周易尚氏学
第八論 彖・象が経に連なるのは誰に始まるか
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
『周易尚氏学』序言(于省吾)
易卦起源於原始宗教中巫術占驗方法之一的八索之占。古也稱繩為索,八索即八條繩子。金川彝族所保持的原始式八索之占,繫用牛毛繩八條,擲諸地上以占吉凶。《易·繫辭》稱庖犧氏(即伏義氏)始作八卦,乃指八索之占言之。八索這一名稱,最早見於《左傳》、《國語》。八索之占是八卦的前身,八卦是八索之占的繼續和發展。近年來的學者們,都說八卦與伏義氏完全無涉,這就未免「數典忘祖」,截斷了易卦的來源。(詳拙著《伏羲氏與八卦的關係》)
『周易』の卦の源は、原始宗教における呪術的占法の一つ「八索之占」(八本の縄による占い)にある。古人は縄を「索」と呼び、「八索」とは八本の縄のことである。四川・金川一帯の彝族には今もこの原始的な占いが残っており、牛毛の縄八本を地面に投げ、落ちた形で吉凶を判断する。『易・繋辞』が庖犠氏(すなわち伏羲氏)が初めて八卦を作ったというのは、まさにこの縄を投げる占いを指す。「八索」という名称が最も早く見えるのは『左伝』と『国語』の二書である。したがって八索之占は八卦の前身であり、八卦は八索之占を継承し発展させた成果である。近年の学者は八卦と伏羲氏が全く無関係だと一概に断定するが、これはいわば「数典忘祖」――古い典故を引きながら自分の由来を忘れ、易卦の源を真っ二つに断ち切るに等しい。(詳しい論証は私の書いた『伏羲氏与八卦的関係』を参照されたい。)
原始宗教的八索之占,到了階級社會的西周就發展為八卦;到了戰國時人所作的《易傳》,又以卦爻辭為基礎,進一步作哲學理論的推闡。《易·繫辭傳》說:「剛柔相摩,八卦相蕩」;「日新之謂盛德,生生之謂易」;「易之為書也不可遠,為道也屢遷,變動不居,周流六虛,上下無常,剛柔相易,不可為典要,唯變所適」;「易窮則變,變則通,通則久」。由此可見,作者認為宇宙間的萬事萬物都處於不斷運動、變化和矛盾交互的過程中,誠然具有辯證法的因素。但是,總的說來,還脫離不了否泰、剝復和消息盈虛之說。例如《蠱·彖傳》所說的「終則有始」,《繫辭傳》所說的「原始反終」,仍然是循環論者的論調。
原始宗教の八索之占は、階級社会に入った西周で八卦へと発展し、さらに戦国の人々が著した『易伝』では卦辞・爻辞を基礎として哲学理論の高みへ押し上げられた。『易・繋辞伝』には、剛爻と柔爻が互いに切摩し、八卦が彼此に蕩き合う、日々新たな気象を呈するのを「盛徳」といい、生生してやまないのを「易」という、『易』という書は片時も離れてはならず、その説く道はたびたび移り、変動してとどまらず、六つの爻位の間を周流し、上下に定所なく、剛柔が互いに入れ替わり、死んだ準則として立てることはできず、ただ変化に従って順応するのみである、『易』の道は窮まれば変じ、変じれば通じ、通じれば久しい、とある。これを見ると、著者は宇宙の万事万物が絶えず運動・変化し、矛盾が交錯する過程にあると認めており、たしかに弁証法の要素を含んでいる。ただし全体としては、「否」と「泰」の相反、「剥」と「復」の相承、陰陽の「消息盈虚」という枠組みを抜け出せていない――『否』『泰』『剥』『復』はいずれも六十四卦の卦名で、古人はこれで気運の塞がりと通達、剥落と回復を表した。例えば『蠱・彖伝』の「終わりあれば始まりあり」、『繋辞伝』の「原初に反りて終わる」は、結局のところ循環論の言い方である。
左昭二年傳敘韓宣子適魯,「見《易象》與《魯春秋》」。其稱《易》為《易象》,足徵《易》之為書是以象為主的。《易·繫辭傳》也說:「是故易者象也,象也者像也。」因為辭由象生,故《易》無象外之辭。《周易》的每一卦辭和每一爻辭,往往在幾句話裡有幾種不同的內容,假若不依象以釋辭,則奇奇怪怪,迷離惝恍,既不知其辭之所本,更不知其義之所由生。但是,《說卦傳》所敘的象頗為簡略,遠遠概括不了易卦中各種各樣的象。於是主漢易以說象者,對於不解之象,則以「卦變」、「爻變」為釋,故尚先生敘清儒解《易》說:「……而以漢人為依歸是矣。乃於漢人之曲說,亦靡不依據以為護符。至求象不得,亦使卦再三變以成其象,奉虞氏為不刊法則,而易學遂故步自封矣。」(見《焦氏易詁凡例》)
『左伝』昭公二年に、韓宣子が魯に赴き「『易象』と『魯春秋』を見た」と記す。『易』をそのまま『易象』と呼んだことは、『易』という書が「象」を主体とすることを証明して余りある。『易・繋辞伝』にも、『易』とは象であり、象とは取像・比喩である、とある。卦爻辞が卦象から生じる以上、『周易』には象を離れて空に語られた言葉は一句もない。『周易』の各卦辞・各爻辞は、わずか数句の中に幾重もの異なる内容を含むことが多く、卦象に依って文辞を解さなければ、奇々怪々で朧げなものに感じられ、言葉の根拠がどこにあるのか、意味がどこから生じたのかも分からない。しかし『説卦伝』に記された卦象はあまりに簡略で、易卦の様々な象をとても網羅できない。そこで漢代易学に基づき象を説く人々は、解せない象に出会うと「卦変」「爻変」を持ち出してごまかした。だから尚先生は清代の学者の『易』解を次のように評した。「彼らは漢人に帰依した。それ自体は悪くないが、漢人の曲解まで一切合切取り上げて護符とした。象を求めても得られなくなると、一つの卦を何度も変えさせてようやく所望の象をこしらえ、虞翻のやり方を変更不可能な定則と崇めたので、易学はその場で自足してしまった。」(『焦氏易詁・凡例』に見える)
魏晉以前之說《易》者都主象,自王輔嗣掃象不談,專以承乘比應為解,歷唐至宋,便極盛一時。尚先生說:「王輔嗣深知其謬,而不能求得其象,乃倡為得意忘象之說,以掩其短,此端一開,程伊川遂謂得其義則象數在其中,本未顛倒。」(見《焦氏易詁凡例》)這是說程氏不能依象數以解卦爻辭,全憑主觀臆想以為之說,反而說象數在臆想之中,這樣倒末為本,是極其荒謬的。
魏晋以前に『易』を説いた人は皆「象」を主とした。王弼(字は輔嗣)が象を一切掃き捨てて語らず、専ら爻位の間の「承・乗・比・応」で解釈してから、この路線は唐を経て宋に入り、一時は絶頂に達した。尚先生は言う。「王弼は漢人の曲解に欠陥があると内心よく知っていたが、自ら真の卦象を求め得ず、そこで『得意忘象』という標語を掲げて弱点を覆い隠した。この口が開くと、程頤(伊川)は義理さえ捉えれば象数は自ずからその中にあると言い、本末を完全に転倒させた。」(『焦氏易詁・凡例』に見える)これはつまり、程頤には象数に依って卦爻辞を解く力がなく、すべて主観的な臆想で説を立て、その上象数は自分の臆想の中にあると逆に主張するということであり、枝葉を根本と取り違える実に荒唐無稽な話であった。
先生鑽研《焦氏易林》十餘年,著《焦氏易林注》十六卷,參考各家詁訓,反覆推勘,積疑生悟,因而在《易林》中發現了久已失傳而與《周易》有關的內外卦象、互象、對象、正反象、半象、大象等凡百二十餘象的應用規律。驗之於《左傳》、《國語》的占象而合,驗之於《逸周書·時訓》的準象而合,驗之於《周易》卦象也都基本上相合。先生以《易林》逸象與《周易》交融互證,分條加以闡發,著《焦氏易詁》十一卷。今就此書節錄三條於下:
尚先生は前漢・焦延寿の『焦氏易林』を十数年研究し、『焦氏易林注』十六巻を著した。歴代諸家の訓釈を参照し、推求と校勘を繰り返し、疑問が積もってかえって豁然と悟るに至り、『易林』の中に久しく失われながらも『周易』と直接関係する取象の条例を発見した。上下二体の「内外卦象」、二三四爻と三四五爻からなる「互象」、六爻の陰陽が全て反転する「対象」、正・反両方向から取る「正反象」、半分の卦体だけを取る「半象」、そして六爻全体を一つの八卦として見る「大象」で、前後合わせて百二十余りの象の使用法則である。これらの象を『左伝』『国語』の占例と照合すれば合致し、『逸周書・時訓』が依拠する物候の取象と照合しても合致し、さらに『周易』自体の卦象と照合しても基本的に吻合した。先生は『易林』に保存されたこれらの「逸象」を『周易』と相互に印证して条分けて闡明し、『焦氏易詁』十一巻を著した。ここにこの書から三条を抜粋する。
一、乾日:《易林》「乾之泰云,白日皎皎,泰下乾,乾為日,互震為白,故曰皎皎。又泰之恆云,踰日歷月,恆互兌為月,乾為日,故曰踰日歷月,是《易林》顯以乾為日也。後思易乾九三云,君子終日乾乾,乾為日,三居卦末,故日終日。大畜九三云,日閒輿衛,日亦指乾。」(卷一)
第一条、「乾は日の象」(書中の「干」は「乾」のこと)。『易林』の乾之泰の条に「白日皎皎」とある。泰卦の下体は乾で、乾は「日」の象を取り、二三四爻が互い出して震となり、震は「白」の象を取るので「皎皎」という。また泰之恒の条に「踰日暦月」とある。恒卦の互体に兌があり、兌は「月」、乾は「日」の象を取るので「踰日暦月」という。これは『易林』が明らかに乾を日としていることである。後に『周易』を振り返ると、乾卦の九三に「君子終日乾乾」とあり、乾はすなわち日で、九三は下体の末の爻にあるから「終日」という。『大畜』の九三に「日閑輿衛」とあるが、この「日」も同じく乾を指す――『大畜』は上艮下乾で、乾はまさに下体にある。乾が日の象であることは『説卦』には載らず、『焦氏易林』から掬い上げた逸象である。(『焦氏易詁』巻一に見える)
二、兌月:「《易林》復之臨云,月出平地,坤為地,兌為月,在下故曰平地。又晉之小過云,月出阜東,小過民為阜,互兌為月,震為東,故月出阜東。……後思易小畜之月幾望,中孚、歸妹之月幾望,恆彖之日月得天久照,蓋皆以兌為月,故《易林》用之,邵子亦用之也。」(卷一)
第二条、「兌は月の象」。『易林』の復之臨の条に「月出平地」とある。臨卦は下兌上坤で、坤は「地」、兌は「月」の象を取り、兌は下体にあるから「平地」という。また晋之小過の条に「月出阜東」とある。小過の下体は艮(原文の「民」は「艮」の誤字)で、艮は「阜」すなわち土山の象を取り、三四五爻が互い出して兌となり、兌は「月」、上体の震は「東」の象を取るので「月出阜東」という。……後に再び『周易』を考えると、『小畜』上九の「月幾望」、『中孚』六四・『帰妹』六五の「月幾望」、『恒・彖伝』の「日月は天を得て久しく照らす」は、いずれもおそらく兌を月としている。『説卦』は坎を月としか言わず、兌を月とするのはまさに『易林』が伝える漢代の逸象であり、だから『易林』は全編これを用い、宋代の邵雍もこれに沿ったのである。(『焦氏易詁』巻一に見える)
三、坤水:《易林》「乾之觀云,江河淮海,天之奧府。按觀下重坤,故曰江河淮海,又坤之升云,憑河登山,升上坤,坤水,故曰憑河。又訟之泰,弱水之西,坤水、坤柔,故曰弱水。」(卷一)「凡易言利往、利涉者,義無不通。特坤水象至東漢失傳,必以坎為大川,遂爾歧誤,而解益之大川尤扞格難通。」(卷五「益、利有攸往利涉大川解」。按「川」字原本誤作「利」)
第三条、「坤は水の象」。『易林』の乾之観の条に「江河淮海、天の奥府」とある。観卦の下体は坤、二三四爻も互い坤となり、重なって二つの坤となる。坤は「水」の象を取るので江・河・淮・海の四瀆を挙げる。また坤之升の条に「凭河登山」とある。升卦の上体は坤で、坤は水だから「凭河」、すなわち徒渉して河を渡るという。また訟之泰の条に「弱水之西」とある。坤は水の象を取ると同時に「柔」の象も取るので、水にして柔弱、ゆえに「弱水」という。(『焦氏易詁』巻一に見える)尚先生はまた言う。「『易』に『利往』『利渉大川』と言う箇所は、坤を水として解けばどこも通じないところがない。ただ坤が水の象であることが東漢に失伝し、後人が一律に坎を大川としたためにあちこちで誤りが生じ、中でも『益』卦の『利渉大川』の解は特に齟齬して通じ難い。」(巻五『益・利有攸往利渉大川解』に見える。按:「川」の字は原刻本では「利」と誤作)
以上所引三條,用《易林》乾日、兌月、坤水之象,與《周易》相證發,六通四辟,若合符契。學者只知離為日,坎為月為水,則多與卦象不相應。先生以《焦氏易詁》為基礎(讀本書者,須參閱《焦氏易林注》、《焦氏易詁》、《左傳國語易象釋》三書),對於歷來的易象和易解,廣搜博採,評判其得失,取長舍短;同時,又結合其師吳摯甫《易說》的「陽遇陰則通、遇陽則阻」的原理(見本書「說例」)而加以發展,謂「易之道如電然,同性則相違,異性則相感」(見《易詁》「同人、利涉大川解」),著《周易尚氏學》二十卷。
以上に引いた三条は、『易林』に保存された乾が日、兌が月、坤が水という三つの逸象を用いて『周易』と相互に印证・闡発したもので、四方八方どこに向かっても通じ、符節が合わさるように寸分の隙もない。「逸象」とは、『説卦伝』に著録されていないが漢代の易家の手で実際に通行していた卦象のことである。学者が『説卦』に載る離が日、坎が月・水だけを知っていれば、経文の卦象と合わないことがしばしば起こる。尚先生は『焦氏易詁』を基礎として(本書を読む者は必ず『焦氏易林注』『焦氏易詁』『左伝国語易象釈』の三書を参照しなければならない)、従来の易象と諸家の易解を広く蒐めて採択し、その得失を評判して長所を取り短所を捨てた。同時に、師・呉汝綸(摯甫)の『易説』にある「陽爻が進んで陰に遇えば通じ、陽に遇えば阻まれる」という原理(本書「説例」に見える)を吸収して発展させ、「『易』の道は電のようなもので、同性なら相い背き、異性なら相い感じる」(『易詁』「同人・利渉大川解」に見える)と提唱し、『周易尚氏学』二十巻を著した。
於是久已晦盲的易象,始昭然若揭,可謂發幽闡微,集象學之大成。《焦氏易林注》仵墉敘引王晉卿說:「此書將二千年易家之盲詞囈說,一一駁倒,使西漢易學復明於世,孟子所謂其功不在禹下。」又引陳散原說:「讀尚氏《焦氏易詁》,嘆為千古絕作。以今世竟有此人著此絕無僅有之書,本朝諸儒見之當有愧色。」
こうして久しく晦冥に沈んでいた易象は初めて昭然と姿を現し、幽微を発掘し精微を闡明して象学の大成を集めたと言える。『焦氏易林注』に仵墉が撰した序は王晋卿の言を引く。「この書は二千年の易家の妄言・寝言を一つ一つ駁倒し、西漢の易学を再び世に明らかにした。まさに孟子のいう『その功は禹に劣らない』である。」また陳三立(散原)の言を引く。「尚氏の『焦氏易詁』を読んで、千古の絶作と嘆ず。当今の世にこのような人物があってこのような比類なき書を著したのだから、本朝の諸儒が見れば愧色を覚えるはずである。」
以上所述,主要是說明先生對易象的卓越發明。但是,本書也還存在著某些缺點和錯誤,例如:一、關《周易》作者的問題,先生對於書卦者以及卦爻辭、《易傳》的作者,多因襲舊說。在本書「總論」中「第三論古易之類別」說:「伏義既畫卦,必更有書以申明其義。……後人謂黃帝始造字,伏義祇畫卦無文字者,謬也」;「第四論周易誰作」說:「……故夫《周易》卦爻辭,純為文王一人所作,其欲加入周公者,毫無根據,不可信也」;「第六論十翼誰作」說:「…… 故《十翼》非孔子不能為,不敢為,而紀錄《十翼》者,則孔子之門人也」。像以上各種肯定的說法,都脫離不了舊有圈套。先生對於近年來學者們的若干新說,一概置之不理。縱然他們對於舊解有著一筆抹殺的過分主張,未可盡信,可是,伏羲氏既畫卦又重卦,以及文王作卦爻辭,孔子作《十翼》等傳統說法,畢竟是靠不住的。
以上の記述は主に尚先生の易象における卓越した発明を顕彰するものである。しかしこの書にはなお幾つかの欠点と誤りがある。例を挙げる。第一に、『周易』の作者の問題。先生は卦を画した人および卦爻辞・『易伝』の作者について多く旧説に沿っている。本書「総論」の「第三論古易之类別」に、「伏羲は既に卦を画いたのだから、必ず別に文字をもって卦義を申明したはずである。……後人が黄帝が初めて文字を造り、伏羲は卦を画しただけで文字がなかったというのは誤りである」とあり、「第四論周易誰作」に、「ゆえに『周易』の卦爻辞は純粋に文王一人の作であり、周公を加えようとする説は根拠が全くなく、信じられない」とあり、「第六論十翼誰作」に、「ゆえに『十翼』は孔子でなければ作ることも敢えてすることもできず、『十翼』を記録した者は孔子の門人である」とある。(『十翼』とは『彖』上下・『象』上下・『繋辞』上下・『文言』『説卦』『序卦』『雑卦』の十篇の解経の伝を指す。)このようなきっぱりとした断語はいずれも旧来の枠組みを抜け出せない――旧説とは『漢書・芸文志』の「人は三聖を更え、世は三古を歴る」という筋である。先生は近年の学者が提起した新説を一切省みない。たしかにそれらの新説には旧解を一筆で抹殺する行き過ぎた主張があり、全信はできないが、伏羲が画卦しかつ重卦した、文王が卦爻辞を作った、孔子が『十翼』を作ったという伝統的な説も、結局のところ頼りにできない――それらはみな漢人の追述に出るのであり、先秦の典籍に確かな傍証はないからである。
二、震象為丘 《說文》謂「四方高中央下為丘」,《淮南子·墜形》的「和丘」,高注謂「四方而高曰丘」。按震作◇,象四方高中央下之形。丘字卜辭作◇,金文作◇,以卦畫有橫無豎驗之,則古文字的丘字正與震象相符洽。《易林》革之頤說:「尼父孔丘」;(尚先生謂反震為孔),頤下震為丘,故曰「尼父孔丘」;又屯之噬嗑說:「營邱(同丘)是適」,噬嗑下震為丘(尚先生謂「震往故日適」),故曰「營邱是適」。這都是《易林》以震為丘之證。
第二に、震が「丘」の象を取る問題。『説文解字』は「四方が高く中央が低いのを丘という」と言い、『淮南子・墜形』の「和丘」に対する高誘の注も「四方にして高きを丘という」と言う。考えるに震卦の卦画(原書にはここに卦形が刻まれているが、電子本では◇で代える)はまさに四方が高く中央が低い形を象っている。「丘」の字の甲骨卜辞・金文での書法は、卦画には横画のみで縦画がないという点で照らし合わせると、古文字の「丘」はまさに震の卦形と符合する。『易林』革之頤の条に「尼父孔丘」とある(尚先生は倒した震が「孔」の象を取ると考える)。頤卦の下体は震で、震は丘だから「尼父孔丘」という。また屯之噬嗑の条に「営邱是適」(「邱」は「丘」と同じ)とある。噬嗑の下体は震で、震は丘、尚先生は震は往くを主るので「適」というと解し、ゆえに「営邱是適」と講ずる。これらは皆『易林』が震を丘とする証拠である。
以震為丘,於《周易》中之言丘者無一不合。賁卦作◇,六五:「賁于丘園」,丘園指「上互」為震言之;頤卦作◇,六二:「拂經於丘」,丘指內卦為震言之;渙卦作◇,六四:「渙有丘」,丘指渙「下互」為震言之。丘與◆古通用。古人多居丘。《說文》謂「◆、大丘也」,又謂「四邑為丘,丘謂之◆」。升卦作◇,九三:「升◆邑」,馬注謂「◆、丘也」。丘邑指「上互」為震言之。總之,《周易》中言丘者三見,言◆者一見,都取象於震。而先生有的謂艮為山以當丘,有的訓丘為空,又以巽為◆,既不能一以貫之,又均背於易象。此外,鼎卦作◇,《乾鑿度》謂「鼎象以器」。毛奇齡《仲氏易》說:「鼎有足有腹有耳有鉉,而卦文俱象之。下畫偶似足,二三四畫奇皆中實,似腹,五畫偶似耳,上畫奇似鉉。」按毛解甚確,而先生於本書從端木國瑚之說,謂「鼎之象不在鼎,而在伏象屯」,舍鼎形之實象而信伏象,未免疏失。
震を丘として講ずれば、『周易』の中で「丘」と言う箇所に合致しないところは一つもない。『賁』六五「賁于丘園」の丘園は三四五爻が互い出す震を指し、『頤』六二「拂経于丘」の丘は下体が震であることを指し、『涣』六四「涣有丘」の丘は二三四爻が互い出す震を指す。「丘」と「虗」(「虚」の古字、字形は「虎」の下半の「儿」を除いて「丘」に換えたもので、電子本では◆で代える)は古く通用し、古人は多く丘に集住した。『説文』は「虗は大丘なり」と言い、また「四邑を丘とし、丘を虗と謂う」と言う。『升』九三「升虚邑」は、馬融の注に「虗は丘なり」とあり、この丘邑は三四五爻が互い出す震を指す。要するに『周易』で「丘」と言う三箇所、「虗」と言う一箇所は、皆震に象を取る。ところが尚先生はある所で艮が山で山をもって丘に当てると言い、ある所で丘を空と訓じ、また巽を虗とし、一貫することができず、しかも皆易象に背く。さらに『乾鑿度』は「鼎は器物に象を取る」と言う。毛奇齢の『仲氏易』は、「鼎には足・腹・耳・鉉があり、卦画は一々これを象っている。最下の一画は偶画で鼎足に似、二・三・四画は皆奇画で中実して鼎腹に似、第五画は偶画で鼎耳に似、最上の一画は奇画で耳を貫く鼎鉉に似る」と言う。毛氏のこの解はきわめて妥当だが、先生は本書で端木国瑚の説を採り、「鼎の象は鼎自身にあらず、その伏象『屯』にある」として、鼎形という現成の実象を捨てて伏象を信じたのは、疎失と言わざるを得ない。
三、訓詁和史實 《說卦傳》以坎為月,先生據《易林》逸象以兌為月,用以解易,無一不通。但是,為什麼以兌為月,則未加說明。按《說文》:「月、闕也」,《釋名·釋天》:「月、闕也,滿則闕也」,是月、闕迭韻,以音為訓。再就形言之,古文字月作◇或◇,正像月闕形。兌上偶畫中闕,故以兌為月(其它卦象,與文字形或音有關係者,在此不加詳論)。
第三に、訓詁と史実の問題。『説卦伝』は坎を月とし、尚先生は『易林』の逸象に基づいて兌を月と改め、これで『易』を解いて通じないところは一つもない。しかしなぜ兌が月の象を取れるのかについては説明を加えていない。按するに『説文解字』は「月は阙(欠損)なり」と言い、『釈名・釈天』は「月は阙なり、満ちれば阙けるなり」と言う。これは「月」と「阙」が畳韻字で、音をもって訓としたものである。さらに字形から言えば、古文字の「月」はまさに月が欠けた形を象っている。兌卦の最上一画は偶画で中央が断れて缺口があるので、月の象を取る(ほかの卦象で文字の形体や音と関係するものは、ここでは詳論しない)。
小過六二:「過其祖,遇其妣」,先生誤從《爾雅·釋親》「母曰妣」以為之解。按妣為祖母,《詩·斯干》的「似續妣祖」,《豐年》的「烝畀祖妣」,均以祖與妣對稱。《周禮·大司樂》「以享先妣」與「以享先祖」,相偶為文。卜辭和金文均稱祖母為妣,從無以妣為母者。以妣為母,始見於戰國末期的典籍,與易辭不符。否九五:「其亡其亡,繫于苞桑」,陸續訓苞桑為叢桑,甚是。不言繫於桑而言繫於叢桑,自繫就鞏固為言。而先生謂「桑而叢生,其柔可知,繫於柔木,其危可知」,未能允當。
『小過』六二「過其祖、遇其妣」について、先生は誤って『爾雅・釈親』の「母を妣という」に従って解した。按するに「妣」は祖母である。『詩・斯干』の「似続妣祖」、『豊年』の「烝畀祖妣」は、いずれも「祖」と「妣」を対に挙げ、『周礼・大司楽』の「以享先妣」と「以享先祖」も対を成す文である。甲骨卜辞と金文は一律に祖母を「妣」と称し、「妣」を母とする例はかつてない。妣を母とする用法は戦国末期の典籍に初めて現れ、『易』辞の時代と合わない。『否』九五「其亡其亡、繋于苞桑」は、三国の陸績(原文「陸続」)が「苞桑」を叢生の桑と訓じたのが正しい。一本の桑に繋ぐと言わず叢生の桑に繋ぐと言うのは、もとよりその牢固さについて言うのである。ところが先生は「桑が叢生するのは柔弱が分かる、柔らかい木に繋ぐのは危険が分かる」と言い、妥当とは言い難い。なお『小過』六二「過其祖、遇其妣」はもともと祖・妣を対に挙げており、これも「妣」を祖母と訓ずべきことの反証となる。
坎六四:「樽酒簋貳用缶,納約自牖」,約為勺的借字,即酌酒之斗。《考工記》鄭注謂「勺、故書或作約」,是其證。《詩·采蘋》:「於以奠之,宗室牖下」,是古奠祭於牖下之證。「納勺自牖」,是說祭時自牖納勺於樽以挹酒。而先生引《周禮·司約》的「治神之約」以為之解,乖於本義。《晉卦辭》:「康侯用錫馬蕃庶」,康侯即《書·康誥》的康叔封,金文作「康侯豐」。而先生誤謂「康侯略如大侯,為諸侯之美稱」。益六四:「利用為依遷國」,依應讀作殷,即《書序》所說的「成周既成,遷殷頑民」。而先生誤據《說文》訓依為倚。升六四:「王用享于歧山」,先生謂「紂能囚文王,何不可到岐山」。其實,紂何曾到過岐山?歸妹六五:「帝乙歸妹」,先生謂「帝乙、湯也」。其實,帝乙謂紂父,太乙何曾有帝乙之稱?
『坎』六四「樽酒簋貳用缶、納約自牖」の「約」は「勺」の借字で、酒を酌む斗である。『考工記』の鄭玄注に「勺、故書或いは約と作る」とあるのが証拠である。『詩・采蘋』に「于以奠之、宗室牖下」とあり、古人の祭奠は窓の下で行うことの証明である。「納勺自牖」とは、祭祀の時に窓から酒勺を酒樽に差し入れて酒を酌むことである。ところが先生は『周礼・司約』の「神の約を治める」を引いて解とし、本義に乖いた。『晋』卦辞「康侯用錫馬蕃庶」の「康侯」は『尚書・康誥』の康叔封、武王の弟で初めて康に封ぜられた諸侯であり、金文には「康侯豊」と作る。ところが先生は誤って「康侯は大たい大侯に等しく、諸侯の美称」と言う。『益』六四「利用為依遷国」の「依」は「殷」と読むべきで、二字は古音が同じで通借し、『書序』のいう「成周が建てられた後、殷代の頑固な遺民を遷す」のことである。ところが先生は誤って『説文』に拠って「依」を倚と訓じた。『升』六四「王用享于岐山」について、先生は「紂王が文王を囚禁できた以上、岐山に行けないはずがない」と言い、これを紂王が自ら岐山に臨んで祭を受けたと読むに等しい。実際には紂王がいつ岐山に行ったことがあろうか。『帰妹』六五「帝乙帰妹」について、先生は「帝乙は成湯である」と言う。実際には帝乙は紂王の父であり、成湯は太乙と称したのであって、「帝乙」の称号がかつてあろうか。
總起來說,先生的主要成就是通過對《焦氏易林》的多年鑽研,在極為錯綜複雜的情況下,用歸納方法,分析和總結了各種逸象的應用規律,進一步以之詮釋《周易》,基本上都是吻合無間的。因此,《左傳》、《國語》、《易林》和《易卦》的用象,才由前此的對立得到統一。由於《周易》無象外之辭。而先生的絕大發明則在乎象,解決了舊所不解的不可勝數的易象問題,可以說,先生對易象的貢獻是空前的。
要するに、尚先生の主要な成果は、『焦氏易林』への多年の研究を通じ、極めて錯綜複雑な材料の中で帰納の方法を用い、種々の「逸象」――すなわち『説卦伝』に載らず漢代に実際に通行していた卦象――の使用法則を分析・総括し、さらにこれをもって『周易』を詮釈して、基本的に隙間なく吻合させたことにある。だからこそ『左伝』『国語』『易林』と『周易』卦爻辞の用象は、従来の互相牴牾の局面から統一に帰したのである。従来の学者は『左伝』の占例・『易林』の取象と経文が符号しないと思い込んでいたが、今となってはそれらがもともと同一の系統であることが分かった。『周易』に卦象を離れた言葉は一句もなく、先生の最大の発明がまさに象にある以上、従来解き得なかった数え切れない易象の問題を解決したのだから、易象への彼の貢献は空前と言える。
但是,也無可諱言,先生對《周易》的作者,只沿襲傳統舊說;並且,對某些卦象,以及文字、聲韻、訓詁和史實方面,仍有許多可議之處。不過,前者的若干發明是主要的,後者的某些缺點和錯誤是次要的。由於是非得失繫客觀存在,不以個人愛憎為轉移,有關本書的某些缺點和錯誤,與其使讀者勞神筆墨,一一加以指責,不如先事擇要說明之為愈。因此,本文不敢阿其所好,為先生回短護非,遂不自量地舉出一些事例,評論其得失(當然限於篇幅,很不全面)。庶幾瑕不掩瑜,晶光赫露,而先生的苦心孤詣和一繫列的發明,也可以信今而傳後了。一九六三年四月於長春。
しかし忌憚なく言えば、先生の『周易』の作者論は伝統的な旧説を踏襲するだけであり、またある卦象、および文字・声韻・訓詁・史実の面でも、なお少なからず商榷の余地がある――前出の震が丘象を取ること、兌が月象を取る所以、および妣・苞桑・納約・康侯・依・岐山・帝乙の諸条がその例で、それぞれ取象・訓詁・史実の三つの層面に属する。ただし前に述べた諸発明が主要であり、後のこれらの欠点と誤りは次要的である。是非得失は客観的に存在し、個人の好悪によって変わるものではない。本書のある欠点と誤りについて、読者に後日わざわざ筆を執って一々指摘させるより、先に私が要点を選んで説明しておく方がよい。ゆえに本文は一様に迎合せず、先生の短を掩い非を回護するようなことを敢えてせず、自分の力量を顧みずに例を挙げてその得失を論評した(もちろん紙幅の限りがあり、全面的とは言い難い)。願わくはこれで瑕が瑜を掩わず、本書の光彩をいっそう顕わにし、先生の苦心孤詣と一連の発明が今の人々の信を取り後世に伝わることができればと思う。一九六三年四月、長春にて。
『周易尚氏学』自序
易理至明也,而說者多誤。說何以誤?厥有二因。一因易理之失傳。太史公曰:易以道陰陽。陰陽之理,同性相敵,異性相感。《艮》傳云「上下敵應,不相與也」,謂陽應陽、陰應陰為敵也;《中孚》六三云「得敵」,《同人》九三曰「敵剛」,謂陰比陰、陽比陽為敵也。陰遇陰,陽遇陽,既為敵而不相與,則不能為朋友為類明矣。《咸》傳曰「二氣感應以相與」,《恆》曰「剛柔皆應」。夫陰陽相與相應,則必相求而為朋友為類明矣。《復》曰「朋來無咎」,謂陽來也,陰以陽為朋也;《損》曰「一人行則得其友」,謂陽行至上而據二陰也,陽以陰為友也;《頤》六二曰「行失類也」,謂陰不遇陽也。至明白也。
『周易』の道理はもともと極めて明白なのに、解説する人は多く誤る。なぜ誤るのか。その原因は二つある。第一は「易理」の失伝である。太史公(司馬遷)は言った。『易』は陰陽を道うものである。陰陽の道理は、同性なら相い敵対し、異性なら相い感ずる。『艮・彖伝』の「上下敵応、相い与せざるなり」とは、初と四・二と五・三と上という相応の位で陽が陽に応じ、陰が陰に応じるのを「敵」と言うのであり、『中孚』六三の「敵を得たり」、『同人』九三の「敵剛」とは、隣接する二爻が陰に陰が並び、陽に陽が並ぶのを「敵」と言うのである。陰が陰に遇い、陽が陽に遇えば、互いに敵となって相い与せない以上、「朋友」にも「同類」にもなり得ないことは明白である。『咸・彖伝』は「二気感応して以て相い与するなり」と言い、『恒・彖伝』は「剛柔皆応ず」と言う。陰陽が互いに親附し互いに感応するならば、必ず相い求めて朋友となり同類となることもまた明白である。『復』卦辞の「朋来たりて咎なし」は、陽爻が来復することを言い、陰が陽を「朋」としたのである。『損』六三の「一人行けば則ちその友を得」は、一つの陽爻が上位まで上ってその下の二つの陰爻を擁することを言い、陽が陰を「友」としたのである。『頤』六二の「行きて類を失うなり」は、陰爻が進んでも陽に遇えないことを言う。道理は極めて明白である。
乃說者於《坤》上六,謂陰陽相戰爭,相傷而出血矣;於《文言》謂陰陽相忌相疑矣;以陽遇陽為朋,陰遇陰為友為類矣。同性相敵、異性相感之理一失,於是初四、二五、三上陽應陽、陰應陰者謂之失應,人尚知之;至於陽比陽、陰比陰,如夬、垢之三四,如《頤》之六二,說者則茫然。於是全部《易》,如「征凶」、「往吝」、「往不勝」、「壯于趾」、「其行次且」,及「慎所之」等辭,全不知其故矣。又如陽遇重陰、陰遇重陽而當位者,所謂「往吉」、「征吉」、「利涉」、「利往」、「上合志也」,此其義宋蔡淵曾創言之,而未大行。於是全部易爻象若是者,自漢迄清,說者亦莫明其故,而用爻變矣。
ところが『易』を解く人々は、『坤』上六の「龍野に戦う、其の血玄黄」について、陰陽が互いに殺し合い打ち傷つけて血を流したと言い、『文言』では陰陽が互いに忌み疑ったと言い、逆に陽が陽に遇うのを「朋」、陰が陰に遇うのを「友」・「同類」とした。「同性相敵・異性感応」という根本の道理が失われるや、初と四・二と五・三と上の相応の位で陽対陽・陰対陰となる「失応」はまだ知られていたが、隣接二爻の陽に陽・陰に陰が並ぶ場合――例えば『夬』『垢』両卦の三・四爻、例えば『頤』卦の六二――については、解説者は皆茫然としていた。その結果、『周易』全部の中の「征凶」(往けば凶)、「往吝」(往けば恨みあり)、「往不勝」、「壮于趾」(足指に傷)、「其行次且」(歩行が且趄して進まず)、「慎所之」(往く所を慎め)の類の断語が、ことごとくその所以を解されなかった。また陽爻の前に二重の陰があり、陰爻の前に二重の陽があって爻位が相当する場合、爻辞はしばしば「往吉」「征吉」「利渉」「利往」「上と志を合わすなり」と言う。この義は宋の蔡淵が初めて唱えたが、広く行われなかった。そこで『易』全部のうちこの類の爻象は、漢から清に至るまで解説者は誰もその故を明らかにできず、「爻変」を持ち出してごまかすほかなかった。
又如陽爻,下乘重陰者亦多吉,與前臨重陰同也。《蹇》九三日「內喜之也」,說甚明也,乃亦失傳。於是《頤》上九之「利涉」,《蒙》上九、《漸》九三之「利禦寇」,皆不知所謂矣。有此一因,於是易解之誤者,十而四五。其次則象學失傳。《說卦》乃自古相傳之卦象,祗說其綱領,以為萬象之引伸,並示其推廣之義。如干為馬,坤、震、坎亦可為馬;乾為龍,震亦可為龍;巽為木,艮、坎亦可為木。非謂甲卦象此物,乙卦即不許再象也,視其義何如耳。
また陽爻の下に二重の陰爻を乗せている場合も、多くは吉であり、道理は前に述べた陽爻が重陰に臨む場合と同じである。『蹇』九三の『小象』に「内これを喜ぶなり」(下体の陰爻がそれを歓迎する)とあるのは、説明は十分に明白だが、この義もまた失伝した。そこで『頤』上九の「利渉大川」、『蒙』上九と『漸』九三の「利禦寇」が、誰にもその所以然を説明できなくなった。この第一の原因があるために、『易』の解釈で誤ったものは十に四五を占める。次に第二の原因は「象学」の失伝である。『説卦伝』に載るのは古来相伝えられた卦象で、ただその綱領を挙げて万象を引申する根拠とし、あわせて推し広げる道筋を示したものである。例えば乾は馬だが、坤・震・坎もまた馬の象を取り得る。乾は龍だが、震もまた龍の象を取り得る。巽は木だが、艮・坎もまた木の象を取り得る。甲の卦がすでにこの物を象徴したから乙の卦はもう象徴してはならないというのではなく、ただその文義がどうかによるだけである。
至文王時,又曆數千年,其所演易象,必益廣益精,故《周易》所用象,往往與《說卦》不同。《說卦》以坎為月,經則多以兌為月,月生西,坎、兌皆位西也;《說卦》以離為龜,經則以艮為龜,離為龜取其外堅,艮亦外堅也。此推而益廣也。且有與《說卦》相反者:《說卦》以兌為少女,以艮為少男,而經則以兌為老婦,以艮為祖、為丈夫;《說卦》以震為長男,巽為長女,經則以震為小子,巽為少女(女妻即少女)。蓋以甲乙言,先生者長,後生者少;而以一人言,則初生者少,行至上而老也。此演而益精也。自東漢迄清,於此等義例,都未能明,見經所用象為《說卦》所無,則用卦變、爻變或爻辰以求之,謬法流傳,二千年如一日。加此一因,於是易解之誤者,十而七八矣。
文王が『易』を演じた時には、伏羲の画卦からまた数千年を経ており、彼が推衍した易象は必ずやより広博でより精密だったはずで、だから『周易』経文に用いられた象はしばしば『説卦伝』に載るものと異なる。『説卦』は坎を月とするが、経文は多くの場合兌を月とする――月は西に生まれ、坎と兌は方位上ともに西に居る。『説卦』は離を亀とするが、経文は艮を亀とする――離が亀の象を取るのは外殻が堅いことを取ったのであり、艮もまた外爻が陽で外殻が堅い。これは『説卦』の綱領を外に向かって推し広げたものである。『説卦』と正反対のものさえある。『説卦』は兌を少女・艮を少男とするが、経文は兌を老婦・艮を祖父・丈夫とし、『説卦』は震を長男・巽を長女とするが、経文は震を小子・巽を少女とする(爻辞の「女妻」はすなわち少女)。これは甲乙二人で比べれば先に生まれた方が長で後に生まれた方が少だが、一人の身で言えば初爻の時が最も幼く、上爻まで行けば老いたことになるからである。これは『説卦』の義例を細部まで推し精めたものである。東漢から清に至るまで、学者はこうした義例をいずれも明らかにできず、経文に用いられた象が『説卦』にないのを見ると、「卦変」「爻変」あるいは鄭玄の「爻辰」を持ち出して合わせようとし、誤った方法が輪転して伝わり、二千年一日のごとしだった。この第二の原因を加えると、『易』の解釈で誤ったものは十に七八にもなる。
以二千年相承之易說,今忽謂其誤;以一人之是,謂千百人皆非,毋乃駭眾。然而易象固在也,易理固存也。本易理以詁易辭,如磁鐵之吸引;由易辭以準易象,如規鑿之相投,固不誣也。以為之者少,旁無師友之助;以違之者眾,更無聲氣之同。然而我見固如斯也,我說無一創也。以我之說,仍以《周易》所言之理,推而正說者之誤,俾卦爻辭復其本有之易理也。其先儒舊說與易理合者,如許慎、荀爽、九家之詁「龍戰」,如《子夏傳》、荀爽之詁「得敵」,靡不因也;其與易理盩者,雖千百人皆如此言,而必反之,如虞翻以陽遇陽為朋、陰遇陰為類等是也。
二千年にわたり相承えられた易説に、今私が忽然と誤りだと言う。たった一人の見解をもって千百人を皆間違いと断ずるのは、いかにも世を驚かすことだろう。しかし卦象はもともとそこに在り、易理はもともとそこに存する。易理に依って卦爻辞を詁めれば、磁石が鉄を引くように自然に相い就き、卦爻辞から立ち戻って卦象を印证すれば、円規が円に合いほぞ頭が卯に入るように寸分の隙もない。この話は決して虚妄ではない。この道に賛同する者が少なく、私の傍らには師友の助けがなく、これに背く者が多く、声気を同じくする仲間もない。しかし私の見解はもとよりこのようであり、しかも私の説には杜撰が一条もない。私のしたことは、やはり『周易』自体の説く道理を推衍して解説者の誤りを正し、卦爻辞に本来備わる易理を回復させることにほかならない。前代の儒者の旧説で易理に合うもの――例えば許慎・荀爽・「九家易」の『坤』上六「龍戦」の訓釈、例えば『子夏易伝』と荀爽の『中孚』「得敵」の訓釈――はすべて因襲する。易理に背くものは、たとえ千百人が皆このように言っても必ずこれに反論する――例えば虞翻が陽遇陽を「朋」とし陰遇陰を「類」としたのがこの類である。
至於卦象之誤者,非我能創造新象,仍《周易》原有之象,說者失之。今證以《左傳》《國語》、周公《時訓》與卦氣圖,證以《焦氏易林》、郭璞《洞林》,迴環互證而得其象也。及其既得而求其本,仍在《周易》,如坤之為水為魚,震之為輹等象是也。然而我之說,不敢必謂其是也,更不敢自匿其非也,故名曰《周易尚氏學》,以質世之治易者。經者天下之公物,非一人所得私;理者天地之自然,非偏執所能改。倘學易之君子,見是編而揚搉其是非,糾正其疏漏,則日夜所祈禱者也。
卦象の誤った箇所については、私が新しい象を造り出せるわけではなく、やはり『周易』本来の象を、解説者が失っていただけのものである。今、『左伝』『国語』の占例、周公の作と伝えられる『時訓』と卦気図、『焦氏易林』と東晋・郭璞の占筮実録『洞林』をもって、回環互いに印证してこれらの象を取り戻した。取り戻してからその根を求めれば、根はやはり『周易』自体にある――例えば坤が「水」の象・「魚」の象を取り、震が「輹」(車軸の下の伏兎)の象を取るのがこれである。『説卦伝』は坤を地・母と言うだけで水象・魚象はないが、『剥』六五に「貫魚」とあり、その卦の下体はまさに坤で、魚象はもともと『周易』自身に出たものを『易林』が保存したにすぎないことが分かる。ただし私の説が必ず正しいと断言する勇気はなく、ましてや自らその誤りを隠匿する勇気もない。だから名づけて『周易尚氏学』とし、世の『易』を治める人に質すのである。経は天下の公器であって、一人が私有できるものではない。理は天地の自然であって、偏執で改変できるものではない。もし『易』を学ぶ君子がこの編を見て、その是非を量り、その疎漏を是正してくれれば、それこそ私が日夜祈っていることである。
説例
乾坤二卦為六十四卦之根本。其六爻爻辭,祇以明上下、別貴賤,及卦運之興衰、初終之時位,樹六十四卦之準則。至於有無應與當位不當位之恆例,皆未之及。而六爻之後,復贅以用九、用六數語,皆所以明筮例及用九用六之故。學者須於此先知之。
『乾』『坤』の二卦は六十四卦の根本である。この二卦の六条の爻辞は、ただ爻位の上下を明らかにし、身分の貴賤を区別し、一卦の気運の盛衰と初爻から上爻までの時位の変化を示して、残りの各卦に通例を立てるためのものである。ほかの卦にしばしば見られる「有応無応」(初と四・二と五・三と上が一陰一陽で応じるかどうか)、「当位不当位」(陽が奇位・陰が偶位に居るのが当位)という慣例は、乾・坤の両卦ではいっさい触れていない。そして六爻のあとに「用九」「用六」の数句が付け足されているのは、占筮の体例を説明し、どんな場合に「用九」「用六」の辞を用いるべきかを言い明かすためである。『易』を読む者はまずこの点を知っておかなければならない。
易辭本為占辭,故其語在可解不可解之間。惟其在可解不可解之間,故能隨所感而曲中肆應不窮,所謂仁者見仁、智者見智也。此易理也。易理與義理不同。例如程傳說「黃裳元吉」,雲五尊位,臣居之則羿、莽,女居之則女媧、武氏,故聖人著為大戒。陳義可謂正大矣,而於易理則大背,以易辭並無著戒之意也。此編只明易理,至其用則任人感觸之。
『易』の文辞はもともと占卜の断語だから、その言葉はつねに解する可と解し難きの間にある。まさに解する可と解し難きの間にあるからこそ、占問者のその時々の感応に随って曲折しながら的確に中り、限りない状況に応じることができる。いわゆる「仁者はこれを見て仁と謂い、知者はこれを見て知と謂う」である。これが「易理」である。「易理」と宋儒の言う「義理」は別物である。例を挙げる。程頤の『伊川易伝』は『坤』六五「黄裳元吉」を解して、五は至尊の位であり、臣がこの位に居れば羿・王莽となり、女がこの位に居れば女媧・武氏(則天)となるから、聖人はここに大いなる戒めを立てたのだと言う。この議論は正大と言えないこともないが、易理には大きく背く――爻辞自体に告戒の意味はないからである。本書はただ易理を明らかにするのみで、これを人事にどう応用するかは各人の感触に任せる。
卦名皆因卦象而生。卦名不解,因之卦爻辭亦不解。如睽為反目,謂兩目不相聽,故一目見為此,一目見為彼,三、上爻辭是也。此義不知,遂多誤解。又如節為符節,合以取信,《說文》所謂竹約也,乃說者概釋為樽節、制節,卦義既誤,故卦爻辭甘苦之義均不知。六十四卦如此者甚多。茲編所釋,先及諸卦得名之義,其名有沿革者,亦並考其異同,如睽《歸藏》作瞿,夬《歸藏》作規等是也。
卦名はすべて卦象から生まれる。卦名が通じなければ、卦爻辞も続けて通じない。例えば『睽』の本義は「反目」で、両目がそれぞれ別の方を見て互いに使い合わないことを言う。だから一方の目にはこう見え、他方の目にはそう見える――六三爻辞の「輿を曳くを見、其の牛掣け」と上九爻辞の「豕が塗を負い、鬼一車を載すを見」は、まさに一目の見えるものが互いに異なる写しである。この義を知らなければ多くの誤解が生じる。また例えば『節』の本義は符節で、二半を合わせて信を取るもの、すなわち『説文解字』のいう「竹約」――竹の節、竹製の信物である。ところが解説者は一様に節約・節制と講じ、卦義がすでに誤っているから、爻辞の「甘節」「苦節」の甘苦の別も当然分からなくなる。六十四卦のうちこの種のものは多い。本書の卦の解釈は、まず各卦の名を得た由来を講じ、卦名に沿革の変化があるものはあわせてその異同を考訂する――例えば『睽』は『帰蔵』で「瞿」と作り、『夬』は『帰蔵』で「規」と作る類である。
說易之書,莫古於《左傳》《國語》,其所取象,當然無訛,乃清儒信漢儒而遺左、國。坎變巽,左氏曰「夫從風」,以坎為夫也;曰「震,車也」,曰「車有震武」,以震為車、為武也。震變離,曰「車說其輹」,以震為輹也。尤要者,明夷之謙,即離變艮,左氏曰「當鳥」,是以艮為鳥也,鳥,黔喙也,於是小過飛鳥之象有著。乃後人於此象均不識,依漢儒以震為夫,以乾為武。夫易師莫先於左氏,其可信較漢儒為何如。故茲編所取象,除以易證易外,首本之《左傳》《國語》,以明此最古最確之易象。
『易』を講ずる書で『左伝』『国語』より古いものはなく、それらの用いた卦象は当然ながら誤りがない。ところが清代の学者は漢儒だけを信じて『左伝』『国語』を脇に置いた。『左伝』に坎が巽に変ずる一条があり「夫風に従う」と言うのは、坎を「夫」としているからである。また「震は車なり」と言い、「車に震武あり」と言うのは、震を「車」・「武」としているからである。震が離に変ずる一条に「車その輹を説く」(車が伏兎を脱す)とあるのは、震を「輹」としているからである。最も肝要なのは『明夷』之『謙』の一条、すなわち下体の離が艮に変わるもので、『左伝』は「鳥に当たる」と言う。これは艮を「鳥」としているのであり、艮は『説卦』でまさに「黔喙の属」すなわち尖った嘴の禽鳥である。艮が鳥の象であることがあって初めて、『小過』卦の「飛鳥の音を遺す」の鳥象に落ち着き所がある。後人はこれらの象を一つも識らず、かえって漢儒に倣って震を「夫」・乾を「武」とした。『易』を講ずる師で『左伝』より早い者はなく、その信憑性は漢儒に比べていかほどだろうか。ゆえに本書の取象は、『易』をもって『易』を証するほか、まず『左伝』『国語』に本づけて、この最も古く最も確かな易象を明らかにする。
《時訓》為《逸周書》之專篇,書云周公所作,其氣候皆以卦象為準,故卦氣圖與《時訓》不能相離,其所準易象與《易經》所關最巨。如於屯曰「雁北鄉」,以屯上互艮為雁;於巽曰「鴻雁來」,亦以巽為鴻雁,而漸之六鴻象得解。以艮為蛤、為蜃,艮外堅故與離同象,而易之貝象、龜象得解。以兌為斧,以艮為巢、為鷹,皆賴以解。易而用覆象、半象尤精,如於復曰「麋角解」,震為鹿,艮為角,角覆在地,故日解;於鼎下曰「半夏生」,離為夏,巽為艹,初二半離,故曰半夏,而昔儒無知者(除《易林》外)。茲編所取象,除左、國外,多以《時訓》為本。
『時訓』は『逸周書』の一篇で、書には周公の作とある。七十二候の物候を記して、すべて卦象を準とするので、卦気図と『時訓』は離すことができない。その依拠する易象は『周易』との関係が最も大きい。例えば屯卦の一候に「雁北郷」(雁が北に向かう)と言うのは、屯卦の三四五爻が互い出して艮となり、艮が「雁」の象を取るからである。巽卦の一候に「鴻雁来」と言うのも同じく巽を鴻雁とするからである――この象があって初めて『漸』卦の六爻に連なる六つの「鴻」の字の鴻象が通じる。また艮を蛤・蜃とするのは、艮の上爻が陽で外殻が堅いから、離と同じく甲殻の象を取り得るのであり、『易』の「貝」象・「亀」象がこれで解ける。兌を斧とし、艮を巣・鷹とするのも、皆『時訓』によって初めて解ける。『時訓』は「覆象」(一卦を逆さまに見る)と「半象」(半分の卦体だけを取る)を用いるのが特に精妙である。復卦の一候に「麋角解」(麋鹿が角を脱ぐ)と言うのは、震が鹿で、震を逆さまにすれば艮となり艮が角で、角が逆さに垂れて地に落ちるから「解」という。鼎卦の下の一候に「半夏生」と言うのは、離が夏、巽が草で、初二両爻は半分の離しか成さないから「半夏」という。これらは従前の学者には一人として知る者がなかった(『焦氏易林』を除く)。本書の取象は、『左伝』『国語』のほか、多く『時訓』を本とする。
《焦氏易林》,後儒皆知其言易象,然以象學失傳之故,莫有通其義者。如以坤為水,以兌為月,以艮為火,以巽為少妻,以兌為老婦,以正反兌、正反震為爭訟(爭訟即有言),為《說卦》所無,而皆為經中所有。說者因誤解經而失其象,故於《易林》亦不能解。愚求之多年,亦無所入。後讀蒙之節云:「三夫共妻,莫適為雌,子無名氏,翁不可知。」因節中爻震、艮,上坎三男俱備,故曰三夫;祇下兌為女象,故曰三夫共妻。震為子,艮為名、為翁,上坎為隱伏,故曰無,曰不可知,字字皆從易象生。由此以推,凡林詞皆豁然而解。故茲編取象,除《左傳》《國語》卦氣圖外,多本《易林》。
『焦氏易林』は、後代の学者は皆それが易象を言うと知っていたが、象学失伝のためにその意を通じられる者はいなかった。例えば坤を水とし、兌を月とし、艮を火とし、巽を少妻とし、兌を老婦とし、正兌反兌・正震反震の相背するを争訟(「争訟」はすなわち爻辞の「有言」)とする――これらの象は『説卦伝』にはなく、しかし皆『周易』経文に実際にある。解説者は経文を誤解したために連れてこれらの象を失い、だから『易林』も解けないのである。私も多年求めたが、ずっと入り口が見つからなかった。後に「蒙之節」の一条の林辞を読んだ。「三夫妻を共にし、雌たるに適う莫く、子に名氏なく、翁知る可からず。」これでようやく悟った。節卦の中間の爻が互い出して震と艮となり、上体の坎を加えると、震・坎・艮の三つの男卦がそろうから「三夫」と言い、全卦でただ下体の兌だけが女象だから「三夫共妻」と言う。震は子、艮は名・翁(老人)、上体の坎は隠伏で、隠伏なら指し示す実がないから「無」・「不可知」と言う。字字みな易象から生まれている。この道筋で推せば、『易林』の林辞は皆豁然として解ける。ゆえに本書の取象は、『左伝』『国語』と卦気図のほか、多く『易林』を本とする。
易中古文甚多,如場作易,趑趄作次且,趾作止,佚作失等,不可勝數。先儒除晁說之外,知為古文者甚少,於是竟讀易為難易,失為得失。茲編非好異,凡易之古文,必仍其舊例,如「需于血」,即「需於洫」是也。
『周易』に保存された古字は多い。例えば場圃の「場」は「易」と書かれ(『大壮』六五「羊を易に喪う」の「易」がそれである)、「且趄」は「次且」と書かれ、足指の「趾」は「止」と書かれ、散佚の「佚」は「失」と書かれる。この類は数え切れない。前代の学者は宋の晁説之を除けば、これらが古字だと知る者は少なく、ついには「羊を易に喪う」の「易」を難易の易と読み、「佚」を得失の失と読んだ。本書は異説を好むのではなく、『易』の古字はすべてその本来の用法のままに解する。例えば『需』九三「血に需る」は、実は「洫に需る」――「血」は「洫」(溝渠)の古字である。
古書多音同通用,而易尤甚。如盤,作盤,作盤,作般;邅如,作驙如;甲坼,作甲宅;冶容,作野容;刑剭,作形渥,作刑屋;經綸,作經論,作經倫;羸,作虆,作累,作縲,作累之類,皆音同通借,無是非之可言。而世儒必以習見者為非,罕見者為是,似未觀其通。茲編反是。
古書に同音通用の字は多いが、『周易』では特に甚だしい。「盤桓」の「盤」は異文で「磐」・「般」と書かれ、「邅如」は「驙如」と書かれ、「甲坼」は「甲宅」と書かれ、「冶容」は「野容」と書かれ、「刑剭」は「形渥」・「刑屋」と書かれ、「経綸」は「経論」・「経倫」と書かれ、「羸」は「虆」・「累」・「縲」と書かれる類である。通借とは、二字の読音が同じで古人が書く時に随手に入れ替えたもので、字義上の区別はなく、もともとどちらが正でどちらが誤ということは言えない。ところが後世の学者は必ずや見慣れた書き方を誤とし珍しい書き方を正と判定し、通仮の通例を見透していないようである。本書のやり方はこれと逆である。
易用覆象,如大過九五之枯楊用覆巽,豐上六用覆艮,「重門擊柝」以豫上震為覆艮,荀爽及虞翻皆知之,而不能推行。於是困之「有言不信」、蒙之「再三瀆」用覆象者,遂永不得解。豈知左氏明夷之謙曰:「於人為言,敗言為讒。」謙上震,震為言,下艮震覆,故曰敗言;言相反,故曰讒。《易林》本之,凡正反震、正反兌相背者,不曰爭訟,即曰有言。於是困、震之有言皆得解。此似我創言之,然仍左氏及《易林》所已言,我拾其說以證易耳,仍非我說也。
『周易』は「覆象」を用いる。すなわち一つの三画卦を上下逆さまにして象を取る。例えば『大過』九五の「枯楊生華」は巽の覆象を用い、『豊』上六は艮の覆象を用い、『繋辞』の「重門を設け柝を撃つ」が『豫』卦に取るのは、『豫』上体の震を艮の覆象と見たのである。荀爽と虞翻はいずれも覆象の存在を知っていたが、推し広げて用いることができなかった。そこで『困』卦の「有言不信」、『蒙』卦の「再三して瀆す」のように覆象を用いなければ通じない箇所は、永久に解けなくなった。思いもよらぬことに、『左伝』が記す『明夷』之『謙』の一条には早くも「人については言、敗れたる言は讒」とある。『謙』の上体は震で震は「言」、下体は艮で艮はまさに震を逆さまにした覆象だから「敗言」と言い、二つの「言」が方向相反するから「讒」と言う。『焦氏易林』はまさにこの路数を承けて、正震と反震・正兌と反兌が背向相対するものは、「争訟」と言えば「有言」と言う。この一条があれば、『困』卦・『震』卦の「有言」は皆通じる。これは私の新創の説のようだが、実はやはり『左伝』と『易林』がすでに言っていたことで、私は彼らの説を拾い取って『周易』を証したにすぎず、やはり私個人の説ではない。
卦有卦情。中孚之鶴嗚子和,以中爻正反震相對也,故下之震鶴一鳴,三至五即如聲而反,故曰子和(舊解不知子指反震,皆自鳴自和)。又如兌「朋友講習」,以初至五正覆兌相對,若對語然,故曰講習,早商兌。夬四之「聞言不信」,兌為耳,故曰聞;兌為言,乾亦為言,乃兌言向外,與乾言相背,故曰不信。此似我創解,然《左傳》歸妹之睽曰「西鄰責言,不可償也」,歸妹兌為西,震為鄰,故曰西鄰;而震為言,震言外向,與兌言相背,故曰責言,與夬之聞言不信義同也,仍非我說也。
各卦にはそれぞれの「卦情」がある。『中孚』九二の「鳴鶴陰に在り、其の子これに和す」は、中間の爻が互い出して正震と反震が相対するからである。下の震は鶴で、鶴が一声鳴けば、三から五爻までの反震が声に応じて反響する。だから「子和」という(旧注は「子」があの反震を指すことを知らず、実は同じ一羽の鶴が自ら鳴き自ら和したのである)。また『兌』卦の『大象』が「朋友講習」と言うのは、初爻から五爻までの間に正兌と覆兌が相対し、二人が顔を合わせて話すようだから「講習」と言うのであり、九四の「商兌未だ寧ならず」の「商」(商量)もここから来る。『夬』九四の「言を聞きて信ぜず」は、兌は耳だから「聞」と言い、兌は言、乾も言だが、兌の口は外を向いていて乾の言とまさに背向するから「信ぜず」と言う。これは私の新解のようだが、『左伝』が記す『帰妹』之『睽』の一条に「西隣の責言、償う可からず」とある。『帰妹』の下体の兌は西、震は隣だから「西隣」と言い、震は言で震の言は外を向き兌の言と背向相沖するから「責言」と言う。『夬』卦の「言を聞きて信ぜず」の取象の道理と全く同じである。やはり私個人の説ではないことが分かる。
同此一爻,而爻辭吉凶不同。如頤六五曰「居貞吉」,下又曰「不可涉大川」;家人九三曰「嗃嗃悔厲吉」,下又曰「婦子嘻嘻終吝」。先儒無詳其故者。豈知爻有上下,由此爻上取而象吉者,下取或凶;下取而象吉者,上取或凶。如漸九三「婦孕不育凶」,下又曰「利禦寇」是也。易詞如此者不可枚舉,此三爻特其例耳。治易者如明此例,則事半功倍。
同じ一つの爻なのに、爻辞の吉凶の判断が前後で異なることがある。例えば『頤』六五は「貞に居れば吉」と言い、続いて「大川を渉る可からず」と言う。『家人』九三は「家人嗃嗃、悔い厲しければ吉」と言い、続いて「婦子嘻嘻、終りに吝なり」と言う。前代の学者にその故を詳らかにした者はいない。思いもよらぬことに、取象には上に取ると下に取るの区別があるのである。この爻から上を見て象が吉なら、下を見ると凶かもしれず、下を見て吉なら上を見ると凶かもしれない。例えば『漸』九三の「婦孕みて育たず凶」に続いて「寇を禦ぐに利あり」と言うのがこれである。『易』辞でこの種のものは挙げきれず、上に挙げた三条は例にすぎない。『易』を治める者がこの通例を明らかにすれば、事半にして功倍する。
易辭與他經不同。他經上下文多相屬,易則不然,因易辭皆由象生,觀某爻而得甲象,又觀某爻而得乙象,故易辭各有所指,上下句義不必相聯。如損彖曰「利有攸往」,指上九也;下又曰「曷之用,二簋,可用享」,震為簋,坤數二,故曰二簋,則指上下互卦也。又如困「貞大人吉」,以二五皆陽也;「有言不信」,以三至上正反兌相背也。舊解無知者,故於上下旬常強為聯屬,致杈枒不合。茲編遇此,先指明易辭之說何爻何象;至其意義之不相屬者,亦必指明。此自為一義。
『周易』の文辞はほかの経書と異なる。ほかの経書は上下文が多く互いに連属するが、『易』はそうではない。『易』辞は全て卦象から生まれるからである。こちらの爻を見て甲の象を得、あちらの爻を見て乙の象を得るので、一つ一つの句にはそれぞれ指す所があり、上下二句の意味は必ずしも連ならない。例えば『損』卦辞に「往く所有るに利あり」とあるのは上九を指す。続いて「曷ぞ之を用いん、二簋、以て享る可し」とあるのは、震が「簋」の象を取り、坤の数が二だから「二簋」と言うのであり、これは上下二つの互卦について言うのである。また『困』卦辞の「貞なり大人吉」は、二・五両爻がともに陽だからであり、「言有れども信ぜられず」は、三爻から上爻まで正兌反兌が背向相対するからである。旧注はこの道理を知らず、しばしば上下句を強いて連ねて講じたので、枝々にわたりどうにも接ぎ合わない。本書はこの種のところに遇うと、まずその易辞がどの爻・どの象について言うかを指摘する。上下句の意味がもともと連属しないものも、必ず指摘する。これが自ら一つの義例を成す。
卦爻辭往往相反。如履彖曰「不咥人」,爻曰「咥人凶」;無妄彖曰「不利有攸往」,爻曰「往吉」是也。又大象每相反以見義,如同人曰「辨物」,無妄曰「時育萬物」是也。先儒無知其故者。豈知卦有卦義,爻有爻義,象有象義,絕不同也。
卦辞と爻辞はしばしば正反対である。例えば『履』卦辞は「虎の尾を履み、人を咥えず」と言うが、六三爻辞は「虎の尾を履み、人を咥いて凶」と言う。『无妄』卦辞は「其れ正に非ざれば眚あり、往く所有るに利あらず」と言うが、爻辞は往くを吉とする。また『大象伝』はしばしば反対に立義する。『同人』卦辞は人と和同することを説くのに、『大象』は「君子は類族して物を辨ず」と、事物の族類を分別することを言い、『无妄』卦辞は妄動を戒めるのに、『大象』は「先王は茂く時に対して万物を育てたまう」と、天時に順って万物を育てることを言う。前代の学者にその故を知る者はいない。思いもよらぬことに、一卦には一卦の義、一爻には一爻の義、『象伝』には『象伝』の義があり、三者は断じて同じではないのである。
漢儒以象數解易,與春秋士大夫合,最為正軌。乃鄭玄於象之不知者則用爻辰,取象於星宿;虞翻則用爻變,使變出某卦以當其象。若此者亦不敢從也。
漢儒は象数をもって『易』を解し、その路数は春秋時代の士大夫の占法と一致し、もっとも正統である。ところが鄭玄は自分の知らない象に出会うと「爻辰」を持ち出し――六爻を十二辰に配し、二十八宿から象を取り、虞翻は「爻変」を持ち出し――ある爻を変動させて、無理やり別の卦を変出して所要の象に当てはめた。こうしたやり方には、本書も敢えて従わない。
易義有絕不能解者,先儒雖強說之,實皆無當。如同人九四之吉,自象傳不能詳其故,小畜九二同。易義如此者多有。茲編遇之,必詳言其難解之故,偶有揣測,亦不敢自信也。
『易』の義理にはどうしても解けない箇所があり、前代の学者は強いて説を立てたが、実はいずれも的を得ていない。例えば『同人』九四の「其の墉に乗る、攻め克く能わず、吉」がなぜ吉と断ぜられるかは、『象伝』からしてその故を詳らかにできない。『小畜』九二の「牽復して吉」も同じである。『易』にはこの種の通じない箇所が多い。本書はこれらに遇えば、必ずどこが解し難いかを詳しく言う。たまに推測を述べることがあっても、自ら信ずるに足るとは言えない。
吳摯父先生《易說》,於大畜云:凡陽之行,遇陰則通,遇陽則阻,故初、二皆不進,而三利往。於節云:易以陽在前為塞,陰在前為通,初之不出,以九二在前;二則可出而不出,故有失時之凶。此實全易之精髓,為二千年所未發。愚於易理粗有所入,實以此數語為之階,故特揭出,以尊師說。
私の師・呉汝綸(字は摯父)先生の『易説』は、『大畜』についてこう言う。「およそ陽爻が進むとき、前に陰爻に遇えば通じ、陽爻に遇えば阻まれる。だから『大畜』の初九・九二はともに進まず、九三に『往く所有るに利あり』と言う。」『節』卦についてはこう言う。「『易』は陽爻が前にあるのを塞がりとし、陰爻が前にあるのを通りとする。初九が『戸庭を出ず』なのは、九二が前に塞いでいるからであり、九二は出られるのに出ないから、『時を失う』の凶がある。」この数語はまさに全易理の精髄で、二千年の間誰も発明しなかった。私が易理にわずかに入り得たのは、実にこの数語を階梯としたからで、特に掲げ出して師説を尊ぶのである。
眼前事物皆為易理,俯取即是。例如雄雞與雄雞見則死鬥,驢馬尤甚,若有宿仇者,是何也?陽遇陽也。大畜初九曰「有厲利已」,厲,危;已,止也。初有應,但為二三所隔,遇敵故曰有厲,止而不動則災免矣,象曰「不犯災」,正釋厲義也。乃舊解謂厲指四爻。厲若在四,尚何貴此應與乎。不識災即厲,命二變成坎以取災象。豈知大壯初九「壯于趾征凶」,夬初九「壯于前趾往不勝」,壯,傷也,其故皆在陽遇陽。傷之與災,有何別乎。故夫目前易理,望之似淺,推之實深。昧厥目前,易雖一再言之,總不能知。
目の前の尋常な事物は、どれも皆易理であり、身をかがめれば拾える。例えば二羽の雄鶏が顔を合わせれば死ぬまで闘い、驢馬の間ではなおさら激しく、まるで宿敵のようだが、これはなぜか。陽が陽に遇うからである。『大畜』初九は「厲あり、已るに利あり」と言う。「厲」は危険、「已」は止まること。初九はもともと六四に応じているが、九二・九三の二つの陽爻に隔てられ、行く先々で同性の敵に遇うから「厲あり」と言い、止まって動かなければ災いを免れる。『小象』の「災いを犯さざるなり」は、まさに「厲」の字の義を釈している。ところが旧注は「厲」が六四の爻を指すと言う――危険が六四にあるなら、あの相応の爻に何の貴さがあろうか。彼らは「災」がすなわち「厲」だと知らず、九二に坎を変出させて「災」象を取るほかなかった。思いもよらぬことに、『大壮』初九は「趾に壮んなり、征くは凶」と言い、『夬』初九は「前趾に壮んなり、往けども勝たず」と言う。「壮」はすなわち「傷」で、その故はみな陽爻の前にまた陽爻に遇うことにある。「傷」と「災」とに何の区別があろうか。ゆえに目の前の易理は、見れば浅近のようで、推せば実に深遠である。目の前のことに蒙昧として察しなければ、『易』が再三指し示しても、ついに領会できない。
『周易尚氏学』総論
第一論「周易」二字の本詁
吳先生日:易者,占卜之名。《祭義》:「易抱龜南面,天子卷冕北面。」是易者占卜之名,因以名其官。《史記·大宛傳》:「天子發書易。」謂發書卜也。又武帝《輪臺詔》云:「易之,卦得大過。」易之,卜之也。說者以簡易、不易、變易釋之,皆非。愚案:《史記·禮書》云「能慮勿易」,亦以易為占。簡易、不易、變易,皆易之用,非易字本詁,本詁固占卜也。
呉先生は言う。「易」の字はもともと占卜の名である。『礼記・祭義』に「易、龜を抱きて南面す。天子、冕を卷きて北面す」とある。ここの「易」はすなわち占卜の名で、これによって占卜を掌る官をも呼んだ。『史記・大宛列伝』に「天子、書を発して易す」とあるのは、卜書を開いて卦を起こし占うこと。漢武帝の『輪台詔』に「之を易すに、卦大過を得」とある。「之を易す」とは「之を卜す」こと。後人が「簡易」「不易」「変易」の三義で「易」の字を釈するのは、いずれも誤りである。私が按ずるに、『史記・礼書』に「慮る能く、易う勿れ」とあるのも、「易」を占卜に用いている。簡易・不易・変易は『易』の功用を講ずるもので、「易」の字の本義ではない。本義はまさに占卜である。
至於周字,鄭康成注《周禮》三易,於連山、歸藏皆詳釋其義,於周易則缺而不釋。然康成《易論》云:「周易者,言易道周普,無所不備。」賈公彥云:「連山、歸藏皆不言地號,以義名易,則周非地號。周易純乾為首,乾為天,天能周匝於四時,故名易為周也。」孔穎達則據《世譜》等書,謂連山為神農,歸藏為黃帝,連山、歸藏既皆是代號,周易亦然,謂鄭說無據。按三易之名,皆緣首卦。連山以艮為首,上艮下艮,故曰連山;歸藏以坤為首,萬物皆歸藏於地,故曰歸藏;周易以乾為首,乾元亨利貞,即春夏秋冬周而復始,無有窮期,故曰周易。鄭論及賈疏所言是也,孔疏所據非也。
「周」の字については、鄭玄(字は康成)が『周礼』にいう「三易」を注して、『連山』『帰蔵』の二名には詳しく義を釈したが、『周易』に対してだけは釈を欠いた。ただし彼は『易論』でこう言った。「いわゆる『周易』とは、易道が周遍して普く及び、備わらぬ所なきを言う。」唐の賈公彦はこれを申して、「『連山』『帰蔵』はいずれも地名を標目とせず、義を取って命名した。ゆえに『周』もまた地名ではない。『周易』は純乾卦を首とし、乾は天であり、天は四時を周遍してめぐるから、この易を『周』と名づけた」と言う。孔穎達は『世譜』の類の書に拠って、『連山』は神農・『帰蔵』は黄帝に属するとし、『連山』『帰蔵』がともに朝代の名号である以上『周易』もまた朝代名であり、だから鄭玄の説は根拠がないという。私が按ずるに、三易の名はいずれも各自の首卦に由来する。『連山』は艮を首卦とし、上体艮・下体艮で二つの山が連なるから「連山」という。『帰蔵』は坤を首卦とし、万物が終に大地に帰蔵するから「帰蔵」という。『周易』は乾を首卦とし、乾の徳の「元亨利貞」はすなわち春夏秋冬が周して復初して窮まりがないから「周易」という。鄭玄の『易論』と賈公彦の疏の言うところが正しく、孔穎達の拠った説は誤りである。
神農之兼號連山,黃帝之兼號歸藏,乃因其所演之易名,後人偉其功,即以為號,非其易原無名,連山氏所演者即名連山,歸藏氏所演者即名歸藏也。何言之?連山、歸藏皆因卦首之艮、坤而得名,顯而易見。二帝之所以有此兼號者,亦猶神農創建農功,即以神農為號耳。且連山、歸藏,先儒亦謂為夏商易,益可證連山、歸藏之名乃因易而起,非以連山、歸藏標代號。如為代號,胡能又謂為夏商?孔氏之觀察誤也。
神農が「連山氏」の号を兼ね、黄帝が「帰蔵氏」の号を兼ねたのは、彼らが推演した易がその名を持っていたからで、後人がその功績を重んじて易名をもって彼らの称号としたのであって、あの二つの易にもともと名がなく、連山氏が推演して初めて『連山』と名づき、帰蔵氏が推演して初めて『帰蔵』と名づいたのではない。なぜこう言うか。『連山』『帰蔵』は明らかに首卦の艮・坤によって名を得たので、見ればすぐ分かる。この二帝がかような兼号を持ったのは、ちょうど神農氏が農事を創建したので人々が「神農」と呼んだのと同じである。しかも『連山』『帰蔵』は、前代の学者もまた夏代の易・商代の易と言う。これはこの二つの名称が易に因って起こったことをいっそう証明し、「連山」「帰蔵」をもって朝代を標示したのではない。もし本当に朝代の名号なら、どうしてまた夏易・商易と言えようか。孔穎達の観察は誤りである。
周者,易之理。十二消息卦,周也;元亨利貞,周也;「大明終始,六位時成」,周也。彖傳分釋元亨利貞既畢,又曰「首出庶物」,即貞下啟元也,周也。古聖人之卦氣圖,起中孚,終頤,周也。此其理惟揚子雲識之最深。《太玄》以「中」擬中孚,以「周」擬復,終以「養」擬頤,其次序與卦氣圖絲毫不紊。
「周」とは『易』の理を講ずる。十二消息卦(辟卦)の陰陽消長の一回りは「周」、元・亨・利・貞の四徳の循環は「周」、『乾・彖伝』の「大明終始、六位時成」(日月が終始を照徹し、六爻が時に依って成る)も「周」である。『彖伝』は元亨利貞を一々釈し終えて、末にまた「首出庶物」と言う。まさに「貞」が尽きて「元」がまた始まるので、やはり「周」である。古聖人の卦気図は、『中孚』に起こり『頤』に終わり、首尾が相い銜いて同じく「周」である。この理を深く体得したのは漢の揚雄(字は子雲)だけである。彼の『太玄』は「中」首をもって『中孚』に擬し、「周」首をもって『復』に擬し、最後に「養」首をもって『頤』に擬する。その先後の次序は卦気図と絲毫も乱れない。
而於玄首則釋其所以然。其罔、直、蒙、酋、冥,即元亨利貞,故以中、羨、從為始,更、睟、廓為中,減、沉、成為終,循環往來,無一非周之理。而於三易終西北、始西北之義,尤推闡無遺。西北者,戍亥。《乾鑿度》以戍亥為天門,莊子云:「有乎生,有乎死,有乎出,有乎入,入出而無見其形,是謂天門。天門者,無有也,萬物出乎無有。」蓋一歲之事,至乾而終,復自乾而始,有無出入,皆以戍亥為樞紐。故先天艮居戍亥,連山以為首;月卦坤居戍亥,歸藏以為首;後天乾居戍亥,周易以為首。明乎此,而周字之解詁,不待煩言矣。
そして『太玄』の「玄首」の部分で、揚雄はまたこのように配列した所以を釈した。彼の立てた「罔・直・蒙・酋・冥」の五段階は、元・亨・利・貞に相当する。だから中・羨・従の三部をもって始めとし、更・睟・廓の三部を中とし、減・沈・成の三部を終わりとし、循環して往復し、一つとして「周」の理でないものはない。また三易がいずれも西北に終わりまた西北に始まるという義については、なおさら推し闡き尽くしている。西北は十二支でいえば戌・亥の二位である。『乾鑿度』は戌亥を「天門」と呼び、『荘子』は言う。「生あり、死あり、出あり、入あり。出入して其の形を見ず。これを天門と謂う。天門とは無有なり。万物は無有より出ず。」大抵一年の事は乾位に至って終わり、また乾位から始まる。有と無・出と入は、すべて戌亥を枢軸とする。だから先天八卦方位では艮が戌亥に居り、『連山』は艮をもって首卦とし、十二月卦では坤が亥に居り、『帰蔵』は坤をもって首卦とし、後天八卦方位では乾が戌亥に居り、『周易』は乾をもって首卦とする。この一層を明らかにすれば、「周」の字の訓詁はもはや煩言を待たない。
第四論『周易』は誰が作ったか
《左傳》韓宣子適魯,觀易象與魯春秋,曰:「吾乃知周公之德,與周之所以王也。」周公之德,由魯春秋知之;周之所以王,則由易象知之。蓋文王演易,其憂勤惕厲之精神備見於易辭,故一觀易辭(凡易辭皆易象)即知文王之所以王,是春秋人以文王演易。《繫辭》云:「易之興也,其當殷之末世、周之盛德邪?當文王與紂之事邪?」是孔氏以文王演易。後太史公、揚子雲之屬,亦以文王演易於羑里。既曰演易,則卦爻辭皆文王所作,自西漢以前無異議也。
