吴园易解
呉園易解巻第一(上経 乾至履)
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
四庫全書総目提要
△《吳園易解》•九卷(湖北巡撫採進本)
《四庫全書総目》に著録す:《呉園易解》九巻、拠る所の底本は湖北巡撫が採集進呈した本子である。
宋張根撰。根字知常,德興人。年二十一登進士第。大觀中官至淮南轉運使,以朝散大夫終於家。事蹟具《宋史》本傳。是書末有其孫垓《跋》,稱為先祖太師者,其子燾孝宗時為參知政事追贈官也。根所撰述甚多,垓《跋》稱有宋朝編年數百卷,五經諸子皆為之傳注。
この書は宋代の張根が撰述した。張根は字を知常といい、饒州徳興県の人、二十一歳で進士に考中した。宋徽宗の大観年間、官は淮南転運使に至り、最後に朝散大夫の官階を以て家中に卒した。生平の事跡は《宋史》本伝に見える。書の末尾に彼の孫張垓の写した《跋》を附す。《跋》の裏は張根を「先祖太師」と称する。「太師」は張根の生前の官職にあらずして、彼の児子張燾が宋孝宗の時に官は参知政事に至り、朝廷が初めて張根に追贈した栄銜である。張根は一生著述が多く、張垓《跋》に拠れば、彼は几百巻の《宋朝編年》を写し、五経と諸子の書にもみなそれらの為に伝注を作った。
晁公武《讀書志》載有《春秋指南》十卷,今皆未見。惟此《易解》僅存,明祁承《火業》家有其本。此為徐氏傳是樓所鈔,自《說卦傳》“乾健也”節以下,蠹蝕殘闕。末有康熙壬申李良年《跋》,亦稱此本不易得。然《通志堂經解》之中遺而不刻,豈得本於刻成後耶?書中次第,悉用王弼之本。詮義理而不及象數,不襲河洛之談。註文簡略,亦無支蔓之弊。末有《序語》五篇,《雜說》一篇,皆論《繫辭》,於《經》義頗有發明。又《泰卦論》一篇,於人事天道倚伏消長之機尤三致意焉。蓋作於徽宗全盛時也。亦可云識微之士矣。
晁公武《郡斎読書志》は彼に《春秋指南》十巻ありと著録するも、如今これらの書はみな見えず。ただこの《易解》のみ保存して残る。明代蔵書家祁承㸁の家中にその本子を蔵す。眼下のこの一部は常熟徐乾学「伝是楼」の抄本にして、《説卦伝》の「乾健也」一節より下は、虫に蛀められ損壊して残缺少々あり。巻末に清康熙三十一年壬申の李良年の写した《跋》を附し、またこの本子は甚だ容易に得難しという。しかるに納蘭性徳が輯刻した《通志堂経解》の裏にはかえってそれを漏落して刊刻せず。豈に徐家がこの抄本を得た時には《通志堂経解》はすでに刻り成せりしか。書中の六十四卦の先後次序は、全く王弼の本子を採用す。それはただ義理を講じて象数に渉らず、また漢代以来の河図洛書のあの套の説法を沿襲せず。注文は簡明扼要に写されて、枝蔓蕪雑の毛病なし。全書の末尾に《序語》五篇・《雑説》一篇あり、みな《繋辞伝》を討論して、経文義理に対し頗る闡発あり。また《泰卦論》一篇あり、人事と天道の間の禍福相倚・消長交替の関鍵に対し、反復して意を致す。これおそらく宋徽宗の号して全盛と称すの時に写れたるか、また言うべくんば張根は一位の微細の処より征兆を看出し得る人なり。
呉園易解巻第一(上経 乾至履)
乾卦(乾下乾上)
上經:乾、坤、屯、需、訟、師、比、小畜、履。乾下乾上。乾:元,亨,利,貞。初九,潛龍勿用。伯夷之事。九二,見龍在田,利見大人。仲尼之事。九三,君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。文王之事。九四,或躍在淵,無咎。武王觀兵之事。九五,飛龍在天,利見大人。禹湯之事。上九,亢龍有悔。穆王之事。用九,見群龍無首,吉。堯舜之事。
上経の収する卦は乾・坤・屯・需・訟・師・比・小畜・履(ここの卦目は「蒙」卦を脱漏せり)。乾卦の卦体は、下卦が乾、上卦も乾。卦辞にいわく:乾は元・亨・利・貞の四種の徳性を具備す。初九爻辞にいわく:潜伏の龍、作為を施展する勿れ——張根がいわく、これは伯夷が隠居して仕えざるのあの類の事に相当す。九二爻辞にいわく:龍が田野の上に出現す、大人物を見るに宜し——これは孔子が徒を聚めて講学し徳望が初めて顕れるのあの類の事に相当す。九三爻辞にいわく:君子は整天勤勉して懈らず、夜に到るもなお警惕戒惧す。険境に処するも過ちなし——これは周文王が小心に殷商に事奉するのあの類の事に相当す。九四爻辞にいわく:あるいは騰躍して起り、あるいはなお深淵に退処す、いずれも過ちなし——これは周武王が孟津に兵を観て、時機が未熟なるを見て師を還すのあの類の事に相当す。九五爻辞にいわく:龍は天上に飛ぶ、大人物を見るに宜し——これは大禹・商湯が位に登りて道を行うのあの類の事に相当す。上九爻辞にいわく:極処に升った龍は悔恨あらん——これは周穆王が八駿を駕して遠遊し、ほとんど天下を失いかけたあの類の事に相当す。用九爻辞にいわく:一群の龍が出現してみな首領を争為せず、吉祥——これは堯・舜が禅譲し天下を以て私と為さざるのあの類の事に相当す。
彖曰:大哉乾元,萬物資始,乃統天。雲行雨施,品物流形。大明終始,六位時成,時乘六龍以御天。乾道變化,各正性命,保合太和,乃利貞。首出庶物,萬國咸寧。乾道無所不該,四徳特舉其應物之跡耳,故有人君之象。
《彖伝》にいわく:偉大なりや乾の元始の徳、万物はみなそれに靠って初めて開端あり、それは整个の天道を統攝す。雲気が流行し、雨沢が施布して、各類の物象は流動の中に自己の形体を成就す。太陽の光明は始終を貫穿し、六箇の爻位は時序に按じて依次に形成し、聖人は随時に六条の龍を駕するがごとく天道の運行を駕馭す。乾道は不断に変化して、万物をして各自に自己の天性と命分を端正せしめ、最も和諧の元気を保持し会合して、ここに利して貞正たり。それは衆物の上に高出して、天下万国はこれによってみな安寧を得。張根が解していわく:乾道は包むところなきなく、卦辞はただ元・亨・利・貞の四徳を挙出するのみ、過ぎずそれが万物に感応する時に留下した痕迹を挙出する而已。ゆえに乾卦に人君の象征あり。
象曰:天行健,君子以自強不息。帝之所興,王之所成,皆原於此。潛龍勿用,陽在下也。見龍在田,徳施普也。終日乾乾,反復道也。或躍在淵,進無咎也。飛龍在天,大人造也。亢龍有悔,盈不可久也。用九,天徳不可為首也。天為剛徳,猶不干時,況於人乎?
《大象伝》にいわく:天道は運行して剛健已まず、君子はそれに取法して、自ら振作して永遠に懈怠せず。張根が解していわく:帝者の興起する所以・王者の成功する所以は、根源はみなこの一句の上に在り。《小象伝》は逐爻に申説す:「潜龍勿用」は、陽気がなお最も下に処するがゆえに。「見龍在田」は、徳沢がすでに普及を開始したるがゆえに。「終日乾乾」は、正道上に反復行走するがゆえに。「或躍在淵」は、前に進行するも過錯を招来せざるがゆえに。「飛龍在天」は、大人物がすでに事業を成就したるがゆえに。「亢龍有悔」は、盈満の状態は長久の可能ならざるがゆえに。「用九」は、天の徳性は争先して首と為らざるに在り。張根がいわく:天は剛健の徳の代表にして、なお時序の前に抢じて妄動することを肯んぜず。いわんや人をや。
文言曰:元者,善之長也;亨者,嘉之會也;利者,義之和也;貞者,事之乾也。君子體仁足以長人,嘉會足以合禮,利物足以和義,貞固足以幹事。君子行此四徳者,故曰乾元亨利貞。四徳所配,惟乾為然。
《文言伝》にいわく:いわゆる「元」は、衆善の中の頭第一位。いわゆる「亨」は、各種の美好事物の会合。いわゆる「利」は、義理が調和して恰好好処。いわゆる「貞」は、事を弁成する骨干。君子は仁を以て自身の本体と為せば、衆人の表率を為すに足る。種種の美好を聚合すれば、礼に合するに足る。万物をして各々その利を得せしめば、義理を調和するに足る。正を守りて堅固なれば、事務を担当するに足る。君子は能くこの四種の徳性を実行行う。ゆえに卦辞に初めて「乾、元亨利貞」という。張根が解していわく:四徳がこう斉全に配することは、六十四卦の裏にただ乾卦のみが当たるに足る。
初九曰:潛龍勿用。何謂也?子曰:龍徳而者也。不易乎世,不成乎名,遁世無悶,不見是而無悶,樂則行之,憂則違之,確乎其不可拔,潛龍也。時命大謬而樂則行,此所以為聖人之。九二曰:見龍在田,利見大人。何謂也?子曰:龍徳而正中者也。庸言之信,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,徳博而化。易曰:見龍在田,利見大人。君徳也。有君徳而無位,私淑艾者也。閒邪存其誠,是以能守其中庸;善世而不伐,徳博而化,是以無思不服。
《文言伝》が設問す:初九爻辞に「潜龍勿用」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:これは龍のごとき徳性ありて隠居して出ざる人を指す(「龍徳而」の下に原本は一「隠」の字を脱す)。彼は世俗風気によって自己を改変せず、名声を追求せず、世を避けて隠居するも煩悶せず、人に認可されざるも煩悶せず。意に合する事は則ちそれを行い、憂べき事は則ちそれを避ける。志向は堅定にして動揺する法なし。これがすなわち潜龍。張根が解していわく:時運と命遇とが大いに乖違するも、なお「楽則行之」を做到し得るは、これがまさに聖人の聖人と為る所以の処(この下に原本に脱文あり)。《文言伝》がまた問う:九二爻辞に「見龍在田、利見大人」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:これは龍のごとき徳性ありて位に中正に居る人を指す。彼は平常に説話に信用を講じ、平常に行事に謹慎にして、邪念を防閑し内心の誠を保全し、好事を為して世に有益にして自誇せず、徳行は広博にして能く人を感化す。《易》に「見龍在田、利見大人」というは、講ずるはまさに人君の徳性。張根がいわく:人君の徳を具備するも人君の位なきは、すなわち孟子の謂う所の「私淑艾」、私下に前賢に取法して自らその学を成す人に靠る。邪念を防閑し誠実を保全す。ゆえに中庸を守住し得。世に有益にして自誇せず、徳行は広博にして能く人を化す。ゆえに人心は帰服せざるなし。
九三曰:君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。何謂也?子曰:君子進徳修業。忠信所以進徳也,修辭立其誠所以居業也。知至至之,可與幾也;知終終之,可與存義也。是故居上位而不驕,在下位而不憂,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。內文明所以進徳也,外柔順所以居業也。三分天下有其二,非幾而何?以服事商,非義而何?
《文言伝》が問う:九三爻辞に「君子終日乾乾、夕惕若厲、无咎」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:君子は不断に徳性を増進し功業を修治せんとす。忠誠守信は徳性を増進する途徑、言辞を修飭し誠実を確立するは功業を守住する途徑。到達すべき目標を知りて努力して到達せんとする、このごとき人は彼と「几」——すなわち事情の細微の征兆——を談論し得。終止すべき地方を知りて適時に終止する、このごとき人は彼とともに義理を守住し得。ゆえにこの種の人は身に高位に居りて驕矜せず、身に下位に処して憂懼せず、能く終日勤勉し随時に警惕して、処境は危険なれど過ちなからん。張根が解していわく:内心の文明は用いて徳を進め、外表の柔順は用いて業を守るなり。周文王はすでに天下の三分之二の人心を得たり。これはまさに几微を懂得するではないか。こうのごとき力量を握るもなお旧のごとく臣服して殷商に事奉するは、これはまさに義理を守住するではないか。
九四曰:或躍在淵,無咎。何謂也?子曰:上下無常,非為邪也;進退無恆,非離群也。君子進徳修業,欲及時也,故無咎。時哉不可失,何咎之有?九五曰:飛龍在天,利見大人。何謂也?子曰:同聲相應,同氣相求,水流溼,火就燥,雲從龍,風從虎,聖人作而萬物睹。本乎天者親上,本乎地者親下,則各從其類也。聖賢相須,然後可大有為於天下。
《文言伝》が問う:九四爻辞に「或躍在淵、无咎」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:忽ち上り忽ち下りて常態なきは、邪僻の事を為さんとするにあらず。忽ち進み忽ち退きて定則なきは、同類を脱離せんとするにあらず。君子が徳性を増進し功業を修治するは、時機に赶上せんが為め。ゆえに過錯なからん。張根が解していわく:時機が来れば錯過すべからず。こうすれば何れの処に過錯あらんや。《文言伝》がまた問う:九五爻辞に「飛龍在天、利見大人」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:声音が相同じきは互いに呼応し、気類が相同じきは互いに尋求す。水は潮湿の処に向かいて流れ、火は乾燥の処に向かいて焼く。雲は龍に随いて生じ、風は虎に随いて起る。聖人がひとたび興起せば、万物は則ちみな来りて瞻仰す。凡そ本源が天に出づるはみな上方に親附し、本源が地に出づるはみな下方に親附して、各自に自己の同類に跟従する而已。張根がいわく:聖君と賢臣は必ず互いに依靠せざればならず、然る後に初めて天下に大有作為し得。
上九曰:亢龍有悔。何謂也?子曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。潛龍勿用,下也。見龍在田,時舍也。終日乾乾,行事也。或躍在淵,自試也。飛龍在天,上治也。亢龍有悔,窮之災也。乾元用九,天下治也。變則通故。
《文言伝》が問う:上九爻辞に「亢龍有悔」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:地位は尊貴なれど実職なく、身は高処に居るも管すべき百姓なく、賢人はみな下位に在りて彼を輔佐する人なし。ゆえにひとたび挙動あれば則ち悔恨を招来す。《文言伝》がまた逐爻に申説す:「潜龍勿用」は、身が最下に処するがゆえに。「見龍在田」は、時機がなお暫且の停留を容許するがゆえに。「終日乾乾」は、勤勉に事を為す中に在り。「或躍在淵」は、自己が時機を試探するがゆえに。「飛龍在天」は、上位に居りて治理を施行するがゆえに。「亢龍有悔」は、窮極の処に走り至りて招来する災禍。「乾元用九」は、天下が治理を得るなり。張根が解していわく:これは窮極して能く変じ、一変すれば則ち通達する緣故なり。
潛龍勿用,陽氣潛藏。聖人所以在下。見龍在田,天下文明。所以時出而含。終日乾乾,與時偕行。所以行其能事。或躍在淵,乾道乃革。所以進而自試。飛龍在天,乃位乎天徳。所以居上而治。亢龍有悔,與時偕極。所以處窮為災。乾元用九,乃見天則。所以常治而不亂。葢功成名遂身退,天之道。
《文言伝》が第三次に各爻を申説す、張根は文に随いて解を作す:「潜龍勿用」は、陽気がなお潜伏隠蔵す——聖人はこれによって安く下位に処す。「見龍在田」は、天下が開始して文采光明あり——聖人はこれによって時に按じて顕露するもなお含蓄を知る(「含」の下に疑わしく脱文あり)。「終日乾乾」は、時勢と一同に前行す——聖人はこれによって自己の為し得る事を施展す。「或躍在淵」は、乾道がここに至りて変革を発生す——聖人はこれによってさらに一歩進みて自我を試探す。「飛龍在天」は、天徳に合乎する位置に居る——聖人はこれによって上位に在りて治理を施行す。「亢龍有悔」は、時勢と一同に極点に走り至る——聖人はこれによって窮途に処して災禍と為る。「乾元用九」は、天の法則を顕現す——ゆえに能く長治して乱れず。大概功名成就の後に身を抽いて退くは、初めて天の常道なり。
乾元者,始而亨者也。利貞者,性情也。乾始能以羙利利天下,不言所利,大矣哉。乾造始而萬物自亨,無一物不得其所而各正其性命之情,此其所以為大而人君法之也。大哉乾乎,剛健中正,純粹精也。六爻發揮,旁通情也。時乘六龍以御天也,雲行雨施,天下平也。具此七徳,是以能不息而首出,無所不利,為人君之象焉。
《文言伝》にいわく:いわゆる「乾元」は、万物をして開始してまた通達せしむる力量。いわゆる「利貞」は、講ずるは万物の本性と情実。乾は開端の処にして能く美好の利益を以て天下を利益し、しかるに自己が誰を利益したかを言わず。これは真に偉大なりや。張根が解していわく:乾は万物の開端を創造して、万物は則ち自然に通達し、一物もその所を得ざるなく、各自に自己の性命の実情を端正す。これがすなわちそれの偉大の処。人君はまさにそれを效法すべし。《文言伝》がまたいわく:偉大なりや乾、剛強・勁健・居中・守正にして、純粋にして精微。六箇の爻が交互に発揮して、旁通して万物の情状。随時に六条の龍を駕して天道を駕馭す。雲気流行し、雨沢施布して、天下太平。張根がいわく:乾はこの七種の徳性を具備す。ゆえに能く永遠に止息せずして衆物の上に高出し、往くところ利ならざるなし。まさに人君の象征なり。
君子以成徳為行,日可見之行也。潛之為言也,而未見,行而未成,是以君子弗用也。待時而動之謂。君子學以聚之,問以辨之,寛以居之,仁以行之。易曰:見龍在田,利見大人。君徳也。寛以居之,無慾速之謂;仁以行之,不欲一物失所之謂;學問以成之,寛仁以用之,此徳之所以博而施之所以普也。以此處下,元聖素王;以此處上,帝王天子之徳也。
《文言伝》にいわく:君子は養成したる徳性を以て行為に表現す、これは毎日に見える行為なり。いわゆる「潜」は、隠伏していまだ顕現せず、作為ありていまだ成就せず。ゆえに君子は暫く施展せず(「為言也」の下に原本は一「隠」の字を脱す)。張根が解していわく:これはすなわち時機を等待して後に行動するの意思。《文言伝》がまたいわく:君子は学習に靠って積累し、発問に靠って辨析し、寛厚に靠って自処し、仁愛に靠って行事す。《易》に「見龍在田、利見大人」というは、講ずるはまさに人君の徳性。張根がいわく:「寛以居之」は、速成を求めざるの意思。「仁以行之」は、任何の一物をも安頓を失わせたまわざるの意思。学と問を用いて自己を成就し、寛と仁を用いて人に施用す。これがすなわち徳性の広博なる所以・施予の普遍なる所以。あの套の本事を拿て下位に処すれば、すなわち聖人の実ありてその位なきの「元聖素王」。あの套の本事を拿て上位に処すれば、すなわち帝王天子の徳性なり。
九三重剛而不中,上不在天,下不在田,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。徽柔懿恭,小心翼翼之謂。九四重剛而不中,上不在天,下不在田,中不在人,故或之。或之者,疑之也,故無咎。動以不得已之謂。
《文言伝》にいわく:九三のこの一爻は两重の剛爻が相畳しまた中位に居らず、上に往きて天位に及ばず、下に往きて田位に及ばず。ゆえに終日勤勉し随時に警惕を要し、こうすれば危境に処するも過ちなからん。張根が解していわく:これがすなわち《尚書》の虞舜を形容する「徽柔懿恭」・文王を形容する「小心翼翼」のあの種の態度なり。《文言伝》がまたいわく:九四のこの一爻もまた两重の剛爻が相畳して中位に居らず、上に往きて天位に及ばず、下に往きて田位に及ばず、居中に在りても人位に及ばず。ゆえに「或」という。いわゆる「或」は、すなわち遅疑して定まらず。まさに遅疑審慎なるがゆえに、過錯なからん。張根がいわく:これがすなわち已むを得ずして初めて行動するの意思。
夫大人者,與天地合其徳,與日月合其明,與四時合其序,與神合其吉凶。先天而天弗違,後天而奉天時。天且弗違,而況於人乎?況於神乎?所謂順乎天而應乎人。亢之為言也,知進而不知退,知存而不知亡,知得而不知喪。其唯聖人乎!知進退存亡而不失其正者,其唯聖人乎!持滿有道,天下所以常治而不亂也。
《文言伝》にいわく:いわゆる大人は、彼の徳性は天地と相合し、彼の光明は日月と相合し、彼の秩序は四時と相合し、彼の吉凶判断は鬼神と相合す(「与」の下に原本は一「鬼」の字を脱す)。彼が天に先んじて動く時は、天は彼に違背せず。彼が天に後れて動く時は、則ち天の時令を奉行す。天すらなお彼に違背せざれば、いわんや人をや。いわんや鬼神をや。張根が解していわく:これがすなわち《革卦・彖伝》の講ずる「順乎天而応乎人」なり。《文言伝》がまたいわく:いわゆる「亢」は、すなわち前進を知りて後退を知らず、生存を知りて敗亡を知らず、獲得を知りて喪失を知らず。能くこの層の道理を懂得するは、おそらくただ聖人か。進退存亡の分寸を懂得して正道を失わざるは、おそらくただ聖人か。張根がいわく:手に盈満の器を捧げて能く保ち得るは、方法あるなり。天下の長治して乱れざる所以は、道理はここに在り。
坤卦(坤下坤上)
坤下坤上。坤:元,亨,利牝馬之貞。君子有攸往,先迷後得主,利。西南得朋,東北喪朋,安貞吉。坤雖具四徳而所利己小,況屯、隨、臨、無妄、革一時一事者乎?案:易卦元亨利貞四徳全具者,自乾坤外惟屯、隨、臨、無妄、革五卦。原本多一賁卦,係傳寫之誤,今刪。故曰齊小大者存乎卦,此學易者所以當變而通之然後可也。
坤卦の卦体は、下卦が坤、上卦も坤。卦辞にいわく:坤に元・亨の徳あり、その利と貞は母馬のごとき柔順を以て限とす。君子が往く所有りて、先に抢ずれば則ち路に迷い、後に随従して初めて主人を找到して利を得。西南の方に往けば朋類を得、東北の方に往けば朋類を失う。正道を安守すれば吉祥。張根が解していわく:坤は四徳を具備するも、しかしそれの得る能くする利益はすでに小なり。いわんや屯・随・臨・无妄・革のこの幾卦は、四徳はただ一時一事の上に応ずるのみなるをや(四庫館臣校語:《易》の六十四卦の中に元亨利貞の四徳斉備するは、乾・坤の両卦を除く外にただ屯・随・臨・无妄・革の五卦のみ。原刻本は多く一箇の賁卦を列せるは、伝抄の誤なり。今は删去す)。ゆえに《繋辞伝》に「卦徳の大小を区別するは是哪一卦を看よ」という。学易の人はまさにこのゆえに、必ず卦に随いて変通を懂得せざるべからず。
彖曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。此所以為坤而為人臣之象。坤厚載物,徳合無疆。隨天所覆。含□光大,品物咸亨。生育亭毒。牝馬地類,行地無疆。不爾不足以配天之健。柔順利貞,君子攸行。柔順而不正則小人之徒爾。先迷失道,後順得常。陰以從陽為正。西南得朋,乃與類行。巽離兌皆陰卦也。東北喪朋。坎艮震皆陽卦也。乃終有慶。陰以佐陽為功。安貞之吉,應地無疆。不安於正,其能無疆乎?人臣之道盡此矣。
《彖伝》にいわく:至極なりや坤の元始の徳、万物はみなそれに靠って初めて生養を得、それは順従して天の施予を承受す。張根が解していわく:まさにこうなるがゆえに、それは初めて其の坤と成り、人臣の象征と為る。《彖伝》にいわく:坤は深厚にして万物を承載す。その徳性は無辺無際と相合す。張根がいわく:これは天の覆蓋する範囲に随いて一同に伸展するなり。《彖伝》にいわく:それは包容弘大にして光明広大、各類の物象はみなこれによって亨通す(「含」の下に一字残缺、《周易》に拠れば「弘」と作るべし)。張根がいわく:これがすなわち万物を生養化育し安定成熟するなり。《彖伝》にいわく:母馬は地類に属して、大地上に行走して辺際なし。張根がいわく:こうあらざれば則ち天の剛健に匹配するに足らず。《彖伝》にいわく:柔順・有利・貞正は、君子の走るべき路なり。張根がいわく:ただ柔順にして端正ならざれば、則ちそれは小人の一流と成らん。《彖伝》にいわく:先に抢ずれば則ち正道に迷失し、後に随順すれば則ち常規を得。張根がいわく:陰は陽に順従するを以て正と為す。《彖伝》にいわく:「西南得朋」は、同類と同行するなり。張根がいわく:巽・離・兌はみな陰卦。《彖伝》にいわく:「東北喪朋」。張根がいわく:坎・艮・震はみな陽卦。《彖伝》にいわく:最終に喜慶あらん。張根がいわく:陰は陽を輔佐するを以て功と為す。《彖伝》にいわく:正道を安守するの吉祥は、大地の無辺と相応す。張根がいわく:正道に安んぜざれば、また無辺無際を做到し得んや。人臣たるの道理は、全てここに在り。
象曰:地勢坤。天動故言行,地靜故言勢。君子以厚徳載物。於國有不聞,於家有不見之謂。初六,履霜,堅冰至。象曰:履霜堅冰,陰始凝也。馴致其道,至堅冰也。罔不在初之義。六二,直方大,不習無不利。皋陶之事。象曰:六二之動,直以方也。不習無不利,地道光也。此所以為大。
《大象伝》にいわく:大地の形勢はすなわち坤。張根が解していわく:天は運動するなれば、ゆえに乾卦に「天行」という。地は静止するなれば、ゆえに坤卦に「地勢」という。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、深厚の徳性を用いて万物を承載す。張根がいわく:これがすなわち邦国の中に聞かざる所有り家門の内に見ざる所有る、寛容涵納の意思なり。初六爻辞にいわく:脚に寒霜を踏み上げれば、堅冰はまさに来らん。《小象伝》にいわく:霜を踏みて堅冰の至るを知るは、陰気が凝結を開始す。この路に順って発展し続けば、則ち堅冰を結成せん。張根がいわく:これがすなわち「无不在初」——患を防ぐは必ず最初に在るの意思なり。六二爻辞にいわく:正直・方正・宏大にして、刻意に学習せずとも往くところ利ならざるなし——これは皋陶が虞舜を輔佐して法を執りて天下服せしめたるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:六二の挙動は、また直にまた方。学習せずとも往くところ利ならざるは、地道の光明なり。張根がいわく:これがまさにそれの「大」と称する所以の緣故なり。
六三,含章可貞。可猶可卷而懐之之謂。或從王事,無成有終。大禹之事。象曰:含章可貞,以時發也。或從王事,知光大也。既明且哲之謂。六四,括囊,無咎無譽。微子之事。象曰:括囊無咎,慎不害也。坤道革故。六五,黃裳元吉。伊周之事。象曰:黃裳元吉,文在中也。上六,龍戰于野,其血黃。象曰:龍戰于野,其道窮也。后羿之事。用六,利永貞。象曰:用六永貞,以大終也。大而能終,伊周告歸之事。
六三爻辞にいわく:内に文采を含みて能く正を守る。張根が解していわく:この「可」の字は、《論語》の講ずる「可巻而懐之」のごとく、能く才華を収斂蔵起し得。爻辞が接続していわく:あるいは往きて王事に参与するも、その成に居らずして能く好結果あり——これは大禹が舜の為に水を治して功成りて居らざるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:内に文采を含みて能く正を守るは、時機を待って後に顕発せんとするなり。あるいは往きて王事に参与するは、彼の智慧が広大光明なるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち《詩経》の講ずる「既明且哲」なり。六四爻辞にいわく:口袋を扎緊するがごとく口を閉じて言わざれば、過ちなく、また称誉もなし——これは微子が殷末に緘黙して禍を避けたるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:口袋を扎緊して過ちなきは、謹慎なれば損害を受けざるなり。張根がいわく:坤道はこの一爻に至りて変革を発生せり。六五爻辞にいわく:黄色の下裳、大吉——これは伊尹・周公が臣位に居りてその美を尽くしたるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:黄裳大吉は、文采が裏面に蘊含するなり。上六爻辞にいわく:龍が野外に交戦して、流出する血は黄なり(「其血」の下に原本は一「玄」の字を脱す)。《小象伝》にいわく:龍が野に戦うは、それの路はすでに尽頭に走り至るなり。張根がいわく:これは后羿が臣を以て君に代わりて終に覆亡に至ったるのあの類の事に相当す。用六爻辞にいわく:長久に正を守るに利し。《小象伝》にいわく:用六が長久の正道を守持するは、宏大を以て収結を為すなり。張根がいわく:すでに宏大にして能く善終するは、これは伊尹・周公が功成の後に老を告げて政に帰ったるのあの類の事に相当す。
文言曰:坤至柔而動也剛,至靜而徳方,後得主而有常,含萬物而化光。坤道其順乎,承天而時行。不剛不方,不足以配天。然行之有時,必主於順而後可,往而不返,斯有至於龍戰者矣,此君子所以當辨早也。積善之家必有餘慶,積不善之家必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辨之不早辨也。易曰:履霜堅冰至。葢言順也。不辨故積習而不自知。辨者,察其善惡之謂。
《文言伝》にいわく:坤は極めて柔順なれど、ひとたび発動し起れば則ち甚だ剛強。極めて安静なれど、しかしその徳性は方正にして阿らず。後に随従して初めて主人を得、ここにおいて恒常の道あり。それは万物を包容して化育の功は広大なり。坤の道理はすなわち「順」か、天の施予を承接して時に按じて運行す。張根が解していわく:剛強ならず方正ならざれば、天に匹配するに足らず。ただし施行するは時を看るを要し、必ず順従を以て主と為さざればならず。若しひとえに前に往きて回頭を知らざれば、則ち「龍戦于野」のあの一歩に走り至らん。ゆえに君子は応に及早に分寸を辨明すべし。《文言伝》にいわく:善行を積累する人家は必ず多余の福慶あり、悪行を積累する人家は必ず多余の禍殃あり。臣子が君主を殺し児子が父親を殺すは、みな一朝一夕に形成するにあらず、その中の由来は逐漸に積累するなり。原因は則ち辨明すべき時に及早に辨明せざるに在り。《易》に「履霜、堅冰至」というは、おそらく講ずるはすなわちこの種の勢に順う積累。張根がいわく:辨明せざるがゆえに、積りて習気と成るも自己はなお察覚せず。いわゆる「辨」は、すなわち自己の善悪を省察するなり。
直其正也,方其義也。君子敬以直內,義以方外,敬義立而徳不孤。有敬以直內,然後可盡義以方外,不然能免於疑乎?不孤之謂大。直方大,不習無不利,則不疑其所行也。諫諍輔拂,人臣所以塞責,何疑之有?陰雖有羙,含之以從王事,弗敢成也。地道也,妻道也,臣道也。地道無成而代有終也。三公北面執璧而面槐,義取於此。
《文言伝》にいわく:「直」はそれの正を言い、「方」はそれの義を言う。君子は敬を用いて内心を正直ならしめ、義を用いて外行を方正ならしむ。敬と義と樹立せば、徳性は孤立せざらん。張根が解していわく:先ず能く敬を用いて内心を正直ならしめて、然る後に初めて尽力して義を用いて外行を方正ならしむに談ずるに足る。然らざれば、別人の猜疑を免れ得んや。いわゆる「不孤」は、まさに爻辞の裏のあの「大」の字なり。《文言伝》にいわく:正直・方正・宏大にして、刻意に学習せずとも往くところ利ならざるは、すなわち自己の為す所の事に疑慮なきなり。張根がいわく:進諫規勸して君主を匡正するは、本より人臣の分内の尽くすべき職責、何の疑慮すべきあらんや。《文言伝》にいわく:陰は美徳あるも、含蔵して往きて王事に参与して、敢えて成功に自居せず。これは地の道理、妻の道理、臣の道理なり。地道は自己が成功に居らずして、天に代わりて終結を完成す。張根がいわく:三公が北方に面向して手に玉璧を執りて三槐の位に面するは、取るはまさにこの意思なり。
天地變化,草木蕃;天地閉,賢人。陰道勝故。易曰:括囊,無咎無譽。葢言謹也。非盡言之時。君子黃中通理。逹權之謂。謹案:御纂周易折中引蔡氏清曰,黃中非通則無以應乎外,與逹權之義正合。原本作逺權,係傳寫之誤,今改正。正位居體,羙在其中而暢於四支,發於事業,羙之至也。功成治定,制禮作樂之謂。陰疑於陽必戰,為其嫌於無陽也,故稱龍焉。猶未離其類也,故稱血焉。明其為賊之謂。夫黃者,天地之雜也,天而地黃。各正其分。用六所以大而能終也。
《文言伝》にいわく:天地が交感変化すれば、草木は則ち繁盛す。天地が閉塞せば、賢人は則ち隠退す(「賢人」の下に原本は一「隠」の字を脱す)。張根が解していわく:これは陰の勢力が上風を占めたる緣故なり。《文言伝》にいわく:《易》の講ずる「括囊、无咎无誉」は、おそらく説くは謹慎なり。張根がいわく:あれは話を説き尽くすべき時にあらず。《文言伝》にいわく:君子は内に黄色の中和の徳を含みて文理に通達す。張根がいわく:これがすなわち権変に通達するの意思なり(四庫館臣按語:御纂《周易折中》が明代蔡清の話を引いていわく、内に中徳を含むも通達せざれば外物に応接する法なし、「達権」の説法と正相吻合す。原刻本は「遠権」と作るは伝抄の誤、今は改正す)。《文言伝》にいわく:正位に居りて本体に安く処し、美好が裏面に蘊含して四肢に流暢し、事業上に発用す。これは美の極点に至るなり。張根がいわく:これがすなわち功業が告成し天下が安定した後に礼を制し楽を作するの意思なり。《文言伝》にいわく:陰が盛んにして陽と疑似するに至れば、則ち必ず交戦せん。それが嫌いあたかもすでに陽なきを以て、ゆえに爻辞は「龍」と称す。またそれが到底陰の同類を脱離せざるを以て、ゆえに爻辞は「血」と称す。張根がいわく:これは上六がすでに篡逆の賊と成れるを点明す。《文言伝》にいわく:あの玄と黄は、天地の二色の錯雑にして、天色は玄にして地色は黄なり(「夫」の下と「天」の下に原本各々一「玄」の字を脱す)。張根がいわく:各自に自己の名分を端正す、「用六」の宏大にして善終し得る所以なり。
屯卦(震下坎上)
震下坎上。屯:元,亨,利,貞,勿用有攸往,利建侯。彖曰:屯,剛柔始交而難生。震坎皆陽而曰剛柔始交者,此論乾坤而不論卦,與損剛益柔之義同。動乎險中,大亨貞。雷雨之動滿盈。於物則利,於人則屯。天造草昧,宜建侯而不寧。無主益亂。象曰:雲雷屯,君子以經綸。拯危定難,固屬君子。
屯卦の卦体は、下卦が震、上卦が坎。卦辞にいわく:屯に元・亨・利・貞の四徳あり、ただし往く所有るに宜しからず、諸侯を建立するに宜し。《彖伝》にいわく:屯卦は剛と柔とが剛々交接して艱難がこれに随いて産生す。張根が解していわく:震と坎は実はみな陽卦に属するも、《彖伝》はかえって「剛柔始交」という。これは乾坤の両画について立論するにして、並びにこの二箇の経卦について立論するにあらず。《損卦》の講ずる「損剛益柔」の説法と一箇の路数なり。《彖伝》にいわく:険境の中に奮動して、大いに亨通して貞正。雷雨の鼓動は天地の間に布满す。張根がいわく:この種の鼓動は万物に対しては利にして、人に対してはかえって屯難なり。《彖伝》にいわく:上天はまさに混沌初開の局面を創造せんとして、応に諸侯を建立して自ら安逸を求むべからず。張根がいわく:共主なければ、ただ禍乱を加深するのみ。《大象伝》にいわく:雲が雷の上に在るはすなわち屯、君子はそれに取法して往きて天下を経緯治理す。張根がいわく:危局を拯救し禍難を平定するは、本より君子の分内の事なり。
初九,盤桓,利居貞,利建侯。象曰:雖盤桓,志行正也;以貴下賤,大得民也。應物則利,治亂則凶。案:初九雖係有為之才,然當屯難之初,伏處在下,未可出而治亂,故曰治亂則凶。原本作始亂,與卦義未協,今改正。六二,屯如邅如,乘馬班如,匪冦婚媾,女子貞不字,十年乃字。象曰:六二之難,乘剛也;十年乃字,反常也。歳寒然後知松柏,擾攘然後見君子。
初九爻辞にいわく:徘徊して進まず、安居して正を守るに宜しく、諸侯を建立するに宜し。《小象伝》にいわく:徘徊して進まざるも、志向の行う所は則ち正なり。尊貴の身を以て卑賎の下に屈居す、大いに民心を得。張根が解していわく:用いて事物に接応すれば則ち利あり、用いて禍乱を平定せんとすれば則ち凶険あり(四庫館臣校語:初九は能く作為ある人才なれど、まさに屯難の初起に当たり、ただ下位に潜伏するのみ、なお出でて乱を平ぐる能わず。ゆえに「治乱則凶」という。原刻本は「始乱」と作るは卦義に合せず、今は改正す)。六二爻辞にいわく:また困頓また徘徊して、馬に騎りて打转して前せず。あの来るは並びに強盗にあらずして、婚姻を求婚するを来るなり。女子は正を守りて嫁ぐを許さず、十年を等到して初めて出嫁す。《小象伝》にいわく:六二の艱難は、それが剛爻の上に凌駕するがゆえに。十年にして初めて嫁を許すは、常道に回復したるなり。張根がいわく:天が寒くなりて初めて松柏を認出し得、世道が扰攘して初めて君子を看出し得。
六三,即鹿無虞,惟入于林中,君子幾,不如舍,往吝。屯難之際,失位無應,進退之幾於是乎在,惟君子為能不俟終日也。象曰:即鹿無虞,以從禽也;君子舍之,往吝窮也。六四,乘馬班如,求婚媾。屯道革故。往吉,無不利。以貴求下,利孰大焉。象曰:求而往,明也。不失時故。九五,屯其膏,小貞吉,大貞凶。象曰:屯其膏,施未光也。人主病不廣大,況多難之時乎?上六,乘馬班如,泣血漣如。象曰:泣血漣如,何可長也。上下無交,志當益壯,而乃效兒女之悲,不足道矣。
六三爻辞にいわく:野鹿を追逐して山林に熟悉の虞人の引路なく、ただ一頭に樹林の深処に闖進するのみ。君子は苗头を看出して、捨棄して追わざるに如かず。ひとえに往けば則ち憾惜あらん。張根が解していわく:まさに屯難の時に当たり、六三はすでに位に当たらずまた応ずる人なし。進むか退くかの関鍵はすなわちここに在り。ただ君子のみ能く当機に立断して一天の過ぐるを待たず。《小象伝》にいわく:鹿を追いて虞人の帯路なきは、ひとえに禽獣を貪逐するなり。君子はそれを捨棄す、往けば則ち困境に走り入るがゆえに。六四爻辞にいわく:馬に騎りて打转して前せず、往きて婚配を求む。張根がいわく:屯難の道はここに至りて転変を発生せり。爻辞にいわく:往けば吉祥、利ならざる所なし。張根がいわく:尊貴の身を以て下位に向かいて賢を求む、また何がこれより利あるや。《小象伝》にいわく:賢を求めて後に往くは、明智なり。張根がいわく:時機を錯過せざるがゆえに。九五爻辞にいわく:恩沢を屯積して施し出さず、小事は正を守りて吉祥、大事は正を守りて凶険。《小象伝》にいわく:恩沢を屯積するは、施与がなお広大ならざるがゆえに。張根がいわく:君主たるの毛病は則ち広大し得ざるに在り。いわんやまさに多難の時に当たるをや。上六爻辞にいわく:馬に騎りて打转して前せず、哭いて血涙漣漣たり。《小象伝》にいわく:哭いて血涙漣漣たるは、これどうして長久し得ようか。張根がいわく:上下の間に交往なく、この時志気は本より応にいよいよ剛強なるべしに、かえって児女の悲啼を学起するは、提するに足らず。
蒙卦(坎下艮上)
坎下艮上。亨。匪我求童,童求我。初筮告,再三瀆,瀆則不告。利貞。彖曰:山下有險,險而止。險在下而止,所以為亨。以亨行時中也。直而溫,寛而栗之謂。匪我求童,童求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆也。剛而無虐,簡而無傲之謂。蒙以養正,聖功也。守之以愚。
蒙卦の卦体は、下卦が坎、上卦が艮。卦辞にいわく:亨通。我が蒙昧の童子を求むるにあらずして、童子が来りて我を求むるなり。初次占問すれば則ち彼に告げ、一再に糾纏すれば則ちこれを涜瀆とし、涜瀆すれば則ちもはや彼に告げず。正を守るに利し(本書の拠る抄本はここに屡々「蒙」の字を脱し、卦名と「童蒙」とみな半辺のみ残る)。《彖伝》にいわく:山下に険あり、険に遇えば則ち停止す、これがすなわち蒙。張根が解していわく:険が下面に在りて人能く停住すれば、こそ亨通を得。《彖伝》にいわく:亨通の道を用いて施行するは、正に時宜の中道に合乎す。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の教育を講ずる「直而温、寛而栗」なり。《彖伝》にいわく:我が童蒙を求むるにあらずして、童蒙が我を求むるは、彼此に志向が相応ずるがゆえに。初次占問すれば則ち彼に告ぐるは、九二が剛健にして中に居るがゆえに。一再に涜瀆すれば則ち彼に告げざるは、彼の態度が軽慢なるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち「剛而无虐、簡而无傲」の分寸なり。《彖伝》にいわく:蒙昧未鑿の状態を用いて正道を涵養するは、これは聖人を成就する功夫なり。張根がいわく:これがすなわち質朴を用いて彼を守護するなり。
象曰:山下出泉。初出於山,莫適所之,之始也;道之以道,可至於海,蒙之終也;不知所以道之,茫然無所歸宿,斯為下矣。君子以果行育徳。乃免於。初六,發,利用刑人,用說桎梏。發蒙之道以威為先,始雖甚艱,終乃甚福,治亦如之。以往吝。之始故。象曰:利用刑人,以正法也。正法所以警之,宥罪所以待之,不少假借之謂。
《大象伝》にいわく:山下に泉水が涌出す、すなわち蒙。張根が解していわく:泉水は剛に山裏より流出して、なお何れに向かうべきを知らず。これは蒙昧の開始。正道を用いてそれを引導すれば、一直に大海に流れ至るべし。これは蒙昧の終結。若しどう引導するかを懂得せざれば、それは茫茫然として帰宿なく、則ち下等に落至せん。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、果決の行動を用いて徳性を培育す。張根がいわく:こうして初めて蒙昧を免れ得(「免于」の下に一「蒙」の字を脱す)。初六爻辞にいわく:蒙昧を啓発するは、刑罰を施用して人を整肅するに宜しく、彼をして脚鐐手銬を解脱せしむ。張根がいわく:啓蒙の弁法は威を立つるを以て先と為す。開頭は甚だ難受なれど、最後はかえって大福気。国を治めるも同一の道理。爻辞が接続していわく:ひとえに放任し続けば則ち憾惜あり。張根がいわく:これは蒙昧の初なるがゆえに(この句に原本脱文あり)。《小象伝》にいわく:刑罰を施用して人を整肅するに宜しきは、法度を端正せんが為め。張根がいわく:法度を端正するは用いて彼を警戒し、罪過を寛宥するは用いて彼の改過を待つ、一分一毫も馬虎迁就せず。
九二,包,吉。善救之謂。納婦吉。勿庸疾怨之謂。子克家。象曰:子克家,剛柔接也。夫義婦徳,宜有子焉。六三,勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利。此所以為。象曰:勿用取女,行不順也。六四,困,吝。象曰:困之吝,獨逺實也。自棄之謂。六五,童,吉。象曰:童之吉,順以巽也。成王之事。上九,擊。待之盡故。不利為寇,利禦寇。象曰:利用禦寇,上下順也。
九二爻辞にいわく:蒙昧を包容す、吉祥。張根が解していわく:これがすなわち善く人を救助するなり。爻辞にいわく:媳婦を接納す、吉祥。張根がいわく:これがすなわちひとえに嫌悪怨恨せざるの意思。爻辞にいわく:児子は家業を担当し得。《小象伝》にいわく:児子が家業を担当し得るは、剛と柔と相接するがゆえに。張根がいわく:丈夫が義に合し、妻子に婦徳あれば、自然に応に好児子あるべし。六三爻辞にいわく:この女子を娶る勿れ、彼女は銭ある男人を見れば則ち身を失う、好処あることなし。張根がいわく:これがすなわちそれの蒙たる所以の処(この句に原本脱文あり)。《小象伝》にいわく:この女子を娶る勿れは、彼女の行為が正道に順わざるがゆえに。六四爻辞にいわく:蒙昧に困す、憾惜あり。《小象伝》にいわく:蒙昧に困する憾惜は、それが孤零零として陽剛の実体を遠離したるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち自暴自棄。六五爻辞にいわく:童子のごとく蒙昧なれば、吉祥。《小象伝》にいわく:童蒙の吉祥は、柔順にして謙遜。張根がいわく:これは周成王が年幼にして位に即き周公に聴命したるのあの類の事に相当す。上九爻辞にいわく:蒙昧を撃去せよ。張根がいわく:蒙昧の尽除を待つを要するがゆえに。爻辞にいわく:強寇を為すに利せず、強寇を抵御するに利す。《小象伝》にいわく:強寇を抵御するに利するは、上下みな順従するがゆえに。
需卦(乾下坎上)
乾下坎上。需。交則為屯,不交則為解。有孚,光亨,貞吉,利渉大川。彖曰:需,須也,險在前也。剛健而不□,其義不困窮矣。所以異於蹇,二得之矣。需有孚,光亨,貞吉,位乎天位,以正中也。所以異於屯,五得之矣。利渉大川,往有功也。象曰:雲上於天,需,君子以飲食宴樂。萬物皆得故。
需卦の卦体は、下卦が乾、上卦が坎。張根が解していわく:坎と乾と交接すれば則ち屯卦と成り、交接せざれば則ち解卦と成る。卦辞にいわく:心に誠信を存し、光明亨通して、正を守りて吉祥、大河を渡るに宜し。《彖伝》にいわく:いわゆる需は、すなわち等待、険難がなお前頭に在るがゆえに。剛健にして陷落せず(「不」の下に一字残缺、《周易》に拠れば「陥」と作るべし)、理に按れば則ち困窮に陥らざらん。張根がいわく:これがまさに需卦の蹇卦と同じからざる処、九二の一爻が則ちこの意思を得着せり。《彖伝》にいわく:需卦は心に誠信を存し、光明亨通して、正を守りて吉祥は、九五が天位に居りて、また中また正なるがゆえに。張根がいわく:これがまさに需卦の屯卦と同じからざる処、九五の一爻が則ちこの意思を得着せり。《彖伝》にいわく:大河を渡るに宜しきは、往けば則ち功を建て得るがゆえに。《大象伝》にいわく:雲気が天上に升るはすなわち需、君子はそれに取法して、心を安くして飲食宴楽して時を待つ。張根がいわく:万物がみな各々その所を得たるがゆえに。
初九,需于郊,利用恆,無咎。處難之初故。象曰:需于郊,不犯難行也;利用恆無咎,未失常也。九二,需于沙,小有言,終吉。象曰:需于沙,衍在中也。乾之體故。雖小有言,以吉終也。義不勝故。九三,需于泥,致寇至。密邇於難故。象曰:需于泥,災在外也;自我致寇,敬慎不敗也。過剛不中,猶有待故。
初九爻辞にいわく:郊野に在りて等待す、常態を保持するに宜しく、過ちなし。張根が解していわく:それが険難の最初の階段に処するがゆえに。《小象伝》にいわく:郊野に在りて等待するは、険難を冒して前行せざるなり。常態を保持して過ちなきは、常規を失掉せざるがゆえに。九二爻辞にいわく:沙地の上に在りて等待す、稍や口舌あり、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:沙地に在りて等待するは、寛綽として中位に居るなり。張根がいわく:それが乾体なるがゆえに。《小象伝》にいわく:稍や口舌あるも、最終にかえって吉祥を以て収場す。張根がいわく:道理を講じてそれに及ばざるがゆえに。九三爻辞にいわく:泥濘の裏に在りて等待す、強寇を招来せり。張根がいわく:それがすでに険難に緊挨着するがゆえに。《小象伝》にいわく:泥濘の裏に在りて等待するは、災禍はなお外面に在り。自己の招来したる強寇なれば、恭敬謹慎するさえすれば失敗せざらん。張根がいわく:九三は剛強に過ぎまた中に居らず、好いはなお等待を懂得するなり。
六四,需于血,出自穴。象曰:需于血,順以聽也。待傷而出,亦已晚矣。九五,需于酒食,貞吉。險難既平,徳澤既降,天下宴樂之時。象曰:酒食貞吉,以中正也。萬□庶民,惟中正之供耳。上六,入于穴,有不速之客三人來,敬之終吉。象曰:不速之客來,敬之終吉,雖不當位,未大失也。處卦之外,不與物爭,三陽彚進於己無嫌,能敬以待之,可無虞也。
六四爻辞にいわく:血泊の中に在りて等待す、坑穴の裏より脱身して出ず。《小象伝》にいわく:血泊の中に在りて等待するは、柔順に形勢を聴従するなり。張根が解していわく:傷を受けて後に初めて出ずるを待つは、もはや太く晩し。九五爻辞にいわく:酒食の中に在りて等待す、正を守りて吉祥。張根がいわく:これは険難すでに平息し恩沢すでに下降し、天下が安く宴楽を享くる時なり。《小象伝》にいわく:酒食して正を守りて吉祥は、九五がまた中また正なるがゆえに。張根がいわく:普天の下の百姓の需むるは、過ぎず一位の中正の君の供養のみ(「万」の下に一字残缺)。上六爻辞にいわく:坑穴の中に落入り、三位の請わざるに自来の客人到りて、恭敬に彼らを対待せば、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:請わざるに自来の客人が到れば、恭敬に彼らを対待して最終に吉祥。爻位は当たらざるも、大なる過失なし。張根がいわく:上六は一卦の外に処して人と争わず、下面の三箇の陽爻が結伴して自己に向かい推進するも、それは並びに猜忌せず、能く恭敬に彼らを接待すれば、則ち憂患なかるべし。
訟卦(坎下乾上)
坎下乾上。訟:有孚窒惕,中吉,終凶。利見大人,不利渉大川。彖曰:訟,上剛下險,險而健,訟。此所以異於需。訟有孚窒惕,中吉,剛來而得中也;終凶,訟不可成也;利見大人,尚中正也;不利渉大川,入于淵也。訟之不可如此,故聖人反覆戒焉。象曰:天與水違行,訟。天左旋,水東注,此訟之端。君子以作事謀始。所以防訟。
訟卦の卦体は、下卦が坎、上卦が乾。卦辞にいわく:心裏に誠信ありて堵塞せられ、ここにおいて戒惧す。中途にて手を収むれば則ち吉祥、一直に争い終われば則ち凶険。大人物を見るに宜しく、大河を渡るに宜しからず。《彖伝》にいわく:訟卦は上面が剛強・下面が険陷にして、すでに険陷また剛健。ゆえに訟を成す。張根が解していわく:これがまさに訟卦の需卦と同じからざる処なり。《彖伝》にいわく:訟卦は誠信ありて窒塞せられここにおいて戒惧し、中途にて手を収むれば吉祥は、剛爻が下りて来りて中位に居るがゆえに。一直に争い終われば凶険は、争訟は争い出して結果を為すべからざるがゆえに。大人物を見るに宜しきは、中正を崇尚するなり。大河を渡るに宜しからざるは、深淵に陷入せんとするなり。張根がいわく:争訟はこの地步に為すべからず。ゆえに聖人は反復して告誡す。《大象伝》にいわく:天と水との運行方向が相背す、すなわち訟。張根がいわく:天は左に旋り、水は東に流る、これがすなわち争訟の起因なり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、事を為すに一開始に先ず謀劃し清楚す。張根がいわく:これは用いて争訟を預防するなり。
初六,不永所事,小有言,終吉。猶所謂果而已,不敢取強焉。象曰:不永所事,訟不可長也;雖小有言,其辯明也。九二,不克訟,歸而逋,其邑人三百戶,無眚。象曰:不克訟,歸逋竄也;自下訟上,患至掇也。上有好者下必有甚,君無尤焉。六三,食舊徳,貞厲,終吉。或從王事,無成。食徳雖未至於訟,然有訟之端矣,為能從之,所以異於二而終吉也。以此從王事亦可以免。成,猶成事不說之成。象曰:食舊徳,從上吉也。非始事故。
初六爻辞にいわく:争端を拖長し続けず、稍や口舌あり、最終に吉祥。張根が解していわく:これは《論語》の言う「果而已矣」のごとく、了断し得れば則ち了断して、敢えて強を逞しせず。《小象伝》にいわく:争端を拖長し続けざるは、争訟は曠日持久すべからざるがゆえに。稍や口舌あるも、是非は到底やはり辨明せり。九二爻辞にいわく:争訟は打勝つ能わず、帰り来れば則ち躲れて蔵れ、彼の三百戸の采邑はこれによって灾殃なし。《小象伝》にいわく:争訟は打勝つ能わず、帰り来れば則ち逃匿躲蔵す。下位を以て上位と争訟するは、禍患は手を伸べて拾うがごとく容易に招来す。張根がいわく:上面に人ありてこの套を好めば、下面に必ず人ありて変本加厲す。ゆえに真に追究せんとせば、君主は並びに責任なきにあらず。六三爻辞にいわく:祖上の留下したる旧禄を享用し、正を守りて心に危惧を存せば、最終に吉祥。あるいは往きて王事に参与するも、その成に居らず。張根がいわく:旧禄を享用するはまだ争訟に鬧至らざるも、争訟の苗头はすでにあり。六三は能く上の者に順従す。ゆえに九二と同じからずして終に吉祥に帰す。この種の態度を用いて往きて王事に参与すれば、また禍を免れ得。この「成」の字は、《論語》の「成事不説」の「成」のごとし。《小象伝》にいわく:旧日の禄徳を享用して、上の者に順従すれば則ち吉祥。張根がいわく:自己より事端を挑起するにあらざるがゆえに。
九四,不克訟,復即命,渝,安貞吉。聞理而止,不遂而遁。象曰:復即命,渝,安貞,不失也。九五,訟元吉。中不取強,正則我直,訟之元吉孰大於是。象曰:訟元吉,以中正也。此天下所以利見而願質焉。上九,或錫之鞶帶,終朝三禠之。象曰:以訟受服,亦不足敬也。取強之辱如此。
九四爻辞にいわく:争訟は打勝つ能わず、頭を回りて正理を聴従し、態度を改変して、安くして正を守れば則ち吉祥。張根が解していわく:これはひとたび道理を聞けば則ち手を収めて、もはや一意孤行せずしてかえって退譲避開す。《小象伝》にいわく:頭を回りて正理を聴従し態度を改変して安くして正を守れば、過失なし。九五爻辞にいわく:訟を断じて大吉。張根がいわく:中に居れば則ち強を逞しせず、正を守れば則ち理直気壮す。訟を断ずる大吉はまたこれより大なるあらんや。《小象伝》にいわく:訟を断じて大吉は、九五がまた中また正なるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち天下人の皆彼を見るを楽しみ彼を請いて曲直を評断せんと願う緣故なり。上九爻辞にいわく:あるいは争訟に得勝して一条の大帯を賞賜せらるるも、一箇の早上に則ち三度剥奪せらる。《小象伝》にいわく:官司を打って得来たる官服は、また別人の尊敬に値せず。張根がいわく:強を逞し好勝して招来する羞辱はすなわちこうなり。
師卦(坎下坤上)
坎下坤上。師:貞,丈人吉,無咎。彖曰:師,眾也;貞,正也。能以眾正,可以王矣。丈人之義如此。剛中而應,行險而順,以此毒天下而民從之,吉又何咎矣。感而後動之謂應,我直彼曲之謂順。兵凶器,惟如此然後可以免於咎,甚於訟故也。象曰:地中有水,師。伍法示仿焉。君子以容民畜眾。惟如此然後為有名。
師卦の卦体は、下卦が坎、上卦が坤。卦辞にいわく:出師は正を守るを要し、老成持重の長者に統率せしめば則ち吉祥、過ちなし。《彖伝》にいわく:いわゆる師は、すなわち衆。いわゆる貞は、すなわち正。能く大衆を率領して正道に走上せしめば、則ち王業を成就し得。張根が解していわく:「丈人」の含義はまさにここに在り。《彖伝》にいわく:九二は剛健にして中に居りて上下に相応じ、険難の中に行走してまた柔順なり。この種の方式を用いて天下をして一番の苦を受けしむるも、百姓はなお彼に跟従して、吉祥にしてまた何れの処に過錯あらんや。張根がいわく:感召を受けて初めて行動するを「応」と称し、我方が理直・相手方が理曲を「順」と称す。兵は凶器、ただこの歩まで做到して初めて過錯を免れ得。それは争訟の後果より厳重なること甚だしきがゆえに。《大象伝》にいわく:地中に水を蓄うるは、すなわち師。張根がいわく:これは人をして軍中の什伍編制の法度を效法せしむるなり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、百姓を容納し人衆を蓄養す。張根がいわく:ただこうして、出師は初めて師出の名あるを算す。
初六,師出以律,否臧凶。象曰:師出以律,失律凶也。師以嚴為貴,故初失律,三輿尸,四左次,五弟子,則皆凶,其有功者惟二而已;至上六則又以柔終焉,惡夫黷也。九二,在師中,吉,無咎,王三錫命。象曰:在師中吉,承天寵也。從順天討故。王三錫命,懐萬也。兼愛夫民故。
初六爻辞にいわく:出兵は紀律に靠るを要し、紀律が不好なれば則ち凶険。《小象伝》にいわく:出兵は紀律に靠るを要し、紀律を失掉すれば則ち凶険。張根が解していわく:軍を治めるは厳明を以て貴しと為す。ゆえに初六の律を失い、六三の屍を載せて帰り、六四の退避して駐扎し、六五の次子をして兵を統せしむる、これらの爻はみな凶なり。真に功あるはただ九二の一爻のみ。上六に至りては、また柔順を以て全卦を収束す。これは軽率に兵を用うるを厭悪するなり。九二爻辞にいわく:身が軍中に在りて能く中を持せば、吉祥、過ちなし、君王は三次に冊命を頒下して嘉奖す。《小象伝》にいわく:身が軍中に在りて中を持して吉は、上天の寵信を承受したるなり。張根がいわく:彼が天意に順応して討伐するがゆえに。《小象伝》にいわく:君王が三次に冊命を頒下するは、万邦を懐柔せんとするなり。張根がいわく:彼が百姓を兼愛するがゆえに。
六三,師或輿尸,凶。象曰:師或輿尸,大無功也。初,事之始,失律而已;三,事之成,故有輿尸之象焉。六四,師左次,無咎。象曰:左次無咎,未失常也。左次,不能用眾之謂。六五,田有禽,利執言,無咎。長子帥師,弟子輿尸,貞凶。象曰:長子帥師,以中行也;弟子輿尸,使不當也。田以教戰而已,執言問罪而已,故雖不剛無害。若夫欲用師,惟長子為可。何則?民素服其貴也,雖未必有功,然未有輿尸之患焉。上六,大君有命,開國承家,小人勿用。象曰:大君有命,以正功也;小人勿用,必亂也。賚之師是已。茍小人是用,則師復起矣。
六三爻辞にいわく:軍隊はあるいは屍体を車に拉して帰らん、凶険。《小象伝》にいわく:軍隊が屍を載せて帰るは、毫も戦功なきなり。張根が解していわく:初六は事情の開頭、過ぎず紀律を失掉するのみ。六三は事情がすでに做成せり。ゆえに屍を載せて帰るの象を出現す。六四爻辞にいわく:軍隊は後方に退守して駐扎す、過ちなし。《小象伝》にいわく:退守駐扎して過ちなきは、常規を失掉せざるがゆえに。張根がいわく:いわゆる「左次」は、すなわち大衆を使用する能力なきなり。六五爻辞にいわく:田裏に野獣ありて庄稼を糟蹋す、命を奉じて声討するに宜しく、過ちなし。年長の児子をして軍隊を統率せしめばよし、若し年幼の児子をして插手せしめば、則ち屍を載せて帰らん、正を守るも凶険。《小象伝》にいわく:長子が軍隊を統率するは、中道を以て行事するがゆえに。次子が屍を載せて帰るは、用人が当たらざるがゆえに。張根がいわく:田獵は過ぎず機を借りて作戦を訓練するのみ、声討は過ぎず罪状を問明するのみ。ゆえにたとい剛猛に足らずとも妨げなし。真に軍隊を動用するに至っては、ただ長子のみ可なり。なぜか。百姓は一向に彼の尊貴に服するがゆえに、たとい必ずしも戦功を立てざるも、また屍を載せて帰るの禍患あらざらん。上六爻辞にいわく:天子が命令を頒下して、諸侯を分封し卿大夫の家を承継せしむ、小人は任用すべからず。《小象伝》にいわく:天子が命令を頒下するは、功勲を論定せんが為め。小人は任用すべからず、用いれば必ず乱を生ぜん。張根がいわく:これがすなわち《詩経》の謂う所の「賚」、師を班りて功を論じ賞を行う。若し小人を任用せば、兵事は則ち重新に挑起せられん。
比卦(坤下坎上)
坤下坎上。比:吉。原筮元永貞,無咎。不寧方來,後夫凶。彖曰:比,吉也;比,輔也,下順從也。此所以吉。原筮元永貞無咎,以剛中也。此戒於私,不慎必爭。不寧方來,上下應也。非獨順從而已。後夫凶,其道窮也。所謂後服者必凶。象曰:地上有水,比。先王以建萬國,親諸侯。比孰大焉。
比卦の卦体は、下卦が坤、上卦が坎。卦辞にいわく:親比す、吉祥。本原を推究し再三に占問して、長久・正大・堅貞の結果を得、過ちなし。安寧ならざる邦国は紛紛として帰附に来り、来る最も晩きあの一箇は凶険。《彖伝》にいわく:比は吉なり。比はすなわち輔助、下の者はみな上の者に順従す。張根が解していわく:これがすなわちそれの吉祥なる緣故なり。《彖伝》にいわく:本を推り占問して元永貞を得て過ちなきは、九五が剛健にして中に居るがゆえに。張根がいわく:これは人に告誡して私心を懐くべからず、謹慎せざれば必然に争闘を引起こさん。《彖伝》にいわく:安寧ならざる邦国が紛紛として帰に来るは、上下が互相に呼応するがゆえに。張根がいわく:単方面の順従のみにあらず。《彖伝》にいわく:来る最も晩きの凶険は、彼の路はすでに走り絶えたるがゆえに。張根がいわく:これがすなわちいわゆる最後に帰服する人は必ず凶を招くなり。《大象伝》にいわく:地上に水あり、すなわち比。先王はそれに取法して、万国を建立し諸侯を親近せり。張根がいわく:親比の道はまたこれより大なるあらんや。
初六,有孚比之,無咎。有孚盈缶。虛中而質,誠應之象。終來有它吉。當比之初,無應乎外,然而上比於賢也,茍能強而附之,可以無咎,至誠而已,則終與之同升矣,故曰有它吉。因不失其親,亦可宗之謂乎。象曰:比之初六,有它吉也。六二,比之自內,貞吉。象曰:比之自內,不自失也。雖以陰居陰,然中正而應故吉。
初六爻辞にいわく:誠信を懐いて往きて親附すれば、過ちなし。爻辞がまたいわく:誠信が満つること装満の瓦缶のごとし。張根が解していわく:缶は中が空にして質朴、これは真誠を以て人に感応するの象なり。爻辞にいわく:最終に意外の吉祥あらん。張根がいわく:まさに親比の初に当たり、初六は外卦に正応なし。しかるにそれが上に向かいて親附するは賢者。ただ勉力して依附し去れば、則ち過錯を出さざるを得。憑るは過ぎず至誠のみ。最後に自ら賢者と一同に上進せん。ゆえに「有它吉」という。これおそらく《論語》の講ずる「因不失其親、亦可宗也」か。《小象伝》にいわく:比卦の初六は、意外の吉祥あらん。六二爻辞にいわく:内部より親附すれば、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:内部より親附するは、自己を丢掉せざるがゆえに。張根がいわく:六二は陰爻を以て陰位に居るも、しかしすでに中また正にして九五と相応す。ゆえに吉祥。
六三,比之匪人。順乎上六故。象曰:比之匪人,不亦傷乎。君子所以居必擇鄉,遊必擇士。六四,外比之,貞吉。象曰:外比於賢,以從上也。水性趨下而四得位故。九五,顯比,王用三驅,失前禽,邑人不誡,吉。象曰:顯比之吉,位正中也。惟正中為能顯。舍逆取順,失前禽也。邑人不誡,上使中也。田有驅噪逐奔之義,邑人不誡,天下可知。葢中正以觀天下,不求於物而物自歸焉,莫不取於中正,區區上六何足為累乎?舜之舞干,葢得之矣。上六,比之無首,凶。象曰:比之無首,無所終也。
六三爻辞にいわく:親附する所は親附すべき人にあらず。張根が解していわく:それが順従するは上六なるがゆえに。《小象伝》にいわく:親附すべからざる人を親附したるは、甚だ可悲ならずや。張根がいわく:君子はこれによって居住は必ず郷里を選択し、交游は必ず士人を選択す。六四爻辞にいわく:外に向かいて親附すれば、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:外に向かいて賢者に親附するは、上に在る九五に順従するがゆえに。張根がいわく:水性は下に向かいて流る、しかるに六四はまたその位を居得す。ゆえに如此。九五爻辞にいわく:光明正大に天下を親比し、君王は田獵にただ三面より駆逐し、迎面して逃走する禽獣を放走し、自己の封邑の人すら特意に告誡を必ずしもせず、吉祥。《小象伝》にいわく:光明に親比する吉祥は、九五の位置がまた正また中なるがゆえに。張根がいわく:ただ中正のみ能く光明にして隠なし。《小象伝》にいわく:逆向に逃走するを捨棄し順向に进来するを只取す。ゆえに迎面の禽獣を放走せり。邑人は告誡を必ずしもせざるは、上の者が中道を以て彼らを役使するがゆえに。張根がいわく:田獵は本より駆逐喧噪・奔獣を追逐するの一面あり。しかるに自己の邑中の人すら事先の告誡を必ずしもせざれば、天下の情形はまた想を推し知るべし。大概中正の道を以て天下を観照せば、並びに外物に強求せずして外物は自然に帰附し、人人はみな中正の上より則を取る。区区の一箇の上六はまた何れの処に拖累と為るに足らんや。虞舜が庭中に干羽を舞いて有苗が自ら服するは、おそらくこの道理を得着せるか。上六爻辞にいわく:親比して領頭なきは、凶険。《小象伝》にいわく:親比して領頭なきは、好結局あらざらん。
小畜卦(乾下巽上)
乾下巽上。小畜:亨,密雲不雨,自我西郊。所畜小故。彖曰:小畜,柔得位而上下應之,曰小畜。位非中正故。健而巽,剛中而志行,乃亨。密雲不雨,尚往也。自我西郊,施未行也。西方收斂之地,故以懿文徳為貴。象曰:風行天上,小畜。異於觀矣。君子以懿文徳。始於自益。
小畜卦の卦体は、下卦が乾、上卦が巽。卦辞にいわく:亨通、濃雲が密布するも雨を下さず、雲は我が西辺の郊野より飄来す。張根が解していわく:それが蓄聚する力量がなお小なるがゆえに。《彖伝》にいわく:小畜卦の六四は柔爻を以て位を得、上下の五箇の陽爻がみな来りてそれに呼応す。ゆえに小畜と称す。張根がいわく:六四の位は並びに中に居りて正を守らざるがゆえに。《彖伝》にいわく:剛健にしてまた謙遜、剛爻が中に居りて志向が推行を得。ゆえに亨通。濃雲して雨せざるは、陽気がなお上に向かいて走るがゆえに。雲が西郊より飄来するは、恩沢がまだ施行し開けざるがゆえに。張根がいわく:西方は万物が収斂する地。ゆえにこの一卦は文徳を修美するを以て貴しと為す。《大象伝》にいわく:風が天上に吹行す、すなわち小畜。張根がいわく:これは観卦の「風行地上」と大いに相同じからず。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、自己の文徳を修美す。張根がいわく:これは自我を增益するより做起せざるべからず。
初九,復自道,何其咎,吉。象曰:復自道,其義吉也。小畜之初,有應於上,吾斯未信,量力而止,豈徒免賊夫之譏,且無自傷之患。九二,牽復,吉。象曰:牽復在中,亦不自失也。雖無初自知之幾,亦免夫三不勝任之辱。九三,輿說輻,夫妻反目。象曰:夫妻反目,不能正窒也。重剛不中,其理固然。然身不行道,不行於妻子,況能任重乎?盆成括是已。
初九爻辞にいわく:自己の正道上より頭を回れば、何れの処に過錯あらん、吉祥。《小象伝》にいわく:自己の正道上より頭を回るは、理に按れば吉祥なり。張根が解していわく:小畜の初、初九は上に六四と相応す。しかるにそれは漆雕開のごとく「吾斯之未能信」と言い、自己の力量を衡量して歩を止む。こうすればただ「賊夫人之子」の譏評を免れたるのみならず、しかも自傷の禍患なし。九二爻辞にいわく:牽引せられて一同に頭を回れば、吉祥。《小象伝》にいわく:牽引して頭を回りて中位に居るは、また自己を丢失せざるなり。張根がいわく:九二は初九のあの種の一開始に自ら知るの敏感なきも、しかし九三のあの種の勝任せざるの羞辱を免れたり。九三爻辞にいわく:車子の輻条が脱落し、夫妻が反目して仇と成る。《小象伝》にいわく:夫妻が反目するは、自己の家室を端正し約束し得ざるがゆえに。張根がいわく:九三は两重の剛爻が相畳して中位に居らず、この種の事を出すは本より必然に属す。いわんや自身が正道を行わず、妻子児女すら指使い動かず、また何れの処に重任を担当し得んや。孟子の言う盆成括はすなわちこのごとき人。
六四,有孚,血去惕出,無咎。象曰:有孚惕出,上合志也。上雖貞孚,所畜未大,以弱制強,不免於傷,懼以終始,庶可無咎。九五,有孚攣如,富以其鄰。象曰:有孚攣如,不獨富也。居位得中而乃攣如,不能獨富,所畜小故也。上九,既雨既處,尚徳載,婦貞厲,月幾望,君子征凶。象曰:既雨既處,徳積載也;君子征凶,有所疑也。懿徳之極,雖可施為,所畜者小,當思危滿,與夫大畜之上九異矣。
