Libo

白虎通义

东汉 · 班固

白虎通義

儒家典籍

初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。

白虎通義

白虎通義

●卷一

●巻一

○爵

○爵

天子者,爵稱也。爵所以稱天子者何?王者父天母地,為天之子也。故《援神契》曰:天覆地載謂之天子,上法斗極。”《鉤命決》曰:“天子,爵稱也。”帝王之德有優劣,所以俱稱天子者何?以其俱命於天,而王治五千裡內也。《尚書》曰:天子作民父母,以為天下王。”何以知帝亦稱天子也,以法天下也?《中候》曰:“天子臣放勳。”《書?逸篇》曰:“厥兆天子爵。”何以“言皇”亦稱天子也?以其言天覆地載俱王天下也。故《易》曰:“伏羲氏之王天下也。”

「天子」は一種の爵称です(爵とは等級の封号)。爵位の中でなぜ天子と称するのでしょうか。王者が天を父とし、地を母とする、天の子だからです。だから《援神契》に「天が覆い、地が載せる、これを天子という。上は北斗の天極に法る」とあります。《鉤命決》に「天子とは爵称である」とあります。帝王の徳には優劣がありますが、みな天子と称するのはなぜでしょうか。みな天より命を受け、五千里の内で王として治めるからです。《尚書》に「天子は百姓の父母となり、それによって天下の王となる」とあります。帝も天子と称すると何によって知るのでしょうか。天下に法るからです。《中候》に「天子の臣放勳」とあります。《尚書》逸篇に「あの兆象は天子の爵である」とあります。皇も天子と称するとはなぜでしょうか。天が覆い地が載せると言う以上、みな天下に王となるからです。だから《周易》に「伏羲氏、天下に王たり」とあります。

爵有五等,以法五行也;或三等者,法三光也。或法三光,或法五行何?質家者據天,故法三光;文家者據地,故法五行。《含文嘉》曰:“殷爵三等,周爵五等,各有宜也。”《王制》曰:“王者之制祿爵凡五等。”謂公、侯、伯、子、男。此周制也。所以名之為公侯者何。公者通公正無私之意也。侯者,候也。候逆順也。《春秋傳》曰:“王者之後稱公,其餘人皆千乘,象雷震百里所潤同。大國稱侯,小者伯、子、男也。”《王制》曰:“公、侯田方百里,伯七十里,子、男五十里。”伯者百也。子者孳也孳孳無已也。男者,任也。人皆五十里,差次功德,小者不滿為附庸,附庸者,附大國以名通也。百里兩爵、公侯共之,七十里一爵,五十里復兩爵何?公者,加尊二王之後,侯者百里之正爵士,上有可次,下有可第,中央故無二。五十里有兩爵者,所以加勉進人也。小國下爵,猶有尊卑,亦以勸人也。殷爵三等,謂公、侯、伯也,所以合子、男從伯者何?王者受命,改文從質,無虛退人之義,故上就伯也。《尚書》曰:“侯、甸、任、衛,作國伯。”謂殷也。《春秋傳》曰:“合伯、子、男為一爵。”或曰:合從子,貴中也。以《春秋》名鄭忽,忽者,鄭伯也。此未逾年之君當稱子,嫌為改赴。故名之也。地有三等不變,至爵獨變者何?地比爵為質,故不變。為質故不變,王者有改道之文,無改道之實。家所以令公居百里、侯居七十里何也?封賢極於百里。其政也,不可空退人,示優賢之意,欲褒尊而上之。何以知殷家侯人不過七十里者也?曰:士上有三等,有百里、有七十里,有五十里。其地半者其數倍,制地之理體也,多少不相配。

爵を五等に分けるのは五行に法り、あるいは三等に分けるのは三光(日・月・星)に法ったものです。なぜ三光に法るものと五行に法るものがあるのでしょうか。質朴を尊ぶ代(質家)は天に依るので三光に法り、文飾を尊ぶ代(文家)は地に依るので五行に法ります。《含文嘉》に「殷の爵は三等、周の爵は五等、それぞれ当を得たところがある」とあります。《礼記・王制》に「王者は禄と爵を制して、あわせて五等」とあります。すなわち公・侯・伯・子・男です。これは周の制度です。なぜ公・侯と呼ぶのでしょうか。「公」は公正を通し私がないという意味、「侯」は候望、すなわち人心の逆順を候望することです。《春秋伝》に「王者の後裔は公と称し、その余はみな千乗の国。雷が百里を震わせ、雨の潤すも百里であるように。大国は侯と称し、小は伯・子・男と称す」とあります。《王制》に「公・侯の田は方百里、伯は七十里、子・男は五十里」とあります。「伯」は百であり、「子」は孳生、孳々として止まないこと、「男」は任ずることです。子・男はともに五十里で、功徳によって等差をつけ、さらに小さく数に足りないものを附庸といいます――附庸とは大国に依附し、大国の名を借りて上に通じるものです。百里の地に二種の爵があり公と侯が共用し、七十里には一種の爵のみ、五十里にまた二種の爵があるのはなぜでしょうか。「公」は格別に二王の後裔を尊顕するもので、侯こそ百里の正しい爵土です。上に排すべき等次があり、下にも排すべき等第があり、ちょうど中なので第二種を設けません。五十里に二等の爵を設けるのは、力を添えて人の向上を励ますためです。小国は下爵にあってもなお尊卑があり、これも人を勧めるためです。殷の爵は三等、公・侯・伯です。なぜ子・男を併せて伯に従わせるのでしょうか。王者は命を受け、文を改めて質に従うのに、むやみに人を下に落とす道理はないので、上に帰して伯とします。《尚書》に「侯・甸・任・衛、国伯を作す」とあるのは殷のことです。《春秋伝》に「伯・子・男を合わせて一等の爵とする」とあります。もう一説では、併せて「子」に従うのは、中間のこの一等を重んじるからです。《春秋》が鄭の忽を名で呼ぶのは、忽は実は鄭伯であり、満一年に満たない国君は本来「子」と称すべきところ、訃告を改めたと誤解されるのを恐れて名で呼んだのです。土地は依然として三等のまま変わらず、爵だけが変わったのはなぜでしょうか。土地は爵に比べて質朴なので変えません。質朴ゆえに変えないのです。王者には道を改める文飾はあっても、道を改める実質はありません。殷家はなぜ公を百里、侯を七十里に居らせるのでしょうか。賢人を封ずるのは百里を極みとします。このように按排するのは、むやみに人を下に落とせないということ、賢人を優遇し、褒めて上に推尊することを示すためです。殷家の侯の封が七十里を超えないと何によって知るのでしょうか。答えて曰く、土地の上に三等あり、百里あり、七十里あり、五十里あります。地が半分に減れば国の数は倍になる、これが地を画する体例で、多少は誤配できません。

公、卿、大夫者,何謂也?內爵稱也。曰公、卿、大夫何?爵者,盡也,各量其職盡其才也。公之為言公正無私也;卿之為言章,善明理也;大夫之為言大,扶進人者也。故《傳》曰:“進賢達能,謂之大夫也。士者事也,任事之稱也。”故《傳》曰:“古今辯然否,謂之士。”《禮》曰:“四十強而士。”不言“爵為士”。至五十爵為大夫何。何以知士非爵?何以知卿為爵也。以大夫知卿亦爵也。何以知公為爵也?《春秋傳》曰:“諸侯四佾,諸公六佾。”合而言之,以是知公卿為爵。內爵所以三等何?亦法三光也。所以不變質文何?內者為本,故不改內也。諸侯所以無公爵者,下天子也。故《王制》曰:“上大夫、下大夫、上士、中士、下士,凡五等。”此謂諸侯臣也。大夫但有上、下何?明卑者多也。爵皆一字也,大夫獨兩字何?《春秋傳》曰:“大夫無遂事。”以為大夫,職在之適四方,受君之法,施之於民,故獨兩字下之。或曰大夫,爵之下者也。稱大夫,明從大夫以上受下施,皆大自著也。天子之士獨稱元士何?士賤不得體君之尊,故加元以別諸侯之士也。《禮經》曰:“士見大夫。”諸侯之士。《王制》曰:“王者八十一元士。”天子爵連言天子,諸侯爵不連言王侯何?即言王侯,以王者同稱,為衰弱亻替差生篡弒,猶不能為天子也,故連言天子也。或曰:王者天爵,王者不能生諸侯,故不言王侯;諸侯人事自著,故不著也。王者太子亦稱士何?舉從下升,以為人無生得貴者,莫不由士起,是以舜時稱為天子,必先試於士禮。《士冠經》曰:“天子之元子士也。”

公・卿・大夫とは何を言うのでしょうか。朝廷内部の爵称です。なぜ公・卿・大夫と呼ぶのでしょうか。「爵」は尽くすこと、それぞれ自分の職分を量り、才力を尽くすことです。「公」は公正で私がないことを言い、「卿」は彰明、道理をよく言い明らかにすること、「大夫」は大、人材を扶え引き入れることができる者です。だから《伝》に「賢者を進め能者を通ずるを大夫という。士とは事であり、事務を担任する呼称である」とあります。だから《伝》に「古今の是と非を弁別できるを士という」とあります。《礼》に「四十にして強くして士となる」とあり、「爵を士とする」とは言いません。五十歳になって初めて爵を大夫とするのはなぜでしょうか。士が爵でないと何によって知るのでしょうか。卿が爵であると何によって知るのでしょうか。大夫が爵であることから、卿も爵であると知れます。公が爵であると何によって知るのでしょうか。《春秋伝》に「諸侯は四佾を用い、諸公は六佾を用いる」とあります。合わせて見れば、これによって公・卿が爵であると知れます。内部の爵がなぜ三等に分かれるのでしょうか。これも三光に法ったものです。なぜ質・文に従って改めないのでしょうか。内部は根本なので、内部は改めません。諸侯に「公」という公爵がないのは、天子より下にあるためです。だから《王制》に「上大夫・下大夫・上士・中士・下士、あわせて五等」とあるのは、諸侯の臣を言ったものです。大夫に上・下しかないのはなぜでしょうか。卑しい者ほど多いことを示すためです。爵名はみな一字なのに、大夫だけが二字なのはなぜでしょうか。《春秋伝》に「大夫には自ら専らにして最後まで成し遂げるべき事がない」とあります。大夫の職分は四方に出て、国君の法度を受け、百姓に施すので、独り二字を用いて下にあることを表します。もう一説では、大夫は爵の最も下の等です。大夫と称するのは、大夫以上は上にある者の施すところを受けてさらに下に施し、みな大いに自らを著わすことを表明するためです。天子の士だけが「元士」と称するのはなぜでしょうか。士は低賤で、国君の尊さに体合できないので、「元」を加えて諸侯の士と区別します。《礼経》に「士、大夫に見ゆ」とあるのは諸侯の士です。《王制》に「王者に元士八十一名あり」とあります。天子の爵は「天子」と連ねて言い、諸侯の爵は「王侯」と連ねて言わないのはなぜでしょうか。もしそのまま「王侯」と言えば王者と混称し、衰弱・僭差が生じて篡弑が起こり、それでも天子にはなれないので、「天子」と連言します。底本は「亻替」と作るが、「僭」の字を拆いた訛りです。もう一説では、王者は天の授けた爵であり、王者は諸侯を生み出せないので「王侯」と言わず、諸侯の人事は自ら著しいので、改めて標明しません。王者の太子も士と称するのはなぜでしょうか。下から上に昇るという義を挙げたもので、人は生まれながらに貴い者はなく、士から始まらない者はないと考えるので、舜が後に天子と称されたのも、必ず先に士礼をもって試されたのです。《士冠経》に「天子の嫡長子もまた士なり」とあります。

婦人無爵何?陰卑無外事,是以有“三從”之義:未嫁從父,既嫁從夫,夫死從子。故夫尊於朝,妻榮於室,隨夫之行,故《禮?郊特牲》曰:“婦人無爵,坐以夫之齒。”《禮》曰:“生無爵,死無諡。”《春秋》錄夫人皆有諡,夫人何以知非爵也?《論語》曰:“邦君之妻,君稱之曰夫人,國人稱之曰君夫人。”即令是爵,君稱之與國人稱之不當異也。庶人,稱匹夫者。匹,偶也。與其妻為偶,陰陽相成之義也,一夫一婦成一室。明君人者,不當使男女有過,時無匹偶也。《論語》曰:“匹夫匹婦之為諒也。”

婦人に爵がないのはなぜでしょうか。陰の方は卑下で、外朝の職事がないので、「三従」の義があります。嫁がざるは父に従い、嫁いでは夫に従い、夫が死ねば子に従います。それゆえ夫が朝廷で尊ければ、妻は室内で栄え、夫の行跡に従います。だから《礼記・郊特牲》に「婦人に爵なく、坐次は夫の年歯による」とあります。《礼》に「生きて爵なく、死して謚(生前の事跡によって議定する死後の称号)なし」とあります。《春秋》には夫人に謚があると記されていますが、夫人が爵でないと何によって知るのでしょうか。《論語》に「国君の妻を、国君は彼女を夫人と称し、国人は彼女を君夫人と称す」とあります。もしこれが爵なら、国君の呼称と国人の呼称が異なるはずがありません。庶人は「匹夫」と称します。「匹」は配偶であり、妻と一対を結ぶ、陰陽が相成るという意味で、一夫一婦で初めて一室を成します。これは人君たる者は、男女に婚時を過ぎさせ配偶なくしてはならないことを表明しています。《論語》に「匹夫匹婦のごとく小信を拘守する」とあります。

爵人於朝者,示不私人以官,與眾共之義也。封諸侯於廟者,示不自專也,明法度,皆祖之制也,舉事必告焉。《王制》曰:“爵人於朝,與眾共之也。”《詩》云:“王命卿士,南仲太祖。”《禮?祭統》曰:“古者明君爵有德,必於太祖。君降立於阼階南面向,所命北向,央由君右執策命之。”

朝廷で人に爵を授けるのは、官職を私の恵みとしないこと、衆人と共にするという意味を表します。宗廟で諸侯を封ずるのは、自ら専断しないことを表し、法度はみな祖先の定めた制度であり、事を行うには必ず祭告することを表明します。《王制》に「朝廷で人に爵を授けるのは、衆人と共にするなり」とあります。《詩経》に「王が卿士を冊命するは南仲にして、太祖の廟にあり」とあります。《礼記・祭統》に「古の明君は爵を徳ある者に授けるに、必ず太祖の廟にてす。君は階を降りて阼階の南に立ち南面し、命を受くる者は北面し、史官は君の右より策書を執りて冊命を宣ぶ」とあります。底本は「央」と作るが、「央」は「史」の訛りです。

大夫功成未封而死,不得追爵賜之者,以其未當股肱也。《春秋穀梁傳》曰:“追錫死者,非禮也。”《王制》曰:“葬從死者,祭從生者,所以追孝繼養也。”葬從死者何?子無爵父之義也。《禮?中庸》記曰:“父為大夫,子為士,葬以大夫祭以士;子為大夫,父為士,祭以大夫葬以士也。”

大夫が功業を成してまだ封を受けずに死んだ場合、爵賜を追授しないのは、まだ真に股肱となったことがないからです。《春秋穀梁伝》に「死者に追賜するは礼に非ず」とあります。《王制》に「葬事は死者の生前の身分に従い、祭事は生ける者の身分に従う。孝を追い尽くし、供養を継ぐためである」とあります。葬事がなぜ死者に従うのでしょうか。子が父に爵を加える道理はないからです。《礼記・中庸》に記して「父が大夫で子が士ならば、葬は大夫の礼を用い、祭は士の礼を用いる。子が大夫で父が士ならば、祭は大夫の礼を用い、葬は士の礼を用いる」とあります。

父在稱世子何?繫於君也。父沒稱子某者何?屈於屍柩也。既葬稱小子者,即尊之漸也。逾年稱公者,緣民之心不可一日無君也。緣終始之義,一年不可有二君也。故逾年即位,所以系民臣之心也。然後爵者,緣孝子之心未忍安吉。故《春秋》:“魯僖公三十三年十二月乙巳,薨於小寢。文公元年春,王正月,公即位。四月丁巳葬我君僖公。”《韓詩內傳》曰:“諸侯世子三年喪畢,上受爵命於天子。”所以名之為世子何?言欲其世世不絕也。何以知天子子亦稱世子也?《春秋傳》曰:“公會世子於首止。”或曰:天子之子稱太子。《尚書》曰:“太子發升於舟也。”或曰:“諸侯之稱代子。”則傳曰:晉有太子申生,鄭有太子華齊。有太子光。由是觀之,周制太子代子亦不定也。漢制天子稱皇帝。其嫡嗣稱皇太子。諸侯王之嫡稱代子。後代鹹因之。世子三年喪畢,必上受爵命於天子何?明爵土者天子之有也,臣無自爵之義。童子當受父爵命,使大夫就其國命之,明王者不與童子為禮也。以《春秋》魯成公幼少,與諸侯會,公不見之,《經》不以為魯恥,明不與童子為禮也。世子上受爵命,衣士服何?謙不敢自專也。故《詩》曰:“有。”世子始行也。

父が在世の間は「世子」と称するのはなぜでしょうか。国君に系属しているからです。父が去世して「子某」と称するのはなぜでしょうか。尸柩に対して屈抑を表すためです。葬り終えて後は「小子」と称し、次第に尊位に就きます。年を越えて「公」と称するのは民心に順うため――一日も君主なしではいけません。また終始の理に順うため――一年の内に二人の君主があってはいけません。だから年を越えて即位するのは、臣民の心を繋ぐためです。それから正式の爵を授けるのは孝子の心に順い、まだ吉位に安んずるに忍びないからです。だから《春秋》に「魯僖公三十三年十二月乙巳、小寝にて薨ず。文公元年春、周王正月、公即位す。四月丁巳、わが君僖公を葬る」と記します。《韓詩内伝》に「諸侯の世子は三年の喪を満て、朝して天子の爵命を受く」とあります。なぜ世子と呼ぶのでしょうか。世々絶えないことを望むと言うのです。天子の子も世子と称すると何によって知るのでしょうか。《春秋伝》に「公、首止にて世子に会す」とあります。もう一説では、天子の子は太子と称します。《尚書》に「太子発、舟に登る」とあります。また一説に「諸侯は代子と称す」とあります。しかし伝には、晋に太子申生あり、鄭に太子華あり、斉に太子光ありと言います。これより見れば、周制では太子・代子も一定しません。漢制は、天子を皇帝と称し、嫡嗣を皇太子と称し、諸侯王の嫡子を代子と称し、後代みなこれに沿いました。世子が三年の喪を満てて必ず朝して天子の爵命を受けるのはなぜでしょうか。爵土が天子の所有であることを表明し、臣下に自ら爵を授ける道理がないためです。童子が父の爵命を継ぐべきときは、大夫をその国に遣わして宣布します。王者が童子と対等の礼を行わないことを表明するためです。《春秋》で魯成公が年幼で諸侯と会するにあたり、成公が出て相見なかったのを、《経》は魯国の恥としません。童子と対等の礼を行わないことを表明するためです。世子が朝して爵命を受けるのに士の服を著るのはなぜでしょうか。謙退して自ら専断しようとしないからです。だから《詩経》に「(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)」とあるのは、世子が出行を始めることを言っています。

天子大斂之後稱王者,明士不可一日無君也。故《尚書》曰:“王麻冕黼裳。”此斂之後也。何以知王從死後加王也?以尚書言迎子劉。不言迎王。王者既殯而即繼體之位何?緣民臣之心不可一日無君,故先君不可得見則後君繼體矣。《尚書》曰:“再拜興對,乃受銅。”明為繼體君也。緣始終之義,一年不可有二君也。故《尚書》曰:“王釋冕喪服。”吉冕受銅稱王,以接諸侯,明己繼體為君也。釋冕藏銅,反喪,明未稱王以統事也。不曠年無君,故逾年乃即位改元,名元年,年以紀事,君名其事矣,而未發號令也。何以言逾年即位謂改元位?《春秋傳》曰:“以諸侯逾年即位,亦知,天子逾年即位也。”《春秋》曰:“元年春王正月,公即位。”改元位也。王者改元年,即事天地;諸侯改元,即事社稷。《王制》曰:“夫喪三年不祭,唯祭天地社稷,為越紼而行事。”《春秋傳》曰“天子三年然後稱王”者,謂稱王統事發號令也。《尚書》曰“高宗諒陰三年”是也。《論語》曰:“君薨,百官總己聽於冢宰三年。”緣孝子之心,則三年不當也,故三年除喪,乃即位統事。即位踐阼為主,南面朝臣下稱王,以發號令也。故天子、諸侯凡三年即位,終始之義乃備,所以諒陰三年,卒孝子之道。故《論語》曰:“古之人皆然,君薨,百官總己聽於冢宰三年。”所以聽於冢宰三年者何?以為冢宰職在制國之用,是以由之也,故《王制》曰:“大冢宰制國用。”所以名之為冢宰何?冢者,大也;宰者,制也;大制事也。故《王度記》曰:“天子冢宰一人,爵祿如天子之大夫。”或曰冢宰視卿,《周官》所云也。

天子は大斂の後に王と称します。士民が一日も君主なしではいけないことを表明するためです。だから《尚書》に「王、麻冕を戴き黼裳を著す」とあります。これは大斂の後です。「王」が人の死後に加わると何によって知るのでしょうか。《尚書》に「子劉を迎う」と言って「王を迎う」と言わないからです。王者は殯ぞりしてすなわち継体の位に登ります。なぜでしょうか。臣民の心に順い、一日も君主なしではいけず、先君はすでに見えず、後君が継体するのです。《尚書》に「再拝して起ち答え、ここに銅(銅は銅製の瑞信を指す)を受く」とあるのは、すでに継体の君であることを表明します。終始の理に順えば、一年の内に二人の君主はいられません。だから《尚書》に「王、冕を脱ぎ喪服に換える」とあります。吉冕を著けて銅を受け王と称するのは諸侯を接見するためで、すでに継体して君となったことを表明します。冕を脱ぎ銅を収めて喪事に帰るのは、まだ王と称して政事を統理していないことを表明します。また一年を空しく君主なしにできないので、年を越えて即位し改元し、元年と称します――年は事を紀るためのもので、国君がこれらの事に名を定めたが、まだ号令は発していません。逾年即位が改元の位であると何によって言うのでしょうか。《春秋伝》に「諸侯が逾年即位するによって、天子も逾年即位すると知れる」とあります。《春秋》に「元年春、王正月、公即位す」とあるのが、これが改元の位です。王者が元年を改めれば天地に事え、諸侯が元を改めれば社稷に事えます。《王制》に「喪に居る三年は祭らず、ただ天地・社稷を祭るのみ、喪の縄を越えて事を行う」とあります。《春秋伝》に「天子は三年にして後に王たる」と言うのは、王と称して政事を統理し号令を発することを言います。《尚書》に「高宗、諒陰三年」とあるのがこれです。《論語》に「国君が薨ずれば、百官は各々己の職事を管し、冢宰に聴命すること三年」とあります。孝子の心に順えば、この三年は本来国を当たるべきではないので、三年喪を除いて初めて即位して事を統べます。即位して阼階を踏み主人となり、南面して臣下の朝見を受け王と称し、号令を発します。だから天子・諸侯はみな三年を満てて初めて真に即位し、終始の義が初めて備わります。それゆえ諒陰三年は孝子の道を尽くすのです。だから《論語》に「古の人は皆然り、君が薨ずれば、百官は各々己の職事を管し、冢宰に聴命すること三年」とあります。なぜ冢宰に聴命すること三年なのでしょうか。冢宰の職分は国家の用度を制することなので、彼が主催するのです。《王制》に「大冢宰は国用を制す」とあります。なぜ冢宰と呼ぶのでしょうか。「冢」は大であり、「宰」は裁制で、政事を大規模に裁制することです。だから《王度記》に「天子の冢宰一人、爵禄は天子の大夫のごとし」とあります。もう一説では、冢宰は卿に比す、《周官》の言うところです。

○號

○号

帝王者何?號也。號者,功之表也,所以表功明德,號令臣下者也。德合天地者稱帝,仁義合者稱王,別優劣也。《禮記?諡法》曰:“德象天地稱帝,仁義所在稱王。”帝者天號,王者五行之稱也。皇者何謂也?亦號也。皇,君也,美也,大也。天之總,美大稱也,時質,故總之也。號之為皇者,煌煌人莫違也。煩一夫、擾一士以勞天下不為皇也,不擾匹夫匹婦故為皇。故黃金棄于山,珠玉捐於淵,巖居穴處,衣皮毛,飲泉液,吮露英,虛無寥廓,與天地通靈也。號言為帝者何?帝者,諦也,象可承也;王者,往也,天下所歸往。《鉤命決》曰:“三皇步,五帝趨,三王馳,五伯騖。”

帝王とは何でしょうか。号です(功徳を顕揚し、臣下に号令するための名号)。号は功業の表徴で、功徳を表彰し徳行を顕明にし、臣下に号令します。徳行が天地と合する者を帝と称し、仁と義に合する者を王と称し、優劣を分別します。《礼記》に載る諡法に「徳行が天地のごときを帝と称し、仁義の存するところを王と称す」とあります。帝は天の名号、王は五行の意義上の呼称です。皇とはまた何でしょうか。これも号です。「皇」は君であり、美であり、大であり、天に対する総括的で美大な呼称です。その時の風気が質朴なので、総じてこのように呼びます。皇と称するのは光明輝煌で、敢えて違抗する者がないことを言います。一つの匹夫を煩労させ一士人を攪擾して天下を苦労させるなら、皇と呼べません。匹夫匹婦を攪擾しないから皇です。それゆえ黄金は山に棄てられ、珠玉は深淵に丢なげられ、岩穴に住み、皮毛を著、泉水を飲み、露水の英華を吮い、虚無寥廓として天地と通霊します。帝と称するのはなぜでしょうか。「帝」は諦審で、承け継ぐべきさまのようです。「王」は帰往であり、天下の帰往する人です。《鉤命決》に「三皇は緩く歩み、五帝は小歩を疾くし、三王は奔馳し、五伯は急ぐ」とあります。

或稱天子,或稱帝王何?以為接上稱天子者,明以爵事天也;接下稱帝王者,得號天下至尊言稱,以號令臣下也。故《尚書》曰:“‘諮四嶽’,曰:‘裕汝眾’。”或有一人。王者自謂一人者,謙也,欲言巳材能當一人耳。故《論語》曰:“百姓有過,在予一人。”臣謂之一人何?亦所以尊王者也。以天下之大、四海之內,所共尊者一人耳。故《尚書》曰:“不施予一人。”或稱朕何?亦王者之謙也。朕,我也。或稱予者,予亦我也。不以尊稱自也,但自我皆謙。

あるいは天子と称し、あるいは帝王と称するのはなぜでしょうか。上に交接する時は天子と称し、爵をもって天に事えることを表明します。下に交接する時は帝王と称し、天下の至尊に号令する呼称を取得して臣下に号令します。だから《尚書》に「四岳を咨問す」と言い、また「汝ら衆人を寛待せん」と言います。また自ら「一人」と称するものもあります。王者が一人と自称するのは謙虚で、自分の才能は一人にしか相当しないと言おうとするのです。だから《論語》に「百姓に過ちあらば、責めは我が一人に在り」とあります。臣下が彼を「一人」と称するのはなぜでしょうか。これも王者を尊崇するためです。天下の大、四海の内に、共に尊奉するはただ一人です。だから《尚書》に「我が一人に加えるなかれ」とあります。あるいは「朕」と称するのも王者の謙辞です。「朕」は我です。あるいは「予」と称し、「予」も我です。尊称をもって自称せず、ただ自己を称するのは、みな謙です。

或稱君子何?道德之稱也。君之為言群也;子者,丈夫之通稱也。故《孝經》曰:“君子之教以孝也,下言敬天下之為人父者也。”何以言知其通稱也,以天子至於民。故《詩》云:“凱弟君子,民之父母。”《論語》云:“君子哉若人。”此謂弟子。弟子者,民也。

あるいは君子と称するのはなぜでしょうか。これは道徳上の呼称です。「君」は能く群れることを言い、「子」は成年男子の通称です。だから《孝経》に「君子は孝をもって教化す」とあり、下に「天下の父たる者を敬う」と続きます。これが通称であると何によって知るのでしょうか。天子から民に至るまでこのように用います。だから《詩経》に「和楽平易の君子は、民の父母なり」とあります。《論語》に「この人は真に君子かな」とあるのは弟子を言っています。弟子とはすなわち民です。

三皇者,何謂也?謂伏羲、神農、燧人也。或曰伏羲、神農、祝融也。《禮》曰:“伏羲、神農、祝融,三皇也。”謂之伏羲者何。古之時未有三綱、六紀,民人但知其母,不知其父,能覆前而不能覆後,臥之訁去訁去,起之吁吁,飢即求食,飽即棄餘,茹毛飲血而衣皮葦。於是伏羲仰觀象於天,俯察法於地,因夫婦正五行,始定人道,畫八卦以治下。治下伏而化之,故謂之伏羲也。謂之神農何?古之人民,皆食禽獸肉,至於神農,人民眾多,禽獸不足。於是神農因天之時,分地之利,制耒耜,教民農作。神而化之,使民宜之,故謂之神農也。謂之燧人何?鑽木燧取火,教民熟食,養人利性,避臭去毒,謂之燧人也。謂之祝融何?祝者,屬也;融者,續也。言能屬續三皇之道而行之,故謂祝融也。

三皇とは誰を言うのでしょうか。伏羲・神農・燧人です。もう一説は伏羲・神農・祝融です。《礼》に「伏羲・神農・祝融は三皇なり」とあります。なぜ伏羲と呼ぶのでしょうか。上古にはまだ三綱・六紀がなく、人々は母を知るのみで父を知らず、眼前には及ぶも身後には及ばず、臥せば口を張って気を出し、起きれば吁々として喘ぎ、底本は「訁去」と作るが「呿」の字を拆いた訛りであり、飢えれば食を求め、飽きれば余りを棄て、毛を茹で血を飲み、獣皮・蘆葦を著ていました。ここに伏羲は頭を擡げて天の象を観察し、頭を垂れて地の法度に法り、夫婦によって五行を端正し、初めて人道を立定し、八卦を画いて下民を治めました。下民は信服して感化を受けたので、伏羲と呼ばれます。なぜ神農と呼ぶのでしょうか。上古の人民は皆、禽獣の肉を食べていましたが、神農に至って人民が多くなり禽獣が足りなくなりました。ここに神農は天時に順い地利を分かち、耒耜を製し、人民に耕作を教えました。神妙な方式で彼らを感化し、人民をして各々その宜しきを得させたので、神農と呼ばれます。なぜ燧人と呼ぶのでしょうか。木を鑽りて火を取り、人民に熟食を教え、人を養護し性情を便利にし、腥臭を避け毒性を去ったので、燧人と呼ばれます。なぜ祝融と呼ぶのでしょうか。「祝」は連属であり、「融」は接続です。三皇の道を連属接続してこれを行えることを言うので、祝融と呼ばれます。

五帝者,何謂也?《禮》曰:黃帝、顓頊、帝嚳、帝堯、帝舜,五帝也。《易》曰:“黃帝、堯舜、氏作。”《書》曰:“帝堯、帝舜。”黃者中和之色,自然之姓,萬世不易。黃帝始作制度,得其中和,萬世常存,故稱黃帝也。謂之顓頊何?顓者,專也;頊者,正也;能專正天人之道,故謂之顓頊也。謂之帝嚳者何也?嚳者,極也,言其能施行窮極道德也。謂之堯者何?堯猶也,至高之貌,清妙高遠,優遊博衍,眾聖之主,百王之長也。謂之舜者何?舜猶舛舛也,言能推信堯道而行之。

五帝とは誰を言うのでしょうか。《礼》に黄帝・顓頊・帝嚳・帝尭・帝舜、これを五帝というとあります。《周易》に「黄帝・尭・舜が興る」とあります。《尚書》に「帝尭・帝舜」とあります。黄は中和の色、自然の姓で、万世変わりません。黄帝は初めて制度を制定し、その中和を得て万世常に存するので、黄帝と称します。なぜ顓頊と呼ぶのでしょうか。「顓」は専であり、「頊」は正で、天人の道を専一に端正できるので顓頊と呼ばれます。帝嚳はまたなぜでしょうか。「嚳」は極であり、道徳を窮極まで施行できることを言います。尭はまたなぜでしょうか。尭は(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)のごとく、極めて高い形貌で、清妙高遠、従容広大、衆聖の盟主、百王の首長です。舜はまたなぜでしょうか。舜は「舛舛」のごとく、尭の道を広げ信を守りてこれを行えることを言います。

三王者,何謂也?夏、殷、周也。故《禮?士冠經》曰:“周弁、殷鼾、夏收,三王共皮弁也。”所以有夏殷周號何,以為王者受命,必立天下之美號以表功自克,明易姓為子孫制也。夏、殷、周者,有天下之大號也。百王同天下,無以相別,改制天子之大禮號,以自別於前,所以表著已之功業也。必改號者,所以明天命巳著,欲顯揚巳於天下也。己復襲先王之號與繼體守文之君,無以異也,不顯不明,非天意也。故受命王者必擇天下美號,表著已之功業,明當致施是也。所以預自表克於前也。

三王とは誰を言うのでしょうか。夏・殷・周です。だから《礼・士冠経》に「周は弁を用い、殷は冔を用い、夏は收を用い、三王は皆皮弁を共にす」とあります。底本は「鼾」と作るが、「鼾」は「冔」の訛りです。なぜ夏・殷・周という号があるのでしょうか。王者は命を受ければ、必ず天下の美号を立てて功業を表彰し自ら克制し、姓を改め子孫に制度を立定することを表明します。夏・殷・周は天下を据える大号です。百王は同じくこの天下に在って互いに区別する術がないので、天子の大礼号を改定して前代と区別し、それによって自らの功業を表彰します。必ず号を改めるのは、天命がすでに顕著で天下に自らを顕揚せんとすることを表明するためです。自己が再び先王の号を襲用すれば、継体守文の国君と分別なく、顕にも明にもあらず、天意ではありません。だから命を受けた王者は必ず天下の美号を選択し、自らの功業を表彰し、このように施行すべきことを表明します。これは予め自ら表彰し、前代に対して克制するのです。

帝王者居天下之尊號也。所以差優號令臣下。諡者行之跡也。所以別於後代。著善惡。重無窮,無自推觀施後世皆以勸善著戒惡。明不勉也,不以姓為號何?姓者,一定之稱也,尊卑所同也。諸侯各稱一國之號而有百姓矣,天子至尊,即備有天下之號,而兼萬國矣。夏者,大也,明當守持大道。殷者,中也,明當為中和之道也。聞也,見也,謂當道著見中和之為也。周者,至也,密也,道德周密,無所不至也。何以知即政立號也?《詩》云:“命此文王,於周於京。”此改號為周,易邑為京也。《春秋傳》曰:“王者受命而王,必擇天下之美號以自稱也。”五帝無有天下之號何?五帝德大能禪,以民為子,成於天下,無為立號也。或曰:唐、虞皆號也。唐,蕩蕩也,蕩蕩者,道德至大之貌也。虞者,樂也,言天下有道,人皆樂也。故《論語》曰:“唐、虞之際。”帝嚳有天下,號高辛,顓頊有天下。號曰高陽,黃帝有天號曰自然者,獨宏大道德也。高陽者,陽猶明也,道德高明也。高辛者,道德大信也。

帝王とは天下の至尊に居る号で、優劣を分別し臣下に号令します。諡は行事の痕跡で、後代と区別し善悪を著し、鄭重は無窮にして、後人をして推観し後世に施行せしめ、みな善を勧め悪を顕著に戒めます。勉力せざるべからずを表明します。姓をもって号としないのはなぜでしょうか。姓は固定の呼称で尊卑の同じくするところです。諸侯は各々一国の号を称し、それによって百姓を有します。天子は至尊なので天下の号を備え、万国を兼ねます。夏とはすなわち大で、大道を守持すべきことを表明します。殷とはすなわち中で、中和の道を行うべきことを表明します。もまた聞であり見であり、中和の作為を顕著に可視すべきことを言います。周とはすなわち至であり密であり、道徳が周密で至らざるなしです。政に即けばすなわち号を立てると何によって知るのでしょうか。《詩経》に「天、この文王に命ず。周に在り、京に在り」とあります。これは号を改めて周とし、邑を改めて京としたのです。《春秋伝》に「王者は命を受け王と称すに、必ず天下の美号を選択して自ら称す」とあります。五帝に天下の号がないのはなぜでしょうか。五帝は徳が大きく、禅譲でき、民を子とし、天下に成就するので、別に号を立てるまでもありません。もう一説では、唐・虞はみな号です。唐とはすなわち蕩蕩で、蕩蕩は道徳の極めて大なるさまです。虞とはすなわち楽で、天下に道あれば人皆安楽することを言います。だから《論語》に「唐・虞の際」とあります。帝嚳は天下を有し、号を高辛といい、顓頊は天下を有し、号を高陽といい、黄帝は天下を有し、号を自然という、独り宏大に道徳を成すのです。高陽の「陽」はすなわち明で、道徳が高明です。高辛は道徳が大信です。

五霸者,何謂也?昆吾氏、大彭氏、豕韋氏、齊桓公、晉文公也。昔三王之道衰,而五霸存其政,率諸侯朝天子,正天下之化,興復中國,攘除夷狄,故謂之霸也。昔昆吾氏,霸於夏者也;大彭氏、豕韋氏,霸於殷者也;齊桓、晉文,霸於周者也。或曰:五霸,謂齊桓公、晉文公、秦穆公、楚莊王、吳王闔閭也。霸者,伯也,行方伯之職,會諸侯,朝天子,不失人臣之義,故聖人與之。非明王之張法。霸猶迫也,把也,迫脅諸侯,把持其政。《論語》曰:“管仲相桓公,霸諸侯。”《春秋》曰:“公朝於王所。”於是時晉文之霸。《尚書》曰:“邦之榮懷,亦尚一人之慶。”知秦穆之霸也。楚勝鄭而不告,從而攻之,又令還師,而佚晉寇。圍宋,宋因而與之平,引師而去。知楚莊之霸也。蔡侯無罪而拘於楚,吳有憂中國心,興師伐楚,諸侯莫敢不至。知吳之霸也。或曰:五霸,謂齊桓公、晉文公、秦穆公、宋襄公、楚莊王也。宋襄伐齊,亂齊桓公,不擒二毛,不鼓不成烈。《春秋傳》曰:“雖文王之戰不是過。”知其霸也。

五覇とは誰を言うのでしょうか。昆吾氏・大彭氏・豕韋氏・斉桓公・晋文公です。昔、三王の道が衰微し、五覇がその政教を保存し、諸侯を率いて天子に朝見し、天下の教化を端正し、中原の諸夏を興復し夷狄を攘除したので、覇と呼ばれます。昔、昆吾氏は夏に覇し、大彭氏・豕韋氏は殷に覇し、斉桓・晋文は周に覇しました。もう一説では、五覇は斉桓公・晋文公・秦穆公・楚荘王・呉王闔閭です。「覇」はすなわち伯で、方伯の職分を行い、諸侯を会合し天子に朝見し、人臣の義を失わないので、聖人がこれを認めました。これは明王の張設する常法ではありません。「覇」はまた「迫」に似、「把」に似て、諸侯を脅迫し、その政を把持します。《論語》に「管仲は桓公を輔けて、諸侯に覇称す」とあります。《春秋》に「公、王の在るところに朝す」とあります。その時はまさに晋文が覇していました。《尚書》に「邦国の光栄安寧も、また一人の福慶による」とあります。これによって秦穆の覇を知ります。楚は鄭に戦勝しても窮追せず、従ってまた攻め、また回師を下令し、晋の兵寇を放ちました。宋を囲み、宋がそれによって和を講じると、すなわち師を引いて去りました。これによって楚荘の覇を知ります。蔡侯に罪がないのに楚に拘えられ、呉に中原を憂念する心があり、師を興して楚を伐ち、諸侯で敢えて至らぬ者はありませんでした。これによって呉の覇を知ります。また一説に、五覇は斉桓公・晋文公・秦穆公・宋襄公・楚荘王です。宋襄は斉を伐ち、斉桓公死後の変乱の中で、頭髪の白んだ者を擒えず、陣列を成さない軍に鼓を擂って攻めませんでした。《春秋伝》に「文王の戦といえどもこれに過ぎざるのみ」とあります。これによって彼の覇を知ります。

伯、子、男臣子於其國中,褒其君為公。王者臣子獨不得襄其君謂之為帝何?以為諸侯有會聚之事,相朝聘之道。或稱公而尊,或稱伯、子、男而卑。為交接之時,不私其臣子之義,心俱欲尊其君父,故皆令臣子得稱其君為公也。帝、王異時,無會同之義,故無為同也。何以諸侯德公齊侯桓公。《尚書》曰:“公曰:‘嗟。’”秦伯也。《詩》云:“覃公惟私。”覃子也。《春秋》曰:“葬皆繆公”,許男也。《禮?大射經》曰:“則擇獲。”大射者,諸侯之禮也,伯、子、男皆在也。

伯・子・男の臣子は自国の中で国君を褒めて公と称します。王者の臣子だけが独り自らの君を褒めて帝と称することができません。なぜでしょうか。諸侯には会聚の事があり互いに朝聘する理があり、あるいは公と称して尊く、あるいは伯・子・男と称して卑いのです。交接の時、臣子が君を尊ぶ心意を私義とせず、心には皆自らの君父を尊びたいので、みな臣子に自らの君を公と称させます。帝と王は異なる時代に処り、会同の理がないので、同じくするを求めなくてよいのです。諸侯の中で公と称するのは、たとえば斉侯桓公です。《尚書》に「公曰く『嗟』」とあるのは秦伯です。《詩経》に「覃公はただ私家を顧る」とあり、覃は子爵です。《春秋》に「許繆公を葬る」とあり、許は男爵です。《礼・大射経》に「すなわち獲者を選択す」とあり、大射は諸侯の礼で、伯・子・男はみなその中に在ります。

○諡

○諡

諡者何也?諡之為言引也,引烈行之跡也。所以進勸成德,使上務節也。故《禮?特牲》曰:“古者生無爵,死無諡。”此言生有爵,死當有諡也。死乃諡之何?言人行終始不能若一,故據其終始,後可知也。士冠經曰:“死而諡之。今也所以臨葬而諡之何?因眾會,欲顯揚之也。故《春秋》曰:“公之喪自乾侯。”昭公死於晉乾侯之地,數月歸,至急,當未有諡也。《春秋》曰:“丁巳葬,戊午日下側,乃克葬。”明祖載而有諡也。

諡とは何でしょうか。「諡」の意味は引で、剛烈な行事の痕跡を引出すことです。徳行を推進・勧勉・成就し、上にある者をして節操に専心せしめるために用います。だから《礼・特牲》に「古は生きて爵なく、死して諡なし」とあります。この言は、生きて爵あれば死して諡あるべしと言うのです。なぜ死を待って諡するのでしょうか。人の行事は始めから終わりまで終始一貫できないので、その終始に依拠して後に知れるのです。《士冠経》に「死して後に之に諡を与う」とあります。今はなぜ葬に臨んで諡するのでしょうか。衆人が会集するので、この時に乗じて彼を顕揚するためです。だから《春秋》に「公の喪、乾侯より帰る」とあります。昭公は晋の地乾侯で死し、数月にして帰り、事は急迫して当時まだ諡がありませんでした。《春秋》に「丁巳に葬り、戊午に日偏西して初めて葬を成す」とあります。祖祭・載柩の時にはすでに諡があったことを表明します。

黃帝,先黃后帝何?古者順死生之稱。各持行合而言之。美者在上,黃帝始製法度。得道之中,萬世不易。名黃自然也,後世雖聖,莫能與同也。後世得與天同,亦得稱帝,不能立製作之時,故不得復黃也。諡,或一言,或兩言何?文者,以一言為諡;質者,以兩言為諡。故尚書曰:高宗殷宗也。湯死後稱成湯,以兩言為諡也。號無質文、諡有質文何?號者,始也,為本,故不可變也。周巳後用意,尤文以為本。生時號令善,故有善諡,故舍文武王也。合言之,則上其諡,明別善惡,所以勸人為善、戒人為惡也。

黄帝はなぜ先に「黄」を言い後に「帝」を言うのでしょうか。古は死と生の呼称に順い、各々その行事に就いて合わせて言い、美しきを上に置きました。黄帝は初めて法度を制定し、道の中を得て万世変わりません。「黄」という名は自然にして然りで、後世は聖人といえども彼と同じくすることはできません。後世は天と同じくして帝と称することもできますが、創立制作の時世に処ることはできないので、再び「黄」と称することができません。諡に一字のものと二字のものがあるのはなぜでしょうか。文の代は一字をもって諡とし、質の代は二字をもって諡とします。だから《尚書》に高宗と称すのは殷の宗であり、湯は死して成湯と称すのは二字をもって諡としたのです。号に質・文の分別がないのに、諡に質・文があるのはなぜでしょうか。号は始めであり根本なので変えられません。周以後は心思を用い、ことさら文を根本としました。生きて号令が善なれば善諡があり、それゆえ文・武の王のごとき合称を捨てます。合わせて言えば、諡を上に置いて善悪を分別し、人を勧めて善に向かわせ、人を戒めて悪をなさしめません。

帝者,天號也,以為堯猶諡,顧上世質直,死後以其名為號耳。所以諡之為堯何?為諡有七十二品。《禮?記諡法》曰:“翼善傳聖諡曰堯,仁聖盛明諡曰舜,慈惠愛民諡曰文,強理直諡曰武。”

帝は天の名号です。尭に至ってもまた諡のごとくですが、上世は質直で、死後はその名をもって号としました。なぜ尭と諡するのでしょうか。諡に七十二品あるからです。《礼記》に載る諡法に「善道を輔翼し聖徳を伝えるを、諡を尭という。仁聖にして盛明なるを、諡を舜という。慈恵にして民を愛するを、諡を文という。強毅にして理直なるを、諡を武という」とあります。

天子崩,臣下至南郊諡之者何?以為人臣之義,莫不欲褒大其君,掩惡揚善者也。故之南郊,明不得欺天也。故《曾子問》:“孔子曰:天子崩,臣下之南郊,告諡之。”

天子が崩ずると、臣下は南郊に至って諡を上ります。なぜでしょうか。人臣の義は、君主を褒大し悪を掩い善を揚げたいと思わざるはないからです。だから南郊に至るのは、天を欺けないことを表明します。だから《曽子問》に孔子曰く「天子崩ずれば、臣下は南郊に至り、祭告して諡を上る」とあります。

諸侯薨,世子赴告天子,天子遣大夫會其葬而諡之何?幼不誄長,賤不誄貴,諸侯相誄,非禮也。臣當受諡於君也。

諸侯が薨ずると、世子が天子に赴告し、天子は大夫を遣わして葬に会し彼に諡を与えます。なぜでしょうか。年幼者は年長者に誄を作らず、低賤者は尊貴者に誄を作らず、諸侯が互いに誄を作るのは礼に合いません。臣は君から諡を受けるべきです。

卿大夫老歸死有諡何?諡者,別尊卑、彰有德也。卿大夫歸,無過,猶有祿位,故有諡也。

卿大夫が年老いて家に帰り、死して諡を有するのはなぜでしょうか。諡は尊卑を分別し徳ある者を彰顕するために用います。卿大夫が家に帰るに、過ちなくなお禄位を有するので、諡を有します。

夫人無諡者何?無爵故無諡。或曰:夫人有諡。夫人一國之母,修閨門之內,群下亦化之,故設諡以彰其善惡。《春秋傳》曰:“葬宗恭姬。”《傳》曰:“稱諡何?賢也。”《傳》曰:“哀姜者何?莊公夫人也。”卿大夫妻無諡何?賤也。八妾所以無諡何?卑賤無所能務,猶士卑小,不得有諡也。太子夫人無諡何?本婦人隨夫,太子無諡,其夫人不得有諡也。天子太子元士也。士無諡,知太子亦無諡也。附庸所以無諡何?卑小無爵也。《王制》曰:“爵祿凡五等。”附庸本非爵也。

夫人に諡がないのはなぜでしょうか。爵がないので諡がありません。もう一説では、夫人には諡があります。夫人は一国の母で、閨門の内を修治し、群下も感化を受けるので、諡を設けて彼女の善悪を彰顕します。《春秋伝》に「共姫を葬る」とあります。《伝》に「諡を称するは何のためか。彼女が賢なればなり」とあります。《伝》に「哀姜は誰か。荘公の夫人なり」とあります。卿大夫の妻に諡がないのはなぜでしょうか。低賤だからです。八妾に諡がないのは、卑賤で専ら力を致すべきことがないからで、士が卑小で諡を得ないのと同じです。太子の夫人に諡がないのはなぜでしょうか。婦人は本来夫に従うので、太子に諡がなければ、その夫人も諡を得られません。天子の太子は元士です。士に諡がないので、これによって太子にも諡がないと知れます。附庸に諡がないのは、卑小で爵がないからです。《王制》に「爵禄あわせて五等」とあり、附庸は本来爵ではありません。

後夫人於何所諡之?以為於朝廷。朝廷本所以治政之處,臣子共審諡,白之於君,然後加之。婦人大夫,故但白君而已。何以知不之南郊也?婦人本無外事,何為於郊也?《禮?曾子問》曰:“唯天子稱天以誅之。”唯者,獨也,明天子獨於南郊耳。

王后・夫人はどこで諡を上るのでしょうか。朝廷においてと考えます。朝廷は本来政事を治める場所で、臣子が共に諡を審定し、国君に報告して、それから加えます。婦人は大夫に比するので、ただ国君に報告するのみです。南郊に至らないと何によって知るのでしょうか。婦人は本来外朝の事がないので、何のために郊に至りましょうか。《礼記・曽子問》に「ただ天子のみ天を称して彼を誄諡す」とあります。「唯」はすなわち独で、天子のみ南郊に在ることを表明します。

顯號諡何法?法曰未出而明。已入有餘光也。

顕赫たる号と諡は何に法るのでしょうか。太陽がまだ出でざるにすでに明亮し、すでに落ちてなお余光あるに法ります。

●卷二

●巻二

○五祀

○五祀

五祀者,何謂也?謂門、戶、井、灶、中ニ也。所以祭何?人之所處出入、所飲食,故為神而祭之。何以知五祀謂門、戶、井、灶、中ニ也?《月令》曰:“其祀戶。”又曰:“其祀灶。”“其祀中ニ。”“其祀門。”“其祀井。”

五祀とは何を言うのでしょうか。門・戸・井・竈・中霤です。底本は「中ニ」と作るが、「ニ」は「霤」の訛りです。なぜ祭るのでしょうか。これらは人の居処し出入りし飲食する場所なので、これらを神として祭ります。五祀が門・戸・井・竈・中霤であると何によって知るのでしょうか。《月令》に「祀るは戸なり」と言い、また「祀るは竈なり」「祀るは中霤なり」「祀るは門なり」「祀るは井なり」とあります。

獨大夫已上得祭之何?士者,位卑祿薄,但祭其先祖耳。《禮》曰:“天子祭天地,諸侯祭山川,卿、大夫祭五祀,士祭其祖。”《曲禮》曰:“天地四時山川五祀,歲遍;諸侯方祀,山川五祀,歲遍;卿大夫祭五祀;士祭其先。非所當祭而祭之名曰淫祀。淫祀無福。”

ただ大夫以上のみ祭ることができるのはなぜでしょうか。士は地位が卑しく俸禄が薄く、ただ自らの先祖を祭るのみです。《礼》に「天子は天地を祭り、諸侯は山川を祭り、卿・大夫は五祀を祭り、士は自らの祖を祭る」とあります。《曲礼》に「天地・四時・山川・五祀は一年に遍く祭る。諸侯は自らのその方を祭り、山川・五祀は一年に遍く祭る。卿大夫は五祀を祭り、士は自らの先人を祭る。祭るべからざるを祭るを淫祀という。淫祀に福なし」とあります。

祭五祀所以歲一遍何?順五行也。故春即祭戶。戶者,人所出入,亦春萬物始觸戶而出也。夏祭灶者,火之主人,所以自養也,夏亦火王,長養萬物。秋祭門。門以閉藏自固也,秋亦萬物成熟,內備自守也。冬祭井。井者,水之生藏任地中,冬亦水王,萬物伏藏。六月祭中ニ。中ニ者,象土在中央也,六月亦土王也。故《月令》春言“其祀戶,祭先脾”,夏言“其祀灶,祭先肺”,秋言“其祀門,祭先肝”,冬言“其祀井,祭先腎”,中央言“其祀中ニ,祭先心。”春祀戶,祭所以時先脾者何?脾者,土也,春木王煞土,故以所勝祭之也;是冬腎,六月心,非所勝也,以祭何?以為土位在中央,至尊,故祭以心。心者,藏之尊者。水最卑,不得食其所勝。

五祀を祭るに、なぜ一年に各々一遍祭るのでしょうか。五行に順うためです。だから春は戸を祭ります。戸は人の出入りする所で、春は万物も初めて戸に触れて出ます。夏は竈を祭ります。竈は火の主人で、自らを養うために用いられ、夏もまた火が当令し万物を長養します。秋は門を祭ります。門は閉蔵し自らを固くするために用いられ、秋もまた万物が成熟し内に儲え自ら守ります。冬は井を祭ります。井は水の生成し潜蔵し地中に托する所で、冬もまた水が当令し万物が伏蔵します。六月は中霤を祭ります。中霤は土のごとく中央に在り、六月もまた土が当令します。だから《月令》は春に「祀るは戸なり、祭に先ず脾を用い」と言い、夏に「祀るは竈なり、祭に先ず肺を用い」と言い、秋に「祀るは門なり、祭に先ず肝を用い」と言い、冬に「祀るは井なり、祭に先ず腎を用い」と言い、中央に「祀るは中霤なり、祭に先ず心を用い」と言います。春に戸を祀り祭に先ず脾を用いるのはなぜでしょうか。脾は土に属し、春は木が当令して土を克すので、勝つ所のものをもって祭ります。冬に腎を用い六月に心を用いるのは、勝つ所ではないのに、なぜこのように祭るのでしょうか。土の位は中央に在って最も至尊なので、祭に心を用います。心は五臓の最も尊いものです。水は最も卑しいので、その勝つ所を食用にしません。

祭五祀,天子、諸侯以牛,卿、大夫以羊,因四時祭牲也。一說:戶以羊,灶以雞,中ニ以豚,門以犬,井以豕。或曰:中ニ用牛,餘不得用豚,井以魚。

五祀を祭るに、天子・諸侯は牛を用い、卿・大夫は羊を用います。四時の正祭の牲に就くのです。一説に、戸は羊を用い、竈は鶏を用い、中霤は豚を用い、門は犬を用い、井は豕を用います。また一説に、中霤は牛を用い、その余は豚を用いるを得ず、井は魚を用います。

○社稷

○社稷

王者所以有社稷何?為天下求福報功。人非土不立,非谷不食。土地廣博,不可遍敬也;五穀眾多,不可一一祭也。故封土立社,示有土尊。稷,五穀之長,故封稷而祭之也。尚書曰:乃社於新邑孝經曰。保其社稷而和其民人。蓋諸侯之孝也。稷者,得陰陽中和之氣,而用尤多,故為長也。

王者が社稷(土神と穀神)を有するのは、天下のために福を求め功徳に報いるためです。人は土なくして立身できず、穀なくして食できません。土地は広大で、処処に敬い尽くすことは不可能です。五穀は種類が多く、一種一種祭ることは不可能です。だから土を封じて社を立て、土あることの尊厳を表します。稷は五穀の長なので、稷を封じてこれを祭ります。《尚書》に「ここに新邑に社を立つ」とあります。《孝経》に「社稷を保全し、民人を和諧す」とあります。これはおそらく諸侯の孝です。稷は陰陽中和の気を得て、用いられること最も多いので、長となります。

