Libo

地理辨正

清 · 蒋大鸿(注)

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

平砂玉尺辨僞(国朝蒋平階大鴻著)

風水堪輿典籍

まず読む書が形勢か理気かを見極めてから条文に入るのがよい。派を跨いだ術語の混用が、この門で最もありがちな誤読の源である。

《地理辨正》(清・蒋大鴻)

第一章 青囊奥語

楊公得青囊正訣,約其旨為奧語,以元空之理氣,用五行之星體,而高山平地之作法,已概括於其中。然非得其真傳口訣者,索之章句之末,終不能辨,謂之奧語。誠哉,其奧語也。

楊筠松は《青囊》の一脉の正伝口訣を得て、その中の要旨をこの一篇《奥語》に濃縮した:「玄空」の理気を主宰とし、五行に配した九星の形体を運用とし、高山龍と平洋龍の二路の作法がすでにその中に包挙されている。しかし親しく真伝の口訣を得た人でなければ、字句の表面の上で捜し求めるだけで、ついにそれがいったい何を言っているかを弁え出すことができない。だからそれを「奥語」と称した。この名は実に的確に取られたもので、それは確かに深奥である。

第一節

坤壬乙,巨門從頭出。艮丙辛,位位是破軍。辰巽亥,盡是武曲位。甲癸申,貪狼一路行。

これは挨星口訣の四句の総綱である:坤・壬・乙の三字を頭から排してゆけば、同じく「巨門」の一例に帰す。艮・丙・辛の三字は、位位が同じく「破軍」の一例に帰す。辰・巽・亥の三字は、ことごとく「武曲」の一例に尽く。甲・癸・申の三字は、一路みな「貪狼」に随いて行く。四句が言うのは玄空大卦で挨星する時の干支と九星の配属の条例であって、これらの方位がそれ自体で固定して某星に属すると言っているのではない。

挨星五行,即九星五行也。貪巨祿文廉武破輔弼,一一挨去,故曰挨星。元空大卦五行,亦即挨星五行,名異而實同者也。此五行原本洛書九氣,而上應北斗,主宰天地化育之道,幹維元運萬古,而不能外也。此九星與八宮掌訣九星不同。唐使僧一行作卦例以擾外國,專取貪巨武三吉,其實非也。

蒋大鴻の注:いわゆる「挨星五行」とは、すなわち九星五行である。貪狼・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍・左輔・右弼を、一位ずつ挨ぎ排してゆくので「挨星」と呼ぶ。玄空大卦五行もすなわち挨星五行で、名目は二様でも実質は同じ一事である。この一套の五行は洛書九宮の気に本源し、上は北斗に応じ、天地が万物を生養する機枢を主宰し、元運の推移を統摂し、亘古として易らず、これの範囲を出ることができるものはない。留意すべきは、ここの九星は「八宮掌訣」の上に排し出した九星(すなわち游年卦例のあの一套)とは根本的に同じものではない。唐の朝廷が僧一行を派遣して卦例を造作させ外邦を乱らせたもので、ただ貪狼・巨門・武曲の三星を取って「三吉」としたが、実は正しくない。

夫九星乃七政之根源,八卦乃乾坤之法象,皆天寶地符精華妙氣。顧於其中分彼此、比優劣,真庸愚之識、詭怪之談矣。只是天地流行之妙,與時相合者吉,與時相背者凶。故九星八卦,本無不吉,而有時乎吉;本無有凶,而有時乎凶。所以其中有趨有避,真機妙用,全須秘密耳。

九星は日月五星「七政」の根源であり、八卦は乾坤天地の法象であって、みな天地間の宝符のごとき精華の妙気に属する。あえてこの中で彼此を分かち優劣を比べるならば、それは真に庸人の見識・怪誕の説法である。実情はただここにある:天地の気は時に随いて流行し、当令の時と相合するものはすなわち吉、当令の時と相背するものはすなわち凶。だから九星八卦の本体にはどれかが天生に吉ということがなく、ただ某の時運に逢ってはじめて吉を顕す。どれかが天生に凶ということもなく、ただ某の時運に逢ってはじめて凶を顕す。まさにこのゆえに、用いるときにこそ趨き避けるべきものがあり、その中の真機の妙用は、全て秘伝の口訣に頼ってこそ掌握できる。

真知九星者,豈惟貪巨武為三吉,即破祿廉文輔弼五凶亦有吉時;真知八卦者,豈惟坎離乾坤四陽卦為凶,即震巽艮兌四陰卦亦有凶時。斯得元空大卦之真訣矣。奧語首揭此章,乃挨星大卦之條例。

真に九星を解る人は、決してただ貪狼・巨門・武曲を「三吉」と認めることはしない。破軍・禄存・廉貞・文曲・輔弼のごとく凶星と目されるものも、それぞれそれの当令して吉となる時がある。真に八卦を解る人も、また坎・離・乾・坤の四陽卦がいかにかと死認することはしない。震・巽・艮・兌の四陰卦も、同じく失令して凶となる時がある。能くこの一層を透見してこそ、はじめて玄空大卦の真訣を取ったと算える。《奥語》は篇を開いてすぐにこの一章を標出したが、まさにそれが挨星大卦の総条例だからである。

坤壬乙非盡巨門,而與巨門為一例;艮丙辛非盡破軍,而與破軍為一例;巽辰亥非盡武曲,而與武曲為一例;甲癸申非盡貪狼,而與貪狼為一例。此中隱然有挨星口訣,必待真傳人可推測而得。

坤・壬・乙は一概にみな巨門と作すのではなく、ただ巨門と同じく一つの条例に属する。艮・丙・辛は一概にみな破軍と作すのではなく、ただ破軍と同じく一つの条例に属する。巽・辰・亥は一概にみな武曲と作すのではなく、ただ武曲と同じく一つの条例に属する。甲・癸・申は一概にみな貪狼と作すのではなく、ただ貪狼と同じく一つの条例に属する。この四句の中に挨星の口訣が隠蔵されていて、真伝を得た人でなければ、それに順って推算し出すことができない。

若舊注以坤壬乙,天干從申子辰三合為水局,故曰文曲;艮丙辛,天干從寅什戌三合為火局,故曰廉貞之類,謬矣。又有云長生為貪狼,臨官為巨門,帝旺為武曲,亦謬。

旧注の講法に至っては――坤壬乙を天干が申子辰に随いて三合して水局を成すと言い、だから文曲に配す。艮丙辛を天干が寅午戌に随いて三合して火局を成すと言い、だから廉貞に配す(原文の「什」は「午」の形訛)――この類の三合局を以て九星に套する解釈は、全て誤りである。またある人は十二長生のうち長生位が貪狼、臨官位が巨門、帝旺位が武曲と言うが、同じく誤りである。

左為陽,子癸至亥壬;右為陰,午丁至巳丙。

左辺は陽に属し、子・癸から一路亥・壬まで数える。右辺は陰に属し、午・丁から一路巳・丙まで数える。これは《奥語》が例を挙げて玄空大卦のうちの陰陽分布の一種の排法を説明したものである。

蔣注:此節言大五行陰陽交媾之例,如陽在子癸至亥壬,則陰必在午丁至巳丙矣。自子至壬,自午至丙,路路有陽,路路有陰,以此為例,須人自悟也。非拘定左邊為陽、右邊為陰,若陰在左邊,則陽又在右邊矣。亦可云左右,亦可云東西,亦可云前後,亦可云南北,皆不定之位。雌雄交媾非有死法,故曰元空。舊注自子丑至戌亥左旋為陽,自午至申未右旋為陰,謬矣。

蒋大鴻の注:この一節が言うのは「大五行」(玄空大卦五行)のうちの陰陽交媾の挙例である:もし陽が子癸から亥壬までのこの一路に落ちれば、それでは陰は必ず午丁から巳丙までのあの一路に落ちる。子から数えて壬に至り、午から数えて丙に至る、路路にみな陽があり路路にみな陰がある。楊公はただこれを取って例としたのであって、読者に自ら領悟させようとするのである。彼は決して左辺を死に定めて陽とし右辺を陰とするのではない。もし陰が左辺に落ちたならば、陽は自然にまた右辺に転じてゆく。この一対の関係は、左右と言うても可なり、東西と言うても可なり、前後と言うても可なり、南北と言うても可なり、みな固定した方位ではない。雌雄の交媾はもとより死法がない。だから「玄空」と呼ぶのである。旧注が子丑から戌亥まで左旋の一路を陽に属し、午から申未まで右旋の一路を陰に属すと言うのは誤りである。

雌與雄,交會合元空;雄與雌,元空卦內推。蔣注:元空之義見於曾序江南節注。

雌と雄の交わり会うことは、「玄空」の理に合せねばならぬ。雄と雌の相配ることも、また玄空大卦のうちで推求せねばならぬ。蒋大鴻の注:「玄空」の二字の確切な含義は、すでに曽公安《青囊序》の「江南龍来江北望」のあの一節の注解に見えた。ここでは繰返さない。

山與水,須要明此理;水與山,禍福盡相關。蔣注:山有山之卦氣,水有水之卦氣,脫不得陰陽交媾之理,山有山之禍福,水有水之禍福,有山禍而水福,有山福而水禍,有山水皆福,有山水皆禍,互相關涉品配為用。

山を論ずるも水を論ずるも、みな必ずこの雌雄交媾の理を明白せねばならぬ。水と山の両辺の吉凶禍福は完全に牽連して一つにある。蒋大鴻の注:山には山のあの一辺の卦気があり、水には水のあの一辺の卦気がある。両辺とも陰陽交媾の道理を脱することはない。山には山の主する禍福があり、水には水の主する禍福がある:山のこちら辺が禍で水のあちら辺が福のがあり、山のこちら辺が福で水のあちら辺が禍のがあり、山水の両辺が倶に福のもあり、また山水の両辺が倶に凶のもある。二者は互いに牽渉し、合せて搭配して用いねばならず、ただ一辺を見るだけではいけない。

明元空,只在五行中;知此法,不須尋納甲。蔣注:九星五行大卦之法,只明元空二字之義,則衰旺生死了然指掌之間,不必尋幹納甲,坤納乙,巽納辛,艮納丙,兌納丁,震納庚,離納壬,坎納癸之天父地母一行所造卦例矣。

「玄空」を明白するには、全てこの一套の五行のうちにある。この法門を懂得すれば、もはや納甲のあの一套を捜しに行く必要がない。蒋大鴻の注:九星五行大卦の用法は、ただ「玄空」の二字の意思を弄り通せば、気運の衰旺生死が一目で瞭然として、掌の中にあるがごとし。もはや納甲を搬弄する必要はない――乾は甲に納り、坤は乙に納り、巽は辛に納り、艮は丙に納り、兌は丁に納り、震は庚に納り、離は壬に納り、坎は癸に納る――あのいわゆる「天父地母」の卦例は、あれは唐代の僧一行が造り出したものである。

顛顛倒,二十四山有珠寶;順逆行,二十四山有火坑。蔣注:顛倒順逆,皆言陰陽交媾之妙,二十四山陰陽不一,吉凶無定,合生旺則吉,逢衰敗則凶,山山皆有珠寶,山山皆有火坑,毫釐千里間不容髮,非真得青囊之秘,何以能辨之乎。

「顛顛倒」の訣竅を懂得すれば、二十四山の處處はみな珠宝である。順逆を一排し錯えれば、二十四山の處處はみな火坑である。蒋大鴻の注:いわゆる顛倒・いわゆる順逆は、講ずるところはみな陰陽交媾の妙用である。二十四山の陰陽は一変して成らず固定したものではなく、吉凶にも定準がない:当令の生旺の気に合すればすなわち吉、衰敗の気に碰えばすなわち凶。だから毎一山も珠宝であり得、毎一山も火坑であり得るのである。

認金龍,一經一緯義不窮;動不動,直待高人施妙用。蔣注:易雲幹為龍,幹屬金,乃指先天真陽之氣,無形可見者也,地理取義於龍,正謂此耳,一經一緯,即陰陽交媾之妙,金龍之經緯,隨處而有,而動與不動,去取分焉,必其龍之動,而後妙用出,蓋若不動者,不可用也,金龍既屬無形,從何可認,認得動處,即知用法,所以有待高人也歟。

「金龍」を認得せねばならぬ。その一経一緯の意味は無窮である。その動くか動かぬかに至っては、高明の人を待って妙用を施展せねばならぬ。蒋大鴻の注:《周易》に乾を龍と為すと言い、乾は五行において金に属す。指すところは先天真陽の気で、無形にして見えるものがない。地理家が「龍」を借りて命名するは、正にこの意を取る。いわゆる一経一緯とは、すなわち陰陽交媾の妙処である。金龍の経緯は随處にみなある。

第一義,要識龍身行與止;第二言,來脈明堂不可偏;第三法,傳送功曹不高壓;第四奇,明堂十字有元微;第五妙,前後青龍兩相照;第六秘,八國城門鎖正氣;第七奧,要向天心尋十道;第八裁,屈曲流神認去來;第九神,任他平地與青雲;第十真,若有一缺非真情。

第一の要義は、龍身が行なりや已に止なりやを認得すること。第二句に言うべきは、来脉と明堂の両辺はともに偏廃してはならぬこと。第三条の法則は、左右の護砂「伝送」「功曹」は本山に高き過ぎてはならぬこと。第四桩の奇処は、明堂の上に十字を定めるに精微の理があること。第五桩の妙処は、穴前穴後の龍虎が両々相照応すること。第六桩の秘処は、八方の缺口の「城門」が正気を鎖すこと。第七桩の奥処は、要するに…

蔣注:上節言金龍之動不動,而此節緊頂龍身行與止,學者不可忽也。蓋有動則有止,不動則雖有金龍,只是行龍,原無止氣。故高人妙用,以此為第一,有此一著,然後其餘作法,可次第而及也。來脈明堂不可偏,非謂來脈必與明堂直對,不可偏側也。若如所云,則子龍必作午向,亥龍必作巳向矣。來龍結穴變化不一,有直結者,有橫結者,有側結者,豈容執一。楊公之意,蓋謂來脈自有來脈之受氣,明堂自有明堂之受氣,二者須各乘生旺,兼而收之,不可偏廢也。

蒋大鴻の注:上一節は金龍の動と不動を講じ、この一節は緊接して龍身の行と止を講ずる。学者は軽易に放過してはならない。「動」あってこそ「止」がある。もし動かなければ、縦い金龍があっても、あれはただ過路の行龍で、もとより止聚の気はない。だから高人の用法は、この一条を列して第一と為す。先ずこの一着を立てて穩かにしてこそ、其余の作法が挨次に講じてゆける。「来脉明堂不可偏」は、言うところは…

傳送功曹乃左右護龍星辰。蓋真龍起頂,必高於護砂,乃為正結;若左右二星反壓本山,非龍體之正矣。平地亦然,貼身左右,有高地掩蔽,陽和房分不均,俗術所不覺也。十字符微,乃裁穴定向之法,雖云明堂,實從穴星內看十字。明此十字,則穴之上下左右,向之偏正饒減,盡於此矣。其云元微,誠哉其元微也歟。

「伝送」「功曹」とは、穴場の左右で来龍を護衛する二つの星峰である。真龍が頂を起せば、必ず護砂に高き過ぎて、はじめて正結と算える。もし左右のこの二つの星がかえって本山を圧し過ぐれば、それは龍体の正格ではない。平地もまた同じである:貼身の左右にもし高地の遮蔽があれば、陽光と気が遮ぎられ、各房に分ける気が均からず。この一層は庸術の察じられないところである。「十字元微」は、穴位を裁定し坐…を確する…

前後青龍兩相照,從□托龍虎定穴法者,此義易知。八國城也,八國有不滿之處,是曰城門。蓋城門通正氣之出入,而八國鎖之,觀其鎖定之方,便知是何卦之正氣,以測衰旺,而定吉凶也,故曰秘。天心十道,緊頂八國城門而來。蓋城門既定,正氣之來縱,又當於穴內分清十道,乃知八穴正氣,廣狹輕重,銖兩平衡□辨,故曰奧。此兩節專言入穴測氣,非論形勢也。不然,則與明堂十字,前後青龍兩條不幾於復乎。

「前後青龍両相照」は、およそ龍虎砂に憑って穴を定めることを懂得する人は、この一層の意は明白し易い。「八国」に至っては、指すところは穴場の周囲八方の形勢である。八方の中に缺けて満たぬ処があれば、すなわち「城門」と呼ぶ。城門は正気の出入の通道であり、八方の砂水がこれを鎖す。それが何れの方に鎖すかを看れば、進んで来るのが何れの卦の正気かを知り、これに拠ってその当旺か当衰かを測り、従而…

屈曲流神,巳是合格之地,然有此卦來則吉,彼卦來則凶者,□以屈曲而用之誤矣,須有裁度,乃可變通取用,故曰裁。以上皆審氣之真訣,至微至渺者,一著不到,將有滲漏而失真情矣。平地高山,總無二法。上八句,各是一義,末二句,不過叮嚀,以囑之,語氣奏□,借成十節耳。

水流が屈曲して情あれば、すでに合格の地と算える。しかし同じ屈曲でも、この卦から来れば吉・あの卦から来れば凶である。もしただその屈曲を見て一概に取り用いれば、用い錯う。必ず一番の裁度があって、変通して取捨することができる――だからこの一条を「裁」と呼ぶ。以上の講ずるところはみな審気の真訣で、精微幽渺の極処にある。ただ一着の照顧が到らなければ、気は渗漏して走失し、真情もまたなくなる。平…

明倒杖,卦坐陰陽何必想。蔣注:此以下二節,專指山龍穴法,平地無涉,因世人拘執淨陰淨陽之說,故一語破之,倒杖非必如俗傳十二倒仗法,此後人偽造也,只接脈二字,足盡倒杖真訣,既知接脈,便知真穴,既得真穴,使有真向,自然之陰陽巳得,又何必淨陰淨陽之拘拘哉。

「倒杖」の法を懂得すれば、坐山が陰に属すか陽に属すか、なお心を費やして猜想する必要があろうか。蒋大鴻の注:ここから下二節は、専ら山龍の点穴法を指し、平洋と関わりない。世人が「浄陰浄陽」の説法を死守するがゆえに、楊公ははじめて一句話を以てこれを点破した。「倒杖」は必ずしも俗伝のあの十二種の倒杖法ではない。あれは後人が僞造したものである。ただ「接脉」の二字が、倒杖の真訣を言い尽くした。既に懂り…

識掌模,太極分明必有圖。蔣注:山龍真,必有太極暈藏於地中,此暈變化不同,而其理則一,非道眼孰能剖露哉。

掌上の模様を認得せねばならぬ。穴中の太極は分明に必ず図形を現出する。蒋大鴻の注:山龍がもし真結ならば、地下に必ず一圏の「太極暈」を蔵している。この暈の形状は変化して一ならず、しかし道理はただ一つのみある。もし道眼を具備した人でなければ、誰かそれを剖き開いて顕露し出すことができよう。

知化氣,生剋制化須熟記。蔣注:生旺之氣為生,衰敗之氣為克,扶生旺之氣,勝衰敗之氣,是為制化,此一節兼平地而言。

気の転化を懂得せねばならぬ。生・克・制・化のこの幾項は必ず心に爛熟せねばならぬ。蒋大鴻の注:当令の生旺の気はすなわち「生」、失令の衰敗の気はすなわち「克」である。生旺の気を扶助し、衰敗の気を圧し過ぐ、これを「制化」と呼ぶ。この一節は平洋をも一倂に講ずるので、山龍に限らない。

說五星,方圓尖秀要分明;曉高低,星峰須辨得元微;鬼與曜,生死去來真要妙。蔣注:此三節,皆論山龍形體,不須另解,鬼曜之生死去來,是辨龍穴之要著也。龍之轉結者,背後必有鬼,有穴星如許長,而鬼亦如許長者,俗眼難辨,有反在鬼上求穴者,不知穴星是來脈為生,鬼身是去脈為死,察其去來,而真偽立辨矣。盡龍左右龍虎都生,曜氣向外反張,有似乎砂之飛走者,此真氣有餘直沖上前,而餘氣帶轉,如人當風振臂,衣袖飄揚反向後也。在真龍正穴,則為曜氣在,無有穴之地,則為砂飛,比其辨在龍穴,而不在砂也。

五星形体を講ずるは、方・円・尖・秀を分かち辨え清くせねばならぬ。高低を懂得し、星峰の間はさらにその中の精微を辨え出さねばならぬ。「鬼」と「曜」に至っては、それらの生死去来が最も要緊にして最も微妙である。蒋大鴻の注:この三節はみな山龍の形体を論ずるので、別に解説を作す要はない。ただ鬼・曜の生死去来は、龍穴を辨認する関鍵である。およそ龍身が転折して穴を結ぶのは、背後に必ず一段の「鬼」を拖し出す。

向放水,生旺有吉休囚否。蔣注:向中放水,世人莫不以來水特朝為至吉,去水元辰走洩為至凶,殊不知向上之水不論去來,若合生旺,則來固吉,去亦吉,若逢休囚,則去固凶,來亦凶。楊公因向上之水關係尤緊,其說最能誤人,故特辨之。

向き上に水を放つ、生旺に合すれば吉、休囚に落ちれば不吉である。蒋大鴻の注:向き上に水を放つと言えば、世人はみな来水が特に穴を朝するが最吉、去水が元辰の気を泄走するが最凶と認めている。彼らは明白しない:向き上の水は来るも去るも論せず、ただ当令の生旺の気に合せば、来るは固より吉なれど去るも同じく吉。もし休囚失令の処に落ちれば、去るは固より凶なれど来るも同じく凶。楊公は向き上の水の関係が特に…

二十四山分五行,知得榮枯死與生;翻天倒地對不同,其中密秘在元空;認龍立穴要分明,在人仔細辨天心;天心既辨穴何難,但把向中放水看;從外出入名為進,定知財寶積如山;從內生出名為退,家內錢財皆廢盡;生入克入名為旺,子孫高官盡富貴。

二十四山は各々五行を分かち、これに拠って気運の栄・枯・死・生を知る。「翻天倒地」の配対は處處同じからず、その中の秘密は「玄空」の二字にある。龍を認め穴を立つるに皆分明を要し、全て人が肯んじて仔細に「天心」を辨ずるかを看る。天心一旦辨じ清めば、点穴に何の難しきかあらん、ただ向き上にどう水を放つかを看るのみ。気が外から生じ入るを「進」と呼び、財宝の山と積むと断じうる。

蔣注:元空大卦之妙,祗翻天倒地對不同七字。二十四山既分定五行,則榮枯生死宜有一定矣;及其入用,有用於此時則吉、用於彼時則凶者,時之對不同者,其一也;有用之此處則吉、用之彼處則凶者,物之對不同者,又其一也。此其秘密之理,非傳心不可。

蒋大鴻の注:玄空大卦の妙処は、ただ「翻天倒地対不同」のこの七字の上にある。二十四山は既に五行を分定した以上、栄枯生死は本応に定準があるはずだが、しかし一旦実際の運用に至れば、即ち両種の情形が現れる:同一の処の地を、この時に用いれば吉・あの時に用いれば凶、これは「時」の上の对不同で、その一。同じ一つの時を、この地方に用いれば吉・あの地方に用いれば凶、これは「…」

天心,即上文第七奧之天心,另有辨法,非時師所謂天心十道也;若如時師之說,又何用仔細耶。天心既辨,則穴中正氣巳定,而撓其權者,在向中所放之水也。從外生入,從內生出,此言穴中所向之氣也。我居於衰敗,而受外來生旺之氣,所謂從外生入也;我居於生旺,而外來衰敗之氣,似乎我反生之,故云從內生出也。

ここの「天心」は、すなわち前文第七条の「要向天心尋十道」の天心で、別に一套の辨法がある。時下の術士の言うあの「天心十道」ではない。もし真に時師の講ずるがごとく簡単ならば、なお人に「仔細」せよと叮嚀する必要があろうか。天心一たび辨じ明れば、穴中の正気が定まる。而してこの主権を奪い去り局面を攪動するものは、向き上に放つ水にある。いわゆる「従外生入」「従内…」

此言穴中所向之氣,穴中既有生入之氣矣,而水又在衰敗之方,則水來克我,適所以生我也。內外之一生一克,皆成生旺,兩美相合,諸福畢臻,所以高官富貴有異於常也,其中正有對不同者存焉。舊注所云,小元空水生向克向為進神,向生水克水為退神,非是。青囊豈有兩元空五行邪。

これは仍お穴中の向き上の気に就て言う。穴中に既に生入の気を得て、而して水がまた衰敗の方に落ちれば、それでは水が来て我を克するは、恰恰として正に我を成全する。内外に一生一克あり、結果はみな生旺に帰し、両様の好処を一つに凑え、各種の福気が一斉に来る。だから高官を出し富貴を享くることが尋常の人家と同じからぬ。ここの中に正に「对不同」の道理を蔵している。旧注の言うあの一套の「小玄空」は…

脈息生旺要知因,龍歇脈寒災禍侵;縱有他山來救助,空勞祿馬護龍行。蔣注:此下二節總一篇之意,言先尋龍脈,以定穴之有無,次論九星,以辨氣之吉凶也。此一節先言形體,而以來龍之脈息為重,外砂之護夾為輕。