『左伝』は韓宣子が魯に使いして『易象』と『魯春秋』を観て、「吾まさに周公の徳と、周の王たる所以とを知るなり」と言ったと記す。周公の徳は『魯春秋』から知ったのであり、周が王たる所以は『易象』から知ったのである。文王が『周易』を推演し、その憂勤惕厲の精神がことごとく卦爻辞に現れているから、易辞を一観すれば(易辞は句々みな易象から生まれる)文王がなぜ王業を成し得たかが分かる。春秋の人がすでに『易』を文王の演じたものと認めていたことが分かる。『繋辞伝』は言う。「『易』の興りしや、其れ殷の末世・周の盛徳に当たるか。文王と紂との事に当たるか。」これは孔子も『易』を文王の演じたものと見ていたことを示す。後に司馬遷・揚雄の輩も、皆文王が羑里で『周易』を演じたと言う。「演易」と言う以上、卦辞・爻辞は皆文王の作であり、西漢以前に異議はなかった。
祇京氏《積算法》云:「西伯父子,推爻考象,加乎星宿,局於六十四所,二十四氣。」夫以五星二十八宿及二十四氣入卦,乃占筮之事,京舉此以明其術之所本,正言周公作卦氣圖與時訓也,非謂周公作易。至東漢王充、馬融、陸績之儔,忽謂文王演卦辭,周公演爻辭,孔穎達、朱子等皆信之,而究其根據,則記載皆無。孔穎達以升六四言王,明夷六五言箕子,既濟九五言西鄰受福,及韓宣子見易象知周公之德為解。豈知升六四言王,以震為王,震為陵,形兩歧,故曰「王用亨於歧山」,岐、歧通也。即使有所指,亦指殷王。文王終身服事殷,故盼王來享,情見乎辭。今謂不合自稱為王,以文王追諡為說,故疑為周公,其謬一也。
ただ京房の『積算法』が言う。「西伯の父子は、爻位を推し卦象を考え、星宿を加え、六十四の所と二十四気の内に局る。」五星・二十八宿と二十四気を卦に配するのは占筮の事であり、京房がこの句を挙げたのは自らの術数の本拠を明らかにするためで、まさに周公が卦気図と『時訓』を作ったことを言うのであって、周公が『易』を作ったとは言っていない。東漢に至り、王充・馬融・陸績の輩が忽然として、卦辞は文王の演・爻辞は周公の演と唱え、孔穎達・朱熹らは皆これに信従した。しかしその根拠を追及すれば、典籍に記載は一条もない。孔穎達の理由は、『升』六四が「王」と言い、『明夷』六五が「箕子」と言い、『既済』九五が「西隣福を受く」と言い、これに韓宣子が『易象』を観て周公の徳を知ったことを加える。思いもよらぬことに『升』六四が「王」と言うのは、震が「王」の象を取るからであり、震はまた「陵」の象を取り、震の卦形は上に二歧が開くから「王岐山に亨りを用う」と言うのである――「岐」と「歧」は通じる。たとえこの句に真に指す所があったとしても、指すのは殷王である。文王は終身殷に臣事したから、殷王が来り享ることを望んだ。その情は辞の中に歴然と見える。今、文王が自ら王と称するべきではないと言い、また「文王」が死後の追諡であると立論して、爻辞が周公に出たと疑うのは、第一の謬誤である。
至明夷六五之箕子,與彖傳之箕子絕對不同。彖傳之箕子,紂臣也;六五之箕子,則趙賓讀為荄茲,劉向、荀爽讀為荄滋,王弼讀為其茲,蜀才讀為其子,而焦氏易林則讀為孩子,孩子指紂,與《論衡》讀微子之刻子為孩子同也(古亥音皆音喜,皆與箕音通)。且以六五之君位,而使紂臣居之可乎?馬融知其不可,以箕子演疇、有帝王之德為解,然何以解於「箕子之明夷」?彖傳謂箕子晦其明,今謂箕子明夷,則竟不明矣,其謬二也。
さらに『明夷』六五の「箕子」は、『彖伝』の箕子とは絶対に別物である。『彖伝』のいう箕子は紂王の臣である。六五の「箕子」は、漢の趙賓は「荄茲」(草根の滋う)と読み、劉向・荀爽は「荄滋」と読み、王弼は「其茲」と読み、蜀才は「其子」と読み、『焦氏易林』は「孩子」と読む――「孩子」は紂王を指し、『論衡』が微子の「刻子」を「孩子」と読むのと同じ路数である(古音で「亥」は「喜」のごとく読み、いずれも「箕」の音と通ず)。しかも六五は君位であり、紂王の臣を君位に居らせてよいものか。馬融はそう講じられないと知り、箕子が『洪範』九疇を演じ帝王の徳を有したと改めて解いた。しかしでは「箕子の明夷」をどう講ずるか。『彖伝』は箕子が自らその明を晦ましたと言うのに、今もし箕子が「明夷」の中に居ると言えば、それは彼自身が明ならざることになる。これが第二の謬誤である。
至既濟九五之東鄰西鄰,原以離坎為東西,以離為牛,以互震為祭,純是觀象繫辭。乃漢人忽有東鄰指紂、西鄰自謂之曲說,在文王固不合,在周公尤不合,周公時何來紂與為鄰?且語意之膚淺,聖人有若是者乎?其謬三也。至韓宣子觀易象之語,解已見前。且杜注云:「易象春秋,文王周公之制。」謂文王制易象,周公制春秋,解甚分明。今忽因「吾乃知周公之德」一語(述孔舊說),謂周公遭流言,亦得為憂患,必亦演易,尤為虛妄不實,其謬四矣。故夫周易卦爻辭,純為文王一人所作,其欲加入周公者,毫無根據,不可信也。(西溪易說云:文王囚中演易,周公未必生,即生亦子云家之童鳥也,豈能演易?駁孔說至詳。)
『既済』九五の「東隣」「西隣」は、もともと離を東・坎を西とし、離に「牛」の象を取り、互体の震に「祭」の象を取る、純粋に象を観て辞を繋いだものである。ところが漢人に忽然と「東隣は紂王を指し、西隣は文王の自謂」という曲解が生まれた。この言を文王に当てはめてももとより合わず、周公に当てはめればなおさら合わない――周公の時に、どこに紂王がいて隣を為したか。しかもこのように解すれば語意がいかにも浅薄であり、聖人がかような言を発するものだろうか。これが第三の謬誤である。韓宣子が『易象』を観た言については、前にすでに釈した。しかも杜預の注は言う。「『易象』『春秋』は文王・周公の制なり。」文王が『易象』を制し周公が『春秋』を制したというので、釈はきわめて分明である。今、忽然と「吾まさに周公の徳を知る」の一句に依って(それは孔穎達の旧説の転述)、周公は流言の謗りに遭いまた忧患に処したと言い、必ずや『易』を演じたろうとするのは、なおさら虚妄不実である。これが第四の謬誤である。ゆえに『周易』の卦辞爻辞は純粋に文王一人の作であり、周公をも加えようとする説は根拠が毫もなく信ずべからず。(『西渓易説』は言う。文王が囚中で『易』を演じた時、周公は未だ生まれていなかったかもしれず、生まれていたとしても揚雄の家の早熟の童鳥のような小児にすぎず、どうして『易』を演じられようか。孔穎達説の駁斥はきわめて詳しい。)
第五論 重卦
孔穎達云:王輔嗣以為伏羲重卦,鄭玄以為神農重卦,孫盛以為夏禹重卦,史遷以為文王重卦。今以諸文驗之,說卦云:「昔者聖人之作易也,幽贊於神明而生蓍。」凡言作者,創造之謂,非伏羲不足以當之。故乾鑿度云「垂皇策者羲」,明蓍在六爻之後,非三畫之時。伏羲既用蓍,即伏羲巳重卦矣,今依王輔嗣為得其實。按孔說是也。鄭以為神農重卦者,蓋以周禮太卜有「三易經卦皆八,其別皆六十有四」之文,鄭彼注云「別即重卦」,而世譜等書謂神農兼號連山,故鄭謂其始重卦。惟杜子春謂連山為宓戲易,賈公彥云:「連山以艮為首,上艮下艮,故曰連山。」若然,宓戲畫卦即重為六十四卦,愈無疑也。
孔穎達は言う。王弼(輔嗣)は伏羲が重卦したとし、鄭玄は神農が重卦したとし、孫盛は夏禹が重卦したとし、司馬遷は文王が重卦したとする。今、諸家の文字をもって験するに、『説卦伝』は「昔者聖人の易を作るや、幽く神明に賛して蓍を生ず」と言う。およそ「作」と言うのは創造の謂で、伏羲をおいてこれに当たる者はない。ゆえに『乾鑿度』は「皇策を垂れたる者羲なり」と言う。蓍占が六爻既備の後に生まれたのであって、三画卦の段階ではないことが明らかである――伏羲がすでに蓍草を用いて卦を起こした以上、伏羲はすでに重卦していたのである。やはり王弼の説が実情にもっとも合う。私が按ずるに、孔穎達のこの言は正しい。鄭玄が神農の重卦を主張したのは、おそらく『周礼・太卜』の「三易の経卦は皆八、その別は皆六十有四」という文に拠ったのであり、鄭玄はそこに「別とはすなわち重卦」と注し、『世譜』の類の書は神農が「連山氏」の号を兼ねたと言うから、鄭玄は重卦が神農に始まるとしたのである。ただ杜子春は『連山』を伏羲(宓戯)の易と言い、賈公彦もまた「『連山』は艮を首とし、上艮下艮だから連山と言う」と言う。もしこの説に照らせば、伏羲が卦を画いた時にすでに重ねて六十四卦としていたのであって、なおさら疑いない。
第六論『十翼』は誰が作ったか
薈萃夫子之說者。夫子之說,如彖傳言「時乘六龍以御天」,言「雲行雨施」,文言亦言之,而上下繫辭意重複者尤多,蓋皆夫子所說,前後不一時,而記錄者亦未必為一人,故辭重意復如是,而非夫子自為也。蓋周易得夫子之十翼,門戶始開,而十翼幽奧之辭,其難解過於周易。朱子云有文王之易,有孔子之易,孔子之易即十翼,故十翼非孔子不能為、不敢為,而紀錄十翼者,則孔子之門人也。(疑雜卦或夫子自為之。其敘次卦位,上經先一陽卦,次二陽三陽,次四陽,而損益則次於上經之第十卦,否泰則次於下經之第十卦,其位次與經同,其義蓋與經大異。此等改作,七十子不敢也。惜其大義失傳久,無有能說者。)
『十翼』は孔子の言説を荟萃して成ったものである。孔子の説は、例えば『乾・彖伝』が「時に六に六龍に乗りて以て天を御す」と講じ「雲行き雨施る」と講じるのを、『文言』も同じく講じ、また『繋辞』上下篇の中に意の重複する所はなおさら多い。これは皆孔子の口から出た言が前後同じ時でなく、記録した者も必ずしも一人ではなかったからで、文辞と意思がこのように重畳反復するのであり、孔子が自ら筆を執って書き成したのではない。『周易』は孔子の『十翼』を得て、ようやく門戸が開かれた。しかし『十翼』の文辞は幽奥で、かえって『周易』経文より解し難い。朱熹は言った。文王之易あり、孔子之易あり。孔子之易はすなわち『十翼』である。ゆえに『十翼』は孔子でなければ作ることも敢えてすることもできず、『十翼』を記録した者は孔子の門人である。(私は『雑卦伝』はあるいは孔子の自作ではないかと疑う。それが卦序を並べるのに、上経はまず一陽の卦を列し、次に二陽・三陽、次に四陽とし、『損』『益』を上経の第十卦に次ぎ、『否』『泰』を下経の第十卦に次ぐ。その位次は経と同じだが、その義は経と大いに異なる。こうした改作は、七十子の弟子には敢えてできないことである。惜しいかなその大義は失伝して久しく、説き明かせる者がいない。)
第七論『十翼』の篇名
十翼篇名,史漢皆未詳說。依楊子云所擬,則象傳、文言、說卦、序卦、雜卦共五篇,而玄攡、玄瑩、玄掜、玄圖、玄告,皆擬繫辭,似繫辭原為五篇,足成十翼之數。而孔穎達謂經有上下,則以上彖一,下彖二,上象三,下象四,上繫五,下繫六,文言七,說卦八,序卦九,雜卦十。後儒又各有分配,然無關宏旨,故略而不詳。
『十翼』十篇の名目は、『史記』『漢書』ともに詳しく記していない。揚雄『太玄』の擬した所によると、『象伝』『文言』『説卦』『序卦』『雑卦』の計五篇であり、『玄攡』『玄瑩』『玄掜』『玄図』『玄告』の五篇はいずれも『繋辞』を擬したもので、『繋辞』はもともと五篇に分かれていたらしく、合わせてちょうど「十翼」の数になる。孔穎達は経文に上・下の二篇があるからとして、こう配分した。上『彖』第一、下『彖』第二、上『象』第三、下『象』第四、上『繋』第五、下『繋』第六、『文言』第七、『説卦』第八、『序卦』第九、『雑卦』第十。後代の学者にもそれぞれ分け方があるが、いずれも大旨に関わらないので、略して詳述しない。
第八論 彖・象が経に連なるのは誰に始まるか
彖象原各自為篇,而今本皆附於經文之下。後儒謂費直專以十翼解易,彖象連經始於費直,此無稽之言。史但言直以十翼說易耳,安見其以彖象連經,不合一。史言費直無章句,以彖象連經,是有章句也,不合二。劉向校諸家易,獨費直與中古文合,設以彖象連經,向早言之矣,尚能與中古文合乎,不合三也。考三國志高貴鄉公傳云:「彖象本不連經,今鄭玄注連經何也?」是以彖象附於經文下者,實始於康成也。
『彖伝』『象伝』はもともとそれぞれ独立した篇だったが、今の本ではいずれも経文の下に附されている。後代の学者は、費直が専ら『十翼』で『易』を解し、『彖』『象』を経文に併せたのは費直から始まると言う。これは根拠のない言である。史書はただ費直が『十翼』で『易』を説いたと言うだけで、どこに『彖』『象』を経文に併せたことが見えようか。これが第一の不合である。史書は費直に「章句なし」と言う。もし『彖』『象』を経文に併せたなら、それは章句を有することになる。これが第二の不合である。劉向が各家の『易』本を校勘した時、費直本だけが皇家秘府蔵の「中古文」本と合した。もし彼が『彖』『象』を経文に併せたなら、劉向はとっくに指摘していたはずで、なお中古文本と合すると言えようか。これが第三の不合である。『三国志・高貴郷公伝』の記載を考するに、「『彖』『象』はもともと経に連ならざるに、今鄭玄の注は経に連ねるは何ぞ」という。『彖』『象』を経文の下に附すのは、実は鄭玄(康成)に始まるのである。
第九論『易』を伝えた人々
漢書儒林傳云:商瞿子木受易於孔子,以授魯橋庇子庸,子庸授江東馯臂子弓,子弓授燕周丑子家,子家授東武孫虞子乘,子乘授齊田何。漢興,因何授雒陽周王孫、梁人丁寬,丁寬授田王孫,田王孫授施讎、梁丘賀、孟喜。由是得孔氏嫡傳者,有施、孟、梁丘三家之學。三家中以孟喜能兼明陰陽,畢田生之業。孟喜授焦延壽,延壽授京房,由是又有京氏之學。此外有高相,專明陰陽災變,自言出於丁將軍。費直專以十翼解易,其傳授不明。此西漢傳易之大略也。
『漢書・儒林伝』に記す。商瞿(字は子木)が孔子から『易』を受け、魯の橋庇(字は子庸)に授け、子庸は江東の馯臂(字は子弓)に伝え、子弓は燕の周丑(字は子家)に伝え、子家は東武の孫虞(字は子乗)に伝え、子乗は斉の田何に伝えた。漢が興ってから田何の系統を襲い、田何は雒陽の周王孫と梁人の丁寛に伝え、丁寛は田王孫に伝え、田王孫は施讐・梁丘賀・孟喜に伝えた。これによって孔門の嫡伝を得たものとして、施・孟・梁丘の三家の学があった。三家のうち孟喜は陰陽災異の説を兼ね通じ、田王孫の学業を尽くした。孟喜は焦延壽に伝え、焦延壽は京房に伝え、これによってまた京氏の易学が生まれた。このほか高相があり、専ら陰陽災変を講じ、自ら丁寛(丁将軍)の系統に出ると称した。費直は専ら『十翼』で『易』を解したが、その師承の来歴は明らかでない。以上が西漢の『易』学伝授の大体である。
第十論 消息卦の古さ
亦曰月卦,曰候卦,曰十二闢卦,為全易之本根,大玄之綱領。清儒毛西河等動以月卦屬之漢人,此大誤也。干寶周禮注引歸藏云:復子、臨丑、泰寅、大壯卯、夬辰、乾巳、姤午、遯未、否申、觀酉、剝戌、坤亥,是月卦已見於二易。故坤彖及上六交辭,非用月卦不能解,明以坤居亥也。左傳得復卦,曰「南國蹙,射其元王,中厥目」,以復居子,尤為顯著。後漢人注易,往往用月卦而不明言,以月卦人人皆知,不必揭出,其重要可知巳。
「消息卦」は「月卦」・「候卦」・「十二辟卦」とも言い、全『易』の本根であり、揚雄『太玄』の綱領でもある。清代の学者毛奇齢(西河)らはしばしば月卦を漢人の作とするが、これは大きな誤りである。干宝が『周礼』に注して『帰蔵』を引く。『復』は子月に配し、『臨』は丑、『泰』は寅、『大壮』は卯、『夬』は辰、『乾』は巳、『垢』は午、『遯』は未、『否』は申、『観』は酉、『剥』は戌、『坤』は亥。月卦は『連山』『帰蔵』の二易にすでに見えることが分かる。ゆえに『坤・彖伝』と坤卦上六の爻辞は、月卦を用いなければ講じられない――坤は明らかに亥月に配され、亥はまさに乾の方位だから、上六に「龍野に戦う」と言うのである。『左伝』に筮して『復』卦を得たと記し、「南国蹙まり、其の元王を射て、厥の目に中る」(南方の国が窮し、その君王を射て目に当たる)と言うのは、『復』が子月に配されて正北に居り、陽気が北から南へ射去るからであり、この条はなおさら顕著である。後に漢代の人が『易』に注する時、しばしば月卦を用いながら明言しないのは、月卦が誰でも知っていてあえて掲げる必要がなかったからである。その重要性はこれで分かる。
第十一論 先天・後天の方位
八卦圓布四方,各有其位,而先後不同。蓋易之道一動一靜,互為其根。先天方位,乾南坤北,離東坎西,一陰一陽,相偶相對,乃天地自然之法象,靜而無為。惟陰陽相對必相交,坤南交乾,則南方成離;乾北交坤,則北方成坎。先天方位遂變為後天,由靜而動矣,周易所用者是也。然周易雖用後天,後天實由先天禪代而來,不能相離,故說卦首以「天地定位,山澤通氣」演先天卦位之義,再明指後天。誠以經中如坤卦、蹇卦,以坤為西南,從後天位;而既濟九五,則以離為東,坎為西,從先天位,說卦不得不兼釋也。
八卦は四方に環布してそれぞれ方位を占めるが、先天と後天では並べ方が異なる。およそ『易』の道は一動一静で互いにその根と為す。先天方位は乾が南、坤が北、離が東、坎が西で、一陰一陽が両々相い偶し相い対する。これは天地自然の法象で、静にして無為である。しかし陰陽は相い対すれば必ず相い交じる。坤が北から来て南の乾に交じれば南方は離となり、乾が南から往って北の坤に交じれば北方は坎となる。先天方位はこうして後天方位に変わり、静より動に転じたのであり、『周易』の用いるのはまさに後天である。しかし『周易』は後天を用いるとはいえ、後天は実は先天から禅代して来たもので、二者は切り離せない。だから『説卦伝』はまず「天地位を定め、山沢気を通ず」の数句で先天卦位の義を敷衍してから、後に後天を明確に指す。まことに経文には二つの方位が併存するからである。『坤』卦辞・『蹇』卦辞が「西南」と言うのは、坤を西南に置く後天方位であり、『既済』九五が東隣西隣を講ずるのは、離を東・坎を西とする先天方位である。『説卦伝』は両者を併せ釈せざるを得ない。
及後天方位,以說卦明指,人知之;先天方位,至魏晉而失傳。以餘所考得,西漢焦延壽於先天方位無不知,易林皆用之(詳焦氏易詁)。九家注同人曰「乾舍於離,同日而居」,夫曰乾舍於離,是以乾居南也。後荀爽亦曰「乾舍於離,相與同居」,夫曰干與離同居,是亦以乾居南。荀爽又注「陰陽之義配日月」云:「乾舍於離,配日而居;坤舍於坎,配月而居。」是不惟以乾居南,並以坤居北。又注家人云「離巽之中有乾坤」,是以離與乾同位,巽與坤同位,故曰離巽之中有乾坤。
後天方位については、『説卦伝』が明文で指し示すから誰もが知っているが、先天方位は魏晋に至って失伝した。私の考証する所では、西漢の焦延壽は先天方位を知らざることなく、『焦氏易林』は全篇これを用いている(詳しくは『焦氏易詁』に見るべし)。「九家易」が『同人』に注して「乾は離に舎す、日と同じくして居る」と言う――乾が離に寄舎すると言うのは、乾を南方に居らせている。後に荀爽もまた「乾は離に舎す、相い与に同居す」と言う――乾と離が同一位に居ると言うのも、同じく乾を南方に置くことである。荀爽はまた『繋辞』の「陰陽の義は日月に配す」に注して、「乾は離に舎して日に配して居り、坤は坎に舎して月に配して居る」と言う。これは乾を南に居らせるだけでなく、坤を北に居らせることにもなる。彼が『家人』に注してまた「離・巽の中に乾坤あり」と言うのは、離と乾が同一位、巽と坤が同一位という意味で、だから離巽の中に乾坤が含まれるという。これらはまさに先天方位である――乾は南で離も南、坤は西南で巽も西南。
又鄭玄注月令「季夏,國多風欬」,云「辰之氣乘之也,未屬巽辰,又在冀位」。按季夏為未月,巽初主丑未,故未屬巽辰;又在巽位者,言未在西南,巽亦在西南,故云未在巽位。孔氏不知先天卦位,故此句不能釋。是先天方位在兩漢皆未失傳。至魏管輅,謂乾必宜在南生,以乾位西北為不合,而疑聖人矣,則以先天位已失傳,輅但見其尾,不見其首也。歷魏晉迄唐,無有知者。至宋邵子揭出,易本始大明,而黃梨洲、毛西河等以邵氏所傳本於道士,肆力掊擊,若非是不足以衛道者;而耳食者流不加詳察,懵然從之,成為風氣。
また鄭玄が『礼記・月令』の「季夏の月、国中に風欬(風邪の咳)多し」に注して、「これは辰位の気が乘じた所致で、未は巽辰に属し、また巽位に在る」(原文の「冀位」は「巽位」の誤りと思われる)と言う。按するに季夏は未月で、巽卦の初爻は丑・未の二辰を主るから「未は巽辰に属す」と言い、それが「また巽位に在る」と言うのは、未が西南にあり、先天の巽も西南にあるから、未が巽位に処すると言うのである。孔穎達は先天卦位を知らないから、この句を釈できない。これは先天方位が両漢でいずれも失伝していなかったことを示す。魏の管輅に至って、乾は必ず南方に生ずべきで、乾を西北に置くのは不合理として、聖人を疑うに至った。これは先天方位が彼の時にすでに失伝していたからで、管輅は後天という尾だけを見て先天という頭を見なかったのである。それ以後、魏晋を経て唐に至るまで、先天方位を知る者はいなかった。宋の邵雍がそれを掲げ出すに至って、『易』の本源はようやく再び大いに明らかになった。ところが黄宗羲(梨洲)・毛奇齢(西河)らは、邵雍の伝えたところが道士に出たという理由で力を尽くして攻撃し、こうしなければ聖道を衛護するに足らないかのようであった。そして聞き伝えの輩は詳察を加えず、懵然としてこれに従い、ついに風気を成した。
實左傳閔二年,大有之幹曰「同復於父,敬如君所」,所者位也,復者復其位也。離變乾,乾為父,故同復於父;乾為君,乾之所在南,離亦在南,故人之敬離位如干位也。又成十六年卦遇復,曰「南國蹙,射其元,王中厥目」,夫乾為王為首,凡學易者皆知之,陽氣自北射南,故離目受咎;乾亦在南,故乾首亦受咎而被射也。杜注但知離在南,故能釋目象;不知乾南,故王象元象不能釋也。又萬裕澐云:左傳「如山嶽則配天」、「風行而著於土」、「川壅為澤」、「震之離亦離之震」,是艮與乾同位西北,巽與坤同位西南,坎兌同位西,震離同位東,左氏已備言之,故荀爽、鄭玄資以注經。他若干鑿度,言先天義尤多也。
実は『左伝』閔公二年に筮して『大有』が『乾』に変ずるを記し、「同じく父に復る、君の所のごとく敬す」と言う。「所」とは位であり、「復」とは本位に帰ることである。『大有』の下体の離が乾に変じ、乾は父だから「同じく父に復る」と言い、乾は君で、乾の在る所は南、離もまた南だから、人が離位を敬すること乾位のごとくという。また成公十六年に筮して『復』卦に遇い、「南国蹙まり、其の元を射て、王、厥の目に中る」と言う。乾は王・首であり、およそ『易』を学ぶ者は皆知っている。陽気が北から南へ射去るから、離の象る目が咎を受け、乾もまた南にあるから、乾の象る頭も同じく咎を受けて射られる。杜預は注を作るに離が南にあることだけを知っていたから「目」象を釈し得たが、乾が南にあることを知らなかったから、「王」象・「元」(首)象を釈することができなかった。また万裕澐は言う。『左伝』の「山岳のごとければ天に配す」「風行きて土に著す」「川壅れて沢と為る」「震之離も亦離之震なり」という言は、まさに艮と乾が同じく西北に位し、巽と坤が同じく西南に位し、坎と兌が同じく西に位し、震と離が同じく東に位することを説くのであり、左丘明はとっくにこれを言い尽くしている。だから荀爽・鄭玄はこれに資って経に注したのである。そのほか『乾鑿度』の類は、先天の義を講ずる所がなお多い。これらはみな、先天方位が邵雍の道士から借りた新説ではないことを十分に示している。
第十二論 易理・易象失伝後の易派
凡春秋人說易,無一字不根於象,漢人亦然。惟古書皆竹簡,本易散亡,王莽亂起,中原經兵燹者十數年,至漢末,西京易說皆亡,獨存孟、京二家,以無師莫能傳習,於是韓宣子所謂易象者頗多失傳。東漢儒者知說易不能離象也,於象之知者說之,其不知者則當敬闕其疑,乃虞翻浪用卦變,鄭玄雜以交辰,虛偽支離,使人難信。王輔嗣遂乘時而起,解縛去澀,掃象不談,唐李鼎祚所謂野文也。自是易遂分為二派。其以輔嗣為宗者,喜其無師可通,顯於晉,大於唐,而莫盛於宋,所謂義理之學也,實所謂義理者於易理無涉。朱子晚年深悟野文之非,低訾程傳先辭後象之顛倒,然卒不敢改其本義,以違忤時尚。易學之衰落,蓋莫甚於此時。
およそ春秋の人が『易』を講ずるに、一文字も卦象を根拠としないものはなく、漢代の人も同様である。ただ古書は皆竹簡に書かれ、もともと散亡しやすかった。王莽の乱が起こると中原は十数年兵火に遭い、漢末に至って西京の易説は皆亡び、ただ孟喜・京房の二家のみが残ったが、師がなくて伝習できる者もおらず、そこで韓宣子がかつて言った「易象」は、多くが失伝した。東漢の儒者は『易』を説くに象を離れる可からざるを知っていたが、知る象については説き、知らざる象については本来なら敬して疑を闕くべきであった。ところが虞翻は「卦変」を濫用し、鄭玄は「爻辰」を雑入し、虚偽支離で人に信じ難くさせた。王弼はここにおいて時に乗じて起こり、これらの束縛を一切解き、卦象を掃き去って語らなかった。これが唐の李鼎祚が譏った「野文」である。ここから『易』学は二派に分かれた。王弼を宗とする一派は、師なくしても読み通せることを喜び、晋に顕れ、唐に大きくなり、宋に最も盛んになった。いわゆる「義理之学」であるが、実は彼らのいう義理は真の易理と渉りがない。朱熹は晩年に深く「野文」の路の非を悟り、程頤『易伝』の文辞を先にし卦象を後にする本末転倒をも貶した。しかしついに自ら著した『周易本義』を改めることを敢えてせず、一時の風尚に背くことを恐れた。『易』学の衰落は、この時ほど甚だしいものはない。
其以荀虞為宗者,號為漢易,以別於野文家,極力復古。惟其所宗,適當易象失傳之後,於象之不知者仍用卦變爻變,奉虞氏遺法為天經地義。於是焦循變本加厲,於象之不知、義之不能通者,以一卦變為六十四以求其解,其弊遂與談空者等。然漢學家於訓詁必求其真,無空滑之病,少越軌之談,一洗元明以來講章之霾霧,於初學較便也。
荀爽・虞翻を宗とする一派は「漢易」と号して「野文」の学と区別し、復古に力を尽くした。ただし彼らの宗とする時代は、ちょうど易象が失伝した後に当たった。知らない象に遇えば、やはり「卦変」「爻変」を持ち出し、虞翻の遺した法を天経地義と奉じた。清代の焦循に至るとさらに変本加厲し、象を知らず義の通じない所では、一つの卦に六十四卦を変出させて解を求め、その弊は空理を談ずる一派と同等に至った。ただし漢学家は訓詁において必ずその真確を求め、空疏滑易の病がなく、出格な臆説も少なく、元明以来の講章の靄霧を一掃したので、初学の者には比較的便利であった。
『周易尚氏学』巻一 上経
乾卦
乾。元亨利貞。
乾卦の卦辞は「元・亨・利・貞」の四字である。乾は六十四卦の首で、六爻がすべて陽である。「元」は万物の始まり、「亨」は通達、「利」は調和して宜しきを得ること、「貞」は正しくかつ固いこと。尚氏の講ずる所によれば、この四徳はまたそれぞれ春・夏・秋・冬と東・南・西・北に配され、循環往復して永く窮まる期がない。
說卦「乾,健也」。於夏傳「元,始也;亨,通也;利,和也;貞,正也」。蓋天之體以健為用,而天之德莫大於四時。元亨利貞即春夏秋冬,即東南西北,震元、離亨、兌利、坎貞,往來循環,不忒不窮,周易之名即以此也。後儒釋此者莫過於太玄。玄文云:「罔、直、蒙、酋、冥。罔,北方也,冬也,未有形也。直,東方也,春也,直而未有文也。蒙,南方也,夏出,物之修長也。酋,西方也,秋也,物皆成象而就也。有形則復於無形,故曰冥。故萬物罔乎北,直乎東,蒙乎南,酋乎西,冥乎北。罔舍其氣,直觸其類,蒙極其修,酋考其就,冥反其奧。罔蒙相極,直酋相敕,出冥入冥,新故代更,將來者進,成功者退,已用則賤,當時則貴。」按大玄闡發此四字之理,至矣盡矣,除彖傳外,無此深奧明晰之解釋也。
『説卦伝』は「乾とは健なり」と言う。『子夏易伝』は「元は始めなり、亨は通なり、利は和なり、貞は正なり」と言う。大抵天の本体は剛健を用とし、天の功徳で四時より大きいものはない。元・亨・利・貞はすなわち春・夏・秋・冬、すなわち東・南・西・北であり、震は春を主って元に配し、離は夏を主って亨に配し、兌は秋を主って利に配し、坎は冬を主って貞に配する。往来して循環し、差わず尽きず、「周易」の名はまさにこれに由来する。後代にこの四字を釈した者で揚雄『太玄』を超えるものはない。『玄文』は言う。罔・直・蒙・酋・冥の五段階――「罔」は北方で冬で、万物が未だ形を成さず、「直」は東方で春で、条を直にして未だ文ならず、「蒙」は南方で夏で、万物が蒙茸として出で日に修長し、「酋」は西方で秋で、万物が皆形を成して就く。有形の後は無形に復るから「冥」という。ゆえに万物は北に罔き、東に直き、南に蒙し、西に酋め、北に冥める。罔の時はその気を舎蔵し、直の時はその類に触れ、蒙の時はその修長を極め、酋の時はその成就を考え、冥の時はその奥に反る。罔と蒙は相い極め、直と酋は相い整い、冥を出でて冥に入り、新と故は代々更し、将来る者は進み、成功せる者は退き、已に用いられし者は賤し、時に当たる者は貴し、と。按するに『太玄』がこの四字の理を闡発したのは、極まり尽くしたと言うべく、『彖伝』を除いては、これほど深奥で明晰な解釈はない。
其所謂直、蒙、酋,即震春、離夏、兌秋,即元亨利也;所謂罔、冥,即坎冬,即貞也。必以二字擬貞者,蓋以子復為界。子復者,冬至也,故由亥坤至子復為冥,由子復至泰寅為罔。罔,不直也。冬至以後,萬物雖枉屈,不能見形於外,然陽氣已生,與冬至前之冥然罔覺者異矣,故曰「罔舍其氣」。舍者,蓄也,養也,即彖傳所謂保合太和也。或曰:彖傳釋此純指天道,然彖不曰春夏秋冬,必曰元亨利貞者何也?曰:乾之德無所不統,無所不包,言元亨利貞,則天時人事盡括於其中。
揚雄の言う「直・蒙・酋」は、すなわち震春・離夏・兌秋、すなわち元・亨・利であり、言う所の「罔・冥」は、すなわち坎冬、すなわち貞である。なぜわざわざ二字をもって「貞」に擬するのか。子月の『復』卦を界とするからである。子月の『復』は冬至であり、だから亥月の『坤』から子月の『復』までが「冥」、子月の『復』から寅月の『泰』までが「罔」である。「罔」とはまだ直っていないということ。冬至以後、万物はなお枉屈して外に形を現せないが、陽気はすでに萌しており、冬至以前の冥然として覚えなき状態とは異なる。ゆえに「罔は其の気を舎す」と言う。「舎」とは蓄であり養であり、まさに『乾・彖伝』のいう「保合太和」である。或る人は問う。『彖伝』のこの四字を釈するのは純に天道を指すのに、なぜ『彖伝』は直に春夏秋冬と言わず、必ず元亨利貞と言うのか。答曰く。乾の徳は統べないものなく包まないものなく、「元亨利貞」と言えば、天時と人事が尽くその中に括られるからである。
惟此四字,義蘊宏深,非一解所能盡。彖傳、象傳皆釋貞為正,而大貞、小貞、不可貞、貞吝、貞凶、不利君子貞,義皆不通。而彖象傳遇此皆不釋,似委為不知而闕疑者。文言曰,貞固足以乾事,又釋貞為固,然於貞凶、貞吝等辭,仍不能通。此彖象傳與文言不同也。
「元亨利貞」の四字は義蘊が宏深で、一つの解釈で講じ尽くせるものではない。『彖伝』『象伝』はともに「貞」を「正」と訓ずるが、卦爻辞にはなお「大貞」「小貞」「不可貞」「貞吝」「貞凶」「不利君子貞」があり、一律に「正」で講じても通じない。そして『彖伝』『象伝』はこれらの辞句に遇うと一概に釈を加えず、自ら知らぬと委ねて疑を闕くかのようである。『文言』は「貞は固くして以て事を幹すに足る」と言い、それは「貞」を「固」と訓ずるのだが、「固」で「貞凶」「貞吝」の類を講じても、やはり通じない。これが『彖伝』『象伝』と『文言』の二か所の釈の一致しない点である。
至於貞吝、貞凶、不利君子貞,其義與乾元亨利貞之貞,絕不相同。案《周禮·春官》,天府季冬陳玉,貞來歲之媺惡,注:貞謂問於龜卜。鄭司農曰:貞,問也。《易》曰:師貞丈人吉。又《左傳》哀十七年,衛侯貞卜;《國語》貞於陽卜,皆以貞為卜問。而師貞丈人吉,前鄭引以解《周禮》,是以貞為卜問,已有先例。愚以為大貞、小貞、貞吝、貞凶、不利君子貞,皆宜詁作卜問,與乾元亨利貞之貞,判然為二義,不得混同。五經字同而義異者多矣,不獨此也。蓋貞有正義,又有貞固、貞定二義,朱子兼採之,曰貞正而固也。豈知兼二義,仍不能盡通。近儒王陶廬先生又以全易貞字皆釋作卜問,於文理可通矣。然若乾之利貞,亦釋作卜問,則乾德不全矣,似不盡協也。
さて「貞吝」「貞凶」「不利君子貞」の「貞」は、乾卦の「元亨利貞」の「貞」とは全くの別物である。『周礼・春官』を考えるに、天府の職は毎年季冬に玉を陳して「来歳の媺悪を貞す」(来年の善悪を卜問する)とあり、鄭玄の注は「貞」を龜卜に問うこととし、鄭衆(先鄭・鄭司農)も「貞は問なり」と言って『易経』の師卦「師貞、丈人吉」を引いて証とした。また『左伝』哀公十七年に「衛侯貞卜す」とあり、『国語』に「陽卜に貞す」とあり、いずれも「貞」を卜問とする。「師貞、丈人吉」の句を先鄭が『周礼』の釈に用いたのを見れば、『易』の「貞」を卜問に釈する先例はすでにあった。私は「大貞」「小貞」「貞吝」「貞凶」「不利君子貞」は、いずれも卜問と詁めるべきで、乾卦「元亨利貞」の「貞」と截然として二義であり、混同してはならないと考える。五経に同じ字で義の異なる例は多く、これだけではない。「貞」にはもともと「正」の義があり、また「貞固」「貞定」の二義があり、朱熹はこれらを合わせて兼ね採り「貞は正にして固なり」と言う。思いもよらぬことに二義を兼ねても、やはりところどころ通じない。近代の儒者・王陶廬先生はさらに全『易』の「貞」の字を一様に卜問と釈し、文理の上では通る。しかし乾の「利貞」までも卜問と釈すれば、乾の徳が全きを欠くので、やはり十分に妥当とは言えないようである。
蓋元亨利貞,合之為乾德,分之為八卦之德,故即為六十四卦之根本。象或曰亨,或曰元亨,或曰貞,或曰利貞,或曰亨利貞,或曰利貞亨,或曰元亨利貞,似以此四德為衡量卦德之準的者。然如無妄凶卦也,亦曰元亨利貞,則似別有標識,而非論卦德。
「元亨利貞」の四者は合わせれば乾の全徳であり、分かてば八卦それぞれの徳であり、ゆえに六十四卦の根本でもある。卦辞は或いはただ「亨」と言い、或いは「元亨」と言い、或いはただ「貞」と言い、或いは「利貞」と言い、或いは「亨利貞」と言い、或いは「利貞亨」と言い、或いは「元亨利貞」と言う。見るところ、あたかもこの四徳を一卦の徳を衡量する準縄とするかのようである。しかし『无妄』はもともと凶卦なのに、卦辞も「元亨利貞」と言う。それならば別に一層の標識の働きがあるようで、卦徳の高下を論じているのではない。
端木國瑚曰:易遇東南方春夏之卦,則曰元亨;遇西北方秋冬之卦,則曰利貞。由其言推之,屯下震春也,故曰元亨,上坎冬也,故曰利貞;隨下震春也,故曰元亨,上兌秋也,故曰利貞;臨下互震故曰元亨,上坤下兌,故曰利貞;無妄下震故曰元亨,上乾為冬,故曰利貞;革下離互巽,故曰元亨,上兌為秋,互乾為冬,故曰利貞。其餘雖不盡當,然大概如是也。
端木国瑚は言う。『易』で東方・南方の春夏の気に属する卦に遇えば「元亨」と言い、西方・北方の秋冬の気に属する卦に遇えば「利貞」と言う。彼の言に随って推せば、屯卦の下体は震で震は春を主るから「元亨」と言い、上体は坎で坎は冬を主るから「利貞」と言う。随卦の下体は震で春を主るから「元亨」と言い、上体は兌で兌は秋を主るから「利貞」と言う。臨卦の下体は互い出して震となるから「元亨」と言い、上体は坤で下体にまた兌があるから「利貞」と言う。无妄の下体は震だから「元亨」と言い、上体は乾で乾は亥位に居って冬に属するから「利貞」と言う。革卦の下体は離で互体に巽があるから「元亨」と言い、上体は兌で秋に属し互体に乾で冬に属するから「利貞」と言う。その余の各卦は条々に合致しないけれども、大体はこの路数である。
總之元亨利貞,春夏秋冬,東南西北,仁義禮智,一二三四,茲數者,合之一之,混之同之,融會貫通,遺貌御神,天人不分,陶冶既久,然後知此四字,已括盡易理,非言詮所能盡。而能申其義者,前惟彖傳,後惟楊子云。
要するに、元亨利貞・春夏秋冬・東西南北・仁義礼智・一二三四のこれら数組の名目は、それらを合して一つとし、混同して一つとし、融貫会通し、外の名相を捨てて直にその精神を取り、天道と人事とを二つに分かたないようにせねばならない。かくのごとく涵泳陶冶して久しくしてから、初めて「元亨利貞」の四字がすでに『易』理をことごとく包挙して余すところなく、言語訓釈の窮め尽くせるところではないことを悟る。この意を申し明かせた者は、前にはただ『彖伝』があり、後にはただ揚雄(子雲)があるのみである。
初九:潛龍勿用。九者,老陽之數,動之所占。潛,隱也。陽息初復,一陽伏群陰之下,故曰潛。物莫神於龍,故借龍以喻陽氣。復子時當冬至,一陽初生,伏藏地下,故曰勿用。又卦位初為士,未出世之君子,德亦如是也。
初九爻辞:「潜龍勿用」。「九」と称するのは、九が老陽の数で、筮法では九に遇えば動き、占するのはまさに変動の爻だからである。「潜」は隠れること。陽気は下から生長し、最初は十二消息卦の復卦で、一つの陽爻が衆陰の下に伏するから「潜」という。万物のうち龍ほど神変莫测なものはないから、龍を借りて陽気を喩えた。復卦は子月に当たり時は冬至、一陽がようやく萌してなお地下に蔵伏するから「勿用」と言う。また爻位から言えば、初爻は六爻のうち士の位に相当し、未だ世に出ない君子で、その徳もまたこの潜伏の陽のごとくである。
九二:見龍在田,利見大人。初二於三才為地,二在地上,故稱田。乾為大人。二雖不當位而居中,利見者,言大人宜於此時出見也。鄭康成謂利見九五之大人,非,五無應也。陽息至二臨,陽出地上,由潛而顯,大人亦如此也。
九二爻辞:「龍を田に見る、大人を見るに利あり」。六爻を三才に配すれば初・二の両爻は地に属し、九二は地面の上にあるから「田」と称す。乾に「大人」の象あり。九二は陽で陰位に居るから本当は位に当たらないが、下卦の中に居って中を得る。いわゆる「利見」とは、大人がこの時に出でて世に見えるに宜しきを言う。鄭玄(康成)はこれを九五の大人を見るに利ありと言うが、実は誤りである。九二と九五は同じ陽爻で、二陽は相応せず、相見ると言うべきではない。陽気が第二爻まで生長すれば消息卦の臨卦で、陽はすでに地面に出て、潜蔵より顕現に転ず。大人の出処もまさにこれと同じである。
九三:君子終日乾乾,夕惕若,厲無咎。乾為君子,為大明,故為日。晉順而麗乎大明,大明謂離日也,故乾亦為日。《易林》困之泰云:陰雲四方,日在中央。以泰上坤為雲,下乾為日也。又蹇之咸云:日月並居。以咸上兌為月,互乾為日。餘證尚多,皆詳《焦氏易詁》中。三居下卦之終,故曰終日、曰夕。惕,憂思也;厲,危也。憂危故無咎。陽息至三泰,萬物思奮,人事亦如是。三四於三才為人爻,人居天地之中,宜乾惕有為也。厲,許慎作夤,後易家多從之,而文言作厲,並以危釋厲義。注莫古於十翼,似當從也。
九三爻辞:「君子は終日乾乾として、夕に惕れし若く、厲しけれども咎なし」。乾に「君子」の象あり、また「大明」の象あり、それゆえ「日」の象もある。晋卦『彖伝』が「順にして大明に麗す」と言う、その「大明」は離の日を指し、これによって乾もまた日たり得ることが分かる。『焦氏易林』の困之泰に「陰雲四方、日中央に在り」と言うのは、まさに泰卦の上体坤を雲、下体乾を日と取ったもの。また蹇之咸に「日月并び居る」と言うのは、咸卦の上体兌を月、互体乾を日と取ったもの。この類の傍証はなお多く、皆私の著した『焦氏易詁』に詳しい。九三は下卦の末位に処るから「終日」・「夕」と言う。「惕」は憂思戒惧、「厲」は危険。憂危に戒惧するから咎がない。陽気が第三爻まで生長すれば消息卦の泰卦で、この時万物は奮起し、人事もまたかくのごとくあるべきである。三・四の両爻は三才では人爻に属し、人は天地の中に処るから、まさに勤勉戒惧して為す有るべきである。「厲」の字は許慎『説文』が「夤」と引き、後の易家は多く許説に従うが、『文言』は「厲」と作り、しかも「危」をもって「厲」の義を釈する。注で十翼より古いものはなく、『文言』に従うべきようである。
九四:或躍在淵,無咎。《易林》、九家、荀爽皆以乾為江河,故乾亦為淵。躍,起也。四居上卦之下,故曰躍淵。或者,言事不一定,可則為之,慎審而行,故無咎也。陽息至四大壯,百果草木甲坼之時也。
九四爻辞:「或いは淵に躍る、咎なし」。『焦氏易林』・九家易・荀爽はいずれも乾を江河とし、江河の深い所はすなわち淵だから、乾に「淵」という逸象もある。「躍」は騰がり上がること。九四は上卦の最下位に居り、下卦から躍り上がったばかりだから「躍」・「淵」と言う。「或」は事が定まらぬことを言い、行う可きならば行い、審慎して後に進むから咎がない。陽気が第四爻まで生長すれば消息卦の大壮で、まさに百果草木の種殻が裂けて萌生する時である。
九五:飛龍在天,利見大人。五於三才為天位,又為天子位,貴而得中,故曰飛龍在天。大人於此,居極尊之位,履萬物之上,嚮明而治,聖人作而萬物睹,故亦曰利見大人。九五陽息至五夬,萬物繁榮,相見之時也。
九五爻辞:「飛龍天に在り、大人を見るに利あり」。第五爻は三才では天位に属し、また天子の位でもあり、貴くかつ上卦の中に居るから「飛龍天に在り」と言う。大人がこの位に処れば、極尊の位に居り、万物の上に履み、明に向かって治を行う。『文言』のいう「聖人作りて万物睹る」に正しく、だからまた「大人を見るに利あり」と言う。九五は陽気が第五爻まで生長して消息卦の夬であり、この時万物は繁栄茂り、まさに相い見る時である。
上九:亢龍有悔。王肅曰:窮高曰亢。上九居卦之極,故曰窮;在六爻之上,故曰高,高則易危,窮則事盡,故有悔。按乾盈於巳,盈則虧,滿則損,乃天道之自然。《太玄》云:成功者退。又中首次六云:月闕其搏,不如開明於西。是其理也。
上九爻辞:「亢龍悔あり」。王肅は言う。窮極して高きを「亢」と言う。上九は一卦の頂端に処るから「窮」と言い、六爻の最上に居るから「高」と言う。高ければ危険になりやすく、窮すれば事は尽きるから悔がある。按するに乾の陽気は巳月に盈満し、盈れば虧け、満ちれば損ず。これは天道自然の律である。揚雄『太玄』は「功を成す者は退く」と言う。また『太玄』の中首の次六は「月は其の搏を闕く、西に明を開くに如かず」と言う――月は円くる極まれば欠け始め、むしろようやく西方に明光を露す時に及ばない――まさにこの理である。
用九:見群龍無首,吉。此文王以筮例示人也。易之本為六七八九,七九陽,八六陰。今遇陽胡以只言九,不言七,則以周易以九為用,與二易殊也。用者,動也變也。用九者,言遇九則動,遇七則不動。若作用舍詁,則周易竟不用七八矣。不用七八,則揲蓍時常不遇九六,將何以為占。蓋九六占爻,七八占彖之義,治易者十六七皆忽之,故其義常晦。見群龍無首吉者,申遇九則變之義也。九何以必變,陽之數九為極多,故曰群。陽極反陰,乃天地自然之理。乾為首,以陽剛居物首,易招物忌,變坤則無首,無首則能以柔濟剛,故吉。無,《說文》云奇字,王育謂天屈西北為無。
用九:「群龍を見るに首なし、吉」。これは文王が筮法の通例をもって後人に示したものである。筮法の得る数はもともと六・七・八・九の四種があり、七と九は陽、八と六は陰である。今、陽爻に遇うに、なぜ九だけを言って七を言わないのか。『周易』が九を用とするからで、これが『連山』『帰蔵』の二易と異なる点である。「用」とは動であり変である。「用九」とは、筮して九に遇えば変動し、七に遇えば変動しないと言う。もし「用」を取用と捨棄の「用」に解すれば、『周易』はついに七・八を用いないことになる。七・八を用いなければ、揲蓍の時にしばしば九・六に遇わず、何をもって占とするか。実は九・六は爻辞を占し、七・八は卦辞(彖辞)を占するのだが、『易』を治める者の十に六七はこの層を忽略するから、その義は常に晦冥する。「群龍を見るに首なし、吉」の一句は、まさに九に遇えば変ずる道理を申明したものである。九はなぜ必ず変ずるのか。九は陽数の中で最も多く、多いゆえに「群」と称す。陽は極まれば陰に反転する。これは天地自然の理である。乾に「首」の象あり、陽剛をもって万物の首に居れば外物の忌恨を招きやすい。坤に変ずれば「首なし」となり、首なければ柔をもって剛を済うことができるから吉である。「無」の字は『説文』が奇字と言い、王育は天体が西北に屈して其の所が空虚だから「無」と解す。
此節自古說者常有數蔽:見說吉即疑為占辭,不知其申用九之義,一蔽也;見說群龍,即疑群龍指上六爻,不知其言九,二蔽也;見說群龍無首,即疑六爻全變,不知其指揲蓍之三變成一爻言,三蔽也;甚至以此為爻辭,四蔽也;籠統浮泛,銓釋乾健大義,五蔽也。豈知六十四卦六爻之後,獨乾坤二卦有此贅語者,誠以乾坤者陰陽,六十四卦皆乾爻坤爻所積而成。乃乾卦只言九不言七,坤只言六不言八,不申明其故,揲蓍者胡所遵循。故於乾坤六爻之後,申曰用九用六。復恐人不解用九用六之義,又曰見群龍無首吉、利永貞也。其詳說皆在《周易古筮考》中。
この一節は古来、解説する者に常に数重の蒙蔽があった。「吉」というのを見ればすぐ占辞と疑い、それが用九の義を申明したものとは知らない。これが第一の蔽である。「群龍」と言うのを見ればすぐ上下六爻を指すと疑い、それが九という数を言うとは知らない。これが第二の蔽である。「群龍首なし」と言うのを見ればすぐ六爻全変と疑い、それが揲蓍で三変して一爻を成すことを指すとは知らない。これが第三の蔽である。さらにはこれを一条の爻辞とする。これが第四の蔽である。籠統浮泛にこれをもって乾の剛健の大義を詮釈する。これが第五の蔽である。思いもよらぬことに、六十四卦で六爻の後にこの句のあるのは独り乾坤の両卦のみだが、それはまさに乾坤がすなわち陰陽で、六十四卦は皆乾爻・坤爻の積累で成るからである。しかるに乾卦は九だけを言って七を言わず、坤卦は六だけを言って八を言わない。その故を申明しなければ、揲蓍する者は何に遵循するか。だから乾坤の六爻の後に特に「用九」「用六」と申し、また人が用九用六の意を解せぬことを恐れて、さらに「群龍を見るに首なし、吉」「永く貞に利あり」と言う。その詳説は皆私の著した『周易古筮考』の中にある。
彖曰:大哉乾元,萬物資始,乃統天。《繫辭》云:彖者材也。材、財通,《孟子》有達財者;而財與裁通,泰傳后以財成天地之道,漢人上書伏惟裁察,每作財察。然則材即斷也,即裁度也。元亨利貞者,彖辭也,此則釋彖者,先儒名曰彖傳,十翼之一也。自太史公、楊子云、班固,皆以為孔子作。乾元者,乾之元氣也,於時配春,故曰資始。統,《說文》紀也;《史記·樂書》樂統同,注統領也。統天者,言乾元之德統領萬物,總治一切。九家釋統為繼,謂乾德統繼天道,後諸家又有訓統為始為本為合者,皆非也。按此釋元義。
『彖伝』は言う。大なるかな乾元、万物はこれに資って始まり、天を統べるなり。『繋辞』は「彖とは材なり」と言う。「材」と「財」は通じ、『孟子』に「達財する者」という説があり、「財」と「裁」も通じ、泰卦『大象』が「后以て天地之道を財成す」と言い、漢人の上書に「伏惟裁察」と言うのはしばしば「財察」と作る。然らば「材」とはすなわち決断であり裁度である。「元亨利貞」は彖辞(卦辞)であり、ここは彖辞を釈する文字で、前人は『彖伝』と名づけ十翼の一に属する。司馬遷・揚雄から班固に至るまで、皆孔子の作と見なす。「乾元」とは乾の元気で、四時に配して春に属するから、万物はこれに「資始」すと言う。「統」の字は『説文』に「紀なり」と訓じ、『史記・楽書』の「楽は同を統す」は注で統領と釈す。「統天」とは乾元の徳が万物を統領し、一切を総治することを言う。九家易は「統」を「継」と釈して乾徳が天道を承継すと言い、後の諸家にまた「統」を始・本・合と訓ずる者があるが、いずれも誤りである。按するにこの句は「元」の義を釈す。
雲行雨施,品物流形。此釋亨義,於時配夏。乾交坤成坎,坎為雲為雨,故曰云行而施。坤為品物,乾入坤,故曰流形。乾施坤受,和而為雨,品物潤澤,萬物潔齊,相見乎離,亨之義也。
雲気は流行し、雨沢は施降し、万類の物は流れて形を成す。これは「亨」の義を釈し、四時に配して夏に属する。乾が往って坤に交じれば坎を成し、坎に「雲」「雨」の象あり、ゆえに「雲行きて施す」と言う。坤に「品物」の象あり、乾が坤の中に入るから「流形」と言う。乾は施与し坤は承受し、二気が交和して雨と降り、万類は潤沢を得、まさに『説卦』のいう「万物潔斉す」「相見る乎離なり」の夏令の景に合う。これが「亨」の意である。
大明終始,六位時成,時乘六龍以御天。此釋利義,於時配秋。乾為日,故曰大明。日始於離,終於坎,以成晝夜;積晝夜以成四時。六位者六爻,爻各有時,時而至秋,萬物成熟,故曰時成。《太玄》擬之曰:酋,西方也,秋也,萬物皆成象而就。釋時成之義也。文言曰:利,義之和也。兌正秋,兌悅故和,秋成故利也。然乾之六時,果何屬乎。六龍者六陽,乾陽卦,故其所乘之時皆陽時,即子寅辰午申戌,《乾鑿度》所謂乾貞十一月子,左行陽時六是也。言乾而乾三子可知。若坤之所乘,則六陰時,《乾鑿度》所謂坤貞六月未,右行陰時六是也。時乘六龍以御天,即言乾乘六陽時以統御天道。自漢以來,不知時乘六龍,即乾乘六陽時,籠統解說,與上句六位時成無以異,而傳義愈晦矣。
太陽の運行は終始を貫徹し、六つの爻位は時序に随って成就し、時に乗じて六龍に乗りて以て天を御す。これは「利」の義を釈し、四時に配して秋に属する。乾に「日」の象あり、ゆえに「大明」と称す。日は離(東方)に出でて坎(北方)に没し、一出・一没で昼夜を成し、昼夜を積んで四時を成す。「六位」とは六爻で、各爻にそれぞれ当たる時がある。時序が秋に至れば万物が成熟するから「時成」と言う。揚雄『太玄』はこれに倣って「酋」首を立て、「酋とは西方なり、秋なり、万物皆象を成して就く」と言う。まさに「時成」の意を釈するものである。『文言』は「利とは義の和なり」と言う。兌は正秋に当たり、兌は悦だから「和」と言い、秋は収成を主るから「利」と言う。然らば乾の乘ずる六つの時は果たして何に属するか。「六龍」とは六つの陽爻で、乾は純陽の卦だから、その乘ずる時は皆陽時、すなわち子・寅・辰・午・申・戌であり、『乾鑿度』のいう「乾は十一月子に貞し、左行して陽時六」がこれを指す。乾がこうであれば、乾の三つの子卦(震・坎・艮)も類推できる。坤の乘ずる所は六つの陰時で、『乾鑿度』のいう「坤は六月未に貞し、右行して陰時六」がこれを指す。「時に乗じて六龍に乗りて以て天を御す」とは、乾がこの六つの陽時に乗って天道を統御することを言う。漢代以来の人は「時に乗じて六龍に乗る」が乾の六陽時に乗ることだと知らず、籠統に解説しただけで、上句の「六位時成」と区別が立たず、『彖伝』の本義はこのためいっそう晦冥した。
乾道變化,各正性命,保合太和,乃利貞。此釋貞義,於時為冬。萬物自有而入無,由動而之靜,故曰變化。《太玄》擬貞為冥,曰:有形則復於無形,故曰冥。又曰:冥者明之藏也。出冥入冥,新故代更,人冥者變,出冥者變後而化也。變化者天道必然之理也。性命者精神,太和者元氣,正者定也。《周禮·天官》,宰夫令群吏正歲會、正月要,注正定也。各正性命者,言萬物入冬而形氣定也。保合者固也,保合太和,言萬物靜定而無為,正所以養育其生命也。各正性命,保合太和,略如人人夜寢息,休養神明。《繫辭》云:尺蠖之屈,以求信也;龍蛇之蟄,以存身也;精義入神,以致用也。正謂此也。貞者元之本,元者貞之著,下文曰首出庶物,即貞下啟元之義也。後儒舍冬義,以既濟定說貞者,皆未當也。
乾道は変化し、各々その性命を正し、太和を保合す。乃ち利貞なり。これは「貞」の義を釈し、四時に配して冬に属する。万物は「有」より「無」に入り、動より静に之くから「変化」と称す。揚雄『太玄』は「冥」をもって「貞」に擬し、「有形なれば則ち無形に復る。故に冥と曰う」と言い、また「冥とは明の蔵なり」と言う。冥を出でて冥に入り、新と故は代々更る。冥に入るを「変」、冥を出るを「化」と言い、変は変した後の化である。変化は天道の必然の理である。「性命」は精神を指し、「太和」は元気を指し、「正」は安定である。『周礼・天官』の宰夫の職に「群吏に命じて歳会・正月要を正せしむ」とあり、鄭注は「正は定なり」と言う。「各々其の性命を正す」とは、万物が冬に入って形体・気息がみな安定することを言う。「保合」は固守、「保合太和」とは、万物が静定無為であること、まさにそれをもって其の生命を養育する所以である。「各々其の性命を正し、太和を保合す」とは、およそ人が夜に寝息して神明を休養するに似る。『繋辞』は「尺蠖の屈するや、以て信んことを求むるなり。龍蛇の蟄するや、以て身を存するなり。精義して神に入るや、以て用を致すなり」と言う。まさにこの理を講ずる。「貞」は「元」の根本で、「元」は「貞」の顕発である。下文に「首出庶物」と言うのは、すなわち貞下に元を啓くの義である。後儒は「貞」の冬に配する本義を捨て、六爻が各々その正を得た「既済定」をもって「貞」を釈するが、いずれも当たらない。
首出庶物,萬國咸寧。元亨利貞,相循環者也。貞非寂滅無為也,乃所以植元亨之基。故夫冬盡春來,貞久元至。首出庶物者,元也,言又復始也。春生震仁,故曰咸寧。萬國咸寧者,言如聖君當陽首出,萬邦有慶也。
首出庶物、万国咸に寧なり。元・亨・利・貞の四徳は相い循環するものである。「貞」は寂滅無為ではなく、まさに「元」「亨」の基を植える所以である。ゆえに冬尽きて春来れば、貞に守ること久しければ元が至る。「首出庶物」と言うのはまさに「元」で、天道がまた初めに復ることを言う。春は万物が生発し、震卦・仁徳に配するから「咸寧」と言う。「万国咸寧」とは、たとえば聖明の君が陽位に居って万物の上に首出すれば、天下万邦がこれによって福慶を有することを言う。
乾彖傳簡括宏深,自非聖於易者,不能為也。自漢以來,除《太玄》外,無有明其義者,而詁六龍為六位、利貞為既濟定,尤謬誤之大者。首出庶物二語,解者皆不誤矣,而皆不知於元亨利貞之後,再綴此語者,乃所以示四德循環之義。朱子云:不貞則無以為元。又曰:四德循環無端。知此義矣,乃訖未明指再綴此語之故。豈知六龍與六位無別,則六龍句為贅語;首出庶物與萬物資始理同,而不疏其循環之義,則首出句又為贅語,烏乎可哉。揆厥原因,皆由不確知元亨利貞,即春夏秋冬,即東南西北。彖傳與文言雖未明言,固皆本此為義,特義奧語文,後儒遂歧於索解。及楊子云揭出春夏秋冬、東南西北二義,然後知彖傳所言者,皆元亨利貞之原理,及其所以然,義遂明徹。然罔直蒙酋冥之演元亨利貞,除范望、司馬溫公外,他儒無言者,於以知《太玄》之難讀,等於易也。
乾卦『彖伝』は文字が簡括で義理が宏深であり、『易』道に深く通ずる者でなければ書けない。漢代以来、揚雄『太玄』を除けば、その義を明らかにできた者はいない。至っては「六龍」を六つの爻位と釈し、「利貞」を六爻が各々その正を得た「既済定」と釈するのは、なおさら大きな謬誤である。「首出庶物、万国咸寧」の二句は、釈する者はみな誤らなかったが、皆明らかにしなかったことがある。なぜ「元亨利貞」の後にまたこの語を綴ったか。それはまさに四徳が循環してやまぬ道理を示すためである。朱熹は「貞ならざれば以て元を為すことなし」と言い、また「四徳循環して端なし」と言う。彼はこの層の意を知っていたが、ついにこの語を再び綴る故を明確に指さなかった。知るべし、もし「六龍」と「六位」に区別がなければ、「時に乗じて六龍に乗る」の句は廃語となる。「首出庶物」がもし「万物资始」と理同じくして、またその中の循環の義を疏しなければ、「首出」の句もまた廃語となる――こんな理屈があろうか。その原因を揆するに、皆「元亨利貞」がすなわち春夏秋冬、すなわち東西南北であることを確知しないことに由る。『彖伝』と『文言』は明言していないが、実は皆これを本に義を立てている。ただ義理が深奥で文辞が簡古だったから、後儒は索解において岐れた。揚雄が春夏秋冬・東西南北の二層の意を掲げ出して後、人々は初めて『彖伝』の言う所がみな元亨利貞の原理と其の所以然であることを知り、義理はこれで透彻した。しかし「罔・直・蒙・酋・冥」の五階をもって元亨利貞を演繹することを論じた者は、范望と司馬光(温公)を除いて他の儒者にはない。これをもって『太玄』の読み難さが『易』に等しいことを知るべきである。
象日:天行健,君子以自強不息。《繫辭》云:象者像也,像此者也。先儒以其推闡一卦之義謂為大象,亦十翼之一。王引之云:《爾雅》行,道也;天行健,謂天道健也,與地勢順為對文。按《左傳》襄九年,晉伐鄭,杞人從趙武斬行栗,注行道也。由是以推,蠱剝復彖傳皆曰天行,皆天道也。凡大象專以人事言,言天道強健不息,君子法之也。
『大象伝』は言う。天道は剛健で、君子はこれに法って自ら強めて息まない。『繋辞』は「象とは像なり、此れに像るなり」と言う。前人はそれが一卦の大義を推闡するから「大象」と称し、これも十翼の一つである。王引之は言う。『爾雅』は「行」を「道」と訓じ、「天行健」とは天道が健なるを言い、坤卦の「地勢順」と対文を成す。按するに『左伝』襄公九年に、晋が鄭を伐つに杞人が趙武に従って「行栗」(道傍の栗の木)を斬ったとあり、注も「行は道なり」と言う。これによって推すに、蠱・剥・復の三卦の『彖伝』がいずれも「天行」と言うのは、みな天道を指す。およそ『大象伝』は専ら人事に就いて言を立て、ここでは天道が剛健して息まぬことを言い、君子がそれを法とするのである。
潛龍勿用,陽在下也。見龍在田,德施普也。初陽伏在下。德施普,言陽和之德,普及萬物也。下音戶。詩邶風凱風:爰有寒泉,在浚之下,有子七人,母氏勞苦。下音戶,與苦韻,此亦同也。終日乾乾,反復道也。乾盈則反巽,坤盈則復震。乾坤者震巽之終,震巽者乾坤之始。
『小象伝』は言う。「潜龍勿用」は陽気がまだ下にあるからであり、「龍を田に見る」は徳沢の施与がすでに普及していることを言う。初九の一陽は下に伏蔵するから「陽在下」と言う。「徳施普」とは、陽和の気の徳沢が万物に普く及ぶことを言う。ここの「下」は「戸」の音に読む。『詩経・邶風・凱風』に「爰に寒泉あり、浚の下に在り。子七人有りて、母氏労苦す」とある。その「下」は戸音に読み「苦」の字と韻を踏む。ここも同例である。「終日乾乾、反復道なり」。乾の陽が盈満すれば巽に反し(一陰が始めて生ず)、坤の陰が盈満すれば震に復る(一陽が始めて生ず)。乾・坤は震・巽の終りであり、震・巽は乾・坤の始めである。一往して一返するから「反復」と称す。
或躍在淵,進無咎也。飛龍在天,大人聚也。躍,釋文云上也。初與四相上下,初潛淵底,故曰或躍在淵,言由初躍四也。時可進故無咎。五天位,故曰在天。聚原作造,釋文云,劉歆父子皆作聚。聚與文言云從龍、風從虎義合,且向歆所據皆中秘古文,必無誤,故從之。亢龍有悔,盈不可久也。用九,天德不可為首也。陽在上乾盈,盈則必虧,故日不可久。陽極則變,不變則剛柔不能相濟,凶之道也,故無首吉。
「或いは淵に躍る、進みて咎なし。飛龍天に在り、大人聚まるなり。」「躍」の字は『経典釈文』が「上」と訓ず。初爻と四爻は相い上下を為す(同位相応の爻)。初九は淵底に潜伏し、だから「或いは淵に躍る」と言う。初位から四位に躍ることを言うのである。時は進むべきだから咎なし。五は天位だから「在天」と言う。「聚」の字は原本「造」と作り、『釈文』に劉向・劉歆の父子は皆「聚」と作ると云う。「聚」と作れば『文言』の「雲は龍に従い、風は虎に従う」の同類相聚の義に合し、しかも劉向・劉歆の拠った所は皆宮中秘府の古文本で、必ず誤りないから、「聚」の字に従う。「亢龍悔あり、盈ちて久しからざるなり。用九、天徳は首と為る可からざるなり。」陽が最上に升って乾は盈満し、盈満すれば必ず虧けるから「久しからず」と言う。陽が極まれば変じ、変じなければ剛と柔が相い済うことができず、凶を招く道である。だから変じて「首なし」となるが吉である。
乾卦・文言
此卦爻辭全為文王作之證也。彖傳申彖意,故曰彖曰;大象申卦義,小象申爻義,故曰象曰;此則合卦爻辭總述之,而制此乾坤之卦爻辭者,文王也,故曰文言,繹文王所言耳,仍彖曰象曰之例,並無其它深奧。乃劉獻曰:依文而言其理,故曰文言。姚信曰:乾坤為門戶,文說乾坤,六十二卦皆放焉。訖不得解。揆其因皆由王充馬融等,謂文王制卦辭,周公制爻辭,後儒惑其說,疑但言文王,或遺周公故也。
これはまさに卦辞・爻辞が全て文王の手に出た証である。『彖伝』は彖辞(卦辞)の意を申するから「彖曰」と称し、『大象』は一卦の義を申し『小象』は一爻の義を申するから「象曰」と称する。この一篇は卦辞・爻辞を合わせて総述するもので、乾坤両卦の卦爻辞を制した者がまさに文王だから「文言」と称する――ただ文王の言ったことを推繹するにすぎず、「彖曰」「象曰」と同じ体例で、別の深奥な意味はない。ところが劉献は「文に依って其の理を言う。故に文言と曰う」と言い、姚信は「乾・坤は『易』の門戸であり、この文は専ら乾坤を説き、残りの六十二卦は皆これに倣う」と言う――ついに解を得られない。その因を揆するに、皆王充・馬融らが卦辞は文王の作・爻辞は周公の作と言ったためで、後儒がその説に惑わされ、文王だけを言えば周公を遺すかと疑って、別の解を求めたのである。
曰:元者善之長也,亨者嘉之會也,利者義之和也,貞者事之乾也。君子體仁足以長人,嘉會足以合禮,利物足以和義,貞固足以乾事。君子行此四德者,故曰乾元亨利貞。李鼎祚云:元為善長,故能體仁,仁主春生,東方木也;亨為嘉會,足以合禮,禮主夏養,南方火也;利為物宜,足以和義,義主秋成,西方金也;貞為事乾,以配於智,智主冬藏,北方水也。李氏此詁,最為透徹,與《太玄》罔直蒙酋冥理合,識周易真諦。
『文言』は言う。「元は善の長なり、亨は嘉の会なり、利は義の和なり、貞は事の幹なり。君子は仁を体すれば以て人を長するに足り、嘉会すれば以て礼に合するに足り、物を利すれば以て義を和するに足り、貞固なれば以て事を幹するに足る。君子は此の四徳を行う。故に曰く、乾・元亨利貞。」李鼎祚は釈して言う。「元は善の長だから、能く仁を体す。仁は春の生発を主り、方位は東方木である。亨は嘉美の会だから、以て礼に合するに足る。礼は夏の長養を主り、方位は南方火である。利は物をして其の宜を得しめることだから、以て義を和するに足る。義は秋の成熟を主り、方位は西方金である。貞は事の幹で、智に配する。智は冬の蔵納を主り、方位は北方水である。」李氏のこの詁はもっとも透徹しており、『太玄』の「罔・直・蒙・酋・冥」の義理に合し、『周易』の真諦を識ったと言える。
蓋此八句,為最古之易說。梁武帝、任釣臺謂為文王所言,固無根據,然穆姜即述之,可見其為舊說,故孔氏複述之。而歐陽公謂左氏著書,亦欲信今傳後,若本孔子之言,而以為穆姜,其誰傳信之,謂文言非孔子作。按左氏所紀古人言行,皆古人實有是言,有是行,而後紀之,非並無是事是言,盡左氏所造作也。觀穆姜述是語已曰:然,因不可誣也。即謂古易說之可信,而不我欺也。且周易之興,至春秋已數百年,所傳古訓,必已多矣。然則穆姜述之,孔氏複述之,事之常耳,必謂甲述之為真,乙再述之即偽,似不然也。左氏非傳易者,其是否見十翼,未可知也。蓋文言皆雜採古易說,薈萃而成之,故此處以四德釋元亨利貞,下又曰元亨者,始而亨者也,利貞者性情也,又為二德,與前不同,顯為採集古說之證。不過古人質,不似後人之必曰某某云耳。
この八句はもっとも古い易説である。梁武帝と任釣台は文王の言としたが、根拠はない。しかし『左伝』で穆姜がすでに引述していたから、伝来久しい旧説であることが見え、だから孔子もまたこれを繰り返し述べたのである。欧陽修は、左丘明が書を著して当时の信を取り後世に伝えようとしたのに、もしこれが本来孔子の言なのに穆姜の身上に置けば、誰がこれを信じようか、と考えて『文言』を孔子の作ではないとした。按するに左丘明の記した古人の言行は、皆古人が確かにその言・その行を有した後で記したもので、こうした事・言がもともとなかったのを悉く左氏が虚構したのではない。穆姜がこの語を述べ終えて続けて言う。「然り。因に誣う可からざるなり」と――これは古易説が確かに信じるべく我を欺かないという意味である。しかも『周易』の興りから春秋までにはすでに数百年あり、伝わった古訓は必ず多かった。然らば穆姜が引述し、孔子が再び引述するのは、ことの常である。必ずや甲が引述すれば真で乙が再び引述すれば偽とするのは、通らないようだ。左丘明は『易』を伝える者ではなく、彼が十翼を見たか否かは知る由もない。『文言』はもともと古代の易説を雑採して荟萃して成ったものだから、ここでは四徳をもって元亨利貞を釈し、下文にはまた「元亨とは始めて亨るなり。利貞とは性情なり」と言って、四徳を二徳に併せて前と異なる。これは明らかに古説を採集した証である。ただ古人は質朴で、後人のように必ず「某某云」と注記するようなことはないだけである。
初九曰:潛龍勿用,何謂也。子曰:龍德而隱者也,不易乎世,不成乎名,遁世無悶,不見是而無悶,樂則行之,憂則違之,確乎其不可拔,潛龍也。吳先生曰:易,當讀如論語丘不與易之易。按孟子易其田疇,趙歧云:易,治也。初潛在下,與世無涉,故曰不易世、不成名。遁世無悶者,言甘於隱遁;不見是而無悶者,言人不知亦不慍也。樂則行,憂則否,緊決自守,利祿不能移,威武不能屈,故曰確乎其不可拔。莊子應帝王確乎能其事,注確堅也。
初九爻辞に「潜龍勿用」とあるが、何を謂うか。子曰く。龍の徳にして隠れる者なり。世に易えられず、名を成さず、世を遯れて悶えず、是と見られざるも悶えず、楽しければ則ち之を行い、憂うれば則ち之に違い、確乎として其れ拔く可からざるは、潜龍なり。呉先生(呉汝綸)は言う。「世に易えられず」の「易」は、『論語』の「丘与に易わらざるなり」の「易」と読むべし。按するに『孟子』の「其の田疇を易す」は趙岐の注に「易は治なり」。初九は下に潜伏して世の事に渉らないから、世を治めず・名を成さずと言う。「世を遯れて悶えず」は隠遁に甘んずるを言い、「是と見られざるも悶えず」は人に知られなくても慍らぬを言う。楽しければ道を行い、憂うれば行わず、堅く決して自ら守り、利禄も彼を移すことができず、威武も彼を屈することができない。だから「確乎として其れ拔く可からず」と言う。『荘子・応帝王』に「確乎として其の事を能くす」とあり、注は「確は堅なり」と言う。
九二曰:見龍在田,利見大人,何謂也。子曰:龍德而正中者也。庸言之信,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,德博而化。易曰:見龍在田,利見大人,君德也。二居下卦之中,故曰正中。庸言庸行中也,中則言必信,行必謹矣。閒邪使不入,則中不亂;存誠使不出,則中可守。善世中也,善世而伐,則偏而不中;不伐若己無所與者,則時中矣。人能如是,其德必博,而化必廣。二雖未升五為君乎,然君德已具,必升五也。
九二爻辞に「龍を田に見る、大人を見るに利あり」とあるが、何を謂うか。子曰く。龍の徳にして正中なる者なり。庸言は之を信し、庸行は之を謹み、邪を閑して其の誠を存し、世を善くして伐らず、徳博くして化す。『易』に曰く「龍を田に見る、大人を見るに利あり」は、君徳なり。九二は下卦の中に居るから「正中」と言う。庸言・庸行は中である。中ならば言は必ず信で、行は必ず謹である。邪を閑して入らしめなければ中は乱れず、誠を存して出さしめなければ中は守る可し。世を善くするも中である。世を善くして伐れば偏にして中ならず、伐らずして己れ与る所なきがごとくなれば、時中である。人がかくのごとく能けば、其の徳は必ず博く、其の化は必ず広い。九二は未だ五位に升って君とならないけれど、君の徳はすでに具わり、終に五位に升るのである。
九三曰:君子終日乾乾,夕惕若厲無咎,何謂也。子曰:君子進德修業,忠信所以進德也,修辭立其誠,所以居業也。知至至之,可與言幾也;知終終之,可與存義也。是故居上位而不驕,在下位而不憂,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。修辭者立言也,誠者法則也,居者蓄也、積也,業以積而高大也。爻至三而極,其境至高,識其高而必達其境,故曰可與言幾。《說文》幾微也。繫云:幾者動之微,吉之先見者也。爻至三而終,其道已窮,識其窮而必赴之,故曰可與存義。義者宜也。
九三爻辞に「君子は終日乾乾として、夕に惕れし若く厲しけれども咎なし」とあるが、何を謂うか。子曰く。君子は徳を進め業を修む。忠信は以て徳を進める所以なり。辞を修め其の誠を立つるは、以て業を居る所以なり。至るを知りて之に至るは、与に几を言う可し。終るを知りて之に終るは、与に義を存する可し。是の故に上位に居りて驕らず、下位に在りて憂えず。故に乾乾として其の時に因りて惕れ、危うけれども咎なし。「修词」とは立言であり、「誠」とは法則であり、「居」とは蓄・積で、業は積によって高大となる。爻が三に至れば下卦の極に達し、その境は最も高い。その高を識って必ずその境に達するから、「与に几を言う可し」と言う。『説文』は「几は微なり」と言い、『繋辞』は「几とは動の微、吉の先見なり」と言う。爻が三に至ればまた下卦の終わりで、その道はすでに窮まる。その窮を識ってなお赴かんとするから「与に義を存する可し」と言う。「義」とは合宜である。
九四曰:或躍在淵,無咎,何謂也。子曰:上下無常,非為邪也;進退無恆,非離群也。君子進德修業,欲及時也,故無咎。欲及時用其學,以濟天下,故不避其嫌。四與初相上下,初潛四躍,初退四進。
九四爻辞に「或いは淵に躍る、咎なし」とあるが、何を謂うか。子曰く。上下常なく、邪を為すに非ざるなり。進退恒なく、群を離るるに非ざるなり。君子は徳を進め業を修め、時に及ばんと欲するなり。故に咎なし。時に及んで其の学を用い、以て天下を済わんと欲するから、「上下无常・進退无恒」の嫌疑を避けない。四と初はもともと相い上下を為す一対の爻で、初九は潜み九四は躍り、初九は退き九四は進む。
九五日:飛龍在天,利見大人,何謂也。子曰:同聲相應,同氣相求。水流溼,火就燥。雲從龍,風從虎。聖人作而萬物睹。本乎天者親上,本乎地者親下,則各從其類也。此與象辭之大人聚義同也。乾坤初爻交震巽,故曰同聲相應;上爻交艮兌,故曰同氣相求;中爻交坎離,故曰水流溼、火就燥。溼燥以方位言,荀爽謂坤溼乾燥者是也。坤原居北方,北方涸陰冱寒,故曰溼;乃乾自南往交坤成坎,故曰流溼。乾原居南方,南方炎熇焦灼,故曰燥;乃坤自北往交乾成離,故曰就燥。此於先天南北之乾坤,變為後天之離坎,至明白矣。乾若不在南,如何流北;坤若不在北,如何就南。故夫方位不明,易本立失,所關至巨。