六四爻辞にいわく:心に誠信を懐きて、血光の災は消去し戒惧の情は解除して、過ちなし。《小象伝》にいわく:誠信ありて戒惧が解除するは、上位者と心志が相合するがゆえに。張根が解していわく:上位は正を守りて誠信あるも、蓄聚する力量はなお大ならざるを足さず。弱者を以て強者を制約すれば、損傷を受くるを免れ難し。頭より尾に至るまで戒惧の心を存して、初めて勉强して過ちなかるべし。九五爻辞にいわく:心に誠信を懐きて衆人を牽係し、鄰里と富足を共享す。《小象伝》にいわく:誠信ありて衆人を牽係するは、富足を独占せざるがゆえに。張根がいわく:九五は位に居りて中を得るも、なお衆人を牽係して独自に富足し得ざるは、まさにそれが蓄聚する力量が小なるがゆえに。上九爻辞にいわく:雨はすでに下り畢り、事はすでに停当せり。これは徳行を崇尚して満載に積累したる緣故なり。婦人がこれを守れば則ち危険あり。月はまさに円らんとす。君子はこの時出征すれば則ち凶険。《小象伝》にいわく:雨すでに下り事すでに停当するは、徳行が満載に積累したるなり。君子が出征して凶険は、疑慮する所有るがゆえに。張根がいわく:美徳が極点に至れば、作為する所有る可しといえども、蓄聚する所は畢竟有限。この時まさに危険と盈満を想到すべし。これは則ち大畜卦の上九の「何天之衢」と全く相同じからず。
履卦(兌下乾上)
兌下乾上。履虎尾,不咥人,亨。彖曰:履,柔履剛也。說而應乎乾,是以履虎尾不咥人,亨。剛莫如虎而柔能勝之,禮之可尚如此。剛中正,履帝位而不疚,光明也。上健下順,盡為辟之義。象曰:上天下澤,履。君子以辨上下,定民志。正名分為本。
履卦の卦体は、下卦が兌、上卦が乾。卦辞にいわく:老虎の尾巴上に踏み至るも、老虎は人を咬まず、亨通。《彖伝》にいわく:いわゆる履は、柔が剛の後面に踏むなり。それが和悦にしてまた乾に順応するを以て、ゆえに虎尾を踏むも咬まれず、亨通。張根が解していわく:剛猛は老虎に比するなく、柔順はかえってそれに勝ち得。礼の貴ぶべきは則ちここに在り。《彖伝》にいわく:九五は剛健中正、帝位に登臨して心に愧なく、光明磊落。張根がいわく:上面が剛健・下面が柔順、これは則ち君主たるの道理を講じ尽くせり。《大象伝》にいわく:上面は天・下面は沢、すなわち履。君子はそれに取法して、上下の名位を分辨し、百姓の心志を安定す。張根がいわく:一切は名分を端正するを以て根本と為す。
初九,素履往,無咎。象曰:素履之往,獨行願也。所謂無入而不自得。九二,履道坦坦,幽人貞吉。象曰:幽人貞吉,中不自亂也。上無應而不比於三,依乎中庸,遁世不見知而不悔者也。六三,能視,跛能履,履虎尾,咥人,凶。武人為于大君。有其志而無其才,處非其位而不度時之可否者也,惟於武人為宜,職在犯難故也。象曰:能視,不足以有明也;跛能履,不足以與行也;咥人之凶,位不當也;武人為于大君,志剛也。
初九爻辞にいわく:本来面目・素朴の心を以て践行し去れば、過ちなし。《小象伝》にいわく:素朴に践行して前往するは、独自に自己の心願を実現するなり。張根が解していわく:これがすなわち《中庸》の講ずる「无入而不自得」なり。九二爻辞にいわく:走る路は平平坦坦、幽居の人は正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:幽居の人が正を守りて吉祥は、心中が自ら乱れざるがゆえに。張根がいわく:九二は上に正応なく、また往きて六三に親附せず、ただ中庸に依って行事す。まさにあの種の世を避け隠居して人に知られずとも悔恨せざる人なり。六三爻辞にいわく:眼睛に毛病ありて硬くして看るも、腿脚に毛病ありて硬くして走るも、虎尾を踏めば則ち咬まれん、凶険。これは武人が硬くして大君を充当せんとするなり(「能視」の上に原本は一「眇」の字を脱す)。張根がいわく:この種の人はあの份の志気ありてあの份の才幹なく、占むべからざる位子を占めて、また時勢の可行不可を掂量せず。こうのごとき性情はただ武人を為すにのみ合适なり。武人の職分は本より冒険犯難なるがゆえに。《小象伝》にいわく:眼睛に毛病ありて硬くして看るは、真に看清すると算するに足らず。腿脚に毛病ありて硬くして走るは、真に同行し得ると算するに足らず。咬まるるの凶険は、爻位が当たらざるなり。武人が硬くして大君を充するは、志気が剛に過ぐるなり。
九四,履虎尾,訴訴,終吉。所謂在上位不陵下,在下位不援上者也。象曰:訴訴終吉,志行也。九五,夬履,貞厲。象曰:夬履貞厲,位正當也。履而泰然後安,五以剛克者也,其來泰乎?上九,視履考祥,其旋元吉。乾剛之極,下應乎三,所謂和而至者,其是之謂乎?進極當返,物之理也。象曰:元吉在上,大有慶也。徳之基故。
九四爻辞にいわく:虎尾を踏みて、戒慎恐惧して、最終に吉祥。張根が解していわく:これがすなわち《中庸》の講ずる所の上位に居りて下面を欺凌せず、下位に居りて上面に攀附せざるのあの種の人なり。《小象伝》にいわく:戒慎恐惧して最終に吉祥は、志向が推行を得るがゆえに。九五爻辞にいわく:剛決に践行するも、正を守るもまた危険あり。《小象伝》にいわく:剛決に践行して正を守るに危険あるは、爻位がまさに尊位に当たるがゆえに。張根がいわく:践行して通泰の地步に至って初めて安穏を算す。九五は剛強を以て取勝する人、それの接続して往くはおそらく泰卦に走向せんか。上九爻辞にいわく:回顧して自己の一路の践履を以て吉凶を考察す、周旋が円満なれば則ち大吉。張根がいわく:上九は乾剛の極点に処して、下面に六三と相応す。《礼記》の言う「和而至」は、おそらく指すはこれか。進みて極処に至れば則ち回返すべし。これは事物の常理なり。《小象伝》にいわく:大吉にして上位に居れば、大なる福慶あらん。張根がいわく:礼は徳行の根基なるがゆえに。
呉園易解巻第二(上経 泰至観)
泰卦(乾下坤上)
上經:泰、否、同人、大有、謙、豫、隨、蠱、臨、觀。乾下坤上。泰:小往大來,吉,亨。曰:泰,小往大來,吉,亨,則是天地交而萬物通也,上下交而其志同也。內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人,君子道長,小人道消也。上下交而其志同,然後為泰,非咸有一徳其可乎?象曰:天地交,泰。后以財成天地之道,輔相天地之宜,以左右民。泰者中和之極致也,爕理寅亮,此正其時,非君聖臣賢千載之會,不可與此。
本巻の収する卦は泰・否・同人・大有・謙・豫・随・蠱・臨・観。泰卦の卦体は、下卦が乾、上卦が坤。卦辞にいわく:陰柔の小者は外に往き、陽剛の大者は内に来り、吉祥、亨通。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):泰卦は小者が往き大者が来り、吉祥亨通、これがすなわち天地が交感して万物が通達し、上下が交流して心志相同じきなり。内裏は陽にして外面は陰、内裏は剛健にして外面は柔順、内裏は君子にして外面は小人、君子の道は日漸に生長し小人の道は日漸に消退す。張根が解していわく:上下が交流して心志相同じくして、然る後に初めて其の泰と成る。若し君臣の「咸有一徳」にあらざれば、どうして做到し得んや。《大象伝》にいわく:天地が交感すればすなわち泰、君主はそれに取法して、天地の道を裁節成就し、天地の宜に輔助配合して、用いて百姓を護佑す。張根がいわく:泰は中和の極致。陰陽を調燮し天命を敬奉するは、まさにこの時の為すべき事。若し聖君賢臣の千載難逢の遇合にあらざれば、こうのごとき事業に参与する資格なし。
初九,拔茅茹,以其彚,征吉。象曰:拔茅征吉,志在外也。不出不足以為君子。九二,包荒,用馮河,不遐遺,朋亡,得尚于中行。不如是不足以致中和、位天地、育萬物。尚中行,大有為之君,成光大可顯之業。象曰:包荒,得尚于中行,以光大也。中行之事,包荒為尤難。
初九爻辞にいわく:茅草を拔起せば、根鬚が連なりてともに帯出す。同類が相牽して行う、出征吉祥。《小象伝》にいわく:茅を拔きて出征して吉祥は、志向が外面に在るがゆえに。張根が解していわく:この時に出でて事を為さざれば、君子と称するに足らず。九二爻辞にいわく:能く荒穢を包容し、敢えて徒歩して大河を渉り、疏远の人を遺漏せず、党を結びて私を営まず。こうして初めて中道を以て行うに配し得。《小象伝》にいわく:荒穢を包容して中道を以て行うに配するは、心量が光明広大なるがゆえに。張根がいわく:こうせざれば、中和に達し天地を安定し万物を化育するの境界に足らず。いわゆる中道を崇尚して行うは、大有作為の君主が光大して顕赫の功業を成就するを言う。張根がいわく:中道を以て行うのこの幾件事の裏、「包荒」は最も做到し難し。
九三,無平不陂,無往不復,艱貞無咎。日中則昃,月盈則食,惟亂乃能有其治,惟亡乃能保其存。勿恤其孚,于食有福。上下之交於此已極,茍患失之,將焉用彼相哉?象曰:無往不復,天地際也。
九三爻辞にいわく:一直に平坦にして傾斜に変ぜざるなく、一直に前往して回返せざるなし。艱難の中に正を守れば、則ち過錯なからん。張根が解していわく:太陽は正午に到れば則ち西に斜し、月は円満すれば則ち虧蝕す。ただ常に乱を想いて初めてこの份の治を保住し得。ただ常に亡を想いて初めてこの份の存を保住し得。爻辞が接続していわく:憂慮を必ずしもせず、誠信あるさえすれば、俸禄享用の上に自ら福分あり。張根がいわく:上下の交通はここに至りてすでに頂に到り。若しひとえに禄位を失わんと担心するのみ知れば、則ちまたあの輔相の臣を何を為さん。《小象伝》にいわく:一直に前往して回返せざるなしは、ここがまさに天地の交接する分界なるがゆえに。
六四,翩翩不富以其鄰,不戒以孚。象曰:翩翩不富,皆失實也;不戒以孚,中心願也。南有嘉魚,太平君子至誠樂與賢者共之之詩。斷章言翩翩者鵻,烝然來思,言人主至誠與賢,久而格於天下,則賢者元事於引去;若鵻然誠有所託,則翩然來矣。其義與泰之六四同。蓋泰之君能下下不已,故賢者始則以其彚征,終則以其鄰至,非利祿之謂也,蓋欲行其道以遂其素志云耳。
六四爻辞にいわく:軽快に飛び下り来り、自己は富有せざるも鄰伴を帯びて同来す。告誡を用いずして彼此に信あり。《小象伝》にいわく:軽快に下り来りて富有せざるは、上面の三箇の陰爻がみな陽実を失去したるがゆえに。告誡を用いずして信あるは、内心より発する意願なるがゆえに。張根が解していわく:《詩経・小雅》の《南有嘉魚》は、一首の太平の君子が至誠にして賢者と共享を楽しむを写る詩。断章にそれの「翩翩者鵻、烝然来思」の两句を取りて講ずれば:君主が至誠にして賢者を対待すれば、久しきを积りて天下に感格し、賢者は則ちもはや引退の意なし。あの鹁鳩のごとく、真に身を托すべき処あれば、自然に群を成して翩然と飛来す。この層の意思は泰卦六四と相同じ。大概泰卦の君は能く断えず己を屈して賢に下れば、ゆえに賢者は起初は同類相牽して出仕し、最後は鄰伴を帯びて一同に前来す。これは並びに利禄の為にあらずして、自己の道を推行し平生の志向を実現せんとする而已。
六五,帝乙歸妹,以祉元吉。王公尊賢,於是為盛。象曰:以祉元吉,中以行願也。蓋惟皇極可以斂五福於身而敷錫於庶民。上六,城復于隍,勿用師,自邑告命,貞吝。象曰:城復于隍,其命亂也。物極則反,理之必然,惟聖人然後持滿有道。
六五爻辞にいわく:帝乙が女児を嫁がせ出す、これによって福を得、大吉。張根が解していわく:王公が賢者を尊崇するは、ここに至りて最盛を算す。《小象伝》にいわく:これによって福を得て大吉は、中道を以て自己の心願を実現するなり。張根がいわく:おそらくただ《尚書・洪範》の講ずる「皇極」のみ、初めて能く五福を己身に収聚して普遍に百姓に分賜し得。上六爻辞にいわく:城墻が倒塌して城壕の裏に回り、出兵する勿れ、ただ自己の封邑の内に政令を発布するのみ。正を守るも憾惜あり。《小象伝》にいわく:城墻が倒れて城壕に回るは、政令がすでに紊乱せるがゆえに。張根がいわく:事物は極点に到れば則ち反転せんとす。これは必然の理。ただ聖人のみ満盈の器を端着して傾覆せざる弁法を懂得す。
否卦(坤下乾上)
坤下乾上。否之匪人。言否之匪人,則泰之必得君子可知。不利君子貞,大往小來。彖曰:否之匪人,不利君子貞,大往小來,則是天地不交而萬物不通也,上下不交而天下無也。變志言無,極論其弊。內陰而外陽,內柔而外剛。變健順而言剛柔,推本其所自也。內小人而外君子,小人道長,君子道消也。象曰:天地不交,否。君子以儉徳辟難,不可榮以祿。逺害莫若儉,全生莫若容。
否卦の卦体は、下卦が坤、上卦が乾。卦辞にいわく:閉塞の時に権を当たるは正当の人にあらず。張根が解していわく:否卦に権を当たるは正当の人にあらずと言えば、反して泰卦は必ず君子を得たるを知る。卦辞が接続していわく:君子が正を守るに利せず、陽剛の大者は外に往き、陰柔の小者は内に来る。《彖伝》にいわく:閉塞の世に権を当たるは正当の人にあらず、君子が正を守るに利せず、大者往き小者来る。これがすなわち天地が交感せずして万物が通達せず、上下が交流せずして天下は則ち邦国と成らざるなり(「天下无」の下に一「邦」の字を脱す)。張根がいわく:《彖伝》は説法を換えて「无」と言うは、この時代の弊病を極処に説き至るなり。《彖伝》にいわく:内裏は陰にして外面は陽、内裏は柔弱にして外面は剛硬。張根がいわく:ここに健順と言わずして剛柔に改説するは、それらの本源を推溯せんとするなり。《彖伝》にいわく:内裏は小人にして外面は君子、小人の道は日漸に生長し君子の道は日漸に消退す。《大象伝》にいわく:天地が交感せざればすなわち否、君子はそれに取法して、倹約の徳を以て禍難を躲避し、禄位を用いて炫耀すべからず。張根がいわく:禍害を遠離するは倹約より好きなく、性命を保全するは含容より好きなし。
初六,拔茅茹,以其彚,貞吉,亨。象曰:拔茅貞吉,志在君也。於否見聖人惡亂之深、憂君之切、愛民之志。處下則相與守正以養其徳,在位則包承委順以伺其隙;隙未可乘,則辭尊居卑以俟之;有隙可治,則引其黨類以決之;決之能退,則戒懼以守之,務本以絶之:是無念而不在於君也。雖然,惟有大人之才然後可以預此,不然則適以益亂而已,黨錮之君子是已。
初六爻辞にいわく:茅草を拔起せば、根鬚が連なりてともに帯出す。同類が相牽して、正を守りて吉祥、亨通。《小象伝》にいわく:茅を拔きて正を守りて吉祥は、心志が君主の身上に在るがゆえに。張根が解していわく:否卦より聖人の禍乱を痛恨することの深・君主を憂念することの切・百姓を愛護することの誠を看出し得。君子が下位に処せば、則ち彼此に相勉して正を守りて徳性を涵養す。すでに位に在れば、則ち含容承順して機会を等候す。機会がなお乗ずべからざれば、則ち尊位を辞去して卑職に退居して等待す。整頓すべき機会あれば、則ち同道を引薦してともに来りて決断す。小人が決退せられた後は、則ち戒慎恐惧して局面を守住して、根本の上より着手して禍源を断絶す。これがすなわち一念も君主の身上に在らざるなきなり。話はこうといえども、ただ大人の才略を具備する人のみ初めてこの事に参与するに配す。然らざれば、かえってただ禍乱を加深するのみ。東漢の党錮の禍の中のあの君子らはすなわち例子。
六二,包承,小人吉,大人否亨。在位故曰否亨。象曰:大人否亨,不亂群也。遵養之義。六三,包羞。象曰:包羞,位不當也。才不足以有為則已矣,而固位不去,何辱如之?九四,有命無咎,疇離祉。象曰:有命無咎,志行也。否道革故,可顯治之,彚貞之人可同升矣。九五,休否,大人吉,其亡其亡,繫于苞桑。不愼必復亂。象曰:大人之吉,位正當也。
六二爻辞にいわく:含容承順す、小人は吉祥、大人は閉塞の中に処してかえって亨通。張根が解していわく:大人はこの時なお位上に在るがゆえに、ゆえに「否亨」という。《小象伝》にいわく:大人が否に処して亨通するは、小人と同流合汚せざるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち《詩経》の講ずる「遵養時晦」、暫且に退蔵して時機を等待するなり。六三爻辞にいわく:羞耻を含容す。《小象伝》にいわく:羞耻を含容するは、爻位が当たらざるがゆえに。張根がいわく:才幹が作為するに足らざれば、則ちそれに罷めども、しかるになお死に頼りて位子を去らず。また何がこれより羞辱あるや。九四爻辞にいわく:天命を奉じあり、過ちなし、同類はみな附着して福を得。《小象伝》にいわく:天命を奉じありて過錯なきは、志向が推行を得るがゆえに。張根がいわく:否道はここに至りて転変を発生せり。公開して整治に着手すべし。同類の中の正を守る人はともに進用すべし。九五爻辞にいわく:閉塞を止息せしむ、大人は吉祥。心に「まさに完了せん、まさに完了せん」を念じて、初めて叢生の桑根に係るがごとき牢固を得。張根がいわく:謹慎せざれば必ず重新に禍乱に陷入せん。《小象伝》にいわく:大人の吉祥は、爻位がまさに尊位に当たるがゆえに。
上九,傾否,先否後喜。象曰:否終則傾,何可長也。傾者,絶其本根之謂。因其已傾之勢而傾之,宜若易為,而小人之黨根結深固,所以難也,可不愼哉!君子自謂為君子而謂小人為小人,小人亦自謂為君子而謂君子為小人,是以人主常不能勝其惑。然則如之何而辨之?惟察其所從之小大而已矣。從其大體為君子,從其小體為小人。上能尊君,下能愛民,是從其大體者也;上則阿君,下則虐民,是從其小體者也。觀其所從之小大,觸類而長之,則君子小人之實不能逃矣。然泰之君固無此患,特在否之時為尤難也,此所以獨言匪人不言大人者如此。
上九爻辞にいわく:閉塞の局面を傾覆す、先ず閉塞して後に歓喜。《小象伝》にいわく:閉塞は尽頭に到れば則ち傾覆せん、何れの能く長久せんや。張根が解していわく:いわゆる「傾」は、すなわちそれの根本を連ねて一并に断絶す。それのすでに傾頽の形勢に乗じてそれを推倒するは、看上去は似かよく容易なれど、しかし小人の党羽は盤根錯節にして扎ること極めて深し。ゆえに実は難し。どうして謹慎せざるを得んや。君子は自ら君子と以為して小人を以て小人と称し、小人もまた自ら君子と以為して君子を以て小人と称す。ゆえに君主たるは常に辨清し抵当し得ざるこの迷惑なり。然れば則ちどう分辨すべきか。ただ彼の依従する所が大体か小体かを看る而已。大体に依従するは君子、小体に依従するは小人。上に対して能く君主を尊崇し下に対して能く百姓を愛護するは、これは大体に依従するなり。上に対してひとえに君主を逢迎し下に対してひとえに百姓を殘害するは、これは小体に依従するなり。彼の従う所の大か小かを看て、再びこれによって推類し開けば、君子と小人の実情は蔵るる能わざらん。ただし泰卦の君は本よりこの種の憂患なく、ただ否の時に於て格外に困難のみ。これがすなわち卦辞がただ「匪人」と言うて「大人」と言わざる緣故なり。
同人卦(離下乾上)
離下乾上。同人于野,亨,利渉大川,利君子貞。同人之道,以柔為主然後有所合,以善為宗然後有所成,以廣為貴然後有所濟,以正為守然後有所立,觀夫損益三友斯可見矣。彖曰:同人,柔得位得中而應乎乾,曰同人。同人曰:同人于野,亨,利渉大川,乾行也。柔不能自行,必同乎乾然後能有濟。文明以健,中正而應,君子正也。唯君子為能通天下之志。通天下之志,非中正不可。象曰:天與火,同人。君子以類族辨物。道不同不相為謀。火炎上而天下覆,同人如之。
同人卦の卦体は、下卦が離、上卦が乾。卦辞にいわく:曠野の上に人と和同して、亨通、大河を渡るに宜しく、君子が正を守るに宜し。張根が解していわく:人と和同するの道理は、柔順を以て主と為すを要し、然る後に初めて人の合するを肯んずるあらん。善を以て宗旨と為すを要し、然る後に初めて成就する所有らん。寛広を以て貴しと為すを要し、然る後に初めて物を済し得。端正を以て持守するを要し、然る後に初めて立ち住むを得。孔子の講ずる三種の有益の朋友・三種の有害の朋友を看れば、この層の道理は清楚なり。《彖伝》にいわく:同人卦の六二は柔爻を以てすでに位を得また中に居りて上に九五の乾に応ず。ゆえに同人と称す。《彖伝》は卦辞を解していわく:いわゆる「同人于野、亨、利渉大川」は、乾が推行するなり。張根がいわく:柔は自ら行動し得ず、必ず乾と和同せざればならず、然る後に初めて成就する所有らん。《彖伝》にいわく:文明にしてまた剛健、中に居りて正を守りて上下に相応ず、これは君子の正道。ただ君子のみ能く天下人の心志を溝通す。張根がいわく:天下人の心志を満通せんとすれば、中正に非ざれば可ならず。《大象伝》にいわく:天と火とは同性にして上行す、すなわち同人。君子はそれに取法して、族類に按じて事物を分辨す。張根がいわく:道路が同じからざれば互いに商量するを必ずしもせず。火焰は上に向かい天は上に在りて覆蓋す。人と和同するもまたこの道理なり。
初九,同人于門,無咎。象曰:出門同人,又誰咎也。雖未能慮,然可以免矣。六二,同人于宗,吝。象曰:同人于宗,吝道也。二為同人之主。案:辭柔得位得中而應乎乾,故二為同人之主,惟其為卦主而偏同於所繫應,故為吝。原本二字誤作然,今改正。是以為吝。九三,伏戎于莾,升其髙陵,三歳不興。剛而不中,其弊如此。象曰:伏戎于莾,敵剛也;三歳不興,安行也。
初九爻辞にいわく:ひとたび門を出れば則ち人と和同して、過ちなし。《小象伝》にいわく:門を出でれば則ち人と和同して、また誰か怪罪せんや。張根が解していわく:初九はなお深謀遠慮と談ずるに及ばざるも、しかしすでに過失を免れ得。六二爻辞にいわく:ただ自己の宗族の小圏子の裏に和同するは、憾惜あり。《小象伝》にいわく:ただ宗族の裏に和同するは、一条の憾惜を招致する路なり。張根がいわく:六二は同人卦の卦主なり(四庫館臣校語:《彖伝》に「柔得位得中而応乎乾」という。ゆえに六二は同人の卦主。まさにそれが身は卦主たるも偏私にただ自己の正応と親近するがゆえに、こそ憾惜と成れり。原刻本は「二」の字を誤りて「然」の字と作す、今は改正す)。ゆえに憾惜という。九三爻辞にいわく:兵を草莽の裏に埋伏し、また高き山岡に爬上りて張望す。三年も敢えて発動せず。張根がいわく:九三は剛に過ぎて中に居らず、弊病はすなわちこうなり。《小象伝》にいわく:兵を草莽の裏に埋伏するは、対手が太く剛強なるがゆえに。三年も敢えて発動せざるは、何れの処にまた敢えて真に行動せんや。
九四,乘其墉,弗克攻,吉。象曰:乘其墉,義弗克也;其吉,則困而反則也。以陽處陰,故不曰悔亡而言吉,聖人貴遷善如此。九五,同人先號咷而後笑,大師克相遇。象曰:同人之先,以中直也;大師相遇,言相剋也。五恃居尊,不能屈己以與二,為三所阻,戰乃勝焉,我直故也。上九,同人于郊,無悔。象曰:同人于郊,志未得也。志雖未得,亦無憾矣。
九四爻辞にいわく:対方の城墻に登上るも、終に進攻せず、吉祥。《小象伝》にいわく:城墻に登りて進攻せざるは、理に按れば攻むべからざるがゆえに。それの吉祥たる所以は、困境に陷入して法則の上に回到したるがゆえに。張根が解していわく:九四は陽爻を以て陰位に居る。ゆえに爻辞は「悔亡」と言わずして直接に「吉」と言う。聖人の改過遷善を看重するはすなわちこうなり。九五爻辞にいわく:人と和同して、起先は痛哭号咷し、後来は歓笑す。大軍を出動して戦勝した後に初めて相遇うを得。《小象伝》にいわく:同人が起先に痛哭するは、九五が中に居りて心直なるがゆえに。大軍が相遇うを得るは、終に阻隔に戦勝したるを言う。張根がいわく:九五は自己が尊位に居るを仗って、己を屈して六二に就くを肯んぜず、中間に九三に阻擋せられ、一仗を打って初めて勝てり。靠るは自己の理直なり。上九爻辞にいわく:郊外に在りて人と和同して、悔恨なし。《小象伝》にいわく:郊外に在りて和同するは、心志がまだ実現せざるがゆえに。張根がいわく:心志は実現せざるも、しかしまた遺憾すべきなきなり。
大有卦(乾下離上)
乾下離上。大有:元亨。曰:大有,柔得尊位大中,而上下應之,曰大有。此同人之在上者,大舜之事。其徳剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。王公之尊賢,其效如此。象曰:火在天上,大有。惟明可以有大。君子以遏惡揚善,順天休命。重明顯幽,退姧進良,是謂天命,非明之大者不預焉。
大有卦の卦体は、下卦が乾、上卦が離。卦辞にいわく:大いに亨通。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):大有卦の六五は柔爻を以て尊位を得、中に居りて広大、上下の五爻がみな来りてそれに呼応す。ゆえに大有と称す。張根が解していわく:これがすなわち同人卦のあの和同の主が上位に升到したるにして、虞舜のあの類の事に相当す。《彖伝》にいわく:それの徳性は剛健にして文明、天道に順応して時に按じて運行す。ゆえに大いに亨通。張根がいわく:王公が賢者を尊崇するは、効験はすなわちこうなり。《大象伝》にいわく:火が天上に在り、すなわち大有。張根がいわく:ただ明察のみ能く広大を擁有す。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、邪悪を遏止し善良を表彰し、上天の美好の命令を順承す。張根がいわく:重重の明察を以て幽隠を照見し、奸邪を斥退し良善を進用する、これを順承天命と称す。明察の極点にあらざる人は、参与する資格なきなり。
初九,無交害,匪咎,艱則無咎。象曰:大有初九,無交害也。居大有之初,無上下之交,惡未盡退,害之者眾,非我之咎,能勿汲汲於進,乃免於患。九二,大車以載,有攸往,無咎。象曰:大車以載,積中不敗也。託付之重,惟中可免焉,泰之九二同意。九三,公用亨于天子,小人弗克。象曰:公用亨于天子,小人害也。寵遇之盛,惟有徳乃堪,是以河陽之狩,君子猶有遺恨焉。
初九爻辞にいわく:交往なく、則ちまた禍害なし、過失と算せず。処境が艱難にして能く自守せば、則ち過錯なからん。《小象伝》にいわく:大有卦の初九は、交往の害なきなり。張根が解していわく:初九は大有の開頭に処して、上下ともに交往なく、邪悪はいまだ完全に退去せず、それを害せんとする人甚だ多し。これは並びにそれ自身の過失にあらず。ただそれが急切に鑽営上進せざるさえすれば、則ち禍患を免れ得。九二爻辞にいわく:大車を用いて装載し、往く所有り、過ちなし。《小象伝》にいわく:大車を用いて装載するは、中間に装りて累積して傾覆せざるがゆえに。張根がいわく:托付する責任は甚だ重し。ただ中を守って初めて失敗を免れ得。これは泰卦九二と同一の意思。九三爻辞にいわく:公侯が天子に向かいて貢礼を進献す、小人はこうのごとき事を担当し当たらず。《小象伝》にいわく:公侯が天子に向かいて進献するに、小人が来りて為せば則ち禍害と成る。張根がいわく:君主の恩寵はこう隆盛なれば、ただ徳ある人のみ承受し当たり得。ゆえに晋文公が周天子を召せば《春秋》は諱めて「天王狩于河陽」と称す。君子はこの事に対して至今なお遺憾あり。
九四,匪其彭,無咎。夙夜匪懈以事一人之謂。象曰:匪其彭無咎,明辨晰也。所以能保其身。六五,厥孚交如,威如,吉。象曰:厥孚交如,信以發志也;威如之吉,易而無備也。不如是不足以大有為。上九,自天佑之,吉無不利。象曰:大有上吉,自天佑也。此伊周之事,所謂臣罔以寵利居成功,公孫碩膚是已。蓋大有之時,天之所助者能遏惡揚善,人之所助者以厥孚交如,上九能履發志之信而思體命之順,則推賢遜能,何往而不利哉。
九四爻辞にいわく:自己の盛大を張揚せずに往けば、過ちなし。張根が解していわく:これがすなわち《詩経》の講ずる「夙夜匪懈、以事一人」なり。《小象伝》にいわく:盛大を張揚せずして過錯なきは、事理を明辨して看透き徹するがゆえに。張根がいわく:ゆえに能く自身を保全す。六五爻辞にいわく:彼の誠信は上下をして交相感応せしめ、また威厳あり、吉祥。《小象伝》にいわく:誠信が交相感応するは、誠信を以て衆人の心志を激発するなり。威厳の吉祥は、平易にして設防を必とせざるがゆえに。張根がいわく:こうあらざれば則ち大有作為するに足らず。上九爻辞にいわく:上天より来りて彼を保佑す、吉祥にして利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:大有卦の最上の一爻の吉祥は、上天が来りて保佑するなり。張根がいわく:これは伊尹・周公のあの類の事に相当し、すなわち《尚書》の言う「臣无以寵利居成功」、《詩経》の周公を咏じて「公孫碩膚」もまたこの意思なり。大概大有の時は、上天の助ける所は能く悪を遏め善を揚ぐる人、衆人の助ける所は能く誠信を以て交相感応する人。上九はすでに能くあの種の人心を激発する誠信を践行し、また能く順承天命を体念すれば、然らば賢能を推挙し謙譲退処するに、また何れの処に往きて得ざるあらんや。
謙卦(艮下坤上)
艮下坤上。謙:亨,君子有終。君子所以有終,惟君子為能終。曰:謙,亨,天道下濟而光明,地道卑而上行。天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙尊而光,卑而不可逾,君子之終也。象曰:地中有山,謙。君子以裒多益寡,稱物平施。多者裒之,寡者益之,謙之政;高高下下,無偏無陂,謙之事。由是觀之,聖人所謂謙者,豈過於中庸之謂哉?
謙卦の卦体は、下卦が艮、上卦が坤。卦辞にいわく:亨通、君子は能く好結局あり。張根が解していわく:君子の好結局あり得る所以は、またただ君子のみが謙を守り到底し得。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):謙、亨通は、天道が下に向かい施済して愈々光明を顕し、地道は卑下に処して気が上に行くがゆえに。天道は盈満を虧損して謙虚を增益し、地道は盈満を改変して謙虚に流注し、鬼神は盈満を損害して謙虚に福を賜り、人道は盈満を厭悪して謙虚を喜好す。謙虚の人は尊位に処して徳は愈々光顕し、卑位に処するも彼を越過し得る人なし。これがすなわち君子の好結局。《大象伝》にいわく:地中に山あり、すなわち謙。君子はそれに取法して、多きを减去し少なきを増補し、事物を衡量して施予を公平ならしむ。張根がいわく:多きは幾らかを减掉し、少なきは幾らかを補上す、これは謙の政令。高べきはそれを高め、低べきはそれを低め、偏私なく偏斜なし、これは謙の事功。これより観れば、聖人の言う所の謙は、豈に中庸の外の別の一套の東西ならんや。
初六,謙謙君子,利渉大川,吉。難猶可渉,況其它乎?象曰:謙謙君子,卑以自牧也。謂之牧者,去其驕悍之謂。六二,鳴謙,貞吉。喜也,故戒於不正。象曰:鳴謙貞吉,中心得也。九三,勞謙君子,有終吉。吐哺握髮之事,其勞如此,非君子能有始卒乎?象曰:勞謙君子,萬民服也。
初六爻辞にいわく:謙にまた謙の君子は、大河を渡るに宜しく、吉祥。張根が解していわく:大河のごとき険難すら渡り得れば、いわんや別の事をや。《小象伝》にいわく:謙にまた謙の君子は、卑下の姿態を用いて自己を牧養するなり。張根がいわく:「牧」と称する所以は、自己の驕横の気を除掉せんとするなり。六二爻辞にいわく:謙徳が声名に発す、正を守りて吉祥。張根がいわく:これは可喜の事、ゆえに「不正」を拿て彼を告誡す。《小象伝》にいわく:鳴謙して正を守りて吉祥は、内心より真に謙徳を得到したるがゆえに。九三爻辞にいわく:勤労にして謙虚の君子は、能く好結局あり、吉祥。張根がいわく:周公の「一飯三吐哺、一沐三握髮」のごとき事、勤労してこの地步に至れば、君子にあらざれば、誰か能有始有終せん。《小象伝》にいわく:勤労にして謙虚の君子は、万民みな彼に帰服す。
六四,無不利,撝謙。可以有為矣。象曰:無不利撝謙,不違則也。當故謂之則。六五,不富以其鄰,利用侵伐,無不利。象曰:利用侵伐,征不服也。干戈省厥躬,惟謙之主為至。上六,鳴謙,利用行師,征邑國。怒也,二爻已應故。象曰:鳴謙,志未得也;可用行師,征邑國也。雖異乎無不利,然亦可用征邑國,謙無不通如此。
六四爻辞にいわく:利ならざる所なし、謙徳を発揮し開けよ。張根が解していわく:ここに至りて作為する所有る可し。《小象伝》にいわく:利ならざるなく謙徳を発揮するは、法則に違背せざるがゆえに。張根がいわく:処置して恰当を得。ゆえに「則」と称す。六五爻辞にいわく:自己は富有せざるも鄰伴を帯動し得、征伐するに宜しく、利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:征伐するに宜しきは、帰服を肯んぜざるを討伐するなり。張根がいわく:干戈を動用してなお反躬自省するは、ただ謙卦の卦主のみこの歩まで做到し得。上六爻辞にいわく:謙徳が声名に発す、出兵して自己の城邑封国を征討するに宜し。張根がいわく:これは怒を発せり、六二の一爻がすでに先に呼応ありしがゆえに。《小象伝》にいわく:鳴謙は、心志がまだ実現せざるがゆえに。出兵すべきは、往きて自己の城邑封国を征討するなり。張根がいわく:これは六四の「无不利」と同じからざるも、しかし畢竟なお用いて邑国を征討し得。謙徳の往くところ通通ぜざるなしはすなわちこうなり。
豫卦(坤下震上)
坤下震上。豫:利建侯行師。順天下之慾以賞罰,何不利之有?曰:豫,剛應而志行,順以動,豫。非剛應而志行,則其順為於譽容悅而已。豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎?天地以順動,故日月不過而四時不忒;聖人以順動,則刑罰清而民服。所謂殺之而不怨,於刑如此,其它可知。豫之時義大矣哉。存亡之幾。象曰:雷出地奮,豫。先王以作樂崇徳,殷薦之上帝,以配祖考。雷出地則萬物皆奮而和悅,是之謂豫,樂之感人如之。先王作樂非偽為也,凡以象成而已,故可以薦上帝、配祖考,而神祇祖考安樂之。
豫卦の卦体は、下卦が坤、上卦が震。卦辞にいわく:諸侯を建立し軍隊を出動するに宜し。張根が解していわく:天下人の心願に順って賞罰を行えば、何の不利あらんや。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):豫卦の九四のこの剛爻は上下みな来りて呼応して志向が推行を得、人心に順応して行動す、これがすなわち豫。張根がいわく:若し剛爻が呼応を得て志向が推行を得るにあらざれば、則ちいわゆる「順」もまた過ぎず沽名釣誉・逢迎討好而已。《彖伝》にいわく:豫卦は順応して行動す。ゆえに天地すらこうなれば、いわんや諸侯を建立し軍隊を出動するをや。天地は順応して運行す。ゆえに日月は運転して差錯を出さず、四時は更替して次序を失わず。聖人は順応して行動せば、則ち刑罰は清簡にして百姓は服従す。張根がいわく:これがすなわち孟子の講ずる彼を殺すも彼は怨恨せざるなり。刑罰すらなお此のごとし、別の事は想を推し知るべし。《彖伝》にいわく:豫卦の処する時機の意義は太く重大。張根がいわく:ここはまさに存亡の関鍵。《大象伝》にいわく:雷が地下より発して奮響す、すなわち豫。先王はそれに取法して、音楽を創作して徳行を尊崇し、隆重にそれを上帝に献じ、并以て祖先を配享す。張根がいわく:雷が地下より出づれば、万物は則ちみな振奋して和悦す。これを豫と称す。音楽が人心を感動するもまたこうなり。先王が音楽を創作するは並びに様子を做するにあらず、ただ已成の功業を楽を用いて象征する而已。ゆえにそれを拿て上帝に献じ祖先を配享し得て、しかも天地神祇と祖先もまたこの快楽を安享す。
初六,鳴豫,凶。象曰:初六鳴豫,志窮凶也。當豫之時,上下皆怠,惟四以剛毅有以厲俗,而二能以中正自守,見稱知幾,其它皆未免於悔吝。而初居豫始,鳴為好樂者也,故有志窮之凶焉。人無逺慮,必有近憂,其為人也多暇逸者,其出入不逺者矣。六二,介于石,不終日,貞吉。象曰:不終曰貞吉,以中正也。惟中正故能知幾。
初六爻辞にいわく:逸楽を張揚し出す、凶険。《小象伝》にいわく:初六が逸楽を張揚するは、心志が窮尽して凶を招くなり。張根が解していわく:まさに逸楽の時に当たり、上上下下みな懈怠せり。ただ九四が剛毅に憑って風俗を振作するに足り、六二は能く中正を守住して「知几」と称許せらる。其余の各爻はみな悔恨と憾惜を免れず。しかるに初六は逸楽の開頭に処して、一開口すれば則ち享楽を喜好す。ゆえに心志窮尽の凶険あり。人に長遠の謀慮なければ、必定に眼前の憂患あり。一箇の人が整天閑散安逸なれば、彼の能く走り得るもまた想を推し知るべし。六二爻辞にいわく:耿介なること石頭のごとく、一天の過ぐるを待たずに決断す、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:一天の過ぐるを待たず正を守りて吉祥は、それがまた中また正なるがゆえに。張根がいわく:ただ中正の人のみ几微の征兆を看出し得。
六三,盱豫,悔遲有悔。象曰:盱豫有悔,位不當也。據非其位,最近於四而驕蹇自若,能勿悔乎?九四,由豫,大有得,勿疑,朋盍簪。象曰:由豫大有得,志大行也。才足以矯世厲俗者也,上下由之以保其安存,何疑之有?六五,貞疾,恆不死。象曰:六五貞疾,乘剛也;恆不死,中未亡也。四為輔故。上六,□豫成,有渝,旡咎。象曰:□豫在上,何可長也。豫極矣,茍不知懼,禍斯及之。
六三爻辞にいわく:顔を仰ぎて上を巴望して逸楽を求む、後悔して晩きに及んでもなお再び後悔せん。《小象伝》にいわく:仰望して楽を求めて悔あるは、爻位が当たらざるがゆえに。張根が解していわく:六三は占むべからざる位子を占めて、九四に離れること最も近くしてなお驕慢自得す。能く悔いざらんや。九四爻辞にいわく:全卦の逸楽はみなそれより来り、大いに所得あり、疑慮を必ずしもせず、朋友らは簪子が髪を聚むるがごとく会集し来る。《小象伝》にいわく:逸楽がそれより来り大いに所得あるは、志向が大いに推行し開けたるがゆえに。張根がいわく:九四の才幹は世風を矯正し習俗を振励するに足り、上下みなそれに靠って安定を保住す。また何の疑慮すべきあらんや。六五爻辞にいわく:疾病を守着するも、長久にして死せず。《小象伝》にいわく:六五が疾病を守着するは、それが剛爻の上に凌駕するがゆえに。長久にして死せざるは、中道がまだ喪失せざるがゆえに。張根がいわく:九四がそれの為に輔佐を為すがゆえに。上六爻辞にいわく:昏昧に逸楽して事已に鋳成せるも、若能く改変せば、則ち過錯なからん(「豫」の上に一字残缺、《周易》に拠れば「冥」と作るべし)。《小象伝》にいわく:昏昧の逸楽が全卦の最上に居るは、どうして長久し得ようか。張根がいわく:逸楽が極点に至れば、若しなお害怕を知らざれば、禍患はすぐに至らん。
随卦(震下兌上)
震下兌上。隨:元亨利貞,無咎。隨時之義,惟是四徳乃可無咎,此其所以大。曰:隨,剛來而下柔,動而說,隨。非剛來而下柔,則其動而悅也,乃小人之隨耳。大亨貞無咎,而天下隨時。惟大亨貞天下無咎,而後天下隨之。隨時之義大矣哉。象曰:澤中有雷,隨。君子以嚮晦入宴息。莫動於雷而息於澤,隨時故也,君子嚮晦亦如之,蓋不得不然耳。
随卦の卦体は、下卦が震、上卦が兌。卦辞にいわく:大いに亨通、正を守るに利しく、過錯なからん。張根が解していわく:時勢に随順する道理を講ずれば、ただ元・亨・利・貞のこの四徳を具備して初めて過錯なかるべし。これがまさに随卦の大たる所以の処。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):随卦は剛爻が下りて来りて柔爻の下に屈居し、一動すれば人をして喜悅せしむ。ゆえに随と称す。張根がいわく:若し剛爻が下りて来りて柔下に屈居するにあらざれば、則ちそれの一動して人の歓心を討うも、過ぎず小人式の追随而已。《彖伝》にいわく:大いに亨通して正を守りて過錯なし、ここにおいて天下人はみな時勢に随順す。張根がいわく:ただ大亨・守正・天下に過錯なきを做到して、然る後に天下人は初めて彼に跟随せん。《彖伝》にいわく:時勢に随順するの意義は太く重大。《大象伝》にいわく:沢中に雷あり、すなわち随。君子はそれに取法して、天色が晩に向かえば則ち屋に入りて休息す。張根がいわく:雷より動を好むなきなれど、しかしそれは沢中に至れば静息す。それが時序に随順するがゆえに。君子が天晩に至れば休息するもまたこうなり。実に已むを得ざるなり。
初九,官有渝,貞吉。從道不從君之謂。出門交有功。吾豈匏瓜之義。象曰:官有渝,從正吉也。茍不從正,則徒亂舊章耳。出門交有功,不失也。惟體震之才,故能無所繫而隨時焉,故曰隨無故也,二三俱失之矣。六二,係小子,失丈夫。象曰:係小子,弗兼與也。初切近,勢不得不從,罪在不能兼與爾。六三,係丈夫,失小子。隨有求得,利居貞。舍小從大,何求不乎?象曰:係丈夫,志舍下也。
初九爻辞にいわく:主とする対象に変更有り、正を守りて吉祥。張根が解していわく:これがすなわち《荀子》の講ずる「従道不従君」なり。爻辞にいわく:門を出でて往きて交往すれば則ち功を建て得。張根がいわく:これがすなわち孔子の「吾豈匏瓜也哉」の意思、掛けて食わざるを肯んぜざるなり。《小象伝》にいわく:主に変更有りて、正道に跟従すれば則ち吉祥。張根がいわく:若し正道に跟従せざれば、則ちそれはただ白白に旧有の法度を攪乱する而已。《小象伝》にいわく:門を出でて交往して功を建つるは、分寸を失掉せざるがゆえに。張根がいわく:ただ初九が本身是に震体の剛才なるがゆえに、能く牽係せられずして時に随い変に応ず。ゆえに《雑卦》に「随无故也」という。六二・六三の両爻はみなこの一点を失掉せり。六二爻辞にいわく:年少を牽係し住めば、則ち年長を失掉せり。《小象伝》にいわく:年少を牽係するは、両辺を兼ね顧る能わざるがゆえに。張根がいわく:初九がそれに緊挨着して、形勢上已むを得ず跟従す。その過失は兼顧し得ざるに在る而已。六三爻辞にいわく:年長を牽係し住めば、則ち年少を失掉せり。随順の中に求むる所有れば則ち得、安居して正を守るに宜し。張根がいわく:小を捨棄し大に跟従せば、また何の求めて得ざるあらんや(「求不」の下に一「得」の字を脱す)。《小象伝》にいわく:年長を牽係するは、心志の上に下面を捨棄したるがゆえに。
九四,隨有,貞凶。務為容悅之謂。有孚在道,以明,何咎。權以濟事乃可。象曰:隨有,其義凶也;有孚在道,明功也。九五,孚于嘉,吉。從諫弗咈之謂。象曰:孚于嘉吉,位正中也。以剛下柔,惟正之聽,此興王之事。上六,拘係之,乃從維之,王用亨于西山。象曰:拘係之,上窮也。所謂三分天下有其二以服事商,其見困於羑里所以為亨歟?隨時之義大矣哉,惟文王盡之。
九四爻辞にいわく:追随して猟獲する所有り、正を守るも凶険(「随有」の下に一「獲」の字を脱す)。張根が解していわく:これはひとえに上面を討好取悦するを言う。爻辞が接続していわく:心に誠信を懐きて正道に合乎し、明智を用いて処置せば、何れの処に過錯あらんや。張根がいわく:権変を懂得して事情を弁成すれば可なり。《小象伝》にいわく:追随して獲る所有るは、理に按れば凶なり。心に誠信を懐きて正道に合乎するは、明智の功效なり。九五爻辞にいわく:誠信を以て美善に対待す、吉祥。張根がいわく:これがすなわち勧諫を聴従して違逆せざるなり。《小象伝》にいわく:誠信を以て美善に対待して吉祥は、爻位がまた正また中なるがゆえに。張根がいわく:剛強の身を以て柔者の下に屈居して、ただ正確の意見を聴従する、これは王業を興起する人の為す所の事。上六爻辞にいわく:彼を拘拿捆縛し起こし、接続してまた維係を加う。君王は西山にて祭享を挙行す。《小象伝》にいわく:彼を拘拿捆縛するは、随道が尽頭に走り至るがゆえに。張根がいわく:これがすなわち孔子の講ずる周文王の「三分天下有其二、以服事殷」。彼は羑里に囚困せられ、恰恰これによって初めて亨通を成就せるか。随順時勢の意義は太く重大、ただ文王がそれを極致に做到せり。
蠱卦(巽下艮上)
巽下艮上。蠱:元亨,利涉大川,先甲三日,後甲三日。雖飭弊之事,然戒於欲速。曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。此蠱之所由生。蠱元亨而天下治也。惟元亨然後治。利渉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。物極當反故。象曰:山下有風,蠱。所謂風落山,有掃除之象。君子以振民育徳。振民謂作而新之,肓徳謂養而成之。
蠱卦の卦体は、下卦が巽、上卦が艮。卦辞にいわく:大いに亨通、大河を渡るに宜し。令を頒する甲の日の前の三日・後の三日にみな心を用いるを要す。張根が解していわく:これは積弊を整頓する事なれど、しかし急を求めて成せんとするを提防すべし。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):蠱卦は剛爻が上に在り柔爻が下に在り、謙遜にしてまた進まずに止住す。ゆえに蠱を成す。張根がいわく:これがすなわち蠱壊の産生する所以の原因。《彖伝》にいわく:蠱卦は大いに亨通して、ここにおいて天下は治を得。張根がいわく:ただ大亨にして然る後に能く治。《彖伝》にいわく:大河を渡るに宜しきは、往けば則ち為すべき事あり。甲の日の前の三日・後の三日は、終結してまた開始、これは天道の運行なり。張根がいわく:事物は極点に至れば則ち回転すべきがゆえに。《大象伝》にいわく:山下に風あり、すなわち蠱。張根がいわく:これがすなわち俗話の講ずる風が山上の東西を吹落とす、積弊を掃除するの象あり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、百姓を振作し徳性を培育す。張根がいわく:百姓を振作するは彼らを鼓舞して更新せしむるを言い、徳性を培育するは彼らを涵養して成材せしむるを言う(「育」の字は原本は「肓」と作る、形近して誤れるなり)。
初六,幹父之蠱,有子,考無咎,厲終吉。象曰:幹父之蠱,意承考也。繼述之始,能以意承,損益潤澤歸於至當,所以為有子。雖危何傷?大而天下,小而一家,其義一也。巽之體故。九二,幹母之蠱,不可貞。象曰:幹母之蠱,得中道也。貞則咈矣。九三,幹父之蠱,小有悔,無大咎。象曰:幹父之蠱,終無咎也。志在愛親故。
初六爻辞にいわく:父親の遺留したる弊事を匡正す、こうのごとき児子あれば、先父は過失あらざらん。危険あるも、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:父親の弊事を匡正するは、父親の本意を秉承せんとするなり。張根が解していわく:先業を継承する開頭に、能く父親の本意に按じて承接して、减すべきは减し増すべきは増し潤飾を加えて、みな最も妥当の処に帰す。これこそ「有子」と称するに足る。危険あるも、また何の妨害あらんや。大は天下を治理し、小は一家を料理するに至るまで、道理は一樣なり。これは初六が巽体に属して本性が謙順なるがゆえに。九二爻辞にいわく:母親の遺留したる弊事を匡正するは、固執して正を守るべからず。《小象伝》にいわく:母親の弊事を匡正するは、中道に合乎するを要す。張根がいわく:ひとえに固執すれば、則ち母意に違逆せん。九三爻辞にいわく:父親の遺留したる弊事を匡正す、稍や悔恨あり、大なる過錯なし。《小象伝》にいわく:父親の弊事を匡正するは、終竟に過錯あらざらん。張根がいわく:彼の心意は親を愛するに在るがゆえに。
六四,裕父之蠱,往見吝。一於從命,異夫意承矣。象曰:裕父之蠱,往未得也。審其所從之謂孝。六五,幹父之蠱,用譽。所謂立身行道,揚名於後世者也。象曰:乾父用譽,承以徳也。與君子愛人以徳之徳同。由是觀之,裕父者其姑息之謂乎?上九,不事王侯,髙尚其事。於家可知。象曰:不事王侯,志可則也。當蠱之時,雖不宜外,而猶能固守其節,志亦可尚矣。
六四爻辞にいわく:父親の遺留したる弊事を寛容放任す、一直に下れば則ち憾惜に遇わん。張根が解していわく:ひとえに父命に順従するは、これは「本意に按じて承接する」と全くは両回事なり。《小象伝》にいわく:父親の弊事を放任するは、こう下去すれば行き通る能わざるなり。張根がいわく:慎重に自己が何に順に順従すべきを審察する、これこそ孝と称す。六五爻辞にいわく:父親の遺留したる弊事を匡正して、ここにおいて赞誉を獲得す。張根がいわく:これがすなわち《孝経》の講ずる所の身を立て道を行い名を後世に揚ぐるなり。《小象伝》にいわく:父事を匡正して赞誉を得るは、徳を以て承継するがゆえに。張根がいわく:この「徳」は《礼記》の講ずる「君子爱人以徳」の「徳」と一箇の意思。これより観れば、あの種のひとえに父親を寛容放任するは、おそらく姑息か。上九爻辞にいわく:往きて王侯に事奉せず、自己の操守をいよいよ高く看ず。張根がいわく:彼の家に在る表現はまた想を推し知るべし。《小象伝》にいわく:王侯に事奉せざる、この份の心志は以て法則と為すべし。張根がいわく:まさに蠱壊の時に当たり、彼は外に出仕するに宜しからざるも、しかしなお能く自己の節操を堅守す。この份の心志はまた推崇に値するなり。
臨卦(兌下坤上)
兌下坤上。臨:元亨利貞。君臨之道,當具四徳。至于八月有凶。當制於未亂。曰:臨,剛浸而長,說而順,剛中而應,大亨以正,天之道也。向於泰矣。至于八月有凶,消不久也。盈虛消息,必至之序故。象曰:澤上有地,臨。君子以教思無窮,容保民無強。此所以為大。
臨卦の卦体は、下卦が兌、上卦が坤。卦辞にいわく:大いに亨通、正を守るに利し。張根が解していわく:天下に君臨するの道理は、応に元亨利貞の四徳を具備すべし。卦辞が接続していわく:八月に到れば則ち凶険あり。張根がいわく:ゆえに禍乱の未だ起らざる時に於て節制を加えるを要す。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):臨卦は陽剛が漸漸に生長し、和悦にして柔順、剛爻が中に居りて上下に相応じ、大いに亨通してまた端正なり。これは天の道理。張根がいわく:これはすでに泰卦に走向せり。《彖伝》にいわく:八月に到りて凶険あるは、陽気の消退が久しくなくして到来せんとするを言う。張根がいわく:盈満と空虚・消退と生長は、必然に到来する次序なり。《大象伝》にいわく:沢上に地あり、すなわち臨。君子はそれに取法して、人を教誨する心思は窮尽なく、百姓を容納保護するは疆界なし(「无」の下の「强」の字は「疆」と作るべし)。張根がいわく:これがすなわちそれの大たる所以の緣故なり。
初九,咸臨,貞吉。象曰:咸臨貞吉,志行正也。九二,咸臨,吉,無不利。象曰:咸臨吉無不利,未順命也。初應四者也,故正則吉;二應五者也,茍能審其所有,何不利之有?六三,甘臨,無攸利,既憂之,無咎。象曰:甘臨,位不當也;既憂之,咎不長也。兌之體故。六四,至臨,無咎。象曰:至臨無咎,位當也。至誠與賢,無所娼忌,異夫竊位者矣,夫如是而後可以免。六五,知臨,大君之宜,吉。舍己從人,堯舜之事。象曰:大君之宜,行中之謂也。惟行中然後可為大。上,敦臨,吉,無咎。象曰:敦臨之吉,志在內也。乃心罔不在王室之謂。
初九爻辞にいわく:感応の心を以て民に臨めば、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:感応にて民に臨み正を守りて吉祥は、心志の行う所が端正なるがゆえに。九二爻辞にいわく:感応の心を以て民に臨めば、吉祥、利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:感応にて民に臨み吉祥にして利ならざるなしは、まだひとえに上面の命令に順従せざるがゆえに。張根が解していわく:初九の応ずる所は六四。ゆえにただ正を守れば則ち吉。九二の応ずる所は六五。ただ能く自己の処境を審察するさえすれば、また何の利ならざるあらんや。六三爻辞にいわく:甘言蜜語を用いて民に臨む、好処あることなし。すでにこの為に憂懼せば、則ち過錯なからん。《小象伝》にいわく:甘言にて民に臨むは、爻位が当たらざるがゆえに。すでに憂懼せば、過失は拖長せざらん。張根がいわく:六三が兌体に属し、兌は口舌喜悅を主とするがゆえに。六四爻辞にいわく:親身に抵近して民に臨めば、過錯なからん。《小象伝》にいわく:至臨して過錯なきは、爻位が当を得たるがゆえに。張根がいわく:至誠の心を以て賢者と相処して、一点の嫉妬猜忌なし、これがすなわちあの高位を窃据する人らと同じからざるなり。ただこうして初めて過失を免れ得。六五爻辞にいわく:明智を以て民に臨む、これは大君の有るべき様子、吉祥。張根がいわく:自己の成見を捨棄して別人を聴従する、これは堯・舜のあの類の事。《小象伝》にいわく:大君の有るべき様子は、説くは中道を行うなり。張根がいわく:ただ中道を行いて、然る後に初めて大と称するに足る。上六爻辞にいわく:敦厚を以て民に臨めば、吉祥、過錯なからん(「上」の下に一「六」の字を脱す)。《小象伝》にいわく:敦厚にて民に臨むの吉祥は、心志を内卦の賢者の身上に放つがゆえに。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の講ずる「乃心罔不在王室」なり。
観卦(坤下巽上)
坤下巽上。觀:盥而不薦,有孚顒若。化人之道,誠為本。曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下。所以為大觀。盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。所謂不言而信。觀天之神道而四時不忒,聖人以神道設教而天下服矣。所謂神道者何哉?誠而已矣。故曰:天地為大矣,不誠不能化萬物;聖人為智矣,不誠不能化萬民。象曰:風行地上,觀。先王以省方觀民設教。此之謂順而巽。
観卦の卦体は、下卦が坤、上卦が巽。卦辞にいわく:祭祀の時に剛に手を洗い過ぎて、まだ祭品を献上せざるあの一刻に、心中の誠敬は満溢して、人をして粛然として仰望せしむ。張根が解していわく:人を感化する弁法は、誠を以て根本と為す。《彖伝》にいわく(原本は「彖」の字を脱す):偉大の観瞻は上位に高居して、柔順にして謙遜、中正の徳を以て天下人をして観仰せしむ。張根がいわく:これがすなわちそれの「大観」と称する所以の緣故。《彖伝》にいわく:手を洗いて後にまだ献祭せず、誠敬の意が人をして粛然として仰望せしむれば、下面の人は一観仰すれば則ち感化を受く。張根がいわく:これがすなわちいわゆる説話を用いずして人は自ら信服するなり。《彖伝》にいわく:上天の神妙の運行の道を観察して四時は毫も差錯なし、聖人はこの種の神道に依って教化を設立せば、天下人は則ちみな帰服す。張根がいわく:いわゆる神道は究竟是何ぞ。過ぎず一箇の「誠」の字而已。ゆえにいわく:天地は大に足るも、誠ならざれば万物を化育する能わず。聖人は智慧に足るも、誠ならざれば万民を化育する能わず。《大象伝》にいわく:風が大地上に吹行す、すなわち観。先王はそれに取法して、四方を巡視し民情を観察し教化を設立せり。張根がいわく:これを柔順にして謙遜と称す。
初六,童觀,小人無咎,君子吝。君子人之所觀者也。象曰:初六童觀,小人道也。六二,窺觀,利女貞。所觀非故。象曰:窺觀女貞,亦可醜也。六三,觀我生,進退。象曰:觀我生進退,未失道也。六四,觀國之光,利用賓于王。伊傅之事。象曰:觀國之光,尚賓也。
初六爻辞にいわく:児童のごとく浅陋に観看するは、小人がこうなれば過錯と算せず、君子がこうなれば則ち憾惜あり。張根が解していわく:君子は本より人に観仰せらる対象なるがゆえに。《小象伝》にいわく:初六の童稚の観は、小人の路数なり。六二爻辞にいわく:門の縫隙より偷看するは、ただ女子が正を守るに合适す。張根がいわく:彼女の看る所は並びに正大の対象にあらざるがゆえに。《小象伝》にいわく:偷看して女子が正を守るに合适するは、君子に対して言えばまた可羞なり。六三爻辞にいわく:自己の為す所の行為を観察して、以て進むか退くかを決定す。《小象伝》にいわく:自身を観察して進退を定むるは、正道を失掉せざるがゆえに。六四爻辞にいわく:一国の光輝気象を観仰す、君王の座上の賓と為るに宜し。張根がいわく:これは伊尹・傅説が商王に礼聘せられたるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:国家の光輝を観仰するは、賓礼を崇尚して賢を待するがゆえに。
九五,觀我生,君子無咎。象曰:觀我生,觀民也。雖中正以觀天下,然觀我生而已,道未宏也,與知臨之義異矣,故無咎而已。上九,觀其生,君子無咎。道有餘而無其位,然不怨天,不尤人,自信而已,咎之所以免。象曰:觀其生,志未平也。所謂天未欲平治天下,如欲平治天下,舍我其誰哉。
九五爻辞にいわく:自己の為す所の行為を観察す、君子がこう為せば過錯なからん。《小象伝》にいわく:自身を観察するは、其実は百姓を観察するなり。張根が解していわく:九五は中正の徳を以て天下人をして観仰せしむるも、しかしそれの為す所は過ぎず自身を省察する而已、道はなお宏大ならず。これは臨卦六五の「知臨」の境界と同じからず。ゆえにただ過錯なしと言うのみ。上九爻辞にいわく:他人の為す所の行為を観察す、君子がこう為せば過錯なからん。張根がいわく:上九は道徳は有余にして相応の地位なく、しかし能く天を埋怨せず別人を責怪せず、ただ自信を求める而已。これがすなわちそれが過錯を免るる緣故なり。《小象伝》にいわく:他人の作為を観察するは、心志がまだ平順ならざるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち孟子の講ずる、上天はなお天下を太平せしめんと欲せず。若し天下を太平せしめんと欲せば、当今の世に我を除きて誰かあらん。
呉園易解巻第三(上経 噬嗑至離)
噬嗑卦(震下離上)
上經:噬嗑、賁、剝、復、無妄、大畜、頤、大過、坎、離。震下離上。噬嗑:亨,利用獄。除間之謂。彖曰:頤中有物,曰噬嗑。噬嗑而亨,剛柔分,動而明,雷電合而章。柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。剛柔分足以有別,動而明足以有察,雷電合而章足以大畏民志,柔得中而上行則有哀矜之心而無並制罔差之患,其於獄也何有?使其當位,豈特用獄而已哉。象曰:雷電,噬嗑。氣於是通,二月之卦。先王以明罰敕法。所以噬嗑當如此。
本巻の収する卦は噬嗑・賁・剥・復・无妄・大畜・頤・大過・坎・離。噬嗑卦の卦体は、下卦が震、上卦が離。卦辞にいわく:亨通、案を断じ刑を用うるに宜し。張根が解していわく:これは中間の梗阻を除掉するを言う。《彖伝》にいわく:口中に物を含む、則ち噬嗑と称す。咬合すれば則ち亨通。剛爻柔爻が上下に分布し、一動すれば則ち光明あり、雷と電と相合して彰顯す。柔爻が中に居りて上に向かい行く、爻位は当たらざるも、なお案を断じ刑を用うるに宜し。張根がいわく:剛柔が分布すれば、是非を分辨するに足り。動きて光明あれば、案情を明察するに足り。雷電が合して彰顯すれば、大いに民心を震懾するに足り。柔爻が中に居りて上行すれば、則ち哀矜体恤の心ありて、濫りに株連を加え判罰を失当するの毛病なし。こう案を弁ずるにまた何の難きあらんや。仮にそれの爻位がさらに当を得れば、則ちその為し得る所はまた豈に案を断じ刑を用うる而已に止まらんや。《大象伝》にいわく:雷と電と、すなわち噬嗑。張根がいわく:陽気はこの時に至りて初めて通暢す。これは二月の卦。《大象伝》にいわく:先王はそれに取法して、刑罰を申明し法令を整飭せり。張根がいわく:噬嗑の事を処理するは応にこうあるべし。
初九,屨校滅趾,無咎。象曰:屨校滅趾,不行也。誅以馭過之義。六二,噬膚滅鼻,無咎。象曰:噬膚滅鼻,乘剛也。不得不爾。六三,噬臘肉,遇毒,小吝,無咎。象曰:遇毒,位不當也。才不足故。
初九爻辞にいわく:脚上に刑具を戴きて、脚趾を遮没す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:脚に刑具を戴きて脚趾を遮没するは、彼をして再び邪路に走上る能わざらしむるなり。張根が解していわく:これがすなわち《周礼》の講ずる「誅以馭其過」、小懲を用いて小過を管住するなり。六二爻辞にいわく:あの嫩肉を咬めば、ひとたび深くして鼻子を没す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:嫩肉を咬いて深くして鼻を没するは、それが剛爻の上に凌駕するがゆえに。張根がいわく:形勢上已むを得ずこう用力するなり。六三爻辞にいわく:あの乾腊肉を咬めば、毒に碰上して、憾惜の点あり、過錯なからん。《小象伝》にいわく:毒に碰上するは、爻位が当たらざるがゆえに。張根がいわく:それが才幹に足らざるがゆえに。
九四,噬乾胏,得金矢,利艱貞,吉。金矢猶所謂束矢。象曰:利艱貞吉,未光也。六五,噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。黃金猶所謂鉤金。象曰:貞厲無咎,得當也。上九,何校滅耳,凶。象曰:何校滅耳,聰不明也。是所謂怙終。趾下耳上,各從其類。
九四爻辞にいわく:あの骨帯の乾肉を咬めば、金属箭鏃を咬出し、艱難の中に正を守るに宜しく、吉祥。張根が解していわく:ここの「金矢」は、すなわち《周礼》の獄を断ずる時に当事者に納めしむる「束矢」なり。《小象伝》にいわく:艱難に正を守りて吉に宜しきは、道がまだ光大ならざるがゆえに。六五爻辞にいわく:あの乾肉を咬めば、黄金を得到し、正を守りて心に危惧を存せば、過錯なからん。張根がいわく:ここの「黄金」は、すなわち《周礼》の獄を断ずる時に納めるを要する「鈞金」なり。《小象伝》にいわく:正を守りて危惧して過錯なきは、処置が当を得たるがゆえに。上九爻辞にいわく:肩上に枷鎖を扛げて、耳朵を遮住す、凶険。《小象伝》にいわく:枷を扛げて耳を遮るは、聴覚が霊ならず勧を聴くを肯んぜざるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の謂う所の「怙終」、勢に仗りて屡教して改めざるなり。刑具は初九に在りては脚上に加え、上九に在りては耳上に加う。各自にその在る所の部位に跟従す。
賁卦(離下艮上)
離下艮上。賁:亨,小利有攸往。白宜正白,黑宜正黑。彖曰:賁亨,柔來而文剛,故亨。逸剛者之事。分剛上而文柔,故小利有攸往。天文也。文明以止,人文也。剛柔相雜,天之文;訪遺舉逸,人之文。觀乎天文以察時變,觀乎人文以化成天下。所謂天下歸心焉。象曰:山下有火,賁。燭於幽隱,賁于丘園之象也。君子以明庶政,無敢折獄。此之謂文明以止。
賁卦の卦体は、下卦が離、上卦が艮。卦辞にいわく:亨通、稍々往く所有るに利す。張根が解していわく:白きは則ち正正経経に白と為すべく、黒きは則ち正正経経に黒と為すべし。《彖伝》にいわく:賁の亨通する所以は、柔爻が下りて剛爻を文飾す。ゆえに亨通。張根がいわく:これは剛強の者に安逸を得せしむる事なり。《彖伝》にいわく:剛爻を分出して上りて柔爻を文飾す。ゆえに稍々前往に利す。これは天の文采。文明にして節制あり、これは人の文采。張根がいわく:剛柔が交錯するは、天の文采。遺才を訪求し隠逸を挙用するは、人の文采。《彖伝》にいわく:天の文采を観察して時序の変化を考察し、人の文采を観察して天下を化育成就す。張根がいわく:これがすなわち天下の心を帰せしむるなり。《大象伝》にいわく:山下に火あり、すなわち賁。張根がいわく:火光が幽暗隠蔽の地方に照り至る、まさに六五の「賁于丘園」の象なり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、各種の政務を明治するも、敢えてこの点の光亮に憑って訟獄を断決せず。張根がいわく:これを文明にして節制ありと称す。
初九,賁其趾,舍車而徒。象曰:舍車而徒,義弗乘也。招賢聘才,天下之盛節,而初最在下,其禮尚薄,義不屑就故也。六二,賁其須。象曰:賁其須,與土興也。所謂分剛上而文柔。九三,賁如濡如,永貞吉。象曰:永貞之吉,終莫之陵也。嚴光之事。
初九爻辞にいわく:自己の脚趾を文飾して、寧ろ車子を捨棄して歩行す。《小象伝》にいわく:車を捨て歩行するは、道理に按ればあの車に乗るべからざるがゆえに。張根が解していわく:賢者を招納し人才を聘請するは、本より天下の盛大の礼節。しかし初九は最下位に処して、人家の給する礼数はなお単薄。理に按ればそれは聘に就くを屑とせず。六二爻辞にいわく:自己の鬍鬚を文飾す。《小象伝》にいわく:鬍鬚を文飾するは、上面に随いて一同に興起す(「与」の下の「土」の字は「上」と作るべし)。張根がいわく:これがすなわち《彖伝》の講ずる「分剛上而文柔」なり。九三爻辞にいわく:文飾してまた光鮮また潤沢、長久に正を守れば則ち吉祥。《小象伝》にいわく:長久に正を守るの吉祥は、終竟に彼を欺凌し得る人なきがゆえに。張根がいわく:これは厳光が漢光武の征聘を受けざりしのあの類の事に相当す。
六四,賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾。象曰:六四當位疑也;匪寇婚媾,終無尤也。進而當位,若不固其節,然上既致恭而盡禮,則可以行道之時也,何尤之有?六五,賁于丘園,束帛戔戔,吝,終吉。象曰:六五之吉,有喜也。禮雖未豐,志亦可尚,應否相半故,終亦有喜。上九,白賁,無咎。象曰:白賁無咎,上得志也。含光耀,超然逺引,徵聘莫之及者也。
六四爻辞にいわく:文飾して潔白素浄、白馬は飛ばすがごとく走る。あの来るは強盗にあらずして、婚配を求めに来るなり。《小象伝》にいわく:六四は位に当たるも心に疑慮を存す。来るは強盗にあらずして求婚なるは、終竟に過失あらざらん。張根が解していわく:それは前に上りて聘に応じてその位を占得す。看上去は節操を堅守せざるに似たり。しかし上面はすでに恭敬備至にして礼数周全なれば、則ちまさに道を行う可き時、何の責怪すべきあらんや。六五爻辞にいわく:あの丘園中の隠士を文飾して、送去る束帛は少なること甚だし、憾惜の些かあり、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:六五の吉祥は、喜慶あるがゆえに。張根がいわく:礼数はなお豊厚ならざるも、用心は称許に値す。聘に応じると応と応ぜざるとは各々一半を占む。ゆえに最終にもまた喜慶あり。上九爻辞にいわく:純白を以て飾と為す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:白賁して過錯なきは、上位に居りて心志を実現したるがゆえに。張根がいわく:彼は光華を含蓄し起こして、超然として遠引し去る。朝廷の征聘もまた彼に追及せず。
剥卦(坤下艮上)
坤下艮上。剝:不利有攸往。彖曰:剝,剝也,柔變剛也。不利有攸往,小人長也。順而止之,觀象也。君子尚消息盈虛,天行也。黨錮君子失是矣。象曰:山附於地,剝。上以厚下安宅。本固則寧,所以止剝孰大於此。
剥卦の卦体は、下卦が坤、上卦が艮。卦辞にいわく:往く所有るに利せず。《彖伝》にいわく:いわゆる剥は、すなわち剥落、柔爻が剛爻を改変する中に在り。前往に利せざるは、小人の勢力がまさに増長する中に在るがゆえに。形勢に順って止住して動かざるは、これは卦象を観察して得出したる道理。君子は消退と生長・盈満と空虚の変化を看重す。あれは天道の運行なるがゆえに。張根が解していわく:東漢の党錮の禍の中の君子は、則ちこの一点の上に分寸を失せり。《大象伝》にいわく:山が地上に依附す、すなわち剥。上位の人はそれに取法して、下面を厚待して、初めてその位に安居し得。張根がいわく:根本が牢固して初めて安寧し得。剥落を制止する弁法はこれより大なるなし。
初六,剝床以足,蔑貞凶。象曰:剝床以足,以滅下也。凡剝皆小人剝君子,君子民所恃以安,而小人害之,與所謂厚下安宅異矣,終於凶而已。故剝毎進上而益凶,終於自剝其廬矣。六二,剝床以辨,貞凶。象曰:剝床以辨,未有與也。使五謂之應,則其禍不止辨而已。六三,剝之無咎。象曰:剝之無咎,失上下也。獨應於六,茲失也,其所以為得歟?