脉息の生旺はその縁由を知るを要す。龍が已に止歇し脉気が寒薄なれば、災禍が侵め来らんとす。この時縦い別処の山が来て救助し、禄星馬星が一路護送しても、亦た白く気力を費やすのみ。蒋大鴻の注:以下の二節は全篇を収束する意である:先ず龍脉を尋ねて、ここに究竟穴があるや無やを断定する。再び九星を論じて、その気の吉凶を分かち辨える。この一節は先ず形体を講じ、来龍の脉息を看ることを重くし、外囲の砂手の夾…

勸君再把星辰辨,吉凶禍福如神見;識得此篇真妙微,又見郭璞再出現。蔣注:此一節乃言卦氣,而以九星大五行為主,言如上節所云,雖得來龍脈息之真穴,而吉凶禍福尚未能取,必勸君再將挨星訣法,細審衰旺生死,而後可趨吉而避凶,轉禍而為福。一篇之旨不過如此,苟能識其微妙,前賢與後賢,一般見識,一般作用,青囊二卷更無餘義矣。

勧むる君がら再び九星を辨じ明くせよ、吉凶禍福が神明のごとく准確に看られる。この一篇の真の微妙処を識透すれば、それはすなわち郭璞の再世に等しい。蒋大鴻の注:この一節が講ずるは卦気で、九星大五行を主とする。意はいう:上一節の言うがごとく、縦い既に来龍脉息の真確の穴を得ても、吉凶禍福はなお准を取り難い。だから必ず勧めて君がら再び挨星の訣法を取り、細細に気運の衰旺を審察せよとする。

蔣注:總論楊公此篇其言,元空大卦挨星五行,即青囊經上卷,陽生於陰之義,而下卷理寓於氣之妙用也;其言倒杖太極暈五星脈息,即青囊經中卷,形止氣蓄之義,而下卷氣囿於形之妙用也。一形一氣括盡青囊之昌,而究其元機正訣,如環無端,不可捉摸,謂之曰奧語宜哉。

蒋大鴻の総論:楊公のこの一篇のうち、およそ玄空大卦挨星五行を講ずる処は、正に《青囊経》上巻の「陽は陰に生ず」の道理、すなわち下巻の言う「理は気に寓る」の実際の運用である。およそ倒杖・太極暈・五星・脉息を講ずる処は、正に《青囊経》中巻の「形止まり気蓄わる」の道理、すなわち下巻の言う「気は形に囿る」の実際の運用である。一つの「形」と一つの「…」

天玉経・内伝上

江東一卦從來吉,八神四個一;江西一卦排龍位,八神四個二;南北八神共一卦,端的應無差。

江東のこの一卦は従来吉で、それは八神の中に四位を経歴し、ただ一卦の事を管する。だから「四个一」と言う。江西のこの一卦は龍位を排するに、同じく八神の中に四位を経歴するが、しかし兼ねて両卦の事を管する。だから「四个二」と言う。南北のこの一卦は、八神が共に一卦を成し、三卦を包み尽くし、切実に推してゆけば応に毫も差錯なかるべし。この三句は《天玉経》の三般卦を講ずる総綱である。

蔣注:天玉內傳,即青囊奧語,挨星五行,玄空大卦之理。楊公妙用,止有一法,更無二門,此乃反覆其詞,以授曾安公者也。江南江北江東江西,曾序已先下腳註矣。但南北東西,應有四卦;而此云三卦者,緣玄空五行,八卦排來,止有三卦故也。江東一卦者,卦起於西,所謂江西龍去望江東,故日江東也。八神,即八卦之中,經四位而起父母,故曰八神。四個,言八神之中歷四位也。一者,此一卦祇管一卦之事,不能兼通他卦也。

蒋大鴻の注:《天玉経・内伝》が講ずるはすなわち《青囊奥語》のあの一套の挨星五行・玄空大卦の道理である。楊公の妙用はただ一つの法門で、再び第二条の路はない。ここでは不過把話を反復して幾遍か言っただけで、弟子の曽公安に伝えたのである。江南・江北・江東・江西のこの四個の名目は、曽公安が《青囊序》のうちで已に先んじて脚注を作した。方位に拠って言えば、南北東西の四方…

江西一卦者,卦起於東,反而言之,即謂江東龍去望江西亦可,故日江西也。亦於八卦之中,經四位而起父母,則亦曰八神。四個二者,此一卦兼管二卦之事,而不能全收三卦也。比如坎至巽,乃第四位,巽至兌,亦第四位;八卦之中各經四卦,故日八神四個也。

「江西一卦」は、この一卦が東辺から起るを言う。反って講すれば、「江東龍去望江西」と言うも同じく通ず。だから江西と称す。それは同じく八卦の中に四位を毎に一つの父母卦を起すので、「八神」とも呼ぶ。「四个二」は、この一卦が能く兼ねて両卦の事を管するが、しかし三卦を収め尽くせぬを言う。比方すると坎から数えて巽に至れば正に第四位、巽から数えて兌に至れば正に第四位。八卦の中に各々四を経歴す…

南北八神考,乃江北一卦,所謂江南龍來江北望也。不云四個者,此卦突然自起,不經位數,與東西兩卦不同也。八神共一卦者,此卦包含三卦,總該八神,又非八神四個二之比也。夫此東西南北三卦,有一卦止得一卦之用者,有一卦兼得二卦之用者,有一卦盡得三卦之用者,此謂玄空大卦秘密寶藏,非真傳正授,斷不能洞悉其妙旨也。俗注:寅至丙為東卦,申至壬為西卦,午至坤為南卦,子至艮為北卦非。

「南北八神」の指すはすなわち江北のあの一卦で、すなわち《序》の「江南龍来江北望」の意(原文の「考」は「者」の訛)。ここでは「四个」を言わぬは、この一卦が突然として自ら起り、数えて何位を経たかに及ばず、東・西の両卦の排法と同じからぬゆえ。「八神共一卦」と言うは、この一卦が三卦を包含し八神を総括し、また「八神四个二」の比べうるところではないゆえ。

二十四龍管三卦,莫與時師話,忽然知得便通仙,代代鼓駢闐。蔣注:二十四龍本是八卦,而八卦又分三卦,此玄空之秘,必須口傳。若俗注:丙本南離,而反屬東卦,壬本北坎,而反屬西卦,牽強支離,悖理之極。且云四個一者,寅辰丙乙四個,在一龍;四個二者,申戌壬辛四個,在二龍,又屬無謂。

二十四条の龍は統じて三卦の管轄に帰す。この話は尋常の術士に対して講ずるなかれ。一旦豁然として懂得すれば、人は仙機に通じ、子孫は代代車馬喧閧として顕貴絶えず。蒋大鴻の注:二十四龍は本来すなわち八卦で、八卦はまた併せて三卦に帰す。これは玄空の秘密で、必ず口々相伝せねばならぬ。俗注のごとき、丙は本来南方の離卦に属すのに硬くもそれを東卦に帰すと言い、壬は本来北方の坎卦に属すのに硬くもそれを西卦に帰すと言う、牽強…

天卦江東掌上尋,知了值千金;地畫八卦誰能會,山與水相對。蔣注:天地東西南北,皆對待之名,所謂陰陽交媾,玄空大卦之妙用也。此節方將山與水相對一言,略指一班,洩漏春光矣;非分天卦於江東,分山水相對於地卦也。若以辭害志,分別支離,即同痴人說夢矣。俗注:天卦地支從天干,以向論水神旺墓,地卦天干從地支,以龍論山水生死者,非。

天卦は江東に在り掌訣の上に在りて之を尋ぬべし。一旦之を知れば、価千金に値す。地の上に画く八卦を誰か能く真に領会せん。関鍵はすなわち山と水の両々相対するに在り。蒋大鴻の注:天と地・東と西・南と北は、みな相対待の名目で、講ずるはすなわち陰陽交媾、すなわち玄空大卦の妙用である。この一節は「山与水相対」の一句を用いて略々一点の消息を点出したにすぎず、已に春光を泄漏したと算える。

父母陰陽仔細尋上刖後相兼定上刖後相兼兩路看,分定兩邊安。蔣注:卦有卦之父母,爻有爻之父母,皆陰陽交媾之妙理。此節一刖後,指卦爻而言;一卦之中為父母,卦前卦後,偏旁兩路,即為子息,若不仔細審察,恐於父母之胎元不真,而陰陽有差錯矣。俗注:以一刖兼後為一大卦,屬向首;後兼一刖為地卦,屬龍家,為兩邊者,非。

父母卦の陰陽は仔細に之を尋ぬべし。前に兼ね後に兼ね、後に兼ね前に兼ね、みな定めて准たるを要す。前後相兼のこの両路はみな看清くせよ。両辺を各々分明に安放せよ。(原文の「刖」は「前」の形訛、下同。)蒋大鴻の注:卦には卦の父母があり、爻には爻の父母がある。講ずるはみな陰陽交媾の妙理である。この一節の言う「前」「後」は、卦と爻に就て言う:一卦の中気は父母、卦前卦後…

卦內八卦不出位,代代人尊貴;向水流歸一路行,到處有聲名;龍行出卦無官貴,不用勞心力;祇把天醫福德裝,末解見榮光。蔣注:八卦之內有三卦,在三卦之內,則為不出卦而吉,三卦之外,即為出卦而凶;向須卦內之向,水須卦內之水,上者皆歸本卦,則全美矣。天醫即巨門,上福德即武曲,此乃一行所造小游年卦例,以溷挨星之真者也。蓋謂世人誤認卦例為九星五行,必不能獲福也。

卦内の八卦は本位を出ず、人家は代代顕貴す。向と水が一路同じ卦に帰すれば、どこへ行っても声名あり。龍一旦本卦を行出れば、官貴の言うべきなし、再び心力を白費するなかれ。もしただ何の「天医」「福徳」を装うを知れば、終に栄耀を見えじ。蒋大鴻の注:八卦の内に帰併して三卦を成し、三卦の内に落ちればすなわち「出卦せず」と呼びて吉、三卦の外に落ちればすなわち「出卦」と呼ぶ…

倒排父母蔭龍位,山向同流水,十二陰陽一路排,總是卦中來。蔣注:倒排父母,即顛顛倒之義,陰陽交媾,皆倒排之法;山向與水神,必倒排以定陰陽。十二陰陽,即備二十四山之理,言雖有二十四位陰陽,總不脫八卦為父母也。

父母卦を倒に排して来て龍位を蔭護し、山・向と連ねて水神と一倂に看よ。十二対の陰陽は一路排し下ゆけば、根を帰し底を尽くせばみな卦の中から来る。蒋大鴻の注:「倒排父母」はすなわち《奥語》の言う「顛顛倒」の意。陰陽交媾に用いるはみな倒排の法である。山向と水神は、みな必ず倒排してこそ陰陽を定め出し得る。いわゆる「十二陰陽」は、すなわち二十四山の一陰一陽が対を成す…

關天關地定雌雄,富貴此中逢;翻天倒地對不同,秘密在玄空。蔣注:雌雄交媾之所,乃天地之關竅,知其關竅,而後交媾可定也。江南龍來江北望,江西龍去望江東,此為翻天倒地,已詳奧語注中。俗注:以辰戌丑未,為闢天關地,非。

天関を扣え地軸を扣えて雌雄を定む。富貴はすなわちこの中に求むべし。「翻天倒地」の配対は處處同じからず、秘密は全て「玄空」の二字に在り。蒋大鴻の注:雌雄交媾の所在は、正に天地の関竅である。先ずこの関竅を認得してこそ、交媾の処が定め得下る。「江南龍来江北望、江西龍去望江東」、これすなわちいわゆる翻天倒地で、已に《奥語》の注のうちに講じ詳しくした。

三陽水向盡源流,富貴永無休;三陽六秀二神當,上見入朝堂。蔣注:三陽者,丙午了也。天王青囊,既重挨星生旺矣,而此節提出主陽,別有深意,非筆舌所能道。六秀者,本卦之二爻,故日二神。天王以卦之父母為三吉,以卦之子息為六秀。俗注:艮丙巽辛兌丁為一八秀,非。

三陽の水と向は一路源流を窮め尽くせば、富貴は長久断えず。三陽・六秀のこの二神が位に当れば、人は得て上朝堂せん。蒋大鴻の注:いわゆる「三陽」は、丙・午・丁の三位を指す(原文の「了」は「丁」の訛)。《天玉》と《青囊》は既に既に挨星の生旺を着重した以上、この一節でまた特に「三陽」を提出するは、別に深意があって、筆墨口舌の言い尽くせるところではない。いわゆる「六…」

水到玉街官便至,神童狀元出,印緩若然居水口,玉街近臺輔,鼕鼕鼓角隨流水,豔豔紅旆貴。蔣注:鼓角紅施,皆以形象言。俗注:乾坤艮巽為玉街,長生前一位為鼓角,後二位為紅旆,非。

水が「玉街」の位に流れ到れば、官運すなわち到り、神童を出し状元を出す。「印綬」のごとき砂形がもし水口に居れば、玉街はすなわち宰輔の位に挨る。咚咚の鼓角の声が流水に随いて来る、鮮やかなる紅旗が招展する、みな貴い徴である。蒋大鴻の注:鼓角・紅旗のこれらの名目は、みな砂水の形象に就て譬えを取ったもの。俗注は乾坤艮巽を玉街に定め、長生の前一位を鼓角に定め、後二位を定め…

上按三才並六建,排定陰陽算;下按玉輦捍門流,龍去要回頭。蔣注:三才即三吉,六建即六秀,此節上二句論方位,故須排定陰陽。下二句論形勢;玉輦捍門,皆指去水,須纏身兜抱,故謂之日回頭也。俗注:以長生諸位為六建,及王輦捍門,俱就方位言者,非。

上一層は「三才」と「六建」に依りて、陰陽を排定して推算す。下一層は「玉輦」「捍門」の水流に依りて、龍の去る一頭はさらに回頭して穴を顧よ。蒋大鴻の注:三才はすなわち三吉、六建はすなわち六秀。この一節の上二句は方位を論ずるので、だから先ず陰陽を排定せねばならぬ。下二句は形勢を論ず。玉輦・捍門はみな去水を指し、必ず穴身を纏繞し兜抱して情あれよ。だから「回頭…」と言う。

六建分明號六龍,名姓達天聰;正山正向流支上,寡夭遭刑杖。蔣注:下二句,緊接上二句而言,水之取六建是矣。然卦之山向,在四隅卦中,則用本卦支神之六建;在四正卦中,又當用本卦於神之六建。若卦取正山正向,而水又流他卦之交上,是陰差陽錯,而必有寡夭刑杖之憂矣。學四正卦,而四隅卦不辨自明矣。此節以下,專辦干支零正陰陽純雜,毫釐千里之微也。

六建が分明なれば、六龍と称しうべし。名姓は能く天子の耳に上達せん。もし正山正尚を立てて、水が地支のあの一路に流れ去れば、家中に孤寡夭亡・刑杖を遭うの禍あらん。蒋大鴻の注:下二句は上二句に緊接して言う。水上に六建を取るは正しいが、しかし卦の山向がもし四隅卦の中に落ちれば、すなわち本卦の地支の六建を用いねばならず、四正卦の中に落ちれば、また本卦の天干の六建を用いねばならぬ(原文の「于神」は…)。

共路兩神為夫婦,認取真神路,仙人秘密定陰陽,便是正龍岡。蔣注:共路兩神,即一干一支也。一干一支皆可為夫婦,然有真夫婦、有假夫婦,真夫婦為正龍,假夫婦即非正龍矣。如巽已為真夫婦,丙午亦真夫婦,若已丙則不得為真夫婦矣。其他做此。

同一路上の両神が夫婦を結ぶ。真神のあの一路を認准せよ。仙人の秘伝した陰陽を定める法は、指すはこの一条の正龍岡である。蒋大鴻の注:いわゆる「共路両神」は、すなわち一つの天干に一つの地支を配す。およそ一干一支はみな夫婦に配成り得るが、しかしうちに真夫婦あり假夫婦あり:真夫婦こそ正龍なれ、假夫婦はすなわち正龍にあらず。譬如すれば巽と巳は真夫婦、丙と午もまた…

陰陽二字看零正,坐向須知病,若遇正神正位裝,發水入零堂,零堂正向須知好,認取來山腦,水上排龍點位裝,積粟萬餘倉。蔣注:青囊天玉,蓋以卦內生旺之位為正神,以出卦衰敗之位為零神;故陰陽交媾,全在零正二字,零正不明,生旺必有病矣。若知其故,而以正神裝在向上為生入,而以零神裝在水上為克入,則零堂正向,豈不兼收其妙乎。

陰陽のこの二字を講ずるは、「零神」「正神」を看るを要す。坐山と朝向ともし弄し錯えば、すなわち病に落ちん。もし正神を正位に装い、再び水を零神のあの一堂に発せしめば、零堂と正向を配して、好処は便知らん。さらに来山の脳(来脉の頂端)を認清し、水上に龍を排するも位に照らし装成すれば、すなわち万余倉の糧を積得ん。蒋大鴻の注:《青囊》《天玉》は本卦の内に当令生旺の位を以て「…」と為す。

向水既妙,而來山之腦,未必與坐向相合,又當認取果來之山,又與坐向同在卦內,則來脈又合;非但一向之旺氣而已,惟水亦然。蓋山有來山之腦,而水亦有來水之源,水龍即是山龍,亦須節節排去,點位裝成,果能步步零神,則水之來脈,與水之入口同一氣;山之坐向,與山之來脈同一氣。斯零正二途,別無閒雜,而為大地無疑矣。

向と水と已に配得妙なれど、しかし来山の脳は未だ必ずしも坐向と相合せず。さらに真に来るは何れの一座の山なるを認清せよ。もしそれもまた坐向と同じく一卦の内に在れば、それでは来脉も亦た合う。得るはただ向き上のこの一処の旺気のみならず。水のあちら辺も亦た同じ道理である。山には来山の脳があり、水にもまた来水の源あり。水龍はすなわち山龍に等しく、同じく一節一節と排し下り、位に照らし装成せんとす。もし真能く歩…

正神百步始成龍,水短便遭凶,零神不問長和短,吉凶不同斷。蔣注:此承上文而言,正神正位裝,向固吉矣;然其向中來氣,須深遠悠長,而後成龍,若然短淺,則氣不聚,難以致福。至於水則不然,一遇正神,雖一節二節,其煞立應矣。其零神之長短,又與正神有異,使零神而在水,雖短亦吉,若零神而在向,雖短亦凶;是零神之吉凶,在水向之分,而不繫乎長短也。

正神は行足百歩してこそ龍を成すと算え、水もし短促なれば便ち凶を遭わん。零神はしかし長短を問わず、吉凶は別に断法を作すを要す。蒋大鴻の注:これは上文に承接して言う。正神を正位に装えば、向は固より吉なれど、しかし向き上に来る気は必ず深遠悠長なりてこそ、はじめて龍を成すと算える。もし来ること短浅なれば、気は聚り住むこと能わず、福を致し難し。水のこちら辺はしかし同じからず:水一旦正神に碰えば、縦いただ一節二節でも、あの股の煞…

父母排來到子息,須去認生克,水上排龍點位分,兄弟更子孫。蔣注:亦承上文排龍而言,卦之中氣為父母,卦之二爻為子息,而本宮他卦之父母為兄弟。上二句言山上排龍,下二句一水上排龍。山上排龍,從父母排到子息,總是一卦,則卦氣純矣;然須認其卦之生克,若得卦之生氣,則純乎吉,若得卦之克氣,則純乎凶矣,豈可以其卦之純一,而遂謂吉哉。

父母卦から排して子息に至るまで、さらにその間の生と克を認清せよ。水上に龍を排するは位に照らし分けて看よ、さらに兄弟卦・子孫爻の分別あり。蒋大鴻の注:これもまた上文の排龍に承接して講ず。卦の中気を「父母」と呼び、卦の両爻を「子息」と呼び、本宮の内の別卦の父母を「兄弟」と呼ぶ。上二句は山上の排龍を講じ、下二句は水上の排龍を講ず。山上の排龍は、父母から排して子息に至る、通篇…

山上排龍來脈一路,大都只在一卦之內,至於水上排龍則不然,水有一路來者,亦有兩三路來者,故須照位分開,而不能拘一卦之父母,只要旁來之水,亦在父母一氣之卦,謂之兄弟。兄弟卦內又有子孫,雖非一父母,而總是一家骨肉,來路雖多,不害其為吉也。凶者反是。

山上の排龍は、来脉ただ一路のみ、大抵一卦の内を出ず。水上の排龍はすなわち同じからず:水は一路に来るもあり、また両三路に来るもある。だから必ず位に照らし分けて看よ。一卦の父母を死守してはならぬ。ただ傍から来る水も父母と同一口気の卦の上に落ちれば、すなわち「兄弟」と呼ぶ。兄弟卦のうちにまたさらに子孫爻あり。同じ一つの父母にあらずと雖も、終帰すれば一家の骨肉、来路は再び多かるも不…

二十四山分兩路,認取五行主,龍中交戰水中裝,便是正龍傷,前面若無凶交破,莫斷為凶禍,凶星看在何公位,仔細認蹤由。蔣注:此一節,專指卦之差錯者而言。兩路者,陰陽生死也;二十四山,每山皆有兩路,非分開二十四山歸兩路也。兩路之中,須認取五行之所主,五行所主,貴在清純。若龍中所受之氣,既不清純,而吉凶交戰矣,倘能以水之清純者救之,庶龍氣遇水之制伏,而交戰之凶威可殺;奈何又將龍中交戰之卦,裝入水中,則生氣之雜出者,不能為福,而死氣之雜出者,適足為禍,正龍有不受其傷者乎。

二十四山は各々両路に分かつ。五行が誰に由りて主と為すかを認清せよ。龍の上に已に吉凶交戦あり、またこの交戦の卦を装いて水の中に入れば、正龍すなわち傷を受く。もし前面に凶星の交破なければ、なお凶禍と断じ作すこと能わず。凶星は何れの一房の位次に応ずる、仔細にその来龍去脉を認めよ。蒋大鴻の注:この一節は専ら卦気の差錯の情形に就て講ず。いわゆる「両路」は、陰と陽・生と死の両路。二十…

然水之差錯,其力足以相勝,吉多者吉勝凶,凶多者凶勝吉。入口雖然交戰,而來水源頭,若無凶星變破,則氣猶兩平,雖不致福,亦未可據斷為凶禍。且凶星之應,亦有公位之分,吉凶雙到之局,只看某房受著,便於此房斷其有禍,不受奢者亦不應也。非如純凶不雜之水,房房受其殃禍之比,故其蹤又當仔細認雲。

不過水上の差錯は、力量は足りて相互に抵制す。吉の成分多ければ、すなわち吉は凶を圧し過ぐ。凶の成分多ければ、すなわち凶は吉を圧し過ぐ。水口のこの一段は吉凶交戦すると雖も、ただ来水の源頭に凶星が来て変破するなくんば、気はなお両平と算え、致福に至らずと雖も、亦た一口に凶禍と咬み定めること能わず。何况んや凶星の応験にはさらに「公位」(房分)の別あらんや。吉凶双至の格局は、ただ何れの一房が…を受くるを看る。

先定來山後定向,聯珠不相妨,須知細覓五行蹤,富貴結金龍。蔣注:此節單指山上龍神而言。青囊天玉,原以來山所受之氣,與向上所受之氣,分為兩局;然兩局又非截然兩路,故云聯珠不相妨。此不可約略求之者也,須當細覓蹤跡;若是富貴悠久之地,必然來山是此卦,而向首亦是此卦,一氣清純,方得謂之全龍耳。

先ず来山を定め、後に朝向を定む。両者は連珠のごとくして並び相妨げず。須く細細に五行の踪迹を尋ぬべし、富貴はじめて金龍に結成せん。蒋大鴻の注:この一節は単に山上の龍神を指して言う。《青囊》《天玉》は本来すなわち来山の受くる気と向上の受くる気とを分かちて両局と作す。しかるに両局はまた截然として分かるの両条路ではない。だから「聯珠不相妨」と言う。この一層は大概斉しく求むること能わず、必…

五行若然翻值向,百年子孫旺,陰陽配合亦同論,富貴此中尋。蔣注:此節上二句言山上龍神,下二句言水裡龍神。五行翻值曏者,五行之旺氣值向也;翻即翻天倒地之翻,言生旺氣翻從向上生入也。山管人丁,故云百年子孫旺,而富貴亦在其中矣。陰陽配合,水來配合也,亦與向上之氣同論,但用法有殊耳。水管財祿,故云富貴此中尋,而子孫亦在其中矣。

五行の旺気もし向上に翻れば、百年の内に子孫興旺せん。陰陽配合も亦たこの道理に照らして論ぜよ。富貴はすなわちこの中に尋ぬべし。蒋大鴻の注:この一節の上二句は山上の龍神を講じ、下二句は水裏の龍神を講ず。「五行翻値向」は、五行の旺気が正に向上に当るを言う。「翻」はすなわち「翻天倒地」の翻で、意は生旺の気が翻り転じて来て向上から生じ入る。山は人丁を管す。だから百年の子…