歲再祭何?春求谷之義也。故《月令》,仲春之月,擇元日命人社。”《援神契》曰:“仲春獲禾,報社祭稷。”

一年に二度祭るのはなぜでしょうか。春は穀を求める意です。だから《月令》に、仲春この月、良き日を選択し、人民に命じて社を祭らしむとあります。《援神契》に「仲春に禾稼を収穫し、社を報祭し稷を祭る」とあります。

以三牲何?重功故也。《尚書》曰:“乃社於新邑,羊一、牛一、豕一。”《王制》曰:“天子社稷皆大牢,諸侯社稷皆少牢。”宗廟俱大牢,社稷獨少牢何?宗廟大牢,所以廣孝道也。社稷為報功,諸侯一國,所報者少故也。

三牲を用いるのはなぜでしょうか。この功徳を重んじるからです。《尚書》に「ここに新邑に社を立て、羊一頭・牛一頭・豕一頭」とあります。《王制》に「天子の社稷はみな太牢を用い、諸侯の社稷はみな少牢を用いる」とあります。宗廟はみな太牢を用いるのに、社稷だけが少牢を用いるのはなぜでしょうか。宗廟に太牢を用いるのは孝道を推し広めるため、社稷は功に報いるもので、諸侯は一国にすぎず報いるところが少ないので、このようになります。

王者、諸侯俱兩社何?俱有土之君,《禮記?三正記》曰:“王者二社,為天下立禮曰太社,自為立社曰王社;諸侯為百姓立社曰國社,自為立社曰侯社。太社為天下報功,王社為京師報功,太社尊於王社。土地故兩報之。

王者・諸侯はみな二か所の社を持ちます。なぜでしょうか。みな土ある君だからです。《礼記・三正記》に「王者には二社あり、天下のために立てるを太社といい、自分のために立てるを王社という。諸侯は百姓のために立てるを国社といい、自分のために立てるを侯社という。太社は天下のために功に報い、王社は京師のために功に報い、太社は王社より尊い。土地は(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)ので、二か所に功に報いる」とあります。

王者、諸侯必有誡社何?示有存亡也。明為善者得之,惡者失之。故《春秋公羊傳》曰:“亡國之社,奄其上,柴其下。”《郊特牲》曰:“喪國之社,屋之。”自言與天地絕也。在門東,明自下之無事處也。或曰:皆當著明誡,當近君,置宗廟之牆南。《禮》曰:“亡國之社稷,必以為宗廟之屏。”示賤之也。

王者・諸侯は必ず誡社(警戒用の亡国の社)を設けます。なぜでしょうか。存するものと亡びるものがあることを表します。善をなす者はこれを得て、悪をなす者はこれを失うことを表明します。だから《春秋公羊伝》に「亡国の社は、上を遮り下を柴で塞ぐ」とあります。《郊特牲》に「滅亡の国の社は、これに屋を蓋う」とあります。自分で天地と隔絶したと言うのです。門の東に置くのは、下に在り事なき所に処ることを表明します。もう一説では、みな明るい所に置いて警戒とすべきで、国君に近く、宗廟の墻の南に置くべきとします。《礼》に「亡国の社稷は、必ず取りて宗廟の屏とす」とあるのは、これを賤視することを表します。

社稷在中門之外、外門之內何?尊而親之,與先祖同也。不置中門內何?敬之,示不褻瀆也。《論語》曰:“譬諸宮牆,不得其門而入。不見宗廟之美,百官之富。”《祭義》曰:“右社稷,左宗廟。”

社稷は中門の外・外門の内にあります。なぜでしょうか。これを尊びまたこれを親しみ、先祖と同じくするのです。中門の内に置かないのはなぜでしょうか。これを敬い、褻しないことを表します。《論語》に「たとえば宮墻、その門を得て入らざれば、宗廟の美・百官の富盛を見ることなし」とあります。《祭義》に「右は社稷、左は宗廟」とあります。

大夫有民,其有社稷者,亦為報功也。《禮?祭法》曰:“大夫成群立社,曰置在。”《月令》曰:“擇元日,命人社。”《論語》曰:“季路使子羔為費宰,曰:‘有民人馬,有社稷焉。’”

大夫に民あれば、彼らに社稷を持つのもまた功に報いるためです。《礼記・祭法》に「大夫は群を聚めて社を立て、これを置社という」とあります。底本は「置在」と作るが、「在」は「社」の訛りです。《月令》に「良き日を選択し、人民に命じて社を祭らしむ」とあります。《論語》に「季路は子羔をして費の宰たらしめ、曰く『民ありて社稷あり』」とあります。底本は「馬」と作るが、「馬」は「焉」の訛りです。

不謂之土何?封土為社,故變名謂之社,別於眾土也。為社立祀,始謂之稷,語亦自變,有內外。或曰:至社稷,不以稷為社,故不變其名事,自可知也。不正月祭稷何?禮不常存,養人為用,故立其神。

「土」と呼ばないのはなぜでしょうか。土を封じて社となるので、改めて社と名づけ、普通の土と区別します。社に祭祀を設けて初めて稷と呼び、用語自体も変わり、内あり外あります。もう一説では、社稷と言っても稷を社とはせず、その名を改めなくても事は自ずから知れます。なぜ正月に稷を祭らないのでしょうか。礼は常設して済むものではなく、人を養うのは用のためなので、それに神を立てます。

社無屋何?達天地氣。故《郊特牲》曰:“太社稷,必受霜露風雨,以達天地之氣。”社稷所以有樹何?尊而識之,使民人望見師敬之,又所以表功也。故《周官》曰:“司社而樹之,各以土地所生。”《尚書》亡篇曰:“太社唯松,東社唯柏,南社唯梓,西社唯栗,北社唯槐。”

社に屋がないのはなぜでしょうか。天地の気を通達するためです。だから《郊特牲》に「太社稷は必ず霜露風雨を受け、天地の気を通達する」とあります。社稷に樹があるのはなぜでしょうか。これを尊び標識とし、人民に望見させて敬を生ぜしめ、また功徳を表彰するためです。だから《周官》に「社を掌り、これに樹を種うに、各々その土地の生ずる所を用い」とあります。《尚書》亡佚の篇に「太社は松のみ、東社は柏のみ、南社は梓のみ、西社は栗のみ、北社は槐のみ」とあります。

王者自親祭社稷何?社者,土地之神也。土生萬物,天下之所主也,尊重之,故自祭也。

王者が自ら社稷を祭るのはなぜでしょうか。社は土地の神です。土は万物を生じ、天下の依拠する主体なので、これを尊重して自ら祭ります。

其壇大何?如《春秋文義》曰:“天子之社稷廣五丈,諸侯半之。”其色如何?《春秋傳》曰:“天子有太社焉,東方青色,南方赤色,西方白色,北方黑色,上冒以黃土。故將封東方諸侯,青土,苴以白茅。謹敬潔清也。”

壇の大きさはどのくらいでしょうか。《春秋文義》に「天子の社稷は広さ五丈、諸侯はその半」とあります。色はどうでしょうか。《春秋伝》に「天子に太社あり。東方は青色、南方は赤色、西方は白色、北方は黒色、上は黄土をもって覆う。故に東方の諸侯を分封せんとするときは、青土を用い、白茅をもって墊す。これは謹慎・恭敬・清潔なり」とあります。

祭社有樂,《樂記》曰:“樂之施於金石絲竹,越於聲音,用之於宗廟社稷。”

社を祭るに楽があります。《楽記》に「楽は金石絲竹に施し、声音を発し、宗廟・社稷に用いる」とあります。

《曾子問》曰:“諸侯之祭社稷,俎豆既陳,聞天子崩,如之何?孔子曰:廢。”臣子哀痛之,不敢終於禮也。

《曽子問》に「諸侯が社稷を祭るに、俎豆すでに陳設を終えたとき、天子が崩じたと聞かば、どうすべきか。孔子曰く、廃止せよ」とあります。臣子が哀痛して、礼を尽くすことを敢えてしません。

禮樂者,何謂也?禮之為言履也,可履踐而行樂者;樂也,君子樂得其道,小人樂得其欲。王者所以盛禮樂何?節文之喜怒。樂以象天,禮以法地。人無不含天地之氣,有五常之性者,故樂所以盪滌,反其邪惡也,禮所以防淫佚,節其侈靡也。故《孝經》曰:“安上治民,莫善於禮;移風易俗,莫善於樂。”子曰:“樂在宗廟之中,君臣上下同聽之,則莫不和敬;族長鄉里之中,長幼同聽之,則莫不和順;在閨門之內,父子兄弟同聽之,則莫不和親。故樂者,所以崇和順,比物飾節,節奏合以成文,所以合和父子、君臣,附親萬民也。是先王立樂之意也。故聽其雅、頌之聲,志意得廣焉,執干鏚習俯仰屈信,容貌得齊焉;其輟兆,要其節奏,行列得正焉,進退得齊焉。故樂者天地之命、中和之紀、人情之所不能免焉也。夫樂者,先王之所以飾喜也;軍旅鉞,所以飾怒也。故先王之喜怒,皆得其齊焉,喜則天下和之,怒則暴亂者畏之。先王之道,禮樂可謂盛矣。”聞角聲,莫不惻隱而慈者;聞徵聲,莫不喜養好施者;聞聲,莫不剛斷而立事者;聞羽聲,莫不深思而遠慮者;聞宮聲,莫不溫潤而寬和者也。

礼楽とは何でしょうか。「礼」の意味は履で、踏み行うことができます。「楽」はすなわち喜楽で、君子は道を得るを楽しみ、小人は欲望を得るを楽しみます。王者が礼楽を盛大に作るのは、喜と怒を節制・文飾するためです。楽は天に象を取り、礼は地に法ります。人は天地の気を含まざるなく五常の性を具えているので、楽はもって滌い邪悪を正途に返らせ、礼はもって淫佚を防ぎ侈靡を節制します。だから《孝経》に「上にある者を安んじ百姓を治めるは、礼より善きはなし。風を移し俗を易るるは、楽より善きはなし」とあります。孔子曰く「楽を宗廟の中に在らしめば、君臣上下ともに聴きて、和し敬せざるなし。族長郷里の中に在らしめば、長幼ともに聴きて、和し順わざるなし。閨門の内に在らしめば、父子兄弟ともに聴きて、和し親しまざるなし。故に楽は和順を崇め、事物を比次し節奏を文飾し、節奏相合して文采となり、父子・君臣を和合させ、万民を親附せしめるに用いる。これ先王が楽を立てた本意なり。故に雅・頌の声を聴けば志意は広くなり、干(盾)と戚(斧)を執りて俯仰屈伸を習えば容貌は斉くなり、舞位を踏み節奏を扣えば行列は正しく、進退は斉う。故に楽は天地の命令・中和の綱紀・人情の免れざる所なり。楽とは、先王が喜を文飾するに用いたもの、軍旅の(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)鉞は、怒を文飾するに用いたもの。故に先王の喜怒はみな各々その宜しきを得、喜べば天下応和し、怒れば暴乱の人は畏れる。先王の道、礼楽盛大というべし」。角声を聞けば惻隠して慈愛せざるなし、徵声を聞けば長養を喜び施与を楽しまざるなし、(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)声を聞けば剛毅にして決断し事を立つること能くせざるなし、羽声を聞けば深く思い遠く慮らざるなし、宮声を聞けば温潤寛和せざるなし。

禮所揖讓何?所以尊人自損也,不爭。《論語》曰:“揖讓而升,下而飲,其爭也君子。”故“君使臣以禮,臣事君以忠。”“謙謙君子,利涉大川。”以貴下賤,大得民也。屈己敬人,君子之心。故孔子曰:“為禮不敬,吾何以觀之哉!”夫禮者,陰陽之際也,百事之會也,所以尊天地,儐鬼神,序上下,正人道也。

礼が揖譲する所以はなぜでしょうか。人を尊び自ら退譲し、争わないためです。《論語》に「揖譲して後に堂に升り、下りて酒を飲む、この争もまた君子の争なり」とあります。故に「君は臣を使うに礼をもってし、臣は君に事うるに忠をもってす」「謙謙の君子、大河を渡るに利あり」。尊貴をもって下賤に就けば、大いに民心を得ます。己を屈して人を敬するは君子の心です。だから孔子曰く「礼を行いて敬せざれば、我は何をもって彼を見ん!」。礼は陰陽交接の所、百事会合の枢紐で、天地を尊び鬼神を迎え上下の序を排し人道を端正するに用います。

樂所以必歌者何?夫歌者,口言之也。中心喜樂,口欲歌之,手欲舞之,足欲蹈之。故《尚書》曰:“前歌後舞,假於上下。”禮貴忠何?禮者,盛不足節有餘,使豐年不奢,凶年不儉,貧富不相懸也。樂尚雅?雅者,古正也,所以遠鄭聲也。孔子曰:“鄭聲淫何?鄭國土地民人,山居谷浴,男女錯雜,為鄭聲以相悅懌,故邪僻聲,皆淫色之聲也。”

楽が必ず歌う所以はなぜでしょうか。歌はすなわち口をもって言い出すことです。心に喜楽あれば、口は歌おうとし、手は舞おうとし、足は蹈もうとします。だから《尚書》に「前に唱え後に舞い、上下を感通す」とあります。礼が忠を重んじるのはなぜでしょうか。礼は不足を補い有余を節し、豊年に奢侈せず荒年に過倹に至らず、貧富が懸殊しないようにします。楽が雅を尚ぶのはなぜでしょうか。雅はすなわち古正で、鄭声を遠ざけるに用います。孔子曰く「鄭声はなぜ淫か。鄭国の土地人民、山に居り山谷に浴し、男女錯雑し、鄭声を作りて互いに取悦す。故にその邪僻の声は、みな女色に淫する声なり」。

太平乃制禮作樂何?夫禮樂,所以防奢淫。天下人民飢寒,何樂之乎!功成作樂,治定製禮。樂言作、禮言制何?樂者,陽也,陽倡始,故言作;禮者,陰也,陰制度於陽,故言制。樂象陽,禮法陰也。

天下が太平して初めて礼を制し楽を作るのはなぜでしょうか。礼楽は奢侈淫逸を防ぐために用います。天下の人民がなお飢寒にあるのに、何の楽すべきことがあらん!功業が成就して初めて楽を作り、治まり安んじて初めて礼を制します。楽は「作」と言い礼は「制」と言うのはなぜでしょうか。楽は陽に属し、陽は始めを倡導するので「作」と言い、礼は陰に属し、陰は陽において制度を受けるので「制」と言います。楽は陽に象を取り、礼は陰に法ります。

王者始起,何用正民?以為且用先王之禮樂,天下太平,乃更製作焉。《書》曰:“肇修殷殷禮,祀新邑。”此言太平去殷禮。《春秋傳》曰:“昌何為不修乎近而修乎遠,同己也,可因先以太平也。”必復更制者,示不襲也,又天下樂之者。樂者所以象德表功殊名。《禮記》曰:“黃帝樂曰《咸池》,顓頊樂曰《六莖》,帝嚳樂曰《五英》,堯樂曰《大章》,舜樂曰《簫韶》,禹樂曰《大夏》,湯樂曰《大護》。周樂曰《大武象》,周公之樂曰《酌》,合曰《大武》。”黃帝曰《咸池》者,言大施天下之道而行之,天之所生,地之所載,鹹蒙德施也;顓頊曰《六莖》者,言和律歷以調陰陽,莖者著萬物也;帝嚳曰《五英》者,言能調和五聲以養萬物,調其英華也;堯曰《大章》,大明天地人之道也;舜曰《簫韶》者,舜能繼堯之道也,禹曰《大夏》者,言禹能順二聖之道而行之,故曰《大夏》也;湯曰《大護》者,言湯承衰,能護民之急也;周公曰《酌合》者,言周公輔成王,能斟酌文武之道而成之也;武王曰《象》者,象太平而作樂,示已太平也;合曰《大武》者,天下始樂周之徵伐行武,故詩人歌之:“王赫斯怒,爰整其旅。”當此之時,天下樂文王之怒,以定天下,故樂其武也。周室中制《象湯》樂何?殷紂為惡日久,其惡最甚,斫涉刳胎,殘賊天下。武王起兵,前歌後舞。克殷之後,民人大喜,故中作所以節喜盛。

王者が初めて興るとき、何をもって人民を端正するのでしょうか。暫く先王の礼楽を用い、天下太平して後、別に制作すると考えます。《尚書》に「初めて殷礼を修め、新邑にて祭祀す」とあり、これは太平の後に殷礼を去ることを言います。《春秋伝》に「なぜ近きを修めずして遠きを修むるか。己と同じくして、先代に沿い用いて太平を待つべきなり」とあります。必ず改めて制定するのは、沿襲しないことを表し、また天下の楽しむところです。楽は徳に象り功を表し名号を区別するに用います。《礼記》に「黄帝の楽を《咸池》といい、顓頊の楽を《六茎》といい、帝嚳の楽を《五英》といい、尭の楽を《大章》といい、舜の楽を《簫韶》といい、禹の楽を《大夏》といい、湯の楽を《大護》という。周の楽を《大武象》といい、周公の楽を《酌》といい、合わせて《大武》という」とあります。黄帝が《咸池》というのは、天下の道を普遍に施行し、天の生ずる所・地の載する所、みな徳の施与を承け受けることを言います。顓頊が《六茎》というのは、律暦を調和して陰陽を調うことを言い、「茎」は万物を顕著にするです。帝嚳が《五英》というのは、五声を調和して万物を養い、英華を調理することを言います。尭が《大章》というのは、天地人の道を大いに彰明することです。舜が《簫韶》というのは、舜が尭の道を継承できたことです。禹が《大夏》というのは、禹が二位の聖人の道に順ってこれを行えたので《大夏》といいます。湯が《大護》というのは、湯が衰世を承け継いで人民の急難を救護できたことです。周公が《酌》というのは、周公が成王を輔佐して文王・武王の道を斟酌してこれを成就したことです。武王が《象》というのは、太平に象を取って楽を作り、自らすでに太平であることを表します。合わせて《大武》というのは、天下が初めて周の征伐行武を楽しんだので、詩人が唱えて「王、赫然として怒り、ここに軍旅を整う」と言いました。この時、天下は文王の怒を楽しみ、もって天下を安定したので、その武を楽しみました。周室が中途で《象》のごとき楽を制作したのはなぜでしょうか。殷の紂が悪をなす日が久しく悪が最も甚だしく、渉水する者の脛を断ち妊婦を剖き、天下を残害しました。武王が兵を起こすに、前に唱え後に舞いました。殷を克して後、人民は大いに喜んだので、中途で制作して喜びの過盛を節制しました。

天子八佾,諸侯四佾,所以別尊卑。樂者陽也,故以陰數。法八風、六律、四時也。八風、六律者,天氣也,助天地成萬物者也,亦猶樂,所以順氣,變化萬民,成其性命也。故《春秋公羊傳》曰:“天子八佾,諸公六佾,諸侯四佾。”《詩》曰:“大夫士,琴瑟御。”八佾者何謂也,佾者列也,以八人為行,列八八六十四人也。諸公六六為行;諸侯四四為行。諸公謂三公、二王后。大夫士,北面之臣,非專事子民者也,故但琴瑟而已。

天子は八佾、諸侯は四佾で、尊卑を分別します。楽は陽に属するので陰数を用います。八風・六律・四時に法ります。八風・六律は天気で、天地を助けて万物を成就し、また楽のごとく、気を順にし万民を変化し、その性命を成就するに用います。だから《春秋公羊伝》に「天子八佾、諸公六佾、諸侯四佾」とあります。《詩経》に「大夫・士は、琴瑟をもって事奉す」とあります。八佾とは何でしょうか。「佾」はすなわち列で、八人を一行とし、列して八八六十四人です。諸公は六六をもって行とし、諸侯は四四をもって行とします。諸公とは三公・二王の後裔を指します。大夫・士は北面の臣で、子民を治める専職ではないので、琴瑟を用いるのみです。

王者有六樂者,貴公美德也。所以作供養。傾先王之樂,明有法,示亡其本。興己所以自作樂,明作己也。

王者に六楽があるのは、公正を重んじ徳行を讃美し、供養に用いるためです。先王の楽に心を傾けるのは、依拠すべき法度あることを表明し、根本を失わないことを表します。自らを興しまた自ら楽を作るのは、制作が自己より出ることを表明します。

樂所以作四夷之樂何?德廣及之也。《易》曰:“先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。《詩》云:“奏鼓簡簡,ぅ我烈祖。”《樂元語》曰:“受命而六樂。樂先王之樂,明有法也;與其所自作,明有制;興四夷之樂,明德廣及之也。故南夷之樂曰《兜》,西夷之樂曰《禁》,北夷之樂曰《昧》,東夷之樂曰《離》。合歡之樂亻舞於堂,四夷之樂陳於右,先王所以得之,順命重始也。

楽が四夷の楽を作る所以はなぜでしょうか。徳が広く、彼らに達するからです。《周易》に「先王は楽を作るをもって徳を崇め、殷にして上帝に薦げ、祖考に配享するをもってす」とあります。《詩経》に「鼓を敲く声は堂堂として、歓楽せり、我ら功烈ある祖先をば」とあります。底本は「ぅ」と作るが、「ぅ」は「衎」の訛りです。《楽元語》に「命を受けて六楽あり。先王の楽を奏するは、法度あることを表明す。己の作る所を加うるは、制度あることを表明す。四夷の楽を興すは、徳が広く彼らに達することを表明す。故に南夷の楽を《兜》といい、西夷の楽を《禁》といい、北夷の楽を《昧》といい、東夷の楽を《離》という。合歓の楽は堂上に舞い、四夷の楽は右に陳列す」とあります。底本は「亻舞」と作るが、「舞」の字を拆いた訛りです。先王がこれらを得たのは、天命に順い始めを重んじたからです。

此言以人得之,先以文,謂持羽毛亻舞也;以武得之,先以武,謂持干鏚亻舞也。《樂元語》曰:“東夷之樂持矛舞,助時生也;南夷之樂持羽舞,助時養也;西夷之樂持戰舞,助時煞也。”北夷之樂持幹舞助時藏也,誰制夷狄之樂?以為先聖王也。先王惟行道德,和調陰陽,覆被夷狄,故夷狄安樂,來朝中國,於是作樂樂之。《南》之為言任也,任養萬物;《味》之為言昧也,昧者,萬物老衰,禁者萬物禁藏,侏離者萬物微離地而生。

この言は、文徳をもって天下を得た者は先に文を用い、すなわち羽毛を執りて舞い、武功をもって天下を得た者は先に武を用い、すなわち干戚を執りて舞うということです。底本は「亻舞」と作るが、「舞」の字を拆いた訛りです。《楽元語》に「東夷の楽は矛を執りて舞い、時令の生育を助く。南夷の楽は羽を執りて舞い、時令の長養を助く。西夷の楽は戈戟を執りて舞い、時令の粛殺を助く。北夷の楽は盾牌を執りて舞い、時令の閉蔵を助く」とあります。誰が夷狄の楽を制定したのでしょうか。先代の聖王と考えます。先王はただ道徳を行い、陰陽を調和し、夷狄にまで覆及したので、夷狄が安楽して中原に朝し、ここに楽を作って彼らを歓楽させました。《南》は「任」の意で、万物の長養を担任します。《昧》は「昧」の意で、昧は万物の衰老です。禁は万物が禁閉収蔵することです。侏離は万物が微微として土地を離れて生ずることです。

一說東方持矛,南方歌,西方戚,北方擊金。夷狄質,不如中國中國文章,但隨物名之耳,故百王不易戚二者制夷狄樂。不制夷狄禮何?以為禮者,身當履而行之,夷狄之人不能行禮;樂者,聖人作為以樂之耳,故有夷狄樂也。殊為舞者?以為使中國人。何以言之?夷狄之人禮不備,恐有過誤也。作之門外者何?夷在外,故就之也。夷狄無禮義,故不在內。《明堂記》曰:“九夷之國,在東門之外。”所以知不在門內也。《明堂記》曰:“禹納蠻夷之樂於太廟。”言納,明有入也。

一説に、東方は矛を執り、南方は歌い、西方は戚を執り、北方は金属楽器を撃ちます。夷狄は質朴で、中原のごとき文章なく、ただ事物に就いて名を起こすので、百王も改めず、戚など二様をもって夷狄の楽を制定しました。夷狄のために礼を制定しないのはなぜでしょうか。礼は自身が踏み行うべきものですが、夷狄の人は礼を行えません。楽は聖人が作って彼らを歓楽させるものなので、夷狄の楽があります。また誰に舞わせるのでしょうか。中原人に舞わせると考えます。何をもってこのように言うのでしょうか。夷狄の人は礼が備わらず、差錯あるを恐れます。門外で演奏するのはなぜでしょうか。夷は外に在るので、彼らに就きます。夷狄に礼義がないので門内に在りません。《明堂記》に「九夷の国は東門の外に在り」とあります。これによって門内に在らないと知れます。《明堂記》に「禹は蛮夷の楽を太廟に納れたり」とあります。「納」と言うのは、入ることあることを表明します。

曰四夷之樂者何謂也?以為四夷外無禮義之國,數夷狄者從東,故舉本以為之總名也。言夷狄者,舉終始也;言蠻,舉遠也;言貉,舉惡也。則別之,東方為九夷,南方為八蠻,西方為六戎,北方為五狄。故《曾子問》曰:“九夷、八蠻、六戎、五狄、百姓之難至者也。”

四夷の楽と称するのは、どういう意味でしょうか。四夷は外の礼義なき国と考え、夷狄を数えるに東方より数えるので、この本源を挙げて総名とします。「夷狄」と言うのは終と始を挙げ、「蛮」と言うのは遠を挙げ、「貉」と言うのは悪を挙げます。分かちて言えば、東方は九夷、南方は八蛮、西方は六戎、北方は五狄です。だから《曽子問》に「九夷・八蛮・六戎・五狄は、百姓の難しくして至らざる所なり」とあります。

何以知夷在東方?《禮?王制》曰:“東方曰夷,被髮文身;又曰:南方曰蠻,雕題交趾;西方曰戎,被髮衣皮;北方曰狄,衣羽毛穴居。”東所以九何?蓋來者過九之為言究也,德遍究,故應德而來亦九也,非故為之,道自然也。何以名為夷蠻?曰:聖人本不治外國,非為制名也,因其國名而言之耳。一說曰:名其短而為之制名也。夷者,聚狄無禮義。東方者,少陽易化,故取名也。北方太陰鄙郄,故少蠻難化,執心違邪。戎者,強惡也。狄者,易也,辟易無別也。

夷が東方に在ると何によって知るのでしょうか。《礼記・王制》に「東方を夷という。髪を披き身に文す」と言い、また「南方を蛮という。額を雕り、両足を交う。西方を戎という。髪を披き皮衣を著る。北方を狄という。羽毛を著て洞穴に住む」とあります。東方が九である所以はなぜでしょうか。来るものが九を超えたので、「九」は「究」の意で、徳が普遍に窮まったので、徳に応じて来るもまた九であり、故にこのように作ったのではなく、道は自然にこうです。なぜ夷蛮と名づけるのでしょうか。答えて曰く、聖人は本来外国を治めず、彼らに別に名を起こすのではなく、ただ彼らの国名に就いて言うのみです。もう一説では、彼らの短所に就いて名を起こしたとします。「夷」は聚り合った狄で礼義なし。東方は少陽で感化し易いのでこの名を取ります。北方は太陰で鄙陋閉塞なので少ないです。蛮は(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)、感化し難く、心に邪僻を執着します。戎は強横凶悪です。狄は「易」であり、辟易して分別なきことです。

歌者在堂上,舞在堂下何?歌者象德,舞者象,君子上德而下功。《郊特牲》曰:“歌者在上。”《論語》曰:“季氏八佾舞於庭。”《書》曰:“下管召鼓,笙鏞以間。”

歌う者は堂上に在り、舞う者は堂下に在るのはなぜでしょうか。歌は徳に象り、舞は功に象るので、君子は徳を上に置き功を下に置きます。《郊特牲》に「歌う者は上に在り」とあります。《論語》に「季氏、庭中に八佾をもって舞う」とあります。《尚書》に「堂下に管・(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)鼓を用い、笙と鏞とが交替して演奏す」とあります。

降神之樂在上何?為鬼神舉。故《書》曰:“戛擊鳴球、搏拊、琴瑟,以詠,祖考來格。”何以用鳴球、搏拊者何?鬼神清虛,貴淨賤鏗鏘也。故《尚書大傳》曰:“搏拊鼓,裝以秉。琴瑟,練絲朱弦。”鳴者,貴玉聲也。

神を降す楽は上に在るのはなぜでしょうか。鬼神のために設けるからです。だから《尚書》に「鳴球・搏拊・琴瑟を敲撃し、もって詠唱すれば、祖考來まし至る」とあります。なぜ鳴球・搏拊を用いるのでしょうか。鬼神は清虚で、清浄を重んじ鏗鏘を軽んじます。だから《尚書大伝》に「搏拊という鼓は、中に糠を装う。琴瑟は練した絲・朱紅色の弦を用いる」とあります。「鳴」は玉の声を重んじるのです。

王者食所以有樂何?樂食天下之太平、富積之饒也,明天子至尊,非功不食,非德不飽,故《傳》曰:“天子食時舉樂。”王者所以日食者何?明有四方之物,食四時之功也。四方不平,四時不順,有徹樂之法焉,所以明至尊著法戒也。王平居中央,制御四方。平旦食,少陽之始也;晝食,太陽之始也;脯食,少陰之始也;暮食,太陰之始也。《論語》曰:“亞飯幹適楚,三飯繚適蔡,四飯缺適秦。”諸侯三飯,卿大夫再飯,尊卑之差也。《弟子職》曰:“暮食士偃禮。”士也;食力無數,庶人職在耕桑,戮力勞役,飯即食,飽即作,故無數。

王者が食事するに楽がある所以はなぜでしょうか。天下の太平・蓄積の豊饒を食らうを楽しみ、天子の至尊を表明し、功なくして食せず、徳なくして飽かざるからです。だから《伝》に「天子は食するとき楽を挙ぐ」とあります。王者が一日に四食する所以はなぜでしょうか。四方の物あることを表明し、四時の功を食らうのです。四方太平ならず四時順わざれば、すなわち楽を撤する法度があり、至尊を顕明し法戒を著明するに用います。王は平居中央に在りて四方を制御します。平旦に食するは少陽の始め、日中に食するは太陽の始め、申時に食するは少陰の始め、夕暮に食するは太陰の始めです。《論語》に「第二の飯を掌る干は楚に逃げ、第三の飯を掌る繚は蔡に逃げ、第四の飯を掌る缺は秦に逃げたり」とあります。諸侯は三食、卿大夫は二食、これは尊卑の等差です。《弟子職》に「夕暮に飯して、士は偃息して礼を行う」とあり、これは士です。力に倚って食らう者には頓数なく、庶人の職分は耕田養桑に在り、力を竭して労役し、飯時に至れば食し、飽きれば作するので、定数ありません。

禮樂者,何謂也?禮之為言履也,可履踐而行樂者。君子樂得其道,小人樂得其欲。聲者,何謂。聲鳴也,聞其聲即知其所生;音者,飲也,言其剛柔清濁和而相飲也。《尚書》曰:“予欲聞六律、五聲、八音。”五聲者,何謂也?宮、商、角、徵、羽,土謂宮,金謂商,木謂角,火謂徵,水謂羽。月令曰:盛德在木,其音角,又曰:盛德在火,其音徵,盛德在金其音商,盛德在水,其音羽。所以名之為角者,躍也,陽氣動躍;徵者,止也,陽氣止;商者,張也,陰氣開張,陽氣始降也;羽者,紆也,陰氣在上,陽氣在下;宮者,容也,含也,含容四時者也。

礼楽とは何でしょうか。「礼」の意味は履で、踏み行うことができます。楽は、君子は道を得るを楽しみ、小人は欲望を得るを楽しみます。声とは何でしょうか。声はすなわち鳴で、声音を聞けばそれがどこより生ずるかを知ります。音はすなわち飲で、剛柔清濁が相和して互いに飲納することを言います。《尚書》に「我は六律・五声・八音を聞かんと欲す」とあります。五声とは何でしょうか。宮・商・角・徵・羽で、土は宮に対応し、金は商に対応し、木は角に対応し、火は徵に対応し、水は羽に対応します。《月令》に、盛徳木に在り、その音は角、また曰く、盛徳火に在り、その音は徵、盛徳金に在り、その音は商、盛徳水に在り、その音は羽とあります。角と呼ぶ所以は「躍」で、陽気が発動跳躍します。徵は「止」で、陽気が止住します。商は「張」で、陰気が開張し陽気が初めて下降します。羽は「紆」で、陰気が上に在り陽気が下に在ります。宮は「容」であり「含」で、四時を含容します。

八音者,何謂也?《樂記》曰:“土曰壎,竹曰管,皮曰鼓,匏曰笙,絲曰弦,石曰磬,金曰鍾,木曰。”此謂八音也。法《易》八卦也,萬物之數也;八音,萬物之聲也。所以用八音何?天子承繼萬物,當知其數。既得其數,當知其聲,即思其形。如此飛蠕動,無不樂其音者,至德之道也。天子樂之,故樂用八音。《樂記》曰:“壎,坎音也;管,艮音也;鼓,震音也;弦,離音也;鍾,兌音也;祝,乾音也。”壎在十一月,壎之為言勳也,陽氣於黃泉之下,勳蒸而萌;匏之言施也,在十二月,萬物始施而勞。笙者,太蔟之氣,象萬物之生,故曰笙。有七正之節焉,有六合之和焉,天下樂之,故謂之笙。鼓,震音煩氣也。萬物憤懣震動而出,雷以動之,溫以暖之,風以散之,雨以濡之,奮至德之聲,感和平之氣也,同聲相應,同氣相求,神明報應,天地佑之,其本乃在萬物之始耶,故謂之鼓也。召者,震之氣也,上應卯星以通王道,故謂之召也。簫者,中之氣,萬物生於無聲,見於無形,﹃也,簫也,故謂之簫。簫者以祿為本,言承天繼物為民,本人力加,地道化,然後萬物戮也,故謂之簫也。瑟者,嗇也,閒也,所以懲忽宮商角則宜。君父有節,臣子有義,然後四時和,四時和然後萬物生,故謂之瑟也。琴者,禁也,所以禁止淫邪、正人心也。磬者,夷則之氣也,象萬物之盛也,其氣磬,故曰磬,有貴賤焉,有親束焉,有長幼焉,朝廷之禮,貴不讓賤,所以有尊卑也;鄉黨之禮,長不讓幼,所以明有年也;宗廟之禮,親不讓束,所以有親也。此三者行然後王道得,王道得然後萬物成,天下樂用磬也。鍾之為言動也,陰氣用事,萬物動成,鍾為氣,用金聲也。者,時之氣聲也,節度之所生也。君臣有節度則萬物昌,無節度則萬物亡,亡與昌正相迫,故謂之。

八音とは何でしょうか。《楽記》に「土は塤、竹は管、皮は鼓、匏は笙、絲は弦、石は磬、金は鐘、木は(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)」とあります。これが八音です。《周易》の八卦に法るは万物の数で、八音は万物の声です。なぜ八音を用いるのでしょうか。天子は万物を承継し、その数を知るべきです。すでに数を知れば、その声を知るべく、進んでその形状を思います。このようであれば、(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)飛び蠕動する小虫に至るまで、その声を楽しまざるなし。これは至徳の道です。天子はこれを楽しむので、楽に八音を用います。《楽記》に「塤は坎の音、管は艮の音、鼓は震の音、弦は離の音、鐘は兌の音、祝と(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)は乾の音」とあります。塤は十一月に在り、「塤」は「勲」の意で、陽気が黄泉の下に勲蒸して萌発します。匏は「施」の意で、十二月に在り、万物が初めて施展して労作します。笙は太蔟の気で、万物の出生に象るので笙と呼びます。七正の節度あり、六合の和諧あり、天下これを楽しむので、笙と呼ばれます。鼓は震音・煩気で、万物が憤懣震動して出で、雷が来りてこれを動かし、温暖が来りてこれを暖め、風が来りてこれを散じ、雨が来りてこれを潤し、奮発して至徳の声音を出し、和平の気に感応し、同声相応じ同気相求め、神明報応し天地保佑す。その根本はまさに万物の始めに在るので、鼓と呼ばれます。(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)は震の気で、上は卯星に応じて王道を貫通するので、このように呼ばれます。簫は中央の気で、万物は無声の裏より生じ無形の裏より顕れ、「﹃」もまた簫の意なので、簫と呼ばれます。簫は禄を本とし、上は天を承け下は物を継ぎ民のためとすることを言い、人の気力がこれに加わり、地の道化が運行し、しかる後に万物が成るので、簫と呼ばれます。瑟は「嗇」であり「閑」で、疏忽を懲戒するに用い、宮商角が宜しきを得ます。君父に節あり臣子に義あり、しかる後に四時和し、四時和してしかる後に万物生ずるので、瑟と呼ばれます。琴は「禁」で、淫邪を禁止し人心を端正するに用います。磬は夷則の気で、万物の盛に象り、「其の気磬」なので磬と呼びます。貴賤あり、親疏あり、長幼あり。底本は「(底本の此字は生僻字)束」と作るが、「疏」の字を拆いた訛りです。朝廷の礼は、貴は賤に譲らず、故に尊卑あり。郷党の礼は、長は幼に譲らず、故に年歯あるを表明す。宗廟の礼は、親は疏に譲らず、故に親あり。この三者が行われてしかる後に王道を得、王道を得てしかる後に万物成り、天下は磬を用いるを楽しみます。鐘は「動」の意で、陰気が事を用い、万物が動いて成り、鐘は気、金声を用います。(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)は時令の気声で、節度の生ずる所より出ます。君臣に節度あれば万物昌し、節度なければ万物亡び、亡と昌とまさに相迫るので、このように呼ばれます。

者,終始之聲,萬物之所生也。陰陽順而復,故曰;承順天地,序迎萬物,天下樂之,故樂用。,始也;,終也。一說笙、、鼓、簫、瑟、壎、鍾、磬也。如其次,笙在北方,在東北方,鼓在東方,琴在南方,壎在西南方,鍾在西方,磬在北方。

(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)は終と始の声で、万物の生ずる所より出ます。陰陽が順いて再来るので前の一字と呼び、天地を承順し、次序を排して万物を迎え、天下これを楽しむので、楽にこれを用います。前の一字は始、後の一字は終です。一説には、笙・(底本の此字は生僻字)・鼓・簫・瑟・塤・鐘・磬。この次序に按すれば、笙は北方、(底本の此字は生僻字)は東北方、鼓は東方、琴は南方、塤は西南方、鐘は西方、磬は北方に在ります。

聲五音八何?聲為本,出於五行;音為末,象八風,故《樂記》曰:“聲成文謂之音,知音而樂之謂之樂也。”

声は五種、音は八種なのはなぜでしょうか。声は本で五行より出、音は末で八風に象を取ります。だから《楽記》に「声が文采を組成すれば音と呼ばれ、音を識りてこれを喜楽すれば楽と呼ばれる」とあります。

問曰:“異說並行,則弟子疑焉。”孔子有言:“吾聞擇其善者而從之,多見而志之,知之次也。”“文武之道,未墜於地。”“天之將喪斯文也,樂亦在其中矣。”聖人之道,猶有文質,所以擬其說、述所聞者,亦各傳其所受而已。

ある人問いて曰く「異なる説が并行すれば、弟子は疑惑します」。孔子に言あり、「我は聞く、その善きを選択してこれに従い、多く見て之を記すは、次の一等の知なり」「文王・武王の道は、未だ地に墜ちず」「天、もしこの文を喪わんと欲せば、楽もまたその中に在り」。聖人の道にもなお文と質の分別があるので、これらの説を擬測し聞く所を記述する人も、各々その受くる所を伝えるのみです。

●卷三

●巻三

○封公侯

○公侯を封ず

王者所以立三公、九卿何?曰:天雖至神,必因日月之光;地雖至靈,必有山川之化;聖人雖有萬人之德,必須俊賢三公、九卿、二十七大夫、八十一元士,以順天成其道。司馬主兵,司徒主人,司空主地。王者受命為天、地、人之職,故分職以置三公,各主其一,以效其功。一公置三卿,故九卿也。天道莫不成於三:天有三光,日、月、星;地有三形,高、下、平;人有三尊,君、父、師。故一公三卿佐之,一卿三大夫佐之,一大夫三元士佐之。天有三光然後而能遍照,各自有三法,物成於三:有始、有中、有終,明天道而終之也。三公、九卿、二十七大夫、八十一元士,凡百二十官,下應十二子。《別名記》曰:司徒典民,司空主地,司馬順天。天者施生,所以主兵何?兵者,為諸除害也,所以全其生、衛其養也,故兵稱天。寇賊猛獸,皆為除害者所主也。《論語》曰:“天下有道,則禮樂、征伐自天子出。”司馬主兵,言馬者,馬陽物,乾之所為,行兵用焉,不以傷害為度,故言馬也;司徒主人,不言徒人者,徒眾也,重民;司空主土,不言土言空者,空尚主之,何況於實?以微見著。

王者が三公・九卿を設立する所以はなぜでしょうか。答えて曰く、天は至神といえども、必ず日月の光に凭り、地は至霊といえども、必ず山川の化育あり、聖人は万人に勝る徳ありといえども、必ず俊賢をして三公・九卿・二十七大夫・八十一元士と為し、天に順いその道を成就せしめます。司馬は兵を主管し、司徒は人を主管し、司空は地を主管します。王者は命を受け、天・地・人の職分を担任するので、職を分けて三公を設置し、各々その中の一項を主管せしめ、その功を考覈します。一公に三卿を設置するので九卿です。天道は三に成らざるなし。天に三光あり、日・月・星。地に三形あり、高・下・平。人に三尊あり、君・父・師。故に一公に三卿の輔佐あり、一卿に三大夫の輔佐あり、一大夫に三元士の輔佐あります。天に三光ありてしかる後に遍く照ること能くし、各々に三法あり、物は三に成る。始あり、中あり、終あり、天道を表明してこれを為し終うのです。三公・九卿・二十七大夫・八十一元士、あわせて百二十官で、下は十二支に応えます。《別名記》に「司徒は民を主管し、司空は地を主管し、司馬は天に順う」とあります。天は施生するもの、なぜ兵を主管するのでしょうか。兵は衆人のために害を除くもので、彼らの生を保全し彼らの養を衛護するに用いるので、兵は天と称します。寇賊・猛獣はみな害を除く人の主管に帰します。《論語》に「天下に道あれば、礼楽・征伐は天子より出ず」とあります。司馬が兵を主管するに「馬」と言うのは、馬は陽物で乾の成す所、兵を行くにこれを用い、傷害を度としないので、馬と言います。司徒は人を主管するに「徒人」と言わず、「徒」はすなわち衆で、民を重んじます。司空は土を主管するに土と言わず空と言うのは、空すら主管する、いわんや実をや。微をもって著を顕すのです。

王者主三公、九卿、二十七大夫,足以教道,照幽隱,必復封諸侯何?重民之至也。善惡比而易故知,擇賢而封之,使治其民,以著其德,極其才。上以尊天子,備蕃輔,下以子養百姓,施行其道,開賢者之路,謙不自專,故列土封賢,因而象之,象賢重民也。

王者に三公・九卿・二十七大夫あれば、すでに教を施し幽隠を照見するに足るのに、なお必ず改めて諸侯を封ずるのはなぜでしょうか。これは民を重んじること極まったものです。善悪を置きて比較すれば知り易いので、賢人を選択してこれを封じ、彼にその土地の民を治めさせ、その徳を顕しその才を窮めます。対上は天子を尊び藩輔を備え、対下は子に対するがごとく百姓を養い、その道を施行し、賢者の路を開き、謙虚にして自ら専断しないので、土地を画分して賢人を封じ、因而として象を取り、賢に象を取り民を重んじるのです。

州伯何謂也?伯,長也,選擇賢良,使長一州,故謂之伯也。《王制》曰:“千里之外設方伯。五國以為屬,屬有長;十國以為連,連有率;三十國以為卒,卒有正;二百一十國以為州,州有伯。”唐虞謂之牧何?尚質,使大夫往來牧諸侯,故謂之牧。旁立三人,凡十二人。《尚書》曰:“諮十有二牧。”何知堯時十有二州也?以《禹貢》言九州也。

州伯とは何でしょうか。「伯」はすなわち長で、賢良を選択し、彼に一州の長を為させるので、伯と呼びます。《王制》に「千里之外に方伯を設く。五国を一属とし、属に長あり。十国を一連とし、連に率あり。三十国を一卒とし、卒に正あり。二百一十国を一州とし、州に伯あり」とあります。唐虞は牧と称します。なぜでしょうか。質朴を尚び、大夫を往来させて諸侯を牧養せしめたので、牧と呼びます。傍らにさらに三人を立て、あわせて十二人です。《尚書》に「十有二牧を咨問す」とあります。尭の時に十二州あったと何によって知るのでしょうか。《禹貢》の言うは九州(後に十二に分かれた)だからです。

王者所以有二伯者,分職而授政,欲其亟成也。《王制》曰:“八伯各以其屬屬於天子之老。”曰二伯。《詩》云:“蔽芾甘棠,勿翦勿伐,邵伯所茇。”《春秋公羊傳》曰:“自陝已東,周公主之,自陝已西,邵公主之。”不分南北何?東方被聖人化日少,西方被聖人化日久,故分東西,使聖人主其難者,賢者主其易者,乃俱到太平也。又欲令同有陰陽寒暑之節,共法度也。所分陝者,是國中也,若言面,八百四十國矣。

王者に二伯ある所以は、職を分け政を授け、事の速やかに成るを望むためです。《王制》に「八伯は各々その属する所を帯て、天子の老臣に隷属す」とあり、これが二伯です。《詩経》に「小さき甘棠の樹、翦る勿れ、砍る勿れ、これ召伯の歇ぎし所なり」とあります。《春秋公羊伝》に「陝より以東は周公が主之、陝より以西は召公が主之」とあります。南北を分たないのはなぜでしょうか。東方は聖人の教化を受けた日が少なく、西方は聖人の教化を受けた日が久しいので、東西に分かち、聖人に難しきを主管させ、賢人に易しきを主管させ、才能が斉しく太平に至るようにします。また両辺に同じく陰陽寒暑の節候を同有させ、一套の法度を共用させます。分つ所の陝は国の中央で、面によって算すれば、八百四十国あります。

諸侯有三卿者,分三事也。五大夫者,下天子。《王制》曰:“大國三卿,皆命於天子。下大夫五人,上士二十七人;次國三卿,二卿命於天子,一卿命於其君;小國二卿,皆命於其君。大夫悉同。《禮?王度記》曰:“子、男三卿,一卿命於天子。”

諸侯に三卿あるのは、三つの事を分担するためです。五大夫あるのは、天子より下るためです。《王制》に「大国は三卿、みな天子の任命する所。下大夫五人、上士二十七人。次国は三卿、二卿は天子の任命し、一卿は本国の国君の任命す。小国は二卿、みな本国の国君の任命す」とあります。大夫はみな相同じです。《礼・王度記》に「子・男は三卿あり、その中一卿は天子の任命す」とあります。

諸侯封不過百里,象雷震百里,所潤雨同也。雷者,陰中之陽也,諸侯象也。諸侯比王者為陰,南面賞罰為陽,法雷也。七十里、五十里,差德功也。故《王制》曰:“凡四海之內九州,州方千里,建百里之國二十,七十里之國六十,五十里之國百有二十。名山大澤不以封,其餘以為附庸閒田。”天子所治方千里,此平土三千,並數邑居山川至五十里,名山大澤不以封者,與百姓共之,不使一國獨專也。山木之饒,水泉之利,千里相通,所均有無,贍其不足。制土三等何?因土地有高、下、中。

諸侯の封地は百里を過ぎず、雷の震う百里・雨の潤すも百里に象を取ります。雷は陰中の陽で、諸侯はこれに象を取ります。諸侯は王者に比べて陰で、南面して賞罰するは陽、雷に法ります。七十里・五十里は功徳の等差です。だから《王制》に「四海の内、あわせて九州あり、毎州は方千里、百里の国二十を建て、七十里の国六十、五十里の国百二十。名山大沢は封に取らず、余を附庸と閑田とす」とあります。天子の治する所は方千里で、ここに平土三千、邑居山川を連ねて五十里に算えます。名山大沢を封に取らないのは、百姓と共享して、一国に独り専有させないためです。山の木材の富饒・水泉の便利は千里相通じ、有無を均しくし不足を補うに用います。地を画して三等に分けるのはなぜでしょうか。土地に高・下・中あるからです。

王者即位,先封賢者,憂人之急也。故列土為疆非為諸侯,張官設府非為卿大夫,皆為民也。《易》曰:“利建侯。”此言因所利故立之。《樂記》曰:“武王克殷反商,下車封夏后氏之後於杞,殷人之後於宋,封王子比干之墓,釋箕子之囚。”天下太平乃封親屬者,示不私也。即不私封之何?普天之下,莫非王土,率土之賓,莫非王臣。海內之眾已盡得使之,不忍使親屬無短足之居,一人使封之,親親之義也。以《尚書》封康叔據平安也。王者始起封諸父、昆弟,與己共財之義,故可與共土也。一說諸父不得封諸侯二十國,厚有功象賢以為民也,賢者子孫類多賢。又卿不世位,為其不子愛百姓,各加一功,以虞樂其身也。受命不封子者,父子手足,無分離異財之義。至昆弟皮體有分別,故封之也。以舜封弟象有比之野也。

王者が即位すれば、先ず賢者を封じます。他人の急難を憂慮するためです。だから土地を画分し疆界を立てるは諸侯のためではなく、官府を張設するは卿大夫のためでもなく、みな民のためです。《周易》に「諸侯を封建するに利あり」とあるのは、利あるによって設立することを言います。《楽記》に「武王、殷を克して商地に帰り、車を下るや、夏后氏の後裔を杞に封じ、殷人の後裔を宋に封じ、王子比干の墓を修め、箕子を釈放したり」とあります。天下太平して初めて親属を封ずるは、私を営まないことを表します。私を営まないのに、なぜ封ずるのでしょうか。普天の下、王の土に非ざるなく、率土の濱、王の臣に非ざるなし。海内の衆人すでに皆使うべし、親属に立錐の地なからしむるに忍びず、すなわちこれを封じるは、親を親しむ義です。《尚書》の康叔を封じたを按すれば、平安に依拠します。王者が初めて興れば諸父・兄弟を封ずるは、己と財を共にする理あるが故に、彼らと土を共にすることができます。もう一説では、諸父は二十の諸侯国に封ずるを得ず、功ある者を厚くし賢人に象を取るは、民のためであり、賢人の子孫もまた多く賢なり。また、卿は禄位を世襲せず、彼らが百姓を子と愛しないを恐れ、各々一份の功を加えて自らを安楽にせんとするからです。命を受けて子を封ぜざるは、父子は手足のごとく、分離して財を分ける理なし。兄弟に至れば、身体すでに分別したるが故に、彼らを封じます。舜が弟の象を有庳の野に封じたを按すれば然り。

封諸侯以夏何?陽氣盛養,故封諸侯,盛養賢也。封立人君,陽德之盛者。《月令》曰:“孟夏之月行賞,封諸侯,慶賜,無不欣悅。”

諸侯を封ずるに夏を選ぶのはなぜでしょうか。陽気がまさに盛んで長養するので、諸侯を封ずるは、盛んに賢人を長養することです。人君を封立するは、陽徳がまさに盛んな時です。《月令》に「孟夏この月、賞を行い、諸侯を封じ、慶賜し、欣悦せざるなし」とあります。

何以言諸侯繼世以立?諸侯,象賢也。大夫不世位何?股肱之臣,任事者也,為其專權擅勢,傾覆國家。又曰孫苟中,庸不任輔政,妨塞賢,故不世世。故《春秋公羊傳》曰:“譏世世,非禮也。”諸侯世位,大夫不世,安法?所以諸侯南面之君,體陽而行,陽道不絕;大夫人臣,北面,體陰而行,陰道絕。以男生內向,有留家之義;女生外嚮,有從夫之義。此陽不絕、陰有絕之效也。

諸侯が世系によって継立すると何によって言うのでしょうか。諸侯は賢に象を取るからです。大夫が禄位を世襲しないのはなぜでしょうか。彼らは股肱の臣・政事を担任する者で、彼らが権を専らにし勢を擅(ほしいまま)にして国家を傾覆するを恐れるからです。また曰く、孫子がただ中等・平庸であれば、輔政に胜任せず、賢人を妨げ塞ぐことになるので、世襲させません。だから《春秋公羊伝》に「世襲を譏刺す、礼に非ず」とあります。諸侯は世襲し大夫は世襲しないのは、何に法るのでしょうか。諸侯は南面の君で、陽に体して行い、陽道は絶えません。大夫は人臣で、北面し、陰に体して行い、陰道は絶があります。男は生まれて内向きで家に留まる理あり、女は生まれて外向きで夫に従う理あるをもって見れば、これが陽絶えず陰絶あるの効験です。

國在立太子者,防篡煞,壓臣子之亂也。《春秋》之弒太子,罪與弒君同。《春秋》曰:“弒其君之子奚齊。”明與弒君同也。君薨,適夫人無子,有育遺腹,必待其產立之何?專適重正也。《曾子問》曰:“立適以長不以賢何?以言為賢不肖,不可知也。”《尚書》曰:“惟帝其難之。”立子以貴不以長,防愛憎也。《春秋傳》曰:“適以長不以賢,立子以貴不以長也。”

国は必ず太子を立てます。篡殺を防ぎ、臣子の作乱を押さえるためです。《春秋》が太子を弑するは、罪は君を弑するに同じです。《春秋》に「其の君の子奚斉を弑す」とあり、君を弑するに同じであることを表明します。国君が去世し、嫡夫人に子がなくて遺腹を懐いているときは、必ず彼女の生産を待って立てるのはなぜでしょうか。嫡に専一し正統を重んじるためです。《曽子問》に「嫡を立てるに年長によって賢によらざるは何ぞや。誰が賢で誰が不肖かを預め知ること能わざればなり」とあります。《尚書》に「帝ですら難しと思う」とあります。子を立てるに貴によって長によらざるは、愛憎を防ぐためです。《春秋伝》に「嫡を立てるに年長によって賢によらず、子を立てるに貴によって長によらず」とあります。

始封諸侯無子死,不得與兄弟何?古者象賢也,弟非賢者子孫。《春秋傳》曰:“善善及子孫。”不言及昆弟,昆弟尊同,無相承養之義,以閔公不繼莊公也,昆弟不相繼。至繼體諸侯無子,得及親屬者,以其俱賢者子孫也。重其先祖之功,故得及之。

始封の諸侯が子なくして死せば、兄弟に伝え得ません。なぜでしょうか。古は賢に象を取り、弟はその賢人の子孫ではないからです。《春秋伝》に「善善は子孫に推及す」とあり、兄弟に推及すとは言いません。兄弟は尊さ同等で、互いに承養する理がなく、閔公が荘公を継がなかったをもって見れば、兄弟は相承継しません。継体の諸侯に至って子がなければ、親属に推及できます。彼らはみな賢人の子孫だからです。先祖の功を重んじるので、推及できます。