九五爻辞に「飛龍天に在り、大人を見るに利あり」とあるが、何を謂うか。子曰く。同き声は相い応じ、同き気は相い求む。水は湿に流れ、火は燥に就く。雲は龍に従い、風は虎に従う。聖人作りて万物睹る。天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ。則ち各々其の類に従うなり。この節は『小象』の「飛龍天に在り、大人聚まるなり」の意と同じである。先天卦位で言えば、乾坤両卦の初爻が相い交じて震・巽を成し、震・巽はみな声を主るから「同き声は相い応ず」と言う。上爻が相い交じて艮・兌を成し、艮・兌は一気相通ずるから「同き気は相い求む」と言う。中爻が相い交じて坎・離を成すから「水は湿に流れ、火は燥に就く」と言う。「湿」「燥」は方位に就いて言うので、荀爽が坤は湿・乾は燥と言うのが正しい。坤はもともと北方に居り、北方は陰気が凝結して寒冷凍涸するから「湿」と言う。乾が南より往って坤に交じて坎を成すから「湿に流る」と言う。乾はもともと南方に居り、南方は炎熇焦灼するから「燥」と言う。坤が北より往って乾に交じて離を成すから「燥に就く」と言う。これによって先天に南北に居る乾坤が、後天の離坎に変ずることが至って明白である。乾が南に在らざれば、どうして北に「流るる」と言えよう。坤が北に在らざれば、どうして南に「就く」と言えよう。ゆえに方位が明らかでなければ、『易』の本は立たず、関係するところは至って大きい。
坤為雲,《易林》困之泰云:陰雲四方。又未濟之升云:雲興蔽日。皆以泰升上坤為雲。乾為龍,故曰云從龍。坤為風,《易林》訟之剝云:烈風雨雪。大壯之剝云:乘風駕雨。皆以剝下坤為風。陸績云:風土氣也,巽坤之所生,故為風。按陸說是坤本為風也。乾為虎,故曰風從虎。風雲者陰,龍虎者陽,言陰必從陽也。乾虎之象,《易林》師之乾云:三奸成虎。小畜之乾云:東遇虎蛇。皆以乾為虎。此象昔儒無知者,後會稽茹敦和始發之,近師俞樾襲其說,謂虎陽物,君象。京虞以坤為虎,馬以兌為虎,皆不如九家以艮為虎之義長。艮何以為虎,以得乾之上爻,猶震得乾初亦為龍也。是乾本為虎也,故履革皆以乾為虎,說與《易林》闇合。
坤に「雲」という逸象がある。『焦氏易林』の困之泰は「陰雲四方」と言い、未済之升は「雲興りて日を蔽う」と言う。いずれも泰卦・升卦の上体を坤として坤を雲としたのである。乾に「龍」の象あり、だから「雲は龍に従う」と言う――雲は坤に属し龍は乾に属し、まさに陰が陽に従うことである。坤にまた「風」の象がある。『易林』の訟之剥は「烈風雨雪」と言い、大壮之剥は「風に乗り雨を駕す」と言う。いずれも剥卦の下体を坤として坤を風としたのである。陸績は「風は土気なり、巽と坤と生ずる所、故に風と為る」と言う。按するに陸績のこの説によれば、坤はもともと風の象を有することになる。乾に「虎」の象あり、だから「風は虎に従う」と言う。雲と風は陰に属し、龍と虎は陽に属し、これは陰が必ず陽に従うことを言う。乾が虎の象であることは、『易林』の師之乾に「三奸虎を成す」、小畜之乾に「東に虎蛇に遇う」とあるのに見える。いずれも乾を虎とする。この象は従前の学者には知る者がなく、後に会稽の茹敦和が初めて発明し、近代の師・兪樾はその説を襲って、虎は陽物で人君の象とした。京房・虞翻は坤を虎とし、馬融は兌を虎としたが、いずれも九家易が艮を虎とするほどに講じ通らない。艮はなぜ虎たり得るか。艮は乾の上爻を得たからであり、ちょうど震が乾の初爻を得てまた龍たり得るのと同じである。これで乾がもともと虎の象を有することが分かる。だから履卦・革卦はともに乾を虎とするのであり、この説は『焦氏易林』と暗合する。
聖人作者,乾為聖人,坤為萬物,聖人作而萬物睹,即比象也,仍陰從陽也。天地者陰陽,本乎天者親上,謂陽性上升順行,故乾二必上升坤五,以與陰類;本乎地者親下,謂陰性下降逆行,故坤五必下降乾二,以與陽類,故曰各從其類。陰陽相遇方為類,與朋友同。若陰遇陰陽通陽,則為敵矣,不朋不類也。頤六二曰:行失類也。以所遇皆陰,至明白也。乃由漢迄今,無有察覺者。
「聖人作」の句。乾に「聖人」の象、坤に「万物」の象あり、「聖人作りて万物睹る」はまさに比卦の取る象で、言う所はやはり陰が陽に従うことである。「天地」とはすなわち陰陽。「天に本づく者は上に親しむ」とは、陽性が上昇して順行するを言い、だから乾の九二は必ず坤の五位に上昇して、陰と配して類を成す。「地に本づく者は下に親しむ」とは、陰性が下降して逆行するを言い、だから坤の六五は必ず乾の二位に下降して、陽と配して類を成す。だから「各々其の類に従う」と言う。必ず陰と陽が相い遇って初めて「類」となり、これは「朋」と称すのと同じ理である。もし陰が陰に遇い陽が陽に遇えば、それは敵対となり、朋でも類でもない。頤卦六二の『小象』は「行きて類を失うなり」と言う。まさにその遇う所が皆陰爻だからで、これは明白の至りである。ところが漢代から今日まで、この点に察する者はいなかった。
按此節舊解所以不明徹者:一由於類字義失,二由於乾虎、坤雲、坤風象失,三由於不知此說陰陽相感之理,以著大人聚及利見之義,四由於不知此言先天象,故兩兩對舉。震巽對故相應,陰陽相應也;艮兌對故相求,陰陽相求也;水流溼,陽求陰,火就燥,陰求陽也,水火對也;雲從龍,風從虎,言陰陽不相離,乾坤對也。皆所以著陰陽類之理也。二千年以來,惟一茹敦和識虎為陰象之非,其功過荀虞遠矣。又親上親下二語,使人識陰陽交之所以然也。親上者居上,親下者居下,則陰陽氣不交而為否矣;親上者居下,親下者居上,則陰陽氣接而為泰矣。各從其類,統相應相求各語而言之也。
按するにこの一節の旧注が明徹を欠いた原因は四つある。一は「類」の字の訓義が失伝したこと、二は乾が虎・坤が雲・坤が風の逸象が失伝したこと、三はここが陰陽相感の理を講じて『小象』の「大人聚」と爻辞の「利見」の意を明らかにするのを知らなかったこと、四はここが先天卦象を言うのを知らなかったこと。ゆえに両両対を挙げたのである。震と巽が対を成すから「相い応ず」と言う。それは陰陽の相応である。艮と兌が対を成すから「相い求む」と言う。それは陰陽の相求である。「水は湿に流る」は陽が陰を求めること、「火は燥に就く」は陰が陽を求めること、水火の対である。「雲は龍に従い、風は虎に従う」は陰陽が相い離れぬを言う、乾坤の対である。皆陰陽同類相従の理を明らかにする所以である。二千年以来、ただ茹敦和一人が虎を陰象とするの誤りを見抜いた。その功は荀爽・虞翻を遥かに超える。また「天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ」の二句は、人に陰陽がいかにして交わるかを識らせるものである。上に親しむ者が果たして上に居り、下に親しむ者が果たして下に居れば、陰陽二気は交わらず否卦となる。反対に、上に親しむ者が下に居り、下に親しむ者が上に居れば、陰陽二気は接合して泰卦となる。末句の「各々其の類に従う」は、上の「相応」「相求」の諸語を統括して言うのである。
上九曰:亢龍有悔,何謂也。子曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。在上故貴,失正故無位,失位故無民。乾為賢人,既非九五之位則臣下也。三無應,故曰無輔。有此三因,故動而有侮。
上九爻辞に「亢龍悔あり」とあるが、何を謂うか。子曰く。貴くして位なし、高くして民なし、賢人は下位に在りて輔くことなし。是を以て動けば悔あるなり。上にあるから「貴」と言い、陽で陰に居りて其の正を失うから「位なし」と言い、すでに位を失えば臣民もない。乾に「賢人」の象あり、上九は九五の君位に在らざれば臣下に属する。九三と上九は同じ陽爻で相応せず、だから「輔なし」と言う。この三重の因があって、動けば悔が生ずるのである。
潛龍勿用,下也。見龍在田,時舍也。終日乾乾,行事也。或躍在淵,自試也。飛龍在天,上治也。亢龍有悔,窮之災也。乾元用九,天下治也。舍發也,詩舍失如破,《易林》家人之大有云:仲春孟夏,和氣所含。皆以舍為發。作舍棄者固非,以舍舒之葭(無草)字者亦非也。自試者試其可否,上治者居上治民,天下治申用九之故也。用九者剛變柔,言天下未治,治之以剛;若天下已治,則當濟以柔。明用九之故,因天下已治也。此治字與上治治字相呼應。後人因不識用九真諦,故籠統解說,多誤者。○王弼曰:此一章全以人事明之。
『小象』は言う。「潜龍勿用」は下位に在るからであり、「龍を田に見る」は時機がすでに発動したことを言い、「終日乾乾」は事に勤しむを言い、「或いは淵に躍る」は自ら試すを言い、「飛龍天に在り」は上に居りて民を治めるを言い、「亢龍悔あり」は窮極して招来した災いであり、「乾元用九」は天下が治められるを言う。ここの「舎」は「発」の意である。『詩経』の「舎矢ことごとく破る」(源文は「舎失如破」と作る)の「舎」はすなわち発射であり、『焦氏易林』の家人之大有に「仲春孟夏、和気の舎する所」と言うのも、いずれも「舎」を発とする。「舎」を捨棄に釈するのはもとより誤りで、それを「舒」の假借字(「葭」の草冠を去った「叚」)とするのも誤りである。「自試」は自分で可なりや否かを試すこと、「上治」は上位に居りて百姓を治めること、「天下治」は用九の所以を申すことである。用九は剛が柔に変ずること。天下が未だ治まらぬ時は剛をもって治め、天下がすでに治まれば柔をもって調済すべきである。ここに用九の由を点明するのは、まさに天下がすでに治まったからである。この「治」の字は上文「上治」の「治」の字と前後に呼応する。後人は用九の真義を知らないから、籠統に解説するほかなく、誤ることが多い。王弼は言う。この一章は全て人事をもって明らかにする。
潛龍勿用,陽氣潛藏。見龍在田,天下文明。終日乾乾,與時偕行。或躍在淵,乾道乃革。飛龍在天,乃位乎天德。亢龍有悔,與時偕極。乾元用九,乃見天則。王弼云:此一章全以天氣明之。彖傳曰:時乘六龍以御天。即乾乘六陽時也。初乘子,陽氣雖生而未出,故曰潛藏。二乘寅,陽出地上,百物思奮,故曰文明。三乘辰,百果草木,長養興起,故曰與時偕行。四乘午,陽盈於巳,消於午,陰起用事,代有終,故曰乾道乃革。其以二上變成革為說者,非也。五乘申,百果草木,至秋成熟,乾德乃見,故曰位乎天德。《廣雅》位正也,言正當天德之時也。上乘戌,陽氣將盡矣,故曰與時偕極。陽極反陰,陰極反陽,乃天道之自然,故曰乾元用九,乃見天則。則者法也,一定之理也。
「潜龍勿用」は陽気が潜伏蔵匿である。「龍を田に見る」は天下に文采光明が煥然とすること。「終日乾乾」は時序に倣って運行すること。「或いは淵に躍る」は乾道がここに変革を生ずること。「飛龍天に在り」はまさに天徳の位に当たること。「亢龍悔あり」は時序に倣って極点に至ること。「乾元用九」はこれによって天道の法則が見えること。王弼は言う。この一章は全て天時の気をもって明らかにする。『彖伝』は「時に乗じて六龍に乗りて以て天を御す」と言う。すなわち乾が六つの陽時に乗ることである。初爻は子時に乗り、陽気はすでに萌したがまだ地面に出ないから「潜蔵」と言う。二爻は寅時に乗り、陽気が地上に升出して万物が奮発するから「文明」と言う。三爻は辰時に乗り、百果草木が長養興起するから「時と偕に行く」と言う。四爻は午時に乗り、陽気が巳に盈満して午に消退し始め、陰気が起こって事を用いて、陽に代わって終わらせるから「乾道乃ち革す」と言う――九二と上九が変じて革卦を成すと説く者は誤りである。五爻は申時に乗り、百果草木が秋に成熟して乾徳が顕現するから「天徳に位す」と言う。『広雅』は「位」を「正」と訓じ、まさに天徳の時に当たるを言う。上爻は戌時に乗り、陽気が尽きんとするから「時と偕に極まる」と言う。陽は極まれば陰に反し、陰は極まれば陽に反する。これは天道の自然で、だから「乾元用九、乃ち天則を見る」と言う。「則」とは法であり、一定不易の理である。
乾元者始而亨者也,利貞者性情也。乾始能以美利利天下,不言所利,大矣哉。大哉乾乎,剛健中正,純粹精也。六爻發揮,旁通情也。時乘六龍,以御天也。雲行雨施,天下平也。性之與情,清惠棟阮元姚配中洪震烜胡縉諸儒說之,可謂詳盡矣,而利貞何以謂之性情,只以六爻正成既濟為說,無能瞭解者,則以自東漢以來,於利貞之真諦不明也。《易林》中孚之坤云:符左契右,相與合齒,乾坤利貞,乳生六子。合齒者交也,即乾坤利貞也。蓋貞之為義屬冬,消息卦坤起午,至亥而為純坤,與原居亥之純乾相遇,陰牝陽,天地合德,陰陽和姤,萬物本以出生,故曰乾坤利貞,乳生六子。然則利貞之為和合明矣。故六十四卦言利貞者,二五無不交,否則卦體自相交,如中孚小過者也。彖傳曰:各正性命,保合太和。正《易林》所本也。
「乾元」とは万物が始めて亨ることであり、「利貞」は性と情を言う。乾道は始めるに能く美利をもって天下を利すれども、其の利する所を言わず。大きなりや乾。剛健中正、純粋精なり。六爻の発揮変動は、万物の情に旁通するなり。時に乗じて六龍に乗りて、以て天を御するなり。雲行き雨施りて、天下平なり。「性」と「情」については、清代の恵棟・阮元・姚配中・洪震烜・胡縉の諸儒が詳尽に論じたと言うべきだが、「利貞」がなぜ「性情」と謂われるかについては、彼らはただ六爻が各々其の正を得て既済を成すと説くだけで、真に解せた者はいない――その因は、東漢以来「利貞」の真義が明らかでないことにある。『焦氏易林』の中孚之坤は「符左契右、相い与に合歯す。乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言う。「合歯」とは交合であり、すなわち「乾坤利貞」である。もともと「貞」は義理上冬に属する。十二消息卦で坤は午月に起こり(垢)、亥月に至って純坤となり、もともと亥位に居る純乾と相い遇う。陰は牝として陽を承け、天地が徳を合わせ、陰陽が交和相遇して、万物はこれによって出生する。だから「乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言う。然らば「利貞」とは和合であることが明白である。ゆえに六十四卦で「利貞」と言う者は、二五両爻で交じらぬものはなく、さもなければ卦体自身が交じる、中孚・小過のごときである。『彖伝』は「各々其の性命を正し、太和を保合す」と言う。まさに『易林』のこの説の本拠である。
且夫陽之喜陰,陰之喜陽,乃天地自然之性。本其性之所喜,以陽求陰,以陰承陽而和合焉,則由性而入於情矣。情者欲也,感也。利貞者性情,即謂陰之凝陽,變化和合,乃天地固有之性情,感之極正者也。崔覲云:不雜曰純,不變曰粹。精者專一,極形容乾德之大。
さて、陽が陰を喜び、陰が陽を喜ぶのは、天地自然の「性」である。その性の喜ぶ所に本づいて、陽をもって陰を求め、陰をもって陽を承けて交和すれば、「性」から「情」に入る。「情」とは欲であり、感である。「利貞とは性情なり」とは、すなわち陰が陽に凝り、変化して和合することで、天地固有の性情であり、感通のうち最も正なるものである。崔覲は言う。雑らざるを「純」と曰い、変らざるを「粋」と曰う。「精」とは専一である――この数字は皆乾徳の大を形容し尽くしたものである。
發揮者變動也,言六爻遇九六即變動也。旁,《玉篇》云:非一方也。通者感也,應也,陰陽相感故相通。《繫辭》云:探賾索隱,鉤深致遠。又曰:旁行而不流。皆謂正象之旁,尚有伏象,故曰索隱,曰鉤深,曰旁行。而震與巽相對,艮與兌相對,陰與陽絕異也,而文言曰同聲相應,同氣相求。蓋陰陽未合,有陰陽之分;陰陽既合,則和同混一而不分矣,故曰同。同則通。故易辭與易林用象,正伏常不分,而其所以能旁通之故,則仍陰陽相求相感固有之理,故曰旁通情也。時乘六龍義見前。雲行雨施,萬物亨通,故曰天下平。
「発揮」とは変動であり、六爻が九・六の数に遇えば変動することを言う。「旁」の字は『玉篇』に「一方に非ず」とあり、「通」とは感であり応であり、陰陽が互いに感召するから相通じる。『繋辞』は「賾を探り隠を索め、深を鉤き遠を致す」と言い、また「旁行して流れず」と言う。いずれも正象の旁にさらに別の一重の象(伏象)が伏することを言い、だから「索隠」・「鉤深」・「旁行」と称す。震と巽は相対し、艮と兌は相対し、陰と陽はもともと截然と異なるのに、『文言』は「同き声は相い応じ、同き気は相い求む」と言う。これは陰陽が未だ合せぬ時は陰陽の分かれがあるが、陰陽がすでに合せば渾然和同して再び分かれぬから「同」と称し、同なれば通じる。ゆえに『易』辞と『焦氏易林』の用象は、正象と伏象を常に分かたない。そしてそれらが旁通し得る所以は、やはり陰陽が相い求め相い感ずる固有の理によるから、「情を旁通するなり」と言う。「時に乗じて六龍に乗る」の義は前文を見よ。雲気が流行し雨沢が施降して、万物はこれによって亨通するから「天下平」と言う。
侯果日:下繫雲兼三才而兩之,謂兩爻為一才也。初兼二地也,三兼四人也,五兼六天也。四是兼才,非正,故言不在人。朱子疑四非重剛,豈知重剛與卦位無涉,乃謂上下爻也。疑則慎,慎故無咎。
侯果は言う。『繋辞下』に「三才を兼ねて之を両にす」と講ずるのは、二爻ずつを一才とすることである。初爻は二爻を兼ねて地、三爻は四爻を兼ねて人、五爻は六爻を兼ねて天。九四はちょうど両才の交わって兼ねる位にあり、正位ではないから、『文言』はそれを「中にして人に在らず」と言う。朱熹は九四が「重剛」ではないと疑うが、思うに「重剛」は卦位と関わりなく、上下二爻がともに剛爻であることを言う。疑いがあれば慎み、慎むから咎なしである。
夫大人者,與天地合其德,與日月合其明,與四時合其序,與鬼神合其吉凶。先天而天弗違,後天而奉天時。天且弗違,而況於人乎,況於鬼神乎。大人者五,五天位,二地位,上下昭列,尊卑判分,而五與二相往來,故與天地合其德。五坎位,坎月;二離位,離日;火為水妃,東西終始,故與日月合其明。夫天地日月,先天四中象也,惟大人能則之。元亨利貞,即春夏秋冬,四時之序,將來者進,成功者退,已用則賤,當時則貴,循環往來,不差不忒,故曰與四時合其序。夫震春離夏兌秋坎冬,即後天之四中象也,惟大人能兼之。
いわゆる大人とは、天地と其の徳を合わせ、日月と其の明を合わせ、四時と其の序を合わせ、鬼神と其の吉凶を合わせる者である。天に先んじても天は彼に違わず、天に後れても天の時を奉る。天ですら違わないのに、まして人においてをや、鬼神においてをや、である。ここの「大人」は九五を指す。五は天位、二は地位で、上下が昭然と列立し、尊卑が判然と分かれ、しかも五と二が互いに往来交感するから「天地と其の徳を合わす」と言う。先天方位で言えば、五は坎位に当たり坎は月、二は離位に当たり離は日、火は水の妃配で、一東一西、互いに終始を成すから「日月と其の明を合わす」と言う。天・地・日・月は先天八卦の四正の象であり、ただ大人のみがこれらに則ることができる。元亨利貞はすなわち春夏秋冬で、これが四時の序である。将に来る者は進み、功を成した者は退き、已に用いられし者は賤く、時に当たる者は貴い。循環往来して絲毫も差わないから「四時と其の序を合わす」と言う。そして震が春を主り、離が夏を主り、兌が秋を主り、坎が冬を主るのは後天八卦の四正の象で、これもただ大人のみが兼ね有ることができる。
消息卦,乾生於東,神也;坤死於西,鬼也。生則吉,死則凶。乃乾雖主生,不殺亦不能成歲功,故生死遞嬗,吉凶代更,亦惟大人能合之。先天之象,天地日月,牝牡雌雄,二儀肇分,法象自然如此,雖天亦不能違。後天之象,震兌坎離,互興迭廢,時而生,時而壯,時而老病死。人如此,物亦如此,天地亦如此。夫事而至於天不能違,人與鬼神,不待言矣。
十二消息卦で言えば、乾(陽)は東方に生じて「神」に属し、坤(陰)は西方に死して「鬼」に属する。生すれば吉、死すれば凶である。しかし乾は生を主るとはいえ、粛殺なくしては一年の歳功を成せないから、生と死は互いに禅代し、吉と凶は代々更る。これもまたただ大人のみがこれと合することができる。先天の象は天・地・日・月で、牝と牡・雌と雄、二儀が始めて分かれ、法象はもともと自然にこうであるから、天もまたこれに違えない――これが「天に先んじても天違わず」である。後天の象は震・兌・坎・離で、彼此が興廃し、時に萌し、時に壮い、時に老病死する。人もこう、物もこう、天地もこうである――これが「天に後れても天の時を奉る」である。事が天ですら違えないところに至れば、人と鬼神は言うまでもない。
亢之為言也,知進而不知返,知存而不知亡,知得而不知喪。進也,存也,得也,陽之事也;退也,亡也,喪也,陰之事也。六者相對待,相循環。至上九亢極矣,極則宜變而知所返,懵不知返,故有悔也。按此專釋上九亢龍之義,兼申下文用九之故,知退即用九也。
「亢」と言うのは、進むを知って返るを知らず、存を知って亡を知らず、得を知って喪を知らぬことである。進・存・得は陽の事であり、退・亡・喪は陰の事である。この六者は両々相待ち、また循環相生する。上九に至れば亢が極まり、極まれば変ずべきで返る所を知るべきだが、懵然として返るを知らぬから悔がある。按するにこの節は専ら上九の「亢龍」の義を釈し、あわせて下文の用九の所以を申する――退を知ることがすなわち用九である。
其唯聖人乎。知進退存亡,而不失其正者,其唯聖人乎。此專釋用九之故也。知進復知返,知存復知亡,故用九也。見群龍無首,即知退也,即陽變陰也。故夫用之為變,觀此而益明矣。自荀虞以來,不知此節繫專釋用九之義,浮泛解釋。然文言此處舍用九不釋,是其辭未畢也。李鼎柞知此說用九,而以乾元用九,天下治也為解,仍不知知退知亡,即釋用九及無首之義。
其れ唯だ聖人か。進退存亡を知りて其の正を失わざる者は、其れ唯だ聖人か。この節は専ら用九の所以を釈するものである。進を知ってまた返を知り、存を知ってまた亡を知るから、用九とするのである。「群龍を見るに首なし」とは、退を知ることであり、陽が陰に変ずることである。ゆえに「用」とはすなわち「変」であり、これを見ればなおさら明らかである。荀爽・虞翻以来、この節が専ら用九の義を釈するものと知る者なく、浮泛に解釈した。しかし『文言』がここで用九を釈せずに置けば、それは言が尽きていないことになる。李鼎祚はここが用九を説くことを知っていたが、『小象』の「乾元用九、天下治なり」をもって解とし、やはり「退を知る」「亡を知る」がすなわち用九と「首なし」の義を釈するものと明らかにしなかった。
『周易尚氏学』巻二 上経
坤卦
坤。元亨,利牝馬之貞。君子有攸往,先迷後得主(句)利(句),西南得朋,東北喪朋,安貞吉。元亨,謂二五也。乾元亨二五獨吉,坤亦然。元亨並無陰陽之分。虞仲翔謂坤含光大,凝乾之元,終於坤亥,出乾初子,故元亨。案彖傳曰:至哉坤元。是坤亦言元,不專屬乾。坤六五云:黃裳元吉。是其證。乾為馬,坤為牝。貞,卜問也。利牝馬之貞,即利牝馬之占也。牝馬柔順,言陰必順陽也。君子有攸往,言具坤德之君子,有所行也。惠棟端木國湖泥於坤為小人之象,謂君子指陽,非也。地道無成,故不可先,先則迷而失道,惟隨陽之後,以陽為主,則靡不利也。
坤卦卦辞:元亨、牝馬の貞に利あり。君子往く所有り、先ずれば迷い、後れば主を得(句)、利(句)。西南に朋を得、東北に朋を喪う。貞に安んずれば吉。(尚氏は「主」の字の下で句切り、「利」の字の下で句切る。)「元亨」は二・五両爻を指す。乾卦の「元亨」が独り二五両爻に吉を見るのと、坤卦も同じで、「元亨」自体には陰陽の分かれはない。虞翻(仲翔)は坤が光大を含蔵して乾の元気を凝め、坤の亥位に終わってまた乾の初子に出るから「元亨」と言うが、按するに『彖伝』は「至なるかな坤元」と言う。坤もまた「元」を言うのであって乾に専属しない。坤卦六五に「黄裳元吉」とあるのがその証である。乾に「馬」の象、坤に「牝」の象あり、合わせれば牝馬である。「貞」は卜問で、「牝馬の貞に利あり」とは牝馬の占に利ありということ。母馬は柔順で、陰が必ず陽に順うことを言う。「君子往く所有り」とは、坤の徳を具えた君子が行する所あるを言う。恵棟・端木国瑚は坤が小人の象に泥んで、ここの「君子」は陽爻を指すと言うが、誤りである。地道は首創を敢えてしないから、先んずべからず。先んずれば正道を迷い、ただ陽の後に随い陽を主とすれば、利あらざることなし。
西南得朋,東北喪朋。舊解以朋字類字失詁,故鮮得解者。馬融荀爽以陰遇陰為朋,虞翻謂失之甚矣,乃用參同契,月三日出庚,震象;八日見丁方,兌象。兌二陽為朋,庚西丁南,故曰西南得朋。三十日坤象,月滅乙癸,癸北乙東,故曰東北喪朋。苦心搜索以求朋象,豈知兌之為朋,以陰遇陽,非以二陽。陽遇陽同人謂之敵剛,陰遇陰中孚謂之得敵。然則虞說與馬荀背易理等耳,然支離穿鑿,則過於馬荀矣。復曰朋來無咎,蹇九五曰:大蹇朋來。解九四曰:朋至斯孚。皆以陰得陽為朋。而坤逆行,消息卦自西而南陽日增,自東而北陽遞減,增則得朋,減則喪朋。而坤道無成,故安靜貞定則吉也。
「西南に朋を得、東北に朋を喪う」の句は、旧注が「朋」の字と「類」の字の訓義を失したので、解を得た者は稀である。馬融・荀爽は陰が陰に遇うを「朋」とし、虞翻は彼らが大いに誤ったとして、『参同契』を持ち出した。月は初三日に庚方に出て震象、初八日に丁方に見えて兌象、兌は二つの陽爻を有って「朋」とし、庚は西・丁は南だから「西南に朋を得」と言う。三十日は坤象で、月光は乙・癸に滅し、癸は北・乙は東だから「東北に朋を喪う」と言う。彼は苦心して「朋」の象を搜したが、兌が朋たる所以は陰が陽に遇うからであって、二つの陽爻を有るからではないと知らない。陽が陽に遇えば同人卦は「敵剛」と謂い、陰が陰に遇えば中孚卦は「得敵」と謂う。然らば虞翻の説が易理に背くは馬・荀に等しく、しかも支離穿鑿は馬・荀を過ぎる。『復』は「朋来りて咎なし」と言い、蹇卦九五は「大蹇朋来る」と言い、解卦九四は「朋至り斯く孚なり」と言う。いずれも陰が陽を得るを「朋」とする。そして坤は逆行する。消息卦は自西より南へ陽爻が日に増し、自東より北へ陽爻が漸減する。増すれば「朋を得」、減すれば「朋を喪う」である。そして地道は首創を成さないから、安静に貞定すれば吉である。
象曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。坤厚載物,德合無疆,含弘光大,品物咸亨。何休公羊傳元年注云:元者氣也。萬物資坤元以生,坤元實順天以行,故天道廣大無疆,惟坤之德能合之也。萬物皆孕毓於地,故曰含弘;萬物皆成長於地,故曰光大。光大則咸亨矣。
『彖伝』は言う。至なるかな坤元、万物はこれに資って生まれ、順にして天を承く。坤は厚くして物を載せ、其の徳は疆なきに合わんとす。弘大を含み広遠を光じて、品物咸に亨る。何休は『公羊伝』「元年」の注に「元とは気なり」と言う。万物は坤元の気に凭って生まれ、坤元は実は天道に順って行う。天道は広大にして疆なく、ただ坤の徳のみこれと合し得る。万物は皆地の中で孕毓するから「弘を含む」と言い、万物は皆地の上で成長するから「光の大なり」と言う。光大なれば自ずから「咸に亨る」。
牝馬地類,行地無疆,柔順利貞,君子攸行。陰陽合為類,乾為馬,故馬與地類,而牝馬尤與地類。君子攸行者,謂柔順利貞之德,為君子所法也。九家謂乾來據坤,為君子攸行,失傳旨。
『彖伝』は言う。牝馬は地の類で、地を行きて疆なし。柔順にして貞に利し、君子の行う所なり。陰と陽が相配して初めて「類」となる。乾に「馬」の象があり陽に属し、坤は地で陰に属す。だから馬と地はまさに相配の類であり、牝馬(陰性の馬)はなおさら地と類する。「君子の行う所」とは、柔順にして貞に利するの徳が君子の法る所であることを言う。九家易はこれを乾が来たりて坤を據し「君子の行う所」と成すと言うが、『彖伝』の本旨を失っている。
先迷失道,後順得常。西南得朋,乃與類行。東北喪朋,乃終有慶。夫曰行曰終,乃自西而南,自東而北而逆行也,非以西南東北相對待也,明矣。消息卦自西而南陽日增,故曰西南得朋。陰以陽為類,故曰乃與類行。消息卦自東而北陽遞減,故曰東北喪朋。夫事有終必有始,喪朋之地始於巳,終於亥。坤行至亥,陽喪盡而為純坤,乃反曰有慶者何也。則以周易之位,乾原居亥,純坤與純乾相遇,天地合德,萬物由此出生,故曰有慶。
『彖伝』は言う。先ずれば道を迷い、後れて順けば常を得る。西南に朋を得るは、乃ち類と行くなり。東北に朋を喪うは、乃ち終に慶あり。「行」と言い「終」と言うのは、自西より南へ、自東より北への逆行を言うのであって、西南と東北を二つの相対の方位とするのではないことが明白である。消息卦は自西より南へ陽爻が日に増すから「西南に朋を得」と言い、陰は陽を同類とするから「乃ち類と行く」と言う。消息卦は自東より北へ陽爻が漸減するから「東北に朋を喪う」と言う。およそ事に終あれば必ず始あり。朋を喪うこの段の路は巳位に始まり亥位に終わる。坤が亥に行き着けば陽は喪い尽くして純坤となるのに、なぜかえって「慶あり」と言うか。『周易』の方位では乾がもともと亥に居り、純坤と純乾がここで相い遇い、天地が徳を合わせて万物がこれによって出生するから、「慶あり」と言うのである。
易凡言有慶者,皆謂陰遇陽。大畜晉睽六五,皆上承陽,故皆曰往有慶。《易林》中孚之坤云:符左契右,相與合齒,乾坤利貞,乳生六子。《太玄》玄文云:入冥出冥,新故代更。皆說有慶之故也。後儒皆承用虞氏解,謂坤行至西南,月又將生明為有慶,是不知終為何處也。終者艮象亥方。《周禮》宰夫,及大司徒歲終注,皆日周季冬也。周季冬為亥月。又《爾雅·釋天》云:月在壬曰終。壬亦亥方。是終指亥方甚明。說卦云:艮成終。終於亥也。故夫洞明易理者,莫過於焦延壽與楊子云也。(焦氏易詁,有詳說,可參閱。)安貞之吉,應地無疆。坤道主靜,故曰安。《易林》云:乾坤利貞,乳生六子。安貞即利貞,利貞即天地合德,合則相感,故曰應地無疆。
『易』でおよそ「慶あり」と言う所は皆陰が陽に遇うことを指す。大畜・晋・睽の三卦の六五は皆上に陽爻を承けるから皆「往くに慶あり」と言う。『焦氏易林』の中孚之坤は「符左契右、相い与に合歯す。乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言い、揚雄『太玄・玄文』は「冥に入り冥を出づ、新故代々更る」と言う――皆「慶あり」の所以を言ったものである。後儒はみな虞翻の解を承用して、坤が西南に行き月がまた明を生ずるを「慶あり」と言うが、それは「終」が果たしてどこを指すかを知らない。「終」は艮象の主る亥方である。『周礼』の宰夫と大司徒が「歳終」を講ずる所、鄭注はいずれも周暦の季冬と言い、周の季冬はまさに亥月である。『爾雅・釈天』も「月壬に在りて終と曰う」と言い、壬もまた亥方に属する。これで「終」が亥方を指すことはきわめて明白である。『説卦』は「艮は終を成す」と言う。終とは亥に終わることである。ゆえに『易』理を洞明する者は焦延壽と揚雄を超えるものはない。(この説は『焦氏易詁』に詳論あり。参照可。)『彖伝』は「安貞の吉、地に応じて疆なし」と言う。坤道は静を主るから「安」と言う。『易林』は「乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言うから、「安貞」はすなわち「利貞」であり、「利貞」はすなわち天地之合徳である。すでに合すれば相い感ずるから「地に応じて疆なし」と言う。
象日:地勢坤,君子以厚德載物。王弼曰:地形不順,其勢順。是王弼之本,作地勢順也。來衷曰:地有上下九等之差,故以形勢言其性。夫曰性則亦讀為順也。而皆未引說卦坤順為詁,是愈證宋王本之皆作地勢順,故不引說卦為證。蓋坤古文作◆。
『大象伝』は言う。地の勢は坤(順)、君子はこれに法りて厚徳をもって物を載す。王弼は「地形は順ならず、其の勢は順なり」と言う。王弼の拠った本は「地勢順」と作っていたことが分かる。来衷は「地に上下九等の差あり、故に形勢に就いて其の性を言う」と言う――「性」と言う以上、それも「順」と読んでいたのである。この二家はいずれも『説卦』の「坤は順なり」を引いて訓解とせず、これで宋衷・王弼の本がいずれも「地勢順」と作っていたことがいっそう証される。引くべき必要がなかったのである。もともと「坤」の字の古文は◆と作る(その形は「甾」の上半で下に「田」がない。以下同じ)。
而◆為順之※字,故宋王皆讀◆為順。自正義改作坤,而順字遂無由識。至清儒王引之等,據說卦乾健坤順之文,謂天行健即天行乾,地勢順即地勢坤。夫乾坤之為天地,不惟說卦言之,彖象傳並言之,故以天代乾,以地代坤。今不從宋王注,以坤為順之訛字(若作◆則不訛),謂天行健即天行乾,地勢順即地勢坤,是天行天、地勢地也,尚可通乎。
そして◆はまた「順」の字の假借字だから、宋衷・王弼はともに◆を「順」と読んだ。孔穎達の『正義』が今体の「坤」の字に改めてから、「順」の層の意は識る由もなくなった。清儒・王引之らに至って、『説卦』の「乾は健なり、坤は順なり」の文句に拠って、「天行健」はすなわち「天行乾」で「地勢順」はすなわち「地勢坤」と言う。しかし乾坤がすなわち天地であることは、『説卦』だけでなく『彖伝』『象伝』も皆このように言う。だから『大象』は「天」をもって乾に代え「地」をもって坤に代えたのである。今、宋・王の注に従わず、かえって「坤」を「順」の訛字と見る(実は古文◆と書けば訛ではない)、「天行健」はすなわち「天行乾」、「地勢順」はすなわち「地勢坤」とすれば、それは「天行天」「地勢地」と言うに等しい。まだ通じるだろうか。
王又謂◆即川字,川與坤順聲近,故借川作坤,是尤不安。夫坤古作◆,是古文作◆也。隸書原以變古文之繁重,若◆字本即簡易,故隸書常因而不改。大戴禮保傅篇:易之乾◆。家語執轡篇:此乾◆之美。後漢輿服志:堯舜垂裳,蓋取諸乾◆。北史太和三年,◆德六合殿成。又坤字之見於漢碑者,無不作◆。再征之金文,周師訇敦銘云:用作◆宮寶。王陶廬云:◆即坤字。由此證◆即坤,非有所借也明矣。
王引之はまた◆はすなわち「川」の字で、「川」と「坤」「順」は声が近いから「川」を借りて「坤」に当てたと言うが、これはなおさら不安である。「坤」は古く◆と作ったから、◆自体が古文の坤の字なのである。隷書はもともと古文の繁重な筆画を改易するために作ったもので、◆のようにもともと簡易な字は、隷書もしばしば因って改めなかった。『大戴礼記・保傅篇』に「易之乾◆」、『孔子家語・執辔篇』に「此れ乾◆の美なり」、『後漢書・輿服志』に「尭舜は裳を垂れ、蓋し乾◆に取る所なり」、『北史』に太和三年「◆徳六合殿」が成ったと載る。さらに漢碑に現れる坤の字を見れば、◆と作らぬものはない。また金文で験すれば、周の師訇敦の銘に「用て◆宮宝を作る」とあり、王陶廬はこの◆はすなわち坤の字と言う。これによって◆はもともと坤であって、別の字を借りたのではないことが明白である。
引之謂順因川而得聲,愚以為順因◆而得聲,推之訓馴巡紃等字皆然。引之蓋泥於說文坤下無重◆之文,謂◆非坤本字。王陶廬云:玉篇◆下注曰古文坤字,廣韻亦曰古文以坤為◆。二書皆胚胎於說文,據此說文必有◆字,後奪之耳,不然二書不敢臆造。又云:釋文原雲◆本又作坤,坤今字;今改為坤本又作◆,◆今字,文理謬戾已極。是皆因孔氏改◆作坤,後人遂並釋文而亦改矣。
引之は「順」は「川」に因って声を得たとし、私は「順」は◆に因って声を得たと考える。推せば、訓・馴・巡・紃などの字も皆同じである。引之は『説文』の「坤」の字の下に◆の重文を収めない文に泥んで、◆は坤の本字でないとした。王陶廬は言う。『玉篇』は◆の字の下に「古文坤の字」と注し、『広韻』も「古文は坤を◆と為す」と言う。この二書は皆『説文』に胚胎する。これによれば『説文』にはもともと必ず◆の字があったのであって、後に脱けたのである。さもなければ『玉篇』『広韻』が空に杜撰するはずがない。彼はまた言う。『経典釈文』の原文はもともと「◆、本は又坤と作る。坤は今の字」とあり、今は「坤、本は又◆と作る。◆は今の字」と改められた。文理の謬戻は極まりない。これらは皆孔穎達が◆を坤に改めたためで、後人はついに『釈文』までも併せて改めたのである。
按王說是也。詩周頌有夷之行,釋文云:◆苦魂反,字亦作坤。此處釋文應同。然則坤本作◆,征之金石傳記無不然;漢本易之作地勢順,征之宋注王注亦無不然。然今本易何以訛作地勢坤,則以漢本易,坤原作◆,乃借◆為順也。何言之,順既因◆而得聲,在古文例常※借,如大壯卦以易為場,夬以次且為趑趄,小畜以血為恤,皆因其得聲之字而※借,今以◆※順,正其例耳。孔氏知◆即坤,不知◆為順之※字,遂竟改作坤矣。若宋王則皆讀作順也,以宋王本皆作◆也,作◆則人易知為順矣。其以說卦為解者,於字之沿革,盡失其義。
按するに王陶廬の説は正しい。『詩経・周頌』に「夷の行あり」の句があり、『経典釈文』は「◆、苦魂反。字亦坤と作る」と言う。ここの『釈文』の体例もこれと同じであるべきである。然らば坤はもともと◆と作り、金石文字と伝記で験すと然らざるはなく、漢代の『易』本が「地勢順」と作ったのも、宋衷注・王弼注で験すと然らざるはない。では今本の『易』がなぜ「地ぜ「地勢坤」と訛ったか。漢本の『易』は坤の字がもともと◆と作り、ここでは◆を借りて「順」の字に当てたからである。なぜそう言えるか。「順」はすでに◆に因って声を得た以上、古文の通例ではしばしばこのように假借する。例えば大壮卦は「易」を「場」とし、夬卦は「次且」を「且趄」とし、小畜は「血」を「恤」とする。皆その声を得る字を借りる。今、◆を「順」に假借するのは、まさに同じ例である。孔穎達は◆がすなわち坤であることは知っていたが、◆がここでは「順」の假借字であることを知らず、ついに直ちに「坤」に改めてしまった。宋衷・王弼については皆「順」と読んでいたのであり、彼らの本は皆◆と作っていたからである。◆と作れば、人はそれが「順」と読むべきを容易に知る。『説卦』を搬して釈とする者は、この字の沿革について、その本義をことごとく失っている。
厚德載物者坤,君子取以為法。虞仲翔必謂君子為乾亦非。又易以◆為大川,焦氏易林以◆為水,為江河淮濟,九家注蠱亦以坤地為水,邵子坤水之象之所本也。蓋◆即川字即水字,故易林復以坎為土,邵子復本之。疑古以水土為一物,能合而不能分。比曰地上有水,師曰地中有水,證以古文,稽之卦象,而益信矣。(金文水作◇,兩旁畫不連。劉澗琴云:效鼎涉作◇,殷契衍作◇,◎作◇。又永字從水,而金文作◇。是皆水字兩旁畫皆不斷,可證◆川水三字,古文皆同。)
厚徳をもって物を載するは坤であり、君子はこれを法と取る。虞翻が必ずここの「君子」は乾を指すと言うのも誤りである。また『易』は◆(坤)を「大川」とし、『焦氏易林』は◆を水・江河淮済とし、九家易が蠱卦に注しても坤地を水とし、邵雍の「坤は水」の象はこれに本づく。もともと◆はすなわち「川」の字であり、すなわち「水」の字である。だから『易林』は反対に坎を土とし、邵雍もこの点を襲う。これによって推すに、古人はおそらく水と土を一物と見て、合し得て分かち得ぬとしたのである。比卦『大象』は「地上水有り」と言い、師卦『大象』は「地中水有り」と言う。古文字をもって印证し、卦象をもって核すれば、なおさら信ずべきである。(金文の「水」の字は◇と作り、両旁の画は連ならない。劉澗琴は言う。效鼎の「渉」の字は◇と作り、殷墟甲骨の「衍」の字は◇と作り、「◎」は◇と作る。また「永」の字は水に従い、金文は◇と作る。これらの字の水旁の両側の画は皆断れないから、◆・川・水の三字が古では同じ一字であることを証する。)
初六。履霜,堅冰至。陽進陰退,陽順陰逆,故陽自七進九為老陽,陰自八退六為老陰。陰極則變,故易用六也。於卦為姤,時當夏至,一陰初生。初震爻故曰履。陰微故以霜為喻。乾為冰為堅,坤行至上當亥方,與乾相遇,故曰堅冰。言五月微陰初見,馴至亥月而極寒,必然之勢,當憬然悟也。干寶以五月無霜,謂陰氣既動,則必至於履霜,必至於堅冰者非也。霜即喻此微陰,微陰見故曰履霜,非有待於後也,其待者乃堅冰也。象日:履霜,陰始凝也(依郭京讀),馴至其道,至堅冰也。乾為堅冰,言陰生於午,至亥純坤與純乾相遇,故曰至。
初六爻辞:薄霜を踏めば、堅い氷がまもなく至る。陽は前進を主り、陰は後退を主り、陽は順行し、陰は逆行する。だから陽は七より九に進んで老陽となり、陰は八より六に退いて老陰となる。陰は極まれば変ずるから、『周易』は六を用とする。消息卦で言えば、この爻は垢卦に当たり、時は夏至で、一陰がようやく萌したばかり。初爻は震爻で、震は足・行を主るから「履」と言う。陰気はなお微弱だから「霜」をもって喩とした。乾に「氷」「堅」の象あり。坤が逆行して上位に至ればまさに亥方で、そこで乾と相い遇うから「堅氷」と言う。これは五月の微陰が初めて現れ、この勢いに従って亥月に至れば極寒となる、必然の勢であり、人は憬然として悟るべきである。干宝は五月に霜がないからと、陰気がすでに動けば必ず履霜に至り、必ず堅氷に至ると言うが、これは誤りである。「霜」はまさにこの時の微陰を喩えたもので、微陰がすでに現れたから「履霜」と言うのであって、後を待つのではない。待つのは「堅氷」の方である。『小象』は「履霜、陰始めて凝るなり」(郭京の読みに依る)、「馴し其の道に至りて、堅氷に至るなり」と言う。乾に堅氷の象あり、陰が午月に生じて亥月に至り、純坤が純乾と相い遇うを言うから「至」と言う。
六二。直方大,不習無不利。二為坤本位,坤二之利,與乾五之利同也。後人泥於乾動為直,及小往大來之文,必以直大屬之乾,於是經義遂迂曲而不得解。豈知直方大皆謂坤,彖傳文言所釋至明。文言云:直其正也。正謂二,二得位中正,故曰直。彖傳云:含弘光大。大謂坤,坤萬物資生,焉得不大。蓋方者地之體,大者地之用,而二又居中直之位,故曰直方大。後儒見象傳未言大,便疑大為衍文。然陸德明時,漢魏六朝本具在,從無謂大字衍者,況文言引亦有大字乎。陰消至二遁,前承重陽,得主有利,故不習無不利。文言釋曰:不疑其所行。正謂二承陽也。象日:六二之動,直以方也。不習無不利,地道光也。六二與九五相上下,故曰動。陰順陽,故曰地道光。
六二爻辞:正直・方正・広大、習わずとも利あらざるなし。第二爻は坤の本位で、坤が二爻に利あるのは、乾が五爻に利あるのと同じである。後人は「乾動は直」の文と泰卦の「小往大来」の文に泥み、必ずや「直」と「大」を乾に帰せしめ、そこで経義は迂曲して解を得なくなった。思うに「直」「方」「大」はすべて坤を言うのであり、『彖伝』『文言』の釈は明らかの至りである。『文言』は「直とは其の正なり」と言う――「正」は六二を指し、六二は中に居り位を得て正しいから「直」と言う。『彖伝』は「弘を含み光の大なり」と言う――「大」は坤を指し、坤は万物を資生せしめるから、大ならざるを得ない。大抵「方」は地の形体、「大」は地の功用であり、六二はまた中正の位に居るから、合わせて「直方大」と称す。後儒は『小象』が「直にして方」とだけ言って「大」を言わないのを見て、「大」を衍文と疑う。しかし陸徳明の時には漢魏六朝の本は具々あり、「大」の字を衍という者はかつてなく、しかも『文言』がこの句を引く時にも「大」の字がある。陰が消長して第二爻に至れば遯卦で、前面に上体の重ねた陽爻を承け、陽を主として利あり。だから「習わずとも利あらざるなし」と言う。『文言』は「其の行う所を疑わざるなり」と釈す。まさに六二が上に陽爻を承けるを言うのである。『小象』は言う。「六二の動くや、直にして方なり。習わずして利あらざるなきは、地道の光なり。」六二と九五は上下相い応ずるから「動」と言い、陰が陽に順うから「地道の光」と言う。
六三。含章可貞,或從王事,無成,有終。坤為文,故曰章。坤閉故曰含章。陰消至三否,正君子儉德避難之時,故雖有文章,含而不露,貞靜自守。荀虞謂三陽位,以陰據其上,故曰含章,後儒多從之,非也。文言釋章為美,仍坤象,非謂陽位也。否上乾為王,三承重陽,故曰從王事。三不當位故或之,與或躍在淵義同,言慎審也。陰順陽,故無敢成。成,法也,式也,言不敢作法也。陰始姤,代乾終事,故曰有終。
六三爻辞:文采を含蔵して貞に居る可し。或いは王事に従うこと有らんに、成すことなく、終り有り。坤に「文」の象あり、だから「章」(文采)と言い、坤はまた閉蔵を主るから「含章」と言う。陰が消長して第三爻に至れば否卦で、まさに君子が才を斂し難を避くべき時だから、文采があっても含んで露さず、貞静に自ら守る。荀爽・虞翻は三は陽位で、その上に陰爻が占めるから「含章」と言うとし、後儒は多くその説に従うが、実は誤りである。『文言』は「章」を「美」と釈し、やはり坤の象であって陽位を指すのではない。否卦の上体は乾で乾に「王」の象あり、六三は重ねた陽爻を承けるから「王事に従う」と言う。六三は陰で陽位に居り当位せず、だから「或」の字を加える。乾九四の「或いは淵に躍る」の「或」と義同じく、皆審慎を表す。陰は陽に順うから、功を成すことを敢えてしない。「成」とは法であり式であり、「无成」とは自ら法式を作ることを敢えてしないを言う。陰気は垢卦に始まり、乾に代わって一年の事を終えるから「終あり」と言う。
○按純坤無乾,王事之象何來乎。須知乾息從復始,坤消從姤始,故復姤亦為小父母。坤消至三,上乾如故也,故曰從王事。彼夫訟三曰從王事,履三曰武人為于大君,皆以上承陽,茲與之同。觀初爻曰:履霜堅冰至。言陽將以次消也。故卦雖無乾,爻辭皆視乾而繫也。先儒坐不明此理,又鮮能以易解易,故說王事皆無著。象日:含章可貞,以時發也。或從王事,知光大也。時不可,故俟時而發。或從王事,知時至矣,故曰光大。
ここで按すべきことがある。純坤卦の中に乾はない。「王事」の象はどこから来るのか。知るべし、乾の陽息は復卦に始まり、坤の陰消は垢卦に始まる。だから復・垢の両卦も「小父母」と称し得る。坤が消して第三爻に至れば否卦で、上体の乾はなお故のごとく存するから「王事に従う」と言う。あの訟卦の六三が「王事に従う」と言い、履卦の六三が「武人、大君に為す」と言うのも、皆上に陽爻を承けるからで、ここもそれと同例である。さらに初六の「履霜堅氷至」を見れば、陽が将に次々に消退せんとすることを言う。坤卦自体には乾がなくとも、爻辞は皆乾を視て係せられたことが分かる。先儒はこの理を明らかにせず、また『易』をもって『易』を解することが稀だったから、「王事」を講じても落ち着き所がなかった。『小象』は言う。「章を含みて貞なる可しは、時を以て発するなり。或いは王事に従うは、光大を知るなり。」時が許さなければ、時を俟って発する。「或いは王事に従う」は、時の至るを知るから、「光大」と言う。
六四。括囊,無咎無譽。坤為囊。楊子方言:括,關閉也。坤閉故曰括囊。陰消至四八月觀,天地將閉塞矣。陰在三否,陰陽平均,故或從王事;至四則陰盛陽衰,時不可矣,故括囊,言無所表著也。無與於世,故無咎譽。象日:括囊無咎,慎不害也。慎故無咎,不害即無咎也。
六四爻辞:嚢を括るのごとく斂して自ら守れば、咎もなく誉れもない。坤に「嚢」の象あり。揚雄『方言』に「括とは閉なり」とある。坤は閉蔵を主るから「嚢を括る」と言う。陰が消長して第四爻に至れば八月の観卦で、天地の気が将に閉塞せんとする。陰が第三爻の時は否卦で、陰陽の数が相等しく勢力が均平だから「或いは王事に従う」ことができた。第四爻に至れば陰盛にして陽衰え、時が許さないから「嚢を括る」。すなわちもはや表着する所がないことを言う。世の事に与らないから、咎も誉れもない。『小象』は「嚢を括りて咎なしは、慎みて害なきなり」と言う。慎むから咎なし、「害なし」はすなわち「咎なし」である。
六五。黃裳元吉。坤為裳,色黃,故曰黃裳。坤為下,裳得下飾。五位正中,黃者中色,故曰黃裳元吉。元者善之長,五位極尊,故曰元。元謂五,大有鼎皆曰元吉,皆謂六五。毛奇齡謂五降二承乾為元吉,以元專屬乾,非也。象曰:黃裳元吉,文在中也。坤為文,黃裳文飾,言所以吉者,以居中位也。
六五爻辞:黄裳、元吉。坤に「裳」の象あり、坤はまた黄色を主るから「黄裳」と言う。坤は下で、裳はまさに下身に着ける服飾である。第五爻は上卦の中に居り、黄は五色の中色だから「黄裳元吉」と言う。「元」は衆善の長で、第五爻は位極めて尊いから「元」と称す――「元」はすなわち五爻を指す。大有卦・鼎卦は皆「元吉」と言い、指す所も皆六五である。毛奇齢は六五を二位に降して上に乾陽を承けしめてこそ「元吉」だと言い、「元」を乾に専属したが、誤りである。『小象』は「黄裳元吉、文中に在るなり」と言う。坤に「文」の象あり、黄裳はまさに文采の服飾であり、これはその吉たる所以が中位に居ることにあるを言う。
上六。龍戰于野,其血玄黃。陰至上六,坤德全矣,故萬物由以出生,然孤陰不能生也。荀爽云:消息之位,坤在於亥,下有伏乾,陰陽相和,故曰龍戰于野。坤為野,龍者陽。說文壬下云:易曰龍戰于野,戰者接也。乾鑿度云:乾坤合氣戌亥。合氣即接。九家云:玄黃天地之雜。言乾坤合居。夫曰相和,曰合氣,曰合居,則戰之為和合明矣,皆與許詁同也。而萬物出生之本由於血,血者天地所遺氤氳之氣,天玄地黃,其血玄黃者,言此血為天地所和合,故能生萬物也。易林說此云(中孚之坤):符左契右,相與合齒,乾坤利貞,乳生六子。夫曰符契,曰合齒,則乾坤接也,即龍戰于野也。消息卦,坤亥下即震子出,故曰乳生六子。彖傳云:乃終有慶。慶此也。
上六爻辞:龍が野において交じ合い、流れた血は青黒と黄色とが相い雑じる。陰気が上六に至れば坤徳はすでに全く、だから万物はこれによって出生する。しかし孤陰は物を生じ得ない。荀爽は言う。消息卦の方位では、坤は亥位にあり、その下に乾が伏する。陰陽がここで相い和するから「龍野に戦う」と言う。坤に「野」の象あり、「龍」は陽を指す。『説文』の「壬」の字の下に「『易』に曰く龍野に戦う。戦とは接なり」とある。『乾鑿度』は「乾坤、戌亥に気を合す」と言い、「合気」とはすなわち交接である。九家易は「玄黄とは天地の色の雑なる」と言い、乾坤が合居することを言う。「相い和す」と言い、「気を合す」と言い、「合居す」と言う以上、「戦」とは和合の義であることは明白で、皆許慎の訓解と一致する。そして万物が出生する根本は「血」にある。血は天地の遺した氤氲の気である。天色は玄、地色は黄であり、「其の血玄黄」とは、この血が天地によって和合して成ることを言い、だから万物を生じ得るのである。『焦氏易林』の中孚之坤はこの爻を解して、「符左契右、相い与に合歯す。乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言う。符契の相合い・歯の咬合いと言う以上、それは乾坤の交接であり、すなわち「龍野に戦う」である。消息卦で言えば、坤が亥位にあって、その下に続いて震が子位に出生するから「乳して六子を生ず」と言う。『彖伝』は「乃ち終に慶あり」と言う。慶するのはまさにこの事である。
惟荀與九家,皆以血為陰,仍違易旨。易明言天地雜,則血非純陰可知,純陰則離其類矣,胡能生物。至侯果謂陰盛似陽,王弼干寶謂陰盛逼陽,陽不堪故戰,以戰為戰爭。後孔穎達朱子,因經言戰又言血,疑陰陽兩傷者,皆夢囈語也。清儒獨惠士奇用許說謂戰者接也,陰陽交接,卦無傷象,識過前人遠矣。象日:龍戰于野,其道窮也。陰至上六而極,故曰窮。窮盡也。
ただ荀爽と九家易はともに「血」を陰としたが、やはり『易』の本旨に背く。『易』は明らかに天地の色が雑ると言うから、血は純陰ではないことが分かる。純陰ならばその配偶の類を離れて、どうして物を生じ得ようか。侯果に至っては陰が盛んにして陽に似ると言い、王弼・干宝は陰が盛んにして陽を逼め、陽が堪えられず戦うと言い、「戦」を戦争とした。後に孔穎達・朱熹は、経文が「戦」と言いまた「血」と言うので、陰陽が両方傷ついたのではと疑った。これらは皆寝言である。清代の学者の中で、恵士奇だけが許慎の説を採って「戦」とは接であるとし、陰陽がここで交合し、卦には傷の象がないとした。見識は前人を遥かに超える。『小象』は「龍野に戦う、其の道窮まるなり」と言う。陰が上六に至って極まるから「窮」と言う。「窮」とは尽きることである。
用六。利永貞。此亦明筮例也。八六皆陰,今遇陰,胡以只言六不言八,則以六為用而變七也。利永貞,申用六之故也。六何以必變,六為老陰,陰極不返,則太柔矣。又言曰:貞固足以乾事。永貞則健而陽矣,故象曰以大終。大者陽,言陰極則變陽也。象曰:用六永貞,以大終也。陽大陰小,以大終者,言陰極必返陽也。舊解因不知用六義意,故說大終,無有當者。
用六:永く貞に利あり。これもまた筮法の通例を明らかにしたものである。八と六はともに陰数で、今、筮して陰爻に遇うに、なぜ六だけを言って八を言わないのか。『周易』が六を用として変するからで、六に遇えば変じ、八に遇えば変じない。陽が九に遇えば変じ、七に遇えば変じないのと同じ理である。「永く貞に利あり」は用六の所以を申したものである。六はなぜ必ず変ずるのか。六は老陰で、陰が極まって返らなければ柔に過ぎる。『文言』は「貞は固くして以て事を幹すに足る」と言う。永く貞に守れば剛健にして陽となる。だから『小象』は「大を以て終るなり」と言う――「大」は陽を指し、陰が極まれば陽に変ずることを言う。『小象』は言う。「用六永貞、大を以て終るなり。」陽は大と称し陰は小と称す。「大を以て終る」とは、陰が極まれば必ず陽に返るを言う。旧注は用六の意義を知らないから、「大終」を釈して妥当なものがなかった。
文言曰:坤至柔而動也剛,至靜而德方,後得主而有常,含萬物而化光。坤道其順乎,承天而時行。坤柔動剛,義與用六大終同,言坤雖至柔,遇六則變陽矣,故曰動剛。後得主而有常者,言最後變六為陽,以陽為主也。
『文言』は言う。坤は至柔にして動けば剛なり、至静にして徳方なり、後れて主を得て常有り、万物を含みて化は光なり。坤道は其れ順なりか、天を承けて時に行う。「坤は至柔にして動けば剛なり」の意は、「用六、大を以て終る」と同じである。坤は至柔なれども、筮して六に遇えば陽に変ずることを言い、だから「動けば剛」と言う。「後れて主を得て常有り」とは、最後に六が陽に変じて、陽を主とすることを言う。
積善之家,必有餘慶;積不善之家,必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辯之不早辯也。易曰:履霜堅冰至。蓋言順也。坤為積為殃為惡,故曰不善。坤多故曰餘。又為臣子為弒為夕,君父則指乾也。坤消陽故曰弒君父。此正申明履霜堅冰至之理。陰在姤至微耳,積之不已,則陽可全消,其禍有不可勝言者,故曰餘殃。餘者多也,此本世界之公理,人事之自然,而李鼎祚忽以夫子不語怪力亂神為疑,若餘慶餘殃,有類於神道感應之說者,真可謂汙衊聖言,不識語旨矣。
『文言』は言う。善を積む家は必ず余慶あり、不善を積む家は必ず余殃あり。臣が其の君を弑し、子が其の父を弑するは、一朝一夕の故に非ず。其の由来する所は漸なり。辨ずるに早く辨ぜざるに由るなり。『易』に曰く「履霜堅氷至」。蓋し順を言うなり。坤に「積」「殃」「悪」の象あり、だから「不善」と言い、坤は多を主るから「余」と言い、また「臣」「子」「弑」「夕」の象があり、「君」「父」は乾を指す。坤は陽を消すから「君父を弑す」と言う。これはまさに「履霜堅氷至」の理を申明するものである。陰気は垢卦の時に至って微であるが、積みて已まなければ陽を全く消し尽くすことができ、その禍は言い尽くせぬものがある。だから「余殃」と言う。「余」とは多いことである。これはもともと天下の公理、人事の自然であるのに、李鼎祚は忽然として夫子が怪力乱神を語らないことを以て疑問とし、「余慶」「余殃」が神道感応の説に類するかのごとく見做す。まことに聖人の言を汚衊し、語中の旨を識らぬと言うべきである。
漸,孔疏云:徐而不速謂之漸。辯,說文判也,別也,謂宜別之於先也。順與循同義,蓋言順者,仍循其道則至堅冰之意。荀爽謂臣順君命而成之,背經旨,不可從。(文言釋初六噓吸經髓,超妙絕倫,使人惕然省,憬然悟。釋上六祇以陰凝陽天玄地黃,逗露坤地生物之本,由於天地交,而總不明言,仍還經文崑崙語氣。由此見聖人之言,寧使人不易知,而不能不文。太玄云:不約則其旨不詳,不要則其應不博,不沈則其意不見。真能窺見載道之故者哉。)
「漸」の字は、孔穎達の疏に「徐々にして速ならざるを漸と謂う」とある。「辨」の字は『説文』が判・別と訓じ、事が萌芽の時に分辨しておくべきを言う。「順」と「循」は義同じく、「蓋し順を言うなり」とは、なおその道を循して行けば堅氷に至るを言うのである。荀爽はこれを臣が君命に順って其の事を成すとするが、経の本旨に背くので、従う可からず。(『文言』が初六を釈するのは、一呼一吸も経文の精髄に扣ち、超妙絶倫で、人をして惕然として省り、憬然として悟らしめる。上六を釈するには、ただ「陰陽に凝る」「天玄地黄」の数句で、坤地が物を生ずる根本が天地の交にあることを逗露しながら、ついに明言せず、なお経文の崑崙渾淪たる語気に還す。これによって聖人の言は、人に知られ難くすることを寧にしても、文を修めないわけにはいかないことが分かる。『太玄』は言う。「約せざれば其の旨詳ならず、要せざれば其の応博からず、沈せざれば其の意見えず。」まことに文辞が道を載せる所以を窺見した言である。)
直其正也,方其義也。君子敬以直內,義以方外。敬義立而德不孤。直方大,不習無不利,則不疑其所行也。直則不撓,故曰直其正,言二中正也,方則不詭隨,放曰方其義,言不苟同也。正直發於心,故曰直內。內直則必敬矣,故曰敬以直內。義方以接物,故曰方外。外方則無不宜矣,故曰義以方外。敬義之德立於下,五陽應於上,故德不孤。蓋陰消至二遁,前承重陽,二五應予,乾先坤後,陽唱陰和,得主有利,故不疑其所行。(舊解祇惠棟知以二五相應說不孤,最為卓識。)
『文言』は言う。「直」とは其の正を言い、「方」とは其の義を言う。君子は敬を以て内を直くし、義を以て外を方くす。敬義立ちて徳孤ならず。「直方大、習わずして利あらざるなし」は、則ち其の行う所を疑わざるなり。正直なれば撓まず、だから「直とは其の正」と言い、六二が中に居り正を得るを指す。方正なれば詭随せず、だから「方とは其の義」と言い、苟同せざるを指す。正直は心より発す、だから「内を直くす」と言い、内直ければ必ず敬なり、だから「敬を以て内を直くす」と言う。義の方正を以て物に接す、だから「外を方くす」と言い、外方ければ宜ならざるなし、だから「義を以て外を方くす」と言う。敬義の徳が下(六二)に立ち、九五の陽が上に応ずるから「徳孤ならず」と言う。陰が消して第二爻に至れば遯卦で、六二は前面に重ねた陽爻を承け、二と五が相い応じ、乾が先・坤が後で、陽唱えて陰和す。陽を主として利あり、だから其の行う所を疑わない。(旧注の中で恵棟だけが二五相応をもって「孤ならず」を説き得た。もっとも卓識である。)
陰雖有美,含以之以從王事,弗敢成也。地道也,妻道也,臣道也。地道無成,而代有終也。陽革於午,陰代陽用事,以訖於亥,故曰代有終。凡終皆謂亥。彖傳曰:乃終有慶。說卦曰:萬物之所成終。終皆謂亥。內經與莊子,所謂天門者此也。自復子至乾巳皆成事,陽主之,故地道無成。自姤午至坤亥皆終事,陰主之,故曰代有終,言代陽終事也。終字從冬,言一年之事,至亥冬而終也(子即陽復)。故艮居亥而艮即為終。成者法也式也。周禮天官太宰,五曰官成以經邦治。注:官成謂官府之成事品式。又秋官士師掌士之八成。注:八成猶八法。然則成者法也。地道無成者,謂坤柔不敢先創為法式,只能代陽終事也。成與終虛實先後,絕對不同。漢宋衷以成名為說,清惠棟謂成與終同義。夫成與終義誠可通,但此曰無成,曰有終,則判然二事,不得混同也。
『文言』は言う。陰は美あると雖も、含みて以て王事に従い、成すを敢えてせざるなり。地道なり、妻道なり、臣道なり。地道は成すことなくして代わりて終り有り。陽気は午月に変革し、陰気が陽に代わって事を用い、亥月に訖るまで行うから「代わりて終り有り」と言う。およそ「終」と言うのは皆亥位を指す。『彖伝』は「乃ち終に慶あり」と言い、『説卦』は「万物の成終する所」と言う。「終」は皆亥を指す。『内経』と『荘子』のいう「天門」はまさにこれである。復卦の当たる子月から乾卦の当たる巳月までは、皆「事を成ず」の段階に属し、陽がこれを主る。だから「地道は成すことなし」と言う。垢卦の当たる午月から坤卦の当たる亥月までは、皆「事を終る」の段階に属し、陰がこれを主る。だから「代わりて終り有り」と言う。陽に代わって事を終えるを言うのである。「終」の字は「冬」に従い、一年の事が亥月の冬に至って終わるを言う(子月はすなわち陽気の来復)。だから艮は亥位に居り、艮に「終」の義がある。「成」とは法であり式である。『周礼・天官』太宰の職に「五曰官成、以て邦治を経る」とあり、鄭注は「官成とは官府の事を行う成例品式」と言う。また『秋官』士師に「士の八成を掌る」とあり、注は「八成は猶お八法のごとし」と言う。これで「成」とは法であることが分かる。「地道は成すことなし」とは、坤の性が柔順で、率先して法式を創ることを敢えてせず、ただ陽に代わって事を終えるのみを言う。「成」と「終」は一虚一実・一先一後で、絶対に同じではない。漢の宋衷は「成名」で解とし、清の恵棟は「成」と「終」は義同じと言う。「成」と「終」の義は確かに相通じ得るが、ここでは「成すことなし」と言い「終り有り」と言い、判然として二つの事であり、混同してはならない。
天地變化,草木蕃;天地閉,賢人隱。易曰:括囊無咎無譽。蓋言謹也。陰消至四八月觀,由元亨而入利貞,天地之氣將變易矣。觀下坤為茅茹為草,巽為木,坤閉艮止,故曰草木蕃。蕃與藩通,詩大雅四國於蕃是也。又周禮地官大司徒,九曰蕃樂。注:杜子春讀蕃樂為藩樂,謂閉藏樂器而不作。賈疏:藩謂藩閉。然則草木蕃者,言草木至八月而生氣藩閉也。自漢以來,無不以蕃息為解,豈知此與下天地閉賢人隱,平列為證,以釋括囊之義,若作蕃息,與括囊何涉乎。乾彖傳云:乾道變化,各正性命,保合太和乃利貞。言元亨時過,利貞時至也,故曰變化,此變化與彼變化同也。變化之徵,在物則草木黃落,在天則陽氣閉藏,在人則賢哲隱遁。謹,慎也,釋括囊之故也。
『文言』は言う。天地の気が変化すれば草木もまた蕃閉し、天地が閉塞すれば賢人は隠れる。『易』に曰く「嚢を括りて、咎なく誉れなし」。蓋し謹を言うなり。陰が消長して第四爻に至れば八月の観卦で、「元亨」の段階より「利貞」の段階に入り、天地の気が将に変易せんとする。観卦の下体は坤で、坤に「茅茹」「草」の象あり、上体は巽で、巽に「木」の象あり、そして坤は閉を主り艮は止を主る。だから「草木蕃」と言う。「蕃」と「藩」は通じ、『詩経・大雅』の「四国于蕃」がこの用法である。また『周礼・地官』大司徒に「九曰蕃楽」とあり、注に杜子春は「蕃楽」を「藩楽」と読み、楽器を蔵して奏でざるを言う。賈公彦の疏は「藩とは藩閉」と言う。然らば「草木蕃」とは、草木が八月に至って生気が收敛閉蔵するを言う。漢代以来「蕃息」(繁茂滋生)と解せぬはなく、知らざりしことに、この句は下の「天地閉、賢人隠」と平列して挙げて、「嚢を括る」の義を釈するものである。もし繁茂滋生と釈すれば、「嚢を括る」と何の関係があろうか。乾卦『彖伝』は「乾道変化、各々其の性命を正し、太和を保合す。乃ち利貞なり」と言う。これは元亨の時が過ぎて利貞の時が至るを言い、だから「変化」と言う。ここの「変化」はあの「変化」と同じである。変化の徴は、物においては草木の黄落、天においては陽気の閉蔵、人においては賢哲の隠遁である。「謹」とは慎みで、「嚢を括る」の所以を釈したものである。
君子黃中通理,正位居體,美在其中,而暢於四支,發於事業,美之至也。地色黃,黃中色,五中位,故曰黃中。玉篇理文也,坤為文,故曰理。黃中通理者,言由中發外,有文理可見也。正位居體,即體居正位。坤為體為事業,言有黃中之德者,身必潤,事業必成也。
『文言』は言う。君子は黄中の徳を懐いて文理に通じ、正位に居りて其の体を体し、美徳を中に蘊えて四支に暢び、事業に発す。美の至りなり。地の色は黄、黄は五色の中色、第五爻はまた上卦の中位だから「黄中」と言う。『玉篇』は「理とは文なり」と言い、坤に「文」の象あり、だから「理」と言う。「黄中通理」とは、内より外に発して文理の見える有るを言う。「正位居体」とはすなわち身体が正位に居ること。坤に「体」「事業」の象あり、黄中の徳を有する者は、身体は必ず潤沢し、事業は必ず成就するを言う。
屯卦
彖曰:屯,剛柔始交而難生,動乎險中,大亨貞。雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寧。始交為初五也。前乾坤二卦,皆純陽純陰莫能交。屯下震以乾交坤初,上坎以乾交坤中,以其次純乾純坤之後,剛柔雜始見,故曰始交。難謂坎也,蹇傳云蹇難也,即指上坎。動而遇險,故曰難生。下雷上雨,坤為多故曰滿盈。造始也,草雜亂,昧冥昧。坤為茅茹為亂,故曰草。地黑故曰昧。易林艮之晉云:釜甑草土。即以晉下坤為草,為釜。天造草昧者,言天地之運,始於草昧,故宜建侯於此時,使萬物有主也。諸家皆用虞翻說,謂剛柔始交,為坎二交初,如是穿鑿,又何不可謂革四交初。蓋虞氏不知始字承前兩卦乾坤而言,而以為指屯初二,故誤解若是。後閱道光間,卞斌周易通解,亦謂始交指初五。然則此義百年前已發之。
底本は『坤・文言』「美の至りなり」を講じ終えると直ちにここに接し、中間に『屯』卦の卦辞「元亨利貞、往く所有るを用いず、侯を建つるに利あり」の一句と尚秉和の卦辞への注を脱して、わずかに『彖伝』以下を存するのみ。今は底本の実収する所に依り、通行本に拠って代わりに補わない。『彖伝』は言う。屯とは、剛と柔が始めて交じて艱難が随って生じ、険中に動きて、大いに亨りて貞なり。雷雨の動は満盈し、天造草昧、侯を建てて寧ならざるに宜し。「始交」とは初九と九五の両爻を指す。前の乾坤二卦は一は純陽・一は純陰で各々交じること能わず、屯卦の下体震は乾の一陽が来て坤の初爻に交じて成り、上体坎は乾の一陽が来て坤の中爻に交じて成る。純乾純坤の直後に接するから、剛柔が相い雑じるが初めて現れる。だから「始交」と言う。「難」は坎を指す。蹇卦『彖伝』は「蹇とは難なり」と言い、まさに上体の坎を指す。動きて険に遇うから「難生」と言う。下体震は雷・上体坎は雨で、坤に「多」の象あり、だから「満盈」と言う。「造」は始め、「草」は雑乱、「昧」は昏暗。坤に「茅茹」「乱」の象あり、だから「草」と言い、地の色は黒だから「昧」と言う。『焦氏易林』の艮之晋は「釜甑草土」と言い、まさに晋卦下体の坤を草・釜としたのである。「天造草昧」とは、天地の運が草昧未開の時に始まるを言い、だからこの時に侯を建てて万物に主有らしめるに宜しい。諸家は皆虞翻の説を用い、「剛柔始交」を坎の二爻が初爻に下交するとする。かように穿鑿すれば、革卦の四爻が初爻に交じたと言えぬこともない。虞翻は「始」の字が上の乾坤両卦を承けて言うのを知らず、屯卦の初・二両爻を指すとして、誤解してこのようになった。後に道光年間の卞斌『周易通解』を読めば、同じく「始交」は初五両爻を指すと言う。然らばこの義は百年前にすでに発せられていたのである。
象曰:雲雷,屯,君子以經綸。經綸據釋文,王弼本作經論,今本作經綸者,乃孔本也,因將王注亦改之矣。釋文又云:黃穎曰經綸匡濟也,本亦作倫。案釋名云:綸倫也,為之有倫理也。論語正義引鄭玄云:論者,綸也,理也。然則綸論論,字微異,義則同也。若以卦象言,震為言,初至五正反震,似論於易象較切。若正義所云劉表鄭玄作淪,似不合矣。
『大象伝』は言う。雲が上・雷が下は屯卦の象、君子はこれに法りて経綸する――糸の縷を整理するように国事を治める。「経綸」の二字は、『経典釈文』によれば王弼本は「経論」と作り、今本の「経綸」と作るのは孔穎達本で、これによって王弼の注までも併せて改められた。『釈文』はまた言う。黄穎は「経綸」を匡救済世と解し、一本はまた「経倫」と作る。按するに『釈名』は「綸とは倫なり、之を為すに倫理有り」と言い、『論語正義』は鄭玄を引いて「論とは綸なり、理なり」と言う。然らば綸・論・倫の三字は字が微かに異なるだけで、義は同じである。卦象に就いて言えば、震に「言」の象あり、屯卦の初爻から五爻に正震・反震の象があるから、「論」の字を用いる方が『易』象に切実なようである。孔穎達『正義』のいう劉表・鄭玄が「淪」と作るのは、合わないようである。
初九。盤桓,利居貞,利建侯。盤桓,釋文云族也。爾雅釋水鉤盤,郭注水曲如鉤,流盤桓不直前也。禹貢西傾因桓是來,注:桓隴皈名,其道盤旋,曲而上旋,即不能直前也。盤盤通,釋文云本亦作盤,馬又作盤,又或作般,皆以音同通用。外坎故利居貞不動。震為主,建侯則坤民有主,故利。象曰:雖盤桓,志行正也。以貴下賤,大得民也。坤為民,陰賤陽貴,陽在下,故曰以貴下賤。陽為大,初陽臨群陰,故曰大得民。
初九爻辞:盤桓して進み難く、居て貞なるに利あり、侯を建つるに利あり。「盤桓」は『釈文』に「族也(聚まりて進まざる貌)」とある。『爾雅・釈水』に「鉤盤」とあり、郭璞の注に「水は曲がりて鉤のごとく、盤桓して直に前に流れざるなり」と言う。『尚書・禹貢』の「西傾に因りて桓より是来る」は、注に「桓は隴坂の名、その道は盤旋して曲がり上に旋る」とあり、これも直ちに前に進めぬを言う。「槃」と「盤」は通じ、『釈文』に「本は亦盤と作る、馬は又磐と作る、或は又般と作る」とあり、皆音同じくして通用する。屯卦の外卦は坎で、坎は険だから、居て貞にして妄動せぬに利あり。震に「主」の象あり、侯を建てれば坤の象る民衆に主君あるから「利」と言う。『小象』は言う。「盤桓すると雖も、志行は正なり。貴を以て賤に下りて、大いに民を得るなり。」坤に「民」の象あり、陰は賤・陽は貴で、初九は陽爻をもって衆陰の下に居るから「貴を以て賤に下る」と言う。陽は「大」と称し、初九の一陽が群陰を統臨するから「大いに民を得る」と言う。
六二。屯如邅,乘馬班如,匪寇婚媾,女子貞不字,十年乃字。陰遇陰得敵,故屯邅不進。釋文云:邅,馬行不進之貌。班,子夏傳相牽不進兒。鄭作般,般盤同,亦盤桓不進也。又震為馬,坤坎皆為馬,馬多故曰班如,言行列不前也。吳先生曰:漢書車班班,往河間。義同此也。五坎為寇,二與五應,故曰匪寇,曰婚媾。乃二前為三四所阻,下為初陽所牽,體又為坤,坤虛故不字。字妊育也。震為孕,左傳昭元年,武王邑姜方震太叔是也,故震為妊育。王引之力闢宋耿南仲朱子以字為許嫁之非,其說是也,今河北尚呼牝牛為字牛,義本此也。坤為年,數十,故曰十年乃字。言二五,應與雖難,然究為正應,久必合也。象曰:六二之難,乘剛也。十年乃字,反常也。此難字與象傳難生難字不同,彼指坎,此謂乘剛字難也,說者多混而同之,非。乘剛勢逆,故字難。