東西父母三般卦,算值千金價,二十四路出高官,緋紫入長安,父母不是未為好,無官只富豪。蔣注:此節發明用卦之理,重卦體而輕爻,重父母而輕子息;蓋同一生旺,而力量懸殊也。言東西,而南北在其中矣。青囊天玉之秘,只有三般卦訣,若二十四路不出三般卦之內,則貴顯何疑,然卦內又當問其是父母之卦否,高官緋紫,必是父母之氣,源大流長,所以貴耳。若非父母,而但乘爻神子息之旺,則得氣淺薄,僅可豪富而已。

東・西父母のこの三般卦は、算え来れば千金に値す。二十四路はみなこの三般卦を出ず、すなわち高官を出し、緋袍紫袍を着て長安に進まん。もし父母卦にあらざれば、すなわち真好と算えず。官爵なく、ただ富豪を為すのみ。蒋大鴻の注:この一節は用卦の道理を闡明す:卦体を重んじ爻位を軽んじ、父母を重んじ子息を軽んず。同じ生旺と雖も、力量は相懸殊たるゆえ。ここに東・西を言えば、南北も亦た中に包まる…

父母排來看左右,向首分休咎,雙山雙向水零神,富貴永無貧,若遇正神須敗絕,五行當分別,隔向一神仲子當,千萬細推詳。蔣注:此亦承上文,用卦須父母而言,父母排來,要排來山之龍脈也;來山屈曲,必不能盡屬父母,兼看左右兩爻子息若何。若於息純清不雜,又須向首所受之氣,逢生旺則休,逢衰敗則咎。若雙山雙向卦氣錯雜,須得水之外氣,悉屬零神克入相助,剛雙山雙向,為水神所制伏,而富貴可期矣。萬一水路又屬正神,則生出克出,兩路皆空,而敗絕不能免矣。

父母を排し下ればさらに左右の両爻を看よ。向首の上に吉と咎とを分け出す。双山双尚を零神の水に配せば、富貴は長久にして貧せず。もし碰うは正神ならば、すなわち敗絶せん。五行は必ず分かち辨え清くせよ。向を隔てるあの一神は仲子(次子)の身に応ず。千万に細細に推詳せよ。蒋大鴻の注:これもまた上文の「用卦須取父母」に承て講ず。いわゆる「父母排来」は、来山の龍脉を排し来るを要す。来山…

公位之說,乃因洛書八卦震兌坎離,而定杯仲季三子之位,隔向一神,猶在離卦之內,故日仲子。天玉略露一班,以為分房取驗之矩矱;言仲而孟季可類推矣。

「公位」(分房)の説法に至っては、洛書八卦の中の震・兌・坎・離の四卦に依りて、孟・仲・季の三子の位次を定め出す(原文の「杯」は「孟」の訛)。向を隔てるあの一神は仍お離卦の範囲の内に在り。だから仲子の身に応ずと言う。《天玉》はただ略々この一点を露すのみ、分房取験の准縄と為さんとす。仲子を言えば、孟子・季子はすなわち照様に類推し得る。

若行公位看順逆,接得方奇特;宮位若來見逆龍,男女失其蹤。蔣注:承上文仲子一神,而概言公位之說。順則生旺,逆則死絕。然不云生死,而曰順逆者,若論山上龍神,則以生氣為順,死氣為逆,若論水裡龍神,則又以死氣為順,生氣為逆故也。

もし公位に拠って推さば、順か逆かを看るを要し、接得上してこそ奇特と算える。もし某一房の位次の上に来るが逆龍ならば、あの一房の男女はすなわちその踪影を失わん(人丁凋零)。蒋大鴻の注:これは上文の「仲子」の一神に承著て、概括的に公位の説を講ず。順はすなわち生旺、逆はすなわち死絶。しかし楊公は生死を言わずして順逆を言うは、ゆえある:山上の龍神を論ずるは、生気を以て順と為し死気を以て逆と為す。水を論ずるは…

更看父母下三吉,三般卦第一。蔣注:通篇皆明父母三般卦理,反覆詳盡矣,終篇復申言之,若曰千言萬語,只有此一事而已,無復他說也,蓋致其叮嚀反覆之意雲。

最後にさらに父母卦の下の三吉を看るを要す。三般卦は第一に要緊のもの。蒋大鴻の注:整篇の講ずるはみな父母三般卦の道理で、已に反復して言うこと甚だ詳尽なり。篇末に到りまた再び申説一遍す。すなわち言うに等し:千言万語、ただこの一件の事のみ、再び別の話なし。これは不過把叮嚀反復の意を表達して底に至らしめんとするのみ。

内伝中(天玉経)

二十四山起八宮,貪巨武輔雄,四邊盡是逃亡穴,下後令人絕。蔣注:此節反言以見旨,興起下文之意,言一行所作小游年卦例,以二十四山起八官,而取貪巨武輔為四吉,若其說果是,則宜乎隨手下穴,皆吉地矣,何以四邊盡是逃亡穴,下後反令人敗絕哉;則知卦例不足信,而別有真機,如下文所云也。

二十四山に照らし八宮を起し、貪狼・巨門・武曲・左輔を四吉星と標榜せば、結果は四面みな逃亡の穴と為り、葬し下れば人家をして絶嗣せしむ。蒋大鴻の注:この一節は反って言うて、本意を襯し出し以て下文を引起さんとす。意はいう:僧一行の造りし小游年卦例は、二十四山を用いて八宮を起し、貪・巨・武・輔を取って四吉と為す。もしこの一套の説法が真に立脚すれば、それでは手に随い穴を点ずる処…

惟有挨星為最貴,洩漏天機秘。天機若然安在內,家活當富貴;天機若然安在外,家活漸退敗。五行配出九星名,天下任橫行。蔣注:緊接上文。卦例既不可用,惟有挨星玄空大五行,乃為陰陽之最貴者,天機秘密,不可流傳於世,但可偶一洩漏而已。安在內,不出三般卦之內也;安在外,出三般卦之外,出卦不出卦,福禍迥分,安得不貴耶。夫挨星五行,非如游年卦例,但取四吉而已。蓋八卦五行,配出九星,上應斗杓,知九星之作用,便可橫行於天下,無不響應矣,卦例云乎哉。

ただ挨星のみ最も貴し、それが泄漏するは天机の秘密。天机もし「内」に安んずれば、家道当に富貴に興るべし。天机もし「外」に安んずれば、家道は漸漸に退敗せん。八卦五行は九星の名目を配出す。これを懂ればすなわち天下に任せて横行せん。蒋大鴻の注:これは上文に緊接して言う。卦例既に用い得ざれば、ただ挨星玄空大五行のみ陰陽の学のうち最も貴重のものなり。天机の秘密は、流れ可らず…

幹維乾艮巽坤壬,陽順星辰輪;支神坎離震兌癸,陰卦逆行取。分定陰陽歸兩路,順逆推排去;知生知死亦知貧,留取教兒孫。蔣注:此節分出玄空大卦干支定位,以足前篇父母子息之義。四維之卦,以天干為主者也,幹維曰陽;四正之卦,以地支為主者也,地支曰陰,此陰陽非交媾之陰陽也。知卦之所主,則父母子息,不問而自明矣。

四維の乾・艮・巽・坤に一つの壬を加え、陽の一路に拠って順に星辰を輪排す。四正の坎・離・震・兌に一つの癸を加え、陰卦に拠って逆に取用す。陰陽を分定して両路に帰し、一順一逆と推排して下ゆけば、どこが生でどこが死でどこが貧かを知る。この一套の法門を留下して児孫を教えん。蒋大鴻の注:この一節は玄空大卦の干支の定位を分け出し、以て前篇の父母・子息の義を補足せんとす。四…

其陰陽兩路,每一卦中,皆有陰陽兩路可分,非將八卦分為兩路,何者屬陰,何者屬陽也。其順逆推排,即陰陽兩路分定之法,非乾艮巽坤為陽順,坎震離兌為陰逆,若如此分輪,則皆順也,何云逆乎。至於四卦之未,各綴一字,曰壬曰癸,此又挨星秘中之秘,可以心傳,而不可以顯言也。

陰陽両路に至っては、毎一卦の中にみな陰陽両路を分け出し得るので、決して八卦を整个りに分かちて両撥と為し、何れの几卦か陰に属し何れの几卦か陽に属すと言うのではない。いわゆる順逆推排は、すなわちこの両路の陰陽を分定する方法で、決して乾・艮・巽・坤は陽に属すれば一律に順排し、坎・震・離・兌は陰に属すれば一律に逆排するのではない。もしあの様に分輪せば、実は全て順排で、どこにまた逆かあらん。四卦に至っては…

天地父母三般卦,時師末曾話,玄空大卦神仙說,本是此經訣,不識宗枝但亂傳,開口莫胡言,若還不信此經文,但覆古人墳。蔣注:曰天地,曰東西,曰父母,曰玄空,曰挨星,名異而實同,若於字義屑屑分疏,則支離矣。此節蓋恐學者得傳之後,以為太易而輕忽之,故極言讚美,以鄭重其辭,非別有他義也。說到覆古人墳,是徵信實著,予得傳以來,洞徹玄空之理,今效注此經文,駁一刖人之謬,直捷了當,略無畏縮,皆取信於覆古人墳,蓋驗之已往,券之將來,深信其一毫之無誤,自許心契古人,而可以告無罪於萬世也。

天地父母のこの三般卦は、時下の術士は従来講じたことなし。玄空大卦は神仙の説法、本来すなわちこの部の経の口訣。宗・枝の分別を認得せずして胡乱に伝授すれば、口を開くに切に瞎説するなかれ。もしなおこの部の経文を信ぜざれば、すなわち古人の墳を覆看せよ。蒋大鴻の注:天地を言い東西を言い父母を言い玄空を言い挨星を言うも、名目は同じからずと雖も実質は一件事。もし字面の上に一々分…

分卻東西兩個卦,會者傳天下,學取仙人經二,切莫亂談空,五行山下問來由,入首便知蹤。蔣注:此亦叮嚀告戒之語,而歸重於入首,蓋入首一節,初年立應,尤不可不慎也。

東・西の両卦を分かち辨え清くせよ。領会する人は天下に伝行し得る。学ばんとすればすなわち仙人のこの部の経を学べ。切に胡乱に玄を談じ空を説くなかれ。五行の山の下にその来由を追問せば、入首の一節を見てすなわちその踪迹を知らん。蒋大鴻の注:これもまた叮嚀告誡の話で、着重は「入首」の上に落つ。入首のこの一節は、葬後の頭の几年にすなわち応験を刻む。尤も慎重せざるべからず。

分定子孫十二位,災禍相連值,千災萬禍少人知,克者論宗枝。蔣注:此節,直糾時師誤認子孫之害;蓋子孫自卦中分出,位位不同;豈如俗師幹從支,支從幹,二十四路,止作十二位論;若如此論法,必致葬者災禍相連值矣。既遭災禍,而俗師終不知所以災禍之故,胡猜亂擬,或雲下凶,或云支凶,總非真消息也。夫災禍之發,乃龍氣受克所致,而龍氣之受克,實不在干支,蓋有為干支之宗者焉,所謂父母是也。知其宗之受克,則知干支亦隨之而受克,所以不免災禍矣。此深言十二位分子孫之說,其謬如此。

子孫を硬くも十二位に分かてば、災禍すなわち接続して来らん。千般の災・万般の禍、その縁故を知る人甚だ少なし――克を受くるは「宗」の上より論ずるを要し、枝の上より論ずるにあらず。蒋大鴻の注:この一節は直接に時師の子孫を誤認して造成する禍害を糾正す。子孫は卦の中より分かち出ずるもので、位位各々相同じからず。哪が俗師のごとく、天干は地支に随い地支は天干に随いて、二十四路をただ十二位と作す…

五行位中出一位,仔細秘中記,假若來龍骨不真,從此誤千人。蔣注:此節又詳言出卦不出卦之密旨。蓋同一出位,而有卦內卦外之不同,若在卦內時,則似出而非出,若在卦外,則真出矣。此中有秘,當密記之。在卦內,則龍骨真;在卦外,則龍骨不真矣。

五行の位次の上に一位を多出す。この一層は仔細に秘訣のうちに記せよ。假如来龍の骨脉真ならざれば、此より千人を誤り尽くさん。蒋大鴻の注:この一節はまた細かく「出卦」と「不出卦」の密旨を講ず。同じく本位を出たると雖も、しかし卦内に落つると卦外に落つるの分別あり。もしなお本卦の内に在れば、あれは出るに似て実は出ざるなり。もし已に卦外に到れば、あれこそ真に出たるなり。この中に秘訣あり…

一個排來千百個,莫把星辰錯,龍要合向向合水,水合三吉位,合祿合馬合官星,本卦生旺尋,合凶合吉合祥瑞,何法能超避,但看太歲是何神,立地見分明,成敗斷定何公位,三合年中是。蔣注:一個排來,變化不一,故有千百個也。龍向水相合,前篇已盡。祿馬官星,在本卦生旺則應,不然則不應;此見生旺為重,而祿馬官星,在所輕矣。

一卦を排し開けば変じ出ずること千百を為し得。切に星辰を配し錯るなかれ。龍は向に合い、向は水に合い、水は三吉の位に合到せよ。再び禄に合い馬に合い官星に合い、みな本卦の生旺の処に尋ぬべし。凶に合い吉に合い祥瑞に合うに至っては、何の方法を以て躲避せん。ただ流年太歳は何れの一位の神なるを看よ。当下すなわち分明なり。成敗は何れの一房に応ず、三合の年份を看れば便知らん。蒋大鴻の注:一…

排星仔細看五行,看自何卦生,來山八卦不知蹤,八卦九星空,順逆排來各不同,天卦在其中。蔣注:五行總在何卦中生,不在干支中定,所謂父母子息也。不知八卦蹤跡,何從而來,則九星無處排矣。蓋星卦之順逆,各有不同,即此一卦入用,或當順推,或當逆推,有一定之氣,而無一定之用,所謂天下諸書對不同也。要而言之,則玄空二字之義盡矣。

星を排する時は仔細に五行を看よ、それが究竟何れの一卦より生出ずるを看よ。もし来山が何れの卦に属すを摸著踪跡せずんば、八卦九星は全て空に落ちん。順排逆排は各々同じからず。天卦の道理はすなわちこの中に在り。蒋大鴻の注:五行は終帰すれば某一卦の中に生出ずるもので、干支の上に定むるにあらず。これすなわちいわゆる父母と子息。もし八卦の踪迹はどこより来るを知らざれば、九星は排し起すに由なし…

甲庚丙壬俱屬陽,順排五行詳;乙辛丁癸俱屬陰,逆推論五行。陰陽順逆不同途,須向此中求;九星雙起雌雄異,玄關真妙處。蔣注:此略舉干神卦氣之例。陽四干,則順推入卦;陰四干,則逆推入卦;一順一逆,雖不同途,而此中有一定之卦氣,可深求而得者。至其每卦之中,皆有一雌一雄,雙雙起之法,乃陰陽交媾,玄關妙處也,又不止一卦有一卦之用而已。舉八干,而支神之法,亦在其中矣。

甲・庚・丙・壬はみな陽に属し、順に排し開けて詳しく五行を推す。乙・辛・丁・癸はみな陰に属し、逆に推して五行を論ず。陰と陽・順と逆は同じ一条の路を走らず、必ずこの中に求めねばならぬ。九星は双双として起り雌雄の別あるを要す。これこそ玄関の真の妙処。蒋大鴻の注:ここではただ略々天干の一路の卦気の例を挙げた。四つの陽干は順推して卦に入り、四つの陰干は逆推して卦に入る。一順一逆は同途ならずと雖も、その中に一定の卦気あり。肯んじて深く求めればすなわち求め得られん。

東西二卦真奇異,須知本向水,本向本水四神奇,代代著緋衣。蔣注:此節又重言向水,各一卦氣兼收生旺之妙,向上有兩神,水上有兩神,故曰四神。

東・西の両卦は真に奇異なり。必ず本卦の向と本卦の水を懂得せよ。本向・本水が凑えて「四神」の奇を成せば、子孫は代代緋袍を身に着けん。蒋大鴻の注:この一節は再び向と水とが各々一卦の気を占め、みな兼ねて生旺を収め得る妙処を強調す。向上に両神あり、水上に両神あり、合せてだから「四神」と呼ぶ。

水流出卦有何全,一代作官員,一折一代為官祿,二折二代福,三折父母共長流,馬上錦衣遊,馬上塹頭水出卦,一代為官罷,直山直水去無翻,場務小官班。蔣注:水不出卦,須折折在父母本宮,若折出本官,雖折而後代不發矣。馬上塹頭,即一折父母,便流出卦,如塹頭而去也。本卦水,又以曲折為貴,乃許世代高官,若止直流,雖然本卦,而官職卑矣。

水が一旦本卦を流出せば、何の完全かあらん。至多一代の官員を出すのみ。一折は一代の官禄に応じ、両折は両代の福に応じ、三折はみな父母卦の上に長く流れて断えず、すなわち錦衣を着て馬上に游び得ん。もし剛に馬上に至りて堑頭に到り、水便ち卦を出れば、あれも亦たただ一代の官を為して完了すのみ。山直水直にして去りて回らざれば、最多も場務のごとき小官を為すのみ。蒋大鴻の注:水が卦を出ざるは、必ず毎一折もなお父母の本宮に在るを要す。もし本宮を折出せば、折あると雖も後代も亦た発せず。いわゆる「馬上堑頭」…

天玉経・内伝下

乾山乾向水朝乾,乾峰出狀元;卯山卯向卯源水,驟富石崇比;午山午向午來堂,大將值邊疆;坤山坤向坤水流,富貴永無休。蔣注:此明玄空大卦,向水兼收之法;舉四山以例其餘,皆卦內之純清者也。乾宮卦內之山,作幹官卦內之向,而收幹官卦內之水,則龍向水三者,俱歸生旺矣,非回龍顧祖之說也。或云狀元,或云大將,或云驟富者,亦舉錯以見意,不可拘執。

乾山は乾向に配し、水がまた乾を朝せば、乾方に峰を起して状元を出す。卯山は卯向に配し、水がまた卯に発源せば、骤然として暴富して石崇に比す可し。午山は午向に配し、水が午方より来て明堂に入れば、大将を出し辺疆を鎮守す。坤山は坤向に配し、坤方の水が長く流れれば、富貴長久衰えず。蒋大鴻の注:これは玄空大卦の向と水とを兼収する法門を講じ、この四座の山を挙げて例と為す。其余は類推し得る。言うはみな卦内に一気純清の情形である。乾宮卦内の山を用い、乾宮卦内の向を立て、再び乾宮卦内の水を収めれば、それでは…

辨得陰陽兩路行,五行要分明,泥鰍浪裡跳龍門,渤海便翻身。蔣注:陰陽兩路,上文屢見,此重言以申明之耳。下二句,言變化之易。

陰陽のこの両路がどう走るを辨え清めば、五行はじめて分明なり。その時泥鰌も亦た浪裏に龍門を跳び越え、転眼に渤海の中に翻身して龍と化せん。蒋大鴻の注:陰陽両路は上文已に多次講じ到った。ここは不過重ねて一遍言い申明するのみ。後二句は一旦訣を得んや、変化の速く且つ易きを形容す。

依得四神為第一,官職無休息。穴上八卦要知情,穴內卦裝清。蔣注:前篇本向本水四神奇,是姑置來龍;而但重向水。此節穴上八卦要知倩,又從穴上逆推到來龍,以補四神之不及。穴上是龍,穴內即向也。

能く「四神」に依るは第一等。官職は連綿として断えず。穴上の八卦は情形を摸清くせよ。穴内の卦は装いて乾浄せよ。蒋大鴻の注:前篇の「本向本水四神奇」を講ずるは、暫く来龍を撇開し、ただ向と水を看重した。この一節の「穴上八卦要知情」を言うは、また穴上より倒推して来龍に回り、以て「四神」の講じて足らぬ処を補足す。穴上の指すは龍、穴内の指すはすなわち向。

要求富貴三般卦,出卦家貧乏。寅申已亥水長流,五行向中藏。辰戌丑未叩金龍,動得永不窮。若還借庫富後貧,自庫樂長春。蔣注:前篇甲庚壬丙一節,是四正之卦,此節又補四隅之卦,觀此,則支水去來凶之言,當活看,不可死看矣。辰戌丑末,雖俗云四庫,其實玄空不重墓庫之說,借庫出卦也,自庫不出卦也,是重在出卦不出卦,不重墓庫也。

富貴を求むるは、全て三般卦の上に在り。一旦卦を出れば、家道は貧乏す。寅・申・巳・亥方の水が長く流れて断えずんば、五行の妙用はすなわち向の中に蔵る。辰・戌・丑・未方より叩き動かせば金龍動き、動けば便ち永遠に窮尽せず。もし「借庫」ならば、先ず富して後に貧す。もし「自庫」ならば、はじめて長く春光を享け得ん。蒋大鴻の注:前篇の甲・庚・壬・丙のあの一節の講ずるは四正の卦。この一節はまた四隅の卦を補上す。これに由りて見れば、地支の水の去来を凶と言う話は、活看するを要し、死看するべからず。辰戌丑…

大都星起何方是,五行長生旺。大旆相對起高崗,職位在學堂,捍門官國華表起,山水亦同例,水秀峰奇出大官,四位一般看。蔣注:此節言水上星辰,即山上星辰,只要得生旺之氣,在山在水,一同論也。

大略に言えば、星辰は何れの一方より起るを以て是と為す。全て五行が生旺を得るや否やを看よ。大旗のごとき高岡は両々相対して起り、職位の顕達・学官に居るを主る。捍門・官国・華表のこの類の砂形は水口に起り、山上水上に一例として看待す。水が秀麗・峰が奇特なれば大官を出す。この四種の位置は一様に論ず。蒋大鴻の注:この一節が言うは水上の星辰はすなわち山上の星辰に等しきこと。ただ生旺の気を得んや、山に在るも水に在るも、みな同じ一つの道理に照らして論ず。

坎離水火中天過,龍墀移帝座;寶蓋鳳閣四維朝,寶殿登龍樓;罡劫吊煞休犯著,四墓多消鑠;金技玉葉四孟裝,金箱玉印藏。蔣注:坎離水火一句,乃一章之所重,其餘星宿,總是得生旺,則加之美名;逢死絕,則稱為惡曜,名非有定,星隨氣變者也。

坎離水火の気は中天を経過す。すなわち龍墀の帝座を遷移するがごとし。宝蓋・鳳閣の諸星は四維より来て朝す。宝殿龍楼に登るがごとし。天罡・劫煞・弔煞は冲犯するなかれ。四墓の方は多く煞気を銷磨し得。金枝玉葉の一類の砂は四孟の位に装えば、すなわち金箱玉印をその中に蔵せん。蒋大鴻の注:「坎離水火」のこの一句こそ整章の重点。其余のあの星宿の名目は、終帰すれば生旺を得ればすなわち好き聞える名を加え、死絶に逢えばすなわちそれを悪曜と称す――名目は並び定準なく、星は随…

帝釋一神定縣府,紫微同八武。倒排父母養龍神,富貴萬年春。蔣注:帝釋丙也,八武壬也,紫微亥也。帝釋神之最尊,故以縣府名之;其實陰陽二宅得此,貴之極矣。然其妙用在乎倒排,非正用也。

「帝釈」のこの一神は県府の貴を定む可し。「紫微」と「八武」も亦た同類。父母卦を倒に排して来て龍神を養い住せば、富貴は便ち万年長春せん。蒋大鴻の注:帝釈は丙を指し、八武は壬を指し、紫微は亥を指す。帝釈は諸神の中の最も尊き者、だから「県府」を取りてそれを称す。実は陰宅陽宅がこの一位を得れば、貴は極点に到る。しかしその妙用は「倒排」に在り、正位に照らして用いるにあらず。

識得父母三般卦,便是真神路,北斗七星去打劫,離宮要相合。蔣注:上二句,引起下文之義,言識得三卦父母,已是真神路矣,猶須曉得北斗七星打劫之法,則三般卦之精髓方得,而最上一乘之作用也。北斗云何。知離宮之相合,即知北斗之義矣。

父母三般卦を認得せば、すなわち真神の路に走上る。再び「北斗七星去打劫」を懂得し、さらに離宮と相合せよ。蒋大鴻の注:上二句は下文を引出す意で、三卦父母を認得せば、已に真神路に走上ると算え得るが、しかしさらに「北斗七星打劫」の法門を暁得してこそ、はじめて三般卦の精髓を取ったと算え、あれは最上一乗の作用。北斗は究竟何を指す。離宮がどう相合するを懂得せば、すなわち北斗の含義を懂得せん。

子午卯酉四龍岡,作祖人財旺;水長百里佐君王,水短便遭傷。蔣注:取子午卯酉,以其父母氣旺也,言四正,則四維可以例推矣;水短遭傷,以其出卦之故。

子・午・卯・酉のこの四条の龍岡は、用いて祖山と為せば人丁財禄は両旺せん。水が長くして百里に至れば、能く君王を輔佐し、水一旦短促なれば便ち傷を受けん。蒋大鴻の注:子午卯酉を取るは、それらの父母の気が旺なるがゆえ。四正を言えば、四維はすなわち例に照らし類推し得る。水が短きに遭傷するゆえは、それが卦を出たるがゆえ。