初六爻辞にいわく:床を剥落す、床脚より剥起し、正道を滅棄すれば則ち凶険。《小象伝》にいわく:床脚より剥起するは、下面の根基を毁掉せんとするなり。張根が解していわく:凡そ剥は、みな小人が君子を剥するなり。君子は本より百姓の身を安んずるに頼る人、小人はかえって彼を害し往く。これは《大象伝》の講ずる「厚下安宅」と正反対、結局はただ凶のみ。ゆえに剥落は上に推進するほど愈々凶、最後に自己の房子すら剥掉せり。六二爻辞にいわく:床を剥落して、床身と床脚と交接する処に剥り至る、正を守るも凶険。《小象伝》にいわく:床干に剥り至るは、それがまだ同伴の呼応なきがゆえに。張根がいわく:仮に六五がそれと相応せば、則ち禍害は床干に剥り至るに止まらざらん。六三爻辞にいわく:剥落の中に在りて過錯なし。《小象伝》にいわく:剥中に過錯なきは、それが上下の同類を脱離したるがゆえに。張根がいわく:六三は独独上九と相応す。これは衆陰に観られては「失」なれど、しかしこれは恰恰それの「得」なるか。
六四,剝床以膚,凶。象曰:剝床以膚,切近災也。最近於君,得肆其毒故。六五,貫魚以宮人寵,無不利。象曰:以宮人寵,終無尤也。桓靈失是矣。上九,碩果不食。艮為果蓏。君子得輿,小人剝廬。象曰:君子得輿,民所載也。能止剝故。小人剝廬,終不可用也。當自敗故。
六四爻辞にいわく:剥落して床上の人の肌肤に至る、凶険。《小象伝》にいわく:肌肤に剥り至るは、災禍がすでに眼前に逼至せるがゆえに。張根が解していわく:六四は君位に離れること最も近く、能く肆意にその毒害を施放す。六五爻辞にいわく:一串の魚のごとく宮人を領して寵幸を承受せしむ、利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:宮人を領して寵を受くるは、終竟に過失あらざらん。張根がいわく:漢桓帝・漢霊帝は則ちこの事の上に分寸を失せり。上九爻辞にいわく:最大のあの果子は吃されざりき。張根がいわく:艮卦の取象の裏に本より瓜果の類あり。爻辞が接続していわく:君子は車輿を得、小人はしかし房子すら剥掉せり。《小象伝》にいわく:君子が車輿を得るは、百姓が彼を擁戴するがゆえに。張根がいわく:彼が能く剥落を制止するがゆえに。《小象伝》にいわく:小人が房子を剥掉するは、終竟に任用すべからず。張根がいわく:彼が必ず自ら敗亡を取るがゆえに。
復卦(震下坤上)
震下坤上。復:亨,出入無疾,朋來無咎。在姤則戒勿用取女,在復則曰朋來無咎,聖人之意可見矣。反復其道,七日來復,利有攸往。彖曰:復亨,剛反,動而以順行,是以出入無疾,朋來無咎。反復其道。惟順為能復其所。七日來復,天行也。陰陽之數不過六,天地不能違,況於人乎?陽故言日,陰故言月。利有攸往,剛長也。君子之時。復其見天地之心乎。愛物無已。象曰:雷在地中,復。先王以至日閉闗,商旅不行,后不省方。安身所以利用。
復卦の卦体は、下卦が震、上卦が坤。卦辞にいわく:亨通、出入みな疾患なく、朋類が前来して過錯なからん。張根が解していわく:姤卦に在りては、聖人は告誡して「勿用取女」といい。復卦に在りては、かえって「朋来无咎」という。聖人の陽を扶え陰を抑えるの用心は、これによって見るべし。卦辞が接続していわく:往复循環してそれ自身の路を走り、七天にして則ち一回返り来る、往く所有るに宜し。《彖伝》にいわく:復卦の亨通は、陽剛の返回なり。一動すれば則ち柔順に依って行く。ゆえに出入して疾患なく朋類来りて過錯なし。往复循環してそれ自身の路を走る。張根がいわく:ただ柔順のみ能く自己の本来の位置に回到し得。《彖伝》にいわく:七天にして一回返回するは、これは天道の運行なり。張根がいわく:陰陽の数目は六を超えず、天地すらなお違背する能わざれば、いわんや人をや。陽に属すれば則ち「日」を以て計り、陰に属すれば則ち「月」を以て計る。《彖伝》にいわく:往く所有るに宜しきは、陽剛がまさに生長する中に在るがゆえに。張根がいわく:これがまさに君子の時なり。《彖伝》にいわく:復卦より大概天地が万物を生養する本心を看見すべしか。張根がいわく:あれはすなわち万物を愛護して永遠に止息なきなり。《大象伝》にいわく:雷が地中に伏す、すなわち復。先王はそれに取法して、冬至のこの日に関口を閉鎖し、商旅は通行せず、君主もまた四方を巡視せず。張根がいわく:自身を安頓するは、まさに将来の施用の為めなり。
初九,不逺復,無柢悔,元吉。象曰:不逺之復,以修身也。顏子所以為好學,為修身。六二,休復,吉。象曰:休復之吉,以下仁也。親人以為復,吉孰大焉。六三,頻復,厲,無咎。比於初故。象曰:頻復之厲,義無咎也。雖未能不貳,然猶愈於迷復故。
初九爻辞にいわく:走り出して遠からずに頭を回れば、悔恨を生出するに至らず、大吉(「无」の下の「柢」の字は通行本に「祗」と作る)。《小象伝》にいわく:遠からずに頭を回るは、用いて自身を修養するなり。張根が解していわく:顔回の学を好むと称せらる所以は、まさに彼が能くこう修身するがゆえに。六二爻辞にいわく:美好に頭を回れば、吉祥。《小象伝》にいわく:美好に頭を回るの吉祥は、それが能く仁者の下に屈居するがゆえに。張根がいわく:仁者に親近して以て自己の頭を回るの憑借と為す、またこれより吉祥なるあらんや。六三爻辞にいわく:屡々頭を回りてまた屡々走失す、危険あり、過錯なからん。張根がいわく:それが初九に緊挨着するがゆえに。《小象伝》にいわく:屡々頭を回るの危険は、理に按れば過錯なからん。張根がいわく:なお同じ錯を再び犯さざるを做到せざるも、しかし上六のあの種の迷失して頭を回るを知らざるに比べれば、畢竟強きこと多し。
六四,中行獨復。象曰:中行獨復,以從道也。中立不惟道是與,應於初故。六五,敦復,無悔。象曰:敦復無悔,中以自考也。動容周旋中禮,仲尼之事,中以自考,何悔之有?上六,迷復,凶,有災眚,用行師終有大敗,以其國君凶,至于十年不克征。象曰:迷復之凶,反君道也。兵凶器也,省躬無缺而後動猶或難焉,況迷復以行之乎?
六四爻辞にいわく:衆陰の中間に行走して独自に頭を回る。《小象伝》にいわく:中間に走りて独自に頭を回るは、正道に跟従せんが為め。張根が解していわく:それは中立してただ正道と相亲す(「不」の下に疑わしく一「倚」の字を脱す)、それが初九と相応ずるがゆえに。六五爻辞にいわく:敦厚に頭を回れば、悔恨なし。《小象伝》にいわく:敦厚に頭を回りて悔なきは、中道を以て自己を省察するがゆえに。張根がいわく:一挙一動・一周旋一応対みな礼に合す、これは孔子のあの類の事。能く中道を以て自己を省察せば、また何の悔恨あらんや。上六爻辞にいわく:方向を迷失して頭を回る能わず、凶険、天灾人禍あらん。用いて出兵打仗せば、最終に大敗して、国君にも累及して凶を遭い、甚だしきは十年の内に出征する能わず。《小象伝》にいわく:迷失して返らざるの凶険は、君主たるの道理に違反するがゆえに。張根がいわく:兵は凶器、反躬自省して毫も缺失なくして然る後に初めて兵を動かすも、なお危険あり。いわんや方向を迷失してなおそれを拿て兵を用いんとするをや。
无妄卦(震下乾上)
震下乾上。無妄:元亨利貞。夫是之謂無妄。其匪正有眚,不利有攸往。當無妄之世而欲妄動,其可哉?彖曰:無妄,剛自外來而為主於內。乾上坤下,一索而得震故。動而健,剛中而應,大亨以正,天之命也。無妄之□報如此。其匪正有眚,不利有攸往。無妄之往,何之矣。天命不佑,行矣哉。妄之不可僥倖如此。象曰:天下雷行,物與無妄。黙然感應,何妄之有?先王以茂對時育萬物。所謂草木固有生矣,鳥獸固有群矣,吾何為哉?茂對時以育而已,聖人之無妄如此。
无妄卦の卦体は、下卦が震、上卦が乾。卦辞にいわく:大いに亨通、正を守るに利し。張根が解していわく:能くこうなれば初めて「无妄」と称す、すなわち真実にして虚妄なきなり。卦辞が接続していわく:若し端正ならざれば則ち災殃あり、往く所有るに利せず。張根がいわく:まさに无妄の時代に当たりてかえって胡乱に行動せんと欲すれば、あれでどうかならんや。《彖伝》にいわく:无妄卦は剛爻が外面より来りて内卦の主と為る。張根がいわく:乾が上に在り坤が下に在り、坤が第一次乾に求めて則ち震を得。ゆえに此のごとし。《彖伝》にいわく:一動すれば則ち剛健、剛爻が中に居りて上下に相応じ、大いに亨通してまた端正なり。これは上天の命令。張根がいわく:真実无妄の報応はすなわちこうなり(此処に一字残缺)。《彖伝》にいわく:端正ならざれば則ち災殃あり、往く所有るに利せず。无妄卦にしてなお前に走り往かんと欲せば、何れの処に至り得ようか。天命は保佑せず、なお走り動き得ようか。張根がいわく:虚妄の事は僥倖に得逞する能わざるは、すなわちこの道理。《大象伝》にいわく:天の底下に雷声が運行し、万物はみな各自に真実无妄を具足す。張根がいわく:黙黙の中に自然と感応す、何れの処に虚妄あらんや。《大象伝》にいわく:先王はそれに取法して、勉力して天時に順応して万物を養育す。張根がいわく:これがすなわち草木は本来自ら生長し、鳥獣は本来自ら成群す、我はまた何を多く為さん。ただ勉力して天時に順応して養育する而已。聖人の真実无妄はすなわちこうなり。
初九,無妄往,吉。象曰:無妄之往,得志也。震之體故。六二,不耕穫,不災畬,則利有攸往。象曰:不耕穫,未富也。欲事無妄之主當如此。耕穫災畬,小人之事,樊遲所以見貶也。六三,無妄之災,或繋之牛,行人之得,邑人之災。象曰:行人得牛,邑人災也。行人得牛而邑人災,是謂無妄之災。雖非我作,而動與位極處非其稱故。
初九爻辞にいわく:真実无妄の心を以て前往す、吉祥。《小象伝》にいわく:无妄にて前往するは、能く心志を実現するがゆえに。張根が解していわく:それが震体にして、動を主とし且つ正なるがゆえに。六二爻辞にいわく:収獲を為さずして耕し、熟田を為さずして焼荒開墾に往く、こうなれば則ち往く所有るに宜し。《小象伝》にいわく:収獲を為さずして耕するは、富有を図らざるがゆえに。張根がいわく:一位の真実无妄の君主に事奉せんと欲せば、応にこうあるべし。ひとえに耕せば則ち収め墾れば則ち熟せんを指望するは、あれは小人の心思。樊遲が稼圃を学ばんを請いて孔子に貶責せられたる所以は、まさにこの為。六三爻辞にいわく:意外の災禍:人ありて牛をあそこに拴留し、過路の人が牽走し去り、隣近の邑里の人はかえって牽累を受く。《小象伝》にいわく:過路の人は牛を得、邑人は災を遭えり。張根がいわく:過路の人が牛を得て邑人が累を受く、これを「无妄之災」と称す。自己の為したるにあらざるも、しかしそれの挙動と所処の位置はみな極処に至りて身份と相称せず。ゆえに免れ難し。
九四,可貞,無咎。象曰:可貞無咎,固有之也。輔無妄之主當如此。九五,無妄之疾,勿藥有喜。象曰:無妄之藥,不可試也。徒擾之而已,堯湯之水旱是也。上九,無妄行有眚,無攸利。象曰:無妄之行,窮之災也。所謂用靜吉,物不可極故。
九四爻辞にいわく:正を守る可し、過錯なからん。《小象伝》にいわく:正を守る可くして過錯なきは、この份の徳性が本よりそれに属するがゆえに。張根が解していわく:一位の真実无妄の君主を輔佐するは、応にこうあるべし。九五爻辞にいわく:自ら招来せざる病は、薬を服するを必ずとせずしても好くならん。《小象伝》にいわく:无妄の病の薬は、随便に試用すべからず。張根がいわく:薬を服するはただ白白にそれを攪擾する而已。唐堯の時の洪水・商湯の時の大旱は、則ちこの種の情形に属す。上九爻辞にいわく:真実无妄にしてなお行動せんと欲すれば、則ち災殃あり、好処あることなし。《小象伝》にいわく:无妄にして妄行するは、窮極の処に走り至りて招来したる災禍。張根がいわく:これがすなわちいわゆる「用静則吉」、事物は極端に推し至るべからざるがゆえに。
大畜卦(乾下艮上)
乾下艮上。大畜:利貞,不家食吉。夫樂天,大人之事。利渉大川。彖曰:大畜,剛健篤實輝光,日新其徳。夫是之謂大畜。剛上而尚賢,能止健,大正也。能尚賢而止健,非所畜之大其能之乎?不家食吉,養賢也。君能下下故。利渉大川,應乎天也。時當大有故。象曰:天在山中,大畜。君子以多識前言往行,以畜其徳。所謂大畜之器如此。
大畜卦の卦体は、下卦が乾、上卦が艮。卦辞にいわく:正を守るに利しく、家中に在らず自ら其力を食して朝廷の供養を受ければ則ち吉祥。張根が解していわく:能く天命を安享するは、これは大人の事。卦辞が接続していわく:大河を渡るに宜し。《彖伝》にいわく:大畜卦は剛強・勁健・篤厚・充実にして光輝煥発し、徳性は天天に更新す。張根がいわく:能くこうなれば初めて「大畜」と称す。《彖伝》にいわく:剛爻が上行して賢者を尊崇し、能く剛健を止住す、これは大大の正道。張根がいわく:既に能く賢者を尊崇しまた能く剛健を止住す、蓄聚する所の力量が大ならざれば、どうして做到し得ようや。《彖伝》にいわく:家中に在らず自食せずして朝廷の供養を受けて吉祥は、これは賢者を奉養するなり。張根がいわく:君主が能く己を屈して賢に下るがゆえに。《彖伝》にいわく:大河を渡るに宜しきは、天に順応したるがゆえに。張根がいわく:時勢がまさに大有可為なるがゆえに。《大象伝》にいわく:天が山中に含まれり、すなわち大畜。君子はそれに取法して、前人の嘉言善行を多々記取して、用いて自己の徳性を蓄養す。張根がいわく:大畜の才の養成は、すなわちこうなり。
初九,有厲,利己。象曰:有厲利己,不犯災也。大畜雖優於小畜,然進之難久矣,故初必有厲;惟能動心性、増益所不能,而不急於自售以與小人爭,所以免於災而益大也。九二,輿說輹。象曰:輿說輹,中無尤也。案:大畜九二與小畜九三皆有不能進之義,故爻辭取象亦相似。原本作三雖浸盛,玩此義,又義不應指下爻說,故改三作二。二雖浸盛,然亦未能大有為,與小畜之三同;其所以免於尤悔者,姑積中以自養,待成器而動故也。
初九爻辞にいわく:危険あり、自ら止步するに宜し。《小象伝》にいわく:危険ありて止步に宜しきは、災禍を触犯し往かざるがゆえに。張根が解していわく:大畜は小畜に比べて強とすれど、しかし前進の艱難は由来すでに久し。ゆえに初九は必ず危険に遇上せん。ただ能く孟子の言うがごとき心を動かし性を忍ばせ、自己の元来具備せざる能力を増長して、急ぎて自我を兜售して小人と位を争わざれば、初めて災禍を免れ且つ日益に壮大ならん。九二爻辞にいわく:車子は車軸上の伏兎を脱掉せり。《小象伝》にいわく:車が伏兎を脱するは、中に居りて過失なきがゆえに。(四庫館臣校語:大畜九二と小畜九三とはみな「前進不能」の意思あり。ゆえに爻辞の取象も相似たり。原刻本は「三雖浸盛」と作る、文義を玩味すれば、また応に下一爻を指して言うべからず。ゆえに「三」を「二」に改作す。)張根がいわく:九二は漸漸に強盛なるも、なお大いに作為する能わず、小畜の九三と相同じ。それの過失と悔恨を免れ得る所以は、姑且力量を心中に積蓄して自養し、器を成すを待ちて動くがゆえに。
九三,良馬逐,利艱貞,日閒輿衛,利有攸往。所畜已成,可以致逺矣,然以難進焉,日閒輿衛可也,戒於疾馳故也,夫是謂大器晚成。象曰:利有攸往,上合志也。九在上故。六四,童牛之牿,元吉。象曰:六四元吉,有喜也。六五,豶豕之牙,吉。象曰:六五之吉,有慶也。童牛之牿,所謂犯而不校;豶豕之牙,所謂不怒而威。夫然後可以有為,非所畜之大而正其能之乎?自勝之謂強如此。上九,何天之衢,亨。象曰:何天之衢,道大行也。伊傅之事。
九三爻辞にいわく:良馬が奔逐す、艱難の中に正を守るに宜し。天天に駕車と防衛の本领を演習して、往く所有るに宜し。張根が解していわく:蓄聚する所の力量はすでに養成せり、遠路を走り可し。しかし前進は易ならざれば、則ち天天に車馬護衛を演練するもまた好し。これはひとえに疾馳するを提防するの意思、これを「大器晚成」と称す。《小象伝》にいわく:往く所有るに宜しきは、上位の者と心志が相合するがゆえに。張根がいわく:上九のこの陽爻が上面に在るがゆえに。六四爻辞にいわく:小牛の角上に横木を加う、大吉。《小象伝》にいわく:六四の大吉は、喜慶あるがゆえに。六五爻辞にいわく:閹せられし公猪の牙、吉祥。《小象伝》にいわく:六五の吉祥は、福慶あるがゆえに。張根がいわく:小牛に横木を加うるは、すなわち《論語》の講ずる「犯而不校」、まだ衝突を起さざるに已に化解せり。閹せられし公猪は牙ありといえども人を咬まず、すなわち「不怒而威」。この歩に至りて然る後に初めて作為する有可し。蓄聚する所が既に大且つ正ならざれば、どうして做到し得ようや。老子の「自勝者強」といえるは、すなわちこの境界。上九爻辞にいわく:上通天の大道を肩負して、亨通。《小象伝》にいわく:天衢を肩負するは、道が大いに推行を得るがゆえに。張根がいわく:これは伊尹・傅説のあの類の事に相当す。
頤卦(震下艮上)
震下艮上。頤:貞吉,觀頤,自求口實。彖曰:頤貞吉,養正則吉也。觀頤,觀其所養也;自求口實,觀其自養也。天地養萬物,聖人養賢以及萬民,頤之時大矣哉。天人之頤如此,豈自養而已哉?象曰:山下有雷,頤。頤之時也。君子以慎言語,節飲食。此人之所忽而取禍莫速焉者也。
頤卦の卦体は、下卦が震、上卦が艮。卦辞にいわく:正を守りて吉祥。彼のいかに人を養うを看て、彼のいかに口中の食物を自求するを看よ。《彖伝》にいわく:頤卦は正を守りて吉祥は、養う所が正道に合せば則ち吉祥を言う。頤養を観察するは、彼の養うは何の人なるを看る。口中の食を自求するは、彼のいかに自己を養活するを看る。天地は万物を養育し、聖人は賢者を養育して以て万民に推及す、頤卦の処する時機の意義は太く重大。張根が解していわく:天と人の養育はこれのごとき広大、何れの処にただ自己を養活する而已ならんや。《大象伝》にいわく:山下に雷あり、すなわち頤。張根がいわく:これがまさに頤養の時なり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、自己の言語を謹慎し、自己の飲食を節制す。張根がいわく:この両件の事はまさに人々の最も忽略し易くして、しかも禍を招くことまた最も速きなり。
初九,舍爾靈龜,觀我朵頤,凶。象曰:觀我朵頤,亦不足貴也。不能自養而望養於人,賤之至也。六二,顛頤,拂經于丘頤,征凶。象曰:六二征凶,行失類也。舍五養初,非常之道,居下則可,征則凶矣。丘者,丘園之謂。六三,拂頤,貞凶,十年勿用,無攸利。象曰:十年勿用,道大悖也。頤養正則吉,而拂之,是謂大悖。
初九爻辞にいわく:你自己のあの食わずして生き得る神亀を丢開して、かえって我を盯いて垂涎し腮を鼓む、凶険。《小象伝》にいわく:我を盯いて垂涎し腮を鼓むるは、また看重に値せず。張根が解していわく:自己は自己を養活し得ずして別人の来り養うを指望する、これは卑賤の極点。六二爻辞にいわく:顛倒して下に向かい養を求め、常理に違背して山丘の上に向かい養を求む、出行すれば凶険。《小象伝》にいわく:六二が出行して凶険は、行事して同類を失掉するがゆえに。張根がいわく:六五を捨開して初九を養い往く、これは正常の路数にあらず。下位に安処すればなお可、一たび出動すれば凶険。いわゆる「丘」は、すなわち丘園の隠居の処。六三爻辞にいわく:頤養の道に違背す、正を守るも凶険、十年にしても用に派する能わず、好処あることなし。《小象伝》にいわく:十年にして用いる可からざるは、道理の上に大いに悖謬なるがゆえに。張根がいわく:頤養は正道に合せば吉祥、それは偏に違反せんと欲す、これを大悖と称す。
六四,顛頤,吉,虎視耽耽,其欲逐逐,無咎。象曰:顛頤之吉,上施光也。此上所養以養萬民者也,光孰盛焉。六五,拂經,居貞吉,不可渉大川。象曰:居貞之吉,順以從上也。舍二養六,雖違於常而能順乎正,雖未可大有為而吉無疑矣。上九,由頤,厲吉,利渉大川。象曰:由頤厲吉,大有慶也。成卦之主,功成不居。
六四爻辞にいわく:顛倒して下に向かい養を求む、吉祥。老虎のごとく目光沈沈として盯住し、欲望は接連不断、過錯なからん。《小象伝》にいわく:顛頤の吉祥は、上面の施予が広大光明なるがゆえに。張根が解していわく:これは上の者が養う所の賢を取用して、用いて万民を養育す、また何の光輝これより盛なるあらんや。六五爻辞にいわく:常理に違背す、安居して正を守りて吉祥、大河を渡る可からず。《小象伝》にいわく:安居して正を守るの吉祥は、柔順にて上面に跟従するがゆえに。張根がいわく:九二を捨開して上九に就き養を求め往く、常理に違背するも、しかし能く正道に順従す。まだ大いに作為する能わざるも、吉祥はしかし疑問なし。上九爻辞にいわく:全卦の頤養はみなそれより来る、危険あるも吉祥、大河を渡るに宜し。《小象伝》にいわく:それより養を施し危うくして吉は、大なる福慶あるがゆえに。張根がいわく:それは此の卦を成就するの卦主、功成りて自ら居らず。
大過卦(巽下兌上)
巽下兌上。大過:棟橈,利有攸往,亨。拯危救難,君子之事。彖曰:大過,大者過也。不仁而在高位。棟橈,本末弱也。孤而無輔。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。大過之時大矣哉。非大人不能有為。象曰:澤滅木,大過。君子以獨立不懼,遁世無悶。處大過之世當如此。
大過卦の卦体は、下卦が巽、上卦が兌。卦辞にいわく:屋梁が下に向かい彎曲す、往く所有るに宜しく、亨通。張根が解していわく:危局を拯救し禍難を紓解するは、これは君子の事。《彖伝》にいわく:いわゆる大過は、陽大の物が過盛。張根がいわく:これは不仁の人が高位を占むるに似たり。《彖伝》にいわく:屋梁が彎曲するは、首尾の両端が太く弱きがゆえに。張根がいわく:これは孤立無援に似たり。《彖伝》にいわく:陽剛は過盛なるもなお中に居り、謙遜にして和悦に行事して、往く所有るに宜しく、ここにおいて亨通。大過の処する時機の意義は太く重大。張根がいわく:大人にあらざれば作為する能わず。《大象伝》にいわく:大水が樹木を淹没す、すなわち大過。君子はそれに取法して、独自に挺立して畏懼せず、世を避け隠居しても煩悶せず。張根がいわく:大過の時代に処するは、応にこうあるべし。
初六,藉用白茅,無咎。象曰:藉用白茅,柔在下也。居大過之世,處眾之下,非慎以潔,其能免乎?九二,枮楊生稊,老夫得其女妻,無不利。象曰:老夫女妻,過以相與也。將以救過,不得不爾。九三,棟橈,凶。象曰:棟橈之凶,不可以有輔也。難以扶持之故。
初六爻辞にいわく:潔白の茅草を拿て襯墊と為す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:白茅を用いて襯墊と為すは、柔順の物が下面に処するがゆえに。張根が解していわく:身は大過の時代に処し、また衆人の下に居る、若し謹慎にして清潔ならざれば、どうして禍患を免れ得ようや。九二爻辞にいわく:枯干の楊樹にまた新芽を発し、老年男子が年輕の妻子を娶る、利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:老夫が少妻を配すは、常規を超出して結合するがゆえに。張根がいわく:これは用いて過盛の局面を挽救せんと欲する、已むを得ずこうなり。九三爻辞にいわく:屋梁が彎曲す、凶険。《小象伝》にいわく:屋梁が彎曲するの凶険は、別人の支撑を得ざるがゆえに。張根がいわく:それが剛愎にして人に扶持せしめ難きがゆえに。
九四,棟隆,吉,有它吝。象曰:棟隆之吉,不橈乎下也。惟不橈乎下,然後可以寢成孔安,茍有偏黨則悔吝至矣。九五,枮楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。象曰:枯楊生華,何可久也;老婦士夫,亦可醜也。上六,過渉滅頂,凶,無咎。象曰:過渉之凶,不可咎也。觀過可以知仁,異夫患失者矣,陳竇是也。
九四爻辞にいわく:屋梁が上に向かい隆起す、吉祥。若し別に牽掛あれば則ち憾惜あり。《小象伝》にいわく:屋梁が隆起するの吉祥は、それが下に向かい彎曲せざるがゆえに。張根が解していわく:ただ下に向かい彎曲せざれば、屋室は建成の後に初めて十分の安穏を得。若し心に偏私党附を存せば、悔恨と憾惜は則ち跟って来る。九五爻辞にいわく:枯干の楊樹が花を開き、老年婦人が年輕の丈夫を嫁えたり、過錯なからん、また称誉なからん。《小象伝》にいわく:枯楊が花を開くは、どうして長久し得ようか。老婦が少夫を配すは、また可羞の事なり。上六爻辞にいわく:水を渉ること太く深く、水は頭頂を没し過ぎたり、凶険、しかし過錯と算せず。《小象伝》にいわく:渉ること太く過ぎるの凶険は、それを拿て過錯として責備する能わざるがゆえに。張根がいわく:孔子の「観過斯知仁矣」といえる、一箇の人の犯すは何の一類の過失なるを看れば、則ち彼の為人を知る。これはあの患得患失の人らと根本に同じからず、東漢の陳蕃・竇武はすなわちこうの人なり。
坎卦(坎下坎上)
坎下坎上。習坎:有孚維心,亨,行有尚。濟險之道當如此。彖曰:習坎,重險也。水流而不盈,行險而不失其信,此之謂習坎。維心亨,乃以剛中也。是以不□。行有尚,往有功也。盈科而後進之謂。天險不可升也,地險山川丘陵也,王公設險以守其國,險之時用大矣哉。形勢不如徳,非大人莫能守也;據險之守,非大人莫能用也。象曰:水洊至,習坎。君子以常徳行,習敎事。常徳行所以處險,習教事所以除險。
坎卦の卦体は、下卦が坎、上卦が坎。卦辞にいわく:誠信を懐きて内心に係して、亨通、行動すれば則ち嘉尚を受けん。張根が解していわく:険難を渡るの弁法は応にこうあるべし。《彖伝》にいわく:習坎は、双重の険なり。水は流動して盈溢せず、険境の中に行走してその信実を失掉せず、これを習坎と称す。張根がいわく:正にこのゆえに初めて陥落せず(此処に一字残缺)。《彖伝》にいわく:ただ心里が亨通するは、九二・九五が剛健にして中に居るがゆえに。行動して嘉尚を受くるは、前往すれば則ち功を建つるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち孟子の講ずる水は必ず坑坎を注満して然る後に初めて前進するなり。《彖伝》にいわく:天の険は高くして攀す可からず、地の険は山川丘陵、王公は険阻を設置して以てその国家を守衛す。険は時勢の上の功用は太く重大。張根がいわく:地形の険は徳に比ぶるに及ばず、大人にあらざれば守住する能わず。険に憑りて自守するも、また大人にあらざれば用好する能わず。《大象伝》にいわく:水が接続不断に涌来す、すなわち習坎。君子はそれに取法して、徳行をして常久に変えざらしめ、教化の事を反復演習す。張根がいわく:徳行を常久ならしむるは用いて険中に自処し、教化を演習するは用いて険難を消除するなり。
初六,習坎,入于坎窞,凶。象曰:習坎入坎,失道凶也。才不足故。九二,坎有險,求小得。象曰:求小得,未出中也。五在上故。六三,來之坎坎,險且枕,入于坎窞,勿用。象曰:來之坎坎,終無功也。水自上下,而三以柔當其衝,能有濟乎?
初六爻辞にいわく:重重の険陥の中に在りて、坑底の小穴に掉込み、凶険。《小象伝》にいわく:習坎に処して坎中に落入するは、正道を失掉して凶を招くがゆえに。張根が解していわく:それが才幹に足らざるがゆえに。九二爻辞にいわく:坎中に険あり、求むる所はただ小なる収獲あるのみ。《小象伝》にいわく:求むる所はただ小得のみは、まだ坎の中間を走出せざるがゆえに。張根がいわく:九五がなお上面に在るがゆえに。六三爻辞にいわく:来来去去みな坎、既に険また深く、坑底の小穴に掉込む、施為する所有る可からず。《小象伝》にいわく:来去みな坎なるは、終竟に功あらざらん。張根がいわく:水は上より下に向かい衝す、六三はしかし柔弱の質を以てまさに水衝の処に当たる、なお何の作為し得るあらんや。
六四,樽酒簋貳,用缶,納約自牖,終無咎。象曰:樽酒簋貳,剛柔際也。際猶天地際之際。初脫內難,行禮而已,不求其豐焉。九五,坎不盈,袛既平,無咎。象曰:坎不盈,中未大也。未能虛心屈己,禮才賢自輔,僅能濟難而已。上六,係用徽纆,置于叢棘,三歲不得,凶。象曰:上六失道,凶三歲也。迷復之咎如此。
六四爻辞にいわく:一樽の酒・両簋の飯、瓦缶を用いて盛り、窓口よりこの份の簡約の礼意を遞込む、最終に過錯なからん。《小象伝》にいわく:一樽の酒両簋の飯は、剛柔が此処に交接するがゆえに。張根が解していわく:この「際」は泰卦《小象伝》の「天地際也」の「際」に似たり。剛に内部の患難を脱離せれば、礼意を行うを以て足る、丰厚を求むるを必ずとせず。九五爻辞にいわく:坎坑はまだ填満せず、ただ剛に地面と持平せり、過錯なからん。《小象伝》にいわく:坎坑が盈満せざるは、居中の徳がまだ広大ならざるがゆえに。張根がいわく:それはまだ虚心して己を屈し才賢を礼聘して以て自己を輔助する能わず。ゆえに僅かに険難を渡り得る而已。上六爻辞にいわく:繩索を用いて捆縛し起こし、荆棘叢生の牢獄に関進む、三年にしても出て来る能わず、凶険。《小象伝》にいわく:上六は正道を失掉して、凶険は三年を持続せん。張根がいわく:これは復卦上六の「迷復」の過錯と一類。
離卦(離下離上)
離下離。離:利貞,亨。凡有所麗,惟正乃亨。畜牝牛吉。坎君道也,離臣道也。彖曰:離,麗也。日月麗乎天,百穀草木麗乎土。臣之麗君也,猶日月之麗天。重明以麗乎正,乃化成天下。明明在上,惟正之麗,化何為而不成哉?柔麗乎中正,故亨,是以畜牝牛吉也。象曰:明兩作,離。大人以繼明照于四方。文武之謂上。
離卦の卦体は、下卦が離、上卦もまた離(「離下離」の下に一「上」の字を脱す)。卦辞にいわく:正を守るに利しく、亨通。張根が解していわく:凡そ依附する所有れば、ただ依附して正を得て初めて亨通し得。卦辞にいわく:母牛を畜養すれば吉祥。張根がいわく:坎が講ずるは君道、離が講ずるは臣道。《彖伝》にいわく:いわゆる離は、すなわち依附。日月は天上に依附し、百穀草木は土上に依附す。張根がいわく:臣子が君主に依附するは、日月が天に依附するに似たり。《彖伝》にいわく:重重の光明を以て正道に依附して、初めて天下を化育成就し得。張根がいわく:光明の君主が上に在り、臣下の依附する所はまたみな正道なれば、教化は成らざる有らんや。《彖伝》にいわく:柔爻が中正の位に依附す。ゆえに亨通、ここにおいて母牛を畜養して吉祥。《大象伝》にいわく:両重の光明が相継いで升起す、すなわち離。大人はそれに取法して、相継ぎ絶えざる光明を以て四方を照臨す。張根がいわく:これは説くは周文王・周武王(末の一「上」の字は疑わしく衍文)。
初九,履錯然,敬之無咎。象曰:履錯之敬,以辟咎也。麗最在下,不得不爾。六二,黃離,元吉。象曰:黃離元吉,得中道也。傅說之事。九三,日昃之離,不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶。象曰:日昃之離,何可久也。過分而不能退故。
初九爻辞にいわく:脚步が錯雑紛乱し、恭敬に対待すれば過錯なからん。《小象伝》にいわく:脚步が錯雑する時に恭敬を保持するは、用いて過錯を避開するなり。張根が解していわく:それの依附する所の位置は最も下面、已むを得ずこうなり。六二爻辞にいわく:中和の黄色に附着す、大吉。《小象伝》にいわく:黄離して大吉は、中道を得るがゆえに。張根がいわく:これは傅説が商王武丁を輔佐するのあの類の事に相当す。九三爻辞にいわく:太陽が西に偏する時の附麗。この時に瓦缶を敲いて唱歌し自楽せざれば、則ちただ老朽将尽の悲嘆あるのみ、凶険。《小象伝》にいわく:太陽が西に偏するの附麗は、どうして長久し得ようか。張根がいわく:彼が本分を過ぎてしかも退下来を肯んぜざるがゆえに。
九四,突如其來如,焚如,死如,棄如。象曰:突如其來如,無所容也。主弱臣強,王敦之謂。六五,出涕沱若,戚嗟若,吉。象曰:六五之吉,離王公也。雖非其位而傳襲之正,遭變能戚,終得公侯之助,上九是也,晉成之事。上九,王用出征,有嘉折首,匪其醜,無咎。象曰:王用出征,以正也。周公東征是以,王導似之。
九四爻辞にいわく:来勢は突然にして猛烈、火の焼き起こるがごとく、人の死掉するがごとく、拋棄せらるるがごとし。《小象伝》にいわく:来勢が突然なるは、天地間に彼の身を容るる処なきがゆえに。張根が解していわく:これは君主が軟弱にして臣下が強横なるなり、東晋の王敦の叛乱はすなわちこの種の情形。六五爻辞にいわく:眼涙は雨のごとく流れ下り、憂愁して嘆息す、吉祥。《小象伝》にいわく:六五の吉祥は、それが王公に依附するがゆえに。張根がいわく:それは陽位に当たらざるも、しかし継承の名分は正なり。変乱に遭逢して能く憂懼すれば、最終に公侯の援助を得。あの公侯はすなわち上九、これは晋成帝が王敦・蘇峻の乱を平定するのあの類の事に相当す。上九爻辞にいわく:君王は兵を出して征討し、嘉美の戦果あり、首悪を斬獲して、彼の党衆を牽連せず、過錯なからん。《小象伝》にいわく:君王が兵を出して征討するは、天下を端正せんが為め。張根がいわく:周公が東征するに憑るはすなわちこの道理、東晋の王導もまた彼と相似たり。
呉園易解巻第四(下経 咸至益)
咸卦(艮下兌上)
下經。艮下兌上。咸:亨,利貞,取女吉。彖曰:咸,感也。柔上而剛下,二氣感應以相與,止而說,男下女,是以亨,利貞,取女吉也。天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平。所欲與之聚,所惡勿施爾之謂。觀其所感,而天地萬物之情可見矣。未有不相下而能應者。象曰:山上有澤,咸。水潤下而山虛,感應如此。君子以虛受人。如響之投谷。感、恆、遁、大壯、晉、明夷、家人、睽、蹇、解、捐、益。
以下は下経。咸卦の卦体は、下卦が艮、上卦が兌。卦辞にいわく:亨通、正を守るに利しく、女子を娶れば吉祥。《彖伝》にいわく:いわゆる咸は、すなわち感応。柔が上に在り剛が下に在り、陰陽の二気が互相に感応して彼此に親附す。一方は安止し一方は喜悅し、男方は主動して女方の下に屈居す。ゆえに亨通・正を守るに利しく・女を娶りて吉祥。天地が互相に感応すれば、万物は則ち化育生長す。聖人が人心を感動すれば、天下は則ち和平。《彖伝》にいわく:それが感応する所の対象を観察せば、天地万物の実情は則ち看出し得べし。張根がいわく:未だかつて己を屈し人に下るを肯んぜざるにして感応を得るあらざりき。《大象伝》にいわく:山上に沢あり、すなわち咸。張根がいわく:水は下に向かい浸潤して山体は中虚、感応はすなわちこうなり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、虚己の心を以て別人を接納す。張根がいわく:これは声を山谷に投じて則ち回響あるに似たり。(本巻の卦目:咸・恒・遁・大壮・晋・明夷・家人・睽・蹇・解・損・益。抄本は此の目を正文に錯入し、「咸」を「感」に誤り、「損」を「捐」に誤れり。)
初六,咸其拇。象曰:咸其拇,志在外也。感之道以虛為主,故近取諸身則下卦皆失,莫若靜之為愈;至四然後悔亡,惟五為無悔。六二,成其腓,凶,居吉。象曰:雖凶居吉,順不害也。迫而後動可矣。九三,咸其股,執其隨,往吝。象曰:咸其股,亦不處也;志在隨人,所執下也。旣不能先人,又不能守靜,區區之志在隨人而已,益可羞也。
初六爻辞にいわく:感応は脚の大拇指の上に在り。《小象伝》にいわく:感応が拇指に在るは、心志が已に外面に向かうがゆえに。張根が解していわく:感応の道は虚静を以て主と為す。ゆえにこの一卦が人身に就近に取譬する時、下卦の三爻はみな分寸を失せり、安静の為とするに如かず。九四に至りて初めて悔恨が消失し得て、ただ九五のみが真に悔恨なしと算す。六二爻辞にいわく:感応は小腿肚の上に在り、凶険、安居して動かざれば則ち吉(「成」は「咸」と作るべし)。《小象伝》にいわく:凶険なるも、安居すれば則ち吉は、柔順なれば則ち被害せられざるがゆえに。張根がいわく:已むを得ず動く時に逼らるるに至りて再び動いて初めて可なり。九三爻辞にいわく:感応は大腿の上に在り、抱住する所はただ人に跟い走るのこの一事、前往すれば憾惜あり。《小象伝》にいわく:感応が大腿に在るは、また安処を肯んぜざるがゆえに。心志が別人に跟随するに在るは、抱持する所の東西は太く低下なり。張根がいわく:既に別人の前面に走る能わず、また安静を守住する能わず、あの点の心思はただ人に跟い跑るに在る、則ちいよいよ可羞なり。
九四,貞吉悔亡,憧憧往來,朋從爾思。象曰:貞吉悔亡,未感害也。惟正可免。憧憧往來,未光大也。此有心於感而未能無心於求者也,無心者其惟五乎。九五,咸其脢,無悔。象曰:咸其脢,志末也。末,無也,與末如之何之末同。上六,咸其輔頰舌。象曰:咸其輔頰舌,滕口說也。是謂辭費,兌之體故。
九四爻辞にいわく:正を守りて吉祥、悔恨は消失す。心神が定まらずに来来往往すれば、朋友らはただあなたのこの点の心思に跟い轉る。《小象伝》にいわく:正を守りて吉祥にして悔恨が消失するは、まだ感応に傷害せられざるがゆえに。張根が解していわく:ただ正を守って初めて傷害を免れ得。《小象伝》にいわく:心神が定まらずに来往するは、心量がまだ光明広大に足らざるがゆえに。張根がいわく:これは意を以て人を感ぜんと欲して、しかしなお无心にして求むるを做到せざる人。能く无心を做到するは、おそらくただ九五か。九五爻辞にいわく:感応は背脊肉の上に在り、悔恨なし。《小象伝》にいわく:感応が背脊肉に在るは、心志の上に係着する所なきがゆえに。張根がいわく:この「末」はすなわち「无」、《論語》の「末如之何」の「末」と一箇の用法。上六爻辞にいわく:感応は牙床・面頬と舌頭の上に在り。《小象伝》にいわく:感応が牙床面頬舌頭に在るは、ただ口上の説得きれいに靠る而已。張根がいわく:これを言辞が浮泛多余と称す、上六が兌体に属し、兌は口舌を主とするがゆえに。
恒卦(巽下震上)
巽下震上。恆:亨,無咎,利貞,利有攸往。彖曰:恆,久也。剛上而柔下,雷風相與,巽而動,剛柔皆應,恆。恆亨無咎利貞,久於其道也。貞固之謂。天地之道,恆久而不已也。利有攸往,終則有始也。此所以為恆。日月得天而能久照,四時變化而能久成,聖人久於其道而天下化成。觀其所恆,而天地萬物之情可見矣。化成在久。象曰:雷風,恆。其序順也。君子以立不易方。萬物莫足以傾之謂。
恒卦の卦体は、下卦が巽、上卦が震。卦辞にいわく:亨通、過錯なからん、正を守るに利しく、往く所有るに宜し。《彖伝》にいわく:いわゆる恒は、すなわち長久。剛が上に在り柔が下に在り、雷と風とが相互に助長し、謙遜にしてまた能く行動し、剛爻柔爻が両両相応ず、これがすなわち恒。恒卦が亨通・過錯なし・正を守るに利しきは、能く長久にその道に行くがゆえに。張根が解していわく:これがすなわち正を守りて堅固なり。《彖伝》にいわく:天地の道理は、すなわち恒久にして停止せず。往く所有るに宜しきは、終結してまた重新开始するがゆえに。張根がいわく:これがまさにそれが「恒」と称せらる緣故。《彖伝》にいわく:日月は天道を得てゆえに能く長久に照耀し、四時は不断に変化してゆえに能く長久に万物を成就し、聖人は長久にその道に行いて、ここにおいて天下はみな化育成就せらる。それが恒守する所の東西を観察せば、天地万物の実情は則ち看出し得べし。張根がいわく:化育成就は全く一箇の「久」の字に在り。《大象伝》にいわく:雷と風と、すなわち恒。張根がいわく:それらの次序が相順なるがゆえに。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、身を立てて自己の方向を改変せず。張根がいわく:これがすなわち万物みな彼を傾倒せしむるに足らざるなり。
初六,浚恆,貞凶,無攸利。未可以貞而貞。象曰:浚恆之凶,始求深也。居恆之始而遂責人之知,其能免乎?九二,悔亡。久中之利如此。象曰:九二悔亡,能久中也。九三,不恆其德,或承之羞。重剛而不中故。貞吝。非所貞而貞。象曰:不恆其德,無所容也。
初六爻辞にいわく:一上來すれば則ち深く恒久を求む、正を守るも凶険、好処あることなし。張根が解していわく:これはまだ固守すべからざる時に当たり硬に固守せんと欲するなり。《小象伝》にいわく:深く恒久を求むるの凶険は、一開始にして則ち求むること太く深きがゆえに。張根がいわく:恒卦の最初に処して、則ちすぐに別人に自己を了解するを要求す、これでどうして凶険を免れ得ようや。九二爻辞にいわく:悔恨は消失す。張根がいわく:長久に中を守るの好処はすなわちこうなり。《小象伝》にいわく:九二が悔恨を消失するは、能く長久に中道を守住するがゆえに。九三爻辞にいわく:自己の徳性を恒守する能わざれば、則ち羞辱を招来する可し。張根がいわく:それが両重の剛爻が相畳してしかも中位に居らざるがゆえに。爻辞にいわく:正を守るも憾惜あり。張根がいわく:これは固守すべからざる処に於て硬に固守せんと欲するなり。《小象伝》にいわく:徳性を恒守する能わざれば、則ち身を容るる処なし。
九四,田無禽。象曰:久非其位,安得禽也。免寇幸矣。六五,恆其德,貞,婦人吉,夫子凶。君道主變故。象曰:婦人貞吉,從一而終也;夫子制義,從婦凶也。上六,振恆,凶。象曰:振恆在上,大無功也。變更易常之謂。
九四爻辞にいわく:打猟して禽獣を打ち得ず。《小象伝》にいわく:長久に自己に属せざる位置に待居して、どうして禽獣を打ち得ようや。張根が解していわく:能く盗寇を招来せざれば則ち僥倖と算す。六五爻辞にいわく:自己の徳性を恒守して、正を守る。これは婦人に在りては吉祥、男子に在りてはしかし凶険。張根がいわく:君主たるの道理は能く変通するを主と為すがゆえに。《小象伝》にいわく:婦人が正を守りて吉祥は、一より終るに従うがゆえに。男子は応に義理に按じて事情を裁断すべし、ひとえに婦人に順従すれば則ち凶険。上六爻辞にいわく:動揺不定に恒久を講ず、凶険。《小象伝》にいわく:動揺不定にして上位に居るは、大いに无功なり。張根がいわく:これがすなわち常規を変更し旧法を更易するなり。
遁卦(艮下乾上)
艮下乾上。遁:亨,小利貞。遁亨利貞,未至於否。彖曰:遁亨,遁而亨也。剛當位而應,與時行也。無成之主。小利貞,浸而長也。聖人不畏剝而畏遁,以其方長也。遁之時義大矣哉。見幾而作,非大人不能。象曰:天下有山,遁。君子以逺小人,不惡而嚴。全身遠害之道。
遁卦の卦体は、下卦が艮、上卦が乾。卦辞にいわく:亨通、小なる方面に正を守るに利し。張根が解していわく:遁卦はなお亨を講じ利貞を講ず、説明するはまだ否卦の地步に壊れるに至らざるなり。《彖伝》にいわく:遁卦が亨通は、能く退避してゆえに亨通。九五の剛爻が位に当たりて六二と相応ず、時勢に随いて行くがゆえに。張根がいわく:これは一位の事を成す能わざる君主。《彖伝》にいわく:小なる方面に正を守るに利しきは、陰気がまさに逐漸に生長する中に在るがゆえに。張根がいわく:聖人は剥卦を怕れずして遁卦を怕る、遁時の陰気がまさに上に向かい長ずる中に在るがゆえに。《彖伝》にいわく:遁卦の処する時機の意義は太く重大。張根がいわく:能く苗头を看出して則ち立刻に行動するは、大人にあらざれば做到せざらん。《大象伝》にいわく:天の底下に山あり、すなわち遁。君子はそれに取法して、小人を遠離す。憎悪を表現せざるも、しかし自ら一種の威厳あり。張根がいわく:これは自身を保全し禍害を遠離するの弁法。
初六,遁尾,厲,勿用有攸往。象曰:尾遁之厲,不往何災也。二為遁首,初在其後,其危可必,勿往乃免。六二,執之用黃牛之革,莫之勝說。象曰:用黃牛,固志也。此為遁者也,尚欲收賢市譽,所以異於否。九三,係遁,有疾厲,畜臣妾吉。象曰:係遁之厲,有疾憊也;畜妾吉,不可大事也。最近於二,見執者也,欲去不能,祿仕乃可。
初六爻辞にいわく:退避の時に最後に落ち、危険あり、往く所有ること勿れ。《小象伝》にいわく:後面に落ちて退避するの危険は、ただ前に走り往かざればまた何の災禍あらんや。張根が解していわく:六二は退避の隊伍の頭、初六はその後面に落つる、危険は一定なり。前に走り往かざって初めて禍を免れ得。六二爻辞にいわく:黄牛の皮の做る繩索を用いて彼を捆住せば、誰も解開する能わず。《小象伝》にいわく:黄牛の皮索を用うるは、心志を堅定するなり。張根がいわく:六二は自己は則ち退避せんとする人、しかしなお賢者を留住して美名を博取せんと欲す、これがまさに遁卦と否卦と同じからざるの処。九三爻辞にいわく:牽係せられて退避する能わず、疾患の危険あり。用いて奴僕姬妾を畜養すれば則ち吉祥。《小象伝》にいわく:牽係せられて退避能わざるの危険は、疾患ありて疲憊するがゆえに。奴僕姬妾を畜養して吉祥は、拿て大事を為すに不可なるがゆえに。張根がいわく:九三は六二に離れること最も近く、捆住せられたるあの一箇、走らんと欲すも走り得ず、只好一箇の俸禄を領く小官と為る。
九四,好遁,君子吉,小人否。象曰:君子好遁,小人否也。稍遠於二,善為辭而去。九五,嘉遁,貞吉。象曰:嘉遁貞吉,以正志也。剛明中正,素為小人所服,知其不可為,以禮而去,守節不失,莫之敢害也。上九,肥遁,無不利。象曰:肥遁無不利,無所疑也。鴻飛冥冥,弋人何慕焉。
九四爻辞にいわく:心里に舍て難きあるも毅然として退避す、君子がこう為せば吉祥、小人は做不到。《小象伝》にいわく:君子は能く愛を割きて退避し、小人はしかし能わず。張根が解していわく:九四は六二に離れること稍や遠く、能く措辞を好くして抽身して離去し得。九五爻辞にいわく:嘉美に退避す、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:嘉美に退避して正を守りて吉祥は、心志が端正なるがゆえに。張根がいわく:九五は剛強明智・居中守正、一向に小人の敬服せる所。彼は事已に為し得べからざるを看出して、則ち礼数に依って離去す。節操は守住されて、誰も敢えて彼を害せず。上九爻辞にいわく:寛綽従容に遠退す、利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:従容に遠退して利ならざるなきは、心裏に絲毫の牽掛疑慮なきがゆえに。張根がいわく:これは揚雄の言うがごとく、鴻雁は高飛して冥冥の中に入れば、射猟の人はなおそれを貪図する何ぞあらんや。
大壮卦(乾下震上)
乾下震上。大壯:利貞。不正不足以為大。象曰:大壯,大者壯也。救亂之事。剛以動,故壯。謂大壯如此。大壯利貞,大者正也。正大而天地之情可見矣。由中而行,非大壯而何?天地以正大為壯,況人乎?象曰:雷在天上,大壯。君子以非禮弗履。
大壮卦の卦体は、下卦が乾、上卦が震。卦辞にいわく:正を守るに利し。張根が解していわく:端正ならざれば「大」と称するに足らず。《彖伝》にいわく(原本は「彖」を「象」と誤れり):いわゆる大壮は、陽大の物が強盛。張根がいわく:これは禍乱を拯救するの事。《彖伝》にいわく:剛強を以て行動す、ゆえに強盛。張根がいわく:大壮の意思はすなわちこうなり。《彖伝》にいわく:大壮は正を守るに利しきは、陽大の物が端正なるがゆえに。端正にして盛大なれば、天地の実情は則ち看出し得べし。張根がいわく:中道に由りて行けば、大壮にあらずしてまた何ぞ。天地はみな正大を以て強盛と為す、いわんや人をや。《大象伝》にいわく:雷が天上に響く、すなわち大壮。君子はそれに取法して、凡そ礼に合せざる事は一概に為さず。
初九,壯于趾,征凶,有孚。象曰:壯于趾,其孚窮也。勝廣之事。九二,貞吉。象曰:九二貞吉,以中也。吳芮之事。九三,小人用壯,君子用罔,貞厲,羝羊觸藩,羸其角。象曰:小人用壯,君子用也。項籍之事。
初九爻辞にいわく:強壮は脚趾の上に表現す、出征すれば凶険、これは確鑿にして信ずべし。《小象伝》にいわく:強壮が脚趾に在るは、あの份の確信はただ自己を窮途に逼至せしむる而已。張根が解していわく:これは陳勝・呉広が起兵するのあの類の事に相当す。九二爻辞にいわく:正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:九二が正を守りて吉祥は、それが中に居るがゆえに。張根がいわく:これは長沙王呉芮が臣節を謹守するのあの類の事に相当す。九三爻辞にいわく:小人はひとえに強を逞し、君子はしかし強壮を無物と視す。正を守るも危険あり、公羊が角を用いて籬笆を頂し往けば、結果に角が卡住せらるるがごとし。《小象伝》にいわく:小人はひとえに強を逞し、君子はしかしこう用いず(此処に原本に脱文あり)。張根がいわく:これは項羽のあの類の事に相当す。
九四,貞吉悔亡,藩決不羸,壯于大輿之輹。象曰:藩決不羸,尚往也。漢祖之事。六五,喪羊于易,無悔。象曰:喪羊于易,位不當也。子嬰之事。上六,羝羊觸藩,不能退,不能遂,無攸利,艱則吉。象曰:不能退不能遂,不詳也;艱則吉,咎不長也。田橫之事。
九四爻辞にいわく:正を守りて吉祥、悔恨は消失す。籬笆が衝開せられて、角は再び卡住せられず。強壮は大車の車軸伏兎のごとき堅実なり。《小象伝》にいわく:籬笆が衝開して角が受困せざるは、なお前に走り往き得るがゆえに。張根が解していわく:これは漢高祖のあの類の事に相当す。六五爻辞にいわく:田畔に於て羊を丢し、悔恨なし。《小象伝》にいわく:田畔にて羊を丢すは、爻位が当たらざるがゆえに。張根がいわく:これは秦王子嬰のあの類の事に相当す。上六爻辞にいわく:公羊が籬笆を頂す、退くも退出し得ず、進むも進過し得ず、好処あることなし。処境は艱難にして能く自守せば則ち吉祥。《小象伝》にいわく:退くこと得ず進むこと成らざるは、想して周全し得ざるがゆえに。艱難にして能く守れば則ち吉祥は、過失が拖長せざるがゆえに。張根がいわく:これは田横のあの類の事に相当す。
晋卦(坤下離上)
坤下離上。晉:康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。君子有不進,進當如此。彖曰:晉,進也。明出地上,順而麗乎大明,柔進而上行,是以康侯用錫馬蕃庶,晝日三接也。明明在上,可進之時,道合志從,無嫌於銳。象曰:明出地上,晉。君子以自昭明德。當無餘蘊。
晋卦の卦体は、下卦が坤、上卦が離。卦辞にいわく:四方を安定したる諸侯は天子より大量に車馬を賞賜せられ、一天の内に三度接見せらる。張根が解していわく:君子は本来出仕を肯んぜざるの時あり。真に出仕すれば、応にこのごとくあるべし。《彖伝》にいわく:いわゆる晋は、すなわち前進。光明が地面より升出して、柔順にして大光明に依附し、柔爻が上進して前に行く。ゆえに安国の諸侯は車馬を賜ること衆多、一天に三度接見せらると言う。張根がいわく:光明の君主が上に在れば、まさに進用すべき時。道が相合し志が相従えば、則ち自己が進取して太く急なるを嫌うを必ずとせず。《大象伝》にいわく:光明が地面より升出す、すなわち晋。君子はそれに取法して、自ら自己の光明の徳性を彰明す。張根がいわく:応に徳性を全部顕発し出して、一点の隠蔵を留めざるべし。
初六,晉如摧如,貞吉,罔孚,無咎。象曰:晉如摧如,獨行正也;無咎,未受命也。者,寛以居之之謂。進之始,其勢必如是,是以君子難處。六二,晉如愁如,貞吉,受茲介福于其王母。王母猶文母也。象曰:受茲介福,以中正也。六三,眾允,悔亡。象曰:眾允之志,上行也。信則人任焉。
初六爻辞にいわく:上進せんと欲するも挫抑せられ、正を守りて吉祥。信任せられざる時は従容寛綽すれば、則ち過錯なからん。《小象伝》にいわく:上進せんと欲して挫抑せらるるは、独自に正道に走るがゆえに。過錯なきは、まだ任命を接受せざるがゆえに。張根が解していわく:いわゆる「裕」は、すなわち寛綽に自処するなり(「者」の上に原本は一「裕」の字を脱す)。上進の開頭に、形勢は必ずこのごとし。ゆえに君子はこの時に自処すること甚だ難し。六二爻辞にいわく:上進せんと欲するも心中に愁苦し、正を守りて吉祥、王母の処よりこのごとき大なる福分を受く。張根がいわく:ここの「王母」は、先王之后を「文母」と称するに似たり。《小象伝》にいわく:このごとき大なる福分を受くるは、六二がまた中また正なるがゆえに。六三爻辞にいわく:衆人の信頼を得て、悔恨は消失す。《小象伝》にいわく:衆人が信頼するの心志は、上に向かい行進するがゆえに。張根がいわく:信用有れば、人々は自然に彼に托付するを肯んず。
九四,晉如鼫鼠,貞厲。象曰:鼫鼠貞厲,位不當也。尸素貪鄙之謂。六五,悔亡,失得勿恤,往吉,無不利。象曰:失得勿恤,往有慶也。毋悼後害之謂。柔進而上行,麗乎火明,何恤之有?上九,晉其角,維用伐邑,厲吉,無咎,貞吝。象曰:維用伐邑,道未光也。進不可極如此。
九四爻辞にいわく:上進の様子はただ隻の碩鼠のごとく、正を守るも危険あり。《小象伝》にいわく:碩鼠のごとく正を守りて危険あるは、爻位が当たらざるがゆえに。張根が解していわく:これがすなわち尸位素餐・貪婪鄙陋の意思。六五爻辞にいわく:悔恨は消失す。失と得とはみな往きて憂慮するを必ずとせず、前往すれば吉祥、利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:失得にみな憂慮するを必ずとせざるは、前往すれば福慶あらん。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の講ずる後日の禍害を常に擔心すること勿れ。六五は柔爻が上進して前行して、火の光明に依附す、また何の憂慮すべきあらんや。上九爻辞にいわく:上進して獣角の尖端に至れば、ただ用いて自己の城邑を討伐するのみ。危険あるも吉祥、過錯なからん、正を守るも憾惜あり。《小象伝》にいわく:ただ用いて自己の城邑を討伐するのみは、道がまだ光大ならざるがゆえに。張根がいわく:上進は極端に推し至るべからず、すなわちこの道理。
明夷卦(離下坤上)
離下坤上。明夷:利艱貞。彖曰:明入地中,明夷。內文明而外柔順,以□大難,文王以之。利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。明不可夷也,人謂之夷耳。文王具一卦之體,箕子得一爻之用。文王在外而勢大,箕子在內而地親,易地則皆然。象曰:明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。察見淵魚者不祥。
明夷卦の卦体は、下卦が離、上卦が坤。卦辞にいわく:艱難の中に正を守るに利し。《彖伝》にいわく:光明が地中に沈入す、すなわち明夷。内裏に文明にして外表は柔順、この種の弁法を用いて大難を承受す、周文王はすなわちこう為したり(「以」の上に一字残缺、《周易》に拠れば「蒙」と作るべし)。艱難に正を守るに利しきは、自己の光明を隠蔵するなり。身は内部の患難に処して能く自己の心志を守正す、箕子はすなわちこう為したり。張根が解していわく:光明は本来傷るべからざるなり、ただ別人が以てそれを傷れりと為す而已。文王が体現するは整整として一卦の格局、箕子が得到するはその中の一爻の用処。文王は外に在りて勢力大、箕子は内に在りて地位は親近、両人が処境を換えれば、做法もまた一樣なり。《大象伝》にいわく:光明が地中に沈入す、すなわち明夷。君子はそれに取法して、民衆を治理するに表面上は含晦して心裏は明察。張根がいわく:《韓非子》がかつていえる、能く淵中の魚を看清するは、かえって吉利ならずと。
初九,明夷于飛,垂其翼,君子于行,三日不食,有攸往,主人有言。象曰:君子于行,義不食也。明夷之初,避難早也。六二,明夷,夷于左股,用拯馬壯,吉。象曰:六二之吉,順以則也。微子之事。九三,明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。象曰:南狩之志,乃大得也。文王之事。
初九爻辞にいわく:光明が傷るる時にまさに飛翔し、翅膀を垂下せり。君子は路上に趕行して、三天に飯を吃する能わず。往く所有れば、主人はなお閑話を言わん。《小象伝》にいわく:君子が路上に趕行するは、理に按れば飯を顧るに及ばず。張根が解していわく:これは明夷の初、難を避るること早きなり。六二爻辞にいわく:光明が傷られ、傷は左辺の大腿の上に在り。一匹の健壯の馬を用いて救助せば、吉祥。《小象伝》にいわく:六二の吉祥は、柔順にして法則に合乎するがゆえに。張根がいわく:これは微子のあの類の事に相当す。九三爻辞にいわく:光明が傷られる時に南方に向かい巡狩して、あの首悪を捕獲す、操之過急に正を求むべからず。《小象伝》にいわく:南狩の心志は、ここにおいて大いに所得あり。張根がいわく:これは周文王のあの類の事に相当す。
六四,入于左腹,明夷之心,于出門庭。象曰:入子左腹,心意也。飛廉惡來是也。六五,箕子之明夷,利貞。象曰:箕子之貞,明不可息也。得仁者之中。上六,不明晦,初登于天,後入于地。象曰:初登于天,照四國也;後入于地,失則也。
六四爻辞にいわく:左辺の腹心に鑽込みて、明を傷るの君の心思を摸透して、然る後に門庭の裏より走出去り。《小象伝》にいわく:左腹に鑽入するは、相手方の心意を摸到したるなり(「入」の下の「子」の字は「于」と作るべし)。張根が解していわく:商紂の寵臣飛廉・悪来はすなわちこうの人。六五爻辞にいわく:箕子のごとく光明の傷られし時代に自らその明を晦ます、正を守るに利し。《小象伝》にいわく:箕子の守正は、光明は熄滅すべからざるがゆえに。張根がいわく:これは仁者の中道を得着したるなり。上六爻辞にいわく:光を発せずしてただ昏暗あるのみ。起初に天上に升至り、後来に地下に沉入す。《小象伝》にいわく:起初に天上に升至るは、本より四方の国を照耀すべかりしなり。後来に地下に沉入するは、法則を失掉したるがゆえに。
家人卦(離下巽上)
離下巽上。家人:利女貞。家人之正,莫難於女。彖曰:家人,女正位乎內,男正位乎外,男女正,天地之大義也。家人有嚴君焉,父母之謂也。惟正身者然後可以正家。父父,子子,兄兄,弟弟,夫夫,婦婦,而家道正,正家而天下定矣。所謂明內而齊外。象曰:風自火出,家人。君子以言有物而行有恆。正身莫大乎此。
家人卦の卦体は、下卦が離、上卦が巽。卦辞にいわく:女子が正を守るに利し。張根が解していわく:一家の人がみな正に帰せんと欲せば、最も難きは則ち女子のこの一頭に在り。《彖伝》にいわく:家人卦の裏に、女子は内位の上に正を守り、男子は外位の上に正を守る。男女が各々その正を得、これは天地間の大道理。一家の中に厳正の君長有り、指すは則ち父母。張根がいわく:ただ能く自身を端正する人、然る後に初めて能く一家を端正す。《彖伝》にいわく:父親は父親らしく、児子は児子らしく、兄長は兄長らしく、弟弟は弟弟らしく、丈夫は丈夫らしく、妻子は妻子らしくあれば、家道は則ち端正す。家家端正なれば、天下は則ち安定す。張根がいわく:これがすなわち先に内部を照明し、再び外部を斉整するなり。《大象伝》にいわく:風が火の裏より生出す、すなわち家人。君子はそれに取法して、説話に実在の内容あり、行事に恒常の法度あり。張根がいわく:自身を端正するはこの両条より緊要なるなし。