六二爻辞:屯如邅如と難渋し、馬に乗りて班如と廻る。寇に非ず、婚媾を求む者なり。女子は貞にして字(産ま)せず、十年にして乃ち字す。六二は陰爻で、上に六三の陰に遇う。同性相い遇えば対敵を成すから、屯邅して進まない。『釈文』は「邅は馬の行きて進まざる貌」と言う。「班」は『子夏易伝』に「相い牽して進まざる貌」とあり、鄭玄は「般」と作る。般と盤は同じく、これも盤桓して進まざる意である。さらに震に「馬」の象あり、坤と坎も皆「馬」の象あり、馬が多いから「班如」と言い、行列を成して前に進まぬを言う。呉先生(呉汝綸)は言う。『漢書』の「車班班、河間に往く」の義はこれと同じである。九五は坎体に在り、坎に「寇」の象あり、しかし六二と九五は正しく応ずるから「寇に非ず」「婚媾」と言う。ただ六二の前は三・四両爻に阻まれ、下は初九の陽に牽かれ、自らの体はまた坤で、坤は中虚だから「字せず」。「字」は妊娠して産育すること。震に「孕」の象あり――『左伝』昭公元年に「武王邑姜、方に太叔を震(娠)す」とある。だから震に妊育の義がある。王引之は、宋の耿南仲と朱熹が「字」を嫁を許すことと釈した誤りを力を尽くして駁斥し、その説は正しい。今も河北では仔を産む牝牛を「字牛」と呼ぶ。その義はまさにこれに本づく。坤に「年」の象あり、その数は十。だから「十年乃ち字す」と言う。これは二と五が応じ合うのは難しいけれど、畢竟は正応だから、久しくすれば必ず合することを言う。『小象』は言う。「六二の難しきは、剛に乗るなり。十年乃ち字すは、常に反すなり。」この「難」の字は『彖伝』の「難生」の「難」と異なる。彼は坎険を指し、これは六二が初九の剛に乗じて生育が難しいを言う。説く者は多く両者を混同するが、誤りである。陰が陽に乗じれば其の勢い逆行するから、生育が難しい。
六三。即鹿無虞,惟入于林中,君子幾,不如合,往吝。鹿,虞翻王肅皆作麓,鹿麓古通。詩瞻彼旱鹿,周語作旱鹿,韋注鹿山足也。三為艮初,正山足也。即鹿者,言至山足而從禽也。即就也,虞備虞也。孟子曰:有不虞之譽。義同此也。言田獵而無備虞,焉能有禽。震為木,艮亦為木,故曰林中。坤虛故空人林中。幾者事之先見者也,舍去也,言君子見幾而去也。上無應故往吝。艮為君子。淮南子說此云:夫施薄而望厚者,未之有也。又三國志陳琳傳:易稱即鹿無虞,夫微物尚不可欺。夫所謂欺,即無備虞也。王弼云:雖見其禽而無其虞,徒人於林中。亦詁虞為備虞,乃孔疏忽謂虞為虞官,失王義矣。左傳隱五年:不備不虞,不可以師。正與此無虞義同。
六三爻辞:鹿に即くに虞(予備)なく、唯だ林中に入る。君子は幾を見て、舎(源文は「合」と作る、尚氏の注では「舎」と釈す)に如かず。往けば吝(難あり)。「鹿」の字は、虞翻・王粛ともに「麓」と作り、鹿と麓は古く通ず。『詩経』に「彼の旱鹿を瞻る」とあり、『国語・周語』も「旱鹿」と作る。韋昭の注に「鹿とは山足なり」とある。六三は互体艮の初爻で、まさに山足に当たるから「即鹿」と言い、山足に至って禽を従えるを言う。「即」は就いて往くこと、「虞」は事前の備えである。『孟子』に「虞ならざるの誉れ有り」とあるのはこれと用法が同じ。田猟して備えがなければ、どうして禽を得られよう。震に「木」の象あり、艮にも「木」の象あり、だから「林中」と言い、坤は中虚だから空しく林中に入る。「幾」とは事の先見、「舎」は舎て去ることで、君子が幾を見て止むを言う。六三は上に応なし、だから往けば難あり。艮に「君子」の象あり。『淮南子』はこの爻を解して「施すこと薄くして望むこと厚きは、未だ之れ有らざるなり」と言う。また『三国志・陳琳伝』に「『易』は即鹿無虞と称す。微物なりとも欺く可からず」とあり、そのいう「欺」とはすなわち備えなきを言う。王弼は「其の禽を見ると雖も其の虞なし、徒に林中に入る」と言い、これも「虞」を備えと訓ず。孔穎達の疏に至って忽然として「虞」を山沢を掌る虞官とし、王弼の本義を失った。『左伝』隠公五年の「備えず虞らざれば、以て師たる可からず」は、まさにここの「無虞」と義同じである。
象曰:即鹿無虞,以從禽也。君子舍之,往吝,窮也。從禽義與即鹿同。吝遴古通,說文行難也。三無應得敵故行難。吝字初見,說文口部引作吝,雲恨惜也。◇部引又作遴,雲行難。愚以為凡言往吝者,宜從行難義;祇言吝者,宜從恨惜義。此曰往吝,即行難也。
『小象』は言う。「鹿に即くに虞なしは、以て禽に従うなり。君子之を舎つ。往けば吝は、窮まるなり。」「禽に従う」の義は「即鹿」と同じ。「吝」と「遴」は古く通じ、『説文』は「遴」を「行難」と訓ず。六三は上に応なく隣爻と敵するから行くことが難しい。「吝」の字が『易』に初めて現れるのはここで、『説文』の口部は「吝」と引いて「恨惜なり」と解し、辵部の引はまた「遴」と作って「行難」と解す。私は思うに、およそ「往吝」と言う所は「行難」の義に従うべきで、ただ「吝」とだけ言う所は「恨惜」の義に従うべきである。ここは「往吝」と言うから、すなわち行難である。
六四。乘馬班如,求婚媾,往吉,無不利。坎坤皆為馬,故亦曰班如。艮為求。四與初本為正應,婚媾而已,然必求者,以二三為阻也。知其阻而求之,故往吉也。四上承陽,下有應,故曰無不利。象曰:求而往,明也。艮火故曰明,艮陽在上亦明。自艮火艮明象失傳,諸家皆以三變互離為明矣。豈知旅九三云:焚其次。易林大壯之遁云:火爛銷金。皆以艮為火,說詳焦氏易詁中。
六四爻辞:馬に乗りて班如と廻り、婚媾を求めに往けば吉、利あらざるなし。坎と坤は皆「馬」の象あり、だからここも「班如」と言う。互体艮に「求」の象あり。六四と初九はもともと正応で、婚配の事にすぎないが、必ず「求」が要るのは二・三の両爻が中に阻むからである。阻みあるを知ってなお求めに往くから吉である。六四は上に九五の陽を承け、下に初九と応ずるから「利あらざるなし」と言う。『小象』は「求めて往くは明なり」と言う。艮に「火」の象あるがゆえに「明」と言い、艮の陽爻が上に居るもまた明である。艮が火・艮が明の逸象が失伝してから、諸家は皆三爻が変じて離を互し出すを「明」とするほかなくなった。思うに、旅卦九三は「其の次を焚く」と言い、『焦氏易林』の大壮之遯は「火、爛れて金を銷す」と言い、いずれも艮を火とする。この説は『焦氏易詁』に詳しい。
九五。屯其膏,小,貞吉,大,貞凶。坎水故曰膏,坎陷故屯其膏。蓋五雖下履重陰,然坤民三分之二,為初所有,四又應初,五雖君位,實無一民,故膏澤無所施也。小謂二,五應二,陰得陽應故吉。大謂五,五虛擁尊位,威柄下移,孤露無輔,故大貞凶。震為威,坤為柄。貞卜問也。諸家強以貞正說之,夫正而有大小,已不詞矣;大正而凶,益悖理矣。惠士奇知其不安,又以固為說,其不協與正無異也。象曰:屯其膏,施未光也。坎為隱伏,故曰未光。
九五爻辞:其の膏を屯(たぷ)らしむ。小は貞にて吉、大は貞にて凶。坎は水だから「膏」(膏沢)と言い、坎はまた陥を主るから「其の膏を屯らしむ」――膏沢が壅塞して流れぬを言う。九五は下に重ねた陰爻を履むとはいえ、坤の象る民衆の三分の二は初九の有するところ、六四もまた初九に応ずる。九五は君位に居るけれど、実は一民も無い。だから膏沢の施す所がない。「小」は六二を指し、九五は六二に応じ、陰が陽の応援を得るから吉。「大」は九五自身を指し、虚しく尊位を擁し威権が下に移り、孤立して輔なし。だから大について貞れば凶。震に「威」の象、坤に「柄」の象あり、合わせて威柄。「貞」は卜問である。諸家は強いて「貞正」で解とするが、「正」に大小を分かつはもとより言葉にならず、「大正」がかえって凶ならばなおさら理に悖る。恵士奇は講じ難きを察して「固」をもって釈としたが、その不協は「正」で釈したのと異ならない。『小象』は「其の膏を屯らしむは、施して未だ光ならざるなり」と言う。坎に「隠伏」の象あり、だから施しが未だ広大ならぬと言う。
上六。乘馬班如,泣血漣如。坎為血,坎水故曰漣如。詩衛風泣涕漣漣,釋文泣貌。坎憂懼,下無應,故有是象。象曰:泣血漣如,何可長也。上六居卦之極,故曰不長。
上六爻辞:馬に乗りて班如と廻り、血を泣きて漣如たり。坎に「血」の象あり、坎はまた水だから「漣如」と言い、涙の流れて已まぬ貌。『詩経・衛風』に「泣涕漣漣」とあり、『釈文』は泣く貌と言う。坎は憂懼を主り、上六は下に応なし。だからこのような象がある。『小象』は「血を泣きて漣如たり、何ぞ長からん」と言う。上六は一卦の極に居り、すでに尽きたから、長からぬと言う。
蒙卦
蒙,亨。匪我求童蒙,童蒙求我。初筮告,再三瀆,瀆則不告。利貞。艮少,坎隱伏不明,故名曰蒙。蒙,樨也,不明也。二得中有應故亨。艮為童蒙,為求。而二至上正反艮,自二言若求五,自五言若求二,有互相求之象。然二陽也,陽大明;五陰也,陰迷。我謂二。匪我求童蒙、童蒙求我者,言二不必求五,五自來應二也。傳曰志應,言二五相應與相上下也。舊解詁實匪字,定謂二不應五者非也。坎為聖為通故為筮。比曰原筮,亦以坎為筮。震為言,放曰告。而二至上正反震,言多,故曰瀆。瀆,褻瀆也。震反為艮,艮止故不告。昔賢說此,總不知再三瀆之故何在,由正覆象並用之義失傳故也。又筮象亦失傳,故初筮不知何所指。豈知坎在下故曰初筮,專指九二。艮坎皆冬日卦,故曰利貞。
蒙卦卦辞:亨る。我、童蒙を求むるに非ず、童蒙我を求む。初筮は告げ、再び三びすれば涜す。涜せば則ち告げず。貞に利あり。蒙卦は上艮下坎で、「艮」は少男、「坎」は隠伏不明の象あるがゆえに「蒙」と名づく。「蒙」とは「樨」で、幼稚にして明らかならぬこと。九二は下卦の中に居りて上に六五の応あり、だから亨る。「艮」に「童蒙」の象あり、また「求」の象あり。二爻から上爻まで数えれば、正しく見れば艮、倒して見ればなお艮で、正反両艮が相対する。九二の方から言えば六五を求めるがごとく、六五の方から言えば九二を求めるがごとく、互いに求索する象がある。しかし九二は陽で陽は明白、六五は陰で陰は迷惑。「我」は九二を指す。「我、童蒙を求むるに非ず、童蒙我を求む」とは、九二が六五を求めるに及ばず、六五が自ずから来たりて九二に応ずるを言う。『彖伝』が「志応」というのは、まさに二五両爻が相い応じ彼此上下往来するを指す。旧注が「匪」の字を坐実して、九二は六五に応ぜずと断ずるのは誤りである。「坎」に「聖」の象・「通」の象あり、これによって「筮」ともする。『比』卦辞の「原筮」も坎を以て筮とする。「震」に「言」の象あり、だから「告」と言う。そして二爻から上爻に正反みな震を成して言語が繁多だから「涜」と言い、「涜」とはすなわち褻涜である。震が倒転すれば艮、艮は止を主るから告げず。昔の賢はここを説きて、ついに「再び三びすれば涜す」の由来を言い出せなかった。正体・覆体の両象を併用する義例が失伝したゆえである。また「筮」の象も失伝し、「初筮」が何を指すか定着しなかった。実は坎が下卦にあるから「初筮」と称し、もっぱら九二の一爻を指す。艮と坎はともに冬季に配する卦で、冬は貞固を主るから「貞に利あり」と言う。
彖曰:蒙,山下有險,險而止,蒙。蒙亨,以亨行,時中也。匪我求童蒙,童蒙求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也。蒙以養正,聖功也。志應,言二五互求也。坎為聖,故曰聖功。象曰:山下出泉,蒙。君子以果行育德。艮為君子,為堅,為果。震為行,故曰果行。果行者,言堅定不易也。傳曰:致果為毅。是其義也。震為生為德,故曰育德。以者,法也,言君子法蒙象,而果毅其行,養育其德也。
『彖伝』は言う。蒙は山下に険あり、険に遇いて止まる、是れ蒙なり。蒙が亨るは、以て亨の道に行く、時中なり。我、童蒙を求むるに非ず、童蒙我を求むは、志の応なり。初筮は告ぐるは、剛にして中なるを以てなり。再び三びすれば涜す、涜せば則ち告げずは、蒙を涜すなり。蒙を以て正を養うは、聖の功なり。「志応」とはすなわち二五両爻が互いに求めるを言う。「坎」に「聖」の象あり、だから「聖功」と言う。『大象伝』は言う。山下より泉出づるは蒙、君子は以て行を果して徳を育す。「艮」に「君子」の象あり、また「堅」・「果」の象あり。「震」に「行」の象あり、合わせれば「果行」となる。「果行」とは足場を立定して移らざるを言う。『左伝』の「果を致すを毅と為す」はまさにこの義である。「震」に「生」の象・「徳」の象あり、だから「徳を育す」と言う。「以」とは効法で、君子が蒙卦の象を効法して、其の行いを果毅にし其の徳を養育するを言う。
初六:發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往吝。發,啟也。詩大雅思齊篇曰:刑于寡妻。左傳襄十三年:一人刑善,數世賴之。注皆訓刑為法,是刑與型同。利用刑人者,言宜樹之模型,使童蒙有所法式,得為成人,永免罪闢也。坎為桎梏。說文:桎,足械;梏,手械。四無應,故往吝。說文引作遴,雲行難也,吝遴古通。漢書魯安王傳:晚節遴。王莽傳:性實遴嗇。義皆為吝。以往,王安石、朱震、王宗傳、朱子皆訓為以後,大誤。象曰:利用刑人,以正法也。正,平也。坎為平,故曰正法。言以法則示人,俾童蒙有所則效,即釋刑人之義也。
初六爻辞:蒙を発するは、人を刑すに用るに利あり、桎梏を説(脱)すに用う。以て往けば吝(難あり)。「発」は啓くこと。『詩経・大雅・思斉』に「寡妻に刑す」とあり、『左伝』襄公十三年に「一人善を刑せば、数世之を頼む」とあり、注家は皆「刑」を法則と訓じ、「刑」と「型」が通ずることが分かる。「人を刑すに用るに利あり」とは、童蒙のために楷模を樹てて効法する所有らしめ、成人して永く罪辟を免れしめるを言う。「坎」に「桎梏」の象あり。『説文』に「桎は足械、梏は手械」とある。初六と六四はともに陰爻で応を成さず、だから往けば難あり。「吝」の字を『説文』は「遴」と引きて「行難なり」と解し、「吝」「遴」は古く通用する。『漢書・魯安王伝』に「晩節遴」とあり、『王莽伝』に「性実に遴嗇」とあり、義は皆吝惜・艱渋である。「以往」については、王安石・朱震・王宗伝・朱熹は皆「これ以後」と訓したが、大きな誤りである。『小象伝』は「人を刑すに用るに利ありは、以て法を正すなり」と言う。「正」は平の意で、「坎」に「平」の象あり、だから「正法」と言う。法度を人に垂示して童蒙に則効する所有らしめるを言い、まさに「人を刑す」の義を釈したものである。
九二:苞蒙,吉。納婦,吉。子克家。陽居陰中,故曰苞蒙。五陰來應,故曰納婦吉。震為子,艮為家,五艮體,二應之,故曰子克家。克者,能也,言能任家事也。象曰:子克家,剛柔接也。接與龍戰于野戰字義同,言交接也。
九二爻辞:蒙を苞む、吉。婦を納る、吉。子、家に克つ。九二は陽爻を以て群陰の中に居るから「蒙を苞む」と言う。六五は陰で、下りて九二に応じ、妻を娶りて入門するがごとし。だから「婦を納る、吉」と言う。「震」に「子」の象、「艮」に「家」の象あり。六五は上卦の艮体に属し、九二はこれと応ずるから「子、家に克つ」と言う。「克」とは能くすることで、家の事に任え得るを言う。『小象伝』は「子家に克つは、剛柔接するなり」と言う。この「接」の字は坤卦上六の「龍野に戦う」の「戦」の字と義同じく、皆交接・交合の意である。
六三:勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利。取,娶同。坤為女。見金夫,不用躬,申勿用之故也。金夫者美稱。詩:有匪君子,如金如錫,如圭如璧。左傳:思我王度,式如玉,式如金。皆以金喻人之美。艮為金,為夫。人徒知乾為金,不知艮堅亦為金。易林隨之屯云:金玉滿堂。以屯之互艮為金也。人徒知震有夫象,不知三男皆為夫。比曰後夫凶,以艮為夫也。易林復之剝云:夫亡從軍。以剝上艮為夫也。三與上艮應,故曰見金夫。坤為躬。三體震,震為行而決躁,故見金夫而亟欲往上,不顧四五之阻,故曰不有躬。女行如此,不順,故無所利也。
六三爻辞:女を取るを用いる勿れ。金夫を見れば、躬を有せず。攸利なし。「取」はすなわち「娶」。下卦の坎と二より四に互体して坤を成し、「坤」に「女」の象あり。「金夫を見れば、躬を有せず」の二句は「女を取るを用いる勿れ」の所以を申する。「金夫」とは美称である。『詩経』に「匪なる君子、金のごとく錫のごとく、圭のごとく璧のごとし」とあり、『左伝』に「我が王度を思う、式に玉のごとく、式に金のごとし」とあり、皆金玉をもって人の美を喩う。「艮」に「金」の象・「夫」の象あり。人はただ「乾」が金たるを知るのみで、艮の性が堅いもまた金たるを知らない。『焦氏易林・随之屯』は「金玉堂に満つ」と言い、まさに屯卦の互体艮を金とした。人はただ「震」に「夫」の象あるを知るのみで、震・坎・艮の三男の卦が皆夫たり得るを知らない。『比』卦辞は「後の夫は凶」と言い、艮を以て夫とし、『易林・復之剥』は「夫亡びて軍に従う」と言い、剥卦上体の艮を以て夫とする。六三は上九の艮体と応ずるから「金夫を見る」と言う。「坤」に「躬」の象あり。六三はまた互体震の中に在り、震は行動して果決躁進を主るから、「金夫」を見れば急いで上に赴かんと欲し、六四・六五の阻みを顧みず。だから「躬を有せず」――自身さえ顧みられぬを言う。女子の行がこのようであれば順ならず、だから利ある所なし。
象曰:勿用取女,行不順也。坤為順,震躁動,故不順。案此爻舊解,虞翻以陽為金,謂三為二所淫;朱子謂金夫,蓋以金賂己而挑之,若魯秋胡之事:均堪噴飯。若夫王弼以金夫為剛夫,毛大可、惠棟等用卦變,又以兌陽為金,皆非。故夫卦象一失傳,無論若何揣測,皆不能當。其關係之重若是。
『小象伝』は言う。「女を取るを用いる勿れは、行順ならざるなり。」「坤」はもともと「順」の象あるが、六三はまた震体に在り、震の性は躁動するから順ならず。按するにこの爻の旧注。虞翻は陽爻を金として、六三が九二に淫せられたと言い、朱熹は「金夫」は金を以て己に賂い挑む者で、魯の秋胡が妻を戯れた例のごとしと言う――二説とも飯を噴き出すに足る。王弼に至っては「金夫」を剛の夫と解し、毛奇齡・恵棟等は「卦変」の法を動員し、また兌卦の陽を金としたが、皆非なり。ゆえに卦象が一旦失伝すれば、いかようにも測度するも実に当たらない。象が『易』を解する上での重さは、かくのごときほどなのである。
六四:困蒙,吝。四無應,承乘皆失類,故曰困。象曰:困蒙之吝,獨遠實也。實為陽,初三五皆近陽,四獨否,故曰獨遠實。六五:童蒙吉。艮為童蒙,上承陽,下應二,雖不當位而居中,故吉。象曰:童蒙之吉,順以算也。上承陽,順陽而行,下與二相上下,故曰順以巽。
六四爻辞:蒙に困む、吝。六四は初六とともに陰爻で応を成さず、上に六五を承け下に六三に乗ずるも、皆同類の陰爻で、両方とも陽に依り得ない。だから「困」と言う。『小象伝』は「蒙に困むの吝は、独り実に遠きなり」と言う。「実」は陽爻を指し、初六は九二に近く、六三は九二に近く、六五は上九に近いのに、独り六四だけが陽より最も遠いから「独り実に遠し」と言う。六五爻辞:童蒙、吉。「艮」に「童蒙」の象あり。六五は上に上九の陽を承け、下に九二の陽に応じ、陰で陽位に居り当位せざるも、上卦の中に居るから吉。『小象伝』は「童蒙の吉は、順にして算(巽)なり」と言う――「算」は「巽」と読むべし。六五は上に陽爻を承け、陽に順って行き、下はまた九二と上下相い応ずるから「順にして巽」と言う。「巽」とはすなわち順うことである。
上九:擊蒙,不利為寇,利禦寇。艮手為擊,亦啟發之意。上應在三,三坎為寇,道窮於上,故不利為寇。然艮為堅為守,下擁群陰,勢眾,故利禦寇。坎彖傳云:王公設險以守其國。守謂互艮也,能守故利。象曰:利用禦寇,上下順也。君子守其前,小人隨其後,故利禦寇。上下順者,言坤民順上也。
上九爻辞:蒙を撃つ。寇を為すに利あらず、寇を御ぐに利あり。「艮」は手で、手は撃つの用。ここも打ちて啓発する意を含む。上九は下に六三に応じ、六三は下卦の坎体に属し、「坎」に「寇」の象あり。上九はすでに全卦の尽頭に至り、道は絶に窮まるから、自ら進んで寇を為すに利あらず。しかし「艮」に「堅」の象・「守」の象あり、上九の下に群陰を擁して勢い衆なり。だから寇を御ぐに利あり。『坎』卦の『彖伝』は「王公は険を設けて以て其の国を守る」と言う。その「守」とはまさに互体の艮を指し、守り得れば利あり。『小象伝』は「寇を御ぐに用るに利ありは、上下順なり」と言う。君子は前に守り、小人は後に随うから寇を御ぐに利あり。「上下順」とは、坤の象る民衆が上にある者に順うを言う。
需卦
需。有孚,光亨,貞吉,利涉大川。乾為行,行而遇險,故曰需。需,待也。歸藏作溽,坎兌皆水故溽。溽,溼也,而溽與濡音義並同。楊氏古音云:溽,人餘切,歸藏易需卦作溽,同濡。案孟子:是何濡滯也。是溽有遲義。古文多省筆,疑需為古文濡字,與歸藏同。且濡滯亦有須義,與彖傳不背。周易本因二易而作,溽濡需不過字形之輾轉耳,音義並同也。
需卦卦辞:孚有りて、光亨し、貞吉、大川を渉るに利あり。下卦の乾は行を主り、行きて前に坎険に遇うから「需」と言い、「需」とは待つこと。この卦は『帰蔵』易では「溽」と作る。坎と兌はともに水に属するから字は水旁に従う。「溽」は湿で、「溽」と「濡」は音・義ともに同じ。楊慎『古音』は言う。「溽は人余切、帰蔵易の需卦は溽と作る。濡に同じ。」また『孟子』に「是れ何ぞ濡滞するや」とあり、「溽」に遅緩の義の含まれることが分かる。古文は多く筆画を省くから、「需」はすなわち古文の「濡」の字で『帰蔵』と一致するのではと疑う。しかも「濡滞」自体にも待つの義あるがゆえに、『彖伝』が「需」を「須」と訓ずるに背かない。『周易』はもともと『連山』『帰蔵』の二易を承けて作ったもので、「溽」「濡」「需」は字形の輾転変化に過ぎず、読みと義はもともと同一である。
卦辭皆指九五。五上下皆陰,故有孚;互離故光,得位放亨。貞吉者,卜問則吉也。坤為水,為大川。易林賁之損云:龍蛇所聚,大水來處。以損互震為龍蛇,互坤為水。又師之復:淵泉堤防,水道利通。亦以復坤為泉為水。此外九家說蠱之利涉大川云:此卦乾天有河,坤地有水,二爻升降,出入乾坤,利涉大大川也。亦以坤為大川。
需の卦辞は句ごとに九五を指す。九五は上下ともに陰爻で、衆陰が信服するから「孚有り」と言い、三より五爻に互体して離を成し、「離」は光明だから「光」と言い、九五は陽で陽位に居り当位して尊し。だから「亨」。「貞吉」とは卜問すれば吉を言う。「坤」に「水」の象・「大川」の象あり、これは『焦氏易林』の存する漢代の逸象である。『賁之損』は「龍蛇の聚まる所、大水の来る所」と言い、損卦の互体震を以て龍蛇・互体坤を以て水とし、『師之復』は「淵泉堤防、水道利通」と言い、これも復卦下体の坤を以て泉・水とする。このほか『九家易』が蠱卦の「大川を渉るに利あり」を解して、「この卦は乾天の中に河あり、坤地の中に水あり、二爻が昇降して乾坤の間に出入す。故に大川を渉るに利あり」と言う。同じく坤を以て大川とする。
利涉謂五,言五居坤中,孚於上下而利也。故彖傳以位乎天位、往有功釋之。而虞翻謂往指二,二失位,變陰涉坎,故利涉。夫以坎為大川,涉之而利,則不必需矣,是背卦義也。彼夫蹇無坤也,而曰利西南,以蹇五居坤中也。需五亦居坤中,坤為大川,當位而尊,上下皆孚,故曰往有功。五居外,故曰往,非必內卦往外卦方謂往也。此卦只五爻能利涉,他爻無利者,自坤水象失傳,不知五所涉者為坤水、為大川,必以坎為大川,於是易之利涉大川,無一得解者。
「利渉」は九五を指す。九五が坤水の中に居りて、上下の陰が皆これに信従するから利あることを言う。だから『彖伝』は「天位に位し」「往きて功有り」を以てこれを釈す。虞翻は「往」を九二に指して、九二は位を失い、陰爻に変じて坎水を渉るから利渉と言う。しかし坎を大川とし、渉れば利あるとすれば、何を待つ必要があろう。これは需卦の本義に背く。あの蹇卦には坤体がないのに「西南に利あり」と言うのは、蹇の九五が坤の中に居るからで、需の九五もまた坤の中に居り、坤は大川で、九五は当位して尊く、上下ともに信服するから「往きて功有り」と言う。九五は外卦に処るから「往」と称し、必ずしも内卦より外卦に行くを「往」と謂うのではない。この卦はただ九五の一爻のみ利渉し得、他の爻は皆利なし。「坤は水」という逸象が失伝してから、後人は九五の渉る所が坤水・大川であることを知らず、ひたすら坎を大川とした。そこで『周易』の随所の「大川を渉るに利あり」は、一条も講じ通じるものがなくなったのである。
彖曰:需,須也,險在前也。剛健而不陷,其義不困窮矣。需有孚光亨貞吉,位乎天位,以正中也。利涉大川,往有功也。須,待也。待則不陷於險中,故不困窮,釋需之故也。位乎天位、往有功,皆謂九五,謂九五居坤水之中,上下皆孚,有功即利涉。虞翻以二當之,失彖傳旨矣。象曰:雲上於天,需。君子以飲食宴樂。坎為雲,故曰云上於天。二四兌,兌口,故曰飲食;兌悅,故曰宴樂。乾為君子。言君子飲食宴樂,從容以俟也。
『彖伝』は言う。需とは須なり、険が前に在るなり。剛健にして陥らざれば、其の義困窮せざるなり。需に孚有り光亨貞吉は、天位に位して以て正中なり。大川を渉るに利ありは、往きて功有るなり。「須」とはすなわち待つこと。待ち得れば険中に陥らず、だから困窮しない。卦名「需」の所以を釈する。「天位に位し」「往きて功有り」は皆九五を指し、九五が坤水の中に居りて上下の爻が皆これに信従するを言い、「功有り」はすなわち「利渉」である。虞翻が九二をもってこの二句に当てたのは、『彖伝』の本旨を失した。『大象伝』は言う。雲気が天に升るは需、君子は以て飲食宴楽す。「坎」に「雲」の象あり、坎が乾の上に在るから「雲天に上る」と言う。二より四爻に互体して兌を成し、「兌」は口だから「飲食」と言い、兌はまた喜楽だから「宴楽」と言う。「乾」に「君子」の象あり。合わせて言えば、君子は飲食宴楽して、従容として時を俟つのである。
初九:需于郊,利用恆,無咎。乾為郊。初臨重陽,陽遇陽得敵,不能行,故利用恆。恆,久也,常也,言潛龍勿用,守常不變也。守常不動,故無咎。陽遇陽行難,需而不進,故象曰不犯難行。大畜初九曰:有厲利己。厲與難皆指二三。此與鼎九二慎所之、大有初九曰無交、大壯初九曰征凶、夬初九曰往不勝、姤九三曰其行次且,皆因陽遇陽。乃二千年說者皆以需坎為難,謂初不取四為不犯難。豈知難為二三,二三皆陽,陽遇陽行難,故不取四而用恆,非以坎為難而不取也。故夫同性相敵、異性相感之理不明,則易本立失,此不犯難及有厲利己等辭,所以永不得解也。象曰:需于郊,不犯難行也;利用恆無咎,未失常也。陽遇陽得敵,需而不進,故曰不犯難行。難指二三。
初九爻辞:郊で需(待)つ。恒を用るに利あり、咎なし。「乾」に「郊」の象あり。初九の上に九二・九三の二つの陽爻が連なり、陽が陽に遇えば対敵を成して行けないから、恒を用るに利あり。「恒」とは久しく常なり、すなわち乾初九の「潜龍勿用」がいう常を守り変わらぬこと。常を守りて動かず、だから咎なし。陽が陽に遇えば行き難く、需いて進まざるのみ。だから『小象伝』は「難に犯して行かざるなり」と言う。大畜の初九は「厲有りて己に利あり」と言う。あの「厲」とここの「難」はともに九二・九三を指す。このほか鼎卦九二の「之く所に慎め」、大有の初九の「交わることなし」、大壮の初九の「征けば凶」、夬卦の初九の「往きて勝たず」、垢卦九三の「其の行次且たり」は、皆陽が陽に遇うに由る。ところが二千年の説者は皆上卦の坎をもって「難」とし、初九が六四を取らぬを「難に犯さず」とした。思うに「難」は九二・九三を指す。二三ともに陽で、陽が陽に遇えば行き難い。これによって初九は六四を取らず恒を用いるのであって、坎を難として避けるのではない。ゆえに「同性は相い敵し、異性は相い感ず」の理が明らかでなければ、『易』の根本は立ち失い、「難に犯さず」および「厲有りて己に利あり」等の辞句が永く解を得ない所以である。『小象伝』は言う。「郊に需つは、難に犯して行かざるなり。恒を用るに利あり咎なきは、常を失わざるなり。」陽が陽に遇えば対敵を成し、需いて進まざるから「難に犯して行かず」と言う。「難」は九二・九三を指す。
九二:需于沙,小有言,終吉。沙近水,二較初略進,故曰需于沙。二至四伏艮,艮為沙。有言者,爭訟也。乾為言,見左傳;兌口亦為言,見易林。乃兌言向外,與乾言相背,故爭訟。夬四之聞言不信,即如此取象也。兌為小故小有言。有言不吉,然而吉者,象曰衍在中,以居沙衍之中也。穆天子傳:天子遂東征,南絕沙衍。蓋水中有沙曰衍,故曰衍在中,以象中位也。象曰:雖小有言,以吉終者,明有言本不吉,然而吉者,以得中位也。虞翻用半象,謂三四震象半見為小有言,穿鑿之說也。凡易雲有言,及聞言不信、有言不信者,皆爭訟也,非言之有無也。左傳昭五年以謙為饞,首發其義;焦氏易林暢述其旨,於是二千年有言誤解,盡行暴露,與利涉大川同,說詳焦氏易詁中。
九二爻辞:沙で需つ。小さく言(争訟)有るも、終に吉。沙は水に近く、九二は初九よりやや進んでいるから「沙に需つ」と言う。二より四爻に伏体して艮を成し、「艮」に「沙」の象あり。「言有り」とは争訟である。「乾」に「言」の象あり、『左伝』に見え、「兌」は口でまた言、『焦氏易林』に見える。ただし兌の言は外に向って発し、乾の言と方向が相い背くから争訟となる。夬卦九四の「言を聞きて信ぜず」も、取象の仕方はこれと同じである。「兌」は小だから「小さく言有り」と言う。言あるはもともと不吉なれど、吉たり得る所以は、『小象伝』が「衍、中に在るなり」と言うように、九二がまさに沙洲の中に居るからである。『穆天子伝』に「天子、遂に東征し、南に沙衍を絶す」とあり、水中に沙ある所を「衍」と言う。だから「衍、中に在る」と言い、以て九二の中位に居るを象る。『小象伝』は「小さく言有ると雖も、吉を以て終るなり」と言う。まさに言あるはもともと不吉だが、吉たり得るのは中位を得るがゆえであることを明らかにする。虞翻は「半象」の説を用い、三・四两爻に震の形が半ば見えるを「小さく言有り」としたが、穿鑿の説である。およそ『易』が「言有り」と言い、及び「言を聞きて信ぜず」「言有りて信ぜず」と言う所は、皆争訟を指し、言の有る無しを指すのではない。『左伝』昭公五年が「謙」を「讒」と解したのがこの義を初めて発明し、焦延壽『易林』がその旨を暢述した。そこで二千年の「言有り」の誤解はことごとく暴露し、「大川を渉るに利あり」と同様である。詳説は『焦氏易詁』を見よ。
象曰:需于沙,衍在中也;雖小有言,以吉終也。解見前。九三:需于泥,致寇至。震九四云:震隊泥。以坎為泥也。九三去險益近,故曰需于泥。坎為寇,三近坎,故曰致寇至。象曰:需于泥,災在外也;自我致寇,敬慎不敗也。坎為災。災在外,明尚未罹災;致寇至,明寇尚未至也。致之故在我,我能敬慎則不至矣,不至則不敗。乾為惕,故曰敬慎。
『小象伝』は言う。「沙に需つは、衍、中に在るなり。小さく言有ると雖も、吉を以て終るなり。」解は前を見よ。九三爻辞:泥で需てば、寇を致し至らしむ。震卦九四は「震、泥に隊(墜)る」と言う。あれは坎を以て泥としたもの。九三は険に去ることなおさら近し。だから「泥に需つ」と言う。「坎」に「寇」の象あり、九三は坎に接するから「寇を致し至らしむ」と言う。『小象伝』は言う。「泥に需つは、災、外に在るなり。我より寇を致す、敬慎せば敗れざるなり。」「坎」に「災」の象あり。災が外卦に在ると言うは、九三が未だ災に罹らぬを明らかにし、「寇を致し至らしむ」と言うは、寇が未だ真に至らぬを明らかにする。致すか否かの由は我に在り、我が能く敬慎すれば寇は至らず、至らなければ敗れない。「乾」に「惕」の象あり、だから「敬慎」と言う。
六四:需于血,出自穴。血,洫之省字,古文如此者不可勝數,且溝洫亦坎象也。諸家以坎有血象,便作需于血,不辭甚矣。兌為穴,易林乾之咸云:反得丹穴。豫之兌云:秋蛇向穴。皆以兌為穴。言四之所處,前臨溝洫,故曰需於洫;而居兌穴之上,故曰出自穴。毛奇齡、惠棟、焦循等皆以坎為穴,用象既誤,故於出義不合也。(祇姚配中詁出字得解。)象曰:需于血,順以聽也。四陰宜順五陽,坎為耳,故曰聽。聽,從也。
六四爻辞:洫に需ち、穴より出づ。「血」は「洫」の省筆の字で、古文にこの類の省筆は数え切れぬほどあり、しかも溝洫はもともと坎の象である。従来の注家は坎に「血」の象あるがゆえに、そのまま字面通り血の中に需つと読み、甚だ言葉にならない。「兌」に「穴」の象あり。『易林・乾之咸』は「反りて丹穴を得」と言い、『豫之兌』は「秋蛇、穴に向う」と言い、いずれも兌を以て穴とする。これは六四の処る所が前に溝洫に臨むから「洫に需つ」と言い、また互体兌穴の上に居るから「穴より出づ」と言う。毛奇齡・恵棟・焦循らは皆坎を穴としたが、用象すでに誤れば、「出」の字に対しても講じ通らない(ただ姚配中が「出」の字を解し得たのみ)。『小象伝』は「洫に需つは、順にして聴くなり」と言う。六四は陰爻で、九五の陽に順うべく、「坎」は耳だから「聴」と言う。「聴」とは従うことである。
九五:需于酒食,貞吉。坎為酒。食,實也。頤自求口實,鄭作食,是食實可通用。坎中實,故坎為食。易林履之蹇云:天下饒食。謙之坎:食非其任。皆以坎為食。酒食在上,兌口承之,故曰需于酒食。貞吉者,卜問吉也。象曰:需于酒食,以中正也。五位中正,釋貞吉之故也。
九五爻辞:酒食に需ち、貞吉。「坎」に「酒」の象あり。「食」とはすなわち「実」である。頤卦の「口実を自ら求む」の「実」を、鄭玄本は「食」と作る。これで「食」「実」が通用することが分かる。坎卦の中爻は陽で、中が充実する象だから、坎はまた「食」とする。『易林・履之蹇』は「天下饒食」と言い、『謙之坎』は「食其の任に非ず」と言い、いずれも坎を以て食とする。酒食は上卦にあり、下の互体兌口がまさにこれを承ける。だから「酒食に需つ」と言う。「貞吉」とは卜問して吉を言う。『小象伝』は「酒食に需つは、以て中正なり」と言う。九五は中に居り正を得る。これが「貞吉」の所以を釈する。
上六:入于穴,有不速之客三人來,敬之,終吉。互兌為穴,上來應三,則入於兌穴矣。而陽必上升,故曰不速之客。馬云:速,召也。乾為人,上應在三,故曰三人來。坎為畏懼,故曰敬之,言陰宜順陽也。上居卦終,故曰終吉。象曰:不速之客來,敬之終吉,雖不當位,未大失也。象明曰不速之客來,來而不當位,言三升上不當位也,非謂上六本不當位。王弼不明升降之理,便謂初上無位,真妄說也。苟爽云:上退居三,雖不當位,承陽有實,故未大失。固的解也。
上六爻辞:穴に入り、速かざるの客三人来たる。之を敬せば、終に吉。三より五爻に互体して兌を成し、「兌」は穴。上六が下りて九三に応ずれば、兌穴に入ったに等しい。だから「穴に入る」と言う。そして陽爻の性は上昇して、自ら上がって来るので、呼ぶを待たない。だから「不速之客」と称す――馬融は「速とは召なり」と言う。「乾」に「人」の象あり、上六の応ずる所は九三に在り、下卦の乾の三乾の三陽が斉しく上行するから「三人来たる」と言う。「坎」に畏懼の象あり、だから「之を敬す」と言い、陰が陽に順うべきを言う。上六は全卦の終了の位に処るから「終に吉」と言う。『小象伝』は言う。速かざるの客来たり、之を敬せば終に吉、位に当たらずと雖も、未だ大いに失せざるなり。『小象』は明らかに「不速之客来たる」と言い、来て後に位に当たらぬを言い、九三が上位に升って当位せぬを指すのであって、上六自身が当位せぬを謂うのではない。王弼は爻位昇降の理を明らかにせず、初爻と上爻に位次がないと言う。まことに妄説である。荀爽は言う。上六が退いて三位に居れば、当位せざると雖も、上に陽爻を承けて其の充実を得る。だから未だ大いに失せず。これが確解である。
訟卦
訟。有孚,窒惕,中吉,終凶。利見大人,不利涉大川。乾陽上升,坎水下降,乃乾即在上,坎即在下,違行,氣不交,故曰訟。二陽居陰中,故有孚。坎中實,故窒;坎憂,故惕。二雖不當位,居中,故吉。二無應,遇敵,故終凶。九五中正,故利見大人。坤為大川,二入之不當位,無應與,不能出(若解則能出),沈淪於坤水之中,故曰不利涉大川。
訟卦卦辞:孚有りて、窒(ふさ)がれ惕(おそ)れ、中は吉、終は凶。大人を見るに利あり、大川を渉るに利あらず。訟は上乾下坎。乾の陽性は上昇し、坎の水性は下降するのに、乾は偏に上に在り、坎は偏に下に在って、両者は背馳して行き、二気は交接し得ない。だから「訟」と言う。九二は陽爻を以て陰位の中に居り、上下に信ぜられるから「孚有り」と言い、坎の中爻は充実して杜塞の象あるがゆえに「窒」と言い、坎はまた憂懼を主るから「惕」と言う。九二は当位せざると雖も下卦の中に居るから「中は吉」。上に相応する爻なく、遇う九五は同性の敵だから「終は凶」。九五は中に居り正を得るから「大人を見るに利あり」。「坤」に「大川」の象あり、九二は坤水の中に陥って当位せず、また応援なく出られず(もし解卦ならば出られよう)、坤水に沈淪するから「大川を渉るに利あらず」と言う。
彖曰:訟,上剛下險,險而健訟。訟有孚窒惕,中吉,剛來而得中也。終凶,訟不可成也。利見大人,尚中正也。不利涉大川,入于淵也。剛來得中謂二也,中正謂五也。坤為淵,易林震之復云:藏匿淵底。言復陽居坤下,故曰藏匿淵底,是以坤為淵也。今二入居坤中,故曰入於淵,而上無應不能出,沈溺淵中,故曰不利。
『彖伝』は言う。訟は上剛にして下険、険にして健、訟なり。訟に孚有り窒惕して中吉は、剛来りて中を得るなり。終凶は、訟は成る可からざるなり。大人を見るに利ありは、中正を尚ぶなり。大川を渉るに利あらざるは、淵に入るなり。「剛来りて中を得る」は九二を指し、「中正」は九五を指す。「坤」に「淵」の象あり。『易林・震之復』は「淵底に蔵匿す」と言い、復卦の一陽が坤体の下に居るを指して「淵底に蔵匿す」と言う。まさに坤を以て淵とする。今、九二が坤水の中に陥り居るから「淵に入る」と言い、上に応ずる爻なく出られず、淵中に沈溺するから「利あらず」と言う。
象曰:天與水違行,訟。君子以作事謀始。需水上乾下,故氣交;反之則背道而馳,愈去愈遠,故曰違行。行,道也,違行言異道而行也。坎為謀,坤為事,二居坤中,故曰作事。二無應,故入不能出,若慎始則免矣。卦氣以下為始。王弼云:凡訟之起,契之不明。孔疏由於初時契要之過,慎始制契,則訟端絕。按乾坎皆為信,契要者信也,王注優於各家。
『大象伝』は言う。天と水とが違い行くは訟、君子は以て事を作るに始めを謀る。需卦は水が上・乾が下で、二気が相い交じる。訟卦はそれを顛倒して背道し、去ることなおさら遠し。だから「違行」と言う。「行」とは道路で、「違行」とは同じ道でなく行くを言う。「坎」に「謀」の象、「坤」に「事」の象あり、九二は坤体の中に陥るから「事を作る」と言い、九二は応なく、入れば出られないから、始めに慎み得れば免れられる。卦気は下卦を以て開端とする。王弼は言う。およそ争訟の起こるは、契が明らかならざるに由る。孔穎達の疏は「初時に契要を立てるの過失に由り、始めに慎んで契を制すれば、訟端は自ずから絶る」と言う。按するに「乾」「坎」はともに「信」の象あり、契約凭拠の講ずる所はまさに信である。だから王弼のこの注は各家に勝る。
初六:不永所事,小有言,終吉。事,訟事也。訟始於初,然初有應,初四相上下成中孚,各當位,則訟事息矣,故曰不永所事。坎上下兌口相背,故有言,有言即訟也。不永故曰小有言,有應故終吉。象曰:不永所事,訟不可長也;雖小有言,其辯明也。兌口多,故曰辯明。
初六爻辞:其の事を永くせず、小さく言有るも、終に吉。「事」とはすなわち訟事である。争訟は初爻より始まるが、初六は上に九四の応あり。初・四が彼此上下往来すれば全卦は中孚の形を成し、各爻ともに当位して訟事は息む。だから「其の事を永くせず」と言う。坎の上下は共に兌口を伏して口の向きが相い背くから、言(口舌)あり。「言有り」とはすなわち争訟である。永くならざるがゆえに、ただ「小さく言有り」。応ずる爻あるがゆえに「終に吉」。『小象伝』は言う。「其の事を永くせずは、訟は長かる可からざるなり。小さく言有ると雖も、其の弁明らかなり。」兌口の象が多いから「弁明」と言う。
九二:不克訟,歸而逋,其邑人三百戶,無眚。坎為隱伏,故曰逋。上無應,故不克訟,不克訟故逋。逋,逃也。逃歸何處乎?二居坤中,坤為邑為百為戶。茹敦和曰:坎數三,故曰其邑人三百戶。言二選於坤邑之中也。坎為眚,二逋坤中,孚於上下,故無眚。眚,釋文馬云災也。
九二爻辞:訟に克たず、帰りて逋(に)ぐ。其の邑人は三百戸、眚(わざわ)いなし。「坎」に隠伏の象あり、だから「逋」――逃匿と言う。九二は上に応ずる爻なし、だから訟に勝てず。訟に勝てぬから逃げる。「逋」とは逃で、どこへ逃げ帰るか。九二はまさに坤体の中に居り、「坤」に「邑」の象・「百」の象・「戸」の象あり。茹敦和は言う。坎の卦数は三、だから「其の邑人三百戸」と言う。これは九二が坤邑の中に隠れるを講ずる。「坎」にまた「眚」の象あり。九二は坤中に逃げて上下の陰が皆これに信服するから眚なし。「眚」の字は、『経典釈文』が馬融を引いて「災なり」と言う。
象曰:不克訟,歸逋竄也;自下訟上,患至掇也。上謂五,五剛,二與為敵,故曰自下訟上。吳先生曰:掇,借為輟,止也。愚按集韻掇音輟,讀若朵。逸周書曰:綿綿不絕,蔓蔓若何,毫末不掇,將成斧柯。不掇即不輟,言毫末雖微,長而不止,即成斧柯。然則掇輟古通用。又河北方言謂人避事曰掇避,正與此同。掇或作躲,玉篇身也,無避匿之義,非也。歸而逋,即輟訟矣,輟之故因不克訟而有患也。釋文鄭作惙,憂也;近師俞樾又作綴,言禍患之來,聯綴不已也。但小象原以釋經文,作惙作綴於逋義皆無涉;若作輟,則正釋逋義也。逋而輟訟,訟止故無眚。
『小象伝』は言う。「訟に克たざるは、帰り逋れ竄れるなり。下より上を訟えば、患至りて掇(輟)すなり。」「上」は九五を指し、九五は陽剛で、九二はこれと同性の敵となる。だから「下より上を訟う」と言う。呉先生(呉汝綸)は言う。「掇」は「輟」の假借で、止むの意。私が按ずるに『集韻』は掇の音を輟とし、読みは「朵」のごとし。『逸周書』は「綿々として絶えず、蔓蔓として何ぞ、毫末掇せざれば、将に斧柯を成さんとす」と言い、「不掇」とはすなわち「不輟」で、毫毛は細いとも長じて止まなければ、ついに斧柄を成す意。これで「掇」「輟」が古く通用することが分かる。また河北の方言は人の事を避くるを「掇避」と称し、まさにこれと同じ。「掇」を或は「躱」と作り、『玉篇』は「躱」を身と訓じ、避匿の義なし。誤りである。「帰りて逋ぐ」はすなわち訟を輟む。輟むの故は訟に勝てぬうえ患を致したがゆえである。『経典釈文』は鄭玄本の「惙」(憂なり)と言い、近師の兪樾はまた「綴」と作りて、禍患の来るが連綴して已まぬを言う。しかし『小象』はもともと経文を釈するもので、「惙」でも「綴」でも「逋」の義に渉らない。もし「輟」と作れば、まさに「逋」の義を釈するのである。逋れて訟を輟めば、訟が止むから眚なし。
六三:食舊德,貞厲,終吉。或從王事,無成。乾為舊為德,坎為食。三承重陽,故曰食舊德。失位故貞厲,承陽有應故終吉。三承乾,乾為王,故曰從王事。坤柔故無成,義詳坤六三前釋。象曰:食舊德,從上吉也。從上即承乾。
六三爻辞:旧徳を食らい、貞に厲なるも、終に吉。或いは王事に従うこと有らんに、成すことなし。「乾」に「旧」の象・「徳」の象、「坎」に「食」の象あり。六三は上に九四・九五の二つの陽爻を承けるから「旧徳を食らう」と言う。陰で陽位に居り位を失うから「貞に厲」。上に陽爻を承けてまた上九と応ずるから「終に吉」。六三は上体の乾を承け、「乾」に「王」の象あるがゆえに「王事に従う」と言い、坤の性は柔順で事を成して功を居らぬから「成すことなし」――この義はすでに前の坤卦六三の釈に詳しい。『小象伝』は「旧徳を食らうは、上に従う吉なり」と言い、「上に従う」とはすなわち上の乾を承けること。
九四:不克訟,復即命,渝,安貞,吉。陽遇陽則窒,故不克訟。巽為命。即,就也,安也。初有應,言復初而安命也。渝,變也。訟則爭,爭則不安,不訟則變而為安貞矣,故吉也。象曰:復即命,渝安貞吉,不失也。失與軼通,荀子哀公篇其馬將失,即其馬將軼也。軼,突也,過也,左傳隱九年懼其侵軼我也。說文車相出也,即從後出前也。不軼即不前出也,釋安貞之義也,與隨初、比二、小畜初同。九五:訟元吉。五位極尊,故曰元。五中正,故訟吉。象曰:訟元吉,以中正也。有中而不正者,有正而不中者,中且正,無不吉。
九四爻辞:訟に克たず、復りて命に即き、渝(か)えて貞に安んずれば吉。陽爻が陽爻に遇えば杜塞するから訟に勝てない。「巽」に「命」の象あり。「即」とは就く・安んずる。九四は初六と応ずるから、復りて初六と相い就きて天命に安んずるを言う。「渝」とは変。争訟すれば争い、争えば安らかならず。争わなければ変じて貞に安んずるに至る。だから吉。『小象伝』は「復りて命に即き、渝えて貞に安んずれば吉は、失(軼)せざるなり」と言う。「失」と「軼」は通じ、『荀子・哀公篇』の「其の馬将に失せんとす」はすなわち「其の馬将に軼せんとす」。「軼」とは突出・超越で、『左伝』隠公九年に「其の我を侵軼せんを惧る」とあり、『説文』は車の相い出づるを解し、すなわち後より前に出る。「軼せず」とはすなわち前に出ようとせぬことで、まさに「貞に安んず」の義を釈する。随卦初九・比卦六二・小畜初九と用法同じ。九五爻辞:訟、元吉。九五の位は極めて尊いから「元」と称し、九五はまた中に居り正を得るから訟に吉。『小象伝』は「訟元吉は、以て中正なり」と言う。中に居りて正を得ざる者もあり、正を得て中に居らざる者もあるが、中にして正なれば、吉ならざるなし。
上九:或錫之鞶帶,終朝三褫之。說文鞶,大帶也。錫,命也。上應三,三巽為帶,乾大故曰鞶帶。乃巽為隕落,故終朝三褫之。褫,奪也。坤為夜,乾為朝,上居乾終,故曰終朝,與乾三終日同義。上應三,三體離,離卦數三(此數失傳,祇易林洞林邵子用之),故曰三褫。先儒不知巽為隕落(象本左氏,後祇易林用之),褫之故全在巽,故無得解者。豈知中孚初九云有它不燕,以應四巽也;姤九四包無魚,鼎九四鼎折足,大過九四有它吝,皆以應初巽也。例甚明也。
上九爻辞:或いは鞶帯を錫(たま)わるも、終朝に三たび之を褫(うば)わる。『説文』は「鞶とは大帯なり」と言い、「錫」は命(賜命)。上九は下に六三に応じ、六三は互体巽の中に在り、「巽」に「帯」の象あり。乾は大だから「鞶帯」と言う。しかし「巽」にまた「隕落」の象あるがゆえに「終朝に三たび之を褫わる」。「褫」とは奪うこと。「坤」は夜、「乾」は朝で、上九は乾体の終りに処るから「終朝」と言い、乾九三の「終日」と同例である。上九は六三に応じ、六三は離体に属し、離の卦数は三(この卦数ははやくに失伝し、ただ『焦氏易林』『洞林』と邵雍がなお用いる)。だから「三たび褫わる」と言う。先儒は「巽は隕落」の象を知らず(この象はもともと『左伝』に出で、後はただ『易林』が沿用する)、「褫奪」の由は全て巽に在るから、解を得た者がなかった。彼らは知らざりしことに、中孚の初九が「他あれば燕からざるなり」と言うのは、初爻が四爻の巽に応ずるがゆえであり、垢卦の九四の「包に魚なし」、鼎卦の九四の「鼎足を折る」、大過の九四の「他吝あり」は、皆四爻が初爻の巽に応ずるがゆえである。その例は明白の至りである。
釋文褫鄭本作扦,惠氏棟據淮南人間訓盜扦其衣被,高誘注云扦,奪也,是仍與褫同。乃宋項安世周易玩辭引鄭注曰:三扦,三加之也。後楊慎、臧琳、朱芹等頗祖述其說,謂三扦其紳,以為誇耀,故象曰不足敬。但論語之拖紳,因孔子病臥,君來視,故加紳於朝服,以為敬;今非病臥,曰束紳垂紳皆可,曰拖紳似不合也。象曰:以訟受服,亦不足敬也。乾為敬,旋得旋失,故不足敬。
『経典釈文』は「褫」の字を鄭玄本の「扞」と言う。恵棟は『淮南子・人間訓』の「盗、其の衣被を扞す」と高誘の注の「扞とは奪なり」に拠って、なお「褫」と義同じとする。ところが宋の項安世『周易玩辞』は鄭玄の注を引いて、「三扞」とは三たび之を加うると言う。後の楊慎・蔵琳・朱芹らはこの説を祖述して、三たび大帯を系して以て誇耀するがゆえに『小象』が敬うに足らぬと言うと講じた。しかし『論語』のいう「紳を拖す」は、孔子が病床に臥して国君が見舞いに来たがゆえに、大帯を朝服の上に加えて以て敬意を表したもので、今は病床ではないから、「紳を束ねる」「紳を垂れる」と言うべきで、「紳を拖す」は合わないようである。『小象伝』は「訟を以て服を受くるは、亦敬うに足らざるなり」と言う――訟を打って得た服飾は敬うに足らない。「乾」に「敬」の象あり、得れば旋(すなわ)ち失うから、敬うに足らない。
『周易尚氏学』巻三 上経
師卦
師。貞,大人吉,無咎。師,眾也。坤舍於坎,俱居子方,坤坎皆為眾,故曰師,猶乾舍於離,俱居午為同人也。貞,卜問也。大人,正義作丈人,子夏傳作大人,崔憬、李鼎祚從之是也。此與困貞大人吉同,皆謂二。乾九二云利見大人,利見故吉。陸績、鄭、王等皆讀為丈,謂震為長子,丈者長也,故曰丈人。豈知二得中,臨御萬民,大人之事,以二為大人於象方合,丈人則於卦名不類矣。陸謂丈人為聖人,王謂丈人為莊嚴之稱,皆曲說也。且子夏傳為韓嬰所作(臧庸據七略,謂嬰字子夏。今按藝文志有韓氏二篇,注曰名嬰,其篇數與隋唐志子夏傳卷數同,疑即子夏傳),與田何同時,皆秦遺老,其所據當無誤也。
師卦卦辞:貞(卜問)、大人は吉、咎なし。「師」とは衆である。先天方位では、坤と坎はともに子位に宿り、坤・坎はともに「衆」の象あるがゆえに「師」と言う。乾と離がともに午位に宿って同人を成すのと同じである。「貞」は卜問。「大人」の二字は、『周易正義』本は「丈人」と作り、『子夏易伝』は「大人」と作る。崔憬・李鼎祚が『子夏伝』に依ったのは正しい。これは困卦の「貞、大人吉」と同例で、皆九二を指す。乾九二は「大人を見るに利あり」と言い、現れ出るに利あるがゆえに吉である。陸績・鄭玄・王弼らは皆「丈」と読み、震を長子として「丈」はすなわち長、だから「丈人」と言う。彼らは知らざりしことに、九二は下卦の中に居りて万民を統御する、まさに「大人」の事業であり、九二を以て大人とするのが卦象にこそ合うのであって、「丈人」とすれば卦名と類しない。陸績は「丈人」を聖人と言い、王弼は「丈人」を荘厳の称と言う。皆曲説である。しかも『子夏易伝』は韓嬰の作である(蔵庸は『七略』に拠って、嬰は字を子夏と言う。今按ずるに『漢書・藝文志』に『韓氏』二篇を著録し、注に名を嬰と言い、その篇数は『隋書』『唐書』経籍志の載する『子夏伝』の巻数と同じ。疑うらくはすなわち『子夏伝』か)。韓嬰は田何と同時で、皆秦代の遺老であり、彼らの拠った本は誤りなかったはずである。
象曰:師,眾也;貞,正也。能以眾正,可以王矣。剛中而應,行險而順,以此毒天下而民從之,吉又何咎矣。震為帝為王,故曰可以王。二應五,坎險坤順,震為行,故曰行險而順。易林以坤為害,坎為毒,震為從。干寶云:毒,荼苦也。按列子宋陽裡華子病忘,闔室毒之,注毒,苦也。師旅之興,不無所苦,然非師旅不能安天下,故民從之而吉也。吳語云:吾先君闔廬,以與楚昭王毒逐於中原柏舉。義與此同也。馬融訓毒為治,與行險而順義不相應,行險即毒,順即民從也。他若王弼之訓毒為役,崔憬訓為亭毒,俞樾訓為督,皆不協。是皆因坎毒之象人不盡知,故眾說紛紜也。豈知噬嗑六三云遇毒,以坎為毒,象甚明也。象曰:地中有水,師。君子以容民畜眾。地中所容畜,莫多於水,故君子法之。
(源本はここに「象曰」と誤って題する、実は『彖伝』)言う。「師」とは衆であり、「貞」とは正である。能く衆を以て正しくせば、以て王たる可し。九二は剛にして中に居りて六五と応じ、険中に行きて衆心は順う。このを以て天下に荼苦を受けしめても民はこれに従う。吉、また何の咎あらん。「震」に「帝」の象・「王」の象あり、だから「以て王たる可し」と言う。九二は上に六五に応じ、坎は険・坤は順を主り、「震」に「行」の象あり、だから「険を行きて順なり」と言う。『焦氏易林』は「坤」を「害」とし、「坎」を「毒」とし、「震」を「従」とする。干宝は言う。「毒とは荼苦なり。」按するに『列子』に宋の陽里華子が忘の病を患い、闔室これに苦しんだとあり、注は「毒とは苦なり」と言う。師旅の興るは苦しめる所なき能わざるも、然るに師旅なくして天下を安んずる能わず。だから民はこれに従って吉である。『国語・呉語』は「吾が先君闔廬は、楚の昭王と毒逐して中原の柏挙に於てす」と言う。「毒」の用法はこれと同じである。馬融は「毒」を治と訓じたが、「険を行きて順なり」と文義が相い応ぜず――「険を行く」がまさに「毒」に応じ、「順」がまさに「民従う」に応ずる。他は王弼が「毒」を役と訓じ、崔憬は亭毒と訓じ、兪樾は督と訓ずるも、皆協わず。これらは皆「坎は毒」の象を人が尽く知らないがゆえに、衆説紛紜したのである。彼らは思いもよらざりしことに、噬嗑の六三が「毒に遇う」と言うのは、まさに坎を以て毒としたもので、象は明白の至りである。『大象伝』は言う。地中に水有るは師、君子は以て民を容れ衆を畜う。地中の容れ畜う所は水より多きはなし。だから君子はこれに法る。
初六:師出以律,否臧凶。坎為律,律,法也。臧,善也。否臧即失律也,失律故凶。象曰:師出以律,失律凶也。坎為失,故曰失律。九二:在師中吉,無咎,王三錫命。居下卦之中,故曰在師中吉。失位宜有咎,在師中,故無咎。震為王為言,故曰命。震數三,錫,予也。王三錫命者,言王以官爵或車服器物錫予有功,而告命之也。曲禮一命受爵,二命受服,三命受車馬。言二為卦主,撫馭萬邦,而日有所錫予也。舊解謂六五為君,錫命於二,於卦義全背,祇荀爽謂王指二為得解。象曰:在師中吉,承天寵也;王三錫命,懷萬邦也。五天位,言二必升五,為群陰所承也,故曰承天寵。坤為萬邦,言二臨萬邦而有所錫予者,正所以懷念萬邦,坎為懷也。故夫舊解謂六五錫二者,不惟於經背,於象傳亦背矣。
初六爻辞:師を出すに律を以てす。臧(よ)からざれば凶。「坎」に「律」の象あり、「律」とは法度である。「臧」は善で、「否臧」とはすなわち律を失う。律を失うから凶である。『小象伝』は「師出でて律を以てす、律を失えば凶なり」と言い、「坎」にまた「失」の象あるがゆえに「律を失う」と言う。九二爻辞:師の中に在りて吉、咎なし。王、三たび命を錫う。九二は下卦の中に処るから「師の中に在りて吉」と言い、陽で陰位に居り位を失うから咎あるべきだが、師の中に在るがゆえに咎なし。「震」に「王」の象・「言」の象あり、だから「命」と言い、震の卦数は三。「錫」とは予である。「王三たび命を錫う」とは、王が官爵または車馬服飾を有功の者に錫予し、あわせて告命を下すを言う。『礼記・曲礼』は一命に爵を受け、二命に服を受け、三命に車馬を受くと講ずる。これは九二が全卦の主で、万邦を撫馭して日に錫予する所有るを言う。旧注は六五を君として九二に錫命すとしたが、卦義と全く背く。ただ荀爽が「王」は九二を指すと言うのが解を得た。『小象伝』は言う。「師の中に在りて吉は、天の寵を承るなり。王三たび命を錫うは、万邦を懐するなり。」五は天位で、九二が必ず五位に升りて群陰に承えらるるを言う。だから「天の寵を承る」と言う。「坤」に「万邦」の象あり、九二が万邦に君臨して錫予する所有るを言い、まさに万邦を懐柔する所以である。「坎」に「懐」の象あり。ゆえに旧注が六五は九二に錫命すというのは、経文に背くばかりか『象伝』にも背く。
六三:師或輿尸,凶。坎為尸,震為輿,管輅以坎為棺槨,故曰輿尸。夫陳師而出,輿尸以還,其無功甚矣,故曰凶。蓋坤為死,三失位無應,以陰遇陰,得敵,故凶如是。象曰:師或輿尸,大無功也。大無功,即太無功。六四:師左次,無咎。次,舍也。震為左,故曰左次。古人尚右,左次則退也。四前臨重陰,陰遇陰得敵,其行難矣,知難而退,故無咎也。象曰:左次無咎,未失常也。未失常者,言四當位,量力自處,故不改其常。
六三爻辞:師は或いは屍を輿して還る。凶。「坎」に「屍」の象、「震」に「輿」の象あり。三国の管輅は坎を棺槨としたから、合わせて「屍を輿す」と言う。師を陳して出でて、屍を輿して還るは、功なきこと甚だしき。だから「凶」と言う。「坤」にまた「死」の象あり、六三は陰で陽位に居り位を失い、上に応なく、行きて遇うはまた同類の陰爻で同性成敵するから、凶もかくのごときである。『小象伝』は「師或いは屍を輿すは、大に功なきなり」と言う。「大に功なし」とはすなわち太いに功なし。六四爻辞:師、左に次(すど)る。咎なし。「次」とは舎(屯舎)。「震」に「左」の象あり、だから「左に次る」と言う。古人は右を尚び、左に次れば退くことである。六四の前は連ねて六五・上六の二つの陰爻で、陰が陰に遇えば同性成敵し、行き難い。難を知りて退くから咎なし。『小象伝』は「左に次りて咎なきは、常を失わざるなり」と言う。常を失わざるとは、六四が陰で陰位に居り当位し、自らの力を量りて身を処するがゆえに、其の常度を改めないを言う。
六五:田有禽,利執言,無咎。長子帥師,弟子輿尸,貞凶。田,獵;禽,獲也。釋文云徐本作擒,王陶廬雲說文無擒字,其見於經傳者皆作禽,展獲字禽,不從手,是其證。下應二陽故有禽獲。二震為言,利執言者,言師出有名,如湯武曆數桀紂之罪、漢高討殺懷王者是也,故無咎。五應二,二震主爻,震長子,居師中為主,故曰長子帥師。二亦坎主爻,坎為震弟為尸,故曰弟子輿尸,輿尸故貞凶。貞,卜問也。言五宜與震,不宜與坎,與坎則使不當矣。象曰:長子帥師,以中行也;弟子輿尸,使不當也。二居中為震主,故為群陰之帥。二坎陷於陰中,不可使,使則有輿尸之禍也。宋衷、虞翻謂弟子指六三,非是,皆因三爻有輿尸字而誤。
六五爻辞:田(えり)に禽有り、言を執るに利あり、咎なし。長子師を帥い、弟子屍を輿せば、貞にて凶。「田」とは猟で、「禽」とは擒獲。『経典釈文』は徐邈本が「擒」と作ると言い、王陶廬は『説文』に「擒」の字なし、経伝に見えるは皆「禽」と作る、展獲は字を禽とし手旁に従わず、これが明証と指摘する。六五は下に九二の陽に応ずるから擒獲ある。九二は震体に属し、「震」に「言」の象あり。「言を執るに利あり」とは、師を出すに名有るを言い、商湯・周武が夏桀・商紂の罪状を歴数し、漢高祖が楚懐王を殺した者を討ったがごときである。だから咎なし。六五は九二に応ず。九二は震卦の主爻で、震は長子、師の中に居りて統帥となるから「長子師を帥い」と言う。九二は同時にまた坎卦の主爻で、「坎」は三男の中で震の弟であり、また「屍」の象あるがゆえに「弟子屍を輿す」と言う。屍を輿して帰るから「貞にて凶」。「貞」は卜問である。これは六五が九二の震象を取るべきで坎象を取るべからずを言い、坎象を取れば人を使うに当たらない。『小象伝』は言う。「長子師を帥いるは、中を以て行くなり。弟子屍を輿すは、使うこと当たらざるなり。」九二は中に居りて震主たるがゆえに群陰の統帥たり得る。しかしそれが坎としては群陰の中に陥り、使うべからず。使えば屍を輿して帰るの禍ある。宋衷・虞翻は「弟子」は六三を指すと言うが、誤りである。皆三爻に「屍を輿す」の二字あるがゆえに誤認した。
上六:大君有命,開國承家,小人勿用。大君指二震,震為君為言,故曰大君有命。坤為國,二升五居坤中,故曰開國。坎為室為家,二升五仍坎體,群陰承之,故曰承家。小人指上六。二升五雖開國承家,上六獨居五後,乘陽勢逆,不順承五,比之後夫凶即此爻也,故戒曰勿用。宋衷、虞翻解開國承家是矣,然二升五於上六何涉?即以勿用為戒,必有故也,不申其故,只以坤為小人,籠統說之,胡可乎?惠棟知其不安,仍不能得其故,竟謂小人指初三,益淆亂矣。象曰:大君有命,以正功也;小人勿用,必亂邦也。二升五位正,故曰正功。坤為邦為亂,上六反君道,故曰必亂邦。
上六爻辞:大君命有り、国を開き家を承く、小人用いる勿れ。「大君」は九二の在る震を指し、「震」に「君」の象・「言」の象あるがゆえに「大君命有り」と言う。「坤」に「国」の象あり、九二が五位に升れば坤体の中に居るから「国を開く」と言う。「坎」に「室」の象・「家」の象あり、九二が五に升ってもなお坎体に属し、群陰がこれを承奉するから「家を承く」と言う。「小人」は上六を指す。九二が五に升れば国を開き家を承くると雖も、上六は独り五位の後に留まり、陽爻に乗じて勢い悖逆し、九五に順承せざる。比卦のいう「後の夫は凶」とはまさにこの爻である。だから「用いる勿れ」と戒める。宋衷・虞翻の「国を開き家を承く」の解は是なれど、九二が五に升るのと上六と何の関わりがあろうか。「用いる勿れ」を戒とする以上、必ず故あるべく、其の故を申せず、ただ籠統に坤を小人とする。どうして可ならん。恵棟はこの説の不安を察したが、なお其の故を得られず、ついに「小人」は初六・六三を指すと言う。いっそう淆乱である。『小象伝』は言う。「大君命有るは、以て功を正すなり。小人用いる勿れは、必ず邦を乱るなり。」九二が五位に升りて正を得るから「功を正す」と言う。「坤」に「邦」の象・「乱」の象あり、上六は君たるの道に反するから「必ず邦を乱る」と言う。
比卦
比。吉。原筮,元永貞,無咎。不寧方來,後夫凶。比,親也,輔也。坎坤同舍於子,故曰比。唐以前先天象失傳,故卦名不得解。清毛大可、黃宗義等知之而之認,後學不察,相率以言先天為戒,而自命為漢易。豈知康成注月令,於季夏云:未屬巽辰,又在巽位。巽若不在西南,未能在巽位乎?是先天方位,鄭且明言之。九家注同人云:乾舍於離,與日同居。荀爽注同人云:乾舍於離,相與同居。注陰陽之義配日月云:乾舍於離,配日而居;坤舍於坎,配月而居。已一再言之乎?比之義即以坎坤同居也。
比卦卦辞:吉。原筮(野筮)、元・永・貞、咎なし。寧ならざる方来たり、後の夫は凶。「比」とは親であり輔である。先天方位で、坎と坤はともに子位に宿るから「比」と言う。唐代以前に先天の象が失伝したから、卦名が講じ通らなかった。清の毛奇齡・黄宗羲らは先天の説あるを知りながら肯んじて認めず、後学は察せず、相率いて先天を言うを戒めとし、自ら漢『易』と命じた。彼らは知らざりしことに、鄭康成が『月令』に注して季夏に就いて「未は巽辰に属し、また巽位に在り」と言う――巽が西南に在らざれば、未の支はどうして巽位に落ち得よう。これで先天方位は鄭玄もはや明言していた。『九家易』が同人に注して「乾は離に舎り、日と同居す」と言い、荀爽が同人に注して「乾は離に舎り、相い与に同居す」と言い、「陰陽の義は日月を配す」に注して「乾は離に舎り、日を配して居り、坤は坎に舎り、月を配して居る」と言う――すでに一に言い再び言したではないか。比卦の取る義は、まさに坎と坤が同位に居るにある。
原者田也。左傳僖二十八年:原田每每。注高平曰原。周禮太卜原兆注:原,原田也。按古皆井田,每每者,井與井相間之形。坤為拆,象原田,故曰原筮。坎為筮,坤為原,原筮猶言野筮也。曲禮云:外事以剛日。鄭注:外事,郊外之事。儀禮士喪禮筮於兆域,兆域在郊外,即原筮也。而干寶因周禮三卜,一曰原兆,即訓原為卜,可謂大謬。
「原」とはすなわち田野である。『左伝』僖公二十八年に「原田毎毎」とあり、注は高くて平らな所を「原」と言う。『周礼』太卜の「原兆」の注は、「原」とはすなわち原田と言う。按するに古は皆井田で、「毎毎」が形容するのは一井と一井と相い間する形である。「坤」に「坼裂」の象あり、田間の界画に象るから「原筮」と言う。「坎」は筮、「坤」は原で、「原筮」は郊野で占筮するに等しい。『礼記・曲礼』は「外事は剛日を以てす」と言い、鄭玄の注は「外事は郊外の事」と言う。『儀礼・士喪礼』は墓地で占筮すと講じ、墓地はまさに郊外にある。それがすなわち「原筮」である。しかし干宝は『周礼』の三卜に一つ「原兆」あるがゆえに、「原」を占卜と訓じた。まことに大謬と言うべきである。
按周禮太卜掌三兆之法:一曰玉兆,二曰瓦兆,三日原兆。注:言龜兆似玉瓦原之璺鏬。然則原者原田,田必有璺鏬,象龜兆之形,故曰原兆,豈以原為卜乎?故原指坤,於訓卜固非。孔穎達謂原為原究,朱子謂原為再,王夫之謂原為本,俞樾謂原為始、為本,益浮泛不切。故夫說易而不求象,未有能當者也。
按するに『周礼』、太卜は三種の亀兆の法を掌る。一を玉兆と曰い、二を瓦兆と曰い、三を原兆と曰う。注は、亀甲の裂紋が玉に似、瓦に似、原田の璺罅に似るを言う。然らば「原」とはまさに原田で、田には必ず璺罅あり、その形が亀兆に類するから「原兆」と言うのであって、どうして「原」を占卜とするのか。ゆえに「原」は坤を指し、占卜と訓ずるのはもとより非である。孔穎達は「原」を推究と言い、朱熹は「原」を再びと言い、王夫之は「原」を根本と言い、兪樾は「原」を始め・本原と言う。いっそう浮泛にして切ならず。ゆえに『易』を説きて象を求めざれば、能く中る者はいない。
元謂九五。永貞者永定也。坤為亂,故曰不寧。方,詩小雅方舟為梁,漢書韓信傳云今井陘之道,車不得方軌,注皆訓方為並。方來,謂下四陰並來歸五也。舊解不求卦象,訓方為將、為四方,皆失之。艮為夫,上六獨居艮後,故曰後夫。下四陰皆承陽,獨上六乘陽不順,故凶。此卦因原象、筮象、夫象失傳,故自漢迄今無得解者。
「元」は九五を指す。「永貞」とは永く安定すること。「坤」に「乱」の象あるがゆえに「寧ならず」と言う。「方」の字は、『詩経・小雅』の「方舟為梁」、『漢書・韓信伝』の「今井陘の道、車は方軌を得ず」、注家は皆「方」を並列と訓ず。「方来」とは、下の四つの陰爻が斉しく来たりて九五に帰附するを言う。旧注は卦象を求めず、「方」を「将に」と訓じ、「四方」と訓ず。皆講じ誤りである。「艮」に「夫」の象あり、上六は独り艮体の後に落ちるから「後の夫」と言う。下の四つの陰爻は皆上に陽爻を承け、独り上六のみ陽爻に乗じて順わざるがゆえに凶。この卦は「原」の象・「筮」の象・「夫」の象が並んで失伝したがゆえに、漢代より今日に至るまで講じ通ずる者がない。
彖曰:比,吉也;比,輔也,下順從也。原筮元永貞無咎,以剛中也。不寧方來,上下應也。後夫凶,其道窮也。上謂五,下謂四陰。上六居卦之極,故曰道窮。象曰:地上有水,比。先王以建萬國,親諸侯。先王謂五。坤為萬國,國必建侯,坤多故曰諸侯。五南面稱尊,撫臨天下,故王者取以為法。親即比也。
『彖伝』は言う。比は吉なり。比とは輔なり、下が従順するなり。原筮、元永貞、咎なきは、以て剛中なり。寧ならざる方来たるは、上下相い応ずるなり。後の夫は凶は、其の道窮まるなり。ここの「上」は九五を指し、「下」は四つの陰爻を指す。上六は全卦の極位に処るから「道窮まる」と言う。『大象伝』は言う。地上に水有るは比、先王は以て万国を建て、諸侯を親しむ。「先王」は九五を指す。「坤」に「万国」の象あり、国を建てば必ず諸侯を分封する。坤は衆多を主るから「諸侯」と言う。九五は南面して尊を称し、天下を撫臨するから、王たる者が取りて法とする。「親」とはすなわち「比」である。
初六:有孚比之,無咎。有孚盈缶,終來有它,吉。坎為孚。五為卦主,故亦孚於初而比之。初失位,本有咎,比五故無咎。坤為缶,初居缶之最下,去五雖遠,然坎雨下注,始於四,以次及初,至初而缶盈矣,故曰有孚盈缶。陽性上升,五升上剝,剝窮上反下,則初陽復矣,故曰來;以其有待,故曰終來。有它謂有應於他方也。大過九四曰有它吝,謂應初也;中孚初九曰有它不燕,謂應四也。此兩卦皆有應而皆不吉者,以得敵為害也,故不安,故吝。此曰有它吉者,以陽來反初,當位有應,故吉。
初六爻辞:孚有りて之に比す、咎なし。孚有りて缶に盈ち、終に来たりて他有り、吉。「坎」に「孚」の象あり。九五は全卦の主だから、亦孚を初六に及ぼして之と親しむ。初六は陰で陽位に居り位を失うから、もともと咎あるべきだが、九五に比するがゆえに咎なし。「坤」に「缶」の象あり、初六は缶の最下に処り、九五に去ること遠いが、坎水は雨のごとく下注して六四より始まり、次いで初六に及び、初六に至れば缶は盈つる。だから「孚有りて缶に盈つ」と言う。陽の性は上昇で、九五が上位に升れば剥卦を成し、剥は上に窮まれば下に反る。然らば初位に陽を得て復を成す。だから「来たる」と言い、その待つ所有るがゆえに「終に来たる」と言う。「他有り」とは、別に他方に応ずる所有るを言う。大過の九四は「他吝有り」と言い、初六に応ずるを指し、中孚の初九は「他あれば燕からざるなり」と言い、六四に応ずるを指す。この両卦は皆応ずる爻ありながら皆吉ならず。同性の敵を得てかえって害を受くるがゆえに安からず、吝惜する。ここで「他有り吉」と言うのは、陽が初位に返り、当位してまた応あるがゆえに吉である。
荀爽以非應釋有它,清易家多從之。豈知大過、中孚皆有應而亦曰有它,則夫有它之不指非應甚明。虞翻謂初動成屯得正故吉,豈知此謂之變,不謂之來,更不得謂之終來。曰終來,固確有所指。且果如虞說,初動之正,乃初爻自變,益不得謂之有它,理甚明矣。虞亦知其說之有鏬,復申曰在內稱來。夫爻在外曰往,在內曰來,如需訟之往來得中、否泰之大小往來皆是;茲曰終來,若僅在內稱來,復何有始終之可言乎?失經旨矣。
荀爽は「応ならざる」で「他有り」を釈し、清の易家は多くこれに従った。彼らは知らざりしことに、大過・中孚の両卦は皆応ずる爻ありながら同様に「他有り」と言う。これで「他有り」が応なきを指さぬことは明白である。虞翻は初六が変動して屯を成し正を得るから吉と言うが、それは「変」と謂うべきで「来」と謂わず、まして「終に来たる」とは謂えない。「終に来たる」と言う以上、必ず確たる指す所有るはずである。しかも果たして虞説のごとく初爻が変じて正を得れば、それは初爻自身の変であって、いっそう「他有り」とは謂えぬ。理は明白である。虞翻もまた自らの説に罅あるを察して、復た申して「内に在れば来と称す」と言う。しかし爻が外卦に在れば「往」と曰い、内卦に在れば「来」と曰う。需・訟の「往来得中」・否・泰の「大往小来」は皆このようである。ここで「終に来たる」と言うに、もし単に内卦に在れば来と称すならば、また何の始終の言う可きがあろうか。経の本旨を失した。
它古蛇字。易林以坤為它,損之比云:大它當路,使季畏懼。以比下坤為它,不讀為誰他之他。繫辭云:龍它之蟄,以存身也。龍為乾,它為坤,言蟄於戍亥也,林所本也。而巽亦為蛇,故大過九四、中孚初九亦曰有它,後儒頗有用焦說者,又一義也。象曰:比之初六,有它吉也。
「它」は古の「蛇」の字。『焦氏易林』は坤を以て「它」とす。『損之比』は「大它路に当たり、季をして畏懼せしむ」と言い、まさに比卦下体の坤を以て蛇とし、「誰他」の「他」とは読まない。『繋辞』は「龍蛇の蟄は、以て身を存す」と言い、「龍」は乾を指し「蛇」は坤を指し、戌亥の位に蟄伏するを講ずる。『易林』はこれに本づく。そして「巽」にも「蛇」の象あるがゆえに、大過の九四・中孚の初九もまた「他有り」と言う。後代の学者は焦延壽のこの説を採用する者がすこぶるある。これはまた一つの義である。『小象伝』は言う。比の初六は、他有りて吉なり。