識得陰陽兩路行,富貴達京城,不識陰陽兩路行,萬丈火坑深。蔣注:此即顛顛倒之意,皆上文所已言,而詠歎之。

陰陽のこの両路がどう走るを認得せば、富貴は京城に通達し得。陰陽両路を認得せざれば、すなわち万丈深き火坑に掉ち入らん。蒋大鴻の注:これは仍お「顛顛倒」の意で、上文已にみな言い過ぎた。此処は不過詠嘆一番するのみ。

前兼龍神前兼向,聯珠莫相放,後兼龍神後兼向,排定陰陽算。明得零神與正神,指日入青雲,不識零神與正神,代代絕除根。蔣注:龍神向首,皆有兼前兼後之法,兼者,父母兼子息,子息兼父母,此即正神零神之義。

前に兼ぐる龍神にはすなわち前に兼ぐる向に配せよ。連珠のごとく放開するべからず。後に兼ぐる龍神にはすなわち後に兼ぐる向に配せよ。陰陽を排定して再び算えよ。零神と正神を弄明白すれば、指日の間に便ち平歩青雲せん。零神と正神を分かち辨え清めざれば、すなわち代代絶嗣して根を断たん。蒋大鴻の注:龍神と向首とはみな「兼前」「兼後」の法門あり。いわゆる兼とは、すなわち父母が子息に兼ね子息が父母に兼ね、これすなわち…

倒排父母是真龍,子息達天聰;順排父母到子息,代代人財退。蔣注:父母子息,皆須倒排,而不用順排;如旺氣在坎癸,倒排則不用坎癸,而得真旺氣,順排則真用坎癸,而反得殺氣矣。似是而非,毫釐千里,玄空大卦千言萬語,惟在於此。

父母卦を倒に排してこそ真龍なれ。子息は能く名が天子に達せん。順に父母を排して子息に至れば、すなわち代代人丁財禄が双退せん。蒋大鴻の注:父母なりと雖も子息なりと雖も、みな必ず倒排せよ、順排する能わず。譬えば旺気が坎・癸に在れば、倒排すれば恰恰と坎癸を用いず、かえって真の旺気を得る。順排すればすなわち真に坎癸を用い、かえって殺気を得る。これは是に似て非なる処、毫厘を差えば千里を謬る…

一龍宮中水便行,子息受艱辛;四三二一龍逆去,四子均榮貴;龍行位遠主離鄉,四位發經商。蔣注:此節又申言本卦水,須折折相顧,若一折之後,便出本卦,雖然得發,必受艱辛矣,必三四節逆去,皆在本卦,乃諸子齊發也。位遠,即出卦,一出卦,即主離鄉;若出卦之後,又歸還本卦,反主為商,得財而歸,其應驗之不爽如此。

はじめて一龍の宮に在れば、水すなわち径直流れ去り、子息はすなわち苦を喫らわん。四・三・二・一と一路逆に回れば、四個の児子はみな栄顕富貴せん。龍行の位次が遠き過ぎれば、主人は離郷せん。第四位に到れば、すなわち経商して財を発するを主る。蒋大鴻の注:この一節はまた本卦の水は必ず折折相顧せよと申説す。もしはじめて一節を折ればすなわち本卦を出れば、縦い発達すると雖も、亦た必ず辛苦を喫尽せん。必ず三四節とも逆に回るを要し…

時師不識挨星學,只作天心摸,東邊財穀引歸西,北到南方推。老龍終日臥山中,何嘗不易逢,祇是自家眼不的,亂把山岡覓。蔣注:東邊財穀二句乃托喻,即江南龍來江北望之意,玄空妙訣也。嘆息世人不得真傳,胡行亂走,旨哉言乎。

時下の術士は挨星の学を懂せず、ただ「天心」の上に瞎摸す。東辺の財穀を偏ねて西辺に引き去り、北辺のを南の方に推し去る。老龍は整日山中に臥し、どこが碰え難きか。ただ自家の眼力が准確ならず、胡乱に山岡の上に瞎找するのみ。蒋大鴻の注:「東辺財穀」の二句は比喩を打つ、すなわち「江南龍来江北望」の意で、正に玄空の妙訣。楊公はここで世人が得…と嘆息す。

世人不知天機秘,洩破有何益,汝今傳得地中仙,玄空妙難言,翻天倒地更玄玄,大卦不易傳,更有收山出殺訣,亦兼為汝說,相逢大地能幾人,個個是知心,若還求地不種德,隱口深藏舌。蔣注:篇終述敘傳授之意,深戒曾公安之善寶之也。結語歸重於種德,今之得傳者,不慎擇人,輕洩浪示,恐雖得吉地,不能實受其福矣;而洩天寶者,重違先師之戒,其不幹造物之怒,而自取禍咎者,幾希矣。

世人は天机の秘密を懂せず、泄破して彼らに対してまた何の好処かあらん。汝が今得る伝授は已に地中の神仙の術。玄空の妙は言説し難し、「翻天倒地」はさらに玄のまた玄。この一套の大卦は軽易に人に伝うべからず。この外にさらに「収山出煞」の口訣あり、亦た一倂に汝に説き聞かせん。能く大地に碰える人は几人有らん。個個みな知心たるを要す。もしただ地を求めて積徳を肯んぜざれば、すなわち…

宝照経・上篇

楊公妙應不多言,實實作家傳,人生禍福由天定,賢達能安命,貧賤安墳富貴興,全憑龍穴真。龍在山中不出山,掛在大山間,若是沙曲星辰正,收得陽神定,斷然一葬便興隆,父發子傳榮。蔣注:此一節,專論深山出脈,老龍幹氣,生出嫩枝之穴。

楊公の妙応の術は廃話を多く言わず、句句は実実在在の伝家の本领。人の一生の禍福は天より注定し、賢達の人は能く命に安んず。貧賤の人家は一座の墳を安んずればすなわち富貴に興起せん。全て龍が真に穴が的なるに頼る。ある龍はすなわち山中に在り、並び山を出ず、大山の間に挂る。ただ砂手が弯曲し星峰が端正し、陽神の気を収得て安定せば、あれは必ず一葬すれば興隆し、父輩は発跡し児輩は継続して栄…

好龍脫劫出平洋,百十里來長;離祖離宗星辰出,此是真龍骨;前途節節出兒孫,文武脈中分;直見大溪方住手,諸山皆不走;個個回頭向穴前,城郭要周完;水口亂石堆水中,此地出豪雄。若得遠來龍脫劫,發福無休歇;穴見陽神三折朝,此地出官僚;不問三男並五子,富貴房房起。津湖溪澗同此看,衣祿榮華斷。大水大河齊到處,千里來龍住;水口羅星鎖住門,似大將屯軍;落頭定有一星形,非火士即金。正脈落平三五里,見水方能止。二水相交不用砂,只要石如麻;更看磷石高山鎖,密密來包裡;此是軍州大地形,細說與君聽。

好き龍は粗劫を脱し平洋に走出し、一来れば百十里の長さ。祖山を離れ宗山を脱開して別に星峰を起す。これこそ真龍の骨。前頭に一節一節と児孫の枝脚を生出し、文を出し武を出すはすなわち脉の中に分判す。一直に大溪を見てはじめて手を収め、衆山はみな再び前へ跑らず、個個回頭して穴前に朝向し、四囲の城郭は周全完整を要す。水口に乱石が水の中に堆るは、この地は豪傑を出す。もし遠来の龍が劫を脱して結ぶ能あれば、福を発すれば停歇の時なし。穴前に陽神の水が三度折転して来朝を見れば、この地方は官僚を出す。三個の児子と雖も五個の児子と雖も、房房みな富貴を起せん。渡口・湖泊・溪澗も亦たこの看法に照らして衣禄栄華を断ぜよ。大水大…

蔣注:此一節,專言大干傳變,行龍盡結之穴,謂之脫劫龍,又名出洋龍。雖云城郭要周完,總之城郭都在龍身上見,不必於穴上見。蓋龍到脫劫出洋,雖眾山擁衛而行,前節群支翼張,羽儀簇簇;至於幾經脫卸之後,近身數節,將結穴時,龍之蹤跡愈變,而龍之機勢愈疾,此非左右二砂所能幾及,往往龍只單行,譬之大將,匹馬單刀,所向無言,一時偏裨小校,都追從不及,所以有不用砂之說也。

蒋大鴻の注:この一節は専ら大干龍の一路伝逓変化し、行き尽きて穴を結ぶ情形を講ず。この種の龍を「脱劫龍」と呼び、また「出洋龍」と呼ぶ。経文は「城郭要周完」と言うと雖も、実は城郭はみな龍身の上に看り出ずるもの、必ずしも穴場の上に尋ねず。龍が脱劫出洋の段階に走到れば、前の几節は固より衆山の擁衛して行くあり、枝脚は羽翼のごとく張り開き随从簇簇たり。しかし几たび脱卸を経て、穴身に靠近するあの几節が将に穴を結ばんとする時、龍の踪迹は変ずるに奇を越え、龍の機勢は走るに急を越える。これは已に左右の両砂の追趕し得上るところではなく、往々にして龍はただ単身独行す。譬えば一員の大将が匹馬単刀にて向うところ阻まるなし、一時の間にあの偏将小校はみな跟上がらざるがごとし――だから「不用砂」の説法あらん。

高山不甚重水,獨此等龍穴以水為證者,何與。山剛水柔,水隨山之行以為行,山不隨水之止以為止,而云直見大溪方住者,非謂山脈遇水而止也;正因山脈行時,水不得不與之俱行,則山脈息時,水不得不與之俱息。故幹龍大盡之地,自然兩水交環,有似乎千里來龍,遇水而止也。

高山龍は本来水を甚だ看重せず、何ぞ単々この一類の龍穴は水を取りて証と為さん。山は剛に属し水は柔に属し、水は山の行くに随いて行くもの、山は並び水の止まるに随いて止まるにあらず。経文に「直見大渓方住手」と言うは、決して山脈が水に碰えて拦まれたと言うにあらず。山脈が走る時に水は跟いて一起走らざるべからず、それでは山脈が止息する時に水もまた跟いて一起に止息せざるべからず。だから干龍が大尽頭の地方に走到れば、自然に両水の交環あらん。看れば千里来龍が水に遇て止まるがごとし。

既云不用砂,而又云密密包裡者,何也。夫結穴之處,雖不取必於兩砂齊抱,要之真龍憩息之際,定不孤行,外纏夾輔,隱隱相從;水口星辰,有時出現,大為硤石,小為羅星,近在數里,遠之二三十里,皆不可拘。前所謂砂,指本身龍虎而言;後所謂鎖,指外護捍門而言也。

既に「不用砂」と言う、何ぞまた「密密来包裹」と言う。穴を結ぶ地方は、必ずしも両砂の斉しく抱るを非とせずと雖も、真龍の歇息の際は、総じて孤零零たる一条と為らず、外囲に必ず纏護夾輔の山が隠隠として相随う。水口の上の星辰は時に現れ出ずる:大きなるは硤石と為り、小さきなるは羅星と為り、近きはただ几里を隔て、遠きは二三十里、みな拘定する能わず。前面の言う「砂」は、指すは本身の龍虎砂。後面の言う「鎖」は、指すは外囲護衛の捍門。

只要石如麻,則不止謂水口而已,正言本身結穴之地。蓋幹龍剝換數十節,其渡水崩洪,穿田過峽,不止一處,若非石骨龍行,何以見真籠結體,今人見平地塾阜,誤認來龍,指為大地,正坐此弊也。凡去山數里,即有高阜,或由人工,或出天造,既無真脈相連,又不見石骨稜起,總不謂之龍穴;所以落平之龍,重起星辰,必要石如麻也。有石脈乃為真龍,有石穴乃為真穴。

「只要石如麻」のこの一句は、単に水口を指すにあらず、正に本身の穴を結ぶあの地を言う。干龍は剥換して幾十節、その間水を渡り崩洪し田を穿り峡を過ぐること、一処に止まらず。もし石骨が支撐して龍身が走るにあらざれば、何に憑って真龍の結体を看り出さん。今人は平地上の一個の土堆を見て、すなわち誤認して来龍と作し、指して大地と為す。毛病は正にここに出る。およそ山を離れて几里すればすなわち高阜あるは、あるは人工の堆したる、あるは天生の、既に真脉の相連なるなく、また石骨の棱起を見ず、一概にみな龍穴と算えず。だから平地に落ちた龍は重ねて星峰を起さんを要し、必ず石頭が麻子のごとく多きを要す。石脉あるはじめて真龍、石穴あるはじめて真穴。

山龍五星皆結穴。其云落頭一星,獨取火土金者,大約近祖支龍,蜿蜓而下,都結水木;出洋乾結,踴躍而起,都作火土金,雖不可盡拘,而大體有如是者。前章一葬便興,父發子榮,是言山中支結,龍樨而局窄,往往易發。此章言發福無休歇,五子房房起,是言出洋大盡,龍老而局寬,往往遲發而久長,意在言表也。姜氏日,前章言山谷初落之穴,此一言出洋盡結之穴。山龍之法,雖不盡於此,而大略已備於此矣。

山龍の五星形体はみな穴を結び得。経文に落頭のあの一星はただ火・土・金の三種を取ると言うは、大致はゆえある:祖山に靠近する支龍は蜿蜒として下り、多く水星・木星を結成す。而して出洋の干龍が穴を結ぶは、往々として踊躍として起り、多く火星・土星・金星を作す。これは一概に拘定する能わずと雖も、大体の上で確かにこのごとし。前一章の「一葬便興、父発子栄」を言うは、山中の支龍の結ぶ所を講じ、龍はなお稚嫩・格局は狭窄、往々として発し易し。この一章の「発福無休歇、五子房房起」を言うは、出洋して大尽頭に到るを講じ、龍は已に老成・格局は寛大、往々として発すること遅く而して長久――意はみな言外に在り。姜垚が言う:前一章の講ずるは山谷の中の初落の穴、この一章の講ずるは出洋の尽頭の結ぶ穴。山龍の法門はこれに止まらずと雖も、大略は已にここに具備す。

天下軍州總住空,何曾撐著後頭龍,祗向水神朝處取,莫說後無主,立穴動靜中間求,須看龍到頭。蔣注:此節以下,皆發明平洋龍格,與山龍無涉矣。楊公唐未人,唐之言軍州,猶今之言郡縣也。蓋以軍州為證,見城邑鄉村,人家墓宅,凡落平洋,並不論後龍來脈,但取水神朝繞,便為真龍憩息之鄉。夫地靜物也,水動物也;水之所止,即是地脈所鍾,一動一靜之間,陰陽交媾,雌雄牝牡,化育萬物之源。所謂玄竅相通,即丹家玄關一竅也。此便是龍之到頭,非舍陰陽交會之所,而別尋龍之到頭也,識得此竅,則知平洋真龍訣法,而楊公寶照之秘旨盡矣,看龍到頭有口訣。

天下の軍州はみな空処に坐す。何れの一処か背後に来龍を撑る。ただ水神の朝抱する地方に向いて之を取れ。背後に主山なしと説くなかれ。穴を立つるは一動一静の間に於て之を求めよ。さらに龍の到頭処を看清くせよ。蒋大鴻の注:この一節より下は、講ずるはみな平洋龍の格局で、山龍と関わりなし。楊公は唐末の人、唐人の言う「軍州」は、今の言う郡県に相当す。彼は軍州を取りて例証と為すは、人をして見しめんとす:城邑鄉村・人家の墳墓宅第、およそ平洋に落つるは、みな背後の来脉を講究せず、ただ水神の朝繞を取る。あそこはすなわち真龍の歇息の郷。地は静の物、水は動の物。水が止み下る地方は、正に地脉の精気の鍾聚する処。一動一静の間に、陰陽交媾・雌雄牝牡の相配す、すなわち化育万物の根源。いわゆる「玄竅相通」は、すなわち丹家の講ずるあの一処の玄関一竅。ここはすなわち龍の到頭で、並び陰陽交会の所を撇開し、別に何の龍の到頭を尋ねず。この竅を認得せば、すなわち平洋真龍の訣法を懂り、楊公《宝照》の秘旨も亦た尽くその中に在り。龍の到頭をどう看るに至っては、別に口訣あり。

楊公妙訣無多說,因見黃公心性拙,全憑掌上起星辰,類聚裝成為妙訣。大山喚作破軍星,五星所聚脈難分,但看出身一路脈,到頭要分水士金;又從分水脈脊處,便把羅經照出路,節節同行過峽真,前去必定有好處。子字出脈子字尋,莫教差錯丑與壬,若是陽差與陰錯,勸君不必費心尋。

楊公の妙訣は本来幾多の話もなし。ただ黄居士の心思の笨拙なるを見、はじめて全て掌上に星辰を起し、同類を帰聚して一套の妙訣を装成した。およそ大山を一概に破軍星と喚ぶは、五星混聚・脉絡分かち難き処。ただそれの出身のあの一路の脉を看る、到頭に水・土・金の三星を分け出すを要す(原文の「士」は「土」の訛)。再び分水脉脊のあの地方より、すなわち羅盤を取りてそれの出て行く路を照定す。一節一節は同じく一卦の上に走り、峡を過ぐるはじめて真と算え、前へ往かば必ず好穴あらん。子字が脉を出ればすなわち子字の上に尋ねよ。それを錯えて丑字・壬字の上に行かしむるなかれ。もし陽差陰錯を犯せば、汝に再び心を費やして尋ぬるなかれと勧む。

蔣注:自此章以下,皆楊公平洋秘訣,字字血脈,而又字字隱謎,非真得口口相傳,天機鈐訣者,未許執語言文字,方寸羅經,而妄談二十四山八卦九星之理也。苟得口傳心授,則雖愚夫樨子,可悟楊公心訣;不得口傳心授,縱智過千夫,讀破萬卷,何能道隻字耶。此書乃楊公當日裝成掌訣,傳與黃居士妙應者。

蒋大鴻の注:この一章より下は、みな楊公の平洋秘訣で、字字はみな血脉の相連なる関鍵、同時に字字はまた隠語謎面。真に口口相伝・天机の鑰匙を得た人にあらずんば、凭って几句の字面話・一個の方寸大の羅盤を以て、胡乱に二十四山・八卦・九星の道理を談ずるを許さず。もし口伝心授を得れば、縦い愚夫稚子も亦た楊公の心訣を悟り出し得。口伝心授を得ざれば、縦然聡明は千人に勝れ書万卷を破すと雖も、またどこに一字を説き出さん。この部の書は正に楊公が当年に掌訣を装成し、黄妙応居士に伝えたもの。

大山喚作破軍星,言水法渙散迷茫之處,五星混雜,出脈未見分明,概名之日破軍,而不入龍格;祇取龍神一路出身之脈,其脈又分水土金三星,合貪巨武為吉,餘星皆所不取。此三星者,乃形局之星,非卦爻方位之貪巨武也,學者切莫誤認。

いわゆる「大山喚作破軍星」は、水法の涣散迷茫の地方を言い、五星混雑し、脉を出して看り分かち明けざれば、すなわち一概にそれを破軍と呼び、龍格に列入せず。ただ龍神の一路出身のあの条の脉を取る。この条の脉はまた水・土・金の三星を分かち、恰も貪狼・巨門・武曲の三吉に合す。其余の星は一概に取らず。注意すべきは、この三星は形体格局に就て言う星で、卦爻方位の上の貪・巨・武ではない。学者は切に弄混すなかれ。

自分水脈脊以下,乃屬方位理氣矣,故云便把羅經照出路也。蓋看得水神龍脈,既合三吉星格,其地可以取裁,乃將指南辨其方位,以定卦之合不合也;合卦則用之,不合卦仍未可用也。節節同行,卦無偏雜,乃許其為過峽脈真,而知言去定有好穴;不然,則行龍先見駁雜,到頭何處剪裁。

「分水脉脊」のこの一句より下は、講ずるはすなわち方位理気に属す。だから「便把羅経照出路」と言う。意はいう:先ず水神龍脉が三吉星の形格に合するや否やを看よ。この地は裁取するに値すれば、再び羅盤を取りてその方位を辨え、以て卦気が合するや否やを判定す。卦に合するはじめて用い得、卦に合せざれば仍お用い得ず。一節一節とも同一卦の上に走り、卦気の偏雑なき、はじめて峡を過ぐる脉は真と許し、亦た前へ往かば必ず好穴あるを知る。然らざれば、行龍は一開始より駁雑、到頭に到りてまた何の裁剪かあらん。

子字以下,乃直指看龍訣法,而舉坎卦一卦為例。若出脈是子字,須行龍只在於字一官之內,乃為卦氣清純;如偏於左,而癸與丑雜,是子癸一卦,而丑字又犯一卦也;如偏於右,而壬與亥雜,是壬子一卦,而亥字又犯一卦也。此為卦中之陽差陰錯,非全美之龍,故云不必費心尋也。

「子字出脉子字尋」以下は、直接に龍を看る訣法を点出し、坎卦の一卦を取りて例と作す。假如出脉が子字なれば、行龍は必ずただ子字のこの一宮の内に在りてこそ、卦気はじめて清純と算える。もし左辺に偏向せば、癸と丑とが夾雑して進来す:子・癸は本来一卦、しかし丑字はまた別の一卦に犯り去る。もし右辺に偏向せば、壬と亥とが夾雑して進来す:壬・子は本来一卦、しかし亥字はまた別の一卦に犯り去る。これすなわち卦中の陽差陰錯で、十全の龍にあらず。だから心を費やして尋ぬるに及ばずと言う。

子癸午丁天元宮,卯乙西辛一路同,若有山水一同到,半穴乾坤艮巽宮,取得輔星成五吉,山中有此是真龍。

子と癸・午と丁は天元宮に属し、卯と乙・酉と辛も亦た同じ一路(原文の「西」は「酉」の訛)。もし山と水とが一同に到来せば、穴はすなわち半分が乾・坤・艮・巽の四隅宮に落ち入る。能く再び輔星を取得して「五吉」を凑成せば、山中にこの様の格局あらばじめて真龍なり。

蔣注:此承上節羅經照過峽,詳言方位理氣,即天王玄空大卦之作用也。其法分子午卯西為天元宮,寅申巳亥為人元宮,辰戌丑未為地元宮,隱然天元之妙理,引而不發,欲使學者得訣方悟,其敢妄洩天秘,犯造物之忌哉。此取四仲之支為天元宮者,非此四支皆屬天元,乃謂此四支之中有天元龍者存也。

蒋大鴻の注:これは上一節の「羅盤を取りて峡を照過ぐ」に承接して来る。細かく方位理気を講じ、すなわち《天玉》玄空大卦の実際の用法。その分法は:子・午・卯・酉は天元宮に属し、寅・申・巳・亥は人元宮に属し、辰・戌・丑・未は地元宮に属す。天元の妙理はその中に隠蔵し、楊公はただ引きて発せず。学者に口訣を得せしめてこそ領悟せんと欲す――彼はどこ敢えて乱に天机を泄して造化の忌を触犯せんや。ここで四仲の支を取りて天元宮を作すは、決してこの四支が全て天元に属すと言うにあらず、この四支の中に天元龍を含有すると言うのみ。

而其本文又不正言子午卯酉乙辛丁癸,必錯舉子癸午丁卯乙酉辛者,此其立言之法,已備出脈審峽定卦分星之密旨,觀一路同三字,同中微異,須知剖別,已在言外。下文乃全露其機云,八宮同到,半穴乾坤艮巽宮矣。一同到,非謂此八官一同到也,亦非謂八宮之山與八官之水一同到也;謂此四支中任舉一支,與此四干中一干比肩同到,即雜乾坤艮巽之氣矣。蓋子午卯酉,本是四正之龍,而與八干同到,即有一半四隅之龍,不可不辨,辨之不清,則欲取天元,而非純乎天元矣。

而して経文はまた偏ねて正正経経に「子午卯酉、乙辛丁癸」と写さず、必ず交錯して「子癸午丁、卯乙酉辛」と写成す。この種の措辞は本体已に出脉・審峡・定卦・分星の密旨をみな含め入れた。「一路同」のこの三字を看よ。同の中にさらに細微の差別あり。必ず剖分を懂得せよ。この層の意は已に言外に在り。下文にしてはじめて機関を全て露し出す:八宮が一同に到れば、穴はすなわち半分が乾坤艮巽宮に落ち入る。いわゆる「一同到」は、この八宮が一斉に到るを言うにあらず、また八宮の山と八宮の水が一斉に到るを言うにあらず。この四個の地支のうちに任に一支を挙げ、あの四個の天干のうちの一干と並肩同到せば、それでは乾坤艮巽の気に摻雑し入る。子午卯酉は本来四正の龍、一旦八干と同到せば、すなわち半分が四隅の龍と為る。この一層は辨えざるべからず。辨え清楚せざれば、本想天元を取らんとするも、得るは純粋の天元にあらざらん。

末二句,輔星五吉,指天元官最清者言。蓋天元龍雖包諸,而九星止有三吉,恐日久發洩太盡,末祚衰微,故須兼收輔弼官龍神,合氣入穴,以成五吉,然後一元而兼兩元,龍力悠遠不替矣,故目之曰真龍,極其讚美之辭也。此節言山者,皆指水;蓋平洋以水為山,水中即有山矣。

