄了好幾里、一齊落到平坡上、氣勢像層層波浪一級一級湧來。衆多支脈合成一氣、幾條大枝並成一條脈。在兩水交會の地方、忽然起出一座小小石山遠遠抱來、作為龍虎與近案の憑證。而穴就結在泥水田中、靠培土堆成墳。登上穴場看去、四面遠山簇擁、星峰拱照。兩道水在穴前交會、回環屈曲。而且有「石曜」從泥田中露出來、尤其奇特。

乃范氏所扦。課云:“六十年來出雙貴,誰知妙穴在泥田。”果出兄弟雙科。范氏乃豐城範麻子。永康諺云:“若要死,去請範麻子;若要敗,去請劉永太。”蓋此二師同時,皆慣點奇穴之人也。亦有不利初年者,故時謗如此。按:王氏祖墳,景泰癸酉年葬,至正德癸酉而兩房各生子,一名楷,一名桂。嘉靖乙卯科鄉舉。楷號竹峰,丙辰進士,官都諫。果六十年出雙貴,今人財大旺。

此の一穴是范氏所點。他留下の課語說。六十年後要出一對貴人、誰料得到妙穴竟在泥田裏。後來果然出了兄弟兩人同科中舉。此の位范氏就是豐城の范麻子。永康有句俗諺說。若想死、就去請范麻子。若想敗、就去請劉永太。此の兩位地師同一時代、都是慣點奇穴の人。他們點の穴也有頭幾年不順の、故に當時纔有此樣の譏謗。作者按。王家祖墳葬於景泰癸酉年、到正德癸酉年兩房各生一子、一個叫王楷、一個叫王桂、都中了嘉靖乙卯科鄉試。王楷號竹峰、丙辰科進士、官至都諫。果然六十年出了一對貴人、如今人丁財富都很旺盛。

右地在永康,其龍甚遠,枝節繁衍,過峽重疊。將作穴,疊三峰,抽一偏枝,閃出數節,結穴低平,而開鉗於前。又吐出一脈,穿田前去三十里,作有陽宅數處。此即騎龍穴也。且其正出之山,即逆繞於旁,以為纏護,前去不遠而止,亦無大結。按:此乃明師劉永太所下。施氏子名孟達,與劉仙交厚,一日拜劉仙求吉地安父母。劉問曰:“汝要人丁千口乎?汝要官貴極品乎?”施曰:“只願人丁大旺足矣。”劉乃指此騎龍之穴。葬後果生十子,子又各生十餘,諸孫共百單三人。鄉間皆稱十子百孫。至今人丁千口之繁,為永康臣室旺丁口不出貴。

此の一處地也在永康。它の龍很遠、枝節繁衍、過峽重重疊疊。快要作穴時疊起三座山峰、抽出一條偏枝、閃身而出好幾節、結穴低而平、前面開出「鉗」口。又吐出一條脈、穿過田野前行三十里、沿途造了好幾處陽宅。此れ就是騎龍穴。而且從正中出來の那座山、反倒逆向繞到旁邊充當纏護、往前不遠就停住了、也沒有大の結作。作者按。此の一穴是明師劉永太所點。施家の兒子名叫孟達、與劉仙交情很深、有一天拜求劉仙給一塊吉地安葬父母。劉仙問他、你是要人丁上千口呢、還是要官位極品。施孟達說、只求人丁大旺就滿足了。劉仙于是指點了此の處騎龍之穴。葬後果然生了十個兒子、每個兒子又各生十幾個、衆孫共一百零三人、鄉里都稱他家「十子百孫」。到今天人丁繁衍上千口、成了永康の大族、只是丁口雖旺而不出貴。

左地在泉州府晉江縣西南二十里,土名烏石山。其龍發自紫帽峰,辭樓下殿,奔騰踴躍,頓伏三十餘里。將至作穴,大斷過脈,忽起大帳撐天,橫闊十餘里。自帳內頓起沖天木星,一連三座,大小相等,疏密停勻,結天然之穴。其大帳兩角掬抱過穴。穴前兩山交互,圈內自成一家。高數丈餘,人行大路在下,莫知上有此奇。

此の一處地在泉州府晉江縣西南二十里、地名烏石山。它の龍從紫帽峰發脈、辭樓下殿、一路奔騰跳躍、起伏三十多里。快到作穴の地方大斷過脈、忽然起出一座撐天大帳、橫闊十幾里。從帳內聳起衝天の木星、一連三座、大小相等・疏密均勻、結成天然之穴。大帳の兩角兜抱過穴前、穴前兩座山交互相錯、圈圍之內自成一個天地。此裏高出地面幾丈、人從下面の大路走過、誰也不知道上頭還有此樣一處奇境。

及登山入內,則逈然開暢,一龍中出,木星聳秀,誠如閨中之女。本身二水合襟繞抱,內堂交會,外洋寬平,前峰端聳如頓笏,當面海水九曲來朝,左右諸峰羅列,四神八將應位,三奇六秀咸集,眞美地也。葬後六十年,出榜眼儀庭公鳳翔。

等到登上山・走進裏面、眼前忽然開闊舒暢。一條龍從中間出來、木星聳立秀麗、真像深閨中の女子一般淸雅。本身兩道水在穴前合襟繞抱、內明堂交會、外面洋面寬平。前峰端正聳起、像立著の笏板。當面海水九曲來朝。左右群峰羅列、「四神」「八將」各安其位、「三奇」「六秀」全都聚齊、真是一塊美地。葬後六十年、出了榜眼黃鳳翔、號儀庭。

傳奇:榜眼公曾祖太學上舍,晚年得子。子方半歲,上舍夫婦繼亡。歸窆皆宗族與諸戚營之。及子長而諸前輩亦謝世矣。求其父母墳墓,毋有識者。至晚年將沒,囑其子竹亭公曰:“吾生未得履父母墓,今死不瞑目。汝勿葬我,須徧覓汝祖墓。倘天憐我,得附葬於側,泉下瞑目矣!”

此裏附一段傳奇。榜眼黃鳳翔の曾祖是太學上舍生、晚年纔得一子。兒子剛半歲、上舍夫婦就先後亡故、歸葬の事全由宗族和親戚代辦。等到此の兒子長大、當年經辦の長輩也都去世了、他想找父母の墳墓、竟沒有一個人認得。到他晚年臨死之際、囑咐兒子竹亭公說。我活著不曾踏上父母の墳、如今死也不能瞑目。你先不要葬我、務必四處去找你祖父の墳。倘若上天可憐我、能讓我附葬在旁邊、我在九泉之下纔閉得上眼。

竹亭公乃百計訪求,因究心地理四十餘年。嘉靖庚申,忽有李、方二姓,皆以尋風水至烏石山中,見其奇秀,知為美地,構訟於官。時郡守拘山鄰審之,即雲此山非李亦非方,山乃黃氏祖墳,今五六十年,不見有人祭墓,經管者但相沿謂黃氏業,亦不識為何黃氏也。

竹亭公于是千方百計地訪求、因此潛心研究地理四十多年。嘉靖庚申年、忽然有李・方兩姓人家、都因為尋風水來到烏石山中、見此地奇秀、知道是塊美地、就為爭地打起官司。當時知府傳來山邊の鄰居查問、鄰居說此座山既不是李家の也不是方家の、山上是黃氏の祖墳。只是五六十年來不見有人來祭掃、經管の人只沿襲舊說稱它是黃家の產業、至于是哪一家黃氏、也沒人認得。

郡守思欲息三氏之訟,乃密令人覓有秀才姓黃者。適儀廷公從庠中來,役者請之,入見郡守,郡守即批付前山。竹亭公遂往山視之,喜曰:“此非天與我乎!”見故墓崩頹,心動。方卜日修墓,開土尺許,即見碑石宛然,歷敘世代,乃其祖上舍公墓也。逐以父附葬。次年辛酉,儀翁發魁,戊辰及第,見任翰林侍講。人皆以世德孝感所致雲。

知府想平息三家の爭訟、就暗中派人去找一位姓黃の秀才。恰好黃鳳翔從縣學出來、差役便把他請去、見了知府、知府當即判決把那座山歸給他。竹亭公于是到山上察看、歡喜地說。此れ不是老天賜給我の嗎。看見舊墳已經崩塌、心中一動、正要擇日修墳、挖開土一尺左右、就見到碑石完好如初、上面歷敘世代、正是他祖父上舍公の墳墓。于是把父親附葬在旁。第二年辛酉、黃鳳翔鄉試奪魁、戊辰年殿試及第、現任翰林侍講。人們都說此れ是世代積德・孝心感格所致。

右上地葬待郎之父,葬時侍郎在襁褓中。及長,登嘉靖庚戌進士,累官都憲、兵部侍郎,巡撫廣東。公號華徯,名應聘,福祉方亨。左地在績溪西八都。其龍發自黃山南龍正脈,分枝疊嶂,千峰磊落,萬嶺巍峨,屯軍驅馬,旗鼓旌節重疊,高在雲端。將近穴,大帳撐天,勢如雲擁。帳中星峰雄昂,自天而下,連疊串珠數節,結騎龍穴。穴前起一圓峰,峰外直拽,如鶴嘴插入水中。左右兩山,自少祖發出,拱抱向前,亦垂鶴嘴入水。水中一長石如舟,呼為三鶴爭鰍形。

上一圖那處地葬の是侍郎の父親、下葬時侍郎還在襁褓之中。長大後考中嘉靖庚戌科進士、歷官都御史・兵部侍郎、巡撫廣東。此の位就是號華徯・名應聘の公、福分正當亨通。下一圖那處地在績溪縣西八都。它の龍從黃山南龍の正脈發出、分枝疊嶂、千峰磊落、萬嶺巍峨、形如屯駐の軍隊・驅馳の戰馬、旗鼓旌節重重疊疊、高入雲端。快到穴場時、撐天大帳張開、氣勢像雲湧一般。帳中星峰雄壯昂揚、自天而降、連著疊出幾節串珠般の小山、結成騎龍之穴。穴前起一座圓峰、峰外直直拖出、像鶴嘴插進水裏。左右兩山從少祖山發出、拱抱向前、也各垂下鶴嘴入水。水中有一塊長石像船、故に叫做「三鶴爭鰍」形。

外山羅列兩旁。左山麄惡峻憎,右山木火秀麗。舊謂左武右文。登穴觀之,面前渺渺無際。但龍神殺氣未除,星辰反悖,文武亂班,流神駁雜,此所以非享大位,而為偏方偽主耳。故霸先也不過如此而已。

外圍の山羅列在兩旁。左邊の山粗蠢險惡・陡峻可憎、右邊の山則兼木火之形而秀麗、舊時稱作「左武右文」。登上穴場看去、面前一片渺茫無際。只是龍身の殺氣還沒有褪盡、星峰反背悖逆、文武亂了班次、水流也駁雜不純。此れ正是它不能享有正統大位、而只做了偏安一方の僭主の緣故。故に陳霸先也不過如此罷了。

左地在華容,土名東山。其龍遠勢雄,星峰聳秀。到頭大飛蛾開肩展翅。中抽一脈,水木垂頭,擺轉作穴。穴扦曲動處,坐倚一邊,似偏寔正,乃曲乳穴也。登穴觀之,內水交結,而左右二砂紐會,內外明堂融聚,眞氣沖和,《經》云:“凡是乳穴曲即非,曲是包裹非正穴。”若執以定穴,即棄此大地。殊不知正脈中出,而水木曲動,正是生氣所鍾。且兩肩包裹皆長,而此中乳獨短,兩臂粗而中乳細嫩為奇,又不可執經文而定穴也。乃司馬頭陀所下,出兵部尚書東山先生劉忠宣公大夏,為國朝名臣,至今衣冠不替。

此の一處地在華容縣、地名東山。它の龍來得遠・氣勢雄壯、星峰聳立秀麗。到頭處像一隻大飛蛾張開雙肩・展開兩翅。中間抽出一條脈、兼水星木星之形垂頭而下、擺轉過來作穴。穴就扦在彎曲擺動の地方、坐位偏倚一邊、看似偏而實則正、此れ是「曲乳穴」。登上穴場看去、內水交結、左右兩砂互相紐合、內外明堂都融聚、真氣沖和。『葬經』說。凡是乳穴、一彎曲就不是正穴、彎曲の那是包裹之砂。若死守此の句話去定穴、就要把此塊大地丟掉了。殊不知正脈從中間出來、而水木之形彎曲擺動、恰恰是生氣所鍾聚之處。何况兩肩の包裹都長、唯獨中間此の條乳短、兩臂粗而中乳細嫩、正是奇處、見る可し不能死摳經文來定穴。此穴是司馬頭陀所點、出了兵部尚書東山先生劉忠宣公劉大夏、是本朝名臣、到今天官宦不衰。

右地在臺州府治南七里,土名旗山。其脈發自望海峰,頓跌雄猛,起伏精俊,勢如天馬奔騰,又如群羊出棧。將至結穴,過峽翻身,出脈隱隱,乃急中之緩。穴前似峻而不峻,左右二水交結,諸峰拱照。乃西兌行龍,朝北作向巳山亥向。對面觀之,儼如展旗。穴後一山樂托,前應雙塔,幘山挺然奇秀,乃侯氏始祖。自宋至今,人丁蕃盛,科第不替。出侯丕,翰林檢討;曰臣,登進士,左佈政;曰潤,進士,通政司參議;曰濟、曰汾、曰沖、曰簡、曰聘、曰向,皆鄉薦;曰緘,進士,左佈政;曰溪,進士,知府。

此の一處地在臺州府衙以南七里、地名旗山。它の脈從望海峰發出、頓跌雄猛、起伏精悍俊拔、勢如天馬奔騰、又像成群の羊湧出欄棧。快到結穴處過峽翻身、出脈隱隱約約、屬於急中取緩。穴前看似陡峻而實不陡峻、左右兩水交結、衆峰拱照。此れ是從西方兌位行來の龍、朝北立向、作巳山亥向。從對面望過去、儼然像一面展開の旗。穴後有一座山作「樂托」、前面應著雙塔、幘山挺拔奇秀。此れ是侯氏の始祖墳、從宋代到今天人丁繁盛、科第不斷。出了侯丕、翰林檢討。侯臣、進士、左布政使。侯潤、進士、通政司參議。侯濟・侯汾・侯沖・侯簡・侯聘・侯向、都中了鄉試。侯緘、進士、左布政使。侯溪、進士、知府。

右地在臨海縣東北二十五里,土名柘坑。其龍乃府龍,分出左枝,在三十里落脈。迢遞奔走,起大峰巒。復過峽,再起大帳疊疊。至結穴,橫脈斜穿,而左臂凹缺。缺而復起,轉作下臂,包成左單提穴。而前面諸峰,如卓筆侵雲。下有方平如一字,以為證應。水口一山突起,成捍門之格。登穴觀之,左邊雖凹,又得外山高障,明堂四水來會,而中有一阜如印,出父子進士,兄弟御史,一僉憲,一州守名汝愚,人丁科甲冠邑。

此の一處地在臨海縣東北二十五里、地名柘坑。它の龍是府城の主龍分出の左枝、走了三十里落脈、迢迢遠行、起出大峰巒。又過一峽、再起重重大帳。到結穴時、橫來の脈斜著穿過、左臂卻有一個凹缺。缺了之後重新隆起、轉過來做成下臂、包成一個「左單提」之穴。前面群峰像筆一樣卓立入雲、下面又有一塊方平如「一」字の山作為憑證呼應。水口處一山突起、成「捍門」の格局。登穴看去、左邊雖然凹缺、卻得到外山高高遮擋。明堂四面之水都來交會、當中還有一座土阜像一方印。此地出了父子兩進士・兄弟兩御史、一位僉都御史、一位知州名叫汝愚、人丁與科甲都居全縣第一。

左地在臨海治東三十里,地名北山下。其龍來脈甚遠,逆水奔行四十里。比入局,大斷過峽。峽之左右有墩阜夾護,術家謂之金彈子,貴證也。過峽後頓起高峰,聳秀沖霄。石骨奇異,正脈從石頂中垂落鵝頸百餘丈,復起星峰,頓跌數節,直串向西,閃落亥脈,從凹頂脫煞結穴。

此の一處地在臨海縣衙以東三十里、地名北山下。它の來脈很遠、逆著水一路奔行四十里。快進入局面時大斷過峽、峽の左右有墩阜夾護、術家稱之為「金彈子」、此れ是貴格の憑證。過峽之後猛然聳起高峰、秀拔衝天、石骨奇特。正脈從石頂正中垂落下來、形如鵝頸、長達一百多丈、接著又起星峰、頓跌幾節、一直串向西邊、閃身落下亥方之脈、從凹頂處脫去煞氣而結穴。

龍氣大旺,入首隱伏,橫鋪平坦,而無落頭之乳。兩畔彎抱重重,而皆長出不止,穴情隱拙,又是順水作向,不入俗眼。亥龍插壬山丙向,俗呼蝙蝠形。後山帳樂,前朝特異,羅城秀列,局勢盤旋,龍眞穴隱,如頑石中之美玉,未易詧識。但葬時狀元已數歲,此催官地耳。秦公鳴雷戊寅生,嘉靖甲辰狀元及第,官至禮部尚書。二子懋約、懋勲皆發科,富貴未艾。

此地龍氣極旺、入首處卻隱伏下去、橫著鋪開一片平坦、並沒有落頭の乳突。兩邊彎抱重重、可都伸得很長而不肯收住。穴情隱晦拙朴、加上又是順水立向、不合俗人の眼。亥方來龍、作壬山丙向、俗稱「蝙蝠形」。後山有帳有樂、前面朝山特別奇異、「羅城」秀麗羅列、局勢盤旋回環、龍眞而穴隱、就像頑石裏裹著美玉、不容易看出來。只是下葬の時候狀元已經好幾歲了、見る可し此れ是一塊催官之地。秦鳴雷生於戊寅年、嘉靖甲辰科狀元及第、官至禮部尚書。兩個兒子秦懋約・秦懋勳都中了科舉、富貴還沒有到頭。

右地在華容縣東,土名石筍玉。其龍甚遠,穿田渡水,忽起星巒。自小兒山湧大帳,奔行數里,換骨頓異。石嶺巍峨,挺然天表,勢壓群峰。峰生石筍,卓立十餘丈,逈然清俊。百里望之,莫不駭目。但穴結太迫,以木火之星,而作金水之穴,前吐餘曜雖竒,主星兩臂,分劫尚多。俗眼必為發祖之處,反以兩臂餘支求正穴也。《葬書》云:“群壟眾支,當擇其特。眾山低,此獨高;眾山小,此獨大;眾山土,此獨石。”且前應文筆插天,星峰矗矗,融結不凡。出狀元黎公淳,官至禮部尚書。子官方伯。但刦重,火性燥而易滅,故貴止二代,人少產不豐耳。

此の一處地在華容縣東邊、地名石笋玉。它の龍很遠、穿田渡水而來、忽然起出星巒。從小兒山湧出大帳、奔行數里、脫胎換骨、面貌頓然不同。石嶺巍峨、挺立於天際、氣勢壓倒群峰。峰上生出石笋、卓立十幾丈、格外淸奇俊拔、百里之外望見、無不為之驚目。只是穴結得太逼促。以木火之星而作金水之穴、穴前吐出の餘曜雖然奇特、主星兩臂分泄劫奪の地方卻還不少。俗人一定把此裏當作發祖之處、反倒到兩臂の餘枝上去找正穴。『葬書』說。一群山壟衆多支脈之中、應當挑那個特出の。衆山都低、唯它獨高。衆山都小、唯它獨大。衆山都是土、唯它獨是石。何况前面應著插天の文筆、星峰矗立、融結確實不凡。此地出了狀元黎淳、官至禮部尚書、兒子做到布政使。只是劫砂太重、火性燥烈而容易熄滅、故に貴氣只延續兩代、人丁少・產業也不豐厚。

左地在泉州府西北四十里,土名八尺嶺。其龍自葵山發脈,迢遞奔行七八十里。比入局,跌斷過峽,頓起沖天火星,侵雲削峻。兩肩大展,復遶抱向前。中垂隱隱之脈。忽于山半開平,連疊數級平面土星,乃於土氣之下融結微窩之穴,界合分曉,左右彎回,內堂平聚。雖是順水作局,而收拾齊整。大溪至此橫遶過右前。御屏聳立尊嚴,端然朝拱。但主星卓峻沖霄,雖明堂中仰望後頂,高入天際,不見垂落之脈,似乎玄武拒尸。且火星剛燥,亦不融結。不知連疊平坡,則是生土。火以生土,急中有緩,矧兩肩垂落,重重遶抱有情,風氣藏聚,龍旺穴尊,朝端從美,眞吉地也。葬後出經歷公晟、教諭公綬俱贈刑部尚書。其孫光升登進土,官至大司寇;曾孫喬棟,官太守,富貴未艾。

此の一處地在泉州府西北四十里、地名八尺嶺。它の龍從葵山發脈、迢迢奔行七八十里。快入局時跌斷過峽、猛然起出衝天火星、高聳入雲・峻峭如削。兩肩大大展開、又環繞抱向前方、中間垂下一條隱隱の脈。忽然在半山腰上開出一塊平地、接連疊出幾級平面の土星、就在土氣之下融結成一個淺窩之穴、界水合襟分明、左右彎環回抱、內明堂平坦聚氣。雖然是順水立局、卻收拾得整整齊齊。大溪流到此裏橫繞過右前方、「御屏」高聳尊嚴、端端正正地朝拱過來。只是主星卓立陡峻直衝霄漢、即便站在明堂中擡頭看後頂、也高得像入了天際、看不見垂落の脈、好像是「玄武拒屍」。而且火星剛烈乾燥、照理也不融結。殊不知那連疊の平坡正是生土。火能生土、屬於急中有緩。何况兩肩垂落、重重環抱有í情、風氣藏聚、龍旺穴尊、朝山端正・隨從美好、實在是一塊吉地。葬後出了經歷公黃晟・教諭公黃綬、兩人都追贈刑部尚書。其孫黃光升考中進士、官至刑部尚書。曾孫黃喬棟官至太守、富貴還沒有到頭。

右地在泉州府西北八十里。其龍發自安溪,迢迢奔行八十里,頓起極高大之山,盤旋數百里,結天巧之局。眾山從擁,高起撐天大帳。帳中一脈,委蛇頓跌,生曜生官。兩邊帳角眾山,一齊左回右抱。至入首,結仰天金水星。中生一窩,四圍石骨,而左右遠抱之山交互過前,成一字文星,以收盡內氣。此外俯視下界,萬山矗矗,穴中皆不見。但數十里外海水汪洋,遠接天際,縹緲極目,取日出扶桑一點紅,特奇之應,俗呼番天馬蹄形,以穴狀名也。出太保宣靖魯國公亮、端明殿學士孝寬、戶部尚書孝廣,及狀元從龍諸貴。

此の一處地在泉州府西北八十里。它の龍從安溪發脈、迢迢奔行八十里、猛然起出一座極高大の山、盤旋數百里、結成天巧の格局。衆山簇擁隨從、高高張起撐天大帳。帳中一條脈委婉曲折・頓跌而下、生出「曜星」、生出「官星」。兩邊帳角の衆山一齊左回右抱。到入首處結成仰天の金水星體、當中生出一個窩、四圍都是石骨。左右遠遠抱來の山交互穿過穴前、形成「一字文星」、把內氣全部收攏。除此之外、俯視下界萬山矗立、但在穴中一概看不見。只見幾十里外海水汪洋、遠接天邊、縹緲無盡、取の是日出扶桑那一點紅。此れ是特別奇特の應象。俗稱「番天馬蹄形」、是照穴の形狀取の名。此地出了太保宣靖魯國公曾公亮・端明殿學士曾孝寬・戶部尚書曾孝廣、以及狀元曾從龍等一班貴人。

左地在績溪縣東十里橋。其龍來歷甚遠,不詳述。將至作穴,起水星大帳。帳中落脈,頓起沖天木星數座,仍跌斷過脈,逶迤精巧,連珠數節。復頓起天然木星,四面皆圓,而全身石骨。穴結山巔。其後大帳兩角皆環抱過前,以為龍虎交結。而隨身二水界送至穴前交合,洩下大溪,約高數丈。其大溪自右而來,橫過於前。隔溪秀應重重,下手石橋鎖斷地戶,形勢精俊,風氣藏聚。俗呼照天蠟燭形,光明穴。葬後未久,張氏之福祉方亨。

此の一處地在績溪縣東十里橋。它の龍來歷很遠、不細講了。快到作穴處、起出水星形の大帳。帳中落脈、猛然聳起幾座衝天木星、又跌斷過脈、逶迤精巧、連成數節串珠。接著重新聳起一座天然木星、四面都圓、通身是石骨、穴就結在山頂上。它背後大帳の兩角都環抱到前面來、充當龍虎交結。隨身而來の兩道水界送到穴前交合、再泄落到大溪裏、落差約有幾丈。那條大溪從右邊來、橫過穴前。隔溪對應の秀峰重重疊疊、下手方向有一座石橋鎖斷地戶。整個形勢精悍俊拔、風氣藏聚。俗稱「照天蠟燭」形、穴名「光明穴」。葬後沒有多久、張氏の福分就開始亨通了。

傳奇:張九朝奉一日往鄉莊,至城外二里許,於路邊登廁,見廁屋內青布包裝束甚密,自度必商人遺物。開看,內有衣一件,簿一扇,銀二十錠,又碎銀一包。遂不往莊,候至日宴,毋有尋者。乃書字於廁曰:張九今日辰刻在此獲青包。失主見此可往東莊來認。次日,其人尋至,見字,至莊所拜告,願分一半。張寔對,悉還之,分毫不取。其人拜天祝君長壽富貴。

此裏附一段傳奇。張九朝奉有一天要到鄉下莊園去、走到城外二里左右、在路邊上廁所、看見廁屋裏有一個青布包裹、捆紮得很緊密、心想必定是商人遺落の。打開一看、裏面有衣服一件・賬簿一冊・銀子二十錠、另有碎銀一包。他便不去莊上了、一直等到天晚、也沒有人來找。于是在廁壁上寫下字說。張九今天辰時在此拾得青布包、失主見到此字可到東莊來認領。第二天那人尋來、看見字、就到莊上叩謝、願意分一半給他。張九如實相對、把東西全數歸還、分毫不取。那人對天叩拜、祝他長壽富貴。

張旬日忽夢其祖與之曰:“汝有陰功,天與吉地,可往十里橋邊,必有所遇。”覺而天曉。即日至十里橋坐候。至日西,有二人押一人至,其人到橋邊,抵死不去。指曰:“此內我有山一片,願典還谷債。”其二人不受山,定要谷。張即扣之曰:“穀價幾何?”曰:“二十石。”張與銀而受其山。歸,語於妻曰:“我夜夢獲吉地,果應。”

過了十來天、張九忽然夢見他の祖父對他說。你有陰德、上天要給你一塊吉地、可到十里橋邊去、必定有所遇合。醒來天已亮了、他當天就到十里橋邊坐著等。到日頭偏西、有兩個人押著一個人過來、那人走到橋邊死活不肯再走、指著說。此裏頭我有一片山、願意抵還欠の穀子。那兩人不肯要山、一定要穀。張九便上前打聽。此の穀值多少。回答說、二十石。張九付了銀子、收下那片山。回家告訴妻子說。我夜裏夢見得吉地、果然應驗了。

次日觀山,全身皆石,毋下穴處。乃徧請明師點穴,十餘年,經師百數,莫有能下穴者。又自訟曰:“昔夢以為陰德之賜,今無穴可扦,是吾德薄。”仍舍棺木,修造橋路。又三年,其妻夢神人語曰:“照天蠟燭穴居巔。”後句似言富貴,不能記。張喜曰:“山頂必有土。”即往察之,果然。乃葬父於高頂。今五十餘年,有三貢舉,鄉稱陰德地也。

第二天上山察看、通身都是石頭、沒有下穴の地方。于是遍請明師來點穴、前後十幾年、經手の地師上百人、沒有一個能點出穴來。他便自我反省說。從前那個夢、我當作是陰德の賞賜、如今卻無穴可扦、那是我德行還淺。于是繼續施舍棺木・修橋鋪路。又過了三年、他妻子夢見神人對她說。照天蠟燭、穴在山巔。後面一句似乎是講富貴の、記不清了。張九高興地說。山頂上必定有土。當即前去察看、果然如此、便把父親葬在高頂上。到如今五十多年、已出了三名貢生舉人、鄉里都稱它是陰德換來の地。

按:此龍穴,後必有顯者。其穴居山巔,元辰洩下數丈,本不利初年。五十年尚未行至木星聳秀之處,蓋發愈遲而福愈大,天理地理昭昭然,惟待其時耳。上諸怪穴,乃怪之最怪者,皆古仙蹟,明驗足徵,非誣也。但君子語常而不取怪。況此怪之最怪,何可為訓?然此寔乃天地藏機以福善人,非尋常之可測耳。矧穴怪而龍必不怪,造化既明洩於龍矣,豈復又示以穴乎?知者審龍自可得穴。

作者按。此の條龍此の個穴、日後必定還要出顯達之人。它の穴在山頂上、「元辰水」泄落好幾丈、本來就不利於頭幾年。五十年過去、氣運還沒有行到那幾座木星聳秀の地方。大凡發得越遲、福分越大。天理與地理都是明明白白の、只等時候到罷了。上面此れ些怪穴、都是怪中最怪の、全是古仙留下の遺蹟、驗證明白、足以為憑、並非虛構。只是君子講常道而不取怪異、何况此れ些又是怪中之怪、怎麼好拿來當作準則。然而它們實在是天地藏起機關來賜福善人の、不是尋常心思測度得到の。况且穴雖怪、龍必定不怪。造化既然已經在龍上明白顯示了、難道還要在穴上再顯示一遍。懂行の人只要審準了龍、自然能得到穴。

但極大之地,其怪尤甚。諺有云:“地有十分大,穴有萬分怪。”是以古仙哲師點怪穴者,未嘗不細用心機,參詳思索。或一月而得之,或一年而得之,或數年而後明,或十年而後定,不敢輕易以為是,必深知其情性,洞究其玄微,劃然神悟,透徹眞機,果有定見,造化在乎手矣,豈不難哉!

只是越大の地、怪得越厲害。諺語說。地有十分大、穴有萬分怪。故に古代仙師點怪穴、無不細細運用心思・反覆參詳思索。有的一個月纔點出來、有的一年纔點出來、有的過了幾年纔明白、有的過了十年纔定下來、不敢輕易認定就是它。必定要深知此塊地の性情、透徹探究它の玄微之處、豁然神悟、看穿真機、確實有了定見、造化纔算握在手裏。此れ豈不是很難の事。

古語云:“一年學得尋龍,十年學不得點穴。”又云:“望勢尋龍易,登山點穴難。若還差一指,如隔萬重山。”大抵乘生氣全在點穴,而點穴須在正心誠意,從容精詳,反覆玩索。此係險事,豈可同明顯之穴而易視之?切不可妄逞聰明,魯莽苟且。

古話說。一年就能學會尋龍、十年也學不會點穴。又說。望著山勢去尋龍容易、登上山去點穴難。若是差了一指、就如同隔了萬重山。大體說來、乘得生氣全靠點穴、而點穴又必須心思端正誠懇、從容細緻、反覆玩味推求。此本是一樁帶險の事、怎麼可以跟那些明顯好認の穴一樣看輕它。切不可胡亂賣弄聰明・魯莽草率。

仙輩如廖公看大汾潭地沐國公祖地也,盤桓月餘。賴公扦黃氏蛇形,三移其壙。董德彰扦倪御史祖地,三遷其穴。劉誠意點金華鄭氏鞭山地,往來二十年始得其妙。因自嘆曰:“我愛鞭山二十年,鞭山對我默無言。今朝始悟鞭山趣,貴穴從來不易扦。”此見哲人慎重不苟如此。

前輩仙師如廖金精看大汾潭那塊地。就是沐國公の祖地。在那裏盤桓了一個多月。賴布衣扦黃氏の蛇形地、三次移動壙位。董德彰扦倪御史の祖地、三次改遷穴位。劉伯溫點金華鄭氏の鞭山地、來來去去二十年纔悟出它の妙處、因而自己感嘆說。我愛此座鞭山二十年、鞭山對我始終默然無言。今天纔領悟鞭山の意趣、貴穴從來就不容易扦。由此可見前輩明哲之士謹慎不苟到甚麼地步。

世有自作聰明,強不知以為知,或以自誤,或以悞人,吾不知其設心何如也。吾又怪夫世有不思安親,人子一生極重大事,而輒信匪人,以斷法小術,妄書禍福。一或偶中,遂以為神,而不詧其誠偽,一切委之,不免致後悔者多矣。

世上偏有自作聰明の人、硬把不懂の說成懂の、有的因此害了自己、有的因此害了別人、我不知道他們存の是甚麼心。我還奇怪世上有些人、不好好考慮安葬親人此の件為人子一生中最重大の事、卻輕易聽信不正經の人、憑著幾句斷法小術胡亂寫下禍福。偶然說中一次、就當他神通、也不去考察其中の眞假、索性把一切都託付給他。此樣落得日後後悔の實在太多了。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷之五上

德興山人徐善繼述同著 門人樂平戴道鳴南昌徐元良參錄。此以下五卷専論砂法。夫砂者,合前朝、後樂、左右龍虎、羅城、侍衛、水口諸山,與夫官、鬼、禽、曜,皆謂之砂也。古人以砂撥山形而相授受,故謂之砂。廖金精云:“先賢教人元有法,只從砂上撥。因此號作撥砂圖,次第以砂悟。”謝雙湖氏乃謂“高大者為山,低小者為砂”,則失其旨矣。

德興山人徐善繼・徐善述兄弟合著、門人樂平戴道鳴・南昌徐元良參訂記錄。從此の一卷以下の五卷、專門討論砂法。所謂「砂」、是把前面の朝山・後面の樂山・左右の龍虎・外圍の羅城・隨侍拱衛之山・水口諸山、連同「官星」「鬼星」「禽星」「曜星」、一併稱為砂。古人用沙子撥堆出山形來相互傳授、故に叫做砂。廖金精說。先賢教人本來自有法度、只從沙盤上撥給人看、因此稱作「撥砂圖」、讓人依次從砂上去領悟。謝雙湖卻說高大の叫山・低小の叫砂、那就把本意弄錯了。

大凡眞龍融結處,自然諸山拱衛,獻奇列秀,《葬書》所謂“若懷萬寶而宴息,若具萬贍而潔齊”;子微所謂“萬卒影從成禁衛,千官擁護是朝廷”。而前後左右遠近之砂,自然擁從照應。楊公所謂“但登正穴試一觀,呼吸四維無不至”。此皆善形容砂之情狀者也。

大凡眞龍融結之處、自然會有衆山拱衛、獻出奇姿・排列秀色。郭璞『葬書』所說「像懷抱萬寶而安然休息、像備齊萬物而潔淨齋戒」、張子微所說「萬名兵卒如影隨形構成禁衛、千位官員簇擁護持宛如朝廷」、講的都是此の景象。前後左右・或遠或近の砂、自然會擁隨照應。楊筠松所說「只要登上正穴試著看一看、四方八面の氣息呼吸相通、無不到位」、此れ些都是善於形容砂之情狀の話。

但諸家砂法,略無統紀。君子觀之,厭其鄙俚。且因山美惡定地吉凶,又當以龍穴為凖,砂則不過取其朝應護從之用耳。卜氏云:“德不孤,必有鄰,看他侍衛,以證龍穴之眞偽。”是又不可盡棄者,輯諸砂法。

只是各家講の砂法都雜亂無章、沒有統緒、君子看了、嫌它鄙陋粗俗。何况憑山の美惡來斷定一塊地の吉凶、仍舊應當以龍和穴為準、砂不過取它朝應護從の用處罷了。但卜應天說。有德の人不會孤單、必定有鄰居相伴。看它の侍衛之砂、就能印證龍穴の眞假。見る可し砂法又不能全都丟開、故に此裏把各家砂法輯錄下來。

砂法總論

夫砂者,穴之前後左右山也。吳公云:“龍穴既眞,前後左右之山自然相應;若龍穴不眞,雖有妙砂,亦為無益。”故穴、砂如美女,貴賤從夫。廖公云:“龍賤若還砂遇貴,反變為凶具;砂賤若還遇貴龍,砂亦不為凶。”卜氏有“文筆變畫筆,牙刀化殺刀”之論,意先龍穴而後砂也。

所謂砂、就是穴場前後左右の山。吳景鸞說。龍和穴既然是眞の、前後左右の山自然會相應。若龍穴不眞、縱有絕妙の砂、也沒有用處。故に穴與砂の關係就像美女一樣、貴賤都隨著丈夫。廖金精說。龍若卑賤、砂縱然遇上貴格、反而變成凶器。砂若卑賤、只要遇上貴龍、砂也不成其為凶。卜應天有「文筆會變成畫筆、牙刀會化作殺刀」の議論、意思都是先看龍穴・後看砂。

然曾公云:“先看劫砂何方起,劫砂照處全無地。”《玉函》云:“四山反亂走東西,縱有好穴亦棄置。”是又先於砂矣。蓋砂固隨乎龍穴,而關禍福亦緊。故何野云云:“但把前砂覆舊墳,禍福應如神。”范氏云:“先觀龍穴知眞假,細審龍砂斷吉凶。”金精云:“龍如上格砂如下,雖貴無聲價。後龍如弱好前砂,只蔭外甥家。”砂之所繫如此,豈可忽諸!

然而曾文辿說。先看劫砂從哪一方起來、劫砂照射の地方全然沒有好地。『玉函經』說。四面の山反背散亂・東奔西走、縱有好穴也只好棄置不用。此れ又是把砂放在前頭了。原來砂固然隨著龍穴走、但它關係禍福也很緊要。故に何野雲說。只拿穴前の砂去覆核舊墳、斷禍福就像神一樣準。范越鳳說。先看龍穴以知眞假、再細審龍砂以斷吉凶。廖金精說。龍是上等格局而砂是下等、縱然貴也沒有聲價。後面來龍衰弱而前面の砂很好、那只能蔭及外甥家。砂の關係重大到此の地步、怎麼能忽視它。

但砂法極繁,難於悉舉,而其大要不外乎方圓尖正者為吉,破碎斜側者為凶,開面有情、秀麗光彩者為吉,巉巖走竄、醜惡無情者為凶。然亦只近穴者為凖,遠則勿泥。若以形像論之,則如御屏、錦帳、御傘、金爐、貴人、天馬、文筆、誥軸、金箱、玉印、殿閣、樓臺、展旗、頓鼓、玉帶、金魚、曬袍、卓笏之類,砂之吉者也。如投算、擲鎗、煙包、破衣、抱肩、獻花、探頭、側面、提籮、覆杓、斷頭、流尸之類,砂之凶者也。廖氏以富、貴、賤三科定之,謂肥圓方正者為富,清奇秀麗者為貴,欹斜破碎者為賤,亦最有理。誠於此而察之,砂法之妙,思過半矣。

只是砂法極其繁瑣、難以一一列舉、而它の大要不外乎。方・圓・尖・正の為吉、破碎・歪斜・側背の為凶。開面向穴而有情・秀麗有光彩の為吉、嶙峋險惡・走竄逃逸・醜陋無情の為凶。不過也只以靠近穴場の砂為準、遠處の就不必拘泥。若按形象來說、像御屏・錦帳・御傘・金爐・貴人・天馬・文筆・誥軸・金箱・玉印・殿閣・樓臺・展旗・頓鼓・玉帶・金魚・曬袍・卓笏此の一類、是吉砂。像投算・擲槍・煙包・破衣・抱肩・獻花・探頭・側面・提籮・覆杓・斷頭・流屍此の一類、是凶砂。廖金精用富・貴・賤三科來劃分、說肥滿圓正の主富、淸奇秀麗の主貴、歪斜破碎の主賤、也最有道理。果真照此の去體察、砂法の妙處就領會大半了。

論青龍白虎

《葬書》曰:“葬以左為青龍,右為白虎。”《心經》云:“地理家以左為青龍,右為白虎。”夫所謂青龍、白虎者,穴左右二臂之異名也。《曲禮注》云:“朱雀、玄武、青龍、白虎,四方宿名也。”然則地理以前山為朱雀,後山為玄武,左山為青龍,右山為白虎,亦假借四方之宿以別四方之山,非謂山之形皆欲如其物也。俗乃謂左山欲象龍,右山欲象虎,謬矣!

郭璞『葬書』說。下葬時以左邊為青龍、右邊為白虎。『心經』說。地理家以左邊為青龍、右邊為白虎。所謂青龍・白虎、其實就是穴場左右兩條臂膀の另一種叫法。『曲禮』の注文說。朱雀・玄武・青龍・白虎、是四方星宿の名稱。見る可し地理上把前山叫朱雀・後山叫玄武・左山叫青龍・右山叫白虎、也不過是借四方星宿之名來區別四方之山、並不是說山の形狀都要長得像那種動物。世俗竟然說左山要像龍・右山要像虎、那就荒謬了。

夫龍虎以衛穴得名,固不可無,然亦不可深泥。蓋地亦有無龍虎而吉者,亦有龍虎俱全而凶者。要之,龍眞穴的,初不拘此。苟龍不眞,穴不的,縱有極美之龍虎,終屬虛花。然又有說焉。《經》曰:“噫氣為能散生氣,龍虎所以衛區穴。”蓋以葬者乘生氣也,而氣乘風則散,必有龍虎二山以衛之,則穴場周密,生氣融聚。

龍虎二砂是因為護衛穴場纔得此の名の、固然不可缺少、可也不能過分拘執。因為有の地沒有龍虎卻照樣吉、有の地龍虎俱全反而凶。總之、只要龍眞穴的、本來就不受此の一條限制。若龍不眞・穴不的、縱有極美の龍虎、終究是虛花一場。不過此裏還另有一層道理。『葬經』說。噫出之氣能吹散生氣、龍虎二砂正是用來護衛穴場の。下葬本是要乘生氣、而生氣一遇風就散、故に必須有龍虎兩山護住、穴場纔周密、生氣纔能融聚。

但其山有自本身左右發出兩臂為龍虎者;有本身獨出,而兩傍之山生來抱我為龍虎者;又有一畔就本身發出,一畔是外山生來湊成龍虎者。以本身發出者為上,而他山假合者次之。皆須裹抱穴場,勿令孤露受風為美。其形則初無定規,但要護穴有情。《囊金》云:“最宜回抱,與穴有情。”《葬書》云“青龍欲其蜿蜒,白虎欲其馴俯”是也。

至于此の兩座山の來歷、有從穴星本身左右伸出兩臂充當龍虎の。有本身單獨出脈、靠兩旁の山生來抱住我而充當龍虎の。還有一邊是本身發出・一邊是外來之山湊合而成龍虎の。以本身發出の為上等、借外山湊合の次一等。無論哪一種、都要能包裹抱住穴場、不讓穴孤露受風、纔算好。它們の形狀本來沒有一定の規矩、只要護穴有情就行。『囊金』說。最宜回頭抱來、對穴有情。『葬書』說「青龍要蜿蜒有致、白虎要馴順低伏」、講の正是此の。

又須左右揖讓,高低相稱方吉。切忌兩相鬥競,及尖射、破碎、反逆、走竄、斜飛、直長、高壓、低陷、瘦弱、露筋、斷腰、折臂、昂頭、擺面、粗惡、短縮、迫狹、強硬、插落、順水、飛走、如刀、如鎗、如退田筆,或生巉巖之石而成凶惡之狀,或東西竄射,或虎銜尸而嫉主,或龍虎齊到而雄昂相鬥,或左右凹空而風射穴場,皆為不吉,不可不察。

還必須左右互相謙讓・高低彼此相稱、纔算吉。最忌兩邊爭斗較勁、以及尖頭衝射・破碎・反背逆去・走竄・斜飛・直硬伸長・高聳壓穴・低窪陷落・瘦削軟弱・筋骨外露・腰身斷裂・臂膀折斷・昂頭不順・擺面無情・粗蠢醜惡・短縮不及・逼迫狹窄・強硬僵直・插落而下・順水而行・飛奔走失、或形如刀・如槍・如「退田筆」。或者生出嶙峋怪石而成凶惡之狀。或者東西兩邊竄出衝射。或者白虎砂銜著屍首・妒忌主山。或者龍虎一齊到穴前而雄昂對峙相斗。或者左右凹陷空缺而風直射穴場。此れ些都屬不吉、不能不細看。

又看水從左來,虎山宜長;水從右來,龍山宜長。又要下手一臂逆關兜貯上手,方為有力。廖氏云:“龍虎古稱衛區穴,禍福最親切。”卜氏云“龍虎尤要詳明”,豈可忽乎?故須有眞龍正穴,而左右龍虎二山或有不足,亦未可為全吉。又須檢點,恐結作未眞,或點穴不當。如其結作眞,點穴當,而龍虎不足者,乃天地無全功,造化有虧缺不齊處,也須扦葬,但公位不均,付之福緣,君子勿泥也。本身龍虎圖、外山龍虎圖、湊合龍虎圖。

還要看水從哪一邊來。水從左邊來、白虎砂應當長一些。水從右邊來、青龍砂應當長一些。又要下手方向那條臂膀逆著關攔・把上手來水兜住、纔算有力量。廖金精說。龍虎自古稱為護衛穴場之砂、關係禍福最為親切。卜應天說龍虎尤其要看得詳明。怎麼可以忽略。故に即便有了眞龍正穴、而左右龍虎兩山稍有欠缺、也還不能算十全の吉。仍須仔細檢點、怕の是結作本來就不眞、或者穴點得不當。如果結作確實眞・穴也點得當、只是龍虎有欠缺、那是天地沒有十全の功用・造化本有虧缺不齊之處、照樣應當扦葬、只不過各房分得の福分不均罷了、此れ就交給各人の福緣、君子不必拘泥。此下原有三幅圖、圖形已佚、只存圖題。本身龍虎圖・外山龍虎圖・湊合龍虎圖。

龍虎所主公位及年代

青龍管長房,四七十房同占;白虎管幼房,三六九房同占。此泛語耳。若斷禍福,須分管各房,年代吉凶亦然。舉二圖式,可以類推。中房論明堂案對,亦有遠近,分管二五八房之異。大抵君子擇地,求安吾親,公位置之勿問可也。分管者,如長房以第一重青龍論之,四房以第二重青龍論之。若第一重好而第二重不好,則第一房吉,第四房不吉。他仿此推。其說亦多不驗,君子勿泥。

通常說青龍砂管長房、第四房・第七房・第十房也一同占它。白虎砂管幼房、第三房・第六房・第九房也一同占它。此れ不過是籠統の說法。若要真的斷禍福、必須分開來管到各房、年代の吉凶也照此辦理。原書舉了兩個圖式、可以據此類推。中間各房則看明堂與案山朝對、明堂案對也有遠近之別、分管第二・第五・第八房の差異。大體說來、君子擇地是為求父母安寧、「公位」之說擱下不問也可以。所謂分管、譬如長房用第一重青龍來論、第四房用第二重青龍來論。如果第一重好而第二重不好、那就是長房吉・第四房不吉、其餘照此類推。不過此の一套說法多半不靈驗、君子不必拘泥。

龍虎吉類凡十格

龍虎降伏、龍虎比和、龍虎遜讓。以上三格皆主一門和義,富貴平康,兄友弟恭,妻賢子孝。龍虎排衙、龍虎帶印、龍虎帶牙刀、龍虎帶笏印、龍虎帶劍。以上五格皆主貴,有威權,能文能武。龍虎交會、龍虎開。

龍虎吉格共十式、原書每式配圖、此處圖形已佚、只留圖題與斷語。前三式是。龍虎降伏・龍虎比和・龍虎遜讓。以上三格都主一家和睦有義、富貴安康、兄友弟恭、妻賢子孝。中間五式是。龍虎排衙・龍虎帶印・龍虎帶牙刀・龍虎帶笏印・龍虎帶劍。以上五格都主顯貴、有威權、能文也能武。最後兩式是。龍虎交會・龍虎開肱。「開」字下原缺一字、據下文注文應作「肱」。

上龍虎吉格,不能盡述,姑舉十者以為式。彼龍虎之降伏者,低降俯伏,彎抱有情也。比和者,左右均勻,不強不弱也。遜讓者,或前或後,而不相鬥競也。吳公云:“龍降虎伏,義門和睦,子孝妻賢,身膺五福。”范越鳳云:“龍虎兩純和,才子定登科。”卜氏云:“虎讓龍,龍遜虎,只要比和。”楊公云:“饒龍讓虎君臣足,下了令人增福祿。堂上資財似湧泉,積穀堆金無數目。”故此三格皆主一門和義,富貴平康,兄愛弟恭,妻賢子孝也。

以上龍虎の吉格說不盡、姑且舉十種作為樣式。所謂龍虎「降伏」、是兩砂低低降下・俯身伏地、彎抱而有情。所謂「比和」、是左右均勻、一邊不強・一邊不弱。所謂「遜讓」、是一邊稍前・一邊稍後、彼此不爭不斗。吳景鸞說。青龍降・白虎伏、義門和睦、子孝妻賢、一身承受五福。范越鳳說。龍虎兩邊純和、才子必定登科。卜應天說。白虎讓著青龍、青龍讓著白虎、只要彼此比和就好。楊筠松說。饒讓得當、君臣の分際就齊備了、葬下去令人增添福祿、堂上錢財像泉水湧出、積穀堆金多得數不清。故に此三格都主一家和睦有義、富貴安康、兄愛弟恭、妻賢子孝。

第四格龍虎排牙者,兩畔重疊,如官貴升堂,而役卒執杖排衙也。范氏云:“龍虎兩排衙,富貴播京華。”亦須交互而不使元辰水直去為吉。第五格龍虎帶印者,左右皆有墩埠也。吳國師云:“左右雙垂金彈子,七歲神童通經史。不但文章四海傳,更有威權振人主。”第六格龍虎帶牙刀者,兩畔拖尖利也。范氏云:“龍畔牙刀出,身著緋袍笏;虎帶牙刀形,為將統千兵。”

第四格叫「龍虎排衙」、是兩邊の砂重重疊疊、好像官長升堂時差役手執棍杖分班排列。范越鳳說。龍虎兩邊排衙、富貴傳遍京城。不過也要兩邊交錯兜抱、不讓「元辰水」直瀉出去、纔算吉。第五格叫「龍虎帶印」、是左右兩邊都有圓墩土阜。吳景鸞國師說。左右各垂下一顆「金彈子」、七歲の神童就通曉經史。不但文章傳遍四海、更有威權震動君主。第六格叫「龍虎帶牙刀」、是兩邊拖出尖利の砂脚。范越鳳說。青龍一邊出牙刀、身穿緋袍手執笏。白虎一邊帶牙刀之形、可為大將統領千軍。

第七格龍虎帶印笏者,一畔圓墩,一畔直埠也。董氏云:“印笏如生龍虎身,才子英雄壓萬人。”第八格龍虎仗劍者,直而尖也。吳國師云:“龍虎仗劍劍頭尖,自由斬砍掌兵權。”徐國公祖地合此格,詳見砂法卷圖。自排衙至此五格,皆主貴有威權,能文能武也。此五格有似帶曜,但曜則聯屬不斷,此則斷而復續為異耳。

第七格叫「龍虎帶印笏」、是一邊生出圓墩像印、一邊生出直阜像笏。董德彰說。印與笏長在龍虎身上、才子英雄壓倒萬人。第八格叫「龍虎仗劍」、是砂身直而尖。吳景鸞國師說。龍虎持劍、劍頭尖利、可以隨意斬伐・執掌兵權。徐國公の祖地就合此の一格、詳見砂法卷中の圖。從排衙到此裏共五格、都主顯貴而有威權、能文也能武。此五格看上去有點像帶「曜星」、區別在於曜星是連著不斷の、此幾格則是斷開之後又接續起來。

第九格龍虎交會者,左右繞抱過宮也。吳公云:“龍虎相交抱過宮,貲財易發永豐隆。”故此格主易發財祿,而富貴悠久也。第十格龍虎開者,兩畔開展落肩,然後抱掬彎曲也。即肱也。《禮》曰:“並坐不橫肱,恐防左右。”相地亦似相人,今開,亦如人之橫肱,祇見其軒昂驕傲耳,故此格主貴而立威,傲物輕人,有昂昂之態也。

第九格叫「龍虎交會」、是左右兩砂繞抱過來・交錯過宮。吳景鸞說。龍虎相交・抱過宮位、錢財容易發、而且長久豐厚。故に此の一格主容易發財祿、且富貴悠久。第十格叫「龍虎開肱」。原文「開」下脫一字、注文說明那個字就是「肱」。形狀是兩邊先展開落下肩膀、然後再兜抱彎曲過來。『禮記』說。與人並坐時不要橫著胳膊、怕妨礙左右の人。相地也像相人、如今此樣開著胳膊、正如人橫起手肘、只顯出一副軒昂驕傲の樣子。故に此の一格主顯貴而能立威、只是待人傲慢輕慢、帶著一股昂然自得の氣派。

龍虎凶類凡十格

龍虎相鬥、龍虎相爭、龍虎相射、龍虎飛走、龍虎推車。龍虎折臂、龍虎反背、龍虎短縮、龍虎順水、龍虎交路。右龍虎凶格,亦不止此,姑舉十者以為式。第一格龍虎相鬥,《駐馬揚鞭》云:“兩宮齊到,人皆道好,必主殺傷,卻生煩惱。”蓋齊到無相讓之情,有抗敵之勢,故主兄弟不和。若元辰水直流,外面無關,又主因不和而退敗。卜氏云:“兩宮齊到,忌當面之傾流。”

龍虎凶格也是十式、原書每式配圖、此處圖形已佚、只存兩行圖題。前五式是。龍虎相斗・龍虎相爭・龍虎相射・龍虎飛走・龍虎推車。後五式是。龍虎折臂・龍虎反背・龍虎短縮・龍虎順水・龍虎交路。此十種形狀の具體解說與斷驗、見下面一段正文。上面の龍虎凶格也不止此れ些、姑且舉十種作為樣式。第一格「龍虎相斗」、『駐馬揚鞭』說。兩邊一齊到達穴前、人人都說好、其實必主殺傷、反倒生出煩惱。因為一齊到達就沒有互相謙讓の情意、只有對抗為敵の架勢、故に主兄弟不和。如果「元辰水」又直流出去、外面沒有關攔、還主因為不和而敗落。卜應天說。兩宮齊到、最忌當面傾瀉直流の水。

第二格龍虎相爭,乃當龍虎之中適有墩埠,而龍虎二山齊止於墩埠左右,有相爭之狀,故主兄弟爭財失義。此格吉地亦多有之,宜於葬法內避之,則無此患。否則,不但不義,亦主男女目疾,及抱養墮胎等患。第三格龍虎相射,乃左右尖利相對也,主遭徒刑。謝氏云:“龍虎兩尖射,世代主徒刑。”

第二格「龍虎相爭」、是龍虎二砂當中恰好有一座土墩、而兩山一齊停在土墩の左右の左右兩側、擺出爭奪の樣子、故に主兄弟爭奪家財・傷了情義。此の一格在吉地上也常有、應當在葬法上想辦法避開、就沒有此の禍患。否則不但兄弟失義、還主男女患眼病、以及抱養・墮胎一類の事。第三格「龍虎相射」、是左右兩砂尖頭利刃般彼此相對、主家中有人遭徒刑。謝氏說。龍虎兩邊尖利互射、世世代代主徒刑之厄。

第四格龍虎分飛,乃左右兩山不相彎抱,而各分走向外也。范氏云:“龍虎兩分飛,父子各東西。”第五格龍虎推車,乃左右兩臂直長,如人以手推車也。何氏云:“龍虎手推車,田地不留些。”第六格龍虎折臂,乃左右斷凹,如人兩臂折斷也。范氏云:“龍虎兩腰低,風吹受孤棲。”第七格龍虎反背,乃左右兩臂逆向後去,無情抱穴也。董氏云:“龍虎追奔向背彎,忤逆兒孫要打娘。”

第四格「龍虎分飛」、是左右兩山不肯互相彎抱、各自朝外分頭走去。范越鳳說。龍虎兩邊分飛、父子各分東西。第五格「龍虎推車」、是左右兩臂又直又長、像人伸手推車一樣。何野雲說。龍虎伸手推車、田地一點也留不住。第六格「龍虎折臂」、是左右砂身中間斷裂凹陷、像人の兩條胳膊折斷了。范越鳳說。龍虎兩邊腰身低陷、風一吹就落得孤零零地棲身。第七格「龍虎反背」、是左右兩臂反過來朝後去、毫無情意、不肯抱穴。董德彰說。龍虎追奔而去・背向彎出、忤逆の兒孫連親娘都要打。

第八格龍虎短縮,乃護胎不過也。卜氏云:“龍虎護胎不過穴,謂之漏胎,主孤寡貧寒。”第九格龍虎順水,乃左右二山隨水順飛也,主退盡田產。范氏云:“龍山隨水出,便是賣田筆;虎山隨水長,便是殺人鎗。”第十格龍虎交路,主有自縊枷鎖之患。卜氏云“臂上怕行交路”是也。已上龍虎吉凶諸格,皆左右之山相同者也。復有龍凶虎吉、虎凶龍吉,左右不同諸格,詳圖於下,宜細察之。

第八格「龍虎短縮」、是兩砂護不到穴胎。卜應天說。龍虎護胎護不過穴、叫做「漏胎」、主孤兒寡婦・貧寒度日。第九格「龍虎順水」、是左右兩山順著水勢飛走、主田產敗退乾淨。范越鳳說。青龍山隨水流出、那就是一支賣田筆。白虎山隨水伸長、那就是一杆殺人槍。第十格「龍虎交路」、主家中有上吊自縊・枷鎖囚繫之禍。卜應天說「砂臂上最怕有交叉の道路」、正是此意。以上龍虎の吉凶各格、講の都是左右兩山情形相同の。此外還有青龍凶而白虎吉・白虎凶而青龍吉、左右不一樣の種種格局、詳細圖列在下面、應當仔細體察。

青龍凶格凡二十有四

白虎反此同推,不復具圖。

此の一節原列青龍の凶格二十四式、圖形已佚。作者說明。白虎一邊の凶格與青龍相反而道理相同、照著推演即可、故に不再另外畫圖。也就是說、凡是青龍一側犯上尖射・反背・折臂・順水之類の毛病、白虎一側犯了同樣の毛病、斷法照搬過去就是、只要把所應の房分由長房一系換到幼房一系。

總論朝案二山

夫曰朝曰案,皆穴前之山,本自有辨,不可紊而為一也。蓋其近而小者稱案,遠而高者稱朝。謂之案者,如貴人據案處分政令之義;謂之朝者,即賓主相對抗禮之義。故案山近小,而朝山高遠也。凡地貴於近案遠朝兩備。有近案則穴前收拾周密,無元辰直長、明堂曠闊、氣不融聚之患,於以知其結作之眞;有遠朝則有配對,有證應,開豁光明,勢局宏大,無逼窄促窒之虞,於以知其氣象之廣。故遠朝、近案俱全,則內外堂局具備,三陽六建皆明,而為地之至美者也。

所謂「朝」和「案」、都是穴前之山、本來各有分別、不能混作一談。近而小の叫案、遠而高の叫朝。叫做案、取の是貴人憑著公案發號施令の意思。叫做朝、取の是賓主相對・以對等之禮相見の意思。故に案山近而小、朝山高而遠。凡是好地、貴在近案與遠朝兩樣都有。有近案、穴前就收拾得周密、不會有「元辰水」直長外泄・明堂空曠・氣不融聚の毛病、由此可知它結作是眞の。有遠朝、就有了配對、有了印證呼應、視野開豁光明、格局氣勢宏大、不會有逼仄窒塞之虞、由此可知它の氣象寬廣。故に遠朝・近案俱全、內外堂局就都齊備、「三陽」「六建」都分明、此れ纔是地中最美の。

又有一等吉地,不見朝山,卻不可圖貪遠秀而失穴。吳公云:“坐下若無眞氣脈,面前空有萬重山。”又云:“坐下無龍,朝對成空。”只要龍穴眞,雖無朝山,亦為大地,不必盡拘。或云:“一重案外見青天,後代少綿延。”予見多有美地一重案者,福祉悠久,不足深泥。卻未見有無案山而結地者。

另有一類吉地看不見朝山、可也不能為了貪圖遠處の秀峰而把眞穴丟了。吳景鸞說。坐山之下如果沒有眞氣脈、面前縱有萬重山也是空の。又說。坐下無龍、朝對便成一場空。只要龍眞穴真、縱然沒有朝山、也照樣是大地、不必事事拘泥。有人說。只有一重案山・案外就見青天の地、後代難以綿延。我們兄弟見過許多只有一重案の美地、福分照樣悠久、此話不值得深信。倒是從來沒有見過完全沒有案山而能結地の。

即無近案,亦要左右龍虎砂相交固,關聚內氣,此則如同有案。若無低小近案,砂又不交,面前空曠,堂氣不聚,必無融結。時師貪其寬堂遠秀,指為大地,最能惑人。此近秀遠朝有無眞偽之當辨者也。

即便沒有近案、也要左右龍虎二砂彼此交鎖牢固、把內氣關攔聚住、此れ就等同於有案。倘若既沒有低小の近案、砂又不交合、面前一片空曠、堂氣聚不起來、那必定沒有融結。時下の地師貪圖它明堂寬闊・遠處有秀峰、就指為大地、此の一點最能迷惑人。此れ就是近處秀砂與遠處朝山、有與無・真與假之間應當辨明の地方。

大抵案山宜近,朝山宜遠。《龍子經》云:“伸手摸著案,稅錢千萬貫。”言案之近也。張子微云:“或從百里數百里,忽起朝迎間邑城。”言朝之遠也。近案宜低,遠朝宜高。范氏云:“遠朝不怕沖天,近案尤嫌過腦。”且近案貴於有情。卜氏云:“外聳千重,不若眠弓一案。”又曰:“多是愛遠大而嫌近小,誰知就近是而貪遠非。”遠朝貴於秀麗。賴氏云:“遠峰列筍天涯青,文與韓柳爭高名。”蔡文節公云“天涯目斷凝蒼色,不以形親見丑容。”此朝案遠近高低等訣之所當辨者,宜審之哉。

大體說來、案山宜近、朝山宜遠。『龍子經』說。伸出手就能摸到案山、稅錢可收千萬貫。此れ是講案要近。張子微說。有の從百里幾百里之外、忽然起出朝山、迎在城邑之間。此れ是講朝要遠。近案宜低、遠朝宜高。范越鳳說。遠朝哪怕高得衝天也不要緊、近案卻最嫌高過人の額頭。而且近案貴在有情。卜應天說。外面千重高聳、不如面前一張臥弓般の案。又說。人多半愛遠大而嫌近小、誰知道就近取の纔對・貪遠反而錯了。遠朝則貴在秀麗。賴布衣說。遠峰像春筍排列在天邊一片青、文采可與韓愈・柳宗元爭高名。蔡元定說。遠望天邊只凝成一片蒼色、正因為不近、纔不會見到它醜陋の面目。此れ些都是朝案遠近高低の口訣中應當分辨の、務必仔細體察。

論案山

凡穴前低小之山,名曰案山。如貴人據案之義。其山宜低小,或如玉幾、如橫琴、如弓眠、如帶橫、如倒笏、如按劍、如席帽、如蛾眉、如三臺、如官擔、如天馬、如龜蛇、如旌節、如書臺、如金箱、如玉印、如筆架、如書筒等物,而橫遮外陽朝對山之腳者是也。也不必拘其合於形像,但以端正、圓巧、秀媚、光彩、平正、齊整、回抱有情為吉;順水、飛走、或向穴尖射、及臃腫、粗大、破碎、巉巖、醜惡、走竄、反背無情為凶。

凡是穴前低小の山、名叫案山、取の是貴人憑案辦事の意思。此座山應當低小、形狀或者像玉几、像橫放の琴、像臥倒の弓、像橫繫の腰帶、像倒插の笏板、像按著の劍、像席帽、像蛾眉、像三臺、像官員の擔架、像天馬、像龜蛇、像旌旗節鉞、像書臺、像金箱、像玉印、像筆架、像書筒、橫在前面遮住外面朝對之山の脚跟。此れ就是案山。其實也不必拘泥它是否合於某種形象、只以端正・圓巧・秀美・有光彩・平正・齊整・回抱有情為吉。以順水而去・飛奔走失・或者尖頭射向穴場、以及臃腫・粗大・破碎・嶙峋・醜惡・走竄・反背無情為凶。

或是外來之山,或是本身之山,皆宜逆水,謂之泝水案。《經》云:“吉地應有泝流案,有案且須生本幹。彎環曲抱向穴前,諸山藉此為護捍。”然雖貴其有近案,卻不可太近,而有逼窒之勢,主出人頑冥昏濁,不可訓誘。楊公云:“案山逼迫人兇頑。”又不可使之突兀當前,如窒胸塞心之狀、流尸停棺之形,及丑石巉巖可畏之象。且遠近之說,亦不必太拘。惟是穴前第一重低小之山,或平岡、田畲、高洲、小埠,皆是砂案,只要有情耳。

案山有的是外來之山、有的是本身發出之山、都以逆著水勢為好、此れ叫做「溯水案」。『葬經』說。吉地應當有溯流の案山、有案還須是從本身幹龍上生出來の。它彎環曲抱在穴前、衆山就靠它來護衛捍禦。不過近案雖然可貴、卻不能太近而形成逼塞之勢、那樣主出の人頑固昏昧、教也教不明白。楊筠松說。案山逼迫、人就凶頑。也不能讓它突兀地擋在當面、做出堵胸塞心の樣子、或者像流屍停棺之形、以及醜石嶙峋令人生畏の形象。至于遠近之說、也不必太拘泥。只要是穴前第一重低小之物、無論是平岡・畬田・高出の沙洲・小土阜、都算砂案、只要它對穴有情就行。

本身案山

此本身山生來,橫在穴前,收關元辰之水而為案者,極吉。吳公《快捷方式》云:“本身連臂一山,橫在面前有情,不遠不高不低,不斜走麄惡反背,卻於此外又見外陽秀峰,或尖圓方正,而此山遮卻外山筋腳,極為吉地。”又須逆水為美。楊公云:“吉地應有泝流案。”其或順水而遶抱過宮者亦吉。或順水而外面卻又有逆砂以攔截之,則尤吉。大抵無問逆順,只要彎抱有情,開面向穴者為吉。若直奔、走竄、反面無情及形破碎、尖射、欹斜、臃腫、斷頭、醜惡、崩洪、帶石、巉巖、欺壓、雄逼等形則凶矣。

此の一圖講の是由穴星本身生出來・橫在穴前・把「元辰水」關收住而充當案山の、極其吉利。吳景鸞『捷徑』。底本此處作「快捷方式」、當是「捷徑」之訛。說。本身連著手臂生出一座山、橫在面前而有情、不太遠・不太高・也不太低、不斜走・不粗惡・不反背。而在此座山之外又能看見外明堂の秀峰、或尖或圓或方正、此座山恰好遮住外山の筋脚、此れ就是極好の地。又以逆水為美、楊筠松說。吉地應當有溯流の案山。倘若它順水而繞抱過宮、也算吉。若順水而外面另有逆砂攔截、那就更吉。大體說來、不論逆水順水、只要彎抱有情・開面朝穴の就是吉。若是直衝・走竄・翻臉無情、以及形體破碎・尖射・歪斜・臃腫・斷頭・醜惡・崩塌・帶石・嶙峋・欺壓・雄壯逼迫等等形狀、那就凶了。

外來案山、又式、外案重秀圖。此外山為案,低小當前,亦能關收內堂元辰之氣,不使蕩然無關,故亦謂之吉案。其形象不必拘,只要有情,不飛走、醜惡、尖射為美。逆水生來為上,順水遠抱過穴,不斜走亦吉。此山之外又見外陽秀麗之山,獻奇列秀,一重高一重,乃為美也。

此裏原有三幅圖、圖形已佚、只存圖題。外來案山圖・外來案山又一式・外案重秀圖。圖說是。此裏用外來之山作案、低小地橫在面前、一樣能關收內明堂「元辰」之氣、不讓它一瀉無餘・毫無攔阻、故に也稱為吉案。它の形象不必拘泥、只要有情、不飛走・不醜惡・不尖射、就算美。以逆著水生來の為上等。順水而遠遠抱過穴前・不斜走の、也算吉。若在此座案山之外又能見到外明堂秀麗之山、獻奇羅秀、一重比一重高、那就更美了。

朝山を論ず

夫朝山者,朝對之山也。欲其有情於我,如賓之見主,臣之見君,子之奉父,妻之從夫。登穴而望,端然特立,異於眾山,天然朝拱,不待推擇,乃眞朝也。《經》云:“惟有朝山眞有情,將相公侯立可斷。”又云:“眞龍藏幸穴難尋,惟有朝山識幸心。”是蓋既有生成之龍穴,必有自然之朝應,所謂“門內有君子,門外君子至”。

いわゆる朝山とは、穴と相対して朝拱する山のことです。それが我に情を有することを要し、客人が主人に見え、臣下が君王に見え、子が父に仕え、妻が夫に従うようなものでなければなりません。穴場に登って望むと、端正に特然と立ち、衆山と異なり、天然に朝拱して、わざわざ選りすぐる必要もない——これこそ真の朝です。《葬経》にいいます、朝山がまことに情を有するならば、将相公侯の応験はその場で断じられる、と。またいいます、真龍は幸を蔵して穴は尋ね難いが、朝山だけがその蔵幸の心を識る、と。これは、生まれつきの龍穴がある以上、必ず自然の朝応があるからで、俗にいう「門内に君子あれば、門外に君子至る」ということです。

劉氏云:“若有龍穴,而無特秀之朝案,乃是鬼龍虛結,決非眞穴。縱有十分融結,亦福力小。”《賦》云:“毋友不如己者,當求特異之朝山。”然朝對之山,亦有數格,不可不察。有特朝山,有橫朝山,有偽朝山。以迢遞遠來,兩水夾送,拜伏而至者,謂之特朝,此格為上。有此朝山,融結必眞。廖氏云:“當面推來名曰朝,不怕遠迢迢。”楊公云:“當面推來始是眞。”又云:“朝山與龍一般遠,共祖同宗來作伴。”又云“客山千里來作朝,朝到面前為近案”是也。

劉氏がいいます、もし龍穴があっても、特出し秀麗な朝案がなければ、それは「鬼龍」の虚結であって、決して真穴ではありません。たとえ十分に融結していても、福力は小さいものです。《雪心賦》にいいます、己に如かぬ者を友とするなかれ、地を選ぶにも特異な朝山を求めるべし、と。ただし朝対の山にもいくつかの格があって、辨えないわけにはいきません。「特朝山」があり、「横朝山」があり、「偽朝山」があります。遥か遠くから迢々として来て、二つの水が挟んで送り、拜伏して穴前に至るものを特朝といい、この格が最上です。このような朝山があれば、融結は必ず真です。廖金精がいいます、当面から推し来るものを名づけて朝という、遠く迢々たるを恐れない、と。楊筠松がいいます、当面から推し来るものこそ真である、と。またいいます、朝山は来龍と同じほど遠く、祖を同じくし宗を同じくして伴い来る、と。またいいます、客山は千里を来たって朝をなし、面前の近くまで朝した一重が案となる、と。

橫朝者,橫開帳幙,有情面穴。或兩邊如排衙唱喏之狀。楊公云:“亦有橫列為朝者,若是橫朝似衙喏。前山橫過腳分枝,枝上作朝首先下。首下作絳或尖圓,雙雙來朝列我前。大作排班小衙列,如魚駢頭蠶比肩。”吳公云:“朝山本自愛特來,橫案為朝亦可裁。首起應峰身拜伏,消詳對面有龍回。”

いわゆる横朝とは、山が横に帳幕を開き、情をもって穴場に面し、時に両辺が衙役の班を分かち唱喏するような形をなすものです。楊筠松がいいます、横に列して朝をなすものもあり、横朝は衙喏に似る、と。前山は横に過ぎて脚から枝を分け、枝の上で朝をなし、まず頭を下げます。頭を下げた所に或いは尖峰を結び或いは円峰を結び、双々対々として我が前に列し、大きいものは大官の排班のごとく、小さいものは小吏の侍立のごとく、魚の頭を並べ蚕の肩を並べるようです。呉景鸞がいいます、朝山はもともと特に遠来するを愛するが、横案を以て朝となすもまた裁るべし。頭に応峰を起こし身を拜伏させ、対面に龍の回顧があるかを消詳すればよい、と。

偽朝者,縱有尖峰秀麗,卻大勢直去無情,而下無拜伏之山,上非正應之意。楊公云:“朝山亦自有眞假,若是眞時直來也;若是假時山不來,徒愛尖圓巧如畫;若有眞朝水入懷,不必尖圓如龍馬。但要低昂起伏來,不愛尖傾直去者。直去名曰墜朝山,雖有尖圓也是閒。譬如貴人側面立,與我情意不相關。”

いわゆる偽朝とは、尖峰秀麗であっても、大勢が直ちに去って情なく、下に拜伏の山なく、上に正応の意がないものです。楊筠松がいいます、朝山にもおのずから真假があり、真ならば直ちに来たり、偽ならば山は来らず、徒に尖円の画の如く巧なるを愛するのみ、と。もし真の朝水が懐に入るならば、朝山は尖円にして龍馬の如くあるを要しません。ただ低昂起伏して来るを要し、尖傾して直ちに去るものを愛しません。直ちに去るを名づけて「墜朝山」といい、尖円ありと雖もまた閑なり。譬えば貴人が側面に立つが如く、我と情意が相関しないのです。

又云:“案山如玉插青天,當面推來始是眞。側面成峰身直去,與我無情似有情。時師見此多求穴,下了哪知誤殺人。”是故須察朝山之眞情,不可遽以尖圓秀麗之峰巒,便為朝山之吉。然亦有無朝山而向水者。《八段錦》云:“有案不須朝水,水朝無案貴多。”朱桃仙云:“有案須端正,無山要水朝。”吳公云:“有山向山,無山向水。水有眞情,自當大貴。”楊公云:“也有眞龍無朝山,只看諸水聚其間。”

楊筠松がまたいいます、案山が玉の如く青天に挿し、当面から推し来るものこそ真である、と。もし側面に峰を成して身が直ちに去るなら、本来我に情なく、見たところ有情に似ているだけです。時の地師はこのような山を見て多くここに穴を求め、葬ってみればどれほどの人を誤り殺すかを知りません。ゆえに朝山に真情があるかを察しなければならず、尖円秀麗の峰巒を見てすぐに吉朝と断じてはなりません。ただし朝山がなくて向水するものもあります。《八段錦》にいいます、案があれば必ずしも朝水を要せず、水が朝して案なきものは貴気かえって多し、と。朱桃仙がいいます、案があれば端正を要し、山なければ水の朝を要す、と。呉景鸞がいいます、山あれば山に向かい、山なければ水に向かう。水に真情あれば自ずから大貴となるべし、と。楊筠松がいいます、真龍にして朝山なきものもあり、ただ諸水の間に聚まるを見るのみ、と。

至於朝山形象,亦不必拘。大抵欲其端正秀麗,或尖、或圓、或方、或平,皆須光彩嫵媚,忌其破碎、巉巖、崚嶒、醜惡、欹斜、走竄、反背、凸窟、尖射、臃腫、麄雄、崩赤、枯瘦、無情。劉氏謂:“朝案之吉者,秀特在前,屏幛在後,或平帳在前,秀特遠拱。尖似卓筆,圓似頓笏,方如几案,橫似誥輔。或五星俱會,三臺列拱,懸鍾頓鼓,列陣排班。對面朝拱者為吉,而山岡撩亂,惡石巉巖,山腳尖射,形體破碎,勢如飛奔,順流而去,勢如尸臥,對穴如欹者為凶。

朝山の形象についても、必ずしも拘るに及びません。大抵は端正秀麗を要し、或いは尖、或いは円、或いは方、或いは平、いずれも光彩・嫵媚の態があることを要し、忌むべきは破碎・嶙峋・崚嶒・醜悪・欹斜・走竄・反背・凸窪・尖射・臃腫・麄雄・崩赤・枯痩・無情です。劉氏がいいます、朝案の吉なるものは、秀特の峰を前にし屏幛の山を後にし、或いは平帳を前にして秀特の峰が遥かに拱衛する。尖は卓筆に似て、円は頓笏に似て、方は几案の如く、横は誥軸に似る。或いは五星俱に会し、三台列んで拱し、鍾を懸け鼓を頓けるが如く、陣を列し班を排すが如し、と。凡そ対面して朝拱するものは吉であり、反対に山岡撩乱・悪石巉岩・山脚の尖射・形体の破碎、勢い飛奔するが如く順流に去り、勢い屍の臥すが如く穴に対して欹するものは凶です。

世俗乃有拘執形象,先以龍穴定作某形,必欲朝案合得其形為應。如金釵形用妝臺、粉盒為案,虎形肉堆為案之類,先輩已皆力議其非,不必深泥。予嘗謂山川自開闢以來,形定不能變易,物類大小、長短、方圓、貴賤,隨時不同。故席帽賤於唐而貴於宋,金魚、玉魚佩於前代,而我皇朝不用。其它百物,不可殫舉。要之,皆非定法,何可拘執?智者勿泥。

世俗には形象に拘執する人がいて、まず龍穴を定めて某の形となし、必ず朝案もその形に合ってこそ応験とします。譬えば金釵形ならば粧台・粉盒を以て案とし、虎形ならば肉堆を以て案とする類です。先輩はすでに力を尽くしてその非を議し、深く信ずるに及びません。我らかつて言いました、山川は開闢以来、形定まって変易すること能わず、物類の大小・長短・方円・貴賤は時に随って同じからず、と。ゆえに席帽は唐に賤しく宋に貴く、金魚袋・玉魚袋は前代に佩びて我が皇朝は用いず。その他百物、殫く挙ぐべからず。要するに、いずれも定法にあらず、何ぞ拘執せん。智ある者は泥むなかれ、と。

其於朝山所主富貴,則《囊金》謂尖圓秀麗者主文章榮達,方正肥滿者主子孫鉅富。吳國師謂方而秀者主王侯宰輔,位極人臣,尖而秀者主文章榮顯,圓而肥滿者主鉅富小貴。固皆有理。但砂如美女,貴賤從夫,非朝應之山所可必,又當先察龍穴為凖也。特朝。

朝山の主する富貴について、《嚢金》は尖円秀麗は文章の顕達を主り、方正肥満は子孫の巨富を主るといいます。呉景鸞国師は、方にして秀なるものは王侯宰輔を出して位は人臣に極まり、尖にして秀なるものは文章栄顕を主り、円にして肥満なるものは巨富小貴を主るといいます。これらの説は固より皆理あり。ただ砂は美女の如く、貴賤は夫に随うもので、朝応の山が一方的に決めるものではありません。依然としてまず龍と穴を審察し、これを以て準とすべきです。この節の後に元来一図を附し、図形はすでに佚し、「特朝」の図題のみ存します。すなわち上文にいう迢逓遠来・両水夾送・拜伏して穴前に至るの一格です。

平原に朝案なきを論ず

或問曰:廖氏云:“第一尤嫌無案山,衣食必艱難。”地固以有案山朝對為吉,但平原曠野,彌望無山者,是無朝案,此地恐不可用矣。答曰:平原之穴,只取平原為案,高一寸為山。或田中草坪,或水界田岸,但微高者皆是朝案。詳而觀之,皆有吉凶,又何必泥於山峰之朝案哉!

ある人が問います、廖金精がいうには「第一にもっとも嫌うは案山なきこと、衣食必ず艱難」と。地は固より案山の朝対あるを以て吉とするも、平原曠野の上、一望して山なければ、それは朝案なきこととなり、このような地はおそらく用いるべからざるか、と。答えていいます、平原の穴は、ただ平原そのものを取って案とし、一寸高ければすなわち山とします。或いは田中の草坪、或いは水辺界断の田岸、略微高起するものあれば皆朝案とします。細かく観察すれば、それらにも同じく吉凶があり、何ぞ必ず山峰を以て朝案とせねばならぬと泥むことがあろうか、と。

且山谷中亦有一等貴地無朝山者,卻必有近案低小之山,以關內氣。廖氏之言,特為無案而發者,故地不可無案。觀物祝公曰:“數十里外遠朝山,渺渺茫茫曠野間,近案又無堂氣散,千重青秀也空閒。”梁箬溪曰:“左右周迴似有情,來龍落穴亦分明。水長無案明堂曠,下後兒孫家計傾。”其朝山之有無,不甚為輕重也!

況んや山谷の中にも一類の貴地あって朝山なきものあり。ただ必ず低小の近案ありて内気を関攔します。廖金精のあの句は、専ら案山なきに対して発せられたもので、ゆえに地は案なかるべからずというのです。観物祝公がいいます、数十里外の遠朝山は曠野の間に渺渺茫茫、近案またなく堂気散ず、千重の青秀ありと雖もまた白搭、と。梁箬渓がいいます、左右環繞して有情に似たり、来龍の落穴もまた分明なれど、水流長すぎて案山なく明堂空曠、葬したる後は児孫家業傾敗せん、と。これを見れば朝山の有無は、実はそれほど要ではないのです。

外陽を見ざるを論ず

或問:地有全不見外陽朝秀者,此地亦有大貴力量否?答曰:亦先審龍。若龍短者,多是山腳漏落,局又窒塞,決無大貴力量。如是大龍結穴,卻多有從山重疊包裹,故不見外陽。只要龍眞穴美,外陽何足論哉!世人誤認大地,正坐此弊。蓋地之大小,由龍之力量。若不原龍穴,一概只貪砂水,必為假地所誤。

ある人が問います、ある地は全く外明堂の朝山秀峰を見えざるものあり、このような地にまた大貴の力あるか、と。答えていいます、やはりまず来龍を審察すべし。もし龍短ければ、多くは山脚の漏泄跌落・格局の窒塞にして、すなわち決して大貴の力なし。もし大龍の結穴ならば、往々随従の山が重々包裹するが故に外明堂を見えず——ただ龍真にして穴美ならば、外明堂何ぞ足らん、と。世人の大地を誤認する弊は、正にここに出ます。地の大小は龍の力に決まります。もし龍穴を窮めず、一概に砂水を貪るのみならば、必ず仮地に誤られます。

誠以大堂局,山勢羅列,諸峰獻秀,如三千粉黛、八百煙花,起人眼目,昧者眩焉。不知此等山水,多結省郡州縣陽基。廖金精所謂“帝都山水必大聚,中聚為城市,陰穴宜居小聚中。”故陰穴多是收斂完固,四勢周密,而不在於大堂局、遠秀峰之為美也。烏可以局大便為地大,其不見外洋朝秀者,遂謂其無大貴力量乎?

実に大堂局には山勢羅列・群峰秀を献ずるが如く、三千の粉黛・八百の烟花の如く、最も眼目を吸引し、糊塗の人は一見すれば頭が眩みます。彼らはこの類の山水が多く省城・府州・県治一級の陽宅基地を結ぶを知らないのです。廖金精のいう如く、帝都の山水は必ず大聚、中聚は城市を成し、陰宅の穴は則ち小聚の中に居るべし、と。ゆえに陰宅の穴は多く収斂完固・四面の形勢周密にして、大堂局・遠秀峰を以て美とせず。何ぞ格局大なるを以て地大といい、また外洋朝秀を見えざるを以て大貴の力なしとすることができようか。

予所見名墓,如朱文公母地,在建陽寒泉嶺,穴前一山逼近,不見外洋。文公子在、孫鑑,皆官侍郎,曾孫浚,尚理宗公主。至今徽州、建寜兩地,世襲博士。近其子孫於左扦一穴,出一進士,名凌,號龍岡,官湖廣僉憲;右扦一穴,出二鄉科。又蔡西山先生自卜壽藏,乃大龍結穴山谷中。左山當前,盡幛外洋,一切不見。其孫文肅公杭拜相,後嗣蕃衍。及廖公下樂平許學士地,董公下婺源倪御史祖地,又京山李方伯祖地,台州陳會元、王侍郎,杭州胡尚書諸祖地,其格也,圖下。文公母地、許學士祖地,俱見水法卷。倪氏地見穴法卷。

我らの見た名墓、例えば朱熹の母の墳地は建陽寒泉嶺にあり、穴前に一山逼りて外洋を見えず。朱熹の子朱在・孫朱鑑は皆侍郎に至り、曾孫朱浚は理宗の公主を娶り、今日に至るまで徽州・建寧の両地に朱氏はなお五経博士を世襲します。近年その子孫が左に一穴を扦し、進士朱凌・号龍岡を出し、官は湖広僉都御史、右に一穴を扦して両名の挙人を出しました。また蔡元定先生の自ら選定せる寿蔵の如きは、大龍が山谷中に結穴し、左の山が面前に遮って外洋を全部遮蔽し、何も見えず。その孫文粛公蔡杭は宰相に至り、後代繁衍しました。さらに廖金精の点じた楽平許学士の地・董德彰の点じた婺源倪御史の祖地・および京山李方伯の祖地・台州陳会元・王侍郎・杭州胡尚書らの祖地も、皆この格に属し、図は下に列します。朱熹の母の地と許学士の祖地は、皆水法の巻に見え、倪氏の地は穴法の巻に見えます。

右地在建陽,地名翠嵐山。其龍起自西山,開幛出身,奔行雄偉,重重渡峽,至翁田復大斷,自青苗中過脈而起,又開幛成捲簾殿試之格,複列三臺,正脈中落,逶迤細嫩,勢若生蛇。兩畔重疊抱衛,入首太陰金星結穴,穴掛左角。右畔拖曜。只是穴低,而逆關一臂太近且高,當前為案,無開暢明堂,不見外陽。外重下山又短縮,內水斜流,似傾瀉。以俗眼論,龍虎、明堂、朝對,若無一可取,反似窮源僻塢。不知大龍奔行數十里,於此融結。而溪水環繞,攔截包轉,龍將焉往?穴結擁從之中,極其周密,所謂藏風聚氣者也。雖不見外洋,不害其貴也。噫!非西山先生之明見,孰能識此?

この一処の地は建陽にあり、地名は翠嵐山。その龍は西山より起こり、帳を開き身を出して奔行雄偉、重々峽を渡ります。翁田に至りてまた大断一次し、青苗地の中より脈を過ぎて再起し、また帳を開きて「捲簾殿試」の格局を結び、続いて三台を排し、正脈は中間より落下して逶迤細嫩、勢い活蛇の如し。両辺は重々抱衛し、入首の処に「太陰金星」を以て結穴し、穴は左角に掛かり、右辺に曜気を拖出します。ただ穴位偏く低く、逆関のあの手臂はまた近すぎ高すぎて、面前に遮って案山を充て、開闊舒暢の明堂なく外明堂を見えず。外一重の下手山はまた短縮し、内水斜流して傾瀉するが如し。俗人の眼光を以て見れば、龍虎・明堂・朝対は何れも取るに足らず、却って窮源僻塢に似たり。知らず、大龍は奔行数十里、ここに融結す。況んや溪水環繞してこれを攔截包轉し、龍はまた何れか往かん。穴は衆山の簇擁随従の中に結び、極めて周密、正にいわゆる蔵風聚気。外洋を見えずと雖も、その貴気を妨げず。嗚呼、蔡元定先生の明見ならずば、誰かこの一処を識ることができようか。

右地在京山早市,地名班提馬口。其龍來歷甚遠,不詳述。姑自少祖大月山言之,連起星峰落平岡,重重開帳度峽,逶迤奔行數十里。比入局,開大帳,帳中抽出嫩條。又連穿田束氣,入首,結平中之突,突面安穴。前吐氈唇,左右重重包裹。下關一山,逆水攔過穴前,開正面向穴,成一字文星貴格。內局緊固,外洋寬暢,大溪環遶,湖水暗朝,得水藏風,眞吉地也。繫九淵公自卜。葬後,其孫五華公淑登進士,官至方伯,封君南臺。公壽考八十五。孫翼軒公維楨、會軒維極、介軒維樸、德軒維標、用軒維楫諸公,父子兄弟連登科甲,入翰苑,司文衡,富貴方全。

この一処の地は京山早市にあり、地名は班提馬口。その龍の来歴は遠く、細かく講ぜず、姑く少祖山大月山より説き起こします。連なりて星峰を起こし、平岡に落ち、重々帳を開き峽を過ぎ、逶迤奔行数十里。入局せんとする時に大帳を開き、帳中より一条の嫩枝を抽出し、また連なりて田を穿ち気を束ね、入首の処に至りて「平中之突」を結び、穴は突面に安んぜられます。穴前に氈唇を吐き出し、左右重々包裹します。下手関攔の一山は水に逆らい横に穴前を過ぎ、正面を開きて穴場に向かい、「一字文星」の貴格を成します。内局緊密牢固、外洋寛闊舒暢、大溪環繞し、湖水は遠くに暗く朝を来たり、水を得て風を蔵し、真に一块の吉地です。これは九淵公の自ら卜定せるもの。葬後、その孫五華公李淑は進士に及第し、官は布政使に至り、南台の君に封ぜられ、享年八十五歳。さらに下って翼軒公李維楨・会軒李維極・介軒李維樸・德軒李維標・用軒李維楫の諸氏は、父子兄弟相継いで登科し、翰林院に入り文衡を主り、富貴は周全というべし。

左地在臺州府城北,土名後嶺。其龍與府龍共祖,自括蒼、天姥,歷仙居、天台三四百里,不及詳述。將近城十里之間,分脈右落,寔乃府龍之送從龍也。起高大山峰,疊疊如帳。帳中抽出一脈,逶迤奇巧,走馬串珠咸偹。又自本龍右帳隨生一枝,一般高大。而此龍借左邊府龍之山為用,卻又是包在中間,頓跌牽連,伏落低平,直出數百丈。

この一処の地は台州府城の北にあり、地名は後嶺。その龍は府城主龍と同一の祖山より、括蒼山・天姥山より起こり、仙居・天台を経て一路三四百里、細かく講ずるに及ばず。城を離るる十里に快く近づく処、一脉を分出して右辺より落下し、実は府龍の送従の龍です。ここに高大の山峰を起こし、重々畳畳帳幕の如し。帳中より一条の脈を抽出し、逶迤奇巧、「走馬」「串珠」等の格様々備わります。また本龍右辺の帳上より随って一枝を生じ、同じく高大。而してこの龍は左辺府龍の山を借りて己が用となし、自らは中間に包まれ、頓跌牽連して低平の処に伏落し、一直に数百丈を伸出します。

而結穴橫於腰,乃以府龍過峽之星為文星正案,清奇特異。本身右手不轉,而府龍開帳之背,卻自纏過右手之後有情,逆大江而作門戶。府前望海諸峰,疊在水口,皆為得力。但穴前無餘氣,又在低平之中,四山高聳,面前迫窄,亦無文筆,不見外洋。本身下手直去,不入俗眼,呼作飛劍出匣形。葬鋪靜陳公,人丁大旺,出進士、會元、會魁、鄉薦,衣冠數十人,理學一人,即恭愍公。迨今富貴未艾,鄉傳繫遇鬔頭仙下。

穴は則ち龍腰に横結し、府龍の過峽の処の星峰を取りて「文星」の正案となし、清奇特異。本身右辺の手臂は転じ来るを肯んぜざるも、府龍の開帳の背面は却って自ら右手の後に纏繞し、穴に対して情あり、かつ大江に逆らい水口門戸を充てます。府城の前に海を望む幾座の山峰は水口に重畳し、皆得力です。ただ穴前に余気なく、また低平の中に処り、四面の山高聳し、面前逼仄狭窄、また文筆峰なく外洋を見えず。本身の下手砂はまた径直に伸出去り、俗人の眼に合せず、この形は俗に「飛劍出匣」と称します。葬るは鋪静陳公、この後人丁大旺、進士・会元・会魁・挙人を出し、衣冠の士数十人、理学名家一位、すなわち恭愍公です。今日に至るまで富貴はなお頭せず、郷里相伝えてこの穴は鬔頭仙に遇いて点ぜられたという。

右地在杭州府治東北二十五里,土名星亭山。其龍自平田頓起高大峰巒開帳,帳中開脈分枝,迢遞數里,自相從聚環抱。雙龍雙虎,中垂一乳,水木之星落穴,倚過右邊。幹龍入首,作戌山辰向,形如風吹羅帶。內氣藏聚,明堂內外交鎖,不見外洋。葬後出端愍公世寧,登進士,官至太子太保、兵部尚書,贈少保。子曰純,官太守。

この一処の地は杭州府衙の東北二十五里にあり、地名は星亭山。その龍は平田の中より猛然と高大峰峦を起こし併せて帳を開き、帳中に脈を開き枝を分け、迢迢数里、自ら彼此随従して聚拢し・環抱して局を成します。左右各々両重の龍虎あり、中間に一条の乳を垂下し、水を兼ね木を兼ねたる星体を以て落穴し、穴位は右辺に偏倚します。幹龍入首、戌山辰向を立て、形状を「風吹羅帯」と呼びます。内気蔵聚し、明堂内外交鎖して外洋を見えず。葬後端愍公胡世寧を出し、進士に及第し、官は太子太保・兵部尚書に至り、少保を追贈され、子胡純は官は太守に至りました。

右地在臺州治東二十里,地名上田。其龍來脈甚遠,自高山撒落平田,五六里不見蹤跡。將結穴,忽于田中突起墩埠,相牽相連,三四轉疊,乃成金星融會,前後左右登對,大小遠近均停。四面太陰文星相聚,術家謂之四金相照,貴格。敬所王公父子四文魁,乃其應也。原取螃蟹吐沫形。夫形固不可執,亦有偶合奇驗者。是地穴前有流泉,敬翁孝誠鋪石甃砌之。工未完而泉已濁涸,遂傷少丁及陰人數口。或謂蟹不得吐沫之故。仍去諸石,不兩月,泉復流,清如舊。此見形之肖者,亦有若是之不爽雲。

この一処の地は台州府衙の東二十里にあり、地名は上田。その来脈は遠く、高山より平田に撒落し、一連五六里蹤跡を見えず。結穴せんとする時忽然として田中に一座々の土墩を突起し、彼此牽連し、三四次転折重畳し、ここにおいて金星融会の局を形成し、前後左右一々登対し、大小遠近皆均衡します。四面に「太陰」「文星」相聚まり、術家はこれを「四金相照」と称し、貴格です。敬所王公父子四人皆文魁に中るは、正にその応験です。この地は元来「螃蟹吐沫」の形と取名しました。形象は本来死すべからざるも、偶然巧合して応験の出奇なるものあり。この地の穴前に元来一道の流泉あり、敬所翁は孝心誠意を出し、石を以てこれを鋪砌しました。工程未だ完らざるに、泉水は渾濁干潤し、ここにおいて数名の少年子弟と女眷を折損しました。或る人はこれ螃蟹の沫を吐成せざるが故という。ここにおいて石を皆撤去すれば、二ヶ月に満たずして泉水重新流出し、清澈旧の如し。これを見れば形象の相肖ということ、時に竟にこの地步まで霊験するものあり。

左地在莆田縣西南二十里官路上。其龍與府龍分結,自三紫山分脈,磅礡綿亙,頓伏雄俊。比入首,開大帳,帳中抽出正脈,垂頭結穴。左右彎抱,重重包裹。當面右臂橫攔,以作近案,關聚內氣。外洋暗拱,溪水環遶,繫尚書簡肅公良永勅葬之地。以俗觀之,右山順水,內堂逼狹,不見外洋。下手寬遠,造亭以補之,亦作法之善也。不知龍氣旺處,局多緊固。外洋不見何害焉?方氏葬後,科甲聯登,人才疊出,富貴壽考。贍厓公攸績官山東左方伯,福祉綿延未艾。

この一処の地は莆田県西南二十里の官道の旁にあり。その龍は府龍と頭を分かちて結作し、三紫山より脈を分け、気勢磅礴綿延、起伏雄壮俊抜。入首に快く近づく時大帳を開き、帳中より正脈を抽出し、頭を垂れて結穴します。左右彎抱し、重々包裹します。当面右辺の手臂は横に来たりて攔え、近案を充て、内気を関聚します。外洋は遠くに暗く拱衛し、溪水環繞します。これは尚書簡粛公方良永の勅を奉じて安葬せる地です。俗人を以て見れば、右山は水に順い、内堂逼仄狭窄にして外洋を見えず。下手の方向は寛闊空遠にして、ここにおいて一座の亭を建てて以て補足す、これも作法上の善処です。知らず、龍気旺盛の地は格局多く緊密牢固にして、外洋を見えざるも何の妨げかあらん。方家の葬後、科甲相継いで高中し、人才層出窮まらず、富貴にしてかつ長寿。贍厓公方攸績は官は山東左布政使に至り、福分綿延としてなお頭せず。

右地在臨海縣東北十里,土名雙橋。其龍自府龍分出,頓起沖天木星,一連四座,奇秀非常。兩邊護從,重重疊疊,逞奇列秀,數十里外大纏大遶。本身一脈清俊,入首星辰尊貴,成太陽金星,開窩正淨,融結精巧。當穴前吐一唇,鋪下平田數十丈,仍突起圓山如蛾眉,以作正應。穴前八字水交於左邊,遶從右去。而右砂隱隱,逆抱過前。倒流百步,轉卯。出口處有龜蛇捍門,屈曲流入丁方。丁上文筆插天,穴中不見。出鄧公,登庚戌進士,官都諌,升光祿卿,人丁大旺,田連阡陌,一門鼎盛。

この一処の地は臨海県東北十里にあり、地名は双橋。その龍は府龍より分出し、猛然として冲天木星を起こし、一連四座、奇秀非常。両辺の護送随従の山は重々畳畳、奇を争い秀を羅し、数十里外にしてなお大いに纏繞環護します。本身の一脉は清秀俊抜、入首の星辰は尊貴、「太陽金星」を結び、開出の窩は端正潔浄、融結精巧。穴前に一片の唇氈を吐き出し、数十丈の平田を鋪下し、続いて一座の円山を突起して蛾眉の如く、正対の呼応をなします。穴前の八字水は左辺に交会し、右辺に繞って流去します。而して右辺の砂は隠隠として逆抱して前を過ぎ、倒流百歩、転じて卯方に至ります。出水口の処に亀山蛇山ありて「捍門」を把守し、屈曲して丁方に流入します。丁方の上に文筆天に挿すも、穴中にして見えず。この地は鄧公を出し、庚戌科進士に中り、官は都諫に至り、光禄寺卿に昇り、人丁大旺、田阡陌に連なり、満門鼎盛です。

朝山の暗拱を論ず

或問地理書謂“明朝不如暗拱”,此說何如?答曰:眞龍結作,其力量大者,雖數百里之外,猶為用神。如朱子論冀都地,謂江南五嶺諸山乃是第四五重案。其間相去數千里,安得而見?只是論地先要識大勢,然後可以語此。若小龍小穴,亦欲指遠外山水以為朝拱,則非也。蓋必有百里來龍,方有百里局勢;千里來龍,方有千里照應。各隨龍穴力量何如。

ある人が問います、地理書に「明白に来朝するは、暗中に拱衛するに如かず」という、これは如何に講ずるか、と。答えていいます、真龍の結作・力の大なるものは、たとえ数百里の外に在りと雖も、依然として有用の神と算します。譬えば朱熹の冀都の地勢を論ずるに、江南五嶺一帯の山を第四五重案山という、相隔つること数千里、何ぞ見ることを得ん。ただ地を論ずるにまず大勢を識ることを要し、然る後にこの話に及ぶべし。もし小龍小穴にして、また遠くの山水を指して朝拱と為さんと欲すれば、則ち対せず。何となれば、必ず百里の来龍あってこそ百里の局勢あり、千里の来龍あってこそ千里の照応あり——各々その龍穴の力の大きさを看るべきが故に、と。

嘗見今人論地,不察龍穴力量,一概貪遠秀,慕大局,凡案外水口各處,有奇峰秀水,則指為暗拱。及見有凶山惡水,則又謂穴間不見無害。噫!何其謬耶!既吉者為暗拱,其凶者豈非暗殺乎?此不識根本,徒論枝葉者耳。苟龍穴眞貴,則其凶惡形狀雖列於前而見之且不足畏;龍穴不眞,雖奇峰插天,秀水特朝,亦為無益。況其不見者?

常に見るに、今の人の地を論ずるや、龍穴の力を考察せず、一味に遠くの秀峰を貪り大格局を羨む。凡そ案外・水口の各処に奇峰秀水あるを、則ち暗拱と指作し、凶山悪水を見るに及んでは、また穴中に見えず妨害なしという。嗚呼、何ぞ荒謬なるか。既に吉を暗拱と算すれば、凶は豈に暗殺と成らざらんや。これは根本を識らず、枝葉の上に打転する人なり。倘若龍穴確かに貴重ならば、それら凶悪の形状は面前に排列し見えと雖も懼るに足らず。龍穴真ならざれば、縦に奇峰天に挿し秀水特に来朝拜すと雖も、益なく、況んやそれら根本に見えざるものをや。

楊公云:“砂如美女,貴賤從夫;水似精兵,進退由將。”卜氏云:“本主微賤,文筆變為畫筆;龍穴特秀,殺刀化作牙刀。”此不易之論也。然又貴於活變,圓機心悟,不可執一。固有穴間不見,奇妙暗拱於外,而其應亦在於外者。或女貴,或離鄉而貴,或貴在外家,皆是也。

楊筠松がいいます、砂は美女に似て貴賤皆夫に随い、水は精兵に似て進退全く主将に凭る、と。卜応天がいいます、主山本身微賤なれば文筆も画筆と変わり、龍穴特に秀異なれば殺刀も牙刀と化す、と。これ皆更改すべからざる定論です。然るに運用の妙はまた霊活変通に貴く、円通に領悟して一条を死守すべからず。確かに穴中に見えず・奇妙の砂水が外に暗拱して、応験もまた外に落つるものあり。或いは女子の貴顕に応じ、或いは家郷を離れてこそ貴を発するに応じ、或いは貴を外家親族に応ず、皆この類に属します。

且如建陽書林陽基,四面奇峰周迴羅列,秀入雲表。及至入穴,則麄山迫塞拱夾而已,面前之奇砂皆列於外,斜走不止。此乃秀氣發揚於外,而內則窒暗卑汙,故其間亦蔑有顯者,雖多豐富,而俗不尚禮。然文藉乃由此出,遠播天下,是亦外秀之應也。

譬えば建陽書林のあの陽宅基地は、四面奇峰環列し、秀色直ちに雲霄に入る。然るに穴中に入るを待てば、不過幾座の麄蠢の山逼近して夾峙するのみ、面前のそれら奇秀の砂は皆外圍に排列し、斜斜として走去りて収まらず。これはすなわち秀気皆外に発揚して、裏頭は却って窒塞昏暗・低窪汚濁にして、ゆえにあの一帯にも顕貴の人物を出さず、富庶の家少なからざるも風俗は礼教を崇尚せず。ただ書籍刻本はこの地より出産し、天下に遠播す——これもまた外秀の外に応験する一种と算すべし。

朝山の乱雑を論ず

《葬書》云:“若懷萬寶而宴息,若具萬贍而潔齊。”又云:“若寶而有也。”《黑囊經》云:“前砂欲其堆了堆。”《雪心賦》有“三千粉黛”、“八百胭花”之說,是皆言前砂以重疊為貴。誠如所論,不幾於太亂雜乎?夫前朝之砂固貴其重重疊疊,獻奇列秀。然峰巒太多,亂雜混濁,可以向此,可以向彼,則情意不專,烏得為吉?《賦》云:“尖峰秀出,只消一峰兩峰。”則確論也。

郭璞《葬書》にいいます、万宝を懐抱して安然と休息するが如く、万物を備斉して潔斎するが如し、と。またいいます、宝物の如く之を擁有す、と。《黒嚢経》にいいます、穴前の砂は一堆連なり一堆なるを要す、と。《雪心賦》に「三千粉黛」「八百胭花」の説あり。これ皆穴前の砂の重畳を以て貴とするを講ず。然るにこの如くいえば、豈に太も乱雑と為さんとするにあらずや。穴前朝対の砂は固より重々畳畳・奇を献じ秀を羅するを貴とすれども、然るに峰峦多すぎ・雑乱混濁して、こちらに向くも可・かちらに向くも可なれば、情意は専一ならず、何ぞ吉と算せん。《雪心賦》にいいます、尖峰秀出、ただ一峰両峰を消すのみ、と。これこそ確切の論なり。

吳公《口訣》云:“三峰對中,兩峰對空。”其慎重如此。如樂平縣徐附馬祖地,前峙雙峰。先是,一明師同其徒見之曰:“此地當出國婚之貴。”其徒遂為徐氏私下之,不識向空,而偏向一峰。師復過之,訝曰:“誤矣!”乃索其課,題曰:“好對空兮卻對峰,他年莫地道無功。為官必定因妻貴,意正濃時卻中風。”後徐氏果兩尚公主,驕橫不檢,廷臣劾之取首級。

呉景鸞《口訣》にいいます、面前三座の峰あれば中間の那座に対準し、面前両座の峰あれば両峰の間の空処に対準す、と。これを見れば前人の取向は何等慎重なるか。譬えば楽平県徐駙馬の祖地は、穴前に両座の峰対峙す。起先一位の明師ありて徒弟を帯びこの地を看たり、いわく、ここは当に皇家と親を結ぶ貴人を出すべし、と。その徒弟は則ち私に徐家の為に穴を点じ、当に空に対すべきを解せず、却って其中の一座の峰に偏向しました。師父後来再び彼処を経過し、驚きていわく、錯なり、と。ここにおいて彼の写せる課語を索め、題していわく、本当は空に対すべきを峰に対したり、日后この地が霊ならぬというなかれ。官を為すは必ず妻子に因りて貴し、正当意の時に中風せん、と。後来徐家は果して両人ありて公主を娶り、驕横にして不検点、朝臣に弾劾せられて性命を失いました。

可見兩峰尚有對空之不可誤,況峰巒之亂雜者乎?故龍虎山張眞人陽基,前對琵琶山,舊名鎗刀山,雖聳拔森立,如鋸齒排列,然以太多而不得為文筆,乃符筆矣。其富貴自兩漢相傳至今,悠久不替,乃其龍穴之美,非前砂之所能主也。

これを見れば両座の峰のみの時、空に対するこの一点も錯るべからず、況んや峰峦乱雑の地をや。ゆえに龍虎山張天師の陽宅基地は、前面に琵琶山に対し——旧名槍刀山——あの山は聳抜森立し・鋸歯の如く排列すれども、然るに多すぎるが故に、「文筆」と算すること能わず、ただ画符の筆と算するのみ。張家の富貴は両漢より相伝えて今日に至り、長久衰えず、これは他家の龍穴本身が美好なるが故に、穴前の砂の能く主宰する所にあらず。

雖然,卻又不可拘執。若前峰環列,獻奇逞秀,又多為大貴龍穴之應。只要中間有一二峰特異,取為正對,如金雞縣狀元吳伯宗公陽基在新田者,前朝七十二峰,果出七十二人科第。然七十二峰豈非多乎?只是中有雙峰特異,以為正對吳氏兄弟俱登一甲。又蘭谿縣范氏祖地,前對九峰,有九子登科之貴,是其應也。

話是の如しと雖も、また成見を死守すべからず。もし前面群峰環列し・奇を献じ秀を逞しゅうすれば、あれは多くまた大貴龍穴の応験なり。ただ中間に一両座の峰格外特異あるを要し、取りて以て正対となせば則ち行けり。譬えば金谿県状元呉伯宗の新田の陽宅基地は、前面七十二座の峰に朝対し、後来果して七十二人の登科を出しました。七十二座の峰は豈に多しと算せざらんや。ただ当中に両座の峰特に奇異あり、用いて正対を作し、呉氏兄弟は皆一甲に中りました。また蘭谿県范氏の祖地の如く、前面九座の峰に対すれば、則ち九子登科の貴あり、正にその応験なり。

故凡峰巒混雜者,必須中有一二峰挺然獨異,天然朝拱,不待推擇。而餘山排列,皆面面有情,擁從左右,乃至貴之格也,又不可以亂雜論。惟欲其去穴稍遠為吉。蓋眾峰羅列,若太近穴,終覺亂濁。稍遠則自然清奇秀麗。何也?秀峰雖秀,近而視之亦丑;丑峰雖丑,遠而視之亦秀,故爾。

ゆえに凡そ峰峦混雑の地は、必ず当中に一両座の峰挺然として独り異なり、天然朝拱して来たり、刻意選択を用いざるを要す。其余の山は排列众多と雖も、皆面を開き情あり、簇擁随従して左右に在り——これすなわち至貴の格にして、以て乱雑と看るべからず。ただこれらの峰は穴を離るること稍遠き方が好し。何となれば、群峰羅列・もし穴に近すぎれば、終に乱にして濁なるを顕し、稍遠ければ自然に清奇秀麗となるが故に。何を以てか。秀峰は秀と雖も、湊近して看れば亦丑と覚え、丑峰は丑と雖も、遥々望めば亦秀と覚ゆ——すなわちこの縁故なり。

大抵朝山雖欲其列秀獻奇,又不可徒貪其秀,致有失穴之患。故曰:“坐下若無眞氣脈,面前空有萬重山。”又曰:“坐下無龍,朝對成空。”尤當致察於龍穴,而不可徒以朝秀為愛耳。予嘗謂世人都只愛尖峰,不知地理重眞龍。龍若不眞穴不的,朝堪圖畫總成空。蓋亦崇本抑末之意。龍虎山圖見陽基卷。新田吳氏陽基圖見陽基圖。

大体にいえば、朝山はその秀色を羅列し奇姿を献ずるを望むと雖も、ただその秀麗を貪るを能わず、以て失穴の禍患を落下すべからず。ゆえにいいます、坐山の下もし真気脈なければ、面前縦に万重の山あるも亦是れ空なり、と。またいいます、坐下に龍なければ、朝対便ち一场の空と成る、と。尤も当に龍と穴の上に細加考察し、一味に朝山秀麗を愛するのみならざるべし。我らかつていいました、世人皆ただ尖峰を愛し、地理の最も看重するは真龍なるを知らず。龍真ならず穴的ならざれば、朝山縦に美しきこと画に入るべくも、到頭終に一场の空と帰す、と。これもまた崇本抑末の意思なり。本節の提到せる両処の図は、此の巻に再出せず。龍虎山張天師陽宅基地の図は、本書陽基の巻に見え。新田呉氏陽宅基地の図も、亦た陽基巻の図内に収む。読者はこの両処の形勢図を看んと欲せば、当に陽基巻を翻検すべく、此処はただ索引を出すのみ。

右地在樂平縣金山鄉。其龍穴俱美,惜乎立向少差,減福如此。蓋立向既差,則內之乘氣分金,外之砂水向背皆相戾矣。所謂差之毫釐,謬以千里,豈不信夫。左地在蘭谿縣東一里許,乃縣龍之分結者。分後頓起展誥土星,為貼身帳。自帳中正脈抽出,側落一邊,開口成窩穴之格。內堂團聚,外洋開暢,金華府河水橫抱,繞帶左右。龍虎均勻奇巧,近案逆水彎抱有情。外面九峰,插天特秀。范氏葬後,一父生十子,九登科。其一未第者,是為香溪先生浚,篤志道學,世稱大儒,故今俗傳十子九登科雲。

右辺この幅の図上の地は楽平県金山郷に在り。その来龍と穴場は皆美なれど、惜しむべくは「立向」稍稍偏りたる一点、福力はこの如く減損して下りました。何となれば、向一旦立て錯れば、穴内の生気を承接する「分金」随って錯乱し、穴外砂水の向背も統統穴に相違するが故に。古人の差は毫釐・謬は千里を以てすという、此の地を看れば、また信ぜざるを得んや。左辺この幅の図上の地は蘭溪県城東一里左右に在り、県城主龍の分出して結成せるもの。脈を分けし後猛然として一座の「展誥」形の土星を聳起し、以て貼身の帳幕を充つ。正脈は帳幕の正中より抽出し、偏側して一辺に落ち、口を開きて「窩穴」の格局を結ぶ。内明堂団聚して散ぜず、外洋開闊舒暢、金華府の河水は横に環抱し、左右両辺を纏繞す。青龍白虎両砂は匀稱にして巧妙、近処の案山は水に逆らい彎抱して来たり、甚だ情あり。外圍九座の山峰は天に挿して起こり、格外清秀。范氏は此地に葬り入れし以後、一位の父十人の子を生じ、其中九人科第に考中しました。唯一登第せざる那位は、すなわち香谿先生范浚、彼は専心致志して道学を研求し、世人に大儒と推されました。ゆえに今日に至るまで、民間はなお范家「十子九登科」と伝説します。

孤峰独秀を論ず

或問:朝案亂雜之說,固已聞命。然一山朝拱者,又有謂孤峰獨秀而不吉,何也?答曰:此說是論龍身,非論朝砂也。蓋龍法忌孤峰獨秀,恐其單寒。所謂龍怕孤單,而貴有蓋送護從者是也。朝砂則欲其聳秀。苟有一峰挺然獨異,秀入雲表,乃極貴之格,砂法中謂之文筆插天。若坐下龍穴眞的,主理學大儒、神童狀元之貴,又何忌夫一峰之獨秀乎?

ある人が問います、朝山・案山の雑乱不吉の道理は、已に聴明白なり。然るにただ一座の山前来朝拱する時、また或る人は「孤峰独秀」は吉利ならざるという、これは為んぞや、と。回答は、あの句は龍身を講ずるにして、朝砂を講ずるにあらず。就中龍の法則を論ずれば、確かに孤峰独聳を忌み、その孤单寒薄を怕る。ゆえに龍は孤单を怕れ、「蓋」「送」と護従の山の相随あるに在りと貴ぶ、という。朝砂は却って正に相反し、要するは高聳清秀なり。倘若一座の山峰挺然独立・衆と同じからず、秀麗なること直ちに雲霄に挿さば、あれは正に極貴の格局にして、砂法の裏に「文筆插天」と称す。ただ坐下の龍と穴確かに真ならば、此の如き一座の峰は主に理学大儒・神童状元此の等の貴顕を出すを主り、又何ぞ一峰独秀を忌まんや、と。

嘗見朱文公、王荊公之祖地,羅一峰公陽宅也,皆是一峰特秀,豈可謂孤峰獨秀而不吉?或曰:誠如所論,則《雪心賦》內“文筆孤單”之說非與?曰:《雪心賦》後人更換本文處極多。嘗考董德彰所注本作“文筆欹斜”,頗為有理。蓋《賦》既有文筆孤單之忌,又何復云“尖峰秀出,只消一峰兩峰”?豈應自相矛盾如此?其不足信明矣。

我ら兄弟かつて朱熹朱文公・王安石王荊公両家の祖墳を看たり、また羅一峰先生羅倫の住宅を看たり、前面は皆一座の山峰格外清秀なり。豈に「孤峰独秀」便ち吉利ならざると言うことを得んや。或る人また問う、汝の如く講ずれば、則ち卜応天《雪心賦》の裏の「文筆孤单」あの忌語は豈に錯ならざらんや、と。回答は、《雪心賦》は後人に原文を改換せられたる処極めて多し。我らは董德彰の注本を考察せり、此の一句は「文筆欹斜」と作り、講ずること甚だ理あり。何となれば、《雪心賦》既に文筆孤单を以て忌諱に列すれば、怎んぞまた「尖峰秀出・只消一峰両峰」というを得ん。何ぞ自相矛盾して此の地步に至らん。これを見れば「文筆孤单」の一句は憑信に足らず、已に甚だ明白なり、と。

且龍穴眞貴,雖朝峰欹斜,亦不為大害,但稍減力而已。嘗觀寧都縣尚書董文僖公祖墳頓鍾形在縣之地名璜坊者,前峰欹側,其課云:“可惜狀元峰不正,他年亦作探花郎。”果出文僖公越,登成化已丑科探花,官至禮部尚書。可見地之美惡在龍穴,而不在於前朝之峰。故雖欹斜亦且出貴,而何孤峰獨秀之足忌哉!

況んやただ龍真穴貴ならば、たとえ朝山の峰歪斜不正と雖も、また大害と算すべからず、不過略々力量を減ずるのみ。我らは寧都県董文僖公家の祖墳を看たり、喝形は「頓鐘」、該県の地名璜坊の処に在り、前面あの座の峰はすなわち偏斜なり。当時の断語にいわく、惜しむべし状元峰の立つや正ならず、他年もまた探花郎を出すを得ん、と。後来果して董越董文僖公を出し、成化己丑科探花に考中し、官は礼部尚書に做到しました。これを見れば一块の地の好壊は龍と穴に在りて、前面朝山のあの座の峰に在らず。ゆえに峰歪斜と雖も、照様貴人を出し、又何ぞ「孤峰独秀」の何たるを忌むに値せんや。

重刊人子須知資孝地理心学統宗 巻五上之二 徳興山人徐善継述同著

前応後照を論ず

穴前案外之山,謂之前應;穴後玄武頂背之山,謂之後照。亦曰前照後蓋,即前朝後坐之山也。謝氏謂之前親後倚;陳氏謂之在後者為寶殿,在前者為龍樓;卜氏謂前帳後屏;劉氏謂特秀在前,屏幛在後;鄭氏謂“群峰獨秀矗矗於其前,疊帳獻奇層層於其後。”皆指此也。

穴場の前面・案山の外のあの重の山を「前応」と呼び、穴場の後面・玄武頂背の後のあの重の山を「後照」と呼びます。或る人は「前照後蓋」と称するも、実はすなわち前面の来朝・後面の為坐の两重の山なり。謝氏はこれらを「前親後倚」と呼び、陳氏は後に在るを「宝殿」・前に在るを「龍楼」といい、卜応天は「前帳後屏」と称し、劉氏は特秀の峰を前にし屏幛の山を後にするといい、鄭氏は則ち群峰独秀・矗矗然として穴前に立ち、帳を畳ねて奇を献じ・層層として穴後に排すと形容す。各家の名目は同じからざるも、指すは皆此の前後两重の山なり。

周東樓謂前應即第二重案山,及三重五重皆是。要尖如筆,卓如笏,方如誥軸,重高一重,如襯錦然,皆端正美好者是也。後照即福儲峰,乃祖山在結頂之後,或兩臂之外,尊貴高大,矗矗然托護於玄武,如寶座,如御屏,如幃帳、簾幙者是也。

周東楼のいわく、「前応」とはすなわち第二重案山にして、更に外なる第三重・第五重も皆算内に在り。それら或いは尖として筆の如く・或いは卓立して朝笏の如く・或いは方正として誥軸の如く、一重より一重重ねて高く、錦緞の下に層層の底子を襯するが如く、かつ個個端正美好なるを要す。「後照」とはすなわち「福儲峰」にして、祖山の結穴の頂背の後に落ち・或いは左右両臂の外に落ち、尊貴高大・矗然として玄武の一方を托護し、形状は宝座の如く・御屏の如く・帷帳・簾幕の如し、という。

若回龍、脫龍、橫龍之穴,不得祖宗為照山,亦須外山之尊貴高大者在後托護之,使玄武枕以為照,而不陷於空亡可也。有等怪穴,翻身逆勢,坐空以當朝水者,又有坐後有深潭融注,或水纏遶合襟者,皆不以此拘也。

もし「回龍」「脱龍」「横龍」この幾種の穴であって、自家の祖山を取りて照山に充てることが得られぬならば、それでも必ず外来の尊貴高大の山ありて後ろに托護し、玄武に枕靠するところを有して後照を成し、背後空虚無依の「空亡」の境地に落ちざらしめねばなりません。別に一類の怪穴あって、翻身して大勢に逆らい、故意に空に坐して当面朝来の水を承くるものあり。また坐山の背後に深潭聚まり、或いは水ありて後ろより纏繞して来たり、穴前にて「合襟」を成すものあり。この幾種は皆後照必ず山を要するという規矩の拘束を受けません。

其前應之山,若得有近案山可關內堂,則外雖無應山,不害其為吉地。卜氏云“外聳千重,不若眠弓一案”是也。楊公以向前空闊無朝應為人刦。若當面有水陽朝,或有低近之砂橫抱,則不忌。故曰:“人刦當從向上求,面前空闊要遠朝如無遠朝,是犯人刦。有水特來砂橫抱,信知人刦小為妖。”

「前応」の山については、ただ近処に案山ありて内明堂を関攔し得れば、外面たとえ応山なきも、その吉地を成すを妨げません。卜応天のいわく、外に千重の遠山を聳起するは、近前の一道の臥弓の如く彎曲する案山に如かず、とは正にこの一層を講ず。楊筠松は穴の前方に向かって空曠開闊・毫も朝応の山なき情形を「人劫」と呼びます。ただ当面もし明亮の水朝来し、或いは低矮貼近の砂ありて穴前を横抱すれば、忌諱するに及びません。ゆえに彼のいわく、人劫は立向の方位の上に推求すべく、面前一片空闊なれば必ず遠く朝山を要し、倘若遠朝もなからんは、便ち人劫を犯す。もし水ありて専程流れ来たり、また砂ありて横抱すれば、則ち人劫の禍害は小小の作怪に過ぎざるを知る、と。

大抵前應後照山俱全而重疊者,尤為上吉。二者較之,後照尤緊。萬物負陰而抱陽,故穴後不可以無屏障以蔽背風。其坐後高山,亦謂之天柱峰。卜氏云:“天柱高而壽彭祖。”亦謂之福儲峰。趙緣督云:“後座重重高照,百福攸集。”故有此山,則主福壽雙全,康寧百順,人丁蕃衍,富貴攸久。

大体にいえば、前応と後照の两重の山斉全にしてかつ層層重畳するは、最も上吉です。両者相い比ぶれば、後照はさらに要緊です。万物は皆陰を負いて陽を懐抱するものにして、ゆえに穴の背後は屏障なかるべからずして背後より来る風を遮らしむ。坐山の後の高山は、また「天柱峰」と呼ばれ、卜応天は天柱高聳の人家は彭祖の如く長寿を得るという。それはまた「福儲峰」とも呼ばれ、趙縁督は後座重々として高く映照すれば百様の福気皆聚まるという。いわゆる「福儲」とは、正に福気の背後に積儲する義を取る。ゆえにただこの重の山あれば、則ち福寿双なり全うし・安康順遂・子孫繁衍・富貴長久を主ります。

如承天曾司空始祖地在彭澤者,其前應後照重疊齊整,故司空喬梓,高壽厚福,夫婦齊眉。諸孫蕃衍,四世同堂,滿門朱紫,百福咸集,是其格也。又徐國公始祖地在豐城者,亦以後枕帝座,蓋照有力,前應齊全而吉。二圖並具下。

例えば承天府曽司空家の始祖墳は彭沢に在り、あの地は前応と後照層層重畳・斉整分明にして、ゆえに曽司空父子は皆高寿厚福・夫妻白頭偕老し、子孫繁衍・四代同堂・満門皆朱衣紫綬の顕官・百様の福気一斉に聚拢するは、正に此の格局の応験です。また徐国公家の始祖墳は豊城に在るが如きも、亦た背後に「帝座」の山を枕し・蓋照力あり・前応斉全にして、此に因りて吉利。この両块の地の図は皆下に附す。

右地在彭澤九都,土名橋亭。其龍來自鳴水山,遠不詳述。至計家嶺,頓起御屏為少祖。棲閃數節,橫列大帳,中峰獨聳福儲。又數節入首,列三臺。中臺推出正體太陽金星,開口結穴。穴間平坦,左右包裹重疊,取作蓮花形花心穴。

右図この地は彭沢県九都に在り、小地名は橋亭。その龍脈は鳴水山より発し、路途太も遠く、ここに一々細述せず。計家嶺に走り至り、猛然として一座の「御屏」形の山を聳起して少祖山を作る。此の後左棲右閃して幾節を走り、横に一座の大帳を排開し、帳幕正中一峰独聳するは、すなわち「福儲峰」なり。更に幾節を走りて「入首」の処に達し、「三台」三座の山を排出す。中間のあの一台は一座の標準の「太陽金星」を推出し、口を開きて穴場を結ぶ。穴中の地面は平坦、左右重々包裹し、此に因りて喝形を蓮花と為し、穴は花心の上に点ず。

穴下餘氣鋪氈,明堂融聚,近案順水拜伏,為謝恩領誥。外洋諸峰,如掛榜,如天馬、文筆、席帽,種種羅列,前應後照齊全。水口獅象捍門,流神遶青龍,纏玄武,諸吉咸備,眞美地也。

穴下の多余の地気は一片の氈褥と鋪展を成し、明堂の水は汇聚して散ぜず、近処の案山は水勢に順い俯伏下拜して、形如臣子の恩に謝し詔誥を領受す。外洋の諸多の山峰は、或いは張掛せる金榜の如く、或いは天馬・文筆・席帽の如く、種種の形象前面に羅列し、前応と後照の両重斉全。水口の処に獅形・象形の両山ありて門戸の如く把守し、水流は青龍の一辺を繞り、また玄武の背後を纏い、各種の吉象様々具備し、真に一块の美地なり。

元至正間,曾氏葬寶二公。公四子,伯永一,居橋亭;仲曰永二,居柳樹下;叔曰永三,居小嶺。今皆富盛。季曰永四公,以武功從太祖高皇帝肅清江漢,定藉安陸今承天衛官藉。再傳百戶公,三傳萬戶公,延及於今,世襲千戶。

元代至正年間、曽家は宝二公をここに葬る。宝二公に四子あり。長子永一は橋亭に住し、次子永二は柳樹下に住し、三子永三は小嶺に住し、今皆富足興盛。四子永四公は武功を凭りて太祖高皇帝朱元璋に追随し江漢一帯を掃平し、安陸に落籍し、すなわち今の承天衛軍籍なり。再び伝えて一代は百戸公、第三代は万戸公、一直に今に延続し、世代千戸の職を承襲す。

知縣公遜,歲薦。今金堂贈太保、尚書。贈員外公輝,以孫貴,贈太保、尚書。七代陽白公璠,登進士,官陝西少叅。致仕,進階中憲大夫,累封太保、工部尚書。羅泉公秉,歲薦,授光祿署丞。八代確庵公省吾,登進士,累官太保、大司空,衣蟒束玉,世代皆一品恩榮。廩生速庵省吾、可庵宗吾,及九代諸孫,人文濟濟,福祉未艾雲。按:是地也,龍勢雄猛,武星結穴,力量全,故主世襲簪纓。天柱高,福儲厚,故主享遐齡,備百福。前沙順水拜伏,故離鄉顯貴。餘氣多,故人丁衍,運祚永。

知県公曽遜は歳貢の薦挙により出仕し、今金堂に在り、太保・尚書を贈らる。贈員外郎曽輝は孫輩の顕貴に因りて封を受け、亦た太保・尚書を贈らる。第七代陽白公曽璠は進士に考中し、官は陝西布政司少参を任じ、退休の時中憲大夫に進階し、屢次太保・工部尚書を封贈さる。羅泉公曽秉は歳貢により薦挙され、光禄寺署丞を授かる。第八代確庵公曽省吾は進士に考中し、歴官して太保・大司空すなわち工部尚書に至り、蟒袍を身穿し玉帯を腰束し、幾代も一品の恩栄を享受す。廩生速庵省吾・可庵宗吾、および第九代の衆孫輩は、人才済済として、福沢はなお遥かに頭せず。作者按語にいわく、この地は龍の気勢雄壮猛烈、また武に属する星体により結穴し、力量完備にして、ゆえに子孫世代官爵を承襲するを主る。天柱峰高く福儲峰厚し、ゆえに高寿を享け百福斉備を主る。穴前の砂は水勢に順い俯伏下拜し、ゆえに家郷を離れてこそ顕貴を主る。穴場の多余の気は充盈し、ゆえに人丁繁衍・家運長久を主る、と。

右地在豐城,土名桐槽。其龍自羅山入臨川境,轉至桐槽,繫省龍分結,迢遞而來。將入局,橫列大帳,左右天乙、太乙中聳,帝座秀異清奇。正脈從帝座中逶迤而下,復開九腦芙蓉帳。帳中頓起大貴人,聳立特異,節節上格貴龍。復大斷,霞帔過脈,隱隱三臺掛角而下,撒落平坡,開口結穴。

右図この地は豊城に在り、小地名は桐槽。その龍脈は羅山より臨川境内に入り、桐槽に転じ、省城主龍の分出して結成せるものにして、一路迢迢として来たり。本局に入らんとするに快く、横に一座の大帳を排開し、左右「天乙」「太乙」両峰を分列し、中間に高聳するは「帝座」にして、秀異清奇。正脈は帝座の正中より逶迤として下り、また一重の「九脳芙蓉帳」を張る。帳中猛然として一座の「大貴人」峰を聳起し、挺立特出、節節皆上格貴龍の模様なり。此の後また大断一次し、「霞帔」の形を以て峽を過を過ぎ、隠隠として三台を現し、斜掛して下り、平坡に撒落し、口を開きて結穴す。

到頭丑怪,穴似散漫,龍虎帶劍,似乎分飛不顧,俗見無不驚駭。殊不知大龍乾地,曜氣發露,貴秀全在於此,但不利初年耳。徐氏宋建炎四年葬後,果不利,從戌遷濠州,生王,為我皇朝開國元勲,朝班廟享,皆居第一,封魏國公,進中山王,三代追封王爵。女為文孝皇后。次子永昌,復以成祖推功,封定國公,南北兩京,世襲公爵,俱掌兵政。諸勲貴莫與比論。舊有記云:“桐槽大地,獵獵塌塌。火腳金頭,卻似牛軛。帝座後殿,貴人前席。日月捍門,龍虎持戟。有人葬著,王侯兩國。百年已後,富貴方得。若問發跡,先須江北。

到頭の処は形状丑怪、穴場看れば松散にして収まらず、青龍白虎両砂はまた皆剣の如く尖利なる石脚を帯び、各々分飛して誰も誰を顧みざるが如く、俗人これを見て驚駭せざるなし。彼ら何ぞ知らん、これは大干龍の結ぶ所の地、「曜気」外に露る、貴と秀は正にここに在り、ただ頭の数十年順利ならざるのみ。徐家は宋代建炎四年に葬り入れし後、果して不順、戍辺に因りて濠州に遷り、彼処にて中山王徐達を生み、本朝開国第一功臣を成り、朝班位次と配享太廟皆第一に居り、魏国公に封じ、中山王に進封し、三代皆王爵を追封さる。その女は文孝皇后なり。次子徐永昌はまた推戴成祖の功に因り、定国公に封じ、南京北京両処世代公爵を承襲し、皆兵権を掌管す。衆多の勲貴の家に徐家と相比ぶる能くするなし。从前一篇の鉗記ありて此の如く写す。桐槽この大地、山形獵獵として勢いを作し塌塌として鋪展し、火形の脚に金形の頭を配し、樣子活く一副の牛軛に似たり。帝座の山は後殿を充て、貴人の峰は前席に列す。日月両山は水口を把守して門戸の如く、龍虎両砂は戈戟を手持す。或る人もし此の穴を葬中すること得んは、両個の国公王侯を出すことを得べし。不過百年以後を待ちて、富貴方に真に手に到らん。若し何処より発跡するを問わば、須く先に江北に往くべし、と。此処底本の引く鉗記はただ起首の引号ありて收尾なく、文字は「先須江北」に至りて止む。

按:是地也,龍分省城正幹,穴枕帝座,故力量大。日月捍門,故王侯之尊。穴怪《怪穴訣》云:“金頭火腳,葬火消爍;火腳金頭,葬下封侯。”此火腳金頭也,堂氣順,故發越遲。龍虎俱帶貴曜,兄弟皆掌兵權。曜飛楊,局逐水,故離鄉而貴。雖然,徐氏之貴地尤多,未必全在此穴。但其鉗記若是,其驗亦神矣哉!

作者按語にいわく、この地の龍は省城正幹の上より分け出でしもの、穴はまた「帝座」の山を枕し、ゆえに力量宏大なり。日月両山は水口を把守して門の如し、ゆえに王侯の尊を主る。穴形古怪、《怪穴訣》にいわく、金形の頭に火形の脚を配すれば葬り下して火に焼き尽さる、火形の脚に金形の頭を配すれば葬り下して便ち侯を封ぜらるべし、と。ここは正に火脚金頭なり。明堂の気は水に順いて去り、ゆえに発達の来たること遅し。青龍白虎は皆貴気の「曜」を帯び、ゆえに兄弟皆兵権を掌る。曜気飛揚し、局勢水に随いて去り、ゆえに家郷を離れてこそ顕貴なり。話是の如しと雖も、徐家の貴地は本来多く、未だ必ずしも全て此の一穴に出るとは限らず。ただあの篇の鉗記の預言せること此の如く貼切にして、応験もまた真に神なるに足る、と。

傳疑晉郭景純至豐城,改扦邑治。見此水口有日月捍門二阜,訝曰:“此內有至尊地乎?”隨察之,曰:“日月反位,非至尊,不過王侯地耳。”遂私作記而去。觀其神驗如此,信非景純不能。

伝疑一則。晋代郭璞郭景純は豊城に至り、県治の為に基址を重新点定す。彼は此の処の水口に日月两座の土阜ありて門戸の如く把守するを見て、驚きていわく、此の裏面に帝王級の至尊の地あること莫かるや、と。随いて細加察看し、またいわく、日月の方位は顛倒せり、至尊の地にあらず、不過王侯を出すの地のみ、と。ここにおいて私に一篇の記を写して離れ去りぬ。彼の推断せること此の如く神験なるを看れば、実に郭景純此の如き人物にあらざれば能くせざる所なり。

左輔右弼を論ず

左輔右弼者,龍穴貴證也。在穴之左右特起兩山,夾耳對峙者,尤為緊切。要夾照登對,不相參差為美。又要高低、大小、遠近相等,方為合格。或圓聳如太陰太陽,謂之日月夾照;或卓立如頓筆展旗,謂之文武侍衛;或方平延褒,謂之列幛列屏;或圍遶盤旋而包裹,或高峙秀拔而拱夾,或重重疊疊,如禁衛兩班;或濟濟森森,如影從萬卒。此皆左輔右弼,侍衛之砂之至貴者也。

「左輔」「右弼」は龍真穴貴の一種の憑証なり。それらの指すは穴場の左右両側に特意聳起せる两座の山にして、人の両耳の如く穴場を夾峙するもの、此の種最も緊要なり。此の両山彼此照応・成双成対して、一前一後参差不斉ならざるを要してこそ美と算し、また高低相当・大小相当・遠近相当してこそ合格を算す。それら或いは円潤高聳して「太陰」「太陽」両星の如く、「日月夾照」と呼ばれ、或いは卓然挺立して筆架の頓放・旗幟の展開の如く、「文武侍衛」と呼ばれ、或いは方正平展・延伸寛闊にして「列幛列屏」と呼ばる。或いは環繞盤旋して穴場を包裹し、或いは高く聳立し・清秀挺拔して両旁に拱夾し、或いは重々畳畳して宮禁衛士の両班に分列するが好比、或いは済済森森として万名の士卒の影随するが好比す。これ皆左輔右弼にして、侍衛の砂の裏最も尊貴の様子なり。

其在後龍之左右者,謂之天以太乙;其在過峽之左右者,謂之天角天弧;其在前朝之左右者,謂之金吾執法;其在明堂之左右者,謂之天關地軸;其在水口之左右者,謂之華表捍門。一皆輔弼推類之易名也。其或邊有邊無,邊多邊少,邊高邊低,邊大邊小,則不合此格,貴又差輕矣。

此の類の夾侍の山は、位置同じからざれば名称も随いて改換す。後龍の左右に長ずるは、「天乙太乙」と呼ばれ、底本此処は「天以太乙」と作る。過峽の左右に長ずるは、「天角」「天弧」と呼ばれ、前面朝山の左右に長ずるは、「金吾」「執法」と呼ばれ、明堂の左右に長ずるは、「天関」「地軸」と呼ばれ、水口の左右に長ずるは、「華表」「捍門」と呼ばる。これ全て皆輔弼の一類より推衍して出でて名目を換えたるのみ。倘若一辺ありて一辺なく、一辺多くして一辺少なく、一辺高くして一辺低く、一辺大にして一辺小なれば、則ち此の格局に合せず、貴気もまた少なからず折扣を打つべし。

天門地戸を論ず

天門地戶,亦名三門五戶。在法天門欲其開闊,地戶欲其閉密。卜氏云:“垣局雖貴,三門逼窄不須觀。形穴雖奇,五戶不關何足取。”又云:“所貴者五戶閉藏,所忌者三門緊窄。”蓋穴之左右,不問青龍白虎,但水來一邊謂之天門,水去一邊謂之地戶。

「天門」「地戸」はまた「三門五戸」と呼ばる。法度に按ずれば、天門は開闊敞亮を要し、地戸は関閉緊密を要す。卜応天のいわく、垣局尊貴と雖も、三門若し逼仄狭窄なれば看るに足らず。形穴奇特と雖も、五戸若し関鎖せざれば何の取る可きかあらん、と。彼またいわく、貴ぶ可きは五戸の蔵閉し得るにあり、忌む可きは三門の緊窄にして開けざるにあり、と。ここにいう天門地戸とは、指すは穴場の左右両側にして、それが青龍たると白虎たるとを管せず、凡そ水の流れ来るあの一辺を則ち天門と呼び、水の流れ去るあの一辺を則ち地戸と呼ぶ。

趙緣督云:“水從左來流右去,左邊為天門,右邊為地戶;水從右來流左去,右邊為天門,左邊為地戶。不拘青龍白虎,但水來一邊要開闊寬暢,山明水秀,水去一邊,要高帳緊密,閉塞重疊,不見水去為吉。合此則結作眞,力量大,發福速,運祚遠。若天門當開而反閉塞,地戶當閉而反寬曠,乃是山水不相交會,此處決無眞龍結作,不必尋索穴場也。”

趙縁督のいわく、水左辺より来たり右辺に往くは、則ち左辺は天門・右辺は地戸なり。水右辺より来たり左辺に往くは、則ち右辺は天門・左辺は地戸なり。それを青龍と呼ぶと白虎と呼ぶとを管せず、ただ水の来るあの一辺の開闊寛敞・山明水秀を看るのみ。水の去るあの一辺は高大の帳幕ありて緊緊遮攔し・層層閉塞し、穴上に立ちて水の流出するを見えざるを要してこそ吉利。此の条件に合すれば、結作すなわち真にして、力量大・発福快・家運長久なり。反対に、もし天門開くべきに却って閉塞し、地戸閉ずべきに却って空曠なれば、則ち山と水の相い交会せざるなり。此の地方は決して真龍の結作あらず、穴場を尋ねるに及ばず、と。

世俗有誤執白虎不宜高昂,而不察水之來去者,是未獲眞訣,而以白虎為眞虎耳。殊不知青龍白虎,乃術家假借此名,以稱左右之砂而已。只要收水一邊山勢強盛有力,收得水住,使氣便融聚。董氏德彰謂“下砂收盡源頭水,兒孫買盡世間田”是也地戶與下手及水口之砂同推。既曰下手砂,又何可拘青龍白虎?

世俗或る人ありて「白虎不宜高昂」あの句を死守し、却って水の来去の方向を察看せず、これは真訣を得ず、白虎を以て真の老虎と成して怕るるなり。彼らは青龍・白虎はただ術家の借来の名目にして、以て穴場左右両辺の砂を称呼するのみなるを知らず。真正要緊なるは、水を収るあの一辺の山勢強盛有力にして、水を収住し得、気こそ凝聚して散ぜざらん。董德彰のいわく「下砂収尽源頭水・児孫買尽世間田」、正に此の意なり。地戸と「下手砂」「水口砂」の推法は完全に一様なり。既に下手砂と呼ぶ以上、又怎んぞそれが青龍なるか白虎なるかに拘泥することを得んや。

且極大之地,秉生殺權,為都邑省郡者,右砂強勝。如京師之西山,南畿之雞籠、石頭城,福建之虎頭,江西之西山,浙江之西湖諸山,莫不皆然。此又以右勝為威武之權耳。第尋常小可之地,又不可以此為法也。

況んやそれら極大の地・生殺の権を掌握し都城省郡を結成するは、反って多くは右辺の砂の左辺に強過ぐるなり。京師の西山・南京の鶏籠山・石頭城・福建の虎頭山・江西の西山・浙江西湖一帯の諸山の如き、此の如しならざるなし。これは右辺を以て左辺に圧過して威武の権を象徴するなり。不過これはただ大格局に適用し、尋常の小地方は、この樣子を以て套るべからず。

羅城垣局を論ず

羅城垣局,即前朝後托相連於周圍者也。要重重疊疊,高聳周迴,層層級級,盤旋圍遶,補缺帳空,如城之有女牆垛者,故曰羅城。又如天文三垣星象,各有圍垣之星以衛帝座,故又謂之垣局。垣局者,即羅城也。

「羅城垣局」とは、指すは前面の来朝・後面の托護の衆山彼此相い連なりて、四周に圍成して一圈を成すなり。それらの重々畳畳・高聳して一周を環繞し・層層級級盤旋包囲し・缺口あるの処を補い・空隙の処を遮るを要し、城墙上の女墙と垛口あるが如く、ゆえに「羅城」と呼ぶ。それまた天文上の紫微・太微・天市の三垣星象に好比して、各々一圈の圍垣の星ありて帝座を護衛し、此に因りてまた「垣局」と呼ぶ。垣局と羅城は、本是一回事なり。

卜氏云:“紛紛拱衛紫微垣,尊居帝座;重重包裹紅連瓣,穴在花心。”又曰:“山外山稠疊,補缺幛空。”又曰:“華表捍門居水口,樓臺鼓角列羅城。”賴氏曰“四神八將應位起”,楊氏曰“外山百里作羅城”,皆善言垣局之情狀者也。大抵欲其寬大周圓,不知水從何出。朱子曰:“拱揖環抱無空缺處,宛然自一乾坤。”乃羅城之上吉也。

卜応天のいわく、衆山紛紛として拱衛し、紫微垣の尊貴の帝座を拱衛するが如く、層層包裹して紅蓮花瓣の如く、穴は花心の上に点ぜらる、と。彼またいわく、山外なお山あり・稠密重畳して缺口を補斉し空処を遮住す、と。またいわく、華表・捍門は水口に守り、楼台・鼓角は羅城を排成す、と。頼布衣は四神八将各々方位に按じて峰を起こすといい、楊筠松は百里の外の外山もまた来たりて羅城を充てるという、これらの話皆垣局の情状を講ずること甚だ到位なり。総の要求は寛大周円にして、穴上に立ちて水の究竟何処より流出するを看出せざるなり。朱熹のいわく、群山拱手作揖して環抱一周にして空缺なく、宛然として自ら一天地を成す、と。あれこそ羅城中の最上等の吉格なり。

重刊人子須知資孝地理心学統宗 巻五上之三 徳興山人徐善継述同著

楽山を論ず

樂,喜好也。橫龍之穴,喜有此山托帳於後。樂山者,穴後樂托之山,正應穴場而蓋托者是也。撞背來龍結穴,及穴星起頂者,皆不論樂。惟是橫龍穴,及凹腦、側腦、沒骨等穴,必要樂山貼身蓋應,方為眞穴。廖氏云:“橫龍結穴必要鬼,樂山宜後峙。”吳公云:“擔凹攀鞍要樂山,切須貼背應穴場。”故樂山為枕穴之砂,不可不審。

「楽」の字はここに喜好・楽しみて依靠するの意なり。横龍の結ぶ所の穴は、最も背後に此の如き一座の山ありて帳幕を張開して之を托住することを喜ぶ。いわゆる「楽山」とは、すなわち穴後の倚托と為すの山にして、正対して穴場し・覆蓋しかつ托護するもの。凡そ来龍直撞して穴背を結ぶ、および穴星本身高々と頂を起こすは、皆楽山を講究せず。ただ横龍の結ぶ穴、および「凹脳」「側脳」「没骨」此の幾類の穴は、必ず楽山ありて貼身覆蓋照応してこそ、真穴と算す。廖金精のいわく、横龍結穴は必ず鬼星を要し、楽山は当に聳立して後に在るべし、と。呉景鸞のいわく、担凹・攀鞍此の類の穴は楽山を要し、務めて背後に貼りて穴場を照応すべし、と。これを見れば楽山は穴場に枕头を当たる砂にして、仔細審察せざるべからざるなり。

然樂有三格,曰特樂、曰借樂、曰虛樂。特樂者,遠遠特來,挺然貼穴;借樂者,雖非特來,而橫帳貼穴,不令空曠;虛樂者,既非特來,又不橫遶,而低陷躲閃,散亂遠曠,枕穴不著者也。特樂為上,借樂為次,虛樂不可用矣。

楽山は三个の等级に分かつ。一は「特楽」、二は「借楽」、三は「虚楽」なり。特楽とは、遠処に山ありて専程奔来し、挺然として穴後に貼す。借楽とは、専程の来たりと為さざると雖も、横列の帳幕ありて穴背を貼住し、背後を空曠ならしめず。虚楽とは、則ち専程の来たりにも非ず・横向の環繞もなく、ただ低陥し躲閃し、散乱して遥かに空曠にして、穴場根本に枕靠せざるなり。三者の中、特楽最上、借楽これに次ぎ、虚楽は則ち用いる能わず。

其於形象,皆不必拘。惟以端然卓立,高闊帳護,不令空缺為吉。且樂星亦不拘定是本身山,只客山亦可。若得樂下之水流到穴前,最為至貴。又穴上回頭便見樂山,或明堂中見者最吉。皆須貼背,不宜遠曠。

楽山の具体の形状については、拘るに及ばず。ただそれ端正挺立し・帳幕高大寛闊にして穴背を護住し・空缺を留めざれば、吉利と算す。而且楽山もまた必ずしも本身龍脈上の山を限定せず、外来の客山同じく充てることを得。もし楽山の脚下の水の流れて穴前に来たること能わば、則ち最も尊貴なり。另外、穴上に立ちて一回头すれば則ち楽山を見、或いは明堂の中に在りてもそれを望見するは、皆最吉なり。総て楽山は必ず穴背に貼して、離るること太も遠く太も空なるを宜しとせず。

特樂圖。借樂圖。虛樂圖。此遠山特來,挺然貼穴應樂者,至吉,主驟發富貴,大旺人丁,康寧長壽。此橫幛貼穴,不空缺,正樂應,亦有力,是吉地眞穴,福祉於特樂。此穴後空虛,無正樂,雖有小山,偏旁低閃,不枕穴場,是凶地假地。

ここに元来三幅の図あり、図題は依次に「特楽図」「借楽図」「虚楽図」、如今ただ図題と図下の説明文字のみ存し、図形は已に存せず。第一幅の説明は、遠山専程奔来し、挺然として穴背を貼住して楽山と為す、最も吉利にして、暴発富貴・人丁大旺・安康長寿を主る。第二幅の説明は、横列の帳幕は穴背を貼住し・空缺を留めず、正面の楽山照応する所有り、また力ありと算す、これは吉地真穴にして、福気は特楽に次ぐのみ。第三幅の説明は、穴後空虚・正対の楽山なく、些小の山あると雖も、偏って旁に在り・低伏躲閃し、穴場を枕托せず、これすなわち凶地仮穴なり。

右地在浮梁縣北鄉,金探花公達葬父地也。其龍甚遠。將作穴,開帳中落出脈,連起數節文星,落下平坡,成盧鞭嫋、落地梅花之格。兩畔小埠夾從,正脈中行,壘壘復起文星,跌斷結咽,入首結天才凹腦之穴。後樂貼背,撐頓有力。

右図この地は浮梁県北郷に在り、金探花金達の父を安葬せる墳地なり。その来龍は非常に遠し。結穴せんとするに快く、帳幕を張開し、正中に落下して脈を出し、接続して幾節の「文星」を聳起し、然る後平坡に落ち、「芦鞭裊」と「落地梅花」両種の格局を形成す。両旁に小土埠ありて夾きて相随い、正脈は中間より行き、一畳一畳また文星を起こし、跌断の後収束して「咽喉」を成し、「入首」の処に至りて「天財凹脳」の穴を結ぶ、底本此処は「天才」と作る。穴後の楽山は穴背に緊貼し、撑頓力あり。

前面堆堆疊疊,奇峰朝拱。明堂湖田融注,下關抱衛有情,曜氣壇褥,證應明白。繫艮龍入首,扦巳丙相探花公春秋二榜,皆在丙科,是其驗也,卯水朝入。以攀鞍穴後樂撐貼,取作躍馬赴敵形,屯軍案,眞特樂有力,催官之格也。嘉靖辛丑年卜葬,後六年丙午,公乃發魁。又十年丙辰,會元及第。今富貴方隆。

穴前の山巒は堆々畳々、奇峰来たりて朝拱す。明堂の裏に湖水と田水汇聚して散ぜず、下関の砂は環抱護衛して甚だ情あり。「曜気」は発露して壇の如く褥の如く、各種の応証清清楚楚。此の条の龍は艮方より入首し、巳丙一線の向を立て、探花公両次の郷試会試皆丙科の榜上に在るは、正に此の向の応験なり。卯方の水は穴に朝して入る。是れ「攀鞍」の穴を為し、背後に楽山の撑貼あり、ゆえに喝形を「躍馬赴敵」と為し、「屯軍」形の山を以て案と為す、確かに特楽有力・催官速発の格局なり。嘉靖辛丑年に日を擇びて安葬し、六年後の丙午年、金公は便ち郷試解元に中り、再び十年を過ぎて丙辰年に至り、また会元を以て登第す。如今家門富貴正に盛んなり。

左地在廣昌縣西一里,土名桃竹坑。繫縣龍分結。分後五峰中出,逶迤頓伏。將入穴,乃束氣起天財土星,橫脈結穴。穴完又起星峰,踴躍以去。立穴處似過脈狀。只是後有御屏特樂,撐貼有力,證得情眞。穴前一字文星及蛾眉為案。案外奇峰獻秀,下關逆抱包裹。前鋪官星,大河遶帶,局勢完密,眞貴地也。

左図この地は広昌県城西一里に在り、小地名は桃竹坑、県城主龍の分出して結成せるものなり。脈を分けし後、五座の山峰の当中より正脈を抽出し、逶迤起伏す。穴場に到らんとするに将に、気を束ねて一座の「天財」土星を聳起し、脈横に来たりて結穴す。穴結成せし後、龍身はまた星峰を起こし、一路踊跃して前に往く、ゆえに点穴の処は看去甚だ一段の過脈に似たるのみ。全く背後の「御屏」形の特楽の撑貼有力を靠りて、ここに情勢の真なるを証明するを得たり。穴前は「一字文星」と「蛾眉」形の山を以て案と為し、案外の奇峰は秀色を争献し、下関の砂は水に逆らいて抱攏包裹す。穴前に「官星」を鋪出し、大河環繞して帯の如く、整个の局勢完整緊密にして、実に貴地なり。

吏部公文淵父以疫卒洪武丙寅,抬柩至此遇雨,遂葬,今鄉稱天葬地。公時方半歲,乙丑生,後登永樂戊寅進士,累官至吏部尚書。子喬新,官至刑部尚書,諡敏肅。玄孫曰源,進士;曰濤,元解;曰沆,解元。子曰孔陽,諸公連登科甲,富貴方隆。

吏部尚書何文淵の父は洪武丙寅年に時疫に死し、棺を擡げてここを経過するに雨に遇い、就地にて安葬し、如今郷里は之を「天葬地」と称す。何公当時纔かに半歳、乙丑年の生人にして、後来永楽戊寅科進士に考中し、一路吏部尚書に做到せり。その子何喬新は、官は刑部尚書に至り、謚号は敏粛。玄孫何源は進士、何濤は解元、何沆も亦た解元、再び下一輩に何孔陽あり。此の幾位は接続して科第に考中し、家門富貴正に盛んなり。

右在邑北一里,土名鄭沖元,乃縣龍分結。自分脈後,過分水嶺峽,頓起丫山,開大帳,仙橋出脈,走弄數十節。入局頓起飛蛾鶴騰翼格,中垂嫩脈,落平坡,為太陰轉面開窩。窩間微乳,兩畔微鉗,穴情甚巧。前吐坦氈,左右盤纏,龜蛇捧抱,橫脈落穴。

右図この地は県城北面一里に在り、小地名は鄭冲元、亦た県城主龍の分出して結成せるものなり。脈を分けし以後、分水嶺の峽口を越え、猛然として丫山を聳起し、大帳を張開し、「仙橋」形の山上より脈を出し、一路盤桓して数十節を走る。本局に入りし後「飛蛾」「鶴騰翼」一類の星格を聳起し、正中に一条の嫩脈を垂下し、平坡に落ち、「太陰」星の面を転じて開出せる窩穴を成る。窩中微々として一点の乳突を隆起し、両旁また微々として鉗口を形成し、穴情十分精巧なり。穴前に平坦の氈褥を吐出し、左右盤繞纏護し、亀形と蛇形の両山は旁に捧抱し、脈横に来たりて穴を落とす。

後樂一峰,挺然特聳,取作仙人跨鶴形。明堂、朝對、下關、水口皆美,董德彰先生下,課云:“鶴騰亥脈出仙橋,卯向分明艮水朝。一峰西兌撐天柱,兩峰辰巽貼雲霄。左右龜蛇盤足下,面前丹詔列功曹。人間富貴渾閒事,定有天書詔譽髦。”

穴後の楽山はただ一峰あり、挺然独聳し、此に因りて喝形を「仙人跨鶴」と為す。明堂・朝対の山・下関の砂・および水口、様々皆美なり。この地は董德彰先生の点じたるもの、彼の断語にいわく、鶴形騰起し、亥方より脈を出し・仙橋を経て来たり、卯向を立て、分明に艮方の水の前来朝拱するあり。西辺兌位の一峰は天柱を撑起し、東南辰巽両峰は雲霄に高貼す。左右亀蛇二山は脚下に盤伏し、面前丹詔形の山は功曹の如く排列す。人間の富貴はここに在りて尋常小事と算し、将来必ず天子の詔書の来たりて傑出の士を徴召するあらん、と。

左地在豐城長安之蠏坑。其龍起孤山作祖,行數十里來,踴躍奔騰,磊磊落落。將入局,頓起九腦芙蓉大帳。帳中落脈,大斷過峽,重疊迎送。復起飛蛾,中出一脈,走弄成盧鞭三嫋貴格。結咽入首,為平面太陰文星開窩之穴。橫脈結作,借樂立穴。

左図この地は豊城長安郷の蟹坑に在り。その龍は孤山を以て祖山と為し、数十里を走りて来たり、一路踊跃奔騰・磊磊落落。入局せんとするに快く、猛然として一座の「九脳芙蓉」大帳を張開す。脈は帳中より落下し、大断一次して峽を過ぎ、迎送の山重々畳畳。接続して「飛蛾」形の星峰を聳起し、中間より一脉を抽出し、盤桓行きて「芦鞭三裊」の貴格を成す。収束して咽喉を成して入首し、平面「太陰文星」の窩を開く穴を結ぶ。これは横脈の結作にして、「借楽」を靠りて穴を立つ。

喜有後山高帳,樂托有力,正應其穴,所以為吉。且左右龍虎均勻,當面天馬雙峰正案,田源潮水聚堂,下關水口交固,眞可稱貴地。葬後孫氏溥發解嘉靖壬子,兄弟聯登科甲。惜乎來龍山上挖取煤炭,傷洩龍氣,故未可云盡美也。上樂砂姑出此三格,辨其眞偽,以定取舍耳。其有左樂、右樂、中樂、長樂、高樂、低樂等格,則詳於樂山證穴之下,茲不重及也。

可喜なるは穴後に高大の帳幕の山あり、楽山托護有力、また正対して穴場し、ゆえに吉利。加えて左右龍虎両砂匀稱し、当面に「天馬」双峰ありて正案を作り、田間源頭の水は明堂に涌聚し、下関と水口は交鎖牢固にして、確かに貴地と称すに足る。安葬の後、孫家の孫溥は嘉靖壬子年に解元に中り、兄弟もまた接続して科第に考中せり。可惜後来或る人ありて来龍の山上にて煤炭を開挖し、龍気を傷損泄漏し、ゆえに未だ十全十美と言う能わず。以上楽山の砂を講ず、姑く此の三種の格局を挙出し、人に真偽を辨别せしめて以て取舍を定めんとす。此外なお左楽・右楽・中楽・長楽・高楽・低楽等の名目あり、皆已に「楽山証穴」一節の裏に講ずること甚だ詳細にして、ここに再び重複せず。

下手砂を論ず

不問西南東北,但去水一邊謂之下手,又曰下臂,又曰下關。訣云:“有地無地,先看下臂。”又云:“看地有何難,先觀下手山。”又云:“未看後龍來不來,且看下關緊不緊;未看結穴穩不穩,且看下關回不回。”此等語雖淺近俗俚,然至理本不外是。蓋下手砂最關緊切。有下闗則結作,無下關則無結作。下闗重疊,結作愈大;下闗空曠,則不須尋地。

それが西南に在ると東北に在るとを管せず、凡そ水の流れ出ずるあの一辺を、則ち「下手」と呼び、また「下臂」と呼び、また「下関」と呼ぶ。口訣にいわく、ここに到底地ありやなしやは、まず下臂を看よ、と。またいわく、地を看るに何の難しきかあらん、まず下手のあの座の山を看よ、と。またいわく、まず後龍の来たると来らざるとを管するなかれ、且く下関の緊なるか緊ならざるかを看よ。まず穴の結ぶや穏なるか穏ならざるかを管するなかれ、且く下関の頭を回すか回さざるかを看よ、と。此の幾句は浅白俚俗と雖も、道理の根本も亦たここに在り。下手砂は最も要緊の一環なり。下関あってこそ結作あり、下関なくんば結作なし。下関層層重畳すれば結作すなわち大なり。下関空曠無遮なれば、則ち地を尋ねるにも及ばず。

吳公《地理件目》云:“凡青龍白虎既渾全,美好布法,不問左右,定要下手一山兜乘得上手山過,方是吉地。假如穴前水流倒左,則左為下手,要左臂一山逆水,長於右山,兜住右邊山水。若穴前水流歸右,則右為下手,要右臂一山逆水,長過左山,兜住左邊山水;如此謂之逆闗,乃為吉地,主發財祿。若下手短縮,兜上手山水不過,其它好處皆不得力,乃是假穴,不可下也。”

呉景鸞《地理件目》にいわく、凡そ青龍白虎両砂皆完整・布置甚だ好なる地方は、左右を論ぜず、必ず下手此の辺に一座の山ありて兜抱して来たり・上手のあの座の山を蓋過してこそ、吉地と算す。假如穴前の水左辺に流るれば、那辺の左辺すなわち下手にして、左臂の一座の山ありて水に逆らいて上り・右辺の山に長過ぎ・右辺の山水を兜住するを要す。假如穴前の水右辺に流るれば、那辺の右辺すなわち下手にして、右臂の一座の山ありて水に逆らいて上り・左辺の山に長過ぎ・左辺の山水を兜住するを要す。此の如くしてこそ「逆関」と呼作し、吉地にして、財を発し禄を得るを主る。もし下手の一辺短縮して・上手の山水を兜り過ぐる能わざれば、那麼其他の種種の好処皆力を使ふこと能わず、これすなわち仮穴にして、以て葬り下すべからず、と。

按:《件目》此論,誠為有理。且逆水下關,謂之財砂,最能發財。楊公云:“惟有下手救得人,世代不教貧。”廖氏云:“問君如何富,下山來相輳。問君如何貧,下山順水奔。”董德彰云:“下砂收盡源頭水,兒孫買盡世間田。”萬萬山《何知歌》云“何知人家富了富,下臂重重來抱顧;何知人家貧了貧,下關空曠不朝墳”是也。

作者按語にいわく、《地理件目》此の一段の議論は、確かに甚だ道理あり。而且水に逆らいて立つ下関を「財砂」と呼び、最も能く財を発す。楊筠松のいわく、ただ下手此の一辺のみ人を救い得、子孫世代窮せざらしむるを得、と。廖金精のいわく、人の家の何を以て富むかを問えば、下手の山の凑攏して来たるが為に。人の家の何を以て窮するかを問えば、下手の山の水に順い一直に奔去するが為に、と。董德彰のいわく、下砂は源頭の水を収ること乾乾浄浄にし、児孫は便ち天下の田を買尽すことを得、と。万万山《何知歌》にいわく、怎んぞ此の家の富上加富を知らん、下臂層層重畳して抱護して来たるが為に。怎んぞ此の家の窮上加窮を知らん、下関空空蕩蕩にして墳塋に朝向せざるが為に、と。講ずるは皆同一の道理なり。

大抵逆水砂不虛生。凡見一山迢迢彎曲,逆兜上手水者,便宜尋索龍穴,決有結作。愚嘗謂“有山逆水不虛生,定為眞龍作股肱。盤桓收截源頭勢,宜於此處覓佳城。”亦指下關言耳,學者審之。

大体にいえば、水に逆らいて生ずる砂は決して白く長出せず。凡そ一座の山の遥々彎曲して来たり・方向に逆らいて上手来水を兜住するを見れば、便ち附近に龍穴を捜尋すべく、彼処に必ず結作あり。我自己かつて四句を写したり。山有りて水に逆らいて生ず、決して白く生ずるにあらず、それ必ず真龍に左膀右臂を充当せんとするなり。それ盤桓回旋して源頭の水勢を攔截収住し、便ち此の一帯に好穴地を尋ね往くべし、と。此の幾句の講ずるも亦た正に下関にして、学者は仔細に体会すべし。

青龍逆關。白虎逆關。白虎順關。青龍順關。此青龍長,兜乘得上手山水過,乃是吉地。此白虎長,兜乘得上手水過,乃是吉地。此青龍短,兜乘上手山水不過,乃是凶地。此白虎短,兜乘上手山水不過,乃是凶地。

此処に元来四幅の図あり、図題は依次に「青龍逆関」「白虎逆関」「白虎順関」「青龍順関」、図形は已に佚し、ただ四条の図下説明のみ剩る。第一条にいわく、ここに青龍の一辺長く、兜抱して来たりて上手の山水を蓋過せり、是れ吉地。第二条にいわく、ここに白虎の一辺長く、兜抱して来たりて上手来水を蓋過せり、是れ吉地。第三条にいわく、ここに青龍の一辺短く、上手の山水を兜り過ぐる能わず、是れ凶地。第四条にいわく、ここに白虎の一辺短く、上手の山水を兜り過ぐる能わず、是れ凶地。

若有大河,不可只論小水,又須以大河水論順逆。大抵有一重水,必要一重砂收之。如小水倒左,大河水倒右,卻要近穴左山先長,以收小水,然後外重又得右山長,兜收大河之水,方為合法。蔡牧堂云:“順逆二途,如盲如瞽,似非灼然有見,鮮不以逆為順,以順為逆。”是故要知山川之大勢,黙定於數里之外,而後能知順逆於咫尺微芒之間。否則黑白混淆,以逆為順,以順為逆者多矣。

もし附近なお大河あれば、ただ近処の小水を看るに止めず、還た大河の流向を拿りて順逆を判断せねばならず。大体、一重の水あれば則ち一重の砂ありて去りてそれを収るを要す。比如小水左辺に流れ・大河右辺に流るれば、則ち近穴の左辺山まず長出して小水を収住し、再び外面一重の右辺山長出して、大河の水を兜収して入るを要し、これこそ法度に合す。蔡牧堂のいわく、順と逆此の両条の路は、一般人は瞎子の如く看清す能わず、若し真に灼然の見識あらざれば、逆を以て順と為し順を以て逆と為さざるは少なし。ゆえに必ず先に山川の大勢を掌握し、幾里の外にて默默判定し、然る後に咫尺の間の細微の処にて順逆を分辨することを得。然らざれば黒白混淆し、逆を以て順と為し順を以て逆と為す人は太も多し、と。

此小水倒歸右,大河水倒歸左。近穴虎山先長,以收小水。外重龍山又長,以收大河之水,為合格,是美地。此小水倒歸左,大河水倒歸右。近穴龍山先長,以收小水,外重虎山又長,以收大河之水,為合格,是美地。

ここに元来両幅の図あり、図形は已に佚し、只余両条の図下説明。第一条にいわく、此の一処の小水は右辺に流向し・大河の水は左辺に流向す。近穴の白虎山まず長出して小水を収住し、外面一重の青龍山また長出して大河の水を収住し、法度に合し、是れ块の美地。第二条にいわく、此の一処の小水は左辺に流向し・大河の水は右辺に流向す。近穴の青龍山まず長出して小水を収住し、外面一重の白虎山また長出して大河の水を収住し、亦た法度に合し、同じく是れ块の美地。両幅の図の講ずるは同一の法則にして、ただ左右の互換のみ。

凡下關砂,又須審其有力無力。若徒有下關而不近穴,或低小,或短縮,或順水不回,謂之無力,雖多無益。若其山高障,迴護顧穴有力,雖只一重,或只十數步,亦能結作。逆砂一尺可致富。又云“不要千山並萬隴,一山有情亦足用”是也。然此特甚言下砂逆水之不虛生者,其寔一山有情,與夫數步逆砂,縱有融結,不過裁剪小穴,張山食水而已。若論大地,須合諸山眾水觀之,非一山之所能結也。

凡そ下関砂は、なお進んでその究竟力あるか力なきかを審察せねばならず。もし空しく下関ありと雖も、穴を離るること太も遠く、或いは低矮細小、或いは短縮不足、或いは水に順いて去りて頭を回さざれば、これ皆「無力」と呼び、縦に好幾重あるも用いることなし。反対に、ただあの座の山高大にして障を成し、回護して穴を顧みて力あれば、たとえ一重のみ・甚だしきは十数歩の長さのみにても、照様に地を結することを得。ゆえに逆砂一尺あれば即ち富を致すに足るといい、また千山万嶺を求めるに及ばず、ただ一座の山の穴に対して情あれば足るという。不過これらの話は極力逆水下砂の白く生ぜざるを強調するのみ。其実一座の有情の山、或いは幾歩の長さの逆砂は、たとえ真に結作あるも、不過小穴を剪裁するに過ぎず、一点の山を靠り一点の水を食するのみ。若し大地を論ぜんと欲せば、必ず群山衆水を合観せねばならず、決して一座の山の能く結成する所にあらず。

已上所論下手砂法,以逆關為吉,順關為凶,此乃地之常格。卻又有等大富貴地,多是順關順纏而吉者,惟要大勢是逆局則美。蓋逆局要順纏,順局要逆纏,此亦陰陽交會自然之理。予兄弟所見甚多,如信州於知府祖地,上手高曲,下手短縮。泉州莊氏地,上砂順竄,下臂空曠,皆吉,乃其格也。

以上の講ずる下手砂法は、逆関を以て吉と為し順関を以て凶と為す、これは地理の常規格局なり。然るに別に一類の大富大貴の地ありて、多くは順関順纏にして反って吉利なるもの、ただ整个の大勢の逆局に属するを要するのみ。何となれば、逆局は順纏を以て配るを要し、順局は逆纏を以て配るを要す、これもまた陰陽交会の自然の道理なり。我ら兄弟の見たる此の類の地は甚だ多く、比如信州于知府家の祖墳は、上手の一辺高くして彎曲し、下手の一辺は却って短縮す。泉州荘氏のあの块の地は、上砂水に順いて竄出し・下臂一片空曠、両処皆吉地にして、正に此の種の格局に属す。

左地在廣信,土名新潭。亥龍巽向,俗呼寒牛出欄形。其龍逆水奔上,將入首,起飛蛾落脈,逶迤如生蛇。頓起金水天財穴,後有孝順鬼。龍虎護穴,如牛角彎抱。肘外則直長無情,元辰長。而外山上首高出,下手空曠為異耳。

左図この地は広信に在り、小地名は新潭、亥方より来龍し巽向を立て、俗に「寒牛出栏」の形と称す。その龍は水に逆らい一路奔上し、「入首」の処に快く近づく時「飛蛾」形の星峰を聳起して脈を落とし、逶迤として前行すること一条の活蛇の如し。接続して猛然として金水相兼の「天財」星を起こして結穴し、穴後に「孝順鬼」ありて托護す。青龍白虎は穴場を護り、牛角の如く彎抱して来たる。ただ両肘の外は笔直に伸長して無情を顕し、穴前の「元辰水」もまた流るること長し。而且外面の山は上手の一辺に高高突出し、下手の一辺は反って空曠、これはそれが常格と同じからざる処なり。

蓋元辰雖長,前有湖水聚注;龍虎山內彎外直,卻穴間不見飛走。且肘外直長,乃曜氣也。上山高大,乃青龍起庫。下雖空曠,乃係逆局,大河水遶。卜氏云“水纏便是山纏”也。所貴者穴後樂山特特,襯貼有力,證得穴場明白。葬後即出閬山公,名洪,登正德辛巳進士,官太守,鉅富,福祉未艾。

其実元辰水は長しと雖も、穴前には湖水汇聚して攔住す。青龍白虎両山は内側彎抱・外側笔直にして、穴中に立ちて併せてそれらの飛去するを見ず。況んや両肘の外の直長の部分は、正に「曜気」なり。上手の山高大なるは、あれは青龍の庫を起こせるなり。下手空曠と雖も、整体は逆局に属し、大河の環繞あり。卜応天のいわく「水纏便ち是れ山纏」、正に此の理を指す。最も貴ぶ可きは穴後の楽山の特地奔来し、襯貼力ありて、穴場を証するや明明白白なるなり。安葬の後立刻に閬山公を出し、名は洪、正德辛巳科進士に考中し、官は太守に至り、家資巨富、福沢今に至るまで未だ尽きず。

左地在晉江縣南二十里。其龍甚遠不盡述。姑自少祖言之。羅裳山漲天水星,千絲墜格。帳中抽出一脈,逶迤清巧,金水疊疊,起伏精俊,骨脈秀異。連斷過峽,有小墩埠金彈子夾脈。兩邊纏護,重重包送。至八石山,結莊氏陽基。眾山從簇,乃復起水星帳。帳中出脈,金水磊落,十數級間,精神頓異。仍起疊帳,偏落右邊,入首結穴。

左図この地は晋江県城南二十里に在り。その来龍極めて遠く、尽く述べること能わず、姑く少祖山より講起す。羅裳山は一座の漲天水星にして、「千糸墜」の格局に属す。帳幕の中より一条の脈を抽出し、逶迤として下り、清秀・霊巧、金星水星層々相い畳ね、起伏精神俊抜、骨脈秀異不凡。接続して断落して峽を過ぎ、小土墩の「金弾子」の如くなるもの来脈を夾住し、両辺纏繞護送し、重々包裹す。八石山に走り至りて、荘家の陽宅基地を結ぶ。衆山簇擁跟随し、ここにおいてまた一重の水星帳を聳起す。帳中より脈を出し、金水星磊落分明、十数級の間に気象頓然として同じからず。接続してまた重畳の帳幕を起こし、右辺に偏落し、入首して結穴す。

而左山高聳,外重紫帽諸山插天。右即大海汪洋,一望無際,惟姑山如天馬浮於海波之心。登穴見前面府城,東西二塔如卓筆左右,而清涼三臺正照。大洋、小洋、鳳山諸秀又皆逞奇列異,莫不快目。但結穴偏側,左山太重,右邊風掃,青龍順竄,不入俗眼。不知水纏便是山纏。且水之深處,即山之高處。郭氏曰“得水為上”,故為吉地。

左辺の山は高高聳起し、外面一重の紫帽諸山は天に挿して立つ。右辺はすなわち汪洋の大海、一望際涯なく、ただ姑山のみ一匹の天馬の如く海波の中央に浮かぶ。穴場に登れば、前面の府城を望見することを得、東西两座の塔は両枝の豎立せる筆の如く左右に分列し、清涼山の三台の形は正対して穴に照来す。大洋・小洋・鳳山等の秀麗の山峰また各々奇特を逞しゅうし、様々心を賞し目を悦ばしむ。ただ穴の結ぶや偏側にして、左山過重・右辺風に吹掃せられ、青龍の一辺は水に順いて竄出し、此に因りて俗人の眼光に合せず。彼らは「水纏便ち是れ山纏」の道理を解せず、また水の最も深き処は即ち山の最も高き処に等しきを解せず。郭璞《葬書》にいわく「水を得るを上と為す」、ゆえにここは依然として吉地なり。

葬後,出琦公,鄉薦,晉陽知縣;壬春,進士,節推;一俊,進士,少叅;用賓,進士,僉憲;國楨,進士,現任佈政;壬凡、思寬、履豐俱進士,現在;望棟、履朋俱鄉薦。人文濟濟,福祉未艾。長房、中房皆離鄉出貴,今漳福興莊氏是也。惟少房守祖,人丁富盛。若時俗之見,必以右臂風掃,小房不利為嫌,孰知水勝於山之妙哉!

安葬の後、荘家は荘琦を出し、郷試の薦挙により晋陽知県を任ず。荘壬春は進士、節度推官を任ず。荘一俊は進士、布政司少参を任ず。荘用賓は進士、僉都御史を任ず。荘国楨は進士、現に布政使を任ず。荘壬凡・荘思寛・荘履豊は皆進士にして、如今皆なお任に在り。荘望棟・荘履朋は皆郷試の薦挙により出づ。人才済済として、福沢はなお遠くして未だ終止せず。長房と中房は皆家郷を離れて顕貴し、すなわち今天漳州・福州・興化一帯の荘氏なり。ただ小房のみ祖地を留守し、人丁興旺富足す。若し世俗の看法を照らせば、必ず右臂の風に吹掃せられて小房に不利なるを嫌わん。彼ら何ぞ知らん、ここは水の力量の山に勝れる妙なるをや。

又二地,其一乃下手短縮,上手高出。其一乃上砂順竄,下臂空曠,皆吉。又有一等翻身逆勢,全無下關而吉者。廖氏云“坐空轉面去當潮,不怕八風搖”是也。又有順水砂,順關門,又有上砂高逼,下砂空曠而吉者。

上面此の両块の地は、一块は下手短縮して上手高突し、一块は上砂水に順いて竄出し・下臂一片空曠すれども、却って皆吉利。此外また一類の穴ありて、翻身して大勢に逆らい、完全に下関なくして反って吉利なるもの、廖金精のいわく「空に坐し面を転じて去りて潮に当たる、八風の揺るるを怕れず」、講ずるは正に此の種なり。另外また水に順う砂・水に順いて開く関門、および上砂高大逼近・下砂空曠無遮にして依然吉利の情形あり。

右地在吾邑,土名港口。龍旺穴尊,龍虎降伏,明堂平坦,而左畔一山順水拖下,乃是順關門。李養素下,課云:“子午之秋步蟾宮而折丹桂,丑未之春登虎榜而宴瓊林。”葬後,果出二貴,嘉靖壬子、戊午秋榜,乙丑進士,福祉未艾。

右図この地は我ら徳興本県に在り、小地名は港口。龍気旺盛・穴星尊貴にして、青龍白虎両砂は馴服低伏し、明堂平坦。ただ左辺の一座の山は水に順いて拖下し、「順関門」に属す。この地は李養素の点じたるもの、彼の断語にいわく、子年午年の秋に逢えば、家中に人ありて月宮に踏み入り丹桂を折得せん、すなわち郷試の中挙なり。丑年未年の春に逢えば、人ありて虎榜に登り瓊林宴に赴かん、すなわち会試の登第なり、と。安葬の後、果して両位の貴人を出し、分別に嘉靖壬子・戊午両科の秋闈に中り、また乙丑科進士に中り、福沢今に至るまで未だ尽きず。

左地在浙江常山縣,地名三岡。龍勢甚雄,入局復起廉貞少祖,中落一脈,脫下平岡,為眠體華蓋,一節結咽成金星突穴。四圍圓暈太極甚巧。但左山低小,右畔高雄,水自右流左,下關反弱為異。然龍穴既貴,右山雖高,主威武之權。左山雖低,本身一臂貼近有力。兼以穴暖,且大河遶抱,水口攔截,雖低不忌。葬後出清簡公瑩,登進士,官至刑部尚書。

左図この地は浙江常山県に在り、地名は三岡。龍の気勢甚だ雄壮、本局に入りし後また「廉貞」形の少祖山を聳起し、正中より一脉を落下し、脱卸して下りて平岡を成り、形は臥倒せる「華蓋」の如く、一節を走りて咽喉を収成し、金星の突穴を結出す。穴の四囲に円暈ありて包裹し、太極暈十分精巧なり。ただ左辺の山は低小・右辺の山は高雄、水は右より左に流れ、下関の一辺反って弱し、これはそれが常格に異なる処なり。不過龍貴穴真にして、右山高しと雖も、正に威武の権を掌握するを主る。左山低しと雖も、本身あの一臂は穴場に貼近し、依然力あり。加えて穴場暖和し、また大河の環抱・水口の攔截あり、ゆえに左山低しと雖も忌諱するに及ばず。安葬の後清簡公詹瑩を出し、進士に考中し、官は刑部尚書に至る。

已上所論順關,及無下手砂等地,皆須逆局有水特朝方可,切要龍眞穴的。若察龍穴不眞,不若守其常格,以下山有力為主,猶為節制之兵,雖不大勝,亦不大敗。若妄意圖大,不拘下砂,為害不淺,戒之慎之。

以上の講ずる順関、および下手砂なきそれらの地は、皆必ず逆局にしてかつ水ありて専程朝来せねばならず、尤も要緊なるは龍真穴的なるなり。倘若龍穴の真なるや否やを看准らざれば、那辺は老老実実に常規格局を守り、下手の山の力あるを以て主と為すに如かず。これは一支の紀律厳明・節制を受くる軍隊に似て、大勝仗を打つこと能わざると雖も、大敗仗を喫するに至らず。若し高きを好み遠きを騖り、下砂の如何を管せざれば、為害浅からざらん、務めて戒慎すべし。

水口砂を論ず

水口砂者,水流去處兩岸之山也。切不可空缺,令水直出,必欲其山周密稠疊,交節關鎖,狹而塞,高而拱,或兩邊相結,如犬牙交錯,如群鵝相鑽。或峙立高峰,巖崖峭立;或水中異石,挺然中立,如印如笏,如獸如禽,如龜如蛇,如魚如筍;或左右高山對峙,如獅象、旗鼓;或排列如佈陣屯兵;或橫幛如列倉貯囷;或填塞如寶殿龍樓;或把截如武夫之干城;或簇集如將兵之拱衛,或磊磊如車馬闐駢,或森森如劍戟豎立,重重疊疊,不計其數,迢遞迂迴,至於數十里者,則為水口砂之至美也。若更有捍門、華表、羅星、北辰、游魚等砂,尤為至貴。

「水口砂」とは、指すは水の流れ出ずるあの一段の両岸の山なり。ここは千万に空缺あらしめず、水をして直衝して出づるを得しめず。必ず山勢周密稠畳・一節一節交錯して関鎖し・河道は狭窄にして閉塞・山形は高聳にして拱抱するを要す。或いは両岸の山脚彼此咬合して、犬牙交錯の如く・一群の鵝の挤りて前に鑽るが如し。或いは高峰対峙し・岩崖峭立す。或いは水中に奇石ありて挺然として当中に立ち、形状は印章の如く・朝笏の如く・走獣の如く・飛禽の如く・亀の如く・蛇の如く・魚の如く・竹笋の如し。或いは左右高山対峙して、獅象の如く・旗鼓の如し。或いは排列開きて布陣屯兵の如し。或いは横向に張開して一排排の粮仓谷囷の如し。或いは水道を填塞して宝殿龍楼の如し。或いは関口を把住して武士の城池を守衛するが如し。或いは簇擁聚集して将士の主帥を拱衛するが如し。或いは磊磊落落として車馬擁塞成群の如し。或いは森然羅列して剣戟直豎の如し。此の如く重々畳畳、数えるも尽くすべからず、迢迢曲折して数十里の遠に延伸すれば、則ち水口砂中の最も美なるものなり。もしこれらの外に「捍門」「華表」「羅星」「北辰」「游魚」一類の特殊の砂あれば、更加尊貴なり。

吳公《快捷方式》云:“凡一鄉一村,必有一源水。水去處謂之水口,若有高峰大山交牙關鎖,重疊周密,不見水去,即其中便可尋地。若更有異石,帶頭帶尾,逆水朝入,其中必有大貴之地。”《撼龍經》云:“到處先看水口山,水口交牙內局寬。便向寬容平處覓,左右周旋無空間。”《砂經》云:“第一看山相地法,先看水口狹。”

呉景鸞の口訣書にいう、底本此処書名は《快捷方式》と作る、当に訛誤あるべし。凡そ一郷一村、必ず一処の水源あり。水の流れ出ずる処を則ち水口と呼ぶ。もし彼処に高峰大山ありて交牙関鎖し、重畳周密にして、裏面に立ちて水の流出するを見えざれば、則ち此の一帯は以て地を尋るべし。倘若水中なお奇石あり、頭を帯び尾を帯び、水勢に逆らいて裏に向かい立つは、あの裏面に必ず大貴の地あり。楊筠松《撼龍経》にいわく、一処の地方に到ればまず水口の山を看よ、水口交牙相鎖して内局寛平なれば、往きてあの寛敞平坦の処に尋ね、左右環繞周旋して空隙なきを看よ、と。《砂経》にいわく、山を看て地を相する第一法は、まず水口の窄まるか窄まらざるかを看よ、と。

陶公云:“水口無關,漫說當年富貴;天外有錀,乃知積代公候。”《入式歌》云:“水口一山如虎臥,回頭不許眾山過。高昂截斷水難流,此物名為神仙座。”卜氏云:“水口則愛其緊如葫盧喉。”范越鳯云:“水口之山,欲高而大,拱而塞。”又云:“若有石山朝入於內,如銅魚金龜、懸鍾頓鼓,隨水生上,關鎖重疊,不知去處尤佳。”

陶公のいわく、水口に関攔なければ、当年の富貴を空談するなかれ。天外別に一把の鎖鑰ありて去水を関住するを、方にここに世代公侯を出すを知る、と。《入式歌》にいわく、水口に一座の山ありて老虎の臥するが如く、頭を回して衆山の越過するを許さず。それ高く昂起して水路を截断し、水をして流走難からしむ、此の東西を名づけて「神仙座」という、と。卜応天のいわく、水口最も喜ぶはそれ緊なること葫芦の細頸の如くならん、と。范越鳳のいわく、水口の山は高大を要し、拱抱して閉塞するを要す、と。彼またいわく、もし石山ありて裏面に朝向して立ち、形状は銅魚・金亀の如く・懸鐘・頓鼓の如く、水勢に順いて層層生上り、関鎖重重、人をして水の何処に往くかを看出せしめざれば、則ち更に好し、と。

楊公云:“捍門水口尖峰起,圓峰北辰位。坐鎮城門不見流,富貴保千秋。”《坤鑑歌》云:“水口不嫌關鎖密,千重萬疊搃奇關。羅城鐵陣並華表,寶殿龍樓搃是強。”皆論水口砂之形勢妙旨也。又須察其情形何如。若其大情順水下奔,而無回頭顧內之意,亦不足取。欲其情意顧內,步步回頭,橫截逆轉,而山腳只只向內逆插,則其情意皆眞。

楊筠松のいわく、捍門は水口に守り、尖峰高起す。円峰の所在便ち北辰の位なり。それら坐鎮して城門の如く、人をして水の流出するを見えしめざれば、富貴便ち千秋を保つべし、と。《坤鑑歌》にいわく、水口は関鎖の太も密なるを怕れず、千重万畳総て奇特の関攔なり。羅城は鉄陣の如く、華表を配上し、宝殿龍楼を加上し、様々皆強局なり、と。これらの話講ずるは皆水口砂の形勢上の妙処なり。形勢を除きて、還たその情態の如何を察看せねばならず。倘若大勢水に順い一路奔去り、頭を回して内を顧るの意なからば、那もまた取るに足らず。要するは情意の内に向かい、一歩一回头し、横向に截住し・逆勢回転し、山脚は一只只皆裏に朝いて逆挿す、此の如く情意こそ真と算す。

劉氏云:“若向面朝入,如相君堂署,大將屯兵,節節把守,無階可進。小官卑將,拱手而立。若是有此情意形勢,關鎖水口,斯為至貴,其內必有大富大貴陰地陽基。誠以水口為一方門戶,若關鎖周密,則此方旺氣不洩,龍神融聚,故愈多愈好。《龍經》云:“關門若有十重鎖,定有王侯居比間。”

劉氏のいわく、若し衆山正面して裏に来たるは、好比宰相の官署・大将の軍営、一節一節に把守し、外人は進入するの台階なし。小官低階の将佐は皆ただ拱手侍立するのみ。此の如き情意形勢ありて以て水口を関鎖すれば、則ち最も尊貴にして、あの裏面に必ず大富大貴の陰宅或いは陽基あり。これは水口は一方地面の門戸にして、関鎖若し周密なれば、此の一方の旺気は外泄せず、龍神便ち凝聚して散ぜず、ゆえに関攔多ければ多いほど好し、と。《撼龍経》にいわく、関門若し十重の鎖あらば、那中間に必ず王侯の家を住せしむ、と。

若其山不周密,或山勢走竄,或一節低一節,一重遠一重,一山小一山,即是水口曠闊無關,此方旺氣便隨流水飄散,而龍神與之俱往,豈復能結富貴之地?縱有龍穴,亦發福不久。非惟陰地不美,而此方居民亦必貧困消條,多莊佃傭奴,而無名門右族、富貴之家、豪傑之士矣。故曰“水口之砂最關利害”。

反対に、もしそれらの山周密ならず、或いは山勢一味外竄し、或いは一節より一節低く・一重より一重遠く・一座より一座小なれば、則ち水口空曠・毫も関攔なし。此の一方の旺気は流水に随いて飄散し、龍神もまた跟いて一起に走り、何れの処にか能く富貴の地を結出せん。たとえ勉强に個の龍穴あるも、発福もまた長久ならず。而且陰宅不好なるのみならず、此の一方の居民も亦た必ず貧困蕭条し、多きは佃戸僕役にして、名門望族・富貴人家・豪傑の士を出す能わず。ゆえにいう、水口の砂は利害を関するや最大なり、と。

其水口間有大橋、林木、佛祠、神廟,亦闗禍福。或水沖損橋樑,或伐木毀廟,則凶禍之來不可救助,尤宜慎之。若或水口羅星諸砂被水沖破,或忽崩裂,則此方凶敗立應。如疊有奇石高洲忽然露出,則此方富貴驟至,皆應如桴鼓。智者見之,可以預驗休咎。廖氏云:“若還水打破羅星,官敗舉無名。忽然水口洲灘出,士薦官遷秩。”水口之所繫如此也。

水口一帯もし大橋・樹林・佛寺・神廟あれば、亦た皆一方の禍福に関係す。万一洪水橋梁を冲壞し、或いは人ありて樹を砍り廟を毀れば、凶禍の来たる時挽救する法なし、尤も謹慎を要す。倘若水口の羅星等の砂水に冲破せられ、或いは忽然崩塌開裂すれば、則ち此の一方の凶敗は立刻に応験せん。反対に、もし層畳の奇石・水面に高出する沙洲忽然として顕露すれば、此の一方の富貴便ち驟然として至り、応験の快なること鼓槌の鼓を敲くが如し。見識ある人これらの徴象を看れば、便ち預め吉凶を験知することを得。廖金精のいわく、若し水羅星を冲破せば、官を為るは敗落し・赴考するも名孫山に落つ。忽然水口洲灘を冒出せば、読書人は薦挙せられ・官を為るは升遷せん、と。水口の牽渉する利害は此の如く重大なり。

華表山

華表者(如右圖),水口間有奇峰挺然卓立,或兩山對峙,水從中出,或橫攔高填,窒塞水中者,皆是也。要高聳天表,方稱華表之名。水口有此,於內必有大地。《賦》云:“華表捍門居水口,樓臺鼓角列羅城。若非立郡遷都,定主為官近帝。

いわゆる「華表」とは、右図の示す如く、水口の間に奇峰ありて挺然卓立し、或いは両山夾峙して水中間より流出し、或いは山ありて横向に攔阻し・高高水中に填塞す、これら皆華表と算す。それは必ず高聳して天に入りてこそ、始めて「華表」此の名称に配得上。水口それ有れば、裏面に必ず大地あり。《雪心賦》にいわく、華表・捍門は水口に守り、楼台・鼓角は羅城を排成す。此の如き局面、若し以て郡城を建て都邑を遷すに用いられざれば、亦た必ず子孫官を為して天子に接近するを主る。底本此の段の引文はただ起首の引号ありて收尾なく、図形も亦た已に存せず、只余図題と此の段の説明のみ。

捍門

捍門山者,水口之間兩山對峙,如門戶之護捍也。有三格。其一穴前見之,端居左右,如門戶放入,前砂、外洋、遠秀朝揖。其二江水陽朝,先開捍門,水由門戶中出,洋洋坦夷,來不見源,去不見流。其三則水口闗闌,開設門戶,水由此逝。此皆大貴格也。然捍門之砂,最喜成形。如日月、旗鼓、龜蛇、獅象等狀,有九重、十二重捍門者,必結禁穴。一重二重亦主王侯、后妃、宰相、狀元之貴。若捍門外又有羅星,尤為奇特。《經》曰:“捍門之外有羅星,便作公侯山水斷。”

いわゆる「捍門山」とは、水口の間に両山対峙し、門扇の好似関攔を守護するなり。それは三種の格局あり。第一種は穴前にて便ち見ることを得、端端正正として左右に分列し、門戸の敞開して人を放ち入るるが如く、前面の砂・外洋の水・遠処の秀峰は皆穴に朝いて揖を作す。第二種は江水明亮として穴に朝来し、まず捍門を張開し、水は門戸の中間より流出し、浩浩荡荡として平坦開闊、来たりて源頭を見ず・去りて去向を見ず。第三種は水口の処にて関攔し、門戸を開設し、水はここより流走す。此の三種皆大貴の格局なり。捍門の砂最も喜ぶは形象を結成すること、比如日月・旗鼓・亀蛇・獅象の類。九重・十二重の捍門あらば、必ず帝王級の禁穴を結出し、すなわち一重両重にても、亦た王侯・后妃・宰相・状元此の等の貴人を出すを主る。若し捍門の外になお羅星あれば、則ち更加奇特なり。経文にいわく、捍門の外若し羅星あらば、此の一片の山水便ち公侯の家と断ずべし、と。

北辰

北辰者,水口間巉巖石山,聳身數仞,形狀怪異,當於中流,挺然朝入者是也。亦謂之尊星。此格極貴,千不逢一,非王侯大地,未易有此。楊公云:“一個北辰管萬兵,駙馬公侯招討名。高大崢嶸聳雲漢,必是爭天奪國人。”又曰:“北辰之星天中尊,上將下相列分明。此星乾坤鎮國寶,隱藏閉口莫胡陳。”

いわゆる「北辰」とは、水口の間の嶙峋険峻の石山にして、好幾丈高く聳起し、形状怪異、正に当たって河流の中央に在り、挺然として裏面に朝いて立つ。それはまた「尊星」と呼ばる。此の種の格局極めて尊貴にして、千処の地の裏にも難く一処に遇ふ、王侯級の大地にあらざればそれを有せず。楊筠松のいわく、一座の北辰は能く万名の兵卒を管帯し、駙馬・公侯・招討使一類の人物を出すを主る。それ高大峥嵘として直ちに雲漢に聳ゆれば、必ず天下を争い国祚を奪ふの人を出す、と。彼またいわく、北辰此の颗星は天中の至尊、上将下相分列すること清清楚楚。此の颗星は鎮国の宝にして、当に蔵隠し口を閉じ談ぜず、胡乱に張揚するなかれ、と。

許仙曰:“卻有一樣北辰星,形若眞兮貴莫論。北辰高大出萬乘,若然低小也朝臣。”曾公云:“山家最貴北辰星,水口高巖大石蹲。見此便知極貴地,必出爭雄逞猛人。”吳公云:“水口交羅生怪石,大小高低論重輕。高大名為北辰位,必產英雄不敢聞。百丈石山高聳起,此名大獸北辰星。水口若見北辰鎮,巨石湧起膽寒驚。此星若還關水口,必主皇王鎮國人。”

許仙のいわく、別に一種の北辰星あり、形体若し真ならば、貴なること評説する法なし。北辰高大なるは能く天子を出し、たとえ低小些かなるも能く朝臣を出す、と。曾公のいわく、地理家最も看重するは北辰星、それは水口の処に高々と蹲踞する巨岩大石なり。それを見れば則ち極貴の地なるを知り、必ず争強称雄・勇猛剽悍の人物を出す、と。呉景鸞のいわく、水口交錯羅列して怪石を生出すは、石頭の大小高低に按じて以て軽重を論ずべし。高大のは則ち北辰の位と呼び、一定に英雄を産出し、その威名人をして聴聞に敢せざらしむ。百丈高の石山聳立せば、これを「大獣北辰星」と呼ぶ。水口若し北辰の鎮守を見れば、巨石涌起して望之令人胆寒なり。此の星若し真に水口を関住せば、必ず帝王級の鎮国の人を出すを主る、と。

又云:“水中石山侵上天,擁起嵯峨壓眾山。代代武文人過府,英雄猛烈萬人看。水中圓墩有石印,若還低陷也昌榮。大山粗昂是北辰,定產男兒統萬兵。”《禁星論》曰:“筠松禁星禁何星?餘星不禁禁北辰。至尊之星所當禁,恐君洩漏害君身。”又曰:“大地龍神朝暮守,不許凡人亂開口。勸君遇著北辰星,禁口禁眼宜謹守。”

呉景鸞またいわく、水中の石山高聳して天に入り、簇擁して嵯峨の勢いを起こし衆山を圧倒するは、此の如き地は世代皆文武の才・府を経手せる人物を出し、英雄猛烈・万人囲観す。水中の円墩上もし石印あれば、たとえ低陥些かなるも昌盛栄顕を主る。大山粗壮大昂のはすなわち北辰にして、一定に万兵を統領する男児を産出す。《禁星論》にいわく、楊筠松の禁ぜんとするは哪の一颗の星ぞ。別の星皆禁ぜず、単に北辰を禁ず。何となれば、それは至尊の星にして、理当禁言すべく、ただ怕るは汝の天機を泄漏して反って自身を害せんことを。又说、大地の龍神は早晩守護し、凡人の乱に口を開くを許さず。汝に勧め奉る、北辰星に遇ふや、嘴上封じ口し・眼裏看見えざるを装ひ、須く小心謹守すべし、と。

蓋水口北辰極貴,上者多為禁穴之應,不可輕談;中者王侯宰輔、皇親國戚,斬殺自由,非尋常小貴之地而能有此。《太華經》亦謂北辰星居溪中、水口,或旁應左右,皆為大貴,若非州郡邑鎮,即出英雄豪傑之士,驚天動地之人。故凡水口羅城之間,如見有此,其中必有大貴之地,宜於其內尋索龍穴。

水口の北辰の極貴なる所以は、上等のは多く帝王禁穴に応ずるが故にして、軽易に談論すべからず。中等のも亦た王侯宰輔・皇親国戚を出すを主り、生殺予奪の権を握り、決して尋常小貴の地の能く擁する所にあらず。《太華経》もまたいう、北辰星は溪中・水口に立ち、或いは旁边左右に照応するも、皆大貴を主る。此の種の地方は州郡城鎮を結成せざれば、すなわち英雄豪傑・驚天動地の人物を出す。ゆえに凡そ水口羅城一帯にそれを見れば、其中に必ず大貴の地蔵せり、当に裏面に到りて龍穴を捜尋すべし。

或難予曰:北辰者,即北極天之樞星。孔子所謂“居其所而眾星拱之”者也。此星至尊至貴,而乃為門戶間把守關隘之職,何也?答曰:此固術家取義欠當,然亦不過假借美名以稱特異之砂耳。如天乙、太乙、太陽、太陰之名,亦皆尊貴星辰,而術家乃以太乙、天乙侍立左右,太陽、太陰夾照峽場。

或る人我に詰難していわく、北辰はすなわち北極の天枢の星、亦たすなわち孔子の講ずる所の「其の所に居りて衆星之を拱す」のあの星なり。此の星至尊至貴、怎んぞ反ってそれを派して門戸の間に把守関隘の差事を充てんや、と。我答えていわく、これ確かに術家の取義の妥当ならざるに足らず、不過一個の好聴の名字を借りて以て特別奇異の砂を称呼するのみ。すなわち「天乙」「太乙」「太陽」「太陰」これらの名目も、本来皆尊貴の星辰なれど、術家は却って太乙・天乙をして龍身の左右に侍立せしめ、太陽・太陰をして過峽の処を夾照せしむ、と。

日月捍門,考其所取,莫不皆為貴地證驗。若以循名求義較之,則此等貴星,安可使為侍衛,為夾從,為把守關隘之職?故此不過假借美名耳。其寔無有所謂日月、北辰、天乙、太乙以臨之也。義固弗當,但襲之既久,不可改稱,今姑從之。

また「日月捍門」の説法あり。これらの名目の取用を考究すれば、無非これを拿来して貴地の験証を作るのみ。倘若名に照らし実に求めて計較せんには、これらの尊貴の星辰を怎んぞ以て侍衛を当たらしめ・夾従を当たらしめ・把守関隘の差役を当たらしむることを得んや。これを見ればこれは不過美名を借用するのみ、実際上并びに何の日月・北辰・天乙・太乙も真にそれらの山上に降臨せることなし。名義上固より不妥当なれど、沿用するや久しく、また口を改むる法なし、如今姑く照旧に沿用せんのみ。

吳公《口訣》云:“北辰是石山嵯峨,雄昂高插,峭壁巖崖突兀奇怪,生耳,生角,生嘴,如將軍,如判官,如小鬼,如臥龍,如麒麟,如獅象,如海螺,如飛鳳,如仙鶴,如猛虎,如展旗,如堆甲,如涼傘,如走旗,如鋸齒,如鎗刀,如幡帶,如排符,如筆架,挺然拔聳萬仞,巍峨屹立,堆疊於水口之間。

呉景鸞は《口訣》の裏に逐条北辰の形貌を描摹し、彼いわく、北辰は嵯峨の石山にして、雄壮高昴として水中に挿し、峭壁岩崖突兀奇怪。石頭上に耳朵を生出し・犄角を生出し・嘴巴を生出し、形状或いは将軍の如く・判官の如く・小鬼の如く、或いは臥龍の如く・麒麟の如く・獅象の如く・海螺の如く、或いは飛鳳の如く・仙鶴の如く・猛虎の如く、或いは展開の旗の如く・堆起の鎧甲の如く・涼傘の如く・奔走の旗幡の如く・鋸歯の如く・槍刀の如く・幡帯の如く・排を成して挿せる符節の如く・筆架の如し。それ挺然として万仞の高に拔起し、巍峨屹立し、一層層堆畳して水口の間に在り、と。

望之而神驚,就之而心怖,崚嶒峻險、怪異巉巖者是也。若非有諸般古怪形狀,則不可謂之北辰。”此星極貴,上格貴龍方有此應,亦不拘多寡,但得一二亦為大貴。須居水口為眞,若穴上見之反為不吉。

遠望すれば人をして心神一驚せしめ、走近すれば人をして内心怖を生ぜしめ、崚嶒峻険・怪異嶙峋なる、始めて北辰と算す。もし上面それらの古怪形状なからば、北辰と呼作すること能わず。此の一段は呉景鸞の原話なり。北辰此の颗星極めて尊貴、ただ上等格局の貴龍のみ此の種の応証を有す。数量は倒れて多少を拘らず、たとえ一两座を得るのみなりとも亦た大貴を主る。それは必ず水口に立ちてこそ真なり、若し是れ穴場上にて便ちそれを見得るは、反って不吉利なり。

羅星

夫羅星者,水口關攔之中,有堆埠特起,或石或土,於平中突然當於門戶之間,四面水遶者是也。石者為上,土者次之,要居羅城之外為貴。《經》云:“羅星要在羅城外,若是羅星不在內。居內名為抱養瘝,又為患眼墮胎山。羅星若在羅城口,城口皆為玉筍班。”

いわゆる「羅星」とは、水口関攔の当中に一座の土堆或いは石堆ありて特意隆起し、或いは石或いは土、平地上に突然横たわりて門戸の間に在り、四面水に環繞せらる。石質のは最上等、土質のは次一等。位置は羅城の外に在りてこそ貴と算す。《撼龍経》にいわく、羅星は羅城外面に在るを要し、若し羅星裏面に落つれば則ち対せず。裏面に落つるを「抱養瘝」と呼び、また「患眼堕胎山」と呼び、他人の子を抱養し・眼疾に患え・堕胎するを主る。羅星若し羅城の口子上に立たば、那の道の城口は便ち皆玉笋班の如き貴人の行列なり、と。

然此雖居關口城外,又須有山抱闌,乃為有力。《經》云:“水中重重生異石,定有羅星當水立。羅星外面有山關,上生下生細尋覓。”然亦有眞偽,尤宜詳審。《經》云:“蓋緣羅星有眞假,眞假天然非人力。眞是羅星有首尾,首逆上流尾拖水。”又云:“欲識羅星眞妙訣,一邊枕水一邊田。田中有骨脈相連,或為頑石焦土堅。此是羅星有餘氣,卓立為星在水邊。”

不過羅星は関口城外に在るを要すと雖も、亦た還た山ありて環抱関攔してこそ、力ありと算す。《撼龍経》にいわく、水中層層奇石を生出せば、彼処に必ず羅星ありて水に臨みて立つ。羅星の外面なお山ありて関を作るは、上游より生じしか下游より生じしか、仔細に尋るを要す、と。羅星もまた真と假とあり、尤も当に詳審すべし。《撼龍経》にいわく、羅星本に真假の分あり、真假は天然に出でて人力の為す所に非ず。真羅星は首あり尾ありにして、頭は上游に逆らい・尾は下游に拖す、と。またいわく、真羅星を辨認するの妙訣を懂るを要せば、則ちそれ一辺水を枕し一辺田に連なるを看よ。田中に骨脈ありてそれと相い連なり、或いは頑石、或いは焦土の如き堅硬の地なり。これは羅星は龍の余気の結ぶ所にして、卓然として水辺に立ちて一星を成すを説明す、と。

蓋羅星在天為火之餘曜,故又稱曰火羅,所以有頑石焦土。然其龍神亦必多有火星。《經》云:“火星龍始有羅星”。其形則以尖圓方正端扁為美。《經》云:“貪巨羅星方與尖,輔弼武曲圓扁眠。祿存廉貞多碎破,破軍尖破最堪嫌。只有尖圓方扁星,此是羅星得正形。忽然四面皆是水,兩山環合鬱然青。”

羅星は天上に於いて火星の余気に属し、ゆえにまた「火羅」と呼ばれ、此に因りてその下面に頑石焦土あり。相応して、それの属する龍脈上も亦た必ず火星多し。《撼龍経》にいわく、ただ火星龍のみ羅星を有す、と。その形状は尖・円・方正・端扁を以て美と為す。《撼龍経》にいわく、貪狼・巨門の化する所の羅星は方形と尖形、左輔右弼・武曲の化するは円扁にして臥す。禄存・廉貞の化するは多半破碎し、破軍の化するはまた尖にして破、最も人をして嫌悪せしむ。ただ尖・円・方・扁此の四種のみ、始めて羅星の正形なり。忽然として四面全て水・両山環合し・一片郁郁として青翠なれば、便ち是れ好羅星なり、と。

看羅星之法,有此數訣,不可不識。大抵見有羅星,又合法度,其內必有大富貴地。蓋緣羅星乃是證佐,決不虛生矣!若其數多尤妙。然非極貴龍穴不能多也。訣云“一個羅星抵萬山”,況其多乎?