六二:比之自內,貞吉。二應五,故曰自內,言自內比五也。二當位中正,故曰貞吉。象曰:比之自內,不自失也。言自內比五,不敢安逸也。失通佚,諸家作得失詁,非。六三:比之匪人。虞氏逸象乾為人。六三不當位無應,承乘皆陰,行失類,故曰比之匪人,言不得陽也。象曰:比之匪人,不亦傷乎。三獨失實,故可傷。
六二爻辞:内より之に比す、貞吉。六二は上に九五に応ずるから「内より」と言い、内卦より九五に比するを講ずる。六二は陰で陰位に居り当位して中に居り正を得るから「貞吉」と言う。『小象伝』は「内より之に比すは、自ら失(佚)せざるなり」と言い、内卦より九五に比して、自ら安逸を求めるを敢えてせぬを講ずる――「失」と「佚」は通ず。諸家は得失の「失」と解するが、誤り。六三爻辞:之に比するに人に非ず。虞翻の伝えた逸象は「乾」を「人」とする。六三は陰で陽位に居り当位せず、上に応なく、承ける六四・乗ずる六二もまた陰爻で、行きて類を失う。だから「之に比するに人に非ず」と言い、陽を得ざるを言う。『小象伝』は「之に比するに人に非ず、亦傷まざらんか」と言う。六三は独り陽爻の充実を得ざるがゆえに傷むべし。
六四:外比之,貞吉。四承五,外比即從上。貞吉者,卜問則吉也。象曰:外比於賢,以從上也。陽為賢,指五。九五:顯比,王用三驅,失前禽,邑人不誡,吉。九五伏離,當陽得位,嚮明而治,故曰顯比。王謂五。三驅,獵禮也。漢書五行志:田狩有三驅之制。注:三驅之禮,一為乾豆,二為賓客,三為君庖。又晉書五行志:登車有三驅之制。又劉聰傳:校獵上林,將軍負戟前導,行三驅之禮。艮數三,故曰三驅。前禽謂下四陰,上為後,故知前為下。失逸古通,逸前禽者,喻人皆來比,無所誅殺,任其逸也。坤為邑。不誡謂王師寬大,所至之邑,百姓仍安居樂業,人人親附,不驚誡也。說文誡,敕也;廣韻言警也。左傳桓十一年:鄖人軍其郊,必不誡。言無備虞也。
六四爻辞:外より之に比す、貞吉。六四は上に九五を承け、「外比」とはすなわち上に従うこと。「貞吉」とは卜問すれば吉を言う。『小象伝』は「外より賢に比するは、以て上に従うなり」と言い、陽爻を賢とし九五を指す。九五爻辞:顯やかに比す。王は三駆の礼を用い、前禽を失(逸)い、邑人誡めず、吉。九五の下に離体を伏し、また陽で陽位に居り当位して尊く、明に向いて治むるから「顯比」と言う。「王」は九五を指す。「三駆」とは田猟の礼である。『漢書・五行志』は田狩に三駆の制有りと言い、注は三駆の獲は一は祭祀の乾豆、二は賓客の饗応、三は君王の庖厨に供すると言う。『晋書・五行志』も登車に三駆の制有りと言い、『劉聡載記』は上林苑で校猟し、将軍が戟を負いて前導し、三駆の礼を行ったと言う。「艮」の卦数は三だから「三駆」と言う。「前禽」は下の四つの陰爻を指し、上六は後に在るから、「前」の指すは下であることが分かる。「失」と「逸」は古く通じ、「前禽を逸す」とは衆人が皆来たりて比するを喩え、誅殺する要なく、その逸するを任すを言う。「坤」に「邑」の象あり。「誡めず」とは王者の師が寛大で、到る所の邑の百姓はなお安く居り業を楽しみ、人々親附して、驚誡する要なきを言う。『説文』は「誡とは敕なり」と言い、『広韻』は言を以て警めると言う。『左伝』桓公十一年に「鄖人、其の郊に軍す。必ず誡めざらん」とあり、まさに戒備なきを言う。
象曰:顯比之吉,位正中也;舍逆取順,失前禽也;邑人不誡,上使中也。九五中正,故顯。逆,迎也,下四陰皆逆我者也,逆而來歸,理應舍之,故曰逸前禽,如紂師之倒戈歸周是也。王注禽順行背我而走者,則射而取之。按順行與我同向,同向即背我,上六是也,故取之。此四字只王注得解。虞翻謂舍逆指上六,前禽指初,豈知後夫如得舍,尚何云凶?初有孚盈缶,即孚於五,又安得獨不及初?而後儒皆從之,異已。上使中者,言五所遣師徒合乎中道,故無過舉,得不誡也。
『小象伝』は言う。「顯比の吉は、位正中に在るなり。逆を舎て順を取るは、前禽を逸すなり。邑人誡めざるは、上の使うこと中なり。」九五は中にして正だから「顯」。「逆」とは迎えて来ること。下の四つの陰爻は皆我を迎えて来る者で、迎えて帰附する以上、理によりて之を舎つべし。だから「前禽を逸す」と言い、商紂の軍が戈を倒して周に帰ったがごときである。王弼の注は「順行するは我に背いて走る者で、則ち射て之を取る」と言う。按するに順行は我と同じ向きで、同向はすなわち我に背くことで、上六がまさにこれである。だから之を取る。「逆を舎て順を取る」の四字は、ただ王弼の注のみ講じ通じた。虞翻は「逆を舎つ」は上六を指し、「前禽」は初六を指すと言うが、「後の夫」がもし舎たれ得れば、なお何の「凶」があろうか。初六は「孚有りて缶に盈つ」とすでに九五に孚しているのに、どうして独り初六に及ばぬことがあろう。しかるに後儒は皆虞翻に従う。異なことである。「上の使うこと中」とは、九五の遣わす師徒が中道に合するを言い、だから過挙なく、誡めずに済むを得る。
唐郭京舉正,稱得輔嗣真本,以舍逆取順在失前禽下。朱芹引李清植曰:考象傳,屢以禽與東部字韻,屯三爻禽與窮韻,恆四爻禽與容韻,此又與中韻,郭京所改,顯失易韻。今按詩小雅呦呦鹿鳴,食野之芩,韻與此同。焦氏易林用韻如此者尤多,而履之夬以禽與功韻,與象傳尤符,蓋古音原如此。今晉人讀禽為輕,正與古音合。郭京所稱輔嗣本,無論真偽,不可從也。
唐の郭京の『周易挙正』は、輔嗣(王弼)の真本を得たと称して、「逆を舎て順を取る」の句を「前禽を逸す」の下に移した。朱芹は李清植を引いて言う。『象伝』を考察すれば、屡々「禽」を以て東部の字と韻を踏む――屯卦の三爻は「禽」と「窮」が韻し、恒卦の四爻は「禽」と「容」が韻し、ここもまた「中」と韻する。郭京のこの改は、明らかに『易』の韻脚を破った。今按ずるに『詩経・小雅』の「呦呦として鹿鳴き、野の芩を食らう」は用韻がこれと同じで、『焦氏易林』でこのように韻する者はなおさら多く、その履之夬は「禽」と「功」で韻して『象伝』と尤も符する。蓋し古音はもともとこうである。今、晋人は「禽」を「軽」と読み、まさに古音と合する。郭京の称する輔嗣本は、真偽を論ぜずとも、従う可からず。
上六:比之無首,凶。坎為首,首謂五也,而五為坎主。上六乘陽,首為所蔽,故曰無首。大過上六曰滅頂凶,既濟上六曰濡其首,與此義同也。而復於此爻更曰反君道,無首即反君道,反君故凶。荀虞皆不知首指五,故說皆不切。清惠士奇更實指曰首指上,謂木一在下為本,一在上為末,末即首,意謂上六為末爻,故為首也,說尤穿鑿。象曰:比之無首,無所終也。道窮故無所終。
上六爻辞:之に比するに首なし。凶。「坎」に「首」の象あり、「首」は九五を指し、九五はまさに坎卦の主爻である。上六は陽爻の上に乗じて「首」を遮蔽するから「首なし」と言う。大過の上六は「頂を滅せば凶」と言い、既済の上六は「其の首を濡らす」と言い、取る義はこれと同じ。しかもこの爻でさらに進んで「君たるの道に反す」と言う。首なしとはすなわち君道に反することで、君道に反するから凶。荀爽・虞翻は皆「首」が九五を指すを知らず、だから説は皆切実でない。清の恵士奇はさらに坐実して「首」は上六を指すと言い、木は一端が下に在って本、一端が上に在って末、末はすなわち首、意は上六が末爻に居るから首と為すと講ずる。説はいっそう穿鑿である。『小象伝』は「之に比するに首なしは、終る所なきなり」と言う。道窮まるがゆえに終る所なし。
小畜卦
小畜。亨。密雲不雨,自我西郊。卦上下皆陽,一陰止於內,故曰小畜。畜,止也。太玄擬之曰斂,雲陽氣大滿於外,微陰小斂於內,是其義也。旁通豫坤為雲,上下皆坤爻,故曰密雲。兌為雨,乃兌雨前遇巽風,為風吹散,雲過日出,故不雨也。兌為西,伏坤為我,乾為郊,故曰自我西郊,言密雲起自西郊,過而不留也。舊解多從虞翻,以半坎為雲,既曰半坎,於密義似不合也。人知坎為雲,不知坤亦為雲,易林困之泰云:陰雲四方,日在中央。以泰上坤為雲也。人知坎為雨,不知兌亦為雨,上繫雲潤之以風雨,風謂巽,雨謂兌也。睽上九往遇雨,亦以兌為雨。
小畜卦卦辞:亨る。密雲にして雨せず、我が西郊より来たる。この卦は上下ともに陽爻で、ただ六四の一陰が内に止めるから「小畜」と言い、「畜」とは止めること。揚雄の『太玄』はこの卦を『斂』に擬し、「陽気は外に大いに満ち、微陰は内に小さく斂む」と言う。まさにこの義である。小畜は豫と旁通し、豫の坤に「雲」の象あり、上下ともに坤爻だから「密雲」と言う。「兌」に「雨」の象あるが、兌の雨が前に巽風に遇い、風に吹き散らされ、雲が過ぎて日が出るから雨せず。「兌」は西、伏体の坤は「我」、「乾」は「郊」。だから「我が西郊より」と言い、密雲が西郊より起こりて過ぎ去り留まらぬを言う。旧注は多く虞翻に依り、「半坎」を以て雲とす。半ばの坎と言う以上、「密」の字の義に合わぬようだ。人は坎が雲たるを知るも、坤もまた雲たるを知らず。『易林・困之泰』は「陰雲四方、日中央に在り」と言い、まさに泰卦上体の坤を以て雲とした。人は坎が雨たるを知るも、兌もまた雨たるを知らず。『繋辞上』は「風雨を以て之を潤す」と言い、「風」は巽を指し「雨」は兌を指す。睽卦の上九「往きて雨に遇う」も、兌を以て雨とする。
彖曰:小畜,柔得位而上下應之,曰小畜。健而巽,剛中而志行,乃亨。密雲不雨,尚往也;自我西郊,施未行也。雲下降方為雨,尚往者,言雲氣為風所吹,散而往上,故不能雨。又離火上炎,將密雲沖散,不能下落為雨,故膏澤未施也。上往純對下施言。象曰:風行天上,小畜。君子以懿文德。懿,美也。乾為德,離明,故曰文德。離明照天下,巽風散佈四方,故曰懿文德。
『彖伝』は言う。小畜は、柔が其の位を得て上下之に応ずるを曰う、小畜なり。健にして巽、剛中にして志行く、乃ち亨る。密雲にして雨せずは、尚お往くなり。我が西郊よりなるは、施して未だ行われざるなり。雲は下降して初めて雨となる。「尚お往く」とは、雲気が風に吹かれて散じ上に往くから、雨と成る能わざるを言う。また二より四に互体して離を成し、離火は上に燃えて密雲を衝散し、雲は下って雨と化す能わず。だから膏沢が未だ施布せぬ。「上に往く」とはまさに「下に施す」と相対して言うのである。『大象伝』は言う。風が天上に行くは小畜、君子は以て文徳を懿(うるわ)しくす。「懿」とは美である。「乾」に「徳」の象あり、「離」は文明。だから「文徳」と言う。離の明は天下を照らし、巽の風は四方に散布するから「文徳を懿しくす」と言う。
初九:復自道,何其咎,吉。復,來也。初為陽本位,陽來初,故曰復;來初當位,故曰復自道,乾為道也。初前臨重陽,行難,宜有咎,然當位有應,遁世無悶,故無咎也。象曰:復自道,其義吉也。義者宜也,言行誼如此,宜其吉也。
初九爻辞:自らの道より復り、何の咎あらん、吉。「復」とは来ること。初位はもともと陽爻の本位で、陽が初位に来るから「復」と言い、初位に来て当位するから「自らの道より復る」と言う。「乾」に「道」の象あり。初九の前には九二・九三の両陽が連なり、同性は行き難く、咎あるべきだが、当位して六四と応ずるから、乾卦初九のごとく世を遁れて悶えぬがごとくでき、咎なし。『小象伝』は「自らの道より復るは、其の義吉なり」と言う。「義」とはすなわち宜で、行いの道義がかくのごとくあれば、吉たるべきを言う。
九二:牽復吉。復,來也。伏艮手,故曰牽復。玉篇云:牽,速也。禮學記君子之教喻也,道而不牽;姤九三象云其行次且,行未牽也:皆訓奉為速。牽復者,速來也,言來居二得中也。若作陽復解,則九二失位,何復之有?又按九二失位無應,承乘皆陽,本不吉,茲曰吉者,徒以得中也。象曰:牽復在中,亦不自失也。二雖不當位而在中,故吉。清儒多從虞翻,以五牽二,令二變陰應五為說。若然,則各卦非先變既濟不能說也,惑亂後學,莫此為甚。失佚古通,速復故曰不自佚,言不自安逸也。
九二爻辞:牽れて復る、吉。「復」とは来ること。下卦の乾は艮を伏し、「艮」は手で、手は牽く能う。だから「牽れて復る」と言う。『玉篇』は「牽とは速なり」と言う。『礼記・学記』は君子の教喩を講じて「道ひて牽かず」と言い、垢卦九三の『小象』は「其の行次且たり、行きて未だ牽かざるなり」と言う。これらの「牽」の字は皆速と訓ず。「牽れて復る」とはすなわち速やかに来ることで、陽が来て二位に居りて中を得るを指す。もし陽気の来復と釈すれば、九二は陽で陰位に居りてもともと位を失うのに、何の復あろうか。また九二は位を失い応もなく、承け乗ずるともに陽爻で、もともと不吉なれど、ここで吉と言うのは、ただ中位を得るがゆえである。『小象伝』は「牽れて復りて中に在れば、亦自ら失(佚)せざるなり」と言う。九二は当位せざると雖も中に在るから吉。清の学者は多く虞翻に従い、九五が九二を牽き、九二をして陰爻に変じて九五に応ぜしめたと説く。もし然らば、各卦は先ず既済に変ぜねば説き得ぬことになり、後学を惑乱するはこれより甚だしきはない。「失」と「佚」は古く通じ、速やかに来るがゆえに「自ら佚せず」と言い、自ら安逸を貪らぬを講ずる。
九三:輿說輹,夫妻反目。輹正義作輻,而馬融以為車下縛,鄭玄訓為伏兔,則皆作輹,茲從馬鄭。伏坤為輿,伏震為輹。輹者輿所恃以行,乃輿在內而輹在外,則輿脫輹矣。乾為夫,坤為妻,巽得坤之初爻,故亦為妻。巽為白眼,卦二至上正反巽,白眼與白眼相反,是反目也。三上無應,下乘重陽,故有是象。震輹象失傳。左傳僖十五年筮遇歸妹之睽,曰車脫其輹。夫歸妹之睽,即震變離,震變離則震象毀,故曰車脫其輹。輹,伏兔,上承車箱,下軛車軸,子夏傳、釋名皆以輹為車屐,因在箱下有若履然,故左傳以震為輹。屐,震象也。虞氏改作腹,非也。象曰:夫妻反目,不能正室也。坎為室,坎伏不見,故曰不能正室,言夫無如妻何也。
九三爻辞:輿は輹を説(脱)し、夫妻反目す。「輹」の字は『周易正義』本は「輻」と作るが、馬融は車下の縛と解し、鄭玄は「伏兎」と訓す。両家ともに「輹」と作る。ここは馬・鄭に従う。下卦の乾は坤を伏し、「坤」に「輿」の象あり、伏する震に「輹」の象あり。「輹」とは輿の恃みて行く所の部件で、今、輿は内に在りて輹は外に在れば、輿は輹を脱したことになる。「乾」は夫、「坤」は妻、巽は坤の初爻を取って成るから、巽もまた妻である。「巽」に「白眼」の象あり、この卦は二爻より上爻に正しく見れば巽、倒して見ればも巽で、白眼と白眼とが相い反する。これが「反目」である。九三と上九はともに陽爻で応を成さず、下はまた初九・九二の両陽に乗る。だからこのような象がある。「震は輹」の象はすでに失伝した。『左伝』僖公十五年に筮して帰妹之睽に遇い、占辞に「車、其の輹を脱す」とある――帰妹が睽に変ずるはまさに下体の震が離に変ずるので、震が一変すれば震象は毀れる。だから「車、其の輹を脱す」と言う。「輹」とはすなわち伏兎で、上は車箱を承け、下は車軸を軛する。『子夏易伝』と『釈名』はともに「輹」を車の木屐に比す。車箱の下に在りて履のごときがゆえに、『左伝』は震を以て輹とする――木屐はもともと震象である。虞翻は「輹」を改めて「腹」と作るが、誤りである。『小象伝』は「夫妻反目するは、室を正しくする能わざるなり」と言う。「坎」に「室」の象あり、この卦の坎は伏して見えざるから「室を正しくする能わず」と言い、夫が妻をどうすることもできないを言う。
六四:有孚,血去惕出,無咎。四卦主,五陽孚之,故曰有孚。釋文血馬云當作恤,憂也,是馬以血為恤之省文,而荀爽、王弼等直讀為血,非也。坎為恤為惕,乃坎伏不見,故曰恤去惕出,言不憂懼也。四當位有應,上承重陽,故無咎。象日:有孚惕出,上合志也。上謂五上,五上皆陽,四承之,陰遇陽得類,故曰合志,此與升初六之上合志義同也。巽為志,易林姤之小過心志不親,小過中爻正反巽,故心志不親;又蒙之升成子得志,亦以升下巽為志。蓋心志在內,而巽為伏,故巽為志。
六四爻辞:孚有りて、恤(血)去り惕出づ、咎なし。六四は全卦の主で、五つの陽爻が皆これに孚するから「孚有り」と言う。『経典釈文』は「血」を馬融が「恤」(憂なり)と作るべきと言うとあり、馬融が「血」を「恤」の省筆の字と見たことが分かる。荀爽・王弼らは直ちに血と読んだが、誤りである。「坎」に「恤」の象・「惕」の象あるが、この卦の坎は伏して見えず。だから「恤去り惕出づ」と言い、もはや憂懼せぬを言う。六四は陰で陰位に居りて当位し、下は初九と応じ、上は九五・上九の両陽を承ける。だから咎なし。『小象伝』(源本はここ「曰」を「日」と誤る)は「孚有り惕出づは、上と志を合すなり」と言う。「上」は九五と上九を指し、二爻ともに陽で、六四はこれらを承奉する。陰が陽に遇えば其の配類を得るから「志を合す」と言う。升卦初六の「上合志」と用法同じ。「巽」に「志」の象あり。『易林・垢之小過』は「心志親しまず」と言い、小過の中爻は正反ともに巽を成すから心志親しまずと言う。また『蒙之升』は「成子志を得」と言い、これも升卦下体の巽を以て志とする。蓋し心志は内に蔵れ、巽は潜伏を主る。だから巽は志と為る。
九五:有孚攣如,富以其鄰。孚謂孚於四。四卦主,陽喜陰,故下三陽亦孚於四。攣,引也,牽也,言陽皆孚四,有若牽引連接也。九家謂五孚下三爻,虞翻強命二變謂五孚二,並非,陽於陽不孚也。五天子位,巽為利,五乘之,故富。伏震為鄰,富以其鄰,言五之所以富,以鄰於四也。九家謂五以四陰作財,與下三陽共之,故曰不獨富,深得經旨。象曰:有孚攣如,不獨富也。不獨義見前。
九五爻辞:孚有りて攣如(つながりて)なり、其の鄰を以て富む。ここの「孚」とは六四に孚するを指す。六四は全卦の主で、陽は陰を喜ぶ。だから下の三陽爻も皆六四に孚する。「攣」とは牽引・牽連で、衆陽が皆六四に孚して、牽引され連接するがごときを言う。『九家易』は九五が下の三爻に孚すると言い、虞翻は強いて九二に変を命じて九五が九二に孚すると言う。皆非なり。陽と陽とは相い孚せぬ。五は天子の位で、上体の巽に「利」の象あり、九五は巽の上に乗るから富む。伏体の震に「鄰」の象あり。「其の鄰を以て富む」とは、九五の富む所以が六四に鄰接するにあるを言う。『九家易』は九五が六四の一陰を財として下の三陽と共に分かつと言う。だから「独り富まず」と言う。経の本旨を深く得ている。『小象伝』は「孚有りて攣如は、独り富まざるなり」と言う。「独り」の義は前文を見よ。
上九:既雨既處,尚德載,婦貞厲,月幾望,君子征凶。雲上往,至上九而極。兌為雨,兌覆向下,是雨已下施也,故曰既雨。既,已也。詩召南江有汜,其後也處,毛傳:處,止也。既處者,言雨已止也。德者雨澤也,尚德載,言雨澤下降,乾旋坤受,地得載其德澤也。巽為婦,柔之為道不利遠,高處在上,非婦德所宜,故婦貞得此爻者厲也。兌為月,互離為日,月西日東相望。幾,孟荀作既,孟云即望十六日也。納甲法,十五日夜乾象,月盈甲;十六日平明巽象,月退辛。上九處巽之終,正既望也。既望則陽將消,又三無應,故征凶。
上九爻辞:すでに雨ふり、すでに処(や)み、徳を尚びて載す。婦は貞にて厲、月は望に幾し、君子は征けば凶。雲気は上に往きて上九に至って極まる。「兌」に「雨」の象あり、兌が覆りて口が下を向けば、雨がすでに下に施されたことになる。だから「既に雨ふり」と言う。「既」とは已にの意。『詩経・召南・江有汜』に「其の後や処らん」とあり、毛伝は「処とは止なり」と訓ず。「既に処り」とは、雨がすでに止んだを言う。「徳」とは雨沢で、「徳を尚びて載す」とは、雨沢が下降して、乾が回転し坤が受け、大地が其の徳沢を載せ得るを言う。「巽」に「婦」の象あり。柔弱の道は遠く行くに利あらず。上九は高く上に踞り、婦徳の宜しき所に非ず。だから婦人が占問してこの爻を得れば危うい。「兌」は月、二より四に互体して離を成すは日で、月は西・日は東に相い望む。「幾」の字は孟喜・荀爽本は「既」と作り、孟喜はすなわち十六日の既望と言う。納甲の法では、十五日の夜は乾象に配して月は盈ちて甲を納れ、十六日の平明は巽象に配して月は退きて辛を納れる。上九は巽体の終りに処り、まさに既望の時である。既望の後は陽気が将に消えんとし、しかも九三と同性の陽で応なし。だから征けば凶である。
自兌月象失傳,小畜、歸妹、中孚之月幾望,舊解皆以坎為月。豈知易之言月,十九皆謂兌,說卦象與經所用象不盡同也。易林復之臨云:月出平地。以臨上坤為地,下兌為月也。又家人之小畜云:杲杲白日,為月所食。以小畜互離為日,兌為月,兌月侵入離體之半,故曰為月所食。兌月象,後惟邵子知之,而清易家皆不信,豈知邵子所用,與易林合,與易合哉。象曰:既雨既處,德積載也;君子征凶,有所疑也。吳先生曰:古得德同字,德積載,即雨澤得為大地所載也。巽為疑,下無應,陽遇陽,故疑。
「兌は月」の逸象が失伝してから、小畜・帰妹・中孚の三カ所の「月望に幾し」は、旧注は皆坎を以て月とした。彼らは知らざりしことに、『周易』が月を言うのは十中八九は兌を指し、『説卦』の載せる象と経文が実際に用いる象はもともと尽く同じではない。『易林・復之臨』は「月平地に出づ」と言い、臨卦の上体坤を以て地・下体兌を以て月とし、『家人之小畜』は「杲杲たる白日、月に食わる」と言い、小畜の互体離を以て日・兌を以て月とし、兌月が離体の半ばに侵入するがゆえに月に食わると言う。「兌は月」の象を、後世はただ邵雍のみが知り、清の易家は皆信じようとしない。彼らは思いもよらざりしことに、邵雍の用いた所はまさに『易林』と合し、『周易』とも合するのである。『小象伝』は言う。「すでに雨ふりすでに処るは、徳積みて載するなり。君子征けば凶は、疑う所有るなり。」呉先生(呉汝綸)は言う。古は「得」「徳」同じ字で、「徳積みて載す」とはすなわち雨沢が大地に載せられ得ること。「巽」に「疑」の象あり、上九は下に応ずる爻なく、遇う九三はまた同性の陽。だから疑いを生ずる。
履卦
履虎尾,不咥人,亨。爾雅釋言:履者禮也。故太玄即擬為禮。禮莫大於辯上下、定尊卑,卦上天下澤,尊卑判然,人之行履莫大於是,故曰履。乾為虎,四虎尾,兌在乾後,故曰履虎尾。履,躡也,言三躡乾後也。乾為人,兌口為咥,人在外故不受咥。彖傳曰柔履剛,言三步乾剛之後也。荀爽謂三履二,祇以下卦為說。豈知卦名皆合上下卦取義,無取一卦者。且三履二是柔乘剛,與卦義正相背,非也。
履卦卦辞:虎の尾を履むも、人を咥(か)まず。亨る。『爾雅・釈言』は「履とは礼なり」と言う。だから『太玄』はこれを『礼』に擬す。礼は上下を辨え尊卑を定めるより大なるはなく、この卦は上が天・下が沢で、尊卑が判然として明らかであり、人の行履はこれより大なるはない。だから「履」と言う。「乾」に「虎」の象あり、九四は虎尾で、下体の兌は乾の後に随う。だから「虎の尾を履む」と言う。「履」とは蹑むことで、六三が乾の後を蹑むを言う。「乾」にまた「人」の象あり、「兌」は口で口は咥む能うも、人は外卦に在るから咥われず。『彖伝』が「柔、剛を履む」と言うのは、六三が乾剛の後に歩くを講ずる。荀爽は六三が九二を履むと言うが、それは下卦のみに就いて立論したもの。彼は知らざりしことに、卦名は皆上下両卦を合せて義を取るもので、一卦のみを取るものはない。しかも六三が九二を履むは柔が剛に乗ずることで、卦義と正に相反する。講じ通らない。
彖曰:履,柔履剛也。說而應乎乾,是以履虎尾,不咥人,亨。剛中正,履帝位而不疚,光明也。說而應乎乾,謂三應上也。五下履巽,男為病宜有疚,疚即病也,然而不疚者,以五履帝位而中正也。互離為日故光明。人知坎為病,不知巽亦為病,故說疚象無有合者。豈知巽為隕落,當然亦為病。易林巽之鼎云:病傷不治。以鼎下巽為病。兌之蠱云:瘡痍多病。以蠱上艮為瘡痍,下巽為病也。由易林推之易,遁九三云有疾厲,豐六二云往得疑疾,易原以巽為疾病,故易林本之也。(集解荀注多利貞二字,兌秋乾冬正合,然他本皆無。)
『彖伝』は言う。履とは柔が剛を履むなり。説(よろこ)びて乾に応ず。是を以て虎の尾を履むも人を咥まず、亨る。剛にして中正、帝位を履みて疚(うれ)えず、光明なり。「説びて乾に応ず」とは、六三が上九に応ずるを指す。九五は下に互体の巽を履み、巽は病の象あるがゆえに疚あるべき。「疚」とはすなわち病である。然るに疚えぬのは、九五が帝位を履みてまた中正だからである。三より五に互体して離を成すは日。だから「光明」と言う。人は坎が病たるを知るも、巽もまた病たるを知らず。だから「疚」の象を説きて合する者がない。彼らは知らざりしことに、「巽」に「隕落」の象あり、自然とまた病ともなる。『易林・巽之鼎』は「病傷治らず」と言い、鼎卦下体の巽を以て病とし、『兌之蠱』は「瘡痍病多し」と言い、蠱卦上体の艮を以て瘡痍・下体の巽を以て病とする。『易林』より『周易』に推すに、遯卦九三は「疾あれば厲なり」と言い、豊卦六二は「往きて疑疾を得」と言う。『周易』はもともと巽を以て疾病としていたことが分かり、『易林』はまさにこれを承襲したのである。(『周易集解』の引く荀爽の注には「利貞」の二字が多い。兌は秋・乾は冬に属して正しく合するが、他本は皆なし。)
象曰:上天下澤,履。君子以辨上下,定民志。謙坤為民為志,艮止為定。民志之所以不定者,以不知上下也。上天下澤,尊卑顯然,故君子法之以定民志,周公制禮是其事也。初九:素履,往無咎。四無應,二陽,陽遇陽得敵,宜有咎,然而無咎者,以能素位而行也,故曰素履,言屏去浮華,安常蹈素,循分自守也。能如此,故往無咎。象曰:素履之往,獨行願也。得敵無應,故曰獨行;甘於獨行,故無咎也。先儒於同性相違之義知者鮮,故獨行之故無有詳者。
『大象伝』は言う。上は天・下は沢は履、君子は以て上下を辨え、民の志を定む。履は謙と旁通し、謙卦の坤に「民」の象・「志」の象あり、艮は静止を主るから「定」となる。民の志の定まらざる所以は、上下を知らざるがゆえである。上は天・下は沢で尊卑が顕然と明らかだから、君子はこれに法って民志を定める。周公が礼を制したのがまさにこの事である。初九爻辞:素(もと)のままに履み、往けば咎なし。初九と九四はともに陽爻で応を成さず、上はまた九二の陽で、陽が陽に遇えば敵を成して咎あるべきだが、咎なきは、其の素位に安んじて行う能うがゆえである。だから「素履」と言い、浮華を屏去し、常道に安んじ素朴を践み、本分を循りて自ら守るを言う。かくのごとく能けば、だから往けば咎なし。『小象伝』は「素履の往くは、独り願いを行うなり」と言う。敵を得て応なし、だから「独り行く」と言い、独り行くに甘んずるから咎なし。先儒で「同性は相い違す」の義理を知る者は稀だから、「独り行く」の所以を詳しく講じた者はいない。
九二:履道坦坦,幽人貞吉。伏艮為道路,比陰得中,故坦坦。坦坦者寬平也。兌為昧無應,故曰幽人。居中故貞吉。象曰:幽人貞吉,中不自亂也。象多釋貞為正,此以不亂釋貞,明貞有正定二義也。
九二爻辞:履む道は坦坦たり、幽人は貞にて吉。下卦の兌は艮を伏し、「艮」に「道路」の象あり。九二は六三の陰に比しまた下卦の中に居るから「坦坦」と言う。「坦坦」とはすなわち寛広平らかである。「兌」に昏昧の象あり、九二は上に応ずる爻なし。だから「幽人」と称す。中に居るから「貞吉」。『小象伝』は「幽人貞吉は、中にして自ら乱れざるなり」と言う。『象伝』は多く「貞」を「正」と釈するが、ここでは「乱れず」を以て「貞」を釈す。「貞」に「正」と「定」の二つの義の兼ねるあるが明らかである。
六三:眇能視,跛能履,履虎尾,咥人凶,武人為于大君。說文:眇,一目小也。兌為小,離目,故曰眇能視。震為履,二三半震,故曰跛能履。眇而視,跛而履,皆力不足而不止之象,故象曰不足以有明、不足以與行也。三正在乾虎後故曰履虎尾。彖言不咥,此言咥者,蓋以上下卦言,乾虎在外,兌在後,故不咥;而以爻言,四虎尾,上虎首,三應在上,上必來三,虎首回噬,故三獨受咥而凶也。
六三爻辞:眇(すがめ)にして能く視、跛(あしなえ)にして能く履む。虎の尾を履めば、人を咥む。凶。武人、大君に為す。『説文』は「眇とは一目小なり」と言う。「兌」は小、三より五に互体して離を成すは目。だから「眇にして能く視」と言う。「震」に「履」の象あり、二・三の両爻は半ば震の形を成すにすぎず、半分の震だから「跛にして能く履む」と言う。眼が半ば盲いても視、脚が跛んでも履むは、皆力足らずして止まらざるの形象である。だから『小象伝』は「以て明有るに足らず」「以て行に与るに足らず」と言う。六三はまさに乾虎の後に在るから「虎の尾を履む」と言う。『彖伝』は咥まずと言い、ここでは咥むと言う。その故は、『彖』は上下両卦に就いて立論する――乾虎は外卦に在り、兌はその後に在るから咥まず。しかし爻辞は爻位に就いて立論する――九四は虎尾、上九は虎頭、六三の応ずる所は上九に在り、上九は必ず来たりて六三に就く。虎頭が回りて噬い戻るから、独り六三だけが咥われて凶となる。
伏震為武人,乾為大君,三承乾,故曰武人為于大君,言武人忠於大君。陰順陽,代終事,與訟三之從王事同。象釋曰志剛,剛即謂大君,志剛即釋為義也。虞翻謂三失位,變得正成乾,直以武人變為大君,失之。近師俞蔭甫謂此與坤、訟六三之或從王事同義,略露曙光,特又以三升乾上釋為字仍誤也。震武之象,國語重耳筮遇貞屯悔豫,皆有震,曰車有震武。武,足跡也。震健,故震為武,易林本之,遇震即言武,於是履及巽之武人,象始大明。
下卦の兌の伏する震に「武人」の象あり、「乾」に「大君」の象あり。六三は上に乾体を承けるから「武人、大君に為す」と言い、武人が大君に忠効するを講ずる。陰は陽に順い、陽に代わりて事を終える。訟卦六三の「或いは王事に従う」と義同じ。『小象伝』は「志剛なり」を以て釈とし、「剛」はすなわち大君を指し、「志剛」はまさにあの「為(つく)す」の字を釈する。虞翻は六三は位を失い、変じて正を得れば乾を成すと言い、直ちに武人が大君に変ずるに等しい。講じ誤りである。近師の兪蔭甫(兪樾)はこの句が坤・訟の六三の「或いは王事に従う」と義同じと言い、曙光を略ば漏らしたが、惜しむらくはまた六三が乾上に升るを以て「為」の字を釈し、なお誤りである。「震は武」の象は『国語』に見える。晋公子重耳が占筮して「貞屯悔豫」を得、両卦ともに震を含み、占辞に「車に震武有り」と言う。「武」とは足迹で、震の性は剛健だから震は武と為る。『焦氏易林』はこの例を承襲し、震に遇えば即座に「武」と言う。そこで履卦および巽卦の「武人」の取象が初めて大いに明らかになった。底本はこの段の後すぐに巻四の泰卦に接す。履卦の九四「虎の尾を履み、愬愬(ソクソク)として終に吉」、九五「夬履、貞にて厲」、上九「履を視て祥を考う、其の旋(かえ)り元吉」の三爻の爻辞・『小象』および尚氏の注文が、一片となって脱けている。今は底本の実収する所に依り、通行本に拠って代わりに補わない。
『周易尚氏学』巻四 上経
泰卦
泰。小往大來,吉,亨。陽性上升,陰性下降,乃陰在上,陽在下,故其氣相接相交而為泰。泰,通也。陽大陰小,爻在外曰往,在內曰來,故曰小往大來。泰寅月卦,陽長故亨。彖曰:泰,小往大來吉亨,則是天地交而萬物通也,上下交而其志同也。內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人,君子道長,小人道消也。陽上升,陰下降,故氣交。坤為萬物,為心志,交則萬物氣通,心志和合,故曰同。坤志象失傳,易林屯之益云:心勞且憂。益互坤,以坤為心。又需之否云:毛羽憔悴,志如死灰。以否下坤為志為死。(詳焦氏易詁易象補遺)內陽外陰,內健外順,內君子外小人,將老氏宗旨括盡無餘。乾為君子,坤為小人。泰本候卦,陽長故陰消。
泰卦卦辞:小往き大来たり、吉、亨。陽の性は上昇し、陰の性は下降するのに、この卦は偏に陰が上・陽が下にある。だから二気が相い迎え相い交じて泰を成す。「泰」とはすなわち通である。陽は大・陰は小で、爻が外卦に在れば「往」と曰い、内卦に在れば「来」と曰う。だから「小往き大来たる」と言う。泰は寅月に配する候卦で、陽気がまさに長ずる中にあるから亨る。『彖伝』は言う。「泰、小往き大来たりて吉亨」とは、則ち天地交りて万物通ずるなり、上下交りて其の志同じなり。内は陽にして外は陰、内は健にして外は順、内は君子にして外は小人、君子の道長じ小人の道消ゆるなり。陽は上昇し陰は下降するから二気は交る。「坤」に「万物」の象・「心志」の象あり、交れば万物の気が通貫し心志が和洽する。だから「同」と言う。「坤は志」の象はすでに失伝した。『易林・屯之益』は「心労わり且つ憂う」と言い、益卦に互体の坤あり、まさに坤を以て心とし、『需之否』は「毛羽憔悴し、志死灰のごとし」と言い、否卦下体の坤を以て志・死とする(詳しくは『焦氏易詁』と『易象補遺』を見よ)。内陽外陰・内健外順・内君子外小人の数句は、老子の宗旨を括り尽くして余すところなし。「乾」に「君子」の象、「坤」に「小人」の象あり。泰はもともと十二消息候卦の一つで、陽長ずれば陰消ゆる。
按上經始乾坤,終水火,而以否泰為樞紐,明否泰剝復皆天地自然之法象、循環之原理,君子所宜居而安也,靜之象也。下經始咸恆,終既未濟,而以損益為樞紐,明吉凶失得、進退變化全在人為,君子所以自強不息也,動之象也。而否泰損益皆序於第十卦後者,數至十則盈,盈則變也。
按するに『周易』の上経は乾坤を以て始め、坎離水火を以て終わり、否泰を以て枢紐とする。否・泰・剥・復が皆天地自然の法象・循環往復の原理であることを明らかにし、君子はこれに安んじ処るべし――これは「静」の面である。下経は咸恒を以て始め、既済・未済を以て終わり、損益を以て枢紐とする。吉凶得失・進退変化が全て人の為す所に在ることを明らかにし、君子が自强不息する所以である――これは「動」の面である。そして否・泰・損・益が皆第十卦の後に序するのは、数が十に至れば盈満し、盈満すれば変ずるからである。
象曰:天地交,泰。后以財成天地之道,輔相天地之宜,以左右民。財裁同,釋文荀作裁,釋言疏財裁音義並同。漢時臣工上疏,裁察每作財察,是其證。財成即裁成也。互震為左,互兌為右,坤為民。以左右民者,孔疏左右助也,以助養其民也。虞翻謂坤富稱財,非。
『大象伝』は言う。天地交わるは泰、后(君)は以て天地の道を財(裁)成し、天地の宜しきを輔相し、以て民を左右する。「財」と「裁」は同じである。『経典釈文』は荀爽本が「裁」と作ると言い、『爾雅・釈言』の疏は「財」「裁」は音義ともに同じと言う。漢代に臣工が上疏するに、「裁察」をしばしば「財察」と作る。これがその証である。「財成」とはすなわち「裁成」。二より四に互体して震を成し、「震」に「左」の象あり。三より五に互体して兌を成し、「兌」に「右」の象あり。「坤」に「民」の象あり。「以て民を左右する」とは、孔穎達の疏に「左右とは助なり」とあり、以て民を助け養うを言う。虞翻は坤が富むから「財」と称すとするが、誤りである。
初九:拔茅茹,以其匯,征吉。初應在四,四坤為茅茹,此象失傳。易林剝之坤云:荻芝俱死。以坤為荻芝。又同人之屯云:蓬蒿代柱,大屋顛倒。屯互艮為屋為柱,互坤為蓬蒿,故坤亦為茅茹。茹,菜屬也,詩鄭風茹藘在阪,前漢食貨志菜茹有畦。茅,說文菅也。茹與茅為二物。以其匯者,言茅與茹同拔,連類以及也。四有應,故征吉。象曰:拔茅征吉,志在外也。初應在四,故曰志在外,外坤為心志。
初九爻辞:茅と茹とを拔く、其の彙(たぐい)を以てす。征けば吉。初九は上に六四と応じ、六四は外卦の坤に属し、「坤」に「茅茹」の象あり。この象はすでに失伝した。『易林・剥之坤』は「荻芝ともに死す」と言い、坤を以て荻芝とし、『同人之屯』は「蓬蒿柱に代わり、大屋顛倒す」と言い、屯卦の互体艮を屋・柱とし、互体坤を蓬蒿とする。これで坤もまた茅茹たることが分かる。「茹」とは菜の属で、『詩経・鄭風』に「茹藘阪に在り」とあり、『前漢書・食貨志』に「菜茹に畦有り」とある。「茅」は『説文』が菅草と解す。これで「茹」と「茅」は二つの物であることが分かる。「其の彙を以てす」とは、茅と茹とがともに拔かれ、同類を連ねて及ぼすを言う。六四は初九と応ずるから、征けば吉である。『小象伝』は「茅を拔きて征けば吉は、志外に在るなり」と言う。初九の応ずる所は六四に在るから心志が外にあると言い、外卦の坤に「心志」の象あり。
九二:苞荒,用馮河,不遐遺,朋亡,得尚于中行。釋文云:荒本亦作巟,說文引同,許雲水廣,虞云大川也。晁氏云:漢易皆作巟,彖辭巟河是一事,象數無田穢之荒,作荒始於王弼。按晁說是也,巟河為對文。王弼蓋以坤為亂,改作荒,豈知坤為水,巟與河皆坤象也。苞今本作包,唐石經增改作苞,釋文亦作苞。二應在五,五坤為大川、為河,言二必上升,有苞括大川、馮涉長河之勢,斷不以其遼遠而不及也。陰以陽為朋,亡,往也,去也。朋往者,言二必往五,得尚居中正之位也。舊詁因坤水象及朋義失傳,故無有得解者。(禮記少儀有亡而無疾,晉語請從此亡,注皆訓為去。)象曰:苞荒,得尚于中行,以光大也。五位尊,故曰光大。
九二爻辞:荒(広大なる水)を苞(つつ)み、河を馮(ふ)して渉り、遐(とお)きを遺(す)てず、朋亡(う)せて、中行の位に尚(あ)ぐを得。『経典釈文』は言う。「荒は本は亦巟と作る、説文の引く所同じ。許(慎)は水の広しと言い、虞(翻)は大川なりと言う。」晁氏(説之)は言う。「漢の易本は皆巟と作る。彖辞の巟と河とはもともと一事で、象数に田の荒穢の荒はなし。荒と作るは王弼より始まる。」按するに晁説は正しい。「巟」と「河」はまさに対文である。王弼は蓋し坤に「乱」の象あるがゆえに改めて「荒」と作ったが、彼は知らざりしことに、坤は水で「巟」も「河」も皆坤象である。「苞」の字は今本は「包」と作り、唐石経は増改して「苞」と作り、『釈文』もまた「苞」と作る。九二は上に六五と応じ、六五は坤に属し、「坤」に「大川」の象・「河」の象あり。これは九二が必ず上昇して、大川を苞挙し長河を徒渉するの勢いあるを言い、決して路途の遼遠なるを以て及ばざることなし。陰は陽を以て朋類とし、「亡」とは往く・去る。「朋亡」とは、九二が必ず六五に往き、中に居り正を守るの位に配するを得るを言う。旧訓は「坤は水」の象および「朋」の字の義が失伝したがゆえに、講じ通じた者がない(『礼記・少儀』の「亡有りて疾なし」、『国語・晋語』の「請うこれより亡かん」は、注は皆「亡」を去と訓す)。『小象伝』は「荒を苞み、中行に尚ぐを得るは、以て光大なり」と言う。五位は尊貴だから「光大」と言う。
九三:無平不陂,無往不復,艱貞無咎,勿恤其孚,于食有福。陂,傾也;復,返也。陽息至三天地分,故曰平。然三居卦終,乾三雲終日乾乾,反復道也,言陽至三而盈,將反初成巽也,故曰無平不陂,無往不復。(巽隕落故傾)平陂往復雖相循環,然三本當位,能艱貞自守,必無咎也。坤為憂恤。(臨六三云既憂之無咎,以坤為憂。易林大壯之損雲使母憂嘆,以損互坤為憂也。詳焦氏易詁。)三臨之孚於群陰,故無恤。兌口為食,坤多故曰于食有福,乾為福也。
九三爻辞:平にして陂(かたむ)かざるなし、往きて復(かえ)らざるなし。艱難に貞しくすれば咎なし。其の孚を恤(うれ)うる勿れ。食に於て福有り。「陂」とは傾きで、「復」とは返ること。陽が息長して第三爻に至れば天地が各々半ばを占めるから「平」と言う。然るに九三は下卦の終りに処り、乾九三は「終日乾乾」と言い、その『小象』は「反復道なり」と言う。これは陽が三爻に至ってすでに盈満し、将に初位に反って巽に変ぜんとするを言い、だから「平にして陂かざるなし、往きて復らざるなし」と言う(巽は隕落を主るから傾きと言う)。平と陂・往と復は循環相因するけれど、九三はもともと当位し、艱難の中に貞を守って自ら持する能くすれば、必ず咎なし。「坤」に「憂恤」の象あり(臨卦の六三は「すでに之を憂えば咎なし」と言い、坤を以て憂とし、『易林・大壮之損』は「母をして憂嘆せしむ」と言い、損卦の互体坤を以て憂とする。詳しくは『焦氏易詁』を見よ)。九三は上の群陰に臨んで彼らの孚を得るから、憂うる要なし。互体の兌は口で、口は飲食を主る。坤は衆多を主るから「食に於て福有り」と言う――「乾」にまた「福」の象あり。
象曰:無往不復,天地際也。廣韻際,邊也,畔也。三應在上,三上居天地之極,極則返始,釋平必陂、往必復之故也。宋衷曰:三位在乾極,應在坤極。以極詁際字,最為明晰。乃惠棟、李道平等解釋宋注,竟從小爾雅謂際者接也,天地際即天地交接也。豈知乾極坤極正釋際義,際若為交接,與無往不復之義何與哉?失宋義矣。其它更無有能得解者。易理之失傳,更甚於易象矣。
『小象伝』は「往きて復らざるなしは、天地の際なり」と言う。『広韻』は「際とは辺なり、畔なり」と言う。九三の応ずる所は上六に在り、九三と上六はそれぞれ乾天と坤地の両端の極に処る。極に至れば始めに返る――これがまさに平が必ず陂に転じ、往が必ず復に転ずる所以を釈する。宋衷は言う。三の位は乾の極に在り、応ずる爻は坤の極に在る。彼は「極」を以て「際」の字を訓し、もっとも明晰である。しかし恵棟・李道平らは宋衷のこの注を解釈するに、ついに『小爾雅』に依って「際」を交接と言い、「天地の際」を天地の交接と講じた。彼らは知らざりしことに、乾極・坤極がまさに「際」の義を釈するのであって、「際」をもし交接と釈すれば、「往きて復らざるなし」の義と何の関わりがあろうか。これで宋衷の原意を失した。その余の各家はなおさら講じ通じる者なし。『易』理の失伝は、『易』象の失伝よりさらに甚だしい。
六四:翩翩,不富,以其鄰不戒以孚。震為飛,故曰翩翩。坤虛,故曰不富。以,與也。震為鄰。以其鄰不戒以孚者,言四及五上皆有應予,下孚於陽也。陰得陽應必吉,故曰不戒以孚。戒,告誡也。震飛之象,易林屢用之,同人之坎云:出於幽谷,飛上喬木。以坎互震為飛也。證之易明夷初九云明夷于飛,易即以震為飛。舊解以離為飛,若泰無離象也。象曰:翩翩不富,皆失實也;不戒以孚,中心願也。坤為心志。(按益九五云有孚惠心,以互坤為心也。否初象云志在君也,以坤為志也。易林以坤為心志,證尤多。舊解皆以坎為心志,自得此象,凡易言心志者,始皆得解。)中心願者,言陰喜應陽也。陽為實,失實,言無陽。
六四爻辞:翩翩(ひらひら)として、富まず。其の鄰を以て戒めずして孚(まこと)あり。「震」に「飛」の象あり、だから「翩翩」と言う。坤は中虚だから「富まず」と言う。「以」とは与(と)・連れることで、「震」にまた「鄰」の象あり。「其の鄰を以て戒めずして孚有り」とは、六四が六五・上六と連れて皆応ずる爻を有して、下に陽爻と相い孚するを言う。陰が陽の応を得れば必ず吉だから「戒めずして孚有り」と言う。「戒」とは告誡である。「震は飛」の象は『焦氏易林』が屡々用いる。『同人之坎』は「幽谷を出でて喬木に飛び上る」と言い、坎卦の互体震を以て飛とする。『周易』を以て印证すれば、明夷の初九は「明夷飛ぶに於てす」と言う。『周易』はもともと震を以て飛としていたことが分かる。旧注は離を以て飛とするが、泰卦には離象がない。『小象伝』は言う。「翩翩として富まざるは、皆実を失せるなり。戒めずして孚有るは、中心の願いなり。」三陰ともに陽の充実を失ったと言い、「坤」に「心志」の象あるから「中心の願い」と言う(按するに益卦の九五は「孚有りて心を恵む」と言い、互体の坤を以て心とし、否卦初六の『小象』は「志君に在るなり」と言い、坤を以て志とする。『易林』が坤を以て心志とする証はなお多し。旧注は皆坎を以て心志としたが、この象を取り戻して以来、およそ『周易』が心志を講ずる所は初めて皆講じ通じた)。「中心の願い」とは、陰が陽と応ずるを喜ぶを言う。陽は「実」で、「実を失せる」とは陽なきを言う。
六五:帝乙歸妹,以祉元吉。震為帝,坤貞乙,故曰帝乙。兌為妹,震為歸,婦人謂嫁曰歸,歸妹謂嫁妹也,正中爻震兌象也。祉,福也。以祉元吉者,言二升五,五來二(來二即歸),各當其位,永為儷耦,故元吉也。象釋曰中以行願,即謂五願歸居二也。帝乙或謂為成湯,或謂為紂父。象曰:以祉元吉,中以行願也。五位尊,故曰元吉。中以行願,即謂五願歸二也。
六五爻辞:帝乙、妹を帰(とつ)がしむ。祉(さいわい)を以て元吉。「震」に「帝」の象あり、坤は納甲の法で「乙」を配するから、合わせて「帝乙」と称す。「兌」に「妹」の象、「震」に「帰」の象あり、女子は嫁ぐを「帰」と言い、「帰妹」とは妹を嫁がせること。まさに中間の爻の互体震・兌の象を取ったのである。「祉」とは福である。「祉を以て元吉」とは、九二が五位に升り、六五が二位に来る(来二はすなわち嫁ぐ)、各々其の位に当たり、永く俪耦を結ぶを言う。だから元吉。『小象伝』は「中を以て願いを行う」を以て釈とし、すなわち六五が下嫁して二位に居るを願うを謂う。「帝乙」は、或る人は商の湯と言い、或る人は紂王の父と言う。『小象伝』は「祉を以て元吉は、中を以て願いを行うなり」と言う。五位は尊貴だから「元吉」と言い、「中を以て願いを行う」とはすなわち六五が九二に下嫁するを願うを言う。
上六:城復于隍,勿用師,自邑告命,貞吝。復覆通,詩陶復陶穴,說文引作覆,是其證。艮為城,兌為隍,城池也。三至上艮覆,正當兌澤,故曰城覆於隍。九家云:城覆於隍,國政崩也。崩即謂艮覆。京房於復卦朋來無咎,朋作崩,與此義同也。又易林歸妹之泰云:傾奪我城,使家不寧。城傾即謂泰三至上艮覆,釋此爻也。坤為師,震為言、為告命,坤陰下降主退,故曰勿用。吳先生曰:邑,挹之省文,挹,損也,言自挹損其告命,如復世之下詔罪己也。貞吝,言卜問不吉,泰極將返否故也。象曰:城復于隍,其命亂也。坤為亂。其命亂者,言泰極返否,為天地自然之命運,無可避免。此命字與告命異,諸家混同之,非。
上六爻辞:城は隍(ほり)に復(たお)る。師を用いる勿れ。邑より命を告ぐ。貞にて吝。「復」と「覆」は通じ、『詩経』の「陶復陶穴」の「復」を『説文』は「覆」と引く。これがその証である。「艮」に「城」の象、「兌」に「隍」の象あり、「隍」とは城を護る干壕である。三爻より上爻に至るは倒れた艮で、正しく下の兌沢に対する。だから「城、隍に復る」と言う。『九家易』は言う。城が隍に覆るは、国政の崩れるなり。「崩」とはまさに艮の傾覆を指す。京房は復卦の「朋来たりて咎なし」の「朋」を「崩」と作り、取る義はこれと同じ。また『易林・帰妹之泰』は「我が城を傾奪し、家をして寧ならざらしむ」と言い、「城傾」とはまさに泰卦の三より上の倒艮を指し、正しくこの爻を釈する。「坤」に「師」の象、「震」に「言」の象・「告命」の象あり。坤は陰に属し、性は下降して退を主るから「用いる勿れ」と言う。呉先生(呉汝綸)は言う。「邑」は「挹」の省筆の字で、「挹」とは減損である。自ら其の告命を挹損するを言い、後世の帝王が罪己の詔を下すがごときである。「貞にて吝」とは卜問して吉ならずを言い、泰が極まりて将に否に返らんとするがゆえである。『小象伝』は「城、隍に復るは、其の命乱るなり」と言う。「坤」に「乱」の象あり。「其の命乱る」とは、泰が極まりて否に返るは、天地自然の運命であって避けられぬを言う。この「命」の字は前の「告命」と異なり、諸家は両者を混同したが、誤りである。
否卦
否之匪人,不利君子貞,大往小來。陽上升,陰下降,乃陽即在上,陰即在下,愈去愈遠,故天地不交而為否。否,閉也。《泰》上六《象傳》云「其命亂也」,言泰極反否,乃天地自然之命運,必至之理,非人力所能為。此曰否之匪人,仍其義也。陽往外而詘,陰來內而信,故不利君子貞。貞,卜問。其以正為說者,無論若何斡旋,皆不能通。
否卦卦辞:「否之、人に非ず。君子の貞に利あらず。大往き小来たる。」陽気の性は上昇し、陰気の性は下降する。否卦は乾が上・坤が下に在り、陽はもともと上に居り、陰はもともと下に居て、各々その性に従って行くのみで、いよいよ去って遠ざかり、天地の気はこれによって交わる能わず、そこで「否」を成す。「否」とはすなわち閉塞である。泰卦上六の『象伝』は「其の命乱るなり」と言い、泰が極まりて自然に否に反転するを講ずる。これは天地自身の運数、必ず至るの理であって、人力の造り得る所ではない。ここで「否之、人に非ず」と言うのは、なお同じ層の意を用いる。否塞は人の造る所に由らない。陽爻は外に往きて屈し、陰爻は内に来たりて伸ぶ。だから君子の貞問に利あらず。「貞」はここでは卜問の意である。旧説が「貞」を守正と訓ずれば、いかようにも斡旋解釈しても、講じ通らない。
彖曰:否之匪人,不利君子貞,大往小來。則是天地不交,而萬物不通也;上下不交,而天下無邦也。內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子,小人道長,君子道消也。天氣本上騰而在外,地氣本下降而在內,愈去愈遠,故氣不交。氣不交故萬物不通而死矣。坤為萬物,為邦國。乾上坤下,君民不親,上下閉塞,而邦必亂,故曰無邦。否七月卦,陰長陽消,故曰小人道長,君子道消。
『彖伝』は言う。「否之、人に非ず。君子の貞に利あらず、大往き小来たる。則ち天地交わらずして万物通通ぜざるなり、上下交わらずして天下邦なきなり。内は陰にして外は陽、内は柔にして外は剛、内は小人にして外は君子、小人の道長じ君子の道消ゆるなり。」天の気はもともと上騰するのに乾はまた外卦に居り、地の気はもともと沈降するのに坤はまた内卦に居る。両者はいよいよ去って遠ざかり、だから二気は交感し得ない。二気が交わらなければ、万物は生養を得ずして枯死する。尚氏は逸象を以て説を立てる。坤に「万物」の象あり、また「邦国」の象あり。この卦は乾上坤下で、君は上に・民は下に在りて彼此親しまず、上下閉塞して、邦は必ず乱る。だから『彖伝』は「邦なし」と言う。否は十二消息卦の七月卦で、この時時陰気が漸く長じ陽気が漸く消ゆるから「小人の道長じ君子の道消ゆ」と言う。
象曰:天地不交,否。君子以儉德辟難,不可榮以祿。乾為德,儉,約也。坤閉故曰儉德,言斂抑自守也。互巽為伏,故曰辟難。坤為患,為難,言遁世不出,以避世難。乾為祿,艮為榮,巽伏故不可榮以祿位,言當否之時,遁人山林,高隱不出也。初六:拔茅茹以其匯,征吉,亨。陰皆有應,故辭與泰同。泰茅茹象,指應爻;此則用本象也。象曰:拔茅征吉,志在君也。坤為志,乾為君。志在君,言上應四也。
『大象伝』は言う。「天地交わらず、否。君子は以て徳を倹くして難を辟(さ)け、禄を以て栄とす可からず。」乾に「徳」の象あり、「倹」とは約束収斂である。坤の性は閉塞で、乾徳と合わせれば「倹徳」と成り、斂抑して自ら守るを言う。否卦の二より四爻に互体して巽を成し、巽に「伏」の象あるがゆえに「難を辟く」と言う――災難を避くる。坤にまた「憂患」「患難」の象あり、合わせて言えば君子が世を避けて出でず、以て乱世の難を避くる。乾は俸禄、艮は栄顕で、巽は伏蔵を主るから「禄位を以て栄とす可からず」。全句が言う所は、この否閉の世に当たりて君子は山林に入りて隠遁し、高く隠れて出仕せざるべきを言う(源文「遁人山林」の「人」は「入」と作るべし)。初六爻辞:「茅と茹とを拔きて其の彙を以てす。征けば吉、亨。」否卦の三つの陰爻は皆其々応ずる陽爻有るがゆえに、辞句は泰卦の初九と同じである。ただし泰卦の「茅茹」の象は応ずる爻より取ったが、ここでは本爻自身の在る坤体より取る。『小象伝』は「茅を拔きて征けば吉は、志君に在るなり」と言う。坤に「志」の象あり、乾に「君」の象あり。「志君に在り」とは、初六が上に向いて九四と応じ、心志が上の陽剛に係るを言う。
六二:苞承,小人吉,大人否亨。苞今本作包,依唐石經及《釋文》,下同。包、苞古通用。《禹貢》「草木漸包」,注:包,叢生。《釋文》:字亦作苞。是包、苞古不分。《爾雅·釋言》云:苞,稹也。疏:孫炎曰,物叢生曰苞。《詩·唐風》「集於苞栩」,亦以苞為叢。是苞有多意、眾義。坤為眾。苞承者,言下三爻皆承陽有應也。小人謂二,二得中有應,故小人吉。凡陰得陽應必吉,陽得陰應不皆吉;而否卦陽氣上騰,不能下降,故大人否亨。大人謂五。否,不,言五雖得二應而不亨也。朱升釋承為脀,卦既無此象;荀爽謂二為四所包,朱震謂二為五所包。夫四五若能下施包二,則大人不否亨矣,非也。
六二爻辞:「苞承。小人は吉、大人は否亨。」「苞」の字は通行本は「包」と作るが、ここは唐石経と陸徳明『経典釈文』に依って「苞」と作る。以下同じ。包・苞の二字は古く通用す。『尚書・禹貢』に「草木漸く包む」とあり、注は「包とは叢生」と言い、『釈文』はこの字もまた「苞」と作ると言う。これで二字が古く分かたれぬことが分かる。『爾雅・釈言』は「苞とは稹なり」と言い、疏は孫炎の言を引いて「物叢生すを苞と曰う」と言う。『詩経・唐風』の「苞栩に集まる」もまた「苞」を叢聚とする。これで「苞」に多し・衆の義のあることが分かる。坤に「衆」の象あり、下卦はまさに坤である。「苞承」とは、下の三つの陰爻が皆上に陽爻を承けて各々応ずる所有るを言う。「小人」は六二を指し、六二は中に居りて九五と応ずるから小人にとって吉である。およそ陰爻が陽爻の応を得れば必ず吉だが、陽爻が陰爻の応を得るは必ずしも吉ならず。否卦の陽気はひたすら上騰して降り肯んぜざるから、「大人は否亨」と言う。「大人」は九五を指し、「否」はここでは「不」と読む。九五は六二の応を得ると雖も、なお通泰せぬを言う。朱升は「承」を祭牲を盛る「脀」と解するが、卦中にこの象なし。荀爽は六二は九四に包まると言い、朱震は六二は九五に包まると言う。四・五がもし能く下に施して六二を包容すれば、大人は否亨せざるべし。故に皆非なり。
象曰:大人否亨,不亂群也。坤眾放曰群。坤為亂,亂,雜也。不亂群,言五不能下施應二,俾天地相雜也,故否亨。虞翻謂坤三陰亂弒君,大人不從,故不亂群。豈知不亂群,即仍天地不交之義,言五不能交二也。群義即釋苞義也。
『小象伝』は言う。「大人否亨は、群を乱らざるなり。」坤は衆で、衆多なるがゆえに「群」と称す。坤にまた「乱」の象あり、「乱」はここでは錯雑の意である。「群を乱らず」とは、九五が降りて施して六二と真に感応せず、天地の気を錯雑混同せしめぬを言う。ゆえに「否亨」――通泰しない。虞翻はこれを坤の三つの陰爻が乱れて君を弑し、大人が附従を肯んぜざるがゆえに「群を乱らず」と解したが、彼は知らざりしことに、「群を乱らず」の講ずる所はなお天地交わらぬの旧義であって、九五が六二と交合する能わざるを言う。そして「群」の字の義は、まさに爻辞の中の「苞」の字に返って釈する(苞はすなわち叢聚・衆多)。
六三:苞羞。此苞字與上同義,仍坤眾、坤群象也。羞,《說文》:進獻也。《左傳》隱三年「潤溪沼沚之毛,可薦於鬼神,可羞於王公」,杜注:羞,進也。《國語·楚語下》「於是乎每朝設脯一束,以羞子文」,注亦作進。苞羞者,眾進也。否本陰長之卦,故群進而消陽也。
六三爻辞:「苞羞。」この「苞」の字は六二の「苞」と義同じく、なお坤が衆・坤が群の象を取る。「羞」の字は『説文』が進献と訓す。『左伝』隠公三年に「澗溪沼沚の毛は、鬼神に荐む可く、王公に羞(すす)む可し」とあり、杜預の注は「羞とは進なり」と言う。『国語・楚語下』に「ここに於て朝毎に脯一束を設け、以て子文に羞す」とあり、注もまた「羞」を進と訓す。ゆえに「苞羞」とはすなわち群進である。否はもともと陰気漸長の卦で、六三は下坤の上に居り、まさに衆陰が群を成して上進し、陽気を消剥する時である。
象曰:苞羞,位不當也。六三不當位,進至於四,或與上相上下,則當位矣。言所以進者,以不當位也,釋苞羞之故也。自荀爽釋為羞恥,朱升釋為膳羞,位不當之義,皆莫知所指矣。
『小象伝』は言う。「苞羞は、位当たらざるなり。」六三は陰爻を以て陽位に居り、当位せず。もし前進して四位に至り、あるいは上九と上下を換えれば、皆位に当たる。ここが言う所は、衆陰の上進せんとする所以は、まさに処る位の正ならざるがゆえ――これこそ「苞羞」(群陰併進)の由来である。荀爽が「羞」を羞恥と釈し、朱升が膳羞と釈してから、「位当たらず」の三字が果たして何を指すか、誰も言い清めなくなった。
九四:有命,無咎,疇離祉。命,《說文》:使也;《廣韻》:召也。有命,言有所使命也。巽為命。《周語》:襄王錫晉文公命。蓋四履群陰之上,萬民(坤為民)順承,故有所錫命。四不當位,宜有咎,得群陰使命,故無咎。頤上九云「利涉大川」,與此義同也。疇、儔同。《荀子·勸學篇》云「草木疇生」,注:疇同儔。《前漢·韓信傳》「其疇十三人」,義亦同儔。儔,眾也。下坤為眾,離,附著;祉,福。疇離祉者,言眾陰同附陽,得主而受福也。孔疏訓疇為匹,匹謂初,言初得陽應而受福。然象釋曰志行,荀爽謂志行於群陰,固統三陰言,不專指初也。象曰:有命無咎,志行也。四履重陰,得行其志,故曰志行。
九四爻辞:「命有りて、咎なし、疇は祉に離(つ)く。」「命」の字は『説文』が使令と訓し、『広韻』が召喚と訓す。「命有り」とは、差遣・冊命する所有るを言う。巽に「命」の象あり(否の二より四爻に互体して巽)。『国語・周語』に周の襄王が晋文公に命服を錫したとあるが、まさにこの意である。九四は下の三つの陰爻の上に踏み、万民(坤は民と為す)が皆順承するから、冊命を頒下する能くあり。九四は陽で陰位に居り、もともと当位せず、理によりて咎あるべきだが、群陰の擁戴使命を得るから「咎なし」。頤卦の上九が「大川を渉るに利あり」と言うのは、ここと理同じである。「疇」と「儔」は通じ、『荀子・勧学』に「草木疇生」とあり、注は「疇は儔に同じ」と言い、『漢書・韓信伝』の「其の疇十三人」もまた義は儔に同じ。「儔」とは衆の意で、下卦の坤はまさに衆である。「離」とは附着で、「祉」とは福。ゆえに「疇は祉に離く」とは、衆陰がともに陽爻に附依して、君主を得て福沢を受くるを言う。孔穎達の疏は「疇」を匹配と訓じて初六を指し、初六が九四と応じて福を受くると言う。しかし『小象』は「志行」と解し、荀爽は志が群陰に行くと言う。これで三つの陰爻を統べて言うのであって、もっぱら初六を指すのではない。『小象伝』は「命有りて咎なきは、志行くなり」と言う。九四は重ねた陰爻の上に踏み、己の意志を施行する能くあり。だから「志行く」と言う。
九五:體否,大人吉,其亡其亡,繫于苞桑。《說文》:人依木則休。休者,憩息也。休否者,言當否之時而休息以俟也。蓋初四、三上相上下,則既濟成,五當位居中,宜靜俟也。舊解釋為休美,與其亡義背,似非也。九五為大人,故曰大人吉。九五巽體,巽為桑,坤為多,故曰苞桑。陸績《京氏易傳》注云:苞桑則叢桑也。巽為繩,為繫,故曰繫于苞桑。
九五爻辞:「否を休(や)む、大人は吉。其れ亡びんとす其れ亡びんとす、苞桑に係(つな)ぐ。」(源文「体否」は「休否」と作るべし。)『説文』は「人、木に依れば休なり」と言い、「休」とはすなわち憩息である。「否を休む」とは、否閉の世に身を処りて、しばらく休息して時機を俟つを言う。初と四・三と上がもし上下を換えれば、全卦は既済を成す。九五はすでに当位してまた中に居るから、まさに静かに俟つべし。旧注は「休」を美好と講じて、下文の「其れ亡びんとす其れ亡びんとす」の危懼の意と背く。おそらく誤り。九五は「大人」の位だから「大人は吉」と言う。九五は互体巽の中に処り、巽に「桑」の象、坤に「多」の象あり、多にして叢聚するから「苞桑」と言う。陸績が『京氏易伝』に注して「苞桑は則ち叢桑なり」と言う。巽はまた縄・係縛と為るから「苞桑に係ぐ」と言う。
乃巽為隕落。五雖居中得正,而風隕在下,故有其亡之懼。蓋繫在大木,方能鞏固;桑而叢生,其柔可知;繫於柔木,其危可知。其亡其亡、繫于苞桑者,言時時慮亡,如係于苞桑之不足恃也。王陶廬云:唐石經初刻作包,後增改作苞。按《禹貢》草木漸包,傳釋為叢生,仍與苞同。自風隕象失傳,後儒不知危亡之故在五履巽,於是舊解皆以堅固為說,遂與易象不協矣。
然るに巽にはまた「隕落」の象ある――これは尚氏が『焦氏易林』の中より鉤沈して出した漢代の逸象で、『説卦』の中にはない。九五は中に居り正を得ると雖も、脚下に隕落を性とする巽体を踏む。だから「其れ亡びんとす其れ亡びんとす」の憂懼を生ず。知るべし、大木に係ぎてこそ鞏固たり得るので、桑でありながら叢生するは、其の柔弱たるは知る可し。柔弱な木に係ぐは、其の危うきもまた知る可し。「其れ亡びんとす其れ亡びんとす、苞桑に係ぐ」とは、時々覆亡を慮りて、まさに苞桑に係ぐが恃むに足らざるがごときを言う。王陶廬は言う。唐石経は初刻「包」と作り、後に増改して「苞」と作る。按するに『尚書・禹貢』の「草木漸く包む」は孔伝が叢生と解し、なお「苞」と義同じ。巽が隕落の象が失伝してから、後儒は危亡の由が九五の巽を履むに在るを明らかにせず、そこで旧注は一概に「苞桑に係ぐ」を鞏固恃むべしと講じ、ついに易象と協わざるに至った。
象曰:大人之吉,位正當也。五位尊而中正,故曰位當。上九:傾否,先否後喜。侯果曰:傾,覆也。上應在三,三巽為隕落,故曰傾否,言傾否而出之盡也。然當未覆之先,則仍否也,故曰先否。上反下則成震,震為樂,為後,故曰後喜。
『小象伝』は言う。「大人の吉は、位正しく当たるなり。」九五の位は尊貴にして中正だから「位当たる」と言う。上九爻辞:「否を傾く、先には否、後には喜。」侯果は言う。「傾」とはすなわち傾覆である。上九は下に六三と応じ、六三は互体巽の中に処り、巽は隕落の象あるがゆえに「否を傾く」と言う――否閉の局面を全体傾覆倒尽するを言う。然るに未だ覆らざるの先には、畢竟はなお否閉である。だから「先には否」と言う。上九がもし下に反って三位に居れば、下体は震を成す。震に「楽」の象あり、また「後」の象あり――この二つの象は皆『焦氏易林』の存する漢代の逸象である。だから「後には喜」と言う。
象曰:否終則傾,何可長也。否終則傾,言否終則泰復,不能長否。按否泰云「大小往來」「無平不陂,無往不復」,終則曰「城復于隍,其命亂也」;否則曰「否之匪人」,皆言天地否泰之運,循環往來,自然如此,不假人為,為上經天地水火之樞紐,明天道本如斯,不可易也。至下經第十卦之損益,則曰「損益盈虛,與時偕行」,曰「損剛益柔」,曰「損下益上,損上益下」,曰「見善則遷,有過則改」,所言皆履世之大經,修治之極軌,無絲毫委心任運之意,以為咸恆既未濟之樞紐,明人事宜如斯也。盡人事,聽天命,斯學易之功也。
『小象伝』は言う。「否、終れば則ち傾く、何ぞ長からん。」否が終われば傾くとは、否が極まれば泰が復た来たり、否閉が長く続く能わざるを言う。按するに否・泰の両卦は「大往き小来たる」「小往き大来たる」を講じ、「平にして陂かざるなし、往きて復らざるなし」を講じ、終りには「城、隍に復る、其の命乱るなり」と言い、否は「否之、人に非ず」と言う。これらの言は皆天地否泰の運数が循環往来し、自然かくのごとくして、人為を仮らぬを講ずる。否・泰は上経の天地水火の一系の枢紐で、天道がもともと斯くのごとくして改易すべからざるを明らかにする。下経の第十卦の損・益に至れば、「損益盈虚、時と偕に行く」と言い、「剛を損じ柔を益す」と言い、「下を損じて上を益し、上を損じて下を益す」と言い、「善を見れば則ち遷り、過有れば則ち改む」と言う。言う所は皆世に処るの大経、修治の極軌で、毫末も心を委ね運に任するの意なし。損・益は咸・恒・既済・未済の一系の枢紐で、人事が斯くあるべきを明らかにする。人事を尽くして天命を聴く、これが『易』を学ぶの功である。
『周易尚氏学』巻五・上経
同人卦
同人于野,亨,利涉大川,利君子貞。荀爽曰:乾舍於離,相與同居。九家曰:乾舍於離,同而為日,天日同明,故曰同人。是乾之居南,漢儒已言之矣。又荀爽注「陰陽之義配日月」云:乾舍於離,配日而居;坤舍於坎,配月而居。不惟乾南,且言坤北,而惠徵君以為此漢儒言先天之鐵證也,而欲減其跡,曰荀氏用鬼易,以乾歸合離、坤歸合坎釋之。按乾歸為大有,坤歸為比,而荀氏所言者,則同人、師,乃離歸坎歸也。於遊歸恆例,尚不能知,而欲減其證,其誰信之。
同人卦卦辞:「野に於て人と同じくす。亨。大川を渉るに利あり。君子の貞に利あり。」荀爽は言う。乾は離に舎(やど)り、両者相い与に同居す。『九家易』は言う。乾は離に舎り、同じくして日と為る。天と日とは同じく明るいから「同人」と曰う。これで乾の位が南方に居ることは、漢代の経師がはやくも講じていたことが分かる。荀爽は「陰陽の義は日月を配す」に注してまた言う。乾は離に舎り、日を配して居る。坤は坎に舎り、月を配して居る。これは乾が南にあるのみならず、坤が北にあるをも言う。恵棟(人は恵征君と称す)はこれが漢儒の先天方位を講ずるの鉄証と明らかに知りながら、この痕迹を抹さんとし、荀爽の用いたは「鬼易」で、「乾の帰魂は離に合し、坤の帰魂は坎に合す」に依って釈すべしと言う。しかし按ずるに游魂・帰魂の通例では、乾宮の帰魂卦は大有、坤宮の帰魂卦は比である。しかるに荀爽の言う所は同人・師であって、あれは離宮の帰魂・坎宮の帰魂である。游魂帰魂の恒例すらなお知らずして、この証を抹さんと欲す。誰かこれを信ぜん。
故夫同人卦義,舍九家、荀爽說,無有當者。伏坤為野,《正義》云:野以喻寬廣,言和同於人,宜無遠弗屆也。《易林》、九家、荀爽皆以乾為河、為海,是乾亦為大川。利涉謂五,中正有應,故傳釋為乾行。乾為君子,故利君子貞。貞,卜問也。
ゆえに同人一卦の卦義は、『九家易』と荀爽の説を除けば、当たる者はない。この卦は六爻の陰陽を互に易すれば師を成し、その上体は坤で、尚氏はこれを「伏坤」と称す。坤に「野」の象あり。孔穎達『正義』は言う。「野は以て寛広を喩え、人と和同すれば、遠きに届かざるなきべしを言う。」『焦氏易林』および『九家易』・荀爽は皆乾を以て河・海とする。これで乾にも「大川」の象あるが分かる。「渉るに利あり」は九五を指し、九五は中正にして六二と応ずるから『彖伝』は「乾行」を以て釈とす。乾はまた君子と為るから「君子の貞に利あり」。「貞」はここでは卜問である。
彖曰:同人,柔得位得中而應乎乾,曰同人。同人曰:同人于野,亨,利涉大川,乾行也。文明以健,中正而應,君子正也。唯君子為能通天下之志。坤為天下,五應二故能通天下之志。詳解在《焦氏易詁》中。
『彖伝』は言う。「同人は、柔が位を得て中を得て乾に応ず、同人と曰う。同人曰く、野に於て人と同じくし、亨、大川を渉るに利ありは、乾行なり。文明にして健、中正にして応ず、君子の正なり。君子のみ能く天下の志を通ず。」坤に「天下」の象あり――同人の伏体はまさに坤を含む――九五は下に六二に応ずるから、天下の人の心志を貫通する能くあり。この段の詳しい疏解は、尚氏の著わす『焦氏易詁』を見よ。
象曰:天與火,同人。君子以類族辨物。易以陰陽相遇為類。(王引之繁稱博引,釋類為比,豈知皆非易之所謂類。)族,《正義》云:聚也。聚居一處,故曰同人。然所以能聚者,以其類也。設失類而為純陽或純陰,則不能聚矣。類族方能合異為同。乾陽物,坤陰物,同一物也,而分陰陽。辨,別也,明也。同人五陽一陰,陰雖少,然五陽之所類也,即五陽之所同也。同則不分,然陰物陽物,判然不同,辨而明之,方知同之中有異。易之道,同性相違,異物相感。自類字失詁,義遂不明。
『大象伝』は言う。「天と火とは同人。君子は以て族を類し物を辨す。」『易』は陰陽の相遇すを以て「類」とす(王引之は繁称博引して「類」を「比」と釈すが、彼は知らざりしことに、あれらは皆『易』のいう「類」ではない)。「族」の字は『正義』が聚と訓す。聚りて一処に居るから「同人」と曰う。然るに聚まり得る所以は、まさに「類」に在る――陰陽は性を異にして相い求む。もし類応を失って純陽または純陰となれば、聚まる能わざる。ゆえに「族を類す」して初めて異を合して同と為す能くあり。乾は陽の物、坤は陰の物で、同じく「物」なれど、陰陽に分かる。「辨」とはすなわち分別・辨明である。同人は五陽一陰で、陰爻は少ないと雖も、五つの陽爻が類応する所の対象であり、すなわち五陽がともに趨る所である。同じくすれば彼此を分かたぬが、然るに陰物と陽物は畢竟判然として別あり、辨えて明らかにして初めて「同」の中に「異」あるを知る。『易』の道は、同性は相い違し、異物は相い感ず。「類」の字の訓詁が失伝してから、この層の意思は講じ明らめられなくなった。
初九:同人于門,無咎。初於二陰獨近,故曰同人于門。象曰:出門同人,亦謂二近初,初出門即遇也。虞翻以乾為門,命四變陰以應初,若卦為家人者,而惠棟、姚配中皆宗之。朱漢上強命初變,以艮為門,若卦為遁者,而毛奇齡、焦循宗之。是皆曲說害理。二坤爻,坤亦為門戶也。象曰:出門同人,又誰咎也。誰咎謂無咎。
初九爻辞:「門に於て人と同じくす、咎なし。」初九は六二の唯一の陰爻ともっとも切近いから「門に於て人と同じくす」と言う。『小象』の「門を出でて人と同じくす」もまた、六二が初九に緊鄰して、初九が門を出れば即座に遇うを指す。虞翻は乾を以て門とし、また九四に陰爻に変ぜしめて初九に応ぜしむ――あれは同人を家人に改めるに等しい。しかるに恵棟・姚配中は皆彼に随った。朱震は強いて初九に変を命じて艮を以て門とす――あれは同人を遯に改めるに等しい。しかるに毛奇齡・焦循はまた彼に随った。これらは皆曲解であって義理を害する。実は六二はもともと坤爻で、坤自身にも「門戸」の象ある。『小象伝』は「門を出でて人と同じくすは、又た誰か咎めん」と言う。「誰咎」とはすなわち咎なし。
六二:同人于宗,吝。乾為主,為宗。二五正應,故同人于宗。但卦五陽皆同於二,今二獨親五,則三四忌之,致吝之道也。下繫云「遠近相取,而悔吝生」,遠謂應,近謂比。遠取應則不能近取比,如無妄六二往應五而利,則不繫初;近取比則不能遠取應,如中孚六四絕類上則不應初,而馬匹亡,是也。是故遠近萬不能兼取。同人六二遠應五,則有近不承陽之嫌;近承陽則失遠應,故吝也。彼夫咸六二、遁六二皆有應,象皆與此同,乃咸六二曰居吉,遁六二曰執之,皆戒其動,俾遠近皆不取,不取則悔吝免也。舊說皆不知其故在三四,故鮮有得解者。
六二爻辞:「宗に於て人と同じくす、吝。」乾に「主」の象・「宗」の象あり。六二と九五は正しく応ずるから「宗に於て人と同じくす」と言う。しかし全卦の五つの陽爻は皆六二と同じくせんとするのに、今、六二は偏に九五のみを親しむ。然らば九三・九四がこれを嫉忌する。悔吝を致す道である。『繋辞下伝』は「遠近相い取りて悔吝生ず」と言う。「遠」は応ずる爻を指し、「近」は比する爻を指す。遠く応を取れば近く比を取る能わず。例えば无妄の六二は往きて九五に応じて利を得れば、初九に係恋せぬ。近く比を取れば遠く応を取る能わず。例えば中孚の六四は同類を絶ちて上に承け、初九に応ぜずして「馬匹亡し」、是のごとし。ゆえに遠近は万に兼ね取る能わざる。同人の六二は遠く九五に応ずれば、近く陽爻を承奉せざるの嫌あり。もし近く三・四の陽を承ければ、また遠き応を失う。だから「吝」。また咸の六二・遯の六二も皆応あり、取象はこれと同じなのに、咸の六二は「居りて吉」と言い、遯の六二は「之を執れ」と言う。皆妄動せざるを戒め、遠近の両辺とも取らざらしむ。取らざれば悔吝もまた免る。旧説は皆癥結が九三・九四の身に在るを明らかにせざるがゆえに、講じ通じた者は稀である。