末尾の両句の講ずる「輔星五吉」は、天元宮のうち最も清純の情形に就て言う。天元龍は包羅すること広しと雖も、しかし九星のうちにただ三吉のみ。時日の久しきに発泄して尽き過ぐるを怕れ、後世の衰落せんを恐る。だから必ず輔・弼の両宮の龍神を兼収し、気を合して一処に穴に収め入れ、「五吉」を凑成す。こうすれば一元の中に兼ねて両元を得、龍力は悠遠にして衰えず。だからそれを「真龍」と称す――これは極力に賛美の説法。この一節のうちに凡そ「山」を言う処は、実はみな水を指す。平洋は水を以て山と為せば、水の中にすなわちまた山あるゆえ。

輔星即是九星中左輔右弼,蓋有二例。一、則九宮卦例,以一白配貪狼,二黑配巨門,三碧配祿存,四綠配文曲,五黃配廉貞,六白配武曲,七赤配破軍,八白配左輔,九紫配右弼,此天玉經玄空大卦之定理也。

「輔星」はすなわち九星のうちの左輔・右弼。それには両套の配法あり。第一套は九宮卦例:一白は貪狼に配し、二黒は巨門に配し、三碧は禄存に配し、四緑は文曲に配し、五黄は廉貞に配し、六白は武曲に配し、七赤は破軍に配し、八白は左輔に配し、九紫は右弼に配す。これは《天玉経》玄空大卦の定理。

一、則八宮卦例,將輔弼二星並一官,分配八卦,制為掌訣,二十四山繫於納甲之下,互起貪狼,為立向消水之用,陽宅天醫福德,亦同此訣,竊以之彰往察來,皆無明驗;蓋即天玉所辨二十四山起八宮,唐一行所造,後人指為滅蠻經者也。二說真偽判然,不可以誤認。

第二套は八宮卦例:輔・弼の両星を併せて一宮と為し、八卦の上に分配し、掌訣に編成し、二十四山を納甲の下に挂り、互いに貪狼を起し、用いて向を立て水を消す。陽宅の上の講ずる「天医」「福徳」も亦た同じ一套の訣。我は私にそれを取りて已往を検験し将来を推測すれど、みな明確の応験を得ず。これ正に《天玉》の批ずる「二十四山起八宮」で、唐代の僧一行の手より出ず。後人は之を《滅蛮経》と称す。両套の説法は孰れが真孰れが僞か一目瞭然。弄錯する能わず。

五吉,即三吉;蓋形局九星,以水土金三星,為貪巨武三吉,而輔弼為入穴收氣之用;方位九星,亦有三吉,雖以貪狼統龍,而每宮自有三吉,不專取巨武。此節天元宮兼輔為五吉,中有隱語,非筆墨所敢盡,既云五吉,則分輔弼作兩星以配九官,其非八宮之訣明矣。若在人地兩元,別有兼法,見諸下文。此節以下所舉干支卦位,俱帶隱謎,若從實推詳,不啻說夢,非楊公言外之真旨矣。

いわゆる「五吉」は、実はすなわち三吉。形局の上の九星は、水・土・金の三種の星体を以て貪・巨・武の三吉と作し、而して輔弼は穴に入り気を収める時に用う。方位の上の九星も亦た三吉あり。貪狼を以て龍気を統領すと雖も、しかし毎一宮は自らその三吉あり。決して専ら巨門・武曲を取らず。この一節の講ずる天元宮が輔を兼ねて五吉を成すは、その中に隠語を帯び、筆墨の敢えて和盤托出するにあらず。不過既に「五吉」と言えば、すなわち輔・弼を分かちて両星と為し九宮に配すると説明す。あれは八宮のあの一套の訣にあらざるも、亦た甚だ清し。人元・地元の両元に至っては、別に兼取の法あり。下文に見よ。この一節以下の挙げる干支卦位は、みな隠謎を帯び、もし字面に照らし老老実実に推せば、夢話を説くに異ならず。楊公の言外の真意にあらず。

辰戊丑未地元龍,乾坤艮巽夫婦宗,甲庚壬丙為正向,脈取貪狼護正龍。蔣注:此取四季之支為地元龍者,亦謂此四支中有地元龍者存也;此四支原在乾坤艮巽卦內,故曰夫婦宗。此元氣局逼隘,不能兼他元為五吉,止取貪狼一星,真脈入穴,護衛正龍根本。則卦氣未值,其根不搖,卦氣已過,源遠流長,斯為作家妙用。貪狼即在甲庚壬丙之中,故但於此取正向乘正脈,與天人兩元廣收五吉者有殊,不言輔星,輔弼已在其中故也。楊公著書,泛論錯舉之中,其金針玉線,一絲不漏,蓋如此。

辰・戌・丑・未は地元龍に属し、乾・坤・艮・巽と夫婦同宗を結ぶ(原文の「戊」は「戌」の訛)。甲・庚・壬・丙は正向を立て得。脉の上に貪狼を取りて正龍を護衛せよ。蒋大鴻の注:ここで四季の支を取りて地元龍を作すは、同じくこの四支の中に地元龍を含有すると言う。この四支は本来すなわち乾坤艮巽の卦の内に在り。だから「夫婦宗」と言う。地元のこの一元の気局は狭窄局促して、天元のごとく別元を兼取して五吉を凑成する能わず。ただ貪狼の一星を取り得のみ、真脉をして穴に入らしめ、正龍の根本を護持せん。こうすれば卦気はなお輪到せざる時に根基は動揺せず、卦気は已に過去せる時に仍お源遠流長。これすなわち行家の妙用。貪狼はすなわち甲・庚・壬・丙の中に在り。だからただここで正向を取り正脉に乗ず。天元・人元の両元の広く五吉を収める做法と同じからず。此処に輔星を提せざるは、輔弼が已にうちに含まれ在るがゆえ。楊公が書を著す、看れば泛泛と談じ錯雑に挙例するに似て、実は金針玉線一糸も漏らさず、すなわちこの様子。

寅申巳亥人元來,乙辛丁癸水來催,更取貪狼成五吉,寅坤申艮御門開,巳丙宜向天門上,亥壬向得巽風吹。

寅・申・巳・亥は人元の一路に属し、乙・辛・丁・癸方より来る水を用いて催発す。再び貪狼を取りて五吉を凑成せよ。寅は坤に配し、申は艮に配し、御門が大に開くがごとし。巳と丙は宜しく「天門」(乾)のあの一辺に朝向すべし。亥と壬はすなわち「巽風」の吹き来たるを迎え得よ。この几句はみな楊公の隠語、字面に照らし死看するべからず。

蔣注:此四季之支,亦屬四隅卦,此四支中有人元龍者存也。天元之後,即應接人元,楊公因三才三正之序,顛倒錯列,亦隱秘其天機,使人不易測識耳。此元龍格亦必兼貪狼,而後先榮後凋,若不兼貪狼,慮其發遲而驟歇矣。用乙辛丁癸水來催者,謂此四水中有貪狼也。此宮廣大兼容,故旁及坤艮,亦所不礙,故日御門開。

蒋大鴻の注:この四孟の支も亦た四隅卦に属し、この四支の中に人元龍を含有すると言う。次序に拠れば、天元の後はすなわち人元に接すべし。楊公は三才三正の排列のゆえに、故意に顛倒錯置し、亦た天机を蔵して人をして容易に看破せしめず。人元のこの一格の龍も亦た必ず貪狼を兼取して、然る後はじめて先に栄えて後に凋まざらん。もし貪狼を兼ねざれば、ただ恐るくは発すること遅くして歇すること突然ならん。乙・辛・丁・癸方の水を用いて催すと言うは、この四路の水の中に貪狼を含有するがゆえ。この一宮は気量広大にして兼容し得。だから傍ら坤・艮に及ぶも妨げず。ゆえに「御門開」と言う。

若是已丙壬亥相兼,則犯陰陽差錯之龍矣,法宜去丙就已,去壬就亥,以清幹巽之氣。此則專為人元辦卦而言,處處欲要歸一路;蓋一路者,當時直達之機,兼取者,先時補救之道,不直達,則取勝無選鋒,不補救,則善後無良策,二者不可偏廢也。

もし巳と丙・壬と亥が彼此相兼ねば、それは陰陽差錯の龍を犯す。做法の上で応に丙を舍て巳に就き、壬を舍て亥に就き、乾・巽の両卦の気を理清すべし。この一段は専ら人元の辨卦のために言い、處處みな一路の上に帰せよ。いわゆる「一路」は、当令に直達する機勢。いわゆる「兼取」は、提前に布置する補救の道。直達する能わざれば、戦に先鋒なきがごとく勝を取り得ず。補救を作さざれば、善後の良策なきがごとし。両者は偏廃する能わず。

總觀三節文義,子午卯西,配乙辛丁癸,辰戌丑未,配乾坤艮巽,為夫婦同宗;而寅申已亥,獨不配甲庚壬丙為夫婦,則其本意,不以甲庚壬丙屬賓中已亥可知矣。此正合天玉大五行作用,而非十二支配十二干為一路之俗說也。

通看この三節の文義:子・午・卯・酉は乙・辛・丁・癸に配し、辰・戌・丑・未は乾・坤・艮・巽に配し、みな夫婦同宗。独り寅・申・巳・亥は甲・庚・壬・丙に配して夫婦と為さず。可見楊公の本意は、並び甲庚壬丙を寅申巳亥のあの一路のうちに帰せず。これ正に《天玉》大五行の用法に合し、而して俗説のあの十二地支が各々十二天干を配して一路と算える講法にあらず。

故不曰寅申坤艮,而曰寅坤申艮,非以寅為坤、以申為艮也;已屬巽而反日天門,亥屬幹而反曰巽風,顛倒裝成,其托意微,而且幻類如此。至其立言本旨,不過隱然說出陰陽交互之象,然篇中皆錯舉名目,不肯分明,至後節主客東西,方露出端倪,而終不顧言。蔣之秘慎如此,使我有浪洩天機之懼矣。

だから彼は「寅申坤艮」と写さずして「寅坤申艮」と写す。並び寅を坤と作し申を艮と作すにあらず。巳は本来巽に属すに、彼は偏ねて「天門」(乾)と説く。亥は本来乾に属すに、彼は偏ねて「巽風」と説く――この様に顛倒装配し、寄托する意は幽微にして、しかも変幻莫测、すなわちこの様子。彼の措辞の本旨を追究すれば、不過隠隠として陰陽交互の道理を説き出すのみ。しかし全篇みな錯挙名目して、明白に講るを肯んぜず。後の「主客東西」のあの一節に直到りてはじめて些かの端倪を露す。終究はやはり明言を肯んぜず。前輩の保守慎重はこの地步に到る。我もまた「軽く天机を泄す」の畏懼を生出さしむ。

貪狼原是發來遲,坐向穴中人未知,立宅安墳過兩紀,方生貴子好男兒。蔣注:貪狼,諸卦之統領,得氣先而施力遠,何云發遲;此言人地兩元兼收之脈,不當正卦,旁他涵蓄,故力不專,是以遲也。兩紀約略之辭,生貴子,正見誕育英才,以昌世業,隱含悠久之義,非若他官一卦乘時,催官暫發之比。若夫應之遲速,是不一端,烏可執此為典要也。

貪狼は本来発すること遅し。坐向が穴中の妙処は旁人の知るところにあらず。宅を起し墳を安んじて二十四年(両紀)を過ぎて、はじめて貴子の好男児を生出す。蒋大鴻の注:貪狼は諸卦の統領、気を得ること最先・力を施すこと最も遠し。どうしてそれを発すること遅しと言う。ここに講ずるは人元・地元の両元が兼収する脉:それは正に本卦に当らず、而して傍に別に涵蓄あり。だから力量は専ならず、ゆえに発すること遅し。「両紀」は約略の説法。「生貴子」を言うは、正にそれの英才を孕育し世業を昌大にするを見、悠久の意を隠含す。別宮の単に一卦を取り時に乗じ令を得て官を催し暫時一発するごときにあらず。応験の遅速に至っては、原因は一端に止まらず。どうしてこの一条を死抓して定則と為さん。

立宅安墳要合龍,不須擬對好奇峰,主人有禮客尊重,客在西兮主在東。

宅を起し墳を安んずるは龍気に合得上を要し、必ずしも刻意に何の好奇の峰巒に対するに及ばず。主人に礼あれば、客人は自然に敬重す。客が西辺に在れば、主はすなわち東辺に在り。末の両句は賓主相待を以て比と為し、言うは正に陰陽山水の彼此対待・自然相配の道理。

蔣注:山龍真結,必對尊星而後出脈,或回龍顧祖,或枝幹相朝,先有主峰,乃始結穴,故必以朝山為重。非重朝山,正重本身出脈真偽也。平洋既無來落,但以水城論結穴,水自水,山自山,雖有奇峰,並非一家骨肉,向之無益,故只從立穴處消詳堂局,收五吉之氣,謂之合龍,而不以朝山為正案也。

蒋大鴻の注:山龍もし真結ならば、必ず先ず一座の尊貴の星峰に対して然る後脉を出す。あるいは回龍して祖を顧み、あるいは枝干相朝拱して、先ず主峰あってこそ、はじめて穴を結ぶを談じ得。だから必ず朝山を看重せよ。実は並び朝山の本身を看重するにあらず、正にそれを借りて本身の出脉の真僞を看る。平洋は既に来龍落脉の言うべきなく、ただ水城を取りて穴を結ぶを論ず。あそこは水は水、山は山。縦い奇峰ありと雖も、亦た一家の骨肉にあらず。それに朝しても好処なし。だから平洋はただ立穴処より堂局を細看し、五吉の気を收取す。これを「合龍」と呼び、並び朝山を取りて正案と為さず。

末二句乃一篇之大旨,精微玄妙之談。所謂主客,又不止於論向,而指龍為主人,向為賓客也。主客猶云夫婦,實指陰陽之對待,山水之交媾,一剛一柔,一牝一牡,玄竅相通,皆在於此。言有此主,即有此客;有此客便有此主,主客雖云二物,實一氣連貫,如影隨形,如谷答響,交結根源,一息不離,非謂既有此主,乃更求賢賓以對之也。

末の両句は全篇の大旨、極精微玄妙の話。ここに言う主と客は、ただ朝向に就て言うのみならず、而して龍を以て主人と為し向を以て賓客と為す。主客はすなわち夫婦を言うに等しく、実際に指すは陰陽の対待・山水の交媾:一剛一柔、一牝一牡、玄竅相通、全てここに在り。意はいう:この主あれば、すなわちこの客あり。この客あれば、亦たこの主あり。主客は二個の物と言うと雖も、実は一気貫串し、影の形に随い空谷の回声のごとく、根源は交結して一處に在り、一刻も分かれ開かず――決して先ずこの主あって、再び別に一位の賢賓を尋ねて彼に配せよと言うにあらず。

東西蓋舉一方而言,亦可云主在西兮客在東,亦可云主在北兮客在南,主在南兮客在北,八卦四隅,無不皆然,所謂陰陽顛倒顛也。自天下軍州至此,統論平洋龍法,其中卦位干支秘訣,總不出此二語,故於結尾發之,以包舉通篇之義,學者所當潛思而體曲之。

「東」「西」を言うは不過一個の方位を挙げて例と為すのみ。主が西に在り客が東に在りと言うも可なり、主が北に在り客が南に在り、あるいは主が南に在り客が北に在りと言うも可なり。八卦・四隅はみなこのごとし。これすなわちいわゆる「陰陽顛倒顛」。「天下軍州総住空」より一直にここに至るまで、通篇の論ずるは平洋龍法。その中の卦位干支の秘訣は、終帰すればこの两句話を跳出ず。だから楊公は結尾に放ちて説き出し、全篇の意を一倂に包住せんとす。学者は応に心を沈めて体味すべし。

姜氏曰,一自寶照發明平洋龍格,開章直喝天下軍州總住空,何須撐著後頭龍,大聲疾呼,朗吟高唱,此為楊公撰著,此書通篇眼目,振綱挈領之處,不可泛泛讀過。蓋平洋龍格,學世所以茫然者,只因俗師聾瞽,將山龍混入,無從剖辨,觸處成迷也。平洋之作法既迷,並山龍之真格亦謬,失其一併害其二矣。

姜垚が言う:自ら《宝照経》が平洋龍格を闡明してより、篇を開けば直に一句を喝して「天下軍州総住空、何須撑着後頭龍」と言い、大声疾呼・朗吟高唱す。これは楊公が此の書を撰著する通篇の眼目・提綱挈領の処、読者は泛泛と看過するべからず。平洋龍格の挙世茫然たるゆえんは、ただ俗師がまた聾また瞎、山龍のあの一套を混ぜ入れて、分弁するに由なく、處處迷を成す。平洋の作法は既に迷失し、山龍の真格も連れて講じ錯る――一様を丢えて、連帯して両様を害す。

楊公苦心喝此二語,醒人千古大夢,使知平洋二宅,不論坐後來脈,凡坐空之處,反有真龍;坐實之處,反無真龍,與山龍之胎息孕育,截然相反。欲學者從此一關打得透徹,更不將剝換過峽高低起伏,馬跡蛛絲,草蛇灰線等字纏擾胸中,只在陰陽大交會處,悟出真機,而後八卦九星,干支方位,以次而陳,絲絲入扣,平龍消息,始無掛漏之虞。平龍既無掛漏,而山龍亦更無掛漏矣。

楊公が苦心してこの两句を喝出するは、千古の大夢を喚醒して、人をして知らしめんとす:平洋の陰陽二宅はみな坐後の来脉を講究せず。およそ空に坐する地方はかえって真龍あり、実に坐する地方はかえって真龍なし。山龍のあの胎・息・孕・育の講法と截然として相反す。彼は学者に先ずこの一関を打透せしめ、再び「剥換」「過峡」「高低起伏」「馬跡蛛糸」「草蛇灰線」のこれらの字眼に胸中を纏わしめず、ただ陰陽大交会の地方に於て真機を悟り出さしめんとす。然る後八卦九星・干支方位を挨次に摆開して、はじめて糸糸扣に入り、平洋龍の消息は遺漏の虞なし。平洋龍が既に遺漏なければ、山龍は更に遺漏あらじ。

倘不明此義,只將後龍來脈,膠葛糾纏,則造化真精,何從窺見,雖授之以八卦九星之奧,亦無所施也。窮年皓首,空自芒芒,高山平洋,總歸魔境,我於是益嘆楊公度人心切也。後篇所以復舉二語,重言以申明之,意深切矣。此篇前十二句為一章,言深山支龍之穴;中三十四句為一章,言幹龍脫殺出洋之穴,此二章皆屬山龍。後四十六句,分七節為一章,言平洋水龍之穴。

倘若この道理を明白せずして、ただ後頭来龍の脉の上に膠着糾纏せば、造化の真精をどこより窺見せん。算え把八卦九星の奥義を彼に伝授するも、施用するに処なし。到頭に一生を窮尽し頭髪を白くして、仍お一片茫然。高山なりと雖も平洋なりと雖も、統統魔境に落ち入らん。我はこれに因りて更に楊公の人を度する心腸の何等懇切なるを感嘆す。後篇のまたこの两句を重提して反復申説するゆえんは、用意は甚だ深切なり。本篇の前十二句を一章と為し、深山支龍の結ぶ穴を講ず。中間の三十四句を一章と為し、干龍の脱煞出洋して結ぶ穴を講ず。この両章はみな山龍に属す。後面の四十六句を分かちて七節と為し合せて一章と為し、平洋水龍の穴を講ず。

宝照経・中篇

天下宮州總住空,何須撐著後來龍,時人不識玄機訣,只道後頭少撐龍,大凡軍州住空龍,便與平洋墓宅同,州縣人家住空龍,千軍萬馬悉能容,分明見者猶疑慮,龍不空時非活龍,教君看取州縣場,盡是空龍擺撥蹤,莫嫌遠來無後龍,龍若空時氣不空,兩水界龍連生窟,穴得水兮何畏風,但看古來卿相地,平洋一穴勝千峰。

天下の軍州はみな空処に坐す。何須背後に一条の来龍を撑着せん。今人はこの玄機口訣を懂せず、ただ後頭に撑腰の山が少なきを嫌う。大凡軍州の坐するは空龍、これは平洋の上の墳墓宅第と一個の道理。州県人家は空龍に坐し、千軍万馬も容得下す。分明に眼前に摆るも、人はさらに疑慮す:実は龍が空ならざる時はすなわち活龍にあらず。汝にあの州県の衙署を去看れと教えん、全てみな空龍の摆動し過ぎた痕跡。遠来の一路の背後に靠山なきを嫌うなかれ。龍は空と雖も、気は並び空ならず。両条の水が龍身を夾住し、接続して窟穴を生出す。穴は既に水を得、さらに何の風を怕れん。ただ自古よりの公卿宰相の祖地を看よ。平洋の上の一穴は千座の山峰に勝る。

蔣注:天下軍州二語,言篇已經喚醒。楊公之意,猶恐後人見不真,信不篤,故反覆詠歎,層層洗發,窮追到底,罄其所以然之故。又恐概說軍州大勢,尚疑人家墓宅,或有不然,故指實而言,軍州如是,墓宅亦無不如是;只勸世人揀擇空龍,切勿取實龍作撐也。所以然者何也。山龍只論脈來,平洋只論氣結,空則水活而氣來融結,實則障蔽而生氣阻塞;肉眼但見漭漭平田,毫無遮掩,疑為坐下風吹氣散之地,不知水神界抱,陽氣沖和;平洋之穴無水則四面皆風,有水則八風頓息,所謂氣乘風則散,界水則止,古人之言,正為平洋而發也。

蒋大鴻の注:「天下軍州」のこの二句は、前篇ですでに人を喚醒し一度した。楊公の意は、後人が見ること真ならず信ずること篤ならざるを怕れ、だから反復詠嘆し、一層一層と洗剔発揮し、窮追して底に至り、その中の所以然を全て説き出す。彼はまたただ籠統に軍州の大勢を講ずるにあらず、人家が仍お自家の墳墓宅第は未必このごとしと疑うを怕れるがゆえに、以下さらに細かく墳宅の格局を申説す。

子午卯酉四山龍,坐對乾坤艮巽宮,莫依八卦陰陽取,陰陽差錯敗無窮,百二十家渺無訣,此訣玄機大祖宗,來龍須要望龍穴,後若空時必有功,帝座帝車並帝位,帝宮帝殿後當空,萬代王侯皆禁斷,予今隱出在江東,陰陽若能得遇此,蚯蚓逢之便化龍。

子・午・卯・酉のこの四条の山龍は、乾・坤・艮・巽の四宮と両々相対す。切に八卦分陰陽のあの一套に照らして取るなかれ。一旦陰陽差錯せば、敗すること尽頭なし。陰陽を談ずる一百二十家は、全て真訣を摸著せず。この訣こそ玄機の大祖宗。来龍は必ず龍穴を望見し得るを要し、背後もし空なれば、必ず功効あらん。帝座・帝車と連ねて帝位・帝宮・帝殿、背後はみな空なるべし。この一套の法門は万代帝王侯伯が禁絶し…

蔣注:此明八卦之理,即前子午卯酉屬坎離震兌四卦,乾坤艮巽又四卦之義也。所謂坐對,非指山向,蓋四正卦與四隅卦,兩兩相對,故云然也。八卦陰陽者,指八卦五行,以乾卦領震坎艮三男而屬陽,坤卦領巽離兌三女而屬陰,此先天之體,非後天之用,以之論陰陽,則差錯而敗不勝言矣。談陰陽者,百二十家,皆此是彼非,渺無真訣,惟有玄空大卦,乃陰陽五行大祖宗,聖聖相傳,非人匆示也。

蒋大鴻の注:これは八卦の理を闡明す。すなわち前の言う子午卯酉が坎・離・震・兌の四卦に分属し、乾坤艮巽はまた別の四卦の意。いわゆる「坐対」は、並び坐山と朝向を指すにあらず、而して四正卦と四隅卦の両々相対を言う。だからこう講ず。いわゆる「八卦陰陽」は、八卦を以て五行に配し、乾卦を用いて震・坎・艮の三男を統領して陽と算え、坤卦を用いて巽・離・兌の三女を統領して陰と算えるを指す。これは先天…

識得此訣,雖帝王大地,瞭如指掌,特禁秘而不敢言耳。楊公自言既得至道,不敢炫耀於世,故披褐相懷玉,抱道無言。然天寶雖秘惜,而救世之心,未嘗少懈,曾於天王經江東一卦諸篇,隱出其旨,世之好陰陽者,有緣會遇,信而行之,頃刻有魚龍變化之征也。或云楊公得道之後,韜光晦跡,背其鄉井,隱於江東,俟者。

この訣を認得せば、縦い帝王級の大地も掌の上に瞭如指掌なり。ただ禁秘なるがゆえに敢えて説き出さざるのみ。楊公は自ら言う、既に至道を得れば、すなわち敢えて世上に炫耀せず。だから身に粗褐を披き懐中に玉を蔵し、道術を抱いて一言も発せず。しかるに天賜の宝訣は秘惜すと雖も、救世の心腸は従来松懈せず:彼はかつて《天玉経》の「江東一卦」のあの幾篇のうちに、宗旨を隠隠として透出した。世上の陰陽の学を喜好する人、もし縁あって遇えば…