初九,閒有家,悔亡。象曰:閒有家,志未變也。家人之道,尤貴於初。六二,無攸遂,在中饋,貞吉。象曰:六二之吉,順以巽也。所謂婦順而正。九三,家人嗃嗃,悔厲吉;婦子嘻嘻,終吝。象曰:家人嗃嗃,未失也;婦子嘻嘻,失家節也。家道貴嚴,雖過無害;婦子貴順,興嘆非宜。
初九爻辞にいわく:一開始に家の為に防範の規矩を立下して、悔恨は消失す。《小象伝》にいわく:家の為に防範を立下するは、人心志のまだ変壊せざるに趁うがゆえに。張根が解していわく:家を治むるの道理は、尤も開頭を看重す。六二爻辞にいわく:自ら主張を作さず、ただ家中の飲食を操持して、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:六二の吉祥は、柔順にして謙遜なるがゆえに。張根がいわく:これがすなわちいわゆる婦人は柔順にして端正なり。九三爻辞にいわく:家を治むること過度に厳厲せば、悔恨危険あるも、結果は吉祥。婦人孩子が嘻嘻哈哈せば、最終に憾惜あり。《小象伝》にいわく:家を治むること厳厲なるは、まだ分寸を失掉せざるがゆえに。婦人孩子が嘻嘻哈哈するは、則ち一家の規矩を失掉せり。張根がいわく:家道は厳正を以て貴と為し、たとえ稍や過ぎる一点あるも妨害なし。婦人孩子は柔順を以て貴と為し、嬉笑無度・動輒嘆息するはみな合宜ならず。
六四,富家,大吉。象曰:富家大吉,順在位也。忠孝所致,何吉如之?九五,王假有家,勿恤吉。象曰:王假有家,交相愛也。上正下順,何疑之有?文王之事。上九,有孚威如,終吉。象曰:威如之吉,反身之謂也。家人之終,不弛其嚴,疑若有悔,惟反身以率之,此所以信服而無怨也。
六四爻辞にいわく:家庭をして富足せしめば、大吉。《小象伝》にいわく:富家して大吉は、柔順にしてまた当位に居るがゆえに。張根が解していわく:これは忠と孝とが招来したる結果、またこれより吉祥なるあらんや。九五爻辞にいわく:君王は至誠を以て自己の家に感格し、憂慮するを必ずとせず、吉祥。《小象伝》にいわく:君王が家に感格するは、一家人が交相に親愛するがゆえに。張根がいわく:上面が端正・下面が柔順なれば、また何の疑慮すべきあらんや。これは周文王が寡妻に刑るのあの類の事に相当す。上九爻辞にいわく:心に誠信を懐きて威厳あり、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:威厳ありて吉祥は、説くは反りて自己に要求するなり。張根がいわく:家を治むること最後に至るもなお厳正を放松せざるは、看上去に悔恨を招来するに似たり。しかし彼は反躬自責を靠って帯頭して榜様を做するを以てす。ゆえに家人は心悅誠服して怨言なし。
睽卦(兌下離上)
兌下離上。睽:小事吉。此論其常。彖曰:睽,火動而上,澤動而下,二女同居,其志不同行。說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以小事吉。天地睽而其事同也,男女睽而其志通也,萬物睽而其事類也,睽之時用大矣哉。非大人莫能通之。象曰:上火下澤,睽。君子以同而異。可否相濟。
睽卦の卦体は、下卦が兌、上卦が離。卦辞にいわく:小事の上に吉祥。張根が解していわく:これは常態に就いて言うなり。《彖伝》にいわく:睽卦の裏に、火は一動すれば則ち上に升り、沢は一動すれば則ち下に流る。両箇の女子が一緒に住むも、心志はしかし一方向に向かい走らず。それは和悦にして光明に依附し、柔爻が上進して前行し、中に居りて剛爻と相応ず。ゆえに小事の上に吉祥。天地は相乖離するも、しかしそれらの化育の事は同じ。男女は相乖離するも、しかしそれらの心志は能く相通ず。万物は彼此乖離するも、しかしそれらの事理は同類。睽は時勢の上の功用は太く重大。張根がいわく:大人にあらざればこれらの乖離を溝通する法なし。《大象伝》にいわく:上面は火・下面は沢、すなわち睽。君子はそれに取法して、大同の中に自己の不同を保留す。張根がいわく:賛成と反対とが互相に補救す。
初九,悔亡,喪馬勿逐自復,見惡人無咎。象曰:見惡人,以辟咎也。子見南子之事。九二,遇主于巷,無咎。象曰:遇主于巷,未失道也。異乎洩柳之已甚矣。六三,見輿曳,其牛掣,其人天且劓,無初有終。象曰:見輿曳,位不當也;無初有終,遇剛也。一陰處二陽之間,故見疑於上九;上九剛明不終疑也,故有遇雨之吉。
初九爻辞にいわく:悔恨は消失す。馬が跑丢失しても追うを必ずとせず、それは自ら回帰せん。往きてあの自己の厭悪する人に見えば、過錯なからん。《小象伝》にいわく:厭悪する人に見ゆるは、過錯を避開せんが為め。張根が解していわく:これは孔子が往きて衛霊公夫人南子に見えしのあの類の事に相当す。九二爻辞にいわく:小巷の裏に君主に遇上す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:巷子の裏に君主に遇見するは、正道を失掉せざるがゆえに。張根がいわく:これは泄柳が門を閉じて魯繆公を納れざりしのあの種の過分の做法と同じからず。六三爻辞にいわく:車子の拖住せらるるを看、車を拉く牛の牽制せらるるを看。駕車の人は額上に字を刺され鼻子を割られ。起初に順ならざるも、最後に好結構あり。《小象伝》にいわく:車子が拖住せらるるを看るは、爻位が当たらざるがゆえに。起初に順ならずして最後に好結構あるは、剛爻に遇上したるがゆえに。張根がいわく:六三のこの一箇の陰爻は両箇の陽爻の中間に夾まり。ゆえに上九に猜疑せらる。上九は剛強明智、一直に疑い下去せざらん。ゆえに後に「遇雨」の吉祥あり。
九四,睽孤,遇元夫,交孚,厲無咎。象曰:交孚無咎,志行也。失位無應,下交於初,同志相求,何咎之有?六五,悔亡,厥宗噬膚,往何咎。象曰:厥宗噬膚,往有慶也。所謂柔進而上行,得中而應乎剛也。上九,睽孤,見豕負塗,載鬼一車,先張之弧,後說之弧,匪寇婚媾,往遇雨則吉。象曰:遇雨之吉,群疑亡也。睽極則反,斷決之義。
九四爻辞にいわく:乖離して孤単なるも、あの善士に遇上して、彼此に誠を以て相交る。危険あるも過錯なからん。《小象伝》にいわく:誠を以て相交りて過錯なきは、心志が推行を得るがゆえに。張根が解していわく:九四は位を失しまた正応なし、下に向かい往きて初九と結交して、志同じく道合して互相に尋求す、何れの処に過錯あらんや。六五爻辞にいわく:悔恨は消失す。彼の宗族の親は嫩肉を咬むがごとく順利に合し到る、前往すればまた何の過錯あらんや。《小象伝》にいわく:宗親の相合して嫩肉を噬するがごときは、前往すれば福慶あらん。張根がいわく:これがすなわち《彖伝》の講ずる「柔進而上行、得中而応乎剛」なり。上九爻辞にいわく:乖離して孤単に、一頭の猪の背上に汚泥を沾満するを看、また一車子の鬼を看。先に弓を張開して射んと欲し、後にまた弓を放下す。来るは並びに強盗にあらずして、婚配を求むるなり。前往して雨に赶上れば則ち吉祥。《小象伝》にいわく:雨に遇うの吉祥は、種種の猜疑がみな消散したるがゆえに。張根がいわく:乖離は極点に至れば則ち反転せんと欲す、ここに果断に疑を決する道理を含む。
蹇卦(艮下坎上)
艮下坎上。蹇:利西南,不利東北。文王與紂之事,所謂往來之義如此。利見大人,貞吉。呂望之事。彖曰:蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉。蹇利西南,往得中也;不利東北,其道窮也;利見大人,往有功也;當位貞吉,以正也。蹇之時用大矣哉。睽蹇皆君子用權之時,而睽以柔得中,蹇以剛得位,此所以或言小事吉,或言利見大人也。象曰:山上有水,蹇。其流通之性闕矣。君子以反身修德。下學上逹而已。
蹇卦の卦体は、下卦が艮、上卦が坎。卦辞にいわく:西南に往くに宜しく、東北に往くに宜しからず。張根が解していわく:これは周文王と商紂とのあの類の事に相当し、いわゆる「往」と「来」との分別はすなわちこうなり。卦辞が接続していわく:大人に見ゆるに宜しく、正を守りて吉祥。張根がいわく:これは呂望が文王に遇えるのあの類の事に相当す。《彖伝》にいわく:いわゆる蹇は、すなわち艱難、険が則ち前面に在るがゆえに。険難を看見して能く止住するは、これは真に明智なるかな。蹇卦は西南に往くに宜しきは、前往すれば則ち中道を得着するがゆえに。東北に往くに宜しからざるは、あの条の路は已に走絶したるがゆえに。大人に見ゆるに宜しきは、前往すれば則ち功を建つるがゆえに。爻位が当を得て正を守りて吉祥は、端正なるがゆえに。蹇は時勢の上の功用は太く重大。張根がいわく:睽と蹇とはみな君子が権変を運用する時。睽は柔爻を以て中を得、蹇は剛爻を以て位を得。ゆえに一箇は「小事吉」と言い、一箇は「利見大人」と言う。《大象伝》にいわく:山上に水あり、すなわち蹇。張根がいわく:水は本応に流通すべきも、山上に在れば則ち流成らず。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、反りて自身の上に徳性を修養す。張根がいわく:ただ切近の処より学起して、これより天理に上達する而已。
初六,往蹇來譽。象曰:往蹇來譽,宜待也。待時之謂。六二,王臣蹇蹇,匪躬之故。象曰:王臣蹇蹇,終無尤也。比干之事。九三,往蹇來反。象曰:往蹇來反,內喜之也。季子之事。六四,往蹇來連。象曰:往蹇來連,當位實也。連猶連茹之連。微子之事。九五,大蹇朋來。象曰:大蹇朋來,以中節也。二老是也。上六,往蹇來碩,吉,利見大人。象曰:往蹇來碩,志在內也;利見大人,以從貴也。雖脫難而在下,以動為體,附上乃吉爾。箕子之事。
初六爻辞にいわく:前に往けば則ち艱難、退き回れば則ち美誉あり。《小象伝》にいわく:前に艱難・退回に誉あるは、応に等待すべきがゆえに。張根が解していわく:これがすなわち時機を等待するなり。六二爻辞にいわく:王臣は艱難の中に奔走不已するは、自己の私事の為にあらず。《小象伝》にいわく:王臣が蹇蹇は、終竟に過失あらざらん。張根がいわく:これは比干のあの類の事に相当す。九三爻辞にいわく:前に往けば則ち艱難、ここにおいて折返し来る。《小象伝》にいわく:前に艱難にして折返すは、内卦の陰爻がみな彼の回來を歓喜するがゆえに。張根がいわく:これは呉国の季札が国を譲りしのあの類の事に相当す。六四爻辞にいわく:前に往けば則ち艱難、退き回れば則ち同類と相連す。《小象伝》にいわく:前に艱難・退来に相連するは、爻位が当を得て篤実なるがゆえに。張根がいわく:この「連」は泰卦の「拔茅連茹」の「連」に似たり。これは微子のあの類の事に相当す。九五爻辞にいわく:大艱難の中に朋類が前来して相助す。《小象伝》にいわく:大蹇に朋来するは、九五が中道の節度に合乎するがゆえに。張根がいわく:これは伯夷・太公の両位の老人が周に帰りしのあの類の事に相当す。上六爻辞にいわく:前に往けば則ち艱難、退き回れば則ち大なる収獲あり、吉祥、大人に見ゆるに宜し。《小象伝》にいわく:前に艱難・退来に碩大は、心志が内卦に在るがゆえに。大人に見ゆるに宜しきは、尊貴の者に跟従せんとするがゆえに。張根がいわく:それはすでに険難を脱出せるも、しかしなお下位に処す。それは震動を以て体と為し、ただ上面に依附して初めて吉祥。これは箕子のあの類の事に相当す。
解卦(坎下震上)
坎下震上。解:利西南。蹇難之□故,不言東北。無所往,其來復吉。箕子之事。有攸往,夙吉。微子之事。彖曰:解,險以動,動而免乎險,解。解利西南,往得眾也。方以類聚之謂。其來復吉,乃得中也。有攸往夙吉,往有功也。經綸之際故。天地解而雷雨作,雷雨作而百果草本皆甲坼,解之時大矣哉。非大人莫能建不拔之基。象曰:雷雨作,解。君子以赦過宥罪。與天下更始。
解卦の卦体は、下卦が坎、上卦が震。卦辞にいわく:西南に往くに宜し。張根が解していわく:蹇卦の艱難はここに至りて已に解除せり。ゆえに再び東北を提せず(此処に一字残缺)。卦辞が接続していわく:往く可き地方なければ、回來すれば則ち吉祥。張根がいわく:これは箕子のあの類の事に相当す。卦辞にいわく:往く可き地方あれば、早めに往けば則ち吉祥。張根がいわく:これは微子のあの類の事に相当す。《彖伝》にいわく:解卦は険に遇うて能く動く、一動すれば則ち険を脱却す。ゆえに解と称す。解卦は西南に往くに宜しきは、前往すれば則ち民衆を得到するがゆえに。張根がいわく:これがすなわち《繋辞》の講ずる「方以類聚」なり。《彖伝》にいわく:回來して吉祥は、中道を得着したるがゆえに。往く可き地方ありて早めに往きて吉祥は、前往すれば則ち功を建つるがゆえに。張根がいわく:これがまさに経緯して天下を治理する時なるがゆえに。《彖伝》にいわく:天地の気が舒解して雷雨が興起し、雷雨が興起して百果草木がみな殻を破りて発芽す、解卦の処する時機の意義は太く重大。張根がいわく:大人にあらざれば牢にして拔き難きの基業を建立する能わず。《大象伝》にいわく:雷雨が興起す、すなわち解。君子はそれに取法して、過失を赦免し罪犯を寛宥す。張根がいわく:これは天下人と重新に開始するなり。
初六,無咎。象曰:剛柔之際,義無咎也。坎為難者也,震脫難斯討難矣,故上卦皆有討難之辭,而下卦皆有受討之義。初非難首,而以柔在下,復居解始,是以免也。九二,田三狐,得黃矢,貞吉。象曰:九二貞吉,得中道也。二為難首,進退疑懼,六五之若不為已甚,故得以自歸焉。六三,負且乘,致寇至,貞吝。象曰:且乘,亦可醜也;自我致戎,又誰咎也。為難之黨,既免於討幸矣,復竊高位,宜見伐也。
初六爻辞にいわく:過錯なからん。《小象伝》にいわく:剛と柔とが此処に交接す、理に按れば過錯なからん。張根が解していわく:坎は禍難を製造する一方、震は既に禍難を脱出せば、接続して則ち禍難を討伐せんと欲す。ゆえに上卦の各爻はみな討伐の辞意を帯び、下卦の各爻はみな討伐せらるるの意思を含む。初六は禍首にあらず、また柔弱を以て最下に居り、しかも解の開頭に処す。ゆえに能く禍を免る。九二爻辞にいわく:田猟の中に三隻の狐狸を捉え、黄銅の箭鏃を得到し、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:九二が正を守りて吉祥は、中道を得着したるがゆえに。張根がいわく:九二は禍首、進退両難にして心に畏懼を懐く。六五のそれに対する処置は太く過分と算せず。ゆえにそれは自ら前来して帰附するを得。六三爻辞にいわく:東西を背負いてなお車上に坐る、強盗を招来し、正を守るも憾惜あり。《小象伝》にいわく:東西を背負いてなお車に乗るは、また可羞なり。これは自ら兵禍を招来したる、なお誰を怪まんや。張根がいわく:それは本是に乱を作す一伙の人、能く討伐を免るるは已に僥倖なれど、しかしなお高位を窃据せんと欲す。討伐せらるるは応當なり。
九四,解而拇,朋至斯孚。象曰:解而拇,未當位也。既脫險難而強進之謂。六五,君子維有解,吉,有孚于小人。象曰:君子有解,小人退也。大賚四海之謂。上六,公用射隼于高墉之上,獲之無不利。象曰:公用射隼,以解悖也。險難大平,可以行其道矣。得位而在一卦之上,故謂之公。周召之事。
九四爻辞にいわく:あなたの脚上の大拇指を解き放て、朋友が来て初めてあなたを相信せん。《小象伝》にいわく:脚拇指を解き放つは、爻位がまだ恰当ならざるがゆえに。張根が解していわく:これは険難が已に脱出せしに、それはなお硬に前に向かい擠せんと欲するを言う。六五爻辞にいわく:君子はただ能く糾纏を解除すれば、則ち吉祥、小人すらもまたこれによって信服せん。《小象伝》にいわく:君子が能く糾纏を解除すれば、小人は自然に退去す。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の講ずる「大賚于四海」、大いに封賞を行いて天下の心を帰せしむるなり。上六爻辞にいわく:王公は高墻の上にあの鷹隼を射て、射中し、利ならざる所なし。《小象伝》にいわく:王公が隼を射るは、悖乱を解除せんと欲するなり。張根がいわく:険難は已に大体に平定せり、自己の道を推行すべし。この一爻は居位当を得て一卦の上に処す。ゆえに「公」と称す。これは周公・召公のあの類の事に相当す。
損卦(兌下艮上)
兌下艮上。損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。下不可損,其或損者必其上也;上行而不悖,然後可信於天下而無咎也;賢者可貞,君子利往。茲損也,茲所以為益歟。曷之用?二簋可用享。惟如是然後可損,蓋不咈百姓以從己之慾可知。二簋應有時。亦非下事上之常道也。損剛益柔有時。損而不已則至於否矣。損益盈虛,與時偕行。惟當之為貴。象曰:山下有澤,損。所謂山殺瘦,澤增肥。君子以懲忿窒欲。天下之可損莫大於此。茍能如此,則其所謂損下益上,豈有不孚者哉。
損卦の卦体は、下卦が兌、上卦が艮。卦辞にいわく:心に誠信を存し、大吉、過錯なからん、正を守る可し、往く所有るに宜し。何を用いて祭祀せんや。両簋の粗食を以て献享すべし。《彖伝》にいわく:いわゆる損は、下面を減損して上面を增益し、その道は上に向かい行く。減損してなお誠信あれば、則ち大吉・過錯なし・正を守る可し・前往に宜し。張根が解していわく:下面は本来減損すべからざるなり。若し何かの減損すべきあれば、あれは必ず上面ならん。上行して情理に違背せず、然る後に初めて天下に取信して過錯なかるべし。賢者は正を守る可く、君子は前往に宜し。これは名は「損」とすれど、其実はまさに「益」なるか。《彖伝》にいわく:何を用いて祭祀せんや。両簋の粗食を以て献享すべし。張根がいわく:ただこうして初めて損を言う可し、見れば君主は並びに百姓に違逆して自己の欲望を満足せざるなり。《彖伝》にいわく:両簋の粗食もまた時に因りて制宜するを要す。張根がいわく:これもまた臣下が君上に事奉するの常礼にあらず。《彖伝》にいわく:剛強を減損し柔弱を增益するはみな時候を看るを要す。張根がいわく:ひとえに減損して止まざれば、則ち否卦に走り至らん。《彖伝》にいわく:減損・增益・盈満・空虚は、みな時勢に随いて一同に推移するを要す。張根がいわく:ただ恰好に至るを貴と為す。《大象伝》にいわく:山下に沢あり、すなわち損。張根がいわく:これは俗話の言う山が削痩せられ沢が填肥せらるに似たり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、忿怒を懲戒し私欲を堵塞す。張根がいわく:天下の最も減損すべきはこの両様に過ぐるなし。真にこうなれば、則ちいわゆる「損下益上」、どうして人心の信服を得ざらんや。
初九,已事遄往,無咎,酌損之。象曰:已事遄往,尚合志也。損益之事,不敢以先事而言,格君之非,待其已事然後遄往而斟酌以救之,庶幾其可耳。九二,利貞,征凶,弗損益之。象曰:九二利貞,中以為志也。雖征則凶,而守正不變其所為,少損乃所以益之。六三,三人行則損一人,一人行則得其友。象曰:一人行,三則疑也。是謂致一,密勿之義。
初九爻辞にいわく:自己の事を停下して趕忙に前去す、過錯なからん、ただ斟酌して減損するを要す。《小象伝》にいわく:自己の事を停下して趕忙に前去するは、上面と心志が相合するがゆえに。張根が解していわく:減損增益のこの類の事は、臣下は敢えて事情の発生する之前就いて口を開かず。君主の過失を匡正せんと欲せば、事情が已に為し出されしを待ちて、然る後に趕忙に前去して情形を斟酌して補救を加えて、こうして初めて差不多に可行なり。九二爻辞にいわく:正を守るに利しく、出征すれば凶険。自己を減損するを必ずとせずして、已に上面を增益する中に在り。《小象伝》にいわく:九二が正を守るに利しきは、中道を立てて心志と為すがゆえに。張根がいわく:出征すれば則ち凶なれど、しかしただ正を守りて自己の作為を改変せざれば、稍や退譲するは恰恰すなわち增益なり。六三爻辞にいわく:三箇人が同行すれば則ち一箇人を减去せん、一箇人が独行すればかえって伙伴を得到せん。《小象伝》にいわく:一箇人が独行するは、三箇人は則ち互相に猜疑せん。張根がいわく:これを「致一」と称す、専一に相与し勤勉に共事するの意思。
六四,損其疾,使遄有喜,無咎。象曰:損其疾,亦可喜也。納初之說者也。六五,或益之十朋之弗克違,元吉。象曰:六五元吉,自上佑也。為損之主,柔而得中,下說而附,所以福。上九,弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。損而不已必益,茍患失之,焉能與此?
六四爻辞にいわく:自己の毛病を減損して、人をして趕忙に来りて幇忙せしめば則ち喜慶あり、過錯なからん。《小象伝》にいわく:自己の毛病を減損するは、また可喜の事なり。張根が解していわく:これは能く初九の勧諫を接納する人なり。六五爻辞にいわく:人ありて来りて彼を增益す、価値十朋の大亀もまたこの份の吉占を反駁する能わず、大吉。《小象伝》にいわく:六五の大吉は、上面より保佑を得るがゆえに。張根がいわく:六五は損卦の主爻、柔順にして中に居り、下面の人は喜悅して来りてそれに依附す。ゆえに福あり。上九爻辞にいわく:別人を減損するを必ずとせずして已に增益する中に在り、過錯なからん、正を守りて吉祥、往く所有るに宜しく、臣僕を得るは内外親疎を分たず。《小象伝》にいわく:損せずして益するは、大いに心志を実現したるがゆえに。張根がいわく:減損は尽頭に至れば必定に增益に転ず。若しひとえに患得患失せば、どうしてこの歩に達し得ようや。
益卦(震下巽上)
震下巽上。益:利有往,利渉大川。損上益下之時,何用不可?彖曰:益,損上益下,民說無疆;自上下下,其道大光。益而不已,遂至於泰。利有攸往,中正有慶。言中正,則非違道以干百姓之譽可知。利渉大川,木道乃行。中虛故也。益動而巽,日進無疆。不自滿假之謂。天施地生,其益旡方。凡益之道,與時偕行。過則失中。象曰:風雷,益。鼓舞萬物者,雷風乎?雷以動之,風以散之,此其常也,又從而鼓舞之,此物之所以益而不已歟。君子以見善則遷,有過則改。天下所謂益者莫大於此,人主所謂損者莫難於此。
益卦の卦体は、下卦が震、上卦が巽。卦辞にいわく:往く所有るに宜しく、大河を渡るに宜し。張根が解していわく:まさに上面を減損して下面を增益するの時に当たれば、何を為しても行けざらんや。《彖伝》にいわく:いわゆる益は、上面を減損して下面を增益し、百姓の喜悅は辺際なし。上の者は己を屈して下面に俯就せば、その道は則ち大放光明。張根がいわく:こう增益し下去して停まざれば、則ち泰卦に走り至らん。《彖伝》にいわく:往く所有るに宜しきは、中に居りて正を守りて福慶あるがゆえに。張根がいわく:すでに中正と言えば、則ち見るに彼は正道に違背して百姓の赞誉を博取するにあらざるを知るべし。《彖伝》にいわく:大河を渡るに宜しきは、行船の道が施行を得るがゆえに。張根がいわく:巽は木にして中間が空虚、まさに舟船に似たるがゆえに。《彖伝》にいわく:益卦は一動すれば則ち謙遜、天天に進歩して止境なし。張根がいわく:これがすなわち自満せず自大せざるなり。《彖伝》にいわく:天は施降し地は化生し、その增益は一定の方所なし。凡そ增益の道理は、みな時勢に随いて一同に推移するを要す。張根がいわく:頭を過ぐれば則ち中道を失掉す。《大象伝》にいわく:風と雷と、すなわち益。張根がいわく:能く万物を鼓舞するは、おそらく雷と風か。雷は来りてそれらを震動し、風は来りてそれらを吹散す、これは常態。接続してまた鼓舞を加う、これがすなわち万物の不断に增益する所以の緣故か。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、善を見れば則ちそれに向かい靠攏し、過錯有れば則ち改む。張根がいわく:天下の謂う所の「益」は、これより大なるなし。しかして君主を為すの謂う所の「損」も、またこれより難きなし。
初九,利用為大作,元吉無咎。象曰:元吉元咎,下不厚事也。民忘其勞之謂。六二,或益之十朋之弗克違,永貞吉,王用亨於帝,吉。案:大有九三公用亨于天子,隨上六王用亨于西山,升六四王用亨于岐山,皆作亨;惟益六二王用亨於帝作享,朱子語類已言之,相沿已久,今仍其舊。籲俊尊上帝之義同。象曰:或益之,自外來也。
初九爻辞にいわく:用いて大いに土功を興すに宜しく、大吉にして初めて過錯なからん。《小象伝》にいわく:大吉にして過錯なきは、下位の者は本応にこのごとき厚重の工程を承担すべからざるがゆえに(「元咎」は「无咎」と作るべし)。張根が解していわく:これがすなわち《孟子》の講ずる百姓が自己の労苦を忘掉するなり。六二爻辞にいわく:人ありて来りて彼を增益す、価値十朋の大亀もまた反駁する能わず、長久に正を守りて吉祥。君王はそれを用いて上帝を祭享し、吉祥。(四庫館臣校語:大有九三の「公用亨于天子」・随卦上六の「王用亨于西山」・升卦六四の「王用亨于岐山」は、みな「亨」と写作る。ただ益卦六二の「王用亨于帝」のみ「享」と写作る、朱熹《語類》に已に指出せり。沿用して已に久しきがゆえに、現在は仍旧に原様を保留す。)張根がいわく:これは《尚書》の「吁俊尊上帝」、賢俊を招納して以て上帝を尊事する、同一箇の意思なり。《小象伝》にいわく:人ありて来りて彼を增益するは、外面より来るがゆえに。
六三,益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭。與行險以毒天下而民從之,吉又何咎之義同。象曰:益用凶事,固有之也。與若固有之之義同,言民不震不動也。六四,中行告公從,利用為依遷國。事莫難於遷國,當依人而行。象曰:告公從,以益志也。所謂丕從厥志。九五,有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我徳。象曰:有孚惠心,勿問之矣;惠我徳,大得志也。堯舜之仁不徧愛人,急親賢之為務,益下之道孰大於此。上九,莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。象曰:莫益之,偏辭也;或擊之,自外來也。所謂益而不已必決。
六三爻辞にいわく:凶荒を救うの類の急難の事を用いて百姓を增益す、過錯なからん。心に誠信を懐き・行事に中を守りて、王公に禀告する時に手に玉圭を執る。張根が解していわく:これは師卦《彖伝》の講ずる「行険以毒天下而民従之、吉又何咎」と同一箇の道理。《小象伝》にいわく:凶事を用いて增益するは、本来この一層の意思有り。張根がいわく:これは《尚書》の「若固有之」と同一箇の用法、説くは百姓が驚かず動かず、安然として之を受くるなり。六四爻辞にいわく:行事に中を守りて、王公に禀告して聴従を得れば、依托して国都を遷徙するに宜し。張根がいわく:天下の事は遷都より難きなし、必ず人心に依靠して初めて弁じ得。《小象伝》にいわく:王公に禀告して聴従を得るは、天下を增益せんが為めの心志なり。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の講ずる「丕従厥志」なり。九五爻辞にいわく:心に誠信を懐きて人に恵を施す、問うを必ずとせずして則ち大吉。誠信ある人もまた我の恩徳を感念せん。《小象伝》にいわく:誠信ありて恵を施すの心は、則ち再び問うを必ずとせず。我の恩徳を感念するは、大いに心志を実現したるなり。張根がいわく:堯・舜の仁は並びに普遍に毎一箇人を愛するにあらずして、急ぎて賢者に親近するなり。下面を增益するの弁法は、またこれより大なるあらんや。上九爻辞にいわく:彼を增益する人なし、かえって彼を攻撃する人あり。心志を立定するも持久する能わず、凶険。《小象伝》にいわく:彼を增益する人なきは、彼がただ自己の一辺を顧るの偏私の辞。彼を攻撃する人あるは、禍が外面より来るなり。張根がいわく:これがすなわちいわゆる增益止まざれば、必定に決裂せん。
呉園易解巻第五(下経 夬至帰妹)
夬卦(乾下兌上)
下經:夬、姤、萃、升、田、井、革、鼎、震、艮、漸、歸妺。乾下兌上。夬:揚于王庭,孚號有厲,告自邑,不利即戎,利有攸往。彖曰:夬,決也,剛決柔也。健而說,決而和。如是而後可以無悔吝。揚于王庭,柔乘五剛也。必勝於外。孚號有厲,其危乃光也。告自邑,不利即戎,所尚乃窮也。不為已甚。利有攸往,剛長乃終也。除惡務盡。象曰:澤上於天,夬。君子以施祿及下,居徳則忌。澤上於天,其勢必決,君子法之,是以施祿及下而忌居徳焉。
本巻の収する卦は夬・姤・萃・升・困・井・革・鼎・震・艮・漸・帰妹(抄本の卦目は「困」を「田」に誤り、「妹」を「妺」に誤れり)。夬卦の卦体は、下卦が乾、上卦が兌。卦辞にいわく:王庭の上に罪状を公開宣佈して、誠心に呼号して心に危惧を存す。先に自己の封邑より号令を発佈し、すぐに武を動かすに宜しからず、往く所有るに宜し。《彖伝》にいわく:いわゆる夬は、すなわち決断、陽剛が陰柔を決除するなり。剛健にしてまた和悦、決断にしてまた和順。張根が解していわく:このごとくして初めて悔恨と憾惜なかるべし。《彖伝》にいわく:王庭の上に罪状を宣佈するは、一箇の柔爻が五箇の剛爻の上に凌駕するがゆえに。張根がいわく:外面の形勢は必定に勝取し得。《彖伝》にいわく:誠心に呼号して心に危惧を存すは、正に危険を知るがゆえに、徳は初めて光大を顕す。自己の封邑より号令を発佈してすぐに武を動かすに宜しからざるは、ひとえに武力を崇尚すれば則ち窮途に走り至るがゆえに。張根がいわく:これは為し過分すぎること勿れなり。《彖伝》にいわく:往く所有るに宜しきは、陽剛が生長して最後に至りて初めて完成を算するがゆえに。張根がいわく:悪を除くは務めて尽くすを要す。《大象伝》にいわく:水気が天上に升至る、すなわち夬。君子はそれに取法して、俸禄を下面に施与して、徳位を己有に据るを忌諱す。張根がいわく:水汽が天上に積り至れば、形勢上必定に決口して下らん。君子はそれを効法す。ゆえに俸禄を分ちて下面に施して、徳位を独占するを忌諱す。
初九,壯于前趾,往不勝為咎。象曰:不勝而往,咎也。欲速之患。又云:欲速不量之。九二,惕號,莫夜有戎,勿恤。象曰:有戎勿恤,得中道也。在我無歉。九三,壯于頄,有凶。君子夬夬,獨行遇兩若濡,有慍,無咎。決小人之道,不惡而嚴,壯于頄所以凶也,君子反之,是以免也。象曰:君子夬夬,終無咎也。
初九爻辞にいわく:強壮は前脚趾の上に表現す、前往して勝を取る能わざれば則ち過錯と成る。《小象伝》にいわく:勝を取る能わざるを明知してなお前往するは、則ち過錯なり。張根が解していわく:これは急ぎて成を求むるが帯来したる禍患。別一種の解にいわく:これは急ぎて成を求めて自己を掂量せざるなり。九二爻辞にいわく:警惕に呼号す。傍晚に至りて敵兵が来袭するも、また憂慮するを必ずとせず。《小象伝》にいわく:敵兵ありて憂慮するを必ずとせざるは、中道を得着したるがゆえに。張根がいわく:自己のこの一辺に虧欠なきがゆえに。九三爻辞にいわく:強壮は顴骨の上に表現す、凶険あらん。君子は決断して果決に、独自に行走して雨に遇上し、渾身に湿透して、同伴の惱怒を惹くも、過錯なからん。張根がいわく:小人を決除するの弁法は、憎悪の様子を摆出せずして自ら威厳あるなり。強悍を臉上に写すは、まさに凶を招くの原因。君子は反りて之を為す。ゆえに能く禍を免る。《小象伝》にいわく:君子が決断果決するは、終竟に過錯あらざらん。
九四,臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信。象曰:其行次且,位不當也;聞言不信,聰不明也。外卦受決者也,據非其位,自宜逺引庶可以免,而剛戾不信,其危可知。九五,莧陸夬夬,中行無咎。象曰:中行無咎,中未光也。中猶未光,況不中乎?人君而讎匹夫,其誰不懼?上六,無號,終有凶。象曰:無號之凶,終不可長也。勢必至是,惟中道乃免。以佞悅偷免於一時,終必見討。觀上爻之義,則夬夬之道未易可知。
九四爻辞にいわく:臀部に完好の皮肉なく、路を走ること一瘸一拐す。若し羊を牽くがごとく人の後に跟従するを肯んずれば、悔恨は則ち消失せん、可惜この話を聴きても肯んじて信ぜず。《小象伝》にいわく:路を走ること一瘸一拐するは、爻位が当たらざるがゆえに。話を聴きて信ずるを肯んぜざるは、聴覚が霊ならず心裏が明ならざるがゆえに。張根が解していわく:九四は外卦に属し、決除せらるべき一方。それは占むべからざる位子を占めて、本応に遠遠に走開して初めて勉强に禍を免る可きに、偏々に剛愎乖戻して人を聴くを肯んぜず。あの危険もまた想を推し知るべし。九五爻辞にいわく:莧陸を削除するがごとく果決に決断して、中道を行けば過錯なからん。《小象伝》にいわく:中道を行きて過錯なきは、中徳がまだ光大に足らざるがゆえに。張根がいわく:中に居る者すらなお光大に足らざれば、いわんや中に居らざるをや。君主を為す者がかえって一箇の匹夫と怨を結ぶは、誰か能く害怕せざらん。上六爻辞にいわく:彼に替わりて呼号する人なし、終竟に凶険あらん。《小象伝》にいわく:人の呼号なきの凶険は、終竟に長久する能わず。張根がいわく:形勢は必定にこの歩に発展せん。ただ中道を守って初めて禍を免る。諂媚討好に靠りて苟且に一時を逃るるも、最終にはなお討伐せられん。上六のこの一爻の含義を看れば、則ち「夬夬」の分寸は並びに把握し易きにあらざるを知るべし。
姤卦(巽下乾上)
巽下乾上。姤:女壯,勿用取女。彖曰:姤,遇也,柔遇剛也。臣遇君之象。勿用取女,不可與長也。堅冰之戒。天地相遇,品物咸章也。剛遇中正,天下大行也。伊呂之事。姤之時義大矣哉。非大人不足以大有為也。象曰:天下有風,姤。后以施命誥四方。萬姓悅服之謂。
姤卦の卦体は、下卦が巽、上卦が乾。卦辞にいわく:女子が過度に強壮なれば、こうの女子を娶ること勿れ。《彖伝》にいわく:いわゆる姤は、すなわち相遇、柔が来りて剛に遇う。張根が解していわく:これは臣下が君主に遇見するの象。《彖伝》にいわく:こうの女子を娶ること勿れは、彼女と長久に相処する能わざるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち坤卦初六の「履霜堅冰」のあのごとき告誡。《彖伝》にいわく:天地が相遇せば、各類の物象はみな彰顯し出す。陽剛が中正の位に遇上すれば、天下は則ち大いにその道を行く。張根がいわく:これは伊尹が商湯に遇い・呂望が文王に遇えるのあの類の事に相当す。《彖伝》にいわく:姤の処する時機の意義は太く重大。張根がいわく:大人にあらざれば大いに作為するに足らず。《大象伝》にいわく:天の底下に風あり、すなわち姤。君主はそれに取法して、号令を頒佈して四方に曉諭す。張根がいわく:これがすなわち万姓が心悅誠服するなり
初六,繫于金柅,貞吉,有攸往,見凶,羸豕孚蹢躅。此所以勿用取女,必不得已,惟剛以制之乃可。葢女子小人在所馭之如何,尤當謹之於始也。又解云:當辨之於早。象曰:繫于金柅,柔道牽也。九二,包有魚,無咎,不利賓。四在外故曰賓。象曰:包有魚,義不及賓也。此非推賢讓能之事。九三,臀無膚,其行次且,厲,無大咎。象曰:其行次且,行未牽也。雖過剛不中,而無所偏也。
初六爻辞にいわく:銅製の車閘に拴住せらる、正を守りて吉祥。一たび前往する所有れば則ち凶険を出現す。あの瘦弱の母猪のごとく、確実に躁動不安に乱蹦せん。張根が解していわく:これがまさに卦辞の「こうの女子を娶ること勿れ」と言うの緣故。万已むを得ざれば、またただ剛強を用いて彼女を節制して初めて可なり。大概に女子と小人とをいかに相処するかは、全くあなたがいかに彼らを駕馭するかを看る、尤も開頭に於て謹慎するを要す。別一種の解にいわく:応に及ばん早く分辨すべし。《小象伝》にいわく:銅車閘に拴住するは、柔道が牽制せられたるがゆえに。九二爻辞にいわく:廚房の裏に魚あり、過錯なからん、ただ拿て客を待するに宜しからず。張根がいわく:九四は外卦に在るがゆえに「賓」と称す。《小象伝》にいわく:廚中に魚あるは、理に按れば賓客に輪らず。張根がいわく:この一爻の講ずるは賢者を推挙し能者に位を譲るのあの種の事にあらず。九三爻辞にいわく:臀部に完好の皮肉なく、路を走ること一瘸一拐す、危険あり、ただし大なる過錯なし。《小象伝》にいわく:路を走ること一瘸一拐するは、まだ牽いて走られざるがゆえに。張根がいわく:それは過剛にして中に居らざるも、しかし並びに偏私なし。
九四,包無魚,起凶。象曰:無魚之凶,逺民也。據非其位,安得民乎?九五,以杞包瓜,含章,有隕自天。象曰:九五含章,中正也;有隕自天,志不舍命也。詩以杞喻賢,以言包瓜非所遇也;能含其章,遵養也;志不舍命者,憂在天下之謂,天降之福不亦宜乎?上九,姤其角,吝,無咎。象曰:姤其角,上窮吝也。姤極斯窮,惟吝可免。
九四爻辞にいわく:廚房の裏に魚なし、一動すれば則ち凶険あり。《小象伝》にいわく:魚なきの凶険は、百姓を疎遠したるがゆえに。張根が解していわく:それは占むべからざる位子を占めて、どうして民心を得到せんや。九五爻辞にいわく:杞樹の枝葉を用いて甜瓜を包住して、自己の文采を含蓄し、福分は天上より落下せん。《小象伝》にいわく:九五が能く文采を含蓄するは、それが中正なるがゆえに。福分が天降するは、それの心志が天命を放棄するを肯んぜざるがゆえに。張根がいわく:《詩経》の裏に杞樹を用いて賢者を比喻す。「包瓜」と言うは、指すはそれの遇える所は並びに理想の対象にあらざるなり。能く自己の文采を含蓄するは、則ち暫且退蔵涵養するなり。いわゆる心志が天命を放棄せざるは、説くは彼が憂念するは整箇の天下なるなり。上天が彼に福を降すは、また応當ならずや。上九爻辞にいわく:相遇して角尖の上に在り、憾惜あり、過錯なからん。《小象伝》にいわく:角尖に遇えるは、上位に居りて窮途に走り至る、ゆえに憾惜。張根がいわく:相遇して極点に至れば則ち窮途、ただ一点の憾惜を靠りて禍を免るるを換取するのみ。
萃卦(坤下兌上)
坤下兌上。萃:亨,王假有廟,利見大人,亨,利貞,用大牲吉,利有攸往。彖曰:萃,聚也。順以說,剛中而應,故聚也。順以說而應,非以剛中,則悅非道而已,何由得聚乎?王假有廟,致孝享也。合乎祖之謂。利見大人亨,聚以正也。聚以正故亨。用大牲吉,可以備禮矣。利有攸往,順天命也。平治之時。觀其所聚,而天地萬物之情可見矣。順說之謂。象曰:澤上於地,萃。澤上於地,物故萃焉。君子以除戎器,戒不虞。物極則反故。
萃卦の卦体は、下卦が坤、上卦が兌。卦辞にいわく:亨通。君王は至誠を以て宗廟に感格す。大人に見ゆるに宜しく、亨通、正を守るに利し。大牲畜を用いて献祭せば吉祥、往く所有るに宜し。《彖伝》にいわく:いわゆる萃は、すなわち聚集。柔順にして喜悅、剛爻が中に居りて上下に相応ず。ゆえに能く聚む。張根が解していわく:柔順喜悅にしてまた相応ずるも、若し剛爻が中に居るに因らざれば、あの份の喜悅は則ち正道に合せざる取悦と成る、どうして人を聚め起せようや。《彖伝》にいわく:君王が宗廟に感格するは、孝敬の祭享を尽到したるなり。張根がいわく:これがすなわち祖先の神と相合するなり。《彖伝》にいわく:大人に見えて亨通に宜しきは、聚合して正を得るがゆえに。張根がいわく:聚合して正を得てゆえに亨通。《彖伝》にいわく:大牲を用いて献祭して吉祥は、礼数を備斉する可きなり。往く所有るに宜しきは、天命に順応するがゆえに。張根がいわく:これは天下の平定の時なり。《彖伝》にいわく:それが聚合する所の東西を観察せば、天地万物の実情は則ち看出し得べし。張根がいわく:これがすなわち柔順にして喜悅なり。《大象伝》にいわく:水が地面の上に積聚す、すなわち萃。張根がいわく:沢水が地面より高出せば、万物は自然に聚攏し来る。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、兵器を修繕し、意外を防備す。張根がいわく:事物は極点に至れば則ち反転せんと欲するがゆえに。
初六,有孚不終,乃亂乃萃,若號一握為笑,勿恤,往無咎。萃之初,群下爭進,三獨無應而比於四,故初疑貳潰亂以萃,至於若號,亦可笑也;三志不在四,故勿恤,往無咎也。象曰:乃亂乃萃,其志亂也。六二,引吉,無咎,孚乃利用禴。象曰:引吉無咎,終未變也。方萃之時,上下順說,聚多不正,而二獨待引而往,是以吉而無咎;其操守如此,宜見信於人神而以薄致孝享也。
初六爻辞にいわく:誠信有るも保持し到底する能わず、ここにおいて心思は紛乱して、また勉强に聚合す。一旦呼号し起こせば、轉眼の間にまた相聚して笑う。憂慮するを必ずとせず、前往すれば過錯なからん。張根が解していわく:萃卦の開頭に、下面の衆人は争うて上進す。ただ六三が正応なくして九四に緊挨着するがゆえに、初六は猜疑を起して、心緒が潰乱して趋附に往き、呼号の地步に鬧り至る、また真に可笑なり。其実は六三の心志は並びに九四に在らず。ゆえに憂慮するを必ずとせず、前往すれば則ち過錯なからんと言う。《小象伝》にいわく:心思が紛乱してまた聚合するは、それの意志が乱れたるがゆえに。六二爻辞にいわく:人に引薦せられれば則ち吉祥、過錯なからん。心に誠信を存せば、則ち微薄の禴祭を用うるに宜し。《小象伝》にいわく:引薦せられて吉・過錯なきは、それが始終に操守を改変せざるがゆえに。張根がいわく:まさに聚合の時に当たり、上下みな順従喜悅して、聚攏し来る人は多半が正ならず。ただ六二が別人の引薦を等待して初めて前往を肯んず。ゆえに吉祥にして過錯なし。操守はこの地步に至れば、自然に人と神とに信任せらるべく、ここにおいて微薄の祭品を用いて孝敬を表達し得。
六三,萃如嗟如,無攸利,往旡咎,小吝。象曰:往無咎,上巽也。獨無外應,而上六以同患相憂故。案:程朱之說皆以六三陰柔,進不能求萃於四,退而與二,則二又以中正應五,惟往而従上六;雖非陰陽正應,然以類相從,上亦□而受之。令玩上六齎諮涕洟之占,與六三嗟如之義合。原本作六四以同患相憂故,不但本卦無六四,即四與三亦不見有同患意,故改六四為上六,與上交能□於三之注亦較為吻合。
六三爻辞にいわく:聚合せんと欲するもただ嘆息するのみ、好処あることなし。前往すれば則ち過錯なからん、ただ小小の憾惜あるのみ。《小象伝》にいわく:前往して過錯なきは、上面の爻が肯んじて謙遜に接納するがゆえに。張根が解していわく:六三は独独外応なくして、上六はそれと同じく患難に処するを以て互相に体恤す。(四庫館臣校語:程頤・朱熹の説はみな以てなす、六三は陰柔にして、前に向かい九四に聚を求める能わず、後に向かい六二と相合せんと欲するも、六二はまた中正の徳を以て上に九五に応ず。ゆえにそれはただ前往して上六に依従するのみ。六三と上六とは陰陽の正応にあらざるも、しかし同類を以て相従し、上六もまたそれを接納するを肯んず。如今に上六の「賚咨涕洟」の占辞を玩味するに、まさに六三の「嗟如」の意思と相合す。原刻本は「六四以同患相憂故」と作る、ただし本卦には並びに「六四」のごとき注文の対象なし、しかも九四と六三との間にもまた同患の意を看出し得ず。ゆえに「六四」を「上六」に改作す、こうすれば下文の「上六が六三を接納し得」の注と比較的吻合す。)
九四,大吉,無咎。惟功可以補過。象曰:大吉無咎,位不當也。九五,萃有位,無咎,匪孚,元永貞,悔亡。象曰:萃有位,志未光也。為萃之主,有剛健之才,宜大有為,而下皆容順已,又悅以應之,豈都俞戒敕之義哉?志在保位而已,此其所以未光;而以正中故悔免焉。上六,齎諮涕洟,無咎。象曰:齎諮涕洟,未安上也。能□於三,是以免焉。
九四爻辞にいわく:大吉にして初めて過錯なからん。張根が解していわく:ただ功労を立下して初めてそれの位置上の過失を彌補し得。《小象伝》にいわく:大吉にして初めて過錯なきは、爻位が当たらざるがゆえに。九五爻辞にいわく:天下を聚合して尊位を据有す、過錯なからん。人ありて信服せざれば、ただ長久に正大の徳を守住すれば、悔恨は則ち消失せん。《小象伝》にいわく:聚合してその位有るは、心志がまだ光大に足らざるがゆえに。張根がいわく:九五は萃卦の主爻、剛健の才幹有り、本応に大いに作為すべし。しかし下面の人はみなただ容譲して彼に順従し、また取悦の態度を用いて彼に應和す、これは何れが君臣の間の「都俞吁咈」・互相に規誡するの正道ならんや。彼の心志は過ぎず位子を保住するに在る而已、これがすなわち「志未光」の緣故。ただ彼が居位また正また中なるがゆえに、悔恨はなお免掉し得。上六爻辞にいわく:嗟嘆咨嗟・涕涙交流す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:嗟嘆涕泣するは、上位に在りて安穏する能わざるがゆえに。張根がいわく:それがなお能く六三を接納するがゆえに、過錯を免るるを得。
升卦(巽下坤上)
□下坤上。升:元亨,用見大人,勿恤,南征吉。彖曰:柔以時升。自下升上,必得其時。巽而順,剛中而應,是以大亨。用見大人,勿恤,有慶也。南征吉,志行也。南征與南狩同義。象曰:地中生木,升。君子以順徳,積小以髙大。始乎為士,終乎為聖人,君子之升葢如此。
升卦の卦体は、下卦が巽、上卦が坤(卦体の上に一字残缺、「巽」と作るべし)。卦辞にいわく:大いに亨通、用いて大人に進見し、憂慮するを必ずとせず、南に向かい出征すれば吉祥。《彖伝》にいわく:柔順の者は時に按じて上升す。張根が解していわく:下面より上面に升るは、必ず合适の時機に遇上するを要す。《彖伝》にいわく:謙遜にして柔順、剛爻が中に居りて上下に相応ず、ゆえに大いに亨通。用いて大人に進見して憂慮するを必ずとせざるは、福慶あらん。南に向かい出征して吉祥は、心志が推行を得るがゆえに。張根がいわく:ここの「南征」は明夷九三の「南狩」と同一箇の意思。《大象伝》にいわく:地中より樹木を生出す、すなわち升。君子はそれに取法して、徳性に順応し、一点ずつ積累して以て高大を成就す。張根がいわく:《荀子》にいえる、開始の時は一箇の士を為し、最後に聖人と成る。君子の上升は大概すなわちこうなり。
初六,允升,大吉。象曰:允升大吉,上合志也。□之體故。九二,孚乃利用禴,無咎。象曰:九二之孚,有喜也。五為正應故。九三,升虛邑。象曰:升虛邑,無所疑也。湯武之事。六四,王用亨于岐山,吉,無咎。象曰:王用亨子岐山,順事也。所以為至徳。六五,貞吉,升階。象曰:貞吉升階,大得志也。舜之事,所謂盡善盡美。上六,□升,利于不息之貞。象曰:冥升在上,消不富也。升而不已必顛,修身如此則利莫大焉。
初六爻辞にいわく:信任を得て上升す、大吉。《小象伝》にいわく:信を得て升り大吉は、上面と心志が相合するがゆえに。張根が解していわく:それが巽体にして、本性が謙順なるがゆえに(此処に一字残缺)。九二爻辞にいわく:心に誠信を存せば則ち微薄の禴祭を用うるに宜しく、過錯なからん。《小象伝》にいわく:九二の誠信は、喜慶を帯來せん。張根がいわく:六五がそれと正応なるがゆえに。九三爻辞にいわく:一座の空城に走り入るがごとく毫も阻碍なく上升す。《小象伝》にいわく:空城に升進するは、迟疑すべきことなきがゆえに。張根がいわく:これは商湯・周武王のあの類の事に相当す。六四爻辞にいわく:君王は岐山にて祭享を挙行し、吉祥、過錯なからん。《小象伝》にいわく:君王が岐山に祭るは、柔順にて上面に事奉するがゆえに(「亨」の下の「子」の字は「于」と作るべし)。張根がいわく:これがまさにいわゆる「至徳」なり。六五爻辞にいわく:正を守りて吉祥、台阶に沿いて一級ずつ上升す。《小象伝》にいわく:正を守りて吉祥にして階を升るは、大いに心志を実現したるがゆえに。張根がいわく:これは虞舜のあの類の事に相当し、すなわち孔子の言う「尽く善く尽く美」なり。上六爻辞にいわく:昏昧にひとえに上升するは、ただあの種の自强不息の守正に利しきのみ(「升」の上に一字残缺、《小象伝》に拠れば「冥」と作るべし)。《小象伝》にいわく:昏昧に上升して最上に居るは、消損して富足せざらん。張根がいわく:ひとえに上升して止まざれば、必定に跟头を栽せん。若しこの股の勁頭を修身上に用いれば、あの好処は則ち更大に過ぎざらん。
困卦(坎下兌上)
坎下兌上。困:亨,貞,大人吉,無咎,有言不信。惟大人能以正而免,況尚口乎?處困之難如此。彖曰:困,剛揜也。險以說,困而不失其所亨,其惟君子乎。貞大人吉,以剛中也。有言不信,尚口乃窮也。兌為口而在上,故曰尚口。象曰:澤無水,困。君子以致命遂志。卷而懐之。
困卦の卦体は、下卦が坎、上卦が兌。卦辞にいわく:亨通、正を守り、大人は吉祥、過錯なからん。この時に何を言うも人家は信ぜず。張根が解していわく:ただ大人のみ能く正を守るを靠りて禍を免る、いわんや口上の争辯を靠るをや。身が困境に処するの艱難はすなわちこうなり。《彖伝》にいわく:いわゆる困は、陽剛が陰柔に掩盖せられたるなり。身は険境に処してなお能く和悦し、困なるもその亨通する所以の東西を失掉せざるは、大概ただ君子のみ做到し得か。正を守りて大人が吉祥は、九二・九五が剛健にして中に居るがゆえに。説話して人の信ずるなきは、ひとえに口舌を逞しゅうすれば則ち窮途に走り至るがゆえに。張根がいわく:兌は口にして上卦に居るがゆえに「尚口」と言う。《大象伝》にいわく:沢の裏に水なし、すなわち困。君子はそれに取法して、寧ろ性命を捨棄しても自己の志向を実現せん。張根がいわく:これがすなわち《論語》の講ずる「巻而懐之」、自己を収起して蔵好するなり。
初六,臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿。象曰:入于幽谷,幽不明也。處困之初,最在其下,險難方熾,深藏乃免。九二,困于酒食,朱紱方來。坎為赤故。利用亨祀,征凶,無咎。象曰:困于酒食,中有慶也。嘿然以容之時,安可征乎?六三,困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。據非其位,其患如此。象曰:據于蒺藜,乘剛也;入于其宮不見其妻,不祥也。
初六爻辞にいわく:臀部が樹樁に硌れて難受く、幽深の山谷に退入して、三年にしても人に見えず。《小象伝》にいわく:幽深の山谷に退入するは、幽暗にして明ならざるがゆえに。張根が解していわく:それは困卦の最初に処し、また最も下面に在り、険難はまさに熾烈、深藏して初めて禍を免れ得。九二爻辞にいわく:酒食の中に困られ、紅色の祭服はまさに送來す。張根がいわく:坎の取象は赤色と為すがゆえに。爻辞が接続していわく:祭祀を挙行するに宜しく、出征すれば則ち凶、過錯なからん。《小象伝》にいわく:酒食に困るは、中に居りて福慶あるがゆえに。張根がいわく:まさに黙黙に含忍する時に当たり、どうして出征すべからんや。六三爻辞にいわく:石頭に困られ、また蒺藜の上に坐る。自己の家に回帰するも、妻子すら見えず、凶険。張根がいわく:それは占むべからざる位子を占めて、禍患はすなわちこうなり。《小象伝》にいわく:蒺藜の上に坐るは、剛爻の上に凌駕するがゆえに。家に回りて妻子に見えざるは、吉利ならざるの兆頭なり。
九四,來徐徐,困于金車,吝,有終。象曰:來徐徐,志在下也;雖不當位,有與也。志在於民,遲遲其行。九五,劓刖,困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。象曰:劓刖,志未得也;乃徐有說,以中直也;利用祭祀,受福也。羑里之事。上六,困于葛藟,于臲卼,曰動悔有悔,征吉。象曰:困于葛藟,未當也;動悔有悔,吉行也。困極則亨,牽制則不安,悔則吉。
九四爻辞にいわく:来ること慢吞吞たり、あの輛の金車に困られ、憾惜あり、最終にしかし好結構あり。《小象伝》にいわく:来ること慢吞吞なるは、心志が下面に在るがゆえに。爻位は当たらざるも、しかし相与の伙伴あり。張根が解していわく:それの心志は百姓の身上に在るがゆえに、脚步は初めてこのごとく遅緩なり。九五爻辞にいわく:割鼻断足の刑を受けて、紅色の祭服の裏に困る。慢慢にして初めて転機あり、祭祀を挙行するに宜し。《小象伝》にいわく:劓刖の刑を受くるは、心志がまだ実現せざるがゆえに。慢慢に転機あるは、九五が中に居りて正直なるがゆえに。祭祀に宜しきは、能く福佑を承受するがゆえに。張根がいわく:これは周文王が羑里に囚せられしのあの類の事に相当す。上六爻辞にいわく:葛藤に纏住せられ、動揺不安の中に処す。心裏に言うに「一動すれば則ち後悔せん」と、能くこう悔悟せば、出行すれば則ち吉祥。《小象伝》にいわく:葛藤に困まるは、処境がまだ妥当ならざるがゆえに。動けば則ち悔あると言いて真に悔を生ずれば、出行すれば則ち吉祥。張根がいわく:困は極点に至れば則ち亨通せん。牽制せらるれば自然に安ならざるも、ただ能く悔悟すれば則ち吉祥。
井卦(巽下坎上)
巽下坎上。井:改邑不改井。分定故也。無喪無得。所謂天府。往來井井。愈有愈多。汔至亦未繘井,羸其瓶,凶。能為已而不能為人,不足貴也。彖曰:巽乎水而上水,井。井養而不窮也。所以貴夫勞民勸相。改邑不改井,乃以剛中也。惟剛故萬物莫之能挫。汔至亦未繘井,未有功也。羸其瓶,是以凶也。井以濟物為事。象曰:木上有水,井。君子以勞民勸相。井以渫而美,性以修而成。
井卦の卦体は、下卦が巽、上卦が坎。卦辞にいわく:城邑は遷改する可し、水井はしかし改る能わず。張根が解していわく:それの分位は固定なるがゆえに。卦辞にいわく:井水は減少せずまた增多せず。張根がいわく:これがすなわち《荘子》の講ずる「天府」、之を取りて尽きず。卦辞にいわく:来来往往の人はみなこの口の井に汲み来る。張根がいわく:愈々人の用いる有れば、出ること愈々多し。卦辞にいわく:水は打ち上げらるるに快しもなお井口を出でずして、瓶子は先に破れり、凶険。張根がいわく:ただ自己を顧る能くして人を利する能わざれば、則ち看重に値せず。《彖伝》にいわく:深入して水中に至りて水を提上げ来るは、すなわち井。井は人を養育して窮尽なし。張根がいわく:これがまさに《大象伝》が「労民勧相」を看重する緣故なり。《彖伝》にいわく:邑を改して井を改めざるは、九二・九五が剛健にして中に居るがゆえに。張根がいわく:ただそれが剛なるがゆえに、万物はみなそれを挫ぐ能わず。《彖伝》にいわく:水が井口に快至るもまだ出でざるは、まだ成功せざるがゆえに。瓶子が破れたるは、ゆえに凶険。張根がいわく:井は万物を済助するを以て本職と為すがゆえに。《大象伝》にいわく:木上に水あり、すなわち井。君子はそれに取法して、百姓を慰労し彼らを勉励して互相帮助せしむ。張根がいわく:井は淘洗して乾浄にして初めて用い易く、人の天性は修治して初めて成就し得。
初六,井泥不食,舊井無禽。象曰:井泥不食,下也;舊井無禽,時舍也。無所可用故。九二,井谷射鮒,甕敝漏。象曰:井谷射鮒,無與也。所養可知。九三,井渫不食,為我心惻,可用汲,王明並受其福。象曰:井渫不食,行惻也;求王明,受福也。汲汲皇皇如此,學之為王者事故也;雖然,惟王明為可求耳。
初六爻辞にいわく:井の裏は汚泥に満ち、水は飲む能わず。廃棄の旧井は禽鳥すら来らず。《小象伝》にいわく:井泥が飲む能わざるは、それが最下に処するがゆえに。旧井に禽なきは、時勢に拋棄せられたるがゆえに。張根が解していわく:それに一点の用処なきがゆえに。九二爻辞にいわく:井底の小洞はただ幾条の小魚に射至るのみ、水を汲む瓦瓮はまた破れまた漏る。《小象伝》にいわく:井底に小魚を射るは、上面にそれと相応ずる人なきがゆえに。張根がいわく:それが養活し得るは何ぞや、また想を推し知るべし。九三爻辞にいわく:井水は已に淘浄せられども人の来り飲むなく、我の心裏をして難過せしむ。この井は其実に汲用すべし、ただ君王が明察すれば、大家はみなその福沢を同受し得ん。《小象伝》にいわく:井が淘浄して人の飲むなきは、行路人がみなそれの為に難過するがゆえに。君王の明察を希求するは、大家をして福を受けしめんが為めなり。張根がいわく:このごとく急切に奔走するは、読書人の求学は本来王者の用の為なるがゆえに。話はこうなれども、またただ君王が明察して初めて求むるに値す。
六四,井甃,無咎。象曰:井甃無咎,修井也。自修而已,安能及人?九五,井洌寒泉食。象曰:寒泉之食,中正也。泉以寒為美,以甘為貴;自古及今,未有非中正而可以養天下者也。上六,井收勿幕,有孚元吉。象曰:元吉在上,大成也。道濟天下之謂。
六四爻辞にいわく:磚石を用いて井壁を砌好す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:井壁を砌して過錯なきは、まさにこの口の井を修治する中に在るがゆえに。張根が解していわく:これは過ぎず自我を修治する而已、何れの処に別人に恵及すを談ずべけんや。九五爻辞にいわく:井水は清冽、是れ飲む可きの寒泉。《小象伝》にいわく:寒泉は飲用すべきは、九五がまた中また正なるがゆえに。張根がいわく:泉水は清冷を以て美と為し甘甜を以て貴と為す。古より今に至るまで、一箇も中にあらず正ならずして能く天下を養育するなし。上六爻辞にいわく:井水は汲み上げらる、井口を蓋住すること勿れ、心に誠信を存せば、大吉。《小象伝》にいわく:大吉にして最上に居るは、大功が告成したるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち道を以て天下を済助するなり。
革卦(離下兌上)
離下兌上。革:已日乃孚,元亨利貞,悔亡。彖曰:革,水火相息,二女同居,其志不相得,曰革。如此然後宜革也。已日乃孚,革而信之。無慾速之謂。文明以說,大亨以正,革而當,其悔乃亡。兼利天下之謂。當革之不可易如此。天地革而四時成,湯武革命,順乎天而應乎人,革之時大矣哉。非大人莫之能定。象曰:澤中有火,革。君子以治曆明時。時為大故。
革卦の卦体は、下卦が離、上卦が兌。卦辞にいわく:時日の過去するを待ちて初めて人に取信し得、大いに亨通・正を守るに利しく、悔恨は消失す。《彖伝》にいわく:革卦は水と火とが互相に熄滅し、両箇の女子が一緒に住むも心志は相投合せず。ゆえに革と称す。張根が解していわく:この地步に至りて初めて変革すべし。《彖伝》にいわく:時日が過去して初めて人に取信するは、変革の後に人々が初めて信服するがゆえに。張根がいわく:これがすなわち急ぎて成を求むべからざるなり。《彖伝》にいわく:文明にして和悦、大いに亨通してまた端正なり。変革して恰当を得て、悔恨は初めて消失せん。張根がいわく:これは天下をしてみな好処を得せしめんと欲するなり。変革は軽易に発動すべからず、すなわちこの道理。《彖伝》にいわく:天地が変革して四季が形成し、商湯・周武王が旧命を革除するは、上は天道に順い下は人心に応ず。革の処する時機の意義は太く重大。張根がいわく:大人にあらざれば局面を定下する能わず。《大象伝》にいわく:沢中に火あり、すなわち革。君子はそれに取法して、暦法を修治し時令を辨明す。張根がいわく:「時」がこの一卦の裏に最も緊要なるがゆえに。
初九,鞏用黃牛之革。象曰:鞏用黃牛,不可以有為也。革之初固當徐之,黃牛雖小而堅固。六二,已日乃革之,征吉,無咎。周公革商頑民之謂,信而後革故。象曰:已日革之,行有嘉也。中行以率之。九三,征凶,貞厲,革言三就,有孚。象曰:革言三就,又何之矣。下卦受革者也,待之至矣,猶負固怗終,不亦宜乎?