象曰:同人于宗,吝道也。許慎《五經異義》云:易曰同人于宗吝,言同姓相取,吝道也。按此皆不明易理,不知吝之故何在,而為此穿鑿之說。同人二與五,與大有五與二同也,乃大有五應乾,無同姓之嫌,此獨曰同姓,尚能通哉。
『小象伝』は言う。「宗に於て人と同じくすは、吝の道なり。」許慎の『五経異義』は言う。『易』が「宗に於て人と同じくす吝」と講ずるは、同姓相い娶るを言い、吝を致す道なり。按するにこの類の説は皆『易』理に明らかならず、「吝」の由来が果たしてどこに在るかを知らずして、かような穿鑿附会の説を生じたのである。同人の六二と九五、大有の六五と九二とは、両者の情形は同じである。大有の六五の応ずる所は乾体の爻なのに、同姓の嫌あると言う者なく、偏にここで同姓を講ずるとは、なお講じ通じ得ようか。
九三:伏戎于莽,升其高陵,三歲不興。巽為伏,為寇盜(象失傳,詳《焦氏易詁》),為草莽,故曰伏戎于莽。乾為山,為陵(象失傳,詳《焦氏易詁》),巽為高,乾為行,故曰升其高陵。乾為歲,離卦數三,故曰三歲。三陽遇陽,得敵,其行塞,故升高不興也。象曰:伏戎于莽,敵剛也;三歲不興,安行也。敵剛即陽遇陽,安行謂行難。
九三爻辞:「戎を莽(くさ)に伏し、其の高陵に升るも、三歳興らず。」巽に「伏」の象あり、また「寇盗」の象あり(この象はすでに失伝。詳しくは『焦氏易詁』を見よ)、また「草莽」の象あり。だから「戎を莽に伏す」と言う――兵を草叢の中に伏せる。乾は山・陵と為す(この象もまたすでに失伝。詳しくは『焦氏易詁』を見よ)、巽は高、乾は行。だから「其の高陵に升る」と言う。乾はまた歳と為り、離の卦数は三。だから「三歳」と言う。九三は陽爻を以て上に九四の陽に遇い、同性の敵を得て、前路は阻塞す。だから高く升ると雖も、終に兵を興す能わざる。『小象伝』は「戎を莽に伏すは、剛に敵するなり。三歳興らざるは、安行なり」と言う。「剛に敵す」とはすなわち陽が陽に遇い敵を成すこと。「安行」とは行い難きを言う。
九四:乘其墉,弗克攻,吉。巽為墉,四居巽上,故曰乘其墉。乘墉據高,故不能攻之。然此爻不當位,無應予,承乘皆陽,困極矣,爻辭曰吉,則不得其義。象曰困而反則,似亦不得的解,而為此無可奈何之解。獨虞翻命四變陰,當位有應,承乘皆陽,人人皆知其吉矣。然四變陰,則巽墉象毀,四居坎上,而謂乘其墉則不合矣。象曰:乘其墉,義弗克也;其吉,則困而反則也。則,法也。反則,言循分自守也。
九四爻辞:「其の墉(よう)に乗るも、克(か)つ攻めず、吉。」巽に「墉」(城壁)の象あり、九四はまさに互体巽の上に居る。だから「其の墉に乗る」と言う。すでに墉に乗り高きに拠れば、相手は攻め上る能わず。然るにこの爻は陽で陰位に居りて当位せず、上下に応与なく、承け乗ずる所はまた皆陽爻で、困窮極まれるのに、爻辞は「吉」と言う。道理を講じ出せぬ。『小象』の「困りて則に反る」も、確解とは言えぬようで、ただ奈何ともすべなき解釈である。ただ虞翻のみが九四に陰爻に変ぜしめ、そこで当位して応有りとすれば、人々皆其の吉なるを見て知らん。しかし九四が一たび陰に変ずれば巽体は破れ「墉」の象も毀れ、九四は変じて坎の上に居る。さらに「其の墉に乗る」と言えば合わざる。『小象伝』は「其の墉に乗るは、義として克たざるなり。其の吉は、困りて則に反るなり」と言う。「則」とは法度で、「則に反る」とは本分に安んじて自ら守るを言う。
九五:同人先號咷而後笑,大師克相遇。此與屯六二義同。屯二欲上應五而為三四同性之陰所隔,故屯邅不進,然與五為正應,十年乃字,終必合也。同人九五欲應二,而為三四同性之陽所阻,故先號咷;然與二為正應,終必相遇,故後笑。伏震為笑,為後。虞翻以互巽為號咷。卦伏坤,故曰師。相遇,謂遇二也。從前不能相遇者,以三四之伏戎為害也,後克而勝之,故與二相遇。
九五爻辞:「同人、先ず号咷(どうとう)して後に笑う。大師克(か)ちて相遇う。」これは屯の六二と意同じである。屯の六二は上に九五に応ぜんと欲するも、六三・六四の同性の陰爻に隔てられて屯邅して進まず。然るに九五と正しく応ずれば、「十年にして乃ち字(むす)ぶ」、終に必ず結合す。同人の九五は下に六二に応ぜんと欲するも、九三・九四の同性の陽爻に阻まれ、だから「先ず号咷す」。然るに六二と正しく応ずれば、終に必ず相遇う。だから「後に笑う」。二より四爻に互体して巽を成し、巽の三爻の陰陽を互に易すれば即座に震を成し、尚氏はこれを「伏震」と称す。震に「笑」の象・「後」の象あるは、皆『焦氏易林』の存する逸象である。虞翻は互体巽自身を以て号咷とす。全卦の六爻の陰陽を互に易すれば師を成し、坤がその中に在り、坤は衆と為すから「師」と言う。「相遇う」とはすなわち六二と遇う。従前に相遇えなかったのは、九三・九四の伏せた兵戎の害する所であったが、後に克ちて之に勝ちたるがゆえに、六二と会する能くあり。
象曰:同人之先,以中直也;大師相遇,言相剋也。端木國瑚曰:同人先天乾二中直,五無應,故號咷;後天離中虛,五得應,故後笑。以先後天解同人之先後,及中直之義,雖未確切,較勝於舊解。上九:同人于郊,無悔。居外卦之上,故曰同人于郊。乾為郊,上乘陽無應,遠居郊外,曠莫與儔,故曰志未得。伏坤為志。象曰:同人于郊,志未得也。
『小象伝』は言う。「同人の先んずるは、中直を以てなり。大師相遇うは、相克するを言うなり。」端木国瑚は言う。同人は先天方位で、乾は第二位に居りて中実にして剛直、九五は応ずる所なく、だから号咷す。後天方位では、離は中に居りて中爻は虚で、九五は応を得る。だから後に笑う。彼は先天・後天を以て同人の「先」「後」および「中直」の義を釈す。必ずしも確切ならざると雖も、旧注よりは高明である。上九爻辞:「郊に於て人と同じくす、悔いなし。」上九は外卦の最上端に処るから「郊に於て人と同じくす」と言う。乾に「郊」の象あり。上九の乗ずる所は陽爻で、また応ずる爻なく、遠く郊外に居りて、広曠にして寂寥として伴とする者なし。だから『小象』は「志未だ得ざるなり」と言う。伏坤に「志」の象あり――同人の六爻の陰陽を互に易して師を成せば、坤がその中に在り、尚氏はこれに拠って「志」を取る。『小象伝』は「郊に於て人と同じくすは、志未だ得ざるなり」と言う。
大有卦
大有:元亨。離乾皆居南,故曰大有,與同人義同也。元亨謂五也。五得尊位,故曰元;上下應故曰亨。坤五曰元吉,比五曰元永貞,損五、益五、鼎五皆曰元吉,是其證。彖曰:大有,柔得尊位大中,而上下應之,曰大有。其德剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。五天位,二應之,故曰應乎天。離為夏,萬物相見,故曰時行。
大有卦卦辞:「元亨。」離と乾は先天方位でともに南方に居る。同じ一方に処りて所有すること大なり、だから「大有」と言う。同人と取る義同じ。「元亨」とは六五に就いて言う。六五は尊位に居るを得るから「元」と称し、上下の五つの陽爻が皆来たりて応ずるから「亨」と称す。坤卦の六五は「元吉」と言い、比卦の九五は「元永貞」と言い、損・益・鼎の三卦の五爻も皆「元吉」と言う。これで「元」の字が五位に係ることが分かる。これがその証である。『彖伝』は言う。「大有は、柔が尊位を得て大中にして、上下之に応ず、大有と曰う。其の徳は剛健にして文明、天に応じて時に行く。是を以て元亨。」五は天位で、九二は上に之に応ずるから「天に応ず」と言う。離は夏と為り、夏の時は万物が相い見え合う。だから「時に行く」と言う。
象曰:火在天上,大有。君子以遏惡揚善,順天休命。離為惡人,乾為善。二五相應予,而皆不當位。九二云有攸往,是二必往五也。二往五是揚善也;二往五則五下居二,是遏惡也。乾為天,為命,陰承乾,故曰順天休命。休,美也。
『大象伝』は言う。「火は天上に在るは大有。君子は以て悪を遏(とど)め善を揚げ、天に順いて命を休め(よく)す。」離に「悪人」の象あり、乾に「善」の象あり。九二と六五は応ずるが、両爻ともに当位せず。九二の爻辞は「往く所有り」と言う。これで九二が必ず上に五位に往くことが分かる。九二が五に往くは、善の一面を上に挙げることで、すなわち「善を揚ぐ」。九二が上に往けば、六五は便りに下って二位に居る。悪の一面を抑え下げることで、すなわち「悪を遏む」。乾は天・命と為り、陰爻は乾陽を承奉するから「天に順いて命を休めす」と言う。「休」とはすなわち美好である。
初九:無交害,匪咎,艱則無咎。初無應,陽遇陽失類,故無交;無交故無害。然須艱貞自守,方無咎也。象曰:大有初九,無交害也。九二:大車以載,有攸往,無咎。伏坤為大車,為載。按《考工記》車人:大車,牛車也,兩轅,牛在轅內。凡載物皆用大車,與馬車回異。馬車皆小車,一轅,兩服在左右,專備人乘;若載物必大車也,故曰大車以載。上有應,往則得位,故無咎。象曰:大車以載,積中不敗也。二得中,承乘皆陽,皆曰積中。乾為實,故為積也。陽上升,故曰大車以載。義則本爻,象則用伏。(廬氏以乾為大車,乾似無此象。)
初九爻辞:「交害なし、咎ならず。艱めば則ち咎なし。」初九は応ずる爻なく、上に向かって遇うはまた陽爻で、同性にして其の類応を失う。だから「交害なし」――交わりが成らざるを言う。相い交わらざるがゆえに、また害あるなし。ただし艱難の中に貞を守って自ら持せねばならぬ。こうして初めて咎なしを得る。『小象伝』は「大有の初九は、交害なきなり」と言う。九二爻辞:「大車を以て載す。往く所有り、咎なし。」大有の六爻の陰陽を互に易すれば即座に比を成し、坤がその中に在り、尚氏はこれを「伏坤」と称す。坤に「大車」の象・「載」の象あり。按するに『考工記・車人』に「大車とは牛車なり、両轅あり、牛は轅の内に在り」とある。およそ貨物を載るは皆大車を用いて、馬車とは迥(はる)かに異なる。馬車は皆小車で、一轅のみ、両服馬は左右に列して、もっぱら人の乗るを備う。もし物を載せんとすれば必ず大車である。だから「大車を以て載す」と言う。九二は上に六五と応じ、往けば則ち正位を得る。だから「咎なし」。『小象伝』は「大車を以て載すは、中に積みて敗れざるなり」と言う。九二は中に居り、承け乗ずる所は皆陽爻で、このような情形を皆「中に積む」と呼ぶ。乾は充実と為るから「積」の象ある。陽気は上昇するから「大車を以て載す」と言う。義を取るは本爻を用い、象を取るは伏卦を用いる。(盧氏は乾を以て大車とするが、乾にはこの象なさそうである。)
九三:公用亨于天子,小人弗克。三為三公,兌為亨,天子謂五,小人謂四。四不中不正,失位無應,故曰小人。三兌體,可受亨於五,然而弗能者,以四亦陽害之也。象曰:公用亨于天子,小人害也。
九三爻辞:「公、天子に亨(きょう)すを用うるも、小人は克(よく)せず。」三は三公の位で、三より五爻に互体して兌を成し、兌に「亨」(享献)の象あり。「天子」は六五を指し、「小人」は九四を指す。九四は中に居らず当位もせず、位を失いてまた応なし。だから「小人」と称す。九三は互体兌の体中に処り、もともと六五に向いて享献の礼を行い得るが、然るに成し得ぬは、九四が同じ陽爻として中間に横たわりて之に害するがゆえである。『小象伝』は「公、天子に亨すを用うるは、小人の害するなり」と言う。
九四:匪其彭,無咎。《釋文》云:彭,子夏傳作旁,虞作尪,雲作彭作旁,聲字之誤。王陶廬云:諸家易俱不作尪,此仲翔故生異說,與先儒為難。按《說文》云:彭,鼓聲也。《釋名》:彭,旁也。然則彭之旁,音義並同。《詩·魯頌》「以車彭彭」,毛傳:有力有容也。《齊風》「行人彭彭」,毛傳:多也。《集韻》云:強盛也。然則彭之義,為聲容盛大無疑。兌為剛魯,故曰彭;離為文,故曰匪。《考工記》「且其匪色」,注:匪,採貌也。《少儀》「車馬之美,匪匪翼翼」,注:行而有文也。匪其彭者,言文采之盛大顯著也。象曰:匪其彭無咎,明辨皙也。明辨皙即釋文盛之義。蓋離為嘉會為禮,有禮則有文,上下秩然,明辨以哲,故無咎也。
九四爻辞:「其の彭(ほう)に匪(あら)ず、咎なし。」『経典釈文』は言う。「彭」は『子夏伝』は「旁」と作り、虞翻は「尪」と作り、かつ「彭」と作るも「旁」と作るも、声近くして誤れると言う。王陶廬は言う。諸家の易はみな「尪」と作らず、これは虞翻(字は仲翔)がわざと新異を標して先儒と難を為すのである。按するに『説文』は「彭とは鼓声なり」と言い、『釈名』は「彭とは旁なり」と言う。然らば「彭」と「旁」は音義ともに同じ。『詩・魯頌』に「車を以て彭彭たり」とあり、毛伝は有力有容と解し、『斉風』に「行人彭彭たり」とあり、毛伝は多しと解し、『集韻』は強盛と解す。然らば「彭」の義は声容の盛大なること、疑いなし。兌に剛強粗放の象あるがゆえに「彭」と言い、離は文采と為るがゆえに「匪」と言う。『考工記』に「且つ其の匪色」とあり、鄭注は「匪とは采貌なり」と言い、『礼記・少儀』に「車馬の美、匪匪翼翼」とあり、注は行きて文あると言う。ゆえに「其の彭に匪ず」とは、文采の盛大にして顕著なるを言う。『小象伝』は「其の彭に匪ず咎なきは、明察にして皙(あき)らかなり」と言う。「明察にして皙らか」とはまさに文采の盛大の義を釈する。蓋し離は嘉会・礼と為り、礼有れば文有り、上下秩然として、明らかに辨えて通達する。だから咎なし。
六五:厥孚交如,威如,吉。孚,信也。五陽全孚於五,故曰交如。離南面嚮明而治,故曰威如。象曰:厥孚交如,信以發志也;威如之吉,易而無備也。五孚於諸陽,得行其志。孚即信,故曰信以發志,伏坎為信為志也。居尊位,人皆敬之,左右咸宜,故不必有所戒備。上九:自天佑之,吉無不利。五天位。佑,助也。王弼云:餘爻皆乘剛,上獨履柔,故吉利也。象曰:大有上吉,自天佑也。
六五爻辞:「其の孚、交如たり、威如たり、吉。」「孚」とは誠信である。五つの陽爻がすべて誠信を六五に帰すから「交如」と言う――彼此が交孚するを言う。離は南面して明に向いて治むるの象だから「威如」と言う。『小象伝』は言う。「其の孚交如は、信を以て志を発すなり。威如の吉は、易(やす)くして備えなきなり。」六五は衆陽に信服せられ、其の心志を施行する能くあり。「孚」はすなわち信で、だから「信を以て志を発す」と言う。伏坎に「信」の象・「志」の象あり(大有の陰陽を互に易して比を成せば、坎がその中に在る)。尊位に身を居し、人々皆敬い、左右ともに宜しきを得ざるなし。だから戒備を設ける要なし。上九爻辞:「天より之を佑す、吉、利ならざるなし。」五は天位で、「佑」とは助である。王弼は言う。余の爻は皆剛に乗るが、上のみ柔を履む。だから吉利である。『小象伝』は「大有の上の吉は、天よりの佑なり」と言う。
謙卦
謙亨,君子有終。山本高而在地下,故曰謙。謙,不自足也。三承乘皆陰,故曰亨。艮為君子,坤為終,故曰君子有終。謙、嗛同。《漢書·藝文志》「易之嗛嗛」,《尹翁歸傳》「溫良嗛退」,注皆云同謙。嗛,不足也,少也,故彖傳以盈為對文。
謙卦卦辞:「亨。君子は終り有り。」山はもともと高峻なのに、この卦は艮山を坤地の下に置く。だから「謙」と言う。「謙」とはすなわち自ら足れるとせぬこと。九三は上下の承け乗ずる所が皆陰爻で、通暢して阻るものなし。だから「亨」と言う。艮に「君子」の象あり、坤に「終」の象あり。だから「君子は終り有り」と言う。「謙」と「嗛」は同じである。『漢書・芸文志』に「易の嗛の嗛嗛」とあり、『漢書・尹翁帰伝』に「温良嗛退」とあり、注は皆「嗛」は「謙」に同じと言う。「嗛」とは足らざる・少なしで、だから『彖伝』は「盈」(満)を以て対文とする。
彖曰:謙亨,天道下濟而光明,地道卑而上行。天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙尊而光,卑而不可踰,君子之終也。艮為天,為光明。(象本《易林》。實易以艮為天為光明之處甚多,詳《焦氏易詁》。荀爽謂陽來成坎,日月之象,故光明,非。)居下卦,故曰下濟。濟,止也,言一陽止於三而成艮也,艮止也。坤為卑,居上卦,故曰卑而上行,互震為行也。
『彖伝』は言う。「謙、亨る。天の道は下に済(とど)まりて光明、地の道は卑しくして上に行く。天の道は盈を虧(か)けて謙を益し、地の道は盈を変じて謙に流れ、鬼神は盈を害して謙に福し、人の道は盈を悪(にく)んで謙を好む。謙は尊くして光あり、卑しくして踰(こ)えらる可からず、君子の終りなり。」この段の要は、艮に「天」の象・「光明」の象あるにある。『説卦』にこの説なし。尚氏が『焦氏易林』の中より鉤沈して出した漢代の逸象である(実に『易』の経文中に艮を以て天・光明とする所はすこぶる多い。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。荀爽は陽爻が来たりて坎を成し、日月の象を取るから光明と言うが、誤りである)。艮はすでに天でありながら、それがまた下卦に居るから「天の道は下に済まる」と言う。「済」とは止の意で、あの唯一の陽爻が第三位に止まりて艮を成すを言う。艮の卦徳はもともと止である。坤は卑下と為るが、かえって上卦に居るから「地の道は卑しくして上に行く」と言い、三より五爻に互体して震を成し、震は行と為り、「上に行く」の象はまさにこれより出る。
天道虧盈四句,申有終之原理。變,毀也。坤為虧,為毀,為害,為惡,為鬼;震為神(象失傳,詳《焦氏易詁》),為人。艮一陽在上,故尊。(艮為官,為君子,人知之;乃為尊又不知。只《易林》以艮為貴為尊。)而光。卑謂居下卦。虞翻謂三位賤,故卑,非也。卑而不可踰者,艮為山,艮止坎險,故雖卑退,而不能踰越,終獲福也。
「天の道は盈を虧く」以下の四句は、「君子は終り有り」の道理を申し述べる。「変」とはすなわち毀である。坤に「虧」「毀」「害」「悪」「鬼」の諸象あり。震に「神」の象あり(この象は失伝。詳しくは『焦氏易詁』を見よ)、また「人」の象あり。艮は一陽を以て上に居るから尊貴である(艮が官・君子と為るは、人皆知る。艮が尊と為るに至っては、知る者なし。ただ『焦氏易林』のみが艮を以て貴・尊とす)。「光あり」もまたこれより来る。「卑」とは艮体が下卦に処るを指す。虞翻は第三爻位は卑賤だから「卑」と称すと言うが、誤りである。「卑しくして踰えらる可からず」と言うのは、艮が山と為り、艮がまた坎の険を止め得るがゆえに、謙卑退譲すると雖も、他人は踰越する能わず、終に福を獲るを言う。
象曰:地中有山,謙。君子以捊多益寡,稱物平施。捊,王弼本作裒。《釋文》云:鄭、荀、董、蜀才皆作捋,取也。捊、裒音同通用。陽來內故曰益,艮手故曰取。說卦坤為眾,故為多。剝下五陰,互三坤,多極矣,今上來益三,居中以界上下。坤為物,下物雖寡,陽來益之,上下物等,故曰稱物。坎為平,物稱故施平。(虞因艮多節謂艮為多,非。多白眼,多心,多眚,多字若可取象,則巽坎皆可為多,不只艮也。)
『大象伝』は言う。「地中に山有るは謙。君子は以て多きを捊(ほう)め寡を益し、物を称(はか)りて施しを平らかにす。」「捊」は王弼本は「裒」と作る。『釈文』は鄭玄・荀爽・董遇・蜀才は皆「捋」(取るの意)と作ると言う。「捊」「裒」は音同じく通用す。陽爻が内卦に来居す、だから「益」と言い、艮は手だから「取」と言う。『説卦』は坤を以て衆とす。衆ゆえに多と為る。剥卦の下五爻は皆陰で、互体に三重の坤を含み、多き極まりなり。今、剥の上九が下りて三位を益して謙を成す。一陽が中に居りて上下を界分す。坤は物と為り、下体の物は寡少と雖も、陽爻が来たりて之を増益すれば、上下の物は相等しくなる。だから「物を称り」と言う――称量して均ならしむ。坎は平と為り、物すでに相称しければ、施与は自ずから均平たる(虞翻は『説卦』が艮を「多節」と言うに因って艮を多とす。誤り。『説卦』にまた「多白眼」「多心」「多眚」とあり、「多」の字をもし取象し得れば、巽・坎も皆多と為り得て、艮のみに止まらない)。
初六:謙謙君子,用涉大川,吉。初臨坎水,坎險坎陷,本不易涉,然初居下卦之下,謙而又謙,卑以自牧,故可用以涉此大川,而無不吉也。象曰:謙謙君子,卑以自牧也。揚子《方言》:牧,司也,治也。
初六爻辞:「謙謙たる君子、大川を渉るを用うる、吉。」初六は上に向いて互体坎の水に紧邻し(二より四爻に互坎)、坎は険にしてまた陥。もともと渉渡容易ならず。然るに初六は下卦の最下位に処り、謙にしてまた謙、卑を以て自ら牧(おさ)む。だからこの謙徳を憑りて大川を渉る能く、往かんとして吉ならざるなし。『小象伝』は「謙謙たる君子は、卑を以て自ら牧むなり」と言う。揚雄『方言』は「牧とは司なり、治なり」と言う。
六二:鳴謙,貞吉。《玉篇》:鳴,聲相命也。震為鳴,二承之。三陽為二友,損「一人行則得其友」是也。《詩·小雅》「嚶其鳴矣,求其友聲」,言二得承三,遂其所願,故得意而嗚也。二當位,故貞吉。象曰:鳴謙貞吉,中心得也。中心得,申鳴謙之故也。卦體坎,坎為中為心。
六二爻辞:「謙を鳴す、貞にて吉。」『玉篇』は「鳴とは声相い命ず」と言う。震に「鳴」の象あり(三より五爻に互震)、六二は下に之を承奉す。九三の陽爻は六二の友で、損卦のいう「一人行けば則ち其の友を得」がこの意である。『詩・小雅』に「嚶その鳴くや、其の友声を求む」とあり、まさに六二が九三を承奉し得て心願を遂ぐを言う。だから得意にして鳴く。六二は陰で陰位に居り当位するから「貞にて吉」。『小象伝』は「謙を鳴して貞にて吉は、中心得るなり」と言う。「中心得る」とは、「謙を鳴す」の由来を申し述べる。卦の中、二より四爻に互体して坎と為る。坎は中・心と為る。
九三:勞謙,君子有終,吉。坎為勞卦,故曰勞謙。艮為君子,艮成終,故曰君子有終。象曰:勞謙君子,萬民服也。三臨群陰,坤眾故曰萬民服。六四:無不利,撝謙。《釋文》撝、麾同,指撝也。象曰:無不利撝謙,不違則也。則謂三,言四順三,而發撝其謙德也。陰順陽,故無不利。子夏傳撝謙,化謙也,蓋化於三而不違之也。則純指三言,各家泛論之,非也。
九三爻辞:「労(ろう)なる謙、君子は終り有り、吉。」『説卦』は坎を労卦と称し、九三はまさに互体坎の中に在るから「労なる謙」と言う。艮は君子と為り、艮はまた終成を主るから「君子は終り有り」と言う。『小象伝』は「労なる謙の君子は、万民服すなり」と言う。九三は上に衆多の陰爻に臨み、坤は衆と為すから「万民服す」と言う。六四爻辞:「利ならざるなし、謙を撝(き)す。」『釈文』は「撝」と「麾」は同じく、指揮の意と言う。『小象伝』は「利ならざるなし謙を撝するは、則に違(そむ)かざるなり」と言う。「則」とは九三を指し、六四が九三に順い、かつ其の謙徳を発揮指撝するを言う。陰爻は陽爻に順うから「利ならざるなし」。『子夏伝』は「撝謙」とはすなわち「化謙」で、まさに九三に化せられて之に違わざるを言う。「則」の字は純に九三を指して言う。各家はこれを泛く法則と講ずるが、誤りである。
六五:不當(句),以其鄰,利用侵伐,無不利。坤虛故不當。震為鄰,為侵伐。以,與也。言五與四順三以征不服,無不利也。震為威武,故為侵伐為徵。李鼎柞謂六五離爻,離為戈兵,故為侵伐,毛奇齡、惠棟用之,非也。象曰:利用侵伐,征不服也。上六反君道,故曰不服。荀爽謂指五似非。
六五爻辞:「富まず。其の鄰を以て、侵伐に利を用う、利ならざるなし。」尚氏は「富まず」の下に一「句」の字を標し、これはこの二字が自ら一句を成すを言う(源文は「富」を「当」と誤る)。坤は中虚で、虚なれば富まず。だから「富まず」と言う。震に「鄰」の象・「侵伐」の象あり。「以」はここでは「与」と講ずる。六五と六四がともに九三に順い、服せざる者を征討せんに往くを言う。だから利ならざるなし。震は威武を主るがゆえに侵伐・征討と為る能くあり。李鼎祚は六五は離爻で、離は戈兵と為るがゆえに侵伐と言い、毛奇齡・恵棟は其の説を用いるが、皆誤りである。『小象伝』は「侵伐を用うるに利ありは、服せざるを征するなり」と言う。上六は君位の上に居りて君道に違するから「服せず」と称す。荀爽は「服せず」は六五を指すと言うが、おそらく誤り。
上六:鳴謙,利用行師,征邑國。俞樾云:六二鳴謙,傳曰中心得,此曰志未得,何相反若是。疑鳴當作冥,與豫、升上六同例。按俞說是也。豫上六冥豫,《釋文》云鄭讀為嗚。鳴、冥古蓋同聲相假,猶捊之作裒也。坤為師,為邑國;震為征,為行。人眾勢強故利,然以冥謙行之,昧於事情,故難得志,宋襄公是也。象曰:嗚謙,志未得也;可用行師,征邑國也。上應在三,三坎為志。志未得,言上為四五所阻,應三難也。
上六爻辞:「謙を鳴す。師を行うを用うるに利あり、邑国を征す。」兪樾は言う。六二の「謙を鳴す」は『小象』が「中心得る」と言うのに、ここでも「謙を鳴す」と言うのに『小象』は「志未だ得ざる」と言う。どうして相反するがこれほどであろう。「鳴」は「冥」と作るべきを疑い、豫・升の両卦の上六と例同じとする。按するに兪樾の説は正しい。豫の上六は「冥豫」で、『釈文』は鄭玄が「鳴」と読むと言う。これで「鳴」「冥」が古く同声相仮することが分かる。まさに「捊」を「裒」と作るがごときである。坤に「師」の象・「邑国」の象あり、震に「征」の象・「行」の象あり。人衆で勢い強ければ「利あり」。然るに昏昧の「冥謙」を以て事を行えば、事情の実況に昧く、だから得志し難い――春秋時の宋襄公がまさにこれである。『小象伝』は「謙を鳴すは、志未だ得ざるなり。師を行う可しは、邑国を征するなり」と言う。上六は下に九三と応じ、九三は互体坎の中に在り、坎は志と為す。「志未だ得ず」と言うのは、上六が六四・六五に阻隔されて、三と応じ難きがゆえである。
豫卦
豫,利建侯行師。雷出地上,得眾志行,故豫。豫,和樂也。歸藏作分,言震雷上出,與地分離也;又一陽界於五陰之間,使上下分別,與周易義異。震為君,故曰建侯,與屯同義。坤為師,順以動,故利行師。
豫卦卦辞:「侯を建て師を行うに利あり。」震雷は坤地の上より発し、衆陰の擁戴を得て心志が行く。だから「豫」と言う。「豫」とはすなわち和楽である。『帰蔵』はこの卦を「分」と名づけ、震雷が上に出でて地と分離するを言う。また一陽が五陰の間に横たわり界して上下を分かつ――これは『周易』の和楽の取義と異なる。震に「君」の象あるがゆえに「侯を建つ」と言い、屯卦の「侯を建てるに利あり」と義同じ。坤は師衆で、全卦は順にして動。だから「師を行うに利あり」。
彖曰:豫,剛應而志行,順以動豫。豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎。天地以順動,故日月不過,而四時不忒。聖人以順動,則刑罰清而民服。豫之時義大矣哉。艮為天,坤為地,艮為日,坎為月,順故不過不忒。坎為刑罰,坤為民,坤順故刑罰清而民服。艮為時,震卦數四,故曰四時。坎為聖(虞氏逸象),李鼎祚以震為聖,非。
『彖伝』は言う。「豫は、剛に応じて志行く、順を以て動く、豫。豫は順を以て動くがゆえに、天地も之のごとくす。況んや侯を建て師を行うをや。天地は順を以て動くがゆえに、日月は過差なく、四時は差忒(しとく)なし。聖人は順を以て動けば、則ち刑罰清くして民服す。豫の時の義は大なるかな。」艮に「天」の象あり、坤は地と為る。艮はまた日と為り、坎は月と為る。豫卦の二より四爻に互艮、三より五爻に互坎。順にして動くから日月の運行は過差なく、四時の更替は錯乱せぬ。坎は刑罰と為り、坤は民と為り、坤の性は柔順だから刑罰は清簡にして百姓は服する。艮は時と為り、震の卦数は四。だから「四時」と言う。坎は聖と為る――これは虞翻の伝えた逸象である。李鼎祚は震を以て聖とするが、誤りである。
象曰:雷出地奮,豫。先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。震為樂,為仁德,為帝,為薦。薦,進也;殷,盛也。艮為祖考。(象失傳,只《易林》知之。實小過六二過其祖,即以艮為祖,詳《焦氏易詁》。)古帝王作樂,皆以象其功德,用以郊天,使祖考配享。雷出地奮,聲容象之,故先王取以為法。震為王。
『大象伝』は言う。「雷は地より出でて奮(ふる)うは豫。先王は以て楽を作りて徳を崇め、殷(も)りに之を上帝に荐(すす)め、以て祖考に配す。」震に「楽」の象・「仁徳」の象・「帝」の象・「荐」の象あり。「荐」とは進献で、「殷」とは盛大である。艮に「祖考」の象あり(この象はすでに失伝、ただ『焦氏易林』のみ知る。実に小過の六二「其の祖に過ぎ」は、艮を以て祖とするを用いる。詳しくは『焦氏易詁』を見よ)。古代の帝王は楽を制作するに、皆其の功徳を象るを以てし、郊祀の大祭に用い、かつ祖先をして配享せしめた。雷が地より出でて奮起するは、声勢の气象がまさに作楽に相似る。だから先王は取りて効法と為す。震はまた王と為る。
初六:嗚豫,凶。初應四,四震為鳴,故曰鳴豫。爻在此而象在應,如蒙三之金夫、泰二之包巟憑河及此,為易之通例。自此例不明,於是明夷初九之飛及翼,皆以離為象矣。初六得敵,不能應四,故凶。象曰:初六鳴豫,志窮凶也。窮者,極也。初為二三所隔,應四難,故曰志窮。象曰:不終日,貞吉,以中正也。二當位,故中正。
初六爻辞:「豫を鳴す、凶。」初六は上に九四と応じ、九四は震の主爻で、震は鳴と為るから「豫を鳴す」と言う。爻辞はこの爻に落ちて、取象は応ずる爻に在る――蒙の六三の「金夫」、泰の九二の「荒を苞み河に馮る」、およびここは、みな同一類で、『易』の通例である。この通例が明らかならざるから、そこで明夷の初九の「飛」および「翼」は、皆離象に講じられた。初六は上に向かって六二に遇い、同性の敵を得て、九四と応ずる能わず。だから「凶」。『小象伝』は「初六、豫を鳴すは、志窮まりて凶なり」と言う。「窮」とはすなわち極である。初六は六二・六三に隔断されて四と応じ難いから「志窮まる」と言う。(六二の爻辞は源文脱漏。)『小象伝』は「日を終えず、貞にて吉は、以て中正なり」と言う。六二は陰で陰位に居り当位するから中正と言う。
六三:盱豫,悔,遲有悔。《說文》:盱,張目也。《爾雅》:盱,憂也。又《詩·小雅》「云何盱矣」,鄭箋:病也。艮為視(象失傳,祇易及《易林》用之,詳《焦氏易詁》),坤為病,故曰盱。諸爻獨三得承陽,然失位,故睢盱上視,有憂悔也。艮止故遲。有、又通。遲有悔者,言遲疑不決,又有悔也。盱豫句,悔一字句。象曰:盱豫有悔,位不當也。位不當,釋盱豫之故。
六三爻辞:「盱(く)して豫らか、悔あり、遅くして又た悔あり。」『説文』は「盱とは目を張るなり」と言い、『爾雅』は「盱とは憂なり」と言い、また『詩・小雅』の「云何ぞ盱せむ」は鄭玄の箋が病と解す。艮に「視」の象あり(この象は失伝、ただ『易』の経文と『焦氏易林』のみなお用いる。詳しくは『焦氏易詁』を見よ)、坤は病と為る。だから「盱」と言う。六爻の中でただ六三のみが九四の陽を承奉するが、然るに陰で陽位に居り位を失う。だから目を張りて上を視望し、憂悔を含む。艮の卦徳は止だから「遅」。「有」と「又」は通じ、「遅くして又た悔あり」とは、遅疑して決せず、また一層の悔を添うを言う。断句の上で「盱豫」は一句で、「悔」は一字を単独の句とす。『小象伝』は「盱して豫らかに悔あるは、位当たらざるなり」と言う。「位当たらず」とはまさに「盱豫」の由来を釈する。
九四:由豫,大有得,勿疑,朋盍簪。盂子「由由然與之偕」,注:由由,自得之貌。由豫者,從容和樂也。坎為疑,上下四陰附之,陽遇陰則通,故曰大有得勿疑。陽以陰為朋,盍,合也。簪與笄同,所以括髮。朋盍簪,言群陰歸四,有若簪之括髮也。臧庸云:象盍簪者,取一陽橫貫於五陰之中。可謂觀象獨深。又杜詩「盍簪喧櫪馬」,言群馬縶於一槓之上,故以盍簪為喻。此語解易,可謂明白如晝矣。
九四爻辞:「由(ゆう)として豫らか、大いに得る有り。疑う勿れ。朋、盍(あつ)めて簪(しん)とす。」『孟子』に「由由然として之と偕(とも)にす」とあり、注は「由由とは自得の貌」と言う。ゆえに「由豫」とはすなわち从容和楽である。坎は疑と為り(三より五爻に互坎)、上下の四つの陰爻が皆来たりて九四に依附し、陽は陰に遇えば則ち通ず。だから「大いに得る有り、疑う勿れ」と言う。陽は陰を以て朋とし、「盍」とは合で、「簪」と「笄」は同じく、髪を括るを以てす。「朋、盍めて簪とす」とは、衆陰が九四に帰附し、まさに簪が髪を攬聚して束するがごときを言う。臧庸は言う。「盍簪」の象を言うは、一陽が五陰の中に横貫するを取る。これを観象の極く深きと謂うべし。また杜甫の詩に「盍簪、櫪馬の喧(にぎ)なり」とあり、群馬を一の横木の上に絷(つな)ぐを言う。だから「盍簪」を借りて比喩とす。この語を以て『易』を解せば、明白にして白昼のごとしと謂うべし。
艮為簪。《易林》恆之咸云「簪短帶長」,以咸艮為簪;復之節語同,亦以節之互艮為簪。凡《易林》象,無不本於易。子夏傳為韓嬰作,在漢易為最古,即作簪,故焦氏亦讀為簪,與子夏傳同。至東漢則多改字,其詳皆在《焦氏易詁》中。(後之人於笄簪括髮之形象,茫昧失考,故於易象維妙維肖之朋盍簪三字,皆不知其故;而尤以謂漢以前無簪名者為失考。《儀禮》簪衣於裳,《韓非子》周主亡玉簪,李斯諫逐客宛珠之簪,謂漢以前無者非也。)
艮に「簪」の象あり。『焦氏易林・恒之咸』は「簪短く帯長し」と言い、まさに咸の艮体を以て簪とし、『復之節』は文句同じく、これも節卦の互艮を以て簪とする。およそ『焦氏易林』の用いる象は、『易』に本づかざるはなし。『子夏易伝』は漢初の韓嬰の作で、漢『易』の中で最も古く、ここでは「簪」と作る。だから焦延壽もまた「簪」と読み、『子夏伝』と一致す。東漢に至れば改字すること多し。詳細は皆『焦氏易詁』の中に在り。(後の人は簪笄を以て髪を括るの形象に茫昧として考うるを失い、だから「朋盍簪」の維妙維肖なる三つの易象に対し、皆其の故を知らず。殊に漢以前に「簪」の名なしと謂う者は失考である。『儀礼』に「裳に衣を簪す」とあり、『韓非子』に「周主玉簪を亡くす」とあり、李斯『諫逐客書』に「宛珠の簪」とある。漢以前に「簪」の名なしと言うのは正しくない。)
象曰:由豫大有得,志大行也。志謂坎,上下五陰皆孚於四,故曰志大行。六五:貞疾,恆不死。坎為疾,震生故曰不死。五以陰柔處尊位,乘剛勢逆,故常疾,然久而不死,以處中位也。如齊田得民,姜亦不遽亡也。象曰:六五貞疾,乘剛也;恆不死,中未亡也。中未亡之故,以得中故也。
『小象伝』は言う。「由豫、大いに得る有りは、志大いに行くなり。」「志」は坎の象を取り、上下の五つの陰爻が皆誠信にして九四に帰附するから「志大いに行く」と言う。六五爻辞:「貞は疾(やまい)、恒にして死せず。」坎は疾病と為り、震は生発を主るから「死せず」と言う。六五は陰柔を以て尊位に処り、また九四の剛に乗凌し、形勢は逆背す。だから常に疾患あり。然るに久しくして死せざるは、其の中位に処るを以てなり。春秋時の斉の田氏がすでに民心を得ても、姜姓の君はまたすぐには亡びざるがごときである。『小象伝』は「六五、貞は疾は、剛に乗るなり。恒にして死せざるは、中未だ亡びざるなり」と言う。「中未だ亡びざる」の所以は、まさに中を得るがゆえである。
上六:冥豫,成有渝,無咎。冥昧不事事,功之成者,必漸隳矣,故曰成有渝。然當位,目前雖無大咎,久則禍至,故象曰何可長。象曰:冥豫在上,何可長也。何可長,言不足恃。
上六爻辞:「冥くして豫らか、成せる者有(や)りて渝(かわ)る、咎なし。」昏昧にして逸楽に沈溺して事を治めざれば、すでに成就した功業は必ず漸く隳(こぼ)れる。だから「成せる者有りて渝る」と言う――成果が変を生ずるを言う。ただし上六は陰で陰位に居り当位するから、目の前は大咎なきと雖も、久しければ禍患が必ず至る。ゆえに『小象』は「何ぞ長からん」と言う。『小象伝』は「冥くして豫らかに上に在れば、何ぞ長からんや」と言う。「何ぞ長からん」とは、このような処境が恃むに足らぬを言う。
『周易尚氏学』巻六・上経
随卦
隨:元亨利貞,無咎。歸藏曰馬徒。馬徒,即周禮太僕職所謂前驅。越語「勾踐親為夫差前馬」,注:前馬,前驅,在馬前也。按震為馬,互艮為徒隸,馬徒皆隨貴人馬,前行以闢道;而兌為口,為傳呼,於卦象頗合。茲周易名隨,似取隨時之義。震春,故曰元亨;兌秋,故曰利貞。吉春而夏可賅,言秋而科可賅。元亨利貞,即春夏秋冬,周而復始,循環不窮,故曰隨。隨時而動,不過不忒,故無咎。
随卦卦辞:「元亨利貞、咎なし。」『帰蔵』はこの卦を「馬徒」と名づく。「馬徒」とはすなわち『周礼・太僕』のいう前駆である。『国語・越語』に「勾践、親しく夫差の前馬たる」とあり、注は「前馬とは前駆、馬の前に行く」と言う。按するに震は馬と為り、二より四爻に互艮は徒隷と為る。馬徒は皆貴人の馬に随いて前行し、之が道を辟く。そして兌は口・伝呼と為り、卦象にすこぶる合する。ここに『周易』は「随」と名づくは、時勢に随順するの義を取るらしい。震は春に属す。だから「元亨」と言い、兌は秋に属す。だから「利貞」と言う。春を講ずれば夏はその中に賅まり、秋を言えば冬もその中に賅まる。元・亨・利・貞とはすなわち春・夏・秋・冬で、周りて始めに復り、循環して窮まりなし。だから「随」と曰う。時に随いて動いて、過差・差失せず。だから「咎なし」。
象曰:隨,剛來而下柔,動而說,隨。大亨貞無咎,而天下隨時。隨時之義大矣哉。王肅本隨時皆作隨之,將卦義全失,朱於從之過矣。故夫讀易以明理為先也。象曰:澤中有雷,隨。君子以晌晦入宴息。艮為君子,又止故宴息。兌為昧,為晦;震往,往而遇兌,故曰晌晦。巽伏,故君子法此象,以晌晦人宴息。
『彖伝』は言う。「随は、剛来たりて柔の下に居り、動きて説(よろこ)ぶ、随。大いに亨りて貞しく咎なきは、天下時に随うなり。時に随うの義は大なるかな。」王粛本は「時に随う」を皆「之に随う」に改め、卦義を全く失せしめた。朱熹は其の読みに従ったが、失わりである。ゆえに『易』を読むは、理を明らむるを以て第一の要務とせねばならぬ。『大象伝』は言う。「沢の中に雷有るは随。君子は以て晦に向かいて宴(やす)み息らう。」(源文の「晌」は「向」の誤り。)艮は君子と為り、艮の卦徳は止だから「宴み息らう」能くあり。兌は昏昧・晦暗と為り、震は往を主り、往きて正しく兌に遇う。だから「晦に向かう」と言う――日暮れに向かう。巽は伏蔵の義あるから、君子はこの卦象に効法して、日が暮れれば内に入りて安息す。
初九:官有渝,貞吉,出門交有功。官,蜀才作館,見《釋文》。惠棟云:官,古文館。以穆天子傳「官人陳牲」為證。按作館是也。艮為館,下卦艮覆,故曰館有渝。渝,變也。初至四為正覆良,象覆即於覆取義,易通例也。自覆象失傳,渝之古舊解皆不能說其所以然,而用覆之辭,如蒙掾(無左)如中孚之二三交,詁皆誤矣。
初九爻辞:「館に渝(かわ)る所有り、貞にて吉。門を出づれば交(あいまみ)えて功有り。」「官」の字は蜀才本は「館」と作り、『釈文』に見える。恵棟は「官」は古文の「館」の字と言い、かつ『穆天子伝』の「官人、牲を陳す」を挙げて証とす。按するに「館」と作るは正しい。艮に「館」の象あり、随卦の下体は震で、まさに艮を倒した覆卦である。だから「館に渝る有り」と言う。「渝」とは変である。初爻より四爻に至るは一正一覆の二つの艮で、卦象すでに倒覆なれば、倒覆の上より義を取る。これが『易』の通例である。覆象が失伝してから、「渝」の字の旧注は皆其の然らしむる所以を言い得ず。およそ覆象を用いる辞句、例えば蒙卦、例えば中孚の二三両爻の交は、訓解も皆誤った。
渝而得位,故貞吉,與下貞凶為對文。艮為門,初臨之,而震為出,故曰出門。出門則有交接,陽遇陰則通,故有功。凡陽臨重陰者無不吉,此其一也。象曰:官有偷,從正吉也;出門交有功,不失也。失與佚通用,供,逸也。震動故不佚,言不敢安逸也。此與比六二不自失、小畜九二亦不自失,皆讀為佚,與吉韻。義詳比九五失前禽注。
変じて正位を得るから「貞にて吉」で、九四の「貞にて凶」と正しく相対して文を成す。艮は門と為り、初九は其の下に緊鄰し、震は出を主るから「門を出づ」と言う。門を出れば交接有り、陽は陰に遇えば通ず。だから「功有り」。およそ陽爻が重ねた陰爻に上臨むは吉ならざるなし。これが其一例である。『小象伝』は「館に渝る有りは、正に従いて吉なり。門を出でて交えて功有るは、失(佚)せざるなり」と言う。「失」と「佚」は通用し、「佚」とはすなわち安逸である。震は動を主るから佚せず、安逸を貪るを敢えてせぬを言う。これは比の六二の「自ら失せざる」・小畜の九二の「亦自ら失せざる」と同じく、「失」は皆「佚」と読むべく、「吉」の字と韻を押す。詳しい解は比の九五の「前禽を失(い)く」の注を見よ。
六二:係小子,失丈夫。此爻舊解,淆亂至今者,一由卦象失傳,二由同性相敵之理不明也。初震為小子,四艮為丈夫。二近初,故係小子;為六三所隔,不能承四,故失丈夫。《易林》家人之巽云「孩子貪餌」,以伏震為孩子也。孩子即小子,是焦氏以震為小子,義即本此也。
六二爻辞:「小子に係り、丈夫を失う。」この爻の旧注が今日まで淆乱するのは、故あって二つある。一は卦象の失伝、二は同性相敵の道理の明らかならざるにある。初九は震に属し、震は小子と為り、九四は艮に属し、艮は丈夫と為る。六二は初九に近いから「小子に係る」。また六三に隔断されて上に九四を承く能わず。だから「丈夫を失う」。『焦氏易林・家人之巽』は「孩子、餌を貪る」と言い、まさに伏震を以て孩子とす。孩子はすなわち小子。これで焦延壽が震を以て小子としたのは、取る義がまさにこれに本づくことが分かる。
又復之剝云「夫亡從軍」,以剝上艮為夫,是艮為丈夫,焦氏仍本之易。蓋以二人言,初生者長,後生者少,故說卦以震為長子,艮為少子;而以一人言,則初少上老,故經以震為小子,艮為丈夫。先儒不知經取象往往與說卦不同,不敢直認,豈知象傳所釋至明也。象曰:係小子,弗兼與也。
『焦氏易林・復之剥』はまた「夫、亡きて軍に従う」と言い、剥卦の上九の艮を以て夫とする。これで艮に「丈夫」の象あるが分かる。焦延壽はなお『易』に本づく。もともと二人を以て言えば、先に生まるるを長、後に生まるるを少とす。だから『説卦』は震を以て長子・艮を以て少子とす。もし一人の一生を以て言えば、初爻を少・上爻を老とす。だから経文は震を以て小子・艮を以て丈夫とする。先儒は経文の取象がしばしば『説卦』と異なるを知らず、直截に認むるを敢えてせざったが、彼らは知らざりしことに、『小象伝』の釈するところはもう再び明白ならざるなし。『小象伝』は「小子に係るは、兼ねて与(とも)にせざるなり」と言う。
二居初四之間,近初遠四,故曰弗兼與。虞翻謂二應五,以五為小子,五為少女,焉能為小子,失之遠矣。六三:係丈夫,失小子,隨有求(句)得(句),利居貞。三近四承陽,故上繫文夫;為二所阻,故下失小子。象謂志合下,是明以震為小於,艮為丈夫也。隨有求句,與下隨有獲對文。艮為求,陰承陽故有得,巽為利。咸六二云居吉,茲云利居貞,似亦以動為戒。蓋上無應,靜而承陽則吉,動則不利。舊解謂之正應上,於居義相背,非也。
六二は初九と九四の間に居り、初に近く四に遠い。だから「兼ねて与にせず」と言う――両辺ともに兼ね得る能わざる。虞翻は六二は九五に応じ、九五を以て小子とするが、九五は少女の位で、どうして小子と為り得ようか。錯り遠し。六三爻辞:「丈夫に係り、小子を失う。随いて求め有り(句)、得(句)、居貞に利あり。」尚氏は「求」「得」の下に各々一「句」の字を標し、断句を標明する。六三は九四に近く、上に陽爻を承けるから「丈夫に係る」。六二に阻隔されるから「小子を失う」。『小象』は「志、下に合す」と謂い、まさに明らかに震を以て小子・艮を以て丈夫とする。「随いて求め有り」は自ら一句を成し、九四の「随いて獲有り」と対文を成す。艮は求と為り、陰は陽を承ければ得る所有り、巽は利と為る。咸の六二は「居りて吉」と言い、ここは「居貞に利あり」と言う。似て亦妄動を以て戒とす。上に応ずる爻なく、静かに陽を承奉すれば則ち吉、動けば則ち利あらず。旧注は六三は上六に正しく応ずと言うが、「居」の字の義と相い背く。誤りである。
象曰:係丈夫,志合下也。下謂初。輕以艮為丈夫,以震為小子,可謂明白矣。九四:隨有獲,貞凶,有孚,在道以明,何咎。下乘重陰得民,故有獲;不當位,前遇敵,故貞凶。然下孚於眾,光明正大,遵循正道,亦無咎也。艮為道,為光明。虞氏命三四全變成離,取明象,迂曲失經旨。大畜彖傳曰「剛健篤實輝光」,剛健謂乾,輝光謂艮,是艮為光明,易有明文。
『小象伝』は言う。「丈夫に係るは、志、下に合するなり。」「下」とは初九を指す。経文が艮を以て丈夫・震を以て小子とするは、もう明白と謂うべし。九四爻辞:「随いて獲有り、貞にて凶。孚有りて、道に在りて以て明なれば、何の咎あらん。」九四は下に向かって重ねた陰爻に乗りて民衆を得るから「獲有り」。然るに陽で陰位に居り当位せず、前はまた九五の陽に遇いて同性の敵を成す。だから「貞にて凶」。然るに下の衆陰に対して信用を講じ、光明正大にして正道を遵循すれば、また咎なし。艮は道・光明と為る。虞翻は三・四の両爻を全く変じて離と為し、以て「明」の象を取る。迂回曲折して経文の本旨を失せり。大畜の『彖伝』は「剛健篤実輝光」と言い、「剛健」は乾を指し、「輝光」は艮を指す。これで艮が光明と為ること、『易』にもともと明文あることが分かる。
象曰:隨有獲,其義凶也;有孚在道,明功也。其義凶者,謂四本不凶,而凶者以不當位也。大畜、頤上九皆下孚於陰而吉。九五:孚于嘉,吉。《易林》每以震為嘉,蓋本此也。嘉指二,五孚於二,二震體,故曰孚于嘉。象曰:孚于嘉,位正中也。二五皆當位,故曰正中。
『小象伝』は言う。「随いて獲有るは、其の義凶なり。孚有りて道に在るは、功を明すなり。」「其の義凶」と言うは、九四はもともと凶ならざるも、凶たる所以はただ当位せざるに由るを言う。大畜・頤の上九は皆下に向かって陰爻に孚を取りて吉を得た。参照すべし。九五爻辞:「嘉に孚する、吉。」『焦氏易林』はしばしば震を以て嘉とす。蓋しこれに本づく。「嘉」とは六二を指し、九五は六二に孚を取る。六二は震体に属すから「嘉に孚する」と言う。『小象伝』は「嘉に孚するは、位正中なり」と言う。六二・九五は皆当位するから「正中」と言う。
上六:拘係之,乃從維之,王用亨于西山。伏艮為拘,為山;兌西故曰西山,兌口故曰亨。王渭五。三至上正反巽,巽為繩,故曰繫,曰維。虞翻曰:兩繫稱維。正反兩類詩所謂縶之維之也。卦以隨為義,六窮於上,五恐其去,拘係之,從維之,或即其隱居之處而宴享之,言六無所隨,而五必隨之也。西溪易說云:先儒說易,遇西山西鄰,皆曰文王事也,可謂大謬。象曰:拘係之,上窮也。窮,盡也。
上六爻辞:「之を拘えて係ぎ、乃ち従いて之を維ぐー。王、西山に亨(きょう)すを用う。」伏艮に「拘」の象・「山」の象あり。兌は西方に居るから「西山」と言い、兌は口と為るから「亨」(享献)と言う。「王」とは九五を指す。三爻より上爻に至るは一正一覆の二つの巽で、巽は縄と為る。だから「係ぐ」と言い「維ぐ」と言う。虞翻は言う。両条の縄が相い係ぐを「維」と称す。この一正一覆の両類の縄索の象は、まさに『詩経』のいう「之を絷(つな)ぎ之を維ぐ」である。この卦は「随」を以て義を立て、上六は窮極の地に至り、九五は其の去るを恐れて、そこで之を拘え、また縄索を以て之を維系し、あるいはその隠居の処に就いて宴を設けて款享する――上六には随う可き所なきも、九五は必ず之に随うを言う。『西溪易説』は講ずる。先儒が『易』を解するに、およそ「西山」「西隣」に遇えば即座に文王の事と言う。大謬と謂うべし。『小象伝』は「之を拘えて係ぐは、上窮まるなり」と言う。「窮」とはすなわち尽である。
蠱卦
蠱:元亨,利涉大川,先甲三日,後甲三日。左傳蟲蠱,而歸藏作蜀。詩(?)風「絹絹(左蟲)者躅(左蟲)」,躅(左蟲),葵中蠶也。詩詁:蜀已有蟲,再加蟲俗字。然則蜀亦蟲,與蠱義同也。蠱,敗也,壞也。卦上山震木,為材木之所出,乃下卦為巽,巽隕落故敗。又巽為蟲,蟲蠢物朽腐。大過曰棟撓(左木),《易林》旅之履云「木內生蠢」,蠢即蠱,皆以巽也,故壞。
蠱卦卦辞:「元亨。大川を渉るに利あり。甲より先き三日、甲より後れ三日。」『左伝』に「虫蠱」の説あり、『帰蔵』はこの卦を「蜀」と名づく。『詩・豳風』に「蜎蜎たる者蠋(しょく)」とあり、「蠋」とは葵の中の青虫である。『詩詁』は「蜀」の字はもともと虫の形を含み、さらに虫旁を加うるは俗字と言う。然らば「蜀」もまた虫で、「蠱」と義同じ。「蠱」とは敗・壊である。この卦は上体が艮山・下体が巽木で、もともと材木の出ずる所なのに、下卦は巽で、巽に「隕落」の象あるがゆえに敗壊す。巽はまた虫と為り、虫は蛀蝕の物で、物を朽腐せしむ能くあり。大過は「棟撓(たわ)む」と言い、『焦氏易林・旅之履』は「木の中に蠹(と)を生ず」と言い、「蠹」はすなわち蠱で、皆巽象を取る。だから壊を主る。
禮王制「執左道以亂政」疏云:蠢者,損壞之名。周禮秋官庶氏,掌除毒蠱,鄭注:毒蠱,蟲物而病害人者。又翦氏,掌除蠢物,凡庶蠱之事,注:蠱,蠢之類。又史記秦德公二年初伏,以狗御蠱,注:蠱,惡氣。是蠱之為蠢為腐壞甚明。又左傳云:女惑男,風落山,謂之蠱。女惑男,男敗;風落山,山敗。亦以敗壞說蠱。
『礼記・王制』の「左道を執りて以て政を乱る」の孔疏は言う。「蠹とは損壊の名称なり。」『周礼・秋官』の庶氏は毒蠱を除くを掌り、鄭玄の注は「毒蠱とは虫類にして人を害して病を致す者」と言う。また翦氏は蠹物を除き、およそ蠱害の事に属するを掌り、注は「蠱とは蠹の類なり」と言う。また『史記』に秦の徳公二年、初めて伏日を設け、狗を以て蠱を禳(はら)い除くと載せ、注は「蠱とは悪気なり」と言う。これで「蠱」が蠹・腐壊たること、すこぶる明白である。『左伝』はまた言う。女が男を惑わし、風が山木を落とすを、蠱と謂う。女が男を惑わせば男は敗れ、風が山木を落とせば山も敗れる――同じく敗壊を以て「蠱」を釈する。
荀爽謂蠱為事,朱子蓋以為不安,又曰壞極而有事。夫卦名皆由卦象而生,詁蠱為事為惑,皆正訓不誤,而此則義為敗壞,亦卦象所命也。彖曰巽而止蠱,亦以敗壞為說;若必拘序卦而訓為事,則此句義難通矣。陽得陰則通,坤為大川,為事,剛往坤上,下履重陰,容民得眾,故曰利涉大川,曰往有事。
荀爽は「蠱」を「事」と講じ、朱熹も蓋し妥ならずと思い、さらに「壊れ極まりて事ある」と言う。卦名は皆卦象より生ずる。「蠱」を事・惑と訓ずるは、訓詁それ自体に就いて言えば皆誤りではない。然るにこの卦の義は敗壊で、同じく卦象の決定する所である。『彖伝』が「巽にして止む、蠱」と言うも、また敗壊に就いて説を立てる。もし必ず『序卦伝』に拘りて「事」と訓ぜんとすれば、この一句は講じ通らざる。陽爻は陰爻を得れば通ず。坤は大川・また事と為る。蠱の剛爻は上に往きて坤位の上に居り、下に重ねた陰爻を踏み、百姓を容れ衆心を得る能くあり。だから「大川を渉るに利あり」と言い、「往きて事有り」と言う。
乾元為甲、蠱之先為泰。乾為日,三爻故曰先甲三日。乃由泰反否而蠱為之始,初交上為蠱,二三隨上成否,甲之在下者反上,先甲變為後甲矣,故又曰後甲三日。蠱旁通隨,隨者由否反泰之始,上爻下成隨,四五隨下成泰,甲之在上者反下,後甲又變為先甲矣。否泰相循環相終始,來往 信,天道因如是也。
乾元は「甲」と為り、蠱の前の一卦は泰である。乾は日と為り、乾は三の爻あり。だから「甲より先き三日」と言う。泰より否に反転するは、蠱を以て開端とす。泰の初爻が上に交じて上位に至れば蠱を成し、二・三の両爻がさらに随いて上れば否を成す。もともと下に在った「甲」は上に反り、「先甲」はそこで「後甲」と変ずる。だからまた「甲より後れ三日」と言う。蠱は随と旁通し、随は否より泰に反転するの開端である。否の上爻が下りて随を成し、四・五の両爻がさらに随いて下れば泰を成す。もともと上に在った「甲」は下に反り、「後甲」はまた「先甲」に変じ返る。否と泰はこのように循環往復し、互に終始と為り、往来して屈信す。天道はもともとかくのごとし。
象曰:蠱剛上而柔下,巽而止蠱。蠱元亨而天下治也。利涉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。行,道也。泰者隨之終,蠱者否之始,故曰終則有始。
『彖伝』は言う。「蠱は、剛は上に柔は下に、巽にして止む、蠱。蠱、元亨にして天下治まるなり。大川を渉るに利ありは、往きて事有るなり。甲より先き三日、甲より後れ三日は、終り有れば則ち始め有る、天の行なり。」(源文の「象曰」は「彖曰」と作るべし。)「行」とはすなわち道である。泰は随の一路の演変の終点で、蠱は否の一路の演変の起点である。だから「終り有れば則ち始め有り」と言う。
象曰:山下有風,蠱。君子以振民育德。風止山下,氣鬱不通,故蠱。蠱則不生育,振而作之,所以救蠱而育德也。象義有因卦象而取法者,有反省者,茲則反省者也。
『大象伝』は言う。「山下に風有るは蠱。君子は以て民を振り徳を育す。」風は山下に止められ、気は鬱結して通ぜず。だから「蠱」を成す。すでに蠱壊すれば生養する能わず。振起鼓舞するは、まさに以て蠱壊を救い徳を育成する所以である。『大象』の取義に二類あり。一は卦象に順いて法を取る類、一は其の象に反して自省する類。ここは後の類に属す。
初六:於父之蠱,有子考,無咎,厲終吉。初雖不當位,然上承重陽,與上合志,與升初六同,故吉。《易林》以震巽為父母,詳《焦氏易詁》。朱漢上以復垢(左女)為小父母,復殷(左艮)仍震巽。初伏震,故曰父,曰了。乾正也,能正父蠱,故曰有子考。逸周書謐法云:考,成也。左氏襄十三年彌廟疏:考,成也,言有成德也。有子考者,即謂有子能成就先業也,故無咎。風隕故厲,承陽故終吉。馬融、王肅讀考字絕句,王注作考無咎,非也。象曰:乾父之蠱,意承考也。意承考,謂初上承重陽,能承繼先德也。承,順也,巽象。
初六爻辞:「父の蠱を幹(あらた)む。子有りて考(おも)い継ぐ、咎なし。厲(あやう)けれど終に吉。」(源文の「于」は「干」の誤り。)初六は当位せざると雖も、上に向かって重ねた陽爻を承接し、上九と心志を合す。情形は升卦の初六と同じだから吉。『焦氏易林』は震・巽を以て父母とす。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。朱震は復・垢を以て小父母とするが、復・垢の含む所はなお震・巽である。初六は震を伏するがゆえに「父」と言い「子」と言う。乾は正を主り、能く父輩の蠱壊を匡正す。だから「子有りて考(おも)い継ぐ」と言う。『逸周書・諡法』は「考とは成なり」と言い、『左伝』襄公十三年の孔疏もまた「考とは成なり」と言い、成就する徳あるを言う。「子有りて考い継ぐ」とはすなわち先人の事業を成就し得る子あるを言う。だから「咎なし」。巽は隕落を主るから「厲」。上に陽を承けるから「終に吉」。馬融・王粛は「考」の字を上句に断じ入れ、王弼の注は「考、咎なし」と作るが、皆非なり。『小象伝』は言う。「父の蠱を幹むは、意、考を承ぐるなり。」「意、考を承ぐる」とは、初六が上に重ねた陽爻を承け、能く先人の徳を承継するを言う。「承」とはすなわち順で、巽の象を取る。
象曰:乾母之蠱,得中道也。二五得中。九三:乾父之蠱,小有悔,無大咎。三震體,故亦因父。按九三上雖無應,然當位,前臨重陰,與大畜九三象同,當吉;乃大畜九三利往,此云小悔無大咎者,以體下斷也。凡巽體上交多不吉,先儒不知其故在本弱,故多誤解。象曰:乾父之蠱,終無咎也。九三前臨重陰,利往,故終無咎。
『小象伝』は言う。「母の蠱を幹むは、中の道を得るなり。」(源文は九二の爻辞を脱す。)九二と六五は皆中位を得る。九三爻辞:「父の蠱を幹む、小さく悔あり、大咎なし。」九三は震体に属すからまた「父」と称す。按するに九三は上に応ずる爻なきと雖も、陽で陽位に居り当位し、前にはまた重ねた陰爻に臨み、大畜の九三と取象同じく、もともと吉たるべし。然るに大畜の九三は「往くに利あり」と言い、ここでは「小さく悔あり、大咎なし」と言うのは、其の処する下体の巽が柔弱なるに就いて断ずるのである。およそ巽体に属して上に交接するは多く吉ならず。先儒は由が巽体の自身柔弱なるに在るを知らざるがゆえに、多く解を誤った。『小象伝』は「父の蠱を幹むは、終に咎なきなり」と言う。九三は前に重ねた陰爻に臨み、往くに利あるがゆえに、終に咎なし。
六四:裕父之蠱,往見吝。裕,寬也,虞云不能淨父過也。前遇敵,陰遇陰則窒,故往吝。象曰:裕父之蠱,往未得也。六五:乾父之蠱,用譽。得中,有應,上承陽,而艮為名,故可致聞譽。象曰:乾父用譽,承以德也。德謂陽,承以德,言上承陽也。
六四爻辞:「父の蠱を裕(ゆた)かにす、往けば吝を見る。」「裕」とは寛緩で、虞翻は能く父輩の過失を匡正せざると言う。六四は前に六五に遇い、同じ陰爻にして相い敵し、陰が陰に遇えば則ち壅塞して通ぜず。だから往けば吝あり。『小象伝』は「父の蠱を裕かにすは、往きて未だ得ざるなり」と言う。六五爻辞:「父の蠱を幹む、誉(ほまれ)を用いる。」六五は中位を得、下に九二と応じ、また上に上九の陽を承け、そして艮に「名」の象あるがゆえに、声誉を致す能くあり。『小象伝』は「父を幹みて誉を用うるは、徳を以て承ぐるなり」と言う。「徳」とは陽爻を指し、「徳を以て承ぐる」とは、六五が上に向かって上九の陽を承接するを言う。
上九:不事王侯,高尚其事。三震為王,為諸侯,上不應之,故曰不事王侯,言不事王侯之事也。高居物表,逍遙事外,故曰高尚其事。象曰:不事王侯,志可則也。則,法也。不事王侯,若共伯和、吳季禮之流是也,作奉事者非。
上九爻辞:「王侯に事(つか)えず、其の事を高尚にす。」九三は震に属し、震は王・諸侯と為る。上九は九三と同性にして応ぜず。だから「王侯に事えず」と言い、王侯に奉事する事をせぬを言う。高く万物の表に居りて、世事の外に逍遥す。だから「其の事を高尚にす」と言う。『小象伝』は「王侯に事えざるは、志、則たる可きなり」と言う。「則」とは效法である。王侯に事えずと言うは、共伯和・呉季札の類のごときである。この「事」の字を奉事と講ずるは誤り。
臨卦
臨:元亨利貞,至于八月有凶。釋詁:臨,視也。毀梁哀七年「有臨天下之言焉」,注:臨,撫有之也。卦以震君臨四陰,正撫有也,故曰臨。臨闢丑,陽息卦,故曰元亨。左傳云:不行之謂臨。行而不已,則至八月而凶矣,故又曰利貞,言利於貞定也。月卦始子復,至未遁正八月,故鄭、陸、虞皆以八月為遁。而虞氏以殺君父說凶義則非,殺君父皆否遁所同有,胡獨八月凶乎。
臨卦卦辞:「元亨利貞。八月に至りて凶有り。」『爾雅・釈詁』は言う。「臨とは視なり。」『穀梁伝』哀公七年に「天下に臨むの言有り」とあり、注は「臨とは撫して之を有するなり」と言う。この卦は下体の震陽を以て上の四つの陰爻に君臨し、まさに撫して有するである。だから「臨」と言う。臨は十二辟卦の一で、丑月に配して、陽気の生長する卦に属す。だから「元亨」と言う。『左伝』は言う。行わざるを臨と謂う。もし行きて已まざれば、八月に至りて凶となる。だからまた「利貞」と言い、貞定して動かざるに宜しきを言う。月卦は子月の復より起算して、未月の遯に数えてちょうど第八个月である。だから鄭玄・陸績・虞翻は皆「八月」を以て遯とす。しかし虞翻が弒君殺父を以て「凶」の義を釈するは誤りである。弒君殺父は否・遯の諸卦が共に有するもので、どうして偏に八月のみ凶としようか。
按《易林》恆之臨云:神之在丑,破逆為咎,不利西南,商人休止。臨闢丑,震為神,故曰神之在丑;乃行至未而破丑,故曰破逆為咎。又按漢書翼奉傳:平昌侯三來見臣,皆以正日加邪時。孟康曰:謂乙丑之日,丑為正,日加未而來,未破丑,故曰邪時。陸績易傳「至于八月凶」注曰:建丑至未也。八遁亦以未破丑說凶義,徒以弒君父為說,何以辭於其它消卦乎。幾易言八月七日,皆言爻數,後儒往往以殷正周正為說,皆夢吃語也。
按するに『焦氏易林・恒之臨』は言う。「神は丑に在り、破逆して咎と為る。西南に利あらず、商人は休止す。」臨は丑月に配する辟卦で、震は神と為るから「神は丑に在り」と言う。しかるに行きて未月に至りて未が丑を沖破するから「破逆して咎と為る」と言う。また按するに『漢書・翼奉伝』に「平昌侯、三たび臣に見えに来たる、皆正日を以て邪時を加う」とあり、孟康は釈して言う。乙丑の日を謂い、丑は正なり。日が未位に加えて来たれば、未は丑を破す。だから邪時と曰う。陸績『易伝』は「八月に至りて凶」に注して言う。丑に建てて未に至るなり。これで八月が遯たること、同じく未が丑を破すを以て凶の義を講ずることが分かる。ただ弒君殺父を以て説を立てんでは、其の他の陰消の卦に対してどうして言い訳す可きか。およそ『易』が「八月」「七日」を言うは、皆爻数に就いて言う。後儒は往々にして殷正・周正の暦法を以て釈するが、皆夢中の囈語である。
象曰:臨,剛來浸而長,說而順,剛中而應,大亨以正,天之道也。至于八月有凶,消不久也。通消卦,故曰不久。象曰:澤上有地,臨。君子以教思無窮,容保民無疆。震兌皆為言,故曰教思無窮。坤為民,震為仁,故曰容保民。坤廣大,故曰無疆。
『彖伝』は言う。「臨は、剛、浸に長じ、説(よろこ)びて順、剛中にして応ず。大いに亨りて以て正なり、天の道なり。八月に至りて凶有るは、消ゆること久しからざるなり。」下体の兌は喜悦を主り、上体の坤は柔順を主り、九二は剛を以て中に居りて上に六五に応ず。だから「大いに亨りて以て正なり」。この卦は陰気が陽を消すあの一系の卦と通ず。陽長の勢いは久しく保つ能わず。だから「消ゆること久しからず」と言う。『大象伝』は言う。「沢の上に地有るは臨。君子は以て教え思うこと窮まりなく、民を容れ保するに疆(かぎ)りなし。」震・兌は皆「言」の象あり――兌が口舌と為るは人の共に知る所で、震が言と為るは尚氏が『焦氏易林』の存する逸象に拠って説を立てる――言を出して教誨すること綿々として尽きず。だから「教え思うこと窮まりなし」と言う。坤は民と為り、震は仁と為る。仁徳を以て百姓を容納す。だから「民を容れ保する」と言う。坤地は広大にして辺際なし。だから「疆りなし」と言う。
初九:咸臨,貞吉。咸,感也。初二爻皆有應,故皆曰咸臨。貞,卜問也。象曰:咸臨員吉,志行正也。坤為志,應在坤,皆當位,故曰志行正。九二:成臨,吉,無不利。承遇陰則通,故曰無不利。象曰:咸臨吉無不利,未順命也。二必升五,得尚于中行,而卦以不利為義,故曰未順命。
初九爻辞:「咸(みな)して臨む、貞にて吉。」「咸」とは感である。初九・九二の両爻は皆其々応ずる陰爻有るから、皆「咸臨」と言う。「貞」は卜問である。『小象伝』は「咸して臨みて貞にて吉は、志行きて正しきなり」と言う。坤は志と為り、応ずる爻は皆上体の坤の中に在り、しかも各々当位す。だから「志行きて正しき」と言う。九二爻辞:「咸して臨む、吉、利ならざるなし。」九二は上に向かって遇うは陰爻で、陽は陰に遇えば則ち通ず。だから「利ならざるなし」。『小象伝』は「咸して臨みて吉にして利ならざるなしは、未だ命に順わざるなり」と言う。九二は必ず五位に上昇して「中行」の尚を得るが、然るにこの卦は静守して行わざるを以て義を立てる。だから「未だ命に順わず」と言う。
六三:甘臨,無攸利,既憂之,無咎。說文:甘,美也。三獨近二,陰順陽,言甘於順二也。然不當位,無應,故無所利。坤為憂,知無所利而優之,故無咎也。象曰:甘臨,位不當也;既憂之,咎不長也。不長謂不久。
六三爻辞:「甘(あま)んじて臨む、攸(ところ)に利あらず。すでに之を憂えば、咎なし。」『説文』は「甘とは美なり」と言う。六三は衆陰の中で唯一九二に緊鄰し、陰は陽に順う。だから甘んじて九二に順うを言う。然るに六三は陰で陽位に居り当位せず、上はまた応ずる爻なし。だから攸に利なし。坤は憂と為る。利なきを明知して之がために憂慮戒懼すれば、咎なし。『小象伝』は「甘んじて臨むは、位当たらざるなり。すでに之を憂うるは、咎長からざるなり」と言う。「長からず」とはすなわち長久せざること。
六四:至臨,無咎。虞翻曰:至,下也,謂下應初,當位有實,故無咎。象曰:至臨無咎,位當也。六五:知臨,大君之宜,吉。知音智,言宜知幾也。震為大君,象失傳,詳《焦氏易詁》。九二震主交,應在五,二五相上下,皆當位,故曰大君之宜,言二宜升五也。
六四爻辞:「至(いた)りて臨む、咎なし。」虞翻は言う。「至とは下なり。六四が下に初九に応ずるを謂う。当位して応ずる所は充実す、だから咎なし。」『小象伝』は「至りて臨みて咎なきは、位当たるなり」と言う。六五爻辞:「知(ち)を以て臨む、大君の宜(ぎ)なり、吉。」「知」は「智」と読み、宜く几(き)を知るべきを言う。震に「大君」の象あり、この象はすでに失伝。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。九二は震の主爻で、上に六五に応ず。二と五がもし上下を互に換えれば、両爻ともに当位する。だから「大君の宜」と言い、九二が五位に升るに宜しきを言う。
象曰:大君之宜,行中之謂也。二五皆中位,故曰行中。知臨者,言宜知幾,與二相上下也。上六:敦臨,吉,無咎。陽息即至三,上稍止即有應,故曰敦臨。敦與屯與頓皆通,有止意、待意,義詳復卦。言稍待即有應,故曰志在內,內謂三也。故復五六亦曰敦復,言五少遲,陽即息至二,有應,與此同也。舊解訓敦為厚,非。
『小象伝』は言う。「大君の宜とは、中を行くの謂なり。」九二・六五は皆中位に在るから「中を行く」と言う。「知を以て臨む」と言うは、宜く几を知りて作し、九二と上下を互に換ゆべきを言う。上六爻辞:「敦(とん)として臨む、吉、咎なし。」陽気の生長は間もなく第三位に至るから、上六が稍(やや)停まれば即座に応ずる爻有る。だから「敦として臨む」と言う。「敦」と「屯」「頓」とは皆通じ、停止・等待の意を含む。詳しい釈は復卦を見よ。稍々待てば即座に応ずる爻有るを言う。だから『小象』は「志、内に在り」と言い、「内」とは三位を指す。ゆえに復卦の六五もまた「敦復」と言い、六五が少し遅れれば陽気は即座に第二位に長じて之と応ずるを言う。ここと理同じである。旧注は「敦」を敦厚と訓ず。誤りである。
象曰:敦臨之吉,志在內也。言頓止之故,因陽息即至三,有應也。易之道貴將來,將來有應,故吉;不然內無應,何吉之有。凡云志在內、志在外者,皆謂應爻。九家謂志在二升五,清儒皆宗之,由誤解敦字故也。
『小象伝』は言う。「敦として臨むの吉は、志、内に在るなり。」これは頓止して待つ所以を言う。陽気の生長が間もなく三位に至り、上六は便りに応ずる爻を得るがゆえである。『易』の道理は将来を貴ぶ。将来に応有れば吉。然らざれば内卦に応なく、何の吉かあらん。およそ「志、内に在り」「志、外に在り」と言うは、皆応ずる爻を指す。『九家易』は「志」は九二が五位に升るを指すと言い、清の学者は皆これに随う。「敦」の字を誤解したがゆえである。
観卦
觀:漱而不薦,有孚若。五得尊位,下臨萬民,民為廟堂,萬民瞻仰,故曰觀。《易林》以艮為觀、為視,象失傳,詳《焦氏易治》,蓋即本此也。國之大事,在把與戎。禮之可觀,莫盛乎宗廟;宗廟之可觀,莫盛乎祭祀。
観卦卦辞:「盥(かん)して薦(すす)めず、孚有りて顒(ぎょう)若(と)り。」(源文の「漱」は「盥」の誤り、「孚有り」の下に「顒」の字を脱す。)九五は尊位に居るを得、下に向かって万民に君臨し、まさに宗廟の尊きが万民に瞻仰せらるるがごとき。だから「観」と言う。『焦氏易林』は艮を以て観・視とす。この象はすでに失伝。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。蓋しこの卦に本づく。国の大事は祭祀と征戦に在り。礼の中で観瞻すべきは宗廟より盛んなるはなく、宗廟の中で観瞻すべきは祭祀より盛んなるはなし。
初漱降神也。馬融云:進爵灌地以降神也。卦巽為白茅,茅在地上,坤水沃之,縮酒之象也。灌地降神,其誠敬之心,孚於神明。禺(右頁),敬也。及至薦牲則扎簡略。一孔子曰「帝(左衣)自既灌而往者,吾不欲觀之矣」,與此義同也。
初めの「盥」は地に灌ぎて神を降す。馬融は言う。酒爵を進め地に灌注し、以て神霊を召し降す。この卦の上体は巽で、巽に「白茅」の象あり、茅を地上に敷き、坤の水を以て其の上に沃(そそ)ぐ。まさに酒を縮み漉して神を降すの象である。地に灌ぎて神を降すの時、あの誠敬の心は神明と通ず。「顒」とはすなわち恭敬である。牲牢を進献するに及べば、礼はかえって簡略となる。孔子のいう「禘祭はすでに灌してより往くは、吾これを観んと欲せず」は、ここと意同じである。
象曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下。觀,漱而不薦,有孚禺(右頁)若,下觀而化也。觀天之神道,而四時不忒,聖人以神道設教,而天下服矣。坤為天下,天下化則服矣,此聖人所以以神道設教也。觀亦候卦,故曰四時。臨曰元亨利貞,亦四時也。
『彖伝』は言う。「大いに観らるるは上に在り、順にして巽、中正を以て天下を観る。観は、盥して薦めず、孚有りて顒若たり、下、観て化するなり。天の神道を観て四時は忒(たが)わず、聖人は神道を以て教を設けて天下服す。」九五・上九の二つの陽爻は高く衆陰の上に居る。すなわち「大いに観らるるは上に在り」。下体の坤は順を主り、上体の巽は入を主り、九五はまた中正にして尊位に居る。だから能く「中正を以て天下を観る」。坤に「天下」の象あり、天下の人は上に在る者を仰望して其の感化を受け、教化を受くれば自ずから服帰す。これがまさに聖人の神道を以て教を設けんとする所以である。観もまた節候に配する卦だから『彖伝』は「四時」に及ぶ。臨卦が「元亨利貞」を講ずるも、講ずる所は同じく春夏秋冬の四時である。
象曰:風行地上,觀。先王以省方觀民設教。坤為方,為民;艮為觀,故曰省方,曰觀民;巽為命,故曰教。先王巡狩四方,觀風問俗,宣佈教化,亦若風行地上也。初六:童觀,小人無咎,君子吝。《釋文》:馬云童猶獨也,鄭云樨(左禾)也。而虞翻以艮為童,詁與鄭同。按馬說是也。太玄玄沖云:童,寡有也。而《易林》每以坤為寡。初坤體,上無應,陰遇陰失類,孤寡極矣,故曰童觀。其在小人,獨行踽蹈(左同),尚可無咎;若君子則狹隘為病矣,故吝。蓋童之象不在艮而在坤。初何以孤寡,則以上無應而行失類也。象曰:初六童觀,小人道也。道,行也。