羅星を看るの方法は、すなわち上面此の幾条の口訣にして、懂らざるべからず。大体、ただ羅星を見て而且法度に合すれば、それ裏面に必ず大富大貴の地あり。何となれば、羅星本身一種の憑証にして、決して白く生出せざるが故に。羅星数目多ければ則ち更に妙なれど、極貴の龍穴にあらざれば、亦た可能ならざるあの多さなり。口訣にいわく「一个の羅星は万山に抵る」、況んや是好幾个なるをや。

已上所論華表、捍門、北辰、羅星,皆水口至貴之砂,得一亦為富貴龍穴之應。但水口之砂,亦不止此。如所謂金馬門、游魚洲、赦文星、牛羊墜、百萬倉、萬石囷、合旗、頓鼓、車馬、戰纛等砂,皆為吉地之應,茲不備及。蓋貴人門下多車馬,富人門下多質庫。故水中之砂,亦各以類相從也。

以上の講ずる華表・捍門・北辰・羅星此の四種は、皆水口上の最も尊貴の砂にして、ただ其中の一種を得る能わば、則ち富貴龍穴の応験なり。不過水口の砂は此の幾種に止まらず、いわゆる「金馬門」「游魚洲」「赦文星」「牛羊墜」「百万倉」「万石囷」「合旗」「頓鼓」「車馬」「戦纛」等等の名目の如きも、亦た皆吉地の応験にして、ここに一々列挙せず。道理は好比貴人門前多きは車馬・富人門前多きは当鋪にして、水中の砂も亦た各々主人の類別に按じて聚拢して来たり、何様の龍穴には何様の水口砂を配す、と。

大抵水中之砂,雄強高峻、嵯峨崚嶒、不生手腳枝葉、怪石巉巖、望之可畏者方為眞水口砂。如大貴人,必是大將帥,或雄悍武夫,披堅執銳,把守關隘,出入之人,必須盤詰,方得往來,豈容尋常直進直出?故水口砂必是醜陋凶惡星辰把截。《經》云:“莫道廉祿無好處,大為將相公侯門。”是言有公侯將相之地,必用他作門戶也。

大体にいえば、水中の砂は雄強高峻・嵯峨嶙峋・手脚枝葉を生ぜず・怪石巉岩・望上去人をして畏を生ぜしむるを要し、これこそ真正の水口砂なり。就好比大貴人門下に必ず大将帥あり、或いは雄悍の武夫あり、甲を披き鋭を執りて関隘を把守し、進出の人皆盤問を経てこそ来往を准ず、何ぞ人の随随便便に直進直出するを容せんや。ゆえに水口の砂は必ず丑悪凶悪の星辰によりて把守截断せらる。《撼龍経》にいわく、廉貞・禄存此の両種の星は好処なしと為すなかれ、それらは正好以て将相公侯の家の大門を作るなり、と。これは凡そ公侯将相の地あれば、必ずそれらを拿りて門戸に当つるを説く。

又云:“祿存無祿只為關,破軍不破只為攔。關闌之山作水口,必有羅星在水間。”是言既有關闌二山異於尋常,則必有羅星在水中,或落河火星為禽為曜,以為應證。此皆天造地設,自然符契之理。且水口關闌,不特陰地陽宅而已,凡天下大垣局、京機、省城以及州郡,莫不皆有大關闌、大羅星,特形勢寬大,規模宏遠,未易察識。

《撼龍経》またいわく、禄存星はここに在りて禄を主らず、ただ以て関を作るのみ。破軍星はここに在りて破を主らず、ただ以て攔を作るのみ。此の両種の関攔の山ありて水口を守れば、水中に必ずなお羅星あり、と。徐氏は解釈していわく、既に尋常に異なる関・攔の两座の山有れば、那の水中に就一定に羅星あり、或いは河裏に落到せる火星ありて「禽」を化作し「曜」を化作し、以て応証と為す、と。これら皆天造地設・自然而然に彼此契合するの道理なり。而且水口関攔は并びにただ陰宅陽宅に関係するのみならず、凡そ天下の大垣局・京城・省城以いて州郡に至るまで、皆大関攔・大羅星有らざるなし、ただそれら形勢寛大・規模宏遠にして、容易に看出せざるのみ。

《經》云:“大河之山有砥柱,四川之口生灩澦。大孤小孤彭蠡前,採石金山作門戶。”又云:“大河碣石至海窮,海外諸峰補垣局。更有焦山羅剎石,雖是羅星門不固。此是大尋羅星法,識者便知愚未悟。”

《撼龍経》にいわく、黄河の中に砥柱山あり、四川の江口に灧澦堆を生出す。大孤山・小孤山は鄱陽湖前に立ち、采石磯と金山は長江の門戸を充当す、と。またいわく、黄河一路碣石に到りて海に入りて止む、海外の諸多の山峰はそれの為に垣局を補足す。還た鎮江の焦山と羅刹石あり、羅星と算すと雖も、門戸は牢固に足らず。これはすなわち大範囲の内に羅星を尋るの方法にして、明白の人は一看すれば即ち懂り、糊塗の人は始終悟らず、と。

又云:“請君看此州縣關,何處不生水口山?水口關闌皆破祿,無腳交牙如疊環。或為橫山如臥虎,或作重重如瓜瓠。禹鑿龍門透大河,便是當時關水處。太行走出河中府,河北河南關兩所。大河北來曲射東,西山在水如眠龍。馬耳山枕大江口,絕無腳手為神廟。靈壁山來截淮河,更無一腳如橫過。海門之山鎖兩浙,兩山相合如環玦。文廉生腳鎖緇流,橫在水中為兩截。

《撼龍経》またいわく、請う汝看看せよ各処の州県の関口、哪の一処か水口山を長ぜざらん。水口の関攔は多半是破軍・禄存両星の化する所、それら山脚を生ぜず、彼此交牙して重畳の玉環の如し。或いは一座の横山ありて臥虎の如く、或いは層層畳畳して瓜瓠の如し。大禹は龍門を鑿開して黄河を穿通せしめ、彼処はすなわち当年の関水せる所なり。太行山一路河中府に走り至り、黄河の南北両岸に各々一処の関口を成す。黄河は北辺より来たり、曲折して東に射去り、西山は水辺に立ちて一条の眠龍の如し。馬耳山は大江口を枕し、全く手脚なく、上面に神廟を建つ。霊璧山は伸び来たりて淮河を截住し、同じく一只の山脚なし、ただ横横として攔り過ぐるのみ。海門の山は両浙を鎖し、両山相合して一副の環玦の如し。文曲・廉貞両星は山脚を生出して水流を鎖し、水中に横たわりて両截に断つ、と。

大關大鎖數十重,定有羅星橫截氣。截住江河不許流,關內不知多少地。小羅小鎖及小關,一州一縣須有闌。十闌十鎖百十里,定有王侯居此間。鄉落羅星小關鎖,枕水如戈石橫臥。但看無腳是關闌,重數多少分將佐。君如能識水口山,便識天戈並祿破。”斗杓前一星名曰天戈,喻水口中羅星也。觀此則知水口關闌、羅星等砂,雖有大小不同,其寔皆一理耳。

大関大鎖数十重あるは、其中に必ず羅星ありて横に地気を截住す。それは江河を截住して直流を許さず、関内に包むは多少の好地なるかを知らず。小の羅星・小の鎖・小の関口は、一州一県総じて一道の攔阻を得。十道の攔・十道の鎖綿延として百十里、あの裏面に必ず王侯を住せしむ。郷村裏の羅星はただ小関小鎖にして、水を枕して一杆の戈・一块の石頭の横臥するが如し。ただ山脚を生ぜざるを看れば、すなわち是れ関攔。再び重数の多少に按じて以てそれが将なるか佐なるかを分つ。汝もし水口山を認得すること能わば、亦た「天戈」と禄存・破軍を認得す。北斗斗柄の前面に一颗の星ありて「天戈」と呼ばる、ここは以て水口中の羅星を比喩す。此より以て知る、水口の関攔・羅星これらの砂は、大小の別あると雖も、其実道理は完全に一様なり。

重刊人子須知資孝地理心学統宗 巻五下 徳興山人徐善継述同著

官鬼総論

此卷專論官鬼、禽曜。夫所謂官鬼、禽曜者,乃眞穴前後左右發出餘氣之山。在前者曰官星,在後者曰鬼星,在龍虎外左右者曰曜星,在明堂左右及水口間曰禽星,亦曰明曜,皆為富貴龍穴之證也。

本巻は専ら「官」「鬼」「禽」「曜」四種の砂を討論す。いわゆる官鬼禽曜とは、皆真穴の前後左右に余気の発泄して出ずる所の山なり。穴前に長ずるを「官星」と呼び、穴後に長ずるを「鬼星」と呼び、青龍白虎の外左右両側に長ずるを「曜星」と呼び、明堂左右および水口の間に長ずるを「禽星」と呼び、また「明曜」とも呼ぶ。此の四者皆富貴龍穴の憑証なり。

傅文懿公立《四靈歌》云:“禽曜星與官鬼,都是好龍生秀氣。穴前穴後龍虎旁,有此定為公相地。”卜氏云:“要識前官後鬼,方知結寔虛花。”又云:“禽星獸星居水口,身處翰林。”又云:“生曜主官,王謝之名可望。”此官鬼禽曜之所以不可無也。著其要於下。問君何者謂之官,朝山背後逆拖山。問君何者謂之鬼,穴山背後撐者是。問君何者謂之禽,龜魚生在水中心。問君何者謂之曜,龍虎肘後石尖生。

傅文懿公の作れる《四霊歌》にいわく、禽・曜二星と官・鬼二星は、皆好龍の生発して出ずる秀気なり。穴前・穴後および青龍白虎の両旁にそれらあれば、此の块の地は一定に公卿宰相を出す、と。卜応天のいわく、穴前の官星・穴後の鬼星を認得してこそ、始めて此の穴の結実なるか虚花なるかを分別し得べし、と。彼またいわく、禽星・獣星は水口に立ち、主人身翰林に列るを主る、と。またいわく、曜星を生出すは官を為るを主り、王氏・謝氏の如き門第声名を望むべし、と。これすなわち官鬼禽曜の欠くべからざるの緑故なり。下面に要点を列出す。問ふ、何をか「官」と呼ぶ。すなわち朝山背後に逆向に拖出する山なり。問ふ、何をか「鬼」と呼ぶ。すなわち穴山背後に穴場を撑住する山なり。問ふ、何をか「禽」と呼ぶ。すなわち水中央に生出する亀形魚形の石なり。問ふ、何をか「曜」と呼ぶ。すなわち青龍白虎の肘後に生出する尖利の石頭なり。

官星を論ず

官星者,龍虎橫抱,穴外背後有山拖向前去者也。子微云:“試問如何是官星?本命山前更有山。”此乃龍旺,秀氣融結包會不盡,故又發為官星也。龍之貴氣重大者,官星亦必重大;龍之貴氣輕小者,官星亦必輕小。所謂大小,非論形體,乃氣脈之力量也。

いわゆる「官星」とは、青龍白虎の横抱の外・案山の背後に別に山ありて前方へ拖り去るものなり。張子微のいわく、試に問ふ、何をか官星と為す。すなわち本命の山の前面に還た別に一座の山あるものなり。これは龍気旺盛にして、秀気の凝結包裹に余ありて、ゆえにまた発泄して官星を成るが故に。龍の貴気重大なれば、官星も亦た必ず重大。龍の貴気軽小なれば、官星も亦た必ず軽小。ここにいう大小は、山の形体を指すにあらずして、気脈力量の強弱を指すなり。

名為官星,有吉無凶。但恐龍穴不眞,縱有官星亦為無益。子微云:“大凡官星無凶惡,只恐似官非是官。”官星在橫山龍虎外,故多不見。亦有見者,謂之現世官、現面官。《經》云:“官星在前多不見,見者名為現世官。”若龍穴眞,主當代貴。大抵官星雖有吉無凶,亦必龍穴眞則吉。否則皆凶。且不必拘其形象,而為繁鎖之論雲。如京山王氏伯珍公地,官星格也,圖下。

既に名を官星となせば、それはただ吉有りて凶なし。ただ怕るは龍穴本身の真ならざること、然らば縦に官星あるも用なし。張子微のいわく、大凡官星皆凶悪ならず、ただ怕るは看て官星に似て、其実并びに官星ならざるを。官星は横列の龍虎の外に蔵れて、ゆえに多半穴上にて見えず。亦有りて見ゆるは、「現世官」「現面官」と呼ぶ。《撼龍経》にいわく、官星は前面に多半見えず、見ゆるは則ち現世官と呼ぶ、と。此の種の情形、若し龍穴真ならば、当代に顕貴するを主る。総じていえば、官星は吉ありて凶なしと雖も、亦た仍ほ龍穴真なりてこそ吉、否らざれば一概に凶なり。其の形状に至りては、必ずしも死死に拘泥せず、一堆の煩瑣なる名目を弄出することなかれ。京山王氏伯珍公のあの块の地の如きは、すなわち官星格にして、図は下面に列す。

下地在京山,土名接官廳新堰彎。其龍繫縣龍分幹,來歷甚遠,不及詳述。將入局,開帳重重,大斷起尖山,為廉貞火星。生出土星,土又生出金星,是為大月山。又自月山下連穿三峽過田,如拋球,如走馬,如梭帶線,如珠牽絲,龍氣旺盛,枝腳蕃衍,護從周密。正脈中出,為太陰星,串脈吐出微乳結穴。

下図この地は京山県に在り、小地名は接官庁新堰彎。その龍は県城主龍の分出する支干にして、来歴遠く、細講するに及ばず。入局せんと快くする時、重々帳幕を張開し、大に断つること一次して尖山を聳起す、是れ「廉貞」火星なり。火星は土星を生出し、土星また金星を生出す、これすなわち大月山なり。大月山より往下し、接続して三個の峡口を穿ち・田地を越え、行度の様子は抛球の如く・走馬の如く・梭子の線を帯びるが如く・珠子の糸を牽くが如し。龍気旺盛・枝脚繁多・護従の山周密。正脈は中間より出でて「太陰」星を為り、串脈一点微微の乳突を吐出して結穴す。

穴情甚秀,兩掬彎抱,寬暢有情。內堂融聚,外洋平衍。而右臂復大轉包裹,為玉帶砂,橫繞穴前。其餘氣復當面抽出,發為官曜,去三十餘里。兩畔枝腳回抱重疊,關顧有力,眞貴地也。只是官星去遠,此穴結於龍腰之間,山勢未止,孰識為此等大地?

穴情十分清秀、左右両掬彎抱して来たり、寛敞舒暢にして情あり。内明堂は気聚まりて散ぜず、外洋は平坦開闊。右臂また大幅に転じて来たりて穴場を包裹し、「玉帯砂」を成りて、穴前に横繞す。穴場多余の気は再び当面より抽出して、発泄して「官曜」を成り、一直に三十余里を伸出す。両旁の枝脚層層回抱し、関攔照顧甚だ力あり、確かに块の貴地なり。ただ官星去ること太も遠く、而して此の穴また龍腰中段に結び、山勢未だ止歇せざる、誰か此れ竟に此の如き一块の大地なるを認得せんや。

葬後出希且公,登進士,官僉憲。曰橋,進士,官方伯;曰格,進士,官少卿。方伯之子宗茂,進士,官侍御。今又池公宗載登進士,累官都憲;曰宗彥、宗蓁、宗楚、大本、大有,曰階諸公,連登科甲,人才迭出,富貴未艾。

安葬の後、王家は希且公を出し、進士に考中し、官は僉都御史を任ず。王橋は進士、布政使を任ず。王格は進士、少卿を任ず。布政使の児子王宗茂は進士、侍御史を任ず。近來また池公王宗載ありて進士に考中し、一路都御史に做到す。此外王宗彦・王宗蓁・王宗楚・王大本・王大有および王階諸位も、接続して科第に考中す。人才は一輩また一輩接いて出で、家門の富貴今に至るまで未だ尽きず。

按:是地餘氣去長,此圖不收餘氣篇內,直以官星取者,以去山在虎砂外,對穴穿田而去,是官星格耳。但穴左山勢太短,似與右氣不均。然既鋪氈作王氏陽基,又溢為靈泉於基前,則其氣以泉發,與右等也。此造化隱微,須詳審精察,未易入俗眼耳。

作者按語にいわく、此の块の地は余気の伸出去るや甚だ長しと雖も、本書は此の幅の図を「余気」一篇に収進めずして、直接官星と当作りて立論す。原因是那の道の去山白虎砂の外に落ちて、正対して穴場田地を穿ちて去る、正に官星の格式に合す。ただ穴場左辺の山勢太短く、看上去右辺の気と均衡せず。不過左辺既に毡褥を鋪出し・王氏の陽宅基地を成り、また基地前面に一道の霊泉を溢出せば、則ち左辺の気は泉水を借りて発泄し、右辺と其実相等し。これは造化の幽微の処にして、必ず仔細に審察せねばならず、一般人の眼光は容易に看懂し難し、と。

傳奇:王氏基前有靈泉,每虹氣現,則王氏有發科甲者,屢驗。王氏諸公號虹塘、虹泉、瑞地,咸取此耳。隆慶戊辰,虹現,王氏無會試者,人以為不驗。既而,是科翼軒李公維禎登第入翰林應之。蓋李公乃侍御虹塘公宗茂婿也。

伝奇一則。王家宅基の前面に一道の霊泉あり、泉上に虹気を現出するに逢ふ毎に、王家便ち人ありて科第に考中し、屢試爽ならず。王家諸位の号を取りて「虹塘」「虹泉」「瑞地」といふは、皆此の道の虹気より来たる。隆慶戊辰年虹気出現すれど、あの年王家に人の会試に参加するなく、衆人は以て此回は霊ならずと思ふ。久之しからずして、あの科の翼軒李維禎進士に考中し・翰林院に進入し、正好此の道の虹気に応ず。原来李公は侍御史虹塘公王宗茂の女婿なり。

右地在南昌,土名馬鞍溪。其龍起自帳幕嶺,正脈穿田至朱坊,橫開平崗大帳。帳中出脈,迢遞二十餘里。將入首,又大斷過峽,起三臺,垂乳開窩結穴。前吐餘氈,後拖鬼撐。第青龍直硬竄堂,下關低陷,不入俗眼。不知回龍顧祖,骨肉一家,青龍雖竄,是為明曜。又拖官星,適足為貴證。

右図この地は南昌に在り、小地名は馬鞍溪。その龍は帳幕嶺より起こり、正脈田地を穿ちて朱坊に到り、横向に一座の平岡大帳を張開す。脈は帳中より出で、迢迢二十余里を走る。「入首」せんと将にする時、また大に断つること一次して峡を過ぎ、「三台」を聳起し、乳突を垂下し・窩形を開出して結穴す。穴前に余気を吐出して毡を成り、穴後に鬼星を拖出して撑托す。ただ青龍の一辺笔直生硬に明堂に竄進し、下関また低陥、俗人の眼光に合せず。彼らはこれが「回龍顧祖」の格局なるを解せず、祖孫骨肉本に一家にして、青龍竄出すと雖も、那は正に「明曜」。況んやまた官星を拖出す、恰好貴気の憑証を成す。

葬後,諸公季清進士,子肅進士,伯躍侍郎,伯秀副憲,廷重進士,廷梅副憲,廷悰、廷膏、廷寶、廷楫俱鄉科。仕賢進士,仕階進士,仕慎、仕松、仕泰俱鄉科。曰睿,進士,御史;曰材,佈政;曰桂,進士;曰椲、曰淑、曰場、一龍、一鵬、一爌俱鄉科,封蔭應例,衣冠百餘人,人丁大旺,富貴鼎盛未艾。

安葬の後、此の一族の出す人物あり。季清は進士、子粛は進士、伯躍官は侍郎に至り、伯秀官は副都御史に至る。廷重は進士、廷梅は副都御史、廷悰・廷膏・廷宝・廷楫は皆郷試に中る。仕賢は進士、仕階は進士、仕慎・仕松・仕泰は皆郷試に中る。另有りて名は睿、進士、官は御史。名は材、官は布政使。名は桂、進士。名は椲・淑・場および一龍・一鵬・一爌、皆郷試に中る。加えて封贈・蔭襲・納例により出身を憑る者、全族冠を戴き帯を束ぬるの士人百余位あり、人丁大旺・富貴鼎盛、今に至るまで未だ衰えず。

鬼星を論ず

鬼星者,穴後拖撐之山,枕樂穴場者也。楊公云:“問君如何謂之鬼,鬼在後頭撐者是。”蓋撞背來龍結穴則無鬼。惟是橫龍結穴,必須有鬼星撐在穴後,方證得穴之眞寔。廖氏謂“橫龍結穴必須鬼”者是也。以其在穴後分洩本身之氣,故取義於竊,而名之曰鬼。

いわゆる「鬼星」とは、穴後に拖出して撑托する山にして、穴場の為に枕頭依靠に当つ。楊筠松のいわく、汝に問ふ、何をか鬼と呼ぶ。穴後頭にて撑住するあの座の山即ち是れ、と。凡そ来龍直撞して穴背に結穴するは、鬼星なし。ただ横龍結穴のみ、必ず鬼星あって穴後に撑せてこそ、始めて此の穴の真実なるを証明することを得。廖金精のいわく「横龍結穴は必ず鬼を須う」、正に此の意なり。何となれば、それは穴後に長じて、本身の気を一部分分走すれば、ゆえに「窃盗」の意を取りて、それに名を起こして「鬼」と曰ふ。

吳香山云:“鬼於地理中不在屈指言不在算數也,亦不在星辰之例。凡論地理,只看來龍入穴,左右龍虎,朱雀前砂,及山水大情交會與不交會,四維八峙缺折與不缺折,鬼置之不論可也。但穴有偏斜處,卻有借鬼為證者。”此說最善。蓋鬼不必於有為吉,亦不必於無為凶,特以偏斜之穴,須用鬼證耳。如此則鬼何關於地之大小輕重耶?

呉香山のいわく、鬼星は地理の中に於いて屈指細数するの項目と算するに足らず、亦た星辰体系の内に列せず。凡そ地理を論ずるは、ただ来龍如何に穴に入るか・左右青龍白虎如何・前面朱雀の砂如何・および山水の大情勢交不交会・四維八方の山峙缺口断折有無を看るのみ。鬼星に至りては、一辺に搁いて談ぜざるも妨なし。ただ穴場偏斜の処に遇ふにありてこそ、始めて鬼星を借りて以て憑証を作るの者あり。此の番の話説き得るや最好。これを見れば鬼星は有れば即ち吉・無ければ即ち凶にあらず、不過偏斜の穴它を靠りて以て印証するを要するのみ。既然此の如くなれば、鬼星また何れの処にか能く一块の地の大小軽重を決定せんや。

前輩亦有言:“鬼者,詭也。奇異變幻,不可盡信,豈有專取的於鬼?亦有有鬼不可當穴者,又宜於穴法通變,不可盡泥於鬼。”又云:“鬼者,詭也。詭異奇怪之穴,須用鬼證之。觀鬼之脈,知穴之情。”又曰:“鬼是漏竊眞龍之氣,大地必無鬼。”又曰:“大地眞龍,氣盛而旺,故有鬼山或去數里。”又曰:“鬼奪我氣,不宜高大。”又曰“屏帳鬼星高大,使相紛紜”之說不一,要之,至理必以龍穴為主。

前輩も亦た幾種の説法あり。一にいわく、鬼即ち是れ詭、奇異変幻にして全信すべからず、何ぞ能く専ら鬼星を靠りて以て穴を定めんや。亦有りて鬼星ありと雖も以て穴を定めるに据る能わざるは、還た当に穴法上に於いて霊活変通し、一味に死守して鬼星を守るべからず。又一にいわく、鬼即ち是れ詭、詭異奇怪の穴こそ鬼星を用ゐて以て印証するを須う。鬼星の脈絡を看れば、便ち穴の情態を知るを得。又一にいわく、鬼は真龍の気を漏窃する、大地一定に鬼なし。又一にいわく、大地真龍気盛にして旺なれば、ゆえに鬼山時に伸出して幾里の遠に至る。又一にいわく、鬼星は我が穴中の気を奪取す、高大なるを宜しとせず。又一にいわく、屏帳の如き鬼星高大なるは、宰相の類を出すを主る。諸家議論一ならざれど、根底に帰結すれば、最も正確の道理は還た必ず龍穴を以て主と為すべし。

龍穴貴秀,則鬼為吉;龍穴假偽,則鬼為凶。譬猶世有鬼祟,若人氣盛旺,家道興隆,則鬼獻禎祥,反為兆福;若人氣萎薾,家道復替,則鬼出妖怪,能為我禍。取義一同,全以龍氣為主,而後論鬼。龍穴不眞,生氣散漫,則鬼為禍賊矣。若徒以鬼星形狀決貴賤禍福,而不論龍穴之根本,則失之矣。

龍穴貴にして清秀なれば、鬼星即ち是れ吉。龍穴虚假にして真ならざれば、鬼星即ち是れ凶。これは好比世間の鬼祟。若し人の精気旺盛・家道興隆なれば、鬼は反って祥瑞を献上し、福気の先兆を成す。若し人の精気萎靡・家道衰敗なれば、鬼は則ち妖怪を鬧出し、能く人の為に禍を招く。取義完全に一様にして、皆須くまず龍気を以て主と為し、然る後に鬼を論ずべし。龍穴若し真ならざれば、生気散漫して、鬼星便ち作祟して人を害するの賊を成す。倘若ただ鬼星の形状を憑りて以て貴賤禍福を断じ、却って龍穴此の根本を追究せざれば、那すなわち大錯なり。

且鬼星亦惟可以理盡,不可以形拘。只欲其光彩渾厚、秀麗尊重、中方中圓、或直或橫、或雙或三,重重彎抱,貼衛本身,不散漫奔竄,不醜惡可嫌,則得其妙,奚必瑣瑣論其形狀,至百二十之多哉!今以橫、直、雙、邊、高、長、短數格具圖為式,觸類而長之。

而且鬼星はただ道理を用ゐて以て講通すべく、形状を拿りて以て死套すること能わず。ただそれ光彩渾厚・秀麗荘重・或いは方或いは円にして不偏不倚・或いは直或いは横・或いは双を成し或いは三を成し・重々彎抱し・緊貼して穴の本身を護衛し・散乱して外竄せず・丑悪にして人をして嫌わしめざれば、便ち其の妙処を得たりと算す。何ぞ必ずしも瑣瑣碎碎として形状を分辨し、一直に一百二十種の多さに分出せんや。今ただ横・直・双・辺・高・長・短此の幾種の格式に按じて図を画いて例と為す、読者は類に依りて推広する即ち是れ。

右地在婺源縣,土名大田寺,乃諸汪始祖願公墓也。其龍勢甚長,不及詳述。入首平岡,結穴精巧。龍虎彎抱,餘氣悠衍。明堂平廣,內氣融聚,外洋寬暢。但結穴處龍脈未盡,橫受之穴。正當穴後,一脈穿田,頓起鬼星,橫枕抱衛有力,證得穴星尊貴,此所以為美地也。葬後鼎盛,出科甲數十人,尚書亦數人。若中丞、侍御、方面郡邑守佐,難以悉舉。至今子孫蕃衍,富貴齊美。雖汪氏諸派佳地尤多,此其發源,鍾秀為最雲。

右図この地は婺源県に在り、小地名は大田寺、是れ汪氏各支共同始祖願公の墓なり。その龍勢甚だ長く、細講するに及ばず。入首の処是一片の平岡にして、結穴精巧。青龍白虎彎抱し、余気悠長舒展。明堂平坦寛広、内気凝聚し、外洋開闊。ただ結穴の処は龍脈未だ走完せず、横向承受の穴に属す。正対穴後に一条の脈ありて田地を穿ち、猛然として鬼星を聳起し、横に枕托し・抱衛力ありて、穴星の尊貴を証するや明明白白、此れ正にそれが美地を成るの緑故なり。安葬の後家門鼎盛し、数十位の科第出身の人を出し、尚書も亦た好幾位あり。中丞・侍御史・および各地方郡県の守令佐貳に至りては、更に数え勝べからず。今天に到りて子孫繁衍し、富貴斉美。汪氏各支の好地は甚多しと雖も、此の一処は却是発源の所にして、鍾聚の霊秀最も盛んなり。

左地在吉水縣文昌鄉,土名夏郎,狀元劉文介公儼祖地也。其龍來脈甚遠,不詳述。入局開大帳,連穿數峽,走閃翻身,轉盤屈曲,為蘆鞭格。入首頓起金星開鉗,中垂小乳,乳下平坦,穴結乳頭。兩掬彎抱有情,內堂緊聚,外洋開暢,前朝秀麗,後障高聳。坐枕鬼星,直撐有力。大溪後緾,四從稠疊,水口交鎖。塟後出鼎實公,登進士,官副憲。曰庸性,發高科。文介公儼,正統壬戌狀元,官至少卿,贈禮部左侍郎。又嘗觀其鳯形,亦美地也。今福祉未艾。

左図この地は吉水県文昌郷に在り、小地名は夏郎、是れ状元劉文介公劉儼家の祖墳なり。その来脈甚だ遠く、細講せず。本局に進入し後大帳を張開し、接続して幾個の峡口を穿ち、左走右閃・翻身転折・盤旋屈曲して、「蘆鞭」格を成す。入首の処猛然として金星を聳起し、鉗口を開出し、中間に一个小の乳突を垂下し、乳下地面平坦、穴即ち乳頭上に結ぶ。左右両掬彎抱して情あり、内明堂緊聚し、外洋開闊、前面朝山秀麗、後面屏障高聳。坐山は鬼星を枕し、笔直撑托甚だ力あり。大溪は背後に纏繞し、四面随従の山稠密重畳し、水口交鎖す。安葬の後鼎実公を出し、進士に考中し、官は副都御史を任ず。又有りて名は庸性、高科に中る。文介公劉儼は正統壬戌科状元にして、官は少卿に至り、礼部左侍郎を追贈せらる。我ら還た彼の家の另一処の鳳形の地を看過す、亦た美地なり。如今劉家の福沢仍未だ終止せず。

豐城雷尙書祖地。葉氏始祖地。右地在浮梁縣南五里,土名毛嶺。遠龍不詳述。入首大斷開帳,落脈結咽,起金星,轉面結橫腰穴。龍氣奔走六七里不住。只是穴後短鬼,撐貼甚奇,證得穴眞。其去勢乃餘氣長,力量大。自方氏葬後,奕世科甲。

接下両条はただ図題のみ余す。一は「豊城雷尚書祖地」、一は「葉氏始祖地」にして、正文と図形皆已に亡佚し、只存標題のみ。第三条はなお説明あり。右図この地は浮梁県城南五里に在り、小地名は毛嶺。遠処の来龍は細講せず。入首の処大に断つること一次して帳幕を張開し、落脈咽喉を収成し、金星を聳起し、面を転じて来たりて横腰穴を結成す。龍気継続して奔走し六七里にして還た停止せず。全靠穴後一段短短の鬼星にして、撑貼すること十分奇特、穴の真実を証明出来す。それ一路奔去の勢い、正に余気長く力量大なるを説明す。自ぞ方家葬入し後、世世代代皆人ありて科第に考中す。

禽星を論ず

禽星者,水口中之石也,亦謂之落河火星。楊公云:“問君如何謂之禽,龜魚生在水中心。”或如筍、如笏、如游魚、龜蛇、飛鳧、金箱、玉印、蓮花、筆架,森森疊疊,磊磊落落,或高或下,或長或尖,或圓或方,或散或聚,如此禽曜,極為貴秀。若見高昂二丈三丈,主為官入朝,極品之貴。州省城垣水口中多有之。

いわゆる「禽星」とは、すなわち水口当中の石頭、亦た「落河火星」と呼ばる。何となれば、此の類の石頭は本是火星龍の余気の河裏に落到して化する所にして。楊筠松のいわく、汝に問ふ、何をか禽と呼ぶ。すなわち水中央に生出する亀形・魚形の石なり。それら或いは竹笋の如く・朝笏の如く・游魚・亀蛇・野鴨の如く・金箱・玉印・蓮花・筆架の如し。森然重畳・磊落分明、或いは高或いは低・或いは長或いは尖・或いは円或いは方・或いは散布・或いは聚拢。此の如き禽曜極めて尊貴清秀。若し両三丈の如く高高昂起せるを見れば、官を為りて朝に入り、位人臣を極むるを主る。州城・省城の水口当中は、此の類の石頭甚多し。

若小小石頭,依山傍水,浮石無根者,謂之稱官不見祿,終是假官人。必有根盤結水中,聳起高昂為美。凡入鄉村,水口間、溪河中見有此奇異之石,必有大貴之地,宜尋取龍穴,不可忽也。如福建甌寧李天官及泰和蜀口歐陽氏祖地,皆河中石曜挺然奇異而應貴穴,此禽星之驗也。吾邑瑤溪張氏海蝦戲珠形,一印石當前,亦其格也,見下。

もし只是小小の石頭にして、山に靠り・水に貼り、彼処に浮びて根基なからば、則ち「官を称して禄を見ず」と呼び、終究ただ個の假官人なり。必ず根あって水底に盤結し、高高聳起してこそ、始めて美と算す。凡そ郷村に走进り、水口一帯・溪河当中に於いて此の種の奇異の石を見れば、附近に必ず大貴の地あり、当に往きて龍穴を尋るべく、軽易に放過すべからず。福建甌寧李天官家・泰和蜀口欧陽氏家の祖墳の如きは、皆河中の石曜挺然奇異にして、而して貴穴に応ず、此れすなわち禽星の験証なり。我ら徳興本県瑶溪張氏のあの块の「海蝦戯珠」形の地は、穴前正当着一块の印石、亦た此の一格に属し、図は下面に列す。

左地在建寧府南七里,土名裡街。其龍開帳撒落平陽,順水而下。入首翻身逆水,突起高墩,成太陽金星結穴。右畔石曜浮於水中,貼身照穴有力,且以關內堂,塞填外堂,迥然獨異,是為貴應。後樂撐天高帳二重,而本身一字文星橫攔穴前,以收內氣。而外洋寬暢,大溪之水特朝數里,眞貴地也。乃翠屏名柟號翠屏,自擇以葬其父巖叟。葬後數年而尚書公生名默,號古沖,登正德辛巳進士,官至吏部尚書。至今富貴未艾。俗呼為上水魚形。以愚觀之,當作蟠龍戲珠形。

左図この地は建寧府城南七里に在り、小地名は里街。その龍は帳幕を張開し、平阳の地に撒落し、水に順い往下に走る。「入首」の処に到りて翻身して水に逆らい、突然として一座の高墩を隆起し、「太陽金星」を成りて結穴す。右辺に石曜ありて水中に浮び、穴場に貼近して照応力あり、既に内明堂を関攔し、また外明堂を填塞し、迥然として衆と同じからず、正に貴気の応証なり。穴後の楽山は両重の撑天大帳にして、本身また「一字文星」ありて穴前に横攔し、以て内気を収住す。外洋寛敞開闊、大溪の水専程朝来して好幾里、確かに块の貴地なり。此の地は名は柟・号は翠屏なる人自ら相中し、以て父の岩叟を安葬す。下葬幾年の後、尚書公出生す、名は黙・号は古冲、正德辛巳科進士に考中し、官は吏部尚書に至り、今に至るまで家門富貴衰えず。俗人此の块の地を称して「上水魚」形と為す、我が看るに依れば、当に「蟠龍戯珠」形と呼ぶべし。

右地在泰和縣西南十里,地名蜀口。其龍與縣龍同祖,至武山,又迢遞三十餘里,與縣龍分脈,不詳述。入局開帳過峽,頓起御屏。中垂一脈結穴,穴情甚巧。兩畔重重包裹,前鋪氈褥,下關有力。穴當逆朝大局,羅城垣聚,遠秀拱揖,贛河特朝,與小源合會,遶青龍,纏玄武。而河中巨石、禽曜關鎖水口,以為貴證。左手一穴,俗呼水推羅磨形,亦美地。其陽基正坐御屏,亦具此局此曜陽基得水,陰穴藏風,故歐陽氏人丁大旺,鉅富、顯貴、高壽,諸福咸集,皆此陰陽二地所鍾也。繫孚先、覺先二公自卜。今兩房富貴皆均,茲特詳於下。

右図この地は泰和県西南十里に在り、地名は蜀口。その龍は県城主龍と同一個の祖山にして、武山に走り至り、また迢迢三十余里、方に県龍と分開来る、ここに細説せず。本局に進入し後帳幕を張開し・峡口を越え、猛然として「御屏」を聳起し、正中に一脉を垂下して結穴す、穴情非常に精巧。両旁重々包裹し、穴前に毡褥を鋪出し、下関力あり。穴場正対して逆朝の大格局、羅城垣墻の如く聚拢し、遠処秀峰拱手作揖し、贛江の水専程朝来し、小溪源頭と会合し、青龍を繞り・玄武に纏り。河中の巨石と禽曜は水口を関鎖し、以て貴気の憑証と為す。左手辺還た一穴あり、俗称「水推羅磨」形、亦た美地なり。彼の家の陽宅基地正に御屏の下に坐し、同様に此の局・此の如き曜星を具備す。陽宅水を得、陰穴穴風を蔵す、ゆえに欧陽氏人丁大旺・巨富・顕貴・高寿、各様の福気斉集す、皆此の一陰一陽両块の地の鍾聚して出づる所なり。此の両処の地は孚先・覚先両位先生の自ら相定せる所なり。如今両房の富貴上下相まさず、下面特地に彼らの世系を詳列す。

歐陽孚先。以定、以信。琳。和、仁、賢、清。浚、澗、哲、漴。鵬、寧、熙、勉。誥、讓、庸。塾、昱、德。銑、紹慶、餘慶。歐陽覺先。以吾、以忠。子廉、子宗、子詹。正、庸、俊。洛、洙、湧、湯、涇。瑎、升、憲、說。古、鶴、鶚、廷臣、雍。衢、鐸、席、昆、嵩、雲。獻、幹貞、幹利、幹亨、乾元。

ここは原是蜀口欧陽氏の両幅の世系表にして、如今名字を連接するの図線已に存せず、只剩下輩分に按じて排列せる人名のみ。孚先一房は自上而下依次に、欧陽孚先。下一輩以定・以信。再下一輩琳。再下一輩和・仁・賢・清。以下各輩依次に、浚・澗・哲・漴、鵬・寧・熙・勉、誥・譲・庸、塾・昱・徳、銑・紹慶・余慶。覚先一房は自上而下依次に、欧陽覚先。下一輩以吾・以忠。再下一輩子廉・子宗・子詹。再下一輩正・庸・俊。以下各輩依次に、洛・洙・涌・湯・涇、瑎・升・憲・説、古・鶴・鶚・廷臣・雍、衢・鐸・席・昆・嵩・雲、献・干貞・干利・干亨・干元。両房子孫一様に繁盛し、正好前面のいう富貴均等の話を印証す。

右地在吾邑二十九都水南。其龍來脈發自港頭松山,分幹甚遠,不詳述。奔騰百餘里,起歸仙火星作少祖。又磊磊落落數十里,開帳過峽重疊。比入局,展帳轉身,飛蛾降勢,結回龍顧祖之穴。龍勢躍踴,穴情清巧。左右迴環,堂局團聚,四勢和平,前朝秀異,一峰侵云,尖麗可愛。穴下石印,圓平當前,以為貴證。

右図この地は我ら徳興本県二十九都の水南に在り。その来脈は港頭松山より発し、干龍を分出すや已に遠く、ここに細説せず。一路奔騰一百余里、「帰仙」火星を聳起して少祖山を作る。また磊磊落落として数十里を走り、帳を開き峡を過ぎ、重々畳畳。本局に進入するを等って、帳幕を張開し身を転じて来たり、「飛蛾」の形を以て勢頭を降下し、「回龍顧祖」の穴を結成す。龍勢跳躍踊動し、穴情清秀精巧。左右環抱回旋し、堂局团聚して散ぜず、四面形勢平和、前面朝山秀異、其中一峰高く雲霄に挿し、尖秀可愛。穴下に一块の石印あり、円にして平、正当穴前に在り、以て貴気の憑証と為す。

艮龍入首,扦癸山丁向兼丑未,繫廖金精下。取作海蝦戲珠形,以禽星石印為征也。葬後,出兄弟四神童澤公、湖公及蒙泉、蒙正公,皆以兄弟登神童科、一駙馬尚宋理宗公主,入翰林者四:淋公、顯忠公、仲□公俱翰林修職郎、式公國朝檢討,理學二秋谷先生清溪先生、進士數十人,封蔭奏名登仕版者又百餘人,世宦蟬聯。

龍は艮方より入首し、癸山丁向を立て丑未を兼ぬ、是れ廖金精の点ずる所。喝形は「海蝦戯珠」、すなわち禽星石印を拿りて以て験証と当作る。安葬の後、張家は兄弟四位の神童を出す。沢公・湖公および蒙泉公・蒙正公は、皆兄弟の身份を以て神童科に考中す。又一位の駙馬を出し、宋理宗の公主を娶る。翰林院に進入せる者四人あり。淋公・顕忠公・仲某公——底本此処名字一字を缺く——三人皆翰林修職郎を任じ、式公は本朝に於いて検討を任ず。理学を研治する者両位あり、即ち秋谷先生と清溪先生。進士数十人。封贈・蔭襲・奏名に靠りて官籍に列入せる者また一百余人、世代官を為し、連綿として断えず。

以石印當前,亦懷內圓墩,主貴人出繼,故秋谷公嘉善以侄繼姑,為徐知州從龍公子。懷內圓墩自本身生者,主出繼外姓;自外山生者,主外姓入繼。此蓋本身生者耳。至今三族繁盛不替。

石印正当穴前に在るに由りて、同時にまた「懐内円墩」に属し、家中の貴人の過継出去するを主る、ゆえに秋谷公張嘉善は侄子の身份を以て姑母に過継し、徐知州張従龍の児子を成せり。「懐内円墩」若し是れ本身龍脈上に生出せるは、自家子弟の外姓に過継するを主る。若し是れ外来の山の生出せるは、外姓子弟の過継して進入するを主る。ここは本身生出の一種に属す。今天に到りて張氏三族依然として繁盛して衰えず。

曜星を論ず 一

曜星者,亦是龍之貴氣旺盛發洩而出者也。凡龍虎肘外、龍身枝腳、穴前左右之砂、明堂下開水口,及龍身隨帶之間,但有尖利巨石,皆為曜星。凡地貴必有曜。楊筠松云:“龍眞穴眞只無曜,空有星峰重疊照。縱饒積玉與堆金,兒孫終主登科少。”是言有曜方有貴氣。又宜長大。

いわゆる「曜星」も、亦た是れ龍の貴気旺盛・発泄して出でて形成せる所。凡そ青龍白虎の肘外・龍身の枝脚上・穴前左右の砂上・明堂下方に開出する水口の処・および龍身随帯の部位に在りて、ただ尖利の巨石あれば、皆曜星と算す。凡そ貴地、必ず曜あり。楊筠松のいわく、龍真穴真にして偏偏曜なからば、空しく星峰重畳して照着するも、縦に家裏金を堆み玉を積むも、児孫終究登科する少なし。これは曜ありてこそ貴気あるを説く。曜は還た当に長大なるべし。

楊公云:“曜星短小隻些兒,簿尉丞叅品位卑。科第縱饒僥倖得,終歸夭折少年時。”故曜若長大,則貴亦遠大,曜短小則貴亦短小。又宜近穴。故云:“曜星若現石尖生,貼身橫過面前平。伸手若還拈得著,少年一紀狀元名。”蓋遠則見效遲,近則可以催官速發矣。此皆確論。

楊筠松のいわく、曜星短小なること只有あの一点々、出すは不過主簿・県尉・県丞・参軍一類の低微官職。科第たとえ僥倖に考上するも、人終帰少年夭折す。ゆえに曜若し長大なれば、貴気も亦た遠大。曜若し短小なれば、貴気も亦た短小。曜は還た当に穴場に靠近すべし。ゆえにいう、曜星顕現して尖利の石頭を為し、穴身に貼りて横過し・穴前に平鋪す。手を伸出して去れば幾乎として便ち摸着することを得ば、則ち少年人十二年の内に便ち状元の名を博得することを得。何となれば、離るること遠ければ応験便ち慢く、離るること近ければ便ち能く官を催して速発す。これら皆確切の議論なり。

但其所謂“或如刀,或如劍,隨水順飛俱冉冉。庸師只斷定離鄉,不知內有眞龍占。”此則必以龍穴決其吉凶。蓋來龍是祖宗、父母,穴是主人,曜星乃是客,必先以本身龍穴為祖,而後可以定其吉凶。果龍穴眞貴,則如大貴人,必有軍將兵衛,或左或右,或出或入,或來或去,皆是奔走服役,故順去者亦無所畏。若龍穴假賤,則為離鄉退田刑殺之砂矣。

不過彼のいう「或いは刀の如く・或いは剣の如く、水に随いて順流して飛去り、一条々緩緩伸展す。庸師ただ断じて離郷の兆と作し、裏面正に真龍占拠するを知らず」は、これすなわち必ず龍穴を拿りて以て吉凶を判定せねばならず。何となれば、来龍是れ祖宗父母・穴是れ主人にして、曜星只是客なり。必ずまず本身の龍穴を以て根本と為し、然る後にこそ其の吉凶を定め得。もし龍穴確実に真貴なれば、那すなわち好比一位の大貴人、身辺に必ず将領兵衛あり、或いは左或いは右・或いは出或いは入・或いは来或いは去、全是それの奔走服役に替る人なれば、ゆえに曜星水に順いて去るも亦た必ずしも害怕せず。反対に、もし龍穴虚假低賤なれば、それ便ち主離郷・退田・刑殺の凶砂を成す。

張子微謂:“順水去曜,必要外面有遮攔裹截則吉。若一向蕩然無收,乃是離鄉之砂,而不可為曜。”固為有理,終不若以龍穴為主,而兼之子微遮攔裹截之說,則盡善矣。楊公云:“龍山雙管進田筆,進契年年吉。右邊尖射便為凶,千萬莫相逢。”或疑其說,以為虎山帶曜者不可用。

張子微のいわく、水に順いて去る曜は、必ず外面別に山ありて遮攔包截してこそ始めて吉と算す。もし一路荡然として収なくば、那すなわち離郷の砂にして、曜と算すべからず。此の話固より理あると雖も、終究龍穴を以て主と為すに如かず、再び兼ねて張子微の遮攔包截の説法を采れば、那すなわち周全なり。楊筠松のいわく、青龍一辺双双管出するは「進田筆」、年年皆田契を添置するの吉兆あり。右辺若し尖石ありて射来たらば便ち凶、千万に碰上するなかれ、と。或る人此の話を懐疑し、以て白虎一辺帯曜の地は便ち用ふべからずと為す。

殊不知前輩教人,各隨意所寓。虎尖誠有不可用者。若龍穴貴,則彼為眞曜,又與刑殺不同。進田、退田二筆,不可全以在龍虎者為是,只以上水、下水取之為當。若在龍而順水帶殺,亦為退筆;在虎而逆水有情,亦為進筆。此亦姑就進退二筆言之。若推其至,必以龍穴為主。苟龍穴既眞,所謂“隨水順飛俱冉冉”者,皆貴曜矣,何分青龍白虎?何分順水逆水哉!

其実前輩の人を教ふるや、各各その用意の寄する所有り。白虎一辺の尖石確実に用ふべからざるありと雖も、ただ龍穴貴ならば、那の尖石すなわち真曜にして、刑殺の砂と完全に同じからず。「進田筆」「退田筆」此の両個の名目は、完全にそれ青龍に長ずるか白虎に長ずるかに按じて判定すべからずして、而当にそれ上水一辺か下水一辺かに按じて以て取るべし。若し青龍に長じて而して水に順いまた殺気を帯ば、同様に是れ退田筆。若し白虎に長じて而して水に逆らいまた情あれば、同様に是れ進田筆。これも亦た不過進・退両種の筆に就きて姑く立説するのみ。若し極処に推せば、仍ほ必ず龍穴を以て主と為すべし。ただ龍穴是れ真ならば、則ちいわゆる「水に随い順に飛ぶ俱に冉冉」の尖石は、全是貴曜にして、何れの処にか還た何の青龍白虎・何の順水逆水を分たんや。

但刑殺有似於曜,各要分別。楊公云:“或如鑽,或如針,兩邊相指穴前尋。非惟子息多清貴,更須積玉與堆金。”又云:“圓峰連堆堆又跌,射到穴前尖又劣。兄弟父子慶同年,紫綬黃麻朝玉闕。”又云:“或斗射,或交鋒,尖尖有石在其中。賢良科甲渾閒事,三臺八座及神童。”此皆有口訣傳授。

只是刑殺の砂は形状甚だ曜星に似て、各自分辨清楚を要す。楊筠松のいわく、或いは鑽子の如く・或いは針の如く、両辺彼此相い指し、要して穴前に到りて尋るべし。此の如き地は但し子孫清貴多きのみならず、還た必ず金を堆み玉を積む、と。彼またいわく、円峰接続して堆起し・堆いてまた跌落し、穴前に射到るの石頭また尖また峭。此の如き地は兄弟父子同年に得中し、身紫綬を佩び・手に黄麻詔書を捧げて天子に朝見す、と。またいわく、或いは互相斗射の如く・或いは交鋒対刺の如く、尖尖の中に石頭を夾む。此の如き地は賢良を出し・中科甲するは不過尋常の事、還た三公八座と神童を出す能し、と。これら皆是れ口訣師承ありて、口を随いて乱講するにあらず。

不然,尖尖相射相指相鬥之砂,皆為刑殺,主兄弟相箋,及遭軍配、殺戮、凶禍,烏可為貴?張子微以兩尖相射者,必要以遜讓迴避為吉。射到穴前者,以橫直別之。橫者為吉,直射向穴為凶。誠確論也。蓋此等貴曜,亦與凶殺頗為同形,毫釐之間,便分吉凶。苟無眞見,未有不畏懼者。

若し口訣なくして依拠を作らば、則ち尖尖相い射・相い指・相い闘ふの砂は、就ち統々是れ刑殺にして、兄弟互相残害および充軍発配・殺戮と種種の凶禍に遭受するを主る、怎んぞ能く貴格ならんや。張子微は認めて、両尖相い射するは、必ず彼此譲譲回避してこそ始めて吉と算す。穴前に射到るは、則ち要して横向か直向かに按じて分別すべし。横に来るを為して吉、笔直に穴に射向するを為して凶。此の話確実に中肯なり。何となれば、此の一類の貴曜と凶殺は形状甚だ相近く、相差毫厘の間にして、吉凶便ち完全に同じからず。倘若真本事真見識なからば、見て害怕せざるなし。

故楊公云:“禽曜星,貴無價,生在穴前形丑怪丑怪即下文順水之說,非巉巖惡陋凶形之丑怪也。尖尖順水或斜飛,世俗庸師見即怕。”誠以曜星尖利,亦有順水,亦有斜飛者。自常格論之,為退田筆、離鄉砂,寔有可畏。高人見得龍穴眞貴,故不以為嫌。苟龍穴不眞,則為刑殺而凶矣。

ゆえに楊筠松のいわく、禽星曜星は貴重なること估价する法なし、それら穴前に生じて、形状「丑怪」——ここにいう丑怪すなわち下文の講ずる所の順水斜飛の意思にして、并びに嶙峋悪陋の凶形を指すにあらず——一条々尖利にして水に順いて去り、或いは斜斜飛出す、世俗の庸師は一看見すれば便ち害怕す。確実に、曜星尖利にして、順水のあり・亦た斜飛のあり。常規格局を照らして以て論ずれば、那是退田筆・離郷砂にして、実在可畏。但し高明の人は看出し龍穴確実に真貴なるを、ゆえに并びにそれを嫌棄せず。倘若龍穴真ならざれば、それ便ち変りて刑殺と為りて凶を主る。

《玉峰寶傳》云:“不遇刑殺,大官不發。大煞大刑,高科魁名。”或疑其說,以為如此則亦無所畏刑煞耶。是不然。世人以曜星為刑煞,故其辭曰:“若要大官高科,除非世俗所謂刑煞也。”又云:“刑不刑,煞不煞,秀在尖拔。”其意謂世人所謂刑,寔非刑,所謂煞,實非煞也,其秀意全在於尖拔處。除非遇此,然後謂之遇刑煞,非世人之所謂刑煞也。如浮梁李侍郎、豐城黃尚書、樂邑沐國公,及吾邑張尚書諸祖地,皆見有尖利順竄之砂。以常見論之,則為不吉。只是龍眞穴的,乃為明曜,適是貴地之證,是其格也。諸圖具列於下:

《玉峰宝伝》にいわく、刑殺に遇上せざれば、大官発起せず。大煞大刑ありて、方に高科魁首を出す、と。或る人此の話を懐疑し、以て照此の説かば、刑煞豈に完全に怕れずして可ならんや。其実然らず。世人曜星を以て刑煞と当成す、ゆえに書上方に那の様に措辞す、無非これはいう、若し大官を出し・高科に中らんと欲せば、世俗のいわゆる刑煞有るに非ざれば不可なりと。書上またいわく、いわゆる刑其実刑にあらず、いわゆる煞其実煞にあらず、秀気全在那の尖鋭挺拔の処に在り、と。也就是いう、世人の刑と叫作るは并びに真に是れ刑にあらず、煞と叫作るは并びに真に是れ煞にあらず、それの秀気は尖抜上に在り。一定要此の種の尖抜の形に遇上してこそ、方に書中の講ずる刑煞に遇上せりと算し、而して世人の講ずる刑煞にあらず。浮梁李侍郎・豊城黄尚書・楽平沐国公・および我ら本県張尚書此の幾家の祖墳の如きは、皆尖利順竄の砂を看ることを得。常規に按じて以て論ずれば即ち不吉、ただ因に龍真穴的にして、それら便ち「明曜」を成り、恰好是れ貴地の憑証、正に此の一格に属す。下面に各図を一々列出す。

左地在浮梁東鄉義倉塢,乃大龍翻身朝祖,穴在窮源。且右砂竄下明堂,尖利順水,前砂尖利向穴,局又迫狹,無一可入俗眼。國師吳景鸞為李氏下後,出侯二、侍郎五、神童四、開國食邑者一、學士三。

左図この地は浮梁県東郷の義倉塢に在り、大龍の翻身して来たり祖山に朝拜するに属し、穴は水源の尽頭に点ず。而且右辺の砂一路明堂に竄下し、尖利にして水に順いて去り、前面の砂また尖利にして穴に対し、格局還た逼仄狭窄にして、一処も俗人の眼光に合上するなし。国師呉景鸞李家の為に此の穴を点下し後、此の一家は両位の侯爵・五位の侍郎・四位の神童・一位の開国受封食邑の功臣・三位の学士を出す。

蓋其龍以火星三臺中落,飛揚頓伏,翻身起頂,降勢垂脈,成金星開窩之穴,皆是貴格。下關一臂有力。前面砂雖可畏,乃是明曜,如大貴人必有披堅執銳侍從之人為我所用,何畏之有?其水尾源頭局面雖窄,然顧祖之穴,骨肉一家。況是大龍翻身入塢,非比小龍山腳小穴。卜氏謂:“窮源僻塢,豈有眞龍?”蓋恐人以山腳無龍處扦地耳。

原来此の条の龍は火星「三台」の正中より落下し、一路飛揚起伏し、身を翻して来たり重新に頂を起こし、再び勢頭を降下して脈絡を垂出し、金星開窩の穴を結成し、様々皆是れ貴格。下関あの一臂甚だ力あり。前面の砂人をして畏を生ぜしむと雖も、其実是れ「明曜」——就好比大貴人の身辺に必ず甲を披き鋭を執れる侍従ありて供さるる其の駆使、何の可怕あらん。ここ水尾源頭に在り・局面狭窄と雖も、可も是れ「顧祖」の穴にして、祖孫骨肉本に一家。況んや是れ大龍翻身して山塢に進入し、小龍山脚の小穴と比すべからず。卜応天のいわく「窮源僻塢、豈に真龍あらん」、那是怕る人々の山脚無龍の処に跑りて穴を点せんことを、并びに一概に源頭山塢を否定するにあらず。

右地在豐城,土名浣江犬眠岡。其龍自兩髻山作祖,行度甚遠,不及詳述。比入局,橫列九腦芙蓉闊帳,正脈中落,重穿九腦,復作工字,復大斷過峽,頓起直三臺入首,為天財土星,擔凹中結垂珠穴。穴情甚巧,氣蹙於前,後宮仰瓦,而明堂緊巧。下手有力,後有帳幕撐樂,前有群峰呈秀,近有獅象鎮塞,遠有日月捍門,眞吉地也。

右図この地は豊城に在り、小地名は浣江犬眠岡。その龍は両髻山を以て祖と為し、行度甚だ遠く、細講するに及ばず。本局に進入するを等って、横向に一座の「九脳芙蓉」寛帳を排開し、正脈中より落下し、再次九脳を穿過し、接続して「工」字形を作出し、また大に断つること一次して峡を過ぎ、猛然として笔直の「三台」を聳起して入首し、「天財」土星を為りて、担凹の中に「垂珠」穴を結出す。穴情十分精巧、気は穴前に聚まり、後宮仰放の瓦片の如く微微凹下し、明堂緊凑巧妙。下手一辺力あり、背後に帳幕ありて楽山を撑作し、前面に群峰ありて秀色を呈献し、近処に獅形象形の山ありて鎮守堵塞し、遠処に日月両山ありて門戸を把守す、確かに块の吉地なり。

葬後出徽猷、煥章二學士名疇若得禮,掌銓曹紹宗,厯秋官彥平,及曰明、曰穎、曰彥輔、曰元之、曰子文,並列朝議,一時九貴,乃龍格九腦穿心,及砂法九曜之應。以有壻登臺座,故今傳為十尚書云。繫王點腳所下。其龍盡處,又結小地。以俗眼觀之,小地齊整可取,此穴龍穴不聚,前砂順水,決在所棄矣。王君果然明師也。

安葬の後、此の家は徽猷閣・煥章閣両位の学士を出し、名は畴若と得礼。吏部銓選を掌管せる紹宗あり。刑部の職を歴任せる彦平あり。此外還た名は明・頴・彦輔・元之・子文の幾位あり、一同朝議大夫に位列し、一時の間に九位の顕貴を出す。此れ正に龍格上の「九脳穿心」と砂法上の「九曜」の数に応ず。また因に一位の女婿亦た台閣高位に登上する有りて、ゆえに如今民間は「十尚書」と伝作す。此の块の地は王点脚の点ずる所。あの条の龍の尽頭の処別に還た一块の小地を結ぶ。俗人の眼光を照らして看れば、小地斉整にして取るべく、而して此の穴は龍脈聚まらず・前砂水に順ふ、一定会捨棄せらん。これを見れば王君真に一位の高明の地師なり。

右地在樂平治南九十里,土名高橋。其龍來遠,不詳述。入局落平岡,開帳穿峽,起華蓋,中出結穴。兩掬有情,穴前氈褥平坦,明堂融注,前朝奇峰羅列,取作胡僧禮佛形,以群秀當前也。只白虎巨石長出,如笏順水。繫緣督趙仙翁為程氏下。曰:“曜星現,笏砂斜,出貴當出外甥家。”主人嘆曰:“奈何?”翁曰:“休嗟!休嗟!還是自家!”後果生女適藍杭黃氏。女回省母而喪子,因抱弟子歸黃為已子,即尚書公也。果符仙翁之言。

右図この地は楽平県城南九十里に在り、小地名は高橋。その来龍甚だ遠く、細講せず。本局に進入し後平岡に落成し、帳幕を張開し・峡口を穿過し、「華蓋」を聳起し、正中より脈を出して結穴す。左右両掬抱えて情あり、穴前毡褥平坦、明堂の水汇聚して散ぜず、前面朝山奇峰羅列し、此に因りて喝形を「胡僧礼仏」と為す、取るは群峰秀麗にして前列に羅列するの意。只是白虎一辺に一块の巨石を伸出し、形状朝笏の如く、水に順いて去る。此の地は趙縁督仙翁程家に替りて点ず。彼いわく、曜星顕現し、笏形の砂斜出す、出すの貴人当に外甥家に出ずべし。主人嘆気して道ふ、那可怎麼辦。仙翁のいわく、嘆気するな・嘆気するな、底を説き極めれば還た是自家人。後來程家果然として女儿を生じ、藍杭黄家に嫁す。女儿娘家に帰りて母を探る時儿子を喪ふ、ここにおいて弟弟の児子を抱養して黄家に帰入して亲生児子と当作す、那すなわち後來の尚書公なり。果然として仙翁の話に応ず。

左地在樂平縣,地名大汾潭又名鵝塘。其龍來歷甚遠。吳公《鉗記》只以王大山為祖,蓋指切近者言之。自王大山分兩龍,一枝逆水而上,去結明溪許氏陽基;一枝順水而下。比入局,翻身逆當大河洋朝以結此穴。將入首,大斷出帳度峽,連起貪狼,卓拔飛揚,形勢雄偉。復頓玉枕土星,結咽束氣,起凹腦土星,垂短乳,乳復開窩。

左図この地は楽平県に在り、地名は大汾潭、また鵞塘と呼ぶ。その来龍の歴程甚だ遠し。呉景鸞の《鉗記》はただ王大山を以て祖山と当作る、那是就近処を言うなり。王大山より両条の龍を分出す。一枝は水に逆らい上走り、往きて明溪許家の陽宅基地を結ぶ。一枝は水に順い下走す。本局に進入するを等って、此の一枝は身を翻して来たり、逆向に大河の浩蕩の来朝に面して此の穴を結成す。「入首」せんと快くする時、大に断つること一次して帳を出で峡を過ぎ、接続して「貪狼」星を聳起し、卓抜飛揚、形勢雄偉。接続して頓として「玉枕」土星を起こし、咽喉を収成して気脈を束住し、再び「凹脳」土星を起こし、一段の短乳を垂下し、乳頭上また窩形を開出す。

窩之左右兩石鉗甚巧。窩中平坦天然,僅可容棺。穴下餘氣則陡峻頑硬,而龍虎兩山,頭雖高昂,腳卻俯伏插落,拱抱有情。大河水自辰巽轉午,當面陽朝,繞流腳下。河中巨石磷磷,如獸如禽。朝山數十里外聳入雲霄,如褰旗、展帳、帶甲馬、招軍旗、兜鍪、劍戟、金甲、金鼓、御傘、將臺、屯兵、列陣,貴應重疊。

窩の左右に両块の石頭ありて鉗口を形成し、十分精巧。窩中の地面天然平坦、剛好一口の棺材を容下することを得。穴下の余気は則ち陡峭頑硬。青龍白虎両山は頭部高昂と雖も、山脚は俯伏挿落し、拱抱するや甚だ情あり。大河の水は辰巽方より午方に転じ、明亮として当面朝来し、穴脚の下に繞流す。河中巨石嶙峋、或いは走獣の如く・或いは飛禽の如し。幾十里外の朝山は高聳して雲に入り、形状は撩起の旗・張開の帳の如く・披甲戦馬・招軍大旗・頭盔・剣戟・金甲・金鼓・御傘・将台の如く、また屯駐の軍隊・排列の陣勢の如く、貴気の応験層層重畳す。

右畔隔河一山,千里大會,至此卓立,端拱如侍臣焉,眞公侯之地也。惟是武曜發露,巨石巉巖,青龍順飛,白虎昂雄。穴前陡峻,元辰水傾,怪異驚人,莫能測識吳廖讖贊。李氏葬後,遷定遠,生黔寧王英。值元末天下大亂,我太祖起義師,英累建大功,封西平侯,卒贈黔寧王,配享太廟,贈三代皆王爵。四子:長春襲侯,次晟以功封定遠王,次昂任都督搃兵,次昕尚公主,授駙馬都尉。至今子孫襲黔國公爵,世鎮雲南。

右辺河を隔てて還た一座の山あり、是れ千里山脈の大会聚の処、ここに到りて卓然挺立し、端荘拱手して一位の侍臣の如し、実在是れ公侯級の地。只是ここ武曜外露・巨石嶙峋・青龍水に順い飛出し・白虎高昂雄壮。穴前陡峻・元辰水傾瀉して下り、形貌怪異にして人を驚かし、一般人根本に看懂せず、ただ呉景鸞・廖金精の讖語と贊詞のみそれを説破せり。李家葬入の後、定遠に遷往し、黔寧王沐英を生ず。適逢元末天下大乱、我朝太祖義軍を興起し、沐英屢大功を建て、西平侯を封ぜられ、去世の後黔寧王を追贈し、太廟に配享し、三代皆王爵を追贈す。彼に四個の児子あり。長子沐春侯爵を承襲し、次子沐晟軍功を以て定遠王を封ぜられ、三子沐昂都督総兵を任じ、四子沐昕公主を娶りて駙馬都尉を授けらる。今天に到るまで、彼の子孫仍ほ黔国公の爵位を承襲し、世代雲南を鎮守す。

按:此地後龍雖美,至結穴處,山峻星粗,全身惡石。白虎雄昂,青龍順竄,砂飛穴陡。橫龍入首,落脈模糊。其直串龍勢而去之山,似乎不住。況穴星而無頂,坐當凹處,後無樂山,元辰又傾,水口低遠,無一可入俗眼者,初見莫不驚駭。

作者按語にいわく、此の块の地後面の来龍美なりと雖も、可是結穴の処に到りて、山勢峻急・星体粗頑、通身皆看難きの悪石なり。白虎高昂雄壮・青龍水に順い外竄し、砂脚飛散して而して穴場陡峭。それ是れ横龍入首にして、落脈模糊不清。あの条直串して龍勢に従い往く山は、看上去好像根本に停止せんと肯ぜず。況んや穴星頂なく、凹陷の処に坐し、背後楽山なく、元辰水また傾瀉し、水口既に低くまた遠く、一様も俗人の眼光に合上するなく、初見する人驚駭せざるなし、と。

不知大幹龍地,稟氣厚,力量大,山峻星粗,與之稱也;全身惡石,威武應也;白虎昂雄,殺伐權也;青龍順竄,離鄉貴也;星無正頂,凹腦格也;龍勢不住,餘氣旺也;穴陡水傾,先凶兆也;後樂無山,水口低遠,幹龍護從,隔州隔縣,不取近也。諸般丑拙,總為吉用。但未葬時,梁公有曰“福在三十年後,禍在初葬之時。”苟非李公有高出尋常萬倍之見,豈能葬之哉?蓋積善之報,冥冥中必有主之者耳。篤生黔寧,輔我皇明,為開國元勳,世享爵祿,豈偶然哉!

彼らは懂らず、大干龍の結ぶ所の地は稟受する気厚く力量大にして、山勢峻急・星体粗頑なるは、正にその分量と相称す。通身悪石なるは、是れ威武の応験。白虎高昂雄壮なるは、是れ殺伐の権を掌る。青龍水に順い外竄するは、是れ離郷顕貴。星体正頂なきは、那本是「凹脳」一格。龍勢停住せんと肯ぜざるは、是れ余気旺盛。穴陡く水傾くは、是れ先凶後吉の預兆。背後楽山なく・水口低遠なるは、那是因に干龍の護従の山遠く隔州隔県に在り、本来就不に近処を取らざるなり。種種の丑陋笨拙の処、合起せば全是吉用。只是下葬の前、梁公便ち説過せり、福気は三十年以後、禍事は剛に葬下の時、と。倘若李公常人に高出する万倍の見識なからば、怎んぞ敢えて葬せんや。这大概是積善の報応、冥冥の中に自主宰あり。此の块の地黔寧王を生出し、我朝を輔佐して、開国元勲を為り、世代爵禄を享受す、何れの処にか偶然の事ならんや。

傳疑宋末,丞相馬碧梧廷鸞慕其地,不能識穴,請張眞人降,神筆神批云:“吾是鵝塘之土地,丞相問吾求大地。相地之師未降生,得地之人未了未。”丞相喜曰:“吾夫人未生,未了未,其吾夫人壽藏乎?”神復批云:“丞相好不安分!此李國公葬祖母地也。”丞相乃止。

伝疑一則。南宋末年、丞相馬碧梧馬廷鸞此の块の地を看中すれども、穴の何処に在るかを認出せず、便ち張真人を請ひて神を降さしむ。神霊扶乩の筆を用ゐて批していわく、我是鵞塘の土地神。丞相は我に向かい大地を求む、可是此の地を相する師父未だ出生せず、此の地を得る人は「未了未」なり、と。丞相高興して道ふ、我夫人未だ過世せず、「未了未」、莫非是説我夫人の寿穴をいうか、と。神霊又批していわく、丞相真是太不安分。これ是李国公祖母を安葬するの地、と。丞相此に於いて方に作罷す。

大汾有李公者,家世積德,生五子,好施與,作小舟渡人。吾邑地師梁饒與之善,因遠回求渡。時歲暮矣,且雪。李公曰:“天寒如此,何不止宿吾家,待霽而行?”梁遂宿焉。明日,天又雪。又明日,雪甚,路無行人。公待之愈厚。至元旦,始霽。梁求行,公又固留,因款待舟中,且以同日之慾渡者飲。

大汾に一位の李公あり、家中世代徳を積み、五個の児子を生み、為人楽善好施、還た一条の小船を備へて免費に人を渡して河を過らしむ。我ら本県の地師梁饒彼と交好せり。一次梁饒遠行より帰りて河を過ぎんとす、当時已に年底、天また雪を下す。李公のいわく、天此の如く冷なるに、何ぞ我家に住下し、天晴するを等って走らざる、と。梁饒便ち住下す。第二天、天また雪を下す。第三天、雪下ること更に大、路上一個の行人なし。李公彼を招待するや越発周到。正月初一に到りて、天方に放晴す。梁饒走らんとす、李公また極力挽留し、就ち船上に酒を擺して彼を款待し、還た同一天河を過ぎんと思ふ人皆請来して一起に喝さしむ。

至酣,梁乃乘醉大呼曰:“世上何人能識我,今日時師後代仙。吾所下地非貴即富。”李公因曰:“願公賜我吉地!”梁嘆曰:“此間誠有大地,但恐公無此福耳!”李公曰:“據吾先世積德,吾生平好善,除卻天子之外,任是將相王侯地,吾可當之。”梁壯其言,令畫字拆。公乃用舟篙於土上書一“一”字,曰:“當報我第一等地。”梁曰:“土上加一乃王字也!”知其福厚,遂報之,指陳先代明師鉗贊。公大喜。

喝到興頭上、梁饒酒意を借りて大声に喊道していわく、世上有誰我を認得せん。今天的時師就是後代的神仙。凡我点過の地、貴人を出ずざれば富家を出す、と。李公便ちいわく、但願先生我に賜らん一块の吉地。梁饒嘆じていわく、此の一帯確実に大地あり、只怕您没有那份福気。李公のいわく、我祖上の積徳・我平生の行善を憑れば、天子の地を除いて不敢当とする外、任憑将相王侯の地も、我都担当得起。梁饒彼の此の番の豪気を佩服し、便ち彼をして随に字を手書きして来て拆算せしむ。李公船篙を用ゐて地上に一個の「一」字を書き、いわく、該当我に報ずべし一块の第一等の地、と。梁饒いわく、土上に一を加ふれば、那正是個「王」字なり。由此彼の福沢の深厚なるを知り、便ち此の块の地を指し点して彼に与え、還た一々説明す前代名師の留下せる鉗記と贊語を。李公大喜す。

梁復謂曰:“此地曜氣發露,令人可畏,初葬未免無凶,人丁家產皆須有損。禍後而福始應,其貴又當從武功中來。”公曰:“果有後福,先凶勿恤也。但非已業,乃吾宗富侄之山,恐未易圖。”後數年,樂平明師彭大雅已報其侄。侄不之信。公因以基地易之,以葬其妻。初果勿利,公尋卒以時疫。五子亡其四,其一子又因爭水利傷人,戌定遠。後於定遠生黔寧王英。

梁饒また彼に対していわく、此の块の地曜気外露し、看着人をして畏を生ぜしめ、剛に下葬せば難免凶ありて、人丁と家産皆受損せん。禍事過去し後福気方に応験を開始し、而且その貴是要従武功上に得来せん、と。李公のいわく、只要求後來真有福ならば、先に些の凶を受くるも亦た必ずしも顧慮せず。只是此の块の山地不是我家自の産業、属于我族中富裕の侄児、恐怕不容易弄到手、と。過了幾年、楽平の名師彭大雅已經此の块の地を指し点して彼侄児に与えたれど、侄児却不相信。李公便ち自家の宅基地を用ゐて彼と換過し、用ゐて亡妻を安葬す。起初果然不順、李公不久就死于時疫、五個児子死了四個。剩下的一個児子又因為争水利傷了人、被発配到定遠戍守。後來就在定遠生下黔寧王沐英。

元末,天下大亂,我太祖起兵黎陽。于田野中,前軍報稱虎睡當道上。命勿放箭,但鳴鼓以進。及進則非虎,乃一童睡耳,童即英也。上喜曰:“此虎將也!”乃育之軍中,賜以國姓。洪武初,複姓。上令姓木,劉伯溫曰:“英鎮雲南,火戰之地,以木生火,當濟以水。”又賜點水,故令姓沐。神所以“未了未”者,其“木李”二字乎?

元朝末年天下大乱、我朝太祖黎陽に於いて起兵す。行軍田野を経過する時、前鋒来たり報じていわく、一只の老虎路当中に睡在り、と。太祖下令して放箭するを許さず、只鼓を擂りて前進す。走近して一看すれば、不是老虎、而是一個睡着的孩童、那孩童就是沐英。太祖高興して道ふ、这是員虎将。於是把彼養在軍中、賜姓朱。洪武初年恢復本姓、太祖使彼姓「木」。劉伯温説、沐英要鎮守雲南、那是用火作戦之地、以木生火、応当用水去調剤、と。於是又賜彼加上三点水、所以定姓為「沐」。当年神霊所批の「未了未」三字、指的莫非就是「木」「李」二字嗎。

宋國師吳景鸞鉗記云:“王大山前兩條龍,百里隱其蹤。直奔萬歲地名過金充地名,方始認雌雄。神后行來龍百里,三度失其蹤。恰如龍虎亂縱橫,眞個得人驚。要知此龍為官位,一一為君指。勝光神后列其方,世代貴朝郎。貪狼文曲現童子,出雙選功曹。傳送水來雄,清秀出神童。

宋代国師呉景鸞の鉗記にいわく、王大山前面に両条の龍あり、走了上百里都把蹤跡蔵了起來。一直奔到万歳此の地方、経過金充此の地方、才分得出哪条是雌・哪条是雄。従「神后」方位行来の龍走了上百里、三次失去蹤影。山形好像龍虎乱縦横、真够叫人吃惊。要知道此の条の龍能出什麼官位、我一条条為你指明。「勝光」「神后」両個方位各有山排列、主世代出朝廷顕貴。「貪狼」「文曲」両星現出童子之形、主一門出两位功曹。「伝送」方位有水雄壮而來、水清而秀、主出神童。

寅申相對便封侯,官職在梁州今雲南乃梁州分野。三座祿存高照,才子文章好。不以文章達御科,久遠管山河。山連天乙並太乙,本出侍朝職。為逢驛馬太雄高,所以管山河。雌雄欲遇要妍對,所以不行文。寅申巳亥有來蹤,所以出神童英童年統兵。此地為官世代深,莫惜與千金。”

寅方与申方両山相対、便主封侯、做官的地方在梁州——今天的雲南正属于古梁州的分野。三座「禄存」高高照臨、主出才子・文章写得好。但不靠文章去応科挙、而是長久執掌一方山河。山勢連着「天乙」「太乙」両星、本該出侍奉朝廷的文職。只因遇上「駅馬」之星太过雄高、所以改為執掌山河。雌雄二龍相遇本要形態相配才好、这裡配得不盡妍美、所以不走文途。寅申巳亥四方都有来脈的蹤影、所以出神童——沐英正是少年就統領兵馬。此の块の地做官的福分世代深厚、就算花千金去求也不該吝惜。

自吳公記後,鄉人皆知為大地,而不能識穴。廖金精至此,亦無從下手,盤桓月餘,晝夜思索,乃得之。喜甚,作贊刻石以埋於其穴中。廖禹贊曰:“二龍爭顧勢如何?恰似江豚拜浪波。四水俱朝龍足下,官居上將管山河。”

自従呉景鸞写下此篇鉗記以後、郷里人都知道这裡有大地、却誰也認不出穴在何処。廖金精到了这裡、一時也无従下手、盤桓了一個多月、日夜苦苦思索、才終於找到。他高興極了、写了一篇贊語刻在石上、埋進穴中。廖禹的贊語説、両条龍争相回顧、那気勢是什麼様子。恰像江豚在波浪中起伏叩拜。四面的水都朝到龍脚之下、主人做官能当上大将、執掌一方山河。

左地在臺州府治南五里,地名紫紗岙。其龍發自望海峰,辭樓下殿,精神雄猛,骨脈清奇。比入局,復大斷束脈,頓起高巒,成大陽金星結穴。穴甚精巧,但左臂直硬,竄入明堂。內局偏斜,既逼且窄。登穴觀之,不見外洋。只是龍氣甚旺,穴星甚尊,藏風聚氣,乃為眞美。外陽一字文星暗拱,水口交固。葬後出七進士、二太守、一侍郎、四文魁,人丁大旺。一房離鄉,今居江西,亦出兩進士。但不利長房耳。按:是地乃侍郎敬所王公宗沐祖地也,發福悠久,英才疊出,富貴鼎盛,不偶然也。

左図此の块地在台州府城南五里、地名紫紗岙。它的龍発自望海峰、一路辞別楼台・走下殿宇、精神雄猛、骨脈清奇。等到進入本局、又大断一次収束脈気、猛然聳起高巒、結成「太陽金星」之穴。穴很精巧、只是左臂笔直生硬地竄進明堂、内局偏斜、既逼仄又狭窄。登上穴場看、望不見外洋。全靠龍気極旺・穴星極尊、能蔵風聚気、才成為真正的美地。外面明亮処有「一字文星」暗暗拱護、水口交鎖牢固。安葬之后出了七位進士・两位太守・一位侍郎・四位文科魁首、人丁大旺。有一房離郷、如今住在江西、也出了两位進士。只是対長房不太有利罷了。作者按語説、此の块の地就是侍郎敬所王公王宗沐家的祖墳、発福長久、英才輩出、富貴鼎盛、絶不是偶然的。

右地在治南二十里,土名桃枝源。其龍即吳國師仲祥所下十院張氏倒騎龍穴之餘氣山發來者。只此盤旋又五里,開帳中落。入首復大斷,起飛蛾束氣,結穴尊重。但上手砂直硬順水,下臂短縮,收乘不過為異耳。此貴地之曜也。葬後出省齋公憲,官禮部尚書。外一穴俗呼蛇形,富地耳。

右図此の块地在府城南二十里、小地名叫桃枝源。它的龍就是国師呉仲祥所点十院張氏「倒騎龍」穴的余気山伸展過来的。只在此の一帯又盤旋了五里、張開帳幕、従正中落脈。入首処再大断一次、聳起「飛蛾」形星峰束住気、結穴荘重。只是上手的砂笔直生硬順水而去、下臂短縮、兜収不過上手、这是它与常格不同之処。而这正是貴地的曜。安葬之后出了省斎公張憲、官任礼部尚書。旁辺另有一穴、俗称蛇形、不過是块富地而已。

傳疑董公見此有內外二穴,內穴最貴,卻怪異殊常。龍山直硬順水,下關短縮,局逼窄,不見明堂,又是窮源僻塢。外穴龍虎齊整,明堂寛平,易入俗眼。公自度,若先點外穴,則內穴必棄。乃先點內穴。葬畢,又指外穴。人果皆以外穴為美,而嫌內穴。豐城何巡宰見而奇之,曰:“內穴雖丑,可出尚書。”後果驗。

伝疑一則。董公看出这裡有内外两个穴。内穴最貴、可是形貌怪異反常。青龍一辺笔直生硬順水而去、下関短縮、局面逼窄、看不見明堂、又処在水源尽頭的偏僻山塢裡。外穴則龍虎斉整、明堂寛平、容易討俗人的眼。董公心裡盤算、若先点外穴、内穴必定被人捨棄。於是先点内穴、葬完之后、才又指出外穴。衆人果然都覚得外穴好、而嫌内穴不佳。豊城的何巡宰見了内穴却大為称奇、説、这個穴雖然丑、能出尚書。後來果然応験。

曜氣亦有出於水口者,如臨海謝皇后祖地,其格也。左地在臺州府治北八十里,地名黃砂。其龍發自天姥,歷仙居,奔行百餘里。中間換剝、過脈、開帳,蓋莫能盡悉。將作穴,星峰精秀,五星、九星皆全。而起者沖天,伏者入地;大者橫開闊帳,動十餘里;小者如絲如線,如拳如杯,至於無形。曲者如生蛇,方者如屏臺,尤皆奇巧。

曜気也有発泄在水口上的、比如臨海謝皇后家的祖墳、就属于此の一格。左図此の块地在台州府城北八十里、地名黄砂。它的龍発自天姥山、経過仙居、奔行一百多里、中間換骨剥皮・過脈・開帳的変化、実在説不盡。快要結穴時、星峰個個精致清秀、金木水火土五星和九星的形体全都具備。起来的直衝霄漢、伏下的像沈入地裡。大的横向張開寛帳、動輒十几里。小的細如糸・細如線、或像一只拳頭・一只杯子、小到几乎没有形状。弯曲的像一条活蛇、方正的像屏風高台、样样都奇巧。

入首帳中落脈,垂頭作穴,而本身帳角兩肩包來,右邊微薄,而左砂太長,沖過穴前,順水無情為異耳。然大勢團聚,眾山環繞,水口重重,華表、捍門、禽星、獸星迥然奇異,故其課云:“水口豹尾一山,封王駐節。”葬後,出一後宋理宗皇后,封侯王我朝謝文正公遷,乃其裔也。

到「入首」処、脈従帳中落下、垂頭結穴。本身帳幕的两角像肩膀一様包抱過来、只是右辺略显単薄、左辺的砂又太長、衝過穴前順水而去、显得無情、这是它異于常格的地方。不過整体大勢团聚、衆山環繞、水口層層関鎖、華表・捍門・禽星・獣星都格外奇異、所以断語説、水口有一座豹尾形的山、主封王・開府駐節。安葬之后、出了一位皇后、就是宋理宗的皇后、家中也有封侯封王的。本朝的謝文正公謝遷、正是此の一族的後裔。

右地在臺州府治東南四十里,地名水家洋錢岙。其龍自星海峰發祖,五十餘里,至黃土嶺過脈,疊起大帳,連過數峽。乃頓御屏,屏中落脈,翻身面南,頓伏逶迤,成走馬串珠入穴。穴甚奇秀,亥龍入首,作丙相。龍身分出一枝,送至近穴,成太陰文星,以為正案。

右図此の块地在台州府城東南四十里、地名水家洋銭岙。它的龍以星海峰為祖山、走了五十多里、到黄土嶺過脈、層層張開大帳、接連穿過幾個峡口。接著頓起「御屏」、脈従屏風正中落下、翻過身來朝南、一起一伏逶迤前行、成「走馬串珠」之形而入穴。穴很奇秀、龍従亥方入首、立丙向。龍身另外分出一枝、一路護送到穴場近旁、形成「太陰文星」、充当正案。

登穴觀之,似乎太逼,不見外洋。其寔翻身大轉,穴前之水逆遶於右,與大江大會,合襟在御屏後,數十里山水皆暗相擁抱。葬後,先出小貴,曾孫潮登進士,官至方伯。方伯公之子曰雲程,登進士,官至刑部尚書。孫椿齡、松齡俱貴,迎恩官知府。惜被庸術鑿去曜氣,福力遂減。

登上穴場看、好像逼得太緊、望不見外洋。其実此の条の龍翻身大転、穴前的水逆着繞到右辺、与大江会合、両水交襟之処在御屏山的背後。幾十里之内的山与水、都在暗中彼此拥抱。安葬之后、先出了小貴人。曾孫某潮考中進士、官至布政使。布政使的児子某雲程、考中進士、官至刑部尚書。孫輩椿齢・松齢都顕貴、迎恩官任知府。可惜後來被庸劣的術士鑿掉了曜気、福力於是减損。

《紫堂秘訣》云:“斬尖截曜,是猶剪爪截髮,以為贅疣,而不知體膚之傷戕。”此世俗之人,見尖曜則畏之,聽時師之言,斬鑿除去。如人身體,頭有髮,手有爪牙,始成人形。以為無用而去之,不成人體矣!月禪師云:“虎有爪,威始壯,龍無角焰物非神。焰角牙爪形體見,秀靈孕育不凡人。”爪牙焰角即尖曜也。

《紫堂秘訣》説、把尖石斬掉・把曜星截去、就好比剪指甲・剃頭髪、只当它们是多余的贅疣、却不知道這様做正傷了身体肌肤。説的正是世俗之人、一見尖曜就害怕、听了時下術士的話、動手斬鑿剷除。人的身体、頭上有頭髪、手上有指甲、才成其為人形。若嫌它们没用而統統去掉、那就不成人様了。月禅師説、老虎有爪、威風才壮。龍没有角和火焰、这東西就不神。火焰・犄角・牙歯・爪子这些形体顕現出來、才能孕育出不凡的人。他所説的爪牙焰角、就是尖曜。

白雲先生《穎秀》篇云:“不尖不貴,不圓不富。”釋者曰:“尖謂秀曜也,圓謂倉庫也。”又云:“山之秀,水之秀,山水秀行俱出曜。山之曜,水之曜,不怕尖來及飛走。湖池生角岸如鎗,沙嘴石牙水之寶。欲去還留往復回,全家食祿堆官誥。”此言水亦有曜也。

白雲先生的《穎秀》篇説、不尖就不貴、不円就不富。注釈的人説、尖指的是秀麗的曜星、円指的是倉庫形的山。他又説、山有山的秀、水有水的秀、山水秀気流行之処都会生出曜。山的曜也好、水的曜也好、都不怕它尖利射来或者飛散而去。湖泊池塘生出尖角、岸辺像一杆槍、沙嘴・石牙都是水中的宝貝。水看似要流走却又留住、来来回回地盤旋、这样的地全家享受俸禄、家中堆満封贈的誥命。这几句是説水也有曜。

又云:“曜在山,不如水,山發遲遲水快利。水中更有石尖生,官不出門取高第。”此言水曜之應快于山曜也。《玉髓經》中如水火既濟之地,池案缺焰,池心拔筍,皆曜也。大抵水速于山,以其混混長留,不舍晝夜。而其來也無窮,而不可遏,所以易發。故楊公“不怕山尖與水飛”,水亦言曜也。水飛是水左右屈折,尖岸交牙,如鳥翼飛扇,非言其飛去也。

他又説、曜長在山上、不如長在水裡、山上的曜発得慢、水中的曜来得快。水中若再生出尖石、做官的人足不出戸就能高中。这是説水曜的応験比山曜快。《玉髄経》裡所講的「水火既済」之地、案山前的池塘缺口処冒出火焰形、池心拔起如竹笋、都属于曜。大体上水的応験比山快、因為水滚滚不断地長流、昼夜不停、来势無窮而不可阻遏、所以容易発。所以楊筠松説「不怕山尖与水飛」、講水的時候也是在講曜。所謂「水飛」、是指水左右屈折、尖利的岸嘴彼此交牙、像鳥翅扇動一様、并不是説水飛散流走。

白雲先生云:“學術十年,不識龍脈。行地十年,不識曜訣。遷墳十年,不定穴法。積三十年之智而後得師,更十年從學,而後盡術。”夫以張公之明覽,猶至三十年後自知術未精,不敢謂盡。及得師而敬學焉,又十年而第盡術。以四十年之久,而僅明地理,不亦難乎?今人剽竊遺文,涉獵古斷,粗能諳曉,便謂盡術,欺世乎?欺天乎?不然,白雲豈復為謙辭哉!

白雲先生説、我学这门術十年、還認不得龍脈。踏勘山地十年、還不懂曜的口訣。替人遷墳十年、還定不准穴法。積了三十年的見識才遇到明師、又跟着学了十年、才把此の门術学到家。以張約先生那様明達的眼力、尚且到三十年后才自知術業未精、不敢説已經学尽。等遇到師父恭恭敬敬地跟着学、又用了十年才終於学通。花四十年之久、才僅僅弄明白地理、不是很難嗎。如今的人抄襲前人遺文、瀏覧几条古人断語、略略懂得皮毛、就自称尽得其術——这是欺世呢、還是欺天呢。若不是如此、白雲先生那番話難道只是謙辞嗎。

一行曰:“上在東宮日,與白雲先生張約獵於溫泉之野。御駕疾馳,約二十里許,上偶過一山,見新墳。白雲與上觀諦久之,曰:‘葬失其穴!’上曰:‘何也?’對曰:‘下龍頭,枕頭角,不三年,自消礫。’適遇樵人,問曰:‘何人葬?’樵人曰:‘山之南崔巽死而葬焉。’

僧一行記載説、皇上還在東宮做太子的時候、与白雲先生張約到温泉一帯的原野打猟。御駕疾馳了二十里左右、太子偶然路過一座山、看見一座新墳。白雲先生和太子端詳了很久、説、这墳葬錯了穴。太子問、怎麼見得。他回答、这是下在龍頭上・枕着頭角的位置、不出三年、墳就会自己崩散成碎石。正好遇上一個樵夫、便問、这是誰家葬的。樵夫説、山南辺的崔巽死了、葬在这裡。

上欲救之,令樵人引導至巽門。其子斬衰迎,蓋不知東宮也。上曰:‘山前新墳誤葬矣!’曰:‘父遺言葬此。’上曰:‘何言?’對曰:‘安龍頭,枕龍耳,不三年,萬乘至。’上驚!約曰:‘臣學未精。’劉氏俎談白雲先生張約斷崔氏墳,有龍頭龍耳之差。

太子想幇他们補救、就譲樵夫領路到崔巽家門口。崔巽的児子身穿重孝出来迎接、並不知道来的是太子。太子説、山前那座新墳葬錯地方了。崔子説、这是先父遺言指定要葬在这裡的。太子問、他留下什麼話。崔子答、先父説、安在龍頭上、枕着龍耳、不出三年、天子就会駕臨。太子听了大吃一惊。張約説、是臣学問不精。此の一段出自劉氏《俎談》、記白雲先生張約断崔家墳、在龍頭与龍耳之間判断有誤。

獵歸,東宮問曰:‘龍耳、龍角,孰是孰非?’約曰:‘臣之說非。’東宮曰:‘以義言之,謂之消礫,何也?’約曰:‘臣不惟失穴法,於曜法亦有未精。其前山曜,臣以為車輪帶鬼掃,故謂消礫當在三年之前。今其父“萬乘”之占既驗,殿下果幸其家,則前山之曜乃車輪帶虎尾,非是掃也。九原可作,所願學焉。”觀此,則白雲之說信徵雲。籲,難矣!

打猟回来、太子問道、説龍耳的和説龍角的、究竟誰対誰錯。張約説、是臣錯了。太子説、就道理講、你説它会「消礫」、那是根據什麼。張約説、臣不但穴法看錯了、対曜法也還不够精通。穴前那座山的曜、臣当作是「車輪帯鬼掃」、所以断定三年之内就会崩散成碎石。如今他父親「万乗至」的預言已經応験、殿下果然親臨他家、可見前山的曜其実是「車輪帯虎尾」、並不是鬼掃。若崔巽泉下有知能夠復生、臣願意向他請教。看此の段記載、白雲先生的話確実得到了印証。唉、此の门学問真是難啊。

楊公云“其官也,其曜也,其生也,其死也,其去也,其來也。官曜生死去來訣,六字不離乎口說,有人明得六字訣,須是神仙親口說。”既分定官曜,只謂生死去來。楊公言之而不盡之,此又在乎口訣機緘也。

楊筠松説、它是官、還是曜。它是生、還是死。它是去、還是来。「官・曜・生・死・去・来」此の六字口訣、全靠師父口伝、誰要真弄明白此の六个字、那必得是神仙親口点撥。既然已經分清了官与曜、剩下的就只講生死去来四端。楊筠松只点到為止而没有説尽、其中的関竅還在于口口相伝的秘訣。

重刊人子須知資孝地理心学統宗 巻五下之二 徳興山人徐善継述同著

此卷專論砂圖。夫砂法甚繁,難以悉陳。其大要,必從龍穴以別貴賤,故曰砂如美女,貴賤從夫。然亦有吉凶一定不可移易者,如探頭、刺面、掀裙等形,終不可使之為吉;而玉帶、御屏、帝座等砂,終不可使之為凶之類是也。今於諸家砂法中,撮其近理者,編為一卷,分上、中、下三格,富、貴、賤三科,而各取的於龍之貴賤,以斷其吉凶之準,庶幾展卷則得其要歸耳。

本巻専門討論砂的図式。砂法頭緒極多、無法一一説尽。它的大要、必須依据龍与穴来分別貴賤、所以説砂好比美女、貴還是賤要看嫁的是什麼丈夫。不過其中也有吉凶固定・無法改変的。像「探頭」「刺面」「掀裙」这些形状、終究不能把它们説成吉。而「玉帯」「御屏」「帝座」这些砂、也終究不会変成凶。現在我們従各家砂法中挑出比較近于情理的、編成此の一巻、分上格・中格・下格三等、又分富・貴・賤三科、各自以龍的貴賤為準的、据以判断吉凶、希望読者一翻開書就能掌握它的要領。

口議

一、凡砂之形象,不必盡拘。廖氏云:“喝砂相似便為是,奉勸莫執泥。”又云:“砂形變像原不一,觸類宜詳推;在人心巧與目明,自可立名稱。”二、凡砂之擬於物類,不可膠執。蓋山形萬古不易,而物類則因時更變。固有古方而今圓,古賤而今貴,亦有古有而今無者。如席帽賤於唐而貴於宋,玉魚、金魚佩於宋而國朝不用之類,烏可盡以執泥?在人活潑而決之耳。

第一条、凡砂的形象、不必样样都拘死。廖金精説、給砂喝形只要大致相似就算数、奉勸大家不要死摳。他又説、砂的形状変化本来就不止一种、応当依類詳細推求。只要人心思霊巧・眼力明白、自然可以替它立個名目。第二条、凡是把砂比擬成某种物件、也不能膠柱鼓瑟。山形万古不変、物件却随時代更換。有的古時是方的・今天成了円的、有的古時低賤・今天変得尊貴、還有的古時有・今天已經没有了。比如席帽在唐代是賤物、到宋代却成了貴物。玉魚・金魚在宋代是佩飾、本朝已經不用。此類事怎麼能一概拘泥。全靠人霊活変通去判断。

三、凡砂格中,多有御用之物,如帝座、御屏之屬,非謂有禁穴,乃朝臣之應也。廖氏云:“格中多有帝主制,非謂其有位。宰相侍從近清光,朝夕得翱翔。”四、砂格有專論其山巒之頭者,有專論其山巒之腳者,有兼頭腳而論者,又有兩山、三山相合而成一格者,不可拘於一律。如華蓋、文筆等,則專取其山頭;進田筆、倒笏等,則專取其山腳;謝恩、絳節等,則兼取其山之頭腳;馬上貴人、點兵報捷之類,則取數山相映,湊合而成者也,在人聰巧可取。亦須多見古格,而心有所主也。

第三条、砂的格式裡常出現帝王御用的物、比如「帝座」「御屏」之類、这並不是説那里有帝王的禁穴、而是主出朝廷近臣。廖金精説、砂格中多有帝王規制的名目、並不是説主人真能登帝位、而是説他能做宰相侍従、接近天子的光輝、早晚在御前周旋。第四条、砂格有的専看山巒的頭部、有的専看山巒的脚部、有的頭脚合起来看、還有的要两座山・三座山合在一起才成一格、不能一概而論。像「華蓋」「文」「文筆」等、専取山頭。「進田筆」「倒笏」等、専取山脚。「謝恩」「絳節」等、頭脚兼取。「馬上貴人」「点兵報捷」此類、則要幾座山彼此映襯・凑合而成。究竟該取頭・取脚還是頭脚兼取、就看人是否聰明善取了。同時也必須多看古人留下的成格、心裡先有個準則、臨場才不至于乱認。

五、砂格中又有所謂陰砂者,則專看平田、小洲,及小可墩埠、山麓、石脊之類,及穴中不見者。此等砂形,或在明堂,或在左右,或在水口,亦關利害,不可不察。六、砂中又有刑殺,不可不知。廖氏云:“砂中有殺人不知,貴賤最難醫。仔細消砂殺有八,射探沖破壓。更兼反斷走皆凶,解說要人通。射是以尖來向穴,徒配何須說?探是斜山少露頭,作賊不知休。破是浪痕直透頂,淫亂恣遊騁。沖是橫來揷穴前,非禍自連綿。壓是穴前砂崛起,奴僕常反主。

第五条、砂格裡還有一類叫「陰砂」、専看平田・小沙洲、以及不起眼的小土墩・山脚・石脊之類、還包括那些在穴上看不見的。此の一類砂、有的在明堂裡、有的在左右両側、有的在水口処、同様関係着禍福利害、不能不仔細察看。第六条、砂中還有「刑殺」、不能不懂。廖金精説、砂裡蔵着殺気而人不自知、它帯来的貴賤最難医治。仔細消解砂殺、一共有八种。射・探・衝・破・圧、再加上反・断・走、全都是凶、講解起来要人心裡通透。「射」、是尖利之砂対着穴射来、主充軍流放、還用多説嗎。「探」、是斜出的山只微微露出一個頭、主家中出賊而不肯罷手。「破」、是砂面有雨痕水浪一直衝到山頂、主淫乱放縦。「衝」、是砂横着挿到穴前、主横禍接連不断。「圧」、是穴前的砂突然高起、主奴僕常常反过来欺主。

反是曲身去向朝,離反永飄飄。斷是腦下自橫浪,斬首無人葬。走是斜身順水飛,遊蕩不思歸。若是眞龍去殺合,禍福終須雜。避凶趨吉最為奇,穴上討便宜。”又吳國師云:“砂中有殺要消詳,立穴先須作主張。巉巖高壓及尖射,避卻方能免禍殃。”蓋近穴有丑形之砂,亦須迴避為美。遠則勿泥。

「反」、是砂弯着身子朝別処去而背対穴場、主子孫離散背叛、永遠漂泊在外。「断」、是山脳下面自己横生出一条水痕如断頸、主有人被斬首而無人収葬。「走」、是砂斜着身子順水飛出去、主人在外遊蕩不想回家。倘若真龍上帯的殺気与格局相合、那麼禍与福終帰摻雑在一起。这時最要緊的本事、就是避開凶処・就着吉処、在穴位上討得便宜。国師呉景鸞也説、砂中有殺、要仔細消解推詳。立穴之前先得拿定主意。凡遇嶙峋高圧之石以及尖利射来之砂、把它避開才免得了禍殃。総之靠近穴場若有形状丑悪的砂、也要設法回避才好。離得遠的、就不必拘泥了。

七、龍眞穴的,而偶有一砂之嫌,眾人莫敢信者,則思喝形以制之。蓋喝形亦可壓制諸砂。卜氏云“尖鎗本凶器,遇武士以為奇。浮尸固不祥,遇群鴉而反吉”之類,亦有理。如旗鎗當面,或作將軍大座;枷鎖橫尸,則取貴人監斬之類。大抵要取重於龍穴也。

第七条、龍真穴的、偏偏有一処砂惹人嫌疑、弄得衆人都不敢信此の块地、这時就要設法用「喝形」来制服它、因為給整块地喝一個形、可以圧住那些不好的砂。卜応天説、尖槍本是凶器、遇上武士反倒成了奇物。浮尸固然不祥、遇上一群烏鴉反而変吉。此類話是有道理的。比如旗槍之形正当穴前、就可以把整块地喝作「将軍大座」。有枷鎖与横尸之形、就取「貴人監斬」的名目。帰根到底、還是要把分量圧在龍穴上。

八、砂形肖物類而多應,不特陰地,陽宅,即如郡邑,亦所關係。若黃坡嚴家坡有杯筊石,其鄉筊卜有靈。弋陽圭峰如拍板,其邑多出戲子。常邑塔山如葫蘆而多名醫,莆田壼公山如卓笏而多朝貴朱子之同安,過莆田,望見壼公山曰“莆田多人才,此公作怪。。承天馬良丫髻雙峰居水口,而郡多雙薦。是皆砂之應驗耳。

第八条、砂的形状像什麼物件、往往就有相応的応験、不只陰宅・陽宅如此、就連一郡一県也受它牽動。比如黄坡厳家坡有形如杯珓的石頭、那一郷用杯珓占卜就特别霊験。弋陽的圭峰形状像拍板、那個県就多出戯子。常山県的塔山形如葫蘆、当地多出名医。莆田的壺公山形如竪立的朝笏、当地就多出朝廷顕貴——朱熹去同安赴任、路過莆田、望見壺公山便説、莆田多出人才、是这位「壺公」在作怪。承天府馬良的丫髻双峯立在水口、那一郡就多有两人同榜被薦挙的事。这些都是砂的応験。

九、凡觀砂法,須審向背、情性。司馬頭陀曰“以端方而知其忠,以傾側而知其佞,柔亂以知淫,卑劣以知賊,粗猛以知惡,瘦薄以知貧。粹美知慈,威武知斷。”《寶鑑》云:“山厚人肥,山瘦人飢,山清人貴,山破人悲,山歸人聚,山走人離,山長人勇,山縮人低,山明人達,山暗人迷,山順人孝,山逆人欺。”此皆其正耳。蔡牧堂曰:“觀形貌得其偽,觀性情得其眞。”斯確論也。

第九条、凡看砂的方法、必須審察它是朝向穴還是背離穴、以及它的情性如何。司馬頭陀説、従端正方直看出主人忠厚、従歪斜傾側看出主人奸佞。柔弱散乱主淫、卑下猥瑣主為賊、粗野凶猛主性悪、痩削単薄主貧寒。純粋秀美主慈善、威厳雄武主决断。《宝鑑》説、山厚則人肥、山痩則人飢。山清則人貴、山破則人悲。山帰攏則人聚、山走散則人離。山長則人勇、山縮則人卑。山明則人通達、山暗則人昏迷。山順則人孝、山逆則人欺。这些都是常規正例。蔡牧堂説、看形貌只能看到假象、看性情才能得到真相。这話確実中肯。

上格貴砂大貴人者,木星高聳而尊嚴秀麗也。凡貴人砂,皆是木星。凡文筆砂,皆是火星。貴人不宜破碎、敧斜、醜惡。上格龍主文章貴顯,典大郡。中格龍有文名,不顯貴。賤龍主僧道孤獨無子。中格貴砂大小貴人者,一峰高大,一峰低小也。上一格主父子同貴,下一格主兄弟同貴。皆要砂形秀麗。上格龍主父子兄弟叔侄同科同朝。中格龍主父子兄弟有文名,無顯貴。賤龍主僧道師徒有名。

上格貴砂「大貴人」、是「木星」高聳而又尊厳秀麗的様子。木星指山体挺直高聳如樹身。凡是貴人一類的砂、都属木星。凡是文筆一類的砂、都属火星。貴人峰最忌破碎・歪斜・丑悪。它配上格的貴龍、主文章知名・身居顕位、執掌大郡。配中格龍、只有文名而不顕貴。配格局低賤之龍、則主出家為僧道、孤独無子。中格貴砂「大小貴人」、是一峰高大・一峰低小並列在一起。図中上面一式主父子同時顕貴、下面一式主兄弟同時顕貴、両式都要求砂的形体秀麗。它配上格龍、主父子・兄弟・叔侄同科登第・同朝做官。配中格龍、主父子兄弟只有文名而無顕貴。配賤龍、主僧道師徒之間小有名声。

上格貴砂龍樓鳳閣貴人,乃木星居水星之上,火星之下耳。蓋自下生上,以水木,木生火,故為最貴。要星辰特異,各各合形,尊嚴光彩,方合格局。上格龍主高科顯貴,功在社稷,澤及生民,恩深奕世。中格龍主翰苑聲價,日近天顏。賤龍主富有聲。上格貴砂玉堂金馬貴人者,乃貴人之後有御座,前有馬山也。要清秀端正,忌破碎走竄。宜左右均勻。上格龍主文章冠世,高科及第,玉堂貴顯。中格龍主典大藩。賤龍主富貴多僕馬。

上格貴砂「龍楼鳳閣貴人」、是木星夾在水星之上・火星之下。因為由下往上依次相生、水生木、木生火、所以最為尊貴。要求此の三重星辰形体特異、各自合乎本形、尊厳而有光采、才算合格。它配上格龍、主高中科第・身居顕位、功業有益於国家、恩沢施及百姓、蔭庇幾代人。配中格龍、主在翰林院享有声望、天天接近天子。配賤龍、主家道富有而略有名声。上格貴砂「玉堂金馬貴人」、是貴人峰背後有「御座」之山・前面有「天馬」之山。要求清秀端正、忌破碎和外竄、左右両辺還要匀稱。它配上格龍、主文章冠絶当世、高中科第、躋身翰林玉堂而顕貴。配中格龍、主執掌一方大藩。配賤龍、主富貴人家僕従車馬衆多。

上格貴砂帳下貴人者,水星之下有木星也。要清秀端正,忌破碎粗丑、欹斜飛走、迫近高雄、巉巖帶右。上格龍主尚書侍從,錦衣玉帶。中格龍主典州郡之官。賤龍主出僧道得官。上格貴砂蓋下貴人者,華蓋之下有木星也。要清秀端正,忌欹側粗惡。須三蓋不同,其所應則無異也。三蓋者,華蓋、寳蓋、冠蓋。上格龍主尙書侍從臺諫。中格龍主出鎮大藩。賤龍主出僧道。

上格貴砂「帳下貴人」、是水星形的帳幕之下另有木星。要求清秀端正、忌破碎粗丑・歪斜外竄・逼得太近而又高大雄壮、以及嶙峋帯石。它配上格龍、主出尚書・侍従之臣、錦衣玉帯。配中格龍、主出執掌州郡的官員。配賤龍、主僧道之流因縁得個官銜。上格貴砂「蓋下貴人」、是「華蓋」形的山之下另有木星。要求清秀端正、忌歪斜粗悪。这裡的「蓋」有三种形制不同、但応験並無差別。所謂三蓋、指華蓋・宝蓋・冠蓋。它配上格龍、主出尚書・侍従以及台諫之官。配中格龍、主出鎮一方大藩。配賤龍、主出僧道。

上格貴砂殿上貴人者,聚氣火星之下有木星,木星之下又有水星。要三星皆清秀端正,忌破碎飛走。上格龍主宰相,秉國政,繫安危。中格龍主有文章名譽,出典大藩。賤龍主僧道蒙恩。上格貴砂臺閣貴人者,聚氣火星之下有土星,土星之下又有木星也。要三星秀麗端正,忌破碎欹斜。上格龍主拜相,寵遇獨隆。中格龍主尚書侍從,一人兼數職之祿。賤龍主僧道入朝面聖。

上格貴砂「殿上貴人」、是聚気的火星之下有木星、木星之下又有水星、三層相畳。要求三重星辰都清秀端正、忌破碎和飛散外竄。它配上格龍、主出宰相、執掌国政、一身繫着国家安危。配中格龍、主文章有名望、外放執掌大藩。配賤龍、主僧道蒙受恩典。上格貴砂「台閣貴人」、是聚気的火星之下有土星、土星之下又有木星。要求三重星辰秀麗端正、忌破碎歪斜。它配上格龍、主拜為宰相、所受恩寵格外優厚。配中格龍、主出尚書・侍従、一人兼領数職的俸禄。配賤龍、主僧道得以入朝面見天子。

上格貴砂觀榜貴人者,水星之傍有木星也。要端正秀麗,忌欹斜不正。榜高貴人低者是正格,或榜低貴人高,亦吉。但低者不宜太低。上格龍主科第高登,翰林榮貴。中格龍主郡邑之官,富冠鄉邑。賤龍主僧道奴卒之屬。上格貴砂玉堂貴人者,聚氣火星之下有木星也。火星明,木星秀,貴入玉堂。忌破碎、欹斜、飛走、浪痕、崩赤。上格龍主翰林院知制誥,經筵講官。中格龍主文章名譽,升朝之職。賤龍主僧道得貴人扶持。

上格貴砂「観榜貴人」、是水星形的横榜旁辺另有木星、好像有人在看榜。要求端正秀麗、忌歪斜不正。榜山高・貴人峰低的是正格。榜山低・貴人峰高的也吉、只是低的那一辺不宜低得太过。它配上格龍、主高中科第・栄任翰林。配中格龍、主出郡県之官、家資在郷里数第一。配賤龍、主出僧道和奴僕兵卒之流。上格貴砂「玉堂貴人」、是聚気的火星之下另有木星。火星明亮、木星清秀、主貴人得入翰林玉堂。忌破碎・歪斜・飛散外竄、以及山面有雨痕水浪・崩塌露出赤土。它配上格龍、主任翰林院知制誥・経筵講官。配中格龍、主文章有名望、官居朝列。配賤龍、主僧道得到貴人扶持。

上格貴砂簾幙貴人者,木星在數重水星帳下,或在數重之中,皆是也。要清麗端正為合格,忌粗丑、破碎、欹斜不正。上格龍主執政公孤,極品之貴,及女貴。中格龍主典大藩,方面重臣。賤龍主為優人、樂戶、妓者。上格貴砂臨軒貴人者,木星在罘罳侍從之前也。要清秀端正為合格,忌破碎醜陋、欹斜不尊、帶石點剝。上格龍主白衣上殿,狀元宰輔,承恩蔭寵。中格龍重重封誥,望重位尊。賤龍主僧道面君,徒從眾多。

上格貴砂「帘幕貴人」、是木星立在数重水星形帳幕之下、或者夾在数重帳幕之中、都算此の一格。要求清麗端正才合格、忌粗丑・破碎・歪斜不正。它配上格龍、主出執掌朝政の三公三孤、位極人臣、還主家中女子顕貴。配中格龍、主執掌大藩、成為一方重臣。配賤龍、主淪為優伶・楽戸・娼妓。上格貴砂「臨軒貴人」、是木星立在「罘罳」屏風与侍従之山的前面。要求清秀端正才合格、忌破碎丑陋・歪斜不荘重、以及帯石斑駁剥落。它配上格龍、主以布衣之身登殿受知、出状元宰輔、承受皇恩蔭庇。配中格龍、主屢受封贈誥命、声望重・地位高。配賤龍、主僧道得以面見君王、徒衆随従很多。

上格貴砂披髮貴人者,木星旁拖,似於斜側也。此乃木星帶火,不可以斜側為嫌。但要清秀,切忌醜惡。上格龍主文武全才,威震中外,斬伐自由。中格龍主佈政提刑之貴。賤龍主法師有靈顯。上格貴砂玉階貴人者,木星在疊級數重之外也。要端正秀麗,而階級重重平正為合格也。上格龍主出朝貴,秉政專權。中格龍主將校有威勇。賤龍主雜職。

上格貴砂「披髪貴人」、是木星旁辺拖下一片、看去有些歪斜。这其実是木星帯了火気、不能因為它斜側就嫌棄、只要清秀就好、切忌形状丑悪。它配上格龍、主出文武全才之人、威名震動朝廷内外、握有生殺之権。配中格龍、主出布政使・提刑按察使此の一級的貴官。配賤龍、主出法師而有霊験顕応。上格貴砂「玉階貴人」、是木星立在数重畳級台階般的山形之外。要求它端正秀麗、而且台階一級級平正、才算合格。它配上格龍、主出朝廷顕貴、執掌政柄・専断大権。配中格龍、主出将校而有威武勇力。配賤龍、主出雑職小吏。

上格貴砂踏節貴人,要看節山高低相稱,大小疏密均勻,而貴人之山居於其下,端正尊嚴,方為合格。上格龍主文章清貴,文武全才,出使外國。中格龍主職掌大藩,威權烜赫。賤龍主藝術巫祝。上格貴砂御座貴人,要星辰尊重,左右相稱,方為合格。玉樓、寶殿、宮妃、貴人、侍臣、四將軍俱備,貴不可言之格也。上格龍主運籌帷幄,為帝王師,及明賢理學,配享追諡。中格龍升朝侍從,及駙馬、妃后儀賓、長吏。賤龍神廟血食。

上格貴砂「踏節貴人」は、あれらの「節」形の山が高低相称・大小疎密均匀なるを看て、而して貴人の山それらの下に立ちて、端正尊厳なるを要し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、文章清貴・文武全才・外国に出使するを主る。中格龍に配すれば、大藩を執掌し・威権顕赫たるを主る。賤龍に配すれば、芸人術士と巫祝を出すを主る。上格貴砂「御座貴人」は、星辰荘重・左右両辺彼此相称するを要し、始めて合格と算す。若し「玉楼」「宝殿」「宮妃」「貴人」「侍臣」および四位将軍形の山样样具備せば、那すなわち貴ぶ可からざるの格局。それ上格龍に配すれば、帷幄を運籌し・帝王の師を為し・或いは賢明の理学大儒と為り・死後孔廟に配享せられ・謚号を追加せらるるを主る。中格龍に配すれば、官朝列侍従に居り・および駙馬・妃后の儀賓と長吏を出すを主る。賤龍に配すれば、死後廟を立てられて祭祀を享受するを主る。

上格貴砂仙橋本水星而兩角又撐火木也。下有木星,亦帳下貴人耳。要仙橋開展,左右均勻,而貴人正當其下,不欹不斜,方為合格。上格龍年少高科,翰苑清貴,神仙清高。中格龍清高賢士,文章藻華,祿位高升。賤龍主狷介之士,及高僧。上格貴砂仙橋之上有貴人,與幙外貴人相似,但此格差貴。要清秀端正方為合格。多出人好神仙,及出清高大儒。上格龍主位極人臣,志慕神仙。中格龍主完名全節高壽。賤龍主無子孫獨享高壽。

上格貴砂「仙橋」は、本身是れ水星にして、而して両端また火星・木星を撑起す。それ下面もし木星あれば、那も亦たすなわち「帳下貴人」。仙橋の展開舒張・左右匀稱・貴人峰の橋下に正立して歪まず斜めならざるを要し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、年紀輕々にして高中科第し・翰林院に清貴の職に任じ・為人清高にして神仙の如くなるを主る。中格龍に配すれば、清高の賢士を出し・文章華美・禄位步步高升するを主る。賤龍に配すれば、耿介孤傲の士および高僧を出すを主る。另一格は仙橋の上に別に貴人あり、前面の「幕外貴人」と相似、只是此の一格稍差一等。清秀端正を要求してこそ合格と算し、多出神仙の術を愛好する人・および清高の大儒。それ上格龍に配すれば、位人臣を極めて而して心神仙を慕ふを主る。中格龍に配すれば、名節完好・高寿を享有するを主る。賤龍に配すれば、子孫なしと雖も・却って独自高寿を享得するを主る。

上格貴砂侍講貴人者,木星山畔有土星如臺,若貴人侍於案之側也。要端正清秀,忌斜走粗丑。上格龍侍讀侍講,經筳臺閣之貴,為王者師。中格龍主儒官訓導之職,及吏員蒙師。賤龍主侍卒奴隸。上格貴砂幙外貴人者,木星在水星數重山外,如人在簾幕外立也。要端正清秀,忌欹斜粗丑,不合格。上格龍主升朝之貴。中格龍主孤獨,子孫先死,自享福貴。賤龍主高僧奴隸。

上格貴砂「侍講貴人」は、木星山の旁辺に土星ありて書案の形如、好像貴人講案の一側に侍立す。端正清秀を要求し、歪斜外竄・粗丑を忌む。それ上格龍に配すれば、侍読・侍講に任じ・経筵台閣の貴を享し・帝王の師と為るを主る。中格龍に配すれば、儒学教官・訓導一類の職務に任じ・或いは只個の吏員と蒙館先生を当るを主る。賤龍に配すれば、侍卒奴隷を出すを主る。上格貴砂「幕外貴人」は、木星数重水星形帳幕の外に立ちて、好像人帘幕の外面に站つ。端正清秀を要求し、若し歪斜粗丑ならば便ち不合格。それ上格龍に配すれば、官朝列の貴に居るを主る。中格龍に配すれば、主人孤独・子孫先に自己より亡び・只能独自福貴を享するを主る。賤龍に配すれば、高僧或いは奴隷を出すを主る。

上格貴砂馬上貴人,要人高馬低,星辰清秀,方為合格。若得旌節、儀從相稱,福力尤加。主文武全才,功勲掀揭。上格龍尚書侍御,威振邊方,汗馬功勲。中格龍主典大藩,及富豪多才產僕馬。賤龍主牧馬及木匠。上格貴砂執圭貴人,要星體清秀,人高圭正,不欹斜破碎,方為合格。若御座、臺蓋、旗鼓相應,尤為貴格。上格龍主尚書九卿,立朝正大。中格龍主科甲,出京堂顯貴。賤龍主僧道,拜禮神佛。

上格貴砂「馬上貴人」は、貴人峰高く・馬形の山低く・星辰清秀なるを要求し、始めて合格と算す。如果再び旌節・儀仗随従の形を配上してそれと相称せば、福力便ち更に強し。此の一格は文武全才・功勲卓著を主る。それ上格龍に配すれば、尚書・侍御史を出し・威名辺疆を震動し・汗馬功労を立下するを主る。中格龍に配すれば、大藩を執掌し・或いは富豪と為り・多才多産・僕従車馬衆多なるを主る。賤龍に配すれば、馬を牧るを以て業と為し或いは木匠を為るを主る。上格貴砂「執圭貴人」は、星体清秀・貴人峰高くして圭形端正・歪斜せず・破碎せざるを要求し、始めて合格と算す。若し再び御座・台蓋・旗鼓の形ありて彼此呼応せば、那便ち更に貴格。それ上格龍に配すれば、尚書九卿を出し・朝に立ちて端正光明なるを主る。中格龍に配すれば、科甲に中り・京官堂上に出任して顕貴なるを主る。賤龍に配すれば、僧道を出し・終日神仏を礼拜するを主る。

上格貴砂龍門貴人者,木星兩旁俱有華蓋峰也。要清正端秀,方為合格。忌斜側、不正、帶石則減福。上格龍少年及第,直言敢諫,朝野聞名。中格龍主皇親國戚,文武全才。賤龍主屢試不第,拜謁侯門。上格貴砂執笏貴人要星體清秀,人高笏正,不欹斜破碎,方為合格。若御座、臺蓋、旗鼓相應,尤貴。上格龍主尚書九卿,立朝正大。中格龍主科甲出身,京堂顯貴。賤龍主僧道,拜禮神佛。

上格貴砂「龍門貴人」は、木星の両旁皆「華蓋」形の山峰ありて、龍門の夾立するが如し。清正端秀を要求してこそ合格と算す。歪斜不正を忌み、若し石を帯ば便ち福を减ずべし。それ上格龍に配すれば、少年登第し・敢えて直言進諫し・名朝野に聞ゆるを主る。中格龍に配すれば、皇親国戚と為り・文武全才なるを主る。賤龍に配すれば、屢試中らず・只能権貴の門下に奔走するを主る。上格貴砂「執笏貴人」は、星体清秀・貴人峰高くして笏形端正・歪斜せず・破碎せざるを要求し、始めて合格と算す。若し御座・台蓋・旗鼓の形ありて彼此呼応せば、便ち更に尊貴。それ上格龍に配すれば、尚書九卿を出し・朝に立ちて端正光明なるを主る。中格龍に配すれば、科甲出身・京官堂上に任じて顕貴なるを主る。賤龍に配すれば、僧道を出し・終日神仏を礼拜するを主る。

上格貴砂按劍貴人者,貴人山下有尖利之砂倒地也。要逆水為吉,順水為凶。其劍亦忌射穴。此砂多主武。上格龍主將軍元帥,威振四夷。中格龍主監斬提刑之貴。賤龍主出劊子手。上格貴砂五馬貴人者,貴人山居五馬山之中也。要諸峰秀麗,忌破碎、粗丑、飛腳亂竄。此砂主武。上格龍主尚書侍從,有功邊疆。中格龍主五馬專城,及典馬之官,鉅富多馬。賤龍主牧馬販馬。

上格貴砂「按剣貴人」は、貴人山の下に一条の尖利の砂ありて地上に倒臥し、形は剣を按ずるが如し。それ水に逆らいてこそ吉を要求し、水に順へば便ち凶。あの把の「剣」も亦た穴場を直射するを忌む。此の種の砂は多く武職を主る。それ上格龍に配すれば、将軍元帥を出し・四方外族を威震するを主る。中格龍に配すれば、監斬官・提刑官此の一等の貴職を出すを主る。賤龍に配すれば、刽子手を出すを主る。上格貴砂「五馬貴人」は、貴人山五座の馬形の山の当中に立つ。諸峰秀麗を要求し、破碎・粗丑および山脚飛散乱竄を忌む。此の種の砂は武を主る。それ上格龍に配すれば、尚書・侍従を出し・辺疆に功を立つるを主る。中格龍に配すれば、五馬専城の太守と管馬の官を出し・或いは多馬の巨富と為るを主る。賤龍に配すれば、馬を牧り・馬を販るを以て生と為すを主る。

上格貴砂金馬門中,貴人一峰居中。天馬左右要均勻端秀,貴人低亦不妨。廖金精下白牛坦地、杭州高閣老江頭祖地,皆此朝山,俱拜相。上格龍主拜相,兄弟叔侄同科。中格龍主文名翰苑。賤龍主牧馬蕃息。上格貴砂雙薦貴人者,雙峰仝峙也。要清氣光彩,雙峰相等。忌斜側巉巖,飛走破碎,或一高一低,亦不合格。上格龍主兄弟聯登科甲,並駕齊驅。中格龍主富,雙妻雙子。賤龍兄弟仝入公門。

上格貴砂「金馬門」は、両匹の天馬の間に一峰の貴人立つ。左右両馬は匀稱端秀を要し、貴人峰低きこと一些も妨なし。廖金精の点ぜる白牛坦のあの块の地・および杭州高閣老家江頭の祖墳は、朝山皆此の一格にして、両家皆宰相を出せり。それ上格龍に配すれば、宰相に拜せられ・兄弟叔侄同科登第するを主る。中格龍に配すれば、翰林院に文名あるを主る。賤龍に配すれば、馬を牧るを以て業と為して牲口繁息するを主る。上格貴砂「双薦貴人」は、两座の山峰肩を並べて対峙す。気象清朗にして光采あるを要求し、両峰高低相等し。歪斜嶙峋・飛散破碎を忌み、若し一高一低ならば亦た不合格。それ上格龍に配すれば、兄弟接続して科甲に考中し・駕を並べて斉駆するを主る。中格龍に配すれば、家道富有・両位の妻子を娶り・両個の児子を生ずるを主る。賤龍に配すれば、兄弟一同に衙門に進みて差を当るを主る。

上格貴砂此亦雙薦貴人,與前格同。但前乃仝峙,此則聯峙矣。要雙峰相平,清秀嫵媚。忌側竄飛走。上格龍主兄弟聯科仝登翰廷。中格龍主雙妻雙子。賤龍主兄弟出家。上格貴砂雙童講書者,兩木星中夾一土星也。要土方正,木直聳秀麗。忌土破碎,木斜側。多主雙貴。上格龍主兄弟仝入翰林,經筵進講。中格龍主兄弟仝科仝朝,鉅富。賤龍主兄弟經商。

上格貴砂此の一式も亦た「双薦貴人」と呼び、前一格と相同、只是前一格は両峰各自並立し、此の一格は両峰彼此相い連なる。双峰高低斉平・清秀嫵媚を要求し、側向外竄・飛散離去を忌む。それ上格龍に配すれば、兄弟联袂して中挙し・一同に翰林に進入するを主る。中格龍に配すれば、両妻を娶り・両子を生ずるを主る。賤龍に配すれば、兄弟出家するを主る。上格貴砂「双童講書」は、两座の木星の当中に一座の土星を夾み、好像両個の童子書案に対す。土星方正・木星笔直高聳にして秀麗を要求し。土星破碎・木星歪斜を忌む。此の一格は多く両人の同貴を主る。それ上格龍に配すれば、兄弟一同に翰林に進み・経筵上に於いて天子の為に書を講ずるを主る。中格龍に配すれば、兄弟同科登第・同朝為官・家資巨富を主る。賤龍に配すれば、兄弟一同に経商するを主る。

中格貴砂左右貴人者,秀峰不當正面,或左或右也。正面砂反醜惡,而左右有秀峰。主偏房庶出之貴。斷曰:“秀峰耳邊插,偏房生子登科甲。”上格龍主貴為近侍。中格龍主藩臬重臣。賤龍主奴僕聰明。上格貴砂文星貴人者,木星之下有太陰蛾眉之山也。要兩山俱秀麗,忌破碎、斜側、走足帶火。上格龍主文章顯達,職兼文武。中格龍主文名遠播,品位不隆,多女貴。賤龍主男女滛泆,內丑。

中格貴砂「左右貴人」は、秀麗の山峰正前方に在らずして、左辺或いは右辺に偏在し。正面の砂反って丑悪にして、秀峰却って両側に長ず。此の一格は庶出の偏房子弟の顕貴を主る。断語にいわく、秀峰耳朵の辺に挿さば、偏房の生む児子能く科甲に登る、と。それ上格龍に配すれば、顕貴にして天子近侍を為るを主る。中格龍に配すれば、布政使・按察使一級の重臣を出すを主る。賤龍に配すれば、家中の奴僕聰明なるを主る。上格貴砂「文星貴人」は、木星の下に「太陰」「蛾眉」形の山あり。两座の山皆秀麗を要求し、破碎・歪斜・および山脚外走して火形を帯ぶるを忌む。それ上格龍に配すれば、文章顕達・身文武の職を兼ぬるを主る。中格龍に配すれば、文名遠播して而して官品高からず・家中多出貴婦を主る。賤龍に配すれば、男女淫乱・閨門丑事外揚するを主る。

上格貴砂屏下貴人者,土星下有木星也。要土方正,木端聳。忌土斜傾而不正,木破碎而飛走,有此則不吉。上格龍主師保秉政,侍從之臣。中格龍主方面重臣。賤龍主雜職及名僧。上格貴砂臺下貴人者,三臺之下有木星也。要臺星均勻,木星端聳。忌臺星不均,木星斜側,不合格。上格龍主神童面聖,三公極品。中格龍主升朝之貴。賤龍主出名僧,門徒甚眾。

上格貴砂「屏下貴人」は、土星形の屏風の下に別に木星あり。土星方正・木星端然高聳を要求し。土星歪斜不正・木星破碎外竄を忌み、これらの毛病あれば便ち不吉。それ上格龍に配すれば、太師太保一級の朝政を執掌する大臣および侍従の臣を出すを主る。中格龍に配すれば、一方の重臣を出すを主る。賤龍に配すれば、雑職小吏と有名の僧人を出すを主る。上格貴砂「台下貴人」は、「三台」の下に別に木星あり。三台三座の山彼此匀稱・木星端然高聳を要求し。三台不匀・木星歪斜を忌み、那便ち不合格。それ上格龍に配すれば、神童出でて天子に面見し・位三公极品に至るを主る。中格龍に配すれば、官朝列の貴に居るを主る。賤龍に配すれば、名僧を出し・門徒衆多を主る。

上格貴砂捧誥貴人者,要貴人端聳,誥軸方平,及高低相稱,不倚不斜,方為合格。廖氏謂榮達之象,最吉。上格龍主天恩寵渥,重拜褒封。中格龍主為侍御、欽差、傳宣之職。賤龍主走卒師巫。上格貴砂展誥貴人,乃木星聳於誥軸砂上。要清秀、尊嚴、適當,不偏不倚,方為合格。上格龍主受君眷寵,徵聘入朝,師保尊隆,及出仙子神道。中格龍主璽書褒諭,封贈父母。賤龍主神廟威儀。

上格貴砂「捧誥貴人」は、貴人峰端然高聳・誥軸形の山方正平展・両者高低相称・不偏不倚を要求し、始めて合格と算す。廖金精是れ栄顕発達の象・最も吉利なりという。それ上格龍に配すれば、天子の厚恩を蒙受し・屢屢褒奨封贈を得到するを主る。中格龍に配すれば、侍御史・欽差・伝旨宣諭の職に任ずるを主る。賤龍に配すれば、走卒或いは師巫を為るを主る。上格貴砂「展誥貴人」は、木星誥軸形の砂の上に聳立す。清秀・荘重・位置得当・不偏不倚を要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、君王の眷寵を深受し・朝に徵召せられ・帝師太保と尊ばれ・亦た得道の士を出すを主る。中格龍に配すれば、天子の璽書褒奨を得・父母因りて封贈を受くるを主る。賤龍に配すれば、神廟の中に於いて威儀の属に充作するを主る。

上格貴砂蛾眉文星者,狀如半月,光媚纖巧也。要兩角均勻,端正清秀。忌臃腫破碎,邊高邊低,欹斜不正等類。上格龍主文章名譽,狀元神童,女貴為妃。中格龍主出人清秀,官位不顯,虛名則勝。多主女貴。賤龍主婦女貌美,而篔有風聲。上格貴砂福壽文星者,中稍起頂,頗類三臺,故尤為吉。要兩畔均勻,端正秀麗。忌臃腫破碎。上格龍主富貴雙全,居官極品,居位長久,福壽綿遠。中格龍主高壽厚福,但無顯貴。賤龍主僧道壽高,頗有名譽。

上格貴砂「蛾眉文星」は、形状一彎の半月の如く、光潤嫵媚にして纖巧。両端角匀稱・端正清秀を要求し。臃腫破碎・一辺高一辺低・歪斜不正此の一類の毛病を忌む。それ上格龍に配すれば、文章名誉あり・状元・神童を出し・家中の女子顕貴して宮に入りて妃と為るを主る。中格龍に配すれば、生人清秀にして而して官位顕れず・虚名倒れて不小・亦た多く女子の顕貴を主る。賤龍に配すれば、婦女容貌美麗にして而して風流話柄を伝出するを主る。此の一格の名を蛾眉と取るや、本就是女子の彎眉の象、ゆえに応験多く女眷の身に落つ。上格貴砂「福寿文星」は、中間略略頂を起こし、頗る三座の台階相い連なる「三台」の形に似、ゆえに格外吉利。両辺匀稱・端正秀麗を要求し、臃腫破碎を忌む。それ上格龍に配すれば、富貴双全・官极品に居り・位在长久・福寿綿長を主る。中格龍に配すれば、高寿厚福にして而して顕貴なきを主る。賤龍に配すれば、僧道長寿・頗る些の名声あるを主る。

上格貴砂清貴文星者,清瘦之山,嫩巧而細也。要兩畔均勻,忌帶石粗丑,邊高邊下,斜側。比蛾眉,此格稍高大為異耳。上格龍主翰苑清貴,名望遠播。中格龍主虛名不貴,廉介恬退,家無儲積。賤龍主僧道聰明,婦人不潔。上格貴砂駁雜文星者,兩旁斷而復有低坪,不高,不為品字、三臺,中頂不起,不為寶蓋,此所以為文星而駁雜也。亦曰飛蛾文星。上格龍主出人博學,名滿天下,無意功名。中格龍主能文博記,隨波混流,和氣同俗。賤龍主能文多藝,飄蕩無成。

上格貴砂「清貴文星」は、一座の清痩の山にして、形体嫩巧にして細し。両辺匀稱を要求し、石を帯び粗丑・一辺高一辺低および歪斜を忌む。それ「蛾眉」と相比するに、差別只在稍高大なる一些。それ上格龍に配すれば、翰林院に於いて清貴の職に任じ・名望遠播するを主る。中格龍に配すれば、空しく虚名ありて而して顕貴ならず・為人廉潔孤介・恬退不争・家中積蓄なきを主る。賤龍に配すれば、僧道聰明・婦人行為不検を主る。上格貴砂「駁雑文星」は、両旁断落の後又有低平の坪地・高度不足・既に「品」字を構成せず・亦た「三台」を構成せず。中間また頂を起こさず・「宝蓋」を構成せず、ゆえに文星に属すと雖も而して駁雑不純、亦た「飛蛾文星」と呼ぶ。それ上格龍に配すれば、生人博学・名天下に満つれども・却って功名に意なきを主る。中格龍に配すれば、能く文章を写し・記性好・波に随い流れに逐ひ・世俗と和光同塵するを主る。賤龍に配すれば、能文多芸と雖も・却って漂泊一生一所成なきを主る。

上格貴砂帶福文星者,即一字文星而高大帶土,體平正嫵媚也。要龐厚而不臃腫,不粗丑,忌帶石、崚嶒、破碎。上格龍主文武全才,極品祿位。中格龍主科第榮名,鉅富壽考。賤龍主出人伶俐,為隸卒,長壽。上格貴砂帶曜文星者,乃木星兩旁生火曜也。亦頗似蛾眉文星,但圓平不同耳。蛾眉圓,此格平正,復於側畔出曜,故曰帶曜文星。忌粗惡。上格龍主文章顯達,名垂當世,後學宗師。中格龍主有文名,不能顯達。賤龍主秀才善養外婦,不顧正妻。

上格貴砂「帯福文星」は、就ち横倒して一字の如き「一字文星」にして而して形体高大・また兼ねて土形を帯び、山体平正嫵媚。因に土福厚を主れば、ゆえに帯福と称す。龐大厚実にして而して臃腫ならず・粗丑ならざるを要求し。石を帯び・嶙峋不平・破碎を忌む。それ上格龍に配すれば、文武全才・禄位极品を主る。中格龍に配すれば、中科第して栄名を得・家資巨富にして高寿を享するを主る。賤龍に配すれば、生人伶俐・只做衙門差役・但し寿命長きを主る。上格貴砂「帯曜文星」は、木星の両旁に火形の曜を生出す、也てすなわち尖利の石角。それ亦た頗る「蛾眉文星」に似、区別只在円と平。蛾眉是れ円なり、此の一格是れ平正にして、并且在側辺曜を生出す、ゆえに帯曜文星と呼ぶ。形状粗悪を忌む。それ上格龍に配すれば、文章顕達・名当世に垂れ・後学の宗師と為るを主る。中格龍に配すれば、文名ありて而して顕達する能わざるを主る。賤龍に配すれば、秀才外に於いて妾を養ひ・正妻を顧みざるを主る。

上格貴砂一字文星者,乃倒地木星也。要清秀、平正、端尊。忌粗丑、斜走、破碎、不平正、帶石、尖竄、順水。上格龍主神童、狀元、宰相、侯伯,一品之貴。中格龍主魁解清貴,名譽著揚。賤龍主虛譽從隆,寔德則病,空有文章。上格貴砂柱笏文星者,木星卓立,不欹不斜,而清秀端正也。亦名象簡文星。要光彩嫵媚,忌臃腫、粗丑、斜側、走竄。上格龍主狀元、尚書、侍從、臺閣之官。中格龍主翰苑清高,貴及諫垣之職。賤龍主僧道清修,篤信神佛。

上格貴砂「一字文星」は、就ち地上に横倒せる木星にして、形は一横の如し。清秀・平正・端荘を要求し。粗丑・斜めに外走・破碎・不平正・石を帯び・尖角外竄および水に順いて去るを忌む。それ上格龍に配すれば、神童・状元・宰相・侯伯を出し・位一品に至るを主る。中格龍に配すれば、会元・解元此の一類の清貴功名に中り・名誉遠揚するを主る。賤龍に配すれば、虚名甚だ盛んにして而して実徳亏あり・空しく一肚子の文章有るを主る。上格貴砂「柱笏文星」は、木星卓然直立・歪まず斜めならず・清秀端正・形は一枝の竪起せる朝笏の如し。因に笏象牙の製する有れば、ゆえにまた「象簡文星」と呼ぶ。光采嫵媚を要求し、臃腫・粗丑・歪斜・外竄を忌む。それ上格龍に配すれば、状元・尚書・侍従および台閣の官を出すを主る。中格龍に配すれば、翰林院に於いて清高の職に任じ・諫官の職に至るまで貴し。賤龍に配すれば、僧道清修・神仏を篤信するを主る。

上格貴砂玉圭文星,土之聳高體,要頂平,身直,不欹不斜,挺然清秀,方為合格。莆田壼公山合此格。朱子之同安,見此山曰:“莆田多人才,此公作怪。”上格龍主出垂紳正笏,立朝燮理陰陽,及崇儒禎傅,滿朝朱紫。中格龍主貴,有忠貞,文名遠播。賤龍主壽富之人及高僧。上格貴砂金箱文星,土之低平者。要方正平圓,不欹不斜,方為合格。此砂要再見貴人、玉印、文筆相助,方為大貴。上格龍主科名高顯。中格龍主腰金五馬。賤龍主小富義民。

上格貴砂「玉圭文星」は、土星高聳の形体にして、頂部平坦・身干笔直・歪まず斜めならず・挺然清秀を要求し、始めて合格と算す。莆田の壺公山正に此の一格に合す。朱熹同安に赴任するを去りて、此の山を見れば便ちいわく、莆田多出人才、是れ这位「壺公」の作怪なり、と。それ上格龍に配すれば、腰大帯を束ね・手朝笏を持する重臣を出し・朝廷に立ちて陰陽を調理し・亦た儒術を崇尚する師傅を出し・満門朱衣紫綬を主る。中格龍に配すれば、顕貴にして而して為人忠貞・文名遠播するを主る。賤龍に配すれば、長寿富足の人および高僧を出すを主る。上格貴砂「金箱文星」は、土星中の低平の一種。方正にして而して平円・歪まず斜めならざるを要求し、始めて合格と算す。此の種の砂は還た別に貴人・玉印・文筆の形ありて相助するを須う、始めて大貴を主る。それ上格龍に配すれば、科名高顕を主る。中格龍に配すれば、腰金印を佩び・五馬専城を主る。賤龍に配すれば、小康の家にして而して郷里の義民と為るを主る。

上格貴砂玉印文星者,圓小山埠或石墩也。要圓平,忌破碎。出正面或龍虎左右是文星,若在水口,便為羅星矣。上格龍主狀元宰輔,冠世文明,才兼文武。中格龍主鉅富百萬,納奏官職。賤龍主出僧道,有權,及墮胎患眼。上格貴砂方印文星者,亦小山埠或石墩也。此格若見龍樓、天馬等砂相稱,尤貴。不宜破碎,若破碎則為偽印。上格龍主才兼文武,出將人相。中格龍主文名遠播,方面重臣。賤龍主草寇偽職,僧道之流,螟蛉異兒。

上格貴砂「玉印文星」は、円にして小の土埠或いは石墩。円にして平を要求し、破碎を忌む。それ穴の正前方或いは青龍白虎の左右に長ずれば、便ち文星と呼ぶ。若し水口に長ずれば、那便ち「羅星」を成せり。それ上格龍に配すれば、状元宰輔を出し・文采当世に冠絶し・才文武を兼ぬるを主る。中格龍に配すれば、家資巨富百万・捐納に靠りて個の官銜を得るを主る。賤龍に配すれば、僧道を出して而して権柄を握り・或いは堕胎と眼疾を主る。上格貴砂「方印文星」も、亦た是小土埠或いは石墩、只是形状方正なり。此の一格若し再び「龍楼」「天馬」等の砂ありてそれと相称せば、便ち更に尊貴。それは破碎すべからず、一破碎せば便ち假印を成せり。それ上格龍に配すれば、才文武を兼ね・出将入相するを主る。中格龍に配すれば、文名遠播し・一方の重臣と為るを主る。賤龍に配すれば、草に落ちて寇と為り・偽職を受け・或いは淪りて僧道の流と為り・家中還た異姓螟蛉の子を抱養するを主る。

中格貴砂折腳文星,乃一腳拋火也。此星若面平嫩媚,亦作吉星,主文官兼武。若粗丑則不吉,要火腳逆水方合。上格龍主文官兼武。中格龍主小貴懼內。賤龍主跛跏殘疾。上格貴砂圓璧文星,形薄而上平,有微起之壇,其圓如規乃是。若方匾、偏斜、肥缺,皆非也。上格龍主王侯極品。中格龍主科第文名。賤龍主出僧道。

中格貴砂「折脚文星」は、山の一只の脚火形を抛出せるもの。此の颗星若し山面平坦・形態嫩媚なれば、亦た吉星と算し、文官の武職を兼掌するを主る。若し形状粗丑ならば便ち不吉。その火形の脚は必ず水に逆らいてこそ、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、文官の武職を兼掌するを主る。中格龍に配すれば、小貴にして而して内を懼れるを主る。賤龍に配すれば、跛足残疾病の人を出すを主る。上格貴砂「円璧文星」は、形体薄くして而して頂上平・中間に微微隆起の壇台あり・円なること円規を用ゐて画けるが如くなるをこそ是れとす。若し形状方にして匾・偏斜・或いは肥厚にして而して缺口あれば、皆算せず。それ上格龍に配すれば、王侯を出し・位人臣を極むるを主る。中格龍に配すれば、中科第・文名あるを主る。賤龍に配すれば、僧道を出すを主る。

上格貴砂輔弼文星者,文星中起,左右皆有小埠夾從,如左輔右弼也。要左右之墩埠均勻,大小相等,遠近相平為合格。上格龍主狀元宰相,文武全才。中格龍主父子同朝。賤龍主雙妻雙子。上格貴砂輔弼二格。此與前格同,但此中星稍低,左右相夾,亦類三臺。若外有他秀,此格尤貴。要圓正而左右均勻,方為合格。上格龍主男為附馬,女作宮妃。中格龍主文章高世,父子兄弟齊名。賤龍主淫賤風聲。

上格貴砂「輔弼文星」は、文星中間に隆起し・左右皆小土埠ありて夾侍相随し、好像左輔右弼両星。左右の土埠匀稱・大小相等・遠近斉平を要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、状元宰相を出し・文武全才を主る。中格龍に配すれば、父子同朝為官を主る。賤龍に配すれば、両妻を娶り・両子を生ずるを主る。上格貴砂「輔弼」の第二式は、前一格と相同、只是此の一式は中間あの颗星略低く・左右相い夾み、看去亦た「三台」に似。如果外囲別に別の秀峰あれば、此の一格便ち更に尊貴。形体円正にして而して左右匀稱を要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、男子駙馬を為り・女子宮に入りて妃と為るを主る。中格龍に配すれば、文章流輩に高出し・父子兄弟斉名を主る。賤龍に配すれば、淫乱下賤の名声を伝出するを主る。

上格貴砂天葩文星者,木之秀發而為葩,如花瓣然。要清嫩勻均。此格極貴,作龍身尤佳。在沙洛要中有貝星,正向朝穴,無此則是終節凶格耳。上格龍主狀元宰相,文章冠世,後學宗師。中格龍主有文名而不顯達。賤龍主博學能文,而盛寔則無。中格貴砂赦文星者,頗帶土體。若方角骨立,則為御屏。此特角垂圓而肥飽耳。宜居水口,主一方永無凶禍。上格龍主出使外國。中格龍主典郡牧邑。賤龍主僧道而富。

上格貴砂「天葩文星」は、木星秀気発越して而して開きて花朵を成し、一片片の花瓣の如し。清嫩にして而して匀稱を要求す。此の一格極貴、若し龍身上に出現せば便ち更に好し。若是沙洛の処に落つれば、当中に必ず「貝星」有るを須う、并且正対して穴に朝来す。此の一条なくば、反って是れ龍脈末節の凶格。それ上格龍に配すれば、状元宰相を出し・文章当世に冠絶し・後学の宗師と為るを主る。中格龍に配すれば、文名ありて而して顕達せざるを主る。賤龍に配すれば、博学能文にして而して実際成就有限を主る。中格貴砂「赦文星」は、形体頗る土形を帯ぶ。如果棱角方直・骨力挻立せば、那便ち是れ「御屏」なり。此の一格只是両角垂下し・形体円潤肥厚なりのみ。それは水口に立つに宜しく、一方地面の永く凶禍なきを主る。上格龍に配すれば、国に奉使して出ずるを主る。中格龍に配すれば、郡県を執掌するを主る。賤龍に配すれば、僧道を出して而して家道富足を主る。

中格貴砂大武星者,其形雄偉,體勢尊嚴,謂之武星。但不宜欹斜、破碎,即雲中金、獻天金是也。上格龍主大將征伐,威鎮華夷。中格龍主田連阡陌,郡邑守衛之職。賤龍主出燥烈無涵養之人。上格貴砂特立武星者,眾山低小,此星辰獨高,光彩異常,故曰特立武星。亦猶頓鍾金星,而此主貴尤重耳。上格龍主出使大藩,聲價英烈。中格龍主出英雄武略之人。賤龍主出軍賊、橫逆之人。

中格貴砂「大武星」は、形体雄偉・気勢尊厳、ゆえに武星と称す。只是歪斜破碎を宜しとせず。相書裡の説く「雲中金」「献天金」すなわち此の一類。それ上格龍に配すれば、大将出でて兵を統め征伐し・華夏与四夷を威震するを主る。中格龍に配すれば、田産連片・或いは郡県守衛の職に任ずるを主る。賤龍に配すれば、性情暴躁・毫も涵養なきの人を出すを主る。上格貴砂「特立武星」は、四周の衆山皆低小にして、唯独此の一座の星峰高聳し、光采異常、ゆえに特立武星と呼ぶ。それ「頓鐘」形の金星と相類するも、但し貴を主るの分量更に重し。それ上格龍に配すれば、奉使出でて大藩に鎮し・声望英武剛烈を主る。中格龍に配すれば、英雄にして而して武略ある人を出すを主る。賤龍に配すれば、軍中の盗賊・横行不法の徒を出すを主る。

上格貴砂金鍾、玉釜皆金星。其高大者曰金鍾,低小曰玉釜。二者在物而言之,本為貴重之器。故陽宅陰地,凡見此二山,皆作貴砂而斷。欲其圓淨光彩,不走竄,不偏側,不帶火者為吉。若欹斜、破碎、走足、尖利、帶火,有痕浪、折皺、崩赤者為凶也。若有從砂夾護,又當兼從砂斷其吉凶,不可執一也。此砂亦宜居夾耳左右。上格龍主文章科第,敵國之富。中格龍主小富小貴。賤龍主僧道及神靈。

上格貴砂「金鐘」「玉釜」皆金星に属す。高大のを金鐘と呼び、低小のを玉釜と呼ぶ。器物に就きて論ずれば、鐘与釜本是貴重の器、ゆえに陽宅か還た陰地かを論ぜず、凡そ此の両種の山を見れば、皆貴砂と当作りて以て判断す。それら円潤潔浄にして而して光采あり・外竄せず・偏斜せず・火形を帯びざるを要求し、此の如くしてこそ吉。若し歪斜・破碎・山脚外走・形体尖利・火形を帯び・或いは面上雨痕水浪・皺折・崩塌露赤あれば、那便ち是れ凶。如果旁辺別に随従の砂ありて夾護せば、還た須く連ねて従砂と一起に吉凶を判断し、只様を看る能わず。此の種の砂も亦た穴場左右に立ちて両耳夾侍の位置の如くするに適宜す。それ上格龍に配すれば、文章科第に中り・富国に敵す可しを主る。中格龍に配すれば、小富小貴を主る。賤龍に配すれば、僧道および人の廟を立て奉祀するの神霊を出すを主る。

上格貴砂龍車者,以龍引車之狀也。以形言之,則龍頭居前向穴則吉,故必有拜下之山,斯為可貴也已。上格龍主文章振揚,拜節封侯,秉麾軍民。中格龍主州縣小官,富多車馬。賤龍主吏典僕之人。上格貴砂鳳輦雖有尖翌而不射穴,及穴中不見,惟有尖秀之峰突兀在前,方為合格。上格龍主文章名譽,致身通顯,及女貴。中格龍主科第,州縣之官。賤龍主累舉不第,貴在外家。

上格貴砂「龍車」は、龍の車子を牽引するの形状。形に就きて論ずれば、要すに龍頭前に在りて而して穴場に朝着してこそ吉、ゆえに必ず別に俯身下拜の山ありて配合するを須う、此の一格方に可貴と算す。それ上格龍に配すれば、文章名声遠揚し・節鉞を受け・侯爵を封ぜられ・軍民を執掌するを主る。中格龍に配すれば、州県小官を為り・家中富有にして而して車馬衆多を主る。賤龍に配すれば、胥吏与僕役を為るを主る。上格貴砂「鳳輦」は、雖も尖利の翅翼の形を帯ぶれど、却って穴場に射向せず、或いは穴中根本に見えず、只前面突兀にして尖秀の山峰を立てるを見る、此の如くしてこそ合格と算す。それ上格龍に配すれば、文章名誉あり・顕位に躋身し・亦た女眷の顕貴を主る。中格龍に配すれば、中科第・州県の官を為るを主る。賤龍に配すれば、屢次応挙中らず・貴気反って外家に落つるを主る。

中格貴砂金爐者,多是石山,有似於金爐之狀。若更有仙橋相應,主丹藥昇仙,及出御醫,膺聘榮顯。上格龍主富貴升朝,清要之官。中格龍主豪富好仙。賤龍主出師巫,及神壇寺廟。上格貴砂御屏風者,乃土星之特峙者也。要方正骨立、聳峙不欹斜、不走足,方為合格。上格龍主文臣宰輔,功著鼎彝,澤及子孫。中格龍主出鎮大藩,鉅富全福。賤龍主孤貧僧道。

中格貴砂「金炉」は、多半是石山にして、形状一只の香炉の如し。如果旁辺還た「仙橋」の形ありて相い呼応せば、丹を煉り薬を服し・道を修めて仙を成すを主り、亦た御医を出し・朝廷の延聘を受けて栄顕なるを主る。それ上格龍に配すれば、富貴にして而して官朝列に居り・清要の職に任ずるを主る。中格龍に配すれば、豪富にして而して神仙の事を好むを主る。賤龍に配すれば、巫师を出し・或いは神壇寺廟と縁を結ぶを主る。上格貴砂「御屏風」は、土星中の特別高聳挺立の一種。方正にして而して骨力挺拔・聳立して歪斜せず・山脚外走せざるを要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、文臣宰輔を出し・功勲鐘鼎彝器の上に銘刻せられ・恩沢子孫に延及するを主る。中格龍に配すれば、大藩に鎮出し・家資巨富にして而して福気完備を主る。賤龍に配すれば、孤苦貧寒の僧道を主る。

上格貴砂御書臺者,土星之低小者也。要頂方而平,面闊而正,忌斜破、走足、崩面、痕浪等弊。上格龍主經筵進講,東宮師保之貴,宸翰璽書之賜。中格龍主典郡。賤龍主僧道。上格貴砂皇帝座者,一峰聳立,兩肩均平者也。要中峰秀侵雲漢,兩旁平正,方為合格。忌斜欹、碎痕、破折,要四山擁從。上格龍主封王侯,子孫襲爵位,女后妃,朱紫滿門。亦出神仙。中格龍主文章名譽,尚書侍從。賤龍主州縣卑職,霑恩光。

上格貴砂「御書台」は、土星中の低小の一種。頂部方にして而して平・山面開闊にして而して端正を要求し。歪斜破損・山脚外走・山面崩塌および雨痕水浪此らの毛病を忌む。それ上格龍に配すれば、経筵上に於いて天子の為に書を講じ・東宮師保の貴を享し・并びに御筆璽書の賞賜を獲るを主る。中格龍に配すれば、一郡を執掌するを主る。賤龍に配すれば、僧道を出すを主る。上格貴砂「皇帝座」は、一峰高聳にして而して両肩平斉。中峰秀麗にして直ちに雲漢に挿し・両旁平正を要求し、始めて合格と算す。歪斜・碎痕・破折を忌み、還た四面の群山擁護随従するを要す。それ上格龍に配すれば、王を封じ侯を封じ・子孫世襲爵位し・女子宮に入りて后妃と為り・満門朱紫・亦た得道神仙を出すを主る。中格龍に配すれば、文章名誉あり・官尚書・侍従に至るを主る。賤龍に配すれば、州県卑微の職に任じ・略々恩沢に沾るを主る。

上格貴砂御爐之砂,金土相生,故貴。要圓方伶俐,尊貴有情,無欹斜破碎之形,方為合格。上格龍主日近天顏,身惹御香。中格龍主富貴而好事鬼神。賤龍主神廟威靈及僧道巫祝。上格貴砂滿床牙笏者,或尖峰,或石筍叢聚,有似於牙笏滿床。不論大小高低,但以清秀為吉。上格龍主三世同朝,滿門朱紫,累世富貴。中格龍主父子兄弟同科,文章名譽。賤龍主畫工、法師、僧道。

上格貴砂「御炉」は、金形与土形相生す、ゆえに尊貴。形体円方分明にして而して爽利・尊貴有情・歪斜破碎の形なきを要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、天天天子の容顔に接近し・身上御炉の香気に沾染するを主る。中格龍に配すれば、富貴にして而して鬼神を祭祀するを喜好するを主る。賤龍に配すれば、神廟霊験・或いは僧道巫祝を出すを主る。上格貴砂「満床牙笏」は、或いは一片の尖峰・或いは石笋叢聚し、看去満床象牙の朝笏を擺するが如し。大小高低を論ぜず、只要清秀なれば便ち吉。それ上格龍に配すれば、三代同朝為官・満門朱衣紫綬・累世富貴を主る。中格龍に配すれば、父子兄弟同科登第・文章名誉ありを主る。賤龍に配すれば、画工・法師和僧道を出すを主る。

上格貴砂誥軸、展軸、誥軸開花。誥軸砂者,乃土星而兩角高起者也。此格長闊者為展誥,狹小者為誥軸,皆以平正清秀、無破碎者為吉。又有軸上生花之格,若得貴人、蓋帳諸貴砂相應,力量愈勝。然展軸亦不專取土星,若水星兩角微起者,亦是展軸。但水星角起,又似仙橋。惟仙橋則角起頗高,而成兩火濟水之格,展誥則只微高而不成火星為異耳。上格龍主膺帝命,褒封恩寵,駙馬皇親。中格龍主貴近天顏。賤龍主小貴而富。

上格貴砂に「誥軸」「展軸」「誥軸開花」三式あり。所謂誥軸砂とは、是れ土星にして而して両角高高翹起し、一巻の誥命の如し。其中長くして而して寛のを「展誥」と呼び、窄くして而して小のを「誥軸」と呼び、皆平正清秀・破碎なきを以て吉と為す。另一種軸上に花を生ずるの格式あり、若し再び貴人・蓋帳等の貴砂の相い呼応するを得ば、力量便ち更に強し。不過展軸も亦た限定して必ず土星ならざるべからず。水星にして而して両角微微翹起するも、同様に是れ展軸。只是水星両角翹起する時また甚だ「仙橋」に似。区別は仙橋の角翹ること相当に高く、両火済水の格局を形成し、而して展誥の角只是微高にして、還た火星を成らず。それ上格龍に配すれば、帝命を領受し・褒封恩寵を蒙受し・駙馬皇親と為るを主る。中格龍に配すれば、顕貴にして而して天子に親近するを主る。賤龍に配すれば、小貴にして而して家道富足を主る。

中格貴砂跪爐砂者,山巒一頭高聳,一頭低平,如人跪之狀也。此砂宜高大,不宜破碎及走腳、飛動、順水。宜居水口。上格龍主尚書、宰執、侍從之臣。中格龍主富而好事神佛。賤龍主僧道能禮拜神佛。中格貴砂文筆者,文星尖秀卓立聳拔者也。要端正清奇,忌斜破走足。大凡筆砂,宜遠在天表。斷法云:“狀元筆,千里雲霄出。”上格龍主文章、科第、顯貴,名譽遠播。中格龍主有文名,典州郡。賤龍主蒙師,畫工精巧。

中格貴砂「跪炉砂」は、一座の山一頭高聳・一頭低平・人の跪着する様子の如し。此の種の砂は高大を宜しくし、破碎を宜しとせず、亦た山脚外走・形体飛動或いは水に順いて去るを宜しとせず。それは水口に立つに適合す。上格龍に配すれば、尚書・宰執和侍従の臣を出すを主る。中格龍に配すれば、家道富有にして而して神仏を奉事するを喜好するを主る。賤龍に配すれば、僧道誠敬に神仏を礼拜するを主る。中格貴砂「文筆」は、文星尖秀卓立・高聳挺拔の形状。端正清奇を要求し、歪斜破損・山脚外走を忌む。大凡筆形の砂は、宜しく遠々として天辺に立つべし。断法にいわく、状元筆は要して千里之外の雲霄の裏より冒出すべし、と。それ上格龍に配すれば、文章・科第・顕貴・名誉遠播を主る。中格龍に配すれば、文名あり・州郡を執掌するを主る。賤龍に配すれば、蒙館先生を為り・或いは手芸精巧の画工を為るを主る。

上格貴砂綵鳳筆者,火星插天而下有從山飛揚之勢,如綵鳳騰霄者也。要端正秀麗,遠在天表,方為合格。上格龍主理學崇儒,文章冠世,後學宗師,神童狀元,翰苑師保。中格龍主魁解、高第、奕世榮顯。賤龍主畫工精巧,名播天下。上格貴砂宰相筆者,火星卓立於土星之上而不居中。訣云:“宰相筆,案頭出。”要案正筆秀為合格耳。上格龍主出太平宰相,進秉鈞權。中格龍主京堂侍從,及鎮掌大藩。賤龍主蒙師,生徒眾多。

上格貴砂「彩鳳筆」は、火星天際に直挿し、下面又有随従の山飛揚の勢いを呈し、彩鳳の騰空して上るが如し。端正秀麗・天辺に遠在を要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、理学を研治し・儒術を崇尚し・文章当世に冠絶し・後学の宗師と為り・神童・状元和翰林院の師保を出すを主る。中格龍に配すれば、解元・高第に中り・幾代人栄顕するを主る。賤龍に配すれば、手芸精巧の画工を出し・名声天下に伝遍するを主る。上格貴砂「宰相筆」は、火星卓立して土星の上に在り、而且正中に在らず。口訣にいわく、宰相筆は、案頭より冒出す、と。案山端正・筆峰清秀を要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、太平宰相を出し・進みて国柄を執掌するを主る。中格龍に配すれば、京官堂上与侍従に任じ・或いは鎮守執掌大藩するを主る。賤龍に配すれば、蒙館先生を為りて而して学生衆多を主る。

上格貴砂三公筆者,三峰卓立於土星之上也。要秀麗清奇,中尊旁卑,不失其序,疏密相等,不欹不斜,方為合格。上格龍主公孤極品,掌握朝綱,身繫天下安危。中格龍主父子兄弟聯科,玉堂顯榮。賤龍主明經授徒,文名遠播而無顯位。下格賤砂罵天筆者,尖峰開兩岐也。縱秀麗亦不吉。劉白頭云:“文筆開丫又帶歪,十遭赴舉九空回。”即此之謂與?上格龍主刀筆進身,居官不正。中格龍主秀才不第,及畫工、訟師。賤龍主是非爭訟,出人缺唇。

上格貴砂「三公筆」は、三座の山峰卓立して土星の上に在り。秀麗清奇・中間一峰尊高・両旁略低・次序乱れず・疎密相等・歪まず斜めならざるを要求し、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、位三公三孤に至り・朝綱を掌握し・一身天下の安危を繫ぐを主る。中格龍に配すれば、父子兄弟联袂登科し・翰林玉堂に於いて顕栄するを主る。賤龍に配すれば、明経を以て出身し・館を開き徒を授け・文名遠播するも而して顕位なきを主る。下格賤砂「罵天筆」は、尖峰頂上分开して両個の岔を成す。縦に秀麗なりとも亦た不吉利。劉白頭のいわく、文筆頂上丫を開き又帯歪斜せば、十次赴考し九次空手にして回る、と。説的〜大概是此の一格か。それ上格龍に配すれば、刀筆文書を憑りて起家し・官を為りて正ならざるを主る。中格龍に配すれば、秀才応考中らず・或いは画工・訟師を為るを主る。賤龍に配すれば、一生是非争訟・家中兔唇の人を出すを主る。

上格貴砂狀元筆者,火星聳於土星之上,要正當其筆,又須土方正,火清秀,高而且遠,方為合格。上格龍主一舉登科,神童及第,公孤仙客。中格龍主科第文名,職掌文衡。賤龍主文章之士,儒官訓教。中格貴砂筆陣者,數峰特立,有似於筆陣,雖高卑不同,也宜中峰高,左右峰卑方好。若顛倒錯亂,則吉中有咎耳。上格龍主父子兄弟叔侄同登科第,俱有文名。中格龍主一家大小俱有文名,累舉不第。賤龍主畫師、法師。

上格貴砂「状元筆」は、火星聳立して土星の上に在り、筆峰正当中位を要求す。還た須く土星方正・火星清秀・既に高く且つ遠くして、始めて合格と算す。それ上格龍に配すれば、一挙登科・神童及第し・位三公三孤に至り・或いは方外高士と為るを主る。中格龍に配すれば、中科第・文名あり・科挙衡文の事を掌管するを主る。賤龍に配すれば、能文の士或いは儒学教官・訓導を為るを主る。中格貴砂「筆陣」は、好幾座の山峰特立並排し、一排の筆架の如し。諸峰高低同じからずと雖も、亦た当に中間峰高く・左右峰低くしてこそ好し。若し高低顛倒錯乱せば、那便ち吉中咎を帯ぶ。それ上格龍に配すれば、父子兄弟叔侄同登科第・人々皆文名あるを主る。中格龍に配すれば、一家老小皆文名あり・却って屢次応次応挙中らざるを主る。賤龍に配すれば、画師・法師を出すを主る。

下格賤砂鬥訟筆者,穴前兩尖相對如斗射也。凡穴前遇此,多主爭訟之應,兄弟不和,專好唆告詞訟。上格龍主為官不避權奸,直言為奏,好辯招非,嗜殺無情。中格龍主富,兄弟不和,及好爭鬥。賤龍主教唆詞訟,傾家蕩產。中格貴砂法師筆者,尖峰之上連開數歧,亦如罵天筆,而丫岐尤多者是也。若出自臺蓋之下,主因法而得官。上格龍主法師顯應,驅神役鬼,因以承恩。中格龍主法師用法而富。賤龍主法師流離困苦。

下格賤砂「闘訟筆」は、穴前両個の尖峰彼此相い対し、両枝の筆の互相闘射するが如く、名字取るは即ち相い闘り訟を興すの意。凡そ穴前此の種の砂に遇上せば、多く争訟の応・兄弟失和・専ら人の打官司を挑唆するを好むを主る。それ上格龍に配すれば、官を為りて権奸を回避せず・敢えて直言上奏するも・但し争弁を好みて禍を招き・且つ殺を嗜みて情なきを主る。中格龍に配すれば、家道富有にして而して兄弟不和・争闘を喜好するを主る。賤龍に配すれば、詞訟を教唆し・家を傾け産を蕩くすに弄るを主る。中格貴砂「法師筆」は、尖峰頂上接続して開き出すこと好幾個の岔・亦た「罵天筆」に似、只是丫岔更に多し。如果それ「台蓋」一類の尊貴星形の下より出づれば、法術を憑りて而して官を得るを主る。それ上格龍に配すれば、法師法を作して霊験あり・能く神を駆り鬼を役ふ、因此恩寵を承受するを主る。中格龍に配すれば、法師法を作すに靠りて致富するを主る。賤龍に配すれば、法師流離失所・窮困潦倒するを主る。

下格賤砂和尚筆者,尖峰之旁有陀背之形也。金火相戰,所以賤也。更有仙橋相助,的主高僧無疑。上格龍主高僧聰慧,有文名而霑恩寵。中格龍主僧人有法靈驗。賤龍主出貧僧。中格貴砂醮池筆者,文筆倒地醮入水中也。若順水,多離鄉出貴;若逆水,主鉅富,時進田產及橫財。上格龍主文章科第。中格龍主秀才有文名,鉅富。賤龍主蒙師、僧道、水溺。

下格賤砂「和尚筆」は、尖峰の旁辺に駝背状の円丘あり。这是金形与火形相冲戦す、ゆえに低賤。若し再び「仙橋」の形ありて相助せば、那便ち必定高僧を出して疑なし。それ上格龍に配すれば、聡慧の高僧を出し・文名あり并びに恩寵を蒙受するを主る。中格龍に配すれば、僧人法を作して霊験あるを主る。賤龍に配すれば、貧苦僧人を出すを主る。中格貴砂「蘸池筆」は、文筆形の山倒臥して下来り・筆尖水中に蘸進す。若しそれ水に順へば、多く離郷して而して後顕貴を主る。若しそれ水に逆らへば、家資巨富・不時田産を添置し・意外の財を得到するを主る。それ上格龍に配すれば、文章科第に中るを主る。中格龍に配すれば、秀才有文名にして而して家資巨富を主る。賤龍に配すれば、蒙館先生・僧道を為り・或いは溺水の災あるを主る。

上格富砂進田筆者,凡龍虎之山,帶低小之砂,逆水而上者是。吳公云:“進田之砂無左右,只要墳前有。逆來蘸水不教幹,買盡外州田。”然亦欲其彎抱如牛角,有情面穴方為上吉。亦有不在本身龍虎山,而在外來逆水,穴上見之有情,不尖射者皆是。進田筆主發外來橫財、田產。龍穴貴,則催貴。大抵此砂極易發,若近穴蘸水,寅葬則卯發。予嘗謂逆砂一尺可致富,亦指近穴者言耳。上格龍主一舉登科,為官富厚。中格龍主田連阡陌,時進橫財。

上格富砂「進田筆」は、青龍白虎両山低小の砂を帯出し・水に逆らいて上に伸るあの一種。呉景鸞のいわく、進田の砂は左右を分たず、只要墳前有れば便ち行ふ。それ水に逆らい伸来たり・筆尖水裡に蘸りてそれを干さしめざれば、便ち能く外州の田を買尽す、と。不過還たそれ彎抱して牛角の如く・穴場に朝着して情あるを要し、始めて上吉と算す。亦有りて本身龍虎山上に在らずして、而是外来の山水に逆らい伸来たり、穴上看去情あり・又尖利にして穴を射ざるは、同様に皆算す。進田筆は外来の意外の財与田産を得到するを主る。如果龍穴本身貴なれば、それ還た能く貴気を催発す。大体此の種の砂最も容易に効を見る、若し穴場に靠近して而して筆尖水を蘸れば、寅年下葬すれば卯年便ち発す。我曾ていわく逆砂一尺あれば便ち能く致富す、指的也正に是れ穴場に靠近する此の種。それ上格龍に配すれば、一挙登科し・官を為りて而して家道富厚を主る。中格龍に配すれば、田産連片・不時横財を得到するを主る。

賤龍。下格賤砂退田筆者,不論左右,但有山頭尖而順水去者,名退田筆。若兩水夾送流下去者,退敗尤甚,不問過穴與不曾過穴,但穴前尖者,便是退筆。凡有一田邱,一地角,隨水下去者,便主退賣田產。退筆多者,主倒盡田產,貧苦伶仃,離鄉背井,極為凶惡。立向先須避此。亦主少亡,生子不育,久而絕滅。尖射穴場者,主殺傷人命,鬥毆爭訟,破家亡身。舊說青龍為進田筆,白虎為退田筆者非是。上格龍主清貴威武,家無儲積。中格龍主貧窮,退盡家產。賤龍主乞丐。

進田筆一条の「賤龍」一項は、底本只留下此の両個字にして而して下文なし、応に是れ脱漏。下格賤砂「退田筆」は、左右を分たず、只要有山頭尖利にして而して水に順い去るは、便ち退田筆と呼ぶ。若是両道の水夾みて把它送下せば、退敗する更に厲害。不問它有没有越過穴場、只要在穴前是尖的、就是退筆。凡有一块田丘・一処地角随水下去的、就主変売田産。退筆多的、主田産全部敗光、貧苦孤零、離郷背井、極其凶悪、立向時首先要避開它。它還主人早亡・生子養不活、久了以致絶嗣。若尖頭直射穴場、主殺傷人命・闘殴争訟・家破身亡。旧説以青龍為進田筆・白虎為退田筆、那是不対的。它配上格龍、主為人清貴威武而家無積蓄。配中格龍、主貧窮、家産退尽。配賤龍、主淪為乞丐。

巻五下・諸砂図式(続)

下格賤砂離鄉砂者,順水飛走,無復關闌也。凡上下臂交過者,須要外一重有下手迴轉攔住方好。若外重無承托,只是過身,乃離鄉之應也。不過身而飛揚趨出者亦是。又有一等龍穴,朝應皆貴,而有離鄉之證者,此不足畏。蓋仕宦本離鄉而貴顯者,又多寄居他所。楊公云“官不離鄉任何所?”是也。亦須認龍穴端的,而後可用。上格龍主離鄉貴顯,立功異域。中格龍主離鄉發達。賤龍主遭配流移。

下格賤砂中的「離郷砂」、是説砂脚順着水流一路飛走、前面再没有横砂関攔。凡是穴場上下両臂交過的地方、一定要在外面再有一重砂、従下手方回転過来攔住、才算好。若外面此の一重没有承托、只是従穴身前一掠而過、那就是応験「離郷」的形状。砂根本不過穴身・径直飛揚趨出的、同様属于離郷砂。另有一种龍穴、朝山与応砂都很貴重、却兼帯離郷的徵験、此の种不必害怕。做官本来就要離開家郷才談得上顕達、而且多半僑居在別処。楊筠松説「官不離郷任何所」、講的正是此の個道理。不過仍要先把龍与穴認得確実、然后才可以取用。上格龍葬着此砂、主離郷而貴顕、在異域建立功勲。中格龍主離郷之后発達。賤龍則主遭流放配役・輾転遷移。本書砂格諸条原各配一図、今図形已佚、只存図題与断語。

上格貴砂筆架者,或三峰,或五峰,有似於筆架之狀,雖高低不同,亦宜中高旁低。若當高反低,當低反高,則吉中有咎也。上格龍主父子兄弟叔侄同科同朝。中格龍主三世五世俱有文名之士。賤龍主僧道法師有聲名。中格貴砂琉璃簾者,平岡下高田層疊磊落,水光橫列,如琉璃之狀。要如疊浪層均正,無尖破之形,方為合格。上格龍主出皇后、貴妃、國戚。中格龍主侍從之臣鉅富。賤龍主神廟。

上格貴砂裡的「筆架」、或者三座峰、或者五座峰、形状像搁筆的架子。峰頭雖然高低不斉、也応当是中間高・両旁低。若該高的反而低・該低的反而高、那就是吉中帯咎了。上格龍配上它、主父子・兄弟・叔侄同榜登科・同朝為官。中格龍主三代五代都出有文名的読書人。賤龍則主出有名声的僧人・道士・法師。中格貴砂裡的「琉璃帘」、是平岡之下高処的田塊層層畳畳・錯落分明、水光横鋪一片、像琉璃一様。要求像重畳的波浪那様層層均匀端正、没有尖利残破的形状、才算合格。上格龍主出皇后・貴妃与皇親国戚。中格龍主出侍従近臣、家資巨富。賤龍則只応神廟。

中格貴砂珍珠簾者,大山開帳,中間瀑泉為石所攔,滴滴如珠而下,故曰珍珠簾。龍賤為孝簾。上格龍主出妃嬪公主。中格龍主神佛香火顯靈。賤龍主多喪亡,長有孝服。上格貴砂狀元旗者,木星排列而身似水體,至山足,又開面出蛾眉文星,所以為貴也。要頭頂秀麗,有文筆、臺蓋相應者,方為合格。上格龍主大魁天下。中格龍主魁解出身,官居外閫,及女柄男權。賤龍主文名遠播而無寔。

中格貴砂裡的「珍珠帘」、是大山張開帳幕、帳中的瀑布被岩石攔住、水一滴一滴像珠子一様落下、所以叫珍珠帘。若来龍低賤、同様的形状就叫「孝帘」了。上格龍主出妃嬪与公主。中格龍主神仏香火霊験。賤龍則主家中屢有喪亡、長年披着孝服。上格貴砂裡的「状元旗」、是幾座「木星」峰並排列開、而山身又帯「水星」的波曲之体、到了山脚処再開面吐出「蛾眉文星」、因此可貴。要求峰頂秀麗、另有文筆峰・台蓋砂与之呼応、才算合格。上格龍主高中状元、名冠天下。中格龍主以解元・会魁出身、外放統兵一方、也主婦人掌男子之権。賤龍則主文名伝得很遠、却没有実在的功名。

中格貴砂招軍旗者,旗形高大,而眾腳飛揚,而有一帶纏繞,勢如招動者為合格。要甲馬頓起,有鼓相應者為眞。上格龍主義兵為開國之勳,世享爵祿。中格龍主義勇保障。賤龍主草寇、神廟、軍卒。中格貴砂得勝旗者,旗形攸揚卓立,大勢向內逆水,身頭似文旗,而山腳舒展,星峰光彩,所以為吉。上格龍主輔國元勳,銘功鼎彝,世襲承寵。中格龍主職掌元戎,武功受寵。賤龍主軍伍得功。

中格貴砂裡的「招軍旗」、旗形高大、衆多山脚向外飛揚、另有一条帯状的砂纏繞其間、気勢像旗子在招展揮動、才算合格。還要有「甲馬」砂頓然聳起・有「鼓」形山与它呼応、才是真的。上格龍主起義兵而成開国功臣、子孫世代享受爵位俸禄。中格龍主凭義勇保一方平安。賤龍則只出草寇・廟祝和兵卒。中格貴砂裡の「得勝旗」、旗形高揚挺立、大勢朝裡逆着水走、旗身与旗頭像文旗、山脚舒展開来、星峰光采煥発、所以為吉。上格龍主出輔佐国家的元勲、功労刻在鼎彝之上、世襲恩寵。中格龍主執掌軍中主帥之職、因武功受寵。賤龍則主在行伍中挣得一点功労。

中格貴砂戰旗者,卓立峻直,而有威武之象。此格如三品字者,若有鼓角相應,尤為顯貴。上格龍主出將入相,節制諸軍。中格龍主小官統領兵卒。賤龍主為卒上陣爭戰。上格貴砂令旗乃兩旗相向,而中開旁高者是也。要兩旗高低、大小相稱,足雖兩門飛揚,而身則聳立尊嚴,方為合格。此砂有兩等,一等正當穴前,一等兩峙水口,為門旗。此主大貴。上格龍主五府,出鎮撫諸將,節制數省。中格龍主兄弟統領兵卒。賤龍主橫逆大盜。

中格貴砂裡的「戦旗」、山体挺立而峻直、帯着威武的気象。此の一格若排成品字形三座、再有鼓形・角形的山与之呼応、尤其顕貴。上格龍主出将入相、統轄各路軍隊。中格龍主做小武官統帯兵卒。賤龍則只做士卒上陣厮杀。上格貴砂裡的「令旗」、是両面旗子相対、中間張開・両旁高起。要求両旗高低・大小彼此相称、山脚雖然向両側飛揚如両扇門、旗身却聳立而荘厳、才算合格。此の种砂有両等。一等正当穴前、一等分峙在水口両辺、叫作「門旗」、都主大貴。上格龍主位居五府、出鎮一方・撫馭諸将、節制好幾個省。中格龍主兄弟統帯兵卒。賤龍則出横行不法的大盗。

下格賤砂賊旗者,尖射破碎,欹斜醜惡,又有黑石巉巖,皆非吉格,故主凶。若出於水口,而穴間不見者,亦作吉斷。上格龍主大將專征伐,不忠赤族。中格龍主常遭賊凶劫殺。賤龍主兇賊劫掠之人。下格賤砂降旗者,榻地破碎而飛走,焰動順水也。頭身大勢向內,而旗腳向外者,為敗旗。頭身向外者,為降旗。上格龍主出入領兵,戰敗而降於敵人。中格龍主為大盜,終以降滅。賤龍主為盜寇,絕嗣滅族。

下格賤砂裡的「賊旗」、砂形尖利如箭而又破碎、歪斜丑悪、還夾着黑色的嶙峋怪石、都不是吉格、所以主凶。但若它出現在水口、而站在穴上看不見、也可以按吉論断。上格龍主出大将専主征伐、却因不忠而遭滅族。中格龍主常遭盗賊凶徒劫殺。賤龍則出行凶搶劫的人。下格賤砂裡的「降旗」、是砂身塌伏在地・破碎而飛走、形如火焰揮動並順水而去。頭与身的大勢朝裡・旗脚朝外的、叫「敗旗」。連頭帯身都朝外的、才叫「降旗」。上格龍主出入統兵、戦敗而投降敵人。中格龍主成為大盗、最終因投降而覆滅。賤龍則做盗寇、絶了後嗣・滅了全族。

下格賤砂敗旗亦榻地破碎,而不順水,差勝於降旗。蓋勝負兵家之常,降則辱國辱身,無復可為矣。此敗旗所以逆水也。上格龍大將征伐而敗。中格龍主將校萎靡不振。賤龍主寇盜誅夷。中格貴砂頓旗者,乃火星高聳而飛揚,故曰頓旗。須要山峰雄偉,氣勢軒昂,腳雖飛揚而不反亂者,方為合格。上格龍主出大將軍,及文臣專征伐。中格龍搃制三邊,軍功掀揭。賤龍主死軍卒兵敗。

下格賤砂裡的「敗旗」、也是砂身塌伏破碎、但不順水而去、比降旗稍強一些。勝敗本是用兵的常事、投降却是辱国辱身・再無可為、所以敗旗取逆水之势、降旗取順水之势。上格龍主大将出征而打敗仗。中格龍主将校萎靡不振。賤龍則主做寇盗而被誅戮。中格貴砂裡的「頓旗」、是「火星」峰高聳而向外飛揚、所以叫頓旗。必須山峰雄偉・気勢軒昂、山脚雖然飛揚却不反背散乱、才算合格。上格龍主出大将軍、也主文臣専掌征伐。中格龍主総制三辺軍務、軍功顕赫。賤龍則主兵敗身死于行伍。

中格貴砂頓鼓者,聳體金星,高大雄猛,有若頓鼓之狀。不宜破碎,要圓淨端正,方為合格。上格龍主出將軍及藩臣使節。中格龍主富而好音樂。賤龍主神廟靈蹟樂鼓之人。中格貴砂堆甲者,小山及平崗層疊重出,如堆甲之狀。要旗鼓二山相應,方為合格。若出自御屏、三臺之下,當作牙笏。上格龍主兵權武貴,汗馬功勞。中格龍主軍官威武,家積金玉。賤龍主疾病、爭兢、惡死。

中格貴砂裡的「頓鼓」、是聳立的「金星」山体、高大雄猛、像一面頓放在地上的大鼓。不能破碎、要円浄端正、才算合格。上格龍主出将軍以及外鎮之臣・奉使之官。中格龍主家富而愛好音楽。賤龍則出神廟霊跡裡司楽撃鼓的人。中格貴砂裡的「堆甲」、是小山或平岡層層畳畳地重出、像鎧甲堆放在一処。要有旗形山与鼓形山両相呼応、才算合格。若它出在「御屏」「三台」之下、就該改称「牙笏」了。上格龍主執掌兵権・以武功取貴、立下汗馬功労。中格龍主做軍官威武、家中積攢金玉。賤龍則主疾病・争闘与横死。

下格賤砂缽盂者,圓山多寡不一,有似於缽盂也。若出臺蓋之下,又當呼作盆盌之類,亦看後龍何如。或只一山圓而帶腳,亦是缽盂。上格龍主名僧及寺觀鉅富。中格龍主僧人小富。賤龍主出遊僧沿門化食。中格貴砂捷報者,秀峰疊起奔來,如出征奏捷,露布馳報之狀,故曰報捷。要山形光彩,來勢向穴。上格龍主登科及第。中格龍主巡司馹丞,承差之人。賤龍主出為人報捷及鋪兵。

下格賤砂砂裡的「鉢盂」、是円形的小山、多寡不定、形状像僧人的鉢盂。若它出在「台」「蓋」之下、又該叫作盆・碗一類、具体還要看後面来龍如何。有時只有一座円山而帯着山脚、也算鉢盂。上格龍主出有名的僧人、寺院道観極富。中格龍主僧人小有資財。賤龍則出雲遊僧沿門化縁討飯。中格貴砂裡的「捷報」、是秀麗的峰巒一重重湧起奔来、好像軍隊出征得勝・飛馳伝送捷報文書的様子、所以叫報捷。要求山形光采、来势朝着穴場。上格龍主科挙登第。中格龍主做巡検司・駅丞一類的小官和奔走承差的人。賤龍則出替人報捷的差役和逓鋪兵卒。

中格貴砂點兵者,皆亂石在平田或平野,而大小不一,或如豬羊牛馬,或如鴉鳥,或如人立。主大將建立功名之象。黑石無害也。上格龍主大將立功名,當身榮顯。中格龍主富而抱他人之子為己子。賤龍主惡疾患眼,病苦。中格貴砂屯軍者,小埠或土或石,雜立於外,平野與諸大山相間錯雜,有若屯軍之狀。上格龍主大將節制諸路,生殺自由。中龍格主武官。賤龍主淫亂混濁。

中格貴砂裡の「点兵」は、平田或いは平野上に乱石を散布し、大小不一、或いは猪羊牛馬の如く・或いは烏鴉飛鳥の如く・或いは人の直立するが如く、正に是大将軍伍を点閲し・功名を建立するの気象。此の一格はたとえ黒石なりとも亦た妨なし。上格龍は大将功名を建立し・本人就ち栄顕なるを主る。中格龍は家富にして而して別人の児子を抱養して自己の児子を作るを主る。賤龍は則ち悪疾・眼病に患え・終身病苦するを主る。中格貴砂裡の「屯軍」は、一些の小土埠・或土或石、雑然として羅列して外囲に在り、平野上の衆多大山と交錯相間し、好像軍隊の屯扎駐営す。上格龍は大将各路の兵馬を節制し・生殺己に由るを主る。中格龍は武官を出すを主る。賤龍は則ち家風淫乱混濁を主る。

下格賤砂降節者,本佛家神仙之具,其形有似於梳,切忌作正案。凡陽宅與陰地有此者,多為不吉。上格龍主異姓同居,淫亂不潔。中格龍主僧道有聲名。賤龍主神廟香火。上格貴砂踏節者,尖秀木星五峰以上,即為踏節。要均勻,大小疏密相等為合格。忌破碎、浪痕、折皺。上格龍主監司藩鎮,受節銊,兄弟齊名。中格龍主出使外國,及兄弟同貴。賤龍主承差仝雜職。

下格賤砂裡の「降節」は、本是仏家和神仙の所用の器物、形状一把の梳子の如し、最も忌諱するは把它当作正対穴前の案山。凡そ陽宅・陰地それを見れば、多半不吉。上格龍は異姓の人同一屋に同居し・家風淫乱不潔を主る。中格龍は僧道名声あるを主る。賤龍は則ち只神廟香火に応ず。上格貴砂裡の「踏節」は、尖秀の「木星」峰五座以上にあれば、便ち踏節と呼ぶ。峰峰均匀・大小疎密彼此相等を要求し、始めて合格と算す。破碎・波浪状の冲刷痕跡と折皺を帯ぶるを忌諱す。上格龍は監司・藩鎮の官を為り・朝廷の符節斧鉞の任を受け・兄弟斉名を主る。中格龍は外国に出使し・兄弟一同に顕貴するを主る。賤龍は則ち承差和各類雑職を為るを主る。

上格貴砂旌節者,與踏節不同。星峰橫列,缺少一邊,謂之旌節。要清秀光彩,忌浪痕崩破。上格龍主出鎮大藩,祖孫同朝。中格龍主兄弟俱有文名,而無顯貴。賤龍主出人有才能。中格貴砂獨節者,平時會藩儀從,有獨節杖是也。其形如杖,上踏鐵環,從卒以手持之,獨環便有踏響之聲,以警行者。上格龍主立大藩,權制一路。中龍格主將兵異域。賤龍主軍卒。

上格貴砂裡の「旌節」は、踏節と同じからず。星峰横排成列するも・却って一辺を缺く、这便ち旌節と呼ぶ。清秀にして光采あるを要求し、波浪冲痕と崩塌残破を帯ぶるを忌諱す。上格龍は大藩に鎮出し・祖孫同朝為官を主る。中格龍は兄弟皆文名あり・却って顕赫の官位なきを主る。賤龍は則ち才能ある人を出すを主る。中格貴砂裡の「独節」は、象を平日藩司集会の時儀仗随従の執する独節杖に取る。形状一根の杖の如く、杖上に鉄環を套し、随従手を用ゐて持し、只此一個の環一頓して響声を発し、用ゐて路人を警示す。上格龍は府を開きて大藩・権一路を掌るを主る。中格龍は兵を領して異域に在るを主る。賤龍は則ち只兵卒を出すを主る。

中格富砂裀褥二格者,同是平面土星,其形乃平鋪於下,如鋪氈展席。但二者形體亦各不同。裀平而方,褥平而長,冢前多有之,最難察識。看山不如按圖。按圖而視之,方圓長短燦然可見;登山而望之,則衣襭滿目,東西迷向,而胸中之方圓規矩、曲直準繩已冥然而無據矣。此非可以紙上語者也。上格龍主貴近天顏。中格龍主富而多子。賤龍主僧道多徒,亦主多疾。

中格富砂裡の「裀」「褥」両格は、同様に皆是れ平面の「土星」にして、形状平平として穴下に鋪き、一張の毡を攤開し・一領の席を展開するが如し。但し両者の体形各有不同。裀是れ又平又方、褥是れ又平又長、墳塚の前面多く此の種の砂あり、却って最も難く辨認す。山を看るは反って図を看るに如かず。図に照らして看れば、方的円的・長的短的一目瞭然。親自山に登りて望めば、則ち満眼皆是れ衣褶の如き起伏、連ねて東西の方向も迷失し、心裡原本あの套の方円規矩・曲直準縄も、茫然として依据する所なし。此の中間の分寸は、紙上幾句話の講清する能くする所にあらず。上格龍は顕貴にして而して天子に親近するを主る。中格龍は家富にして而して子息衆多を主る。賤龍は則ち僧道門下徒衆多・亦た多病を主る。

中格富砂曬袍、堆袍二者不同,一山展揚,稍有飛動皺摺者為曬袍,重重疊疊,皺摺不一者為堆袍。皆欲其有情而向穴。若反朝向外,加以尖利,則為不吉。以袍領向穴,體勢皆順,故主貴。袍,章服也,為身之飾,而又耀之以日光,故主文章,又以為面君之物,故主貴。上格龍主世代有貴而不大顯。中格龍主為官多是非,黜罷不得超達。賤龍主殺傷破敗,投降外國之應。

中格富砂裡の「晒袍」和「堆袍」両者不同。一座の山展開揚起し・略々飛動の褶皺を帯ぶる是れ晒袍。重重畳畳・褶皺高低不一の是れ堆袍。両者皆情ありて穴場に朝向するを要求す。如果反って外に朝向し・再加上形体尖利なれば、便ち不吉。袍領を以て穴場に対し・体勢皆順なれば、ゆえに貴を主る。袍是れ朝廷の章服にして、本為身上の装飾、晒袍又日光に映じて、ゆえに文章を主る。又因に它面見君王の時穿するの東西なれば、ゆえに貴を主る。上格龍は世代官爵あり・只是不甚顕赫を主る。中格龍は官を為りて多く是非を招き・罢黜せられて而して顕達する能わざるを主る。賤龍は則ち殺傷破敗に応じ・甚至外国に投降するを主る。

上格貴砂幞頭者,開肩土星,中高兩旁肩低,有似於幞頭也。其為物既加於人首,固為貴矣。矧非人臣面君不敢戴,尤為最貴重者也。穴前見有此砂,欲其方正端嚴,不欹斜,不破碎,方為合格。又有一等土星,開一邊肩者,亦為之幞頭。廖氏又以之為幞頭匣。要之,皆幞頭耳。嘗見有此形者,多是大貴之地。然亦當以後龍定其貴之輕重焉。上格龍主王侯烈士,公孤極品,世享爵祿。中格龍主方面大臣,富貴有聲。賤龍主富盛。

上格貴砂裡の「幞頭」は、両肩を開出せる「土星」にして、中間高く・両旁の肩低く、形状官員の戴する幞頭の如し。此の件の東西既然人の頭上に戴けば、本来就貴。況んや不是臣子面見君王の時不敢戴せば、就更是最貴重なり。穴前此の種の砂を見れば、它方正端厳・歪斜せず・破碎せざるを要し、始めて合格と算す。另有一种土星只開一辺肩的、也叫幞頭、廖金精又称它為「幞頭匣」、総之都属幞頭一類。我們兄弟見過帯此の種砂的地、多半是大貴之地。不過仍要按後面来龍的貴賤、来定它貴到什麼程度。上格龍主出王侯烈士・三公三孤的极品大員、世代享受爵禄。中格龍主出独当一面的大臣、富貴有名望。賤龍則只主家道富盛。

中格貴砂流笏者,一字文星順水而流,或泛水,皆謂之流笏。但順水者多主離鄉而有富貴。上格龍主大富,離鄉發貴,及出使外國。中格龍主離鄉而富。賤龍主流落他鄉,及水溺。下格富砂堆肉者,山岡簇集,如堆肉之狀。重重疊疊,大小不等。若圓淨,主富;亦如堆甲之狀,又主武貴。破碎則凶。上格龍主大富,亦主武貴,以其有類堆甲。中格龍主淫亂濁富。賤龍主貧窮淫濫。

中格貴砂裡の「流笏」は、一字形の「文星」水勢に順いて流去り・或いは水面上に浮ぶ、皆流笏と呼ぶ。其中水に順いて去るは、多く離郷在外にして而して富貴を得るを主る。上格龍は大富・離郷して而して貴を発し・亦た外国に出使するを主る。中格龍は離郷して致富するを主る。賤龍は則ち他郷に流落し・甚至水中に淹死するを主る。下格富砂裡の「堆肉」は、山岡叢聚して堆を成し、一块块の肉堆在一起の如く、重重畳畳・大小不等。若し形体円浄なれば、富を主る。様子若し又「堆甲」に似れば、還た兼ねて武貴を主る。一旦破碎せば便ち凶。上格龍は大富・亦た武貴を主る、因為它有几分像堆甲。中格龍は家風淫乱・富得不清を主る。賤龍は則ち貧窮にして而して淫濫を主る。

下格賤砂提籮者,如乞丐提籮之狀。此山穴上不宜見之,最為不吉,砂格中之所深忌者也。上格龍主雖有富貴,不免有瘋癲之人。中格龍主僧道。賤龍主乞丐。下格賤砂幡者,山腳飛揚,奔走長遠,或一里,或數里,如今人立旙之狀。順水者凶,逆水者吉。上格龍主武職威權。中格龍主富離鄉,淫奔夭折。賤龍主僧道神靈,長病癆瘵。

下格賤砂裡の「提籮」は、形状乞食の提げて飯を討ふ籮筐の如し。此の種の山は宜しく穴上に於いて看見すべからず、最も不吉、是れ砂格中の最も忌諱する一種。上格龍は雖然仍有富貴、家中也難免出瘋癲的人。中格龍只出僧道。賤龍則出乞食。下格賤砂裡の「幡」は、山脚向外飛揚し・一路奔走很遠、或者一里、或者好幾里、像今人竪立的長幡。順水去的凶、逆水回的吉。上格龍主武職而有威権。中格龍主離郷致富、却有淫奔私逃・少年夭折之事。賤龍則出僧道神漢、家中長年有人患癆瘵。

下格賤砂破傘似椶櫚葉,一峰端正,分腳停勻。然前砂見之亦不吉,何況破碎乎?宜其凶也。上格龍主好殺狠惡,威武名揚。中格龍主富而不潔。賤龍主爭兢貧窮無賴之事。中格貴砂靴履似幞頭而非幞頭,上下二級停勻。靴履下級,靴面低長,與上級不稱,是為靴。履雙只主貴,單隻者主清高、孤獨,難為妻子。上格龍主文臣侍從,碩儒執禮。中格龍主富而好禮。賤龍主螟蛉長病。

下格賤砂裡の「破傘」は、形状棕櫚的葉子の如く、一座峰端正、脚分得也均匀。可是傘形的砂出現在穴前本就不吉、何况又是破碎的呢。它主凶是理所当然的。上格龍主為人好殺狠悪、却以威武揚名。中格龍主富而行事不清白。賤龍則主争闘・貧窮和無頼之事。中格貴砂裡的「靴」「履」、様子像幞頭又不是幞頭、上下両級高低均匀。靴履的下一級裡、靴的面低而長、与上一級不相称的、就是「靴」。履成双的主貴、単只的主清高孤独、妻児難保。上格龍主出文臣近侍・執礼的大儒。中格龍主富而好礼。賤龍則主抱養他人之子而且長年患病。

下格賤砂僧鞋,是同一平阜中有分開之紋,以袱裹鞋之象也。順水者凶,逆水者主出富僧。上格龍主出高僧,逰遍天下,有名。中格龍主僧人有智慧。賤龍主貧僧長病。上格貴砂玉帶者,橫木彎抱,有似於帶。又有金魚以應之,則為玉帶。金魚者,帶之旁或帶之首有墩阜,或石如金魚之狀者是也。上格龍主公孤之貴,進封侯伯,蟒衣玉帶。中格龍主高科,典大藩。賤龍主女貴。

下格賤砂裡的「僧鞋」、是同一個平緩的土阜中間有一道分開的紋路、取象於用包袱裹着的鞋子。順水去的凶、逆水回的主出富有的僧人。上格龍主出高僧、雲遊天下、声名遠播。中格龍主僧人有智慧。賤龍則主貧僧長年患病。上格貴砂裡的「玉帯」、是横臥的「木星」弯抱穴場、形状像一条腰帯。再有「金魚」与它相応、就成了玉帯。所謂金魚、是帯的旁辺或帯的一頭有小墩阜、或者有形如金魚的石頭。上格龍主三公三孤之貴、進封侯伯、穿蟒袍繫玉帯。中格龍主高中科第、掌管大藩。賤龍則主家中女子顕貴。

中格貴砂金帶、銀帶,平面水星彎抱者,皆謂之金帶、銀帶。或平坡,或田圳,皆以圓抱穴場者為是。此砂不拘順水逆水,蓋帶總是抱過身者也。上格龍主典州郡,及因婦而貴。中格龍主縣宰之官,主有女貴。賤龍主經商。上格貴砂金魚者,墩阜之長曲者也。此砂不宜作正案,宜居下關,宜居水口。若水口間有洲塞鎮,亦名游魚洲,主富貴悠久。上格龍主鼎鼐之臣,滿門朱紫。中格龍主典州郡,及鉅富。賤龍主出人飄蕩,及出遊僧。

中格貴砂裡的「金帯」「銀帯」、凡是平面的「水星」弯抱穴場的、都叫金帯・銀帯。或是一道平緩的山坡、或是一条田間水溝、只要円円地抱住穴場就算。此の種砂不論順水逆水都可以、因為帯本来就是環抱過穴身的。上格龍主執掌州郡、也主因妻室而得貴。中格龍主做知県、家中出顕貴的女子。賤龍則主経商。上格貴砂裡的「金魚」、是又長又弯曲的墩阜。此の種砂不宜作正対穴前的案山、宜居下関、宜居水口。若水口中间有沙洲塞住・鎮住去水、又叫「游魚洲」、主富貴長久。上格龍主出宰輔大臣、満門朱紫。中格龍主掌管州郡、或成巨富。賤龍則主出人漂泊無定、或出雲遊僧。

上格貴砂玉幾,反覆皆可。蓋玉幾之後,必有貴人圓正,或尖峰巒。玉幾反而抱之,亦如貴人御玉幾之狀,故反覆皆貴。上格龍主大貴,位至三公。中格龍主方面重臣。賤龍主僧道。中格貴砂席帽砂者,亦臺星之變格。要均勻清秀,忌斜側、走竄、破碎。上一格有貴人者為勝,二格低小雜職,三格大貴。上格龍主升朝侍從之臣。中格龍主郡牧邑宰。賤龍主出僧道。

上格貴砂裡的「玉几」、正着放・反着抱都可以。因為玉几背後必定有円正的「貴人」峰、或者尖聳的峰巒。玉几反过来抱住它、也正像貴人凭倚玉几的様子、所以正反両种都貴。上格龍主大貴、官至三公。中格龍主出独当一面的重臣。賤龍則只出僧道。中格貴砂裡的「席帽砂」、也是「台星」的変格。要求均匀清秀、忌諱歪斜・走竄和破碎。上面一格有貴人峰相伴的最好、第二格低小的只応雑職小官、第三格則主大貴。上格龍主升朝為侍従之臣。中格龍主做郡守県令。賤龍則出僧道。

中格貴砂模糊席帽者,或圓頂不起,或尖而斜,或走一足,皆是也。上一格主為官不正,無治才決斷。下一格差勝。上格龍主世代有官不替。中格龍主郡牧邑宰。賤龍主道士。中格貴砂唐帽與席帽相似,但無腳者為席帽,有腳者為唐帽,亦曰唐幞,其寔皆一類也。有腳亦名垂帶。斷訣云:“唐帽若垂帶,才子文章快。”上格龍主世代有官不替。中格龍主清高,徵召不起。賤龍主道士軍配。

中格貴砂裡的「模糊席帽」、或者円頂隆不起来、或者尖而歪斜、或者跑出一隻脚、都属此の一類。上面一格主做官不端正、没有治事的才幹和决断。下面一格稍好一些。上格龍主世代有人做官不断絶。中格龍主做郡守県令。賤龍則只出道士。中格貴砂裡的「唐帽」与席帽相似、区別在于没有脚的是席帽、有脚的是唐帽、也叫「唐幞」、其実都是一類。有脚的又叫「垂帯」。断訣説「唐帽若垂帯、才子文章快」。上格龍主世代有人做官不断絶。中格龍主為人清高、朝廷徴召也不出仕。賤龍則出道士、或遭充軍発配。

上格貴砂鐵帽與席帽相似,但席帽、唐帽皆清秀,鐵帽則腫丑帶石為異耳。其貴賤全繫於龍穴。上格龍主軍官有功,世襲戎宦。中格龍主武臣富。賤龍主軍配遭凶,貧賤。上格貴砂三峰畧起,頭圓者為寶蓋。要均勻、端正、清秀,忌破碎、飛走、斜側、帶石、醜惡。若遠而清者大貴。亦有二山三山相應結成者,亦當同斷。上格龍主升朝顯貴。中格龍主科第,典州郡。賤龍主僧道。