《禮服傳》曰:“大宗不可絕。同宗則可以為後、為人作子何?明小宗可以絕,大宗不可絕。故舍己之父,往為後於大宗,所以尊祖,重不絕大宗也。”《春秋傳》曰:“為人後者,為人子者。”

《礼服伝》に「大宗は断絶すべからず。同宗の人ならば後嗣となり人の子となるべし、何ぞや。小宗は断絶すべく、大宗は断絶すべからざるを表明す。故に自らの父を放下し、大宗に至りて後嗣となるは、祖を尊ぶため、大宗を断絶せしめざるを重んずるなり」とあります。《春秋伝》に「人の後嗣となるは、すなわち人の子となるなり」とあります。

繼世諸侯無子又無弟,但有諸父庶兄當誰庶與兄推親之序也。王者受命而作,興滅國、繼絕世何?為先王無道,妄煞無辜,及嗣子幼弱,為強臣所奪,子孫皆無罪囚而絕,重其先人之功,故復立之。《論語》曰:“興滅國,繼絕世。”誅君之子不立者,義無所繼也。諸侯世位,象賢也,今親被誅絕也。《春秋傳》曰:“誅君之子立。”君見弒其子得立何?所以尊君、防篡弒。《春秋繼經》曰:“齊無知殺其君,貴妾子公子糾當立也。”

継体の諸侯に子なくまた弟なく、ただ諸父・庶兄あるのみならば、誰を立つべきか、親疏の次序によって推します。王者が命を受けて興るに、滅国を興し絶世を継ぐはなぜでしょうか。先王が道なく、無辜を妄殺し、および嗣子が幼弱で強臣に奪われ、子孫はみな罪なきに因って断絶したので、先人の功を重んじ、故に再び立てます。《論語》に「滅国を興し、絶世を継ぐ」とあります。誅せられた君の子は立てません。義上継承すべきものがないからです。諸侯が禄位を世襲するは賢に象を取るのに、今や親人はすでに誅絶されました。《春秋伝》に「誅せられた君の子、立つ」とあります。国君が弑されてその子が立てるのはなぜでしょうか。君を尊び篡弑を防ぐためです。《春秋継経》に「斉の无知、其の君を殺す。貴妾の子公子糾、立つべし」とあります。

大夫功成,未封,子得封者,善善及子孫也。《春秋傳》曰:“賢者子孫宜有土地也。”

大夫が功業を成してまだ封を受けず、子が封を受け得るのは、善善が子孫に推及するからです。《春秋伝》に「賢人の子孫は土地あるべし」とあります。

周公不之魯何?為周公繼武王之業也。《春秋傳》曰:“周公曷為不之魯?欲天下一於周也。”《詩》云:“王(指周成王)曰叔父(指周公),建爾元子,俾侯於魯。”周公身薨,天為之變,成王以天子禮葬之,命魯郊,以明至孝,天所興也。

周公が魯に至らなかったのはなぜでしょうか。周公は武王の事業を継承したからです。《春秋伝》に「周公はなぜ魯に至らざるか。天下を周に統一せんと欲すればなり」とあります。《詩経》に「王(周成王を指す)曰く、叔父(周公を指す)よ、汝の長子を立て、彼に魯にて侯たらしめよ」とあります。周公が去世すれば、天がこのために変異を示し、成王は天子の礼をもって彼を葬り、魯に郊祭を許して、至孝を表明するに用いました。天の興す所です。

○京師

○京師

王者必即土中者何?所以均教道,平往來,使善易以聞,為惡易以聞,明當懼慎,損於善惡。《尚書》曰:“王來紹上帝,自服於土中。”聖人承天而製作。尚書曰:“公不敢不敬天之休來相宅。”

王者が必ず土地の中央に就くのはなぜでしょうか。教化を均平にし、往来の遠近を同じくし、善を為すは聞こえ易く、悪を為すも聞こえ易くし、戒め懼れ慎むべきことを表明し、善悪において損益あるためです。《尚書》に「王、來りて上帝を紹継し、自ら土中にて服事す」とあります。聖人は天を承けて制作します。《尚書》に「公、敢えて天の休美を敬せざらず、前に來りて宅地を相看す」とあります。

周家始封於何?后稷封於邰,公劉去邰之。《詩》云:“即有臺家室。”又曰:“篤公劉於斯觀。”周家五遷,其意一也,皆欲成其道也。時寧先皇者,不以諸侯移,必先請從然後行。

周家は最初どこに封じられたのでしょうか。后稷は邰に封じられ、公劉は邰を離れて「(底本の此字は生僻字)」に至りました。《詩経》に「すなわち邰に家室あり」と言い、また「篤厚の公劉、「(底本の此字は生僻字)」ここにて観望す」とあります。周家は五度遷徙し、その意は同じく、みな彼らの道を成就せんとするためです。当時安寧・先代帝王の者は、諸侯のために自ら遷移せず、必ず先に請い許されて後に去りました。

京師者,何謂也?千里之邑號也。京,大也;師,眾也。天子所居,故以大眾言之,明諸侯,法日月之徑千里。《春秋傳》曰:“京曰天子之居也。”《王制》曰:“天子之田方千里”。

京師とは、どういう意味でしょうか。千里の邑の名号です。京は大であり、師は衆です。天子の居する所なので、大衆をもって言い、諸侯が法る日月の径長千里を表明します。《春秋伝》に「京は、天子の居処を言う」とあります。《王制》に「天子の田は方千里」とあります。

或曰:夏曰夏邑,殷曰商邑,周曰京師。《尚書》曰:“率割夏邑。”謂桀也。“在商邑。”謂殷也。

ある人曰く、夏は夏邑と呼ばれ、殷は商邑と呼ばれ、周は京師と呼ばれる。《尚書》に「夏邑を率割す」とあるのは桀を言います。「商邑に在り」とあるのは殷を言います。

《王制》曰:“天子三公之田視公侯,卿視伯,大夫視子、男士視附庸。”上農夫食九人,其次食八人,其次食七人,其次食六人;下農夫食五人,庶人在官者,以是為差也。諸侯之下士,視上農夫,祿足以代其耕也;中士倍下士,上士倍中士,下大夫倍上士,卿四大夫祿,君十卿祿;次國之卿三大夫祿,君十卿祿;小國之卿倍上大夫祿,君十卿祿。天子之縣,內有百里之國九,七十里之國二十一,五十里之國六十三,凡九十三國。名山大澤不以封,其餘以祿士,以為閒田。

《王制》に「天子の三公の田は公侯に比し、卿は伯に比し、大夫は子に比し、士は附庸に比す」とあります。上等の農夫は九人を養い、その次は八人、その次は七人、その次は六人、下等の農夫は五人を養います。庶人で官府に当差する者は、この差別によります。諸侯の下士は上等の農夫に比し、俸禄は彼の耕種に代わるに足り、中士は下士に倍し、上士は中士に倍し、下大夫は上士に倍し、卿は大夫の禄の四倍、国君は卿の禄の十倍。次国の卿は大夫の禄の三倍、国君は卿の禄の十倍。小国の卿は上大夫の禄の二倍、国君は卿の禄の十倍。天子の畿内は、百里の国九つ、七十里の国二十一、五十里の国六十三、あわせて九十三国です。名山大沢は分封に取らず、その余をもって士人の禄となし、閑田とします。

諸侯入為公卿大夫,得食兩家菜不?日有能然後居其位,德加於人然後食其祿,所以尊賢重有德也。今以盛德人輔佐,兩食之何?故《王制》曰:“天子縣內,諸侯祿也;外諸侯,嗣也。”

諸侯が朝に入りて公卿大夫となれば、二份の采地を食むことができるでしょうか。曰く、才能ありてしかる後にその位に居り、徳が人に加わりてしかる後にその禄を食むは、賢を尊び徳ある人を重んずるためです。今や盛徳をもって朝に入りて輔佐するに、二份とも食むはなぜでしょうか。だから《王制》に「天子の畿内は、諸侯の禄。畿外の諸侯は、世嗣なり」とあります。

天子太子食菜者,儲君嗣主也,當有土以尊之也。太子食百里,與諸侯封同,故《禮》曰:“公士大夫子子也。”無爵而在大夫上,故知百里也。

天子の太子が采地を食むのは、彼が儲君・嗣主で、土地を有して彼を尊ぶべきだからです。太子は百里を食み、諸侯の封と同じです。だから《礼》に「公・士大夫の子もまた子なり」とあります。爵なくして大夫の上にあるので、百里と知れます。

公卿大夫皆食菜者,示與民同有無也。

公卿大夫がみな采地を食むのは、民と有無を同じくすることを表します。

五行者,何謂也?謂金、木、水、火、土也。言行者,欲言為天行氣之義也。地之承天,猶妻之事夫,臣之事君也,謂其位卑。卑者親視事,故自周於一行,尊於天也。《尚書》:“一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。”水位在北方,北方者,陰氣在黃泉之下,任養萬物;水之為言淮也,陰化沾濡任生木。木在東方。東方者,陰陽氣始動,萬物始生。木之為言觸也,陽氣動躍,火在南方,南方者,陽在上,萬物垂枝。火之為言委隨也,言萬物佈施;火之為言化也,陽氣用事,萬物變化也。金在西方,西方者,陰始起,萬物禁止。金之為言禁也。土在中央者,主吐含萬物。土之為言吐也。何知東方生?《樂記》曰:“春生,夏長,秋收,冬藏。”土所以不名時,地,土別名也,比於五行最尊,故不自居部職也。《元命苞》曰:“土之為位而道在,故大不預化,人主不任部職。”

五行とは、何でしょうか。金・木・水・火・土を言います。「行」と言うのは、天に代わって気を運行する意を言おうとするのです。地は天を承け、たとえば妻が夫に事え、臣が君に事えるがごとく、その位の卑しきを言います。位卑しきは自ら事を行うので、自ら一行に周全し、天より親しみます(しかし尊はなお天に在り)。《尚書》に「一は水、二は火、三は木、四は金、五は土」とあります。水の位は北方に在り。北方は、陰気が黄泉の下に在りて、万物を養育を担任します。水の意は准で、陰気が変化し沾潤して、木を生ずるを担任します。木は東方に在り。東方は、陰陽の気が初めて発動し、万物が初めて生長します。木の意は触で、陽気が発動躍起します。火は南方に在り。南方は、陽が上に在り、万物の枝が垂れ下がります。火の意は委随で、万物の布施を言います。火はまた化を言い、陽気が当令し、万物が変化します。金は西方に在り。西方は、陰が初めて興起し、万物が禁止されます。金の意は禁です。土は中央に在り、万物を吐出し含蔵するを主管します。土の意は吐です。東方が生を主ると何によって知るのでしょうか。《楽記》に「春は生じ、夏は長じ、秋は収め、冬は蔵す」とあります。土が時令を称するに取られない所以は、地はすなわち土の別名で、五行に比べて最も尊いので、自ら一部の職事を占めません。《元命苞》に「土、この位に処りて道在り。故に大なる者は具体の変化に参預せず、人主は一部の職事を担任せず」とあります。

五行之性或上或下何?火者,陽也,尊,故上;水者,陰也,卑,故下;水者,少陽;金者,少陰,有中和之性,故可曲可直,從革;土者最大,苞含物,將生者出者,將歸者,不嫌清濁為萬物。《尚書》曰:“水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰從革,土爰稼穡。”五行所以二陽三陰何?土尊,尊者配天,金木水火,陰陽自偶。

五行の性に上向するものと下向するものがあるのはなぜでしょうか。火は陽で尊いので上向し、水は陰で卑しいので下向し、木は少陽、金は少陰で中和の性あるので、曲ぐべくも直きべくもし、また変革に順従できます。土は最大で、万物を包含し、将に生ぜんとするもの・已に出たもの・将に帰らんとするもの、清濁を嫌わず、万物となります。《尚書》に「水は潤下といい、火は炎上といい、木は曲直といい、金は従革といい、土は則ち稼穡」とあります。五行が二陽三陰なのはなぜでしょうか。土は尊く、尊きは天に配し、金・木・水・火は、陰陽各自対を成します。

水味所以鹹何?是其性也。所以北方鹹者,萬物鹹與,所以堅之也,猶五味得鹹乃堅也。木味所以酸何?東方,萬物之生也,酸者以達生也,猶五味得酸乃達也。火味所以苦何?南方主長養,苦者所以長養也,猶五味須苦可以養也。金味所以辛何?西方煞傷成物,辛所以煞傷之也,猶五味得辛乃委煞也。土味所以甘何?中央者,中和也,故甘,猶五味以甘為主也。《尚書》曰:“潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,從革作辛,稼穡作甘。”北方其臭朽者何?,北方水,萬物所幽藏也,又水者受垢濁,故臭腐朽也。東方者木也,萬物新出地中,故其臭羶。南方者水也,盛陽承動,故其臭焦。西方者金也,萬物成熟,始復諾,故其臭腥。中央土也,主養,故其臭香也。《月令》曰:“東方其臭羶,南方其臭焦,中央其臭香,西方其臭腥,北方其臭朽。”所以名之為東方者,動方也,萬物始動生也。南方者,任養之方,萬物懷任也。西方者,遷方也,萬物遷落也。北方者,伏方也,萬物伏藏也。

水の味が鹹い所以はなぜでしょうか。これはその性です。北方が鹹い所以は、万物がみなこれと相鹹して、これを堅固にするためで、たとえば五味が鹹を得て初めて堅くなるがごとし。木の味が酸い所以はなぜでしょうか。東方は万物生長の処で、酸はもって生長を通達する、たとえば五味が酸を得て初めて通達するがごとし。火の味が苦い所以はなぜでしょうか。南方は長養を主管し、苦はもって長養する、たとえば五味は苦を須ちて初めて養うべきがごとし。金の味が辛い所以はなぜでしょうか。西方は殺傷し万物を成就し、辛はもってこれを殺傷する、たとえば五味が辛を得て初めて委頓殺傷するがごとし。土の味が甘い所以はなぜでしょうか。中央は中和なので甘く、たとえば五味が甘を主とするがごとし。《尚書》に「潤下は作りて鹹となし、炎上は作りて苦となし、曲直は作りて酸となし、従革は作りて辛となし、稼穡は作りて甘となる」とあります。北方の気味は朽。なぜでしょうか。北方は水で、万物の幽蔵する所、水はまた垢濁を承受するので、気味は腐朽します。東方は木で、万物が初めて地中より出るので、気味は膻です。南方は火で、盛陽が動を承接するので、気味は焦です。西方は金で、万物が成熟し初めて回復するので、気味は腥です。中央は土で、養を主管するので、気味は香です。《月令》に「東方、その臭は膻。南方、その臭は焦。中央、その臭は香。西方、その臭は腥。北方、その臭は朽」とあります。東方と呼ぶ所以は、動の方位で、万物が初めて発動生長します。南方は、養育を担任する方位で、万物が懐妊します。西方は、遷の方位で、万物が遷落します。北方は、伏の方位で、万物が伏蔵します。

少陽見寅,寅者,演也,律中大蔟,律之言率,所以率氣令生也;卯者,茂也,律中夾鍾;衰於辰,辰震也,律中姑洗。其日甲乙者,萬物孚甲也;乙者,物蕃屈有節慾出。時為春,春之為言蠢蠢動也。位在東方。其色青。其音角,角者,氣動耀也。其帝太,者,大起萬物擾也。其神勾芒者,物之始生,其精青龍,芒之為言萌也。

少陽は寅に出ます。寅は演の意。律は大蔟に中たり。律の意は率で、気を率領してそれを生長せしめます。卯は茂の意、律は夾鐘に中たり。衰は辰に在り。辰は震、律は姑洗に中たり。その日は甲乙。甲は万物の孚甲、乙は物が蕃盛し屈曲して節ありて出づる。時令は春。春の意は蠢蠢として発動。位は東方に在り。色は青。その音は角。角は気の発動顕耀。その帝は太「(底本の此字は生僻字)」、「(底本の此字は生僻字)」は大きく起り万物が擾動。その神は勾芒、物の生長を始むる。その精は青龍。芒の意は萌。

陰中陽故,太陽見於巳,巳者物必起,律中仲呂;壯盛於午,午物滿長,律中蕤賓;衰於未,未味也,律中林鐘。其日丙丁者,其物炳明丁者,強也。時為夏,夏之言大也。位在南方。其色赤。其音徵,徵,止也,陽度極也。其帝炎帝者,太陽也。其神祝融,祝融者,屬續。其精為鳥,離為鸞。

陰中に陽ある故に、太陽は巳に出ます。巳は物の必ず興起する、律は仲呂に中たり。壮盛は午に在り。午は物の満長、律は蕤賓に中たり。衰は未に在り。未は味、律は林鐘に中たり。その日は丙丁。丙は物の炳明、丁は強。時令は夏。夏の意は大。位は南方に在り。色は赤。その音は徵。徵は止、陽の度数が極に至る。その帝は炎帝、すなわち太陽。その神は祝融。祝融は属続。その精は鳥、離は鸞。

故少陰見於申,申者,身也,律中夷則;壯於酉,酉者,老物收斂,律中南呂;衰於戌,戌者,滅也,律中無射,無射者,無聲也。其日庚辛,庚者,物更也;辛者,陰始成。時為秋,秋之為言愁亡也。其位西方。其色白。其音商,商者,強也。其神少,少者,少斂也。其神蓐收,蓐收者,縮也。其精白虎,虎之為言搏討也。

故に少陰は申に出ます。申は身の意、律は夷則に中たり。壮は酉に在り。酉は老物の収斂、律は南呂に中たり。衰は戌に在り。戌は滅、律は無射に中たり。無射は無声。その日は庚辛。庚は物の更改、辛は陰の初めて成就する。時令は秋。秋の意は愁亡。位は西方に在り。色は白。その音は商。商は強。その帝は少「(底本の此字は生僻字)」。少「(底本の此字は生僻字)」は少斂。その神は蓐収。蓐収は縮。その精は白虎。虎の意は搏討。

故太陰見於亥,亥者,仰也,律中應鐘;壯於子,於子者,孳也,律中黃鐘;衰於醜,醜者,紐也,律中大呂。其日壬癸,壬者,陰始任;癸者,揆揆度。可揆度也。時為冬,冬之為言終也。其位在北方。其音羽,羽之為言舒,言萬物始孳。其帝顓頊,顓頊者,寒縮也。其神玄冥,玄冥者,入冥也。其精玄武,掩起離體泉,龜蛟珠蛤。

故に太陰は亥に出ます。亥は仰の意、律は應鐘に中たり。壮は子に在り。子は孳、律は黄鐘に中たり。衰は丑に在り。丑は紐、律は大呂に中たり。その日は壬癸。壬は陰の初めて担任する、癸は揆度、揆度すべきこと。時令は冬。冬の意は終。位は北方に在り。その音は羽。羽の意は舒、万物が初めて孳生することを言う。その帝は顓頊。顓頊は寒縮。その神は玄冥。玄冥は冥に入る。その精は玄武、掩起・離体・泉、亀・蛟・珠・蛤。

土為中宮。其日戊己,戊者,茂也;己抑屈起。其音宮,宮者,中也。其帝黃帝。其神后土。

土は中宮。その日は戊己。戊は茂、己は抑屈して起つ。その音は宮。宮は中。その帝は黄帝。その神は后土。

《月令》云:十一月律謂之黃鐘何?中和之色;鍾者,動也。言陽氣動於黃泉之下,動養萬物也。

《月令》に、十一月の律を黄鐘と呼ぶはなぜか。黄は中和の色、鐘は動。陽気が黄泉の下に発動して、発動して万物を養育することを言う。

十二月律之謂之大呂何?大,大也;呂者,拒也。言陽氣欲出,陰不許也。呂之為言拒者,旅抑拒難之也。

十二月の律を大呂と呼ぶはなぜか。大は大、呂は拒。陽気が出でんと欲するに、陰が許さざるを言う。呂が拒なりし所以は、旅居・抑制・拒みて之を難ずるなり。

正月律謂之太蔟何?太,亦大也;蔟者,湊也。言萬物始大,湊地而出也。

正月の律を太蔟と呼ぶはなぜか。太もまた大、蔟は湊。万物が初めて大なり、地に湊いて長じ出づるを言う。

二月律謂之夾鍾何?夾者,孚甲也,言萬物孚甲,種類分也。

二月の律を夾鐘と呼ぶはなぜか。夾は孚甲、万物が孚甲して種類分かるるを言う。

三月謂之姑洗何?姑者,故也;洗者,鮮也。言萬物皆去故就其新,莫不鮮明也。

三月を姑洗と呼ぶはなぜか。姑は故、洗は鮮。万物がみな旧を去り新に就き、鮮明ならざるなしを言う。

四月謂之仲呂何?言陽氣極將,彼故復中難之也。

四月を仲呂と呼ぶはなぜか。陽気が極に至りて将に過ぎ去らんとするを言う。故に再び中より之を阻難す。

五月謂之蕤賓,蕤者,下也;賓者,敬也。言陽氣上極,陰氣始,賓敬之也。

五月を蕤賓と呼ぶ。蕤は下、賓は敬。陽気が上向して極に至り、陰気が始まり、賓礼をもってこれを敬すを言う。

六月謂之林鐘何?林者,眾也,萬物成熟,種類眾多。

六月を林鐘と呼ぶはなぜか。林は衆、万物が成熟して種類众多なるを言う。

七月謂之夷則何?夷,傷也;則,法也。言萬物始傷,被刑法也。

七月を夷則と呼ぶはなぜか。夷は傷、則は法。万物が初めて傷害を受け、刑法に遭うを言う。

八月謂之南呂何?南者,任也,言陽氣尚有,任生薺麥也,故陰拒之也。

八月を南呂と呼ぶはなぜか。南は任、陽気なお有りて、薺麦を生長するを担任し、故に陰が來りて之を拒ぐを言う。

九月謂之無射何?射者,終也。言萬物隨陽而終,當復隨陰而起,無有終已也。

九月を無射と呼ぶはなぜか。射は終。万物が陽に隨いて終結し、また陰に隨いて興起すべく、終止なきを言う。

十月謂之應鐘何?應者,應也;鍾者,動也。言萬物應陽而動下藏也。

十月を應鐘と呼ぶはなぜか。應は應、鐘は動。万物が陽に應じて動き、下に潜蔵するを言う。

五行所以更王何?以其轉相生,故有終始也。木生火,火生土,土生金,金生水,水生木。是以木王,火相,土死,金囚,水休,王所勝老死、囚,故王者休。見王火相何?以知為臣,土所以死者,子為父報仇者也。五行之子慎之物歸母,木王火相,金成,其火ㄡ金。金生水,水滅火,報其理;火生土,土則害水,莫能而御。

五行が更迭に王と称する所以はなぜでしょうか。それらが輾転相生するので、終始あります。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず。これによって木は王、火は相、土は死、金は囚、水は休。王者の勝つ所は衰老し囚われるので、王者は休です。王を見て火相なのはなぜでしょうか。臣たるを知るに用います。土が死する所以は、子が父のために仇を報ずるからです。五行の子は慎重で、物は母に帰向します。木王・火相のとき、金は成し、あの火は金を克す。金は水を生じ、水は火を滅して、この理に報います。火は土を生じ、土はすなわち水を害し、抵禦し得るなし。

五行所以相害者,天地之性,眾勝寡,故水勝火也;精勝堅,故火勝金;剛勝柔,故金勝木;專勝散,故木勝土;實勝虛,故土勝水也。火陽,君之象也;水陰,臣之義也。臣所以勝其君何?此謂無道之君也,故為眾陰所害,猶紂王也。是使水得施行,金以蓋之,土以應之,欲溫則溫,欲寒,亦何從得害火乎?曰:五行各自有陰陽,木生火所以還燒其母何?曰金勝木,火欲為木害金。金者,堅強難消,故母以遜體助火燒金,此自欲成子之義。又陽道不相離,故為兩盛火死子乃繼之。

五行が相害する所以は、天地の性です。衆は寡に勝つ、故に水は火に勝つ。精は堅に勝つ、故に火は金に勝つ。剛は柔に勝つ、故に金は木に勝つ。専は散に勝つ、故に木は土に勝つ。実は虚に勝つ、故に土は水に勝つ。火は陽で君の象、水は陰で臣の義。臣がその君に勝ち得る所以はなぜでしょうか。これは道なき君を言うので、衆陰の害する所となる、たとえば紂王のごとし。このようにして水が施行を得、金が來りてこれを蓋い、土が來りてこれに應じ、温まらんと欲すれば温まり、寒くならんとすれば、またどこより火を害し得ようか。曰く、五行は各自陰陽あり。木は火を生ずるに、反ってその母を焼くはなぜか。曰く、金は木に勝つ、火は木のために金を害せんと欲す。金は堅強にして消え難いので、母は遜譲の体をもって火の金を焼くを助く。これは自ら子を成就せんとする義なり。また陽道は相離れず、故に両盛んにして、火が死してしかる後に子が接続する。

木王所以七十二日何?土王四季,各十八日,合九十日為一時,王九十日。土所以王四季何?木非土不生,火非土不榮,金非土不成,水無土不高。土扶微助衰,歷成其道,故五行更王,亦須土也。王四季,居中央不名時。五行何以知同時起?醜訖義相生。《傳》曰:“五行並起赴,各以名別。”陽氣陰煞,火中無生物,水中反有生物何?生者以內火,陰在內,故不生也。水、火獨一種,金、木多品何?以為南北陰陽之極也,得其極故一也;東西非其極也,故非一也。

木が王と称する所以が七十二日なのはなぜでしょうか。土は四季各々十八日に王と称し、九十日を合して一時とし、九十日に王と称します。土が四季に王と称する所以はなぜでしょうか。木は土なくして生ぜず、火は土なくして栄えず、金は土なくして成らず、水は土なくして高からず。土は微弱を扶持し衰敗を助け、历练してそれらの道を成就するので、五行が更迭に王と称するも、また土を須ちます。四季に王と称し、中央に居り、もって時令を称することを取りません。五行が同時に興起すると何によって知るのでしょうか。丑より完び、義によって相生します。《伝》に「五行は一斉に興起奔赴し、各々名称をもって分別す」とあります。陽気・陰殺、火の中に生物なく、水の中に反って生物あるはなぜか。生じ得るは内裏に火あるが故。陰が内に在れば、故に生ぜず。水・火は各々一種のみ、金・木は品類多きはなぜか。南北は陰陽の極なれば、極を得れば故に一。東西は極に非ざれば、故に一に非ず。

水、木可食,金、火、土不可食何?木者陽,陽者施生,故可食;火者,陰在內,金者陰嗇吝,故不可食。

水・木は食べることができ、金・火・土は食べることができません。なぜでしょうか。木は陽で、陽は施生するので食べることができます。火は陰が内にあり、金は陰で吝嗇なので、食べることができません。

火、水所以殺人何?水盛氣也,故入而殺人;火陰在內,故殺人壯於水也;金木微氣,故不能自殺人也。火不可入其中者,陰在內也,入則殺人矣。水、土陽在內,故可入其中。金、木微氣也,精密不可得入也。

火・水が人を殺し得る所以はなぜでしょうか。水は盛気なので、入れば人を殺します。火は陰が内にあるので、人を殺すこと水よりも甚だしいです。金・木は微気なので、自ら人を殺すことができません。火はその中に入ることができません。陰が内にあるので、入れば人を殺します。水・土は陽が内にあるので、その中に入ることができます。金・木は微気で精密なので、入ることができません。

水、火不可加人功為用,金、木加人功何?火者盛陽,水者盛陰者也。氣盛不變,故不可加人功為人用。金木者不能自成,故須人加功,以為人用也。

水・火は人の功を加えて人の用とすることができず、金・木は人の功を加えることができるのはなぜでしょうか。火は盛陽、水は盛陰です。気盛んなれば変わらないので、人の功を加えて人の用とすることができません。金・木は自ら成就することができないので、人の加工を須ちて人の用とします。

五行之性,火熱水寒,有溫水,無寒火何?明臣可為君,君不可更為臣。五行常在,火乍亡何?水太陰也,刑者故常在。金少陰,木少陽,微氣無變,故亦常在火。太陽精微,人君之象。象尊常藏,猶天子居九重之內,臣下衛之也。藏於木者,依於仁也,木自主金,須人取之乃成,陰卑不能自成也。木所以浮,金所以沉何?子生於母之義。肝所以沉,肺所以浮何?有知者尊其母也。一說木畏金,金之妻庚,受庚之化,木者法其本,柔可曲直,故浮也,肝法其化,直,故沉。五行皆同義。

五行の性は、火は熱く水は寒く、温水はあって寒火はないのはなぜでしょうか。臣は君となるべく、君は再び臣となるべからざるを表明します。五行は常に在るのに、火が忽然として亡失するのはなぜでしょうか。水は太陰で刑なので、常に在ります。金は少陰、木は少陽で、微気は変わることがないので、また常に在ります。火は太陽で精微であり、人君の象です。象は尊くて常に蔵される、たとえば天子が九重の内に居りて、臣下が來りて護衛するがごとし。木に蔵するは、仁に依るなり。木は自ら金を主管し、人の取るを須ちて初めて成る。陰卑しきは自ら成就すること能わず。木が浮く所以・金が沈む所以はなぜか。子が母より生ずるの義なり。肝が沈む所以・肺が浮く所以はなぜか。知ある人はその母を尊ぶなり。一説に、木は金を怕る。金の妻は庚、庚の化を受く。木はその本に法り、柔は曲直すべきなので浮く。肝はその化に法り、直なので沈む。五行はみなこの義なり。

天子所以內明而外昧,人所以外明而內昧何?明天人慾相向而治也。行有五、時有四何?四時為時、五行為節,故木王即謂之春,金王即謂之秋,土尊不任職,君不居部,故時有四也。子不肯禪何法?法四時火不興土而興金也。父死子繼何法?法木終火王也。兄死弟及何法?夏之承春也。善善及子孫何法?法春生待夏復長也。惡惡止其身何法?法秋煞不待冬也。主幼臣攝政何法?法土用事於季孟之間也。子之復讎,何法?法土勝水、水勝火也。子順父、臣順君、妻順夫何法?法地順天也。

天子が内明にして外昧なる所以、人が外明にして内昧なる所以はなぜでしょうか。天人が相対して治理することを表明します。行に五あり時に四あるはなぜでしょうか。四時をもって時と為し、五行をもって節と為すので、木が王なれば春と呼び、金が王なれば秋と呼びます。土は尊くて職に任ぜず、君は部に居らず、故に時は四です。子が禅譲を肯んぜざるは何に法るか。四時に火は土を興さずして金を興すに法ります。父死んで子継ぐは何に法るか。木終わりて火が王と称するに法ります。兄死んで弟およびは何に法るか。夏が春を承接するに法ります。善善が子孫に及ぶは何に法るか。春生じて夏を待ちて再び長ずるに法ります。悪悪はその身に止まるは何に法るか。秋の殺が冬を待たざるに法ります。主幼く臣が政を攝るは何に法るか。土が季・孟の間に事を用いるに法ります。子が仇を報ずるは何に法るか。土が水に勝ち水が火に勝つに法ります。子は父に順い臣は君に順い妻は夫に順うは何に法るか。地が天に順うに法ります。

男不離父母何法?法火不離木也。女離父母何法?法水流去金也。娶妻親迎何法?法日入,陽下陰也。君讓臣何法?法月三十日,名其功也。善稱君、過稱己何法?法陰陽共敘共生,陽名生,陰名煞。臣有功歸於君何法?法歸明於日也。臣法君何法?法金正木也。子諫父何法?法火揉直木也。臣諫君不從則去何法?法水潤下、達於上也。君子遠子近孫何法?法木遠火近土也。親屬臣諫不相去何法?法水木枝葉不相離也。父為子隱何法?法木之藏火也。子為父隱何法?法水逃金也。君有眾民何法?法天有眾星也。王者賜先親近、後疏遠何法?法天雨,高者先得之也。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

男が父母を離れざるは何に法るか。火が木を離れざるに法ります。女が父母を離るるは何に法るか。水が流れて金を離るるに法ります。妻を娶るに親迎するは何に法るか。日の入るに法り、陽が陰に下る。君が臣に譲るは何に法るか。月の三十日に法り、その功を名称す。善は君に称し過は己に称するは何に法るか。陰陽が共に叙び共に生じ、陽は生と名づけ陰は殺と名づくるに法ります。臣が功あるは君に帰するは何に法るか。明を日に帰するに法ります。臣が君を效法するは何に法るか。金が木を矯正するに法ります。子が父に諫めるは何に法るか。火が木を揉み直すに法ります。臣が君に諫めて従わざれば去るは何に法るか。水が潤下して上に通達するに法ります。君子が子を疏遠し孫を親近するは何に法るか。木が火を遠ざけ土に近づくに法ります。親属・臣諫が相離れざるは何に法るか。水・木の枝葉が相離れざるに法ります。父が子のために隠蔽するは何に法るか。木が火を蔵るに法ります。子が父のために隠蔽するは何に法るか。水が金を逃避するに法ります。君に众多の民あるは何に法るか。天に众多の星あるに法ります。王者の賞賜は先ず親しきを後に疏きは何に法るか。天が雨を降らし、高きは先に得るに法ります。「(底本の此字は残欠)」

長幼何法?法四時有孟、仲、季也。朋友何法?法水合流相承也。父母生子養長子何法?法水生木長大也。子養父母何法?法夏養長木,此火養母也。不以父命廢主命何法?法金不畏土而畏火。陽舒陰急何法?法日行遲月行疾也。有分土無分民何法?法四時各有分而所生者通也。若言東,東方天下皆生也。君一娶九女何法?法九州象天之施也。不娶同姓何法?法五行異類乃相生也。子喪父母何法?法木不見水則憔悴也。喪三年何法?法三年一閏,天道終也。父喪子、夫喪妻何法?法一歲物有終始,天氣亦為之變也。年六十閉房何法?法六月陽氣衰也。人有五藏六府何法?法五行六合也。人目何法?法日月明也。日照晝,月照夜,人目所不更照何法?目亦更用事也。王者監二王之後何法?法木須金以正,須水以潤也。明王先賞後罰何法?法四時先生後煞也。

長幼は何に法るか。四時に孟・仲・季あるに法ります。朋友は何に法るか。水が合流して相承接するに法ります。父母が子を生み長子を養うは何に法るか。水が木を生じて之を長大せしむるに法ります。子が父母を養うは何に法るか。夏が木を養い長ずるに法り、これは火が母を養うなり。父命をもって主命を廃せざるは何に法るか。金が土を怕れずして火を怕るに法ります。陽は舒にして陰は急なるは何に法るか。日は行くこと遅く月は行くこと疾きに法ります。分土ありて分民なきは何に法るか。四時に各々分ありて生ずる所は相通ずるに法ります。若し東と言わば、東方は天下皆生長す。君が一娶に九女を娶るは何に法るか。九州に法り、天の施与に象る。同姓を娶らざるは何に法るか。五行は異類なればこそ相生するに法ります。子が父母を喪うは何に法るか。木が水に見えざれば顦顇するに法ります。喪三年なるは何に法るか。三年一閏、天道終結するに法ります。父が子を喪い夫が妻を喪うは何に法るか。一年に物に終始あり、天気もまたこのために変化するに法ります。年六十にして房を閉ずるは何に法るか。六月に陽気衰るるに法ります。人に五蔵六府あるは何に法るか。五行・六合に法ります。人の目は何に法るか。日月の光明に法ります。日は昼を照らし月は夜を照らすに、人の目の再び照らさざる所は何に法るか。目もまた更迭に事を用う。王者が二王の後を監察するは何に法るか。木が金を須ちて矯正し水を須ちて潤すに法ります。明王が先ず賞し後に罰するは何に法るか。四時が先ず生じ後に殺すに法ります。

●卷四

●巻四

○三軍

○三軍

國有三軍何?所以戒非常,伐無道,尊宗廟,重社稷,安不忘危也。何以言有三軍也?《論語》曰:“子行三軍,則誰與?”《詩》云:“周王於邁,六師及之。”三軍者何法?法天、地、人也。以為五人為伍,五伍為兩,四兩為卒,五卒為旅,五旅為師,師二千五百人,師為一軍,六師一萬五千人也。《傳》曰:“一人必死,十人不能當;百人必死,千人不能當;千人必死,萬人不能當;萬人必死,橫行天下。”雖有萬人,猶謙讓自以為不足,故復加五千人,因法月數。月者,群陰之長也。十二月足以窮盡陰陽備物成功。二千人亦足以征伐不義,致太平也。《穀梁傳》曰:“天子有六軍,諸侯上國三軍,次國二軍,下國一軍。”諸侯所以一軍者何?諸侯,蕃屏之臣也,任兵革之重,距一方之難,故得有一軍也。

国に三軍あるはなぜでしょうか。非常の事に戒備し、道なきを討伐し、宗廟を尊び、社稷を重んじ、安きに在りて危を忘れざるためです。三軍あると何によって言うのでしょうか。《論語》に「子、三軍を行かば、則ち誰とともにせん」とあります。《詩経》に「周王が出行すれば、六師これに従う」とあります。三軍は何に法るか。天・地・人に法ります。五人をもって伍と為し、五伍をもって両と為し、四両をもって卒と為し、五卒をもって旅と為し、五旅をもって師と為し、一師は二千五百人、師をもって一軍と為し、六師は一万五千人です。《伝》に「一人必ず死せんとすれば、十人当たること能わず。百人必ず死せんとすれば、千人当たること能わず。千人必ず死せんとすれば、万人当たること能わず。万人必ず死せんとすれば、天下を横行すべし」とあります。万人あるといえども、なお譲譲として自ら足らずと為すので、再び五千人を加え、因而として月の数に法ります。月は群陰の長です。十二月は陰陽を窮尽し物を備え功を成すに足ります。一万五千人もまた義ならざるを征伐し太平を達致するに足ります。《穀梁伝》に「天子に六軍あり、諸侯の上国は三軍、次国は二軍、下国は一軍」とあります。諸侯に一軍ある所以はなぜでしょうか。諸侯は藩屏の臣で、兵革の重任を担当し、一方の禍難を抗拒するので、一軍を有すること能くします。

王者征伐,所以必皮弁素幘何?伐者凶事,素服,示有悽愴也。伐者質,故衣古服。《禮》曰:“三王共皮弁素幘,服亦皮素幘,又招虞人,亦皮弁。”知伐亦皮。

王者が征伐するに必ず皮弁・素帻とする所以はなぜでしょうか。伐は凶事で、素服は凄愴あることを表します。伐は質朴なので古服を著ます。《礼》に「三王はみな皮弁・素帻を用う」とあります。服もまた皮弁・素帻で、また虞人を招くもまた皮弁です。これによって伐もまた皮弁と知れます。

王者將出,辭於禰;還,格祖、禰者,言子辭面之禮,尊親之義也。《王制》曰:“王者將出,類於上帝,宜於社,造於禰。”《尚書》曰:“歸假於藝祖。”出所以告天?至告祖無二元后。廟後告者。示不敢留尊者之命也。告天何。示不敢自專也,非出辭反面之道也,與宗廟異義。還不復告天者,天道質無內外,故不復告也。《尚書》言:“歸假於祖禰。”不見告於天,知不告也。

王者が将に出行せんとするに、禰廟に告辞し、帰れば祖廟・禰廟に至ります。子が面して告辞する礼・親を尊ぶ義を言います。《王制》に「王者将に出でんとすれば、上帝に類祭し、社に宜祭し、禰に造告す」とあります。《尚書》に「帰りて藝祖に假告す」とあります。出行が天に告げ帰来が祖に告ぐる所以は、二元后なきなり。先ず廟して後に告ぐるは、尊者の命を滞留せざるを敢えてせざるを表すなり。天に告ぐるは、自ら専断せざるを敢えてせざるを表すので、辞を出して面を反すの道ではなく、宗廟の義と同じからず。帰りて再び天に告げざるは、天道は質朴にして内外なきが故に、再び告げず。《尚書》に「帰りて祖禰に假す」とあり、天に告ぐるを見ざれば、告げざるを知る。

王者受命,質家先伐,文家先正何?質家之天命己也,使己誅無道,今誅,得為王,故先伐。文家言天命已成,為王者乃得誅伐王者耳,故先改正朔也。又改正朔者,文代其質也。文者先其文,質者先其質,故《論語》曰:“予小子履,敢昭告於皇天上帝。”此湯伐桀告天,用尤家之法也。《詩》云:“命此文王,於周於京。”此言文王誅伐,故改號為周,易邑為京也,明天著忠臣孝子之義也。湯親北面稱臣而事桀,不忍相誅也。《禮》曰:“湯放桀,武伐紂時也。”

王者が命を受くるに、質家は先ず伐ち、文家は先ず正すはなぜでしょうか。質家は天命すでに己に在りとし、己をして道なきを誅さしめ、今や誅して王となることを得たので、先ず伐ちます。文家は天命すでに成就したりと言い、王となって初めて王たる者を誅伐し得るので、先ず正朔を改めます。また、正朔を改むるは、文がその質に代わることです。文はその文を先にし、質はその質を先にするので、《論語》に「予小子履、敢えて皇天上帝に昭告す」とあります。これは湯が桀を伐ちて天に告ぐるに、質家の法を用いたのです。《詩経》に「この文王に命す。周に于り京に于り」とあるは、文王が誅伐したことを言い、故に号を改めて周とし邑を改めて京としました。天が忠臣孝子の義を顕彰することを表明します。湯は自ら北面して臣と称し桀に事え、相誅するに忍びませんでした。《礼》に「湯は桀を放ち、武王は紂を伐つ、あの時なり」とあります。

王法天誅者,天子自出者,以為王者乃天之所立,而欲謀危社稷,故自出,重天命也。犯王法,使方伯誅之。《尚書》曰:“命予惟恭行天之罰。”此所以言開自出伐有扈也。《王制》曰:“賜之弓矢,乃得專征伐。”犯王誅者也。

王は天に法りて誅します。天子が自ら出行するは、王者はまさに天の立てる所なりと考え、社稷を危うくせんと謀る人あるので、自ら出行して天命を重んじます。王法に触犯する者は、方伯をして誅せしめます。《尚書》に「我に命じて恭しみて天の罰を施行せしむ」とあるは、啓が自ら出行して有扈を伐ったことを言います。《王制》に「彼に弓矢を賜えば、乃ち征伐を専らにすべし」とあるは、王誅に触犯する者を言います。

大夫將兵出,必不御者,欲盛其威,使士卒一意繫心也。故但聞將軍令,不聞君命也,明進退大夫也。《春秋傳》曰:“此受命於君,如伐齊則還何?大其不伐喪也。”大夫以君命出,進退在大夫也。

大夫が兵を将いて出行するに、必ず遥制を受けざるは、その威を盛んにし、士卒をして一心にし心の繋る所有らしめんがためです。故にただ将軍の令を聞きて、君命を聞かざるは、進退が大夫に在ることを表明します。《春秋伝》に「これは君に命を受けたるなり。若し斉を伐ちてしかも帰らば、何ぞや。其の喪を伐たざるを許すなり」とあります。大夫は君命に凭りて出行し、進退は大夫に在ります。

天子遣將軍必於廟何?示不敢自專也。獨於祖廟何?製法度者祖也。《王制》曰:“受命於祖,受成於學。”此言於祖廟命遣之也。

天子が将軍を派遣するに必ず廟においてするはなぜでしょうか。自ら専断せざるを敢えてせざるを表します。ただ祖廟においてするはなぜでしょうか。法度を制定するは祖なればなり。《王制》に「祖に於て命を受け、学に於て成を受く」とあるは、祖廟において命遣することを言います。

王法年此受兵何?重不絕人嗣也。師行不必勝,故須其有世嗣。年六十歸兵者何?不忍並鬥人父子也。《王制》曰:“六十不預服戎。”又曰:“八十一子不從政,九十家不從政,父母之喪三年不從政,齊衰、大功三月不從政,廢疾非人不養者一人不從政。”

王法はこの年歳に至って初めて兵を受くるはなぜでしょうか。人の後嗣を断絶せしめざるを重んずるためです。師を出せば必ずしも勝たず、故に彼に世嗣あらしむるを須ちます。年六十にして兵を交還するはなぜでしょうか。人の父子をして一斉に斗わしむるに忍びざるなり。《王制》に「六十は戎事に参預せず」とあり、また曰く「八十は一子政に従わず、九十は全家政に従わず、父母の喪は三年政に従わず、斉衰・大功は三箇月政に従わず、廃疾にして人に非ざれば養われざるは、一人政に従わず」とあります。

古者師出不逾時者,為怨思也。天道一時生。一時養。人者,天之貴物也。逾時則內有怨女。外有曠夫。《詩》云:“昔我往矣,楊柳依依;今我來思,雨雪霏霏。”《春秋》曰:“宋人取長葛。”《傳》曰:“外取邑不書,此何以書?久也。”

古は師を出すに一時令を過ぎなかったのは、怨思あるが故です。天道は一時令に生じ一時令に養います。人は天の貴重する物です。時令を過ぎれば、内に怨女あり外に曠夫あり。《詩経》に「昔我往けば、楊柳依々たり。今我來れば、雨雪霏霏たり」とあります。《春秋》に「宋人、長葛を取る」とあり、《伝》に「外に在りて邑を取るは書さず、ここに何ぞ書するや。久しければなり」とあります。

王者有三年之喪,夷狄有內侵伐之者,重天誅,為宗廟社稷也。《春秋傳》曰:“天王居狄泉。”《傳》曰:“此未三年,其稱天王何?著有天子也。”

王者に三年の喪ありて、夷狄が内侵するを加えて討伐するは、天誅を重んじ、宗廟社稷のためです。《春秋伝》に「天王、狄泉に居る」とあり、《伝》に「これは未だ三年を満たざるに、しかも天王と称するは何ぞや。天子あるを顕明せんがためなり」とあります。

○誅伐

○誅伐

誅不避親戚何?所以尊君卑臣,強幹弱枝,明善惡善惡之義也。《春秋傳》曰:“季子煞其母兄,何善?示誅不避母兄,君臣之義。”《尚書》曰:“肆朕誕以爾東征。”誅弟也。

誅は親戚を避けざるはなぜでしょうか。君を尊び臣を卑くし、幹を強め枝を弱め、善悪の義を表明するためです。《春秋伝》に「季子、其の母兄を殺す、何の善かあらん。誅が母兄を避けざるを表するは、君臣の義なり」とあります。《尚書》に「肆に朕、爾を以て東征せんとす」とあるは、弟を誅するなり。

諸侯有三年之喪,有罪且不誅何?君子恕己,哀孝子之思慕,不忍加刑罰。《春秋傳》曰:“晉士丐帥師侵齊至谷,聞齊侯卒,乃還。”《傳》曰:“大其不伐喪也。”

諸侯に三年の喪ありて、罪ありといえども且く誅せざるはなぜでしょうか。君子は己を推して人に及ぼし、孝子の思慕を哀怜し、刑罰を施加するに忍びざるなり。《春秋伝》に「晋の士丐、師を率いて斉を侵す。穀に至り、斉侯の卒するを聞きて、すなわち帰る」とあり、《伝》に「其の喪を伐たざるを許すなり」とあります。

諸侯之義,非天子之命,不得動眾起兵誅不義者,所以強幹弱枝,尊天子,卑諸侯。《論語》曰:“天下有道,則禮樂、征伐自天子出;天下無道,則禮樂、征伐自諸侯出。”世無聖賢方伯,諸侯有相滅者,力能救者可也。《論語》曰:“陳恆弒其君,孔子沐浴而朝,請討之。”王者侯之子篡弒其君而立,臣下得誅之者,廣討賊之義也。《春秋傳》曰:“臣弒君,臣不討賊,非臣也。”又曰:“蔡世子班弒其君,楚子誅之。”

諸侯の義は、天子の命に非ざれば、衆を動かし兵を起こして義ならざる者を誅すること能わず。幹を強め枝を弱め、天子を尊び諸侯を卑くするためです。《論語》に「天下に道あれば、則ち礼楽・征伐は天子より出で、天下に道なければ、則ち礼楽・征伐は諸侯より出ず」とあります。世に聖賢の方伯なければ、諸侯に相滅ぶるものあり、力能く救う者なれば可なり。《論語》に「陳恒、其の君を弑す。孔子沐浴して朝し、討伐を請う」とあります。王者・侯の子が其の君を篡弑して立たば、臣下は彼を誅すること能く、賊を討つの義を推広するなり。《春秋伝》に「臣、君を弑し、臣、賊を討たざれば、臣に非ず」とあり、また曰く「蔡の世子班、其の君を弑す。楚子、之を誅す」とあります。

王者受命而起,諸侯有臣弒君而立,當誅君身死,子不得繼者,以其逆,無所天也。《詩》云:“毋封靡於爾邦,惟王其崇之。”此言追誅大罪也。或盜天子土地,自立為諸侯,絕之而已。

王者が命を受けて興るに、諸侯に臣が君を弑して立つ者あれば、誅すべし。君身死して子継承すること能わざるは、彼が悖逆にして、天に禀く所なきが故なり。《詩経》に「汝の邦にて大いに罪悪を行う勿れ、王は汝を尊崇せん」とあるは、大罪を追誅することを言います。あるいは天子の土地を盗取し自立して諸侯となる者は、ただ彼を絶つのみ。

父煞其子當誅何?以為天地之性,人為貴,人皆天所生也,托父母氣而生耳。王者以養長而教之,故父不得專也。《春秋傳》曰:“晉侯煞世子申生不出蔡。”

父が其の子を殺すは誅すべきなり。なぜでしょうか。天地の性は人を最も貴しと為し、人はみな天の生ずる所で、ただ父母の気に依托して生ずると考えるからです。王者はこれを養長して教えるので、父は専断すること能わず。《春秋伝》に「晋侯、世子申生を殺す。其の蔡に出奔するを書さず」とあります。

佞人當誅何?為其亂善行,傾覆國政。《韓詩內傳》曰:“孔子為魯司寇,先誅少正卯。”謂佞道已行,敵國政也。佞道未行,章明遠之而已。《論語》曰:“放鄭聲,遠佞人。”

佞人は誅すべきなり。なぜでしょうか。善行を扰乱し国政を傾覆するが故なり。《韓詩内伝》に「孔子、魯の司寇を為し、先ず少正卯を誅す」とあるは、佞道すでに施行され国政を敵害することを言います。佞道未だ施行せざるは、ただ彼を彰明して疏远するのみ。《論語》に「鄭声を放ち、佞人を遠ざく」とあります。

子得為父報仇者,臣子於君父,其義一也。忠臣孝子所以不能已,以恩義不可奪也。故曰:父之仇不與共天下,兄弟之仇不與共國,朋友之仇不與同朝,族人之仇不共鄰。故《春秋傳》曰:“子不復仇,非子。”檀弓記。子夏問曰:“居兄弟之仇如之何?仕不與同國,銜君命,遇之不鬥。”父母以義見殺,子不復仇者,為往來不止也。《春秋》曰:“父不受誅,子復仇,可也。”

子が父のために仇を報じ得るは、臣子の君父に対する義は一なればなり。忠臣孝子が止め得ざる所以は、恩義奪うべからざればなり。故に曰く、父の仇とは天下を共にせず、兄弟の仇とは国を共にせず、朋友の仇とは朝を同じくせず、族人の仇とは隣を共にせず。故に《春秋伝》に「子、仇を復せざれば、子に非ず」とあります。《檀弓》に記す、子夏問う「兄弟の仇に対するは如何」。官を為して彼と国を同じくせず、君命を衔えて相遇えば、斗わず。父母が義を以て殺されて、子が仇を復せざるは、往来に止境なければなり。《春秋》に「父、誅を受けず、子、仇を復するは、可なり」とあります。

誅猶責也。誅其人,責其罪,極其過惡。《春秋》曰:“楚子虔誘蔡侯班,煞之於申。”《傳》曰:“誅君之子不立。”

誅は、責に猶(な)ほごとし。誅はその人を、責はその罪、其の過悪を窮尽す。《春秋》に「楚子虔、蔡侯班を誘い、申に於て之を殺す」とあり、《伝》に「誅せられたる君の子は立たず」とあります。

討者何謂?討猶除也,欲言臣當掃除君之賊。《春秋》曰:“衛人殺州籲於濮。”《傳》曰:“其稱人何?討賊之辭也。”

討とは何の意か。討は除に猶ほごとく、臣は君の賊を掃除すべきを言おうとするなり。《春秋》に「衛人、濮に於て州吁を殺す」とあり、《伝》に「『人』と称するは何ぞや。賊を討つの辞なり」とあります。

伐者何謂伐擊也,欲言伐擊之也。《尚書》曰:“武王伐紂。”

伐とは何の意か。伐はすなわち撃、彼を伐撃するを言おうとするなり。《尚書》に「武王、紂を伐つ」とあります。

徵者何謂也?徵猶正也,欲言其正也,輕重從辭也。誕以爾東征。誅祿甫也。又曰:“甲戌,我惟徵徐戎。”

征とは何の意か。征は正に猶ほごとく、彼を正すを言おうとするなり、軽重は文辞に随う。「誕に爾を以て東征す」は、禄甫を誅するなり。また曰く「甲戌、我、惟れ徐戎を征す」。

戰者何謂也?《尚書大傳》曰:“戰者,憚警之也。”《春秋讖》曰:“戰者,延改也。”

戦とは何の意か。《尚書大伝》に「戦は、彼を惮警せしむ」とあり、《春秋谶》に「戦は、延改なり」とあります。

弒者試也,欲言臣子殺其君父不敢卒,候間司事,可稍稍弒之。《易》曰:“臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故也。”

弑は、試の意で、臣子が其の君父を殺すに敢えて猝然とせず、間隙を候い事情を窺伺し、漸く彼を弑すべきを言おうとするなり。《易》に「臣、其の君を弑し、子、其の父を弑するは、一朝一夕の故に非ず」とあります。

篡者何謂也?篡猶奪也,取也,欲言庶奪嫡,孽奪宗,引奪取其位。《春秋傳》曰:“其言入何?篡詞也。”

篡とは何の意か。篡は奪に猶ほごとく、取なり、庶が嫡を奪い孽が宗を奪い、援引して其の位を奪取するを言おうとするなり。《春秋伝》に「『入』と曰うは何ぞや。篡の詞なり」とあります。

襲者何謂也?行不假途,掩人不備也。《春秋傳》曰:“其謂之秦何?夷狄之也。曷為夷狄之?秦伯將襲鄭。”入國掩人不備,行不假途,人銜枚,馬韁勒,晝伏夜行,為襲也。諸侯家國,入人家,宜告主人,所以尊敬、防併兼也。《春秋傳》曰:“桓公假途於陳而伐楚。”《禮》曰:“使次介先假途,用束帛。”即如是,諸侯賣王者道,禮無往不反,非謂所賣者也。將入人國,先使大夫執幣假道,主人亦遣大夫迎於郊,為賓主,設禮而待之,是其相尊敬也。防併兼奈何?諸侯之行,必有師旅,恐掩人不備,士卒斂取恆遲,先假途則預備之矣。

襲とは何の意か。路を行くに道を借らず、人の備えなきを趁るなり。《春秋伝》に「彼を秦と称するは何ぞや。彼を夷狄と視るなり。何ぞ夷狄と視るや。秦伯、将に鄭を襲わんとす」とあります。人の国に入り、人の備えなきを趁り、路を行くに道を借らず、人は枚を衔み馬は轡を勒し、昼伏し夜行すれば、すなわち襲なり。諸侯に家国安り、人家に入るには、主人に告ぐべきなり。尊敬し兼并を防ぐためなり。《春秋伝》に「桓公、陳に道を借りて楚を伐たんとす」とあり、《礼》に「次介をして先に道を借らしめ、束帛を以てす」とあります。若しこの如くならば、諸侯は王者の道路を出売するに、礼は往きて返らざるなく、売る所を言うに非ず。将に人の国に入らんとするに、先に大夫を遣わし币を持たせて道を借らしめ、主人もまた大夫を遣わし郊に至りて迎え、賓主を為し礼を設けて待つは、互いに尊敬するなり。兼并を防ぐは又如何。諸侯が出行すれば必ず師旅あり、人の備えなきを趁るを恐れ、士卒収斂し行動往往遅緩なれば、先に道を借るは預め防ぐなり。