子午卯酉四山龍,支兼乾出最豪雄,乙辛丁癸單行脈,半吉之時又半凶,坐向乾坤艮巽位,兼輔而成五吉龍。蔣注:此皆楊公隱謎,學四正為例,若行龍在子午卯西四支,長流不雜,雖兼帶乾位,總不出本卦之內,其脈清純,故云最豪雄也。若乙辛丁癸,雖屬單行,未免少偏,即犯他卦,所以吉凶參半也。言子午卯酉而乾坤艮巽不外是矣;言乙辛丁癸,而甲庚壬丙不外是矣。辨龍既清,乃於諸卦位中,隨便立向,則又以方圓為規矩,而未嘗執一者也。

子・午・卯・酉の四条の山龍は、地支が天干を兼帯して出づるを以て最も豪雄と為す。乙・辛・丁・癸もし単行の脉なれば、すなわち一半吉・一半凶。坐向が乾・坤・艮・巽の位に落ち、再び輔星を兼取せば、すなわち五吉の龍を成す。蒋大鴻の注:これらはみな楊公の隠語、四正卦を挙げて例と作す。もし行龍が子・午・卯・酉の四支の上に走り、一路長く流れて雑えず、縦い天干の位を兼帯すと雖も、終帰本卦を出ず、脉気清純なり。所…

辰戌丑末四山坡,甲庚壬丙葬墳多,若依此理無差謬,清貴聲名天下無;為官自有起身路,兒孫白屋出登科。八卦不是真妙訣,時師休把口中歌,敗絕只因用卦安,何見依卦出高官。陰山陽水皆真吉,下後兒孫禍百端。水若朝來須得水,莫貪遠秀好峰巒;審寵若依圖訣葬,官職榮華立可觀。

辰・戌・丑・未のこの四座の山坡は、甲・庚・壬・丙方を取りて向を立て墳を葬する者多し。もしこの道理に照らして為して差錯なければ、清貴の名声は天下に少なからん。官を為れば自ら起家の門路あり、児孫は寒素の家より功名を考出せん。八卦は並びすなわち真の妙訣にあらず。時下の術士は休め把嘴の上に挂けて歌を唱うを。家道の敗絶は正に卦例を取りて乱に安んずるがゆえ。何ぞ曾て卦例に靠りて高官を出すを見たや。ある人は陰山に陽水を配すはみな真吉と言う、しかし葬し下れば児孫の禍事…

蔣注:此指四隅龍脈而言,而舉辰戌丑未為隱謎也。謂此等行龍,而取甲庚壬丙曏者甚眾,必須龍法純全,向法合吉,毫無差謬,而後清貴之名,卓於天下也。起身路正指來龍之路。八卦本是真訣,而誤用則禍福顛倒,故云非妙訣。後章八卦只有一卦通,乃始微露消息矣。收水之法,向雲陽用陰朝,陰用陽應,乃卦理至當不易之言,而竟有陰山陽水,陽山陰水,反見災禍者,則辨之不真,陽非陽而陰非陰也。得水二字,世人開口混說,然非果識天機秘旨,收入玄竅之中,雖三陽六建,齊會明堂,虎抱龍回,涓滴不漏,總未可謂之得;若知得水真訣,即陰陽八卦之理,示諸斯乎。莫貪遠秀好峰,即上篇已發之義,致其叮嚀之意云爾。

蒋大鴻の注:この一段の指すは四隅の龍脉、辰戌丑未を取りて隠語と作す。意はいう:この一類の行龍にして甲・庚・壬・丙を取りて向を立つる者多し。必ず龍法純全・向法合吉・毫も差錯なく、然る後清貴の名はじめて天下に卓著し得。「起身路」は正に来龍の路を指す。八卦は本来すなわち真訣、ただ用い錯えばすなわち禍福顛倒す。だからそれを妙訣にあらずと言う。後の一章の「八卦只有一卦通」に至って、はじめて略々消息を露出す。

玄機妙訣有因由,向指山峰細細求,起造安墳依此訣,能令發福出公侯,真向支山尋祖脈,干神下穴永無憂,寅申巳亥騎龍走,乙辛丁癸水交流,若有此山並此水,白屋科名發不休,昔日孫鍾扦此穴,從此聲名錶萬秋。

玄機妙訣は自らその来由あり。朝向の指す山峰は細細に之を求めよ。房屋を起造し墳墓を安葬してこの訣に依れば、すなわち能く福を発して公侯を出さん。真に地支の山の上に祖脉を尋ぬるを要す。天干の神が穴を下せば便ち永遠に憂患なし。寅・申・巳・亥は龍に騎りて走るがごとく、乙・辛・丁・癸方の水は交流して来る。もしこの様の山とこの様の水あれば、寒素の家も科名断えず。従前孫鐘はすなわちこの様の一個の穴を扦し、此より声名は万世に標榜す。

蔣注:通篇皆言平洋,此章乃插入山峰者何也。蓋八卦九星,乃陰陽之大總持,故凡有山之水,可以不論山,而有水之山,不能不論水,若遇山水相兼之地,未可但從山龍而論,還須細細尋求,亦必合此玄空大卦之訣,而後墓宅產公侯也。祖脈必要支山,蓋從四正而論,下穴立向,則不拘干支矣。此祖脈乃元空之祖脈,非山龍之來脈也,讀者切勿錯認。寅中已亥,乙辛丁癸,俱屬易犯差錯之龍,故曰騎龍走,水交流,文有殊,義無別。此山此水,而科名不歇者,不犯差錯故也。孫鍾墓,在富陽天子岡,木山龍,而收富春江長流之水,故引為證。

蒋大鴻の注:全篇の講ずるはみな平洋。この一章は何ぞ山峰を插じ入れて言う。八卦九星は陰陽の学の総綱なるがゆえ:およそ山有る水は、山を論ぜずして可なり。而して水有る山は、すなわち水を論ぜざるべからず。もし山水相兼の地方に碰えば、ただ山龍に按じて論ずる能わず。さらに細細に尋求し、亦た必ず玄空大卦のこの訣に合上せよ。墳宅ははじめて公侯を出し得。言う「祖脉必要支山」は、四正に就て立論す。下穴立向に至っては、すなわち干支に拘らず…

來龍須看坐正穴,後若空時必有功,州縣官衙為格局,必然清顯立威雄,范蠡簫何韓信祖,乙辛丁癸足財豐,亥壬豐隆興祖格,己丙旺相一般同,寅申巴亥等五吉,乙辛丁癸四位通,紫耕晝錦何榮顯,三牲五鼎受王封,龍回朝祖元字水,科名榜眼及神童。後空已見前篇訣,穴要窩鉗脈到官,試看州衙及臺閣,那個靠著後來龍,砂捐水朝為上格,羅城擁衛穴居中,依圖取向無差誤,不是王侯即相公。

来龍は必ずそれが正穴に坐するや否やを看よ。背後もし空なれば、必ず功効あらん。州県官衙のあの様の格局を以て准と為せば、必然として清貴顕達・威名を樹立せん。范蠡・蕭何・韓信の祖墳は、みな乙・辛・丁・癸方の水足りて財豊なり。亥・壬方の豊隆起勢は、興旺の祖格。巳・丙方の旺相も亦た同じ。寅・申・巳・亥等処は能く五吉を成し、乙・辛・丁・癸の四位は相通ず。衣錦して昼行するは何等の栄顕ぞ。三牲五鼎を享け…

蔣注:後空之旨,屢見篇中,而此章又反覆不已者,蓋後空不但無來脈而已,並重坐下有水,乃謂之活龍擺撥,而成真空有氣也。故首句雲坐正穴,實指穴後有水取為正坐也。古賢舊跡,往往如此,遍地鉗,所謂杜甫盧同李白祖,此又引范蠡蕭何韓信,總合此格。下列諸干支,言不論是何卦位,只要合得五吉收歸坐後,發福如許爾。故下文即接回龍朝祖元字水,分明指出言朝曲水,抱向穴後,乃回龍顧祖之格也。神童黃甲,必可券矣。篇中又自言後空之訣,已見言篇,然恐人誤認,只取坐後無來脈,便云有氣,不知穴後必須水抱成窩鉗之形,而後謂之到宮,若但云空耳,非坐水之空,空何貴焉。砂揖水朝,羅城擁衛,皆就水神而論;穴正居中,指坐穴也。此節直說出王侯將相大地局法,非泛論也。

蒋大鴻の注:「後空」の宗旨は篇の中に屡々出現す。この一章はまた反復して講じて止まざるは、後空は単に背後に来脉なきのみにあらず、さらに着重して坐下に水あるを要求す。これをはじめて「活龍摆撥」と呼び、真の「空而有気」と為す。だから頭一句に「坐正穴」と言うは、実は穴後に水あり、それを取りて正坐と当るを指す。古代賢人の旧跡は往々このごとし。前篇の言う杜甫・盧仝・李白の祖墳はすなわちこの様。ここにまた范蠡を挙ぐ…

天機妙訣本不同,八卦只有一卦通,乾坤艮巽躔何位,乙辛丁癸落何宮,甲庚壬丙來何地,星辰流轉要相逢,莫把天罡稱妙訣,錯將八卦作先宗。乾坤艮巽出官貴,乙辛丁癸田莊位,甲庚壬丙最為榮,下後兒孫出神童,未審何山消此水,合得天心造化工。

天机妙訣は本来衆と同じからず:八卦の中にただ一卦のみ是れ通ずる。乾・坤・艮・巽は如今何れの位に行く、乙・辛・丁・癸は何れの宮に落つる、甲・庚・壬・丙はまた何れの地より来る。星辰流転して能く彼此相逢すを要す。切に「天罡」を取りて妙訣と作すなかれ。八卦を錯り取りて最先の宗主と作すなかれ。乾坤艮巽は能く官貴を出し、乙辛丁癸は田荘の位を主り、甲庚壬丙は最も栄顕。葬し下れば児孫神童を出さん。しかし究竟応に何れの一…を用いるや。

蔣注:一部寶照經,不下數千言,皆半含半吐,至此忽然漏洩。蓋陰陽大卦,不過八卦之理,而篇中乃云八卦不是真妙訣者,正為不得真傳,不明用卦之法故也;而其所以不明用卦之法者,皆因泛言八卦,而不知八卦之中,止有一卦可用故也。大五行秘訣,不過能用此一卦,即從此一卦流轉九星,便知乾坤艮巽諸卦落在何宮,二十四山干支落在何官,而或吉或凶,指掌瞭然矣。

蒋大鴻の注:整部《宝照経》幾千言は、處處半含半吐、ここに到りて忽然として漏泄し出す。陰陽大卦は不過すなわち八卦の道理。篇中に却て「八卦不是真妙訣」と言うは、正に人が真伝を得ず用卦の方法を明白せざるがゆえ。而して用卦の方法を明白せざる所以は、みな籠統に八卦を講じて、八卦の中にただ一卦のみ用い得るを知らざるがゆえ。大五行の秘訣は、無非是れ能くこの一卦を用いる。再びこの一卦より九星を流転せば、すなわち知らん…

俗師不得此訣,妄立五行,有從四墓上起天罡,以為放水出煞之用,如何合得八卦之理。夫收得山來,乃出得煞去,不知一卦作用,山既無從收,一卦不收,諸卦干支又何從流轉九星,求純棄駁,而消水出煞乎。今日但知二十四山,處處可出官貴,處處可旺田莊,處處可出神童,而不知二十四位水路交馳,果下何卦、收何山,乃消得此水,出得煞去。

俗師はこの訣を得ざれば、胡乱に別に五行を立て、あるは辰戌丑未の四墓の上より「天罡」を起し、取りて放水出煞の用と為す。これはどうして八卦の理に合上せん。要するに…

夫既不能收山出煞,則其談八卦,論干支,皆胡言妄說而已,何以契合天心,而造化在手也。天心即天運,非善人合天之家,不能遇也。大五行所謂一卦,即指天心正運之一卦也。篇中露此二字,其間玄妙,難以名言。楊公雖指出天心一卦之端,而其下卦起星之訣,究竟未嘗顯言,則天機秘密,須待口傳,不敢筆之於書也。

既に山を収め得ず煞を出し得ざれば、あれが八卦を談じ干支を論ずるは、みな不過胡言妄语。何に憑りて天心に契合し造化を手裏に握らん。「天心」はすなわち天運、善を行いて天と相合する人家にあらざれば、それに遇えず。大五行の言う「一卦」は、指すはすなわち天心正運のあの一卦。篇中にこの二字を透出し、その中の玄妙は已に…

五星一訣非真術,城門一訣最為良,識得五星城門訣,立宅安墳定吉昌,堪笑庸愚多慕此,妄將卦例定陰陽,不向龍身觀出脈,又從砂水斷災祥,筠松寶照真秘訣,父子雖親不肯說,若人得遇是前緣,天下橫行陸地仙。

単に五星のあの一訣に靠るは真の本領にあらず。「城門」のこの一訣こそ最も精良。五星と城門の訣竅を認得せば、宅を起し墳を安んじて必ず吉昌せん。可笑なりあの庸愚の輩は偏ねて別のを愛慕し、胡乱に卦例を取りて陰陽を定め、龍身の上に往りて出脉を看るを肯んぜず、かえって砂水の上より災祥を断ず。楊筠松《宝照》の真秘訣は、父子は親と雖も説くを肯んぜず。もし…

蔣注:言章既言一卦下穴收山出煞之義,此章又直指城門一訣,楊公此論,真可謂披肝露膽矣。此蓋五星之用,其要訣俱在城門,識得城門,而後五星有用,於此作二宅,無不興隆者矣。城門一訣,與龍身出脈,正是一家骨肉,精神貫通,能識城門,乃能觀出脈,能觀出脈,便能識城門。故笑世人不識此秘,而妄談卦例,從砂水上亂說災祥也。此以下,皆楊公鏤精抉髓之言,得此便是陸地神仙,父子不傳,夫亦師傳之禁戒如是,豈敢違哉。

蒋大鴻の注:前一章は既に一卦を用いて穴を下し山を収め煞を出すの道理を講じ、この一章はまた直接に「城門」の一訣を点出す。楊公のこの番の話は真に肝を披き胆を露すと謂うべし。五星の用法は、要訣は全て城門の上に在り。城門を認得せば、五星ははじめて用処あり。これに拠って陰陽二宅を作れば、興隆せざるはなし。城門のこの一訣は龍身の出脉と、正に一家の骨肉…

世人只愛周迴好,不知水亂山顛倒,時師但知講八卦,卻把陰陽分兩下,陰山只用陽水朝,陰水只用陽山照,俗夫不識天機妙,自把山能錯顛倒,胡行亂作害世人,福未到時禍先到。

世人はただ四周囲の看るに好きを喜び、あそこに実は水乱山倒するを知らず。時下の術士はただ八卦を講ずるを知り、却て陰陽を硬く分かちて両辺と為す:陰山はただ陽水を以て朝し、陰水はただ陽山を以て照ると説く。俗人は天机の妙処を識らず、自ら山の功能を顛倒せしめ、胡行乱作して世人を害す――福は未だ到らずして禍は先に到る。

蔣注:道德不云乎,常無慾以觀其妙,常有欲以觀其竅,此正丹家所謂玄關一竅,大道無多,只爭那些子,故曰不離這個,人身有此一竅,地理家須要識陰陽之竅,今人只愛周迴好,而不知那些子,些子合得天機,周迴不好亦好,些子不合天機,周迴雖好皆無用矣;陰山陽山,陰水陽水,皆現成名色,處處是死的,惟有那些子是活的,些子一變,陰不是陰,陽不是陽,陰可作陽,陽可作陰,故曰識得五行顛倒顛,便是大羅仙,世人不諳天機,誤將山龍來脈,牽合平洋理氣,執定板格,陰陽反成差錯,乃真顛倒也。本欲造福,反以賈禍,楊公所為側然於中,而有是書也。

蒋大鴻の注:《道徳経》に言うあらずや――「常無欲以観其妙、常有欲以観其徼」、これ正に丹家のいわゆる「玄関一竅」。大道は幾多なく、ただあの一点を争う。だから「不離這個」と言う。人の身の上にこの一竅あり。地理家も亦た必ず陰陽の竅を認得せよ。今人はただ四周の看るに好きを愛し、却てあの一点を懂せず…

陽若無陰定不成,陰若無陽定不生,陽水陰山相配合,兒孫天府早登名。

陽に陰なければ、一定に成らず。陰に陽なければ、一定に生出せず。陽水と陰山とが相互配合すれば、児孫はすなわち能く早早と天府(朝廷)に名を登らん。この四句は《宝照》の山水陰陽配合を講ずる総綱。

蔣注:此節並下節,尤為全經傾囊倒個之言,而泛泛讀過,則不覺其妙,蓋學平洋龍法穴法,收山出煞八卦干支之理,一以貫之矣。孤陽不生,獨陰不育,此雖通論;而大五行秘訣,只此便了。學者須在山水配合上著眼;所謂配合,自然配合;非尋一個陽以配陰,尋一個陰以配陽也。水即是陽,山節是陰,陰即是山,陽卻是水;故只雲陽水陰山,而不更言陰水陽山;知此可讀寶照經矣,知此者,亦不必更觀寶照經矣。

蒋大鴻の注:この一節と連なる下一節は、尤其も全経の嚢を傾け箧を倒すの話。泛泛と読み過ぐればすなわちその妙処を覚えず。実は平洋の龍法・穴法及び収山出煞・八卦干支の道理を学ぶは、みなこの一句に貫串せられた。

章氏直解:陰陽,即來者為陽,往者為陰之陰陽也。陰山陽水者,當用將來之氣,挨入水中,已往之氣,裝在山上,即為陽水陰山,此陰陽是氣運消長之陰陽,非干支卦爻之陰陽;又非左到右到之陰陽;又非上元必須離水,下元必須坎水之陰陽;又非以來水為陽,去水為陰之陰陽也。參透此關,方知生成配合之妙理矣。

章仲山《直解》に曰く:ここの陰陽は、すなわち「将に来るを陽と算え已に往きたるを陰と算える」のあの種の陰陽。いわゆる陰山陽水は、応に将に到来する気を挨排して水裏に入れ、已に過去した気を装いて山上に来らしむを言う。これすなわち陽水陰山を成す。この陰陽は気運消長の意義上の陰陽で、干支卦爻の上の陰陽にあらず。

水裡排龍,水裡得陽,山上得陰;山上排龍,山上得陽,水裡得陰;此謂之陽水陰山,陰水陽山也。上文所謂陽山陽水者此也;所謂山與水相對者此也,所謂江南江北主客東西亦即此也。孤陽不生,獨陰不長,此天地生成至當不易之理也。配合,即陽水陰山,陰山陽水,交互相生,來往皆春,此真配合也,苟能如此,自有天府登名之應。

水裏に龍を排する時は、水裏の得るは陽・山上の得るは陰。山上に龍を排する時は、山上の得るは陽・水裏の得るは陰――これを「陽水陰山・陰水陽山」と呼ぶ。上文の言う「陽山陽水」はこの意、言う「山与水相対」はこの意、言う「江南江北」「主客東西」も亦たみなこの意。

都天大卦總陰陽,玩水觀山有主張,能知山情與水意,配合方可論陰陽。蔣注:急接上文,都天大卦豈有他哉,總不過陰陽而已,真陰真陽,只在山水上看,而玩水觀山,須胸中別自有主張,此主張非泛泛主張,乃乾坤真消息,所謂天心是也。山情水意四字,全經之竅妙,今人孰不曰山水有情意,而不知世人所謂情意,非真情意也,識此情意,則是陰陽便成配合;青囊萬卷,盡在箇中,嗚呼至矣。

「都天大卦」は終帰すればすなわち陰陽の二字。水を玩び山を観るは胸中に自ら主張あらんことを要す。能く山之情と水之意を懂得してこそ、はじめて配合を談じ得、はじめて陰陽を論じ得。蒋大鴻の注:これは上文に緊接して言う。都天大卦はどこに別のあらん。総じて不過陰陽のみ。真陰真陽はただ山水の上に看よ。而して水を玩び山を観るは、胸中に必ず別に一番の主張あらんことを要す。

都天寶照無人得,逢山踏路尋龍脈,上刖頭走到五里山,遇著賓主相交接,欲求富貴頃時來,記取筠松真妙訣。蔣注:上文說到山情水意,都天大卦之理盡矣;此節又讚歎而言。此都天寶照,不輕傳世,若有人能得,以此觀山玩水,一到山情水意,賓主相交之處,用楊公訣法扦之,頃刻之間,造化在手。蓋一片熱腸,深望人之信從而發此嘆也。

《都天宝照》は人の得るところなく、只好山に逢い路を踏みて龍脉を尋ぬ。前頭へ一直に五里山まで走り、賓主の相交接する地方に遇う。富貴を求めば頃刻にして来らん――楊筠松のこの真妙訣を記えよ。(原文の「刖」は「前」の訛。)蒋大鴻の注:上文は山情水意に説き到り、都天大卦の道理は已に講じ尽くした。この一節はまた讃嘆…

天有三奇地六儀,天有九星地九宮,十二地支天干十,干屬陽兮支屬陰,時師專論這般訣,誤盡閻浮世上人。陰陽動靜如明得,配合生生妙處尋。

天上に「三奇」あり、地下に「六儀」あり。天上に九星あり、地下に九宮あり。地支は十二個、天干は十個。天干は陽に属し地支は陰に属すと言う――時下の術士は専らこの一類の死訣を講じ、この世上の人を誤り尽くす。もし陰陽の動と静を弄明白し得れば、すなわち「配合生生」の妙処に往りて尋ぬべし。

蔣注:言篇讚歎已足,此又引奇門以比論者,蓋奇門主地;從洛書來,與地理大卦,同出一原,而時師用錯,所以不驗,惟有大五行,是奇門真訣,欲知此訣,只在陰陽一動一靜之間,求其配合生生之妙,則在在有一陰陽,非幹是陽,支是陰,如此板格而已。

蒋大鴻の注:前篇の讃嘆の話は已に夠多なり。ここにまた奇門を引きて比と為すは、奇門が地を以て主と為し洛書より出で、地理大卦と同じく一源より出ずるがゆえ。ただ時師が用い錯うがゆえに霊験せず。ただ大五行のみが是れ奇門の真訣。この訣を懂らんと欲せば、ただ陰陽の一動一静の間に於てあの配合生生の妙処を求めよ。あのようになれば、處處みな…

蓋動靜,即是山情水意,即是城門一訣,即是收山出煞,用一卦法,所謂龍到頭者此也,所謂龍身出脈者此也,所謂龍空氣不空者此也;是名真賓主,是名真夫婦,是名真雌雄。此篇又提出此二字,與上篇第三章動靜中間求一語,首尾相應,楊公之旨,抑亦微之顯矣夫。姜氏日,中篇一十三節,共一百四十六句,皆申明上篇第三章以下未盡之義,以終平洋龍穴之變。

いわゆる「動静」は、すなわち山情水意、すなわち城門一訣、すなわち収山出煞・用一卦の法門。前面の言う「龍到頭」はそれ、言う「龍身出脉」はそれ、言う「龍空気不空」も亦たそれ。これをはじめて真賓主・真夫婦・真雌雄と呼ぶ。本篇はまた「動静」のこの二字を提出し、上篇第三章の「立穴動静中間…」と…

宝照経・下篇

蔣注:上下二篇,歷敘山龍平洋龍正變之旨,自始至終,有木有末,文雖斷續,而義則相蒙。下篇所言,不過前篇餘義,而錯雜言之,無有條貫,每章各論一事,文無承接,義無照應,淺者極淺,深者極深,學者分別觀之可也。

蒋大鴻の注:上・中の両篇は依次に山龍と平洋龍の正格・変格の宗旨を講じ、頭より尾に至るまで本あり末あり(原文の「木」は「本」の訛)、文字は時に断じ時に続くと雖も、意思は前後相承す。下篇の言うところは、不過前面の剰り余りの余義、しかも錯雑に講じて一貫の条理なし。毎一章は各々一事を論じ、文字の上…

尋得真龍龍虎飛,水城屈曲抱身歸,言朝旗鼓馬相應,下後離鄉著紫衣。蔣注:此節專指山龍而言。真龍之穴,龍虎分飛,非其病也,真龍行急,龍虎之相隨亦急,急則兩砂之末,乘勢逆回,有似分飛,昔人指為曜氣,正真龍靈氣發露之象也。然情既向外,則人事亦應之,主子孫他方發達,謂之離鄉砂也。

真龍を尋ね得て、両旁の龍虎砂は却て飛散し去るがごとし。水城は屈曲して穴身を環抱して帰す。前朝に旗・鼓・馬砂の相呼応あり。葬後に子孫は離郷して紫袍を着ん。蒋大鴻の注:この一節は専ら山龍を指す。真龍の穴は、龍虎砂の分飛は並び毛病にあらず:真龍は行くこと急にして、龍虎の跟随するも亦た急なり。一急なれば、両砂の末梢はすなわち勢に乗じて逆に巻く…