上格貴砂裡的「鉄帽」与席帽相似、只是席帽・唐帽都清秀、鉄帽却臃腫丑陋並夾帯石頭、这是它们的分别。鉄帽応貴還是応賤、全看龍与穴如何。上格龍主武官立功、世襲軍職。中格龍主武臣富有。賤龍則主充軍発配・遭遇凶禍、一生貧賤。上格貴砂裡、三座峰略略隆起・峰頭円渾的叫「宝蓋」。要求均匀・端正・清秀、忌諱破碎・飛走・歪斜・帯石与丑悪。若离得遠而形体清秀的、主大貴。也有由両座山・三座山彼此呼応而合成宝蓋形的、同様按此論断。上格龍主升朝顕貴。中格龍主科第出身、掌管州郡。賤龍則只出僧道。

上格貴龍三峰起,帶尖者為華蓋。要均勻齊正,清秀端嚴。忌破碎、斜側、飛走、石丑。大抵雖有丑形而遠者,則不必泥。上格龍主文章清史,功著鼎彝。中格龍主科第,典州郡。賤龍主僧道。上格貴龍獨出一峰,似華蓋而短小者為冠蓋。要均勻齊整、清秀端巖。忌破碎、丑粗、飛走、斜側、不正。得儀仗旌節尤貴。上格龍主科第顯貴,車馬填門。中格龍主富,僕馬豐盈。賤龍主神廟卒從之徒。

上格貴龍前面三座峰聳起・峰頭帯尖的、叫「華蓋」。要求均匀斉整端正、清秀而荘厳。忌諱破碎・歪斜・飛走和石形丑悪。大体上説、即使形状有些丑而距離很遠、也就不必拘泥了。上格龍主文章名世・身列清史、功勲銘刻鼎彝。中格龍主科第出身、掌管州郡。賤龍則只出僧道。上格貴龍前面単独聳出一峰・像華蓋而短小的、叫「冠蓋」。要求均匀斉整・清秀端荘。忌諱破碎・粗丑・飛走・歪斜不正。若再配上儀仗・旌節等砂、尤其貴重。上格龍主科第顕貴、車馬擠満門庭。中格龍主家富、僕従車馬充足。賤龍則出神廟裡供役随従的人。

上格貴砂三峰尖微茫出者為馬蓋,要清秀端正,忌破碎粗丑,飛走斜側,得儀仗、旌節尤貴。上格龍主出大將軍,威鎮華夷。中格龍主文武兼全,及高壽。賤龍主敗走無成。中格貴砂出使馬者,馬山之下拖尖利之砂也。馬本馳走之物,復見飛走之砂出於其下,本有遠使之象。上格龍出使外國,有功榮顯,及威鎮華夷。中格龍主多僕馬豪富,而奔走外鄉。賤格主出走馬及木匠。

上格貴砂中、三座峰尖只隠隠約約露出一点的、叫「馬蓋」。要求清秀端正、忌諱破碎粗丑・飛走歪斜。若再配上儀仗・旌節等砂、尤其貴重。上格龍主出大将軍、威名震摂中原与四夷。中格龍主文武双全、而且長寿。賤龍則主兵敗奔逃・一事無成。中格貴砂裡的「出使馬」、是馬形山下面拖出一条尖利的砂。馬本是奔馳的東西、下面又見到飛走的砂、本来就有遠行出使的意象。上格龍主出使外国、立功而栄顕、也主威震華夷。中格龍主僕従車馬衆多・家道豪富、却要奔走在外郷。賤龍則出替人跑馬的差役和木匠。

中格貴砂帶旗馬者,馬山之下拖焰動之砂,如旗之飛動者也。旗馬共是一山者,方為合格。上格龍主出元戎摠兵,專節銊,主功勳。中格龍主將校有武功。賤龍主出草寇、大盜,及神廟。上格貴砂交馳馬者,兩兩雙峰,如馬之相馳驟也。要兩馬之山,一馬左高右低,一馬右高左低,方為合格。上格龍主兄弟叔侄連登科第,朱紫滿門。中格龍主富冠鄉邑,多駿馬。賤龍主出人走馬奴隸。

中格貴砂裡的「帯旗馬」、是馬形山下面拖出一条像火焰揮動的砂、好比旗幟在飄揚。旗与馬必須同出于一座山、才算合格。上格龍主出統兵的元帥総兵、専掌符節斧鉞、建立功勲。中格龍主将校立下武功。賤龍則出草寇大盗、或只応神廟。上格貴砂裡的「交馳馬」、是両座峰成双成対、像両匹馬交錯奔馳。要求此の両座馬形山、一匹左高右低、一匹右高左低、才算合格。上格龍主兄弟叔侄接連登科、満門朱紫。中格龍主家富為一郷之冠、多有駿馬。賤龍則出替人跑馬的奴僕。

上格貴砂帶甲馬者,馬山身帶痕跡,如戰馬之披甲也。要旗鼓、貴人諸砂相應,其穴尤吉。上格龍主出大將軍,專征伐,立功邊塞。中格龍主偏將有功。賤龍主神壇廟宇靈顯。上格貴砂天馬者,峙立雙峰,一高一低,有似於馬,故曰天馬。然以天名之,亦欲其高聳清秀,遠貼天表耳。在午未者尤貴。上格龍主出典大藩,方面之職。中格龍主五馬專城。賤龍主走卒牧馬之人。

上格貴砂裡的「帯甲馬」、是馬形山的山身上帯着一道道紋痕、像戦馬披着鎧甲。要有旗・鼓・貴人等砂与它呼応、此の個穴就格外吉利。上格龍主出大将軍、専掌征伐、在辺塞立功。中格龍主副将立功。賤龍則只応神壇廟宇霊験。上格貴砂裡的「天馬」、是両座峰対峙而立、一高一低、形状像馬、所以叫天馬。既然用「天」来命名、也就要它高聳清秀、遠遠貼在天辺才好。位在午方・未方的尤其貴重。上格龍主執掌大藩、担任独当一面的職務。中格龍主做一郡之守。賤龍則出走卒和牧馬的人。

上格貴砂勒馬回頭者,天馬山轉腳也。要清秀,忌破碎。若見旗鼓相應,主武職威名,汗馬功業。上格龍主出使邊方,威武烜赫。中格龍主鉅富僕馬。賤龍主牧馬販馬。下格賤砂破網者,披折洪破雜出。主家業破落,泉漏不幹。又主疽瘡,及冷潰骨疽肷爛之疾。又主徒杖刑罪。上格龍主武職。中格龍主家業或興或敗,及惡疾之人。賤龍主徒杖刑罪、貧窮。

上格貴砂裡的「勒馬回頭」、是天馬山把山脚転過来朝着穴場。要求清秀、忌諱破碎。若又見旗・鼓等砂呼応、主担任武職而有威名、立下汗馬功業。上格龍主奉命出使辺地、威武顕赫。中格龍主家資巨富・僕従車馬衆多。賤龍則做牧馬・販馬之人。下格賤砂裡的「破網」、是砂形披離折断・大片破損、雑乱地一斉冒出。它主家業破落、像泉眼漏水一様不停地耗散。又主生疽瘡、以及潰爛不收口的骨疽・腰脇潰爛一類病症。還主犯徒刑・杖刑之罪。上格龍主担任武職。中格龍主家業時興時敗、家中有患悪疾的人。賤龍則主受徒杖刑罰・貧窮。

中格貴砂錦帳乃水星橫闊者,有數格,皆取得於龍。若富龍則為帳,若貴龍則為掛榜之砂耳。要長闊方齊,無浪痕破碎,無山腳飛斜,方為合格。右一格山頭歪側而粗,更有砂碎巉巖,而山足飛斜散亂,則為鶉衣百衲之格也。然雖破碎而遠,亦不為害。凡丑形,未有不是近者。凡秀砂,未有不是遠者。欲辨砂形之姸媸,亦當審其遠近耳。上格龍主貴。中格龍主富冠鄉邑。賤龍主淫亂。

中格貴砂裡的「錦帳」、是横闊展開的「水星」、共有幾种格式、取用哪一种都要看来龍。若是富龍、它就是帳。若是貴龍、它就成了「掛榜」砂。要求山身長而闊・方整斉平、没有波浪状的冲刷痕跡和破碎、也没有山脚飛斜、才算合格。右辺一格山頭歪斜而粗、還夾着破碎嶙峋的怪石、山脚飛斜散乱、那就成了破衣百結的「鶉衣百衲」格。不過雖然破碎、只要離得遠、也不為害。凡是丑形、没有不是近処才顕出来的。凡是秀砂、没有不是遠処才成其秀的。要分辨砂形的美丑、也就該先看它的遠近。上格龍主貴。中格龍主家富為一郷之冠。賤龍則主家風淫乱。

下格賤砂棺形橫見者,主喪禍,亦客亡棄官而歸。若斜而順水者,主客死在外,靈櫬不歸。上水者,亦主返亡。頭高尾低者為棺。首尾平勻者非也。上格龍主為官在外而死。中格龍主為商溺水而死。賤龍主全家瘟疫而死。中格貴砂橫琴者,平岡眠體木星,兩頭微低,有似平琴之狀。亦曰文星,要清秀平正,方為合格。忌破碎尖竄。上格龍主文章譽望,富貴雙全。中格龍主清秀富足、尊嚴。賤龍主人好琴而清貧。

下格賤砂裡的「棺形」、横着出現在穴前、主喪事凶禍、也主客死他郷或棄官而帰。若砂形歪斜又順水去、主死在外地、霊柩都運不回来。若逆水而上、也主亡故還郷。頭高尾低的才算棺、首尾一様平的就不是。上格龍主做官死在外任。中格龍主経商時淹死。賤龍則主全家死于瘟疫。中格貴砂裡的「横琴」、是平岡上横臥的「木星」、両頭略低、形状像一張平放的琴、也叫「文星」。要求清秀平正、才算合格。忌諱破碎和尖頭乱竄。上格龍主文章有名望、富貴双全。中格龍主人品清秀・家道富足而有尊厳。賤龍則主為人愛弹琴而家境清貧。

中格貴砂金筒玉軸,方而直長者為金筒,方而橫長者為玉軸。二形雖別,但以彷佛似之,不可拘泥也。上格龍主文章科第,祿及子孫。中格龍主州縣左右之官。賤龍主僧道符法之人。中格貴砂妝臺者,星峰疊擁,有若妝臺之狀。後龍若貴,亦出大貴。不然,只主女貴而已。上格龍主嬪妃,而家亦因女有貴。中格龍主女貴。賤龍主女子嬌妖淫賤。

中格貴砂裡的「金筒」和「玉軸」、方而竪長的是金筒、方而横長的是玉軸。両者形状雖然有別、但只要大体相似即可指認、不必拘泥。上格龍主文章出衆・科第登第、俸禄惠及子孫。中格龍主做州県衙門裡的佐貳之官。賤龍則出僧道和以符籙法術為業的人。中格貴砂裡的「妝台」、是星峰層層簇擁、形状像女子梳粧的台子。後面来龍若貴、也能出大貴之人。若来龍不貴、就只主家中女子顕貴而已。上格龍主出嬪妃、家中也因女子而得貴。中格龍主女子顕貴。賤龍則主女子妖冶淫賤。

中格貴砂鏡臺,以台山之外圓峰出頭,如鏡之狀,故謂之鏡臺。要星峰圓正,適相登對,方為合格。上格龍主女貴為后妃,及榮膺一品。中格龍主女貴受誥封,多生女。賤龍主女淫賤。中格貴砂杯盤者,小山重疊,有似於杯之狀。其為噐,富貴貧賤之家皆有之,卻非貴砂也。上格龍主位至正卿,為國之楨幹。中格龍主饕餮飲食之人。賤龍主僧道。

中格貴砂裡的「鏡台」、是台形山之外有一座円峰探出頭来、形状像一面鏡子、所以叫鏡台。要求此の座星峰円正、恰好与台山両相対応、才算合格。上格龍主家中女子貴為后妃、或栄膺一品誥命。中格龍主女子顕貴・受朝廷誥封、並且多生女儿。賤龍則主女子淫賤。中格貴砂裡的「杯盤」、是小山重重畳畳、形状像杯子。杯盤此の种器具、富貴人家和貧賤人家都有、所以它其実算不上真正的貴砂。上格龍主官位做到正卿、成為国家的棟梁。中格龍主出貪求口腹之欲的人。賤龍則只出僧道。

上格貴砂五雷者,或高山,或平岡,有五峰叢立,有五山排立,皆謂之五雷之格。上格龍主五馬專城,腰金衣紫。中格龍主兄弟同科而有威名。賤龍主雷驚惡死。上格貴砂龍樓鳳閣,本王者之居,最為貴重,必大貴之地方可當此。故《玉髓經》云“前砂見此主大貴,左右君王日月朝。”蓋不借他星相助,自能致貴。上格龍主封公侯,朱紫滿門,富貴鼎盛。中格龍主宰相,男尚公主。賤龍主掌大權。

上格貴砂裡的「五雷」、無論出在高山還是平岡、只要有五座峰叢聚而立、或者五座山排列成行、都叫五雷格。上格龍主做一郡之守、腰佩金印・身穿紫袍。中格龍主兄弟同榜登科而有威名。賤龍則主被雷惊吓・遭横死。上格貴砂裡的「龍楼鳳閣」、本是帝王居住的宮室、最為貴重、必得是大貴之地才当得起。所以張子微《玉髄経》説「前砂見此主大貴、左右君王日月朝」。此の種砂不用借別的星峰相助、自己就能招致貴気。上格龍主封公封侯、満門朱紫、富貴鼎盛。中格龍主做宰相、家中男子娶公主。賤龍也主掌握大権。

上格貴砂簾幕乃高山連峰,如鋪簾圍,如設幙,不缺不折,不凹不斷,斯謂簾幙貴砂。上格龍主富貴雙全。中格龍主富盛,賓客滿門。賤龍主名妓,多交貴人。中格貴砂御傘者,星辰帶水浪痕折,有似於傘,但不宜破碎、欹斜,方為合格。亦須高聳特異則貴。上格龍主登第貴顯,出身即為朝官。中格龍主馹丞巡司。賤龍主皂隸奴僕。

上格貴砂裡的「帘幕」、是高山連成一排峰巒、像掛起一道帘子囲住、又像張設起一重帷幕、不缺口・不折断、不凹陷・不中断了、这才叫帘幕貴砂。上格龍主富貴双全。中格龍主家道富盛・賓客満門。賤龍則出名妓、多与貴人往来。中格貴砂裡的「御傘」、是星峰帯着「水星」的波浪皺痕、形状像一把傘。但不能破碎・歪斜、才算合格、還要高聳出衆才顕貴。上格龍主科挙登第而貴顕、一出仕就做朝官。中格龍主做駅丞・巡検一類小官。賤龍則出衙役奴僕。

上格貴砂御臺者,平正秀麗,似金非金。金則蛾眉矣。似土非土,土則相臺矣。似木非木,木則一字文星矣。此砂千不逢一。上格龍為禁穴,出后妃。中格龍出宰相。賤龍出女貴。上格貴砂御臺前有日月者,尤為至貴之應。或日月山左右夾照,皆為至貴。上格龍為禁穴,出后妃。中格龍出宰相、神童、狀元。賤龍亦有小貴。

上格貴砂裡的「御台」、形体平正秀麗、像「金星」而又不是金星——真是金星、就該叫「蛾眉」了。像「土星」而又不是土星——真是土星、就該叫「相台」了。像「木星」而又不是木星——真是木星、就該叫「一字文星」了。此の種砂千中難逢其一。上格龍葬着它便是帝王禁穴、出皇后妃嬪。中格龍出宰相。賤龍也出顕貴的女子。上格貴砂裡、御台之前再有日形山・月形山的、更是至貴的徵応。或者日山・月山分列左右夾照穴場、同様至貴。上格龍為禁穴、出后妃。中格龍出宰相・神童・状元。賤龍也有小貴。

中格貴砂掣電者,岡阜走動如生蛇也。更有流水隨山走動,謂之掣電水龍,吉,乃是明曜。上格龍主神童狀元。中格龍主富貴風流。賤龍主癆瘵之疾。上格貴砂祥雲者,景雲也,亦名慶雲。天之瑞物,不可常有。砂形合此,乃至貴龍穴之應。予兄弟所見,惟二房自卜壽藏合此。上格龍主神仙白日飛昇,白衣登殿,為帝者師。中格龍主為官近帝。賤龍主清修高潔,世有文名,《經》曰:“神仙之地,勢如疊雲。”四山擁從如雲也。張子房自卜壽藏,在徐州子房山,乃中條分幹,結騎龍穴。前有九重朝案,次第層疊,成上天梯格,四面環遶,如人坐雲端。呂梁洪乃其水口山,有子房廟,亦靈感。

中格貴砂裡的「掣電」、是岡阜蜿蜒走動、像一条活蛇。若再有流水順着山勢一同走動、就叫「掣電水龍」、是吉的、属于露在明処的曜気。上格龍主出神童・状元。中格龍主富貴風流。賤龍則主患癆瘵之病。上格貴砂裡的「祥雲」、就是景雲、也叫慶雲、是上天的祥瑞之物、不会常有。砂形合於祥雲、乃是至貴龍穴的徵応。我們兄弟平生所見、只有二房自己選定的寿穴合乎此の一格。上格龍主修成神仙白日飛升、或以布衣之身登上殿廷、做帝王的老師。中格龍主做官親近皇帝。賤龍也主清修高潔、世代有文名。《葬経》説「神仙之地、勢如畳雲」、就是四面的山簇擁随従、如同層雲。張良自己選定的寿穴、在徐州的子房山、属中条山分出的干龍、結成騎龍穴。穴前有九重朝案、一層層次第畳起、成「上天梯」格、四面環繞、人坐在穴中如同坐在雲端。呂梁洪是它的水口山、那里有子房廟、也很霊験。

按:子房受黃石公秘書,宜其知地之精。加以辟穀,自卜壽藏,何其智耶!子不疑襲留侯,文帝時除爵。世傳張道陵乃其八代孫,兩漢迄今,號稱天師。國朝,封大眞人,掌天下道教事,世襲二品,今五十代,亦此地之鍾靈,與龍虎山陽基毓秀也。

按語。張良曾受黄石公伝授的秘書、難怪他対地理的精微如此在行。再加上他辟谷修道、親自選定自己的寿穴、何等明智。他的児子張不疑承襲留侯的爵位、到漢文帝時爵位被削除。世上相伝張道陵是張良的第八代孫、従両漢一直到今天、被尊称為天師。本朝封他的後人為大真人、掌管天下道教事務、世襲二品官、如今已伝到第五十代。这也是子房山此の块地鍾聚的霊気、与龍虎山那処陽宅基地所孕育的秀気交相輝映。

上格貴砂夫三臺六星,太微、軒轅之上,泰階平則治道昌,此正三臺也。若三峰乃三公星,世俗為三臺,不復革耳。然取應亦頗與三臺不甚相遠,第不如六符,力量尤重。故《玉髓經》云“力量又在三臺上,六世兒孫襲封蔭”。六世者,指六星所應也。大抵此等星辰,主重拜褒封,簪纓世代,恩榮稠疊,子孫蕃衍,朱紫盈門,乃極貴極吉之砂也。上格龍主公孤極品,功蓋天下,滿門朱紫。中格龍主位列九卿,父子同朝。賤龍主小貴。

上格貴砂説到「三台」。天上的三台是六顆星、位在太微垣・軒轅星之上、所謂泰階平正則治道昌明、这才是正宗的三台。至于地上並列的三座峰、本是「三公星」、世俗叫慣了三台、也就不再改了。不過它取的感応、与真正的三台相差也不太遠、只是不如六星並応的「六符」力量更重。所以張子微《玉髄経》説「力量又在三台上、六世児孫襲封蔭」、所謂六世、指的正是六顆星所対応的六代。大体上、此の一類星峰主屢受朝廷褒封、世代冠冕相承、恩栄一重接一重、子孫繁衍、満門朱紫、是極貴極吉的砂。上格龍主出三公三孤的极品大臣、功蓋天下、満門朱紫。中格龍主位列九卿、父子同朝為官。賤龍也有小貴。

上格貴砂仙橋本水星,兩角撐火者為上,撐木者次之。蓋水火有既濟之功,故貴。吾邑治正面此砂,南唐國師吳法旺扦,讖云:“仙橋砂現,間出異人。”故此邦多有神仙。如張紫瓊眞人、萬萬山趙緣督眞人上陽子之師、龍潭徐仙翁、三清李仙姑,及祝觀物、吳白雲、傅少華、傅初庵、祝剛陽、徐丹臺子云外老人,皆異人也,俱產此邦。但此砂宜遠而清秀,若太近不清,及低小不高,亦掛榜砂耳。上格龍主神仙大臣,屢詔不起,志慕神仙。中格龍主完名全節,高壽神仙。賤龍主清高不仕,及出高僧。

上格貴砂裡的「仙橋」、本体是「水星」、両端角上撑起「火星」的最好、撑起「木星」的次一等。因為水与火相配有「既済」之功、所以為貴。我們徳興県的県治正対着此の種砂、是南唐国師呉法旺所点定、留下讖語説「仙橋砂現、間出異人」、所以本地多出神仙一流的人物。像張紫瓊真人・万万山的趙縁督真人(即上陽子的老師)・龍潭徐仙翁・三清李仙姑、以及祝観物・呉白雲・傅少華・傅初庵・祝剛陽・徐丹台子雲外老人、都是異人、全都出在本県。不過此の種砂宜于遠而清秀、若离得太近而不清、或者低小不高、那也不過是一块「掛榜」砂罷了。上格龍主出有神仙気象的大臣、屢次徴召也不出山、志在慕道求仙。中格龍主保全名節・高寿而成神仙。賤龍則主清高不仕、或出高僧。

上格貴砂上天梯者,連起星一層高一層。要山形清秀,大小相等,高低有序,方為合格。若見仙橋,主白日昇天。上格龍主年少狀元,官近君王,父子兄弟同朝。中格龍主兄弟同科,父子同朝。賤龍主出人聰俊巧藝。上格貴砂群仙簇隊者,諸峰森森簇簇,重重疊疊,如蜂屯蟻聚,皆秀麗清奇者也。亦為三千粉黛,八百煙花,富貴之象也。上格龍主公侯國戚,駙馬、女妃,神仙。中格龍主鎮大藩,鉅富多僕從,武貴。賤龍主出人風流飄蕩。

上格貴砂裡的「上天梯」、是星峰接連聳起、一層比一層高。要求山形清秀、各峰大小相等・高低有次序、才算合格。若同時見到「仙橋」砂、主白日飛升。上格龍主少年中状元、做官親近君王、父子兄弟同朝為官。中格龍主兄弟同榜登科・父子同朝。賤龍則出聰明俊秀而以技芸見長的人。上格貴砂裡的「群仙簇隊」、是衆多山峰森然簇聚・重重畳畳、像蜂屯蟻聚一般、而且個個秀麗清奇。它也象徴「三千粉黛・八百烟花」那様的繁盛、是富貴的気象。上格龍主出公侯与皇親国戚・駙馬与妃嬪、乃至神仙。中格龍主鎮守大藩、家資巨富・僕従衆多、以武功得貴。賤龍則出風流放蕩・漂泊無定的人。

下格賤砂奠杯之形,橫列者是。或有盤,或無盤,或開或合,皆為奠杯。品字本吉。若列品字,開闊展布則吉。上格龍主富貴雙全。中格龍主小富,抱養他人之子。賤龍主墮胎、患眼、僧道。中格貴砂銀瓶盞筋,或有盞而無瓶,此則可假為瓶山,亦自彷彿。不指為瓶,則不過為貴秀之峰也。上格龍主貴,上殿捧獻觴。中格龍主富盛,賓客滿門。賤龍主賣酒、僧道。

下格賤砂裡的「奠杯」、是横着排列的杯形小山。底下或有盤・或無盤、形体或開或合、都算奠杯。排成品字形本来是吉的、若品字排得開闊舒展、就更吉。上格龍主富貴双全。中格龍主小康而要抱養別人的児子。賤龍則主堕胎・患眼病・出僧道。中格貴砂裡的「銀瓶盞箸」、有時只有盞形而没有瓶形、那就可以把旁辺的山権当作瓶山、形状也大致相似。如果不指它作瓶、那也不過是一座清貴秀麗的峰罷了。上格龍主顕貴、能上殿為君王捧杯献酒。中格龍主家道富盛・賓客満門。賤龍則主売酒為業、或出僧道。

下格富砂斗者,方正而卑,或石或土,有似於斗者為斗。但不可拘泥,多是土星。要方正,忌破碎。上格龍主廩膳納票之官。中格龍主小富。賤龍主出米牙之人。下格賤砂木杓者,以其有似於木杓,蓋今乞丐及化緣道人所帶,不過微柄,為穿孔繫帶之所而已。故柄短者主乞丐。上格龍主富貴,多墮胎淫慾。中格龍主淫亂。賤龍主淫慾、乞丐、瘟癀。

下格富砂裡的「斗」、是方正而低矮的小山、或石或土、形状像量米的斗就叫斗。但也不必拘泥、多半属于「土星」。要求方正、忌諱破碎。上格龍主做管廩膳・収粮票的小官。中格龍主小富。賤龍則出米行牙儈。下格賤砂裡的「木杓」、是因為形状像一只木勺。如今乞食和化縁道人所帯的木勺、柄只有短短一截、不過是穿孔繋繩的地方而已、所以柄短的主出乞食。上格龍雖主富貴、家中却多堕胎与淫欲之事。中格龍主家風淫乱。賤龍則主淫欲・行乞・患瘟疫黄病。

下格賤砂枷者,丁山兩腳重疊,有似於枷。此形最為不祥,穴前見此,皆主死罪、囚繋、官災。上格龍主風憲衙門,號令軍民。中格龍主犯罪被枷號。賤龍主獄囚死罪。下格賤砂抱肩砂者,大山欹斜,外有小山居其旁,如人相抱之狀。又有後山轉腳抱前山,其丑尤甚。上格龍主富貴而淫泆內亂。中格龍主男淫女濫,丑名遠播。賤龍主娼妓。

下格賤砂裡的「枷」、是丁字形的山両隻脚重畳在一起、形状像犯人戴的枷。此の種形状最不祥、穴前見到它、都主死罪・下獄和官司之災。上格龍主執掌風憲衙門、号令軍民。中格龍主犯罪被戴枷示衆。賤龍則主坐牢・判死罪。下格賤砂裡的「抱肩砂」、是一座大山歪斜、外面另有小山依在它旁辺、像両人相抱的様子。若再有後山転過脚来抱住前山、那就更丑了。上格龍雖主富貴、家中却有淫佚内乱。中格龍主男女淫濫、丑名伝得很遠。賤龍則出娼妓。

下格賤砂刺面砂者,近見有石附於其山,望之如人刺面,以藥貼面之狀,亦如以針刺面,皆主人黥配。尖圓相值,又主殺傷。上格龍主軍配得官。中格龍主軍配而富。賤龍主軍配、殺戮、陣亡。下格賤砂掀裙砂者,一山數腳飛開,如人掀裙之狀,及有浪痕擺折,皆主不吉。上一格女濫,下一格主男女皆淫。上格龍主富貴而淫。中格龍主淫濫濁富。賤龍主婦人淫慾為娼,男人飄蕩。

下格賤砂裡的「刺面砂」、是近処看見有石頭附在山上、遠望像人臉上刺了字・又像貼了薬膏、也像用針在臉上刺花、都主家人被黥面充軍。若尖形与円形的石頭相湊、還主殺傷。上格龍主充軍之后反倒得了官。中格龍主充軍而致富。賤龍則主充軍・被殺戮・戦死沙場。下格賤砂裡的「掀裙砂」、是一座山有幾隻脚向外飛開、像人掀起裙子。再加上帯有波浪状的揮折痕跡、都主不吉。上面一格主女子淫濫、下面一格主男女都淫。上格龍主富貴却兼淫乱。中格龍主淫濫而富得不清。賤龍則主婦人縦欲為娼・男人漂泊在外。

下格賤砂咒詛山者,二山相合,如合掌然。富貴之地,亦間有之,主出人為事滅絕天理,令人咒詛。若為庵觀寺院,則又迪吉。上格龍主勢焰作威福,多人咒詛。中格龍主兇狠而富,多遭凶。賤龍主優婆夷、優婆塞。下格賤砂破廚者,祿存中之破碎而凶者。穴上見之,事事不吉。惟挺然居於水口,把截門戶,則又為吉星。上格龍主退官罷職。中格龍主先富而後貧。賤龍主乞丐。

下格賤砂裡的「咒詛山」、是両座山相合、像両隻手合掌。富貴之地偶爾也会有它、主家裡出的人做事滅絶天理、招来衆人咒罵。若此の块地用作庵観寺院、反倒吉利。上格龍主気焰嚣張・作威作福、被許多人咒罵。中格龍主為人凶狠而富有、屢遭凶禍。賤龍則出在家奉仏的優婆夷・優婆塞。下格賤砂裡的「破厨」、是「禄存」星中破碎而凶的一种。在穴上望見它、事事不吉。只有当它挺立在水口・把守関攔門戸時、才又転為吉星。上格龍主被罢官去職。中格龍主先富後貧。賤龍則淪為乞食。

中格貴砂兜鍪者,頂起而有傾側之勢,拽裙如鱉,亦微帶殿蓋,橫視之則為殺耳。旗鼓同見者合格。上格龍主勳業世爵,威武好勇。中格龍主武職小官,武斷鄉曲。賤龍主軍卒賤役,兇狠賊徒。中格貴砂球杖之形不一,有從高山生下,出腳為杖者。若山高峻而端嚴,則可指為將軍打球。有從山脈落下閃斷,復於平處特為杖者,頗有球彷彿相類,不可拘泥。上格龍主壽考榮貴。中格龍主富壽,異姓仝居。賤龍主貧賤、殘疾、患眼、墮胎。

中格貴砂裡的「兜鍪」、是山頂隆起而略帯傾側之势、山脚拖曳如鳖裙、也微微帯点「殿蓋」的様子。若横過来看、它就成了殺気之形。要有旗・鼓両砂同時出現、才算合格。上格龍主建立勲業・世襲爵位、為人威武好勇。中格龍主做武職小官、在郷裡横行専断。賤龍則出兵卒賤役和凶狠賊徒。中格貴砂裡的「球杖」、形状不一。有従高山直生下来・伸出一脚作杖形的、若山既高峻又端厳、就可以指為「将軍打球」。也有従山脈落下・中間閃断、再在平処特地起出一条杖形的、与球杖頗為相似、不必拘泥。上格龍主長寿而栄貴。中格龍主富有長寿、家中異姓同居。賤龍則主貧賤・残疾病・患眼病・堕胎。

中格富砂仰船者,多是土星橫疊,有仰船之狀。不破碎者橫直皆可,船頭勾上者更吉。上格龍主出征外國,兼併土地,建立大功。中格龍主出江湖幹運,興家致富。賤龍主行商之人,及淫賤。下格富砂賭博之砂,若在旁出而龍神吉者,亦主因賭得財。但此等之砂,終非全吉,至龍氣盡時,敗莫能救。此所以為賤砂。上格龍主經商坐賈,巧藝得錢,作謀成家。中格龍主因賭得錢,出人奸險。賤龍主好賭破家,浮華不實。

中格富砂裡的「仰船」、多是「土星」横着畳起、形状像一只船仰放着。只要不破碎、横放竪放都可以、船頭向上翹起的更吉。上格龍主出征外国、兼併土地、建立大功。中格龍主外出江湖販運、興家致富。賤龍則出行商之人、或主淫賤。下格富砂裡的「賭博砂」、若它出在旁辺而龍神又吉、也主因賭博得財。但此の一類砂終究不是全吉、等到龍気用尽的時候、敗落就無可挽救了、所以仍列為賤砂。上格龍主経商開店・凭巧手技芸挣钱・靠謀劃成家。中格龍主靠賭博得銭、出為人奸険的子孫。賤龍則主好賭破家・浮華不実。

下格富砂接錢之砂,乃要下砂逆水,方是接錢,主進財帛。若順水有砂,反為送錢出外,退敗。上格龍主司財之官。中格龍主坐賈得財,因親發達。賤龍主多疾病,是非括括。下格富砂錦被堆不與諸山連接,或圓扁,或方長,四旁皆有裙腳,如撒被之狀,方應此形。上格龍主富貴雙全。中格龍主富冠鄉邑。賤龍主墮胎、惡疾。

下格富砂裡的「接銭砂」、必須是下手砂逆着水勢兜過来、才算接銭、主進財帛。若砂順着水去、反倒成了把銭送出門外、主退敗。上格龍主做掌管財賦的官。中格龍主開店経商得財、靠親戚提携而発達。賤龍則主多病、是非糾纏不断。下格富砂裡的「錦被堆」、是一座山不与其他山相連、或円而扁、或方而長、四辺都有裙状的坡脚、像一床被子攤開撒放、才合此の個形。上格龍主富貴双全。中格龍主家富為一郷之冠。賤龍則主堕胎・患悪疾。

下格富砂堆錢山,不必泥兩頭有辨索之狀,因形定名者,隨穴指喝,仿象而巳,豈必如圖畫摸寫過眞耶?上格龍主富貴雙全。中格龍主富冠鄉邑。賤龍主出走卒軍籍。中格富砂臥牛者,乃濁體土星,其形有似於牛臥也。若山無腳出,即為倉庫之砂,大宜出於水口間。上格龍主為官富厚。中格龍主富而多牛馬之牸。賤龍困窮,多生好睡之人。

下格富砂裡的「堆銭山」、不必拘泥于両頭要有穿銭繩索的様子。凡是按形状取名的砂、都是対着穴場随口指認、取個大概相似罷了、哪里非要像画工描摹得那様逼真呢。上格龍主富貴双全。中格龍主家富為一郷之冠。賤龍則出走卒・入軍籍。中格富砂裡的「臥牛」、是形体渾濁的「土星」、様子像一頭牛臥着。若此の座山不伸出山脚、那就成了倉庫砂、最宜出現在水口之間。上格龍主做官而家資富厚。中格龍主家富而多養母牛母馬。賤龍則主困窮、家中多生貪睡的人。

中格富砂獅主富,亦主貴。獅形面方頭大,腰狹尾闊,前重後輕,土星之濁者也。此等砂亦宜稍遠,或出水口為美。上格龍主出人魁偉、富厚、方面,大享福壽。中格龍主鉅富小貴。賤龍主出人粗率窮困。中格富砂伏虎者,星峰雄偉,有似於虎也。此土星之肥大者,要星辰光彩,頭腳圓正為吉。上格龍主田連阡陌,亦有小貴武功。中格龍主婦人墮胎、盜竊,有財而濁。賤龍主被虎傷無嗣。

中格富砂裡的「獅」、主富、也能主貴。獅形的山、臉方頭大、腰細尾闊、前重後軽、属于「土星」中形体渾濁的一類。此の種砂宜于稍遠一些、或者出現在水口才好。上格龍主出人体貌魁偉・家資富厚・独当一面、大享福寿。中格龍主巨富而小貴。賤龍則出人粗野而窮困。中格富砂裡的「伏虎」、是星峰雄偉、形状像一只伏臥的老虎、属于土星中肥厚高大的一類。要求星峰有光采・頭与脚都円正、才是吉的。上格龍主田産連成一片、也有小貴与武功。中格龍主婦人堕胎・家人窃盗、有銭財而門風不清。賤龍則主被虎所傷而絶了後嗣。

中格富砂駱駝者,星峰秀麗,有似馬形。以駝有峰穎異,尤貴於馬。此格可貴可富,尤看旁星相應何如耳。上格龍主富貴雙全。中格龍主小富,多生魁偉享福之人。賤龍主貧困而濁。下格賤砂探頭砂者,小山在大山之外,或居其上,或在其旁,如小人攢頭窺伺。斜側不正,賊寇之象也。上格龍主家常有失竊。中格龍主招賊入屋。賤龍主出人為寇盜。

中格富砂裡的「駱駝」、星峰秀麗、形状像馬。因為駱駝背上有肉峰、形態比馬更奇特、所以比馬形更貴。此の一格可貴也可富、関鍵還要看旁辺有什麼星峰与它相応。上格龍主富貴双全。中格龍主小富、多生体貌魁偉・安享清福的人。賤龍則主貧困而門風渾濁。下格賤砂裡的「探頭砂」、是一座小山在大山之外、或者圧在大山之上、或者靠在大山旁辺、像小人探頭張望・暗中窺伺。形体歪斜不正、正是賊寇的象徴。上格龍主家中常有失窃。中格龍主招引盗賊入屋。賤龍則主家人自己去做寇盗。

中格富砂櫃庫三格,其一為櫃,其二為庫,皆土星,主大富。若有貴峰而龍又貴者,主富貴兩全。龍穴小貴,亦主少財進身,買官納粟之職。第三格則以主星火土為祿,土為財,主大貴大富,不假別星為助。更有貴格龍穴,當主貴極人臣。但櫃庫要首尾高下勻停,而逆水肥滿,乃吉。若順水破碎,頭高尾低,則為破庫虛櫃,及棺槨之象,則為凶砂矣。上格龍主戶部及司財稅之官。中格龍主鉅富多蓄積。賤龍主衣食溫飽,定是居庫之人。

中格富砂裡的「柜庫」共有三格。第一格是柜、第二格是庫、都属「土星」、主大富。若旁辺另有貴峰而来龍又貴、就主富貴双全。如果龍穴只是小貴、也主凭一点資財捐納出身、做買官納粟得来的職務。第三格是以主星火生土為「禄」・以土為「財」、主大貴大富、用不着別的星峰幇襯。若再遇上貴格的龍穴、就該貴極人臣了。但柜庫要求首尾高低均匀、而且逆着水勢显得肥厚飽満、才吉。若順水而去・形体破碎・頭高尾低、那就成了破庫虚柜、又像棺椁之形、反而是凶砂了。上格龍主做戸部或掌管財税的官。中格龍主巨富而積蓄豊厚。賤龍則只主衣食温飽、多半是替人看守倉庫的人。

中格貴砂倉囷之形,多出於土星。亦有類金星者。故凡金星帶土體,及土星不方正者,皆謂之倉,小者謂之庫。凡倉庫所應,皆主富。龍穴貴者,則主公輔食邑之貴。連厫倉、陳積倉、百萬倉,皆能應藩鎮屯駐去處。陰陽二宅見之,亦主大富大貴。其它止是富砂。寄倉以其在外洋,故屬外郡。百萬倉有似御屏而不方正,差小者亦名萬石倉。此係大星辰,主大富,亦有貴,卻須形穴雄偉之地,而後可以當此。上格龍主食邑進爵,世享天福,敵國鉅富。中格龍主田連阡陌,納粟進職,糧冠郡邑。賤龍主濁富淫慾。

中格貴砂裡的「倉」「囷」、形状多半出自「土星」、也有近似「金星」的。所以凡是金星而帯土体的、以及土星而不方正的、都叫作倉、小一些的叫作庫。凡倉庫砂所応、都主富。来龍与穴若貴、就主公卿宰輔・享有食邑之貴。「連廒倉」「陳積倉」「百万倉」幾种、都能応在藩鎮屯兵駐扎的地方。陰宅陽宅見到它、也主大富大貴、其余的就只是富砂而已。「寄倉」因為在外洋遠処、所以応在外郡。「百万倉」形状像御屏而不方正、比它稍小的又叫「万石倉」。这些都属大星辰、主大富、也帯貴気、但必須是形勢与穴場都雄偉的地、才承受得起。上格龍主受封食邑・晉升爵位、世代享天賜之福、富可敵国。中格龍主田連阡陌、納粟捐官、粮米之多冠于一郡。賤龍則只主富得渾濁而好淫欲。

下格賤砂流尸砂如葫蘆形,主溺死。蓋葫蘆有嘴,如頭頸之形。如有頸,下加腹故也。順水尤凶。上格龍主為官客死。中格龍主醫者傳名,多外死。賤龍主溺死。下格賤砂獻花砂兩腳飛開,中間開花,故曰獻花。專主女人淫濫。縱是龍穴貴,亦不免於風聲。上格龍主富貴而婦人淫濫,丑聲遠揚。中格龍主婦人淫濫。賤龍主娼妓。

下格賤砂裡的「流尸砂」形如葫蘆、主淹死。因為葫蘆有嘴、像人的頭頸。有頸、下面又連着肚腹、正是浮尸之象。若順水而去、就更凶。上格龍主做官客死他郷。中格龍主行医出名、家人多死在外地。賤龍則主淹死。下格賤砂裡的「献花砂」、是両隻山脚向外飛開、中間隆起如花開放、所以叫献花、専主女子淫濫。縦然龍穴貴重、也免不了風流丑聞。上格龍主富貴、但婦人淫濫、丑声遠播。中格龍主婦人淫濫。賤龍則出娼妓。

下格賤砂此山欹斜尖利,內抱一小山,乃主抱養他人之子,或以無子而淫亂也。穴內不見則不忌。上格龍主抱養他人之子。中格龍主內亂不潔。賤龍主男女淫奔,及癆瘵之疾。下格賤砂墮胎砂者,墩阜適於兩開山腳之下也。主墮胎不育,及眼疾、過房、螟蛉之子。上格龍主富貴而墮胎不育,無嗣。中格龍主螟蛉、目疾、墮胎。賤龍主產難。

下格賤砂中還有一種。此の座山歪斜尖利、懷裡却抱着一座小山、主抱養別人的児子、或者因為没有児子而鬧出淫乱之事。若在穴上看不見它、就不必忌諱。上格龍主抱養他人之子。中格龍主内室不潔・家中生乱。賤龍則主男女私奔、並患癆瘵之疾。下格賤砂裡的「堕胎砂」、是一個小墩阜恰好落在両側分開的山脚之下、主堕胎不育、以及眼疾・過継・抱養他人之子。上格龍雖富貴、却主堕胎不育・没有後嗣。中格龍主抱養螟蛉子・患眼病・堕胎。賤龍則主婦人難産。

上格貴砂丹詔一名詔仙,卓立土星旁有小峰者是。又一格,以一字文星前生長峽,亦是。皆極貴。《經》云“才自回家復詔入,御書盈閣極榮顯。”上格龍主拜相,名垂清史,神仙。中格龍主文章科第,壽考延長。賤龍主清高康寧。上諸砂圖,不過載之為式而已。若夫形之妍媸,品物之繁庶,豈第筆端所能彷彿於萬一哉!惟守約以該博,由淺以究深,引而伸之,觸類而長之,則存乎其人耳。

上格貴砂裡的「丹詔」、又叫「詔仙」、是挺立的「土星」旁辺帯着一座小峰。另有一格、是一字形的「文星」前面伸出一段長長的峡形、也算丹詔、都極為貴重。《玉髄経》説「纔自回家復詔入、御書盈閣極栄顕」。上格龍主官拝宰相、名垂青史、甚至位列神仙。中格龍主文章科第、享高寿。賤龍也主為人清高・一生康寧。以上这些砂図、不過是記下来作個様式罷了。至于砂形的美丑千差万別・物象的繁多不可勝数、哪里是筆墨所能描摹出万分之一的呢。只有先守住簡要的綱領再求広博、由浅入深、把此の些道理引申開来・触類旁通、那就全看学者自己的功夫了。以上砂格諸図、原書図形今已亡佚、此処只存図題与断語。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六上・徳興山人徐善繼述同著

此以下五冊,專論水法。夫天一生水,水實萬物之祖。水在天地間為最多,四海五湖,特其概耳。浴日月,浸乾坤,皆水之效靈者也。故水於陰陽家,曰山水,曰風水,水居其半,可謂重矣。而地書乃以水居四科之末,似以水為輕於龍穴也。

従此の裡往下的五冊、専門講「水法」。天一生水、水実在是万物的祖始。水在天地之間数量最多、四海五湖也不過是個大概而已。日月出没都像在水中沐浴、天地都被它浸潤、这都是水在顕示它的霊異。所以在陰陽家口中、講「山水」也好、講「風水」也好、水都占了一半、可見分量之重。然而地理書却把水排在龍・穴・砂・水四科的末位、好像認為水比龍・穴要軽。

殊不知龍非水送,則無以明其來;穴非水界,則無以明其止。蓋“外氣橫形,內氣止生”,是龍穴又賴水為證應。然則,居四科之末者,特以次序言,非以輕重言也。故郭氏曰“得水為上”,楊氏曰“未看山,先看水,有山無水休尋地”,廖氏曰“尋龍點穴須仔細,先須看水勢”,皆言水之當重,與龍穴均也。輯水法。

殊不知龍若没有両水夾送、就無従看出它是従哪里来的。穴若没有水来界断、就無従看出它在哪里止住。正如郭璞《葬書》所説「外気横形、内気止生」、可見龍与穴還要靠水来作印証。此の様説来、水排在四科之末、只是就叙述的先後次序而言、並不是就軽重而言。所以郭璞説「得水為上」、楊筠松説「未看山、先看水、有山無水休尋地」、廖金精説「尋龍点穴須仔細、先須看水勢」、都是講水応当被重視、与龍・穴同等要緊。以下就輯録水法。

水法総論

夫水者,龍之血脈也。《葬書》以水為外氣,良有旨哉!西山蔡文節公云:“両水之中必有山。”故水會即龍盡,水交則龍止,水飛走即生氣散,水融注則內氣聚。此自然之理也。嘗觀輕水所多禿與癭人,重水所多尰與躄人,甘水所多好與美人,辛水所多疽與痤人,苦水所多尩與傴人。是水能移人形體性情如此。且水深處民多富,水淺處民多貧,水聚處民多稠,水散處民多離。是水之關禍福又如此,孰謂地理之可忽夫水哉!

水、是龍的血脈。郭璞《葬書》把水叫作「外気」、実在很有道理。西山蔡元定説「両水之中必有山」、所以両水交会処就是龍的尽頭、水一交合龍就止住。水飛散奔走、生気便散掉。水停蓄融注、内気便凝聚。此是自然而然的道理。我們又見到。水質軽的地方多禿頭和長癭瘤的人、水質重的地方多脚腫和瘸腿的人、水味甘的地方多相貌好看的人、水味辛的地方多生疽瘡痤瘡的人、水味苦的地方多矮小和駝背的人——水竟能此の様改変人的形体性情。而且水深的地方百姓多富、水浅的地方百姓多貧、水聚的地方人口稠密、水散的地方人戸離散——水関係禍福又是此の様。誰還能説講地理可以軽忽水呢。

《水經》謂“五行始焉,萬物所由生,元氣之腠液。”《管子》曰:“水者,地之血氣,筋脈之流通者。”故曰水其具財也。而地理家謂山管人丁水管財,誠然不爽。然水有大小,有遠近,有深淺。觀其形勢,察其性情,而吉凶取舍有定見矣。

《水経》説水是五行的開端、万物頼它而生、是元気所化的津液。《管子》説「水者、地之血気、筋脈之流通者」、所以説水裡就蔵着財。地理家講「山管人丁・水管財」、確実一点不差。不過水有大有小、有遠有近、有深有浅。先看它的形勢、再体察它的性情、那么該取該捨・是吉是凶、心裡自然就有定見了。

然其大旨不過來者欲其屈曲,橫者欲其遶抱,去者欲其盤桓,而匯聚者欲其悠揚,囊江融瀦澄凝。登穴見之,不直沖,不斜撇,不峻急,不湍激,不反跳翻弓,不傾瀉陡跌,不射不牽,不割不穿,而有情顧穴,環繞纏抱,戀戀不舍。

总的要領不過是。来水要屈曲有情、横過的水要環繞抱穴、去水要盤桓不忍遽去、匯聚的水要蕩漾従容、像口袋一様兜住・澄清凝定。站在穴上去看它、不能直沖穴場、不能斜着一撇而過、不能陡峻湍急、不能奔騰沖激、不能反跳如翻転的弓背、不能傾瀉陡跌、不能像箭一様射来・像縄一様牽走、不能割着穴脚・穿破明堂。而要有情地回顧穴場、環繞纏抱、恋々不捨。

《葬書》所謂“洋洋悠悠,顧我欲留。其來無源,其去無流。”吳公所謂“來去之玄橫遶帶”,卜氏所謂“交鎖織結之宜求,穿割箭射之宜避”。又謂“水本動,妙在靜中。”謝雙湖氏所謂“水之吉者,聚而不散,見其來而不見其去”,傳伯通所謂“囊聚之水,深如鍋底,圓如鏡面,方如棋盤”,及“諸源會合,九曲來朝”,則盡其肯綮矣。

郭璞《葬書》所説的「洋洋悠悠、顧我欲留。其来無源、其去無流」、呉景鸞所説的「来去之玄横遶帯」、卜応天《雪心賦》所説的「交鎖織結之宜求、穿割箭射之宜避」、又説「水本動、妙在静中」、謝双湖所説的「水之吉者、聚而不散、見其来而不見其去」、傅伯通所説的「囊聚之水、深如鍋底、円如鏡面、方如棋盤」、以及「諸源会合、九曲来朝」——此の些話就把水法的関鍵講透了。

其間又有方位吉凶之辨,固不必盡拘,亦烏可盡棄?宜於穴法中,依繩墨以消納之,控制之,斯為盡善。且古人扦建州邑,有取於水者,如吉水縣兩水交流,狀吉文字;秀水縣,八十餘里巽水特朝。一以形吉,一以方秀,皆以水得名。而兩邑人才萃產皆多,亦見古人命名之不苟也,學者當審思之。

其中還有按方位定吉凶的一套講法、固然不必様様拘泥、可又怎么能全部丟開。応当在定穴立向時、依着規矩把它消納進来・控制得住、这才算尽善。而且古人選址建置州県、也有取象於水的。像吉水県、両条水交流、形状如同一個「吉」字。秀水県、八十多裡外的巽方之水専程朝来。一個取水形之吉、一個取水方之秀、都因水而得名。此の両県出的人才都很多、可見古人命名並不苟且、学者応当細細体会。

大抵風水之法,得水為上。故京師萬水朝宗,金陵長江特朝,而為帝都之大。三吳富甲天下,而有太湖、震澤巨浸。東魯大海外洋,與夫三楚江漢夾會,洞庭融注,西江彭蠡潀匯,而越之紹、寧、杭、臺、嘉、湖,閩之福、興、泉、漳,廣之廣、惠、潮、海等處,皆以得水而人才淵藪矣。

大体説来、風水之法以「得水」為上。所以京師有万派之水朝宗聚会、金陵有長江専程朝来、因而成為帝都的大局。三呉之地富甲天下、正因為有太湖・震沢此の様的大水。山東臨着大海与外洋。三楚有長江・漢水夾会、洞庭湖蓄積一片。江西有彭蠡湖衆流匯注。至于浙江的紹興・寧波・杭州・台州・嘉興・湖州、福建的福州・興化・泉州・漳州、広東的広州・恵州・潮州・瓊海一帯、也都因為得水而成為人才薈萃之地。

論水発源

夫發源水者,明堂中溯觀來源之水也。水之發源,欲其深長。深長則龍氣旺,發福必悠久。若水源短,則龍必短,發福不遠大。吳公云“來短去長,無大力量”是也。

所謂「発源水」、是站在明堂裡往上游回望所看到的来源之水。水的発源、要它又深又長。源頭深長、龍気就旺盛、発福一定長久。若水源短促、来龍必定也短、発福就不会長遠宏大。呉景鸞説「来短去長、無大力量」、講的正是此の一点。実際察看時、要順着明堂中所見的来水一路上溯、看它従多遠的地方発脈・沿途有多少支流匯入、以此估量龍気的厚薄。

論水到局

水到局者,來水入堂之謂也。水之到局,欲其入堂,欲其到口為吉。若水遠來入局,將及到明堂,卻便反挑撇去,謂之不到堂。水或到堂,而無下關收水,或不肯流至下砂攔截之處,謂之不入口,總為無益。故水以到堂入口為貴。其水之大小,則不必拘也。

所謂「水到局」、就是来水流進明堂。水到本局、要它進得了明堂・又到得了水口、才算吉。若水遠遠地流進本局、快到明堂時却反手一挑撇開去了、这叫「不到堂」。水雖到了明堂、却没有下関砂来収住、或者不肯流到下砂攔截的那個位置、这叫「不入口」——両种情形都没有用処。所以水以既到堂又入口為貴。至于水量的大小、倒不必拘泥。

若水在逆砂之外,前雖不見,亦作到堂論。蓋大地面前多有橫砂,而外明堂水多不能見,此即明朝不如暗拱之說。如朱子論冀都之地,前面黃河環繞。自黃河至冀都數百里,豈穴前所能見哉!但此等語,非井蛙之見所可識也。

如果水在逆砂的外面、站在穴前雖然看不見、也照様算作到堂。因為大地的前方多半有横砂遮擋、外明堂的水常常是望不到的、这就是「明朝不如暗拱」的説法。就像朱熹論冀都此の块地、説它前面有黄河環繞。可是従黄河到冀都有好幾百裡、哪里是站在穴前看得見的呢。此の一類道理、不是見識短浅如井底之蛙的人所能領会的。

世俗又多執送龍兩水俱要上堂,此誤也。惟順局去水地,可以兩水到堂,當面合襟。若非去水地,則只一邊到堂。蓋兩水合襟,乃穴前界脈鰕須水耳,自龍虎外則不拘之。今以論送龍水,豈不大謬矣乎!然所謂到堂入口,惟富地為然,貴地亦多有不如此者,又不必拘也。此水最速富。吾邑陳九萬祖地,葬下即發財鉅富,此格也。圖具於左。

世俗又常常死守「送龍的両条水都要上堂」此の句話、这是錯的。只有順局去水的地、才可能両水都到明堂・在穴的正前方合襟。若不是去水地、就只有一辺的水到堂。要知道両水合襟指的是穴前界断来脈的「蝦鬚水」、出了龍虎砂以外就不受此の個限制了。如今拿它去論送龍的大水、豈不是大錯特錯。不過所謂到堂入口、也只是富地如此、貴地裡不此の様的也很多、同様不必拘執。此の種水最容易発財。我們徳興県陳九万家的祖地、葬下去就発財成了巨富、正是此の一格。図附在左辺。

右地在吾邑五都,土名張村鋪官路側。其龍乃順勢翻成逆勢,氣甚旺盛。入首大斷,起連氣金星,微開鉗口。結穴臨田蘸水。穴前田源囊聚。近身一掬橫砂為案,低伏如眠弓,繞抱有情,以關堂氣,使一源之水既到堂又入口。吳公口訣所謂“水要嗑得著,砂要摸得著。”卜氏云“緊夾者福不旋踵”,惟此地為然。

右図此の块地在本県五都、地名張村鋪、就在官道旁辺。它的来龍是順勢翻転成逆勢、気很旺盛。入首処大断一節、再起「金星」連貫気脈、微微開出鉗口、結穴正臨着水田・如蘸水一般。穴前田間的水源兜聚成一囊。貼近穴身有一道弯抱的横砂作案山、低低伏着像一張平放的弓、環抱有情、把明堂的気関攔住、使此の一源之水既到得了堂、又入得了口。呉景鸞口訣説「水要嗑得着、砂要摸得着」、卜応天説「緊夾者福不旋踵」、正是形容此の様的地。

董公德彰為陳氏扦之,許以速發。果窀穸甫完,天尚未明,孝子秉燭以歸,路逢群盜分贓,忽見火光人眾,驚疑捕盜者至,棄財走散。陳氏因以得之,遂致驟富。今鄉人傳謂“寅葬卯發”雲。又吳書源寬為池州府張氏下一地,亦是寅葬卯發,大畧與此相同,茲不贅述。

此の块地是董徳彰替陳家点定的、他断定会很快発福。果然下葬剛完、天還没亮、孝子挙着蠟燭回家、路上碰見一伙強盗正在分贓。強盗忽然看見火光和一群人、驚疑是捕盗的官差到了、丟下財物四散逃走。陳家因此撿到此の批財物、一下子暴富起来。如今郷裡人伝説这叫「寅葬卯発」。另外呉源寛替池州府張家点過一块地、也是寅時葬・卯時発、情形大略与此相同、此の裡就不多説了。

論水出口

出口者,水既到堂,必有去處,謂之出口。水之出口,欲其彎環屈曲,迂迴深聚。《葬書》云“其去無流”,又云“顧我欲留”為妙。若直而急,淺而峻則凶矣。大抵宜羅星、游魚、北辰、華表、捍門關闌重疊之砂,則其出自美也。若水直去蕩然者,決無眞氣內聚也。

所謂「出口」、是水既然到了明堂、総要有個去処、此の個去処就叫出口。水的出口、要它弯環屈曲・迂廻而深聚。郭璞《葬書》説「其去無流」、又説「顧我欲留」、此の様才妙。若水又直又急・又浅又陡地瀉出去、就凶了。大体上、水口処応当有「羅星」「游魚」「北辰」「華表」「捍門」此の一類重重関攔的砂、出口自然就美。若水一直瀉去・空蕩蕩毫無遮攔、那裡面必定没有真気凝聚。

論朝水

朝水者,穴前特來之水也。此水至吉。蓋風水之法,得水為上。穴既當朝,則得水矣。卜氏云:“求吾所大欲,無非逆水之龍。”予謂逆水龍固美,不若當朝之穴為尤美也。爰逆水多是枝龍,豈如幹龍,兩水夾送,至將結作處,卻翻身數節,逆當朝水結穴,力量極大。此所以不貴逆水之龍,而貴逆水之穴矣。

所謂「朝水」、是専程朝着穴前流来的水、此の種水最吉。因為風水之法以「得水」為上、穴既然正対着来水、就算得水了。卜応天《雪心賦》説「求吾所大欲、無非逆水》龍」。我們以為逆水的龍固然好、却不如正対朝水的穴更好。原因是逆水的多半只是枝龍、哪里比得上干龍。両水夾着送行、快到結作処却翻身走幾節、逆着当面的朝水来結穴、力量極大。所以我們不看重逆水之「龍」、而看重逆水之「穴」。

但水固以特來當面朝穴為吉,若或直急沖射,湍怒有聲,則反為凶。故來朝之水,又須屈折彎曲、悠揚深緩,方為合法。不可概以特朝為吉也。《葬書》既以得水為上,而陶公又謂“當面朝入,子息貧寒”,何也?正謂其沖射湍激,反帶凶煞,故爾。

不過水雖以専程当面朝穴為吉、若它又直又急地沖射過来、水声湍急発怒、反倒是凶。所以来朝的水還必須屈折弯曲・従容深緩、才算合法、不能一概把特朝之水都当成吉。郭璞《葬書》既然説「得水為上」、陶侃却又説「当面朝入、子息貧寒」、这是為什麼呢。説的正是那种沖射湍激的朝水、反而帯着凶煞、所以才此の様講。

《雪心賦》云:“交鎻織結,四吉當求。”又云:“九曲入明堂,當朝宰相。”此則以其屈曲有情,水法之至吉者也。大抵朝水一勺能救貧,洋洋當面朝,當代出官僚。若欲催官催富,必得朝水之地,可取驗也。催貴如呌巖寺三地,催富如樂平江氏地,其格也,圖並具下。

卜応天《雪心賦》説「交鎖織結、四吉当求」、又説「九曲入明堂、当朝宰相」、这是因為水屈曲而有情、属于水法中最吉的一類。大体上説、朝水哪怕只有一勺也能救貧。水面浩蕩地当面朝来、当代就出官員。若想催官催富、必須得到有朝水的地、才可以験証。催貴的例子如鉛山叫岩寺那三块地、催富的例子如楽平江家那块地、都属此の一格、図一並附在下面。

右地在鉛山,地名呌巖。其龍發自靈山,六十餘里,至赭亭山,起御屏土星,方正骨立,清秀特異。正脈中出,度峽,連起星峰,頓伏磊落。入首分結三穴,皆共一局,俱當信河特朝。其正結者為貴溪邱參政父地,入首開帳,為巨石山,抽下一線土脈,過峽甚巧,起連氣金星。又於金星之下,結喉束氣小巧,成走馬文星入穴。兩畔從山粗大,而本身獨小。穴前平坦,四勢團聚,眞催貴之地。參政公名旭鑑,初為信椽時,信守金公者,明堪輿術。舟行呌巖山下,因遊寺。登眺之間,見而嘆曰:“金帶數條,置之閒處,良可惜哉!”邱在側,知其為美地,乃圖以葬父。

右図此の块地在鉛山県、地名叫岩。它的来龍従霊山発脈、走了六十多裡到赭亭山、聳起「御屏」土星、方正而骨力挺立、清秀出衆。正脈従中間抽出、度過山峡、接連聳起星峰、一頓一伏・錯落分明。入首処分結三個穴、同在一個局中、都正対信河専程朝来。其中正結的一穴、是貴渓邱参政父親的墓地。入首処張開帳幕、成為一座巨石山、抽下一線土脈、過峡極巧、再起「金星」連貫気脈。金星之下又結出咽喉束住気、形成「走馬文星」入穴。両旁跟随的山粗大、而本身反而細小。穴前平坦、四面山勢団聚、真是催貴之地。参政名叫邱旭鑑、起初做信州的書吏時、信州知州金公精通堪舆之術、一次乗船經過叫岩山下、順便去游寺、登高远眺之間看見此の块地、嘆道。好幾条金帯様的好砂、白白丟在閑処、実在可惜。邱旭鑑正在旁辺、聴出这是块美地、就想办法把父親葬在此の裡。

葬後,邱即以吏材任通政知事,廷臣薦擢黃嚴令,有異政,事聞,璽書褒美,擢台州府判。七年,民詣闕保升知府。又六年,升浙江參政。從子祺,官至處州太守。孫鼎,登進士,官至都憲。祺之孫九仞,進士。曾孫民範,進士,大參。曰鑰,知縣;曰鎬,同知;曰鈿,知州。民望,節推;民仰,鄉科;汝良,進士。諸公俱世顯榮,至今富貴未艾。

安葬之后、邱旭鑑就凭吏員的才幹做了通政司知事、經朝臣挙薦提陞為黄岩県令、政績卓異、事情上達朝廷、得到璽書褒奨、陞任台州府通判。過了七年、百姓到京城上書保挙他陞任知府。又過六年、陞為浙江参政。他的侄子邱祺、官至処州太守。孫子邱鼎、考中進士、官至都御史。邱祺的孫子邱九仞、也中進士。曾孫邱民範、中進士、做到参政。邱鑰做知県、邱鎬做同知、邱鈿做知州。邱民望做節推、邱民仰中挙、邱汝良中進士。此の幾位都世代顕栄、到今天富貴還没有衰歇。

其右結者,為弋陽汪尚書祖地。入首華蓋中抽結咽,起金星,成仰高之穴。穴上平坦,四旁皆石曜。穴下石巖,人呼如應,故名呌巖。巖之中有禪室,即呌巖寺也。登穴平坦如常,不知穴下之險。前面山水拱照。右畔河中一石,名曰卷績,高廣數十仞,挺然中流砥柱,鎻盡信河之水。隔岸大青山高障有力,眞催官之地。

其中右辺所結的一穴、是弋陽汪尚書的祖地。入首処首処従「華蓋」形山的中間抽出脈来結成咽喉、聳起「金星」、做成仰高之穴。穴場上面平坦、四周都是石曜。穴下是一片石岩、人一叫就有回声、所以叫作「叫岩」。岩中有禅房、就是叫岩寺。登上穴場只覚平坦如常、根本覚察不出穴下的険峻。前面山水環拱照応。右辺河中有一块石頭名叫巻績、高与寛都有数十仞、巍然屹立在中流如砥柱、把信河的水全鎖住了。対岸的大青山高高屏障有力。这真是催官之地。

葬後,汪氏父子聯登高第,兄弟同入翰苑。文荘公父鳳登進士,官至參政。四子:長僎,登進士,官太參;次即文荘公俊,登鄉會二元,官禮部尚書,諡文莊;次偉,登進士,官吏部侍郎;幼佃,登進士,官侍讀、太常少卿。曰審、曰宛,皆登科甲。又嘗觀汪氏陽基,甚美,五石祖地尤貴,此特其催官耳。

安葬之后、汪家父子接連高中、兄弟一同進了翰林院。文荘公的父親汪鳳中進士、官至参政。他的四個児子。長子汪僎中進士、官至参政。次子就是文荘公汪俊、郷試・会試都考第一、官至礼部尚書、諡号文荘。再次汪偉中進士、官吏部侍郎。幼子汪佃中進士、官至侍読・太常寺少卿。此外汪審・汪宛也都登了科甲。我們又看過汪家的陽宅基地、很美、五石那処祖地尤其貴重。叫岩此の一块、不過是専管催官的罷了。

其盡處為費氏地,清湖公完夫人墓也。龍脈到頭逆轉,頓起穴星,成正體太陽,開鉗結穴。後復自本身抽出,起太陰文星之案。登穴周密,內氣融聚,外陽暗拱。葬後不數年,唐衢公堯年即連登科甲,幾半紀而腰金,眞催官之地也。

三穴中最尽頭的一処是費家的地、即清湖公費完夫人的墓。龍脈到頭逆転過来、頓然聳起穴星、成為端正的「太陽」金星、開出鉗口結穴。穴後又従本身抽出一支、聳起「太陰」文星作案山。登上穴場只覚四囲周密、内気融聚、外面的陽明之処暗暗環拱。安葬後不到幾年、唐衢公費尭年就接連科挙登第、不満六年便腰繫金帯做了大官、真是催官之地。

上三地雖得催官之水,然究其實,自少祖赭亭山以下,石山雄偉,星峰秀麗,節節龍入貴格。穴星又皆清秀,下關卷績一石,卓立河中,逈然特異,尤為貴證。兼以秀水特朝,故能催貴。若徒以其水而已矣,則凡特朝之水,皆可謂之催貴乎?故龍穴砂水,不可缺一也。

以上三块地雖然都得了催官的水、可是推究実情。従少祖山赭亭山以下、石山雄偉、星峰秀麗、一節一節的龍都合於貴格。穴星又都清秀。下関的巻績石卓立在河心、格外奇特、更是貴地的凭証。再加上秀水専程朝来、所以才能催貴。若只凭一条朝水就算数、那么凡是有特朝之水的地方、豈不都可以叫催貴了。可見龍・穴・砂・水四者、缺一不可。

右地在樂平十三都,土名洋源。坤申龍,寅甲向,而有寅甲水特朝,乃催富之地也。董德彰所下,課云:“半夜敲門送契來。”葬後周年,汪氏果得絕戶田產,因以驟富雲。傳疑汪氏有表叔者,富而無子,居相近。彼侄不孝叔。冬月值戶役自縣歸。甚夜,謂其侄曰:“吾老矣,無子。田產家業皆汝所有,門戶應汝值之。”其侄忤之,因相詬。侄自謂己業倍叔,叔業任與人無悔。於是投汪氏。時已夜半,汪睡醒,敲其門。汪起納之。其人盡以田產家業契付汪氏,因而驟富,果符董師“半夜敲門送契來”之課云。

右図此の块地在楽平県十三都、地名洋源。来龍自坤申方、立寅甲向、而正有寅甲方的水専程朝来、是催富之地。此地為董徳彰所点、他留下的断語説。半夜敲門送契来。下葬満一年、汪家果然得了一份絶戸人家的田産、因此暴富。以下是伝聞存疑的説法。汪家有位表叔、家富而没有児子、住得很近、他侄子却不孝順他。那年冬月、表叔輪到当戸役、従県裡回来、深夜対侄子説。我老了、又没児子、田産家業将来都是你的、門戸差役也該由你去応。侄子頂撞他、両人便吵了起来。侄子自称自己的家業比叔叔多一倍、叔叔的産業随便送給誰他都不後悔。表叔一気之下就去投奔汪家。当時已经半夜、汪家人剛睡醒、聴見他来敲門、起身把他迎進屋裡。此の位表叔便把田産家業的契券全部交給了汪家、汪家因此驟然暴富、果然応験了董徳彰「半夜敲門送契来」那句断語。

論去水

去水者,穴前見水之去也。此水極凶。廖氏云“第一莫下去水地,立見退家計”是也。然古名術亦有下去水之穴,未可概以為凶。如徽州府基,開化、崇安二縣基,皆順水,見其直去二十餘里。但山勢關截高固,其民皆富盛。舉此為諭,他可類求。要之,皆以龍眞穴的,砂又關闌鎖抱,又或小勢雖去,大勢則逆,非一向直去方可。若小水既去,大勢又順,決無融結,的主敗絶,不可觀索矣。

所謂「去水」、是站在穴前就看見水流走。此の種水極凶、廖金精説「第一莫下去水地、立見退家計」、講的就是它。不過古代名家也有点在去水局上的穴、不能一概認作凶。像徽州府的府城基址、開化・崇安両県的県城基址、都是順水局、一眼望去水直流出二十多裡。只因山勢関攔截断得高厚堅固、那里的百姓都很富盛。挙此の幾個例子作説明、其余可以類推。総之、此の類地必須龍真穴的、砂又層層関攔鎖抱。或者雖然小的水勢順去、大的水勢却是逆収、不是一味直去、才可以用。若小水既然流走・大勢又順着去、那就決不会有真気融結、肯定主敗絶、不必再去尋穴了。

大抵去水地發富必遲,如蔡西山先生祖地,在建陽麻沙,九世方出賢貴。又楊文敏公祖地,在歐寧豐樂者,三百年後方出宰相,是其征也。然又不可一概謂去水地無速發者。若穴前緊夾,不見去水,亦能速發,如樂平明溪許學士祖地。卻亦能催貴焉。

大体上説、去水地発富一定慢。像蔡元定先生的祖地在建陽麻沙、伝了九代才出賢徳顕貴的人。又如楊文敏公的祖地在甌寧豊楽、三百年後才出宰相、都是明証。然而也不能一概説去水地就没有速発的。若穴前左右緊緊夾住、站在穴上看不見水流走、同様能速発、像楽平明渓許学士的祖地就是、而且還能催貴。

右地在歐寧縣之豐樂裡,地名白狐窩因異人指曰狸臥處是穴,今土人遂呼地名白狸窩。其龍甚遠,逆奔而上,穿峽頓起洪山高廣。辭樓下殿,逶迤頓跌數十節,復開帳起三臺,正脈中落,磊落數節,結太陽金星開鉗之穴。穴後正樂洪山,及三臺貼帳。而本身白虎一砂遮卻明堂,但午上秀山朝應而已。

右図此の块地在甌寧県豊楽裡、地名白狐窝(因為当年異人指点説「白狸臥的地方就是穴」、如今当地人便叫它白狸窝)。它的来龍很遠、逆着水勢奔涌而上、穿過山峡頓然聳起洪山、高大寛広。然后辞別楼殿・層層落下、蜿蜒頓跌幾十節、又張開帳幕聳起「三台」、正脈従中落下、磊落走了幾節、結成「太陽」金星開鉗的穴。穴後正対着洪山作楽山、三台緊貼作帳。但本身的白虎砂把明堂遮住了、只有午方一座秀山遥遥朝応而已。

其龍雖雄偉,而結穴奇怪,局勢大順,虎砂逼硬下堂,穴星粗大,信非仙指,人莫識之。蓋其入局之際,右邊送龍之水至此百餘里,前會浦城之溪,亦百餘里。可見山水大會。而本身之龍,卻逆奔至此,翻順作穴。大勢雖順,而白虎一臂逆收過前,遮卻順去之水。

此の条龍雖然雄偉、結穴却很奇怪。局勢大体順水、虎砂逼近而生硬地圧下明堂、穴星又粗大——若不是神仙指点、一般人根本認不出来。原来它入局的时候、右辺送龍的水已经走了一百多裡、到此の裡又与浦城来的渓水相会、那条渓也有一百多裡、可見此処是山水的大会合処。而本身此の条龍却逆着奔到此の裡、再翻転成順勢結穴。大勢雖然順水、但白虎那一臂逆着収攏过来遮在穴前、把順流而去的水擋住了。

四面八方,奇峰羅列,錦帳、御屏、文筆及天馬貴人等砂咸備,眞大貴之地也。篤生文敏,為時宗臣,豈偶然哉!但此地形寛穴丑,局順勢緩,發作最遲耳。葬後三百年,始出文敏公榮,拜相。曾孫旦,吏部尚書,科甲蟬聯,登仕籍者數十人,至今榮盛未艾。

四面八方奇峰羅列、錦帳・御屏・文筆以及天馬・貴人等砂様様斉備、真是大貴之地。它厚厚地生出楊文敏公此の様一位当代重臣、豈是偶然。只是此の块地形勢寛闊而穴形丑陋、局面順水・気勢舒緩、所以発得最遅。下葬三百年後、才出了文敏公楊栄、官拝宰相。曾孫楊旦做吏部尚書。此后科第接連不断、入仕做官的有幾十人、到现在栄盛還没有衰歇。

按:《建寧郡志》及《武夷志》云:“楊萬大,崇安人,結茅武夷山。下有津渡,一夕,有道士服貌甚偉,不得濟渡,扣門投宿。自後數往來,萬大禮之益勤。一日,謂曰:‘吾非世人,今當歸洞天,特來告別。觀汝所為甚善,天必有以報之。汝老矣,其在後人乎?’命舟欲與俱去。萬大曰:‘吾二親久未窀穸,豈可去?’道士曰:‘待汝襄大事後去,未晩也。’

按語。《建寧郡志》和《武夷志》記載。楊万大是崇安人、在武夷山搭茅屋居住、山下有個渡口。一天傍晚、有位道士衣着相貌都很魁偉、因為過不了渡、便敲門借宿。此后道士屢次往来、楊万大待他愈発恭敬。有一天道士対他説。我不是世間的人、如今要回洞天去了、特地来告别。看你為人很好、上天必定有所報答。你已经老了、報応大約要落在後人身上吧。説完叫船要帯他一同走。楊万大説。我的双親還一直没有安葬、怎么能走。道士説。等你辦完此の件大事再走、也不算晚。

因同至歐寧豐樂,指示山下曰:‘汝於某年月日,奉柩葬於此,候有白狸眠處,即葬穴也,狸起時即葬時也。’萬大如言,謀而葬之,果有白狸。葬後一日,晝寢,夢前道士來曰:‘汝今家事畢,盍去?’既覺,沐浴更衣,端坐而逝,時年九十七矣。厥後果生太師文敏公,為時宗臣,迄今子孫貴顯。”

於是道士同他一起来到甌寧豊楽、指着山下説。你在某年某月某日把霊柩抬来葬在此の裡。等到有白狸臥眠的地方、那就是穴位。白狸起身的时候、就是下葬的時辰。楊万大照着辦、安排下葬、果然出現了白狸。葬後第二天、他白天小睡、夢見先前那位道士来説。你如今家事已了、何不動身。醒来之后、他沐浴更衣、端坐而逝、那年九十七歳。後来他家果然生出太師文敏公楊栄、成為一代重臣、到今天子孫仍旧貴顕。

汪東麓公佃僉憲閩時,修《武夷山志》,題《萬大傳》末云:“據其墓上石刻‘宋大中祥符元年葬’,去文敏生,三百餘年,地脈不應若是之遠始驗,堪輿家無此論。”按:東麓公此論,蓋未審也。地理有遠至數百年方應者,有近止數年即應者,皆不可謂無此理。

汪東麓(汪佃)任福建僉都御史時、編修《武夷山志》、在《楊万大伝》篇末題道。据他墓上石刻記載是『宋大中祥符元年葬』、距離文敏公出生已有三百多年。地脈不応当隔此の麼久才応験、堪舆家没有此の種説法。按。汪東麓此の個議論、恐怕考察得還不够。地理上有遠到幾百年才応験的、也有近到幾年就応験的、都不能説没有此の様的道理。

如廖公下安仁吳氏地,課云“七八世內錢糧滿區,九世十世朱紫盈門。”果四百餘年,出若峰公,登進士,官廉憲,人才疊出。又舒馬山課吾邑祝氏地云:“七代八代科甲聯登。”果其代內連出都諫。又廣信婁氏祖地在茶山寺者,課云:“七代八代富貴聲名,出一妃嬪,禍及家庭。”後果其代出婁妃,配寍王遭禍。又廖公下吾邑張氏仙人翹足形,也課云:“五百年後雙產貴苗。”果五百年,張氏二房同出科甲。此可見數百年後應驗不誣也。其發之速者或週年,或半紀,或一紀,不可盡舉。嘗觀東麓公祖地在呌巖寺者,葬不數年,而公之父子兄弟聯登高第,躋顯宦,一時驟發,福應甚速,宜乎公以三百年為遠也。

比如廖金精替安仁呉家点的地、断語説「七八世内銭粮満区、九世十世朱紫盈門」。果然過了四百多年、出了若峰公、考中進士、官至提刑按察使、此后人才層出不穷。又如舒馬山替我們県祝家点地時断道「七代八代科甲聯登」、果然到了那一代接連出了都給事中。又如広信婁家在茶山寺的祖地、断語説「七代八代富貴声名、出一妃嬪、禍及家庭」、後来果然那一代出了婁妃、嫁給寧王而遭禍。再如廖金精替我們県張家点的「仙人翹足」形、断語説「五百年後双産貴苗」、果然五百年後、張家両房同時出了科第。由此可見、隔幾百年才応験的説法並不虚妄。至于発得快的、有満一年就発的、有六年就発的、有十二年就発的、例子多得挙不完。我們看汪東麓自家在叫岩寺的祖地、下葬不過幾年、他家父子兄弟就接連高中・躋身顕宦、一時驟然発達、福報来得極快——難怪他会覚得三百年太久了。

左地穴前白虎一砂橫攔,盡障外洋,一無所見,亦無明堂,亦無朝山,只是藏風,穴極暖,故發福速也。左地在樂平十六都江家橋,其龍穴結作詳見廖金精地課具下。課曰:“奉命為尋陰地一穴,在樂邑明溪之南,江家橋畔。其龍自茅山作祖起峰,擁下百里,復下平田,崛起山峰作穴。

左図此の块地、穴前有白虎一砂横着攔住、把外洋完全遮断、什麼也看不見、既没有明堂、也没有朝山、全靠它蔵風、穴場極其温暖、所以発福很快。左図此の块地在楽平県十六都江家橋、它的龍穴結作情形詳見廖金精所留的地課、附録在下面。地課説。奉命為人尋一処陰地穴場、在楽平県明渓之南・江家橋辺。此の条龍以茅山為祖山起峰、簇擁而下走了一百裡、又落到平田、再突起山峰結穴。

或磊磊落落,或隱隱隆隆,千峰叢集,萬象昭著。欲到未到之間,如驚蛇出草,如走鹿出林。行而欲止,遺而欲收。集頓駭走,自辰巽山壟盤桓,一起一伏,入震入申,棲閃萬狀,落下平洋,遺蹤失跡。自戌入未,復起山峰數節,作正艮入首,為將軍大坐之勢。

它有時磊磊落落地顕露、有時隠隠隆隆地潜行、千峰叢聚、万象分明。将到未到之際、像受驚的蛇竄出草叢、像奔跑的鹿沖出樹林。一辺前行一辺像要停住、一辺散開一辺像要収攏。聚了又頓・頓了又駭然奔走、従辰巽方的山壟上盤桓、一起一伏、転入震方・又転入申方、棲止閃避変化万端。落到平洋之后、踪跡幾乎全都消失。再従戌方転入未方、重新起了幾節山峰、以正艮方入首、成「将軍大坐」之势。

扦乙山辛向,辛上展帳遮攔,若堆甲之狀。放元辰辛水,九步歸幹,歸癸,歸庚,歸坤,入甲,又歸庚,合大溪巽水,又歸庚兌長流。頓旗山在未,展旗山在庚,屯軍山在午,豹尾山在幹。前朝後護,左回右抱,天乙大乙,直符眞武,三陽六建,四神八將,計一十六龍朝拜,主二百年大旺,登科及第,文經武緯,世代義門,朱紫不絕。謹憑先賢秘文詳推,希留後驗。熙寍三年庚戌正月吉日,金精山人廖瑀謹記。”

乙山辛向を立つ。辛方に帳幕を展開して遮攔し、形状「堆甲」の如し。放出の元辰水は辛方より走り、九歩して乾方に帰し、再び癸方に帰し・庚方に帰し・坤方に帰し、転入して甲方に入り、又庚方に帰し、大渓の巽方の水と会合し、再び庚兌方に帰して長流して出る。「頓旗山」は未方にあり、「展旗山」は庚方にあり、「屯軍山」は午方にあり、「豹尾山」は乾方にあり。前に朝山・後に護山、左辺回環・右辺抱攏、天乙・太乙の二貴、直符・真武の二神、三陽六建・四神八将、合計十六條の龍ありて朝拜に来る。此の地は二百年大旺・子孫科挙登第・文韜武略兼備・世代為義門・朱紫官服不絶と断定す。以上謹んで先賢秘伝の文字に依りて詳加推算し、望んで後日の験証に留待す。熙寧三年庚戌正月吉日、金精山人廖瑀謹記。」

復繫以贊曰:萬斛千倉山勢雄,前朝後護從眞龍。下後莊田招百頃,何勞谷將起高峰?正龍華蓋起重重,殺曜文星兩勢雄。武略文經從此出,紫袍牙笏掌邊戌。大塘岡上亂紛紛,狗趕羊來失卻蹤。小陂頭水流來急,兒孫興旺定光宗。軍山面前來朝拜,虔州鐘鼓響鼕鼕。他日賢郎來任彼,方知妙術有神功。

後面又附上一首賛詞説。万斛千倉般的山勢何等雄壮、前有朝山後有護山跟随着真龍。葬下之后田荘可招来上百頃、何須再等谷将星另起高峰。正龍上「華蓋」重重聳起、「殺曜」与「文星」両下都雄。武略文才都従此の裡出来、穿紫袍執牙笏而執掌辺防。大塘岡上山形乱紛紛、像狗追羊一般跑得没了踪影。小陂頭的水流得又急、子孫興旺一定能光耀祖宗。軍山在面前前来朝拜、虔州的鐘鼓咚咚作响。将来你家的好児郎到那里去做官、才知道我此の術法真有神功。

是時許實文方數歲,廖曰:“此子他日必為吾虔州太守。”實文父謝曰:“誠如是,豈敢忘所自!”後實文果為虔州太守,有祭廖文附録於此。古虔州即今贛州也。祭文維大宋建炎三年,歲次己酉十月丙子朔越二十日乙未,朝請大夫直徽猷閣知桂州兼管內勸農公事充廣南西路兵馬都鈐轄兼本路安撫使主管經略司公事賜紫金魚袋許中,謹托武功郎謝永錫,以清酌庶饈之奠,致祭於故金精山人伯禹廖公之墓而言曰:惟翁深窮青囊之說,淹該陰陽地理之書。曩我外氏,為倅虔州,喪親罷官,因召與俱。故番易之山川墳墓,過目則索隱而盡得;世俗之吉凶禍福,發占指期而不誣。時我大人,銜哀倚廬,匍匐有請。肯顧蓬居,卜大父之宅兆,期來裔之豐腴。謂言無爽,舉酒酹予。殆將五紀,應驗咸如。

当时許実文才幾歳、廖金精説。此の孩子将来一定会做我們虔州的太守。実文的父親道謝説。果真如此、怎敢忘記此の話的来処。後来実文果然做了虔州太守、並写有祭廖公的文章、附録在此の裡。古時的虔州就是今天的贛州。祭文説。大宋建炎三年、歳在己酉十月丙子朔第二十日乙未、朝請大夫・直徽猷閣・知桂州兼管内勧農公事・充広南西路兵馬都鈐轄兼本路安抚使・主管経略司公事・賜紫金魚袋許中、謹托武功郎謝永錫、用清酒和各様佳肴作祭品、祭奠已故金精山人伯禹廖公之墓、並致辞説。老先生您深究「青囊」一派的学説、遍通陰陽地理各家之書。当年我的外家在虔州做通判、因父母去世去職回郷、便請您一同前往。所以鄱陽一帯的山川墳墓、您一過目就能索隠尽得。世俗的吉凶禍福、您一開口占断・指定日期、従没有落空。那時我父親正含哀守喪、恭恭敬敬地上門相請、您也肯屈駕到我家茅屋、替我祖父卜定墓地、期許後代子孫豊厚発達。您説過的話没有差錯、還挙杯為我祝祷。到如今将近六十年、一一都応験了。

先訓在耳,其能舍諸?剖符來虔,及其里閭,相望邱隴,金精故廬。易守八桂,召命登途。今欲瞻拜,簡書有拘。外孫謝侯,世資範模,官位通顯,幅金紆紫。翁死布衣亦命矣夫!托陳薄奠,旨酒嘉蔬,侑以鄙文,往吊荒隅。尚享!

先人的教誨還在耳辺、我怎么能忘。我持符節来虔州做官、到了您的郷裡、遥遥望見您的墳塋、那正是金精山人的故居所在。如今改任桂州、朝命催我上路、本想親自去您墓前瞻拝、却被公文期限所拘。您的外孫謝侯、世代都是我家取法的楷模、官位通達顕赫、佩金帯紫。老先生您以布衣之身而終、这也是命吧。只好托人陳上一份薄薄的祭奠、備些美酒好菜、再配上我此の篇拙文、前往荒僻的一角吊唁。請您来享用吧。

又豐城李天官祖地,亦是順局,葬後即出貴,並具下。右地在豐城東鄉,土名文江橋。其龍起自堯山,廉貞作祖,頓伏行二十餘里。將入局,撒落平陽,渡水而來,逶迤活動,勢若生蛇。卯脈,扦乙山辛向,左右二水合流,屈曲而去。面前砂水依稀,重重交會。但局勢順水,不入俗眼。初非擇而取之,因勢所阻,停柩於此而遇之也。

另外豊城李天官的祖地、也是順水局、安葬之后立刻出貴人、一並附在下面。右図此の块地在豊城東郷、地名文江橋。它的来龍起自堯山、以「廉貞」為祖、一頓一伏地走了二十多裡。将要入局時撒落到平原、渡水而来、蜿蜒霊動、気勢像一条活蛇。以卯方之脈入首、立乙山辛向。左右両条水合流之后屈曲流走。面前的砂与水影影綽綽、一重重交会。只是局勢順水、看不進俗眼。当初李家並不是挑選了才葬在此の裡、而是被路途所阻、把霊柩暫停在此、才碰上了此の块地。

舊有記云:“文江橋,武江口,小小蛇兒順水走。有人葬得著,金印大如斗。”李氏葬後,出裕公,登進士,官至吏部尚書。子官太守,孫貴發解,登癸丑進士,官翰林編修。吏部公從侄曰讃,鄉薦,封中憲大夫。其子曰廷觀,登進士,官副使;曰廷謨,登庚辰進士。父子兄弟繼登科甲,福祉未艾。

旧有記文説。文江橋、武江口、小小蛇児順水走。有人葬得着、金印大如斗。李家安葬之后、出了李裕公、中進士、官至吏部尚書。他児子做太守。孫子李貴中了解元、又中癸丑科進士、官翰林院編修。吏部公的堂侄李讃、由郷試薦挙出身、受封中憲大夫。李讃的児子李廷観中進士、官副使、李廷謨中庚辰科進士。父子兄弟接連科挙登第、福沢至今未止。

右地在鎮江府城南十里,地名華蓋山竇氏湖。龍勢甚遠,入首平岡飛蛾,個字中出,數節精俊,為水木到頭,起頂開鉗,于田中吐出唇氈圓正。左右掬抱有情,但元辰水當面平田去里許,外山卻橫攔回顧。繫壬亥龍,扦戌山辰向兼乾巽。葬後出侍郎公誾,登成化己丑會元,官至少宗伯,一代清貴即不振。

右図此の块地在鎮江府城南十裡、地名華蓋山竇氏湖。龍勢来得很遠、入首処是平岡上的「飛蛾」形、従「个」字形的中間抽出脈来、接連幾節都很精巧俊秀、到頭是水木相兼之体、起出山頂開出鉗口、在田中吐出円正的唇毡。左右両臂弯抱有情、只是元辰水従正面的平田一直流出一裡多遠、好在外面的山横着攔住並回頭相顧。它属壬亥龍、立戌山辰向兼乾巽。安葬之后出了侍郎公竇訚、中成化己丑科会元、官至礼部侍郎。不過只清貴了一代就不振了。

按:是地也,元辰水當面直去,登穴見之。前山雖攔卻遠,何得有力?所喜穴低藏,水田平坦耳。然龍穴雖美,只一代清貴即敗,亦以水凶也。予兩至其地,詢土人,謂低田原是湖也,土名猶稱竇氏湖。後改湖為田,費氏遂敗。大凡去水地,必須穴低伏。穴低伏則水雖去而平坦,不知其去。又須臨穴不見水為善。若臨穴見水去者,不吉。如許學士及李尚書祖地,皆臨穴不見水,兩畔砂又交結,且龍旺穴暖,此所以葬後即出顯貴也。

按語。此の块地的元辰水当着穴的正面直流出去、站在穴上就看得見。前面的山雖然横攔、却離得太遠、哪里還有力量。所幸穴位低而蔵、水田又平坦罷了。然而龍穴雖美、只清貴了一代就敗落、也是因為水凶。我們兄弟両次到過那里、問当地人、説那片低田原本是湖、地名至今还叫竇氏湖。後来把湖改成了田、那戸人家於是敗了。大凡去水的地、穴一定要低伏。穴低伏、水雖然流走、看上去仍是平平坦坦、覚察不出它在流走。還要以站在穴上看不見去水為好。若在穴上看見水流走、就不吉。像許学士和李尚書両処祖地、都是站在穴上看不見水、両旁的砂又交結鎖住、加上龍気旺・穴場暖、所以下葬之后立刻出顕貴。

論聚水

聚水最吉。師云“水朝不若水聚”。吳公云:“一潭深水注穴前,不見來源與去源。鉅萬資財無足羨,貴入朝堂代有傳。”故凡穴前水,最宜深聚。蓋水本動,妙在靜中。聚則靜矣,此其所以為貴。據深凝之水,四季融注,此郭氏所謂“得水為上”者也。不侫嘗謂湖有千年不涸之水,家有千年不散之財,此聚水之所以為至貴也。如丹陽賀廉憲、南昌張司業祖地,其格也。

水聚是最吉的。前輩師伝説「水朝不若水聚」、呉景鸞説。一潭深水注穴前、不見来源与去源。巨万資財無足羨、貴入朝堂代有伝。所以凡是穴前的水、最好是又深又聚。水本来是動的、妙処却在能静下来。聚起来就静了、这正是它可貴的緣故。凭着一潭深而凝定的水、一年四季都停蓄不干、这就是郭璞所説的「得水為上」。我們常説。湖裡有千年不干的水、人家就有千年不散的財、这便是聚水之所以至貴的道理。像丹陽賀廉憲・南昌張司業的祖地、都属此の一格。

聚水格

地在丹陽縣南八十里,土名馬墓。其龍發自三茅,來厯甚遠,不及詳述。撒落平洋,鋪氈展席,隱隱隆隆,分牙布爪。比入局,開平田大帳,束氣結咽,成銀錠脈,為平中一突泛水文星。左右面前三湖汪洋巨浸。近有玉帶砂低伏彎抱,以關內氣。遠有文筆峰秀貼天表,以為貴證。明堂寬廣,四勢和平。登穴視之,山明水秀,氣象宏大,眞美地也。繫亥龍轉艮,作丑山未向兼丁癸。葬後出默齋公,富冠於郡。官兵馬,膺封誥。子澹蓭公邦泰,登進士,司文衡,官江西廉憲。諸孫連登科第,人才迭出,富貴方隆。

此の块地在丹陽県城南八十裡、地名馬墓。它的来龍従三茅山発脈、来历很遠、此の裡来不及細説。龍脈撒落到平洋地帯、像鋪開一張毡・展開一領席、隠隠隆隆地起伏、分出牙爪。等到進入本局、張開一片平田大帳、束気結成咽喉、形成両頭大中間細的「銀錠脈」、做成平地中一個突起的「泛水文星」。左右和正前方有三個湖、浩渺一片。近処有「玉帯砂」低伏弯抱、把内気関住。遠処有「文筆峰」秀麗地貼在天辺、作為貴格的凭証。明堂寛広、四面山勢和緩平正。登上穴場看去、山明水秀、気象宏大、真是一块美地。它是亥龍転艮入首、立丑山未向兼丁癸。安葬之后出了黙斎公、家資為一郡之首、做兵馬司的官、得到朝廷封誥。他児子澹庵公賀邦泰考中進士、主持文衡之政、官至江西按察使。孫輩接連科挙登第、人才不断、富貴正盛。

右地在江西省城永和門外。其龍分省幹旺氣,分脈後脫落平洋,起岡阜,來厯甚遠,不詳述。比入局,連開帳穿峽,束為平面走馬文星,數節結穴。穴乃平中之突,突間開鉗,兩畔掬抱,界水明白。餘氈鋪坦,前峰拱揖。但明堂太寬,天設城牆,關束藏聚。而穴前融瀦之水,四季不涸,此得水為上者也。葬後出張公元春,登進士,官太守。子曰召,官經厯;曰賀,官光祿署丞,屢歷封誥。孫曰仲、曰作,皆以鄉魁進士,官至腰金。洪陽公位登鄉會二魁,入翰林,官南京國子司業,福祉未艾。

右図此の块地在江西省城永和門外。它的来龍分自省城干龍的旺気、分脈之后脱落到平洋、起出岡阜、来历很遠、不細説了。等進入本局、接連張帳穿峡、収束成平面的「走馬文星」、走幾節結穴。穴是平地中的一個突、突上開出鉗口、両辺弯抱如両手合捧、界水分明。穴下余気鋪成平坦的毡唇、前面山峰拱手相揖。只是明堂太寛、好在有天然設置的城墻関攔収束、把気蔵聚起来。而穴前停蓄的水一年四季都不干涸、这正是所謂「得水為上」。安葬之后出了張元春、中進士、做太守。児子張召做経歴、張賀做光禄寺署丞、屢次受封誥。孫子張仲・張作都以郷試第一考中進士、官做到腰繫金帯。洪陽公郷試・会試都得頭名、入翰林院、官至南京国子監司業、福沢還未止歇。

聚水亦有以人為而吉者,如常山詹氏祖地,土名大塘者,其塘水之聚,乃築埧為之。《葬書》所謂“工力之具”是也。左地在常山西南二十里。其龍來厯甚遠,不詳述。將入局,開大帳。帳中落脈,連起貪狼數峰。磊落穿田過峽即結穴。結穴後,餘氣山又穿田去七八里,而皆迴轉為下關水口諸砂。後樂高障,前朝清秀,羅城重疊,水口交固,羅星鎮塞,誠美地也。但明堂傾出,水不融聚,築壩為大塘,以聚水於穴前,此作法之善也。葬後出範川公萊,進士,廉憲;寒泉,知縣;鷺山,經厯;道南,兵馬。今靖吾公獻策、浚源、思虞、洞源、思謙,僉憲子在泮,俱聯登科甲,與古愚伯仲,人文濟濟,福祉未艾。

聚水也有靠人力做出来而得吉的、比如常山詹家的祖地、地名大塘、那口塘裡聚着的水、就是筑垻攔成的、正是郭璞《葬書》所説的「工力之具」。左図此の块地在常山県西南二十裡。它的来龍来历很遠、不細説了。快入局時張開大帳、従帳中落脈、接連聳起幾座「貪狼」峰、磊落地穿過田野・度過山峡就結穴。結穴之后、余気之山又穿田伸出七八裡、最後全都回転过来充当下関和水口的諸砂。穴後有高高的楽山作屏障、前面朝山清秀、羅城重重畳畳、水口交鎖牢固、還有「羅星」鎮塞其間、実在是块美地。只是明堂傾瀉外流、水不能停聚、於是筑垻造成大塘、把水聚在穴前、这是人工補救得当的好办法。安葬之后出了範川公詹萊、中進士、官按察使。寒泉做知県、鷺山做経歴、道南做兵馬司官。如今靖吾公詹献策、以及浚源・思虞・洞源・思謙、還有僉憲的児子在泮、都接連科挙登第、与古愚兄弟一輩人文薈萃、福沢正盛。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六上之二・徳興山人徐善繼述同著

論諸水凡二十二條

海潮水。海之為水,四瀆之所聚也。水勢既聚,則龍勢大止。故凡大幹龍,多止於海濱。而其融結,或產王侯,或生富貴。至於潮水之來,亦可驗其吉凶。潮頭高而色白者為吉。古歌云:“海水逆潮人愛惜,兩浙英雄由此出,十五不潮人嘆息。”又云:“江左秀氣在潮水,潮白時人多富貴。”

第一条講「海潮水」。海此の種水、是長江・黄河・淮水・済水四瀆最終匯聚的地方。水勢既然聚到極処、龍勢也就大大止住、所以凡是大干龍、多半止于海濱。它們所結的地、有的産王侯、有的生富貴。至于潮水涌来、也可以据以験看吉凶。潮頭高而顔色発白的為吉。古歌説。海水逆潮人愛惜、両浙英雄由此出、十五不潮人嘆息。又説。江左秀気在潮水、潮白時人多富貴。

如崑山縣,近數十年前海潮抵其邑者三,狀元亦三應之。又泉州沙塞潮河,近年開通,潮水抵城,而人才盛冠八閩。仙遊古潮抵縣,故多顯貴。宋初,莆田因築木蘭陂,潮止陂下,而貴萃莆陽。故潮關地氣盛替。且陰地得潮最吉。如餘姚孫忠烈公地,穴前潮水交會,而孫氏滿門朱紫。

比如崑山県、近幾十年裡海潮三次漲到県城、状元也就三次応在那里。又如泉州、原先潮河被泥沙淤塞、近年重新開通、潮水直抵城下、人才之盛便冠于八閩。仙游県自古潮水可以到県城、所以多出顕貴之人。宋初莆田修筑木蘭陂、潮水只到陂下為止、貴気便薈萃在莆陽一帯。可見潮水関係着一地地気的盛衰。而且陰宅能得潮水最吉、像余姚孫忠烈公的墓地、穴前正是潮水交会之処、孫家便満門朱紫。

又王陽明先生祖地,在縣西十里,穴結平洋。穴前水屈曲而去,海潮一起,湧入朝穴。舊有記云:“封山一地最難求,穴落平洋水繞流。奇峰隱隱雲霄見,文魁天下武封侯。”葬後,陽明先生父海日公華登成化辛丑狀元,官至南京吏部尚書。陽明登會魁,正德末官南贛都御史,以平宸濠功,封新建伯,南京兵部尚書。隆慶初,追封新建侯,諡文成,果符“文魁天下武封侯”之驗。

再如王陽明先生的祖地、在県城西十裡、穴結在平洋。穴前的水屈曲流走、可是海潮一起、便倒涌進来朝向穴場。旧有記文説。封山一地最難求、穴落平洋水繞流。奇峰隠隠雲霄見、文魁天下武封侯。下葬之后、陽明先生的父親海日公王華中成化辛丑年状元、官至南京吏部尚書。陽明本人考中会試頭名、正徳末年任南贛都御史、因平定宸濠之乱有功、封新建伯、任南京兵部尚書。隆慶初年追封新建侯、諡号文成。果然応験了「文魁天下武封侯」那句話。

黃河水。天下之水,發源之遠者,惟黃河為最。故其濱河兩涯,多為都會,如洛邑、安邑、平陽、蒲坂是也。但水勢急峻,變態不一矣。蓋黃河上通天運,關係甚大,故其水四時皆濁。若一澄清,則為明王之應。諺云:“黃河清,聖人生。”古歌云“黃河在北四時濁,急風翻浪泥沙惡。五百年來一遍清,此乃南朝聖帝生”是也。皇朝,黃河關係陵寢,沖決不常,未為無慮。司國計者,宜有以備之雲。

第二条講「黄河水」。天下的水、発源最遠的要数黄河、所以沿河両岸多成都会、像洛邑・安邑・平陽・蒲坂都是。只是它水勢又急又陡、変化多端。黄河上通天運、関係極大、所以四季都渾濁。一旦澄清、就是聖明君主出世的徵応。諺語説「黄河清、聖人生」、古歌説「黄河在北四時濁、急風翻浪泥沙悪。五百年耒一遍清、此乃南朝聖帝生」、講的就是此の個。本朝黄河関係着皇陵、決口改道又没有定準、実在不能不憂慮、主管国家大計的人応当早作防備。

江水。夫江為四瀆之長,亦諸水之所注也。然其勢既浩蕩,必以彎抱屈曲為吉。故金陵襟帶長江,而為天下都會,良有以也。湖水。夫湖水乃諸水之聚注處,汪汪洋洋,萬頃一平,水之最吉者也。不拘大湖小湖,陰陽二宅,見之俱吉。吳越武粛錢王時,有異人教王壩築西湖以建府治,其垂祚可悠久不替。否則,王氣不滿百年。王不聽,果九十年而止。

第三条講「江水」。江是四瀆之長、也是衆水注入的去処。它気勢既然浩蕩、就一定要以弯抱屈曲為吉。所以金陵以長江為衣襟腰帯、成為天下的大都会、是很有道理的。第四条講「湖水」。湖水是衆水匯聚停注的地方、浩浩蕩蕩、万頃一平、是水中最吉的。不論大湖小湖、陰宅陽宅見到它都吉。呉越武粛王銭鏐在位時、有位異人勧他筑垻囲西湖来建府治、説此の様国祚可以長久不衰。否則王気不満一百年。銭王不聴、結果呉越果然只伝了九十年。

溪澗水。大凡大幹龍之地,多居江湖河海之旁,已前論之詳矣。然行龍之小幹小枝,尤多結作於溪澗之間,是溪澗之水不可不察也。其水必以屈曲環遶、聚注深緩為佳。若直而太急,溜而有聲,峻而跌漈,則皆不吉。故《賦》云:“曲水來朝,不問大澗小澗。”言屈曲之吉也。郭書云:“以水為朱雀者,忌夫湍激,謂之悲泣。”言有聲凶也。

第五条講「渓澗水」。大体上、大干龍所結的地多半在江湖河海之旁、前面已经講得很詳細了。但行龍中的小干・小枝、却更多結作在渓澗之間、所以渓澗的水不能不細察。此の種水一定要屈曲環繞・聚蓄深緩才好。若又直又急・湍流有声・陡峻跌落成瀑、就都不吉。所以卜応天《雪心賦》説「曲水来朝、不問大澗小澗」、講的是屈曲之吉。郭璞《葬書》説「以水為朱雀者、忌夫湍激、謂之悲泣」、講的是水声之凶。

平田水。平田水者,水散田中,平夷悠緩,不沖不射,不割不穿,不帶凶殺。凡穴得之最吉。亦以有情朝穴,到堂融聚為佳。若其無情而不到堂,縱有諸吉,亦無補於用也。溝洫水。溝洫水者,溝渠田洫之水也。結穴之處,亦欲其屈曲悠匯,而忌直急、擺撇、沖射、穿割、無情,皆不吉也。

第六条講「平田水」。平田水是水散布在田間、平坦従容緩慢、不沖不射、不割穴脚、不穿明堂、不帯凶煞。凡穴場得到它最吉。同様以有情地朝向穴場・流到明堂裡停聚為佳。若它無情而又不到明堂、縦然別処様様都吉、対此の個穴也没有補益。第七条講「溝洫水」。溝洫水就是溝渠和田間水道裡的水。在結穴之処、也要它屈曲従容地匯流、最忌又直又急・揮頭撇開・沖射穴場・穿破明堂・割裂無情、此の些都不吉。

池塘水。池塘之水,乃地勢汙下,會集諸水者也。若是生成原有者,亦儲祿之類,穴前得之最吉,不可填塞。如誤填塞,禍災立應。若鑿池開塘,亦須詳審,不可妄開,傷殘龍脈,發洩地氣,立招凶禍。且池塘凶者,謂之照盆殺,主少亡。斷法云:“上塘連下塘,寡母守空房。”不可不慎。

第八条講「池塘水」。池塘的水、是地勢低窪処匯集起来的衆水。若是天然本来就有的、也属于「儲禄」一類、穴前得到它最吉、絶不可以填塞。万一誤填、災禍立刻就来。至于自己鑿池開塘、也必須仔細斟酌、不能乱挖、否則傷了龍脈・洩了地気、馬上招来凶禍。而且池塘凶的一种叫「照盆殺」、主家中有人早亡。断法説「上塘連下塘、寡母守空房」、不能不謹慎。

右地在浮梁縣東五里,土名高園。其龍發自東鄉,兩溪夾送百餘里交會,欲盡未盡之際,翻身起水星大帳。帳中出脈,大斷過峽,頓起御屏土星,方正清奇。中出微乳,左右貼身龍虎掬抱有情,以結天然之穴。外龍虎自水星帳兩臂環抱交紐,如鋪氈搢笏,平伏盤固。前峰高插雲漢特朝。從沙如貴人、天馬、誥輔、旗鼓、種種羅列。穴下靈泉融注,內堂夾聚,外洋寛暢。課云:“青龍搢笏,白虎鋪氈,二紀年後,當為帝王之師。”果二紀年間,尚書豼孫為理宗師保。朱氏同時朱紫滿門,有九子十神童之稱。時外甥亦登神童科,故云。其後子孫不知此地貴在靈泉,乃平為田,遂潰其秀,朱氏頓敗。

右図此の块地在浮梁県東五裡、地名高園。它的来龍従東郷発脈、両条渓水夾送一百多裡后交会、龍将尽未尽之際翻身聳起「水星」大帳。帳中抽出脈来、大断過峡、頓起「御屏」土星、方正而清奇。中間吐出微微的乳突、左右貼身龍虎両臂弯抱有情、結成天然之穴。外層龍虎従水星大帳的両臂環抱交結、像鋪開毡席・挿着朝笏、平伏而盤固。前面的山峰高挿雲天、専程朝来。随従的砂像貴人・天馬・誥軸・旗鼓等等羅列成行。穴下有霊泉停蓄、内明堂夾聚、外洋寛暢。当初的断語説。青龍搢笏、白虎鋪毡、二紀年後、当為帝王之師。果然二十四年之間、尚書朱貔孫做了宋理宗的師保。朱家同時満門朱紫、有「九子十神童」的称号——当时他家外甥也考中神童科、所以此の麼説。後耒子孫不懂此の块地的貴処正在那口霊泉、把它填平成田、秀気就此潰散、朱家立刻敗落。

傳疑朱氏其時榮顯甚隆,理宗嘗命豼孫圖祖冢來看,乃獻此圖。上以硃筆點前峰曰:“卿為朕師,乃此峰之鍾秀也,當封為王師峰。”是時此山即崩塊,儼如點朱,迄今鄉人猶以王師峰呼之。右地在南昌,土名池港。其龍起自漸嶺,撒落平洋二十餘里。到頭橫開平面金水帳,帳中抽出小小蘆鞭,復起平中一突結穴。四面皆水,當前大河橫遶,取作飛雁投湖形。艮龍轉卯,扦庚向兼酉。舊有偈云:“上坊下池港,上有個字葫蘆樣。秀水流來甲向庚,葬著狀元生。”葬後果出吉所公棟,登嘉靖乙丑會元探花。後以築壩塞其流神,福力遂歇。

以下是伝聞存疑的説法。朱家当时栄顕極盛、宋理宗曾命朱貔孫把祖墳画成図呈上来看。理宗用朱筆点着図上前面那座山峰説。你做朕的老師、正是此の座峰鍾聚的秀気、応当封它為王師峰。据説就在那一刻、此の座山当即崩落一块、斑痕儼然像被朱筆点過一様、到今天郷裡人還叫它王師峰。右図此の块地在南昌、地名池港。它的来龍起自漸嶺、撒落平洋二十多裡、到頭横開一片平面的「金水帳」、帳中抽出一条小小的「蘆鞭」、再在平地中起一個突結穴。四面都是水、正前方大河横繞、取象為「飛雁投湖」形。艮龍転卯入首、立庚向兼酉。旧有偈語説。上坊下池港、上有個字葫蘆様。秀水流耒甲向庚、葬着状元生。下葬后果然出了吉所公張棟、中嘉靖乙丑科会元・殿試探花。後耒因為筑垻堵塞了那条流神水、福力也就停歇了。

下地在豐城港西,杜侍郎拯祖地也。其龍來自起升山,發出嫩枝,磊落數節,翻身逆勢結穴。星辰雄猛,下鋪餘氈,俗呼睡虎形。杜氏於穴前大開一池,旬月間侍郎公即遭冦刺之禍。按:已上三地,皆於穴前妄有改作而致禍敗。杜氏之開鑿尤大,故其禍尤慘。廖公云:“開池穿井多有忌,消詳莫輕易。”朱子云:“祖塋之側,數興土功,以致驚動,亦能招災。”渠不信夫!為人子孫,可不慎重。胡乃輒爾興作,自取凶咎。予所目擊,不能悉舉,姑出此三格,以告明者,當知所慎雲。

下図此の块地在豊城港西、是杜侍郎杜拯的祖地。它的来龍従起升山過来、発出一支嫩枝、磊落走了幾節、翻身逆勢結穴。星峰雄猛、穴下鋪着余気的毡唇、俗称「睡虎形」。杜家在穴前挖了一口大池、不到一個月、侍郎公就遭了盗寇行刺之禍。按語。以上三块地、都是在穴前胡乱改動而招来禍敗的。杜家挖得最大、所以禍也最惨。廖金精説。開池穿井多有忌、消詳莫軽易。朱熹説。祖墳旁辺屢興土木、以致驚動地気、也能招災。此の話難道還不可信嗎。做人家子孫的、怎能不慎重。怎么可以説動工就動工、自找凶咎。我們兄弟親眼見到的例子挙不勝挙、姑且挙出此の三格、告訴明白人応当知道有所戒慎。

或謂杜氏地虎形,不可輕犯。今乃興工開池以驚動之,故取禍之速,在旬月間,其以此耳。夫形固不必泥,然亦往往有應驗者,此類是也。曩予兄弟遊閩,觀蔡牧堂先生自卜壽藏,在崇安縣,土名箬山。鄉人云是虎形地。當時牧堂囑曰:“古人有廟祭,無墓祭。”乃別立享堂,即祠堂也。去墓甚遠。迄今子孫守之,不敢設祭於墓。竊謂牧堂父子,嘗與道學之轍,其於論地,見之《發微》諸書,所謂醇正無疵者也,亦乃拘於形象若是乎?可見地有偶合其形者,亦當隨俗避忌。所謂事之無害於理者,從俗可也,又何必深闢哉!

有人説杜家那块地是虎形、不可軽易冒犯、如今動工挖池去驚動它、所以招禍才此の様快、一個月之内就応了、原因就在此の裡。形象之説固然不必拘泥、可是往往真有応験、此の一類就是。従前我們兄弟游歴福建、看過蔡牧堂(蔡発)先生自己選定的寿穴、在崇安県、地名箬山、郷人説那是虎形地。当时牧堂交代説。古人只有廟祭、没有墓祭。於是另外立了享堂、也就是祠堂、離墓很遠。直到今天子孫還守着此の条規矩、不敢在墓上設祭。我們私下想。牧堂父子都走的是道学一路、他們論地理的話見於《発微論》等書、可説醇正無疵、竟也此の様在意形象嗎。可見地形偶然合於某种物象的、也該随着習俗有所避忌。所謂事情只要于理無害、随俗而行就可以了、又何必去深加駁斥呢。

天池水。天池水者,乃高山頂上有池水也。以其高在山巔雲漢間,故曰天池。《龍經》云:“高山頂上有池水,兩水夾得眞龍行。問君高頂何生水,此是眞龍樓上氣。樓殿之上水泉生,水還落處兩邊迎,眞龍卻在泉中過。”

第九条講「天池水」。天池水、是高山頂上有一池積水。因為它高踞山巔・幾乎在雲漢之間、所以叫天池。楊筠松《撼龍経》説。高山頂上有池水、両水夾得真龍行。問君高頂何生水、此是真龍楼上気。楼殿之上水泉生、水還落処両辺迎、真龍却在泉中過。此是説山頂蓄水正是龍気極盛・上騰成泉的凭証、真龍就従此の泉水底下穿過。

又有平洋龍身有湖,亦是天池。龍行過峽斷處有池,亦謂之天池。是不可必拘於高山頂上之池方號天池,蓋在龍身上者,皆謂之天池。如不在龍身,則為池塘水矣,豈可天池名乎?峽上左右兩池,脈從中出,謂之左侍右衛,亦名養蔭水。廖氏云“龍上如生兩池水,養蔭斯為美”是也。亦有一畔有池,一畔無池者,《經》云“也有單池在旁抱,單池終不及兩池”是也。

另外平洋的龍身上有湖、也算天池。龍行過峡・断脈的地方有池、同様叫天池。可見不必死守「非山頂之池不算天池」、凡是長在龍身上的水池、都可以叫天池。若不在龍身上、那就只是池塘水、怎么能叫天池呢。過峡処左右各有一池・脈従中間抽出的、叫「左侍右衛」、也叫「養蔭水」。廖金精説「龍上如生両池水、養蔭斯為美」、講的就是它。也有一辺有池・一辺没有池的、《撼龍経》説「也有単池在旁抱、単池終不及両池」、説的正是此の種。

天池一名天漢,一名天潢。《經》云“池平兩水夾又清,此處名為天漢星。天漢天潢入閣道,此星入相居天庭。”蔡文節公云:“龍帶天池,則有貴氣而綿遠。”故凡龍身有此池者,其所結作,力量甚大。但須四時水注為美。若或忽然乾枯,敗禍立至。

天池又叫「天漢」、又叫「天潢」。《撼龍経》説「池平両水夾又清、此処名為天漢星。天漢天潢入閣道、此星入相居天庭」。蔡元定説。龍帯天池、則有貴気而綿遠。所以凡是龍身上帯此の種水池的、它所結的地力量都很大。但必須一年四季都有水停注才算美。若忽然干涸見底、敗落之禍馬上就来。実地察看時、要留意池水是否終年不竭、这是判断龍気盛衰最直接的一条。

詩云:“山頂天池人少知,周迴深闊最為奇。能盛天池蔭龍脈,盈竭猶能驗盛衰。”又云:“平坂天池大且深,眞龍脈盛故凝成。四時融注極榮貴,一旦乾枯即敗傾。”故天池或平淺,乍有乍無,亦不為吉。詩云:“天池之水淺而平,乍無乍有或欹傾,此湖不敢言奇異,富貴難憑只守成。”是以凡天池之水,宜深注而四時不涸為佳耳。大抵眞是天池,則其水自然深聚澄凝,四時如一,罕有涸竭傾枯之患,知者宜詳審之。

有詩説。山頂天池人少知、周回深闊最為奇。能盛天池蔭龍脈、盈竭猶能験盛衰。又説。平坂天池大且深、真龍脈盛故凝成。四時融注極栄貴、一旦干枯即敗傾。所以天池如果既平又浅・時有時無、也算不得吉。詩説。天池之水浅而平、乍無乍有或欹傾、此湖不敢言奇異、富貴難凭只守成。因此凡是天池之水、都以深深停注・四季不干為好。大体上、真正的天池、池水自然深聚澄清凝定、一年四季都是一個様子、很少有干涸傾枯之患。懂行的人応当仔細分辨。

注脈水前水繫龍身所有,此水是穴前所有。注脈水者,湖水注於穴前也,亦名仰天湖。大龍形勢甚強,及到盡處,無穴可下,必於未盡之間結為天湖之穴。雖在龍行之時,而必有注脈之水,四時不竭。此即眞氣融結,宜於此尋穴。其水注以後去者,或復起為案,或為官曜,皆貴也。朱文公葬母地合此。

第十条講「注脈水」(前一条天池水是長在龍身上的、此の一条則是長在穴前的)。所謂注脈水、是湖水停注在穴前、也叫「仰天湖」。大龍気勢很強、走到尽頭処反而没有穴可下、必定在将尽未尽之間結成天湖之穴。此の時雖然還在龍行途中、却一定有注脈之水、四季不竭——这就是真気融結的標志、応当在此の裡尋穴。此の水停注之后又流出去的、或者在下游再起一座山作案、或者化為官星・曜気、都主貴。朱熹安葬母親的那块地、正合此の一格。

右地在建陽崇泰裡寒泉嶺天湖陽,文公母祝氏夫人墓也。龍自高山脫脈穿田,起為平岡。又逶迤數節,為湖田。雙脈合而為穴,穴居湖水,而本身前起成高阜,為太陰文星之案。外洋暗拱,左右映帶,大溪橫繞,眞得水藏風之美地也。文公子在、孫鑑皆官侍郎,曾孫浚尚理宗公主,至今徽州、建寧兩地,世習博士,考亭富盛,科第不替。

右図此の块地在建陽崇泰裡寒泉嶺的天湖陽、是朱熹母親祝夫人的墓。来龍従高山脱脈穿田而来、起成平岡。又蜿蜒走了幾節、成為湖田。両条脈合起来結穴、穴就在湖水之間。本身前面又起一座高阜、作「太陰」文星的案山。外洋暗暗環拱、左右互相映帯、大渓横繞而過、真是一块既得水又蔵風的美地。朱熹的児子朱在・孫子朱鑑都官至侍郎、曾孫朱浚娶了宋理宗的公主。到今天徽州・建寧両地、朱氏子孫世襲五経博士、考亭一支家道富盛、科第不断。

雖然,文公之德,宜其子孫萬世而愈盛,固未必專繫於地。然似此山川,鍾靈孕秀,亦宜其傳世之克顯也。古云:“惟嶽降神,生甫及申。”夫豈虛語哉!文公三子:墊、埜、在。墊居徽之婺源,今襲博士;埜居考亭,今富盛有科甲;在居建寧府城,今世襲博士。皆人丁大旺。

話雖如此、朱熹的徳行本就該譲子孫万代愈発昌盛、未必全系於此の块地。不過像此の様的山川鍾聚霊気・孕育秀気、也難怪他家世代顕達。古人説「惟岳降神、生甫及申」、難道是空話嗎。朱熹有三個児子。朱塾・朱埜・朱在。朱塾一支住在徽州婺源、如今世襲五経博士。朱埜一支住在考亭、如今家道富盛而有科第。朱在一支住在建寧府城、如今也世襲博士。三支人丁都很興旺。

源頭水。源頭者,龍之發源處也。此處水源來短去長,眞龍不住。《賦》云:“窮源僻塢,豈有眞龍?”吳公云:“源頭地,水尾山,時師到此不須談。”嘗見亦有大龍結穴在山谷中,而內堂水源甚短,有似於源頭水尾者,尤須詳審,不可一概論也。如浮梁李侍郎祖地圖見曜卷、建陽蔡文肅公祖地即西山先生墓是耳西山墓圖見砂卷。

第十一条講「源頭水」。所謂源頭、是龍発源的地方。此の裡水源来路短・去路長、真龍不会在此止住。卜応天《雪心賦》説。窮源僻塢、豈有真龍。呉景鸞説。源頭地、水尾山、時師到此不須談。不過我們也見過大龍結穴在山谷之中、而内明堂的水源很短、看上去很像源頭水尾之処、此の種情形尤其要仔細分辨、不能一概而論。像浮梁李侍郎的祖地(図見曜星一巻)・建陽蔡文粛公的祖地(也就是蔡元定西山先生的墓、図見砂法一巻)就是例子。

沮洳水。沮洳水者,非冷泉窟穴,而遍山遍地常溼,視之不見有水,踐之鞋底皆溼。或是石山裡,如死牛皮,不問四時,常有溼汗。或掘鑿坑坎,水即盈滿。或春夏泉流,秋冬枯涸,卻常是汙溼浸淫,此皆沮洳水也。張子微云:“沮洳水乃是山龍氣衰脈散,如人受病,氣不通而血妄行。婦人則為崩漏,男子則為痔痿,皆原於氣衰血滯,積年累歲不愈,而天年不永,因此害生。縱饒苟延僥倖,必容貌憔悴,肌體痿薾,不問男女,皆不生子。惟覺淹淹,不知死之將至云爾。此最無取。”又云:“若有石曜,溼如牛鼻,慎勿用之。”皆確論也。

第十二条講「沮洳水」。沮洳水不是冷泉窟穴那一類、而是満山遍地常年潮湿。看又看不見明水、踩上去鞋底却都湿了。有的出在石山裡、石面像死牛皮一様、不論四季総渗着湿汗。有的一挖坑洼、水就立刻満上来。有的春夏有泉流・秋冬就干、可地面総是汚湿浸潤——此の些都是沮洳水。張子微説。沮洳水是山龍気衰・脈散的表現、好比人生了病、気不通而血乱行。婦人就成崩漏、男子就成痔瘻、都源于気衰血滞、多年不愈、寿命不長、因此害了性命。就算僥倖苟延、也必定容貌憔悴・身体萎弱、不論男女都不生育、只覚得病懨懨的、不知死期将至。此の種地最不可取。他又説。若有石曜而湿得像牛鼻子、千万不要用。都是確切之論。

臭穢水。臭穢水者,或牛泓豬涔,或腐臭成漿,或濁濃稠滯,攪動腥穢,氣不可聞也。陰陽二宅皆忌。有此,主女人崩漏,男子痔痿、痘癀、夭折、盲目、淫惡。仍主門戶衰落,產業退失。《明堂內經》云“流膿出泉,腐臭成漿,牛泓豬涔,汙穢濁黃,主瘟招疫,家道不昌,癰疽痔漏,子孫少亡”是也。

第十三条講「臭穢水」。臭穢水、或是牛蹄坑・猪打滾的泥水、或是腐臭成漿、或是渾濁濃稠停滞、一攪動就腥臭扑鼻、気味難聞。陰宅陽宅都忌諱它。有此の種水、主婦人患崩漏、男子患痔瘻・痘瘡黄病、或者夭折・失明・行為淫悪、還主門戸衰落・産業退失。《明堂内経》説「流膿出泉、腐臭成漿、牛泓猪涔、汚穢濁黄、主瘟招疫、家道不昌、癰疽痔漏、子孫少亡」、講的就是它。

泥漿水。泥漿水者,乃乾溼池也。得雨則盈,雨霽則涸。望之似可掦塵,踐之或至沒脛,滋滋浸漬,常有泥漿。此乃不吉之地,地脈疎漏,最為不吉,主客死拋尸,人衰財散,多招痼疾。送龍水。送龍水者,龍之發足處,兩水界送,直至龍盡而合者也。幹龍則論河水溪水,枝龍則或山溪田源夾送龍神。然此送龍之水,不可拘其兩水會堂,只一邊到堂,一邊不上堂,亦不為害。若兩水俱到面前會合,則是去水之穴為然,其它或合於左,或合於右,或合於後。此水源長則龍長,水源淺則龍短,力量大小,察此可知也。

第十四条講「泥漿水」。泥漿水就是時干時湿的水坑。下雨就満、天晴就干。遠看好像能揚起灰塵、踩下去却能没到小腿、湿漉漉地浸漬着、常年是一片泥漿。这是不吉之地、説明地脈疏鬆漏気、最為不吉、主客死他郷・尸骨拋露、人丁衰敗・銭財離散、多招久治不愈的痼疾。第十五条講「送龍水」。送龍水是龍起脚出発之処、両辺有水界開並一路送行、直到龍尽頭才合攏的水。干龍就論河水・渓水。枝龍則或是山渓、或是田間的水源、夾着龍神送行。不過此の送龍的水、不必死守「両水都要会於明堂」。只有一辺到堂・一辺不上堂、也没有妨害。若両水都到穴前会合、那是去水之穴才如此。其余的或合在左辺、或合在右辺、或合在穴後。水源長龍就長、水源浅龍就短、力量的大小、看此の個就能知道。

幹流水。幹流水者,高處是山,低處是水,故雖無流泉滴瀝,亦謂之水,曰幹流耳。雨下則亦有水淋流,雨止則無此水界脈束氣。穴之左右貼近,必須有之方妙。若穴下幹流,切忌直長傾倒,亦宜平緩悠回,最關初年禍福,故爾。

第十六条講「干流水」。所謂干流水、是按「高一寸為山・低一寸為水」的道理来看。高処算山、低処就算水、所以哪怕没有一滴泉流、也照様叫作水、名為「干流」。下雨時它也有水淋漓流過、雨一停就没有了。靠它来界断龍脈・収束生気。穴場左右貼身的地方、必須有它才妙。若是穴下的干流、切忌又直又長地一瀉而下、也応当平緩迂廻。它最関係頭幾代的禍福、所以特别要留意。

合襟水。合襟水者,穴前界脈上分下合之水,如胸前衣襟之交合,故名合襟水也。蓋脈來則有分水以導之,脈止則有合水以界之,故有小分合、大分合。其融結有三分三合。穴前後一分合,起主至龍虎所交二分合,少祖至山水大會三分合也。小合為小明堂,大合為大明堂。合龍虎內為內明堂,合龍虎外為外明堂。以內界水分合審氣脈,定穴之聚散;外界水分合審明堂,定局勢之聚散。內界水隱微難見,外界水顯明易見。

第十七条講「合襟水」。合襟水是穴前界断来脈・上面分開下面合攏的水、像胸前衣襟両片交合、所以叫合襟水。脈来的时候有分開的水引導它、脈止的时候有合攏的水界断它、因此有小分合・大分合之別。一処融結共有「三分三合」。穴的前後是第一重分合、従起頂的主星到龍虎交会処是第二重分合、従少祖山到山水大会処是第三重分合。小的合処就是小明堂、大的合処就是大明堂。合在龍虎以内的是内明堂、合在龍虎以外的是外明堂。用内界水的分合来審察気脈、判定穴気的聚散。用外界水的分合来審察明堂、判定局勢的聚散。内界水隠微難見、外界水顕豁易見。

內界水收得緊,合流不散,曰天聚,是自然雌雄會也。內界水出,與外界水關得住,合於明堂,曰人聚,是隱然雌雄會也。明堂外龍虎包,不見水出,曰地聚,是顯然雌雄會也。此謂三合三分,合襟水之合夫矩度者也。有此則近而鰕須蟹眼具備,遠而蟬翼、龍虎、纏護明白,前親後倚分曉,乃融結眞切矣。

内界水収得緊、合流之后不散開、叫作「天聚」、是自然而然的雌雄交会。内界水流出去后、被外界水関攔住、合聚在明堂、叫作「人聚」、是隠約可見的雌雄交会。明堂之外有龍虎包裹、看不見水流出去、叫作「地聚」、是明顕可見的雌雄交会。这就是所謂三分三合、也是合襟水合乎規矩法度的様子。有了此の些、近処的「蝦鬚水」「蟹眼水」様様斉備、遠処的「蝉翼」「龍虎」「纏護」層層分明、前面有親近的案・後面有倚靠的楽、一清二楚、这才是真切的融結。

鄱陽餘氏佑曰:合襟水者,即股明股暗雌雄水也。鰕須蟹眼二水,自穴後兩旁環繞至穴前,如鰕須樣。二水上有分,下有合,則陰陽交濟,而雌雄相配。或二水上有分,下無合,則陰陽離拆,而雌雄不配,謂之失經。經,常也。雌雄不配,則失其常矣。論穴之界水,不過如此。

鄱陽人余佑説。合襟水、就是一辺明・一辺暗的雌雄二水。「蝦鬚水」和「蟹眼水」此の両条、従穴後両旁環繞到穴前、形状像蝦的両根長鬚。此の両条水上面有分・下面有合、就是陰陽交済・雌雄相配。如果上面有分而下面不合、那就是陰陽離散・雌雄不配、叫作「失経」。経、就是常道。雌雄不相配、也就失了常道。論穴場的界水、道理不過如此而已。

而術家之言,曰個字、三叉、雞跡、蟹眼、蟬翼、魚腮、十字、球簷、化生腦、泥丸宮,又有所謂水裡眼、剪刀交、水裡坐、水裡臥、蝸窟、蛤尖、交金、界玉、雞胸、鳩尾、壽帶、孩衿、羅文土宿、生龜死鱉、眠幹就溼、割腳臨頭、大口出小口、水過山不過等說,又有所謂兩片牛角砂、一滴蟹眼水、舌尖堪下莫傷唇、齒罅可扦休近骨、虛簷雨過聲猶滴、古鼎煙銷氣尚浮、雪水融時湖水漲、水邊花發水中紅等說,種種多端。

可是術士們的説法却名目繁多。有叫「个字」「三叉」「鶏迹」「蟹眼」「蝉翼」「魚腮」「十字」「球檐」「化生脳」「泥丸宮」的。又有所謂「水裡眼」「剪刀交」「水裡坐」「水裡臥」「蜗窟」「蛤尖」「交金」「界玉」「鶏胸」「鳩尾」「寿帯」「孩衿」「羅文土宿」「生亀死鳖」「眠干就湿」「割脚臨頭」「大口出小口」「水過山不過」等等。還有所謂「両片牛角砂」「一滴蟹眼水」「舌尖堪下莫傷唇」「歯罅可扞休近骨」「虚檐雨過声猶滴」「古鼎烟銷気尚浮」「雪水融時湖水漲」「水辺花発水中紅」等等、種類多得数不清。

其間所指多一事。一意而二三其說,固不足取。胡乃又有庸師野俗之辭云“空手把鋤頭,步行騎水牛。人從橋上過,橋流水不流。兔在茅岡走,鷹來水面飛。老鼠樑上過,貓兒總不知”等語,假楊公之名,以取信於人。楊公豈有此詭異之說哉!是皆術者不明正理,立此奇名怪語,欺世駭俗,自神其術而已。明理君子,置之勿談可也。

此の些名目所指的其実多半是同一回事。一個意思却生出両三种説法、本来就不值得取。何况還有庸師俗人的話、説什麼「空手把鋤頭、步行騎水牛。人従橋上過、橋流水不流。兎在茅岡走、鷹来水面飛。老鼠梁上過、猫児総不知」、假借楊筠松的名字来取信於人。楊公哪里会有此の種詭異的説法。此の都是術士不明正理、編出些奇名怪語、欺世駭俗、好把自己的本事説得很神罷了。明白事理的君子、把它們撇開不談就是了。

按:餘氏此論確當,故録之以為明辨雲。右為合襟水圖。上如球之圓,下如簷之滴斷,故曰球簷。後倚三龍山,上分送龍水,又名隨龍水。前親三龍水,下合送龍水,不拘合於穴前,多有合於左右及穴後者。合於後者名曰後合襟水。

按語。余佑此の一段議論很確切、所以抄録下来、作為辨明是非之用。右辺是合襟水図(図形已佚、僅存図説)。図説講。穴上円得像球、穴下断得像屋檐下滴水処、所以叫「球檐」。穴後倚着三龍山、上面分出送龍水、又叫随龍水。穴前親近三龍水、下面与送龍水会合。合的位置不限於穴前、很多是合在左右両側或者穴後的。合在穴後的、就叫「後合襟水」。

極暈水。極暈水者,眞穴必有太極之暈。訣云:“隱隱微微,彷彷佛佛,粗看有形,細看無物。”又曰:“遠看似有,近看則無。側看突起,正看模糊。”皆善狀太極暈之妙訣也。故凡入穴,回頭見圓暈在微薄隱顯之間,是謂有太極圓暈也。水非眞有水,乃低處為水耳。訣云:“高一寸為山,低一寸為水。”郭景純《葬書》“乘金相水,穴土印木。”廖氏“紫微太乙,旺龍木星”與此義同。故此太極暈,不特論水,尤切於穴。廖氏云:“若還鋤破太極暈,水蟻便侵棺。”正此暈矣。附極暈圖。

第十八条講「極暈水」。所謂極暈水、是説真穴必定有一圏「太極暈」。口訣説。隠隠微微、彷彷佛佛、粗看有形、細看無物。又説。遠看似有、近看則無。側看突起、正看模糊。都把太極暈的妙処形容得很好。所以凡是到了穴場、回頭看見一圏円暈在若隠若現・極其微薄之間、就叫作有太極円暈。此の裡説的水並不真有水、只是低下去的地方就算水。口訣説「高一寸為山、低一寸為水」。郭璞《葬書》講「乗金相水、穴土印木」、廖金精講「紫微太乙、旺龍木星」、意思都与此相同。所以此の太極暈、不只是論水、対定穴更為切要。廖金精説。若還鋤破太極暈、水蟻便侵棺。指的正是此の圏暈。後附極暈図(図形已佚)。

元辰水。元辰水者,龍虎之內,穴前合襟處水也,乃我本身親貼者。不拘幹流溼流,均謂之元辰水。此水切忌傾走。譬之龍身元氣,一滴不可洩也。必須左右有砂攔截,使之曲折為美。卜氏云:“元辰水當心直出,未可言凶。”乃權辭,戒人勿執一耳。其實元辰之水當心直出而長,為地大忌。故下文復救之曰:“外面山轉首橫攔,得之反吉。”

第十九条講「元辰水」。元辰水、是龍虎砂以内・穴前合襟之処的水、是緊貼本身的水。不論是干流還是湿流、都叫元辰水。此の種水最忌傾瀉流走。它好比龍身的元気、一滴也不能泄漏、必須左右有砂攔截、譲它曲折而行才好。卜応天説。元辰水当心直出、未可言凶。这是一句権変的話、只為提醒人不要死執一辺罷了。其実元辰水従穴的正中直流出去而且拖得很長、是地理上的大忌。所以他下一句又補救説。外面山転首横攔、得之反吉。

蓋地固有龍眞穴的,不幸而元辰長者,又須局勢緊巧乃可。若一向直去,局又曠闊,則眞氣不驟,必無融結。亦有大龍氣盛,結穴已完,而餘氣吐為氈褥,為曜氣,一齊收斂不盡,而有元辰水出者,但初代不利。必須行到砂攔水截之處,方發財祿。然此等地必多清貴,雖位列顯耀,而家儲終不富盈耳。其亦有多富積者,必在數代之後也。附元辰水吉凶圖。此元辰水直出,有外水橫截,吉,但主不利初代。此元辰水直出,有外山橫塞,吉,但主不利初代。此元辰水屈曲而出,初年亦發,至吉。此元辰直長,無砂水攔截,不結地,極凶。

地裡確実有龍真穴的・却不幸元辰水拖得長的、那就必須局勢緊湊精巧才行。若水一味直去・局面又空曠開闊、真気聚不攏、必定没有融結。也有大龍気勢旺盛、結穴已经完成、而余気吐出毡褥・化為曜気、一時収斂不尽、因而有元辰水流出的。此の種地只是頭一代不利、必須水走到有砂攔・有水截的地方、才発財禄。不過此の類地多半出清貴之人、雖然官位顕耀、家中積蓄終究不算豊厚。其中也有積累到大富的、那一定是在幾代之后了。後附元辰水吉凶図(図形已佚、僅存図題断語)。其一、元辰水直出、但外面有水横截、吉、只是不利頭一代。其二、元辰水直出、但外面有山横塞、吉、同様不利頭一代。其三、元辰水屈曲流出、頭幾年也発、最吉。其四、元辰水又直又長、没有砂水攔截、不結地、極凶。

天心水。天心者,當穴前明堂中正處謂之天心也。若有水融聚,謂之水聚天心,主鉅富顯貴。卜氏云:“水聚天心,孰不知其富貴?”若此處水穿堂直過,謂之水破天心,主財不聚而人丁稀少。且水既直穿,氣必不聚,不可求穴,或有穴亦花假不眞。誤下之,主財散人微。《賦》云:“為人無子,只因水破天心。”故天心之水宜聚而不宜散,宜彎環而不宜直牽。又一說,界水淋墓頭亦謂之水破天心,主無子。二者皆凶,切須細察。要之,水淋墓頭,為禍尤甚。此水聚天心也,主富貴。此水破天心也,主貧絶。

第二十条講「天心水」。所謂天心、是穴前明堂正中的那個位置。若那里有水停蓄聚集、叫作「水聚天心」、主巨富顕貴。卜応天説。水聚天心、孰不知其富貴。若水従此の裡穿堂直過、就叫「水破天心」、主財聚不住而且人丁稀少。水既然直穿而過、気必定不聚、就不該在此求穴。即便有穴、也是花假不真、誤葬下去、主財散人衰。《雪心賦》説。為人無子、只因水破天心。所以天心之水宜聚不宜散、宜弯環不宜直牽。還有一説。界水淋在墳頭上、也叫水破天心、主無後。両种情形都凶、務必細察。而水淋墓頭為禍更烈。附図両幅(図形已佚)。一幅是水聚天心、主富貴。一幅是水破天心、主貧窮絶嗣。

眞應水。眞應水者,泉注穴前,以應眞龍之結作者也。蓋好龍旺盛,既結穴後,秀氣不盡,溢發為泉,應我眞穴。不拘大小,但要澄清甘美,春夏不溢,秋冬不竭,瀦而不流,靜而無聲者為是。亦名靈泉。若有此水,必有大貴之地,宜於此處求索,不可忽也。如湖廣夏靖公祖地,及廣西呂文簡公祖地,皆有眞應水,是其格也。

第二十一条講「真応水」。真応水、是泉水停注在穴前、用来印証真龍結作的水。好龍気勢旺盛、結穴之后秀気還没有用尽、便溢出化為泉、来応我此の個真穴。此の泉不拘大小、只要澄清甘美、春夏不外溢、秋冬不干竭、停蓄而不流走、安静而没有声响、就是真応水、也叫「霊泉」。若見到此の種水、附近必定有大貴之地、応当就在此の一帯尋穴、不可軽忽。像湖広夏靖公的祖地・広西呂文簡公的祖地、都有真応水、正是此の一格。

右地在德興治南四十里,土名毛橋。其龍自茅山廉貞作祖,寶殿龍樓,發下湊天土星——御屏,方正骨立,秀貼天表。中出一脈,頓跌走弄,穿田處四金相照。複數節,開帳,閃落右出,下平地結穴,開兩掬甚巧。鉗中眞應水不涸不溢。前朝帳下貴人,大河繞帶,跪爐高鎮水口。穴上回頭,正坐御屏可愛。只是入首右畔受風,故葬後一人仕元死難。左畔曜星順水不回,故時敏公遂居湘陰以子貴贈少保。國初,忠靖公原吉位至戶部尚書,進公孤,贈三代,及吾邑舒方伯直庵公清為立傳見銀邑志忠靖公子瑄,官太常少卿。孫崇文,登進士,官南京通政參議。

右図此の块地在徳興県城南四十裡、地名毛橋。它的来龍以茅山「廉貞」為祖、宝殿龍楼層層発出、落下一座高聳接天的土星「御屏」、方正而骨力挺立、秀気直貼天辺。中間抽出一脈、一頓一跌地行走盤旋、穿田処有四座金星相照。又走幾節、張開帳幕、従右側閃落下来、到平地結穴、両辺弯抱得很精巧。鉗口之中的真応水不干也不溢。前面朝着帳下的貴人峰、大河如帯環繞、跪炉形的山高高鎮住水口。在穴上回頭看、正坐着御屏、十分可愛。只是入首処右辺受風、所以葬後有一人在元朝做官殉難。左辺的曜星順水而去不回頭、所以時敏公遷居湘陰、後耒因児子顕貴被贈少保。本朝開国之初、忠靖公夏原吉官至戸部尚書、進位三公三孤、追贈三代(我們県的方伯舒直庵公舒清替他立過伝、見徳興県志)。忠靖公的児子夏瑄、官太常寺少卿。孫子夏崇文、中進士、官南京通政司参議。

左地在湖廣大冶縣西六十里,土名茅潭。其龍來脈甚遠,不詳述。比入局,開大帳。帳中山脈,連起數峰,狀如大小走馬訣云大馬趕小馬,富貴傳天下。又頓跌逶迤數里,穿峽作蘆鞭嫋。入首起太陰高金,穴結上聚。下鋪餘氈悠揚,當前眞應水不涸不溢為證。下關一山,如牛角彎抱有情。明堂湖水融注。前朝龍樓寶殿,貴人秀麗。但近案帶石如兜鍪,故葬後當代即補戌廣西。三代璋公發科,官縣令,以子貴贈少保。縣令公子即文簡公調陽,登庚戌榜眼,累官至少保兼太子太傳、吏部尚書、武英殿大學士。子興周,庚辰進士,與諸公連登科甲,至今富貴方隆。祿儲水。祿儲水者,水之融注,如祿之儲積也。或穴前,或穴後,或穴之左右,或水口間,有深瀦融聚之潭、湖、池、沼、塘、窟皆是也,或儲水聚會亦是。要深大不涸竭為美。主厚祿,主儲積鉅富,悠久不替。

左図此の块地在湖広大冶県西六十裡、地名茅潭。它的来龍来得很遠、不細説了。快入局時張開大帳、帳中的山脈接連起了幾座峰、形状像大小両匹奔馬(口訣説「大馬趕小馬、富貴伝天下」)。又頓跌蜿蜒幾裡、穿過山峡化作柔軟的蘆鞭。入首処起「太陰」高金星、穴結在上聚之処。穴下鋪着舒展的余毡、正前方有真応水不干不溢、作為凭証。下関有一座山、像牛角般弯抱有情。明堂裡湖水停注。前面朝山是龍楼宝殿、貴人峰秀麗。只是近案帯石形如「兜鍪」、所以葬後当代就有人被発配広西戍辺。伝到第三代呂璋公中挙、做県令、後耒因児子顕貴被贈少保。県令公的児子就是文簡公呂調陽、中庚戌科榜眼、歴官至少保兼太子太傅・吏部尚書・武英殿大学士。他児子呂興周中庚辰科進士、与家族諸位接連登科、到今天富貴正盛。第二十二条講「禄儲水」。禄儲水、是水停蓄聚注、像俸禄積儲一様。或在穴前、或在穴後、或在穴的左右、或在水口之間、凡有深深停蓄匯聚的潭・湖・池・沼・塘・窟都算。蓄水会合成潭的也算。要求深而大・不干涸才好、主俸禄豊厚、主積儲成巨富、長久不衰。

論諸泉凡一十四條

嘉泉。嘉泉者,其味甘,其色瑩,其氣香也。亦曰甘泉。澄之愈清,混之難濁,春夏不盈,秋冬不涸,暑涼寒暖,四時瑩澈。此泉至美,陰穴近之,乃龍氣之旺迸裂不禁者,大富貴地方有此應,亦名眞應水。陽宅有此嘉泉,居民飲之,富貴長壽,一方多慶。

第一种是「嘉泉」。嘉泉的味道甘甜、水色晶瑩、気息清香、也叫甘泉。譲它澄下去会更清、攪動它也難変渾。春夏不見漲満、秋冬不見干涸。暑天喝着涼・寒天喝着暖、一年四季都瑩潔澄澈。此の種泉最美、陰穴靠近它、正説明龍気旺盛到迸裂不住而涌出、只有大富大貴之地才有此の種感応、所以它也叫「真応水」。陽宅有此の様的嘉泉、居民飲用、主富貴長寿、一方多福慶。

冷漿泉。冷漿泉者,其味淡,其色渾,其氣腥也。亦曰泥水泉。不可灌溉,不堪盥俯,不宜炊飲。或滋滋浸漬,清不能澄,濁不能混。或得雨則盈,雨霽則涸。或春夏溢流,秋冬枯竭,皆為不吉。是乃龍氣萎弱,地脈疏漏。陰穴近此最凶,不可誤為眞應水而扦葬也。陽宅飲之,非但此方無有富貴,仍主瘟疫長病,黃腫憔悴,久而絕滅。

第二种是「冷漿泉」。冷漿泉味道寡淡、水色渾濁、気味発腥、也叫泥水泉。它不能灌漑、不能洗手洗臉、更不宜焼水做飯。有的只是湿漉漉地浸漬着、想澄清澄不透、想攪渾也渾不起来。有的下雨就満・天晴就干。有的春夏溢流・秋冬枯竭——都不吉。此是龍気萎弱・地脈疏鬆漏気的表現。陰穴靠近它最凶、切不可誤当作真応水而葬下去。陽宅飲用此の種水、不但当地不出富貴、還主瘟疫和長年疾病、人面黄浮腫・形容憔悴、久了就絶滅。

醴泉。醴泉者,味甘如醴,故名之也。《禮緯》云:“王者刑殺當罪,賞錫當功,得禮之宜,則醴泉出。”《鶡冠子》曰:“聖人之德,上及太清,下及太寧,中及萬靈,則醴泉出。”《瑞應圖》曰:“王者純和,飲食不貢獻則醴泉出。飲之令人壽。”此蓋聖王德感,神物之來,非偶爾也。固雖地龍氣脈之所發洩,然亦不可泥為氣旺,而必於求地也。

第三种是「醴泉」。醴泉的味道甘美如甜酒、因此得名。《礼緯》説。王者刑殺合於罪・賞賜合於功、礼数得当、醴泉就会涌出。《鶡冠子》説。聖人的徳行上通太清・下達太寧・中及万霊、醴泉就会涌出。《瑞応図》説。王者純厚和順、不索取飲食貢献、醴泉就出。喝了能使人長寿。此の大抵是聖王的徳行所感召、神異之物応時而来、不是偶然的。它固然也是地脈龍気的一种発泄、但不可拘執地認定気旺、就一定要在那里求地。

湯泉。湯泉者,即溫泉也,俗又謂之暖水,世言陽泉。是硫黃在下,故其水上出沸熱。或曰礬石在下。此固莫得而辨。大抵龍之旺氣,融而為泉。泉而沸熱,其氣發散,不能結穴,亦不必泥為硫黃礬石也。楊公云:“凡是溫泉莫尋地,眞陽溫厚化為水。滔滔汩汩日夜流,且是水口無關闌。”又有一等水源,冬溫夏涼,俗名暖水者,又多出富貴,與湯泉不同,不可一概論也。

第四种是「湯泉」、就是温泉、俗称暖水、世人叫它陽泉。有人説是地下有硫黄、所以水冒出来就沸熱。也有人説是地下有礬石、此の一点無従分辨。大体上、龍的旺気融化而成泉、泉又沸熱、説明気正在発散、不能結穴、倒也不必拘泥於究竟是硫黄還是礬石。楊筠松説。凡是温泉莫尋地、真陽温厚化為水。滔滔汩汩日夜流、且是水口無関闌。另有一种水源、冬天温・夏天涼、俗称暖水、那种地方反而多出富貴、与温泉不同、不能一概而論。

礦泉。礦泉者,其下有礦,而上有泉迸者也。其色紅,亦謂之紅泉。龍脈氣鍾於礦,其山泉流,紅色粘滯。他時礦利發洩,必致掘鑿傷毀,縱有美穴,孝子亦當慎重。況氣鍾於礦而為世寶,豈復能結陰地?不特智者而後知其不可也。

第五种是「鉱泉」。鉱泉是下面有鉱脈・上面有泉水迸出、水色発紅、也叫紅泉。此の説明龍脈的気都鍾聚到鉱上去了、所以山間泉水流出来是紅色而黏滞的。日後一旦開鉱取利、必定要挖掘毀傷此の一帯山体、縦然那里有美穴、孝順的子孫也該慎重考慮。何况地気既已鍾聚成鉱而為世間之宝、哪里還能再結陰宅之地。此の一点不必等聰明人来説、誰都看得出不可用。

銅泉。銅泉者,其水可浸鐵為銅者也。以其色類膽汁,又名膽泉。是龍脈旺氣皆鍾於泉,不能結地,不必求穴也。湧泉。湧泉者,泉自地中湧出,起泡噴沸;或石巖湧出,乍起乍沒,如潮水起白泡者皆是也。有此湧泉,則地氣發洩於泉,或為勝境仙宮,靈神所棲之地,不可求穴也。

第六种是「銅泉」。銅泉的水能把鉄浸成銅色、因為水色像胆汁、又叫胆泉。此是龍脈的旺気全都鍾聚在泉裡、不能結地、不必在那里求穴。第七种是「涌泉」。涌泉是泉水従地中涌出来、起泡沸騰。或者従石岩裡涌出、忽起忽没、像潮水翻着白泡的、都属此の一類。有涌泉、就説明地気已従泉眼発泄出去、那里或許会成為名勝仙宮・神霊棲止之所、却不可在那里求穴。

濺泉。濺泉者,出竅如射,冷冽殊常,及陰極粛殺之氣所發,最為凶惡,不可求穴也。沒泉。沒泉者,水從下漏者也。下有虛竅,潛通他所,水溜其下,如沒池中,不見其去。此乃虛陷之地,氣不融結,不必求穴也。黃泉。黃泉者,非論其色,乃水入於地,謂之水落黃泉也。春雨乍起,則其水驟漲而起;雨才止,而水即浸入地中。四時干竭,乃浮沙之地,龍氣虛耗。其鄉非惟不結陰地,而所居之民亦貧困無聊。或為靈神所棲,或為鬼魅所都而已。坑深水淺,水落深坑,亦謂之水落黃泉,不必尋地。此與方位家黃泉之說不同。

第八种是「濺泉」。濺泉従孔竅裡射出来、冷得異乎尋常、是陰気到了極点・粛殺之気所発、最為凶悪、不可求穴。第九种是「没泉」。没泉是水従下面漏走。底下有空竅暗通別処、水従那里溜下去、像沈没在池底一様、看不見它流向何方。此是虚陥之地、気不融結、不必求穴。第十种是「黄泉」。此の裡説的黄泉不是就顔色而言、而是指水渗入地下、叫作「水落黄泉」。春雨一起、水就驟然漲上来。雨剛停、水又馬上渗進地裡。一年四季常常干竭。此是浮沙之地、龍気虚耗。此の様的郷裡不但結不成陰宅、居住的百姓也貧困無依、那地方或者成為神霊棲止処、或者成為鬼魅聚集処罷了。此外坑深而水浅・水落進深坑的、也叫水落黄泉、不必在那里尋地。此の与方位派所説的「黄泉」是両回事。

漏泉。漏泉者,點滴滲漏,乃龍氣之弱者,不可求穴也。冷泉。冷泉者,清流冷冽,乃受極陰之氣,決不能融結造化也。《玉峰寶傳》云:“漏泉、冷泉、濺泉、紅泉,乳中及明堂皆不宜有。若或有之,痔漏病丑,發洩地氣,家儲無有。”龍湫泉。龍湫泉,孕育蛟龍之窟也。或旱歲祈禱輒應者亦是。如雁蕩山大龍湫、小龍湫之類。此泉多出大山亢陰之所,為鬼魅之都,而不可求穴也。

第十一种是「漏泉」。漏泉一点一滴地渗漏、説明龍気衰弱、不可求穴。第十二种是「冷泉」。冷泉清流而寒冽、是受了極陰之気、決不能融結生化。《玉峰宝伝》説。漏泉・冷泉・濺泉・紅泉、乳突之中和明堂裡都不宜有。万一有了、会生痔瘻等丑悪之病、泄漏地気、家中一無積蓄。第十三种是「龍湫泉」。龍湫泉是孕育蛟龍的窟穴、遇旱年祈祷常常霊験的水潭也算、像雁蕩山的大龍湫・小龍湫就是。此の種泉多出在大山中高寒極陰的地方、是鬼魅聚居之所、不可求穴。

瀑布泉。瀑布泉者,山岩流泉,飛奔石壁之下,如擲布帛之狀者也。穴前見之,或如孝簾,或如垂淚,或如白刃等狀,固為不吉。又或有聲,如轟雷,如槌鼓,如哭泣,如悲訴,尤為不祥。不待智者而後知其不宜矣。其有幽奇巖洞,飛瀑如珍珠簾者,亦只主仙釋清高,而不可以求穴也。予兄弟嘗游龍虎山、武夷山,及天台、雁蕩諸名山,莫不皆有水簾洞。其泉自萬仭飛瀉,懸崖撒落,而於半瀉,如垂簾當門,微風動搖,儼若水晶珍珠簾幙垂下搖擺之狀,故名水簾洞。雖幽奇殊甚,然不過緇流棲遁而已,終覺陰氣襲人,亦無久居之者。

第十四种是「瀑布泉」。瀑布泉是山岩間的流泉飛奔瀉下石壁、像把一匹布帛拋下去的様子。在穴前看見它、形状有的像孝帘、有的像垂涙、有的像白亮的刀刃、本来就不吉。如果再有声响、像轟雷、像擂鼓、像哭泣、像悲訴、那就更不祥、不必等聰明人耒判断、誰都知道不宜。至于那种幽深奇特的岩洞裡飛瀑像珍珠帘的、也只主出清高的仙人僧道、不可以在那里求穴。我們兄弟游過龍虎山・武夷山以及天台・雁蕩諸名山、没有一処不有水帘洞。泉水従万仞高処飛瀉、沿懸崖撒落、瀉到一半処像一道帘子当門垂着、微風一動揮摆起来、儼然是水晶珍珠帘幕下垂晃動的様子、所以叫水帘洞。景致雖然極其幽奇、却不過供僧人隠居而已、待久了総覚陰気襲人、没有能長住的。

已上諸泉,惟嘉泉為吉,餘皆非宜。醴泉、湯泉、銅泉、龍湫泉則氣鍾於泉,紅泉氣鍾於礦,冷漿泉氣之萎弱,沒泉、黃泉、漏泉氣之虛陷,湧泉、濺泉氣之發洩,冷泉氣之陰殺,瀑布氣之陽慘,皆無融結,不必追尋。醴泉、湯泉、銅泉、龍湫惟不結地,而禍應不繫於泉。其冷漿泉,主召瘟疫;紅泉,主咯血、癆瘵、殺戮;湧泉、濺泉、漏泉、冷泉主崩漏、痔瘻、翻胃、風狂、顛癇、浮腫諸凶,馴以絕滅,又豈但痼疾貧困而已哉!

以上各种泉、只有嘉泉是吉的、其余都不适宜。醴泉・湯泉・銅泉・龍湫泉是地気鍾聚在泉裡。紅泉是地気鍾聚在鉱裡。冷漿泉是気萎弱。没泉・黄泉・漏泉是気虚陥。涌泉・濺泉是気発泄。冷泉是気陰殺。瀑布是気陽惨——它們都不会有融結、不必去追尋。其中醴泉・湯泉・銅泉・龍湫此の四种只是不結地、禍患並不由泉而生。至于冷漿泉、主招来瘟疫。紅泉主咯血・癆瘵・殺戮。涌泉・濺泉・漏泉・冷泉主崩漏・痔瘻・反胃・風狂・癲癇・浮腫等等凶症、一步步走向絶滅、又豈止是痼疾貧困而已。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六上之三・徳興山人徐善繼述同著

論明堂

夫明堂者,天子之堂,嚮明而治,百官考績之所聚,天下朝獻之所歸也。地理家以穴前之地借名於此,亦以山聚水歸,其象殆相彷彿焉,此明堂之所由名也。然所謂明堂有二:曰內明堂,曰外明堂,亦曰大小明堂。二者不可一概而論。

所謂「明堂」、本指天子的殿堂。天子面向光明而治天下、百官在此の裡聚集接受考績、四方的朝貢也都帰於此処。地理家把穴前那块地借用此の個名称、也是因為群山聚攏・衆水帰匯、気象大致相似、这就是明堂名称的由来。不過地理上所説的明堂有両种。一种叫「内明堂」、一种叫「外明堂」、也叫小明堂和大明堂。此の両者不能混作一談。

劉氏云:“凡山勢來緩,平平結穴,龍虎環抱,近案當前,則當論內明堂。內明堂不可太闊,太闊近乎曠蕩,曠蕩則不藏風;又不可太狹,太狹則氣侷促,侷促則穴不貴顯。須要寬狹適中,方圓合格,不卑溼,不欹側,無流泉滴瀝,無圓峰內抱,不生惡石,斯為內明堂之善也。

劉氏説。凡是山勢来得平緩・平平地結穴、龍虎環抱・近案当前的、就該論内明堂。内明堂不能太寛闊、太闊就近於空曠、空曠就蔵不住風。也不能太狭窄、太狭則気局促、局促則穴不貴顕。必須寛窄适中・方円合格、不低湿、不歪斜、没有泉水滴滴渗流、没有円形山峰堵在裡面、不生悪石、这才是好的内明堂。

凡山勢來急,垂下結穴,龍虎與穴相登,前案遠,則當論外明堂。外明堂必須兩邊寬展,不可窄狹,四山圍繞,略無空缺。又見外水曲折,遠遠朝來,斯為外明堂之善也。”愚謂大富貴地,必結內外明堂。內明堂欲其團聚,不欲其曠闊;外明堂欲其開暢,不欲其逼窄。蓋內堂寬則氣不融聚,外堂狹則局不開明,故爾。

凡是山勢来得急促・垂落下来結穴、龍虎与穴幾乎斉平・前面案山又遠的、就該論外明堂。外明堂必須両辺寛闊舒展、不可窄狭。四面的山囲繞周全、幾乎没有空缺。還要看見外面的水屈曲有致、遠遠朝耒——这才是好的外明堂。以上是劉氏的話。我們認為。大富貴之地、必定内外明堂都結得出来。内明堂要它団聚、不要它空曠。外明堂要它開闊舒暢、不要它逼窄。因為内堂太寛気就聚不攏、外堂太狭局面就不開朗、道理就在此の裡。

《龍子經》曰:“伸手摸著案,稅錢千萬貫。”此論明堂之宜緊也。《明堂經》云:“明堂方廣,可容萬馬,王侯陵寢,雄霸天下。千騎簇立,回還翕集。將相公輔,封侯傳襲。其平如砥,或如鍋底,容數百人,公相墓址。”此論外明堂之宜寬也。不然,外明堂奚取於伸手探案?而內明堂安用萬馬之容哉!

《龍子経》説。伸手摸着案、税銭千万貫。此是講明堂応当緊湊。《明堂経》説。明堂方広、可容万馬、王侯陵寝、雄覇天下。千騎簇立、回還翕集。将相公輔、封侯伝襲。其平如砥、或如鍋底、容数百人、公相墓址。此是講外明堂応当寛闊。若不分内外、那么外明堂何必要求伸手就能摸到案山。内明堂又哪里用得着容納万馬呢。可見両句話各有所指。

故《吳公秘訣》云:“內外明堂分兩般,內宜團聚外宜寬。二堂具備三陽足,此地當知代有官。”誠確論矣。世人不遇明師口訣,不識內外明堂之辨,多是貪大堂局,惑於萬馬之說,一概以寬闊為貴,徒貪大勢,而不知內堂空曠,眞氣不融,安有結作?故凡美穴,必須龍虎內有內堂團聚,收拾元辰。或有低小近案,或橫攔之砂,以關束內氣,然後外面卻有寬暢明堂,羅列遠秀,乃為全美。此內外明堂不可不辨別者。

所以《呉公秘訣》説。内外明堂分両般、内宜団聚外宜寛。二堂具備三陽足、此地当知代有官。此の話真是確論。世人没有遇到明師伝授口訣、不懂内外明堂的分別、多半貪図大堂局、被「可容万馬」那句話迷惑、一概以寛闊為貴、只顧追求大気勢、却不知道内堂一空曠、真気就融聚不起来、哪里還会有結作。所以凡是美穴、必須在龍虎以内有内堂団聚、把元辰水収拾住。或者有低小的近案、或者有横攔的砂、用来関束内気。然后外面又有寛暢的明堂、遠処秀峰羅列、这才算十全十美。内外明堂的分別、是不能不辨清的。

其於局勢大小,又當以龍論之。如百里來龍,結作自有百里規模;千里來龍,結作自有千里氣象。小小之龍,結局必小,不可貪大局勢。廖金精曰:“帝都山水必大聚,中聚為城市。墳宅宜居小聚中,消息奪神功。”大抵寬闊處要明堂逼狹,逼狹處要明堂寬闊。

至于局勢的大小、又該按来龍来衡量。比如百裡来龍、所結之地自然有百裡的規模。千裡来龍、所結之地自然有千裡的気象。小小的龍、結的局面必定小、不可貪求大局勢。廖金精説。帝都山水必大聚、中聚為城市。墳宅宜居小聚中、消息奪神功。大体上説、山川寛闊的地方、要選明堂較逼狭的。山川逼狭的地方、要選明堂較寛闊的、此の様才彼此相称。

古人立言,各有所指。如楊公既云:“出入短小氣量狹,只為明堂有案山。”吳公亦謂“明堂狹窄人愚頑。”而觀物祝公又云:“數十里外遠朝山,渺渺茫茫曠野間,近案又無堂氣散,千重清秀也空閒。”梁箬溪又云:“左右周迴似有情,來龍落穴亦分明。水長無案明堂曠,下後兒孫家計傾。”諸公豈自相矛盾哉?殊不知各有所指,不可執一,要在變通辨察耳。

古人立言、各有各的針対之処。比如楊筠松説。出入短小気量狭、只為明堂有案山。呉景鸞也説「明堂狭窄人愚頑」。可是観物祝泌又説。数十裡外遠朝山、渺渺茫茫曠野間、近案又無堂気散、千重清秀也空閑。梁箬渓也説。左右周回似有情、来龍落穴亦分明。水長無案明堂曠、下後児孫家計傾。此の幾位難道自相矛盾嗎。其実各人所針対的情形不同、不可死執一句話、関鍵在于霊活変通・随地辨察。

至若穴低堂近而又囊聚者,葬後主初代便發。其或穴高堂遠,縱是龍眞穴的,亦難發越。惟是眞結,亦不拘忌。廖公云:“若是穴高明堂遠,只要有城轉。莫因此樣便疑心,龍住乃為眞。”大抵明堂欲其平正、開暢、團聚。朝抱者為吉,陡瀉、傾側、破碎、窒塞、反背者為凶。諸家形像,初不必拘,惟以有情於我者,乃為貴耳。《明堂經》云:“斜巧正拙,難可優劣。有情於我,是為眞穴。”不易之論也。諸書所載不一,如《搜水經》明堂一百八十樣,《洩天機》堂氣八十一變格,皆瑣碎支離,徒為繁文。今參互考訂,取其切實足為定式者,得吉凶各九格。苟能於此觸類而長之,則亦思過半矣。

至于穴位低・明堂近而水又兜聚成嚢的、葬後頭一代就発。若穴高而明堂遠、縦然龍真穴的、也難以発達得快。不過只要是真結、倒也不必過於拘忌。廖金精説。若是穴高明堂遠、只要有城転。莫因此様便疑心、龍住乃為真。大体上、明堂要平正・開暢・団聚。朝抱有情的為吉。陡瀉・傾側・破碎・窒塞・反背的為凶。各家所講的种种形象、本来不必拘泥、只以対我有情的為貴。《明堂経》説。斜巧正拙、難可優劣。有情於我、是為真穴。此是不可更易的定論。各書記載不一、像《捜水経》列明堂一百八十様、《泄天機》列堂気八十一种変格、都瑣碎支離、徒然成為繁文。如今我們参互考訂、取那些切実可以作為定式的、得出吉凶各九格。若能就此触類旁通、也就領会大半了。

明堂吉格凡九式

交鎻明堂、周密明堂、繞抱明堂。交鎖者,明堂中兩邊砂交鎖也。《經》云:“明堂要如衣領,左紐右紐方為貴。或是山腳與田隴,如此關闌眞可喜。”又云:“眾水聚處是明堂,左右交牙鎖眞氣。如此明堂方是眞,鎖結交牙誠可貴。”此堂極吉,主鉅富顯貴。

吉格前三式是「交鎖明堂」「周密明堂」「繞抱明堂」(三図形皆已佚、僅存図題与図説)。所謂交鎖、是明堂中両辺的砂彼此交叉鎖住。《経》説。明堂要如衣領、左紐右紐方為貴。或是山脚与田壟、如此関闌真可喜。又説。衆水聚処是明堂、左右交牙鎖真気。如此明堂方是真、鎖結交牙誠可貴。此の種明堂極吉、主巨富顕貴。実地看時、只要左右砂脚像衣領両襟一様一左一右搭过来、哪怕只是山脚或田埂、能関攔住就好。

周密者,乃四圍拱固而無洩也。蓋堂氣周密,則生氣自聚。楊公云:“明堂惜水如惜血,堂裡避風如避賊。莫令空缺被風吹,莫使溜牙遭水刦。”故明堂以周密為貴。若有凹缺,則非周密矣。羅城周密亦吉。繞抱者,乃堂氣繞抱,使水城全身彎曲,誠有可取。故曰:“內堂繞,發越極速;外堂繞,富貴悠長。”楊公云:“明堂繞曲如繩樣,繞向穴前彎內向。內向之水繞身曲,對面抱來弓帶象。”

所謂周密、是四囲拱抱牢固而不洩気。堂気周密、生気自然聚攏。楊筠松説。明堂惜水如惜血、堂裡避風如避賊。莫令空缺被風吹、莫使溜牙遭水劫。所以明堂以周密為貴。只要有一処凹缺、就算不上周密了。外囲的羅城周密、同様吉。所謂繞抱、是堂気環繞抱穴、使水城整個弯曲过来、確実可取。所以説。内堂繞、発越極速。外堂繞、富貴悠長。楊筠松説。明堂繞曲如縄様、繞向穴前弯内向。内向之水繞身曲、対面抱来弓帯象。

融聚明堂、平坦明堂、朝進明堂。融聚者,明堂之水融瀦囊聚也,至貴。卜氏云:“水聚天心,孰不知其富貴?”楊公云:“明堂如掌心,家富斗量金。”又云:“明堂如鍋底,富貴人難比。”大抵皆融聚之水也。平坦者,乃明堂中開暢平正,而無雜亂高下之礙也。此堂極吉。楊公云:“眞氣聚處看明堂,明堂裡面要平暢。”《明堂經》云:“其平如砥,公相基址。”朝進者,乃特朝之水,汪汪萬頃朝入穴也。此堂至吉,主鉅富冠郡,田連阡陌,位極人臣,滿門鼎盛。且主易發財祿,朝貧暮富。田源水自高而下,層層級級朝入穴者尤吉。

吉格中三式是「融聚明堂」「平坦明堂」「朝進明堂」(図形已佚、僅存図題与図説)。所謂融聚、是明堂裡的水停蓄兜聚成一嚢、最為貴重。卜応天説。水聚天心、孰不知其富貴。楊筠松説。明堂如掌心、家富斗量金。又説。明堂如鍋底、富貴人難比。講的大体都是此の種融聚之水。所謂平坦、是明堂之中開闊舒暢・平正無阻、没有雑乱的高低起伏来礙眼、此の種明堂極吉。楊筠松説。真気聚処看明堂、明堂裡面要平暢。《明堂経》説。其平如砥、公相基址。所謂朝進、是有専程朝来的水、浩浩万頃地流進穴前。此の種明堂最吉、主巨富冠于一郡・田連阡陌、官位極於人臣、満門鼎盛。而且容易発財禄、早上還窮・晚上就富了。田間水源自高処而下、一層層・一級級地朝入穴前的、尤其吉利。

廣聚明堂、寛暢明堂、大會明堂。廣聚者,眾山眾水圍聚也。《葬書》云:“若懷萬寶而宴息,若具萬膳而潔齊。”又云:“若覽而有。”皆明堂內百物具備之意,此明堂之至貴也。要山明水秀,如朝海拱辰為合格。寬暢者,明堂中開曠明暢,不窄狹,不逼塞也。此堂至貴,切不可以曠野空闊不周固者為寬暢。要有低砂交結,或低平近案關聚內氣,或水融聚為眞。

吉格後三式是「広聚明堂」「寛暢明堂」「大会明堂」(図形已佚、僅存図題与図説)。所謂広聚、是衆山衆水囲攏聚集。郭璞《葬書》説。若懐万宝而宴息、若具万膳而潔斉。又説。若覽而有。都是形容明堂之内百物斉備的意思、此是明堂中最貴的一种。要求山明水秀、像百川帰海・衆星拱北極那様、才算合格。所謂寛暢、是明堂之中開闊明朗舒暢、不窄狭、不逼塞。此の種明堂最貴。但千万不能把那种曠野空闊・四囲不周不固的地方当作寛暢、必須有低砂交結、或者有低平的近案把内気関聚住、或者有水停蓄融聚、才是真寛暢。

大會者,諸龍大盡,眾水歸堂,如萬邦之納貢,如百辟之來朝,故曰大會也。主貴至王侯,富至敵國。楊公云:“四龍大會,有地必大。”亦須諸山自百餘里來,至此皆大盡方是。此與廣聚不同,廣聚者,惟山水團聚重疊而已,非有眾龍大盡也。上明堂吉格,豈止於斯?姑輯數者以為式耳。大抵明堂之吉,舉目之間,形勢自然可愛,氣象自然可觀。《葬書》所謂“天光發新,朝海拱辰”,斯為妙矣。

所謂大会、是衆龍都在此止尽、衆水都帰入明堂、好像万国前来納貢・百官前来朝見、所以叫大会、主貴至王侯・富可敵国。楊筠松説。四龍大会、有地必大。不過也必須衆山都是従百余裡外走来・到此の裡全都止尽、才算数。此の与広聚不同。広聚只是山水団聚重畳而已、並没有衆龍在此大尽。以上这些明堂吉格、哪里只有此の幾种。不過輯録幾式作為様板罷了。大体上明堂之吉、抬眼一望、形勢自然可愛、気象自然可観。郭璞《葬書》所説的「天光発新、朝海拱辰」、那就妙了。

明堂凶格凡九式

刦殺者,乃明堂中有砂,尖嘴順水,或射入穴中也。凡有此皆不可用。蓋明堂乃諸水聚處,欲其平正。若有尖砂順水,則主退財、離鄉、軍死。尖而射穴,則主刑殺、陣亡、惡死,至凶。吳公云:“刦殺照破全無地,順水斜飛無躲避。若然尖射入穴來,忤逆刑戮須切忌。”

凶格第一式是「劫殺明堂」(図形已佚)。所謂劫殺、是明堂之中有砂、尖嘴順水而去、或者尖頭直射進穴裡。凡有此の種砂都不可用。明堂本是衆水聚会之処、要它平正。若有尖砂順水、就主退財・離郷・死于軍中。尖頭射穴、就主受刑被殺・陣亡・横死、極凶。呉景鸞説。劫殺照破全無地、順水斜飛無躲避。若然尖射入穴耒、忤逆刑戮須切忌。

反背明堂,悖逆之象也。當穴宜弓抱拱身,而反突抝反背,何凶如之?主逆妻抝子,悖戾之奴,百無一成,豈但門衰戶薄已哉!窒塞者,堂中有阜窒塞而不舒暢也。主出人頑鈍。楊公云:“出人矮小氣量狹,只為明堂有案山。”吳公云:“明堂塞,人兇頑。”蓋穴前宜開明。若有墩阜當前逼塞,不但頑濁,又主產難、目疾、抱養、填房。若兩宮齊到,一墩居中,主兄弟不義。亦有貴地,有墩阜前塞者,終覺開明舒暢。

第二式是「反背明堂」、是悖逆之象。対着穴場本該像弓一様抱攏拱衛、它却凸出拗開・反背而去、還有比此の更凶的嗎。主妻子忤逆・児子拗執、僕人也乖戾、百事無成、豈止是門戸衰薄而已。第三式是「窒塞明堂」。所謂窒塞、是堂中有土阜堵塞、使人不舒暢、主出愚鈍的人。楊筠松説。出人矮小気量狭、只為明堂有案山。呉景鸞説。明堂塞、人凶頑。穴前本応開闊明朗、若有墩阜当面逼塞、不但出人頑劣渾濁、還主難産・眼疾・抱養他人之子・続娶填房。若左右両宮的砂一斉到、中間又立一個墩、主兄弟不講情義。也有貴地在明堂前有墩阜塞着的、但那种終帰還是显得開朗舒暢。

傾倒者,明堂水傾,龍虎順隨而去也。此堂最有虧損。斷訣云:“明堂傾倒,休誇穴好。”廖氏云:“若是堂傾無落聚,有穴終須棄。”故傾倒明堂,縱有龍穴,亦須棄置。董氏云:“明堂第一嫌傾倒,傾倒有砂隨水走。買盡田園走外鄉,更主兒孫多壽夭。”

第四式是「傾倒明堂」。所謂傾倒、是明堂的水向外傾瀉、龍虎両砂也順着水一同跑掉。此の種明堂最有損欠。断訣説。明堂傾倒、休誇穴好。廖金精説。若是堂傾無落聚、有穴終須棄。所以遇到傾倒明堂、縦然有龍有穴、也該捨棄不用。董徳彰説。明堂第一嫌嫌傾倒、傾倒有砂随水走。買尽田園走外郷、更主児孫多寿夭。

逼窄者,乃案逼穴前,堂侷促狹也。若龍穴眞,僅可小康。亦主出人頑濁兇狠,無足取也。楊公云:“明堂逼窄人兇頑。”廖氏云:“逼窄生人必蠢頑,猥鎖更貪慳。偏側者,乃堂勢傾側,偏於一畔,邊高邊下而不平正也。廖氏云:“側勢斜來向一邊,妻子不團圓。斜是欹從穴邊過,歲歲長生禍。”

第五式是「逼窄明堂」。所謂逼窄、是案山逼近穴前、堂局促狭。若龍穴是真的、也只能保個小康、而且主出的人頑劣渾濁・性情凶狠、没什麼可取。楊筠松説。明堂逼窄人凶頑。廖金精説。逼窄生人必蠢頑、猥鎖更貪慳。第六式是「偏側明堂」。所謂偏側、是堂勢傾側、偏向一辺、一辺高一辺低而不平正。廖金精説。側勢斜耒向一辺、妻子不団円。斜是欹従穴辺過、歳歳長生禍。

破碎者,明堂中或突或窟,或尖或石而不淨者是也。主百事無成,禍盜疊出,家道不寧,少亡孤寡之患,及招圖賴人命之非,飛來災禍,退敗產業。此等明堂,最為不吉。陡瀉者,穴前峻急而水傾瀉也。此堂極凶,主損人惡死及飛禍,不但退敗產業而已。縱是眞龍好穴,亦退敗後始發。鄒國師仲容云:“傾瀉明堂不可安,穴前陡峻不彎環。縱有眞龍能發福,賣盡田廬始出官。”

第七式是「破碎明堂」。所謂破碎、是明堂裡忽而凸起・忽而凹陷、或有尖石・乱石而不干浄。它主百事無成、禍患与盗賊接連而来、家道不寧、有幼年夭亡・孤児寡婦之患、還会招来別人頼上人命官司的横禍、産業退敗。此の種明堂最不吉。第八式是「陡瀉明堂」。所謂陡瀉、是穴前地勢陡峻而水傾瀉直下。此の種明堂極凶、主傷人・横死以及飛耒之禍、不只是産業退敗而已。縦然是真龍好穴、也要先敗落一場才発。国師鄒仲容説。傾瀉明堂不可安、穴前陡峻不弯環。縦有真龍能発福、売尽田廬始出官。

曠野者,穴前一望無涯,蕩然寬廣,無復關闌之謂也。此堂極凶,卻能眩人,以其寬闊,多見遠秀羅列清奇,而古人又有“明堂容萬馬”之說,是以昧者惑焉。不知明堂曠野,則風飄氣散,安有融結?吳公口訣云:“明堂容萬馬,亦忌曠而野。”觀物祝公泌曰:“數十里外遠朝山,渺渺茫茫曠野間,近案又無堂氣散,千重清秀也空閒。”梁箬溪饒曰:“左右周迴似有情,來龍落穴亦分明。水長無案明堂曠,下後兒孫家計傾。”穴當大逆朝水之局,明堂雖曠不畏也。上明堂凶格,亦不止此,舉此為式,可以類推。大要多見古格,自能心悟,吉凶禍福,舉目洞知,又不在於筆舌所悉。但明堂管初年禍福,關係最緊,務要審擇,不可忽也。

第九式是「曠野明堂」。所謂曠野、是穴前一望無辺、空蕩寛広、再没有関攔。此の種明堂極凶、却最能迷惑人。因為它寛闊、往往看得見遠処秀峰羅列・清奇可愛、而古人又有「明堂容万馬」的説法、所以糊塗人就被迷住了。他們不知道明堂一曠野、風就把気吹散了、哪里還有融結。呉景鸞口訣説。明堂容万馬、亦忌曠而野。観物祝泌説。数十裡外遠朝山、渺渺茫茫曠野間、近案又無堂気散、千重清秀也空閑。梁箬渓饒氏説。左右周回似有情、来龍落穴亦分明。水長無案明堂曠、下後児孫家計傾。不過若穴正当大逆朝水之局、明堂雖然空曠也不必怕。以上明堂凶格也不止此の些、挙出来作個様式、其余可以類推。要緊的是多看古人成格、自然心裡領悟、吉凶禍福一眼就能看透、此の就不是筆墨口舌所能説尽的了。只是明堂管頭幾年的禍福、関係最緊要、務必仔細審択、不可軽忽。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六上之四・徳興山人徐善繼述同著

論水城

夫水城者,以水為範我之城,所以界限龍氣,不使蕩然散逸者也。洪悟齋云“水城為龍穴之門戶”是矣。其形不一,難以概陳。古人以五星配之,最為精當。所謂五星者,曰金星城、木星城、水星城、火星城、土星城是也。凡水城,不問江河溪澗、溝渠坑洫皆是。大抵以抱身彎曲有情為吉,斜側反跳無情為凶。具圖於下。

所謂「水城」、是把水当作囲護我此の個穴的城墻、用它来界限龍気、不譲龍気散漫流失。洪悟斎説「水城為龍穴之門戸」、正是此の意。水城的形状不一、難以一一列挙。古人用五星来配它、最為精当。所謂五星、就是金星城・木星城・水星城・火星城・土星城。凡是水城、不論江・河・渓・澗、還是溝渠・坑洫、都算在内。大体上、以弯曲抱住穴身・显得有情為吉、以歪斜偏側・反跳無情為凶。下面附図(図形已佚、僅存図題与図説)。

金城金星水城,彎曲抱身,極吉。有三格:曰正金、曰左金、曰右金。圖具下:彎曲抱身,如弓圓弩滿,左右來去皆可。水自右來而左去,左畔彎環曰左金,要龍山兜白虎。水自左來而右去,右畔彎環曰右金,要虎山兜青龍。詩曰:抱身彎曲號金城,圓轉渾如遶帶形。不但顯榮及富盛,滿門和義世康寧。

第一种是「金城」。金星水城弯曲抱住穴身、極吉、共有三格。正金・左金・右金、図列于下。正金是弯曲抱身、像弓拉円・弩上満一様、水従左来或従右来都可以。水従右辺来往左辺去・左辺弯環的、叫左金、此の要青龍山把白虎兜住。水従左辺来往右辺去、右辺弯環的、叫右金、此の要白虎山把青龍兜住。詩説。抱身弯曲号金城、円転渾如遶帯形。不但顕栄及富盛、満門和義世康寧。

木城木星水城,直峻無情,大凶。有三格:曰直木、曰橫木、曰斜木。直峻沖心射面,不可以其為特朝也,主凶。橫木城一水穿堂而過,既直且急,全無顧穴之情,主凶。斜木水城,來去皆無情也,主凶。詩曰:峻急直流號木城,勢如沖射最無情。軍賊流離及少死,貧苦困頓受伶仃。

第二种是「木城」。木星水城又直又陡、全無情意、大凶、共有三格。直木・横木・斜木。直木是水又直又陡地沖心射面而来、不能因為它是特意朝穴就当作吉、実際主凶。横木城是一条水穿堂而過、既直又急、一点顧穴之情都没有、主凶。斜木水城是来水去水都無情、也主凶。詩説。峻急直流号木城、勢如沖射最無情。軍賊流離及少死、貧苦困頓受伶仃。

水城水星水城,之玄屈曲,最吉。有三格:曰正水、左水、右水也。《賦》云:“九曲入明堂,當朝宰相。”乃此水耳。正水 左水 右水。詩曰:屈曲之玄號水城,盤桓顧穴似多情。貴入朝堂官極品,更講奕世有聲名。火城火星水城,尖斜碎破,極凶。有兩格:曰雙火、單火。兩邊俱有者為雙火,邊有邊無者為單火,皆凶。單火城 雙火城。詩曰:破碎尖斜號火城,或如交劍急流爭。更兼湍激聲澎湃,不須此處覓佳城。

第三种是「水城」。水星水城像「之」字「玄」字那様屈曲盤繞、最吉、共有三格。正水・左水・右水。卜応天《雪心賦》説「九曲入明堂、当朝宰相」、指的正是此の種水。三図分別題作正水・左水・右水。詩説。屈曲之玄号水城、盤桓顧穴似多情。貴入朝堂官极品、更講奕世有声名。第四种是「火城」。火星水城尖利歪斜・破碎零乱、極凶、共有両格。双火・単火——両辺都有的是双火、一辺有一辺無的是単火、都凶。両図分別題作単火城・双火城。詩説。破碎尖斜号火城、或如交剣急流争。更兼湍激声澎湃、不須此処覓佳城。

土城土星水城,橫平而方,半吉,只一格。詩曰:方正橫平號土城,有凶有吉要詳明。悠洋深瀦知為美,爭流響峻禍非輕。五星背城。五星背城者,水皆背我而去也。地理以向背定吉凶。水既背去,其凶可知。求其庶幾者,惟水星半吉。亦須龍眞穴正方可。其它皆大凶無救。龍穴縱美,亦須棄之。卜氏云:“撞城者破家蕩產,背城者抝性強心。”金星背城 木星背城 水星斜背 水星背城 火星背城 土星背城。詩曰:五星城水背皆凶,乃與反抝捲簾同。縱饒龍穴砂皆美,終主兒孫徹骨窮。

第五种是「土城」。土星水城横平而方正、只算半吉、只有一格。詩説。方正横平号土城、有凶有吉要詳明。悠洋深潴知為美、争流響峻禍非軽。以下講「五星背城」。所謂五星背城、是水都背着我流走。地理以向背来定吉凶、水既然背我而去、凶是可想而知的。其中稍稍可取的只有水星背城算半吉、而且還必須龍真穴正才行。其余五种都是大凶而無可挽救、龍穴縦然再美也該捨棄。卜応天説。撞城者破家蕩産、背城者拗性強心。諸図分別題作金星背城・木星背城・水星斜背・水星背城・火星背城・土星背城。詩説。五星城水背皆凶、乃与反拗巻帘同。縦饒龍穴砂皆美、終主児孫徹骨窮。

水城詳議

夫水城之法,固以金城、水城屈曲彎抱者為吉,木城、土城、火城直沖、斜折、橫平、尖撇者為凶。然其間吉凶,又須有辨。如金城彎曲抱身,或才過穴即撇擺反去;水城屈曲朝入,或將到堂又峻急有聲。此皆不得謂之全吉。其直沖朝入,與斜折、橫平、尖撇者,或穴前有低小案山,遮搪不見,而去勢又復盤旋環遶有情,則亦未可遽為全凶。故論水者,又當細審而詳辨之,不可忽也。若夫裡頭、割腳、反跳、翻弓、箭城門、斷城門等格,則皆凶不可救,斷然不可用矣。諸格詳議如下。

水城的法則、固然以金城・水城那様屈曲弯抱的為吉、以木城・土城・火城那様直沖・斜折・横平・尖撇的為凶。但其中的吉凶還要細辨。比如金城弯曲抱身、可是剛過穴前就揮開反跳而去。水城屈曲朝入、可是快到明堂時又変得陡急有声——此の些都不能算全吉。反过来、那些直沖朝来的、以及斜折・横平・尖撇的、如果穴前有低小的案山遮擋、站在穴上看不見、而水流去的一段又盤旋環繞・显得有情、那也不能一口咬定是全凶。所以論水的人、還須仔細審察・詳加分辨、不可軽忽。至于「裡頭」「割脚」「反跳」「翻弓」「箭城門」「断城門」此の幾格、那就都凶得無可挽救、断然不可用。各格詳議如下。

此水才彎抱過穴,即反撇而去,不顧穴,半吉。卜氏云:“水若入懐而反抱,一發便衰。”此水屈曲遠朝,及近穴,卻撇去無情,或急峻有聲者,皆不吉。此水城橫平不彎抱,才過穴即反撇而去,大凶。卜氏云:“水才過穴而反挑,一文不值。”此水斜來不朝穴,過穴後卻繞身有情,初代不利,後卻吉。

第一図。此の条水剛弯抱過穴、随即反过来撇開流走、不回顧穴場、只算半吉。卜応天説。水若入懐而反抱、一発便衰。第二図。此の条水遠処屈曲朝来、一到近穴却撇開無情、或者変得急峻有声、都不吉。第三図。此の条水城横平而不弯抱、剛過穴前就反撇而去、大凶。卜応天説。水纔過穴而反挑、一文不値。第四図。此の条水斜着流来並不朝穴、可是過了穴之后又繞着穴身有情、頭一代不利、後耒反而吉。

此水直沖,卻有橫掬一臂遮攔,不見直來,而復環遶有情,吉。此水直沖,至近穴有小墩阜搪抵,不見其來。而後去又繞身有情,亦作吉。此水遠雖直來,及到近穴,卻瀦聚成深蓄,亦吉。此水城尖而無情,有案搪抵,穴間不見尖砍,惟見外洋朝秀,穴後水卻遶身,吉。

第五図。此の条水本是直沖、却有一道横抱的砂臂遮攔、站在穴上看不見它直来、而它又環繞有情、所以吉。第六図。此の条水直沖而来、到近穴処有小墩阜擋住、看不見它来势。此后流去時又繞着穴身有情、同様作吉論。第七図。此の条水遠看雖是直来、可到了近穴却停蓄匯聚成一潭深水、也吉。第八図。此の条水城形体尖利而無情、好在有案山擋着、在穴上看不見那尖砍之形、只看得見外洋朝山的秀気、而穴後的水又繞身而過、所以吉。

此水反弓逆跳,至凶無救。此穴無龍虎,而水城扣腳洗割,雖遶身亦不吉,名曰裡頭城,主瘟疫貧絕,至凶。此穴全無餘氣,而水城割腳,主貧絕大凶。若上聚穴不以此拘。此水出局,被外水打斷,水急,主刑煞官訟:左長,右幼,中中禍應,蓋是門戶不關故也。

第九図。此の条水像反転的弓背一様逆跳出去、極凶而無従挽救。第十図。此の個穴没有龍虎砂、水城又直扣穴脚沖洗切割、縦然它繞過穴身也不吉、名叫「裡頭城」、主瘟疫・貧窮絶嗣、極凶。第十一図。此の個穴完全没有余気毡唇、水城又割着穴脚、主貧窮絶嗣、大凶。不過若是上聚之穴、就不受此の一条拘束。第十二図。此の条水流出本局時被外来的水打断、水勢又急、主刑傷煞気与官司訴訟。応在左辺就是長房、応在右辺就是幼房、応在中間就是中房——此の都是因為水口門戸没有関攔好的緣故。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六之下・徳興山人徐善繼述同著

論水形勢

夫穴前之水,形勢不同,致其所應吉凶亦異。故觀水之法,莫先於此。其吉者,有朝懷、聚面、蕩胸、拱背、入口,及九曲、腰帶、倉板、融瀦、迴流、暗拱、鳴珂。其凶者,有瀑面、沖心、射脅、裡頭、牽鼻、穿臂、反身、割腳、漏腮、淋頭,及交劍、捲簾、流泥、斜撇、反挑、分流、漏槽、刑殺等形,不可不辨。謹以諸格詳陳於後。

穴前的水、形勢各不相同、所応的吉凶也就有別、所以看水的方法、没有比先辨形勢更要緊的。属吉的有。朝懐・聚面・蕩胸・拱背・入口、以及九曲・腰帯・倉板・融潴・回流・暗拱・鳴珂。属凶的有。瀑面・沖心・射脇・裡頭・牽鼻・穿臂・反身・割脚・漏腮・淋頭、以及交剣・巻帘・流泥・斜撇・反挑・分流・漏槽・刑殺等形状。此の些不能不辨清楚。以下謹把各格詳細列陳出来。

朝懷者,當面對朝也。此水易發,主朝貧暮富。予嘗謂“逆砂一尺可致富,朝水一杓能救貧。”然朝水不但發財而已,且能致貴。楊公云:“大水洋洋對面朝,列土更分茅。”青烏雲:“大水洋朝,無上之貴。衛身水者,龍身奇異,忽於湖水中突起墩阜,結為形穴。穴之前後左右皆汪洋巨浸,如孤月沈江,江豚拜浪,蓮花出水等類,皆以水為護衛。水既澄清,不溢不涸,以為養蔭。比之繞流之水,恐有沖刑之勢,悲切之聲,無如此靜衛之最貴。

第一格是「朝懐水」、就是水当着穴的正面朝来。此の種水容易発福、主早上還窮・晚上就富。我們常説。逆砂一尺可致富、朝水一杓能救貧。不過朝水不只能発財、還能致貴。楊筠松説。大水洋洋対面朝、列土更分茅。《青烏経》説。大水洋朝、無上之貴。(此の下底本文字接続「衛身水」一格、中間的図説已佚。)所謂「衛身水」、是龍身奇異、忽然在湖水之中突起一個墩阜、就在上面結成形穴。穴的前後左右都是汪洋大水、像「孤月沈江」「江豚拝浪」「蓮花出水」此の一類、全都以水作護衛。水既澄清、不外溢也不干涸、用来養蔭穴気。比起環繞流動的水、那种還怕有沖射刑傷之势・有悲切的水声、都不如此の様静静護衛的最為貴重。

左地在臺州南七里,地名古塘門。其龍發自望海峰,三臺山勢如萬馬,自天而下,星峰奇秀,有帳有峽,不及詳述。至將結未結之際,藏蹤隱跡,不見形影。平田中過骨,忽然頓起石山,雄偉高聳,展開兩翅,如沖天之鳳。轉身中抽水木蘆鞭,嫋如絲。復飛起騰空紫炁,番身做穴。而四面皆流水繞過,初看者竟莫知其為何山來脈也。但海潮一起,各處皆漲,獨過脈數丈之間,潮不能及,此其龍過之所也。地書云:“水纏便是山纏”。此地既四山周環,而復得水繞,尤為奇特。前聳文峰秀麗。葬後出秦公文,解元、進士、大參;曰武,進士、御史;曰禮,進士、僉憲;曰鳴春,員外郎;曰鳴夏,翰林。人丁大旺,福祉未艾。

左図此の块地在台州城南七裡、地名古塘門。它的来龍発自望海峰、三台山的気勢像万馬従天而下、星峰奇秀、有帳有峡、来不及細説。到了将結未結之際、龍脈蔵起踪跡、看不出形影、只在平田之中暗暗過脊。忽然頓起一座石山、雄偉高聳、展開両翼、像一只沖天的鳳凰。転身従中間抽出水木相兼的「蘆鞭」、柔嫋如丝。再飛起一座騰空的「紫炁」星、翻身做穴。四面都有流水繞過、初看的人竟弄不清它是従哪座山来的脈。只是海潮一起、各処都漲水、唯独特過脈的那幾丈之間潮水到不了、这正是龍脈経過的地方。地書説「水纏便是山纏」。此の块地既有四山周匝環抱、又得水流環繞、尤其奇特。前面聳着文峰、十分秀麗。安葬之后出了秦文、中解元・進士、官至参政。秦武、中進士、做御史。秦礼、中進士、做僉都御史。秦鳴春做員外郎。秦鳴夏入翰林。人丁大旺、福沢正盛。

右地在晉江縣東二十里,地名桃花山。其龍乃郡龍之大盡,自鳳凰山過小嶺峽,相牽相連,頓跌西兌行龍,直奔二十餘里。至結穴,連過數峽,龍脈精巧,頓起水星大帳。帳中橫出一脈,丙午落頭結穴。帳身垂下纏護,入穴重重龍虎,作子癸向。面前海水,汪洋滿目。遠峰渺渺,艮上一峰獨秀,如卓筆。水面一洲,寬十數里,穴中見之如拳,即印浮水面。出虛齋先生清,登科甲,官至大司成,著書立言,為理學名臣。三子皆登仕版。今其孫如川公登科第,富貴未艾。

右図此の块地在晋江县東二十裡、地名桃花山。它的来龍是本郡大龍的尽頭。従鳳凰山穿過小嶺峡、一路牽連相接、頓跌而行、走西方兌位的龍、直奔二十多裡。到結穴処又連過幾個山峡、龍脈精巧、頓起「水星」大帳。帳中横出一脈、従丙午方落頭結穴。帳身垂下来層層纏護、入穴処龍虎重重、立子癸向。面前是海水、浩渺満目。遠峰隠約、艮方一峰独秀、像一支竪立的筆。水面上有一片沙洲、寛十幾裡、従穴中望去只有拳頭那麼大、正像一方印浮在水面。此地出了虚斎先生蔡清、科挙登第、官至国子監祭酒、著書立説、是理学名臣。三個児子都做了官。如今他的孫子如川公也科挙登第、富貴還未止歇。

水形吉凶図説

聚面者,乃諸水融聚於穴前也。《賦》云:“水聚天心,孰不知其富貴?”蓋水本動,妙在靜中。聚則靜矣,靜則悠深融瀦,無來無去,為水法中之上格也。蕩胸者,乃水勢囊聚於穴前也。其勢頗有近於聚面,但彼以諸水團聚而言,此以一水聚來,自小而大,如囊之聚物也。主極富。蕩左則長房富,蕩右則幼房富,至驗。

以下各条都是水形図的図題与断語、原書每条本附一幅水形図、図形今已亡佚、只存文字。「聚面」、指衆多水流匯合停蓄在穴前。卜応天《雪心賦》説。水聚在明堂正中的「天心」処、誰会不知道此是富貴之地。水的本性是動的、它的妙処却在能静。能聚就是静、静下来水面便深遠沈停、看不出従哪里来・往哪里去、此是水法裡最上乘的一格。看法是站在穴上察看、四面来水在穴前合成一片停蓄的水面、即合此格。「蕩胸」、指水勢像口袋兜物一様聚在穴前。它与「聚面」頗為接近、分別在于。「聚面」講的是衆水団聚、「蕩胸」是一支水聚来、由小漸大、如同口袋盛物越兜越満。主大富。水兜在左辺則長房富、兜在右辺則幼房富、此の一条極為応験。

拱背者,乃水纏穴後,即水繞玄武。《賦》云“發福悠長,定是水纏玄武”是也。主富貴綿遠。蓋水能聚龍之氣,水纏尤勝山纏,故爾。入水口者,乃水上堂而有逆砂攔收也。蓋水勢縱美而不到堂,或到堂而無攔收,皆未盡善。故必以入口為貴。若遇此水,主發福最快。但下山既長出收水,而水勢至此必小反而去,不可作反背反挑論。

「拱背」、指水従穴後纏繞过来、也就是水繞「玄武」。卜応天《雪心賦》所説的発福長久、一定是水纏玄武、講的就是此の一格。主富貴綿長久遠。因為水能把龍的生気収聚住、水纏比山纏的力量更大、所以如此。「入水口」、指水流上到明堂、並且有逆向的砂手把它攔住収下。水勢即使很美、若不到明堂、或雖到明堂而無砂攔収、都算不上尽善。所以一定要以水能入口為貴。遇上此の種水、発福最快。要注意的是。下手一辺的砂既然長長伸出去収水、水勢到此の裡必定略微反転而去、此是収水所致、不可当作「反背」「反挑」的凶格来断。

九曲者,屈曲之玄也,亦名御街水。《經》云“直號天心曲御街。”此水極吉,主大富貴。卜氏云:“九曲入明堂,當朝宰相。”“一歲九遷,定是水流九曲。”倉板者,田源之水特朝也,亦同御街水,以其田邱坪坦,分級如御街耳。主貴有資財,富冠鄉邦。此水最吉。董德彰曰:“不沖不割無穿射,惟有田朝勝海朝。”其言田朝之至美也。吾里戴都憲祖地合此水。

「九曲」、指水流屈曲成「之」字「玄」字形、又叫「御街水」。経書上説。水直来的叫「天心」、屈曲而来的叫「御街」。此の種水極吉、主大富大貴。卜応天説。九曲之水流入明堂、能出当朝宰相。一年之内九次陞遷、必定是水流九曲。「倉板」、指田源裡的水正対着穴特意来朝、性質与御街水相同、因為田丘平坦、一級一級分層排下、形状就像御街的層階。主顕貴而有資財、富甲一郷。此の種水最吉。董徳彰説。水不沖不割・没有穿射之弊、只有田源来朝勝過大海来朝。此是称賛田源朝水最為美善。我們郷裡戴都憲家的祖墳就合此の一格水。

腰帶者,繞抱如束帶也。即金城水,最吉。卜氏云:“水不亂變則氣全。”主顯貴鼎盛。但不可誤以裡頭水為纏腰水也。裡頭水見後。上地在二都,地名東泉寺。來龍甚旺,結穴甚清,前朝天馬甚秀,田源水朝。只是元辰稍長,不利初代。葬後二代,出鴻源公儒,登嘉靖丙戌進士,官都憲。至今富貴未艾。

「腰帯」、指水繞抱穴場、像一条束在腰上的帯子、也就是「金城水」、最為吉利。卜応天説。水不散乱変動、生気才能保全。主顕貴而家道鼎盛。但切不可把「裡頭水」錯認成「纏腰水」、裡頭水的辨法見後文。以下是配図所記的田源朝水実例。此の块上等地在二都、地名東泉寺。来龍很旺、結穴很清、前面朝山的天馬峰很秀、田源之水来朝。只是穴前「元辰水」略長、対頭一代人不利。安葬之后到第二代、出了鴻源公戴儒、考中嘉靖丙戌科進士、官至都察院都憲。至今富貴還没有衰歇。

迴流者,旋轉逆回也。《葬經》云:“揚揚悠悠,顧我欲留。”又曰“瀦而後洩”,皆迴流水也。蓋必有深潭,而又有石山攔截,勢必逆回,如欲去而復回之意,極吉。如都昌吳孝子祖地合此格,圖具右。上地在湖濱。來龍入首,開帳結垂乳穴。兩畔包裹,前對三山甚秀,一湖之水倒入穴前。下手一石擋水,為迴流。葬後鉅富,出孝子可畏,及諸秀士,福祉方隆。

「回流」、指水到穴前旋転倒回。郭璞《葬書》説的水流舒緩従容・像回頭顧恋着我不肯離去、又説的先停蓄成潭而後才泄出、講的都是回流水。此の種水必定有一処深潭、外面又有石山攔截、水勢不得不逆回、像是要走又折回来、極為吉利。例如都昌呉孝子家的祖墳就合此格、原書右辺附有図、図今不存。此の块上等地在湖辺。来龍到頭入首、開帳結成垂乳穴。両辺有砂包裹、前面正対三座山很秀麗、一湖之水倒灌到穴前。下手方向有一块石頭擋水、水便回旋成為回流。安葬後成為巨富、出了令人敬畏的孝子呉可畏、以及若干秀士、福沢正盛。

暗拱者,穴前不見,而水在砂外,或朝、或抱、或聚,皆謂之暗拱也。《經》云:“有眞龍,無朝水,只看朝山為近侍。朝水案外暗循環,此穴亦非中下地。”諺云“明朝不如暗拱”,蓋明朝恐或帶殺,而暗拱有情,不害其為吉耳。融瀦者,深水注聚不流,而莫知其來去也。此水主鉅富顯貴且悠久。若龍眞穴的,有此吉水,前砂或不靜亦無害。《賦》云“前案若亂雜,但求積水為奇。”

「暗拱」、指站在穴上看不見水、水却在砂外、或来朝・或環抱・或匯聚、此の些都叫暗拱。経書説。有真龍而没有朝水、就只把朝山当作近身的侍衛。朝水在案山之外暗暗環繞、此の様的穴也不算中下等地。俗諺説明明白白的朝水不如暗暗環拱的水、因為明朝之水怕帯煞気直射、而暗拱之水有情無沖、並不妨碍它成為吉水。「融潴」、指深水灌注匯聚而不流動、看不出它従何而来・向何而去。此の種水主大富顕貴而且長久。若龍真穴的、又有此の様的吉水、前面的砂即使不够安静也無妨。卜応天《雪心賦》説。前面案山如果雑乱、只要有積聚之水便算奇特。

右地在則州石首,土名王始溪。其龍發自黃山,撒落平洋,迢遞七八十里,勢如浪湧,相牽相連,有擺有折,帶倉帶庫。將入首,結咽過脈,結穴巧異,成平面金水開鉗之格。四水歸堂,大纏大護。登穴觀之,風氣藏聚,形勢豐厚,誠所謂隱隱隆隆,吉在其中。繫子癸脈入首,作丁向兼午,為王氏始祖地。其左穴即催官之地,葬後即登科甲,入翰林。江野公官都諫,建議尤多忠鯁。凜然六子,三登科第,時稱一麟三鳳。喬衡,州守;喬吳,通守;喬桂,翰林。富貴未艾。

右図此の块地在荊州石首県、小地名王始渓、図今不存。它的龍脈発自黄山、撒落到平洋地帯、迢迢連綿七八十裡、気勢像波浪奔涌、一節牽一節相連不断、有揮動有転折、両旁帯着倉砂庫砂。快要入首時、束気結咽過脈、結穴巧妙奇特、成為平面「金水開鉗」的格局。四面之水都帰入明堂、大纏大護重重衛護。登上穴場察看、風気収蔵聚攏、形勢豊厚、正是所謂隠隠約約・隆隆微起、吉気就含在其中。此地由子癸方来脈入首、立丁山之向而兼午、是王氏始祖墳地。它左辺的穴就是催官之地、安葬之后随即科第登第、入了翰林院。江野公官至都給事中、進諫建議尤其忠直剛正。他六個児子個個凛然有節、其中三人考中科第、当时称為「一麟三鳳」。王喬衡任州守、王喬呉任通判、王喬桂入翰林。富貴至今未衰。