○諫諍

○諫諍

冬至,所以休兵不舉事。閉開旅不行何,此日陽氣微弱。王者承天理物,故率天下靜,不復行役,扶助微氣成萬物也。故孝經糹曰:“夏至陰氣始動。冬至陽氣始萌。”易曰:先王以至日閉開。旅不行。夏至陰始起。反大熱何。陰氣始起,陽氣推而上。故大熱也。冬至陽始起陰氣推而上。故大寒也。

冬至が兵を休め事を挙办せず「(底本の此字は生僻字)」旅を閉じて行かせざる所以はなぜでしょうか。この日は陽気微弱なるが故なり。王者は天を承けて万物を治るので、天下を率いて安静にし、再び役を行わず、微気を扶助して万物を成就す。故に《孝経》「(底本の此字は生僻字)」に曰く「夏至、陰気始めて発動し、冬至、陽気始めて萌生す」とあります。《易》に曰く、先王は至日に関を閉ず。「(底本の此字は生僻字)」旅は行かず。夏至に陰始めて興るに、反って大熱なるは何ぞや。陰気始めて興り、陽気推して上る、故に大熱なり。冬至に陽始めて興り、陰気推して上る、故に大寒なり。

臣所以有諫君之義何?盡忠納誠也。愛之能無勞乎?忠焉能無誨乎?《孝經》曰:“天子有諍臣七人,雖無道,不失其天下;諸侯有諍臣五人,雖無道,不失其國;大夫有諍臣三人,雖無道,不失其家;士有諍友,則身不離於令名;父有諍子,則身不陷於不義。”

臣に君を諫むる義ある所以はなぜでしょうか。忠を尽くし誠を納るるためなり。彼を愛して労苦せざるべけんや。彼に忠して教誨せざるべけんや。《孝経》に「天子に諍臣七人あれば、道なしといえども、天下を失わず。諸侯に諍臣五人あれば、道なしといえども、国を失わず。大夫に諍臣三人あれば、道なしといえども、家を失わず。士に諍友あれば、則ち身は好名を離れず。父に諍子あれば、則ち身は不義に陥らず」とあります。

天子置左輔、右弼、前疑、後承,以順。左輔主修政,剌不法。右弼主糾,周言失傾。前疑主糾度,定德經。後承主匡正,常考變天。四弼興道,率主行仁。夫陽變於七,以三成,故建三公,序四諍,列七人,雖無道,不失天下,杖闢賢也。

天子は左輔・右弼・前疑・後承を設置し、順従するに用います。左輔は修政を主管し、不法を刺挙す。右弼は糾察を主管し、言辞の失誤・傾側を周遍す。前疑は糾度を主管し、徳の経常を勘定す。後承は匡正を主管し、常に天の変化を考す。四弼は道を興し、主上を率いて仁を施行せしむ。陽は七上に変化し、三を以て之を成す。故に三公を建立し、四諍を序列し、七人を排列す。道なしといえども天下を失わざるは、賢人を辟挙するに依仗すればなり。

諸侯諍,不從得去何?以屈尊申卑,孤惡君也。去曰:“某質性頑鈍。”言愚不任用,請退避賢。如是之是待以禮,臣待放;如不以禮待,遂去。君待之以禮奈何?曰:“予熟思夫子言,未得其道。今子不且留,聖王之制,無塞賢之路,夫子欲何之?”則遣大夫送至於郊。

諸侯が諍諫して聴従せざれば去ること能くするはなぜでしょうか。尊を屈折し卑を伸張して、悪君を孤立せしむるに用いるためなり。去る時に曰く「某は質性頑鈍」と。愚笨にして任用せられずと言い、退避して賢人に譲らんことを請う。此の如くなれば、則ち礼を以て相待し、臣は放遣を待つ。若し礼を以て相待せざれば、則ち径自に去る。君が礼を以て相待するは如何。曰く「我は夫子の言を熟思すれども、未だ其の道を得ず。今、汝暫く留まらざれば、聖王の制度は賢人の路を塞がず、夫子は何れの処にか之かん」と。すなわち大夫を遣わして郊に至りて送らしむ。

必三諫者何?以為得君臣之義,必得於郊者,忠厚之至也,冀君覺悟能用之。所以必三年,古者臣下有大喪,君子年不呼其門,所以復君恩。今己所言,不合於禮義,君欲罪之,可得也。《援神契》曰:“三諫待放,復三年,盡也。”所以言放者,臣為君諱,若言有罪放之也。

必ず三度進諫するのはなぜでしょうか。これによって君臣の義を得ると考えるからです。必ず郊で待つのは、忠厚が極まって、君が覚悟してなお彼を用いることを願うからです。だから必ず三年です。古は臣下に大喪あれば、君子は年を整えてその門を叫ばず、君恩に報いるに用いました。今や自ら言うところが礼義に合わず、君が罪を加えるのも可なり。《援神契》に「三諫して放遣を待ち、さらに三年を過ごして「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」を尽くす」とあります。「放」と言う所以は、臣が君のために諱を避け、あたかも罪あって彼を放つと言うがごときです。

所諫事已行者,遂去不留。凡待放者,冀君用其言耳,事已行,各去無為留之。《易》曰:“介如石,不終日,貞吉。”《論語》曰:“三日不朝,孔子行。”

諫めた事がすでに行われれば、去って留まりません。およそ放遣を待つ者は、ただ君がその言を用いることを希望するのみ。事すでに行われれば、各々去りて、留まる理はありません。《易》に「石の如く耿介にして、日を終ざるを待たず、貞正なれば吉」とあり、《論語》に「三日朝せざれば、孔子行きぬ」とあります。

臣待於郊者,君絕其祿者,示不欲去也,道不合耳。祿參三與之,一留與其妻、長子,使終祭宗廟。賜之環則反,賜之則去,明君子重恥也。《王度記》曰:反之以,其不待放者,亦與之物。明有介主無介民也。”《詩》曰:“逝將去汝,適彼樂土。”

臣が郊に在りて待つに、君がその禄を断絶するは、彼を去らしめたく思わず、ただ道合わざるのみを表します。禄を三份に分かちて彼に与え、一份は妻子・長子に留め、彼をして宗廟を終祭せしめます。彼に環を賜えば即ち返り、「(底本の此字は生僻字)」を賜えば即ち去るは、君子が恥を重んずることを表明します。《王度記》に「(底本の此字は生僻字)」を用いて彼を返らしむとあります。それ放遣を待たざる者にも、物を与えます。耿介の主ありて耿介の民なきを表明します。《詩経》に「逝きて将に汝を去らん、彼の楽土に適かん」とあります。

或曰:天子之臣,不得言放。天子以天下為家也。親屬諫不待放者,骨肉無相去離之義也。《春秋傳》曰:“司馬皮曰:‘請處乎此,臣請歸。”子皮者,楚公子也,時不待放。

ある人曰く、天子の臣は「放」と言うべからず。天子は天下を以て家と為すなり。親属が進諫して放遣を待たざるは、骨肉は互相去の義なければなり。《春秋伝》に「司馬皮曰く『請う、ここに処らん、臣は請う帰らん』」とあります。子皮は楚の公子で、当時放遣を待たざりき。

士不得諫者,士賤,不得豫政事,故不得諫也。謀及之,得固盡其忠耳。《禮?保傅》曰:“大夫進諫,士傳民語。”

士は進諫すること能わず。士は賤しく政事に参預すること能わざれば、故に諫むること能わず。謀を彼に問えば、則ちその忠を尽くすべきのみ。《礼・保傅》に「大夫は進諫し、士は民の言を伝述す」とあります。

妻得諫夫者,夫婦榮恥共之。《詩》云:“相鼠有體,人而無禮。人而無禮。胡不遄死?”此妻諫夫之詩也,諫不從不得去之者,本娶妻,非為諫正也,故一與齊,終身不改。此地無去夫之義也。

妻は夫を諫むること能く、夫婦は栄辱を共に承当すればなり。《詩経》に「相鼠に体あり、人にして礼なし。人にして礼ならざれば、胡ぞ遄く死せざる」とあるは、妻が夫を諫むる詩なり。諫めて従わざれば去ること能わず。もともと妻を娶るは諫正のためではなく、故に一旦彼と斉体すれば、終身改めず。これは地に夫を離るるの義なきなり。

子諫父,不去者,父子一體而分,無相離之法,猶火去木而滅也。《論語》:“事父母,幾諫。”下言:“又敬不違。”臣之諫君何取法?法金正木也。子之諫父,法火以揉木也。臣諫君以義,故折正之也。子諫父以恩,故但揉之也,木無毀傷也。待放去,取法於水火,無金則相離也。

子が父を諫むるに去らざるは、父子は一体にして分かるるのみ、互相離の法なし。たとえば火が木を離れれば滅するがごとし。《論語》に「父母に事えんには、幾諫せよ」とあり、下に曰く「また敬して違わず」。臣が君を諫むるは何に法るか。金が木を矯正するに法る。子が父を諫むるは、火に法りて木を揉む。臣は義を以て君を諫む、故に折りて彼を矯正す。子は恩を以て父を諫む、故にただ彼を揉むのみ、木に毀傷なし。放遣を待ちて去るは、水火に法るなり。金なければ互相離なり。

諫者何?諫間也,因也,更也,是非相間革更其行也。人懷五常,故有五諫:謂諷諫。順諫,窺諫,指諫,伯諫。諷諫者,智也,患禍之萌,深睹其事,未彰而諷告,此智性也。順諫者,仁也,出詞遜順,不逆君心,仁之性也。窺諫者,禮也,視君顏色,不悅且卻,悅則復前,以禮進退,此禮之性也。指諫者,信也,指質相其事也,此信之性也。伯諫者,義也,惻隱發於中,直言國之害,勵志忘生,為君不避喪身,義之性也。孔子曰:“諫有五,吾從諷之諫。事君,進思盡忠,退思補過,去而不訕,諫而不露。”故《曲禮》曰:“為人臣不顯者。”纖微未見於外,如詩所刺也。若過惡已著,民蒙毒螫,天見災變,事白異露,作詩以刺之,幸其覺悟也。

諫とは何か。諫は間なり、因なり、更なり、是は非互相間隔し、変革して彼の行を更改す。人は五常を懐く、故に五諫あり。諷諫・順諫・窺諫・指諫・伯諫と曰う。諷諫は智なり。禍患が萌生するに、深くその事を看清し、未だ彰明ならざるに諷告す、これ智の性なり。順諫は仁なり。詞を出だして遜順にして、君心に逆らわず、是れ仁の性なり。窺諫は礼なり。君の顔色を見て、悦ばざれば暫く退き、悦べば再び前に進み、礼を以て進退す、これ礼の性なり。指諫は信なり。質実を指して以てその事を明す、これ信の性なり。伯諫は義なり。惻隠が中より発し、直ちに国家の害を言い、志を励まして生を忘れ、君のために身を喪するを避けず、是れ義の性なり。孔子曰く「諫に五あり、我は諷諫に従う。君に事えるは、進めば則ち忠を尽くさんことを思い、退けば則ち過を補わんことを思い、離れて訕謗せず、進諫して顕露せず」と。故に《曲礼》に「人臣を為るは顕揚せず」とあります。纖微未だ外に顕現せざれば、詩の諷する所の如し。若し過悪すでに顕著にして、民が荼毒を蒙り、天が災変を顕現し、事明白にして変異顕露なれば、詩を作りて以て諷し、彼が覚悟せんことを希望す。

明王所以立諫諍者,皆為重民而求已失也。《禮?保傅》曰:“於是立進善之旌,懸誹謗之木,建招諫之鼓。”王法立史記事者,以為臣下之儀樣,人之所取法則也。動則當應禮,是以必有記過之史,撤膳之宰。《禮?玉藻》曰:“動則左史書之,言則右史書之。”《禮?保傅》曰:“王失度,則史書之,工誦之,三公進讀之,宰夫撤其膳。是以天子不得為非。故史之義,不書則死,宰不撤膳亦死。

明王が諫諍を設立する所以は、皆民を重んじ己の過を求むるがためなり。《礼・保傅》に「是に於て善を進むるの旌を樹立し、誹謗の木を懸挂し、諫を招くの鼓を建起す」とあります。王法は史を立てて事を記し、臣下の儀範と為すは、人の取法する所なり。挙動すれば則ち礼に応ずべきなり、故に必ず過を記する史・膳を撤する宰あり。《礼・玉藻》に「挙動あれば左史これを書き、言語あれば右史これを書く」とあり、《礼・保傅》に「王が度を失えば、則ち史これを書き、楽工これを誦読し、三公これを進読し、宰夫その膳を撤去す。これを以て天子は非を為すこと能わず。故に史の義は、書かざれば死し、宰が膳を撤せざればまた死す」とあります。

所以謂之史何?明王者使為之也。謂之宰何?宰,制也,使製法度也。宰所以撤膳何?陰陽不調,五穀不熟,故王者為不盡味而食之。《禮》曰:“一谷不升,不備雞;二谷不升,不備三牲。人臣之義,當掩惡揚美,所以記君過何,各有所緣也。掩惡者,謂廣德宣禮之臣。

史と呼ぶ所以はなぜでしょうか。王者が彼をして為さしむるを表明します。宰と呼ぶはなぜでしょうか。宰は制なり、彼をして法度を制定せしむ。宰が膳を撤する所以はなぜでしょうか。陰陽調わず五穀熟せざれば、故に王者は味を尽くさずして食う。《礼》に「一種の穀登らざれば、鶏「(底本の此字は生僻字)」を備えず、二種の穀登らざれば、三牲を備えず」とあります。人臣の義は、悪を掩い美を揚ぐべきなのに、故に君の過を記録するはなぜでしょうか。各々縁る所有り。悪を掩うと言うは、徳を広め礼を宣ぶるの臣を言うなり。

所以為君隱惡何?君至尊,故設輔弼、置諫官,本不當有遺失。故《論語》曰:“陳司敗問昭公知禮乎?孔子曰:‘知禮’。”此為君隱也。

君のために悪を隠瞞する所以はなぜでしょうか。君は最も尊し、故に輔弼を設置し諫官を安置す、もともと遺失あるべからず。故に《論語》に「陳の司敗、昭公は礼を知るやと問う。孔子曰く『礼を知る』」とあるは、君のために隠すなり。

君所以不為臣隱何?以為君之與臣無適無莫,義之與比,賞一善而眾臣勸,罰一惡而眾臣懼。若為卑隱,為不可殆也。故《尚書》曰:“必力賞罰,以定厥功。”

君が臣のために隱瞞せざる所以はなぜでしょうか。君の臣に対しては親疏偏私なしと考え、義は之と比す。善一を賞せば衆臣勉励し、悪一を罰すれば衆臣懼怕す。若し卑下のために隱すれば、則ち危険にして不可なり。故に《尚書》に「必ず力を用いて賞罰し、以て其の功を定めよ」とあります。

諸侯臣對天子,亦為隱乎?然。本諸侯之臣,今來者,為聘問天子無恙,非為告君之惡來也。故《孝經》曰:“將順其美,匡救其惡,故上下治,能相親也。”

諸侯の臣が天子に対して、また替わりて隱すや。然り。もともと諸侯の臣なり、今や前來するは、天子に聘問して无恙ならんがため、君の悪を告げんがために來るに非ず。故に《孝経》に「其の美を将順し、其の悪を匡救す。故に上下治まり、能く相親しむ」とあります。

君不為臣隱,父獨為子隱何?以為父子一體,而分榮恥相及,故《論語》曰:“父為子隱,子為父隱,直在其中矣。”

君は臣のために隱さず、父は独り子のために隱すはなぜでしょうか。父子一体にして、分かれたる後も栄辱は互相牽連す、と考えるなり。故に《論語》に「父は子のために隠し、子は父のために隠す、直は其の中に在り」とあります。

兄弟相為隱乎?曰:然,與父子同義,故周公誅四國,常以祿甫為主也。

兄弟は互相隱すや。曰く、然り、父子と義を同じくす。故に周公が四国を誅するに、常に禄甫を以て主と為す。

朋友相為隱者,人本接朋結友,為欲立身揚名也。朋友之道有四焉,通財不在其中,近則正之,遠則稱之,樂則思之,患則死之。

朋友が互相隱すは、人はもともと朋友を交接するは、身を立て名を揚げんと欲すればなり。朋友の道に四条あり、財を通ずるは其の中に在らず。近ければ則ち彼を矯正し、遠ければ則ち彼を称揚し、楽しければ則ち彼を思念し、患難あれば則ち彼のために死す。

夫妻相為隱乎?《傳》曰:“曾去妻,藜蒸不熟。問曰:‘婦有七出,不蒸亦預乎?’曰:‘吾聞之也,絕交令可友,棄妻令可嫁也。黎蒸不熟而已。何問其故?”此為隱之也。

夫妻は互相隱すや。《伝》に「曾子が妻を休す、藜蒸熟せず。問う『婦に七出あり、蒸せざるもまた其の中に在るや』。曰く『我聞く、交を絶つは還た朋友と為すべく、妻を棄つは還た嫁すべしと。ただ藜蒸の熟せざるのみ、何ぞ必ずしも緑故を問わん』」とあるは、彼女のために隱すなり。

○鄉射

○郷射

天所以以親射何?助陽氣達萬物也。春氣微弱,恐物有窒塞,不能自達者。夫射,自內發外,貫堅入剛,象物之生,故以射達之也。

天が親射を以てする所以はなぜでしょうか。陽気を助けて万物を通達せしむるためなり。春気微弱にして、物に窒塞あり自ら通達すること能わざるを恐る。射は、内より発して外に至り、堅硬を貫穿し剛強に入る、物の生長に象る。故に射を以て之を通達す。

《含文嘉》曰:“天子射熊。諸侯射麋,大夫射虎、豹,士射鹿、豕。”

《含文嘉》に「天子は熊を射、諸侯は麋を射、大夫は虎・豹を射、士は鹿・豕を射つ」とあります。

天子所以射熊何?示服猛,巧佞也。熊為獸猛巧者,非但當服猛也。示當服天下巧佞之臣也。諸侯射麋者,示達遠迷惑人也。麋之言迷也。大夫射虎豹何?示服猛也。士射鹿、豕者?示除害也。各取德所能服也。

天子が熊を射る所以はなぜでしょうか。猛・巧佞を制服することを表します。熊は獣中の猛にして巧なるもの、ただ猛を制服すべきのみならず、また天下の巧佞の臣を制服すべきを表します。諸侯が麋を射るは、遠きを通達し迷惑の人を醒悟せしむるを表します。麋の意は迷なり。大夫が虎豹を射るはなぜでしょうか。猛を制服するを表します。士が鹿・豕を射るはなぜでしょうか。害を除去するを表します。各々徳の制服し得る所を取るなり。

大夫、士兩射者人臣,示為君親視事,身勞苦也。或曰:臣陰,故數偶也。侯者,以布為之何,用人事之始也。本正則末正矣。所以名為侯何?明諸侯有不朝者,則射之,故《禮?射祝》曰:“嗟爾不寧侯,爾不朝於王所,以故天下失業。亢而射爾。”所以不射正身何?君子重同類,不忍射之,故畫獸而射之。

大夫・士の両種とも射るは、人臣なれば、君のために親ら事を辨じ身自ら労苦することを表すなり。ある人曰く、臣は陰なり、故に数は偶数を用う。侯は布を以て作るはなぜでしょうか。人事の始めを用う。本正ければ末正し。故に侯と名づくる所以はなぜでしょうか。諸侯に來朝せざる者あれば、則ち彼を射るを表明す。故に《礼・射祝》に「嗟、爾の寧ならざる侯、汝、王の所に朝せず、因りて天下業を失う。昂りて汝を射ん」とあります。正身を射ざる所以はなぜでしょうか。君子は同類を重んじ、彼を射るに忍びず、故に獣を画きて以て射る。

射正何為乎?曰:射義非一也。夫射者,執弓堅固,心平體正,然後中也。二人爭勝,樂以德養也。勝負俱降,以宗禮讓,可以選士。故射選士,大夫勝者。發近而制遠也,其兵短而害長也,故可以戒難也。所以必因射助陽選士者,所以扶助微弱而抑其強,和調陰陽,戒不虞也。何以知為戒難也?《詩》曰:“四矢反兮,以御亂兮。”因射習禮樂,射於堂上何?示從上制下也。《禮》曰:“賓主執弓請升,射於兩楹之間。”天子射百二十步,諸侯九十步,大夫七十步,士五十步。明尊者所服遠也,卑者所服近也。

射正は何を為すか。曰く、射の義は一に止まらず。射は、弓を執ること堅固に、心平にして体正しくして、然る後に中る。二人が勝を争うは、徳を以て養うを楽しむ。勝負ともに降下するは、礼譲を尊崇するを以て、士を選ぶべし。故に射を以て士を選ぶは、大夫の勝を取るなり。近きより発して遠きを制す、兵器は短くして害は長し、故を以て禍難を戒備すべし。故に必ず射を借りて陽を助け士を選ぶは、微弱を扶助して強を抑制し、陰陽を和調し、不測を戒備するを以てす。何を以て禍難を戒備と知るや。《詩経》に「四矢反なり、以て乱を御せん」とあります。射を借りて礼楽を演習す。堂上に射るはなぜでしょうか。上より下を制するを表します。《礼》に「賓主、弓を執りて堂に升るを請い、両楹の間に射つ」とあります。天子は百二十步を射、諸侯は九十歩、大夫は七十歩、士は五十歩。尊者の制服する所は遠く、卑者の制服する所は近きを表明す。

所以十月行鄉飲酒之禮何?所以復尊卑長幼之義。春夏事急,俊井次牆,至有子使父,弟使兄,故以事閒暇,復長幼之序也。

十月に郷飲酒の礼を挙行する所以はなぜでしょうか。尊卑長幼の義を恢復せんがためなり。春夏は事が緊急にして、俊才は井を打ち順次墻を築き、至りて子が父を役使し弟が兄を役使するあり、故に事の閑暇に趁りて、長幼の次序を恢復す。

王者父事三老,兄事五更者何?欲陳孝悌之德,以示天下也。故雖天子,必有尊也,言有父也;必有先也,言有兄也。天子臨辟雍,親袒割牲。尊三老,父象也。謁忠奉几杖,授安車濡輪,恭綏執授。兄事五更,寵接禮交加客謙敬順貌也。《禮記?祭義》云:“祀於明堂,所以教諸侯之孝也。享三老、五更於太學者,所以諸侯悌也。”不正言父、兄,言五更者何,老者壽考也,欲言所令者多也。更者更也,所更歷者,眾也。即如是,不但言老言三何?欲言其明於天地人之道而老也,五更者,欲言其明於五行之道而更事也。三老、五更幾人乎?曰:各一人。何以知之?既以父事,父一而己,不宜有三。

王者が三老を以て父と事奉し五更を以て兄と事奉する所以はなぜでしょうか。孝悌の徳を陳列して天下に示さんとするなり。故に天子といえども、必ず尊ぶ所有り、是れ父あるを言う。必ず先とする所有り、是れ兄あるを言う。天子が辟雍に光臨し、親ら袒衣して牲を割く。三老を尊ぶは、父の象なり。忠信を謁告し、几杖を奉上し、安車を授与して車輪を潤湿し、恭しく綏帯を持ちて彼に授与す。五更を以て兄と事奉するは、寵接し礼遇交加して、賓客に対するがごとき謙敬順貌なり。《礼記・祭義》に「明堂に祭祀するは、以て諸侯に孝を教う。太学に於て三老・五更を宴享するは、以て諸侯に悌を教う」とあります。直ちに父・兄と言わずして五更と言うはなぜでしょうか。老は寿考なり、命する所の多きを言おうとするなり。更は更なり、経歴する所の衆多なり。若し此の如し、ただ老と言わずして三と言うはなぜでしょうか。彼が天地人の道に明らかにして老なるを言おうとするなり。五更は、彼が五行の道に明らかにして事を更るを言おうとするなり。三老・五更は幾人か。曰く、各々一人。何を以て知るや。すでに父と事奉するなれば、父はただ一あるのみ、三あるべからず。

○致仕

○致仕

臣七十懸車致仕者,臣以執事趨走為職,七十陽道極,耳目不聰明,之屬,是以退去,避賢者,所以長庶恥也。懸車,示不用也。致仕者,致其事於君。君不使自去者,尊賢者也。故《曲禮》曰:“大夫七十而致仕。”《王制》曰:“七十致政。”

臣は七十歳にして車を懸けて致仕す。臣は事を執りて趨走するを職と為すが故に、七十は陽道極まり、耳目聡明ならず、「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」の類、此れを以て退去し、賢人を避け、以て庶人の廉恥を長ず。車を懸くるは、再び用いざるを表す。致仕は、事を君に交るなり。君が彼をして自ら去らしめざるは、賢を尊ぶなり。故に《曲礼》に「大夫は七十にして致仕す」とあり、《王制》に「七十にして政を致す」とあります。

卿大夫老,有盛德者留,賜之几杖,不備之以筋力之禮。在家者,三分其祿,以一與之,所以厚賢也。人年七十,臥非人不溫,適四方,乘安車,與婦人俱,自稱曰老夫。《曲禮》曰:“大夫致仕,若不得謝,則必賜之几杖。”《王記》曰:“臣致仕於君者,養之以其祿之半。”几杖所以扶助衰也,故《王制》曰:“五十杖於家,六十杖於鄉,七十杖於國,八十杖於朝。”臣老歸,年九十,君欲有問,則就其室,以珍從,明尊賢也。故《禮?祭義》云:“八十不仕朝,於君問就之。”大夫老歸死,以大夫禮葬,車馬衣服如之何?曰:盡如故也。

卿大夫の年老いたるに、盛徳ある者は留め、彼に几杖を賜い、筋力の礼を以て彼に完備を求めず。家に在るは、その禄を三份に分かち、一份を取りて彼に与え、以て賢人を厚待す。人年七十に至れば、睡臥して人なくんば温まらず、四方に至れば、安車に乗り、婦人と同行して、自ら老夫と称す。《曲礼》に「大夫が致仕し、若し辞謝すること能わざれば、必ず几杖を賜う」とあり、《王記》に「臣が君に致仕する者は、其の禄の半を以て彼を養う」とあります。几杖は衰弱を扶助するに用い、故に《王制》に「五十は家に杖し、六十は郷に杖し、七十は国に杖し、八十は朝に杖す」とあります。臣が年老いて帰り、年九十に至れば、君に問うべき問あれば、則ち其の家に至り、珍物を帯びて隨従す、賢を尊ぶを表明す。故に《礼・祭義》に「八十は朝に在りて官せず、君に問あれば彼に就く」とあります。大夫が年老いて帰りて死せば、大夫の礼を以て葬る、車馬衣服は如何。曰く、完全に昔の如し。

○辟雍

○辟雍

古者所以年十五入太學何?以為八歲毀齒,始有識知,入學學書計。七八十五,陰陽備,故十五成童志明,入太學,學經術。學之為言覺也,悟所不知也。故學以治性,慮以變情。故玉不琢,不成器;人不學,不知道。子夏曰:“百工居肆以致其事,君子學以致其道。”故《禮》曰:“十年曰幼,學。”《論語》曰:“吾十有五而志於學,三十而立。”又曰:“生而知之者,上也;學而知之者,次也。”是以雖有自然之性,必立師傅焉。《論語讖》曰:“五帝立師,三王制之。傳曰:黃帝師力牧。帝顓頊師綠圖,帝嚳師赤松子,帝堯師務成子,帝舜師尹壽,禹師國先生,湯師伊尹,文王師呂望,武王師尚父,周公師虢叔,孔子師老聃。”天子太子,諸侯世子,皆就師於外,尊師重先生之道也。《禮》曰:“有來學者,無往教者也。”《易》曰:“匪我求童蒙,童蒙求我。”《王制》曰:“小學在公宮南之左,太學在郊。”又曰:“天子、太子、群后之太子、公卿大夫之元士嫡子皆造焉。”

古が十五歳にして太学に入る所以はなぜでしょうか。八歳にして歯を換え、始めて識知あり、学に入りて書写・計算を学ぶと考えるなり。七に八を加えて十五、陰陽具備し、故に十五にして成童、志向明白にして、太学に入り、経術を学ぶ。学の意は覚なり、知らざる所を覚悟す。故に学は以て性を治め、思慮は以て情を変ず。故に玉は雕琢せざれば器を成さず、人は学習せざれば道を知らず。子夏曰く「百工は肆に居りて以て其の事を成し、君子は学習して以て其の道を成す」と。故に《礼》に「十年は幼と曰い、学ぶ」とあり、《論語》に「吾十有五にして学に志し、三十にして立つ」とあり、また曰く「生まれて之を知る者は上なり、学びて之を知る者は次なり」と。此れを以て自然の性ありといえども、必ず師傅を立つ。《論語谶》に「五帝は師を立て、三王は制定す」とあります。伝記に曰く、黄帝は力牧を以て師と為し、帝顓頊は緑図を以て師と為し、帝嚳は赤松子を以て師と為し、帝堯は務成子を以て師と為し、帝舜は尹寿を以て師と為し、禹は国先生を以て師と為し、湯は伊尹を以て師と為し、文王は呂望を以て師と為し、武王は尚父を以て師と為し、周公は虢叔を以て師と為し、孔子は老聃を以て師と為す。天子の太子・諸侯の世子は、皆外に出でて師に就くは、師を尊び先生の道を重んずるなり。《礼》に「学びに來る者あり、教えに往く者なし」とあり、《易》に「我が童蒙を求むるに非ず、童蒙が我を求むるなり」とあり、《王制》に「小学は公宮の南の左にあり、太学は郊にあり」とあり、また曰く「天子・太子・群后の太子・公卿大夫の元士の嫡子は、皆彼に至る」と。

父所以不自教子何?為世瀆也。又授之道當極說陰陽、夫婦變化之事,不可父子相教也。

父が自ら子を教えざる所以はなぜでしょうか。世々褻瀆するを以てなり。また、伝授の道は陰陽・夫婦変化の事を極尽して説明すべく、父子もって互相教すべからず。

師弟子之道有三:《論語》:“朋友自遠方來。”朋友之道也。又曰:“回也,視予猶父也。”父子之道也。以君臣之義教之。君臣之道也。

師弟子の道に三種あり。《論語》に「朋友遠方より來るあり」とあるは、朋友の道なり。また曰く「回や、我を視ること父の如し」とあるは、父子の道なり。君臣の義を以て彼を教えるは、君臣の道なり。

天子立辟雍何?所以行禮樂、宣德化也。闢者壁也,象璧圓又以法天;於雍水,側象教化流行也。闢之為言積也,積天下之道德也;雍之為言壅也,壅天下之殘賊。故謂之辟雍也。《王制》曰:“天子曰辟雍,諸侯曰泮宮。”外圓者,欲使觀之均平也。又欲言外圓內方。明德當圓、行當方也。不言圓闢何?又圓於闢何?以知其圓也,以其言闢也。何以知有外也?又《詩》云:“思樂泮水,薄採其荇。”《詩訓》曰:“水圓如璧。”諸侯曰泮宮者,半於天子宮也,明尊卑有差,所化少也。半者象璜也,獨南面禮儀之方有水耳,其餘壅之,言垣,宮名之別尊卑也。明不得化四方也。不曰泮雍何?嫌但半天子制度也。《詩》云:“穆穆魯侯,克明其德。既作泮宮,淮夷攸服。”

天子が辟雍を設立するはなぜでしょうか。礼楽を挙行し徳化を宣布せんがためなり。辟は即ち璧なり、璧の円に象り、また以て天に法る。雍水の旁に在りて、教化の流行に象る。辟の意は積なり、天下の道徳を積聚す。雍の意は壅なり、天下の残賊を壅塞す。故に辟雍と曰う。《王制》に「天子は辟雍と曰い、諸侯は泮宮と曰う」とあります。外が円なるは、観る者をして均平ならしめんと欲するなり。また外円内方と言おうとするは、徳は円なるべく行は方なるべきを表明す。円辟と言わざるはなぜでしょうか。また辟に円なるはなぜでしょうか。それに凭りて辟と言えば、円なるを知る。何を以て外あるを知るや。また《詩経》に「泮水を思楽み、薄く其の荇を采る」とあり、《詩訓》に「水は璧の如く円なり」とあります。諸侯を泮宮と曰うは、天子の宮の半なり、尊卑に差別ありて教化する所の少なきを表明す。半は璜に象り、ただ南面の礼儀の方位に水あるのみ、其余は壅塞し、垣と曰い、宮の名を以て尊卑を分別す。四方を教化すること能わざるを表明す。泮雍と曰わざるはなぜでしょうか。ただ天子の制度の半ならんことを嫌うなり。《詩経》に「穆々たる魯侯、克く其の徳を明らかにす。すでに泮宮を作れば、淮夷の服する所なり」とあります。

鄉曰庠,裡曰序。庠者,庠禮義;序者,序長幼也。《禮?五帝記》曰:“帝庠序之學,則父子有親,長幼有序,善如爾舍。”明令必次外然後前民者也,未見於仁,故立庠序以導之也。教民者,皆裡中之老而有道德者,為右師,教裡中之子弟以道藝、孝悌、行義。立五帝之德,朝則坐於裡之門,弟子皆出就農而後罷。示如之,皆入而復罷。其有出入不時,早晏不節,有過,故使語之,言心無由生也。若既收藏,皆入教學,立春而就事,其有賢才美質知學者,足以聞其心,頑鈍之民亦足以別於禽獸,而知人倫,故無不教之民。孔子曰:“以不教民戰,是謂棄之。”明無不教民也。

郷は庠と曰い、里は序と曰う。庠は、庠序して礼義なり。序は、序次して長幼なり。《礼・五帝記》に「庠序の学を設立すれば、則ち父子に親あり、長幼に序あり、善は汝の房舎の如し」とあるは、必ず先に外に於て次序を排して、然る後に民を誘導するを表明す。未だ仁を見ざれば、故に庠序を設立して以て誘導す。民を教うる者は、皆里中の年老いて道徳ある者にして、右師を為し、道藝・孝悌・行義を以て里中の子弟を教う。五帝の徳を樹立し、朝に里門に坐し、弟子皆出でて農に就きて然る後に罷む。此の如くを表せば、皆入りて來りて再び罷む。出入に時を以てせず、早晚に節を守らず、過失ある者あれば、人をして彼に告げしむ、是れ悪の心の生ずるに由無きを言うなり。收藏完畢するに及びて、皆入りて來りて教学し、立春すれば則ち事を為しに行く。其の中に賢才美質ありて学を知る者は、其の心を开通するに足り。頑鈍の民もまた禽獣と分別し人倫を知るに足り。故に教えざるの民なし。孔子曰く「教えざるの民を以て戦うは、之を棄てると謂う」と。教えざるの民なきを表明す。

天子所以有靈臺者何?所以考天人之心,察陰陽之會,揆星辰之證驗,為萬物獲福無方之元。《詩》云:“經始靈臺。”天子立明堂者,所以通神靈,感天地,正四時,出教化,宗有德,重有道,顯有能,褒有行者也。明堂,上圓下方,八窗四闥,佈政之宮,在國之陽。上圓法天,下方法地,八窗象八風,四闥法四時,九室法九州,十二坐法十二月,三十六戶法三十六兩,七十二牖法七十二風。

天子に霊台ある所以はなぜでしょうか。天人の心を考察し、陰陽の会合を観察し、星辰の証験を揆度し、万物のために福を求め無方の元始と為さんがためなり。《詩経》に「霊台を経始す」とあります。天子が明堂を設立するは、神霊を通じ、天地を感じ、四時を正し、教化を発出し、徳あるを尊崇し、道あるを重んじ、能あるを顕揚し、行あるを褒奨せんがためなり。明堂は、上円にして下方、八窓四門、是れ布政の宮にして、国の南面に在り。上円は天に法り、下方は地に法り、八窓は八風に象り、四門は四時に法り、九室は九州に法り、十二座は十二月に法り、三十六戸は三十六雨に法り、七十二牖は七十二風に法る。

○災變

○災変

天所以有災變何?所以譴告人君,覺悟其行,欲令悔過修德,深思慮也。《授神契》曰:“行有玷缺,氣逆於天,情感變出,以戒人也。”

天に災変ある所以はなぜでしょうか。人君を譴告し、彼をして其の行を覚悟せしめ、彼をして悔過修徳し深く思慮せしめんがためなり。《授神契》に「行に玷缺ありて気が天に逆う、情感変化して発出す、以て人を警戒す」とあります。

災異者,何謂也?《春秋潛潭巴》曰:“災之言傷也,隨事而誅;異之言怪也,先發感動之也。”何以言災有哭也?《春秋》曰:“新宮火,三日哭。”《傳》曰:“必三日哭何?禮也。”災三日哭,所以然者,宗廟先禮所處,鬼神無形體,曰今忽得天火,得無為災所中乎?故哭也。變者何謂也?變者,非常也。《耀嘉》曰;“禹將受位,天意大變,迅風靡木,雷雨晝冥。”服秉者何謂也?衣服乍大乍小,言語非常。故《尚書大傳》曰:“時則有服秉也。”孽者何謂也?曰:介蟲生為非常。《尚書大傳》曰:“時則介蟲之孽,時則有龜孽。”堯遭洪水,湯遭大旱,示有譴告乎?堯遭洪水,湯遭大旱,命運時然。所以或災變或異何?各隨其行,因其事也。

災異とは何の意か。《春秋潜潭巴》に「災の意は傷なり、事に随いて誅す。異の意は怪なり、先に発動して以て彼を感動す」とあります。何を以て災に哭あると言うや。《春秋》に「新宮に火失し、三日哭す」とあり、《伝》に「必ず三日哭するは何ぞや。礼なり」とあります。災に三日哭する所以此の如きは、宗廟は先代が礼を行うの処所、鬼神は形体なし、今や忽然と天火に遭う、將に災に中れられんとするや、故に哭す。変とは何の意か。変は非常なり。《耀嘉》に「禹、將に位を受けんとす、天意大いに変じ、迅風は樹木を吹倒し、雷雨は白昼昏暗たり」とあります。服妖とは何の意か。衣服が忽ち大に忽ち小、言語非常なり。故に《尚書大伝》に「この時に服妖あり」とあります。孽とは何の意か。曰く、介虫の生出するは非常なり。《尚書大伝》に「この時に介虫の孽あり、この時に亀孽あり」とあります。堯が洪水に遭遇し湯が大旱に遭遇するは、譴告あるを表すか。堯が洪水に遭遇し湯が大旱に遭遇するは、命运時勢此の如きなり。故に或るは災変、或るは異なるはなぜでしょうか。各々其の行に随い其の事に因るなり。

霜之為言亡也,陽以散雲。雹之為言合也,陰氣專精,積合為雹。

霜の意は亡なり、陽は以て雲気を散開す。雹の意は合なり、陰気は専精にして、積合して雹と為る。

日食者必殺之何?陰侵陽也。鼓用牲於社。社者眾陰之主,以朱絲縈之,鳴鼓攻之,以陽責陰也。故《春秋傳》曰:“日食鼓用牲於社。”所以必用牲者,社,地別神也,尊之,故不敢虛責也。日食,大水則鼓於用牲於社,大旱則祭未雨,非苟虛也,助陽責下,求陰之道也。月食救之者,陰失明也,故角尾交日。月食救之者,謂夫人擊鏡,傅人擊杖,庶人之妻楔搔。太平之時,時雨時霽,下以恆陽而以時陽,天地之氣宣也。

日食には必ず救うはなぜでしょうか。陰が陽を侵すなり。社に於て鼓を撃ち牲を用う。社は衆陰の主なり、朱絲を以て之を纏繞し、鼓を敲いて之を攻む、陽を以て陰を責むるなり。故に《春秋伝》に「日食、鼓を鳴らし牲を社に用う」とあります。必ず牲を用いる所以は、社は地の別神、之を尊び、故に敢えて空に責めず。日食・大水なれば則ち鼓を撃ち牲を社に用い。大旱なれば則ち「(底本の此字は生僻字)」祭して雨を求む。随便に空虚なるに非ず、是れ陽を助け下を責め陰を求むるの道なり。月食を救うは、陰が光明を失うなり、故に角・尾は日と相交る。月食を救うは、夫人は鏡を撃ち、傅人は杖を撃ち、庶人の妻は楔搔すると曰うなり。太平の時は、雨すべきに雨し晴るべきに晴れ、下は恒常の陽に因りて時を以て陽を得、天地の気は宣通す。

○耕桑

○耕桑

王者所以親耕、後親桑何?以率天下農蠶也。天子親耕以供郊廟之祭,後之親桑以供祭服。《祭義》曰:“天子三推,三公五推,卿大夫七推。”耕於東郊何?東方少陽,農事始起。桑於西郊?西方少陰,女功所成。故《曾子問》曰:“天子耕東田而三反之。”《周官》曰:“後親桑,率外內婦蠶於北郊。”《禮?祭義》曰:“古者天子諸侯,必有公桑蠶室,近外水為之,築周棘牆,而外閉之者也。”

王者が自ら耕し后が自ら蚕桑する所以はなぜでしょうか。以て天下の農蚕を率いるためです。天子が自ら耕すは郊廟の祭を供給し、后が自ら蚕桑するは祭服を供給するためです。《祭義》に「天子は三たび推し、三公は五たび推し、卿大夫は七たび推す」とあります。東郊に耕すはなぜでしょうか。東方は少陽にして農事始めて興る。西郊に桑するはなぜでしょうか。西方は少陰にして女功の成就する所なり。故に《曾子問》に「天子は東田に耕して往反すること三たびす」とあり、《周官》に「后は自ら蚕桑し、内外の婦人を率いて北郊に於て蚕を養う」とあり、《礼・祭義》に「古は天子諸侯に必ず公桑の蚕室あり、外の水に近づけて為し、周囲の棘墻を築き、外より閉じる」とあります。

●卷五

●巻五

○封禪

○封禅

王者易姓而起,必升封泰山何?教告之義也。始受命之時,改制應天,天下太平,功成封禪,以告太平也。所以必於泰山何?萬物所交代之處也。必於其於何?因高告高,順其類也,故升封者增高也,下禪梁甫之山基廣厚也。刻石紀號者,著己之功跡也,以自效放也。天以高為尊,地以厚為德,故增泰山之高以放天,附梁甫之基以報地,明天地之所命,功成事遂,有益於天地,若高者加高,厚者加厚矣。或曰:封者,金泥銀繩。或曰:石泥金繩,封以印璽。故孔子曰:“升泰山,觀易姓之王,可得而數者七十有餘。

王者が姓を換えて興るに、必ず泰山に升りて封礼を挙行するはなぜでしょうか。是れ教告の義なり。始めて命を受くる時、改制して天に応え、天下太平、功成りて封禅するは、以て太平を報告す。必ず泰山に於てする所以はなぜでしょうか。是れ万物の交代する処所なり。必ず其の山頂に於てするはなぜでしょうか。高を借りて高に告げ、其の類に順うなり。故に升封は以て増高し、下禅して梁甫の山は、其の基址を広厚ならしむ。石を刻みて名号を記すは、己の功績を顕明し、以て自ら効法し放效せんがためなり。天は高を以て尊と為し、地は厚を以て徳と為す。故に泰山を増高して天に効法し、梁甫の基に附着して地に報答す。天地の命ずる所を表明し、功成り事遂ぐれば、天地に益あること、高きの更に高く厚きの更に厚きがごとし。或る人曰く、封は金泥銀縄なり。或る人曰く、石泥金縄にして、印璽を以て封ず。故に孔子曰く「泰山に升りて、姓を換えたるの王を観るに、数え得るもの七十有餘なり」と。

封者廣也,言禪者,明以成功相傳也。梁甫者,太山旁山名,正於梁甫何?以三皇禪於繹繹之山,明己成功而去,有德者居之。繹繹者,無窮之意也。五帝禪於亭亭者,制度審諦、德著明也。三王禪於梁甫之山者,梁信也,甫輔也,輔天地之道而行之也。太平乃封知告於天,必也於岱宗何?明知易姓也。刻石紀號,知自紀於百王也。燎祭天,報之義也,望祭山川,祀群神也。《詩》云:“於皇明周,陟其高山。”言周太平,封太山也。又曰:“墮山喬獄,允猶翕河。”言望祭山川百神來歸也。

封は、広なり。禅と曰うは、成功を相伝することを表明す。梁甫は、太山の旁の山名なり。梁甫に正するはなぜでしょうか。三皇は繹繹の山に禅したりき、己れ成功して去るを表明し、徳ある人の居処する所なり。繹繹は無窮の意なり。五帝は亭亭に禅したりき、是れ制度審諦にして徳顕著明白なり。三王は梁甫の山に禅したりき、梁は信なり甫は輔なり、天地の道を輔助して実行之。太平にして初めて封すは、天に告ぐるを知るなり。必ず岱宗に於てするはなぜでしょうか。姓を換えたることを明確に知るなり。石を刻みて名号を記すは、己れ百王の中間に記せるを知るなり。燎して天を祭るは、報答の義なり。山川を望祭するは、群神を祀るなり。《詩経》に「于皇たる明周、その高山に陟る」とあるは、周が太平にして太山に於て封礼を挙行することを言うなり。また曰く「堕山喬嶽、允猶翕河」とあるは、山川を望祭して百神来り帰することを言うなり。

天下太平符瑞所以來至者,以為王者承統理,調和陰陽,陰陽和,萬物序,休氣充塞,故符瑞並臻,皆應德而至。德至天則斗極明,日月光,甘露降;德至地則嘉禾生,{艹}莢起,鬯出,太平感;德至文表則景星見,五緯順軌;德至草木朱草生,木連理;德至鳥獸則鳳皇翔,鸞鳥舞,麒麟臻,白虎到,狐九尾,白雉降,白鹿見,白鳥下;德至山陵則景雲出,芝實茂,陵出異丹,阜出蓮莆,山出器車,澤出神鼎;德至淵泉則黃龍見,醴泉通,河出龍圖,洛出龜書,江出大貝,海出明珠;德至八方則祥風至佳氣時喜,鐘律調,音度施,四夷化,越裳貢。

天下太平にして符瑞の来る所以は、王者が統を承けて治理し、陰陽を調和すればなり。陰陽和し、万物有序あり、休美の気充塞すれば、故に符瑞一斉に来る、皆徳に応じて至るなり。徳が天に至れば、則ち北斗・北極明亮にして、日月に光あり、甘露降下す。徳が地に至れば、則ち嘉禾生じ、「(底本の此字は生僻字)」莢興起し、「(底本の此字は生僻字)」鬯出現し、太平感応す。徳が文表に至れば、則ち景星出現し、五緯軌道に順う。徳が草木に至れば、朱草生じ樹木連理す。徳が鳥獣に至れば、則ち鳳凰飛翔し、鸞鳥起舞し、麒麟到来し、白虎来至し、狐九尾、白雉降下し、白鹿出現し、白鳥下来る。徳が山陵に至れば、則ち景雲出で、芝実茂盛し、陵は異丹を出し、阜は蓮莆を出し、山は器車を出し、沢は神鼎を出す。徳が淵泉に至れば、則ち黄龍出現し、醴泉流通し、河は龍図を出し、洛は亀書を出し、江は大貝を出し、海は明珠を出す。徳が八方に至れば、則ち祥風至り、佳気時に按じて喜悅し、鐘律調和し、音度施行し、四夷化を被り、越裳来りて貢す。

孝道至則以蓮莆者,樹名也,其葉大於門扇,不搖自扇,於飲食清涼,助供養也。繼嗣平明則賓連生於房戶。賓連者,木名也,連累相承,故在於房戶,象繼嗣也。日曆得其分度,則{艹}莢生於階間。{艹}莢樹名也,月一日生一莢,十五日畢,至十六日去莢,故莢階生似日月也。賢不肖位不相逾,則平路生於庭。平路者,樹名也,官位得其人則生,失其人則死。

孝道極まれば、則ち蓮莆あり、是れ樹の名なり。葉は門扇より大にして、揺れずして自ら扇ぎ、飲食を清凉ならしめ、供養を幇助す。継嗣平明なれば、則ち賓連は房戸に生ず。賓連は木の名なり、連累相承するなり、故に房戸に在り、継嗣に象る。日暦その分度を得れば、則ち「(底本の此字は生僻字)」莢は階間に生ず。「(底本の此字は生僻字)」莢は樹の名なり、毎月一日に一莢を生じ、十五日に畢り、十六日に至りて莢を去る。故に莢は階上に生ずること日月に似たり。賢と不肖の位が相踰越せざれば、則ち平路は庭に生ず。平路は樹の名なり、官位其の人に適えば生じ、其の人を失えば死す。

狐九尾何?狐死首丘,不忘本也,明安不忘危也。必九尾者也?九妃得其所,子孫繁息也。於尾者何?明後當盛也。

狐が九尾なるはなぜでしょうか。狐は死するに頭を丘に向くは、本を忘れず、安きに在りて危を忘れざるを表明す。必ず九尾なるはなぜでしょうか。九妃各々其の所を得て、子孫繁息す。尾の上に在るはなぜでしょうか。後嗣當に昌盛すべきを表明す。

景星者,大星也。月或不見,景星常見,可以夜作,有益於人民也。

景星は、大星なり。月は或る時見えずとも、景星は常に出現す、以て夜に労作すべく、人民に益あり。

甘露者,美露也,降則物無不盛者也。

甘露は、美露なり、降下すれば物に盛ならざるなし。

朱草者,赤草也,可以染絳,別尊卑也。

朱草は、赤草なり、以て絳色を染むべく、尊卑を分別す。

醴泉者,美泉也,狀若醴酒,可以養老也。

醴泉は、美泉なり、形状は醴酒に似たり、以て老を養うべし。

嘉禾者,大禾也,成王時有三苗異畝而生,同為一穗大幾盈車,長几充箱。民有得而上之者,成王訪周公而問之,公曰:“三苗為一穗,天下當和為一乎!”以是果有越裳氏重九譯而來矣。

嘉禾は、大禾なり。成王の時、三苗の異なる田畝より出て、合して一穂と為り、大きさほとんど車を装満せんとし、長さほとんど箱を充満せんとしたり。民に得て献上する者あり、成王、周公を訪問して問う。周公曰く「三苗合して一穂と為るは、天下當に和合して一と為るべきか」と。これに因りて果して越裳氏あり、九度の翻訳を経て來れり。

○巡狩

○巡狩

王者所以巡狩者何?巡者循也,狩牧也,為天下循行守牧民也。道德太平,恐遠近不同化,幽隱有不得所,考禮義,正法度,同律歷,計時月,皆為民也。《尚書》曰:“遂覲東後,葉時月,正日,同律度量衡,修五禮。”《尚書大傳》曰:“見諸侯,問百年,太師陳詩,以觀民命風俗;命市納賈,以觀民好惡;山川神祗,有不舉者為不敬,不敬者削以地;宗廟有不順者為不孝,不孝者黜以爵;變禮易樂為不從,不從君流;改制度衣服為畔,畔者君討,有功者賞之。”《尚書》曰:“明試以功,車服以庸。”

王者が巡狩する所以はなぜでしょうか。巡は循なり、狩は牧なり、天下のために循行し守りて民を牧するなり。道徳太平なるに、遠近の教化の同じからざるを怕り、幽隠の人に其の所を得ざる有らんことを。礼義を考校し、法度を端正し、律暦を同一し、時月を計算するは、皆民のためなり。《尚書》に「是に於て東方の諸侯に覲見し、時月を協調し、日を端正し、律度量衡を同一にし、五礼を修明す」とあり、《尚書大伝》に「諸侯に会見し、百年の老人に問う。太師は詩を陳じて以て民命風俗を観察す。市場に物価を交納せしめて以て民の好悪を観察す。山川神祇に祭祀せざる有れば是不敬なり、不敬は地を削る。宗廟に順ならざる有れば是不孝なり、不孝は爵を黜す。礼楽を改変するは不従なり、不従の君は彼を流放す。制度衣服を改むるは畔なり、畔の君は討伐す。功あるは彼を賞す」とあります。《尚書》に「明白に功を以て試験し、車服を以て庸に酬ゆ」とあります。

巡狩所以四時出何?當承宗廟,故不逾時也。以夏之仲月者,同律度當得其中也。二月、八月晝夜分,五月、十一月陰陽終。《尚書》曰:“二月東巡守,至於岱宗柴。五月南巡狩,至於南嶽,八月西巡狩,至於西嶽。十有一月朔巡狩,至於北嶽。”

巡狩が四時に按じて出行する所以はなぜでしょうか。宗廟を承奉すべきなれば、故に一時令を過ぎず。夏の仲月を用うるは、律度を同一にして其の中を得べければなり。二月・八月は昼夜平分し、五月・十一月は陰陽終結す。《尚書》に「二月、東に巡守し、岱宗に至り、柴を焼く。五月、南に巡狩し、南嶽に至る。八月、西に巡狩し、西嶽に至る。十一月、朔に巡狩し、北嶽に至る」とあります。

所以五歲巡狩何?為大煩也,過五年為太疏也。因天道時有所生,歲有所成。三歲一閏,天道小備;五歲再閏,天道大備。故五歲一巡狩,三年小備,二伯出,述職黜陟。

五年に巡狩する所以はなぜでしょうか。頻繁なれば則ち煩擾にして、五年を過ぎればまた疏なり。天道に借りて時に生ずる所有り歳に成す所有るに因る。三年に一閏すれば天道小備し、五年に再閏すれば天道大備す。故に五年に一巡狩す。三年小備すれば、二伯出行し、述職し黜陟す。

一年物有終始,歲有所成,方伯行國;時有所生,諸侯行邑。《傳》曰:“周公入為三公,出為二伯,中分天下,出黜陟。”《詩》曰:“周公東征,四國是皇。”言東征述職,周公黜陟而天下皆正也。又曰:“蔽芾甘棠,勿翦勿伐,召伯所茇。”言邵公述職,親說舍於野樹之下也。《春秋梁傳》曰:“古之君民以時視民之勤。”

一年に物に終始あり、歳に成す所有れば、方伯は各国を巡行す。時に生ずる所有れば、諸侯は属邑を巡行す。《伝》に「周公、入朝して三公と為り、出でて二伯と為り、中分して天下を、出行して黜陟す」とあり、《詩経》に「周公東征すれば、四国これ皇なり」とあるは、東征して述職し、周公が黜陟して天下皆正しきを言うなり。また曰く「蔽芾たる甘棠、翦る勿れ伐る勿れ、召伯の茇る所」とあるは、召公が述職して親ら野樹の下に休息することを言うなり。《春秋穀梁伝》に「古は君民、時に按じて往きて民の勤労を看る」とあります。

巡狩祭天何?本巡狩為祭天,告至。《尚書》曰:“東巡狩,至於岱宗,柴也。”王者出必告廟何?孝子出辭、反面,事死如事生。《尚書》曰:“歸假於祖禰。”《曾子問》曰:“王者、諸侯出,稱告祖禰,使祝遍告五廟。”尊親也。王者將出告天者,示不專也。故《王制》曰:“類於上帝,宜乎社,造於禰。”類祭以祖配不曰接者,尊無二禮,尊尊之義。造於禰,獨見禰何?辭從卑,不復留尊者之命,至禰不嫌不至祖。即祭告天,為告事也,祖,為出辭也。義異。告於尊者,然後乃辭出。