乙字水纏在穴前,下砂收鎖穴天然,當中九曲來朝穴,悠揚瀦蓄斗量錢,兩畔朝歸穴後歇,定然龍在水中蟠,若有聲為數錢水,催官上馬御階言。蔣注:自此以下八節,皆平洋水局形體吉凶之辨。此節言曲水纏身之格,歐在穴後,正前篇所謂後龍空坐正穴也。數錢水,假借為義,俗而巧。

「乙」字のごとき水が穴前に纏繞し、下手砂が収攏して鎖せば、穴は便ち天然生成す。当りて九曲の水が来て穴を朝し、水勢悠揚として潭を蓄成せば、銭財は斗を以て量り得ん。両辺の水が朝し来て穴後に帰り歇まれば、必定に龍が水の中に盤す。もし水流に声あれば、之を「数銭水」と呼び、官を催し馬に上り御阶に上るを主る。蒋大鴻の注:ここより下は…

安墳最要看中陽,寬抱明堂水聚囊,出夾結成玄字樣,朝來鸞鳳舞呈祥,外陽起眼人皆見,乙字彎身玉帶長,更有內陽坐穴法,神機出處覓神方。蔣注:此言堂氣形局之美。至於內陽坐穴法,正前為所謂來龍正坐,及城門一卦之訣也,非神機仙術,烏足以語此。

墳を安んずるに最も要緊は「中陽」を看るに在り:明堂は寛濶にして環抱し、水は聚まりて一個の囊を成す。水が夾口を出でて「玄」字形を結び、朝し来る姿態は鸞鳳の起舞して祥を呈するがごとし。「外陽」は顕眼にして人人みな見得。乙字形の水は身を弯めて一条の長き玉帯のごとし。この外にさらに「内陽」の坐穴の法門あり。神機の出ずる処に於てあの神妙の方位を尋ぬるを要す。蒋大…

水直朝來最不祥,一條直是一條鎗,兩條名為插脅水,三條雲是三刑傷,四水射來為四殺,八水名為八殺殃。直來反去拖刀殺,徒流客死少年亡,時師只說下砂逆,禍來極速怎堪當。塍圳街路如此樣,亟宜遷改免災殃。蔣注:此節極言直來凶格。蓋水神最忌木火,以其有殺氣、無元氣也;縱屬來朝,亦有損無益,況諸路交馳,漏風沖洩乎。旺元猶可,衰運無唯類矣。

水が直に冲り朝し来るは最も吉利ならず:一条の直水はすなわち一条の槍。両条は「插脅水」と呼ぶ。三条は「三刑傷」と呼ぶ。四条の水が射し来るは「四殺」。八条の水が射し来ればすなわち「八殺」の殃。直来してまた反跳して去るを「拖刀殺」と呼び、流放・客死・少年夭亡を主る。時下の術士はただ下手砂の逆収すれば好しと言うのみ、禍の来ること極めて速きを…

前水來朝又擺頭,淫邪凶惡不知羞。幹流自是名繩索,自縊因公敗可憂。蔣注:此曲水凶格,水神雖以曲為吉,然曲處須節節整齊,乃合星格,若擺頭斜去,及如繩索樣,或大或小,或疏或密,或正或款,皆是吉而凶,縱然發福,必有破敗。

前面の水が朝し来て却て頭を摆すは、淫邪凶悪・廉恥を知らざるを主る。干枯の細流が拖れて一条を成すを「繩索」と呼び、自縊・公事に因りて敗落を主り、人をして擔憂せしむ。蒋大鴻の注:これは曲水の凶格。水神は弯曲を以て吉と為すと雖も、しかし弯曲の処は必ず節節斉整なりてこそ、はじめて星体の格局に合す。もし頭を摆し歪きて去り、あるいは繩索のごとく…

左邊水射長男死,右邊水射少男亡。水直若然當面射,中男離鄉死道旁。東西南北水射腰,房房橫死絕根苗,貪淫男女風聲惡,曲背駝腰家寂寥。左邊水反長男絕,離鄉忤逆皆因此,右邊水反少男傷,風吹婦女隨人走,當面水反中切當,斷定中男有損傷,左右中反房房絕,切忌墳塋遭此劫。蔣注:以上數節,雖義淺而辭鄙,然其應甚速,以其切於用也,故存之。惟公位之分,不可盡拘耳。

左辺に水の直射あれば、長房の男丁は死せん。右辺に水の直射あれば、幼房の男丁は亡なん。水もし当面に直射せば、中房の男子は離郷して路旁に死せん。東西南北の四面に水の腰を射れば、各房みな横死して後絶えん。さらに男女の貪淫・風声の聞き難きを主り、駝背弯腰の人を出し、家道冷落せん。左辺の水が反弓すれば、長房は絶嗣し、離郷忤逆はみな此に由り…

一水裹頭名斷城,下之雖發未為榮,兒孫久後房房絕,水到砂收反主興。蔣注:平洋穴取近水,三方皆可逼窄,惟穴前明堂,須寬容不迫,展舒穴氣。若一水裹頭,穴無餘氣,雖環抱亦不發,若面前另有一枝水到,則又以接水呈秀,其逼窄之氣,有所發洩,反不為凶爾。

一条の水が穴頭を整个に裹住するを「断城」と呼ぶ。葬し下れば縦い発すと雖も栄顕と算えず。児孫は日久に房房絶嗣せん。もし別に水の到り砂の来て收拾するあれば、かえって興旺を主る。蒋大鴻の注:平洋の穴は水に靠近するを取る。三面はみな逼窄些かにして可なり。独り穴前の明堂は必ず寛容して迫らざるを要し、穴気をして舒展せしめんがため。もし一水が頭を裹めば、穴は便ち余…

茶槽之水實堪憂,莫作蔭龍一例求,穴前太逼割唇腳,不見榮兮反見愁。蔣注:穴前池塘,水聚天心,名蔭龍水,本為吉局,若硬直深坑,形似茶槽,既非佳格,或明堂寬曠,猶未見凶;更加急葬,穴氣大逼,則有凶無吉矣。同一穴前池水,形局軟硬,立穴緩急,其應不同,不可不深辨也。

茶槽のごとき水は実に憂うべし。それを「蔭龍水」と一類として求むるなかれ。穴前に逼りて近き過ぎ、唇脚を割り、栄顕を見ずしてかえって愁苦を招く。蒋大鴻の注:穴前の池塘・水が天心に聚まるを「蔭龍水」と呼ぶ。本来吉局。しかしもし硬直の深坑にして形状が茶槽のごときは、本来すなわち好き格局にあらず。假使明堂がなお寛敞と算えば…

玄武擺頭有多般,未可慳然執一端,或斜或側或正出,須憑直節對堂安。擺頭直出是分龍,須審何家龍脈蹤,大山出脈分三訣,未許專將一路窮。蔣注:玄武水來,本合後空活龍之格,宜為正坐之穴矣。然亦須詳其來法,以辨純雜,定吉凶,未可執一也。蓋水有偏出正出不同,惟直節對堂安,乃是真玄武水,若擺頭曲來,而又直出言去,一曲一直之間,龍脈不一,是謂分龍,不必分兩道而後謂之分龍也。須察其曲來是何脈,直去是何脈,細細推詳,而後可定其何家蹤跡,以便下卦。若是水大,則不止一宮之氣,正坐是一脈,偏左又是一脈,偏右又是一脈,故云分三訣也。論坐後之脈,精詳曲當,搜剔無遺,乃至於此,可謂明察秋毫者耶。

玄武方の水の摆頭は好几种の情形あり、死執して一端する能わず:斜出のあり、側出のあり、正出のあり。あの一段の笔直の水節が明堂に対するに凭りて穴を安んずるを要す。もし頭を摆しまた直出せば、あれはすなわち「分龍」。必ず何れの一家の龍脉の踪迹なるを審清せよ。大山の出脉は三種の訣法を分かち、専ら一路を取りて窮究するを許さず。蒋大鴻の注:玄武方に来…

家家墳宅後高懸,太陽不照太陽偏,必主其冢多寂寞,男孤女寡實堪憐。蔣注:此節後空之義,因世人都喜後高,故復叮嚀如此。人但知後高為有坐托,不知其掩蔽陽光,而偏照陰氣,生機斬絕,人口伶仃,故有孤寡之應也,可不戒與。予觀人家穴後,有挑築兩三重照山,以補後托,未有不大損人丁,甚至敗絕無後者;利害攸關,特為指出。此節單言平洋格法;若是山龍之穴,則又以後高為太陽正照而吉,後空為太陽失陷而凶。讀者莫錯誤會也。

家家の墳宅の背後はみな高く堆り、太陽の照らずしてただ偏照す。必ずあの座の墳の冷落寂寞を主り、男は孤单・女は守寡、実に可憐。蒋大鴻の注:この一節は仍お後空の道理を講ず。世人がみな後頭の高きを喜ぶがゆえに、再三このごとく叮嚀す。人々はただ後高を靠托有りと算えるを知り、それが陽光を遮住し偏って陰気を照入することを知らず…

貪武輔弼巨門龍,方可登山細認蹤,水去山朝皆有地,不離五吉在其中。蔣注:此節及下文九星,皆指形局而言。蓋見其星體合吉,方登山而定其方位,若形局方位皆吉,即水去亦吉。今人動雲第一莫下去水地,謬矣。

貪狼・武曲・輔弼・巨門のこれらの几种の龍は、はじめて山に上りて細認踪迹するに値す。水の去るも好し山の朝するも好し、みな好地を得得。総じて「五吉」がその中に在るを離れず。蒋大鴻の注:この一節及び下文の言う九星は、みな形体格局に就て講ず。先ずその星体の吉格に合するを看て、然る後はじめて山に上りてその方位を定む。もし形局と方位とともに吉なれば…

破祿廉文凶惡龍,世人墳宅莫相逢,若然誤作陰陽宅,縱有奇峰到底凶。蔣注:此二節,專言平洋九星水法。

破軍・禄存・廉貞・文曲のこれらの凶悪の龍は、世人の墳墓宅第は最好も碰上せざれ。もし誤りてここに於て陰宅あるいは陽宅を作れば、縦い奇峰の環繞あれど、到底はやはり凶。蒋大鴻の注:この両節は専ら平洋の九星水法を講ず。

本山來龍立本向,返吟伏吟禍難當,自縊離鄉蛇虎害,作賊充軍上法揚,明得三星五吉向,轉禍為祥大吉昌。蔣注:本山本向,非子龍子向,丑龍丑向,倒騎龍之謂也。蓋指八卦納甲而言;山龍有納甲本卦向法,皆淨陰淨陽;其在平洋向法,反不拘淨陰淨陽,而以本卦納甲干支,位位作返吟伏吟,凶不可當。三星與五吉不同,三星言龍體,五吉言卦氣,消詳龍體於卦氣之中,自有天然向法,可不犯本官,而災變為祥矣。

本山の来龍を用いて本山の向を立てれば、すなわち返吟・伏吟を犯し、禍事は当り難し。自縊・離郷・蛇虎の害を遭うを主り、あるいは賊を為し軍に充てられ明に典刑を正されん。もし三星と五吉の向法を明白し得れば、すなわち能く禍を転じて祥と為し大吉大昌せん。蒋大鴻の注:ここに言う「本山本向」は、子龍に子向を立て丑龍に丑向を立つるのあの種の倒騎龍の做を指すにあらず…

龍真穴正誤立向,陰陽差錯悔吝生,幾為奔走赴朝廷,才到朝廷帝怒形,緣師不曉龍何向,墳頭下了剝官星。蔣注:此言龍穴雖真,而誤立本官之向,陰陽不和,至於剝官也。蓋地理雖以龍穴為重,發與不發,專由龍穴而立向坐宮。又穴中迎神引氣之主宰,此處不清潔,如玉之瑕,不成美器矣。致廣大而盡精微,又何可不詳審也耶。此所謂向,非以山向五行起長生為消納也;亦非小元空生出克出生入克入之說,學者慎之。姜氏日,以上四節,皆言平洋理氣之用。

龍真・穴正にして、却て向を立て錯えば、陰陽一差して悔吝すなわち生ず。好不容易奔走到了朝廷、はじめて朝廷に到れば天子すなわち怒を動かす――ただ地師がこの条の龍は応に何の向を立つべきを懂せざるがゆえに、墳頭の上に一個の官爵を剥奪する星を下した。蒋大鴻の注:これは龍穴は真と雖も、却て誤りて本宮の向を立て、陰陽不和にして、被剥官に至るを言う。地理は…

尋龍過氣尋三節,父母宗校要分別,孟山須要孟山連,仲山須要仲山接,幹奇支耦細推詳,節節照定何脈良,若是陽差與陰錯,縱吉星辰發不長,一節吉龍一代發,如逢雜亂便參商。蔣注:此等卦理,中上二篇,論之已詳,反覆叮嚀,致其深切之意,又指明發福世代久暫之應,全在龍脈節數長短,故父母宗校要分別也。

龍を尋ね峡を過ぐる気を看るは三節を看足すを要す。父母と宗枝とは必ず分かち辨え清くせよ。孟山(寅申巳亥)はすなわち孟山に接し、仲山(子午卯酉)はすなわち仲山に接せよ。天干を奇と為し地支を偶と為し、細細に推詳せよ。一節一節照定して究竟何れの一条の脉が好きか。もし陽差陰錯を犯せば、縦い吉星あれども発すること長久せず。一節の吉龍はすなわち一代を発し、一たび雑に遇えば…

先識龍脈認祖宗,蜂腰鶴膝是真蹤,要知吉地行籠止,兩水相交夾一龍,夫婦同行脈路明,須認劉郎別處尋。平洋大水收小水,不用砂關發福久,水口石似人物形,定出擎天調鼎臣。

先ず龍脉を認得し祖宗を辨明し、蜂腰鶴膝のごとき過峡こそ真踪迹。吉地の在る処・行龍の止住する処を知らんと欲せば、すなわち両水の相交わりて一条の龍を夾るを看よ。夫婦(干支相配)同行して脉路はじめて分明。もし配上せざれば、すなわち劉郎のごとく別処に往りて尋ぬるを得。平洋の上は大水を用いて小水を収め入るを要し、必ずしも砂に靠りて関攔せずとも能く発す…

蔣注:此節兼論山龍平洋。言山龍真脈,則取蜂腰鶴膝為過峽;而平洋則不然,只取兩水相交,為來龍行脈,不在過峽上看脈也。但須脈上推求,識干支純雜,夫婦配合之理;如此官不合,又當別求他宮,不可牽強誤下,故云劉郎別處尋。

蒋大鴻の注:この一節は兼ねて山龍と平洋を論ず。山龍の真脉に就て言えば、蜂腰鶴膝のあの様の過峡を取るを要す。平洋はすなわち同じからず、ただ両水の相交わる処を取りて来龍行脉と当り、並び過峡の上に脉を看ず。不過さらに脉の上に推求し、干支の純雑・夫婦配合の道理を認清せよ。もしこの一宮に配上せざれば、すなわち別の宮を求めよ。牽強凑…するべからず。

且山龍取砂為關;而平洋不用砂關,只要大水龍行收入小水結穴,有此小水,引動龍神,千流萬脈,其精液皆注歸於小水,以蔭穴氣。此平洋下穴秘旨,一語道破,混沌之竅鑿矣。觀此則知所謂兩水相交,非謂左右兩水會穴前,而龍從中出、謂之行龍也;正謂大水與小水相交之處,乃真龍之行,真穴之止也。

再び言う、山龍は砂に靠りて関攔を作すを要す。平洋は却て砂関を用いず、ただ大水のこの条の龍が某処に行到り、一支の小水を収め入れて穴を結ぶ。この支の小水有れば、龍神はすなわち引動せられ、千流万脉の精液はみなこの小水に注帰し、以て穴気を蔭養す。これは平洋の下穴の秘旨、一句話にして点破し、混沌の竅門は算是に鑿き開かれた。此に由りて知るべし…

既有此小水,收盡源頭,又何慮砂水之為我用與否。豈砂之攔阻能強之者耶;人且不可強,而況於水。若水口捍門,此山籠大地雄峙一方之勢。蓋將山比擬,楊公秘慎之旨,互文隱意,雖若並陳,大旨偏重平洋,而以山龍相映發,以辨其不同途爾。貴學者言外會心;若不知剖析,而視為一合之說,將雜亂而無緒矣。

既にこの支の小水有りて源頭を収尽くすを以て、さらに砂と水の肯んじて我が用を為すかを愁わん。難道砂の拦阻は能くそれを勉强し得んや。人は尚お勉强し得ず、何况んや水をや。水口に捍門あるに至っては、あれは山龍大地の一方に雄踞する気勢。ここは不過山を取りて比拠と作すのみ。楊公の秘して之を慎む用心は、互文隠語を用い、看れば山と平洋を並び…

龍若直來不帶關,支兼乾出是福山,立得吉向無差誤,催祿催官指日間。蔣注:此亦上下二篇所已詳。蓋以四正為例,而其餘自在言外,非位位取地支也。

龍もし直来して関攔を帯びず、地支を以て天干を兼ねて出れば、すなわち福有る山。ただ吉向を立得て差誤なければ、禄を催し官を催すこと指日を待つ可し。蒋大鴻の注:これもまた上・下両篇の已に講じ詳しくした。ここは四正卦を取りて例と作す。其余は自ら言外に在り。並び毎一位みな地支を取るを非とするにあらず。

乾坤艮巽脈過凹,節節同行不混淆,向對甲庚壬丙水,兒孫列士更分茅。仲山過脈不帶關,三節山水同到前,斷定三代出官貴,古人準驗無虛言。蔣注:此則單指四隅龍格,反取干神,並不言及辰戌丑未,則其非專重地支可知矣。脈是內氣,而向對之水是外氣,兩不相妨也。楊公辨龍審卦之妙,口口說重地支,而本旨實非重地支,世人被他瞞過多矣,豈知一隻眼逗漏於此節,學者其毋忽哉。

乾・坤・艮・巽方の脉は凹処より峡を過ぎ、一節一節同行して混雑せず。朝向は甲・庚・壬・丙方の水に対すれば、児孫は朝班に位列しさらに封土を受けん。仲山(子午卯酉)が脉を過ぐるに関攔を帯びず、三節の山と水とが一同に穴前に到れば、三代に官貴を出すと断ず。古人の験は従来虚言なし。蒋大鴻の注:この一段は単に四隅の龍格を指す…

發龍多向支神取,若是干神又不同;支若載幹為夫婦,幹苦帶支是鬼龍;子癸為吉壬子凶,三字真假在其中。乾坤艮巽天然穴,水來當面是真龍;要識真龍結真穴,只在龍脈兩三節,三節不亂是真龍,有穴定然奇妙絕。千金難買此玄文,福緣遇者毋輕洩,依圖立向不差分,榮華富貴無休歇;時師不明勉強扦,雖發不久即敗絕。

発龍は多くは地支の上より取るを要す。もし天干の神なれば、情形はまた同じからず:地支もし天干を載せば、便ち夫婦を成す。天干もし地支を帯びれば、あれはすなわち鬼龍を成す(原文の「苦」は「若」の訛)。子が癸に配するは吉、壬が子に配するは凶。真と假とはすなわちこの三个字の中に在り。乾・坤・艮・巽は天然生成の穴。水は当面より来るはすなわち真…

蔣注:發龍多取支神,此乃用支之卦也。干神不曰無取,而乃曰若是干神又不同,明明有用幹之時,而特與用支者不同爾。幹帶支為鬼龍,只就子癸壬子一宮為例,其真其價,三字之中,迥然差別。何以乾坤艮巽,獨名天然穴;蓋直以乾坤艮巽為龍,不更轉尋名相,故曰天然;若他籠則干支卦位,非一名矣。

蒋大鴻の注:発龍は多く地支を取ると言うは、あれは支の卦を用いる。天干に対しては、楊公は並び「無取」と言わず、而して「若是干神又不同」と言う――明らかに天干を用いる時あり、ただ地支を用いる情形と同じからざるのみ。「干帯支為鬼龍」と言うは、ただ子癸・壬子のこの一宮を取りて例と作す。孰れが真孰れが假か、すなわちこの三个字の間に迥然と…

水來當面是真籠,此語石破天驚,鬼當夜哭,蓋乾坤艮巽之穴,又與取支惡幹者不同;觀此則寶照之訣,實非單重支神,洞然明白矣。至於格龍之法,止要兩三節不差錯,則卦氣已全,不必更求於四五節之外,恐人拘泥太過,遇著好龍,當面錯過,所以發此,非楊公遷就之說也。但此兩三節,定要清純,若到頭節數,略有勉強,不能無誤,又戒作者須其難其慎也。

「水来当面是真龍」のこの一句は、真に石を破り天を驚かし、鬼も亦た夜裏に哭かん。乾坤艮巽の这几种の穴は、またあの地支を取り天干を厭うの説法と同じからざるがゆえ。ここを看れば、すなわち《宝照》の口訣は実に単に地支を重んずるにあらざるを明白す。格龍の方法に至っては、ただ両三節の差錯なければ、卦気は完全と算え、必ずしも四五節の…に向わず。

一個星辰一節龍,龍來長短定枯榮,孟仲季山無雜亂,數產人龍上九重,節數多時富貴久,一代風光一節龍。蔣注:此亦論平洋龍神節數,以定世代近遠之應,總在行度之純雜上斷也。

一顆の星辰は一節の龍を管す。龍の来ること長しや短しや、すなわち枯と栄を定下す。孟・仲・季の三類の山は相雑乱せず。屡屡として人中の龍を出し、上は九重の天闕に達せん。節数の多きは富貴すなわち長久。一節の龍はただ一代の風光を管すのみ。蒋大鴻の注:これもまた平洋龍神の節数を論じ、拠りて第几代に応験するや・久しきや暫きやを判定す。終帰すれば仍是れ行…

平砂玉尺辨僞(国朝蒋平階大鴻著)

辨僞総論

地理多偽書,平尺者,偽之尤者也。或曰:是書也,以目視之儼然經也,子獨辨其偽何居。曰:惟世皆以為經也,餘用是不能無辨。今之術家守之為金科玉律,如蕭何之定漢法,苟出乎此,不得為地理之正道。術士非此不克行,主家非此不敢信,父以教其子,師以傳其弟,果能識此,即可以自號於人曰堪輿家,延之上座,操人身家禍福之柄而不讓,拜人酒食金帛之賜而無漸。

地理書の中に僞作は甚だ多し。《平砂玉尺経》はさらに僞中の尤なり。ある人問う:この部の書は看れば儼然として一部の経典、汝は偏ねてそれを僞と辨す。何に憑るか。我が言う:正因…

是以當世江湖之客,寶此書為衣食之利器,譬農之來耜,工之斧斤,其於謀生之策,可操劵而得也,有朝開卷而成誦暮,挾南車以行術者矣,豈知其足以禍世,如是之酷哉。知其禍世而不辨,餘其無人心者哉。或曰:是書之來也遠矣,千又安知其為偽也。乃從而辨之曰:我亦辨之以理而已矣。

だから当今江湖の上の術客は、この部の書を取りて衣食を謀る利器と為す。譬えば農夫の耒耜・工匠の斧头のごとく、それに靠りて生を謀るは契券を拿るがごとく把拠あり。ある人は早上書を翻して背熟し、晚上すなわち羅盤を挾んで出でて術を行く。彼らはどこで知らん、この書が世人を禍害すること竟に如此の惨酷の地步に到るを。明知してそれが世人を禍害するも辨明せざれば、我は豈に人心なからんや。ある人が言う:この部の書は流伝して已に久し。汝はまたどうしてそれが僞作を知り、就跟着去辨它呢。我が言う:我も亦不過道理を取りて辨ずるのみ。

或曰:亦一理也,彼亦一理也,安知子之理是,而彼之理非與。曰:餘邀惠於先之賢哲,而授餘以黃石青鳥,楊公幕講之秘要,竊自謂於地理之道,得之真而見之確矣。故於古今以來,所謂地理之書無所不畢覽,凡書之合於秘要者為真,不合秘要者為偽,而此書不合之尤者也。

またある人が言う:汝の講ずるは一套の道理、彼の講ずるも亦た一套の道理。どうして汝の道理が対で彼の道理が不对を知る。我が言う:我は前代賢哲の恩惠を承蒙し、黄石公・青烏子及び楊筠松・幕講師の一脉の秘要を我に伝授せられ、自ら以て地理の道に於て、得るは真伝・見るは確論と為す。だから古より今に至りおよそ地理の書と称し得るは、我は無不遍覧す:およそこの一套の秘要に合するはすなわち真、合せざればすなわち僞。而してこの部の書は正に合せざること最も厲しきもの。

既得先賢之秘要,又嘗近自三吳兩浙,遠之齊魯,豫章八閩之墟,縱觀近代名家墓宅,以及先世帝王聖賢陵墓古蹟,考其離合,正其是非,凡理之取驗者為真,無所取驗者為偽,而此書不驗之尤者也,故敢斷其偽也。蓋以黃石青烏楊公幕講斷之,以名家墓宅先世古蹟斷之,非餘敢以私見臆斷之也。