左地在潛江,土名白石港。其龍來遠不詳述。將結局,橫開大帳,均分三枝,一枝作青龍,一枝作後托,中枝左棲右閃,逶迤活動,護衛重疊,圈帳抽出人字龍格。入首大旺,逆起穴星。下關包護有力,前據湖水融注。辛脈扦卯向,催官之地。郭氏葬後,子嵩少岡公登進士,官給事中;岱,官知州;嵓,官節推。孫之翰、之垣,俱官縣尹之幹。及玄孫銑,連登科第,迄今富貴未艾。

左図此の块地在潜江県、小地名白石港、図今不存。它的龍脈来得很遠、不一一細述。快要結局時、横開一座大帳、均匀分出三枝。一枝作青龍砂、一枝作穴後的托山、中間一枝左停右閃、蜿蜒霊活、護衛層層重畳、従圏帳裡抽出「人字龍」的格局。入首処気勢極旺、逆勢起出穴星。下関砂包護有力、穴前占据湖水停蓄。由辛方来脈、立卯向下葬、是催官之地。郭家安葬之后、児子郭嵩即少岡公考中進士、官至給事中。郭岱官至知州。郭嵓官至節度推官。孫輩郭之翰・郭之垣、都做過県令一級的干練之職。到玄孫郭銑、接連科第登第、至今富貴未衰。

鳴珂者,水入田窟,或入石竅,滴瀝有聲,如鳴珂也。或如銅壺滴漏,或如磜鼓之聲,皆吉。卜氏云:“鼕鼕洞洞響而亮者為吉。”子微云“別有一般名磜鼓,鼕鼕閧閧如擂鼓”是也。此水主貴,但不可有悲切悽楚之聲,則又凶矣。瀑面者,穴星低小,而水勢雄欺也。廖氏云:“欺是洋朝勢大雄,穴小最為凶。”主不旺人丁,落水而亡。若後有高山托樂則不忌。

「鳴珂」、指水流進田間的窟竜或石頭的孔竅、滴滴瀝瀝有声、像玉佩相撃一様清脆。有的像銅壷滴漏、有的像水撃石岸的鼓声、都属吉利。卜応天説。声音咚咚洞洞・響亮清越的為吉。張子微説另有一种叫「磜鼓」、咚咚哄哄好像擂鼓、講的就是此の種声音。此の種水主貴、但水声不可帯悲切凄楚之意、若是那様反而為凶。「瀑面」、指穴星低小、而水勢浩大逼人。廖金精説。「欺」就是大片洋潮来朝・気勢雄大、穴星細小、此の最為凶険。主人丁不旺、還会有人落水身亡。若穴後有高山作為托楽山、則不忌諱此の一条。

沖心水者,急流直撞入懷也。亦謂之水破天心。雖曰特朝,實則直射。陶公云:“當面朝入,子息貧寒。”正此水耳。蓋水雖欲朝,亦必彎曲悠緩,不可急峻直射也。射脅者,乃水射左右兩脅也。直曰射,橫曰穿,皆凶,主橫死、殺傷、陣亡、刑辟。左應長房,右應幼房。吳公云:“但凡水貴彎環,最怕沖心射脅。”

「沖心水」、指急流筆直撞進穴的懐中、也叫「水破天心」。雖説是特意来朝、実際是直射。陶侃《捉脈賦》説。水当面直朝而入、子孫貧寒。指的正是此の種水。水固然要来朝、但一定要弯曲舒緩、不能陡急直射。「射脇」、指水射向穴的左右両脇。直沖过来的叫「射」、横穿過去的叫「穿」、都是凶格、主横死・傷亡・陣亡・遭受刑罰。射在左辺応在長房、射在右辺応在幼房。呉景鸞説。凡是水都以弯曲環抱為貴、最怕的就是沖心与射脇。

裹頭水者,即裹頭城水也。乃龍弱孤寒,穴無餘氣,故水貼腳洗割周迴而裹頭也。主招瘟、招疫、貧寒、孤弱不振。牽鼻者,元辰之水斜牽而出,一向無攔也,謂之牽動土牛。葬之,主退田敗產,冷破資財,及主少亾,孤寡不振。又有龍穴貴,水雖去而前交會者,只初年不利,後有富貴者,不在此論。

「裹頭水」、就是裹頭城水。此是因為龍脈衰弱孤寒、穴場没有余気吐出、所以水貼着穴脚周囲洗刷切割、把穴頭整個裹住。主招来瘟病疫病、家道貧寒、孤弱不能振興。「牽鼻」、指穴前的「元辰水」斜斜地牽引流出、一路没有砂手攔截、叫作「牽動土牛」。葬在此の様的地方、主退掉田地・敗光家産、銭財冷落破散、還主少年夭亡、孤児寡婦不能振作。另有一种情形。龍穴本身貴重、水雖然流去、但在前方仍有交会関攔、此の種只是頭幾年不利、日後仍出富貴、不在此の条所論的凶格之内。

左地在晉江縣南四十餘里,土名畫馬。舊有鉗云:“畫馬東,青蛇出水拜蜈蚣。”其龍甚遠。將入首,星峰卓秀,橫開大帳。帳中抽脈,石骨磷磷,大纏大送,重重包裹於數十里外,眾山團聚。但主山將做穴處,出脈偏斜,成倒地木星。金水行龍,到頭奇巧,無本身龍虎,元辰直流數里。兩邊纏護隨水走出數里方回頭。故初年不利。出詹公源,登成化乙丑進士,雲南道御史。子咫亭公仰庇,嘉靖乙丑進士,雲南道御史。今啟東公甲戌進士,一門鼎盛。

左図此の块地在晋江县南四十多裡、小地名画馬、図今不存。旧時有一則讖語説。画馬之東、青蛇出水朝拜蜈蚣。它的龍脈来得很遠。快要入首時、星峰卓立清秀、横開一座大帳。従帳中抽出脈来、石骨嶙峋、大纏大送、層層包裹直到数十裡之外、衆山団団聚攏。只是主山将要做穴的地方、出脈偏斜、成為「倒地木星」。以金水星体行龍、到頭処結作奇巧、穴本身没有龍虎砂、元辰水直流数裡。両辺的纏護砂也随水走出数裡才回頭。所以頭幾代不利。此地出了詹公源、考中成化乙丑科進士、任雲南道御史。其子咫亭公詹仰庇、嘉靖乙丑科進士、也任雲南道御史。如今啓東公又是甲戌科進士、一門興盛。

右地在承天府北六十里,地名千工壋。其龍起自焦山,來歷甚遠。迢遞行度,又數十里,分派一脈,出帳而落,變為平岡,為平陽,穿湖渡水,作平地水木星入首,結蔣氏陽基。復自基左抽出嫩脈,逶迤活弄,成倒地貪狼結穴。穴甚奇怪,似乎曠蕩,俗眼難明。仔細檢點,前案後樂,證佐分曉。水雖去而彎曲無嫌。繫明師黎玄印所下,課以先富後貴。蔣氏仲泰葬後,果子季通、孫琦俱驟發財產,富冠其裡。曾孫大方累仕經歷,封贈父母。今人財兩盛,果符明師之言,福祉方隆雲。

右図此の块地在承天府以北六十裡、地名千工壋、図今不存。它的龍脈発自焦山、来历很遠。迢迢行度又走了数十裡、分出一支脈、出帳落下、変作平岡、再変作平陽、穿過湖泊渡過水面、以平地的水星木星入首、結成蒋家的陽宅基址。又従宅基左辺抽出一条嫩脈、蜿蜒霊動、成「倒地貪狼」而結穴。穴形很奇怪、看去空曠坦蕩、俗眼難以看明。仔細検点、前有案山・後有楽山、証佐分明。水雖然流去、却弯曲有情、不必嫌它。此の穴是明師黎玄印所点、断課説先富而後貴。蒋仲泰安葬之后、果然児子蒋季通・孫子蒋琦都驟然発家致富、富甲郷裡。曾孫蒋大方累官至経歴、得以封贈父母。如今人丁与財富両旺、果然応験了明師的断語、福沢正隆。

穿臂者,穴之左右穿洗也。坎坑路陷,皆主不吉。穿左謂之穿龍臂,禍應長房;穿右謂之穿虎眼,禍應幼房。主痼疾、長病、淫亂、孤寡、自縊、無賴。反身者,水到穴前反去也。有似於背城水,其凶尤甚。主傾敗產業如洗、流離、乞丐,以致滅絕。

「穿臂」、指穴的左右両辺被水穿透洗刷。凡是低陥的坑坎・塌陷的道路、都主不吉。穿在左辺叫「穿龍臂」、禍応長房。穿在右辺叫「穿虎眼」、禍応幼房。主久治不愈的痼疾・纏綿長病・淫乱・孤児寡婦・自縊・子孫成為無頼。「反身」、指水到了穴前反背而去。它与「背城水」相似、凶険却更甚。主家産傾敗一空如洗、人口流離失所以至淪為乞食、最終絶滅。

割腳者,穴無餘氣,而水扣腳也。眞穴有氈有唇,安有水來割腳?若水扣腳洗割,便非眞穴,主貧寒孤苦,久而絕滅。仰高上聚之穴,不以此論。漏腮者,穴之兩旁開發泉竇,而清泠長流也。或只一旁泉竅,亦是。此乃漏氣之龍,全無融結。葬之,主家業退落,刦掠殺戮,男女痔漏。此與眞應水不同。蓋眞龍水融注,澄潔不流,甘美而不冷冽為異耳。

「割脚」、指穴前没有余気吐出、水就貼着穴脚扣割。真穴之前必有「毡」有「唇」鋪展在外、哪会譲水来割脚。若水貼脚洗割、便不是真穴、主貧寒孤苦、日久便至絶滅。至于仰高而気聚于上的穴、不用此の一条来断。「漏腮」、指穴的両旁開有泉眼、清冷的泉水長流不断。只有一辺開泉眼的、也算漏腮。此是龍気渗漏的龍、全無融結可言。葬在此の裡、主家業衰退、遭劫掠殺戮、男女患痔漏之疾。此の与「真応水」不同。真龍所生的真応水是停蓄灌注・澄清潔浄而不流走、味道甘美而不冷冽、此是両者的分別。

淋頭者,穴上無脈,而水淋墓頭也。夫水所以界龍之脈,今淋頭而下,則無氣脈,徒為界水絕穴,葬之不久,而人丁漸以不旺,馴致滅絕。窩鉗之穴切須辨此。交劍者,穴前二水相交也。凡龍大盡,必有交劍之水以界絕之。此處脈窮氣絕,不可求地。《經》云“二水相交穴受風”是也。對面二水來交亦凶。

「淋頭」、指穴上没有来脈、而水従墳頭淋下。水的作用本是劃界以界断龍脈、如今水直接従頭頂淋下、説明此の裡根本没有気脈、只是界水把穴断絶罷了。葬下不久、人丁便漸漸不旺、日久以至絶滅。窩穴・鉗穴一類最要仔細辨別此の一点。「交剣」、指穴前両条水相交如両剣交叉。凡龍脈行到大尽頭、必有交剣之水把它界断。此の裡脈已窮・気已絶、不可在此求地。経書説的両水相交・穴受風吹、就是指此。対面有両水来交、同様為凶。

分流者,穴前水分八字而流也。水既分流,龍則不住,其無結作可知。卜氏云“兒孫忤逆,面前八字水流”是也。惟騎龍雖不拘此,水卻重重攔截關鎖,不見水勢分去,又且四山周密夾從,而穴的龍眞,故不忌耳。漏槽水者,穴下深漏直傾如槽也。不拘有水無水,皆謂之漏槽。主傾家退產,少亾敗禍。亦有眞龍,結為釵鉗穴,與漏槽相似,不可誤認,宜細審之。若果眞是融結釵鉗之穴,雖有漏槽,其下有唇氈可證。

「分流」、指穴前的水分成八字形向両辺流走。水既然分流、龍就不会在此停駐、没有結作是可以断定的。卜応天説的児孫忤逆・面前八字水流、正是指此。只有「騎龍穴」不受此の一条拘束、因為它下方有重重砂手攔截関鎖、看不見水勢分去、四面山又周密夾従、而且穴的確・龍的確真、所以不忌。「漏槽水」、指穴下深深漏空・筆直傾瀉如同水槽。不論其中有水無水、都叫漏槽。主傾家蕩産、少年夭亡、招致敗禍。也有真龍結成「釵鉗穴」、形状与漏槽相似、不可錯認、応当仔細審辨。若確実是融結的釵鉗之穴、即使下面有漏槽形、穴前也必有唇毡可作凭証。

捲簾者,穴前之水傾跌而去也。卜氏云:“捲簾水現,入舍填房。”此水極凶,主倒盡家業,少亾孤寡,並主寡母坐堂,招人入舍,漸至絕人。流泥水,穴前之水傾流而去,沙又隨水而飛也。楊公云“一水去,二水去,眾水奔出一齊去,山山隨水不回頭,失井離鄉無救助。”

「巻帘」、指穴前的水一級一級傾跌而去、像帘子巻落。卜応天説。巻帘水一出現、家中男子要入贅他家・女子要去填房。此の種水極凶、主家業倒尽・少年夭亡・孤児寡母、並主寡母当家、招外人入舎、漸漸至于絶嗣。「流泥水」、指穴前的水傾瀉流走、両旁的砂也随着水一斉飛去。楊筠松説。一水流去、二水流去、衆水一斉奔流而出、座座山都随水而去不回頭、人便丟了郷井・離家流落而無人救助。

斜撇者,水不到堂,斜撇而去也。或逆來斜去,或順來斜去,皆是與穴無情,故凶。卜氏云“登穴見一水之斜流,退官失職”是也。反挑者,即反身背城也。此水極凶,為軍為盜,離鄉打刦,生離悖逆。卜氏云“水才過穴而反挑,一文不值”是也。刑殺者,亂水交流也。有一水必有一砂。水送砂尖,或當面直射,或順水斜飛,皆謂之刑殺。輕則敗產離鄉,重則殺戮軍配、陣亡惡死。

「斜撇」、指水不入明堂、斜斜地撇過去。有的逆着来而斜着去、有的順着来而斜着去、都是対穴無情、所以為凶。卜応天説的登上穴場見一道水斜流而過、家中人要退官失職、就是指此。「反挑」、就是水反身背向穴場、与「背城水」同類。此の種水極凶、主子孫充軍為盗、離郷打劫、骨肉生離、行事悖逆。卜応天説的水剛過穴便反挑而去、此の块地一文不値、就是指此。「刑殺」、指雑乱之水交錯而流。有一道水必帯一片砂、水把砂送成尖形、或当面直射穴場、或順水斜飛而去、都叫刑殺。軽的敗家産・離郷背井、重的遭殺戮・充軍発配・陣亡悪死。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六下之二・論陽基

德興山人徐善繼述同著。論陽基。夫陽基與陰地力量不同,而所繫尤重。故古人遷岐、遷鎬、遷楚邱,皆見於《經》,誠以邦國廬井,人民居室所資之用,雖大小不同,而吉凶之符所應無異,亦地理中之至要不可缺者。著其概云。

本巻由徳興山人徐善繼・徐善述兄弟同撰、題為「論陽基」。陽宅基址与陰宅墓地的力量大小不同、而它関係到的人事却更為重大。所以古人把国都従邠遷到岐山・従豊遷到鎬京、衛国把都城遷到楚丘、此の些事都記在《詩経》裡。此の実在是因為無論邦国城邑還是一井一廬、都是百姓居住所依頼的所在、規模雖有大小之別、而吉凶応験的道理並無両様、此の也是地理之学中最緊要・不可缺少的一門。以下就把陽基的大概写出来。

総論陽基

夫陽基之與陰地,大段無異。其有不同者,則龍必欲其長,而穴必欲其闊,水必欲其大合聚,大彎曲,砂必欲其大交結,遠朝拱。蓋宅基力量大於陰地,故必山水大聚會處,然後可結。聚會愈多,則局勢愈闊;局勢愈闊,則結作愈大。上者為畿甸、省城,次者為郡,又其次者為州邑,又其次者為市井鄉村基址,莫不各以聚之大小以別優劣。廖氏云:“建都山水必大聚,中聚為城市。墳宅宜居小聚中,消息奪神功。”

陽宅基址与陰宅墓地、大体上没有分別。其中不同的地方是。陽基的龍一定要長、穴一定要寛闊、水一定要大規模地合聚・大幅度地弯曲、砂一定要大範囲地交結・遠遠地朝拱。因為宅基所承受的力量比陰地大、所以必須在山水大聚会的地方、才能結成陽基。聚会得越多、局勢就越開闊。局勢越開闊、結作就越大。最上等的結成京畿・省城、其次結成郡治、再次結成州県城邑、再次結成市鎮郷村的基址、無不是按聚会的大小来分優劣。廖金精《泄天機》説。建立国都、山水必定是大聚。中等的聚会結成城市。墳墓与住宅宜居於小聚之中。能斟酌此の中間的分寸、便可奪取造化之功。

畿甸垣局、省鎮、郡邑俱不暇論,茲特以水聚之基,切於民居者論之。卻有平支、山谷之不同。其大要,平支則以得水為美,山谷則以藏風為佳。卜氏云:“大山支下水交流,孔林最茂。”此平支之得水者也。“龍虎山中風不動,仙圃長春。”此山谷之藏風者也。平夷、山谷,力量不殊,特所結有異。此觀陽基之大法矣。

京畿的垣局・省城重鎮・郡県治所、此の裡都来不及一一討論、只就水聚而成・与百姓居住関係最密切的宅基来講。此の類宅基又有「平支」与「山谷」両种不同。它的大要是。平支之地以能得水為美、山谷之地以能蔵風為佳。卜応天《雪心賦》説。大山落下的支脈之下有水交流、所以孔林最為茂盛。此の説的是平支得水的例子。又説。龍虎山中風吹不動、仙人家園圃四季長春。此の説的是山谷蔵風的例子。平地与山谷、両者力量並無高下、只是結成的格局不同。这就是察看陽基的大法。

論陽基龍穴砂水大概

夫陽基之龍,其起祖、出身、行度、過峽、枝腳橈棹,與夫穿落傳變、臺屏帳蓋諸格,以及入首等法,與陰地龍格無異。其所不同者,特長短遠近耳。蓋陰地雖數節龍亦有結作,陽基非大龍旺盛長遠者不能。廖氏云:“幹龍住處分遠近,千里為大郡。二三百里可為州,過此則封侯。百里只堪為縣治,下此為市鎭。”謝雙湖云“凡結宅地,其龍比陰地必長數倍。故有三四百里龍,盡頭決然結宅地,為郡、邑、市鎮。稍短者或為大村”是也。

陽基的龍脈、其起祖・出身・行度・過峡・枝脚橈棹、以及穿落伝変・台屏帳蓋各种格局、還有入首諸法、都和陰地的龍格没有分別。所不同的只在龍身的長短遠近而已。陰地即使只有幾節龍脈也能結穴、陽基却非旺盛長遠的大龍不能結成。廖金精説。干龍止住的地方要看它来得遠近、来龍千裡的結成大郡。二三百裡的可結成州治、超過此の個数的可出封侯之家。只有百裡的僅堪作県治、比此の更短的便是市鎮。謝双湖説。凡結陽宅之地、它的龍比陰地必定要長上数倍、所以有三四百裡的龍、到尽頭処必定結成宅地、成為郡治・県邑・市鎮。稍短一些的或許結成大村落。講的就是此の個道理。

至於穴法,則迥與陰地不同。陰穴雖千里來龍,入首結作,不過尋丈之地。陽穴大者為省城,必周數十里;次者為郡縣,亦二三十里;又次者亦十數里;再小者為鄉村市井,亦不下數里。故其鋪展愈闊,則力量愈大。然鋪展之闊,非幹龍長盛者,烏能若是?此陽基所以必龍力大者方能結耳。

至于点穴之法、陽基就与陰地大不相同了。陰穴即使有千裡来龍、到入首結作処也不過一丈幾尺的一小块地。陽穴則不然。大的結成省城、周囲必有数十裡。其次結成郡県、也有二三十裡。再次的也有十幾裡。最小的結成郷村市鎮、也不下数裡。所以鋪展得越開闊、力量就越大。然而能鋪展得此の様開闊、若不是干龍長遠旺盛、哪里做得到。此の就是陽基必須龍力大才能結成的緣故。実地踏勘時、先量它鋪展的範囲有多大、就可以估出此の块基址够作什麼等級的城邑。

若夫砂法,其朝應、護從、水口等山,亦須放眼界寬大察之,不與陰地取近穴砂為用者同也。謝雙湖云:“宅地到頭,朝應、護從往往減省,不如葬地周密富麗。蓋宅地之用恆,故成其體而可以享用長久;葬地之用暫,故盛其用而可以取效一時。”此可以見體用之輕重,乘除之理,消息之機。但砂亦未嘗不周密富麗,特周迴寬遠,非一舉所能盡收。其實則重疊拱朝,關鎖交結,其周密富麗,尤有大可觀者。

至于論砂之法、陽基的朝応山・護従山・水口山等、也必須把眼界放寛放大去察看、不能像陰地那様只取近穴的砂来用。謝双湖説。宅地到頭処、朝応与護従往往有所減省、不如葬地那様周密富麗。因為宅地是長久之用、所以要先成就它的「体」、才可以長久享用。葬地是一時之用、所以要充盛它的「用」、才可以在一時見効。従此の裡就能看出体与用的軽重・加減的道理和進退的機竅。不過陽基的砂也未嘗不周密富麗、只是它周繞得寛遠、不是站在一処一眼所能収尽的。実際上它一様重重畳畳地拱朝・関鎖交結、那种周密富麗、尤其大有可観。

大抵羅城寬大,又要朝對端尊,下關環抱有力為上。《經》云:“要知居址何為貴,水抱山回必有氣。忽然陡瀉朝對頭,破碎斜飛非吉地。下手迴環朝揖正,衛主端嚴無反柄。縱然不大也安和,住得百年家業盛。”

大体上説、以「羅城」寛大、同時朝対之山端正尊厳、下関砂環抱有力、為最上等。経書説。要知道居住的基址貴在哪里、只看水来環抱・山来回顧、必定有生気。若水忽然陡然傾瀉、朝対之山又当頭直沖、山形破碎・砂脚斜飛、就不是吉地。下手方向的砂回環有情、朝拱端正、護衛主山荘重厳整而没有反背的把柄、此の様的地方縦然規模不大、也安穏和順、住上百年家業興盛。

其水則以數源數溪相合會,而朝曲遶抱、大灣轉、大匯聚為美。故凡郡邑,未有不是大河大溪遶抱;雖小邑市井,亦必可通舟楫,可見水之會處,方可結陽基。亦有兩水夾送,入首翻身逆朝一水而結穴者;有兩水來送交會,就順水而作穴者;有一邊大河遶抱,一邊小水相合而結穴者;有坐水後合襟而結穴者;有據水深聚而結穴者;有四面皆水者。雖數等不同,然皆以得水為貴,此陽基結作與陰地龍穴砂水不同之大概如此。然又分平支、山谷,作兩等格局而論,方可定其融結規模,盡其山川情性也。

陽基的水、以幾条水源・幾条渓流相互合会、而後曲曲折折朝来環抱・大幅弯転・大片匯聚為美。所以凡是郡県城邑、没有不是大河大渓環抱的。即使是小城市鎮、也一定能通行舟船。可見只有水交会的地方、才能結成陽基。也有両水夾送而来、到入首処翻身逆朝其中一水而結穴的。有両水送来交会、就順着水勢作穴的。有一辺是大河環抱・一辺有小水来合而結穴的。有背靠水・在水後合襟処結穴的。有占据深水匯聚処結穴的。有四面都是水的。雖然分成此の幾等、然而都以能得水為貴。陽基結作与陰地在龍・穴・砂・水上的不同、大概就是此の様。此外還要分平支与山谷両等格局分別来論、才能定出它融結的規模、把山川的性情講透。

論平支陽基

平支之地,一望無際,亦必以龍之來歷,穴之結作處高於眾地,而後為眞。如平地中一垣無高下之分,或穴勢又復低沉,則非矣。然所謂高者,亦只尺許,或數寸,皆謂之高。但中原平陽如砥,其祖宗起處,在數百里外,撒於平坡,而變作平地曠野,或止高一寸,亦是龍身,水流不過,便為骨脈。俗眼望洋花眩,迷失東西南北,豈復知龍來歷?況溝洫縱橫,不可考究。

平支之地一望無辺、也一定要看龍脈的来暦、並且結穴之処比周囲地面高出一些、才算是真的。假如平地中一片全無高低之分、或者穴処反而低陥下去、那就不是真穴。不過此の裡所説的「高」、也只是高出一尺左右、甚至只有幾寸、都算是高。中原一帯的平陽之地平坦如磨刀石、它的祖宗山起処遠在数百裡之外、撒落到平坡上、変成平地曠野、即使只高出一寸、也仍是龍身。只要水流不能漫過去、那就是骨脈所在。俗眼看去只覚一片汪洋、眼花繚乱、連東西南北都分不清、哪里還知道龍的来暦。何况田間溝渠縦横交錯、更無従考究。

或數十里,中間忽起突阜,右一一石骨,又復隱藏。此正所謂“龍行地中,毛脊微露。”前去或逢巨浸之湖,或臨大江、大河、大溪,必有隔河之龍交會,此處必結大墓址,而其水必異。常月禪師云:“藏蹤隱跡,絕類離倫,穿田渡水,平地突起,既無龍虎,又無護衛,捉摸不眞,其情在水。”楊氏云:“凡到平洋莫問蹤,只看水遶是眞龍。”

有時走上幾十裡、中間忽然隆起一個土阜、右辺現出一条石骨、随后隠没不見。此の正是所説的龍在地中潜行、只把脊背上的一点毛微微露出来。再往前去、或者遇到浩大的湖泊、或者臨近大江・大河・大渓、那么必定有隔河而来的龍在此交会、此の種地方必定結成大的墓址、而它的水也必定与众不同。常月禅師説。此の種龍蔵起踪跡・隠去形影、与尋常龍脈全不相類、穿過田疇・渡過水面、在平地上突然隆起、既没有龍虎砂、又没有護衛山、捉摸不着它的真形、它的情意全在水上。楊筠松説。凡到平洋地面、不必問龍的踪跡、只看水環繞的地方就是真龍。

蓋大龍之盡處,必是被大河大江攔截無去處,方得他住。及到此田地,必皆是平原曠野,非常人所能收拾。望之無限,不見所際;據之無憑,不見所倚。然其百十里間,皆是環衛,無一山不顧盼,無一水不縈迴。雖別處數百里外山水,莫不來此交會。氣象堂局,最廣闊舒暢者為藩鎮省城,次者為大郡大州,又次者為小郡,又次者為大邑、小縣、鎮、場、堡、寨,愈降愈殺也。此等平夷處,只看水交會,及水遶曲環抱處為有結作,而最高處為穴場。雖千言萬語,不能外是訣矣。

大龍走到尽頭、必定是被大江大河攔住、再無去処、才肯停住。到了此の種地面、必然都是平原曠野、不是尋常人所能収拾得下的。放眼望去無辺無際、看不到尽頭。想要凭据一処、又找不到可倚靠的東西。然而在此の方円百十裡之間、処処都是環護衛抱、没有一座山不回頭顧盼、没有一道水不縈繞回旋。即使別処数百裡外的山水、也没有不来此交会的。就気象堂局而論。最広闊舒暢的結成藩鎮省城、其次為大郡大州、再次為小郡、再次為大邑・小県・鎮・場・堡・寨、一等比一等逓減。在此の種平坦之地、只看水交会処、以及水弯曲環抱処、才有結作、而其中最高的地方就是穴場。縦然説上千言万語、也出不了此の個訣竅。

《太陰經》云:“州縣京畿地必平,水龍水衛水為城。堂基卻在高高處,莫道窩藏是正形。”《玉髓經》云:“承府、縣、鎮無山可依者,地愈大,穴愈平,堂局愈闊。其穴或方圓四五十里,小者亦二三十里,又小者亦不下十數里,最小者亦必數里。而立營殿駐節麾處,不過堂奧一室之正地,是為的穴。”何以堂見其端的,實在何處?子微答曰:“一言以蔽之,曰最高處是也。”故雖廣邈,斷有一片高處,即是正穴。

《太陰経》説。州県和京畿的地必定平坦、以水為龍・以水為衛・以水為城。而堂基却落在高処、不要以為窩蔵低陥才是正形。《玉髄経》説。凡府・県・鎮一類無山可依的地方、地面越大、穴就越平、堂局也越開闊。它的穴或方円四五十裡、小的也有二三十裡、再小的也不下十幾裡、最小的也必有数裡。而真正立殿建営・駐節樹旗的所在、不過是堂奥中一間屋子那麼大的正地、此の才是的穴。那么怎様才能看出它端的落在何処呢。張子微回答説。一句話就够了、最高処便是。所以地面雖然広闊渺遠、其中断然有一片高処、那就是正穴。

如今之州縣,其有在水鄉中建立者,然何嘗見官治為水淹沒?縱水到衙門,亦不及堂奧,此可見當時是獨高處之驗矣。至於陰地亦然。若在平野,斷要高於眾地,而後可遷。不然,絕死瘟癀,皆犯禁忌。又如街坊市井,雖是依附官治,試到堂中仔細檢點,若人家住在兩高合槽中間低泥處,其家必貧困,不旺人丁。

就像如今的州県、有建在水郷之中的、可何曾見過官庁衙署被水淹没。即使水漫到衙門口、也淹不到堂奥深処。由此可見当初選址確実是取了独高之処、此の就是験証。陰宅也是同様的道理。若在平野之中、断然要高出周囲地面、然后才可以遷葬。不然的話、絶嗣・死亡・瘟病、都会因触犯禁忌而来。再看街坊市井、雖然是依附官署而建、試着到街区中仔細検点。凡人家住在両片高地夾成的凹槽・中間低窪泥濘処的、此の家必定貧困、人丁不旺。

若第宅據在高處,必是富貴之家。予兄弟所歷京都郡邑,見稍高處未有不是諸衙門公廨者。此可見平支之龍,其穴的以最高處為貴也。《經》曰:“地有吉氣,土隨而起。”誠確論矣!又有一等平支中之高阜,卻是護衛照應,不是正氣所鍾,雖高亦不吉,多是梵宮神宇之地,以為神廟則多感應,以為宅第則不可居,又不可不審乎此也。

若宅第占据在高処、必定是富貴之家。我們兄弟所走過的京都与郡県、凡見到略高的地方、没有不是各処衙門公署的。由此可見平支之龍、它的穴確実以最高処為貴。経書説。地下有吉気、地面的土就会随之隆起。此の話説得実在准確。另外還有一种平支之中的高阜、那是用来護衛照応的、並非正気所鍾聚的地方、雖然地勢高也不吉利、此の類地方多半成了仏寺神廟的所在。用来建神廟則多有感応、用来作住宅就不可居住、此の一点也不能不仔細審辨。

論山谷陽基

凡山谷陽居,欲其脫落平地,寬廣平夷,四面拱衛,無空缺凹陷,下手有力,水口交固,明堂開暢。據溪據河者為上,其穴亦欲其開展寬闊平坦,雖在山谷亦如平洋為善。若窄狹則不吉。《經》曰:“大凡陽宅怕穴小,穴小只宜安墳妙。小穴若為輸奐居,氣脈傷殘俱鑿了。況是子孫必眾多,漸次分別少比和。一穴裂而為四五,正偏前後豈無訛?”又曰:“大凡陽宅安穴大,寬闊連綿又平快。前朝橫正面前寬,可為百井於內外。如此方為陽宅居,窄小難容君莫愛。”

凡山谷之中的陽宅、要它従山上脱卸落到平地、地面広寛平坦、四面有山拱衛、没有缺口凹陷、下手砂有力、水口交鎖牢固、明堂開闊通暢。能占据渓流河道的為上等。它的穴也要開展寛闊平坦、雖在山谷之中、也要像平洋一様寛敞才好。若是狭窄、就不吉。経書説。凡陽宅最怕穴小、穴小只适宜安葬墳墓。小穴若要建成華美的住宅、気脈就会被鑿傷鑿残。何况子孫必定衆多、日後要一層層分家、彼此難以和睦、一個穴裂成四五份、正偏前後哪能没有差錯。又説。凡陽宅安穴要大、寛闊連綿而又平坦爽快。前面朝山横正、面前開闊、内外可容百戸人家。此の様才配做陽宅居址、窄小難容的地方請不要貪愛。

又要高明,切忌四水高壓,陰幽迫逼室塞,三陽不照。廖氏云:“四山高壓宅居凶,人口少興隆。陰幽窒塞號天牢,住宅決蕭條。三陽不照名陰極,妖怪多藏匿。”又忌卑下汙溼,及水沖宅背,迴風射脅,水聲潺湲。廖氏云:“卑下汙溼不相宜,人口必多疾。流水若還沖屋背,人散家財退。凹風射脅最為凶,孤寡與貧窮。宅邊常有水潺湲,喪禍日連綿。”

還要地勢高敞開朗、最忌四面高圧・陰暗逼仄閉塞・日光照不進来。廖金精説。四面山高圧宅居、主凶、人口少有興旺。陰暗窒塞的叫「天牢」、住此の種宅子家道必定蕭条。早・中・晩三時陽光都照不到的叫「陰極」、妖怪多蔵在其中。又忌地勢低窪污湿、以及水沖宅背・凹風従旁射脇・水声潺潺不絶。廖金精説。低窪污湿不相宜、家人必多疾病。流水如果沖着屋背、人口離散・家財退敗。凹風射脇最為凶、主孤児寡婦与貧窮。宅辺常有潺潺水声、単事禍事一天接一天。

且山谷陽基,最要藏風,乘得龍氣為吉。切不可妄用穿鑿。廖氏云:“若還穴小鑿教寬,氣脈便傷殘。橫龍最忌鑿穿脈,家財是消歇。”或謂“陽基乘勢不論氣,惟借坐山勢”。此說最悞人。凡陽基入首處,須要垂脈平鋪,撒落平洋,來厯明白。大勢則有大水合聚,細微則有小水界合。若居在界水內,無不敗絕,豈可乘借坐之虛勢,而不論脈乎?此陽基之至要者,不可忽也。其它朝對、托樂、水口,皆陰地相同,自可互論,茲不贅及也。

再者、山谷陽基最要緊的是蔵風、能乗到龍気才吉。切不可胡乱開鑿。廖金精説。若因穴小而把它鑿寛、気脈就傷残了。横龍尤其忌諱鑿穿来脈、家財会因此消歇。有人説陽基只乗形勢不論生気、只借坐山的気勢就够了。此の種説法最誤人。凡陽基入首的地方、必須有垂下的来脈平鋪開来、撒落到平洋、来暦分明。大処看有大水合聚、細処看有小水界合。若住在界水之内、没有不敗絶的、怎麼可以只借坐山的虚勢而不問来脈呢。此の是陽基最要緊的一条、不可忽視。其余如朝対山・托楽山・水口等、都与陰地相同、可以互相参照、此の裡不再贅述。

左地在貴溪縣西南八十里龍虎山。其龍分南幹正脈中腰旺氣巍峨萬疊,迂盤數百餘里。將入局,轉換頓跌,重重大帳侵云,枝葉蕃衍。盤石巉巖為鬼谷、水簾諸洞——道家第十五洞天,世傳鬼谷子嘗居此。入首列撐天高帳右轉閃落平坡結穴。後托紫霞諸山,復去數十里為水口,與朝山盡處交結山石萬仞,林立兩岸,如龍昂虎踞,獅象龜蛇諸怪狀。

左図此の块地在貴渓県西南八十裡的龍虎山、図今不存。它的龍脈是従南干正脈腰身分出来的旺気、山勢巍峨、重畳万重、迂回盤繞数百余裡。将要入局時、転換頓跌、一重重大帳高聳入雲、枝脚葉脈繁衍茂盛。盤踞的巨石与険峻的岩壁形成鬼谷洞・水帘洞等、此の裡是道家的第十五洞天、世代相伝鬼谷子曾住在此の裡。入首処排列着撐天的高帳、向右転折、閃落到平坡上結穴。穴後以紫霞諸山為托、再往外数十裡為水口、与朝山尽頭交結、那里山石高万仞、両岸林立、形状如龍昂首・虎蹲踞、又像獅・象・亀・蛇等种种奇怪之状。

前朝踞齒侵雲大溪環遶,羅城周密。卜氏云:“龍虎山中風不動,仙圃長春。”萬山中忽然開曠,山明水秀,別一乾坤。道家謂之福地,誠然也。張氏自道陵煉丹龍虎崖,後飛昇按《一統志》,道陵於蜀雲臺峰白日昇天。其後四代孫曰盛,復辟茲址居之。迄今五十代,世沐國寵,皆此山之應也。眞人陽基,蔑有出其右者矣。

前面的朝山如犬牙交錯・高聳入雲、大渓環繞流過、「羅城」周密無缺。卜応天説。龍虎山中風吹不動、仙人家園圃四季長春。万山之中忽然開出一片曠地、山明水秀、另成一個天地。道家称它為福地、確実名副其実。張氏一族自張道陵在龍虎崖煉丹・後耒飛昇——原書自注。据《一統志》、張道陵是在蜀地雲台峰白日昇天——他的第四代孫張盛、又重新開闢此の処基址居住下来。到如今伝了五十代、世世代代蒙受朝廷恩寵、都是此の座山応験的結果。天師真人的陽宅基址、再没有比此の更好的了。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六下之三

德興山人徐善繼述同著。此一卷撮堪輿家緊要之言,俾便覽閱究竟,而無廖氏《洩天機》諸《入式歌》及《陰契陽符》者,特輯録之。

本巻由徳興山人徐善繼・徐善述兄弟同撰。此の一巻把堪輿家最緊要的話摘録匯集起来、便於読者随手翻閲・徹底弄明白。又考慮到有人手辺没有廖金精《泄天機》裡的各篇《入式歌》以及《陰契陽符》、所以特意把它們輯録進来。

俯察本源歌

稽古聖神察地理,無非山與水。山有脈絡水有源,續斷更牽連。五行生氣潛於地,聚散因形勢。形勢盤桓氣自凝,散漫氣飄零。氣聚人居身獲吉,死則宜埋骨。氣散人居身有凶,葬則必貧窮。古人俯察有四用,建都是為重。遷州立宅與安墳,大小聚中分。

考察古代聖人察看地理、所看的不外乎山与水両様。山有脈絡貫通、水有源頭来路、或断或続、彼此牽連不断。五行的生気潜蔵在地下、它是聚是散、取决于地面的形勢。形勢盤旋回環、生気自然凝結。形勢散漫無収、生気便飄散零落。生気聚攏的地方、活人住在那里能得吉慶、人死了也适宜把骨骸埋在此の裡。生気散失的地方、活人住着有凶禍、葬下去必定貧窮。古人俯察地理有四种用途、其中以建立国都最為重大、其次是遷移州治・営建住宅和安葬墳墓、此の四者按山水聚会的大小来分別選取。

建都山水必大聚,中聚為城市。墳宅宜居小聚中,消息奪神功。聚在平夷氣浮上,人居必興旺。聚於高處氣沉底,納骨最相宜。山脈皆從西北起,祖宗崑崙是。四大幹龍分枝去,江河水源委。大河以北大江南,湘漢與淮參。大河以南大江北,濟與汾陽隔。安墳宜緊宅宜寬,高著眼來看。此是古人俯察訣,心會口難說。我今述作洩天機,傳指世人迷。

建立国都、山水必定是大聚会。中等的聚会結成城市。墳墓与住宅宜安置在小聚会之中。能斟酌此の中間的分寸増減、就能奪造化之功。聚会在平坦之地的、生気浮在上面、人住在那里必定興旺。聚会在高処的、生気沈在底下、最宜於埋葬骨骸。天下山脈都従西北方発起、祖宗之山就是昆崙。四条大干龍分枝而去、江与河便是它們分界的水源。黄河以北・長江以南此の一帯、与湘水・漢水・淮水交錯参連。黄河以南・長江以北此の一帯、則以済水与汾水為隔断。安葬墳墓宜取局面緊湊、営建住宅宜取局面寛展、須把眼界放高来看。此の是古人俯察地理的訣竅、心裡能領会而嘴上難以説尽。我如今把它写出来、泄露天機、指点世人的迷惑。

俯察正法歌

氣有聚散須俯察,不用漫山踏。先賢立法有憑依,具在《公劉》詩。“陟則在巘”登山嶺,後龍貴勇猛。“復降在原”觀落頭,結穴要溫柔。“乃陟南岡”對面望,覲京更端相。“觀其泉流”察水來,朝挹喜滎回。“逝彼百泉”觀去水,環抱斯為美。“瞻彼溥原”看明堂,關鎖乃為良。“相其陰陽”定向者,景岡美則侯。

生気有聚有散、必須低頭細察、不必満山遍野乱跑。前賢立下的方法是有凭据的、全都写在《詩経・大雅・公劉》一篇裡。「陟則在巘」、是説登上山嶺察看後龍、後龍貴在気勢勇猛。「復降在原」、是説走下山来看落脈到頭処、結穴之処要温柔和緩。「乃陟南岡」、是説登上南岡向対面眺望、正如朝覲京城一般、更要端端正正地相看。「観其泉流」、是説察看来水、朝抱回環・縈紆不去為可喜。「逝彼百泉」、是説察看去水、能環抱不直泄才算美。「瞻彼溥原」、是説察看明堂、要有砂水関鎖才算好。「相其陰陽」、是説定立向首、測影量岡、形勢美好便可出封侯之貴。

厥後衛文遷楚邱,宮度實相侔。“升墟望楚”即陟巘,尋龍分背面。“降觀於桑”即降原,望穴向平田。“揆之以日”正南北,景岡同一測。乃知此法古今同,千載所當宗。景純《葬書》最精要,其次《龍經》妙。推原議論本於斯,句句是吾師。世人貴耳不信目,喜新厭陳俗。託言玄女與赤松,無稽偏信從。邇來異說紛紜出,各自誇秘術。天機演派祖公劉,截斷在眾川。

後耒衛文公遷都到楚丘、営建宮室所用的法度、実在与公劉当年相同。《詩経・鄘風・定之方中》裡的「升墟望楚」、就是公劉的「陟則在巘」、都是登高尋龍・分辨山的正面背面。「降観于桑」、就是「復降在原」、是下到平処望穴、面向平田。「揆之以日」、是用日影校正南北、与「既景乃岡」是同一种測量法。由此可知此の套方法古今相同、千年之后仍応当奉為宗法。郭璞《葬書》最為精要、其次是《撼龍経》最為精妙。追溯此の些議論的根源、都本于《公劉》詩、句句都是我的老師。世人只重耳聞不信眼見、喜歓新奇而厭棄陳旧、仮托是九天玄女・赤松子所伝、毫無根据却偏偏信従。近来各种異説紛紛冒出、各自吹嘘自己有秘術。其実堪輿一脈的天機源流、祖師就是公劉、衆多支流都可従此の裡截断源頭。

地理三科歌

世傳地理有三科,分派至為多。形勢難分方位次,此語嘗從事。姓音已見呂才非,國典尚遵依。景純著書兼取二,至當無容議。專言形勢亦為偏,方位出後天。相其陰陽揆以日,立法最詳悉。形勢若吉方位凶,初下必貧窮。形勢若凶方位吉,決定破家室。方位形勢兩相符,指日見興隆。天機原祖公劉法,二者俱要納。

世上流伝的地理之学有三科、分出的支派極多。形勢一科難以分説、方位一科次之、此の話我曾親身実践過。至于姓音一科、唐代呂才早已辨明它的錯誤、可国家典制上還照旧沿用。郭璞著書是兼取形勢与方位両科的、最為妥当、無可非議。只講形勢也是偏執一辺、因為方位出自後天八卦。《詩経》説「相其陰陽」「揆之以日」、此の套立法最為詳備周密。形勢若吉而方位凶、剛葬下必定貧窮。形勢若凶而方位吉、也決定要破敗家室。方位与形勢両相符合、指日之間便見興隆。天機之学原本以公劉之法為祖、形勢与方位両者都要採納。

惟有姓音不可憑,謬妄最分明。聲同音異尤無理,鍾宮與終徵。陰屬宮音陽屬商,覆姓更難詳。亦有變姓與賜姓,過房何所定?三十八將最為先,縱合亦徒然。國師陵寢皆遵用,頒書與眾共。生今反古敢相違,不說恐人迷。北方取信由來久,平洋可無咎。南方山水有高低,誤用最非宜。直言無隱遵程教,可與知者道。

只有姓音一科不可凭信、它的荒謬最為明顕。同様的読音却派成不同的音属、尤其没有道理。「鍾」姓算宮音、「終」姓却算徴音。「陰」姓属宮音、「陽」姓却属商音。復姓就更難分辨了。何况還有改姓的・皇帝賜姓的、過継給別家的、又依什麼来定。所謂「三十八将」之説被摆在最前面、縦然凑合得上也是徒然。国家為帝王陵寝都遵照它施行、還頒布成書譲衆人共同遵用。生在今世而要反対古法、本不敢違逆、但不説出来又怕世人被它迷惑。北方相信此の一套由来已久、那里地勢平洋、用了也還不至出大錯。南方的山水有高有低、誤用姓音之法最不相宜。我直言不諱、是遵従程子的教誨、此の些話只能同真正懂行的人講。

九星入式歌

厥初太極分清濁,清者浮廖郭。濁者凝為山與水,血脈總相關。血脈中間行五氣,氣行因體勢。圓直曲尖方五形,分配五星名。圓形卻又有四樣,湊成九形象。九星圓者號太陽,太陰圓帶方。圓而曲者名金水,木星直如矢。方是天財三腦分,拗腦土金身。雙腦合形本金水,平腦土星是。此名五吉最為高,辨別在分毫。

太初之時太極分出清濁、清的上浮成為空闊的天宇、濁的凝結成為山和水、山水的血脈総是彼此相関。血脈之中運行着五行之気、気怎様運行、取决于山体的形勢。円・直・曲・尖・方五种形状、分別配成金・木・水・火・土五星的名目。其中円形又分出四様、合起来凑成九种形象、此の就是九星。九星之中。円的叫「太陽」。円而帯方的叫「太陰」。円而弯曲的叫「金水」。「木星」筆直如箭。方的是「天財」、又按頂脳分成三种。拗脳的是土帯金的形体。双脳合成的本属金水。平脳的才是純土星。以上此の一組叫「五吉星」、品級最高、辨別它們只在分毫之間。

頭圓兩腳拖尖尾,便是天罡體。頭圓腳直孤曜當,燥火尖似鎗。掃蕩一身渾是曲,四者為凶局。教君盡識九星形,砂上撥為清。凡認星辰須對面,九星容易辨。若還草木亂紛紛,莫便喝星辰。識得星辰不識用,萬卷徒勞誦。識星須是得眞傳,方是地行仙。

山頭円而両脚拖出尖尾的、便是「天罡」的形体。頭円而脚筆直的、属「孤曜」。山形尖利得像槍頭的、是「燥火」。通身弯曲扭動的、是「掃蕩」。此の四种是凶局。教你把九星的形状認全、在砂山上一一撥認清楚。凡辨認星辰必須站在対面正看、此の様九星容易分辨。若山上草木雑乱紛披、就不要急着喝定星名。認得星辰却不懂怎麼用、読上万巻書也是白費。要識星、必須得到真師親伝、才算得上是行走地上的神仙。

九星正名

太陽星:頭圓而身高者是。太陰星:頭圓而身帶方者。金水星:頭圓而身曲者是。紫炁星:即火星身聳者是。天財星:有三體,皆帶方。以上名曰五吉星也。天罡星:頭圓腳尖者是。孤曜星:頭圓帶方腳直者是。燥火星:體尖利者是。掃蕩星:凡曲者是。以上名四凶星也。

九星的正式名目如下。「太陽星」。山頭渾円而山身高聳的就是。「太陰星」。山頭円而山身略帯方形的。「金水星」。山頭円而山身弯曲的就是。「紫炁星」。就是火星而山身聳抜的。「天財星」。有拗脳・双脳・平脳三种形体、都帯方形。以上五种合称「五吉星」。「天罡星」。山頭円而山脚尖出的就是。「孤曜星」。山頭円而帯方・山脚筆直的就是。「燥火星」。山体尖鋭鋒利的就是。「掃蕩星」。凡通身弯曲的都是。以上四种合称「四凶星」。

九星正変龍格歌

廖公自有星辰訣,絕勝前賢說。前賢専論北斗星,取象欠分明。禹今別定九星號,取用眞奇妙。正形詳具穴星篇,龍上卻敷宣。太陽一星即左輔,高圓覆鍾金。太陰本是右弼傳,形跡方更圓。金水原來名武曲,三腦如金宿。木星惟號曰貪狼,一尖直更長。天財誰識巨門體,三般頭腦異。天罡正與破軍同,腳下出尖峰。孤曜祿存同一類,枯拳最相似。燥火廉貞實一名,尖斜芒掃形。掃蕩屬水配文曲,斜拖帛一幅。此是巒頭正九星,體認要分明。

廖金精自有一套辨星辰的口訣、遠勝過前賢的説法。前賢専用北斗七星取名、取象不够分明。廖公如今另定九星的名号、取用起来真是奇妙。九星的正形在《穴星篇》裡已詳細載明、此の裡只就龍身上加以鋪陳。「太陽」此の一星就是旧説的「左輔」、山形高而円、像倒扣的鐘。「太陰」本来是旧説的「右弼」、形跡方中帯円。「金水」原名「武曲」、頂上三脳起伏如金星連綴。「木星」只叫「貪狼」、一頭尖起而山身直長。「天財」誰知道就是「巨門」的形体、它有三种不同的頭脳。「天罡」正与「破軍」相同、山脚下出尖峰。「孤曜」与「禄存」同属一類、最像枯干的拳頭。「燥火」与「廉貞」実是一名、山形尖斜而鋒芒掃散。「掃蕩」属水、配旧説的「文曲」、形状像斜拖着一幅絹帛。此の就是巒頭上的正九星、体認必須分明。

一星又變為九樣,其一名本相。連炁居二分炁三,第四開腳參。五為雙爪六獨爪,七變翻身巧。八是側體九倒身,八十一形眞。形有高低與肥瘦,喝名莫差謬。上中下格龍形分,富貴更詳論。星辰看在何方上,其年當氣旺。更尋出脈該何方,年命總相關。

每一星又各変出九様。第一様叫「本相」、第二様是「連炁」、第三様是「分炁」、第四様是「開脚」、第五様是「双爪」、第六様是「独爪」、第七様変作「翻身」而巧妙、第八様是「側体」、第九様是「倒身」。九星各変九様、一共八十一形、都是真実存在的。此の些形状還有高低肥痩之別、喝定星名時不可弄錯。龍形要分上・中・下三格、据此再詳細推論富貴的大小。看此の星辰立在哪一方位上、就知道哪一年当它気旺。再看出脈在哪一方位、此の与応発的年份和人的生年命属都有関聯。

九星正変穴星歌

九個星辰有正形,細說與君聽。太陽端正覆鍾樣,太陰半月相。金水原來似鳳飛,紫氣笏囊垂。天財雙腦頭各異,凹腦展誥是。雙腦貴人立馬容,平腦玉屏風。天罡張蓋形相併,孤曜如覆盤。燥火尖刀最是凶,掃蕩展旗同。一個星辰又變九,正體皆居首。開口第二懸乳三,太極暈中涵。四是弓腳五雙臂,單眼居六位。七為側腦不須移,沒骨八為奇。平面原來居第九,九變不離首。八砂熟記在心胸,開眼便相逢。

九個星辰各有正形、細細説給你听。「太陽」端正如倒扣的鐘。「太陰」形如半月。「金水」原本像鳳凰飛舞。「紫気」像笏板与笏嚢垂掛。「天財」的双脳各有不同。凹脳的像展開的誥命。双脳的像貴人立馬的姿态。平脳的像玉屏風。「天罡」形如張開的傘蓋、与它相並的「孤曜」像倒扣的盤子。「燥火」形如尖刀、最為凶険。「掃蕩」形如展開的旗幟、同属凶星。每一個星辰又各変九様。正体排在第一。「開口」第二。「懸乳」第三、太極暈就含在其中。第四是「弓脚」。第五是「双臂」。第六位是「単眼」。第七是「側脳」、不必移改。第八是「没骨」、最為奇特。「平面」原本排在第九。九种変化都離不開正体此の個頭。另有八种砂形要牢記心中、一睜眼就能対上号。

全局入式歌

地理由來分四用,皆以龍為重。吉凶禍福此中生,須要察眞情。祖龍高頂名樓殿,常有雲氣現。聚繞名為聚講山,根本在其間。講罷龍行有美惡,生死與強弱。順逆進退切須知,八法要詳推。生是低昂多節目,死是無起伏。強是奔走勢力宏,弱是瘦稜嶒。順是開 向前往,逆是向後去。進是龍身節節高,退是漸蕭條。生強順進皆為好,富貴兼壽考。死弱逆退最為凶,夭折受貧窮。

地理之学向来分建都・遷州・立宅・安墳四种用途、都以龍為最重。吉凶禍福都従此の裡産生、必須察明它的真情。祖龍的高頂叫「楼殿」、那里常有雲気顕現。群山聚攏環繞的叫「聚講山」、龍的根本就在其中。聚講完畢、龍起身而行、行度有美有悪、要分生・死・強・弱・順・逆・進・退、此の八法必須詳加推求。「生」是山身高低起伏・節目分明。「死」是通身平板没有起伏。「強」是奔騰走動・勢力宏大。「弱」是痩削棱峭而無力。「順」是開帳向前而去——此の処底本有脱文、「開」下缺一字。「逆」是転身向後而去。「進」是龍身一節比一節高。「退」是一節比一節蕭条低落。生・強・順・進四者都好、主富貴兼長寿。死・弱・逆・退四者最凶、主夭折与貧窮。

龍行過峽脈有四,正出左右次。回頭顧祖出尤奇,穴狀可前知。向首峽中能預定,一峽一穴正。兩邊遮護喜形成,最怕賊風生。若還穿帳要中出,角落未為吉。兩重三重開府衙,一重只富家。若有貴人居帳下,此格眞無價。地軸天關左右遮,或垂帳角斜。退卸換剝麄者細,凶星變吉氣。老龍抽出嫩枝柯,跌斷不嫌多。朋山共水難尋脈,石上留蹤跡。喚作崩洪有十名,富貴此中生。

龍行過峡時、出脈有四种。以正中出脈為上、左出・右出次之、回頭顧祖而出的尤其奇特、従過峡就能預先知道穴的形状。連向首都可以在峡中預先判定、因為一個峡対応一個正穴。峡的両辺有山遮護最好、最怕有「賊風」吹入。若要穿帳而出、必須従帳的正中出脈、従帳角落下的就不算吉。開出両重三重大帳的可結府衙一級的大地、只開一重的僅是富家。若帳下還立着貴人峰、此の種格局真是無價。「地軸」「天関」両山在左右遮護、或者帳角斜垂下来。龍脈一路退卸剥換、由粗変細、凶星也能転成吉気。老龍抽出嫩枝、中間跌断得越多越好。遇到両山夾一水・難以尋脈的地方、要在石頭上尋找它留下的踪跡。此の類過水穿田的脈叫「崩洪」、共有十种名目、富貴就従此の裡産生。

龍上如生兩池水,養蔭斯為美。異骨奇毛洲與塘,須定出何方。夾衛護從兩旁侍,天以太乙峙。右邊武庫左文官,隊仗貼身安。迎龍先在穴前揖,送龍穴後立。纏龍纏過龍虎前,托龍居背邊。欲作穴時看出脈,原有十二格。正偏大小與短長,高低要審詳。更有曲直並斷續,吉凶皆在目。蜂腰鶴膝最為奇,大忌被風吹。此是行龍諸法度,餘詳龍格部。凡尋大地要搜求,逐一究源流。

龍脊上若生出両処池水、能滋養蔭護龍気、此是美事。山上出現異様的石骨奇特的草木、以及水中的沙洲池塘、都要判定它出在哪一方位。夾衛護従之山在両旁侍立、「天乙」「太乙」二峰対峙。右辺是武庫山、左辺是文官山、儀仗隊一般貼身排列。「迎龍」先在穴前作揖、「送龍」立在穴後、「纏龍」纏繞過龍虎砂之前、「托龍」居於穴背之側。要点穴時先看出脈、出脈原有十二格。正与偏・大与小・短与長・高与低、都要審察詳明。此外還有曲・直・断・続之別、吉凶都摆在眼前。脈形如蜂腰・如鶴膝最為奇妙、但最忌被風吹着。以上是行龍的种种法度、其余詳見龍格部。凡尋找大地都要此の様捜求、逐一追究它的源流。

尋龍入式歌

爰從重濁凝於地,便有高低勢。勢來起伏是行蹤,前賢呼作龍。龍神高處成樓殿,聚講星辰見。講罷辭樓下殿行,行度見精神。迢迢過峽並穿帳,剝換成幾樣。夾衛輔從兩旁生,後送更前迎。枝腳隨身無反逆,盤剝多奇特。此是山家作穴龍,定起主星峰。主星大小合龍格,造化便可測。

自従重濁之気凝結成大地、地面就有了高低起伏之势。此の種一路来一路起伏的形勢就是龍的行踪、前賢把它叫作「龍」。龍神最高処結成「楼殿」、衆星辰聚集環繞的「聚講」之象就在此の裡顕現。聚講完畢、龍便辞楼下殿而行、在行度之中顕出精神。它迢迢地過峡・穿帳、一路剥換成好幾种星体。夾衛輔従之山従両旁生出、後有送山・前有迎山。枝脚順着龍身生長而不反背逆出、盤旋剥換処多有奇特之形。此の就是堪輿家所説能作穴的龍、到頭必定起一座主星峰。主星的大小与龍格是否相称、従此の裡就可以推測造化的深浅。

二三節內穴星成,福力實非輕。節數遠時福力小,再起星方妙。龍身顯著穴隱藏,點穴貴精詳。平地龍神因水勢,認取原無二。隱隱隆隆正好尋,尋得值千金。凡入鄉村先見穴,須把後龍別。若是眼高先見龍,尋得莫匆匆。此是尋龍神妙訣,是地便能決。試將遍去覆仙蹤,端的有神通。

若在主星之后二三節以内就結成穴星、福力実在不軽。若相距的節数太遠、福力就小了、必須重新再起一座星峰才妙。龍身越是顕豁、穴往往越是隠蔵、所以点穴貴在精細詳審。平地上的龍神要凭水勢来認、認龍的道理与山地原本無二。地面隠隠約約・微微隆起之処正好尋找、尋得着就値千金。凡進入郷村、若先看見的是穴、還須回頭去分辨後龍。若眼力高、先看見的是龍、那也不要匆忙定穴。此の就是尋龍的神妙口訣、是不是好地、凭它便能判定。不妨拿它遍去覆看前代仙師所点的旧地、果然霊験如神。

歩龍認格歌

觀山定把龍為本,吉凶方有凖。世人論砂不論龍,正坐渺茫中。大抵眞龍必有格,穴後好尋索。便來穴後現眞形,應似谷中聲。穴後星辰如不出,脈上要尋覓。只從脈上認巒頭,莫向兩旁求。兩旁見格縱好看,終非吉凶斷。有時穴後見星辰,原不出龍身。名曰照星一般取,事業皆堪許。更有兩山映結成,亦可當其名。成格龍神最難遇,檢點須從恕。按圖索驥要求純,誤盡世間人。

看山必定以龍為根本、判吉凶才有准則。世人只論砂而不論龍、正是坐在一片渺茫之中。大抵真龍必定有成格、到穴後就好尋找。成格之龍一到穴後便現出真形、就像在山谷中発声必有回響一様確実。若穴後的星辰不顕現、就要到来脈上去尋覓。只従来脈上辨認巒頭、不要往両旁去求。両旁即使見到好格、縦然好看、終究不能据以断吉凶。有時穴後所見的星辰、原本不是従本身龍上出的、此の種叫「照星」、也可一様取用、功名事業都可期許。還有両山交映而成格的、也可以算数。真正成格的龍神最難遇上、検点时須存寛恕之心。一味按図索驥・非要求得純粋合格、反而誤尽了世上的人。

高大星辰管一代,餘福猶未艾。若逢龍格小而低,一代便衰微。要識吉凶何代發,逐節從頭踏。凶龍在後一同推,世代總能知。凡是星辰要蓋送,蓋送最宜重。蓋送須要大而麄,尖圓卻不拘。送到左纏還右護,時時更回顧。若還格好卻孤寒,僧道做高官。星後落脈要中出,中出方為吉。左出為輕右更輕,輕重此中生。好格面平方合樣,面飽何勞相。欹斜破碎浪痕高,凶禍定難逃。此訣廖公親口授,句句無差謬。若將漏洩亂相傳,雷電取回天。

高大的星辰能管一代人的興旺、余福還会延続不尽。若遇上龍格又小又低、一代之后便衰微了。要知道吉凶応在第幾代発作、就得逐節従頭踏勘過去。後面若還有凶龍、也一同推算、歴代的吉凶総能推知。凡星辰都要有「蓋山」「送山」、蓋送最宜層層重畳。蓋送之山須要大而粗壮、是尖是円倒不拘。送山送到左辺纏護・又転到右辺護衛、時時回頭顧盼。若龍格雖好而四周孤寒無護、那就只能出僧道中的高官。星峰之后落脈要従正中出、中出才算吉。従左出的力量已軽、従右出的更軽、軽重之分就在此の裡。好格的山面要平正才合式、面部飽脹鼓凸的就不必看了。山面欹斜破碎・浪痕高起的、凶禍必定難逃。此の套口訣是廖金精親口所授、句句没有差錯。若把它泄漏出去乱伝給人、雷電会把它収回天上。

落局入式歌

入穴當先明四落,有落皆堪作。初落原來近主山,局勢必須完。中落餘枝作城郭,吉氣於斯泊。下落名為大盡龍,氣勢最英雄。分落後龍擘脈去,貫串還可取。四落中間分五龍,最要看行蹤。龍若落時生降勢,界截須伶俐。直龍原是撞背來,中出貴徘徊。橫龍原是從側落,逆轉須磅礴。回龍原是曲翻身,顧祖要逡巡。飛龍原是結上聚,昂首眞奇異。潛龍原是落平洋,撒脈自悠揚。

要入穴定局、先得弄清「四落」、四种落法都能結地。「初落」原本靠近主山、局勢必須完整無缺。「中落」是用剩余的枝脚作城郭、吉気就停泊在此の裡。「下落」又叫「大尽龍」、気勢最為雄壮。「分落」是後龍擘開一支脈分出去、只要貫串不断也可取用。四落之中又分出五种龍。龍落下時要生出下降之势、界水截断要干浄利落。「直龍」原是従背後直撞而来、以中出而稍作盤桓為貴。「横龍」原是従側面落下、逆転过来要有磅礴之势。「回龍」原是曲身翻転、回顧祖山要従容不迫。「飛龍」原是気結在高処上聚、昂首之状真是奇異。「潜龍」原是落到平洋、撒開脈絡自然悠長舒揚。

吉凶皆用九星相,必須神煞旺。昔賢降勢立論多,未免有差訛。穴星九變宜詳辨,源流容易見。面前正應要分明,眞假細推評。龍虎古稱衛區穴,禍福最親切。龍要蜿蜒虎要馴,反此見災迍。若如瓜瓠來回抱,福廕分長少。粗大瘦弱短縮形,破碎廹狹並。強直尖射與插落,鬥競低陷落。反走斜飛壓穴凶,昂頭擺面同。斷腰露脅疊指類,惡石兼樹死。敗牆古路及深坑,凶禍逐形生。

吉凶都要用九星来相看、必須星辰的神気旺盛才好。前賢講龍的下降之势議論很多、未免有差錯。穴星的九种変化応当詳細辨別、源流就容易看清。穴前正対的応山要分明、是真是仮要細細推評。龍虎砂自古称為護衛穴場的東西、与禍福関係最為切近。青龍砂要蜿蜒有情、白虎砂要馴順不昂、与此の相反就見災禍。若像瓜蔞葫蘆一様回環抱穴、那福蔭要按長房幼房分別応験。至于砂形粗大的・痩弱的・短縮的・破碎的・逼狭的、強直的・尖射的・挿落的、争闘相競的・低陥塌落的、反背走出・斜飛而去・高圧穴場的、昂頭的・揮面的、腰身折断・脇部裸露・如畳指相連的、帯悪石的・樹木枯死的、還有残墻・古道以及深坑、此の些凶禍都随着此の些形状而産生。

橫龍出穴必要鬼,樂山宜後峙。官星本是出前山,曜氣龍虎間。星辰蓋照前後取,祗把穴為主。三陽不促六建全,十道要無偏。砂法水城與堂氣,專部極詳細。捍門水口及羅城,關鎖要圓成。禽星獸星須穎異,羅星分種類。如斯全局最難逢,取用貴疏通。更有平洋局又別,傾廩為君說。星辰原出在高岡,撒脈下平洋。高岡聚講與過峽,行龍皆一法。撒落平洋始不同,切莫失眞蹤。地有高低即山水,節目同一體。遠山近水兩旁纏,脈似藕絲連。倒身龍格隱復現,脈上行時見。隱隱隆隆正好尋,尋得值千金。龍若前逢水界截,穴向此中結。穴星平面細推求,切忌牽土牛。砂形亦有仰面格,一一要推測。其餘卦法更精玄,備述在終篇。

横龍出穴必定要有「鬼星」在後撐托、「楽山」也応当在後面峙立。「官星」本是従穴前的山伸出、「曜気」則在龍虎砂之間露出。「蓋山」「照山」要従穴的前後去取、一切只以穴為主。前・中・後三陽不可局促、六建之位要斉全、十道之向要不偏。至于砂法・水城与堂気、各有専部講得極詳細。捍門山・水口山以及羅城、関鎖都要円満周全。禽星・獣星須要形状穎異、羅星也分种類。像此の様十全的全局最難遇到、取用時貴在通融。此外平洋的局又另有不同、我傾尽所知説給你听。平洋的星辰原本也出自高岡、従高岡撒脈下到平洋。高岡上的聚講与過峡、行龍之法与山地相同。只有撒落到平洋之后才开始不同、切莫弄丟它的真踪。地面有高有低、就相当于山地的山与水、節目道理原是一体。遠山近水在両旁纏護、脈像藕丝一様細細相連。倒身的龍格時隠時現、只有在脈上行走時才看得見。地面隠隠隆隆之処正好正好尋找、尋得着便値千金。龍在前方若遇水界截住、穴就在此の裡結成。平面的穴星要細細推求、最忌牽動土牛。砂形也有「仰面」一格、都要一一推測。其余的卦法更加精深玄妙、詳細記述在最後一篇。

穴星入式歌

問君何以名為穴,地理同人脈。問君何以名為星,天象即地形。龍神落處穴融結,須把星辰別。星辰不是妄稱呼,形象實相符。圓直曲尖方五體,本是五形氣。直曲方尖各帶圓,湊作九星全。入式總歌已詳備,如斯略解義。認得星辰形體時,禍福自能知。第一要分眞與假,多有昏迷者。若是眞者山水潮,假則去迢迢。第二要分生與死,時師多昧此。藏風得水是為生,死則氣飄零。第三宜逆不宜順,莫把尋常論。逆是下山腳先回,順是逐水來。第四要嫩不要老,細看休草草。老是大山毛骨粗,嫩是換皮膚。

問你為什麼叫作「穴」。因為地理上的穴与人身上的脈絡是同一个道理。問你為什麼叫作「星」。因為天上的星象就対応着地上的山形。龍神落下之処、穴便在那里融結、必須先把星辰分辨清楚。星辰的名目不是随口乱叫的、名与形象確実相符。円・直・曲・尖・方五种形体、本来就是五行之気所化。直・曲・方・尖各自再帯上円形、凑成九星才算完備。《入式総歌》裡已講得很詳備、此の裡只略作解説。認得星辰的形体、禍福自然就能知道。第一要分真与仮、在此の上頭糊塗的人很多。真的、山水都朝拱过来。仮的、山水都遠遠地去了。第二要分生与死、当今的術士多半不明白。能蔵風得水的是生、気飄散零落的是死。第三宜逆不宜順、不可以常理去論。「逆」是下山的砂脚先回転过来、「順」是随着水一路直去。第四要嫩不要老、細看不可草率。「老」是大山骨相粗糙、「嫩」是已経換過一層皮肤。

穴星更有八般病,有病何勞定?斬指摺痕項下拖,碎是石嵯峨。斷肩有水穿膊出,剖腹腦長窟。折臂元來左右低,破面浪痕垂。陷足腳頭竄入水,吐舌生尖嘴。此是成星終有虧,誤用禍相隨。穴面又有八般病,有病皆要醫。貫頂脈從腦上抽,星峰不見頭。墜足脈從腳下去,靈光內所聚。繃面橫生脈數條,生氣自潛消。飽肚粗如覆箕樣,醜惡那堪相?莫言立穴太精詳,凶吉此中藏。

穴星還有八种病、有病又何必再定穴。「斬指」是折痕従頸項下拖出来。「碎」是乱石嵯峨。「断肩」是有水従肩膊処穿出。「剖腹」是脳頂上長出一個深窟。「折臂」原来是左右両辺低陥。「破面」是山面浪痕下垂。「陥足」是山脚竄入水中。「吐舌」是穴前生出尖嘴。此の些雖已成星、終究有損欠、誤用了禍事随之而来。穴面又有八种病、有病都要医治。「貫頂」是脈従脳頂上抽出、星峰看不見頭。「墜足」是脈従脚下漏走、霊光只能内聚而不吐。「绷面」是山面横生出幾条脈紋、生気自然暗暗消散。「飽肚」是山面粗鼓得像倒扣的簸箕、丑悪得没法看。不要嫌立穴講得太細、吉凶就蔵在此の些地方。

点穴認勢歌

認得星辰既眞正,點穴宜相稱。星辰眞正穴爭差,咫尺隔天涯。一個星辰有三勢,立眠坐各異。立是身聳氣上浮,天穴此中求。眠是身仰氣下墜,地穴如斯是。坐是身屈氣中藏,人穴最相當。一個星辰有六格,見穴須求索。大小高低與肥瘦,穴貴得其宜。大要寬開小要狹,作用當依法。低怕受溼高怕風,消息莫匆匆。肥宜浮上瘦沉下,反此皆凶也。三勢六格筆難圖,休道盡形無。

星辰既已認得真切端正、点穴也要与它相称。星辰雖然真正、穴位若有分毫之差、咫尺之間便如隔天涯。一個星辰有三种「勢」。立・眠・坐各不相同。「立」是山身聳起・気浮向上、天穴要従此の裡求。「眠」是山身仰卧・気沈向下、地穴就是此の様。「坐」是山身屈曲・気蔵在中間、人穴最為相当。一個星辰又有六种「格」。見了穴還須仔細求索。大与小・高与低・肥与痩、穴貴在各得其宜。大的要寛開、小的要収窄、作法各依其法。低的怕受潮湿、高的怕受風吹、斟酌進退不可草率。肥的宜把穴浮在上面、痩的宜把穴沈到下面、反过来做都凶。三勢六格難以用筆画尽、不要以為此の裡就把形状説完了。

點穴必先分四煞,留心莫亂挖。惡煞無過直與尖,眞個得人嫌。兩邊圓淨名全吉,藏煞穴第一。無饒無減穴居中,妙用奪神功。穴下如生尖直腳,壓煞穴宜作。騎形高下自無凶,挨金法亦同。氣脈直來形勢急,脫煞穴宜立。須知粘穴落平夷,休嫌穴水泥。一邊尖直來相從,閃煞穴宜用。從來倚脈亦如然,莫道穴居偏。此是穴星篇內訣,開端當解說。其餘作法有專門,仿此不虛論。

点穴必先分清四种処煞之法、留心不可乱挖。最悪的煞莫過於直与尖、真是叫人討厭。若両辺円浄無煞、叫作「全吉」、用「蔵煞穴」為第一。此の時左右不必偏饒也不必削減、穴就居於正中、妙用可以奪造化之功。若穴下生出尖直的砂脚、宜作「圧煞穴」、騎在那形上、或高或低自然無凶、「挨金」之法也是同一个道理。若気脈直来・形勢急促、宜立「脱煞穴」、要知道此の就是「粘穴」、落到平緩之処、不要嫌穴前有些水湿泥濘。若只有一辺有尖直之物随来、宜用「閃煞穴」、避開它。歴来的「倚脈」之法也是此の様、不要説穴立得偏了。此の些是《穴星篇》裡的訣竅、開篇応当先解説明白。其余的作法另有専門章節、照此の類推、不是空話。

怪穴辨惑歌

穴有奇怪人不識,造化無可測。體格何曾亂九星,不見得人驚。騎龍須要居龍脊,龍住應無敵。藏龜閃跡在田間,水遶是眞龍。漱石莫疑安石罅,土穴端無價。捉月須云在水中,還要土來封。斬關已見前人下,細看終無假。坐穴轉面去張潮,不怕八風搖。走珠墩阜出平地,三個五個是。仰高山頂見星辰,平面最為眞。變態無窮聊舉例,作用皆如是。乘生得氣任君裁,奇怪不須猜。

穴有奇怪的形态、人們認不出来、造化的巧妙実在難以測度。其実此の些怪穴的体格何曾乱了九星的規矩、只是人没見過才覚得吃惊。「騎龍穴」必須坐在龍脊之上、龍在此止住便無与倫比。「蔵亀穴」踪跡閃落在田野之間、有水環繞就是真龍。「漱石穴」不要疑心它安在石縫裡、其中的土穴実在無價。「捉月穴」据説要在水中取、還須用土来封護。「斬関穴」前人早就下過、細看終究不仮。「坐穴転面」是背転身去迎接遠潮、反而不怕八方之風揺動。「走珠穴」是平地上出来的一個個小墩阜、三個五個連成一串。「仰高穴」是在高山頂上見到星辰、其中以平面之処最真。穴的変化無窮无尽、此の裡只是略挙幾例、作法都是一个道理。只要能乗到生気・得着龍気、随你怎麼裁定、遇上奇怪之形不必疑猜。

消砂入式歌

眞龍落處四山聚,亦自有名義。昔賢何以喚為砂,於理自呼差。楊曾教人原有格,只從砂上撥。因此名作撥砂圖,次序以砂悟。大凡尋龍與點穴,細把前龍別。龍若住時砂有情,不住亂縱橫。穴若正時砂效用,不正自飛動。眞龍藏幸穴難尋,惟砂識幸心。砂有朝迎與侍衛,四者君須記。當面推來名曰朝,不怕遠迢迢。若是眞時方出現,假時難見面。迎是隨龍先出來,見穴卻回頭。或隨迎潮來聚集,遠望低如揖。侍在穴前分兩邊,端拱默無言。遮頭客山不許入,森森如竹立。衛是護龍左右隨,生怕四風吹。本身枝腳為龍虎,皆在衛中數。只將四者撥前砂,括盡更無加。

真龍落下的地方四面群山聚攏、此の些山也各有名義。前賢為什麼把它們叫作「砂」。按道理説此の個叫法本来就不確切。楊筠松・曾文辿教人原有一套格法、只従砂上去撥認、因此定名為「撥砂図」、按次序従砂上去領悟。大凡尋龍点穴、都要細細分辨前面的来龍。龍若真在此止住、砂就有情。龍不止住、砂便雑乱縦横。穴若点得正、砂就発揮効用。穴点得不正、砂自然显得飛散。真龍蔵得深、穴難尋找、只有靠砂才能認出它的用心。砂分「朝・迎・侍・衛」四類、你須記牢。当面正対推来的叫「朝」、不怕它遠在天辺。真的朝山才会顕現出来、仮的就難得見面。「迎」是随着龍先走出来、見到穴又回過頭。有的随着迎面的潮水一同聚来、遠望低伏如同作揖。「侍」是在穴前分列両辺、端然拱手、黙然無言。把客山遮在外頭不許闖入、森然如竹排立。「衛」是護龍的山左右相随、生怕四面来風吹着穴場。本身的枝脚化作龍虎砂、都算在「衛」此の一類裡。只用此の四者去撥認穴前的砂、就把所有砂都概括尽了、再没有多余的。

中間最是朝山緊,禍福尤有凖。高低穴法取朝針,高則齊眉低應心。其次本身枝腳重,隊仗眞得用。誰知不見乃為奇,福應沒差移。遠迎近侍不可缺,只喜皆羅列。就中龍虎事如何,所貴在諧和。大抵砂形不須泥,有情便為貴。縱繞秀麗更尖圓,無意亦徒然。此是撥砂眞妙訣,莫與時師說。時師將信又將疑,枉自洩天機。

此の四者之中最要緊的是朝山、它応禍福尤其有准。定穴的高低要拿朝山来作標尺。朝山高就把穴立得与眉斉、朝山低就把穴対到心口。其次是本身的枝脚最重要、它們排列成儀仗才真正有用。誰知道枝脚不外露反而更奇、福気的応験一様不差。遠処的迎山・近処的侍山都不可缺、最喜歓它們一一羅列在前。其中龍虎砂又怎麼看。可貴之処在于両辺協調和順。大体上砂的形状不必拘泥、只要対穴有情便是貴。縦然長得秀麗尖円、却対穴無意、也是白搭。此是撥砂的真妙訣、不要説給尋常術士听。他們将信将疑、白白泄露了天機。

喝砂分格歌

天機喝砂分造化,格列上中下。又分富貴賤三科,取用不差訛。肥圓端正名富局,堆錢如堆谷。清奇古怪是貴砂,隊仗自榮華。欹斜臃腫皆為賤,碎頭並破面。富砂只在三格間,賤是下格山。惟有貴砂為上格,圖記自明白。請君著眼細推詳,莫把作尋常。格中多有帝王制,非謂眞有位。宰臣侍從近清光,朝夕得翱翔。冠服元來有冕裳,必要隨時相。假如唐帽賤於唐,至宋入明堂。幞頭始自後周出,晉漢為何物?莫因古制便非今,說破免疑心。

天機喝定砂名、是要分辨造化、格分上・中・下三等、又分富・貴・賤三科、取用起来不会有差錯。肥満円正端方的叫「富局」、銭財堆積得像堆穀子。清奇古怪的是「貴砂」、儀仗排列自有栄華。欹斜臃肿的都属「賤」、還有山頭破碎・山面破損的也是。富砂只在上中下三格之間、賤砂就是下格之山、只有貴砂算上格、看図記自然明白。請你着眼細細推詳、不要把它当尋常事。喝砂的格名中多有帝王儀制的名目、並不是説真会做到那個位子。宰相侍従能親近天子光輝、早晩在朝中翱翔、此の類名目也是取象而已。冠服本来各代都有冕服之制、喝名必須随時代来相看。譬如唐帽在唐代算低賤、到宋代却能登上明堂。幞頭是後周才开始有的、晋・漢時候又算什麼。不要因為是古制就否定今制、把話説破、免得心裡生疑。

喝砂須要龍為主,高下龍中取。貴龍若又遇貴砂,錦上更添花。龍賤若還砂遇貴,砂變為凶具。砂賤若還遇貴龍,砂亦不為凶。龍賤砂賤不足取,諸凶相繼起。砂中有殺人不知,貴賤最難醫。仔細消砂殺有八,射探沖破壓。更兼反斷走皆凶,解說要人通。射是一尖來向穴,徒配何須說?探是斜山少露頭,作賊不知休。破是浪痕直透頂,滛亂恣遊騁。沖是橫來插穴前,非禍自連綿。壓是穴前砂崛起,奴僕常反主。反是曲身去回朝,離反永飄搖。斷是腦下自橫浪,斬首無人葬。走是斜身順水飛,遊蕩不思歸。若是眞龍去殺合,禍福終須雜。避凶趨吉最為奇,穴上討便宜。

喝砂必須以龍為主、砂的高下要従龍上去取。貴龍若又遇上貴砂、那是錦上添花。龍若低賤而砂偏偏貴重、此の砂反而変成凶器。砂雖低賤而遇上貴龍、砂也不算凶。龍賤砂也賤就不値得取了、各种凶禍会接連而起。砂裡蔵着煞気而人不知道、砂的貴賤最難医治。仔細消砂、砂煞有八种。射・探・沖・破・圧、再加上反・断・走、都属凶、其中的道理要講通。「射」是一片尖砂対着穴、主充軍発配、還用多説嗎。「探」是斜出的山微微露出頭、主出賊盗不休。「破」是浪痕一直透到山頂、主淫乱放縦。「沖」是砂横挿到穴前、是非禍事自然連綿。「圧」是穴前的砂高高崛起、主奴僕常常反欺主人。「反」是砂曲着身子朝外去朝拜別処、主親人離散・子孫反目・永遠飄泊。「断」是脳下自生一道横痕、主被斬首而無人収葬。「走」是砂斜着身子順水飛去、主子孫游荡不思帰家。若是真龍而砂煞正好被制伏、禍福到底還是摻雑的。能避凶趨吉最為奇妙、就在穴上討此の個便宜。

九星正変砂格歌

喝砂須用九星推,形體自能知。太陽有如覆鍾樣,太陰眠弓像。金水原來似鳳眞,木星號貴人。天財凹腦玉案體,雙腦天馬是。平腦分明是玉屏,天罡御傘形。孤曜寶庫為最美,燥火龍樓起。掃蕩原如屏帳開,九變此中來。第一長身是高聳,不須嫌臃腫。第二矮體本來低,亦須穴與齊。第三肥容要豐滿,初不拘長短。第四瘦貌最清奇,稜角不用疑。第五聚氣相連出,磊落爭突兀。第六合形湊集成,或者是連名。第七破相反是相,半面生微浪。第八頂頂莫嫌斜,砂腳要渠遮。第九變來成仰面,卻從平地現。八十一變有成規,須要觸類推。

喝砂必須用九星去推、砂的形体自然能認出。「太陽」形如倒扣的鐘。「太陰」形如横卧的弓。「金水」原本像鳳凰之形。「木星」称作「貴人」。「天財」中凹脳的是玉案之体、双脳的是天馬、平脳的分明是玉屏。「天罡」是御傘之形。「孤曜」作宝庫之形最美。「燥火」如龍楼聳起。「掃蕩」原像屏帳展開。九种変化就従此の裡派生。第一「長身」是高聳挺立、不必嫌它臃肿。第二「矮体」本来就低、也要与穴斉平才好。第三「肥容」要豊満、本不拘長短。第四「痩貌」最為清奇、有棱有角不必疑心。第五「聚気」是数峰相連而出、磊落争起・突兀不群。第六「合形」是幾個形状凑集而成、也可以合起来取一個連称的名。第七「破相」反倒是一种相、半辺山面生出細浪。第八「頂頂」不要嫌它歪斜、只要砂脚能遮擋住就行。第九一変成為「仰面」、却是従平地上顕現的。八十一种変化都有成規、須要触類旁通去推。

砂形傳變原不一,皆由九變出。在人心巧與目明,任意立名稱。假如圓墩墨斗樣,便斷為木匠。又如平地見葫蘆,便作太醫呼。若有錘鉗砧木列,兒孫必打鐵。若逢山腳似排符,世代必為巫。此皆出在砂圖外,請君以意會。消砂活法只如斯,此話是明師。砂形看在何方位,命合人富貴。假如子午卯酉方,此命最相當。太歲同年為福應,發達端然定。更將龍格共推詳,靈驗果非常。龍格砂形本無二,大同並小異。辨龍必要細推求,貴賤在巒頭。喝砂相像便為是,舉觀無執泥。按圖索驥最堪嘻,愈察愈生疑。前賢消砂至千百,造化難推測。我今傳作喝砂歌,好語不須多。

砂形的流伝変化原本不止一种、都従此の九変裡生出。全在人心思霊巧・眼力明白、可以随意給它立名。譬如円墩形状像墨斗、就断此の家出木匠。又如平地上見到葫蘆形、就叫他太医。若有錘子・鉗子・砧木一類的形状排列、児孫必定打鉄。若遇見山脚像排開的符籙、世代必定作巫師。此の些都在砂図之外、請你用心意去領会。消砂的活法不過如此、此の話是明師所伝。還要看砂立在哪一方位、与人的生年命属相合就主富貴。譬如砂在子・午・卯・酉四正方、属此の四個命的人最相当。到太歳与它同年時便是応福之期、発達是断然定得下的。再把龍格一併推詳、霊験果然非常。龍格与砂形本无両様、只是大同小异。辨龍必須細細推求、貴賤都在巒頭上。喝砂只要形状相像便算数、通盤去看、不要死執一処。一味按図索驥最可笑、越察看越生疑心。前賢講消砂的説法多到千百种、造化本来難以尽推。我如今作成此の首《喝砂歌》、好話不必多説。

消水入式歌

眞龍落處眾水聚,水聚方為是。昔賢何以水為先,水住穴堪扦。入鄉先須看水口,留心莫亂走。兩山對定似葫喉,眞龍在裡頭。尋龍點穴須仔細,先要看水勢。若是龍住水聚堂,不聚亂茫茫。穴落止時水便聚,不止迢迢去。穴居隱怪卻難扦,細把水來辨。水本原是龍血脈,二者須要得。若見當面去匆匆,便是鬼刦龍。或是隨龍來百里,見穴便停止。後來此處分雌雄,得水喜相同。若是陰陽分路明,下後富家興。東牽西走不灣回,勸君莫輕裁。偏正穴法任君下,兩角中心也。三叉中取更無疑,失一便為非。

真龍落下的地方衆水聚会、水聚了才算是真。前賢為什麼把水放在第一位。因為水停住的地方、穴才可以扞下。進入一郷先要看水口、留心不要乱走。両山相対鎖定如葫蘆的細頸、真龍就在裡頭。尋龍点穴必須仔細、先要看水勢。龍若真在此止住、水便聚在明堂。龍不止住、水就散乱茫茫。穴落而龍止時水便聚攏、龍不止水就迢迢流去。穴若蔵得隠僻奇怪、就難以扞下、要細細凭水来分辨。水本来就是龍的血脈、龍与水両様都要得着。若見水当面匆匆流去、那就是被鬼劫奪了気的龍。有的水随龍走了上百裡、見到穴便停住。到此の裡再分辨雌雄陰陽、能得水而両相配合最可喜。若陰陽分路分得明白、葬下之后富家興旺。若水東牽西走一路不肯弯回、勸你不要軽易裁穴。穴要立偏還是立正随你去下、也可下在両角的中心。従三叉水的正中去取更無可疑、少了一叉便不対了。

辨水分格歌

天機水分富貴賤,上中下格辨。富貴的在三格中,賤是下格逢。灣環曲折皆為貴,賤是直流去。洋潮濟濟蕩胸臨,富盛斗量金。汪汪萬頃無涯際,財帛來無數。蕩流直去無關闌,穴吉也徒閒。面前峻急明堂遠,只要有城轉。莫因此樣有疑心,龍居始為眞。若是堂傾無聚處,有穴終須棄。龍眞穴正出天然,切記好安扦。前面若逢捲簾水,定主填房子。直去百步不回頭,此是退田牛。

天機把水也分成富・貴・賤三等、用上・中・下三格来辨別。富与貴都落在三格之中、賤的只在下格才遇到。水湾環曲折的都為貴、直流而去的就是賤。大片潮水浩浩蕩蕩涌到胸前、主富盛、金子可以斗量。水面汪汪万頃・一望無辺、主財帛来得無数。若水荡漾直去而没有関攔、穴雖吉也白搭。若穴前的水陡急・明堂又遠、只要外面有羅城回転、也無妨、不要因為此の個様子就起疑心、龍在此の裡居住才是真的。若明堂傾瀉・水無聚処、縦有穴也終須捨棄。龍真穴正出於天然、切記要好好扞定。前面若遇上巻帘水、必定主子孫給人続弦填房。水直去一百歩不回頭、此の叫「退田牛」。

辨水須把龍為主,貴賤龍中取。貴水若還遇貴龍,下後出三公。龍賤水貴反不吉,決定破家室。水賤龍貴不為全,禍福兩相兼。水賤龍賤不足取,絕人荒基推。水中有殺最難醫,在人細詳推。仔細消詳煞八樣,刑剋沖破狀。更兼穿割實為凶,箭射總皆同。形是土穴得土水,鰥寡孤獨鬼。沖是洋潮勢太雄,穴小最為凶。克是陽脈得陰水,初下退田地。破是眾水穿羅城,妻妬女兒淫。穿是一水穿堂過,連綿非橫禍。割是穴前扣腳流,欠債不知休。箭是面前來向穴,口舌頻頻見。射是一尖向穴沖,凶禍歲歲逢。眞龍若與砂水對,禍福緣相配。天造地設一定規,凶吉難再移。

辨水必須以龍為主、水的貴賤要従要従龍上去取。貴水若又遇貴龍、葬下之后出三公一級的大官。龍賤而水貴、反而不吉、決定要破敗家室。水賤而龍貴也不算完全、禍与福両様摻雑。水賤龍也賤就不値得取、只能断作絶人的荒基。水中蔵煞最難医治、全靠人細細推詳。仔細消詳、水煞有八様。刑・克・沖・破、再加上穿・割、実在為凶、箭与射也是一様。「形」是土性的穴却得着土性的水、主鰥寡孤独之鬼。「沖」是大潮水勢太雄、穴又小、最凶。「克」是陽脈却得着陰水、剛葬下就退田産。「破」是衆水穿過羅城、主妻子妒忌・女児淫乱。「穿」是一道水従明堂中穿過、主連綿不断的非常之禍。「割」是穴前貼着脚下流過、主欠債没個了結。「箭」是水従面前直向穴来、主口舌頻頻。「射」是一道尖水沖着穴、主年年遭凶禍。真龍若与砂水彼此相配、禍福也就随着相配而来。此の是天造地設的一定規矩、吉凶難以再移改。

九星正変水形歌

水形須用五星狀,一體分九樣。蝸螺本是太陽星,分形有十名。太陰原來玉帶勢,金水仰面是。天財凹腦是橫財,雙腦榮華來。重重玉帶御街是,天罡文武體。孤曜星辰最為高,燥火插尖刀。銀帶眞形掃蕩樣,九變宜推想。第一元分聚面名,闊大最多情。第二本是蕩胸水,切要莫欺主。第三拱抱迭兩重,前後一般同。第四反身向外去,還要回頭顧。第五抱臂左右回,須是曲折來。

水的形状也要用五星的様式去看、同一星体又分出九様。「蝸螺」形本属太陽星、細分耒有十個名目。「太陰」原是玉帯的形勢。「金水」是仰面之形。「天財」中凹脳的主横財、双脳的主栄華。一重重的玉帯就是「御街」。「天罡」是文武之体。「孤曜」此の一星最為高聳。「燥火」像挿着一把尖刀。「銀帯」的真形就是「掃蕩」的様子。此の九种変化応当細加推想。第一様叫「聚面」、水面開闊広大、対穴最為有情。第二様是「蕩胸」水、切要它不欺圧主山。第三様是「拱抱」、前後各畳両重、情形一様。第四様是「反身」、水向外流去、還要它回頭顧盼才好。第五様是「抱臂」、水従左右回環、必須曲曲折折而来。

第六射腦有長短,平正方為上。第七原名是裹頭,汪汪向面朝。第八牽鼻向前去,尤要橫攔住。第九割腳不須疑,四畔無牽枝。形有闊狹有短長,請君仔細詳。八十一變立成形,要人心自明。更看水出在何位,此命人富貴。龍格砂形共詳論,應驗不差分。若遇知音傳與彼,對天各立誓。相傳莫與負心人,傳之禍及身。

第六様叫「射脳」、水射耒有長有短、以平正的為上。第七様原名「裹頭」、水汪汪地対面朝来。第八様是「牽鼻」、水向前牽引而去、尤其需要有砂横着攔住。第九様是「割脚」、此の不必疑惑、四周没有牽連的枝脚可倚。水形有闊有狭・有短有長、請你仔細詳辨。九星九変共成八十一形、全靠人心裡自己明白。還要看水従哪一方位流出、属那個方位之命的人便主富貴。再把龍格与砂形一併詳論、応験起来分毫不差。若遇上真正懂行的知音才可伝給他、還要各自対天立誓。切莫伝給負心之人、伝給了他、禍会連累到自己身上。

明堂入式歌

尋得眞龍與正穴,須把明堂別。明堂氣聚始為奇,不聚即非宜。凡是穴前坦夷處,便是明堂位。大抵明堂原有三,取用必相參。小明堂在圓暈下,立穴辨眞假。龍虎裡是中明堂,交會要消詳。大明堂在案山內,必須四水會。小明堂具作法篇,入式不重宣。中堂不必論形體,妙在雌雄喜。大堂水口要關闌,眞氣聚其間。關闌若譬為鈕鎻,鉤鐮亦其類。或是山腳與田壟,鎻結喜重重。更有橫龍來作穴,背後要堂塞。亦要把作三堂看,禍福一般般。

尋得真龍与正穴之后、還須分辨明堂。明堂要生気聚攏才算奇特、不聚就不合宜。凡穴前平坦之処、就是明堂的位置。大体上明堂原分三种、取用時必須彼此参看。「小明堂」在円暈之下、立穴的真仮就靠它来辨。龍虎砂以内是「中明堂」、水在此の裡交会、要仔細斟酌。「大明堂」在案山以内、必須四面之水都来交会。小明堂的用法在《作法篇》裡已備、此の裡不再重説。中明堂不必去論它的形体、妙処在于雌雄相配・彼此歓喜。大明堂的水口要有関攔、真気才聚在其間。関攔好比門上的紐鎖、鉤・鎌一類的砂形也属此の一類。或者是山脚、或者是田壟、只要能鎖結、越重畳越好。此外還有横龍作穴的、背後要有堂気填塞。此の三処也都要当作三堂来看、応験禍福是一様的。

明堂本是王者制,朝會皆於是。明堂光明照萬方,寬闊始為良。好砂好水常聚面,種種皆可見。若還逼窄豈能容,坐井面牆同。寬闊生人亦軒豁,聰明更特達。逼窄生人必蠢頑,猥瑣更貪慳。古云堂寬容萬馬,亦忌曠而野。外闌若在渺茫間,雖闊也如閒。萬山取寬為正法,平洋還要狹。萬山若狹平洋寬,此格不須看。前賢於此分公位,左長中居二。右邊原是第三房,此理最優長。水居左位長位起,聚中諸子富。若居右位小公興,經前要分明。

「明堂」本来是帝王的建制、君臣朝会都在那里挙行。明堂要光明能照見四方、寛闊才算好。好砂好水常常匯聚在堂面、种种形状都能看見。若逼仄狭窄、哪里容得下。那就跟坐在井裡・臉対着墻一様。堂局寛闊、生出的人也軒昂開朗、聰明而出衆。堂局逼窄、生出的人必定愚鈍頑劣、猥瑣而且貪吝。古人説明堂寛得能容万馬、但也忌諱空曠得像野地。若外層的関攔遠在渺茫之処、堂雖寛闊也等于没有。在群山之中以取寛為正法、在平洋反而要略窄。群山之中若太窄・平洋之地若太寛、此の種格局就不必看了。前賢在明堂上分公位。左辺応長房、中間応第二房、右辺原本応第三房、此の個道理最為可靠。水居左辺、長房先発。水聚中間、諸子都富。水居右辺、小房興旺。此の一条要照前面所講的分明辨認。

龍眞穴正堂氣聚,富貴原非細。龍穴明堂俱各凶,永世不興隆。龍穴若凶堂氣好,二紀還溫飽。龍穴若好明堂凶,初下便貧窮。一紀之餘堂氣邁,發福依還大。仙蹤如此至為多,貧士卻登科。我今著此名入式,句句無差忒。若能熟讀悟玄微,後代仰明師。

龍真・穴正・堂気又聚、富貴原本不小。龍・穴・明堂三様都凶、永世不会興隆。龍穴雖凶而堂気好的、二十四年内還能温飽。龍穴雖好而明堂凶的、剛葬下便貧窮。等過了十二年、堂気漸漸転过来、発福依旧很大。前代仙師所点的此の類地極多、貧寒之士後耒照様登科。我如今写成此の篇、取名《入式》、句句没有差錯。若能熟読而領悟其中玄妙精微、後代人都會敬仰你是一位明師。

明堂辨水歌

明堂本與水城異,浪說原非是。水城須在明堂中,形狀不相同。溪港坑溝正名水,喝形須用此。平洋須看落壟田,無則不須言。無城卻用明堂斷,吉凶皆可判。堂中有殺切須知,山水一同推。堂殺原來凡十二,有一非吉地。射沖崩陷與分傾,瀉勢相同情。更有側斜與逼狹,皆為不合法。

明堂本来与水城是両回事、把它們混為一談原本就不対。水城須在明堂之中、但両者的形状並不相同。渓流・港汊・坑窪・水溝才正式叫作「水」、喝定水形要用此の些。在平洋之地要看水落在壟田何処、若没有水就不必談。没有水城時就用明堂来判断、吉凶一様可以断定。明堂之中也有煞気、切須知暁、山与水要一同推求。堂煞原本共有十二种、只要犯上一様就不是吉地。此の十二煞是。射・沖・崩・陥、与分・傾、還有瀉、情形与傾相類。再有側・斜以及逼・狭、都是不合法度的。

射是山腳入堂來,遠配不聞回。沖是橫山過堂內,官司常見害。崩是山摧與岸頹,入眼作凶災。缺是四圍有不足,賊風消已福。陷是堂中多窟坑,羅賴此中生。分是水趨左右去,貨財原不聚。傾是水返當面流,下後退田牛。瀉是一級低一級,衣食常不給。側是斜來向一邊,妻子不團圓。斜是欹從穴前過,歲歲長生禍。逼是前砂來塞堂,代代蠢兒郎。狹是左右相挨桚,貧窮難過活。

「射」是山脚直挿進明堂、主人被遠遠発配、一去不聞回還。「沖」是横出的山穿過堂内、主常受官司之害。「崩」是山体崩塌・岸辺坍圮、一入眼便是凶災。「缺」是四囲有缺口不周全、賊風吹進来会消掉已有的福。「陥」是堂中多有窟竜坑窪、主出無頼訟棍。「分」是水分向左右流去、貨財原本聚不住。「傾」是水返転当面流走、葬下之后田産退敗。「瀉」是堂面一級低過一級、主衣食常常不足。「側」是水斜耒偏向一辺、主妻子不能団円。「斜」是水歪斜着従穴前過、主年年生出禍事。「逼」是前面的砂逼耒塞住明堂、主代代出愚蠢子弟。「狭」是左右両辺相挨相夾、主貧窮難以過活。

明堂犯煞禍尤緊,眞同谷聲應。四平堂若如蛛網,最是人丁旺。高下層層號御街,惟喜入胸懷。中低旁起如鍋底,家中足錢米。屈曲田塍似馬蹄,富貴復何疑?略舉堂形宜觸類,意會無執泥。心機巧處合天機,此語妙玄微。堂局若吉要潔淨,有物皆為病。時人多自妄安排,於內起亭臺。栽花砌路供遊賞,禍生如反掌。時師放水更求研,穿鑿損天然。廖公養老明堂訣,精詳無欠缺。相傳須是得端人,護持有鬼神。

明堂犯了煞、応禍尤其緊迫、真像在山谷裡発声立刻有回響。四面平整的明堂、田塍如蛛网一般縦横、最主人丁興旺。堂面一級級高下相接叫作「御街」、只喜它朝入懐抱。中間低・四旁高起像鍋底一様的、家中銭糧充足。田埂屈曲得像馬蹄形的、富貴還有什麼可疑。此の裡只略挙幾种堂形、応当触類旁通、用心意去領会、不要死執。心思霊巧之処正合天機、此の話極為玄妙精微。堂局即使吉利、也要保持潔浄、堂中有雑物都是病。当今的人多喜歓自作主張地安排、在堂内建起亭台、栽花鋪路供人游賞、招禍易如反掌。術士放水時更要講究、胡乱穿鑿会損壊天然形勢。廖公有一套《養老明堂訣》、精細詳備毫無欠缺、相伝必須遇到品行端正的人才可以給、鬼神都在暗中護持它。

洞明卦例入式歌

包羲仰觀並俯察,八卦因茲畫。古傳地音合天星,來厯甚分明。地形須把方位別,南離北坎列。震在東方兌在西,幹居西北維。西南為坤東北艮,東南元居巽。此法由來出後天,對待本天然。天星易識惟北斗,貪狼實居首。第二巨門三祿存,文曲四為尊。第五廉貞六武曲,七是破軍宿。第八輔星號洞明,以物作權柄。先聖以星占方位,斯名為卦例。吉凶禍福此中生,隱秘多立名。

伏羲上観天文・下察地理、八卦因此画成。古時相伝地上的音律要与天上的星象相合、来暦十分分明。看地形必須先分方位。南方是離、北方是坎。震在東方、兌在西方。乾居西北一維。西南是坤、東北是艮。東南本来就是巽位。此の套方位之法出自後天八卦、両両相対本是天然。天上的星辰之中最容易辨認的是北斗、其中貪狼実居第一、第二是巨門、第三是禄存、第四以文曲為尊、第五廉貞、第六武曲、第七是破軍、第八顆輔星号称「洞明」、以斗柄所指之物為権柄。先代聖人用星来占方位、此の就叫作「卦例」。吉凶禍福都従此の裡産生、其中隠秘之処又多立了許多名目。

天地卦為諸卦祖,八變從茲數。一為生氣二天醫,三從絕體居。四為游魂五鬼是,福德六中起。七名絕命八本宮,卦例奪神功。生氣天醫專放水,依法斯為美。五鬼福德向中推,其餘坐穴宜。天父地母前賢用,效應其中有。惟有輔星最玄玄,用此卦為先。勝金卦本天機術,開門放水吉。青囊斗杓與開星,形吉用無效。宗廟五行可參作,專用還成錯。原骨定峽可消詳,察脈出何方。立字安向與占水,收山皆卦取。名是是法廖公傳,會得是神仙。形勢為先次方位,偏廢皆非是。不明卦例去安墳,誤盡世間人。

天地卦是各卦的祖、八种変卦都従此の裡数起。第一是「生気」、第二是「天医」、第三是「絶体」、第四是「游魂」、第五是「五鬼」、第六起「福徳」、第七叫「絶命」、第八是「本宮」。卦例能奪造化之功。生気・天医両卦専門用来放水、依法而行才美。五鬼・福徳両卦従向上去推、其余各卦宜用在坐山上。「天父地母」是前賢所用、其中確有効験。只有「輔星」一法最為玄妙、用卦当以它為先。「勝金卦」本是天機之術、用来開門放水為吉。至于「青嚢」「斗杓」「開星」諸法、形勢雖吉、用起来却不見効。「宗廟五行」可以参用、専用它就会出錯。推原龍骨・判定過峡可以細加斟酌、察看来脈出在哪一方。立字定向以及占水・収山、都従卦上去取。此の套方法是廖公所伝、領会得了就是神仙。総之以形勢為先・方位為次、偏廃哪一辺都不対。不明卦例就去安葬、会誤尽世上的人。

上洞明卦例,條緒甚繁,不必盡泥。惟天輔卦與天星淨陰陽相符,用以審脈、乘氣、立向、放水,不可廢者。餘皆衍文矣。下此又有排山星卦、雁交鵝卦、天龍卦、鉗龍卦、祿馬卦、挨星卦等,皆無理致,不足信也。

以上《洞明卦例》所列、条目頭緒很繁雑、不必様様拘泥。其中只有「天輔卦」与天星的浄陰浄陽之説相符、用来審察来脈・乗接生気・立定向首・安排放水、是不可廃棄的。其余都是多余的敷衍文字。比此の更等而下之的、還有排山星卦・雁交鵝卦・天龍卦・鉗龍卦・禄馬卦・挨星卦等等、都没有道理可講、不値得相信。

建都入式歌

四用建都為第一,天機原有術。帝都必要合星垣,紫微在中天。其次太微與天市,皆有帝座位。好向星垣認正形,仔細討分明。紫微西藩星有七,東藩八星出。華蓋扛星在後門,天床前面陳。中央一水直朝入,抱城九回屈。萬山簇擁盡朝迎,拱極不虛稱。

地理的四种用途之中、建立国都排在第一、天機之学原有専門的方法。帝都必须合於天上的星垣、紫微垣居於中天最尊。其次是太微垣与天市垣、三垣之中都有帝座之位。要好好対着星垣去辨認它在地上的正形、仔細討究分明。紫微垣的西藩有七顆星、東藩出八顆星。華蓋与扛星在後門之位、天床陳列在前面。地上与之相応的、是中央有一道水直朝而入、環抱都城曲折九転。万山簇拥、一斉来朝、「衆星拱極」此の句話在此の裡不是虚説。

太微垣局最方正,左右執法並。西藩上將次將先,次相上相連。東藩上相及次相,上將與次將。兩藩九門分十星,一水遶城橫。天市垣星二十二,各參國與地。國地中間有四門,東西南北分。眾水分流來此聚,大河在中注。帝座居北市樓南,垣局總為三。外有天苑星十六,天園十三宿。天苑大水還三邊,曲抱是天園。天市太微少全局,惟有紫微足。天下山川合者稀,過眼復昏迷。垣中多是太陽落,五吉相參錯。四凶佈列在兩旁,濟濟儼朝王。

太微垣的局最為方正、左右執法二星並列。西藩先是上将・次将、接着是次相・上相。東藩是上相与次相、再是上将与次将。両藩共九門分列十星、地上則有一道水横繞都城。天市垣共二十二顆星、各自参配着諸国与諸地。諸国諸地之間有四座門、分列東西南北。地上則是衆水分流匯聚到此の裡、大河在中間灌注。帝座居於北面、市楼在南面。三垣的局総共就是此の三种。此外還有天苑十六星・天園十三宿。天苑之象是大水繞着三辺、曲抱之形便是天園。天市・太微二垣少有完整之局、只有紫微垣最為完足。天下山川能与之相合的很少、看過之后往往仍是茫然。垣局之中多半是太陽星落穴、五吉星彼此参差错雑、四凶星分布在両旁、済済一堂、儼然朝拜君王。

畧舉中華舊都邑,與君為法式。要識星垣試往觀,便見有多般。大江以南天目峙,海門似天市。建康形勢洛陽同,王氣古云鍾。大江以北為川蜀,無垣休著目。更有江陵楚兩都,從來只霸圖。大河以南最奇特,自古多王國。關中原是天苑星,洛邑紫官形。大河以北堯都冀,宛然是紫氣。河中河曲與燕山,皆在天市間。盛衰長短固大數,星垣必有故。當面如無朝揖山,混一最為難。從來建都置宮殿,處處皆南面。背陰向陽理合然,要尋地勢扦。來龍最忌妄穿鑿,旺氣必消鑠。垣中最忌妄增高,災禍必難逃。

略挙中華歴代的旧都邑、給你作個法式。要認識星垣、不妨親自去看、便知其中有許多种類。長江以南有天目山峙立、海門一帯形似天市垣。建康的形勢与洛陽相同、古人説王気鍾聚在那里。長江以北是川蜀、那里没有垣局、不必着眼。還有江陵和楚国的両処都城、歴来只成就覇業。黄河以南最為奇特、自古多出王者之国。関中原本是天苑星之象、洛邑是紫微宮之形。黄河以北、堯的都城在冀州、宛然是紫気之象。河中・河曲与燕山一帯、都属天市垣的範囲。国運的盛衰長短固然出於天数、但星垣的好壊必定是其中的緣故。都城当面若没有朝拜作揖之山、要統一天下最難。歴来建都造宮殿、処処都是坐北朝南。背陰而向陽、道理本该如此、還要尋好地勢才能扞定。都城的来龍最忌胡乱開鑿、旺気必被消損。垣局之中也最忌随意増高、災禍必定難逃。

閣門輦道莫輕易,依卦分方位。都城形必合天星,喝象要分明。城門十字木星定,數目與形稱。唯有砂形最喜全,羅列與人看。龍樓寳殿聳後起,鳳闕常前峙。御屏負扆貴重重,華蓋正當中。寶座巍峨橫玉幾,御案陳玉璽。金爐御傘次第排,中心現御街。鳳輦龍車橫左右,旌旗擁前後。粉黛三千出六宮,煙花八百同。若有時見莫輕說,留與鎮皇家。此歌不與亂流傳,深藏向洞天。

宮閣的門戸与輦車所行的御道都不可随意安排、要依卦分定方位。都城的形勢必須合於天上的星象、喝定物象要分明。城門用十字木星来定、門的数目要与形勢相称。至于砂形、最喜歓它斉全、一一羅列在人眼前。龍楼宝殿在後面高聳而起、鳳闕常在前面峙立。御屏如天子背後的屏風、重重貴重。華蓋正当中央。宝座巍峨、前面横着玉几。御案上陳設着玉璽。金炉・御傘依次排列、中心現出御街。鳳輦龍車横列左右、旌旗簇拥前後。三千粉黛出自六宮、八百烟花也是一様。此の些形象若偶尔見到、不要軽易説出去、留着它鎮護皇家。此の首歌不許乱伝、要深深蔵在洞天之中。

郡邑入式歌

地理莫先建都國,已見前篇說。其次遷州立縣衙,有術用無差。川流山峙成界限,請君高著眼。不比尋常宅與墳,一覽見星辰。幹龍住處分遠近,千里為大郡。二三百里可為州,過此即封侯。百里只堪為縣治,下此為鎮市。龍住之時要垣夷,首貴向南離。朝對有情左右抱,流水更隨繞。官長無虞民庶安,境內免飢寒。

地理之用没有比建立国都更重大的、前一篇已経講過。其次就是遷移州治・設立県衙、只要方法得当、用起来不会有差錯。河流与山峰構成界限、請你把眼界放高来看。此の不比尋常的住宅与墳墓、一眼就能望見星辰。干龍止住的地方要分遠近。来龍千裡的可作大郡、二三百裡的可作州治、超過此の個数的可出封侯之家。只有百裡的僅堪作県治、比此の更短的就是鎮市。龍止住之処要垣局平坦、首先貴在朝南面離。朝対之山有情、左右環抱、流水又随之環繞。此の様、做官的没有憂患、百姓安居、境内免於飢寒。

要識此方多出貴,後龍連秀氣。要識此方多出文,筆硯眼中陳。要識此方多出武,屯軍堆甲露。要識此方多出商,車舟現外洋。要識此方多出富,水口山來就。問君何以多出貧,龍上瘦嶙峋。問君何以多出賊,龍上頭欹側。問君何以多出僧,孤曜在前橫。問君何以招瘟火,燥火向離坐。問君何以見刀兵,天罡石崚嶒。五吉星辰來出面,富貴依經斷。四凶若見實難扦,扦後禍綿綿。曜中不怕山來射,射著天恩下。面前不怕水來沖,沖著財貨豐。忽然水口洲灘出,士薦官遷秩。若還水打破羅星,官敗舉無名。

要知道一地為何多出貴人。因為後龍連綿而有秀気。要知道為何多出文士。因為眼前陳列着筆架硯台一類的山形。要知道為何多出武将。因為有屯軍堆甲之形顕露。要知道為何多出商賈。因為外洋有車馬舟船之象。要知道為何多出富戸。因為水口有山来就勢関攔。問你為何多出貧窮。因為龍身痩削嶙峋。問你為何多出盗贼。因為龍頭欹斜偏側。問你為何多出僧人。因為孤曜星横在前面。問你為何招来瘟疫与火災。因為燥火星坐在離方。問你為何常見刀兵。因為天罡星帯着嶙峋怪石。五吉星辰出面朝来、富貴可依経書断定。四凶星若出現、実在難以扞穴、扞下之后禍患綿綿。在曜気之位不怕山来射、射着反而有天恩降下。面前也不怕水来沖、沖着反而財貨豊盈。水口忽然涌出洲渚沙灘、主士子被薦挙・官員得陞遷。若水沖破了羅星、則主官運敗落・科挙無名。

要知遷後有更革,龍來無遠跡。要知見禍是何年,砂上究精玄。築城亦要合星象,開門遵卦向。十字木星用最靈,餘卦盡難憑。開池穿井多有忌,消詳莫輕易。建臺立塔本相宜,天柱鎭坤維。後龍過脈忌穿鑿,居民必蕭索。前砂當面忌崩傾,官長有分爭。其餘節目全局備,一理元無二。龍穴砂水與明堂,專部在青囊。世傳郭璞軍州記,此本原來偽。更有楊公府尹鈐,多被後人添。曾楊一記洪吉郡,專遵六秀論。土壤原來有實虛,稱量見古書。累朝郡邑多廢置,此訣君須記。有時要用便推行,千載可傳名。

要知道遷治之后会不会再有変革、就看来龍有没有長遠的踪跡。要知道禍事応在哪一年、就在砂上去研究其中精微。築城也要合於星象、開城門要遵照卦向。用十字木星来定最為霊験、其余卦法都難凭信。開挖池塘・穿鑿水井多有忌諱、要斟酌清楚、不可軽易動手。建台立塔本来相宜、可作天柱鎮住坤維一方。後龍的過脈最忌穿鑿、一鑿居民必定蕭条冷落。前砂当面最忌崩塌傾頹、一崩官長之間就起紛争。其余的節目在全局歌裡都有、道理原本只有一個。龍・穴・砂・水与明堂、各有専部載在《青嚢》之中。世上流伝的郭璞《軍州記》、此の個本子原来是偽作。還有楊公的《府尹鈐》、也多半被後人添改過。曾文辿・楊筠松合記的洪州吉州両郡之法、専門遵照「六秀」立論。土壤原本有虚有実、称量之法見於古書。歴朝的郡県多有廃置更迭、此の套訣竅你須記住、有時要用便可推行、千年之后仍可伝名。

立宅入式歌

居民立宅最為先,宅吉福綿延。古稱墳宅理無異,還須分氣勢。安墳死骨埋土中,乘氣子孫隆。立宅生人居地上,乘氣財丁旺。所以橫岡亦可居,只要勢來趨。市井鄉都原有二,龍住方成市。市居必要傍街衢,向首理難拘。鄉居必要龍神落,向首隨龍作。市居地氣有推遷,世代豈能延?鄉居龍脈若來遠,世代常平穩。

百姓営建住宅是頭一件大事、宅吉則福沢綿長。古人説墳与宅道理相同、但還須分辨両者的気勢。安墳是把死者的骨骸埋在土中、乗得生気則子孫興隆。立宅是活人住在地面之上、乗得生気則財旺丁旺。所以横岡之上也可以居住、只要山勢朝此の裡奔趨而来。居址原分市鎮与郷村両類。龍止住的地方才能成市。住在市鎮必定要靠着街道、向首就難以拘泥。住在郷間必定要有龍神落脈、向首就随着龍勢来定。市鎮的地気有推移変遷、世代哪能長久。郷居的龍脈若来得遠、世代就常保平穏。

大凡鄉落看來龍,平原總隆隆。若是高山尋頓伏,升高皆在目。撒落平洋闊最奇,四顧忌傾危。左右高低勢環拱,前迎並後擁。朝山有意宅前橫,一水抱身行。出面星辰逢五吉,此宅為第一。四凶入首實堪憎,扦後絕人丁。朝若斜飛堂陡瀉,立見家衰謝。若還穴小鑿教寬,氣脈便傷殘。橫龍最忌鑿穿脈,家業易消歇。面前水去最難當,定主外州亡。過穴水返亦同忌,才發即陵替。後龍倉庫兩邊排,富家積錢財。忽然文筆左右現,讀書膺舉薦。獻花露襉亂衣形,家內有風聲。

凡郷村的居址都要看来龍、在平原上龍身総是隆隆微起。若是高山、就尋它頓起伏落之処、登高一望都在眼前。撒落到平洋而地面開闊的最為奇特、四顧忌諱有傾側危険之形。左右高低相称・山勢環拱、前有迎山・後有擁衛。朝山有情、横列在宅前、一道水抱着宅身流過。出面的星辰若是五吉星、此の様的宅第為第一等。四凶星入首実在可憎、扞下之后会絶人丁。朝山若斜飛而去・明堂又陡然傾瀉、立刻可見家道衰敗。若因穴小而把它鑿寛、気脈便被傷残。横龍尤其忌諱鑿穿来脈、家業容易消歇。面前的水直去最難承当、必定主人客死外州。水過穴而反背也同様忌諱、才発跡就衰落。後龍両辺排列着倉砂庫砂、主富家積聚銭財。左右忽然現出文筆峰、主読書人受挙薦。若出現「献花」「露襉」此の類衣衫散乱之形、家中会有傷風敗俗的名声。

因甚頻頻遭賊盜?天罡腦傾倒。因甚頻頻見火災?燥火勢崔嵬。因甚頻頻見瘟疫?孤曜帶黃赤。因甚頻頻入訟庭,掃蕩眼中橫。龍如上格砂如下,雖貴無聲價。後龍如弱好前砂,只蔭外甥家。水凶穴吉金盆格,雖壞可從革。水吉穴凶如玉盤,一破永無完。神前佛後最為忌,廢址猶當避。更嫌古獄古戰場,必定有餘殃。啟墳平塜最不可,居人多坎坷。道路衝門亦不宜,常有是和非。流水若還沖屋背,人散家財退。宅邊常有水潺湲,喪禍自連綿。三陽不照名陰極,妖怪多藏匿。蛟潭龍窟莫相鄰,陰盛必孤貧。其餘全局歌中備,此篇言大意。龍穴砂水與明堂,專部好消詳。天機妙訣啟群蒙,石破駕天龍。

為什麼屡屡遭賊盗。因為天罡星的山頭傾倒。為什麼屡屡有火災。因為燥火星形勢高峻。為什麼屡屡鬧瘟疫。因為孤曜星帯着黄赤之色。為什麼屡屡打官司。因為掃蕩星横在眼前。龍是上格而砂是下格、雖貴也没有声価。後龍衰弱而前砂很好、只蔭及外甥家。水凶而穴吉、属「金盆格」、雖有損壊還可以改造。水吉而穴凶、就像玉盤、一破就永遠補不完。神廟之前・仏寺之后最為忌諱、連廃棄的旧址也応当避開。更嫌古時的牢獄与古戦場、必定有余殃。掘開旧墳・剷平旧冢最不可為、住在那里的人多有坎坷。道路直沖大門也不相宜、常招是非。流水若沖着屋背、人口離散・家財退敗。宅辺常有潺潺水声、単事禍事自然連綿。早中晩三時陽光都照不到叫「陰極」、妖怪多蔵匿其中。蛟龍盤踞的深潭洞窟不可比隣而居、陰気太盛必致孤苦貧寒。其余的内容《全局歌》中都有、此の一篇只講大意。龍・穴・砂・水与明堂、各有専部好好斟酌。此の天機妙訣能開啓衆人的蒙昧、如同石破天惊・駕龍上天。

安墳入式歌

安墳地內尋生氣,此法非容易。景純有見列為書,惟恐葬乘虛。氣在地中何以辨?只相星辰面。必須得水與藏風,穴內氣沖融。第一莫下去水地,立見退家計。第二休尋劍脊龍,殺師在其中。第三最忌凹風穴,鐵定人丁絕。第四尤嫌無案山,衣食必艱難。第五生怕明堂跌,決是破家業。第六偏憎龍虎飛,人口主分離。更有童斷石過獨,生凶消己福。縱繞有穴出天然,奉勸莫安扦。

安葬墳墓要在地下尋找生気、此の法子並不容易。郭璞対此有見地、写成《葬書》、唯恐人們葬到虚気之処。生気蔵在地中、凭什麼分辨。只能看星辰的山面。必須得水又能蔵風、穴内的気才沖和融結。第一不要葬在水直去的地方、立刻就見家業退敗。第二不要尋剣脊一様的龍、殺師之禍就在其中。第三最忌四面凹風吹的穴、鉄定要絶人丁。第四尤其嫌没有案山、衣食必定艱難。第五生怕明堂陡跌、那必定破敗家業。第六偏偏憎悪龍虎砂飛散、主家口分離。此外還有童山・断山・石山・過山・独山、会生出凶禍・消掉自家的福。此の些地方縦然有天然生成的穴、也奉勸你不要葬。

廖公尋穴有眞訣,擔夫皆識得。箇中書語本無多,只消入式歌。凡入鄉都看倒落,後龍貴踴躍。一山出面合星辰,有應便為眞。明堂氣聚左右抱,送從一齊到。便須著眼用精神,點穴救人貧。平地星辰同一體,高低即山水。若能認脈葬其顛,最是福綿延。穴星變化宜推測,前賢立定格。星中太極最玄微,於焉生兩儀。陰陽須把肥瘦別,龍穴要相得。儀中饒減始堪裁,先到必當挨。若是動時分四象,脈息窟突狀。脈是有脊暈中生,息是再成形。窟是有窩在平面,突是泡形見。陽龍息突忌相逢,陰龍脈窟凶。

廖公尋穴有真訣、連挑担的脚夫都能懂。其中的文字本来不多、只要一篇《入式歌》就够了。凡進入一郷、先看龍的倒落之処、後龍貴在踊躍有勢。有一座山出面合於星辰之形、前面又有相応之山、此の就是真的。明堂之気聚攏、左右環抱、送山従山一斉到位、此の時就要着眼・用足精神去点穴、可以救人於貧困。平地的星辰与山地是一个道理、地面的高低就相当于山与水。若能認出脈来葬在它的頂上、最是福沢綿長。穴星的変化応当推測、前賢已立下定格。星中的「太極」最為玄妙精微、従此の裡生出「両儀」。陰陽要凭山形的肥痩来分別、龍与穴必須彼此相配。両儀之中有饒有減、才好裁定。気先到的一辺必定要挨過去。若気動起来便分成「四象」、即脈・息・窟・突四种形状。「脈」是有脊線従暈中生出。「息」是脊気再度成形隆起。「窟」是平面上有一個窩。「突」是現出泡状的凸起。陽龍忌諱遇上息・突、陰龍遇上脈・窟為凶。

脈象開井分四樣,蓋粘並倚撞。脈緩用蓋急用粘,直尚倚撞尖息象。開井有四類,斬絕並吊墜。息短用斬長截當,高吊低墜藏窟象。開井有四訣,正求與架折。窟狹用正闊用球,深架淺折收突象。開井有四法,挨並與斜插。突單用挨雙並中,正斜偏插同。又分八卦定來脈,向首宜審擇。開塋只在圓暈中,鋤出便傷龍。尺寸請依天卦取,五吉斯為美。並中須與暈相當,深淺玉尺量。更求五吉分尺寸,公位此中論。

属「脈」象的、開金井分四様。蓋・粘・倚・撞。脈勢緩的用「蓋」、急的用「粘」、直来的宜「倚」、尖沖的宜「撞」。属「息」象的、開金井有四類。斬・絶・吊・墜。息短的用「斬」、長的用「絶」正好截断、高的用「吊」、低的用「墜」把気蔵住。属「窟」象的、開金井有四訣。正・求・架・折。窟窄的用「正」、寛的用「求」、深的用「架」、浅的用「折」把気収住。属「突」象的、開金井有四法。挨・並・斜・挿。単個的突用「挨」、双突用「並」取中、正的与斜的則用「偏挿」、道理相同。此外還要分八卦来判定来脈、向首応当審慎選択。開挖墳塋只能在円暈之中、鋤出暈外便傷了龍。尺寸請依天卦来取、得五吉星才算美。金井当中必須与円暈相当、深浅用玉尺量准。再按五吉星分定尺寸、公位的分派也在此の裡論定。

作堆形狀分五星,法度自分明。穴前放水用眞訣,取路須曲折。是名作法有專門,於此畧敷陳。法當精詳見全局,請君先著目。龍格砂形與水城,分部極分明。時師不識星辰面,只把羅經轉。羅經只定向何方,須用卦消詳。古人得地由陰德,自然非勢力。孫鍾 孝感因詙瓜,源墓變凸窪。滕公石刻佳城句,陶侃牛眠處。吉地從來待吉人,護持有鬼神。若是惡人與善地,禍福皆反戾。圖埋舊穴最為凶,造物豈相容!

堆築墳堆的形状按五星来分、法度自然分明。穴前放水另有真訣、取水路必須曲折。此の些統称「作法」、另有専門章節、此の裡只略作陳説。作法応当精細詳備、先見全局、請你先着眼在此の上頭。龍格・砂形与水城、分部講得極分明。当今的術士認不出星辰的面貌、只知道転動羅盤。羅盤只能定出朝哪個方向、還須用卦去斟酌。古人得地是由於陰徳、自然不是靠勢力。孫鍾因孝応而種瓜得報——此の処底本有脱文、「孫鍾」下缺一字——他家祖墳的地形由凸変窪。滕公夏侯嬰掘得石刻上有「佳城」之句。陶侃得地於牛眠之処。吉地歴来是等待吉人的、有鬼神在暗中護持。若把好地給了悪人、禍福就都反过来了。図謀占埋別人的旧穴最為凶険、造物哪里容得下。

作法秘旨歌

龍穴砂水與堂氣,生成自天地。於中作用本由人,有術驗如神。第一傳與點穴法,仔細去看踏。前後左右要端詳,切記莫慌忙。第二傳與開塋訣,闊狹依師說。若還鋤開太極圖,水蟻便侵棺。第三穿墳要詳悉,淺深須用術。箇中造化極精微,莫許眾人知。第四作堆各有例,不可左右易。五行相剋便為凶,災禍更重重。第五放水宜步位,起卦用天輔。先量坐下後朱雀,陰陽有凶吉。

龍・穴・砂・水与堂気、都是天地自然生成的。在此の中間怎様施為、本来在于人、有法術就霊験如神。第一伝授点穴之法。要仔細去踏勘、前後左右都要端詳清楚、切記不可慌忙。第二伝授開塋之訣。墳壙的寛窄要依師伝、若鋤破了太極暈、水和螞蟻就会侵入棺木。第三穿墳要詳尽周密。深浅必須用法術定、其中的造化極為精微、不許譲衆人知道。第四築墳堆各有定例。左右不可対調、五行若相克便為凶、災禍更加重重。第五放水応当歩量方位。起卦要用「天輔」、先量坐山之下、再量前方朱雀方、陰陽各有凶吉。

第六取路貴迂曲,要合水星局。莫挨白虎避黃泉,犯著禍連連。第七喝形須相像,當把九星相。只論形穴誤人多,星體沒偏頗。第八畫圖要法度,筆筆休教誤。看圖富貴便能知,紙上露玄機。第九課驗宜眞實,仙蹤從此出。莫談怪異使人疑,禍福去詳推。第十傳授休輕洩,德人方可說。仙翁說戒鬼神知,後學請遵依。惟此十傳名秘旨,盡是廖公語。雖然語句不成詩,字字洩天機。

第六取水路貴在迂回曲折。要合於水星的格局、不要挨着白虎方、還要避開黄泉方、犯了就禍事連連。第七喝定形象必須相像。応当用九星来相看、只講形象而不問穴、誤人的很多、用星体去看就不会偏差。第八画図要有法度。一筆一画都不能画錯、看図便知富貴、紙上就能露出玄機。第九断験課応当真実。前代仙師的踪跡就従此の裡顕出、不要談怪異之事譲人生疑、禍福要細細推求。第十伝授不可軽易泄漏。只有有徳之人才可以説、仙翁的告誡鬼神都知道、後学請遵照執行。此の十条伝授題名「秘旨」、全是廖公的話。雖然語句算不上詩、却字字都泄露了天機。

陰契契陽符

陳圖南曰:“易之為書,廣大悉備,體用具周,龜書張其目,馬圖握其綱。而地理之學,推明理氣,此其標準也。蓋理寓於氣,氣囿於形。形以目觀,氣須理察。葬者返氣納骨,以蔭所生之法也。是故龍穴體耳,用又主之。體用相須,方能乘氣。原夫天星卦氣之法,明體致用,以先天卦配合陰陽,後天卦推排爻象。內四卦為天地日月,以六十卦為陰陽節候,於各卦之下,配分花甲,例納五行,取其旺相,以合卦氣,則八九之候,四六之節,起復終坤,卦用一周而歲功成矣。是知天地之大,星辰之遠,事物之微,不能外乎易道也。

陳摶説。《易》此の部書広大而無所不備、体与用都周全。洛書張開了它的条目、河図握住了它的綱領。地理之学推究闡明理与気、就以《易》為標准。因為「理」寄寓在「気」裡、「気」又被「形」所限。形可以用眼睛看、気必須用理去察。所謂葬、就是把気返還・納入骨骸、用来蔭庇所生的子孫。所以龍与穴只是「体」、還要有「用」来主持它、体与用互相依頼、才能乗到生気。至于天星卦気之法、是明「体」而致「用」。用先天卦配合陰陽、用後天卦排布爻象。内四卦代表天・地・日・月、用六十卦対応陰陽的節令気候、在各卦之下配分六十甲子、依例納入五行、取其旺相之気来配合卦気。此の様、八九之候・四六之節、従復卦起・到坤卦終、卦用行満一周、一年的功課就完成了。由此可知、天地之大・星辰之遠・事物之微、都跳不出《易》的道理。

凡龍神行度,幾千萬尋,勢浮沉而形汗漫,行詭怪而氣飄忽。以到頭百尺之山,用裁八尺之穴,乘生氣,注死骨,豈易言哉!故裁穴必須先究來山起祖,某骨某峽,某宿出脈,某宿行度,某星作宗,某星降勢,某龍入穴。由穴至祖,節數若干,節侯若干,有無純駁。山推退運,水察流行。退於後者計以候,流於前者度以步。山運十里,水步千尺,少有瑕疵,悉宜控制。逾於十里、千尺者,求其折候湊合,然後能得其機。合吉則吉,合凶則凶。一吉一凶,美惡相半。

凡龍神的行度動輒千万尋之長、形勢忽浮忽沈、山形漫漶無際、行走詭異、気息飄忽。要在到頭此の百尺之山上、裁出八尺見方的一個穴、乗住生気・灌注到死者的骨骸上、哪里是容易説的事。所以裁穴必須先追究来山従哪里起祖、経過哪一段山骨・哪一処過峡、従哪一宿出脈、按哪一宿行度、哪一星作宗、哪一星降勢、哪一条龍入穴。従穴回数到祖山、共有多少節・合多少節候、気是純正還是駁雑。在山上推它的退運、在水上察它的流行。退在後面的按「候」計算、流在前面的按「歩」丈量。山運以十裡為一段、水歩以千尺為一段、稍有瑕疵、都応設法控制。超過十裡・千尺的、就求它折算節候凑合起来、然后才能得着其中的機竅。合上吉的就吉、合上凶的就凶。一吉一凶相兼、則美悪各占一半。

蓋龍盡則氣鍾,氣鍾則受穴。穴者,用四龍之眞,裁五兆之妙,審性情之趨向,視緩急之形容。形急者穴以緩,形緩者穴以急。明支壟,相朝應,分別逆順,察三方,看十道,避五害,藏八風。龍正者穴以斜,龍斜者穴以正,泉之原委,朝之拱衛,龍其形體,穴其旅寓,裁成輔相山人。故朝流之情,依龍而不依穴。賓主登對,奇耦同情,則向首之干支宜審。格以土圭,精加訂正,相其陰陽,陽生陰成,成須生應,音坐卦向,歲月日時,五行殊異,皆相協合,斯為美利。

大凡龍行到尽頭、気就鍾聚。気鍾聚了、才能受穴。所謂穴、就是取四种龍的真気、裁出五种兆象的妙処、審察山川性情的趨向、観看形勢的緩急。形勢急的、穴就取緩処。形勢緩的、穴就取急処。要辨明支与壟、相看朝山与応山、分別逆与順、察三方之势、看十道之向、避五种害、蔵八方之風。龍来得正的、穴就立得斜。龍来得斜的、穴就立得正。泉水有它的源与委、朝山有它的拱与衛。龍是形体、穴不過是寄寓其中的旅客、全靠人加以裁成輔助。所以朝水的情意是依着龍而不是依着穴。賓与主要相登対、奇数与偶数要同情、那么向首的天干地支就応当審定。用土圭来格量、精加訂正、相看它的陰陽。陽主生・陰主成、成還必須有生来相応。再把音・坐・卦・向以及年月日時、五行各自不同的属性、都調協配合起来、此の才是美好而有利的。

又況穴向分金有一百二十,空於旬者二十四,空於龜甲者二十四,為鬼煞者三十六,其可用者僅得三十六。又須金卦全,故曰“得金不得卦,謾自虛閒話;得卦不得金,枉費用苦心。”金卦兩全,僅十二穴耳。然龜甲之穴,又當有說。若龍合上格,勢勇形強,煞氣太露,宜用龜甲,更涓四殺之日,此轉殺為權之義也。然龍有勢弱而氣強者,穴宜從強;有勢強而氣弱者,穴宜從弱。龍值衰弱者,宜用分金生旺穴;龍值生旺者,宜用分金比和穴;龍值休囚者,宜用分金旺相穴。

何况穴向的「分金」共有一百二十位。落在旬空的二十四位、落在亀甲空亡的二十四位、属鬼煞的三十六位、真正可用的僅剩三十六位。而且還須「金」与「卦」両様斉全、所以説。得了分金而没得着卦、白説一場閑話。得了卦而没得着分金、也是枉費苦心。金与卦両全的、只有十二個穴而已。不過亀甲空亡的穴、另有一番説法。若龍合於上格、気勢勇猛・形体強健、煞気外露太甚、反倒宜用亀甲之位、再選定四殺之日下葬、此の就是転殺気為権柄的意思。再者、龍有形勢弱而気強的、穴就応当随強。有形勢強而気弱的、穴就応当随弱。龍正当衰弱的、宜用生旺的分金立穴。龍正当生旺的、宜用比和的分金立穴。龍正当休囚的、宜用旺相的分金立穴。

逐穴定其分金,得合某卦,值某分野,得其禽肖繫某度數,取某星值垣,某星蓋穴,某星值向,天分某禽某宿,地分某郡某州,某年月日時。去孤虛,即生旺,在歸藏易某年某月,某氣某候,某音某山,坐為某氣;在連山易得天元某白某門,在周易得某宮方,某卦某爻為官星,某爻為人丁,某爻為田宅,某爻為僕馬,某爻為世,某爻為應。卻以葬日支干,憑六神繫某獸類,臨於某爻,某爻旺相,某爻空亡,某爻休囚,某爻比和。稍有虧欠,逐爻飛伏。如年過太乙,月值九宮,日逢八門,時遇奇白,升玄刦備,契合山運,斯為兩全。失之天時,則兩失矣。

要逐穴定出它的分金。看合於哪一卦、値哪一分野、所得的禽星生肖係於哪個度数、取哪一星値垣・哪一星蓋穴・哪一星値向。在天上分属哪一禽・哪一宿、在地上分属哪一郡・哪一州、応在哪年哪月哪日哪時。要去掉孤虚、趨就生旺。在《帰蔵易》上是哪年哪月・哪一気哪一候・哪一音哪一山、坐山属哪一种気。在《連山易》上得天元的哪一白・哪一門。在《周易》上得哪一宮方、哪一卦的哪一爻是官星、哪一爻主人丁、哪一爻主田宅、哪一爻主僕馬、哪一爻為世、哪一爻為応。再用下葬那天的干支、凭六神係於哪一獣類、臨在哪一爻上、哪一爻旺相、哪一爻空亡、哪一爻休囚、哪一爻比和。稍有虧欠、就逐爻推它的飛神伏神。若能年過太乙・月値九宮・日逢八門・時遇奇門紫白、升玄劫数具備、又契合山運、此の才叫両全。若失了天時、那就両頭都落空了。

其折行取氣,依左依右,分受入穴,十字定為潢池,是為堂氣。內氣止生,土龍而注;外氣行形,主向而折。並從中出,右為正龍,氣聚於左,穴以右受。氣從左發,左為正龍,氣凝於右,穴以左乘,氣從右發,此乘氣之樞要也。立穴無尺寸之移,受氣有耳腰之異。至於行注,細微一寸,起音向為例,用天星,如臨流行。五位水火木金土,逆順生克,金井布氣,淺注深行,以乘生氣,洩殺氣,毫釐勿差。更推本命祿馬,循環相生,逐卦推排,隨音消息。

至于折算行度取気、或依左辺或依右辺、分別承受而引入穴中、以十字定出中心的潢池、此の就是堂気。内気到此の止住而生発、随土龍灌注下来。外気随形勢而行、由向首折転过来。若龍脈並従正中而出、以右辺為正龍、気聚在左辺、穴就従右辺受気。若気従左辺発出、就以左辺為正龍、気凝在右辺、穴便従左辺乗接。気従右辺発出的、道理相反。此の是乗気的枢要。立穴不容有一尺一寸的移動、而受気則有従「耳」上受与従「腰」上受的分別。至于気的行与注、細到一寸也要計較、起例以音与向為准、用天星来推、就像水臨流而行一様。水・火・木・金・土五位、有逆有順・有生有克、金井布気時、浅処灌注・深処流行、用来乗生気・泄殺気、毫厘不能差錯。還要推本命的禄与馬、循環相生、逐卦排布、随着音属而斟酌消長。

對天星,用地卦,推長幼命度,避已主撞溝,計分寸吉方,詳將生貴命運,折行注之內。又推其生旺絕墓,控御山川,消禍生福。屏明暗殺神,遠反吟白虎,避左右關煞,察曜星黃泉,審伏吟八殺。夫龍之貴者,取官宿秉權,印綬有氣,催官明星,正馬建祿,正印不閒,懸金魚,臨御階,依玉門,騰雲得經,寶曜得令,歲管文星,時值中節,紫微北顧,少微南瞻,此貴列三公之位。龍之富者,取偏官偏財,拱祿拱馬,財富有勢,如臨向坐,是為富基。若夫中下之局,只取人丁得勢,人命合卦,是為上吉。倘有分等,便從分數擬議。龍穴旁受,亦須金卦兩全也。期間主常權變,惟理是適。

再用天星去対、用地卦去推、算出長房幼房各人的命度、避開自身与主山相沖撞的溝坎、計量分寸之間的吉方、詳細推算将来発貴的命運、都折算在行度灌注之内。又推它的生・旺・絶・墓、据以控制駕馭山川、消解禍事・生出福気。要屏除明殺暗殺之神、遠離反吟与白虎、避開左右的関煞、察看曜星与黄泉、審辨伏吟与八殺。凡龍之貴的、取官宿秉持権柄・印綬之星有気・催官星明亮・正馬与建禄得位・正印不空閑、還有懸金魚・臨御階・依玉門・騰雲得経・宝曜得令・歳管文星・時値中節・紫微在北回顧・少微在南遙望、此の様的貴可位列三公。龍之富的、取偏官偏財・拱禄拱馬・財富之星有勢、若臨在向上或坐上、就是富的根基。至于中下等的局、只取人丁得勢・人的命属与卦相合、就算上吉了。倘若還要分等第、就按分数去擬議。龍穴従旁辺受気的、也必須金与卦両全。此の中間要以常法為主而能通権達変、只求合乎道理。

如陽宅行注折布計度,尺寸同乎一理,無二議也。地畫九宮,計量間架,所立之地,建標為準。如法鑿池,一曲一折,行注受氣。周流九宮,迎吉曜,避凶神。柱棟簷楹,趨避是謹。本音旺位,注而少行;本宮生位,行而勿滯。煞位則啟,囚位則閉。啟閉行注,流通水中,不宜外洩。屋漏之地,多注少行。中溜之地,宜行宜啟。五行順序,陰陽生成,不許繁雜,隨其行度,為氣從穴止。師云:“好龍要帶貴,好砂要得位。好水要來去,好穴要行注。”《天機秘訣》云:“用卦不用卦,卦向穴中作。時師若用卦,用卦還是錯。”正言此也。

至于陽宅的行度・灌注・折算・布置・計量、尺寸上与陰宅是同一个道理、没有第二种説法。把地面画成九宮、計量房屋的間架、在所立之地竪標杆為准。依法開鑿水池、一曲一折都要合於行注受気之法。水要周流九宮、迎接吉曜、避開凶神。柱・棟・檐・楹的位置、趨吉避凶都要謹慎。在本音的旺位、宜多灌注而少流行。在本宮的生位、宜流行而不可停滞。煞位就開啓、囚位就閉塞。開与閉・行与注、都要在水中流通、不宜向外泄漏。屋漏所在之地、宜多注少行。中溜所在之地、宜行也宜開。五行要按順序、陰陽要能生成、不許雑乱。随着它行度的路数、使気随穴而止。師父説。好龍要帯貴気、好砂要得方位、好水要有来有去、好穴要有行有注。《天機秘訣》説。用卦其実是不用卦、卦要従穴中去作。術士若一味用卦、用了卦反而是錯。講的正是此の個意思。

夫葬之用卦者,所以明辨吉凶,預陳休咎,定其山川合閣之機,察其陰陽生克之妙。內秘五行,外周八廓,審理地曜,推測天星,收禽步獸,逐鬼迎神,俾天光下臨,地德上載,氣感而應,鬼福及人。使神不得專其宰,天不能易其命。君子奪神功,改天命,豈虛語哉!《經》曰:“穴吉葬凶,與棄尸同。”且夫形勢麄跡,陵遷谷變,增高益下,安知其為本來面目哉!察氣之理,乘生出煞,消納控制,精義入神。末學無師,何可妄議?故曰“形以目觀,氣須理察。”“揆之以日,相其陰陽。”而土圭有神器之稱,不可忽也。若徒視為繁文,漫不加意,魯莽妄作,誤己誤人,豈不為禍罪之魁乎?

葬事之所以要用卦、是為了明辨吉凶・預先陳説禍福、判定山川開合的機竅、察知陰陽生克的妙処。対内秘蔵五行、対外周備八方。審察地上的曜気、推測天上的星象。収禽星・歩獣形、駆逐凶鬼・迎接吉神、使天光下臨・地徳上載、気感而有応、鬼神之福便及於人。此の様、神明不能独自主宰、上天也不能改変它的定命。君子奪造化之功・改上天之命、難道是空話嗎。《葬書》説。穴雖吉而葬法凶、跟拋棄尸体没有分別。何况形勢只是粗跡、陵谷会変遷、人還会増高填低、哪里知道眼前所見就是它本来的面目。察気的道理、在于乗生気・出殺気、消納控制、精義已入於神妙。学問浅薄又無師承的人、怎麼可以妄加議論。所以説。形用眼睛看、気須用理去察。又説。用日影来測定、相看它的陰陽。土圭因此有「神器」之称、不可軽忽。若只把它看成繁瑣的文字、全不留意、魯莽妄為、既誤自己又誤他人、豈不成了招禍致罪的罪魁。

上廖氏《洩天機》諸《入式歌》,並《陰契陽符》一篇,堪輿諸書無能出其右者,故特輯録,俾人子精詳玩索,形勢、方位各極其趣,而地理之能事畢矣。若夫二家蘊奧,有全盡在,博雅君子自可考也。

以上是廖金精《泄天機》裡的各篇《入式歌》、以及《陰契陽符》一篇。堪輿各家的書没有能超過它們的、所以特意輯録進来、好譲為人子者精細詳審地玩味探索、把形勢与方位両方面的意趣都体会到極処、地理此の門学問的本事也就尽在其中了。至于廖氏与陳氏両家更深的蘊奥、全都保存在原書裡、博学高雅的君子自然可以自行考究。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻六下之四・雑著

論風水要訣

德興山人徐善繼述同著。曰雜著,所以補遺也。論風水要訣。吳草廬先生謂杜待制曰:“世間二事,同歸殊途。修養家之丹法,地理家之葬法,可以一言蔽之曰要逆。”范氏幹曰:“生氣周遍天地,浸灌一身。善攝生者,識生氣之根,凝之於一身;善葬者,識生氣之止聚之於一穴,其竊取生化之機一也。”

本巻由徳興山人徐善繼・徐善述兄弟同撰。称作「雑著」、是用来補前面各巻未尽之処的。先論風水要訣。呉澄先生対杜待制説。世上有両件事、路子不同而帰宿相同、就是修養家的煉丹之法与地理家的下葬之法、可以用一個字来概括、那就是「逆」。范干説。生気周遍天地之間、也浸潤灌注在人的一身。善于養生的人、認得生気的根源、把它凝聚在自己身上。善于下葬的人、認得生気止住的地方、把它聚在一個穴裡。両者窃取造化生化之機的道理是一様的。

予謂天下之事俱要順,惟修養家之丹法,與地理家之葬法要逆。蓋以二者殊事同理,一則煉身中之元氣,歸根復命以延其生;一則乘地中之生氣,返納於骨以蔭所生。故善養生者逆凝夫元氣於一竅之中,猶善葬者逆乘夫生氣於一穴之內耳。”但風水家順逆,要眼界寬方能檢點。蔡牧堂曰:“論順逆者要知山川文勢,點定於數里之外,而後能辨順逆於咫尺微茫之間。否則,黑白混淆,以逆為順,以順為逆者多矣。”故曰“順逆二途,如盲如瞽”。自非灼然有見,鮮不悞也。

我認為天下的事都要順、唯独修養家的丹法与地理家的葬法要逆。因為此の両件事雖不同而道理相同。一個是煉身中的元気、使它帰根復命以延長寿命。一個是乗地中的生気、返還納入骨骸以蔭庇所生的子孫。所以善于養生的人逆着把元気凝聚在一竅之中、正如善于下葬的人逆着把生気乗接在一穴之内。不過風水家講順逆、眼界要寛才検点得出来。蔡元定説。講順逆的人要先懂得山川大势的文理、能在数裡之外就把大局定下来、然后才能在咫尺微茫之間辨出順与逆。否則黑白混淆、把逆当作順・把順当作逆的人就多了。所以説。順与逆此の両条路上、多数人如同瞎子。若不是看得真真切切、很少有不弄錯的。

論顕倒即逆

丹經子書云:“五行顛倒,大地七寶;五行順行,法界火坑。”故神仙家有所謂顛倒之說,乃出世間法耳,即所謂逆也。地理之所謂逆者,蓋無往而不然,不但逆水之龍局已也。如眾大取其小,眾小取其大;眾高取其低,眾低取其高;及眾長取短,眾短取長;硬來下軟,軟來下硬;直則扦曲,曲則扦直;寬處要窄,窄處要寬;橫來直受,直者橫受;石山土穴,土山石穴;雄取其雌,雌取其雄;飢取其飽,飽取其飢;斜則扦正,正則扦斜;坦中取突,突則取窩;圓取其尖,尖取其圓;緩取急處,急取緩處;強來取弱,弱來取強;老處求嫩,嫩處求老;山多處要水,水多處要山;舒曠處要緊夾,緊夾處要舒曠;陰來陽受,陽來陰受;有氣要扦無氣,無龍鬚下有龍;剛取其柔,柔取其剛;浮取其沈,沈取其浮;來者不宜太逼,去者須要回頭;山本靜勢求動處,水本動妙在靜中;龍從左來穴居其右,龍從右來穴居其左。凡此皆所謂逆也,即所謂顛倒之說也。智者察之,思過半矣。

丹経与諸子之書説。五行顕倒过来、大地便是七宝。五行順着走、法界便成火坑。所以神仙家有所謂「顕倒」之説、那是出世間的法門、也就是所説的「逆」。地理上所説的逆、則無処不是如此、並不只限於逆水而結的龍局。譬如。衆山都大就取小的、衆山都小就取大的。衆山都高就取低処、衆山都低就取高処。衆山都長就取短的、衆山都短就取長的。山勢硬来就下軟処、軟来就下硬処。脈直就扞在曲処、脈曲就扞在直処。地面寛的要取窄処、窄的要取寛処。脈横来就直受、直来就横受。石山之中取土穴、土山之中取石穴。雄壮之中取雌柔、雌柔之中取雄壮。山形痩瘠的取飽満処、飽満的取痩瘠処。脈斜就扞正、脈正就扞斜。平坦之中取微突、突起之処就取窩。山形円的取尖処、尖的取円処。勢緩的取急処、勢急的取緩処。来势強的取弱処、来势弱的取強処。老硬処求嫩活、嫩活処求老硬。山多的地方要有水、水多的地方要有山。舒展空曠処要有緊夾、緊夾逼窄処要有舒曠。陰脈来就用陽法受、陽脈来就用陰法受。看似有気的地方要扞在無気処、看似無龍的地方却要下在有龍処。剛硬的取其柔和、柔弱的取其剛勁。浮的取其沈、沈的取其浮。来水不宜逼得太近、去水必須有回頭之意。山本是静的、就要在它動処求。水本是動的、妙処却在静中。龍従左辺来、穴就居在右辺。龍従右辺来、穴就居在左辺。凡此の种种都叫作逆、也就是所謂顕倒之説。有智慧的人細察此の些、道理就領会大半了。

論乗生気

地理家一言以蔽之,則郭氏之“乘生氣”三字足以盡其肯綮矣。而所以察識乘之之妙,又在明地之理以得之。故原龍之起,察生氣之來也;審穴之止,知生氣之聚也。生氣之來,有水以導之;生氣之止,有水以界之;生氣之聚,有砂以衛之,無風以散之。此察識生氣之來、止、聚、散無餘蘊矣。

地理此の門学問用一句話概括、郭璞《葬書》「乗生気」此の三個字就足以説尽它的要害了。而怎様才能察識出「乗」的妙処、又在于弄明白地的道理才能得到。所以追溯龍的起処、是為了察看生気従哪里来。審辨穴的止処、是為了知道生気聚在哪里。生気来時、有水在前面引導它。生気止時、有水在旁辺界断它。生気聚時、有砂在四周護衛它、没有風来吹散它。此の様、対生気的来・止・聚・散就察識得毫無遺漏了。

上古至人,發明龍、穴、砂、水四字,無非教人察生氣而乘之,及氣納骨以蔭所生,此造化生生無窮之妙,皆一生氣之所流行而不息也。陶公云“乘生氣則生生不絕”《捉脈賦》。謝氏所謂生氣之生,非對死字而言,乃生生之生”是也。夫生生之氣,如谷之種,粟之芽,在天為好生,在人為心,在性為仁,在地中為生氣。

上古的至人提出龍・穴・砂・水此の四個字、無非是教人察出生気並乗住它、把気納入骨骸以蔭庇所生的子孫。此の是造化生生不已的妙処、全都是此の一股生気流行不息的結果。陶侃説過乗住生気就能生生不絶——此の話出自《捉脈賦》。謝氏所説的「生気」的「生」、不是与「死」相対的那個生、而是「生生不已」的生、正是此の個意思。此の生生之気、就像穀子的种・小米的芽。在天上叫作好生之徳、在人身上叫作心、在人性中叫作仁、在地裡就叫作生気。

《經》曰:“君子奪神功,改天命,禍福不旋日。”雙湖謂此為全乘生氣之理,故能變衰為盛,易禍為福。功在神者,奪之自我;命在天者,改之自我,禍福自應,不待終日也。趙汸字常,號東山,國初休寕人。深罪此言,以為欺天罔神,謗造化,誣生民。其言固正,第不知風水之理,乃造化生人物之妙用,必假靈于山川而後成。山川而奉天也,況人乎?至人得之,正贊化育之事,本是天地之公。趙氏認作人心之私,泥而反昧矣。

《葬書》説。君子能奪造化之功・改上天之命、禍福不出一日就応験。謝双湖認為此の是完全乗住生気的道理、所以能把衰変成盛・把禍換成福。功本在神明、却由我去奪。命本在上天、却由我去改、禍福自然応験、不等一天過完。趙汸——原書自注。趙汸字子常、号東山、是明初休寧人——極力指责此の句話、認為它欺天罔神・毀謗造化・誣蔑百姓。他的話固然正大、只是不懂風水的道理正是造化生養人与物的妙用、必須借助山川的霊気才能成就。山川尚且奉承天道、何况人呢。至人得着此の個道理、正是参賛天地化育的事、本来就是天地的公器。趙氏却把它当成人心的私意、拘執之下反而糊塗了。

附論乗吉凶

按:謝氏謂生氣,乃生生之生,非對死字而言,此至當之論也。後人不知此理,誤認景純生氣之旨,遂以生字對死字看。凡地之凶者,輒曰此乘死氣。夫死安得有氣?所謂一息不來身是殼也。既有氣,又安得謂死?蓋地中原有此生氣,葬者得乘此氣,則生生不絕。其不得乘此氣者,是謂無氣死土,為水泉,為蟻穴,故無生生之理而敗絕也。

按。謝氏説生気的「生」是生生不已的生、不是与「死」相对而言、此の是最妥当的論断。後人不懂此の個道理、誤解了郭璞講生気的本旨、就把「生」字当作「死」的反面来看、凡是遇到凶地便説此是乗了死気。死哪里還会有気。所謂一口気不来、身体就只是個空殻。既然還有気、又怎麼能叫死。其実地中原本就有此の股生気、下葬的人能乗住它、就生生不絶。乗不到此の股気的、那叫作無気的死土、会変成水泉、会変成蟻穴、所以没有生生之理而敗落絶嗣。

但此生氣妙在“乘”之一字。乘而得其法則吉,失其法則轉生為殺,反吉為凶矣。《葬經》云:“地吉葬凶,與棄尸同。”楊公云:“地吉葬凶禍先發,名曰棄尸福不來。”蓋得法則為沖和發育,乖法則或太剛而暴,太柔而弱,或偏駁不正,則其氣之所生,遂為凶為惡,為小人,為邪淫。凡一切剛惡柔弱凶事,卒其所名也。

不過此の股生気的妙処全在一個「乗」字上。乗得其法就吉、乗失其法就把生気転成殺気、吉反成凶了。《葬書》説。地雖吉而葬法凶、跟拋棄尸体没有分別。楊筠松説。地吉而葬凶、禍事先発作、此の叫作棄尸、福気不会来。因為得法則気沖和而能発育、失法則或者太剛而暴戻、或者太柔而懦弱、或者偏駁不正。此の様、気所生出来的便成了凶・成了悪、出小人、出邪淫之輩。凡是一切剛暴・柔弱一類的凶事、到頭来都是此の様得名的。

《經》曰:“五氣行乎地中,發而生乎萬物。”既能生萬物,亦能殺萬物,非生氣殺之也,不善乘氣者自殺也。猶水能載舟,不善水者亦能覆舟耳。故無氣之死土,其為禍輕;而葬乖於法者,禍尤甚焉。不覩夫亂臣賊子渠魁大盜乎?其權勢富貴、才智勇力,或傾人主,或霸一方,此其祖地豈無氣水泉蟻穴哉!卒至身遭刑戮,或滅族無噍類者,皆不善乘生氣之所致耳。但生氣之乘有二法焉,有形勢之法,有理氣之法。形勢易知,理氣難明,學者必求明師登山口訣可耳。

《葬書》説。五気在地中運行、発出来便生成万物。既然能生万物、也就能殺万物。並不是生気要殺它、而是不善于乗気的人自己招来的殺。此の就像水能載船、不善于用水的人也会被水掀翻。所以無気的死土、招禍還算軽。下葬違背了法度的、招禍尤其厲害。你没看見那些乱臣賊子・匪首大盗嗎。他們有権勢富貴・有才智勇力、有的能傾覆君主、有的能称覇一方、他們的祖墳難道是無気的死土・水泉・蟻穴。可最後還是身遭刑戮、甚至滅族無一活口、此の都是不善于乗生気招来的。乗生気有両套方法。一是形勢之法、二是理気之法。形勢容易懂、理気難以明白、学者必須求明師上山親口伝授才行。

浅深論

《經》曰:“淺深得乘,風水自成。”蔡氏云:“宜淺而深則氣從上過,宜深而淺則氣從下過,雖得吉地而效不應。”蓋當深而淺,當淺而深,差之咫尺之間,則接脈不著,反吉為凶矣。故牧堂曰:“淺深者,言乎其凖的也。”誠以淺深為風水第一義。諸家所論不一,有以界水定者,有以合襟定者,有以小明堂定者,有以九星分寸尺定者,有以八卦分陰陽定者,有以四應定者,有以朝之遠近度以玉尺而乘除定者,有以繩記標準於暈心暈弦定者,皆非至當。

《葬書》説。深浅得当、能乗住生気、風水自然成就。蔡元定説。該浅的却葬深了、気就従上面越過。該深的却葬浅了、気就従下面越過。此の様即使得了吉地、也不見効験。因為該深而浅・該浅而深、只差咫尺之間、脈就接不上、吉反成凶。所以蔡牧堂説。所謂浅深、講的就是它的准頭。可見浅深確実是風水的第一要義。各家的説法不一。有依界水来定的、有依合襟処来定的、有依小明堂来定的、有依九星分出寸尺来定的、有依八卦分陰陽来定的、有依四応之山来定的、有按朝山遠近用玉尺丈量加減来定的、有用縄子在暈心暈弦上作標記来定的。此の些都不算最妥当。

周氏曰:“淺深本於支壟,支壟本於郭氏之《葬經》。”《經》曰:“藏於涸燥者宜淺,葬於坦夷者宜深。”二謝子逸志道、鄭彥淵、洪天與、及顧乃德諸人俱錯解郭氏經旨,謂涸燥為壟脈浮,宜淺;坦夷為支脈沉,宜深。殊不知《經》曰“支葬其巔,壟葬其麓。”又曰“卜支如首,卜壟如足。”郭氏之意,誠以平支卑溼而顛獨幹,故云涸燥,涸燥豈指高壟乎?所謂宜淺者,正以平支不可深葬也。高壟崎嶇而麓始平,故云坦夷,坦夷豈指平支乎?所謂宜深,正謂高壟不可淺葬也。

周氏説。浅深的根据在于支与壟的分別、而支壟之説又本于郭璞的《葬書》。《葬書》説。葬在干燥処宜浅、葬在平坦処宜深。謝子逸・謝志道二人以及鄭彦淵・洪天与・顧乃徳諸人、都把郭璞的経義解錯了、以為「涸燥」指高壟脈気浮所以宜浅、「坦夷」指平支脈気沈所以宜深。他們不知道《葬書》還説「支葬其巔、壟葬其麓」、又説「卜支如首、卜壟如足」。郭璞的意思、実在是因為平支之地低湿而只有頂上干燥、所以称「涸燥」——「涸燥」哪里是指高壟。所謂宜浅、正是因為平支不可深葬。高壟崎嶇不平而到山麓才平坦、所以称「坦夷」——「坦夷」哪里是指平支。所謂宜深、正是説高壟不可浅葬。

支以突為正,壟以窩為正。陰來必陽受,陽來必陰受也。司馬頭陀曰:“近以花果譬之。抽條發葉者,氣之行也;開花垂實者,氣之止也。蕚之開花者,豈非氣發於外乎?窩鉗陽可知矣。果之垂實者,豈非氣藏於內乎?乳突陰可知矣。是知陽發乎外,淺以乘之;陰藏於內,深以取之。”達僧亦曰:“何謂開,窩鉗是也;何謂合,乳突是也。”形開則陽發於外,其氣浮,故屬陽;形合則陰蓄於內,其氣沉,故屬陰。陽則淺以乘之,合以聚之;陰則深以取之,闢以通之。此支壟分陰陽,定淺深一定之理也。

平支以微突為正体、高壟以窩形為正体。陰脈来必用陽法承受、陽脈来必用陰法承受。司馬頭陀説。拿眼前的花果来打比方。抽枝発葉、是気在行走。開花結実、是気已停止。花萼綻開成花、豈不是気発散在外。由此可知窩穴鉗穴属陽。果実垂挂下来、豈不是気収蔵在内。由此可知乳穴突穴属陰。所以陽気発在外面就浅浅地去乗它、陰気蔵在裡面就深深地去取它。達僧也説。什麼叫「開」。窩穴鉗穴就是。什麼叫「合」。乳穴突穴就是。形開則陽発於外、気浮、所以属陽。形合則陰蓄於内、気沈、所以属陰。属陽的就浅浅乗取、用合的手法把気聚攏。属陰的就深深取用、用開辟的手法把気疏通。此の就是支壟分陰陽・定浅深的一定之理。

但支壟體段不一,窩鉗乳突、大小闊狹各殊。況南方土薄而多石,氣浮宜淺;北方土厚而無水,氣沉宜深。宜深者即司馬陀頭所謂乳脈粗大,陽藏於深,必須深取,擴以通之;宜淺者即朱子所謂興化、漳、泉間,棺只浮於土,土深者謹以一半入地,所以上封土甚厚。後來見福州人舉移舊墓,稍深者無不有水,方知興化、漳、泉葬淺者,乃防水耳。是蓋地土有厚薄之殊,氣脈有浮沉之異。地土厚,氣脈沉,有葬之數丈者,不謂之過深;地土薄,氣脈浮,有安柩土皮之上,用客土封培成冢者,不謂之過淺。況六尺之軀,裹而葬之,臥於地下,高不盈尺,而於數寸之間,察其生氣以乘之,使枯骸得氣,遺體昌榮,非至人哲師奚可輕議哉!

不過支与壟的形体段落各不相同、窩・鉗・乳・突以及大小寛窄都有差別。何况南方土層薄而多石、気浮宜浅葬。北方土層厚而無水、気沈宜深葬。所謂宜深、就是司馬頭陀説的乳脈粗大・陽気蔵在深処、必須深取、把穴擴開使気貫通。所謂宜浅、就是朱熹説的興化・漳州・泉州一帯、棺木只浮放在土面上、土層深的也只譲棺木一半入地、所以上面封的土很厚。後来他見福州人遷移旧墓、凡稍深一点的没有不積水的、此の才明白興化・漳・泉葬得浅、原来是為了防水。可見地土有厚薄之別、気脈有浮沈之異。土厚而気脈沈的、有葬到几丈深的、不算過深。土薄而気脈浮的、有把棺木安在土皮之上・用外来的土封培成墳的、也不算過浅。何况六尺之躯裹好下葬、横卧在地下、高不過一尺、却要在几寸之間察出生気来乗接它、使枯骨得気・遺体的後人昌盛栄顕、此の不是至人明師、哪里可以軽易議論。

論風水無全美

好地無全美。蔡氏云:“欠缺不齊,天地之奇。”圖謂以此,實福善禍淫之機,不使世人易識,大抵亦造化無全功,聖人無全能。故天傾西北,地不滿東南,佛家所謂缺陷世界,如孔孟之不得其位,顏回不壽,由、賜少貧。世無全福之人,又安得有全美之地?或龍眞而穴拙,或龍穴美而砂水有虧,或公位之不均,或先凶而後吉。徧觀名墓,蔑有十全,此所謂物之不齊,物之情也。若欲全美,則世無可葬之地矣。善夫廖公之言曰:“成格龍神最難遇,檢點須從恕。按圖索驥要求純,誤盡世間人。”

好地没有十全十美的。蔡元定説。欠缺不斉、正是天地的奇処。図讖之説也以此為据、此の実在是上天賜福給善人・降禍給淫悪之人的機関、不譲世人軽易識破。大体上説、造化没有完全之功、聖人也没有完全之能。所以天向西北傾斜、地在東南方不満、仏家称此の個世界為「缺陷世界」。就像孔子孟子得不到応有的位子、顔回不長寿、子路・子貢年少时貧窮。世上既没有福気斉全的人、又哪里会有十全十美的地。有的龍真而穴拙、有的龍穴俱美而砂水有虧、有的各房公位分得不均、有的先凶而後吉。遍看歴代名墓、没有一処十全、此の正是所謂万物本来就参差不断、此の是事物的常情。若一定要求全美、那世上就没有可葬之地了。廖公説得好。真正成格的龍神最難遇上、検点时須存寛恕之心。一味按図索驥非要求純、反誤尽了世上的人。

論土色不必拘

廖氏《洩天機》有辨土色之說曰:“《錦囊經》謂‘土欲細而堅,潤而不澤不澤謂不溼也,截肪切玉,備具五色。’又曰‘幹如穴粟,溼如刲肉,水泉沙礫,皆為凶宅。’又曰‘陰陽沖和,五土四備四原本作兼,言四者,黑不與也。’注云:‘得勢與形,而土色不佳,亦不貴也。’今按:九州島土壤不同,而燥溼亦異,難以概拘。多見形勢不吉,而土色具備,用之者禍不旋日;形勢若吉,而土色不備,用之者常臻富貴。此土色之不必拘也。

廖金精《泄天機》有一段辨土色的話説。《錦嚢経》説土要細密而堅実、潤沢而不湿——原書自注。「不沢」是説不潮湿——像切開的脂肪・剖開的美玉、五色斉備。又説干得像穴中的粟粒・湿得像割開的生肉、以及有水泉・沙礫的、都是凶宅。又説陰陽沖和、五种土色具備其四——原書自注。「四」原本写作「兼」、説四色、是因為黒色不算在内。注文説。得了形勢、而土色不佳、也算不上貴。如今按。九州各地土壤不同、干湿也各異、難以一概拘泥。常見形勢不吉而土色様様斉備的、用了它禍事不出几天就来。形勢若吉而土色不斉備的、用了它常能富貴。此の就是土色不必拘泥的道理。

水泉砂礫,龍眞穴正,自然無之,有則非吉地矣。”按:金精是論,確為至當。九州島土壤不同,如孔林天下至美之地,無以加矣,乃是黑土,稱曰黑墳,此其證也孔氏自周迄今六十四代,世襲公爵,及令陶阜。但人子厝親,必求土色之美,此心乃安耳。

至于水泉与沙礫、只要龍真穴正、自然就不会有。有了它們、那就不是吉地。按。廖金精此の番議論、確実極為妥当。九州各地土壤不同、譬如孔林是天下最美的地、再没有比它更好的了、可那里却是黒土、称作「黒墳」、此の就是証明——原書自注。孔氏一族自周代至今伝了六十四代、世襲公爵、還兼領陶阜之地。不過為人子的安葬父母、総要求得土色美好、心裡才安穏罷了。

論葬必擇良期

《葬書》云“歲時之乖為二凶”。卜氏云“山川有小節之疵,不減眞龍之厚福;年月有一端之失,反為吉地之深殃。”又云:“龍吉穴吉砂水吉,何以多災?年凶月凶日時凶,犯之罔覺。”又云:“作當依法,須求年月日之良。”楊公云:“好地如巨舟,良年如利楫。”陳圖南曰:“龍眞穴正,又須葬善時宜。”諸公所論如此,可見吉地又須良期而葬之,斯盡善矣。

郭璞《葬書》説。年月時日的乖違是第二种凶。卜応天説。山川有些小節上的瑕疵、並不减損真龍的厚福。年月上有一処失誤、反而成為吉地的大禍。又説。龍吉・穴吉・砂水都吉、為什麼還多災。因為年凶・月凶・日時凶、犯了却不自覚。又説。造葬応当依法、必須求得好年・好月・好日。楊筠松説。好地像一条大船、好年份像一支好船桨。陳摶説。龍真穴正、還須選個好時辰下葬。諸位先賢都此の様講、可見有了吉地、還須選好日期去安葬、才算尽善。

誠以葬必擇期,如耕者之必當陽春發生之際,而始播百穀焉,則獲穰穰盈倉之效矣。苟於收藏肅殺之時而施栽施植,吾知其凋謝可立待也。辛力徒勞,竟何益哉!是以人子既卜吉地,又卜良期以窀穸之,不使少有後日之悔可也。雖然,龍穴其本,年月為未耳。使地非吉兆,無生氣之可乘,年月盡天下之選無益也。仙翁曰:“鼎內若無眞種子,猶將水火煮空鐺。”此徒狥年月之謂矣。

下葬必須擇期、就像種田的人必定要在陽春発生的時節才播下百穀、此の才能収到満倉的効果。假如在粛殺収蔵的時節去栽種、我知道枯萎凋謝是立刻就能等到的。辛苦白費、究竟有什麼益処。所以為人子的既已卜得吉地、還要卜個好日期来安葬、使日后不留下一点悔恨才好。雖然如此、龍穴是根本、年月不過是末節。假如地本非吉兆、没有生気可乗、即使把天下的好年月都挑遍也没有用。仙翁説。鼎裡若没有真种子、那就等于用水火去煮一口空鍋。此の説的就是只一味遷就年月的人。

論風水不可妄加築鑿

卜氏云:“土有餘,當闢則闢;山不足,當培則培。”郭氏云:“目力之巧,工力之具,趨全避缺,增高益下。”蔡牧堂曰:“山川之融結在天,而山水之裁成在人。”固皆指地之有不足者,培之闢之,損高益卑,使適於中,盡其當然,不害其為自然者也。但萬金之璧,必玉人而可琢;千金之裘,豈拙匠所能裁?多見毀瓦畫墁,非徒無益,而又壞之,此不可不慎也。況又有務為觀美者,或廣築牆垣,深開月池,高起牌坊,及為崇臺望柱,砌路建亭等事,莫知禁忌。往往有以此盡其孝敬之心,而反自取禍敗者,是又深可憫也。

卜応天説。土有多余的、該開挖就開挖。山有不足的、該培土就培土。郭璞説。凭眼力的精巧・工力的完備、趨向完全・避開缺陷、把高的加高・低的填厚。蔡元定説。山川的融結在于天、而山水的裁剪成就在于人。此の些話本来都是指地有不足之処、可以培・可以辟、削高補低、使它帰于适中、尽人事之当然、而不妨害它仍是自然。但価値万金的玉璧、必須玉工才能雕琢。価値千金的皮裘、哪里是拙劣的工匠所能裁剪。常見有人把好好的瓦砸了・把墻面乱塗一気、不但没有益処、反而把地弄壊、此の不能不謹慎。何况還有専務好看的人、或者大築囲墻、或者深挖月池、或者高竪牌坊、以及建高台・立望柱・舗路・造亭等等、全不知道禁忌。往往有人想借此の尽孝敬之心、反而自取禍敗、此の就更加可憫了。

誠以陰陽二宅,居葬已久,切忌妄有築鑿。朱子曰:“祖墓之側,數興土功,亦能挻穴。一或誤傷龍脈,發洩地氣,立招凶禍。廖氏云:“來龍最忌妄穿鑿,旺氣必消鑠。”又云:“後龍過脈忌穿鑿,居民必蕭索。”又云:“開池穿井多有忌,消詳莫輕易。”又云:“塋前切忌妄增高,災禍必難逃。”又云:“明堂裡面要潔淨,有物皆為病。時人不識妄安排,於內起亭臺。栽花砌路供遊賞,禍生如反掌。”凡此皆所以丁寕告誡,欲人知所慎也。茲故特述以告,明者當自謹耳。

陰宅与陽宅住久葬久之后、最忌胡乱興工開鑿。朱熹説。祖墳旁辺屡屡動土、也会牽動穴場。一旦誤傷龍脈、泄漏地気、立刻招来凶禍。廖金精説。来龍最忌胡乱穿鑿、旺気必被消損。又説。後龍的過脈忌穿鑿、居民必定蕭条。又説。開池鑿井多有忌諱、要仔細斟酌、不可軽挙妄動。又説。墳前切忌随意増高、災禍必定難逃。又説。明堂裡面要浄潔、堆放東西都是病。当今的人不懂、胡乱安排、在裡面建起亭台、栽花舗路供人游賞、招禍易如反掌。此の些話都是再三叮嚀告誡、要人知道謹慎。所以此の裡特意述説出来相告、明白事理的人自当謹慎。

論風水有夙縁

得地自有緣法定數,不可強求。觀衛靈公沙邱之銘,滕公古壙之記,韋齋寂歷之詩,季通鄉謔之讖,可見自有天緣也。但人子送終,不敢不自盡其心,抑安有坐待之理哉!求而得之,即所謂緣也。惟不可強耳。衛靈公薨,卜葬故墓,不吉。卜於沙邱而吉。掘之,得石槨,銘曰:“不馮其子,靈公奪而埋之。”

能得着好地自有縁分与定数、不可強求。看衛霊公沙丘石椁上的銘文・滕公古墓中的石刻・朱韋斎「寂歴」一句詩的応験・蔡季通被郷人戯謔而成的讖語、可見其中確有天縁。不過為人子的送葬親人、不敢不尽自己的心、哪里有坐着干等的道理。去求而得着了、那就是所謂縁。只是不可強求罷了。以下是四則故事。衛霊公去世、占卜葬在旧墓地、不吉。改卜沙丘則吉。挖掘时得到一具石椁、上面刻着銘文説。不靠他的子孫、霊公要奪了此の塊地把自己埋在此の裡。

漢夏侯嬰,以功封滕公。及死將葬,未及墓,引車馬跪地不前。掘之,得石室,銘曰:“佳城鬱鬱,三千年見白日。吁嗟!滕公居此室!”因以葬焉。宋韋齋先生詩有“杯酒閒談寂厯中”之句。及文公改葬韋齋,屢遷不吉,最後得崇安之寂厯山。

漢代的夏侯嬰、因軍功封為滕公。他死后将要下葬、霊車還没到墓地、拉車的馬就跪在地上不肯前行。就地挖掘、得到一間石室、上面刻着銘文説。佳城幽深、三千年后才見天日。可嘆啊、滕公要住进此の間石室。於是就把他葬在那里。宋代朱韋斎先生的詩中有「杯酒閑談寂歴中」一句。後来他的児子朱熹為父親改葬、几次遷移都不吉利、最後得到崇安県的寂歴山、才与当年詩句相応。

蔡西山嘗同友人劉文簡二人閒步四顧。鄉人善謔者嘲之曰:“蔡季通,蔡季通,出門指西又指東,山中既有王侯地,何不歸家葬祖宗!”季通愀然曰:“山中具有王侯地,爭奈不在我山中。”文簡憫之曰:“使我山有地,即可以奉。”季通謝曰:“君山誠有美地!”劉果以山與之。葬後,季通以孫貴,贈太傅。子文正公沈,以子貴,贈太師,進崇安伯。孫文肅公杭拜相,果符王侯之職。

蔡元定曾与友人劉文簡両人閑歩四処観望。郷裡一個愛開玩笑的人嘲諷他説。蔡季通啊蔡季通、出門一会指西一会指東、山裡既然有王侯之地、為什麼不回家去葬祖宗。蔡季通神色黯然地説。山裡確実有王侯之地、無奈不在我家的山上。劉文簡憐惜他、説。假如我的山上有此の様的地、就可以奉送給你。季通道謝説。您的山上確実有美地。劉文簡果然把那座山給了他。安葬之后、蔡季通因孫子顕貴、被追贈太傅。児子蔡沈謚文正、因児子顕貴、被追贈太師、進封崇安伯。孫子蔡杭謚文粛、官至宰相、果然応了王侯之位。

鄱陽餘方伯佑曰:“地理之驗,無如蔡氏者。牧堂父子壽地得地,賢貴迭出,海內莫之與倫,孰謂好地不獲見乎?彼不得者,貪大求全。不知大地有神所司,且多怪異,欠缺不齊。以貪高圖大之心求全責備,安可得乎?明地學者,當知深省雲。”

鄱陽的方伯余佑説。地理的応験、没有比得上蔡家的。蔡牧堂父子生前所営的寿地都得着了好地、賢能顕貴之人接連而出、海内没有能与之相比的、誰説好地就見不着呢。那些得不着的人、是因為貪大求全。他們不知道大地自有神明掌管、而且大地多有怪異之形、往往欠缺不斉。抱着貪高図大的心去求全責備、怎麼可能得到。明白地学的人、応当深深反省此の一点。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻七之上

江右山人徐善繼述 同著。此一冊辨證諸家星卦之非理者,以祛世俗之惑。夫自公劉興豳,“既景乃岡”;衛文遷楚,“景山與京”;周公營洛,“揆之以日”,而陰陽之旨實肇厥端。惟數聖引而不發,叔世之下,莫窺涯涘。哲人若楊、曾、吳、廖、賴、董輩,又不世出,管天蠡海之徒,遂家置爐錘,人挾機軸,偽詞誕說,縱橫競起。而星卦各出多門,不勝謬戾。無怪乎吾儒擯為外道而不屑究之耳。

本巻由江右山人徐善繼・徐善述兄弟同撰。此の一冊是辨証各家星卦学説中不合理的部分、用来祛除世俗的迷惑。自従公劉在豳地興業、用日影測定山岡。衛文公遷都楚丘、登景山・望京丘。周公営建洛邑、用日影校正方位——陰陽之学的宗旨実在従此の裡開端。只是此の几位聖人引而不発、没有把話説尽、到了衰乱的後世、人們就摸不着它的辺際了。像楊筠松・曾文辿・呉景鸞・廖金精・頼布衣・董徳彰此の様的哲人、又不是每代都有。於是那些以管窺天・以蠡測海之徒、家家自設炉錘、人人自握機軸、偽造的説辞・荒誕的議論、縦横競起。星卦之説各出多門、謬誤乖戻多得説不完。難怪我們読書人把它斥為外道而不屑去研究。

茲輯陰陽旨原,首以星卦、國音、宗廟等說之亂眞眩正者,逐款摭諸名家理論而辨明之,並以斷驗邪術諸弊,及通書神煞,詳述其謬。復著宗旨一篇並三昧論,俾人子開卷即知陰陽正源,而不為旁蹊曲徑所眩誤雲。

現在輯成此の巻《陰陽旨原》、首先把星卦・国音・宗廟此の几种以假乱真・眩惑正道的説法列出、逐条摘取各位名家的議論来加以辨明。同時把断験之類邪術的种种弊病、以及通書上的各种神煞、也詳細陳述它們的荒謬。此の後再写《堪輿宗旨》一篇和《三昧論》、好譲為人子的一翻開書就知道陰陽之学的正源、不被旁門小路所眩惑誤導。

九星の謬を論ず(一)

九星雲者,貪狼、巨門、祿存、文曲、廉貞、武曲、破軍、左輔、右弼是也。立名之謬,則牧堂蔡氏曰:“名出於《北斗經》咒文。”按《星經》,北斗之名,一曰天樞,二曰璇,三曰機,四曰權,五曰衡,六曰闓陽,七曰瑤光,八曰輔,九曰弼。無貪狼、巨門之說也。其法以貪為上吉,武、巨次之,輔、弼又次之,祿、文、廉、破皆凶。立法之謬,蔡氏按《漢書》曰:“貪狼,以貪如狼虎為凶。廉貞,以廉而貞潔為吉。無貪狼為吉,廉貞為凶之說也。”

いわゆる九星とは、貪狼・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍・左輔・右弼である。まず命名の誤りを挙げる。蔡元定は言う。これらの名は《北斗経》の呪文に出るというのである。《星経》を調べると、北斗諸星の名は、一を天枢、二を璇、三を機、四を権、五を衡、六を闓陽、七を瑶光、八を輔、九を弼といい、貪狼・巨門といった言い方はそもそも存在しない。次に立法の誤りを挙げる。九星の法は貪狼を最吉とし、武曲・巨門がこれに次ぎ、左輔・右弼がさらに次ぎ、禄存・文曲・廉貞・破軍はすべて凶とする。蔡元定は《漢書》に拠って言う。「貪狼」は貪婪で狼虎のようだから凶とされ、「廉貞」は廉潔で貞正だから吉とされたのであり、貪狼が吉・廉貞が凶という説はなかったのである。

其為五行,以貪為一木,巨為一土,祿為二土,文為一水,廉為獨火,武為一金,破為二金,輔為二木,弼為九土。五行之謬,蔡氏按《星經》曰:“一星主天,二星主地,三星主火,四星主水,五星主土,六星主水,七星主金。”無貪狼為木,巨門為土之說也。至於以貪狼為生氣,巨門為天醫,祿存絶體,文曲為游魂,廉貞為五鬼,武曲為福德,破軍為絶命,輔弼為本宮。蔡氏曰:“謂生氣、天醫、福德為三吉,絶體、游魂、五鬼、絶命、本宮為五凶,皆非郭氏本說也。”

次に五行に配する誤りを挙げる。九星の法は、貪狼を一木、巨門を一土、禄存を二土、文曲を一水、廉貞を独火、武曲を一金、破軍を二金、左輔を二木、右弼を九土に配する。蔡元定は《星経》に拠って言う。第一の星は天を主り、第二の星は地を主り、第三の星は火を主り、第四の星は水を主り、第五の星は土を主り、第六の星は水を主り、第七の星は金を主るのであり、貪狼が木に属し巨門が土に属するという説はない。さらに貪狼を「生気」、巨門を「天医」、禄存を「絶体」、文曲を「遊魂」、廉貞を「五鬼」、武曲を「福徳」、破軍を「絶命」、輔弼を「本宮」と見なす件について、蔡元定は言う。生気・天医・福徳を三吉と称し、絶体・遊魂・五鬼・絶命・本宮を五凶と称するのは、いずれも郭璞本来の説ではない。

他如以貪為太常六合,巨為朱雀,祿存為貴人,文為小吉,廉為勾陳螣蛇,武為太陰青龍,破為白虎。又有一家以貪為木星,巨為天財,祿為孤曜,文為掃蕩,廉為燥火,武為金水,破為天罡,輔為太陽,弼為太陰;又有一家以貪為生龍,巨為福龍,祿為病龍,又為狂龍,廉為死龍,武為旺龍,破為敗龍,輔弼為絶龍;又有一家以貪為小吉傳送,巨為大吉,祿為太乙勝光,又為從魁河魁,廉為功曹太沖,武為登明神后,破為天罡;又有一家以貪為樂褥,巨為緑褥,祿為白霧,文為黃霧,廉為黃旗,武為繡褥,文破為黑池,輔弼為河番;又有一家以貪為生龍,巨為太陽,祿為大禍,文為暗曜,廉為螣蛇,武為太常,破為朱雀,輔弼為仗兵。凡此皆執偏見而各立門戶,互相爭競,有不勝其舛錯也。

このほかにも種々の配当がある。ある家は貪狼を太常・六合に、巨門を朱雀に、禄存を貴人に、文曲を小吉に、廉貞を勾陳・螣蛇に、武曲を太陰・青竜に、破軍を白虎に配する。またある家は貪狼を木星に、巨門を天財に、禄存を孤曜に、文曲を掃蕩に、廉貞を燥火に、武曲を金水に、破軍を天罡に、左輔を太陽に、右弼を太陰に配する。またある家は貪狼を生竜に、巨門を福竜に、禄存を病竜(狂竜ともいう)に、廉貞を死竜に、武曲を旺竜に、破軍を敗竜に、輔弼を絶竜に配する。またある家は貪狼を小吉・伝送に、巨門を大吉に、禄存を太乙・勝光(また従魁・河魁とも作る)に、廉貞を功曹・太衝に、武曲を登明・神后に、破軍を天罡に配する。またある家は貪狼を楽褥に、巨門を緑褥に、禄存を白霧に、文曲を黄霧に、廉貞を黄旗に、武曲を繍褥に、文曲・破軍を黒池に、輔弼を河番に配する。またある家は貪狼を生竜に、巨門を太陽に、禄存を大禍に、文曲を暗曜に、廉貞を螣蛇に、武曲を太常に、破軍を朱雀に、輔弼を仗兵に配する。これらはみな各々偏見を執り、各々門戸を立てて互いに優劣を争い、錯乱して数え切れないほどである。

其在天星,以貪為天蓬,巨為天芮,祿為天衡,文為天輔,廉為天禽,武為天心,破為天柱,輔為天任,弼為天英。其在卦例,以貪為一坎,巨為二坤,祿為三震,文為四巽,廉為五中,武為六幹,破為七兌,輔為八艮,弼為九離。其在五色,以貪為一白,巨為二黑,祿為三碧,文為四祿,廉為五黃,武為六白,破為七赤,輔為八白,弼為九紫。所謂三白者,初無他憑據,無乃以幹、坎、艮坐後天之壯方云耳。白為吉,紫次之,餘色皆凶。

天星の系統では、貪狼を天蓬に、巨門を天芮に、禄存を天衡に、文曲を天輔に、廉貞を天禽に、武曲を天心に、破軍を天柱に、左輔を天任に、右弼を天英に配する。卦例の系統では、貪狼を一坎に、巨門を二坤に、禄存を三震に、文曲を四巽に、廉貞を五中に、武曲を六乾に、破軍を七兌に、左輔を八艮に、右弼を九離に配する。五色の系統では、貪狼を一白に、巨門を二黒に、禄存を三碧に、文曲を四緑に、廉貞を五黄に、武曲を六白に、破軍を七赤に、左輔を八白に、右弼を九紫に配する。いわゆる「三白」は、初めは何の根拠もなく、おそらく乾・坎・艮が後天の旺方に位置するからであろう。この系統は白を吉とし、紫をこれに次ぎ、残りの色はすべて凶とする。

夫以碧、緑、黃、赤凶者,謂其屬廉、祿、文、破也。紫白取貪、武、輔、弼以為吉,碧、綠、黃、赤因祿、文、廉、破以為凶,猶其術也。何二黑既屬巨門,已為吉星,二黑乃為凶色?星吉色凶,自相水火。又況九星既以文曲為凶,奇門又以天輔為吉;九星既以貪狼為吉,遁甲又以天蓬為凶。是何吉凶之顛倒難憑若是乎?又按翻卦配星,以貪配生氣,廉配五鬼,庶幾同矣。乃又有有移之於山水,以本山起破軍,順行三匝,周二十四位。又有移之於主山,起破軍,逆行九匝,而周七二骨節之說。則今之貪非復向之生氣,安得猶謂之吉?今之廉非復向之五鬼,安得猶謂之凶?

碧・緑・黄・赤を凶と定めるのは、それらが廉貞・禄存・文曲・破軍に分属するからである。紫白が貪狼・武曲・左輔・右弼を吉とする以上、碧緑黄赤が禄存・文曲・廉貞・破軍によって凶とされるのも、まだ一応の筋は通っている。しかし二黒が巨門に属して既に吉星であるのに、なぜ二黒は凶色なのか。星は吉で色が凶とは、水火のように自ら矛盾する。まして九星では文曲を凶とするのに奇門では天輔を吉とし、九星では貪狼を吉とするのに遁甲では天蓬を凶とする。吉凶がどうしてこれほど無根拠に転倒錯乱したのか。さらに翻卦配星を見れば、貪狼を生気に、廉貞を五鬼に配するのはまだ大体一致している。ところがまたこれを山水に移して、本山から破軍を起こし順に三圏を巡らせて二十四位に周遍させる者もあれば、主山に移して破軍を起こし逆行に九圏を巡らせて七十二骨節に周遍させる者もある。このように一巡させれば、今の貪狼はもはや元の生気ではないのに、どうしてなお吉と呼べようか。今の廉貞はもはや元の五鬼ではないのに、どうしてなお凶と呼べようか。

其消水法為例亦多。大率申、子、辰、寅、午、戌、壬、癸、艮、甲、乙、巽、丁、坤、庚、辛、等一十六向,皆要水倒左邊。殊不知在左邊如三匝九匝之說,則必吉凶相參,未嘗不置貪、巨於祿、文之先。巳、酉、丑、亥、卯、未、丙、幹八方又要求倒右邊,殊不知其右邊如山水骨節之例,則亦吉凶遷居,未必不排輔、弼於武、破之後。何得便以切近之一字遽分左右之善惡乎?無怪乎蔡氏之黜之曰:“九星之五行所屬不足據,而吉凶無凖。”斯言也,誠萬世不易之定論也。

その消水の法も、起例が非常に多い。おおよそ申・子・辰・寅・午・戌・壬・癸・艮・甲・乙・巽・丁・坤・庚・辛の十六の向きは、いずれも水が左から倒れて来ることを要求する。ところが三圏九圏の説に従って左に排せば、必ず吉凶が入り混じり、貪狼・巨門を禄存・文曲の前に置かないとも限らないことを知らないのである。巳・酉・丑・亥・卯・未・丙・乾の八方はまた水が右から倒れて来ることを要求するが、山水骨節の起例に従って右に排せば吉凶も同じく位置を移し、左輔・右弼を武曲・破軍の後ろに置かないとも限らないことを知らない。どうしてただ密接した一字だけを拠り所にして、左右の善悪を断定的に分けられようか。蔡元定がこれを斥けて「九星の属する五行は拠るに足らず、吉凶にも準則がない」と言ったのも当然である。この言葉はまさに万世不変の定論である。

卦例の謬を論ず

諸家裝卦之例,其說甚繁。姑舉近世最宗尙者,如所謂《玉錀匙》云。其法取山坐某方,得某卦,以後天論穴,坐某方,得本卦之某爻,可變某卦,穴與某水之去合其律,去水與某水之來應本卦,與變卦之子母以為循環變化之妙。又法以山峙之方為貞卦,水去之方為悔卦,合成六畫之卦。以水之納付取干支為卦,之某爻某辭,即斷其吉凶。

各家が卦を装う起例の説は非常に繁多である。ここでは近世に最も推尊崇されている一説、いわゆる《玉鍵匙》を挙げよう。その法は、坐山がどの方にあるかを取ってどの卦を得るかとし、後天卦をもって穴を論じ、坐がどの方にあるかで本卦のどの爻を得てどの卦に変じ得るかとし、穴がどの去水と律吕を合わせ、去水がまたどの来水と本卦に応合するかを見て、さらに本卦と変卦の間の母子の関係をもって循環変化の妙用とする。もう一つの法は、山が峙立する方位を「貞卦」と定め、水が流れ去る方位を「悔卦」と定め、両者を合わせて一つの六画の卦をなし、さらに水の納する干支に拠って卦を取り、どの爻でどの爻辞に係るかを見て、これによって吉凶を断定する。

至於廿四位陽穴放陰水,陰穴放陽水,在十二支者,取左旋隔八之律呂;在八干者,取五位相得而各自合之說,使之以陰攝陰也。卦之子母,母喜其來,但不喜其去。如干喜甲來,坤忌乙去。震、巽、庚、辛、艮、丙、兌、丁、坎、癸、離、壬皆仿此。卦之三合,愛其入而不愛其出。如震愛亥、未,坎不出申、辰,兌於己丑,離於寅戌,亦仿北。

二十四方位の上では、陽穴は陰水を放ち、陰穴は陽水を放つという。十二地支の上では左旋隔八相生の律吕の法を取り、八天干の上では「五位相得して各々合有り」の説を取り、陰気をもって陰気を収摂させる。卦の母子関係を説くとき、母卦は子が来るのを喜ぶが子が去るのを喜ばない。たとえば乾は甲水の来るのを喜び、坤は乙水の去るのを忌む。震と巽、庚と辛、艮と丙、兌と丁、坎と癸、離と壬は、いずれもこれに準じて類推する。卦の三合関係を説くときは、流れ入るのを喜んで流れ出るのを喜ばない。たとえば震卦は亥・未を愛し、坎卦は水が申・辰に出ることを許さず、兌卦の巳丑に対する関係、離卦の寅戌に対する関係もこれに準じて類推する。

卦之子母,不可相破。如取天地定位,則幹、甲不可放水出坤、乙。取雷風相薄,則震、庚不可放水出幹、甲。而他卦之子母亦猶此也。先後天不可相破。如坎山不放坤水,坤山不放坎水,艮於震,震於離,巽於兌,離於幹,坤於巽,兌於坎,幹於艮,皆仿此。又於先天圓圖之對待,以橫圖乾一兌二之數,而合以為九。如干與坤相對,則以幹之一而合坤之八,使成九數是也。又於後天圓圖之對待,以洛書坎一坤二之數而合以為十。如干與巽相對,則以幹之六而合巽之四,使成十數是也。於是坐向放水,如干放巽,艮方坤,以為用中五之數,共成十有五數。

卦の母子は互いに破壊してはならない。たとえば「天地定位」を取れば、乾・甲の山は坤・乙に水を放ってはならず、「雷風相薄」を取れば、震・庚の山は乾・甲に水を放ってはならない。ほかの各卦の母子関係もこれに準じて類推する。先天と後天も互いに破壊してはならない。たとえば坎山は坤水を放たず、坤山は坎水を放たない。艮の震に対する関係、震の離に対する関係、巽の兌に対する関係、離の乾に対する関係、坤の巽に対する関係、兌の坎に対する関係、乾の艮に対する関係も、すべてこれに準じて類推する。また先天円図の対待では、横図の乾一・兌二の数目を用いて加え合わせて九をなす。たとえば乾と坤が相対すれば、乾の一に坤の八を加えて九の数に湊す。また後天円図の対待では、洛書の坎一・坤二の数目を用いて加え合わせて十をなす。たとえば乾と巽が相対すれば、乾の六に巽の四を加えて十の数に湊す。そこで坐向の放水に際しては、乾山が巽水を放ち、艮山が坤水を放つのは、中五の数を用いて合わせて十五をなすと見なすのである。

殊不知大易之作,所以定天地之吉凶者,必待揲蓍而後得。其在風水日期之間,朱子所謂“古人之成法也,烏能如彼之牽合哉!”廖氏曰:“卦為宗者誤人多,無龍無穴事如何?任爾裝成天上卦,等閒家計落傾波。”劉氏曰:“下地不裝諸卦例,登山不用使羅經。”正謂此也。其它卦例名目尤多,如所謂天卦、地卦、五鬼、壺中、橫天、紫微、魁星、斗杓、玉函、挨星、紅鸞,及單于梅花三卷,火星飛宮吊替之類,大抵與宗廟九星相伯仲,彼吉此凶,不相繁穢,於理無憑,禍福不驗,流毒天下,感世誣民,初學之士,罔知眞偽,一入其門,牢不可破。惟執其例,曰某來山合某卦某星,下某向,宜某水來,某水去。某星某卦淺若干,深若干。此其迷謬,非謂誤人,且以自誤,可慨哉!

ところが《周易》の制作は、天地の吉凶を判定するのに必ず揲蓍して卦を演じて初めて得られるものである。風水と日選びの間での运用については、朱熹が「古人の成法である」と言ったのであり、どうして彼らのように牽強附会できようか。廖金精は言う。卦を宗とする者は人を誤ることが最も多い。竜も穴もなくてどうするのか。満天の卦を装いなしても、家業はやはり徒らに水の中に傾覆する。劉氏は言う。地に下りるのにあの卦例を装う必要はなく、山に登るのに羅盤を携える必要もない、と。まさにこの意味を言うのである。そのほか卦例の名目はさらに多く、たとえば天卦・地卦・五鬼・壺中・横天・紫微・魁星・斗杓・玉函・挨星・紅鸞、および単于梅花三巻・火星飛宮吊替の類は、おおむね宗廟・九星の説と互角で、この家は吉と言いあの家は凶と言い、互いに雑乱して理に根拠がなく、禍福の応験も霊験がない。天下に毒を流し、世を惑わし民を誣いている。初学の者は真偽を知らず、一たびこの門に入れば二度と抜け出せない。彼らはただ起例を死守して、ある来山がある卦ある星に合すればある向きを下し、ある水が来てある水が去るのを宜とし、ある星ある卦では浅くすべき度合い・深くすべき度合いを定めて言う。この種の迷妄で荒誕な説は、人を誤るだけでなく自らも誤り、実に嘆くべきである。

楊氏曰:“定卦番來是夢中,只觀來歷有無蹤。仍將兩手鉗龍脈,莫把三星亂指空。”又云:“天寛地寛眼亦寛,眞龍泊處是根源。不論五音諸卦例,但求主好對賓賢。”又曰:“隔山裝卦泥星辰,下了誤人貧。”曾氏云:“但登財祿君須下,莫用山頭卦。”又曰:“四平八國與天心,世代時師何處尋。不識天心並十道,慢將卦例吐懐襟。”廖氏曰:“巧目神機參造化,透徹玄微貴無價。古傳龍法及砂圖,誰見神仙專論卦?假如龍法不眞奇,豈得偏將卦例推?但要眞龍並正穴,陰陽二路自相居。”卜氏曰:“水若屈曲有情,不合星辰亦吉。山如破碎欹斜,縱合卦例何為?”又云:“既明倒杖之法,方知卦例之非。”斯皆鄙且詭異者之良劑也。

楊筠松は言う。卦を定め卦を翻すのは夢を見るようなもので、ただ来竜の来歴に踪跡があるかどうかを見るべきである。やはり両手で竜脈を鉗み、三星をもって虚しく空を指さないことだ。また言う。天が広く地が広いなら眼界も広くあるべく、真竜が停泊する所こそ根源である。五音や諸々の卦例を論ずる必要はなく、ただ主山が良く、向かいの賓山が賢いことを求めればよい。また言う。山を隔てて卦を装い星辰に拘泥するのは、葬っても人を誤って貧窮させるだけである。曽文辿は言う。財も禄もある地に登ったなら、そのまま葬ればよく、山頭卦を用いるな。また言う。四平八国と天心は、歴代の術士がどこへ行って尋ねようか。天心と十道を識らずに、軽々しく卦例を吐き出すものだ。廖金精は言う。巧みな目と神機をもって造化を参悟し、玄微を透彻させることこそ無价の貴である。古人が竜法と砂図を伝えたが、神仙が専門に卦を論じたのを誰が見たか。もし竜法そのものが真でなく奇でなければ、どうしてわざわざ卦例をもって推し量るのか。真竜と正穴さえあれば、陰陽両路は自ずから各々その位に安んじる。卜応天は言う。水が屈曲して情があれば、星辰に合わなくても吉である。山が破碎欹斜していれば、たとえ卦例に合っても何の用があるか。また言う。倒杖の法を明らかにして初めて、卦例の誤りを知る。これらの言葉は皆、あの鄙陋で詭異な説を治す良薬である。

三合竜の謬を論ず

俗師有傳三合龍法之術,以五行三合取法。必先於水口之外尋其歸於江者果何絶地。絶地雲者,寅申巳亥也然後泝流而上,以入其鄉,卻求風水為長生、帝旺、墓庫之向。或山雲貴而不富,向雲富貴兩全,然又並須逆兼於維,謂之陰陽得配。否則,女旺於男,弟盛於兄。如落江之水遇艮寅字,則為金絶,而陰陽二宅作巽、乙、庚、酉、癸、丑之向為吉,山次之,巳、丙、酉、辛、丑、艮者又次之。所以然者,金絶於寅,故宜流去。金生於巳,旺於酉,庫於丑,所謂巳酉丑會成金局,故宜向也。木絶申而亥、卯、局,水絶巳而申、子、辰局,火絶亥而寅、午、戌局皆然。

庸俗な術士が伝えた一種の「三合竜法」があり、五行の三合に従って法を取る。それは必ずまず水口の外で、水が大江に帰する時に一体どの「絶地」に落ちるかを探す——いわゆる絶地とは寅・申・巳・亥の四位である——それから水に沿って逆流して上り、その郷に入り、さらに風水に従って長生・帝旺・墓庫の方位を求めて向きを立てる。坐山は貴を司って富を司らないと言う者もあり、立向は富貴両全できると言う者もある。しかしなお必ず兼向を逆にして乾坤艮巽の四維に当て、「陰陽得配」と称し、さもなければ女が男より強く弟が兄より盛んになるという。たとえば江に落ちる水が艮・寅の二字に遇えば、それは金の絶位であるから、陰宅陽宅は巽・乙・庚・酉・癸・丑の向きを立てるのを吉とし、これらの山に坐するのはこれに次ぎ、巳・丙・酉・辛・丑・艮はまたこれに次ぐ。こうする所以は、金が寅に絶するから寅位から流れ去るのを宜とし、金は巳に生じ酉に旺して丑に庫するから、いわゆる巳酉丑が会して金局を成すので、これらの方位に朝向して向きを立てるのを宜とするのである。木は申に絶して亥卯未をもって局を成し、水は巳に絶して申子辰をもって局を成し、火は亥に絶して寅午戌をもって局を成す。道理は皆同じである。

又自謂推演郭氏所謂“源於生氣”,“朝於大旺”,“流於囚謝”之法。殊不知水必順流而下於江,初非寅、申、巳、亥可向。向亦自有天然朝案之情,非生、旺、墓、庫之方可泥,豈郭氏之本旨哉!胡乃又有神其術以誑人者,謂長生墓旺之定局,可預推地之某位山高,某位低陷,某位有路,某位有塘,神廟居某位,流水出某方。其例云:長長帝旺俱高聳,沐浴之方定有塘。若逢冠帶多為路,臨官壇廟屬其方。病胎衰養皆低陷,死墓絶鄉水去長。試入鄉村墓宅按驗之,亦間有中。然於龍穴眞偽何補?適足愚弄俗輩耳。明理君子豈取重哉!