『大象伝』は言う。「風は地上に行くは観。先王は以て方を省(み)て民を観て教を設く。」坤は方・民と為り、艮は観と為る。だから「方を省る」と言い「民を観る」と言う。巽は命令と為るから「教」と言う。先王は四方を巡狩し、風俗を観察し民情を問い、教化を宣布するは、また風の地上に吹き行くがごときである。初六爻辞:「童(どう)観。小人は咎なし、君子は吝。」『釈文』は馬融が「童とは猶お独なり」と言い、鄭玄は稚(おさな)しと言うを引く。虞翻は艮を以て童とし、訓釈は鄭玄と同じ。按するに馬融の説は正しい。『太玄・玄衝』は「童とは寡有なり」と言い、そして『焦氏易林』は常に坤を以て寡とす。初六は坤体に属し、上はまた応ずる爻なく、陰は陰に遇い其の類応を失い、孤寡極まれり。だから「童観」と言う。このような情形はもし小人の身に在れば、独り行きて踽踽たるにすぎず、なお咎なしとすべし。もし君子の身に在れば、見識の狭隘の病と成る。だから「吝」。これで「童」の取象は艮に在らずして坤に在るが分かる。初六がどうして孤寡か。則ち上に応ずる爻なくして行きて類を失うがゆえである。『小象伝』は「初六、童観は、小人の道なり」と言う。「道」とはすなわち行である。
六二:窺觀,利女貞。說文:窺,閃也,傾頭門中視也。二應五,坤為門,二在門中,上窺九五,而坤為閉為羞,故羞縮不敢正視而窺觀也。聖人取象之精,非注視卦象,不知其微妙如此也。窺觀乃妾婦之行,故利女占;若在丈夫,則可丑矣。象曰:窺觀女貞,亦可醜也。丑謂不莊。
六二爻辞:「窺(き)して観る、女の貞に利あり。」『説文』は「窺とは閃なり、頭を傾け門の中を視るなり」と言う。六二は上に九五に応じ、坤は門と為り、六二はまさに門の中に在りて上に九五を窺い視る。そして坤はまた閉合・羞怯と為るがゆえに、羞じ縮んで正視するを敢えてせず、ただ窺い視るのみ。聖人の取象の精微は、卦象を注視せざれば、このような微妙を会得し得ざる。窺い視るはもともと妾婦の挙動で、だからただ女子の占に利す。もし男子の身に在れば、醜るべし。『小象伝』は「窺して観る、女の貞は、亦醜るべきなり」と言う。「醜」とは荘重ならざるを言う。
六三:觀我生,進退。凡我生皆謂應與。《詩·小雅》「雖有兄弟,不如友生」,易以陰陽相遇為朋友,故謂應與為我生。三應在上,故曰觀我生。進退,上巽為進退。進退者,上下也。三與上相上下,謂三宜進居上,上宜退居三,各當位也,故象曰不失道。象曰:觀我生進退,未失道也。道,行也。
六三爻辞:「我が生を観る、進退。」およそ「我が生」と言うは、皆己と相い応ずる爻を指す。『詩・小雅』に「兄弟有ると雖も、友生に如かず」とあり、『易』は陰陽の相遇すを以て朋友とす。だから応ずる爻を「我が生」と称す。六三は上に上九と応ずるから「我が生を観る」と言う。「進退」に至っては、上体の巽に「進退」の象あり。進退と謂うはすなわち上下の互換である。六三と上九が上下を互に換え、六三は進みて上位に居るに宜しく、上九は退きて三位に居るに宜しきを謂い、こうすれば両爻ともに当位する。だから『小象』は「道を失わざるなり」と言う。『小象伝』は「我が生を観る、進退は、未だ道を失わざるなり」と言う。「道」とはすなわち行である。
噬嗑卦
噬嗑也,亨,利用獄。噬嗑也,嗑,合也;亨,通也。夫上下之不能相合者,中必有物間之,嗑而去其間,則合而通矣。國家之有刑獄,亦復如是。民有梗化者,以刑剋之,則頑梗去而上下通矣,故曰利用獄。震為口,頤「利求口實」是也,為口故曰噬。雷電合居於東,故曰合而重。震為口,初至四正反震口合;上離,正反兌口合,故曰噬嗑。自覆象失傳,及震為口之象亡,噬嗑之義遂晦而不明。卦一陰一陽,剛柔交,故曰亨。坎為獄,折獄之道,不明則人不服,不威則眾不從,今威明並濟,故利。
噬嗑卦卦辞:「亨、獄を用うるに利あり。」「嗑」とは合で、「亨」とは通である。上下が相合い得ないのは、中間に必ず物が間隔するがゆえ。間隔の物を嗑(か)み去れば、合して通ずる。国家が刑獄を設けるも、理はまたかくのごとし。民の中に教化を梗げる者あれば、刑罰を以て之を克制すれば、頑梗が去りて上下は通ずる。だから「獄を用うるに利あり」と言う。震に「口」の象あり、頤卦の「口実を求むるに利あり」がこの象を用いる。口有れば「噬」(咬)と言う。雷と電とは東方に同居す。だから「合して章(あらわ)れり」。震は口と為る。初爻より四爻に至るは一正一覆の二つの震で、両口は相合し、上体は離で、また一正一覆の二つの兌を含み、これも両口が相合す。だから「噬嗑」と言う。覆象が失伝してより、および震が口と為るの象も亡佚し、噬嗑の意義はそこで晦んで明らかならざるに至った。この卦は一陰一陽が相間して、剛柔は交錯す。だから「亨」と言う。坎は獄と為る。折獄の道は、明ならざれば人服せず、威なければ衆従わず。今、威と明と兼ね済す。だから利ある。
象曰:頤中有物曰噬嗑,噬嗑而亨,剛柔分,動而明,雷電合而童,柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。有物謂四,四在顧中,故曰有物。頤上下陽,中四交皆陰,陰順陽,故求得口食。今四陽橫互於中,陽遇陽為仇為敵,不順,嗑去此物,則合而通,故曰噬嗑而亨。卦陽爻與陰交相間,故曰剛柔分。雷電合居於東,故曰合而章。五不當位,然文明以中,斷制枉直,不失情理,故利用獄也。
『彖伝』は言う。「頤の中に物有るを噬嗑と曰う、噬嗑して亨。剛柔分かれ、動きて明、雷電合して章(あらわ)れ、柔は中を得て上に行く。位に当たらざると雖も、獄を用うるに利あり。」「物有り」とは九四を指し、九四は頤の口中に横たわるから「物有り」と言う。頤卦は上下の両爻が陽、中の四爻は皆陰で、陰は陽に順う。だから口中の食を求め得る。今、九四のこの陽爻が中間に横たわり、陽は陽に遇い仇敵と成り、順わざる。この物を嗑み去れば、合して通ず。だから「噬嗑して亨」と言う。この卦は陽爻と陰爻と交錯相間するから「剛柔分かれ」と言う。雷と電とは東方に同居す。だから「合して章れ」と言う。六五は当位せざると雖も、文明にして中に居り、曲直を断制して情理を失せず。だから「獄を用うるに利あり」。
象曰:雷電,噬嗑。先王以明罰涑(右力)法。罰法皆坎象。敕(右力),正也,威之用;明則離之用也。初九:屨校減趾,無咎。震為趾,坎為校。初臨重陰,利往,往而遇坎,坎在震上,故曰屨校。校,械也;屨,貫也。言以械貫於震足之上,足不見,故曰減趾。初當位,故無咎。象日:屨校減趾,不行也。此言人初有過,其過尚微,故罰亦從輕,使有所懲,而不至積累其罪,以至於誅,所謂小懲大戒也。初本利行,行而遇險,故不行。
『大象伝』は言う。「雷電は噬嗑。先王は以て罰を明かにし法を敕(きち)くす。」罰と法とは皆坎の象を取る。「敕」とは整粛匡正で、威の運用に属し、「明」は則ち離の運用である。初九爻辞:「校(こう)を屨(は)きて趾(あしゆび)を滅(かく)す、咎なし。」震は趾(足)と為り、坎は校(刑具)と為る。初九は上に重ねた陰爻に臨み、もともと往くに利あるが、往きて坎に遇い、坎は震の上に在る。だから「校を屨く」と言う――履を履くがごとく刑具を足に套する。「校」とは刑械で、「屨」とは貫いて套すること。刑械を震足の上に套して、足は遮られて見えず。だから「趾を滅す」と言う。初九は当位するから「咎なし」。『小象伝』は「校を屨きて趾を滅すは、行かざるなり」と言う。これは人が初めて過を犯すに、その過はなお微少だから、罰もまた軽きに従い、彼をして惩戒ある所とせしめ、罪愆を累積して遂に誅戮に至らしめざらんとす。いわゆる小さく懲らして大いに戒むである。初九はもともと行くに利あるが、行けば即座に険に遇う。だから「行かず」。
六二:噬膚減鼻,無咎。震為噬,二艮體,故曰膚,曰鼻,言艮膚艮鼻,為震口所噬,隱伏於坎水之下,故曰減。二乘剛,故有是象。按減趾有類於刖刑,減鼻有類於劓刑,皆初犯罪,刑之輕者,皆冀其有所懲於後也。二得中,故可免於咎。象曰:噬膚減鼻,乘剛也。乘剛不順。
六二爻辞:「肤を噬(か)みて鼻を滅(かく)す、咎なし。」震は噬(咬)と為る。六二は二より四爻の互艮の中に処り、艮に「肤」の象・「鼻」の象あり、艮の肤・艮の鼻が震の口に咬まれ、また坎水の下に隠没するを言う。だから「滅」と言う。六二は初九の剛に乗凌するからこのような象あり。按するに「趾を滅す」は刖刑(足断の刑)に類し、「鼻を滅す」は劓刑(鼻割の刑)に類す。皆初犯の罪・刑罰の中の軽きもので、皆受刑者に後日の惩戒あらんことを冀う。六二は中に居るから、過咎を免れる能くあり。『小象伝』は「肤を噬みて鼻を滅すは、剛に乗るなり」と言う。剛爻に乗凌するはすなわち順ならざる。
六三:噬臘肉,遇毒,小吝,無咎。說文:臘,乾肉也。民堅故曰臘,坎為肉,故三爻四爻五爻皆言肉。坎為毒,遇毒者,坎在前也。坎肉象,詳《焦氏易詁》。然有應故小識破,無咎。王弼曰:噬以喻刑人,臘以喻不服,毒以喻怨生。按三不當位,以斯用刑,民必不服,豈惟不服,怨毒以生,言小民不知懲戒,仍積惡不俊也。象曰:遇毒,位不當也。三陽位。
六三爻辞:「腊肉(ろうにく)を噬みて、毒に遇う。小さき吝、咎なし。」『説文』は「腊とは乾肉なり」と言う。艮の性は堅硬だから「腊」(乾硬の肉)と言い、坎は肉と為るがゆえに三・四・五の三爻は皆肉に及ぶ。坎はまた毒と為る。「毒に遇う」は、坎がまさに前に在るがゆえである。坎が肉の象たるは、詳しくは『焦氏易詁』を見よ。六三は上に応ずる爻有るがゆえに、ただ小さく吝惜するのみ、咎なし。王弼は言う。「噬」は人に刑を用うるを喩え、「腊」は頑固にして服せざるを喩え、「毒」はこれによりて怨を生ずるを喩う。按するに六三は当位せず、このような身分を以て刑を用いれば、民は必ず服せず。服せざるのみか、なお怨毒を生ぜん。小民が惩戒を知らず、なお悪を積みて改めざるを言う。『小象伝』は「毒に遇うは、位当たらざるなり」と言う。三はもともと陽位で、六三は陰爻を以て之に居るから当たらざる。
九四:噬乾肺,得金矢,利艱貞,吉。姐(左月),《玉篇》:肉帶骨也。離艮皆為火,坎肉居中,故曰乾姐(左月)。艮為金,坎為矢,詳《焦氏易詁》。四艮主爻,故曰金;亦坎主爻,故曰金矢。坎陷故利艱貞。按周禮大司寇以兩造兩劑,禁民獄訟,人束矢鈞金,然後聽之。茲云得金矢,仍寓止訟之意。夫今民人金矢,原欲止其獄訟,茲曰得金矢,是訟者不止,而益深其罪也。象曰:利艱貞吉,未光也。坎隱伏故曰未光,升五則光矣。
九四爻辞:「乾胏(かんし)を噬みて、金矢を得。艱貞に利あり、吉。」「胏」は『玉篇』が骨を帯びた肉と言う。離と艮とは皆火と為り、坎の肉が中間に夾まりて烘烤せらるるから「乾胏」――焼き乾いた骨付き肉と言う。艮は金と為り、坎は矢と為る。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。九四は艮の主爻だから「金」と言い、同時にまた坎の主爻だから「金矢」と言う。坎は陥険の義有るがゆえに「艱貞に利あり」。按するに『周礼・大司寇』は「両造」「両剤」を以て百姓の獄訟を禁約し、人に一 束の矢・一鈞の金を納めしめ、然る後に之を聴治す。ここで「金矢を得」と言うは、なお争訟を止息するの意を寓す。もともと民に金矢を納めしむは、もとより其の獄訟を止めんと欲したが、今は「金矢を得」と言う。これで訟者は罷め肯んぜず、かえって己が罪を深めることが分かる。『小象伝』は「艱貞に利ありて吉は、未だ光ならざるなり」と言う。坎は隠伏を主るから「未だ光ならず」と言い、もし五位に升れば光る。
六五:噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。離火故仍曰乾肉。離色黃,五履艮金上,故曰得黃金。貞,卜問;失位,故貞厲;得中,故無咎。按五位雖尊,然不當位,以斯噬物,物亦不服,其堅有如噬乾肉之難。夫據尊位,能行其戮者也,乃物仍不服,不知誡懼,則其估惡不俊(左心),頑堅難化也明矣,故曰得黃金,言其堅愈進也。得黃金非吉辭,如吉則下不日貞厲矣。象曰:貞厲無咎,得當也。得當者,得中也。
六五爻辞:「乾肉を噬みて、黄金を得。貞にて厲、咎なし。」離は火と為るから、なお「乾肉」と言う。離の色は黄で、六五はまた互艮の金の上を踏む。だから「黄金を得」と言う。「貞」は卜問で、六五は陰で陽位に居り位を失うから「貞にて厲」。然るに中に居るから「咎なし」。按するに六五は尊位に居ると雖も、当位せず。このような身分を以て物を噬めば、物もまた服せず、其の堅硬はまさに乾肉を噬むがごとき難しさである。尊位に拠るは、もともと誅戮を行い得る者なのに、相手はなお服せず、戒懼を知らざれば、彼の悪を怙(たの)みて改めざること・頑堅にして化し難きは明らかである。だから「黄金を得」と言い、其の堅硬のますます進むを言う。「黄金を得」は吉利の辞に非ず。もし吉ならば、下は「貞にて厲」と言わざるべし。『小象伝』は「貞にて厲にて咎なきは、当を得るなり」と言う。「当を得る」とはすなわち中を得ること。
上九:何校嚴耳,凶。坎為校,為耳。上應在三,三坎體亦艮體,良為背,為何,坎校在民背上,耳則遮矣,故曰嚴耳。易爻在此而象全在應,此其一也。王弼曰:處罰之極,惡積不改者也,罪非所懲,故刑及其首。及首非誡,減耳非懲,凶莫甚焉。正義曰:罪未及首,猶可戒懼歸善;罪已及首,性命將盡,非復可戒,故云及首非戒也。校既滅耳,將欲刑殺,非可懲改,故云滅耳非懲也。象曰:何校又耳,聰不明也。滅耳則有害於聰,故曰不明。
上九爻辞:「校(こう)を何(かつ)ぎて耳を滅(かく)す、凶。」(源文の「厳」は「滅」の誤り。)坎は校(刑具)・耳と為る。上九は下に六三と応じ、六三は坎体に在りてまた艮体に在り、艮は背・「何」(負荷)と為る。坎の刑枷が艮背の上に圧しかかれば、耳は遮られて見えず。だから「耳を滅す」と言う。爻辞はこの爻に在りて取象は全く応ずる爻に在るは、『易』例の一つである。王弼は言う。これは刑罰の極点に処りて、悪を積みて改めざる者で、罪はすでに惩戒の挽回し得る所に非ず。だから刑は首頸に及ぶ。首に及ぶはすでに告誡に非ず、耳を滅するもまた惩戒に非ず。凶はこれより甚だしきはなし。『正義』は言う。罪が未だ首頸に及ばざれば、なお戒懼して善に帰るべし。罪がすでに首頸に及べば、性命将に尽きんとし、もはや告誡の挽救し得るに非ず。だから「首に及ぶは戒に非ず」と言う。枷具すでに耳を遮没して、将に刑殺を行わんとす。惩戒改過の事に非ず。だから「耳を滅すは懲に非ず」と言う。『小象伝』は「校を何を何ぎて耳を滅すは、聡明ならざるなり」と言う。耳が遮没せば聴覚に害する有るがゆえに「明ならず」と言う。
賁卦
賁。亨。小利有攸往。歸藏作熒惑。熒惑,火星。史記「察剛氣以處熒惑,曰南方火,主夏日,丙丁是也」。卦上艮為星,離亦為星;下離為火,艮亦為火。離主夏位南,艮納丙亦南,故曰熒惑,於象恰合。
賁卦卦辞:「亨。小、往く所有るに利あり。」『帰蔵』はこの卦を「熒惑」と名名づく。熒惑とはすなわち火星である。『史記』に「剛気を察して熒惑を処り、曰く南方の火、夏日を主り、丙丁是なり」とある。この卦の上体は艮に「星」の象あり、離にも「星」の象あり。下体は離で火と為り、艮も同じく火と為る。離は夏を主り位は南方に在り、艮は天干の丙を納れ、丙もまた南方に属す。だから「熒惑」と言う。卦象と恰も吻合す。
至周易作賁。賁,《釋文》云:傅氏作斑,文章貌;鄭云文飾貌;太玄擬作飾。按卦一陰一陽相雜,相雜則有文,故曰斑,曰文飾。又按爾雅:龜三足曰賁。卦離艮皆為龜,而震為足,數三,正龜三足也。初二曰其趾其須,九三云儒如,六四云皤如,言其形也;上九云白賁,言其色也。
『周易』に至れば「賁」と作る。「賁」の字は『釈文』に傅氏本は「斑」と作る、文章の貌、鄭玄は文飾の貌と言い、揚雄の『太玄』はこの卦を擬して「飾」と作る。按するにこの卦は一陰一陽が相い間錯雑し、錯雑すれば即座に文采有る。だから「斑」と言い「文飾」と言う。また按するに『爾雅』に「亀、三足を賁と曰う」とある。この卦は離・艮ともに「亀」の象あり、震は足と為り其の数は三。まさに三足の亀である。初九・六二は「其の趾」「其の須」と言い、九三は「濡如(じゅじょ)」と言い、六四は「皤如(はじょ)」と言い、其の形貌を講ずる。上九は「白賁」と言い、其の色を講ずる。
雜卦云:責無色也。艮為黔,坎為隱伏,為黑,亦無色。無色即不明,不明故象言無敢折獄。蓋山下有火,與地下有火略同,地下有火明夷,山下有火等耳,故孔子筮得賁不樂,以與明夷同也。後人謂山下有火,明不及遠,皆讀下為旁,故其義永不能通。前一義舊解皆從之,後一義鮮有述之者,故引信其義,以俟深於易理者定奪焉。
『雑卦伝』は言う。「賁は色なきなり。」艮は黔(くろ)と為り、坎は隠伏・黒を主る。これもまた色なし。色なきはすなわち明ならず。明ならざるがゆえに『大象』は「敢えて獄を折(た)らざる」と言う。山下に火有るは、地下に火有ると大略同じ。地下に火有るは明夷で、山下に火はこれと等し。だから孔子は筮して賁卦を得て楽しまず。明夷と相類するがゆえである。後の人は「山下に火」は光明が遠く及ばざると謂うが、あれは「下」を「旁」と読んだがゆえに、この層の意思は永く講じ通じ得ない。前の一義(賁は文飾)は旧注は皆之に従い、後の一義(賁は色なく晦暗)は之を述ぶる者は稀である。だからここに其の義を申明して、易理に深き者の裁定を俟つ。
亨謂二,離夏故亨,傳所謂柔來文剛也。小謂五,分泰二居上,五得中承陽,故曰小利有攸往,言利往五也。唐郭京舉正謂小為不,非。象曰:貴亨,柔來而文剛,故亨;分剛上而文柔,故小利有攸往,天文也。文明以上,人文也。觀乎天丈以察時變,觀乎人文以化成天下。卦剛柔相雜故曰文。離日坎月,民星震辰,天文;離禮震樂,人文。離夏震春坎冬,故曰以察時變。震為生,艮為成,為天,故曰化成天下。朱子云:先儒說,天文上當有剛柔交錯四字。
「亨」は六二に就いて言う。離は夏を主り、夏気は通暢するから亨。『彖伝』のいう「柔来たりて剛に文す」がまさにこれを指す。「小」は六五に就いて言う。六五は泰卦の九二より分かれ出て上に五位に居り、中を得て上に陽爻を承けるから「小、往く所有るに利あり」と言い、五位に往くに利あるを言う。唐の郭京の『周易挙正』は「小」を「不」に改めるが、誤りである。『彖伝』は言う。「賁、亨。柔来たりて剛に文す、故に亨。剛を分かちて上りて柔に文す、故に小、往く所有るに利あり、天文なり。文明にして以て止まるは、人文なり。天文を観て以て時変を察し、人文を観て以て天下を化成す。」この卦は剛柔が相い間錯雑するから「文」と称す。離は日・坎は月・艮は星・震は辰。これは天文。離は礼・震は楽。これは人文。離は夏・震は春・坎は冬を配す。だから「以て時変を察す」と言う。震は生を主り、艮は成を主り、艮はまた天と為る。だから「天下を化成す」と言う。朱熹は言う。先儒の説くに、「天文なり」の上に「剛柔交錯」の四字あるべし。
象曰:山下有火,賁。君子以明庶政,無敢折獄。山下非山旁,火在山下,與地下同,直明夷耳。後儒謂明不及遠者誤也。艮為君子。明庶政,象每以相反見義,如《同人》曰類旅辨物,《無妄》曰時育萬物,《蠱》曰振民育德皆是。茲因賁不明,君子反以明庶政。坎為獄,折獄須明,離在下不明,故無敢折獄。而無敢折獄,尤賁為無色無明之確徵。初九:賁其趾,舍車而徒。初應在四,四震故曰趾。坎為車,初在車下,當然不乘而徒也。蓋初九正當勿用之時,安於徒步,以遂其志者也。象曰:舍車而徒,義弗來也。徒謂徒步,義弗乘者,言志行高潔,不肯苟乘也。
『大象伝』は言う。山下に火有る、これがすなわち賁卦。君子はこの卦象に法って、以て庶政を明かにし、敢えて獄を折(た)らざる。尚秉和は釈して言う。「山下」は山の旁(ほとり)ではない。火は山の下に在り、火が地下に在ると一回事で、直ちに明夷の意象である。後代の儒者が火は山の旁に在りて光明が遠く及ばざると説くのは、講じ誤りである。上卦の艮は君子と為るから「君子」と称す。「庶政を明かにす」に至っては、『大象伝』の立辞は常に相反する一面より義を取る。例えば同人の「族を類し物を辨す」(源文の「類旅」は「類族」の形誤)、无妄の「茂りに時に対して万物を育す」、蠱の「民を振り徳を育す」は皆この類に属す。ここはまさに賁卦自身が晦暗にして明ならざるがゆえに、君子はかえって力を致して衆政を修明す。二・三・四爻に互体して坎を成し、坎は牢獄と為る。案を断ずるは必ず明察を須(もち)いるべきに、離火は下卦に居りて遠く照らす能わず。だから「敢えて獄を折らざる」。そしてこの「敢えて獄を折らざる」の一句は、殊に賁卦の「色なし」「明ならず」の確鑿たる証拠である。初九爻辞は言う。其の趾(あしゆび)を文(あや)どり、車を舎てて徒(かち)行く。尚秉和は象を解して、初九の正応は六四に在り、六四は三・四・五爻の互成する震体の中に処り、震は足と為るから爻辞は「趾」と言う。二・三・四爻に互体して坎を成し、坎は車と為り、初九はまさにこの車の下方に在る。自然に車に乗らずして歩行す。大意は、初九はまさに乾卦初九の「潜龍用いる勿れ」のような時節に当たり、徒歩に安んじ、以て其の志向を遂ぐる者である。『象伝』は言う。車を舎てて徒行くは、義として乗らざるなり(源文「義弗来也」の「来」は「乗」の形誤)。「徒」と謂うはすなわち徒歩で、「義として乗らず」とは、初九の志向操守が高潔にして、苟(いやしく)も乗るべからざる車に乗るを肯んぜぬを言う。
六二:賁其須。艮為須,象失傳,詳《焦氏易詁》。艮須在上,下離文之,故曰賁其須。其指上卦,言六二之須,謂上艮也。泰二往上成艮,故曰興。二因得當位居中,故曰與上興。候果謂三至上有頤象,二在頤下,故有須象,雖巧切,不知艮即為須也。象日:賁其須,與上興也。興,起也。與上興,即喜上興也。
六二爻辞は言う。其の須(ひげ)を文どる。尚秉和は指摘す。艮に「須」のこの象あり、この象は『説卦』に載せず、久しく失伝した。詳しくは彼自身の『焦氏易詁』を見よ。これは『焦氏易林』の用象の中より鉤沈して出した逸象である。上卦の艮の象する須は上に在り、下卦の離の文采が之を修飾す。だから「其の須を文どる」と言う。「其」は上卦を指し、六二の文飾する須は、まさに上の艮を謂う。賁卦は泰卦より変じて来たる。泰の九二は往きて上位に居りて艮を成す。だから「興」(興起)と言い、六二もまたこれに因って当位居中を得た。だから『小象』は「上と興く」と言う。侯果は三爻より上爻に互体して頤の象を成し、六二は頤の口の下に在り、因って須の象有ると言う。この言は巧妙切当なれど、艮が自身すなわち須たるを知らざる。『象伝』は言う。其の須を文どるは、上と興くなり。「興」とは起の意で、「上と興く」とはすなわち上卦の艮に随いてともに興起するを喜ぶを言う。
九三:貴如濡如,永占吉。坎水故曰德如。陽貞於三當位,前臨重陰,故曰永貞吉。象曰:永貞之吉,終莫之陵也。之,往也。三應在上,上艮為陵,乃上不應,故終莫之陵,永貞於三吉也。又前臨重陰,皆順三,無有陵越之患也。
九三爻辞は言う。文どりて濡(うるお)いあり、永く貞しければ吉(源文の「貴如濡如、永占吉」はすなわち「賁如濡如、永貞吉」)。二・三・四爻に互体して坎を成し、坎は水と為るから「濡如」と言う(源文は「德如」と誤る)。陽爻は第三位に貞定して当位し、前にはまた六四・六五の両陰爻に臨み、陽は陰に遇えば則ち通ず。だから「永く貞しければ吉」と言う。『象伝』は言う。永貞の吉は、終に之を陵(か)ぐものなきなり。「之」とは往の意。九三の正応はもともと上九に在り、上卦の艮は丘陵と為るが、然るに上九は九三と同じ陽爻にして応ぜず。だから終に之を陵越する者なく、三位に永く貞定すれば吉である。また、前に臨む二つの陰爻は皆九三に順うがゆえに、陵越欺圧せらるるの憂患なし。
六四:賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾。《左傳》宣二年「皤其腹」,疏:皤,腹貌。卦三至上互大離,離為大腹,故曰皤如。《釋文》:皤,苟作波,鄭、陸作幡(左蟲),音煩。按皤通番,番音煩,鄭、陸讀煩聲是也。凡易如此等辭,往往用韻,疑番與翰協。《詩·大雅》「申伯番番,徒御蟬蟬(左口),戎有良翰」,番與翰協,與此同也也。
六四爻辞は言う。文どりて皤如(はじょ)として白く、白馬は翰如(かんじょ)として疾く、寇に非ず、婚媾なり。尚秉和は先ず「皤」の字を解す。『左伝』宣公二年に「其の腹皤(は)なり」とあり、孔穎達の疏は「皤とは腹部の隆起する貌」と言う。この卦は三爻より上爻に至り、陰陽の排布が一つの拡大した離体(大離)を合成す。離は大腹と為るから「皤如」と言う。『経典釈文』は言う。皤は荀爽本は「波」と作り、鄭玄・陸績は「蟠」の類の虫に従う寫法と作る(源文は「幡(左虫)」を以てこの異体字を標注す)、煩の音を読む。尚氏按ずるに、皤は「番」に通じ、番の音は煩で、鄭・陸が煩声と読むは正しい。およそ『周易』のこの類の爻辞は往々にして韻を押す。彼はこれに因って「番」と「翰」の相い協すを疑う。『詩経・大雅』に「申伯番番たり、徒御啴啴(たんたん)たり、戎、良翰有り」とあり、まさに「番」と「翰」とが相い押韻する。ここの情形と同じである。
陸績云:震為白,為馬。按震為羽翰,翰象失傳,詳《焦氏易詁》。翰如,馬行貌,言疾如羽翰也。四乘坎,坎為寇,疑其逼己,豈知四當位,下有正應,三無能害之,終得與初婚媾也。象曰:六四當位,疑也;匪寇婚媾,終無尤也。疑謂疑三,坎為疑。
陸績は言う。震は白・馬と為る。尚秉和は按ずる。震にはまた「羽翰」(羽毛・翅膀)のこの象あり、この象は『説卦』に載せずして失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。「翰如」とは馬の奔行する貌で、鳥が翅を展ぶるがごとく疾いを形容す。六四は互体坎の上に凌乗し、坎は盗寇と為るがゆえに、六四は九三が己に進逼せんとするを疑心す。然るに知らざりしことに、六四は陰で陰位に居りて当位に属し、下にはまた初九を以て正応と為す。九三は之を害する能わず、終に初九と婚姻を結ぶ能くあり。『象伝』は言う。六四は当位にして、疑うなり。寇に非ず婚媾は、終に尤(とが)められるなきなり。この「疑」とはすなわち九三を疑忌すること、坎にはまた「疑」のこの象あるがゆえである。
六五:賁于丘園,束帛久久,吝,終吉。艮為丘園,坤為帛,乾環約其兩端,故曰束帛。《子夏傳》:五匹為束,三玄二熏,象陰陽。戔戔,馬訓為委積,虞作多。《易林·旅之豐》云:「束帛戔戔,膊(左貝)我孟宣。」似亦以盛多為訓。俗解因戔通殘,便訓戔戔為薄物,又或作殘落者,非也。
六五爻辞は言う。丘園に文どる、束帛戔戔(せんせん)たり。吝なれど、終に吉(源文の「久久」はすなわち「戔戔」)。上卦の艮は丘・園と為るから「丘園」と言う。賁は泰卦より来たり、泰の下卦の坤は帛と為り、乾は両端を環繞束約す。だから「束帛」と言う。『子夏易伝』は言う。五匹を以て一束と為し、其の中の三匹は玄色・二匹は纁色で、陰陽に取象す。「戔戔」は馬融が「委積」(堆積)と訓し、虞翻本は「多」と作る。『焦氏易林・旅之豊』は「束帛戔戔たり、我が孟宣に賻(ふ)す」と言う。見るに「戔戔」を盛ん多しと訓ずるらしい。俗解は「戔」が「残」と通ずるに因りて、便りに「戔戔」を微薄の物と訓し、甚だしきは或いは残破零落と解す。皆非なり。
《儀禮·士冠》《上虞禮》、《周禮·大宗伯》注,皆以束帛為十端,每端丈八尺,兩端合卷,決為五匹,皆與《子夏傳》同。然則束帛五匹者,乃先王之定制。戈戈乃形容束帛之盛,謂薄物固非,殘落尤謬也。下元應故吝,上承陽,故終吉。彖謂小利往,以此。
『儀礼』の『士冠礼』『士虞礼』(源文は「上虞礼」と作る)および『周礼・大宗伯』の鄭注は、皆束帛を十端とし、毎端は一丈八尺、両端が合巻して一匹と為り、ちょうど五匹で、全く『子夏伝』と同じである。これで「束帛五匹」が先王の定めた制度たることが分かる。「戔戔」は束帛の盛んさを形容する。之を微薄の物と言うはもちろん誤り、残破零落と解するはなおさら謬りである。爻位に就いて言えば、六五は下に正応なし(源文「下元應」はすなわち「下无應」)。だから吝あり。然るに上に上九の陽を承けるから、終に吉。『彖伝』が「小、往く所有るに利あり」と言うのは、道理がまさにここに在る。
象曰:六五之吉,有喜也。五承陽,故有喜。上九:白賁,無咎。賁而曰白,其為物也明矣。若訓為飾、為文、為斑、為黃白色,范望《太玄·視首》上九注為色不純,高誘《呂覽》賁字注,此二字皆不能通。諸儒據繪事後素,曲為之說,無當也。蓋艮為賁,責無色,故曰白賁。象曰:白賁無咎,上得志也。下乘重陰,故曰得志,言陽得陰而通也。《大畜》上九曰道大行也,《損》上九曰大得志,《益》九五曰大得志,《頤》上九曰大有慶,與此義皆同。乃二千年舊解,少能知其故者,真可渭(左口)也。
『象伝』は言う。六五の吉なるは、喜び有るなり。六五は上に上九の陽を承けるから喜び有り。上九爻辞は言う。素白の文飾、咎なし。尚秉和は言う。「賁」と称しながらまた「白」と称すれば、「賁」が果たして何物かは明らかである。もし「賁」を装飾・文采・斑紋・黄白色と訓じ、あるいは范望の『太玄・視首』上九の注に依って色純ならずと訓じ、高誘の『呂氏春秋』の「賁」の字の注に依って講ずれば、「白賁」のこの二字は皆講じ通らざる。諸儒は『論語』の「絵事、素に後る」に拠って曲意に説を為すも、切当ならず。実は艮は賁と為り、『雑卦伝』は明らかに「賁は色なきなり」と言う(源文の「責」は「賁」の誤り)。ゆえに「白賁」と称す。『象伝』は言う。白賁、咎なきは、上九が其の志を遂ぐるを得るなり。上九は下に六四・六五の二つの陰爻に凌乗す。だから「志を得る」と言う。尚秉和の通例は、陽爻が陰爻に遇えば則ち通ず。『大畜』の上九の『小象』は「道大いに行くなり」と言い、『損』の上九は「大いに志を得るなり」と言い、『益』の九五は「大いに志を得るなり」と言い、『頤』の上九は「大いに慶有るなり」と言う。取義は皆これと同じ。然るに二千年の旧注に、其の中の故を明らかにする者は稀である。まことに嘆くべし(源文の「渭(左口)」は「喟」と作るべし)。
『周易尚氏学』巻七 上経
剥卦
剝。不利有攸往。剝,候卦,時當九月,陰消陽,柔變剛。《雜卦》云:剝,爛也。蓋陰消陽,柔變剛,皆以漸而及,非猝然為之,有似於樹木老皮之剝落。《歸藏》作僕,僕與撲通。《莊子·人間世》「蚤蚤(上文)僕緣」,僕緣即撲緣,撲,擊也。而《幽(內雙豕)風》「八月剝棗」,傳:剝,擊也。是僕與剝義同也。不利有攸往,謂陰不宜再長也。傳曰小人長,陰長則陽消,故往不利。
剥卦卦辞は言う。往く所有るに利あらず。剥は十二消息卦(源文は「候卦」と作る)の一つで、九月に配当し、五陰が下に在りて一陽を消剥し、まさに陰が陽を消し、柔が剛に変ずるの時である。『雑卦伝』は「剥とは爛(くさ)るなり」と言う。陰が陽を消し柔が剛に変ずるは、皆漸を以て進みて及ぶので、猝然として為すに非ず、樹木の老皮の層々剥れ落ちるに甚だ似る。『帰蔵易』はこの卦を「僕」と名づく。「僕」と「扑」は通じ、『荘子・人間世』に「蚤蚤仆縁」とあり、仆縁はすなわち扑縁で、扑は撃つである。そして『詩・豳風』に「八月、棗を剥す」とあり、毛伝は「剥とは撃なり」と言う。これで「僕」と「剥」は意同じことが分かる。「往く所有るに利あらず」とは、陰気がさらに増長すべからざるを言う。『彖伝』は「小人長ずるなり」と言い、陰長ずれば則ち陽消ゆ。だから往けば利あらず。
象曰:剝,剝也,柔變剛也。不利有攸往,小人長也。順而止之,觀象也。君子尚消息盈虛,天行也。艮為視為觀,象失傳,詳《焦氏易詁》。觀卦即順而止,今一陽在上,下觀群陰,仍觀象也。剝本消卦,然相對者必息,一消一息,一盈一虛,天道循環本如此,不足異也。
『彖伝』は言う。剥とは剥落すなわち柔爻が剛爻に変ずること。「往く所有るに利あらず」は、小人の道がまさに増長するがゆえ。形勢に順応して止を知るは、これ卦象を観察して得る所である。君子は消・息・盈・虚の変化を尚ぶ。あれは天道の運行である。尚秉和は象を解す。艮に「視」「観」のこの二つの象あり、この象は『説卦』に載せずして失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。「観」の義を含む卦と謂うは、まさにこの「順にして止」の剥卦そのものである――下の坤は順・上の艮は止。今、一陽は高く上に居りて、俯(うつむ)いて下の群陰を観る。なお「観」の象である。剥はもともと陰が陽を消す卦なれど、之と相対する一頭は必ず陽息で、一消一息・一盈一虚、天道の循環はもともとかくのごとし。怪しむに足らざるなり。
象曰:山附於地,剝。上以厚下安宅。上謂上九。坤為厚為下,艮為宅為安。初六:剝床以足(句)蔑(句)貞凶。初震位,故曰足。以,及也。《周語》「太宰以史祝」,《管子·服制》「官吏以命士」,《鹽鐵論·大論篇》「呻吟槁簡,誦死人之語,則有司不以文學」,以義皆同及。剝床以足,即剝床及足也。
『大象伝』は言う。山、地に附すは剥。上に在る者は以て下を厚くし宅を安んず。「上」とは上九を指す。下卦の坤は厚・下と為り、上卦の艮は宅・安と為る。だから「下を厚くし宅を安んず」と言う。初六爻辞:床を剥して足(句)に及び、蔑(句)、貞にて凶(尚秉和は「句」の字を以て断句の処を標出し、「蔑」「貞にて凶」が各々自ら句を成すを示す)。初爻は震の位置に処る――一陽が始めて生ずるの位で、震は足と為る。だから「足」と言う。「以」とは「及」の意である。『国語・周語』に「太宰、史祝を以てす」、『管子・服制』に「官吏、命士を以てす」、『塩鉄論・大論篇』に「呻吟して槁簡に、死人の語を誦すれば、則ち有司、文学を以てせず」とあり、これらの「以」の字は皆「及」に同じ。ゆえに「床を剥して足に及ぶ」とはすなわち床を剥して床の足に及ぶを言う。
艮為床。《易林·比之賁》云:「展轉空床,內懷憂傷。」以賁艮為床也。剝全體民象,故屢言床。虞翻不知此象,以坤消乾初,成巽為床;而惠棟又謂巽為木,坤西南卦,設木於西南奧,乾人藉之,床之象也。故夫一象之失傳,可使名家易迂曲至於如此,真可嘆也。
艮に「床」のこの逸象あり。『焦氏易林・比之賁』は「空床に展転し、内に憂傷を懐く」と言い、まさに賁卦上体の艮を以て床とした。剥卦の全体は一つの拡大した艮象(源文の「民」は「艮」の誤り)だから、爻辞は屡々床に及ぶ。虞翻は艮が床たるを知らず、便りに卦変を改用して、坤が乾の初爻を消して巽を成すと言い、巽を以て床とす。恵棟はさらに一歩進めて巽は木と為り、坤は西南の卦で、木を西南の屋角に設けて、乾人が其の上に躺臥するが、これが床の象と言う。これで一つの卦象の失伝が、ついに名家の『易』を治めるをも迂曲かくのごとき地步に至らしめるが分かる。まことに嘆くべし。
蔑,《釋文》云:荀作滅。象曰滅下,蓋荀之所本。王陶廬云:蔑、滅古通。《周語》「而蔑其人民」,《文選·鄰里相送方山詩》「音塵慰寂蔑」,注皆作滅,故王注云猶消也。惟滅屬下讀,似難為句。滅,《說文》:盡也。剝床以足蔑者,言床足被剝盡也,故卜問凶。虞翻下屬為句,訓為無,謂初失位,故曰蔑貞,謂失正也。然二爻當位,亦曰蔑貞,則不合矣,而清易家多從之,非。
「蔑」の字は『経典釈文』に荀爽本は「滅」と作ると言い、『小象』は「下を滅すを以てなり」と言う。蓋し荀本の拠る所である。王陶廬は言う。蔑・滅の二字は古く相い通じ、『国語・周語』に「而して其の人民を蔑し」、『文選・隣里相送方山詩』に「音塵、寂蔑を慰む」とあり、注は皆「滅」と作る。だから王弼の注は「蔑は猶お消のごとし」と言う。ただし「滅」の字を下句に連ねて読めば、句と為すこと難きようだ。「滅」は『説文』が「尽なり」と訓す。「床を剥して足に及び蔑す」とは、床の足が剥れ尽きたを言う。だから卜問して凶を得。虞翻は「蔑」の字を下に連ねて「蔑貞」と読み、「蔑」を「无」と訓じ、初六は位を失うがゆえに「蔑貞」と曰うと言う。すなわち其の正を失う。然るに六二は当位するのに、爻辞は同じく「蔑貞」と言う。これで講じ通らない。清の易家は多く虞説に従うが、誤りである。
象曰:剝床以足,以又下也。滅下即釋蔑義。六二:剝床以辦(句)蔑(句)貞凶。《釋文》云:辨,徐音辦具之辦,足上也,馬、鄭同;薛虞云,膝下也;王弼亦云足上。按馬、鄭、王等似皆以二在初上,故云足上。虞翻謂為指間,王引之讀為騙(左足),騙(左足),膝頭也;俞越(左木)謂辨通胖,胖,脅側也,似皆未安。按《周禮·天官·小宰》「六日廉辨」,注杜子春雲廉辨或作廉端,故賈疏云經本作廉端,是辨、端音近通用。端,首也。剝床以端,是剝及床頭也。剝之而盡故貞凶。象曰:剝床以辨,未有興也。未有興,言上無應。六三:剝無咎。《釋文》一本作剝之無咎,非。按之字乃從象辭而衍,無者是也。三處五陰之中,獨能從善不黨於上下二陰,故曰失上下。象曰:剝之無咎,失上下也。
『象伝』は言う。床を剥して足に及ぶは、以て下を滅すなり(源文の「又」は「滅」の誤り)。「下を滅す」とはまさに「蔑」の字の含义を釈する。六二爻辞:床を剥して辮(句)に及び、蔑(句)、貞にて凶。「辮」の字は『釈文』に徐邈が「办具」の办の音を読み、床の足の上の部位を指し、馬融・鄭玄もこれと同じ。薛虞は膝下と言い、王弼もまた足上と言う。尚秉和は按ずる。馬・鄭・王らは蓋し皆六二が初六の上に在るに因りて、「足上」と言う。虞翻は指間と言い、王引之は「蹁」と読み、膝頭と言い、兪樾は「辨」は「胖」に通じ、胖は脇側と言う。皆未だ妥ならざるようだ。尚氏は按ずるに、『周礼・天官・小宰』に「六に廉辨あり」とあり、注は杜子春を引いて「廉辨、或いは廉端と作る」と言う。だから賈公彦の疏は経本は「廉端」と作ると言う。これで「辨」「端」が音近くして通用するが分かる。「端」とは首である。「床を剥して端に及ぶ」とは、剥落がすでに床の頭に及んだを言う。剥れて殆ど尽く、だから占問して凶を得。『象伝』は言う。床を剥して辮に及ぶは、未だ興有らざるなり。「未だ興有らず」とは、六二の上に応ずる爻なきを言う――之と対応する六五は同じく陰である。六三爻辞:剥するも咎なし。『釈文』は一本が「剥之无咎」と作ると言うが、あれは誤り。「之」の字は『小象』の辞句より衍して入ったので、「剥无咎」と作るが正しい。六三は五つの陰爻の中に処り、独り之のみが上に上九と応じて善に従う能く、上下の陰爻と党を結ばざる。だから『小象』は「上下を失せるなり」と言う。『象伝』は言う。剥之咎なきは、上下を失せるなり。
六四:剝床以膚,凶。四艮體,艮為膚,故曰剝床以膚。足、辨、膚皆指床言,膚猶言床面也。人臥床,身與床切,剝及於是,故言近災。自王肅以膚指人身言,豈知剝及人身則災及矣,胡得曰近。乃後儒惑之,謂床不能稱膚。王引之謂王弼云剝床之足、剝床之辨詳,下文亦可曰剝床之膚乎。夫床既可曰足、曰辨,又何不可稱膚,似皆惑於肅說,故拘泥若是。象曰:剝床以膚,切近災也。
六四爻辞:剥落、床の面に及ぶ、凶。六四は上卦の艮体に属し、艮は肤と為るから「床を剥して肤に及ぶ」と言う。足・辮・肤は皆床に就いて言い、「肤」は猶お床の面を言うがごとし。人は床上に卧し、身体は床面と相接す。剥落がここに及べば、だから『小象』は「災に切(せ)まりて近し」と言う。王粛が「肤」を人身と解してより、剥落が一旦人身に及べば、それは災禍がすでに頭に臨んだので、どうしてなお「近し」と言い得ようかと彼は知らざりし。後代の儒者は彼に惑わされ、ついに床は「肤」と称する能わずと言う。王引之は言う。王弼が「剥床之足」「剥床之辨」を講じて詳明なり。下文はまた「剥床之肤」と言い得ようか。実は床はすでに足・辨と言い得る以上、どうして肤と称し得ざることがあろうか。見るに皆王粛の説に惑わされて、拘泥してかくのごとき地歩に至ったのである。『象伝』は言う。床を剥して肤に及ぶは、災に切まりて近きなり。
六五:貫魚以官人寵,無不利。坤為魚,象失傳,詳《焦氏易估》。除《易林》外,後唯郭璞知之。《洞林》璞筮遷徙,得《明夷》,曰:「嗟呼黔黎,時漂異類,桑梓之邦,其為魚乎。」明夷上坤為魚、為邦,震為桑梓,故曰桑梓之幫,其為魚乎。剝重坤,故曰貫魚。
六五爻辞:貫きたる魚のごとくにして、官人を率いて宠を受く。利ならざるなし。坤に「魚」のこの逸象あり、この象は失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ(源文の「估」は「詁」の誤り)。『焦氏易林』を除いては、後世はただ郭璞のみが之を知る。『洞林』に郭璞が遷徙の事のために占筮して明夷卦を得、言うに「嗟呼、黔黎、時に異類に漂い、桑梓の邦、其れ魚と為らんか」と。明夷の上卦の坤は魚・邦と為り、下体の互出する震は桑梓と為る。だから「桑梓の邦、其れ魚と為らんか」と言う。剥卦の下の五陰は初より四に至りて二重の坤体を畳出す。だから「貫魚」と言う――一串の魚はまさに重坤の象である。
艮為宮為寵。以宮人寵者,《周禮·九嬪》注云:女御八十一人當九夕,世婦二十七人當三夕,三夫人當一夕。是天子之宮進御,每夜九人或三人,故曰貫魚以宮人寵,言宮人之寵御,以次而進,若貫魚也,即五率群陰以承陽,魚貫而進也。《詩·邶風》「宴爾新婚,不我屑以」,箋:以,用也。以宮人寵,即用宮人寵也。《蒙》之用說桎告(左木),《益》之利用為依遷國,皆與此以字義同也。
艮は宮・宠と為る。この二つの象は『説卦』に同じく載せず、これも尚氏が『焦氏易林』の用象の中より輯出した逸象である。「官人を以て宠す」と謂うは、『周礼・九嬪』の鄭注に「女御八十一人を九班に分かち、毎班九人が一夜に当たる。世婦二十七人を三班に分かち、毎班九人が一夜に当たる。三夫人は共に一夜に当たる」と言う。これで天子の後宮の進御に固定の班次有りて、毎夜あるいは九人あるいは三人なることが分かる。だから「貫魚、官人を以て宠す」と言う――官人の宠御は、次序に依って一班々前に推進して、まさに魚の一串に成るがごとし。卦象に落ちれば、すなわち六五が下の群陰を率いて上に上九の陽を承け、魚貫して進む。坤が魚と為るは「貫魚」を出だし、艮が宮・宠と為るは「官人宠」を出だし、一句の爻辞の毎字に皆象の指す可有り。『詩・邶風』に「爾の新婚を宴す、我を屑に以てせず」とあり、鄭箋は「以とは用なり」と言う。「官人を以て宠す」とはすなわち「官人を用いて宠す」。蒙卦の「桎梏を説(ほど)くを用う」、益卦の「依と為りて国を遷るを用うるに利あり」、あれらの「用」の字はここの「以」の字と意義同じ。
此與《豫》九四之朋盍谷簪,皆為易象之最神妙而最難於形容者。王陶廬云:易辭有非注視卦象不能解者,此等是也。而二千年來,因簪象、魚象之失傳,遂改營為音(右戈)為攝,以求與坎象合;命剝五變巽,以求與魚象合,而易理遂亡於解說矣。杜甫云「蓋簪喧櫪馬」,鮑照云「魚貫度飛樑」,皆此二句之確詁,而杜詩尤非真知易者不敢如此道也。宋蔡弼注社詩,遂誤為宴朋友。
この句と豫卦の九四の「朋、盍めて簪とす」とは、皆易象の中でもっとも神妙にしてもっとも形容し難き者である。両処ともに一群の陰爻が次々に一陽に帰附する形態を、日常の物象を以て一筆に画き出す。王陶廬は言う。『易』の辞に卦象を注視せねば理解し得ざる者有り、これ類のものである。然るに二千年以来、「簪」の象と「魚」の象の失伝に因りて、注家は便りに「簪」の字を「戩」「撮」に改読して、坎象と対け得しめんとし、また剥卦の六五に変爻して巽を成さしめ、魚象と対け得しめんとした。一つの想像せる象に迁就せんがために層々字を改め卦を変ずる――易理はかくして解説の中に断送せられた。杜甫は「盍簪、櫪馬の喧(にぎ)なり」と言い、鮑照は「魚貫、飛梁を渡る」と言う。皆この二句の爻辞の確訓である。杜詩は殊に真に『易』を知る者に非ざれば、かくのごとく下筆するを敢えてせざる。宋の蔡弼は杜詩に注して、ついに誤って朋友を宴すと解した。
象曰:以宮人寵,終無尤也。五得承陽,故無尤悔。上九:碩果不食,君子得輿,小人剝廬。艮為果瓜,碩,大也,孤陽在上,故曰碩果。震為食,震覆故不食,震食象失傳,詳《魚氏易詁》。卦一陽未消,陝(?)餘在上,是其義也。艮為君子,坤為大輿為載,艮在坤上,乘輿之象也,故曰得輿。坤為小人,艮為廬,候卦陰終消陽,故曰剝廬。君子得輿,由上視下取象;小人剝廬,由下視上取象。象曰:君子得輿,民所戴也;小人剝廬,終不可用也。坤為民,艮為終。
『象伝』は言う。官人を以て宠すは、終に尤められざるなり。六五は能く上に陽爻を承けるから、過失悔恨なし。上九爻辞:大なる果実は食われず、君子は輿を得、小人は廬を剥す。艮は果瓜と為り、「碩」は大で、一つの孤陽は高く上位に居るから「碩果」と言う。震は食と為る。この卦の上体の艮は震を倒転した覆象だから「食われず」と言う――震が食と為るのこの逸象もまたすでに失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ(源文の「魚氏」は「焦氏」の誤り)。全卦はなお一陽が消え尽きざるを余し、僅かにこの陽が高く上に懸るのみ。これが「碩果」の義である。艮は君子と為り、坤は大車・承載と為り、艮は坤の上に在る。まさに乗車の象である。だから「輿を得」と言う。坤は小人と為り、艮は廬舎と為り、剥は消息卦で、陰は終に陽を消尽する。だから「廬を剥す」と言う。「君子輿を得」は上より下を視て象を取り、「小人廬を剥す」は下より上を視て象を取る。『象伝』は言う。君子輿を得るは、民の戴く所なり。小人廬を剥すは、終に用いる可からざるなり。坤は民と為り、艮は終と為る。
復卦
復。亨。出入無疾,朋來無咎。反復其道,七日來復,利有攸往。陽反故曰復。出人反覆,皆對垢(左女)言,復者垢(左女)之反,若舍股(左艮)不言,則復何所自乎。人者人巽,出者出震。坤為疾,象失傳,詳《焦氏易詁》。陽通故無疾。陰以陽為朋,剝窮上反下故曰朋來,陽遇陰故無咎。陽自始而消,消至剝上,六日,反覆則七日;自復而息,息至決(無左)上,六日,反垢(左女)仍七日,循環不已,故曰反復其道,七日來復。復陽長,故曰利有攸往。
復卦卦辞は言う。亨。出入に疾なし。朋来たりて咎なし。其の道を反復す。七日にして来復す。往く所有るに利あり。一陽は下より返るから「復」と呼ぶ。尚秉和は指摘す。「出入」「反復」は皆垢卦に相対して言う――復はまさに垢の反面である。垢は一陰が始めて生じ、復は一陽が始めて生ず。もし垢を舎てて言わざれば、復はまた何より起こらんか。「入」は巽に入ること(垢の下体は巽)、「出」は震より出ること(復の下体は震)。坤は疾と為り、この象は失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。今は陽気が通達すれば「疾なし」と言う。陰は陽を以て同類の朋友とす――尚秉和の通例は、陰陽の相遇すを「類」・「朋」と呼ぶ。剥卦の一陽は上位に窮極し、反転して復卦の下位に至る。だから「朋来」と言い、陽は陰に遇うから「咎なし」。さらに消息卦より推算すれば、陽気は垢より消退し始め、剥の上爻に消ゆるまで、六卦を歴て六日と為し、一反転すれば即座に第七日と為る。復より生息を始めて夬の上爻に息するまでも、また六日で、さらに反転して垢と為るはなお第七日である。かくのごとく循環して已まず。だから「其の道を反復し、七日にして来復す」と言う。復は陽気の増長する卦だから「往く所有るに利あり」と言う。
象曰:復亨,剛反,動而以順行,是以出入無疾,朋來無咎。反復其道,七日來復,天行也。利有攸往,剛長也。復其見天地之心乎。震動坤順,故日動而以順。天行,天道也,言陰陽剛柔往來消長,天道固如斯也,此天地之心也。坤為心,象失傳,詳《魚氏易詁》。
『彖伝』は言う。復りて亨るは、剛爻の返るなり。動きて以て順に推し行えば、是を以て出入に疾なく、朋来たりて咎なし。其の道を反復し、七日にして来復するは、天の行なり。往く所有るに利ありは、剛長ずるなり。復に於て、天地の心を見んか。尚秉和は象を解す。下卦の震は動と為り、上卦の坤は順と為る。だから「動きて以て順に行く」と言う。「天行」とはすなわち天道で、陰陽剛柔の往来消長するは、天道がもともと斯くのごとしを言う。これがすなわち天地の心である。坤に「心」のこの逸象あり、この象は失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ(源文の「魚氏」は「焦氏」の誤り)。
此以爻數括天地間之公例公理。其謂卦氣起中孚,至復為七日,不推於數不合,只六日七分,且於理大謬,是皆執於自垢(左女)至復為七月,經言七日故疑也。豈知易辭皆舉一例,包括萬有。十日數至七必相反,辰數亦然。即以日言,《幽(內雙豕)詩》云「一之日」「二之日」,日皆謂月,侯果已言之矣。
これは爻数を以て天地間の公例公理を概括する。漢人に卦気は中孚より起算して復に至りて七日と為ると説く者有り、尚秉和は推算するに数目合わざるのみならず(ただ六日七分を得るのみ)、道理の上でも大いに荒謬と認む。この類の説は皆垢より復に至るには実際に七个月を経るべきに拘執し、経文は偏に「七日」と言うがゆえに、そこで疑惑を生じた。彼らは知らざりしことに、『易』の辞は皆一の例を挙げて以て万事を包括す。十日が第七に数えて必ず相反し、十二辰が第七に数えるもまた同じ。もし単に「日」の字に就いて言えば、『詩・豳風』の「一之日」「二之日」の「日」は皆月を指す。侯果がはやくも指摘した。
陰陽相遇為朋。自此象失傳,皆用卦變,俟陽息至二成兌,二陽為朋,虞氏之說訛誤至今。又《五行志》京房《易傳》曰「復崩來無咎」,讀朋為崩,是用覆象,謂剝艮覆在下為山崩。而《易林》遇此象,亦往往曰山崩,京所受也,其詳皆在《焦氏易詁》中。覆象久失傳,後惟惠棟用此說,實易言覆象者不止此也。
陰陽相遇すを「朋」と呼ぶ。この義例が失伝してから、注家は皆卦変を改用して、陽気の生息が第二爻に至りて兌を成すを俟ち、二つの陽爻を以て「朋」とす。虞翻のこの套の説の訛誤は、今日まで伝わる。また『漢書・五行志』の引く京房『易伝』は「復崩来たりて咎なし」と作り、「朋」を「崩」と読む。これは覆象を用いる――剥卦上体の艮を倒して下に置けばすなわち山崩である。『焦氏易林』はこの卦象に遇うに、往々にして「山崩」と言う。まさに京房を承けて来たので、詳細は皆『焦氏易詁』の中に在り。覆象は久しく失伝し、後世はただ恵棟のみがこの説を沿用す。実に『易』の中で覆象を運用する所はなおここ一カ所に止まらざる。
象曰:雷在地中,復。先王以至曰閉關,商旅不行,后不省方。曰至日,則兼二至言也。垢(左女)云「施命浩四方」,即誥戒商旅將閉關也。《易林·晉之解》,所謂二至之戒也。蓋古最重二至,《漢書·薛宣傳》「日至休吏,所繇來久」,《後漢·魯恭傳》「易五月用事,先王施命令止四方行者」,是夏至亦休息,與冬至同。坤為門戶,故曰關;震為商旅,坤閉故曰閉關,曰不行;坤為方,震為王。
『大象伝』は言う。雷は地の中にあるは復。先王は以て至日に関を閉ぢ、商旅は行かず、后も方を省みず。「至日」と曰えば、即座に冬至・夏至の二つの節気を兼ねて言う。垢卦の『大象』は「后以て命を施して四方に誥す」と言い、まさに商旅が将に関を閉づを誥戒す。『焦氏易林・晋之解』の講ずる所は、いわゆる二至の戒である。古人は最も二至を重んじた。『漢書・薛宣伝』に「日至、吏を休め、所由來久し」、『後漢書・魯恭伝』に「『易』五月、事を用い、先王、命令を施して四方の行者を止む」とあり、これで夏至も同じく休息して冬至と同じたることが分かる。卦象に就いて言えば、坤は門戸と為るから「関」と称し、震は商旅と為り、坤は閉合するから「関を閉づ」「行かず」と言い、坤は方と為り、震は王と為る。
初九:不遠復,無只悔,元吉。復在內,故曰不遠復。嚴元照云:只從氏非,此當從氏。氏、是同用,故王肅作提(左衣);坎低既平,京房亦作提。王陶廬云:唐石經即作祗,氏、是古同部,故得同用;若氏(下、)則另為一部,不同部者不相假,古之例也,然則今作祗者誤也。
初九爻辞:遠からずして復る、大なる悔なし、元吉。一陽の来復は内卦に在るから「遠からずして復る」と言う。「只(ただ)悔なし」の「只」の字は、厳元照は言う。「氏」に従うは誤りで、ここは当に「是」に従うべし(源文は両処とも「氏」と作るが、後の一処は当に「是」とすべし)。「氏」の旁と「是」の旁はもともと通用すべく、だから王粛本は「禔」と作り、坎卦の九五の「坻、すでに平か」は、京房もまた「提」と作る。王陶廬は言う。唐の石経は即座に「祗」と作り、「氏」「是」は古音は同部だから通用し得る。しかし下に一画多い「氐」は則ち別の一部に属し、同部ならざるは相い假せざるは、古人の通例である。然らば今本が「祗」と作るは誤りである。
襖,鄭云病也。段玉裁云:鄭蓋借祗為氏(加 )。按祗之訓病,《詩·小雅·何人斯》「壹者之來,俾我祗也」,毛傳:祗,病也。茲訓為病,正本毛傳,段謂借襖為氏(加 ),非。病猶苗(中 )也。復出人無疾,故無苗(中 )悔。乾元通,故元吉。象曰:不遠之復,以修身也。坤為身,陽微故宜修養以待。
「祗」の字(源文は「袄」と誤る)、鄭玄は病と訓す。段玉裁は言う。鄭玄は蓋し「祗」を借りて別の氏に従う字と為す。尚秉和は按ずる。「祗」の訓が病たるは、『詩・小雅・何人斯』に「壹者之來、我を祗(やま)しむ」とあり、毛伝は即座に「祗とは病なり」と言う。鄭玄がここで病と訓ずるは、まさに毛伝に本づく。段玉裁が彼を假借と言うは誤りである。「病」は猶お「疵」を言うがごとし(源文は「苗(中 )」を以てこの残欠して辨え難き字を標注す)。復卦は「出入に疾なし」だから「疵悔なし」と言う。乾元は通達す。だから「元吉」。『象伝』は言う。遠からずの復は、以て身を修むるなり。坤は身と為り、この時陽気はなお微弱だから、修養して時を俟つに宜しき。
六二:休復,吉。休者,俟也,俟陽息至二故吉。象曰:休復之吉,以下仁也。仁者初也,陽主生故曰仁。以下仁者,言下陽即息至二,靜俟則吉也。六三:頻復,厲,無咎。虞翻曰:頻,蹙也,三失位,故頻復。按頻,古文顰字,故云頻蹙。三失位,承乘皆陰,又無應予,失類極。象曰:頻復之厲,義無咎也。
六二爻辞:安んじて俟ちて復る、吉。尚秉和は「休」を「俟」(等待)と訓す。陽気の生息が第二爻に至るを俟つがゆえに吉。『象伝』は言う。休みて復るの吉は、下に仁あるを以てなり。「仁」とは初九を指し、陽は生発を主るから「仁」と称す。「下に仁あり」とは、下の陽爻がまさに二位に息せんとするを言い、静かに俟てば則ち吉利である。六三爻辞:頻りに復す、厲あり、咎なし。虞翻は言う。頻とは蹙(しか)むなり。六三は位を失うから頻復と曰う。尚氏は按ずる。「頻」は古「顰」の字で、だから頻はすなわち蹙と言う。六三は陰で陽位に居りて位を失い、上承・下乗するは皆陰爻で、また応ずる爻なし(源文「應予」はすなわち「應与」)。陰が陰に遇いて、類を失うこと極まれり。『象伝』は言う。頻復の厲は、義、咎なきなり。
六四:中行獨復。《文言》乾九四云「中不在人」,中謂三四,居一卦之中也。又《繫辭》云:「其初難知,其上易知。」「若夫雜物撰德,非其中爻不備。」中爻謂中四交,即下所謂二與四、三與五也。四居卦中,獨與初應,故曰中行獨復。虞翻謂四不在二五,何得稱中行,豈知三四稱中爻,易固有明例也。象曰:中行獨復,以從道也。道謂初,從道謂應初。
六四爻辞:中を行きて独り復る。『乾・文言』が九四を講じて「中は人に在らず」と言う。これで「中」が三・四の両爻を指すことが分かる。彼らは一卦の中に居るがゆえである。また『繫辞』は言う。「其の初は知り難く、其の上は知り易し」「若し夫れ物を雑じ德を撰するは、其の中爻に非ざれば備わらず」と。「中爻」とは中の四爻を指し、すなわち『繫辞』の下文の言う二と四、三と五である。六四はまさに卦の中に居り、また独りのみ初九と応ず。だから「中を行きて独り復る」と言う。虞翻は四爻は二・五の位に在らず、どうして「中行」と称し得ようかと認めるが、三・四が「中爻」と称するは、『易』にもともと明確なる義例あるを知らざりし。『象伝』は言う。中を行きて独り復るは、以て道に従うなり。「道」とは初九を指し、「道に従う」とはすなわち初九に応ずること。
六五:敦復,無悔。敦與屯通。《詩·大雅》「鋪敦淮憤(左水)」,箋:敦當作屯。揚雄《甘泉賦》「敦萬騎於中營兮」,注:敦與屯同。又按《幽(雙豕)風》云「敦彼獨宿」,即屯彼獨宿也。屯者,止也,次也。而敦又與頓同,《爾雅·釋丘》「丘一成為敦丘」,疏:即《衛風》之頓丘,頓亦止也。《史記·王翦傳》「三日三夜不頓舍」是也。是敦有止意、待意。敦復者,言五應在二,陽即升二,五稍待即有應也。故《臨》上六亦曰敦臨,以上六亦稍待,陽即息三,有應也。舊詁皆訓為敦厚,非。象曰:敦復無悔,中以自者也。向秀曰:考,察也。五中位,應在二,亦中位,陽息即至二,五有應,故無侮。中以自考者,釋敦之故。易之道貴將來,言頓止以待中二之陽息,自考省也。與《臨》上之志在內義同。
六五爻辞:頓止して俟ちて後に復る、悔なし。尚秉和は「敦」と「屯」とは相い通ずると言う。『詩・大雅』に「淮濆に鋪敦す」とあり、鄭箋は「敦は当に屯と作るべし」と言う。揚雄の『甘泉賦』に「万騎を中營に敦する哉」とあり、注は「敦と屯とは同じ」と言う。『詩・豳風』は「彼の独宿を敦す」と言い、すなわち「彼の独宿を屯す」である。「屯」とは停止・駐劄である。「敦」はまた「頓」と通ず。『爾雅・釋丘』に「丘、一成を敦丘と為す」とあり、疏はすなわち『衛風』の頓丘と言い、「頓」もまた止である。『史記・王翦伝』に「三日三夜、頓舎せず」とあるはまさにこの義である。これで「敦」は停止・等待の意を含むが分かる。「敦復」とは、六五の応ずる爻が六二に在り、陽気はまさに二位に升らんとするから、六五はただ稍々待てば便りに応有るを言う。ゆえに臨卦の上六もまた「敦臨」と言う。上六も同じくただ稍々待てば、陽気は三位に息して応ずる爻有るがゆえである。旧訓は皆「敦」を敦厚と訓ずるが、誤りである。『象伝』は言う。敦復、悔なきは、中にして自ら考すなり(源文は一「考」の字を脱す)。向秀は言う。考とは察なり。六五は中位に居り、其の応ずる爻は六二に在り、これもまた中位。陽気の生息はまさに二位に至らんとし、六五は便りに応有る。だから悔なし。「中にして自ら考す」とは、まさに「敦」の字の由を釈する。『易』の道理は将来を貴び、頓止して中の二位の陽息を待ち、同時に自ら省察するを言う。これは臨卦の上六の『小象』の「志、内に在り」と意同じ。
上六:迷復,凶,有災眚,用行師終有大敗,以其國君凶,至于十年不克征。凡上六多不吉,上窮也。坤為迷、為死喪,故有災眚。坤為眾故為師,坤為死喪,故行師終有大敗。坤為國,震為君,象失傳,詳《焦氏易詁》,故曰國君。坤為十年,震為征,不克征,言不能興起也。
上六爻辞:返復の道に迷う、凶、災眚有り。之を用いて師を行えば終に大敗有り、以て其の国君に及んで凶、十年に至るも征する能わず。尚秉和は言う。およそ上六は多く吉ならず、上位はすでに窮極するがゆえ。坤は迷・死喪と為るから「災眚有り」。坤は衆と為るから師旅と為り、坤はまた死喪と為るから、師を行えば終に大敗す。坤は国と為り、震は君と為る(震が君と為るのこの逸象は失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ)。合わさってこそ「国君」と言う。坤は十年と為り、震は征と為る。「征する能わず」とは、振作して興る能わざるを言う。
《比》上六「後夫凶」,《師》上六「小人勿用」,皆以其不承陽也。他爻皆可承陽,獨上六不能。不承陽則背叛君命,而殃及國君,故曰以其為君凶。君者國之本,國君受協,根本動搖,故其凶至於十年也。象日:迷復之凶,反君道也。反君道,即謂上六不承陽。舊解皆以不順君命為反君道,然上六之何以獨反君道,其故無能明者,此與六五敦復及《臨》之敦臨義晦同也。
比卦の上六は「夫に後るるは凶」と言い、師卦の上六は「小人、用いる勿れ」と言う。皆其の能く上に陽爻を承けざるに由る。他の爻は皆陽を承く可きに、独り上六は卦の極に居りて承く可き陽なし。陽を承けざれば則ち君命に背叛するに等しく、因って禍が国君に及ぶ。だから「以て其の国君に及んで凶」と言う。君主は国家の根本で、国君が脅迫を受ければ根本は動揺す。だから其の凶は十年の久しきに延續す。『象伝』は言う。迷復の凶は、君道に反するなり。「君道に反す」と謂うは、すなわち上六が陽を承けざるを指す。旧注は皆君命に順わざるを「君道に反す」と解するが、然るに上六がどうして偏に「君道に反す」か、其の故を言い得る者なし。これは六五の「敦復」および臨卦の「敦臨」の意義が埋没せると、同一類の情形に属す。
无妄卦
無妄。元亨利貞,其匪正有青,不利有攸往。震巽為草木為禾稼,下艮為火,故焦、京、王充皆以無望為大旱之卦。而乾為年,巽為人,年收失望,故曰無妄。元亨者,謂乾元通也,初當位,前臨重陰,五中正,故乾元以通。利貞者,利於貞定也,正亦定也。匪正謂三上,三上不當位,妄動,故有眚。眚,病也,巽為疾病。其匪正有眚者,言不能貞定而躁動,即有眚也。不利有攸往,仍以動為戒也。震為決躁,躁動於內,外與剛健遇,必無幸矣,故曰不利有攸往。
无妄卦卦辞:大いに亨る、正を守るに利あり。其の正ならざるは災眚有り、往く所有るに利あらず(源文の「有青」はすなわち「有眚」)。尚秉和は象を解す。下卦の震と互体の巽は皆草木・禾稼と為り、そして二・三・四爻に互成する艮は火と為る。だから焦延壽・京房・王充は皆无妄を以て大旱の卦とした。乾は年と為り、巽は人と為る。一年の収穫が望みを失う。だから「无妄」と言う。「妄」とはすなわち「望」で、失望を指す。「元亨」とは乾元の通達を言う。初九は当位し、前には六二・六三の二つの陰爻に臨み、九五はまた中に居りて正を得る。だから乾元は以て通行し得る。「利貞」とは貞定に利あるを言い、「正」はすなわち「定」である。「匪正」とは六三と上九を指す。この両爻は皆当位せず、一たび動けば即座に妄動と為る。だから眚有り。「眚」とは病で、三より五爻に互成する巽は疾病と為る。「其の匪正、眚有り」とは、能く貞静に自守せずして躁動すれば、即座に災病を招くを言う。「往く所有るに利あらず」は、なお「動」を以て告誡とす。震は決断躁進と為り、内卦に躁動して、出でてまた外卦の乾の剛健に遇えば、必ず好果を得ざる。だから「往く所有るに利あらず」。
妄,《釋文》云:馬、鄭、玉肅皆作望,謂無所希望也。按此訓最古。《史記·春申君傳》云:「世有毋望之福,又有毋望之禍,今君處毋望之世,事毋望之主。」是自戰國即讀為望,作毋亡。妄,古文妄之省。王陶廬云:妄、望同音相借,《大戴禮·文王篇》「故得望譽」,望譽即妄譽,史遷受易於楊何,固無誤也。
「妄」の字は『経典釈文』に馬融・鄭玄・王粛(源文は「玉粛」と作る)は皆「望」と作る、所望する無きを謂うと言う。尚秉和は按ずる。この訓釈は最も古い。『史記・春申君伝』に「世に毋望の福有り、また毋望の禍有り。今、君は毋望の世に処り、毋望の主に事う」とあり、これで戦国よりすでに「望」と読み、「毋亡」と寫したことが分かる。「妄」は古文の「妄」の字の省寫である。王陶廬は言う。「妄」「望」は同音にして相い借る。『大戴礼記・文王官人篇』に「故に望誉を得」とあり、望誉はすなわち妄誉。司馬遷の『易』学は楊何より伝わる。彼の用字はもとより誤りなかるべし。
又按《雜卦》云「無妄,災也」,故《太玄》擬無妄為去。《漢書·谷永傳》「遭無妄之卦運」,應劭云:「天必先雲而後雷,雷而後雨,今無雲而雷,無妄者無所望也,萬物無所望於天,災異之最大者也。」《後漢·崔篆傳》「值無妄之世」,王充《論衡》「易無妄之應,水旱之至」,蔡邕《鄧皇后溢議》「消無妄之運」,舉兩漢之人,無作虛妄及失妄解者。
尚氏はまた按ずる。『雑卦伝』は「无妄とは災なり」と言う――これは『易伝』それ自体が无妄を災卦と定めた鉄証である。だから揚雄の『太玄』は「去」の首を以て无妄に比擬し、「去」はまさに失去・落空の義を取る。『漢書・穀永伝』に「无妄の卦運に遭う」とあり、應劭の注は言う。「天は必ず先ず雲を起こし而後に雷を打ち、雷を打ちて而後に雨を降らす。今、雲なくして雷あり。无妄とはすなわち所望なきなり。万物は天に所望なし。これ災異の最大なる者なり。」『後漢書・崔篆伝』に「无妄の世に値う」、王充の『論衡』に「『易』、无妄の應、水旱の至り」、蔡邕の『鄧皇后諡議』に「无妄の運を消さんとす」とある。両漢の人を挙げ尽くすに、「无妄」を虚妄あるいは失妄と解する者一人もなく、全て「所望なし」の災異の運として用いた。この一連の漢人の用例は、まさに尚氏が拠って後世の「虚妄」の旧解を推翻する実証である。
無妄猶孟子所謂不虞也,六爻爻辭皆不虞之事。又無妄,災也,以艮火象失傳之故,皆莫知災之自來。而焦、京以無妄為大旱,《易林》屢見,詳《焦氏易詁》之卦,其故自荀、虞莫明矣。卞斌云:匪正宜作匪百,經無作正者。虞翻知巽為禾稼,而不知艮火象,故不知大旱之義,斥京氏為非,詁為亡失,不亡失則卦吉矣。
「无妄」は『孟子』のいう「不虞」のごとき、すなわち意料の外で、六爻の爻辞の講ずるは全て意外の事である。また「无妄とは災なり」と言うは、ただ艮が火と為るのこの逸象が失伝したがゆえに、注家は皆災の何より来たるかを明らかにせざる。焦延壽・京房は无妄を大旱の卦と定め、『焦氏易林』の中に其の例を屡々見る。詳しくは『焦氏易詁』のこの卦を討論する部分を見よ。其の中の由は、荀爽・虞翻より以來、明らかにする者なし。卞斌は言う。「匪正」は当に別本に依って「匪百」と作るべく、経文に「正」と作る者なし。虞翻は巽が禾稼と為るを知るも、艮が火と為るを知らざるがゆえに、大旱の義を解せず、かえって京房を非と斥け、「无妄」を亡失と訓した。彼のように講ずれば、亡失せざるならばこの卦は吉卦と為る。
然何以解於《雜卦》之無妄災及家傳?《象傳》曰「無妄之往何之矣,天命不右行矣哉」,無妄若為吉卦,而曰天命不右,曰無所往,有是理乎?虞翻最忌鄭學,鄭作望故駁之,其所謂俗儒殆即指鄭。後崔憬、何妥競作虛妄解,益與傳背。世豈有忠信之人,天命不右,往無所合者哉?害理亂道,莫斯為甚。
然るにこうなれば、『雑卦伝』の「无妄、災なり」と『彖伝』(源文の「家傳」はすなわち「彖傳」)とはどうして講じ通らんか。『彖伝』は「无妄の往、何ぞ之かん。天命、佑けず、行かんや」と言う。无妄がもし吉卦ならば、天命は佑けず・往く所なしと言うは、こんな理あらんか。虞翻は最も鄭玄の学を忌み、鄭が「望」と作るがゆえに之を駁す。彼のいわゆる「俗儒」は殆ど鄭玄を指す。後の崔憬・何妥は競うて「虚妄」の解を作し、『易伝』とますます背離す。世に忠信の人あって、天命かえって佑けず・往いて投合する所なき者、いずくんぞあらんや。義理を敗壊し易道を乱るは、これより甚だしきはなし。
象曰:無妄,剛自外來而為主於內,動而健,剛中而應,大亨以正,天之命也。其匪正有音,不利有攸往。無妄之往,何之矣?天命不佑,行矣哉!震為主,謂初也。先儒謂遁上來初,故曰自外來。震為躁卦,躁動於內,而外遇乾剛,故所之不合。五剛中,二有應,故曰剛中而應。
『彖伝』は言う。无妄は、剛、外より自ら來りて内に於て主と為り、動きて健、剛中にして応有り。大いに亨りて以て正なりは、天の命なり。其の匪正は眚有り、往く所有るに利あらず。无妄にして妄往せば、何ぞ之かん。天命、佑けず、行かんや。尚秉和は象を解す。震は主と為り、初九を指す。先儒は无妄は遯卦の上爻より來りて初位に居ると謂うがゆえに「外より自ら來り」と言う。震は躁動の卦で、内卦に躁動して、出でてまた外卦の乾の剛健に遇うがゆえに、往く所は投合せず。九五は剛健にして中に居り、六二は之と応ず。だから「剛中にして応有り」と言う。
大亨者,元亨也;以正者,利貞也。元亨利貞,循環來往,天命固如斯也。乾為天,巽為命也。《臨》傳云「大亨以正,天之道也」,天命與天道同也。故時當元亨而動,時當利貞即不宜動,不宜動而強動,違天者也。違天而行,天所不福,右,福也。何之者,言時值無望,無往而可也。蓋易之旨,陽剛不宜在外,在外則氣窮,有陽九之戶(加九?)。故卦辭以行為戒,以貞定為主。
「大亨」とはすなわち「元亨」で、「以て正なり」とはすなわち「利貞」である。元亨と利貞とは循環往復し、天命はもともとかくのごとし。乾は天と為り、三より五爻に互成する巽は命と為る。臨卦の『彖伝』は「大いに亨りて以て正なり、天の道なり」と言う。これで天命と天道とが一回事たるが分かる。ゆえに時機が元亨に当たれば則ち動くべく、時機が利貞に当たれば便りに動くに宜からず。動くに宜からざるにして強いて動けば、すなわち天意に違背す。天に違いて行けば、上天は福を賜わざる。「右」とはすなわち福佑である。「何ぞ之かん」とは、時が値りて所望なければ、何こに往くとも行き通る能わざるを言う。『易』の宗旨は、陽剛は外卦に居るに宜からず、外に居れば則ち気数は窮尽し、「陽九」の厄有り(源文のここの字跡は残欠す)。だから卦辞は「行」を以て告誡とし、貞静に守定するを以て主とす。
象曰:天下雷行,物與無妄,先王以茂對時育萬物。與,舉也。天下雷行,萬物震恐,舉失其求望。茂與懋通,勉也;對,答也,言因雷而勉答大威。傅亮文云「只服住命,茂對天休」,潘岳《秋興賦》「覽花蒔時之育兮」,是茂對連文、時育連文,古讀如是,《釋文》作茂對時,非也。
『大象伝』は言う。天下に雷行く、物は皆无妄に与(あずか)る。先王は以て勉めて天威に答え、時に順いて万物を育す。尚秉和は言う。「与」とは「挙」で、すなわち全てである。天下に雷が行く、万物は震恐して、皆もとの所望を失う。「茂」と「懋」は通じ、勉力である。「对」とは回答で、雷震に因って勉めて上天の大威に答謝するを言う。傅亮の文章に「只服して休命に、茂りて天休に对す」とあり、潘岳の『秋興賦』に「花を観て莳(う)え時の育するを覧る兮」とある。これで「茂対」が連読・「時育」が連読し、古人はもともとかくのごとく断句したが分かる。『釈文』が「茂対時」と点ずるは誤りである。
艮為時,震巽皆為草莽,而震為生,故曰時育萬物,即嚴畏天命,順時育物也。象有以相反為義者,如《蠱》曰振民育德,《剝》曰上以厚下安宅,《明夷》曰用晦而明,及此皆是也。虞仲翔不知此旨,據象言時育,證萬物皆死之非。審如是也,將《蠱》曰振育亦可謂之不蠱,《剝》曰安宅亦可謂之非剝,尚可通乎?