初九爻辞にいわく:黄牛の皮を用いて牢牢に捆住せよ。《小象伝》にいわく:黄牛の皮を用いて捆住するは、まだ作為する所可ならざるがゆえに。張根が解していわく:変革の開頭は本来応に慢慢来るべし。黄牛の皮は不大なれど、しかし結実牢固なり。六二爻辞にいわく:時日の過去したるを待ちて再びそれを変革せば、出征して吉祥、過錯なからん。張根がいわく:これは周公が殷商の遺民を改造するのあの類の事に似たり、先に信任を取得して然る後に初めて変革す。《小象伝》にいわく:時日を過して再び変革するは、行動して嘉美の結果あらん。張根がいわく:それが中道を以て衆人を率領するがゆえに。九三爻辞にいわく:出征すれば凶険、正を守るも危険あり。変革の主張を反復申説して三次に至れば、則ち能く人に取信し得。《小象伝》にいわく:変革の言が三次に申説せられ、なお再び何れの処に往かんや。張根がいわく:下卦は変革せらるる一方、等待は已に極点に至れるに、それはなお険固を憑恃してひとえに頑抗し到底せんと欲す(「怗」は「怙」と作るべし)、あの下場に落得するもまた応當ならずや。
九四,悔亡,有孚改命,吉。象曰:改命之吉,信志也。革雖不當,志不害民,旋能改之,何疑之有?九五,大人虎變,未占有孚。象曰:大人虎變,其文炳也。所謂作而萬物睹。上六,君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。象曰:君子豹變,其文蔚也;小人革面,順以從君也。有其徳而無其位,故止於革面;茍強欲改作以服之,適増咎而已。
九四爻辞にいわく:悔恨は消失す、誠信を心懐に成命を更改せば、吉祥。《小象伝》にいわく:命を改するの吉祥は、心志が信任を得るがゆえに。張根が解していわ:変革はたとえ一時に妥当を做得せざるも、ただ本心が民を害せんとするにあらざれば、随即に能く改正し回れば、また何の迟疑すべきあらんや。九五爻辞にいわく:大人は老虎が毛を換えるがごとく煥然として一新して、占問を用いずして已に人に取信す。《小象伝》にいわく:大人が虎変するは、彼の文采が炳然として人を照すがゆえに。張根がいわく:これがすなわち乾卦《文言》の講ずる「聖人作而萬物睹」なり。上六爻辞にいわく:君子は豹子が毛を換えるがごとく跟って好く変り、小人もまた面目を改一変す。この時に出征すれば凶険、安居して正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:君子が豹変するは、彼の文采が蔚然として観る可きがゆえに。小人が面目を改換するは、順従して君主に跟い走るがゆえに。張根がいわく:小人はあの点の向善の意有るも相応の地位なし。ゆえにただ面目を改換するを做到するのみ。若し必ず強行に彼らを改造して彼らに心服を逼らんと欲せば、あれはただ平に過錯を添う而已。
鼎卦(巽下離上)
巽下離上。鼎:元吉,亨。彖曰:鼎,象也。象之備莫如鼎。以木巽火,亨飪也。聖人亨以享上帝,而大亨以養聖賢。養聖賢以及萬民,是所以享上帝;大亨者,欲其無方之義也。巽而耳目聰明,養賢之效。柔進而上行,得中而應乎剛,是以元亨。象曰:木上有火,鼎。君子以正位凝命。正與正位居體之義同,凝與庶績其凝之凝同,位與周公位冡宰之位同,命與說命總百官之命同。能正位然後能凝命,此之謂大臣之任。若顛趾折足之類,俱非所謂正位;若方雨虧、覆公餗之類,俱非所謂凝命。正位凝命,其惟六五上九乎。
鼎卦の卦体は、下卦が巽、上卦が離。卦辞にいわく:大吉、亨通。《彖伝》にいわく:鼎は、是れ取象の物。張根が解していわく:取象の完備なるは、鼎より好きなし。《彖伝》にいわく:木を火中に送入するは、是れ食物を烹煮するなり。聖人は食物を烹煮して以て上帝を祭享し、また大規模に烹煮して以て聖賢を供養す。張根がいわく:聖賢を供養して進みて万民に恵及する、これこそ真の上帝を祭享するなり。いわゆる「大亨」は、それに一定の方所なくして及ばざる所なからしめんと欲するなり。《彖伝》にいわく:謙遜にして耳目は聰明。張根がいわく:これは賢者を供養するの效驗なり。《彖伝》にいわく:柔爻が上進して前行し、中に居りて剛爻と相応ず。ゆえに大いに亨通。《大象伝》にいわく:木上に火あり、すなわち鼎。君子はそれに取法して、自己の名位を端正し、所受の使命を凝聚す。張根がいわく:ここの「正」は、坤卦《文言》の「正位居体」の「正」と意思は相同じ。「凝」は、《尚書》の「庶績其凝」の「凝」と相同じ。「位」は、《尚書》が周公の「位冢宰」を言うの「位」と相同じ。「命」は、《説命》の裏の百官を総領する命の「命」と相同じ。能く名位を端正して、然る後に初めて能く使命を凝聚す、これは説くは大臣の責任。初六の「顛趾」・九四の「折足」のあの一類のごときは、みな「正位」と算せず。九三の「方雨虧」・九四の「覆公餗」のあの一類のごときは、みな「凝命」と算せず。真に正位凝命を做到するは、大概ただ六五と上九か。
初六,鼎顛趾,利出否,得妾以其子,無咎。象曰:鼎顛趾,未悖也;利出否,以從貴也。轉敗為功之謂。九二,鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。象曰:鼎有實,慎所之也。待時之謂。我仇有疾,終無尤也。
初六爻辞にいわく:鼎足が翻転し来る、正好くその裏の汚穢を倒出す、妾を娶りて彼女に因りて児子を生下するに似たり、過錯なからん。《小象伝》にいわく:鼎足が翻転するは、なお悖乱と算せず。正好く汚穢を倒出するは、尊貴の一方に跟従せんが為め。張根が解していわく:これがすなわち敗を轉じて功と為すなり。九二爻辞にいわく:鼎の裏に東西を装満し、我の対頭は病ありて、我の身に近づく能わず、吉祥。《小象伝》にいわく:鼎中に実あるは、自己の走る方向を謹慎するを要す。張根がいわく:これがすなわち時機を等待するなり。《小象伝》にいわく:我の対頭に病あるは、終竟に過失あらざらん。
九三,鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨虧悔,終吉。象曰:鼎耳革,失其義也。過剛不中,故有耳革之象焉;耳革故行塞,行塞故雖雉膏溢而不能救,初已出否故也。方雨,溢象也,與覆異矣,故曰虧而已,悔則有存焉,故終吉也。九四,鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。象曰:覆公餗,信如何也。據非其位,理之必然。六五,鼎黃耳金,利貞。鼎道既成,惟在舉而用之。象曰:鼎黃耳,中以為實也。中以為實,故非正不應。上九,鼎玉,大吉,無不利。象曰:玉在上,剛柔節也。是之謂大成。
九三爻辞にいわく:鼎耳が様を変じて、抬動せず、路は則ち堵住せり。あの鍋の肥美の野鶏肉は吃上がらず。雨の下り来るを待ちて、虧損と悔恨とが初めて漸漸に消解し、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:鼎耳が様を変ずるは、それの本応にあるべき作用を失掉したるがゆえに。張根が解していわく:九三は過度に剛強にしてまた中に居らず。ゆえに鼎耳が様を変ずるの象あり。鼎耳が様を変ずればゆえに抬動せず、抬動せざればゆえに雉膏は満溢するも救うに及ばず、初六が早くに汚穢を倒出したるを以てするがゆえに。いわゆる「方雨」は、満溢して流出するの様子、整箇に傾覆すると同じからず。ゆえにただ「虧」と言う而已。すでになお悔を知る。ゆえに最終に吉祥。九四爻辞にいわく:鼎足が折斷して、王公の美食を地上に打翻し、一身を狼藉に弄す、凶険。《小象伝》にいわく:王公の美食を打翻す、この份の信任はまた当に如何せん。張根がいわく:それは占むべからざる位子を占めて、こうの事を出すは理の必然なり。六五爻辞にいわく:鼎に黄色の耳と金属の鼎杠を配し、正を守るに利し(「金」の下に一「鉉」の字を脱す)。張根がいわく:鼎の功用は已に完備、ただそれを抬起して使用するに在り。《小象伝》にいわく:鼎に黄耳あるは、中徳を以て内実と為すがゆえに。張根がいわく:正に中徳を以て内実と為すがゆえに、正当の対象にあらざれば則ちそれは呼応せず。上九爻辞にいわく:鼎に玉製の鼎杠を配し、大吉、利ならざる所なし(「玉」の下に一「鉉」の字を脱す)。《小象伝》にいわく:玉鉉が上に在るは、剛と柔とが配合して節度あるがゆえに。張根がいわく:これを大功告成と称す。
震卦(震下震上)
震下震上。震:亨。震來虩虩,笑言啞啞。震驚百里,不□匕鬯。彖曰:震亨。震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,後有則也。繼體之主,未有不更憂患而能恐懼者也,未有不恐懼而能有守者也。震驚百里,驚遠而懼邇也。出可以守宗廟社稷,以為祭主也。居有威然後出可以守,葢主器之難如此。象曰:洊雷,震。君子以恐懼修省。恐懼而不能修省,猶不懼爾。
震卦の卦体は、下卦が震、上卦が震。卦辞にいわく:亨通。雷声が来る時は人人が驚恐失色し、過後にまた談笑自如す。雷震は百里の遠さに驚動し、主祭の人はしかし手中の匕と鬯酒とを失落せず(「不」の下に一字残缺、《周易》に拠れば「喪」と作るべし)。《彖伝》にいわく:震卦は亨通。雷が来て驚恐戒懼するは、恐懼が能く福気を招来するを以てするがゆえに。過後に談笑自如するは、これより法度を有するがゆえに。張根が解していわく:先業を継承するの君主は、一箇として憂患を経歴して初めて恐懼を懂得せざるなし、また一箇として恐懼を懂得せずして基業を守住し得るなし。《彖伝》にいわく:雷が百里を震すは、遠処を震驚せしめてまた近処の人をして戒懼せしむるがゆえに。こうの人は出行する時に宗廟社稷を守住し得て、主祭の人を為す可し。張根がいわく:平居にすでに威望ありて、然る後に出行の時に守住し得。大概に宗器を承継するの難処は則ちここに在り。《大象伝》にいわく:雷声が接連して至る、すなわち震。君子はそれに取法して、心に恐懼を懐きて修養省察す。張根がいわく:ただ恐懼を知るも能く修養省察せざれば、則ち恐懼せざると一樣なり。
初九,震來虩虩,後笑言啞啞,吉。恐懼當在初故。象曰:震來虩虩,恐致福也;笑言啞啞,後有則也。六二,震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐,七日得。象曰:震來厲,乘剛也。乘剛不能無失,得位不能不復。六三,震蘇蘇,震行無眚。象曰:震蘇蘇,位不當也。雖不當位而能震,斯可免矣。
初九爻辞にいわく:雷が来て驚恐失色し、過後に談笑自如す、吉祥。張根が解していわく:恐懼は本来応に最初に在るべきがゆえに。《小象伝》にいわく:雷が来て驚恐するは、恐懼が能く福気を招来するがゆえに。過後に談笑自如するは、これより法度を有するがゆえに。六二爻辞にいわく:雷が来て危険あり、大量の財貨を丢掉せんと估计す、只好高き山陵に登上る。追尋し往くを必ずとせず、七天の後に自然に復得せん。《小象伝》にいわく:雷が来て危険あるは、それが剛爻の上に凌駕するがゆえに。張根がいわく:剛爻の上に凌駕すれば喪失あるを免れず。しかしそれは居位また中また正。ゆえにまた復得せざることなからん。六三爻辞にいわく:雷震して人の心神を定まらざらしむ、震動の中に前行すれば則ち災殃なからん。《小象伝》にいわく:震して神思恍惚するは、爻位が当たらざるがゆえに。張根がいわく:爻位は当たらざるも、しかしそれは能く震に随いて動く、これを以て禍を免れ得。
九四,震遂泥。象曰:震遂泥,未光也。不足驚懼逺邇故。六五,震往來厲,億無□,有事。象曰:震往來厲,危行也;其事在中,大無□也。懼而以中,故雖危無咎。上六,震索索,視矍矍,征凶。震不于其躬,于其鄰,無咎,婚媾有言。象曰:震索索,中未得也;雖凶無咎,畏鄰戒也。失中故凶,得鄰故無咎,婚媾有言,況他乎。
九四爻辞にいわく:雷震するもかえって泥の裏に陷込み。《小象伝》にいわく:震して泥に陷るは、それの道がまだ光大ならざるがゆえに。張根が解していわく:それが遠近の人を震動するに足らざるがゆえに。六五爻辞にいわく:雷の来も雷の去もみな危険あり、何の喪失もなからんと估计す、なお照常に祭事を主持し得(此処に一字残缺、《周易》に拠れば「喪」と作るべし)。《小象伝》にいわく:往来みな危険あるは、行事が危地に処するがゆえに。それの主とする事は中位の上に在るがゆえに、大体の上に喪失あらざらん。張根がいわく:心に戒懼を存してまた中を守る。ゆえに危険なるも過錯なし。上六爻辞にいわく:雷震して両腿は軟を発し、眼睛は驚惶して四顧す、出征すれば凶険。雷は自己の身上に震わず、ただ隣居に震い至るのみ、則ち過錯なからん、ただ婚姻親家は難免に閑話あらん。《小象伝》にいわく:震して両腿が軟を発するは、まだ中道を得着せざるがゆえに。凶険あるも過錯なきは、隣居の震せらるるを看見して戒備を知るがゆえに。張根がいわく:中道を失掉してゆえに凶、隣人の教訓を看てゆえに過錯なし。婚姻親家すらなお閑話を言わんと欲するに、いわんや別人をや。
艮卦(艮下艮上)
艮下艮上。艮其背,不其身;行其庭,不見其人,無咎。得其所止故。彖曰:艮,止也。時止則止,時行則行,動靜不失其時,其道光明。知嘿猶知言故。艮其止,止其所也。上下敵應,不相與也。勢力均故。是以不其身,行其庭不見其人,無咎也。象曰:兼山,艮。君子以思不出其位。君子無止,其所以止,惟於位為然。
艮卦の卦体は、下卦が艮、上卦が艮。卦辞にいわく:自己の背上に止すれば、則ち自己の身体を看見せず。自己の庭院を走過するも、また庭中の人を看見せず、過錯なからん(「不」の下に一「獲」の字を脱す)。張根が解していわく:それが止るべき処に止るがゆえに。《彖伝》にいわく:いわゆる艮は、すなわち停止。止るべき時に則ち止り、行くべき時に則ち行く。動と静とがみな時機を失掉せず、彼の道は則ち光明。張根がいわく:沈黙を懂得するはまさに説話を懂得するに同じがゆえに。《彖伝》にいわく:いわゆる「艮其止」は、それの止るべき処に止るなり。上下の各爻は両両に敵対相応して、彼此に相親与せず。張根がいわく:双方の勢力が相当なるがゆえに。《彖伝》にいわく:ゆえに自己の身体を看見せず、庭院を走過するもまた人を看見せず、過錯なからん。《大象伝》にいわく:両座の山が重疊す、すなわち艮。君子はそれに取法して、思慮が自己の職位を越出せず。張根がいわく:君子は本来いわゆる「止」なし、彼の止まんと欲する所以は、ただ名位のこの一件の事の上に於て此のごとし。
初六,艮其趾,無咎,利永貞。象曰:艮其趾,未失正也。此一卦所喻一身,上宜止,下宜動。初在下而止,猶未失正;二則不快於心,三則危矣;至四則無咎,五則悔亡,六則吉。此所謂時止時行。六二,艮其腓,不拯其隨,其心不快。象曰:不拯其隨,未退聽也。九三,艮其限,列其夤,厲熏心。象曰:艮其限,危熏心也。
初六爻辞にいわく:脚趾の上に止す、過錯なからん、長久に正を守るに利し。《小象伝》にいわく:脚趾に止すは、まだ正道を失掉せざるがゆえに。張根が解していわく:この一卦は人の身体を拿て比喻と作す、上半身は静止に宜しく、下半身は活動に宜し。初六は最も下面に在りて静止す、なお正を失掉せざると算す。六二に至れば則ち心裏痛快せず、九三に至れば則ち危険。六四に至れば則ち過錯なし、六五に至れば則ち悔恨は消失し、上九に至れば則ち吉祥。これがすなわちいわゆる止るべきは則ち止り行くべきは則ち行くなり。六二爻辞にいわく:小腿肚の上に止す、それの跟隨する所の大腿を救う能わず、心裏痛快せず。《小象伝》にいわく:跟隨する所を救う能わざるは、上面が退譲聴従を肯んぜざるがゆえに。九三爻辞にいわく:腰の上に止す、脊背の夾肉を撕裂し、危険なること火が心を焼くがごとし。《小象伝》にいわく:腰の上に止すは、危険が心を熏灼するがゆえに。
六四,艮其身,無咎。象曰:艮其身,止諸躬也。六五,艮其輔,言有序,悔亡。象曰:艮其輔,以中正也。上九,敦艮,吉。象曰:敦艮之吉,以厚終也。自趾至輔,一身之象。上止下動乃其常也,今下卦皆止,則趾所以立,茍不失正猶之可也;腓不能使趾,則不快矣;至於限則又甚焉。限,要也,所以限別上下之際而為動之主,今一於此,則危斯及之矣。躬也,輔也,止則宜矣,所謂以敦艮其首乎?記曰:足容重,目容端,口容止,頭容直。觀斯則其義過半矣。
六四爻辞にいわく:自身の上に止す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:自身に止すは、自己の身子を管住したるがゆえに。六五爻辞にいわく:牙床の上に止す、説話に条理あり、悔恨は消失す。《小象伝》にいわく:牙床に止すは、それが中に居りて正を得るがゆえに。上九爻辞にいわく:敦厚に静止す、吉祥。《小象伝》にいわく:敦厚に静止するの吉祥は、敦厚を以て全卦を收結するがゆえに。張根が解していわく:脚趾より牙床に至るまで、取るはみな人身の象。上身は静止し下身は活動するは本来常態。如今に下卦の三爻はしかしみな止住せり。脚趾は站立するを用いる所、ただ正を失掉せざればまた罷るのみ。小腿肚は脚趾を指使する能わざれば、則ち痛快ならず。腰に至れば則ち更に嚴重。「限」はすなわち腰、それは上下を分隔して全身活動の樞紐。如今に腰すらもひとえに止住せば、危険は則ち跟って来る。身軀と牙床に至っては、止住するはかえって合宜なり、これは大概に敦厚の止を用いて頭脳を管住するか。《礼記》にいわく:脚步は要に穩重、眼神は要に端正、嘴は要に安静、頭は要に正直。この幾句を看れば、こ一卦の意思はまた一大半を懂り得たり。
漸卦(艮下巽上)
艮下巽上。漸:女歸吉,利貞。臣之進當如此。又不窮,所以能漸。彖曰:漸之進也,女歸吉也。進鋭則退速故。進得位,往有功也。進以正,可以正也。未有枉已而能正人者。其位剛得中也。止而巽,動不窮也。巽者,順民心之謂,又君子之進當如此。象曰:山上有木,漸。非一朝之積。君子以居賢徳善俗。美成在久。
漸卦の卦体は、下卦が艮、上卦が巽。卦辞にいわく:女子が出嫁すれば吉祥、正を守るに利し。張根が解していわく:臣子の進用は応にこうあるべし。しかもそれの前面の路は走絶せざらん、ゆえに能く一歩ずつ漸進す。《彖伝》にいわく:漸は循序に進む、女子が出嫁するがごとく吉祥なり。張根がいわく:進むこと太く猛なれば則ち退くこと快きがゆえに。《彖伝》にいわく:前進して当位を得れば、前往して則ち功を建つる能わん。正道を以て前進せば、天下を端正すべし。張根がいわく:未だかつて先に自己を歪曲してなお能く別人を端正するあらざりき。《彖伝》にいわく:それの位置は剛爻が中を得。停止してまた謙遜なれば、行動して則ち窮途に走り至らざらん。張根がいわく:いわゆる「巽」は、すなわち民心に順応するなり。しかも君子の進用もまた応にこうあるべし。《大象伝》にいわく:山上に樹木あり、すなわち漸。張根がいわく:あれは一朝一夕の長成にあらず。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、賢徳を以て自居して風俗を改善す。張根がいわく:美好の成就は持久に在り。
初六,鴻漸于干,小子厲,有言,無咎。君子之進,小人不利也。象曰:小子之厲,義無咎也。六二,鴻漸于盤,飲食衎衎,吉。群臣嘉賓之謂。象曰:飲食衎衎,不素飽也。九三,鴻漸于陸,失征不復,婦孕不育,凶,利御冦。人臣失節者如之。象曰:夫征不復,離群醜也;婦孕不育,失其道也;利用御冦,順相保也。
初六爻辞にいわく:鴻雁は漸漸に水辺に飛至り、小孩子は危険を覚え、閑話の些かあり、過錯なからん。張根が解していわく:君子が進用する時、小人は總て自己に不利と覚うがゆえに。《小象伝》にいわく:小孩子が危険を覚うるは、理に按れば過錯なからん。六二爻辞にいわく:鴻雁は漸漸に磐石の上に飛至り、飲食は和楽融融、吉祥。張根がいわく:これがすなわち群臣と嘉賓とが楽を同じくするの意思。《小象伝》にいわく:飲食和楽するは、白い飯を吃するにあらず。九三爻辞にいわく:鴻雁は漸漸に高平の陸地に飛至る。丈夫は出征して一往して返らず、婦人は孕を懐くも生み下る能わず、凶険。強寇を抵禦するに宜し(「失征」は「夫征」と作るべし)。張根がいわく:臣子を為して節操を失掉する人はすなわちこうなり。《小象伝》にいわく:丈夫が出征して回來せざるは、自己の同類を脱離したるがゆえに。婦人が懐孕して生育せざるは、正道を失掉したるがゆえに。強寇を抵禦するに宜しきは、上下が順応して互相に保全するがゆえに。
六四,鴻漸于木,或得其桷,無咎。象曰:或得其桷,順以巽也。鴻,水禽也,棲宿水石之間而遊於陵陰,至於木則失其所矣,順以□,庶可免乎。六五,鴻漸于陵,婦三歲不孕,終莫之勝,吉。不枉道以從人者也,異夫持祿養交者矣。象曰:終莫之勝吉,得所願也。上九,鴻漸于陸,其羽可用為儀,吉。象曰:其羽可用為儀吉,不可亂也。鴻飛□□,乃其最也,而易之所取在於漸耳,故極於可用為儀焉。
六四爻辞にいわく:鴻雁は漸漸に樹上に飛至る、或いは一根の平直の横枝を尋得すること有らん、過錯なからん。《小象伝》にいわく:或いは平直の横枝を尋得するは、柔順にして謙遜なるがゆえに。張根が解していわく:鴻雁は水鳥、水辺石上に棲息し丘陵の背陰の処に游走す。樹上に飛至れば則ちそれの待つべき地方にあらず、ただ柔順謙遜にして初めて勉强に禍を免れ得(此処に一字残缺、「巽」と作るべし)。六五爻辞にいわく:鴻雁は漸漸に高丘の上に飛至る、婦人は三年に孕を懐く能わざるも、しかし最終に彼女に勝過し得るは誰もなし、吉祥。張根がいわく:これは正道を歪曲して別人を迎合するを肯んぜざる人、あの俸禄を保住し権貴を結交する人らと完全不同なり。《小象伝》にいわく:終竟に彼女に勝過し得る人なくして吉祥は、自己の心願を実現したるがゆえに。上九爻辞にいわく:鴻雁は漸漸に高平の陸地に飛至る、その羽毛は用いて礼儀の装飾と為すべし、吉祥。《小象伝》にいわく:羽毛は用いて礼飾と為して吉祥は、それの行列は擾乱すべからざるがゆえに。張根がいわく:鴻雁は高飛して渺茫の太空に入る、あれこそそれの極致。しかし《易》の取る所はしかし「漸」のこの一層に在るがゆえに、ただ「羽毛は礼飾と為し用い可し」に推し至るに止まるのみ(此処に両字残缺、「冥冥」と作るべし)。
帰妹卦(兌下震上)
兌下震上。歸妹:征凶,無攸利。彖曰:歸妹,天地之大義也。天地不交而萬物不興,歸妺,人之終始也。少女歸長男,非已也,時不可過耳。說以動,所歸妺也。征凶,位不當也。異乎咸之下女矣。無攸利,柔乘剛也。上僣之謂。象曰:澤上有雷,歸妹。歸妹之時。君子以永終知敝。敝常在於娣侄,又戒在不終。
帰妹卦の卦体は、下卦が兌、上卦が震。卦辞にいわく:出征すれば凶険、好処あることなし。《彖伝》にいわく:少女が出嫁するは、天地間の大道理。天地は交感せざれば万物は興起する能わず。少女が出嫁するは、人倫の終結と開端。張根が解していわく:少女が長男に嫁するは、本より彼女自身の願う所にあらず、ただ婚期は拖過すべからざる而已。《彖伝》にいわく:喜悅を以て行動するは、嫁する所は少女なり。出征すれば凶険は、爻位が当たらざるがゆえに。張根がいわく:これは則ち咸卦の「男下女」の情形と同じからず。《彖伝》にいわく:好処あることなきは、陰柔が陽剛の上に凌駕するがゆえに。張根がいわく:これがすなわち下位が上位を僭越するなり。《大象伝》にいわく:沢上に雷あり、すなわち帰妹。張根がいわく:これがまさに女を嫁する時なり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、長遠の結局より着眼して弊病を預知す。張根がいわく:この一卦の弊病は常に陪嫁の娣と侄の身上に出づ、同時に人を告誡して有始無終する勿れなり。
初九,歸妹以娣,跛能履,征吉。象曰:歸妹以娣,以恆也;跛能履吉,相承也。歸妹惟以娣為可久而吉也。又慍於群小,何咎之有?九二,眇能視,利幽人之貞。象曰:利幽人之貞,未變常也。未敢失正配之禮故。六三,歸妹以須,反歸以娣。象曰:歸妹以須,未當也。說故歸速,二未變故反以娣。
初九爻辞にいわく:少女を嫁して側室の娣を以て相従せしむ、脚は跛れるもなお路を走り得、出征して吉祥。《小象伝》にいわく:娣を以て相従するは、それの恒久を取るがゆえに。脚が跛れて能く走りて吉祥は、彼此に承順するがゆえに。張根が解していわく:少女を嫁するはただ「娣」のこの種の身份を用いて初めて長久にして吉祥し得。何況んや《詩経》に「慍于群小」といえり、処境は委屈なるも、また何の過錯あらんや。九二爻辞にいわく:一隻の眼に毛病あるもなお看る能し、幽居守静の人の貞正に利し。《小象伝》にいわく:幽人の貞に利しきは、常道を改変せざるがゆえに。張根がいわく:それがなお敢えて正室配偶の有るべき礼数を失掉せざるがゆえに。六三爻辞にいわく:少女を嫁するもただ等待するのみ能く、反りて娣の身份を以て出嫁す。《小象伝》にいわく:少女を嫁して待つを須うるは、処境が妥当ならざるがゆえに。張根がいわく:兌は喜悅を主とするがゆえに、急ぎて出嫁す。九二は常道を改変せざるがゆえに、それは只好退回して来りて娣の身份を以て相従す。
九四,歸妹愆期,遲歸有時。象曰:愆期之志,有待而行也。二五無隙故。六五,帝乙歸妹,其君之袂不如其娣之袂良,月幾望,吉。歸妹以娣復以行,帝乙宜其有幾望之寵也。象曰:帝乙歸妹,不如其娣之袂良也;其位在中,以貴行也。上六,女承筐無實,士刲羊無血,無攸利。象曰:上六無實,承虛筐也。時過動極,宜其然。吳園周易解。
九四爻辞にいわく:少女を嫁して婚期を誤過せり、遅く出嫁して自らそれの時あり。《小象伝》にいわく:期を誤するの用意は、要に時機を等待して再び行動するなり。張根が解していわく:九二と六五との間に空隙を乗ずべきなきがゆえに。六五爻辞にいわく:帝乙が女を嫁す、正室の衣袖はなお陪嫁の娣の衣袖の華美に比ばず。月亮はまさに圓ならんとして未だ圓ならず、吉祥。張根がいわく:女を嫁して娣を以て相従せしめ、また能く礼に依って行えば、帝乙は自然にあの份のまさに圓ならんとする月のごとき栄寵に配当す。《小象伝》にいわく:帝乙が女を嫁す、正室の衣袖は娣の華美に如かず。それが居位に中を守りて、尊貴の身を以て嫁礼を行うがゆえに。上六爻辞にいわく:女子の捧ぐる筐の裏は空しく一物なく、男子は羊を宰するも血を見ず、好処あることなし。《小象伝》にいわく:上六は空虚にして実ならざるは、一隻の空筐を捧ぐるがゆえに。張根がいわく:時機は已に過ぎ動きて極点に至れば、こ地步に落得するは応當なり。以上は《呉園周易解》本巻の末。
呉園易解巻第六(下経 豐至未済)
豐卦(離下震上)
下經。離下震上。豐:亨,王假之,勿憂,宜日中。彖曰:豐,大也。明以動,故豐。反乎賁者也。王假之,尚大也。無此疆爾界之謂。勿憂宜日中,宜照天下也。大有為之謂。日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息,而況於人乎?況於神乎?當持之有道耳。象曰:雷電皆至,豐。豐、旅、巽、兌、渙、節、中孚、小過、既濟、未濟。至猶極也。君子以折獄致刑。亦猶霜雪之肅殺也。
以下は依然として下経。豐卦の卦体は、下卦が離、上卦が震。卦辞にいわく:亨通、君王は能くそれに感格す、憂慮するを必ずとせず、正午の太陽のごとくあるに宜し。《彖伝》にいわく:いわゆる豊は、すなわち盛大。光明にして能く行動するを以て、ゆえに盛大なり。張根が解していわく:この一卦は正に賁卦と相反す。《彖伝》にいわく:君王がそれに感格するは、盛大を崇尚するがゆえに。張根がいわく:これがすなわち《詩経》の講ずる「無此疆爾界」、彼此畛域を分たざるなり。《彖伝》にいわく:憂慮せずして日中のごとくあるに宜しきは、応に天下を照臨すべきがゆえに。張根がいわく:これは大いに作為するを言うなり。《彖伝》にいわく:太陽が正午に至れば則ち西に斜め、月亮が円満すれば則ち虧蝕す。天地の盈満空虚も、なお時に随い消長す、いわんや人をや。いわんや鬼神をや。張根がいわく:ゆえに盈満を持守するには、一套の弁法あるなり。《大象伝》にいわく:雷と電とが一斉に到来す、すなわち豊。(本巻の卦目:豊、旅、巽、兌、渙、節、中孚、小過、既済、未済。抄本のこの目は誤って正文に錯入せり。)張根がいわく:この「至」はすなわち「極」。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、訟獄を斷決し、刑罰を施行す。張根がいわく:これもまた霜雪の粛殺の気に似たり。
初九,遇其配主。所配之主謂五也。雖旬無咎。豐之初故。往有尚。多故之時故。象曰:雖旬無咎,過旬災也。六二,豐其蔀,日中見斗,往得疑疾。離在下故。有孚發若,吉。不改其明之謂。象曰:有孚發若,信以發志也。九三,豐其沛,日中見沬,折其右肱,無咎。明雖稍愈,然未可大事,剛而不中,是以動而有折肱之象焉。象曰:豐其沛,不可大事也;折其右肱,終不可用也。
初九爻辞にいわく:それと相配する主人に遇上す。張根が解していわく:ここの配する所の主人は九五を指す。爻辞にいわく:たとえ相処して十日に満つるも過錯なからん。張根がいわく:これが豊卦の開頭なるがゆえに。爻辞にいわく:前往すれば嘉尚を受けん。張根がいわく:これが多事の秋なるがゆえに。《小象伝》にいわく:十日に満ちて過錯なきは、十日を過ぐれば則ち災禍あり。六二爻辞にいわく:遮蔽物は甚だ大きく、大白天にしかし北斗星を看見す。この時に前往すれば猜疑忌恨を招来せん。張根がいわく:離が下卦に在りて、光明は圧住せられたるがゆえに。爻辞にいわく:ただ誠信有りて能く発露せば、則ち吉祥。張根がいわく:これは自己の光明を改変せざるを言うなり。《小象伝》にいわく:誠信ありて発露するは、信実を用いて人心を激発するがゆえに。九三爻辞にいわく:遮蔽物は甚だ大きく、大白天に小星を看見す。自己の右臂を折斷す、過錯なからん。張根がいわく:光明は稍や好くなるも、しかしなお大事を為す能わず。それは剛強にして中に居らざるがゆえに、一動すれば則ち手臂を折るの象あり。《小象伝》にいわく:遮蔽物大なるは、大事を為すべからず。右臂を折るは、終竟に用場に派せず。
九四,豐其蔀,日中見斗,遇其夷主,吉。象曰:豐其蔀,位不當也;日中見斗,幽不明也;遇其夷主,吉行也。夷與岐有夷之行之夷同,五以尊居位故也,故雖不當位而主行焉。六五,來章,有慶譽,吉。象曰:六五之吉,有慶也。用晦而明,取於人以為善者也。上六,豐其屋,蔀其家,窺其戶,閴其無人,三歲不覿,凶。象曰:豐其屋,天際翔也;窺其戶閴其無人,自藏也。明動皆有極故。
九四爻辞にいわく:遮蔽物は甚だ大きく、大白天に北斗星を看見す。あの平等相待の主人に遇上す、吉祥。《小象伝》にいわく:遮蔽物大なるは、爻位が当たらざるがゆえに。白天に斗を見るは、幽暗にして明ならざるがゆえに。平和の主人に遇うは、行動して吉祥なるがゆえに。張根が解していわく:この「夷」は《詩経》「有夷之行」の「夷」と意思は相同じ、平坦を指す。九五が尊貴の身を以てその位に居るがゆえに、九四は当位せざるも、なお能く主る所ありて行う。六五爻辞にいわく:文采ある賢者を招来す、福慶あり声誉あり、吉祥。《小象伝》にいわく:六五の吉祥は、福慶あるがゆえに。張根がいわく:これは明夷《大象》の講ずる「晦を用いて明なり」、能く別人の長処を取りて自己の善を成就するなり。上六爻辞にいわく:房屋を甚だ大きく造りて、しかし一家人をみな遮蔽せり。門縫より内を窺えば、静悄悄として人なく、三年にしても人影を見ず、凶険。《小象伝》にいわく:房屋を高大に造るは、天辺に翱翔するがごとく自高なり。門を窺いて人なきは、自己が自己を蔵起したるがゆえに。張根がいわく:光明と行動とがみな極点に至れるがゆえに。
旅卦(艮下離上)
艮下離上。旅:小亨,旅貞吉。彖曰:旅,小亨,柔得中乎外而順乎剛,止而麗乎明,是以小亨,旅貞吉也。處旅以柔順麗明為貴。旅之時義大矣哉。惟仲尼為能盡此。象曰:山上有火,旅。非其所故。君子以明慎用刑,而不留獄。親寡故也。
旅卦の卦体は、下卦が艮、上卦が離。卦辞にいわく:小さく亨通、旅居して正を守りて吉祥。《彖伝》にいわく:旅卦が小さく亨通は、柔爻が外卦に中を得て剛爻に順従し、安止して光明に依附す。ゆえに小さく亨通・旅居して正を守りて吉祥なり。張根が解していわく:身が旅途に在るは、柔順と光明に依附とを以て最も貴と為す。《彖伝》にいわく:旅が処する時機の意義は太く重大。張根がいわく:ただ孔子が列国を周遊せしのみ、この層の意思を極致に為したり。《大象伝》にいわく:山上に火あり、すなわち旅。張根がいわく:火がそれの在るべき処に在らざるがゆえに。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、明察謹慎に刑を用い、案件を積圧せず。張根がいわく:旅人は親近する人少なく、最も拖延に堪えざるがゆえに。
初六,旅瑣瑣,斯其所取災。象曰:旅瑣瑣,志窮災也。不能自激昂故。六二,旅即次,懐其資,得童僕,貞。象曰:得童僕貞,終無尤也。得處旅之道,然必正乃可以免。九三,旅焚其次,喪其童僕,貞厲。象曰:旅焚其次,亦以傷矣;以旅與下,其義喪也。剛而不中,傷矣乎。九四,旅于處,得其資斧,我心不快。象曰:旅于處,未得位也;得其資斧,心未快也。雖非其位而麗乎明故。
初六爻辞にいわく:旅途中に猥琐卑屑、これがまさに彼が自ら災禍を取るの原因。《小象伝》にいわく:旅中に猥琐は、心志が窮困して災を招く。張根が解していわく:彼が能く自己を振作せざるがゆえに。六二爻辞にいわく:旅途中に客舎に住込み、懐裏に盤纏を帯び、なお忠実の童僕を得到し、正を守る。《小象伝》にいわく:正を守る童僕を得到するは、終竟に過失あらざらん。張根がいわく:これは旅居の道理を懂得したるなり。ただし必ず正を守って初めて禍を免れ得。九三爻辞にいわく:旅途中に客舎は焼掉せられ、童僕もまた失掉す、正を守るも危険あり。《小象伝》にいわく:旅中に客舎が焼るは、已に受傷せり。旅居の身を以て下人に対待するは、理に按れば彼らを失掉せん。張根がいわく:剛強にして中に居らざれば、能く傷を受けざらんや。九四爻辞にいわく:旅途中に暫居の処を尋得し、また盤纏と防身の斧頭を得到せども、我が心裏は並びに痛快せず。《小象伝》にいわく:旅中に暫く住処を得るは、まだ応有の位置を得着せざるがゆえに。盤纏斧頭を得到するも、心裏はなお痛快せず。張根がいわく:それの応有の位置に在らざるも、しかしそれは畢竟に光明に依附す。
六五,射雉一矢亡,終以譽命。象曰:終以譽命,上逮也。此旅而得位者,所謂聞其政,非有所助而然,特其譽上達而已。上九,鳥焚其巢,旅人先笑後號咷,喪牛于易,凶。象曰:以旅在上,其義焚也;喪牛于易,終莫之聞也。剛而無應以處乎上,其能免乎?
六五爻辞にいわく:野鶏を射て、一支の箭を射掉せども、最終にしかしこれに因りて声誉と爵命とを贏得す。《小象伝》にいわく:最終に声誉爵命を贏得するは、声名が上達して君に至るがゆえに。張根が解していわく:これは旅居して位置を得着したる人、孔子が一国に到りて能くその政に与聞するがごとき。並びに誰か特に彼を幇助するあらざる、ただ彼の美名が上面に伝至りし而已。このごとき人は自己が想出して事を為さずとも、弁じ得られんや。上九爻辞にいわく:鳥の巣は火に焼掉せられ、旅人は先に歓笑し、後来に痛哭号啕す。田畔にて牛を丢失す、凶険。《小象伝》にいわく:旅居の身を以て最上に居るは、理に按れば巣は応に焼るべし。田畔に牛を丢失すは、最終に消息すら聴えず。張根がいわく:剛強にしてまた相応ずる人なしに、しかし最上面に処すれば、能く禍を免れんや。
巽卦(巽下巽上)
巽下巽上。巽:小亨,利有攸往,利見大人。彖曰:重巽以申命。剛巽乎中正而志行,柔皆順乎剛,是以小亨,利有攸往,利見大人。剛巽乎中正而志行,是以柔順之,而可以小亨,利有攸往,利見大人也。象曰:隨風,巽。君子以申命行事。行事不厭丁寧。
巽卦の卦体は、下卦が巽、上卦が巽。卦辞にいわく:小さく亨通、往く所有るに宜しく、大人に見ゆるに宜し。《彖伝》にいわく:両重の巽が相疊するは、反復して政令を申明せんと欲するがゆえに。剛爻は謙遜に中正の位に居りて志向は推行を得、柔爻はみな剛爻に順従す。ゆえに小さく亨通・前往に宜し・大人に見ゆるに宜し。張根が解していわく:剛爻は謙遜に中正を守りて志向は行を得、ゆえに柔爻はみなそれに順従し、ここにおいて小さく亨通・往く所有るに宜し・大人に見ゆるに宜しと為す可し。《大象伝》にいわく:風は一陣接一陣に吹く、すなわち巽。君子はそれに取法して、反復して命令を申明して政事を推行す。張根がいわく:事を弁ずるは叮嚀の細きを怕れず。
初六,進退,利武人之貞。象曰:進退,志疑也;利武人之貞,志治也。方事之初,人情猶豫,尤貴乎果斷故。九二,巽在床下,用史巫紛若,吉,無咎。象曰:紛若之吉,得中也。其巽已甚,君子不貴。九三,頻巽,吝。象曰:頻巽之吝,志窮也。行權之道,安可常哉?
初六爻辞にいわく:進むも可ならず退くも可ならず、武人のごとき貞正に宜し。《小象伝》にいわく:進退が定まらざるは、心志に疑あるがゆえに。武人の貞正に宜しきは、心志が整治を得るがゆえに。張根が解していわく:正に事情の開頭に当たり、人心は往々に猶豫す、ゆえに尤も果断を看重す。九二爻辞にいわく:謙卑して床下に跪伏す、許多の祝史巫覡を請て紛紛として祷告せしむ、吉祥、過錯なからん。《小象伝》にいわく:紛紛として祷告して吉祥は、九二が中に居るがゆえに。張根がいわく:それは謙卑が頭を過ぎたり、君子は並びにこの点を看重せず。九三爻辞にいわく:一再に勉强して謙遜す、憾惜あり。《小象伝》にいわく:一再に勉强して謙遜するの憾惜は、心志が已に窮尽せるがゆえに。張根がいわく:随機権変の做法は、何れの処に常規と為し得べけんや。
六四,悔亡,田三品。象曰:田三品,有功也。不爭而得之謂。九五,貞吉悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉。象曰:九五之吉,位正中也。戒告丁寧,庚之謂矣。上九,巽在床下,喪其資斧,貞凶。象曰:巽在床下,上窮也;喪其資斧,正乎凶也。九三之巽已吝,況上九乎?
六四爻辞にいわく:悔恨は消失す、田猟は三類の獵物を獲得す。《小象伝》にいわく:田猟に三類の獵物を得るは、功労あるがゆえに。張根が解していわく:これは争搶せずして自然に獲得するなり。九五爻辞にいわく:正を守りて吉祥、悔恨は消失し、利ならざる所なし。起初に順ならずして最終に好結果あり。令を頒くの庚日の前三天・後三天に用心せば、吉祥。《小象伝》にいわく:九五の吉祥は、爻位がまた正また中なるがゆえに。張根がいわく:反復告誡・叮嚀周至は、すなわち「庚」の字の用意。上九爻辞にいわく:謙卑して床下に跪伏し、盤纏と斧頭とをみな丢失せり、正を守るも凶険。《小象伝》にいわく:床下に伏するは、上位に居りて窮途に走り至るがゆえに。盤纏斧頭を丢失するは、まさに凶険。張根がいわく:九三のあのごとき謙卑は已に憾惜と算す、いわんや上九をや。
兌卦(兌下兌上)
兌下兌上。兌:亨,利貞。彖曰:兌,說也。剛中而柔外,說以利貞,是以順乎天而應乎人。說以先民,民忘其勞;說以犯難,民忘其死;說之大,民勸矣哉。剛中而柔外,說以利貞,然後可以為說;不然則說下不以道,所謂違道以干百姓之譽耳,何足貴哉?象曰:麗澤,兌。君子以朋友習講。天下之所說莫大於此。所謂說者,惡夫不以道,故六爻皆以剛為貴也。
兌卦の卦体は、下卦が兌、上卦が兌。卦辞にいわく:亨通、正を守るに利し。《彖伝》にいわく:いわゆる兌は、すなわち喜悅。剛爻は中に居りて柔爻は外に在り、喜悅を以て正を守るに利し。ゆえに能く上は天道に順い下は人心に応ず。喜悅の道を以て帯頭すれば、百姓は則ち労苦を忘掉す。喜悅の道を用いて冒険すれば、百姓は則ち死亡を忘掉す。喜悅の力量は真に大なるかな、百姓はみな鼓舞せられ起れり。張根が解していわく:剛は中に在りて柔は外に在り、喜悅してまた正を守るに利し、然る後に初めて「説」に談ずべし。然らざれば、則ち正道に按らずして下面を取悦する、あれは過ぎず《孟子》の言う正道に違背して百姓の赞誉を博取する、何れの処に貴きあらんや。《大象伝》にいわく:両沢が相連す、すなわち兌。君子はそれに取法して、朋友とともに学問を講習す。張根がいわく:天下の最も人を喜悅せしむる事はこれより大なるなし。いわゆる「説」の最も忌諱するは正に合せざるがゆえに、この一卦の六爻はみな陽剛を以て貴と為す。
初九,和兌,吉。象曰:和兌之吉,行未疑也。所謂和而不同。九二,孚兌,吉,悔亡。象曰:孚兌之吉,信志也。以剛中故。六三,來兌,凶。象曰:來兌之凶,位不當也。此與佞人來矣之來同,無因而至,佞可知矣。
初九爻辞にいわく:和順に喜悅す、吉祥。《小象伝》にいわく:和悦の吉祥は、行為がまだ猜疑を引起さざるがゆえに。張根が解していわく:これがすなわち孔子の言う「和而不同」。九二爻辞にいわく:誠信を以て喜悅す、吉祥、悔恨は消失す。《小象伝》にいわく:誠信喜悅の吉祥は、それの心志が信実なるがゆえに。張根がいわく:九二が剛健にして中に居るがゆえに。六三爻辞にいわく:門に跑り來りて人の歓心を討う、凶険。《小象伝》にいわく:門上に討好するの凶険は、爻位が当たらざるがゆえに。張根がいわく:この「来」は《論語》「佞人殆」の一類の説法の裏の「来」と相同じ。無縁無故に湊り來れば、諂佞なりと想に推し知るべし。
九四,商兌未寧,介疾有喜。象曰:九四之喜,有慶也。糾逖小人而疏之,宜有慶也。九五,孚于剝,有厲。象曰:孚于剝,位正當也。居中履正而欲惟天下之說已,所謂一言喪邦,不亦危乎?上六,引兌。象曰:上六引兌,未光也。處卦之外,雖異乎來兌,然將順而已,是以未光也,與夫引君以當道異矣。
九四爻辞にいわく:反復に斟酌して誰に喜悅すべきかを得ずして安寧せず。能く耿介を守住してあの份の病害を隔離せば、則ち喜慶あり。《小象伝》にいわく:九四の喜は、福慶あるがゆえに。張根が解していわく:能く糾察し小人を遠斥して彼らを疎遠すれば、自然に応に福慶あるべし。九五爻辞にいわく:あの陽剛を剝蝕する小人らにも誠信を講ず、危険あり。《小象伝》にいわく:陽を剝する小人に信任するは、それが爻位正当の尊位に在るがゆえに。張根がいわく:身は中位に居り足は正道に踏むも、しかし一心にただ天下人をしてみな己を喜ばしめんことを欲す、これがすなわち孔子の言う「一言而喪邦」、危険ならずや。上六爻辞にいわく:人を誘引して己を喜悅せしむ。《小象伝》にいわく:上六が誘引取悦するは、道がまだ光大ならざるがゆえに。張根がいわく:それは一卦の外に処し、六三のあの種の門上討好とは同じからざるも、しかしもまた過ぎず上面の意思に順う而已。ゆえに光大ならずと言う。これは《孟子》の講ずる君主を引導して正道に走上せしむると、完全是に両回事なり。
渙卦(坎下巽上)
坎下巽上。渙:亨,王假有廟,利涉大川,利貞。彖曰:渙亨,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。此險難所以散也。王假有廟,王乃在中也。不失位故。利涉大川,乘木有功也。此之謂濟難。象曰:風行水上,渙。先王以亨於帝立廟。險難既散,將建國家,郊廟為先。
渙卦の卦体は、下卦が坎、上卦が巽。卦辞にいわく:亨通、君王は至誠を以て宗廟に感格す、大河を渡るに宜しく、正を守るに利し。《彖伝》にいわく:渙卦が亨通は、剛爻が下來して窮困に至らず、柔爻が外卦に位を得て上面と同心するがゆえに。張根が解していわく:これがすなわち険難の渙散を得る所以の緣故。《彖伝》にいわく:君王が宗廟に感格するは、君王がまさに中位に在るがゆえに。張根がいわく:彼が自己の位子を失掉せざるがゆえに。《彖伝》にいわく:大河を渡るに宜しきは、木船に乗れば則ち成功を成すがゆえに。張根がいわく:これがすなわち危難を渡るなり。《大象伝》にいわく:風が水面上に吹行す、すなわち渙。先王はそれに取法して、上帝を祭享し宗廟を建立せり。張根がいわく:険難は既に渙散せれば、則ち国家を重建せんと欲す。しかして郊祀と宗廟とは第一番の事なり。
初六,用拯馬壯,吉。象曰:初六之吉,順也。九二,渙奔其機,悔亡。象曰:渙奔其機,得願也。六三,渙其躬,無悔。象曰:渙其躬,志在外也。坎為難者,險難既平,即當見討;能自歸者為上,故初以先順吉,二為難首,舍九而奔則悔亡;三從難者也,雖不能帥其群,而能脫身自歸,亦可以免。
初六爻辞にいわく:一匹の健壯の馬を用いて拯救せば、吉祥。《小象伝》にいわく:初六の吉祥は、それが柔順なるがゆえに。九二爻辞にいわく:渙散の時に憑靠すべき几案に奔り、悔恨は消失す。《小象伝》にいわく:几案に奔るは、所願を得償したるがゆえに。六三爻辞にいわく:自己一身の私系を渙散す、悔恨なし。《小象伝》にいわく:己身を渙散するは、心志が外面に在るがゆえに。張根が解していわく:坎は禍難を製造する一方。険難は已に平定せれば、応に討伐を受くべし。その中に能く自ら前来して帰附するは最も好し。ゆえに初六は搶先して順従したるを以て吉。九二は禍首、それは旧党を舎掉して依靠に奔り、悔恨は則ち消失せり。六三は本より従りて乱を作す人、能くそれのあの一伙の人を帯領して一緒に來る能わざるも、しかしそれは能く身を抽きて自帰す、また以て禍を免るべし。
六四,渙其群,元吉,渙有丘,匪夷所思。光武散赤眉之眾,使各返其家是也。象曰:渙其群元吉,光大也。九五,渙汗其大號。與天下更始。渙王居,無咎。反正之謂。象曰:王居無咎,正位也。上九,渙其血去逖出,無咎。象曰:渙其血,逺害也。
六四爻辞にいわく:彼の党群を解散す、大吉。渙散して後にまた聚まりて丘山と成る、これは常人の想到し得る所にあらず。張根が解していわく:漢光武帝が赤眉軍の部衆を遣散して、彼らをして各自に家に回歸せしめしは、すなわちこうの事。《小象伝》にいわく:党群を解散して大吉は、心量が光明広大なるがゆえに。九五爻辞にいわく:出汗するがごとく重大の号令を発佈す。張根がいわく:これは天下人と重新に開始するなり。爻辞にいわく:王者の積聚したる財貨を散じてその居を安んず、過錯なからん。張根がいわく:これがすなわち撥乱反正。《小象伝》にいわく:王者が位に居りて過錯なきは、正にその位に当たるがゆえに。上九爻辞にいわく:血光の災を渙散して、遠くに走開す、過錯なからん。《小象伝》にいわく:血光の災を渙散するは、禍害を遠離するがゆえに。
節卦(兌下坎上)
兌下坎上。節:亨,苦節不可貞。彖曰:節亨,剛柔分而剛得中。所以為節而亨。苦節不可貞,其道窮也。已甚之謂。說以行險,當位以節,中正以通。惟中正然後可以通天下之志。天地節而四時成,節以制度,不傷財,不害民。皆以中和為貴。象曰:澤上有水,節。水性散漫故。君子以制數度,議徳行。所謂內節於已而外節於萬物;徳行猶議之,而況其它乎。
節卦の卦体は、下卦が兌、上卦が坎。卦辞にいわく:亨通。苦しみ極処に至る節制は固守すべからず。《彖伝》にいわく:節卦が亨通は、剛柔が各々半にして剛爻が中を得るがゆえに。張根が解していわく:これがすなわちそれの能く節制して亨通する所以の緣故。《彖伝》にいわく:苦節は固守すべからざるは、それの路は已に走絶したるがゆえに。張根がいわく:これは為すこと太く過分なるを言うなり。《彖伝》にいわく:和悦の心を以て険路を走り、当位に居りて節制を行い、中正を秉りて能く通達す。張根がいわく:ただ中正、然る後に初めて能く天下人の心志を溝通す。《彖伝》にいわく:天地に節度ありて四時は形成し、制度を用いて節制すれば、則ち財物を傷耗せず百姓を殘害せず。張根がいわく:これはみな中和を以て貴と為す。《大象伝》にいわく:沢上に水あり、すなわち節。張根がいわく:水性は本来散漫にして帰なきがゆえに。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、度数を制定し徳行を評議す。張根がいわく:これがすなわちいわゆる対内は自己を節制し対外は万物を節制するなり。自己の徳行すらなお拿て評議するを要す、いわんや別の事をや。
初九,不出戶庭,無咎。象曰:不出戶庭,知通塞也。外卦受節者也,內卦節物者也。節之初,最處於下,故不出戶庭無咎;至二則失之矣。九二,不出門庭,凶。象曰:不出門庭凶,失時極也。以躁而居內故,況與下乎?六三,不節若,則嗟若,無咎。象曰:不節之嗟,又誰咎也。姑息之謂。
初九爻辞にいわく:自家の院門を走出せず、過錯なからん。《小象伝》にいわく:戸庭を出でざるは、何時か通・何時か塞を懂得するがゆえに。張根が解していわく:外卦は節制せらるる一方、内卦は別人を節制する一方。初九は節の開頭に処しまた最も下面に在るがゆえに、戸庭を出でざれば過錯なし。九二に至れば、情形は則ち同じからず。九二爻辞にいわく:自家の大門を走出せず、凶険。《小象伝》にいわく:門庭を出でずして凶険なるは、時機を錯過すること太く厲きがゆえに。張根がいわく:それの性子は躁急にしてしかも内卦に居り、何況んやそれはなお下面の初九と同じく一体に処するをや。六三爻辞にいわく:肯んじて自己を節制せざれば、則ち只好く悲嘆するのみ、これは過錯と算せず。《小象伝》にいわく:節制せずして悲嘆するは、なお誰を怪まんや。張根がいわく:これがすなわちひとえに自己を姑息するなり。
六四,安節,亨。象曰:安節之亨,承上道也。承上道者,受節而無所迕之謂。九五,甘節,吉,往有尚。象曰:甘節之吉,居位中也。躬行以率之之謂。上六,苦節,貞凶,悔亡。物雖不堪,於已寡過。象曰:苦節貞凶,其道窮也。不能通變之謂。
六四爻辞にいわく:安然として節制を接受す、亨通。《小象伝》にいわく:安節の亨通は、上面の道を承受したるがゆえに。張根が解していわく:いわゆる上面の道を承受するは、説くは節制を接受して毫も抵触なきなり。九五爻辞にいわく:甘美の節制、吉祥、前往すれば嘉尚を受けん。《小象伝》にいわく:甘節の吉祥は、居位にして中を守るがゆえに。張根がいわく:これは彼が親身に実行して帯頭するを言うなり。上六爻辞にいわく:苦しみ極処に至る節制、正を守るも凶険、しかし悔恨は消失せん。張根がいわく:別人は受け難きも、彼自身は過失を犯すこと少なきがゆえに。《小象伝》にいわく:苦節に正を守りて凶なるは、それの路は已に走絶せるがゆえに。張根がいわく:これは能く権変に通達せざるを言うなり。
中孚卦(兌下巽上)
兌下巽上。中孚:豚魚吉,利涉大川,利貞。彖曰:中孚,柔在內而剛得中,說而巽,孚乃化也。柔在內故能虛,剛得中故能執信;說而巽,是以不疑於物焉,其化宜矣。豚魚吉,信及豚魚也。其它可知。利涉大川,乘木舟虛也。中孚似之。中孚以利貞,乃應乎天也。變化大興,是謂天徳。象曰:澤上有風,中孚。君子以議獄緩死。宥過無大之謂。
中孚卦の卦体は、下卦が兌、上卦が巽。卦辞にいわく:誠信が小猪と魚に及べば則ち吉祥、大河を渡るに宜しく、正を守るに利し。《彖伝》にいわく:中孚卦は柔爻が内に在りて剛爻が中を得、和悦にしてまた謙遜、誠信はここにおいて能く人を感化す。張根が解していわく:柔爻が内に在れば、ゆえに心は能く虚なり。剛爻が中を得れば、ゆえに能く信実を握住す。和悦にして謙遜なれば、ゆえに外物に猜疑せられず、人を感化するは理の当然なり。《彖伝》にいわく:豚魚に吉祥は、誠信が小猪と魚にすら感応を到したるがゆえに。張根がいわく:別のはまた想に推し知るべし。《彖伝》にいわく:大河を渡るに宜しきは、中間空虚の木船に乗るがゆえに。張根がいわく:中孚卦の卦形は正にこのごとし。《彖伝》にいわく:中孚にしてまた正を守るに利しきは、則ち天道と相応ずるなり。張根がいわく:変化の大興は、これを天徳と称す。《大象伝》にいわく:沢上に風あり、すなわち中孚。君子はそれに取法して、訟獄を審議し死刑を寛緩す。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の講ずる「宥過無大」、過失性の犯罪に対しては再び大なるも従寛するなり。
初九,虞吉,有他不燕。象曰:初九虞吉,志未變也。九二,嗚鶴在陰,其子和之;我有好爵,吾與爾靡之。象曰:其子和之,中心願也。身不行道,不行於妻子;其子和之,則其信可知矣,雖欲勿用,其可得乎?六三,得敵,或鼔或罷,或泣或歌。據非其位,有疑於四。象曰:或鼔或罷,位不當也。
初九爻辞にいわく:事先に度量する所有れば則ち吉祥、別に別の牽掛あれば安寧を得ず。《小象伝》にいわく:初九が度量して吉は、心志がまだ改変せざるがゆえに。九二爻辞にいわく:鶴が樹陰の裏に鳴叫して、それの小鶴は応和す。我に一杯の好酒あり、願わくはあなたと共享せん。《小象伝》にいわく:小鶴がそれに応和するは、内心より発する願望なり。張根が解していわく:自身が正道を行わざれば、妻子児女すら使喚して動かず。如今に小鶴すら來りて応和すれば、あれはそれの信実はまた想に推し知るべし。このごとき人はたとえ自己が想出して事を為さずとも、弁じ得られんや。六三爻辞にいわく:対手に遇上して、忽ち鼓を撃ち忽ち停歇し、忽ち哭泣し忽ち歌唱す。張根がいわく:それは占むべからざる位子を占めて、九四に対して疑惧を心存すがゆえに。《小象伝》にいわく:忽ち鼓し忽ち停ずるは、爻位が当たらざるがゆえに。
六四,月幾望,馬匹亡,無咎。象曰:馬匹亡,絶類上也。絶類於上一人,此大臣之無朋者也。九五,有孚攣如,無咎。中不虛故未能廣,然無可無不可,故無咎而已。象曰:有孚攣如,位正當也。上九,翰音登于天,貞凶。象曰:翰音登于天,何可長也。此信不足而急人之知者,異乎在陰之鶴矣。
六四爻辞にいわく:月亮はまさに円ならんとして未だ円ならず、同駕の別の一匹の馬は跑掉せり、過錯なからん。《小象伝》にいわく:馬匹が跑掉するは、同類を断絶して専心に上に向うがゆえに。張根が解していわく:同類を断絶して専ら上面の一人に事奉するは、これがまさに大臣が朋党を結ばざるの様子。九五爻辞にいわく:心に誠信を懐きて衆人を牽系す、過錯なからん。張根がいわく:それの心中は虚なるに足らざるがゆえに、また能く広大ならず。ただしそれは無可無不可。ゆえにただ過錯なしと言う而已。《小象伝》にいわく:誠信ありて衆人を牽系するは、爻位が正当の尊位に在るがゆえに。上九爻辞にいわく:鶏の鳴声は直に雲天に上る、正を守るも凶険。《小象伝》にいわく:鶏鳴が上天するは、何ぞ能く長久せんや。張根がいわく:これは信実足らざるも急ぎて人に知らしめんと欲する人、あの樹陰の裏に鳴叫する鶴と完全不同なり。
小過卦(艮下震上)
艮下震上。小過:亨,利貞,可小事,不可大事,飛鳥遺之音,不宜上,宜下,大吉。權不足故。彖曰:小過,小者過而亨也。小過可耳,非大人所宜。過以利貞,與時行也。不可為常。柔得中,是以小事吉也。剛失位而不中,是以不可大事也。有飛鳥之象焉。飛鳥遺之音,不宜上宜下大吉,上逆而下順也。同於隨矣。象曰:山上有雷,小過。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉。君子之過如此而已,是過於厚者也,故可以知仁。
小過卦の卦体は、下卦が艮、上卦が震。卦辞にいわく:亨通、正を守るに利し。小事を為す可し、大事を為すべからず。飛鳥は叫声を留下す、上に飛ぶに宜しからず、下に落るに宜し、大吉。張根が解していわく:それの権力と分量とがみな足らざるがゆえに。《彖伝》にいわく:小過は、小者が稍や過分にして能く亨通す。張根がいわく:小小に一点を過ぐるはなお可なり、これは大人の応に為すべきにあらず。《彖伝》にいわく:過ぎてなお能く正を守るは、時勢に随いて行うがゆえに。張根がいわく:しかしこれは常規と為し得ず。《彖伝》にいわく:柔爻が中を得、ゆえに小事に吉祥。剛爻は位を失しまた中に居らず、ゆえに大事を為すべからず。卦中に飛鳥の象を含む。飛鳥が叫声を留下するは、上に宜しからずして下に宜し、ゆえに大吉、上に往くは逆にして下に往くは順なるがゆえに。張根がいわく:これは随卦「上逆下順」の道理と相同じ。《大象伝》にいわく:山上に雷あり、すなわち小過。君子はそれに取法して、行為の上に稍や恭敬に過ぎ、居喪の上に稍や哀戚に過ぎ、用度の上に稍や倹省に過ぐ。張根がいわく:君子の「過」はこうに過ぎず、これはみな厚道の一辺に偏するがゆえに、ここより就いて彼の仁を看出す能わん。
初六,飛鳥以凶。應於四故。象曰:飛鳥以凶,不可如何也。最在下故。六二,過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎。象曰:不及其君,臣不可過也。相過謂之過,邂逅謂之遇。小過之時宜下不宜上,故可過其祖,不可過其君也。九三,弗過防之,從或戕之,凶。象曰:從或戕之,凶如何也。妣之與臣何可邂逅,以得位而在中故;至三則雖過有所不可矣,不獨弗過焉,又當防之,弗防而從之,凶斯及之矣,上六亢非所應故也。
初六爻辞にいわく:飛鳥は上に飛び、これに因りて凶を招く。張根が解していわく:それが九四と相応ずるがゆえに。《小象伝》にいわく:飛鳥がこれに因りて凶を招くは、弁法の想う可きなきがゆえに。張根がいわく:それが最も下面に在るがゆえに。六二爻辞にいわく:祖父を越過して、祖母に遇上す。君主に及ばず、ただ臣子に遇上すのみ。過錯なからん。《小象伝》にいわく:君主に及ばざるは、臣子を為す者は君主を越過すべからざるがゆえに。張根が解していわく:彼此が錯開するを「過」と称し、期せずして合するを「遇」と称す。小過の時は下に宜しく上に宜しからず。ゆえに祖父を越過す可し、しかし君主を越過すべからず。九三爻辞にいわく:それを越過せず、反りてそれを防ぐを要す。ひとえに跟従せば、それに戕害せられん、凶険。《小象伝》にいわく:跟従して戕害を遭うは、あの凶険はなお如何せんや。張根がいわく:祖母と臣子とは何れの処に隨便に不期而遇し得べけんや。六二が能くこうなるはそれが位を得て中に居るがゆえに。九三に至れば、則ち稍や一点を過ぎんと欲するも為し得ざるあり。能く越過せざるのみならず、なお応に防備すべし。防備せずして反りて跟って走れば、凶険は馬上に至らん。上六が高亢にして並びに九三の真正の正応にあらざるがゆえに。
九四,無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞。象曰:弗過遇之,位不當也;往厲必戒,終不可長也。雖不當位,然以下應於初,故不可過耳,然亦不可久也。六五,密雲不雨,自我西郊。雷在山上之象。公弋取彼在穴。下而小取庶幾焉,上自應二也。象曰:密雲不雨,已上也。上六,弗遇過之,飛鳥離之,凶。是謂災眚。象曰:弗遇過之,已亢也。已亢矣,雖遇不可,況欲過焉?飛鳥之上必離於網罟。
九四爻辞にいわく:過錯なからん。それを越過せずして恰好にそれに遇上す。前往すれば危険あり、必ず戒備すべし。長久にこの種の状態を固守すべからず。《小象伝》にいわく:越過せずして恰遇うは、爻位が当たらざるがゆえに。前往して険ありて必ず戒備すべきは、終竟に長久すべからざるがゆえに。張根が解していわく:九四は爻位当たらざるも、しかしそれは下に向かい初六と相応ず。ゆえにただ越過すべからざる而已。ただしこの種の状態もまた維持すること久しからず。六五爻辞にいわく:濃雲は密布するも雨の下り來るなく、雲は我が西辺の郊野より飄來す。張根がいわく:これは雷が山上に在るの象なり。爻辞にいわく:王公は帯縄の箭を用いてあの洞穴の裏に躲する獵物を射取す。張根がいわく:下面に向かい小小に一点を取るは差不多、上面は本来六二と相応ずるがゆえに。《小象伝》にいわく:濃雲が雨ならざるは、陰気は已に上面に升至れるがゆえに。上六爻辞にいわく:相遇せずして硬に越過せんと欲す、飛鳥は網羅に住せられ、凶険。張根がいわく:これを天災人禍と称す。《小象伝》にいわく:遇わずして硬に越過するは、已に高亢して極点に至れるがゆえに。張根がいわく:已に高亢して極点に至れば、則ち「遇」せんと欲するも可ならず、いわんやなお「過」せんと欲するをや。飛鳥はひとえに上に飛ばば、必定に網羅の裏に撞入せん。
既済卦(離下坎上)
離下坎上。既濟:亨小,利貞,初吉終亂。所以貴夫防微。彖曰:既濟亨,小者亨也。利貞,剛柔正而位當也。初吉,柔得中也。終止則亂,其道窮也。小者皆亨,則上下偷惰之時,故以利貞終止為戒,與率作興事同義。象曰:水在火上,既濟。君子以思患而豫防之。此儆戒無虞之意。
既済卦の卦体は、下卦が離、上卦が坎。卦辞にいわく:小なる方面に亨通、正を守るに利し。開頭は吉祥、最後に混乱に陷入す。張根が解していわく:これがすなわちそれが防微杜漸を看重する所以の緣故。《彖伝》にいわく:既済が亨通は、小なるすらもみな亨通したるがゆえに。正を守るに利しきは、剛柔が各々その正を得て爻位がみな恰当なるがゆえに。開頭が吉祥は、柔爻が中を得るがゆえに。最後に停滞して則ち乱を生ずは、それの路が走絶したるがゆえに。張根がいわく:小なるすらみな亨通せば、あれはまさに上上下下が苟且懈怠し始むる時。ゆえに「利貞」と「終止」とを拿て告誡す、これは《尚書》「率作興事」の用意と相同じ。《大象伝》にいわく:水が火上に在り、すなわち既済。君子はそれに取法して、禍患を想到して預先に防備す。張根がいわく:これがすなわち《尚書》「儆戒無虞」の意思。
初九,曳其輪,濡其尾,無咎。象曰:曳其輪,義無咎也。既濟之初已如是,況其久乎?此高宗伐方所以至憊,而九五之禴祭所以吉大來也。六二,婦喪其茀,勿逐,七日得。象曰:七日得,以中道也。居既濟之時而中道自守,雖見侵於群枉,必無失矣。九三,高宗伐□方,三年克之,小人勿用。象曰:三年克之,憊也。其憊者,小人好恃其強出以取勝,而不恤國家之患故。
初九爻辞にいわく:車輪を拖住してそれを快走せしめず、狐狸は尾巴を沾湿せり、過錯なからん。《小象伝》にいわく:車輪を拖住するは、理に按れば過錯なからん。張根が解していわく:既済の開頭に已にこのごとく謹慎す、いわんや後来に至るをや。これがまさに商高宗が鬼方を討伐して疲敝せしめし所以と、九五のあの場の微薄の禴祭が大吉なりし所以の道理(「伐」の下に一「鬼」の字を脱す)。六二爻辞にいわく:婦人は車上の帷飾を丢失す、追尋し往くを必ずとせず、七天の後に自然に復得せん。《小象伝》にいわく:七天に復得するは、中道を守住するがゆえに。張根がいわく:既済の時に処して能く中道を以て自守すれば、たとえ一群の邪曲の人に侵奪せらるるも、必定に真の損失あらざらん。九三爻辞にいわく:商高宗が鬼方を討伐し、三年にして初めて攻克せり、小人は任用すべからず(「伐」の下に一字残缺、「鬼」と作るべし)。《小象伝》にいわく:三年にして初めて攻克するは、疲敝したるがゆえに。張根がいわく:疲敝したる所以は、小人が愛して自己の強横に仗り、出兵してただ取勝を図りて、国家の禍患を顧らざるがゆえに。
六四,襦有衣袽,終日戒。象曰:終日戒,有所疑也。處坎之下當如是耳。九五,東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。象曰:東鄰殺牛,不如西鄰之時也;實受其福,吉大來也。文王之事。上六,濡其首,厲。象曰:濡其首厲,何可久也。此亦飲酒而濡其首,故謂終止則亂。
六四爻辞にいわく:船上に滲漏あれば、則ち破衣爛絮を用いて堵塞し、整天に戒備す。《小象伝》にいわく:整天に戒備するは、心裏に疑慮する所有るがゆえに。張根が解していわく:坎水の下方に処するは、本来応にこうあるべし。九五爻辞にいわく:東辺の隣国が牛を殺して盛祭するは、西辺の隣国の微薄の禴祭に及ばず、あれが真に福佑を承受したり。《小象伝》にいわく:東隣が牛を殺すは、西隣の時宜に合するに及ばず。真に福佑を承受するは、吉慶が大いに到来するがゆえに。張根がいわく:これは周文王のあの類の事に相当す。上六爻辞にいわく:狐狸が水を渡りて頭を沾湿せり、危険あり。《小象伝》にいわく:頭を沾湿して危険あるは、何ぞ能く長久せんや。張根がいわく:これもまた未済上九の講ずる酒を飲みて頭を湿すに到る、ゆえに卦辞は初めて「終止則乱」と言うなり。
未済卦(坎下離上)
坎下離上。未濟:亨,小狐汔濟,濡其尾,無攸利。處未濟而不果如此,何利之有?彖曰:未濟亨,柔得中也。凡得中皆有亨之道焉。小狐汔濟,未出中也。濡其尾,無攸利,不續終也。雖不當位,剛柔應也。濟難之道,惟克果斷乃罔後艱,非柔之所能也。象曰:火在水上,未濟。君子以慎辨物居方。蚤正以待之。
未済卦の卦体は、下卦が坎、上卦が離。卦辞にいわく:亨通。小狐狸はまさに河を渡尽さんとして、しかし尾巴を沾湿せり、好処あることなし。張根が解していわく:身が未済の世に処してこのごとく不果断なれば、能く何の好処あらんや。《彖伝》にいわく:未済が亨通は、柔爻が中を得るがゆえに。張根がいわく:凡そ中を得るはみな亨通の道理を含む。《彖伝》にいわく:小狐狸がまさに河を渡らんとするは、まだ坎険の中間を走出せざるがゆえに。尾巴を沾湿して好処なきは、能く事情を接続して到底せざるがゆえに。各爻はみな当位せざるも、しかし剛柔の間は互相に呼応す。張根がいわく:危難を渡るの弁法は、ただ能く果断なるのみ後患を留下せず、これは柔弱者の為し得る所にあらず。《大象伝》にいわく:火が水上に在り、すなわち未済。君子はそれに取法して、謹慎に事物を辨別し、彼らの各自の位置を安排す。張根がいわく:これは及早に端正し好くして、以て将来を待つなり。
初六,濡其尾,吝。象曰:濡其尾,亦不知極也。此亦曳其輪而濡其尾者也。九二,曳其輪,貞吉。曳其輪而已,是以謂之中。象曰:九二貞吉,中以行正也。剛在險中故。六三,未濟,征凶,利涉大川。象曰:未濟征凶,位不當也。下卦皆在險,而二獨以中吉;初不量力,而三不當位,故其患如此也。
初六爻辞にいわく:尾巴を沾湿せり、憾惜あり。《小象伝》にいわく:尾巴を沾湿するは、また分寸の極限を知らざるなり。張根が解していわく:これもまた既済初九のあの種の「車輪を拖住し尾巴を沾湿す」の情形なり。九二爻辞にいわく:車輪を拖住す、正を守りて吉祥。張根がいわく:それはただ車輪を拖住する而已、ゆえに「中」と称し得。《小象伝》にいわく:九二が正を守りて吉祥は、中道を以て正道を推行するがゆえに。張根がいわく:それが剛爻にして険難の中に処するがゆえに。六三爻辞にいわく:まだ渡り去らず、出征すれば凶険、大河を渡るに宜し。《小象伝》にいわく:未済して出征すれば凶険は、爻位が当たらざるがゆえに。張根がいわく:下卦の三爻はみな険中に在り、ただ九二が中に居るに因りて吉。初六は自己の力量を掂量せず、六三はまた当位せず、ゆえに禍患はすなわちこうなり。
九四,貞吉悔亡,震用伐方,三年有賞于大國。象曰:貞吉悔亡,志行也。已出險故。六五,貞吉無悔,君子之光,有孚吉。象曰:君子之光,其暉吉也。兼容並包,虛已委任之謂。上九,有孚于飲酒,無咎,濡其首,有孚失是。象曰:飲酒濡首,亦不知節也。處卦之外,孚於酒以全身可也,濡其首則已甚矣。未濟之終有既濟之象焉,飲酒可也,濡其首則過也。
九四爻辞にいわく:正を守りて吉祥、悔恨は消失す。兵威を奮起して鬼方を討伐し、三年の後に大国の封賞を得到す(「伐」の下に一「鬼」の字を脱す)。《小象伝》にいわく:正を守りて吉祥・悔恨の消失するは、志向が推行を得るがゆえに。張根が解していわく:それが已に険境を走出せるがゆえに。六五爻辞にいわく:正を守りて吉祥、悔恨なし。これは君子の光輝、誠信あれば則ち吉祥。《小象伝》にいわく:君子の光輝は、彼の光暉が吉祥を帯來するがゆえに。張根がいわく:これがすなわち兼収並容・虚己待人にして放手して托付するなり。上九爻辞にいわく:誠信を懐きて酒を飲む、過錯なからん。しかし飲みて頭を沾湿するに至れば、あの份の誠信もまた分寸を失掉せり。《小象伝》にいわく:酒を飲みて頭を湿すは、また節制を懂得せざるなり。張根がいわく:それは一卦の外に処し、酒に情を寄せて自身を保全するはなお可なり。飲みて頭を湿すに至れば、則ち太く過分なり。未済の終点の裏に已に既済の象を含む、酒を飲むは可なれど、飲みて頭を湿すは則ち過ぎたり。
呉園易解巻第七 繋辞解上
繋辭解上。繋辭有三:有繋一卦之辭,所謂設卦觀象、繋辭焉而明吉凶是也;有繋一爻之辭,所謂繋辭焉以斷吉凶、是故謂之爻是也;有繋易之辭,所謂上下繋是也。葢聖人既本陰陽而寓吉凶之理於卦爻彖象矣,於是統而繋之,論其所以然,以示天下後世,使知其說而考之。始於修身,終於復命;始於參天地而成位,終於理天地而成能。以此處上,則帝王天子之徳也;以此處下,則元聖素王之道也。此先聖所以垂教之極致歟。
以下は《繋辞伝》上篇の解説。張根がいわく:いわゆる「繋辞」に三種あり。一種は一卦の下に繋げし辞、すなわち《繋辞伝》の講ずる「卦を設け象を観て、辞を繋げて吉凶を明かにす」。一種は一爻の下に繋げし辞、すなわち「辞を繋げて以て吉凶を断ず、ゆえにこれを爻と謂う」。なお一種は整部の《易》の後に繋げし辞、すなわち《繋辞》上下両篇の本身。大概に聖人は已に陰陽に依拠して、吉凶の道理を卦・爻・彖・象の裏に寄托せり。ここにおいて再び総括してこのごとき一篇の文字を繋げ、其中の所以然を講明して天下後世に昭示し、人をしてこの套の説法を懂得して考究せしむ。それは修身より講起し、最後に天命に復帰するに帰結す。天地を参賛して位を成すより講起し、最後に天地を治理して万能を成就するに帰結す。この套の道理を拿て上位に居れば、すなわち帝王天子の徳性。この套の道理を拿て下位に居れば、すなわち聖人の実有りてその位なき者の道。これは大概に先聖が教化を垂示するの極致か。
天尊地卑,乾坤定矣。天尊地卑,則乾坤之體可見。卑髙以陳,貴賤位矣。上下既列,則貴賤之位可明。動靜有常,剛柔□矣。天動地靜,則剛柔之才可謂。方以類聚,物以群分,吉凶生矣。陰陽以辨則異同列,異同立則愛惡形;同者以類聚而相愛,異者以群分而相惡也;愛惡相攻,吉凶所以生也。在天成象,在地成形,變化見矣。陽輕清故升而為象,陰重濁故降而為成形;形象則山澤通氣、雷風相博、水火不相違,此萬物所以生而變化所以兆也。
《繋辞伝》にいわく:天は上に在りて尊く、地は下に在りて卑し、乾坤両卦の定位は則ち確定せり。張根が解していわく:天尊地卑を看て、乾坤の形体は則ち看出し得べし。《繋辞伝》にいわく:低き高きが依次に陳列す、貴賤の位置は則ち分明なり。張根がいわく:上下は已に排列せれば、貴賤の位次は則ち清楚なり。《繋辞伝》にいわく:動と静とが各々常規あり、剛と柔とは断じて分れたり(此処に一字残缺、「断」と作るべし)。張根がいわく:天は動き地は静かなれば、剛と柔との材質は説き定め得べし。《繋辞伝》にいわく:事物は方類に按じて聚集し、物種は群に按じて分別す、吉凶は則ち産生す。張根がいわく:陰陽は一分辨すれば、同類異類は排列し出す。同異は一たび確立すれば、喜愛と憎悪とは成形す。相同じきは類を以て相聚まりて互相に喜愛し、相異なるは群を以て相分れて互相に憎悪す。愛と悪とが互相に衝撃して、吉凶は則ちこれより産生す。《繋辞伝》にいわく:天上に在りては日月星辰の象と成り、地上に在りては山川動植の形と成る、変化は則ち顕現し出す。張根がいわく:陽気は軽清、ゆえに上升して天象と成る。陰気は重濁、ゆえに下降して地形と成る。形と象ありて、ここにおいて山沢は气息相通じ雷風は互相に激盪し水火は相妨害せず、これがすなわち万物の生成する所以・変化の萌動する所以の緣由なり。
是故剛柔相摩,所以有八卦;八卦相蕩,所以有六十四卦。鼔之以雷霆,潤之以風雨,日月運行,一寒一暑,此所以有萬物。乾道成男,坤道成女,此萬物所以生生而窮,而人事於是乎始也。乾知大始,主通其數,父道也,君道也。坤作成物,主成其功,母道也,臣道也。乾以易知,坤以簡能,付之六子而已。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに剛柔は互相に摩盪す。張根が解していわく:これがすなわち八卦の由来なり。《繋辞伝》にいわく:八卦は互相に推盪す。張根がいわく:これがすなわち六十四卦の由来なり。《繋辞伝》にいわく:雷霆を用いて彼らを鼓動し、風雨を用いて彼らを滋潤す。日月は運行して、一寒一暑が交替す。張根がいわく:これがすなわち万物の由来なり。《繋辞伝》にいわく:乾の道は男性を成就し、坤の道は女性を成就す。張根がいわく:これがすなわち万物の生生不已・窮尽なきの緣由、人事もまたここより開始す。《繋辞伝》にいわく:乾は万物の偉大の開端を主管す。張根がいわく:それが主るはあの数を貫通するなり、これは父親の道、また君主の道。《繋辞伝》にいわく:坤は万物を造成するを負責す。張根がいわく:それが主るはあの份の功を完成するなり、これは母親の道、また臣子の道。《繋辞伝》にいわく:乾は平易を以て主知と為し、坤は簡約を以て能行と為す。張根がいわく:其余の事はみな震・坎・艮・巽・離・兌の六箇の子女に交りて為さしむ而已。
易則易知,簡則易從。易知則有親,故不言而人推高焉;易従則有功,故不言而人推厚焉。有親則可久,物莫離焉;有功則可大,物所歸焉。可久則賢人之徳,可大則賢人之業,所歸乎易知如此。易道有三:下焉者以之成已,中焉者以之成位,上焉者以之成能。成已者,六十四卦之義也;成位者,乾坤之徳也;成能者,大易之道也。引而伸之:成已者,君子事也;成位者,賢人事也;成能者,聖人事也。此言聖人法乾坤成位之事,故稱賢人焉。
《繋辞伝》にいわく:平易なれば容易に了解せられ、簡約なれば容易に跟従せられん。容易に了解せられれば人の親近あるなり。張根が解していわく:ゆえに彼は説話するを必ずとせず、人々は自然に彼を高きと推挙す。《繋辞伝》にいわく:容易に跟従せられれば則ち功を建つる能わん。張根がいわく:ゆえに彼は説話するを必ずとせず、人々は自然に彼を厚きと推許す。《繋辞伝》にいわく:人の親近あれば則ち能く長久ならん。張根がいわく:万物はみな彼を離開するを肯んぜず。《繋辞伝》にいわく:能く功を建てば則ち能く広大ならん。張根がいわく:万物はみな彼に帰向す。《繋辞伝》にいわく:能く長久なるは賢人の徳性、能く広大なるは賢人の事業。張根がいわく:万物が平易簡約の人に帰向するは、すなわちこうなり。《易》の道理は三層に分つ。下一層の人はそれを用いて自己を成就し、中一層の人はそれを用いて位分を成就し、上一層の人はそれを用いて万能を成就す。自己を成就するは、六十四卦の意義。位分を成就するは、乾坤両卦の徳性。万能を成就するは、整部の《易》の大道。推して広めれば:自己を成就するは君子の事、位分を成就するは賢人の事、万能を成就するは聖人の事。この一段が講ずるは聖人が乾坤を効法して位を成すの事、ゆえに文中に「賢人」と称す。
易簡而天下之理得矣。所謂大人舉禮樂則天地將為昭焉。天下之理得而成位乎其中矣。所謂致中和,天地位焉,萬物育焉。此章明聖人本陰陽作易以寓吉凶之理,而法其道以成位乎其中之事。易之大教其於此矣,故以為繋辭之首焉。
《繋辞伝》にいわく:平易簡約にして天下の道理は則ちみな掌握せらる。張根が解していわく:これがすなわち《礼記》の言う、大人が礼楽を興弁せば、天地は皆これに因りて昭明せんと。《繋辞伝》にいわく:天下の道理を掌握すれば、人は則ち天地の間に於て自己の位分を成就す。張根がいわく:これがすなわち《中庸》の講ずる「中和を致して、天地は位し、万物は育つ」。張根が総結していわく:この一章は聖人が陰陽に依拠して《易》を作り、吉凶の道理を其中に寄托し、またこの道理を効法して天地の間に於て自己の位分を成就するの事を講明せり。《易》の根本の教義はすなわちここに在り、ゆえにそれを《繋辞伝》の開頭に放つ。
夫易之為書,明吉凶而已。吉凶之理,其於六十四卦,而其原皆本於八卦,八卦又本於乾坤,故學易當自乾坤始。然乾坤無形,不可億度,觀諸天地乃可概見。葢乾,陽物也,統天者也;坤,陰物也,統地者也。觀天尊地畀,則乾坤上下之體定矣;畀髙以陳,則乾坤貴賤之位見矣;天動地靜,則乾坤剛柔之材審矣。
張根がいわく:《易》のこの部の書は、非ずとも吉凶を講明する而已。吉凶の道理は六十四卦の上に体現し、しかして彼らの本源はみな八卦より出で、八卦はまた乾坤より出づ。ゆえに《易》を学ぶは応に乾坤より入手すべし。しかし乾坤に形体なく、空に凭りて揣度する能わず、ただ天地を観察して初めて大致に看見し得。大概に乾は陽性の物、天を統攝す。坤は陰性の物、地を統攝す。天が尊く地が卑しきを看て、乾坤上下の形体は則ち確定せり(「地」の下の「畀」の字は「卑」と作るべし)。低高が依次に陳列するを看て、乾坤貴賤の位次は則ち顕現せり。天が動き地が静かなるを看て、乾坤剛柔の材質は則ち審定せり。
聖人設卦觀象,繋辭焉而明吉凶。惟因象設卦,故觀象繋辭。剛柔相推而生變化。此六十四卦所以殊用而吉凶各不同也。是故吉凶者,失得之象也;悔吝者,憂慮之象也;變化者,進退之象也;剛柔者,晝夜之象也。晝宜進,夜宜退;能憂則常得之,無虞則常失之矣。六爻之動,三極之道也。囚陰陽之理以寓人事,是天地之道而人法之也。
《繋辞伝》にいわく:聖人は卦体を設立し物象を観察し、文辞を繋げて吉凶を闡明す。張根が解していわく:正に物象に依りて卦を設くるがゆえに、初めて象を観て辞を繋ぐを要す。《繋辞伝》にいわく:剛柔は互相に推移して変化を産生す。張根がいわく:これがすなわち六十四卦の功用が各々異なり吉凶が各々相同じからざるの緣故。《繋辞伝》にいわく:ゆえに吉凶は得と失との象、悔吝は憂と慮との象、変化は進と退との象、剛柔は昼と夜との象。張根がいわく:白天は応に進み、夜裏は応に退くべし。能く憂懼を存するは常に所得あり、毫も戒備なきは常に所失あり。《繋辞伝》にいわく:六爻の変動は、体現するは天・地・人の三極の道。張根がいわく:陰陽の道理に依りて人事を寄托す、これは本より天地の道にして人によりて効法せらるる(「囚」は「因」と作るべし)。
是故君子所居而安者,易之序也。大象也。所樂而玩者,爻之辭也。小象也。是故君子居則觀其象而玩其辭,考之於卦。動則觀其變而玩其占,決之於蓍。是以自天佑之,吉無不利。此聖人法六十四卦以修身應物之事,故曰君子而已。吉則行之,凶則道之,何不利之有?