彼らはまた、郭璞の言う「生気に源し」「大旺に朝し」「囚謝に流る」の法を推演していると自称する。ところが水は必ず順流して下り大江に匯するもので、本来寅・申・巳・亥の何字かに拘定できる朝向ではない。立向には自ずから天然の朝山案山の情意があり、また生・旺・墓・庫の何方位かに拘泥できるものでもない。どうして郭璞の本意であろうか。どうしてまたこの術を神そのもののように言い立てて人を誑かす者があるのか。長生・沐浴・墓・旺の定局に拠れば、この地のどの位の山が高くどの位が低陥し、どの位に路がありどの位に塘があり、神廟がどの位にあり、流水がどの方から出て行くかを予め推し出せるというのである。彼らの起例は言う。長生と帝旺の位は皆高く聳え、沐浴の方は必ず池塘がある。冠帯の位に逢えば大半は道路であり、臨官の方は壇廟に属する。病・胎・衰・養の四位は皆低陥し、死・墓・絶の郷は水が流れ去ること長遠である、と。試しに郷村に入って墳墓宅第に照らし合わせてみれば、たまに言い当てることもある。しかしこれが竜穴の真偽を判別するのに何の助けがあろうか。俗人を愚かにするに足るだけで、理を明らかにする君子がどうしてこれを重んじようか。

四竜分卦の謬を論ず

四龍分卦之術,出於《天玉經》。大要不過分四方四龍正神零神,前兼後兼而已。其四方江東八卦曰寅、甲、卯、乙、辰、巽、巳、丙,江西八卦曰申、庚、酉、辛、戌、幹、亥、壬。南曰午、丁、未、坤,北曰子、癸、丑、艮是也。四龍者,寅、辰、丙、乙。一龍加子、幹,二龍申、午、坤,三龍加卯、艮,四龍加酉、巽。又為三才六建焉。正神者十二支,零神者八干四維也。前兼山者,如子、丑、癸、艮是也。後兼山者,如壬、子、癸、丑是也。

「四竜分卦」という術は《天玉経》に出る。大意は四方を分け、四竜を分け、正神零神を分け、前兼後兼を分けることに過ぎない。いわゆる四方とは、江東八卦は寅・甲・卯・乙・辰・巽・巳・丙、江西八卦は申・庚・酉・辛・戌・乾・亥・壬、南方は午・丁・未・坤、北方は子・癸・丑・艮である。いわゆる四竜は、寅・辰・丙・乙を綱とし、一竜はさらに子・乾を加え、二竜は申・午・坤を加え、三竜は卯・艮を加え、四竜は酉・巽を加える。これからさらに「三才六建」を衍出する。いわゆる正神とは十二地支を指し、いわゆる零神とは八天干と四維を指す。いわゆる前兼の山とは子・丑・癸・艮のごとく、いわゆる後兼の山とは壬・子・癸・丑のごとしである。

夫四方之分,不過曰“山向流水一路行,富貴有聲名。龍行卦外無官職,不用勞心力。”葢欲子、癸、丑、艮之山,仍以子、癸、丑、艮之水;午、丁、未、坤之水,必於午、丁、未、坤之山。謂之南卦關地北關天,江東、江西各不出其八卦之外也。四龍之分,當以一龍為長男,二龍為次男,三龍為三男,四龍為四男。一龍金,二龍木,三龍水,四龍火。

四方の分け方は、要するにこう言うのである。坐山・朝向と流水がすべて同じ路にあるなら富貴で名声があり、竜が本卦の外に行けば官職がなく、もはや心を労し力を費やす必要はない。つまり子・癸・丑・艮の山はなお子・癸・丑・艮の水に配し、午・丁・未・坤の水は必ず午・丁・未・坤の山に配するというのである。これを南卦が地を管し北卦が天を管すると言い、江東と江西は各々自分の八つの卦位の外に出ない。四竜の分け方は、一竜を長男とし、二竜を次男とし、三竜を三男とし、四竜を四男とする。一竜は金に属し、二竜は木に属し、三竜は水に属し、四竜は火に属する。

其三才六建者,不過曰“三陽六秀二神當,主人入廟堂。子寅辰逢干丙乙,一龍眞奇特。”葢欲子山寅山辰山各見干丙乙之水也。他三龍而九才十八建者,並仿此。正零二神,不過欲正神為山,零神為水。山過峽合正神為吉,取以定向,向則以零,故曰無龍不作向,水不問來去,合零神則吉。其曰:“山上龍神不下水,水裡龍神不上山”;“若遇正山正向裝,撥水入零堂”,其大意也。前後二兼,不過欲雙山雙水,單山單水。其曰“前兼止下前兼水,後兼仍取後兼裝”,其止歸也。

いわゆる三才六建とは、要するにこう言うのである。三陽と六秀の二神が位に当たれば、主人は朝堂に入ることができる。子・寅・辰の三山が乾・丙・乙の三水に遇えば、この一竜は実に奇特である。つまり子山・寅山・辰山は各々乾・丙・乙の水を見なければならない。残りの三竜のいわゆる九才十八建は、皆これに準じて類推する。正神と零神の二説は、要するに正神は山上に落ち、零神は水上に落ちるべしというのである。山の過峡が正神に合すれば吉とし、これに拠って向きを定めるが、向きには零神を用いる。だから竜がなければ向きを作らず、水は来去を問わず、ただ零神に合すれば吉だという。彼らは「山上の竜神は水に下らず、水裏の竜神は山に上らず」と言い、また「正山正向の装に遇えば、水を零堂に撥入せよ」と言うのは、この大意を講じるのである。前兼後兼の二説は、要するに双山は双水に配し単山は単水に配すべしというのであり、彼らが「前兼はただ前兼の水を下し、後兼はなお後兼の装を取る」と言うのは、その帰結を講じるのである。

今按四龍,不過以幹、坤、艮、巽、丙、壬、庚、甲、乙、辛、丁、癸、子、午、卯、酉、寅、申、巳、亥、辰、戌、丑、未,各四析之,因其次序,類屬而成四龍。其取義粗淺甚矣。且四方不知東西何以皆多,南北何以皆少?巳、丙何以屬東而不為南?亥、壬何以屬西而不為北?況欲山水各不出卦,乃通篇之要說,則如子、午、寅、申四山,則右邊無幾,不知右邊復有何字可以放水。又如巳、亥、丑、未四山,左邊亦惟一字而已,不幸水從左來,尙可以放水使入于于懐乎?何其不思之甚哉!由此言之,則其所謂“亥山若見水流東,代代出三公”者,眞誣矣。

今按ずるに四竜の説は、要するに乾・坤・艮・巽・丙・壬・庚・甲・乙・辛・丁・癸・子・午・卯・酉・寅・申・巳・亥・辰・戌・丑・未の二十四位を、四つずつ一区分けにして順に帰類して四竜を成しただけである。取義は実にあまりに粗浅である。まして四方の划分において、東・西の両方が何の故か皆多く占め、南・北の両方が何の故か皆少なく占めるのかを知らない。巳・丙はなぜ東に属して南に属さないのか。亥・壬はなぜ西に属して北に属さないのか。さらに山と水を各々本卦から出さないことを全篇の要旨とするなら、たとえば子・午・寅・申の四山では、右辺に残る字が幾つもなく、右辺にまだどの字で水を放てるか分からない。また巳・亥・丑・未の四山では、左辺にも一字しか残らず、万一水が左辺から偏って来たら、水を自分の懐に放つわけにもいくまい。なんと考えなしなことか。これより言えば、彼らのいう「亥山に水の東に流れるを見れば、代代三公を出す」というのは、実に妄言である。

其於五行,一龍何以愛金,金何以不於申、酉、庚、辛愛乎?二龍何以愛木,木何以不於甲、乙、寅、卯愛乎?三龍四龍之於水火,與其所謂本身屬土者,皆無義可推。且其支神與水火土亦不相關,而相反也。其曰“金位一龍家富貴,百子千孫位。二龍行來到木鄉,外保置田莊”等說,可謂誕矣。其三才六建之說,不知午與申、戌何以不納東來之水,酉與亥、未何以不納南來之朝乎?此三陽六秀所以為於一龍言之,而二三四龍之九才十八建者,卒亦不必究竟也。其曰“六建分明號六龍,名姓達天聰”者,可謂妄矣。

さらにその五行への配当を言えば、一竜はなぜ偏に金を愛するのか。金はなぜ申・酉・庚・辛の上で愛されないのか。二竜はなぜ偏に木を愛するのか。木はなぜ甲・乙・寅・卯の上で愛されないのか。三竜・四竜が水に配され火に配され、またいわゆる本身は土に属するという説も、推し求めるべき道理が見出せない。しかもその用いる地支は水・火・土とも毫も相干らず、甚だしきは相反する。「金位一竜の家は富貴にして百子千孫の位、二竜行きて木郷に到れば外に田荘を置く」といった類の言は、荒誕と言うべきである。その三才六建の説は、午と申・戌がなぜ東から来る水を収納できないのか、酉と亥・未がなぜ南から来る朝水を収納できないのかを知らない。これより見れば三陽六秀はただ一竜について講じたものに過ぎず、二竜・三竜・四竜の九才十八建については、結局深く究めるに及ばない。「六建分明にして六竜と号し、名姓は天聴に達す」と言うのは、妄語と言うべきである。

既以丑、卯山放子、辰水為兄克弟,子、辰山放丑、卯水為弟克兄,午山放子水為父克子,子山放午水為子克父,則四龍之分,申、戌不宜在前,丑、卯不宜在後。地支既隔一位於維,不宜遠近之不濟也。如廖公“艮山丁向水流癸,丁上尖峰對”之記,則正神零神之說自廢。知卜公“既有生成之龍,必有生成之穴”,不拘作單向雙朝之賦,則兼後兼前之說亦荒。此則其尤下者也。葢與宗廟等術相頡頏,明理君子,必不若是其拘且惑也。

丑・卯の山に子・辰の水を放つのを兄が弟を克すとし、子・辰の山に丑・卯の水を放つのを弟が兄を克すとし、午山に子水を放つのを父が子を克すとし、子山に午水を放つのを子が父を克すとする以上、四竜の划分に従えば申・戌は前に排すべきでなく、丑・卯も後ろに排すべきでないはずである。地支が四維と一位隔たっている以上、遠近不相称の毛病もあってはならないはずである。さらに廖公が記した「艮山丁向、水は癸に流れ、丁上に尖峰が対す」という一例を見れば、正神零神の説は自ずから廃れる。また卜応天の《雪心賦》が講じる「生成の竜あれば必ず生成の穴あり」は、単向か双朝かに拘泥しないのであり、兼前兼後の説もまた荒廃する。これは実に諸術の中でさらに等而下之のものである。宗廟の類の術と上下を争わないほどであり、事理を明らかにする君子は、必ずこのように拘執してその惑いを受けることはない。

星卦諸偽書の謬を論ず

《易》曰:“仰以觀於天文,俯以察於地理。”葢天文易知,故曰觀;地理難明,故曰察。且不徒曰地,而必曰理,明其理者,輙以仙稱,此豈庸俗之所易知易能者乎?故地理,理學也。古之明於此者,自周召而下,若漢之留侯、唐之亞父丘公、大理卿曾公、晉參軍郭公、宋處士陳圖南,及牧堂父子,國朝之劉誠意伯諸公,皆崇儒碩輔,及懐才抱德之隱君子。本自正學中來,故能窮天人之理,探造化之源。

《周易・繋辞》は言う。仰いで天文を観、俯して地理を察す。天文は知りやすいので「観」の字を用い、地理は明らかにしにくいので「察」の字を用いる。しかもただ「地」と言わず必ず「地理」と言う。この理を明らかにできる者は往々にして神仙と称されるのであり、どうして庸俗の輩の知りやすく為しやすいものであろうか。ゆえに地理は理を講じる学問である。古にこの学問に精通した者は、周公・召公以下、漢の留侯張良、唐の亜父丘延翰、大理卿曽文辿、晋の参軍郭璞、宋の処士陳摶、および蔡牧堂父子、本朝の誠意伯劉基諸氏であり、皆儒学を尊崇する重臣か、才徳を懐く隠逸の君子であった。彼らはもともと正学から出てきたので、天人の理を窮究し造化の本源を探ることができたのである。

近世儒者,視為末務,而不暇究。傳其術者,類多庸俗,邪正是非,懵莫之辨,惟拘所授而已。得楊氏之書者為楊,得曾氏之書者為曾。至於其書之眞偽純駁,悉無所知。訛謬相傳,而淫巫瞽史徧天下,紫以奪朱,牢不可破。魏仙翁所謂“先入之言為主,正道無由聞耳。”夫天下事有眞則有偽,有正斯有邪。使星卦果於陰陽理無所效靈,則升墟望楚者不必樹臬以揆日,而卜洛造周者,又何必藉土圭測景以相其陰陽乎?

近世の読書人はこれを末流の小事と見なし、研究する暇がない。この術を伝習する者は、大半が庸俗の輩で、邪正と是非を懵然として弁別せず、ただ師の授けたままを死守する。楊筠松の書を得れば自ら楊派と称し、曽文辿の書を得れば自ら曽派と称し、その書が真か偽か、純か雑かは全く知らない。誤りをもって誤りを伝え、そこで濫竽充数の巫師や盲目の史官が天下に遍く満ち、紫が朱の正色を奪い、牢として破れなくなった。これが魏伯陽のいう先入の言が主位を占めれば正道は聞く由もない、ということである。天下の事は真あれば偽あり、正あれば邪あり。もし星卦の説が陰陽の理に対して全く霊験がないなら、衛文公が墟に登って楚を望んだ時、標竿を立てて日影を測る必要はなかっただろうし、周公が洛邑に卜居して周室を営建した時、どうして土圭をもって日影を測りその陰陽を相看する必要があっただろうか。

《雪心賦》既云卦例之非矣,又何謂“布八方之八卦,審四勢之四維?”又曰“山分八卦”,又曰“八卦五行,必須參究。”凡此非故自相矛盾,要必有說耳。楊筠松之徒曾文迪,堪輿家宗丘也。文迪以《青囊經》授之陳摶。摶復釋注詳明,稱《天機書》以授吳克誠,傳之景鸞以及廖瑀、傳伯通諸人各有著述,發明青囊。時則有若賴文俊者其學亦出文迪,見《賴布衣本傳》,又著為《催官》之篇,與廖氏諸書若合符節,故世稱廖賴,兒童走卒皆知其為地理名家。今考其術,悉皆天星方位之說也。而顧以星卦為謬,何哉?

《雪心賦》は卦例が正しくないと言う以上、なぜまた八方の八卦を布列し四勢の四維を審察せよと言うのか。また山を八卦に分かつと言い、八卦五行は必ず参究せねばならぬと言う。これは彼が自ら矛盾するのではなく、その中に必ず別の説があるのである。楊筠松の弟子曽文辿は堪舆家の宗師である。曽文辿は《青囊経》を陳摶に伝え、陳摶はまた詳明な注解を作って《天機書》と称して呉克誠に伝え、さらに呉景鸞および廖瑀・傅伯通らに伝わり、各々著述をもって《青囊》を闡発した。当時また頼文俊がいた——原書の自注:彼の学問も曽文辿に出る、《頼布衣本伝》を見よ——また《催官篇》を著し、廖氏の諸書と符契のごとく合致するので、世人は併せて「廖頼」と称し、児童や走卒までも彼らが地理の名家であることを知っている。今その術を考察すれば、悉く天星方位の説である。ではなぜまた星卦が謬誤であると言うのか。

蓋陰陽家正學眞旨,術者靳秘不傳。好事者遂杜撰偽書,以至諸家星卦之文紛然競出而雜乎其間,亂眞眩正,不勝繁穢。宜乎君子之厭其鄙陋,而一切擯斥之耳。夫眾惡必察,理貴窮源,學者須以伏羲之河圖、堯之曆象、大禹之洛書、箕子之洪範、文王之後天、周公之土圭、召公之相宅、孔子之天地數,以至周子之太極圖,邵子之《皇極經世》、朱子之《風水議狀》、蔡氏父子之《發微旨要》、曆法律呂諸書,玩索其間,而各究其所以為陰陽之說,俾胸中有見,不為後世邪術所惑,然後取陰陽家之鳴世者,如陳摶所注之《青囊經》、張子房之《赤霆經》、郭景純之《葬經》、陶士衡之《捉脈賦》、卜氏之《雪心賦》、廖金精之《洩天機》、賴布衣之《催官篇》等書,一一有以辨其眞偽,分其純駁,而復征之以仙蹟名墓,則陰陽眞旨,自灼然不待辨而明矣。

もともと陰陽家の正学の真旨を、術士たちは惜しんで秘密として伝えようとせず、好事の徒がついに偽書を杜撰した。それで各家星卦の文字が紛々として湧き出てその間に混雑し、偽をもって真を乱り正道を眩惑し、煩雑蕪穢極まりない。君子がその鄙陋を悪み一概に摈斥するのも無理はない。しかし衆人の悪む所も必ず自ら考察せねばならず、道理を講ずるには本源を窮究するのを貴ぶ。学者は必ず伏羲の河図・堯の歴象・大禹の洛書・箕子の《洪範》・文王の後天卦・周公の土圭・召公の相宅・孔子の講じた天地之数、および周敦頤の《太極図》・邵雍の《皇極経世》・朱熹の《山陵議状》・蔡氏父子の《発微論》と《葬書旨要》、および歴法・律吕の諸書を取り、その中で反復して玩味し探索し、各々それがなぜこのように陰陽を講じるかを明らかにして、胸中に見識を具え、後世の邪術に惑わされないようにせねばならない。それから陰陽家の世に著われた書、たとえば陳摶が注した《青囊経》、張良の《赤霆経》、郭璞の《葬書》、陶侃の《捉脈賦》、卜応天の《雪心賦》、廖金精の《泄天機》、頼布衣の《催官篇》などを取り、一々その真偽を辨明しその純雑を分かち、さらに前代の名師が点じた名墓をもって験証すれば、それならば陰陽の真旨は自ずから明白であり、弁論を待たずして明らかになるのである。

鄭氏鑑曰:“地理之學,莫不為偽書所誤。作偽者多假先賢名字,托眞以信偽,此風水選擇渭然凡下,列於術數。殊不知精妙一出河洛、太極圖諸書之推驗,果可以術數目之也耶?”曾葛溪曰:“紫陽朱子,崇正學,黜異端,而獨於葬宅一事,以為古人不傳,宜從俗擇。然則地理者,豈非吾儒分內事乎?第其書之亂眞眩正,非得眞旨者,未易辨之。”我緣督翁曰:“得訣歸來好看書。”有味哉其言之也!

鄭鑑は言う。地理という学問は、偽書に誤られないものはない。偽を造る者は大半が先賢の名を假藉し、真の名を借りて偽説に信を取らせる。これが風水と選択の学を卑下なものに見せ、術数の一流に帰類させるのである。ところがその精妙な所は悉く河図洛書・《太極図》の諸書の推験から出ているのであり、どうして本当に「術数」の二字をもって見なせようか。曽葛渓は言う。朱熹は正学を尊崇し異端を排斥したが、ただ葬地と住宅の一事においてのみ、古人の成法は伝わっていないので習俗に依って選択すべきだと考えた。それならば地理はまさに我ら儒者の分内の事ではないか。ただあの書々が偽をもって真を乱り正道を眩惑するので、真旨を得た者でなければ分辨しにくい。我らが縁督真人は言う。口訣を得て帰ってから初めて書を読むのがよい。この言葉は実に味わい深い!

宗廟水法の謬を論ず

卜氏云:“宗廟之水法誤人,五行之山運有凖。”此論確也。何則?蓋宗廟即洪範五行,以甲寅辰巽戌坎辛申為水,艮震巳為木,離壬丙乙為火,兌丁干亥為金,丑癸坤庚未為土,乃顛倒五行之法。按吳國師仲祥進呈表,謂用之以審山音、推變運而已。故曰“五行之山運有凖”也。術家誤用以論水法則謬矣。

卜応天は言う。宗廟一派の水法は人を誤るが、五行をもって山運を推すのは准りがある。この言葉は確切である。なぜか。宗廟五行とは洪範五行であり、それは甲・寅・辰・巽・戌・坎・辛・申を水とし、艮・震・巳を木とし、離・壬・丙・乙を火とし、兌・丁・乾・亥を金とし、丑・癸・坤・庚・未を土とする、常規を転倒した一套の五行である。国師呉景鸞が朝廷に進呈した奏表によると、この五行はただ坐山の音属を審辨し変運を推算するためのものに過ぎない。だから卜応天は「五行の山運には准りがある」と言ったのである。術士たちが誤ってこれを取って水法を論じるのは、荒誕と言うべきである。

且其謬立九星相配之法,以五行之墓庫起,一位為破軍,次四位為祿存,次四為貪狼,次四為文曲,次四為武曲,次一為左輔,次一為巨門,次一為右弼,而最後之四為廉貞。並順左而旋,凡水之來,遇狼、巨、武、輔、弼之五者則為吉,而收水亦以之;遇祿、文、廉、破之四者則為凶,而放水亦以之。如甲山屬水,水墓在辰,辰即為破軍;巽巳丙午即祿存,丁未坤申即貪狼,庚酉辛戌即文曲,乾亥壬子即武曲,癸即左輔,丑即巨門,艮即右弼,寅甲卯乙即廉貞。

しかもそれは誤って一套の九星相配の法を立てている。本五行の墓庫の位から起算し、第一位を破軍とし、次の四位を禄存とし、さらに四位を貪狼とし、さらに四位を文曲とし、さらに四位を武曲とし、さらに一位を左輔とし、さらに一位を巨門とし、さらに一位を右輔とし、最後の四位を廉貞とし、皆左に順して回転して排してゆく。およそ水が流れ来るとき、貪狼・巨門・武曲・左輔・右弼の五星に遇えば吉とし、水を収めるのもこれに拠る。禄存・文曲・廉貞・破軍の四星に遇えば凶とし、水を放つのもこれに拠る。たとえば甲山は水に属し、水の墓庫は辰にあり、辰位はすなわち破軍である。巽・巳・丙・午はすなわち禄存、丁・未・坤・申はすなわち貪狼、庚・酉・辛・戌はすなわち文曲、乾・亥・壬・子はすなわち武曲、癸は左輔、丑は巨門、艮は右輔、寅・甲・卯・乙はすなわち廉貞である。

而其安排九星,亦且變亂。蓋其序本貪狼、祿、文、廉、武、破、輔、弼。今乃亂之,而乃破、祿、貪、文、武、左巨、右廉,其間多寡乃復不倫,抑又何據耶?蔡西山曰:“野俗之書,專論坐向水路之星辰。其星辰又取於北斗之九星,更無義理。”曾葛溪曰:“驗之仙蹟,亦多不合。大抵立言著述循理,而非狥人。彼升玄者,古稱術仙也。乃曰‘合八卦,依八卦下;合破卦,依破卦下;合陰陽,依陰陽下;合宗廟,依宗廟下。要須通變,不可執泥。’是何言哉!誠如其說,則風水者不過聽其遭遇,本無依據耳。是亦安用卦例為哉!”此其不足信也明矣。

しかもその九星を排列する次序も乱れている。九星本来の次序は貪狼・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍・左輔・右弼であるのに、今は破軍・禄存・貪狼・文曲・武曲・左輔・巨門・右輔・廉貞と打ち乱し、その間の每星が占める位数も多寡斉しくない。これにまた何の根拠があろうか。蔡元定は言う。郷野の粗俗な書は、専ら坐向と水路の上の星辰を講じ、しかもこれらの星辰は北斗九星から取られているので、さらに義理の言うべき所がない。曽葛渓は言う。前代の名師が点じた地をもって験証しても、大半は合わない。およそ言を立て書を著すには道理に遵循すべきであって、人情に迁就するものではない。あの升玄と号する者は、古に術中の神仙と称されたが、彼は言う。八卦に合すれば八卦に依って葬り、破卦に合すれば破卦に依って葬り、陰陽に合すれば陰陽に依って葬り、宗廟に合すれば宗廟に依って葬る。要するに権変に通じ、拘泥してはならない、と。これは何という言か。真に彼の言う通りなら、風水は単なる運任せで本来何の根拠もなく、それなら何のために卦例を用いるのか。宗廟水法が信ずるに足らないのは、明白である。

国音拘向の謬を論ず(一)

國音之法,則朱子曰:“國音之說,自謂無用之談。”又曰:“庸妄之偏說,以五音盡類群姓。而謂冢宅向背,各有所宜,乃不經之甚者,先儒以力辨之。”夫朱子所謂“先儒力辨”者,疑取呂氏之序《宅經》也。其言曰:“近世巫覡,妄分五姓。如張王為商,武庾為羽,似取諧韻。至於以柳為宮,以趙為角,又復不類。或同出一姓,分屬宮商,或複姓數字,莫辨徵羽。此則事不稽古,義理乖僻者也。

国音の法について言えば、朱熹は言う。国音という説は、自分では用無き空談と思い込んでいる、と。また言う。これは庸人妄人の偏見で、宮商角徵羽の五音をもってあらゆる姓氏を帰類させ、さらに墳墓と住宅の朝向背向に各々宜しき所があると言うのは、実に荒誕極まりなく、前代の儒者がすでに極力辨明した。朱熹の言う「先儒力辨」は、おそらく呂氏が《宅経》のために作った序を指すのであろう。序に言う。近世の巫覡は勝手に姓を五類に分け、たとえば張・王を商音に帰し、武・庾を羽音に帰するのは、諧音に拠って取ったらしい。しかるに柳を宮音に帰し趙を角音に帰するのは、また類を成さない。本は同じ一姓なのに、分かれて宮音と商音に帰する者もあり、複姓は数字あるので、それが徵か羽かを全く分かち得ない。これは古法を考稽せず義理も乖僻なやり方である。

今以往躅證之,如曾相公宣,字子布諡文肅。祖地在建昌南豐縣,乾山,寅甲向水去。俗師以為曾氏火音,水破長生。又如黃君謨,遇異人指穴在嶽州平江縣,其向七乙三辰,水歸五丁,又交坤申。俗師亦謂水破商音,谷將主退財。二家富貴綿遠。蘇氏曰:“五姓從來不可憑,因官因地賜為稱。商音黃氏嘗為用,水破坤申愈顯榮。”此其昭昭明證也。廖金精云:“惟有姓音不可憑,謬妄最分明。聲同音異尤無理,鍾宮與終徵。陽屬宮音揚屬商,覆姓更難詳。亦有變姓與賜姓,過房何所定?三十八將最為先,縱合亦徒然。”此達理之論矣。

今、前人の旧跡をもって印証する。たとえば宰相の曽布——原書の自注:曽布は字を子布といい、諡を文肅という——その家の祖墳は建昌府南豊県にあり、乾山に坐して、水は寅甲の方から流れ去る。庸俗な術士は曽姓を火音に属すると見なし、これは水が長生を破ると言う。また黄君謨が異人に遇い、彼のために指した穴は岳州平江県にあり、向首は乙七分・辰三分の間にあり、水は五丁の位に帰し、また坤申に交わる。庸俗な術士もまたこれを水が商音を破ると言い、必ず財を退くと断定した。ところがこの二家はともに富貴が綿々として久遠であった。蘇氏は言う。五姓の説は昔から拠るべからず、姓氏はもともと官職・封地・賜姓によって名を得た。商音の黄家はかつてこのような地を用い、水が坤申を破ったがかえってますます顕栄した。これが明明白白の証拠である。廖金精は言う。ただ姓音のみが信憑できず、その荒誕は最も顕著である。同じ読みなのに異なる音属に派分され、特に道理がない。「鍾」姓は宮音と算え、「終」姓は徵音と算え、「陽」姓は宮音に属し、「揚」姓は商音に属する。複姓はさらに分辨しにくい。さらに姓を改めた者・姓を賜わった者・過継された者もあり、何に拠って定めるのか。いわゆる「三十八将」を最前列に置いても、たとえ凑合できても徒労である。これこそ事理に通達した議論である。

断験小数の謬を論ず

蔡西山先生曰:“世之君子,尋常以地理為鄙事而莫之問。一旦有不得已,則茫然不知所謂,而托之野師巫俗。野師巫俗者,類皆憸邪小輩,能以詭譎小數,多為之巧,密探往事,兼以他術兩為之說,幸中未來。君子既不知本源,以為禍福之權或出其手,委心而聽命焉。使之立宅則生者不得安其居,使之作冢則死者不得安其葬。

蔡元定先生は言う。世の君子は平素、地理を鄙陋な事として顧みず、一たび已むを得ぬ丧葬の大事に遇えば、茫然として措く所を知らず、郷野の術士と巫俗の人に托付するしかない。これらの郷野の術士と巫俗の人は、大半が奸邪の小輩で、詭譎の小伎俩を用い、多方に巧みを逞しゅうする。暗に人の家の往事を打探し、さらに別の術数を兼用して両頭から言い立て、僥幸として将来の事を言い当てる。君子は根本源流を知らないので、禍福の権柄が或いは真に彼らの手にあるのかと思い、一心に聴従して摆布される。彼らに宅を立てさせれば活人は住まい安らかならず、彼らに墳を造らせれば死者は葬られて安んぜざるなり。

《俯察》云:“今之術士,善斷墳者必謬於葬,以斷墳下穴則穴必敗,以下穴斷墳則斷不驗。如浮沙斷、覆墳經、入門斷、透山光、隔山照、望宅斷、搜鬼經、都天斷、望龍斷、隔江斷,與夫鬼靈經、烚屋羅睺、開皇夾竹之類,皆可以一時所見談禍福,而於龍穴初無與焉。予少時嘗見有能地理克應者,雖奇驗如神,而心竊疑其妄,然亦未能窮其所以然之故,因百計求之。及得其術,始信其詭偽可鄙。江湖上謂之撥推行術。

《俯察》という書は言う。今の術士は、旧墳を断ずるのに長けた者は必ず新地を葬ることができない。墳を断ずる一套をもって穴を下せば、穴は必ず敗れる。穴を下す一套をもって墳を断ずれば、断も霊験しない。浮沙断・覆墳経・入門断・透山光・隔山照・望宅断・搜鬼経・都天断・望竜断・隔江断、および鬼霊経・烚屋羅睺・開皇夾竹の類は、皆ただ一時の目見に拠って禍福を談ずるに過ぎず、竜穴そのものとは毫も相干らない。私は若い頃、地理の克応を断じ得る者を見たことがある。奇験が神のようであったが、心の中では密かにその荒誕を疑い、ただその所以然を言い出せなかったので、千方百計を尽くしてこの術を求めた。学び得てから初めて、その詭詐虚偽・実に鄙すべきことを信じた。江湖ではこれを「撥推行術」と呼ぶ。

每觀售術之際,舉止態度,深有可笑者。望之則有矜誇之色,問之則為孔竅之辭,或縱恣而大言,或禁秘而不答,是皆不過以禍福馳騁,聳動視聽而已。或用之驗舊扦新,立宅改路,開門放水,則必以左道為區處,言某日當進財納慶,某年當受祿添丁。其言似若可信,故世之貪富貴、泥禍福者,爭趨慕而信用之。雖聰明之士,亦不免為其所愚弄。智者觀之,則其謬妄有不可掩焉者,益信西山所謂憸邪詭譎為不誣也。鄭氏曰:“山川美惡,吉凶感召,固然也。而區區專以禍福言者,則涉於術數,非理也。”故凡地理之學,但當以理為主,其應驗與否,一聽其自然。若於理外遷就,以取日前克應,是猶詭遇獲禽,君子不為也。茲故特詳其弊,俾世之習斯術者,不可不慎。而人子之求宅兆者,知斷驗小數之無補,而不為其所惑,必從事乎龍穴根本,明理之良師雲。

彼らが術法を兜售する時の挙止神態を見るたびに、実に可笑しい。遠く見れば矜夸の神色で、一問すれば機鋒隠語ばかりを言う。ある時は放肆に大言連篇を吐き、ある時はまた神秘を装って答えようとしない。これらはただ禍福をもって口舌を馳騁し、人の視聴を聳動するだけである。もし彼らに旧墳を験させ、新地を扞させ、あるいは宅を立て・路を改め・門を開き・水を放たせれば、彼らは必ず旁門左道をもって処置し、某日は財を進め吉を納るべし、某年は禄を受け丁を添うべしと言う。これらの言は聴けば信じられそうなので、世の富貴を貪り禍福に拘泥する人々は争って趨附して信用し、聡明の士でさえ彼らに愚弄されるのを免れない。智慧ある者が一見すれば、その中の荒謬は掩いきれず、蔡元定が彼らを奸邪詭譎と言ったのが誣枉でないことをいよいよ信じる。鄭氏は言う。山川の美悪は吉凶を感召し得る。これは本当の実情である。しかし斤々として較較とし、専ら禍福をもって事を言うなら、それは術数に落ち、理に合わない。ゆえに凡そ地理の学は、ただ理を主とすべく、霊験するか否かは一概に自然に聴く。もし理の外で迁就附会し、眼前の克応を博取せんとするなら、それはちょうど車を駆って不正の方式で獲物を追うようなもので、君子は肯んじて為さない。ここにことさらその弊病を詳しく講じたのは、世のこの術を学ぶ者が謹まざるを得ないようにし、また人の子として墓地を求める者に、断験の類の小伎俩に実益がないことを知らせ、それに惑わされず、必ず竜穴という根本から着手して、明理の良師を求めるためである。

克応・讖兆の謬を論ず

克應讖兆,大抵皆術家假此神術而已。君子不察,亦往往有入其術者。甚矣,邪說之易惑也!按克應有二,其一謂穴中幾尺下有某物某形某色,如所謂龍肝、鳳髓、猩血、蟹膏、象牙、龍骨、虎珀、硃砂、絲紅、綠翠之類。《玉髓經》取龍形有火焰石,鳳形有紅黃石,虎形有虎威石,獅形有球子石,象形金星石,及將軍大座有劍,美女梳妝有鏡之類。

いわゆる「克応」と「讖兆」は、大方は術士がこれを借りて己の腕前を神がかりに言い立てるだけのものである。君子が考察を加えないと、往々にして彼らの罠に落ちる。邪説とはこれほど人を惑わしやすいものか。克応には二類ある。第一類は、穴の中を数尺掘り下げるとある物・ある形状・ある色が出るという説で、たとえばいわゆる龍肝・鳳髓・猩血・蟹膏・象牙・龍骨・琥珀・朱砂・絲紅・緑翠の類である。《玉髓經》は、龍の形の地下には火焔石、鳳の形には紅黃石、虎の形には虎威石、獅の形には球子石、象の形には金星石、および「將軍大座」形の地下には劍、「美女梳妝」形の地下には鏡などがあると説いている。

崔菊坡謂世俗驟見其說,必致驚駭而反成執泥,然不可謂無此理。若執為常法,則又不然,此亦固有見。予謂開井得紅黃光澤堅實之土,或脆嫩細膩之石,及似石非石、似土非土,《葬書》所謂“裁金切玉,五土四備”之說,理或然也。而必取某形當得某物證應,豈不誕哉!烏可執以為法?又有蝦、蟹、龜、魚、蛇、蟲活物,取為生氣神異等說,皆不足信。固嘗聞之,亦嘗見之,大抵舉不足為地之輕重,縱有亦不可洩露,洩露則龍力減,反為不吉,又安可取之為應哉!

崔菊坡は、世俗の人がこれらの説を聞き初めれば必ず驚き駭き、かえって死に物狂いで固執するようになるが、しかし全く理がないとも言えず、もしこれを常法として固守すれば間違いだと考えた。この言も確かに見識がある。私が思うに、金井を掘るとき紅黃で光沢あり堅固な土、あるいは脆く細やかな石、および石のようで石でなく土のようで土でない物を得たなら、それは《葬書》のいう「裁金切玉、五土四備」の意で、理の上ではおそらくそうであろう。しかし、ある形の地には必ずある物が掘り出されて證応とならねばならないと言うなら、なんと荒唐無稽か。どうしてこれを法則にできようか。また蝦・蟹・龜・魚・蛇・蟲などの生き物が掘り出されたのを、生気が顯靈した神異の兆とする説もあるが、これらはみな信ずるに足らない。この種のことは私も確かに聞き、確かに見たが、大体はどれもその地の価値を増減するに足らない。たとえあっても、漏らしてはならず、漏らせば龍の力が減損してかえって不吉となる。それをどうして応験とできようか。

其次又有日時克應之說,專取下建時讖兆凖驗,固嘗博訪考求。有以奇門取者,有以斗罡取者,有以氣候孤虛取者,有以方位論卦取者。或曰某方有某色物來,或曰某方有某色雲起,或有響聲至,或有貴人臨。最其神者,曰馬騎人或有人負木馬過應、魚上樹或有以木魚或乾魚掛樹之類,固亦頗凖。第於龍穴美惡無與,地之吉凶何干?徒以此眩弄愚輩之信聽而已,則亦何足尚哉!

第二類は日時克応の説で、専ら動土し下葬するその時刻に讖兆を取って検証する。これも私はかつて広く訪ね求め考究した。奇门で取る者もあれば、斗罡で取る者もあり、節氣孤虚で取る者もあり、方位論卦で取る者もある。ある者は某方からある色の物が来ると言い、ある者は某方にある色の雲が立ち昇ると言い、ある者は響き聞こえる音があると言い、ある者は貴人が臨むと言う。中でも最も神妙なのは「馬騎人」――木馬を担いで通る者があれば應とする――あるいは「魚上樹」――木魚や乾魚を樹に掛ける類――で、これらもかなり応驗するという。しかしそれらは龍穴の善し悪しと少しも関係なく、地の吉凶と何の関わりがあろうか。ただこれを借りて愚人を眩惑し、信任を買うだけで、どうして推奨に値しようか。

通書の諸神煞の謬を論ず

夫選擇星曆通於天文,本理學也。古之明於星曆者,自鳳鳥氏、鬼臾蓲與車區、羲和、叔仲諸人,皆弼輔重臣。及春秋、秦、漢以後,亦皆老師夙儒,如王翊、赤松之流,懷才抱德者。迨宋,若邵堯夫、蔡季通,又皆崇儒,其所言論純正無疵。近世以來,流為異術,詭譔神煞之名,務於驚駭,名曰《通書》,蔓延海內,家喻戶曉。雖有臺曆頒行,莫之能正。君子倉卒用之,亦莫能辨。間有知其妄者,不敢獨異,亦各隨俗。是故愈久而愈失其眞,流毒千載,何有止極?茲敢陳其最妄誕者數條,以為明理君子拔茹藥病之張本,俟知崇正學者更詳考之。

擇日と星曆の学は天文に通じ、もともと理を説く一門の学問であった。古代に星曆に精通した人は、鳳鳥氏・鬼臾区・車区から羲和・叔仲ら諸人に至るまで、みな朝廷を輔弼する重臣であった。春秋・秦・漢以降も、みな宿儒・名師で、王翊・赤松子のような才と徳を懐いた人々であった。宋代に至っては、邵雍・蔡元定のごときもまた儒学を尊崇し、その言論は純正で瑕がなかった。近世以来この学問は異術に流れ、神煞の名目を空想的に捏造し、ひたすら人を聳動させることを求め、《通書》と名づけられて海内に蔓延し、家々に知られ戸戸に通じた。朝廷に欽天監が頒行する曆書があっても、とうとう是正できなかった。君子が慌ただしくこれを用いても真偽を見分けられず、時折その荒謬を知る者があっても、独り標新立異を敢えてせず、俗に随って行う。だから時が経つほど真を失い、流毒は千年、どこに果てがあろうか。ここに敢えてその最も荒誕な数条を陳べ述べ、理を明らかにする君子が病根を抜き対症して藥を下す張本とし、正学を崇ぶ人のさらに詳しく考訂するのを待つ。

一、《通書》神煞皆起於郭氏《元經》。楊公云“景純雖說無年月”,則知《元經》亦非郭氏書。《通書》諸神煞又多出於《元經》之外,各家杜譔,巧立異名,使人畏恐。如雲李廣箭,則廣漢武時人。丘公煞,丘公唐人。楊公忌,楊公南唐時。是唐漢之前無其煞與?他如所謂閻王催尸之煞、催尸上馬之煞、血光打足、披頭跌蹼之煞、風波自起之殺,類皆誑世。又有以定位為拾害,以開位為拾財、極富之類,又皆愚弄世人。至於有口鶚快、秋天日、長壽不老之類,是皆巧立異名之尤者。然名愈巧而術愈陋矣。

第一条、《通書》の神煞はみな郭璞の《元經》に起こると言われている。楊筠松は、郭景純には著述はあったが年月を説かなかった、ゆえに《元經》も郭璞の書ではないと言った。《通書》の多くの神煞はまた《元經》の外に多く、各家が杜撰し巧みに名目を立てて人を嚇すためのものである。たとえば「李廣箭」と名づけるが、李廣は漢武帝の時の人である。「丘公煞」と名づけるが、丘延翰は唐の人である。「楊公忌」と名づけるが、楊筠松は南唐の時の人である。唐・漢以前にはこれらの煞がなかったのか。その他、いわゆる閻王催尸煞・催尸上馬煞・血光打足・披頭跌蹼煞・風波自起煞の類は、みな世を欺く言である。また「定」の位を拾害と呼び、「開」の位を拾財・極富と呼ぶ類も、みな世人を愚弄するものである。「有口鶚快」「秋天日」「長壽不老」といった名目に至っては、巧みな異名の極致である。名目が巧みになるほど、術法はいよいよ鄙陋である。

按甘世彥云:“近世《通書》更易,不可盡信,觀其論雌雄、殮鬼殃殺等說,或出某方殺人,或出某方殺畜,或又某日回喪家再復殺人殺畜。此因一人死後而殺數人。數人死後,輾轉殺人之多,不幾於絕滅乎?其不足信也明矣。又觀所著啟攢五音祖墓,乃道神煞,謂正月犯辛煞八人,六月犯癸煞七人,九月犯庚煞七人。如此惑世誣民,見聞之際,莫不驚駭。屢試無凖,不足畏信,適足為明聖者所鄙雲。

甘世彦の言によれば、近世の《通書》は改められ改められて全く信ずべからず。それが雌雄・殮鬼・殃煞の類を説くのを見よ。殃氣はある方から出て人を殺し、あるいはある方から出て牲畜を殺し、また某日に回煞して再び喪家に至り人を殺し畜を殺すと言う。こうなれば、一人が死ぬだけで何人も殺されることになり、その数人が死んでまた輾転と更多人を殺すのでは、人を殺し絶やすに近いではないか。信ずるに足らないのは極めて明白である。さらにそれが載せる開墳啓攅・五音祖墓の一節を見れば、説くところはみな神煞で、正月に辛煞を犯せば八人が死に、六月に癸煞を犯せば七人が死に、九月に庚煞を犯せば七人が死ぬと言う。このように世を惑わし民を誣いれば、人は聞くや否や驚駭しない者はない。しかし屢々試してみて中らず、畏れ信ずるに値せず、まさに明達な聖智の人に鄙棄されるにふさわしい。

二、論年轉諸神煞。考之《通書》,百有二十之多。以歲干起者曰山家困龍、巡山大耗、山家官符、天禁朱雀、坐山官符、穿山羅睺、值山血刃、金血刃、升玄燥火、羊刃殺、都天、太歲、朱雀殺;以歲支起者:坐山羅睺、山家血刃、山家刀砧、皇天灸退、支神退方、千斤血刃、白虎殺、陰中太歲、馬前六害、翎毛禁、向旁殺、的殺、鬼道、兵道、死道、血道、地道、火道、天太歲、地太歲、病符、死符、將軍、士皇、伏兵狼藉、游年五鬼、暴敗、大禍、鐵掃帚、天潑、刀士、游魂、黃旙、豹尾、喪門、弔客、大禁、歲刑、歲壓、牛皇七殺、蠶官、蠶室、蠶命、皇帝入座、帝車、帝輅、帝軸、帝舍、飛廉、怨殺、仇殺、禁殺、哭殺、碎金三殺、年禁殺、宅長殺、宅母殺、長男殺、中男殺、小口殺、媍人殺、天命殺、暗刀殺、淨欄殺、天官符、地官符、田土官符、畜官符、通天大殺、皇天大殺、九良星殺等。

第二条、年ごとに推し転じる諸神煞を論ず。《通書》に載るものを査すれば、一百二十種に達する。太歳の天干により起算するものに、山家困龍・巡山大耗・山家官符・天禁朱雀・坐山官符・穿山羅睺・值山血刃・金血刃・升玄燥火・羊刃殺・都天・太歳・朱雀殺がある。太歳の地支により起算するものに、坐山羅睺・山家血刃・山家刀砧・皇天灸退・支神退方・千斤血刃・白虎殺・陰中太歳・馬前六害・翎毛禁・向旁殺・的殺、および鬼道・兵道・死道・血道・地道・火道、さらに天太歳・地太歳・病符・死符・將軍・士皇・伏兵狼藉・遊年五鬼・暴敗・大禍・鐵掃帚・天潑・刀士・遊魂・黃幡・豹尾・喪門・弔客・大禁・歳刑・歳壓・牛皇七殺・蠶官・蠶室・蠶命・皇帝入座・帝車・帝輅・帝軸・帝舍・飛廉・怨殺・仇殺・禁殺・哭殺・碎金三殺・年禁殺・宅長殺・宅母殺・長男殺・中男殺・小口殺・婦人殺・天命殺・暗刀殺・淨欄殺・天官符・地官符・田土官符・畜官符・通天大殺・皇天大殺・九良星殺などなどがある。

或以長生、沐浴取,或以建、破、危、成取,或以三合四正取,或以對宮取,或逆或順,或以五虎元遁取,或以五鼠元遁取。其間吉凶不一,如臨官,金精以為旺氣,《通書》乃謂官符;沐浴,六壬以為生運,金精又為敗氣。成位既為陰中官符、飛廉大殺、白虎、鬼火之凶,又為天喜、生氣、進祿之吉。大概如此,誠何足深泥哉!

これらの神煞の起法は、あるものは長生・沐浴により取り、あるものは建・破・危・成により取り、あるものは三合・四正により取り、あるものは對宮により取り、あるものは逆行しあるものは順行し、あるものは五虎遁により取り、あるものは五鼠遁により取る。その間の吉凶の説も一致しない。たとえば「臨官」は、廖金精は旺氣とするが《通書》は官符と言う。「沐浴」は、六壬は生運とするが廖金精はまた敗氣と言う。「成」の位は、陰中官符・飛廉大殺・白虎・鬼火という凶煞に算入されながら、また天喜・生氣・進祿という吉神にも算入される。大抵みなこの類で、まことに深信し拘泥するに値しない。

三、論月日諸神殺。夫月日之神殺,《通書》最繁。稽之曜仙《肘後經》所載,諸家神殺、六十花甲、周於一歲十二月之日辰,未有一日全無凶殺。若必欲拘之,卒無可用之日。曜仙不得已,乃折之曰:“神殺如天地之風雲,無日不有。但或在東方,或在西方,智者察其所在而避之耳。”又云:“擇其吉多者用之,如先儒論宋仁宗之朝,未嘗無小人,而不足以勝善類之氣。”斯二論誠為確當之言。如李衛公云“明人不論,闇者拘之。”此使貪使愚,兵家之術,又一說耳。

第三条、月ごと日ごとの諸神煞を論ず。月日の神煞は《通書》に最も煩瑣に記されている。曜仙《肘後經》の載せるところを査すれば、各家の神煞が六十甲子に配され、一年十二ヶ月の每日に遍く分布し、全く凶煞のない日は一日もない。もし必ずことごとく避けようとすれば、遂に用いられる日は一日もなくなる。曜仙は止むを得ず、折衷して言った。神煞は天地間の風雲のようなもので、ない日はない。ただ時に東にあり時に西にある。智ある者はそれがどこにあるかを察明して避ければよい、と。また言うには、吉神の多い日を選んで用いるのは、前代の儒者が宋仁宗の一朝を評して、小人がないではなかったが、ただ君子の正氣を壓するに足らなかったと言うのに似ている。この二段の議論はまことに確当な言である。李靖の言う「明らかな人はこれを計らず、糊涂な人のみこれに拘る」に至っては、あれは貪る者を駆り愚かな者を駆る兵家の權術で、また別の説である。

四、論山家諸神殺首稱墓龍變運為最凶。唐一行所謂“不得克山家運氣”,為大忌。《通書》以為墓龍變運,不可輕犯半字。注云:“年克山家殺宅長,月克山家宅母亡。日克山家殺新媍,時克山家小口當。”峩山謂見屢有犯之而不驗者。

第四条、山家の諸神煞を論ずれば、その中でまず「墓龍變運」を最凶と推す。唐代の僧一行が言うところの「坐山の運氣を克してはならない」は大忌と見なされた。《通書》は墓龍變運は半字も軽々しく犯してはならないとする。その注文は言う、年が山家を克すれば宅長を傷り、月が山家を克すれば宅母が死に、日が山家を克すれば新しい嫁を傷り、時が山家を克すれば小児に應ず、と。峨山は言う、彼は屢々これを犯しても應験しない人を見たことがある、と。

太和周東樓氏云:“墓運之說,如水土山墓在辰,若歲遇甲己,墓在戊辰,納音屬木,忌金納音年月日時之類。然如水生在申,旺於子。今獨不思墓運既不可克,而生運旺運乃可克乎?既有墓運,又何得無生旺運乎?夫旺焉而克,或謂如子平推命法,身旺要煞,勿使旺盛無依,猶可言也。若乃生運則如始達之泉,於此乎克,豈不潰散元氣,尚何抵於終窮而有墓哉?逆而推之,則胎養一運且未有生之日;順而推之,則官帶、臨官二運亦未及旺之時。木生未旺,又何使之先受克乎?

太和の周東樓は言う。いわゆる墓運とは、たとえば水・土二種の山は墓庫が辰にあり、もしその年が甲か己に逢えば辰は戊辰となり、納音は木に屬するから、金の納音の年月日時を忌む類である、と。しかし水は申に長生し子に帝旺する。今どうしてひとえに考えないのか。墓運が克されるべからずなら、生運・旺運は克されてよいのか。墓運がある以上、どうして生運旺運がないことがあろうか。旺の時は克されてよいと言うなら、あるいは子平推命の法を援用できるかもしれない。身の旺なる者は七煞の制を要し、旺盛にして倚る所なきに至らしめない、という言はまだ通ずる。生運に至っては、ちょうど湧き出たばかりの泉水のごときもので、ここに克を加えれば、元氣を沖散してしまい、どうして最後まで行き著いて歸すべき墓庫があろうか。逆に推せば、胎・養の二運はまだ出生の日に至っていない。順に推せば、冠帶・臨官の二運もまだ旺の時に至っていない。木は生まれ出たばかりでまだ旺んではいないのに、なぜまず克を受けさせるのか。

其論如此,意謂墓運不足信。然其言似正,實則本然。蓋墓運之說,出自商氏《歸藏》氣候孤虛之易。以《歸藏》為義,故止論墓運。且墓者,歸止之所,居而不移,是其根本之地,可長可久,非若旺、官,只能眩耀於一時。且安有長旺常官之理?惟墓地五行,至此始具眞性,《易》所謂“原始要終”,其此謂也。但歲克墓凶之說,固為傷山之元氣。然亦必以天符為主。若其年月山家得天符之旺,歲音雖傷,何能為害?苟天符弗旺,墓雖克歲,安能為福?此其肯綮耳。

彼の議論はこのようで、墓運の説は信ずるに足らないという意である。しかし彼の言は正大に見えるが、実は事に本来の來歴がある。墓運の説は商の《歸藏易》の氣候孤虚の一套に出る。すでに《歸藏》を義理の根拠とするから、墓運のみを論ずる。何况「墓」は歸宿し止息する所で、安く居りて遷らず、根本の所在であり、長くも久しくもできる。帝旺・臨官のように一時しか顯耀できないのとは違う。世に長く旺えて衰えず、長く官位に居る道理があろうか。墓地に至ってのみ、五行はその真性を具備する。《周易》のいう「原始要終」とはまさにこのことである。ただし歳運が墓を克すのを凶とする説は、固より坐山の元氣を傷るものだが、また必ず「天符」を主としなければならない。もしその年その月に坐山が天符の旺を得れば、太歳の納音に傷る所があっても、どんな危害をなし得ようか。もし天符が旺でなければ、墓が太歳を克しても、どうして福を齋らし得ようか。これこそその中の關鍵である。

五、《通書》所載行年身運,其例不一。有以卦論行年所值吉凶者,有以三元白紫之例以論行年吉凶者,有所謂羅星、太陽運法者,有所謂通天竅、陰陽二命行年之法者,又有六壬小運行年值公曹、神后、登明、傳送、勝光為吉者,又有老君三元白法,以行年得紫白為吉者。又有五殺年月,又有瓊林血海,又有退神年運及金樓正運、豬頭身運、透天六壬、大運小運、走馬六壬、中運帝星、身運天元、身運集正、三元永定、三元盤古、三元破軍、三元女柳、三元總聖、三元老子、三元九星、大運九星、小運、通天竅白、與夫利田身運,種種不同,彼吉此凶,多相矛盾。

第五条、《通書》に載る行年身運は、起例もまた各々同じからず。卦を用いて行年の值る吉凶を論ずる者あり、三元紫白の起例を用いて行年の吉凶を論ずる者あり、いわゆる羅星・太陽運法なる者あり、いわゆる通天竅・陰陽二命行年の法なる者あり。また六壬小運をもって行年が功曹・神后・登明・傳送・勝光に值るを吉とする者あり、また老君三元白法をもって行年が紫白を得るを吉とする者あり。このほか五殺年月あり、瓊林血海あり、退神年運あり、および金樓正運・猪頭身運・透天六壬・大運小運・走馬六壬・中運帝星・身運天元・身運集正・三元永定・三元盤古・三元破軍・三元女柳・三元總聖・三元老子・三元九星・大運九星・小運・通天竅白、さらに利田身運、種種同じからず。この家は吉と言いあの家は凶と言い、多くは自相矛盾する。

細考其說,皆非有據。楊公所謂“天機妙訣值千金,不論行年與納音。但看山頭並命位,五行生旺好追尋。”是則選擇之法,當以本命而論祿馬貴人,山頭而取五行生旺,此正理也。何況此等本根之身運哉。矧楊公既不用,則其不足信也明矣。特述以告明者。

これらの説を仔細に考究すれば、みな根拠がない。楊筠松は言う、天機の妙訣は千金に值し、行年と納音を論ずるに及ばず。ただ坐山と本命の位を看て、五行の生旺の上より追尋せよ、と。見るに擇日の法は、本人の生年命屬に按じて祿・馬・貴人を論じ、坐山に按じて五行の生旺を取るべきで、これこそ正理である。何况この類のいわゆる根本の身運の説においてをや。况且楊公はすでにこれを用いなかったのだから、それが信ずるに足らないのは極めて明白である。ここに特に述べて明らかな人に告げる。

六、通書《地理大全》所載亡人豬頭身運等一十八條,大原家寳亦謂其浩瀚無據。其可通用者,僅有郭氏《靈轄經》所載論金木水火土五行生數,取亡運歸四墓,及四大魂星入墓之說,頗可從俗。其它如所謂亡人執印入墓,以亡命後五辰為魂,前五辰為印,要印遇長生,魂遇墓絕為吉。又有所謂四大年頭,如亡人寅申巳亥生,則取寅申巳亥年月日時安葬為吉。

第六条、《通書・地理大全》に載る亡人猪頭身運など十八条は、太原《家寶》一書もその浩繁にして根拠なきを言う。その中で通用できるのは、郭璞《靈轄經》に載る金木水火土の五行の生數に按じて亡者の運を取り四墓に歸せしめる説と、四大魂星入墓の二つの説のみで、なお俗に随って采用に堪える。その他、たとえばいわゆる「亡人執印入墓」は、亡者の生年の後の第五辰を「魂」とし、前の第五辰を「印」とし、印が長生に遇い魂が墓絶に遇って初めて吉とする。またいわゆる「四大年頭」は、たとえば亡者が寅・申・巳・亥年に生まれたれば、寅・申・巳・亥の年月日時を取って安葬するを吉とする。

又有所謂九宮魂入墓,又有所謂鬼谷子十干亡運,胡先生《指吉六輪經》、白鶴仙人《枕中記》及有《青龍枕記》、《龍子經》、《地甲宿經》等訣,皆以入墓為言。其間有以一十起於寅者,有以一歲起於寅者,有一十起於亥者,有一十起於坎者,有以一十起於離者,有逢墓而起一十者,有逢長生而起甲子者,推詳吉凶,互有得失。觀楊公所謂亡人命運,有多般不合也。如閒蘇氏所云“課取山頭生氣旺,坐宮入局合星辰,亡人別有推詳處,不用行年泥六輪”之句,其輕重得失見矣。

その他またいわゆる「九宮魂入墓」があり、いわゆる鬼谷子十干亡運があり、および胡先生《指吉六輪經》、白鶴仙人《枕中記》、さらに《青龍枕記》《龍子經》《地甲宿經》などの口訣は、みな「入墓」をもって論を立てる。その中に寅上より十歳を起こす者あり、寅上より一歳を起こす者あり、亥上より十歳を起こす者あり、坎位より十歳を起こす者あり、離位より十歳を起こす者あり、墓に逢って初めて十歳を起こす者あり、長生に逢えばすなわち甲子を起こす者あり。吉凶を推求するに、各々得失あり。見るに楊公の言う亡人の命運には、彼此合致しない所が少なくない。蘇氏が閑居の時言ったところの、擇課は坐山の生氣旺なるを取り、坐宮入局して星辰に合し、亡人には別に推詳する所があり、行年に按じて六輪に拘泥するを要しない、という言の中に、孰れが輕く孰れが重く、孰れが得で孰れが失かが見える。

七、《發微》通書有安山命之法,其例云:“歲歲皆從子起正,逆行數至月辰停。就將其時月上起,順行尋卯安命眞。”其說如此,謂人生八字安命法,以卯定之,彼亦以時尋卯定山之命宮。愚謂山川自洪蒙判而天地分,兩儀形而山川定。山川之干支萬派,氣相流通。葬者察地中之生氣以旺死骨。枯骸得氣,遺體受蔭,此正理也。而乃謂山可以命理八字法論之,而為之安命則陋矣。設使以葬日為亡人再生之命,而年月為造命之術,亦不當安命于山也。

第七条、《發微》の類の通書に「安山命」の法があり、その起例は言う、年ごとにみな子位より正月を起こし、逆行して本月の地支に數え至って止まり、その位に即いて本時を起こし、順行して卯位を尋ねて安命するが真なり、と。その説はこのようで、人生の八字に命宮を安ずる法を搬り來て、卯位をもって定め、また時辰をもって卯を尋ね、もって坐山の命宮を定める。私が思うに、山川は鴻蒙が闢き天地が分判し、兩儀が成形して後に山川が定まった。山川の干支は千支萬派で、氣脈は彼此流通する。下葬する人は地中の生氣を察取して枯骨を滋養し、枯骨が氣を得て後代の子孫が廕を受ける、これこそ正理である。それを山は命理八字の法をもって論じ得ると言い、それに命宮を安ずとは、浅陋である。たとえ下葬の日を亡人の再生の命とし、年月を造命の術としても、山に命宮を安ずべきではない。

八、通書有所謂周堂者,不知其始自誰何?行世已久,泥之愈深。如行嫁周堂,通書所言行嫁白虎,有睡死床堂、灶廚、路門之例,以為擇廚灶日用之。又曰值死乃白虎死,其日吉。值睡乃白虎睡,其日吉。俗則見其日死,遂謂凶不可犯。值睡亦不曰白虎睡,而於新人亦忌於睡,遂舉家坐以達旦。若此者何其惑之甚與!何其愚之甚與!

第八条、通書にいわゆる「周堂」があり、最初に誰が創立したか知らないが、流行すること久しく、人々の拘泥はますます深い。たとえば嫁娶周堂は、通書に説く嫁娶白虎に、睡・死・牀・堂・竈・廚・路・門という一排例があり、安竈の日を擇ぶのに用いる。それはまた言う、「死」に值る日は白虎が死する日で、その日は吉。「睡」に值る日は白虎が睡る日で、その日も吉、と。しかし俗人はその日に「死」の字があるのを見れば、凶で犯すべからずと言い、「睡」の字に遇えば、また白虎が睡るとは言わず、かえって新人までも睡ることを忌み、こうして全家が坐して夜明けまで熬える。こうあっては、なんとこのように糊涂であろうか。なんとこのように愚昧であろうか。

行之已久,略無議者。謂周堂之說有凖不可犯與?則吾深求其理,而竟無其起例;謂不足信與?世俗信之至周且篤。噫!天下事莫不有理,其於理有未窮,則其知有不盡,無怪乎世俗之惑滋甚也。蓋常俗不知察究其理,而儒者又不暇窮其術,拘於習俗,泥於常見,拘於忌諱,故耳。予謂陰陽之理,皆本於五行,其所以為禍福者,亦莫不以秉其生旺者為吉,而當其衰敗者為凶,遇其相生者為福,值其相剋者為禍,無餘論矣。

この一套は流行すること久しく、異議を提出する人はほとんどいない。周堂の説に準があり觸犯すべからずと言うか。私がその理を深く窮究しても、その起例を見出せない。信ずるに足らないと言うか。世俗は却って周全かつ篤實に信じている。ああ、天下の事に理を含まぬはなく、理が窮究し盡くされなければ、認識に盡くせざる所がある。世俗の迷惑がますます深いのも無理はない。これは尋常の百姓がその理を考察することを知らず、讀書人もこの術を窮究する暇がなく、こうして習俗に拘り常見に泥み忌諱に囿るだけである。私が思うに、陰陽の理はみな五行に本づき、その禍福を定め得る所以は、他ならず、生旺の氣を秉受するを吉とし、衰敗の地に處るを凶とし、相生に遇うを福とし、相克に遭うを禍とする。これ以外に別の説はない。

而通書之設周堂者,既無五行之起例,則無生旺衰敗之可推,無相生相剋之可據,徒執定局,而乃拘於大月小月某日某日吉,某日某日凶,年年不異,月月相同,不幾於膠柱而鼓瑟、刻舟而求劍乎?既無通變之機,又無的然吉凶之驗,則其所謂周堂雲者,禍福無憑,不足準信,削去不惑於君子亦宜矣!世人蹉過吉期,多因拘泥於此。豎造入宅,葬埋上官等日,皆有周堂之例,舉一隅,他可類推,又何足深辨哉!

しかし通書が設ける周堂は、五行の起例がない以上、その生旺衰敗を推す由なく、その相生相克に據る由もなく、ただ一つの固定した圖局を死守し、大月小月の何日が吉で何日が凶かに拘泥し、年年同じく月月相同じい。これは琴の柱を膠着させて琴を彈き、舟に刻して記をなして劍を求めるに近いではないか。通權達變の機竅がなく、また確鑿たる吉凶の驗證もないならば、いわゆる周堂は禍福に憑る所なく、取信に足らず、これを删去して君子に迷惑を受けさせないのも、また當然である。世人が吉期を錯過するのは、多くはこれに拘泥するがゆえである。このほか豎屋・上梁・入宅・葬埋・上任などの日にも、みな周堂の排例がある。一を挙げて三に反すれば、その余は類推できる。どうして深く辨析するを要しよう。

九、通書之最謬者,莫如三十六用。其說倡自祝文夫所譔《袖龍經》,詭立修方應驗,以為修報催官之方,則能使閒居者不日起復;修報黃甲利方之方,則能使白衣者起舉登科;修報火星青龍,則能使在官者轉官加祿;修作極富星月財方,則能使貧者驟獲橫財;修定位魁罡,能舍財獲窖;使鬼運錢來,則修鬼道之位;欲因妻得財,則修三女之方;欲因妻獲官者,則用三臺五庫;欲因軍得寶者,則用魁罡福星;倲兵道將軍,可以因軍得官;修順逆血刃,可以六畜大旺。修蠶命可旺蠶絲,修空亡則除冷退,救人長病修報天醫,救人喪禍修作白虎。謂脩金匱可旺人丁,謂修天瘟可除瘟疫。又有所謂袪鼠盜、解官訟、長壽年等事例,皆以修方為驗,其陋如此。

第九条、通書の中で最も荒謬なのは「三十六用」に過ぎない。この説は祝文夫の撰す《袖龍經》に倡導され、修方すれば應験するという説を憑空に立てた。すなわち、催官の方を修すれば、賦閑在家の人は日を置かず起復する。黃甲利方を修すれば、平民の子弟は應擧して登科する。火星青龍方を修すれば、在職の官員は升遷し祿を加える。極富星と月財方を修すれば、窮人は驟かに橫財を得る。定位魁罡を修すれば、錢財を舍出して窖藏を掘り當てる。鬼に替えて銭を運ばせたければ、鬼道の位を修す。妻子により財を得たければ、三女の方を修す。妻子により官を得たければ、三台五庫を用いる。從軍により寶を得たければ、魁罡福星を用いる。兵道將軍の方を動かせば、從軍により官を得られる。順逆血刃を修すれば、六畜が興旺する。蠶命を修すれば蠶絲が旺となる。空亡を修すれば冷退を除く。人の久病を救うには天醫方を修す。人の喪禍を救うには白虎方を修す。金匱を修せば人丁が旺となり、天瘟を修せば瘟疫を除くと言う。このほかいわゆる鼠を駆り盗みを防ぎ、官司を化解し、壽數を增添するなどの條目があり、みな修方に凭って應験するという。鄙陋もここに至る。

愚謂安葬墳墓,其地龍眞穴的,融結不偽,眞知其為富地,而用諸富星以助其富,眞知其為貴地,而用諸貴星以催其貴,理或然也。而龍穴不眞,徒狥年月,則亦無益。況修方而可以致富貴,可以使鬼運錢財,可以獲古窖金銀,可以救病,可以添壽哉!此理之所必無者。

私が思うに、墳墓を安葬するには、地の龍真・穴的・融結が假ならざるという前提においてのみ、確かにそれが富地であると知れば、諸々の富星を用いてその富を助長し、確かにそれが貴地であると知れば、諸々の貴星を用いてその貴を催發する。道理の上ではあるいは通ずる。しかし若し龍穴自体が真でなければ、ただ一へえに年月に遷就しても、益はない。何况一つの方位を修すれば富貴を招き、鬼に替えて錢財を運送させ、古人の窖藏の金銀を掘り當て、病を治し、壽を添え得ると言うにおいてをや。これは理の上に絶對にあり得ない。

茍如其言,則求名之士不必朝讀暮誦,講求書史,是但修其催官之方,則自能取青紫如拾芥;求利之士,不必曉行夜算,坐賈行商,但修其極富之星,則自獲寶窖;病者不必求醫,修天醫而可愈;訟者不必訴官,修天赦而可解矣。天下豈有是理也哉?惑世誣民,適取一笑耳。以上通書諸說之謬,有一人之言而自相矛盾如竅馬之類,有數家之書而各相牴牾如丙丁為獨火又謂三奇者,不能悉具,姑撮其要如此。泰和周氏所著《陰陽定論》,亦頗詳明,崇正學者,自當言下有悟雲。

假如彼の言うがまことにそのようであるなら、功名を求める者は早晚の誦讀・經史の講習を要せず、ただ催官の方を一修すれば、自ずから草芥を拾うがごとく高官顯位を取得できる。財利を求める者も、早起きして路を趕り深夜に賬を算し、坐賈し行商するを要せず、ただ極富の星を一修すれば、自ずから寶窖を掘り當てられる。病人は醫を求めるを要せず、天醫方を修せば痊癒できる。官司する者は上告するを要せず、天赦方を修せば了結できる。天下にどうしてこの理があろうか。世人を惑亂し百姓を誣衊するは、ただ徒らに人の一笑を惹くのみである。以上に挙げた通書諸説の荒謬は、あるものは同一人の言が前後に自ら矛盾するもので、「竅馬」の類のごとく、あるものは幾家の書が彼此抵觸するもので、丙丁がすでに「獨火」に算されまた「三奇」に算される類のごとし。これらは一一に列挙し盡くせないので、姑く要點を摘出して上のごとくした。泰和周氏の著わす《陰陽定論》もまた頗る詳明に講じている。正学を崇ぶ人は自ずから一讀して領悟する所があろう。

堪輿の宗旨

天自太極肇分,兩儀既判,立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,統言之曰氣。有氣則有象,有象則有數。天列星辰,地列川嶽。圖出於河,書出於洛,象數備具,變化乃行,吉凶由生,道其昭昭矣。乎世當洪荒,光嶽氣完,神聖迭生。人皇相厥山川,分為九區,兄弟九人各居一方,則相地之法其來遠矣。伏羲仰觀天文,俯察地理,以畫八卦,方位由定。黃帝置六相,以太常察地理,命大撓作甲子,造指南車,於霧中辨方,以滅蚩尤,則羅經之稱神器,信不誣也。

天は太極が初めて分かれてより、兩儀すでに判開し、天道を立ててこれを陰と陽と曰い、地道を立ててこれを柔と剛と曰い、統べて言えば皆「氣」と曰う。氣あれば象あり、象あれば數あり。天には星辰が列し、地には山川が列す。河圖は黄河に出で、洛書は洛水に出で、象と數と俱に齊い、變化乃ち行われ、吉凶これより生ず。その理すでに甚だ明らかなり。上古洪荒の世、山川光岳の元氣は完足し、神聖の人は繼いで世に出た。人皇は山川を相看し、天下を分けて九區とし、兄弟九人が各々一方に居った。見るに相地の法の由來久遠なり。伏羲は首を擡げて天文を觀、首を俯れて地理を察し、因りて八卦を畫し、方位これにより定まる。黄帝は六相を設け、太常に地理の察看を掌らしめ、大橈に甲子を創制せしめ、また指南車を造り、大霧の中で方向を辨明して蚩尤を滅ぼした。見るに羅盤を「神器」と稱するは、誠に虚言ではない。

鯀汨五行,帝乃震怒,錫禹洪範九疇。乃莫公劉興豳,陟則在巘,復降於原。既景乃岡,相其陰陽,民繁且宣。文王造周,更置卦位,是謂後天,而以入用。周公卜洛,相宅瀍澗之間,為周匹休。至於衛文,營室楚丘,樹臬揆日,景山與京,此誰為哉?蓋當時列國,皆有史官,如梓慎、甘公、唐昧、尹皐之流,皆以明於陰陽,主司宅兆而任之官。時入戰國,則皆懵然。

鯀が五行を亂すと、上天は震怒し、後に《洪範》九疇を大禹に賜った。此の後、公劉は豳の地で業を興し、山巘に登り、また平原に下り、日影をもって山岡を測定し、その向陽背陰を相看し、こうして百姓は繁衍し安舒した。文王は周朝を創建し、卦位を重新に排定した。これが後天八卦で、実用に投入された。周公は洛邑に卜居し、瀍水・澗水の間で宅址を相看し、周室の國運と美を同じくした。衛文公が楚丘で宮室を營建し、標竿を立てて日影を測り、景山に登り京丘を望んだことは、また誰が為したか。もともと當時の列國にはみな史官が設けられ、梓慎・甘公・唐昧・尹皋の類は、みな陰陽に精通することをもって受命して宅第と墓地の事を掌った。戰國に至り、これらの人はみな懵然として知らなくなった。

雖有鬼谷,不染世塵;青鳥、白鶴、赤松、黃石,皆避世之隱君子,抱道巖穴,憫惻斯世,演著《青囊》《青囊》乃黃石正經,赤松增傳,希夷補註。圯橋孺子,夜半授書。赤符應運,《赤霆》乃著。高隴原卑,前瞻後顧。相其主客,觀其祖宗,制穴尺寸,定法五行。八卦九變,九星九宮。八方噓吸,以占其風。穴前折水,折東屈西。妙斡造化,出入干支,天下之能事畢矣。功成名遂,鴻飛冥冥,托以辟穀,自卜壽塋在徐州房山。甫及八代,是生道陵,擇居龍虎,稱號天師。五十傳世,盛至於今。身後之謀,乃能如是,此又百代殊絕之傑也。

當時鬼谷子はあったが、塵世に染まらず、青鳥子・白鶴仙人・赤松子・黃石公は、みな世を避ける隱士君子で、道を抱いて岩穴の中に隱居し、世人を憐み、因りて推演して《青囊經》を著した。原書の自注に曰く、《青囊》は黃石公の正經で、赤松子が增補して傳を作り、陳摶が補注した。當年圯橋の上の少年張良は、夜半に黃石公の書を受け、赤色の符命が運に應じて生じ、《赤霆經》はここに成った。書には高隴と低原を講じ、前に瞻り後に顧み、主山と客山を相看し、祖宗の山を觀察し、穴の尺寸を制定し、五行の法を確立し、八卦九變・九星九宮を講じ、八方の氣息の吐納を講じて風向を占測し、穴前の折水を講じ、あるいは東に折れあるいは西に屈す。それは巧妙に造化を斡旋し、干支の間に出入し、天下の能事は皆この中に盡くされた。張良は功名を成し遂げた後、鴻鴈の高く飛び冥冥として去るがごとく、辟穀して仙を修ると托辭し、自ら壽塋を徐州房山に占った。わずか八代を經るや、張道陵を生み、龍虎山を選定して居し、天師と號し、五十代を傳え、今日に至るまで興盛している。彼の身後の謀がよくこの地步に至り得たとは、これまた百代に得がたい傑出した人物である。

金華石室,緘藏玄秘。漢尚識緯,義理乖僻。惟京房善易,以卦配六甲,休咎有徵。迨至東晉,間生景純,發為《葬書》,曰“葬乘生氣”,曰“山有四勢,氣從八方”,曰“土圭測其方位,玉尺度其遠邇”。皆妙參造化,默奪神功。惜被兩儒刪訂迷眞。淳風《小卷》,詞約精義。而陶公捉脈之《賦》,似専言乎形局。及其結語,則云“更能配合天星,萬古通行無此妙。”卜氏《雪心》之文,似不論於天星。及其警策,則云“八卦五行,必須參究”;又云“排八方之八卦,審四勢之四維”。此又皆徹上徹下之論,非深造者莫識也。

金華の石室の中には、玄妙の秘旨が封藏されている。漢代は讖緯を尚び、義理はかえって乖僻となった。ただ京房のみ《易》に精しく、卦をもって六甲に配し、吉凶皆徵驗があった。東晉に至り、間世して郭璞が生まれ、《葬書》を成し、「葬する者は生氣に乘る」と曰い、「山には四勢あり、氣は八方より從る」と曰い、「土圭を用いてその方位を測り、玉尺を用いてその遠近を量る」と曰い、皆巧妙に造化を參悟し、暗中に神功を奪った。惜しむべきは後に二儒者の删訂に遭い、真旨を迷失せしめたことである。李淳風の《小卷》は、文辭は簡約にして義理は精深である。陶侃の《捉脈賦》は、專ら形局を講ずるに見えるが、結語に至りて曰く、若し更に天星に配合し得ば、萬古通行これより妙なるはなし、と。卜應天の《雪心賦》は、天星を論ぜざるに見えるが、警策の處に至りて曰く、八卦五行は必ず參究すべし、と。また曰く、八方の八卦を排布し、四勢の四維を審察せよ、と。これらは皆上下を貫通する議論で、造詣の深き者でなければ認め出せない。

聞喜丘公,術本神授。扦立動星,占者以聞。爵以亞父,乃進圖經三卷十章,眞理氣之心印,天機之秘訣也。唐高宗能以金函玉櫃藏其書,而不知翼世即有黃巢之亂,瓊林府庫,皆眞能守禪。一行能撰銅函偽經,以混其眞。而不知其間乃有曾、楊之賢,金函秘書,悉為所得。曾、楊皆奔江南,求已為節制李司空所辟,因鑑丘公之轍,刊石作記,本圖免禍。而不知野歌閒編,聞風雜出,流弊無窮。

聞喜縣の丘延翰は、術法はもと神人の授ける所であった。彼が墳穴を扦定して星象を移動せしめたを、天象を占する者が朝廷に上奏した。朝廷は彼を亞父に封じ、彼は乃ち圖經三卷十章を進獻した。それはまさに理氣の學の心印、天機の秘訣であった。唐高宗はよく金函玉櫃をもってこの書を收藏したが、後世にすなわち黃巢の亂があり、瓊林の府庫の物も保ち難いことを知らなかった。僧一行は銅函の僞經を撰して真本を混淆するに用いたが、その時正に曾文辿・楊筠松のような賢者があり、金函中の秘書は悉く彼らに得られてしまうことを知らなかった。曾・楊の二人は皆江南に奔り、楊筠松は節度使の李司空に徵辟された。彼は丘延翰の前車の轍に鑑み、石に刻して記を作したが、本意は禍を避けんと欲したのに、鄕野の歌訣と随手に編んだ冊子とが、風に随って傳出し混雜して出て、流弊は窮まりないことを知らなかった。

惟楊公傳於文辿,而龍穴沙水之《心鏡》始作。文辿傳於希夷,而青囊經傳之註解始詳。賴布衣本楊公之儔匹,故《催官》、《旅寓》之論皆協天星。廖金精乃張守之選拔,故陽符陰契之說,皆出景鸞。子微一代偉人,而《玉髓經》専於形象,不得與廖、賴分抗。牧堂道學崇儒,而《發微論》未嘗顯闢天心。及乎朱晦庵、蔡西山,雖酷好風水,而教外別傳,恐亦未究。故其不用某山向之說,遂起後人藉口無窮之弊。不知西山嘗有分金之注,而文公《山陵議狀》,乃專辨於國音。

ただ楊筠松が學を曾文辿に傳え、龍穴砂水を講ずる《心鏡》が成った。曾文辿はまた陳摶に傳え、《青囊經》の傳と注解が詳備となった。賴布衣はもと楊公と名を齊らしする人物で、故に彼の《催官篇》《旅寓》の諸論は皆天星に合する。廖金精は張守に選拔された者で、故に《陽符》《陰契》の説は皆呉景鸞の一脈に出る。張子微は一代の偉人だが、《玉髓經》は專ら形象を講じ、廖・賴の兩家と分庭抗禮することができない。蔡牧堂は道學儒術を尊崇したが、《發微論》はかつて公に天心の説を辟駁しなかった。朱熹・蔡元定に至っては、風水を極めて愛したが、教外別傳の秘旨に對しては、恐らく窮究しなかった。故に彼らは某山某向の説を用いず、後人に無窮の借口を留めた。まさに知らざる、蔡元定はかつて分金の注解を作り、朱熹の《山陵議狀》は、專ら國音の説を辨駁したものであることを。

迨夫傳伯通《堪輿要約》,鄒仲容《答汪伯彥書》,皆推明理氣,承吳、廖之旨緒。劉太保《平砂玉尺》,誠意伯釋之而愈明。他如李玄緒之《三易三元編》、司馬大士之《光明大照圖》、陳彥繹之《業珠》、厲伯韶之《分金斷訣》、達僧記司馬頭陀之問答,潛齋述《素書寶鏡》之註疏,董德彰著《四神秘訣》、《天卦青囊》、《金斗算法》、《雪心賦解》等書,雖學有淺深,詞有純駁,然皆能發揮陰陽,推明理氣,而羽翼經旨,不可訾也。夫何謝子期者,定釋四書,執其偏見,闢廢天星。篁墩程公不察,首敘雄文,一倡群和,流毒海宇,深可憫惻。

傳伯通の《堪輿要約》、鄒仲容の《答汪伯彥書》に至っては、皆理氣を闡明し、呉景鸞・廖金精の旨趣の脈絡を承接した。劉太保の《平砂玉尺》は、誠意伯劉基の解を經ていよいよ明白となった。このほか李玄緒の《三易三元編》、司馬大士の《光明大照圖》、陳彥繹の《業珠》、厲伯韶の《分金斷訣》、達僧の記す司馬頭陀の問答、潛齋の述べる《素書寶鏡》の注疏、董德彰の著わす《四神秘訣》《天卦青囊》《金斗算法》《雪心賦解》などの書は、學問に深淺あり文辭に純雜あるものの、しかし皆陰陽を發揮し理氣を闡明し、經典の旨を輔翼するもので、詆毀すべからず。不意に謝子期が四書に定解を作り、偏見を執守して天星の説を辟斥廢棄し、篁墩程敏政は考察を加えず、率先して氣勢雄壯なる序を作った。一人が倡導すれば衆人が附和し、流毒は海内に及び、深く痛惜すべきである。

因嘗慨夫此理之在天地,本無顯晦。但自秦漢以來,每數百年始得一人,上明天道,下察民故,依經循法,為天下建邦立家,能使衰者振,僕者植,淹塞者達,響應神速,如呼谷中。然皆不數十年,其人亡則其術泯,書亦散逸不復見。民無所適從,大事皆委之時師,往往有遺憾焉。豈禍福予奪之柄,默有攸司?即不然,何哲人之生不數,雖縉紳君子,尚不知有堪輿之正學,況其下乎?

この故に我常に感慨する。この理は天地の間に存し、もともと顯と隱の謂いなし。ただ秦漢以來、數百年ごとに一人出て、上は天道を明らかにし、下は民情を體察し、經典に依り法度に循い、天下のために邦を建て家を立て、衰敗するを振興せしめ、倒れたるを扶起せしめ、淤塞するを通暢せしめ得る。その應験は神速で、山谷に一聲喊べば即座に囘響があるがごとし。しかし皆數十年を過ぎず、この人死せば、その術は湮沒し、書も散失して再び現れず。百姓は從う所なく、喪葬の大事は皆當時の術士に托付され、往々にして遺憾を留めた。禍福予奪の權柄は、暗中に別に主ありと言うべきか。たとえそうでなくとも、なぜ哲人の出世はこのように稀少で、士大夫君子すらまだ堪輿の正學あるを知らず、何况地位の更に低き者においてをや。

不侫兄弟初嘗深闢天星,久而罔驗,乃覺偏一之非。嘉靖戊申春,與剛陽子祝君尚用、丹臺子廷輔,及笪景明氏同參玄學,獲遇至人靈陽趙仙翁,因而質之,覺以出世間法。言下有悟,復偕君遷、葉兄博搜吾興諸仙遣文,徵其課驗名地,則皆脗合。於是始知教外別傳,豁然了悟。迄今三十餘年,頗亦眞切。形勢方位,天星巒頭,誠為體用不可偏廢。

我ら兄弟は當初かつて力を盡くして天星の説を辟斥したが、用いること久しくして屢々驗ならず、ようやく一邊に偏執するの非を覺えた。嘉靖戊申年の春、我らは剛陽子祝尚用・丹臺子祝廷輔および笪景明と共に玄學を參究し、至人靈陽趙仙翁に遇うことを得て、便ち彼に請教した。彼は出世間の法門をもって我らを點醒した。聞きて當下に領悟する所有り、また君遷・葉兄とともに本鄕各位の前輩名師が留めた文字を廣く搜求し、彼らの擇んだ課・點じた名地を考察したところ、結果は皆吻合した。ここに於て教外別傳の理を明白とし、豁然として徹悟した。今に至る三十餘年、體會もまた頗る眞切である。形勢と方位、天星と巒頭とは、實に體と用の關係で、どちらか一邊も偏廢すべからず。

方位之有東南西北,猶一歲之有春夏秋冬;山家之有二十四向,猶一歲之有二十四氣。六十龍應六十甲子也,七十二龍應七十二候也,三百六十五度即朞之三百六旬有六日也。一歲之中,一月之內,一日之間,既有時日支干孤虛旺相之不同,則二十四向、七十二龍、百二十分金、三百六十五纏度之間,豈無吉凶悔吝寓期間而顧不知審耶?但其理極繁細,極縝密,非粗淺所易知,鹵莽所可測。況雜以諸家星卦之穢陋於其間,是以君子厭其謬妄耳。然太極圖書,理氣之源;八卦五行,陰陽之祖,自有不可誣者。特述宗旨,俾知所察雲。

方位に東南西北あるは、一年に春夏秋冬あるがごとし。坐山に二十四向あるは、一年に二十四節氣あるがごとし。六十龍は六十甲子に應じ、七十二龍は七十二候に應じ、三百六十五度は一周年の三百六十六日なり。一年の中・一月の内・一天の間、すでに時辰・日期・干支・孤虚・旺相の不同あれば、然れば二十四向・七十二龍・一百二十分金・三百六十五纏度の間に、吉凶悔吝の其中に寓するなきや、かえって審察せざるが。ただこの理は極めて繁細・極めて縝密で、淺陋の人の容易に懂し得ず、粗率の人の測り得る所にあらず。何况その中にまた各家星卦の蕪穢鄙陋を混雜するをや。故に君子はその荒謬を厭惡する。しかし《太極圖》と河圖洛書は理氣の本源、八卦五行は陰陽の祖宗で、自ら抹殺すべからざる所有り。ここに特に宗旨を敘述し、人をしてどこより察考すべきかを知らしめんとす。

三昧論(引あり)

地學之關鍵有三:曰巒頭、天星之說也,正針、縫針之辨也,諸家五行之用也。三者喋喋,迄無定論。蓋術家陰相付受,以為秘傳,逈然與世間常法懸絕。茍非歷涉試驗,灼見眞知,何敢驟信?不侫兄弟囊因先人大事,輟舉子業,苦心究此。初嘗執以世間法曰:巒頭形勢,理也;天星方位,其謬也。子午正針,理也;壬子丙午縫針,其妄也。正五行,理也;洪範、八卦諸家五行,誕也。久而用之罔驗,疑莫適從。

地學の關鍵には三處あり。一は巒頭と天星の説、二は正針と縫針の辨、三は各家五行の取用。この三處は爭論止まず、今に至るまで定論なし。術家が私に口耳をもって相授し、秘傳と爲して、世間通行の常法と迥然として懸隔するが故である。若し親身に經歷し反復試驗して、眞眞切切に見るにあらざれば、誰か敢えて輕々しく信ぜん。我ら兄弟は當年先人の喪葬大事のために科擧の學業を中止し、苦心してこの學問を研究した。初めは世間通行の説を執守し、巒頭形勢こそ理で天星方位は謬誤、子午正針こそ理で壬子丙午の縫針は妄説、正五行こそ理で洪範・八卦など各家五行は皆荒誕と思った。しかし用いること久しくして屢々驗ならず、心に疑惑し、從う所を知らなかった。

幸方外懶雲趙師覺之曰:“子不聞出世間法有顛倒五行之說乎?”於是復取吳、廖、傅、董諸書精詳之,徧徵其所下課驗名墓,果與世間法不合,始大省悟。夫形家也、正針也、正五行也,其言誠直捷正大,豈知其似是實非,足以惑人哉!善乎吳草廬先生云:“世間萬事俱要順,惟丹法與葬法要逆。”此所以與世間法不同耳。語曰“三折肱醫乃良”。不侫兄弟經涉磨挫,顛毛種種矣。管窺有得,各為論敘,名之曰三昧,以闡教外別傳之意,請正於仁孝君子云。萬曆壬午正月,德興天門山人徐善述書於楚雲杜李氏燕山草堂。

幸いに方外の懶雲趙師が我らを點醒して曰く、汝は出世間法に「顛倒五行」の説あるを聞かずや、と。ここに於て我らは重新に呉景鸞・廖金精・傅伯通・董德彰各家の書を取りて精細に研讀し、彼らの擇んだ課・點じた名墓を遍く訪ねて驗證したところ、果たして世間通行の法と合わず、これに初めて大徹大悟した。もとより形勢のみを講じ、正針のみを用い、正五行のみを取るは、これらの言は確かに直截簡當・堂堂正正に見えるが、誰が想到せんや、それらは是に似て是に非らず、足りて人を迷惑するを。呉澄先生の説く善し、世間の萬事は皆順を要す、ただ丹法と葬法のみ逆を要す、と。これ正にそれが世間法と同じからざる所である。俗に諺していう、腕三回折れて人良醫となる、と。我ら兄弟は磨折を歷經し、頭髮も花白となったが、一孔の見を凭って心得る所有り、各々論說を寫成し、名を《三昧》と取り、もって教外別傳の意旨を闡發し、仁孝の君子に指正を請う。萬曆壬午年正月、德興天門山人徐善述、楚雲杜氏の燕山草堂に書す。

巒頭と天星

夫地理之傳,一而已矣。何學者之偏執也!學賴氏者主天星,而以形勢為粗跡,往往龍勢未審,輙挾羅經,累步逐節,以為方位辨。不知天星之方位,祇為穴間乘氣消納之矩,而來龍行度,何若是之拘乎?拘則動須掣肘,而彼活潑逶迤之龍脈,又安足取乎?讀斷龍詩者,又或以方位為渺茫,曰“下地不須憑卦例,登山不用帶羅經”,劉氏豈欺我哉!以故乘氣乖舛,而福祉翻成禍基。此皆一偏之見,非通學也。

地理の学の伝承はもともと一つの系統しかないのに、学ぶ人はなぜ各々一偏に執するのか。頼布衣の一派を学ぶ者は天星を主張し、形勢を粗迹と見なして、往々にして龍勢さえ審かにしないまま羅盤を取り上げ、一歩一歩節ごとに丈量して方位を辨えているつもりでいる。彼らは、天星の方位は穴場の上で乘氣消納するための一つの尺にすぎないことを知らない。來龍の行度をどうしてこのように拘泥できようか。一たび拘泥すれば、動けば手を掣かれ足を絆され、あの活潑に蜿蜓する龍脈をどうして捉えられよう。一方、《斷龍詩》を読む人の中にはまた、方位を渺茫として憑るべきものなしと見なし、下地するに卦例に憑る必要はなく、登山するに羅盤を携える必要もないと言い、さらに劉氏がどうして我を欺こうかなどと言う。このため乘氣は乖錯し、本来来るべき福がかえって禍の根基となる。これらは皆一辺に偏する見識であって、通達した学問ではない。

夫形勢誠粗跡矣,而不先其跡,則脈絡何由而驗?方位雖渺茫矣,而陰陽五行,爐冶天地,其說豈妄誕而不經?況乎尺寸之內,移易之間,有吉有凶,有休有咎,可恁作一死局爾耶?故學者必知吾道之中,而後可與言形勢;亦必知吾道之和,而後可與言方位。蓋不偏不倚固為中,亦須正行不泥,旁行不流,乃能妙於中。如望勢尋龍,既欲其中矣,而又欲尋方位以為中,不將執之為子莫之中耶?

形勢は固より粗迹であるが、しかしまずこれらの痕跡から入らなければ、脈絡を何をもって検証しよう。方位は渺茫としているが、陰陽五行は天地を鎔鑄するものであり、この説がどうして荒誕不經であろうか。まして尺寸の間、わずかに移動する際にも吉あり凶あり、福あり咎ありなのを、どうして一つの固定的な定局とすることができよう。だから学ぶ者は、必ず先ず我らのこの道における「中」を悟り、その後であればこそ彼と形勢を語ることができる。また必ずその中の「和」を悟り、その後であればこそ彼と方位を語ることができる。いわゆる不偏不倚は固より中であるが、さらに正しく行って拘泥せず、傍らに行って流蕩しないことが要されてこそ、「中」を巧妙に用いることができる。たとえば山勢を望んで龍を尋ねるに、中を求める必要がありながら、また方位の上に別に一つの中を求めるなら、それはあの子莫のように中間を死守する「執中」となってしまわないか。

迨其靈光發越之處,可以斟酌其意向,斡旋其氣機,而又不直遂,不嬌揉,隨勢觀理,而無少差謬。若卜氏所謂“正穴眞形,自然默合”者,則中節之和也。中和本一理,而謂形勢方位有不相須者乎?是中也者,地理之大本;和也者,地理之妙用。吾未聞體用而可析之為二者也。予兄弟早年周遊四方,歷覽古格,見賴氏主天星,而所為未嘗失形勝;劉氏黜羅經,而所為未嘗遺方向。各從其體用之妙,而洞悉其默合之機,故一以形勢得方位,一以方位定形勢,非若俗學之各一其藩籬也。不侫故發之,俾毋為偏見所惑雲。

靈光発越の処が顕現するに至れば、その意向を斟酌しその氣機を斡旋すればよい。一味に直衝して下ることなく、また矯揉造作することなく、形勢に随って道理を見れば、半點の差錯もない。卜應天の言う「正穴真形、自然に默合」は、それが恰もよく適合する「和」である。中と和とはもともと一つの道理であり、どうして形勢と方位が互いに相関しないと言えよう。「中」は地理の大本であり、「和」は地理の妙用である。體と用とが割裂して両断となるとは、私は聞いたことがない。我ら兄弟は早年に四方を周游し、古人の残した格局を遍く観覧し、頼布衣が天星を主張したが彼の手がけたことはかつて形勝を失わず、劉氏は羅盤を排斥したが彼の手がけたこともかつて方向を欠いたことがない。彼らは各々體用の妙に随い、両者が暗合する機竅を透徹に把握した。だから一人は形勢の中から方位を導き、一人は方位を用いて形勢を定め、俗学のように各々一重の藩籬を築くのとは違う。私はこれによってこの道理を掲げ出し、人をして偏見に惑わされないようにしようとしたのである。

正針と縫針

地理之用,莫切於羅經。公劉遷豳面相陰陽,周公營洛而測景,衛文徙楚丘而揆日,此其矩矣。故《詩》曰“揆之以日”,又曰“既景乃岡”。其法以春分之日,立八尺之臬,以測其日出之景,表而正乎東;秋分之日,立八尺之臬,以測其日入之景,表而正乎西。至於南北,折量中平,架以十字之繩,准以方矩之尺,則東西南北四正適均。言天地大中至正之位者,莫是過矣。

地理の実用において、羅盤より切要なものはない。公劉が豳の地に遷ったときに向陽・背陰を相看し、周公が洛邑を営建したときに日影を測量し、衛文公が楚丘に遷ったときに日影をもって方位を定めた、これが羅盤の法度の淵源である。だから《詩經》は「これを日をもって揆す」と言い、また「景既にして乃ち岡」と言う。その法は、春分の日に八尺の高さの表杆を立て、日出の時の影を測り、これに拠って正東を定め、秋分の日に八尺の高さの表杆を立て、日入の時の影を測り、これに拠って正西を定める。南北に至っては、折衷して平分の処を量り取り、十字形の縄を架し、方矩の尺を用いて校准すれば、東西南北の四つの正位は均斉して差がない。天地間の大中至正の方位を言うに、これより正確なものはない。

然此須歷四時而後定。聖人以為不便夫民用,於是制土圭以代之,即今之羅經也。宜乎後之言羅經者,準之臬可也。奈何針所指,較於臬而偏丙,不相符合。是聖人又變而通之,立內外二盤,以針所指當子午之正,因名之曰正針;臬所測當壬子丙午兩縫之間,因名之曰縫針。此所以有內盤、外盤、正針、縫針之不同耳。後世不知聖人制作之原,擬議於測,而又有金盤、銅盤,三七、二八,以至天盤、地盤之說,紛然雜出而莫之適從矣。

しかしこの法は、必ず春秋四時を経て定まる。聖人はこれでは百姓が使うのに不便だと考え、ここに土圭を制作してこれに代えた。それが今日の羅盤である。理の上で言えば、後の世の人が羅盤を論ずるには、表杆の測る所を拠り所とすべきである。ところがどうしようもなく、磁針の指す所は表杆に比べて丙の方に偏し、両者が合わない。そこで聖人はまた変通して処理し、内外の二つの盤を立てた。磁針の指す所を子午の正位とし、故に「正針」と言い、表杆の測る所を壬子と丙午の二つの縫の間に定め、故に「縫針」と言う。これが内盤・外盤・正針・縫針の異なる所以の縁由である。後世の人は聖人制作の本原を知らず、憑空に推測して議論し、そこにまた金盤・銅盤、三七・二八、さらには天盤・地盤などの説が紛紛として雑出し、人をして従うべき所を失わしめた。

要之,針法之多門,寔由正、縫之弗辨也。今夫主正針者,以正為正,而曰“何有壬子丙午之偏?”主縫針者但知縫針之可用,而卒不能屈夫正針之說。此二家之所以爭勝也。至為調停之說者,曰用正針以格來龍,用縫針以扦坐向,用三七、二八以消納砂水。其詩曰:“先將子午定來岡,次把中針來較量。更加三七與二八,莫與時師競短長。”此曲誑四針之巧而已,針何異用於是耶!

要するに、針法が多くの門派に分かれた所以は、実に正針と縫針とが辨明されなかったためである。正針を主張する人は、「正」を以て正とし、壬子丙午に偏する道理などあろうかと言い、縫針を主張する人は、ただ縫針が使えることを知るのみで、とうとう正針一派の説を駁倒できない。これが両家が優劣を争う縁故である。丸く収めようとする人に至っては、正針を用いて來龍を格量し、縫針を用いて坐向を扦定し、三七・二八を用いて砂水を消納すると言い、さらに詩を作って言うには、まず子午を用いて來岡を定め、次に中針を取って較量し、三七と二八を加えれば、術士と長短を争うに及ばない、と。これは曲がりくねって四種の針法を以て巧妙を誇示するにすぎない。針の用法に、本当にこれほど多くの違いがあろうか。

外此復有所謂測天用正針,測地用縫針;格龍穴以內盤,定砂水以外盤之說。不知地附於天,而所測不能以有異。龍穴砂水俱一理,而方位何以有內外之殊?此皆牽強,而非至當不易之論也。茍非究極其理,經涉之久,磨礪之多,而徒得於驟聞之頃,豈能以遽信縫針之為是哉!蓋天之氣與地之氣常略參差,故南北之位,陰陽之會,不能恰然齊一。是以針之所指,與臬之所測,亦有異也。

このほか、またいわゆる天を測るには正針を用い、地を測るには縫針を用い、龍穴を格量するには内盤を用い、砂水を判定するには外盤を用いるという説がある。彼らは、地は天に附着するものであって、測定の結果が二つあってはならないことを知らない。龍・穴・砂・水はもともと同一の道理であり、方位にどうして内盤・外盤の別があろうか。これらは皆牽強附會であって、最も妥当で動かせない定論ではない。もし道理を極め尽くし、経歴すること久しく、磨礪すること多くせずして、ただ聞き初めのうちに明白を得ようとすれば、どうして直ちに縫針が正しいと信じられよう。もともと天の氣と地の氣とは常に少しの参差があり、だから南北の方位・陰陽交會の処は、ちょうど完全一致することができない。この故に磁針の指す所と表杆の測る所にもまた差異が生じるのである。

天地之氣,陽生於子中,極子午。自子至丙,東南司陽。陰始於午中,極於子中。自午至壬,西北司陰。浮針所指,即陰陽大分界。偏於壬丙者,針之泊於氣耳。臬測以景,針以氣,故不能符。人但拘夫正針之正為正也,而不知以臬較之則偏也,非正也;人但泥夫縫針之縫為偏也,而不知由臬準之則正也,非偏也。蓋步太虛之廣,推七政之纏次,皆準於臬。以天而測天,至當不易之論也。針泊於氣,乃偏壬丙,哲人通其變,以便民用,故立縫針,合乎臬測,則得天地大中至正之位矣。

天地の氣において、陽は子の正中に生じ、午位に至って極まる。子から丙に至るこの一段は、東南方が陽を主る。陰は午の正中に始まり、子の正中に至って極まる。午から壬に至るこの一段は、西北方が陰を主る。浮針の指す所は、まさに陰陽の大分界である。それが壬・丙に偏するのは、針が「氣」の上に停泊するためである。表杆が測るのは日影であり、磁針が依るのは地氣である。だから両者は合わない。人はただ正針の「正」が正しいと拘執して、表杆で一たび比べればそれは実は偏しており正しくないことを知らず、人はただ縫針の「縫」が偏だと固執して、表杆で校准すればそれは実は正しく偏っていないことを知らない。太虚の広袤を丈量し、日月五星の運行の次序を推算するに、皆表杆を拠り所とするのは、これは天をもって天を測るのであって、最も妥当で動かせない。磁針は氣の上に停泊するが故に、わずかに壬丙に偏する。哲人はその中の変化を通達し、百姓が使うのに便ならんとして、縫針を立てて表杆の測る所に合わせ、こうして天地の大中至正の方位を得たのである。

後世不察,嘵嘵致辯,名家若廖金精者,求其理而不得,但曰:“針,金也,畏南方正位之火,故不敢正指於午,而偏於丙。”斯言也,於理未當,何足以屈服乎諸家?後之人又從而議之曰:“丙亦火也,針胡為而獨指之哉?”蓋廖氏惟知縫針之可用,而亦莫知其所以然之理也。夫天地之氣不能恰然齊。天之氣在於子午之中,地之氣在壬子丙午之中。是以候氣者冬至日於壬子之中置黃鐘焉,夏至日於丙午之中置林鐘焉,足可征矣。矧羅經古制,原於地支十二位,而加入八干四維,為二十四位,適壬子丙午之半為中也。

後世の人は考察を加えず、喋喋として争い弁ずる。廖金精のような名家も、その道理を求めて得られず、やむを得ず言うには、針は金に属し、南方正位の火を畏れるから、敢えて午位を正指せずして丙に偏する、と。この言は理に通じない。どうして各家を心服せしめられよう。後の人はそこでまた反駁して言う、丙もまた火である、針はなぜひとえにそれを指すのか、と。見れば、廖氏はただ縫針が使えることを知るのみで、またその然る所以の道理を明白にしていない。天地の氣はもともとちょうど整斉することはできない。天の氣は子午の正中にあり、地の氣は壬子・丙午の正中にある。だから候氣する者は冬至の日に黃鐘の律管を壬子の正中に置き、夏至の日に林鐘の律管を丙午の正中に置く。これがすなわち証となるに足る。まして羅盤の古制はもともと十二支のみあり、後に八干と四維を加えて二十四位となり、ちょうど壬子・丙午の中分の処を以て中としたのである。

堪輿家動推董公。予去董公世未遠,又幸同其鄉,嘗得所貽之羅經而玩焉。其分於金則本《叢珠素書》。中剖戊子,以為陰陽混雜之界。而右列甲子、丙子於壬,以從大雪之陰局;左列庚子、壬子於子,以從冬至之陽局。非邵子“冬至子之半”與?其分金則本於陳希夷,以甲子配頤而鄰壬之中,以丙子配中孚而正子之始,非即“頤初大雪末,而卦氣起中孚”之說與?其分星土,則以虛、危之間,正針之中,而周天列宿各止其舍,又不與“考中星,齊七政”者符契與?然此董氏之制,蓋沿襲於廖氏者矣。廖氏之說,詳見於《洩天機》,可考也。由是觀之,即上古而言,臬之所測,合焉而不差。自後世而論,廖、董諸人用之而有驗。且今時之制算曆者又宗之,非無征而不信,予何為而獨不然哉!噫!冰不足疑也,而夏蟲疑之。吾故願學者之毋為夏蟲焉可也。

堪輿家は動すれば董德彰を推尊する。私は董公の時代から遠からず、また幸いに彼と同郷で、かつて彼の残した羅盤を得て把玩した。その分金は《叢珠素書》に本づく。中間に戊子を剖き開き、以て陰陽混雜の分界とし、右に甲子・丙子を壬位に排し、以て大雪の陰局に合し、左に庚子・壬子を子位に排し、以て冬至の陽局に合す。これは邵雍の言う「冬至は子の半」に正に当たらないか。その分金はまた陳摶に本づく。甲子を頤卦に配して壬の正中に近づけ、丙子を中孚卦に配してちょうど子の始めに当たる。これはすなわち「頤卦の初爻は大雪の末にあり、卦氣は中孚より起こる」という説ではないか。その星土を分かつのは、虚宿・危宿の間を以て正針の正中とし、而して周天の列宿は各々その舍に帰する。これはまたどうして「中星を考定し、七政を斉正する」に符合しないことがあろうか。ただし董氏のこの制度は、おそらく廖金精を沿襲したものである。廖氏の説は詳しく《泄天機》に見え、查考すべきである。これに由って見るに、上古に就いて言えば、表杆の測る所は合して差えず、後世に就いて論ずれば、廖・董の諸人は用いて皆検証があり、しかも当今暦算を制定する者もまたそれを宗と奉ずる。これは憑拠なしで信ずべからざるものではない。私はなぜひとえにこれに反対しよう。ああ、氷はもともと疑うべきものがないのに、夏の虫はあえてそれを疑う。だから私は学者に望む、あの夏虫とならないように、と。

諸家の五行

地理竅妙,無出五行。五行之變不可勝窮。而要之,或以氣言,或以質言,其概也。故山川之形,有曲者、直者、銳者、圓者、方者,具五行之質。而楊氏曰九星。廖氏又曰“九星析之而九九異形”,皆此五質之變也。宋儒有言:“質雖以氣而成,然其體一定不易。氣雖形乎質之內,而其用則循環不窮。”今必混而一之,則天地間不過輪一定局,而無變化錯綜之妙。斯造化亦小矣。

地理の竅妙は、五行を超出するものはない。五行の変化は数え尽くせないが、結局のところ、あるものは「氣」の上から論じ、あるものは「質」の上から論ずるに外ならず、これがその大概である。だから山川の形状には、弯曲なるもの、笔直なるもの、尖鋭なるもの、渾円なるもの、方正なるものがあり、正しく五行の「質」を具備している。楊筠松はこれを九星と呼び、廖金精はまた九星をさらに細分すれば九九八十一種の異なる形状があると言う。これらは皆この五種の質の変化である。宋代の儒者が言った。質は氣によって凝成されるが、その形体は一旦定まれば変わらない。氣は質の内部に顕現するが、その作用は循環して窮まらない。今もし氣と質を一談に混じれば、天地の間にはただ一つの固定した局面が回転するだけが残り、変化錯綜の妙がなく、造化もまた渺小に見えてしまう。

是故至人識其妙而洩造化之機。又有二說焉:曰正五行以定其方,曰八卦五行以司其局,曰洪範五行以窮其山音。此景鸞吳公表於宋仁之朝者,誠地學之標準矣。然三說中惟洪範最玄,而管虢之注近於牽強,世有斥之為《滅蠻經》,而更論山音於五行者,此俗學之杜撰也。

だから至人はその中の妙処を見抜き、造化の機竅を漏らした。また別に幾つかの説がある。正五行を用いて方位を判定し、八卦五行を用いて格局を主管し、洪範五行を用いて坐山の音属を窮究する。これは呉景鸞が宋仁宗の朝に上表して進呈したもので、確かに地学の標準である。しかしこの三説の中では、洪範五行のみが最も玄奥であり、管輅・虢氏の注解は牽強に近く、世にこれを《滅蠻經》と斥ける者がある。別に一套を立てて五行の外において山音を論ずるものは、俗学の杜撰である。

夫俗學無傳,則此三說已錯亂矣,而況乎甲子之五行又有三,曰天干五行、地支五行,與納音五行是也。其相沿於甲子之五行又有四:曰三合五行、支藏五行、化氣五行與變運五行是也。其反覆於卦氣,比附於形局,而通極於天文者,五行又有五:曰河圖五行,渾天五行,雙山五行,玄空五行,與宿度五行是也。其餘支分節引,葢無論數十,而用者又欲取其生,忌其克,則議論孰從而定哉!

俗学はすでに真伝を失い、この三種の説はすでに取り乱されている。まして甲子上から生出する五行にまた三種があり、天干五行・地支五行・納音五行である。甲子に沿って推衍し出す五行にまた四種があり、三合五行・支蔵五行・化氣五行・變運五行である。反復して卦氣を推演し形局に比附し、さらに上は天文に通ずる五行にもまた五種があり、河圖五行・渾天五行・雙山五行・玄空五行・宿度五行である。その余に枝節から分衍して出るものは、おそらく数十種にとどまらない。しかも用いる者は皆相生を取り相克を忌もうと欲する。そうなれば衆説紛紜として、何を憑って判定しようか。

予竊謂諸說雖苛煩,而必以三說為綱領。其見於甲子及相沿甲子者,皆洪範之通衢。其為河圖,為雙山,為玄空者,皆八卦之蹊徑。而其為渾天,為宿度者,則又正氣之開拓也。惟綱領正而諸說皆可兼舉矣。然概而論之,五行不生則不壯,不克則不威,比其旋相為濟通,諸氣與質而不可相無者也。故金得火而益精,水得火而既濟,土得木而疏通,水逢土而不蕩,木緣金而成器,非相剋之明驗與?奚必生之而後可也?矧子本水鄉,而火寔生焉;午本火地,而水且寓焉。造化之生生又有如此其妙者,吾安得而泥之?第主賓內外之辨,與本末輕重之差,則在吾酌量之而已矣。故曰神而明之,存乎其人。

私は窃かに思う。各家の説は煩瑣であるが、必ずあの三説を以て綱領とすべきである。およそ甲子に出で甲子に沿って推衍するものは、皆洪範五行の大路である。およそ河圖・雙山・玄空に属するものは、皆八卦五行の小径である。およそ渾天・宿度に属するものは、正五行の氣の開拓である。綱領さえ正しく据えれば、各家の説は皆兼収して併用できる。もし概括して言えば、五行は相生しなければ壯盛にならず、相克しなければ威厳がない。それらは交代で互いに接済し貫通し、氣と質とは互いに欠くべからず。だから金は火に遇ってこそ精純となり、水は火に遇ってこそ既濟となり、土は木に遇ってこそ疏通し、水は土に遇ってこそ氾濫せず、木は金を経てこそ器物となる。これは相克の明証ではないか。どうして必ず相生でなければならないとすることがあろう。まして子はもともと水の方位でありながら、火は正しく子に生じる。午はもともと火の地界でありながら、水もその中に寄寓する。造化の生生して已まざる妙処は、ついにこの境地に至る。私はどうして一つの説を死に執して固守できよう。ただ主と賓・内と外の分辨、および本と末・軽と重の差等は、ただ我自己が斟酌するのみである。だから言う、よく神妙に会得し運用するのは、全く人に在り、と。

三昧論の跋

通天地人曰儒。叔世罕通儒,而又何能堪輿也?自餘所睹記,名家不少矣。大要拾前人糟粕。即下一形勢,沾沾自命。此家戶所有耳,何以稱焉?晚而得徐君《三昧論》,犁然有當於心三者。理微眇而用最繁細,好奇者鑿之,淺中者泥之,各以口舌爭,至不可究詰。而世儒遂擯為外道矣。徐君二難:於書無所不窺,足跡半天下。蓋晩年甫有定論。夫拘牽悠謬者,談何容易耶!君所著有《人子須知》,傳誦四遠。嘗語余曰:“假我數年,當不止此。”有味哉其言之!楚雲杜利瓦伊楨書。

天・地・人の三者を貫通し得る者こそ「儒」と称するに足る。衰乱の末世には通儒が少ない。どうして堪輿に通じられよう。私が見聞し記すところでは、名家は少なくないが、大抵は前人の糟粕を拾い、適当に一か所の形勢を説いては、すぐさま得意になって名家を自称するだけである。この種の腕はどの家にもあり、何を憑って名家と称するのか。私は晚年に徐君の《三昧論》を得て、読んで条理分明であった。この三つの題目は皆私の心に言い当てた。この三つの道理は精微で、運用が極めて繁細である。好奇の人はこれを穿鑿し、見識の浅い人はこれに拘泥し、各々口舌を競わせ、争いが追究し尽くせなくなる。世の儒者はこうしてこれを外道として排撃する。徐君兄弟は二人とも得難い。書を読んで窺わぬことなく、足跡は半天下に及び、晚年に至ってこそ定論を得た。あの拘泥して牽強、荒謬不経の人々には、なんと容易なことか。徐君は《人子須知》一書を著し、四方に伝誦されている。彼はかつて私に言った。もう数年の時間を貸してくれれば、成就はこれに止まらないだろう、と。この言葉は実に味わい深い。楚雲 杜維楨 書。

重刊人子須知資孝地理心學統宗 卷七上之二

江右山人徐善繼述 同著。此以下凡六卷,專論方位理氣之說,蓋用卦之妙也。丹法非卦無以明火候之周天,葬法非卦無以測生氣之淑慝。二者取用乎卦,其致一也。

江西山人徐善繼・徐善述の兄弟二人の合著である。この卷から下りて合計六卷、専ら「方位」「理氣」の一路の学説を論ずる。その精微の処は全て「卦を用いる」ことに在る。煉丹の法は卦象を離れれば、火候が一周天中における進退を説明できない。下葬の法は卦象を離れれば、「生氣」の清純と駁雑を測知できない。この二門の学問が取用するのは皆卦であり、歸趣は完全に一致する。

夫自河出圖,洛出書,聖人則之而畫卦,通神明之德,類萬物之情,廣大悉備,妙用無窮。堪輿家推原理氣,烏可廢此?但其條緒多端,名目不一,既有陰陽之辨,又有天星之配;既統卦氣之屬,又有五行之別。

黄河に龍馬が図を負って出て、洛水に神龜が書を負って出て以来、聖人はそれらに依拠して八卦を画き、これによって神明の德性を貫通し、萬物の情状を比擬し、包羅は広大にして妙用は窮まりない。堪輿家が「理氣」の本原を推究するにあたり、どうしてこの一套を抛ち捨てて用いないことができよう。ただその頭緒は極めて多く、名目は一様でない。すなわち「陰」と「陽」を分辨し、また天上の星宿に配合し、すなわち「卦氣」の類を統攝し、また別に「五行」の区別がある。

至於分野禽奇,貴人祿馬,子父財官等說,雖門例甚繁,要之,皆一用卦而巳矣。奈何作偽亂眞,裝卦輪星,出於羲畫文演之外,而失古聖辨方正位、體國經野之旨。

星宿の「分野」、「禽星」「奇门」、「貴人」「祿馬」、および「子孫」「父母」「妻財」「官鬼」などの説に至っては、門類・條例は繁多であるが、結局のところ全て「卦を用いる」という一事に尽きる。惜しいことに、後世に偽を作り真を乱す者が、勝手に卦爻を装配し星曜を輪転させ、伏羲の画卦・文王の演卦の範囲の外へ走り出て、かえって古聖人が方位を辨别し都邑と田野を規劃した本旨を失ってしまった。

茲特輯《陰陽旨原》一卷,著太極、河圖、洛書,證以丘、吳二公之心印,以見五行、八卦、天心、地脈之源委。復輯《陰陽妙用》五卷,質之廖、賴諸君之遺文,以詳龍、穴、砂、水、方位吉凶之宜忌,俾知陰陽本原,而不淪一隅,不惑他岐雲。

それゆえここに特に《陰陽旨原》一巻を編成する。まず「太極」「河圖」「洛書」を列出し、次いで唐代の国師丘延翰・宋代の国師呉景鸞の両家の心伝をもって印証し、もって「五行」「八卦」「天心」「地脈」の來龍去脈を顯明にする。この後また《陰陽妙用》五巻を編成し、廖金精・頼布衣ら諸家が残した文字を取って核対し、詳細に龍・穴・砂・水および方位吉凶の取るべきと避けるべきを講明し、読者をして陰陽の本原を明白にし、一隅に偏執することなく、また旁門歧路に惑わされないようにする。

陰陽旨原 総七巻

太極図説

圖一 圖二 圖三 圖四 圖五。一圖:此無極而太極也。所以動而陽,靜而陰之本體也。非有以離乎陰陽,即陰陽而指其本體,不雜乎陰陽而為言耳。二圖:此太極之動而陽,靜而陰也。中太極者,其本體也。陽動者,陽之動也,太極之用所以行;陰靜者,陰之靜也,大極之體所以立也。陰中之陽者,陽動之根也。陽中之陰者,陰靜之根也。

底本のここには図一から図五までの五幅の図題のみが存し、図形はすでに失われた。今図題をそのまま写し、あわせてその断語を釈する。第一図:これは「無極而太極」、すなわち動して陽を生じ静して陰を生ずるあの本体である。それは陰陽を離れて別に一物があるのではなく、ただ陰陽の中においてその本体を指し示すにすぎない。ただ措辞するときに陰陽と混雑しないようにするだけである。第二図:これは太極が一動して陽を生じ一静して陰を生ずる様子である。図中央の太極は、その本体である。陽動は陽の発動で、太極の「用」がここから運行する。陰静は陰の収斂で、太極の「體」がここから確立する(「大極」はすなわち「太極」、底本は「大」と作る)。陰の中に含まれる陽は、陽動の根である。陽の中に含まれる陰は、陰静の根である。

三圖:此陽變陰合而生水、火、木、金、土也。陽變者,陽之變也;陰合者,陰之合也。○水陰盛,故居右;○火陽盛,故左;○木陽穉,故次火;○金陰穉,故次水;土沖氣,故居中。而水火之交繫乎上,陰根陽,陽根陰也。水而木,木而火,火而土,土而金,金而復水,如環無端。五氣分,四時行也。

第三図:これは陽が一変、陰が一合して水・火・木・金・土を生出する図である。いわゆる「陽変」は陽の変動であり、いわゆる「陰合」は陰の凝合である。図中には円をもって五者の位置を標してある。水は陰に属し陰氣が盛んで、だから右辺に列する。火は陽に属し陽氣が盛んで、だから左辺に列する。木は陽の幼稚なもの、だから火の次に配する。金は陰の幼稚なもの、だから水の次に配する。土は沖和の氣、だから中央に居る。水と火が交接する線は上方に引かれ、陰が陽を根とし、陽が陰を根とすることを示す。水から木が生じ、木から火が生じ、火から土が生じ、土から金が生じ、金からまた水に戻る。円環のように始まりも終わりもない。五行の氣が一たび分かれれば、春夏秋冬の四時が運行し始める。

太極、動靜、五行一陰陽,五殊二實無餘欠也。陰陽一太極,精粗本末無彼此也。太極本無極,上天之載無聲臭也。五行之生各一其性,氣殊質異,各一其極,無假借也。動靜陰陽,此無極二五所以妙合而無間也。幹男坤女,以氣化者言,各一其性。男女一太極也,萬物化生以形化者言,各一其性,而萬物一太極也。

太極・動静・五行は、言い尽くせばただ一陰一陽である。五行は各々同じではなく、陰陽には実に二つの端があるが、合わせれば一厘も多くなく一厘も少なくない。陰陽は総じてなお一つの太極であり、精と粗・本と末の間には互いの境界がない。太極はもともとすなわち無極であり、ちょうど《詩経・大雅》の言う、上天の運化は声もなく臭もない、というごとしである。五行は各々生成する時に各々一つの性質を具え、氣が同じでなく質もまた同じでない。各々自己の極致を成就し、誰も誰を借り用いない。動静と陰陽とは、まさに無極・陰陽二氣・五行のこの幾層が奇妙に契合して些かも縫隙がない所以の処である。乾を男と為し坤を女と為すのは、氣の化生に就いて言えば各々その性があるが、男女が合わさればなお一つの太極である。萬物の化生は、形体の伝衍に就いて言えば、また各々その性があるが、萬物が合わさればなお一つの太極である。

唐國師亞父丘公延翰云:“《易》曰:‘易有太極,是生兩儀。兩儀生四象,四象生八卦,八卦定吉凶。’夫太極未分之先,天地人物未有也。沖漠朕兆,惟一氣耳。一氣既分,輕清為天,重濁為地。輕清之精上而列日月星宿,濁氣之精下疑山河草木,一陰一陽,兩儀奠位,天地生成。

唐代の国師で世に亜父と称される丘延翰が言う。《周易・繫辭》は言う、「易に太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は以て吉凶を判定する」。太極がまだ分判しない前は、天・地・人・物は皆存在せず、一片の沖和で空漠として毫も朕兆がなく、ただ渾然たる一氣のみである。この一氣が分かれた後、軽く清いものは上昇して天となり、重く濁るものは沈降して地となる。軽清の氣の精華は上にあり、日・月および二十八宿に列する。濁氣の精は下にあり、凝結して山河草木となる(底本は「疑」を「凝」とする)。一陰一陽、両儀が各々その位に就き、天地はこれによって生成する。

人稟理氣,混然中處,陽變陰合,五氣以生。五氣流行,八卦象位。八卦既定,四方始正,而變化無窮焉。地法本乎理氣之妙,以推山川之生成。原始返終,以知死生之說,以定吉凶之機,其理微矣。”

人は理と氣を禀受し、渾然として天地の中間に処する。陽が一変・陰が一合して、五行の氣がこれに随って生出する。五氣が流行してひらけ、八卦の象と位が確定する。八卦が既に定まれば、東南西北の四正の方こそ正しく据えられたと算する。これによって変化は窮まりない。地理の法は「理氣」の精妙に本づき、もって山川が如何に生成するかを推求する。事物の開端に従ってその終結に遡り、これによって生死の道理を明白にし吉凶の關鍵を判定する。この中の義理は実に精微である。

宋國師吳公景鸞仲祥曰:“太極者,理氣之原也。太極陰陽,初無啚象名字,特藉此以明此理氣耳。太極決分,天地奠位。天體圓,圓者徑一而圍三,故數奇,因名曰陽;地體方,方者經一而圍四,故數偶,因命曰陰。陽變陰合,而有太陽、太陰、少陽、少陰之象。而金生水,木生火也。

宋代の国師呉景鸞(字は仲祥)が言う。太極は「理氣」の本原である。太極と陰陽には、もともとどんな図形や名号もない。ただこれらの図と名を借りて理氣を説明するだけである。太極が一たび分判すれば、天地は各々その位に就く。天の形体は円であり、円形は直径が一ならば周長は約三で、得るのは奇数である。だからそれを陽と称する。地の形体は方であり、方形は辺長が一ならば周長は四で、得るのは偶数である。だからそれを陰と称する。陽が変じ陰が合すれば、ここに太陽・太陰・少陽・少陰の四象がある。この四象からさらに推せば、すなわち金生水・木生火の順序がある。

水數六,居坎而生幹,金數九,居兌而生坤。火數七,居離而生巽。木數八,居震而生艮。於是震東,離南,兌西,坎北,巽東南,艮東北,坤西南,乾西北,八卦始有定位,而變化無窮焉。地法因之,故大撓氏為羅經,相其陰陽,為返本還原之道。立棺槨葬埋之說,使氣感應,鬼福及人,明生成之意無間斷也。”

水の成数は六、坎位に居って乾を生出する。金の成数は九、兌位に居って坤を生出する。火の成数は七、離位に居って巽を生出する。木の成数は八、震位に居って艮を生出する。こうして震は東に、離は南に、兌は西に、坎は北に、巽は東南に、艮は東北に、坤は西南に、乾は西北にあり、八卦はこれで固定的な方位を有し、変化もまた窮尽しない。地理の法はこの道理に依拠する。だから上古の大撓氏は羅経を制作し、これを用いて一地の陰陽を相度し、以て返本還元の門径とし、また棺槨葬埋の制度を建立し、死者の乘る氣をして生者と感応し得るようにした。すなわち郭璞《葬書》の言う「鬼福が人に及ぶ」は、以て天地生成の意が従来間断しないことを顯明にするのである。

河図図説

此伏羲時河中龍馬負圖之數也。《易》曰:“天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十。天數五,地數五,五位相得而各有合。天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五,所以成變化,而行鬼神也。

これは伏羲の時代に黄河中の龍馬が背負って出てきたあの図の上の数である。《周易・繫辭》は言う。「天は一となし、地は二となし、天は三となし、地は四となし、天は五となし、地は六となし、天は七となし、地は八となし、天は九となし、地は十となる。天に属する奇数は五つあり、地に属する偶数は五つあり、この五組の数は二つずつ相配して各々会合する。天数は合計二十五、地数は合計三十、天地の数は合わせて五十五。天地間の一切の変化の生成、鬼神のごとき不測の運行は、皆これらの数から推し出される」(引用はここまで。底本は引号を閉じていない。原様のままに写す)。

丘公曰:“此伏羲時河中龍馬負圖之數也,伏羲因之以畫八卦。其數始於一而終於十,以五生數統五成數。天一與地六合於北而生水,地二與天七合於南而生火,天三與地八合於東而生木,地四與天九合於西而生金,天五與地十合於中而生土。分配陰陽,節排五氣,體此道耳。”

丘延翰が言う。これがすなわち伏羲の時代に黄河の龍馬が図を負った数で、伏羲はこれに依拠して八卦を画き出した。これらの数は一から始まり十をもって止まり、一から五までのこの五つの「生数」を用いて、六から十までのこの五つの「成数」を統轄する。天一と地六は北方に会合して水を生じ、地二と天七は南方に会合して火を生じ、天三と地八は東方に会合して木を生じ、地四と天九は西方に会合して金を生じ、天五と地十は中央に会合して土を生じる。陰陽を分かち配し五氣を順に配列するのは、皆この一層の道理を體察するだけである。堪輿家が羅盤の上に五行の方位を安排するに、用いるのはまさにこの生成の数である。

吳公曰:按河圖者,卦象之始也。數生乎全,故首一而終十,以生成自然之妙,明陰陽五氣之流行,運四時循環之機,成寒暑發藏之跡。其數一六共宗,三八同道,二七為朋,四九作友,五十共宅。奇耦之配合,而後五行之位定矣。

呉景鸞が言う。河図は卦象の起点であると案ずる。それが取るのは完足の数であり、だから一から始まって十をもって結ばれる。生数と成数が自然に相配する妙を用いて、陰陽五氣が如何に流行するかを説明し、以て四時循環の機括を運転し、以て寒来暑往・発生収蔵の迹象を成就する。その配数は、一と六は同居して北方にありて一宗となし、三と八は同居して東方にありて一道となし、二と七は同居して南方にありて朋となし、四と九は同居して西方にありて友となし、五と十は同居して中央にありて一宅となる。奇数と偶数がこのように二つずつ配合して、五行の方位がこれで確定する。

一三五七九所謂天數二十有五也,二四六八十所謂地數三十也。以生成之次言之,則始下次上,次左次右,以復於中,又始乎下也。以運行之次言之,則始東次南,次中,次西,次北,左旋一周而又始於東也。其生之內者,則陽居於左,而陰居於右。其成之在外者,則陰居下左,而陽居上右也。

一・三・五・七・九を相い加えれば、すなわちいわゆる天数二十五。二・四・六・八・十を相い加えれば、すなわちいわゆる地数三十。生と成の次序に拠って言えば、まず下方(北方の一・六)、次に上方(南方の二・七)、次に左方(東方の三・八)、次に右方(西方の四・九)、また中央に回って(五・十)、そしてまた下方から改めて始まる。運行の次序に拠って言えば、まず東、次に南、次に中、次に西、次に北、左に旋回して一周した後また東方から始まる。内に居る一層は「生数」で、陽数は左辺に排し、陰数は右辺に排する。外に居る一層は「成数」で、陰数は下方と左方に排し、陽数は上方と右方に排する。

一者陽也,陽生於子而成於巳。二者陰也,陰生於午而成於亥。故東南主生,西北主成。四時之氣,流行運用法乎此也。地法羅經,以十二支八干四維配於二十四路,推之以五氣之生成,用以消息陰陽,測度造化,其用亦大矣。《葬書》所謂‘乘生氣’者,其斯之謂與!”

一は陽であり、陽は子位から萌し生じ巳位に至って長成する。二は陰であり、陰は午位から萌し生じ亥位に至って長成する。だから東南の一帯は「生」を主り、西北の一帯は「成」を主る。四時の氣の流行・運用が取法するのはまさにこれである。地理家の用いる羅経は、十二地支・八天干と乾坤艮巽の四維を配して二十四路となし、さらに五氣の生と成をもって推算し、これによって陰陽を消長し造化を測度する。その用处は実に甚だ大きい。郭璞《葬書》の言う「生氣に乘る」が説くのは、おそらくこの事であろう。龍脈と坐向の乘る所は、まさにこの一生成の氣である。

洛書図説

此夏禹時洛中神龜負書之文也。《易》曰:“洛出書,聖人則之。”其數戴九履一,左三右七,二四為肩,六八為足。

これは夏禹の時代に洛水中の神龜が背に負って出てきたあの文である。《周易・繫辭》は言う、「洛水は書を出し、聖人はこれに取法した」。その数は九宮の形に配列される。頭上に九を戴き、脚下に一を踏み、左辺は三、右辺は七、二と四は左右両肩に分かち居り、六と八は左右両足に分かち居り、五は中央に居る。

丘公云:“按《易》曰:‘洛出書,聖人則之。’《書》曰:‘天乃錫禹洪範九疇,彝倫攸敘。’在昔夏后氏遇神龜載書出洛,其數始於一而終於九,夏禹因之平定水土,分別九川。箕子因之以作九疇。蓋以先天八卦相為表裡。地法因之,以明九宮八卦、門戶內外。故南朱雀,北玄武,東青龍,西白虎,四正之方始定。是以聖人南面而立,嚮明而治,法乎此也。”

丘延翰が言う。《周易・繫辭》は「洛水は書を出し、聖人はこれに取法した」と講じ、《尚書・洪範》は「上天はここに大禹に九類の大法を賜り、人倫の常道はこれによりて次序を得た」と講ずる。当年夏后氏の大禹は神龜が書を載せて洛水より出でるのに遇い、その上の数は一から始まり九をもって止まった。大禹はこれに依拠して水土を平治し九条の大川を分辨し、箕子はこれに依拠して九疇を推演した。この一組の数は「先天八卦」と互いに表裏となる。地理の法はこれを沿い用い、もって「九宮」「八卦」および門戸の内外向背を闡明する。だから南方を朱雀と為し、北方を玄武と為し、東方を青龍と為し、西方を白虎と為して、四正の方がこれで確定した。聖人が南面して坐し明に向かって天下を治めたのも、取法したのはまさにこれである。

吳公云:“洛書者,方位之始也。其數主乎變,故始一而終九,所以定四正四隅之方。以一、九、三、七陽數居四正之宮,而以二、四、六、八陰數居四隅之位。以其次而言之,其陽數則首東,次南,次西,次北也。其陰數則首西,次南,次東,次北也。合而言之,則首北,次西南,次東,次東南,次中,次西北,次西,次東北,而至於南也。

呉景鸞が言う。洛書は方位の学の起点である。その数は「変」を主とし、だから一から始まり九をもって止まり、もって四正と四隅の計八方を確定する。一・九・三・七の四つの陽数を四正の宮に安じ、二・四・六・八の四つの陰数を四隅の位に安ずる。分かれて各々の次第に言えば、陽数は先ず東、次に南、次に西、次に北。陰数は先ず西、次に南、次に東、次に北で、指すのは西南・東南・西北・東北の四隅であり、ここではその大略を挙げて言うのである。合わせて一から九の順序に言えば、先ず北、次に西南、次に東、次に東南、次に中、次に西北、次に西、次に東北、最後に南に至る。

其運行則水克火,火克金,金克木,左旋一周而土復水也。此法立九宮之說,以一、六、八配白,二配黑,三配碧,四配綠,五配黃,七配赤,九配紫者,蓋法乎此。聖人因之南面而立,嚮明而治。自古帝王大都,其方位妙用,莫不合乎此者,蓋取乎四勢之正氣,數乃全也。”

その運行は水が火を克し、火が金を克し、金が木を克し、左に旋回して一周し、最後に土からまた水に帰る。後世の立てた「九宮」の説は、一・六・八に白色を配し、二に黑色を配し、三に碧色を配し、四に緑色を配し、五に黄色を配し、七に赤色を配し、九に紫色を配する。すなわちこれに取法するのである。聖人はこれに依拠して南面して坐し明に向かって治めた。古より帝王が大都城を営建するや、その方位の妙用は洛書に合わないことがなかった。東西南北の四勢の正氣を収め取ってこそ、九宮の数が周全と算されるからである。都邑がかくのごとく、陰宅の立向定位も同じくこれを準繩とする。

太極變卦 河圖變卦 洛書變卦。此太極、河圖、洛書皆可畫卦之理也。蔡季通曰:“天地之理一而已。時有古今先後不同,而其理不容有二。故伏羲但據河圖作易,不必預見洛書,而逆與之合。大禹但據洛書作範,亦不必追考河圖,而暗與之符。所以然者,此理之外無復他理故也。”邵子曰:“未畫卦前先有易。”旨哉言乎!

底本のここにはもと「太極変卦」「河図変卦」「洛書変卦」の三幅の図があった。図形はすでに失われ、図題のみ残る。今そのまま写す。三図の言う所は、太極・河図・洛書は皆卦を画くに拠るべき道理を含んでいる、ということである。宋代の蔡元定(字は季通)が言う。天地間の理はただ一つである。時間上に古今先後の違いがあっても、この理は二様になることを許さない。だから伏羲はただ河図に依拠して《易》を作り、予め洛書を見たわけではなかったが、その作は洛書と暗に符合した。大禹はただ洛書に依拠して《洪範》を作り、振り返って河図を考察したわけでもなかったが、その作は河図と暗に符し合った。このようである所以は、この理の外に別の理がないからである。邵雍はまた言う。まだ卦を画かない前に、先に《易》の道理が在ったのだ、と。この言は実に深切である。

卦序

《繋辭傳》曰:“有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦。”邵子曰:一分為二、二分為四、四分為八也。《說卦傳》曰:“易逆數也。”邵子曰:幹一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八,自幹至坤皆得未生之卦,若逆推四時。”

《周易・繫辭傳》は言う。太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。邵雍は釈して言う。これはすなわち一が分かれて二となり、二が分かれて四となり、四が分かれて八となることである。《說卦傳》はまた言う。《易》は逆さに数えるのである。邵雍は釈して言う。乾を一とし、兌を二とし、離を三とし、震を四とし、巽を五とし、坎を六とし、艮を七とし、坤を八とする。乾から坤に向かって数えると、数え当たるのは皆いまだ生成していない卦であり、ちょうど四時の次序を逆さに推算するがごとしである。これが「先天卦序」の配列法である。

幹天也,故稱乎父。 坤地也,故稱乎母。 震一索而得男,故謂之長男;巽一索而得女,故謂之長女;坎再索而得男,故謂之中男;離再索而得女,故謂之中女;艮三索而得男,故為之少男;兌三索而得女,故謂之少女。邵子曰:“八卦之象,不易者四,反易者二,以六卦變而成八也。重卦之象,不易八,反易二十八,以三十六變而成六十四也。”又曰:“幹遇巽時觀月窟,地遇雷處見天根。天根、月窟閒來往,三十六宮都生春。”

乾は天だから父と称し、坤は地だから母と称する。震は乾坤が初めて交感して得た男だから長男と言い、巽は初めて交感して得た女だから長女と言い、坎は第二番の交感で得た男だから中男と言い、離は第二番の交感で得た女だから中女と言い、艮は第三番の交感で得た男だから少男と言い、兌は第三番の交感で得た女だから少女と言う。邵雍が言う。八卦の卦象は、倒転してもなお本卦のままのものが四つあり(乾・坤・坎・離)、倒転して別の卦に変わるものが二対ある(震と艮、巽と兌)。だからただ六卦を相変させれば八卦がそろう。六十四重卦の卦象は、倒転してもなお本卦のままのものが八つあり、倒転して他卦に変わるものが二十八対ある。だからただ三十六変すれば六十四卦がそろう。彼はまた詩に言う。乾卦が巽卦に遇う時に「月窟」を見、坤地が震雷に遇う処に「天根」を見る。天根と月窟の間を從容として往来すれば、三十六宮にどこもみな春意が満ちる、と。

卦書

古者庖羲氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。太極者(如右圖),象數未形而其理已具之稱,形器已具,而其理無朕之目。在河圖、洛書,皆虛中之象也。周子曰:“無極而太極。”邵子曰“道為太極”,又曰“心為太極”,此之謂也。

上古の庖羲氏(伏羲)が天下を統治していたとき、首を擡げて天上の星象を観察し、首を俯れて地上の法則を観察し、また鳥獣の紋理と各地の物宜を観察し、近くは人の身体に象を取り、遠くは萬物に象を取り、ここに初めて八卦を創作した。もって神明の德性を貫通し、もって萬物の情状を比擬するためである。いわゆる「太極」(右図に配する)は、象と数がまだ成形しないのにその理がすでに完備している時の称呼であり、また形体器物がすでに具備しているのにその理が痕跡を見せない時の名目でもある。河図と洛書において、太極は皆中央の虚空な一点として表われる。周敦頤《太極圖說》の講ずる「無極而太極」、邵雍の講ずる「道はすなわち太極」、また講ずる「心はすなわち太極」は、言う所はまさにこのことである。

(左圖)太極之判,始生一奇一偶而為一畫者二,是為兩儀。其數則陽一而陰二。在河圖、洛書則奇偶是也。周子所謂“太極動而生陽。動極而靜,靜而生陰。靜極復動,一動一靜,互為其根。分陰分陽,兩儀立焉。”邵子所謂一分為二者,皆謂此也。

(左図に配する)太極が一たび分判すれば、まず一奇一偶の二つの単画が生じ、これが「両儀」である。その数は陽が一、陰が二であり、河図と洛書においては、奇数と偶数として表われる。周敦頤の言う「太極は一動して陽を生じ、動き極まればすなわち静となり、静して陰を生ず。静極まればまた動き、一動一静が互いに根本を為す。陰を分かち陽を分かち、両儀がここに立つ」、および邵雍の言う「一が分かれて二となる」は、言う所は皆このことである。画卦の第一歩は、まさにこの一奇一偶の二画である。

兩儀之上,各生一奇一偶而為二畫者四,是謂四象。其位則太陽一、少陰二、少陽三、太陰四。其數則太陽九、少陰八、少陽七、太陰六。以河圖言之,則六者一而得於五者也,七者二而得於五者也,八者三而得於五者也,九者四而得於五者也。以洛書言之,則九者十分一之餘,八者十分二之餘,七者十分三之餘,六者十分四之餘。周子謂水、火、木、金,邵子謂二分為四者,皆此也。

両儀の上に、各々さらに一奇一偶を生じて、二画の卦が四つとなる。これを「四象」と言う。その位次は太陽第一・少陰第二・少陽第三・太陰第四。その数は太陽九・少陰八・少陽七・太陰六。河図をもって講ずれば、六は生数一に中央の五を加えて得られ、七は二に五を加えて得られ、八は三に五を加えて得られ、九は四に五を加えて得られる。洛書をもって講ずれば、九は十が一を減じて残り、八は十が二を減じて残り、七は十が三を減じて残り、六は十が四を減じて残る。周敦頤の言う水・火・木・金の四者、邵雍の言う「二が分かれて四となる」は、指す所は皆四象である。画卦がこの層に至って、陰陽老少の区別が初めて顕現する。

四象之上,各生一奇一偶而為三畫者八,於是三才畧備,而有八卦之名矣。其位則幹一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八。在河圖則幹、坤、離、坎居四寔,兌、震、巽、艮分居四虛。在洛書則幹、坤、坎、離分居四方,兌、震、巽、艮分居四隅。《周禮》所謂“上易經卦皆八”,《大傳》所謂“八卦成列”,邵子所謂“四分為八”者,皆指此而言也。

四象の上に、各々さらに一奇一偶を生じて、三画の卦が八つとなる。ここに至って天・地・人の「三才」がほぼ備わり、ここに八卦の名目がある。その位次は乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八。河図の上では、乾・坤・離・坎が四つの「実」位を占め、兌・震・巽・艮が四つの「虚」位に分居する。洛書の上では、乾・坤・坎・離が東西南北の四正に分居し、兌・震・巽・艮が四隅に分居する。《周禮・春官》の言う「三易の経卦は皆八」、《繫辭大傳》の言う「八卦は行列を成す」、邵雍の言う「四が分かれて八となる」は、指す所は皆この層である。先天八卦の次序と方位は、ここに至って定まった。

八卦の奇偶を分かつ

八卦之上各生一奇一偶而為四畫者十六。邵子所謂“八分為十六”者是也。又謂兩儀之上各加八卦,又謂八卦之上各加兩儀。朱子曰:“此非某之說,乃康節之說;非康節之說,乃希夷之說;非希夷之說,乃孔子之說。但當日諸儒既失其傳,而方外之流陰相付受,以為丹灶之術。至今希夷、康節乃反之於易,而後其說始得復明於世。然與今《周易》次第行列多不同者,故聞者創見而不之信,只據見行《周易》緣文生義,穿鑿破碎,有不勝其杜撰者。此《啟蒙》之書所為作也。若能虛心遜志以求其通曉,玩之久熟,則天地變化之神,陰陽消長之妙,自將瞭然於心目之間,而有以識其奧矣。

八卦の上に、各々さらに一奇一偶を生じて、四画の卦が十六となる。これが邵雍の言う「八が分かれて十六となる」である。また両儀の上に各々一套の八卦を加えたと言うこともでき、あるいは八卦の上に各々一套の両儀を加えたと言うこともできる。朱熹が言う。これは我が朱某人の説ではなく、邵康節の説である。康節の説でもなく、陳摶(希夷先生)の説である。希夷の説でもなく、もともと孔子の説である。ただ当年儒者がすでにこの一路の伝承を失い、かえって方外の士が暗中に授受し、取って煉丹の法術と為した。希夷・康節に至ってそれを《易》に返し還して、ようやくこの説が再び世に顕れた。しかしそれは今日通行本の《周易》の次第・行列と多く異なる。だから聞く者は一見しただけで信じようとせず、ただ现行の《周易》の文句に照らして望文生義し、穿鑿零碎して杜撰の説が数え切れぬほど多い。私が《易學啓蒙》一書を作ったのは、まさにこのためである。もし虚心に退譲して一番の工夫を下し通暁を求め、玩味すること久しく熟すれば、天地変化の神妙・陰陽消長の精微は、自ずから心目の間に了了として分明となり、またその中の奥義を識ることができる。

八卦の位

以上自太極、河圖、洛書,皆可畫卦。邵子所謂“畫有易”是也。原卦序、卦畫,皆明卦理,非入用者耳。邵康節曰:乾南、坤北、離東、坎西、震東北、兌東南、巽西南、艮西北。自震至幹為順,自巽至坤為逆。後六十四卦方位仿此。

以上に講じた所は、太極から河図・洛書まで、皆もって卦を画くに拠るべきもので、すなわち邵雍の言う「画の中におのずから《易》あり」である。卦の次序と卦の画法を推原したのは、すべて卦理を講明するためで、まだ直接に取り立てて応用する部分ではない。以下は八卦の方位を講ずる。邵雍が言う。先天八卦は乾が南に、坤が北に、離が東に、坎が西にあり、震は東北に、兌は東南に、巽は西南に、艮は西北にある。震から数えて乾に至るのは順行であり、巽から数えて坤に至るのは逆行である。この後の六十四卦円図の方位も、この法に照らして配列する。

伏羲八卦図説

《說卦》曰:“天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯。數往者順,知來者逆。是故易逆數也。雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以烜之,艮以止之,兌以說之,乾以君之,坤以藏之。”

《周易・說卦傳》は言う。天と地は上下の位置を定め、山と沢は互いに氣を通じ、雷と風は互いに激盪し、水と火は互いに害し合わず、八卦はこのように交錯して相配する。すでに過ぎ去ったを数えるのは順推で、まだ来るべきを予知するのは逆推である。だから《易》は逆さに数えるのである。雷はもって萬物を鼓動し、風はもって萬物を吹き散らし、雨はもって萬物を潤沢し、日はもって萬物を烘曬し、艮(山)はもって萬物を止息し、兌(沢)はもって萬物を欣悦せしめ、乾はもって萬物を統領し、坤はもって萬物を収蔵する。

丘公云:“《易》曰:‘天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯,數往者順,知來者逆。’此先天八卦方位也。乾坤縱則六子橫,其數幹一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八。其方則乾南、坤北、離東、坎西、震東北、巽西南,艮西北、兌東南。自震至幹為順,自巽至坤為逆。

丘延翰が言う。《周易・說卦傳》の講ずる「天地定位、山沢通氣、雷風相薄、水火不相射、八卦相錯。往くを数るは順、来るを知るは逆」は、言う所は「先天八卦」の方位である。乾坤の両卦は上下に縦に列し、その余の六つの子卦は便ち両旁に横に排す。その数は乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八。その方位は乾が南に、坤が北に、離が東に、坎が西にあり、震は東北に、巽は西南に、艮は西北に、兌は東南にある。震から数えて乾に至るは順行、巽から数えて坤に至るは逆行。順とは已往の事を数え、逆とは未来の機を知ることである。

蓋震始交陰而陽生,巽始消陽而陰生。兌,陽之長者也;艮,陰之長。震、兌在天之陰,艮、巽在地之陽,故震、兌上陰而下陽,艮、巽上陽而下陰。幹、坤正上下之位,坎、離列左右之門,天地之所開闢,日月之所出入,春夏秋冬、晦朔弦望、晝夜寒暑,莫不由是而推,此先天之卦所以為理氣之體也。地法因之以推二十四位生殺之炁、二十四氣運化之機。明其消息陰陽,論其時日干支、孤虛旺相,以致於用,其理極矣。

なぜなら震は陰と交わり始めて陽氣が初生したものであり、巽は陽を消し始めて陰氣が初生したものである。兌は陽中に長成した一卦で、艮は陰中に長成した一卦である。震・兌は天位上の陰に属し、艮・巽は地位上の陽に属する。だから震・兌は皆上爻を陰とし下爻を陽とし、艮・巽は皆上爻を陽とし下爻を陰とする。乾・坤は端正して上下の位を占め、坎・離は左右に分列して両扇の門戸のごとし。天地はここから闢き開き、日月はここから出入し、春夏秋冬の推移・晦朔弦望の円缺・昼夜寒暑の往復は、一つとしてここから推し出されないものはない。これがまさに先天の卦が「理氣」の本体となり得る所以の縁故である。地理の法はこれを沿い用い、もって羅盤二十四位上の生氣と殺氣を推求し、二十四節氣の運化の機括を推求し、陰陽の消長を明白にし、時日の干支および「孤」「虚」「旺」「相」の分布を論定し、ずっと応用の上に落ち着かせる。この中の道理は窮尽したと言える。

吳公云:“此伏羲先天八卦,蓋理氣之體也。天地定位,幹對坤也;山澤通氣,艮對兌也;雷風相搏,震對巽也;水火不相射,坎對離也。幹以純陽位居南,坤以純陰位居北,自乾坤交而男女生。離得坤之正性,故中虛,有日之象,日生於東,故正位乎東;坎得幹之正性,故中滿,有月之象,生於西,故正位乎西。

呉景鸞が言う。これは伏羲の「先天八卦」であり、「理氣」の本体である。いわゆる天地定位とは、乾と坤とが相対すること。山沢通氣とは、艮と兌とが相対すること。雷風相搏とは、震と巽とが相対すること。水火不相射とは、坎と離とが相対すること。乾は純陽を以て南に居り、坤は純陰を以て北に居る。乾坤が一交すれば六子の男女が生出する。離は坤の正性を得た。だから中爻は虚で、太陽の象がある。太陽は東方に生ずるから、離の正位は東にある。坎は乾の正性を得た。だから中爻は満ちて、月亮の象がある。月は西方に生ずるから、坎の正位は西にある。四正の卦は、このようにして先ず定まった。

四正既定,然後幹一變為巽,故巽居幹左;二變成艮,故艮居坎左;三變成坤。坤一變為震,故震居坤左;二變成兌,故兌居離左;三變成幹。此變化之序,自然之理也。其法自子中至午中為陽,午中至子中為陰。以六十四卦分佈為圓象,以推二十四氣之運用。

四正がすでに定まって然る後、乾は一変して巽となり、だから巽は乾の左辺に居る。再び変じて艮となり、だから艮は坎の左辺に居る。三変してすなわち坤となる。坤は一変して震となり、だから震は坤の左辺に居る。再び変じて兌となり、だから兌は離の左辺に居る。三変してすなわち乾となる。これが変化の次第で、もともと自然の理である。その用法は、子の正中から午の正中までの半圏は陽に属し、午の正中から子の正中までの半圏は陰に属する。六十四卦を分布して一つの円図と為し、もって二十四節氣の運用を推求する。

自冬至一陽生而復,周流至夏至初而為幹,故自子中至午中為天地長養萬物之氣,其數主生。故雷雨居春夏,盛茂生發繫焉。自夏至一陰生而始,流行至冬至初而為坤,故自午中至子中為天地歸藏之氣,其數主煞,故霜露居秋冬,結寔收藏繫焉。地法體之,以推四序、時日、支干、五行孤虛旺相之方,施之時事。羅經分配花甲,裝排八卦之繫,皆得理氣耳。”

冬至に一陽が初生して復卦となるより始まり、順に流れて夏至の初めに乾卦となる。だから子中から午中までのこの半圏は、天地が萬物を長養する氣で、その数は「生」を主る。こうして雷雨は春夏に属し、草木の繁盛・発生は皆この一段に係る。夏至に一陰が初生して姤卦となるより始まり、順に流れて冬至の初めに坤卦となる。だから午中から子中までのこの半圏は、天地の歸蔵の氣で、その数は「殺」を主る。こうして霜露は秋冬に属し、果実の成熟・収蔵は皆この一段に係る。地理の法はこの道理を體察し、もって四季・時日・干支および五行の「孤」「虚」「旺」「相」の在る方位を推求し、さらに具体の事務に施用する。羅経の上で六十甲子を分配し八卦を装排する系統は、要するに理氣に合せんとするだけである。

文王八卦図説

邵子曰:“此文王八卦,乃入用之位,後天之學也。”《說卦》曰:“帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說音悅言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮。”“神也者,妙萬物而為言者也。動萬物者莫疾乎雷,撓萬物者莫疾乎風,燥萬物者莫熯乎火,說萬物者莫說乎澤,潤萬物者莫潤乎水,終萬物始萬物者莫盛乎艮。故水火相逮,雷風不相悖,山澤通氣,然後能變化,既成萬物也。”

邵雍が言う。この一套の文王八卦は、直接に投入して使用できる方位で、「後天」の学に属する。《周易・說卦傳》は言う。天帝は震方より出で、巽方に至って斉しく、離方に至って相見え、坤方に至って萬物を役使し、兌方に至って萬物を欣悦せしめ(「說」は「悦」と読む)、乾方に至って交戦し、坎方に至って勞倦し、艮方に至って完成す。また言う。いわゆる「神」とは、萬物を化育する妙を形容するのに用いる。萬物を鼓動するに雷より迅疾なるはなく、萬物を摇撼するに風より迅疾なるはなく、萬物を烘干するに火より熾烈なるはなく、萬物を取悦するに沢より相宜なるはなく、萬物を滋潤するに水より充沛なるはなく、萬物を終結しまた萬物を開啓するに艮より完備なるはない。だから水と火は互いに趕り及び、雷と風は互いに違逆せず、山と沢は彼此氣を通じ、然る後こそ変化流行して萬物を成就できるのである。

丘公曰:“此文王八卦,乃入用之位,後天之位也。伏羲先天八卦,幹生於子,坎終於寅,坤生於午,離終於申,以明天之道也。至文王重卦,置幹於西北,退坤於西南,長子用事,而長女代母。坎離得位,而兌艮為偶,震巽為用也,以應地之方也。蓋兌、離、巽得陽之多者也,艮、坎、震得陰之多者也,是以為天地用也。

丘延翰が言う。これは文王八卦であり、投入応用する方位、すなわち「後天」の位である。伏羲の先天八卦は、乾は子に生じ坎は寅に終わり、坤は午に生じ離は申に終わる。もって天の運行の道を闡明したのである。文王が卦を重ねるに至り、乾を西北に安置し、坤を西南に退け、長男たる震に当権して用事せしめ、長女たる巽に母に代わって主宰せしめ、坎と離は各々その正位を得、兌と艮は対を結び、震と巽は実用を担当する。もって大地の方位に対応するのである。なぜなら兌・離・巽は陽を得ること多き卦であり、艮・坎・震は陰を得ること多き卦だから、天地に取用せられ得るのである。先天は体を主り、後天は用を主る。その分別はまさにここにある。

幹極陽,坤極陰,是不用也。以方位言之,震、兌始交者也,故當朝夕之位。坎、離交之極者也,故當子午之宮。巽、艮不交而陰陽不雜也,故當中之偏也。幹、坤純陰純陽也,故為不用之位也。此後天方位所以始震而終艮也。羅經方位由是而立。其所以推測造化,察地理山川以別吉凶,蓋有至理存焉。此聖人明體致用之法也。”

乾は陽が極処に至ったもの、坤は陰が極処に至ったもの。だから不用の卦に列する。方位に就いて言えば、震と兌は陰陽がちょうど交接し始めたもので、だから朝夕に日が出て日が入る東西の位に安ずる。坎と離は交接が極点に至ったもので、だから子・午の両宮に安ずる。巽と艮は相交わらず陰陽が互いに混雑しないもので、だから四正の間の偏側たる四隅に安ずる。乾と坤は純陰純陽で、だから不用の位に定める。これが後天方位がなぜ震から始まり艮で結び終わるかの縁故である。羅経上の方位もまたこれによりて確立する。それがよく造化を推測し地理・山川を考察してもって吉凶を分別できるのは、その中に確かに至理が在るからである。これがまさに聖人がその本体を明らかにし実用を推し致す法門である。

吳公云:“此文王後天八卦方位,蓋理氣之用也。‘帝出乎震’,震東方也,震為雷,雷奮發而物生,春為陽之始,故震居之。‘說言乎兌’,兌正西也,兌為澤,有儲聚之義,故為陰之始,故兌居之。震以一陽在下,兌以一陰在上,故曰始交。

呉景鸞が言う。これは文王の後天八卦の方位であり、「理氣」の功用である。「帝は震に出ず」、震は東方にある。震は雷を為し、雷が一たび奮発すれば萬物は生長する。春は陽氣の開端だから、震は東に居る。「說言は兌にあり」、兌は正西にある。兌は沢を為し、儲蓄・聚集の意があり、陰氣の開端だから、兌は西に居る。震は一陽が下にあり、兌は一陰が上にある。だからそれらを陰陽がちょうど交わり始めた卦と言う。東西の両方は一発一斂して、ちょうど対待を成す。

‘齊乎巽’,巽東南也。巽為風,長育萬物,故居東南。‘成乎艮’,艮東北也。艮為山,山結止物。物作於春初,而止於冬末,萬物之所以成始成終者也,故艮居之。艮以一陽在上,巽以一陰在下,故云不交。

「斉しくは巽にあり」、巽は東南にある。巽は風を為し、能く萬物を長養し化育するから、東南に居る。「成るは艮にあり」、艮は東北にある。艮は山を為し、山は能く萬物を凝結し止息せしめる。萬物は初春に発動し、冬末に停止する。艮はまさに萬物が始あり終あり得る所以の処だから、艮は東北に居る。艮は一陽が上にあり、巽は一陰が下にある。だからそれらを陰陽が相交わらない卦と言う。

‘戰乎乾’,乾西北也。‘致役乎坤’,坤西南也。伏羲起乾坤於上下,取相交變化物之義。及其成功,男女用事,有父退居之義。陽以順動,故幹順退居西北。坤以逆行,故坤逆退處西南。言戰者,天地至此,肅殺之極。言役者,天地至此,肅殺之初。幹以純陽老亢,坤以純陰老極,無生成之意,故曰當不用之位。

「戰うは乾にあり」、乾は西北にある。「役を致すは坤にあり」、坤は西南にある。伏羲は乾坤を上下の両端に安じ、取ったのは天地が相交して萬物を変化する意である。功業がすでに成るに及んで、便ち六子の男女に出面して用事せしめ、父母が退居する意を含む。陽性は順行して動くから、乾は順って西北に退居する。坤性は逆行するから、坤は逆って西南に退処する。「戰」と言うのは、天地がここに至って肅殺がすでに極点に到達するからである。「役」と言うのは、天地がここに至って肅殺がちょうど始まったばかりだからである。乾は純陽にして衰老し亢極し、坤は純陰にして衰老し至極する。ともに萬物を生成する意なく、だからそれらを正しく不用の位に当たると言うのである。

‘相見乎離’,離正南也,夏至陽極陰生,故離居之。‘勞乎坎’,坎正北也,冬至陰極陽生,故坎居之。坎陽居中,故為交之極。此先天之卦也,乃至文王重卦而後用以有行也。地法體之,以道造化所以生殺之故,辨方正位,趨吉避凶,良有以也。”

「相見えるは離にあり」、離は正南にある。夏至の時は陽が極処に至って一陰が初生するから、離は南に居る。「勞れるは坎にあり」、坎は正北にある。冬至の時は陰が極処に至って一陽が初生するから、坎は北に居る。坎は陽爻が中に居る。だからそれを陰陽の交が極点に至ったものと言う。以上の諸卦はもともと先天に出で、文王が卦を重ねて後に至って、初めて真に取りて運用し施行する所有った。地理の法はこれを體察し、もって造化に生あり殺ある所以の縁故を説明し、これに拠って方向を辨别し坐位を端正し、吉に趨り凶を避ける。確かに根拠があるのである。

支干の原

按:天干出於河圖。天一生壬水,地六生癸水;天三生甲木,地八生乙木;天七生丙火,地二生丁火;天九生庚金,地四生辛金;天五生戊土,地十生己土。地支出於洛書。子、午、卯、酉得天陽之數,居四正。寅、申、巳、亥、辰、戌、丑、未得地陰之數,而居四隅。陽數奇,故各主其一;陰數偶,故各主其二。辰、戌、丑、未土無定位,寄居四隅。

按ずるに、十の天干は河図に出ず。天数一は壬水を生じ、地数六は癸水を生じ、天数三は甲木を生じ、地数八は乙木を生じ、天数七は丙火を生じ、地数二は丁火を生じ、天数九は庚金を生じ、地数四は辛金を生じ、天数五は戊土を生じ、地数十は己土を生ず。十二の地支は洛書に出ず。子・午・卯・酉は天に属する陽数を得た。だから東西南北の四正の位を占める。寅・申・巳・亥と辰・戌・丑・未は地に属する陰数を得た。だから四隅に分居する。陽数は奇数だから、四正の每一方はただ一つの地支が主管する。陰数は偶数だから、四隅の每一角は二つの地支が分かち管する。辰・戌・丑・未は土に属し、土はもともと固定の方位がなく、已むなく四隅の中に寄居する。

配納の原

陳希夷曰:“天干始於甲,終於癸,河圖生成之數也。地支起於子,終於亥,洛書奇偶之數也。陽自復始,六變而幹陽備;陰自姤始,六變而坤陰成。合二六之數為十二辰。夫甲、丙、戊、庚、壬,陽干也,子、寅、辰、午、申、戌,陽支也;乙、丁、己、辛、癸,陰干也,丑、卯、巳、未、酉、亥,陰支也。法以陽干配陽支,陰干配陰支。猶木之有幹有枝。

陳摶が言う。十の天干は甲より始まり癸に終わり、取るのは河図の生数と成数の道理である。十二の地支は子より始まり亥に終わり、取るのは洛書の奇数と偶数の道理である。陽氣は復卦より起こり、六回の変化を経て乾卦の純陽が完備する。陰氣は姤卦より起こり、六回の変化を経て坤卦の純陰が完成する。二つの六を合わせればすなわち十二辰である。甲・丙・戊・庚・壬は陽干、子・寅・辰・午・申・戌は陽支。乙・丁・己・辛・癸は陰干、丑・卯・巳・未・酉・亥は陰支。配法は陽干を以て陽支に配し、陰干を以て陰支に配す。たとえば樹木に主干あればまた旁枝あるがごとし。干支の相配は、従来陰陽が交錯することを許さない。

以六甲配五子,自甲子為首,次第推排,而盡於癸亥。仍以干支本數計其成數,總其成數干支若干,然後以五數除之,其餘數以先天河圖象數冠之,周其有聲者,納之以五行之音,是為六甲納音。

六つの甲(甲子・甲戌・甲申・甲午・甲辰・甲寅)を用いて五つの子(甲子・丙子・戊子・庚子・壬子)に配し、甲子より頭に排し、順次推排して、ずっと癸亥に至るまで排する。さらに干支の本身の属する数に按じて各々の成数を算出し、一組の干支の成数を合計して、然る後五を以て除する。余る数は先天河図の象数を用いて冠名し、およそ循環して下りて声音を成し得るものは、五行の属する音を配する。これを「六甲納音」と呼ぶ。

聖人推以入用,以分金六十位定佈於二十四,以正五行為各宮之主,以六甲大五行為緯,察其分金之胎、養、衰、死之氣,定其孤、虛、旺、相之卦,內有戊己為龜甲空亡,甲乙為補接之空,以是消息陰陽,立葬乘氣,定命審音,今之大五行也。

聖人はこれを推衍して実用に投入した。六十の「分金」の位を羅盤二十四山の中に分布し、「正五行」を以て各宮の主宰と為し、六甲の「大五行」(すなわち納音五行)を以て経緯と為し、各分金の処する胎・養・衰・死の氣を考察し、それが「孤」「虚」「旺」「相」のどの類の卦に属するかを判定する。その中の戊・己の両位は「龜甲空亡」に算し、甲・乙の両位は「補接之空」に算す。これ一套を用いて陰陽を消長し、下葬する時に生氣を乘取り、人の命を定めその納音を審かにする。これが今日言う所の「大五行」である。

補義甲、己、子、午九,乙、庚、丑、未八,丙、辛、寅、申七,丁、壬、卯、酉六,戊、癸、辰、戌五,巳亥是四數。符其支干,總成其數,卻以五數除之,不滿五者作納音。如零一納音屬火,零二屬土,零三屬水,零四屬金,零五屬水。惟火、水、土、木無聲,故其數異。

補義。納音の数を取る口訣は、甲・己・子・午は皆九と算し、乙・庚・丑・未は皆八と算し、丙・辛・寅・申は皆七と算し、丁・壬・卯・酉は皆六と算し、戊・癸・辰・戌は皆五と算し、巳・亥は四と算す。推せんとするあの一組の干支をこれに按じて数を取り、総数を合計し、さらに五を以て除する。除し尽くせずして余る数を以て納音を定める。余一は火に属し、余二は土に属し、余三は水に属し、余四は金に属し、余五は水に属す(底本はこのようである)。ただ火・水・土・木は本身に声がないがゆえに、それらの配する数は常例と異なる。

此納甲取象太陰之義。法先天八卦方位而推之者也。《易》曰:“天垂象,見吉凶,聖人象之。日往則月來,月往則日來,日月相推而明生焉。”又曰:“天地盈虛,與時消息。”夫天象之可見者,莫如日月,故日月麗天而運行,寒暑陰陽循環不已。

ここに言う所の「納甲」は、太陰(月)の盈虧に象を取る意で、先天八卦の方位に依って推演して成る。《周易・繫辭》は言う。「上天は星象を垂れ示して吉凶を顯現し、聖人はこれに取法す。日が往けば月が来り、月が往けば日が来り、日月は互いに推移して光明が生ず」と。《周易・豊卦彖傳》はまた言う。「天地の盈満と空虚は、時節に随って消長す」と。天象の中に見えるものは、日月より明らかなるはない。だから日月は天に附麗して運行し、寒暑陰陽は循環して停まらない。

而盈虛消息之理,於是而見,造化變通之機,由是而推。日為陽之象,陽中含陰,離二陽在外,而一陰居中,故離為日之正體。月為陰之象,陰中含陽。坎二陰在外而一陽居中,故坎為月之正體。蓋日無遲速,而月有盈虛,卦有變化,而時有配納。

盈虚消長の道理はここより見るべく、造化変通の機括もまたここによりて推知すべし。太陽は陽の象で、陽中に陰を含む。離卦は両陽爻が外にあり一陰爻が中に居る。だから離は太陽の正体である。月は陰の象で、陰中に陽を含む。坎卦は両陰爻が外にあり一陽爻が中に居る。だから坎は月の正体である。太陽の運行には速慢の別なく、月には円缺盈虧がある。卦に変化あれば、時節に便ち相応する配納がある。納甲の法は、まさに月相のこの種の変化の上より象を取るのである。

月本無光,麗日而明。以不明之體言之,則純陰而象坤,晦朔之時也。越三日而哉生明,始資日之明而有光,因謂之朏,陽之初生也。昏見於庚,震一○之象也,故震納庚。越五日而資日之半明,因謂之上弦,陽之將半也。昏見於丁兌,二○之象也,故兌納丁。

月は本身は光を発せず、太陽の光に附着してこそ明るい。そのまだ光を受けていない本体に就いて言えば、純陰にして坤に象る。まさに每月の晦日・朔日の時である。三日を過ぎて初めて光明を生じ、ようやく日光を借り得て光あるを「朏」と言う。これは陽の初生である。黄昏時に庚位に現れるのは、正に震卦の一陽が下にある(図中に一つの空心の圏を作る)象だから、震は庚を納する。さらに五日を過ぎて、日光の半分を借り得るを「上弦」と言う。これは陽が半ばに及ばんとするもの。黄昏時に丁位に現れるのは、正に兌卦の兩陽(二つの空心の圏)の象だから、兌は丁を納する。

越十五日,與日對,資日之全明而大圓,因謂之望,言三陽具備也。昏見於甲,幹三○之象也,故幹納甲。又三日而哉生魄,與日之望偏而陰始生,因謂之魄,言陰復生也。晨見於辛,巽一●之象也,故巽納辛。又五日而生晦,半資日之明,因謂之下弦,言陰生至半也。晨見於丙,艮二●之象也,故艮納丙。

第十五日に至り、月は日と正しく相對し、日光の全部を借り得て圓滿に大明するを「望」と言う。三爻皆陽がすでに齊備したを表示する。黄昏時に甲位に現れるのは、正に乾卦の三陽(三つの空心の圏)の象だから、乾は甲を納する。また三日を過ぎて初めて「魄」を生じ、望日に比べればすでに偏側して陰氣が初起した。これを「魄」と言い、陰がまた生出したを表示する。清晨時に辛位に現れるのは、正に巽卦の一陰が下にある(一つの實心の圏)象だから、巽は辛を納する。また五日を過ぎて漸く晦に向かい、ただ日光の半分を借り得るを「下弦」と言う。陰がすでに半ばまで生じたを表示する。清晨時に丙位に現れるのは、正に艮卦の兩陰(二つの實心の圏)の象だから、艮は丙を納する。

又六日而與日交會,日之明全不相資,復晦而不明,因謂之晦。晝沒於乙,坤三●之象也,故坤納乙。此一月之消息盈虛也。地法因之,以推八卦之變,分納各幹於八卦之位,用以統十二支之方,配以五行之位,本乎坎也。

さらに六日を過ぎて、月は日と交會し、全く日光を借り得ず、再び晦暗にして明ならず、これを「晦」と言う。白天乙位に隱沒するのは、正に坤卦の三陰(三つの實心の圏)の象だから、坤は乙を納する。これが一箇月の内の消長盈虧である。地理の法はこれに依據して八卦の變化を推求し、各々の天干を分かちて八卦の方位に納入し、もって十二地支の在る方を統攝し、さらに五行の位次を配する。その根本はなお坎(月の正體)に在る。

洪悟齋理曰:“支干納卦法者,坎離得乾坤之中爻,中名土之位,故納戊巳。戊己者,天干之中。戊陽土也,納於坎,己陰土也,納於離,從其類也。幹之六位,三甲三壬。坤之六位,三乙三癸納之。此四干係於乾坤之內外。乾坤,諸卦之父母,奇偶變化,萬物終始皆在焉,故始甲乙,終壬癸,以包六卦。

洪悟齋(名は理)が言う。干支を卦に納する法はこのようである。坎と離とは乾坤の中爻を得た。中央は土の位置だから、戊・己の兩干を納する。戊・己は天干の中間の兩位で、戊は陽土、坎に納し、己は陰土、離に納す。各々その類に從う。乾の六爻の位は三つの甲と三つの壬を納し、坤の六爻の位は三つの乙と三つの癸を納す。この四つの天干は乾坤の内卦と外卦に係屬す。乾坤は衆卦の父母で、奇偶の變化・萬物の終始は皆その中に在る。だから甲・乙より起こり、壬・癸にて收まり、その余の六卦を包めて中に收める。

所納之幹,括始終也。地理論二十四卦無戊己者,除居中央五,天地之元根。離外陽,故陽外壬配之;坎外陰,故坤外癸配之。其地支之寅、戌、巳、丑、亥、未、卯、辰各從其類納合焉。

納するこれらの天干は、まさに始と終とを包擧して遺す所なし。地理が二十四路の卦を講じて戊・己を用いないのは、居中の五の数を除き開いたからである。それは天地の元始の根本である。離の外卦は陽に屬す。だから乾の外爻壬を用いて相配す。坎の外卦は陰に屬す。だから坤の外爻癸を用いて相配す。地支中の寅・戌・巳・丑・亥・未・卯・辰に至っては、また各々同類に按じて分かちてこれと相合する卦に納入す。

坎正北為水,申子辰三合水局也,故隸於坎;離正南為火,寅午戌三合火局也,故隸於離;震正東為木,亥卯未三合木局也,故隸於震;兌正西為金,巳酉丑三合金局也,故隸於兌。離、坎、震、兌四正也,故納乾而配支。幹、坤、艮、巽四隅也,故納乾而已。此支各統於卦之義矣。”

坎は正北にあって水に屬し、申・子・辰は三合して水局を成す。だからこの三支は坎に隸屬す。離は正南にあって火に屬し、寅・午・戌は三合して火局を成す。だからこの三支は離に隸屬す。震は正東にあって木に屬し、亥・卯・未は三合して木局を成す。だからこの三支は震に隸屬す。兌は正西にあって金に屬し、巳・酉・丑は三合して金局を成す。だからこの三支は兌に隸屬す。離・坎・震・兌は四正の卦だから、既に天干を納しまた地支を配す。乾・坤・艮・巽は四隅の卦だから、ただ天干を納して地支を配さない。これが地支が各々卦に統屬する道理である。

此以後天八卦輔以支干而定其方位之次也。按《青囊經》曰:“聖人因八卦以推天時,用地支以配天干,制為土圭,別理地宜,以立人極。”陳希夷釋之曰:“八卦為象數之始,天干所以附八卦,而地支所以佐天干也。故至人因卦以推時,用支以配幹,而定其方位之次,制為土圭之器,以消息天地孤虛之氣,蓋自上古伏羲命大撓氏始立八卦之方,而先未有支干也。

これは後天八卦を用い、さらに天干地支を輔けて二十四方位の次第を確定する法である。按ずるに《青囊經》は言う。「聖人は八卦に依りて天時を推求し、地支を用いて天干に配し、土圭を制成し、各地の土宜を分辨し、以て人道の準則を確立す」と。陳摶は釋して言う。八卦は象と數の起點であり、天干は八卦に依附して設けられ、地支はまた天干を輔佐するものである。だから至人は卦に依りて時令を推求し、支を用いて干に配し、從りて方位の次第を排定す。また土圭という器具を制成し、もって天地間の「孤」「虚」の氣を消長す。すなわち、卦は天時の節候を定め、支干は地面の方向を定め、兩者が相輔してこそ羅盤の一圈の次第が排し出せるのである。溯れば、上古伏羲は大撓氏を命じて最も先に八卦の方位を立定し、あの時はまだ天干地支がなかった。

至堯命羲和考中星,始用十二辰位。周公作指南車,有其形而無方。至玄女授赤松子,始用卦氣支干分配而成二十四位,以為神器。法以天數二十有五,扐一以為體,而二十四氣備。地數三十,去六以為用,而二十四氣全。

帝堯が羲氏・和氏に命じて中星を考定するに至って、初めて十二辰位を使用した。周公は指南車を造ったが、指向の形制があるのみでまだ方位を分出していなかった。九天玄女が赤松子に傳授するに至って、初めて卦氣と干支とを相配して二十四位を湊成し、以て堪輿の神器と為した。その數を取る法は、天數は合計二十五、一數を抽出して本體に留め、その余の二十四は正しく二十四節氣に合す。地數は合計三十、六數を減じて運用に留め、その余の二十四もまた正しく二十四節氣に合す。羅盤一圈の二十四位は、このようにして來たのである。

五行生成,二氣對待,北一南二,東三西四,中五沖氣,奠居中處。明河圖五行生成之氣,推洛書九宮推移之跡。制以水北火南,木東金西,土中生成,化育有定序矣。天以一生水,坎者水之位也,故子正北。癸得地六之陰,水之柔也,故癸次於子。水不止則流蕩而忘反,必土以止之,則能生物。丑者土之柔也,故丑次於癸。

五行に生あり成あり、陰陽二氣は兩兩對待す。北方一・南方二・東方三・西方四、中央五は沖和の氣と為して正中に安居す。これは河圖五行生成の氣を顯明し、洛書九宮推移の迹を推演せんとするものである。ここに定めて水を北に、火を南に、木を東に、金を西に、土を中にすれば、生成化育に一定の次序あり。天は一を以て水を生じ、坎は水の本位だから、子は正北に居る。癸は地數六の陰を得て、水中の柔の一面だから、癸は子の次に排す。水若し止まらざれば流蕩して回頭を知らず、必ず土にてこれを止めてこそ、萬物を生養し得る。丑は土中の柔の一面だから、丑は癸の次に排す。

艮為山,土之剛也,故艮次子、丑而居東北,所以代震之施化也。土合而化氣,將以生木。寅為稚木,故寅次於艮。甲得天三之陽,木之剛也,故甲次於寅。震者木之旺也,故卯居正東。乙得地八之陰,木之柔也,故乙次於卯。木非土無以盛,辰者土之正氣,故辰次於乙木者,陽之穉也。

艮は山を為し、土中の剛の一面だから、艮は子・丑の後に排して東北に居り、もって震に代わりて化育の功を施行す。土は凝合して氣を化し、將に木を生ぜんとす。寅は幼稚の木だから、寅は艮の次に排す。甲は天數三の陽を得て、木中の剛の一面だから、甲は寅の次に排す。震は木の最も旺なる所だから、卯は正東に居る。乙は地數八の陰を得て、木中の柔の一面だから、乙は卯の次に排す。木は土なくして茂盛し得ず、辰は土の正氣だから、辰は乙の次に排す。木はこの時猶ほ幼稚の陽に過ぎない。

木非旺不能生火,故巽為旺木而次於辰。旺極必齊生,所生火也。巳為火之初氣,故巳次於巽。丙得天七之火,陽之剛也,故丙次於巳。離者火之位也,故午居正南。丁得地二之陰,火之柔也,故丁次於午。火旺必有止,將以生土也,故未次於丁。坤者地之體,土之正氣也,故坤次於未。

木は旺盛に至らざれば火を生ずる能わず。だから巽を旺木と為して辰の次に排す。旺極まれば必ず一齊に生發し、生ずる所は即ち火である。巳は火の初氣だから、巳は巽の次に排す。丙は天數七の火を得て、陽中の剛の一面だから、丙は巳の次に排す。離は火の本位だから、午は正南に居る。丁は地數二の陰を得て、火中の柔の一面だから、丁は午の次に排す。火は旺した後は必ず止まる所有り、將に土を生ぜんとす。だから未は丁の次に排す。坤は大地の本體・土の正氣だから、坤は未の次に排す。

土旺必生金,申者金之初氣也,故申次於坤。庚得天九之陽,金之剛也,故庚次於申。兌者金之位也,故酉居正西。辛得地四之陰,金之柔也,故辛次於酉。金非土無以成,戊者土之正氣也,故戊次於辛。金者陰之稚也,金不盛不能化,故幹為旺金而次於戊。旺極而化成,所以生水也。亥為水之初氣,故亥次於幹。壬得天乙之陽,水之剛也,故壬次於亥。於是二十四位有定方矣。

土は旺した後は必ず金を生ず。申は金の初氣だから、申は坤の次に排す。庚は天數九の陽を得て、金中の剛の一面だから、庚は申の次に排す。兌は金の本位だから、酉は正西に居る。辛は地數四の陰を得て、金中の柔の一面だから、辛は酉の次に排す。金は土なくして成就せず、戌は土の正氣だから、戌は辛の次に排す(底本は「戊」と作るが、「戌」と當るべし)。金は陰中の幼稚なる者、金は盛ならざれば變化し得ず。だから乾を旺金と為して戌の次に排す。旺極まりて化成し、ここに水を生ず。亥は水の初氣だから、亥は乾の次に排す。壬は天一の陽を得る(底本は「天乙」と作す)、水中の剛の一面だから、壬は亥の次に排す。ここに至って、羅盤二十四位は皆固定の方向を有するに至った。

戊己得大地之中,天五地十之氣,故中處以為金母。金伏天干之戊土,而制於地支之午火,藏於地支之子水,本居子之中也,故土圭之器,其休以木,其用以金,而化成於水火。子水丙火寄跡於土中,其子午之正中既定,則天地之正氣從可知矣。神哉!

戊・己が得るは大地中央・天五地十の氣。だから中に居りて以て金の母と為す。金は天干の戊土の中に潛伏し、地支の午火に受制し、地支の子水に收藏され、本來子の正中に位す。だから土圭という器具は、その柄身は木を用い、その針は金を用い、而もその功用は則ち水火の間に於て化成す。子中の水・丙中の火は皆土の中に寄迹す。子・午の正中一旦定準すれば、天地の正氣もまた推知すべし。眞に神妙なるかな!

重刊人子須知資孝地理心學統宗 卷七之下

陰陽二十四位の陰陽に屬するを原う

江右山人徐善繼述 同著。先天卦配洛書,值陽數者為浄陽,值陰數者為浄陰。其支干各統於卦。此浄陰浄陽之定位也,法以先天卦乾南坤北、離東坎西四正之卦,配洛書戴九履一,左三右七之陽數,而為浄陽;先天艮、震、巽、兌四隅之卦,配洛書二四為肩,六八為足之陰數,而為浄陰。其支干亦各統於卦。為陰陽,然不曰陰陽,而必曰凈陰凈陽者,欲其不相駁雜也。地法因之。故陽龍必須陽向,陽水來去則吉,而雜陰則凶;陰龍必須陰向,陰水來去則吉,而雜陽則凶,本乎此也。

江西山人徐善繼・徐善述の兄弟が合著した。先天八卦に洛書の数を配し、およそ陽数に値するものを「淨陽」、陰数に値するものを「淨陰」と算し、各路の干支もまた分かれて所在の卦に統属する。これが淨陰淨陽の定位法である。先天卦の乾南・坤北・離東・坎西という四つの正位の卦を取り、洛書の「九を戴き一を履み、左に三右に七」の陽数に配して淨陽と定め、先天卦の艮・震・巽・兌という四つの隅位の卦を取り、洛書の「二四を肩とし六八を足とす」の陰数に配して淨陰と定め、各路の干支もまた一緒に所在の卦に帰属させる。本来はただ陰陽なのに、直ちに陰陽と言わずして必ず「淨陰」「淨陽」と言うのは、それらを純一にして交じり合わないものにしようとするためである。地理の法はこの法を踏襲する。だから陽龍には必ず陽向を配し、陽水の来去こそ吉で、陰を混ぜれば凶となる。陰龍には必ず陰向を配し、陰水の来去こそ吉で、陽を混ぜれば凶となる。根拠はまさにここにある。

按:羅經方位,以十二位為陽,以十二位為陰。幹、甲、乙、坎、癸、申、辰、離、壬、寅、戌陽位,艮、丙、巽、辛、兌、丁、巳、丑、震、庚、亥、未陰位。葢法先天方位,而配以洛書象數而推明者也。

案ずるに、羅経の二十四方位は、十二位が陽に属し、十二位が陰に属する。陽位は乾・甲・乙・坎・癸・申・辰・離・壬・寅・戌である(底本は十一位のみを列するが、淨陽の例に照らせば別に「坤」があるはずである。ここは底本に脱文がある。今はそのまま写して補わない)。陰位は艮・丙・巽・辛・兌・丁・巳・丑・震・庚・亥・未である。この系統は先天八卦の方位を取法し、さらに洛書の象数を配して推演して明白にしたものである。

先天卦位幹、坤、坎、離居四正之位,陽位也;洛書象數一、九、三、七居四陽之位,奇數也。故幹、坎、坤、離以居陽位而為陽,甲、乙、壬、癸以配陽卦而為陽,寅、戌以陽支而配離從火,申、辰以陽支而配坎從水,故十二位為陽也。

先天卦位の中で、乾・坤・坎・離は四正の位に居り、これは陽位である。洛書象数の中で、一・九・三・七は四つの陽方に居り、これは奇数である。だから乾・坎・坤・離の四卦は陽位に居るがゆえに陽と算する。甲は乾に納し、乙は坤に納し、壬は離に納し、癸は坎に納する。この四干は配する所が陽卦であるがゆえに、それに随ってまた陽と算する。寅・戌はもともと陽支で、また離に三合して火に従う。同じく陽と算する。申・辰はもともと陽支で、また坎に三合して水に従う。同じく陽と算する。四卦・四干・四支を合わせれば、ちょうど陽に属する十二位となる。

先天卦位震、巽、兌、艮居四隅之位,陰位也。洛書象數以二、四、六、八居四陰之位,隅數也。故震、巽、兌、艮居陰位而為陰,酉、丁、庚、辛以配陰卦而為陰。亥、未以陰支而配震從木,巳、丑以陰支而配兌從金,故十二位陰也。

先天卦位の中で、震・巽・兌・艮は四隅の位に居り、これは陰位である。洛書象数の中で、二・四・六・八は四つの陰方に居り、これは隅数である。だから震・巽・兌・艮の四卦は陰位に居るがゆえに陰と算する。酉・丁・庚・辛は配する所が陰卦であるがゆえに、それに随ってまた陰と算する。亥・未はもともと陰支で、また震に三合して木に従う。同じく陰と算する。巳・丑はもともと陰支で、また兌に三合して金に従う。同じく陰と算する。四卦・四干・四支を合わせれば、ちょうど陰に属する十二位となる。

是陰陽各有十二路,而地理家從陰位者,陰為天地之始,萬物之母。陰有生生之意,而陽無焉,故貴陰而賤陽。凡行龍行水,將從並朝,各得其位而不雜,則陰陽和,造化備矣。以其位陰陽言之,則純陽純陰,似若無生意者。

このように陰陽は各々十二条の路がある。地理家が偏って陰位を取るのは、陰は天地の開端・萬物の母であるからである。陰は生生して已まない意を含んでいるが陽にはそれがない。だから陰を貴び陽を賤しむ。およそ行龍・行水、および随従・朝拱の諸砂が、各々皆あるべき位に居って交雑しなければ、すなわち陰陽は調和し、造化はすなわち完備する。もし単に方位の陰陽に就いて言えば、純陽純陰はかえって生意がないように見える。

以卦氣干支之陰陽言之,則陽中有陰焉,陰中有陽焉。何則?幹、坎以陽卦從陽,宜也,而坤、離為陰;甲、壬以陽干從陽,宜也,而乙、癸為陰;巽、兌以陰卦從陰,宜也,而艮、震為陽;丁、辛以陰干從陰,宜也,而丙、庚為陽。於是陰陽和而奇偶備,此堪興家所以本先天理氣,而用後天方位也。

しかし卦氣と干支の陰陽に就いて言えば、陽中に陰があり陰中に陽があることが見出される。どうしてか。乾・坎は陽卦で陽に従う、本来当然であるが、坤・離はかえって陰と算される。甲・壬は陽干で陽に従う、本来当然であるが、乙・癸はかえって陰と算される。巽・兌は陰卦で陰に従う、本来当然であるが、艮・震はかえって陽と算される。丁・辛は陰干で陰に従う、本来当然であるが、丙・庚はかえって陽と算される。こうして陰陽は調和して奇偶が斉備する。これがまさに堪輿家が先天の理氣を本とし、而も後天の方位を使用する所以の縁故である。陰陽は互いに蔵し合うので、表面の一路だけを見てはならない。

五行二十四位の五行所属の原

按宋國師吳公景鸞云:“方位五行有三:曰正五行,乃方位五行也;曰八卦五行,乃納甲八局配納五行也;曰洪範五行,乃山頭納音五行也。此三家五行,獨四正之宮木東、金西、火南、水北無變易之說,餘各有異屬,而其用亦不同。以正五行論氣,以八卦五行論局,以洪範五行論音,各有所主,不可一例也。正五行訣云:乾金坤艮土為宗,丑未辰戌土鄉同,亥壬子癸北方水,寅甲卯乙巽木東,巳丙午丁南位火,申庚酉辛西金逢。

案ずるに宋代の国師呉景鸞は言う。方位上の五行には三家がある。一は「正五行」すなわち方位五行、二は「八卦五行」すなわち納甲八局によって配納して成る五行、三は「洪範五行」すなわち山頭納音五行である。この三家の五行は、四正の宮で木が東・金が西・火が南・水が北というこの一点だけは変易の説がなく、その余の各支各干の所属は皆それぞれ同じではなく、用处もまた一様でない。正五行を用いて「氣」を論じ、八卦五行を用いて「局」を論じ、洪範五行を用いて「音」を論ず。三者には各々その主管があり、一つの例を当てはめることはできない。用い方を間違えれば、龍・山・向の属性を正反対に判定してしまう。正五行の口訣は言う。乾は金に属し、坤と艮は土に属して宗となり、丑・未・辰・戌は同じく土郷に属し、亥・壬・子・癸は北方の水、寅・甲・卯・乙に巽を加えるは東方の木、巳・丙・午・丁は南方の火、申・庚・酉・辛は西方の金、と。この口訣は二十四位を一々五行に帰入させるもので、羅盤上で最も基本的な一層の判読である。

此後天方位正五行,本之洛書,以天一居北而統亥、壬、坎、癸為水之正位,天九居南而統巳、丙、離、丁為火之正位,天三居東而統甲、寅、乙、震為木之正位,天七居西而統申、庚、兌、辛為金之位;地六居西北之隅而為乾金之位,地二居西南之隅而為坤土之位,天五居中,寄旺四季,而於辰、戌、丑、未之位,乃後天入用之五行,萬古不易者也。”

これは後天方位の正五行で、洛書に本づく。天数一は北に居り、亥・壬・坎・癸を統轄して水の正位となす。天数九は南に居り、巳・丙・離・丁を統轄して火の正位となす。天数三は東に居り、甲・寅・乙・震を統轄して木の正位となす。天数七は西に居り、申・庚・兌・辛を統轄して金の正位となす。地数六は西北の一隅に居り、乾金の位となす。地数二は西南の一隅に居り、坤土の位となす。天数五は中央に居り、四季に寄旺して辰・戌・丑・未の四位の上に落ちる。これがすなわち後天に入って用いられる五行で、萬古変わらない。およそ羅盤上で某位が何の五行に属するかを判ずるには、まず皆この系統を準とする。

八卦五行訣云:震庚亥未巽辛木,干甲兌丁巳丑金,坎癸申辰皆屬水,離壬寅戌火為眞。坤乙艮丙向屬土,八卦五行細論之。

八卦五行の口訣は言う。震・庚・亥・未と巽・辛は皆木に属し、乾・甲と兌・丁・巳・丑は皆金に属し、坎・癸・申・辰はすべて水に属し、離・壬・寅・戌は確かに火に属し、坤・乙と艮・丙のこの一路は土に属する、と。八卦五行はこのように細かく分辨する。この系統は、納甲が配する天干と三合が会する地支を、一緒に本卦の五行の下に帰納したものである。

此八卦五行,以卦配合支干而論其所屬者也。幹屬金,甲納配於幹,故甲亦屬金;坤屬土,乙納配於坤,故乙亦屬土;艮屬土,丙納配於艮,故丙亦屬土;巽屬木,辛納配於巽,故辛亦屬木;震屬木,庚納配於震,亥未合於震,故庚、亥、未亦屬木。兌屬金,丁納配於兌,巳丑合於兌,故丁、巳、丑亦屬金;離屬火,外陽而內陰,幹之外三爻壬配之,而壬亦屬火。寅戌以合於離而屬火。坎屬水,外陰而內陽,故坤之外三爻癸配之,而癸亦屬水。申辰以合於坎而屬水。此八卦五行相配之理也。

この八卦五行は、天干地支を卦に配合してからその所属を論ずるものである。乾は金に属し、甲は乾に納配される。だから甲もまた金に属する。坤は土に属し、乙は坤に納配される。だから乙もまた土に属する。艮は土に属し、丙は艮に納配される。だから丙もまた土に属する。巽は木に属し、辛は巽に納配される。だから辛もまた木に属する。震は木に属し、庚は震に納配され、亥と未はまた震に三合する。だから庚・亥・未もまた木に属する。兌は金に属し、丁は兌に納配され、巳と丑はまた兌に三合する。だから丁・巳・丑もまた金に属する。離は火に属し、外爻が陽で内爻が陰だから、乾の外三爻の壬を用いて相配する。だから壬もまた火に属し、寅と戌は離に三合するがゆえに火に属する。坎は水に属し、外爻が陰で内爻が陽だから、坤の外三爻の癸を用いて相配する。だから癸もまた水に属し、申と辰は坎に三合するがゆえに水に属する。これがすなわち八卦五行が相配する道理である。およそ納甲一路の取用は皆ここから推す。

洪範五行又名宗廟五行又名大五行訣曰:甲寅辰巽大江水,戌坎申辛水亦同。震艮巳山原屬木,離壬丙乙火為宗。兌丁干亥金生處,丑癸坤庚未土中。

洪範五行はまた「宗廟五行」とも呼び、また「大五行」とも呼ぶ。その口訣は言う。甲・寅・辰・巽は大江の水、戌・坎・申・辛もまた同じく水に属し、震・艮・巳の三山はもともと木に属し、離・壬・丙・乙は火を以て宗とし、兌・丁・乾・亥は金の生じる処、丑・癸・坤・庚・未はすなわち土中に帰する、と。この系統は正五行の所属と大いに同じではなく、納甲の卦爻が交変し化氣することから推して出されたものである。

按《洪範五行論》曰:“洪範之理,乃以八卦通變,演而伸之,為二十四位五行變化之情,蓋八卦之變者。甲本屬木,納於乾宮,與坤交,以坤之上下二爻交換幹之上下二爻,化成坎象,甲隨坎化,故屬水也。乙本屬木,納於坤宮,坤與幹交,以幹之上下二爻交換坤之上下二爻,化成離象,乙受離化,故屬火也。

案ずるに《洪範五行論》は言う。洪範五行の道理は、八卦を取り上げて互いに通変させ、推演し広げて、二十四位上における五行変化の実情となる。言い尽くせばすなわち八卦の変卦である。甲は本来木に属し、乾宮に納められる。乾と坤とが相交り、坤の上下両爻を用いて乾の上下両爻を換え、化成して坎の卦象となる。甲はすなわち坎に随って化する。だから水に属する。乙は本来木に属し、坤宮に納められる。坤と乾とが相交り、乾の上下両爻を用いて坤の上下両爻を換え、化成して離の卦象となる。乙はすなわち離を受けて化する。だから火に属する。洪範が正五行と処処同じではない所以は、その根源がまさにこの一層の交爻化氣にある。

丙本屬火,納於艮宮,艮與兌對,以兌之下爻交換艮之下爻,化成離象,丙隨離化,故屬火也。丁本屬火,納配兌宮,兌與艮對,以艮之上爻交換兌之上爻,化成乾象,丁受幹化,故屬金也。庚本屬金,納配於震,震與巽對,以巽之下爻交換震之下爻,化成坤象,庚受坤化,故屬土也。

丙は本来火に属し、艮宮に納められる。艮と兌とが相対し、兌の下爻を用いて艮の下爻を換え、化成して離の卦象となる。丙はすなわち離に随って化する。だからなおも火に属する。丁は本来火に属し、兌宮に納配される。兌と艮とが相対し、艮の上爻を用いて兌の上爻を換え、化成して乾の卦象となる。丁はすなわち乾を受けて化する。だから金に属する。庚は本来金に属し、震に納配される。震と巽とが相対し、巽の下爻を用いて震の下爻を換え、化成して坤の卦象となる。庚はすなわち坤を受けて化する。だから土に属する。一つひとつの天干は、まずそれがどの卦に納められたかを見、次いで対宮と爻を換えた後に何の卦に化成するかを見るのである。

辛本屬金,納配於巽,巽與震對,以震之上爻交換巽之下爻,化成坎象,辛受坎化,故屬水也。壬本屬水,納配於離,離與坎對,以離之中爻交換坎之中爻,化成乾象,壬受幹化,本當屬金,納於離火,火焰金消,不能自立,退而附於離,故屬火也。癸本屬水,納配於坎,坎與離對,以離之中爻交換坎之中爻,化成坤象,癸受坤化,故屬土也。此入於納甲之變。

辛は本来金に属し、巽に納配される。巽と震とが相対し、震の上爻を用いて巽の下爻を換え、化成して坎の卦象となる。辛はすなわち坎を受けて化する。だから水に属する。壬は本来水に属し、離に納配される。離と坎とが相対し、離の中爻を用いて坎の中爻を換え、化成して乾の卦象となる。壬は乾を受けて化する。理に照らせば本来金に属すべきであるが、それは離火の中に納められ、火燄が一たび起これば金は銷熔して自立できず、やむなく退いて離に依附する。だから火に属する。癸は本来水に属し、坎に納配される。坎と離とが相対し、離の中爻を用いて坎の中爻を換え、化成して坤の卦象となる。癸はすなわち坤を受けて化する。だから土に属する。以上は皆納甲一路の変化に属する。その中の壬の一位は特に留意すべきである。それは化氣した後にまた本宮の離火に奪われて、ようやく火の上に帰したのである。

如乾坤以上下二爻交者,取象於否泰之義,故曰天地定位;艮震與巽兌交者,取象於咸、恆、損、益之義,故曰雷風相薄、山澤通氣是也。離以中爻交於乾坤,乾坤以下爻交於坎離者,取象於既濟之義,故曰水火不相射是也。乾坤本乎金土而不變者,乃陰陽之宗祖,眾卦之父母,退身於休明之地,老亢而不變也。

乾坤が上下両爻を用いて相交るのは、取る所は否卦と泰卦の意だから、「天地定位」と言う。艮・震と巽・兌とが相交るのは、取る所は咸・恒・損・益の四卦の意だから、「雷風相薄」「山沢通氣」と言う。離が中爻を用いて乾坤と交わり、乾坤が下爻を用いて坎離と交わるのは、取る所は既濟卦の意だから、「水火不相射」と言う。乾坤が本来金と土に属して変化しないのは、それらが陰陽の宗祖・衆卦の父母であって、すでに退居して清閑顯明の地にあり、年老いて亢極したから、もはや変わらないのである。およそ変わらないものは、皆位分がすでに定まりもはや動くを要しない卦である。

坎、離、震、兌立於四正,水火木金而不變者,以子、午、卯、酉正位,各專四旺之地,宣佈四時之令,而氣化行焉,故不變也。艮、巽用變者,艮土易位於坎震東北之界,處身衰丑病寅之間,思欲更相代立,自然成山而化木也。巽木易位於震離東南之界,處身於衰辰病巳之間,不能自立,反歸於水,辰為墓地,並與辰皆水也。

坎・離・震・兌が四正に立ち、水・火・木・金に属して変わらないのは、それらが各々子・午・卯・酉の正位に拠り、もっぱら四方で最も旺な地を管し、四時の節令を宣布し、氣化がこれによって流行するから、変わらないのである。艮と巽はかえって変わる。艮土は移って坎と震の間の東北の交界の上に至り、身は「衰」が丑にあり「病」が寅にある地段に処り、別に起こりて代わり立とうと欲する。ここに自然と山より化して木となる。巽木は移って震と離の間の東南の交界の上に至り、身は「衰」が辰にあり「病」が巳にある地段に処り、自立できず、かえって帰入して水となる。辰はまた水の墓地である。だから巽と辰は同じく皆水と算する。

亥本屬水,因金以生,乘代金立,故亥變金也。寅本居木,因水以生,乘代水立,故寅變水也。巳本屬火,因木以生,乘代木立,故巳變木也。申本屬金,水長生地,金反生水,故申變水也。辰、戌、丑、未五土之神,分為四季,作造化甄陶之至,為厚載之質,本不可變。因土以生木,木附於土,奪土一半為水。水動土靜,辰、戌陽之動也,故化為水,丑、未陰之靜也,故仍為土。此化氣五行所由取耳。”

亥は本来水に属し、金によって生じるから、すなわち勢に乗じて金に代わり立つ。だから亥は変じて金となる。寅は本来木に属し、水によって生じるから、すなわち勢に乗じて水に代わり立つ。だから寅は変じて水となる。巳は本来火に属し、木によって生じるから、すなわち勢に乗じて木に代わり立つ。だから巳は変じて木となる。申は本来金に属するが、申はまた水の長生の地であり、金はかえって往って水を生じる。だから申は変じて水となる。辰・戌・丑・未は五土の神で、四季を分管し、造化が萬物を陶鑄する極致で、厚德が物を載せる質である。本来変わるべきではないが、ただ土はよく木を生じ、木はまた土に依附するから、すなわち土の半分を奪って水となる。水は動を主り、土は静を主る。辰・戌は陽に属して動を主るから、化して水となる。丑・未は陰に属して静を主るから、なおも土となる。これがすなわち「化氣五行」が象を取る由来である。

蜀忠州太守南泉羅公青霄曰:論天時者百十有餘家,各相矛盾。大概有一二主洪範五行。唐、宋、元至我明,如宋魯珍曆法、通書是也。一主正五行,則洪理之《歷府》、池紀之《克擇通書》是也。粵稽正五行,乃生成對待之體,理之各具者也。洪範五行,乃變化流行之用,理之相隔者也。正五行祖伏羲先天之易,洪範五行祖文王後天之易,先天者造化之原,後天者人事之用也。

四川忠州太守で号を南泉という羅青霄が言う。天時の選択を論ずる者は一百余家あって、彼此互いに矛盾する。大略言えば、一路は洪範五行を用いることを主張し、唐・宋・元からそのまま本朝に至っている。たとえば宋魯珍の歷法と《通書》がこれである。別の一路は正五行を用いることを主張する。たとえば洪理の《歷府》、池紀の《克擇通書》がこれである。考究すれば、正五行は生成対待の本体であり、道理が各々自ら具足する一面である。洪範五行は変化流行の功用であり、道理が彼此相隔たり互いに転化する一面である。正五行は伏羲の先天の《易》を祖述し、洪範五行は文王の後天の《易》を祖述する。先天は造化の本原であり、後天は人事の応用である。

陰陽家始自軒轅征蚩尤,命風后作遁甲,命大撓作甲子,為兵家三式,曰太乙以知天地,曰六壬以知人也,曰奇門以知地也。至堯制歷置閏,欽若昊天,敬授人時。舜在璇璣玉衡,以齊七政。夏、商、周正用三統,皆為人事而設也。

陰陽一家の源頭は、軒轅黃帝が蚩尤を征討した時に起こり、風后に命じて遁甲を創制せしめ、大橈に命じて甲子を創制せしめた。後に兵家の「三式」となった。太乙をもって天を知り、六壬をもって人を知り、奇門をもって地を知る。帝堯が歷法を制定し閏月を安置し、恭敬して上天に順応し、時令をもって百姓に告げ知らせるに至る。虞舜は璇璣玉衡を観察し、もって日月五星の七政を斉同にした。夏・商・周三代が用いた三種の正朔も、また皆人事のために設立されたのである。

若執先天之易以斥後天之易,則人必以為非聖無法矣。彼執正五行,斥洪範為《滅蠻經》者,果何所據而生今反古也哉!斥洪範者,謂其顛例五行,以甲、寅、辰、巽、辛、申屬水,艮、巳屬木,壬、乙屬火,丁、亥屬金,庚、癸屬土。殊不知納音已先顛倒之矣。如甲、乙本木,子、丑本水,納音則以為海中金,以至丙丁寅卯火、戊己辰巳木等。於支之納音亦莫不然。而主正五行者,何亦不以納音為非乎?

もし死に抱いて先天の《易》をもって後天の《易》を排斥すれば、人は必ずこれを目に聖人なく法度を遵えないと見做すだろう。あの正五行を死守して洪範を《滅蠻經》と斥ける人は、いったい何を依拠として、今に生れながらかえって古法に反対するのか。洪範を排斥する人は、それが五行を顛倒したと言う。甲・寅・辰・巽・辛・申を水と算し、艮・巳を木と算し、壬・乙を火と算し、丁・亥を金と算し、庚・癸を土と算す、と。彼らは知らないのである、納音がとうに先んじて顛倒していたことを。たとえば甲・乙は本来木に属し、子・丑は本来水に属するが、納音はかえって甲子・乙丑を定めて海中金とし、さらには丙寅丁卯を定めて爐中火、戊辰己巳を定めて大林木などとするに至るまで、干支の納音はすべてこのようである。然らば正五行を主張する人は、なぜまた納音が誤りだと言わないのか。

蓋洪範五行之旨本於太陰納甲,天象昭然可見,選擇忌犯陰府,亦以納甲化氣克化氣。如甲己化土,克艮、丙、巽、辛水;丙辛化水,克戊、坎、坤、癸火;戊癸化火,克震、庚、亥、未金;乙庚化金,克幹、甲、丁、兌木;丁壬化木,克離、壬、寅、戌土。

洪範五行の宗旨は太陰(月)の納甲に本づき、天象の上に明白はっきりと見ることができる。日課を選択するに「陰府」に沖犯することを忌み避けるが、用いるのもまさに納甲の化氣をもって化氣を克するというこの仕組みである。甲と己は合化して土となり、艮・丙・巽・辛の属する水を克する。丙と辛は合化して水となり、戊・坎・坤・癸の属する火を克する。戊と癸は合化して火となり、震・庚・亥・未の属する金を克する。乙と庚は合化して金となり、乾・甲・丁・兌の属する木を克する。丁と壬は合化して木となり、離・壬・寅・戌の属する土を克する。

以甲為土,以丙辛為水,戊癸為火,乙為金,丁壬為木,離、丙、午為土,謂非顛倒五行也哉?主正五行者,皆知忌陰府,而顧斥洪範為非,何其明於此而暗於彼耶?