巡狩して天を祭るはなぜでしょうか。もともと巡狩は天を祭り至るを報告するがためなり。《尚書》に「東に巡狩し、岱宗に至り、柴を焼く」とあります。王者が出行すれば必ず廟に告ぐるはなぜでしょうか。孝子は門を出でれば告辞し、帰れば面して報告す、死に事えること生に事えるが如し。《尚書》に「帰りて祖禰に假告す」とあり、《曾子問》に「王者・諸侯出行すれば、祖禰を名称して告げ、祝をして五廟に遍告せしむ」とあるは、親を尊ぶなり。王者將に出でんとして天に告ぐるは、専断せざるを表す。故に《王制》に「上帝に類し、社に宜え、禰に造る」とあります。類祭は祖を以て配し、接と言わざるは、尊に二礼なきを以て、是れ尊々の義なり。禰に造るに、ただ禰に見るるはなぜでしょうか。告辞は卑より始め、再び尊者の命を滞留せず、禰に至れば則ち祖に至らざるを嫌わず。祭告天は、事を報告す。祖に告ぐるは、出行告辞す。義同じからず。先に尊者に告げて、然る後に告辞して出行す。

王者、諸侯出,必將主何?示有所尊。故《曾子問》曰:“王者將出,必以遷廟主行,載於齊車,示有尊也。”無遷主以幣帛主告於祖禰廟,遂奉以出,每舍奠焉。”蓋貴命也。”必以遷主者,明廟不可空也。

王者・諸侯が出行すれば、必ず廟主を携帯するはなぜでしょうか。尊ぶ所有るを表す。故に《曾子問》に「王者將に出でんとすれば、必ず遷廟主を帯びて出行し、斎車に載せ、尊ぶ所有るを表す」とあります。遷主なければ、則ち幣帛を以て主と為し、祖禰廟に告げ、是に奉じて出行し、一舎に至る毎に奠す。「是れ命を貴ぶなり」。必ず遷主を用うるは、廟は空にすべからざるを表明す。

王者巡狩,諸侯待於境者何?諸侯以守蕃為職也。《禮?祭義》曰:“天子巡狩,諸侯待於境也。”

王者が巡狩するに、諸侯は境上に於て等待するはなぜでしょうか。諸侯は蕃を守るを以て職と為すなり。《礼・祭義》に「天子巡狩すれば、諸侯は境上に於て等待す」とあります。

王者巡狩,必舍諸侯祖廟何?明尊無二上也,故《禮?坊記》曰:“君適其臣,升自阼階。”示不敢有其室也。《禮》曰:“天子適諸侯,必舍其祖廟。”

王者が巡狩するに、必ず諸侯の祖廟に住するはなぜでしょうか。尊に二上なきを表明す。故に《礼・坊記》に「君、其の臣に至れば、阼階より升る」とあるは、敢えて其の室を据有せざるを表す。《礼》に「天子、諸侯に至れば、必ず其の祖廟に住す」とあります。

王者出,一公以其屬守,二公以其屬從也。

王者が出行すれば、一の公は属官を帯びて留守し、二の公は属官を帯びて隨従す。

王者巡狩,崩於道,歸葬何?夫太子當為喪主,天下皆來奔喪。京師,四方之中也。即如是,舜葬蒼梧、禹葬會稽?於時尚質,故死則止葬,不重煩擾也。

王者が巡狩するに、路上に於て崩逝すれば、運び帰りて葬るはなぜでしょうか。太子は當に喪主と為すべし、天下皆奔喪に來る。京師は四方の中央なり。若し此の如くならば、舜は蒼梧に葬られ禹は会稽に葬られたるは又如何。当時なお質朴なれば、故に死すれば則ち彼に停めて葬り、再び煩擾せざりき。

何以知太平乃巡狩?以武王不巡狩,至成王乃巡狩。

何を以て太平にして初めて巡狩するを知るや。武王は巡狩せざりき、成王に至りて初めて巡狩せり。

嶽者何謂也?嶽之為言桶,桶功德。東方為岱宗者?言萬物更相代於東方也。南方為霍山者?霍之為言護也,言萬物護也,太陽用事,護養萬物也。西方為華山者?華之為言獲也,言萬物成熟,可得獲也。北方為恆山?恆者,常也,萬物伏藏於北方,有常也。中央為嵩山,言其後大之也。故《尚書大傳》曰:“五嶽謂岱山、霍山、華山、恆山、嵩山也。”謂之瀆何?瀆者,濁也,中國垢濁,發源,東注海,其功著大,故稱瀆也。《爾雅》云:“江、河、淮、濟,為四瀆也。”

嶽とは何の意か。嶽の意は桷なり、功徳を衡量す。東方は岱宗なり、是れ万物東方に於て更相替代することを言う。南方は霍山なり。霍の意は護なり、是れ万物の護られ、太陽當令して、万物を護養することを言う。西方は華山なり。華の意は獲なり、是れ万物成熟して収穫すべきを言う。北方は恒山なり。恒は常なり、万物北方に於て伏蔵し、常規あり。中央は嵩山なり、是れ之を更に大ならしむるを言う。故に《尚書大伝》に「五嶽は岱山・霍山・華山・恒山・嵩山なり」とあります。瀆と曰うはなぜでしょうか。瀆は濁なり、中国の垢濁、源を発して後に東に注ぎ海に入る、功労顕著にして大なれば、故に瀆と称す。《爾雅》に「江・河・淮・済は四瀆なり」とあります。

○考黜

○考黜

諸侯所以考黜何?王者所以勉賢抑惡,重民之至也。《尚書》曰:“三載考績,三考黜陟。”

諸侯が考校黜陟する所以はなぜでしょうか。王者は以て賢人を勉励し悪を抑制し、民を重んずること極まるなり。《尚書》に「三年績を考え、三考にして黜陟す」とあります。

禮記九錫:車馬、衣服、樂、朱戶、納陛、虎賁、鉞、弓矢、鬯,皆隨其德可行而賜車馬,能安民者賜衣服,能使民和樂者賜以樂,民眾多者賜以朱戶,能進善者賜以納陛,能退惡者賜虎賁,能誅有罪者賜以鉞,能徵不義者賜以弓矢,孝道備者賜以鬯,以先後與施行之次,自不相逾,相為本末。然安民然後富貴而後樂,樂而後眾乃多賢,賢乃能進善,進善乃能退惡,退惡乃能斷刑。內能正已,外能正人,內外行備,孝道乃生。

礼記九錫:車馬・衣服・楽・朱戸・納陛・虎賁・「(底本の此字は生僻字)」鉞・弓矢・「(底本の此字は生僻字)」鬯、皆其の徳の行うべきに随い而して賜う。能く民を安んずれば車馬を賜い、能く民を和楽せしむれば楽を以て賜い、民衆多ければ朱戸を以て賜い、能く善を進めば納陛を以て賜い、能く悪を退けば虎賁を賜い、能く有罪を誅すれば「(底本の此字は生僻字)」鉞を以て賜い、能く不義を征すれば弓矢を以て賜い、孝道完備なれば「(底本の此字は生僻字)」鬯を以て賜う。先後と施行の次序に按ずれば、自然相踰越せず、互いに本末と為す。然るに民を安んじて然る後に富貴し、而後楽し、楽して而後人衆く、才多く賢く、賢ければ善を進めること能く、善を進むれば悪を退くること能く、悪を退くれば刑を断ずること能し。内に己を正し、外に人を正し、内外の行完備せば、孝道乃ち生出す。

能安民故賜車馬,以著其功德,安其身。能使人富足,衣食倉廩實,故賜衣服,以彰其體。能使民和樂,故賜之樂,以事其先也。《禮》曰:“夫賜樂者,不得以時王之樂,事其宗廟也。”朱,盛色,戶,所以紀民數也,故民眾多賜朱戶也。古者人君下賢,降階一等而禮之,故進賢賜之納陛,以優之也。既能進善,當能戒惡,故賜虎賁。虎賁者所以戒不虞而距惡。距惡當斷刑,故賜之鉞,所以斷大刑。刑罰既中,則能徵不義,故賜弓矢,弓矢所以徵不義、伐無道也。圭瓚鬯,宗廟之盛禮,故孝道備而賜之鬯,所以極著孝道。孝道純備,故內和外榮,玉以象德,金以配情,芬香條鬯以通神靈。玉飾其本君子之性,金飾其中君子之道。君子有黃中通理之道美素德。金者,精和之至也;玉者,德美之至也;鬯者,芬香之至也。君子有玉瓚、鬯乎,車者以配道德也,其至矣,合天下之極美以通其志也,其唯玉瓚、鬯乎。

能く民を安んずる故に車馬を賜うは、以て其の功徳を彰顯し、其の身を安んず。能く人を富足せしむる、衣食倉廩充実せば、故に衣服を賜う、以て其の体を彰明す。能く民を和楽せしむれば、故に楽を賜う、以て其の先人に事奉せんがためなり。《礼》に「楽を賜わる者は、時王の楽を以て其の宗廟に事奉すべからず」とあります。朱は盛色なり、戸は以て民数を記録す、故に民衆多ければ朱戸を賜う。古は人君賢人を礼下し、階を降りること一等にして彼を礼遇す、故に賢を進むれば納陛を賜う、以て彼を優待す。すでに能く善を進むれば、則ち能く悪を戒むべし、故に虎賁を賜う。虎賁は以て不測を戒備し悪を抗拒す。悪を抗拒すれば則ち刑を断ずべし、故に「(底本の此字は生僻字)」鉞を賜う、以て大刑を決断す。刑罰すでに中を得れば、則ち能く不義を征す、故に弓矢を賜う。弓矢は以て不義を征し無道を伐つ。圭瓚・「(底本の此字は生僻字)」鬯は宗廟の盛礼なり、故に孝道完備して初めて「(底本の此字は生僻字)」鬯を賜う、以て孝道を極尽して彰顯す。孝道純備なれば、故に内和・外栄す、玉は以て徳に象り、金は以て情に配し、芬香条鬯は以て神霊に通ず。玉は其の本を装飾す、是れ君子の性なり。金は其の中を装飾す、是れ君子の道なり。君子は黄中通理の道・美好質素の徳あり。金は精和の極まるなり、玉は徳美の極まるなり、鬯は芬香の極まるなり。君子に玉瓚・「(底本の此字は生僻字)」鬯あらんか、車は以て道徳に配し、極まりぬ、天下の最美に会合して其の志を通ずるは、蓋し玉瓚・「(底本の此字は生僻字)」鬯のみか。

車者,謂有赤有青之蓋,朱輪、特能居前左右寢米庶也。以其進止有節,德綏民,路車乘馬,以安其身。言成章,行成規,卷龍之衣服,表顯其德。長於教誨,內懷至仁,則賜時王樂,以化其民。尊賢達德,動作有禮,賜之納陛以安其體,居處修治,房內節,男女時配,貴賤有別,則賜朱戶,以明其德列。威武有矜,嚴仁堅強,賜以虎賁,以備非常。喜怒有節,誅伐刑,賜以鉞,使得專殺。好惡無私,執義不傾,賜以弓矢,使得專征。孝道之美,百行之本也,故賜以瓚,得專為賜也。故《王制》曰:“賜之弓矢然後專殺。”又曰:“賜圭瓚然後為暢,未賜者,資暢於天子。”《王度記》曰:“天子鬯、諸侯薰、大夫杞蘭、庶人艾。”

車とは、赤あり青あるの蓋あり、朱輪あり、特に能く前に居り、左右寝息して米庶を。彼の進止に節あり、徳能く民を安撫するを以て、路車乘馬、以て其の身を安んず。言成章し行成規すれば、巻龍の衣服、其の徳を表顕す。教誨に長じ、内に至仁を懐けば、則ち時王の楽を賜い、以て其の民を教化す。賢を尊び徳に達し、動作に礼あれば、納陛を賜いて以て其の体を安んず。居処修治して、房内に節あり、男女時に按じて匹配し、貴賤別あれば、則ち朱戸を賜い、以て其の徳の等列を彰明す。威武に矜あり、厳仁堅強なれば、虎賁を以て賜い、以て非常に防備す。喜怒に節あり、誅伐に刑を用いれば、「(底本の此字は生僻字)」鉞を以て賜い、彼をして能く殺を専らにせしむ。好悪私なく、義を執りて傾側せざれば、弓矢を以て賜い、彼をして能く征を専らにせしむ。孝道の美は、百行の根本なり、故に瓚を賜い、彼をして能く賜を専らにせしむ。故に《王制》に「弓矢を賜わりて而後殺を専らにす」とあり、また曰く「圭瓚を賜わりて而後鬯を為す、賜わらざるは、天子に向かいて鬯を求取す」と。《王度記》に「天子は鬯を用い、諸侯は薫を用い、大夫は杞蘭を用い、庶人は艾を用う」とあります。

車馬、衣服、樂三等者,賜與其物,《禮》:“天子賜諸侯民服車,路先設,路下四惡之。”又曰:“諸公奉選服。”《王制》曰:“天子賜諸侯樂則,以將之。”《詩》曰:“君子來朝,何錫與之。雖無與之,路車乘馬,又何與之?玄袞及黼。”《書》曰:“明試以功,車服以庸。”朱戶、納陛、虎賁者,皆與之制度,而鉞、弓矢、玉釒贊皆與之,物各因其宜也。者,黑黍,一稃二米。鬯者,以百草之香郁金合而釀之成為鬯。陽達於牆屋,入於淵泉,所以灌地降神也。玉瓚者,器名也,所以灌鬯之器也,以圭飾其柄,灌鬯貴玉器也。

車馬・衣服・楽の三等は、彼に実物を賜う。《礼》に「天子、諸侯に民服車を賜う、路車は先に陳設し、路下は車下四匹」とあり、また曰く「諸公は選定の服を奉進す」と。《王制》に「天子、諸侯に楽を賜えば、則ち「(底本の此字は生僻字)」を以て將送す」とあり、《詩経》に「君子來朝すれば、何を錫い之に与えん。与える無しといえども、路車乘馬、また何を之に与えん。玄袞及び黼」とあり、《書》に「明白に功を以て試験し、車服を以て庸に酬ゆ」とあります。朱戸・納陛・虎賁は、皆彼に制度を与え、而「(底本の此字は生僻字)」鉞・弓矢・玉瓚は皆彼に実物を与え、各々宜しき所に按ず。「(底本の此字は生僻字)」は、黒黍なり、一稃二米。鬯は、百草の香・郁金を合せて鬯を醸成す。陽は墻屋に通達し、淵泉に入り、以て地を灌ぎ神を降す。玉瓚は器の名なり、以て鬯を灌ぐの器、圭を以て其の柄を装飾し、鬯を灌ぐに玉器を以て貴しと為す。

所以三歲一考績何?三年有成,故於是賞有功,黜不肖。《尚書》曰:“三載考績,三考黜陟。”何以知始考輒黜之?《尚書》曰:“三年一考,少黜以地。”《書》所以言三考黜者,謂爵土異也。小國考之有功,增土進爵;後考無功,削黜,後考有功,上而賜之矣。五十里不過五賜而進爵土,七十里不過七賜而進爵土,能有小大,行有進退也。一說:盛德始封百里者,賜三等,得征伐、專殺、斷獄。七十里伯始封賜二等,至虎賁百人。後有功,賜弓矢。後有功,賜鬯,增爵為侯,益土百里。復有功,入為三公。五十里子男始封賜一等,至樂則。復有功,稍賜至虎賁,增爵為伯。復有功,稍賜至鬯,增爵為侯。未賜鉞者,從大國連率、方伯而斷獄。

三年に一考績する所以はなぜでしょうか。三年に成有れば、故にこの時功あるを賞し不肖を黜す。《尚書》に「三載績を考え、三考にして黜陟す」とあります。何を以て初めの考に則ち黜するを知るや。《尚書》に「三年一考、稍々地を削る」とあります。《書》が三考にして初めて黜すると言う所以は、爵と土と同じからざるを言うなり。小国考して功あれば、土を増し爵を進め、後に考して功なければ、削黜し、後に考して功あれば、則ち上進して彼を賜う。五十里は五度の賜を過ぎざれば爵土を進め、七十里は七度の賜を過ぎざれば爵土を進め、能力に小大あり、行に進退あり。一説に、盛徳始めて百里を封せらるるは、三等を賜い、能く征伐し、殺を専らにし、獄を断ず。七十里の伯始封は二等を賜い、虎賁百人に至る。後に功あれば、弓矢を賜う。後に功あれば、「(底本の此字は生僻字)」鬯を賜い、爵を増して侯と為し、土を加えること百里。再び功あれば、入朝して三公と為る。五十里の子男始封は一等を賜い、楽に至る。再び功あれば、漸々賜いて虎賁に至り、爵を増して伯と為す。再び功あれば、漸々賜いて「(底本の此字は生僻字)」鬯に至り、爵を増して侯と為す。「(底本の此字は生僻字)」鉞を賜わらざる者は、大国の連率・方伯に隨従して來りて獄を断ず。

受命之五,致太平之主,美群臣上下之功,故盡封之。及中興征伐,大功皆封,所以著大功。盛德之士亦封之,所以尊有德也。以德封者,必試之為附庸,三年有功,因而封五十里。元士有功者亦為附庸,世其位。大夫有功成,封五十里。卿功成,封七十里。公功成,封百里。士有功德遷為大夫,大夫有功德遷為卿,卿有功德遷為公,故爵主有德、封主有功也。

命を受けたるの王・太平を達致したるの主は、群臣上下の功を賛美す、故に悉く彼らを封ず。中興征伐に至りて、大功皆封ず、以て大功を彰顯す。盛徳の士もまた封ず、以て徳あるを尊ぶ。徳に凭りて封を受くる者は、必ず先に附庸を為るを試み、三年功あれば、因りて五十里を封ず。元士に功ある者もまた附庸を為り、世々禄位を襲ぐ。大夫功成就すれば、五十里を封ず。卿功成れば、七十里を封ず。公功成れば、百里を封ず。士に功徳あれば大夫に升り、大夫に功徳あれば卿に升り、卿に功徳あれば公に升る。故に爵は徳あるを主管し、封は功あるを主管す。

諸侯有九賜習其賜者何?子之能否未可知也。或曰得之,但未得行其習以專也,三年有功則皆得用之矣。二考無功則削其地,而賜自並知,明本非其身所得也。身得之者,得以賜,當稍黜之,爵所以封賢也。三公功成當封而死,得立其子為附庸,賢者之體能有一也,不二矣。一削為七十里侯,再削為七十里伯,三削為寄公。七十里伯,一削為五十里伯,一削為五十里子,三削地盡。五十里子,一削為三十里子,再削為三十里男,三削地盡。五十里男,一削為三十里男,再削為三十里附庸,三削爵盡。

諸侯に九賜ありて其の賜を演習するはなぜでしょうか。子の能不能は未だ知らず。或る人曰くすでに得たり、ただ未だ能くその套の演習を専行すること能わず、三年功あれば則ち皆能く用う。二度考して功なければ則ち其の地を削り、而して賜は自然併せて知る、もともと其の身の得る所に非ざるを表明す。身の得たるは、賜に凭ること能く、當に漸々彼を黜すべし。爵は以て賢を封ず。三公功成りて封ずべきにして死せば、能く其の子を立てて附庸と為す、賢者の体は一種有るのみ、二種あること能わず。一度削れば七十里侯と為り、再び削れば七十里伯と為り、三度削れば寄公と為る。七十里伯は、一削して五十里伯と為り、再削して五十里子と為り、三削して地尽く。五十里子は、一削して三十里子と為り、再削して三十里男と為り、三削して地尽く。五十里男は、一削して三十里男と為り、再削して三十里附庸と為り、三削して爵尽く。

所以至三削何?禮成於三,三三而不改,雖反無益矣也。《尚書》曰:“三考黜陟。”

三度削るに至る所以はなぜでしょうか。礼は三に於て成る、三度にしてなお改めざれば、反るといえども益なきなり。《尚書》に「三考黜陟」とあります。

先削地、後絀爵者何?爵者,尊號也;地者,人所任也。今不能治廣土眾民,故先削其土地也。故《王制》曰:“宗廟有不順者,君絀以爵;山川神祗有不舉者,君削以地。”明爵土不相隨也。或曰:惡人貪狼重土,故先削其所重者以懼之也。

先に地を削り後に爵を黜するはなぜでしょうか。爵は尊号なり、地は人の担任する所なり。今や広土衆民を治理すること能わざれば、故に先に其の土地を削る。故に《王制》に「宗廟に順ならざる有れば、君は其の爵を黜し、山川神祇に祭祀せざる有れば、君は其の地を削る」とあるは、爵と土は相隨従せざるを表明す。或る人曰く、悪人は貪狼にして土地を重んず、故に先に其の重んずる所を削りて以て彼を懼怕せしむ。

諸侯始封爵土相隨者何?君子重德薄刑,賞疑從重,《詩》云:“三曰叔父,建爾元子,俾侯於魯。”

諸侯が始封に爵と土と相隨従するはなぜでしょうか。君子は徳を重んじ刑を軽んじ、賞に疑あれば則ち重に従う。《詩経》に「王曰く叔父、爾の元子を建て、魯に侯たらしめん」とあります。

君幼稚,唯考不黜者何?君子不備責童子也。《禮》八十曰耄,九十曰悼,悼與耄。雖有罪,不加刑焉。

君幼小にして、考するといえども黜せざるはなぜでしょうか。君子は童子を責むるに完備せざるなり。《礼》に八十は耄と曰い九十は悼と曰う。悼と耄は罪ありといえども、刑を加えず。

二王后不貶黜者何?尊賓客、重先王也,以其當公也。罪惡足以絕之即絕,更立其次。周公誅祿甫,立微子。

二王の後を貶黜せざるはなぜでしょうか。賓客を尊び先王を重んずるは、彼らが公に相当すればなり。罪悪が絶するに足れば絶し、再び其の次なるを立つ。周公が禄甫を誅して微子を立てしがごとし。

妻父母不削,己昆弟削而不黜何?非以賢能得之也。至於老小但令得大夫受其罪而已。

妻の父母は削らず、己の昆弟は削りて黜せざるはなぜでしょうか。賢能に凭りて得たるに非ざればなり。老小に至りては、ただ大夫の位を得せしめ自ら罪を受くるのみ。

諸侯喑聾跛惡疾,不免黜者何?尊人君也。《春秋》曰:“甲戌、己丑,陳侯鮑卒。”《傳》曰:“甲戌之日亡,己丑之死而得。”有狂易之病,蜚亡而死,由不絕也。

諸侯が瘖唖・耳聾・跛・「(底本の此字は生僻字)」・悪疾あれば、黜せられるを免れざるはなぜでしょうか。人君を尊ぶなり。《春秋》に「甲戌・己丑、陳侯鮑卒す」とあり、《伝》に「甲戌の日に亡失し、己丑の日に其の死の訃を得たり」とあります。狂易の病あり、飛亡して死す、これに因りて絶せず。

世子有惡疾廢者何?以其不可承先祖也,故《春秋傳》曰:“兄弟何以不立?疾也。何疾?惡疾也。”

世子に悪疾あって廃せらるるはなぜでしょうか。彼は先祖を承奉すべからざればなり。故に《春秋伝》に「兄弟何ぞ立てざるや。疾有ればなり。何の疾ぞや。悪疾なり」とあります。

●卷六

●巻六

○王者不臣

○王者不臣

王者所以不臣三,何也?謂天王之後,妻之父母,夷狄也。不臣二王之後者,尊先王通天下之三統也。《詩》云:“有客有客,亦白其馬。”謂微子朝周也。《尚書》曰:“虞賓在位。”不臣丹朱也。不臣妻父母何?妻者,與己一體,恭承宗廟,欲得其歡心,上承先祖,下繼萬世,傳於無窮,故不臣也。《春秋》曰:“紀季姜歸於京師。”父母之於子,雖為王后,尊不加於父母,加王何。王者不臣也。又譏宋三世內娶於國中,謂無臣也。夷狄者,與中國絕域異俗,非中和氣所生,非禮義所能化,故不臣也。《春秋傳》曰:“夷狄相誘,君子不疾。”《尚書大傳》曰:“正朔所不加,即君子所不臣也。”

王者が臣とせざる所に三類あり、何ぞや。是れ二王の後・妻の父母・夷狄を言うなり。二王の後を臣とせざるは、先王を尊び天下の三統を貫通す。《詩経》に「客あり客あり、亦た其の馬白し」とあるは、微子が周に朝することを言うなり。《尚書》に「虞の賓位に在り」とあるは、丹朱を臣とせざるなり。妻の父母を臣とせざるはなぜでしょうか。妻は己と一体にして、恭敬して宗廟を承奉す、彼らの歓心を得んと欲し、上は先祖を承け、下は万世に継ぎ、伝えて無窮ならん、故に臣とせず。《春秋》に「紀季姜、京師に帰す」とあります。父母の子女に対しては、王后と為るといえども、尊は父母の上に加わらず、しかして王に加わるはなぜでしょうか。王者は臣とせざるなり。また宋が三世に國中に内娶するを譏るは、臣なしを言うなり。夷狄は中国と絶域にして俗を異にし、中和の気の生ずる所に非ず、礼義の教化し得る所に非ず、故に臣とせず。《春秋伝》に「夷狄は相誘騙す、君子は痛恨せず」とあり、《尚書大伝》に「正朔の加わらざる所は、則ち君子の臣とせざる所なり」とあります。

王者有不臣者五,謂祭尸、受授之師,將帥用兵、三老、五更。不臣祭尸者,方與尊者配也。不臣受授之師者,尊師重道,欲使極陳天人之意也,故《禮?學記》曰:“當其為師,則不臣也。當其為屍,則不臣也。”不臣將帥用兵者,重士眾為敵國,國不可從外治,兵不可從內御,欲成其威,一其令。《春秋》之義,兵不稱使,明不可臣也。不臣三老、五更者,欲率天下,為人子弟。《禮》曰:“父事三老,兄事五更。”

王者に「(底本の此字は生僻字)」臣とせざる五種あり、是れ祭尸・伝授の師・将帥の用兵・三老・五更を言うなり。祭尸を臣とせざるは、正に尊者と配せんとするが故なり。伝授の師を臣とせざるは、師を尊び道を重んじ、彼をして天人の意を極尽して陳説せしめんと欲すればなり。故に《礼・学記》に「其の師を為すに當りては、則ち臣とせず。其の尸を為すに當りては、則ち臣とせず」とあります。将帥の用兵を臣とせざるは、士衆を重んじ敵国と為す、国は外より治むべからず、兵は内より遥制すべからず、其の威を成就し其の令を統一せんと欲すればなり。《春秋》の義は、兵に「使」と称せず、臣とすべからざるを表明す。三老・五更を臣とせざるは、天下を率いて人の子弟を為らしめんと欲するなり。《礼》に「三老を以て父と事奉し、五更を以て兄と事奉せよ」とあります。

王者不純臣諸侯何?尊重之。以其列土傳子孫,世世稱君,南面而治。凡不臣異。朝則迎之於著,覲則待之於阼階,升階自西階,為庭燎,設九賓,享禮而後歸。是異於眾臣也。

王者が諸侯を完全に臣と為さざるはなぜでしょうか。彼らを尊重すればなり。彼らは土を列し子孫に伝え、世世君と称し、南面して治むればなり。およそ臣とせざるは皆同じからず。朝見すれば則ち著に於て迎接し、覲見すれば則ち阼階に於て等待し、西階より升り、庭燎を設け、九賓を設け、享礼を挙行して然る後に帰る。是れ衆臣と異なるなり。

始封之君不臣諸父、弟何?不忍以己一日之功德加於諸父、昆弟也。故《禮?服傳》曰:“封君之子不臣諸父,封君之孫盡臣之。”

始封の君が諸父・弟を臣と為さざるはなぜでしょうか。己の一日の功徳を以て諸父・昆弟の上に加うるに忍びざるなり。故に《礼・服伝》に「封君の子は諸父を臣と為さず、封君の孫は則ち悉く臣と為す」とあります。

《禮?服傳》曰:“子得為父臣者,不遺善之義也。”《詩》云:“文武受命,召公雖翰。”召公,文王子也。《傳》曰:“子不得為父臣者,閨門尚和,朝廷尚敬,人不能無過失,為恩傷義也。”

《礼・服伝》に「子は能く父の臣と為るは、善を遺棄せざるの義なり」とあります。《詩経》に「文武命を受く、召公維れ翰なり」とあり、召公は文王の子なり。《伝》に「子は父の臣と為ること能わず、閨門は和を崇尚し朝廷は敬を崇尚す、人に過失無きこと能わず、恩に因りて義を傷害せん」とあります。

王者臣不得為諸侯臣,以其尊當與諸侯同。《春秋傳》曰:“許公不世,待以初。”或曰:王者臣得復為諸侯臣者,為衰世主上不明,賢者非其罪而去,道不施行,百姓不得其所,復令得為諸侯臣,施行其道。《易》曰:“不事王侯。”此據言王之致仕臣也,言不事王可知,復言侯者,明年少復得仕於諸侯也。

王者の臣は諸侯の臣と為ること能わず、其の尊は諸侯と相同じきべければなり。《春秋伝》に「許公は世襲せず、当初の礼を以て待つ」とあります。或る人曰く、王者の臣は能く諸侯の臣と為る、衰世は主上明ならず、賢人は己の罪に因らずして去り、道は施行すること能わず、百姓は其の所を得ず、再び彼をして諸侯の臣と為ることを得せしめ、其の道を施行せしむ。《易》に「王侯に事えず」とあるは、王の致仕の臣に拠りて言うなり、王に事えざるはすでに知るべし、また侯と言うは、年少にしてなお諸侯に在りて官を為すべきを表明す。

王者臣有不名者五:先王老臣不名。親與先王戮力共治國同功於天下,故尊而不名也。《尚書》曰:“諮,爾伯。”不言名也,不名者,貴賢者而已。共成先祖功德,德加於百姓者也。《春秋》曰:“單父不言名。”《傳》曰:“大夫之命於天子者大也。”盛德之士不名,尊賢也。《春秋》曰:“公弟叔ツ。”諸父、諸兄不名。諸父、諸兄者,親與己父、兄有敵體之義也。《詩》云:“王曰叔父。”《春秋傳》曰:“王禮者何?無長之稱也。不名盛德之士者,不可屈爵祿也。”故《韓詩內傳》曰:“師臣者帝,交友受臣者王,臣臣者爵,魯臣者亡不行。”

王者の臣に五種の名を称せざるあり。先王の老臣は名を称せず。親ら先王と力を合せ共に国を治め、天下に功を同じくしたれば、故に尊びて名を称せず。《尚書》に「咨、爾伯」とあり、名を称せず。名を称せざるは、ただ賢人を貴ぶのみ。共に先祖の功徳を成就し徳を百姓に加えたる。《春秋》に「単父は名を称せず」とあり、《伝》に「大夫の天子の任命する所は、是大なり」とあります。盛徳の士は名を称せざるは、賢を尊ぶなり。《春秋》に「公の弟叔肸」とあります。諸父・諸兄は名を称せず。諸父・諸兄は、親にして己の父・兄と匹敵の体の義あり。《詩経》に「王曰く叔父」とあり、《春秋伝》に「王礼とは何ぞや。是れ長幼の称呼なきなり。盛徳の士の名を称せざるは、以て爵禄を以て彼に屈加すべからざるなり」とあります。故に《韓詩内伝》に「師を以て臣と為すは帝なり、交友を以て臣を受くるは王なり、臣を以て臣と為すは爵を得、臣を以て奴虜と為すは滅亡して行われず」とあります。

○蓍龜

○蓍亀

天子下至士,皆有蓍龜者,重事決疑,亦不自專。《尚書》曰:“女則有大疑,謀及卿士,謀及庶人,謀及卜筮。”定天下之吉凶,成天下之者,莫善乎蓍龜。

天子より下りて士に至るまで、皆蓍亀あり、事を重んじ疑惑を決断し、また自ら専断せざるなり。《尚書》に「汝若し大疑有らば、卿士に謀り、庶人に謀り、卜筮に謀れ」とあります。天下の吉凶を確定し、天下の「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」を成就するに、蓍亀より善きはなし。

《禮三正記》曰:“天子龜長一尺二寸,諸侯一尺,大夫八寸,士六寸。龜陰,故數偶也。天子蓍長九尺,諸侯七尺,大夫五尺,士三尺。蓍陽,故數奇也。”

《礼三正記》に「天子の亀は長さ一尺二寸、諸侯は一尺、大夫は八寸、士は六寸。亀は陰なり、故に数は偶数を用う。天子の蓍は長さ九尺、諸侯は七尺、大夫は五尺、士は三尺。蓍は陽なり、故に数は奇数を用う」とあります。

所以先謀及卿士何?先盡人事,念而不能得,思而不能知,然後問於蓍龜。聖人獨見先睹,必問著龜何?示不自專也。或曰:清微無端緒,非聖人所及,聖人亦疑之。《尚書》曰:“女則有疑。”謂武王也。乾草枯骨,眾多非一,獨以灼龜何?此天地之間壽考之物,故問之也。龜之為言久也,蓍之為言耆也,久長意也。龜曰卜、蓍曰筮何?卜,赴也,爆見兆也;者信也,見其卦也。《尚書》曰:“卜三龜。”《禮?士冠經》曰:“筮於廟門外。”

先に卿士に謀る所以はなぜでしょうか。先に人事を尽くし、念じて得ること能わず、思うて知ること能わざれば、然る後に蓍亀に問う。聖人は独自に預見し先に見る、必ずなお蓍亀に問うはなぜでしょうか。自ら専断せざるを表すなり。或る人曰く、清微に端緒なく、聖人の及ぶ能くする所に非ず、聖人もまた疑惑す。《尚書》に「汝若し疑有らば」とあるは、武王を言うなり。干草枯骨、衆多にして一ならず、しかして独り灼亀を用うるはなぜでしょうか。是れ天地の間の寿考の物なれば、故に之に問う。亀の意は久なり、蓍の意は耆なり、是れ久長の意なり。亀は卜と曰い蓍は筮と曰うはなぜでしょうか。卜は赴なり、爆裂して兆「(底本の此字は生僻字)」を現出す。蓍は信なり、其の卦を現出す。《尚書》に「三亀を卜す」とあり、《礼・士冠経》に「廟門の外に於て筮す」とあります。

筮畫卦所以必於廟何?托義歸智於先祖至尊,故因先祖而問之也。

筮して卦を画くに必ず廟に於てする所以はなぜでしょうか。義を寄託し智を先祖の至尊に帰す、故に先祖を借りて以て問う。

卜,春秋何方?以為於西方東面,蓋蓍之處也。卜時西向,己卜退,東向。問蓍於東方面,以少問老之義。

卜は、春秋いずれの方位に在るか。西方に在りて東に朝すと考え、蓋し蓍の処所なり。卜する時に西に向かい、卜し畢りて退下して、東に向かう。東方に於て蓍に面問するは、少を以て老に問うの義なり。

皮弁素積,求之於質也。《禮》曰:“皮弁素積,筮於廟門之外。”

皮弁・素積は、質朴に向かいて求取す。《礼》に「皮弁素積、廟門の外に於て筮す」とあります。

或曰:天子占卜九人,諸侯七人,大夫五人,士三人。又《尚書》曰:“三人占,則從二人之言。”

或る人曰く、天子の占卜は九人、諸侯は七人、大夫は五人、士は三人。また《尚書》に「三人占すれば、則ち二人の言に依従せよ」とあります。

不見吉凶於蓍,復以卜何?蓍者,陽道多變,變乃成。

蓍の上に吉凶を見ること能わざれば、再用して卜するはなぜでしょうか。蓍は陽道にして多変、変じて初めて成就す。

龜以荊火灼之何?《禮?雜記》曰:“龜,陰之老也。蓍,陽之老也。龍非水不處,龜非火不兆。以陽動陰也。”必以荊者,取其究音也。《禮三正記》曰:“灼龜以荊。”以火動龜,不以水動蓍何?以為嘔則是也。

亀は荆火を以て灼くはなぜでしょうか。《礼・雑記》に「亀は陰の老なり。蓍は陽の老なり。龍は水なくんば居処せず、亀は火なくんば兆を現わさず。陽を以て陰を発動す」とあります。必ず荆を用うるは、其の究尽の音を取るなり。《礼三正記》に「荆を以て亀を灼く」とあります。火を以て亀を発動し、水を以て蓍を発動せざるはなぜでしょうか。嘔は即ち此の如しと考えるなり。

蓍龜敗則埋之何?重之,不欲人襲尊者也。

蓍亀が敗壊すれば則ち埋掉するはなぜでしょうか。之を重んじ、人をして此の尊貴の物を沿袭せしめんと欲せざるなり。

《周官》曰:“凡國之大事,先筮而後卜。凡卜,人君視體,大夫視色,士視墨。”“凡人卜事,視高,揚火以作龜。”“凡取龜用秋時,攻龜用冬時。”

《周官》に「およそ国の大事は、先に筮して後に卜す。およそ卜は、人君は体を看、大夫は色を看、士は墨を看る」「およそ人の卜事は、高きを看、火を揚げて以て亀を作す」「およそ亀を取るは秋の時を用い、亀を整治するは冬の時を用う」とあります。

○聖人

○聖人

聖人者何?聖者,通也,道也,聲也。道無所不通,明無所不照,聞聲知情,與天地合德,日月合明,四時合序,鬼神合吉凶。《禮別名記》曰:“五人曰茂,十人曰選,百人曰俊,千人曰英,倍英曰賢,萬人曰傑,萬傑曰聖。”

聖人とは何か。聖は通なり、道なり、声なり。道に通達せざるなく、明に照らさざるなく、声音を聞けば即ち情を知り、天地と徳を合し、日月と明を合し、四時と序を合し、鬼神と吉凶を合す。《礼別名記》に「五人は茂と曰い、十人は選と曰い、百人は俊と曰い、千人は英と曰い、英に倍するは賢と曰い、万人は杰と曰い、万杰は聖と曰う」とあります。

聖人未沒時,寧知其聖乎?曰知之。《論語》曰:“太宰問子貢曰:‘夫子聖者歟?’孔子曰:‘太宰知我乎?’”聖人亦自知聖乎?曰:知之。孔子曰:“文王既沒,文不在茲乎。”

聖人未だ去世せざる時、豈に彼の聖なるを知るや。曰く、知る。《論語》に「太宰、子貢に問う『夫子は聖人か』。孔子曰く『太宰は我を知るか』」とあります。聖人もまた自ら聖を知るや。曰く、知る。孔子曰く「文王すでに没し、文はここに在らずや」と。

何以知帝、王聖人也?《易》曰:“古者伏羲氏之王天下也,於是始作八卦。”又曰:“聖人之作易也。”又曰:“伏羲氏沒,神農氏作。神農沒,黃帝、堯、舜氏作。”文俱言作,明皆聖人也。《論語》曰:“聖乎堯舜,其由病諸。”

何を以て帝・王は聖人と知るや。《易》に「古、伏犧氏天下に王と称し、是に於て始めて八卦を作る」とあり、また曰く「聖人《易》を作る」とあり、また曰く「伏犧氏没し、神農氏興る。神農没し、黄帝・尭・舜氏興る」とあります。文は皆「作」と曰う、皆聖人なるを表明す。《論語》に「聖なること尭舜の如きも、蓋しなおこれらを憂う」とあります。

何以言禹、湯聖人?《論語》曰:“巍巍乎舜、禹之有天下而不預焉。”與舜比方巍巍,知禹、湯聖人。《春秋傳》曰:“湯以盛德,故放桀。”

何を以て禹・湯は聖人と言うや。《論語》に「巍巍乎、舜・禹の天下を有ちて預らざる」とあり、舜と比方して巍巍なれば、禹・湯は聖人と知る。《春秋伝》に「湯は盛徳を以て、故に桀を放つ」とあります。

何以言文王、武王、周公皆聖人?《詩》曰:“文王受命。”非聖不能受命。《易》曰:“湯武革命,順乎天。”湯武與文王比方。《孝經》曰:“則周公其人也。”下言“夫聖人之德,又何以加於孝乎?”

何を以て文王・武王・周公は皆聖人と言うや。《詩経》に「文王命を受く」とあり、聖に非ざれば命を受くること能わず。《易》に「湯武革命、天に順う」とあり、湯武は文王と比方す。《孝経》に「則ち周公其の人なり」とあり、下に曰く「夫れ聖人の徳、又何を以て孝に加えん」と。

何以言皋陶聖人也?以《自篇》曰:“若稽古皋陶”。聖人而能為舜陳道。“朕言惠可底行。”又:“旁施象刑,維明”。

何を以て皐陶は聖人と言うや。《皐陶謨》に「若し古を稽うれば皐陶」とあるを以てなり。聖人なればこそ能く舜のために道を陳説す。「朕が言、惠、行に底り可なり」とあり、また「旁ら象刑を施し、維れ明なり」と。

又聖人皆有表異,《傳》曰:“伏羲祿、衡連珠、唯大目、鼻龍伏,作《易》八卦以應樞。黃帝顏,得天匡陽,上法中宿,取象文昌。顓頊戴午,是謂清明,發節移度,蓋象招搖。帝嚳駢齒,上法月參,康度成紀,取理陰陽。堯眉八彩,是謂通明,曆象日月、璇璣玉衡。舜重瞳子,是謂玄景,上應攝提,以象三光。”

また聖人は皆表異あり、《伝》に「伏犧は禄・衡連珠にして、大目・鼻は龍伏に象り、《易》八卦を作りて以て枢に応ず。黄帝は顔、天匡陽を得、上は中宿に法り、象を文昌に取る。顓頊は午を戴く、此を清明と謂い、節を発し度を移し、象を招揺に取る。帝嚳は駢歯、上は月参に法り、康度紀を成し、取りて以て陰陽を治理す。尭は眉八彩、此を通明と謂い、象を日月・璇璣玉衡に歴す。舜は重瞳子、此を玄景と謂い、上は摂提に応じ、象を三光に取る」とあります。

《禮》曰:“禹耳三漏,是謂大通,興利除害,決河疏江。皋陶馬喙,是謂至誠,決獄明白,察於人情。湯臂三肘,是謂柳翼,攘去不義,萬民鹹息。文王四乳,是謂至仁,天下所歸,百姓所親。武王望羊,是謂攝揚,盱目陳兵,天下富昌。周公背僂,是謂強俊,成就周道,輔於幼主。孔子反宇,是謂尼甫,立德澤所興,藏元通流。”聖人所以能獨見前睹,與神通精者,蓋皆天所生也。

《礼》に「禹は耳三漏、此を大通と謂い、利を興し害を除き、河を決し江を疏す。皐陶は馬喙、此を至誠と謂い、獄を決し明白にして、人情に察す。湯は臂三肘、此を柳翼と謂い、不義を攘去し、万民皆安息す。文王は四乳、此を至仁と謂い、天下の帰する所、百姓の親する所。武王は望羊、此を摂揚と謂い、目を張り兵を陳じ、天下富昌す。周公は背僂、此を強俊と謂い、周道を成就し、幼主を輔佐す。孔子は反宇、此を尼甫と謂い、徳沢の興る所を立て、元を蔵し流を通ず」とあります。聖人が独自に預見し預め見ること能くし、神と通精する所以は、蓋し皆天の生ずる所なり。

○八風

○八風

風者何謂也?風之為言萌也,養物成功,所以象八卦。

風とは何の意か。風の意は萌なり、物を養い功を成し、以て八卦に象る。

陽立於五,極於九,五九四十五日變,變以為風,陰合陽以生風。距冬至四十五日條風至。條者,王也。四十五日明庶風至。明庶者,迎眾也。四十五日清明風至。清明者,青芒也。四十五日景風至。景大風,陽氣長養。四十五日涼風至。涼,寒也,行陰氣也。四十五日昌盍風至。戒收藏也。四十五日不周風至。不周者,不交也,陰陽未合化也。四十五日廣莫風。廣莫者,大也,同陽氣也。

陽は五に立ち、九に極まり、五九四十五日に一変し、変じて則ち風と為る、陰は陽に合して以て風を生ず。冬至に距ること四十五日にして条風至る。条は、王なり。四十五日にして明庶風至る。明庶は、衆を迎うるなり。四十五日にして清明風至る。清明は、青芒なり。四十五日にして景風至る。景は大風なり、陽気は長養す。四十五日にして涼風至る。涼は寒なり、陰気を行う。四十五日にして閶闔風至る。収蔵を警戒す。四十五日にして不周風至る。不周は、不交なり、陰陽未だ合化せず。四十五日にして広莫風。広莫は大なり、陽気に会同す。

故曰:條風至地暖,明庶風至萬物產,清明風至物形乾,景風至棘造實,涼風至黍禾乾,昌盍風至生薺麥,不周風至蟄蟲匿,廣莫風至則萬物伏。是以王者承順之,條風至則出輕刑、解稽留,明庶風至則修封疆、埋田疇,清明風至出幣帛、使諸侯,景風至則爵有德、封有功,涼風至報地德,化四鄉,昌盍風至則申象刑、飾倉,不周風至則築宮室、修城郭,廣莫風至則斷大辟、行獄刑。

故に曰く、条風至れば地暖かなり、明庶風至れば万物産出し、清明風至れば物形乾燥し、景風至れば棘実を結び、涼風至れば黍禾乾燥し、閶闔風至れば薺麦生長し、不周風至れば蟄虫蔵匿し、広莫風至れば則ち万物伏蔵す。これに因りて王者は之を承順す。条風至れば則ち刑罰を軽減し稽留を解除し、明庶風至れば則ち封疆を修め田疇を治理し、清明風至れば則ち幣帛を拿出し諸侯に出使し、景風至れば則ち徳ある者に爵を与え功ある者を封じ、涼風至れば則ち地徳に報答し四方を教化し、閶闔風至れば則ち象刑を申明し「(底本の此字は生僻字)」倉を整飾し、不周風至れば則ち宮室を築き城郭を修め、広莫風至れば則ち大辟を決断し獄刑を施行す。

○商賈

○商賈

商、賈何謂也?商之為言,商其遠近、度其有亡、通四方之物,故謂之商也。賈之為言固,固有其用物以待民來,以求其利者也。行曰商,止曰賈。《易》曰:“先王以至日閉關,商旅不行,後不省方。”《論語》曰:“沽之哉,我待賈者也。”即如是,《尚書》曰:“肇牽車牛,遠服賈用”?方言遠行可知也。方言欽厥父母,欲留供養之也。

商・賈とは何の意か。商の意は遠近を商量し有無を度量し四方の物を流通す、故に商と曰う。賈の意は固なり、己有の用物を固守して以て民の來るを待ち、利益を求取す。行走するを商と曰い、停住するを賈と曰う。《易》に「先王は至日に関を閉じ、商旅は行かず、后は再び四方を巡省せず」とあり、《論語》に「沽んかな、我は賈を待つ者なり」とあります。若し此の如し、《尚書》に「肇めて車牛を牽き、遠く賈用に服す」とあるは又如何。曰く、遠行と言えば則ち知るべし。厥の父母を欽と曰うは、留めて供養せんと欲するなり。

●卷七

●巻七

○文質

○文質

王者始立,諸侯皆見何?當受法稟正教也。《尚書》:“輯五瑞,覲四嶽。”謂舜始即位,見四方諸侯,合符信。《詩》云:“玄王桓撥,受小國是達,受大國是達。”言湯王天下,大小國諸侯皆來見,湯能通達以禮義也。《周頌》曰:“烈文闢公,錫茲祉福。”言武王伐紂定天下,諸侯來會,聚於京師受法度也。遠近莫不至,受命之君天之所興,四方莫敢違,夷狄鹹率服故也。

王者が剛く立てば、諸侯皆來り見ゆるはなぜでしょうか。法を受け正教を禀受すべきなればなり。《尚書》に「五瑞を輯め、四嶽に覲す」とあるは、舜が剛く位に即き、四方の諸侯に会見し、符信を合することを言うなり。《詩経》に「玄王桓撥、小国を受けてこれ達し、大国を受けてこれ達す」とあるは、湯が天下に王と称し、大小国の諸侯皆來り見え、湯は能く礼義を以て通達することを言うなり。《周頌》に「烈文たる辟公、茲の祉福を錫う」とあるは、武王が紂を伐ちて天下を安んじ、諸侯來り会し、京師に聚りて法度を受くるを言うなり。遠近に至らざるなきは、命を受けたるの君は天の興す所なれば、四方敢えて違わず、夷狄皆率服す。

何謂五瑞,謂、璧、琮、璜、璋也。《禮》曰:“天子尺有二寸。”又曰:“博三寸,剡上寸半,厚半寸。半為璋。方中圓外曰璧。半璧曰璜。圓中牙身玄外曰琮。《禮記王度》曰:“王者,有象君之德,燥不輕,溼不重,薄不澆,廉不傷,疵不掩,是以人君寶之。”天子之純玉尺有二寸。公侯九寸,四玉一石也。伯、子、男俱三玉二石也。

五瑞とは何か。是れ「(底本の此字は生僻字)」・璧・琮・璜・璋を言うなり。《礼》に「天子の「(底本の此字は生僻字)」は一尺二寸」とあり、また曰く「寛さ三寸、上は削ること一寸半、厚さ半寸。「(底本の此字は生僻字)」を半ばするは璋なり。方中円外を璧と曰う。半璧を璜と曰う。円中にして牙あり玄外なるを琮と曰う」と。《礼記王度》に「玉は、君の徳に象る所有り、乾燥にして軽からず、潮湿にして重からず、薄くして澆薄ならず、廉にして人を傷つけず、疵あって掩蓋せず、これに因りて人君これを宝愛す」とあります。天子の純玉は一尺二寸。公侯は九寸、四玉一石。伯・子・男は皆三玉二石。

五玉者各何施?蓋以為璜以徵召,璧以聘問,璋以發兵,以信質,琮以起土功之事也。

五玉は各々何処に用いるか。蓋し璜は以て徵召し、璧は以て聘問し、璋は以て兵を発し、「(底本の此字は生僻字)」は以て信質と為し、琮は以て土功の事を興起す。

以為信者何?者兌上,象物皆生,見於上也。信莫著於作見,故以為信,而見萬物之始,莫不自潔。之為言潔也,上兌陽也,下方陰也。陽尊,故其禮順備也。在位東方,陽見義於上也。

「(底本の此字は生僻字)」を以て信と為すはなぜでしょうか。「(底本の此字は生僻字)」の上端は尖鋭にして、物皆生長して上に顕現するに象る。信は顕現するより著なるはなし、故に「(底本の此字は生僻字)」を以て信と為し、而して万物の始めを見れば、自ら潔浄ならざるなし。「(底本の此字は生僻字)」の意は潔なり、上鋭は陽にして下方は陰なり。陽は尊し、故に礼順にして完備す。位置は東方に在り、陽の義は上に顕現す。

璧以聘問何?璧者,方中圓外,象地,地道安寧而出財物,故以璧聘問也。方中,陰德方也。圓外,陰繫於陽也。陰德盛於內,故見象於內,位在中央。璧之為言積也,中央,故有天地之象,所以據用也。內方象地,外圓象天也。

璧を以て聘問するはなぜでしょうか。璧は方中円外にして地に象り、地道は安寧にして財物を産出す、故に璧を以て聘問す。方中は、陰徳方正なり。円外は、陰が陽に繋るなり。陰徳内に盛んなれば、故に形象は内に見え、位置は中央に在り。璧の意は積なり、中央に天地の象ある所以は、以て据持して用うるなり。内方は地に象り、外円は天に象る。

璜所以徵召何?璜者,半璧,位在北方,北陰極而陽始起,故象半陰。陽氣始施,徵召萬物,故以徵召也。不象陰何?陽始物微,未可見。璜者,橫也,質尊之命也。陽氣橫於黃泉,故曰璜。璜之為言光也,陽光所及,莫不動也。象君之威命所加,莫敢不從,陽之所施,無不節也。

璜が徵召する所以はなぜでしょうか。璜は半璧にして、位置は北方に在り、北方は陰極まりて陽始めて興る、故に半陰に象る。陽気始めて施行し、万物を徵召す、故を以て徵召に用う。陰に象らざるはなぜでしょうか。陽始めの時、物なお微にして見えず。璜は横なり、質尊の命なり。陽気黄泉に横たわる、故に璜と曰う。璜の意は光なり、陽光の到る所、動かざるなし。君の威命の加わる所に象り、敢えて従わざるなく、陽の施行する所、節制せざるなし。

璋以發兵何?璋半,位在南方,南方陽極而陰始起,兵亦陰也,故以發兵也。不象其陰何?陰始起物尚凝,未可象也。璋之為言明也,賞罰之道,使臣之禮,當章明也。南方之時,萬物莫不章,故謂之璋。

璋を以て兵を発するはなぜでしょうか。璋は半「(底本の此字は生僻字)」にして、位置は南方に在り、南方は陽極まりて陰始めて興り、兵もまた陰なり、故を以て兵を発す。其の陰に象らざるはなぜでしょうか。陰始めて興る時、物なお凝結して以て象形すべからず。璋の意は明なり、賞罰の道・使臣の礼は、當に章明なるべし。南方の時は、万物章顕ならざるなし、故に璋と曰う。

琮以起土功發聚眾何?琮之為言聖也,象萬物之宗聚聖也,功之所成,故以起土功發眾也。位西方,西方陽收功於內,陰出城於外,內圓象陽,外直為陰,外牙而內湊,象聚會也,故謂之琮。後夫人之財也。

琮を以て土功を興起し衆を発動するはなぜでしょうか。琮の意は聖なり、万物の聖に宗聚し功の成就する所に象る、故を以て土功を興起し衆人を発動す。位置は西方に在り、西方は陽が内に在りて功を収め、陰が外に在りて城を成し、内円は陽に象り外直は陰と為し、外に牙ありて内に凑合し、聚会に象る、故に琮と曰う。是れ后夫人の財なり。

五玉所施非一,不可勝條,略舉大者也。

五玉の施用する所は一に止まらず、一一条列すること能わず、ただ略その大を挙ぐるのみ。

合符信者,謂天子執瑁以朝諸侯,諸侯執圭以覲天子。瑁之為言冒也,上有所覆,下有所冒。故《覲禮》曰:“侯氏執圭升堂。”《尚書大傳》:“天子執瑁以朝諸侯。”又曰:“諸侯執所受圭與璧朝於天子,無過者復得其以歸其拜,有過者留其圭,能正行者復還其。三年不復,少絀以爵。圭所以還何?以為琮信瑞也。璧所以留者,以財幣盡輒更造。何以言之?《禮》曰:“圭造尺八寸。”有造圭,門得造璧也。公圭九寸,四玉一石。何以知不以玉為四,器石持為也?以《尚書》合言五玉也。

符信を合するとは、天子は瑁を執りて以て諸侯に朝見し、諸侯は圭を執りて以て天子に覲見することを言うなり。瑁の意は冒なり、上に覆う所有り、下に冒する所有り。故に《覲礼》に「侯氏、圭を執りて堂に升る」とあり、《尚書大伝》に「天子、瑁を執りて以て諸侯に朝見す」とあり、また曰く「諸侯、受けたる所の圭と璧を持ちて天子に朝見す。過錯なきは再び「(底本の此字は生僻字)」を得て帰りて拝謝し、過錯あるは其の圭を留め、行を改正し得るは再び彼に「(底本の此字は生僻字)」を還す。三年「(底本の此字は生僻字)」還さざれば、則ち稍々爵を黜す」と。圭を還す所以はなぜでしょうか。琮は信瑞と考えるなり。璧を留むる所以は、財幣尽きれば再び造るを以てなり。何を以て此の如く言うや。《礼》に「圭は造ること一尺八寸」とあり、圭を造る有れば、門は能く璧を造る。公圭は九寸、四玉一石。何を以て玉を用いて四を為さず、器石別々に作ると知るや。《尚書》が合せて五玉と言うを以てなり。

臣見君所以有贄何?贄者,質也,質己之誠,致己之悃幅也。王者緣臣子心以為之制,差其尊卑,以副其意也。公、侯以玉為贄者,玉取其燥不輕,溼不重,公之德全,輕以羔者,取其群不黨。卿職在盡忠率下,不阿黨也。大夫以雁為贄者,取其飛成行,列。大夫職在以奉命之適四方,動作當能自正以事君也。士以雉為贄者,取其不可誘之以食,懾之以威,必死不可生畜。士行威守節死義,不當移轉也。《曲禮》曰:“卿羔、大夫以雁、士以雉為贄,庶人之贄匹,童子委贄而退。野外軍中無贄,以纓、拾、矢可也。”言必有贄也。匹謂鶩也。

臣が君に見ゆるに贄ある所以はなぜでしょうか。贄は質なり、己の誠を質実し、己の悃幅を表達す。王者は臣子の心に順い而して彼らのために制定し、尊卑を分別し、以て彼らの意に符合せしむ。公・侯は玉を以て贄と為す、玉は其の乾燥にして軽からず潮湿にして重からざるを取る、公の徳は完備す。軽きは羔を用う、其の群に合して党を結ばざるを取る。卿の職は忠を尽くし下属を率いるに在り、阿党せず。大夫は雁を以て贄と為す、其の飛んで行列を成すを取る。大夫の職は命を奉じて四方に至るに在り、動作は當に能く自ら端正して以て君に事奉すべし。士は雉を以て贄と為す、其の食を以て誘うべからず威を以て懾服すべからず、必ず死して生きて畜養すること能わざるを取る。士の行は威厳にして節を守り義に死す、転移すべからず。《曲礼》に「卿は羔を用い大夫は雁を用い士は雉を用いて贄と為し、庶人の贄は匹、童子は贄を放下して即ち退く。野外軍中は贄なく、纓・拾・矢を用うれば可なり」とあるは、必ず贄あるを言うなり。匹は鶩を言うなり。

卿、大夫贄,古以鹿今以羔、雁何?以為古者質,取其內,謂得美草鳴相呼;今文取其外,謂羔跪乳、雁有行列也。《禮?相見經》曰:“上大夫相見,以羔左顧右贄執。明古以鹿,今以羔也。卿、大夫贄變,君與士贄不變何?人君至尊,極美之物以為贄;士賤伏節死義,一介之道也,故不變。私相見亦有贄何?所以相尊敬,長和睦也。朋友之際,五常之道,有通財之義,振窮救急之意,中心好之,欲飲食之,故財幣者所以副至意也。《禮?士相見經》曰:“上大夫相見以雁。士冬以雉,夏以脯也。”

卿・大夫の贄、古は「(底本の此字は生僻字)」鹿を用い、今は羔・雁を用うるはなぜでしょうか。古は質朴にして其の内を取り、是れ美草を得れば則ち鳴叫して相呼ぶを言うなり。今は文にして其の外を取り、是れ羔は跪きて乳を食い雁は行列有るを言うなり。《礼・相見経》に「上大夫相見えば、羔を用い、左顧し右し、贄は「(底本の此字は生僻字)」を執る」とあるは、古は「(底本の此字は生僻字)」鹿を用い今は羔を用うるを表明す。卿・大夫の贄は変じ、君と士の贄は変わらざるはなぜでしょうか。人君は最も尊く、極美の物を以て贄と為す。士は賤しく、節を伏して義に死す、是れ一介の道なれば、故に変わらず。私下に相見るにも贄あるはなぜでしょうか。以て互相尊敬し、和睦を長養す。朋友の際は、五常の道にして、財を通ずるの義あり、窮を振い急を救うの意あり、中心に喜好して、彼に飲食を与えんと欲す、故に財幣を以て至意に符合せしむ。《礼・士相見経》に「上大夫相見るは雁を用う。士は冬は雉を用い夏は脯を用う」とあります。

婦人之制以棗栗暇修者,婦人無專制之義,御眾之任,交接辭讓之禮,職在供養饋食之間,其義一也。故後夫人以棗栗暇修者,凡內修陰也。又取其朝早起,栗戰忄栗自正也。暇修者,脯也。故《春秋傳》曰:“宗婦覿用幣,非禮也。然則棗栗云乎?暇修云乎?”