《繋辞伝》にいわく:ゆえに君子が安然として処する所は、《易》の排定したる次序なり。張根が解していわく:これは《大象》を指す。《繋辞伝》にいわく:君子が楽しみて玩味する所は、各爻の爻辞なり。張根がいわく:これは《小象》を指す。《繋辞伝》にいわく:ゆえに君子は平居の時は則ち卦象を観察し卦辞を玩味す。張根がいわく:これは卦の上に考究するなり。《繋辞伝》にいわく:行動する所有る時は則ち爻変を観察し占辞を玩味す。張根がいわく:これは蓍草を用いて決断するなり。《繋辞伝》にいわく:ゆえに上天は彼を保佑して、吉祥にして利ならざる所なし。張根がいわく:この一段が講ずるは聖人が六十四卦を効法して身を修め物に応ずるの事、ゆえにただ「君子」と称す。吉なるは則ち往きて為し、凶なるは則ち避けば、何れの処に不利あらんや。
此章明聖人既設卦矣,然後觀其象而繋之辭以明吉凶,以教天下後世,使人法之可以無大過。是故有大象之辭,卦辭是也,泰之小往大來吉亨之類是已;有小象之辭,爻辭是也,拔茅彚征吉之類是已。二象之辭難不相同,皆因剛柔之變而已。剛柔相推而變化生,變化生則利害形,利害形則吉凶著;其在人則語黙進退之象,故聖人寓以得失悔吝之□焉。君子能居而安之、樂而玩之,因時應變,行其吉而違其凶,何不利之有?
張根がいわく:この一章は聖人が已に卦を設立して、然る後に卦象を観察して文辞を繋げて吉凶を闡明し、以て天下後世を教導して、人をしてそれを効法して則ち大錯を犯さざらしむるを講明せり。ゆえに《大象》の一類の辞あり、すなわち卦辞、泰卦「小往大來、吉、亨」の類のごとき。《小象》の一類の辞あり、すなわち爻辞、泰卦「茅を拔けば彙に征して吉」の類のごとき。この両類の辞は彼此同じからざるも、其実はみな過ぎず剛柔の変化に依りて來る而已。剛柔は互相に推移して変化は産生し、変化は産生すれば則ち利害は成形し、利害は成形すれば則ち吉凶は顕著す。人の身に落ちれば、すなわち説話か沈黙か・前進か後退かの象。ゆえに聖人は其中に得失悔吝の判断を寄托せり。君子は能く安然として処し・楽しみて玩味し、時勢に随いて変応し、吉の路を走りて凶の路を避くれば、何れの処に不利あらんや。
彖者,言乎象者也;爻者,言乎變者也。於象言象,則知爻者小象也;於爻言變,則知象者大象也。吉凶者,言乎其失得也;悔吝者,言乎其小疵也。吉凶悔吝生乎動,特有小大耳。無咎者,善補過也。本有過而能補,所以免咎。是故列貴賤者存乎位,齊小大者存乎卦。位不過六爻,卦不過陰陽,而吉凶所以不同者,惟其卦之義別耳;卦名定然後小大可見,爻彖可命。
《繋辞伝》にいわく:彖辞は整卦の象を講ずる、爻辞は変動を講ずる。張根が解していわく:象を講ずる処に「象」と言えば、見れば爻辞は《小象》に属す。爻を講ずる処に「変」と言えば、見れば彖辞は《大象》に属す。《繋辞伝》にいわく:吉凶は、得失を講ずる。悔吝は、小毛病を講ずる。張根がいわく:吉凶悔吝はみな「動」の上より産生す、ただ大あり小ある而已。《繋辞伝》にいわく:いわゆる無咎は、善く過失を彌補するなり。張根がいわく:本来過失ありて能く補救すれば、ゆえに罪咎を免る。《繋辞伝》にいわく:ゆえに貴賤を排列するは爻位に在り、大小を区別するは卦に在り。張根がいわく:爻位は過ぎず六箇、卦画は過ぎず陰陽両種、しかし吉凶の各々相同じからざる所以は、ただ每一卦の義理の別あるに在り。卦名は一たび定まれば、大小は則ち看出し得べく、爻辞と彖辞もまた以て定名すべし。
辨吉凶者存乎辭。此彖爻之不可窮也,非辭則情不可見。憂悔吝者存乎介。欲無悔吝者,當辨之於早也。震無咎者存乎悔。易之為教莫大於此,悔則動而轉禍為福矣。是故卦有小大,辭有險易。惟其取象如何耳,取象不同,言大則易,言小則險。辭也者,各指其所之。此無事之時所以當玩其辭,然後有事之時能惟變所適。此章全明繫辭之意,學者不可不委曲盡心焉,毋以一端而取也。
《繋辞伝》にいわく:吉凶を分辨するは文辞に在り。張根が解していわく:これがすなわち彖辞爻辞の用い尽きざる処。文辞なければ、事情の実情は則ち看見せず。《繋辞伝》にいわく:悔吝を憂慮するは細微の際に在り。張根がいわく:悔吝なからんと欲せば、応に及早に分辨すべし。《繋辞伝》にいわく:震動して能く過錯を免るるは悔悟に在り。張根がいわく:《易》の教誨はこの一条より大なるなし。能く悔いれば、一動して則ち禍を轉じて福と為し得。《繋辞伝》にいわく:ゆえに卦に小有り大有り、辞に険有り易有り。張根がいわく:これはただそれの取る所は何の象かを看る而已。取象が同じからざれば、大を講ずれば則ち平易に説き、小を講ずれば則ち険峻に説く。《繋辞伝》にいわく:いわゆる辞は、各自に事情の去向を指出す。張根がいわく:これがすなわち事なきの時に応に卦爻辞を玩味して、然る後に事ある時に初めて能く変化に随いて応付自如なり。この一章は通篇に「繋辞」の用意を講明す、《易》を学ぶ人は細細に体会せざる可からず、切にただ一頭を抓住して了と為す可からず。
易與天地準,故能彌綸天地之道。此聖人體易以成能之事,所謂因陰陽以統天地也。仰以觀於天文,日月是也。俯以察於地理,山川是也。是故知幽明之故。觀日月之象則天明可知,察山川之形則地幽可見。原始反終,故知死生之說。始於震終於艮,則始終之說可知;始於復而萬物生,終於剝而萬物死,則死生之說可知。精氣為物,游魂為變,是故知鬼神之情狀。生生死死,往來乎天地之間耳;精氣之聚而為生,散而為死,則以鬼神之情亦與人同而已。
《繋辞伝》にいわく:《易》は天地と相斉等し、ゆえに能く天地の道を包罗貫通す。張根が解していわく:この一段が講ずるは聖人が《易》理を体察して万能を成就するの事、すなわち陰陽に依りて天地を統攝するなり。《繋辞伝》にいわく:頭を抬げて天上の文采を観察す。張根がいわく:指すは日月。《繋辞伝》にいわく:頭を低めて地上の紋理を考察す。張根がいわく:指すは山川。《繋辞伝》にいわく:ゆえに幽と明との緣故を懂得す。張根がいわく:日月の象を観察すれば、天の明は則ち知る可し。山川の形を考察すれば、地の幽は則ち看見し得。《繋辞伝》にいわく:開始を推究し終結を回溯して、ゆえに生死の道理を懂得す。張根がいわく:震卦より開始して艮卦に終結するに至れば、始終の道理は則ち明白なり。復卦より開始して万物は生じ、剥卦に終結して万物は死す、生死の道理はまた則ち明白なり。《繋辞伝》にいわく:精気は凝聚して物と成り、游魂は離散して変と成る、ゆえに鬼神の情状を懂得す。張根がいわく:生生死死は、過ぎず天地の間に往来する而已。精気は聚合すれば則ち生と成り、離散すれば則ち死と成る、見れば鬼神の情状もまた過ぎず人と相同じ。
與天地相似,故不違。觀於易而知二者,則與天地相似矣,故莫之或違。知周乎萬物而道濟天下,故不過。與天相似,則知周乎萬物矣,故能以其道濟天下而莫之或過。旁行而不流。不過者經也,旁行者權也。樂天知命,故不憂。順天之數故。安土敦乎仁,故能愛。體地之徳故。範圍天地之化而不過。若然者,非特不違而已,又有以裁成其道。曲成萬物而不遺。非特不過而已,又有以輔相其宜。通乎晝夜之道而知。惟其能裁成輔相,故不違消息進退之理,此其所以無違過也。故神無方而易無體。變化不測,故曰無方;數所不及者,體而用之,故曰無體。
《繋辞伝》にいわく:聖人は天地と相似たり、ゆえに天地に違背せず。張根が解していわく:《易》の裏より幽明・死生のこの両件の事を懂得すれば、則ち天地と相似たり、ゆえに違背すべき何ものかなし。《繋辞伝》にいわく:智慧は万物に周遍して行う所の道は能く天下を済助す、ゆえに過差あらざらん。張根がいわく:天と相似たれば、あの智慧は則ち万物に周遍す、ゆえに能く彼の道を拿て天下を済助して差錯を出ださず。《繋辞伝》にいわく:旁通変通して放任流蕩せず。張根がいわく:差錯を出ださざるは「経」、旁通変通するは「権」。《繋辞伝》にいわく:天道に楽しみ天命を知晓す、ゆえに憂愁せず。張根がいわく:彼が天の定数に順応するがゆえに。《繋辞伝》にいわく:処する所の境地に安んじて仁に篤厚す、ゆえに能く人を愛す。張根がいわく:彼が地の徳性を体現するがゆえに。《繋辞伝》にいわく:天地の化育を籠罩して差錯を出ださず。張根がいわく:能くこうの人は、ただ違背せざる而已にあらずして、なお能く進みて天地の道を裁節成就す。《繋辞伝》にいわく:曲折に万物を成全して一箇も遺漏せず。張根がいわく:これはただ差錯を出ださざる而已にあらずして、なお能く進みて万物の宜に輔助配合す。《繋辞伝》にいわく:昼夜交替の道理に通暁して之を知ること明白なり。張根がいわく:正に彼が能く裁成輔相するがゆえに、消長進退の常理に違背せず、これがすなわち彼が違背せずしてまた過差なきの緣故。《繋辞伝》にいわく:ゆえに神に一定の方所なく、《易》に固定の形体なし。張根がいわく:変化は測度し難きがゆえに「无方」と言う。数の到達し得ざる処も、彼はまた能く体察して運用す、ゆえに「无体」と言う。
一陰一陽之謂道。體而用之,寓於卦象者也,有所存焉,此易之所以為體而萬物之本也。繼之者善也。功用益顯,四徳是已。成之者性也。人皆具,惟是君子為能黙而該之。仁者見之謂之仁,知者見之謂之知,百姓日用而不知,故君子之道鮮矣。此易所以不得不興,而聖人所以不得不作也。顯諸仁,藏諸用。所以列於卦故曰顯,所以寓於此故曰藏。鼓萬物而不與聖人同憂。與民同患之道盡矣。盛徳大業至矣哉。內外兼進之謂。
《繋辞伝》にいわく:一陰一陽が交替して運行するを道と称す。張根が解していわく:それを体察して之を運用すれば、則ち卦象の裏に寄托す。其中に確かに存在する東西あり、これがすなわち《易》の能く本体と成り万物の根本と成る所以の緣故。《繋辞伝》にいわく:それを承接するはすなわち善。張根がいわく:功用は愈々顕現す、元亨利貞の四徳はすなわちこれ。《繋辞伝》にいわく:それを成就するはすなわち性。張根がいわく:人人がみな具備す、ただ唯に君子のみ能く黙黙にそれを全部包挙す。《繋辞伝》にいわく:仁者はそれを看て則ち仁と称し、智者はそれを看て則ち智と称す。百姓は天天にそれを用いて自ら知らず、ゆえに君子の道は少見せらる。張根がいわく:これがまさに《易》の興起せざるを得ざる・聖人の出て《易》を作らざるを得ざるの緣故。《繋辞伝》にいわく:仁を顕現し出し、功用を蔵起す。張根がいわく:それは卦の上に排列す、ゆえに「顕」と言う。それはここの裏面に寄托す、ゆえに「蔵」と言う。《繋辞伝》にいわく:万物を鼓動して聖人と一同に憂労せず。張根がいわく:百姓と患難を同じくするの道理は、ここに至りて説き尽くせり。《繋辞伝》にいわく:崇高の徳性・偉大の事業は、極致なるかな。張根がいわく:これは内外両方面が同時に増進するの意思なり。
富有之謂大業。廣大悉備之謂。日新之謂盛徳。萬世無之謂。生生之謂易。變化無窮之謂。成象之謂乾。凡所以造始者皆乾之道。效法之謂坤。凡所以成終者皆坤之道。極數知來之謂占。通天下之性是也。通變之謂事。成天下之務事也。陰陽不測之謂神。凡不疾而速、不行而至、使民由之而不知者是也。聖人體此以治天下則天下治,帝王之能事畢矣。
《繋辞伝》にいわく:有らざるなきを大業と称す。張根が解していわく:これは広大にして備らざるなきの意思。《繋辞伝》にいわく:天天に更新するを盛徳と称す。張根がいわく:これは万世に永く止境なきの意思(「无」の下に疑いて一「疆」の字を脱す)。《繋辞伝》にいわく:生生不已するを《易》と称す。張根がいわく:これは変化に窮尽なきの意思。《繋辞伝》にいわく:物象を成就するを乾と称す。張根がいわく:凡そ造作開端のはみな乾道に属す。《繋辞伝》にいわく:成法を仿効するを坤と称す。張根がいわく:凡そ完成終結のはみな坤道に属す。《繋辞伝》にいわく:蓍数を窮究して未来を預知するを占と称す。張根がいわく:これがすなわち天下万物の本性を貫通するなり。《繋辞伝》にいわく:変化に通達するを事と称す。張根がいわく:天下の事務を弁成するは、すなわち「事」。《繋辞伝》にいわく:陰陽の測度し難きを神と称す。張根がいわく:凡そ急促せずして快速、行走せずして到達し、百姓をしてそれに循い走らしめてその所以然を知らざらしむるは、すなわち神。聖人はこの道理を体察して天下を治理せば、天下は則ち治を得、帝王の能く為す所の事もまた為し尽くせり。
夫易廣矣大矣。以言乎逺則不御。極乎形氣之表。以言乎邇則靜而正。黙而該之。以言乎天地之間則備矣。所以有廣大之號。夫乾,其靜也専。無所待也。其動也直。無所屈也。是以大生焉。無所不覆。夫坤,其靜也翕。收斂之謂。其動也闢。敷施之謂。是以廣生焉。無所不載。
《繋辞伝》にいわく:《易》は真に広大なるかな。遠処に就いて言えば、それに阻碍する所なし。張根が解していわく:それは一直に形体気化の外に通ず。《繋辞伝》にいわく:近処に就いて言えば、それは安静にして端正なり。張根がいわく:それは黙黙に一切を包挙して内に在り。《繋辞伝》にいわく:天地の間に就いて言えば、それに備らざるなし。張根がいわく:これがすなわちそれの「広大」と称せらるる所以の緣故。《繋辞伝》にいわく:あの乾は、静の時は専一なり。張根がいわく:それに等待する所なし。《繋辞伝》にいわく:動の時は剛直なり。張根がいわく:それに屈曲する所なし。《繋辞伝》にいわく:ゆえに「大」を生出す。張根がいわく:覆わざるなし。《繋辞伝》にいわく:あの坤は、静の時は閉合す。張根がいわく:これは収斂の意思。《繋辞伝》にいわく:動の時は開闢す。張根がいわく:これは敷布施与の意思。《繋辞伝》にいわく:ゆえに「広」を生出す。張根がいわく:載せざるなし。
廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,易簡之善配至徳。聖人之徳如此。能廣大則可以配天地,能變通則可以配四時,能顯晦則可以配日月,能易簡則可以配乾坤之至徳。廣大者,易之道也;變通者,易之用也;陰陽之義,易之行也;易簡之善,易之徳也。此皆成位之事。
《繋辞伝》にいわく:《易》の広大は天地と相配し、それの変通は四時と相配し、それの陰陽の意義は日月と相配し、それの平易簡約の美善は最高の徳性と相配す。張根が解していわく:聖人の徳性はすなわちこうなり。能く広大なれば則ち天地に配すべく、能く変通なれば則ち四時に配すべく、能く明能く晦なれば則ち日月に配すべく、能く平易簡約なれば則ち乾坤のあの最高の徳性に配すべし。いわゆる広大は、《易》の道。いわゆる変通は、《易》の用。いわゆる陰陽の義は、《易》の運行。いわゆる易簡の善は、《易》の徳。これらはみな「成位」のこの一件の事に属す。
子曰:易其至矣乎。不能以有加矣。夫易,聖人所以崇徳而廣業也。聖人體易而法天地之大,故徳崇而業廣,極髙明而道中庸之謂。知崇,北方之物也。禮卑,南方之物也。崇效天,卑法地。崇效天,故徳言崇;卑法地,故業言廣。天地設位,而易行乎其中矣。由而不知之耳。成性存存,道義之門。惟聖人謂能成其性而存之。惟能成性,故能存其所存;能存其所存,故道義之所自出也。道,天也,故徳以之崇;義,人也,故業以之廣。知夫天之所為,則知人之所為至矣,故聖人重禮治。此章言聖人立爻象之教不可違如此,學者當擬之而言、議之而動,則可以成變化之道,無施不可也。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、《易》は大概に極致か。張根が解していわく:再びそれの上に加うべき何ものかなし。《繋辞伝》にいわく:《易》は聖人の用いて徳性を提高し事業を拡大する所の物。張根がいわく:聖人は《易》理を体察して天地の広大を効法す、ゆえに徳性は崇高にして事業は広博なり、これがすなわち《中庸》の講ずる「極高明而道中庸」。《繋辞伝》にいわく:智慧は要に崇高なれ。張根がいわく:智は北方の物に属す。《繋辞伝》にいわく:礼は要に卑下なれ。張根がいわく:礼は南方の物に属す。《繋辞伝》にいわく:崇高は天を効法し、卑下は地を効法す。張根がいわく:崇高は天を効法す、ゆえに徳性を講じて「崇」の字を用う。卑下は地を効法す、ゆえに事業を講じて「広」の字を用う。《繋辞伝》にいわく:天地は各自の位置を設定して、《易》は則ち其中に於て運行す。張根がいわく:人々はただそれに循い走りて自ら知らざる而已。《繋辞伝》にいわく:本性を成就して常常にそれを保存す、これはすなわち道義の門戸。張根がいわく:ただ聖人のみ初めて自己の本性を成就してそれを保存住するに談ずべし。唯に能く本性を成就して、初めて能く保存すべきを保存住し得。能く保存すべきを保存住して、初めて道義の産生する源頭と成る。「道」は天に属す、ゆえに徳性はそれに靠りて崇高なり。「義」は人に属す、ゆえに事業はそれに靠りて広博なり。天の為す所を懂得すれば、則ち人の応に為すべきを懂得して家に至る、ゆえに聖人は礼を以て世を治むるを看重す。この一章は聖人の立つる所の爻象の教がこのごとく違背すべからざるを講ず。学《易》の人は応に先に揣度して然る後に説話し、先に商議して然る後に行動すべし、こうすれば則ち能く変化の道を成就して、何を為すも行通らん。
聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容。八卦是也。象其物宜。六十四卦是也。是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其□通,以行其典禮,繋辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。象言其體,非極深不足以知之;爻言其用,非研幾不足以知之。典禮者,治人之具也。
《繋辞伝》にいわく:聖人は能く天下の最も幽深繁雑の事物を看見し、卦画を用いて彼らの形貌を比擬す。張根が解していわく:これは八卦を指す。《繋辞伝》にいわく:各類の事物の相宜の情状を象征す。張根がいわく:これは六十四卦を指す。《繋辞伝》にいわく:ゆえに「象」と称す。聖人は能く天下万物の変動を看見し、彼らの会合流通する道理を観察し、之に拠りて典章礼制を推行し、また文辞を繋げて吉凶を断定す、ゆえに「爻」と称す(「其」の下に一字残缺、「会」と作るべし)。張根がいわく:「象」が講ずるは本体、道理を極深の処に探究せざれば則ちそれを了解するに足らず。「爻」が講ずるは功用、幾微を透徹に钻研せざれば則ちそれを了解するに足らず。いわゆる典礼は、人を治理するの工具なり。
言天下之至賾而不可惡也。故當擬之而後言。言天下之至動而不可亂也。故當議之而後動。擬之而後言。象有定體,故言擬。議之而後動。爻主通變,故言議。擬議以成其變化。神而明之謂。
《繋辞伝》にいわく:天下の最も幽深繁雑の事物を談論して人を厭悪せしめず。張根が解していわく:ゆえに応に先に揣度して然る後に説くべし。《繋辞伝》にいわく:天下の最も紛紜の変動を談論して人を迷乱せしめず。張根がいわく:ゆえに応に先に商議して然る後に動くべし。《繋辞伝》にいわく:先に揣度して然る後に説話す。張根がいわく:象に固定の形体あれば、ゆえに「擬」の字を用う。《繋辞伝》にいわく:先に商議して然る後に行動す。張根がいわく:爻は通変を主と為す、ゆえに「議」の字を用う。《繋辞伝》にいわく:揣度と商議とに靠りてその変化を成就す。張根がいわく:これがすなわちいわゆる神妙にしてそれを明白するなり。
鳴鶴在陰,其子和之;我有好爵,吾與爾靡之。道行於妻子,則無所往而不行矣。子曰:君子居其室,出其言善,則千里之外應之,況其邇者乎?居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎?言出乎身,加乎民;行發乎邇,見乎逺。言行,君子之樞機,樞機之發,榮辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎?此所以貴乎擬議,五十而學易可以無大過如此。
《繋辞伝》に中孚卦九二爻辞を引いていわく:鶴が樹陰の裏に鳴叫して、それの小鶴は応和す。我に一杯の好酒あり、願わくはあなたと共享せん。張根が解していわく:一箇人の道が能く妻子児女の身上に行通れば、あれは則ち何れの処に到るも行通らん。《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、君子は自己の屋裏に待して、説き出す話が善なれば、千里の外すら応響せん、いわんや近処の人をや。自己の屋裏に待して、説き出す話が善ならざれば、千里の外すら背離せん、いわんや近処の人をや。話は自己の身より説き出れば、則ち百姓の身に加る。行為は近処より発出すれば、則ち遠処に顕現す。言と行とは、君子の門軸と弩機。門軸弩機は一たび発動すれば、栄と辱とは則ちそれに由りて決定す。言と行とは、君子の用いて天地を驚動する所、何ぞ謹慎せざるべけんや。張根がいわく:これがすなわち「擬議」を看重する所以の緣故。孔子が言う五十歳に《易》を学べば大過錯なからんは、道理は則ちここに在り。
同人先號咷而後笑。子曰:君子之道,或出或處,或黙或語;二人同心,其利斷金;同心之言,其臭如蘭。此又明言行不必同也,惟其當而已矣。初六,藉用白茅,無咎。子曰:茍錯諸地而可矣,藉之用茅,何咎之有?慎之至也。夫茅之為物薄,而用可重也;慎斯術也以往,其無所失矣。此又明慎則寡過之義,故曰以約失之者鮮矣。
《繋辞伝》に同人卦九五爻辞を引いていわく:人と和同して、先に痛哭号啕して後に歓笑す。孔子が言う:君子の処世の道は、時に出仕し時に隠居し、時に沈黙し時に開口す。両箇人が同心なれば、あの鋒利は足りて金属を斬断せん。同心の話語は、それの気味は蘭花のごとく芬芳なり。張根が解していわく:これはまた言語行為は強求して一致するを必ずとせず、ただ恰当なれば則ち好しと説明す。《繋辞伝》に大過卦初六爻辞を引いていわく:洁白の茅草を用いて襯墊と作せば、過錯なからん。孔子が言う:直に地上に放れば本来已に可なり、なお茅草を用いて墊するは、何れの処に過錯あらんや。これは謹慎の極点に至れるなり。茅草のこの物は本身は甚だ微薄なるも、用処はしかし甚だ重きべし。この份の謹慎を推行し下去せば、あれは則ち何も失掉せざらん。張根がいわく:これはまた謹慎すれば則ち過失を犯すこと少なきの道理を説明す、ゆえに孔子は「約を以て之を失う者は鮮し」と言う。
勞謙君子,有終吉。謙之利如此,可不務乎?子曰:勞而不伐,有功而不徳,厚之至也;語以其功下人者也。徳言盛,禮言恭;謙也者,致恭以存其位者也。此又明寡過之義,不特以慎為美,又以謙為貴。亢龍有悔。亢之害如此,可不戒乎?子曰:貴而無位,髙而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。此不謙之咎。
《繋辞伝》に謙卦九三爻辞を引いていわく:勤労にして謙虚の君子は、能く好結局あり、吉祥。張根が解していわく:謙の好処はこのごとく大なれば、何ぞ努力して為さざるべけんや。《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、力を出して自ら誇らず、功労ありて自らその徳に居らず、これは敦厚の極点に至れるなり。説くは自己の功労を拿て甘んじて人の下に居る人。徳は盛大を講究し、礼は恭敬を講究す。いわゆる謙は、すなわち極めて恭敬して自己の位置を保住するなり。張根がいわく:これはまた過失を犯すこと少なきの道理を説明す、ただ謹慎を以て美と為すのみならず、また謙虚を以て貴と為す。《繋辞伝》に乾卦上九爻辞を引いていわく:極処に升至れる龍は悔恨あらん。張根がいわく:過亢の害処はこのごとく大なれば、何ぞ警惕せざるべけんや。《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、地位は尊貴なるも実職なく、身は高処に居るも百姓なく、賢人はみな下位に在りて輔佐する人なく、ゆえに一たび挙動あれば則ち悔恨を招来す。張根がいわく:これは謙虚ならざるが帯來したる過失なり。
不出戶庭,無咎。藉用白茅,慎以往也;不出戶庭,慎以居也。子曰:亂之所生也,則言語以為階。君不密則失臣,臣不密則失身,幾事不密則害成,是以君子慎密而不出也。此又明寡過之義,不獨以謙為貴,又當以不密為戒。
《繋辞伝》に節卦初九爻辞を引いていわく:自家の院門を走出せず、過錯なからん。張根が解していわく:白茅を用いて襯墊するは、講ずるは行動の上に謹慎するを要す。戸庭を出でざるは、講ずるは居処の上に謹慎するを要す。《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、禍乱の産生は、往々に言語がそれに台階を搭し来る。君主が説話して慎密せざれば則ち臣子を失去し、臣子が説話して慎密せざれば則ち性命を丢掉し、機密の事が慎密せざれば則ち事を壊す、ゆえに君子は慎密を謹守して軽易に出口せず。張根がいわく:これはまた過失を犯すこと少なきの道理を説明す、ただ謙虚を以て貴と為すのみならず、なお応に「不慎密」を以て戒条と為すべし。
子曰:作易者其知盜乎?易曰:負且乘,致冦至。負也者,小人之事也;乘也者,君子之器也;小人而乘君子之器,盜思奪之矣;上慢下暴,盜思伐之矣。慢藏誨盜,冶容誨淫。易曰:負且乘,致冦至。盜之招也。此又明寡過之義,當以任重為終,故曰仁以為己任,不亦重乎?知此則可以保天下國家矣。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、《易》を作りし人は大概に盗賊の心理を懂得せるか。《易》の解卦六三に言う「東西を背負いてなお車上に坐る、強盗を招来せり」。東西を背負うは小人の干る活、車に乗るは君子の用うる器具。小人はしかし君子の車に坐上せり、強盗は則ち彼を搶い來らんと想う。上に対して傲慢・下に対して暴虐なれば、強盗は則ち彼を討伐し來らんと想う。財物を収蔵すること马虎なれば、人に教えて偷り來らしむるに等し。打扮して妖冶なれば、人に教えて淫り來らしむるに等し。《易》に言う「負而且乗、致寇至」は、まさに自己が強盗を招来したるなり。張根が解していわく:これはまた過失を犯すこと少なきの道理を説明す、応に「重任を担当する」を以て帰結と為すべし、ゆえに曾子は「仁を以て己の任と為す、亦た重からずや」と言う。この一層を懂得すれば、則ち天下国家を保住する可し。
聖人雖立象以盡意,而意有不可以言盡,故繋辭焉以盡其言;而言又有不可以窮,故卦爻之辭亦舉其大略耳,觸□而長之,然後易之道明。故聖人舉是數爻而廣喻之以為教,使學者知其□而期於自得也。如鳴鶴在陰其子和之,象以為中心願焉,而繋辭乃推言行之動天地;同人先號咷而後笑,象以為中直爾,而繋辭乃有出處語黙、斷金如蘭之義。故所貴乎觸□而長之者如此,學易者不可不知也。
張根がいわく:聖人は卦象を設立して自己の心意を窮尽せんとするも、心意の裏には總て言語の説き尽くし得ざる部分あり、ゆえに再び文辞を繋げて話を説き足す。しかして話はまた説き尽くし得ざる処あり、ゆえに卦爻の辞もまたただ大概を挙げるを能くするのみ、人をして触類旁通・引申拡充せしむるに要靠りて、《易》の道理は初めて明白ならん(此処に三箇の残缺字、みな「類」と作るべし)。ゆえに聖人はこの幾条の爻辞を挙出して広く譬喩を加えて教材と作す、好く学《易》の人をして举一反三を懂得せしめて、彼らの自ら領会有らんを期望す。たとえば中孚九二「鳴鶴在陰、其子和之」、《小象》はただこれは内心より発する願望と言うのみ、《繋辞伝》はしかし推演して言行の足りて天地を驚動するに至る。同人九五「先号咷而後笑」、《小象》はただこれは中に居りて心直なりと言うのみ、《繋辞伝》はしかし引出して出処語黙・二人同心其利断金・其臭如蘭のこの一層の意思に至る。見れば触類引申の貴き所以はすなわちここに在り、学《易》の人は知らざる可からず。
子夏問巧笑倩兮、美目盻兮、素以為絢兮,而子曰繪事後素,固已出於詩人之意外矣;子夏又云禮後乎,又出於仲尼之意外,故曰起予者商也,始可與言詩已矣。葢六經俱然,不獨詩也,而易象尤重,此聖人所以至於韋編三絶而不知老之將至也。
張根がいわく:子夏が「巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮」は何の意思かと問うて、孔子は「絵事後素」と回答せり。この答案は本来已に詩を作りし者の本意を超出せり。子夏は接続して言う「然らば礼は後起のものか」、これはまた孔子の本意を超出せり、ゆえに孔子は「我を啓発するは卜商なり、今や汝と《詩》を談ずべし」と言う。大概に六経は皆このごとし、ただ《詩》のみならずして、《易》の取象は尤もこの一点を看重す。これがすなわち孔子が《易》を読みて編簡の皮縄を翻断する三たびに至るも、なお浑然として衰老の至らんとするを覚らざるの緣故なり。
大衍之數五十,其用四十有九。案:朱子語類云,自大衍之數五十至再扐而後掛,便接乾之策二百一十有六,至可與佑神矣,為一節,是論大衍之數;自天一至地十,卻連天數五至而行鬼神也,為一節,是論河圖五十五之數。今其文間斷差錯,不相連接,舛誤甚明,是朱子之時節次已錯。今此本天一至十二十字移在第十章首,而天數五至而行鬼神也四十四字移在再扐而後掛之下,即朱子所見舛誤之本也。
《繋辞伝》にいわく:大衍の数は五十、実際に使用するは四十九。(四庫館臣校語:朱熹《語類》に言う、「大衍之数五十」より「再扐而後掛」に至るまで、下面は応に直に「乾之策二百一十有六」に接上して一直到「可与佑神矣」に至る、これは一節、討論するは大衍の数。「天一」より「地十」に至り、再び「天数五」より「而行鬼神也」に至るに連ねる、これは別一節、討論するは河図五十五の数。如今にこの段の文字は断続錯乱して前後接せず、訛誤は十分に明顯、見れば朱熹の時に章節の次序は已に錯れり。現在のこの本子は「天一」より「地十」に至る二十字を第十章の開頭に移し、また「天数五」より「而行鬼神也」に至る四十四字を「再扐而後掛」の下に移す、まさに朱熹の見たる所のあの錯乱の本子なり。)
聖人既為卦爻以示教,而卦可以藏往而不可以知來,爻有變動,學者莫知所適,故作為大衍之法,質諸神明以求之,使天下後世有考焉。四時十二月二十四氣與閏,是為一歲,天地之功成而萬物之理備矣,所以成變化而行鬼神數具此矣,而蓍之數適合焉,是謂神物,故取而用之。
張根がいわく:聖人は已に卦と爻とを制作して教化を垂示せども、しかし卦はただ已往の事を収蔵して未来を預知する能わず、爻はまた変動して居らず、学《易》の人は何れの処に落脚すべきを知らず、ゆえにまた大衍揲蓍の方法を創設して、神明に請示して答案を求得し、天下後世をして拠る所有らしむ。四時・十二箇月・二十四節気に閏月を加えて、合して一年と成る。天地の功用はここに至りて完成し、万物の道理はここに至りて完備す。ゆえに能く変化を成就し鬼神を運行するあの数は、全てここに具備せり。しかして蓍草の数は恰好にそれと相合す、これを「神物」と称し、ゆえに取りて使用す。
分而為二以象兩。陰陽。掛一以象三。沖氣。揲之以四以象四時。歸竒於扐以象閏,五歲再閏,故再扐而後掛。言再扐而後掛,則未扐不掛可知;言掛而後言揲,則掛亦揲可知。凡分揲無常數,惟意所欲,質諸鬼神之義也。葢分而為二,先揲其左,後揲其右,皆扐其餘數,謹其竒耦,然後掛而又四揲之,觀其餘以定陰陽焉。三者皆竒為老陽,皆耦為老陰,一竒為少陽,一耦為少陰。凡三揲而成六爻。是四營而成易,十有八變而成卦,每卦每爻必具三才之義也。故曰萬物負陰而抱陽,沖氣以為和,此不易之理也,後世以三金易之,葢得其遺法。
《繋辞伝》にいわく:蓍草を両把に分けて以て天地両儀を象征す。張根が解していわく:すなわち陰陽なり。《繋辞伝》にいわく:一根を抽出して掛けて三才を象征す。張根がいわく:この一根は沖和の気を象征す。《繋辞伝》にいわく:四根四根に数えて、用いて四時を象征す。余りの零頭を指間に夾めて閏月を象征す。五年の中に両次の閏月あり、ゆえに両次夾みて然る後に掛く。張根がいわく:既に「再扐而後掛」と言えば、見ればまだ夾まざる時は掛けざるなり。既に先に掛を言いて後に揲を言えば、見れば掛けし過後にまた揲むを要す。凡そ分と揲とに一定の数なく、全く当下の意思に凭る、これがまさに鬼神に請示するの道理なり。大概に先に両把に分け、先に左辺を数え後に右辺を数え、みな余数を夾み起こし、仔細に奇か偶かを分清して、然る後に掛け起こして再び四根一数して、剩余の多少を看て以て陰陽を定む。三次とも奇数を得るは老陽、みな偶数を得るは老陰。一次奇数なるは少陽、一次偶数なるは少陰。总共三変して一爻と成り、十八変して六爻と成る。これがすなわち《繋辞伝》の言う四道の程序が一変を完成し、十八変が一卦を完成する、每一卦每一爻に必定に三才の意義を具備す。ゆえに《老子》に言う「万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す」、これは不変の道理。後世に改めて三枚の銅銭を用いて蓍草に代替す、大概にまたこの套の遺法を得着せるなり。
天數五,地數五,五位相得而各有合。五行之所以生成也。天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五,此所以成變化而行鬼神也。故乾坤之策取焉。乾之策二百一十有六。參天之數。坤之策百四十有四。兩地之數。凡三百有六十,當期之日。乾坤之策,乾坤一爻共六十□,此一候之數也,故三百六十日而七十二候具焉。二篇之策萬有一千五百二十,當萬物之數也。大衍之數所以五十也。
《繋辞伝》にいわく:天数に五箇あり、地数に五箇あり、五箇の位次は両両に相配して各々会合あり。張根が解していわく:これがすなわち五行生成の道理なり。《繋辞伝》にいわく:天数は合計二十五、地数は合計三十、天地之数は总共五十五、これがすなわちそれの能く変化を成就し鬼神を運行する所以の緣故。張根がいわく:ゆえに乾坤両卦の策数は則ちここより取出す。《繋辞伝》にいわく:乾の策数は二百一十六。張根がいわく:あれは「参天」の数なり。《繋辞伝》にいわく:坤の策数は一百四十四。張根がいわく:あれは「両地」の数なり。《繋辞伝》にいわく:両者は合計三百六十、正当に一年の日数。張根がいわく:乾坤の策数は、乾坤各々一爻を合して六十(此処に一字残缺)、これはまさに一候の数。ゆえに三百六十天の裏に則ち七十二候あり。《繋辞伝》にいわく:《易》上下両篇の策数は共に一万一千五百二十、正当に万物の数目。張根がいわく:これがすなわち大衍の数を五十と定むる所以の緣故なり。
是故四營而成易。陰陽體也。十有八變而成卦。陰陽之氣全。八卦而小成,四時具矣。引而伸之,觸類而長之,萬物之義備矣,天下之能事畢矣。體常盡交,無所不過之謂。顯道。所謂顯諸仁。神徳行。所謂藏諸用。是故可與酬酢,可與佑神矣。所謂鼓萬物而不與聖人同憂。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに四道の程序は一変を完成す。張根が解していわく:これは陰陽の形体なり。《繋辞伝》にいわく:十八変は一卦を完成す。張根がいわく:この時に陰陽の気は則ち完整せり。《繋辞伝》にいわく:八卦は小なる成就なり。張根がいわく:ここに至りて四時は則ち斉備せり。《繋辞伝》にいわく:それを引申し開きて、触類に推広すれば、万物の道理は則ち完備し、天下の能く為す所の事もまた為し尽くせり。張根がいわく:これは常道を体察し交感を窮尽して、通ぜざるなきを言うなり。《繋辞伝》にいわく:それは道を彰顯せり。張根がいわく:これがすなわち前面に講じたる「顕諸仁」。《繋辞伝》にいわく:それは徳行を神妙ならしむ。張根がいわく:これがすなわち前面に講じたる「蔵諸用」。《繋辞伝》にいわく:ゆえにそれと対応酬答する可く、それに靠りて神明を輔助する可し。張根がいわく:これがすなわち前面に講じたる「万物を鼓して聖人と憂を同じくせず」。
大衍之數,一歲之數也;天地之數,五行之數也。五行運於天地之間,五歲而小成,故五日為一候,三候而為氣,二氣而為月,三氣而為節,二節而為時。四時八節,十二月二十四氣,凡七十二候,三百六十日而歲功成,乾坤之策具於此矣。故欲求乾坤之策以合大衍之數,當自五位始。所謂五位者,有相得之位,有相合之位;其相得也分而為十日,其相合也分而為十二辰。
張根がいわく:大衍の数は一年の数、天地之数は五行の数。五行は天地の間に運転して、五年にして小成す、ゆえに五天を一候と算し、三候を合して一気と為し、両気を合して一月と為し、三気を合して一節と為し、両節を合して一時と為す。四時・八節・十二箇月・二十四節気、总共七十二候・三百六十天、一年の功用は則ち完成し、乾坤の策数もまたみなここに具備せり。ゆえに乾坤の策数を推求して大衍の数に配合せんと欲せば、応に「五位」より入手すべし。いわゆる五位は、互相に配得する位次あり、互相に会合する位次あり。互相に配得するは、分列して十天干と為す。互相に会合するは、分列して十二地支と為す。
故天一與地二相得而為甲乙,天三與地四相得而為丙丁,天五與地六相得而為戊己,天七與地八相得而為庚辛,天九與地十相得而為壬癸,此屬乎天者也。其相合也,天一生水於亥子而地六成之,地二生火於巳午而天七成之,天三生木於寅卯而地人成之,地四生金於申酉而天九成之,天五生土於辰戌丑未而地十成之,此屬乎地者也。
張根がいわく:ゆえに天一と地二とが相配して甲・乙と成り、天三と地四とが相配して丙・丁と成り、天五と地六とが相配して戊・己と成り、天七と地八とが相配して庚・辛と成り、天九と地十とが相配して壬・癸と成る、これらは天の一辺に属す。至于互相に会合するは:天一は亥・子の位に在りて水を生じて地六はそれを完成せしむ。地二は巳・午の位に在りて火を生じて天七はそれを完成せしむ。天三は寅・卯の位に在りて木を生じて地八はそれを完成せしむ(「地」の下の「人」の字は「八」と作るべし)。地四は申・酉の位に在りて金を生じて天九はそれを完成せしむ。天五は辰・戌・丑・未の位に在りて土を生じて地十はそれを完成せしむ。これらは地の一辺に属す。
天道常動,故十曰運乎上;地道常靜,故十二辰定乎下。天地相合而後萬物生於甲子而終於癸亥,凡六十日而一周,是謂之策。此五日所以為一候,而五歲所以為小成,故曰天六地五,數之常也。水木土屬乎天地之間,天合其生成之數,凡六六六三十六,故乾之策二百一十有六;火金屬乎地,是謂兩地,合其生成之數,凡四四六二十四,故坤之□一百四十有四;合乾坤之□三百有六十,是謂一歲,而萬物所以終始可見矣,變化之所以成、鬼神之所以行可知矣。
張根がいわく:天道は常に動く、ゆえに十天干は上面に於て運行す(「十」の下の「曰」の字は「日」と作るべし)。地道は常に静か、ゆえに十二地支は下面に於て定位す。天地は会合して然る後に万物は甲子より生長を開始して癸亥に至りて結束し、总共六十天に一周を遶る、これを「策」と称す。これがすなわち五天を一候と算し五年を小成と算する所以の緣故、ゆえに《国語》に言う「天六地五」は数の常規なり。水・木・土は天地の間に属し、天は彼らの生成の数を合して、六加六加六の共に三十六、ゆえに乾の策数は二百一十六。火・金は地に属す、これがすなわちいわゆる「両地」、彼らの生成の数を合して、四加四加六の共に二十四、ゆえに坤の策数は一百四十四(此処に両箇の残缺字、みな「策」と作るべし)。乾坤の策数は合計三百六十、これがすなわち一年。万物の始あり終ある所以はここより見る可く、変化の生成する所以・鬼神の運行する所以もまた則ち明白なり。
子曰:知變化之道者,其如神之所為乎。易有聖人之道四焉。濟世之具。以言者尚其辭。謂繋辭。以動者尚其變。謂爻。以制器者尚其象。謂卦。以卜筮者尚其吉。謂大衍。是以君子將有為也,將有行也,問焉而以言,其受命也如向,無有逺近幽深,遂知來物,非天下之至精,其孰能與於此。此卜筮所以當之。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、変化の道を懂得する人は、大概に則ち神明の所作所為を懂得せんか。《易》の裏面に聖人の道四条を包含す。張根が解していわく:これは世を済すの工具なり。《繋辞伝》にいわく:用いて説話する人はそれの文辞を看重す。張根がいわく:指すは《繋辞》なり。《繋辞伝》にいわく:用いて行動する人はそれの変化を看重す。張根がいわく:指すは爻なり。《繋辞伝》にいわく:用いて器物を制作する人はそれの物象を看重す。張根がいわく:指すは卦なり。《繋辞伝》にいわく:用いて卜筮する人はそれの吉凶断語を看重す。張根がいわく:指すは大衍揲蓍の法なり。《繋辞伝》にいわく:ゆえに君子はまさに作為せんとし・まさに行動せんとする時は、則ちそれに向かい発問してそれは文辞を以て相告ぐ。それの問訊を承受するの回応は回声のごとく迅速、遠近幽深を論わず、みな能く未来の事を預知す。若し天下の最も精微の物にあらざれば、誰か能くこの歩に做到せんや。張根がいわく:この一段は正に「卜筮」のこの一条に対応す。
參伍以變。謂九六。錯綜其數。謂六爻。通其變,遂成天地之文。謂八卦。極其數,遂定天下之象。謂六十四卦。非天下之至變,其孰能與於此。此制器所以當之。易無思也,無為也,寂然不動,感而遂通天下之故,非天下之至神,其孰能與於此。此言動者所以當之。
《繋辞伝》にいわく:三三五五に交互に変化す。張根が解していわく:指すは老陽九・老陰六。《繋辞伝》にいわく:錯綜してその数目を綜合す。張根がいわく:指すは六爻。《繋辞伝》にいわく:その変化を貫通して、ここにおいて天地の文采を成就す。張根がいわく:指すは八卦。《繋辞伝》にいわく:その数目を窮究して、ここにおいて天下万物の形象を定下す。張根がいわく:指すは六十四卦。《繋辞伝》にいわく:若し天下の最も変化に善き物にあらざれば、誰か能くこの歩に做到せんや。張根がいわく:この一段は正に「制器」のこの一条に対応す。《繋辞伝》にいわく:《易》に思慮なく、作為なく、寂然として動かず、一たび感応を受ければ則ち天下の一切の事故に貫通す。若し天下の最も神妙の物にあらざれば、誰か能くこの歩に做到せんや。張根がいわく:この一段は正に「言」と「動」の両条に対応す。
夫易,聖人之所以極深而研幾也。唯深也,故能通天下之至。此之謂至變。唯幾也,故能成天下之務。唯神也,故不疾而速,不行而至一。此之謂至神。子曰:易有聖人之道四焉者,此之謂也。此章明易之謂教有聖人之道四焉,據上諸事,是亦聖人所以應世之跡而已。以言者尚其辭,以動者尚其變,至神之事也;以制器者尚其象,至變之事也;以卜筮者尚其占,知精之事也。唯深也故能通天下之志,遂知來物;唯幾也故能成天下之務,遂成天下之文,定天下之象;唯神也故不疾而速,不行而至,遂通天下之故。
《繋辞伝》にいわく:《易》は聖人の用いて深奥を窮究し幾微を钻研する所の物。正に深奥なるがゆえに、能く天下人の心志に貫通す(「之至」の下に疑いて脱文あり)。張根が解していわく:これを「至変」と称す。《繋辞伝》にいわく:正に幾微に通暁するがゆえに、能く天下の事務を成就す。正に神妙なるがゆえに、急促せずして快速、行走せずして到達す(「至」の下の「一」の字は疑いて衍文と為す)。張根がいわく:これを「至神」と称す。《繋辞伝》にいわく:孔子が講ずる「《易》に聖人の道四焉あり」、説くは則ちこれらなり。張根がいわく:この一章は《易》が教化と為すに、其中に聖人の道四条を含むを講明す。上面のこれらの説法に按れば、もまた過ぎず聖人の世事に応接するの留下したる痕跡而已。用いて説話するのは文辞を看重し・用いて行動するのは変化を看重するは、「至神」の事に属す。用いて制器するのは物象を看重するは、「至変」の事に属す。用いて卜筮するのは占断を看重するは、「至精」の事に属す。正に深奥なるがゆえに、能く天下人の心志に貫通し未来の事を預知す。正に幾微に通暁するがゆえに、能く天下の事務を成就し・天下の文采を成就し・天下の形象を定下す。正に神妙なるがゆえに、急促せずして快速・行走せずして到達し・天下の一切の事故に貫通す。
天一,地二,天三,地四,天五,地六,天七,地八,天九,地十。案:漢書律曆志引天一至地十二十字,與天數五至而行鬼神也四十四字相連,則班固時此簡猶未錯也。朱子本義雲此簡本在第十章之首,則已舛誤矣,此本亦仍錯簡之舊。此重言卦蓍之妙用。
《繋辞伝》にいわく:天一、地二、天三、地四、天五、地六、天七、地八、天九、地十。(四庫館臣校語:《漢書・律暦志》が征引する時、「天一」より「地十」に至るこの二十字は「天数五」より「而行鬼神也」に至るあの四十四字と連ねて在り、見れば班固の時にこの一簡はまだ錯乱せざりき。朱熹《周易本義》に言うこの一簡は本来第十章の開頭に在り、あれば則ち已に錯乱せり。この本子もまた仍旧に錯簡の旧様を沿袭す。)張根がいわく:ここは再び卦と蓍草との神妙の功用を申説するなり。
子曰:夫易何為者也?夫易開物成務。陽以開之,陰以成之。冒天下之道,如斯而已者也。不離五行之數。是故聖人以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑。萬物莫能逃數故也。謂明卦爻之辭所以辨吉凶者也。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、《易》は何を為すに用いるや。《易》は万物を開通し事務を成就するなり。張根が解していわく:陽を用いて彼らを開通し、陰を用いて彼らを成就す。《繋辞伝》にいわく:それは天下の一切の道理を籠罩す、こう而已。張根がいわく:この一切はみな五行の数を離れず。《繋辞伝》にいわく:ゆえに聖人はそれを用いて天下人の心志を貫通し、天下の事業を奠定し、天下の疑難を決断す。張根がいわく:万物はみなこの数を逃出す能わざるがゆえに。これは卦爻の辞が如何にして吉凶を分辨するに用いらるるを弄明白せんと欲するを言うなり。
是故蓍之徳圓而神。蓍之知來故曰圓,通變故曰神。卦之徳方以知。卦有定體故曰方,預言禍福故曰知。六爻之義易以貢。觀其動爻以斷吉凶。聖人以此洗心,退藏於宻,吉凶與民同患。既有以藏往,又有以洗心退藏,待其來則應之。神以知來,知以藏往,其孰能興於此哉。古之聰明睿知神武而不殺者夫。有以研萬物之理然後有以藏往,有以窮萬物之數然後有以知來,可以通天下之志、定天下之業、□天下之疑,使天下萬世服從聽順而不知所以然,是以謂之神武而不殺者也。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに蓍草の徳性は円通にして神妙なり。張根が解していわく:蓍草は能く未来を預知す、ゆえに「円」と言う。能く変化に通達す、ゆえに「神」と言う。《繋辞伝》にいわく:卦の徳性は方正にして明智なり。張根がいわく:卦に固定の形体あり、ゆえに「方」と言う。能く禍福を預言す、ゆえに「知」と言う。《繋辞伝》にいわく:六爻の意義は変に随いて吉凶を貢献するに在り。張根がいわく:すなわちそれの変爻を看て以て吉凶を断ず。《繋辞伝》にいわく:聖人はこれらを用いて自己の内心を洗滌し、退回して幽密の中に蔵む。吉凶禍福はみな百姓と同当す。張根がいわく:彼は能く已往を収蔵し、また能く洗心退蔵して、事情が來れば則ちそれに対応す。《繋辞伝》にいわく:神妙を以て未来を預知し、明智を以て已往を収蔵す、誰か能くこの地步に達せんや。あれは大概に古時の聰明叡智・神武の徳ありて殺伐を用ゐざる人か。張根がいわく:能く万物の道理を钻研して、然る後に初めて能く已往を収蔵す。能く万物の数目を窮究して、然る後に初めて能く未来を預知す。こうすれば則ち以て天下人の心志を貫通し・天下の事業を奠定し・天下の疑難を決断して(此処に一字残缺、「断」と作るべし)、天下万世をして服従聴命せしめてその所以然を知らざらしむ、ゆえに彼を「神武而不殺」と称す。
是以明於天之道而察於民之故,是興神物以前民用。明於天之道,故有以興神物;察於民之故,故有以前民用。聖人以此齊戒,以神明其徳夫。齊戒者,將與民同患故也;神明其徳,顯仁藏用之謂也。蓍卦既設,則天下之故無不知,雖千萬世之後吉凶無不著,非神而何?