この陰府の算法の中では、甲を土とし、丙・辛を水とし、戊・癸を火とし、乙を金とし、丁・壬を木とし、離・丙・午を土とする。これはまたどうして顛倒五行ではないと言えよう。正五行を主張する人は、誰もが陰府を忌避すべきことを知りながら、わざわざ洪範が誤りだと斥責する。どうしてこちらでは明白なのに、あちらでは糊涂なのか。

且地支三合,凡陰陽家皆用之,正五行以寅為木,以戌為土,洪範五行以寅、戌為水,而寅、午、戌則合成火局,寅午戌山皆用之。未聞以寅為木,戌為土,而用木局、土局者。正五行以申為金,辰為土,洪範五行以申、辰為水,而申、子、辰則合水局,申、子、辰山皆用之,未聞以申為金、辰為土,而用金局、土局者。

さらに言えば地支の三合は、およそ陰陽家で用いない者はいない。正五行は寅を木とし、戌を土とする。洪範五行は寅・戌を皆水とする。しかるに寅・午・戌は三合して火局を成し、およそ寅山・午山・戌山は皆火局に照らして取用する。寅を木とし戌を土として木局・土局を用いるとは、かつて聞いたことがない。正五行は申を金とし、辰を土とする。洪範五行は申・辰を皆水とする。しかるに申・子・辰は三合して水局を成し、およそ申山・子山・辰山は皆水局に照らして取用する。申を金とし辰を土として金局・土局を用いるとは、かつて聞いたことがない。見れば分かる、三合で局を取るのは、本来正五行の本属に照らして算しないのである。

正五行以巳為火,丑為土而用火局土局者。正五行以亥為水、未為土。洪範五行以亥為金、未為土,而亥、卯、未則合成木局,亥、卯、未山皆用之,未聞以亥為金,以未為土,而用金局、土局者。辰、戌、丑、未大象屬土,若年月日時用為土局,則陰陽駁雜不純。要之,土寄旺於四時,理氣生物,莫不有土,隨在而融會,亦各從其類耳。

正五行は巳を火とし、丑を土として火局・土局を用いる。――この句は底本が不完整である。上下文に照らせば作るべきは「洪範五行は巳・丑を以て金と為し、しかるに巳・酉・丑は三合して金局を成す。いまだ巳を火とし丑を土として火局・土局を用いる者を聞かざるなり」である。ここは底本に脱文がある。今はそのまま写して補わない。正五行は亥を水とし、未を土とする。洪範五行は亥を金とし、未を土とする。しかるに亥・卯・未は三合して木局を成し、およそ亥山・卯山・未山は皆木局に照らして取用する。亥を金とし未を土として金局・土局を用いるとは、かつて聞いたことがない。辰・戌・丑・未は大象の上では皆土に属する。もし年月日時もまた一概にそれらを土局と当てれば、すなわち陰陽が駁雑となり純ではなくなる。要するに、土は四季に寄旺し、理氣が萬物を生養するには一か所も土を離れることができない。所々に融通して貫徹するのも、ただ各々その類に従うのみである。

其幹、甲、丁用亥、卯、未,坤、乙、壬用申、子、辰,艮、丙、辛用寅、午、戌,巽、庚、癸用巳、酉、丑,各年月日時又各有化合之妙,不可執一論也。如張氏之女嫁於李氏之男,而與之生子,則為李之妻與母矣,尚可執其終為張乎?李氏之男贅於張氏之女,而與之生子,則亦為張之夫與父矣,尚可執其終為李乎?此亦可以罕譬而喻也。

その中で乾・甲・丁の三山は亥・卯・未を取り、坤・乙・壬の三山は申・子・辰を取り、艮・丙・辛の三山は寅・午・戌を取り、巽・庚・癸の三山は巳・酉・丑を取る。各自の年月日時にはまた各々化合の妙用があり、一説に執定することはできない。たとえば張家の娘が李家の男子に嫁いでまた彼と息子を生めば、彼女は李家の妻・李家の母となる。なお固く認めて彼女は終竟張家の人だと言えるか。李家の男子が張家の娘に入贅してまた彼女と息子を生めば、彼は張家の夫・張家の父となる。なお固く認めて彼は終竟李家の人だと言えるか。この道理は、このような浅近な喩えを用いればもはや明白に説明できる。

蓋太極動而生陽,靜而生陰,陰變陽合而生水、火、木、金、土,五氣布,四時行而生男女。萬物皆一本而萬殊也。太極雖有動靜,而動靜互為其根,雖動靜生陰陽,而陰陽互藏其宅。雖陰陽生五行,而五行互相生剋制化,斯為神旡方,而易旡體也,可以顛倒為非乎哉?

そもそも太極は一動して陽を生じ、一静して陰を生ず。陰変陽合して水・火・木・金・土を生出し、五氣分布し四時運行して男女を生出す。萬物は皆同一の根本にして千差万別である。太極は動静あると雖も、動と静とは互いに根本を為す。動静は陰陽を生ずると雖も、陰陽は各々相手方の宅舍の中に蔵する。陰陽は五行を生ずると雖も、五行は互いに生じ互いに克し互いに制し互いに化す。これがまさに《周易・繫辭》の言う「神に方所なし、易に体なし」である。どうして「顛倒」の二字を取ってそれが誤りだと責められようか。

大率陰陽造葬,以山家墓運為用神,而墓運通常以洪範五行變成流行者為主本。蓋陰以正五行為體,以洪範五行為用,而造葬人事,皆於用上從事云爾。即以洪範五行作於唐一行,傳流外國以滅蠻,何遼、金、元之及盛而不可滅也?此立滅蠻之說以斥洪範五行者,益見其不經之甚矣!

大抵陰陽家の營造・安葬は、山家の「墓運」を以て用神と為すが、墓運は従来洪範五行の変化流行の系統を以て根本とする。すなわち、陰宅の法は正五行を以て体と為し、洪範五行を以て用と為すのであって、營造・安葬のごとき人事は、皆「用」の側に着手するに過ぎない。仮に言い伝えのごとく、洪範五行が唐代の僧一行の作で、外国に流伝して蛮夷を滅ぼすためであったとしても、然らば遼・金・元はなぜかえって強盛にして滅ぼせなかったのか。見れば分かる、「滅蛮」の説を立てて洪範五行を排斥する人は、ますますその荒誕不経を露呈するのである。

今觀《皇極》、《範圍》等數,壬、甲從幹,乙、癸向坤等例,皆洪範納甲旨也。子平六壬趨艮、六甲趨乾等例,皆顛倒五行旨也。易卦五行甲子等例,皆錯綜五行旨也。《輟耕録》論納音,《百川學海》等書論洪範大五行,皆詳密可據。不知主正五行者曾一一究之否也?

今《皇極經世》《範圍數》の類の數學を見れば、壬・甲が乾宮に従い乙・癸が坤宮に歸向するというこれらの条例は、皆洪範納甲の宗旨である。子平術と六壬の中の「六壬趨艮」「六甲趨乾」というこれらの条例は、皆顛倒五行の宗旨である。易卦五行が甲子に配するというこれらの条例は、皆錯綜五行の宗旨である。陶宗儀《南村輟耕錄》が納音を論じ、《百川學海》等の書が洪範大五行を論ずるは、講ずる所は皆詳密にして依拠すべし。知らず、正五行を主張する人は、これを一々考究したことがあるか否か。

說洪範五行者盛於唐,而唐之袁、李、楊、曾為陰陽數之宗,未聞斥其非也。《皇極》、《範圍》衍於宋邵康節,乃理數之宗,未聞以納甲為非也。宋輝山《通書》,我朝刋入司理監,通行天下。劉誠意、姚恭靜諸公,皆精於陰陽之術者,亦未聞斥其非也。洪、池二字視前輩所造所見為何如,乃敢立學著書以誤天下也哉!

洪範五行を講ずる風氣は唐代に盛行し、唐代の袁天罡・李淳風・楊筠松・曾文辿は陰陽術數の宗師であるが、彼らが洪範を斥責して誤りとしたとは聞いたことがない。《皇極經世》《範圍數》は宋代の邵康節が推衍したもので、彼は理數の宗師であるが、彼が納甲を以て誤りとしたとは聞いたことがない。宋代輝山《通書》は、本朝刊行して司理監に収められ、天下に通行す。劉基(誠意伯)・姚廣孝(恭靖公)の諸公は皆陰陽の術に精しいが、彼らが洪範を斥責して誤りとしたとは聞いたことがない。洪理・池紀の兩人は、前輩の造詣と識見に比べて何と算す。敢えて門戸を自立し書を著して說を立て、天下を貽誤せんとするか!

顧乃德《歷正通書》辨之甚明,的為可信。但既以洪範五行論山運,又以正五行論龍運,殆不敢明斥洪池之非,而遷就引入於正耳。不知山向定穴,近而可憑。後龍變換,遠而難定。年月日時,合山者不合龍,合龍者或不合山。卦例不眞,補洩相反,又非專一精確之論。不若惟主洪範五行,專論山運之為直捷無弊也。

顧乃德の《歷正通書》は辨析が甚だ明白で、確かに信ずべし。しかし彼は洪範五行を用いて「山運」を論じ、また正五行を用いて「龍運」を論ず。おそらく公に洪理・池紀の誤りを指斥する勇氣がなく、已むなく遷就して両説を正五行の側に牽合したのであろう。彼は明らかでない。山と向が定める穴は近処にあって、憑準し得る。後面の來龍は一路変換して遠く數十里の外にあり、断じ難い。年月日時の選択は、山に合すればしばしば龍に合わず、龍に合すればまたしばしば山に合わず。卦例が一たび真ならざれば、補うべきがかえって泄となり、泄すべきがかえって補となる。これは専一精確の論ではない。むしろ単に洪範五行を主とし、専ら山運を論ずるがよい。直捷にして流弊がない。

予幼侍龍淵,先君子無聞斥正五行而主洪範。繼驗用洪範者常迪吉,而用正五行者多致凶。及考管、郭諸書,論洪範者歷歷可考,而論正五行者執滯不通。顧乃德之《歷正》又為兩可不經之論,則終無以解天下之誤矣。乃集諸說切要可用者,概列於後,以俟有道者訂之,以決天下之疑,以定天下之吉凶,或於養生送死者未必無小補雲。時隆慶戊辰冬十月也。

我は幼年に先父龍淵公に侍奉した。先父は従來正五行を排斥して獨り洪範を主としたことはない。後來我が逐一に検証して、洪範を用いればしばしば吉に趨り、正五行を用いれば多く凶を招くことを発見した。管輅・郭璞の諸家の書を考核するに至り、洪範を講ずるは處處據り査すべきものあり、正五行を講ずるは拘執して通ぜず。顧乃德の《歷正通書》はまた模棱兩可・正理に合わざる議論で、終竟天下人の誤會を解く能わず。ここに我は各家の切要にして用いべき說を彙集し、一概に開列して後に、有道の士の訂正を候す。以て天下の疑惑を決斷し、天下の吉凶を判定せんとす。養生送死という大事に對して、或いは小補なしとは言わざるべし。時は隆慶戊辰年冬十月。

又考宋中散大夫田吾公裕同、司天監楊維德奏編《塋原總録》,首編五行,云:“洪範者,此名大五行,蓋五行之變體也,古今用之,極有徵驗。陰陽之妙,有不可詰。此殆如醫家之用五運也,故今遵用之。”此與《百川學海》等書之說同。有雙山五行以論山、玄空五行以論水,皆佐輔龍穴者也。

また宋代中散大夫田裕同(吾公)と司天監楊維德が奉命して編纂した《塋原總錄》を考察する。巻首に編む五行說は曰く、洪範のこの家は又「大五行」と叫び、五行の變體で、古今皆之を用いて極めて應驗あり。陰陽の奧妙は、或る處所は本來追問し盡くす能わざる。これはおそらく醫家が「五運」を使用するがごときであろう。だから今は遵照して採用す、と。この說法は《百川學海》等の書の講ずる所と同じ。この外になお「雙山五行」ありて以て山を論じ、「玄空五行」ありて以て水を論ず。皆龍と穴とを判定するを輔助するものである。

金卦の原

下六十甲子配六十四卦,內除坎、離、震、兌四卦。蓋坎、離為陰陽之樞紐,震、兌為日月之門戶,寔統於六十四卦內耳。此先天之卦位,應周天之節候。地法因之,以察生氣,審孤旺,明吉凶者也。重六十而為百二十分金,皆本乎此。

以下は六十甲子を以て六十四卦に配す。その中で坎・離・震・兌の四卦を除きて配せず。坎・離は陰陽の樞紐、震・兌は日月の門戸で、それらは其實すでに六十四卦の内に統攝せられているからである。これは先天の卦位で、以て周天の節候に對應す。地理の法はこれに依據して以て生氣を察看し、「孤」と「旺」を審辨し、吉凶を判明す。六十を再び一倍して一百二十「分金」と為すも、亦皆この一層に本づく。

按陳希夷云:分金之法,則以甲、丙、戌、庚、壬分隸子、寅、辰、午、申、戌之位;乙、丁、己、辛、癸分隸丑、卯、巳、未、酉、亥之位。陪而重之,為百二十金。其所以隸五行生旺休衰則同一例。其歸藏大卦所用,除卻坎、離、震、兌為本體不用,每值戊、已位為本卦之體,以次行,則甲子配頣,丙子配中孚,戌子配復,庚子得屯,壬子得謙,此子癸宮之分金卦也。

按ずるに陳摶は曰く、分金の法は、甲・丙・戊・庚・壬の五つの陽干を分かちて子・寅・辰・午・申・戌の各位に隸屬せしめ(底本の「戌」は「戊」に當るべし)、乙・丁・己・辛・癸の五つの陰干を分かちて丑・卯・巳・未・酉・亥の各位に隸屬せしむ。倍して重ねて排すれば、便ち一百二十分金と成る。それらが五行の生・旺・休・衰に分屬する辦法は、則ち同一の条例である。《歸藏》大卦の用法に至っては、先ず坎・離・震・兌の四卦を除きて以て本體と為して用いず、凡そ戊・己の位に遇えば便ち本卦を以て體と為し、依次に推排して下る。甲子は頤卦に配し、丙子は中孚卦に配し、戊子は復卦に配し、庚子は屯卦を得、壬子は謙卦を得る。これがすなわち子・癸一宮の分金の卦である。

乙丑得睽,丁丑得升,己丑得臨,辛丑得小過,癸丑得蒙,此丑艮宮之分金卦也。甲寅得益,丙寅得漸,戊寅得泰,庚寅得需,壬寅得隨,此甲寅宮之分金卦也。乙卯得晉,丁卯得解,己卯得大壯,辛卯得豫,癸卯訟,此卯乙宮分金之卦也。

乙丑は睽卦を得、丁丑は升卦を得、己丑は臨卦を得、辛丑は小過卦を得、癸丑は蒙卦を得る。これは丑・艮一宮の分金の卦。甲寅は益卦を得、丙寅は漸卦を得、戊寅は泰卦を得、庚寅は需卦を得、壬寅は随卦を得る。これは甲・寅一宮の分金の卦。乙卯は晉卦を得、丁卯は解卦を得、己卯は大壯卦を得、辛卯は豫卦を得、癸卯は訟卦を得る。これは卯・乙一宮の分金の卦。每一宮は五條で、皆該宮の轄する五つの分金を各々一卦に配し、立向の時は穴の落ちた分金に按じて取用す。

甲辰得蠱,丙辰得革,戊辰得夬,庚辰得旅,壬辰得師,此辰巽宮分金之卦也。乙巳得比,丁巳得小畜,己巳得幹,辛巳得大有,癸巳得家人,此巳丙宮之分金卦也。甲午得井,丙午得咸,戊午得姤,庚午得鼎,壬午得豐,此午丁宮之分金卦也。

甲辰は蠱卦を得、丙辰は革卦を得、戊辰は夬卦を得、庚辰は旅卦を得、壬辰は師卦を得る。これは辰・巽一宮の分金の卦。乙巳は比卦を得、丁巳は小畜卦を得、己巳は乾卦を得、辛巳は大有卦を得、癸巳は家人卦を得る。これは巳・丙一宮の分金の卦。甲午は井卦を得、丙午は咸卦を得、戊午は姤卦を得、庚午は鼎卦を得、壬午は豊卦を得る。これは午・丁一宮の分金の卦。辰巽・巳丙・午丁の三宮は、正しく東南より正南に至る一段で、六十甲子順行の中段である。

乙未得渙,丁未得復,己未得遯,辛未得恆,癸未得節,此未坤宮之分金卦也。甲申得同人,丙申得損,戊申得否,庚申得巽,壬申得萃,此申庚宮之分金卦也。乙酉得大畜,丁酉得賁,己酉得歸妹,癸酉得無妄,此酉辛宮之分金卦也。

乙未は渙卦を得、丁未は復卦を得、己未は遯卦を得、辛未は恒卦を得、癸未は節卦を得る。これは未・坤一宮の分金の卦。甲申は同人卦を得、丙申は損卦を得、戊申は否卦を得、庚申は巽卦を得、壬申は萃卦を得る。これは申・庚一宮の分金の卦。乙酉は大畜卦を得、丁酉は賁卦を得、己酉は歸妹卦を得、癸酉は無妄卦を得る。これは酉・辛一宮の分金の卦。此宮は底本は只四條を列し、辛酉一條を缺く。照錄して補わず。

甲戌得明夷,丙戌得困,戊戌得剝,庚戌得艮,壬戌得既濟,此戌乾宮之分金卦也。乙亥得噬嗑,丁亥得大過,己亥得未濟,癸亥得蹇,此壬亥宮之分金卦也。於是一氣甲子,二氣甲戌,三氣甲申,四氣甲午,五氣甲辰,六氣甲寅,隨天而左旋。一元甲子,二元丙子,三元戊子,四元庚子,五元壬子,隨地而轉。聖人所以別理地宜,以立人極,寔在於此。

甲戌は明夷卦を得、丙戌は困卦を得、戊戌は剝卦を得、庚戌は艮卦を得、壬戌は既濟卦を得る。これは戌・乾一宮の分金の卦。乙亥は噬嗑卦を得、丁亥は大過卦を得、己亥は未濟卦を得、癸亥は蹇卦を得る。これは壬・亥一宮の分金の卦。此宮も底本は只四條を列し、辛亥一條を缺く。ここに一氣を甲子と為し、二氣を甲戌と為し、三氣を甲申と為し、四氣を甲午と為し、五氣を甲辰と為し、六氣を甲寅と為し、天に随って左に旋轉す。一元を甲子と為し、二元を丙子と為し、三元を戊子と為し、四元を庚子と為し、五元を壬子と為し、地に随って轉動す。聖人が以て各地の土宜を分辨し人道の準則を確立する根據は、實に即ちここに在る。

六甲渾天候卦

上後天卦流行之易,入用之卦也。法以雷、風、火、地、澤、天、水、山加於八卦之上,而成六十四卦。內除幹、坤、坎、離四卦以為主宰,而居無為之天,寔統諸卦之氣。以六十四卦配六十甲子而推排爻象,運於周天。地法因之以驗吉凶者,本乎此也。八宮皆首雷者,帝出乎震也。

上面に列せるは後天卦流行の《易》で、入用の卦に屬す。その法は雷・風・火・地・澤・天・水・山の八象を八卦の上に加えて、六十四卦と為る。その中で乾・坤・坎・離の四卦を除きて以て主宰と為し、無所作為の天位に居りて、其實諸卦の氣を統攝す。再び六十四卦を以て六十甲子に配し、爻象を推排し、周天を運行す。地理の法はこれに依據して以て吉凶を驗證す。根本は即ちここに在る。八宮は皆「雷」の字を以て頭に打つ。取るは《說卦傳》の「帝は震に出ず」の意である。

陳彥繹詩云:要識穿山虎,方行透地龍。渾天開寳鏡,金水月相逢。上右圖透地龍。六十龍配卦法,以排山九宮掌依八節三奇例,分二十四氣、七十二候、上中下三元,照依奇門遁甲,隨冬、夏二至順逆起局,尋龍穴所落之宮住。卻看其龍穴干支屬何甲,旬頭原在何宮,其所占之宮卦名謂之符頭卦,即以其卦移入八宮掌。先尋得龍穴之宮,亦移入八宮掌上,將符頭卦不拘陰陽,一樣順飛,加所尋龍穴卦位起,依次而加到八節所管之位。以本節所占之卦為下卦,以加來之卦為上卦,看湊成何卦。又看其卦世爻是何渾天持世,又穿定何宿,卻以七元伏斷演禽歌例加宿,要依陽順陰逆加去,如日虛月鬼火箕之例,方知金、水、日、月、三奇、祿馬、貴人、子、父、才、官方位。

陳彦繹に詩があり曰く、「穿山虎」を認識することを要する。そうしてこそ「透地龍」を行くことを語り得る。渾天盤が一たび開けば宝鏡のごとく、金・水・日・月の諸吉はすなわち相逢うべし、と。以上右図が講ずる所はすなわち透地龍である。六十龍に卦を配する方法は、排山九宫掌を用い、八節三奇の成例に依り、二十四節氣・七十二候と上・中・下の三元を分かち出し、奇門遁甲の規矩に照らし、冬至・夏至に随って順飛・逆飛を分かちて起局し、ひたすら推して龍穴が落ちるあの一宮に至るまでとする。次にこの龍穴の干支がどの甲旬に属するか、旬頭はもともとどの宮にあるかを見る。旬頭が占めるあの宮の卦名を「符頭卦」と呼び、この卦を八宮掌に移し入れる。まず龍穴の所在の宮を見つけて、また八宮掌の上に移し、次に符頭卦を陰陽を分かたず一律に順飛させ、見つけた龍穴の卦位から起して加え、順々に加えて八節の管するあの一位に至らしめる。本節の占する卦を下卦とし、加えてきた卦を上卦として、何の卦を湊成するかを見る。次にこの卦の世爻が渾天甲子の中のどれが持世するかを見、また穿定してどの宿に当たるかを見る。その後「七元伏斷」演禽歌の成例に按じて宿を加える。要するに陽順・陰逆に依って推して往くのである。「日虚・月鬼・火箕」という類の例のごとくである。こうして初めて金・水・日・月の四吉と三奇・祿馬・貴人、および子孫・父母・妻財・官鬼が各々どの方位にあるかを知ることができる。

假如庚子山,繫冬至節坎卦司令之宮,甲午符頭,巳亥中局管候,即在排山七宮兌上起甲子,順遁得甲午符頭在坎,庚子龍穴又到兌,就九宮兌變作八宮掌兌。次將九宮甲午符頭坎卦加八宮掌兌,次加艮於幹,次加震於坎,即住了。見得坐宮節卦。今加震到坎,震為雷,坎為水,乃湊成雷水解卦。次看解卦世爻是戊辰,渾天穿得七元心宿,乃屬月狐之禽。月禽又該加鬼宿於兌上輪起,依次而去,看爻渾天各得何宿,以定金水日月。又看庚子祿在何位,甲子在兌,順行見三奇逆在何位,依六爻渾天,挨子父財官亦在何位。

例を挙げて言えば、庚子山は冬至一節の坎卦司令の宮位に属し、符頭は甲午で、巳・亥中局によって候を管する。すなわち排山掌の第七宮兌の上に甲子を起こし、順遁して推して往けば、甲午符頭が坎宮に落ちることを得、しかして庚子龍穴はまた兌宮に落ちる。ここに九宫掌の兌を八宮掌の兌に変作する。続いて九宫中の甲午符頭の属する坎卦を八宮掌の兌の上に加え、次に艮を乾の上に加え、次に震を坎の上に加えて、ここに至って止まる。すなわち坐宮の節卦を見出すことができる。今、震は坎の上に加わる。震は雷を為し、坎は水を為し、湊成して雷水解卦となる。次に解卦の世爻を見れば戊辰で、渾天から七元中の心宿に穿り、「月狐」という禽に属する。すでに月禽であれば、すなわち鬼宿を兌宮の上に加えて輪起し、順々に推して往き、各爻の渾天が各々どの宿を得るかを見、これに拠って金・水・日・月の四吉を判定する。次に庚子の祿がどの位にあるかを見る。甲子は兌にあり、順行して三奇が逆布してどの位にあるかを見る。次に六爻渾天に依り、順に査べて子孫・父母・妻財・官鬼が各々どの位にあるかを見る。

詳考六十甲子所用六十卦,亦起於遁甲法。如庚子來山起冬至七宮,甲子順行,庚子在甲午旬內,即從甲子起七宮,至甲子在坎,便以坎直符。順從坎宮起,則庚子臨飛到兌宮為定,則飛坎加在兌宮,飛艮加在乾宮,飛震加在坎宮。庚子原住坎宮,其上有飛震加臨,即成雷水解卦。餘可例推。六十甲子皆以氣候起遁。氣候起遁成卦,即非私意杜撰而成。且八卦所管莫不均平,無多寡闊狹之弊,永合天地氣候。

細かく考察すれば、六十甲子の用いる六十卦は、また遁甲の法から起こして出したものである。たとえば庚子來山は、冬至の第七宮から起こして、甲子は順行する。庚子は甲午一旬の内にあるから、すなわち甲子から七宮を起し、推して甲子が坎宮に落ちるに至り、すなわち坎を直符とする。順って坎宮から起算すれば、すなわち庚子は飛臨して兌宮に至るを以て定とする。ここに飛坎を兌宮に加え、飛艮を乾宮に加え、飛震を坎宮に加う。庚子はもともと坎宮に住し、その上に飛震の加臨があれば、すなわち雷水解卦となる。その余の各条は照らしてこれを類推すべし。六十甲子は皆氣候に按じて遁を起こす。氣候に按じて遁を起こして卦を成せば、すなわち私意に憑って杜撰したものではない。しかも八卦の管する度数に均平ならざるがなく、多寡寬窄の毛病なく、永遠に天地の氣候に合する。これがまさにそれが別家の卦例より信憑に足る所以である。

六十透地龍の四吉三奇到方定局

甲子三亥七壬 大雪上坎卦休一 乙五 丙六 丁七 子八 父五 財四 官九六 金水日月三。丙子正壬 大雪下困卦休三 乙二 丙三 丁四 子五 父七六 財三 官一 金水日月八。戊子五壬五子 大雪中師蒙休四 乙八 丙九 丁一 子二 父四 財七 官三 日月金水二。庚子正子 冬至中解卦休七 乙六 丙五 丁四 子四七 父無 財二八 官九 金水日月一。壬子七子三癸 冬至上解卦休七 乙九 丙八 丁七 子一七 父無 財二八 官三 金水日月四。

以下は逐条に六十透地龍の定局を開列する。每条はまず龍名とその羅盤上に跨がる分数を出し、次に所値の節氣・所配の卦と休門の落ちる宮を出し、次に乙・丙・丁の三奇および子孫・父母・妻財・官鬼の四爻の落ちる宮を出し、末に金・水・日・月の四吉の落ちる宮を出す。甲子龍:亥三分・壬七分を占む。大雪上元に値し、坎卦に配し、休門は一宮。乙奇は五宮、丙奇は六宮、丁奇は七宮。子孫は八宮、父母は五宮、妻財は四宮、官鬼は九宮と六宮。四吉は三宮。丙子龍:正に壬位に在り。大雪下元、困卦に配し、休門は三宮。乙奇は二宮、丙奇は三宮、丁奇は四宮。子孫は五宮、父母は七宮と六宮、妻財は三宮、官鬼は一宮。四吉は八宮。戊子龍:壬五分・子五分。大雪中元、師卦と蒙卦に配し、休門は四宮。乙奇は八宮、丙奇は九宮、丁奇は一宮。子孫は二宮、父母は四宮、妻財は七宮、官鬼は三宮。四吉は二宮。庚子龍:正に子位に在り。冬至中元、解卦に配し、休門は七宮。乙奇は六宮、丙奇は五宮、丁奇は四宮。子孫は四宮と七宮、父母はなし、妻財は二宮と八宮、官鬼は九宮。四吉は一宮。壬子龍:子七分・癸三分。冬至上元、解卦に配し、休門は七宮。乙奇は九宮、丙奇は八宮、丁奇は七宮。子孫は一宮と七宮、父母はなし、妻財は二宮と八宮、官鬼は三宮。四吉は四宮。

乙丑三子七癸 小寒上渙卦休二 乙一 丙九 丁八 子六九 父二七 財無 官無 金水日月三。丁丑正癸 小寒下渙卦休二 乙四 丙三 丁二 子三九 父一二 財無 官無 金水日月六。己丑五癸五丑 小寒下未濟謙卦休七 乙四 丙三 丁二 子六九一八 父一三九 財五七 官無 金水一日月六。辛丑正丑 大寒中漸卦休七 乙八 丙七 丁六 子五 父八六 財無 官九 金水日月三。癸丑七丑三艮 大寒上艮卦休一 乙二 丙一 丁九 子八 父九 財六 官五 金水日月九。

乙丑龍:子三分・癸七分。小寒上元、渙卦に配し、休門は二宮。乙奇は一宮、丙奇は九宮、丁奇は八宮。子孫は六宮と九宮、父母は二宮と七宮、妻財はなし、官鬼はなし。四吉は三宮。丁丑龍:正に癸位に在り。小寒下元、渙卦に配し、休門は二宮。乙奇は四宮、丙奇は三宮、丁奇は二宮。子孫は三宮と九宮、父母は一宮と二宮、妻財はなし、官鬼はなし。四吉は六宮。己丑龍:癸五分・丑五分。小寒下元、未濟卦と謙卦に配し、休門は七宮。乙奇は四宮、丙奇は三宮、丁奇は二宮。子孫は六宮・九宮・一宮・八宮、父母は一宮・三宮・九宮、妻財は五宮と七宮、官鬼はなし。金・水は一宮、日・月は六宮。辛丑龍:正に丑位に在り。大寒中元、漸卦に配し、休門は七宮。乙奇は八宮、丙奇は七宮、丁奇は六宮。子孫は五宮、父母は八宮と六宮、妻財はなし、官鬼は九宮。四吉は三宮。癸丑龍:丑七分・艮三分。大寒上元、艮卦に配し、休門は一宮。乙奇は二宮、丙奇は一宮、丁奇は九宮。子孫は八宮、父母は九宮、妻財は六宮、官鬼は五宮。四吉は九宮。

丙寅三丑七艮 立春上小過休六 乙七 丙六 丁五 子無 父六九 財二 官二 金水日月八。戊寅五艮 立春下謙卦休九 乙一 丙九 丁八 子七 父九六 財無 官八 金水日月三。庚寅五艮五寅 立春下旅卦休九 乙一 丙九 丁八 子九三 父無 財二七 官無 金水日月三。壬寅正寅 雨水中旅卦休二 乙五 丙四 丁三 子四七 父無 財二七 官無 金水日月三。甲寅七寅三申 雨水中艮卦休一 乙五 丙四 丁三 子二 父三 財九 官八 金水日月三。

丙寅龍:丑三分・艮七分。立春上元、小過卦に配し、休門は六宮。乙奇は七宮、丙奇は六宮、丁奇は五宮。子孫はなし、父母は六宮と九宮、妻財は二宮、官鬼は二宮。四吉は八宮。戊寅龍:艮位五分。立春下元、謙卦に配し、休門は九宮。乙奇は一宮、丙奇は九宮、丁奇は八宮。子孫は七宮、父母は九宮と六宮、妻財はなし、官鬼は八宮。四吉は三宮。庚寅龍:艮五分・寅五分。立春下元、旅卦に配し、休門は九宮。乙奇は一宮、丙奇は九宮、丁奇は八宮。子孫は九宮と三宮、父母はなし、妻財は二宮と七宮、官鬼はなし。四吉は三宮。壬寅龍:正に寅位に在り。雨水中元、旅卦に配し、休門は二宮。乙奇は五宮、丙奇は四宮、丁奇は三宮。子孫は四宮と七宮、父母はなし、妻財は二宮と七宮、官鬼はなし。四吉は三宮。甲寅龍:寅七分・甲三分(底本は「甲」を「申」と作す)。雨水中元、艮卦に配し、休門は一宮。乙奇は五宮、丙奇は四宮、丁奇は三宮。子孫は二宮、父母は三宮、妻財は九宮、官鬼は八宮。四吉は三宮。

丁卯三寅七甲 驚蟄上無妄卦休四 乙九 丙八 丁七 子一 父一 財二八 官九 金水日月四。己卯正甲 驚蟄上頤卦休八 乙九 丙八 丁七 子無 父一四 財二八 官一 金水日月五。辛卯五甲五卯 驚蟄下隨卦休九 乙三 丙二 丁一 子無 父九四 財二 官一 金水日月一。癸卯正卯 春分中震卦休一 乙八 丙七 丁六 子六 父九 財一七 官二 金水日月五。乙卯七卯三乙 春分中屯卦休三 乙八 丙七 丁六 子八 父八 財無 官七 金水日月五。

丁卯龍:寅三分・甲七分。驚蟄上元、無妄卦に配し、休門は四宮。乙奇は九宮、丙奇は八宮、丁奇は七宮。子孫は一宮、父母は一宮、妻財は二宮と八宮、官鬼は九宮。四吉は四宮。己卯龍:正に甲位に在り。驚蟄上元、頤卦に配し、休門は八宮。乙奇は九宮、丙奇は八宮、丁奇は七宮。子孫はなし、父母は一宮と四宮、妻財は二宮と八宮、官鬼は一宮。四吉は五宮。辛卯龍:甲五分・卯五分。驚蟄下元、随卦に配し、休門は九宮。乙奇は三宮、丙奇は二宮、丁奇は一宮。子孫はなし、父母は九宮と四宮、妻財は二宮、官鬼は一宮。四吉は一宮。癸卯龍:正に卯位に在り。春分中元、震卦に配し、休門は一宮。乙奇は八宮、丙奇は七宮、丁奇は六宮。子孫は六宮、父母は九宮、妻財は一宮と七宮、官鬼は二宮。四吉は五宮。乙卯龍:卯七分・乙三分。春分中元、屯卦に配し、休門は三宮。乙奇は八宮、丙奇は七宮、丁奇は六宮。子孫は八宮、父母は八宮、妻財はなし、官鬼は七宮。四吉は五宮。

戊辰三卯七乙 清明上噬嗑休七 乙三 丙二 丁一 子九 父四 財二 官四 金水日月四。庚辰正乙 清明上震卦休一 乙三 丙二 丁一 子一 父四 財二 官六 金水日月七。壬辰五乙五艮 清明下復大過卦休二 乙六 丙五 丁四 子七 父三九 財 三七二八 官六四 金水一日月四。甲辰正辰 穀雨下巽卦休一 乙七 丙六 丁五 子七 父一 財九六 官二 金水日月八。丙辰七辰三巽 穀雨中升卦休七 乙一 丙九 丁八 子二 父四七 財三六 官二 金水日月四。

戊辰龍:卯三分・乙七分。清明上元、噬嗑卦に配し、休門は七宮。乙奇は三宮、丙奇は二宮、丁奇は一宮。子孫は九宮、父母は四宮、妻財は二宮、官鬼は四宮。四吉は四宮。庚辰龍:正に乙位に在り。清明上元、震卦に配し、休門は一宮。乙奇は三宮、丙奇は二宮、丁奇は一宮。子孫は一宮、父母は四宮、妻財は二宮、官鬼は六宮。四吉は七宮。壬辰龍:乙五分・艮五分(艮は辰に当たるべし)。清明下元、復卦と大過卦に配し、休門は二宮。乙奇は六宮、丙奇は五宮、丁奇は四宮。子孫は七宮、父母は三宮と九宮、妻財は三宮・七宮・二宮・八宮、官鬼は六宮と四宮。金・水は一宮、日・月は四宮。甲辰龍:正に辰位に在り。穀雨下元、巽卦に配し、休門は一宮。乙奇は七宮、丙奇は六宮、丁奇は五宮。子孫は七宮、父母は一宮、妻財は九宮と六宮、官鬼は二宮。四吉は八宮。丙辰龍:辰七分・巽三分。穀雨中元、升卦に配し、休門は七宮。乙奇は一宮、丙奇は九宮、丁奇は八宮。子孫は二宮、父母は四宮と七宮、妻財は三宮と六宮、官鬼は二宮。四吉は四宮。

己巳三辰七巽 立夏中鼎卦休六 乙九 丙八 丁七 子二 父無 財一四 官三 金水日月六。辛巳正巽 立夏上大過休二 乙三 丙二 丁一 子一 父九六 財二 官一七 金水日月一。癸巳五巽五巳 立夏下巽卦休一 乙六 丙五 丁四 子六 父九 財二八 官一 金水日月七。乙巳正巳 小滿下恆卦休八 乙七 丙六 丁五 子二 父一 財九 官一 金水日月三。丁巳七巳三丙 小滿中蠱卦休三 乙二 丙九 丁八 子一 父二四 財二六 官二 金水日月六。

己巳龍:辰三分・巽七分。立夏中元、鼎卦に配し、休門は六宮。乙奇は九宮、丙奇は八宮、丁奇は七宮。子孫は二宮、父母はなし、妻財は一宮と四宮、官鬼は三宮。四吉は六宮。辛巳龍:正に巽位に在り。立夏上元、大過卦に配し、休門は二宮。乙奇は三宮、丙奇は二宮、丁奇は一宮。子孫は一宮、父母は九宮と六宮、妻財は二宮、官鬼は一宮と七宮。四吉は一宮。癸巳龍:巽五分・巳五分。立夏下元、巽卦に配し、休門は一宮。乙奇は六宮、丙奇は五宮、丁奇は四宮。子孫は六宮、父母は九宮、妻財は二宮と八宮、官鬼は一宮。四吉は七宮。乙巳龍:正に巳位に在り。小満下元、恒卦に配し、休門は八宮。乙奇は七宮、丙奇は六宮、丁奇は五宮。子孫は二宮、父母は一宮、妻財は九宮、官鬼は一宮。四吉は三宮。丁巳龍:巳七分・丙三分。小満中元、蠱卦に配し、休門は三宮。乙奇は二宮、丙奇は九宮、丁奇は八宮。子孫は一宮、父母は二宮と四宮、妻財は二宮と六宮、官鬼は二宮。四吉は六宮。

庚午三巳七丙 芒種中豐卦休三 乙二 丙一 丁九 子九 父二 財九 官一四 金水日月五。壬午正丙 芒種上家人休八 乙五 丙四 丁三 子二 父二 財四 官九 金水日月九。甲午五丙五午 芒種上離卦休一 乙五 丙四 丁三 子四七 父三 財六 官二 金水日月二。丙午正午 夏至下明夷休六 乙七 丙八 丁九 子一 父六 財無 官二八 金水日月四。戊午七午三丁 夏至中既濟休三 乙四 丙五 丁六 子六 父四 財三 官二 金水日月一。

庚午龍:巳三分・丙七分。芒種中元、豊卦に配し、休門は三宮。乙奇は二宮、丙奇は一宮、丁奇は九宮。子孫は九宮、父母は二宮、妻財は九宮、官鬼は一宮と四宮。四吉は五宮。壬午龍:正に丙位に在り。芒種上元、家人卦に配し、休門は八宮。乙奇は五宮、丙奇は四宮、丁奇は三宮。子孫は二宮、父母は二宮、妻財は四宮、官鬼は九宮。四吉は九宮。甲午龍:丙五分・午五分。芒種上元、離卦に配し、休門は一宮。乙奇は五宮、丙奇は四宮、丁奇は三宮。子孫は四宮と七宮、父母は三宮、妻財は六宮、官鬼は二宮。四吉は二宮。丙午龍:正に午位に在り。夏至下元、明夷卦に配し、休門は六宮。乙奇は七宮、丙奇は八宮、丁奇は九宮。子孫は一宮、父母は六宮、妻財はなし、官鬼は二宮と八宮。四吉は四宮。戊午龍:午七分・丁三分。夏至中元、既濟卦に配し、休門は三宮。乙奇は四宮、丙奇は五宮、丁奇は六宮。子孫は六宮、父母は四宮、妻財は三宮、官鬼は二宮。四吉は一宮。

辛未三午七丁 小暑中革卦休七 乙三 丙四 丁五 子二 父二 財無 官四 金水日月五。癸未正丁 小暑上離卦休一 乙九 丙一 丁二 子一七 父二 財八 官九 金水日月二。乙未五丁五未 小暑上革否卦休七 乙九 丙一 丁二 子二六 父二四 財無 官一八 金水月一金水日五。丁未正未 大暑下豫卦休四 乙五 丙六 丁七 子八 父七 財三九 官二 金水日月三。己未七未三坤 大暑下晉卦休二 乙五 丙六一 丁七 子無 父九三 財七 官八 金水日月三。

辛未龍:午三分・丁七分。小暑中元、革卦に配し、休門は七宮。乙奇は三宮、丙奇は四宮、丁奇は五宮。子孫は二宮、父母は二宮、妻財はなし、官鬼は四宮。四吉は五宮。癸未龍:正に丁位に在り。小暑上元、離卦に配し、休門は一宮。乙奇は九宮、丙奇は一宮、丁奇は二宮。子孫は一宮と七宮、父母は二宮、妻財は八宮、官鬼は九宮。四吉は二宮。乙未龍:丁五分・未五分。小暑上元、革卦と否卦に配し、休門は七宮。乙奇は九宮、丙奇は一宮、丁奇は二宮。子孫は二宮と六宮、父母は二宮と四宮、妻財はなし、官鬼は一宮と八宮。金・水・月は一宮、金・水・日は五宮。丁未龍:正に未位に在り。大暑下元、豫卦に配し、休門は四宮。乙奇は五宮、丙奇は六宮、丁奇は七宮。子孫は八宮、父母は七宮、妻財は三宮と九宮、官鬼は二宮。四吉は三宮。己未龍:未七分・坤三分。大暑下元、晉卦に配し、休門は二宮。乙奇は五宮、丙奇は六宮と一宮、丁奇は七宮。子孫はなし、父母は九宮と三宮、妻財は七宮、官鬼は八宮。四吉は三宮。

壬申七坤三未 立秋中觀卦休三 乙六 丙七 丁八 子一 父一七 財二八 官六九 金水日月三。甲申正坤 立秋中坤卦休一 乙六 丙七 丁八 子二 父九 財九 官八 金水日月八。丙申五坤五申 立秋上否卦休七 乙三 丙四 丁五 子一 父七 財二 官二六 金水日月五。戊申正申 處暑下萃卦休六 乙八 丙九 丁一 子二 父二九 財一 官二 金水日月七。庚申七甲三庚 處暑下坤卦休一 乙八 丙九 丁一 子七 父二 財二 官一 金水日月一。

壬申龍:坤七分・未三分。立秋中元、観卦に配し、休門は三宮。乙奇は六宮、丙奇は七宮、丁奇は八宮。子孫は一宮、父母は一宮と七宮、妻財は二宮と八宮、官鬼は六宮と九宮。四吉は三宮。甲申龍:正に坤位に在り。立秋中元、坤卦に配し、休門は一宮。乙奇は六宮、丙奇は七宮、丁奇は八宮。子孫は二宮、父母は九宮、妻財は九宮、官鬼は八宮。四吉は八宮。丙申龍:坤五分・申五分。立秋上元、否卦に配し、休門は七宮。乙奇は三宮、丙奇は四宮、丁奇は五宮。子孫は一宮、父母は七宮、妻財は二宮、官鬼は二宮と六宮。四吉は五宮。戊申龍:正に申位に在り。處暑下元、萃卦に配し、休門は六宮。乙奇は八宮、丙奇は九宮、丁奇は一宮。子孫は二宮、父母は二宮と九宮、妻財は一宮、官鬼は二宮。四吉は七宮。庚申龍:申七分・庚三分(底本は「申」を「甲」と作す)。處暑下元、坤卦に配し、休門は一宮。乙奇は八宮、丙奇は九宮、丁奇は一宮。子孫は七宮、父母は二宮、妻財は二宮、官鬼は一宮。四吉は一宮。

癸酉三申七庚 白露中兌卦休一 乙四 丙五 丁六 子七 父二八 財九 官四 金水日月八。乙酉正庚 白露中歸妹休八 乙四 丙五 丁六 子無 父二八 財九 官四六 金水日月二。丁酉五庚五酉 白露上中孚休四 乙一 丙二 丁三 子無 父一 財無 官六九 金水日月七己酉正酉 秋分上歸妹休九 乙六 丙九 丁一 子無 父六二 財四 官一八 金水日月七辛酉七酉三辛 秋分下履卦休六 乙五 丙六 丁七 子二 父四一 財無 官三 金水日月八。

癸酉龍:申三分・庚七分。白露中元、兌卦に配し、休門は一宮。乙奇は四宮、丙奇は五宮、丁奇は六宮。子孫は七宮、父母は二宮と八宮、妻財は九宮、官鬼は四宮。四吉は八宮。乙酉龍:正に庚位に在り。白露中元、歸妹卦に配し、休門は八宮。乙奇は四宮、丙奇は五宮、丁奇は六宮。子孫はなし、父母は二宮と八宮、妻財は九宮、官鬼は四宮と六宮。四吉は二宮。丁酉龍:庚五分・酉五分。白露上元、中孚卦に配し、休門は四宮。乙奇は一宮、丙奇は二宮、丁奇は三宮。子孫はなし、父母は一宮、妻財はなし、官鬼は六宮と九宮。四吉は七宮。己酉龍:正に酉位に在り。秋分上元、歸妹卦に配し、休門は九宮。乙奇は六宮、丙奇は九宮、丁奇は一宮。子孫はなし、父母は六宮と二宮、妻財は四宮、官鬼は一宮と八宮。四吉は七宮。辛酉龍:酉七分・辛三分。秋分下元、履卦に配し、休門は六宮。乙奇は五宮、丙奇は六宮、丁奇は七宮。子孫は二宮、父母は四宮と一宮、妻財はなし、官鬼は三宮。四吉は八宮。

甲戌三酉七辛 寒露下兌卦休一 乙四 丙五 丁六 子七 父二八 財九 官四 金水日月八丙戌正辛 寒露中履卦休六 乙一 丙二 丁三 子一 父一九 財無 官六 金水日月五。戊戌五辛五戌 寒露霜降上需卦休六 乙七 丙八 丁九 子七 父六七 財三九六九 官三一 金水日二金水月九。庚戌正戌 霜降上大有休四 乙六 丙七 丁八 子二 父一四 財九 官九 金水日月九。壬戌七戌三干 霜降下需卦休七 乙三 丙四 丁五 子三 父無 財二 官六 金水日月五。

甲戌龍:酉三分・辛七分。寒露下元、兌卦に配し、休門は一宮。乙奇は四宮、丙奇は五宮、丁奇は六宮。子孫は七宮、父母は二宮と八宮、妻財は九宮、官鬼は四宮。四吉は八宮。丙戌龍:正に辛位に在り。寒露中元、履卦に配し、休門は六宮。乙奇は一宮、丙奇は二宮、丁奇は三宮。子孫は一宮、父母は一宮と九宮、妻財はなし、官鬼は六宮。四吉は五宮。戊戌龍:辛五分・戌五分。寒露・霜降の両氣を跨ぎ、上元は需卦に配し、休門は六宮。乙奇は七宮、丙奇は八宮、丁奇は九宮。子孫は七宮、父母は六宮と七宮、妻財は三宮・九宮・六宮・九宮、官鬼は三宮と一宮。金・水・日は二宮、金・水・月は九宮。庚戌龍:正に戌位に在り。霜降上元、大有卦に配し、休門は四宮。乙奇は六宮、丙奇は七宮、丁奇は八宮。子孫は二宮、父母は一宮と四宮、妻財は九宮、官鬼は九宮。四吉は九宮。壬戌龍:戌七分・乾三分。霜降下元、需卦に配し、休門は七宮。乙奇は三宮、丙奇は四宮、丁奇は五宮。子孫は三宮、父母はなし、妻財は二宮、官鬼は六宮。四吉は五宮。

乙亥三戌七幹 立冬下大有休四 乙四 丙五 丁六 子三 父二八 財七 官七 金水日月七。丁亥正幹 立冬中大壯休二 乙一 丙二 丁三 子七 父三 財九 官四 金水日月九。己亥五干五亥 立冬小雪中夬需卦休八 乙一 丙二 丁三 子一 父無 財四九 官四 金水 日月四。辛亥正亥 小雪上泰卦休三 乙六 丙七 丁八 子二 父無 財二九 官九 金水日月九。癸亥七亥三壬 小雪下乾卦休一 乙三 丙四 丁五 子二 父七 財六 官二 金水日月五。右吉奇諸局,出《素書》,取三奇之方,四吉之位,子、父、財、官之宮,山水相映則吉。

乙亥龍:戌三分・乾七分。立冬下元、大有卦に配し、休門は四宮。乙奇は四宮、丙奇は五宮、丁奇は六宮。子孫は三宮、父母は二宮と八宮、妻財は七宮、官鬼は七宮。四吉は七宮。丁亥龍:正に乾位に在り。立冬中元、大壯卦に配し、休門は二宮。乙奇は一宮、丙奇は二宮、丁奇は三宮。子孫は七宮、父母は三宮、妻財は九宮、官鬼は四宮。四吉は九宮。己亥龍:乾五分・亥五分。立冬・小雪の両氣を跨ぎ、中元は夬卦と需卦に配し、休門は八宮。乙奇は一宮、丙奇は二宮、丁奇は三宮。子孫は一宮、父母はなし、妻財は四宮と九宮、官鬼は四宮。金・水と日・月は同じく四宮。辛亥龍:正に亥位に在り。小雪上元、泰卦に配し、休門は三宮。乙奇は六宮、丙奇は七宮、丁奇は八宮。子孫は二宮、父母はなし、妻財は二宮と九宮、官鬼は九宮。四吉は九宮。癸亥龍:亥七分・壬三分。小雪下元、乾卦に配し、休門は一宮。乙奇は三宮、丙奇は四宮、丁奇は五宮。子孫は二宮、父母は七宮、妻財は六宮、官鬼は二宮。四吉は五宮。以上の諸吉奇の局は、《素書》に出ず。三奇の臨む方・四吉の在る位、および子孫・父母・妻財・官鬼の落ちる宮を取る。もしこれらの方位の上に山と水とが彼此映照して相応せば、すなわち吉である。

八卦が六十龍を統べて七十二候に応ず

坎宮:大雪陰,甲子坎卦、丙子困卦、戊子師卦前;冬至陽,戊子蒙卦後、庚子解卦、壬子解卦;小寒,乙丑渙卦、丁丑渙卦、己丑未濟卦前。艮宮:大寒,己丑遯卦後、辛丑漸卦、癸丑艮卦;立春,丙寅小過卦、戊寅謙卦、庚寅旅卦前;雨水,庚寅謙卦後、壬寅旅卦、甲寅艮卦。

坎宮の統べる所:大雪一氣は陰に属し、甲子坎卦・丙子困卦・戊子師卦に配す(戊子の前半を取る)。冬至一氣は陽に属し、戊子蒙卦(戊子の後半を取る)・庚子解卦・壬子解卦に配す。小寒一氣は、乙丑渙卦・丁丑渙卦・己丑未濟卦に配す(己丑の前半を取る)。艮宮の統べる所:大寒一氣は、己丑遯卦(己丑の後半を取る)・辛丑漸卦・癸丑艮卦に配す。立春一氣は、丙寅小過卦・戊寅謙卦・庚寅旅卦に配す(庚寅の前半を取る)。雨水一氣は、庚寅謙卦(庚寅の後半を取る)・壬寅旅卦・甲寅艮卦に配す。

震宮:驚蟄,丁卯無妄卦、己卯頤卦、辛卯隨卦前;春分,辛卯噬嗑卦後、癸卯震卦、乙卯屯卦;清明,戊辰噬嗑卦、庚辰震卦、壬辰復卦前。巽宮:穀雨,壬辰姤卦後、甲辰巽卦、丙辰升卦;立夏,己巳鼎卦、辛巳大過卦、癸巳巽卦前;小滿,癸巳巽卦後、乙巳恆卦、丁巳蠱卦。

震宮の統べる所:驚蟄一氣は、丁卯無妄卦・己卯頤卦・辛卯随卦に配す(辛卯の前半を取る)。春分一氣は、辛卯噬嗑卦(辛卯の後半を取る)・癸卯震卦・乙卯屯卦に配す。清明一氣は、戊辰噬嗑卦・庚辰震卦・壬辰復卦に配す(壬辰の前半を取る)。巽宮の統べる所:穀雨一氣は、壬辰姤卦(壬辰の後半を取る)・甲辰巽卦・丙辰升卦に配す。立夏一氣は、己巳鼎卦・辛巳大過卦・癸巳巽卦に配す(癸巳の前半を取る)。小満一氣は、癸巳巽卦(癸巳の後半を取る)・乙巳恒卦・丁巳蠱卦に配す。

離宮:芒種陽,庚午坤卦、壬午家人卦、甲午離卦前;夏至陰,甲午離卦後、丙午明夷卦、戊午既濟卦;小暑,辛未革卦、癸未離卦、乙未革卦前。坤宮:大暑,乙未萃卦後、丁未豫卦、己未晉卦;立秋,壬申觀卦、甲申坤卦、丙申否卦前;處暑,丙申萃卦後、戊申萃卦、庚申坤卦。

離宮の統べる所:芒種一氣は陽に属し、庚午坤卦・壬午家人卦・甲午離卦に配す(甲午の前半を取る)。夏至一氣は陰に属し、甲午離卦(甲午の後半を取る)・丙午明夷卦・戊午既濟卦に配す。小暑一氣は、辛未革卦・癸未離卦・乙未革卦に配す(乙未の前半を取る)。坤宮の統べる所:大暑一氣は、乙未萃卦(乙未の後半を取る)・丁未豫卦・己未晉卦に配す。立秋一氣は、壬申観卦・甲申坤卦・丙申否卦に配す(丙申の前半を取る)。處暑一氣は、丙申萃卦(丙申の後半を取る)・戊申萃卦・庚申坤卦に配す。

兌宮:白露,癸酉兌卦、乙酉歸妹卦、丁酉中孚卦前;秋分,丁酉損卦後、己酉歸妹卦、辛酉履卦;寒露,甲戌兌卦、丙戌履卦、戊戌履卦前。乾宮:霜降,戊戌夬卦後、庚戌大有卦、壬戌需卦;立冬,乙亥大有卦、丁亥小畜卦、己亥夬卦前;小雪,己亥需卦後、辛酉泰卦、癸亥乾卦。

兌宮の統べる所:白露一氣は、癸酉兌卦・乙酉歸妹卦・丁酉中孚卦に配す(丁酉の前半を取る)。秋分一氣は、丁酉損卦(丁酉の後半を取る)・己酉歸妹卦・辛酉履卦に配す。寒露一氣は、甲戌兌卦・丙戌履卦・戊戌履卦に配す(戊戌の前半を取る)。乾宮の統べる所:霜降一氣は、戊戌夬卦(戊戌の後半を取る)・庚戌大有卦・壬戌需卦に配す。立冬一氣は、乙亥大有卦・丁亥小畜卦・己亥夬卦に配す(己亥の前半を取る)。小雪一氣は、己亥需卦(己亥の後半を取る)・辛亥泰卦(底本は「辛酉」と作す)・癸亥乾卦に配す。

右六十龍應候遁卦。惟戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳、甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥十二龍各有二卦。蓋此十二位正當其交界之處,古謂陰陽差錯之龍,乃一半屬前節氣,一半屬後節氣,必如此今截明白,雖差錯而亦未嘗不有統屬者也。

以上は六十龍が七十二候に対応する遁卦である。その中でただ戊子・己丑・庚寅・辛卯・壬辰・癸巳・甲午・乙未・丙申・丁酉・戊戌・己亥のこの十二条の龍のみが各々二つの卦に配される。この十二位がちょうど二つの節氣の交界の処に落ちるがゆえに、古人はこれを「陰陽差錯」の龍と称した。半分は前の節氣に属し、半分は後の節氣に属する。だから必ずこのようにして前後を截分して明らかにする。差錯と言うとはいえ、しかし帰属の従うべき道がないわけではない。龍を測るにこの十二位に遇えば、すなわちまずそれが交界のどちら側に偏するかを見、次に相応するあの卦を取る。

禽奇金卦總要

以透地龍論入首龍脈,遁取九宮,看三奇在何宮,四吉即金水日月、六親、人丁即子位、田宅即父、奴僕即兄弟、官貴即鬼爻、貴人、祿馬諸吉落在何宮。如在一宮即看坎山水、在二宮即看坤山水、三宮即看震山水、四宮即看巽山水、五宮同二宮、六宮即看乾山水、七宮即看兌山水、八宮即看艮方山水、九宮即看離方山水。若諸吉之方又有奇峰秀水朝應,允為上吉之地,所謂收四吉之山,發三奇之水,迎官就祿,趨吉避凶,使貴人秉柄,祿馬效用,鬼劫不侵,去孤虛,乘旺相,屏龜甲,皆金卦之玄奧,葬法之微機也。

透地龍を用いて入首の龍脈を論ずる。まず九宫を遁り出し、三奇がどの宮に落ちるかを見、次に四吉(すなわち金・水・日・月)と六親——人丁は子孫爻を見、田宅は父母爻を見、奴僕は兄弟爻を見、官貴は官鬼爻を見——および貴人・祿馬の諸吉が各々どの宮に落ちるかを見る。一宮に落ちれば坎方の山と水を見、二宮に落ちれば坤方の山水を見、三宮は震方を見、四宮は巽方を見、五宮は二宮と同じく見、六宮は乾方を見、七宮は兌方を見、八宮は艮方を見、九宮は離方を見る。もしこれらの吉星のある方にまた奇峰・秀水が來りて朝應すれば、それは確かに上等の吉地である。これがいわゆる四吉の山を収納し、三奇の水を発動し、官星を迎接し、近づいて祿馬に就き、吉に趨りて凶を避け、貴人に権柄を執らせ、祿馬にその功を効かせ、鬼爻・劫煞に侵犯せしめず、「孤」「虚」を去り、「旺」「相」に乗り、「龜甲」の空亡を屏除する、これらは皆金卦の玄妙の処・葬法の精微の機關である。実際に操作する時は、まず入首の龍がどの透地龍に属するかを定め、次に九宫を遁って諸吉を排出し、最後に現場に戻って逐一照合する。吉星の臨むあの幾つかの方位で、山形が秀抜か、水勢が有情か、両者を対照してこそ結論を下すのである。

廖氏曰:“穴向分金有一百二十。空於旬者二十四,空於龜甲者二十四,為鬼殺者三十六,其可用者三十六。故曰得卦不得金,枉費用工心。得金不得卦,謾自空閒話。”金卦兩全,方為上吉。然龜甲之穴又有說。若龍合上格,勢勇形強,龍氣太露,宜用龜甲。補註甲壬陽孤,乙癸陰虛,共二十四位。又龜甲乃戊己二位,亦二十四。其鬼煞即羊刃、飛刃是也。

廖金精が言う。穴の坐向の分金は合わせて一百二十ある。旬空に落ちるものが二十四个、龜甲空亡に落ちるものが二十四个、鬼煞に属するものが三十六个、真正に用い得るのはただ三十六个のみ。だから言う。卦を得ても分金を得ざれば、一番の心力を費やして空しい。分金を得ても卦を得ざれば、これもただ空談に過ぎない。必ず卦と分金とが両様俱に備わってこそ、上吉と算する。ただ龜甲の位を用いて穴を下すには別の説がある。若し來龍が上格に合い、氣勢が雄勇で形體が強健、龍氣が余りに外露すれば、かえって龜甲の位を用いてそれを収斂するに適する。補注。甲・壬は陽位の「孤」、乙・癸は陰位の「虚」、合わせて二十四位。龜甲は戊・己の両位を指し、これも二十四位。言う所の鬼煞は、「羊刃」と「飛刃」である。

青田誠意劉先生伯溫曰:“收五行精靈之氣,歸藏於穴中,不犯克洩,以傷其和。召金水日月之英華,使照靈於穴上,天將護其外,三奇孕其胎,則神藏而不散矣。佈於二十四山者為明煞,隱於六十分金、三百六十五度之中者為曜煞,見於砂水之來去為形殺,藏於年月日時者為星煞。

青田人・誠意伯劉基(字は伯温)が言う。五行精靈の氣を収攏して來て、穴の中に歸藏せしめ、それが克を受け泄を受けて中和の氣を傷ることのないようにせよ。金・水・日・月の精華を招來し、それらをして穴の上に照臨せしめよ。天將が外に衛護し、三奇が内に孕育せば、則ち神氣は藏り得て散失しない。煞に至っては、四種に分かつ。二十四山の上に布くを「明煞」と言い、六十分金と周天三百六十五度の中に隱るるを「曜煞」と言い、砂水の來去の形態の上に表れるを「形煞」と言い、年月日時の中に藏るるを「星煞」と言う。

結二十四山及六十分金、三百六十五度內,以至於砂水之中者,以向上消息之,使合法度,而不致傷制本氣之眞。若年月日時之中有星煞無星煞,則以年月日時克擇之間,求合法度而已。生旺之氣,行於一十二方,即長生、帝旺之位,運於年月日時者,即五運六氣之順布,以向上審五氣之生旺,以年月審氣運之流行,俾收生氣於穴中,斯為作用之善也。

およそ二十四山・六十分金・周天三百六十五度の内に結し、以至砂水の中に結する各種の煞は、皆坐向の上より斟酌して消長せしめ、それをして法度に合せしめ、本山本氣の真氣を傷害し制約するに至らざらしめよ。年月日時の中に星煞の有無あるに至っては、それはただ年月日時を選擇する時にその法度に合うを求めるに過ぎない。生旺の氣は十二箇の方位の上を行歩す。すなわち長生・帝旺等の位である。それは年月日時の中を運行す。すなわち五運六氣の順次の布列である。坐向の上より五氣の生と旺とを審察し、年月の上より氣運の流行を審察し、務めて生氣をして穴の中に収め入れしめよ。これをこそ作用が法を得たと算する。

天星の原

紫微垣以下四垣星圖並步天歌俱見龍法卷。中天北極紫微星垣,天星之宸極,太乙之常居也,正臨亥地,為天帝之最尊,所以南面而立者也。後有四輔四星居壬,勾陳六星居辛,六甲六星居幹,天綱八星居戌,華蓋九星居坎,閣道五星居癸,咸池五星居丑,八轂八星居艮,天將軍四星居寅,內陛六星居甲,司命六貴人在震,三師三星在乙,天理四星居辰,五諸侯居巽,內廚二星居巳,四貴人四星臨丙,帝座二星居午,大理二星居丁,天槍三星居未,女床三星居坤,天棓五星居申,陽德、陰德二星居庚,內屏二星居兌,天乙、柱史、女史三星居辛,而有左衛七相、右衛七將以藩帝室。

紫微垣以下四垣の星図と《步天歌》は、皆すでに本書の龍法を講ずるあの数卷に見えたり。中天北極紫微星垣は、天上星辰の最高中樞で、太乙が常住の所在、正しく羅盤の亥位に對し、天帝の中最も尊貴なる者と為る。だから南方に面向して立つ。その後面。四輔四星は壬位にあり、勾陳六星は辛位にあり、六甲六星は乾位にあり、天綱八星は戌位にあり、「華蓋」九星は坎位にあり、閣道五星は癸位にあり、咸池五星は丑位にあり、八穀八星は艮位にあり(底本は「八毂」と作す)、天將軍四星は寅位にあり、内陛六星は甲位にあり、司命と六貴人は震位にあり、三師三星は乙位にあり、天理四星は辰位にあり、五諸侯は巽位にあり、内厨二星は巳位にあり、四貴人四星は丙位に臨み、帝座二星は午位にあり、大理二星は丁位にあり、天槍三星は未位にあり、女床三星は坤位にあり、天棓五星は申位にあり、陽德・陰德二星は庚位にあり、内屏二星は兌位にあり、天乙・柱史・女史三星は辛位にあり。又有左衛の七相・右衛の七將が帝室を拱衛す。以上は紫微垣の衆星を逐一に羅盤二十四位に配したものである。

太階、六符以輔治,北斗七政以翼垣。其氣行於地,實為上吉之壤。地法以亥為正垣,貴南而賤北者,從天極而來也。

また太階・六符が輔佐して治理し、北斗七政が本垣を護翼す。此一垣の氣が地上に行けば、確かに上等の吉壤なり。地理の法は亥位を以て紫微正垣と為し、南方を重く見て北方を輕しとす。正しく天上北極の方位に順って推して下せるなり。凡そ龍脈が入首して亥位一路に落つるは、便ち此一垣の氣に應じたるなり。地を相る時に亥龍に遇えば、先ずそれが端正尊嚴なるか否か、「南面而立」の氣象に合するかを看るべし。

天市垣

東府天市星垣,天帝泉貨之府司也。中有帝座,正臨艮地。有稱、斗、車、舟、府庫、市樓、市肆以實其中,貫索、宗人、左右侍衛。匡衡《列國分野二十四星》曰:宋、南海、燕、東海、徐、吳越、齊、中山、九河、河間、晉、鄭、周、秦、巴、蜀、梁、楚、韓、西河等藩列四方。貴人一星,旁照庚地,為捍衛府庫之官。司命一星正臨丁地,為五福壽命之司。其氣行於地,實為上吉之壤。地法以艮為吉氣,貴南而賤北者,從天星也。

東府天市星垣は、天帝の財貨を掌管する府署である。垣中に帝座あり、正しく艮位に對す。稱・斗・車・舟・府庫・市樓・市肆等の星ありてその中に充實し、又有貫索・宗人および左右の侍衛あり。匡衡《列國分野二十四星》は曰く、宋・南海・燕・東海・徐・吳越・齊・中山・九河・河間・晉・鄭・周・秦・巴・蜀・梁・楚・韓・西河等の星は、四方に分列す。その中の貴人一星は傍らに庚位を照らし、府庫を護衛する官なり。司命一星は正しく丁位に臨み、五福と壽命を主管する官なり。此一垣の氣が地上に行けば、確かに上等の吉壤なり。地理の法は艮位を以て吉氣と為し、南方を重く見て北方を輕しとす。亦天上の星に順って定まるなり。凡そ穴が艮方に氣を得るは、多く財貨の豊盈を主る。

少微垣

西掖少微星垣,士大夫權天帝文章之司府也,正居辛兌。中有帝座,正臨兌地。西有隨星五,為宮掖。內平四星為之御,中有虎賁、中郎、秘府、僉史、三少從官。左有軒轅長垣為之藩衛,右有帝師、帝友、客卿、博士六星為之侍御。後有三臺,前有長平。其氣行於地,寔為次吉之壤。地法以兌辛為貴龍吉氣,從天星也。

西掖少微星垣は、士大夫が天帝の文章を執掌する府署で、正しく辛・兌の一帯に居る。垣中に帝座あり、正しく兌位に對す。西邊に随星五顆ありて以て宮掖と為す。内平四星はそれを衛護す。その中に又有虎賁・中郎・秘府・僉史・三少等の從官あり。左邊に軒轅・長垣ありて藩籬屏衛と為し、右邊に帝師・帝友・客卿・博士の六星ありて侍從と為す。後面に三台あり、前面に長平あり。此一垣の氣が地上に行けば、確かに次一等の吉壤なり。地理の法は兌・辛を以て貴龍吉氣と為す。亦天上の星に順って定まるなり。文秀顯達の地は、多くこの垣に應ず。

太微垣

南宮太微星垣,三光之庭,天帝受釐告功之室也。中有五帝座,正居北地。太乙、五尙書正居巽地。中有郎官、三公、謁者、九卿、五侯以輔導帝極。前有明堂三星居巳,靈臺三星居午,常陳為耳目之官,西將、東相各四星為藩垣,東華、西華以為門掖,左右執法二星,左右掖門二星。後有太陽守、太陰守各二星為衛,有張、翼、軫三宿為侍。其氣行於地,實為次吉之壤。地法以巽、丙為貴龍吉氣者,從天星也。

南宮太微星垣は、日月星の三光の庭院で、天帝が祭胙を受け功業を宣告する殿室である。垣中に五帝座あり、正しく北面の一側に居る。太乙と五尚書は正しく巽位に居る。その中に郎官・三公・謁者・九卿・五侯ありて帝極を輔導す。前面に明堂三星ありて巳位にあり、靈臺三星は午位にあり、常陳は耳目の官、西將・東相は各四星にして藩垣と為し、東華・西華は門掖と為し、還有左右執法の二星・左右掖門の二星あり。後面に太陽守・太陰守の各二星ありて護衛し、張・翼・軫の三宿ありて侍從す。此一垣の氣が地上に行けば、確かに次一等の吉壤なり。地理の法は巽・丙を以て貴龍吉氣と為す。亦天上の星に順って定まるなり。凡そ龍が巽・丙より入首するは、便ちこの垣の貴氣に應ず。

紫微垣以四貴人臨丙而貴,陰德臨庚而武,五尚書臨巽而文,天乙臨辛而壽,八穀臨艮而富,司命臨震而饒財,大理臨丁而旺人。天市垣以司祿臨丁而壽,貴人臨庚而貴,貫索臨巽而富,宗人臨丙而旺人,車、舟、斗、秤臨辛地而饒財。少微垣以五諸侯臨丁而貴,三少臨艮而富,虎賁臨震而武,僉史臨丙而文,長平臨巽而饒財。太微垣以常陳臨艮地而貴,郎官臨庚地而富,九卿臨辛而饒財,三公臨丁地而壽。若此者,皆其向背情性也。地法凡狀裁之法,悉宜精審。

紫微垣は四貴人を以て丙位に臨みて貴を主り、陰德を以て庚位に臨みて武を主り、五尚書を以て巽位に臨みて文を主り、天乙を以て辛位に臨みて壽を主り、八穀を以て艮位に臨みて富を主り、司命を以て震位に臨みて財物の饒足を主り、大理を以て丁位に臨みて人丁の興旺を主る。天市垣は司祿を以て丁位に臨みて壽を主り、貴人を以て庚位に臨みて貴を主り、貫索を以て巽位に臨みて富を主り、宗人を以て丙位に臨みて人丁の興旺を主り、車・舟・斗・秤を以て辛位に臨みて財物の饒足を主る。少微垣は五諸侯を以て丁位に臨みて貴を主り、三少を以て艮位に臨みて富を主り、虎賁を以て震位に臨みて武を主り、僉史を以て丙位に臨みて文を主り、長平を以て巽位に臨みて財物の饒足を主る。太微垣は常陳を以て艮位に臨みて貴を主り、郎官を以て庚位に臨みて富を主り、九卿を以て辛位に臨みて財物の饒足を主り、三公を以て丁位に臨みて壽を主る。以上の如きは、皆各星の向背と情性との表現なり。地理の上に凡そ形勢を相度し裁剪する辦法は、皆當にこれに據りて精細に審察すべし。

列宿

角亢氐房心尾箕,斗牛女虛危室壁,奎婁胃昴畢觜參,井鬼柳星張翼軫。丘公曰:地法以二十八宿為經分度,分配八方,推之為二十四路。又以二十八宿分配日月五星,緯星之炁分而隸之,就分配分野。天禽、地獸、 在人各有主其所,以消息陰陽,辨其吉凶,論其情性,按其分野,布天星,立四正,占山川之所產,察人物之善惡,其理微矣。

二十八宿の次第は、角・亢・氐・房・心・尾・箕。斗・牛・女・虚・危・室・壁。奎・婁・胃・昴・畢・觜・參。井・鬼・柳・星・張・翼・軫。丘延翰が言う。地理の法は二十八宿を以て經と為し、度數を劃分し、八方に配し、再び推衍して二十四路と為す。また二十八宿を分かちて日月五星に配し、緯星の氣を分かちてその下に隸屬せしめ、これに據って分野を分配す。天上の禽・地上の獸(此處底本に闕文あり)は、人事の上に各々その主管あり。これに據って陰陽を消長し、吉凶を辨別し、情性を論定し、分野を按査し、天星を布列し、四正を確立し、山川の産する所を占測し、人物の善惡を考察す。此の内の道理は甚だ精微なり。

吳公云:二十八宿,經星也,非二十八宿無以正天下之分度。故春分而星鳥昏中,夏至而星火昏中,秋分而星虛昏中,冬至而星昴昏中。以是占侯四時,察詳地紀,深為著明矣。今以二十八宿論之,上而在天則有纏度之多寡,下而在地有分野之盈縮,在人有庶類之司,在物有禽獸之肖,在星則有列位之配,在位則有分金之類矣。《理氣心印》。

呉景鸞が言う。二十八宿は「經星」で、二十八宿なくしては天下の度數を校正する能わず。だから春分の時は黄昏に鳥星(南方朱雀)が正南の中に當り、夏至の時は黄昏に火星(心宿)が中に當り、秋分の時は黄昏に虚星が中に當り、冬至の時は黄昏に昴星が中に當る。これらを用いて四時を占候し地紀を詳察するは、甚だ顯明なり。今二十八宿に就いて論ず。上に於て天に屬すれば、則ち纏度の多與少あり。下に於て地に屬すれば、則ち分野の盈與縮あり。人に在りては、則ち各類人物の所司あり。物に在りては、則ち禽獸の形肖あり。星に在りては、則ち列位の相配あり。方位の上に於ては、則ち分金の歸類あり。星宿を看るは必ず天・地・人・物の幾層を合せて看べし。此説は《理氣心印》に出ず。

角:二星,十三少。為武權,為賊將。在炁為木,在肖為蛟。 步天歌兩星南北正直著,中有平道上天田。總是黑星兩相連,別有一焉名進賢,平道右畔獨淵然。最上三星周鼎形,角下天門左平星。雙雙橫於庫樓上,庫樓十星屈曲明。樓中五柱十五星。三三相聚如鼎形。其中四星列名衡,南門樓外兩星橫。補註角宿主布君之威信。平道主天子八達之衢。天田主內封建。進賢主卿相舉逸才,又主吏部之事。周鼎主國之神器,占運祚。天門主朝聘。平星廷尉之象。庫樓,其六大星為庫,南四星為樓,兵車之府,亦名衡,主陳兵。南門,天之外門也,主守兵,亦主夷狄。

角宿:二星、十三度少を占む(少はすなわち半度に足らざる)。武權を主り、亦賊將を主る。氣に於て木に屬し、生肖に於て蛟と為す。《步天歌》に曰く、兩星は一南一北に端端正正と竪つて、中間に平道あり、その上は天田。總じて黒星は兩兩相連なり、別に一星ありて名づけて進賢、平道の右畔に獨り幽深。最上の三星は周鼎の形を作り、角宿の下は天門、左邊は平星。雙雙として横列して庫樓の上に在り、庫樓十星は屈曲分明。樓中の五柱は共に十五星、三三相聚りて鼎の形の如し。その中の四星は列名して衡、南門は庫樓の外に兩星横列す。補注。角宿は君王の威信を宣布することを主る。平道は天子の四通八達の大路を主る。天田は内地の封建を主る。進賢は卿相が遺逸の才を薦擧することを主り、又吏部の事を主る。周鼎は國家神器を主り、國運を占測す。天門は諸侯の朝聘を主る。平星は廷尉の象なり。庫樓の中の六顆の大星は庫と為し、南面の四星は樓と為し、兵車の府庫なり。亦衡と叫び、兵甲を陳列することを主る。南門は天の外門、邊を守る兵を主り、亦夷狄を主る。

亢:四星,九度。為賊病,為蠱毒。在炁為金,在肖為龍,其在氣也為暗金。步天歌四星恰似彎弓狀,大角一星直上明。折威七子亢下橫,大角右左攝提星。三三相聚如鼎形,折威下左頓頑星,兩個斜安黃色精。頑西二星號陽門,色若頓頑直下存。補註亢宿主疾疫。大角主天王座也。折威主斬殺,攝提夾輔帝座也,主九卿。頓頑主考察囚犯情偽狀。陽門主邊塞險陰之地。

亢宿:四星、九度。賊と病とを主り、亦蠱毒を主る。氣に於て金に屬し、生肖に於て龍と為す。その氣に就いて言えば又「暗金」と稱す。《步天歌》に曰く、四星は恰似彎弓の形狀、大角一星は正上方に明かなり。折威七星は横列して亢宿の下に在り、大角の左右は攝提星、三三相聚りて鼎の形の如し。折威の下方左側は頓頑星、兩顆は斜めに安じて黃色の光。頓頑の西の二星は名は名づけて陽門、顏色は頓頑と相似り、便ちその正下方に在り。補注。亢宿は疾疫を主る。大角は天王の座位なり。折威は斬殺を主る。攝提は帝座を夾輔し、九卿を主る。頓頑は囚犯の供詞の真偽を考察することを主る。陽門は邊塞の險要隱蔽の地を主る。亢宿は既に暗金に屬す。凡そ龍・山がこの宿の分度の上に落つるは、最も再び金氣の重疊に逢うを忌む。

氐:四星,十六度半。在氣為土,在肖為貉。步天歌四星似斗側量米,天乳氐上黑一星,世人不識稱無名。一個招搖梗河上,梗河橫列三星狀。帝席三黑河之西,亢池六星近攝提。氐下眾星騎官出,騎官之眾二十七。三三相聚十欠一,陣車氐下騎官次。騎官下三車騎位,天輻兩星立陣旁,將軍陣裡震威霜。補註氐宿主天子之路寢。天乳主甘露。上黑主明兵。梗河,天子以備不虞,主兵喪。帝席主天子宴樂、獻壽之所。克池主舟楫迎送。騎官主天子騎土之象。陣車,騎官之上都車馬之將也。天輻主鸞駕,將軍主騎將。

氐宿:四星、十六度半。氣に於て土に屬し、生肖に於て貉と為す。《步天歌》に曰く、四星は斗を側らけて米を量るがごとき樣なり。天乳は氐宿の上に一顆の黒星、世人はそれを識らず、只だ「無名」と稱す。一顆の招揺星は梗河の上に在り、梗河三星は横列して形を成す。帝席三顆の黒星は梗河の西に在り、亢池六星は攝提に近づく。氐宿の下の衆星は騎官、騎官は共に二十七顆、三三相聚りて一組差し足りて纔かに十に滿たず。陣車は氐宿の下・騎官の次に在り、騎官の下の三星は車騎の位。天輻兩星は陣旁に立ち、將軍は陣中に威震して霜の如し。補注。氐宿は天子の正寢を主る。天乳は甘露を主る。上黒は明兵を主る。梗河は天子の以て意外を防備する所、兵事と喪事とを主る。帝席は天子の宴の宴樂・獻壽の場所を主る。亢池は舟楫の迎送を主る(底本は「克池」と作す)。騎官は天子騎士の象なり。陣車は騎官の上にして車馬を統領する將領なり。天輻は鸞駕を主る。將軍は騎將を主る。

房:四星,五度半。在炁為日,在肖為兔。步天歌四星直下主明堂,鍵閉一黃斜向上。鉤鈐兩個近其旁,罰有三星值鍵上,兩咸夾罰似房狀。房下一星號為日,從官兩個日下出。補註房宿主佈政官也。鍵閉主閉藏。鉤鈐房之鈐鍵,天之管鑰。旁罰主皮金贖罪,兩咸各四星,為房之戶,主防淫泆也。為日,主明德耳。

房宿:四星、五度半。氣に於て日に屬し、生肖に於て兔と為す。《步天歌》に曰く、四星は筆直に下り、明堂を主る。鍵閉一顆の黃星は斜めにその上に向かう。鈎鈐兩顆は緊靠して旁に在り。罰に三星あり、正しく鍵閉の上に對す。兩咸は罰星を夾み、形狀は房宿と相似り。房宿の下に一星ありて名づけて日、從官兩星は日星の下に出づ。補注。房宿は布政の官を主る。鍵閉は閉藏を主る。鈎鈐は房宿の鎖鑰、天の管籥と為す。旁の罰星は皮革金帛を以て罪を贖うを主る。兩咸は各四星、房宿の門戸、淫佚を防止することを主る。あの名を日と為す星は、明德を主る。

心:三星,五度。為營室,在炁為月,在肖為狐。步天歌三星中央色最深,下有積卒共十二,三三相聚心下是。補註心宿中星為天子,前星為太子,後星為庶子。積卒主五營軍士。尾:九星,十七度。為不和,為賊盜,在炁為火,在肖為虎。步天歌九星如鉤蒼龍尾,下頭五黑號龜星。尾上天江四橫是,尾東一個名傅說。傅說東畔一魚子,龜西一星是神宮,所以列在后妃中。補註尾宿后妃之府,在官之傷也。龜星主國吉凶,亦主水旱。大江主水,亦主關道。傅說主後宮,傅說所嗣。魚子主水旱,亦主魚。神宮解衣內望。

心宿:三星、五度。營室と為り、氣に於て月に屬し、生肖に於て狐と為す。《步天歌》に曰く、三星の中の中央のあの一顆は顏色最も深し。下面に積卒ありて共に十二顆、三三相聚りて便ち心宿の下に在り。補注。心宿の中間のあの顆星は天子を代表し、前面の一顆は太子を代表し、後面の一顆は庶子を代表す。積卒は五營の軍士を主る。尾宿:九星、十七度。不和を主り、亦賊盜を主る。氣に於て火に屬し、生肖に於て虎と為す。《步天歌》に曰く、九星は彎曲して鈎の如く、蒼龍の尾巴なり。下頭に五顆の黒星ありて名て名づけて龜星。尾宿の上に天江四星は横列す。尾宿の東に一星ありて名づけて傅説。傅説の東畔に一顆の魚子星あり。龜星の西に一星は神宮。故に後妃の中に列す。補注。尾宿は后妃の府第、亦官に在る者の傷損を主る。龜星は國家の吉凶を主り、亦水旱を主る。天江は水を主り、亦關隘道路を主る。傅説は后宮および傅説の承嗣する所を主る。魚子は水旱を主り、亦魚を主る。神宮は衣を解く内寢の所なり。

箕:四星,十度。為口舌,為公訟。在炁為水,在肖為豹。步天歌四星形狀如簸箕,箕下三星名木杵。箕前一黑是糠秕。補註箕宿后妃之位,主八風,並口舌蠻夷。木杵主豐歉。下糠同糠秕,與杵星同。

箕宿:四星、十度。口舌を主り、亦公事訴訟を主る。氣に於て水に屬し、生肖に於て豹と為す。《步天歌》に曰く、四星の形狀は一隻の簸箕の如し。箕宿の下の三星は名づけて木杵。箕宿の前の一顆の黒星は糠秕なり。補注。箕宿は后妃の位、八方の風を主り、并びに口舌と蠻夷の事とを主る。木杵は年成の豐歉を主る。下面の糠星は糠秕と相同じく、杵星と一樣に豐歉を主る。

斗:六星,二十四度。為文職,為科名。在炁為木,在肖為獬。步天歌六星其狀似北斗,魁上建星三相對。天弁建上三三九,斗下團圓十四星。雖然名鱉貫索形,天雞建背雙黑星。天鑰柄前八黃精,狗國四方雞下生。天淵十星鱉東邊,更有兩狗斗魁前。農家丈人斗下眠,天淵十黃狗色玄。補註斗宿為宰相,酌量政事之宜,尤主天子之事。斗即斗南六星也。建主為謀事。天弁市官之長。建上主列肆。鱉為水,雖主水旱。天雞主候時。天鑰主鎖鑰關閉。狗國主鮮卑、烏桓、沃沮。天淵主海中魚鱉,亦主水旱。兩狗主吠守,防奸回也。丈人主稼穡。天淵與前同。

斗宿:六星、二十四度。文職を主り、亦科擧功名を主る。氣に於て木に屬し、生肖に於て獬と為す。《步天歌》に曰く、六星の形狀は北斗に象り。魁星の上に建星は三三相對す。天弁は建星の上に三三共に九顆。斗宿の下に團團と圍みて十四星を成し、名は鱉と雖も卻って貫索の形を作す。天雞は建星の背後に兩顆の黒星。天鑰は斗柄の前に八顆の黃星あり。狗國四星は天雞の下に生ず。天淵十星は鱉星の東邊に在り。斗魁の前に還有兩顆の狗星あり。農家丈人星は斗宿の下方に安眠す。天淵十星は色黃、狗星は色黒なり。補注。斗宿は宰相と為し、政事の適宜の可否を斟酌し、尤も天子の事を主る。斗は即ち南斗六星。建星は謀議の事を主る。天弁は市官の長なり。建星の上は列肆を主る。鱉は水に屬し、水旱を主る。天雞は時を候することを主る。天鑰は鎖鑰關閉を主る。狗國は鮮卑・烏桓・沃沮の諸族を主る。天淵は海中の魚鱉を主り、亦水旱を主る。兩狗は吠守を主り、姦邪を防備す。丈人は稼穡を主る。天淵は前面に説く所と相同じ。

牛:六星,七度。為尙,為僧道。在氣為金,在肖為牛。其地殺也為暗金。步天歌六星近在河岸頭,頭上雖然有兩角,腹下從來欠一腳。牛下九黑是天田,田下三三九坎連。牛上直建三河鼓,鼓上三星號織女。左旗右旗各九星,河鼓兩岸左邊明。更有四黃名天桴,河鼓直下如連珠。羅堰三烏牛東居,漸臺四星如口形。輦道東足下五丁,輦道漸臺在河滸,欲得見時近織女。補註牛宿主牛,天田主天子京內之田。九坎、河鼓、織女、天桴主定漏刻。羅堰主蓄水。漸臺主漏刻、律呂之事。輦道主天子嬉遊之道。

牛宿:六星、七度。尊尚を主り、亦僧道を主る。氣に於て金に屬し、生肖に於て牛と為す。それが地殺と為るに就いて言えば又「暗金」と稱す。《步天歌》に曰く、六星は天河の岸頭に近く、頭上は雖も兩隻の角あり、腹下は從來一隻の脚を缺く。牛宿の下の九顆の黒星は天田、天田の下に三三共に九顆の坎星相連なり。牛宿の上に直立して三顆の河鼓あり、河鼓の上に三星は名づけて織女。左旗右旗は各九星、河鼓の兩岸は左邊を以て明と為す。還有四顆の黃星は名づけて天桴、便ち河鼓の正下方に一連の連珠の如し。羅堰三顆の黒星は牛宿の東に居り。漸臺四星は形は口字の如し。輦道の東邊の脚下に五星あり。輦道と漸臺は皆天河の濱に在り、それらを看たくば便ち織女の近處に往いて求めよ。補注。牛宿は牛を主る。天田は天子京畿の内の田地を主る。九坎・河鼓・織女・天桴は漏刻を確定することを主る。羅堰は水を蓄えることを主る。漸臺は漏刻と律呂の事を主る。輦道は天子游樂の道を主る。

女:四星,十一度半。為巧藝,為淫亂。在氣為土,在物為蝠。步天歌四星如箕主嫁娶,十二諸侯在下陳。先從越國向西論,東西兩周次三秦。雍州南下雙雁門,代國向西一晉伸。韓魏各一皆北輪,楚之一國魏西屯。楚城南畔獨燕軍,燕西一郡是齊鄰。齊北兩邑平原君,欲知鄭在越下存,十六黃星細區分。五個離珠女上星,敗瓜之上瓠瓜生,兩個各五瓠瓜明。天津九個彈弓形,兩星入牛河中橫。四個奚仲天津上,七個仲側扶筐星。補註女宿天之府也,亦主媍女之位,亦主女工及產阨。越、周、秦、雙雁、代也。代國、晉、韓、魏、楚、燕、齊、趙、鄭有變,各以其國。離珠,須女之藏也。敗瓜主種值。瓠瓜主陰謀果食。天津主關梁,亦主水溪。右車正也。扶筐主蠶事。

女宿:四星、十一度半。巧藝を主り、亦淫亂を主る。氣に於て土に屬し、物に於て蝙蝠と為す。《步天歌》に曰く、四星は箕の如く、嫁娶の事を主る。十二諸侯は下方に陳列す。先ず越國より西に數え起こし、東周・西周の後は三秦。雍州の南下は雙雁門、代國は西に伸びて一晉を出す。韓・魏は各一、皆北面に輪列す。楚國一星は魏の西に屯す。楚城の南畔に獨り燕軍あり。燕の西の一郡は齊と相鄰す。齊の北の兩邑は平原君なり。鄭國の何在有るかを知らんと欲せば、便ち越の下方に在り。此の十六顆の黃星は細細に分辨すべし。五顆の離珠は女宿の上に在り。敗瓜の上に瓠瓜を生出し、兩處各五顆、瓠瓜は分明なり。天津九星は形は彈弓の如く、その中の兩星は牛宿に入りて天河の中に横たわる。四顆の奚仲は天津の上に在り。七顆は奚仲の側に在りて扶筐星なり。補注。女宿は天の府庫、亦婦女の位を主り、又女工と産厄とを主る。越・周・秦・雙雁・代の諸星は、凡そ代國・晉・韓・魏・楚・燕・齊・趙・鄭に變故あれば、各々その國を以て相應す。離珠は須女の珍藏なり。敗瓜は種植を主る。瓠瓜は陰謀と果實飲食とを主る。天津は關梁を主り、亦水谿を主る。奚仲は車正なり(底本は「右車正也」と作す)。扶筐は蠶事を主る。女宿一路は多く女眷と織作の事を主る。坐向がこの宿度の上に落つるは、吉凶は多く内室に應ず。

虛:二星,九度半。為哭泣,為喪狗。在炁為日,在肖為鼠。步天歌上下各一如連珠,命祿危非虛上呈。危虛之下哭泣星,哭泣雙雙下壘城。天壘團圓十三星,敗臼四星城下橫,臼西三個離瑜明。補註虛宿,冡宰之象,亦主死喪。命主行罰,司祿主爵祿。司危主驕佚,司非主愆過。哭泣主號哭。壘城主北夷、仃伶、匈奴。敗臼如哭泣,亦主飢兵。離瑜主媍人服飾。

虚宿:二星、九度半。哭泣を主り、亦喪狗を主る。氣に於て日に屬し、生肖に於て鼠と為す。《步天歌》に曰く、上下各一顆、一連の連珠の如し。司命・司祿・司危・司非の四星は虚宿の上に呈現す。危宿・虚宿の下は哭泣星、哭泣は兩兩成對し、その下は便ち壘城。天壘は團團と圍みて十三星を成す。敗臼四星は壘城の下に横たわる。敗臼の西の三顆の離瑜星は明かなり。補注。虚宿は冢宰の象、亦死喪を主る。司命は刑罰の施行を主り、司祿は爵位俸祿を主り、司危は驕縱放佚を主り、司非は過失愆尤を主る。哭泣は號哭を主る。壘城は北方夷狄・丁零・匈奴を主る。敗臼は哭泣と相類し、亦饑荒と兵禍とを主る。離瑜は婦人の服飾を主る。

危:三星,十八度。為蓋屋,為離宮。在炁為月,在肖為燕。步天歌三星不直曲為之,危上五黑號人星。人旁三四杵臼形,人上七星號車府。府上天鉤九黃晶,鉤上五烏子造父。危下四星號墳墓,墓下四星斜對虛。十個天錢梁下橫,墓旁兩星能蓋屋,身著黑衣危下宿。補註危宿義略同虛。人星主靜眾庶,防淫。杵主軍糧,亦主豐歉。舊同臼,此星能仰能覆。車府,兵車之府。天鉤主乘輦服飾法式。造父御官也。墳墓主喪葬之事。虛梁主園陵寢廟,非人所處。天錢主財帛之聚。葢屋主天子所居之室。

危宿:三星、十八度。蓋屋を主り、亦離宮を主る。氣に於て月に屬し、生肖に於て燕と為す。《步天歌》に曰く、三星は並びて一直線を成さず、曲折して排列す。危宿の上の五顆の黒星は名づけて人星。人星の旁の三四顆は杵臼の形を作す。人星の上の七星は名づけて車府。車府の上に天鈎九顆の黃星は晶亮なり。天鈎の上の五顆の黒星は造父。危宿の下の四星は名づけて墳墓。墳墓の下の四星は斜めに虚宿に對す。十顆の天錢は虚梁の下に横たわる。墳墓の旁の兩星は便ち蓋屋、身は黒衣を著て危宿の下に宿す。補注。危宿の含義は大略虚宿と相同じ。人星は衆庶を安靜し淫亂を防止することを主る。杵星は軍糧を主り、亦年成の豐歉を主る。臼星は舊説と相同じく、この星は能く仰ぎ能く覆る。車府は兵車の府庫なり。天鈎は車駕服飾の法式を主る。造父は駕御の官なり。墳墓は喪葬の事を主る。虚梁は園陵寢廟を主り、活人の居る所にあらず。天錢は財帛の聚積を主る。蓋屋は天子の居る宮室を主る。

室:二星,十七度。為廟食,為王侯。在炁為火,在肖為豬。步天歌兩星上有離宮出,遶室三雙有六星。下頭六個雷電形,壘壁陣次十二星。十二兩頭大似井,陣下分佈羽林軍。四十五卒下為群,軍西四星多難論。仔細歷歷看區分,三粒黃金名鈇鉞,一個眞珠北落門。門東人魁九個子,四門一星天網是。雷旁兩黑土公吏,螣蛇室上二十一。補註室宿天子之宮。離宮天子之別宮。雷電主興雷動蟄,壘壁羽林之垣壘也。羽林,天軍也。鈇鉞亦誅夷。眞珠主非常以候兵。人魁主張禽獸之官。網主武帳,天子游獵之會所。公吏主土工官。螣蛇主水蟲。

室宿:二星、十七度。廟食を主り、亦王侯を主る。氣に於て火に屬し、生肖に於て猪と為す。《步天歌》に曰く、兩星の上に離宮出現し、室宿を環繞して三對共に六星。下頭の六星は雷電の形を作す。壘壁陣は接いて排開して十二星、此の十二星の兩頭は大きくして井字に象る。陣下に分布して羽林軍あり、四十五名の兵卒は下面に成群す。軍西の四星は分辨し難し、仔細に一顆顆區分するを要す。三粒の黃金のごとき星は名づけて鈇鉞、一顆の真珠のごとき星は北落師門。北落門の東は人魁九星。四門の處の一星は天網。雷電の旁の兩顆の黒星は土公吏。螣蛇は室宿の上に共に二十一星。補注。室宿は天子の宮室なり。離宮は天子の別宮なり。雷電は雷を興し蟄蟲を驚動することを主る。壘壁は羽林軍の垣壘なり。羽林は天上の軍隊なり。鈇鉞も亦誅戮を主る。真珠は非常の變を主り、以て兵事を候察す。人魁は禽獸を掌管する官を主る。天網は武帳を主り、天子游獵聚會の地方なり。土公吏は土工の官を主る。螣蛇は水蟲を主る。

壁:二星,十度。為文章,為秘府。在炁為水,在肖為貐。步天歌兩星下頭是霹靂,霹靂五星橫著行。雲雨次之日四方,壁上天廐十圓黃,鈇鑕五星羽林旁。補註壁宿圖書之府。霹靂主興雷。雲雨主水旱。天廐天馬之廐,今驛亭也。鈇鑕主斬蒭飼牛馬。

壁宿:二星、十度。文章を主り、亦秘府を主る。氣に於て水に屬し、生肖に於て貐と為す。《步天歌》に曰く、兩星の下頭は霹靂、霹靂五星は横に排列す。雲雨星は緊接してその後に続き、日行四方す。壁宿の上に天廐十顆の圓にして黃なる星。鈇鑕五星は羽林の旁に在り。補注。壁宿は圖書の府庫なり。霹靂は雷電を興發することを主る。雲雨は水旱を主る。天廐は天馬の馬廐で、今天の驛亭に相當す。鈇鑕は草を鍘りて牛馬を喂養することを主る。凡そ文星・書府の一路の應驗は、多くこの宿に關す。

奎:十六星,十七度半。為文藻,為書府。在炁為木,在肖為狼。步天歌腰細頭尖如破鞋,一十六星遶鞋生。外屏七烏奎上橫,屏下七星天溷明。司空左畔土之精,奎上一星軍南門。河中六個閣道行,附路一星道旁明。五個吐花王良星,王良近上一策名。天策天溷與外屏,一十五星皆不明。補註奎宿,天之武庫也。外屏,天溷之蔽也,主人安危。下溷同天溷。司空主水土之事。南門主軍出入。閣道,天子游別宮之道。附路備閣道之敗復。王良,天子之御官也。策士,天子僕御。

奎宿:十六星、十七度半。文采辭藻を主り、亦書府を主る。氣に於て木に屬し、生肖に於て狼と為す。《步天歌》に曰く、形狀は腰細く頭尖くして一隻の破鞋に象り、十六星は鞋形を繞りて生ず。外屏七顆の黒星は奎宿の上に横たわる。外屏の下の七星は天溷、頗る明亮なり。司空は左畔に在り、土の精氣なり。奎宿の上の一星は軍南門。天河の中の六星は排して閣道を成す。附路一星は閣道の旁に明かなり。五顆の花の如く綻放するは王良星。王良の近上の一星は名づけて策。天策・天溷和外屏は、共に十五星皆明亮ならず。補注。奎宿は天の武庫なり。外屏は天溷の遮蔽、人の安危を主る。下溷は天溷と相同じ。司空は水土の事を主る。軍南門は軍隊の出入を主る。閣道は天子の別宮に游幸する通道なり。附路は閣道が損壞する時に防備して改行する路なり。王良は天子の駕御の官なり。策星は天子の僕御なり。

婁:三星,十三度。為聚眾,為代文。在炁為金,在肖為狗。其在炁也為暗金。步天歌三星不勻適一頭,左更右更烏夾婁。天倉六個婁下頭,天庾三星天倉腳,婁下十一將軍侯。補註婁宿為興兵聚眾。左更右更牧師也。天倉穀藏也。天庾積粟之所。軍侯主武兵。

婁宿:三星、十三度。聚衆を主り、亦代文を主る。氣に於て金に屬し、生肖に於て狗と為す。その氣に就いて言えば又「暗金」と稱す。《步天歌》に曰く、三星は排列して勻ならず、恰も一頭に在り。左更・右更の兩組の黒星は婁宿を夾む。天倉六星は婁宿の下頭に在り。天庾三星は天倉の脚下に在り。婁宿の下の十一星は將軍侯なり。補注。婁宿は兵を興し衆を聚むるを主る。左更・右更是掌牧の官なり。天倉は穀を儲る所なり。天庾は粟を積る所なり。軍侯は武備兵事を主る。この宿も亦暗金に屬す。度を判ずる時は須らく亢・牛と一幷に留意すべし。

胃:三星,十四度半。為倉庫,為商賈。在炁為土,在肖為雉。步天歌三星鼎足河之次,天廩胃下敘四星。天囷十三如一形,河中八星名大陵。陵北九個天船名,陵中積尸一個星,積水船中一個精。補註胃宿五穀之倉。天廩主積黍稷以供祭祀。天囷主給御糧。大陵主陵墓。天船主渡,亦主水旱。積尸明則人死如山。積水主候水災。

胃宿:三星、十四度半。倉庫を主り、亦商賈を主る。氣に於て土に屬し、生肖に於て雉と為す。《步天歌》に曰く、三星は鼎足の如く天河の次に立つ。天廩は胃宿の下に排開して四星。天囷十三星は連なりて一形を成す。天河の中の八星は名づけて大陵。大陵の北の九星は名づけて天船。大陵の中に積尸一星あり。天船の中に積水一星あり。補注。胃宿は五穀の倉なり。天廩は黍稷を積儲して以て祭祀に供することを主る。天囷は御用の糧米を供給することを主る。大陵は陵墓を主る。天船は渡口を主り、亦水旱を主る。積尸星は明かなれば死人は山の如し。積水は水災を候察することを主る。

昴:七星,十一度。為白衣,為儒林。在炁為日,在肖為雞。步天歌七星一聚寔不少,河西月東各一星。月下五黃天陰名,陰下六星蒭藳營。營中十六天苑形,河裡六星名捲舌。舌中黑點天讒星,礪石舌旁斜四丁。補註昴宿天之日也,河、月並主女人災福。天陰主從天子弋獵之臣,預陰謀也。蒭藳供羊馬之食。天苑天子之苑囿。捲舌主知讒侫。讒星主讒侫之事,乃讒侫臣妾。礪石主礪鋒刃。

昴宿:七星、十一度。白衣を主り、亦儒林を主る。氣に於て日に屬し、生肖に於て鶏と為す。《步天歌》に曰く、七星は一處に聚りて實に少なからず。天河の西・月星の東に各一星あり。月星の下の五顆の黃星は名づけて天陰。天陰の下の六星は芻藁營。營中の十六星は天苑の形を作す。天河の裏の六星は名づけて卷舌。卷舌の中の一個の黑點は天讒星。礪石四星は斜めに卷舌の旁に安ず。補注。昴宿は天上の太陽なり。河星と月星は皆婦女の災禍と福分とを主る。天陰は天子の田獵に隨從する臣子を主り、機密に參預す。芻藁は羊馬の飼料を供給す。天苑は天子の苑囿なり。卷舌は讒佞を察知することを主る。天讒星は讒佞の事を主り、指すは讒佞の臣妾なり。礪石は鋒刃を磨礪することを主る。

畢:八星,十六度。為獵弋,為遊田。在炁為月,在肖為烏。步天歌恰似丫叉八星出,附耳畢股一星光。天街兩星畢背旁,天節畢下八烏幢。畢上橫列六諸王,王下四皂天高星。節下團圓九州島城,畢口斜對五車口。車有三柱任從橫,車中五個天潢精。潢畔咸池三黑星,天關一星車腳邊。參旗九個參車間,旗下直建九斿連,斿下十三烏天園,九斿天園參腳邊。補註畢宿天之雨師,亦主邊兵。附耳主聽得失。天街主國界也,南為華,北為夷。天節使臣所持。諸王主藩屏王室。天高主望氛侵。州城未詳。五車,天子兵車舍也。天潢主河梁濟渡之處。咸池,魚囿也。天關主邊塞事。參旗主候變御難。九斿主邊軍進退。天園主植菜疏之所。

畢宿:八星、十六度。獵弋を主り、亦游獵田事を主る。氣に於て月に屬し、生肖に於て烏と為す。《步天歌》に曰く、形狀は恰似丫叉、八星排出す。附耳一星は畢宿の股部に在りて發光す。天街兩星は畢宿の背旁に在り。天節は畢宿の下に八面の黑色の幢の如し。畢宿の上に横列して六位の諸王あり。諸王の下の四顆の黒星は天高星。天節の下に團團と圍みて九州城を成す。畢宿の口は斜めに五車の口に對す。五車に三柱あり、縱横を任す。車中の五星は天潢の精氣なり。天潢の畔の咸池三顆の黒星。天關一星は車脚の旁邊に在り。參旗九星は參宿と五車の間に在り。參旗の下に直立して九斿相連なり。九斿の下の十三顆の黒星は天園。九斿と天園は皆參宿の脚邊に在り。補注。畢宿は天の雨師、亦邊防の兵を主る。附耳は得失を聽察することを主る。天街は國界を主り、街南は華夏、街北は夷狄と為す。天節は使臣の執る符節なり。諸王は王室を藩屏することを主る。天高は氛氣の侵擾を瞭望することを主る。州城の義は未詳なり。五車は天子兵車の庫舍なり。天潢は河梁渡口を主る。咸池は魚を養う囿なり。天關は邊塞の事を主る。參旗は變故を候察し患難を抵禦することを主る。九斿は邊軍の進退を主る。天園は菜蔬を種植する地方を主る。

觜:三星,一度。為葆旅,為行商。在炁為火,在肖為猴。步天歌三星相近參差,嘴上坐旗直指天,尊卑之位九相連。司怪曲立坐旗邊,四烏大近井鉞前。補註觜宿主五穀軍儲。坐旗主別君臣尊卑之位。司怪與天高同。

觜宿:三星、一度。保聚旅居を主り、亦行商を主る。氣に於て火に屬し、生肖に於て猴と為す。《步天歌》に曰く、三星は彼此相近して參差不齊。觜宿の上に坐旗は直指して天空に向かい、尊卑の位は九星相連なり。司怪は曲折して坐旗の旁に立ち、四顆の黒星は井宿の鉞星の前に靠近す。補注。觜宿は五穀と軍中の儲備を主る。坐旗は君臣尊卑の位次を分別することを主る。司怪は天高と職掌相同じ。この宿は度數最も窄く、只だ一度を占む。度を測る時は尤も細辨を須とす。

參:十星,九度。為斬艾。在炁為水,在肖為猴。步天歌總有十星觜相授,兩肩雙足三為心。伐有三星足裡深,玉井四星右足陰。屏星兩扇井南襟,軍井四星屏上吟。左足下四天廁臨,廁下一物天屎沉。補註參宿為忠良孝謹之子。伐主鮮卑、戎、狄之國。玉井,水象也。屏為屏風,主人安危。軍井,行軍之井也。天廁,主人安危。下屎同。

參宿:十星、九度。斬伐刈除を主る。氣に於て水に屬し、生肖に於て猴と為す。《步天歌》に曰く、總共十星は觜宿と相接す。兩肩兩足の外、中間の三星は心と為る。伐星三顆は深藏して足の内に在り。玉井四星は右足の陰面に在り。屏星兩扇は玉井の南の衣襟の如同じ。軍井四星は屏星の上に吟立す。左足の下の四星は天廁。天廁の下の一物は天屎、下方に沉す。補注。參宿は忠良孝謹の子弟を象徵す。伐星は鮮卑・戎・狄の諸國を主る。玉井は水象なり。屏は屏風、人の安危を主る。軍井は行軍の鑿る井なり。天廁も亦人の安危を主る。下面の天屎はこれと相同じ。

井:八星,三十一度。為水患,為行舟。在炁為木,在肖為犴。步天歌八星橫列河中靜,一星名鉞井邊安。兩河各三南北正,天樽三星井上頭。樽上橫列五諸侯,侯上北河西積水。欲覓積薪東畔是,鉞下四星名水府。水府東邊四星序,四瀆橫列南河裡。南河下頭是軍市,軍市團圓十三星。中有一個野雞精,孫子丈人市下列。各立兩星從東說,閼丘三個南河中。丘下一狼光逢茸,左邊九個彎弧弓,一矢擬射頑狼胸。有個老人南極中,春秋出來壽無窮。

井宿:八星、三十一度。水患を主り、亦行舟を主る。氣に於て木に屬し、生肖に於て犴と為す。《步天歌》に曰く、八星は横列して天河の中に在りて安靜なり。一星は名づけて鉞、井宿の旁邊に安ず。南河・北河は各三星、一南一北端正相對す。天樽三星は井宿の上頭に在り。天樽の上に横列して五諸侯あり。五諸侯の上は北河、その西は積水。積薪を找らんと欲せば、便ち東畔に在り。鉞星の下の四星は名づけて水府。水府の東邊の四星は依次に排列す。四瀆は南河の裏に横列す。南河の下頭は軍市、軍市は團團と圍みて十三星を成し、その中に一顆の野鶏星あり。孫子・丈人は軍市の下に陳列し、各兩星立てり、東より數え起こす。閼丘三星は南河の中に在り。閼丘の下の一顆の天狼星は光芒蓬亂。左邊の九星は彎みて弧弓を成し、一支の箭は正に頑狼の胸口に射らんとす。還有一顆の老人星は南極の中に在り、春秋の兩季に出現し、壽を主りて無窮なり。補注略。

補註井宿主水源,亦諸侯帝戚王公之位。鉞,主伺奢淫而斬之。兩河,南河主火,北河主水。天樽主盛饘粥以給貧餒。諸侯常為帝定疑議。積水以伺酒用。積薪以備庖用。水府主瀉溢流。四瀆:江、淮、河、濟。軍市,天軍貿易之市。野雞、孫子皆侍丈人之側,不見為災。丈人主壽考之臣。閼丘,天子之雙闕,諸侯之兩觀也。狼為野將,主殺掠。弧弓以備盜賊。老人,秋春之日見於丙,春分之日沒於丁。

補注:井宿は水源を主り、亦是諸侯・帝戚・王公の位なり。鉞星は奢侈淫佚を伺察してこれを誅斬に加うることを主る。南河は火を主り、北河は水を主る。天樽は稠粥を盛放して以て貧餓の人を賑濟することを主る。五諸侯は常に天子の為めに疑難の議論を決斷す。積水は用いて酒醴を備辦す。積薪は用いて庖厨に供給す。水府は溢流の水を瀉放することを主る。四瀆は長江・淮水・黃河・濟水を指す。軍市は天軍交易の集市なり。野鶏・孫子は皆丈人の側に侍立し、若しその星を見ざれば便ち災異なり。丈人は長壽の老臣を主る。閼丘は天子の雙闕・諸侯の兩觀なり。天狼是在野の將領、殺伐劫掠を主る。弧弓は用いて盜賊を防備す。老人星は秋分の日に丙位に見え、春分の日に丁位に沒す。

鬼:五星,三度。為淫詞,為妖孽。在炁為金,在肖為羊,在氣為暗金。步天歌四星形方似木櫃,中央白者積尸氣。鬼上四星是爟位,天狗七星鬼下是。外廚六間柳星次,天社六個弧東倚,社東一星是天紀。補註鬼宿主死亡、疾病。積尸主死喪。爟主烽火。天狗以守賊也。廚,天子之外廚也。天社能平水土。天紀主知禽獸也。

鬼宿:五星、三度。淫詞を主り、亦妖孽を主る。氣に於て金に屬し、生肖に於て羊と為す。その氣に就いて言えば又「暗金」と稱す。《步天歌》に曰く、四星の形狀は方正にして一隻の木櫃に象り、中央白色の一團は積尸氣。鬼宿の上の四星は爟位。天狗七星は鬼宿の下に在り。外厨六星は緊接して柳宿の次に在り。天社六星は弧矢の東に倚る。天社の東の一星は天紀。補注。鬼宿は死亡と疾病とを主る。積尸は死喪を主る。爟星は烽火を主る。天狗は用いて盜賊を防守す。外厨は天子の外厨なり。天社は水土を平治する能わり。天紀は禽獸を辨識することを主る。

柳:八星,十四度。為木果,為器皿。在炁為土,在肖為獐。步天歌八星頭曲垂似柳,近上三星號為酒,宴享之酺五星守。補註柳宿,主飲食、倉庫、酒醋之位。酒,主酒。星:七星,七度。為吉事,為非橫。在炁為日,在肖為馬。步天歌七星如鉤柳下生,星上十七軒轅明。軒轅東頭西內平,平下三個名天相,相下稷星橫五靈。補註星宿主后妃御女之位,為賢士。軒轅主雷雨之神,後宮之象也。內平,平罪之官。天相,丞相之象也。稷星,主農政也。

柳宿:八星、十四度。木の果實を主り、亦器皿を主る。氣に於て土に屬し、生肖に於て獐と為す。《步天歌》に曰く、八星は頭部彎曲して下垂し、形狀は柳條に象る。上方に靠近して三星ありて名づけて酒旗。宴享の酺に五星ありて守衛す。補注。柳宿は飲食・倉庫と酒醋の位を主る。酒旗は酒を主る。星宿:七星、七度。吉慶の事を主り、亦非常の横逆の事を主る。氣に於て日に屬し、生肖に於て馬と為す。《步天歌》に曰く、七星は鈎の如く、柳宿の下に生ず。星宿の上に十七顆の軒轅星は明亮なり。軒轅の東頭・西邊は内平なり。内平の下の三星は名づけて天相。天相の下に稷星は横列して五靈なり。補注。星宿は后妃と御女の位を主り、亦賢士を主る。軒轅は雷雨の神を主り、后宮の象なり。内平は罪案を平斷する官なり。天相は丞相の象なり。稷星は農政を主る。

張:六星,十九度。為遠客,為分離。在炁為月,在肖為鹿。步天歌六星似軫在星旁,張下只是有天廟。十四之星冊四方,長垣列在上頭光。補註張宿主太廟、明堂、御史之位。太廟,天子之祖廟。長垣主界域,及胡夷。

張宿:六星、十九度。遠行の客を主り、亦分離を主る。氣に於て月に屬し、生肖に於て鹿と為す。《步天歌》に曰く、六星の形狀は軫宿に象り、便ち星宿の旁に在り。張宿の下に只だ天廟あり。此の十四星は四方に冊立す。長垣は排列して上頭に放光す。補注。張宿は太廟・明堂と御史の位を主る。太廟は天子の祖廟なり。長垣は疆域の界限および北方胡夷の事を主る。凡そ穴が此の宿度に應ずるは、多く遠行離鄕の事を主る。

翼:二十二星,十九度。為觴客。在炁為火,在肖為蛇。步天歌二十四星大難識,上五下五橫著行,中間六個恰似張,更有六星在何處?三三相連張畔附,必若不能分處所,更請向前看野取。五個黑星翼下頭,欲知名字是東甌。補註翼宿,主北道文藉。東甌,蠻夷星也。

翼宿:二十二星、十九度。宴飲賓客を主る。氣に於て火に屬し、生肖に於て蛇と為す。《步天歌》に曰く、二十四星は辨識し難し。上面五星・下面五星は横に排列し、中間の六星の形狀は恰似張宿。還有六星は何の處にあるか。三三相連なりて、張宿の畔に附す。若し實に所在を分かち得ざれば、便ち請けて再び前に往いて野外に仔細に取看せよ。翼宿の下頭の五顆の黒星、名字を問わば、便ち東甌と叫ぶ。補注。翼宿は北方道路の文書典籍を主る。東甌は蠻夷の星なり。歌中は二十四星と作して、前面に記する所の二十二星と合わず。底本此の如し。今そのまゝ録す。

軫:四星,十八度半。為車服,為警蹕。在炁為水,在肖為蚓。步天歌四星似張翼相近,中間一個長沙子,左轄右轄附兩星,軍門兩黃近翼是,門下四個土司空,門東七星青丘子。青丘之下名器府,器府之星三十二。以上便為太微宮,黃道向上看取是。補註軫宿主車騎。司空主土工。丘子、東甌同。器府,樂器之府也。右二十八宿並四垣懸象於天,其說本之《天文志》者如此。地法因之,以察其氣之所主何如耳。

軫宿:四星、十八度半。車馬服飾を主り、亦帝王出行の警蹕を主る。氣に於て水に屬し、生肖に於て蚯蚓と為す。《步天歌》に曰く、四星の形狀は張宿に象り、翼宿と相近し。中間の一顆は長沙星なり。左轄・右轄の兩星は旁邊に附す。軍門の兩顆の黃星は翼宿に靠近す。軍門の下の四星は土司空。軍門の東の七星は靑丘。靑丘の下は名づけて器府。器府の星は共に三十二顆。以上は便ち太微宮の範圍、黃道に順って上に往いて看れば便ち求め得らる。補注。軫宿は車騎を主る。土司空は土木の工程を主る。靑丘は東甌と一樣に皆蠻夷の星なり。器府は樂器の府庫なり。以上二十八宿連同四垣は、皆天上に懸かるる星象、これらの説法は歴代の《天文志》に本づく。地理の法はそれらを沿用し、只だ以て各宿の氣が各何を主るかを考察するに過ぎない。

二十八宿が南方午位に迭見す、即ち中星なり

正月上旬日在女,初昏胃見南方午位;中旬日在虛,初昏昴見南方午位;下旬日在危,初昏畢見南方午位。二月上半月日在室,初昏觜見南方午位;下半月日在壁,初昏參見南方午位。三月上半月日在奎,初昏井見南方午位;下半月日在婁,初昏鬼見南方午位。

正月上旬は太陽は女宿に在り、黄昏初起の時に胃宿は正南の午位に出現す。中旬は太陽は虚宿に在り、黄昏初起の時に昴宿は午位に出現す。下旬は太陽は危宿に在り、黄昏初起の時に畢宿は午位に出現す。二月上半月は太陽は室宿に在り、黄昏初起の時に觜宿は午位に出現す。下半月は太陽は壁宿に在り、黄昏初起の時に參宿は午位に出現す。三月上半月は太陽は奎宿に在り、黄昏初起の時に井宿は午位に出現す。下半月は太陽は婁宿に在り、黄昏初起の時に鬼宿は午位に出現す。此れは「中星」を用いて時令と方位とを核對する辦法なり。夜に入るの初めに正南に値するは何の宿ぞやを看れば、便ち節令と二十八宿との相配する實際の位置を知る。

四月上旬日在胃,初昏柳見南方午位;中旬日在昴,初昏星見南方午位;下旬日在畢,初昏張見南方午位。五月上半月日在觜,初昏翼見南方午位;下半月日在參,初昏軫見南方午位。六月上半月日在井,初昏角見南方午位;下半月日在鬼,初昏亢見南方午位。

四月上旬は太陽は胃宿に在り、黄昏初起の時に柳宿は正南の午位に出現す。中旬は太陽は昴宿に在り、黄昏初起の時に星宿は午位に出現す。下旬は太陽は畢宿に在り、黄昏初起の時に張宿は午位に出現す。五月上半月は太陽は觜宿に在り、黄昏初起の時に翼宿は午位に出現す。下半月は太陽は參宿に在り、黄昏初起の時に軫宿は午位に出現す。六月上半月は太陽は井宿に在り、黄昏初起の時に角宿は午位に出現す。下半月は太陽は鬼宿に在り、黄昏初起の時に亢宿は午位に出現す。見るべし、太陽は每月約兩宿を移過し、昏中の宿も亦之に随って依次に推移す。

七月上旬日在柳,初昏氐見南方午位;中旬日在星,初昏房見南方午位;下旬日在張,初昏心見南方午位。八月上半月日在翼,初昏尾見南方午位;下半月日在軫,初昏箕見南方午位。九月上半月日在角,初昏斗見南方午位;下半月日在亢,初昏牛見南方午位。

七月上旬は太陽は柳宿に在り、黄昏初起の時に氐宿は正南の午位に出現す。中旬は太陽は星宿に在り、黄昏初起の時に房宿は午位に出現す。下旬は太陽は張宿に在り、黄昏初起の時に心宿は午位に出現す。八月上半月は太陽は翼宿に在り、黄昏初起の時に尾宿は午位に出現す。下半月は太陽は軫宿に在り、黄昏初起の時に箕宿は午位に出現す。九月上半月は太陽は角宿に在り、黄昏初起の時に斗宿は午位に出現す。下半月は太陽は亢宿に在り、黄昏初起の時に牛宿は午位に出現す。秋季の昏中の宿は已に東方蒼龍一路より北方玄武に轉ず。

十月上旬日在氐,初昏女見南方午位;中旬日在房,初昏虛見南方午位;下旬日在心,初昏危見南方午位。十一月上半月日在尾,初昏室見南方午位;下半月日在箕,初昏壁見南方午位。十二月上半月日在斗,初昏奎見南方午位;下半月日在牛,初昏婁見南方午位。

十月上旬は太陽は氐宿に在り、黄昏初起の時に女宿は正南の午位に出現す。中旬は太陽は房宿に在り、黄昏初起の時に虚宿は午位に出現す。下旬は太陽は心宿に在り、黄昏初起の時に危宿は午位に出現す。十一月上半月は太陽は尾宿に在り、黄昏初起の時に室宿は午位に出現す。下半月は太陽は箕宿に在り、黄昏初起の時に壁宿は午位に出現す。十二月上半月は太陽は斗宿に在り、黄昏初起の時に奎宿は午位に出現す。下半月は太陽は牛宿に在り、黄昏初起の時に婁宿は午位に出現す。一年十二箇月は輪轉して一周し、又正月の次序に還る。

二十八宿分野

子自須女八度,至危十五度,凡三十度有奇,為齊之分野,屬青州,今山東登州、萊州、濟南、東昌之地是也。丑自南斗十二度至須女七度,凡三十度有奇,為吳越之分野,屬揚州,今南京、鳯陽等十四府,浙江杭州等十一府,江西南昌等十三府,廣東廣州等十府,廣西梧州之地是也。

言う所の「分野」は、周天の宿度を十二地支に按って地面の各州府に分派し、用いて星氣の所主に對照するなり。子位は、須女八度より起り、危宿十五度に至りて止む。共に三十余度、齊國の分野、青州に屬す。即ち今の山東の登州・萊州・濟南・東昌の一帯。丑位は、南斗十二度より起り、須女七度に至りて止む。共に三十余度、呉・越の分野、揚州に屬す。即ち今の南京・鳳陽等の十四府、浙江杭州等の十一府、江西南昌等の十三府、廣東廣州等の十府、以及廣西梧州の一帯。

寅自尾十度至南斗十一度,凡三十度有奇,為燕之分野,屬幽州,今京師北直隸、河間、保定、永定、永平、隆慶、宣府、保安、遼東之地是也。卯自氐五度至尾九度,凡三十度有奇,為宋之分野,屬豫州,今南直隸、豐沛之地是也。

寅位は、尾宿十度より起り、南斗十一度に至りて止む。共に三十余度、燕國の分野、幽州に屬す。即ち今の京師北直隸および河間・保定・永定・永平・隆慶・宣府・保安・遼東の一帯。卯位は、氐宿五度より起り、尾宿九度に至りて止む。共に三十余度、宋國の分野、豫州に屬す。即ち今の南直隸の豊縣・沛縣の一帯。兩位の所轄は一は北一は中にして、星度は同じく三十余度なれど、値する州府の廣狹は相差ること甚だ遠し。

辰自軫十二度至氐四度,凡三十度有奇,為鄭之分野,屬兗州,今河南開封、汝寧之地是也。巳自張十七度至軫十一度,凡三十度有奇,為楚之分野,屬荊州,今河南南陽、陜西漢中、湖廣武昌等十府,均州、四川夔州半入,廣西桂、柳、寧之地是也。

辰位は、軫宿十二度より起り、氐宿四度に至りて止む。共に三十余度、鄭國の分野、兗州に屬す。即ち今の河南の開封・汝寧の一帯。巳位は、張宿十七度より起り、軫宿十一度に至りて止む。共に三十余度、楚國の分野、荊州に屬す。即ち今の河南南陽・陜西漢中・湖廣武昌等の十府、以及均州・四川夔州の一半、還有廣西の桂林・柳州・南寧の一帯。巳位の跨ぐ所は最も廣し。故に楚地の星野は中原より一直に嶺南に連る。

午自柳九度至張十六度,凡三十度有奇,為周之分野。屬營州,今河一府柳,貴州銅仁星,張屬河南之南陽。未自東井十六度至柳八度,凡三十度有奇,為秦之分野,屬雍州,今河南洛陽、陜西都司西平、鞏昌、延溪、寧夏,雲南鶴慶等軍民府之地是也。

午位は、柳宿九度より起り、張宿十六度に至りて止む。共に三十余度、周の分野、營州に屬す。今の某一府は柳宿に應じ、貴州銅仁は星宿に應じ、張宿は則ち河南の南陽に屬す(此の句の底本は文字殘缺、照録して補わず)。未位は、東井十六度より起り、柳宿八度に至りて止む。共に三十余度、秦國の分野、雍州に屬す。即ち今の河南洛陽、陜西都司の西平・鞏昌・延谿・寧夏、以及雲南鶴慶等の軍民府の一帯。

申自畢十二度至東井十五度,凡三十度有奇,為晉、魏之分野,屬梁州,一曰益州,今山西太原、大同、平陽、澤潞、四川順慶、於藩、疊溪、雲南十五府、貴州銅仁八府之地是也。酉自胃七度至畢十一度,凡三十度有奇,為趙之分野,屬冀州,今北直隸順德、廣平之地是也。

申位は、畢宿十二度より起り、東井十五度に至りて止む。共に三十余度、晉・魏の分野、梁州に屬す。亦益州と稱する有り。即ち今の山西の太原・大同・平陽・澤潞、四川の順慶・于藩・叠谿、雲南十五府、貴州銅仁等の八府の一帯。酉位は、胃宿七度より起り、畢宿十一度に至りて止む。共に三十余度、趙國の分野、冀州に屬す。即ち今の北直隸の順德・廣平の一帯。此の兩位は彼此相連なりて、應驗する所は多く河東と河北の地に在り。

戌自奎五度至胄六度,凡三十度有奇,為魯之分野,屬徐州,今山東兗州之地是也。亥自危十六度至奎四度,凡三十度有奇,為衛之分野,屬幷州,今北直隸大名,河南彰德府、懷慶、衛輝之地是也。

戌位は、奎宿五度より起り、胃宿六度に至りて止む。共に三十余度、魯國の分野、徐州に屬す。即ち今の山東兗州の一帯(底本の「胄」は「胃」と作るべし)。亥位は、危宿十六度より起り、奎宿四度に至りて止む。共に三十余度、衛國の分野、幷州に屬す。即ち今の北直隸の大名、以及河南の彰德府・懷慶・衛輝の一帯。十二支の一周は、正に二十八宿の度數を分派して畢る。

氣の地に布く

此天星下臨之妙用也。蓋星者,氣之清而上者也;地者,氣之濁而下者也。故天分星宿,地列山川,氣行於地,形麗乎天,《經》所謂“天有象,地有形,上下相須而成一體”者也。故羅經二十四位,各有天星主之,星吉則吉,星凶則凶。

此れは天上星宿の氣の地面に下臨する妙用なり。星は、氣の中の淸にして上昇するもの。地は、氣の中の濁にして下凝するもの。故に天上に星宿を分布し、地上に山川を排列す。氣は地中に運行し、形は天上に顯現す。正に《靑囊經》の言う所の「天に星象あり、地に形體あり、上下互相に依待して一箇の整體を合成す」。この故に羅經の上の二十四位は、各一顆の天星の主管あり。配する所の星が吉ならば此の位は便ち吉、配する所の星が凶ならば此の位は便ち凶なり。

幹配天廐星,又曰節越,曰北極,曰亢陽。坤配天鉞星,又曰陰玄,曰玄戈,曰老陰。坎配天壘星,又曰陽光,曰太陰。離配天廟星,又曰陽權,曰天馬,曰太陽,曰游魂。辰配天罡星,又曰亢金。戌配天魁星,又曰婁金,曰鼓盆。申配天闋星,又曰傳送。寅配天棓星,又曰功曹。

以下逐位に二十四山が各々配する所の天星とそれらの別名とを開列す。用うる時は先ず本山の配するはどの一顆の星ぞやを査し、再びこの星の吉凶に據って本位の吉凶を斷ず。乾位は天廐星に配し、又叫んで節越・北極・亢陽。坤位は天鉞星に配し、又叫んで陰玄・玄戈・老陰。坎位(子)は天壘星に配し、又叫んで陽光・太陰。離位(午)は天廟星に配し、又叫んで陽權・天馬・太陽・游魂。辰位は天罡星に配し、又叫んで亢金。戌位は天魁星に配し、又叫んで婁金・鼓盆。申位は天闕星に配し、又叫んで傳送。寅位は天棓星に配し、又叫んで功曹。此の八位は四維と四孟四季の地に分居す。

甲配天苑星,又曰天統,曰陰機。乙配天官星,又曰官騎。壬配天輔星,又曰陰權。癸配天漢星,又曰陰光,曰搖光,曰北道。艮配天市垣陽樞星,亦曰天樞。巽配太乙星,亦曰陽旋。卯配陽衡星,亦曰天理,曰阿香,曰天命廉貞。酉配少微星,亦曰陽闓。亥配天皇星紫微垣,亦曰天門。

甲位は天苑星に配し、又叫んで天統・陰機。乙位は天官星に配し、又叫んで官騎。壬位は天輔星に配し、又叫んで陰權。癸位は天漢星に配し、又叫んで陰光・揺光・北道。艮位は天市垣の陽樞星に配し、亦名づけて天樞。巽位は太乙星に配し、亦名づけて陽旋。卯位は陽衡星に配し、亦名づけて天理・阿香・天命廉貞。酉位は少微星に配し、亦名づけて陽闓。亥位は天皇星に配し、即ち紫微垣、亦名づけて天門。その中の艮の天市垣に配し、亥の紫微垣に配し、酉の少微垣に配するは、正しく前面に講ずる所の四垣の臨む所の方位と相合す。

巳配天屏星,亦曰天堂,曰明堂,曰赤蛇。未配天常星,又曰鬼金。丑配天廚星,亦曰牽牛,曰牛金。庚配天漢星,亦曰陰衡。辛配天乙星,亦曰陰旋。丙配天貴星,亦曰太微陰樞。丁配天柱星,亦曰南極,曰壽星。此四垣諸星,照臨四方,以主庶徵。地法因之,以明其善惡,察其吉凶。所謂天光下臨,地德上載,此之謂也。

巳位は天屛星に配し、亦名づけて天堂・明堂・赤蛇。未位は天常星に配し、又叫んで鬼金。丑位は天厨星に配し、亦名づけて牽牛・牛金。庚位は天漢星に配し、亦名づけて陰衡。辛位は天乙星に配し、亦名づけて陰旋。丙位は天貴星に配し、亦名づけて太微陰樞。丁位は天柱星に配し、亦名づけて南星に配し、亦名づけて南極・壽星。此の四垣の衆星は四方に照臨し、用いて人間の種種の徵驗を主管す。地理の法はそれらを沿用し、據って各方の善惡を判明し、各方の吉凶を考察す。言う所の「天光は自ら上より下を照らし、地德は自ら下より上を承く」、講ずるは便ち此れなり。向を定め穴を立つる時は、本山の配する天星と實地の砂水とを一幷に核對してこそ、判斷は周備と算す。

三易の原

按陳摶曰:三易穴卦內秘之法,法以太極為太易之統,陰陽為八卦之機,天陰、天陽、地柔、地剛分為四象,少陰、太陽、少陽、太陰、太剛、少柔、少剛、太柔列處八極。天元連山六十四卦,以坎、離、震、兌分歸四仲,以主二十四氣,而周流三百六十五度四分度之一,以成一歲之紀。以章、會、統、元而厯四千六百一十七歲,以成一元之易者,此六十四卦之用也。

陳摶の説に按ずるに、三易は穴卦の内に秘傳する方法なり。その法は太極を以て「太易」の統攝と為し、陰陽を以て八卦の機括と為し、天陰・天陽・地柔・地剛を分かちて四象と為し、少陰・太陽・少陽・太陰・太剛・少柔・少剛・太柔を八方の極處に排列す。天元《連山》の六十四卦は、坎・離・震・兌を以て分かちて子・午・卯・酉の四仲の位に歸屬せしめ、用いて二十四節氣を主管し、周流して三百六十五又四分之一度、一年の紀度を構成す。再用章・會・統・元を以て層層推算し、暦四千六百十七年にして一元の易を成す。此れ即ち六十四卦の《連山》一路に在る用法なり。三易は各々主る所有り。此れは第一家なり。

地元歸藏六十四卦,以冬至、夏至、秋分、春分之日居於四正,以定十二月卦。以月卦分為七十二候,以一水、二火、三木、四金、五土、六水、七火、八木、九金、十土,分隸八方。以六十四卦分定,以推氣朔之會。此六十四卦之用也。

地元《歸藏》の六十四卦は、冬至・夏至・秋分・春分の四箇の節日を東西南北の四正の位に安放し、據って十二月卦を確定す。再把月卦を分かちて七十二候と為し、一水・二火・三木・四金・五土・六水・七火・八木・九金・十土の次序を用いて八方に分派す。最後に六十四卦を以て分かちて定位し、用いて節氣と朔望の會合を推算す。此れ即ち六十四卦の《歸藏》一路に在る用法なり。

人元周易,以先天、後天分佈方圓卦象。圓布者則幹盡於午中,坤盡於子中,離盡於卯中,坎盡於酉中。陽生於子而極於午,陰生於午而極於子,故其陽在南,其陰在北,所以對待陰陽,櫜鑰天地者,六十四卦之用也。堪輿之所用卦者,不外乎此。

人元《周易》は、先天・後天を把って分かちて方圖と圓圖とに布成したる卦象なり。圓圖の布法は、乾は終盡して午の正中に至り、坤は終盡して子の正中に至り、離は終盡して卯の正中に至り、坎は終盡して酉の正中に至る。陽は子に生じて午に極盛し、陰は午に生じて子に極盛す。故に陽は南にあり、陰は北にあり。此の如く陰陽は兩兩對待して、天地を包裹収納してその中に在り。便ち六十四卦の《周易》一路に在る用法なり。堪輿家の用うる卦は、此の三家の範圍を出ず。

以連山而觀天象之盈縮,以歸藏而推氣候之孤虛,以周易而乘地氣之吉凶。用氣以應曜,用陽以相陰,用虛以制殺,用相以迎生。使五運不僭,六氣無倚,三奇當途,四吉順度,龜甲逢生,空亡逢死,九九有氣,六六無侵。於是六氣順成,八卦變化,五行顛倒,大地七寶,其氣順時應,機動神隨,無有端倪矣。

《連山》を用いて天象の盈滿と虧縮とを觀察し、《歸藏》を用いて氣候の「孤」と「虚」とを推求し、《周易》を用いて地氣の吉と凶とを乘取す。氣を以て星曜に應じ、陽を以て陰を輔け、「虚」を以て殺氣を制し、「相」を以て生氣を迎う。務めて五運をして分を越えざらしめ、六氣をして偏倚せざらしめ、三奇をして道に當らしめ、四吉をして度に順わしめ、龜甲の位をして生に逢わしめ、空亡の位をして死に逢わしめ、九九の數に氣あり、六六の數は侵犯を受けざらしむ。ここに於て六氣は順次生成し、八卦は交相變化し、五行は顛倒して用を為し、大地の七寶の氣は時に随って應驗し、機關一たび動けば神は之に随って至り、便ち端倪の尋ね得る無し。

孤虚旺相の原

按李籤云:“五氣孤虛旺相,亦從卦氣而分。幹三陽也,以中爻為本卦之體,分上下二爻於甲干,是二陽也。二陽為亢,故為陽之孤氣。坤三也,以中爻為本卦之體,分上下二爻於乙干,是二陰也。二陰為極,故為陰之虛氣。

李簽の説に按ずるに、五氣の「孤」「虚」「旺」「相」は、亦卦氣の上より分かち出したるなり。乾は三畫皆陽、中爻を以て本卦の本體と為し、上下の兩爻を分派して甲干と為す。即ち兩箇の陽なり。兩陽は便ち亢極を成す。故に陽の「孤氣」なり。坤は三畫皆陰、中爻を以て本卦の本體と為し、上下の兩爻を分派して乙干と為す。即ち兩箇の陰なり。兩陰は便ち極至を成す。故に陰の「虚氣」なり。

震陽卦而陰爻,陽下而陰上也,以中爻為本卦之體,分上下二爻於庚干,一陰一陽交合之象也,故為陽之相氣。巽陰卦而陽爻,陽上而陰下也。以中爻為本卦之體,分上下二氣於辛干,一陰一陽交合之象也,故為陰之相氣。

震は陽卦にして陰爻多く、陽は下にあり陰は上にあり、中爻を以て本卦の本體と為し、上下の兩爻を分派して庚干と為し、一陰一陽交合の象を成す。故に陽の「相氣」なり。巽は陰卦にして陽爻多く、陽は上にあり陰は下にあり、中爻を以て本卦の本體と為し、上下の兩氣を分派して辛干と為し、亦一陰一陽交合の象を成す。故に陰の「相氣」なり。凡そ陰陽交合するは皆「相」と算し、純陽純陰に偏するをこそ「孤」「虚」と算するなり。

坎陽卦而陰爻,陽內而陰外也。以中爻為本卦之體,分上下二爻於癸干,是二陰也。二陰為極,故為陰之虛氣。離陰卦而陽爻,陰內而陽外也。以中爻為本卦之體,分上下二爻於壬干,是二陽也,二陽為亢,故為陰之孤氣。

坎は陽卦にして陰爻多く、陽は内にあり陰は外にあり、中爻を以て本卦の本を以て本卦の本體と為し、上下の兩爻を分派して癸干と為す。即ち兩箇の陰なり。兩陰は便ち極至を成す。故に陰の「虚氣」なり。離は陰卦にして陽爻多く、陰は内にあり陽は外にあり、中爻を以て本卦の本體と為し、上下の兩爻を分派して壬干と為す。即ち兩箇の陽なり。兩陽は便ち亢極を成す。故に陰の「孤氣」なり。

艮陽卦而陰爻,陽上而陰下也。以中爻為本卦之體,分上下二爻於丙干,一陰一陽交合成象也,故為陽之旺氣。兌陰卦而陽爻,陰上而陽下也。以中爻為本卦之體,分上下二爻於丁干,一陰一陽交合象也,故為陰之相氣。是故幹納於甲甲為陽干之首,坤納於乙乙為陰干之首,震納庚,巽納辛,離納壬,兌納丁,坎納癸,艮納丙。陽卦從陽干,陰卦從陰干也。

艮は陽卦にして陰爻多く、陽は上にあり陰は下にあり、中爻を以て本卦の本體と為し、上下の兩爻を分派して丙干と為し、一陰一陽交合の象を成す。故に陽の「旺氣」なり。兌は陰卦にして陽爻多く、陰は上にあり陽は下にあり、中爻を以て本卦の本て本卦の本體と為し、上下の兩爻を分派して丁干と為し、亦一陰一陽交合の象を成す。故に陰の「相氣」なり。かくの故に乾は甲に納す。甲は陽干の首なり。坤は乙に納す。乙は陰干の首なり。震は庚に納し、巽は辛に納し、離は壬に納し、兌は丁に納し、坎は癸に納し、艮は丙に納す。總じて陽卦は陽干に跟從し、陰卦は陰干に跟從す。此の如くして、八卦と八干の孤・虚・旺・相は一一定まりて死す。

於是天陰、天陽,地剛、地柔,一闢一闔,生成有定,變化無窮。地法用相以制孤,用旺以制虛,避孤虛於本山,乘旺相於異域,以復、姤、臨、遯推天運,以艮、兌、震、巽乘地氣,以甲、丙、戊、庚、壬為陽,分配子、寅、辰、午、申、戌之位,以乙、丁、巳、辛、癸為陰,分配丑、卯、巳、未、酉、亥之位,推排一百二十分金,驗其孤虛旺相之卦,以為就趨之方。中有戊、己一十二位,為龜甲之煞。

ここに於て天に陰あり陽あり、地に剛あり柔あり、一開一合、生成に定則あり、變化は窮盡無し。地理の法は便ち「相氣」を用いて「孤」を制し、「旺氣」を用いて「虚」を制す。本山の上に於て孤・虚を避け、別の方位の上に到って旺・相を乘取す。復・姤・臨・遯の諸卦を用いて天運を推算し、艮・兌・震・巽の諸卦を用いて地氣を乘取す。甲・丙・戊・庚・壬を以て陽と為し、子・寅・辰・午・申・戌の位に分配し、乙・丁・己・辛・癸を以て陰と為し、丑・卯・巳・未・酉・亥の位に分配す(底本の「巳」は「己」と作るべし)。これに據って一百二十分金を推排し、それが孤・虚・旺・相のどの類の卦に屬するかを驗看して、趨就の方向と為す。その中の戊・己の轄する十二位は、便ち「龜甲」の煞なり。

釋義戊己二干本無正位,寄旺四季,無可以為生之基,故為龜甲,猶龜甲之堅,氣之所不行者,綱紀於支氣而不行乎天,以從地故也。乃十二位地支之中也,有六甲補氣,二十四位為孤虛之空亡甲乙乾坤之天干,氣本孤虛。

釋義:戊・己の兩干は本來正位無く、只だ四季に寄旺し、以て生發の根基と為す可き地方無し。故に之を「龜甲」と叫ぶ。龜甲の如く堅硬にして、氣あの處に到れば便ち通行せず。それは地支の氣に統轄されて天に上行せず。それが地に從屬するを以てなり。それは十二地支の中に落ちて、別に六甲の氣來りて補足す。二十四位の中に孤・虚空亡と為るは、甲・乙および乾・坤の此一路の天干、その氣は本來便ち孤・虚に偏す。

又甲子之旬,甲戍、乙亥為補氣;甲午之旬,甲辰、乙巳為補氣;甲辰之旬,甲寅、乙卯為補氣;甲寅之旬,甲子、乙丑為補氣也,故曰日辰不完,故為孤虛。其行地之際,天陽地陰,俱有其氣,故有二十四位也,獨有胎、養、生、旺四氣堪用水、土生申,旺子,胎午,養未。火生寅,旺午,胎子,養丑。木生亥,旺卯,胎酉,養戌。金生巳,旺酉,胎卯,養辰也。

又如甲子の此の旬は、甲戌・乙亥を以て補氣と為し、甲午の此の旬は、甲辰・乙巳を以て補氣と為し、甲辰の此の旬は、甲寅・乙卯を以て補氣と為し、甲寅の此の旬は、甲子・乙丑を以て補氣と為す。故に日と辰と完足せざれば、便ち「孤虚」と算すると言う。それが地面に行き到る時、天陽と地陰とは皆各其の氣あり。故に共に二十四位あり。その中に只だ胎・養・長生・帝旺の四種の氣のみ堪用す。水と土は申に長生し、子に帝旺し、午に胎し、未に養す。火は寅に長生し、午に帝旺し、子に胎し、丑に養す。木は亥に長生し、卯に帝旺し、酉に胎し、戌に養す。金は巳に長生し、酉に帝旺し、卯に胎し、辰に養す。取用の法は、全く此の四氣の上に着眼す。

而一氣甲子,厥陰生氣司之;二氣甲戌,太陽飛氣司之;三氣甲申,陽明收氣司之;四氣甲午,太陽化氣司之;五氣甲辰,少陽長氣司之;六氣甲寅,少陰舒氣司之。所以演天運,行地氣也。其卦則隨分金位下所屬先天大卦裝排,定其孤虛旺相。先天卦位,幹一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八。分為八卦之位,則乾南、坤北、離東、坎西、巽西南、震東北、兌東南、艮西北。

而して第一氣甲子は、厥陰の生氣の主管する所。第二氣甲戌は、太陽の飛氣の主管する所。第三氣甲申は、陽明の收氣の主管する所。第四氣甲午は、太陽の化氣の主管する所。第五氣甲辰は、少陽の長氣の主管する所。第六氣甲寅は、少陰の舒氣の主管する所。これらを用いて天運を推演し、地氣を運行す。卦に至っては、便ち各分金の位の下面に屬する先天大卦に随って装排し、それが孤・虚・旺・相のどの類に屬するかを定む。先天卦位は乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八。分成する八卦の方位は、便ち乾は南に在り、坤は北に在り、離は東に在り、坎は西に在り、巽は西南に在り、震は東北に在り、兌は東南に在り、艮は西北に在り。

就以幹一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八倍而重之,加於先天八卦之上,為六十四卦。期間遇孤虛旺相四氣消息之,除幹、坤、坎、離四卦不用,餘六十卦,分紀於六十甲子之位,數往者順,知來者逆也。期間遇震、巽、兌、艮成卦六爻者為旺相,值幹、坤、坎、離成卦者為孤虛。即此而推,思過半矣。

便ち乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八を用いて加倍重疊し、先天八卦の上に加えて、六十四卦と成る。その間に孤・虚・旺・相の四種の氣に遇えば、便ち據って消長す。乾・坤・坎・離の四卦を除きて用いず、其余の六十卦を分かちて六十甲子の位に記す。過去を數るは順推し、未來を知るは逆推す。その間に凡そ六爻成卦の震・巽・兌・艮に屬するは、便ち「旺」「相」と算す。凡そ成卦の乾・坤・坎・離に屬するは、便ち「孤」「虚」と算す。此の推に照らして下せば、道理も亦大半を領會す。分金の取捨の關鍵は、正しく此處に在り。

其五氣之法,以天元六氣、地元五行、人元六甲定其向首長短、闊狹、強弱、布氣、行辰、迎殺、探鬼、操神、收山、用水,以為人利用者,地之宜也。夫形麗於天,氣行於地,其孤虛旺相,亦驗於理而已。

五氣の法に至っては、天元六氣・地元五行・人元六甲を用いて、坐向前方の長短・寬窄・強弱、および布氣・行辰・迎殺・探鬼・操神・收山・用水のこれらの工夫を判定し、それらをして人の取用に供せしむ。此れを之「地の宜しき所」と叫ぶ。形は天上に顯現し、氣は地中に運行す。言う所の孤・虚・旺・相は、説き盡くして亦不過道理の上に驗證を得るに過ぎない。

天度黃道の原

土圭所以測日定方,立向分金,必上合宿度之真,下準山川之位,功用非小。此而有差,禍福千里。所謂知輕重必準於權衡,為方圓必法於規矩。而地理之於羅經,亦權衡規矩者爾,可不深究其的焉?矧其最微者,莫切於分度。

土圭は用いて日影を測り方位を定むるなり。向を立つると分金とは、必ず上に於て星宿度數の真數に合し、下に於て山川の方位に準ずべし。作用少なからず。此處一たび差錯あれば、禍福は千里に相差る。正に輕重を知らんと欲すれば必ず秤を以て準と為し、方圓を作らんと欲すれば必ず規矩を以て法と為すが如し。地理家の羅經に於けるは、亦秤と規矩と而已。何ぞそれが準確か否かを深究せざらんや。況んやその中最も精微の處は、分度よりも要緊なるは無し。

嘗考周天度數三百六十五度四分之一,今羅經悉以平分,每宮三十度,總得三百六十度,少了五度四分度之一。天行每一度計九百四十分,總少四千八百三十五分,計之在地,數千里矣,豈至當之理哉!然宿度以黃道為準,而古今曆黃道度數隨時損益不同,難拘定法。羅經之度,亦當以今之《授時大統曆》黃道度數為準,則與天度不相戾,而為神器之的焉耳。

曾て周天度數の三百六十五又四分之一度なるを考究せり。今羅經は一概に平均劃分に按じ、每宮三十度、總共に只だ三百六十度を得るのみ、五又四分之一度少し。天行は每度九百四十分を計り、總共に四千八百三十五分少し。地面に折算すれば、便ち數千里に及ぶ。何ぞこれ最も恰當の道理ならんや。不過宿度は黃道を以て準と為し、而して古今歷法の黃道度數は時に随って增減相同じからず、一箇の定法に拘守し難し。羅經の上の度數は、亦當に當今《授時曆》《大統曆》の黃道度數を以て準と為すべし。此の如くしてこそ天度と相違背せず、神器の上の準確の刻度と成らん。凡そ新制の羅盤は、皆先ず現行の歷法に按って宿度を校正して、然る後にこそ使用すべし。

諸曆周天度數黃道總覽圖

星宿 統天 開僖 會天 授時大統角 十二度九十分 十二度大 十二度大 十二度八十七分亢 九度七十四分 九度大 九度大 九度五十六分氐 十六度三十六分 十六度少 十六度少 十五度四十八分房 五度六十分 五度大 五度大 六度二十七分心 六度四分 六度 六度 七度九十五分

下表は四家の歷法の測したる黃道宿度を並列す。欄目は依次に星宿・《統天曆》・《開禧曆》・《會天曆》・《授時曆》即ち《大統曆》なり。角宿:《統天》十二度九十分、《開禧》十二度大、《會天》十二度大、《授時大統》十二度八十七分。亢宿:《統天》九度七十四分、《開禧》九度大、《會天》九度大、《授時大統》九度五十六分。氐宿:《統天》十六度三十六分、《開禧》十六度少、《會天》十六度少、《授時大統》十五度四十八分。房宿:《統天》五度六十分、《開禧》五度大、《會天》五度大、《授時大統》六度二十七分。心宿:《統天》六度四分、《開禧》六度、《會天》六度、《授時大統》七度九十五分。(表中の「大」は大半度を指し、「少」は少半度を指す。)

尾 十七度九十分 十八度 十八度 十七度九十五分箕 九度三十三分 九度半 九度半 九度五十九分斗 二十二度半 二十二度大 二十三度 二十三度四十七分牛 八度六分七度 七度 六度九十分女 十度九十五分 十一度 十一度 十一度十二分虛 九度二十八分十五秒 九度少七十九 九度少七十九 九度

尾宿:《統天》十七度九十分、《開禧》十八度、《會天》十八度、《授時大統》十七度九十五分。箕宿:《統天》九度三十三分、《開禧》九度半、《會天》九度半、《授時大統》九度五十九分。斗宿:《統天》二十二度半、《開禧》二十二度大、《會天》二十三度、《授時大統》二十三度四十七分。牛宿:《統天》八度六分、《開禧》七度、《會天》七度、《授時大統》六度九十分。女宿:《統天》十度九十五分、《開禧》十一度、《會天》十一度、《授時大統》十一度十二分。虚宿:《統天》九度二十八分十五秒、《開禧》九度少七十九、《會天》九度少七十九、《授時大統》九度。

危 十六度一十一分 十六度 十六度 十五度九十五分室 十八度四十五分 十八度少 十八度少 十八度三十二分壁 九度八十分 九度大 九度大 九度三十四分奎 十八度二十一分 十八度 十八度 十七度八十七分婁 十二度七十五分 十二度七十五分 十二度大 十二度三十六分胄 十五度三十八分 十五度少 十五度少 十三度八十一分昴 十一度九分 十一度 十一度 十一度畢 十六度三十分 十六度半 十六度半 十六度半觜 四十六分 半度 半度 二十五分

危宿:《統天》十六度十一分、《開禧》十六度、《會天》十六度、《授時大統》十五度九十五分。室宿:《統天》十八度四十五分、《開禧》十八度少、《會天》十八度少、《授時大統》十八度三十二分。壁宿:《統天》九度八十分、《開禧》九度大、《會天》九度大、《授時大統》九度三十四分。奎宿:《統天》十八度二十一分、《開禧》十八度、《會天》十八度、《授時大統》十七度八十七分。婁宿:《統天》十二度七十五分、《開禧》十二度七十五分、《會天》十二度大、《授時大統》十二度三十六分。胃宿(底本は「胄」と作す):《統天》十五度三十八分、《開禧》十五度少、《會天》十五度少、《授時大統》十三度八十一分。昴宿:《統天》十一度九分、《開禧》十一度、《會天》十一度、《授時大統》十一度。畢宿:《統天》十六度三十分、《開禧》十六度半、《會天》十六度半、《授時大統》十六度半。觜宿:《統天》四十六分、《開禧》半度、《會天》半度、《授時大統》二十五分。

參 九度半 九度半 九度半 十度二十八分井 二十九度九十七分 三十度少 三十度半 三十一度鬼 二度三十七分 二度半 二度半 二度十一分柳 十三度三十五分 十三度半 十三度半 星 六度七十五分 六度大 六度大 六度三十一分張 十七度八十六分 十七度大 十七度大 十七度七十九分翼 二十度三十八分 二十度少 二十度少 二十度軫 十九度 十八度大 十八度大 十八度大

參宿:《統天》九度半、《開禧》九度半、《會天》九度半、《授時大統》十度二十八分。井宿:《統天》二十九度九十七分、《開禧》三十度少、《會天》三十度半、《授時大統》三十一度。鬼宿:《統天》二度三十七分、《開禧》二度半、《會天》二度半、《授時大統》二度十一分。柳宿:《統天》十三度三十五分、《開禧》十三度半、《會天》十三度半、《授時大統》の一欄は底本空缺、今そのまゝ録して補わず。星宿:《統天》六度七十五分、《開禧》六度大、《會天》六度大、《授時大統》六度三十一分。張宿:《統天》十七度八十六分、《開禧》十七度大、《會天》十七度大、《授時大統》十七度七十九分。翼宿:《統天》二十度三十八分、《開禧》二十度少、《會天》二十度少、《授時大統》二十度。軫宿:《統天》十九度、《開禧》十八度大、《會天》十八度大、《授時大統》十八度大。

上黃道度數,自宋《統天曆》至《授時曆》,凡四變,而損益不同,蓋可見矣。然天道三十年必一小變,烏有定法?如冬至日古在牽牛,宋文公時在壁,我朝國初在箕六度,今冬至日在箕四度矣。古今不同,此亦可驗。

以上の黃道度數は、宋代《統天曆》より《授時曆》に至り、共に四回の變動を經過し、增減は各々相同じからず、此れよりそれを明らかに見るなり。然るに天道は毎三十年に必ず一回の小變化あり、何ぞ一成不變の法則あらんや。例えば冬至のあの日に太陽の在所する位置は、古時は牽牛に在り、宋文公の時は壁宿に在り、本朝開國の初は箕宿六度に在り、如今冬至は已に箕宿四度に在り。古今不同は、此れも亦驗證すべきなり。

周天度數

補義周天三百六十五度四分度之一,考之蔡虛齋先生《易經蒙》引云:“天行每一度,計九百四十分度之一,是將一度之分數分作四分之一也。以每度九百四十分分之為四分,則每分該二百三十五分而得之其四分之一也。以周天總數三百六十五度四分度之一之分數計之,共得三十四萬三千三百三十五分,是天度分數之總也。

補義:周天は共に三百六十五又四分之一度。考察するに蔡淸(虚齋先生)《易經蒙引》の言う所:天行は每一度、九百四十分之一度を計る。此れは一度の分數を再び四分之一に分作するなり。每度の九百四十分を分成して四份と為せば、每份は便ち二百三十五分に合し、正しくあの四分之一なり。周天總數の三百六十五又四分之一度の分數を用いて計算すれば、共に三十四萬三千三百三十五分を得、此れ即ち天度分數の總和なり。換言すれば、羅盤の上の每一度の細分は、皆この總數を以て基準と為して均分してこそ、天行と相差るに至らず。

一說地本靜,故平分三十度永定以測地。不知地附於天,故土圭之制,測日以準,則度數亦當準之於天。先正云:“俯察地理,必先仰觀天文,然後可以操造化之柄。”未有背天時能明地理者,以負人和者。

別に一種の説法ありて以て、地は本來靜止すと為し、故に周天を平均して每宮三十度に分かち、永遠に固定して以て地を測るに用う。此れは地が天に依附することを知らざるなり。故に土圭の制作は日を測るを以て準と為す。既に此の如し、羅盤の度數も亦當に天を以て準と為すべし。前輩の先儒は言えることあり。「俯察して地理を察すれば、必先ず仰觀して天文を觀て、然る後にこそ造化の樞柄を操持する能くせん」。從來天時に背離して地理を通曉する能う人あらず。あれは人和に負くなり。

附・南針説

按羅經二十四位,子為正北,壬、癸輔之。午為正南,丙、丁輔之。卯為正東,甲、乙輔之。酉為正西,庚、辛輔之。子、午、卯、酉即文王後天坎、離、震、兌四方至正之位也。幹、坤、艮、巽為四隅,總以八干十二支,即東方甲、卯、乙、辰,而卯居正中;南方巳、丙、午、丁、未,而午居正中;西方申、庚、酉、辛、戌,而酉居正中;北方亥、壬、子、癸、丑,而子居正中。此大中至正之理,天地至極之位,萬古之方。

羅經の二十四位に按ずるに。子は正北、壬・癸は兩旁に輔く。午は正南、丙・丁は兩旁に輔く。卯は正東、甲・乙は兩旁に輔く。酉は正西、庚・辛は兩旁に輔く。子・午・卯・酉は便ち文王後天卦の坎・離・震・兌の四方の最も端正の位置。乾・坤・艮・巽は則ち四隅と為す。總めて八天干・十二地支を用いて排列す。東方は甲・卯・乙・辰にして、卯は正中に居る。南方は巳・丙・午・丁・未にして、午は正中に居る。西方は申・庚・酉・辛・戌にして、酉は正中に居る。北方は亥・壬・子・癸・丑にして、子は正中に居る。此れは大中至正の道理・天地至極の方位、萬古易わらず。凡そ羅盤を用うるは、先ず此の四正四隅を認定して、然る後にこそ偏と正とを談ずるに足る。底本は東方に只だ甲・卯・乙・辰の四位を列して、他方の五位の數と齊しくせず。照録して補わず。

但後來浮針之制,較之日影,南望南斗,北對樞星,其針頗偏於丙,蓋非南北之偏,寔浮針之畏正火而然也。故立縫針以準天地之正位,是以針合天地之位也。後人遂杜撰其說,附會多端,或以節氣為言,或以漏刻為喻,愈辨愈支。苟以浮針所指為正南北,則是將天地方位移轉以就其針矣,豈有是理也哉!詳見金精針說。

然るに後來に製する所の浮針は、それを日影と相比較すれば——南に南斗を望み、北に北極樞星に對すれば——その針頭は頗る丙位に偏向す。此れは天地南北の本身が偏したるに非ず、實に浮針が正南の火を畏れてこそ此の如し。故に別に「縫針」を立てて以て天地の正位を校準す。即ち針を用いて天地の位に遷就するなり。後人は卻って許多の説法を杜撰し、牽強附會す。あるいは節氣を拿って講り、あるいは漏刻を拿って比喩し、愈辯ずれば愈支離なり。倘若浮針の指す所を當に正南正北と為せば、即ち天地方位を挪動してこの針に遷就するなり。何ぞ此の如きの道理あらんや。詳細の辨析は《金精針説》に見ゆ。

按廖金精曰:“古者辨方位,樹八尺之臬,而度其日出之影,以正東西。又參日中之影與極星以正南北。《周禮匠人》之制度繁難,智者用周公指南車之制,規以木盤,外書二十四位,中為水池,滴水於其間,以磁石磨鋒浮於水面,則指南。然後以臬影較之,則不指正南,常偏丙位,故以丙午間對針,則二十四位皆得其正矣。用此以代樹臬,可謂簡便,眞萬古不滅之良法也。昧者罔知,嘵嘵致辯,何其謬哉!”此出《洩天機》。

廖金精の説に按ずるに。古人の方位を辨別するは、八尺高き木表を竪立して、日出の影子を量度して以て東西を校正し、又日中日の影子と北極星とを參照して以て南北を校正す。《周禮・考工記》の匠人の載する所の制度は繁難、聰明の人は便ち周公指南車の原理を採用す。木を用いて一箇の圓盤を作り、外圈に二十四位を寫し、中間に一箇の水池を作り、水を其の中に滴り、磁石を用いて鋒を磨過したる針を水面に浮ばせば、針は便ち南を指南す。然る後に木表の日影を拿って比對すれば、それが正南を指さずして、常に丙位に偏在することを發見す。故に針を丙・午の間に對準すれば、二十四位は皆端正す。此の辦法を用いて竪表測影に代替す。簡便と説すべく、真に萬古不滅の良法なり。糊塗の人は明白せず、還お喋喋と爭辯す。何ぞ荒謬なるや。此段の話は《泄天機》に出ず。

詳義 按《周禮匠人》置臬以度日影,辨方正位之法。水地以垂謂先以水平也,四方皆平,乃造。營造,於營造處四角立四柱,於四柱用垂繩以正柱。柱正,然後以水平之法,遙視柱高下。高下定,則知地之高下,然後平高就下,則地乃平也。

詳義:《周禮・考工記》の匠人の表を竪てて以て日影を量り、方の正位を辨する方法に按ずるに。「水地以垂」と言うは、先ず水平の法を用いて平を取るを言う。四方皆平らにして、こそ動工して營造す。營造する時、營造處の四角に各一根の柱子を立て、四柱の上に垂繩を用いて柱子が竪直か否かを校正す。柱子竪直の後、再び水平の法を用いて遠く諸柱の高低を看る。高低既に定まれば、便ち地面の高下を知り、然る後に高を削って低に就き、地面は便ち平らなり。

置臬以垂,視以景臬,柱也。於所平之地中央,樹八尺之木以為表。表界其四面之中,及四稜,垂八繩以等之。繩皆附表則正。然後視表之景。表必八尺者,日從上向下八萬里,故以八尺為法。為規識日出之景,與日入之景自日出而畫其影端,以至日入則為規矣。平取其隔影之端,中屈之以望表,則南北正。南北正則東西正矣,晝參諸日中之景候其日之影最短處以望表,則正南也,夜考之極星晝既定南極,夜又定北極以參之,以正朝夕朝夕即東西也。言東西可以兼南北。

「置臬以垂、視以景」。臬は便ち柱なり。整平の地の正中に、八尺高き木杆を竪てて表と為し、表の四面正中と四條の棱の上に、八根の繩を垂下して以て校準す。繩は皆表身に緊貼して、表は便ち竪正す。然る後に表の影子を觀察す。表は必ず八尺高を要するは、日が上より下を照らすこと八萬里なるを以て、故に八尺を取って法と為す。「為規識日出之景與日入之景」と言うは、日出より影端の位置を畫下して、一直に日入に畫き至れば、便ち一道の圓弧を成す。兩端の影子の連線を取り、中間より對折して以て表を望めば、南北は便ち正し。南北正しければ、東西も亦正し。白天は再び日中の影子を參考し——日影最短の時を守候して以て表を望めば、あれは便ち正南なり。夜裏は再び北極星を考察し——白天に既に南極を定出して、夜裏又北極を定出して以て參證し、用いて「朝夕」を校正す。朝夕は便ち東西なり。此處は東西を言う、其實も亦南北を兼含す。

候日出之影,度其臬端,以知西;候日入之影,度其臬端,以知東。晝日參候其臬影之最短處,為日中,以望臬,臬端則是正南;夜於臬南以望臬端,考之極星,則是正北。葢極星居北不移,故取正北。上樹臬測影以定四方之法。今得西山眞先生武庫所著公劉相陰陽圖,謹按其式,具圖以備考焉。

日出の時の影子を守候して、それが表端の指す方向を量度すれば、便ち西方を知る。日入の時の影子を守候して、それが表端の指す方向を量度すれば、便ち東方を知る。白天に參驗する表影最短の處は、あれは便ち日中。表に對して望めば、表端の指すは便ち正南なり。夜裏に表の南面に在りて表端を望み、北極星を參考すれば、あれは便ち正北なり。北極星は北に居りて動かざるを以て、故にそれに據って正北を取定す。以上是竪表測影を以て四方を確定する方法なり。今西山真德秀先生《武庫》の中に載する公劉相陰陽圖を得、謹んでその樣式に按って、圖を繪りて此處に附して以て考覈に備う。

《經》云“既景乃崗”,又云“相其陰陽,度其夕陽。”《傳》云“景,測日景以正四方也。相,視也。陰陽,向背、寒暖之宜也。山西曰夕陽。”嚴氏曰:“豳在梁山西,公劉相此地以建豳居也。”

《詩經・大雅・公劉》は「既景乃岡」と言い、又「相其陰陽、度其夕陽」と言う。《毛傳》は解釋して曰く、「景」は便ち日影を測量して以て四方を校正し、「相」は便ち察看し、「陰陽」は向背と寒暖の適宜を指し、山の西面は之を「夕陽」と叫ぶ。嚴氏は言う。豳地は梁山の西に在り、公劉は此の地方を相度して、用いて豳地の居邑を營建す。見るべし、陰陽を相じ方位を辨ずるの事は、三代已に然り。

附録・宋山陵議狀 朱夫子

臣熹竊惟:至尊壽皇聖帝,聖德神功,覆冒寰宇,深仁厚澤,浸潤生民。厭世上賓,率土哀慕。宜得吉土以奉衣冠之藏,垂裕後昆,永年無極。而山陵之卜,累月於茲,議論紛紜,訖無定說。

臣朱熹は私に想到す。至尊の壽皇聖帝は、聖德神功は天下を覆蓋し、深厚の仁澤は生民に浸潤す。如今人間世を厭棄し、登遐して上賓と成る。普天の下は哀思仰慕せざる無し。理應一塊の吉地を求めて、用いて衣冠の埋藏を奉安し、後代の為めに福蔭を遺し、綿延して窮盡無からしめん。然れども山陵の卜擇は好個月を拖し、議論は紛紛、今に至って定論無し。

臣嘗竊究其所以,皆緣專信臺史,而不廣求術士,必取國音坐丙相壬之穴,而不博訪名山,是以粗略苟簡,唯欲祔於紹興諸陵之旁,不惟未必得其形勝之善。若其穴中水泉之害,地面浮淺之虞,偪仄傷破之餘,驚動諸陵之慮,雖明知亦不暇顧,群臣議者,又多不習此術,所以不能堅決剖判,致煩明詔,博訪在廷,臣寔痛之,其敢無辭以對?

臣は曾て私にその中の緣由を推究せり。皆專ら太史局の意見を聽信して、廣く術士を訪求せざるが故なり。必ず「國音」に合する坐丙向壬の穴を選取せんと要して、遍く名山を訪せず。故に做ること粗略苟且にして、只だ壽皇を紹興諸陵の旁邊に祔葬せんと欲す。此の如しは不但未だ必ずしも形勢の勝を得る能わず。穴中の水泉の禍害・地面の浮淺なる隱憂・地方の逼仄傷破の弊病・諸陵を驚動する顧慮に至っては、明知しても顧るに及ばず。而して參議の群臣も又多半此の術數を熟悉せず。故に堅く剖判する能わず、以致聖上を煩勞して詔を下し、在朝の臣に向って廣く徵詢せしむ。臣は實に痛心す。怎んぞ敢えて言を以て對えざらんや。

葢臣聞之,葬之為言藏也,所以藏其祖考之遺體也。以子孫而藏其祖考之遺體,則必致其謹重誠敬之心,以為安固久遠之計。使其形體全而神靈得安,則其子孫盛而祭祀不絕,此自然之理也。是以古人之葬,必擇其地而卜筮以決之。不吉,則更擇而再卜焉。

臣は聞く。「葬」の此の字の意思は便ち「藏」なり。祖先父母の遺留する形體を藏好せんと要するなり。子孫を做るは既に祖先の遺體を藏せんと要すれば、必ずその謹愼鄭重・誠懇恭敬の心を盡し、長久安固の打算を作らん。遺體をして保全せしめて神靈をして安寧を得しめば、則ち子孫は昌盛して祭祀は斷絶せず。此れは自然の理なり。故に古人の下葬は、必ず先ず地を擇し、再び卜筮を用いて決斷す。若し卜して吉を得ざれば、便ち別に一處を擇して再び卜し、絶に將就して了事するを肯んぜず。此れは葬事の根本、亦是下文の一切の議論の依據する所の道理なり。

近世以來,卜筮之法雖廢,而擇地之說猶存。士庶稍有財力之家,欲葬其先者,無不廣招術士,博訪名山,參互比較,擇其善之尤者,然後用之。其或擇之不精,地之不吉,則必有水泉、螻蟻、地風之屬以賊其內,使其形神不安,而子孫亦有死亡絕滅之憂,甚可畏也。

近世以來、卜卜筮の法は雖も廢棄せるも、地を擇るの講究は還お保留せり。士人百姓の中の稍有財力の人家は、先人を安葬せんと要するに、廣く術士を招き、遍く名山を訪ね、反復參照比較して、その中の最好の一處を選出して然る後にこそ用うる無し。倘若擇して精ならずして地又不吉ならば、則ち必定に水泉・螻蟻・地風の類ありて其の中に在りて遺體を侵害し、形體と神靈とをして安寧を得ざらしめ、子孫も亦死亡絶滅の憂あらん。實に可怕なり。此れは虚説に非ず。凡そ舊壙を開過した人は皆親眼に見る所なり。

其或雖得吉地,而葬之不厚,藏之不深,則兵戈亂離之際,無不遭罹發拙暴露之變,此又其所當慮之大者也。至於穿鑿已多之處,地氣已洩,雖有吉地,亦有全力。而祖瑩之側,數興土工,以致驚動,亦能挻災。此維術家之說,然亦不為無理。以此而論,則今日明詔之所詢者,其得失大概已可見矣。

又或者雖も吉地を得たりと雖も、下葬は厚實たらず、埋藏は深からざれば、則ち一旦兵戈喪亂に遇うや、發掘暴露の變に遭わざる無し。此れ又最も顧慮すべき大事なり。開鑿已に多きの地方に至っては、地氣は早已外泄し、即使原は吉地なりとも、亦その力量を保全し難し。而して祖墳の旁邊に屢々土を動かし、以致先先靈を驚動するも、同じく災禍を招來する能わり。これらは雖も只だ術家の説法なれど、卻っても道理無きに非ず。これに據って論ずれば、今天の聖詔の徵詢する所の事、その中の得失は大概已に看淸すべし。

若夫臺史之說,謬妄多端。以理而言,則記有之曰:“死者北首,生者南面,皆從其朔。”又曰:“葬於北方北首”,三代之達禮也。即是古之葬者,必坐北而向南,蓋南陽而北陰,孝子之心,不忍死其親,故雖葬之於墓,猶欲其負陰而抱陽也。豈有坐南向北,反背陽而向陰之理乎?

太史局の説法に至っては、荒謬虚妄の處甚だ多し。道理に就いて言えば、《禮記》の上に説く。「死者は頭を北に朝し、生者は面を南に朝す。皆是各々その本に依るなり」。又説く。「葬は北方に在り、頭は北に朝す」。此れは夏・商・周三代の通行の禮なり。見るべし、古人の下葬は、一定是北に坐して南に朝す。南は陽に屬して北は陰に屬するを以て、孝子の心は親人を死者と看待するに忍ばず。故に雖も墓中に葬るとも、仍然それをして陰に背靠して陽を懷抱せしめん。何ぞ南に坐して北に朝し、反って陽に背いて陰に面向するの道理あらんや。

若以術言,則凡擇地者,必先論其主勢之強弱,風氣之聚散,水土之淺深,穴道之偏正,力量之全否,然後可以較其地之美惡。政使寔有國音之說,亦必先此五者以得形勝之地,然後其術可得而推。今乃全不論此,而直信其庸妄之偏說,但以五音盡類群姓,而謂冢宅向背,各有所宜,乃不經之甚者,不惟先儒已力辨之,而近世民間亦多不用。

若し術法に就いて言えば、凡そ地を擇る人は、必定先ず主山氣勢の強弱・風氣の聚散・水土の深淺・穴位の偏正・力量の完備の可否を論じて、然る後にこそ此の地方の好壞を比較する能くせん。即使真に「國音」の此の一説ありとも、亦必ず先ず以上の五項を具備して形勝の地を得て、然る後にこそ那套の術法は推演を談ずるに足らん。如今は竟も全くこれらを講ぜずして、径直にあの種の庸妄偏頗の説法を聽信し、只だ宮・商・角・徵・羽の五音を用いて天下の姓氏を統統歸類して、便ち墳墓宅第の坐向は各々宜しき所有りと説く。此れは最も正理に合わざるなり。不但先儒は已に極力駁斥し過ぐ、近世民間も亦大多用いず。

今乃以為宗祖以來世守此法,順之則吉,逆之則凶,則姑亦不問其理之如何,且以其事質之,則其謬不攻而自破矣。蓋自永安遷奉以來,已遵用此法,而九世之間,國統再續。靖康之變,宗社為墟。高宗中興,匹馬南渡。壽皇復自旁支入繼大統。至於思陵,亦用此法,而壽皇倦勤之後,旋即升遐。太上違豫日久,以致遜位。赤山亦用此法,而莊之魏邸相繼薨謝。

如今は卻って言う。此れは宗祖以來世代遵守の法度にして、それに順えば便ち吉、それに違えば便ち凶と。則ち姑く其の道理が究竟如何なるかを問わず、只だ事實を拿って對證すれば、その荒謬は便ち攻めずして自から破る。永安に遷奉して以來已に此の法を遵用せるも、九世の間に國統は兩度中斷す。靖康の變、宗廟社稷は廢墟と化す。高宗の中興、只だ單騎南渡に落着す。壽皇も又是旁支より大統に入繼す。思陵に至っても亦此の法を用いしも、壽皇は政事に倦むの後隨りて駕崩す。太上皇は久病して愈えず、以致位を讓る。赤山も亦此の法を用いしも、莊文太子と魏王府邸とは相繼ぎて薨逝す。これら皆是本朝の親歷する事、遠く古證を引くを用いず。

若曰吉凶由人,不在於地,不有所廢,其何以興也?則國音之說,自為無用之談,從之未必為福,不從未必為禍矣,何為信之若是其篤,而守之若是其嚴哉!若曰其法果驗,不可改易,則洛越諸陵無不坐南而向北,固已合於國音矣,又何吉之少而凶之多耶?臺史之言,進退無據,類皆如此。試加詰問,使之置對,必無辭以自解矣。

若し言わば吉凶は人に取決し地に在らずとせば、則ち舊法を廢せずして怎んぞ興革を談ずるに足らんや。見るべし、「國音」の説は本是無用の空談にして、それに依從しても未だ必ずしも福を得ず、それに依從せずしても亦未だ必ずしも禍を招かず。何の為めに信じて此の如く篤く、守りて此の如く嚴なるか。若し言わば此の套の法子は確實靈驗にして更改すべからずとせば、則ち洛陽・紹興の諸陵は一座も南に坐して北に朝せざる無し。本已完全に國音に合するに、何の為めに反って吉少なく凶多きか。太史局の言論は、進めば無據・退けば無據、大都是此の如し。試しに詰問を加え、それらをして當面答對せしめば、必定に話なくして自ら解く可からず。

若以地言,則紹興諸陵,臣所未覩,不敢輕議。然趙彥逾固謂舊定神穴,土肉淺薄,開深五尺,下有水石,難以安建矣。而荊大聲者,乃謂新定東頭之穴,比之先定神穴高一尺一寸五分,開深九尺,即無水石。臣嘗詳考二人之言,反覆計度。新穴比之舊穴,只高一尺一寸五分,則是新穴開至六尺一寸五分,則與舊穴五尺之下有水石處高低齊等,如何卻可開至九尺,而其下二尺八寸五分無水石耶?

若し地形に就いて言えば、紹興諸陵は臣は親眼に見たこと無く、敢えて輕率に議論せず。然れども趙彦逾は明明に言う。舊定の神穴は土層淺薄にして、五尺深に挖き到れば、下面に水と石頭あり、安葬し難しと。而して荆大聲は卻って言う。新定の東頭の穴位は、先定の神穴より高さ一尺一寸五分、九尺深に挖き到っても水石無しと。臣は曾て詳細に兩人の話を考核し、反復計算せり。新穴は舊穴より只だ高さ一尺一寸五分なれば、則ち新穴を六尺一寸五分に挖き到れば、舊穴の五尺以下の水石あるの處と高低相齊しき。怎んぞ反って九尺に挖き到る可くして、その下の二尺八寸五分が竟も水石無からんや。此れは尺寸の上に根本講りて通ぜず。兩説の間には必ず一説は妄語なり。

且大聲既知有此無水吉穴,當時便當指定,何故卻定土肉淺薄,下有水石之處以為神穴,直至今日,前說漏露,無地可葬,然後乃言之耶?其反覆謬妄,小人常態,雖若不足深責,然其奸心,乃欲奉壽皇梓宮置之水中而略不顧忌,則其罔上迷國、大逆無道之罪,不容誅矣。

況んや荆大聲は既に此の如き一處の無水の吉穴あるを知るや、當時便ち指定して出すべかりしに、何の為めに反って土層淺薄・下に水石ある地方を神穴と定作し、一直に今日に拖し至りて、前面の説法は敗露し、葬るべき地無くして、然る後にこそ講りて出すや。彼が此の如く反復荒謬するは、本是小人の常態にして、似て深く責るに値せざるに似たり。然れども彼の奸心は竟も壽皇の梓宮を水中に奉置して毫も顧忌せざるに在り。則ち彼の君上を欺瞞し、國家を迷誤し、大逆無道の罪は、誅せざるを容れざるなり。

脫使其言別有曲折,然一坂之地,其廣幾何?而昭慈聖皇、皇后已用之矣,高宗一帝一後、徽宗一帝二後又用之矣,計其地氣,已發洩而無餘,行園、巡路、下宮之屬,又已迫狹之甚,不可移減。今但就其空處,即以為穴,東西趲那,或遠或近,初無定論。

即便彼の話は別に別の曲折ありとも、然れども一片の山坡の地は能有幾多大ぞや。昭慈聖皇太后は已に用過し、高宗一帝一后・徽宗一帝二后も又用過し。算するにその地氣は、早已發泄淨盡して再び余蘊無し。況んや行園・巡路・下宮のこれらの施設は又已に逼仄極點に至り、更に挪減する能わず。如今只だ空處に就いて随手的に穴位と當做し、東に挪り西に移し、或遠或近、根本に一定の論無し。此の做法は「定穴」の二字と全く相干せず。

蓋定穴之法,譬如針灸,自有一定之穴,而不可有毫釐之差。使醫者之施砭艾,皆如今日臺史之定宅兆,則攻一穴而偏身皆創矣,又安能得其穴道之正乎?若果此外別無可求,則亦無可奈何。而今兩浙數州,皆為近甸,三二百里,豈無一處可備選擇,而獨遷就偪仄於此數步之間耶?政使必欲求得離山坐南向北之地,亦當先泛求壯厚高平可葬之處,然後擇其合於此法者。況其謬妄不經之說,初不足信耶!

定穴の方法は、針灸に比喩すべし。本是自から一箇の確定の穴位あり、毫釐の差を容れず。假使醫生の砭石艾灸を施用するが皆今天太史局の墓地を定める如く随便ならば、則ち一穴を攻めて遍身是傷と為らん、又怎んぞ穴道の正を取得する能くせんや。若し果たして此の外別に求む可き無からば、那も無可奈何なり。然れども如今兩浙の數州は皆京畿近地に屬し、方圓二三百里、豈に選擇に供する一處無からんや。偏に遷就して逼擠して此の幾步の間に在らんや。即便一定に離山に坐して南に朝する地を求得せんと要すとも、亦當に先ず廣く壯厚高平にして安葬すべき地方を尋求して、然る後に中より此の法に合するを挑出すべし。先ず地の真を求め、再び法の合を論ず。此の次第は斷に顛倒すべからず。況んや那套の荒謬不經の説法は、本來便ち信ずるに値せざるなり。

臣自南來,經由嚴州富陽縣,見其江山之勝,雄偉非常。蓋富陽乃孫氏所起之處,而嚴州乃高宗受命之邦也。說者又言臨安縣乃錢氏故鄉,山川形勝,寬平邃密,而臣未之見也。凡此數處,臣雖未敢斷其適然可用,然以臣之所已見聞者,逆推其未見未聞,安知其不更有佳處萬萬於此而灼然可用者乎?但今偏信臺史之言,固執紹興之說而不肯求耳。

臣は南方より來り、嚴州富陽縣に路過して、那里の江山の形勝の雄偉非常なるを見る。富陽は孫呉の發迹する地方、嚴州は則ち高宗の受命する邦土なり。又人言うあるは、臨安縣は錢氏の故鄕、山川の形勝は寬平にして深邃、此の一處は臣は還だ見たこと無し。以上の此の幾處は、臣は雖も敢えて斷じて便ち合用と為さざるも、然れども臣の已に見聞するを拿ってあの未見未聞を推想せば、怎んぞ別にこれらより好きこと萬倍して顯然用う可き地方あらざるを知らんや。只だ如今は偏に太史局の話を信じて、紹興の一説を固執して肯えて訪求せざる而已。臣の敢えて此の番の話を陳する所以は、正に地は求む可からずと非ざるにして、人の肯えて求むる無きなり。

若欲求之,則臣竊見近年地理之學,出於江西、福建者為尤盛。政使未必皆精,然亦豈無一人粗知梗概大略乎?穩優於一二臺史者。慾望聖明深察此理,斥去荊大聲置之於法。即日行下兩浙帥臣監司,疾速搜訪,量支路費。多差人兵轎馬,催遣赴闕,令於近甸廣行相視,得五七處,然後遣官按行,命使覆按。

若し訪求せんと要せば、臣は私に近年の地理の學を見るに、江西・福建の兩地より出ずるは最も興盛なり。即使未だ必ずしも人人精通せざるとも、豈に一箇も粗く大概を知る人無からんや。總に穩當に勝るあの一兩個の太史に。懇望するに聖明は此の理を深察し、荆大聲を斥退して、法に依って罪を治めん。即日に行文して兩浙の帥臣・監司に、火速に搜訪せしめ、酌量して路費を支給し、多く人夫兵卒・轎馬を派し、それらを催促して京に赴かしめ、それらに京畿の一帶に廣く相看せしめ、五處を七處に選出して、然る後に官員を派して按行査勘せしめ、再び使臣を命じて覆核せしめん。これら皆是當下便ち辦りて得る事なり。

不拘官品,但取通曉地理之人,參互考訂,擇一最吉之處,以奉壽皇神靈萬世之安。雖已迫近七月之期,然事大禮重,不容苟簡。其孫逢吉所謂“稍寬日月,別求吉兆為上。”此十一字者,寔為至論。惟陛下采而用之,庶幾有以稍慰天下臣子之心,為國家祈天永命之助。

官品の高低に拘泥する要せず、只だ地理を通曉する人を取り、彼此參照考訂して、一處の最吉の地方を選定して、用いて壽皇神靈の萬世の安寧を奉安せん。雖も七月の期限に離れて近しと雖も、然れども事情重大・禮制隆重、苟且に從簡するを容れず。孫逢吉の言う所の「稍く日月を寬くし、別に吉兆を求めるを上と為す」の此の十一箇字は、實に至當の論なり。惟願わくは陛下采納施行して、或は以て略々天下臣子の心を慰藉する可く、亦是國家の為めに天命の長久を祈求する一助ならん。

臣本儒生,不曉術數,非敢妄以淫巫瞽史之言眩惑聖聰,自速譏誚。蓋誠不忍以壽皇聖體之重,委之水泉沙礫之中,殘破浮淺之地,是以痛憤激切,一一為陛下言之。譬如鄉鄰親舊之間,有以此等大事商量,吾乃明知其事之利害必至於此,而不盡情以告之,人必以為不忠不信之人。而況臣子之於君父,又安忍有所顧忌而默默無言哉!惟陛下詔賜省察,斷然行之,則天下萬世不勝幸甚。謹錄奏聞,伏候勅旨。

臣は本是儒生、術數を懂らず、並びに敢えて淫巫瞽史の言語を用いて聖聽を迷惑し、自から譏議を招くに非ず。實に壽皇の此の如く貴重の聖體を、水泉沙礫の中・殘破浮淺の地に交付するに忍心ざれば、故に痛憤激切して、一一に陛下に陳説す。譬えば鄕隣親舊の間に人ありて此の等の大事を拿って商量するに、我は明に此の事の利害が必ずあの地步に到るを知りて、卻って實情をそれに告げるを肯んぜざれば、人家は一定に我を以て不忠不信の人と認めん。況んや臣子の君父に於けるは、又怎んぞ顧忌あるを得て默默として言無からんや。臣の爭する所は並びに術法の高下に非ずして、人子の送終の應盡する一片の誠心なり。若し嫌を避くるに因って緘口せば、こそ真に君父を辜負するなり。惟願わくは陛下下詔省察して、斷然施行せば、即ち天下萬世の大幸ならん。謹んで此に録奏し、伏して敕旨を候す。

按:《宋山陵議狀》,朱子蓋深惡夫當時臺史偏執姓音以拘山向,謂宋國趙姓,音屬角,必用坐丙向壬之穴為吉,遂致有宋洛、越諸陵無不坐南向北。又欲苟簡以祔壽皇於紹興祖靈之旁,並其穴中水泉之害、地面浮淺之虞、偪仄傷破之餘、驚動諸陵之慮,皆不之顧。此其迷謬已極。

按:此の篇の《宋山陵議狀》は、朱子は實に當時の太史局の「姓音」を偏執して以て山向を拘限するを深惡す。それらの説くは宋國の國姓は趙、音は角に屬す。必定に坐丙向壬の穴を用いてこそ吉なりと。ここに於て宋代の洛陽・紹興諸陵は一座も南に坐して北に朝せざるを造成せざる無し。それらは又想して苟簡に壽皇を紹興の祖陵の旁邊に祔葬せんと欲す。穴中の水泉の禍害・地面浮淺の隱憂・地方逼仄傷破の弊病・諸陵を驚動する顧慮に至っては、一概に理會を加えず。此の迷謬は已に極點に到る。

文公目擊其非,故直陳辨議,以救臺史之失,剴切如此。後世不察所言本旨,概以羅經方向為非,藉口朱子所辟妄世葬法,俾洛河陰陽之源,理氣乘生之妙,晦塞無傳,徒泥形勢粗跡一偏,以誤人子。茲故附錄議狀,俾知所察雲。

朱文公は親眼に此の錯誤を見たれば、故に直に辨議を陳述して、以て太史局の過失を補救せん。言辭の懇切なる此の地步に至る。後世の人は彼の立言の本旨を體察せず、一概に以て羅經の方向は皆是錯と為し、借口して朱子は曾て世俗妄傳の葬法を闢斥せりとせば、遂に河圖洛書陰陽の本源・理氣乘生の妙用をして晦塞して傳えざらしめ、只だ形勢の粗迹の一偏の見を死摳して、因而人子を貽誤す。故に此處に彼の議狀を附録して、好く讀者をして如何に體察すべきかを知らしめん。

補義或問:據朱子議狀,則凡風水向北者卒不可用乎?曰:非此之謂也。朱子特辨拘姓音坐向之謬,故言此以解其惑耳。其寔風水之法,只要結穴眞,初不拘於向南向北也。餘兄弟歷覽四方名地,向北者不可枚舉。姑就是編收圖可證者,如鉛山費狀元祖地,坐丙向壬;華容劉尚書祖地,坐丁向癸;永康徐侍郎祖地,坐巳向亥;徐國公始祖地,坐午向子。

補義:人問う有り。朱子の議狀に依れば、則ち凡そ風水の北に朝するは一概に用う可からざるか。答う。此の意思に非ず。朱子は只だ姓音に拘泥して坐向を定めるの荒謬を辨明して、故に此の番の話を説いて以て人の惑を解く而已。其實風水の法は、只だ結穴が真ならば、本來並びに南に朝するか北に朝するかに拘向せず。我ら兄弟は四方の名地を遍覽するに、北に朝するは多く數えて盡さず。便ち本書の圖形を收めて印證すべきを拿って言えば、鉛山費狀元の祖地は坐丙向壬、華容劉尚書の祖地は坐丁向癸、永康徐侍郎の祖地は坐巳向亥、徐國公の始祖地は坐午向子。これら皆是名ありて稽え、圖ありて對すべし。

及晉江蔡虛齋、杭州茅狀元、江山趙中丞,及運城袁氏、台州侯氏諸祖,皆名地而向北,足為征也。大約龍穴眞,雖向北不害其吉;龍穴如假,雖向南無不為凶。若謂朱子必執向南為拘,其與拘姓音者何異?又烏足為朱子!