我は既に先賢の秘要を得、また曾て近くは三呉両浙・遠くは斉魯・豫章・八閩の各地より、遍く近代名家の墳墓宅第及び前代帝王聖賢の陵墓古蹟を看、考究してそれらと理法の離合・其の中の是非を訂正す。およそ道理の上に験を取得し得るはすなわち真、験を取り得ざればすなわち僞。而してこの部の書は正に最も験證し能わざるもの。だから我は敢えてそれを僞書と断定す。これは黄石公・青烏子・楊公・幕講師の説を取りてそれを断ずるもの、名家墳宅・前代古蹟を取りてそれを断ずるもの、並び我が敢えて一己の私見に憑りて臆断するにあらず。

或曰:然則秉忠之譔,伯溫之注盅與。曰:此其所以為偽也。夫地理者,裁成天地之道,輔相天地之宜,以經邦定國,禍福斯民者也,三代以上明君哲相,無不知之。世道下衰,其說隱秘而寄之乎山澤之癯,逃名避世之士,智者得之,嘗以輔翼興王,扶持景運,而其說之至者,不敢顯然以告世也。

ある人問う:それでは書の上に題する劉秉忠の撰・劉伯温の注は、難道假的か。我が言う:これ正にそれの僞たる処。地理のこの門の学問は、天地の道を裁成し天地の宜を輔助し、用いて邦を経て国を定め百姓の禍福を決定す。夏商周の三代以上の明君賢相に懂せざるなし。後来世道衰え、この一套の学説はすなわち隠秘し、山沢間の清瘦の隠士・逃名避世の人の身に寄托す。智慧ある人がそれを得ては、曾て用いて興王の業を輔佐し一代の好運を扶持せし。而してその中の最も精到の道理は、敢えて公開して世人に告げざるもの。

文成公之事太祖,其最著者矣,及其沒也,盡舉生平所用天文地理數學之書,進之內府,從無片言隻字存於家,而教其子孫,況肯著書立說,以傳當世耶。故凡世本之稱青田者,皆偽也。均之佐命之英,知青田則知秉忠矣。或曰:何是書之文辭井井乎若有可觀者也。曰:其辭近是,其理則非,蓋亦世之通人而不知地理者,以意為之而傳會其說,托之乎二公者也。餘特指其謬而一一辨之,將以救天下之溺於其說者。

劉文成公(劉基)は明太祖を輔佐し、その中の最も著名の一位。彼が去世する時を待ち、生平の用いし天文・地理・数学の書籍を全部内府に交進し、家裏に一言半字を留下して子孫を教えず、何况んや肯んじて書を著し説を立て当世に流伝せんや。だからおよそ世間の刻本に「青田劉伯温」と題するは、みな僞托。劉秉忠も同じく佐命の英才。青田の情形を明白せば、すなわち秉忠の情形も明白せん。またある人問う:それでは何ぞこの部の書は文辞条理井然として甚だ可観に似たるか。我が言う:それの措辞は是に接近すと雖も、道理は錯えり。大概は亦た世上の某か通達の士にして地理を懂せざる人が、自らの意思に憑りて写成しまた牽強附会して、假托してこの两位の公卿の名下に寄せたのみ。我は特にその謬誤を指出し、一条一条辨明して、天下のこの一套の説法に沉溺する人を挽救せんと好む。

辨順水行龍

山龍之脈與平洋龍脈,皆因水而驗其脈之動靜,而皆不以水而限其脈之去來。今先言山龍。夫山,剛質也;水,柔質也。山之孔竅而水出焉,故兩山之間,必有一水;山窪下之處,即水流行之道。水隨山而行,非山隨水而行也。山之高者,脈所從起;山之卑者,脈所從止。山自高而卑,故水亦從之自高而卑,此一定之理也。

山龍の脉と平洋の龍脉は、みな水を借りて脉の動と静を験證す。しかしみな水を取りて脉の来と去を限定する能わず。今先ず山龍を言わん。山は剛硬の質、水は柔軟の質。山に孔竅あれば、水はすなわちあそこより流出す。だから両山の間に必ず一条の水あり。山の低洼の地方はすなわち水の流行の通道。是れ水が山の走るに跟うであって、山が水の走るに跟うにあらず。山の高き地方は脉あそこより起り、山の低き地方は脉あそこに止まる。山は高より低に走る。だから水も亦た跟いて高より低に流る――これは一定不变の道理。

往往大溪大澗之旁,小幹龍所憩焉;大江大河之側,大幹龍所休焉。蓋來山之眾支聚乎此,故來水之眾泒亦聚乎此也。然據水之順逆而論脈之行止,但可就其大概而言爾。若必謂水於此界,脈必於此斷;水向左流,脈必不向右行,則不可也。

だから往々として大溪大澗の傍は、小干龍の歇脚の地方。大江大河の岸边は、大干龍の止息の地方。来山の許多の支脉がみなここに聚まるがゆえに、来水の許多の支派も亦たすなわちここに聚まる。不過水の順逆に依りて脉の行と止を論ずるは、ただ大概に就て言うのみ。もし必ず水がここに界断すれば脉すなわち必ずここに断たる、水が左に流れれば脉すなわち必ず右に行らずと言わば――あれはすなわち講じ通せざるなり。

夫龍脈之起伏轉折,千變而不窮。有從小江小湖崩洪而過者矣;有從大江大河,越數百十里不知其蹤跡端倪而過者矣;有收本身元辰小水,逆行收數里而結者矣;有向大乾水逆奔數百里而結者矣。龍之真者,水愈斷而其過脈愈奇,勢愈逆而其骨力愈壯,豈一水之橫流,可遏之使斷,牽之使前乎。

龍脉の起伏転折は千変万化して窮尽なし:小江小湖の底下より崩洪穿渡して過ぐるのあり、大江大河を越えて幾百上千里・踪迹端倪を連ねて看り出せずして過ぐるのあり。本身元辰の小水を収めて逆行して几里して穴を結ぶのあり、大干水に対して逆奔して幾百里して穴を結ぶのあり。真龍のこの種の物は、水が断ずること愈厲しければ、それの過脉は愈奇なり。勢の逆する愈厲しければ、それの骨力は愈壮なり。どこが一条の横流の水が能くそれを遏断し、あるいはそれを牽して前に走らしめんや。

今《玉尺》云:順水直沖而逆回結穴,方知體段之真;若逆水直沖而合襟在後,斷是虛花之地。眾水趨歸東北,而坤申之氣施生;群流來向巽(震)辰,而乾亥之龍毓秀。甲卯成胎,不含酉辛之氣;午丁生意,豈乘坎癸之靈。據此而言,是天下必無逆水之龍也。豈其然哉。

如今《玉尺経》は却て言う:水に順いて直に冲り下り、再び逆折して回りて穴を結べば、はじめて体段の真を知る。もし水に逆らいて直冲し合襟して穴後に在れば、虚花無気の地と断定す。それはさらに言う:衆水がみな東北に趨れば、坤申方の気はじめて能く施生せん。群流がみな巽辰に朝着すれば、乾亥方の龍はじめて能く秀気を孕育せん。甲卯方に胎を成せば、すなわち酉辛の気を含まず。午丁方に生意あれば、哪が能く坎癸の霊に乗ぜん。それに照らして言えば、天下にすなわち必定に逆水の龍なし――難道真にこのごとしとや。

或曰:子所言,山龍也;《玉尺》所言,平壤也。故其言曰:幹源曠野,鋪氈細認交襟;極隴平坡,月角詳看住結。山龍有脈可據,故有逆水之穴,平壤無脈可尋,只就流神之來去,認氣之行止,豈與山之過峽起伏,同年而語乎。子生平專分山水二龍以正告天下,何又執此論也。

ある人反駁して言う:汝の講ずるは山龍、《玉尺》の講ずるは平洋。だからそれが言う「干源曠野、要するに毡を舗くがごとき平地上に於て水の交襟を細認せよ。隴尽き平坡の、要するに月角の処に於てそれが如何に住結するを詳看せよ」と。山龍は脉の依拠し得るあり。だから逆水の穴あり。平洋は脉の尋ね得るなく、ただ水流の来去に就りて気の行止を認む。どうして山上の過峡起伏と相提並論し得ん。汝は一生専門に山龍・水龍を分かち開きて天下に正告す。何ぞここにまた一個の説法を死守するや。

解之曰:平壤固純以流神辨氣,與山之脈峽不同,至以水之來去為氣之行止,則我不取。我以為酉辛水到,則甲卯之脈愈真;癸坎流來,則午丁之靈益顯。坤申生氣,眾水必無東北之趨;乾亥成龍,群流必無巽辰之向。由此而言,《玉尺》不但于山龍特行特結之妙茫然未知,且於平壤雌雄交媾之機大相背謬。

我が解答して曰く:平洋は固より全て水流に靠りて気を辨え、山上の脉・峡と同じからず。しかし水の来去を気の行止と当るは、我は取らず。我が以て為すに:酉辛方の水到れば、甲卯方の脉ははじめて更に真なり。癸坎方の水が流れ来れば、午丁方の霊気ははじめて更に顯なり。坤申方に生気を要せば、衆水すなわち一定不会にみな東北に趨らず。乾亥方に龍を成さんと要せば、群流すなわち一定不会にみな巽辰に朝着せず。此に由りて言えば、《玉尺》は不但山龍の特行特結の妙処に対して一無所知、而且平洋の雌雄交媾の機関に対しても大大に背謬す。

至其統論三大幹龍,而以為北幹乃崑崙之丑艮出脈,而龍皆坤申;南幹乃崑崙之巽辰出脈,而龍皆乾亥;中條乃崑崙之寅甲、卯乙出脈,而龍皆庚酉辛。注者遂實其解曰:北幹無離巽艮震穴,中幹無震巽艮穴;建康只有南離、臨安只有坤兌、八閩只有坤申。固哉,《玉尺》之言也。

それが総論する三大干龍に至っては、北干は崑崙の丑艮方より脉を出すと言い、だから龍はみな坤申に属す。南干は崑崙の巽辰方より脉を出すと言い、だから龍はみな乾亥に属す。中条は崑崙の寅甲・卯乙方より脉を出すと言い、だから龍はみな庚酉辛に属す。注を作る人は是に於てそれを坐実して言う:北干に離・巽・艮・震の穴なく、中干に震・巽・艮の穴なし。建康(南京)はただ南離のみ、臨安(杭州)はただ坤兌のみ、八閩はただ坤申のみ。《玉尺》のこれらの話は、真に固陋の甚しきもの。

夫舉天下之大勢,大抵自兌之震、自幹之巽、自坤之艮者,地勢之從高而下然也。至於龍之剝換轉變,豈拘一方。真脈性喜逆行,大地每多朝祖,若執此書順水直沖之說,遇上格大地,反以為不合理氣而棄之,而專取傾瀉奔流,蕩然無氣之地,誤以為真結而葬之,其詒害於人,烏有限量。餘故不得已,而叮嚀反覆以辨之也。

全天下の大勢に就て看れば、大体は兌(西)より走りて震(東)に向い、乾(西北)より走りて巽(東南)に向い、坤(西南)より走りて艮(東北)に向う。あれは不過地勢の高より下るの自然の結果。龍の剥換転変に至っては、どこが某一方に拘定せんや。真脉の性情は逆行を喜び、大地は往々として多くは回頭して祖を朝す。倘若この部の書の「順水直冲」の説法を死守せば、上等格局の大地に碰えて、かえってそれが理気に合せざると認めて丢弃し、却て専らあの水勢の傾瀉奔流し蕩然として気なき地方を挑って、誤りて真結と当りて葬し下らん――それの人に遺害する、どこに限度かあらん。我は是に因りて已むを得ず、反復叮嚀としてそれを辨明す。

辨貴陰賤陽

易曰:立天之道,曰陰與陽。惟此二氣,體無不具,用無不包,是二者不可偏廢,故曰孤陽不生,獨陰不長,是二者未嘗相離。故曰陽根於陰,陰根於陽。舍陽而言陰,非陰也;舍陰而言陽,非陽也。聖人作易,必扶陽抑陰者,何也。曰:道一而已,故曰幹分而為二,而名之曰坤。

《周易・説卦伝》に言う:天の法則を確立するを、之を陰与陽と呼ぶ。ただこの両種の気のみ、体の上に具わらざるなく、用の上に包まざるなし。二者は偏廃する能わず。だから「孤陽不生、独陰不長」と言う。可見二者は従来相離れず。だからまた言う:陽の根は陰に在り、陰の根は陽に在り。陽を撇開して陰を講ずれば、あれは陰にあらず。陰を撇開して陽を講ずれば、あれも亦た陽にあらず。それでは聖人が《易》を作るに何ぞ必ず陽を扶け陰を抑せん。答えて曰く:道はただ一つあるがゆえ。だから乾を分かちて二と為し、別の一半を取りて名を坤と曰く。

以兩儀之對待者言,曰陰陽;以一元之渾然者言,惟陽而已。言陽,而陰在其中矣。就人事言,則陽為君子、陰為小人。內君子外小人為泰,內小人外君子為否。由此言之,陽與陰不可分也。苟其分之,則貴陽陰,如聖人之作易。何也,若貴陰賤陽,是背乎聖人作易之旨,而亂天地之正道也。

両儀の相対待の角度より言えば、はじめて陰与陽あり。一元の渾然一体の角度より言えば、すなわちただ一個の陽のみ――陽を言えば、陰はすなわちその中に在り。人事の上に就て言えば、陽は君子、陰は小人:君子が内に小人在外は《泰》卦、小人が内に君子在外は《否》卦。こう言えば、陽与陰は本来分かる可からず。倘若必ず分かたんとすれば、それは応に聖人の《易》を作るがごとく陽を貴すべし。何を為さん。若し是れ陰を貴び陽を賤しむれば、あれは聖人の《易》を作る宗旨に違背し、天地の正道を擾乱す。

《玉尺》乃以艮巽震兌四卦為陰之旺相而貴之,以乾坤坎離為陽之孤虛而賤之。即以納甲,八干十二支:丙納於艮,辛納於巽,庚納於震而亥卯未從之,丁納於兌而己酉丑從之,十者皆謂之陰而貴;以甲納乾,以乙納坤,以癸納坎而子申辰從之,以壬納離而午寅戌從之,十者皆謂之陽而賤。

《玉尺》は却て艮・巽・震・兌の四卦を取りて陰の旺相と作し之を尊貴し、乾・坤・坎・離を取りて陽の孤虚と作し之を軽賤す。再び納甲の法に按じて八干十二支を分派し下す:丙は艮に納り、辛は巽に納り、庚は震に納りて亥卯未は之に随い、丁は兌に納りて巳酉丑は之に随う――この十個はみな陰と算えて尊貴す。甲は乾に納り、乙は坤に納り、癸は坎に納りて子申辰は之に随い、壬は離に納りて午寅戌は之に随う――この十個はみな陽と算えて卑賤す。

於是當世之言地理者,不論地之真偽若何,凡見陰龍陰水陰向,則概謂之吉;而見陽龍陽水陽向,則概謂之凶,此乖謬之甚者也。夫吉凶之理莫著於易,易六十四卦各有其吉,各有其凶;八卦,六十四卦之父母也,豈有四卦純吉、四卦純凶之理。八干十二支亦然。吾謂論地,只論其是地非地,不當論其屬何卦體,屬何干支。若果龍真穴的,水神環抱,坐向得宜,雖陽亦吉也;若龍非真來,穴非真結,砂飛水背,坐向偏斜,雖陰亦凶也。

是に於て当今の地理を談ずる人は、この地が究竟真か真ならざるかを管せず、およそ陰龍・陰水・陰向を見れば一概に吉と言い、陽龍・陽水・陽向を見れば一概に凶と言う――これは真に荒謬の極点に到れり。吉凶の道理は《易》の講じて明白なるに比するなし:六十四卦の毎一卦は各々それが吉の一面あり、各々それが凶の一面あり。八卦は六十四卦の父母、哪有四卦純吉・四卦純凶の道理。八干十二支も亦た一様。我が以て為すに地を論ずるは、ただそれが好地か否かを論ずべし。それが何れの卦体に属し何れの一組の干支に属すを論ずべからず。もし龍真・穴的にして、水神環抱し坐向得宜なれば、陽に属するも一様に吉。もし龍は真来にあらず穴は真結にあらず、砂飛び水背して坐向偏斜なれば、陰に属するも一様に凶。

又拘所謂三吉六秀,而以為出於天星,考之天官家言,紫微垣在中國之壬亥方,而太微垣在丙午方,天市垣在寅艮方。且周天二十八宿分佈十二宮,皆能為福,皆為災。地之二十四干支上應列宿,亦猶是也。何以在此為吉,在彼為凶,此與天星之理全乎不合。至謂乾坤老亢、辰戌為魁罡、丑未為暗金煞,然種種悖理。

彼らはまたいわゆる「三吉六秀」に拘泥し、これは天星より来ると説く。しかし天官家の説法を考究すれば:紫微垣は中国の壬亥方に対応し、太微垣は丙午方に対応し、天市垣は寅艮方に対応す。而且周天の二十八宿は十二宮に分布し、毎一宿はみな福を致し得、みな災を致し得。地上の二十四干支は上は列宿に応ず。道理は亦た一様。何に憑りてここに在ればすなわち吉、あそこに在ればすなわち凶。これは天星の理と完全に対せず。乾坤は老にして亢・辰戌は魁罡・丑未は暗金煞と言うに至っては、種種の説法みな道理に違背す。

夫乾坤為諸卦之父母,六子皆其所產,何得為凶。老嫩之辨在於龍,龍之出身嫩也,即乾坤亦嫩也;龍之出身老,即巽辛兌丁亦老也。斗之戴匡為天魁,斗柄所指為天罡,此樞幹四時,斟酌元氣,造化之大柄也。理數家以為天罡所指,眾煞潛形,何吉如之,而反以為凶耶。五行皆天地之經緯,何獨忌四金。庚酉辛,金之最堅剛者也,既不害其為吉,而獨忌四隅之暗金,甚無謂矣。諸如此類,管郭楊賴從無明文,不知妄作,流毒天下,始作俑者其無後乎。我不禁臨文而三嘆也。

乾・坤は諸卦の父母、六個の子女卦はみなそれらの生出せしもの。どうして凶と為らん。老与嫩の分別は龍本身に在り:龍の出身嫩なれば、算え乾坤なりと雖も亦た嫩なり。龍の出身老なれば、算え巽・辛・兌・丁なりと雖も亦た老なり。北斗の戴ぐ匡星を「天魁」と呼び、斗柄の指す方向を「天罡」と呼ぶ。これは四時を主宰し元気を斟酌する枢紐、造化の大権柄。理数家はさらに天罡の指す処は衆煞みな形を蔵むべしと言う。さらに何のこれより吉なるかあらん。どうしてかえってそれを凶と当てん。五行はみな天地の経緯。何ぞ単々「四金」を忌諱せん。庚・酉・辛は金のうち最も堅剛。既にそれらが吉と為るを妨げず、却て単々四隅のいわゆる「暗金」を忌諱す。実に毫も道理なし。これらの類の説法は、管輅・郭璞・楊筠松・頼文俊は従来明文に講じたことなし。懂せずして懂すを装い妄自に造作す。流毒して天下す――始作俑者は、只恐怕後絶えんとす。我はここに写り到りて、禁ずる能わず再三嘆息す。

辨龍五行所属

盈天地間只有八卦。先天之位,曰乾坤定位,山澤通氣,風雷相薄,水火不相射。八卦總之陰而已,山陽澤陰、雷陽風陰、火陽水陰,皆兩儀對待之象。對待之中,化機出焉。所謂玄牝之門,是為天地根,一陰一陽之謂道。八卦者,天地之體;五行者,天地之用。當其為體之時,未可以用言也。

天地の間に充満するはただ八卦のみ。先天の方位は:乾坤は上下の位を定め、山沢は其の気を相通じ、風雷は相互に激荡し、水火は相厭弃せず。八卦は帰総すれば不過陰陽のみ:山は陽に属し沢は陰に属し、雷は陽に属し風は陰に属し、火は陽に属し水は陰に属す。みな両儀の相対待の象。すなわちこの対待の中に於て、化育の機能は生出ず。いわゆる「玄牝之門、是為天地根」、いわゆる「一陰一陽之謂道」、講ずるはみなこれ。八卦は天地の本体、五行は天地の功用。それがなお「体」の段階に処する時は、「用」を取りてそれを講ずる能わず。

故坎雖為水,此先天之水,不可以有形之水言也;離雖為火,此先天之火,不可以有形之火言也。故艮為山而不可以土言也,兌為澤而不可以金言也,震巽為風雷而可以木言也。若論後天方位八卦,而以坎位北而為水、以離位南而為火、以震位東而為木、以兌位西而為金,似矣。四隅皆土也,又何以巽木乾金不隨四季,而隨春秋耶。此八卦五行之一謬也。

だから坎は雖も水、あれは先天の水。有形の水を取りてそれを講ずる能わず。離は雖も火、あれは先天の火。有形の火を取りてそれを講ずる能わず。同じく艮は山、しかし五行の土を取りてそれを講ずる能わず。兌は沢、しかし五行の金を取りてそれを講ずる能わず。震・巽は風雷、亦た五行の木を取りてそれを講ずる能わず。もし後天方位の八卦に按じ、坎は北に居り水と為し離は南に居り火と為し震は東に居り木と為し兌は西に居り金と為すと言えば、これはなお話に似る。しかし四隅はみな土に属すべし。何ぞ巽は偏ねて木に属し乾は偏ねて金に属し、四季(辰戌丑未)に跟わずして、かえって春秋に跟うや。これは八卦が五行に配する第一重の謬誤。

及論二十四龍則又造為三合之說,復附會之以雙山,更屬支離牽強而全無憑據。夫既以東南西北為四正五行,則巳丙丁皆從離以為火、亥壬癸皆從坎而為水、寅甲乙皆從震而為木、申庚辛皆從兌而為金,辰戌丑未皆從四隅以為土,猶之可也。

二十四龍を論ずるに及んで、また「三合」の説法を造出し、再び「双山」を牵扯して上れば、更に支离牽強にして全く憑拠なし。既に已に東南西北を取りて四正の五行を定めたれば、それでは巳丙丁はみな離に随い火と為し、亥壬癸はみな坎に随い水と為し、寅甲乙はみな震に随い木と為し、申庚辛はみな兌に随い金と為し、辰戌丑未はみな四隅に随い土と為す――これはなお勉强に講じ過ぎ得。

今又以子合申辰而為水,並其鄰之坤壬乙亦化為水;以午合寅戌而為火,並其鄰之艮丙辛亦化為火;以卯合亥未而為木,並其鄰之干甲丁亦化為木;以酉合已丑而為金,並其鄰之巽庚癸亦化為金。論八卦則卦爻錯亂,論四令則方位顛倒,此三合雙山之再謬也。所謂多岐亡羊,朝令夕改,自相矛盾,不持悖於理義,亦不通於辭說者矣。

如今却てまた子と申・辰を取りて水局を合成し、それの傍の坤・壬・乙を連ねて一倂に水と化成す。午と寅・戌を取りて火局を合成し、傍の艮・丙・辛を連ねて一倂に火と化成す。卯と亥・未を取りて木局を合成し、傍の乾・甲・丁を連ねて一倂に木と化成す。酉と巳・丑を取りて金局を合成し、傍の巽・庚・癸を連ねて一倂に金と化成す。こうなれば、八卦を論ずればすなわち卦爻錯乱、四時を論ずればすなわち方位顛倒――これは三合・双山の第二重の謬誤。真にいわゆる岔路の多きに羊を丟い、朝令は夕に改まり、自相矛盾す。不但義理に違背し、説法本身を連ねても講じ通せず。

又以龍脈之左旋右旋,而分五行之陰陽,曰亥龍自甲卯乙、丑艮寅、壬子癸方來者為陽木龍;亥龍自未坤申、庚酉辛、戌乾方來者為陰木龍。其餘無不皆然,謬之謬者也。

彼らはまた龍脉が左旋か右旋に按じて、五行の陰陽を分かちて言う:亥龍もし甲卯乙・丑艮寅・壬子癸のこれらの方より来れば、すなわち陽木龍。亥龍もし未坤申・庚酉辛・戌乾のこれらの方より来れば、すなわち陰木龍。其余の各龍は無不此に照らし類推す――これは真に錯の上に錯を加えたり。

又以龍之所屬而起長生、沐浴、冠帶、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絕、胎、養;又以龍順逆之陰陽分起長生,曰陽木在甲,長生在亥,旺於卯、墓於未;陰木屬乙,長生在午、旺於寅、墓於戌。其餘無不皆然,舉世若狂以為定理,真可哀痛矣。夫五行者,陰陽二氣之精華,散於萬象,周流六虛,盈天地之內,無處不有五行之氣,無物不具。

彼らはさらに龍の属する五行に按じて長生・沐浴・冠帯・臨官・帝旺・衰・病・死・墓・絶・胎・養のこの十二宮を起し、また龍の順逆陰陽に按じて分別に長生を起して言う:陽木は甲に寄せ、長生は亥に在り旺は卯に在り墓は未に在り。陰木は乙に属し、長生は午に在り旺は寅に在り墓は戌に在り。其余の各行は無不此に照らし類推す。挙世は狂を発するがごとくそれを定理と奉ず。真に可悲可痛。実は五行は陰陽二気の精華、万象の中に散布し、上下四方に周流す。天地の内に充満して、一処として五行の気なきなく、一物として五行を具備せざるなし。(全文源はここに至りて中断す。)

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