《繋辞伝》にいわく:ゆえに彼は既に天の道理を明白し、また百姓の実情を体察して、ここにおいて蓍亀のこの類の神物を興起して百姓の用に先んじて彼らの為に指引す。張根が解していわく:天の道理を明白すれば、ゆえに能く神物を興起す。百姓の実情を体察すれば、ゆえに能く百姓の使用に先んじて走る。《繋辞伝》にいわく:聖人はこれらを用いて斎戒して、自己の徳性を神妙にして明白ならしむ。張根がいわく:いわゆる斎戒は、まさに百姓と患難を同当せんとするがゆえに。いわゆる徳性を神明ならしむるは、すなわち前面に講じたる「顕諸仁、蔵諸用」。蓍と卦とが既に設立せられ、天下の一切の事故は則ち了然せざるなし。たとえ千万年の後の吉凶すらも顕明せざるなし、これは神妙にあらずしてまた何ぞや。
是故闔戶謂之坤,闢戶謂之乾。言萬物所以出入也。一闔一闢謂之變,往來不窮謂之通。此論卦之徳,言萬物所以始終也。見乃謂之象,形乃謂之器,制而用之謂之法,利用出入,民咸用之謂之神。此論蓍之徳。陰陽各二,老少各二。是故易有太極。所謂太初。是生兩儀。一竒一耦。兩儀生四象。此乾坤所以三畫而後成卦。四象生八卦。八方之義。所以設八卦定吉凶,愛惡自此始;吉凶生大業,人道自此成。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに門を関ざるを坤と称し、門を開くを乾と称す。張根が解していわく:これは万物の出入の道理を講ずるなり。《繋辞伝》にいわく:一関一開するを変と称し、来来往往して窮尽なきを通と称す。張根がいわく:この一段は卦の徳性を論じ、万物に始あり終あるの道理を講ずるなり。《繋辞伝》にいわく:顕現し出すを象と称し、形体と成るを器と称し、製造し出して之を使用するを法と称し、出入使用して百姓がみなそれを用いるを神と称す。張根がいわく:この一段は蓍の徳性を論ず。陰陽は各々両種に分れ、老少は各々両種に分つ。《繋辞伝》にいわく:ゆえに《易》に太極あり。張根がいわく:すなわちいわゆる太初。《繋辞伝》にいわく:太極は両儀を生出す。張根がいわく:すなわち一奇一偶。《繋辞伝》にいわく:両儀は四象を生出す。張根がいわく:これがすなわち乾坤が三画を画いて初めて卦と成る所以の緣故。《繋辞伝》にいわく:四象は八卦を生出す。張根がいわく:取るは八方の意思なり。《繋辞伝》にいわく:八卦は用いて吉凶を断定す。張根がいわく:喜愛と憎悪とはここより開始す。《繋辞伝》にいわく:吉凶は偉大の事業を産生す。張根がいわく:人道はここより成就す。
是故法象莫大乎天地,變通莫大乎四時。是以聖人效之而立卦。縣象著明莫大乎日月。是以聖人象之而立象。崇髙莫大乎富貴,備物致用,立成器以為天下利,莫大乎聖人。通而變之,使民不倦,必得崇髙備物之事。探賾棠鉤深致逺,以定天下之吉凶,成天下之亹亹者,莫大乎著。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに取法すべき形象は天地より大なるなし、変化通達は四時より大なるなし。張根が解していわく:ゆえに聖人は彼らを効法して卦を設立す。《繋辞伝》にいわく:天に高懸して昭著光明するは日月より大なるなし。張根がいわく:ゆえに聖人は彼らに取象して象を設立す。《繋辞伝》にいわく:崇高は富貴より大なるなし。器物を備弁しその功用を尽くし、器具を制成して天下を造福するは、聖人より大なるなし。張根がいわく:変化を貫通して百姓をして倦怠を生ぜしめざるは、あれは必定に崇高の地位と完備の器物とを要して初めて弁じ得。《繋辞伝》にいわく:幽深を探求し深奥を鈎取し遠処を招致して、用いて天下の吉凶を断定し・天下の勤勉不已の事業を成就するは、蓍草より大なるなし(この句は抄本に脱誤あり、通行本は「探賾索隠、鈎深致遠」と作る。「着」は「蓍」と作るべし)。
是故天生神物,聖人則之。所以有繋辭。天地變化,聖人效之。所以有效。天垂象,見吉凶,聖人象之。所以有象。河出圖,洛出書,聖人則之。所以有卦。易有四象,所以示也。竒耦之畫一也,八卦二也,六十四卦三也,三百八十四爻四也。繋辭焉,所以告也。觀陰陽之形象而繋卦爻之辭以明吉凶,使天下後世或動或靜可以免於大過,非以告而何?定之以吉凶,所以斷也。定之以吉凶,吉凶生大業之位,所以斷也,以斷天下之疑之謂。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに上天は蓍亀のこの類の神物を生出し、聖人はそれを取法す。張根が解していわく:これに因りて初めて《繋辞》有り。《繋辞伝》にいわく:天地は変化し、聖人はそれを仿効す。張根がいわく:これに因りて初めて仿効の法有り。《繋辞伝》にいわく:上天は物象を垂示して吉凶を顕現し、聖人はそれに取象す。張根がいわく:これに因りて初めて「象」有り。《繋辞伝》にいわく:黄河は図を出だし洛水は書を出だし、聖人は彼らを取法す。張根がいわく:これに因りて初めて卦有り。《繋辞伝》にいわく:《易》に四象あり、用いて昭示する所なり。張根がいわく:奇偶の両種の画は第一層、八卦は第二層、六十四卦は第三層、三百八十四爻は第四層なり。《繋辞伝》にいわく:文辞を繋げるは、用いて告知する所なり。張根がいわく:陰陽の形象を観察して卦爻の辞を繋げて吉凶を闡明し、天下後世の人をして動なるも静なるもみな大なる過錯を免れしむ、これは「告知」にあらずしてまた何ぞや。《繋辞伝》にいわく:吉凶を用いて判定するは、用いて決断する所なり。張根がいわく:吉凶を用いて判定して、吉凶はまた偉大事業の地位を産生す、ゆえに用いて決断する所と言う、すなわち天下の疑難を決断するなり。
易曰:自天佑之,吉無不利。子曰:佑者,助也。天之所助者順也,人之所助者信也。信思乎順,又以尚賢也,是以自天佑之,吉無不利也。此章通言立卦之因。
《繋辞伝》に大有卦上九爻辞を引いていわく:上天より彼を保佑し来りて、吉祥にして利ならざる所なし。孔子が解して言う:いわゆる「佑」は、すなわち幇助。上天の幇助する所は天道に順応する人、衆人の幇助する所は信用を講ずる人。信用を講じてまた天道に順応せんことを想い、並びになお能く賢者を崇尚す、ゆえに上天は彼を保佑して、吉祥にして利ならざる所なし。張根がいわく:この一章は通篇に講ずるは卦を設立するの緣由なり。
子曰:書不盡言,言不盡意,然則聖人之意其不可見乎?子曰:聖人立象以盡意,設卦以盡情偽,繋辭焉以盡其言,變而通之以盡利,鼔之舞之以盡神。變而通之者,若黃帝堯舜設法立制之謂;鼓之舞之者,若黃帝堯舜使民由之而不知之謂。作易之□至於是而極矣,非聖人孰能與此,故終之曰神而明之存乎其人,黙而成之不言而信,茍不能然,欲舉而措之天下之民不可得也。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、文字は説くべき話を写き尽くせず、話は心裏の意思を説き尽くせず。然らば聖人の心意は則ち看見せざらんや。孔子が接続して言う:聖人は卦象を設立して心意を窮尽し、卦体を設置して事情の真偽を窮尽し、文辞を繋げて話を説き足し、変化会通してその利益を窮尽し、鼓舞振作してその神妙を窮尽す。張根が解していわく:いわゆる「変而通之」は、黄帝・堯・舜が法度制度を設立せしがごとし。いわゆる「鼓之舞之」は、黄帝・堯・舜が百姓をして循い走らしめてその所以然を知らざらしめしがごとし。《易》を作るの用意(此処に一字残缺)はここに至りて登峰造極す、聖人にあらざれば誰か能く参与せんや。ゆえに最後に帰結して「神而明之存乎其人、黙而成之、不言而信」と為す。若しこの点を做到せざれば、それを天下百姓の身上に推行せんと欲するは、弁じ得ざるなり。
乾坤其易之縕邪。乾坤成列而易立乎其中矣,乾坤毀則無以見易,易不可見則乾坤或□乎息矣。是故形而上者謂之道,形而下者謂之器,化而裁之謂之變,推而行之謂之通,舉而錯之天下之民謂之事業。
《繋辞伝》にいわく:乾坤は大概に《易》の藴蔵する処か。乾坤は排列して形を成せば、《易》は則ち其中に於て確立せられ起れり。乾坤が若し毀壊せば、則ち《易》を看見するに従うなし。《易》が若し看見せざれば、あれは乾坤もまた差不多に停息せんと欲せん(「或」の下に一字残缺、「几」と作るべし)。ゆえに形体より以上のを道と称し、形体より以下のを器と称す。それを化育裁節するを変と称し、推行し開くを通と称し、拿起して天下百姓の身上に安放するを事業と称す。
是故夫象,聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其□通,以行其典禮,繋辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。極天下之賾者存乎卦,鼔天下之動者存乎辭,化而裁之存乎變,推而行之存乎通,神而明之存乎其人,黙而成之不言而信存乎徳行。此章統明立象之意。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに「象」に説き至れば、聖人が天下の最も幽深繁雑の事物を看見し、卦画を用いて彼らの形貌を比擬し、各類の事物の相宜の情状を象征せしを言う、ゆえに象と称す。聖人が天下万物の変動を看見し、彼らの会合流通する道理を観察して(此処に一字残缺、「会」と作るべし)、之に拠りて典章礼制を推行し、また文辞を繋げて吉凶を断定せしを言う、ゆえに爻と称す。天下の幽深繁雑の物を窮尽するは卦に在り、天下万物の変動を鼓動するは辞に在り、化育裁節するは変に在り、推広施行するは通に在り、神妙にしてそれを明白するは人に在り、黙黙にそれを成就して説話せずして人をして信服せしむるは徳行に在り。張根がいわく:この一章は総括して卦象を設立するの用意を闡明す。
呉園易解巻第八 繋辞解下
繋辭解下。八卦成列,象在其中矣。六十四象皆出於八卦。因而重之,爻在其中矣。三百八十四爻皆出於六位。剛柔相推,變在其中矣。陰陽之象盡於此。繫辭焉而命之,動在其中矣。天下之事具於此矣。吉凶悔吝者生乎動者也。此聖人所以憂患而設教。剛柔者,立本者也;變通者,趣時者也。立本以守常,趣時以適變。
以下は《繋辞伝》下篇の解説。《繋辞伝》にいわく:八卦は排列して形を成せば、物象は則ち其中に在り。張根が解していわく:六十四卦の象はみな八卦より出づ。《繋辞伝》にいわく:八卦を両両に相重ねば、爻は則ち其中に在り。張根がいわく:三百八十四爻はみな六箇の爻位より出づ。《繋辞伝》にいわく:剛柔は互相に推移すれば、変化は則ち其中に在り。張根がいわく:陰陽の象はここに至りて則ち窮尽せり。《繋辞伝》にいわく:文辞を繋げて人に告知すれば、動作は則ち其中に在り。張根がいわく:天下の事はみなここに具備せり。《繋辞伝》にいわく:吉凶悔吝はみな動の上より産生す。張根がいわく:これがまさに聖人が憂患を心懐にして教化を設立せしの緣故なり。《繋辞伝》にいわく:剛柔は用いて根本を確立し、変通は用いて時宜に趨合す。張根がいわく:根本を確立するは常道を守住せんが為め、時宜に趨合するは変化に適応せんが為めなり。
吉凶者,貞勝者也。禍福伏,守正者勝。天地之道,貞觀者也;日月之道,貞明者也;天下之動,貞夫一者也。貞者,固也。天地以貞而能明,天下之動以一而能勝;一於善則吉,一於惡則凶,惟其所貞而已矣。夫乾確然示人易矣,夫坤隤然示人簡矣。確然隤然皆貞固之謂,易簡之道常不失也。爻也者,效此者也;象也者,像此者也。天地易簡,自然之理也。爻象動乎內,吉凶見乎外。可不貞乎?功業見乎變。所謂吉凶生大業,舉而錯之之謂。聖人之情見乎辭。愛人治物之意。
《繋辞伝》にいわく:吉と凶とは、正を守るに靠りて取勝す。張根が解していわく:禍福は互相に潜伏し、正を守る一方が勝利す。《繋辞伝》にいわく:天地の道は、正を守るに靠りて人をして観仰せしむ。日月の道は、正を守るに靠りて光明を放つ。天下の一切の変動は、一箇の「正」を守住するに靠りて統一に帰す。張根がいわく:いわゆる「貞」は、すなわち堅固。天地は正を守るに因りて初めて能く明なり、天下の変動は専一なるに因りて初めて能く勝なり。善に専一すれば則ち吉、悪に専一すれば則ち凶、全く彼の守る所は何かを看る而已。《繋辞伝》にいわく:あの乾は剛健確然として、人に向かい平易を顕示す。あの坤は柔順隤然として、人に向かい簡約を顕示す。張根がいわく:確然なるも好し、隤然なるも好し、講ずるはみな貞正堅固、平易平易簡約の道理は従りて失落せず。《繋辞伝》にいわく:爻は、これを仿効する所なり。象は、これに取像する所なり。張根がいわく:天地の平易簡約は、本より自然の道理。《繋辞伝》にいわく:爻象は内裏に於て変動し、吉凶は外面に於て顕現す。張根がいわく:こうしてなお能く正を守らざらんや。《繋辞伝》にいわく:功業は変化の上に体現す。張根がいわく:これがすなわち前面に講じたる「吉凶生大業」、すなわち拿起して安放施用するの意思なり。《繋辞伝》にいわく:聖人の心情は文辞の上に体現す。張根がいわく:あれは人を愛護し万物を料理するの心意なり。
天地之大徳曰生。聖人繼天地而為民之父母,如此而已。聖人之大寶曰位。行道之具。何以守位曰仁。愛人為本。何以聚人曰財。養人之具。理財正辭,禁民為非曰義。已養然後可教,教之然後可治。是以歷世聖人所以通變盡神,無非生民之道而已。
《繋辞伝》にいわく:天地の最大の徳性を「生」と称す。張根が解していわく:聖人は天地を承接して百姓の父母と為るも、もまたこうに過ぎず。《繋辞伝》にいわく:聖人の最大の宝物を「位」と称す。張根がいわく:あれは大道を推行するの工具なり。《繋辞伝》にいわく:何に靠りてこの位を守住するや。仁に靠る。張根がいわく:人を愛するを以て根本と為す。《繋辞伝》にいわく:何に靠りて人を聚集するや。財に靠る。張根がいわく:あれは人を養活するの憑借なり。《繋辞伝》にいわく:財貨を管理し言辞を端正し、百姓をして非を為し歹を作さざらしむるを禁止す、これを義と称す。張根がいわく:先に彼らを養活して然る後に初めて能く教化し、教化して然る後に初めて能く治理す。ゆえに歴代の聖人が変通尽神の為したる一切は、非ずとも百姓を養育するの道理而已。
古者包犠氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文與地之宜。地,植物也。近取諸身,逺取諸物,於是始作八卦,以通神明之徳,以類萬物之情。通神明之徳,八卦是也;類萬物之情,六十四卦是也。作結繩而為罔罟,以佃以漁,葢取諸離。葢有中虛之象焉。包犠氏沒,神農氏作,斫木為耜,揉木為耒,耒耨之利以教天下,葢取諸益。益民莫大於食。日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,葢取諸噬嗑。頤中有物之象。
《繋辞伝》にいわく:古時に伏羲氏が天下を統治して、頭を抬げて天上の物象を観察し、頭を低めて地上の法則を考察し、鳥獣の紋理と土地の所宜とを観察せり。張根が解していわく:ここの「地」は、指すは地上に生長する植物なり。《繋辞伝》にいわく:近処は自身に取象し、遠処は外物に取象して、ここにおいて始めて八卦を画出し、用いて神明の徳性を貫通し、用いて万物の情状を分類せり。張根がいわく:神明の徳を貫通するは八卦、万物の情を分類するは六十四卦なり。《繋辞伝》にいわく:彼は繩子を結んで網罟と作り、用いて猟を打ち魚を捕らえり、大概に離卦に取象せるなり。張根がいわく:離卦に中間空虚の象あるがゆえに。《繋辞伝》にいわく:伏羲氏が去世して、神農氏が興起し、木頭を砍削して耜を做成り、木頭を弯曲して耒を做成り、耒耜耕耨の便利を用いて天下を教導せり、大概に益卦に取象せるなり。張根がいわく:百姓を增益するは糧食より大なるなきがゆえに。《繋辞伝》にいわく:中午に集市を設立して、天下の人を招来し、天下の貨物を聚集して、交易して後に各自に回去り、人人がみな所需を得到せり、大概に噬嗑卦に取象せるなり。張根がいわく:噬嗑に口中に物を含むの象あるがゆえに。
神農氏沒,黃帝堯舜氏作,通其變,使民不倦;神而化之,使民宜之。易窮則變,變則通,通則久,是以自天佑之,吉無不利。黃帝堯舜垂衣裳而天下治,葢取諸乾坤。所謂通變之謂事、鼓之舞之以盡神,至於黃帝堯舜而其法成矣。刳木為舟,剡木為楫,舟楫之利以濟不通,致逺以利天下,葢取諸渙。乘木之象。服牛乘馬,引重致逺以利天下,葢取諸隨。隨物之宜而施之。重門擊柝,以待暴客,葢取諸豫。思患而豫防之。斷木為杵,掘地為臼,臼杵之利,萬民以濟,葢取諸小過。震艮為木為石之象。木為弧,剡木為矢,弧矢之利以威天下,葢取諸睽。火動而上、澤動而下之象。此數事皆先聖所作,皆通變之謂事之謂。
《繋辞伝》にいわく:神農氏が去世して、黄帝・堯・舜が興起し、其中の変化を貫通して、百姓をして倦怠を生ぜしめず。神妙に彼らを化育して、百姓をして各々その宜を得しめり。《易》の道は窮尽すれば則ち変じ、変ずれば則ち通じ、通ずれば則ち能く長久なり、ゆえに上天は彼を保佑して、吉祥にして利ならざる所なし。黄帝・堯・舜は衣を垂れ拱手して天下は大治せり、大概に乾坤両卦に取象せるなり。張根が解していわく:前面のいわゆる「通変之謂事」「鼓之舞之以尽神」は、黄帝・堯・舜の手裏に至りてこの套の弁法は初めて完成と算せり。《繋辞伝》にいわく:木頭を挖空して船を做成り、木頭を削尖して桨を做成り、舟楫の便利を用いて阻隔を渡り、遠方に到達して以て天下を利せり、大概に渙卦に取象せるなり。張根がいわく:渙に木に乗りて水を行くの象あるがゆえに。《繋辞伝》にいわく:牛を馴服し馬に乗騎して、重物を牽引し遠方に到達して以て天下を利せり、大概に随卦に取象せるなり。張根がいわく:あれは事物の性能に順随して之を使用するなり。《繋辞伝》にいわく:層層の門戸を設置し木梆を敲打して、用いて暴徒を防備せり、大概に豫卦に取象せるなり。張根がいわく:あれは禍患を想到して預先に防備するなり。《繋辞伝》にいわく:木頭を截断して杵を做成り、地を挖りて臼を做成り、杵臼の便利は万民をして済助を得しめり、大概に小過卦に取象せるなり。張根がいわく:震・艮に木と石との象あるがゆえに。《繋辞伝》にいわく:木を弯じて弓を做成り、木を削りて箭を做成り、弓箭の便利を用いて天下を威服せり、大概に睽卦に取象せるなり。張根がいわく:睽に火が上に動き沢が下に動くの象あるがゆえに。この幾件の事はみな先聖の創制したる所、講ずるはみな「通変之謂事」なり。
上古穴居而野處,後世聖人易之以宮室,上棟下宇,以待風雨,葢取諸大壯。壯之大者莫大乎宮室之麗。古之葬者,厚衣之以薪,葬之中野,不封不樹,喪期無數,後世聖人易之以棺槨,葢取諸大過。喪過乎哀。上古結繩而治,後世聖人易之以書契,百官以治,萬民以察,葢取諸夬。揚于王庭孰大於是。自宮室棺槨書契以下皆巧者述之之謂,故但言後世聖人而已。
《繋辞伝》にいわく:上古の時に人は洞穴に住み野外に宿せり、後世の聖人は改めて房屋を用いて之に代替して、上に棟梁あり・下に屋檐ありて、用いて風雨を抵当せり、大概に大壮卦に取象せるなり。張根が解していわく:いわゆる「壮」にしてまた「大」なるは、宮室の壮麗より明顯なるなし。《繋辞伝》にいわく:古時に死者を埋葬するは、柴草を用いて厚厚に裹みて、野地に葬りて、土堆を堆さず・樹木を種えず、服喪にもまた一定の期限なかりき。後世の聖人は改めて棺槨を用いて之に代替せり、大概に大過卦に取象せるなり。張根がいわく:大過《大象》に「喪過乎哀」と言うがゆえに。《繋辞伝》にいわく:上古の時に繩を結んで事を記して以て治理し、後世の聖人は改めて文字契據を用いて之に代替して、百官はそれに靠りて事を治め、万民はそれに靠りて明察せり、大概に夬卦に取象せるなり。張根がいわく:夬卦は「王庭に揚す」、公開明白なり、なお文字より能くこうせしむる何ものかあらんや。宮室・棺槨より書契以下に至るまで、講ずるはみな巧匠の前人に依循して之を創述するを加うる、ゆえに《繋辞伝》はただ「後世聖人」と言うのみにして名を指さず。
是故易者象也,象也者像也。此制器者以一取之,而其文無不一也。彖者材也。言其一卦之材。爻也者,效天下之動者也。是故吉凶生而悔吝者也。制器者尚象則取像而已,未盡變通之理;若夫明天下之動而言其吉凶,非爻不可。
《繋辞伝》にいわく:ゆえに《易》はすなわち象なり、いわゆる象はすなわち取像なり。張根が解していわく:これは器物を制作する人がただ一箇の方面より取象して、しかして彼らの道理は一致せざるなきを言うなり。《繋辞伝》にいわく:彖辞が講ずるは材質なり。張根がいわく:講ずるは一卦の材質なり。《繋辞伝》にいわく:爻は、天下万物の変動を仿効する所なり。ゆえに吉凶は産生して悔吝もまた之に随いて顕現す。張根がいわく:器物を制作する人はただ物象を崇尚す、あれは過ぎず一箇の像を取る而已、まだ変通の道理を講き尽くせず。至于天下の変動を闡明してその吉凶を断定せんと欲するは、あれは爻に靠らざれば可ならず。
陽卦多陰,陰卦多陽,其故何也?陽卦竒,陰卦耦。兩儀為主。其徳行何也?陽一君而二民,君子之道也。順故也。陰二君而一民,小人之道也。逆故也。
《繋辞伝》にいわく:陽卦の裏に陰爻は多く、陰卦の裏に陽爻は多し、これは何の緣故か。陽卦の画数は奇数にして、陰卦の画数は偶数なるがゆえに。張根が解していわく:これは両儀を主と為して立論するなり。《繋辞伝》にいわく:彼らの徳行は如何なるや。陽卦は一箇の君・両箇の民、これは君子の道。張根がいわく:それが順なるがゆえに。《繋辞伝》にいわく:陰卦は両箇の君・一箇の民、これは小人の道。張根がいわく:それが逆なるがゆえに。
易曰:憧憧往來,朋從爾思。子曰:天下何思何慮?天下同歸而殊塗,一致而百慮,天下何思何慮?日往則月來,月往則日來,日月相推而明生焉;寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推而歲成焉。往者屈也,來者信也,屈信相感而利生焉。尺蠖之屈,以來信也;龍蛇之蟄,以存身也;精義入神,以致用也;利用安身,以崇徳也。過此以往,未之或知也;窮神知化,徳之盛也。一往一來,一屈一伸,此天地萬物之理,而道之所以冒天下者如此而已,何容私於其間哉?而憧憧然耶。
《繋辞伝》に咸卦九四爻辞を引いていわく:心神は定まらず来来往往して、朋友らはただあなたのこの点の心思に跟って轉ず。孔子が解して言う:天下に思慮すべき何物かあらんや。天下万物は帰宿は相同じくして道路は同じからず、趨向は一致して思慮は百端なり、天下に思慮すべき何物かあらんや。太陽が落下すれば月亮が則ち升起し、月亮が落下すれば太陽が則ち升起し、日月は互相に推移して光明は産生す。寒冷が過去すれば暑熱が則ち来り、暑熱が過去すれば寒冷が則ち来り、寒暑は互相に推移して年歳は形成す。過去するは屈、到来するは伸、屈と伸とが互相に感応して利益は産生す。尺蠖は身子を弓起するは、前に向かい伸展せんが為め。龍蛇は冬眠蟄伏するは、身体を保存せんが為め。義理を精研して神妙に入るは、施用せんが為め。この份の施用を利用して自身を安頓するは、徳性を提高せんが為め。この歩を超過して再び前に往くは、則ち人の能く知る所にあらず。神妙を窮極し造化を洞察するは、あれは徳性の極盛。張根がいわく:一往一来・一屈一伸は、これは天地万物の常理、道の能く天下を籠罩する所以は、もまたこうに過ぎず、何れの処に私意を中間に夾むを容れんや。何も心神定まらずして忙しく停まざるを須いんや。
易曰:困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。子曰:非所困而困焉,名必辱;非所據而據焉,身必危。既辱且危,死期將至,妻其可得見邪?非可成之事而勞之,則徒敗其名焉;非可據之物而據之,則徒喪其身耳。名敗而身喪,妻猶不可見,況他人乎?
《繋辞伝》に困卦六三爻辞を引いていわく:石頭に困られて、また蒺藜の上に坐る。自己の家に回帰するも、妻子に見えず、凶険。孔子が解して言う:困らるべからざる地方にしかし自己を困めば、名声は必定に辱を受けん。占拠すべからざる地方にしかし占拠せば、身体は必定に危険あらん。辱を受けまた危険なれば、死期は則ち至らんと欲す、妻子は何れの処になお見えんや。張根がいわく:能く弁成すべき事にあらずして費力するは、ただ白白に自己の名声を敗壊する而已。占拠すべき東西にあらずして占拠するは、ただ白白に自己の性命を丢掉する而已。名声は敗れ身体は喪れ、妻子すら見えず、いわんや別人をや。
易曰:公用射隼于高墉之上,獲之無不利。子曰:隼者禽也,弓矢者器也,射之者人也。君子藏器於身,待時而動,何不利之有?動而不括,是以出而有獲,語成器而動者也。天下無難事,人自不為耳。使其規模先定而後為之,有所不發,發無不中矣。射隼之難,先審其括尚猶可,況其下者乎?
《繋辞伝》に解卦上六爻辞を引いていわく:王公は高墻の上にあの鷹隼を射て、射中し、利ならざる所なし。孔子が解して言う:隼は禽鳥、弓箭は器具、それを射るは人なり。君子は器具を身に蔵めて、時機を等待して然る後に行動す、何れの処に不利あらんや。行動起こせば毫も阻滞なく、ゆえに一たび出手すれば則ち収獲あり。これは説くは先に器具を備好して然る後に動く人なり。張根がいわく:天下は本来難事なし、ただ人が自ら肯んじて為さざる而已。若し先に規模格局を定下して然る後に為せば、あれは要するに発せざるか、一たび発すれば必ず中る。隼を射るのごとき難き事すら、なお先に弓弩の機括を審定し得、いわんやそれより容易の事をや。
子曰:小人不恥不仁,不畏不義,不見利不勸,不威不懲。小懲而大誡,此小人之福也。易曰:屨校滅趾,無咎。此之謂也。利則勸之,威則止之,小人之福也。惡積而身滅,罪大而已喪,小人之禍也。不能防患於至微而僥福於己顯,人之視己如見其肺肝然,又焉能逃罪哉?善不積不足以成名,惡不積不足以滅身。小人以小善為無益而弗為也,以小惡為無傷而弗去也,故惡積而不可掩,罪大而不可解。易曰:何校滅耳,凶。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、小人は不仁を為すを以て恥と為さず、不義を為すを怕れず。利益を看見せざれば肯んじて上進せず、威懾を加えざれば収斂を知らず。一点の小懲罰を受けて大なる警戒を得到す、これがまさに小人の福気なり。《易》の噬嗑初九に言う「脚上に刑具を戴き脚趾を遮没す、過錯なからん」、講ずるは則ちこれ。張根が解していわく:利あれば則ち彼を勉励し、威あれば則ち彼を制止す、これは小人の福気なり。悪行が積累して身死し・罪過が深重にして自身喪亡するに至れば、あれは則ち小人の禍なり。能く極細微の時に禍患を防範せずして、しかし事情が已に明顯せる時に僥倖して福を求む。別人の自己を看るは肺肝を看見するがごとく透徹、また何れの処に逃げ得べけんや。《繋辞伝》にいわく:善行は積累せざれば則ち名声を成就するに足らず、悪行は積累せざれば則ち自身を毀滅するに足らず。小人は小なる善事を看て好処なしと為して肯んじて為さず、小なる悪事を看て妨害なしと為して肯んじて除かず、ゆえに悪は積みて掩盖す可からず・罪は大なりて解脱す可からずに至る。《易》の噬嗑上九に言う「肩上に枷鎖を扛いで耳朶を遮住す、凶険」。
子曰:危者,安其位者也;亡者,保其存者也;亂者,有其治者也。是故君子安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂,是以身安而國家可保也。易曰:其亡其亡,繋於包桑。制治於未亂,保於未危。子曰:徳薄而位尊,知小而謀大,力小而任重,鮮不及矣。易曰:鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。言不勝其任也。茍非其人,道不虛行,小人之不可大受如此。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、危険を招致するは、自ら以て位子は坐り穩けりと為す人。滅亡を招致するは、自ら以て生存を長保すべしと為す人。禍乱を招致するは、自ら以て天下は已に治れりと為す人。ゆえに君子は安定の時に危険を忘記せず、生存の時に滅亡を忘記せず、太平の時に禍乱を忘記せず、これに因りて自身は安穩にして国家は保全を得。《易》の否卦九五に言う「心裏に要に完る・完るを念ずれば、初めて叢生の桑根に係するがごとく牢固ならんと能くす」。張根が解していわく:これがすなわち禍乱の未だ起らざる時に着手して治理し、危険の未だ至らざる時に之を保全を加うるなり。《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、徳性は浅薄にして地位は尊貴、才智は甚だ小にして図謀は甚だ大、力量は微弱にして担子は甚だ重ければ、殃を遭わざること鮮し。《易》の鼎卦九四に言う「鼎足が折斷して、王公の美食を打翻し、一身を狼藉に弄す、凶険」、説くは則ち彼の責任を担い得ざるなり。張根がいわく:若しあの合适の人にあらざれば、道は空に凭りて推行せざらん。小人は重任を委任すべからず、道理は則ちこうなり。
子曰:知幾其神乎。君子上交不謟,下交不瀆,其知幾乎。幾者,動之□,吉之先見者也。君子見幾而作,不俟終日。易曰:介于石,不終日,貞吉。介于石焉,寧用終日?□可識矣。君子知□知彰,知柔知剛,萬夫之望。非神不足以知幾,非介不足以□幾。知而能斷,惟天下之至聖為能如此。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、能く幾微を看出すは大概に神妙か。君子は上に対して交往して諂媚せず、下に対して交往して軽慢せず、これは大概に幾微を懂得するなり。いわゆる「幾」は、動の最初の苗头(此処に一字残缺、「微」と作るべし)、吉祥の最も先に顕露する兆候なり。君子は苗头を看出して則ち立刻に行動し、一天の過尽するを待たず。《易》の豫卦六二に言う「耿介なること石頭のごとし、一天の過尽するを待たず、正を守りて吉祥」。既に耿介して石のごとくなれば、何れの処になお一天を待つを用いんや。苗头は一たび露れば則ち認出し得べし(残缺一字、「断」または「几」と作るべし)。君子は幽微を懂得しまた顕著を懂得し、柔を懂得しまた剛を懂得す、ゆえに万人の仰望する所と為る。張根が解していわく:神妙ならざれば則ち幾微を看出するに足らず、耿介ならざれば則ち幾微を決断するに足らず。看出し得てまた能く決断するは、ただ天下の最高の聖人のみ做到し得。
子曰:顏氏之子,其殆庶幾乎。有不善未嘗不知,知之未嘗復行也。易曰:不逺復,無祗悔,元吉。先幾而作者謂之聖,後幾而改者謂之賢;見幾而改,則與夫逺祗悔者異矣,惟顏子近之,茲所以其殆庶幾乎。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、顔家のあの孩子は、大概に幾微を懂得するに接近せんか。彼は不善有れば自ら察覚せざるなし、察覚すれば則ち再び第二次を犯さず。《易》の復卦初九に言う「遠く走り出でずして回頭す、悔恨を生出するに至らず、大吉」。張根が解していわく:苗头の前に行動するを聖人と称し、苗头の後に改正するを賢人と称す。能く苗头を看出して則ち改むれば、あれは則ち遠く走りて初めて悔恨を生ずる人と同じからず。ただ顔回のみこの歩に接近す、これがすなわち孔子が彼を「殆庶幾乎」と言うの緣故なり。
天地絪縕,萬物化醇;男女構精,萬物化生。易曰:三人行則損一人,一人行則得其友。言致一也。一陰一陽之謂道,名乾以配坤,名男以合女,天地之義盡於此矣。三人行失其配,一人行則一遇其偶,乾坤之道無非致一而已。
《繋辞伝》にいわく:天地の二気は交融絪縕して、万物は則ち化育醇厚す。男女は精気を交合して、万物は則ち化育生長す。《易》の損卦六三に言う「三箇人が同行すれば則ち一箇人を减去せん、一箇人が独行すればかえって伙伴を得到せん」、講ずるは専一に帰するなり。張根が解していわく:一陰一陽が交替して運行するを道と称す。乾の名有れば則ち坤を配上するを要し、男の名有れば則ち女を合上するを要す、天地の道理は全くここに在り。三箇人が同行すれば則ち配偶を失掉し、一箇人が独行すれば則ち恰好に自己の対偶に遇上す。乾坤の道は非ずとも専一に帰する而已。
子曰:君子安其身而後動,易其心而後語,定其交而後求。君子修此三者,故全也。危以動則民不與也,懼以語則民不應也,無交而求則民不與也,莫之與則傷之者至矣。易曰:莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。擬之而後言,議之而後動,擬議先定而終不易其所守,惟有恆心者能之。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、君子は先に自身を安頓して然る後に初めて行動し、先に心気を平和して然る後に初めて説話し、先に交情を確定して然る後に初めて求むる所有り。君子はこの三条を修好す、ゆえに能く自己を保全す。処境が危殆なれば則ち贸然に行動して、百姓は彼に跟従せざらん。心に恐懼を懐きて開口して説話せば、百姓は彼に応響せざらん。毫も交情なくして人に向かい索求せば、百姓は彼に給与せざらん。人の肯んじて給与するなく、あれは彼を傷害する人が則ち來らん。《易》の益卦上九に言う「彼を增益する人なし、反って彼を攻撃する人あり。心志を立定するも持久する能わず、凶険」。張根が解していわく:先に揣度して然る後に説話し、先に商議して然る後に行動す。揣度商議を先に定下して始終に守る所を改変せざるは、ただ恒心ある人のみ做到し得。
子曰:乾坤其易之門邪。萬物所由安也。乾,陽物也;坤,陰物也。此況兩儀。陰陽合徳而剛柔有體,以體天地之撰,以通神明之徳。其剛柔有體,故以體天地之撰;其陰陽合徳,故以通神明之徳。其稱名也雜而不越。合徳故其名也雜,其體故其義不越。於稽其類,其衰世之意邪。夫易彰往而察來,而微顯闡幽。此言爻象也。開而當名辨物,正言斷辭則備矣。此言卦辭也。其稱名也小,其取類也大,其□逺,其辭文,其言曲而中,其事肆而隱,因貳以濟民行,以明失得之報。此章言爻象變化以示吉凶,因此吉凶之理而示天下後世,使知吉之可為而凶不可為,以濟民行,以明得失之報,此作易之意也。
《繋辞伝》にいわく:孔子が講じる、乾坤は大概に《易》の門戸か。張根が解していわく:万物はみなここより安頓を得到す。《繋辞伝》にいわく:乾は陽性の物、坤は陰性の物。張根がいわく:これは両儀に就いて比況するなり。《繋辞伝》にいわく:陰陽の徳性は会合して剛柔は各々形体あり、用いて天地の造作を体現し、用いて神明の徳性を貫通す。張根がいわく:正に剛柔が各々形体あるがゆえに、能く天地の造作を体現す。正に陰陽の徳性が会合するがゆえに、能く神明の徳性を貫通す。《繋辞伝》にいわく:それの称説する名目は繁雑にして範囲を越出せず。張根がいわく:徳性が会合するがゆえに名目は繁雑。各々形体あるがゆえに義理は越軌せざらん。《繋辞伝》にいわく:それの帰する類を考察するに、大概に衰乱の世の用意か。《易》のこの部の書は、過去を彰明し未来を洞察し、細微の処を顕露し幽隠の処を闡発す。張根がいわく:これは爻象を講ずるなり。《繋辞伝》にいわく:それを展開せば、名称は恰当・事物は分明・言語は端正・断語は明確、則ち完備せり。張根がいわく:これは卦辞を講ずるなり。《繋辞伝》にいわく:それの称説する名目は甚だ小にして、取る所の類はしかし甚だ大。その旨意は深遠、その文辞は文采あり、其の話は曲折にして中肯、其の記する所の事は鋪陳にして含蓄あり。吉凶の両端に凭りて百姓の行事を済助し、用いて得と失との報応を闡明す(此処に一字残缺、「旨」と作るべし)。張根がいわく:この一章は爻象の変化を講じて用いて吉凶を昭示す。この種の吉凶の理に拠拠して天下後世に昭示して、人をして吉の事は為す可く凶の事は為す可からざるを知らしめ、以て百姓の行事を済助し・得失の報応を闡明す、これがすなわち《易》を作るの本意なり。
易之興也,其於中古乎;作易者其有憂患乎。憂天下之憂者能之。是故履,徳之基也。履,禮也,非禮勿履而為徳之基立矣。謙,徳之柄也。謙則有所持。復,徳之本也。克己為仁之謂。恆,徳之固也。恆久不已,故物莫能傾焉。損,徳之修也。逺害故能自修。益,徳之也。善者進之故。困,徳之辨也。不辨辨之。井,徳之地也。性是己。巽,徳之制也。行權故也。
《繋辞伝》にいわく:《易》の興起は、大概に中古の時か。《易》を作りし人は大概に憂患を心懐にせるか。張根が解していわく:ただ天下人の憂を憂うる人のみ做到し得。《繋辞伝》にいわく:ゆえに履卦は徳の根基。張根がいわく:履はすなわち礼。礼に合せざるは一概に為さず、徳の根基は則ち立起せり。《繋辞伝》にいわく:謙卦は徳の把柄。張根がいわく:能く謙なれば則ち一箇の抓手あり。《繋辞伝》にいわく:復卦は徳の本根。張根がいわく:これがすなわち己を克って礼に復って仁と為すの意思なり。《繋辞伝》にいわく:恒卦は徳の鞏固。張根がいわく:恒久にして停まざれば、ゆえに何の物もそれを傾覆する能わず。《繋辞伝》にいわく:損卦は徳の修治。張根がいわく:禍害を遠離す、ゆえに能く自我を修治す。《繋辞伝》にいわく:益卦は徳の充裕(「徳之」の下に一「裕」の字を脱す)。張根がいわく:善なるは則ちそれを増進せしむがゆえに。《繋辞伝》にいわく:困卦は徳の辨別。張根がいわく:辨ならざる中に於てそれを辨明す。《繋辞伝》にいわく:井卦は徳の所在の地。張根がいわく:本性はすなわちこうなり。《繋辞伝》にいわく:巽卦は徳の裁制。張根がいわく:それの講ずるは権変を行うがゆえに。
履和而至,故以和行。謙尊而光,故以制禮。復小而辨於物,故以自知。恆雜而不厭,故以一徳。損先難而後易,故以逺害。益長裕而不設,故以興利。困窮而通,故以寡怨。井居其所而遷,故以辨義。巽稱而,故以行權。履以和行。非禮勿履,貴和為至。謙以制禮。稱物平施,是以尊而光。復以自知。退藏於密,是以能辨於物。恆以一徳。立不易方,是以雜而不厭。損以逺害。懲忿室欲,是以先難後易。益以興利。遷善改過,是以長裕而不設。困以寡怨。致命遂志,是以困而不窮。井以辨義。往來井井。巽以行權。申命行事。
《繋辞伝》にいわく:履卦は和順にして能く至処に到達す、ゆえにそれを用いて和順に行事す。謙卦は地位は尊にして徳は愈々光、ゆえにそれを用いて礼数を節制す。復卦は小処より入手して能く事物を辨明す、ゆえにそれを用いて自我を省察す。恒卦は処境は繁雑にして厭倦を生ぜず、ゆえにそれを用いて徳性を専一す。損卦は先に難にして後に易、ゆえにそれを用いて禍害を遠離す。益卦は増長寛裕にして造作せず、ゆえにそれを用いて利益を興起す。困卦は身は窮境に処して心は能く通達す、ゆえにそれを用いて怨尤を減少す。井卦は原処に守りて水沢は外流す、ゆえにそれを用いて義理を辨明す。巽卦は事宜を称量して隠伏して露せず、ゆえにそれを用いて権変を施行す(「称而」の下に一「隠」の字を脱す)。張根が文に随いて解を作す:履は用いて和順に行事す——礼に合せざるは為さず、和を貴ぶを以て至と為す。謙は用いて礼数を節制す——事物を衡量して公平を施与す、ゆえに地位は尊にして徳は愈々光。復は用いて自我を省察す——退きて隠密の処に蔵む、ゆえに能く外物を辨明す。恒は用いて徳性を専一す——身を立てて方向を改変せず、ゆえに処境は繁雑なりても厭倦せず。損は用いて禍害を遠離す——忿怒を懲戒し私欲を堵塞す、ゆえに先に難にして後に易。益は用いて利益を興起す——善に遷りて過を改む、ゆえに増長寛裕にして造作せず。困は用いて怨尤を減少す——命を捨てて志向を実現す、ゆえに困なりても窮せず。井は用いて義理を辨明す——来来往往に取りて竭きず。巽は用いて権変を施行す——反復して命令を申明して政事を推行す。
易之為書也不可逺。得失之故。為道也屢遷。六十四卦三百八十四爻未嘗同也。變動不居,周流六虛。天地之間。上下無常,剛柔相易,不可為典要,唯變所適。此之謂屢遷。其出入以度外內,使知懼,又明於憂患與故。此所以不可逺。無有師保,如臨父母。此聖人所以為善教。初率其辭而揆其方,既有典常。雖上下無常、不可為典要,而卦爻之辭以斷以告亦已明矣。茍非其人,道不虛行。小人亦不可僥倖。
《繋辞伝》にいわく:《易》のこの部の書は疎遠すべからざるなり。張根が解していわく:それの講ずるは得失の緣由なるがゆえに。《繋辞伝》にいわく:それは道と為すは屢々遷移す。張根がいわく:六十四卦・三百八十四爻は従りて相同じきあらず。《繋辞伝》にいわく:変動して居らず、六箇の爻位の間に周流す。張根がいわく:すなわち天地の間なり。《繋辞伝》にいわく:上下に定規なく、剛柔は互相に変易し、一成不変の常法に定むる能わず、ただ変化に随いて適応するのみ。張根がいわく:これがすなわちいわゆる「屢遷」。《繋辞伝》にいわく:それの出入はみな法度に循う可きあり、人をして内外を分清せしめ、人をして畏懼を懂得せしめ、また憂患の由来を明白せしむ。張根がいわく:これがすなわちそれの疎遠すべからざる所以の緣故。《繋辞伝》にいわく:師傅保姆が傍に在るなきも、しかし父母に面対するがごとし。張根がいわく:これがすなわち聖人の善く教を施すの処なり。《繋辞伝》にいわく:起初に卦爻辞に循いてその方向を揣度せば、則ちそれは自ら常規あるを発見せん。張根がいわく:上下に定規なく常法に定むる能わざるも、しかし卦爻の辞は用いて断定し・用いて告知して、也已に甚だ明白なり。《繋辞伝》にいわく:若しあの合适の人にあらざれば、道は空に凭りて推行せざらん。張根がいわく:小人もまた僥倖に靠りてそれを得到する能わず。
易之為書也,原始要終以為質也。始作卦蓍,終作卦體,蓍之與體,非易之質而何?六爻相雜,唯其時物也。此六爻所以不同。其初難知,其上易知,本末也。本明而末得矣。先難後之謂。初辭擬之,卒成之終。初爻為一卦之門戸。若夫雜物撰徳,辨是與非,則非其中爻不備。二與四、三與五之謂。噫亦要存亡吉凶,則居可知矣。此聖人所以斷吉凶者也。知者觀其彖辭,則思過半矣。明一卦之材故也。
《繋辞伝》にいわく:《易》のこの部の書は、開始を推究し終結を帰納して以てそれの本質と為す。張根が解していわく:開頭に卦と蓍とを造出し、最後に卦体を造出す。蓍草と卦体とは、《易》の本質にあらずしてまた何ぞや。《繋辞伝》にいわく:六爻は交錯混雑す、ただそれの当時に処するの時位と物類とを看るのみ。張根がいわく:これがすなわち六爻の各々相同じからざる所以の緣故。《繋辞伝》にいわく:初爻の意思は看清し難く、上爻の意思は看清し易し、これは本と末との関係。張根がいわく:本は弄明白すれば、末は自然に得着せん。これがすなわち先に難にして後に易の意思なり。《繋辞伝》にいわく:初爻の辞は揣度して説く所、最後に上爻によりてその終結を成就す。張根がいわく:初爻は一卦の門戸なり。《繋辞伝》にいわく:至于各種の物類を交雑し各種の徳性を撰述し是と非とを辨別するは、あれは中間四爻に靠らざれば則ち完備せず。張根がいわく:指すは第二爻と第四爻・第三爻と第五爻なり。《繋辞伝》にいわく:嗚呼、存亡吉凶を推求せんと欲せば、あれは平居にもまた以て知る可し。張根がいわく:これがまさに聖人の用いて吉凶を断定するの弁法なり。《繋辞伝》にいわく:明智の人は彖辞を看て、則ち一大半を想明白せんと欲す。張根がいわく:彖辞が一卦の材質を点明するがゆえに。
二與四同功而異位,其善不同,二多譽,四多懼,近也。柔之為道,不利逺者,其要無咎,其用柔中也。三與五同功而異位,三多凶,五多功,貴賤之等也。其柔危,其剛勝邪。此論明夫中爻之義。二四俱陰位,常以柔為主;三五俱陽位,常以剛為勝。柔居外卦之下而多懼,剛居內卦之上而多凶,非其柔危其剛勝耶?此亦聖人沈潛剛克、高明柔克之□。雜物撰徳、辨是與非,舍此何以備哉?