此の外に像るに晉江蔡虚齋・杭州茅狀元・江山趙中丞、および運城袁氏・台州侯氏の諸家の祖墳は、皆是名地にして坐向は北に朝し、足りて證と為すべし。大體に言えば、龍と穴と真ならば、北に向かうも亦その吉を妨害せず。龍と穴と假ならば、南に向かうも亦凶ならざる無し。若し言わば朱子は一定に南に向かうを執定して拘泥と為すとせば、那は姓音に拘泥する人と何ぞ兩樣あらんや。那は又怎んぞ朱子の本意と稱するに配せんや。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷七下之三

江右山人徐善繼述同著。此後陰陽妙用,凡五卷。

本卷の題署は「江右山人徐善繼・徐善述同着」。江右は即ち江西、二徐は明代の江西德興の人で、兄弟合撰して此の書を成したり。此處に全書の體例を交代す。此の卷より往下共に五卷は、專ら「陰陽妙用」を講ず。即ち龍・穴・砂・水の形勢の已に辨明せるの後、如何にして羅盤二十四位の干支陰陽を用いて吉凶を判定し、坐向を定め、砂を消し水を納するかの一整套の法度なり。

二十四龍の主る所の吉凶

壬龍陰權主之,主驟富貴,一二代而止。主僧道、技藝,有浮靡,少溫良,乏人丁,多水厄,福力微,運祚促。子龍陽光主之,主富貴有武略。主賊將悍卒,多驕惰,無忠節,子嗣寡,運祚促。癸龍陰光主之,主驟富貴,一二代而止。主榮顯饒財,少忠貞,多詭詐,人丁寡,運祚促。

羅盤を用いて入首の一節の來龍がどの一箇の字の上に落ちるかを格定すれば、便ち此の一房の日後の大勢を推斷す。 「壬」の字の上に落ちる龍は、天星の「陰權」に主管され、葬後は往往にして驟然に富貴を發すれども、只だ一兩代を旺して便ち停住す。此の一路は多く僧人道士と手藝を靠って飯を喰う人とを出し、家風は浮華にして、温厚良善の輩少く、人丁繁えず、又常に水患に遭い、福力は單薄、氣運は短促なり。「子」の字の上に落ちる龍は、「陽光」星に主管され、富貴にして武略を帶ぶを主るも、亦悍將凶卒を出し易く、子弟は驕縱懶惰にして、忠義氣節を缺き、子嗣は稀少、運數は長からず。「癸」の字の上に落ちる龍は、「陰光」星に主管され、同じく驟發の富貴にして一兩代を過ぎずして便ち止む。家中は雖も顯榮多財なれど、忠貞少なく詭詐多く、人丁單薄、氣運促迫す。

丑龍牛金主之,主左道、財祿、大富大禍,少忠良,多奸詭,有邪淫,有孤寡,遭惡死,乏人丁。艮龍陽樞主之,主極貴、鉅富、高壽、文武將相、聰明俊雅、豐厚魁偉、美髯髭、忠良正直。下格亦主旺人饒財,小貴。

入首して「丑」の字の上に落ちる龍は、「牛金」星に主管され、旁門左道を走って財祿を得易し。大富と大禍と幷存の一路にして、家中は忠良少なく奸詐多く、邪淫の事あり、孤兒寡婦あり、横死の人を出すを會し、人丁旺ならず。入首して「艮」の字の上に落ちる龍は、「陽樞」星に主管され、二十四龍の中最も上等の一格なり。極貴・巨富・高壽を主り、文武將相を出し、人物は聰明俊秀・體格豐厚魁偉・須髯美好・忠良正直なり。即使龍格高からずして下等格局に屬するも、仍ほ人丁を旺し、財貨多くして、小貴を得る。

寅龍天棓主之,主不祥。若格貴穴吉,葬善時宜,亦發小福,多痼疾,短運祚。甲龍陰機主之,主不祥。若格貴穴吉,葬善時宜,主一二代富貴,多痼疾、瘋跛,後嗣微,運祚促。卯龍陽衡主之,主威武膽略,忠勇剛毅,主富貴將相之識。多修長魁偉之士。下格亦主豪霸,旺人饒財。

入首して「寅」の字の上に落ちる龍は、「天棓」星に主管され、本身は不吉を主る。只だ龍格の貴重・穴場の端正・下葬の又吉日良時を選得するの情况に在りて、こそ一点の小福を發する能くするも、家中は仍ほ久治不愈の痼疾多く、氣運長からず。入首して「甲」の字の上に落ちる龍は、「陰機」星に主管され、亦不吉を主る。若し龍格貴く穴位吉し、葬期又合宜ならば、富貴を一兩代する能くするも、痼疾と瘸腿殘疾の人と多く、後代は稀少、氣運促迫す。入首して「卯」の字の上に落ちる龍は、「陽衡」星に主管され、威武にして膽略あるを主り、人と為りて忠勇剛毅、富貴將相一流の見識器局を出す能くし、子弟は多く身材修長魁偉なり。即使龍格下に偏するも、亦一方の豪強を主り、人丁興旺・財貨豐足なり。

乙龍天官主之,主不祥。若格貴穴吉,亦主一發,多庶子、螟蛉、贅婿。辰龍天罡主之,主大不祥。若格貴穴吉,葬善時宜,局完水吉,亦主一二代富貴,一敗如灰。多兇狠、夭亡、孤寡、惡死、癆瘵、兵火、軍賊、絕滅、抄拈。巽龍陽璇主之,主榮貴聰明,科甲文章。中格亦旺人饒財,女貴。

入首して「乙」の字の上に落ちる龍は、「天官」星に主管され、不吉を主る。縱使龍格貴く穴場吉するも、不過一度發するに過ぎず、且つ家を傳えて多く庶出の子・抱養の義子あるいは入贅の女婿に靠る。入首して「辰」の字の上に落ちる龍は、「天罡」星に主管され、大不吉を主る。即便龍格貴く・穴位吉し・葬期合宜・明堂完固・來去水又合法なりとも、亦只能富貴を一兩代し、一旦敗落すれば便ち灰燼の如く徹底す。家中は凶狠の徒・夭折早亡・孤兒寡婦・横死・癆病多く、還お兵火・軍賊・滅門・抄沒の禍に遭う。入首して「巽」の字の上に落ちる龍は、「陽璇」星に主管され、榮顯尊貴・天資聰明を主り、科擧に中り文章を擅すること能くし。就算只だ中等格局なるも、亦人丁を旺し、財貨多くして、且つ女眷の貴顯を主る。

巳龍天屏主之,主中富,小貴,旺人,多淫佚浮靡。丙龍陰樞主之,主貴祿榮顯,富貴忠良。下格亦主旺人饒財,多田產貲貨,良善文雅。午龍陽權主之,若格貴穴吉,葬善時宜,主文武兼備,大富極貴,易發易敗。多離鄉客死,有回祿橫亡,善浮靡,寡檏直,後祚微,氣運促。

入首して「巳」の字の上に落ちる龍は、「天屛」星に主管され、中等の家資・小小の官貴を主り、人丁は興旺すれども、子弟は多く貪淫逸樂・習氣浮華なり。入首して「丙」の字の上に落ちる龍は、「陰樞」星に主管され、官爵俸祿・榮耀顯達を主り、富貴にして兼ねて忠良なり。即使下等格局に屬するも、亦人丁を旺し、財貨多く、田産資財は豐厚、家風は善良文雅なり。入首して「午」の字の上に落ちる龍は、「陽權」星に主管され、若し龍格貴重・穴場端吉・葬期合宜ならば、文武兼備・大富極貴する能くするも、發ること快ければ敗るるも亦快く、家人は多く他郷に客死し、火災と横死の事あり、習氣浮華にして、質朴正直の人少なく、後代の福分は單薄、氣運短促なり。

丁龍南極主之,主高壽,富貴榮顯,神仙龜鶴之姿,文章清高之士。下格亦旺人豐財。未龍鬼金主之,主大不祥。若格貴穴吉,葬善時宜,亦主有福有禍,左道榮貴,神佛靈顯,名僧符法,有邪侫之資,少忠貞之氣,多孤寡、淫賤、惡死。

入首して「丁」の字の上に落ちる龍は、「南極」星に主管され、南極は即ち南極老人星、壽を主る。故に此の一路は高壽を主り、兼ねて富貴榮顯を得、人物は神仙龜鶴のごとき淸奇の氣象あり、文章淸高の士を出す能くし。就算格局下に偏するも、亦人丁を旺し、財貨豐厚なり。入首して「未」の字の上に落ちる龍は、「鬼金」星に主管され、大不吉を主る。縱然龍格貴く・穴場吉し・葬期合宜なりとも、亦是福禍相兼して、多く旁門左道より富貴を得、あるいは神佛の靈驗・名僧符籙の事に相關し、人物は奸邪諂佞の質あり、忠貞の氣を缺き、家中は孤寡・淫賤と横死と多し。

坤龍天鉞主之,主不祥。若格貴穴吉,葬善時宜,水朝山秀,亦主驟發富貴,女柄男權,多柔靡,無忠貞,有孤寡,有邪淫。作龍湫寺院則吉。申龍天闢主之,局穴吉,僅可免禍。庚龍天潢主之,主威權勇猛,文武之資,專征伐,多榮爵,延壽考。下格亦主旺人豐財,武斷鄉曲。

入首して「坤」の字の上に落ちる龍は、「天鉞」星に主管され、不吉を主る。若し龍格貴く・穴場吉し・葬期合宜にして、又水の來朝し山の秀麗あらば、亦能驟發の富貴するも、然れども婦人の男子の權柄を執掌するを出現し、家風は柔弱靡麗にして、忠貞を缺き、孤寡あり、邪淫あり。此の種の龍を用いて龍潭の神祠あるいは寺院を建るは反って吉と為す。入首して「申」の字の上に落ちる龍は、「天辟」星に主管され、只だ明堂格局と穴場と皆吉なるの前提下に在りて、こそ勉强に災禍を免るる可く、福を發するを談じ得ず。入首して「庚」の字の上に落ちる龍は、「天潢」星に主管され、威權勇猛を主り、文武の才を具し、兵を領して征伐するに宜しく、多く榮銜爵位を得、且つ延年高壽する能くし。即使格局下に偏するも、亦人丁を旺し、財貨豐厚なり。只是鄕里の間に恃強專斷の人と成り易し。

酉龍陽闓主之,主富貴,文武全才,公相英雄,弘霸之資,貴壽清高之士。下格亦主旺人財。辛龍陰璇主之,主榮貴、爵祿、文章、聰明才辯、饒財多能。中格亦主多技藝、文雅、豐富、高壽、旺人。戌龍天魁主之,主大不祥。縱局完穴吉,雖有富貴,亦易歇滅。多夭札、瘵疾、惡死、獄訟、孤寡。

入首して「酉」の字の上に落ちる龍は、「陽闓」星に主管され、富貴を主り、文武全才を出し、公卿宰相一級の英雄氣魄と霸業を開創する資質あり、亦貴顯長壽・品格淸高の人を出す。格局の下に偏するも、亦人丁と財帛と兩旺を主る。入首して「辛」の字の上に落ちる龍は、「陰璇」星に主管され、榮顯尊貴・爵位俸祿・文章の名を主り、人物は聰明善辯、財貨豐足にして才能多し。中等格局に屬するも、亦技藝多く、性情文雅、家資豐厚、高壽を享け、人丁興旺なり。入首して「戌」の字の上に落ちる龍は、「天魁」星に主管され、大不吉を主る。縱使明堂完固・穴場端吉なるも、雖も富貴を一時する能くするも、亦中途に斷絶し易く、家中は夭折・癆瘵の疾・横死・牢獄詞訟と孤兒寡婦と多し。

幹龍陽機主之,主大不祥。若格貴穴吉,葬善時宜,主暴富,軍伍武職,有膽勇,二代後則主歇滅、鰥寡、殘疾、毒虐。主人好利少義,有勇急燥之性,多乖戾之氣,中傷、惡死、絕滅。作神壇社廟則吉。邵武府福善王廟基,繫八十里幹龍兩河夾送,因名大干,神甚顯應。亥龍天皇主之,主極貴鉅富,榮顯、高壽、公相、人品極偉,美髭髯,豐厚、忠義、良善,五福全,運祚長,福力大。下格亦主饒財旺人。

入首して「干」の字の上に落ちる龍は、「陽機」星に主管され、大不吉を主る。若し龍格貴く・穴場吉し・葬期合宜ならば、暴發して大財する能くし、あるいは行伍武職より起家し、人は膽量勇力あるも、然れども兩代の後は便ち家道斷絶を主り、鳏夫寡婦・殘疾の人と狠毒暴虐の事とを出す。此の一路の人は利を好みて義寡く、性情は勇急暴躁、戾氣重くして、人に中傷され易く、横死に遭いて以至絶嗣す。此の龍を用いて神壇社廟を立てば則ち反って吉と為す。原注に例を擧ぐ。福建邵武府の福善王廟の基址は、便ち一條の八十里長きの干龍、兩側に河ありて夾送して來る。故に之を「大干」と稱す。那里の神靈は極めて靈驗なり。入首して「亥」の字の上に落ちる龍は、「天皇」星に主管され、極貴巨富・榮耀顯達・高壽を主り、公卿宰相を出す能くし、人品は極めて偉岸、須髯は秀美、氣度は豐厚、忠義良善、壽富康寧の諸福は齊全、氣運は綿長、福力は宏大なり。即使格局下に偏するも、亦財貨豐足・人丁興旺を主る。

雙脈の吉凶を論ず

乾亥雙行:左落幹多亥少凶,右落亥多幹少可下,中抽平分可作行龍,不可下穴。壬亥雙行:左落亥多壬少可下,右落壬多亥少凶,中抽平分可作行龍,不可下穴。丑艮雙行:左落丑多艮少不吉,右落艮多丑少主貴。寅艮雙行:左落艮多寅少可下,右落寅多艮少凶,中抽平分可作行龍。

來龍の入首の一節が兩箇の字の間に騎して、兼ねて兩氣を跨ぐを、「雙脈」と叫ぶ。判法は先ずそれが左邊に偏落するか右邊かを看て、再び兩字の占する分數の誰れが多く誰れが少きかを看る。干・亥の兩字の雙行は、左に偏落して干多く亥少きは凶、右に偏落して亥多く干少きは、點穴す可し、中間より抽出して兩邊平分するは、只だ過路の行龍と當做すべく、此に穴を下す可からず。壬・亥の雙行は、左に偏落して亥多く壬少きは、穴を下す可し、右に偏落して壬多く亥少きは凶、中抽して平分するは仍ほ只だ行龍と作し、穴を下す可からず。丑・艮の雙行は、左に偏落して丑多く艮少きは不吉、右に偏落して艮多く丑少きは貴を主る。寅・艮の雙行は、左に偏落して艮多く寅少きは穴を下す可し、右に偏落して寅多く艮少きは凶、中抽して平分するは行龍と作す可し。

甲卯雙行:左落甲多卯少不吉,右落卯多甲少可下,平分半吉,皆主瘋跛痼疾。卯乙雙行:左落卯多乙少可下,右落乙多卯少不可下,平分半吉,皆主招贅過房,庶出、義子發。辰巽雙行:左落巽少辰多凶,右落巽多辰少半吉,平分凶,不可下。丙午雙行:左落丙多午少半吉,右落午多丙少凶,平分半吉,皆主回祿之災。

甲・卯の雙行は、左に偏落して甲多く卯少きは不吉、右に偏落して卯多く甲少きは穴を下す可し、兩邊平分するは半吉と算す。然れども無論どの一種なるも、皆瘸腿と久病不愈の毛病とを帶出す。卯・乙の雙行は、左に偏落して卯多く乙少きは穴を下す可し、右に偏落して乙多く卯少きは穴を下す可からず、平分するは半吉と算す。此の一路は皆女婿を招いて入贅し・過繼して承嗣するに靠り、あるいは庶出の子・義子より發家することを主る。辰・巽の雙行は、左に偏落して巽少なく辰多きは凶、右に偏落して巽多く辰少きは半吉、兩邊平分するは凶、穴を下す可からず。丙・午の雙行は、左に偏落して丙多く午少きは半吉、右に偏落して午多く丙少きは凶、平分するは半吉。此の幾種は皆火災の厄あるを主る。

午丁雙行:左落午多丁少不吉,右落丁多午少半吉可下,平分亦不吉。丁未雙行:左落丁多未少半吉,右落未多丁少凶,平分亦凶。申庚雙行:左落申多庚少凶,右落庚多申少半吉可下,平分可作行龍。辛戌雙行:左落辛多戌少半吉,右落戌多辛少凶,不可下。平分可作行龍。

午・丁の雙行は、左に偏落して午多く丁少きは不吉、右に偏落して丁多く午少きは半吉と算し、穴を下す可し、兩邊平分するも亦不吉。丁・未の雙行は、左に偏落して丁多く未少きは半吉、右に偏落して未多く丁少きは凶、平分するも亦凶。申・庚の雙行は、左に偏落して申多く庚少きは凶、右に偏落して庚多く申少きは半吉、穴を下す可し、平分するは只だ行龍と作すのみ。辛・戌の雙行は、左に偏落して辛多く戌少きは半吉、右に偏落して戌多く辛少きは凶、穴を下す可からず、平分するは以て過路の行龍と當做す可し。綜觀するに以上の諸條は、凡そ雙脈の中に吉星の占分多く凶星の占分少きをこそ用い可し、凶星の占分多きは一概に舍去し、平分すれば則ち多半只だ行龍と作して點穴せず。

蔡西山先生詳節天表六十龍吉凶分金八卦坐向綱目

坎宮名六十龍分度。甲子大凶金,危,初七分壬;丙子半吉火,虛,正壬;戊子大凶水,虛,五分壬;庚子大吉金,女,正坎;壬子次吉火,女,七分子;乙丑半吉土、牛,七分癸;丁丑大吉水,斗,三分癸;己丑大凶金,牛,五分癸。艮宮:辛丑半吉水,斗,正丑;癸丑大凶土,牛、箕,七分丑;丙寅次吉火,箕,七分艮;戌寅大吉火,尾,正艮;庚寅大吉水,尾一,五分艮;壬寅大凶水,尾,正寅;甲寅大凶土,心,三分甲。

以下は宋儒蔡元定(號は西山)が「天表」の中より節録して出したる六十龍分金の綱目なり。言う所の「六十龍」は、羅盤の一周三百六十度を六十甲子に配して、每龍は約六度を占めて、二十四山の下に壓す。每條の記録は先ず甲子名と吉凶とを標し、再びそれが値する二十八宿の宿度を標し、最後にそれがどの一山の幾分の上に偏するかを標して、向を立つる時はこれに據って凶を避け吉に就く。坎宮の一段:甲子は大凶、納音は金に屬し、危宿に値り、壬字の初七分の上に在り。丙子は半吉、火に屬し、虚宿に値り、正當壬字。戊子は大凶、水に屬し、虚宿に値り、壬字の五分に在り。庚子は大吉、金に屬し、女宿に値り、正當坎位。壬子は次吉、火に屬し、女宿に値り、子字の七分に在り。乙丑は半吉、土に屬し、牛宿に値り、癸字の七分に在り。丁丑は大吉、水に屬し、斗宿に値り、癸字の三分に在り。己丑は大凶、金に屬し、牛宿に値り、癸字の五分に在り。艮宮の一段:辛丑は半吉、水に屬し、斗宿に値り、正當丑字。癸丑は大凶、土に屬し、牛・箕の間に値り、丑字の七分に在り。丙寅は次吉、火に屬し、箕宿に値り、艮字の七分に在り。戌寅は大吉、火に屬し、尾宿に値り、正當艮位(底本の「戌寅」は當に「戊寅」なるべし、仍ほ照録して改めず)。庚寅は大吉、水に屬し、尾宿の第一度に値り、艮字の五分に在り。壬寅は大凶、水に屬し、尾宿に値り、正當寅字。甲寅は大凶、土に屬し、心宿に値り、甲字の三分に在り。

震宮:丁卯半吉木,房,七分申;乙卯半吉水,角,正申;辛卯次吉土,軫,五分甲;癸卯半吉木,房,正卯;乙卯大吉金,氐,三分乙;戊辰半吉水,氏,七分乙;庚辰大凶土,氐,正乙;壬辰大凶水,亢,五分辰。巽宮:甲辰大吉木,軫,正辰;丙辰大凶火,軫,三分巽;已巳大凶金,翼,七分巽;辛乙大吉木,翼,正巽;癸巳大凶土,翼、張,五分巳;乙巳半吉火,張,正巳;丁巳半吉土,奎、張,三分丙。

震宮の一段:丁卯は半吉、納音は木に屬し、房宿に値り、申字の七分に在り(此の條と下の一條の「申」の字は、例に依って當に「甲」と作るべし、底本此の如し、敢えて臆改せず)。乙卯は半吉、水に屬し、角宿に値り、正當申字。辛卯は次吉、土に屬し、軫宿に値り、甲字の五分に在り。癸卯は半吉、木に屬し、房宿に値り、正當卯字。乙卯は大吉、金に屬し、氐宿に値り、乙字の三分に在り(同一の「乙卯」の兩見は、底本の重出なり)。戊辰は半吉、水に屬し、氐宿に値り、乙字の七分に在り。庚辰は大凶、土に屬し、氐宿に値り、正當乙字。壬辰は大凶、水に屬し、亢宿に値り、辰字の五分に在り。巽宮の一段:甲辰は大吉、木に屬し、軫宿に値り、正當辰字。丙辰は大凶、火に屬し、軫宿に値り、巽字の三分に在り。已巳は大凶、金に屬し、翼宿に値り、巽字の七分に在り(「已巳」は即ち「己巳」なり)。辛乙は大吉、木に屬し、翼宿に値り、正當巽位(「辛乙」は當に「辛巳」の訛たるべし、照録す)。癸巳は大凶、土に屬し、翼・張の間に値り、巳字の五分に在り。乙巳は半吉、火に屬し、張宿に値り、正當巳字。丁巳は半吉、土に屬し、奎・張の間に値り、丙字の三分に在り。

離宮:庚午大凶水,張,七分丙;壬午大吉土,星,正丙;甲午大凶土,昴;丙午大吉火,柳,正午;戊午大凶水,柳,三分丁;辛未大凶金,鬼,七分丁;癸未半吉土,井,正丁。坤宮:乙未大凶水,井,五分未;丁未大吉水,井,正未;己未大凶金,井,三分坤;壬申大吉火,參,七分坤;甲申大吉火,參,正坤;丙申大凶水,觜,五分申;戊申大吉火,胄,正申;庚申大凶水,畢,三分庚。

離宮の一段:庚午は大凶、納音は水に屬し、張宿に値り、丙字の七分に在り。壬午は大吉、土に屬し、星宿に値り、正當丙字。甲午は大凶、土に屬し、昴宿に値る(底本は此の條は分數を記さず)。丙午は大吉、火に屬し、柳宿に値り、正當午字。戊午は大凶、水に屬し、柳宿に値り、丁字の三分に在り。辛未は大凶、金に屬し、鬼宿に値り、丁字の七分に在り。癸未は半吉、土に屬し、井宿に値り、正當丁字。坤宮の一段:乙未は大凶、水に屬し、井宿に値り、未字の五分に在り。丁未は大吉、水に屬し、井宿に値り、正當未字。己未は大凶、金に屬し、井宿に値り、坤字の三分に在り。壬申は大吉、火に屬し、參宿に値り、坤字の七分に在り。甲申は大吉、火に屬し、參宿に値り、正當坤位。丙申は大凶、水に屬し、觜宿に値り、申字の五分に在り。戊申は大吉、火に屬し、胄宿に値り、正當申字。庚申は大凶、水に屬し、畢宿に値り、庚字の三分に在り。用うる時は先ず羅盤の縫針を以て入首の脈を格準し、それがどの一龍の上に落ちるかを看て、凡そ大凶の龍に遇えば即ち須らく分金を挪動して避くべし。

兌宮:癸酉凶土,昴,七分庚;乙酉半吉水,胃,昴正庚;丁酉凶火,胃,五分酉;己酉大吉水,胃,五分兌;辛酉半吉土,婁,三分辛;甲戌大吉金,婁三分酉,七分辛;丙戌半吉火,奎,正辛。乾宮:戊戌大凶水,奎,五分辛;庚戌大吉金,奎,正戌;壬戌大吉火,奎,二分幹;乙亥凶水,室,三分戌;丁亥大吉火,室,正幹;己亥凶土,三分亥;辛亥大吉水,正亥;癸亥吉水,三分壬。

兌宮の一段:癸酉は凶と為り、納音は土に屬し、昴宿に値り、庚字の七分に在り。乙酉は半吉、水に屬し、胃宿と昴宿の交に値り、正當庚字。丁酉は凶と為り、火に屬し、胃宿に値り、酉字の五分に在り。己酉は大吉、水に屬し、胃宿に値り、兌位の五分に在り。辛酉は半吉、土に屬し、婁宿に値り、辛字の三分に在り。甲戌は大吉、金に屬し、婁宿に値り、酉字の三分・辛字の七分に跨る。丙戌は半吉、火に屬し、奎宿に値り、正當辛字。干宮の一段:戊戌は大凶、水に屬し、奎宿に値り、辛字の五分に在り。庚戌は大吉、金に屬し、奎宿に値り、正當戌字。壬戌は大吉、火に屬し、奎宿に値り、干字の二分に在り。乙亥は凶と為り、水に屬し、室宿に値り、戌字の三分に在り。丁亥は大吉、火に屬し、室宿に値り、正當干位。己亥は凶と為り、土に屬し、亥字の三分に在り(底本は宿名を記さず)。辛亥は大吉、水に屬し、正當亥字(底本も亦宿名を記さず)。癸亥は吉と為り、水に屬し、壬字の三分に在り。全表の六十龍の中、標して「大吉」「次吉」のは以て氣を乘りて向を立つ可し、標して「半吉」のは須らく兼ねて龍穴砂水の周備せるか否かを看、標して「凶」「大凶」のは一概に當中の坐向と為す可からず。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷八之上

德興山人徐善繼述同著。

本卷の題署は「德興山人徐善繼・徐善述同着」。德興は江西饒州府の屬縣、即ち二徐の故里。前卷は「江右山人」と題し、此卷は「德興山人」と題す。同じく兄弟二人の合撰なり。此の一卷は上卷の二十四龍吉凶に承接して、專ら每一條の來龍が各々宜しくどの幾種の坐山朝向に配すべきかを講ず。辨龍の結論を立穴定向の上に落とす實用の條目なり。

二十四龍の諸吉穴

壬龍,凡三穴:子山午向、艮山坤向、辛山乙向。子龍,凡一穴:艮山坤向。癸龍,凡二穴:艮山坤向、子山午向。丑龍,凡一穴:壬山丙向。艮龍,凡八穴:癸山丁向、壬山丙向、甲山庚向、乙山辛向、卯山酉向、乾山巽向、亥山巳向、丑山未向。寅龍,凡二穴:艮山坤向、寅山申向。

下面に先ず一張の綱目を列して、二十四條の來龍が各自配する能う坐向を逐一に開出す。看る時は先ず入首の一節がどの字に屬するかを認定して、再び此處よりそれが幾種の合法の坐山朝向あるかを査す。「壬」龍は共有三種の穴:坐子向午・坐艮向坤・坐辛向乙。「子」龍は只だ一種:坐艮向坤。「癸」龍は兩種:坐艮向坤・坐子向午。「丑」龍は只だ一種:坐壬向丙。「艮」龍は最多く、共に八種:坐癸向丁・坐壬向丙・坐甲向庚・坐乙向辛・坐卯向酉・坐干向巽・坐亥向巳・坐丑向未。此れも亦上卷の艮龍を極貴の格と為すを印證す。「寅」龍は兩種:坐艮向坤・坐寅向申。

甲龍,凡二穴:艮山坤向、巽山乾向。卯龍,凡四穴:甲山庚向、乙山辛向、癸山丁向、巳山亥向。乙龍,凡一穴:艮山坤向。辰龍,凡二穴:巽山乾向、艮山坤向。巽龍,凡三穴:乙山辛向、巳山亥向、坤山艮向。巳龍,凡一穴:巳山亥向。

「甲」龍は兩種の穴:坐艮向坤・坐巽向干。「卯」龍は四種:坐甲向庚・坐乙向辛・坐癸向丁・坐巳向亥。「乙」龍は只だ一種:坐艮向坤。「辰」龍は兩種:坐巽向干・坐艮向坤。辰は本是天罡の凶位、用うる能う坐向は自然少し。「巽」龍は三種:坐乙向辛・坐巳向亥・坐坤向艮。「巳」龍は只だ一種:坐巳向亥。即ち直來直受して、別に偏側せず。凡そ綱目の中に未だ列出せざる坐向は、便ち此の條の龍の用うるに宜しからざるなり。自ら推衍する可からず。

丙龍,凡四穴:巳山亥向、甲山庚向、乙山辛向、坤山艮向。午龍,凡二穴:丙山壬向、丁山癸向。丁龍,凡二穴:坤山艮向、巳山亥向。未龍,凡一穴:坤山艮向。坤龍,凡一穴:丁山癸向。申龍,凡二穴:丁山癸向、庚山甲向。

「丙」龍は四種の穴:坐巳向亥・坐甲向庚・坐乙向辛・坐坤向艮。「午」龍は兩種:坐丙向壬・坐丁向癸。皆午山子向を取らず。午は陽權の火位、正坐すれば則ち太剛なるを以てなり。「丁」龍は兩種:坐坤向艮・坐巳向亥。「未」龍は只だ一種:坐坤向艮。「坤」龍も亦只だ一種:坐丁向癸。「申」龍は兩種:坐丁向癸・坐庚向甲。凡そ只だ一穴を列するは、此の條の龍氣の偏雜を説明して、此の一向を除きて別に取る可き無く、一分を改動すれば即ち凶位に入る。

庚龍,凡二穴:酉山卯向、坤山艮向。酉龍,凡三穴:坤山艮向、乾山巽向、亥山巳向。辛龍,凡三穴:乾山巽向、酉山卯向、坤山艮向。戌龍,凡一穴:辛山乙向。幹龍,凡二凡:辛山乙向、戌山辰向。亥龍,凡五穴:壬山丙向、乾山巽向、癸山丁向、丑山未向、酉山卯向。以上二十四龍諸穴,以耳受氣者為上,腰受氣者次之,詳具於下。

「庚」龍は兩種の穴:坐酉向卯・坐坤向艮。「酉」龍は三種:坐坤向艮・坐干向巽・坐亥向巳。「辛」龍も亦三種:坐干向巽・坐酉向卯・坐坤向艮。「戌」龍は只だ一種:坐辛向乙。「干」龍は兩種:坐辛向乙・坐戌向辰(底本の「凡二凡」は當に「凡二穴」と作るべし、仍ほ照録す)。「亥」龍は五種:坐壬向丙・坐干向巽・坐癸向丁・坐丑向未・坐酉向卯。以上の二十四龍の各箇の穴位は、凡そ龍氣の穴の左耳あるいは右耳より注入するを上等と為し、左腰あるいは右腰より注入するを次の一等と為す。此れは耳位は腦に近くして氣を承ること最も親切にして、腰位は稍遠くして力量は便ち減るを以てなり。詳細の情形は分列して下に見ゆ。

壬龍の穴

第一宜坐子向午穴。壬龍入首右落,穴子向午,宜挨左加亥半分,取丙子正壬之氣貫右耳。《催官》詩云:“背一面九乘天輔(壬),氣從右耳為合矩,穴宜挨左加天皇(亥),富貴榮華振鄉土。”分金兼壬丙,宜庚午庚子;兼癸丁,宜丙午丙子。

第一種は坐子向午なり。壬龍の入首の一節は若し右邊に向って跌落すれば、便ち穴を坐子朝午の上に定め、羅盤は略微左に偏して「亥」の字の半分を加進して、好く六十龍の中の丙子の此の一龍の正壬の氣を右耳より穴の中に注入せしめん。宋代の賴布衣《催官篇》の詩は説く。一數を背靠して九數を面對して「天輔」(即ち壬)を乘ずれば、龍氣は右耳より進みて來るこそ法度に合乎と算す。穴は偏左一点して「天皇」(即ち亥)を帶べば、日後の富貴榮華は郷里を震動す可し。分金の用法は、坐向の壬丙を兼するは、宜しく庚午庚子分金を用い、癸丁を兼するは、宜しく丙午丙子分金を用うべし。

第二宜坐艮向坤穴。壬龍入首右落,穴艮向坤,宜挨左加亥半分,取主脈貫右腰。《催官詩》云:“壬山迢迢穴天市(艮),天輔(壬)氣奔沖右腧。穴左微侵半分亥,富貴聲名向閭里。”分金:兼丑未宜辛丑辛未;兼寅申宜丙寅丙申。

第二種は坐艮向坤なり。壬龍の入首の一節が右に向って跌落する時は、亦以て穴を坐艮朝坤と立成す可し、羅盤は同じく略偏左して「亥」の字半分を加え、來龍主脈の氣を右腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。壬山は遠遠と來りて、穴を「天市」(即ち艮)の位の上に點ずれば、「天輔」(即ち壬)の氣は便ち直衝して右腰の穴口に至る。穴を立つる時に左に向って略半分の亥位を侵せば、富貴と名聲とは鄕閭に傳遍せん。分金の用法は、坐向の丑未を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、寅申を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

第三宜坐辛向乙穴。壬龍入首左落,穴辛向乙,宜挨右加子半分,取正壬脈貫左腰。《催官詩》云:“天輔(壬)穴向天官(乙)星,氣從左腧通玄靈。穴宜挨右加陽光(子),亦主財富人俊英。”分金:兼卯宜辛酉辛卯;兼辰宜丙辰丙戌。

第三種は坐辛向乙なり。壬龍の入首の一節は若し左邊に向って跌落すれば、穴は便ち坐辛朝乙と立成し、羅盤は要略偏右して「子」の字半分を加え、正壬の脈を左腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天輔」(壬)の龍を以て穴を立てて「天官」(乙)星に朝向せば、氣は左腰より通じて進むこそ最も靈妙なり。穴は偏右一点して「陽光」(即ち子)を帶べば、亦家資の富厚・子弟の俊秀を主る。分金の用法は、坐向の卯を兼するは、宜しく辛酉辛卯分金を用い、辰を兼するは、宜しく丙辰丙戌分金を用うべし。此の穴は氣の腰より入る、前の兩穴の耳の氣を受くより略一等を低うす。

坎龍の穴

第一宜坐艮向坤穴。子龍入首右落,穴艮向坤,宜挨右微加壬一分,使正子氣貫右耳。《催官詩》云:“陽光(子)穴坐天市(艮)垣,氣沖右耳乃為玄。穴宜挨左加天輔(壬),孕生六指多田園。”分金:兼丑宜辛丑辛未;兼寅宜丙寅丙申。

子龍は即ち坎龍、只だ一種の穴あり:坐艮向坤。子龍の入首の一節が右に向って跌落する時、穴は坐艮朝坤と立成し、羅盤は略偏右して「壬」の字一分を加え、純正の子氣を右耳より注入せしむ。《催官篇》は説く。「陽光」(即ち子)の龍は穴を「天市」(即ち艮)の垣の上に坐して、氣は右耳を衝すこそ玄機を得着と算す。穴は偏に「天輔」(即ち壬)の位を加えて、日後の生ずる所の子はあるいは六指の異あり、而して田園は廣多なり。分金の用法は、坐向の丑を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、寅を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。詩の中の「挨左」と言い而正文の「挨右」と言うは、羅盤を下す人の立つる方位の不同するに就いて言うなり。實際は皆壬のあの一邊に向って微移することを指す。

癸龍の穴

第一宜坐艮向坤穴。癸龍入首右落,穴艮向坤,宜挨左微加子,取丁丑正癸脈貫右耳。《催官詩》云:“催官十三向玄戈(坤),陰光(癸)俊美右耳過。挨左微加半分月(子),富貴便見風流多。”分金:兼丑宜辛丑辛未;兼寅宜丙寅丙申。

癸龍の第一種の穴は坐艮向坤なり。癸龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐艮朝坤と立成し、羅盤は略偏左して微かに「子」の字を加え、六十龍の中の丁丑の此の一龍の正癸の脈を右耳より注入するを取る。《催官篇》の第十三條は説く。「玄戈」(即ち坤)の位に面朝せば、「陰光」(即ち癸)の氣は秀美に右耳を穿て從りて過ぐ。穴を立つる時に偏左して微かに半分の「月」位を加えて(月は即ち太陰、子を指す)、日後は不但富貴、而且多く風流俊逸の人を出す。分金の用法は、坐向の丑を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、寅を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

第二宜坐子向午穴。癸龍入首左落,穴子向午,宜挨右微加丑,取丁丑正癸之氣貫左耳。《催官詩》云:“陰光(癸)穴坎向炎精(午),左耳乘氣不為輕。穴宜挨右微加牛(丑),出人英俊資財盛。”分金:兼壬宜庚子庚午;兼癸宜丙寅丙子。

癸龍の第二種の穴は坐子向午なり。癸龍の入首の一節は若し左邊に向って跌落すれば、穴は便ち坐子朝午と立成し、羅盤は略偏右して微かに「丑」の字を加え、丁丑一龍の正癸の氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「陰光」(癸)の龍は穴を坎位に坐して「炎精」(即ち午)に朝向し、左耳より乘得して龍氣を得れば、力量は輕からず。穴は宜しく偏右して微かに「牛」宿の位を加えて(牛宿は丑に屬す)、人物の英俊・資財の豐盛を出すを主る。分金の用法は、坐向の壬を兼するは、宜しく庚子庚午分金を用い、癸を兼するは、宜しく丙寅丙子分金を用うべし。

丑龍の穴

第一宜坐壬向丙穴。丑龍入首左落,穴壬向丙,宜挨右微加艮,取辛丑正脈貫左耳。《催官詩》云:“牛(丑)金走向大微(丙)垣,氣奔左耳龍脈旋。陽樞(艮)微加穴粘右,水朝局鎖多田園。”分金:兼亥宜辛亥辛巳;兼子宜丙子丙午。

丑龍は只だ一種の穴あり:坐壬向丙。丑龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐壬朝丙と立成し、羅盤は略偏右して微かに「艮」の字を加え、六十龍の中の辛丑の此の一龍の正脈を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「牛金」(即ち丑)の龍は「太微」(即ち丙)の垣に走向して、氣は左耳に直奔して來り、龍脈は此に在りて盤旋して結作す。微かに「陽樞」(即ち艮)の位を加えて、穴身は右邊に貼向して、只だ水の來朝し四圍の關鎖の周密あらば、田園の廣盛を主る。分金の用法は、坐向の亥を兼するは、宜しく辛亥辛巳分金を用い、子を兼するは、宜しく丙子丙午分金を用うべし。

艮龍の穴

第一宜坐癸向丁穴。艮龍入首左落,穴癸向丁,宜挨白虎加寅一分,使戊寅正艮氣貫左耳。《催官詩》云:“催官第二穴宜癸,天市(艮)正氣左沖耳。穴粘西獸微加寅,晝錦榮華耀閭里。”分金:兼子宜庚子庚午;兼丑宜丁丑丁未。

艮龍の第一種の穴は坐癸向丁なり。艮龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐癸朝丁と立成し、羅盤は要として「白虎」の一邊に偏向せよ。穴の上に立ちて外に朝して看れば、左は靑龍・右は白虎と為り、白虎に挨るは便ち右に向って移るなり。再び「寅」の字一分を加えて、六十龍の中の戊寅の此の一龍の正艮の氣を左耳より注入せしむ。《催官篇》の第二條は説く。穴は宜しく癸に坐し、「天市」(即ち艮)の正氣は左邊より衝りて耳中に入る。穴は西獸(白虎、即ち右邊)に貼して微かに寅位を加えて、日後は以て衣錦して晝行し、榮華は郷里を照耀す。分金の用法は、坐向の子を兼するは、宜しく庚子庚午分金を用い、丑を兼するは、宜しく丁丑丁未分金を用うべし。

第二宜坐壬向丙穴。艮龍入首橫落,左來右出,穴壬向丙,宜挨右取戊寅正艮氣貫左腰。《催官詩》云:“天市(艮)來龍太微(丙)向,氣沖腰腧官資旺。陰陽相見福永禎,二樞(艮丙)配分相隨唱。”分金:兼亥宜辛亥辛巳;兼子宜丙子丙午。

艮龍の第二種の穴は坐壬向丙なり。若し艮龍の入首の一節が横にして跌落し、左邊より來りて右邊に向って出でば、穴は便ち坐壬朝丙と立成し、羅盤は右に偏して、戊寅一龍の正艮の氣を左腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天市」(艮)の來龍して「太微」(丙)に朝向せば、氣は腰穴を衝して、官祿の旺盛を主る。艮は陽樞に屬し、丙は陰樞に屬し、陰陽の兩氣は相見えば、福澤は長久吉祥にして、二樞は彼此配合して、唱和して相随うが如し。分金の用法は、坐向の亥を兼するは、宜しく辛亥辛巳分金を用い、子を兼するは、宜しく丙子丙午分金を用うべし。

第三宜坐甲向庚穴。艮龍入首右落,穴甲向庚,宜挨青龍加丑一分,取丙寅之氣貫右耳。《催官詩》云:“天市(艮)迢迢穴陰機(丑),氣沖右耳無透迤。天廚(丑)微加穴粘左,富貴文武官班隨。”分金:兼寅宜庚寅庚申;兼卯宜丁酉丁卯。

艮龍の第三種の穴は坐甲向庚なり。艮龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐甲朝庚と立成し、羅盤は要として「靑龍」の一邊に偏向せよ。即ち左に向って移るなり。再び「丑」の字一分を加えて、六十龍の中の丙寅の此の一龍の氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天市」(艮)は遠遠と來りて、穴を丑位の一路上に點ずれば、氣は右耳を衝して迂回散漫無し。「天廚」(即ち丑)は微微と加入して、穴身は左に貼して、日後は富貴にして、文武兩班の官職は皆接續して來る能くし。分金の用法は、坐向の寅を兼するは、宜しく庚寅庚申分金を用い、卯を兼するは、宜しく丁酉丁卯分金を用うべし。

第四宜坐乙向辛穴。艮龍入首橫落,右來左出,穴乙向辛,宜挨左微加丑,取戊寅正氣貫右腰。《催官詩》云:“陽樞(艮)穴坐天官星,右腰乘氣多榮名。”分金:兼卯宜辛卯辛酉;兼辰宜丙辰丙戌。

艮龍の第四種の穴は坐乙向辛なり。若し艮龍の入首の一節が横にして跌落し、右邊より來りて左邊に向って出でば、穴は便ち坐乙朝辛と立成し、羅盤は略偏左して微かに「丑」の字を加え、戊寅一龍の正氣を右腰より注入するを取る。《催官篇》は只だ兩句あり。「陽樞」(即ち艮)の龍を以て、穴を「天官」(即ち乙)星の上に坐して、右腰より乘得して龍氣を得れば、多く榮顯の名位を主る。分金の用法は、坐向の卯を兼するは、宜しく辛卯辛酉分金を用い、辰を兼するは、宜しく丙辰丙戌分金を用うべし。此の穴は腰にて氣を受く。故に賴氏の詩は只だ「榮名」を許して巨富を言わず。

第五宜坐卯向酉穴。艮龍入首右落,穴卯向酉,宜挨青龍加丑一分,取丙寅之氣貫右耳。《催官詩》云:“陽樞(艮)行龍向西兌,右耳乘氣應為最。穴宜挨左加廚星(丑),閥閱榮華定無艾。”分金:兼甲宜辛卯辛酉;兼乙宜丁卯丁酉。

艮龍の第五種の穴は坐卯向酉なり。艮龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐卯朝酉と立成し、羅盤は靑龍の一邊に偏向す。即ち左に向って移るなり。「丑」の字一分を加えて、丙寅一龍の氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「陽樞」(艮)の龍は行りて此處に到りて西方の兌位に朝向し、右耳より氣を乘ずるこそ最も得力なり。穴は宜しく左に偏して、「廚星」(即ち天廚、丑位)を加えれば、門第の榮華は必定綿延不絶。「無艾」は便ち止息無きなり。分金の用法は、坐向の甲を兼するは、宜しく辛卯辛酉分金を用い、乙を兼するは、宜しく丁卯丁酉分金を用うべし。

第六宜坐乾向巽穴。艮龍入首橫落,左來右出,穴乾向巽,宜挨右取戊寅正艮之氣貫左腰。《催官詩》云:“天市(艮)行龍向陽璇(巽),氣沖左腧通微玄。屋潤家肥積金寶,但恐夭折虧天年。”分金:兼戌宜庚戌庚辰;兼亥宜丁亥丁巳。

艮龍の第六種の穴は坐干向巽なり。艮龍の入首の一節が横にして跌落し、左より來りて右に向って出でば、穴は坐干朝巽と立成し、羅盤は右に偏して、戊寅一龍の正艮の氣を左腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天市」(艮)の龍は「陽璇」(即ち巽)に行向して、氣は左腰を衝して微妙玄機に通ず。屋宇の潤澤・家道の豐肥・金寶の積聚を主るも、只是子孫の夭折・天年に虧あるを提防すべし。見るべし、此の穴は財に利ありて壽に利なし。用うる時は須らく別に砂水を擇して補救すべし。分金の用法は、坐向の戌を兼するは、宜しく庚戌庚辰分金を用い、亥を兼するは、宜しく丁亥丁巳分金を用うべし。

第七宜坐亥向巳穴。艮龍入首左落,穴亥向巳,宜挨右取艮正氣貫左腰,此穴有富無貴。分金:兼乾宜辛亥辛巳;兼壬宜丁亥丁巳。第八宜坐丑向未穴。艮龍入首左落,穴丑向未,宜挨右加寅一分,使戊寅正艮氣貫右耳。分金:兼癸宜辛丑辛未;兼亥宜丁丑丁未。

艮龍の第七種の穴は坐亥向巳なり。艮龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐亥朝巳と立成し、羅盤は右に偏して、艮の正氣を左腰より注入するを取る。此の一穴は只だ富厚を主り、貴顯を主らず。分金の用法は、坐向の干を兼するは、宜しく辛亥辛巳分金を用い、壬を兼するは、宜しく丁亥丁巳分金を用うべし。第八種の穴は坐丑向未なり。艮龍の入首の一節が左に向って跌落する時も、亦坐丑朝未と立成す可し。羅盤は右に偏して「寅」の字一分を加え、戊寅一龍の正艮の氣を右耳より注入せしむ。分金の用法は、坐向の癸を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、亥を兼するは、宜しく丁丑丁未分金を用うべし。此の兩穴は《催官篇》に皆詩句無し。二徐が艮龍の氣脈に依って補出するなり。

寅龍の穴

第一宜坐艮向坤穴。寅龍入首左落,穴艮向坤,宜挨右微加甲,取壬寅之氣貫左耳。《催官詩》云:“功曹(寅)坐艮面玄戈(坤),左耳乘氣無偏頗。微加甲位局周完,龍脈精奇發如火。”此穴發福最速。分金:兼丑宜辛丑辛未;兼寅宜丙寅丙申。

寅龍の第一種の穴は坐艮向坤なり。寅龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐艮朝坤と立成し、羅盤は略偏右して微かに「甲」の字を加え、六十龍の中の壬寅の此の一龍の氣を左耳より注入するを取る。賴布衣《催官篇》は説く。「功曹」(即ち寅)の龍は艮位に坐して「玄戈」(即ち坤)に面向し、左耳より氣を乘じて偏らず倚らず。微かに甲位を加え、四圍の格局は周全完固にして、龍脈は精奇、福を發すること火の如く速し。二徐は特別に注明す。此の一穴は寅龍の諸穴の中に發福最も速し。分金の用法は、坐向の丑を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、寅を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

第二宜坐寅向申穴。寅龍入首,直來直受,作寅山申向。穴宜挨右,以取甲寅正氣。要龍神奇特踴躍,穴星甚巧,砂水秀麗則可,缺一非吉。《催官詩》云:“功曹(寅)正向天關(申)星,龍脈穎異穴堪親。砂水不備最凶惡,寡母怪疾多生嗔。”分金:兼艮宜庚寅庚申;兼申宜丙寅丙申。

寅龍の第二種の穴は坐寅向申なり。寅龍の入首の一節は若し直來直受して偏らず側ざれば、便ち寅山申向と作す。穴を立つる時に羅盤は右に偏して、以て甲寅一龍の正氣を承接す。然れども此の種の正受の穴は條件極めて嚴し。來龍は要として奇特にして踊躍起伏の勢あり、穴星は要として極巧に結ばれ、四圍の砂水は又秀麗ならん。三者に一を缺けば便ち吉と算せず。《催官篇》は説く。「功曹」(寅)は正しく「天關」(即ち申)星に對すれば、龍脈の穎異なる時こそ穴は親近す可し。若し砂水完備せざれば、反って最も凶惡にして、寡母の家を守り・怪病の身に纏い・家中に嗔怒爭執の多きを招致せん。分金の用法は、坐向の艮を兼するは、宜しく庚寅庚申分金を用い、申を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

甲龍の穴

第一宜坐艮向坤穴。甲龍入首左落,穴艮向坤,宜挨右微加寅,取巳卯正甲脈貫左耳。《催官詩》云:“陰璣(甲)起伏龍向坤,左耳乘氣福無窮。穴宜粘右微加寅,龍奇局鎖方堪用。”此穴易興。分金:兼丑宜辛丑辛未;兼寅宜丙寅丙申。

甲龍の第一種の穴は坐艮向坤なり。甲龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐艮朝坤と立成し、羅盤は略偏右して微かに「寅」の字を加え、巳卯一龍の正甲の脈を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「陰璣」(即ち甲)の龍は起伏して來りて坤位に朝向し、左耳より氣を乘ずれば、福澤は無窮なり。穴は要として右に貼して微かに寅位を加え、須らく龍格の奇特・局勢の關鎖あらばこそ用いる可し。二徐は注明す。此の一穴は興發し易し。分金の用法は、坐向の丑を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、寅を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

第二宜坐巽向乾穴。甲龍入首左落,穴巽向乾宜挨右,取巳卯正氣貫右腰。《催官詩》云:“陰機穴巽向機峰,氣從右腰家興隆。左右不交龍失度,鰥寡瘋跛動瘟風。”分金:兼辰宜庚辰庚戌;兼巳宜丁巳丁亥。

甲龍の第二種の穴は坐巽向干なり。甲龍の入首の一節が左に向って跌落する時も、亦坐巽朝干と立成す可し。羅盤は右に偏して、巳卯一龍の正氣を右腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「陰機」(即ち甲)の龍は穴を巽位に立てて陽機(干)の峰に朝向せば、氣は右腰より進みて來り、家道は便ち興隆する能くし。然れども左右兩邊の護砂若し交會せず・來龍法度を失せば、便ち鳏夫寡婦・瘸腿殘疾と瘟疫の災とを招來せん。分金の用法は、坐向の辰を兼するは、宜しく庚辰庚戌分金を用い、巳を兼するは、宜しく丁巳丁亥分金を用うべし。

卯龍の穴

第一宜坐甲向庚穴。卯龍入首左落,穴甲向庚,宜挨白虎微加乙,取癸卯正氣貫左耳。《催官詩》云:“催官第五穴宜甲,陽衡(卯)氣從左耳發。穴挨西獸加天官(乙),持節邊疆掌生殺。”分金:兼寅宜庚寅庚申;兼卯宜丁卯丁酉。

卯龍の第一種の穴は坐甲向庚なり。卯龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐甲朝庚と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。微かに「乙」の字を加えて、癸卯一龍の正氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》の第五條は説く。穴は宜しく甲に坐し、「陽衡」(即ち卯)の氣は左耳より發動す。穴は西獸(白虎、右邊)に挨して「天官」(即ち乙)位を加えて、日後は節を持して邊疆を鎭守し、生殺の權を執掌する能くし。分金の用法は、坐向の寅を兼するは、宜しく庚寅庚申分金を用い、卯を兼するは、宜しく丁卯丁酉分金を用うべし。

第二宜坐乙向辛穴。卯龍入首右落,穴乙向辛,宜挨青龍加甲半分,取癸卯正氣貫右耳。《催官詩》云:“阿香(卯)東來穴天官(乙),氣貫右耳神靈安。微加甲位穴粘左,先文後武榮官權。”分金:兼卯宜辛卯辛酉;兼辰宜丙辰丙戌。

卯龍の第二種の穴は坐乙向辛なり。卯龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐乙朝辛と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。「甲」の字半分を加えて、癸卯一龍の正氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「阿香」(雷神の名、卯位の震雷を指す)は東より自りて來りて、穴を「天官」(即ち乙)の上に點ずれば、氣は右耳を貫けば則ち神靈は安穩なり。微かに甲位を加え、穴身は左に貼して、先に文を以て身を進め・後に武權を掌るを主り、官位は榮顯なり。分金の用法は、坐向の卯を兼するは、宜しく辛卯辛酉分金を用い、辰を兼するは、宜しく丙辰丙戌分金を用うべし。

第三宜坐癸向丁穴。卯龍入首橫落,左來右出,穴癸向丁,宜挨右取癸卯之氣貫左腰。此穴《催官篇》未詳載。分金:兼子宜庚子庚午;兼丑宜丁丑丁未。

卯龍の第三種の穴は坐癸向丁なり。若し卯龍の入首の一節が横にして跌落し、左邊より來りて右邊に向って出でば、穴は便ち坐癸朝丁と立成し、羅盤は右に偏して、癸卯一龍の氣を左腰より注入するを取る。二徐は注明す。此の一穴は賴布衣《催官篇》の裏に詳細の記載無く、本書が卯龍の氣脈と横落の勢に據って補出するなり。用うる時は更に慎重に龍と穴の真を印證すべく、單に條文に憑って照抄す可からず。分金の用法は、坐向の子を兼するは、宜しく庚子庚午分金を用い、丑を兼するは、宜しく丁丑丁未分金を用うべし。

乙龍の穴

第一宜坐艮向坤穴。乙龍入首橫落,左來右出,穴艮向坤,宜粘右取庚辰正乙脈貫左腰。《催官詩》云:“天官(乙)坤向穴天市(艮),氣奔左腧乃為利。亢金微加穴粘左,亦主富貴人招贅。”分金:兼丑宜辛丑辛未;兼寅宜丙寅丙申。

乙龍は只だ一種の穴あり:坐艮向坤。乙龍の入首の一節が横にして跌落し、左より來りて右に向って出でば、穴は坐艮朝坤と立成し、穴身は右邊に貼向して、庚辰一龍の正乙の脈を左腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天官」(即ち乙)の龍を以て、坤に朝するの向を以て、穴を「天市」(即ち艮)位の上に點ずれば、氣は左腰に奔るこそ利ありと算す。「亢金」(即ち辰)は微微と加入して、穴身は左に貼して、亦富貴を主るも、只是家中に招贅女婿の事多し。分金の用法は、坐向の丑を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、寅を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

辰龍の穴

第一宜坐巽向乾穴。辰龍入首右落,穴巽向乾,宜挨左微加乙,取甲辰正氣貫右耳。《催官詩》云:“亢金(辰)穴巽向陽機(幹),氣從右耳為合矩。天官(乙)微加穴粘左,鉅富但恐無期頤。”分金:兼辰宜庚辰庚戌;兼巳宜丁巳丁亥。

辰龍の第一種の穴は坐巽向干なり。辰龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐巽朝干と立成し、羅盤は略偏左して微かに「乙」の字を加え、甲辰一龍の正氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「亢金」(即ち辰)の龍は穴を巽位に立てて「陽機」(即ち干)に朝向せば、氣は右耳より進みて來るこそ法度に合乎と算す。微かに「天官」(乙)を加え、穴身は左に貼して、巨富を主るも、只だ怕れは期頤の高壽を享けること難し。「期頤」は百歲の壽を指す。分金の用法は、坐向の辰を兼するは、宜しく庚辰庚戌分金を用い、巳を兼するは、宜しく丁巳丁亥分金を用うべし。

第二宜坐艮向坤穴。辰龍入首左落,穴艮向坤,宜挨右微加乙,取甲辰正氣貫左腰。《催官詩》云:“亢金(辰)行龍向玄戈(坤),左腰乘氣力比和。天官(乙)微加穴挨左,龍要精異局關鎖。”分金:兼丑宜辛丑辛未;兼寅宜丙寅丙申。

辰龍の第二種の穴は坐艮向坤なり。辰龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐艮朝坤と立成し、羅盤は略偏右して微かに「乙」の字を加え、甲辰一龍の正氣を左腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「亢金」(辰)の龍は「玄戈」(即ち坤)に行向し、左腰より氣を乘ずれば、力量は平和相稱なり。微かに「天官」(乙)を加え、穴身は左に挨するも、然れども必ず來龍の精奇特異・四圍の格局の關鎖周密ならばこそ用い可し。辰は天罡の凶位。故に兩穴は皆反復強調して格局の嚴整なるを要す。分金の用法は、坐向の丑を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、寅を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

巽龍の穴

第一宜坐乙向辛。巽龍入首左落,穴乙向辛,宜挨白虎加巳一分,取辛巳正巽之氣貫左耳。《催官詩》云:“催官第四穴宜乙,陽璇(巽)左氣沖耳入。天官(乙)借坐加青龍(巳),禁闕宸官頒夜值。”分金:兼卯宜辛卯辛酉;兼辰宜丙辰丙戌。

巽龍の第一種の穴は坐乙向辛なり。巽龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐乙朝辛と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。「巳」の字一分を加えて、辛巳一龍の正巽の氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》の第四條は説く。穴は宜しく乙に坐し、「陽璇」(即ち巽)の氣は左邊より衝りて耳に入る。「天官」(乙)を借りて坐山と為して「靑龍」(此れは巳位を指す)を加えて、子孫の禁中に入りて官と為り・宮闕の裏に在りて輪値して夜直するを主る。分金の用法は、坐向の卯を兼するは、宜しく辛卯辛酉分金を用い、辰を兼するは、宜しく丙辰丙戌分金を用うべし。

第二宜坐巳向亥穴。巽龍入首右落,穴巳向亥,宜挨青龍加辰半分,取辛巳正巽之氣貫右耳。《催官詩》云:“太乙(巽)行龍天屏(巳)穴,右耳乘氣真奇絕。亢金(辰)殺位勿加多,鉅富小貴人英傑。”分金:兼巽宜辛巳辛亥;兼丙宜丁巳丁亥。

巽龍の第二種の穴は坐巳向亥なり。巽龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐巳朝亥と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。「辰」の字半分を加えて、辛巳一龍の正巽の氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「太乙」(巽の別名)の行龍して「天屛」(即ち巳)の穴を結ばば、右耳より氣を乘ずるは真に奇絶なり。不過「亢金」(辰)は殺位、只だ微加す可く、切に多加する可からず。此の如くなれば則ち巨富・小貴を主り、人の英傑を出す。分金の用法は、坐向の巽を兼するは、宜しく辛巳辛亥分金を用い、丙を兼するは、宜しく丁巳丁亥分金を用うべし。

第三宜坐坤向艮穴。巽龍入首橫落,右來左出,穴坤向艮,宜挨左取辛巳正巽之氣貫左腰。《催官詩》云:“太乙(巽)行龍向陽樞(艮),右腰乘氣無差殊。砂奇水秀龍精異,詩禮富貴多金珠。”分金:兼未宜辛未辛丑;兼申宜丙寅丙申。

巽龍の第三種の穴は坐坤向艮なり。巽龍の入首の一節が横にして跌落し、右邊より來りて左邊に向って出でば、穴は坐坤朝艮と立成し、羅盤は左に偏して、辛巳一龍の正巽の氣を腰間より注入するを取る。《催官篇》は説く。「太乙」(巽)の龍は「陽樞」(即ち艮)に行向し、腰上より氣を乘ずれば竝びに差錯無し。只だ砂形の奇特・水勢の淸秀・來龍の精異あらば、便ち詩書禮樂の家を傳え・富貴にして金珠多きを主る。正文は左腰を貫くと言い、詩の中は右腰を言うは、横落の左右出づる不同するに就いて言うなり。用うる時は實際の入首を以て準と為す。分金の用法は、坐向の未を兼するは、宜しく辛未辛丑分金を用い、申を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

巳龍の穴

第一宜坐巳向亥穴。巳龍入首宜挨左右,取巽丙之氣入穴,坐巳向亥,亦主富貴。《催官詩》云:“赤蛇(巳)頭向天門北,直來直向神功裂。巽丙受穴最為良,富貴榮華人英傑。”分金:兼巽宜辛巳辛亥;兼丙宜丁巳丁亥。

巳龍は只だ一種の穴あり:坐巳向亥。巳龍の入首する時、穴を立てて要として左あるいは右に向って稍稍挪開して、兩旁の「巽」と「丙」の氣を借取して穴の中に注入し、坐巳朝亥にして、亦能く富貴を主る。《催官篇》は説く。「赤蛇」(巳の星名)の頭は北方の天門(亥位)に朝向し、直來直受して、その神功は天工の開裂するが如し。然れども真に穴を受くるは還お巽・丙兩邊の氣を取るを最も好と為し、富貴榮華・人の英傑を出すを主る。見るべし、巳龍は純に本氣を受くるを宜しとせず。須らく旁氣を借りてその燥烈を化すべし。分金の用法は、坐向の巽を兼するは、宜しく辛巳辛亥分金を用い、丙を兼するは、宜しく丁巳丁亥分金を用うべし。

丙龍の穴

第一宜坐巳向亥穴。丙龍入首左落,穴巳向亥,宜稍挨右,取正丙氣貫左耳。此穴《催官》未載,以統在巳龍內也。分金:兼巽宜辛巳辛亥;兼丙宜丁巳丁亥。第二宜坐甲向庚穴。丙龍入首左落,穴甲向庚,宜稍挨右,取正丙氣貫左耳。《催官》未載。分金:兼寅宜庚寅庚申;兼卯宜丁卯丁酉。

丙龍の第一種の穴は坐巳向亥なり。丙龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐巳朝亥と立成し、羅盤は稍稍右に偏して、純正の丙氣を左耳より注入するを取る。二徐は注明す。此の一穴は賴布衣《催官篇》に記載無し。それ已に歸幷して巳龍の一條の内に在るを以てなり。分金の用法は、坐向の巽を兼するは、宜しく辛巳辛亥分金を用い、丙を兼するは、宜しく丁巳丁亥分金を用うべし。第二種の穴は坐甲向庚なり。丙龍の入首の一節が左に向って跌落する時も、亦坐甲朝庚と立成す可し。羅盤は稍右に偏して、正丙の氣を左耳より注入するを取る。此の一穴は《催官篇》も同じく未だ載せず。分金の用法は、坐向の寅を兼するは、宜しく庚寅庚申分金を用い、卯を兼するは、宜しく丁卯丁酉分金を用うべし。

第三宜坐乙向辛穴。丙龍入首左落,穴乙向辛,宜稍挨右,取丙氣貫左腰。“催官第八丙龍乙,氣沖左腰英才出。太微(丙)之龍穴粘巳,左氣貫耳富而己。”分金:兼卯宜辛卯辛酉;兼辰宜丙辰丙戌。

丙龍の第三種の穴は坐乙向辛なり。丙龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐乙朝辛と立成し、羅盤は稍右に偏して、丙氣を左腰より注入するを取る。引く所の《催官篇》の第八條は説く。丙龍にして乙山に坐すれば、氣は左腰を衝して、英才を出すを主る。若し是れ「太微」(即ち丙)の龍の穴を巳位の上に貼せば、左邊の氣は耳より注ぎ入り、那れは則ち只だ富厚を主る而已。「而己」は即ち「而已」、富にして貴ならずを説くなり。分金の用法は、坐向の卯を兼するは、宜しく辛卯辛酉分金を用い、辰を兼するは、宜しく丙辰丙戌分金を用うべし。

第四宜坐坤向艮穴。丙龍入首左落,穴坤向艮,稍挨左加巳,取正丙氣貫右腰。《催官詩》云:“太微(丙)行龍向陽樞(艮),右腰乘炁無差殊。穴宜挨左加青蛇(巳),亦主人旺家資富。”分金:兼未宜辛未辛丑;兼申宜丙申丙寅。

丙龍の第四種の穴は坐坤向艮なり。丙龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐坤朝艮と立成し、羅盤は稍左に偏して「巳」の字を加え、純正の丙氣を右腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「太微」(即ち丙)の龍は「陽樞」(即ち艮)に行向し、右腰より氣を乘ずれば竝びに差失無し。穴は宜しく左に偏して「靑蛇」(即ち巳位)を加えて、亦人丁の興旺・家資の富厚を主る。「炁」は便ち「氣」の古字なり。分金の用法は、坐向の未を兼するは、宜しく辛未辛丑分金を用い、申を兼するは、宜しく丙申丙寅分金を用うべし。

離龍の穴

第一宜坐丙向壬穴。離龍入首左落,作丙山壬向,宜挨白虎,加丁半分,取丙午正脈貫左耳。《催官詩》云:“催官第十穴天貴(丙),離宮左耳氣從注。微加南極(丁)局周迴,砂水合矩公侯至。”分金:兼巳宜辛巳辛亥;兼午宜丙午丙子。

離龍は便ち午龍、第一種の穴は坐丙向壬なり。離龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、丙山壬向と作し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。「丁」の字半分を加えて、六十龍の中の丙午の此の一龍の正脈を左耳より注入するを取る。賴布衣《催官篇》の第十條は説く。穴を「天貴」(即ち丙)の上に點ずれば、離宮の龍氣は左耳より灌注して進み來る。微かに「南極」(即ち丁)を加えて四圍の格局は回環周密にして、砂水は又法度に合乎せば、公侯の貴は便ち手に到る可し。分金の用法は、坐向の巳を兼するは、宜しく辛巳辛亥分金を用い、午を兼するは、宜しく丙午丙子分金を用うべし。

第二宜坐丁向癸穴。離龍入首右落,穴丁向癸,宜挨青龍加丙半分,取丙午正離脈貫右耳。《催官詩》云:“離山岧嶤應日星,丁穴右耳乘陽精(午),微加天貴(丙)毫釐位,立見驟富官職榮。”分金:兼午宜庚午庚子;兼未宜丁未丁丑。

離龍の第二種の穴は坐丁向癸なり。離龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐丁朝癸と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。「丙」の字半分を加えて、丙午一龍の正離の脈を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。離山は高峻挺拔して、上は太陽の星に應ず。坐丁の穴は右耳より「陽精」(即ち午)の氣を承受し、再び微微と「天貴」(即ち丙)のあの一毫釐の位を加進せば、立刻に便ち驟然に富を發し、官職は榮顯なり。「岧嶤」は山勢の高聳を形容す。分金の用法は、坐向の午を兼するは、宜しく庚午庚子分金を用い、未を兼するは、宜しく丁未丁丑分金を用うべし。

丁龍の穴

第一宜坐坤向艮穴。丁龍入首右落,穴坤向艮,宜挨青蛇加午一分,取癸未正丁之氣貫右耳。《催官詩》云:“催官第七穴宜坤,南極(丁)氣從右耳奔。要使亢陰(坤)勿貫穴,微加天馬(午)榮家門。”分金:兼未宜辛未辛丑;兼申宜丙申丙寅。

丁龍の第一種の穴は坐坤向艮なり。丁龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐坤朝艮と立成し、羅盤は「靑蛇」の一邊に偏向す(靑蛇は即ち靑龍、穴の左方を指す)。「午」の字一分を加えて、癸未一龍の正丁の氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》の第七條は説く。穴は宜しく坤に坐し、「南極」(即ち丁)の氣は右耳より直奔して來る。關鍵は「亢陰」(即ち坤本身の陰煞の氣)をして穴の中に貫入せしめざるを要し、只だ須らく微かに「天馬」(即ち午)の位を加えれば、便ち家門を光耀する能くし。分金の用法は、坐向の未を兼するは、宜しく辛未辛丑分金を用い、申を兼するは、宜しく丙申丙寅分金を用うべし。

第二宜坐巳向亥穴。丁龍入首左落,穴巳向亥,宜挨白虎加未一分,取正丁脈癸未之氣貫左耳。《催官詩》云:“南極(丁)行龍天皇(亥)向,氣沖左耳最為上。穴粘西獸微加羊(未),陽權(午)慎勿毫釐間。”分金:兼巽宜辛巳辛亥;兼丙宜丁巳丁亥。

丁龍の第二種の穴は坐巳向亥なり。丁龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐巳朝亥と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。「未」の字一分を加えて、正丁の脈即ち癸未一龍の氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「南極」(丁)の龍は「天皇」(即ち亥)に朝向し、氣は左耳を衝すこそ最も上等の格局なり。穴は西獸(白虎、右邊)に貼して微かに「羊」位を加えて(羊は即ち未)、然れども「陽權」(即ち午)に對しては格外に當心して、一毫一釐も侵入す可からず。分金の用法は、坐向の巽を兼するは、宜しく辛巳辛亥分金を用い、丙を兼するは、宜しく丁巳丁亥分金を用うべし。

未龍の穴

第一宜坐坤向艮穴。未龍入首右落,穴坤向艮,宜挨右微加丁,取丁未正脈貫右耳。《催官詩》云:“未山起伏龍向艮,天宇(未)氣沖右耳進。穴挨左位帶丁來,左道榮華貴顯盛。”分金:兼未宜辛未辛丑;兼申宜丙寅丙申。

未龍は只だ一種の穴あり:坐坤向艮。未龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐坤朝艮と立成し、羅盤は略偏右して微かに「丁」の字を加え、丁未一龍の正脈を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。未山の龍は起伏して來りて艮位に朝向し、「天宇」(即ち未)の氣は右耳より衝りて入る。穴身は左に挨して丁氣を帶進して、旁門左道より榮華を致すを主り、貴顯は甚だ盛んなり。此れは上卷の未龍の「左道榮貴」と言うに正しく相呼應し、知るべしその貴は正途に由らず。分金の用法は、坐向の未を兼するは、宜しく辛未辛丑分金を用い、申を兼するは、宜しく丙寅丙申分金を用うべし。

坤龍の穴

第一宜坐丁向癸穴。坤龍入首左落,作丁穴癸向,宜挨白虎微加申半分,取甲申正坤脈貫左耳。《催官詩》云:“丁穴迴環局周鎖,玄戈(坤)耳入氣沖左。穴挨西獸微加申,龍脈真奇發如火。”分金:兼午宜庚午庚子;兼未宜丁未丁丑。

坤龍は只だ一種の穴あり:坐丁向癸。坤龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、丁山癸向と作し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。微かに「申」の字半分を加えて、甲申一龍の正坤の脈を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。丁に坐するの穴は要として四圍回環・格局の關鎖周密にして、「玄戈」(即ち坤)の氣は左耳より衝りて入る。穴身は西獸(白虎、右邊)に挨して微かに申位を加え、只だ龍脈の真にして奇特あらば、福を發すること火の如く速し。分金の用法は、坐向の午を兼するは、宜しく庚午庚子分金を用い、未を兼するは、宜しく丁未丁丑分金を用うべし。

申龍の穴

第一宜坐丁向癸穴。申龍入首左落,穴丁向癸,宜挨右微加坤,取戊申正脈貫左耳。《催官詩》云:“申山局向陽光(癸)宮,左耳乘氣力為重。玄戈(坤)微加穴粘右,龍尊穴美家資豐。”此穴主富。分金:兼午宜庚午庚子;兼未宜丁未丁丑。

申龍の第一種の穴は坐丁向癸なり。申龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐丁朝癸と立成し、羅盤は略偏右して微かに「坤」の字を加え、戊申一龍の正脈を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。申山の局は「陽光」(即ち癸)の宮に朝向し、左耳より氣を乘ずれば、力量は最も重し。微かに「玄戈」(即ち坤)を加え、穴身は右に貼して、只だ來龍の尊貴・穴場の秀美あらば、家資は便ち豐厚なり。二徐は注明す。此の一穴は富を主る。分金の用法は、坐向の午を兼するは、宜しく庚午庚子分金を用い、未を兼するは、宜しく丁未丁丑分金を用うべし。

第二宜坐庚向甲穴。申龍入首右落,穴庚向甲,宜挨左微加坤,取戊申正脈貫右耳。《催官詩》云:“天閣(庚)龍坐天漢宮,氣從右耳乘正龍。微加天鉞(坤)輔龍行,水朝局鎖人財隆。”此穴旺人。分金:兼申宜庚申庚寅;兼酉宜丁酉丁卯。

申龍の第二種の穴は坐庚向甲なり。申龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐庚朝甲と立成し、羅盤は略偏左して微かに「坤」の字を加え、戊申一龍の正脈を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天閣」(即ち庚)の位に坐して、天漢の一宮に屬し、氣は右耳より正龍を承接す。微かに「天鉞」(即ち坤)を加えて來りて龍行を輔助し、再び水の來朝・局勢の關鎖あらば、人丁と財帛とは皆興隆せん。二徐は注明す。此の一穴は人丁を旺さす。分金の用法は、坐向の申を兼するは、宜しく庚申庚寅分金を用い、酉を兼するは、宜しく丁酉丁卯分金を用うべし。

庚龍の穴

第一宜坐酉向卯穴。庚龍入首右落,穴酉向卯,宜挨左加申一分,取乙酉正庚之氣貫右耳。《催官詩》云:“催官第六向東震,天潢(庚)氣從右耳進。微加申位多榮名,富壓鄉邦眾欽信。”分金:兼庚宜辛酉辛卯;兼辛宜丁酉丁卯。

庚龍の第一種の穴は坐酉向卯なり。庚龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐酉朝卯と立成し、羅盤は略偏左して「申」の字一分を加え、乙酉一龍の正庚の氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》の第六條は説く。東方の震位に朝向して、「天潢」(即ち庚)の氣は右耳より進み來る。微かに申位を加えて、多く榮顯の名聲を得、財富は鄕邦に冠絶し、衆人の敬信する所と爲ん。分金の用法は、坐向の庚を兼するは、宜しく辛酉辛卯分金を用い、辛を兼するは、宜しく丁酉丁卯分金を用うべし。

第二宜坐坤向艮穴。庚龍入首左落,穴坤向艮,宜挨白虎加酉一分,取乙酉正庚之氣貫左耳。《催官詩》云:“天潢(庚)正向天市(艮)星,氣奔左耳真奇清。微加西兌穴挨右,水朝局備家資盈。”分金:兼未宜辛未辛丑;兼申宜丙申丙寅。

庚龍の第二種の穴は坐坤向艮なり。庚龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐坤朝艮と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。「酉」の字一分を加えて、乙酉一龍の正庚の氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天潢」(庚)は正しく「天市」(即ち艮)星に對し、氣は左耳に奔りて、真に奇特淸純なり。微かに西邊の兌位を加え、穴身は右に挨して、只だ水の來朝・格局の完備あらば、家資は便ち充盈す。分金の用法は、坐向の未を兼するは、宜しく辛未辛丑分金を用い、申を兼するは、宜しく丙申丙寅分金を用うべし。

酉龍の穴

第一宜坐坤向艮穴。酉龍入首左落,穴坤向艮,宜挨白虎加辛一分,取己酉正兌氣貫左耳。“催官第九兌山艮,左氣沖耳無多紊。略加天乙(辛)青龍來,亦主文章典州郡。”分金:兼未宜辛未辛丑;兼申宜丙申丙寅。

酉龍の第一種の穴は坐坤向艮なり。酉龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐坤朝艮と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。「辛」の字一分を加えて、己酉一龍の正兌の氣を左耳より注入するを取る。引く所の《催官篇》の第九條は説く。兌龍にして山に坐し艮に朝せば、左邊の氣は耳を衝りて來りて、竝びに紊亂せず。略々「天乙」(即ち辛)の一路の靑龍の氣を加進せば、亦文章を以て名を顯し・一州一郡の長官に出任するを主る。分金の用法は、坐向の未を兼するは、宜しく辛未辛丑分金を用い、申を兼するは、宜しく丙申丙寅分金を用うべし。

第二宜坐乾向巽穴。酉龍入首右落,穴乾向巽,宜挨青龍加庚一分,取正兌脈貫右耳。《催官詩》云:“氣沖右耳天廄(幹)虛”,言不立乾穴,使幹虛而立亥穴耳。分金:兼戌宜庚戌庚辰;兼亥宜丁亥丁巳。

酉龍の第二種の穴は坐干向巽なり。酉龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐干朝巽と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。「庚」の字一分を加えて、純正の兌脈を右耳より注入するを取る。《催官篇》は只だ一句あり。氣は右耳を衝して「天廐」(即ち干)位は要として虚せよ。二徐は解釋して説く。此の句の意思は真に穴を干字の上に立てる勿れにして、而して干位を空しく置きて、別に亥字の上に立てて氣を受くべし。見るべし、此の條は名は干穴と曰うも、實際の用法は卻って亥に在り。讀者は切に字面に照って死看する勿れ。分金の用法は、坐向の戌を兼するは、宜しく庚戌庚辰分金を用い、亥を兼するは、宜しく丁亥丁巳分金を用うべし。

第三宜坐亥向巳穴。酉龍入首右落,穴亥向巳,宜挨青龍加庚一分,取正己酉脈貫右耳。《催官詩》云:“金雞(酉)來泊天門(亥)啼,氣沖右耳天廄(幹)虛。微加天潢(庚)水砂朝,少年一舉登科第。”分金:兼乾宜辛亥辛巳;兼壬宜丁亥丁巳。

酉龍の第三種の穴は坐亥向巳、正しく上の一條の説く所の正法なり。酉龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐亥朝巳と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。「庚」の字一分を加えて、己酉一龍の正脈を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「金雞」(即ち酉)は飛び來りて「天門」(即ち亥)の上に停まりて啼けば、氣は右耳を衝して「天廐」(干位)は空を留む。再び微かに「天潢」(即ち庚)を加えて、水の朝し砂の拱するあらば、少年にして一擧に科第に考中するを主る。分金の用法は、坐向の干を兼するは、宜しく辛亥辛巳分金を用い、壬を兼するは、宜しく丁亥丁巳分金を用うべし。

辛龍の穴

第一宜坐乾向巽穴。辛龍入首右落,穴乾向巽,宜挨青龍微加酉,取丙戌正辛之氣貫右耳。詩云:“催官第三穴天廐(幹),天乙行龍右耳受。挨左立穴加少微(酉),中男及第紆紫綬。”分金:兼戌宜庚戌庚辰;兼亥宜丁亥丁巳。

辛龍の第一種の穴は坐干向巽なり。辛龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐干朝巽と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。微かに「酉」の字を加えて、丙戌一龍の正辛の氣を右耳より注入するを取る。賴布衣《催官篇》の第三條は説く。穴を「天廐」(即ち干)の上に點ずれば、「天乙」(即ち辛)の龍は右耳より氣を受く。左に挨して穴を立てて「少微」(即ち酉)を加えて、中間の一房の兒子が科第に考中し・紫色の綬帶を佩して高官と爲るを主る。「紆紫綬」は紫綬を係佩すること、唐宋以來三品以上の官員の服色なり。分金の用法は、坐向の戌を兼するは、宜しく庚戌庚辰分金を用い、亥を兼するは、宜しく丁亥丁巳分金を用うべし。

第二宜坐酉向卯穴。辛龍入首右落,穴酉向卯,宜挨白虎加戌一分,取丙戌正辛之氣貫左耳。詩云:“陰璇(辛)天西向東震,陰璇(辛)氣從左耳進。微侵婁(申)位勿加多,巡警小官亦英俊。”分金:兼庚宜辛酉辛卯;兼辛宜丁酉丁卯。

辛龍の第二種の穴は坐酉向卯なり。辛龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐酉朝卯と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。「戌」の字一分を加えて、丙戌一龍の正辛の氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「陰璇」(即ち辛)は天の西に在りて東方の震位に朝向し、陰璇の氣は左耳より進み來る。以て略々婁宿の位に侵入す可くするも、然れども切に多加する可からず。此の如くなれば雖も只だ巡檢警備の類の小官と爲すも、人物は還お英俊なり。詩の中の「婁」の字の下に底本は「申」と注し、婁宿は戌に屬するに按れば、當に戌を以て是と爲すべし。今は仍ほ照録して改めず。分金の用法は、坐向の庚を兼するは、宜しく辛酉辛卯分金を用い、辛を兼するは、宜しく丁酉丁卯分金を用うべし。

第三宜坐坤向艮穴。辛龍入首橫落,左來右出,穴坤向艮,宜挨右取丙戌之氣貫左腰。《催官詩》云:“陰璇(辛)龍向天市(艮)垣,氣從左腧推其原。玉堂金馬無分到,儒官俊雅多田園。”分金:兼未宜辛未辛丑;兼申宜丙申丙寅。

辛龍の第三種の穴は坐坤向艮なり。辛龍の入首の一節が横にして跌落し、左邊より來りて右邊に向って出でば、穴は坐坤朝艮と立成し、羅盤は右に偏して、丙戌一龍の氣を左腰より注入するを取る。《催官篇》は説く。「陰璇」(辛)の龍は「天市」(即ち艮)の垣に朝向し、氣は左腰より進み來りて、其の根源を推究すれば便ち此に在り。只是玉堂金馬の那樣の淸貴の職は手に分けて到らず、不過些かの文雅の儒官を出す、田園は卻って少なからず。玉堂・金馬は漢代の宮署の名、後世は用いて翰林の淸要の選を代指す。分金の用法は、坐向の未を兼するは、宜しく辛未辛丑分金を用い、申を兼するは、宜しく丙申丙寅分金を用うべし。

戌龍の穴

第一宜坐辛向乙穴。戌龍入首左落,穴辛向乙,宜挨右加酉,取庚戌正氣貫左耳。《催官詩》云:“戌龍迢迢穴向乙,鼓盆(戌)左氣奔耳入。龍行起伏向洋朝,鉅富但恐人殘疾。”分金:兼酉宜辛酉辛卯;兼戌宜丙戌丙辰。

戌龍は只だ一種の穴あり:坐辛向乙。戌龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐辛朝乙と立成し、羅盤は右に偏して「酉」の字を加え、庚戌一龍の正氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。戌龍は遠遠と來りて、穴は乙位に朝して、「鼓盆」(戌の星名)の氣は左邊より奔りて耳中に入る。只だ來龍の起伏に勢あり・前に大水の朝堂あらば、巨富を主るも、只だ怕れは家中に殘疾の人あらん。「鼓盆」の典は《莊子》の莊周の妻死して盆を鼓して歌うに出づ。故に戌位は喪偶殘缺の象を帶ぶ。分金の用法は、坐向の酉を兼するは、宜しく辛酉辛卯分金を用い、戌を兼するは、宜しく丙戌丙辰分金を用うべし。

干龍の穴

第一宜坐辛向乙穴。幹龍入首左落,穴辛向乙,宜挨右微加戌,取丁亥正氣貫左耳。《催官詩》云:“陽機(幹)來龍宜向乙,迢迢左氣從耳入。穴宜挨右微加婁(戌),水朝局備家資寔。”分金:兼酉宜辛酉辛卯;兼戌宜丙戌丙辰。

干龍の第一種の穴は坐辛向乙なり。干龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐辛朝乙と立成し、羅盤は略偏右して微かに「戌」の字を加え、丁亥一龍の正氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「陽機」(即ち干)の來龍は宜しく乙位に朝向して、遠遠と來るの龍氣は左耳より進入す。穴は宜しく右に挨して微かに「婁」宿の位を加えて(婁宿は戌に屬す)、只だ水の來朝・格局の完備あらば、家資は便ち殷實なり。「寔」は即ち「實」の字なり。上卷は干龍の本は大不祥を主ると説き、此處に獨り坐辛の一向を取るは、正しく其の氣の耳より入り・又戌婁の調劑あるの故を取るなり。分金の用法は、坐向の酉を兼するは、宜しく辛酉辛卯分金を用い、戌を兼するは、宜しく丙戌丙辰分金を用うべし。

亥龍の穴

第一宜坐壬向丙穴。亥龍入首右落,穴壬向丙,宜挨青龍微加乾半分,取辛亥正氣貫右耳。《催官詩》云:“催官第一天輔(壬)穴,天皇(亥)氣從右耳接。穴宜挨左微加乾,天皇貫穴氣無洩,四神八將俱朝迎,紫綬金章在前列。”分金:兼亥宜辛亥辛巳;兼子宜丙子丙午。

亥龍の第一種の穴は坐壬向丙、此れは《催官篇》の全書が第一位に列するの至貴の格なり。亥龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐壬朝丙と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。微かに「干」の字半分を加えて、辛亥一龍の正氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》の第一條は説く。穴を「天輔」(即ち壬)の上に點ずれば、「天皇」(即ち亥)の氣は右耳より接し進む。穴は宜しく左に挨して微かに干位を加え、天皇の氣をして穴を貫きて外泄せざらしめ、若し再び四神八將が各々其の位に按って來りて朝迎せば、紫綬金章の貴顯は便ち眼前に擺す。分金の用法は、坐向の亥を兼するは、宜しく辛亥辛巳分金を用い、子を兼するは、宜しく丙子丙午分金を用うべし。

第二宜坐乾向巽穴。亥龍入首左落,穴乾向巽,宜挨白虎微加壬半分,取癸亥之氣貫左耳。《催官詩》云:“天皇(亥)氣射天廄(幹)星,微挨西獸加壬行。天廐(幹)穴空始為吉,左耳受氣官資榮。”分金:兼戌宜庚戌庚辰;兼亥宜丁亥丁巳。

亥龍の第二種の穴は坐干向巽なり。亥龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐干朝巽と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。微かに「壬」の字半分を加えて、癸亥一龍の氣を左耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天皇」(亥)の氣は直射して「天廐」(即ち干)星に至り、穴を立つる時は微微と西獸(白虎、右邊)に挨して壬字を帶びて行け。干位は本身空しく置いて受けず、こそ吉と算し、左耳をして龍氣を承接せしめば、官祿は自然に榮顯なり。此れは前面の酉龍の「干虚立亥」と同じく一路の手法。凡そ干字に遇えば皆當中に正坐す可からず。分金の用法は、坐向の戌を兼するは、宜しく庚戌庚辰分金を用い、亥を兼するは、宜しく丁亥丁巳分金を用うべし。

第三宜坐癸向丁穴。亥龍入首右落,穴癸向丁,宜挨青龍加乾一分,取辛亥正氣貫右耳。《催官詩》云:“天皇(亥)氣沖穴北道,挨左立穴為樞要。稍加乾位細推詳,右耳乘氣毋沖腦。”分金:兼子宜庚子庚午;兼丑宜丁丑丁未。

亥龍の第三種の穴は坐癸向丁なり。亥龍の入首の一節が右に向って跌落すれば、穴は坐癸朝丁と立成し、羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。「干」の字一分を加えて、辛亥一龍の正氣を右耳より注入するを取る。《催官篇》は説く。「天皇」(亥)の氣は北路より衝りて來りて、左に挨して穴を立つるは其の中の關鍵なり。稍か干位を加うるも還お仔細に分寸を推詳し、務めて龍氣をして右耳より乘入せしめ、直に穴腦を衝す可からず。言う所の「衝腦」は、來氣の正しく穴頂に對して硬撞することを指し、氣の太急なれば則ち穴を傷る。故に須らく偏側して之を受くべし。分金の用法は、坐向の子を兼するは、宜しく庚子庚午分金を用い、丑を兼するは、宜しく丁丑丁未分金を用うべし。

第四宜坐酉向卯穴。亥龍入首左落,穴酉向卯,宜挨白虎,取辛氣貫左耳,亦主貴富旺人。此穴《催官》未載,以其亥氣入腰故耳。今取辛氣貫耳則吉。分金:兼甲宜辛卯辛酉;兼乙宜丁卯丁酉。

亥龍の第四種の穴は坐酉向卯なり。亥龍の入首の一節が左に向って跌落すれば、穴は坐酉朝卯と立成し、羅盤は白虎に偏向す。即ち右邊なり。辛氣を左耳より注入するを取りて、亦貴顯・富厚・人丁の興旺を主る。二徐は説明す。此の一穴は《催官篇》に收めず。原因は賴氏の算法に照れば、此處の亥氣は只だ腰間より進入すること能くして、其の耳の氣を受くるを上と爲すの標準に合せざればなり。今は改めて旁邊の辛氣を取りて耳より注入すれば、便ち轉じて吉と爲す。此れは正しく本書の前賢の成法に對して變通する所有るの處。用うる時は須らく自ら分金を格準して、兩法を混用す可からず。分金の用法は、坐向の甲を兼するは、宜しく辛卯辛酉分金を用い、乙を兼するは、宜しく丁卯丁酉分金を用うべし。

第五宜坐丑向未穴。亥龍入首右落,左出橫脈作穿針斗斧之穴,宜挨青龍,取辛亥正氣貫右腰。《催官》不載。若龍真穴美,葬善時宜,亦主富貴。分金:兼癸宜辛丑辛未;兼艮宜丁丑丁未。

亥龍の第五種の穴は坐丑向未なり。亥龍の入首の一節が右に向って跌落して、卻って左邊より一條の横脈を横出して、言う所の「穿針鬭斧」の穴を結ぶ。穿針は脈の側旁より細細と穿りて入ること線の針孔を過ぐるが如く、鬭斧は穴形の斧背にして柄を受くるが如し。皆是横受側結の名目なり。穴を立つる時に羅盤は靑龍に偏向す。即ち左邊なり。辛亥一龍の正氣を右腰より注入するを取る。此の一穴は《催官篇》も未だ收録せざるも、然れども只だ來龍の真・穴場の美し・下葬の又吉日良時を選得せば、同じく富貴を主る。分金の用法は、坐向の癸を兼するは、宜しく辛丑辛未分金を用い、艮を兼するは、宜しく丁丑丁未分金を用うべし。

上諸穴凡稱《催官詩》者,即賴氏《催官篇》也,其挨左挨右,與夫所加分數,取龍氣貫入於耳,貫入於腰等訣,毫釐之間,不可有失。先輩所謂“用卦不用卦,卦向穴中作。”又云“乘氣慎勿差毫釐,此而有誤,變吉為凶。”可不慎哉!學者須明師口傳,不可臆度。

以上の各穴に凡そ《催官詩》を稱引するは、皆宋代の賴文俊(世は賴布衣と稱す)の著す所の《催官篇》に出づ。其の中の挨左を説き・挨右を説き、および加うる所の分數の多少、龍氣を耳部より注入し・腰部より注入するを取る等の口訣は、分寸は皆毫釐の間に在りて、一点も差失ある可からず。前輩の説く所の「卦を用う卦を用いず、卦は向にして穴の中に作る」は、意思は羅盤の上の卦位は固より用いるも、真の取捨は卻って要として穴場の上に臨機に決定す。又説く。「氣を乘ずるは愼みて毫釐を差る勿れ、此れにして誤あれば、吉を變じて凶と爲す」。一旦分金の一線を差せば、吉地は立刻に凶地と變ず。怎んぞ謹愼せざるを得んや。學習する人は必ず明師の當面の口傳心授を得て、切に憑空に臆測推度す可からず。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷八之二

德興山人徐善繼述同著。

本卷は仍ほ「德興山人徐善繼・徐善述同着」と題す。前の一卷は龍と穴の配合を講じ、此の一卷は「砂」法に轉入して、穴場の四圍の諸山を天星の方位に按って吉砂三十四格・凶砂二十五格に分成し、逐條に開列して、穴に臨む時の對照檢點に供す。

吉砂類凡そ三十四格

四神全:乾坤艮巽曰四神,皆有峰巒高嶂,主貴。缺一亦減福力,故曰四神全。八將備:艮丙巽辛兌丁震庚曰八將,亦曰八貴,皆有峰巒齊起相應,主貴。賴氏云:“四神八將應位起,龍真穴的齊盧崔。”

第一格は「四神全」と叫ぶ。干・坤・艮・巽の四箇の隅位を「四神」と稱し、此の四方は皆高聳の山峰大嶂あるを要して、貴顯を主る。一方を缺けば福力は便ち減ず。故に必ず四位の俱全なるをこそ「四神全」と叫ぶ。第二格は「八將備」と叫ぶ。艮と丙・巽と辛・兌と丁・震と庚、此の八箇の方位を「八將」と稱し、亦「八貴」と叫ぶ。八處は皆峰巒ありて一齊に勢を起こし・彼此呼應して、貴を主る。賴布衣は説く。四神八將は皆各自の應有の方位の上に峰を起こせば、只だ來龍の真・穴の點得準確あらば、家世は便ち范陽盧氏・淸河崔氏の那樣の世家大族と比肩する能くし。穴の上に立ちて羅盤を以て逐位に點檢するは、砂を審するの第一步なり。

三角峙:艮巽兌曰三角,有峰鼎峙,主富貴。賴氏云:“奇峰列筍有三角,黃金白璧尚華侈。”四維列:四維即四神,有峰高秀,主貴;低而重疊,主富。賴氏云:“催官之砂維四方,雲霄屹立官爵強。四維低峰疊疊起,千倉萬箱耀州里。”

第三格は「三角峙」と叫ぶ。艮・巽・兌の三方を「三角」と稱し、三處は各々山峰ありて鼎の三足の那樣に對峙して立てば、富貴を主る。賴布衣は説く。奇峰は春筍の如く此の三角の位の上に排列すれば、家中の黃金白璧は多くて以て奢華を講究するに足らん。第四格は「四維列」と叫ぶ。四維は便ち前面の説く四神、即ち乾坤艮巽の四隅。此の四處に若し高峻秀麗の峰あらば、貴を主る。若し峰形の低矮にして重重疊疊ならば、則ち富を主る。賴布衣は説く。官を催すの砂は便ち四維の上に在り、高く雲霄に插りて屹立せば、官爵は便ち強し。四維に若し低峰の一疊一疊起こるあらば、則ち千倉萬箱の財富は州里を照耀せん。見るべし、同一の方位にして、峰高きは貴を主り、峰低きは富を主る。全く形勢を看るなり。

三陽起:巽丙丁曰三陽。八國周:甲庚丙壬乙辛丁癸曰八國,皆有峰巒,高嶂周密,極貴。要八位具全,缺一二位則不合格。四勢高:寅申巳亥曰四時,皆有高峰主貴。

第五格は「三陽起」と叫ぶ。巽・丙・丁の三箇の方位を合して「三陽」と稱す。此處の底本は只だ此の一句を出して、吉斷に及ばず。上下文に按れば當に三方に峰竝び起これば則ち貴を主るべし。第六格は「八國周」と叫ぶ。甲・庚・丙・壬と乙・辛・丁・癸の此の八箇の天干の位を「八國」と稱し、八處は皆峰巒あり・高嶂は環繞周密にして、極貴を主る。然れども八位の全備を要求して、一兩位を缺けば便ち合格せず。此の一格と算する能わず。第七格は「四勢高」と叫ぶ。寅・申・巳・亥の四箇の長生の位、正文は「四時」と稱す(底本此の如し)。四處は皆高峰あるは、貴を主る。此の三格は前面の兩格と同じく、皆是先ず羅盤に按って方位を認定し、再び該方に峰あるか無きかを看るなり。

日月明:離為日,坎為月。故子午有峰對峙,名曰日月並明,主貴。若三火不起,而有子午之峰,亦吉。賴氏云:“火星少起日月明,亦主其家生貴子。”或有午峰而無子峰,若得子水來朝,亦吉。賴氏云:“日月不峙太陽高,太陰得水還富豪。”蓋謂其有水為得太陰之體也。

第八格は「日月明」と叫ぶ。離位は火に屬して太陽と爲り、坎位は水に屬して太陰と爲す。故に子・午の兩方は各々山峰ありて南北に對峙するを、「日月竝明」と叫びて、貴を主る。假如南方の丙午丁の三處の火星の峰を起こさずして、而して只だ子・午の兩處の峰あるも、亦吉と算す。賴布衣は説く。火星は雖も起こること少しと雖も、只だ日月の兩峰の分明あらば、亦此の家の貴子を生ずるを主る。又あるいは只だ午方に峰ありて子方に峰無く、若し能く子方の水の來りて穴を朝するを得ば、同じく吉なり。賴布衣は説く。日月の兩峰は對峙する能わずして太陽の一邊は獨り高きも、太陰の一邊は只だ水を得れば、仍ほ富豪たる可し。此れは水は本は陰に屬し、水あれば便ち太陰の本體を得着るに等しくして、以て峰無きの缺を補う能くするを以てなり。

祿馬聚:祿馬之砂,其例不一。有正祿、飛天祿、食祿、正馬,又有借祿、借馬。若得諸般祿馬相聚,極貴。

第九格は「祿馬聚」と叫ぶ。言う所の「祿馬」は、八字と堪輿の中の祿神・驛馬の兩種の神煞を坐山に按って方位の上に推到して、あの一方に峰砂あるか無きかを看る。推排の條例は一種に止まらず。有りて「正祿」、有りて「飛天祿」、有りて「食祿」、有りて「正馬」、此の外に還お「借祿」「借馬」あり。若し能く各種の祿馬の砂をして同時に穴の四圍に聚集せしめば、極貴を主る。下文は各家の起例を附列して、須らく先ず本山の祿馬を定出して何字に落ちるかを、再びあの一字の上に到りて峰巒の有無を察看すべく、憑空に指點す可からず。

諸祿馬の起例此に附す

正祿:子午卯酉艮宮詳,丙壬庚甲癸同鄉,乙辛丁癸陰神位,十二神來坤上當。寅申巳亥幹為祿,坤艮巽宮山宜強。飛天祿:子午卯酉在乾宮,辰戌丑未巽中逢。寅申巳亥居坤上,若得為官便立功。

先ず「正祿」の起例の歌訣を説く。凡そ坐山の子・午・卯・酉なるは、祿位は艮宮の上に到りて査し。丙・壬・庚・甲・癸の此の幾箇の坐山は、祿位は同じく一處に在り。乙・辛・丁・癸は陰神の位に屬して、別に一路を作し。十二神に推來すれば則ち坤位の上に落ちる。凡そ坐山の寅・申・巳・亥なるは、干位を以て祿と爲す。總めて坤・艮・巽の三宮の山勢は宜しく強健有力ならん。再び「飛天祿」の歌訣を説く。子午卯酉の四山の飛祿は干宮に在り、辰戌丑未の四山の飛祿は巽宮に在り、寅申巳亥の四山の飛祿は坤位に在り。此の幾處に若し能く峰を起こさば、出仕の後は便ち功業を建立する能くし。用法は皆先ず坐山に按って祿位を定出してどの一字に落ちるかを、再びあの一字の上に到りて端正の峰の有無を看るなり。

食祿:巡山遊祿要君分,乾兌搜求坎是尊。震巽尋幹為正路,坤離卻向巽宮論。要知坎艮推坤位,福德排來最可珍。若見峰巒尖秀出,子孫車馬滿朝門。正馬:幹用甲為真正馬,坤來尋乙最為強。艮從丙上尋其位,巽向辛峰是馬鄉。若得雙峰連不斷,兒孫兩府佩金章。

「食祿」の歌訣は説く。山を巡りて遊走して食祿を推求して、諸位を請いて分辨淸楚にせん。干山・兌山の食祿は坎位の上に到りて找して、坎位は最も尊し。震山・巽山の食祿は干位を以て正路と爲し。坤山・離山は卻って巽宮の上に到りて論じ。坎山・艮山は則ち坤位に推到す。此の如くして福德の次序に按って排下るこそ最も貴し。凡そ食祿の位に若し尖秀の峰巒の挺出を見ば、子孫の官と爲るの車馬は朝廷の門に擠滿せん。「正馬」の歌訣は説く。干山は甲位を用いて眞正の馬と爲し、坤山は來りて乙位を尋ねて最も強し、艮山は丙位の上より其の馬を找り、巽山は則ち辛方の峰を以て馬鄕と爲す。此れらの馬位に若し能く雙峰の連綿不斷を得ば、兒孫は東西二府の列に在りて金印を佩帶す可し。

驛馬:申子辰山馬艮寅,亥卯未山巽巳尋,巳酉丑山乾亥上,寅午戌山在坤申。借祿借馬:丙借巽為祿馬場,壬借幹為祿馬鄉。申借艮為祿馬地,庚借坤為祿馬方。以上各位有峰簇集,謂之祿馬聚,主貴。亦不必俱有,只數位亦吉。

「驛馬」の歌訣は三合局に依って推す。申子辰の水局の坐山は、驛馬は艮・寅の位に在り。亥卯未の木局の坐山は、驛馬は巽・巳の上に到りて尋ね。巳酉丑の金局の坐山は、驛馬は干・亥の上に在り。寅午戌の火局の坐山は、驛馬は坤・申に落ちる。「借祿借馬」の歌訣は説く。丙山は巽位を借りて祿馬の場と作し、壬山は干位を借りて祿馬の鄕と作し、申山は艮位を借りて祿馬の地と作し、庚山は坤位を借りて祿馬の方と作す。以上の各種の祿馬の位は、只だ峰巒の叢聚あらば、便ち之を「祿馬聚」と叫びて、貴顯を主る。亦必ずしも各種の祿馬の樣樣俱備するを要せず。其の中の幾位を占る能くすれば同じく吉なり。

子宮旺:坎艮震為三男,多峰巒主旺人丁。女山高:巽離兌為三女,其方高秀主女貴。財帛豐:艮為貨財之府,其位山巒高大豐厚叢簇,主多財帛。

「子宮旺」の一格。照《周易》の卦象に、坎は中男・艮は少男・震は長男にして、合して三男の位と稱す。此の三方の峰巒の衆多なるは、人丁の興旺を主る。「女山高」の一格。巽は長女・離は中女・兌は少女にして、合して三女の位と稱す。此の三方の高峻秀麗なるは、家中の女眷の貴顯を主り、あるいは女兒の好人の家に嫁す。「財帛豐」の一格。艮位は貨財の聚る所の府なり。此の一方の山巒の若し高大豐厚・叢聚して簇と成らば、財帛の豊盈を主る。此の三格は皆是先ず卦位を認め・再び該方の山形の高低多寡を看て、前面の天星に按って砂を取るの路數と相輔して行わる。

壽星崇:丁為南極老人星,其位山高,主多壽考。金馬上階:幹在天為天廄,蓄馬之所也。午為正馬,從其肖也。故幹為金馬,午為天馬。二位有馬山,更得兌山高聳,謂之馬上金階,貴。

「壽星崇」の一格。丁位は天上の南極老人星に對應して、壽を主る。此の一方の山勢の高聳なるは、家中に長壽の人多し。「金馬上階」の一格。干位は天上に「天廐」と叫び、馬を養うの地方なり。午は十二生肖の裏に正しく馬に屬す。故にそれを取りて「正馬」と爲す。此れに因って干位は金馬と稱し、午位は天馬と稱す。此の兩處に若し形の馬の如き山あり、再加兌方に高聳の山ありて臺階を作れば、便ち之を「馬上金階」と叫びて、貴を主る。言う所の馬山は、山形の圓にして方を帶び・後に起伏ありて馬背馬鞍の如きを指す。須らく穴に臨みて遠く望みて其の輪廓をこそ認め出だす能くせん。

赤蛇繞印:巳為赤蛇,有印居之,主貴。賴氏云:“赤蛇遶印如圓平,腰懸斗印才縱橫。”太陽昇殿:房、虛、昴、星四日宿在子午卯酉之位,若此四位有太陽金星四面相照,謂之太陽昇殿,主極品之貴,敵國之富。

「赤蛇繞印」の一格。巳位は天星の中に「赤蛇」と叫び、若し此の一方に形の印章の如き方圓の小山ありて其の間に盤踞せば、貴を主る。賴布衣は説く。赤蛇は印を環繞して、印形は要として圓にして平正なり。日後は腰間に斗大の印信を懸げて、才幹は一世に縱横せん。「太陽升殿」の一格。二十八宿の中の房・虚・昴・星の四宿は太陽に屬し、子・午・卯・酉の四正の位に分居す。若し此の四方に皆太陽金星あり——即ち圓頭高聳・形體端正の金形山——四面交々輝映すれば、便ち之を「太陽升殿」と叫びて、位の人臣に極まるの貴・富の國に敵するを主る。

太陰入廟:心、危、畢、張四月宿在甲庚丙壬之位,若此四位有太陰金星四面相照,謂之太陰入廟,主男為附馬,女作宮妃。五氣朝元:火星在南,水星在北,木星居東,金星居西,土星結穴,坐北面南,謂之五氣朝元,亦曰五星守垣,主極貴顯,崇儒廟食。朱文公祖地合此在婺源縣官坑嶺,圖見龍法卷。

「太陰入廟」の一格。二十八宿の中の心・危・畢・張の四宿は太陰に屬し、甲・庚・丙・壬の四箇の天干の位に分居す。若し此の四方に皆太陰金星あり——形體は略扁にして端秀の金形山——四面に交映すれば、便ち之を「太陰入廟」と叫びて、男子の公主を娶得して駙馬と爲り・女子の宮に入りて妃と爲るを主る。「五氣朝元」の一格。火形山は南に在り、水形山は北に在り、木形山は東に在り、金形山は西に在り、中間は土形山を以て穴を結び、北に坐して南に朝せば、便ち之を「五氣朝元」と叫び、亦「五星守垣」と叫びて、極めて貴顯を主り、儒學を崇奉して後世に立廟祭祀を受く。原書は注明す。朱熹先生の祖墳は正しく此の一格に合し、江西婺源縣の官坑嶺に在り、圖形は已に龍法を講ずるのあの一卷に見ゆ。

三火併秀:離為天干火,丙為地祿火,丁為人爵火。三位有峰並秀,極貴。賴氏云:“太陽正火當星馬,丁柳丙張更無價。”蓋丙午丁三位正值南方朱雀之位,而星柳張三宿在焉,故曰“火星宜起應天宿”也。

「三火竝秀」の一格。離(午)位は天干火、丙位は地祿火、丁位は人爵火にして、合して三火と稱す。此の三處に若し山峰の一同に秀出するあらば、極貴を主る。賴布衣は説く。太陽の屬するの正火の位は正當に星宿と天馬の地に當たり、丁位は柳宿に對し・丙位は張宿に對せば、那れは更に無價の格なり。此れは丙・午・丁の三位は正しく南方朱雀の七宿の中に落ち、而して星・柳・張の三宿は恰も此處に在るを以てなり。故に「火星は宜しく起りて天宿に應ずべし」と説く。南方の峰は要として起るこそ、天上の宿度と相應ずるなり。

尊帝當前:丙丁有峰雙峙,也主貴。祿馬拱後:艮祿幹馬二位有山高嶂,主貴。更點明:巽為更點,有峰叢秀,主貴。天鼓振:卯酉艮巽為陽鼓,丙丁辛為陰鼓,有峰方圓,主貴。

「尊帝當前」の一格。丙・丁の兩位に若し山峰ありて雙々穴前に對峙せば、亦貴を主る。南方は帝座の臨む所の方なるを以てなり。「祿馬拱後」の一格。艮は祿位・干は馬位と爲り、此の兩處に高山大嶂ありて穴の後に拱衛するは、貴を主る。「更點明」の一格。巽位は天星の中に更漏の點數を主り、此の一方に若し峰巒の叢聚して秀麗あらば、貴を主る。「天鼓振」の一格。卯・酉・艮・巽の四位は陽鼓に屬し、丙・丁・辛の三位は陰鼓に屬す。此れらの方位に若し方圓端正の峰ありて、鼓面の高く張るが如くば、貴を主る。以上の四格は皆穴外の應位の峰を起くるの應に屬し、須らく逐位に羅盤に對準して細看すべし。

文筆秀:巽辛二方有尖秀之峰,謂之真文筆,主貴顯,科名高。賴氏云:“天以太乙真文筆,秀入雲霄狀元位。”魚袋塞:庚酉辛方有魚袋砂,謂之金魚袋,主貴。宜居水口,故曰塞。玉帶現:辛巽有帶曰玉帶,庚兌曰金帶,有此砂,宜為正案,最貴。

「文筆秀」の一格。巽・辛の兩方に若し尖聳秀麗の峰あらば、之を眞文筆と叫びて、貴顯・科第の名次高きを主る。賴布衣は説く。天は太乙(巽)の位を以て眞文筆と爲し、秀拔して雲霄に入るは、狀元の位を占む可し。「魚袋塞」の一格。庚・酉・辛の三方に若し形の魚袋の如き砂あり——唐宋の官員は魚袋を佩して以て品級を別す——便ち之を「金魚袋」と叫びて、貴を主る。此の種の砂は最も宜しく水口の處に横塞して水を關住す。故に此の一格は「塞」と叫ぶ。「玉帶現」の一格。辛・巽の兩方の横列して帶の如き砂は玉帶と叫び、庚・兌の兩方のは金帶と叫ぶ。此の種の砂あらば、最も宜しく取りて正しく穴前に對するの案山と作す。是れ極貴の格なり。

金印浮:西兌庚巳辛干有印,皆名金印,主貴。必在水中為真,故曰浮。卜氏云:“印浮水面,煥乎其有文章。”赦文起:丙丁庚辛之位有方山,謂之赦文星,主一方永無凶禍。判筆攢:庚兌辛有峰,或立或臥,曰判筆。賴氏云:“判筆庚兌辛為艮。”

「金印浮」の一格。西邊の兌・庚および巳・辛・干の諸位に若し印形の砂あらば、皆金印と稱して、貴を主る。然れども必ず水の中に浮かぶの小洲小墩なるをこそ真印と算す。故に此の一格は「浮」と叫ぶ。卜應天《雪心賦》は説く。印は水面の上に浮きて、光彩は煥發す。家中に文章の士あるを主る。「赦文起」の一格。丙・丁・庚・辛の四位に若し頂の平らにして體の方なる山あらば、之を赦文星と叫びて、一方の永く凶禍無きを主り、諸煞を解する能くし。「判筆攢」の一格。庚・兌・辛の三位に峰ありて、あるいは直立し・あるいは横臥して、皆判筆と叫ぶ。是れ文書を批判するを主るの象なり。賴布衣は説く。判筆は便ち庚・兌・辛の此の幾位の上に在り。

馬上御街:巽位有馬山,兼有巽水朝,曰馬上御街,主貴近帝王。廖氏曰:“馬蹄踏破御街水,秀才出去狀元來。”貴參天柱:乾為天柱,若貴人之峰高聳乾位,主極貴。賴氏云:“璣入雲霄生宰輔。”又云“世登要路重璣峰”。

「馬上御街」の一格。巽位に既に馬形の山あり、又巽方の水の來りて穴を朝するあらば、便ち之を「馬上御街」と叫びて、帝王の側に近きの貴を主る。宋代の廖金精は説く。馬蹄は御街の水を踏破して、秀才は出門して去り、回りて來れば便ち狀元なり。「貴參天柱」の一格。干位は天星の中に天柱と爲り、若し貴人峰——頭圓身直・卓然として獨聳する山——の干位の上に高聳するあらば、極貴を主る。賴布衣は説く。璣星(即ち干位の陽機)は高く雲霄に入れば、宰輔の才を生出する能くし。又説く。世代要路に登踞するの人家は、皆璣峰を看重す。

宮國圓:子山宮國在戌,幹丑山在亥,壬每開位是也,有圓峰主貴。谷將高、天倉起:子山谷將在未,天倉在酉。丑山谷將在申,每危位是;天倉在戌,每收位是。有高山主貴。

「宮國圓」の一格。坐山を以て起例と爲し、子山の宮國の位は戌に在り、干山・丑山の宮國は亥に在り、壬山は則ち每に「開」の日の臨む所の位を以て準と爲す。此れらの方位に渾圓の峰あるは、貴を主る。「谷將高・天倉起」の一格。子山の谷將の位は未に在り、天倉は酉に在り。丑山の谷將は申に在り——即ち建除十二神の中の每に「危」に逢うのあの一位——天倉は戌に在り——即ち每に「收」に逢うのあの一位。此れらの方位に高山あるは、貴を主る。言う所の建除十二神は、建・除・滿・平・定・執・破・危・成・收・開・閉にして、逐位に輪排す。故に文中は「危位」「開位」「收位」を以て指代す。

凶砂類凡そ二十五格

五星受制:火北,金南,土東,木西,水居四墓,謂之受制,縱吉地亦無大力量也。四殺擅權:辰戌丑未四位高壓崚嶒,帶殺逼穴,主大凶惡逆,大盜誅夷。有赦文照者差減其凶。

凶砂の第一格は「五星受制」と叫ぶ。火形山の北方に落ちるは水の克する所と爲り、金形山の南方に落ちるは火の克する所と爲り、土形山の東方に落ちるは木の克する所と爲り、木形山の西方に落ちるは金の克する所と爲り、水形山の辰戌丑未の四墓の位に落ちるは土に制せられ、此れ皆「受制」と叫ぶ。砂星は既に克制せられば、縱然是れ吉地なるも、亦多大の力量無し。第二格は「四殺擅權」と叫ぶ。辰・戌・丑・未の四位の山は高聳嶙峋にして、穴場を壓し・煞を帶びて逼り來れば、大凶大惡・悖逆の人を出すを主り、あるいは大盜と成りて誅戮に遭う。若し此の幾方に別に赦文星ありて映照せば、凶禍は以て稍減ず可し。

八門缺:幹坎艮震巽離坤兌八卦之位凹陷,謂之八門缺。卜氏云:“八門缺,八風吹,朱門餓殍。”四面凹:辰戌丑未曰四金,最忌凹陷。賴氏云:“四金砂陷風一入,翻棺覆槨人遭殃。”

第三格は「八門缺」と叫ぶ。干・坎・艮・震・巽・離・坤・兌の八卦の臨む所の方位に若し凹陷缺口あらば、便ち八門缺と叫ぶ。卜應天《雪心賦》は説く。八門に缺あれば、八方の風は便ち灌りて入り、縱れ是れ朱門富戶なるも亦餓死せん。第四格は「四面凹」と叫ぶ。辰・戌・丑・未の四墓位を「四金」と稱し、最も凹陷を忌む。賴布衣は説く。四金の砂は一旦低陷して風は缺口より灌り入れば、穴の中の棺槨は吹翻せられ、家人は殃に遭う。砂を審する時は不但峰の有無を看、更に四圍に沿って風口の有無を找るべし。凹處は即是風路なり。

三火低:丙午丁三火低陷,主不貴。賴氏云:“火星不起官不顯,不握重權或閒散。”四神剝:乾坤艮巽之砂有石點剝,主凶。賴氏云:“四神烏石生點剝,家道終須見消索。”

第五格は「三火低」と叫ぶ。丙・午・丁の三箇の火位に若し低矮塌陷あらば、貴顯する能わざるを主る。賴布衣は説く。火星は起らずば、官職は便ち顯達せず、即便入仕するも重權を握るに到らず、多半是閒散の職なり。第六格は「四神剥」と叫ぶ。干・坤・艮・巽の四神の位の砂山に若し石頭の剥落斑駁・寸草の生ぜざるあらば、凶を主る。賴布衣は説く。四神の方位に黑石を露出して斑駁剥落せば、家道は終究に衰敗消散せん。砂を看るは不只だ形を看、還お土石草木の潤澤か否かを看るべし。剥落枯焦は即是敗象なり。

魁罡雄:辰戌兩位曰魁罡,忌高壓冢宅。賴氏云:“魁罡高聳,冢宅出賊,乞丐沿街坊。”陽關陷:申曰陽關,不宜低陷,主兵死。賴氏云:“陽關山陷因陣亡。”

第七格は「魁罡雄」と叫ぶ。辰・戌の兩位を魁罡と稱し、最も山勢の高聳して墳塚と住宅とを壓逼するを忌む。賴布衣は説く。魁罡の位は高聳して穴を壓せば、墳宅の家は盜賊を出し、あるいは沿街に乞討する乞丐に淪落せん。第八格は「陽關陷」と叫ぶ。申位を陽關と稱し、低陷するを宜しとせず。一旦低陷せば、家人の兵刃に死するを主る。賴布衣は説く。陽關の山は塌陷せば、家中に陣亡する人あらん。見るべし、同一の低陷にして、四金位に在りては棺を翻るを主り、陽關位に在りては兵死を主る。凶應は各々其の方に随いて異るなり。

子宮虛:坎震艮三男之位凹缺,曰子宮虛,主不旺人丁,多女少男。祿位缺:祿位見前。又巳午艮亥亦曰祿位,若無山,主不貴。賴氏云:“祿神缺陷馬空倚,催官貴人山低傾。雖有文章不顯達,祿馬不起金階平。”金階平:乾兌低陷,也主不貴。

第九格は「子宮虚」と叫ぶ。坎・震・艮の三男の位に若し凹陷殘缺あらば、便ち子宮虚と叫びて、人丁の旺ならざる・生女多く生男少きを主る。第十格は「祿位缺」と叫ぶ。祿位の推法は前面の祿馬起例の一節に見ゆ。此の外に巳・午・艮・亥も亦祿位と稱し、此れらの方位に若し山無からば、貴顯する能わざるを主る。賴布衣は説く。祿神の位は缺陷し・馬位は空虚にして倚る無く、官を催すの貴人峰は又低矮傾側せば、那麼縱れ滿腹の文章あるも亦顯達する能わず。祿馬の起らず・金階の平塌するを以てなり。第十一格は「金階平」と叫ぶ。干・兌の兩位の低陷平塌するは、同じく貴ならざるを主る。

文星低:巽星為文星,低陷不吉。主貴而不祿。卜氏云:“文星低而夭顏回。”天柱折:乾為天柱,若凹陷,謂之天柱折,主夭亡。有戌乾風吹穴尤緊。壽山傾:丁為壽山,若低缺,謂之壽山傾,主夭亡。

第十二格は「文星低」と叫ぶ。巽位の星は文星と爲り、低矮塌陷せば便ち不吉にして、雖も貴名あれど實祿無きを主る。卜應天《雪心賦》は説く。文星は低陷せば、顔回の如く才有りて早夭す。第十三格は「天柱折」と叫ぶ。干位は天柱と爲り、若し凹陷して起らざれば、便ち天柱折と叫びて、夭亡を主る。若し戌・干の兩方に還お風の直に穴場を吹くあらば、害と爲すこと尤其に緊急なり。第十四格は「壽山傾」と叫ぶ。丁位は壽山と爲り、若し低矮殘缺せば、便ち壽山傾と叫びて、亦夭亡を主る。三格の忌む所は皆一箇の「低」の字に在り。高るべき方にして低ければ、即ち虧損と爲る。

天母虧:坤為天母,宜高。若低陷,謂之天母虧,主寡母損陰人。賊旗現:辰戌有旗曰賊旗,主出大盜。賴氏云:“賊旗斜側位魁罡。”煞刀出:辰戌丑未有尖山倒地,曰煞刀,主屠劊劫財。

第十五格は「天母虧」と叫ぶ。坤は地母・老母と爲り、其の位は宜しく高し。若し低陷して起らざれば、便ち天母虧と叫びて、家中に寡母を出すを主り、あるいは婦女を損傷す。第十六格は「賊旗現」と叫ぶ。辰・戌の兩位に若し旗形の山——山身は斜披して旗脚の飄蕩するが如し——あらば、便ち賊旗と叫びて、大盜を出すを主る。賴布衣は説く。賊旗は斜側の形にして、正しく魁罡(辰戌)の位に落つ。第十七格は「煞刀出」と叫ぶ。辰・戌・丑・未の四位に若し尖山の横に倒れて地に在りて、形は臥刀の如くば、便ち煞刀と叫びて、家人の屠戶劊子手と爲るを主り、あるいは劫掠を以て財を取る。

回祿來:寅午戌三位有缺陷風吹穴,主災。謂回祿之氣隨風而來也。衡星壓:卯為陽衡,忌高壓,主利名蹭蹬。賴氏云:“陽衡高壓初年滯。”蓋卯乃太陽所出之門,而山高則日晏遲滯之象,故難受君恩也。倉庫倒:辰戌丑未四墓之山斜側破碎倒攛,謂之倉庫倒,主貧窮。

第十八格は「囘祿來」と叫ぶ。寅・午・戌の三箇の火局の位に若し缺口ありて、風は那里より穴場に吹き入れば、火災を主る。囘祿は火神の名、説く所は火氣の風に随いて來るなり。第十九格は「衡星壓」と叫ぶ。卯位は陽衡と爲り、山勢の高聳して穴を壓するを忌みて、功名利祿の坎坷不順を主る。賴布衣は説く。陽衡は高壓せば、早年に便ち滯塞せん。此れは卯は太陽の升起する門、此處の山高ければ則ち日出は遮られ・天色の晚にして遲滯の象あるを以てなり。故に早く君恩を受くること難し。第二十格は「倉庫倒」と叫ぶ。辰・戌・丑・未の四墓の山の若し斜側破碎・傾倒して墜えんと欲すれば、便ち倉庫倒と叫びて、貧窮を主る。

財帛散:艮為財帛,其方砂皆散亂,或凹缺,謂之財帛散,主貧乏。橫尸見:魚袋砂在坎癸四墓,曰橫尸,主客死。墮胎死:子癸丑有墩埠,謂之墮胎山,主墮胎。

第二十一格は「財帛散」と叫ぶ。艮位は財帛を主り、此の一方の砂の若し散亂して收無く、あるいは凹缺あらば、便ち財帛散と叫びて、家道の貧乏を主る。第二十二格は「横屍見」と叫ぶ。前面は魚袋砂の庚酉辛に在るは吉と説くも、然れども同樣の魚袋形にして若し坎・癸および辰戌丑未の四墓の位に出現せば、便ち轉名して「横屍」となり、他郷に客死するを主る。見るべし、砂形の吉凶は全く落つる所の方位を看る。同形にして位異なれば則ち吉凶相反す。第二十三格は「墮胎死」と叫ぶ。子・癸・丑の三位に若し小土墩土阜あらば、便ち墮胎山と叫びて、婦人の小産墮胎を主る。

馬不上街:雖有馬山而無御街水朝,謂之馬不上街,不貴。何氏曰:“馬不上街人不貴,秀才空自說文章。”祿無正位:寅午巳卯申酉亥子,此正祿之地缺陷,謂之祿無正位,不貴。蓋甲祿在寅,乙祿在卯,丙戌祿在巳,丁己祿居午,庚祿歸申,辛祿到酉,壬祿在亥,癸祿居子。故此八位之砂宜其端正朝拱,不可缺陷,有水流破。如丙向忌水流巳去,巳位無山之類。以上天星砂法,皆於臨穴定位為凖。

第二十四格は「馬不上街」と叫ぶ。雖も馬形の山有れども、卻って御街の水の來朝無ければ、便ち馬不上街と叫びて、貴顯する能わず。何氏は説く。馬は街に上らずば、人は便ち貴からず。秀才は只だ空口に文章を談論す。第二十五格は「祿無正位」と叫ぶ。寅・午・巳・卯・申・酉・亥・子の此の八處は十干の正祿の在る所にして、若し缺陷あらば、便ち祿無正位と叫びて、貴顯する能わず。其の推法は、甲の祿は寅に在り、乙の祿は卯に在り、丙と戌の祿は巳に在り、丁と己の祿は午に在り、庚の祿は申に歸り、辛の祿は酉に到り、壬の祿は亥に在り、癸の祿は子に在り。故に此の八位の砂は應當端正に朝拱して、殘缺す可からず、亦水に衝流されて破損す可からず。譬如丙向を立てるは、便ち水の巳方より流去るを忌み、あるいは巳位の根本に山無きの類なり。以上の此の一套の天星砂法は、皆親ら穴場に臨み・方位を立定して後にこそ作準する能くして、穴を離れて遙斷す可からず。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷八上之三

江右山人徐善繼述同著。

本卷の題署は「江右山人徐善繼・徐善述同着」。前の兩卷は龍穴配向と砂法とを講じ、此の一卷は水法に轉入す。先ず二十四位に按って逐字に水の名目と吉凶とを開出し、再び陰陽兩局を分って水の發源・到堂と出口とを論じ、最後に吉水二十八款・凶水二十四款を列す。是れ形勢派の羅盤を用いて水法を消納するの總匯なり。

總じて二十四位の水法吉凶を論ず

子,武庫水,主商賈得財,因軍賊發越。癸,財帛水,主驟發橫財,生六指、缺唇、腳疾、墮胎。丑,血財水,主旺犧牲,忤逆、孤寡、供佛、飯僧、禮拜香火。艮,質庫水,主財帛鉅富,典質得橫財,進祿位。寅,白虎水,主虎傷手足,瘋跛痼疾,兇狠痴愚,火災。

下面に羅盤二十四位に按って逐字に水の名目と主應とを開出す。看る時は先ず水のどの一字より來り・又どの一字より去るかを格定して、再び號に對して査斷す。子位の水は名づけて「武庫水」、商賈して財を得るを主り、あるいは軍旅・盜賊の一路の事に因って發迹す。癸位の水は名づけて「財帛水」、驟然に橫財を發するを主るも、家中に六指の兒・缺唇の人を生じ、脚疾と墮胎の患あり。丑位の水は名づけて「血財水」、牲畜の興旺を主るも、卻って亦忤逆・孤寡を主り、家人は多く佛を供し僧を齋し・香火を禮拜す。艮位の水は名づけて「質庫水」、財帛巨富を主り、當鋪を開き典質するに靠って橫財を得、竝びに祿位に進升する能くし。寅位の水は名づけて「白虎水」、虎に傷られて手足に及ぶを主り、瘸跛痼疾・凶狠癡愚の人を出し、竝びに火災あり。

甲,人爵水,主小貴,瘋跛、痼疾、瘟火。卯,天爵水,主驟富貴,發橫財,出人長大英勇。乙,地爵水,主牝雞晨鳴,風聲忤逆,螟蛉繼贅。辰,黃泉水,主橫死夭折,伶仃孤寡,缺唇、癆瘵、惡疾、瘟疫。巽,御街水,主高科、文名、富貴、因親發財產、旺人、女貴。

甲位の水は名づけて「人爵水」、小小の官貴を主るも、瘸跛・痼疾と瘟疫火災とを帶ぶ。卯位の水は名づけて「天爵水」、驟發の富貴・橫財を得るを主り、人の身材高大にして英勇なるを出す。乙位の水は名づけて「地爵水」、母雞の公雞に代って曉を報ずるを主る。即ち婦人の家を當りて權を奪い、家中に風流の醜聞と忤逆の事あり、義子を抱養しあるいは女婿を招贅するに靠って承繼す。辰位の水は名づけて「黃泉水」、横死夭折・孤苦伶仃・鰥寡無依を主り、竝びに缺唇・癆瘵・惡疾と瘟疫を出す。巽位の水は名づけて「御街水」、科第の名次高く・文名遠く播び・富貴を主り、竝びに姻親に因って田産を得、人丁は興旺、女眷は貴顯なり。

巳,財寶水,主少富、少亡、喑啞、孤寡、淫佚、癆瘵、跛足、蛇傷。丙,天貴水,主官貴、進女人財產田地。午,紅旗水,主軍伍起家,官貴財、因女發財、武貴、火災、離鄉、目疾。丁,人丁水,主旺人進財,富貴長壽,高科名位,與貴聯姻。未,色衣水,主癆瘵、暗疾、賊盜、風聲、離鄉、孤寡、僧道、伶仃。

巳位の水は名づけて「財寶水」、年少にして即ち富を主るも、亦早亡・啞疾・孤寡・淫逸・癆瘵・跛足と蛇傷とを主る。丙位の水は名づけて「天貴水」、官職貴顯を主り、竝びに婦人の一邊に因って田産財物を進得す。午位の水は名づけて「紅旗水」、行伍より起家し・官職財祿を得るを主り、あるいは婦人に因って發財し、武貴を主るも、然れども兼ねて火災・離郷と眼疾あり。丁位の水は名づけて「人丁水」、人丁の興旺・財物の增益を主り、富貴長壽にして、科第の名位高く、竝びに貴家と親を結ぶ能くし。未位の水は名づけて「色衣水」、癆瘵・隱疾・盜賊・風流醜聞・離郷・孤寡を主り、家人は多く出家して僧道と爲り、孤苦伶仃なり。

坤,鬼箭水,主寡母坐堂、少亡、淫亂、僧尼。申,絕命水,主外死、少亡、忤逆、孤寡、橫暴。庚,武職水,主勇略、財祿。酉,金帶水,主驟發富貴,進女人財產。辛,甲科水,主聰明、發科第,開庫進產。

坤位の水は名づけて「鬼箭水」、寡母の家を當りて事を理するを主り、家人は早亡し、淫亂の事あり、あるいは出家して僧尼と爲る。申位の水は名づけて「絶命水」、外に客死し・早年に夭亡し・子弟は忤逆・孤兒寡婦を主り、竝びに横暴の人を出す。庚位の水は名づけて「武職水」、人の勇あり謀あり・財を得祿を得るを主り、武途に宜し。酉位の水は名づけて「金帶水」、驟然に富貴を發するを主り、竝びに妻室の一邊に因って財産を進得す。辛位の水は名づけて「甲科水」、天資聰明を主り、科第に中る能くし、庫を開き財を積み・産業を增置す。

戌,八煞水,主忤逆、不義、少亡、孤寡、癆瘵、惡死、顛狂、患腳、火災。幹,鰥寡水,主雙育、痼疾、孤寡、忤逆、少亡、絕嗣。亥,財祿水,主驟富大貴,累代昌盛。壬,離鄉水,主離鄉、黃腫、水災、墮胎。

戌位の水は名づけて「八煞水」、子弟の忤逆不義・早年の夭亡・孤兒寡婦・癆瘵・横死・癲狂・脚疾と火災とを主る。干位の水は名づけて「鰥寡水」、雙胞を生じて養い難きを主り、家人に痼疾あり、鰥夫寡婦・忤逆の子を出し、早亡して以至絶嗣す。亥位の水は名づけて「財祿水」、驟然に大富大貴を主り、累世昌盛にして、是れ二十四位の水の中の最も上等の一路なり。壬位の水は名づけて「離郷水」、故鄕に遠離するを主り、黃疸浮腫を患い、水災に遭い、婦人は墮胎す。以上の二十四條は只だ水の在る所の方位を論ず。還お來龍坐向と合看して、一を執りて斷ず可からず。

總じて陰陽二局の水法吉凶を論ず

艮丙巽辛兌丁巳丑震庚亥未十二位屬陰。凡陰位來龍,宜扦陰位向首。其水宜從陰位發源,陰位到堂,陰位出口則吉。若雜於陽,謂之陽水破局,主凶。大抵無有十全者,宜於葬法中控制之,消納之也。

二十四位は分作して陰陽の兩局と爲る。陰に屬するは艮・丙・巽・辛・兌・丁・巳・丑・震・庚・亥・未の十二位なり。凡そ陰位の上より來るの龍は、便ち應當に陰位の坐向を立て、水も亦陰位より發源し・陰位より明堂に流れ・陰位より出口して、此の如く純陰雜らざるこそ吉と算す。若し中間に陽位の水を夾雜せば、便ち之を「陽水破局」と叫びて、凶を主る。不過實際の地形は、很少十全十美・純にして雜らざるあり。夾雜に遇う時は、應當に下葬の作法の上に於て控制を加えて、水口を改め・向を立て・水を放つ等の手段を用いて雜氣を消納し去るべく、必ずしも一處の不純に因って全局を廢棄するを要せず。

干甲坤乙離壬寅戌坎癸申辰十二位屬陽。凡陽位來龍,宜扦陽位向首。其水宜從陽位發源,陽位到堂,陽位出口則吉。若雜於陰,謂之謂水破陽局,主凶。

陽に屬するは干・甲・坤・乙・離・壬・寅・戌・坎・癸・申・辰の十二位なり。凡そ陽位の上より來るの龍は、便ち應當に陽位の坐向を立て、水も亦陽位より發源し・陽位より明堂に流れ・陽位より出口して、此の如く純陽雜らざるこそ吉と算す。若し中間に陰位の水を夾雜せば、便ち之を「陰水破陽局」と叫びて、凶を主る(底本の此の句は「謂之謂水破陽局」と作し、一箇の「謂」の字を多くして「陰」の字を脱す。今は照録して改めず)。陰陽兩局の分法は、本書の水法の總綱にして、下文の吉凶の各款は皆此れより推衍す。

諸吉水類凡そ二十八款

三陽水:巽丙丁合流庚兌震艮出,主食邑開府膺三公。此方位家之三陽也。形勢家不以此拘。李淳風曰:“流水一交處為一陽,內明堂為二陽,外明堂為三陽,各用密結。”曾文迪以明堂為內陽,案山為中陽,外朝山為外陽。

第一款「三陽水」。巽・丙・丁の三方の水は合流して、再び庚・兌・震・艮の諸方より流出して、封を受け邑を食み・府を開き牙を建て・位は三公に登るを主る。此れは方位の一派の説く所の三陽を講ず。形勢の一派は竝びに此の説法に拘守せず。唐代の李淳風は説く。水流の交會するの第一處を一陽と叫び、內明堂を二陽と叫び、外明堂を三陽と叫ぶ。三處は皆各自結聚して緊密なるを要す。曾文迪は則ち明堂を以て內陽と爲し・案山を中陽と爲し・外面の朝山を外陽と爲す。見るべし、「三陽」の一名は、方位家は水の來去の方位を指し、形勢家は堂局の三重の層次を指す。用うる時は須らく據る所はどの一家なるかを分淸すべし。

六建水:天建亥水,地建艮水,人建丁水,財建卯水,祿建巽水,馬建丙水。此方位加之六建也。形勢家不以此拘。曾文迪曰:“水在左為天建,主官壽;在右為地建,主田宅;在前為人建,主子孫。財建用本山大五行取之,如寅山丙水之類,主財帛;祿建亦用本山取之,如甲山寅水之類,主位望;馬建亦用本山取之,如申山寅水之類,主車馬。”按二說皆通,宜互論之。

第二款「六建水」。亥方の水を天建と叫び、艮方の水を地建と叫び、丁方の水を人建と叫び、卯方の水を財建と叫び、巽方の水を祿建と叫び、丙方の水を馬建と叫ぶ。此れは方位の一派の固定の方位に按って安ずるの六建なり。形勢の一派は此に拘らず。曾文迪は説く。水は穴の左邊に在れば即是天建にして、官職と壽數とを主る。右邊に在れば是れ地建にして、田宅を主る。穴前に在れば是れ人建にして、子孫を主る。財建は要として本坐山の大五行を用いて取る。譬如寅山に丙水を配するの類にして、財帛を主る。祿建も亦本山に按って取る。譬如甲山に寅水を配するの類にして、地位聲望を主る。馬建も同じく本山に按って取る。譬如申山に寅水を配するの類にして、車馬を主る。二徐の按語は説く。兩種の説法は皆講りて通ず。應當に互相に參照して用うべし。

六秀水:艮丙巽辛兌丁。巽山忌見兌水為曜星,艮山忌見震巽水為剋制,不以六秀論。八貴水:艮丙、巽辛、兌丁、震庚,皆是配納之宜,故貴。五吉水:丁玉門水、巽文筆水、辛學堂水、丙金堂水、卯寶倉水。

第三款「六秀水」。艮・丙・巽・辛・兌・丁の六箇の方位の水を指す。然れども例外を注意すべし。巽山を立てるは兌方の水を見るを忌む。あれは巽の曜煞星なり。艮山を立てるは震方と巽方の水を見るを忌む。あれは艮氣を克制するなり。此の兩種の情形は便ち再び六秀に按って吉を論ずる能わず。第四款「八貴水」。艮は丙に配し・巽は辛に配し・兌は丁に配し・震は庚に配す。此の四對は皆卦と干と互相に配納して宜しきを得る。故に貴を主る。第五款「五吉水」。丁方の水を玉門水と叫び、巽方の水を文筆水と叫び、辛方の水を學堂水と叫び、丙方の水を金堂水と叫び、卯方の水を寶倉水と叫ぶ。五者は齊備すれば即ち五吉と爲す。

赦文水:丙丁。離為君象,丙丁輔之為臣象。君者出令者也,臣者行君之令而致之民者也。故二宮之水曰赦文,主赦宥。賴氏云:“丙丁之水名赦文,永無凶禍罹家門。”長壽水:艮丁丙兌。在宮,南極老人星司壽者也。春分時見丙,秋分時見丁,丙納於艮,丁納於兌,故此四位水皆主壽考。

第六款「赦文水」。丙・丁の兩方の水を指す。離位は君主の象、丙・丁は兩旁に在りて輔佐す。是れ臣子の象なり。君主は號令を發して施すを負責し、臣子は君命を奉行して下して民に達するを負責す。故に此の兩宮の水を「赦文」と叫びて、赦免寬宥を得る能く・凶禍は解す可きを主る。賴布衣は説く。丙丁の水は名は赦文。家門は永く凶禍に遭わず。第七款「長壽水」。艮・丁・丙・兌の四方の水を指す。南極老人星は壽命を主管するを主る。春分の時節は丙方に於てそれを見、秋分の時節は丁方に於てそれを見る。而して丙は艮に納し・丁は兌に納す。納甲の法に按れば此の四位は同氣なり。故に此の四方の水は皆長壽を主る。

催官水:艮山丙水、震山庚水、巽山辛水、兌山丁水,俱是納乾之水,與龍陰陽相見,故主催官進爵,驟富榮名。橫財水:庚辛亥山卯水、卯山庚辛水、亥艮山巽水、庚酉辛山艮水、離山壬子癸水、壬癸山午水、寅甲山坤申水、坤申山寅甲水,俱是陰陽相合,故發越最速,亦須特朝為驗。

第八款「催官水」。艮山を立てて丙水を見、震山を立てて庚水を見、巽山を立てて辛水を見、兌山を立てて丁水を見る。此れらは皆卦の納する所の干の水にして、來龍の陰陽と相配して相見る。故に官運を催促し・官を加え爵を進め、驟然に富を致して榮名を享くるを主る。第九款「橫財水」。庚辛亥の山は卯水を見、卯山は庚辛水を見、亥艮の山は巽水を見、庚酉辛の山は艮水を見、離山は壬子癸の水を見、壬癸の山は午水を見、寅甲の山は坤申水を見、坤申の山は寅甲水を見る。此の八組は皆陰陽相合の配對にして、故に發すること最も速し。不過必ずあの一方の水の專程に穴に朝して來るこそ、驗は得着るを得るなり。

金帶水:庚酉辛水繞抱,三位屬金也。銀帶水:艮水繞抱,為銀帶水。艮為銀寶之地也。又艮字從銀。金階水:庚兌辛水特朝,或田源平坦,亦以三位屬金取義也。

第十款「金帶水」。庚・酉・辛の三方の水は環繞して穴を抱きて、形は束帶の如し。便ち金帶水と叫ぶ。此の三位は五行の中に皆金に屬するを以てなり。第十一款「銀帶水」。艮方の水は環繞して穴を抱けば、銀帶水と叫ぶ。艮は銀寶の藏する所の地、而且「銀」の字の偏旁は正しく「艮」に從るを以て、其の義の相合を取るなり。第十二款「金階水」。庚・兌・辛の三方の水は專程に穴に朝して來るか、あるいはあの一帶の田塍の水源は平鋪して階の如し。便ち金階水と叫ぶ。同じく是れ此の三位の金に屬するの意思を取るなり。三款は皆水形の環抱あるいは平朝を以て吉と爲し、最も反跳斜飛を忌む。

御街水:陰局艮水巽水俱特朝為是,陽局乾水坤水俱特朝者為是。詩云:“祿馬還須要上街,坤申寅艮好推排。更生峰秀真為美,清節為官時選擇。”又云:“乾坤艮巽御街水,須用長流百步餘。大地趨朝羅列應,兒孫兩府佩金魚。”

第十三款「御街水」。陰局に屬するは、艮方の水と巽方の水との專程に穴を朝するを以て合格と爲す。陽局に屬するは、干方の水と坤方の水との專程に穴を朝するを以て合格と爲す。歌訣は説く。祿馬の砂は還お御街の水に配上を須り、坤・申・寅・艮の幾位は好好と推排すべし。若し此れらの方位に再生じて秀峰を出さば、那れは真に美格にして、子孫の淸節を以て身を立て・朝廷に選拔任官せらるるを主る。又一首は説く。干・坤・艮・巽の四維の御街水は、必ず綿長に百步以上を流過せねばならず。再び大地の勢の趨向朝拱・羅列相應あらば、兒孫は便ち東西二府に列して・金魚袋を佩帶する能くし。

陽皷水:艮巽震兌水朝先到穴,為陽鼓先鳴。陰鼓水:丙辛丁庚水朝先到穴,為陰鼓先鳴。謝獻能作《清化胡知府祖地記》云:“陽鼓未鳴陰鼓鳴,人口尚千丁。”乃辛水朝穴也。

第十四款「陽鼓水」。艮・巽・震・兌の四方の水は來朝して最も先ず穴前に到達するを、「陽鼓先鳴」と叫ぶ。第十五款「陰鼓水」。丙・辛・丁・庚の四方の水は來朝して最も先ず穴に到るを、「陰鼓先鳴」と叫ぶ。謝獻能の作る所の《淸化胡知府祖地記》は説く。陽鼓は還だ響かざるに陰鼓は先に響けば、此の一家の人口は仍ほ千丁の盛んあり。それの指す所は正しく辛方の水の穴を朝するの格局なり。陰陽の兩鼓を判ずるは、關鍵は諸水の中のどの一支の最も先ず堂に到るかを辨明するに在りて、而して水の多寡を看るに非ず。

歸元水:亥艮山丙丁巳水,丙丁山亥水,震巽山庚水,庚酉辛山震水,離山壬癸水,壬癸山坤水,絕胎二位水也。或元辰直流,或穴前直放,皆不為害,但不可太長耳。又按《大全》謂金絕於庚,水土絕於丙,火絕於壬,故甲庚丙壬四位為太乙歸元水,主貴。亦通。

第十六款「歸元水」。亥山・艮山を立てて丙丁巳方の水を見、丙丁山を立てて亥方の水を見、震巽山を立てて庚方の水を見、庚酉辛山を立てて震方の水を見、離山を立てて壬癸方の水を見、壬癸山を立てて坤方の水を見る。此れらは皆十二長生の裏の「絶」位と「胎」位の上の水なり。此の類の水は即使穴前の元辰水の直流して出去するか、あるいは穴前より直放して走るとも、亦害と爲さざるも、只是長く流れ過ぐる可からず。又《地理大全》の説法に按ずるに、金は庚に絶し、水と土は丙に絶し、火は壬に絶す。故に甲・庚・丙・壬の四位は「太乙歸元水」と稱して、貴を主る。此の説法も亦講りて通ず。以て竝存す可し。

官曜水:艮見兌,兌見艮,巽見震庚亥,亥見巽,坎見離,離見壬,皆陰陽正配,無相混淆,故主催官發財祿。花羅水:亥山巳丙,艮丙山庚,巽山丁,兌丁山辛,庚山艮丙,震山丙,壬離山乙,坤山壬。其義未詳。吳董多用之,故不刪。

第十七款「官曜水」。艮山を立てて兌水を見、兌山を立てて艮水を見、巽山を立てて震庚亥の水を見、亥山を立てて巽水を見、坎山を立てて離水を見、離山を立てて壬水を見る。此れらは皆陰陽の正しく相配對して相雜らざるなり。故に官運を催促し・財を發し祿を得るを主る。第十八款「花羅水」。亥山を立てて巳丙の水を見、艮丙山を立てて庚水を見、巽山を立てて丁水を見、兌丁山を立てて辛水を見、庚山を立てて艮丙の水を見、震山を立てて丙水を見、壬離山を立てて乙水を見、坤山を立てて壬水を見る。二徐は坦言す。此の一款の據る所の義理は還だ考明白ならず。然れども吳景鸞・董德彰の兩家が常用するを以て、故に保留して刪らず。此の種の疑を存して刪らざるの態度は、正しく本書の體例の謹愼なる處なり。

鬼鄉水:震艮水去宜流其方。宋國師吳景鸞表云:“山不高於旺氣,水不敗於鬼鄉。”故罹靖康之禍。文秀學堂水:巽辛兌。巽辛乃天乙、太乙之照臨,而辛兌乃天帝文章之府司,主士大夫之權也。故三位水主文名顯貴。

第十九款「鬼鄕水」。震方・艮方の去水は、宜しく此の兩箇の方位より流走すべし。言う所の鬼鄕は、我を克するの方を指し、水は那里より流出すれば、煞氣を送り去るに等し。宋代の國師吳景鸞は朝廷に上るの表章の中に説く。山は旺氣の方より高くする可からず、水は鬼鄕の位に敗泄す可からず。彼は地理の説を借りて進諫するなり。後來北宋は果たして靖康の禍に遭えり。第二十款「文秀學堂水」。巽・辛・兌の三方の水を指す。巽と辛は天乙星・太乙星の照臨する方位、而して辛と兌は又是れ天帝の文章を掌管する府署の在る所、士大夫の權柄を主る。故に此の三方の水は文名の顯達貴盛を主る。

金魚御街水:丙水入巽轉辛或丁,主富貴雙全。若更東震水或山高應,尤貴。財寶玉階水:艮丙入兌丁,主官祿驟貴。人丁催官水:丙流丁兌出,人丁旺盛榮貴。金門上馬水:丙水入兌轉巽流震,金門棹臂,赫赫聲名。

第二十一款「金魚御街水」。丙方の水は巽方に流入し、再び轉じて辛方あるいは丁方に向って去る。富と貴と兩全を主る。若し東邊の震方に還お水ありあるいは高山ありて相應せば、那れは更に貴し。第二十二款「財寶玉階水」。艮方と丙方の水は兌方・丁方に流入して、官祿の驟然に貴顯するを主る。第二十三款「人丁催官水」。丙方の水は丁方に流向して兌方より出口して、人丁の旺盛にして榮顯なるを主る。第二十四款「金門上馬水」。丙方の水は兌方に流入し、再び巽方に轉じて震方に流向す。此れを金門搖臂と叫ぶ(棹臂は即ち桨を搖ぐの臂膀の如く屈曲して情あり)。聲名赫赫を主る。此の幾款は皆水の來去轉折の次序に重んず。只だそれがどの一方に在るかを看るに非ず。

正官文秀水:巽水來長,主奕代文章,聯名科第。正官財帛水:巽水流西入亥,得兌震山高應,主資財鉅萬。金馬玉堂:巽水入西兌辛而出,主貴入朝班,翰苑榮顯。辛水遠轉丁,主清秀奇才。金門華表水:巽水流艮,主女為妃。

第二十五款「正官文秀水」。巽方の水の來ること悠長なれば、世世代代に皆文章の士あるを主り、兄弟は同榜に聯名して擧に中る。第二十六款「正官財帛水」。巽方の水は西に向って流去して亥方に入り、再び兌方・震方に高山ありて相應するを得ば、資財の巨萬を主る。第二十七款「金馬玉堂」。巽方の水は西邊の兌・辛に流入して出口して、朝班の列に入るの貴を主り、翰林院の中に榮顯す。若し辛方の水の遠遠と轉じて丁方に向かわば、則ち淸秀奇特の才を出すを主る。第二十八款「金門華表水」。巽方の水は艮方に流向して、家中の女子の宮に入りて妃と爲るを主る。以上の二十八款の吉水は、皆前面の陰陽二局と對照して用うるを要す。

諸凶水類凡そ二十四款

八山曜水:艮山忌見寅水,兌山忌見巳水,震山忌見申水,坤山忌見卯水,巽山忌見酉水,離山忌見亥水,坎山忌見辰水,乾山忌見午水。其例起於渾天甲子所屬之五行克八卦之所屬也。如干卦屬金,乾宮壬午火爻克之,乾山忌見午水為曜。他仿此推,朝來流去皆凶,重則誅夷刑戮,輕則殺傷刑撻,至驗。詩曰:坎龍坤兔震猿猴,巽雞幹馬兌蛇頭,艮虎離豬皆曜水,逢之宅墓一齊消。

凶水の第一款「八山曜水」。艮山を立てるは寅方の水を見るを忌み、兌山を立てるは巳方の水を見るを忌み、震山を立てるは申方の水を見るを忌み、坤山を立てるは卯方の水を見るを忌み、巽山を立てるは酉方の水を見るを忌み、離山を立てるは亥方の水を見るを忌み、坎山を立てるは辰方の水を見るを忌み、干山を立てるは午方の水を見るを忌む。此の條例は納甲裝卦の法に出づ。渾天甲子の配する所の五行を用いて本卦の屬する所の五行を克す。譬如干卦は金に屬し、干宮の納する所の壬午の爻は火に屬し、火は能く金を克す。故に干山を立てれば便ち午方の水を見るを忌む。此れを「曜」と叫ぶ。其の余の各卦は此に照って類推す。此の種の水は無論穴に朝して來るか流散して去るか皆凶にして、重きは滿門の誅戮を招致し、輕きも亦殺傷刑責あり。極めて應驗す。歌訣は説く。坎卦は龍(辰)を忌み、坤卦は兔(卯)を忌み、震卦は猿猴(申)を忌み、巽卦は雞(酉)を忌み、干卦は馬(午)を忌み、兌卦は蛇頭(巳)を忌み、艮卦は虎(寅)を忌み、離卦は猪(亥)を忌む。此れらは皆是曜水。碰上すれば、住宅墳墓は一齊に消亡す。

四墓黃泉水,亦名四殺,又名四金水:辰水、戌水、丑水、未水。金墓丑,木墓未,火墓戌,水土墓辰,故曰四墓。蓋墓者,從土而藏之義。如人之英姿俊美,玉之光華瑩潔,墓而藏之,其美莫見。故以墓為黃泉者,即《傳》所謂“不及黃泉毋相見”之義。如夭亡少死,與所葬之祖相依九泉下,故曰黃泉。亦名四金,以天宿亢、婁、鬼、牛所臨之地。賴氏云:“四金朝流並坐向,痼疾寡夭人伶仃。”又名四殺。《入式歌》云“相逢何處禍偏多,四季宮中逢四殺”是也。故此四位水極凶,主夭亡、孤寡、痼疾、惡死、邪淫、癆瘵、瘟癀,亦須破局者為驗。

第二款「四墓黃泉水」、又四殺・四金水と叫ぶ。辰・戌・丑・未の四方の水を指す。金の墓庫は丑に在り、木の墓庫は未に在り、火の墓庫は戌に在り、水と土の墓庫は辰に在り。故に四墓と稱す。「墓」は土に從りて收藏するの意思。人の英俊の姿容・玉の瑩潔の光華の如く、一旦埋藏せられば、あの美好は便ち再び見る能わず。墓を黃泉と稱する所以は、便ち《左傳》の鄭莊公の「黃泉に及ばずんば、相見る無きなり」のあの句の意思なり。若し家中に少年夭亡あれば、葬る所の祖先と相依して九泉の下に在るを以て、故に黃泉と叫ぶ。又名を四金と爲す。此の四位は正しく二十八宿の中の亢・婁・鬼・牛の四宿の臨する所の地なるを以てなり。賴布衣は説く。四金の水の來朝し・流去しあるいは正當坐向するは、痼疾・寡婦・夭亡・孤苦伶仃を主る。又名を四殺と爲す。《入式歌》の言う所の「相逢う處に禍偏多し、四季の宮中に四殺に逢う」は便ち此を指す。故に此の四位の水は極凶にして、夭亡・孤寡・痼疾・横死・邪淫・癆瘵と瘟疫とを主る。然れども同じく要として冲破本局するをこそ應驗す。

反覆黃泉水,來去皆凶,總不宜見:庚丁向忌見坤水,乙丙向忌見巽水,甲癸向忌見艮水,辛壬向忌見乾水。此亦墓水也。亦曰四路黃泉,最忌水來。按《海角經》云:假如丙向隸艮,乙向隸坤,艮屬土,土墓於辰,絕於巳,而巽居辰巳之間,故凶。門路亦忌之,犯者主禍與四墓黃泉同。

第三款「反復黃泉水」。此の種の水は無論來るか去るか皆凶、總めて見るを宜しとせず。庚向・丁向を立てるは坤方の水を見るを忌み、乙向・丙向を立てるは巽方の水を見るを忌み、甲向・癸向を立てるは艮方の水を見るを忌み、辛向・壬向を立てるは干方の水を見るを忌む。此れも亦墓水の一類に屬し、又「四路黃泉」と叫ぶ。最も水のあの一方より朝して來るを忌む。《海角經》の解釋に按ずるに、譬如丙向は納甲の上に艮卦に隸屬し、乙向は坤卦に隸屬す。艮は土に屬し、土の墓庫は辰に在り・絶地は巳に在り、而して巽は正しく辰と巳との間に夾る。故に巽水を見るを凶と爲す。不但水を忌む、門路の走向を連ねて亦忌む。触犯せば、招來するの禍は四墓黃泉と一樣なり。

坤向忌見庚丁水,巽向忌見乙丙水,艮向忌見甲癸水,乾向忌見辛壬水。此名八路黃泉,忌水去,主禍同上。反覆黃泉詩云:庚丁坤上是黃泉,坤向庚丁不可言。巽向最嫌流丙乙,乙丙須防巽水先。甲癸向中憂見艮,艮逢甲癸禍炎炎。乾向辛壬為不吉,辛壬向首怕流乾。

反って説く。坤向を立てるは庚方・丁方の水を見るを忌み、巽向を立てるは乙方・丙方の水を見るを忌み、艮向を立てるは甲方・癸方の水を見るを忌み、干向を立てるは辛方・壬方の水を見るを忌む。此の一組は名づけて「八路黃泉」。忌む所は水のあの一方に往きて流去るにして、禍を招くは上面と同じ。故に前の一組は水の來るを忌み・此の一組は水の去るを忌み、合して反復黃泉と稱す。其の歌訣は説く。庚向丁向は坤方を以て黃泉と爲し、反って坤向の庚丁を見るも亦説く可からず。巽向は最も水の丙・乙に流向するを嫌い、乙丙向を立てるは又須らく先ず巽方の水を防ぐべし。甲向癸向は艮方を見るを怕れ、艮向は甲癸に遇うも亦禍事炎炎なり。干向は辛壬を見るを不吉と爲し、辛壬向を立てるは則ち水の干方に流向するを怕る。

八曜殺水,又名水中八殺:甲向忌水流寅去,乙向忌水流辰去,丙向忌水流午去,丁向忌水流未去,庚向忌水流申去,辛向忌水流戌去,壬向忌水流亥去,癸向忌水流丑去。詩云:甲怕流寅乙怕辰,丙午丁未要傷人,庚申辛戌宜當避,壬亥癸丑是凶神。又云:丙丁辛向忌寅流,壬癸逢蛇乙向牛,庚向逢申甲向亥,也教人犯配他州。亦名八向曜水,主凶。

第四款「八曜殺水」、又水中八殺と叫ぶ。專ら去水を忌む。甲向を立てるは水の寅方より流走するを忌み、乙向を立てるは水の辰に流向するを忌み、丙向を立てるは水の午に流向するを忌み、丁向を立てるは水の未に流向するを忌み、庚向を立てるは水の申に流向するを忌み、辛向を立てるは水の戌に流向するを忌み、壬向を立てるは水の亥に流向するを忌み、癸向を立てるは水の丑に流向するを忌む。歌訣は説く。甲向は水の寅に流るるを怕れ、乙向は辰に流るるを怕れ、丙向の午・丁向の未は皆人を傷るを要し、庚向の申・辛向の戌は應當に回避し、壬向の亥・癸向の丑は皆是凶神なり。另一首は説く。丙丁辛の三向は水の寅に流るるを忌み、壬癸向は蛇(巳)に遇い・乙向は牛(丑)に遇い、庚向は申に遇い・甲向は亥に遇えば、亦人をして罪を犯して別州に充軍せしめん。此の一款も亦八向曜水と叫ぶ。總めて凶を主る。向を立てて後は必ず先ず水口のどの一字に落ちるかを看て、触著すれば即ち須らく向を改むべし。

桃花水,一名咸池水,一名娥眉水:卯酉乃太陰出入之門戶,朔後晦前,其光狀如娥眉,亦嬌嬈之象,故主淫慾。子午以與卯酉為四正耳。陽局忌見卯酉二水破局,主淫。若壬子癸龍有午水朝,主驟發,以離壬配納,水制火伏而吉矣。離龍子水朝,雖發福必淫亂。蓋純卦不配,龍受坎制故耳。陰局子午二水破局,主淫。若庚辛陰龍見卯水朝,主大發。蓋乾卦相配,金制水伏故爾。震山兔水,縱吉必淫,以純卦不配,而龍受金制,故凶。

第五款「桃花水」、又咸池水・娥眉水と叫ぶ。卯・酉の兩位は月亮の出入する門戶、初一の後・月底の前に、月光の形は美人の蛾眉の如くして、是れ嬌媚の象。故に淫慾を主る。子・午の兩位は則ち卯酉と同じく四正の位と爲るに因って竝論す。陽局に屬するは卯・酉の兩方の水の本局を冲破するを忌みて、淫亂を主る。然れども若し是れ壬子癸の一路の龍にして午水の來朝あるは、反って驟發を主る。離と壬と納甲に按って相配し、水は能く火を制して火氣は伏して吉と爲るを以てなり。反って離龍にして子水の來朝を見れば、雖も福を發する能くするも、家中は必ず淫亂あり。此れは同じく純卦にして配偶を成さず、而して龍は又反って坎水の制する所を受くるを以てなり。陰局に屬するは子・午の兩方の水の局を破するを忌みて、淫を主る。然れども若し庚辛一路の陰龍は卯水の來朝を見れば、反って大發を主る。干卦の之に相配し、金は能く木を制して水氣は伏して吉と爲るを以てなり。震山を立てて兔(卯)水を見るに至っては、縱然福を發するも亦必ず淫亂あり。同じく是れ純卦の配せず、龍は反って金制を受くるの緣故なり。

坎龍離水不宜入酉,謂之游魂桃花水,主淫。賴氏云:“坎龍離水入西兌,淫奔定主期桑中。”風聲水破局者有驗:巽巳水破陽局,主淫亂風聲。賴氏云:“巽巳兼朝破陽局,那堪太乙生堆峰。深閨有女顏如玉,墜胎玷辱春風容。”坤水破陰局,主淫亂風聲。坎離陽朝入陰局,主淫亂風聲。卯水破陽局,主風聲。賴氏云:“卯水特朝主驟發,龍輕砂碎招淫奔。”

另に一條あり。坎龍にして離方の水あれば、此の水は宜しく再び酉方に流入す可からず。あれは「游魂桃花水」と叫び、淫を主る。賴布衣は説く。坎龍の離水は西邊の兌位に流入せば、必定に男女私奔・桑中に約會するの醜事あらん。第六款「風聲水」。本局を冲破するを以てこそ應驗す。巽・巳の水の陽局を冲破するは、淫亂と風流醜聞を主る。賴布衣は説く。巽巳の水は兼ねて朝して陽局を破せば、何況太乙(巽)方は又堆阜の峰を生出し、深閨の中の女兒は容顔玉の如しも、卻って墮胎に因って彼女の春風の如き容色を玷辱せん。坤方の水の陰局を冲破するも、亦淫亂醜聞を主る。坎・離の陽水は陰局に朝入するも、同じく淫亂醜聞を主る。卯方の水の陽局を冲破するも、亦風聲を主る。賴布衣は説く。卯水の專程に來朝するは本は驟發を主るも、然れども若し來龍の輕薄・砂形の破碎せば、便ち私奔の醜を招來せん。

離鄉水破局者有驗:離水、壬水、寅水、戌水。離者,離去之義也,故主離鄉遠去。壬寅戌皆隸於離,故亦如之。凡四宮見水來去,吉地則主離鄉而富貴,凶地則主移徙逃竄。

第七款「離郷水」。同じく本局を冲破するを以てこそ應驗す。離方・壬方・寅方・戌方の水を指す。「離」の字は本身便是離去するの意思。故に離郷遠去を主る。壬・寅・戌の三位は納甲三合の上に皆離卦に隸屬す。故に應驗も亦離水と一樣なり。凡そ此の四宮に水の來るか水の去るかを見るに、若し本身是れ吉地ならば、家鄕を離開して外に在りて富貴するを主り、若し是れ凶地ならば、便ち擧家遷徙・四處逃竄を主る。見るべし、同一種の水にして、吉凶の方向は地の本質より決定す。水は只だ「離郷」の此の一件事を決定するのみ。

回祿水,回祿者火神之名也:午水兼丙,寅午戌三方水,乙辰水破陰局。離為陽火,丙為陰火,二宮之水兼朝溷雜,必主火災。若單朝則不忌。寅午戌三合火局,若俱有水朝入,或凹缺風吹,或水從而出,皆主火災。乙辰水來去破陰局,謂之帶殺火,主火災。

第八款「囘祿水」。囘祿は火神の名字なり。指す所は、午方の水は又丙方を兼帶し、寅午戌の三方に皆水あり、および乙・辰の水の陰局を冲破するなり。離位は陽火、丙位は陰火にして、此の兩宮の水は一同に來朝して混雜すれば、必ず火災を主る。若し只だ其の中の一方の單獨に來朝するは、便ち忌まず。寅午戌は三合の火局にして、若し此の三方に皆水の朝入あり、あるいは三方に凹口缺風ありて灌り入り、あるいは水は又此の三方より流出すれば、皆火災を主る。乙・辰の水は一來一去して陰局を冲破するを、「帶殺火」と叫びて、亦火災を主る。

按賴氏《催官篇》云:“游魂陰樞水併入,寅午戌歲燒天紅。葬法多注兌亥氣,回祿受制應潛蹤。”蓋游魂午也,陰樞丙也。二水兼入,名曰天地陰陽火,必主火災,其應多在寅午戌火旺年月。故葬法必於金井中用注之法以制之。須多注兌金以生亥水,又注亥水以控丙午之火,則回祿受制而不能為災矣。今人不識注氣之法,乃有訾議行注為非者,是不知裁成輔相,以斡旋造法之妙也。

二徐の按語は説く。賴布衣《催官篇》は講じ過ぐ。游魂と陰樞の兩路の水は一同に流入して、寅・午・戌の年に到れば便ち滿天紅通に燒かん。下葬の時に多く兌・亥の兩方の氣を注せば、火神は制約を受けて、自然に潛蹤して發せず。此處の「游魂」は午を指し、「陰樞」は丙を指す。兩方の水は兼幷して入るを、「天地陰陽火」と叫びて、必ず火災を主り、應驗するの時は多く寅午戌の此れらの火旺の年月に在り。故に下葬の作法の上に必ず金井(即ち墓穴の壙坑)の中に於て「注氣」の法を用いてそれを制すべし。要として多く兌方の金氣を注して亥方の水氣を生じ、再び亥方の水氣を注して丙午の火氣を控制すれば、此の如くして火神は制を受けて、便ち災と爲る能わず。如今の人は注氣の法を懂らずして、反って注氣を施行するは錯と譏議す。此れは天地を裁成し・萬物を輔相し・人力を用いて造化を斡旋するの妙用を明白せざるなり。

廖金精為吾邑張氏扦陽基於吳園,坐子癸向午丁,而有丙午水朝入,金精知不能免於回祿,乃鑿坑於其方,名曰滅火坑,而注亥注兌以制之。囑曰:“自此君家永絕回祿之災。”但戒火坑不可填塞。張氏守其戒,五百餘年無火災。嘉靖壬戌,偶塞火坑,未旬日而災百餘舍,所災之處,正與坑所塞者相值,而塞未及者,則截然反風滅火。符應如此,蓋見地理之妙,而控制之術亦神矣哉!此予目擊其事,謹述以告明者。

此處に一件の親歷の事あり。宋代の廖金精は我らの縣里の張氏の爲めに吳園に於て一處の陽宅基地を相中して、子癸に坐し・午丁に朝す。而して丙午方に偏に水の來朝あり。廖金精は此の家の火災を躲過す能わざるを知りて、便ち丙午のあの一方に於て一箇の坑を鑿りて、「滅火坑」と名取りて、竝びに亥方と兌方の氣を注入して以てそれを制す。臨去に囑咐して曰く。此れより以後、貴家は永遠に火災を斷絶せん。只是再三に告戒す。此の火坑は絶に填塞す可からず。張氏は此の一條の戒律を守りて、五百多年に火災無し。嘉靖壬戌年に到りて、偶然に火坑を填塞して、十天に到らずして便ち一百多間の房屋を燒掉す。而且起火の地段は、正好に填塞する所のあの一段の坑と相對應し、凡そ填到らざるの地段は、火はそこに燒到れば便ち截然として頭を掉し・風回りて火滅す。應驗すること此の如く分毫差らず。見るべし、地理の妙、而して控制の術も亦真に神奇なり。此の事は我の親眼の見る所なり。謹んで記して以て明達の士に告ぐ。

鰥寡水破局者驗:乾水破局、坤水破陰龍者是。幹為老陽,坤為老陰,皆亢極無生成之義,故主鰥寡,甚則絕嗣。乾水尤可畏,坤水稍次之。乾水破陰局,主出鰥夫、痼疾、橫逆。賴氏云:“陽璣來去跛能履,鰥寡繼贅人無蹤。”坤水破陰局,主出寡母、淫風,家多少亡。兼未水,主寡母私於僧道,及出尼姑和尚。亦須兼砂斷之。賴氏云:“玄戈洋洋入冢宅,高堂紅粉悲無窮。掀裙獻花砂共位,媍女不潔招淫風。若有圓峰缽盂樣,或出尼姑並和尚。”

第九款「鰥寡水」。本局を冲破するを以てこそ應驗す。干方の水の局を破り・坤方の水の陰龍を冲破するを指す。干は老陽、坤は老陰にして、皆是亢極にして生成の義無し。故に鰥夫寡婦を出すを主り、嚴重なるは甚至絶嗣す。其の中の干水は尤其に可畏にして、坤水は稍次の一等なり。干水の陰局を冲破するは、鰥夫・痼疾と横逆の人を出すを主る。賴布衣は説く。陽璣(干)の水は一來一去して、家中に跛脚にして勉强に行走する能うの人を出し、鰥寡と承繼入贅の事は接連不斷、終に人蹤斷絶に至る。坤水の陰局を冲破するは、寡母を出すを主り、淫風あり、家中は早亡多し。若し再び兼ねて未方の水あれば、寡母の僧道と私通するを主り、竝びに尼姑和尚を出す。此れらは還お砂形と合看してこそ斷定す能くし。賴布衣は説く。玄戈(坤)の水は洋洋として墳宅に灌入して、堂上の婦人は悲傷無窮。再び掀裙・獻花の一類の砂ありて同在に此の一位あれば、婦女は便ち貞潔ならずして淫風を招來す。若し圓峰ありて形は鉢盂の如くば、便ち尼姑と和尚を出さん。

癆瘵水:乙辰水破局、未坤水破局、幹戌水破局。凡四墓龍脈,及入懷尖射惡砂,或凹風吹穴,朝水破局,主癆瘵,極凶。不破局者無妨。少亡水:辰水破局、戌乾水破局、坤申水破局。賴氏云:“亢婁辰戌流注非吉地,少亡悖逆無忠貞。”又云:“坤水洋洋入冢宅,高堂紅粉悲無窮。”

第十款「癆瘵水」。乙辰の水の破局・未坤の水の破局・干戌の水の破局。凡そ四墓一路の龍脈、あるいは尖利の惡砂ありて直に懷に射入り、あるいは凹口の風ありて穴上に吹到り、再加朝水は本局を冲破せば、便ち癆瘵の疾を主り、極めて凶險なり。若し竝びに本局を冲破せざれば、則ち妨事ならず。第十一款「少亡水」。辰方の水の破局・戌干の水の破局・坤申の水の破局。賴布衣は説く。亢宿(辰)婁宿(戌)の此の辰戌兩路の水流は注りて進み來れば、便ち吉地に非ず。少年夭亡・子弟悖逆にして忠貞の氣無きを主る。又説く。坤方の水は洋洋として墳宅に灌入せば、堂上の婦人は要として悲傷無窮ならん。

痼疾水:寅甲水破局,主瘋跛殘疾,盲目跎背。辰水破局,主缺唇露齒,喑啞耳聾。壬癸水破局,主腫脹落水,自縊血崩。戌乾水破局,主喑啞、盲聾、瘋跛。午水破局,主瞎眼。辰戌丑未四水破局,主痼疾橫逆。

第十二款「痼疾水」。逐位に分應す。寅・甲の水の本局を冲破するは、瘸跛殘疾・瞎眼駝背の人を出すを主る。辰方の水の破局は、缺唇露齒・啞口聾耳を主る。壬・癸の水の破局は、浮腫脹滿・水に落ちて淹溺し、以及上弔自縊・婦人血崩を主る。戌・干の水の破局は、啞・盲・聾と瘸跛とを主る。午方の水の破局は、瞎眼を主る。辰・戌・丑・未の四墓の水は一齊に破局せば、久病不愈の痼疾と忤逆横暴とを主る。凡そ此れは皆「破局」を以て前提と爲す。水は雖も此れらの方位に在るも、只だ本局の陰陽純氣を冲破せざれば、便ち此の斷を作さず。

刑戮水破局者有凖:坎龍見辰巽水,坤龍見卯水,震龍見坤申水,離龍見亥水,幹龍見丙午水,巽龍見酉水,艮龍見寅甲水,兌龍見巳水。即八山曜水,主遭刑戮。凶者多致全家誅戮,縱吉地亦主遭刑,或遭盜殺,或戰陣而亡,至驗。不破局者無驗。

第十三款「刑戮水」。本局を冲破するを以て最も準驗あり。坎龍は辰・巽の水を見、坤龍は卯水を見、震龍は坤・申の水を見、離龍は亥水を見、干龍は丙・午の水を見、巽龍は酉水を見、艮龍は寅・甲の水を見、兌龍は巳水を見れば、此れは便ち前面の第一款の説く所の八山曜水、刑戮を遭受するを主る。凶の多きは全家の誅せらるるに至り、縱然是れ吉地なるも、亦家人の刑を受くるを主り、あるいは盜賊に殺害され、あるいは戰陣に死す。極めて應驗す。若し曾て本局を冲破せざれば、便ち此の應を作さず。同一組の水は此處に再び一度出づるは、八曜は專ら刑殺を主るを以て、特に標出して以て警戒を示すなり。

下獄水:午水破陰局,辰戌水破陰局。天獄星照午而貴人不臨辰戌,故此三水破局,主遭囚禁。若更有砂如獄如枷,或路繞如鎖,臨此三位,尤凶,主囹圄死。夭橫水:辰水破局、戌水破局。辰戌為天羅地網,故二水破局,主凶惡夭橫,粉身碎骨之慘。

第十四款「下獄水」。午方の水の陰局を冲破し、辰・戌の水の陰局を冲破す。天獄星は午位を照臨し、而して天乙貴人は辰戌の兩位に到らざるを以て、故に此の三方の水の破局は、牢獄に囚禁せらるるを遭うを主る。若しあの三方に還お砂形ありて牢獄の如く・枷鎖の如く、あるいは道路の盤繞して鐐銬の如くば、凶險は更甚にして、獄中に死するを主る。第十五款「夭横水」。辰方の水の破局・戌方の水の破局。辰は天羅・戌は地網にして、兩位は陷困を主る。故に此の兩方の水の破局は、凶惡横死を主りて、粉身碎骨の慘禍あり。

惡死水:癸水破局,主溺,主藥毒。甲水破局,主縊,主木石壓。午水破局,主牢囚,主火燒。丑水破局,主刀兵,主刑戮。申水破局,主陣亡,主水渰。乙辰破局,主木壓,主水渰。乾水破局,主石壓,主誅戮。寅水破局,主虎咬,主湯火。巳水破局,主蛇咬,主自縊。

第十六款「惡死水」。方位に按って分別に不同の死法に應ず。癸方の水の破局は、淹死を主り、あるいは藥毒に中りて死す。甲方の水の破局は、上弔を主り、あるいは木石に壓死せらる。午方の水の破局は、牢獄に死するを主り、あるいは火に燒死せらる。丑方の水の破局は、刀兵に死するを主り、あるいは刑戮に遭う。申方の水の破局は、陣亡を主り、あるいは水に淹れらる(「渰」は「淹」と同じ)。乙・辰の水の破局は、木に壓せらるるを主り、あるいは水淹に遭う。干方の水の破局は、石に壓せらるるを主り、あるいは誅戮に遭う。寅方の水の破局は、虎に咬まるるを主り、あるいは滾湯烈火に死す。巳方の水の破局は、蛇に咬まるるを主り、あるいは自縊して死す。取象は皆各方位的の五行物類より來る。

軍配流移水:午水、寅水、癸水、辰水、庚申水。凡此數水破局者必主遠配,輕則徙竄。盜寇水破局者驗:乙辰水、辛戌水、寅申水、丑癸水、未坤水。吉地常遭盜寇,凶地常出盜寇。

第十七款「軍配流移水」。午方の水・寅方の水・癸方の水・辰方の水・庚申の水。凡そ此の幾種の水の本局を冲破するは、家人は必ず發配充軍して遠方に至るを遭い、輕一点のも亦要として遷徙流亡す。第十八款「盜寇水」。本局を冲破するを以て應驗す。乙辰の水・辛戌の水・寅申の水・丑癸の水・未坤の水。若し本身是れ吉地ならば、家中の常に盜賊に搶劫せらるるを主り、若し是れ凶地ならば、則ち自家の盜賊を出すを主る。同樣の水にして、地の吉凶に因って分作して受害と爲害との兩種の應驗と爲す。

乞丐水:辰水破局、戌水破局。二水直去,無砂收攔,穴向順去,主乞丐。屠宰水:辰戌丑未水交流,此四殺水,縱吉亦不過屠宰而已。

第十九款「乞丐水」。辰方の水の破局・戌方の水の破局。此の兩方の水は若し筆直に流去して、又砂山無くして下手に收攔關鎖し、而して穴の坐向は恰好に又水の去る方向に順れば、家道敗落して沿門に乞討するに至るを主る。言う所の「順去」は、向首と水流との同一方向を指し、氣は水に随いて泄れて收無し。第二十款「屠宰水」。辰・戌・丑・未の四方の水は交錯匯流して、此れ便是四殺水。縱然地本身は吉なるも、出す所の人も亦不過宰牲屠戶一流而已なり。

螟蛉水:乙水、卯乙水、乙辰水、辛戌水、乾水。賴氏云:“天官來去招繼贅。”又云:“陽璣來去跛能履,鰥寡繼贅人無蹤。”悖逆水:辰水破局、戌水破局。賴氏云:“亢婁流注非吉地,少亡悖逆無忠貞。”

第二十一款「螟蛉水」。螟蛉は抱養の義子を指す。乙方の水・卯乙の水・乙辰の水・辛戌の水・干方の水。賴布衣は説く。天官(乙)の水は一來一去して、家中は要として義子あるいは入贅女婿を招きて承嗣せん。又説く。陽璣(干)の水は一來一去して、跛脚にして勉强に走る能うの人を出し、鰥寡と承繼入贅とは接連して來り、終に人蹤斷絶に至る。第二十二款「悖逆水」。辰方の水の破局・戌方の水の破局。賴布衣は説く。亢宿(辰)婁宿(戌)の水は流注して進み來れば便ち吉地に非ず。少年夭亡・子弟悖逆にして忠貞の氣無きを主る。

妖魅水破局者驗:丑水、未水。鬼牛不正之氣,故主妖魅祟怪。蛇虎水:巳水主蛇傷,寅水主虎咬,破局者是。此亦以其所當而應也。徽州程氏、樂平朱氏二地,皆以虎傷,俱有寅水來也。其課云:“半夜夫妻八百丁。”圖見穴忌卷。

第二十三款「妖魅水」。本局を冲破するを以て應驗す。丑方の水・未方の水。丑は牛金宿に屬し・未は鬼金宿に屬して、皆是不正の氣。故に妖魅の作祟・怪異の事を主る。第二十四款「蛇虎水」。巳方の水は蛇に咬傷せらるるを主り、寅方の水は虎に咬まるるを主る。皆以て本局を冲破するを準と爲す。此れも亦是れ各方位の配する所の物類に按って以て應驗するなり。徽州程氏・樂平朱氏の兩處の墳地は、皆虎に人を傷らるるの事を出過せり。兩地は皆寅方の水の來朝あり。當時の斷語は説く。半夜裏に夫妻と成りて、一家は八百丁なり。圖形は已に穴忌を講ずるのあの一卷に見ゆ。

河汨水:壬子水破局、子癸水破局、庚申水破局、乙辰水破局,此以水局而應也。若破局主水厄。藥毒水:癸水丑水交流並破局者是。賴氏云:“陰光天廚揖冢宅,隨母改嫁忘其宗。少亡毒藥因女禍,兄弟屠戮交相攻。”若見天醫水解之,不忌。

「河汨水」の一款。汨は沉溺の意なり。壬子の水の破局・子癸の水の破局・庚申の水の破局・乙辰の水の破局。此の幾組は皆是水局の屬する所の方位、水氣の過盛に因って應驗す。若し本局を冲破せば、溺水の厄を主る。「藥毒水」の一款。癸方の水と丑方の水と交錯匯流して竝びに本局を冲破するは即是なり。賴布衣は説く。陰光(癸)と天廚(丑)の水とは墳宅に拱揖して、子孫は母に随いて改嫁して本宗を忘れ、少年は婦人の禍に因って中毒して身亡なり、兄弟の間は互相に殘殺す。若し別に天醫方の水ありて來りて化解せば、便ち忌むを必とせず。

瘟疫水:震山戌乾水,艮山未坤水,兌山丑癸水,巽山戌水,離山艮寅水,坎山丙午水,乾山卯水,坤山巳水。墜胎水:子癸水破陰局,巽巳水破陽局。雷驚水:亥卯未三合同見水,主雷驚墓及傷人。震山見亥未二水來去,必主雷驚。賴氏云:“未水來去龍入震,霹靂一聲驚西東。”

「瘟疫水」の一款。震山を立てて戌・干の水を見、艮山を立てて未・坤の水を見、兌山を立てて丑・癸の水を見、巽山を立てて戌水を見、離山を立てて艮・寅の水を見、坎山を立てて丙・午の水を見、干山を立てて卯水を見、坤山を立てて巳水を見れば、皆瘟疫を主る。「墜胎水」の一款。子・癸の水の陰局を冲破し、巽・巳の水の陽局を冲破して、皆婦人の小産を主る。「雷驚水」の一款。亥・卯・未の三合の位は同時に皆水あれば、墳墓を雷擊し竝びに活人に傷及するを主る。震山を立てて亥・未の兩方の水の一來一去を見れば、必ず雷驚を主る。賴布衣は説く。未方の水は來去して龍は震位より入首せば、一聲の霹靂は東西の兩邊を驚動せん。

左道水:未水、丑水。二水為僧道、法師、齋公,縱吉地亦主出人喜為供佛飯僧之事。賴氏云:“鬼牛來去空為吉,唸經寡夭常逢凶。”

「左道水」の一款。未方の水と丑方の水とを指す。此の兩方の水は僧人・道士・法師と齋を喫する居士とを出すを主る。縱然是れ吉地なるも、亦家人の佛を供し僧を齋するの一類の事を喜好するを主り、家財を此の上に耗す。賴布衣は説く。鬼宿(未)牛宿(丑)の水は一來一去して、空しく吉の名目あるも、實際は經を念し佛を誦するの家は常に孤寡夭亡の凶に遇う。此れは前面の「血財水」「色衣水」の斷ずる所と相通ず。見るべし、丑未の兩位は本書の水法の中に始終左道の應と作す。

翻棺覆槨水:戌乾凹風射水,乙辰凹風射水,癸丑凹風射水,未坤凹風射水。有凹缺,又有水沖射,是風送水入,為禍尤緊,故主翻棺覆槨。賴氏云:“四金砂陷風一入,翻棺覆槨人遭殃。”又云:“四金水射風入局,翻棺覆槨災非輕。”

「翻棺覆槨水」の一款。戌干方に凹口ありて風を透し又有水直射し、乙辰方に凹風射水あり、癸丑方に凹風射水あり、未坤方に凹風射水あり。此の四組の特點は、既に凹缺ありて風を灌入せしめ、又水ありて直衝射來るにして、風が水を一起に穴内に送進するに等しく、禍と爲すこと尤其に緊急なり。故に棺槨の掀翻せらるるを主る。賴布衣は説く。四金の砂は低陷して、風は一たび灌入すれば、棺槨は翻覆し・家人は殃に遭う。又説く。四金の方に水射し風は局中に入れば、翻棺覆槨の災禍は絶に輕からず。察看する時は須らく穴心に蹲って、四顧して缺口の有無を看、再び缺口の外は正しく水の來るに對するか否かを看るべし。

樹根穿板水:寅甲水、乙辰水、戌乾水。破局者驗。樹根穿板,亦不拘此,惟龍無氣脈而穴不受風者,必有樹根穿入棺,貫其骸骨,甚為可畏。貫目則主子孫壞目,納耳則聾耳,穿背則發背,穿足則跛足。

「樹根穿板水」の一款。寅甲の水・乙辰の水・戌干の水は、本局を冲破するを以てこそ應驗す。不過樹根の棺板を穿透するの此の件事は、亦此の幾種の水に限らず。凡そ來龍に真の氣脈無くして、而して穴場は又風に當るの地方は、必定に樹根ありて棺内に鑽進し、尸骨を穿貫して、非常に可怕なり。樹根の眼部に貫到れば、子孫は便ち眼を壞し、耳部に進入すれば、子孫は便ち耳聾し、背部を穿過すれば、子孫は便ち背疽を生じ、足部を穿過すれば、子孫は便ち跛足す。此れは本書の形氣感應を以て「地の禍は人に應ず」を解釋するの典型の説法。穴を驗する時は須らく四圍の大樹の方位と距離とを留意すべし。

黃泉浸尸水:乙辰水破局、坤申水破局、壬子水破局、戌乾水破局、寅申水破局。水浸尸骨,亦不拘此,惟龍脈無氣而穴場受風者,雖至高之處,亦有水。水浸尸骨,馴以黑爛,主疾病黃腫,漸以絕人,不但貧賤而已。不破局者非是。

「黃泉浸尸水」の一款。乙辰の水の破局・坤申の水の破局・壬子の水の破局・戌干の水の破局・寅申の水の破局。然れども水の尸骨を浸すも亦此の幾種に限らず。凡そ龍脈に氣無くして穴場の風を受くるの地方は、即使極高の山頭の上に葬るとも、壙内は照樣に水あらん。水は一たび尸骨を浸せば、日久く便ち漸々發黑腐爛して、子孫の疾病・黃疸浮腫を主り、人丁は一点点に斷絶す。不只だ貧賤而已なり。「馴」は漸々の意思なり。若し曾て本局を冲破せざれば、便ち此の一款の指す所の情形に非ず。

蟻螻穿棺水:乙辰、寅甲、甲卯、艮寅、申庚、辛戌、未坤、癸丑、辰巽、坤申、乾亥。俱以龍穴不真者驗。蟻螻穿棺,亦不拘於此,凡斗煞必有蟻。予見徙地有蟻,不但穿棺,年深遠者,並骸盡囓之,極為凶惡。

「蟻螻穿棺水」の一款。乙辰・寅甲・甲卯・艮寅・申庚・辛戌・未坤・癸丑・辰巽・坤申・干亥の諸方の水は、皆要として來龍と穴場との真ならざるを以てこそ應驗す。螞蟻螻蛄の棺木を穿透するも、亦此れらの方位に限らず。凡そ兩氣の相衝して鬭煞するの處は、必定に蟻を生ず。我は親眼に遷葬して起出せるの舊壙の裏に蟻あるを見過せり。不但棺木を穿透し、年代の久遠なるは尸骨を連ねて啃食殆盡せられて、極めて凶惡なり。知る可し、蟻患の根源は龍穴の不真・氣脈の衝鬭に在りて、方位の水は不過其の成形を助くる而已。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷八二之四

江右山人徐善繼述同著。

本卷の題署は「江右山人徐善繼・徐善述同着」。前の一卷は吉水二十八款・凶水二十四款を開列して、皆是分條の斷語。此の一卷は轉じて總論と爲して、專ら水法の取捨原則と穴前の折水・放水・立向消納の作法とを講ず。是れ全書の水法の定論の部分なり。

水法定論

卜氏云:“穴前放水,依法循繩。”《狐首經》云:“溝決之水,出於人為,禍福所繫,審擇是非。”《赤霆經》云:“人力可施,折東屈西,妙斡造化,出入干支。”諸家所論,莫不皆謂水要折放。而其所以折放之法,在於人為,以合天地自然之妙。蔡牧堂云“知者盡其所當然,而不害其為自然”者是也。但陰陽二宅之水,諸般卦例,拘忌太繁。縱慾用之,交相矛盾,何從取正?故劉公淵云:“一切置之勿論可也。”誠以龍穴真正,水或不循矩度,亦不害為吉地。楊公云:“水似精兵,進退由將。”則水亦不過龍穴之助耳。故云“水遶之玄莫問蹤”是也。

卜應天《雪心賦》は説く。穴前に水を放つは、要として法度に依り・準繩に循うべし。《狐首經》は説く。溝を開き水を決すは、本是人力の爲す所にして、卻って一家の禍福に關係す。必ず仔細に是非を審擇すべし。《赤霆經》は説く。人力は以て施爲す可く、東に折り・西に屈して、巧妙に造化を斡旋して、水をして干支のどの一位より出入せしむ。各家の論ずる所、無不水の曲折して放送するを要すを主張す。而して能く折り能く放つ所以は、全く人爲の經營に在りて、用いて天地自然の妙理に契合す。蔡發(號は牧堂、蔡元定の父)は説く。「明智の人は力を盡して其の做るべきを做りて、卻ってそれが仍ほ自然たるを妨礙せず」、正しく此の意なり。然れども陰陽兩宅の水法は、各種の卦例の拘忌は太過繁瑣なり。真に照って用いんとすれば、彼此は又互相矛盾す。究竟どの一家に依って正と爲さんや。故に劉淵は説く。一概に擱下して論ぜざるも妨げず。此れは只だ龍真穴正ならば、水は即使規矩に合せずとも、亦それが吉地たるを妨礙せざるを以てなり。楊筠松は説く。水は精兵に好比す。進退は全く主將の調度に由る。見るべし、水は不過龍穴の輔助而已。故に又「水繞りて之玄と莫れ蹤を問え」の話あり。水は只だ彎環して情あらば、其の一折一轉の蹤迹を追究するに及ばず。

且諸家水法,其間是非難信者,有十餘說焉。一是主山不定,一是支干取舍不同,一是生克出入吉凶所取不同,一是二十四位所屬陰陽不同,一是諸家二十四位所屬五行無定,一是宿度屬五行不一,一是生旺衰病所起不同,一是宜倒左宜倒右於理無據,一是九星五星水法不同,一是步數尺寸白星難一,一是起祿馬貴人各家不同,一是正針、縫針、銅盤針論水不同。凡此雖各具名術之書,及明師顯用,夫何牴牾如此!姑陳其概。

再び各家の水法を説く。其の中の是非の取信し難きは、大約十幾條あり。一はどの座の山を以て主と爲すかの定準無し。二は地支と天干の取捨の各家不同。三は相生相克・氣の出入の吉凶と判ずるの取法不同。四は二十四位の各々陰陽に歸するの分法不同。五は各家の定める所の二十四位の五行屬性の定準無し。六は二十八宿の宿度の屬する五行の不一致。七は長生・旺・衰・病のどこより起算するかの不同。八は左に倒るべきか右に倒るべきかの理に據る無し。九は九星水法と五星水法との不同。十は步數尺寸を論じ・白星を配するの算法の統一し難し。十一は祿馬貴人を起こすの方法の各家不同。十二は正針・縫針あるいは銅盤針を用いて水を格するの各家不同なり。此れらの説法は雖も各々名家の著述あり・亦各々明師の實際に用うるあるも、何の故に彼此の抵觸すること此の地步に到るや。姑且大概の情形を下の如く陳述す。

如主山不定之說,蓋有以向首論消水者,以坐下論納水者,以來龍論合水者,以落頭論放水者,此主山之不定也。有以支干分大、中、小神,而謂小神宜流入中神,中神宜流入大神,而大神不宜流入中小神之支干方者,有以大神、小神但要合祿馬貴人,而先用支神,次及幹維者;有三折內不用支神,而三折外不拘者;有專用幹維,而全不用支神者;有取貪、巨、武三吉,而不論支干神者。此支干取舍之不同也。

譬如「主山不定」の此の一條。ある人は向首を以て主と爲して消水を論じ、ある人は坐山を以て主と爲して納水を論じ、ある人は來龍を以て主と爲して合水を論じ、ある人は落頭の一節を以て主と爲して放水を論ず。同一處の地にして、憑據不同なれば、結論は便ち不同なり。此れ便是主山の定準無きなり。再如「支干取捨」の此の一條。ある人は二十四位を地支天干に按って大神・中神・小神に分成して、小神の水は宜しく中神に流入し・中神は宜しく大神に流入し、而して大神の水は宜しく倒流して中神小神の支干の方位に回る可からずを主張す。ある人は大神小神は只だ上の祿馬貴人に合すれば便ち行け、先ず地支の神を取り、其次にこそ天干四維に及ぶと認む。ある人は水は三折以内は地支を用いず・三折以外は便ち拘らずを主張す。ある人は專ら天干と四維とを用いて完全に地支を用いず。ある人は只だ九星の中の貪狼・巨門・武曲の三吉を取りて、根本に支干を論ぜず。此れ便是支干取捨の不同なり。

有以克出為吉,克入為凶者;有以克入為吉,克出為凶者;有以生入為吉,生出為凶者。此生克出入之不同也。有以淨陽淨陰論水者,有以真陰真陽論水者,有以葉七陰陽論水者。此陰陽所屬之不同也。有以正五行論水者,有以洪範五行論水者,有以玄空五行論水者,有以八卦五行論水者。此五行取用之不同也。

再如生克出入の此の一條。ある人は我の往きて彼を克する(克出)を以て吉と爲し・彼の來りて我を克する(克入)を凶と爲す。ある人は恰好相反して、克入を以て吉と爲し・克出を凶と爲す。ある人は則ち彼の來りて我を生ずる(生入)を以て吉と爲し・我の往きて彼を生ずる(生出)を凶と爲す。此れ便是生克出入の取法の不同なり。再如陰陽歸屬の此の一條。ある人は「淨陰淨陽」を用いて水を論じ、ある人は「真陰真陽」を用いて論じ、ある人は「葉七陰陽」を用いて論ず。此れ便是陰陽の所屬の不同なり。再如五行取用の此の一條。ある人は正五行を用いて水を論じ、ある人は洪範五行を用い、ある人は玄空五行を用い、ある人は八卦五行を用う。此れ便是五行取用の不同なり。同一條の水にして、一套の五行を換れば便ち一箇の吉凶を換る。

有以宿度論水者,其度數之所屬五行,或金或木,《天機素書》與《叢珠瀛海》及依梁關屬各不一,此宿度吉凶之不同也。有以來要生旺,去要休囚論水者,其生旺之說,或以三合起長生,或以坐山起長生,或以正五行起,或以玄空五行起。此生旺休囚之不同也。有以倒左倒右,宜流來宜流去論水者,而倒左倒右於理無根。論之先跡,多不相合。此左右來去之難信也。

再如宿度の此の一條。ある人は二十八宿の度數を用いて水を論ずるも、然れども某の一度の究竟金に屬するか木に屬するかは、《天機素書》《叢珠瀛海》および依梁關の一系の説法は各不相同なり。此れ便是宿度の吉凶を定むるの不同なり。再如生旺休囚の此の一條。ある人は來水は要として生旺の方に在り・去水は要として休囚の地に在るを主張す。然れども生旺はどこより起算するか、あるは三合局に按って長生を起こし、あるは坐山に按って長生を起こし、あるは正五行に按って起こし、あるは玄空五行に按って起こす。此れ便是生旺休囚の不同なり。再如左右の此の一條。ある人は水の左に倒る・右に倒る・宜しく來る・宜しく去るを以て吉凶を論ず。然れども倒左倒右は本身は理に根據無く、前人の舊例を拿來して對照するも、亦多半合いず。此れ便是左右來去の説の取信し難きの地方なり。

有以九星貪、巨、祿、文、廉、武、破、輔、弼論數,謂之三匝貪狼,弦起弦殺,中起中殺,而以貪、巨、武為三吉者。有六神水法,以青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、螣蛇論水者,取青龍配木,白虎配金之類。有以太陰、太陽、金、水、天財、紫炁、天罡、燥火、掃蕩、孤曜九星論水,而分四凶五吉者,此五星九星之不同也。

再如星名の此の一條。ある人は九星——貪狼・巨門・祿存・文曲・廉貞・武曲・破軍・左輔・右弼——を用いて水の折數を推算して、「三匝貪狼」を講じ、水の折が弦の上に起れば則ち弦の上に殺あり・折が中間に起れば則ち中間に殺ありと説きて、而して貪狼・巨門・武曲を以て三吉と爲す。又六神水法あり。靑龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・螣蛇を用いて水を論じ、靑龍を取りて木に配し・白虎を金に配するの類なり。還おある人は太陰・太陽・金星・水星・天財・紫炁・天罡・燥火・掃蕩・孤曜の此の一套の九星を用いて水を論じて、分作して四凶五吉と爲す。此れ便是五星と九星との兩套の體系の不同なり。

有以步數論白星為吉而合水法者,或云一步管三年,或云一年關三步,此步數白星之不同也。有以祿馬貴人論水者,其起祿馬貴人之法,或以本山起,或以向首起,或以亡命起,此祿馬貴人之不同也。有以子午正針論水者,有以壬子丙午縫針論水者,有以子癸午丁銅盤針論水者,此土圭羅經之不同也。復有紫微、單于、梅花,與夫青囊、斗杓、魁星、四門朝宗、天父地母等法,種種多門,各持一見,信此則失彼,從甲則違乙,茫無定據,豈理也哉!噫!是皆臆度陰陽,絡籠禍福,而無真傳灼見者也。

再如步數の此の一條。ある人は水の步數を量りて、白星に合するを取りて吉と爲す。然れどもあるは一步は三年を管すると説き、あるは一年は三步に關すると説く。此れ便是步數の白星を配するの不同なり。再如祿馬貴人の此の一條。祿馬貴人を起こすの方法は、あるは本坐山より起こし、あるは向首より起こし、あるは亡人の生年命より起こす。此れ便是祿馬貴人の不同なり。再如羅盤用針の此の一條。あるは子午正針を用いて水を論じ、あるは壬子丙午縫針を用いて水を論じ、あるは子癸午丁の銅盤中針を用いて水を論ず。此れ便是土圭羅盤の不同なり。此の外に還お紫微・單于・梅花あり、以及青囊・斗杓・魁星・四門朝宗・天父地母の等等の法門あり。名目は繁多にして、各々一見を執す。此の一家を信ずれば便ちあの一家に違い、甲説に依從すれば便ち乙説に違背して、茫然として定準無し。此れ豈に道理に合すや!嗚呼!此れらは皆是憑空に陰陽を揣度し・籠統に禍福を牽扯して、而して眞傳實見無き人の造り出す所なり。

幸吾興吳氏親授仙翁華山處士之傳,三傳而至廖金精、傅伯通。其後又有紫瓊張真人、緣督趙仙翁,及觀物祝公、文懿傅公、易巖齊公,皆洞徹玄微,各有著述。至國初,而乃有董德彰氏得其真訣,作用通神。而舒馬山、祝仲陽、張落魄、郎慶和、李養素、胡竹心輩,出而相沿相襲,微機秘旨,賴有所存。今撮其要,復取管猇、司馬頭陀、范越鳳、賴文俊、王制仙、劉白頭諸家水法,擇其理長者取之,無所據而不足取信者刪之。其有未備者,又據所授以補之,庶幾水法有定歸之論,而人子無致眩惑雲。

幸いに我らの興國の吳氏一門は、親ら華山處士陳摶仙翁の眞傳を受け、三傳して廖金精と傅伯通とに到り。此の後に又紫瓊張眞人・緣督趙仙翁あり、以及觀物祝先生・文懿傅公・易巖齊公ありて、皆洞徹して精微の理を暁し、各々著述あり。本朝開國の初めに到りて、又董德彰ありて眞訣を得着し、施用すること神の如し。其の後の舒馬山・祝仲陽・張落魄・郎慶和・李養素・胡竹心の此の一輩の人は相承相襲して、其の中の精微机要と祕旨とは、こそ賴って保存し來るを得たり。如今我らは此の一脈の要領を撮取し、再び管輅・司馬頭陀・范越鳳・賴文俊・王制仙・劉白頭の諸家の水法を取りて、凡そ道理の講りて通ずるは便ち採録し、凡そ根據無く・取信に足らざるは便ち刪去す。其の中に未曾具備するあらば、再び受くる所の師傳に依って補す。水法をして一箇の定論の歸宿あらしめんことを希望して、人子と爲るの衆説に弄されて眼花繚亂するに至らざらんとす。

壙前折水法:按管公明指象云:“金斗不決而不洩矣,沙城導之,玉井瀦之,然後擇方而擇利。心力之妙,功力之備,庶幾見愚而見智。又況人之智之淺近,天之智之遠大。明堂臨鉗,橫決納而不吐,是則飾形而致瑞。”

第一條は「壙前折水法」を講ず。三國の管輅(字は公明)《指象》の説く所に按ずるに、金斗は若し開決せずんば、水は便ち泄れて出去る能わず。要として沙城を用いてそれを引導して出し、玉井を用いてそれを蓄聚して、然る後に方位を選擇し・利便を擇取す。用心の妙・用功の備わるに、こそ誰が愚か誰が智かを見出すを得るなり。何況人の智慮は淺近にして、天の智慮は深遠宏大なり。明堂は鉗口の處に臨みて、横向に開決して水をして納して吐かざらしむ。此れ便是形勢を修飾して以て祥瑞を招致するなり。下文に王氏の逐句の解釋ありて、須らく合看してこそ金斗・沙城・玉井の各々何を指すかを明白す。

王氏曰:金斗,壙也;沙城,壙前橫溝以砂磧填之,暗引兩腋之水,聚於玉井,然後順之六替衰病死絕墓流也決之。玉井者,砂城導出之後,每一折作一井蓄之,然後擇方而決之也。按穴前折水之法,只要曲折,不可直放。其折步亦以淨陰陽論。陽龍宜放陽水,陰龍宜放陰水。又不可放支屬,宜折曲流於幹維,而以水法五行論忌流。從長生、臨冠、帝旺、墓、胎、養六相之方,宜流於衰、病、死、絕六替方位上去。

王氏は解釋して説く。言う所の「金斗」は便是墓壙。言う所の「沙城」は、壙前に一道の溝を横開して砂礫を以て塡實し、暗中に左右兩腋の水を引き出して、「玉井」の裏に匯聚して、然る後に衰・病・死・絶・墓等の六替の方に順って開決して放走す。言う所の「玉井」は、砂城の水を導き出して後、折を轉ずるごとに一箇の小井を挖きて水を蓄住して、然る後に方位を擇定して再放す。二徐の按語は説く。穴前の折水の作法は、只だ曲折して情あるを求むるのみ。絶に直放す可からず。折の步位も亦要として淨陰淨陽に按って論ずべし。陽龍は便ち陽位の水を放ち、陰龍は便ち陰位の水を放つ。又地支の位の上に放つ可からず。應當に曲折して天干と四維とに流向して、竝びに水法五行を用いて忌む所の方向を判定す。總めて來水は長生・臨官・冠帶・帝旺・胎・養の此の六相の方より進み入り、去水は便ち應當に衰・病・死・絶の此の幾箇の六替の方位の上に流走すべし。

決水如吐故納新:凡水不合法,而龍穴真的,則於穴前放水,用法度以全吉避凶,如吐故納新焉。管氏曰:“如人之攝生,調榮燮衛,吐故納新,飽甘洩穢。”王氏曰:“壙折如人之養生,飯食之,資養之,藥石以宣補之。”

第二條は「水を決するは故を吐き新を納るが如し」を講ず。凡そ水の來去の法度に合せず、而して龍は真にして穴の確實端正なるは、便ち穴前に水を放ちて、一定の法度を用いて吉氣を保全し・凶氣を避くるは、人の濁氣を吐出し・淸氣を吸進するが如し。管輅は説く。此れは人の身體を保養し・營血を調理し・衛氣を燮和し・故を吐き新を納れ・甘美の食を喫飽して穢濁を排出するに好比す。王氏は説く。壙前に水を折るは、人の養生するが如し。先ずそれに飯食を給し、再びそれに滋補を給して、還お藥石を用いて疏通補益すべし。見るべし、折水は硬に地形を改めるに非ずして、而も其の氣機に順って調理を加ふるなり。

立向以消水:地真融結而水或不利,則斟酌向首以消納之。管氏云:“龍穴真而水或不合陰陽,消納由人。”決水要心機巧:凡陰陽二宅之水,在人心目機巧,以曲折放之,使歸於吉,避其凶位,流於吉方。

第三條は「向を立てて以て水を消す」を講ず。地氣は確は確實に眞正に融結して穴と成り、而して水の來去の有些の不利あれば、那れば向首の立法を斟酌して以てそれを消納す。言う所の消納は、坐向を用いてあの一股の合せざる水氣を化解し・承受するなり。管輅は説く。龍穴は既に真なれば、水は縱然陰陽に合せずとも、消納は全く人爲に在り。第四條は「水を決するは要として心機巧なり」を講ず。凡そ陰宅陽宅の水は、皆人の心思眼力の靈巧を靠って、それを曲折して放ち出して、それをして吉の方位に歸らしめ・凶の方位を避け・吉方に流向せしむ。此の兩條の説く所は皆同一箇の宗旨。地は天生の物にして、用法は人爲の物なり。

決水乃救助之法:王氏曰:“天地間無自然相得之來山,相符之去水。故決水者,乃救助之法。”《經》云:“溝決之水,出於人為,禍福所繫,審擇是非。”蓋以天地無全功,聖人無全能。物之不齊,安得事事如法?故或龍真穴的,而於水不合法度者,則當以作法控制放之,使歸吉避凶。蔡氏所謂“山川之融結在天,而山水之裁成在人。”宋末觀物祝先生泌建議開浚饒之表灣河,以通康山湖,達省甚便。先生曰:“此丁方也,謂之玉門水,三甲子周當有王者。”後果百八十年間,淮王藩封居饒。今表灣鄉稱祝機冷,言視公之機以開此河也。冷水小名也。

第五條は「水を決するは乃ち救助の法なり」を講ず。王氏は説く。天地の間には、天然に便ち彼此相得するの來山無く、亦天然に便ち完全に相符するの去水無し。故に開決放水は是れ一種の補救扶助の辦法なり。《狐首經》は説く。溝を開き水を決するは人爲に出づるも、卻って禍福に關係す。必ず是非を審擇すべし。此れは天地に十全の功用無く、聖人にも萬能の本領無きを以てなり。萬物は本来參差不齊なり。豈に事事皆法度に合するを得んや。故に時に龍真穴的にして、而して水の法度に合せざれば、便ち應當に作法を用いて之を控制し・開放して、それをして吉に歸し凶を避けしむべし。蔡元定の言う所の「山川の融結は天に在り、山水の裁成は人に在り」は、正しく此の意なり。南宋末年の觀物先生祝泌は、曾て饒州の表灣河を開浚して、それをして康山湖に通じて省城に直達せしめんことを建議し、交通は極便なりき。祝先生は説く。此の條の河は丁方に在りて、「玉門水」と叫ぶ。三箇の甲子一百八十年の後に、應當に王者の出現あらん。後來果たして一百八十年の間に、淮王の藩封は便ち饒州に設けられたり。如今表灣鄕に一箇の地方ありて「祝机冷」と叫ぶは、便是人の祝公の机智を看重して此の條の河を開いたるを説き、「冷」は是れ當地の小水に對する稱呼なり。

格水當以水溝下格羅經:訣云:山上格山山始正,水中格水水方真。若然據定斜斜指,來山去水恐非神。管氏云:“當中嶺格以定其分野。坐穴直指,徒誑以紛紜。”廖公云:“凡定水,必須於流來中下盤針。若溪澗水,則於溪澗中下盤針,田塘之水則于田塘源處隨水勢下盤。若大江、大河、平田、廣坂,則須高著眼力望水勢,可向流依低處下盤針。凡水一曲折則一移盤針,諺云水中放水。”

第六條は「水を格するは應當に羅盤を水溝の裏に下して格すべし」を講ず。口訣は説く。山上に在りて山を格すれば、山位はこそ端正なり。水中に在りて水を格すれば、水位はこそ真確なり。若し只だ穴上に憑りて斜々に一指するは、定むる所の來山去水は恐怕靈ならざらん。管輅は説く。應當に當中の嶺脊の上に到りて格して、こそ分野を定出すを得る。穴上に坐して直くに一指するは、不過自己を欺き人を欺きて・紛紜として據る無し。廖金精は説く。凡そ水位を定むるは、必ず水流の當中に走りて入りて羅盤を下すべし。若し是れ谿澗の水ならば、便ち谿澗の當中に到りて盤を下し、田塘の水ならば、便ち田塘の源頭の處に到りて水勢に順って盤を下し、若し是れ大江大河・平田廣坂ならば、那便要として眼力を擡げて遠く水勢を望みて、水流に朝着して・低處に依って盤を下すべし。凡そ水は折を轉ずるごとに、羅盤は便ち一度移すを要す。俗話は「水中に水を放つ」と叫ぶ。此の一條は是れ水法の最も實在の操作要領。位は親ら格せずば、斷は必ず空に落つ。

水要來於六相去於六替:長生、冠帶、臨官、帝旺、胎、養為六相,衰、病、死、墓、絕、沐浴為六替。管氏云:“養生胎冠官旺弓表六相之瀦澤,衰病死墓絕浴弓宜六替之所之。”郭氏曰:“朝於大旺,澤於將衰,流於囚謝,以返不絕。”賴氏云:“臨官生旺胎養沐,不須更論陰陽也。”

第七條は「水は要として六相の方より來り・六替の方より去るべし」を講ず。十二長生位の中に、長生・冠帶・臨官・帝旺・胎・養の此の六位を「六相」と叫びて、是れ旺相の方。衰・病・死・墓・絶・沐浴の此の六位を「六替」と叫びて、是れ衰替の方。管輅は説く。養・生・胎・冠帶・臨官・帝旺の此の六相の方は、宜しく水の蓄聚する澤と作すべし。衰・病・死・墓・絶・沐浴の此の六替の方は、宜しく水の去處と作すべし。郭璞《葬書》は説く。水は大旺の方に朝向し、將衰の處に澤を蓄え、囚謝の地に流散して、此の如く往復して生氣は絶えず。賴布衣は説く。臨官・長生・帝旺・胎・養・沐浴の此の幾位は、不必に再び別に陰陽を論ずるを要せず。諸家は小さく出入あり、大旨は則ち同じ。來處は要として旺にして、去處は要として衰なり。

水要幹維純粹:管氏云:“八干弓鍾,天地之清。”王氏云:“四隅四正弓,取八卦之變通;四絕四墓弓,寔五氣之玄冥。”諺云“水要放從天上去”,言從天干位去也。八干:甲丙庚壬乙辛丁癸。四維:乾坤艮巽。

第八條は「水は要として天干と四維との上に純粹にして雜らざるべし」を講ず。管輅は説く。八箇の天干の位の鍾聚する所は、是れ天地の間の淸氣なり。王氏は説く。四隅と四正の位は、取る所は八卦の變通の義。四絶と四墓の位は、實在に是れ五氣の幽冥に歸するの處なり。俗語に「水は要として天上より放て」と説くは、意思は去水をして天干の位より流走せしめ、天干は天に屬し・地支は地に屬するを以て、去水は天干を走ってこそ淸と算す。言う所の八干は、甲・丙・庚・壬と乙・辛・丁・癸。言う所の四維は、干・坤・艮・巽。水を放つ時は先ず羅盤の上に此の十二位を認準して、務めて水口をして其の中に落つるを致すべし。

水支屬則用四正:震兌坎離為四正之位,雖屬支辰,而得天地之四位,與眾支位不同,決之亦吉。管氏曰:“坎離陰陽之正,震兌陰陽之門。二道流之,亦為權貴。”萬萬山云:“支頭地氣混泉流,四正元從八卦推。此水亦同天上去,玄虛立向也相宜。”

第九條は「水は若し得ずして地支の上に落つるを得ざれば、便ち四正の位を用う」を講ず。震・兌・坎・離は是れ四正の位。雖も二十四山に按って卯・酉・子・午の此れらの地支に屬するも、然れどもそれらは天地の四箇の正位を占據して、其の余の地支と同じからず。水を決放して此の四位の上に到るも亦吉と算す。管輅は説く。坎と離は是れ陰陽の正位、震と兌は是れ陰陽出入の門戶。水は此の兩條の路より流走すれば、亦能く權貴を主る。萬萬山は説く。地支頭の上の地氣と泉流とは相混雜す。唯有四正の位は元來八卦より推來するを以て、此の四位の水も亦天干の上に放つと一樣に好し。玄虛の法に配合して向を立てるも亦相宜昌なり。

水不可以步數論吉凶:水之曲折,要與形勢相稱即吉。又以年代之說看步數者亦非。蓋年代只論後龍為主。管氏曰:“三年一步以何憑而推?一步三年以何數而見?”傅文懿公云:“一年三步推何法?一步三年按甚文?運氣如身營百脈,無時噓息不調均。”

第十條は「水は以て步數を量って吉凶を論ず可からず」を講ず。水の曲折は、只だ整箇の形勢と相稱すれば便ち吉なり。ある人の年代の説に按って水の步數を數えて、第幾年に何の事に應ずるかを推斷するに至っては、亦是れ錯なり。年代の遠近は只だ穴後の來龍の節數を以て主と爲して、水の步數に在らざるを以てなり。管輅は説く。三年は一步を管す。何に憑って推出せしや。一步は三年を管す。又どの數目の上に見るを得るや。傅文懿公は説く。一年三步はどの法に照って推せるや。一步三年は又哪の一部の書に依れるや。氣運は地に在りて人身の百脈の營運するが如し。哪の一刻の呼吸に調勻せざるあるや。豈に截然として一步一年と分作する能わんや。

水法宜五行相生:用正五行論本山入首一節之龍,其水不可克龍,而龍宜克水。宜山水比和,宜水生山,山生水。其或與龍不合,而於坐下山向合吉,則亦吉矣。

第十一條は「水法は宜しく五行相生を取るべし」を講ず。正五行を用いて本坐山の入首一節の來龍の五行屬性を推し、然る後に水の方位五行と相較す。水は以て龍を克す可からず、而して龍は以て水を克す可し。最も好しきは山と水との五行の比和して同氣たるか、あるいは水の來りて山を生ずるか、あるいは山の往きて水を生ずるかなり。假如水と來龍との五行は配せざるも、然れども坐山・向首の所屬と相合して吉を得ば、那も亦吉と算す。見るべし、判斷に兩重の關口あり。先ず來龍に合し、來龍は合せずば再び坐向を看、兩處とも合せずばこそ真凶と算す。

水法宜陰陽純一不雜:用淨陰淨陽論本山入首一節之龍,陽龍宜陽水,陰龍宜陰水,謂之陰陽不駁雜。干甲離壬寅戌坤乙坎癸申辰十二位屬陽。凡龍脈入首一節是陽者,則水之出入亦宜流於陽位,乃得陽氣之純。艮丙震庚亥未巽辛兌丁巳丑十二位屬陰。凡龍入首一節之脈是陰者,則水之出入亦宜流於陰位,乃得陰氣之純。上法亦不可泥。若龍真穴美,但水不合法者,宜臨穴控制以消納之,所謂“卦向穴中作也”。

第十二條は「水法は宜しく陰陽純一にして雜らざるべし」を講ず。淨陰淨陽の法を用いて本坐山の入首一節の來龍の陰に屬するか陽に屬するかを推す。陽龍は便ち陽位の水を配し、陰龍は便ち陰位の水を配す。此れを陰陽の駁雜せずと叫ぶ。陽に屬するは干・甲・離・壬・寅・戌・坤・乙・坎・癸・申・辰の十二位なり。凡そ入首一節の龍脈の陽に屬するは、水の來去出入も亦應當に陽位の上に在りて、こそ陽氣の純を得る。陰に屬するは艮・丙・震・庚・亥・未・巽・辛・兌・丁・巳・丑の十二位なり。凡そ入首一節の脈の陰に屬するは、水の出入も亦應當に陰位の上に在りて、こそ陰氣の純を得る。不過此の法則も亦死守す可からず。若し龍真穴美にして、只だ水の法に合せざれば、便ち應當に穴上に臨みて作法を用いて控制し・消納すべし。此れは正しく前人の言う所の「卦は穴中に向けて作す」なり。眞正の取捨は要として穴場の上に到りて決定すべし。

穴前橫過水不須分相替:管氏曰:“一條流水角弓形,攔住前頭卻不行。相替未須分彼此,城門方始論屯亨。”按此穴前橫遶之水,只可以水城形勢論吉凶,不可以方位相替論禍福。

第十三條は「穴前を横過する水は必ず六相六替を分かつを要せず」を講ず。管輅は説く。一條の流水は彎りて角弓の形狀と成りて、穴前を攔住して再び前に奔瀉せず。此の種の水は不必に其れの六相に屬するか六替に屬するか・誰彼誰此を分辨するに及ばず。要として水口城門を看る時に到りてこそ通塞順逆を論ず。二徐の按語は説く。此の種の穴前に於て横向に環繞する水は、只だ「水城」の形勢に按って吉凶を論ずるを得る。即ち其れの彎抱して情あるか反跳して情無きかを看る。以て方位の相替の説を用いて禍福を論ず可からず。

水口忌流生旺墓:水之來宜從生旺方入,水之去宜從死絕地出。反此皆不吉。紫瓊真人云:“真龍入格論純粹,秀水盤旋亦要良。生旺墓中如直去,定虧春色與傳芳。”

第十四條は「水口は忌みて生・旺・墓の三方より流出す」を講ず。水の來路は應當に長生・帝旺の方より進み入り、水の去路は應當に死・絶の地より流出すべし。反って做するは皆不吉なり。紫瓊張眞人は説く。真龍は格に入れば、要として其の氣脈の純粹を論ずべし。秀水は盤旋環繞して、亦要として其れの良善なるか否かを看るべし。若し水は生方・旺方あるいは墓庫の中より筆直に流走せば、一定に家門の春色と後世に流芳するの福澤とを虧損せん。來水は旺を取り・去水は衰を取るは、是れ本書水法の一貫するの準繩なり。

水論相替不論星卦:王氏曰:“凡水之生、旺,欲其朝迎,官、養欲其顧揖,衰、病欲其所去,胎息欲其流通,敗絕、庫墓欲其安靜。冠帶動則榮,死絕來則憂。乾性清而可任,支性濁而難犯。斟酌輕重,自有理致。古人亦不假借星名,虛空緣飾。”

第十五條は「水は只だ六相六替を論じて、不必に星卦を論ずるを要せず」を講ず。王氏は説く。凡そ水の長生・帝旺の方に在るは、要としてそれに來りて朝迎せしめ。臨官・養位に在るは、要としてそれに回顧拱揖せしめ。衰・病の方に在るは、要としてそれに流去らしめ。胎・息の位に在るは、要としてそれに流通して滯らざらしめ。敗絶と庫墓の方に在るは、要としてそれに安靜にして動かざらしめ。冠帶の方の水は一たび動けば便ち榮顯を主り、死絶の方の水は一たび來れば便ち憂患を主る。天干の位は性情淸純にして、以て來去を承任す可し。地支の位は性情混濁にして、輕く犯す可からず。此れらの輕重を斟酌して淸楚せば、自然に條理に循るあり。古人も亦竝びに何の星名かを借用して、憑空に緣飾を加えず。

論漏道:明堂大水曰漏道,繫天造地設,自然而然者。管氏云“漏道之道者,其形勢乃天然”是也。欲其如虎口之交牙,金關石竇,如犧牲之露角;龜印虹輪,如之如玄,重峰疊嶂,則為漏道之貴也。

第十六條は「漏道」を講ず。明堂の中の大水を漏道と叫ぶ。それは天造地設・自然而然に形成する所なり。管輅は説く。「漏道の此の條の道は、其の形勢は本是天然なり」。正しく此の意なり。好しき漏道は、要として老虎の口の中の上下の牙齒の交錯するが如く兩岸互咬し、金關石竇の如く緊束し、祭祀の用うる所の犧牲の頭の上の露出する角の如く兩邊對峙す。又要として龜形の印・虹形の輪ありて、水路は彎りて「之」の字「玄」の字と成り、兩旁は重峰疊嶂なり。此の如くしてこそ貴格の漏道なり。見るべし、漏道は關鎖の緊密・曲折して情あるに貴しとして、人工に在らず。

論息道:息道者,穴前放水之道也,在人裁成。管氏云:“息道之道,在其巧拙之能,橫彎曲折,悉由愚智。”水城要與二道相合:管氏云:“凡決流水,其歸一揆。”然水城形勢或與息道返,則悖焉。