婦人の制度は棗・栗・腶修を用う。婦人は専制の義・衆を御するの任・交接辞譲の礼なく、職分は供養饋食の間に在り、義は一なればなり。故に后夫人は棗・栗・腶修を用う、およそ内にて修するは陰なり。また早朝早起を取り、栗は戦慄して自ら端正す。腶修は脯なり。故に《春秋伝》に「宗婦、進見に幣を用うるは、礼に非ず。然らば棗栗は如何、腶修は如何」とあります。

子見父無贄何?至親也,見無時,故無贄。臣之事君以義合也,得親供養,故質己之誠,副已之意,故有贄也。

子が父に見ゆるに贄なきはなぜでしょうか。是れ至親にして、相見るに定時なく、故に贄なし。臣が君に事奉するは義を以て相合し、能く親ら供養す、故に己の誠を質実し己の意に符合し、故に贄あり。

○三正

○三正

王者受命必改朔何?明易姓,示不相襲也。明受之於天,不受之於人,所以變易民心,革其耳目,以助化也。故《喪服大傳》曰:“王始起,改正朔、易服色、殊徽號、異器械、別衣服也。”是以禹舜雖繼太平,猶宜改以應天。王者改作樂,必得天應而後作何?重改制也。《春秋瑞應傳》曰:“敬受瑞應而王,改正朔,易服色。”《易》曰:“湯武革命,順乎天而應乎民”也。

王者が命を受けて必ず正朔を改正するはなぜでしょうか。姓を換えるを表明し、相沿袭せざるを表す。之を天に受くるを表明し、之を人に受くるに非ず、以て民心を変易し、其の耳目を革新して、教化を幇助せんがためなり。故に《喪服大伝》に「王剛く興れば、正朔を改め、服色を易え、徽号を殊にし、器械を異にし、衣服を別にす」とあります。これに因りて禹・舜は太平を継承すといえども、なお當に改めて以て天に応ずべし。王者が楽を改作するに、必ず天応を得て然る後に作るはなぜでしょうか。改制を重んずるなり。《春秋瑞応伝》に「瑞応を敬受して王と称し、正朔を改正し、服色を易う」とあり、《易》に「湯武革命、天に順い民に応ず」とあります。

文家先改正、質家先改正,質家先伐何?改正者文,伐者質。文家先其文,質者先其質。《論語》曰:“予小子履,敢用玄牡,敢昭告於皇王后帝。”此湯伐桀告天以夏之牲也。《詩》云:“命此文王,於周於京。”此言文王改號為周,易邑為京也。又曰:“清酒既載,も牡既備。”言文王之牲周も。周尚赤也。

文家は先に正を改め質家は先に正を改め、質家は先に伐つはなぜでしょうか。正を改むるは文なり、伐つは質なり。文家は其の文を先にし、質は其の質を先にす。《論語》に「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて皇王后帝に昭告す」とあるは、湯が桀を伐ちて天に告ぐるに、夏の牲を用いたるなり。《詩経》に「この文王に命す、周に于り京に于り」とあるは、文王が号を改めて周と為し邑を改めて京と為すを言うなり。また曰く「清酒すでに載せ、騂牡すでに備わる」とあるは、文王の牲は周の騂なるを言うなり。周は赤を崇尚す。

正朔有三何?本天有三統,謂三微之月也。明王者當奉順而成之,故受命各統一正也,敬始重本也。朔者,蘇也,革也,言萬物革更於是,故統焉。《禮三正記》曰:“正朔三而改,文質再而復也。”

正朔に三種あるはなぜでしょうか。もともと天に三統あり、是れ三微の月を言うなり。王者當に奉順して之を成就すべきを表明す、故に命を受けて各々一つの正に統一するは、始を敬い本を重んずるなり。朔は蘇なり、革なり、是れ万物この時に於て変革更改するを言う、故に統はここに在り。《礼三正記》に「正朔は三にして改まり、文質は再にして復る」とあります。

三微者,何謂也?陽氣始施,黃泉,萬物動微而未著也。十一月之時,陽氣始養根株,黃泉之下,萬物皆赤。赤者,盛陽之氣也,故周為天正,色尚赤也。十二月之時,萬物始牙而白。白者陰氣,故殷為地正,色尚白也。十三月之時,萬物始達,孚由而出,皆黑,人得加功,故夏為人正,色尚黑。《尚書大傳》曰:“夏以孟春月為正,殷以季冬月為正,周以仲冬月為正。夏以十三月為正,色尚黑,以平旦為朔。殷以十二月為正,色尚白,以雞鳴為朔。周以十一月為正,色尚赤,以夜半為朔。”不以二月後為正者,萬物不齊,莫適所統,故必以三微之月也。三正之相承,若順連環也。孔子承周之弊,行夏之陸,知繼十一月正者當用十三月也。

三微とは何の意か。陽気始めて施行し、黄泉に在り、万物は発動して微細にして未だ顕著ならず。十一月の時は、陽気始めて根株を養い、黄泉の下に在り、万物皆赤なり。赤は盛陽の気なり、故に周は天正にして、色は赤を崇尚す。十二月の時は、万物始めて萌芽して白なり。白は陰気なり、故に殷は地正にして、色は白を崇尚す。十三月の時は、万物始めて通達し、孚甲して出で、皆黒なり、人は能く加工す、故に夏は人正にして、色は黒を崇尚す。《尚書大伝》に「夏は孟春月を以て正と為し、殷は季冬月を以て正と為し、周は仲冬月を以て正と為す。夏は十三月を以て正と為し、色は黒を崇尚し、平旦を以て朔と為す。殷は十二月を以て正と為し、色は白を崇尚し、鶏鳴を以て朔と為す。周は十一月を以て正と為し、色は赤を崇尚し、夜半を以て朔と為す」とあります。二月以後を用いて正と為さざるは、万物斉からず、適従して統する所なければ、故に必ず三微の月を用う。三正は互相承接す、連環に順うがごとし。孔子は周の弊に承接し、夏の正を実行す、十一月の正に接続するは當に十三月を用うべきを知るなり。

天道左旋,改正者右行何也?改正者,非改天道也,但改日月耳。日月右行,故改正亦右行也。

天道は左旋す、正を改むるは却って右行するはなぜでしょうか。正を改むるは天道を改むるに非ず、ただ日月を改むるのみ。日月は右行す、故に正を改むるもまた右行す。

日尊於月,不言正日言正月何也?積日成月,物隨月而變,故據物為正也。

日は月より尊し、正日と言わずして正月と言うはなぜでしょうか。日を積みて月と成り、物は月に随いて変化す、故に物に依拠して以て正を為す。

天質地文,質者據質,文者據文,周反統天正何也?質文再而復,正朔三而改,三微、質文數不相配,故正不隨質文也。

天は質にして地は文なり、質は質に依拠し文は文に依拠す、周は反りて天正に統するはなぜでしょうか。質文は再にして復り、正朔は三にして改まり、三微と質文の数は相配せず、故に正は質文に隨従せず。

王者受命而起,或有所不改者何也?王者有改道之文,無改道之質。如君南面,臣北面,皮弁素積,聲味不可變,哀慼不可改,百王不易之道也。

王者が命を受けて興るに、或るは改めざる所有るはなぜでしょうか。王者に道を改むるの文あり、道を改むるの質なし。君の南面・臣の北面の如く、皮弁素積、声味は変ずべからず、哀戚は改むべからず、是れ百王の易えざるの道なり。

王者所以存二王之後何也?所以尊先王,通天下之三統也。明天下非一家之有,謹敬謙讓之至也。故封之百里,使得服其正色,用其禮樂,永事先祖。《論語》曰:“夏禮吾能言之,杞不足徵也;殷禮吾能言之,宋不足徵也。”《春秋傳》曰:“王者存二王之後,使服其正色,行其禮樂。”《詩》曰:“厥作將,常服黼旱。”言微子服殷之冠,助祭於周也。《周頌》曰:“有客有客,亦白其馬。”此微子朝周也。二王之後若有聖德受命而王,當因其改之耶?天下之所安得受命耶,非其運次者。

王者が二王の後を存する所以はなぜでしょうか。先王を尊び天下の三統を貫通せんがためなり。天下は一家の有に非ざるを表明し、是れ謹敬謙譲の極まるなり。故に彼らを百里に封じ、彼らをして能く其の正色を服し、其の礼楽を用い、永く先祖に事奉せしむ。《論語》に「夏礼は吾能く之を言う、杞は徴するに足らず。殷礼は吾能く之を言う、宋は徴するに足らず」とあり、《春秋伝》に「王者は二王の後を存し、彼らをして其の正色を服し其の礼楽を行わしむ」とあり、《詩経》に「厥、祼将を作し、常に黼冔を服す」とあるは、微子が殷の冠を着て周に於て助祭することを言うなり。《周頌》に「客あり客あり、亦た其の馬白し」とあるは、是れ微子が周に朝するなり。二王の後若し聖徳ありて命を受けて王と称せば、當に因りて之を改むべきか。天下の安んずる所は能く命を受くべきか。其の運次に非ず。

王者,必一質一文何?以承天地,順陰陽。陽之道極則陰道受,陰之道極則陽道受,明二陰二陽不能相繼也。質法天、文法地而已,故天為質,地受而化之,養而成之,故為文。《尚書大傳》曰:“王者一質一文,據天地之道。”《禮三正記》曰:“質法天,文法地也。”帝王始起,先質後文者,順天下之道、本末之義、先後之序也。事莫不先有質性,乃後有文章也。

王者は必ず一質一文なるはなぜでしょうか。以て天地を承け、陰陽に順うなり。陽の道極まれば則ち陰道之を受け、陰の道極まれば則ち陽道之を受く、二陰二陽は相継ぐこと能わざるを表明す。質は天に取法し文は地に取法するのみ、故に天は質と為し、地は受けて之を化し、養い而して之を成就す、故に文と為す。《尚書大伝》に「王者は一質一文、天地の道に依拠す」とあり、《礼三正記》に「質は天に取法し、文は地に取法す」とあります。帝王剛く興るに、先に質して後に文するは、天下の道・本末の義・先後の序に順うなり。事は先に質性ありて然る後に文章あるならざるなし。

○三教

○三教

王者設三教何?承衰救弊,欲民反正道也。三王之有失,故立三教,以相指受。夏人之王教以忠,其失野,救野之失莫如敬。殷人之王教以敬,其失鬼,救鬼之失莫如文。周人之王教以文,其失薄,救薄之失莫如忠。繼周尚黑,制與夏同。三者如順連環,周而復始,窮則反本。

王者が三教を設立するはなぜでしょうか。衰敗を承接し弊病を挽救し、民をして正道に帰らしめんと欲するなり。三王各々缺失あり、故に三教を設立し、以て互相指し示し授受す。夏人の王は忠を以て教え、缺失は野なり、野の缺失を救うに敬より善きはなし。殷人の王は敬を以て教え、缺失は鬼なり、鬼の缺失を救うに文より善きはなし。周人の王は文を以て教え、缺失は薄なり、薄の缺失を救うに忠より善きはなし。周に継ぐは黒を崇尚し、制度は夏と同じ。三者は連環に順うが如く、周して復た始め、窮すれば則ち本に帰る。

《樂稽耀嘉》曰:“顏回向三教變,虞夏何如?”曰:教者,所以追補敗政,靡弊溷濁,謂之治也。舜之承堯,無為易也。”或曰:三教改易,夏后氏始。高宗亦承弊,所以不改教何?明子無改父之道也。何以知高宗不改之?以周之教承以文也。三教所以先忠者,行之本也。三教一體而分,不可單行,故王者行之有先後。何以言三教並施、不可單行也?以忠、敬、文無可去者也。

《楽稽耀嘉》に「顔回、三教の変を問う、虞夏は如何」とあり、曰く、教は、以て敗政を追補し靡弊溷濁するを、治と謂う。舜は尭に承接し、改易すべきの作為なし。或る人曰く、三教の改易は、夏后氏より始まる。高宗もまた弊に承接せり、故に教を改めざるはなぜでしょうか。子は父の道を改めざるを表明す。何を以て高宗の改めざるを知るや。周の教が承接して文を用うるを以てなり。三教が忠を先とする所以は、行の本なればなり。三教は一体にして分かる、独り施行すべからず、故に王者の実行に先後あり。何を以て三教并施にして独り施行すべからざると言うや。忠・敬・文は去るべきなければなり。

教所以三何?法天、地、人,內忠外敬,文飾之,故三而備也。即法天、地、人,各何施?忠法人,敬法地,文法天。人道主忠,人以至道教人,忠之至也;人以忠教,故忠為人教也。地道謙卑,天之所生,地敬養之,以敬為地教也。

教が三種なる所以はなぜでしょうか。天・地・人に取法し、内に忠し外に敬し、再用して文を以て修飾す、故に三にして完備す。すでに天・地・人に取法すれば、各々何処に用いるか。忠は人に取法し、敬は地に取法し、文は天に取法す。人道は忠を主管す、人は至道を以て人を教う、是れ忠の極まるなり。人は忠を以て教う、故に忠は人教なり。地道は謙卑なり、天の生ずる所を、地は敬して之を養う、故に敬を以て地教と為す。

教者,何謂也?教者,效也。上為之,下效之,民有質樸,不教而成。故《孝經》曰:“先王見教之可以化民。”《論語》曰:“不教民戰,是謂棄之。”《尚書》曰:“以教祗德。”《詩》云:“爾之教矣,欲民斯效。”

教とは何の意か。教は效なり。上之を為し、下之を效法す。民に質朴あり、教えずとも能く成就す。故に《孝経》に「先王、教の以て民を化すべきを見る」とあり、《論語》に「民を教えずして戦わしむるは、是れ之を棄つと謂う」とあり、《尚書》に「教を以て徳を祗れ」とあり、《詩経》に「爾之を教えん、民の斯に效わんことを欲す」とあります。

忠形於悃誠,故失野;敬形於祭祀,故失鬼;文形於飾兒,故失薄。

忠は悃誠に表わる、故に缺失は野なり。敬は祭祀に表わる、故に缺失は鬼なり。文は容儀を修飾するに表わる、故に缺失は薄なり。

夏后氏用明器,殷人用祭器,周人兼用之何?謂曰:夏后氏教以忠,故先明器,以奪孝子之心也。殷教以敬,故先祭器,敬之至也。周人教以文,故兼用之,周人意至文也。孔子曰:“之死而致死之,不仁而不可為也;之死而致生之,不知而不可為也。”故有死道焉,以奪孝子之心也;有生道焉,使人勿倍也。故竹器不成用,木器不成斫,瓦器不成沫,琴瑟張而不平,竽笙備而不和,有鐘磬而無иね縣,示備物而不可用也。孔子曰:“為明器者善,為俑者不仁。塗車羞靈,自古有之。言今古皆然也。”

夏后氏は明器を用い、殷人は祭器を用い、周人は兼ねて用うるはなぜでしょうか。曰く、夏后氏は忠を以て教う、故に先に明器を用い、以て孝子の心を奪去す。殷は敬を以て教う、故に先に祭器を用う、是れ敬の極まるなり。周人は文を以て教う、故に兼ねて用う、周人の意は文に至るなり。孔子曰く「之に死して之を死に致すは、不仁にして為すべからず。之に死して之を生に致すは、不知にして為すべからず」と。故に死道あり、以て孝子の心を奪去す。生道あり、人をして背叛せしめざらしむ。故に竹器は成すれども用うべからず、木器は成すれども砍削を加えず、瓦器は成すれども光潔に打磨せず、琴瑟は弦を張るれども平ならず、竽笙は具備すれども和せず、鐘磬ありて簨虡を以て懸挂するなし、物を備えて用うべからざるを表す。孔子曰く「明器を作るは善なり、俑を作るは不仁なり。塗車芻靈は、古自ら之あり。是れ今古皆此の如しを言う」と。

○三綱六紀

○三綱六紀

三綱者何謂也?謂君臣、父子、夫婦也。六紀者,謂諸父、兄弟、族人、諸舅、師長、朋友也。故君為臣綱,夫為妻綱。又曰:“敬諸父兄,六紀道行,諸舅有義,族人有序,昆弟有親,師長有尊,朋友有舊。”何謂綱紀?綱者,張也;紀者,理也。大者為綱,小者為紀,所以張理上下,整齊人道也。人皆懷五常之性,有親愛之心,是以綱紀為化,若羅綱之有紀綱而萬目張也。《詩》云:“我王,綱紀四方。”

三綱とは何か。是れ君臣・父子・夫婦を言うなり。六紀は諸父・兄弟・族人・諸舅・師長・朋友を言うなり。故に君は臣の綱と為り、夫は妻の綱と為る。また曰く「諸父兄を敬し、六紀の道施行すれば、諸舅に義あり、族人に序あり、昆弟に親あり、師長に尊あり、朋友に旧あり」と。綱紀とは何か。綱は張なり、紀は理なり。大なるを綱と為し小なるを紀と為し、以て上下を張理し、人道を斉整す。人は皆五常の性を懐き、親愛の心あり、これに因りて綱紀を以て教化す、羅網に紀綱ありて万目張るがごとし。《詩経》に「「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」我が王、四方を綱紀す」とあります。

君臣,父子,夫婦,六人也,所以稱三綱何?一陰一陽謂之道。陽得陰而成,陰得陽而序,剛柔相配,故六人為三綱。

君臣・父子・夫婦は六人なり、三綱と称する所以はなぜでしょうか。一陰一陽を道と謂う。陽は陰を得て成就し、陰は陽を得て有序あり、剛柔相配す、故に六人は三綱と為る。

三綱法天、地、人,六紀法六合。君臣法天,取象日月屈信歸功天也。父子法地,取象五行轉相生也。夫婦法人,取象人合陰陽有施化端也。六紀者為三綱之紀者也。師長君臣之紀也,以其皆成己也;諸父兄弟父子之紀也,以其有親恩連也;諸舅朋友夫婦之紀也,以其皆有同志為紀助也。

三綱は天・地・人に取法し、六紀は六合に取法す。君臣は天に取法し、日月の屈伸に取象し功を天に帰す。父子は地に取法し、五行の輾転相生に取象す。夫婦は人に取法し、人の陰陽を会合し施化の端倪有るに取象す。六紀は三綱の紀なり。師長は君臣の紀なり、皆己を成就すればなり。諸父兄弟は父子の紀なり、親恩相連有ればなり。諸舅朋友は夫婦の紀なり、皆同志を以て紀の輔助を為すればなり。

君臣者,何謂也?君,群也,下之所歸心;臣者,糹堅也,屬志自堅固。《春秋傳》曰:“君處此,臣請歸也。”

君臣とは何の意か。君は群なり、下の帰心する所なり。臣は「(底本の此字は生僻字)」堅なり、志を属して自ら堅固なり。《春秋伝》に「君ここに処れ、臣は請う帰らん」とあります。

父子者,何謂也?父者,矩也,以法度教子;子者,孳孳無已也。故《孝經》曰:“父有爭子,則身不陷於不義。”夫婦者,何謂也?夫者,扶也,以道扶接也;婦者,服也,以禮屈服。《昏禮》曰:“夫親脫婦之纓。”《傳》曰:“夫婦判合也。”朋友者,何謂也?朋者,黨也;友者,有也。《禮記》曰:“同門曰朋,同志曰友。”朋友之交,近則謗其言,遠則不相訕。一人有善,其心好之;一人有惡,其心痛之。貨則通而不計,共憂患而相救。生不屬,死不託。故《論語》曰:“子路云:‘願車馬衣輕裘,與朋友共敝之。’”又曰:“朋友無所歸,生於我乎,死於我乎殯。”朋友之道,親存不得行者二:不得許友以其身,不得專通財之恩。友飢則白之於父兄,父兄許之,乃稱父兄與之,不聽則止。故曰:友飢為之減餐,大寒為之不重裘。故《論語》曰:“有父兄在,如之何其聞斯行之也!”

父子とは何の意か。父は矩なり、法度を以て子を教う。子は孳孳已まざるなり。故に《孝経》に「父に争子あれば、則ち身は不義に陥らず」とあります。夫婦とは何の意か。夫は扶なり、道を以て扶接す。婦は服なり、礼に按じて屈服す。《昏礼》に「夫、親ら婦の纓を解く」とあり、《伝》に「夫婦は判合なり」とあります。朋友とは何の意か。朋は党なり、友は有なり。《礼記》に「門を同じくするを朋と曰い、志を同じくするを友と曰う」とあります。朋友の交は、近ければ則ち其の言語の過を指出し、遠ければ則ち相訕謗せず。一人善あれば、心に喜好し、一人悪あれば、心に痛惜す。財貨は則ち流通して計較せず、憂患を共にして相救う。生きるるは囑託せず、死するは寄托せず。故に《論語》に「子路曰く『願わくば車馬衣軽裘、朋友と共に之を敝わん』」とあり、また曰く「朋友、帰する所なければ、生きるは我に由り、死するは我に由りて殯せよ」と。朋友の道は、双親なお在れば為すべからざる二件あり。自身を以て朋友に許すべからず、財を通ずるの恩を専行すべからず。朋友飢餓すれば則ち父兄に告げ、父兄許可せば、乃ち父兄を称して以て彼に与え、聴かざれば則ち止む。故に曰く、朋友飢餓すれば則ち此のために餐食を減少し、大寒なれば則ち此のために裘を二重に著せず。故に《論語》に「父兄在り、之を聞きて斯に之を行わんや如何」とあります。

男稱兄弟,女稱姊妹何?男女異姓,故別其稱也。何以言之?《禮親屬記》曰:“男子先生稱兄,後生稱弟;女子先生為姊,後生為妹。”父之昆弟不俱謂之世叔,父之女昆弟俱謂之姑,何也?以為諸父曰內,親也,故別稱之也;姑當外適人,疏,故總言之也。至姊妹亦當外適人,所以別諸姊妹何?以為事諸姑禮等,可以外出又同,故稱略也;至姊妹雖欲有略之,姊尊妹卑,其禮異也。《詩》云:“問我諸姑,遂及伯姊。”謂之舅姑者何?舅者,舊也;姑者,故也。舊、故之者,老人之稱也。謂之姊妹何?姊者,諮也;妹者,末也。謂之兄弟何?兄者,況也;況父法也;弟者,悌也,心順行篤也。稱夫之父母謂之舅姑何?尊如父而非父者,舅也;親如母而非母者,姑也。故稱夫之父母為舅姑也。

男は兄弟と称し女は姉妹と称するはなぜでしょうか。男女は姓を異にする、故に称呼を分別す。何を以て此の如く言うや。《礼親属記》に「男子の先生を兄と称し、後生を弟と称す。女子の先生を姉と為し、後生を妹と為す」とあります。父の昆弟は皆世叔と曰わず、父の女昆弟は皆姑と曰うはなぜでしょうか。諸父は内を言い是れ親なりと考え、故に称呼を分別す。姑は當に外嫁すべく、疏なり、故に総じて言う。姊妹に至りてもまた當に外嫁すべし、諸姊妹を分別する所以はなぜでしょうか。諸姑に事奉する礼は相等しく、外出すること能くまた同じと考え、故に称呼は簡略す。姊妹に至りては簡略せんと欲するといえども、姉は尊く妹は卑し、礼同じからず。《詩経》に「我が諸姑に問い、遂に伯姉に及ぶ」とあります。舅姑と曰うはなぜでしょうか。舅は旧なり、姑は故なり。旧・故は、老人の称なり。姉妹と曰うはなぜでしょうか。姉は咨なり、妹は末なり。兄弟と曰うはなぜでしょうか。兄は況なり、父の法を比況す。弟は悌なり、心順にして行篤し。夫の父母を称して舅姑と曰うはなぜでしょうか。父の如く尊しと雖も父に非ざるは舅なり、母の如く親しと雖も母に非ざるは姑なり。故に夫の父母を称して舅姑と為す。

●卷八

●巻八

○性情

○性情

性情者,何謂也?性者,陽之施;情者,陰之化也。人稟陰陽氣而生,故內懷五性六情。情者,靜也,性者,生也,此人所稟六氣以生者也。故《鉤命決》曰:“情生於陰,欲以時念也;性生於陽,以就理也。陽氣者仁,陰氣者貪,故情有利慾,性有仁也。”

性情とは何の意か。性は陽の施予なり、情は陰の変化なり。人は陰陽の気を禀受して生ず、故に内に五性六情を懐く。情は静なり、性は生なり、是れ人の禀受する所の六气を以て生ずるなり。故に《鉤命決》に「情は陰に生じ、欲望は時に按じて思念す。性は陽に生じ、以て理に就く。陽気は仁なり、陰気は貪なり、故に情に利欲あり、性に仁あり」とあります。

五性者何?謂仁、義、禮、智、信也。仁者,不忍也,施生愛人也;義者,宜也,斷決得中也;禮者,履也,履道成文也;智者,知也,獨見前聞,不惑於事,見微者也;信者,誠也,專一不移也。故人生而應八卦之體,得五氣以為常,仁、義、禮、智、信是也。六情者,何謂也?喜、怒、哀、樂、愛、惡謂六情,所以扶成五性。性所以五,情所以六者何?人本含六律五行氣而生,故內有五藏六府,此情性之所由出入也。《樂動聲儀》曰:“官有六府,人有五藏。”

五性とは何か。是れ仁・義・礼・智・信を言うなり。仁は不忍なり、生を施し人を愛す。義は宜なり、断決して中を得。礼は履なり、道を履行して文を成す。智は知なり、独自に預見し預め聞き、事に惑わされず、微を見ること能くす。信は誠なり、専一にして移らず。故に人は生まれて八卦の体に応じ、五气を得て常と為す、仁・義・礼・智・信即ち是れ。六情とは何か。喜・怒・哀・楽・愛・悪を六情と曰う、以て五性を扶助して成就す。性が五なる所以・情が六なる所以はなぜでしょうか。人はもともと六律・五行の気を含みて生ず、故に内に五蔵六府あり、是れ情性の出入するの途なり。《楽動声儀》に「官に六府あり、人に五蔵あり」とあります。

五藏者何也?謂肝、心、肺、腎、脾也。肝之為言幹也;肺之為言費也,情動得序;心之為言任也,任於恩也;腎之為言寫也,以竅寫也;脾之為言辨也,所以積精稟氣也。五藏,肝仁,肺義,心禮,腎智,脾信也。

五蔵とは何か。是れ肝・心・肺・腎・脾を言うなり。肝の意は干なり。肺の意は費なり、情の発動して次序を得。心の意は任なり、恩に任ず。腎の意は瀉なり、竅を以て瀉す。脾の意は辨なり、以て精を積み気を禀す。五蔵:肝は仁、肺は義、心は礼、腎は智、脾は信なり。

肝所以仁者何?肝,木之精也;仁者,好生。東方者陽也,萬物始生,故肝象木,色青而有枝葉。目為之候何?目能出淚而不能內物,木亦能出枝葉不能有所內也。

肝が仁なる所以はなぜでしょうか。肝は木の精なり。仁は生を好む。東方は陽にして万物始めて生長す、故に肝は木に象り、色は青にして枝葉あり。目は其の候を為すはなぜでしょうか。目は能く涙を流出せども物を納入すること能わず、木もまた能く枝葉を長出せども納入する所有らず。

肺所以義者何?肺者,金之精;義者,斷決。西方亦金,成萬物也,故肺象金,色白也。鼻為之候何?鼻出入氣,高而有竅,山亦有金石累積,亦有孔穴,出雲布雨以潤天下,雨則雲消,鼻能出納氣也。

肺が義なる所以はなぜでしょうか。肺は金の精なり。義は断決なり。西方もまた金にして万物を成就す、故に肺は金に象り、色は白なり。鼻は其の候を為すはなぜでしょうか。鼻は気を出入し、高くして竅あり、山もまた金石累積し、また孔穴あり、雲を出し雨を布きて以て天下を潤し、雨止まれば則ち雲消ゆ、鼻は能く気を出納す。

心所以為禮何?心,火之精也。南方尊陽在上,卑陰在下,禮有尊卑,故心象火,色赤而銳也,人有道尊,天本在上,故心下銳也。耳為之候何?耳能遍內外、別音語,火照有似於禮,上下分明。

心が礼と為る所以はなぜでしょうか。心は火の精なり。南方は陽を尊びて上に在り、陰を卑しめて下に在り、礼に尊卑あり、故に心は火に象り、色は赤にして鋭し。人に道尊あり、天はもともと上に在り、故に心は下鋭なり。耳は其の候を為すはなぜでしょうか。耳は能く内外に遍くして音語を分別す、火の照るは礼に似たる有り、上下分明なり。

腎所以智何?腎者,水之精。智者,進而止無所疑惑。水亦進而不惑,北方水,故腎色黑;水陰,故腎雙。竅為之候何?竅能瀉水,亦能流濡。

腎が智なる所以はなぜでしょうか。腎は水の精なり。智は進み而して止まり疑惑なきなり。水もまた進みて惑わず。北方は水なり、故に腎の色は黒なり。水は陰なり、故に腎は双を成す。竅は其の候を為すはなぜでしょうか。竅は能く水を瀉し、また能く流濡す。

脾所以信何?脾者,土之精也。土尚任養萬物為之象,生物無所私,信之至也。故脾象土,色黃也。口為之候何?口能啖嘗,舌能知味,亦能出音聲,吐滋液。

脾が信なる所以はなぜでしょうか。脾は土の精なり。土は万物を任養するを崇尚して其の象と為す、物を生ずるに私なし、是れ信の極まるなり。故に脾は土に象り、色は黄なり。口は其の候を為すはなぜでしょうか。口は能く啖嘗し、舌は能く味を知り、また能く音声を発出し、滋液を吐出す。

故《元命苞》曰:“目者肝之使,肝者木之精,蒼龍之位也。鼻者肺之使,肺者金之精,制割立斷。耳者心之候,心者火之精,上為張星。陰者腎之寫,腎者水之精,上為虛危。口者脾之門戶,脾者土之精,上為北斗,主變化者也。”或曰:口者心之候,耳者腎之候。或曰:肝繫於目,肺繫於鼻,心繫於口,脾繫於舌,腎繫於耳。

故に《元命苞》に「目は肝の使なり、肝は木の精、蒼龍の位。鼻は肺の使なり、肺は金の精、割を制して断を立つ。耳は心の候なり、心は火の精、上は張星と為る。陰は腎の瀉なり、腎は水の精、上は虚危と為る。口は脾の門戸なり、脾は土の精、上は北斗と為り、変化を主管す」とあります。或る人曰く、口は心の候、耳は腎の候。或る人曰く、肝は目に繋り、肺は鼻に繋り、心は口に繋り、脾は舌に繋り、腎は耳に繋る。

六府者,何謂也?謂大腸、小腸、胃、膀胱、三焦、膽也。府者,謂五藏宮府也。故《禮運》記曰:“六情所以扶成五性也。”

六府とは何か。是れ大腸・小腸・胃・膀胱・三焦・胆を言うなり。府とは、五蔵の宮府を言うなり。故に《礼運》記に「六情は以て五性を扶助して成就す」とあります。

胃者,脾之府也,脾主稟氣;胃者,谷之委也,故脾稟氣也。

胃は脾の府なり。脾は気を禀ぐるを主管す。胃は穀の委積なり、故に脾は気を禀ぐ。

膀胱者,腎之府也。腎者,主瀉,膀胱常能有熱,故先決難也。

膀胱は腎の府なり。腎は瀉を主管し、膀胱は常に能く熱有り、故に先に難を決す。

三焦者,包絡府也。水谷之道路,氣之所終始也。故上焦若竅,中焦若編,下焦若瀆。

三焦は包絡の府なり。是れ水穀の道路、気の終始なり。故に上焦は竅の如く、中焦は編の如く、下焦は瀆の如し。

膽者,肝之府也。肝者,木之精也,主仁。仁者不忍,故以膽斷也,是以肝膽二者必有勇也。肝膽異趣,何以知相為府也?肝者,木之精也,木之為言牧也,人怒無不色青目腋張者,是其效也。

胆は肝の府なり。肝は木の精にして、仁を主管す。仁者は忍びず、故に胆を以て決断す、これに因りて肝胆の二者に必ず勇あり。肝胆の趨向同じからず、何を以て互いに府と為るを知るや。肝は木の精にして、木の意は牧なり、人が怒を発するに色青く目眦張開せざるなし、是れ効験なり。

小腸、大腸,心肺之府也,主禮義,禮義者有分理,腸之大小相承受也。腸為心肺主,心為皮體主,故為兩府也。目為心視,口為心談,耳為心聽,鼻為心嗅,是其支體主也。

小腸・大腸は心・肺の府にして、礼義を主管す。礼義に分理あり、腸の大小は相承受す。腸は心肺の主と為り、心は肢体の主と為る、故に是れ両府なり。目は心のために看、口は心のために談じ、耳は心のために聴き、鼻は心のために嗅ぐ、是れ肢体の主なり。

喜在西方,怒在東方,好在北方,惡在南方,哀在下,樂在上何?以西方萬物之成,故喜;東方萬物之生,故怒;北方陽氣始施,故好;南方陰氣始起,故惡;上多樂,下多哀也。

喜は西方に在り、怒は東方に在り、好は北方に在り、悪は南方に在り、哀は下に在り、楽は上に在るはなぜでしょうか。西方は万物成就すれば、故に喜。東方は万物生長すれば、故に怒。北方は陽気始めて施行すれば、故に好。南方は陰気始めて興れば、故に悪。上は多く楽しみ、下は多く哀るるを以てなり。

魂魄者,何謂也?魂猶亻雲亻雲也,行不休於外也。主於情。魄者,迫然著人主於性也。魂者,芸也,情以除穢;魄者,白也,性以治內。

魂魄とは何の意か。魂は云云に猶ほ、外に在りて行くこと止まず。情を主管す。魄は迫然として人に附着し、性を主管す。魂は芸なり、情は以て穢を除去す。魄は白なり、性は以て内を治理す。

精神者,何謂也?精者,靜也,太陰施化之氣也。象火之化,任生也,神者恍惚,太陰之氣也,間松雲支體,萬化之本也。

精神とは何の意か。精は静なり、是れ太陰の施化の気なり。火の化に象り、生育を担任す。神は恍惚にして、是れ太陽の気なり、雲気・肢体を間隔松散し、是れ万化の根本なり。

○壽命

○寿命

命者,何謂也?人之壽也,天命己使生者也。命有三科以記驗:有壽命以保度,有遭命以遇暴,有隨命以應行。習壽命者,上命也,若言文王受命唯中身,享國五十年。隨命者,隨行為命,若言怠棄三正,天用剿絕其命矣。又欲使民務仁立義,無滔天。滔天則司命舉過,言則用以弊之。遭命者逢世殘賊,若上逢亂君,下必災變暴至,夭絕人命,沙鹿崩於受邑是也。

命とは何の意か。是れ人の寿命にして、天命すでに彼をして生ぜしむるなり。命に三科ありて以て記験す。寿命ありて以て度を保し、遭命ありて以て暴虐に遭遇し、随命ありて以て行に応ず。寿命を習うは、是れ上命なり、文王が命を受けてただ中身に在りて国を享けること五十年の如しを言う。随命は、行に随いて命を成す、怠弃して三正なれば、天因りて其の命を剿絶するが如し。また民をして仁を務め義を立て、天に滔せざらしめんと欲す。天に滔せば則ち司命は過失を挙出し、言語は以て彼を弊敗せしむ。遭命は残賊の世に逢上するなり、上に乱君に逢えば、下に必ず災変暴至して人命を夭絶す、沙鹿が受邑に於て崩塌するがごとき是れ。

冉伯牛危言正行而遭惡疾,孔子曰:“命矣夫!斯人也而有斯疾也!夫子過鄭與弟子相失獨立郭門外,或謂子貢曰:東門有一人,其頭似堯,其頸似皋繇,其肩似子產,然自腰以下不及禹三寸,儡儡如喪家之狗,子貢以告孔子,孔子喟然而笑,曰:“形狀未也,如喪家之狗。然哉乎,然哉乎。””

冉伯牛は危言正行なれども悪疾に遭遇す、孔子曰く「命なりか。斯の人にして斯の疾あるや」と。夫子が鄭を経過し、弟子と走散し、独自に郭門の外に立つ。或る人子貢に対して曰く、東門に一人あり、頭は尭に似、頸は皐陶に似、肩は子産に似たり、然るに腰より以下は禹に及ばざること三寸、儡儡として喪家の狗の如しと。子貢、孔子に告ぐ。孔子喟然として笑いて曰く「形状は未だ尽くさず、喪家の狗に似たり。是の然るかな、是の然るかな」と。

○宗族

○宗族

宗者,何謂也?宗尊也,為先祖主也,宗人之所尊也。《禮》曰:“宗人將有事,族人皆侍。”聖者所以必有宗何也?所以長和睦也。大宗能率小宗;小宗能率群弟,通於有無,所以紀理族人者也。宗其為始祖後者為大宗,此百世之所宗也。宗其為高祖後者,五世而遷者也,高祖遷於上,宗則易於下。”宗其為曾祖後者為曾祖宗,宗其為祖後者為祖宗,宗其為父後者為父宗。以上至高祖皆為小宗,以其轉遷,別於大宗也。別子者,自為其子孫為祖,繼別也,各自為宗。小宗有四,大宗有一,凡有五。宗人之親,所以備矣。諸侯奪宗,明尊者宜之。大夫不得奪宗何?曰:諸侯世世傳子孫,故奪宗;大夫不傳子孫,故不宗也。《喪服經》曰:“大夫為宗子。”不言諸侯為宗子也。

宗とは何の意か。宗は尊なり、先祖の主を為し、是れ宗人の尊ぶ所なり。《礼》に「宗人將に事有らんとすれば、族人皆侍奉す」とあります。聖人に必ず宗ある所以はなぜでしょうか。以て和睦を長養す。大宗は能く小宗を率い、小宗は能く群弟を率い、有無相通用して、以て族人を紀理す。始祖の後を為すを宗するは大宗にして、是れ百世の宗とする所なり。高祖の後を為すを宗するは、五世にして遷り、高祖は上に遷り、宗は則ち下に於て改易す。曾祖の後を為すを宗するは曾祖宗なり、祖の後を為すを宗するは祖宗なり、父の後を為すを宗するは父宗なり。以上高祖に至るまで皆小宗なり、輾転遷徙し、大宗と別有るを以てなり。別子は、自ら其の子孫の祖と為り、別を継ぎ、各々宗と為る。小宗に四あり、大宗に一あり、共に五あり。宗人の親は、これに因りて完備す。諸侯は宗を奪うは、尊者の宜しきを表明す。大夫は宗を奪うこと能わざるはなぜでしょうか。曰く、諸侯は世世子孫に伝う、故に宗を奪う。大夫は子孫に伝えず、故に宗とせず。《喪服経》に「大夫は宗子と為る」とあり、諸侯は宗子と為ると言わず。

族者何也?族者,湊也,聚也,謂恩愛相流湊也。生相親愛,死相哀痛,有會聚之道,故謂之族。《尚書》曰:“以親九族。”

族とは何か。族は湊なり、聚なり、是れ恩愛の互相流湊するを言うなり。生きれば相亲愛し、死すれば相哀痛し、会聚の道有り、故に族と曰う。《尚書》に「以て九族を親しむ」とあります。

族所以九何?九之為言究也,親疏恩愛究竟也,謂父族四,母族三,妻族二。父族四者,謂父之姓一族也,父女昆弟適人有子為二族也,身女昆弟適人有子為三族也,身女子適人有子為四族也;母族三者,母之父母一族也,母之昆弟二族也,母昆弟子三族也;母昆弟者男女皆在外親,故合言之。妻族二者,妻之父為一族,妻之母為二族,妻之親略故父母各一族。《禮》曰:“惟氏三族之不虞。”《尚書》曰:“以親九族,義同也。”一說合言九族者,欲明堯時俱三也,禮所以獨父族四何?欲言周承二弊之後,民人皆厚於末,故興禮母族,妻之黨廢,禮母族父之族,足以貶妻族,以附父族也。或言九者,據有交接之恩也。若“邢侯之姊,覃公惟私”也。言四者,據有服耳,不相害所異也。

族が九なる所以はなぜでしょうか。九の意は究なり、親疏恩愛は究竟に至る、是れ父族四・母族三・妻族二を言うなり。父族四:父の姓は一族、父の女昆弟が人に嫁して子有るは二族、己の女昆弟が人に嫁して子有るは三族、己の女子が人に嫁して子有るは四族。母族三:母の父母は一族、母の昆弟は二族、母の昆弟の子は三族。母の昆弟男女は皆外親に在り、故に合せて言う。妻族二:妻の父は一族、妻の母は二族、妻の親は簡略なれば、故に父母各々一族と為す。《礼》に「惟れ氏三族の不虞」とあり、《尚書》に「以て九族を親しむ」とあり、義は相同じ。一説に、合せて九族と言うは、尭の時皆三なるを表明せんと欲するなり。礼が独り父族を四とする所以はなぜでしょうか。周が両種の弊の後に承接して、民人皆末に厚ければ、故に礼を興して母族とし、妻之党は廃し、母族・父之族を礼すれば、妻族を貶低するに足り、以て父族に依附せんと欲するなり。或るは九と曰うは、交接の恩有るに依拠す。「邢侯之姊、譚公惟れ私」の如し。或るは四と曰うは、服有るに依拠するのみ、相妨害する所の同じからざるなし。

○姓名

○姓名

人所以有姓者何?所以崇恩愛、厚親親、遠禽獸、別婚姻也。故世別類,使生相愛,死相哀,同姓不得相娶,皆為重人倫也。姓生也,人所稟天氣所以生者也。《詩》云:“天生民。”《尚書》曰:“平章百姓。”姓所以有百者何?以為古者聖人吹律定姓,以紀其族。人含五常而生,聲有五音,宮、商、角、徵、羽,轉而相雜,五五二十五,轉生四時,故百而異也。氣殊音悉備,故殊百也。

人に姓ある所以はなぜでしょうか。以て恩愛を崇尚し、親親を厚待し、禽獣を遠離し、婚姻を分別す。故に世々類別を分別し、生きれば相爱し死すれば相哀せしめ、同姓は相娶ることを得ず、皆人倫を重んずるなり。姓は生なり、人の禀受する所の天气の以て生ずるなり。《詩経》に「天、生「(底本の此字は生僻字)」民」とあり、《尚書》に「百姓を平章す」とあります。姓に百ある所以はなぜでしょうか。古は聖人が律を吹きて姓を定め、以て其の族を紀理したると考えるなり。人は五常を含みて生じ、声に五音あり、宮・商・角・徵・羽、輾転相雑り、五五二十五、転じて四時を生ず、故に百にして同じからず。気同じからず音皆具備す、故に殊異して百と為る。

所以有氏者何?所以貴功德,賤伎力。或氏其官,或氏其事。聞其氏即可知,其所以勉人為善也。或氏王父字何?所以別諸侯之後,為興滅國、繼絕世也。諸侯之子稱公子,公子之子稱公孫,公孫之子各以其王父字為氏。故魯有仲孫、季,楚有昭、屈原,齊有高國、崔立氏三,以知其為子孫也。王者之後二稱王子,兄弟立而皆封也。或曰王孫上稱王孫也。堯知命,表稷、契,賜生子、姓,皋陶典刑不表姓,言天任德遠刑。”禹姓姒氏,祖以億生。殷姓子氏,祖以玄鳥子也。周姓姬氏,祖以履大人跡生也。

氏ある所以はなぜでしょうか。以て功徳を貴び伎力を賤む。或るは官を以て氏と為し、或るは事を以て氏と為す。其の氏を聞けば即ち知るべし、以て人を勉励して善を為さしむ。或るは王父の字を以て氏と為すはなぜでしょうか。以て諸侯の後を分別し、滅国を興し絶世を継がんがためなり。諸侯の子は公子と称し、公子の子は公孫と称し、公孫の子は各々王父の字を以て氏と為す。故に魯に仲孫・季あり、楚に昭・屈原あり、斉に高・国・崔あり、氏を立てて三と為す、以て子孫なるを知る。王者の後に両種の王子と称する有り、兄弟立ちて皆封ず。或る人曰く、王孫は上は王孫と称す。尭は命を知り、稷・契を表彰し、姓を賜い、皐陶は刑法を主管して姓を表彰せず、是れ天が徳を任用し刑を遠離するを言うなり。禹の姓は姒氏、祖は薏に因りて生ず。殷の姓は子氏、祖は玄鳥の子に因る。周の姓は姫氏、祖は大人の足迹を踩みて以て生ず。

人必有名何?所以吐情自紀,尊事人者也。《論語》曰:“名不正,則言不順。”

人に必ず名あるはなぜでしょうか。以て情を吐露し、自ら紀理し、人を尊事す。《論語》に「名正しからざれば、則ち言順ならず」とあります。

三月名之何?天道一時,物有變,人生三月,目煦亦能笑,與人相更答,故因其始有知而名之。故《禮服傳》曰:“子生三月,則父名之於祖廟。”於祖廟者,謂子之親廟也,明當為宗廟主也。

三箇月にして彼に名を与うるはなぜでしょうか。天道一時令にして物に変化あり、人は三箇月生じ、目煖かにしてまた能く笑み、人と互いに応答す、故に其の始めて知あるに趁りて命名す。故に《礼服伝》に「子生れて三月なれば、則ち父祖廟に於て彼に名を与う」とあります。祖廟に於てするは、子の親廟を言い、當に宗廟の主を為すべきを表明す。

一說名之於燕寢。名者,幼小卑賤之稱也,寡略,故於燕寢。《禮?內則》曰:“子生,君沐浴朝服,夫人亦如之。立於阼階西南,世婦抱子,升自西階,君命之士。嫡子執其右手,庶子撫其首。君曰‘欽有帥’,夫人曰‘記有成’。告於四境。”四境者,所以遏絕萌芽,禁備未然。故《曾子問》曰:“世子生,三月以名,告於祖禰。”《內則》記曰:“以名告于山川、社稷、四境,天子太子使士負子於南郊。”

一説に燕寝に於て命名す。名は幼小卑賤の称呼にして、簡略なれば、故に燕寝に於てす。《礼・内則》に「子生まれ、君は沐浴して朝服し、夫人もまた此の如し。阼階の西南に立ち、世婦は子を抱き、西階より升り、君は士に命令す。嫡子は其の右手を執り、庶子は其の頭を撫す。君曰く『欽に帥有れ』、夫人曰く『記して成有れ』。四境に告ぐ」とあります。四境は、以て萌芽を遏絶し、未然を禁備す。故に《曾子問》に「世子生まれ、三箇月にして名を以て祖禰に告ぐ」とあり、《内則》記に「名を以て山川・社稷・四境に告ぐ、天子の太子は士をして子を背負わしめて南郊に至らしむ」とあります。

以桑弧蓬矢六射者何也?此男子之事也,故先表其事,然後食其祿。必桑弧何?桑者,相逢接之道也。《保傅》曰:“天子生,舉之以禮,使士負之者何,齊肅端綏,之郊見於天。”《韓詩內傳》曰:“太子生,以桑弧蓬矢六,射上下四方。”明當有事天地四方也。

桑弧・蓬矢六支を以て射るはなぜでしょうか。是れ男子の事なれば、故に先に其の事を表彰し、然る後に其の禄を食む。必ず桑弧を用うるはなぜでしょうか。桑は相逢接の道なり。《保傅》に「天子生まれ、礼に按じて挙げ、士をして背負わしむるはなぜか。斉粛端正にして綏帯し、郊に至りて天に見えんがためなり」とあり、《韓詩内伝》に「太子生まれ、桑弧・蓬矢六支を以て、上下四方を射る」とあるは、當に天地四方に事あるべきを表明す。

殷以生日名子何?殷家質,故直以生日名子也。以《尚書》道殷家太甲、帝武丁也。於臣民亦得以生日名子何?亦不止也,以《尚書》道殷臣有巫咸,有祖己也。何以知諸侯不象王者以生日名子也?以太王名甫、王季名歷,此殷之諸侯也。《易》曰“帝乙”,謂成湯。帝乙謂六代孫也。

殷は生日を以て子に起名するはなぜでしょうか。殷家は質朴なれば、故に直ちに生日を以て子に起名す。《尚書》が殷家の太甲・帝武丁を称道するを以てなり。臣民に対してもまた能く生日を以て子に起名するはなぜでしょうか。亦た禁止せず、《尚書》が殷臣に巫咸あり祖己ありと称道するを以てなり。何を以て諸侯は王者に取象して生日を以て子に起名せざるを知るや。太王の名は「(底本の此字は生僻字)」甫、王季の名は暦なれば、是れ殷の諸侯なり。《易》に「帝乙」と曰うは、成湯を言うなり。帝乙が言うは六代孫なり。

湯生於夏世,何以用甲乙為名?曰:湯王后乃更變名,子孫法耳。本名履,故《論語》曰:“予小子履。”履,湯名也。

湯は夏世に生まれ、何を以て甲乙を以て名と為すや。曰く、湯は王と称して後に始めて改名し、是れ子孫の法なりのみ。本名は履なり、故に《論語》に「予小子履」とあり、履は湯の名なり。

不以子丑何?曰:甲乙者,幹也;子丑者,枝也。幹為本,本質,故以甲乙為名也。

子丑を用いざるはなぜでしょうか。曰く、甲乙は干なり、子丑は枝なり。干は本にして本質なれば、故に甲乙を以て名と為す。

名或兼或單何?示非一也。或聽其聲,以律定其名;或依事、旁其形。故名或兼或單也。依其事者,若后稷是也。棄之,因名為棄也。旁其形者,孔子首類國尼丘山,故名為丘。

名に或るは兼、或るは単なるはなぜでしょうか。一種に非ざるを表す。或るは其の声を聴き、律を以て其の名を定め、或るは事に依り其の形に依傍す。故に名に或るは兼、或るは単なり。事に依るは、后稷の如し。彼を抛弃し、因りて名を弃と為す。形に依傍するは、孔子の頭は尼丘山に象る、故に名を丘と為す。

或旁其名為之字者,聞名即知其字,聞字即知其名,若名賜字,子貢名鯉,字伯魚。

或るは其の名に依傍して以て字を為す、名を聞けば即ち其の字を知り、字を聞けば即ち其の名を知る、名を賜し字を子貢とし、名を鯉とし字を伯魚とするがごとし。

《春秋》譏二名何?所以譏者乃謂其無常者也,若乍為名,祿甫元言武庚名。

《春秋》が二名を譏るはなぜでしょうか。譏る所以は、常規なき者を言う、名を為すこと忽然とするがごとき、禄甫はもともと武庚の名を言えりき。

不以日月山川為名者,少賤卑己之稱也,臣子當諱為物示通故避之也。

日月山川を用いて名と為さざるは、是れ少賤・自ら謙卑するの称呼なれば、臣子は當に避諱すべく、物をして通を示さしめんがためなり、故に避く。

《禮》曰:“二名不偏諱,逮事父母則諱王父母,不逮父母則不諱王父母也。君前不諱諱,詩書不諱,臨文不諱,郊廟中不諱。”又曰:“君前臣名,父前子名”謂大夫名卿、弟名兄也。明不敢諱於尊者之前也。太古之時,所不諱者何?尚質也,故臣子不言其君父之名。故《禮記》曰:“朝日上值,不諱,正天名也。”