《繋辞伝》にいわく:第二爻と第四爻とは功用は相同じくして位置は同じからず、彼らの好処もまた一樣ならず。二は称誉多く、四は畏懼多し、四が君位に離るること太く近きがゆえに。柔のこの種の性質は、尊位に離るること遠き地方に居るに利せず。それの要領は過錯なきに在り、それの功用は柔順にして中に居るに在り。第三爻と第五爻とは功用は相同じくして位置は同じからず。三は凶険多く、五は功業多し、これは貴と賎との等差なり。柔がこの両処に居れば則ち危険、剛がこの両処に居れば大概に則ち取勝し得べし。張根が解していわく:この一段は中間四爻の道理を講明せるなり。第二・第四はみな陰位、通常は柔を主と為す。第三・第五はみな陽位、通常は剛を勝と為す。柔が外卦の下端に居ればゆえに畏懼多し、剛が内卦の上端に居ればゆえに凶険多し、これはまさに「柔危剛勝」にあらずや。これもまた《尚書》の講ずる沈潛の人に対しては剛を用いて治め・高明の人に対しては柔を用いて治むるの旨意(此処に一字残缺)。物類を交雑し徳性を撰述し是非を辨別するは、この一層を舎開してなお如何にして講じて完備せしめんや。
易之為書也,廣大悉備,有天道焉,有人道焉,有地道焉,兼三才而兩之,故六。六者非它也,三才之道也。八卦之作,本於陰陽以明人事,然後成卦;卦成而後三才之道具乎其中,故曰有天道焉,有人道焉,有地道焉。自陰陽言之,天道也;自剛柔言之,地道也;自仁義言之,人道也。道有變動,故曰爻;爻有等,故曰物;物相雜,故曰文;文不當,故吉凶生焉。此易因陰陽以明人事。
《繋辞伝》にいわく:《易》のこの部の書は広大にして備らざるなし、裏面に天道あり・人道あり・地道あり。三才を各自に加倍せば、ゆえに六画なり。張根が解していわく:この「六」は別にあらずして、すなわち三才の道なり。八卦の創制は、本来陰陽に依拠して人事を闡明し、然る後に初めて卦と成る。卦は成りて後に、三才の道は則ち其中に具備せり、ゆえに天道あり・人道あり・地道ありと言う。陰陽の上より言えば是天道、剛柔の上より言えば是地道、仁義の上より言えば是人道。《繋辞伝》にいわく:道に変動あれば、ゆえに爻と称す。爻に等級あれば、ゆえに物と称す。物類は互相に交雑すれば、ゆえに文と称す。文は恰当ならざれば、ゆえに吉凶は則ち産生す。張根がいわく:これがすなわち《易》が陰陽に依拠して人事を闡明するなり。
易之興也,其當殷之末世、周之盛徳邪?當文王與紂之事邪?此周易之作所以異於連山歸藏也。是故其辭危。遜而也。危者使平,易者使傾。雖畏勿畏,出畏入畏。其道甚大,百物不廢。求者皆得焉。懼以終始,其要無咎,此之謂易之道也。其為教如此,所謂易之道故。
《繋辞伝》にいわく:《易》の興起は、大概に正当に殷商の末世・周朝の徳業が方が盛なりし時か。大概に正当に周文王と商紂王との間のあの段の事か。張根が解していわく:これがすなわち《周易》の成書が《連山》《帰蔵》と同じからざるの処なり。《繋辞伝》にいわく:ゆえにその文辞は危惧の意に充満す。張根がいわく:あれは謙遜にして含蓄なり(此処に脱文あり)。《繋辞伝》にいわく:心に危惧を存する人はかえって彼を平安せしめ、掉軽心の人はかえって彼を傾覆せしむ。張根がいわく:応に畏懼すべき時はたとえ勉强して畏れざるも不可なり、出ずるも畏懼の中に在り・入るも畏懼の中に在り。《繋辞伝》にいわく:その道理は極めて広大、各類の事物はみな遺棄せられず。張根がいわく:教を求めて来る人はみな所得有らん。《繋辞伝》にいわく:頭より尾に至るまでみな戒懼を心懐にし、それの要領は過錯なきに在り、これを《易》の道と称す。張根がいわく:それが教化と為すはすなわちこうなり、ゆえに《易》の道と称す。
夫乾,天下之至健也,徳行恆易以知險;夫坤,天下之至順也,徳行恆簡以知阻。能說諸心,能研諸侯之慮,定天下之吉凶,成天下之亹亹者。是故變化云為,吉事有祥;象事知器,占事知來。此言天地健順,猶常知險阻以為進退,況人可不視治亂以自為懼乎?是故聖人內研諸心,外研諸慮,而作易以定天下之吉凶、成天下之亹亹,使後世變化云為者於此以研治亂吉凶之理,而以明進退焉。
《繋辞伝》にいわく:あの乾は、天下の最も剛健、それの徳行は永遠に平易、ゆえに能く険難を識別す。あの坤は、天下の最も柔順、それの徳行は永遠に簡約、ゆえに能く阻碍を識別す。それは能く人の心裏をして喜悅せしめ、能く人の思慮をして精研せしめ、能く天下の吉凶を断定し、能く天下の勤勉不已の事業を成就す(「諸」の下の「侯」の字は衍文と為す)。ゆえに変化と言行との間に、吉祥の事は先に兆候あり。物象を観察すれば則ち何の器具を造るべきを知り、事情を占問すれば則ち能く未来を預知す。張根が解していわく:これは天地があのごとく剛健柔順にして、なお時時に険阻を識別して進退を決定す、いわんや人は、何ぞ能く治乱を看着して自我に警惕せざらんやを言うなり。ゆえに聖人は対内に自己の内心を精研し、対外に種種の思慮を精研して、《易》を作りて天下の吉凶を断定し・天下の勤勉不已の事業を成就し、後世をして凡そ変化言行ある人をしてみなここより治乱吉凶の道理を钻研せしめて、進むべきか退くべきかを明白せしむ。
天地設位,聖人能成,人謀鬼謀,百姓與能。八卦以象告,爻彖以情言,剛柔雜居而吉凶可見矣。變動以利言,吉凶以情遷,是故愛惡相攻而吉凶生,逺近相取而悔吝生,情偽相感而利害生。凡易之情,近而不相得則凶,或害之,悔且吝。將叛者其辭慚,中心疑者其辭枝,吉人之辭寡,躁人之辭多,誣善之人其辭游,失其守者其辭屈。
《繋辞伝》にいわく:天地は各自の位置を設定して、聖人は其中に於て万能を成就す。人の謀画・鬼神の謀画は一併に参酌して、百姓すらもまた其中に参与し得。八卦は物象を用いて告知し、爻辞彖辞は実情を用いて説明し、剛柔は交雑して処して、吉凶は則ち看出し得べし。変動は利害に就いて言う所、吉凶は人情に随いて轉移す。ゆえに喜愛と憎悪とが互相に衝撃して則ち吉凶を産生し、遠と近とが互相に牽取して則ち悔吝を産生し、真情と虚偽とが互相に感応して則ち利害を産生す。大凡《易》の顕示する所の情状は:両爻が甚だ近く挨れども彼此に合せざれば、則ち凶険、または互相に傷害して、則ち悔恨と憾惜あり。まさに背叛せんとする人は、説話に慚愧を帯び。心裏に疑ある人は、説話は枝蔓雑乱。吉善の人は話は少なく、浮躁の人は話は多し。好人を誣陷する人は、説話は游移して定まらず。操守を失掉したる人は、説話は理屈詞窮す。
呉園易解巻第九 説卦解
說卦解。昔者聖人之作易也,幽贊於神明而生蓍,參天兩地而數,觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生爻,和順於道徳而理於義,窮理盡性以至於命。聖人作易不起於蓍,所謂幽贊於神明而生蓍者,敎天下求易之法耳,以行易之道於天下後世也。既作易而無以行之,則夫後世孰從而師乎?故既作易之成,於是幽贊於神明而生用蓍之法。參天兩地而數,其數五十其用四十有九是也。觀變於陰陽而立卦,十有八變是也。發揮於剛柔而生爻,引而伸之是也。卦爻既明而吉凶之理可見,和於道而無乖,順於徳而不逆,理於義而不亂,以窮理,以盡性,以至命,無入而不自得,此所以自天佑之吉無不利。
以下は《説卦伝》の解説。《説卦伝》にいわく:昔時に聖人が《易》を創作するは、暗に神明の賛助を得て蓍占の法を創出し、天数三・地数二を取りて数を立て、陰陽の変化を観察して卦を設立し、剛柔の上に於て発揮して爻を産生し、道徳と相和順して義理に合し、事理を窮究し・本性を尽顕して、天命に通達するに至る。張根が解していわく:聖人が《易》を作るは並びに蓍草より開始せざるなり。いわゆる「暗に神明の賛助を得て蓍を生ず」は、ただ天下人に《易》を求むるの弁法を教えて、《易》の道理を天下後世に推行するを好む而已。《易》を既に作りて使用するの弁法なければ、あれは後世の人は誰に跟いて学ばんや。ゆえに《易》は既に作成せられ、ここにおいて初めて暗に神明の賛助を得て蓍を用いるの弁法を創出せり。いわゆる「参天両地而倚数」は、すなわち大衍の数五十・実用四十九。いわゆる「観変於陰陽而立卦」は、すなわち十八変して一卦と成る。いわゆる「発揮於剛柔而生爻」は、すなわち引申推広して三百八十四爻と成る。卦と爻とが既に明白なれば、吉凶の道理は則ち看見し得べし。道と相和して乖違なく、徳に順って逆わず、義理に合して乱れず。それを用いて事理を窮究し・本性を尽顕し・天命に通達すれば、あれは則ち何れの処に至りても自得す、これがすなわち「自天佑之、吉無不利」の緣故なり。
昔者聖人之作易也,將以順性命之理,是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義,兼三才而兩之,故易六畫而成卦;分陰分陽,迭用柔剛,故易六位而成章。所謂性者何也?三才之道而已。三才之道在天則為陰與陽,天統元氣故也;在地則為柔與剛,地統元形故也;在人則為仁與義,人統元識故也。
《説卦伝》にいわく:昔時に聖人が《易》を創作するは、要するに性と命との道理に順従せんと欲するなり。ゆえに天の道を確立するを陰と陽とと称し、地の道を確立するを柔と剛とと称し、人の道を確立するを仁と義とと称す。三才を各自に加倍せば、ゆえに《易》は六画を要して初めて一卦と成る。陰位陽位を分出して、柔爻剛爻を交替に使用せば、ゆえに《易》は六箇の爻位を要して初めて一篇文章と成る。張根が解していわく:ここに言う所の「性」は何ぞや。過ぎず三才の道而已。三才の道は天に在れば則ち陰と陽とに表現す、天が元気を統摂するがゆえに。地に在れば則ち柔と剛とに表現す、地が元形を統摂するがゆえに。人に在れば則ち仁と義とに表現す、人が元識を統摂するがゆえに。
兼三才而兩之,故易六畫而成卦。易之成卦,兆六而成焉是也。六畫俱而三才之義在其中矣,此之謂將順之法,所謂觀變於陰陽而立卦是也。然易之道無所不順也,故分陰分陽、迭用柔剛,故六位而成章。陰陽言其體,剛柔言其用,所謂發揮於剛柔而生爻是也。不言人道,即因天地以明人事故也。將使人明性命之理,則如之何?明乎三才之道而已。
張根が接続して言う:いわゆる「兼三才而両之、故易六画而成卦」は、指すは《易》が卦を成す時に六画を卜出して初めて完成と算するなり。六画がみな具備せれば、三才の意義は則ち其中に在り。これがすなわち「性命の理に順従する」の弁法と称するなり、すなわち前面に言う所の「観変於陰陽而立卦」。ただ《易》の道は順ならざるなし、ゆえにまた陰位陽位を分出し・柔爻剛爻を交替に使用して、之に因りて六位にして章と成る。陰陽を講ずるはそれの本体に就いて言い、剛柔を講ずるはそれの功用に就いて言う、これがすなわち前面に言う所の「発揮於剛柔而生爻」。ここに人道を再び提げざるは、まさに天地に依い着いて人事を闡明せんと欲するがゆえに。人をして性と命との道理を明白せしめんと欲せば、如何にすべきや。三才の道を弄明白する而已。
天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯。數往者順,知來者逆,是故易逆數也。天地之定位、山澤之通氣、雷風之相薄、水火之不相射者,天地定位然後六子得以致其用故也。然有所謂八卦相錯者,言乎其氣而已。易主定未來之吉凶,故曰逆順也。此亦明蓍龜之用。
《説卦伝》にいわく:天地は各々その位を定め、山沢は気息が相通じ、雷風は互相に激蕩し、水火は相妨害せず、八卦は交錯配合す。過去の事を推数するは順って來り、未来の事を預知するは倒して推す、ゆえに《易》は倒して数を推すなり。張根が解していわく:天地定位・山沢通気・雷風相薄・水火不相射は、これらはみな天地が先に位を定め、然る後に震坎艮巽離兌の六子が初めて各々その用を尽くすに因る。いわゆる「八卦相錯」に至りては、ただ気化の上に就いて言う而已。《易》は未来の吉凶を断定するを主と為す、ゆえに「逆」と言うにして「順」にあらず。この一段もまた蓍亀占卜の功用を闡明する在りなり。
雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以晅之,艮以止之,兌以說之,乾以君之,坤以藏之。天地定位然後六子得致其用,故始於天地;六子致用而天地收其功,故終於乾坤。
《説卦伝》にいわく:雷は來りて万物を震動し、風は來りて万物を吹散し、雨は來りて万物を滋潤し、日は來りて万物を晒暖し、艮は來りて万物を止住し、兌は來りて万物を喜悅せしめ、乾は來りて万物を主宰し、坤は來りて万物を収蔵す。張根が解していわく:天地が先に位を定め、然る後に六子が初めて各々その用を尽くす能くす、ゆえに上一節は天地より講起す。六子が用を尽くして天地は彼らの功効を収取す、ゆえにこの一節は乾坤を以て收尾と為す。
帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮。主歲功者天也,故獨稱帝而已。此言帝出入之序,而非所以論八卦之位也,八卦之所以分於四方各有義矣。帝未嘗出也,萬物之出,帝與之出而不辭;萬物之入,帝與之入而不拒;此所以為帝。不言天與乾而言帝,天地者形也,乾坤者氣也,其所以轉運升降必有物以主之,此所以祀昊天上帝。然則所謂出者果何物哉?亦氣而已。
《説卦伝》にいわく:主宰する者は震位より出で、巽位に於て整斉し、離位に於て相見え、坤位に於て労役を委託し、兌位に於て喜悅し、乾位に於て交戦し、坎位に於て慰労し、艮位に於て終始を成就す。張根が解していわく:一年の功用を主宰するは天、ゆえにここに単に「帝」と称す。この一節が講ずるは帝の出入の次序、並びに八卦の方位を論ずるにあらず。八卦は四方に分配して各々その道理あり。其实帝は並びに曾て真に「出で」たるなし。万物が出ずれば、帝は彼らに跟いて出でて推辞せず。万物が収蔵すれば、帝は彼らに跟いて収蔵して拒絶せず。これが初めて帝と成り所以なり。ここに「天」と言わず・「乾」と言わずして「帝」と言うは、天地が指すは形にして、乾坤が指すは気なるがゆえに。彼らの能く転運升降する所以は、必定に一箇の東西が中に在りて主宰す、これがすなわち昊天上帝を祭祀する所以の緣故なり。然らばいわゆる「出づ」るは究竟に何物ぞや。もまた過ぎず気而已。
萬物出乎震,震東方也。齊乎巽,巽東南也,齊也者,言萬物之潔齊也。離也者明也,萬物皆相見,南方之卦也;聖人南面而聽天下,嚮明而治,葢取諸此也。坤也者地也,萬物皆致養焉,故曰致役乎坤。兌正秋也,萬物之所說也,故曰說言乎兌。戰乎乾,乾西北之卦也,言陰陽相薄也。坎者水也,正北方之卦也,勞卦也,萬物之所歸也,故曰勞乎坎。艮東北之卦也,萬物之所成終而所成始也,故曰成言乎艮。萬物之所以出入,惟從仁而已。
《説卦伝》にいわく:万物は震位より出づ、震は東方に在り。巽位に於て整斉す、巽は東南に在り。いわゆる「斉」は、説くは万物が潔斉整斉するなり。離はすなわち明、万物はここに至りてみな互相に看見す、是南方の卦なり。聖人は南方に面向して天下を聴治し・光明に朝着して治理す、大概に則ちこの箇の道理より取自するなり。坤はすなわち地、万物はここに至りてみな養育を得到す、ゆえに「致役乎坤」と言う。兌は正に当に秋、是万物が喜悅する時節、ゆえに「説言乎兌」と言う。乾位に於て交戦す、乾は西北方の卦、講ずるは陰陽が互相に逼近するなり。坎はすなわち水、是正北方の卦、是慰労の卦、万物はここに至りてみな帰蔵す、ゆえに「労乎坎」と言う。艮は東北方の卦、万物はここに在りて既に終結を完成しまた新しい一輪を開始す、ゆえに「成言乎艮」と言う。張根が解していわく:万物の出ある所・入ある所以は、非ずともあの份の生生の仁に順従する而已。
神也者,妙萬物而為言者也。動萬物者莫疾乎雷,撓萬物者莫疾乎風,燥萬物者莫熯乎火,說萬物者莫說乎澤,潤萬物者莫潤乎水,終萬物始萬物者莫盛乎艮,故火水相逮,雷風不相悖,山澤通氣,然後能變化既成萬物也。妙萬物而為言,故收功於無為,付之於六子而已。天之高、地之厚,猶自其根本中來,況六子乎?此六子之所以變化既成萬物者,各得成之一體故也。
《説卦伝》にいわく:いわゆる「神」は、それが万物をして神妙ならしむるこの一点に就いて言う所なり。万物を震動するは雷より迅疾なるなし、万物を揺撼するは風より迅疾なるなし、万物を烘干するは火より熾熱なるなし、万物を取悦するは沢より能く悦たるなし、万物を滋潤するは水より能く潤たるなし、万物を終結してまた万物を開始するは艮より盛大なるなし。ゆえに水火は互相に追及し、雷風は互いに違背せず、山沢は気息が相通じ、然る後に初めて能く変化して万物を成就す。張根が解していわく:既に「万物をして神妙ならしむる」に就いて立説せば、あればそれは功効を無所作為の中に収めて、ただ六子に交付して為さしむる而已。天はあのごとく高く・地はあのごとく厚けれども、なおみなあの箇の根本より來り、いわんや六子をや。六子の能く変化して万物を成就する所以は、正に彼らが各々あの箇の根本の一部分を分取せしに因る。
乾健也,坤順也,震動也,巽入也,坎陷也,離麗也,艮止也,兌說也。解闕。乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞,坎為豕,離為雉,艮為狗,兌為羊。解闕。乾為首,坤為腹,震為足,巽為股,坎為耳,離為目,艮為手,兌為口。解闕。
《説卦伝》にいわく:乾は剛健、坤は柔順、震は奮動、巽は潜入、坎は陥落、離は附麗、艮は止息、兌は喜悅。(原注:この節は張根の解説が残缺す。)《説卦伝》にいわく:乾は象を馬に取り、坤は牛に取り、震は龍に取り、巽は鶏に取り、坎は猪に取り、離は野鶏に取り、艮は狗に取り、兌は羊に取る。(原注:この節は解説が残缺す。)《説卦伝》にいわく:乾は象を頭に取り、坤は腹に取り、震は足に取り、巽は大腿に取り、坎は耳に取り、離は目に取り、艮は手に取り、兌は口に取る。(原注:この節は解説が残缺す。四庫本が所拠の抄本は《説卦伝》「乾健也」の一節以下が虫に蛀損せらるるに因り、ゆえに注文は屡々空缺を見る。)
乾,天也,故稱乎父;坤,地也,故稱乎母;震一索而得男,故謂之長男;巽一索而得女,故謂之長女;坎再索而得男,故謂之中男;離再索而得女,故謂之中女;艮三索而得男,故謂之少男;兌三索而得女,故謂之少女。解闕。
《説卦伝》にいわく:乾は天、ゆえにそれを父と称す。坤は地、ゆえにそれを母と称す。震は坤が第一次に乾に向かい求索して男を得、ゆえに長男と称す。巽は乾が第一次に坤に向かい求索して女を得、ゆえに長女と称す。坎は第二次の求索して男を得、ゆえに中男と称す。離は第二次の求索して女を得、ゆえに中女と称す。艮は第三次の求索して男を得、ゆえに少男と称す。兌は第三次の求索して女を得、ゆえに少女と称す。(原注:この節は解説が残缺す。)
乾為天,為圜,為君,為父,為玉,為金,為寒,為冰,為大赤,為良馬,為老馬,為瘠馬,為駁馬,為木果。坤為地,為母,為布,為釜,為吝嗇,為均,為子母牛,為大輿,為文,為眾,為柄,其於地也為黒。震為雷,為龍,為黃,為旉,為大塗,為長子,為決躁,為蒼筤竹,為萑葦;其於馬也,為善鳴,為馵足,為作足,為的顙;其於稼也為反生;其究為健,為蕃鮮。
《説卦伝》に各卦の取象を列挙す。乾は象を天に取り、円に取り、君主に取り、父親に取り、玉に取り、金に取り、寒に取り、氷に取り、大紅色に取り、良馬に取り、老馬に取り、瘦馬に取り、雑色馬に取り、樹上の果実に取る。坤は象を地に取り、母親に取り、布帛に取り、鍋釜に取り、吝嗇に取り、均平に取り、小牛を帯ぶる母牛に取り、大車に取り、文采に取り、衆多に取り、柄把に取り。地のこの一類の裏に於て象を黒色に取る。震は象を雷に取り、龍に取り、黄色に取り、花の開敷布に取り、大路に取り、長子に取り、決断急躁に取り、青嫩の竹子に取り、芦荻に取る。馬のこの一類の裏に於て象を善く嘶鳴する馬・後左足の白き馬・足を挙げること高き馬・額上に白点ある馬に取る。庄稼のこの一類の裏に於て象を倒生の種子に取る。極処に推せば則ち象を剛健に取り・繁盛鮮美に取る。
巽為木,為風,為長女,為繩直,為工,為白,為長,為高,為進退,為不果,為臭;其於人也,為寡髮,為廣顙,為多白眼,為近利市三倍;其究為躁卦。坎為水,為溝瀆,為伏,為矯輮,為弓輪;其於人也,為加憂,為心病,為耳痛;為血卦,為赤;其於馬也,為美脊,為亟心,為下首,為薄蹄,為曳;其於輿也為多眚;為通,為月,為盜;其於木也,為堅多心。
巽は象を木に取り、風に取り、長女に取り、繩墨の正直に取り、工匠に取り、白色に取り、長に取り、高に取り、進退不定に取り、猶予不果に取り、気味に取る。人のこの一類の裏に於て象を頭髪の稀少の人・額頭の寛闊の人・眼白の多き人・売買を為して三倍の利を獲る人に取る。極処に推せば則ち躁動の卦と成る。坎は象を水に取り、溝渠に取り、隠伏に取り、弯曲を矯正するに取り、弓と車輪とに取る。人のこの一類の裏に於て象を憂愁を身に加うる・心病・耳痛に取る。また血卦と為り・紅色と為る。馬のこの一類の裏に於て象を脊背の美しき馬・性子の急なる馬・頭を低むる馬・蹄子の薄き馬・腿を拖いて走る馬に取る。車のこの一類の裏に於て象を故障多きに取る。また通達と為り・月亮と為り・盗賊と為る。木のこの一類の裏に於て象を堅硬にして心材多き樹に取る。
離為火,為日,為電,為中女,為甲冑,為戈兵;其於人也,為大腹;為乾卦,為鱉,為蟹,為蠃,為蚌,為龜;其於木也,為科上槁。艮為山,為徑路,為小石,為門闕,為果蓏,為閽寺,為指,為狗,為鼠,為黔喙之屬;其於木也,為堅多節。兌為澤,為少女,為巫,為口舌,為毀折,為附決;其於地也為剛滷;為妾,為羊。凡此諸象,於卦爻中未嘗有所寓焉,何也?以是知神而明之存乎其人而已,其所以為物在實考之歟。
離は象を火に取り、太陽に取り、閃電に取り、中女に取り、鎧甲頭盔に取り、戈矛兵器に取る。人のこの一類の裏に於て象を大肚子に取る。また乾燥の卦と為り・鱉と為り・蟹と為り・螺と為り・蚌と為り・亀と為る。木のこの一類の裏に於て象を中空にして上端枯槁の樹に取る。艮は象を山に取り、小路に取り、小石頭に取り、門闕に取り、瓜果に取り、門を守る人に取り、手指に取り、狗に取り、鼠に取り、喙部の黒色の猛禽の類に取る。木のこの一類の裏に於て象を堅硬にして枝節多き樹に取る。兌は象を沢に取り、少女に取り、巫祝に取り、口舌に取り、毀折に取り、附着と決裂とに取る。地のこの一類の裏に於て象を堅硬の鹽鹼地に取る。また妾と為り・羊と為る。張根が解していわく:これほど多くの取象は、卦辞爻辞の裏に於て並びに実には一一に落実せず、これは何を為すや。これによりて知るべし、能く神妙にして明白にそれを運用するや否やは、全く《易》を用いる人の自己に在り。至于彼らの何を以てこれらの物象を代表し得るやは、則ち読者に留待して切実に考究せしむる而已。
序卦伝解
序卦傳解。案:此下二篇並無解釋,錄經文以存其舊。有天地然後萬物生焉,盈天地之間者唯萬物,故受之以屯。屯者盈也,屯者物之始生也。物生必□,故受之以□。□者□也,物之稚也。物稚不可不養也,故受之以需。需者飲食之道也。飲食必有訟,故受之以訟。訟必有眾起,故受之以師。師者眾也。眾必有所比,故受之以比。比者比也。比必有所畜,故受之以小畜。物畜然後有禮,故受之以履。履而泰然後安,故受之以泰。泰者通也。
以下は《序卦伝》の解説。(四庫館臣校語:《序卦》《雑卦》のこの両篇は張根が並びに解釈を作さず、ここにただ経文を録して原書の面貌を保存す。)《序卦伝》にいわく:天地有りて然る後に万物が初めて生出し、天地の間に充満するはただ万物のみ、ゆえに接続するは屯卦なり。屯は盈満の意思、もまた万物の初生の意思なり。万物は初生すれば必定に蒙昧幼稚、ゆえに接続するは蒙卦なり。蒙はすなわち蒙昧、指すは事物の幼稚階段(此処に三字残缺、均しく「蒙」と作るべし)。幼稚なれば則ち養育を加えざる能わず、ゆえに接続するは需卦なり。需が講ずるは飲食の道。飲食有れば則ち必定に争訟あり、ゆえに接続するは訟卦なり。争訟有れば則ち必定に衆人が興起し、ゆえに接続するは師卦なり。師はすなわち衆。衆人なれば則ち必定に親比する所有り、ゆえに接続するは比卦なり。比はすなわち親比。親比なれば則ち必定に蓄聚する所有り、ゆえに接続するは小畜卦なり。事物は蓄聚して然る後に初めて礼あり、ゆえに接続するは履卦なり。礼を践行して通泰して然る後に初めて安定し、ゆえに接続するは泰卦なり。泰はすなわち通。
物不可以終通,故受之以否。物不可以終否,故受之以同人。與人同者物必歸焉,故受之以大有。有大者不可以盈,故受之以謙。有大而能謙必豫,故受之以豫。豫必有隨,故受之以隨。以喜隨人者必有事,故受之以蠱。蠱者事也。有事而後可大,故受之以臨。臨者大也。物大然後可觀,故受之以觀。可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者合也。
《序卦伝》にいわく:事物は能く一直に通泰して下去る能わず、ゆえに接続するは否卦なり。事物もまた能く一直に閉塞して下去る能わず、ゆえに接続するは同人卦なり。能く人と和同するは、万物は必定に彼に帰附し、ゆえに接続するは大有卦なり。広大を擁有するは自満すべからず、ゆえに接続するは謙卦なり。既に広大にしてまた能く謙虚なれば、必定に安楽し、ゆえに接続するは豫卦なり。安楽なれば則ち必定に追随する人有り、ゆえに接続するは随卦なり。高興に因りて別人に追随するは必定に事有り、ゆえに接続するは蠱卦なり。蠱はすなわち事。事有りて然る後に初めて能く大きく為し、ゆえに接続するは臨卦なり。臨はすなわち大。事物は大きくなりて然る後に初めて観仰を供し得べし、ゆえに接続するは観卦なり。観仰を供し得べくして然る後に初めて会合する所有り、ゆえに接続するは噬嗑卦なり。嗑はすなわち合。
物不可以茍合而已,故受之以賁。賁者飾也。致飾然後亨則盡矣,故受之以剝。剝者剝也。物不可以終盡,剝窮上反下,故受之以復。復則不妄矣,故受之以無妄。有無妄然後可畜,故受之以大畜。物畜然後可養,故受之以頤。頤者養也。不養則不可動,故受之以大過。物不可以終過,故受之以坎。坎者陷也。陷必有所麗,故受之以離。離者麗也。右上篇。
《序卦伝》にいわく:事物は随便に湊合して了事すべからず、ゆえに接続するは賁卦なり。賁はすなわち文飾。文飾は極致に至れば、亨通もまた頭に到り、ゆえに接続するは剥卦なり。剥はすなわち剥落。事物は能く一直に剥尽して下去る能わず、剥は上に到りて尽头すれば則ち下面に返回す、ゆえに接続するは復卦なり。能く正道に返回せば則ち虚妄ならず、ゆえに接続するは無妄卦なり。真実無妄有りて然る後に初めて蓄聚し得べし、ゆえに接続するは大畜卦なり。蓄聚して然る後に初めて養い得べし、ゆえに接続するは頤卦なり。頤はすなわち養。養はざれば則ち行動する能わず、ゆえに接続するは大過卦なり。事物は能く一直に過分して下去る能わず、ゆえに接続するは坎卦なり。坎はすなわち陥落。陥落すれば必定に附麗する所有り、ゆえに接続するは離卦なり。離はすなわち附麗。以上は《序卦伝》上篇なり。
有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。夫婦之道不可以不久也,故受之以恆。恆者久也。物不可以久居其所,故受之以遁。遁者退也。物不可以終遁,故受之以大壯。物不可以終壯,故受之以晉。晉者進也。進必有所傷,故受之以明夷。夷者傷也。傷於外者必反其家,故受之以家人。家道窮必乖,故受之以暌。暌者乖也。乖必有難,故受之以蹇。蹇者難也。物不可以終難,故受之以解。解者緩也。緩必有所失,故受之以損。損而不已必益,故受之以益。益而不已必決,故受之以夬。夬者決也。
《序卦伝》下篇にいわく:天地有りて然る後に万物あり、万物有りて然る後に男女あり、男女有りて然る後に夫妻あり、夫妻有りて然る後に父子あり、父子有りて然る後に君臣あり、君臣有りて然る後に上下あり、上下有りて然る後に礼義が初めて安放の処所有り。夫妻の道は長久ならざるべからず、ゆえに接続するは恒卦なり。恒はすなわち久。事物は能く長久に一箇の地方に停る能わず、ゆえに接続するは遯卦なり。遯はすなわち退避。能く一直に退避して下去る能わず、ゆえに接続するは大壮卦なり。もまた能く一直に強盛して下去る能わず、ゆえに接続するは晋卦なり。晋はすなわち前進。前進すれば必定に損傷する所有り、ゆえに接続するは明夷卦なり。夷はすなわち傷。外面に於て傷を受ければ必定に自己の家に返回す、ゆえに接続するは家人卦なり。家道は尽头に走り至れば必定に乖離し、ゆえに接続するは睽卦なり。睽はすなわち乖離。乖離すれば必定に難有り、ゆえに接続するは蹇卦なり。蹇はすなわち難。事物は能く一直に艱難して下去る能わず、ゆえに接続するは解卦なり。解はすなわち舒緩。舒緩すれば必定に失する所有り、ゆえに接続するは損卦なり。減損して停まざれば必定に增益に轉じ、ゆえに接続するは益卦なり。增益して停まざれば必定に決裂せんと欲し、ゆえに接続するは夬卦なり。夬はすなわち決断。
決必有所遇,故受之以姤。姤者遇也。物相遇而後聚,故受之以萃。萃者聚也。聚而上者謂之升,故受之以升。升而不已必困,故受之以困。困乎上者必反下,故受之以井。井道不可不革,故受之以革。革物者莫若鼎,故受之以鼎。主器者莫若長子,故受之以震。震者動也。
《序卦伝》にいわく:決断して後に必定に遇合する所有り、ゆえに接続するは姤卦なり。姤はすなわち相遇。事物は相遇して然る後に聚集す、ゆえに接続するは萃卦なり。萃はすなわち聚。聚集して上に向かうを升と称す、ゆえに接続するは升卦なり。上升して停まざれば必定に困境に陷入す、ゆえに接続するは困卦なり。上面に於て困を受くるは必定に下面に返回す、ゆえに接続するは井卦なり。井道は変革を加えざるべからず、ゆえに接続するは革卦なり。事物を変革するは鼎より合适なるなし、ゆえに接続するは鼎卦なり。宗廟祭器を主持するは長子より合适なるなし、ゆえに接続するは震卦なり。震はすなわち動。
物不可以終動止之,故受之以艮。艮者止也。物不可以終止,故受之以漸。漸者進也。進必有所歸,故受之以歸妹。得其所歸者必大,故受之以豐。豐者大也。窮大者必失其居,故受之以旅。旅而無所容,故受之以巽。巽者入也。入而後說之,故受之以兌。兌者說也。說而後散之,故受之以渙。渙者離也。物不可以終離,故受之以節。節而信之,故受之以中孚。有其信者必行之,故受之以小過。有過物者必濟,故受之以既濟。物不可窮也,故受之以未濟終焉。右下篇。
《序卦伝》にいわく:事物は能く一直に動じて下去る能わず、それを止住するを要す、ゆえに接続するは艮卦なり。艮はすなわち止。事物もまた能く一直に静止する能わず、ゆえに接続するは漸卦なり。漸はすなわち循序前進。前進すれば必定に帰宿する所有り、ゆえに接続するは帰妹卦なり。帰宿を得れば必定に大きく変り、ゆえに接続するは豊卦なり。豊はすなわち大。「大」を極処に推到するは必定に安居の処所を失掉し、ゆえに接続するは旅卦なり。旅居して外に在りて容身の処なし、ゆえに接続するは巽卦なり。巽はすなわち進入。進入して後に則ち人をして喜悅せしめ、ゆえに接続するは兌卦なり。兌はすなわち喜悅。喜悅して後に則ち渙散して開く、ゆえに接続するは渙卦なり。渙はすなわち離散。事物は能く一直に離散する能わず、ゆえに接続するは節卦なり。節制有りて人をして信服せしめ、ゆえに接続するは中孚卦なり。信実有れば必定に実行に付すを要し、ゆえに接続するは小過卦なり。常人の処を超過するは必定に能く事情を成就す、ゆえに接続するは既済卦なり。しかし事物は能く就此に窮尽する能わず、ゆえに最後に未済卦を用いて結と為す。以上は《序卦伝》下篇なり。
雑卦伝解
雜卦傳解。案:此篇全用朱子本義,別無解釋,姑仍其舊。乾剛坤柔,比樂師憂。臨觀之義,或與或求。以我臨物曰與,物來觀我曰求。或曰:二卦互有與求之義。屯見而不失其居,蒙雜而著。屯,震遇坎,震動故見,坎險而不行也;蒙,坎遇艮,坎幽昧,艮光明也。或曰:屯以初言,□以二言。震起也,艮止也。損益盛衰之始也。大畜時也,無妄災也。止健者時有適然,無妄而災自外至。萃聚而升不來也。謙輕而豫怠也。噬嗑食也,賁無色也。白受采。兌見而巽伏也。兌陰外見,巽陰內伏。隨無故也,蠱則飭也。隨前無故,蠱後當飭。
以下は《雑卦伝》の解説。(四庫館臣校語:この一篇は完全に朱熹《周易本義》の注文を採用し、張根は別に解説なし、姑く照旧に保留す。)《雑卦伝》にいわく:乾は剛強、坤は柔順。比卦は歓楽、師卦は憂労。臨卦と観卦との意義は、一つは給与、一つは求取。注文に言う:我を拿って万物を臨照するを「給与」と称し、万物が來りて我を観仰するを「求取」と称す。もまた言う人有り、これらの両卦は彼此ともに給与と求取との意思を含有すと。《雑卦伝》にいわく:屯卦は顕現してその居処を失わず、蒙卦は駁雑にして終帰に顕著す。注文に言う:屯は震が坎に遇上し、震は動を主とすればゆえに「顕現」、坎は険阻なればゆえに「不行」。蒙は坎が艮に遇上し、坎は幽暗・艮は光明。もまた言う人有り、屯は初爻に就いて言い、蒙は二爻に就いて言う(此処に一字残缺、「蒙」と作るべし)。《雑卦伝》にいわく:震は奮起、艮は止息。損と益とは盛衰の開端。大畜は時機を講じ、無妄は災禍を講ず。注文に言う:能く剛健を止住するは、時勢の上に自らその恰当あり。真実無妄にして災禍はしかし外面より來る。《雑卦伝》にいわく:萃は聚合にして升は不返回。謙は人をして自軽せしめ・豫は人をして怠惰せしむ。噬嗑は喫を講じ、賁は無色を講ず。注文に言う:白底は初めて彩絵を受け好し。《雑卦伝》にいわく:兌は外露にして巽は内伏。注文に言う:兌の陰爻は外に顕現し、巽の陰爻は内に潜伏す。《雑卦伝》にいわく:随卦は旧事なく、蠱卦は則ち整飭を要す。注文に言う:随は事の前に在ればゆえに故なし、蠱は事の後に在ればゆえに当に整飭す。
剝爛也,復反也。晉晝也,明夷誅也。井通而困相遇也。剛柔相遇而剛見掩也。咸速也,恆久也。咸速恆久。渙離也,節上也。解緩也,蹇難也。暌外也,家人內也。否泰反其類也。大壯則止,遁則退也。止謂不進。大有眾也,同人親也。革去故也,鼎取新也。
《雑卦伝》にいわく:剥は爛熟剥落、復は返回。晋は白昼、明夷は誅傷せらるる。井は通達にして困は阻碍に遭遇す。注文に言う:剛と柔とが相遇して剛は掩盖せられ了れり。《雑卦伝》にいわく:咸は迅速、恒は長久。注文に言う:咸はその速を取り、恒はその久を取る。《雑卦伝》にいわく:渙は離散、節は止まる所有り。解は舒緩、蹇は艱難。睽は外離、家人は内聚。否と泰とは彼此相反の両類。大壮はすなわち止住、遯はすなわち退避。注文に言う:いわゆる「止」は、説くは再び前進せず。《雑卦伝》にいわく:大有は衆多、同人は親近。革は旧きを除去し、鼎は新しきを取來る。
小過過也,中孚信也。豐多故也,親寡旅也。既明且動,其故多矣。離上而坎下也。火炎上,水潤下。小畜寡也,履不處也。不處,行進之義。需不進也,訟不親也。大過顛也,姤遇也,柔遇剛也。漸女歸待男行也,頤養正也,既濟定也,歸妹女之終也,未濟男之窮也。夬決也,剛決柔也,君子道長小人道憂也。自大過以下卦不反對,或疑其錯簡,今以韻協之又似非誤,未詳何義。
《雑卦伝》にいわく:小過は稍稍過分、中孚は心に誠信を存す。豊は変故多し、親近の人少なきはすなわち旅。注文に言う:既に光明にしてまた行動すれば、あれは変故は自然に多し。《雑卦伝》にいわく:離は上に在りて坎は下に在り。注文に言う:火は上に向かい燃え、水は下に向かい潤す。《雑卦伝》にいわく:小畜は蓄聚の少なきを得、履は処を安ぜず。注文に言う:いわゆる「不処」は、すなわち前に向かい走るの意思。《雑卦伝》にいわく:需は前進せず、訟は親近せず。大過は顛倒、姤は相遇・柔が來りて剛に遇う。漸は女子が出嫁して男方の迎えに來るを等待す、頤はその正道を養い、既済は已に安定、帰妹は女子の帰宿、未済は男子の窮途。夬は決断、是剛が柔を決除して、君子の道は生長して小人の道は憂懼す。注文に言う:大過以下より、各卦は再び両両に反対して対を成さず、人に簡冊の錯乱を懐疑する者有り。如今韻脚を用いて核対せば、また似もや並びに錯なく、究竟是何の用意か、なお弄明白せざるなり。
附録 序論五篇
序論一。生生不窮,故謂之易。有太易,有太初,有太始,有太素。葢太易者未見氣,太初者氣之始也,太始者形之始也,太素者質之始也。氣形質具而未相離曰渾淪,視之不可見,聽之不可聞,循之不可得,故曰易。
序論第一篇。張根がいわく:生生不已・永遠に窮尽なし、ゆえに「易」と称す。宇宙の形成に太易・太初・太始・太素の幾箇の階段あり。大概に太易は気がまだ出現せざるの時、太初は気の開端、太始は形の開端、太素は質の開端なり。気・形・質は已に具備してしかしなお互相に分離せざる、この種の状態を「渾淪」と称す。それを看て看見せず、それを聴いて聴聞せず、それを摸して摸着せず、ゆえに「易」と称す。
序論二。聖人取夫陰陽變化之理而寓之卦,以著吉凶悔吝利害成敗之說,雖非道之妙,而所以微顯闡幽為敎之法,舍是則亦不可得而見矣,故曰乾坤毀則無以見易,易不可見則乾坤或幾乎息矣。此言陰陽之理待易而後明,易亦待陰陽而後顯也。君子所以修身、為家、為國、為天下,得是而窮之,知夫變化之所自,然後趣時乘理,應對酬酢,無所凝滯。人茍不明乎此,是未免乎膠柱調瑟、刻舟求劍之比也,易之為名為義可不察哉。
序論第二篇。張根がいわく:聖人は陰陽変化の道理を取りて卦の裏に寄託して、用いて吉凶・悔吝・利害・成敗のこの一套の説法を顕明す。これはなお道の本身の精微の処にあらざるも、しかし細微の処を顕露し・幽隠の処を闡発して教化の方法と為さんと欲するは、それを舎開してもまた看見するに従うなし。ゆえに《繋辞伝》に言う「乾坤が若し毀壊せば、則ち《易》を看見するに従うなし。《易》が若し看見せざれば、乾坤もまた差不多に停息せんと欲す」。これは陰陽の道理は《易》に靠りて初めて能く明白なりて、《易》もまた陰陽に靠りて初めて能く顕現すを言うなり。君子が用いて身を修め・家を治め・国を治め・天下を平かにするは、正にこの箇の道理を得着してそれを窮究するなり。変化の何処より來るを懂得して、然る後に初めて能く時機に趨合し・事理に順従し、対応酬酢して処処に通暢す。人が若しこの一層を明白せざれば、あれは則ち琴柱に膠着して瑟を調むるがごとく・記号を船上に刻みて剣を找むるがごとく可笑を免れざらん。《易》のこの箇の名称とそれの義理とは、何ぞ能く細かく考察を加えざらんや。
序論三。為天下國家與夫修身皆人事也,其吉凶悔吝利害成敗何與乎陰陽之說,而聖人取是以明之,何也?曰:修身也,齊家也,治國也,平天下也,其事不一,其時不齊,所謂吉凶悔吝利害成敗不可以偏舉,而又不可以概論,則將示訓於天下、備垂敎於後世,無定法而可乎?雖不可無定法,而萬事萬物之變今昔異宜,一日萬□,禍福伏,又不可以言盡。此聖人所以體夫天地萬物之象,推剛柔變化之說,而寓其意於爻,以示吉凶悔吝利害成敗之大法,使天下後世可考焉。中才學之,可以守身,可以有家,可以持國,可以保天下;智者引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣。
序論第三篇。人の問う有り:天下国家を治理するおよび自身を修養するは、みな人事。これらの事の吉凶・悔吝・利害・成敗は、陰陽の説と何の相干かあらんや、聖人はしかし偏に陰陽を拿りて彼らを闡明す、これは何を為すや。回答して言う:身を修め・家を斉え・国を治め・天下を平かにするは、事情は各々相同じからず、時機もまた各々斉一ならず。いわゆる吉凶悔吝・利害成敗は、既に一端を只挙げる能わず、また一概に論ずる能わず。既に訓戒を天下に昭示し・教化を完備に後世に留遺せんと欲するに、一套の確定の法則なきは行けんや。しかし話を戻して言えば、確定の法則なかるべからざるも、しかし万事万物の変化は古今に各々その宜あり、一天の中に則ち万般の変化あり(此処に一字残缺)、禍福もまた互相に潜伏して、もまた言語の説き尽くす所にあらず。これがすなわち聖人の天地万物の物象を体察し・剛柔変化の道理を推演して、用意を爻の上に寄託し、用いて吉凶悔吝・利害成敗の大法を昭示して、天下後世をして拠拠あらしむる所以なり。中等の資質の人はそれを学べば、以て自身を守住し得べし、以て家庭を維持し得べし、以て国家を掌管し得べし、以て天下を保全し得べし。智慧ある人はさらに引申を加えて、類に触れて推広すれば、天下の能く為す所の事はもまたみなその中に在り。
故曰易者象也,象也者像此者也。又曰書不盡言,言不盡意,然則聖人之意不可見乎?曰聖人立象以盡意,而終之以變而通之以盡利、鼔之舞之以盡神。此易之為道所以唯變所適,而異乎詩書禮樂不可為典要,非中人以上焉足以與此。嗚呼,學易而不知通變之義、不盡鼔舞之能,是所謂膠柱而調瑟、刻舟而求劍,豈知夫易之所以為易者哉?
張根が接続して言う:ゆえに《繋辞伝》に講じる「《易》はすなわち象なり、いわゆる象はすなわちこれに取像するなり」。また講じる「文字は説くべき話を写き尽くせず、話は心裏の意思を説き尽くせず、あれば聖人の心意は則ち看見せざらんや」。回答は「聖人は卦象を設立して心意を窮尽す」、最後に帰結して「変化会通してその利益を窮尽し、鼓舞振作してその神妙を窮尽す」。これがすなわち《易》のこの門の道理のただ変化に随いて適応するのみにして、《詩》《書》《礼》《楽》と同じからず、一成不変の常法に定むる能わざる所以なり。中等以上の資質の人にあらざれば、なおこの件事に参与するの格を夠さず。嗚呼、《易》を学びてしかし通権達変の意義を懂得せず・あの種の鼓舞振作の作用を尽力して発揮する能わざるは、あれはすなわちいわゆる膠柱調瑟・刻舟求剣、何れの処に《易》の《易》と為る所以を懂得せんや。
故曰易窮則變,變則通,通則久,此黃帝堯舜所以通其變、使民不倦、神而化之、使民宜之者也。三代之書,或曰連山,或曰歸藏,或曰周易,而易之名莫之或改,豈非變通之義不可易歟?由是觀之,易之為敎也,象而已矣;而所以為敎在意不在象,舍象則無以見意,此八卦所以為易之本而三代同之也。昔虞翻好易,遇飲三之夢而不得其說,猥曰易道在天,三爻足之矣,豈真知易者哉?管公明有云,善易者不論易,可謂知言矣;惜乎其效止於占相,而未能閎聖人之閫奧,是以君子不多焉。
張根がいわく:ゆえに《繋辞伝》に講じる「《易》道は窮尽すれば則ち変じ、変ずれば則ち通じ、通ずれば則ち能く長久なり」。これがまさに黄帝・堯・舜の能く変化を貫通し・百姓をして倦怠を生ぜしめず、神妙に彼らを化育して百姓をして各々その宜を得しめし所以の緣故なり。夏・商・周三代の易書は、あるは《連山》と称し、あるは《帰蔵》と称し、あるは《周易》と称す、しかし「易」のこの箇の名字は従りて改過せざるなし、これはまさに変通の意義は改掉し得ざるを説明するにあらずや。これによりて看れば、《易》は教化と為すは、過ぎず「象」而已。しかしそれの能く教化と成る所以は、関鍵は「意」に在りて「象」に在らず、しかし象を舎開してもまた意を看見するに従うなし、これがすなわち八卦の《易》の根本と成る所以にして三代がみな相同じきの緣故なり。从前三国の呉人虞翻は《易》学を愛好して、夢に見るに酒を三爵飲むも所以然を講出す能わず、則ち随口に何がしか「易道は天に在り、三爻則ち夠す」と言う、これは何れの処に真に《易》を懂得するに算せんや。三国時の術士管輅は曾て言い「《易》に善き人は《易》を談ぜず」、この話は点子上に説き至ると算し得べし。可惜彼の成效はただ占卜相術の上に停止して、未だ聖人の学問の堂奥を弘揚する能わざりき、ゆえに君子は並びに彼を推許せず。
序論四。易者象也,則無適而非象,今獨以八卦為易之本,豈非天下之象備於此歟?曰:然。易不云乎,八卦成列,象在其中矣。然則易之象八卦而已,而曰易有四象所以示也,何?曰:此先儒所以紛紛而莫之或一也。考諸聖人之辭而觀其立言之序,其得失可見矣。其曰易有四象所以示也,繼之繋辭焉所以告也,則所謂四象者,卦爻之謂爾。果以為卦爻,則非生八卦之四象可知矣;非生八卦之四象,則非金木水火與七九六八之數又可知矣。既曰易有四象,則易中之象焉;果易中之象,則非蓍龜河圖之□可知矣;有四象然後繋辭焉以告,則非所謂得失憂虞進退晝夜之象又可知矣。
序論第四篇。人の問う有り:《易》はすなわち象なり、あれば処処にみな象なり、如今偏に八卦を拿って《易》の根本と為す、豈に天下の象はみな八卦の裏に斉備するや。回答して言う:是なり。《繋辞伝》は曾て「八卦は排列して形を成せば、象は則ち其中に在り」と言わずや。また問う:既に《易》の象は過ぎず八卦、しかし《繋辞伝》はまた「《易》に四象あり、用いて昭示する所なり」と言う、これは如何にして講ずべきや。回答して言う:これがまさに前代の儒者が衆説紛紜にして終始に定下せざるの処なり。聖人の原話を考察し・彼の立言の次序を看れば、是非得失は則ち看出し得べし。既に「《易》に四象あり、所以示也」と言い、接続してまた「繋辞焉、所以告也」と言う、あればいわゆる「四象」は、指すは則ち卦と爻而已。若し卦爻を確指せば、あれば則ちそれは「八卦を生ずる」のあの箇の四象にあらざるを知るべし。八卦を生ずるの四象にあらざれば、あれば則ちさらにそれは金木水火にあらざるを知るべく、もまた七・九・六・八のこの幾箇の数にあらざるなり。既に「《易》に四象あり」と言う、あれば則ち《易》の裏面の象なり。確かに《易》の裏面の象なれば、あれば則ちそれは蓍亀河図のあの一類の東西にあらざるを知るべし(此処に一字残缺)。先に四象有りて然る後に辞を繋げて告知すれば、あれば則ちさらにそれは前面に言う所の得失・憂虞・進退・昼夜のあれらの象にあらざるを知るべし。
然則果何為而四耶?曰:亦索諸卦爻而已。竒耦之畫一也,八卦二也,六十四卦三也,三百八十四爻四也。有竒耦之畫然後八卦成,八卦成然後六十四卦立,六十四卦立然後三百八十四爻顯,易之象於是乎備矣。竒耦者,陰陽之象也;八卦者,天地雷風水火山澤之象也;六十四卦者,天下至賾之象也;三百八十四爻者,天下至動之象也。陰陽之變而至於天下之至動,則所謂為天下國家與夫修身、吉凶悔吝成敗利害之理具矣,聖人之意於是盡矣,易之為敎於是宜矣。故曰易有四象所以示也,不其然乎?
あれば究竟に何に凭りて「四」と言うや。回答して言う:なお卦爻の裏より去りて找む而已。奇偶の両種の画は第一層、八卦は第二層、六十四卦は第三層、三百八十四爻は第四層なり。奇偶の画有りて然る後に八卦が初めて成り、八卦成りて然る後に六十四卦が初めて立ち、六十四卦立ちて然る後に三百八十四爻が初めて顕わる、《易》の象はここに至りて則ち完備せり。奇偶は、陰陽の象。八卦は、天・地・雷・風・水・火・山・沢の象。六十四卦は、天下の最も幽深繁雑の物の象。三百八十四爻は、天下の最も紛紜変動の象。陰陽の変化より一直に天下の最も紛紜の変動に推し至れば、あればいわゆる天下国家を治理するおよび身を修むるの種種の吉凶悔吝・成敗利害の道理は、則ちみな具備せり。聖人の用意はここに至りて説き尽くされ、《易》は教化と為すはここに至りてもまた恰好の処に到れり。ゆえに「《易》に四象あり、用いて昭示する所なり」と言う、まさにこうにあらずや。
然則聖人以此繼夫天生神物與夫河圖洛書之後,豈無意耶?曰:惡得無意。此意所以明作易取象垂敎之所由也,豈茍然哉?葢生覆者天之職,形載者地之職,敎化者聖人之職。萬物失其理則天地之過也,萬民失其性則誰之過歟?故聖人效天地變化而欲作為書以示敎,以為言不切則不能動人,故又取則蓍龜而告人以吉凶禍福之理;然言不能盡意也,故又法天之垂象,使其如日月星辰爛然,人皆觀而自得焉;然天下之象眾矣,悉備之則不勝其煩,而特言之則又恐不足以盡意,故又法河圖洛書之文而畫卦,於是四象立而吉凶之理著矣。
あれば聖人がこの段の話を「天生神物」と「河出図、洛出書」との後に接するは、豈に用意なからんや。回答して言う:如何にして用意なからんや。この層の用意はまさに《易》を作る取象・垂示教化の来由を説明せんと欲するに在り、何れの処に随便に安排するならんや。大概に生養覆蓋は天の職分、成形承載は地の職分、教化は則ち聖人の職分なり。万物は彼らの理を失掉するは、あれは天地の過錯。万民は彼らの性を失掉するは、あれはまた誰の過錯ぞや。ゆえに聖人は天地の変化を効法して書を著わし教を垂れんと想う。もまた話の説くこと切実ならざれば人を打動する能わざるを覚え、ゆえに蓍亀を取法して人に吉凶禍福の道理を告げん。しかし言語は終に意思を説き尽くせず、ゆえにまた上天の垂示する物象を効法して、それを日月星辰のごとく燦然として看見し得べからしめ、人人は一たび看れば則ち自ら領会し得べし。しかし天下の象は太く多く、全く列挙し出せば則ち煩瑣にして堪え得べからず、ただ一両様を講ずればまた意を尽くすに足らざるを怕れ、ゆえにまた河図洛書の文理を効法して卦を画出す。ここにおいて四象は確立し、吉凶の道理もまた則ち顕明せり。
四象者,所以法圖書之文而象日月之著也;繋辭焉,所以則神物之告人也;定吉凶,所以效天地之變化既成萬物也。故曰易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦,八卦定吉凶,吉凶生大業。所謂大業者,是聖人變通鼔舞以盡易之妙、效天地變化之極致也。故曰法象莫大乎天地,變通莫大乎四時,垂象著明莫大乎日月,崇高莫大乎富貴,備物致用、立用成器以為天下利莫大乎人,探賾索鉤深致逺莫大乎蓍龜。此言聖人據崇高之勢而能法象則效、成器致用利天下,以盡變通鼔舞之事業也。
張根がいわく:いわゆる四象は、河図洛書の文理を効法して日月の昭著に取象するなり。いわゆる文辞を繋げるは、蓍亀が人事を告知するを効法するなり。いわゆる吉凶を断定するは、天地の変化が万物を成就するを効法するなり。ゆえに《繋辞伝》に言う「《易》に太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は吉凶を断定し、吉凶は偉大の事業を産生す」。いわゆる偉大の事業は、すなわち聖人が変通鼓舞して、《易》の神妙を極処に発揮し・天地の変化を極致に効法するなり。ゆえに《繋辞伝》にいわく:取法すべき形象は天地より大なるなし、変化通達は四時より大なるなし、高懸昭明は日月より大なるなし、崇高は富貴より大なるなし、器物を備弁し・その功用を尽くし・器具を制成して天下を造福するは聖人より大なるなし、幽深を探求し・深奥を鈎取し・遠処を招致するは蓍亀より大なるなし。これは聖人が崇高の地位に凭りて能く天象を効法し・器を制し用を致して以て天下を利して、変通鼓舞の事業を極処に做到するを言うなり。
若伏羲神農黃帝堯舜,則取諸離下,結繩而為綱罟之類,作為耒耜衣裳舟楫弓矢臼杵之器。雖然,茍有其位而無其徳,雖欲有為不能也;茍有其徳而無其位,雖欲有為不可也。故古之帝王多矣,而能通其變、神而化之者幾何耶?仲尼以大聖之才,不得紹三王之業也,然聖人之心曷嘗一日而忘天下哉?故歷聘七十二君,無所用,老矣,退而修易作繋辭焉,然後易道彰明無餘蘊矣。此其功所以與伏羲文王同,而其澤百世不斬也。
張根がいわく:伏羲・神農・黄帝・堯・舜のごときは、則ち離卦に取象して、繩子を結んで網罟を成すこの一類、また耒耜・衣裳・舟楫・弓矢・臼杵のこれらの器具を造出せるなり。話は此のごとしと雖も、若しあの箇の位子有りてあの份の徳性なければ、たとえ作為あるを想うも弁じ得べからず。若しあの份の徳性有りてあの箇の位子なければ、たとえ作為あるを想うも許可せらるるなし。ゆえに古来の帝王は多しと雖も、真に能く変化を貫通し・神妙に百姓を化育するはまた幾人有りや。孔子は大聖の才具を以てするも、しかし未だ三代の聖王の事業を継承する能わざりき。しかし聖人の心は何れの日にか天下を忘記したることあらんや。ゆえに彼は列国を遍游して・七十二位の君主を干謁するも、終始に任用せらるるなく、人もまた老い了れ、初めて退きて《易》を整理し・《繋辞》を写作して、これより《易》道は彰明し、再び隠晦不尽の処なし。この份の功労は能く伏羲・文王と並列する所以にして、しかしてそれの恩沢は百代に絶えず。
是以言崇高富貴必繼之以聖人,而論蓍龜之功獨在聖人之後也。然則不及圖書何耶?曰:首言兩儀生四象,四象生八卦,則圖書之功見矣,此聖人立言之深□,不可不考也。
張根がいわく:ゆえに《繋辞伝》は一たび崇高富貴を講ずれば、必定に接続して聖人を言う。しかし蓍亀の功用を講ずる時に、また単単に聖人の後に排するなり。人の問う有り:あれば何を為して河図洛書を提げざるや。回答して言う:開頭に既に「両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず」と言えば、河図洛書の功用は則ち已に其中に在り。これは聖人の立言の深意の所在(此処に一字残缺)、細かく考究を加えざるべからざるなり。
序論五。兩儀生四象,四象生八卦,而圖書之功著,則八卦果圖書之成法,而四象果金木水火與六七八九之數歟?曰:若是則伏羲不足謂之聖,而五行先於天地也。葢伏羲之作易也,深探陰陽之本,而究太極兩儀四象之□矣,而未得所以顯之之方;俯仰以觀,逺近以取,盡類天下之象矣,而未得所以類之之體;於是則圖書之文有竒耦相生之義,而作畫卦之法焉,然後神明之徳可以通,而萬物之情有以類。故曰河出圖,洛出書,聖人則之;易有四象,所以示也。言揆其大法以為卦爻云爾。所謂金木水火之象與夫六九七八之數,皆後儒之妄也。
序論第五篇。人の問う有り:既に「両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず」、河図洛書の功用は則ち其中に在り、あれば八卦は果真に河図洛書の現成の格式に照らして画出せるか、四象は果真に則ち金木水火と六・七・八・九のこの幾箇の数か。回答して言う:若し真にあのごとくなれば、伏羲は聖人と称するに夠さざらんと能くし、しかして五行はかえって天地に先んぜん。大概に伏羲が《易》を創作するの時に、已に深深と陰陽の根本に探り到りて、太極・両儀・四象の道理をみな研究して透き了れり(此処に一字残缺)、ただまだ彼らを顕示し出すの弁法を找着せざるのみ。彼は俯仰観察し・遠近に取象して、已に天下の物象をみな類を帰して好了り、ただまだこれらの類別を承載する形式を找着せざるのみ。ここにおいて河図洛書の文理の中より奇偶相生の意義を看出して、之に従りて卦を画るの方法を創出して、然る後に初めて神明の徳性が初めて能く貫通し・万物の情状が初めて帰類する所有り。ゆえに《繋辞伝》に言う「河出図、洛出書、聖人は彼らを取法す」、また言う「《易》に四象あり、用いて昭示する所なり」、講ずるは過ぎずあの箇の大法を揣度して卦爻を制成する而已。いわゆる金木水火の象と六・九・七・八のこれらの数に至りては、みな後世の儒者の臆説なり。
然則所謂兩儀四象果何物耶?曰:易變為一,是謂太極,此道之所以包括天地五行之樞要而氣之母也。一氣初判,陰陽始分,輕清者上浮,重濁者下聚,故謂之二氣。二氣不交,變化不成,一騰一降,或左或右,更進迭退,斯有老少,故謂之象。儀者,陰陽之體;而象者,陰陽之用也。此天地五行所資以生化萬物而不窮者也,是謂神明之徳,此八卦之所由別也。
あればいわゆる両儀・四象は究竟に何物ぞや。回答して言う:「易」より変じて「一」と為るを、これを太極と称す。それは道の天地五行を包括する所以の枢紐、もまた気の母体なり。一気は剛に分判せられ、陰陽は則ち分開を開始して、軽清なるは上に浮び、重濁なるは下に聚まり、ゆえに二気と称す。二気は相交らざれば、変化は成らず。彼らは一升一降し、或いは左或いは右に、交替して進退して、ここにおいて老と少との分別有り、ゆえに四象と称す。いわゆる「儀」は、陰陽の本体。いわゆる「象」は、陰陽の功用。これがすなわち天地五行の万物を生化して永遠に窮尽せざるに拠頼するの東西、すなわちいわゆる「神明之徳」、八卦の分別はまさにこれによりて來る。
然兩儀四象其數六矣,而卦八皆成於三者何也?豈非所謂三極之象歟?曰:易固備三才之道矣,然方畫卦之始,取則於陰陽,之道未興也;及夫三畫既列,然後人道存乎其中爾。取則於陰陽而獨以三,何也?曰:經不云乎,陽卦多陰,陰卦多陽,其故何也?陽卦竒,陰卦耦。葢陰陽不併立,剛柔不併行,獨立亦不能以自生,獨行亦不能以自成。是故二儀以為主,四象以為輔,合而為乾坤,布而為六子。
人また問う有り:両儀に四象を加えば、数目は已に六なり、しかし八卦はしかしみな三画に因りて組成す、これは何を為すや。豈に則ちいわゆる三極の象にあらずや。回答して言う:《易》は固より三才の道を具備す、しかし剛に卦を画るを開始するの時に、ただ陰陽に取法して、人道はまだ興起せず(此処に脱文あり)。三画が排して好き了るを等到して、然る後に人道が初めて其中に含まる。また問う:既に陰陽に取法せば、何を為して偏に三画を用いるや。回答して言う:《繋辞伝》は曾て言わずや——「陽卦は陰爻多く、陰卦は陽爻多し、これは何の緣故か。陽卦の画数は奇にして、陰卦の画数は偶なるがゆえに」。大概に陰と陽とは能く並立せず、剛と柔とは能く並行せず。単独に立てばもまた東西を生出す能わず、単独に走ればもまた事を成す能わず。ゆえに両儀を主と為し・四象を輔と為して、合わさりて乾坤と成り、鋪開して六子と成る。
乾也者,純乎陽者也;坤也者,純乎陰者也。陽用事則為艮為震為坎,陰用事則為巽為離為兌,此乾坎艮震所以處乎東北也,而坤兌巽離所以處乎東南也,各從其類也。然則八卦皆始於一,立於兩,而成於三,此三才之象所以形乎。聖人必言於重卦後者,葢易至於重卦而後人道見故也。
張根がいわく:乾は純粋の陽、坤は純粋の陰。陽が当令すれば則ち艮・震・坎と成り、陰が当令すれば則ち巽・離・兌と成る。これがすなわち乾・坎・艮・震の東北方に安置せらるる所以にして、坤・兌・巽・離の東南方に安置せらるる所以の緣故、各々自己の同類に跟従す。こう看れば、八卦はみな「一」より起り、「両」に立ちて、「三」に於て成る、三才の象は則ちこうして成形せるか。聖人が一定要に重卦を講じて後に三才を提げるを等到するは、大概に《易》は重卦して後に人道が初めて顕現するに因るなり。
雖至於重卦而後人道見,然三畫之中三才之道已具矣。何則?兩儀者陰陽之合,而四象者陰陽之分也。自形名以觀之,陰陽之分不同;自太極以觀之,則陰陽又合有沖氣。是故少陽者,陰中之陽也;老陽者,陽中之陽也;少陰者,陽中之陰也;老陰者,陰中之陰也;而所謂兩儀,陰陽之沖氣也。
張根がいわく:重卦して後に人道が初めて顕現するを要到すと雖も、しかし三画の中に三才の道は其实已に具備せり。何を為すや。両儀は陰陽の会合、四象は陰陽の分開。形体名目の上より看れば、陰陽は分開して後に各々相同じからず。太極の上より看れば、陰陽はまた会合して一股の冲和の気を含有す。ゆえに少陽は陰の中の陽、老陽は陽の中の陽、少陰は陽の中の陰、老陰は陰の中の陰。しかしていわゆる両儀は、まさに陰陽の間のあの股の冲和の気なり。
惟沖氣然後可以生萬物,此八卦所以兩儀為主而四象輔之而已,猶人也。乾道成男,坤道成女,然皆負陰而抱陽,沖氣以為和。由是觀之,所謂卦皆具三才之道,豈不然乎?至於重卦,然後兩儀四象之體全,而所謂陰陽也、剛柔也、仁義也,隨所取而自足,夫是之謂三才之道備。嗚呼,沖氣者天地五行之本歟,萬物之祖歟!此三才所以謂之三極,而太極所以為三才之主也。
張根がいわく:ただこの股の冲和の気有りて、然る後に初めて能く万物を生出す。これがすなわち八卦の両儀を主と為す所以にして、四象は過ぎず傍より輔助するの緣故、人に如くす。乾道は男性を成就し、坤道は女性を成就す、しかし彼らはみな陰を背負して陽を懐抱して、冲和の気に靠りて調和す。これによりて看れば、いわゆる毎一卦がみな三才の道を具備するは、まさにこうにあらずや。重卦に至りて、両儀四象の形体が初めて完整と算し、しかしていわゆる陰陽・いわゆる剛柔・いわゆる仁義は、随便に何れの一頭より取るも自然に具足す、これがすなわち三才の道の完備と称するなり。嗚呼、冲和の気は大概に天地五行の根本・万物の老祖宗か。これがすなわち三才の「三極」と称せらるる所以にして、太極の三才の主と成る所以の緣故なり。
雑説
雜說。開物成務,冒天下之道,如此而已,何謂也?言易之所以開物成務、冒天下之道,以天地之道而已,易無體故也。是故聖人以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑。何則?萬物皆不離乎數故也。蓍之徳圓而神,知來也;卦之徳方以知,藏往也。聖人以卦藏往,預言天下之吉凶;以蓍知來,以開天下之惑。其開天下之惑如何?亦以六爻之辭而已。聖人以此洗心,退藏待其來而應之而已,其孰能與於此?
以下は《雑説》の一篇。張根が問を設く:《繋辞伝》に言う「万物を開通し・事務を成就し、天下の一切の道理を籠罩す、こう而已」、これは何の意思ぞや。回答して言う:これは《易》の能く物を開き務を成し・天下の道を籠罩する所以は、靠る所は過ぎず天地の道而已を言うなり、《易》の本身に固定の形体なきがゆえに。《繋辞伝》に言う「ゆえに聖人はそれを用いて天下人の心志を貫通し・天下の事業を奠定し・天下の疑難を決断す」。何を為すや。万物がみなこの数を逃出す能わざるに因る。蓍草の徳性は円通にして神妙、あれは未来を預知するに就いて言う所。卦の徳性は方正にして明智、あれは已往を収蔵するに就いて言う所。聖人は卦を用いて已往を収蔵して、之に従りて天下の吉凶を預言す。蓍を用いて未来を預知して、之に従りて天下人の疑惑を解開す。彼は如何にして天下人の疑惑を解開するや。もまた過ぎず六爻の爻辞に靠る而已。聖人はこれらを用いて内心を洗滌し・退きて蔵め好し、事情が來れば則ちそれに対応す。彼を除いてなお誰か能くこの歩を做到せんや。
古之聰明睿知神武而不殺者何也?非聰明睿知,固不足以藏往而知來。是通天下之志、定天下之業、斷天下之疑,天下服從而聽順之不知所以然,是以謂之神武也。是以明於天之道,察於民之故,是興神物以前民用。夫惟有聰明睿知之才、神武之徳,是以明於天之道、察於民之故,而且以蓍預言而以前民用也。葢不明於天道則不知蓍之可用,不察於民之故則不知蓍之不可不用。興神物、前民用,則聖人雖不出戶庭知天下之利害矣;雖千萬世之後聖人不作,民亦有所考矣,故曰聖人以此齊戒而為後世法。
《繋辞伝》の言う所の「古時の聰明叡智・神武の徳ありて殺伐を用ゐざる人」は何の意思ぞや。張根がいわく:聰明叡智にあらざれば、本来已往を収蔵し・未来を預知するに足らず。正に彼が能く天下人の心志を貫通し・天下の事業を奠定し・天下の疑難を決断して、天下人がみな服従聴命してその所以然を知らざるに因りて、初めて彼を「神武」と称す所以なり。《繋辞伝》に接続して言う「ゆえに彼は天の道理を明白し・百姓の実情を体察して、ここにおいて神物を興起して百姓の用に先んじて彼らを指引す」。張根がいわく:ただ聰明叡智の才具・神武の徳性を具備して、初めて能く既に天の道理を明白し・また百姓の実情を体察し、並びに蓍占を用いて預言し・百姓の使用に先んじて走る。大概に天道を明白せざれば、則ち蓍占の用い可きを知らず。百姓の実情を体察せざれば、則ち蓍占の用いざる能わざるを知らず。神物を興起して・民用に先んずれば、あれば聖人は戸庭を出ずと雖も、もまた天下の利害を知る。たとえ千万年の後に再び聖人の出づるなきも、百姓もまたなお一箇の拠拠あらん。ゆえに《繋辞伝》に言う「聖人はこれらを用いて斎戒す」、後世の為に法則を立下す。
夫闔戶謂之坤,闢戶謂之乾,至民咸用之謂之神,何謂也?此言六十四卦所以與民同患而民由之而不知者也,其本皆出於乾坤而已。是故易有太極,是生兩儀,何謂也?此言六十四卦所以生生之本也。是故法象莫大乎天地,此所以數也;變通莫大乎四時,此所以象也,所謂天地變化聖人則之也;垂象著明莫大乎日月,此八卦之所象也,故曰天垂象見吉凶聖人象之;崇高莫大乎聖人,此惟聖人有處崇高之勢,然後為此利天下事也,莫大乎此,興功以利民用也,故曰河圖洛書聖人則之。
《繋辞伝》は「門を関ざるを坤と称し、門を開くを乾と称す」より一直に「百姓がみなそれを用いるを神と称す」に講じ至る、これは何の意思ぞや。張根がいわく:これは六十四卦の能く百姓と患難を同当し・しかして百姓がそれに循って走るも自ら知らざる所以を講ずるなり。彼らの根源は全くみな乾坤より出自す而已。《繋辞伝》に言う「ゆえに《易》に太極あり、太極は両儀を生出す」、これは何の意思ぞや。これは六十四卦の生生不已の本原を講ずるなり。《繋辞伝》に言う「取法すべき形象は天地より大なるなし」、これは数の上に就いて言う所。「変化通達は四時より大なるなし」、これは象の上に就いて言う所、すなわちいわゆる「天地は変化し、聖人はそれを効法す」。「高懸昭明は日月より大なるなし」、これは八卦の取る所の象、ゆえに「上天は物象を垂示して吉凶を顕現し、聖人はそれに取象す」と言う。「崇高は聖人より大なるなし」、これはただ聖人のみ初めて能く崇高の位置を占拠して、然る後に初めてこれらの天下を利益するの事を做成り得、再びこれより大なるなし、あれは則ち功業を興弁して百姓の用を便利す、ゆえに「河図洛書出で、聖人は彼らを取法す」と言う。
泰論
泰論。論曰:易本為乾坤,而六十四卦惟泰為君臣道合,此古人所以謂之千載一時,而治世不數得也。葢有君而無臣,有臣而無君,或有君臣而其志不相同,或志雖同而施為不合於天道,皆不足致天下於太平,此唐虞三代之盛所以後世不可跂及者也。
以下は《泰卦論》。張根が論じて言う:《易》は本来乾坤を以て根本と為し、しかして六十四卦の中にただ泰卦のみが君臣の道相合の一卦なり。これがすなわち古人の言う所の「千載難逢の一時」、太平の世は並びに常有にあらず。大概に明君有りて賢臣なく、あるいは賢臣有りて明君なく、あるいは君臣は俱に在りて心志は相同じからず、あるいは心志は同じと雖も所作所為は天道に合せず、これらはみな天下をして太平に到達せしむるに足らず。これもまさに唐堯虞舜と夏商周三代の盛世とが、後世の脚を踮げても及び得ざるの緣故なり。
何則?觀夫卦象爻彖之辭而其說可知,夫聖人所以為敎之意亦可見矣。其在卦曰小往大來吉亨,其在彖曰君子道長小人道消也,其在象曰后以裁成天地之道、輔相天地之宜以左右民,其在九二曰包荒用憑河、不遐遺、朋亡、得尚于中行,其在六五曰中以行願。此其大略。前聖後聖互相發明,以為萬世君臣之戒;廟堂之上不能鑑此以為治,而欲反天下於否塞、措天下於泰和者,未之有也。其要乃在乎皇極而已矣。請先明泰之說,然後論人事以合之。
何を為してこう言うや。泰卦の卦辞・彖辞・象辞と爻辞とを看れば、この層の道理は則ち明白し、聖人の教を立つるの用意もまた則ち看出し得べし。卦辞の裏に言う「小往大来、吉、亨」。《彖伝》の裏に言う「君子の道は生長し、小人の道は消退す」。《大象伝》の裏に言う「君主は天地の道を裁節成就し・天地の宜を輔助配合して、用いて百姓を護佑す」。九二爻辞の裏に言う「荒穢を包容し・敢えて徒歩して河を渉り・疏遠の人を遺漏せず・党を結び私を営まず、中道を以て行うに配得上す」。六五《小象》の裏に言う「中道を以て心願を実現す」。これがすなわち大概の情形なり。前代の聖人と後代の聖人とが互相に闡発して、万世の君臣の鑑戒と為す。若し廟堂の上に於てこれらを拿って治国の鏡子と為す能わざれば、しかし天下を閉塞の中より拉回して泰和の中に安放せんと欲するは、あれは従りて有らざるの事なり。それの関鍵は、ただ《尚書・洪範》の講ずる「皇極」の二字に在る而已。請う先に泰卦の道理を講明して、然る後に人事を論じてそれと相印証せん。
老子曰:道生一,一生二,二生三,三生萬物,萬物負陰而抱陽,沖氣以為和。葢獨陰不生,獨陽不成,陰陽合而後萬物得,此天地交所以為泰,其在四時則春是已。聖人觀乎此,是以執其兩端而用其中於民:剛不過猛,柔不過寛,喜不過予,怒不過奪,施為注措以至一談一笑,無不循大中之道,而以偏黨已甚為戒。是以天下和平,災害不生,禍亂不作,五刑不用,兵革不試。
張根がいわく:《老子》に講ず「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を背背負して陽を懐抱して、冲和の気に靠りて調和す」。大概に陰を単有しては東西を生出す能わず、陽を単有しては事を成す能わず、陰陽は会合して然る後に万物が初めて各々その所を得。これがすなわち天地の交感の「泰」と為る所以の道理、四時の上に落れば則ち春天なり。聖人はこの一点を看見し、ゆえに舜のごとく両箇の極端を握住して中道を百姓の身上に用いたり。剛にして猛に過ぎず、柔にして寛に過ぎず、喜にして濫賞に過ぎず、怒にして濫奪に過ぎず。施政措置より一直に一言一笑に至るまで、大中の道に遵循せざるなし、しかして偏私党附・過猶不及を以て戒条と為す。これに因りて天下は和平し、災害は生ぜず、禍乱は起らず、五種の刑罰は用上らず、兵甲もまた動用を必せず。
方其時也,天不愛其地,道不愛其寶,人不愛其情,甘露降,醴泉湧,山出器車,河出馬圖,鳳凰麒麟在郊藪,何哉?本於人和而已。葢政和則人和,人和則氣和,氣和則形和,形和則聲和,聲和則發於言動、興于嗟嘆、形於歌詩、見於鼔舞,無非政和也,是以能感格天地之和氣。此之謂裁成天地之道、輔相天地之宜以左右民,夫是之謂小往大來。不然,此其施為亦少貶矣,君子小人可不辨乎?
張根がいわく:あの箇の時候に到れば、上天はその恩沢を吝惜せず、大地はその宝蔵を吝惜せず、人もまた自己の真情を吝惜せず。甘露は降り下来り、甜美の泉水は涌き出で、山中に天然の器車が出現し、黄河に図を負う龍馬が出現し、鳳凰麒麟は郊野藪沢に出没す。これは何を為すや。根本はなお「人和」に在る而已。大概に政事は和順すれば則ち人心は和順し、人心は和順すれば則ち気は和し、気は和せば則ち形は和し、形は和せば則ち声は和す。声は和せば、則ち言語挙動に発し・詠嘆に興り・歌詩に形り・舞蹈に見る、みな政事の和順の表現ならざるなし、ゆえに能く天地の和気を感通す。これを「天地の道を裁成し・天地の宜を輔相して以て民を左右す」と称し、もまた「小往大来」と称す。こうせざれば、あれは施政の成效もまた則ち折扣を打つべし。君子と小人とは、何ぞ能く分清楚せざらんや。
夫君子小人之所以為異,正在夫中不中之間而已矣。是以皇建其有極,則能斂時五福,用敷錫厥庶民;而小人反是,則六極從之,而天下受其殃矣。故庶徵曰:五者來備,各以其敘,庶草繁廡;一極備凶,一極無凶。五者來備,非中和之謂歟?一極備、一極無,非過不及之謂歟?
張根がいわく:君子と小人との同じからざる所以は、正に中道に合するや否やのこの一点に在る而已。ゆえに《尚書・洪範》に言う、君主は大中至正の準則を樹立して、則ち能く五種の福気を収聚して、普遍に百姓に分賜す。小人は恰恰に相反し、六種の極凶の事は則ち跟って來り、天下はみな殃を遭うべし。ゆえに《洪範》に庶征を講ずる時に言う:雨・暘・燠・寒・風の五種の気候は斉備して各々次序に按れば、百草は則ち茂盛す。若し一種が太多なれば則ち凶、一種が全無なればもまた凶。五者は斉備せば、則ち中和にあらずや。一種は太多・一種は全無は、則ち過と不及とにあらずや。
由是觀之,則六五之君非中以行願,不能以祉元吉;九二之臣非包荒用憑河、不遐遺、朋亡,不足以尚于中行。何則?人主之道不可以自為也,擇一相而已。得一相而謙虛退聽,禮貌而體下之,委任而責成功。一相不能獨治也,擇百官而任用,授之以政而已。其所與共政者皆賢,則政日治;其所用或一不肖,則政日亂。此統百官、均四海所以責之冢宰,而一相之職莫大於進賢退不肖也。
これによりて看れば、泰卦の六五のあの位の君主は若し中道を以て心願を実現する能わざれば、則ち能く之に因りて福を得て大吉を得ず。九二のあの位の臣子は若し荒穢を包容し・敢えて徒歩して河を渉り・疏遠の人を遺漏せず・党を結び私を営まざる能わざれば、則ち中道を以て行うに配得上せず。何を為すや。君主を為すの道理は、事事に親自に去做るに在らずして、ただ一箇の宰相を選好するに在る而已。宰相を得れば、則ち謙虚に彼の意見を聴き、礼を以て相待し・下属を体恤して、事情を彼に托付して彼を責成して功効を做成らしむ。一位の宰相もまた能く独自に天下を治理せず、彼の為すべきは百官を挑选して任用を加え、政務を彼らに交給するなり。彼と共に政務を理する人がみな賢能なれば、政事は則ち一天天に正軌に走上す。一旦に一箇の不肖の人を用いれば、政事は則ち一天天に敗壊す。これがすなわち《周礼》が百官を統領し・四海を均平するの責任を冢宰に交給するの緣故なり。しかして宰相の職責は、賢者を進用し・不肖を斥退するより大なるなし。
自非虛其心、平其意、擴其度、大其志,本之以忠恕而無作好惡於其間,又安能包荒用憑河、不遐遺、朋亡耶?不能如是,則所進者未必皆賢,則所謂賢者有不進;所退者未必皆不肖,則所謂不肖者有未退。夫如是,故讜言正論不聞,而阿諛順□是信,則舉措施設安能合於大中之道耶?故所因者或非善,所革者或非惡,利者或損之,害者或益之,如是而欲感人心而天下和平,莫可得也。此愁怨之所以日深,而水旱疾癘之所以不息,此不肖之所由致也。
張根がいわく:若し能く虚心し・平意し・器量を拡大し・志向を放大し、一切を忠恕を以て本と為して、其中に個人の好悪を摻入せざれば、また何ぞ能く荒穢を包容し・敢えて河を渉り・疏遠を遺れず・朋党を結ばざるを做到せんや。こうせしめる能わざれば、あれば進用する所は未必にみな賢人ならず、真の賢人は則ち進み来り得ざる有り。斥退する所は未必にみな不肖ならず、真の不肖は則ち退き掉り得ざる有り。こうなれば、正直の言論は聴到せず、反ってただあれらの阿諛順従の話を信ずるのみ(此処に一字残缺)、あれは挙措施設は如何ぞ能く大中の道に合せんや。ここにおいて応に沿袭すべきは未必に好きならず、応に革除すべきは未必に壊きならず。有利なるは反って削減せられ、有害なるは反って助長せらる。こうしてなお人の心を感動し・天下を和平せしめんと欲するは、あれは弁じ得べからざるなり。これがすなわち愁苦怨恨が一天天に加深し・水旱疫病が一天天に止まざるの緣故、もまたまさに不肖の人を任用するが招致する所の結果なり。
是以古之建官,尊者謂之公,謂之孤,而其職則曰論道經,燮理陰陽,寅亮天地。所謂論道者,非是之謂極耶?故曰致中和,天地位焉,萬物育焉。治至於此,則君享其功,臣獲其報,民受其利,社稷日安,家益固,此之謂天下盛福,豈不偉歟?故先聖贊之曰:包荒得尚于中行,以光大也。此與詩南山有臺、嘉樂得賢之詩言家之光同意,然則聖人之敎豈不了然明白歟?
張根がいわく:ゆえに古時に官を設くるに、最も尊きを「三公」と称し、其次を「三孤」と称し、しかして彼らの職責は則ち「道を論じ邦を経て、陰陽を燮理す」「天地を寅亮す」(「経」の下に一「邦」の字を脱す)。いわゆる「論道」は、講ずるはまさにこの箇の「極」にあらずや。ゆえに《中庸》に言う「中和に到達すれば、天地は則ち各々その位を安じ・万物は則ち化育を得到す」。この地步に治理して、君主はその功業を享有し、臣子はその報答を得到し、百姓はその利益を受到し、社稷は一天天に安定し・国家は一天天に鞏固す。これがすなわち天下の大福と称する、豈に偉大ならずや。ゆえに先聖は《小象》の裏に於て贊嘆して言う「荒穢を包容して中道を以て行うに配得上するは、心量が光明広大なるに因る」。これは《詩経》の《南山有台》《嘉楽》のあれらの賢を得るを歌詠し・邦家の光を称道するの詩と同一箇の意思なり。こう看れば、聖人の教誨は明白明白にあの処に摆れて在るにあらずや。
而後世一切欲徇一己之私,不恤天下之公道,而欲馴致於泰,其可得歟?夫以聖賢相遇、秉持中道,猶有無平不陂、城復于隍之戒,況不恤天下之公道而欲常保其福祿,不可得也。嗚呼,制治於未亂,保於未危,周公於制禮作樂之後,由敕在位之臣曰:以公滅私,民其允懐。蓋聖人之意深矣。故曰欲為君盡君道,欲為臣盡臣道,二者皆法堯舜。此之不恤,而區區唐虞是襲,此古人之所以有天下事不如意者十常八九之嘆,非大人孰能膺千載之運乎?
張根がいわく:しかし後世の人は一味にただ自己の私意に順従せんことを想い、天下の公道を顧みず、しかし慢慢に「泰」の局面に走り到らんと欲す、これは可能なるや。たとえ聖君賢臣が相遇して・共同に中道を秉持するも、なおかつ「一直に平坦にして傾斜せざるなし」「城墻は倒塌して城壕の裏に回る」のごときの告誡有り、いわんや根本に天下の公道を顧みずして、しかし福禄を長保せんと欲するは、あれは絶対に不可能なり。嗚呼。禍乱の未だ起らざる時に着手して治理し・危険の未だ至らざる時に之を保全を加うるなり。周公は礼を制し楽を作して後に、なお位に在る大臣に告誡して言う「公心を以て私心を消滅せば、百姓は初めて真心に帰附せん」。聖人の用意は実に深遠なり。ゆえに孟子に言う:君主を為さんと欲すれば則ち君主を為すの道理を尽くし、臣子を為さんと欲すれば則ち臣子を為すの道理を尽くせ、この両件の事はみな堯・舜を以て榜样と為す。この一層すら肯んじて心を用いずして、しかしただ唐堯虞舜の名号の上に於て表面文章を做るは、これがすなわち古人が「天下の事は意に如かざるは十に八九あり」のあのごときの感嘆を発出する所以の緣故なり。若し大人にあらざれば、誰か能くこの千載難逢の時運を担い起こさんや。