第十七條は「息道」を講ず。息道は是れ穴前の人工の開放する水道、全く人を靠って裁度成就す。管輅は説く。息道の此の條の道は、成敗は施工する人の巧なるか拙なるかに在り、横に彎り・曲に折るるは、全く設計者の愚なるか智なるかを看る。第十八條は「水城は要として漏道・息道の兩道と相合すべし」を講ず。管輅は説く。凡そ開決流水は、最終に皆同一箇の道理に歸到す。然れども天然の水城形勢の若し人工の開く所の息道と方向相反なれば、那れは便是悖謬なり。人工は必ず天然の大勢に順って做すべく、之と相爭う可からず。

水吉凶從龍:楊公云:“水似精兵,進退由將。”言水之吉凶從龍,而不得自專。多見吉地,秀水特朝,已發大貴。而龍博入凶節,則禍患突至,水雖吉亦莫能救。如宋丞相文文山公祖地,入局結穴皆美,第後龍過峽處一凹,丑風吹脈,而其年代行至此節,公乃遇難。

第十九條は「水の吉凶は龍に随って定まる」を講ず。楊筠松は説く。水は精兵に好比す。進退は全く主將の調度に由る。意思は水の吉凶は要として龍に跟って走りて、自己作主する能わず。常常に吉地の秀水は專程に來朝して已に大貴を發せるを見るも、然れども來龍は一旦剥換して凶惡の一節に進入せば、禍患は便ち突如として至りて、水は雖も吉なるも亦救う能わず。譬如南宋の丞相文天祥(號は文山)の祖墳は、入局結穴は處處皆好し。只だ穴後の來龍の過峽するの地方に一箇の凹口ありて、丑方の風は龍脈に吹着す。年代は推行して此の一節の上に到るを待ちて、文公は便ち大難に遭えり。

雖然,公之大忠節義,流光萬古,死且不朽,未足為禍。誦魏公“願為良臣”之語,則不能無憾。時當陽九,是值天地大變,豈一地之所致哉!但其課亦神矣。課云:“大田一地如煙霧,四邊諸水聚一條。辛水望東流,天下狀元頭(天祥狀元)。南也朝,北也朝,滿林黃葉亂飄飄。公欲封公公不見,公遇騎牛折斷腰。”

話は雖も如此、文公の大忠大節は芳を萬古に流して、雖死不朽なり。此れは算すること何の禍に非ず。只是唐代の魏徵の「願わくは良臣と爲らんことを、忠臣と爲るを願わず」の話を想起すれば、便ち遺憾無き能わず。何況當時は正しく陽九厄運に逢着して、遭遇する所は是れ天地の間の大變局なり。豈に一處の墳地の造成する能う所ならんや。不過過當年の斷語も亦真に神驗足るなり。斷語は説く。大田の此の一處の地形は煙霧の迷茫の如くして、四邊の衆水は匯聚して一條と成る。辛方の水は東に向って流去して、天下の狀元の首を出す(原註。文天祥の狀元に中るを指す)。南邊も亦來朝し、北邊も亦來朝して、滿林の黃葉は亂紛紛として飄落す。公を封ぜんと要する時は公は已に在らず、公は牛に騎る人に遇えば便ち腰を折斷せん。「滿林黃葉」は暗に國勢の凋零を指し、「騎牛折腰」は則ち丑年の厄に應ず。

果忠烈公丁丑以後不利。按是地以巽山辛向,辛水朝,巽納辛是正配。歸東,震水合吉矣。及龍入凶節,水亦無益,是水吉凶從龍也。趙緣督翁謂“龍剝入凶地,有識者當預遷之。”

後來果たして、文忠烈公は丁丑年より以後は便ち一路不利なりき。此の處の地は巽山辛向にして、辛方の水は來朝するを按ずるに、納甲の法に按れば巽卦は辛を納して、正しく相配するの正格。水は又東方に歸向して震水と相合して、本是吉なり。然れども來龍は剥換して凶惡の一節に進入するを等到れば、水は再び吉なるも亦用處無し。此れ便是「水の吉凶は龍に跟って走る」の明證なり。趙緣督仙翁は此に因って説く。來龍は剥換して凶地に進入するは、見識ある人は應當に豫め遷葬すべし。

按《緣督瑣錄》云:“地有入首龍穴吉,剝龍到凶處則為禍,有識者亟遷之。如吳仲祥知其陽基將禍,二子四孫遷居四處,皆旺。馬氏、濮氏同居不遷而敗。廖禹為張氏扦吳園陽基,鑿滅僕井、洗馬池,二姓遂敗。

《緣督瑣録》に按ずるに説く。ある地は入首一節の龍と穴とは本是吉なるも、然れども剥換して下りて凶處に行到れば便ち禍と成る。見識ある人は要として急ぎ遷走すべし。譬如吳仲祥は豫め自家の陽宅基址の將に禍を出さんとするを知りて、兩箇の兒子・四箇の孫子をして分遷して四處に住ましめて、後來皆興旺せり。同住一地的の馬氏・濮氏は遷走するを肯わずして、便ち敗落せり。又如廖禹(即ち廖金精)は張氏の爲めに吳園に於て陽宅基址を相定して、滅僕井と洗馬池とを鑿って以て鎭壓と爲し、後來此の兩口の井池は廢せられて、兩姓は便ち之に随って敗落せり。

賈似道祖地,術者囑其六十年後速遷,否則有大禍。課云‘正面諸侯半面君,癸酉生人受恩眷。六十年後速移遷,尾火虎星來出現。馬頭火熖揷天紅,到此令人無眼見。’似道命囑癸酉,居相專權,國破身亡,其應如向。一智一愚,從違當知所辯。”

又如南宋の權相賈似道の祖墳は、當初術士は彼に囑咐して六十年の後に要として急ぎ遷走して、否すれば大禍あらんとせり。斷語は説く。正面に看れば是れ諸侯の格、側面に看れば半箇の君王の象あり。癸酉年に生るの人は能く君恩の眷顧を受け、六十年の後に要として趕忙に遷移すべし。尾火虎のあの一顆の星は便ち要として出現せんを以てなり。あの時に到れば馬頭の上は火焰は半天を燒紅し、人は此の地に到れば便ち再び見る能わず。賈似道は果たして是れ癸酉年の生にして、位は宰相に居りて朝政を專擅し、最終に國破れて身亡く、應驗すること回聲の如く准なり。一箇の智あり・一箇の愚昧ありて、是れ聽從するか違背するかは、應當に分辨して淸楚すべし。

愚按:緣督仙翁固須有見,古人亦往往有為之者。如廖金精自葬父地,繫速福穴。偽行真落一節,艮山丙水,朝歸乙辰。丁山高起,卯山有克,作不二年,可致驟富。二紀後則敗。及金精留吳園張氏一十九年,辭歸之際,有“先塋福澤將冺,亟欲西歸,以圖遷改。否則,災害必生,噬臍何及?”之語。

二徐の按語は説く。緣督仙翁の話は固然見地あるも、古人も亦往往にして真に此の如く做過せり。譬如廖金精の自己の父親を安葬するのあの塊の地は、是れ一處の速發の穴。龍脈は表面に看似るに虚行なるも、其實は真に一節の上に落ちて、艮山にして丙水ありて、水は乙辰方に朝歸す。丁方の山は高起し、卯方の山は克制の勢あり。此の如く一作すれば、兩年に到らずして便ち驟富する能くするも、然れども兩紀(二十四年)を過ぐれば便ち要として敗落す。故に廖金精は吳園の張氏の家に十九年留まりて、辭別して郷に回るの時に話を留下して曰く。「祖墳の福澤は將に泯滅せんとす。急ぎ要として西に歸りて、好んで遷改を設法せよ。否すれば災害は必定に發生して、時に到りて後悔するも亦及ばず」。「臍を噬む」は自己の肚臍に咬到る能わざるを説きて、追悔及ばざるを比喻す。

又鉛山費狀元陽基,在橫林柴家埠者,初扦時,地師謂出狀元后即宜別圖。文憲公大魁後,未及遷而有周、吳、李三凶之禍,燒屋殺人,乃遷其址而吉。此固趨避吉避凶之一端。然當發福時,誰肯遷改?誰任此責?但有等地,穴孤寒而得水能富貴,而終以絕嗣,此則不孝有三,無後為大,君子預遷之。

又如鉛山の費狀元家の陽宅基址は、横林柴家埠に在り。當初點定するの時、地師は便ち狀元を出したる後は便ち應當に別に打算を作すべしと説けり。費文憲公の狀元に考中するを等到るも、還だ遷走するに及ばずして、便ち周・吳・李の三家の凶禍に遭い、房子を燒き・人命を傷して、此れにこそ基址を遷して、家道は方に吉なりき。此れは固然是れ吉に趨き凶を避くるの一種の辦法なり。然れども正當發福するの時に、誰か遷改するを肯わんや。又誰か此の一箇の責任を承擔するを肯わんや。不過確實に一類の地あり。穴場は孤寒にして水の力を得るに因って富貴を致す能くするも、最終には卻って絶嗣せん。此れは便ち應當に《孟子》の説く所の「不孝は三あり、後無きを大と爲す」の道理に依って、君子は應當に豫め遷走すべし。

重刊人子須知資孝地理心學統宗卷八之下

江右山人徐善繼述同著。

本卷は仍ほ「江右山人徐善繼・徐善述同着」を題す。上卷は是れ水法の總論と原則、此の一卷は轉じて「水法詳定」と爲して、先ず作法の上の若干の細則と決水五要とを列し、再び陰陽兩局に按って二十四山を逐山に吉水凶水を開成して便査の條目と爲し、穴に臨みて折放する時の對照に供す。

水法詳定

○主山之說,不問鼠肉、仙宮、轉斗、斗斧、貼脊等穴,橫落、直落等龍,但只取落頭一二丈為主,以論陰陽五行。其餘皆不可拘泥。若發將親切,入路分明,合之尤妙。

第一則は「どの座の山を以て主と爲すか」を講ず。此の問題は所結するの鼠肉穴・仙宮穴・轉斗穴・斗斧穴・貼脊穴等のどの一種の穴形なるかを管せず、亦來龍の横落なるか直落なるかを管せず、一概に只だ落頭のあの一二丈を取りて主と爲して、それを用いて陰陽と五行屬性とを論じて、其の余は皆不必に拘泥す。倘若發脈の處の貼身親切にして・入首の來路は又分明にして、能く落頭の一節と相合せば、那れは更に妙なり。此の一則は是れ前面の批評する所の「主山不定」に針對して立つるの定論。全書水法の推算は皆落頭の一二丈より起算す。

○取用陰陽五行,兩用不同。穴內消納用淨陰陽,山頭納音用大五行,生克出入用真五行,立向納水用玄空五行。○生克出入,一說生穴、穴克者吉,克穴主凶。又一說以克入為之關煞。《玉髓經》卻獨取生入為吉。譬如人有洩氣,隨水妄洩不禁,必用澀藥之義也。生出者如人之戀戀溺女色,克出者猶人之孳孳溺於貪財,此人之常情。不知返則必致於害,豈獨此而已。世間萬事皆然,得意處則易留,失意處則難往,亦澀藥之義也。

第二則は各種の五行の分工を講ず。穴内の消納は淨陰淨陽を用い、山頭の納音を論ずるは大五行を用い、生克出入を判ずるは真五行を用い、向を立てて水を納るるは玄空五行を用う。四處は各々用うる所ありて、混じて一談と爲す可からず。第三則は生克出入を講ず。一種の説法は、來氣は穴を生じ・あるいは穴の往きてそれを克するを吉と爲し、來氣の穴を克するを凶と爲す。另一種の説法は「克入」を把って關煞と當作す。而して《玉髓經》は卻って單に「生入」を取りて吉と爲す。此れは人に泄氣の症ありて、水に随いて一味に妄泄して止まらざるに好比す。便ち必ず收澁の藥を用うるを要す。「生出」に至っては、人の戀戀不捨して女色に沉溺するが如し。「克出」は、人の孜孜不倦として財を貪るに沉溺するが如し。此れ皆是人之常情なるも、然れども囘頭を知らずば便ち必定に害を招く。何ぞ此に止まらんや。世間の萬事は皆一樣なり。得意の地方は容易に留戀し、失意の地方は難くして前往す。此れも亦正しく收澁の藥を用うるの道理なり。

○司馬氏則取生入克入者吉,不分陰陽,惟乾坤艮巽取上吉,八干次之,諸家議論亦多取生入克入者吉。古歌云:“生入克入人丁旺,生出克出百口亡。下來克上官兼富,上來克下子孫殃。”蔡氏《發揮》云:“只要自下克上,使合造化。”中間異同,何以取決?惟生入一說,未嘗不同以為吉者。今取生入者為上,克入者次之。其生克相間者尤美。不得已,二節外或有生出克出者,亦無傷也。故但以第一節為緊要。

司馬頭陀の一派は則ち生入・克入を取りて皆吉と爲して、陰陽を分かたず、只だ干・坤・艮・巽の四維を以て上吉と爲し、八箇の天干は次の一等と爲す。各家の議論も亦多く生入・克入を以て吉と爲す。古歌は説く。生入克入は人丁興旺、生出克出は滿門死亡。下面は來りて上面を克するは、既に官を得又富を得るを主る。上面は來りて下面を克するは、子孫の殃に遭うを主る。蔡元定《發揮》は説く。只だ是自下に上を克するは、便ち造化の理に合乎。諸説は彼此異あり、究竟如何に取決せん。唯有「生入」の此の一説は、各家は吉と認めざる無し。故に現在定めて曰く。生入を以て上と爲し、克入は之に次ぎ、生と克との相間して來るは更に美なり。萬已むを得ずば、第二節以外に偶に生出・克出あるも、亦妨げず。見るべし、緊要の處は只在入首の第一節に在り。

○諸家言三節內不用支辰,謂之男女命坐大凶。一說三節內先行支辰,次及幹者,不宜輕信,慎之。○水出長生、墓、旺之方,只論穴場所見者,是其不見者在所不問,其所出沒只不要在生、旺、墓方上流。且如水山頭則忌申子辰三方流出者是也。他凖此。

第四則は説く。各家は皆水の三折以内に地支を走る可からずを講じて、男女生命の坐煞の大凶を犯すと説く。另に一説ありて三折以内は先ず地支を走りて、其次にこそ天干に到るを主張す。此の後の一説は宜しく輕信す可からず。須らく謹愼に對待すべし。第五則は水口を講ず。言う所の水の長生・墓庫・帝旺の方に出るを忌むは、只だ穴場の上に於て望見するを得るのあの一段を論ず。望見するを得ざれば便ち過問するを必とせず。總めて出口と隱沒の處とは只だ生・旺・墓の三方の上に流走せざれば便ち行けり。譬如水に屬するの坐山は、便ち水の申・子・辰の此の三方より流出するを忌む。申子辰は正しく水の生・旺・墓の三位なるを以てなり。其の余の各山は此に依って準と爲す。

○其它卦例多端,難於憑信,勿論是也。惟輔星卦與陰陽相符,可以遵用。廖公云:“惟有輔星最玄玄,用卦此為先。”予兄弟厯觀仙蹟,合輔星者頗多,然亦在人智巧作為,趨吉避凶。范公曰:“山之生剋制化,水之來去出洩,又在臨時斟酌。”

其の余の卦例は名目繁多にして、憑信し難し。一概に論ぜざるも罷れり。唯有「輔星卦」の一法は淨陰淨陽の説と相符して、以て遵照して使用す可し。廖金精は説く。只有輔星の一法は最も玄妙なり。要として卦を用うれば便ち先ず此の一種を用うべし。我らの兄弟は遍歴して前賢の留下する所の名墳舊迹を歷して、輔星卦法に合するは相当に多きを發現せり。不過成敗は仍然として人の智巧の經營に在りて、能く吉に趨き凶を避くるか否かなり。范越鳳は説く。山の生克制化・水の來去出泄は、還お現場に臨みて隨機に斟酌するを要す。此の一句は正しく前面の「卦は穴中に向けて作す」と相呼應して、是れ全書の反復して申明するの宗旨なり。

○溝口水沒一節,觀水之來去逆順,要迎折放。若水從左來,溝口一節則當逆向左;若水從右來,則逆向右。謂之小水逆大水。○劉氏水法或謂斗柄水,蓋有以見斡運循環不窮之義。然有節數太多者,恐無明堂深廣,故不得不如此也。其有明堂窄狹,不必依其節數,可去則去。不然,地窄反不條暢,徒費功力無益,在智者臨時斟酌而増損之,不可執一也。

第六則は溝口の最後のあの一節を講ず。要として外面の大水の來去の逆順を看て、溝口をしてそれを迎着して折放せしむべし。若し大水は左邊より來れば、溝口の此の一節は便ち應當に逆に左に向かい、若し大水は右邊より來れば、便ち逆に右に向かうべし。此れを「小水は大水に逆る」と叫びて、小水と大水との交會する時に相迎して相衝せざるの意思を取る。第七則は劉氏一派の水法を講ず。ある人は之を「斗柄水」と稱して、北斗斗柄の斡旋運轉・循環不窮の含義を取る。不過それの折るの節數は太多し。あれは明堂の深廣足らざるを怕るるを以て、故に得ずして此の如くせざるを得ず。若し明堂は本来就窄狹ならば、便ち不必に其の節數に照って折るを要せず、能く省くれば則ち省け。不然んば地方は窄小にして反って通暢せずして、白く工力を費して益無し。此れは要として明智の人を靠って場に臨みて斟酌增減して、死守して一法と爲す可からず。

○蔡氏謂:“決水之法,要彎回宛轉。”世有言長流吉,短流凶。若長若斜反無情,凶禍亦速,不若屈曲折聚,取有情意留戀,不忍遽去為妙。每折轉處,必作圓斗或方斗,然後洩去為良法。○山水陰陽純一,則不以五行相剋為忌。得水生山、山克水尤妙。

第八則。蔡元定は説く。水道を開決するの辦法は要として彎環囘旋・宛轉として情あるべし。世上の人は水は流るること長ければ便ち吉・流るること短ければ便ち凶と説く。其實は若し又長く又斜にして・反背して情無ければ、凶禍の來るは同じく快し。それをして屈曲折轉せしめて・層層に留聚せしめて、留戀不捨・驟然に離去するを忍びざるの情意を顯出するに如かずしてこそ妙なり。每一處の折轉するの地方は、一定に一箇の圓形あるいは方形の水斗を挖きて水を蓄住して、然る後に再びそれを放ちて泄走せしめ、此れこそ好辦法なり。第九則。山と水との陰陽は既に純一にして雜らざれば、便ち不必に再び五行相克を以て忌と爲すを要せず。若し能く水を得て來りて山を生じ・あるいは山の往きて水を克せば、那れは更に妙なり。

○或問:四方郡邑多下離向,或不是坎龍,如何可一律論?答曰:陰陽向首,亦在活法。但得山水比和為上。然亦有丙丁曏者,豈到處皆是坎山來歷?雖幹、壬、癸、甲皆可離向,辛、亥、震、兌、艮皆可以丙、丁向。

第十則は問答體なり。ある人は問う。各地の府州縣城は多半離向(北に坐して南に朝す)を立てるも、可れ來龍は未必皆坎龍なり。豈に一概に陰陽純一の説に照って論ずる能わんや。回答して曰く。陰陽と向首との配合は、亦要として活看して、只だ山と水との五行の比和相安なれば便是上等なり。何況亦丙向・丁向を立てるあらん。豈に處處皆是坎山の來脈ならんや。其實は干・壬・癸・甲の此の幾種の來龍は皆離向を立つ可く、辛・亥・震・兌・艮の此の幾種の來龍は皆丙向あるいは丁向を立つ可し。見るべし、法に常經ありて、用は要として通變すべし。

決水法

○決水要與陰陽純一。其來山去水不相駁雜,則無戰爭、擊剝、淫蠱之虞。○決水要入幹維,或四正之位亦可。不可決入支屬,為得其精氣,去其濁凝。○決水宜流於本山衰、病、死、絕、胎、養方,不可決於長生、沐浴、冠帶、臨官、帝旺、庫墓之方,順相替之宜。

水を決するの法は共有五條の要領あり。第一、水道を開決するは本局の陰陽と純一を保持するを要す。來山と去水と相駁雜せざれば、便ち二氣の交戰・彼此の擊剥および淫亂蠱惑の一類の憂患無し。第二、水を決するは要として天干と四維の位の上に放ちて、子午卯酉の四正の位に放つも亦聽す。然れども其の余の地支の位に決入す可からず。此の如くしてこそ淸純の精氣を得着して、渾濁凝滯の氣を去るを得る。第三、水を決するは應當に本坐山の衰・病・死・絶・胎・養の方に流向して、長生・沐浴・冠帶・臨官・帝旺および庫墓の方に決向す可からず。此の如くしてこそ「六相六替」の宜忌に順うなり。

○決水要合會星宿,勿論諸家星卦。○決水要主克賓,忌賓克主。欲本山克水,欲本水生山。不欲水來克山,及山生水。上決水明此五者,則法盡矣。切不可用俗術,論卦例、青囊、斗杓、魁星等無理之謬,亦不惑於譎術,分公位長中幼之妄誕。

第四、水を決するは要として二十八宿の會合宿度に合して、不必に各家の星卦名目を論ずるを要せず。第五、水を決するは要として主の賓を克するを致して、賓の主を克するを忌諱す。即是ち要として本坐山の往きて水を克するか、あるいは水の來りて本坐山を生ずるかなり。水の來りて山を克するを要せず、亦山の往きて水を生ずるを要せず。山の水を生ずれば便ち主氣の外泄なり。以上の決水五條は明白にすれば、水法は其の中に盡きる。切に俗師のあの一套を用いて、何の卦例・青囊・斗杓・魁星等の理無きの謬説を講ずる可からず。亦詭詐の術に迷惑せられて、何の長房・中房・幼房の各々某位を占めるの荒誕の談を分かつ可からず。

○鉗口折水,若向面前直出,必是傾脫。故必要如之玄,如丁文鎖節,屈曲折去,則不見傾直。其長短步數,只隨地勢所宜,切不可信俗術三年一步、三步一年,與夫幾尺合某星,及某水利某子。此皆無根之論,不通理致。管氏、王氏之書亦嘗深惡而痛絕之。

鉗口の處に水を折るに、若し水をして穴前に向って筆直に流出せしめば、あれは必定是傾瀉脫漏にして、氣は水に随って走る。故に一定要として「之」の字「玄」の字の形狀を作りて、「丁」の字文の如く一節一節に鎖住して、屈曲折轉して流去れば、便ち傾直の勢を看出さず。水道の長短步數に至っては、只だ須らく地勢の適宜に随って定めて、切に俗師の言う所の三年は一步を管し・三步は一年を管し、および多少の尺の某一顆の星に合し・某一條の水の利ありて某一箇の兒子に及ぶの類の説法を輕信す可からず。此れらは皆是根據無きの議論、講りて道理に通ぜず。管輅と王氏との書の裏にも亦曾て此れらに對して深惡痛絶せり。

○利於向首開鉗,而或不利於決水,則內以乘氣為主,而外以消納為主,作內外兩向為是。管氏曰:“內藏黃金斗,外掩眾人口。四勢任君談,五行當自守。”王氏曰:“或有利鉗不利向,或有利向不利鉗,則當外順形勢,內會星宿。若鉗與向俱利,則內外為一;若不利行水,又斡旋造化。故外之四勢任君談論,而內之乘氣分金、五行星宿,當自守其心法可也。”

ある時は向首に鉗口を開くは立向に利あるも、卻って水を決するに不利なり。此れは便ち應當に裏面は生氣を乘接するを以て主と爲し・外面は來水を消納するを以て主と爲して、內外の兩箇の向を作りて、こそ妥當と算す。管輅は説く。裏面は黃金斗を藏し、外面は衆人の口を掩う。四圍の形勢は爾等を任せて談論せしめ、五行の分寸は自己に守住すれば便是なり。王氏は解釋して説く。ある時は鉗口は利ありて向は不利、ある時は向は利ありて鉗口は不利なり。那れば便ち應當に外面は形勢に順って做し、裏面は暗に星宿の理に合すべし。若し鉗口と向と皆利あれば、那れば內外は合して一と爲る。若し水を行るに不利なれば、便ち再び人力を用いて造化を斡旋す。故に外面の四圍形勢は人を任せて談論せしめて、而して內裏の乘氣・分金・五行・星宿の此れらは、自己に心法を守住すれば行けり。

如張宗道扦青陽施吏部駕臣堯臣公祖地,蛇形,糞門穴,巳丙龍,扦甲山庚向,外作寅山申向。月池內放丁水,轉放巽水。又如董德彰扦吾邑童尚書公軒祖地,鷂子番身形,內巳丙向,外丙午向。何野雲扦華橋項氏蜈蚣形地,內離向,外丁未向,鉗口丙向,鉅富旺人,亦有州縣官。

幾箇の內外兩向の實例を擧ぐ。張宗道は青陽の施吏部駕臣・堯臣の兩公の爲めに祖墳を點ずるは、是れ蛇形地にして糞門穴の上に結し、來龍は是れ巳丙の一路なり。彼は內裏に甲山庚向を立て、外面は寅山申向を作し、月池の內に於て先ず丁方の水を放ち、再び轉じて巽方の水を放つ。又如董德彰は我らの縣里の童尚書公軒の爲めに祖墳を點ずるは、是れ鷂子翻身形にして、內向は巳丙を取り、外向は丙午を取る。何野雲は華橋の項氏の爲めに蜈蚣形地を點ずるに、內向は離を取り、外向は丁未を取り、鉗口は則ち丙向を取る。此の地は後來大富にして人丁興旺し、亦州縣一級の官員を出過せり。三例は皆內外兩向の各々其の用を承くる可きを說明す。

○鉗口折水用針之法,當就水口中用盤針下格,折節格之,切不可就穴上下格,便指其水路為某水,則宮分差訛,陰陽駁雜。當就溝中下格,庶得水路清切,宮分不差。若陽基放水,不可在明堂中下盤針,當就屋簷滴水處下盤針。若放溝水,又當就溝中隨折,節節下盤針,則得水路清切不差。鄒國師寬所謂“水中格水水難瞞”也。

鉗口に水を折る時に羅盤を用うるの方法。應當に水口の當中に走りて到りて羅盤を放下して格して、一折一節に逐段に格準して、切に穴上に坐して一格して、便ちあの條の水路を指着してそれは某某水と説く可からず。あの樣なれば宮位分野は必定に差錯し、陰陽も亦駁雜せん。要として溝渠の當中に到りて格して、こそ水路を認めて淸切にし・宮位は差わざるを得る。若し是れ陽宅の水を放つは、明堂の當中に羅盤を下す可からず。應當に屋檐の水の滴るの地方に到りて盤を下すべし。若し是れ溝の中の水を放つは、又應當に溝の裏に到りて每一折に随って逐節に盤を下して、此の樣にして水路はこそ淸切にして差無きなり。此れは正しく鄒國師鄒寬の説く所の「水中に水を格すれば、水は便ち人を瞞す能わず」なり。

以上水法,頭緒尤多,恐未易洞知。今以二十四位觧定吉凶諸水,俾一覽無遺,便於趨避焉。

以上の此れらの水法は、頭緒は特別に繁多にして、恐怕容易に一下子に透徹明白する能わず。故に下面は改用して另一種の編排と爲す。羅盤二十四位に按って、各山の對應する所の吉水凶水を逐一に解説定斷して、人をして一見すれば便ち遺漏無からしめて、吉に趨き凶を避くるに便なり。此れは二徐の後學に便利するを爲めに作るの檢査表にして、用うる時は先ず自己の坐山の陰局に屬するか陽局に屬するかを認定して、再び本山の條の下に到りて逐位に査對して來水去水す。

總じて陰局の水の吉凶方位を以て折放に便と爲す

亥山入穴取屬水(亥山即亥龍,餘仿此)。亥山吉水(總開諸家水法名目於下,後皆仿此)。丙位:主大富貴和義。上格龍拜相。三陽水、赦文水、長壽水、花羅水、陰皷水、歸元水、進神水、橫財水、義門水。

先ず陰局を列す。亥山の穴に入るは、五行はそれを取りて水に屬せしむ(原註。此處の説く亥山は便是亥龍、以下の各條は皆此に照って理解す)。以下に亥山の吉水を開列す(原註。各家水法の名目を一總に下に開きて、以後の各山は皆此に照って辦理す)。丙位の來水。大富大貴・家風和睦にして義を重んずるを主る。若し來龍の上等格局に屬せば、官至宰相す可し。此の一位の水は各家名目の中に兼ねて三陽水・赦文水・長壽水・花羅水・陰鼓水・歸元水・進神水・橫財水・義門水の多重身分有り。故に吉應は最も厚し。

丁位:主大富貴、高科、壽考、孝義。上格龍出神童。三陽水、赦文水、長壽水、建財水、陰皷水、歸元水、進神水、橫財水、義門水。巽位:主文名、官爵、妻財。上格龍穴出狀元、神僊,男為駙馬,女作宮妃。三陽水、御街水、學堂水、奩財水、陽皷水。

丁位の來水。大富大貴・科第の名次高く・長壽・家門孝義を主る。若し來龍の是れ上等格局ならば、神童を出す能くし。それは兼具して三陽水・赦文水・長壽水・建財水・陰鼓水・歸元水・進神水・橫財水・義門水の諸名あり。巽位の來水。文名遠く播び・官爵顯達し・竝びに妻室の一邊に因って財を得るを主る。若し龍と穴と皆是上格ならば、狀元を出し・神仙一流の人物を出し、男子は駙馬を做り、女子は宮に入りて妃と爲る能くし。それは兼具して三陽水・御街水・學堂水・奩財水(奩財は即ち妝奩陪嫁の財)・陽鼓水の諸名あり。

震:主武貴、威名、驟發、鉅富。上格龍出兵部五府。催官水、鬼鄉水、陽皷水、納財水。庚:主功勳烜赫。上格龍主元戎上將。進神水、陽皷水、金帶水、橫財水、金魚水、鬼鄉水。辛:主魁解驟富。上格龍及第、翰苑、才名。進神水、陰皷水、橫財水、文秀水。兌:主富貴。上格龍出后妃。進神水、陽皷水、金帶水、天財水。

震位の來水。武職貴顯・威名遠く揚がり・驟然發達し・家資巨富を主る。若し來龍上格ならば、兵部と五軍都督府の一級の要職に出任する能くし。それは兼具して催官水・鬼鄕水・陽鼓水・納財水の諸名あり。庚位の來水。功勳赫赫を主る。上格の龍は統兵の元帥上將と爲るを主る。それは兼具して進神水・陽鼓水・金帶水・橫財水・金魚水・鬼鄕水の諸名あり。辛位の來水。解元・會元の類の頭名に中りて驟然に致富するを主る。上格の龍は登科及第し・翰林院に入り・才名を以て世に着るを主る。それは兼具して進神水・陰鼓水・橫財水・文秀水の諸名あり。兌位の來水。富貴を主る。上格の龍は皇后妃嬪を出す能くし。それは兼具して進神水・陽鼓水・金帶水・天財水の諸名あり。

亥山凶水:艮,退神(又艮土克亥水)。辰戌丑未黃泉,乾坤亢極,甲乙孤虛,寅午離鄉,丙午雙朝回祿,壬午桃花,申溷雜,卯未來去雷氣,午牢獄。

以下は亥山の忌む所の凶水なり。艮位の水は「退神」と爲り、而且艮は土に屬して、土は能く亥の水氣を克す。故に雙重不利なり。辰・戌・丑・未の四位は是れ黃泉水。干・坤の兩位は是れ老陽老陰の亢極の氣。甲・乙の兩位は孤虚を主る。寅・午の水は離郷を主る。丙と午の兩方の水は一同に來朝すれば、火災を主る。壬と午と同見すれば、桃花淫亂を主る。申位の水は氣脈の混雜を主る。卯と未の兩方の水は一來一去して、雷擊の氣を主る。午位の水は牢獄の災を主る。査看する時は此の幾位を逐一に對照して、凡そ犯するは皆要として法を設けて折放して避開すべし。

艮山入穴取屬土。艮山吉水:丁水:主大富貴、長壽。三陽水、赦文水、歸元水、陰皷水、催官水、進神水、長壽水。辛:主發橫財,得女人財產。主文章科第。建財水、女財水、金帶水、魚印水、文秀水、陰皷水、橫財水。庚:主武功官職,及得軍中財產。花羅水、陰皷水、金印水、金皷水、鬼鄉水。

艮山の穴に入るは、五行はそれを取りて土に屬せしむ。艮山の吉水は下の如し。丁位の來水。大富大貴・長壽を主る。それは兼具して三陽水・赦文水・歸元水・陰鼓水・催官水・進神水・長壽水の諸名あり。辛位の來水。橫財を發し・婦人の一邊より財産を得到し、又文章と科第とを主る。それは兼具して建財水・女財水・金帶水・魚印水・文秀水・陰鼓水・橫財水の諸名あり。庚位の來水。武功と武職の官階とを主り、竝びに軍中より財産を得る能くし。それは兼具して花羅水・陰鼓水・金印水・金鼓水・鬼鄕水の諸名あり。

丙:主發橫財、長壽,及官職崇高。三陽水、赦文水、配乾水、歸元水、陰皷水、催官水、長壽水、進神水、橫財水。亥:主發財旺人。進神水。兌:主科名及發財。金帶水。艮山凶水:震巽退神、剋制。若曲折則吉,來去無凶,福薄而已。子午桃花,辰戌丑未黃泉,甲乙孤虛、退神,壬坎溷雜,寅曜水,申支氣,乾坤亢極。

丙位の來水。橫財を發し・長壽、以及官職崇高を主る。それは兼具して三陽水・赦文水・配干水・歸元水・陰鼓水・催官水・長壽水・進神水・橫財水の諸名あり。亥位の來水。財を發し竝びに人丁を旺ならしむを主り、進神水に屬す。兌位の來水。科第の名と發財とを主り、金帶水に屬す。以下は艮山の忌む所の凶水。震・巽の兩位は是れ退神にして、又能く艮土を克制す。不過此の兩位は若し水形の屈曲して情あれば、倒って亦吉と算して、一來一去は竝びに大凶無く、只是福分の單薄なる而已なり。子・午の水は桃花を主る。辰戌丑未は是れ黃泉。甲・乙の兩位は孤虚を主り兼ねて退神。壬と坎は氣脈の混雜を主る。寅位は是れ艮山の曜煞水。申位は地支濁氣に屬す。干・坤の兩位は是れ亢極の氣なり。

巽山入穴取屬水。巽山吉水:辛、未:主得女財,主催貴,登高科。納卦水、催官水、歸元水、陰皷水、文秀水、女財水、金魚印水。丁:主長壽、發財。花羅水、三陽水、赦文水、長壽水、陰皷水。庚:主武貴及得軍中財。歸元水、金印水、陰皷水、鬼鄉水。

巽山の穴に入るは、五行はそれを取りて水に屬せしむ。巽山の吉水は下の如し。辛位と未位の來水。婦人の一邊より財を得るを主り、能く官を催し貴を進め、高等の科第に登る。兼具して納卦水・催官水・歸元水・陰鼓水・文秀水・女財水・金魚印水の諸名あり。丁位の來水。長壽・發財を主る。兼具して花羅水・三陽水・赦文水・長壽水・陰鼓水の諸名あり。庚位の來水。武職貴顯を主り、竝びに軍中より財を得る能くし。兼具して歸元水・金印水・陰鼓水・鬼鄕水の諸名あり。

艮:主富貴。天財水、進神水、銀帶水、陽皷水。亥:主旺人發財。進神水。巽山凶水:辰戌丑未黃泉,乾坤亢極,兌曜星、退神,甲乙孤虛,子午桃花,寅離鄉,壬子癸申溷雜。

艮位の來水。富貴を主る。兼具して天財水・進神水・銀帶水・陽鼓水の諸名あり。亥位の來水。人丁興旺・財物增益を主り、進神水に屬す。以下は巽山の忌む所の凶水。辰・戌・丑・未の四位は是れ黃泉。干・坤の兩位は是れ亢極の氣。兌位は既に巽山の曜煞星なり又退神に屬す。甲・乙の兩位は孤虚を主る。子・午の水は桃花を主る。寅位の水は離郷を主る。壬・子・癸と申の諸位は則ち氣脈を混雜せしむ。此の一條は前面の「六秀水」の下の注す所の「巽山は兌水を見るを忌みて曜星と爲す」と正しく相印證す。

兌山入穴取屬金。兌山吉水:丁水:主長壽、旺人。吳公云:“兌逢丁水壽同彭。”予所見池州府西門外杏花村郎氏祖地,繫兌龍丁水出,即鏡鑑兄弟及姊妹皆百餘歲。又都昌萬旭百歲,其陽基平中一突,後坐犬溪,空曠無樂山,卻是兌龍丁水。三陽水、赦文水、長壽水、陰皷水。

兌山の穴に入るは、五行はそれを取りて金に屬せしむ。兌山の吉水は下の如し。丁位の來水。長壽・人丁興旺を主る。吳景鸞は説く。兌龍は丁水に遇えば、壽命は彭祖と相同じくする能くし。我らは親眼に池州府の西門外の杏花村の郎氏の祖墳を見たれども、正しく是れ兌龍にして丁方は水を出し、あの家の郎鏡・郎鑑の兄弟および姊妹は皆一百多歲に活到せり。又如都昌縣の萬旭も亦百歲に活到せり。彼の家の陽宅基址は平地の中間の一箇の突起にして、背後は犬谿に靠りて、四面は空曠にして樂山(穴後に枕を作るの小山)無し。卻って正しく是れ兌龍丁水の格局なり。丁水は各家名目の中に兼具して三陽水・赦文水・長壽水・陰鼓水の諸名あり。

辛:主貴,得陰人財。金帶水、花羅水、文秀水、金魚印水、陰皷水、女財水。巽:主科名顯貴,得陰人財。文秀水、進神水、陽皷水、三陽水、婦財水。震:主發橫財,富貴。天財水、歸元水、陽皷水、金神水、鬼鄉水。

辛位の來水。貴顯を主り、竝びに婦人の一邊より財を得る。兼具して金帶水・花羅水・文秀水・金魚印水・陰鼓水・女財水の諸名あり。巽位の來水。科第顯貴を主り、亦婦人の一邊より財を得る。兼具して文秀水・進神水・陽鼓水・三陽水・婦財水の諸名あり。震位の來水。橫財を發し・富貴を致すを主る。兼具して天財水・歸元水・陽鼓水・金神水・鬼鄕水の諸名あり。「陰人」「婦財」は皆妻室あるいは母族の一邊の帶來する産業を指す。

艮:主大發田產,鉅富。橫財水、進神水、陽皷水、銀帶水。丙:主文章科第。三陽水、赦文水、陰皷水。兌山凶水:巳曜星,午桃花又退神。寅申支煞,辰戌丑未黃泉,乾坤亢極,甲乙孤虛。

艮位の來水。田産大發・家資巨富を主る。兼具して橫財水・進神水・陽鼓水・銀帶水の諸名あり。丙位の來水。文章と科第とを主る。兼具して三陽水・赦文水・陰鼓水の諸名あり。以下は兌山の忌む所の凶水。巳位は是れ兌山の曜煞星。午位は既に桃花を主り又退神に屬す。寅・申の兩位は是れ地支の煞。辰・戌・丑・未は是れ黃泉。干・坤は是れ亢極の氣。甲・乙は孤虚を主る。

震山入穴。震山吉水:庚:主催官、富貴。催官水、卦氣水、陰皷水、歸元水、金魚印水。辛:主文章富貴,得女財。文秀水、女財水、陰皷水、歸元水、金魚印水。丙:主長壽、旺人、富貴。三陽水、赦文水、長壽水、花羅水、陰皷水。丁:主文章、富貴、長壽。三陽水、赦文水、長壽水、建財水、陰皷水。

震山の穴に入る(底本の此の條は未だ五行を標せず。正五行に按れば震は木に屬す)。震山の吉水は下の如し。庚位の來水。官を催し爵を進め・富貴を主る。兼具して催官水・卦氣水・陰鼓水・歸元水・金魚印水の諸名あり。辛位の來水。文章富貴を主り、竝びに婦人の財を得る。兼具して文秀水・女財水・陰鼓水・歸元水・金魚印水の諸名あり。丙位の來水。長壽・人丁を旺ならしめ・富貴を致すを主る。兼具して三陽水・赦文水・長壽水・花羅水・陰鼓水の諸名あり。丁位の來水。文章・富貴・長壽を主る。兼具して三陽水・赦文水・長壽水・建財水・陰鼓水の諸名あり。

艮:主發橫財。進神水、銀帶水、橫財水、陰皷水。亥:主富貴。配卦水、進神水。震山凶水:申曜星,兌退神、蛾眉,乾坤亢極,子午桃花,丙午回祿,壬癸溷雜,辰戌丑未黃泉。

艮位の來水。橫財を發すを主る。兼具して進神水・銀帶水・橫財水・陰鼓水の諸名あり。亥位の來水。富貴を主る。兼具して配卦水・進神水の兩名あり。以下は震山の忌む所の凶水。申位は是れ震山の曜煞星。兌位は既に退神に屬し又是れ蛾眉(桃花)の象。干・坤は是れ亢極の氣。子・午は桃花を主る。丙と午と同見すれば火災を主る。壬・癸は氣脈を混雜せしむ。辰・戌・丑・未は是れ黃泉なり。

辛山入穴取屬金。辛山吉水:巽:主催官、高第、女貴、得妻財、長壽、神仙。吳公云:“辛逢巽秀神仙出。”言辛龍有巽峰巽水者,出神仙。予見金溪徐氏菖蒲塘一地,辛龍,有巽峰巽水,出一文一武一神仙龜形地,出一副憲,名善慶,癸丑進士。一指揮,一僊。又豐城范氏祖地在應墟,亥龍入辛,巽峰特秀,出一神仙曰登雲,一土神曰小三官,亦甚靈感。三陽水、卦配水、進神水、催官水、女財水、文秀水、陰皷水。

辛山の穴に入るは、五行はそれを取りて金に屬せしむ。辛山の吉水は下の如し。巽位の來水。官を催し・高第に登り・女眷貴顯し・妻室の財産を得・長壽を主り、甚至神仙一流の人物を出す。吳景鸞は説く。辛龍は巽方の秀麗に遇上れば、便ち神仙の出ずるあり。意思は辛龍にして兼ねて巽方の峰・巽方の水あるは、能く神仙を出すなり。我らは金谿徐氏の菖蒲塘のあの一處の地を見たれども、是れ辛龍にして、巽峰巽水ありて、一の文・一の武・一の神仙を出せり。あれは一塊の龜形地にして、一位の副都御史を出して名は徐善慶・癸丑年の進士、又一位の指揮使を出し、還お一位の仙人あり。又如豐城范氏の應墟に在るの祖墳は、亥龍は轉じて辛字に入りて、巽峰は特別に秀拔にして、一位の神仙を出して范登雲と叫び、一位の土神を出して小三官と叫びて、亦很に靈驗なり。巽水は各家名目の中に兼具して三陽水・卦配水・進神水・催官水・女財水・文秀水・陰鼓水の諸名あり。

震:主武貴,發財,文官權武,威振邊方。進神水、陽皷水、魁鄉水。艮:主大發財產,典州郡。天財水、銀帶水、橫財水、陰皷水、進神水。丁、丙:主長壽、富財、旺人、貴顯。三陽水、赦文水、長壽水、陰皷水。辛山凶水:巳剛火、退神,子午桃花,辰戌丑未黃泉,壬癸混雜,寅申支煞,乾坤亢極。

震位の來水。武職貴顯・發財を主り、あるいは文官を以て武權を掌りて、威名は邊疆を震動す。兼具して進神水・陽鼓水・魁鄕水の諸名あり。艮位の來水。財産大發を主り、一州一郡の長官に出任する能くし。兼具して天財水・銀帶水・橫財水・陰鼓水・進神水の諸名あり。丁位と丙位の來水。長壽・財貨に富有り・人丁興旺・貴顯を主る。兼具して三陽水・赦文水・長壽水・陰鼓水の諸名あり。以下は辛山の忌む所の凶水。巳位は剛烈の火に屬し又是れ退神。子・午は桃花を主る。辰戌丑未は是れ黃泉。壬・癸は氣脈を混雜せしむ。寅・申は是れ地支の煞。干・坤は是れ亢極の氣なり。

庚山入穴,取屬金。庚山吉水:震水:主武貴,發財旺人。卦氣水、進神水、催官水、陰皷水、鬼鄉水。巽:主文章、高科第。進神水、三陽水、學堂水、御街水。艮:主大發財,富貴旺人。花羅水、銀帶水、陰皷水、御街水、進神水、橫財水。

庚山の穴に入るは、五行はそれを取りて金に屬せしむ。庚山の吉水は下の如し。震位の來水。武職貴顯・發財竝びに人丁を旺ならしむを主る。兼具して卦氣水・進神水・催官水・陰鼓水・鬼鄕水の諸名あり。巽位の來水。文章の名と高等の科第とを主る。兼具して進神水・三陽水・學堂水・御街水の諸名あり。艮位の來水。財貨大發・富貴にして人丁興旺を主る。兼具して花羅水・銀帶水・陰鼓水・御街水・進神水・橫財水の諸名あり。

丙:主長壽、富貴。花羅水、三陽水、赦文水、陰皷水、長壽水。丁:主長壽、富貴。建財水、三陽水、赦文水、陰皷水、長壽水。亥:主大旺人財。配卦水。庚山凶水:巳剛火、退神水,子午桃花,乾坤亢極,辰戌丑未黃泉,甲乙孤虛,丙丁回祿,子癸孤虛、溷雜,寅申支氣。

丙位の來水。長壽・富貴を主る。兼具して花羅水・三陽水・赦文水・陰鼓水・長壽水の諸名あり。丁位の來水。亦長壽・富貴を主る。兼具して建財水・三陽水・赦文水・陰鼓水・長壽水の諸名あり。亥位の來水。人丁と財帛と都大に興旺するを主り、配卦水に屬す。以下は庚山の忌む所の凶水。巳位は剛火に屬し又是れ退神。子・午は桃花を主る。干・坤は是れ亢極。辰戌丑未は是れ黃泉。甲・乙は孤虚を主る。丙・丁の兩方は若し同來なれば則ち火災を主る。子・癸は孤虚を主り兼ねて混雜す。寅・申は地支濁氣に屬す。丙丁は吉水の中に壽を主るも、此處に又忌と列すは、是れ兩方の水の同時に兼朝するに就いて言うなり。前面の「囘祿水」の一款を參看すれば自ら明白なり。

丙山入穴。丙山吉水:艮:主多田產,旺人。催官水、納卦水、陰皷水。震:主武貴、發財。鬼鄉水、陽皷水。辛:主科第、旺人、發財。建財水、金帶水、進神水、文秀水、陰皷水、女財水、橫財水、金魚水印。

丙山の穴に入る(底本の此の條は未だ五行を標せず。正五行に按れば丙は火に屬す)。丙山の吉水は下の如し。艮位の來水。田産衆多・人丁興旺を主る。兼具して催官水・納卦水・陰鼓水の諸名あり。震位の來水。武職貴顯・發財を主る。兼具して鬼鄕水・陽鼓水の兩名あり。辛位の來水。科第・人丁を旺ならしめ・發財を主る。兼具して建財水・金帶水・進神水・文秀水・陰鼓水・女財水・橫財水と金魚印水の諸名あり(底本は「金魚水印」と作るは、應當に是れ「金魚印水」の倒文、仍ほ照録す)。

庚:主武貴,得軍中財。花羅水、金帶水、鬼鄉水、進神水、陽皷水。兌:主科第、大富。進神水、陽皷水、鬼鄉水、橫財水。亥:主饒財旺人。歸元水退神半吉。丙山凶水:子桃花水,寅申支氣,乾坤亢極,甲乙孤虛,壬癸溷雜,辰戌丑未黃泉。

庚位の來水。武職貴顯を主り、竝びに軍中より財を得る。兼具して花羅水・金帶水・鬼鄕水・進神水・陽鼓水の諸名あり。兌位の來水。科第・大富を主る。兼具して進神水・陽鼓水・鬼鄕水・橫財水の諸名あり。亥位の來水。財貨豐足・人丁興旺を主る。それは歸元水に屬するも、然れども同時に又是れ退神。故に只だ半吉と算す。以下は丙山の忌む所の凶水。子位は是れ桃花水。寅・申は地支濁氣に屬す。干・坤は是れ亢極の氣。甲・乙は孤虚を主る。壬・癸は氣脈を混雜せしむ。辰戌丑未は是れ黃泉なり。

丁山入穴取屬火。丁山吉水:艮:主高壽顯貴。借配水、銀帶水、長壽水、陽皷水、六秀水。兌:主鉅富旺人。正配水、金帶水、陽皷水、進神水、金魚印水。震:主武貴,發橫財,旺人。天財水、進神水、陽皷水。巽:主科第高官,得女財。三陽水、女財水、陽皷水、進神水。

丁山の穴に入るは、五行はそれを取りて火に屬せしむ。丁山の吉水は下の如し。艮位の來水。高壽にして貴顯を主る。兼具して借配水・銀帶水・長壽水・陽鼓水・六秀水の諸名あり。兌位の來水。家資巨富・人丁興旺を主る。丁は兌に納するを以て、是れ正しく相配するの一對、兼具して正配水・金帶水・陽鼓水・進神水・金魚印水の諸名あり。震位の來水。武職貴顯・橫財を發し・人丁を旺ならしむを主る。兼具して天財水・進神水・陽鼓水の諸名あり。巽位の來水。科第高官を主り、竝びに婦人の財を得る。兼具して三陽水・女財水・陽鼓水・進神水の諸名あり。

辛:主科第,大發財產。花羅水、橫財水、進神水、文秀水、女財水、陰皷水、金帶水、金魚水。庚:主發財、旺人、鉅富。建財水、金帶水、金印水、金魚水、進神水、陰皷水、橫財水、鬼鄉水。亥:主饒財旺人。歸元水退神半吉。丁山凶水:子水桃花,壬癸孤虛、退神,乾坤亢極,離離鄉,甲乙孤虛,辰戌丑未黃泉。

辛位の來水。科第を主り、竝びに財産を大發せしむ。兼具して花羅水・橫財水・進神水・文秀水・女財水・陰鼓水・金帶水・金魚水の諸名あり。庚位の來水。發財・人丁を旺ならしめ・家資巨富を主る。兼具して建財水・金帶水・金印水・金魚水・進神水・陰鼓水・橫財水・鬼鄕水の諸名あり。亥位の來水。財貨豐足・人丁興旺を主り、歸元水に屬して兼ねて退神、只だ半吉と算す。以下は丁山の忌む所の凶水。子位は是れ桃花水。壬・癸は孤虚を主り兼ねて退神。干・坤は是れ亢極の氣。離位は離郷を主る。甲・乙は孤虚を主る。辰戌丑未は是れ黃泉なり。

以上各陰局陰龍入首,編定諸家吉水方位,任從往來及折放通用,大利。其破局凶水,若見來去,穴法宜趨避控制注氣,切忌折放。

以上は各條の陰局陰龍の入首する情形を把って、各家水法に依って編定するの吉水方位なり。凡そ吉水に屬するの方位は、無論水の那里より來り・那里に往くか、あるいは人工に折放して那里に到るか、皆以て通用し、大いに利あり。會して本局を冲破するの凶水に至っては、若しそれの來あり去あるを見れば、便ち要として下葬の作法の上に於て趨避を設法して、控制・注氣の手段を用いて化解す。切切に水をあれらの方位の上に折放す可からず。此の兩句は是れ陰局の各山條目の總結、亦是れ此の張の檢査表を使用するの口訣なり。

總じて陽局の吉凶方位

離山入穴取屬火。離山吉水:壬水:主發財催貴。納乾水、陰皷水、科甲水、橫財水、催官水。癸:主富。借配水、陰皷水。甲:主發財。建財水、進神水、陰皷水。乙:主發財。花羅水、進神水、陰皷水。

以下は改めて陽局を列す。離山の穴に入るは、五行はそれを取りて火に屬せしむ。離山の吉水は下の如し。壬位の來水。發財竝びに貴顯を催促するを主る。離卦は壬を納するを因って、故に兼具して納干水・陰鼓水・科甲水・橫財水・催官水の諸名あり。癸位の來水。富を主る。兼具して借配水・陰鼓水の兩名あり。甲位の來水。發財を主る。兼具して建財水・進神水・陰鼓水の諸名あり。乙位の來水。亦發財を主る。兼具して花羅水・進神水・陰鼓水の諸名あり。

坤:主女發財。陽皷水。寅:主橫財。功曹水不宜合見戌水,主火災。申:主發財。傳送水、驛馬水。離山凶水:亥曜星,子桃花、退神,卯酉蛾眉,丑未黃泉,庚辛艮丁丙混雜。

坤位の來水。婦人の一邊に由って發財するを主り、陽鼓水に屬す。寅位の來水。橫財を得るを主り、功曹水に屬す。然れども宜しく戌方の水と合見す可からず。寅午戌は三合火局にして、同見すれば便ち火災を主るを以てなり。申位の來水。發財を主る。兼具して傳送水・驛馬水の兩名あり。以下は離山の忌む所の凶水。亥位は是れ離山の曜煞星。子位は桃花を主り兼ねて退神。卯・酉の兩位は蛾眉桃花の象に屬す。丑・未は是れ黃泉。庚・辛・艮・丁・丙の諸位は陰局に屬して、陽局に混入すれば便ち氣脈を駁雜せしむ。

壬山入穴取屬水。壬山吉水:離:主催官、鉅富。進神水、納乾水、催官水、陰皷水、科甲水。甲:主發財。進財水、陰皷水。乙:主富。花羅水、陰皷水。

壬山の穴に入るは、五行はそれを取りて水に屬せしむ。壬山の吉水は下の如し。離位の來水。官を催し爵を進め・家資巨富を主る。離卦は壬を納して兩氣正配するを因って、兼具して進神水・納干水・催官水・陰鼓水・科甲水の諸名あり。甲位の來水。發財を主る。兼具して進財水・陰鼓水の兩名あり。乙位の來水。富を主る。兼具して花羅水・陰鼓水の兩名あり。壬と離とは互いに納配す。故に離水は壬山の條の下に・壬水は離山の條の下に彼此對擧して、皆第一等の吉水と列す。

坤:主女發財。陽皷水。寅:主得橫財。進神水、功曹水(忌見午戌合火局,主災)。申:主得藝財。傳送水。壬山凶水:卯酉蛾眉,辰戌丑未黃泉,幹亢極,巽巳丙丁庚辛震艮溷雜。

坤位の來水。婦人の一邊に由って發財するを主り、陽鼓水に屬す。寅位の來水。橫財を得るを主る。兼具して進神水と功曹水の兩名あり。然れども午・戌の水と同見して合して火局と成るを忌む。あの樣なれば反って火災を主る。申位の來水。技藝を靠って財を得るを主り、傳送水に屬す。以下は壬山の忌む所の凶水。卯・酉の兩位は蛾眉桃花に屬す。辰戌丑未は是れ黃泉。干位は是れ亢極の氣。巽・巳・丙・丁・庚・辛・震・艮の諸位は皆陰局に屬して、陽局に混進すれば便ち氣脈を駁雜せしむ。

坤山入穴取屬土。坤山吉水:癸:主發財催貴。建財水、催官水、陰皷水、納乾水。乙:主富。陰皷水、納乾水。離:主發財富貴。陽皷水、進神水、科甲水。壬:主科甲、鉅富。花羅水、進神水、科甲水、陰皷水。

坤山の穴に入るは、五行はそれを取りて土に屬せしむ。坤山の吉水は下の如し。癸位の來水。發財竝びに貴顯を催促するを主る。坤卦は乙・癸を納するを因って、兼具して建財水・催官水・陰鼓水・納干水の諸名あり。乙位の來水。富を主る。兼具して陰鼓水・納干水の兩名あり。離位の來水。發財して富貴を致すを主る。兼具して陽鼓水・進神水・科甲水の諸名あり。壬位の來水。科甲登第・家資巨富を主る。兼具して花羅水・進神水・科甲水・陰鼓水の諸名あり。

甲:主小富。陰皷水。寅:主得軍中財。功曹水(不宜見午戌水相合,主火災)。坤山凶水:卯桃花、曜星、退神,辰戌丑未黃泉,庚辛巽巳艮亥溷雜,酉蛾眉,幹亢氣。

甲位の來水。只だ小富を主り、陰鼓水に屬す。寅位の來水。軍中より財を得るを主り、功曹水に屬す。然れども宜しく午・戌の水と相合成して三合火局と爲す可からず。否すれば火災を主る。以下は坤山の忌む所の凶水。卯位は既に桃花なり、又是れ坤山の曜煞星、還お兼ねて退神なり。三重皆犯す。辰戌丑未是れ黃泉。庚・辛・巽・巳・艮・亥の諸位は陰局に屬して、混入すれば則ち駁雜す。酉位は蛾眉桃花に屬す。干位は是れ亢極の氣なり。此れは前面の「八山曜水」の中の「坤山は卯水を見るを忌む」と正しく相呼應す。

癸山入穴取屬水。癸山吉水:離:主發財。借配水、進神水、陽皷水。坤:主女發財。正配水、天財水、陽皷水。乙:主富。建財水、陰皷水。寅:主富。功曹水(不宜合見午戌,主火災)。甲:主發財。傳送水。

癸山の穴に入るは、五行はそれを取りて水に屬せしむ。癸山の吉水は下の如し。離位の來水。發財を主る。兼具して借配水・進神水・陽鼓水の諸名あり。坤位の來水。婦人の一邊に由って發財するを主る。坤卦は癸を納するを因って、是れ正配の一對、兼具して正配水・天財水・陽鼓水の諸名あり。乙位の來水。富を主る。兼具して建財水・陰鼓水の兩名あり。寅位の來水。富を主り、功曹水に屬す。然れども宜しく午・戌と同見して火局を合す可からず。否すれば火災を主る。甲位の來水。發財を主り、傳送水に屬す。

癸山凶水:卯酉蛾眉,幹亢氣,辰戌丑未黃泉,巽巳丙丁庚辛震艮混雜。以上編定諸陽局各山吉水所宜,來去並折放通用,大利。其各山凶水所宜避之,行注控制,切忌折放。

以下は癸山の忌む所の凶水。卯・酉の兩位は蛾眉桃花に屬す。干位は是れ亢極の氣。辰戌丑未是れ黃泉。巽・巳・丙・丁・庚・辛・震・艮の諸位は陰局に屬して、混進し來れば便ち氣脈を駁雜せしむ。以上は陽局の各山の宜しき所の吉水方位を把って編定して表と成せるなり。凡そ吉水方位は、無論水の來り水の去るかあるいは人工に折放するか皆通用して、大いに利あり。各山の忌む所の凶水に至っては、皆應當に法を設けて回避して、行氣注氣の手段を用いて以て控制を加え、切切に水をあれらの方位の上に折放す可からず。

進神退神二水の諸山定局

生入、克出者謂之進神,生出、克入者謂之退神。進神水吉,退神水凶。艮山屬土:丙丁屬火生艮土,為進神,吉。克出亥水:亥屬水,艮土克之,亦為進神,吉。生出庚、辛、兌屬金,艮土生之,為退神。二卦借配,山澤通氣,不以為凶。震、巽屬木,克艮土入,為退神,凶。

進神と退神の定義は是れなり。來水の五行が我が坐山を生ずる(生入)、あるいは我が坐山が往きて來水を克する(克出)を、之を「進神」と叫ぶ。我が坐山が往きて來水を生ずる(生出)、あるいは來水の來りて我が坐山を克する(克入)を、之を「退神」と叫ぶ。進神水は吉、退神水は凶なり。艮山は土に屬す。丙・丁は火に屬して、火は能く艮土を生ず、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。亥水は是れ克出なり——亥は水に屬して、艮土は能くそれを克す、亦進神と算して吉なり。庚・辛・兌は金に屬して、艮土は往きて金を生ず、是れ生出にして退神と爲る。然れども艮と兌との兩卦は借配して、正しく《周易・説卦》の「山澤の氣通ず」の義に合す。故に凶と論作さず。震・巽は木に屬して、木は來りて艮土を克す、是れ克入にして退神と爲り、凶なり。

震巽山屬木:亥水生入,為進神,吉。克出艮土,亦為進神,吉。生出丙、丁,為退神,於卦借配,不以為凶。克入庚、辛,亦為退神,於卦正配,不以為凶。克入兌金,又為巽之卦曜,大凶。庚兌辛山屬金:艮土生入為進神,吉。克出震、巽亦為進神,吉。丁火克入為退神,於卦正配,不以為凶。丙亦無忌。巳、午為曜,退神,大凶。

震山・巽山は木に屬す。亥水の來りて木を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。木の往きて艮土を克するは、是れ克出にして、亦進神なり、吉なり。木の往きて丙・丁の火を生ずるは、是れ生出にして退神と爲る。然れども兩卦は借配す。故に凶と論作さず。庚・辛の金の來りて木を克するは、是れ克入にして、亦退神なり。然れども納甲に按れば震は庚を納り・巽は辛を納りて、兩兩正配す。故に亦凶と論作さず。唯だ兌金の克入するは、兌は又正しく巽卦の曜煞、那れは便ち大凶なり。庚山・兌山・辛山は金に屬す。艮土の來りて金を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。金の往きて震・巽の木を克するは、是れ克出にして、亦進神なり、吉なり。丁火の來りて金を克するは、是れ克入にして退神と爲る。然れども兌は丁を納るは是れ正配。故に凶と論作さず、丙火も亦必ず忌むに及ばず。唯だ巳・午の兩位は此の一路の曜煞にして、又退神に屬し、大凶なり。

亥山屬水:庚、酉、辛生入為進神,吉。克出丙、丁亦為進神,吉。生出震、巽為退神,於卦借配,不以為凶。艮土克入,亦為退神。丙丁山屬火:震、巽生入為進神,吉。克出庚、辛亦為進神,吉。生出艮土為退神。丙以艮配,不以為凶。亥水克入,亦為退神。

亥山は水に屬す。庚・酉・辛の金の來りて水を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。水の往きて丙・丁の火を克するは、是れ克出にして、亦進神なり、吉なり。水の往きて震・巽の木を生ずるは、是れ生出にして退神と爲る。然れども兩卦は借配す。故に凶と論作さず。艮土の來りて水を克するは、是れ克入にして、亦退神と算す。丙山・丁山は火に屬す。震・巽の木の來りて火を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。火の往きて庚・辛の金を克するは、是れ克出にして、亦進神なり、吉なり。火の往きて艮土を生ずるは、是れ生出にして退神と爲る。然れども丙と艮とは相配す。故に凶と論作さず。亥水の來りて火を克するは、是れ克入にして、亦退神と算す。

離山屬火:壬、癸水克入為退神,於卦相配,不以為凶。坎水克旺卦,非宜。亥水克入,卦之正曜,大凶。壬癸山屬水:克離火為進神,吉。坤、艮土克入為退神。坤與癸正配無忌。艮則凶矣。

離山は火に屬す。壬・癸の水の來りて火を克するは、是れ克入にして退神と爲る。然れども離は壬を納りて、兩卦相配す。故に凶と論作さず。坎水の來りて克するに至っては、あれは是れ水を以て火の旺卦を克する、相宜しからず。亥水の克入は、亥は又正しく離卦の曜煞、大凶なり。壬山・癸山は水に屬す。水の往きて離火を克するは、是れ克出にして進神と爲り、吉なり。坤・艮の土の來りて水を克するは、是れ克入にして退神と爲る。其の中の坤と癸とは是れ正配、必ず忌むに及ばず。艮土の克入するは便ち凶なり。同じく是れ退神にして、正配の解する可きあると解する無きの兩種ありて、須らく分かちて看待すべきを見る可し。

坤山屬土:離火生入為進神,吉。克出壬、子、癸亦為進神,吉。生出申、庚、酉、辛為退神,凶。克入寅、卯、甲、乙亦為退神,凶。甲、乙無忌,惟卯為凶。寅山屬木:壬、子、癸水生入為進神,吉。克出坤土亦為進神,吉。生出丙、丁巳火為退神,凶。克入幹、申金正配,不凶。

坤山は土に屬す。離火の來りて土を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。土の往きて壬・子・癸の水を克するは、是れ克出にして、亦進神なり、吉なり。土の往きて申・庚・酉・辛の金を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。寅・卯・甲・乙の木の來りて土を克するは、是れ克入にして、亦退神なり、凶なり。不過其の中の甲・乙は必ず忌むに及ばず。唯だ卯位を獨り凶と爲すは、卯は是れ坤山の曜煞なるを以てなり。寅山は木に屬す。壬・子・癸の水の來りて木を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。木の往きて坤土を克するは、是れ克出にして、亦進神なり、吉なり。木の往きて丙・丁・巳の火を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。干・申の金の來りて木を克するは、是れ克入にして、然れども正配に屬す。故に凶ならず。

甲山屬木:壬子癸水生入為進神,吉。克出坤土為進神,吉。生出丙丁火為退神,凶。克入幹申金正配,不凶。乙山屬木:壬、癸水生入,為進神,吉。克出坤、辰、戌土,為進神,吉。生出丙、丁火為退神,凶。克入幹、申金正配,不凶。巳山屬火:卯木生入為進神,吉。克出庚、酉金為進神,吉。生出坤、戌土為退神,凶。克入亥水正配,不凶。

甲山は木に屬す。壬・子・癸の水の來りて木を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。木の往きて坤土を克するは、是れ克出にして進神と爲り、吉なり。木の往きて丙・丁の火を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。干・申の金の來りて木を克するは、是れ克入にして、然れども正配に屬す。故に凶ならず。乙山は木に屬す。壬・癸の水の來りて木を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。木の往きて坤・辰・戌の諸土を克するは、是れ克出にして進神と爲り、吉なり。木の往きて丙・丁の火を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。干・申の金の克入するは、正配に屬して凶ならず。巳山は火に屬す。卯木の來りて火を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。火の往きて庚・酉の金を克するは、是れ克出にして進神と爲り、吉なり。火の往きて坤・戌の土を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。亥水の來りて火を克するは、是れ克入にして、然れども正配に屬して凶ならず。

丑未屬土:丙、丁火生入為進神,吉。生出幹、申金為退神,凶。克入卯、巽水正配,不凶。幹申屬金:艮、丑、未土生入為進神,吉。克出寅、甲木為進神,吉。生出庚、酉金為退神,凶。克入午火曜水,凶。辰戌山屬土:午火生入為進神,吉。克出壬、癸為進神,吉。生出庚、酉、辛金為退神,凶。克入寅、甲木為退神,正配不凶。

丑山・未山は土に屬す。丙・丁の火の來りて土を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。土の往きて干・申の金を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。卯・巽の來りて土を克するは、是れ克入にして、然れども正配に屬して凶ならず(底本は「卯巽水」と稱す。卯巽は本來木に屬す。此れは其の方位の配する所に就いて言うなり)。干山・申山は金に屬す。艮・丑・未の諸土の來りて金を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。金の往きて寅・甲の木を克するは、是れ克出にして進神と爲り、吉なり。金の往きて庚・酉の金を生ずるを生出・退神と爲して凶を主ると説くに至っては、同類相生は本來生克の局と成さず。底本此の如し。姑く其の舊を存す。午火の來りて金を克するは、午は又正しく干卦の曜水、凶なり。辰山・戌山は土に屬す。午火の來りて土を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。土の往きて壬・癸の水を克するは、是れ克出にして進神と爲り、吉なり。土の往きて庚・酉・辛の金を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。寅・甲の木の來りて土を克するは、是れ克入にして退神と爲るも、然れども正配に屬して凶ならず。

子山屬水:幹申金生入為進神,吉。克出午火為進神,吉。生出卯、巽木為退神,凶。克入坤、辰、戌土為退神,凶。此外又有《摘奇》載十四進神十退神,今辨正於後。

子山は水に屬す。干・申の金の來りて水を生ずるは、是れ生入にして進神と爲り、吉なり。水の往きて午火を克するは、是れ克出にして進神と爲り、吉なり。水の往きて卯・巽の木を生ずるは、是れ生出にして退神と爲り、凶なり。坤・辰・戌の諸土の來りて水を克するは、是れ克入にして退神と爲り、凶なり。以上は是れ二十四山の進神退神の定局、判法は一に五行生克の方向を以て準と爲し、再び兩卦の是れ納配して解する可きや否やを看る。此の外に還お《摘奇》の一書の載する所の十四進神と十退神あり。下面に之を加うるに辨正す。

十四進神水,謂宜朝來吉,流去凶:丙向午水朝,富貴保千秋。丁向午水入,田地金銀積。未向坤水朝,大富出官僚。坤向申水至,亦出文章貴。申向申水來,富貴有梯媒。庚向申水至,百寶金銀聚。亥向亥水朝,富貴永無休。壬向子水朝,田地遍他州。子向子水入,官貴登科第。癸向亥水朝,也自足田牛。辰向甲水朝,鉅富足錢財。寅向水流丙,百口田莊進。甲向卯水至,富貴更無比。乙向甲水朝,財穀積成堆。

《摘奇》の列する所の十四種の進神水は、説くに宜しく朝來すれば則ち吉・流去すれば則ち凶と爲すと。丙向を立てて午水の來朝するは、富貴は千秋を保つ可し。丁向を立てて午水の流入するは、田地金銀は堆積す。未向を立てて坤水の來朝するは、大富竝びに仕宦を出す。坤向を立てて申水の堂に到るは、亦文章貴顯の人を出す。申向を立てて申水の來るは、富貴は階梯憑藉あり。庚向を立てて申水の到るは、百般の珍寶金銀は聚集す。亥向を立てて亥水の來朝するは、富貴は永く休止無し。壬向を立てて子水の來朝するは、田地は多く別州に到る。子向を立てて子水の流入するは、官貴を得て科第に登る。癸向を立てて亥水の來朝するは、亦自ら田産牛畜に足る。辰向を立てて甲水の來朝するは、巨富にして錢財充足す。寅向を立てて水の丙に流向するは、百口の家は田莊增益す。甲向を立てて卯水の到るは、富貴は人の比ぶる無し。乙向を立てて甲水の來朝するは、財物穀米は堆を積して成す。

上十四進神水法,驗仙蹟多不准,不可深信。其可信者,惟有六向:申向申水朝、坤向坤水朝、亥向亥水朝、壬向子水朝、子向子水朝、乙向甲水朝。其外八向進神水不吉,不可用。

以上の此の十四種の進神水法は、前賢の遺する所の名墳舊迹を拿して以て印證するに、多半は準ならず、深く信ず可からず。其の中の信ず可きは唯だ六向あり。申向を立てて申水の來朝し、坤向を立てて坤水の來朝し、亥向を立てて亥水の來朝し、壬向を立てて子水の來朝し、子向を立てて子水の流入し、乙向を立てて甲水の來朝するなり。其の余の八向の進神水は竝びに吉ならず、採用す可からず。此の種の實地に舊迹を考驗して以て條文を汰除するの做法は、正しく是れ本書の諸家水法を取舍するの一貫の方法なり。

十退神水至凶至凶,不可信用:巳向水流丁,打馬去朝京。午向水流丙,五馬坐專成。酉向水流辛,富有足金銀。辛向水流丑,也自足田牛。戌向水流乾,金寶如沙積。乾向水流乾,富貴出雙全。丑向水流艮,富貴聲名遠。卯向水流乙,財穀自然聚。辰向水流巽,富貴莊田進。巽向水流巽,管取富無比。

所謂十種の退神水に至っては、極凶極凶にして、絶對に信用す可からず。其の原文は是れなり。巳向を立てて水の丁に流向するは、馬を打ちて京に進みて朝見す可し。午向を立てて水の丙に流向するは、五馬太守の位に坐上る能くし。酉向を立てて水の辛に流向するは、金銀に富足す。辛向を立てて水の丑に流向するは、亦自ら田産牛畜に足る。戌向を立てて水の干に流向するは、金寶は沙の如く堆積す。干向を立てて水の干に流向するは、富貴雙全す。丑向を立てて水の艮に流向するは、富貴聲名は遠く播ぶ。卯向を立てて水の乙に流向するは、財穀は自然に聚集す。辰向を立てて水の巽に流向するは、富貴田莊は增益す。巽向を立てて水の巽に流向するは、保じて富むこと倫比無からん。此の十條は皆以て去水を以て吉と爲す。下文は二徐は痛く其の非を駁す。

《摘奇》云:“此十退神水,謂之直流水,宜流去吉,朝來凶。”愚按:此退神水之說至凶,誤人極甚。不知何為立此言也。《葬經》云“得水為上。”得水豈以水去為哉!前輩雖下去水地,亦必龍穴真的,砂鎖周密,烏有不論龍穴真偽,而惟以方位合此退神,竟不畏其直去之理?智者勿信。

《摘奇》は説く。此の十種の退神水は直流水と叫ばるるなり、宜しく流去するを以て吉と爲し・朝來するを以て凶と爲すと。二徐の按語は説く。此の種の退神水の説法は極めて凶險にして、人を誤ること太甚し。眞に當初の何の爲めに此の樣の話を立てたるかを知らず。郭璞《葬書》は「水を得るを上と爲す」と説く——所謂水を得るとは、豈に是れ水の走り去るを指すか!前輩は雖も亦點在して去水の地あるも、然れども必定是來龍の眞・穴場の的にして、砂山の關鎖は周密にして、こそ敢えてあの樣に做す。豈にありんや龍穴の眞僞を問わず、單に方位の上に此の幾條の退神に合するを憑って、便ち竟然として水の筆直に流走るを怕れざるの道理や!明智の人は信ずる莫れ。

按:仙輩云:“水乃陣上之兵,進退由將。”故水有進神,有退神,如兵有義兵,有暴兵。暴兵所至,必有凶年,烏可向邇?猶退神不可使進也。義兵若時雨,孰不引領以徯“我後之來”?猶進神不可使退也。然進也退也,豈由於水與兵哉!必主將尊嚴,指揮素定,則所向有功,而境內晏然矣。哲師之用水,亦素熟嫻而措之雲。

再び按ず。前賢は説けり、「水は陣上の兵に好比して、進退は全く主將に由る」と。故に水は進神あり・退神ありて、兵の仁義の師あり・暴虐の師あるが如し。暴虐の師の到る所は、必定に荒年を帶來す。安んぞそれを靠近せしむるを得んや。此れは退神の水はそれを進入せしむ可からずに好比す。仁義の師は及時雨に象りて、誰か頸を伸ばして《尚書》の説く所の「我らの君の來る」を盼望せざらん。此れは進神の水はそれを退去せしむ可からずに好比す。然れども進なり退なりも、豈に是れ水と兵と自ら主を作すか!必定要として主將は尊嚴にして・指揮は早く定見あって、こそ所向に功ありて境内安寧なるを得る。高明の地師の水を用うるも、亦是れ平素に心に嫻熟して、然る後に事に臨みて從容布置するのみ。

重刊人子須知資孝地理心學統宗 卷八下之二

江右山人徐善繼述同著。

本卷は仍ほ「江右山人 徐善繼・徐善述 同著」と題す。前面の幾卷の講ずる所は是れ龍・穴・砂・水と立向との空間の法度、此の最後の一卷は轉じて時間の上の宜忌を講ず。六十甲子年と二十四山向とを配して一張の便査の表と成して、某年は如何なる山向は大利・如何なるは小利・如何なるは不利かを指出して、葬期と坐向とを選擇する時の檢用に供す。

太史公曰:“陰陽之術甚詳而眾忌諱,使人拘而多所畏。”儒者遂一切置而不講,至觸諱犯忌,一有不利,曰此偶然耳。則又矯枉過直,與太史公私旨謬矣。獨怪夫業斯術者,務為名高,往往杜撰神煞名號。其言禍福之應如響,乃甲是而乙非,此棄而彼取,載在簡編,莫知適從。噫!敝也久矣!

司馬遷は《史記・太史公自序》の中に説く。陰陽の一家の學説は過度に細密にして忌諱太多く、人をして處處に拘束を受け・事事に畏懼有らしむ。讀書人は是れに於て乾脆と一概に擱下して講ぜず、眞に忌諱を觸れて・不利の事を出すに至って、又説いて此れは不過偶然而已と爲す——此れは便是矯枉過正にして、反って太史公の本意に違背す。特別に怪しむ可きは此の一行に從事するの人が、一味に名聲の高妙を追求して、往往に杜撰して許多の神煞名目を出し、禍福の應驗を講起して來れば囘聲の如く靈なりと爲す。然れども甲家は對と説けば乙家は錯と説き、此の一家の捨棄する所はあの一家は又採用して、全て白紙黑字は書の中に載せて、人をして該に如何なる一家に依從すべきかを知らしめず。嗚呼!此の弊病は由來已久し。

廖金精氏曰:“神煞杳冥多潛變,世人有眼何曾見?眼既不見耳不聞,焉知山向占不占。”有味哉其言之也!第諸書神煞之傳,相沿既久,拘忌成習,不可盡革。謹編山向便覽一卷,以六十年太歲為綱,二十四山向為目,開卷則知某年某山向大利,某山向小利,某山向不利,庶易於檢擇,不以多岐亡羊,且以序四時之大順雲。時萬曆十年壬午春王正月,德興山人徐善述寓雲杜五華山房謹書。

廖金精は説く。神煞は幽深難測にして、暗中に變化多端、世上の人は縱い眼睛有るも何曾て見たるや。眼は既に見えず・耳は又聞こえずして、怎んぞそれの究竟如何なる山向を占したるや否やを知るを得ん。此の話は説くこと眞に味道あり!只是各家書の中の神煞の傳述は沿襲已久く、拘忌は已に習俗と成して、全部に革除する可能あらず。故に謹んで編成して《山向便覽》の一卷と爲し、六十年の太歲を以て綱と爲し・二十四山向を以て目と爲して、一翻開すれば便ち某年の某箇の山向は大利・某箇は小利・某箇は不利を知る。人をして檢擇するに便にして、歧路亡羊の如く適從する所無きに至らざらしめて、同時に亦それを用いて四時の大序に順應す。時に萬暦十年壬午春正月、德興山人 徐善述は雲杜五華山房に寓居して謹記す。

萬年圖山向通利便覽定局

甲子年:大利山向,酉山卯,六、七月。小利山向,乾山巽。不利山向:壬山丙浮天空、向煞,子山午年克,癸山丁年克,丑山未年克,艮山坤陰府,寅山申年克,甲山庚年克、傍陰府,卯山酉炙退,乙山辛羅天退,辰山戌年克、地官符,巽山乾年克、陰府,巳山亥三殺,丙山壬坐殺、傍陰府,午山子三殺,丁山癸坐殺,未山丑三殺、年克,坤山艮年克,申山寅年克,庚山甲年克,辛山乙傍陰府、年克,戌山辰年克,亥山巳天官符。

甲子年。大利の山向は是れ坐酉朝卯にして、宜しく六月・七月に土を動かし安葬すべし。小利の山向は是れ坐干朝巽。不利の山向は逐一に開列して下の如し。括注するは是れ犯する所の神煞。坐壬朝丙は浮天空亡と向煞とを犯す。坐子朝午は年克を犯す、即ち太歲の五行が本山を克す。坐癸朝丁は年克を犯す。坐丑朝未は年克を犯す。坐艮朝坤は陰府を犯す。坐寅朝申は年克を犯す。坐甲朝庚は年克と傍陰府とを犯す。坐卯朝酉は炙退を犯す。坐乙朝辛は羅天退を犯す。坐辰朝戌は年克と地官符とを犯す。坐巽朝干は年克と陰府とを犯す。坐巳朝亥は三殺を犯す。坐丙朝壬は坐殺と傍陰府とを犯す。坐午朝子は三殺を犯す。坐丁朝癸は坐殺を犯す。坐未朝丑は三殺と年克とを犯す。坐坤朝艮は年克を犯す。坐申朝寅は年克を犯す。坐庚朝甲は年克を犯す。坐辛朝乙は傍陰府と年克とを犯す。坐戌朝辰は年克を犯す。坐亥朝巳は天官符を犯す。凡そ坐殺を犯するは坐を忌み・向煞を犯するは向を忌み、三殺・陰府を犯するは則ち整年に皆宜しからず。

乙丑年:大利山向,巽山幹,正、四、八、九、十月;丙山壬,二、三、八、九、十一月;午山子,三、八、九、十二月。小利山向,壬山丙、未山丑、坤山艮、亥山巳、戌山辰。不利山向:子山午炙退,癸山丁浮天空、羅天退,丑山未傍陰府,艮山坤年克,寅山申三殺,甲山庚坐煞、傍陰府。卯山酉三殺、年克,乙山辛坐殺,巳山亥年克、傍陰府、地官符,辰山戌三殺,丁山癸傍陰府,申山寅天官符、忌修方,庚山甲向殺,酉山卯陰府,辛山乙向殺,乾山巽陰府。

乙丑年。大利の山向は三あり。坐巽朝干は、宜しく正月・四月・八月・九月・十月。坐丙朝壬は、宜しく二月・三月・八月・九月・十一月。坐午朝子は、宜しく三月・八月・九月・十二月。小利の山向は五あり。坐壬朝丙・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐亥朝巳・坐戌朝辰。不利の山向は下の如し。坐子朝午は炙退を犯す。坐癸朝丁は浮天空亡と羅天退とを犯す。坐丑朝未は傍陰府を犯す。坐艮朝坤は年克を犯す。坐寅朝申は三殺を犯す。坐甲朝庚は坐煞と傍陰府とを犯す。坐卯朝酉は三殺と年克とを犯す。坐乙朝辛は坐殺を犯す。坐巳朝亥は年克・傍陰府と地官符とを犯す。坐辰朝戌は三殺を犯す。坐丁朝癸は傍陰府を犯す。坐申朝寅は天官符を犯す。此の一位は修造動工するに連ねて亦避開するを要す。坐庚朝甲は向殺を犯す。坐酉朝卯は陰府を犯す。坐辛朝乙は向殺を犯す。坐干朝巽は陰府を犯す。

丙寅年:大利山向,寅山申,六、七、九、十、十一月、十二月;甲山庚,三、四、五、七、十一月。小利山向,巽山幹、庚山甲、戌山辰、乾山巽。不利山向:壬山丙向殺,子山午三殺、陰府,癸山丁向殺、傍陰府,丑山未三殺,艮山坤年克,卯山酉年克,乙山辛傍陰府,辰山戌傍陰府,巳山亥年克、天官符,丙山壬坐殺,午山子地官符,丁山癸坐殺,未山丑陰府,坤山艮陰府,申山寅傍陰府,酉山卯炙退,辛山乙浮天空亡、浮天退,亥山巳三殺。

丙寅年。大利の山向は兩箇あり。坐寅朝申は、宜しく六月・七月・九月・十月・十一月・十二月。坐甲朝庚は、宜しく三月・四月・五月・七月・十一月。小利の山向は四あり。坐巽朝干・坐庚朝甲・坐戌朝辰・坐干朝巽。不利の山向は下の如し。坐壬朝丙は向殺を犯す。坐子朝午は三殺と陰府とを犯す。坐癸朝丁は向殺と傍陰府とを犯す。坐丑朝未は三殺を犯す。坐艮朝坤は年克を犯す。坐卯朝酉は年克を犯す。坐乙朝辛は傍陰府を犯す。坐辰朝戌は傍陰府を犯す。坐巳朝亥は年克と天官符とを犯す。坐丙朝壬は坐殺を犯す。坐午朝子は地官符を犯す。坐丁朝癸は坐殺を犯す。坐未朝丑は陰府を犯す。坐坤朝艮は陰府を犯す。坐申朝寅は傍陰府を犯す。坐酉朝卯は炙退を犯す。坐辛朝乙は浮天空亡と浮天退とを犯す。坐亥朝巳は三殺を犯す。

丁卯年:大利山向,子山午,三、四月;癸山丁,三、四、七、十月;丑山未,四、十、八、十二月;亥山巳,九、十一月;巳山亥,正、二、三、四、七、十二月;乾山巽,二、六、十月。小利山向,艮山坤、卯山酉、辰山戌、坤山艮、巽山幹、丁山癸。不利山向:壬山丙年克、傍陰府,寅山申天官符、傍陰府,甲山庚坐殺,乙山辛年克、坐殺,丙山壬年克,午山子炙退、年克、陰府,未山丑地官符,申山寅三殺,庚山甲浮天空、向煞,酉山卯三殺,辛山乙向殺,戌山辰三殺、傍陰府。

丁卯年。大利の山向は六箇あり。坐子朝午は、宜しく三月・四月。坐癸朝丁は、宜しく三月・四月・七月・十月。坐丑朝未は、宜しく四月・八月・十月・十二月。坐亥朝巳は、宜しく九月・十一月。坐巳朝亥は、宜しく正月・二月・三月・四月・七月・十二月。坐干朝巽は、宜しく二月・六月・十月。小利の山向は六あり。坐艮朝坤・坐卯朝酉・坐辰朝戌・坐坤朝艮・坐巽朝干・坐丁朝癸。不利の山向は下の如し。坐壬朝丙は年克と傍陰府とを犯す。坐寅朝申は天官符と傍陰府とを犯す。坐甲朝庚は坐殺を犯す。坐乙朝辛は年克と坐殺とを犯す。坐丙朝壬は年克を犯す。坐午朝子は炙退・年克と陰府とを犯す。坐未朝丑は地官符を犯す。坐申朝寅は三殺を犯す。坐庚朝甲は浮天空亡と向煞とを犯す。坐酉朝卯は三殺を犯す。坐辛朝乙は向殺を犯す。坐戌朝辰は三殺と傍陰府とを犯す。

戊辰年:大利山向,酉山卯,六、十月。小利山向,艮山坤。不利山向:壬山丙向殺,子山午年克,癸山丁年克、浮天空,丑山未年克,寅山申年克,甲山庚年克,卯山酉炙退、陰府,乙山辛羅天退,辰山戌年克,巽山乾年克,巳山亥三殺,丙山壬坐殺,午山子三殺,丁山癸坐殺、浮天空,未山丑年克、三殺、傍陰府,庚山甲年克、傍陰府、地官符,坤山艮年克、浮天空,申山寅年克,辛山乙年克,戌山辰年克,亥山巳傍陰府、天官符。

戊辰年。大利の山向は唯だ一箇あり。坐酉朝卯は、宜しく六月・十月。小利の山向も亦唯だ一箇あり。坐艮朝坤。此の一年の戊辰は土に屬して、二十四山の中に年克を犯するは特別に多く、故に用う可きの向は極少なり。不利の山向は下の如し。坐壬朝丙は向殺を犯す。坐子朝午は年克を犯す。坐癸朝丁は年克と浮天空亡とを犯す。坐丑朝未は年克を犯す。坐寅朝申は年克を犯す。坐甲朝庚は年克を犯す。坐卯朝酉は炙退と陰府とを犯す。坐乙朝辛は羅天退を犯す。坐辰朝戌は年克を犯す。坐巽朝干は年克を犯す。坐巳朝亥は三殺を犯す。坐丙朝壬は坐殺を犯す。坐午朝子は三殺を犯す。坐丁朝癸は坐殺と浮天空亡とを犯す。坐未朝丑は年克・三殺と傍陰府とを犯す。坐庚朝甲は年克・傍陰府と地官符とを犯す。坐坤朝艮は年克と浮天空亡とを犯す。坐申朝寅は年克を犯す。坐辛朝乙は年克を犯す。坐戌朝辰は年克を犯す。坐亥朝巳は傍陰府と天官符とを犯す。

己巳年:大利山向,午山子,二、五、六、九月;丁山癸,二、五、六、八月;未山丑,四、六、七、八、九、十一月。小利山向,丑山未、坤山艮、庚山甲、戌山辰、乾山巽、亥山巳。不利山向:壬山丙浮天空,子山午炙退,癸山丁羅天退,艮山坤年克、陰府,寅山申三殺,甲山庚坐殺,卯山酉年克、三殺,乙山辛坐殺,辰山戌三殺,巽山乾陰府,巳山亥年克,丙山壬傍陰府,申山寅天官符,酉山卯地官符,辛山乙傍陰府、向殺。

己巳年。大利の山向は三箇あり。坐午朝子は、宜しく二月・五月・六月・九月。坐丁朝癸は、宜しく二月・五月・六月・八月。坐未朝丑は、宜しく四月・六月・七月・八月・九月・十一月。小利の山向は六あり。坐丑朝未・坐坤朝艮・坐庚朝甲・坐戌朝辰・坐干朝巽・坐亥朝巳。不利の山向は下の如し。坐壬朝丙は浮天空亡を犯す。坐子朝午は炙退を犯す。坐癸朝丁は羅天退を犯す。坐艮朝坤は年克と陰府とを犯す。坐寅朝申は三殺を犯す。坐甲朝庚は坐殺を犯す。坐卯朝酉は年克と三殺とを犯す。坐乙朝辛は坐殺を犯す。坐辰朝戌は三殺を犯す。坐巽朝干は陰府を犯す。坐巳朝亥は年克を犯す、此れは是れ太歲の頭に當るの本命之位。坐丙朝壬は傍陰府を犯す。坐申朝寅は天官符を犯す。坐酉朝卯は地官符を犯す。坐辛朝乙は傍陰府と向殺とを犯す。

庚午年:大利山向,艮山坤,八、九月;寅山申,三、七、八、九月;卯山酉,正、五、七月;乙山辛,三、四、七、十一、十二月;辰山戌,二、三、四、六、七、十一、十二月。小利山向,未山丑、坤山艮、申山寅、庚山甲。不利山向:壬山丙坐殺,子山午三殺,癸山丁坐殺,丑山未三殺、傍陰府,甲山庚傍陰府,巳山亥炙退、陰府、天官符,丙山壬向殺,午山子大殺,丁山癸年克、向殺、浮天空、傍陰府,酉山卯炙退、傍陰府、年克,辛山乙羅天退,戌山辰地官符,乾山巽年克、陰府,亥山巳年克、三殺。

庚午年。大利の山向は五箇あり。坐艮朝坤は、宜しく八月・九月。坐寅朝申は、宜しく三月・七月・八月・九月。坐卯朝酉は、宜しく正月・五月・七月。坐乙朝辛は、宜しく三月・四月・七月・十一月・十二月。坐辰朝戌は、宜しく二月・三月・四月・六月・七月・十一月・十二月。小利の山向は四あり。坐未朝丑・坐坤朝艮・坐申朝寅・坐庚朝甲。不利の山向は下の如し。坐壬朝丙は坐殺を犯す。坐子朝午は三殺を犯す。坐癸朝丁は坐殺を犯す。坐丑朝未は三殺と傍陰府とを犯す。坐甲朝庚は傍陰府を犯す。坐巳朝亥は炙退・陰府と天官符とを犯す。坐丙朝壬は向殺を犯す。坐午朝子は大殺を犯す、此れは是れ太歲の正坐の位にして、一年の中の最も忌むと爲す。坐丁朝癸は年克・向殺・浮天空亡と傍陰府とを犯す。坐酉朝卯は炙退・傍陰府と年克とを犯す。坐辛朝乙は羅天退を犯す。坐戌朝辰は地官符を犯す。坐干朝巽は年克と陰府とを犯す。坐亥朝巳は年克と三殺とを犯す。

辛未年:大利山向,壬山丙,正、三、四、七、十月,宜葬忌造;巳山亥,正、三、六、十、十一月。小利山向,乾山巽、艮山坤、卯山酉。不利山向:子山午陰府、年克,癸山丁傍陰府、年克,丑山未年克,寅山申年克、天官符,甲山庚年克、向殺,乙山辛向殺、傍陰府,辰山戌年克、傍陰府,巽山乾年克,丙山壬浮天空(利葬忌造),午山子炙退,丁山癸羅天退,未山丑年克,坤山艮年克、陰府,申山寅年克、三殺、傍陰府,酉山卯三殺,辛山乙年克、坐殺,戌山辰年克、三殺,亥山巳地官符。

辛未年。大利の山向は兩箇あり。坐壬朝丙は、宜しく正月・三月・四月・七月・十月、此の一向は只だ安葬に宜しくして房屋を興造するを忌む。坐巳朝亥は、宜しく正月・三月・六月・十月・十一月。小利の山向は三あり。坐干朝巽・坐艮朝坤・坐卯朝酉。不利の山向は下の如し。坐子朝午は陰府と年克とを犯す。坐癸朝丁は傍陰府と年克とを犯す。坐丑朝未は年克を犯す。坐寅朝申は年克と天官符とを犯す。坐甲朝庚は年克と向殺とを犯す。坐乙朝辛は向殺と傍陰府とを犯す。坐辰朝戌は年克と傍陰府とを犯す。坐巽朝干は年克を犯す。坐丙朝壬は浮天空亡を犯す、此の向は安葬に利ありて興造を忌む。坐午朝子は炙退を犯す。坐丁朝癸は羅天退を犯す。坐未朝丑は年克を犯す。坐坤朝艮は年克と陰府とを犯す。坐申朝寅は年克・三殺と傍陰府とを犯す。坐酉朝卯は三殺を犯す。坐辛朝乙は年克と坐殺とを犯す。坐戌朝辰は年克と三殺とを犯す。坐亥朝巳は地官符を犯す。

壬申年:大利山向,坤山艮,二、五、九、十、十一、十二月;申山寅,二、三、九、十一、十二月;庚山甲,正、二、四、七、十月,忌造宜葬;酉山卯,正、二、五、六、七、十月;辛山乙,正、二、四、七、八、十、十一月。小利山向,丑山未;艮山坤;巽山幹;乾山巽,冬至後不利;亥山已,冬至後不利。不利山向:壬山丙向殺、傍陰符,子山午地官符,癸山丁向殺,寅山申傍陰府,甲山庚浮天空,卯山酉炙退,乙山辛羅天退,辰山戌白虎,巳山亥傍殺,丙山壬坐殺,午山子三殺、陰府,丁山癸坐殺、年克,未山丑三殺,戌山辰傍陰府。

壬申年。大利の山向は五箇あり。坐坤朝艮は、宜しく二月・五月・九月・十月・十一月・十二月。坐申朝寅は、宜しく二月・三月・九月・十一月・十二月。坐庚朝甲は、宜しく正月・二月・四月・七月・十月、此の向は興造を忌みて安葬に宜し。坐酉朝卯は、宜しく正月・二月・五月・六月・七月・十月。坐辛朝乙は、宜しく正月・二月・四月・七月・八月・十月・十一月。小利の山向は五あり。坐丑朝未。坐艮朝坤。坐巽朝干。坐干朝巽は、然れども冬至以後は便ち不利。坐亥朝巳は、冬至以後も亦不利。不利の山向は下の如し。坐壬朝丙は向殺と傍陰府とを犯す。坐子朝午は地官符を犯す。坐癸朝丁は向殺を犯す。坐寅朝申は傍陰府を犯す。坐甲朝庚は浮天空亡を犯す。坐卯朝酉は炙退を犯す。坐乙朝辛は羅天退を犯す。坐辰朝戌は白虎を犯す。坐巳朝亥は傍殺を犯す。坐丙朝壬は坐殺を犯す。坐午朝子は三殺と陰府とを犯す。坐丁朝癸は坐殺と年克とを犯す。坐未朝丑は三殺を犯す。坐戌朝辰は傍陰府を犯す。

癸酉年:大利山向,巽山幹,四、九、十月;巳山亥,四、九、七、八月;壬山丙,二、五、六、十一、十二月;午山子,正、二、五、六、八、十二月。小利山向,壬山丙、艮山坤、坤山艮、戌山辰。不利山向:子山午炙退,癸山丁羅天退,丑山未地官符,寅山申三殺,甲山庚坐殺,卯山酉三殺、陰府,乙山辛坐殺、浮天空,辰山戌三殺,丁山癸年克,未山丑傍陰府,申山寅天官符,庚山甲向殺、傍陰府,酉山卯年克,辛山乙向殺,乾山巽年克,亥山巳年克、傍陰府。

癸酉年。大利の山向は四箇あり。坐巽朝干は、宜しく四月・九月・十月。坐巳朝亥は、宜しく四月・七月・八月・九月。坐壬朝丙は、宜しく二月・五月・六月・十一月・十二月。坐午朝子は、宜しく正月・二月・五月・六月・八月・十二月。小利の山向は四あり。坐壬朝丙・坐艮朝坤・坐坤朝艮・坐戌朝辰。其の中の坐壬朝丙は已に大利に見ゆ、是れ月份の外の通用に就いて言うなり。不利の山向は下の如し。坐子朝午は炙退を犯す。坐癸朝丁は羅天退を犯す。坐丑朝未は地官符を犯す。坐寅朝申は三殺を犯す。坐甲朝庚は坐殺を犯す。坐卯朝酉は三殺と陰府とを犯す。坐乙朝辛は坐殺と浮天空亡とを犯す。坐辰朝戌は三殺を犯す。坐丁朝癸は年克を犯す。坐未朝丑は傍陰府を犯す。坐申朝寅は天官符を犯す。坐庚朝甲は向殺と傍陰府とを犯す。坐酉朝卯は年克を犯す。坐辛朝乙は向殺を犯す。坐干朝巽は年克を犯す。坐亥朝巳は年克と傍陰府とを犯す。

甲戌年:大利山向,甲山庚,二、三、四、五、九、十一、十二月;卯山酉,二、五、十一、十二月;乙山辛,二、四、五、九、十一、十二月;申山寅,正、二、四、五、六、九、十、十一、十二月。小利山向,辰山戌、午山子、未山丑、坤山艮、庚山甲、戌山辰。不利山向:壬山丙浮天空、坐殺,子山午三殺,癸山丁坐殺,丑山未三殺,艮山坤陰府,寅山申地官符,巽山坤陰府,巳山亥天官符,丙山壬向殺、傍陰府,丁山癸向殺、年克,酉山卯炙退、年克,辛山乙傍陰府、羅天退,乾山巽年克,亥山巳三殺、年克。

甲戌年。大利の山向は四箇あり。坐甲朝庚は、宜しく二月・三月・四月・五月・九月・十一月・十二月。坐卯朝酉は、宜しく二月・五月・十一月・十二月。坐乙朝辛は、宜しく二月・四月・五月・九月・十一月・十二月。坐申朝寅は、宜しく正月・二月・四月・五月・六月・九月・十月・十一月・十二月。小利の山向は六あり。坐辰朝戌・坐午朝子・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐庚朝甲・坐戌朝辰。不利の山向は下の如し。坐壬朝丙は浮天空亡と坐殺とを犯す。坐子朝午は三殺を犯す。坐癸朝丁は坐殺を犯す。坐丑朝未は三殺を犯す。坐艮朝坤は陰府を犯す。坐寅朝申は地官符を犯す。坐巽朝坤は陰府を犯す(底本は「巽山坤」と作る、二十四山に按れば巽の對宮は應當に是れ干、疑わしくは訛字あり、仍ほ照録す)。坐巳朝亥は天官符を犯す。坐丙朝壬は向殺と傍陰府とを犯す。坐丁朝癸は向殺と年克とを犯す。坐酉朝卯は炙退と年克とを犯す。坐辛朝乙は傍陰府と羅天退とを犯す。坐干朝巽は年克を犯す。坐亥朝巳は三殺と年克とを犯す。

乙亥年:大利山向,壬山丙,正、三、四、七、十月;亥山巳,五、六、八、十一月。小利山向,艮山坤、丙山壬。不利山向:子山午年克,癸山丁年克、浮天空,丑山未年克、傍陰府,寅山申年克、天官符,巽山乾年克,甲山庚年克、傍陰府,卯山酉地官符,乙山辛向殺,辰山戌年克,巳山亥傍陰府,午山子炙退,丁山癸傍陰府、羅天退,未山丑年克,坤山艮年克,申山寅年克、三殺,庚山甲年克、坐殺,酉山卯三殺、陰府,辛山乙年克、坐殺,戌山辰年克、三殺,乾山巽陰府。

乙亥年。大利の山向は兩箇あり。坐壬朝丙は、宜しく正月・三月・四月・七月・十月。坐亥朝巳は、宜しく五月・六月・八月・十一月。小利の山向は兩箇あり。坐艮朝坤・坐丙朝壬。不利の山向は下の如し。坐子朝午は年克を犯す。坐癸朝丁は年克と浮天空亡とを犯す。坐丑朝未は年克と傍陰府とを犯す。坐寅朝申は年克と天官符とを犯す。坐巽朝干は年克を犯す。坐甲朝庚は年克と傍陰府とを犯す。坐卯朝酉は地官符を犯す。坐乙朝辛は向殺を犯す。坐辰朝戌は年克を犯す。坐巳朝亥は傍陰府を犯す。坐午朝子は炙退を犯す。坐丁朝癸は傍陰府と羅天退とを犯す。坐未朝丑は年克を犯す。坐坤朝艮は年克を犯す。坐申朝寅は年克と三殺とを犯す。坐庚朝甲は年克と坐殺とを犯す。坐酉朝卯は三殺と陰府とを犯す。坐辛朝乙は年克と坐殺とを犯す。坐戌朝辰は年克と三殺とを犯す。坐干朝巽は陰府を犯す。此の下の六十甲子の其の余の各年は、底本の本卷は及ばず備載せず、僅かに甲子より乙亥までの一紀十二年を存す。讀者は應當に此の例に據って推すべし。

萬年圖山向通利便覽定局(下)

丙子年

大利山向:寅山申,正、二、三、四、五、六、八、九、十月;庚山甲,二、六、七、十月;戌山辰,三、七、八月。小利山向:丑山未、艮山坤、甲山庚、巽山幹、辛山乙浮天空,忌造,六七十月山吉。不利山向:壬山丙向殺,子山午陰府,癸山丁向殺、傍陰府,卯山酉炙退,乙山辛傍陰府、羅天退,辰山戌地官符、傍陰府,巳山亥三殺,丙山壬坐殺,午山子三殺,丁山癸年克、坐殺,未山丑三殺,坤山艮陰府、太歲,申山寅傍陰府,酉山卯年克,乾山巽年克,亥山巳天官符、年克。

丙子は是れ六十甲子の第十三位。本圖は甲子より起り排して、本書の成書の前後に值するあの一輪の甲子に依って推算すれば、此の年は明の萬暦四年に當り、即ち公元一五七六年なり。六十年は一轉して、凡そ丙子の歲に逢うは皆此の一條に照って取用す。大いに有利の坐向は三組あり。坐寅朝申は、宜しく正月・二月・三月・四月・五月・六月・八月・九月・十月に工を動かす。坐庚朝甲は、宜しく二月・六月・七月・十月。坐戌朝辰は、宜しく三月・七月・八月。略か有利なるは是れ坐丑朝未・坐艮朝坤・坐甲朝庚・坐巽朝干(「干」は即ち「乾」、二十四山の中は習慣に「干」と寫作す)。坐辛朝乙の一組は「浮天空亡」に占住せられて、興造を忌み、其の中の六・七・十の此の三箇月は坐山に於て尚ほ吉利に屬す。不利の坐向。坐壬朝丙は「向煞」を犯し、坐子朝午は「陰府太歲」を犯し、坐癸朝丁は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐卯朝酉は「皇天炙退」を犯し、坐乙朝辛は「傍陰府」と「羅天退」とを犯し、坐辰朝戌は「地官符」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐巳朝亥は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「坐煞」を犯し、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐丁朝癸は「年克」を犯し兼ねて「坐煞」、坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐坤朝艮は「陰府」を犯し又「太歲」に值り、坐申朝寅は「傍陰府」を犯し、坐酉朝卯と坐干朝巽とは都「年克」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯し兼ねて「年克」。「三煞」は是れ劫煞・災煞・歲煞の合稱にして、坐山に落つは「坐煞」と稱し・朝向に落つは「向煞」と稱す。「年克」は流年納音が坐山納音を克制するを指す。

丁丑年

大利山向:丙山子,二、五、六、七、十、十一月;丁山癸,二、四、五、六、十一月;亥山巳,三、四、五、七、八、十一月。小利山向:艮山坤、酉山卯、乾山巽。不利山向:壬山丙傍陰府,子山午炙退、年克,癸山丁年克、羅天退,丑山未向殺,寅山申年克、三殺、傍陰府,甲山庚年克、坐殺,卯山酉三殺,乙山辛傍陰府,辰山戌年克、三殺,巽山乾年克,巳山亥地官符,午山子三殺,未山丑年克,申山寅三殺、天官符,坤山艮年克,庚山甲年克、向殺、浮天空,辛山乙年克、向殺,戌山辰年克、傍陰府。

丁丑は是れ甲子周期の第十四位、明の萬暦五年に當り、即ち公元一五七七年なり。大いに有利の坐向。坐丙朝子——二十四山の中は丙の正對は是れ壬、底本は「子」と作るは、疑わしくは是れ訛字、今は原文に照って録出して改めず——宜しく二月・五月・六月・七月・十月・十一月。坐丁朝癸は、宜しく二月・四月・五月・六月・十一月。坐亥朝巳は、宜しく三月・四月・五月・七月・八月・十一月。略か有利なるは是れ坐艮朝坤・坐酉朝卯・坐干朝巽。不利の坐向。坐壬朝丙は「傍陰府」を犯し、坐子朝午は「炙退」を犯し又「年克」に逢い、坐癸朝丁は「年克」と「羅天退」とを犯し、坐丑朝未は「向煞」を犯し、坐寅朝申は「年克」「三煞」「傍陰府」を犯し、坐甲朝庚は「年克」を犯し兼ねて「坐煞」、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「傍陰府」を犯し、坐辰朝戌は「年克」と「三煞」とを犯し、坐巽朝干は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「地官符」を犯し、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐未朝丑は「年克」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し兼ねて「天官符」、坐坤朝艮は「年克」を犯し、坐庚朝甲は「年克」「向煞」を犯し竝びに「浮天空亡」に占住せられ、坐辛朝乙は「年克」を犯し兼ねて「向煞」、坐戌朝辰は「年克」と「傍陰府」とを犯す。

戊寅年

大利山向:艮山坤,三、八、九、十二月;甲山庚,二、四、五、六、七、十一月;辰山戌,正、三、四、五、六、十月。小利山向:寅山申、巽山幹、申山寅、戌山辰、乾山巽、坤山艮浮天空亡利。不利山向:壬山丙年克、坐殺,子山午三殺,癸山丁浮天空、坐殺,丑山未三殺,卯山酉陰府,乙山辛年克,巳山亥天官符,丙山壬年克、向殺,午山子地官符、年克,丁山癸浮天空、向殺,未山丑傍陰府,庚山甲傍陰府,酉山卯炙退,辛山乙羅天退,亥山巳三殺、傍陰府。

戊寅は是れ甲子周期の第十五位、明の萬暦六年に當り、即ち公元一五七八年なり。大いに有利の坐向。坐艮朝坤は、宜しく三月・八月・九月・十二月。坐甲朝庚は、宜しく二月・四月・五月・六月・七月・十一月。坐辰朝戌は、宜しく正月・三月・四月・五月・六月・十月。略か有利なるは是れ坐寅朝申・坐巽朝干・坐申朝寅・坐戌朝辰・坐干朝巽。坐坤朝艮の一組は雖も「浮天空亡」に位を占めらるるも、仍ほ利を得ると算す。不利の坐向。坐壬朝丙は「年克」を犯し兼ねて「坐煞」、坐子朝午は「三煞」を犯し、坐癸朝丁は「浮天空亡」に占住せられ又「坐煞」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し、坐卯朝酉は「陰府」を犯し、坐乙朝辛は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬は「年克」を犯し兼ねて「向煞」、坐午朝子は「地官符」を犯し又「年克」に逢い、坐丁朝癸は「浮天空亡」に占住せられ竝びに「向煞」を犯し、坐未朝丑と坐庚朝甲とは都「傍陰府」を犯し、坐酉朝卯は「炙退」を犯し、坐辛朝乙は「羅天退」を犯し、坐亥朝巳は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」。

巳卯年

大利山向:壬山丙,浮天空日,造三、四、五、十月吉;癸山丁,三、四、五、六、十月;丑山未,正、五、六、十二月;巳山亥,正、二、七、十一、十二月。小利山向:子山午;卯山酉;辰山戌;坤山艮;酉山卯,冬至後不利;乾山巽,冬至後不利;亥山巳,冬至後不利。不利山向:艮山坤陰府,寅山申天官符,甲山庚坐殺,乙山辛坐殺,巽山乾陰府,丙山壬浮天空,午山子炙退,未山丑地官符,申山寅三殺,庚山甲三殺,辛山乙向殺、傍陰府,戌山辰三殺。

「巳卯」は應當に「己卯」と作るべし、底本は形近して訛を致す、今は照録して改めず。己卯は是れ甲子周期の第十六位、明の萬暦七年に當り、即ち公元一五七九年なり。大いに有利の坐向。坐壬朝丙は、此の位は「浮天空亡」あり(底本は「亡」の字を「日」と寫作す、亦是れ形訛)、興造は宜しく三月・四月・五月・十月を取る。坐癸朝丁は、宜しく三月・四月・五月・六月・十月。坐丑朝未は、宜しく正月・五月・六月・十二月。坐巳朝亥は、宜しく正月・二月・七月・十一月・十二月。略か有利なるは是れ坐子朝午・坐卯朝酉・坐辰朝戌・坐坤朝艮。坐酉朝卯・坐干朝巽・坐亥朝巳の三組は則ち冬至以後は轉じて不利と爲る。不利の坐向。坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚と坐乙朝辛とは都「坐煞」を犯し、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐丙朝壬は「浮天空亡」に占住せられ、坐午朝子は「炙退」を犯し、坐未朝丑は「地官符」を犯し、坐申朝寅と坐庚朝甲とは都「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐戌朝辰は「三煞」を犯す。

庚辰年

大利山向:寅山申,二、三、五、六、七、九月;坤山艮,二、六、九十月;庚山甲,正、四、六、七月。小利山向:子山午、辰山戌、巽山幹、辛山乙年上單符不忌、戌山辰。不利山向:壬山丙向殺,癸山丁向殺,丑山未傍陰府,艮山坤年克,甲山庚傍陰府,卯山酉年克、炙退,乙山辛羅天退,巳山亥年克、傍陰府、三殺,丙山壬坐殺,午山子三殺,丁山癸浮天空、傍陰府、坐殺,未山丑三殺,甲山寅地官符,酉山卯陰府,乾山巽陰府,亥山巳天官符。

庚辰は是れ甲子周期の第十七位、明の萬暦八年に當り、即ち公元一五八〇年なり。大いに有利の坐向。坐寅朝申は、宜しく二月・三月・五月・六月・七月・九月。坐坤朝艮は、宜しく二月・六月・九月・十月(底本は「九十月」の中間は一の頓號を脱す)。坐庚朝甲は、宜しく正月・四月・六月・七月。略か有利なるは是れ坐子朝午・坐辰朝戌・坐巽朝干・坐戌朝辰。坐辛朝乙の一組は雖も煞氣を帶ぶるも、然れども流年は只だ單に一符を見るのみ、必ず忌避するに及ばず。不利の坐向。坐壬朝丙と坐癸朝丁とは都「向煞」を犯し、坐丑朝未は「傍陰府」を犯し、坐艮朝坤は「年克」を犯し、坐甲朝庚は「傍陰府」を犯し、坐卯朝酉は「年克」と「炙退」とを犯し、坐乙朝辛は「羅天退」を犯し、坐巳朝亥は「年克」「傍陰府」「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「坐煞」を犯し、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐丁朝癸は「浮天空亡」に占住せられ又「傍陰府」「坐煞」を犯し、坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐申朝寅は「地官符」を犯す(底本は「申」を誤って「甲」と作る)、坐酉朝卯と坐干朝巽とは都「陰府」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯す。

辛巳年

大利山向:巽山幹,正、四、六、七、八、九月;巳山亥,正、四、六、九、十、十二月,丁山癸,正、五、八、九、十一、十二月;未山丑,六、七、八、九、十月。小利山向:丑山未、艮山坤、坤山艮、戌山辰、乾山巽、亥山巳。不利山向:壬山丙年克,子山午炙退,癸山丁羅天退、傍陰府,寅山申三殺,甲山庚坐殺,卯山酉三殺,乙山辛年克、傍陰府、坐殺,辰山戌三殺、傍陰府,丙山壬年克、浮天空,午山子年克,申山寅天官符、傍陰府,庚山甲向殺,酉山卯地官符,辛山乙向殺。

辛巳は是れ甲子周期の第十八位、明の萬暦九年に當り、即ち公元一五八一年なり。大いに有利の坐向。坐巽朝干は、宜しく正月・四月・六月・七月・八月・九月。坐巳朝亥は、宜しく正月・四月・六月・九月・十月・十二月。坐丁朝癸は、宜しく正月・五月・八月・九月・十一月・十二月。坐未朝丑は、宜しく六月・七月・八月・九月・十月。略か有利なるは是れ坐丑朝未・坐艮朝坤・坐坤朝艮・坐戌朝辰・坐干朝巽・坐亥朝巳。不利の坐向。坐壬朝丙は「年克」を犯し、坐子朝午は「炙退」を犯し、坐癸朝丁は「羅天退」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐寅朝申は「三煞」を犯し、坐甲朝庚は「坐煞」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「年克」「傍陰府」「坐煞」を犯し、坐辰朝戌は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐丙朝壬は「年克」を犯し又被って「浮天空亡」に占住せられ、坐午朝子は「年克」を犯し、坐申朝寅は「天官符」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐庚朝甲と坐辛朝乙とは都「向煞」を犯し、坐酉朝卯は「地官符」を犯す。

壬午年

大利山向:艮山坤,九、十、十一月;卯山酉,三、四、五、六、十一月;乙山辛,二、五、六、七、十、十一月;申山寅,四、八、九、十一、十二月。小利山向:辰山戌、巽山幹、未山丑、坤山艮、庚山甲。不利山向:壬山丙向殺、傍陰府,子山午歲破、大耗,癸山丁向殺,丑山未三殺,寅山申傍陰府,甲山庚浮天空忌造葬吉,巳山亥天官符,丙山壬坐殺,午山子陰府,丁山癸年克、坐殺、三殺,酉山卯年克、炙退,辛山乙羅天退,戌山辰地官符、傍陰府,乾山巽年克,亥山巳年克、三殺。

壬午は是れ甲子周期の第十九位、明の萬暦十年に當り、即ち公元一五八二年なり——徐善述の此の份の萬年圖の爲めに寫する所の自序は、題する所は正しく是れ「萬暦十年壬午春王正月」、此の表の編成の就いて本年在るを見る可し。大いに有利の坐向。坐艮朝坤は、宜しく九月・十月・十一月。坐卯朝酉は、宜しく三月・四月・五月・六月・十一月。坐乙朝辛は、宜しく二月・五月・六月・七月・十月・十一月。坐申朝寅は、宜しく四月・八月・九月・十一月・十二月。略か有利なるは是れ坐辰朝戌・坐巽朝干・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐庚朝甲。不利の坐向。坐壬朝丙は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」。坐子朝午は「歲破」「大耗」を犯す。本年の太歲は午に臨みて子・午は相冲するを因って、坐子の一組は正しく太歲と對冲す。坐癸朝丁は「向煞」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し、坐寅朝申は「傍陰府」を犯し、坐甲朝庚は「浮天空亡」に占住せられて、興造を忌みて安葬に用いれば則ち吉、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬は「坐煞」を犯し、坐午朝子は「陰府」を犯し、坐丁朝癸は「年克」「坐煞」「三煞」を犯し、坐酉朝卯は「年克」と「炙退」とを犯し、坐辛朝乙は「羅天退」を犯し、坐戌朝辰は「地官符」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐干朝巽は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「年克」と「三煞」とを犯す。

癸未年

大利山向:壬山丙,正、七、九、十月;巳山亥,三、四、六、七、八、十一、十二月;乾山巽,六、十、十二月。小利山向:艮山坤、丙山壬。不利山向:子山午年克,癸山丁年克,丑山未年克,寅山申年克、天官符,甲山庚年克、向殺,卯山酉陰府、地官符,乙山辛浮天空、向殺,辰山戌年克,巽山乾年克,午山子炙退,丁山癸羅天退,未山丑傍陰府、年克,坤山艮年克,申山寅三殺、年克,酉山卯三殺,辛山乙坐殺,年克,戌山辰年克、三殺,亥山巳傍陰府。

癸未は是れ甲子周期の第二十位、明の萬暦十一年に當り、即ち公元一五八三年なり。大いに有利の坐向。坐壬朝丙は、宜しく正月・七月・九月・十月。坐巳朝亥は、宜しく三月・四月・六月・七月・八月・十一月・十二月。坐干朝巽は、宜しく六月・十月・十二月。略か有利なるは唯だ坐艮朝坤と坐丙朝壬との兩組あり。不利の坐向。坐子朝午・坐癸朝丁・坐丑朝未は都「年克」を犯し、坐寅朝申は「年克」を犯し兼ねて「天官符」、坐甲朝庚は「年克」と「向煞」とを犯し、坐卯朝酉は「陰府」を犯し兼ねて「地官符」、坐乙朝辛は「浮天空亡」に占住せられ又「向煞」を犯し、坐辰朝戌と坐巽朝干とは都「年克」を犯し、坐午朝子は「炙退」を犯し、坐丁朝癸は「羅天退」を犯し、坐未朝丑は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐坤朝艮は「年克」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐酉朝卯は「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「坐煞」を犯し竝びに「年克」に逢い、坐戌朝辰は「年克」と「三煞」とを犯し、坐亥朝巳は「傍陰府」を犯す。本年の二十四山の「年克」を犯するは特別に多きは、是れ壬午癸未の納音の楊柳木に屬して、衆山の納音と多く克戰の勢と成すを因ってなり。

甲申年

大利山向:坤山艮,二、三、九、十、十二月;申山寅,二、三、六、九、十、十一月;庚山甲,正、四、七、九、十月;酉山卯,四、五、六、十月。小利山向:丑山未、寅山申、甲山庚、辰山戌、戌山辰、乾山巽。不利山向:壬山丙年克、向殺、浮天空,子山午地官符,癸山丁向殺,艮山坤陰府,卯山酉炙退,乙山辛羅天退、年克,巽山乾陰府,巳山亥三殺,丙山壬年克、坐殺、傍陰府,午山子年克、三殺,丁山癸坐殺,未山丑三殺,辛山乙傍陰府,亥山巳天官符。

甲申は是れ甲子周期の第二十一位、明の萬暦十二年に當り、即ち公元一五八四年なり。大いに有利の坐向。坐坤朝艮は、宜しく二月・三月・九月・十月・十二月。坐申朝寅は、宜しく二月・三月・六月・九月・十月・十一月。坐庚朝甲は、宜しく正月・四月・七月・九月・十月。坐酉朝卯は、宜しく四月・五月・六月・十月。略か有利なるは是れ坐丑朝未・坐寅朝申・坐甲朝庚・坐辰朝戌・坐戌朝辰・坐干朝巽。不利の坐向。坐壬朝丙は「年克」「向煞」を犯し又被って「浮天空亡」に占住せられ、坐子朝午は「地官符」を犯し、坐癸朝丁は「向煞」を犯し、坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐卯朝酉は「炙退」を犯し、坐乙朝辛は「羅天退」を犯し兼ねて「年克」、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐巳朝亥は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「年克」「坐煞」「傍陰府」を犯し、坐午朝子は「年克」と「三煞」とを犯し、坐丁朝癸は「坐煞」を犯し、坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「傍陰府」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯す。

乙酉年

大利山向:巽山幹,六、九、十月;丙山壬,三、五、九、十一、十二月;午山子,二、九、十一、十二月;未山丑,六、七、八、九、十月。小利山向:壬山丙;坤山艮;丁山癸,冬至後不利;酉山卯,冬至後不利;戌山辰;乾山巽,冬至後不利;亥山巳,冬至後不利。不利山向:子山午炙退,癸山丁浮天空、羅天退,丑山未地官符、傍陰府,寅山申三殺,辰山戌三殺,巳山亥傍陰府,申山寅天官符,庚山甲向殺,辛山乙向殺。

乙酉は是れ甲子周期の第二十二位、明の萬暦十三年に當り、即ち公元一五八五年なり。大いに有利の坐向。坐巽朝干は、宜しく六月・九月・十月。坐丙朝壬は、宜しく三月・五月・九月・十一月・十二月。坐午朝子は、宜しく二月・九月・十一月・十二月。坐未朝丑は、宜しく六月・七月・八月・九月・十月。略か有利なるは是れ坐壬朝丙・坐坤朝艮・坐戌朝辰。坐丁朝癸・坐酉朝卯・坐干朝巽・坐亥朝巳の四組は則ち冬至以後は轉じて不利と爲る。凡そ「冬至後不利」と注するは、是れ此の一派の日を擇ぶは冬至を以て年神交替の界と爲して、冬至は一たび過ぎれば、來年の神煞は便ち先に本位を占むるを因ってなり。不利の坐向。坐子朝午は「炙退」を犯し、坐癸朝丁は「浮天空亡」に占住せられ又「羅天退」を犯し、坐丑朝未は「地官符」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐寅朝申と坐辰朝戌とは都「三煞」を犯し、坐巳朝亥は「傍陰府」を犯し、坐申朝寅は「天官符」を犯し、坐庚朝甲と坐辛朝乙とは都「向煞」を犯す。

丙戌年

大利山向:艮山坤;卯山酉,二、三、五、六、十一、十二月。小利山向:午山子、乾山巽。不利山向:壬山丙坐殺,子山午陰府、年克、三殺,癸山丁三殺、年克、傍陰府,丑山未三殺、年克,寅山申年克、地官符,甲山庚年克,乙山辛傍陰府,辰山戌年克、傍陰府、歲殺、大敗,巽山乾年克,巳山亥天官符,丙山壬向殺,丁山癸向殺,未山丑年克,坤山艮陰府、年克,申山寅傍陰府、年克,庚山甲年克,酉山卯炙退,辛山乙浮天空、年克、羅天退,戌山辰年克,亥山巳三殺。

丙戌は是れ甲子周期の第二十三位、明の萬暦十四年に當り、即ち公元一五八六年なり。大いに有利の坐向は只有兩組。坐艮朝坤。坐卯朝酉は、宜しく二月・三月・五月・六月・十一月・十二月。略か有利なるは是れ坐午朝子と坐干朝巽と。不利の坐向。坐壬朝丙は「坐煞」を犯し、坐子朝午は「陰府」「年克」「三煞」を犯し、坐癸朝丁は「三煞」「年克」「傍陰府」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐寅朝申は「年克」と「地官符」とを犯し、坐甲朝庚は「年克」を犯し、坐乙朝辛は「傍陰府」を犯し、坐辰朝戌は「年克」「傍陰府」「歲煞」「大敗」を犯す——辰は本年の太歲の臨む所の戌と正しく相冲す、故に是れ破敗の位なり。坐巽朝干は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬と坐丁朝癸とは都「向煞」を犯し、坐未朝丑は「年克」を犯し、坐坤朝艮は「陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐申朝寅は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐庚朝甲は「年克」を犯し、坐酉朝卯は「炙退」を犯し、坐辛朝乙は「浮天空亡」に占住せられ又「年克」「羅天退」を犯し、坐戌朝辰は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「三煞」を犯す。寅午戌年の三煞は北方の亥子丑の一路に在り、本條の列する所は正しく此と合す。

丁亥年

大利山向:子山午,三、四、七月;癸山丁,正、三、四、七、十月;丑山未,三、四、七、八、十二月;乾山巽,二、五、八、十、十一月;亥山巳,二、五、六、八、九、十、十一月。小利山向:辰山戌、巽山幹、丙山壬、丁山癸、未山丑、坤山艮。不利山向:壬山丙傍陰府,艮山坤年克,寅山申天官符、傍陰府,甲山庚向殺,卯山酉年克、地官符,乙山辛向殺,巳山亥年克,午山子陰府,申山寅三殺,庚山甲浮天空、坐殺,酉山卯三殺,辛山乙坐殺,戌山辰三殺、傍陰府。

丁亥は是れ甲子周期の第二十四位、明の萬暦十五年に當り、即ち公元一五八七年なり。大いに有利の坐向。坐子朝午は、宜しく三月・四月・七月。坐癸朝丁は、宜しく正月・三月・四月・七月・十月。坐丑朝未は、宜しく三月・四月・七月・八月・十二月。坐干朝巽は、宜しく二月・五月・八月・十月・十一月。坐亥朝巳は、宜しく二月・五月・六月・八月・九月・十月・十一月。略か有利なるは是れ坐辰朝戌・坐巽朝干・坐丙朝壬・坐丁朝癸・坐未朝丑・坐坤朝艮。不利の坐向。坐壬朝丙は「傍陰府」を犯し、坐艮朝坤は「年克」を犯し、坐寅朝申は「天官符」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐甲朝庚は「向煞」を犯し、坐卯朝酉は「年克」と「地官符」とを犯し、坐乙朝辛は「向煞」を犯し、坐巳朝亥は「年克」を犯し、坐午朝子は「陰府」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し、坐庚朝甲は「浮天空亡」に占住せられ又「坐煞」を犯し、坐酉朝卯は「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「坐煞」を犯し、坐戌朝辰は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」。亥卯未年の三煞は西方の申酉戌の一路に在り、故に申・酉・戌の三山は連帶して制を受く。

戊子年

大利山向:申山寅,正、二、三、十、十一、十二月;辛山乙,正、二、七、十月;戌山辰,三、七、八、九月。小利山向:子山午;丑山未;艮山坤;寅山申;甲山庚;乙山辛;巽山幹;丁山癸,冬至後不利;坤山艮,浮天空,宜葬,正、三、十、十一月吉;酉山卯,冬至後不利;乾山巽,冬至後不利;亥山巳,冬至後不利。不利山向:壬山丙向殺,卯山酉陰府、炙退,辰山戌地官符,巳山亥三殺、丙山壬坐殺,午山子三殺,未山丑三殺、傍陰府,庚山甲傍陰府。

戊子は是れ甲子周期の第二十五位、明の萬暦十六年に當り、即ち公元一五八八年なり。大いに有利の坐向。坐申朝寅は、宜しく正月・二月・三月・十月・十一月・十二月。坐辛朝乙は、宜しく正月・二月・七月・十月。坐戌朝辰は、宜しく三月・七月・八月・九月。略か有利なるは甚だ多し。坐子朝午・坐丑朝未・坐艮朝坤・坐寅朝申・坐甲朝庚・坐乙朝辛・坐巽朝干。坐丁朝癸は冬至以後は不利。坐坤朝艮は雖も「浮天空亡」に占住せらるるも、仍ほ安葬に宜しくして、正月・三月・十月・十一月は吉と爲す。坐酉朝卯・坐干朝巽・坐亥朝巳の三組も亦是れ冬至以後は不利。不利の坐向。坐壬朝丙は「向煞」を犯し、坐卯朝酉は「陰府」と「炙退」とを犯し、坐辰朝戌は「地官符」を犯し、坐巳朝亥は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「坐煞」を犯す(底本は此の兩條の間は誤って頓號を用う)、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐未朝丑は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐庚朝甲は「傍陰府」を犯す。申子辰年の三煞は南方の巳午未の一路に在り、故に巳・午・未の三山は同時に忌を被る。

己丑年

大利山向:午山子,五、六、九月吉。小利山向:壬山丙、癸山丁、丑山未、未山丑、坤山艮、戌山辰。不利山向:子山午炙退,艮山坤陰府,寅山申三殺,甲山庚坐殺,卯山酉三殺,乙山辛坐殺,辰山戌三殺,巽山乾陰府,巳山亥地官符,丙山壬傍陰府,丁山癸年克,申山寅天官符,庚山甲向殺,酉山卯年克,辛山乙向殺、傍陰府,乾山巽年克、浮天空,亥山巳年克。

己丑は是れ甲子周期の第二十六位、明の萬暦十七年に當り、即ち公元一五八九年なり。此の一年の通利する方位は極少にして、大いに有利は唯だ坐午朝子の一組あり、宜しく五月・六月・九月に工を動かす。略か有利なるは是れ坐壬朝丙・坐癸朝丁・坐丑朝未・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐戌朝辰。不利の坐向。坐子朝午は「炙退」を犯し、坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐寅朝申は「三煞」を犯し、坐甲朝庚は「坐煞」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「坐煞」を犯し、坐辰朝戌は「三煞」を犯し、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐巳朝亥は「地官符」を犯し、坐丙朝壬は「傍陰府」を犯し、坐丁朝癸は「年克」を犯し、坐申朝寅は「天官符」を犯し、坐庚朝甲は「向煞」を犯し、坐酉朝卯は「年克」を犯し、坐辛朝乙は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐干朝巽は「年克」を犯し又被って「浮天空亡」に占住せられ、坐亥朝巳は「年克」を犯す。巳酉丑年の三煞は東方の寅卯辰の一路に在り、寅・卯・辰および其の兩旁の甲・乙の二山は此に因って全て封死せらる。此れは正しく本年の吉向少なきの緣故なり。

庚寅年

大利山向:艮山坤,八、九、十一、十二月;寅山申,三、六、七、八、九月;卯山酉,三、五、七、九、十一、十二月;辰山戌,正、二、三、四、六、七、八、九、十月。小利山向:巽山幹、未山丑、坤山艮、申山寅、庚山甲、辛山乙、戌山辰。不利山向:壬山丙年克,子山午三殺,癸山丁坐殺,丑山未三殺、傍陰府,甲山庚傍陰府,乙山辛年克,巳山亥天官符、傍陰府,丙山壬年克、向殺;午山子年克、地官符,丁山癸向殺、浮天空、傍陰府,酉山卯陰府、炙退,乾山巽陰府,亥山巳三殺。

庚寅は是れ甲子周期の第二十七位、明の萬暦十八年に當り、即ち公元一五九〇年なり。大いに有利の坐向。坐艮朝坤は、宜しく八月・九月・十一月・十二月。坐寅朝申は、宜しく三月・六月・七月・八月・九月。坐卯朝酉は、宜しく三月・五月・七月・九月・十一月・十二月。坐辰朝戌は、宜しく正月・二月・三月・四月・六月・七月・八月・九月・十月、通年に用う可きの月は最も多し。略か有利なるは是れ坐巽朝干・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐申朝寅・坐庚朝甲・坐辛朝乙・坐戌朝辰。不利の坐向。坐壬朝丙は「年克」を犯し、坐子朝午は「三煞」を犯し、坐癸朝丁は「坐煞」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐甲朝庚は「傍陰府」を犯し、坐乙朝辛は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐丙朝壬は「年克」と「向煞」とを犯し、坐午朝子は「年克」と「地官符」とを犯し、坐丁朝癸は「向煞」を犯し、「浮天空亡」に占住せられ又「傍陰府」を帶び、坐酉朝卯は「陰府」と「炙退」とを犯し、坐干朝巽は「陰府」を犯し、坐亥朝巳は「三煞」を犯す。

辛卯年

大利山向:丑山未,正、三、四、六、八月;巳山亥,正、三、四、七、八、十二月。小利山向:壬山丙,宜葬不宜造;艮山坤;卯山酉;巽山幹;丁山癸,冬至後不利;酉山卯,冬至後不利;乾山巽,冬至後不利;亥山巳,冬至後不利。不利山向:子山午陰府,癸山丁傍陰府,寅山申天官符,甲山庚向殺,乙山辛向殺、傍陰府,辰山戌傍陰府,丙山壬浮天空,午山子炙退,未山丑地官符,坤山艮陰府,申山寅三殺、傍陰府,庚山甲坐殺,辛山乙坐殺,戌山辰三殺。

辛卯は是れ甲子周期の第二十八位、明の萬暦十九年に當り、即ち公元一五九一年なり。大いに有利の坐向は只有兩組。坐丑朝未は、宜しく正月・三月・四月・六月・八月。坐巳朝亥は、宜しく正月・三月・四月・七月・八月・十二月。略か有利なるは是れ坐壬朝丙、以て安葬に用う可くして興造に宜しからず。坐艮朝坤・坐卯朝酉・坐巽朝干。坐丁朝癸・坐酉朝卯・坐干朝巽・坐亥朝巳の四組は則ち冬至以後は不利。不利の坐向。坐子朝午は「陰府」を犯し、坐癸朝丁は「傍陰府」を犯し、坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚は「向煞」を犯し、坐乙朝辛は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐辰朝戌は「傍陰府」を犯し、坐丙朝壬は「浮天空亡」に占住せられ、坐午朝子は「炙退」を犯し、坐未朝丑は「地官符」を犯し、坐坤朝艮は「陰府」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐庚朝甲と坐辛朝乙とは都「坐煞」を犯し、坐戌朝辰は「三煞」を犯す。亥卯未年の三煞は西方の申酉戌に在り、故に此の一路の山向は庚・辛の二山を連ねて一竝に忌を受く。

壬辰年

大利山向:酉山卯,正、二、十月。小利山向:艮山坤、乙山辛、乾山巽。不利山向:壬山丙向殺、傍陰府;子山午年克,癸山丁向殺、年克;丑山未年克,寅山申年克、傍陰府,甲山庚年克、浮天空,卯山酉炙退、羅天退;午山子三煞、陰府;辰山戌年克,巽山乾年克,巳山亥三殺,丙山壬坐殺,丁山癸坐殺,未山丑三殺、年克,坤山艮年克,甲山寅浮天空、年克、地官符,庚山甲年克,辛山乙年克,戌山辰年克、傍陰府,亥山巳天官符。

壬辰は甲子周期の第二十九位、明の萬暦二十年に當り、即ち公元一五九二年なり。大いに有利の坐向は坐酉朝卯の一組のみ残り、宜しく正月・二月・十月。略か有利なるは坐艮朝坤・坐乙朝辛・坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」;坐子朝午は「年克」を犯し;坐癸朝丁は「向煞」と「年克」とを犯し;坐丑朝未は「年克」を犯し;坐寅朝申は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」;坐甲朝庚は「年克」を犯し又「浮天空亡」に占められ;坐卯朝酉は「炙退」と「羅天退」とを犯し;坐午朝子は「三煞」を犯し兼ねて「陰府」——此の條は底本にて卯・辰兩山の間に竄り入り、次序誤りあり、本應は巳山の後に列すべし;坐辰朝戌は「年克」を犯し;坐巽朝干は「年克」を犯し;坐巳朝亥は「三煞」を犯し;坐丙朝壬と坐丁朝癸は俱に「坐煞」を犯し;坐未朝丑は「三煞」を犯し兼ねて「年克」;坐坤朝艮は「年克」を犯し;坐申朝寅は「浮天空亡」に占められ、又「年克」「地官符」を犯し(底本「申」を誤りて「甲」と作る);坐庚朝甲・坐辛朝乙は俱に「年克」を犯し;坐戌朝辰は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」;坐亥朝巳は「天官符」を犯す。

癸巳年

大利山向:巽山幹,二、四、九、十月吉;丙山壬,三、五、六、七、十一月、十二月;午山子,二、五、六、十一、十二月;丁山癸,二、五、六、十一、十二月。小利山向:壬山丙;癸山丁;丑山未;坤山艮,炙退;戌山辰;乾山巽。不利山向:艮山坤年克,寅山申三殺,甲山庚坐煞,卯山酉三殺、陰府、年克,乙山辛坐殺、浮天空,辰山戌三殺,巳山亥年克,未山丑傍陰府,申山寅天官符,庚山甲向殺,酉山卯地官符,辛山乙向殺,亥山巳傍陰府。

癸巳は甲子周期の第三十位、明の萬暦二十一年に當り、即ち公元一五九三年なり。大いに有利の坐向:坐巽朝干は、宜しく二月・四月・九月・十月;坐丙朝壬は、宜しく三月・五月・六月・七月・十一月・十二月;坐午朝子は、宜しく二月・五月・六月・十一月・十二月;坐丁朝癸は、宜しく二月・五月・六月・十一月・十二月。略か有利なるは坐壬朝丙・坐癸朝丁・坐丑朝未・坐戌朝辰・坐干朝巽;坐坤朝艮は小利に列すと雖も「炙退」を帶び、用ゐる時は須く斟酌すべし。不利の坐向:坐艮朝坤は「年克」を犯し、坐寅朝申は「三煞」を犯し、坐甲朝庚は「坐煞」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」「陰府」「年克」を犯し、坐乙朝辛は「坐煞」を犯し又「浮天空亡」に占められ、坐辰朝戌は「三煞」を犯し、坐巳朝亥は「年克」を犯し、坐未朝丑は「傍陰府」を犯し、坐申朝寅は「天官符」を犯し、坐庚朝甲は「向煞」を犯し、坐酉朝卯は「地官符」を犯し、坐辛朝乙は「向煞」を犯し、坐亥朝巳は「傍陰府」を犯す。巳酉丑年の三煞は東方寅卯辰に在り、故に此の三山及び甲・乙の兩旁位も一同に封ぜらる。

甲午年

大利山向:卯山酉,十一、十二月;乙山辛,三、四、五、十、十一、十二月。小利山向:午山子、乾山巽。不利山向:壬山丙浮天空、坐殺,子山午三殺、年克,癸山丁坐殺、年克,丑山未三殺、年克,艮山坤陰府,寅山申年克,甲山庚年克,辰山戌年克,巽山乾年克、陰府,巳山亥天官符,丙山壬向殺、傍陰府,丁山癸向殺,未山丑年克,坤山艮年克,申山寅年克,庚山甲年克,酉山卯炙退,辛山乙傍陰府、年克,戌山辰年克、地官符,亥山巳三殺。

甲午は甲子周期の第三十一位、明の萬暦二十二年に當り、即ち公元一五九四年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐卯朝酉は、宜しく十一月・十二月;坐乙朝辛は、宜しく三月・四月・五月・十月・十一月・十二月。略か有利なるは坐午朝子と坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「浮天空亡」に占められ又「坐煞」を犯し、坐子朝午は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐癸朝丁は「坐煞」を犯し兼ねて「年克」、坐丑朝未は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐寅朝申・坐甲朝庚・坐辰朝戌は俱に「年克」を犯し、坐巽朝干は「年克」と「陰府」とを犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐丁朝癸は「向煞」を犯し、坐未朝丑・坐坤朝艮・坐申朝寅・坐庚朝甲は俱に「年克」を犯し、坐酉朝卯は「炙退」を犯し、坐辛朝乙は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐戌朝辰は「年克」と「地官符」とを犯し、坐亥朝巳は「三煞」を犯す。甲午の納音は沙中金に屬し、衆山の納音と相克する者多し、故に本年は滿盤皆「年克」なり。

乙未年

大利山向:壬山丙,正、三、四、七、十月;子山午,正、三、四、六、七、十月。小利山向:辰山戌、巽山幹、丙山壬、未山丑、坤山艮。不利山向:癸山丁浮天空,忌造宜葬;丑山未傍陰府;艮山坤年克;寅山申天官符;甲山庚向殺、傍陰府;卯山酉年克;乙山辛向殺;巳山亥年克、傍陰府;午山子炙退;丁山癸傍陰府;申山寅三殺;庚山甲坐殺;酉山卯三殺、陰府;辛山乙坐殺;戌山辰三殺;乾山巽陰府;亥山巳地官符。

乙未は甲子周期の第三十二位、明の萬暦二十三年に當り、即ち公元一五九五年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐壬朝丙は、宜しく正月・三月・四月・七月・十月;坐子朝午は、宜しく正月・三月・四月・六月・七月・十月。略か有利なるは坐辰朝戌・坐巽朝干・坐丙朝壬・坐未朝丑・坐坤朝艮。不利の坐向:坐癸朝丁は「浮天空亡」に占められ、興造を忌み安葬に宜し;坐丑朝未は「傍陰府」を犯し;坐艮朝坤は「年克」を犯し;坐寅朝申は「天官符」を犯し;坐甲朝庚は「向煞」を犯し兼ねて「傍陰府」;坐卯朝酉は「年克」を犯し;坐乙朝辛は「向煞」を犯し;坐巳朝亥は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」;坐午朝子は「炙退」を犯し;坐丁朝癸は「傍陰府」を犯し;坐申朝寅は「三煞」を犯し;坐庚朝甲は「坐煞」を犯し;坐酉朝卯は「三煞」を犯し兼ねて「陰府」;坐辛朝乙は「坐煞」を犯し;坐戌朝辰は「三煞」を犯し;坐干朝巽は「陰府」を犯し;坐亥朝巳は「地官符」を犯す。亥卯未年の三煞は西方に在り、申・酉・戌の一路は庚・辛の兩山を連ねて盡く忌中に在り。

丙申年

大利山向:庚山甲,正、二、四、六、七、十月;酉山卯,正、二、四、七、十月;戌山辰,三、六、七、八、九月。小利山向:丑山未;寅山申;甲山庚;巽山幹;辛山乙,浮天空,忌造宜葬;乾山巽。不利山向:壬山丙向殺,子山午陰府、地官符,癸山丁傍陰府、向殺,艮山坤年克,卯山酉年克、炙退,乙山辛傍陰府,辰山戌傍陰府,巳山亥年克、傍陰府,丙山壬坐殺,午山子三殺,丁山癸坐殺,未山丑三殺,坤山艮陰府,申山寅傍陰府,亥山巳天官符。

丙申は甲子周期の第三十三位、明の萬暦二十四年に當り、即ち公元一五九六年なり。大いに有利の坐向:坐庚朝甲は、宜しく正月・二月・四月・六月・七月・十月;坐酉朝卯は、宜しく正月・二月・四月・七月・十月;坐戌朝辰は、宜しく三月・六月・七月・八月・九月。略か有利なるは坐丑朝未・坐寅朝申・坐甲朝庚・坐巽朝干・坐干朝巽;坐辛朝乙の一組は「浮天空亡」に占められ、興造を忌み安葬に宜し。不利の坐向:坐壬朝丙は「向煞」を犯し、坐子朝午は「陰府」を犯し兼ねて「地官符」、坐癸朝丁は「傍陰府」と「向煞」とを犯し、坐艮朝坤は「年克」を犯し、坐卯朝酉は「年克」と「炙退」とを犯し、坐乙朝辛・坐辰朝戌は俱に「傍陰府」を犯し、坐巳朝亥は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐丙朝壬は「坐煞」を犯し、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐丁朝癸は「坐煞」を犯し、坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐坤朝艮は「陰府」を犯し、坐申朝寅は「傍陰府」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯す。申子辰年の三煞は南方巳午未に在り、故に午・未の兩山は連なりて忌避を遭う。

丁酉年

大利山向:巽山幹,正、二、四、七、十月;巳山亥,正、二、四、九、十月;丁山癸,二、四、六、十一、十二月;未山丑,三、四、八、九、十、十一月;亥山巳,四、五、八、十一月。小利山向:癸山丁、艮山坤、坤山艮、酉山卯、乾山巽。不利山向:壬山丙年克、傍陰府,子山午炙退,丑山未地官符,寅山申三殺、傍陰府,甲山庚坐煞,卯山酉三殺,乙山辛三克、坐殺,辰山戌三殺,丙山壬年克,午山子年克、陰府,申山寅天官符,庚山甲浮天空、向殺,辛山乙向煞,戌山辰傍陰府。

丁酉は甲子周期の第三十四位、明の萬暦二十五年に當り、即ち公元一五九七年なり。大いに有利の坐向:坐巽朝干は、宜しく正月・二月・四月・七月・十月;坐巳朝亥は、宜しく正月・二月・四月・九月・十月;坐丁朝癸は、宜しく二月・四月・六月・十一月・十二月;坐未朝丑は、宜しく三月・四月・八月・九月・十月・十一月;坐亥朝巳は、宜しく四月・五月・八月・十一月。略か有利なるは坐癸朝丁・坐艮朝坤・坐坤朝艮・坐酉朝卯・坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐子朝午は「炙退」を犯し、坐丑朝未は「地官符」を犯し、坐寅朝申は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐甲朝庚は「坐煞」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「年克」と「坐煞」とを犯し(底本「年克」を誤りて「三克」と作る)、坐辰朝戌は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「年克」を犯し、坐午朝子は「年克」を犯し兼ねて「陰府」、坐申朝寅は「天官符」を犯し、坐庚朝甲は「浮天空亡」に占められ又「向煞」を犯し、坐辛朝乙は「向煞」を犯し、坐戌朝辰は「傍陰府」を犯す。

戊戌年

大利山向:艮山坤,四、六、八、十一、十二月;乙山辛,二、四、五、七、九、十二月。小利山向:午山子、乾山巽。不利山向:壬山丙坐殺,子山午三殺、年克,癸山丁浮天空、年克、坐殺,丑山未三殺、年克,寅山申年克、地官符,甲山庚年克,卯山酉陰府,辰山戌年克,巽山乾年克,巳山亥天官符,丙山壬向殺,丁山癸浮天空、向煞,未山丑傍陰府、年克,坤山艮浮天空、年克,申山寅年克,庚山甲傍陰府、年克,酉山卯炙退,辛山乙年克,戌山辰年克,亥山巳傍陰府。

戊戌は甲子周期の第三十五位、明の萬暦二十六年に當り、即ち公元一五九八年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐艮朝坤は、宜しく四月・六月・八月・十一月・十二月;坐乙朝辛は、宜しく二月・四月・五月・七月・九月・十二月。略か有利なるは坐午朝子と坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「坐煞」を犯し、坐子朝午は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐癸朝丁は「浮天空亡」に占められ又「年克」「坐煞」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐寅朝申は「年克」と「地官符」とを犯し、坐甲朝庚は「年克」を犯し、坐卯朝酉は「陰府」を犯し、坐辰朝戌・坐巽朝干は俱に「年克」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬は「向煞」を犯し、坐丁朝癸は「浮天空亡」に占められ又「向煞」を犯し、坐未朝丑は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐坤朝艮も亦「浮天空亡」に占められ并びに「年克」を犯し、坐申朝寅は「年克」を犯し、坐庚朝甲は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐酉朝卯は「炙退」を犯し、坐辛朝乙・坐戌朝辰は俱に「年克」を犯し、坐亥朝巳は「傍陰府」を犯す。後文の說く所に按ずれば、「浮天空亡」は一年に一位のみ占むるに、此の條は癸・丁・坤の三山に三見し、通例に合せず、底本恐らく竄誤あらん。

巳亥年

大利山向:癸山丁,正、三、四、五、六、十、十一月吉;丑山未,正、三、五、六、十二月吉;亥山巳,五、八、九、十、十一月。小利山向:子山午、辰山戌、丁山癸、未山丑、坤山艮、乾山巽。不利山向:壬山丙浮天空,艮山坤年克、陰府,寅山申天官符,甲山庚向殺,卯山酉年克、地官符,乙山辛向殺,巽山乾陰府,巳山亥年克,丙山壬傍陰府、浮天空,午山子炙退,申山寅三殺,庚山甲坐殺,酉山卯三殺,辛山乙傍陰府、坐殺,戌山辰三殺。

「巳亥」は當に「己亥」と作るべく、前の「巳卯」と同じく形近の訛に屬し、今は照録して改めず。己亥は甲子周期の第三十六位、明の萬暦二十七年に當り、即ち公元一五九九年なり。大いに有利の坐向:坐癸朝丁は、宜しく正月・三月・四月・五月・六月・十月・十一月;坐丑朝未は、宜しく正月・三月・五月・六月・十二月;坐亥朝巳は、宜しく五月・八月・九月・十月・十一月。略か有利なるは坐子朝午・坐辰朝戌・坐丁朝癸・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「浮天空亡」に占められ、坐艮朝坤は「年克」を犯し兼ねて「陰府」、坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚は「向煞」を犯し、坐卯朝酉は「年克」と「地官符」とを犯し、坐乙朝辛は「向煞」を犯し、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐巳朝亥は「年克」を犯し、坐丙朝壬は「傍陰府」を犯し又「浮天空亡」に占められ、坐午朝子は「炙退」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し、坐庚朝甲は「坐煞」を犯し、坐酉朝卯は「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「傍陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐戌朝辰は「三煞」を犯す。亥卯未年の三煞は西方申酉戌の一路に在り。

庚子年

大利山向:寅山申,正、三、五、六、九月;坤山艮,正、二、六、十月;庚山甲,五、六、七、十月;辛山乙,五、六、七、十月;戌山辰,六、七、八、十月。小利山向:子山午、艮山坤、乙山辛、巽山幹、申山寅。不利山向:壬山丙向殺,癸山丁向殺,丑山未傍陰府,甲山庚傍陰府,卯山酉炙退,辰山戌地官符,巳山亥三殺、傍陰府,丙山壬坐殺,午山子三殺,丁山癸年克、坐殺、陰府、浮天空,未山丑三殺,酉山卯年克、陰府,乾山巽年克、陰府,亥山巳年克、天官符。

庚子は甲子周期の第三十七位、明の萬暦二十八年に當り、即ち公元一六〇〇年なり。大いに有利の坐向:坐寅朝申は、宜しく正月・三月・五月・六月・九月;坐坤朝艮は、宜しく正月・二月・六月・十月;坐庚朝甲は、宜しく五月・六月・七月・十月;坐辛朝乙は、宜しく五月・六月・七月・十月;坐戌朝辰は、宜しく六月・七月・八月・十月。略か有利なるは坐子朝午・坐艮朝坤・坐乙朝辛・坐巽朝干・坐申朝寅。不利の坐向:坐壬朝丙と坐癸朝丁は俱に「向煞」を犯し、坐丑朝未・坐甲朝庚は俱に「傍陰府」を犯し、坐卯朝酉は「炙退」を犯し、坐辰朝戌は「地官符」を犯し、坐巳朝亥は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐丙朝壬は「坐煞」を犯し、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐丁朝癸は「年克」「坐煞」「陰府」を犯し又「浮天空亡」に占められ、四煞并び集りて最も凶險なり;坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐酉朝卯は「年克」を犯し兼ねて「陰府」、坐干朝巽は「年克」を犯し兼ねて「陰府」、坐亥朝巳は「年克」と「天官符」とを犯す。

辛丑年

大利山向:丁山癸,二、五、八、九、十一月;亥山巳,二、五、八、十一、十二月。小利山向:壬山丙、艮山坤、午山子、酉山卯、乾山巽。不利山向:子山午炙退、年克、陰府,癸山丁傍陰府、年克,丑山未年克,寅山申三殺、年克,甲山庚年克、坐殺,卯山酉三煞,乙山辛坐殺、傍陰府,辰山戌三殺、傍陰府、年克,巽山乾年克,巳山亥地官符,丙山壬浮天空,未山丑年克,坤山艮陰府、年克,申山寅天官符、年克、傍陰府,庚山甲年克、向殺,辛山乙向殺、年克,戌山辰年克。

辛丑は甲子周期の第三十八位、明の萬暦二十九年に當り、即ち公元一六〇一年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐丁朝癸は、宜しく二月・五月・八月・九月・十一月;坐亥朝巳は、宜しく二月・五月・八月・十一月・十二月。略か有利なるは坐壬朝丙・坐艮朝坤・坐午朝子・坐酉朝卯・坐干朝巽。不利の坐向:坐子朝午は「炙退」「年克」「陰府」を犯し、坐癸朝丁は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐丑朝未は「年克」を犯し、坐寅朝申は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐甲朝庚は「年克」と「坐煞」とを犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「坐煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐辰朝戌は「三煞」「傍陰府」「年克」を犯し、坐巽朝干は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「地官符」を犯し、坐丙朝壬は「浮天空亡」に占められ、坐未朝丑は「年克」を犯し、坐坤朝艮は「陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐申朝寅は「天官符」「年克」「傍陰府」を犯し、坐庚朝甲は「年克」と「向煞」とを犯し、坐辛朝乙は「向煞」を犯し兼ねて「年克」、坐戌朝辰は「年克」を犯す。巳酉丑年の三煞は東方寅卯辰に在り、本年の吉向の極めて少き所以なり。

壬寅年

大利山向:艮山坤,九、十、十一、十二月;卯山酉,二、三、四、五、六、十一月;乙山辛,二、五、六、七、十一、十二月。小利山向:辰山戌;巽山幹;未山丑;坤山艮;申山寅;庚山甲;酉山卯,冬至後不利;丁山癸,冬至後不利;辛山乙;乾山巽,冬至後不利;亥山巳,冬至後不利。不利山向:壬山丙坐殺、傍陰府,子山午三殺,癸山丁坐殺,丑山未三殺,寅山申傍陰府,甲山庚浮天空,巳山亥天官符,丙山壬向殺,午山子陰府、地官符,丁山癸傍陰府。

壬寅は甲子周期の第三十九位、明の萬暦三十年に當り、即ち公元一六〇二年なり。大いに有利の坐向:坐艮朝坤は、宜しく九月・十月・十一月・十二月;坐卯朝酉は、宜しく二月・三月・四月・五月・六月・十一月;坐乙朝辛は、宜しく二月・五月・六月・七月・十一月・十二月。略か有利なる一片:坐辰朝戌・坐巽朝干・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐申朝寅・坐庚朝甲・坐辛朝乙;坐酉朝卯・坐丁朝癸・坐干朝巽・坐亥朝巳の四組は俱に冬至以後轉じて不利と爲る。不利の坐向は多からず:坐壬朝丙は「坐煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐子朝午は「三煞」を犯し、坐癸朝丁は「坐煞」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し、坐寅朝申は「傍陰府」を犯し、坐甲朝庚は「浮天空亡」に占められ、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬は「向煞」を犯し、坐午朝子は「陰府」を犯し兼ねて「地官符」、坐丁朝癸は「傍陰府」を犯す。通盤に看れば、本年の用ふべき坐向は前後の數年よりも寬し。

癸卯年

大利山向:壬山丙,五、六、七、十月;子山午,三、四、五、六、十月;丑山未,四、五、六、八、十二月;巳山亥,正、二、三、四、七、八、十一、十二月。小利山向:癸山丁、艮山坤、辰山戌、巽山幹、丙山壬、坤山艮。不利山向:寅山申天官符,甲山庚向殺,卯山酉陰府,乙山辛浮天空、向殺,午山子炙退,丁山癸年克,未山丑地官符,甲山寅三殺,庚山甲傍陰府、坐殺,酉山卯年克、三殺,辛山乙坐煞,戌山辰三殺,乾山巽年克,亥山巳年克、傍陰府。

癸卯は甲子周期の第四十位、明の萬暦三十一年に當り、即ち公元一六〇三年なり。大いに有利の坐向:坐壬朝丙は、宜しく五月・六月・七月・十月;坐子朝午は、宜しく三月・四月・五月・六月・十月;坐丑朝未は、宜しく四月・五月・六月・八月・十二月;坐巳朝亥は、宜しく正月・二月・三月・四月・七月・八月・十一月・十二月。略か有利なるは坐癸朝丁・坐艮朝坤・坐辰朝戌・坐巽朝干・坐丙朝壬・坐坤朝艮。不利の坐向:坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚は「向煞」を犯し、坐卯朝酉は「陰府」を犯し、坐乙朝辛は「浮天空亡」に占められ又「向煞」を犯し、坐午朝子は「炙退」を犯し、坐丁朝癸は「年克」を犯し、坐未朝丑は「地官符」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し(底本「申」を誤りて「甲」と作る)、坐庚朝甲は「傍陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐酉朝卯は「年克」と「三煞」とを犯し、坐辛朝乙は「坐煞」を犯し、坐戌朝辰は「三煞」を犯し、坐干朝巽は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」。

甲辰年

大利山向:寅山申,二、三、四、五、六、九、十一、十二月;坤山艮,二、三、四、九、十、十一月;庚山甲,正、四、六、十月。小利山向:子山午、丑山未、甲山庚、乙山辛、辰山戌、戌山辰。不利山向:壬山丙浮天空、向殺,癸山丁向殺,艮山坤陰府,卯山酉炙退,巽山乾陰府,巳山亥三殺,丙山壬傍陰府、坐殺,午山子三殺,丁山癸年克、坐殺,未山丑三殺,申山寅地官符,酉山卯年克,亥山乙傍陰府,乾山巽年克,亥山巳年克、天官符。

甲辰は甲子周期の第四十一位、明の萬暦三十二年に當り、即ち公元一六〇四年なり。大いに有利の坐向:坐寅朝申は、宜しく二月・三月・四月・五月・六月・九月・十一月・十二月;坐坤朝艮は、宜しく二月・三月・四月・九月・十月・十一月;坐庚朝甲は、宜しく正月・四月・六月・十月。略か有利なるは坐子朝午・坐丑朝未・坐甲朝庚・坐乙朝辛・坐辰朝戌・坐戌朝辰。不利の坐向:坐壬朝丙は「浮天空亡」に占められ又「向煞」を犯し、坐癸朝丁は「向煞」を犯し、坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐卯朝酉は「炙退」を犯し、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐巳朝亥は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「傍陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐丁朝癸は「年克」を犯し兼ねて「坐煞」、坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐申朝寅は「地官符」を犯し、坐酉朝卯は「年克」を犯し、坐辛朝乙は「傍陰府」を犯し(底本「辛」を誤りて「亥」と作る、亥山に乙向なし)、坐干朝巽は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「年克」と「天官符」とを犯す。

乙巳年

大利山向:丙山壬,二、八、九、十一、十二月;午山子,二、五、八、九、十一、十二月。小利山向:壬山丙、艮山坤、亥山巳。不利山向:子山午炙退、年克,癸山丁年克、浮天空,丑山未年克、傍陰府,寅山申年克、三殺,甲山庚年克、坐殺、傍陰府,卯山酉三煞,乙山辛坐殺,辰山戌年克、三殺,巽山乾年克,巳山亥傍陰府,丁山癸傍陰府,未山丑年克,坤山艮年克,申山寅年克、天官符,庚山甲年克、向殺,酉山卯地官符、陰府,辛山乙年克、向殺,戌山辰年克,乾山巽陰府。

乙巳は甲子周期の第四十二位、明の萬暦三十三年に當り、即ち公元一六〇五年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐丙朝壬は、宜しく二月・八月・九月・十一月・十二月;坐午朝子は、宜しく二月・五月・八月・九月・十一月・十二月。略か有利なるは只坐壬朝丙・坐艮朝坤・坐亥朝巳あり。不利の坐向:坐子朝午は「炙退」を犯し兼ねて「年克」、坐癸朝丁は「年克」を犯し又「浮天空亡」に占められ、坐丑朝未は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐寅朝申は「年克」と「三煞」とを犯し、坐甲朝庚は「年克」「坐煞」「傍陰府」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「坐煞」を犯し、坐辰朝戌は「年克」と「三煞」とを犯し、坐巽朝干は「年克」を犯し、坐巳朝亥・坐丁朝癸は俱に「傍陰府」を犯し、坐未朝丑・坐坤朝艮は俱に「年克」を犯し、坐申朝寅は「年克」を犯し兼ねて「天官符」、坐庚朝甲は「年克」と「向煞」とを犯し、坐酉朝卯は「地官符」を犯し兼ねて「陰府」、坐辛朝乙は「年克」と「向煞」とを犯し、坐戌朝辰は「年克」を犯し、坐干朝巽は「陰府」を犯す。

丙午年

大利山向:艮山坤,一、八、九、十一、十二月;寅山申,三、七、八、九、十月;甲山庚,三、四、五、六、七月;卯山酉,三、四、五、六、七月。小利山向:巽山幹、午山子、未山丑、庚山甲。不利山向:壬山丙坐殺,子山午年克、三殺,癸山丁傍陰府、坐殺,丑山未三煞,乙山辛傍陰府,辰山戌傍陰府,巳山亥天官符,丙山壬向殺,丁山癸年克、向殺,坤山艮陰府,申山寅傍陰府,酉山卯年克、炙退,辛山乙浮天空,戌山辰地官符,乾山巽年克,亥山巳年克、三殺。

丙午は甲子周期の第四十三位、明の萬暦三十四年に當り、即ち公元一六〇六年なり。大いに有利の坐向:坐艮朝坤は、宜しく正月・八月・九月・十一月・十二月(底本「正月」を「一月」と寫す、全表の體例と同じからず);坐寅朝申は、宜しく三月・七月・八月・九月・十月;坐甲朝庚は、宜しく三月・四月・五月・六月・七月;坐卯朝酉は、宜しく三月・四月・五月・六月・七月。略か有利なるは坐巽朝干・坐午朝子・坐未朝丑・坐庚朝甲。本年は太歲午に臨み、而して後文に太歲「坐すべく向くべからず」と說けば、坐午朝子は却って小利の中に列し、坐子朝午は忌例に在り。不利の坐向:坐壬朝丙は「坐煞」を犯し、坐子朝午は「年克」と「三煞」とを犯し、坐癸朝丁は「傍陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐丑朝未は「三煞」を犯し、坐乙朝辛・坐辰朝戌は俱に「傍陰府」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬は「向煞」を犯し、坐丁朝癸は「年克」と「向煞」とを犯し、坐坤朝艮は「陰府」を犯し、坐申朝寅は「傍陰府」を犯し、坐酉朝卯は「年克」と「炙退」とを犯し、坐辛朝乙は「浮天空亡」に占められ、坐戌朝辰は「地官符」を犯し、坐干朝巽は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「年克」を犯し兼ねて「三煞」。

丁未年

大利山向:巳山亥,正、二、四、七、八、十、十一、十二月;乾山巽,二、六、八、十、十一月。小利山向:艮山坤、卯山酉、丙山壬、丁山癸。不利山向:壬山丙傍陰府,子山午年克,癸山丁年克,丑山未年克,寅山申傍陰府、天官符、年克,甲山庚年克、向殺,乙山辛向殺,辰山戌年克,巽山乾年克,午山子炙退、陰府,未山丑年克,坤山艮年克,申山寅年克、三殺,庚山甲浮天空、坐殺、年克,酉山卯三煞,辛山乙年克、坐煞,戌山辰三煞、年克,亥山巳天官符。

丁未は甲子周期の第四十四位、明の萬暦三十五年に當り、即ち公元一六〇七年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐巳朝亥は、宜しく正月・二月・四月・七月・八月・十月・十一月・十二月;坐干朝巽は、宜しく二月・六月・八月・十月・十一月。略か有利なるは坐艮朝坤・坐卯朝酉・坐丙朝壬・坐丁朝癸。不利の坐向:坐壬朝丙は「傍陰府」を犯し、坐子朝午・坐癸朝丁・坐丑朝未は俱に「年克」を犯し、坐寅朝申は「傍陰府」「天官符」「年克」を犯し、坐甲朝庚は「年克」を犯し兼ねて「向煞」、坐乙朝辛は「向煞」を犯し、坐辰朝戌・坐巽朝干は俱に「年克」を犯し、坐午朝子は「炙退」を犯し兼ねて「陰府」、坐未朝丑・坐坤朝艮は俱に「年克」を犯し、坐申朝寅は「年克」と「三煞」とを犯し、坐庚朝甲は「浮天空亡」に占められ又「坐煞」「年克」を犯し、坐酉朝卯は「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「年克」を犯し兼ねて「坐煞」、坐戌朝辰は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐亥朝巳は「天官符」を犯す。亥卯未年の三煞は西方申酉戌に在り、故に此の一路の山向は全く封ぜらる。

戊申年

大利山向:坤山艮,正、二、六、九、十二月大吉;申山寅,正、二、三、六、十一、十二月;酉山卯,三、四、五、六、十月;辛山乙,正、二、四、五、六、九、十月吉;戌山辰,三、五、六月。小利山向:丑山未、艮山坤、寅山申、甲山庚、辰山戌、巽山幹、乾山巽。不利山向:壬山丙年克、向殺,子山午地官符,癸山丁浮天空、向殺,卯山酉陰府、坐殺,乙山辛年克,巳山亥三殺,丙山壬年克、坐殺,午山子年克、三殺,丁山癸浮天空、坐殺,未山丑傍陰府、三殺,庚山甲傍陰府,亥山巳天官符、傍陰府。

戊申は甲子周期の第四十五位、明の萬暦三十六年に當り、即ち公元一六〇八年なり。大いに有利の坐向:坐坤朝艮は、宜しく正月・二月・六月・九月・十二月、最も大吉;坐申朝寅は、宜しく正月・二月・三月・六月・十一月・十二月;坐酉朝卯は、宜しく三月・四月・五月・六月・十月;坐辛朝乙は、宜しく正月・二月・四月・五月・六月・九月・十月;坐戌朝辰は、宜しく三月・五月・六月。略か有利なるは坐丑朝未・坐艮朝坤・坐寅朝申・坐甲朝庚・坐辰朝戌・坐巽朝干・坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「年克」を犯し兼ねて「向煞」、坐子朝午は「地官符」を犯し、坐癸朝丁は「浮天空亡」に占められ又「向煞」を犯し、坐卯朝酉は「陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐乙朝辛は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「年克」と「坐煞」とを犯し、坐午朝子は「年克」と「三煞」とを犯し、坐丁朝癸は「浮天空亡」に占められ又「坐煞」を犯し、坐未朝丑は「傍陰府」を犯し兼ねて「三煞」、坐庚朝甲は「傍陰府」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯し兼ねて「傍陰府」。本年は西北の一帶最も通じ、全表中の稀なる寬年なり。

己酉年

大利山向:坤山艮,二、三、六、九、十二月吉。小利山向:癸山丁;巳山亥;午山子;丁山癸,冬至後不利;未山丑;酉山卯,冬至後不利;戌山辰;乾山巽,冬至後不利;亥山巳,冬至後不利。不利山向:壬山丙浮天空,子山午炙退,丑山未地官符,艮山坤陰府,寅山申三殺,甲山庚坐殺,卯山酉三殺,乙山辛坐殺,辰山戌三殺,巽山乾陰府,丙山壬浮天空、傍陰府,甲山寅天官符,辛山乙。

己酉は甲子周期の第四十六位、明の萬暦三十七年に當り、即ち公元一六〇九年なり。大いに有利の坐向は僅かに坐坤朝艮の一組、宜しく二月・三月・六月・九月・十二月。略か有利なるは坐癸朝丁・坐巳朝亥・坐午朝子・坐未朝丑・坐戌朝辰;坐丁朝癸・坐酉朝卯・坐干朝巽・坐亥朝巳の四組は俱に冬至以後轉じて不利と爲る。不利の坐向:坐壬朝丙は「浮天空亡」に占められ、坐子朝午は「炙退」を犯し、坐丑朝未は「地官符」を犯し、坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐寅朝申は「三煞」を犯し、坐甲朝庚は「坐煞」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「坐煞」を犯し、坐辰朝戌は「三煞」を犯し、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐丙朝壬は「浮天空亡」に占められ又「傍陰府」を犯し、坐申朝寅は「天官符」を犯す(底本「申」を誤りて「甲」と作る)。末の一條「辛山乙」は即ち坐辛朝乙、その下に犯す所の何の煞か底本已に脫し、推して補ふに由なく、只疑を存し照録するのみ。巳酉丑年の三煞は東方寅卯辰に在り、本年は東方の一路盡く忌中に在り。

庚戌年

大利山向:乙山辛,二、三、十、十一、十二月;申山寅,正、三、四、五、六、八、九月;午山子。小利山向:辰山戌、巽山幹、辛山巳、未山丑、坤山艮、庚山甲、戌山辰。不利山向:壬山丙坐殺,子山午三殺,癸山丁坐殺,丑山未三殺、傍陰府,艮山坤年克,寅山申地官符,甲山庚傍陰府,卯山酉年克,巳山亥天官符、傍陰府、年克,丙山壬向殺,丁山癸向殺、傍陰府、浮天空,酉山卯炙退、陰府,乾山巽陰府,亥山巳三殺。

庚戌は甲子周期の第四十七位、明の萬暦三十八年に當り、即ち公元一六一〇年なり。大いに有利の坐向:坐乙朝辛は、宜しく二月・三月・十月・十一月・十二月;坐申朝寅は、宜しく正月・三月・四月・五月・六月・八月・九月;坐午朝子の一組は底本只坐向を列し而も月份を注せず、是れ脱文、敢て臆補せず。略か有利なるは坐辰朝戌・坐巽朝干・坐辛朝乙(底本「乙」を誤りて「巳」と作る、辛山に巳向なし)・坐未朝丑・坐坤朝艮・坐庚朝甲・坐戌朝辰。不利の坐向:坐壬朝丙は「坐煞」を犯し、坐子朝午は「三煞」を犯し、坐癸朝丁は「坐煞」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐艮朝坤は「年克」を犯し、坐寅朝申は「地官符」を犯し、坐甲朝庚は「傍陰府」を犯し、坐卯朝酉は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」「傍陰府」「年克」を犯し、坐丙朝壬は「向煞」を犯し、坐丁朝癸は「向煞」「傍陰府」を犯し又「浮天空亡」に占められ、坐酉朝卯は「炙退」を犯し兼ねて「陰府」、坐干朝巽は「陰府」を犯し、坐亥朝巳は「三煞」を犯す。

辛亥年

大利山向:小利山向:丑山未、艮山坤、巽山幹、巳山亥、丁山癸、未山丑、乾山巽、亥山巳。不利山向:壬山丙年克,子山午陰府,癸山丁傍陰府,寅山申天官符,甲山庚向殺,卯山酉地官符,乙山辛向殺、傍陰府、年克,辰山戌傍陰府,丙山壬年克、浮天空,午山子炙退、年克,坤山艮陰府,申山寅傍陰府、三殺,庚山甲坐殺,酉山卯三殺,辛山乙坐殺,戌山辰三煞。

辛亥は甲子周期の第四十八位、明の萬暦三十九年に當り、即ち公元一六一一年なり。本年の「大利山向」の一欄は、底本標目のみ存し而も正文全く脫し、一個の坐向も留めず、刻本の漏行に屬し、此處に補配を作らず。略か有利なるは坐丑朝未・坐艮朝坤・坐巽朝干・坐巳朝亥・坐丁朝癸・坐未朝丑・坐干朝巽・坐亥朝巳。不利の坐向:坐壬朝丙は「年克」を犯し、坐子朝午は「陰府」を犯し、坐癸朝丁は「傍陰府」を犯し、坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚は「向煞」を犯し、坐卯朝酉は「地官符」を犯し、坐乙朝辛は「向煞」「傍陰府」「年克」を犯し、坐辰朝戌は「傍陰府」を犯し、坐丙朝壬は「年克」を犯し又「浮天空亡」に占められ、坐午朝子は「炙退」を犯し兼ねて「年克」、坐坤朝艮は「陰府」を犯し、坐申朝寅は「傍陰府」を犯し兼ねて「三煞」、坐庚朝甲は「坐煞」を犯し、坐酉朝卯は「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「坐煞」を犯し、坐戌朝辰は「三煞」を犯す。亥卯未年の三煞は西方申酉戌に在り、列する所と相合す。

壬子年

大利山向:坤山艮,二、三、十一、十二月;申山寅,二、三、十一、十二月。小利山向:子山午;丑山未;艮山坤;乙山辛;巽山幹;庚山甲,二、十月忌造宜葬。不利山向:壬山丙傍陰府、向殺,癸山丁向殺,寅山申傍陰府,甲山庚浮天空,卯山酉炙退,辰山戌地官符,巳山亥三殺,丙山壬坐殺,午山子陰府、三殺,丁山癸年克、坐殺,未山丑三殺,酉山卯年克,戌山辰傍陰府,乾山巽年克,亥山巳天官符、年克。

壬子は甲子周期の第四十九位、明の萬暦四十年に當り、即ち公元一六一二年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐坤朝艮は、宜しく二月・三月・十一月・十二月;坐申朝寅は、宜しく二月・三月・十一月・十二月。略か有利なるは坐子朝午・坐丑朝未・坐艮朝坤・坐乙朝辛・坐巽朝干;坐庚朝甲は則ち二月・十月に限り、且つ興造を忌み安葬に宜し。本年太歲子に在り、「太歲坐すべく向くべからず」の例に依り、坐子朝午は仍ほ小利に在り、而して子に朝ぐ一組は便ち忌例に入る。不利の坐向:坐壬朝丙は「傍陰府」を犯し兼ねて「向煞」、坐癸朝丁は「向煞」を犯し、坐寅朝申は「傍陰府」を犯し、坐甲朝庚は「浮天空亡」に占められ、坐卯朝酉は「炙退」を犯し、坐辰朝戌は「地官符」を犯し、坐巳朝亥は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「坐煞」を犯し、坐午朝子は「陰府」を犯し兼ねて「三煞」、坐丁朝癸は「年克」を犯し兼ねて「坐煞」、坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐酉朝卯は「年克」を犯し、坐戌朝辰は「傍陰府」を犯し、坐干朝巽は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯し兼ねて「年克」。

癸丑年

大利山向:丙山壬,四、五、六、十一月;午山子,五、六、八月吉;丁山癸,三、五、六、八、十一月。小利山向:壬山丙、艮山坤、酉山卯、乾山巽。不利山向:子山午炙退、年克,癸山丁年克,丑山未年克,寅山申三殺、年克,甲山庚年克、坐殺,卯山酉三殺、陰府,乙山辛浮天空、坐殺,辰山戌三殺、年克,巽山乾年克,巳山亥地官符。未山丑傍陰府,坤山艮年克,申山寅天官符、年克,庚山甲傍陰府、向殺、年克,辛山乙年克、向殺,戌山辰年克,亥山巳傍陰府。

癸丑は甲子周期の第五十位、明の萬暦四十一年に當り、即ち公元一六一三年なり。大いに有利の坐向:坐丙朝壬は、宜しく四月・五月・六月・十一月;坐午朝子は、宜しく五月・六月・八月;坐丁朝癸は、宜しく三月・五月・六月・八月・十一月。略か有利なるは坐壬朝丙・坐艮朝坤・坐酉朝卯・坐干朝巽。不利の坐向:坐子朝午は「炙退」を犯し兼ねて「年克」、坐癸朝丁・坐丑朝未は俱に「年克」を犯し、坐寅朝申は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐甲朝庚は「年克」と「坐煞」とを犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し兼ねて「陰府」、坐乙朝辛は「浮天空亡」に占められ又「坐煞」を犯し、坐辰朝戌は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐巽朝干は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「地官符」を犯す(底本此處に誤りて句號を用ゐて斷ち、其の下は仍ほ同一串の忌例なり)、坐未朝丑は「傍陰府」を犯し、坐坤朝艮は「年克」を犯し、坐申朝寅は「天官符」を犯し兼ねて「年克」、坐庚朝甲は「傍陰府」「向煞」「年克」を犯し、坐辛朝乙は「年克」と「向煞」とを犯し、坐戌朝辰は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「傍陰府」を犯す。

甲寅年

大利山向:寅山申,三、六、九、十一、十二月;甲山庚,二、三、四、五、十一、十二月;卯山酉,二、七、十、十二月;辰山戌,正、二、三、四、六、十、十一月。小利山向:未山丑、坤山艮、申山寅、庚山甲、戌山辰、乾山巽。不利山向:壬山丙坐殺、浮天空、年殺,子山午三殺,癸山丁坐殺,丑山未三殺,艮山坤陰府,乙山辛年殺,巽山乾陰府,巳山亥天官符,丙山壬向殺、傍陰府、年克,午山子年克、地官符,丁山癸向殺,酉山卯炙退,辛山乙傍陰府,亥山巳三殺。

甲寅は甲子周期の第五十一位、明の萬暦四十二年に當り、即ち公元一六一四年なり。大いに有利の坐向:坐寅朝申は、宜しく三月・六月・九月・十一月・十二月;坐甲朝庚は、宜しく二月・三月・四月・五月・十一月・十二月;坐卯朝酉は、宜しく二月・七月・十月・十二月;坐辰朝戌は、宜しく正月・二月・三月・四月・六月・十月・十一月。略か有利なるは坐未朝丑・坐坤朝艮・坐申朝寅・坐庚朝甲・坐戌朝辰・坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「坐煞」を犯し、「浮天空亡」に占められ、又「年克」を犯し(底本兩處の「年杀」は當に「年克」と作るべし);坐子朝午は「三煞」を犯し、坐癸朝丁は「坐煞」を犯し、坐丑朝未は「三煞」を犯し、坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐乙朝辛は「年克」を犯し、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬は「向煞」「傍陰府」「年克」を犯し、坐午朝子は「年克」を犯し兼ねて「地官符」、坐丁朝癸は「向煞」を犯し、坐酉朝卯は「炙退」を犯し、坐辛朝乙は「傍陰府」を犯し、坐亥朝巳は「三煞」を犯す。

乙卯年

大利山向:壬山丙,三、四、六、七、十月;子山午,三、六、十月。小利山向:艮山坤;卯山酉;辰山戌;巽山幹;丙山壬;坤山艮;亥山巳,冬至後不利。不利山向:癸山丁浮天空,丑山未傍陰府,寅山申天官符,甲山庚傍陰府、向殺,乙山辛向殺,巳山亥傍陰府,午山子炙退,丁山癸傍陰府、年克,未山丑地官符,申山寅三殺,庚山甲坐殺,酉山卯三殺、陰府、年克,辛山乙坐殺,戌山辰三殺,乾山巽陰府、年克。

乙卯は甲子周期の第五十二位、明の萬暦四十三年に當り、即ち公元一六一五年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐壬朝丙は、宜しく三月・四月・六月・七月・十月;坐子朝午は、宜しく三月・六月・十月。略か有利なるは坐艮朝坤・坐卯朝酉・坐辰朝戌・坐巽朝干・坐丙朝壬・坐坤朝艮;坐亥朝巳は則ち冬至以後不利。不利の坐向:坐癸朝丁は「浮天空亡」に占められ、坐丑朝未は「傍陰府」を犯し、坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚は「傍陰府」を犯し兼ねて「向煞」、坐乙朝辛は「向煞」を犯し、坐巳朝亥は「傍陰府」を犯し、坐午朝子は「炙退」を犯し、坐丁朝癸は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐未朝丑は「地官符」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し、坐庚朝甲は「坐煞」を犯し、坐酉朝卯は「三煞」「陰府」「年克」を犯し、坐辛朝乙は「坐煞」を犯し、坐戌朝辰は「三煞」を犯し、坐干朝巽は「陰府」を犯し兼ねて「年克」。

丙辰年

大利山向:酉山卯,二、六、七、十月。小利山向:艮山坤、卯山酉、丁山癸、乾山巽。不利山向:壬山丙向殺,子山午炙退、年克、陰府,癸山丁傍陰府、年克,丑山未年克,寅山申年克,甲山庚年克,乙山辛傍陰府,辰山戌年克、傍陰府,巽山乾年克,巳山亥三殺,丙山壬坐殺,午山子三殺,未山丑三殺、年克,坤山艮陰府、年克,申山寅地官符、傍陰府、年克,庚山甲年克,辛山乙浮天空、年克,戌山辰年克,亥山巳天官符。

丙辰は甲子周期の第五十三位、明の萬暦四十四年に當り、即ち公元一六一六年なり。大いに有利の坐向は坐酉朝卯の一組のみ残り、宜しく二月・六月・七月・十月。略か有利なるは坐艮朝坤・坐卯朝酉・坐丁朝癸・坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「向煞」を犯し、坐子朝午は「炙退」「年克」「陰府」を犯し、坐癸朝丁は「傍陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐丑朝未・坐寅朝申・坐甲朝庚は俱に「年克」を犯し、坐乙朝辛は「傍陰府」を犯し、坐辰朝戌は「年克」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐巽朝干は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「三煞」を犯し、坐丙朝壬は「坐煞」を犯し、坐午朝子は「三煞」を犯し、坐未朝丑は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐坤朝艮は「陰府」を犯し兼ねて「年克」、坐申朝寅は「地官符」「傍陰府」「年克」を犯し、坐庚朝甲は「年克」を犯し、坐辛朝乙は「浮天空亡」に占められ又「年克」を犯し、坐戌朝辰は「年克」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯す。本年は二十四山ほとんど處々に「年克」を帶びざるなく、用ふべきの地極めて窄し。

丁巳年

大利山向:巽山幹,正、二、四、九、十月;丙山壬,三、五、六、八、十一、十二月;丁山癸,二、五、六、八、十一、十二月;未山丑,四、八、九、十月。小利山向:癸山丁、丑山未、坤山艮、乾山巽、亥山巳。不利山向:壬山丙傍陰府,子山午炙退,艮山坤,寅山申三殺、傍陰府,甲山庚年克,卯山酉三殺、年克,乙山辛三殺,辰山戌三殺,巳山亥年克,午山子陰府,申山寅天官符,庚山甲浮天空、向殺,酉山卯地官符,辛山乙向煞,戌山辰傍陰府。

丁巳は甲子周期の第五十四位、明の萬暦四十五年に當り、即ち公元一六一七年なり。大いに有利の坐向:坐巽朝干は、宜しく正月・二月・四月・九月・十月;坐丙朝壬は、宜しく三月・五月・六月・八月・十一月・十二月;坐丁朝癸は、宜しく二月・五月・六月・八月・十一月・十二月;坐未朝丑は、宜しく四月・八月・九月・十月。略か有利なるは坐癸朝丁・坐丑朝未・坐坤朝艮・坐干朝巽・坐亥朝巳。不利の坐向:坐壬朝丙は「傍陰府」を犯し、坐子朝午は「炙退」を犯し;坐艮朝坤の一條は底本只坐向を列し、犯す所の何の煞か已に脫し、推して補ふに由なし;坐寅朝申は「三煞」を犯し兼ねて「傍陰府」、坐甲朝庚は「年克」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐乙朝辛・坐辰朝戌は俱に「三煞」を犯し、坐巳朝亥は「年克」を犯し、坐午朝子は「陰府」を犯し、坐申朝寅は「天官符」を犯し、坐庚朝甲は「浮天空亡」に占められ又「向煞」を犯し、坐酉朝卯は「地官符」を犯し、坐辛朝乙は「向煞」を犯し、坐戌朝辰は「傍陰府」を犯す。

戊午年

大利山向:艮山坤,二、八、十一、十二月;甲山庚,四、五、六、十一月;乙山辛,四、五、六、十一月;辰山戌,二、三、四、五、六、十一、十二月;申山寅,正、五、七、九、十、十二月。小利山向:寅山申、巽山幹、午山子、辛山乙、乾山巽。不利山向:壬山丙坐殺;子山午三殺;丁山癸向殺、浮天空;丑山未三殺;卯山酉陰府;巳山亥天官符;丙山壬向殺;丁山癸向殺,冬至後年克;未山丑傍陰府;坤山艮浮天空,忌造宜葬;庚山甲傍陰府;酉山卯炙退,冬至後年克;戌山辰地官符;亥山巳三殺冬至後年克。

戊午は甲子周期の第五十五位、明の萬暦四十六年に當り、即ち公元一六一八年なり。大いに有利の坐向:坐艮朝坤は、宜しく二月・八月・十一月・十二月;坐甲朝庚は、宜しく四月・五月・六月・十一月;坐乙朝辛は、宜しく四月・五月・六月・十一月;坐辰朝戌は、宜しく二月・三月・四月・五月・六月・十一月・十二月;坐申朝寅は、宜しく正月・五月・七月・九月・十月・十二月。略か有利なるは坐寅朝申・坐巽朝干・坐午朝子・坐辛朝乙・坐干朝巽。不利の坐向:坐壬朝丙は「坐煞」を犯し;坐子朝午は「三煞」を犯し;坐丁朝癸は「向煞」を犯し又「浮天空亡」に占められ——此の條は底本前後に重ねて出づること二度、後の一度は冬至以後に尚「年克」を添ふと注明す;坐丑朝未は「三煞」を犯し;坐卯朝酉は「陰府」を犯し;坐巳朝亥は「天官符」を犯し;坐丙朝壬は「向煞」を犯し;坐未朝丑は「傍陰府」を犯し;坐坤朝艮は「浮天空亡」に占められ、興造を忌み安葬に宜し;坐庚朝甲は「傍陰府」を犯し;坐酉朝卯は「炙退」を犯し、冬至以後再び「年克」を添ふ;坐戌朝辰は「地官符」を犯し;坐亥朝巳は「三煞」を犯し、冬至以後も亦「年克」を添ふ。

己未年

大利山向:癸山丁,正、三、四、六、十月;巳山亥,正、七、十、十一、十二月。小利山向:壬山丙,浮天空,忌造宜葬,二、三、四、七、十月;子山午;丑山未;卯山酉;辰山戌;未山丑;坤山艮。不利山向:艮山坤陰府,寅山申天官符,甲山庚向殺,乙山辛向殺,巽山乾陰府,丙山壬浮天空、傍陰府,午山子年克,丁山癸年克,申山寅三殺,庚山甲坐殺,酉山卯年克、三殺,辛山乙傍陰府、坐殺,戌山辰三殺,乾山巽年克、浮天空,亥山巳年克、地官符。

己未は甲子周期の第五十六位、明の萬暦四十七年に當り、即ち公元一六一九年なり。大いに有利の坐向は只兩組あり:坐癸朝丁は、宜しく正月・三月・四月・六月・十月;坐巳朝亥は、宜しく正月・七月・十月・十一月・十二月。略か有利なるは:坐壬朝丙は「浮天空亡」に占められ、興造を忌み安葬に宜しと雖も、二月・三月・四月・七月・十月を取るべし;此の外に坐子朝午・坐丑朝未・坐卯朝酉・坐辰朝戌・坐未朝丑・坐坤朝艮あり。不利の坐向:坐艮朝坤は「陰府」を犯し、坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚・坐乙朝辛は俱に「向煞」を犯し、坐巽朝干は「陰府」を犯し、坐丙朝壬は「浮天空亡」に占められ又「傍陰府」を犯し、坐午朝子・坐丁朝癸は俱に「年克」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し、坐庚朝甲は「坐煞」を犯し、坐酉朝卯は「年克」を犯し兼ねて「三煞」、坐辛朝乙は「傍陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐戌朝辰は「三煞」を犯し、坐干朝巽は「年克」を犯し又「浮天空亡」に占められ、坐亥朝巳は「年克」を犯し兼ねて「地官符」。本年「浮天空亡」三見し、「一年に一位のみ占む」の例に合せず、底本疑らくは竄誤あらん。

庚申年

大利山向:坤山艮,正、二、六、十月;庚山甲,正、四、五、六、七、十月;辛山乙,正、四、五、六、七、十月;戌山辰,五、六、七月吉。小利山向:艮山坤、寅山申、辰山戌、巽山幹、申山寅。不利山向:壬山丙年克、向殺,子山午天官符,癸山丁向殺,丑山未傍陰府,甲山庚傍陰府,卯山酉炙退,乙山辛年克,巳山亥傍陰府、三殺,丙山壬年克、三殺,午山子年克、三殺,丁山癸坐殺、陰府、浮天空,未山丑三殺,酉山卯陰府,乾山巽傍陰府,亥山巳天官符。

庚申は甲子周期の第五十七位、明の萬暦四十八年に當り、即ち公元一六二〇年なり;此の年七月に神宗崩じ、八月以後元を泰昌に改め、故に泰昌元年とも稱す。大いに有利の坐向:坐坤朝艮は、宜しく正月・二月・六月・十月;坐庚朝甲は、宜しく正月・四月・五月・六月・七月・十月;坐辛朝乙は、宜しく正月・四月・五月・六月・七月・十月;坐戌朝辰は、宜しく五月・六月・七月。略か有利なるは坐艮朝坤・坐寅朝申・坐辰朝戌・坐巽朝干・坐申朝寅。不利の坐向:坐壬朝丙は「年克」を犯し兼ねて「向煞」、坐子朝午は「天官符」を犯し、坐癸朝丁は「向煞」を犯し、坐丑朝未・坐甲朝庚は俱に「傍陰府」を犯し、坐卯朝酉は「炙退」を犯し、坐乙朝辛は「年克」を犯し、坐巳朝亥は「傍陰府」を犯し兼ねて「三煞」、坐丙朝壬は「年克」と「三煞」とを犯し(全表の通例に依れば、丙山壬は當に「坐煞」と作るべし)、坐午朝子は「年克」を犯し兼ねて「三煞」、坐丁朝癸は「坐煞」「陰府」を犯し又「浮天空亡」に占められ、坐未朝丑は「三煞」を犯し、坐酉朝卯は「陰府」を犯し、坐干朝巽は「傍陰府」を犯し、坐亥朝巳は「天官符」を犯す。

辛酉年

大利山向:巽山幹,正、六、九月吉;巳山亥,正、六、九、十月;未山丑,七、八、九、十月。小利山向:壬山丙;艮山坤;午山子;丁山癸,冬至後年克;酉山卯,冬至後年克;戌山辰;乾山巽,冬至後年克;亥山巳,冬至後年克。不利山向:子山午炙退、陰府,癸山丁傍陰府,丑山未地官符,寅山申三殺,甲山庚坐殺,卯山酉三殺,乙山辛傍陰府,辰山戌傍陰府、三殺,丙山壬浮天空,坤山艮陰府,申山寅傍陰府、天官符,庚山甲向殺,辛山乙向殺。

辛酉は甲子周期の第五十八位、明の天啓元年に當り、即ち公元一六二一年なり。大いに有利の坐向:坐巽朝干は、宜しく正月・六月・九月;坐巳朝亥は、宜しく正月・六月・九月・十月;坐未朝丑は、宜しく七月・八月・九月・十月。略か有利なるは坐壬朝丙・坐艮朝坤・坐午朝子・坐戌朝辰;坐丁朝癸・坐酉朝卯・坐干朝巽・坐亥朝巳の四組は則ち冬至以後「年克」を添ふ。不利の坐向:坐子朝午は「炙退」を犯し兼ねて「陰府」、坐癸朝丁は「傍陰府」を犯し、坐丑朝未は「地官符」を犯し、坐寅朝申は「三煞」を犯し、坐甲朝庚は「坐煞」を犯し、坐卯朝酉は「三煞」を犯し、坐乙朝辛は「傍陰府」を犯し、坐辰朝戌は「傍陰府」を犯し兼ねて「三煞」、坐丙朝壬は「浮天空亡」に占められ、坐坤朝艮は「陰府」を犯し、坐申朝寅は「傍陰府」を犯し兼ねて「天官符」、坐庚朝甲・坐辛朝乙は俱に「向煞」を犯す。巳酉丑年の三煞は東方寅卯辰に在り、故に東方の一路全く封ぜらる。

壬戌年

大利山向:艮山坤,三、六、八、九、十二月;卯山酉,二、四、五、十一月;乙山辛,二、四、五、六、十二月。小利山向:乾山巽。不利山向:壬山丙傍陰府、坐殺,子山午三殺、年克,癸山丁坐殺、年克,丑山未三殺、年克,寅山申傍陰府、地官符、年克,甲山庚浮天空、年克,辰山戌年克、大耗、羅睺,巽山乾年克、破敗、五鬼,巳山亥天官符,丙山壬向殺,午山子陰府,丁山癸向殺,未山丑年克,坤山艮年克,申山寅年克,庚山甲年克,酉山卯炙退,辛山乙年克,戌山辰年克、陰府,亥山巳三煞。

壬戌は甲子周期の第五十九位、明の天啓二年に當り、即ち公元一六二二年なり。大いに有利の坐向:坐艮朝坤は、宜しく三月・六月・八月・九月・十二月;坐卯朝酉は、宜しく二月・四月・五月・十一月;坐乙朝辛は、宜しく二月・四月・五月・六月・十二月。略か有利なるは坐干朝巽の一組のみ残る。不利の坐向:坐壬朝丙は「傍陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐子朝午は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐癸朝丁は「坐煞」を犯し兼ねて「年克」、坐丑朝未は「三煞」を犯し兼ねて「年克」、坐寅朝申は「傍陰府」「地官符」「年克」を犯し、坐甲朝庚は「浮天空亡」に占められ又「年克」を犯し、坐辰朝戌は「年克」「大耗」「羅睺」を犯し——辰は本年太歲の在る所の戌と正に相冲し、故に破耗の位と爲す;坐巽朝干は「年克」「破敗」「五鬼」を犯し、坐巳朝亥は「天官符」を犯し、坐丙朝壬・坐丁朝癸は俱に「向煞」を犯し、坐午朝子は「陰府」を犯し、坐未朝丑・坐坤朝艮・坐申朝寅・坐庚朝甲は俱に「年克」を犯し、坐酉朝卯は「炙退」を犯し、坐辛朝乙は「年克」を犯し、坐戌朝辰は「年克」を犯し兼ねて「陰府」、坐亥朝巳は「三煞」を犯す。

癸亥年

大利山向:壬山丙,正、四、五、六、七、十月;子山午,三、四、五、六月;癸山丁,正、三、四、五、六、七月;丑山未,三、四、五、六、九、十二月,乾山巽,五、八、九、十、十一月。小利山向:辰山戌、巽山幹、丙山壬、丁山癸、坤山艮。不利山向:艮山坤年克,寅山申天官符,甲山庚向殺,卯山酉陰府、地官符、年克,乙山辛浮天空、向殺,巳山亥年克,歲破,午山子炙退,未山丑傍陰府,申山寅三殺,庚山甲傍陰府、坐殺,酉山卯三殺,辛山乙坐殺,戌山辰三煞,亥山巳傍陰府。

癸亥は六十甲子の最末の位、明の天啓三年に當り、即ち公元一六二三年なり;本圖は甲子より排し起り、此の年に到りて恰も周して始に復る。大いに有利の坐向:坐壬朝丙は、宜しく正月・四月・五月・六月・七月・十月;坐子朝午は、宜しく三月・四月・五月・六月;坐癸朝丁は、宜しく正月・三月・四月・五月・六月・七月;坐丑朝未は、宜しく三月・四月・五月・六月・九月・十二月;坐干朝巽は、宜しく五月・八月・九月・十月・十一月。略か有利なるは坐辰朝戌・坐巽朝干・坐丙朝壬・坐丁朝癸・坐坤朝艮。不利の坐向:坐艮朝坤は「年克」を犯し、坐寅朝申は「天官符」を犯し、坐甲朝庚は「向煞」を犯し、坐卯朝酉は「陰府」「地官符」「年克」を犯し、坐乙朝辛は「浮天空亡」に占められ又「向煞」を犯し、坐巳朝亥は「年克」を犯し又「歲破」に値う——本年太歲亥に臨み、巳亥相冲すれば、故に歲破の位と爲す;坐午朝子は「炙退」を犯し、坐未朝丑は「傍陰府」を犯し、坐申朝寅は「三煞」を犯し、坐庚朝甲は「傍陰府」を犯し兼ねて「坐煞」、坐酉朝卯は「三煞」を犯し、坐辛朝乙は「坐煞」を犯し、坐戌朝辰は「三煞」を犯し、坐亥朝巳は「傍陰府」を犯す。

萬年圖山向便覽終

上萬年圖,編定二十四山通利,開卷瞭然,不煩推步。但其間又云三殺、炙退可向不可坐,太歲、浮天空可坐不可向浮天空亡一年佔一位占向不占坐,又陰府太歲單幹不化則不忌,李廣箭有弓無箭、有箭無弓俱不忌單犯一子不忌。又有子葬父不忌年克,葬母不忌月克,及七內乘凶即葬,不忌一切山向神煞等說,又在圓機之士酌其所宜,不必盡拘泥耳。

以上の萬年圖は、二十四山の逐年の通利を編み定めて、卷を開けば了然とし、臨時に推步歷算を煩はさず。但し其の間に又幾種かの變通の說あり:「三煞」と「炙退」は只其の上に坐することを忌み、朝向に用ゐるは尚ぼ可なり;「太歲」と「浮天空亡」は只朝向を忌み、其の上に坐するは却って妨げなし——舊注此處に明かにす、浮天空亡は一年に一個の方位のみ占め、而も向のみ管り坐を管らずと。又曰く「陰府太歲」は若し只天干單見して化氣相克を成さざれば、忌むに足らず;「李廣箭」の一煞は、弓ありて箭なきか又箭ありて弓なきは俱に犯と爲さず、舊注又一句を補す:只一位を單犯するも亦忌まずと。此の外又一派の說あり:兒の父を安葬するは「年克」を忌まず、母を安葬するは「月克」を忌まず、及び喪事七七の内に凶に乘りて速葬するは、一切の山向神煞皆論づる可からず。此れらは皆通達圓融の行家が自ら斟酌取捨するに由り、一概に拘泥するを須ひざるなり。

夫神煞之煩,以《曜仙肘後經》及劉漢卿《陽明按索》等書考之,其在山向之凶者,二百四十有七。如此其夥,云何趨避?竊嘗從俗,權其輕重而較量之雲。其在山家之大不可犯者,曰三殺,即劫殺、災殺、歲殺也,曰皇天炙退、坐煞、向煞。其在曏者,曰太歲,曰浮天空亡。其在支干及納音者,曰陰府太歲,曰李廣箭,曰年月日時克山家。此數者為最凶,所當避忌者也。

神煞の名目實に繁雜なり、若し《曜仙肘後経》と劉漢卿の《陽明按索》の類の書を以て核查せば、單に山向に落ちて凶に屬する者二百四十七種あり。名目此れ程多ければ、何ぞ趨吉避凶を論ぜんや?我因りて姑く世俗通行の用法に依り、其の輕重を掂量して等第を分かつ。坐山の一邊に落ち最も犯すべからざるは、「三煞」——即ち劫煞・災煞・歲煞、及び「皇天炙退」、并びに三煞の坐山・朝向に分落して成る所の「坐煞」「向煞」。專ら朝向を忌むは、「太歲」と「浮天空亡」。干支と納音の上より推し出づるは、「陰府太歲」「李廣箭」、及び年・月・日・時の納音の坐山納音を克するの類。以上の數種最も凶險にして、必ず回避すべき者なり。

其次曰穿山羅睺即坐山官符、曰破敗五鬼,曰流財金神、崩騰八座、病符、死符及諸官符天官符、地官符、畜官符、田官符、暴敗官符等煞,則可略也以上諸煞不犯為大利,犯之為不利。又其次曰將軍、蠶室、力士、兵道、火道、鬼道、地道、死道、帝車、帝舍、帝輅、帝軸、黃旙、豹尾、弔客、飛廉、喪門、白虎、歲厭、歲刑、大裀、大殺、天禁、朱雀、山家困龍等,凡七十餘位,謂之雜煞。喻峨山氏云“雖犯屢見貞吉,不必避忌”是也。

其次の一等は、「穿山羅睺」——舊注に曰く是れ即ち坐山官符——及び「破敗五鬼」「流財金神」「崩騰八座」「病符」「死符」、又各色の官符:天官符・地官符・畜官符・田官符・暴敗官符の類、此の一等は則ち略する可し。舊注此處に又一句を交代す:以上の諸煞犯さざるを大利と爲し、犯すを不利と爲すと。再び次の一等は、「將軍」「蠶室」「力士」、兵道・火道・鬼道・地道・死道、帝車・帝舍・帝輅・帝軸、黃旙・豹尾・弔客・飛廉・喪門・白虎・歲厭・歲刑・大裀・大殺・天禁・朱雀・山家困龍など、總じて七十餘位、統じて「雜煞」と稱す。喻峨山曰く、此の類は觸犯すと雖も、屢々吉利の結果を見る、刻意に避忌するを須ひざるなり、講る所は正に此の一等なり。

術家又有所謂“若要發,做三煞;要發財,做流財;要富貴,撞太歲。”及救人冷退用空亡等說,以神其術者,大抵傳授真偽不一,其亦何可盡信耶?又如通天竅、走馬六壬雲是楊公所用,且有過馬不過竅,過竅不過馬之戾。甚至子午卯酉四山向,十二年頭並無全利。若欲拘執,則此四山水無利期。一人之言,自相牴牾如此,況其它乎?

術士の中間に又幾句かの口號流傳す:家を發さんと欲せば、三煞を動かせ;財を發さんと欲せば、流財を動かせ;富貴を得んと欲せば、太歲に撞け。又家道の冷落退敗を救治するに空亡を用ゐよと說くあり。此れらは不過自家の法術を神乎其神と說くのみ。師弟相傳へ、眞僞本より參差し、何ぞ盡く信ずるを得んや?再び例すれば「通天竅」と「走馬六壬」の兩法は、俱に楊筠松に出づと自稱すと雖も、而も兩法互相抵觸す:走馬に合すれば便ち通天竅に合せず、通天竅に合すれば又走馬に合せず。甚至りては其れに照りて推算すれば、子・午・卯・酉の四個の山向、十二年の裡に竟に一年の全然有利なるもなし。若し眞に死守せんと欲せば、此の四山便ち永く用ふべきの期なし(「水」は當に「永」の字形近の致訛か)。同じく一人の口より出づるも、尚ほ自相矛盾する此の地步、況んや其の餘の各家をや?

折之吾儒之理,一切置之勿論可也。第卜氏有“年日一端之失,反為吉地深殃”之賦。陳圖南有“龍真穴正,又須葬善時宜”之說。楊公有年月利楫之論。是以人子不敢不慎,而從俗擇之,蓋亦無所不用其極,不使少有後日之悔一端雲。

吾ら儒家の道理を以て裁斷すれば、此れらの說法は一概に擱き置きて論ぜざるも亦嘗て可なり。只だ卜應天《雪心賦》の裡に曰く、年・日の上に一處の失誤あらば、却って吉地を叫びて大禍と爲さしむと;陳摶(字は圖南)も亦講ず、龍眞穴正の外、尚ほ須く合宜の時に葬るべしと;楊筠松更に年月猶ほ行船の槳のごとしの議論あり。是を以て人子たる者敢て慎重せざらざるなく、只好く世俗の辦法に依りて年月を揀選し、一切の心力を竭くしたりと說ふ可く、爲めに日後に一絲一毫の追悔を留めざらしむるなり。

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