《礼》に「二名は偏諱せず。父母に事うるに及べば則ち王父母を諱し、父母に及ばざれば則ち王父母を諱せず。君の前に諱せず、詩書に諱せず、文に臨んで諱せず、郊廟の中に諱せず」とあり、また曰く「君の前には臣は名を称し、父の前には子は名を称す」とあるは、大夫が卿の名を称し弟が兄の名を称することを言うなり。尊者の前に於て避諱することを敢えてせざるを表明す。太古の時に諱せざる所以はなぜでしょうか。質朴を崇尚し、故に臣子は其の君父の名を称せず。故に《礼記》に「朝日に値る上は、諱せず、是れ天の名を端正す」とあります。

人所以十月而生者何?人,天子之也,經天地之數五,故十月而備,乃成人也。

人が十月にして生ずる所以はなぜでしょうか。人は天の子にして、天地の数を経ること五、故に十月にして完備し、乃ち人と成る。

人生所以位何?本一干而分,得氣異息,故泣,重離母之義也。《尚書》曰:“啟呱呱而泣也。”

人が生まれて哭する所以はなぜでしょうか。もともと一干にして分かる、気を得ること呼吸同じからず、故に哭す、母を離るるの義を重んずるなり。《尚書》に「啓、呱呱として泣く」とあります。

人拜所以自名何?所以立號自紀禮拜。自後不自名何?備陰陽也。

人が拝して自ら名を称する所以はなぜでしょうか。以て号を立て自ら紀理し、礼拜せんがためなり。此より以後自ら名を称せざるはなぜでしょうか。陰陽を完備す。

人所以相拜者何?所以表情見意屈節卑體,尊事人者也,拜之言服也。

人が相拝する所以はなぜでしょうか。以て情を表達し意を顕現し、節を屈し体を卑くして、人を尊事す。拝の意は服なり。

所以必再拜何?法陰陽也。《尚書》曰:“再拜稽首也。”必稽首何?敬之至也。頭至地何?以言首謂頭也,《禮》曰:“首有瘍則沐。”

必ず再拝する所以はなぜでしょうか。陰陽に取法す。《尚書》に「再拝稽首」とあります。必ず稽首するはなぜでしょうか。敬の極まるなり。頭が地に至るはなぜでしょうか。首は即ち頭と言うを以てなり、《礼》に「首に瘍あれば則ち沐す」とあります。

所以先拜首後稽首何?名順其文質也。《尚書》曰:“周公拜首稽首。”

先に手を拝し後に稽首する所以はなぜでしょうか。名称は文質に順うなり。《尚書》に「周公、手を拝し稽首す」とあります。

人所以有字何?冠德明功,敬成人也。故《禮?士冠經》曰:“賓北面,字之曰伯某甫。”又曰:“冠而字之。”敬其名也。所以五十乃稱伯仲者,五十知天命、思慮定也,能順四時長幼之序,故以伯仲號之。《禮?檀弓》曰:“幼名,冠字,五十乃稱伯仲。”《論語》曰:“五十而知天命。”

人に字ある所以はなぜでしょうか。徳を冠し功を明らかにし、成人を敬重す。故に《礼・士冠経》に「賓、北に向かい、彼に字を与えて伯某甫と曰う」とあり、また曰く「冠して之に字す」とあるは、其の名を敬すなり。故に五十にして始めて伯仲と称するは、五十にして天命を知り思慮安定す、能く四時・長幼の序に順う、故に伯仲を以て称号と為す。《礼・檀弓》に「幼には名し、冠には字し、五十にして乃ち伯仲と称す」とあり、《論語》に「五十にして天命を知る」とあります。

稱號所以有四何?法四時用事先後,長幼兄弟之象也,故以時長幼號曰伯、仲、叔、季也。伯者,長也,伯者子最長,迫近父也。仲者,中也。叔者,少也。季者,幼也。適長稱伯,伯禽是也。庶長稱孟,以魯大夫孟氏。

称号に四種ある所以はなぜでしょうか。四時の事を用うるの先後に取法し、是れ長幼兄弟の象なり、故に時令長幼に按じて伯・仲・叔・季と号称す。伯は長なり、伯は子の最も長にして、父に迫近す。仲は中なり。叔は少なり。季は幼なり。嫡長は伯と称す、伯禽即ち是れ。庶長は孟と称す、魯大夫の孟氏の如し。

男女異長,各自有伯仲,法陰陽各自有終始也。《春秋傳》曰:“伯姬者何?內女稱也。”婦人十五稱伯仲何?婦人值,少變。陰陽道促,蚤成。十五通乎織糹任之事,思慮定,故許嫁笄而字。故《禮經》曰:“女子十五許嫁,笄。禮之稱字之。“婦姓以配字何?明不娶同姓也,故《春秋》曰:“伯姬歸於宋。”姬者,姓也。

男女は分別して長を論じ、各々伯仲有り、陰陽各々終始有るに取法す。《春秋伝》に「伯姫とは何か。是れ内女の称なり」とあります。婦人は十五にして伯仲と称するはなぜでしょうか。婦人は質直にして変化少なし。陰陽の道は急促にして早く成る。十五にして織紝の事を通暁し思慮安定す、故に嫁を許し笄を加えて字す。故に《礼経》に「女子は十五にして嫁を許し、笄す。礼は其の字を称す」とあります。婦人の姓は以て字に配するはなぜでしょうか。同姓を娶らざるを表明す、故に《春秋》に「伯姫、宋に帰す」とあり、姫は姓なり。

值字所以於仲春何?值者親,故近於仲;文子尊尊,故於伯仲之時物尚值,叔之時物失之章,即如是,周有八士。《論語》曰:“伯達,伯適,仲突,仲忽,叔夜,叔夏,季隨,季”,積於叔何?蓋以兩兩俱生故也。不積於伯,季,明其無二也。

質字が仲春に在る所以はなぜでしょうか。質は親なり、故に仲に近し。文子は尊々なれば、故に伯仲の時に物なお質直にして、叔の時に物は章顕を失う。若し此の如し、周に八士あり。《論語》に「伯達、伯適、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季「(底本の此字は生僻字)」」とあり、叔に積むるはなぜでしょうか。蓋し両両一斉に生ずるを以てなり。伯・季に積まざるは、二なきを表明す。

文王十子,《詩傳》曰:“伯邑考,武王發,周公旦,管叔鮮,蔡叔鐸,成叔處,霍叔武,康叔封,南季載。”載所以或上其叔何也?管、蔡、霍、成、康、南,皆採也,故上置叔上。伯邑叔震也,以獨無乎?蓋以為大夫者,不是采地也。

文王の十子、《詩伝》に「伯邑考、武王発、周公旦、管叔鮮、蔡叔鐸、成叔処、霍叔武、康叔封、南季載」とあります。載が或る時叔を上に置く所以はなぜでしょうか。管・蔡・霍・成・康・南は皆采地なれば、故に叔を上に置く。伯邑は叔震か、何ぞ独り無きや。蓋し大夫を為す者と考え、采地に非ず。

○天地

○天地

天者何也?天之為言鎮也,居高理下,為人鎮也。地者,易也。言養萬物懷任,交易變化也。

天とは何か。天の意は鎮なり、高きに居りて下を治理し、人の鎮を為す。地は易なり、是れ万物を養育し懐妊し、変化を交易するを言う。

始起之天,始起先有太初,後有太始,形兆既成,名曰太素。混沌相連,視之不見,聽之不聞,然後剖判清濁。既分,精出曜布,度物施生。精者為三光,號者為五行。行生情,情生汁中,汁中生神明,神明生道德,道德生文章。故《乾鑿度》云:“太初者,氣之始也。太始者,形兆之始也;太素者,質之始也。陽唱陰和,男行婦隨也。”

始めて興るの天、始め先に太初有り、後に太始有り、形兆すでに成就して、名づけて太素と曰う。混沌相連なり、視ても見えず聴いても聞こえず、然る後に清濁を剖判す。分かれたる後、精出でて照耀分布し、物を度量して施生す。精なるは三光、号するは五行。行は情を生じ、情は汁中を生じ、汁中は神明を生じ、神明は道徳を生じ、道徳は文章を生ず。故に《乾鑿度》に「太初は気の始めなり。太始は形兆の始めなり。太素は質の始めなり。陽唱え陰和し、男行き婦随う」とあります。

天道所以左旋、地道右周何?以為天地動而不別,行而不離。所以左旋、右周者,猶君臣、陰陽相對之義。

天道が左旋し地道が右周する所以はなぜでしょうか。天地は動いて分別せず、行って離れずと考えるなり。故に左旋・右周は、君臣・陰陽の相対するの義に猶ほごとし。

男女總名為人,天地所以無總名何?曰:天圓地方,不相類,故無總名也。

男女は人を総名とす、天地に総名なき所以はなぜでしょうか。曰く、天は円にして地は方、相類似せず、故に総名なし。

君舒臣疾,卑者宜勞,天所以反常行何?以為陽不動,無以行其教;陰不靜,無以成其化。雖終日干乾,亦不離其處也。故《易》曰:“終日干乾,反覆道也。”

君は舒緩にして臣は急速、卑者は當に労苦すべし、天が反りて常に行う所以はなぜでしょうか。陽動かざれば、其の教を施行するに由無し。陰静かならざれば、其の化を成就するに由無し。終日乾乾すといえども、其の処所を離れず。故に《易》に「終日乾乾、反覆は道なり」とあります。

○日月

○日月

天左旋,日、月、五星右行何?日、月、五星比天為陰,故右行。右行者,猶臣對君也。《含文嘉》曰:“計日月,右行也。”《刑德放》曰:“日月東行。”

天は左旋し、日・月・五星は右行するはなぜでしょうか。日・月・五星は天に比べて陰なれば、故に右行す。右行は、臣の君に対するに猶ほごとし。《含文嘉》に「日月を計算すれば、右行」とあり、《刑徳放》に「日月は東行す」とあります。

而日行遲,月行疾何?君舒臣勞也。日日行一度,月日行十三度十九分度之七。《感精符》曰:“三綱之義,日為君,月為臣也。”日月所以懸晝夜者何?助天行化,照明下地。故《易》曰:“懸象著明,莫大乎日月。”

而して日は行くこと遅く月は行くこと疾きはなぜでしょうか。君は舒緩にして臣は労苦す。日は毎日一度を行き、月は毎日十三度又十九分の七を行く。《感精符》に「三綱の義は、日は君、月は臣」とあります。日月が昼夜に懸る所以はなぜでしょうか。天を助けて教化を施行し、下地を照明す。故に《易》に「象を懸けて著明するは、日月より大なるはなし」とあります。

日之為言實也,常滿有節。月之為言闕也,有滿有闕也。所以有缺何?歸功於日也。八日成光,二八十六日轉而歸功,晦至朔旦,受符復行。故《援神契》曰:“月三日成魄也。”所以名之為星何?星者,精也,據日節言也。一日一夜適行一度,一日夜為一日,剩復分天為三十六度,周天三百六十五度四分度之一。日月徑千里也。

日の意は実なり、常に満ちて節あり。月の意は闕なり、満ちる有り闕く有り。缺有る所以はなぜでしょうか。功を日に帰す。八日にして光を成就し、二八十六日に転じて功を帰し、晦より朔旦に至り、符を受けて再び行走す。故に《援神契》に「月三日にして魄を成す」とあります。星と名づくる所以はなぜでしょうか。星は精なり、日の節に依拠して言う。一日一夜に恰好一度を行き、一日夜を以て一日と為し、再び天を分かちて三百六十五度又四分度の一と為す。日月の径は千里なり。

所以必有晝夜何?備陰陽也。日照晝,月照夜。日所以有長短何?陰陽更相用事也,故夏節晝長,冬節夜長。夏日宿在東井,出寅入戌;冬日宿在牽牛,出辰入申。

必ず昼夜ある所以はなぜでしょうか。陰陽を完備す。日は昼を照らし月は夜を照らす。日に長短ある所以はなぜでしょうか。陰陽は更迭に事を用う、故に夏節は昼長く冬節は夜長し。夏日は宿を東井に在りて、寅より出で戌に入る。冬日は宿を牽牛に在りて、辰より出で申に入る。

月小大何?天道左旋,日月東行。日日行一度,月日行十三度,月及日為一月,至二十九日未及七度,即三十日者過行七度。日不可分,故月乍大小,明有陰陽也。故《春秋》曰:“九月庚戌朔,日有食之。”“十月庚辰朔,日有食之。”此三十日也。又曰:“七月甲子朔,日有食之。”“八月癸已朔日有食之。”此二十九日也。

月に小有り大有るはなぜでしょうか。天道は左旋し、日月は東行す。日は毎日一度を行き、月は毎日十三度を行き、月が日に及ぶは一月なり、二十九日に至ればなお七度を差し、三十日に至れば則ち多く七度を行く。日は分割すべからず、故に月は忽ち大に忽ち小、陰陽有るを表明す。故に《春秋》に「九月庚戌朔、日これに食わる」「十月庚辰朔、日これに食わる」とあるは、是れ三十日なり。また曰く「七月甲子朔、日これに食わる」「八月癸巳朔、日これに食わる」とあるは、是れ二十九日なり。

月有閏餘何?周天三百六十五日度四分度之一,歲十二月,日過十二度,故三年一閏,五年再閏,明陰不足,陽有餘也,故《讖》曰:“閏者陽之餘。”

月に閏余あるはなぜでしょうか。周天は三百六十五日又四分度の一、一年十二月にして、日は十二度を超過す、故に三年一閏、五年再閏す、陰不足にして陽有余なるを表明す、故に《谶》に「閏は陽の余なり」とあります。

○四時

○四時

所以名為歲何?歲者,遂也。三百六十六日一周天,萬物畢死,故為一歲也。《尚書》曰:“期三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。”

歳と名づくる所以はなぜでしょうか。歳は遂なり。三百六十六日にして周天を一し、万物皆死す、故に是れ一歳なり。《尚書》に「期は三百有六旬有六日、閏月を以て四時を定め、歳を成す」とあります。

春夏秋冬。時者,期也,陰陽消息之期也。四時天異名何?天尊各據其盛者為名也。春秋物變盛,冬夏氣變盛。春曰蒼天,夏曰昊天,秋曰天,冬曰上天。《爾雅》曰:“一說春為蒼天等是也。”四時不隨正朔變何?以為四時據物為名,春當生,冬當終,皆以正為時也。

春夏秋冬。時は期なり、是れ陰陽消息の期なり。四時に天の名称同じからざるはなぜでしょうか。天は尊し、各々最も盛なるに依拠して命名す。春秋は物変盛ん、冬夏は気変盛ん。春は蒼天と曰い、夏は昊天と曰い、秋は「(底本の此字は生僻字)」天と曰い、冬は上天と曰う。《爾雅》に「一説に春を蒼天と為す等即ち是れ」とあります。四時が正朔に随いて変ぜざるはなぜでしょうか。四時は物に依拠して命名すと考え、春は當に生ずべく、冬は當に終わるべし、皆正を以て時と為す。

或言歲,或言載,或言年何?言歲者,以紀氣物,帝王共之,據曰為歲。《春秋》曰:“元年正月。”“十有二月朔。”有朔有晦,知據月斷為言年。載之言成也,載成萬物,終始言之也。二帝言載,三王言年,皆謂窺窬。故《尚書》曰:“三載四海遏密八音。”謂二帝也。又曰:“諒陰三年。”謂三王也。《春秋傳》曰:“三年之喪,其實二十五月。”知闕。

或るは歳と言い、或るは載と言い、或るは年と言うはなぜでしょうか。歳と言うは、以て気物を紀理し、帝王共用し、日に依拠して歳と為す。《春秋》に「元年正月」「十有二月朔」とあり、朔有り晦有れば、月に依拠して断するを知り、年と称す。載の意は成なり、万物を載成し、終始より言う。二帝は載と言い、三王は年と言う、皆窺窬を言うなり。故に《尚書》に「三載、四海八音を遏密す」とあるは、二帝を言うなり。また曰く「陰に諒むこと三年」とあるは、三王を言うなり。《春秋伝》に「三年の喪は、其の実二十五月」とあるは、缺有るを知る。

日言夜,月言晦,月言朔,日言朝何?朔之言蘇也,明消更生,故言朔。日晝見夜藏,有朝夕,故言朝也。

日は夜と言い、月は晦と言い、月は朔と言い、日は朝と言うはなぜでしょうか。朔の意は蘇なり、光明消退して再生す、故に朔と曰う。日は昼に出現し夜に潜蔵し、朝夕有り、故に朝と曰う。

○衣裳

○衣裳

聖人所以製衣服何?以為■蔽形,表德勸善,別尊卑也。所以名為衣裳何?衣者,隱也;裳者,障也。所以隱形自障閉也。《易》曰:“黃帝堯舜垂衣裳而天下治。”何以知上為衣下為裳?以其先言衣也。《詩》曰:“褰裳涉溱。”所以合為衣也。《弟子職》言“摳衣而降也。”名為衣何?上兼下也。

聖人が衣服を制定する所以はなぜでしょうか。「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は残欠)」形体を遮蔽し、徳を表彰し善を勧勉し、尊卑を分別するを以てなり。衣裳と名づくる所以はなぜでしょうか。衣は隠なり、裳は障なり。以て形体を隠藏し自ら障閉す。《易》に「黄帝尭舜、衣裳を垂れて天下治まる」とあります。何を以て上は衣・下は裳と知るや。先に衣を言うを以てなり。《詩経》に「裳を褰りて溱を渉る」とあるは、故に合せて衣と為す。《弟子職》に「衣を抠りて降る」とあり、衣と名づくるはなぜでしょうか。上が下を兼ぬるを以てなり。

獨以羔裘何?取輕暖。因狐死首丘,明君子不忘本也。羔者取跪乳遜順也。故天子狐白,諸侯狐黃,大夫狐蒼,士羔裘,亦因別尊卑也。

独り羔裘を用うるはなぜでしょうか。軽暖を取る。また狐は死するに頭を丘に向くるを以て、君子は本を忘れざるを表明す。羔は跪きて乳を食い遜順するを取る。故に天子は狐白、諸侯は狐黄、大夫は狐蒼、士は羔裘、亦た因りて尊卑を分別す。

所以必有紳帶者,示謹敬自約整。繢繒為結於前,下垂三分,身半,紳居二焉。必有ひ帶者,示有事也。

必ず紳帯ある所以は、謹敬にして自ら約束斉整することを表す。繢繒を以て前に於て結を打ち、下垂すること三分、身の半、紳は其の二を占む。必ず蔽膝之帯あるは、事有るを表す。

所以必有佩者,《論語》曰:“去喪,無所不佩。”天子佩白玉,諸侯佩山玄玉,大夫佩水蒼玉,士佩需珉石。佩即象其事。若農夫佩其耒耜,工匠佩其斧斤,婦人佩其釒鹹鏤,何以知婦人亦佩玉?《詩》云:“將翱將翔,佩玉將將。彼美孟姜,德音不忘。”

必ず佩ある所以は、《論語》に「喪を去りて、佩せざる所なし」とあります。天子は白玉を佩し、諸侯は山玄玉を佩し、大夫は水蒼玉を佩し、士は「(底本の此字は生僻字)」珉石を佩す。佩は即ち其の事に象る。農夫が其の耒耜を佩び、工匠が其の斧斤を佩し、婦人が其の針縷を佩するが如し、何を以て婦人もまた玉を佩するを知るや。《詩経》に「將に翱り將に翔んとす、佩玉將將たり。彼の美しき孟姜、徳音忘れ難し」とあります。

○五刑

○五刑

聖人治天下,必有刑罰何?所以佐德助治,順天之度也。故懸爵賞者,示有勸也;設刑罰者,明有所懼也。刑所以五何?法五行也。科條三千者,應天地人情也。五刑之屬三千,大辟之屬二百,宮闢之屬三百,腓闢之屬五百,劓、墨闢之屬各千。張布羅眾,非五刑不見。劓、墨何,其下刑者也。腓者其臏。宮者,女子淫,執置宮中,不得出也;丈夫淫,割去其勢也。大辟者,謂死也。

聖人が天下を治理するに必ず刑罰あるはなぜでしょうか。以て徳を輔助し治を助け、天の法度に順従す。故に爵賞を懸挂するは、勧勉有るを表し、刑罰を設立するは、懼怕する所有るを表明す。刑が五種なる所以はなぜでしょうか。五行に取法す。科条三千は、天地人情に応ず。五刑の属三千:大辟の属二百、宮辟の属三百、腓辟の属五百、劓・墨辟の属各々千。張開して布列し衆人を羅列す、五刑に非ざれば見えず。劓・墨は、下の刑なり。腓は臏なり。宮は、女子淫なれば、捉えて宮中に置き、出ること能わせず。丈夫淫なれば、其の勢を割去す。大辟は、死を言うなり。

刑不上大夫何?尊大夫。禮不下庶人,欲勉民使至於士。故禮為有知制,刑為無知設也。庶人雖有千金衣幣,不得服。刑不上大夫者,據禮無大夫刑。或曰:撻笞之刑也。禮不及庶人者,謂酬酢之禮也。

刑は大夫に上らざるはなぜでしょうか。大夫を尊ぶなり。礼は庶人に下らざるは、民を勉励して士に達せしめんと欲するなり。故に礼は知有る人のために制定し、刑は知無き人のために設立す。庶人は千金の衣幣有るといえども、服すこと能わず。刑は大夫に上らざるは、礼に大夫の刑なきに依拠す。或る人曰く、是れ撻笞の刑なり。礼は庶人に及ばざるは、酬酢の礼を言うなり。

○五經

○五経

孔子所以定《五經》者何?以為孔子居周之末世,王道陵遲,禮樂廢壞,強陵弱,眾暴寡,天子不敢誅,方伯不敢伐。閔道德之不行,故周流應聘,冀行其聖德。自衛反魯,自知不用,故追定《五經》以行其道。故孔子曰:“《書》曰:“孝乎,惟孝,友于兄弟,施於有政。是以為政也。”孔子未定《五經》如何?周衰道失,綱散紀亂,五教廢壞,故五常之經鹹失其所,象《易》失理,則陰陽萬物失其性而乖。設法謗之言,並作《書》三千篇,作《詩》三百篇,而歌謠怨誹也。

孔子が《五経》を勘定する所以はなぜでしょうか。孔子は周の末世に処り、王道陵遅し、礼楽廃壊し、強きは弱きを欺凌し、衆は寡を暴虐し、天子は誅することを敢えてせず、方伯は伐つことを敢えてせずと考えたればなり。道徳の施行し得ざるを憫み、故に周流して聘に応じ、其の聖徳を施行せんことを希望せり。衛より魯に帰り、自ら用いられざるを知り、故に《五経》を追定して以て其の道を施行す。故に孔子曰く「《書》に曰く『孝なるかな、惟れ孝、兄弟に友し、政有るに施す』。これ即ち政を為すなり」と。孔子未だ《五経》を定めざる時は如何。周衰え道失われ、綱散じ紀乱れ、五教廃壊し、故に五常の経皆其の所を失い、《易》の理を失えば、則ち陰陽万物は性を失いて乖離す。毁謗の言を設立し、併せて《書》三千篇を作り、《詩》三百篇を作り、而して歌謡は怨诽す。

已作《春秋》,後作《孝經》何?欲專制正。於《孝經》何?夫孝者,自天子下至庶人,上下通《孝經》者。夫製作禮樂,仁之本,聖人道德已備,弟子所以復記《論語》何?見夫子遭事異變,出之號令,失法。

すでに《春秋》を作り、後に《孝経》を作るはなぜでしょうか。専制して正しからんと欲するなり。《孝経》に対しては如何。孝は、天子より下りて庶人に至るまで、上下《孝経》に貫通す。礼楽を制作するは、仁の根本なり、聖人の道徳すでに完備せり、弟子が再び《論語》を記する所以はなぜでしょうか。夫子が事変に遭遇し、号令を発出し、法を失えるを見ればなり。

文王所以演《易》何?文王受王不率仁義之道,失為人法矣,己之調和陰陽尚微,故演《易》,使我得卒,至於太平。日月之光明則如《易》矣。

文王が《易》を演ずる所以はなぜでしょうか。文王は王業を受け、人に仁義の道を遵循せざる有り、人と為るの法を失えり、自ら陰陽を調和すれどもなお微なり、故に《易》を演じ、我をして能く完成せしめ、太平に到達せしむ。日月の光明は《易》の如くなれば即ち是れ。

伏羲作八卦何?伏羲始王天下,未有前聖法度,故仰則觀象於天,俯則察法於地,觀鳥獸之文與地之宜。近取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以象萬物之情也。

伏犧が八卦を作るはなぜでしょうか。伏犧始めて天下に王と称し、未だ前聖の法度なし、故に仰げば則ち天に象を観、俯せば則ち地に法を察し、鳥獣の文と地の宜しき所を観看す。近くは物に取り、是に於て始めて八卦を作り、以て神明の徳を貫通し、万物の情に取象す。

經所以有五何?經,常也。有五常之道,故曰《五經》:《樂》仁、《書》義、《禮》禮、《易》智、《詩》信也。人情有五性,懷五常,不能自成,是以聖人象天五常之道而明之,以教人成其德也。

経が五種なる所以はなぜでしょうか。経は常なり。五常の道有り、故に《五経》と曰う。《楽》は仁、《書》は義、《礼》は礼、《易》は智、《詩》は信。人情に五性あり、五常を懐き、自ら成就すること能わず、これに因りて聖人は天の五常の道に取象して之を彰明し、以て人を教えて其の徳を成就せしむ。

《五經》何謂?謂《易》、《尚書》、《詩》、《禮》、《春秋》也?《禮?解》曰:“溫柔寬厚,《詩》教也;疏通知遠,《書》教也;廣博易良,《樂》教也;潔靜精微,《易》教也;恭儉莊敬,《禮》教也;屬詞比事,《春秋》教也。”

《五経》とは何か。是れ《易》・《尚書》・《詩》・《礼》・《春秋》を言うか。《礼・解》に「温柔寛厚は《詩》の教、疏通知遠は《書》の教、広博易良は《楽》の教、潔静精微は《易》の教、恭倹荘敬は《礼》の教、属詞比事は《春秋》の教なり」とあります。

《春秋》何常也?則黃帝已來何以言之?《易》曰:“上古結繩以治,後世聖人易之以書契,百官以理,萬民以察。”後世聖人者謂五常也。《傳》曰:“三王百世計神元書,五帝之受錄圖,世史記從政錄帝魁已來,除禮樂之書三千二百四十篇也。”

《春秋》は何を以て常と為すか。黄帝以来、何を以て此の如く言うや。《易》に「上古は縄を結びて以て治め、後世の聖人は之を書契に易う、百官はこれに因りて治め、万民はこれに因りて察す」とあり、後世の聖人とは五帝を言うなり。《伝》に「三王百世、神元の書を計算し、五帝は録図を受け、世史は政に従い記し、帝魁以来を記録し、礼楽の書三千二百四十篇を除去す」とあります。

●卷九

●巻九

○嫁娶

○嫁娶

人道所以有嫁娶何?以為情性之大,莫若男女。男女之交,人情之始,莫若夫婦。《易》曰:“天地氤氳,萬物化淳。男女稱精,萬物化生。”人承天地施陰陽,故設嫁娶之禮者,重人倫、廣繼嗣也。《禮?保傅》記曰:“謹為子嫁娶,必擇世有仁義者。”

人道に嫁娶ある所以はなぜでしょうか。情性の大は、男女より大なるはなしと考えるなり。男女の交は、人情の始めにして、夫婦より甚だしきはなし。《易》に「天地氤氳、万物化淳す。男女構精し、万物化生す」とあります。人は天地を承け陰陽を施行す、故に嫁娶の礼を設立するは、人倫を重んじ継嗣を推広するなり。《礼・保傅》記に「子のために嫁娶するを謹慎し、必ず世々仁義あるを選擇せよ」とあります。

禮男娶女嫁何?陰卑不得自專,就陽而成之,故《傳》曰:“陽倡陰和,男行女隨。”

礼は男娶り女嫁ぐはなぜでしょうか。陰は卑しく自ら専断すること能わず、陽に就いて以て成就す、故に《伝》に「陽倡え陰和し、男行き女随う」とあります。

男不自專娶,女不自專嫁,必由父母,須媒妁何?遠恥防淫佚也。《詩》云:“娶妻如之何?必告父母。”又曰:“娶妻如之何?匪媒不得。”

男は自ら娶るを専らにせず、女は自ら嫁ぐを専らにせず、必ず父母を経由し、媒妁を須つるはなぜでしょうか。羞恥を遠離し淫佚を防止せんがためなり。《詩経》に「妻を娶るを如何。必ず父母に告げよ」とあり、また曰く「妻を娶るを如何。媒に匪ざれば得ず」と。

男三十而娶,女二十而嫁,陽數奇,陰數偶。男長女幼者,陽舒,陰促。男三十,筋骨堅強,任為人父;女二十,肌膚充盛,任為人母。合為五十,應大衍之數,生萬物也。故《禮?內則》曰:“男五十壯有室,女二十壯而嫁。”

男は三十にして娶り、女は二十にして嫁ぐ、陽数は奇、陰数は偶。男長じ女幼し、陽は舒緩にして陰は急促なればなり。男三十は筋骨堅強にして、能く父を為すを担任し、女二十は肌膚充盛にして、能く母を為すを担任す。合して五十と為り、大衍の数に応じ、万物を生育す。故に《礼・内則》に「男は三十壮にして室有り、女は二十壮にして嫁ぐ」とあります。

七歲之陽也,八歲陰也,七八十五陰陽之數備,有相偶之志。故《禮記》曰:“女子十五許嫁,笄而字。”禮之稱字,陰繫於陽,所以專一之節也。陽尊無所繫,二十五系者,就陰節也。陽舒而陰促。三十數三終,奇,陽節也。二十數再終,偶,陰節也。陽小成於陰,大成於陽,故二十而冠,三十而娶。陰小成於陽,大成於陰,故十五而笄,二十而嫁也。

七歳は陽、八歳は陰、七八十五にして陰陽の数完備し、相匹配するの志有り。故に《礼記》に「女子は十五にして嫁を許し、笄して字す」とあります。礼は字を称す、陰は陽に繋り、以て専一の節と為す。陽は尊く繋る所なし、二十五にして始めて繋るは、陰の節に就くなり。陽は舒緩にして陰は急促なり。三十は三終にして奇、是れ陽の節なり。二十は再終にして偶、是れ陰の節なり。陽は小成を陰に於てし、大成を陽に於てす、故に二十にして冠し、三十にして娶る。陰は小成を陽に於てし、大成を陰に於てす、故に十五にして笄し、二十にして嫁ぐ。

一說《春秋梁傳》曰:“男二十五系,女十五許嫁,感陰陽也。”陽數七,陰數八,男八歲毀齒,女七歲毀齒。陽數奇三,三八二十四,加一為五而繫心也;陰數偶,再成十四,四加一為五,故十五許嫁也。各加一者,明專一系心。所以繫心者何?防其淫佚也。

一説に《春秋穀梁伝》に「男は二十五にして心を繋ぎ、女は十五にして嫁を許す、陰陽に感応す」とあります。陽数は七、陰数は八、男は八歳にして歯を換え、女は七歳にして歯を換う。陽数は奇、三、三八二十四、一を加えて二十五にして心を繋ぐ。陰数は偶、再成十四、一を加えて十五、故に十五にして嫁を許す。各々一を加うるは、専一に心を繋ぐを表明す。心を繋ぐ所以はなぜでしょうか。淫佚を防止す。

《禮》曰:“女子十五許嫁。納采、問名、納吉、請期、親迎,以雁贄。納徵曰玄,故不用雁。”贄用雁者,取其隨時南北,不失其節,明不奪女子之時也。又取飛成行、止成列也,明嫁娶之禮,長幼有序,不相逾越也。又婚禮贄不用死雉,故用雁也。納徵,玄、束帛、離皮,玄三法天,二法地也,陽奇陰偶,明陽道之大也。離皮者,兩皮也,以為庭實。庭實,偶也。《禮?昏經》曰:“納采、問名、納吉、請期、親迎,皆用雁。納徵束帛、離皮。”

《礼》に「女子は十五にして嫁を許す。納采・問名・納吉・請期・親迎は、雁を以て贄と為す。納徵は玄纁と曰う、雁を用いざる所以なり」とあります。贄に雁を用うるは、其の時に按じて南北し、節を失わざるを取り、女子の時を奪わざるを表明す。また飛んで行を成し止まりて列を成すを取り、嫁娶の礼は長幼有序にして相踰越せざるを表明す。また婚礼の贄は死雉を用いず、故に雁を用う。納徵:玄纁・束帛・儷皮。玄三は天に取法し、纁二は地に取法し、陽奇陰偶にして、陽道の大を表明す。儷皮は二張の皮にして、以て庭実と為す。庭実は偶なり。《礼・昏経》に「納采・問名・納吉・請期・親迎は、皆雁を用う。納徵は束帛・儷皮を用う」とあります。

納徵詞曰:“吾子有加命,貺室某也。有先人之禮,離皮、束帛,使某請納徵。”上某者聲名也,下次某者使人名也。女之父曰:“吾子順先典,貺某重禮,某不敢辭,敢不承命!”

納徵の詞に曰く「吾子に加命あり、某の室に賜う。先人の礼有り、儷皮・束帛、某を遣わして納徵を請わせむ」と。上の某は名声なり、下の某は使者の名なり。女の父曰く「吾子、先代の典に順い、某に重礼を賜う、某敢えて推辞せず、敢えて命を承受せざらんや」と。

納采詞曰:“吾子有惠,貺貺室某,某有先人之禮,使某也請納采。”對曰:“某之子蠢愚,又不能教,吾子命之,某不敢辭。”

納采の詞に曰く「吾子に恵あり、某の室に賜う、某に先人の礼有り、某を遣わして納采を請わせむ」と。対答して曰く「某の子は蠢愚にして、また能く教えず、吾子が命令す、某敢えて推辞せず」と。

天子下至士,必親迎授綏者何?以陽下陰也,欲得其歡心,示親之心也。夫親迎輪三週,下車曲顧者,防淫佚也。《詩》云:“文定厥祥,親迎於渭。造舟為梁,不顯其光。”《禮?昏經》曰:“賓升,北面奠雁,再拜拜手稽首,降出。婦從房中也,從降自西階。揖御婦車,授綏。”

天子より下りて士に至るまで、必ず親迎して綏を授るはなぜでしょうか。陽を以て陰に下り、其の歓心を得んと欲し、親近の心を表す。夫の親迎は車輪三周を転じ、車を下りて曲顧するは、淫佚を防止す。《詩経》に「文、その祥を定め、渭に於て親迎す。舟を造りて梁と為し、其の光を顕さざらんや」とあり、《礼・昏経》に「賓、堂に升り、北に向かいて雁を奠し、再拝・手を拝し稽首し、階を降りて出づ。婦は房中より出で、従いて西階より降る。揖して婦の車を駕御し、綏を授与す」とあります。

遣女於禰廟者,重先人之遺支體也,不敢自專,故告禰也。父母親男女何?親親之至也。父曰:“誡之,敬之,夙夜無違命。”女必有端繡衣若笄之。母施襟結曰:“勉之,敬之,夙夜無違宮事。”父誡於阼階,母誡於西階,庶母及門內施ひ,祭糹由以母之命,命曰:“敬恭聽爾父母言,夙夜無愆。”視衿ひ。祭去不辭,誡不諾者,蓋恥之,重去也。

禰廟に於て女を遣るは、先人の遺留せる支体を重んじ、自ら専断することを敢えてせず、故に禰に告ぐ。父母が親ら男女を送るはなぜでしょうか。親親の極まるなり。父曰く「之を誡め、之を敬え、夙夜に命に違うなかれ」と。女に必ず端繍衣を笄を加うるがごとくせしむ。母は彼女に襟を施し帨を結び、曰く「之を勉め、之を敬え、夙夜に宮事に違うなかれ」と。父は阼階に於て告誡し、母は西階に於て告誡し、庶母は門内に至りて彼女に蔽膝を繋げ、祭述は母の命を用いて、命令して曰く「爾の父母の言を敬恭して聴け、夙夜に愆なかれ」と。衿と蔽膝を看る。祭り畢りて去りて告辞せず、告誡に答応せざるは、蓋し羞恥にして、去るを重んずるなり。

《禮》曰:“嫁女之家,不絕火三日,思相離也。娶婦之家,三日不舉樂,思嗣親也。”感親年衰老代至也。《禮》曰:“婚禮不賀,人之序也。”

《礼》に「女を嫁がすの家は、三日火を熄めず、相分離するを思念す。婦を娶るの家は、三日楽を挙げず、双親を接続するを思念す」とあり、双親の年衰老し替代来るを感傷す。《礼》に「婚礼は賀せず、是れ人の次序なり」とあります。

授綏,姆辭曰:“未教,未乞與為禮也。”始親迎,於詞曰:“吾子命某以茲初昏,使某將請承命。”主人曰:“某故敬具以酒。”父命醮子,遣之迎,命曰:“往迎爾相,承我宗事,率以敬先妣之嗣,若則有常。”子曰:“諾,惟恐不堪,不敢忘命。”

綏を授るに、姆の辞曰く「未だ教えず、未だ彼と礼を行わんことを乞わず」と。始めて親迎するに、詞曰く「吾子、某に命じて此の初昏に於て、某を遣わして將に命を承けんことを請わしむ」と。主人曰く「某、これに因りて敬して酒を備う」と。父命じ、子を醮し、彼を遣わして迎えんことを、命令して曰く「往きて汝の輔助を迎え、我が宗事を承奉し、彼女を率いて先妣の嗣続を敬奉せよ、汝則ち常規有るべし」と。子曰く「諾、ただ勝任し得ざるを恐れ、敢えて命を忘れず」と。

娶妻不先告廟到者,示不必安也。婚禮請期,不敢必也。婦入三月,然後祭行。舅姑既歿,亦婦入三月,奠採於廟。三月一時,物有成者,人之善惡可得知也。然後可得事宗廟之禮。曾子曰:“女未廟見而死,歸葬於女氏之黨,示未成婦也。”

妻を娶るに先に廟に告げずして至るは、必ずしも安からざるを表す。婚礼に期を請うは、敢えて必定せず。婦入りて三箇月、然る後に祭祀して事を行う。舅姑すでに去世せば、亦た婦入りて三箇月、廟に於て菜を奠す。三箇月は一時令にして、物に成就有り、人の善悪は知るべし。然る後に乃ち宗廟に事奉するの礼を得。《曾子》曰く「女、未だ廟見せずして死せば、女氏之党に帰葬す、未だ婦と為らざるを表す」と。

嫁娶必以春者?春天地交通,萬物始生,陰陽交接之時也。《詩》云:“士如歸妻,迨冰未泮。”《周官》曰:“仲春之月,合會男女。令男三十娶,女二十嫁。”《夏小正》曰:“二月,冠子娶婦之時。”

嫁娶は必ず春に於てするはなぜでしょうか。春は天地交通し、万物始めて生長す、是れ陰陽交接の時なり。《詩経》に「士、妻に帰せば、氷の未だ泮せざるに迨れ」とあり、《周官》に「仲春の月、男女を会合せしむ。男は三十にして娶り、女は二十にして嫁ぐことを令す」とあり、《夏小正》に「二月は、是れ子を冠し婦を娶るの時なり」とあります。

夫有惡行,妻不得去者,地無去天之義也。夫雖有惡,不得去也。故《禮?郊特牲》曰:“一與之齊,終身不改。”悖逆人倫,殺妻父母,廢絕綱紀,亂之大者,義絕乃得去也。

夫に悪行ありても、妻は離去すること能わず、地に天を離るるの義なければなり。夫悪ありといえども、亦た離去すること能わず。故に《礼・郊特牲》に「一たび之と斉しければ、終身改めず」とあります。人倫に悖逆し、妻の父母を殺し、綱紀を廃絶するは、乱の中の最大なり、義絶して乃ち離去すること能くす。

天子、諸侯,一娶九女者何?重國廣繼嗣也。適也者何?法地有九州,承天之施,無所不生也。娶九女,亦足以成君施也。九而無子,百亦無益也。《王度記》曰:“天子,一娶九女。”《春秋公羊傳》曰:“諸侯娶一國,則二國往媵之,以侄娣從之。”侄者何?兄之子也。娣者何?女弟也。

天子・諸侯が一娶に九女を娶るはなぜでしょうか。国家を重んじ継嗣を推広す。嫡とは何か。地に九州あるに取法し、天の施予を承け、生ぜざる所なし。九女を娶るも、また君の施予を成就するに足り。九人子無ければ、百人もまた益なし。《王度記》に「天子は一娶に九女」とあり、《春秋公羊伝》に「諸侯、一国を娶れば、則ち二国往きて媵し、姪娣を帯びて隨従す」とあります。姪とは何か。兄の女なり。娣とは何か。女弟なり。

或曰:天子娶十二女,法天有十二月,萬物必生也。必一娶何?防淫也,為其棄德嗜色,故一娶而已,人君無再娶之義也。

或る人曰く、天子は十二女を娶る、天に十二月あるに取法し、万物必ず生長す。必ず一娶するはなぜでしょうか。淫「(底本の此字は生僻字)」を防止す、其の徳を棄て色を嗜好せんことを怕れば、故に一娶するのみ、人君に再娶の義なし。

備侄娣從者,為其必不相嫉妒也。一人有子,三人共之,若己生之。不娶兩娣何?博異氣也。娶三國女何?廣異類也。恐一國血脈相似,俱無子也。侄娣年雖少,猶從適人者,明人者。明人君無再娶之義也。還待年於父母之國,未任答君子也。《詩》云:“侄娣從之,祁祁如雲。韓侯顧之,爛其盈門。”《公羊傳》曰:“叔姬歸於紀。”明待年也。二國來媵,誰為尊者?大國為尊,國等以德,德同以色。質家法天尊左,文家法地尊右。

姪娣を備斉して隨従せしむるは、彼らは必ず互相嫉妬せざればなり。一人子あれば、三人共にす、己の生めるが如し。二娣を娶らざるはなぜでしょうか。異なる気を広博す。三国の女を娶るはなぜでしょうか。異なる類を推広す。一国の血脉相似たるを怕り、皆子なからん。姪娣の年紀小なしといえども、なお従いて人に適く、人君に再娶の義なきを表明す。なお父母の国に在りて年歳を待ち、未だ君子に応答すること能わず。《詩経》に「姪娣之に従い、祁々として雲の如し。韓侯之を顧み、爛として門に盈つ」とあり、《公羊伝》に「叔姫、紀に帰す」とあるは、年歳を待つを表明す。二国來りて媵する、誰を尊と為すか。大国を尊と為し、国相ひ等しければ則ち徳を比べ、徳相同じければ則ち色を比ぶ。質家は天に取法して左を尊び、文家は地に取法して右を尊ぶ。

所以不聘妾何?人有子孫,欲尊之義,義不可求人以為賤也。《春秋傳》曰:“二國來媵。”可求人為士,不可求人為妾何?士即尊之漸,賢,不止於士,妾雖賢,不得為。

妾を聘せざる所以はなぜでしょうか。人に子孫あり、尊ぶの義を要せんと欲すれば、義上に於て人を求めて以て賤と為すべからず。《春秋伝》に「二国來りて媵す」とあります。人を求めて士と為すは可なり、人を求めて妾と為すは不可なりはなぜでしょうか。士は即ち尊の開端にして、賢なれば、士に止まらず。妾は賢なりといえども、亦た嫡と為ること能わず。

娶妻卜之何?卜女之德,知相宜否。《昏禮經》曰:“將加諸卜,敢問女為誰氏也。”

妻を娶るに卜するはなぜでしょうか。女の徳を卜し、宜しきか否かを知る。《昏礼経》に「將に上に於て卜せんとす、敢えて女は誰氏なるかを問わん」とあります。

人君及宗子父母,自定娶者,卑不主尊,賤不主貴,故自定之也。《昏禮經》曰:“親皆沒,己聘命之。”《詩》云:“文定厥祥,親迎於渭。”

人君及び宗子の父母は、自ら娶るを決定す、卑は尊を主管せず、賤は貴を主管せざれば、故に自ら決定す。《昏礼経》に「双親皆没せば、自ら聘命す」とあり、《詩経》に「文、その祥を定め、渭に於て親迎す」とあります。

大夫功成受封,得備八妾者,重國廣繼嗣也。不更聘大國者,不忘本也。故《禮》曰:“納女於諸侯,曰:備掃灑。”天子、諸侯之世子,皆以諸侯禮娶,與君同,示無再娶之義也。

大夫功成就して封を受け、能く八妾を備うるは、国家を重んじ継嗣を推広す。再び大国を聘せざるは、本嫡を忘れざるなり。故に《礼》に「諸侯に女を納るるに、曰く掃洒を備えんと」とあります。天子・諸侯の世子は、皆諸侯の礼を以て娶る、君と相同じ、再娶の義なきを表す。

王者之娶,必先選於大國之女,禮儀備,所見多。《詩》云:“大邦有子,亻見天之妹。文定厥祥,親迎於渭。”明王者必娶大國也。《春秋》曰:“紀侯來朝。”紀子以嫁女於天子,故增爵稱侯,至數十年之間,紀侯無他功,但以子為天王后,故爵稱侯。知雖小國者必封以大國,明其尊所不臣也。王者娶及庶人者何?開天下之賢示不遺善也。故《春秋》曰:“紀侯來朝。”文加為侯,明封之也,先封之,明不與聖人交禮也。

王者が妻を娶るに、必ず先に大国の女を選ぶは、礼儀完備にして見る所の多ければなり。《詩経》に「大邦に子あり、天の妹を倪す。文、その祥を定め、渭に於て親迎す」とあるは、王者は必ず大国を娶るを表明す。《春秋》に「紀侯來朝す」とあり、紀子は女を以て天子に嫁せしめたるに因り、故に爵を増して侯と称し、数十年の間に至るまで、紀侯は別の功なく、ただ女児の天王の后と為りしを以てのみ、故に爵は侯と称す。小国なりといえども必ず大国を以て封ずるを知る、其の臣とせざる所を尊ぶを表明す。王者が庶人に及びて娶るはなぜでしょうか。天下の賢を開通し、善を遺漏せざるを表す。故に《春秋》に「紀侯來朝す」とあり、文は加えて侯と為すは、彼を封じたるを表明し、先に彼を封ずるは、聖人と交接して礼を行わざるを表明す。

女行虧缺而去其國,如之何以封為諸侯比例矣。諸侯所以不得自趣國中何?諸侯不得專封,義不可臣其父母。《春秋傳》曰:“宋三代無大夫,惡其內娶也。”

女の行が虧缺して其の国を離るるに、封を以て諸侯と為すを如何せんや、比况す。諸侯が自ら国中に趨向すること能わざる所以はなぜでしょうか。諸侯は封を専らにすること能わず、義上に於て父母を以て臣と為すべからず。《春秋伝》に「宋は三代大夫なし、其の内娶を悪む」とあります。

不娶同姓者,重人倫,防淫,恥與禽獸同也。《論語》曰:“君娶於吳為同姓,謂之吳孟子。”《曲禮》曰:“買妾不知姓則卜之。”外屬小功已上亦不得娶也,以《春秋傳》曰:“譏娶母黨也。”

同姓を娶らざるは、人倫を重んじ、淫「(底本の此字は生僻字)」を防止し、禽獣と相同じくするを羞恥す。《論語》に「君、呉に娶るは同姓なり、之を呉孟子と謂う」とあり、《曲礼》に「妾を買うに姓を知らざれば則ち卜す」とあります。外属小功以上も亦た娶ること能わず、《春秋伝》に「母党を娶るを譏る」とあるを以てなり。

王者嫁女必使同姓諸侯主之何?婚禮貴和,不可相答,為傷君臣之義,亦欲使女不以天子尊乘諸侯也。《春秋傳》曰:“天子嫁女於諸侯,必使諸侯同姓者主之;諸侯嫁女於大夫,使大夫同姓者主之。”以其同宗共祖可以主親也,故使攝父事。不使同姓卿主之何?尊加諸侯,為威厭不得舒也。

王者が女を嫁がすに必ず同姓の諸侯をして主婚せしむるはなぜでしょうか。婚礼は和を重んじ、相答礼すべからず、君臣の義を傷害せんがためなり、また女をして天子の尊に凭りて諸侯を凌駕せしめざらんと欲す。《春秋伝》に「天子、諸侯に女を嫁がするに、必ず同姓の諸侯をして主婚せしむ。諸侯、大夫に女を嫁がするに、同姓の大夫をして主婚せしむ」とあるは、同宗共祖は親事を主持すべきを以て、故に彼をして父の事を代理せしむ。同姓の卿をして主婚せしめざるはなぜでしょうか。尊は諸侯の上に加わり、威圧して彼をして舒展すること能わざらしむ。

不使同姓諸侯就京師主之何?諸侯親迎入京師,當朝天子,為禮不兼。《春秋傳》曰:“築王姬觀於外。”明不往京師也。

同姓の諸侯をして京師に至りて主婚せしめざるはなぜでしょうか。諸侯が親迎して京師に入れば、當に天子に朝見すべく、礼は兼ねて行うこと能わず。《春秋伝》に「外に於て王姫の館を築く」とあるは、京師に至らざるを表明す。

所以必更築觀者何?尊之也,不於路寢,路寢本所以行政處,非婦人之居也。小寢則嫌群公子之舍則已卑矣,故必改築於城郭之內。《傳》曰:“築之,禮也。於外,非禮也。”

必ず別に館を築く所以はなぜでしょうか。彼女を尊ぶなり。路寝に在らざるは、路寝はもともと行政の処所にして、婦人の居処する所に非ざればなり。小寝は則ち群公子の舎に嫌はれてすでに卑下なり、故に必ず城郭の内に改築す。《伝》に「築くは礼なり。外に於てするは、礼に非ず」とあります。

卿、大夫一妻二妾者何?尊賢重繼嗣也。不備侄娣何?北面之臣賤,不足盡執人骨肉之親。《禮?服經》曰:“貴臣貴妾。”明有卑賤妾也。士一妻何?下卿大夫禮。《喪服小記》曰:“士妾有子,則為之緦。”

卿・大夫は一妻二妾なりはなぜでしょうか。賢を尊び継嗣を重んず。姪娣を備えざるはなぜでしょうか。北面の臣は賤しく、人家の骨肉の親を尽く取るに足らず。《礼・服経》に「貴臣貴妾」とあるは、卑賤の妾有るを表明す。士は一妻なりはなぜでしょうか。卿大夫の礼より下るなり。《喪服小記》に「士の妾に子あれば、則ち彼女のために緦を服す」とあります。

聘嫡夫往而死,媵當往否乎?人君不再娶之義也。天命不可保,故一娶九女。以《春秋》伯姬卒,時娣季姬更嫁曾阝,《春秋》譏之。夫人死後更立夫人者,不敢以卑賤承宗廟。自立其娣者,尊大國也。《春秋傳》曰:“叔姬歸於紀。”叔姬者,伯姬之娣也。伯姬卒,叔姬升於嫡,《經》不譏也。或曰:嫡死不復更立,明嫡無二,防篡煞也。祭宗廟攝而已。以禮不聘為妾,明不升。

嫡を聘して夫が往きて死せば、媵は當に往くべきか。人君に再娶せざるの義あり。天命は保つべからず、故に一娶に九女。《春秋》に伯姫卒すとあるを以て、当時娣季姫は鄫に改嫁し、《春秋》之を譏る。嫡夫人が死して別に夫人を立つるは、卑賤を以て宗廟を承奉するを敢えてせざるなり。自ら其の娣を立つるは、大国を尊ぶなり。《春秋伝》に「叔姫、紀に帰す」とあり、叔姫は伯姫の娣なり。伯姫卒し、叔姫升りて嫡と為る、《経》は譏らず。或る人曰く、嫡死すれば再び別に立てず、嫡に二なきを表明し、篡殺を防止す。宗廟を祭るはただ攝理するのみ。礼に按じて聘して妾と為さず、升らざるを表明す。

《曾子問》曰:“昏禮既納幣,有吉日,女之父母死,何如?孔子曰:“婿使人吊之,如婿之父母死,女亦使人吊之。父喪稱父,母喪稱母。父母不在,則稱伯父、世尊。婿已葬,婿之伯父、叔父使人致命女氏曰:某子有父母之喪,不得嗣為兄弟,使某致命。女氏許諾不敢嫁,禮也。婿免喪,女父使人請,婿不娶而後嫁之,禮也。女之父母死,婿亦如之。’”

《曾子問》に「婚礼すでに幣を納め、吉日有りて、女の父母死せば、如何」。孔子曰く「婿、人を遣わして吊す。婿の父母死するが如く、女もまた人を遣わして吊す。父の喪は父を称し、母の喪は母を称す。父母在らざれば、則ち伯父・世母を称す。婿すでに葬り、婿の伯父・叔父は人を遣わして女氏に致命して曰く、某の子に父母の喪あり、継続して兄弟を為すこと能わず、某を遣わして致命せしむ、と。女氏は嫁がざるを敢えてせずと許るは、礼なり。婿が喪を除き、女の父は人を遣わして請う、婿娶らずして然る後彼女を嫁がすは、礼なり。女の父母死せば、婿もまた此の如し」とあります。

婦人所以有師何?學事人之道也。《詩》云:“言告師氏,言告言歸。”《昏禮經》曰:“告於公宮三月,婦人學一時,足以成矣。”與君無親者,各教於宗廟婦之室。國君取大夫之妾、士之妻老無子者而明於婦道,又祿之,使教宗室五屬之女,大夫、士皆有宗族,自於宗子之室學事人也。女必有傅姆何?尊之也。《春秋傳》曰:“傅至矣,姆未至。”

婦人に師ある所以はなぜでしょうか。人に事奉するの道を学習す。《詩経》に「師氏に言告げ、言告げて帰ると言う」とあり、《昏礼経》に「公宮に於て告ぐること三箇月、婦人が一時令を学べば、成就するに足り」とあります。君と親なき者は、各々宗廟婦の室に於て教を受く。国君は大夫の妾・士の妻の年老いて子なくして婦道に明らかなるを取り、また彼女に禄を与え、彼女をして宗室五属の女を教えしむ。大夫・士は皆宗族あり、自ら宗子の室に於て人に事奉するを学習す。女に必ず傅姆あるはなぜでしょうか。彼女を尊ぶなり。《春秋伝》に「傅至る、姆未だ至らず」とあります。

婦人學事舅姑,不學事必父母者,示婦與夫一體也。《禮?內則》曰:“妾事夫人如事舅姑,尊嫡絕妒嫉之原。”《禮?服傳》曰:“妾事女君與事舅姑同也。”婦事夫有四禮焉:雞初鳴,鹹盥漱,櫛縱笄總而朝,君臣之道也;惻隱之恩,父子之道也;會計有無,兄弟之道也;閨閫之內,衽席之上,朋友之道也。聞見異詞,故設此也。

婦人は舅姑に事奉するを学習し、必ず父母に事奉するを学習せざるは、婦が夫と一体なるを表す。《礼・内則》に「妾は夫人に事奉すること舅姑に事奉するが如く、嫡を尊び妒嫉の源を断絶す」とあり、《礼・服伝》に「妾は女君に事奉すること舅姑に事奉するに相同じ」とあります。婦が夫に事奉するに四礼あり。鶏剛く鳴けば、皆盥漱し、梳篦し笄を加え総を束ねて朝見するは、君臣の道なり。惻隠の恩は、父子の道なり。有無を会計するは、兄弟の道なり。閨閫の内・衽席の上は、朋友の道なり。聞き見るに言詞同じからざれば、故に此れらを設立す。

有五不娶:亂家之子不娶,逆家之子,世有刑人,惡疾,喪婦長子,此不娶也。

五不娶あり。乱家の子女は娶らず、逆家の子女、世々刑を受くる人有り、悪疾、婦を喪える長子、此れらは娶らず。

出婦之義,必送之。接以賓客之禮,君子絕愈於小人之交。《詩》云:“薄送我畿。”

出婦の義は、必ず彼女を送る。賓客の礼を以て接待す、君子の交を絶つは小人の交往に勝るなり。《詩経》に「薄く我を畿に送る」とあります。

天子妃謂之後何?後君也。天下尊之妃至尊,故謂之後,明海內小人之君子也,天下尊之,故系王言之。《春秋傳》曰:“迎王后於紀。”國君之妻稱之曰夫人何?明當扶進夫人,謂八妾也。國人尊之,故稱君夫人也。自稱小童者,謙也,言己智能寡少如童蒙也。《論語》曰:“國君之妻,稱之曰夫人,夫人自稱曰小童,國人稱之曰君夫人,稱諸異邦曰寡小君。”謂聘問兄弟之國及臣他國稱之。謙之詞也。

天子の妃を后と曰うはなぜでしょうか。后は君なり。天下は此の妃を尊ぶこと至尊に至る、故に后と曰う、海内小人中の君子なるを表明す、天下之を尊ぶ、故に王に繋げて言うなり。《春秋伝》に「紀に至りて王后を迎う」とあります。国君の妻は彼女を夫人と称するはなぜでしょうか。當に夫人を扶進すべきを表明す、是れ八妾を言う。国人は彼女を尊び、故に君夫人と称す。自ら小童と称するは、謙なり、自ら言うに智能寡少にして童蒙の如しと。《論語》に「国君の妻は、之を称して夫人と曰い、夫人は自ら称して小童と曰い、国人は之を称して君夫人と曰い、諸の異邦に称して寡小君と曰う」とあるは、聘問して兄弟の国に及び臣の他国に在りて称呼するを言う、是れ謙の詞なり。

妻者,何謂?妻者,齊也,與夫齊體,自天子下至庶人其義一也。妾者,接也,以時接見也。

妻とは何の意か。妻は斉なり、夫と体を斉しくす、天子より下りて庶人に至るまで義は一なり。妾は接なり、時に按じて接見す。

嫁娶者,何謂也?嫁者,家也,婦人外成,以出人為家。娶者,取也。男女謂男者,任也,任功業也;女者,如也,從如人也。在家從父母,既嫁從夫,夫歿從子也。《傳》曰:“婦人有三從之義也。”夫婦者,何謂也?夫者,扶也,扶以人道者也;婦者,服也,服於家事,事人者也。配疋者何?謂相與為偶也。婚姻者,何謂也?昏時行禮,故謂之婚也,婦人因夫而成;故曰姻。《詩》云:“不惟舊因。”謂夫也。又曰:“燕爾新婚。”謂婦也。所以昏時行禮何?示陽下陰也,婚亦陰陽交時也。

嫁娶とは何の意か。嫁は家なり、婦人は外に於て成就す、出でて人に適きて以て家と為すればなり。娶は取なり。男女:男は任なり、功業を担任す。女は如なり、従い人に如す。家に在れば父母に従い、すでに嫁せば夫に従い、夫死すれば子に従う。《伝》に「婦人に三従の義あり」とあります。夫婦とは何の意か。夫は扶なり、人道を以て扶ぐ。婦は服なり、家事に服し人に事奉す。匹配とは何か。是れ相配偶するを言うなり。婚姻とは何の意か。昏の時に礼を行う、故に婚と曰う、婦人は夫に因りて成就す、故に姻と曰う。《詩経》に「惟れ旧因ならず」とあるは、夫を言うなり。また曰く「燕爾新婚」とあるは、婦を言うなり。必ず昏の時に礼を行う所以はなぜでしょうか。陽が陰に下るを表す、婚もまた陰陽交接の時なり。

男子六十閉房何?所以輔衰也,故重性命也。又曰:父子不同礻施。為亂長幼之序也。《禮?內則》曰:“妾雖老,未滿五十,必預五日之御,滿五十不御,俱為助衰也。至七十大衰,食非肉不飽,寢非人不暖;七十復開房也。”

男子は六十にして房を閉ずるはなぜでしょうか。以て衰弱を輔助し、故に性命を重んず。又曰く、父子は席を同じくせず。長幼の序を乱さざらんがためなり。《礼・内則》に「妾は老いたるといえども、五十に満たざれば、必ず五日の御に参預す。五十に満てば御せず、皆衰を助くるがためなり。七十に至りて大いに衰え、食は肉に非ざれば飽かず、睡は人に非ざれば温まらず。七十は再び房を開く」とあります。

●卷十

●巻十

○紼冕

○紼冕

紼者,何謂也?紼者,蔽也,行以蔽前,紼蔽者小。有事因以別尊卑,彰有德也。天子朱紼,諸侯赤紼。《詩》云:“朱紼斯皇,室家君王。”又云:“赤紼金舄,會同有繹。”又云:“赤紼在股。”皆謂諸侯也。《書》曰:“黼黻衣,黃朱紼。”亦謂諸侯也。並見衣服之制,故遠別之,謂黃朱亦赤矣。大夫蔥衡,別於君矣。天子大夫赤紱蔥衡,士。朱赤者,或盛色也,是以聖人塗法之用為紼服,為百王不易也。紼以韋為之者,反古不忘本也。上廣一尺,下廣二尺,天一地二也;長三尺,法天、地、人也。

紼とは何の意か。紼は蔽なり、行走する時前面を遮蔽す。紼蔽は小なり。事有りて因りて尊卑を分別し、徳有るを彰顯す。天子は朱紼、諸侯は赤紼。《詩経》に「朱紼斯に皇たり、室家君王」とあり、また曰く「赤紼金舄、会同繹々あり」とあり、また曰く「赤紼股に在り」とあるは、皆諸侯を言うなり。《書》に「黼黻の衣、黄朱の紼」とあるも、亦た諸侯を言うなり。併せて衣服の制度を見る、故に遠く分別し、黄朱と曰うも亦た赤なり。大夫は葱衡、君と別あり。天子の大夫は赤紱葱衡、士は「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」。朱赤は、或る時は盛色なり、これに因りて聖人取法して以て紼服と為す、是れ百王の易えざるなり。紼は韋を以て作るは、古に返りて本を忘れざるなり。上の寛さ一尺、下の寛さ二尺、天一地二なり。長さ三尺、天・地・人に取法す。

所以有冠者卷也?所以卷持其發也。人懷五常,莫不貴德,示成禮有修飾首,別成人也。《士冠經》曰:“冠而字之,敬其名也。”《論語》曰:“冠者五六人,童子六七人。”禮所以十九見正而冠何?漸三十之人耳。男子陽也,成於陰,故二十而冠,《曲禮》曰:“二十弱冠。”言見正。何以知不謂正月也?以《禮?士冠經》曰:“夏葛屨,冬皮屨。”明非歲之正月也。

冠ある所以は、「(底本の此字は生僻字)」か。以て「(底本の此字は生僻字)」頭髪を持住す。人は五常を懐き、徳を貴ばざるなし、礼を成就し首に修飾有るを表し、成人を分別す。《士冠経》に「冠して之に字す、其の名を敬するなり」とあり、《論語》に「冠者五六人、童子六七人」とあります。礼が十九にして正を見て冠する所以はなぜでしょうか。漸々三十の人に近づくのみ。男子は陽にして、陰に於て成る、故に二十にして冠す。《曲礼》に「二十にして弱冠」とあるは、正を見るを言うなり。何を以て正月を言うに非ざるを知るや。《礼・士冠経》に「夏は葛屨、冬は皮屨」とあるを以て、歳の正月に非ざるを表明す。

皮弁者,何謂也?所以法古,至質冠名也。弁之言攀也,所以攀持其發也。上古之時質,先加服皮以鹿皮者,取其文章也。《禮》曰:“三王共皮弁素積。”裳也,腰中闢積,至質不易之服,反古不忘本也。戰伐田獵,此皆服之。

皮弁とは何の意か。以て古に取法し、是れ至質の冠名なり。弁の意は攀なり、以て頭髪を攀持す。上古の時は質朴にして、先に服皮を加え、鹿皮を用い、其の文章を取る。《礼》に「三王は皆皮弁素積を用う」とあります。裳は、腰中に襞積し、是れ至質不易の服にして、古に返りて本を忘れざるなり。戦伐田猎は、此れらを皆服す。

麻冕者何?周宗廟之冠也。《禮》曰:“周冕而祭。”又曰:“殷旱夏收而祭。”此三代宗廟之冠也。十一月之時,陽氣冕仰黃泉之下,萬物被施前冕,而後仰,故謂之冕。謂之詡者,十二月之時,施氣受化詡張而後得牙,故謂之詡。謂之收者,十三月之時,氣收本,舉生萬物而達出之,故謂之收。冕仰不同,故前後乖也。詡張,故萌大,時物亦牙萌大也。收而達,故前蔥大者,在後時物亦前蔥也。糹免所以用麻為之者,女功之始,亦不忘本也。即不忘本不用皮,皮乃太古未有禮文之服,故《論語》曰:“麻冕,禮也。”《尚書》曰:“王麻冕。”冕所以前後遞延者何?示進賢退不能也。垂旒者,示不現邪。纊塞耳,示不聽讒也。故水清無魚,人察無徒,明不尚極知下。故《禮》云:“王藻曰,十有二旒,前後遞延。”《禮器》云:“天子麻冕,朱綠藻,垂十有二旒者,法四時十二月也。諸侯九旒。大夫七旒。士爵弁,無旒。”

麻冕とは何か。是れ周の宗廟の冠なり。《礼》に「周は冕を以て祭る」とあり、また曰く「殷は冔を用い夏は収を用いて祭る」とあるは、是れ三代の宗廟の冠なり。十一月の時は、陽気は黄泉の下に冕仰し、万物は施予を被り先に冕して後に仰ぐ、故に冕と曰う。詡と曰うは、十二月の時に、気を施し化を受け、詡張して然る後に能く萌芽すれば、故に詡と曰う。収と曰うは、十三月の時に、気は収めて本に帰り、挙げて万物を生育して通達して出づれば、故に収と曰う。冕仰同じからざれば、故に前後乖離す。詡張すれば、故に萌芽大なり、時の物もまた牙萌大なり。収めて通達すれば、故に前に葱大なるは後に在り、時の物もまた前に葱なり。冕が麻を以て作る所以は、女功の始めなり、亦た本を忘れざるなり。すでに本を忘れずして皮を用いざるは、皮は乃ち太古に未だ礼文なきの服なれば、故に《論語》に「麻冕は、礼なり」とあり、《尚書》に「王、麻冕」とあります。冕の前後遞延する所以はなぜでしょうか。賢を進め不能の人を退去するを表す。旒を垂るるは、邪を視ざるを表す。纊は耳を塞ぐは、讒を聴かざるを表す。故に水清ければ魚なく、人察すれば徒衆なし、下を極尽して知るを崇尚せざるを表明す。故に《礼》に「《玉藻》に曰く、十有二旒、前後遞延」とあり、《礼器》に「天子は麻冕、朱緑藻、十有二旒を垂る、四時十二月に取法す。諸侯は九旒。大夫は七旒。士は爵弁、旒なし」とあります。

委貌者,何謂也?周朝廷理政事、行道德之冠名。《士冠經》曰:“委貌周道,章甫殷道,毋追夏后氏之道。”所以謂之委貌何?周統十一月為正,萬物萌小,故為冠飾最小,故曰委貌。委貌者,委曲有貌也。殷統十二月為正,其飾微大,故曰章甫。章甫者,尚未與極其本相當也。夏者統十三月為正,其飾最大,故曰毋追。毋追者,言其追大也。

委貌とは何の意か。是れ周の朝廷が政事を治理し道徳を施行するの冠名なり。《士冠経》に「委貌は周の道、章甫は殷の道、毋追は夏后氏の道なり」とあります。委貌と曰う所以はなぜでしょうか。周は十一月を統べて正と為し、万物の萌芽小なれば、故に冠飾最も小、故に委貌と曰う。委貌は、委曲にして貌有るなり。殷は十二月を統べて正と為し、飾稍大なれば、故に章甫と曰う。章甫は、未だ其の本の極に相当せざるなり。夏は十三月を統べて正と為し、飾最も大なれば、故に毋追と曰う。毋追は、其の追大するを言うなり。

爵弁者,周人宗廟士之冠也。《禮?郊特牲》曰:“周弁”,《士冠經》曰“周弁,殷旱,夏收”。爵何以知指謂其色?又乍言爵弁,乍但言弁。周之冠色所以爵何?為周尚赤,所以不純赤。但如爵頭何?以本制冠者法天。天色玄者,不失其質,故周加赤,殷加白,夏之冠色純玄。何以知殷加白也?周加赤,知殷加白也。夏、殷士冠不異何?古質也,以《士冠禮》知之。

爵弁は、周人の宗廟士の冠なり。《礼・郊特牲》に「周弁」とあり、《士冠経》に「周弁、殷冔、夏収」とあります。爵は何を以て其の色を指すと知るや。また忽ち爵弁と曰い、忽ちただ弁と曰う。周の冠色が爵なる所以はなぜでしょうか。周は赤を崇尚するを以て、故に純赤ならず。ただ爵頭に似るのみはなぜでしょうか。もともと冠を制するに天に取法するを以てなり。天色は玄、質を失わず、故に周は赤を加え、殷は白を加え、夏の冠色は純玄なり。何を以て殷が白を加えたるを知るや。周が赤を加えれば、則ち殷が白を加えたるを知る。夏・殷の士の冠に異同なきはなぜでしょうか。古は質朴なれば、《士冠礼》に依りて知る。

○喪服

○喪服

諸侯為天子斬衰三年何?普天之下,莫非王土。率土之賓,莫非王臣。臣之於君,猶子之於父。明至尊、臣子之義也。《喪服經》曰:“諸侯為天子,斬衰三年。”天子為諸侯。絕其何?示同愛百姓,明不獨親也。故《禮?中庸》曰:“期之喪達乎諸侯,三年之喪達乎天子。”卿大夫降緦,重公正也。

諸侯が天子のために斬衰三年を服するはなぜでしょうか。普天の下、王土に非ざるなし。率土の濱、王臣に非ざるなし。臣の君に対するは、子の父に対するに猶ほごとし。至尊・臣子の義を表明す。《喪服経》に「諸侯は天子のために、斬衰三年」とあります。天子が諸侯のために服を絶するはなぜでしょうか。同じく百姓を愛するを表し、独り親しまざるを表明す。故に《礼・中庸》に「期の喪は諸侯に達し、三年の喪は天子に達す」とあり、卿大夫は緦に降るは、公正を重んずるなり。

禮,庶人國君服齊衰三月。王者崩,京師之民喪三月何?民賤,故思淺,故三月而已。天子七月而葬,諸侯五月而葬者,則民始哭,素服;先葬三月,成齊衰;期月以成禮,葬君也。禮不下庶人何?所以為民制何?禮不下庶人者,尊卑制度也。服者,恩從內發,故為之制也。

礼は、庶人は国君のために斉衰三月を服す。王者崩ずれば、京師の民は三月喪するはなぜでしょうか。民は賤し、故に恩浅し、故に三月のみ。天子は七月にして葬り、諸侯は五月にして葬れば、則ち民は始めて哭し、素服を服す。葬ること三箇月を先にして、斉衰を作成し、月を満てて以て礼を成就し、君を葬る。礼は庶人に下らざるはなぜでしょうか。民のために制定する所以はなぜでしょうか。礼は庶人に下らざるは、尊卑の制度なり。服は、恩は内より発す、故に彼らのために制定す。

王者崩,臣下服之有先後何?恩有淺深遠近,故制有日月。《檀弓》記曰:“天子崩,三日祝先服,五日官長服,七日國中男女服,三月天下服。”

王者崩ずれば、臣下の服喪に先後あるはなぜでしょうか。恩に浅深遠近あり、故に制度に日月あり。《檀弓》記に「天子崩ずれば、三日にして祝先に服し、五日にして官長服し、七日にして国中の男女服し、三月にして天下服す」とあります。

三年之喪何二十五月?以為古民質,痛於死者,不封不樹,喪期無數,亡之則除。後代聖人因天地萬物有終始而為之制,以期斷之。父至尊,母至親,故為於隆,以盡孝子恩。恩愛至深,加之則倍,故再期二十五月也。禮有取於三,故謂之三年,緣其漸三年之氣也。故《春秋傳》曰:“三年之喪,其實二十五月也。”三年之喪不以閏月數何?以言其期也。期者,復其時也。大功已下月數,故以閏月除。《禮?士虞經》曰:“言期而小祥。”“又期而大祥。”

三年の喪が二十五月なるは何ぞや。古は民質朴にして、死者を痛み、封せず樹えず、喪期に定数なく、忘れれば則ち除去すと考えるなり。後代の聖人は天地万物に終始あるに因りて彼らのために制定し、期を以て截断す。父は最も尊く、母は最も親し、故に彼らのために隆重にして、以て孝子の恩を尽くす。恩愛深きに至り、加うれば則ち倍す、故に再期して二十五月。礼は三に取る所有り、故に三年と曰う、漸々三年の気に縁る。故に《春秋伝》に「三年の喪は、其の実二十五月」とあります。三年の喪は閏月を以て数えざるはなぜでしょうか。其の期を言うを以てなり。期は、其の時に回復す。大功以下は月を以て数う、故に閏月を以て除去す。《礼・士虞経》に「期に至りて小祥と曰う」「又期にして大祥」とあります。

喪禮必制衰麻何?以副意也。服以飾情,情貌相配,中外相應,故吉凶不同服,歌哭不同聲。所以表中誠也。布衰裳、麻、箭笄、繩纓、苴杖,為略及本者,亦示也。故總而載之,示有喪也。腰者,以代紳帶也,所以結之何?思慕腸若結也。必再結之何?明思慕無已。

喪礼に必ず衰麻を制作するはなぜでしょうか。以て意に符合す。服は以て情を修飾し、情貌相配し、中外相応ず、故に吉凶は服を同じくせず、歌哭は声を同じくせず。以て中の誠を表彰す。布衰裳・麻経・箭笄・縄纓・苴杖は、是れ簡略にして本に及ぶなり。経もまた、是れ表なり。故に総じて記載し、喪有るを表す。腰経は以て紳帯に代わる。之を結ぶ所以はなぜでしょうか。思慕の腸は結を打つが如し。必ず再結するはなぜでしょうか。思慕に止境なきを表明す。

所以必杖者,孝子失親,悲哀哭泣,三日不食,身體羸病,故杖以扶身,明不以死傷生也。禮童子婦人不杖者,以其不能病也。《禮》曰:“斬衰三日不食,齊衰二日不食,大功一日不食,小功、緦麻一日不食再不食可也。”以竹何?取其名也。竹者蹙也,桐者痛也。父以竹,母以桐何?竹者陽也,桐者陰也。竹何以為陽?竹斷而用之,質,故為陽;桐削而用之,加人功,文,故為陰也。故《禮》曰:“苴杖,竹也。削杖,桐也。”

必ず杖を用うる所以は、孝子が親を失い、悲哀哭泣し、三日食せず、身体羸病せば、故に杖を以て身を扶ぐ、死を以て生を傷害せざるを表明す。礼は童子婦人は杖を用いず、彼らは病すること能わざればなり。《礼》に「斬衰は三日食せず、斉衰は二日食せず、大功は一日食せず、小功・緦麻は一日食せず再び食せずとも可なり」とあります。竹を用うるはなぜでしょうか。其の名を取る。竹は蹙なり、桐は痛なり。父は竹を用い、母は桐を用うるはなぜでしょうか。竹は陽、桐は陰。竹が陽なるは何ぞや。竹は截断すれば則ち用い、質なれば、故に陽と為す。桐は削りて乃ち用い、人の功を加う、文なれば、故に陰と為す。故に《礼》に「苴杖は、竹。削杖は、桐」とあります。

所以必居倚廬何?孝子哀,不欲聞人之聲,又不欲居故處,居中門之外。倚木為廬,質反古也。不在門外何?戒不虞故也。故《禮?大傳》曰:“父母之喪,居倚廬。”於中門外,東牆下,戶北面。練而居堊室,無餘之室。又曰:“婦人不居倚廬。”又曰:“天子七日,又曰:“公、諸侯五日,卿、大夫三日而成服。”

必ず倚廬に住する所以はなぜでしょうか。孝子哀にして、人の声を聞くことを欲せず、また旧処に住することを欲せず、中門の外に住す。木に倚りて廬を為すは、質朴にして古に返る。門外に在らざるはなぜでしょうか。不測を戒備す。故に《礼・大伝》に「父母の喪は、倚廬に居る」とあります。中門の外・東墻の下、門は北に向かう。練の後は堊室に住す、是れ余室なきなり。また曰く「婦人は倚廬に居らず」。また曰く「天子は七日」、また曰く「公・諸侯は五日、卿・大夫は三日にして服を成す」。

居外門內、東壁下、為廬,寢苫塊,哭無夜時,不脫帶。既虞,寢有席,疏食飲水,朝一哭,夕一哭而已。既練,舍外寢,居堊室,始食菜果,及素食,哭無時。二十五月而大祥,飲醴酒,食乾肉。二十七月而礻覃,通祭宗廟,去喪之殺也。

外門の内・東壁の下に住し廬を為し、苫の上に睡り土塊を枕し、哭するに夜の定時なく、経帯を解开せず。すでに虞祭せば、睡るに席有り、粗食し水を飲み、朝に一哭し夕に一哭するのみ。すでに練せば、外寝を離れ、堊室に住し、始めて菜果及び素食を食し、哭するに定時なし。二十五月にして大祥し、醴酒を飲み乾肉を食す。二十七月にして禫し、通じて宗廟を祭るは、喪を去るの減殺なり。

喪禮不言者何?思慕盡情也。言不文者,指謂士民。不言而事成者,國君、卿、大夫杖而謝賓。財少恃力,面垢作身。不言而事具者,故號哭盡情。

喪礼に言語せざるはなぜでしょうか。思慕は情を尽くす。言は文ならずとは、士民を指す。言語せずして事成就する者は、国君・卿・大夫は杖を拄いて賓に謝す。財少なければ則ち力に依仗し、面に垢ありて身を労動す。言語せずして事具備する者は、故に号哭して情を尽くす。

喪有病得飲酒食肉何?所以輔人生己,重先祖遺支體也。故《曲禮》曰:“居喪之禮,頭有瘡則沐,身有瘍則浴,有疾則飲酒食肉。五十不致毀,七十唯衰麻在身,飲酒食肉。”又曰:“父母有疾,食肉不至變味,飲酒不至變貌,笑不至矧,怒不至詈,琴瑟不御。”《曾子問》曰:“三年之喪,練不群立,不旅行,禮以飾情。三年之喪而吊哭,不亦虛乎!”《禮?檀弓》曰:“曾子有母之喪,吊子張。”子張者,朋友,有服,雖重服吊之,可也。《曾子問》曰:“小功可以與祭乎?孔子曰:‘斬衰已下,與祭,禮也。’”此謂君喪然也。子夏問:“三年之喪,既卒哭,金革之事無避者,禮與?”孔子曰:“吾聞諸老聃曰:‘周公伯禽,則有為之也。’今以三年之喪從其利者,吾不知也。”

喪中に病有りて能く酒を飲み肉を食するはなぜでしょうか。以て人生を輔助し己を自らし、先祖の遺留せる支体を重んず。故に《曲礼》に「喪に居るの礼は、頭に瘡あれば則ち沐し、身に瘍あれば則ち浴し、疾あれば則ち酒を飲み肉を食す。五十は毁に至らず、七十はただ衰麻を身に在らしめ、酒を飲み肉を食す」とあり、また曰く「父母に疾あれば、肉を食するも味を変ずるに至らず、酒を飲むも貌を変ずるに至らず、笑うも歯齦を露うるに至らず、怒るも罵るに至らず、琴瑟は弾かず」と。《曾子問》に「三年の喪は、練せば群立せず、旅行せず、礼は以て情を修飾す。三年の喪にして却って往きて吊哭せば、亦た虚ならずや」とあり、《礼・檀弓》に「曾子に母の喪あり、往きて子張を吊す」とあり、子張は朋友にして服あり、重服を以て往きて吊するといえども、可なり。《曾子問》に「小功は以て祭に参与すべきか。孔子曰く『斬衰以下、祭に参与するは、礼なり』」とあるは、是れ君の喪此の如しを言うなり。子夏問う「三年の喪、すでに卒哭せば、金革の事は避けざるは、礼か」。孔子曰く「我は老聃より聞く『周公・伯禽は、則ち此の如く為す者有り』と。今や三年の喪に因りて利を求むる者は、我は知らざるなり」と。

婦人不出境吊者,婦人無外事,防淫佚也。《禮?雜記》曰:“婦人越︹而吊,非禮也。”而有三年喪,君與夫人俱往。禮,妻為父母服,夫亦當服。

婦人は境を出でて吊せざるは、婦人に外事なく、淫佚を防止すればなり。《礼・雑記》に「婦人は喪経を越えて吊するは、礼に非ず」とあります。而して三年の喪あれば、君と夫人は皆往く。礼は、妻は父母のために服し、夫もまた當に服すべし。

有不弔三何?為人臣子,常懷恐懼,深思遠慮,志乃全身。今乃畏、厭、溺死,用為不義,故不弔也。《檀弓》曰:“不弔三:畏、厭、溺也。畏者,兵死也。”《禮?曾子》記曰:“大辱加於身,支體毀傷,即君不臣,士不交,祭不得為昭穆之屍,食不得昭穆之牲,死不得葬昭穆之域也。”

三種の吊せざる有るはなぜでしょうか。人の臣子を為るは、常に恐懼を懐き、深思遠慮し、志向乃ち能く自身を保全す。今や畏・圧・溺に因りて死するを以て、不義と為すを用う、故に吊せず。《檀弓》に「吊せざる三有り、畏・圧・溺。畏は、是れ兵に死す」とあり、《礼・曾子》記に「大辱身に加わり、肢体毀傷せば、則ち君は彼を以て臣と為さず、士は彼と交往せず、祭は昭穆の尸と為ること能わず、食は昭穆の牲を用うること能わず、死は昭穆の域に葬ること能わず」とあります。

弟子為師服者,弟子有君臣、父子、朋友之道也。故生則尊敬而親之,死則哀痛之,恩深義重,故為之隆服,入則,出則否也。《檀弓》曰:“昔夫子之喪顏回,若喪子而無服。喪子路亦然。請喪夫子,若喪父而無服也。”

弟子が師のために服するは、弟子に君臣・父子・朋友の道あればなり。故に生きれば尊敬して彼を親しみ、死せば哀痛し、恩深く義重し、故に彼のために隆重に服し、入れば則ち経を繋げ、出れば則ち否なり。《檀弓》に「昔、夫子、顔回を喪えり、子を喪うが如くして服なし。子路を喪うも亦た此の如し。夫子を喪せんことを請うは、父を喪うが如くして服なし」とあります。

《曾子問》曰:“‘君薨既殯,而臣有父母之喪,則如之何?’孔子曰:‘歸居於家。有殷事,則之君所,朝夕否。’曰:‘君既啟,而臣有父母之喪,則如之何?’孔子曰:‘歸哭而反送君。’曰:‘君未殯,而臣有父母之喪,則如之何?’孔子曰:‘歸殯哭而,反於君,殷事則歸,朝夕否。大夫室老行事,士則子孫行事。夫內子有殷事,則亦如之君所,朝夕否。’”

《曾子問》に「『君薨じてすでに殯せり、而して臣に父母の喪あれば、如何』。孔子曰く『帰りて家に住せ。殷事有れば、則ち君に至れ、朝夕は則ち否なり』。曰く『君すでに殯を啓せり、而して臣に父母の喪あれば、如何』。孔子曰く『帰りて哭して再び返りて君を送れ』。曰く『君未だ殯せず、而して臣に父母の喪あれば、如何』。孔子曰く『帰りて殯して哭し、再び返りて君に至れ、殷事あれば則ち帰れ、朝夕は則ち否なり。大夫は室老に行事せしめ、士は則ち子孫に行事せしむ。内子に殷事有れば、亦た君に至るが如く、朝夕は則ち否なり』」とあります。

諸侯有親喪,聞天子崩,奔喪者何?屈己,親親猶尊尊之義也。《春秋傳》曰:“天子記崩不記葬者,必其時葬也。諸侯記葬,不必有時。”諸侯為有天子喪奔,不得必以其時葬也。

諸侯に親の喪ありて、天子の崩ずるを聞けば、奔喪するはなぜでしょうか。己を屈折し、親親は尊尊の義に猶ほごとし。《春秋伝》に「天子は崩を記して葬を記せず、必ず時を以て葬るを以てなり。諸侯は葬を記す、必ずしも定時有らず」とあり、諸侯は天子の喪有るを以て奔るに、必ずしも時を以て葬ること能わざればなり。

大夫使,受命而出,聞父母之喪,非君命不反者,蓋重君也,故《春秋傳》曰:“大夫以君命出,聞喪,徐行不反。”

大夫が出使して、命を受けて出で、父母の喪を聞くに、君命に非ざれば返らざるは、蓋し君を重んずればなり。故に《春秋伝》に「大夫は君命に凭りて出行し、喪を聞けば、徐行して返らず」とあります。

諸侯朝而有私喪,得還何?凶服不入公門,君不呼之義也。凶服不敢入公門者,明尊朝廷,吉凶不相干。故《周官》曰:“凶服不入公門。”《曲禮》曰:“居喪不言樂,祭事不言兇,公庭不言婦女。”《論語》曰:“子於是日哭,則不歌。”

諸侯が朝見して私喪有るに、帰ること能くするはなぜでしょうか。凶服は公門に入らず、是れ君の召さざるの義なり。凶服は敢えて公門に入らず、朝廷を尊ぶを表明し、吉凶は相干らず。故に《周官》に「凶服は公門に入らず」とあり、《曲礼》に「喪に居りては楽を言わず、祭事に凶を言わず、公庭に婦女を言わず」とあり、《論語》に「子、是の日に哭せば、則ち歌わず」とあります。

臣下有大喪,不呼其門者,使得終其孝道,成其大禮,《春秋傳》曰:“古者臣有大喪,君三年不呼其門。”

臣下に大喪あれば、其の門を叫ばず、彼をして能く孝道を完成せしめ、大礼を成就せしむ。《春秋伝》に「古は臣に大喪あれば、君は三年其の門を叫ばず」とあります。

聞哀哭而後行何?盡哀舒憤然後行。望國境則哭,過市朝則否。君子自抑,小人勉以及禮。見星則止,日行百里,惻怛之心,但欲見屍柩汲汲。故《禮?奔喪》記曰:“以哭答使者,盡哀,問故,遂行。”曾子曰:“師三十里者行五十里,奔喪百里。”既除喪,乃歸哭於墓何?明死者不可見,痛傷之至也。謂喪不得追服者也,哭於墓而已。故《禮?奔喪》記曰:“之墓,西向哭,止。”此謂遠出,歸後葬,喪服以禮除。

哀哭を聞きて然る後に乃ち往くはなぜでしょうか。哀を尽くし憤を舒して然る後に往く。国境を望見すれば則ち哭し、市朝を経過すれば則ち否なり。君子は自ら抑制し、小人は勉力して以て礼に及ぶ。星を見れば則ち停まり、日行百里、惻怛の心は、ただ急いで尸柩を見んことを欲すのみ。故に《礼・奔喪》記に「哭を以て使者に応答し、哀を尽くし、緑故を問い、是に前行す」とあり、曾子曰く「師は三十里の走るは五十里、奔喪は百里」と。すでに喪を除きて、乃ち帰りて墓上に於て哭するはなぜでしょうか。死者は再び見るべからざるを表明し、痛傷極まるなり。言う所は喪に追服すること能わざる者は、ただ墓上に於て哭するのみ。故に《礼・奔喪》記に「墓に至り、西に向かいて哭し、止む」とあるは、是れ遠出して、帰りて後葬り、喪服は礼に按じて除去すを言うなり。

曾子與客立於門,其徒趨而出。曾子曰:“爾將何之?”曰:“吾父死,將出哭於巷。”曾子曰:“反哭於爾次。”曾子北面而吊焉。《檀弓》記曰:“孔子曰:‘吾惡乎哭諸?兄弟,吾哭諸廟門之外;師,吾哭諸寢;朋友,吾哭諸寢門外;所知,吾哭諸野。’”

曾子、客と門辺に立つ。其の門徒快步して出づ。曾子曰く「汝將に何れの処にか之かん」と。曰く「我が父死せり、將に出でて巷に於て哭さんとす」と。曾子曰く「帰りて汝の居処に於て哭せ」と。曾子、北に向かいて彼を吊う。《檀弓》記に「孔子曰く『我は何れの処に於てか哭せん。兄弟は、我は廟門の外に於て哭す。師は、我は寝に於て哭す。朋友は、我は寝門の外に於て哭す。相識るは、我は野に於て哭す』」とあります。

養從生,葬從死,周公以王禮葬何?以為周公踐祚理政,與天同志,展興周道,顯天度數,萬物鹹得,休氣允塞,原天之意,予愛周公與文武無異,故以王禮葬,使得郊祭。《尚書》曰:“今天動威,以彰周公之德。”下言:“禮亦宜之。”

養うは生に順い、葬るは死に順う、周公は王礼を以て葬らるるはなぜでしょうか。周公は阼を践みて政を理め、天と志を同じくし、周道を展興し、天の度数を顕明し、万物皆其の所を得、休美の気充満し、天の意を推原し、周公を愛することを給うるに文武と異なるなしと考えるなり、故に王礼を以て葬り、彼をして能く郊祭を挙行せしむ。《尚書》に「今天、威を動かし、以て周公の徳を彰顯す」とあり、下に曰く「礼もまた宜しきなり」と。

○崩薨

○崩薨

《書》曰:“成王崩。”天子稱崩何?別尊卑,異死生也。天子曰崩,大尊像,崩之為言,崩伏強天下,撫擊,失神明,黎庶殞涕,海內悲涼。諸侯曰薨,國失陽。薨之言奄也,奄然亡也。大夫曰卒,精耀終卒。卒之為言終於國也。士曰不祿,失其忠節,不忠終君之綠。綠之言消也,身消名彰。庶人曰死,魂去亡。死之為言澌,精氣窮也。崩、薨紀於國何?以為有尊卑之禮,諡號之制即有矣。禮始於黃帝,至舜堯而備。《易》言復者,據遂也。《書》殂落、死者矣,各自見義。堯皆僭痛之,舜見終,各一也。

《書》に「成王崩ず」とあります。天子は崩と称するはなぜでしょうか。尊卑を分別し、死生を区分す。天子を崩と曰うは、大尊の象なり、崩の意は崩伏して天下に强加し、撫撃し、神明を失い、黎庶は涙を落とし、海内悲涼たり。諸侯を薨と曰うは、国は陽を失う。薨の意は奄なり、奄然として亡去す。大夫を卒と曰うは、精耀終卒す。卒の意は国に終るなり。士を不禄と曰うは、忠節を失い、能く忠心に君を事うるの禄を終えざるなり。禄の意は消なり、身消えて名彰る。庶人を死と曰うは、魂離去して亡失す。死の意は澌なり、精気窮尽す。崩・薨は国に記載するはなぜでしょうか。尊卑の礼有りと考え、諡号の制度すでに有ればなり。礼は黄帝より始まり、舜尭に至りて備わる。《易》が復と言うは、遂に依拠す。《書》の殂落・死は、各々義を顕現す。尭は皆僭越して痛惜し、舜は終を見る、各々一種なり。

喪者,何謂也?喪者,亡。人死謂之喪何?言其亡,不可復得見也。不直言喪何?為孝子心不忍言。《尚書》曰:“武王既喪。”《喪終》曰:“死為室。”知據死者稱喪也,生者喪痛之亦稱喪。《禮》曰:“喪服斬衰。”《易》曰:“不封不樹,喪期無數。”《孝經》曰:“孝子之喪親也,是施生者也。”天子下至庶人,俱言喪何?欲言身體髮膚,俱受之父母,其痛一也。

喪とは何の意か。喪は亡なり。人の死を喪と曰うはなぜでしょうか。是れ其の亡びたるを言う、再び見ることを得べからざればなり。直ちに喪と言わざるはなぜでしょうか。孝子の心は言うに忍びざればなり。《尚書》に「武王すでに喪せり」とあり、《喪終》に「死は適室と為す」とあるは、死者に依拠して喪と称するを知る。生者の喪痛もまた喪と称す。《礼》に「喪服は斬衰」とあり、《易》に「封せず樹えず、喪期は数なし」とあり、《孝経》に「孝子の親を喪するや、是れ生者に施す」とあります。天子より下りて庶人に至るまで、皆喪と曰うはなぜでしょうか。身体髪膚は皆父母より之を受け、痛は一なりと言わんと欲するなり。

天子崩,計告諸侯何?緣臣子喪君,哀痛憤懣,無能不告語人者也。諸侯欲聞之,又當持土地所出以供喪事,故《禮》曰:“天子崩,遣使者計諸侯。”

天子崩じ、諸侯に訃告するはなぜでしょうか。臣子が君を喪するに順い、哀痛憤懣にして、人に告げざる能わざるなし。諸侯は聞かんと欲し、また當に土地の出づる所を以て喪事に供給すべし、故に《礼》に「天子崩ずれば、使者を派遣して諸侯に訃告す」とあります。

王者崩,諸侯悉奔喪何?臣子悲哀慟怛,莫不欲觀君父之棺柩,盡悲哀者也。又為天子守蕃,不可頓空也,故分為三部:有始死先奔者,有得中來盡其哀者,有得會喪奉送君者。七月之間,諸侯有在京師親供臣子之事者也,號泣悲哀奔走道路者,有居其國哭痛思慕,竭盡所供,以助喪事者。是四海之內鹹悲,臣下若喪考妣之義也。葬有會者,親疏遠近盡至,親親之義也。童諸侯不朝而來奔喪者何?明臣子於其君父,非有老少也,亦因喪質,無般旋之禮,但盡悲哀而已。

王者崩ずれば、諸侯皆奔喪するはなぜでしょうか。臣子は悲哀慟怛にして、君父の棺柩を見て哀を尽くさんことを欲せざるなし。また天子のために蕃を守り、一度に空しくすべからず、故に三部に分かつ。剛く死して先に奔る有り、能く中間に來りて哀を尽くす有り、能く喪に趕付きて君を奉送する有り。七月の間、諸侯に京師に在りて親ら臣子の事を供奉する有り、号泣して悲哀し道路を奔走する有り、自国に住して痛を哭し思慕して、供する所を竭くして以て喪事を助ける有り。是れ四海の内皆悲しみ、臣下は考妣を喪するが如きの義なり。葬に会有り、親疏遠近皆至るは、親親の義なり。童の諸侯は朝せずして來りて奔喪するはなぜでしょうか。臣子が君父に対するは、老少なきを表明す、亦た喪は質朴にして、盤旋の礼なく、ただ悲哀を尽くすのみを以てなり。

臣死亦赴告於君何?此君哀痛於臣子也,欲聞之加賻之禮。故《春秋》曰:“蔡侯考父卒。”《傳》曰:“卒赴而葬,禮也。”

臣死するも亦た君に赴告するはなぜでしょうか。是れ君の臣子を哀痛し、聞かんと欲し、賻を加うるの礼なり。故に《春秋》に「蔡侯考父卒す」とあり、《伝》に「卒して赴き葬るは、礼なり」とあります。

諸侯薨,赴告鄰國何?緣鄰國欲有禮也。《春秋傳》曰:“桓母喪,告於諸侯。”桓母賤尚告於諸侯,諸侯薨告鄰國,明矣。

諸侯薨じ、隣国に赴告するはなぜでしょうか。隣国の礼有らんと欲するに順うなり。《春秋伝》に「桓母喪し、諸侯に告ぐ」とあり、桓母は賤しといえどもなお諸侯に告ぐ、諸侯薨じて隣国に告ぐれば、則ち明らかなり。

諸侯夫人薨,告天子者,不敢自廢政事,天子亦欲知之當有禮也。《春秋》曰:“天子使宰喧來歸惠公仲子之。”譏不及事。仲子者,魯君之貴妾也,何況於夫人乎?

諸侯の夫人薨じ、天子に告ぐるは、自ら政事を廃弃することを敢えてせざるなり、天子もまた知らんと欲し當に礼有るべし。《春秋》に「天子、宰咺を遣わして惠公仲子の賵を帰らしむ」とあるは、事に及ばざるを譏る。仲子は魯君の貴妾なり、況んや夫人をや。

諸侯薨,使臣歸瑞於天子何?諸侯以瑞為信,今死矣,嗣子諒暗三年之後,當乃更爵命,故歸之,推讓之義也。《禮》曰:“諸侯薨,使臣歸瑞於天子。”

諸侯薨ずれば、臣を遣わして瑞圭を以て天子に帰還せしむるはなぜでしょうか。諸侯は瑞圭を以て信と為す、今や死せば、嗣子は諒闇三年の後、乃ち當に再び爵命を受くべし、故に帰還す、是れ推譲の義なり。《礼》に「諸侯薨ずれば、臣を遣わして瑞圭を以て天子に帰還せしむ」とあります。

天子聞諸侯薨,哭之何?慘怛發中,哀痛之至也。使大夫吊之,追遠重終之義也。故《禮?檀弓》曰:“天子哭諸侯,爵弁,純衣。”又曰:“遣大夫弔詞曰:‘皇天降災,子遭離之難,嗚呼哀哉!大王使臣某吊。’”

天子、諸侯の薨ずるを聞き、彼を哭するはなぜでしょうか。慘怛は中より発し、哀痛極まるなり。大夫を遣わして彼を吊うは、遠きを追い終を重んずるの義なり。故に《礼・檀弓》に「天子は諸侯を哭すに、爵弁・純衣」とあり、また曰く「大夫を派遣するの吊詞に曰く『皇天災を降し、爾離難に遭遇す、嗚呼哀しきかな!大王、臣某を遣わして來りて吊せしむ』」と。

臣子死,君往吊之何?親與之共治民,恩深義重厚,欲躬見之。故《禮?雜記》曰:“君吊臣,主人待於門外,見馬首不哭。君至,主人先入,君升自阼階,西向哭。主人居中庭,從哭。”或曰:“大夫疾,君問之無數;士疾,二問之而大夫卒,比葬,不食肉;比卒哭不舉樂。士比殯,不舉樂。”玄冠不以吊者,不以吉服臨人兇,示助哀也。《論語》曰:“羔裘,玄冠不以吊。”

臣子死せば、君往きて吊うはなぜでしょうか。親ら彼と共に民を治め、恩深く義重厚なり、親ら見んことを要す。故に《礼・雑記》に「君、臣を吊うに、主人は門外に待ち、馬頭を見て哭せず。君至れば、主人先に入り、君は阼階より升り、西に向かいて哭す。主人は中庭に在り、従いて哭す」とあります。或る人曰く「大夫に疾あれば、君は問うこと数無し。士に疾あれば、問うこと再び。大夫卒すれば、葬に至るまで肉を食せず、卒哭に至るまで楽を挙げず。士は殯に至るまで、楽を挙げず」と。玄冠は以て吊せず、吉服を以て人の凶に臨まず、哀を助くるを表す。《論語》に「羔裘、玄冠は以て吊せず」とあります。

崩薨三日乃小斂何?奪孝子之恩以漸也。一日之時,屬纊於口上,以候絕氣;二日之時,尚冀其生;三日之時,魂氣不返,終不可奈何。故《禮?士喪經》曰:“御者四人皆坐,持體屬纊,以候絕氣。”《禮》曰:“天子、諸侯,三日小斂;大夫、士二日小斂。”屬纊於口者,孝子欲生其親也。

崩薨三日にして始めて小斂するはなぜでしょうか。漸々孝子の恩を奪去す。一日の時は、纊を口の上に置き、気の絶ゆるを候う。二日の時は、なお其の活きんことを冀望す。三日の時は、魂気返らず、終に如何ともすべからず。故に《礼・士喪経》に「御者四人皆坐し、体を持し纊を属し、気の絶ゆるを候う」とあり、《礼》に「天子・諸侯は三日小斂、大夫・士は二日小斂」とあります。纊を口の上に置くは、孝子は其の親をして活きしめんと欲するなり。

人死必沐浴於中ニ何?示潔淨反本也《禮?檀弓》曰:“死於牖下,沐浴於中ニ,飯含於牖下,小斂於戶內,大斂於阼階,殯於客位,祖於庭,葬於墓,所以即遠也。”奪孝子之恩以漸也。所以有飯含何?緣生食今死不欲虛其口,故含。用珠寶物何也?有益死者形體,故天子飯以玉,諸侯以珠,大夫以米,士以貝也。

人の死には必ず中霤に於て沐浴するはなぜでしょうか。潔淨にして本に返るを表す。《礼・檀弓》に「牖下に死し、中霤に於て沐浴し、牖下に於て飯含し、戸内に於て小斂し、阼階に於て大斂し、客位に於て殯し、庭に於て祖し、墓に於て葬る、漸々遠去する所以なり」とあり、漸々孝子の恩を奪去す。飯含有る所以はなぜでしょうか。生きて食するに順い、今や死して其の口を空虚ならしめんことを欲せず、故に含す。珠宝物を用うるはなぜでしょうか。死者の形体に有益なれば、故に天子は玉を以て飯し、諸侯は珠を用い、大夫は米を用い、士は貝を用う。

贈礻遂,何謂也?贈之為言稱也,玩好曰贈;礻遂之為言遺也,衣被曰曰礻遂。知死者則贈礻遂,所以助生送死,追恩重終,副至意也。贈者,何謂也?贈者,助也也。所以相佐,給不足也。故弔詞曰:“知生則賻,貨財曰賻,車馬曰。”

贈襚とは何の意か。贈の意は称なり、玩好を贈と曰う。襚の意は遺なり、衣被を襚と曰う。死者を知れば則ち贈襚し、以て生者を助けて死を送り、恩を追い終を重んじ、至意に符合す。贈賵とは何の意か。贈は助なり。以て相互に佐助し、不足に供給す。故に吊詞に「生者を知れば則ち賻し、貨財を賻と曰い、車馬を賵と曰う」とあります。

天子七日而殯,諸侯五日而殯何?事有大小,所供者不等,故《王制》曰:“天子七日而殯,諸侯五日而殯,卿大夫三日而殯。”

天子は七日にして殯し、諸侯は五日にして殯するはなぜでしょうか。事に大小あり、供する所等しからず、故に《王制》に「天子は七日にして殯し、諸侯は五日にして殯し、卿大夫は三日にして殯す」とあります。

夏后氏殯於阼階,殷人殯於兩楹之間,周人殯於西階之上何?夏后氏教以忠,忠者厚也,曰生吾親也,死亦吾親也,主人宜在阼階。殷人教以敬,曰死者將去,又不敢客也,故置之兩楹之間,周人共夾而敬之。周人教以文,曰死者將去,不可又得,故賓客之也。《檀弓》記曰:“夏后氏殯於阼階,殷人殯於兩楹之間,周人殯於西階。”

夏后氏は阼階に於て殯し、殷人は両楹の間に於て殯し、周人は西階の上に於て殯するはなぜでしょうか。夏后氏は忠を以て教え、忠は厚なり、生きれば我が親、死しても亦た我が親と曰い、主人は當に阼階に在るべし。殷人は敬を以て教え、死者將に去らんとす、また敢えて客に當らずと曰い、故に両楹の間に置き、周人は共に挟みて彼を敬す。周人は文を以て教え、死者將に去らんとし、再び得べからずと曰い、故に賓客に當る。《檀弓》記に「夏后氏は阼階に殯し、殷人は両楹の間に殯し、周人は西階に殯す」とあります。

《稽命徵》曰:“天子舟車殯何?為避水火災也。故棺在車上,車在舟中。”臣子更執紼,晝夜常百二十二人。紼者,所以掌持棺也。故《禮》曰:“天子舟車殯,諸侯車殯,大夫攢塗,士瘞。”尊卑之差也。

《稽命征》に「天子は舟車を以て殯するはなぜでしょうか。水火灾を避くるがためなり。故に棺は車の上に在り、車は舟の中に在り」とあります。臣子は輪番に紼を執り、昼夜常に百二十二人。紼は以て棺を掌持す。故に《礼》に「天子は舟車殯、諸侯は車殯、大夫は攅塗、士は埋む」とあるは、是れ尊卑の差別なり。

祖於庭何?盡孝子之恩也。祖者,始也,始載於庭也。乘軸車辭祖禰,故名為祖載也。《禮》曰:“祖於庭,葬於墓。”又曰:“適祖,升自西階。”

庭に於て祖するはなぜでしょうか。孝子の恩を尽くす。祖は始なり、始めて庭に載す。軸車に乗りて祖禰に辞別す、故に祖載と名づく。《礼》に「庭に於て祖し、墓に於て葬る」とあり、また曰く「祖に適くに、西階より升る」と。

所以有棺槨何?所以掩藏形惡也,不欲令孝子見其毀壞也。棺之為言之貌,所以藏屍令貌全也;槨之為言廓,所以開廓闢土無令迫棺也。《禮?王制》曰:“天子棺槨九重,衣衾百二十稱於領;大度曰:“公侯五重,衣衾九十稱;士再重。”禮曰:“大夫有大棺三重,衣衾五十稱;士無大棺二重,衣衾三十稱。單備為一稱。”《禮?檀弓》曰:“天子棺四重,水光革棺被之,其厚三寸。地棺一,梓棺二,柏槨以端,長六尺。”

棺槨ある所以はなぜでしょうか。以て形体の悪を掩藏し、孝子をして毀壊を見しめんことを欲せず。棺の意は貌なり、以て尸を藏めて貌を保全せしむ。槨の意は廓なり、以て廓を開き土を辟けて、土をして棺に迫近せしめず。《礼・王制》に「天子の棺槨九重、衣衾百二十領に称す。大度に曰く、公侯は五重、衣衾九十称。士は再重」とあり、礼に曰く「大夫は大棺三重、衣衾五十称。士は大棺なし二重、衣衾三十称。単衾備わりて一称と為す」と。《礼・檀弓》に「天子の棺四重、水兕の革棺を以て覆い、厚さ三寸。杝棺一、梓棺二、柏槨は端を用い、長さ六尺」とあります。

有虞氏瓦棺,今以木何?虞尚質,故用瓦。夏后氏益文,故易之以┾周,謂┾木相周,無膠漆之周也。殷人棺槨有膠漆之用。周人浸文,牆置た,加巧飾。喪葬之禮,緣生以事死,生時無,死亦不敢造。太古之時,穴居野處,夜皮帶革,故死衣之以薪,內藏不飾。中古之時,有宮室、衣服,故衣之幣帛,藏以棺槨,封樹識表,體以象生。夏殷彌文,齊之以器械。至周大文,緣夫婦生時同室,死同葬之。

有虞氏は瓦棺を用い、今や木を用うるはなぜでしょうか。虞は質を崇尚し、故に瓦を用う。夏后氏は更に文を加え、故に聖周に換え、是れ木材相周匝し、膠漆の周なきを言うなり。殷人は棺槨に膠漆の用有り。周人は漸々文にして、墻上に翣を設置し、巧飾を加う。喪葬の礼は、生に順いで以て死に事え、生きる時無き者は、死しても敢えて造らず。太古の時は、穴居して野に処り、夜は皮帯革せり、故に死すれば薪を以て衣と為し、内蔵に飾を加えず。中古の時は、宮室・衣服有り、故に幣帛を以て衣と為し、棺槨に蔵し、封樹して以て標識と為し、体は以て生に象る。夏殷は更に文にして、器械を以て斉整す。周に至りて大文にして、夫婦の生きて同室・死して同葬するに順う。

屍柩者,何謂也?屍之為言失也,陳也,失氣亡神,形體獨陳;柩之為言究也,久也,不復章也。《曲禮》曰:“在床曰屍,在棺曰柩。”

尸柩とは何の意か。尸の意は失なり、是れ陳なり、気を失い神を亡失し、形体独り陳列す。柩の意は究なり、是れ久なり、再び章顕せず。《曲礼》に「床に在るを尸と曰い、棺に在るを柩と曰う」とあります。

崩、薨別號,至墓同,何也?時臣子藏其君父,安厝之義,貴賤同。葬之為言下藏之也。所以入地何?人生於陰,含陽光,死始入地,歸所與也。天子七月而葬,諸侯五月而葬何?尊卑有差也。天子七月而葬,同軌必至;諸侯五月而葬,同會必至,所以慎終重喪也。

崩・薨は名号を分別するに、墓に至りては相同じなるはなぜでしょうか。当時臣子は其の君父を蔵す、安厝の義は貴賤相同じ。葬の意は下に向かいて蔵すなり。地に入る所以はなぜでしょうか。人は陰に生まれ、陽光を含み、死して乃ち地に入り、与する所に帰す。天子は七月にして葬り、諸侯は五月にして葬るはなぜでしょうか。尊卑に差別あり。天子は七月にして葬れば、同軌必ず至り。諸侯は五月にして葬れば、同会必ず至る、以て終を慎み喪を重んずるなり。

《禮》曰:“冢人奉圖。先君之葬,君居以中,昭、穆為左右,群臣從葬,以貴賤序。”

《礼》に「冢人、図を奉上す。先君の葬は、君は中間に居り、昭・穆は左右に在り、群臣は従葬し、貴賤に按じて序次す」とあります。

合葬者何?所以固夫婦之道也。故《詩》曰:“谷則異室,死則同穴。”又《禮?檀弓》曰:“合葬,非古也,自周公已來未之有改也。”

合葬するはなぜでしょうか。以て夫婦の道を鞏固す。故に《詩経》に「穀すれば則ち室を異にし、死すれば則ち穴を同じくす」とあり、また《礼・檀弓》に「合葬は、古に非ず、周公以来改めず」とあります。

葬於城郭外何?死生別處,終始異居。《易》曰:“葬之中野。”所以絕孝子之思慕也。《傳》曰:“作樂於廟,不聞於墓;哭泣於墓,不聞於廟。”所以於北方何?就陰也。《檀弓》曰:“孔子卒,所以受魯君之璜玉葬魯城北。”又曰“於邑北北首,三代之達禮也。”

城郭の外に葬るはなぜでしょうか。死生は処を別にし、終始は居を同じくせず。《易》に「中野に葬る」とあり、以て孝子の思慕を断絶す。《伝》に「廟に於て楽を作れば、墓上には聞こえず。墓に於て哭泣すれば、廟には聞こえず」とあります。北方に在る所以はなぜでしょうか。陰に就くなり。《檀弓》に「孔子卒す、魯君の璜玉を受けたるを以て、魯城の北に葬る」とあり、また曰く「邑北に在り、頭は北に向かうは、三代通行の礼なり」と。

封、樹者,所以為識。故《檀弓》曰:“古也墓而不墳,今邱也。東西南北之人也,不可以不識也。於是封之,崇曰尺。”春秋《含文嘉》曰:“天子墳高三仞,樹以松;諸侯半之,樹以柏;大夫八尺,樹以欒;士四尺,樹以槐;庶人無墳,樹以楊柳。”

封・樹は、以て標識と為す。故に《檀弓》に「古は墓して墳せず、今や丘なるは、東西南北の人にして、標識なかるべからず。是に之を封じ、高さ一仞」とあり、春秋《含文嘉》に「天子の墳は高さ三仞、樹は松を用い。諸侯は半ば、樹は柏を用い。大夫は八尺、樹は欒を用い。士は四尺、樹は槐を用い。庶人は墳なし、樹は楊柳を用う」とあります。

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