艮は時と為り、震と巽は皆草莽と為り、そして震は生発を主る。だから「時に育てて万物」と言い、すなわち天命を敬畏し、時に順いて物を養育す。『大象伝』に相反する一面より義を取る者有り、例えば蠱の「民を振り徳を育す」、剥の「上以て下を厚くし宅を安んず」、明夷の「晦を用いて明」と言う、およびここは皆この類に属す。虞翻はこの層の宗旨を明らかにせず、かえって『大象』が「時に育てて」と言うを拠って、「万物皆死す」の説法の非を証明せんとす。真に彼のように講ずれば、然らば蠱が民を振い徳を育すと言うは、豈に蠱壊に非ずと言う可き、剥が宅を安んずと言うは、豈に剥落に非ずと言う可きか、なお講じ通らんや。
初九:無妄,往吉。陽遇陰則通,故往吉。象曰:無妄之往,得志也。得志謂往遇二陰也。《大畜》九三云上合志,《渙》九二云得願,上皆無應,皆以前遇二陰。虞翻不知此為易不刊之定理,命四爻變陰,初得應釋得志,清儒從之,訛誤至今。六二:不耕穫,不苗(中 )畬,則利有攸往。獲,悅文刈谷也。《時·小雅》「於此苗(中 )畝」,蔬:苗(中 ),災也,始災殺其草木也,故《說文》云不耕田也。畬,文三歲治田。《時·周頌》「如何新畬」,傳:一歲曰畜,二歲曰新田,三歲日畬,《爾雅》同。
初九爻辞:所望なきの時に処る、往けば吉。陽爻は陰爻に遇えば則ち通ず。だから「往けば吉」。『象伝』は言う。无妄の往は、志を得るなり。「志を得」と謂うは、往いて六二・六三の二つの陰爻に遇うを指す。『大畜』の九三の『小象』は「上に志を合す」と言い、『渙』の九二は「願を得」と言い、あの両爻は上に正応なく、恃む所は皆前に二つの陰爻に遇うにある。虞翻はこれが『易』の中の顛撲破れざる定理たるを知らず、強いて九四に陰爻と変ぜしめて、初九に応ずる爻を得しめ、以て「志を得」を釈せんとす。清の学者は彼に従い、訛誤今日に至る。六二爻辞:耕さざるにして穫ること望まず、生田を墾かざるにして熟田を得んことを望まず、然らば往く所有るに利あり(源文は「苗(中 )」を以て「菑」の字を標注し、初耕の田を指す)。「獲」は『説文』が穀を刈ると訓す(源文の「悦文」はすなわち「説文」)。『詩・小雅』に「この菑畝に於て」とあり、疏は言う。菑とはすなわち焼荒で、始めて田中の草木を焚き殺す。だから『説文』は之を未だ耕作せざる田と言う。「畬」は『説文』が耕作三年の田と訓す。『詩・周頌』に「新畑を如何せん」とあり、毛伝は言う。一年を菑と曰い、二年を新田と曰い、三年を畑と曰う。『爾雅』も説同じ。
獨鄭康成及虞翻謂田二歲曰畬,皆以在二爻。豈知詩明曰新畬,是第一年苗(中 )田,第二年便為新田,然尚未柔和也,故第三年為畬田。觀詩不曰畬新而曰新畬,鄭、虞誤也。蓋二居艮震之間,震為耕、為苗(中 ),乃前遇艮,艮止,故不耕不苗。艮手為獲,艮成終,為畬。不耕而獲,不苗(中 )而畬,為必無望之事,故象以未富為釋。
独り鄭玄と虞翻のみが、田は二年を以て畑と曰うと言う。あれは爻位が第二に在るに迁就するがためである。彼らは知らざりしことに、『詩』は明らかに「新畑」と曰う。これで第一年は菑田、第二年は便りに新田と為るも、ただ土性はなお柔熟せざるがゆえに、第三年にこそ畑田と為るが分かる。『詩』が「畑新」と言わずして「新畑」と言うを観れば、鄭・虞は誤ったのである。卦象に就いて言えば、六二は互艮と下震の間に処り、震は耕・菑と為るが、然るに前に艮に遇い、艮は止を主る。だから「耕さず」「菑せず」。艮は手と為りて因って獲と為り、艮はまた成終を主りて因って畑と為る。耕さずして穫る・荒を墾かずして熟田を得るは、もともと絶に望みなきの事だから、『小象』は「未だ富まざる」を以て釈とす。
據《坊記》引則為凶字,又據《說文》引畬下多田字,段玉裁以為即凶之形訛字,然則則為凶字無疑。乃王注謂不耕而獲,不苗(中 )而畬,只代終,不造始,臣道固如是也,故利往。如王詁,是亦獲亦畬也,與象未富之義不合。按《易林·無妄之訟》云「不耕而獲,家食不給」,謂既不耕,獲必無得,故家食不給,讀雖與王同,而義則與小象不背矣。又《禮·坊記》引此,鄭彼注云「言必先耕乃得獲,先苗(中 )乃得畬,安有無事而取利者乎」,皆正詁,宜從。二有應,故利往,此自為一義,與上二句不相屬,與《困》彖同。象曰:不耕穫,未富也。
『礼記・坊記』の引くに拠れば、経文の「則」は当に「凶」の字と作るべし。また『説文』の引くに拠れば、「畑」の下に一「田」の字多く、段玉裁はあれがまさに「凶」の字の形誤と認む。これで「則」はもともと「凶」の字たること疑いなし。然るに王弼の注は言う。耕さざるにして穫有り、荒を墾かざるにして畑有るは、ただ他人の終りを承接して、自ら其の始めを開創せず。臣たるの道はもともとかくのごとし。だから往くに利ありと。王弼のように解すれば、則ち穫有りかつ畑有りと為り、『小象』の「未だ富まざる」の意思と合せず。尚秉和は按ずる。『焦氏易林・无妄之訟』は「耕さずして穫る、家食給えざらん」と言い、すでに耕さざれば、収穫は必ず望みなし。だから家中の食い足りずと言い、読法は王弼と同じと雖も、意義は則ち『小象』と背かざる。また『礼記・坊記』がこの句を引くに、鄭玄は彼処に注して言う。「必ず先ず耕して乃ち穫を得、先ず荒を墾きて乃ち畑を得るを言う。安んぞ事なくして利を取る者あらんや」と。皆正しい訓釈で、採信すべし。「則ち往く所有るに利あり」に至っては、六二に九五を以て正応とする有るがゆえに、往くに利ある。この句は自ら一義を成し、上の二句と連属せず、困卦の『彖辞』の句式と同じ。『象伝』は言う。耕さずして穫るは、未だ富まざるなり。
六三:無妄之災,或繫之牛,行人之得,邑人之災。無妄之災,猶不虞之災也。艮為牛,象失傳,詳《焦氏易詁》補遺。糞為繫,故或繫之牛。震為行、為人,巽為盜,故行人之得。艮為邑,良火故曰災。言或繫之牛,被行人牽去,居者反有盜嫌,遭詰捕之禍也。爻辭取象,神妙已極,乃自艮牛、民火象失傳,自虞翻以來皆用卦變,致妙用全失。蓋三不當位,而巽伏為盜,象失傳,詳《焦氏易詁》補遺,故有是象。災之無妄,莫過於是。象曰:行人得個,邑人災也。
六三爻辞:无妄の災――ある人は牛をそこに繋ぎ、行路の人が之を牽き去り、本邑の人はかえってこれによりて災に遭う。「无妄の災」とはすなわち意料の外の災禍である。艮は牛と為り、この象は失伝した。詳しくは『焦氏易詁』補遺を見よ。巽は繩索・係と為る(源文の「糞」は「巽」の誤り)。だから「或いは之の牛を繋ぐ」と言う。震は行・人と為り、巽は盗と為る。だから「行人の得」と言う。艮は邑と為り、艮はまた火と為る。だから「災」と言う(源文の「良」は「艮」の誤り)。整句は言う。ある人の繋ぎたる牛が行路の人に牽き去られ、本地に住む人はかえって牛盗の嫌疑を負い、審問追捕の禍に遭う。この条の爻辞の取象はすでに神妙極まれり。然るに艮が牛・艮が火と為るのこの二つの逸象が失伝してより(源文の「民火」はすなわち「艮火」)、虞翻以下は皆卦変を改用して講じ、神妙の処は便りに一掃せられた。六三は陰で陽位に居り当位せず、そして巽は下に伏蔵して盗と為る(巽が盗の象と為るも同じく失伝。詳しくは『焦氏易詁』補遺を見よ)。だからこのような象あり。意外の災は、これより典型的なるはなし。『象伝』は言う。行人、牛を得るは、邑人の災なり(源文の「得个」はすなわち「得牛」)。
九四:可貞,無咎。陽遇陽則窒,下又無應,不宜於動,故曰可貞。貞,定也。然得重陰履之,故亦無咎。象曰:可貞無咎,固有之也。固有即謂二陰,虞翻亦用卦變說之,非。九五:無安之症,勿藥有喜。巽為疾、為草莽,故為藥。無妄之疾,言疾之愈已失望,乃勿藥而愈,其喜可知。五應在二,震為笑樂,故有喜也。勿藥者,言巽藥為艮為所焚也。
九四爻辞:可なり貞しくすれば、咎なし。陽爻は陽爻に遇えば則ち壅塞し、下はまた正応なきがゆえに、妄動に宜からず。よって「可なり貞しく」と言う。「貞」とはすなわち定である。然るに其の下は六二・六三の二つの陰爻を踏む。だからまた咎なし。『象伝』は言う。可なり貞しくして咎なきは、固より之を有するなり。「固より之を有する」とは即座に下のあの二つの陰爻を指す。虞翻は同じく卦変を用いて之を解す。誤りである。九五爻辞:无妄の疾、薬する勿れ、喜び有り(源文の「无安之症」はすなわち「无妄之疾」)。巽は疾・草莽と為り、草莽はすなわち薬材だから、巽は薬と為る。「无妄の疾」とは、この病の癒ゆるはもともともう望みなしと言うが、ついに薬せずして自ら癒ゆ。あの欣喜は知るべし。九五の応ずる爻は六二に在り、震は笑楽と為る。だから「喜び有り」。「薬する勿れ」と言うは、巽のこの一味の薬が互体の艮の火に焼き焚かれたがゆえである。
象曰:無妄之藥,不可試也。不可試,言此為事之偶然,非所期望,不可嘗試。蓋五雖當位有應,然承乘皆陽,未為全吉。上九:無安,行有眚,無攸利。上應在三,巽為疾病、為眚、為利,然四五遇敵,故行有眚而無所利也。象曰:無妾之行,窮之災也。
『象伝』は言う。无妄の薬は、試みる可からざるなり。「試みる可からず」とは、薬せずして癒ゆるはただ偶然で、もともと意料の中に在らざるを言い、之を常法として試みる可からず。九五は当位してまた正応有ると雖も、上承・下乗するは皆陽爻で、陽は陽に遇えば則ち窒ぐ。だから全吉に非ず。上九爻辞:意外の時に処る、行けば災眚有り、攸に利なし(源文の「无安」はすなわち「无妄」)。上九の正応は六三に在り、巽は疾病・眚・利と為る。然るに九四・九五は同じ陽爻にして上九と互いに敵と為る。だから行けば災眚有りて利を得る所なし。『象伝』は言う。无妄の行は、窮の災なり。
大畜卦
大畜。利貞,不家食吉,利涉大川。乾為大,乾陽上升,為民所止,故日大畜。陽為艮畜,故利於貞定也。兌為食,艮為家,皆在外,故不家食吉。坤為大川,上居坤水之顛,下履重陰,得行其志,故曰利涉大川,與《頤》上九之利涉大川同也。
大畜卦卦辞:正を守るに利あり。家に食らわずして朝に禄を受ければ吉、大川を渉るに利あり。乾は大と為り、乾陽は上に向かって升進すれど、上卦の艮に止め畜せらるる(源文の「民」は「艮」の誤り)。だから「大畜」と言う。陽は艮に畜せらるるがゆえに、貞静に守定するに利ある。二より四爻に互成する兌は食と為り、艮は家と為り。両者とも外卦に在るがゆえに「家に食らわずして吉」と言う。六四・六五の二つの陰爻を以て坤と為し、坤は大川と為る――これもまた『説卦』に無くして尚氏が『焦氏易林』より鉤沈せる逸象である。上九は高く坤水の頂に居り、下には二つの陰爻を踏み、其の志を施行し得る。だから「大川を渉るに利あり」と言い、頤卦の上九の「大川を渉るに利あり」と同例である。
象曰:大畜剛健篤實輝光,日新其德。剛上而尚賢,能止健,大正也。不家食吉,養賢也。利涉大川,應乎天也。剛健篤實謂乾,輝光謂艮。艮為日,故曰日新;艮為君子,故曰尚賢,曰養賢。五天位,上孚於五,故曰應乎天。象曰:天在山中,大畜。君子以多識前言往行,以畜其德。識,《論語》「女以為多學而識之者欽」,注:識,記也。乾為前、為言、為行、為德,艮止於下,故多識前言往行,以畜其德。艮為君子。
『彖伝』は言う。大畜は剛健篤実にして輝光煥発し、日に其の徳を新たにす。剛は上に居りて賢を尚び、能く健を止むるは、大正の道なり。「家に食らわずして吉」は、賢を養うなり。「大川を渉るに利あり」は、天に応ずるなり。尚秉和は象を解す。「剛健篤実」は下卦の乾を指し、「輝光」は上卦の艮を指す。艮は日と為るから「日新」と言い、艮は君子と為るから「賢を尚ぶ」「賢を養う」と言う。第五爻は天位で、上九は九五と相い孚す。だから「天に応ず」と言う。『大象伝』は言う。天は山の中にあるは大畜。君子は以て前言往行を多く識(おぼ)え、以て其の徳を畜す。「識」の字は『論語』の「汝、予を以て多く学びて之を識える者と為すか」(源文の末字は「欽」と誤る)にあり、注は「識とは記なり」と言う。乾は前・言・行・徳と為り、そして艮は下の乾を止め畜す。だから「前言往行を多く識え、以て其の徳を畜す」。艮は君子と為る。
初九:有厲,利已。厲,危也;已,止也。初有應,似利往,然二三皆陽,遇敵,故曰有厲。初勿用,故利已,言往應四則有災也。舊解皆不知有厲之故在二三,於是虞氏命二變成坎,四在坎體,以取災象,經義之晦至於如此,真可嘆也。象曰:有厲利已,不犯災也。不犯災,釋利已之故也。災即厲,指二三。
初九爻辞:厲(あやう)し有り、已(や)むるに利あり。「厲」とは危で、「已」とは止である。初九は六四と相い応じ、見れば往くに利あるがごとし。然るに九二・九三は皆陽爻で、同性にして相い敵す。だから「厲し有り」と言う。初爻はもともと「用いる勿れ」の位に処るから、止むるに利ある。往きて六四に応じれば則ち災有るを言う。旧注は皆「厲し有り」の由が九二・九三に出づるを明らかにせず、そこで虞翻は九二を坎と変ぜしめ、六四を坎体の中に落せしめ、これに借りて災象を取らんとす。経義のかくのごとく隠晦せらるるは、まことに嘆くべし。『象伝』は言う。厲し有りて已むるに利ありは、災を犯さざるなり。「災を犯さず」とはまさに「已むるに利あり」の由を釈す。災はすなわち厲で、九二・九三を指す。
九二:輿說復(左車)。伏坤為輿,震為復(左車),二應在五,五震體,乃輿在內,轅(右復)在外,故曰輿脫復(左車)。車之行全恃復(左車),復(左車)脫則車不能行。二承乘皆陽,陽遇陽則窒,故有是象。舊說以二應五,便謂利涉大川指二者非也。如二能利涉,焉有此象哉。然爻辭無吉凶,無咎悔,故象曰中無尤,言無尤之故,以得中也。象曰:輿說復(左車),中無尤也。
九二爻辞:車は車軸下の伏兎を脱した(源文は「復(左車)」を以て「輹」の字を標注す)。乾の下に伏する坤は車輿と為り、震は輹と為る。九二の応ずる爻は六五に在り、六五は上体の互震に属す。そこで車廂は内に、車輹は外に。だから「輿、輹を脱す」と言う。車の行く能うは全くこの輹に恃む。輹が一たび脱せば車は動く能わず。九二は上承・下乗するは皆陽爻で、陽は陽に遇えば則ち窒塞す。だからこの象あり。旧説は九二が六五に応ずるに因りて、便りに卦辞の「大川を渉るに利あり」は九二を指すと認む。これは誤りである。九二がもし真に渉るに利あるならば、焉んぞ「輿、輹を脱す」の象あらんや。ただしこの条の爻辞は吉凶なければ咎悔もなし。だから『小象』は「中にして尤められなし」と言い、過失なきの由が中に居るに在るを説明す。『象伝』は言う。輿、輹を脱すは、中にして尤められなきなり。
九三:艮馬逐,利艱貞,日閒輿衛,利有攸往。乾為艮馬,震為逐,三多懼,故利艱貞。乾為日。《爾雅·釋詁》:閒,習也。《詩·秦風》「遊於北園,四馬即閒」,傳亦訓閒為習。震為輿衛,日閒輿衛者,言車馬已閒習,利於行也。三臨重陰故行利。象曰:利有攸往,上合志也。三遇重陰,陽遇陰則通,故曰上合志。上謂四五,此與《升》初六之上合志同。初六之上謂二三,陰遇陽則通,與陽遇陰同也。虞翻謂上為上爻,故易本一失,說無不誤。
九三爻辞:良馬は追逐奔馳す、艱難の中に正を守るに利あり、日に車駕と衛従とを閑習す、往く所有るに利あり(源文の「艮馬」はすなわち「良馬」)。乾は良馬と為り、三より五爻に互成する震は逐と為る。第三爻は多く憂懼有るがゆえに「艱貞に利あり」と言う。乾は日と為る。『爾雅・釋詁』は「閑とは習なり」と言い、『詩・秦風』に「北園に遊ぶ、四馬すでに閑なり」とあり、毛伝もまた「閑」を習と訓す。震は車輿と衛従と為る。「日に輿衛を閑習す」とは、車馬がすでに演練純熟し、出行に利あるを言う。九三は前に六四・六五の二つの陰爻に臨むがゆえに出行に利ある。『象伝』は言う。往く所有るに利ありは、上に志を合するなり。九三は二つの陰爻に遇い、陽は陰に遇えば則ち通ず。だから「上に志を合す」と言う。「上」とは六四・六五を指す。これは升卦の初六の『小象』の「上に志を合す」と同例である――あそこの初六の「上」は九二・九三を指し、陰は陽に遇えば則ち通ずは、陽が陰に遇うと一個の道理である。虞翻はかえって「上」を上爻と為す。これで根本の一歩を踏み誤れば、其の説に誤りなからざるなしと分かる。
六四:童牛之牿,元吉。《釋文》:童牛,無角牛也。按《太玄·更次》五云「童牛角馬,不今不古」,即謂牛無角也。牿,《釋文》云:陸作角,劉雲牿之言角也;九家作告,雲牛觸,角著橫木,所以告人。按劉、陸作角者是也,駱、牿、角音同通用。
六四爻辞:小牛の角に横木を加う、元吉。『経典釈文』は言う。童牛とはすなわち角の生えざる牛である。尚秉和は按ずる。『太玄・更』の次五は「童牛、角馬、今にも古にもあらず」と言い、まさに牛に角なきを指す。「牿」の字は『釈文』に陸績本は「角」と作り、劉表は「牿」はすなわち「角」を言うと言い、九家本は「告」と作り、牛は抵触を好み、角の上に一根の横木を綁して、以て人を警告するに用うと言う。尚氏は按ずる。劉・陸が「角」と作るは正しい。「梏」「牿」「角」は音同じくして通用し得る。
艮為牛,象失傳,詳《焦氏易詁》。艮少故為童牛,而艮為角,四居艮初,有若初生之角,言小牛角初生也。四應初,故吉。象曰:六四元吉,有喜也。應在初陽故有喜。廬浙云:《說文》牿,牛馬牢,牛在牢則範而不越,故吉。於艮止義亦合。
艮は牛と為る。この象は『説卦』に載せずして久しく失伝した。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。艮は少男だから小牛(童牛)と為り、艮はまた角と為る。六四はまさに上体の艮の初爻に処り、ちょうど生え出づるばかりの角のごとく、小牛が犄角を初生するを言う。六四は初九と応ずるから吉。『象伝』は言う。六四の元吉は、喜び有るなり。其の応ずる爻は初九の陽だから喜び有り。盧浙は言う。『説文』の「牿」は牛馬の圈栏で、牛は栏の中に在れば約束を受けて逾越せず。だから吉。これは艮が止と為るの意義とも相合す。
六五:憤(左豕)豕之牙,吉。《爾雅·釋獸》「豕子橢(左豕)憤(左豕)」,注云:俗呼小憤(左豕)豬為墮(左豕)子。是憤(左豕)豕為小豕,艮少象也。二兌為牙,五應之,故曰憤(左豕)豕之牙,言小豕初生牙也。按艮為黔喙,獸之黔喙者莫過於豕,疑艮或有豕象。又垢(左女)以巽為豕,大畜三至五伏巽,或仍以巽為豕也。
六五爻辞:去勢した小猪が牙を生ず、吉(源文は「憤(左豕)」を以て「豮」の字を標注す)。『爾雅・釋獣』は「豕子は猪・豮」と言い、注は言う。俗に小猪を䐗子と呼ぶ。これで「豮豕」がすなわち小猪たることが分かり、取る所はまさに艮が少と為るの象である。二より四爻に互成する兌は牙と為り、六五は之と応ず。だから「豮豕の牙」と言い、小猪がちょうど牙を生え出すを言う。尚秉和はまた按ずる。艮は黔喙の属と為り、獣類の中で黒嘴なるは猪に過ぎるはなし。だから艮は或いはもともと「豕」の象有るを疑う。また垢卦は巽を以て豕とす。大畜の三より五爻には巽体が伏す。あるいはなお巽を以て豕とするやもしれぬ。
李鼎作深知憤(左豕)豕二字皆由象生,然求之不得,謂五應二,二坎爻為豕,非。又廬浙云:《坤雅》以代(左木)繫豕,謂之牙,牙者繫之者也,繫而不去故吉,亦與艮止義合。象日:六五之吉,有慶也。六五承陽,故有慶。《晉》六五、《睽》六五皆上承陽,皆曰往有慶,茲與之同。
李鼎祚(源文は「李鼎作」と作る)は深く「豮豕」の二字が皆卦象より生じたを知るも、ただ之を求めて其の解を得ず、便りに六五は六二に応じ、六二は坎爻にして坎は豕と為ると言う。これは誤りである。盧浙はまた言う。『坤雅』は木橛を以て猪を繋ぐを講じ、あの木橛を「牙」と呼ぶ。「牙」とはすなわち之を繋ぐもので、繋ぎて走り去らしめざるがゆえに吉。これもまた艮が止と為るの意義と相合す。『象伝』は言う。六五の吉は、慶有るなり。六五は上に上九の陽を承けるから慶有り。晋卦の六五・睽卦の六五は皆上に陽爻を承け、皆「往いて慶有り」と言う。ここは彼らと同例である。
上九:何天之衢,亨。艮一陽在上為天,又為背,故曰何。艮為道路,故曰何天之衢。《左傳》昭二年「尸諸周氏之衢」,注:衢,道也。又《爾雅·釋宮》「四達謂之衢」。何天之衢者,言陽在上不為所畜,通達之甚。象曰道大行,亦釋衢為道,大行即謂其通達。
上九爻辞:天上の四通の大道を肩に荷う、亨。艮の一陽は上位に居りて天と為り、艮はまた背と為りて、背は物を負い得る。だから「何」(すなわち「荷」、担負)と言う。艮は道路と為る。だから「天の衢を何ぐ」と言う。『左伝』昭公二年に「周氏の衢に尸す」とあり、注は「衢とは道なり」と言う。また『爾雅・釋宮』もまた「四達を衢と謂う」と言う。「天の衢を何ぐ」とは、陽は上位に居りてもはや畜止を受けず、通達すること甚だしきを言う。『小象』は「道大いに行くなり」と言い、これも「衢」を道と釈し、「大いに行く」とはまさに其の通達を指す。
虞翻釋何為當,王弼竟釋何為何乃,朱子取之,益非。蓋皆以天衢如何負何為疑,豈知易辭皆攝取象之精神,而不能執其解,執則易辭無一可通。象曰:何天之衢,道大行也。艮為天,《易林·豫之旅》云「人天門」,《隨之蹇》云「戴瓶望天」,皆以艮為天。
虞翻は「何」を「当」と解し、王弼はついに「何」を「何乃」と解し、朱熹は彼の説を採用す。ますます誤りである。彼らは皆「天の衢をどうして担負し得ようか」を以て疑難と為すが、彼らは知らざりしことに、『易』の辞はただ卦象の精神を摂取するのみで、字面を死に拘る能わず。一死に拘れば、『易』の辞に一句として講じ通るなし。『象伝』は言う。天の衢を何ぐは、道大いに行くなり。艮は天と為る。『焦氏易林・豫之旅』は「天門に入る」と言い、『随之蹇』は「瓶を戴きて天を望む」と言う。皆艮を以て天とす。これもまた『説卦』に無きの逸象である。
頤卦
艮為君子,震為言為食,正反震言語相背,有相訟意,慎則訟息。飲食者人之所欲,震為口,正反艮手相對,有爭意,節則飲食平。慎與節皆艮止象,此易用覆象,最為神妙之語。舊說,惟《易林》能闡其義,說詳《焦氏易詁》。
底本は大畜の上九を講じ終われば即座にここに接し、中間に頤卦の卦辞「貞にて吉、頤を観る、自ら口実を求む」、『彖伝』および『大象』の「山下に雷有りは頤。君子は以て言語を慎み、飲食を節す」の諸句の経文を脱して、僅かに尚秉和の『大象』を解する注文を存するのみ。今は底本の実収に依り、通行本に拠って代わりに補わず。上卦の艮は君子と為り、下卦の震は言・食と為る。震の正象と倒転した覆象と言語は相い背く、互いに争訟するの意を含む。慎しめば争訟は平息す。飲食は人の欲する所で、震は口と為る。正艮と覆艮の両只の手が相い対して、争奪するの意を含む。節有れば飲食は均平す。「慎」と「節」とは皆艮が止と為るの象を取る。これは『易』が覆象――卦を倒転して象を取る――を運用する最も神妙なる所で、旧説の中、ただ『焦氏易林』のみが其の義を闡明し得る。詳しい論述は『焦氏易詁』を見よ。
初九:舍爾靈龜,觀我朵頤,凶。離為龜,以剛在外,艮亦剛在外,故《頤》《損》《益》皆以艮為龜,此其義唯《易林》知之。《屯之震》云「龜鱉列市」,以震互艮為龜;《泰之節》云「龜厭河海」,以節互艮為龜。虞翻用卦變,以晉離為龜,易取象無此迂曲也。
初九爻辞:爾の霊亀を舎てて、我が朵頤(だい)を観る、凶。離は亀と為る。其の剛爻が外に在りて柔爻が内に在り、亀の甲殻に似るがゆえである。艮は同じく剛爻が外に在る。だから頤・損・益の三卦は皆艮を以て亀とす。この層の道理はただ『焦氏易林』のみが之を知る。『易林・屯之震』は「亀鼈、市に列す」と言い、震卦の互体の艮を以て亀とす。『泰之節』は「亀、河海に厭(あ)く」と言い、節卦の互体の艮を以て亀とす。虞翻は卦変を改用して、晋卦の離を以て亀とす。『易』の取象にこれほど迂回曲折するはなし。
初爻艮覆,故曰舍爾靈龜。朵,《釋文》云動也,人食物則頤動。初應在四,四當頤中,故曰觀我朵頤。言初當位,擁有群陰,貞靜自養斯亦足矣,乃舍其自有之靈寶,而闡觀他人之寵祿,四艮體,艮為貴為官,則躁竟貽譏,而殃咎或至,故曰凶。按初當位有應,前臨重陰,陽遇陰則通,本無凶理,《隨》初「出門有功」,《益》初「利用為大作」,其證也。此則凶者,以艮震相反覆,內動外止,故宜靜不宜動,《屯》初云「利居貞」是其義也。屯初至五亦頤也。
初九は下体に処り、まさに艮を倒転した覆艮の位で、亀象はかえって背棄せらる。だから「爾の霊亀を舎て」と言う。「朵」は『釈文』が動と言い、人が物を食すれば頤頬が動く。初九の応ずる爻は六四に在り、六四はまさに頤口の中に当たる。だから「我が朵頤を観る」と言う。尚秉和は其の義を申説す。初九は当位し、上に一片の陰爻を擁して、もともと貞静に自養し、これにて足るべきに、自分のもともと有する霊宝を拋開して、他人の宠禄を仰望するを好む。六四は艮体に属し、艮は貴・官と為る。然らば躁進して争競すれば則ち人の譏議を招き、災殃もまた随いて至る可し。だから「凶」と言う。尚秉和は按ずる。初九は当位してまた正応有り、前に一片の陰爻に臨み、陽は陰に遇えば則ち通ず。もともと凶の理なし。随卦の初九は「門を出でて交えて功有り」と言い、益卦の初九は「大作と為るを用うるに利あり」と言う。すなわち其の証である。ここで凶たる所以は、頤卦は艮と震とが互いに反覆し、内卦の震は動にして外卦の艮は止だから、静に宜しく動に宜からず。屯卦の初九が「居貞に利あり」と言うは、まさにこの意である。屯卦は初爻より五爻に至りても、また一つの頤象を合成す。
由此悟《隨》初有功者以外兌,兌悅震喜;《益》初利用為大作者以外巽,同聲相應,故皆動而吉;獨《屯》初利居貞,以外坎無為險難,故宜貞定:其故全在外卦。頤外艮,又止故不宜動。舊解皆不詳凶之故何在,則易理失傳,不能觀其會通也。象曰:觀我朵頤,亦不足貴也。言初本可貴,反因妄動而不足貴也。
これによりて悟る可きは、随卦の初九が功有る所以は、外卦が兌で、兌は喜悦を主り内の震は欢欣を主るがゆえ。益卦の初九が「大作と為るを用うるに利あり」たる所以は、外卦が巽で、内の震と同声相応ずるがゆえ。だから皆動いて吉を得。独り屯卦の初九が「居貞に利あり」たるは、外卦が坎で、坎は険難と為るがゆえ(源文の「无為險難」は当に「坎為險難」とすべし)。だから貞定に宜しき。其の中の由は全く外卦に在り。頤卦の外卦は艮で、艮はまた止を主るから妄動に宜からず。旧注は皆「凶」の由が果たして何処に在るかを講じ明らかにせず。これで易理の失伝して融會貫通する能わざるが分かる。『象伝』は言う。我が朵頤を観るは、亦貴ぶに足らざるなり。初九はもともと貴ぶべきに、かえって妄動に因って貴ぶに足らざると為ったを言う。
六二:顛頤,拂經,于丘頤,征凶。顛與闡(內真)通。《和玉藻》「盛氣顛寶」,注:顛讀為間(內真)。而聞(內真)與穴(下真)通,《前漢·遊俠傳》「人無賢不肖門(內真)門」,注:門(內真)與穴(下真)字同。穴(下真),塞也。三四五皆陰,故曰穴(下真)頤。丘,《前漢·息夫躬傳》「寄宿丘亭」,師古云:丘,空也。經,常;拂,違也。丘頤,空頤也。蓋頤以空為用,今乃穴(下真)塞,違頤之常,故曰穴(下真)頤、拂經于丘頤。前得敵故征凶。其以顛頤拂經為句,或以拂經於丘為句者,非。
六二爻辞:顛倒して養を求め、常理に違い、上の丘の処に往きて養を求む、往けば凶。尚秉和は「顛」と「闐」とは通ずると言う。『礼記・玉藻』に「盛気、顛實たり」(源文は「和玉藻」「顛宝」と作る)とあり、注は「顛」は「闐」と読むと言う。そして「闐」はまた「窴」と通じ、『前漢書・游侠伝』に「人、賢不肖あらず、闐門たり」とあり、注は「闐」と「窴」は同一の字と言う。「窴」とはすなわち塡塞である。頤卦の三・四・五爻は皆陰で、中間は壅塞す。だから「窴頤」と言う――頤口が塡塞せられた。「丘」の字は『前漢書・息夫躬伝』に「丘亭に寄宿す」とあり、顔師古の注は「丘とは空なり」と言う。「經」は常で、「拂」は違である。「丘頤」とはすなわち空虚の頤口である。頤口はもともと空虚を以て用とするに、今はかえって塡塞せられ、頤口の常態に違背す。だから「窴頤、經に拂りて丘頤に於てす」と言う。六二は前に同じ陰爻の敵類に遇うがゆえに「往けば凶」。「顛頤、經に拂る」を一句に断じ、あるいは「經に拂りて丘に於てす」を一句に断ずる者は皆誤り。
象曰:六二征凶,行失類也。二無應,前遇重陰,陰遇陰則窒,故曰征凶。陰陽相遇方為類,今六二不遇陽,故曰失類。象義如此明白,乃二千年易家皆以陰遇陰為類,於是《文言》之「各從其類」、《坤》彖傳之「乃與類行」、《繫辭》之「方以類聚」,及此皆失解,與朋友同,說詳《焦氏易詁》。六三:拂頤,貞凶,十年勿用,無攸利。吳先生曰:拂頤猶不可口也。貞,占也。坤為十年,三不當位,承乘皆陰,故十年不用,無攸利也。按三有應,陰得陽應多吉,此獨不吉者,以四五得敵,應上甚難,故曰無攸利。
『象伝』は言う。六二、往きて凶は、行きて類を失うなり。六二は正応なく、前はまた幾つかの陰爻に遇い、陰は陰に遇えば則ち窒塞す。だから「往きて凶」と言う。必ず陰陽の相遇してこそ「類」と呼ぶに、今、六二は陽に遇わざるがゆえに「類を失う」と言う。『小象』の意思はもともとかくのごとく明白なのに、二千年以来の易家は皆陰が陰に遇うを同類と為す。そこで乾『文言』の「各々其の類に従う」、坤『彖伝』の「乃ち類と行く」、『繫辞』の「方、類を以て聚まる」、およびここ一処、全て講じ通らざるに至った。これは前の「朋」の字が誤解せられたのと情形同じ。詳説は『焦氏易詁』を見よ。六三爻辞:養道に違う、占問して凶を得、十年、用いる可からず、攸に利なし。呉先生は言う。「頤に拂る」とは猶お口に合わざるを言うがごとし。「貞」は占問である。坤は十年と為る――頤卦の中間の四つの陰爻は坤と見做す可し。六三は陰で陽位に居り当位せず、上承・下乗するはまた皆陰爻。だから十年、作為する能わず、利する所なし。尚秉和は按ずる。六三はもともと上九を以て正応と為し、陰爻が陽爻の応を得れば多く吉利に、ここでは偏に吉ならざるは、六四・六五が同類相敵するがゆえに、上に上九と応ずること極めて困難なるによる。だから「攸に利なし」。
象曰:十年勿用,道大孛?也。艮震皆為道路,乃艮震上下象皆相反,故日道大孛(左心)。《玉篇》:孛(左心),逆也。言艮震皆有覆象相逆也。艮震皆為道,乃上卦覆震,與下震相逆;下卦覆艮,與上艮相逆。象下一孛(左心)字,尋味無窮。
『象伝』は言う。十年、用いる可からざるは、道大いに悖(もと)るなり(源文のその字は残欠し、後文は「孛(左心)」を以て「悖」の字を標注す)。艮と震とは皆道路と為るが、然るに頤卦の上下両体の艮震の象はちょうど互いに反覆す。だから「道大いに悖る」と言う。『玉篇』は言う。悖とはすなわち逆である。艮・震が各々一つの倒転した覆象を有して之と相い逆するを言う。上卦の艮は倒せば震と為りて下の震と相い逆し、下卦の震は倒せば艮と為りて上の艮と相い逆す。『小象』の下る一「悖」の字、尋ね味わうべきこと窮まりなし。
六四:顛頤,吉,虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。六二無應,以陰穴(下真)頤,故凶;六四有應,穴(下真)頤以陽,故吉。艮為虎為視,眈眈視貌,《說文》云視近志遠。坤為欲,逐逐言所欲在初,乃為二三所阻,不能遽遂其欲,故逐逐不已。象曰:顛顧之吉,上施光也。初陽應四,故曰上施光。三有應不當位,故凶;四當位有應,故吉。然四雖有應,為二三所隔,難以下施,故須初上施而吉也。六五:拂經,居貞吉,不可涉大川。拂經,王注作拂頤,五不當位,故拂頤。居,安也,安居五位,順上承陽,故貞吉。若下涉坤水,陰遇陰則窒,故不可也。象曰:居貞之吉,順以從上也。上陽,故當順從。
六四爻辞:顛倒して養を求む、吉。虎のごとく目を瞪(みは)りて眈々と視、其の欲は逐逐として舍せず、咎なし。六二は正応なく、陰爻を以て頤口を塡塞するがゆえに凶。六四は正応有り、陽爻を以て頤口を塡塞するがゆえに吉。艮は虎・視と為り、「眈々」は注視する貌で、『説文』は視ること近くして志は遠しと言う。坤は欲と為る。「逐逐」とは、其の欲する所が初九に在るが、六二・六三に阻隔せられ、遽かに其の欲を遂ぐる能わざるがゆえに、追逐して已まざるを言う。『象伝』は言う。顛頤の吉は、上、光を施すなり(源文の「顛顧」はすなわち「顛頤」)。初九の陽は上に六四に応ずるから「上、光を施す」と言う。六三は応有ると雖も当位せざるがゆえに凶、六四はすでに当位してまた応有るがゆえに吉。ただし六四は応有ると雖も、六二・六三に隔てられ、下に向かって施与し難きがゆえに、初九の上に向かって光を施すを頼ってこそ吉を得。『象伝』は言う。居貞の吉は、順にして上に従うなり。上九は陽だから之に順従すべし。
上九:由顧,厲吉,利涉大川。由,自得也,義詳《豫》九四。九四下乘重陰,故曰由豫;此亦下乘重陰,放曰由頤。然高居萬民之上,恐逸豫隨之,故振厲方吉也。坤為大川,陽遇陰則通,故利涉大川。此與五爻舊解所以全誤者:一由坤水象失傳,必用虞翻再三變之法,始得坎為大川;二由類字失詁,故不知和涉、不利涉之故何在也。象曰:由頤厲吉,大有慶也。大有慶,謂上九乘重陰。
上九爻辞:天下、彼によりて養を得、心に戒懼を存せば則ち吉、大川を渉るに利あり(源文の「由顧」はすなわち「由頤」)。「由」とは自得で、含义は詳しくは豫卦の九四を見よ。豫の九四は下に一片の陰爻に凌乗するがゆえに「由豫」と言い、この爻も同じく下に衆陰に乗るがゆえに「由頤」と言う。然るに高く万民の上に居りて、安逸享楽の随いて来たるを恐る。だから必ず振奮戒懼してこそ吉となる。坤は大川と為り、陽は陰に遇えば則ち通ず。だから「大川を渉るに利あり」。六五・上九の両爻の旧注が全て誤りたる所以は、由に二つ有り。一は坤が水と為るのこの逸象の失伝、虞翻の反復して爻を変ずるの法を用いねば、ようやく坎を以て大川と為すを得ず。二は「類」の字の訓釈の失伝、だから何の故にここは渉るに利あるか、かの処は渉るに利あらざるかを明らかにせざる。『象伝』は言う。由頤、厲にして吉は、大いに慶有るなり。「大いに慶有り」とは、上九が衆多の陰爻に凌乗するを言う。
大過卦
大過。棟撓,利有攸往,亨。過,失也,謂中四陽隱於陰中,失其用也。《說文》:棟,極也。《爾雅》:棟謂之俘(左木)。郭璞云:屋脊也。《易林》以坎為棟、為屋極,大過本大坎也。坎以中爻為棟,大過以三四為棟。橈,《釋文》云:由折也。兌毀折,巽隕落,故棟橈。
大過卦卦辞:棟梁は撓(たわ)む、往く所有るに利あり、亨。「過」とは失で、中間の四つの陽爻が上下の二つの陰爻に裹まれて、其の用を失うを指す。『説文』は「棟とは極なり」と言い、『爾雅』は「棟を桴と謂う」と言い、郭璞の注は屋脊と言う。『焦氏易林』は坎を以て棟・屋極とし、然るに大過はもともと一つの拡大した坎で――上下の二陰が四陽を夾み、形狀は坎と同じ。坎は中爻を以て棟とし、大過は三・四の両爻を以て棟とす。「橈」は『釈文』が曲折と言う。上卦の兌は毀折を主り、下卦の巽は隕落を主る。だから棟は撓む。
以易理言,朋承陽則利。利有攸往,應指初。《升》初六曰允升,曰上合志,大過初與升初同,而四有應,故往利也。虞翻知陽爻無利往者,乃謂二變應五故利往。如虞說,傳云棟橈本末弱,本謂初,初亦失位可變也,尚何弱這有哉。乃自宋朱震以來即承其說,甚矣其不思也。
易理より言えば、陰爻が上に陽爻を承ければ則ち利あり。「往く所有るに利あり」は、当に初六を指すべし。升卦の初六は「允(まこと)に升る」と言い、『小象』は「上に志を合す」と言う。大過の初六は升卦の初六と情形同じく、しかも上に九四を以て正応と為す有るがゆえに、往けば利ある。虞翻は陽爻に「利往」の例なきを知り、便りに九二が変じて九五に応ずるがゆえに利往と言う。虞翻のように講ずれば、『彖伝』が「棟橈、本末弱きなり」と言うの「本」は初爻を指し、初爻は同じく位を失いて変ず可きに、なお何の柔弱かあらんや。然るに宋の朱震より以来、皆其の説を承襲す。甚だしきかな、其の思いを致さざること。
象曰:大過,大者過也。棟撓??,本末弱也。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。大過之時大矣哉。卦氣圖,大過十月卦,閉塞成冬,故曰大過時。大過過字,彖傳未明釋,後儒或以過往為說,先天位兌左巽右中過乾;或以過盛為說,此說尤不協,四陽五陽卦多矣,胡此獨盛,皆有可疑。
『彖伝』は言う。大過とは、大なる者の過甚なり。棟梁の撓むは、本末弱きなり。剛爻は多すぎて能く中に居り、柔順にして悦びて行き推す。往く所有るに利ありて、乃ち亨る。大過の処する時勢はまことに大なるかな。卦気図に按ずるに、大過は十月の卦に配し、天地は閉塞して冬と為る。だから「大過の時」と言う。「大過」の「過」の字は、『彖伝』明かに釈せず。後代の儒者は或いは「過往」に照らして講じ、先天の卦位は兌は左・巽は右、中間は乾位を経ると言い、或いは「過盛」に照らして講ず。こちらの説は殊に合せず――四陽・五陽の卦は多く有るに、どうして偏にこの一卦を過盛と算えん。皆疑う可き処有り。
愚按《太玄》擬大過為失,言四陽為陰所錮,失其用也,故漢人皆謂大過為死卦。《易林·明夷之大過》云「言笑未畢,憂來暴卒」,又《大壯之大過》云「道絕不通,商旅失意」,又《既濟之大過》云「身加檻纜,囚繫縛束」。《太玄》又擬為劇,劇,甚也,病也,皆謂陰大賊陽,陽失其用,與《易林》說合若符契。
尚秉和は自ら按ずる。揚雄の『太玄』は八十一の首を以て六十四卦に配擬し、其の中で「失」の首を以て大過に比擬す。四つの陽爻が上下の陰に禁錮せられて其の用を失うを言う。だから漢代の易家は皆大過を以て死卦とした。この判断は『焦氏易林』の繇辞の中で処々印证を得る。『焦氏易林・明夷之大過』は「言笑未だ畢らざるに、憂来たりて暴卒す」と言い、『大壮之大過』は「道絕えて通ぜず、商旅、意を失う」と言い、『既済之大過』は「身に檻纜を加え、囚は繋がれ縛られ束ねらる」と言う。『太玄』はまた「劇」の首を以て之に比擬す。「劇」とは甚・病で、皆陰が大いに陽を賊害して陽をして其の用を失わしむを講じ、『易林』の説と吻合すること符節の合するがごとし。
象曰:澤滅木,大過。君子以獨立不懼,通世無悶。不曰澤中有木,而曰澤滅木,此漢人死卦之說所由來也。滅者人之所懼,君子則獨立不懼。巽為寡故曰獨,乾為惕故曰懼,兌悅故不懼。陽陷陰中,陰伏不出,故曰遁世。過世宜有憂矣,乃君子則適世無悶,以兌悅在終也。大象每反以見義,此亦其一也。
『大象伝』は言う。沢は木を滅すは大過。君子は以て独立して懼れず、世を遯(のが)れて悶(もん)なし。「沢の中に木有り」と言わずして「沢、木を滅す」と言う。漢人の「死卦」の説の由來する所は、まさにこれよりである。滅すは人の懼れる所に、君子は則ち能く独立して懼れず。下卦の巽は寡少と為るから「独」と言い、中間の四陽の互出する乾は警惕と為るから「懼」と言い、上卦の兌は喜悦を主るから「懼れず」。陽は陰の中に陥り、陰は伏蔵して出でず。だから「世を遯る」と言う。このような過極の世に身を処すればもともと憂愁あるべしに、君子はかえって世を遯れて悶なし。兌の喜悦がまさに終位に在るがゆえである。『大象』は常に相反する一面より義を見る。これもまた其の中の一例である。
初六:籍用白茅,無咎。藉,薦也,凡以物承物曰藉。《曲禮》「執玉,其有藉者則裼,無籍者則襲」,注:籍,藻也;疏:執玉必有藻以承玉。巽為伏,初在下,故曰籍;巽為白、為茅,茅柔物,初陰,故曰藉用白茅。又祭時籍茅於地,用以縮酒,而巽為漏,《井》九三「雍(下兀)敝漏」,於象尤切。象曰:藉用白茅,桑在下也。初柔在下,承陽故無咎。
初六爻辞:潔白の茅草を以て襯墊と為す、咎なし。「藉」とは襯荐で、およそ一物を以て別の一物を承墊するを藉と曰う。『礼記・曲礼』に「玉を執るは、其の藉有る者は則ち裼し、籍なき者は則ち襲す」とあり、注は「藉」は藻(玉を墊く彩飾)と言い、疏は玉を執るは必ず藻を以て承墊する要ありと言う。巽は伏と為り、初六はまた最下に居るから「藉」と言う。巽は白・茅と為り、茅は柔軟の物で、初六は陰爻。だから「白茅を藉に用う」と言う。また祭祀の時は茅を地に敷いて以て酒を漉すに用い、そして巽に「漏」のこの象あり――井卦の九三の「甕、敝れて漏る」はまさにこの象を用う。取象に就いて言えば殊に貼切である。『象伝』は言う。白茅を藉に用うるは、柔、下に在るなり(源文の「桑」は「柔」の誤り)。初六は柔を以て下に居りて上に九二の陽を承けるから、咎なし。
九二:枯楊生梯,老夫得其女妻,無不利。巽為楊,為隕落,為枯。《易林·泰之威》云「老楊日衰,條多枯枝」,《噬嗑之否》云「朽根枯樹」,是以咸、否互巽為枯也。梯,鄭作美,木更生。按《詩·衛風》「手如柔荑」,傳云「如荑之新生」,然則荑為木新生之條。蓋弟(左禾)、荑同字,《莊子·知北遊》云「在荑稗」,《釋文》云「美本又作弟(左禾)」,是其證。
九二爻辞:枯れたる楊は再び嫩条を抽し、老夫は少妻を娶り得。利ならざるなし(源文の「生梯」はすなわち「生稊」)。巽は楊・隕落・枯と為る。『焦氏易林・泰之咸』は「老楊、日に衰え、条、枯枝多し」と言い、『噬嗑之否』は「朽根、枯樹」と言う。皆咸・否の両卦の互出する巽を以て枯とす。「稊」の字は鄭玄本は「荑」と作り、草木の再び萌生するを指す。尚秉和は按ずる。『詩・衛風』に「手は柔荑のごとし」とあり、毛伝は「荑草の新生するがごとし」と言う。これで「荑」は樹木の新生の枝条たるが分かる。「稊」「荑」はもともと一個の字で、『荘子・知北遊』は「荑稗に在り」と言い、『釈文』は「荑本はまた稊と作る」と言う。すなわち其の証である。
乾為生,巽為木,巽柔,故曰枯楊生弟(左禾)。伏震為老夫,巽為女妻,女妻者,少妻。二下孚於陰,故無不利,巽為利也。《易林》遇震即曰老夫,遇巽即曰少齊、曰少姬,本此也,詳《焦氏易詁》。虞翻以乾老為枯,豈知乾實雖老不枯;又以乾老為老夫,兌為少女,創二應上、初應五之例,以圓其說,是貞悔不必拘,而應與常例可破也,乃清儒翕然從之,異已。
中間の四陽の互出する乾は生と為り、巽は木と為り、そして巽の性は柔。だから「枯楊、稊を生ず」と言う。巽の対卦(伏卦)は震で、震は老夫と為り、巽は自身、女妻と為り、「女妻」とはすなわち少妻である。九二は下に向かって初六の陰と相い孚す。だから「利ならざるなし」、巽はまた利と為る。『焦氏易林』は震に遇えば即座に「老夫」と言い、巽に遇えば即座に「少斉」「少姫」と言う。拠る所はまさにこれに在り。詳しくは『焦氏易詁』を見よ。虞翻は乾の老を以て「枯」を解すが、乾は老ゆると雖も其の実枯れざるを知らざりし。また乾老を以て老夫・兌を以て少女と為し、生れ出でて二が上に応じ初が五に応ずるの例を創り、以て己が説を圓めんとす。これは内外卦を拘守する須(もち)いならず・正応の常例は打破すべしと言うに等しき。清の学者はついに一致して之に従う。まことに怪事である。
只俞樾以虞說為不通,知用旁通,打破二千年之謬誤,為功甚偉;特又以大過二五與頤二五相升降以取象,豈知巽即為少妻,兌即為老婦,《易林》有明徵,不必如是穿鑿也。故夫象一失傳,雖以俞氏之深識旁通,且洞明陽順陰逆之理,亦無如何也。象曰:老夫女妻,過以相與也。過以相與,言其不當,非謂初可過四應五、二可過五應上也。
ただ兪樾のみが虞翻の講じ通らざるを見出して、「旁通」すなわち対卦の象を改用して之を解するを知り、二千年の謬誤を打破す。功労は甚だ大なり。ただ彼はまた大過の二・五の両爻を以て頤卦の二・五と相い升降せしめて象を取る。彼らは知らざりしことに、巽は自身すなわち少妻・兌は自身すなわち老婦で、『焦氏易林』に明徴有るに、かくのごとく穿鑿する要なし。ゆえに言うに、卦象は一旦失伝すれば、兪樾のごとき深く旁通を知り、また陽順陰逆の理を洞暁する者と雖も、如何ともする能わざるなり。『象伝』は言う。老夫、女妻は、過を以て相い与(くみ)するなり。「過を以て相い与する」とは、この種の匹配の不当なるを言い、初爻が四爻を越えて五に応ずる可き・二爻が五爻を越えて上に応ずる可きと言うに非ず。
九三:棟橈,凶。初爻本弱,故楝橈。上雖有應,然四五皆陽,得敵,九三不能應上,故曰不可以有輔。象曰:棟橈之凶,不可以有輔也。輔,佐助也。九四:棟隆,吉,有它吝。巽為高,四居巽上,故曰棟隆吉。有它吝者,言四應在初,四若它往應之,則為二三所忌而致吝矣。四與三不同,三與初同體,本弱無如何;若四只不與初應,則吉也。象曰:棟隆之吉,不橈乎下也。不橈乎下,即不應初。
九三爻辞:棟梁は撓む、凶。初爻はもともと柔弱だから、棟梁は下に曲がる。九三は上六と応ずると雖も、然るに九四・九五は皆陽爻で、同性にして敵と為り、九三は上に上六と応ずる能わず。だから『小象』は「以て輔有る可からず」と言う。『象伝』は言う。棟橈の凶は、以て輔有る可からざるなり。「輔」とはすなわち輔佐幇助である。九四爻辞:棟梁は隆り起こる、吉。別に他に往けば吝有り。巽は高と為り、九四は巽体の上に居るから「棟隆、吉」と言う。「他の吝有り」とは、九四の応ずる爻は初六に在り、彼がもし他に往きて初六に応ぜんとすれば、九二・九三に忌まるる所と為りて、因って吝を招くを言う。九四は九三と処境を同じくせず。九三は初六と同じく下体に在りて、根本は柔弱にして如何ともする能わず。九四はただ初六に応じざれば、則ち吉である。『象伝』は言う。棟隆の吉は、下に撓まざるなり。「下に撓まず」とはすなわち初六に応に応ぜざること。
九五:枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。兌為反巽,故仍曰枯楊。兌為華,《易林·否之成》云「華落實槁」,以咸上兌為華;《需之剝》云「老婦亡夫」,以剝伏兌為老婦;又《否之中孚》「老妾據機」,以中孚下兌為老妾。伏艮為士夫,故曰老婦得其士夫。五比陰志行故無咎,下無應故無譽。虞翻以五應初巽為老婦,易無此例也。
九五爻辞:枯楊は花を開く、老婦は少年の夫を嫁り得。咎なく誉もなし。兌は巽を倒転した反卦だから、この爻はなお「枯楊」と言う。兌は華と為る。『焦氏易林・否之咸』は「華落ちて実、槁(か)る」と言い、咸の上体の兌を以て華とす。『需之剥』は「老婦、夫を亡く」と言い、剥の伏する兌を以て老婦とす。また『否之中孚』は「老妾、機に拠る」と言い、中孚の下体の兌を以て老妾とす。兌の伏する艮は士夫と為り、すなわち少年の男子。だから「老婦、其の士夫を得」と言う。九五は上六の陰と比し、心志は行を得るがゆえに「咎なし」。下に正応なきがゆえに「誉なし」。虞翻は九五は初六に応じ、巽を以て老婦とすと言うが、『易』にこの種の例なし。
蓋易有伏象,伏即旁通,即對象,人知之,而旁通之原理鮮能明之。《文言》云「旁通情也」,情者,感也,言陰陽不能相離也。故夫茅茹,坤象也,《泰》初爻亦言之;雲雨,坤坎象也,《小畜》亦言之。《否》初言茅茹,《小過》言雲雨,則用正象,《易林》本之,正、伏象常不分。
『易』に伏象有るは、「伏」とはすなわち旁通、すなわち対卦の象で、この一点は人皆之を知る。然るに旁通の原理は之を講じ明らかにする者は稀である。乾『文言』は「旁通は情なり」と言う。「情」とはすなわち感で、陰陽は互いに相い離るる能わざるを言う。ゆえに「茅茹を抜く」はもともと坤象なのに、泰卦の初爻もまた之を用い、「雲雨」はもともと坤・坎の象なのに、小畜もまた之を用う。否卦の初爻は茅茹を言い、小過は雲雨を言う。用うる所は則ち正象である。『焦氏易林』はまさにこの道理に本づき、正象と伏象とを常に分別せざる。
略如見一男子,可推知其家必有婦;見一婦人,可推知其家必有夫也。然非以夫為婦、以婦為夫,使男女無別也。易繫辭取象可用伏,而義則正也。彼夫王引之譏虞翻用旁通,致陰陽無別,是皆於旁通情,情字失詁,故於易理隔閡如斯也。大過老夫、士夫皆在對象,而自荀、虞以來皆苦於本象求之,胡有得乎?
これは大略、一男を見れば、其の家に必ず妻有るを推知し得るがごとく、一婦人を見れば、其の家に必ず夫有るを推知し得るがごとし。然るにこれは夫を以て妻と為し、妻を以て夫と為し、男女をして分別なからしむるに非ず。『易』の繫辞は象を取るに伏象を用い得るも、然るに取義はなお正象に依る。王引之が虞翻の旁通を用うるを譏りて陰陽をして分別なからしむと言うは、皆「旁通は情なり」の「情」の字に訓釈を失したがゆえに、易理に対してかくのごとく隔閡するに至った。大過の「老夫」「士夫」は皆対卦の象より取るに、荀爽・虞翻より以来の人は皆苦しめて本卦の象の中より之を求む。豈に得る有らんや。
象曰:枯楊生華,何可久也。老婦士夫,亦可且也。匹配失宜,故可丑。上六:過涉滅頂,凶,無咎。乾為首,故為頂,澤水在上,故滅頂,與《比》之無首義同也。滅頂則死故凶。大過之為死卦在此。然上六當位有應,凶則有之,咎則無也,故象曰不可咎。象曰:過涉之凶,不可咎也。不可咎,言致命遂義,殺身成仁,屬於天者雖凶,而咎則未有也。頤大過四象在先天處四隅,而包滅地水火於其中。天地水火四正卦,上經首尾也,亦即離坎也,而即列於離坎之前,以結上經,最耐尋味。
『象伝』は言う。枯楊、華を生ずるは、何ぞ久しかる可けん。老婦に士夫は、亦醜るべきなり(源文の「可且」はすなわち「可醜」)。匹配、宜を失するがゆえに醜るべし。上六爻辞:渉りて深く頂を滅す、凶。然るに咎はなし。中間の四陽の互出する乾は首と為り、因って頂と為る。兌沢の水は上に在るから頂を滅す。比卦の「首なし」と取象同じ理である。頂を滅すれば則ち死、だから凶。大過が死卦と称せらるるは、拠る所がまさにここに在る。ただし上六は当位してまた正応有り。凶はすなわち之有るも、咎は則ちなし。だから『小象』は「咎む可からず」と言う。『象伝』は言う。渉りて過ぎるの凶は、咎む可からざるなり。「咎む可からず」とは、これ命を致して義を遂げ、身を殺して以て仁を成すを言う。天命に属する部分は凶なりと雖も、過咎は則ち未だ有らざるなり。頤・大過のこの一組の卦象は、先天の方位の上で四隅に処りて、天・地・水・火を其の中に包む(源文「包滅地水火」の「滅」は当に「天」と作るべし)。天地水火は四正の卦で、上経の首尾を為し、すなわち離・坎の両卦である。然るに頤・大過は偏に離・坎の前に列なって、以て上経を收結す。最も尋ね味わうに堪えたり。
坎卦
習坎。有孚,維心亨,行有尚。《歸藏》曰革。李過曰:牢(上草)者,勞也,以萬物勞於坎也。黃宗炎曰:物莫勞於牛,故從牛。按《說文》:牢(上草),駁牛也。坤為牛,陽人坤中,色不純,故曰牢(上草);而牛為物之最勞者,故取於駁牛。周易名坎,則取於陷險二義。上耳坎故曰習。羅汝懷云:習當為折(左 )。《禮·玉藻》「帛為折(左 )」,注:衣有表裹而無著也。《急就篇》注:折(左 )謂重衣。皆重複之義。而折(左 )又假襲,《禮》「錫襲」,《書》「卜不襲吉」,故習當作襲。象曰重險,象曰水存(左水)至,即釋習坎之義。
坎卦卦辞:重ねた険陷の中に誠信を懐き、ただ内心が亨通すれば、行動はこそ崇尚を受けん。『帰蔵易』はこの卦を「犖」と名づく(源文は「革」と作る)。李過は言う。「犖」とはすなわち労で、万物が坎位に於て労倦するがゆえ。黄宗炎は言う。万物の中、牛より労苦するは莫し。だからこの字は牛に従う。尚秉和は按ずる。『説文』は「犖」は駮牛なりと言う。坤は牛と為り、一陽が坤の中に入れば毛色は純ならず。だから「犖」と言う。そして牛は最も労苦する動物で、よって駮牛に取象す。『周易』が之を「坎」と名づくるは、則ち陥・険の二層の意思を取る。上下ともに坎だから「習」と称し、すなわち重叠である。羅汝懷は言う。「習」は当に「褶」と作るべし。『礼記・玉藻』に「帛は褶と為る」とあり、注は衣服に表有り裏有りて綿絮を裝めざるを言う。『急就篇』の注は「褶」は夾衣を謂うと言う。皆重複の義を含む。「褶」はまた「襲」に假借す。『礼記』に「錫襲」有り、『尚書』に「卜、吉を襲わず」有り。だから「習」は当に「襲」と作るべし。『彖伝』は「重険なり」と言い、『大象伝』は「水洊(せん)りて至る」と言う。まさに「習坎」の含义を釈する。
自注有便習之說,後儒多從之。夫諳練於行事,此事理之常,豈有諸練於行險者哉?按羅說是也,彖傳、象傳皆有明釋,王注及正義詁為便習,此所以有野文之譏也。孚,信也。有孚謂二五居中遇陰,陽孚於上下陰也。舊解不知孚之故在陽遇陰,故說皆不當。坎為心,亨,通也,心亨亦謂二五,傳所謂剛中也。行有尚則專謂五,五往外得尊位,故曰有尚,曰有功。
王弼の注より「便習」すなわち熟習の説有り、後代の儒者は多く之に従う。然るに行事に諳練するは事理の常にして、豈に険を蹈むに諳練するの理あらんや。尚秉和は按ずる。羅汝懷の説は正しい。『彖伝』『大象伝』は皆明白なる解釈有るに、王弼の注と孔穎達の『正義』は「便習」と訓ず。これが彼らの古義に通ぜざると譏せらるる所以である。「孚」とは信である。「孚有り」とは九二・九五が中に居りて陰に遇い、陽が上下の陰と相い孚するを言う。旧注は「孚」の由が陽の陰に遇うに在るを知らざるがゆえに、講ずる所は皆切当ならず。坎は心と為り、「亨」とは通で、「心亨」もまた二・五の両爻を指す。即ち『彖伝』のいわゆる「剛中」である。「行きて尚有り」に至っては、則ち専ら九五を指す。九五は外に往きて尊位を得るがゆえに「尚有り」と言い、「功有り」と言う。
彖曰:習坎,重險也。水流而不盈,行險而不失其信。維心亨,乃以剛中也;行有尚,往有功也。天險,不可升也;地險,山川丘陵也。王公設險以守其國,險之時用大矣哉。水流若盈則非坎矣,既曰坎則不盈也。坎為失、為信,陽居中,故不失其信。五天位,居坎中,故曰天險,艮止故不可升;二地位,居坎中,故曰地險,艮為山為丘陵,坎為川,故曰山川丘陵也。震為王公,艮為國、為守、為時、為天。
『彖伝』は言う。習坎とは、重ねたる険なり。水は流れて盈ちず、険に行きて其の信を失わず。「心亨るを維れり」とは、剛爻が中に居るを以てなり。「行きて尚有り」とは、往けば必ず功效有るなり。天の険は升る可からざるなり、地の険は山川丘陵なり。王公は険を設けて以て其の国を守る。険の時用は大なるかな。尚秉和は象を解す。水流はもし盈ちれば則ち坎に非ず。すでに坎と曰う以上は盈ちざるなり。坎は失・信と為り、陽爻は中に居るがゆえに「其の信を失わず」。第五爻は天位で、また坎体の中に居るがゆえに「天険」と言う。三より五爻に互艮は止を主るがゆえに「升る可からず」。第二爻は地位で、また坎の中に居るがゆえに「地険」と言う。艮は山・丘陵と為り、坎は川と為る。だから「山川丘陵」と言う。二より四爻に互震は王公と為り、艮は国・守・時・天と為る。
象曰:水存(左水)至,習坎。君子以常德行,習教事。存(左水),再也,重坎故曰再至。艮為君子,震為德行為言,故曰教。習則教不巳,而德行有常矣。初六:習坎入於坎頁(左九),凶。《說文》焰(左無上穴):坎中更有坎。王肅云:坎底也。《字林》云:坎中小坎,一曰旁人。案王肅說是也。初居坎之最下,故人於坎底。象曰:習坎入坎,失道凶也。震為大塗,故曰道,初於震無應,故曰失道凶。九二:坎有險,求小得。二失位,故有險。陰為小,二居中,孚於上下陰,故曰求小得。象曰:求小得,未出中也。象曰未出中,言五無應,故曰未出;有應則上升五而當位,所得大矣。六三:來之坎坎,檢(從鄭向本)且枕,入於坎頁(左九),勿用。三居上下坎之間,來內為坎,之外亦坎,故曰來之坎坎。《孟子》「狗彘食人食而不知檢」,趙歧云:檢,斂也。又《釋名》云:枕,檢也,所以檢項也。然則枕與檢義同。
『大象伝』は言う。水洊りて至るは習坎。君子は以て德行に常を持し、教の事を習熟す。「洊」とは再(源文は「存(左水)」を以て「洊」の字を標注す)。上下に坎を重ぬるがゆえに「再び至る」と言う。三より五爻に互艮は君子と為り、二より四爻に互震は德行・言語と為るがゆえに「教」と言う。反復習練すれば教化は已まず、德行はまた常度有るに至る。初六爻辞:重険の中にまた坎窞(坑中の坑)に陥る、凶。『説文』は「窞」は坎の中にさらに坎有ると言い、王粛は坎底と言い、『字林』は坎の中の小坎、一説に旁の穴と言う。尚氏は按ずる。王粛の説は正しい。初六は坎の最下に処るがゆえに坎底に陥る。『象伝』は言う。習坎、坎に入るは、道を失いて凶なり。震は大塗と為るがゆえに「道」と言い、初六は震体と応ぜざるがゆえに「道を失いて凶」。九二爻辞:坎陷の中に険有り、求むる所はただ小さく得るのみ。九二は陽で陰位に居りて位を失うがゆえに「険有り」。陰は小と為り、九二は下卦の中に居りて上下の陰爻と相い孚す。だから「求めて小さく得」と言う。『象伝』は言う。求めて小さく得るは、未だ中より出でざるなり。「未だ中より出でず」と謂うは、九五が之と同じ陽爻にして相い応ぜざるを言うがゆえに「未だ出でず」と言う。もし応有らば、彼は能く五位に上昇して当位し、得る所は大ならん。六三爻辞:來るも往くも皆坎険で、すでに拘検せられまた枕壓せられ、坎窞の中に陥る。用いる可からず(「检」の字は源文に鄭玄・向秀の本に依ると注明し、今本は「險」と作る)。六三は上下二つの坎の間に処り、退きて内卦に返れば坎、往きて外卦に進めばまた坎。だから「來之坎坎」と言う。『孟子』に「狗彘は人の食を食うて検を知らず」とあり、趙岐の注は「検とは斂なり」と言う。『釋名』はまた「枕とは検なり、項を検する所以なり」と言う――枕は頸項を約束するに用う。これで「枕」と「検」は意義同じことが分かる。
檢且枕,仍承來之坎坎言,言內外俱受檢制。既檢且枕,仍與初交之人坎焰(左無上穴)同。夫前檢後枕,來往既陷於險境,其不能用也必矣,故曰勿用。象曰:來之坎坎,終無功也。勿用故曰無功。艮為枕,《易林·需之大壯》云「婚姻配合,同枕共牢」,大壯通觀,以艮為枕,坤眾故同枕。六四:樽酒,簋貳用嶽,納約自牖,終無咎。坎為酒,震為尊,故曰尊酒。震為墓,簋,祭器,以盛黍稷,中交正覆震,故曰簋貳。貳、二同,《曲禮》「雖不貳辭」,注:貳謂重骰(?)。此簋貳與《損》之二簋同。擊,《說文》:瓦器。簋貳用擊者,言用瓦簋。《周禮》「施(右下瓦)人為簋」,疏:祭宗廟用木簋,今用瓦,祭天地尚質,器用陶匏。《郊特牲》亦云「器用陶匏,象天地之性」。王夫之謂缶,瓦也,與禮經合,得其義矣。
「検かつ枕す」はなお「來之坎坎」を承接して言い、内外ともに拘束制約を受くるを言う。すでに検束せられかつ枕壓せられれば、情形は初六の「坎窞に入る」と同じ。前に拘検、後に枕壓有りて、來往皆険境に陥り、必ず作為する能わざる。だから「用いる勿れ」と言う。『象伝』は言う。來之坎坎は、終に功なきなり。すでに用いる可からざれば功なしと言う。艮は枕と為り、これもまた『説卦』に無きの逸象である。『焦氏易林・需之大壮』は「婚姻配合し、枕を同じくし牢を共にす」と言い、大壮は観と旁通して、観の艮を取って枕と為す。坤は衆と為るがゆえに「枕を同じくす」。六四爻辞:一樽の酒、二簋の飯、瓦缶を以て盛り、牖(まど)より盟約を進献す。終に咎なし(源文の「用岳」はすなわち「用缶」)。坎は酒と為り、二より四爻に互震は尊(酒器)と為るがゆえに「樽酒」と言う。震は墓と為り、祭器の象はこれに由って生ず。「簋」は祭器で、以て黍稷を盛る。中間の四爻は正震と覆震の二つの震体を含むがゆえに「簋貳」と言う。すなわち両簋である。「貳」と「二」は同じで、『曲礼』に「貳辞せずと雖も」とあり、注は「貳」は重複を謂うと言う。ここの「簋貳」と損卦の「二簋」とは一回事である。「缶」の字(源文は「撃」と作る)は『説文』が瓦器と言う。「簋貳、缶を用う」とは、瓦製の簋を用うるを言う。『周礼』は「旊人、簋と為る」と言い、疏は宗廟を祭るは木簋を用いるが、ここではかえって瓦を用いるは、天地を祭るは質朴を尚ぶがゆえに、器皿は陶器と匏瓜を用うと言う。『礼記・郊特牲』もまた「器は陶匏を用い、天地の性に象る」と言う。王夫之は「缶」はすなわち瓦器と言い、礼経と相合す。本義を捉えたと謂うべし。
約,神約也。《周禮·秋官》司約掌六約,治神之約為上,治民之約次之。爻辭言尊簋,則祭神也,故知此約為神約,注:神約,命祀郊社群望及祖宗也。《漢書·高帝紀》「約先人關者」,注:約,要也。《呂覽·淫辭》「秦趙相與約」,注:約,盟也。艮為牖,震為言,故曰納約自牖,言詔明神而要誓,薦其盟祝之載辭於牖下也。又春官祖祝作盟祖之載辭,以敘國之信用,坎為信,故要誓於神也。承陽當位,故無咎;艮為終,故曰終無咎。酒、擊、牖、咎為韻。
「約」とは神と立てる盟約を指す。『周礼・秋官』の司約は六約を掌り、「神の約を治む」を第一に列し、「民の約を治む」を之に次ぐ。爻辞はすでに樽・簋に及べば、あれは神を祭るなり。だからこの「約」は神約たるを知る。鄭注は「神約」は郊社・群望および祖宗を命祀する典礼を指すと言う。『漢書・高帝紀』に「先に關に入る者を約す」とあり、注は「約とは要なり」と言う。『呂氏春秋・淫辞』に「秦・趙、相與に約す」とあり、注は「約とは盟なり」と言う。三より五爻に互艮は牖すなわち窓戸と為り、震は言と為る。だから「牖より約を納る」と言い、明神に向かって禱告して誓を立て、盟祝の載辞を窓下に進献するを言う。また『周礼・春官』の詛祝は盟詛の載辞を撰作するを掌り、以て国家の信用を申明す。坎は信と為るがゆえに、神の前で誓を立てる要あり。六四は上に九五の陽を承けてまた当位するがゆえに「咎なし」。艮は終と為るがゆえに「終に咎なし」と言う。韻脚に就いて言えば、酒・缶・牖・咎の四字は相い押す。
象曰:樽酒簋貳,剛柔際也。四承陽故曰剛柔際。際,《說文》:會也。九五:坎不盈,只既平,無咎。坎不盈,義見前。只,京、虞作提(左 ),曰安也;鄭云當作坻,小丘也。按易字不能定者,當定之以象。鄭於復卦無只侮,訓只為病,茲又訓為坻,誠以坎不盈與只既平為對文,則只為實字無疑。
『象伝』は言う。樽酒、簋貳は、剛柔の際なり。六四は上に九五の陽を承けるがゆえに剛柔の相接を言う。「際」は『説文』が「会なり」と訓す。九五爻辞:坎水は未だ盈ちず、小丘はすでに夷げ平ぐ、咎なし。「坎、盈ちず」の含义は前にすでに講じた。「只」の字は京房・虞翻本は「禔」と作り、安と訓す。鄭玄は当に「坻」と作るべし、小丘なりと言う。尚秉和は按ずる。『易』の中で字形の定まり難きは、当に卦象を以て之を定むべし。鄭玄は復卦の「只悔なし」の処で「祗」を病と訓し、ここではかえって「坻」と訓ず。まさに「坎、盈ちず」と「坻、すでに平ぐ」とが対文を為すを以てなれば、「只」は實詞たること疑いなし。
又五為艮主爻,艮山故曰抵。而坻與氏通,《說文》:氏,巴蜀名山岸協之堆,旁者(上竹)欲落惰(左土?)者曰氏,氏崩聲聞數百里。揚雄賦「晌若氏貴(左阜)」,而《文選·解嘲》作坻貴(左阜)。應劭云:天水有大 名曰隴坻。韋昭云:低音若是理之是。是坻與氏通。俞樾云:只既平,即氏貴(左阜)之氏,氏貴(左阜)即平矣,古本易蓋止作氏既乎,後人誤加示耳。案鄭詁為坻,蓋即疑只為氏,俞說正與鄭合,而韋昭音坻為是,由是證只、坻、提音皆由氏得,從氏者誤也。
さらに言えば九五は艮の主爻で、艮は山と為るがゆえに「坻」と言う(源文は「抵」と作る)。そして「坻」と「氏」は相い通ず。『説文』は「氏」は巴蜀の一帯が山崖の旁に將に崩落せんとする土堆を稱し、「氏」の崩塌する時は声は数百里に聞ゆと言う。揚雄の賦の「響くこと氏隤の若し」の一句は、『文選・解嘲』は則ち「坻隤」と作る。應劭は言う。天水郡に大坂有り、名を隴坻と曰う(源文はここに一字を缺く)。韋昭は言う。其の読みは「是理」の「是」の若し。同一の詞にして、一処は「氏隤」と寫し、一処は「坻隤」と寫し、音読はまた同じく「是」に帰す。これで「坻」と「氏」はもともと相い通ずるが分かる。兪樾は言う。「只、すでに平ぐ」の「只」はすなわち「氏隤」の「氏」で、土堆が崩落すればすなわち平らぐ。古本の『易』は蓋しただ「氏、すでに平ぐ」と作り、後人が誤って「示」の旁を加えた。尚氏は按ずる。鄭玄が「坻」と訓ずるは、蓋しまさに「只」が即ち「氏」たるを疑うに由り、兪樾の説は鄭玄と相合す。そして韋昭が「坻」を「是」の音と読むは、これに由って「只」「坻」「提」の音読は皆「氏」より得たるを證すべく、従って「氐」の旁に従うを寫すは誤りである(源文はここもなお「氏」と作る)。
王引之謂鄭作宛在水中低之批為誤,豈知鄭並未作抵。坻,毛傳云小諸,《釋水》云「小洲曰渚」,茲曰小丘,明非渚也,以鄭作低與《解嘲》同,與《說文》同也。不然鄭豈不知仍詁為病,使前後一律哉。坎為平,故曰抵既平。坎不盈為一事,坻既平又為一事,上下對文。詁只為安者固非,仍詁為病,於象雖合,於義未安也。象曰:坎不盈,中未光大也。陽陷陰中,雖得中而未光大。
王引之は鄭玄が之を『詩』の「宛として水の中の坻に在り」のあの「坻」と為すは誤りと言うが、彼は知らざりしことに、鄭玄は根本にあの意思を取らざりし。「坻」は毛伝は小渚と言い、『爾雅・釋水』は「小洲を渚と曰う」と言う。ここで鄭玄は小丘と言う。これで水の中の小洲に非ざるが明らかである――鄭玄の取る所の「坻」は『解嘲』と同じく、また『説文』と同じ。然らざれば、鄭玄は豈になお「病」と訓じて、前後を一律ならしめんことを知らざらんや。坎は平と為るがゆえに「坻、すでに平ぐ」と言う。「坎、盈ちず」は一事で、「坻、すでに平ぐ」はまた一事で、上下の二句は相い対して文を成す。「只」を「安」と訓ずるはもちろん誤り。なお「病」と訓ずるは、卦象に就いて言えば講じ通ると雖も、文義に就いて言えば妥帖ならず。『象伝』は言う。坎、盈ちざるは、中、未だ光大ならざるなり。陽爻は陰の中に陥りて、中を得ると雖もなお光大する能わず。
上六:繫用徽墨(左絲),真(上?)於叢棘,三歲不得,凶。劉表云:三股為徽,兩胎為墨(左絲),皆索名,以繫縛罪人。虞翻云:徽墨,黑索也。徽墨(左絲)之象,虞用卦變,以觀巽為繩,非也。蓋坎為矯揉(左車),物之能矯揉(左車)者莫過於繩,故以徽墨(左絲)取象。坎為棘,上坎下坎,故曰叢棘。
上六爻辞:繩索を以て繫縛し、叢生の荆棘の中に置く。三年、脱するを得ず、凶(源文は「墨(左糸)」を以て「纆」の字を標注し、「真(上?)」を以て「寘」の字を標注す)。劉表は言う。三股を搓りて為すを徽と言い、両股を搓りて為すを纆と言う。皆繩索の名で、以て罪人を捆縛す。虞翻は言う。徽纆は黑色の繩索なり。徽纆の取象に至っては、虞翻は卦変を用いて、観卦の巽を以て繩と為す。あれは誤りである。実は坎は矯輮――彎曲加工を為り、能く矯輮せられて形を成す物は繩索に過ぎるはなし。だから徽纆を以て象を取る。坎は棘と為り、上も坎・下も坎なれば「叢棘」と言う。
真(上?)、示通,《周禮·朝士》鄭司農注及《轂(左下禾)梁》宣二年范寧注引,皆作示于叢棘;而《詩》「鹿嗚示我周行」,鄭則云示當作真(上?)。真(上?),置也。真(上?)於叢棘,舊解皆謂以黑索繫罪人,置於獄,或議於九棘之下也。三歲不得,言三年不得出也。茹敦和云:坎為三歲。象曰:上六失道,凶三歲也。上六應在三,三震為道,乃三不應上,故曰失道。
「寘」と「示」は相い通じ、两字は古書の中で互いに見え、『周礼・朝士』の鄭司農の注および『穀梁伝』宣公二年の范寧の注の引くこの条の爻辞は、皆「叢棘に示す」と作る。これに反して『詩』の「呦呦として鹿鳴く、我に周行を示す」は、鄭玄はかえってあの「示」は当に「寘」と作るべしと言う。「寘」とは放置の意である。「叢棘に寘く」に至っては、旧注は皆黒索を以て罪人を捆りて牢獄に投げ入ると成し、あるいは周制の九棘の下で會議して罪を定むと言う。「三歳、得ず」とは、三年、出來る能わざるを言う。茹敦和は言う。坎は三歳と為る――坎は北方に居りて、数に於ては三と為るがゆえに、三年の象有り。『象伝』は言う。上六、道を失うは、凶、三歳なり。上六の応ずる爻は六三に在り、六三は震体に属し、震は道と為る。然るに六三は上六と同じ陰爻にして相い応ぜず。だから「道を失う」と言う。
案上以叢棘為獄者,虞說也,虞謂獄外種棘,張惠言以不知所本而疑之矣。以《周禮·秋官·朝士》為本,使公卿議於九棘之下而定罪者,鄭說也,然不曰九棘而曰叢棘。文王演易之時仍殷制,殷是否有三槐九棘之制不可知,則亦可疑也。況爻詞曰三歲不得,不得者,不能遂其願也;象曰上六失道,失道者,言所為不當也,不當故不得,於人獄詞意皆不合。
尚秉和は按ずる。上の「叢棘」を牢獄と為すは、虞翻の説で、彼は獄の外に荆棘を種うと言う。張惠言は出処を見出す能わざるに因りて、はやくも懐疑を表した。『周礼・秋官・朝士』を以て依據と為して、公卿をして九棘の下で會議して罪を定めしむと言うは、あれは鄭玄の説である。然るに爻辞は「九棘」と言わずして「叢棘」と言う。況んや文王が『易』を演ずるの時はなお殷代の制度を用い、殷代に三槐九棘の制有るや否やは知る由もなし。この一説も同じく疑う可し。況んや爻辞は「三歳、得ず」と言い、「得ず」とは其の心願を遂ぐる能わざるを謂い、『小象』は「上六、道を失う」と言い、「道を失う」とは為す所が当たらざるを言う。当たらざるがゆえに得ず。これらは入獄の意思と皆対け合わず。
按《列子·說符篇》「臣有所與共擔墨(左絲)薪菜者曰九方皋」,是徽墨(左絲)可以約薪菜;揚雄《酒箴》云「子猶瓶矣,居井之湄,不得左右,牽於墨(左絲)徽」,是徽墨(左絲)可為井索,胡為必束縛罪人?若以叢棘為疑,《詩》云「園有棘,其實之食」,又云「墓門有棘,斧以斯之」,是棘常生於墓門及園囿;《羽獵賦》「斬叢棘,夷野草」,《吳志·諸葛格(左 )傳》「升山赴險,抵突叢棘」,是叢棘常生於山林,安在必為獄?
尚氏はまた按ずる。先ず「徽纆」がただ人を捆るに能くするのみかを見よ。『列子・説符篇』は「臣に纆の薪菜を共に担う者有り、曰く九方皋」と言う。あれは纆繩を以て柴草を捆りて担を挑むである。揚雄の『酒箴』は「子は猶お瓶のごとし、井の湄に居りて左右するを得ず、纆徽に牽かる」と言う。あれは纆徽を以て汲水の井繩と為すである。日用の中で処々それなる以上、何ぞ必ず罪人を捆縛すると言わんや。さらに「叢棘」がただ獄を指すに能くするのみかを見よ。『詩』は「園に棘有り、其の實之を食らう」と言い、また「墓門に棘有り、斧を以て之を斯(さ)く」と言う。これで棘は常に墓門と園囿の間に生ずるが分かる。揚雄の『羽獵賦』は「叢棘を斬り、野草を夷ぐ」と言い、『呉志・諸葛恪伝』は「山に升り険に赴き、叢棘に抵突す」と言う。これで叢棘はさらに常に山林の中に生ずるが分かる。安んぞ必ず牢獄ならんや。
故《易林·需之坎》云「鑿井求玉,非卞氏寶,名因身辱,勞無所得」,上二句謂所施不得地,釋真(上?)於叢棘及失道之義也;下二句謂徒勞無功,釋真(上?)於業棘、三歲不得之義也。依《易林》此釋,似言徽墨(左絲)所以繫物,然施於叢棘則權權刺激,難於施設,故久不得;不得之故,則由於所真(上?)失道也。如是則不得與失道之故,與上文皆協洽矣。徽墨(左絲)皆繩索名耳,繫物之用甚多,必謂專繫罪人,無及執乎?
だから『焦氏易林・需之坎』は「井を鑿りて玉を求む、卞氏の宝に非ず、名は身によりて辱められ、労して得る所なし」と言う。上の二句は施す所が其の地を得ざるを言い、まさに「叢棘に寘く」と「道を失う」の義を釈す。下の二句は徒労にして功なきを言い、まさに「叢棘に寘き、三歳、得ず」の義を釈す。『易林』に依ってかくのごとく釈すれば、「徽纆」はもともと器物を繫縛するに用いるなれど、叢棘の上に施用すれば枝々棘刺が手を刺して措置する所なし。だから久しくして事を成す能わず。事を成す能わざるの由は、まさに置く所が其の道を得ざるに在ると言うようだ。かくのごとくなれば、爻辞の「三歳、得ず」と『小象』の「道を失う」の二句は前後勾連して、由はまた皆上文と協洽す。これがまさに尚氏の『焦氏易林』を以て旧解を校正する典型の做法で、獄訟の事を予設せず、ただ象と『易林』の繇辞に順って辞義を還元す。徽纆は過ぎず繩索の名のみで、物を繫ぐの用途は甚だ多し。必ず之を専ら罪人を捆ると言わんは、未だ免れず拘執に過ぎざるか。
離卦
離。利貞,亨,畜牝牛吉。乾交坤為坎,坤交乾為離,坎為隱而離則明矣,凡相對之卦,其義皆對。二五中正,故利貞;二五麗於陽中故亨。坤為牛,離得坤中爻,故亦為牛。俞云:《說文》牝,畜母也,牧牛即母牛。虞翻謂以離為牝牛為借說,豈知《左傳》昭五年明雲純離為牛,由是證虞翻未見左氏。象曰:離,麗也,日月麗乎天,百穀草木麗。
離卦卦辞:正を守るに利あり、亨。牝牛を畜えば吉。乾の中爻は坤に交じり入りて坎と成り、坤の中爻は乾に交じり入りて離と成る。坎は隱伏を主り、離は則ち光明である。およそ相い対する两卦は、意義は皆相反す。六二・六五は中に居りて正を得るがゆえに「利貞」。この二つの陰爻は陽爻の中に附麗するがゆえに「亨」。坤は牛と為り、離は坤の中爻を得るがゆえに、離もまた牛と為る。兪樾は言う。『説文』に「牝とは畜母なり」、牝牛はすなわち母牛。虞翻は離を以て牝牛と為すはただ假借の説と言うが、彼は知らざりしことに、『左伝』昭公五年は明らかに「純離は牛と為る」と言う。これに由って虞翻が『左伝』を讀まざりしを證すべし。『象伝』は言う。離とはすなわち附麗である。日月は天に麗り、百穀草木は麗る……(源文のこの句はここで断け、「乎地」以下は次の一段に接す)。
乎地,重明以麗乎正,及化成天下。柔麗乎中正,故亨,是以畜牝牛吉也。五為天位,離日兌月,象失傳,詳《焦氏易詁》,皆在五,故曰日月麗乎天。《禮·王制》:郵罰麗於事。注:麗,附也。言日月附於天也。二四互巽,為百穀,為草木,而二為地位,故曰麗乎地。從王肅不作土。兩象故重明。萬物得日以化成。
(百穀草木は)地に附着す。二重の光明にして正道に麗り、そこで天下を化育成就す。柔爻は中正の位に麗るがゆえに、卦辞は「亨」と言い、これに因って「牝牛を畜えば吉利」とも言う。尚秉和は解說す。第五爻は天位で、「離」は日・「兌」は月と為る。この二つの象は後世に失伝し、詳しい考證は彼自身の著す『焦氏易詁』を見よ。日月の象は皆五爻の上に落つるがゆえに、『彖伝』は「日月、天に麗る」と言う。『礼記・王制』に「郵罰、事に麗る」の一句有り、鄭玄は「麗」はすなわち附着と注す。これでここに言う所はまさに日月が天に附着するが分かる。二より四爻に互体して「巽」を成し、「巽」に「百穀」「草木」の象有り、そして二爻は地位なれば「地に麗る」と言う。ここは王粛の本に依り、「土」の字と作らず。上下の两卦は皆離で、两象は相い重なるがゆえに「重明」と呼ぶ。万物は日光の照臨を得てこそ、化育長成し得る。
象曰:明兩作,離,大人以繼明照于四方。晌明而治,故曰大人;重明,故曰繼。初九:履錯然,敬之,句無咎。王注:錯然,敬慎之貌。處離之始,故宜慎所履,以敬為務,避其咎也。按初為震爻,震為履。錯然,蓋又有鄭重不苟之意,故曰敬。以「敬之」連「無咎」讀者非。象曰:履錯之敬,以辟咎也。
『大象伝』は言う。明は両たび作るは離。大人は以て繼ぐ明を以て四方に照らす。尚氏は解す。明に向かい面して天下を治むるがゆえに「大人」と称し、上下の二つの離で光明は重畳するがゆえに「繼ぐ」と言う。初九爻辞:足どり交錯する貌、恭敬を以て之に対す――「之を敬す」は自ら一句を成す――咎なし。王弼の注は「錯然」は敬慎の貌と言い、初九は離卦の起頭に処るがゆえに、当に己の踐踏する所を謹慎し、恭敬を以て要務と為して、以て災咎を避くべしと。尚氏の按語:初爻は「震」の爻で、「震」に「履」(行走)の象有り。これは『焦氏易林』の中に保存せられた漢代の逸象で、『説卦』にはこの条なし。「錯然」はまた鄭重にして苟且ならざるの意を含むがゆえに「敬」と言う。「之を敬す」を「咎なし」と連ねて一句に讀む者は誤り。『小象伝』は言う。履の錯の敬は、以て咎を辟(さ)くるなり。
六二:黃離,元吉。坤色黃,離得坤中爻,故曰黃離;得中故大吉。象曰:黃離元吉,得中道也。九三:日昃之離,不鼓擊而歌,則大耋之嗟,凶。三居離終,故曰日昃,故象曰不可久。此爻全用伏象:伏震為鼓、為缶、為歌,伏艮為堅,故《易林》常以艮為壽、為老,《釋言》耋,老也。蓋三居下卦之終,時已遲暮,故曰不鼓缶而歌。《詩》坎其繫擊,缶固古樂也。而三居互艮之初,艮為大老???,言不及時行樂,則將有衰老之嗟也。震為樂,震反為艮則嗟矣。此與《中孚》六三之或鼓或罷、或泣或歌,皆正覆象並用,與《雜卦》震起艮止、兌見巽伏之義同也。而能識此旨者,在古則《左傳》,在西漢則《易林》,後則無知者。象曰:日昃之離,何可久也。
六二爻辞:黄色の附麗、大吉。尚氏は解す。「坤」の色は黄で、離卦の中爻はまさに坤より得たるがゆえに「黄離」と言う。中に居りて位を得るがゆえに大吉。『小象伝』は言う。黄離、元吉なるは、中の道を得るなり。九三爻辞:日の昃(かたむ)くの離、缶を鼓して歌わざれば、則ち大耋(だいてつ)の嗟(なげ)き有り、凶。尚氏は解す。三爻は離卦の末尾に居るがゆえに「日昃」と言い、『小象伝』もこれに因って「何ぞ久しき可けん」と言う。この爻は全く「伏象」を用う。すなわち本卦の背後に伏する相反の卦である。伏する「震」に「鼓」「缶」「歌」の象有り、伏する「艮」に「堅」の象有るがゆえに、『焦氏易林』は常に「艮」を以て「寿」・「老」と為し、『爾雅・釋言』は「耋」はすなわち老と言う。三爻は下卦の終点に処り、時光はすでに遅暮に近し。だから缶を鼓して歌わずと言う。『詩経』に「坎として其の缶を撃つ」の文有り、これで缶はもともと古の楽器たるが分かる。三爻はまた互体「艮」の始めに処り、「艮」は大老と為る。時に趁(お)いて行楽せざれば、則ち将に衰老の嗟嘆有らんとすを言う。「震」は歓楽と為り、震は一たび反転して艮と為れば則ち嗟嘆のみ余る。これは中孚の六三の「或いは鼓し或いは罷(や)め、或いは泣き或いは歌う」と同じく、皆正象と覆象とを併用し、雑卦伝の「震は起こり艮は止まり、兌は見え巽は伏す」の義理と同じ。然るにこの層の旨意を識る能くする者は、上古はただ『左伝』、西漢はただ『焦氏易林』のみで、此の後は知る者なし。『小象伝』は言う。日の昃くの離は、何ぞ久しき可けん。
九四:突如其來如,焚如,死如,棄如。九四雖失位,然其凶不至如此之甚。蓋此爻之義,仍取覆象,自覆象失傳,故說者皆莫明其故。離二至四巽,巽順;三至五巽覆,即不順矣。兌剛滷,故突如其來如。突與雲同,亦作充(下 ?)。《說文》云:不順忽出也,從倒子,《易》曰突如其來如,不孝子突出不容於內也。雲亦作充(下 )者,《說文》充(下 )下云:或從倒古文子,即《易》突字。按古文子作災,倒之即為充(下 )。惠棟校《集解》,竟改為充(下 )。然《說文》明曰即《易》突字,是古本《易》作突與今同,改作災非也。
九四爻辞:突如として來たるがごとく、焚かるるがごとく、死するがごとく、棄てらるるがごとし。尚氏は解す。九四は位を失うと雖も、其の凶はかくのごとく甚だしきに至らざるべし。この爻の義理はなお「覆象」より取る。すなわち全卦を倒転して呈する卦象である。覆象の説が失伝してより、易を解する者は便りに皆其の由を明らかにする能わざるに至った。離卦は二より四爻に互体して「巽」を成し、「巽」は順である。三より五爻は則ち巽の倒覆の形で、あれは則ち順ならず。「兌」の性は剛にして粗厲、だから突如として來たるがごとしと言う。「突」はあの倒した「子」に従う古字と同じく、また別の一つの字形と寫す(原書のこの字は筆画を缺き、僅かに字形の描述を存す)。『説文』は言う。順ならずして忽ち冒き出ず、字形は倒寫の「子」に従う。『周易』は「突如として來たるがごとし」と言い、不孝の子が突然冒き出でて家内に容れられざるを指す。之をまた別の一字形と作ると言う所以は、『説文』がその字の条の下に「或いは倒寫の古文の「子」に従う」、すなわち『周易』の「突」の字と言うがゆえ。古文の「子」の寫法を倒すれば、まさにあの字である。恵棟は『周易集解』を校して、ついに「突」をあの字に改めた。然るに『説文』は明らかに之を即ち『易』の「突」の字と言う。これで古本の『周易』は「突」と作りて今本と同じが分かる。別字に改作するは誤りである。
巽覆故不順,子體倒故曰不孝子,不孝子無所容於世;體離故焚如,兌毀折故死如、棄如。《說文》:棄,損也,從充(下 );充(下 ),不孝子也。故《匈奴傳》王莽造焚如之刑,如淳云:焚如、死如、棄如者,謂不孝子也,不畜於父母,不容於朋友,故燒殺棄之。按如淳及許慎之說,皆與象傳無所容義合,蓋古義如此也。象曰:突如其來如,無所容也。
巽象は倒覆するがゆえに順ならず、「子」の字は倒寫するがゆえに不孝子と呼ぶ。不孝の子は世間に容れらるる所なし。本体は離で、離は火と為るがゆえに「焚かるるがごとし」と言い、「兌」は毀折と為るがゆえに「死するがごとし」「棄てらるるがごとし」と言う。『説文』は言う。棄とはすなわち損棄で、字形はあの倒子の字に従い、然るにあの字はまさに不孝子の意である。ゆえに『漢書・匈奴伝』に王莽が「焚如」の刑を創制したを載せ、如淳は釈して言う。焚如・死如・棄如とは、不孝子を指す。父母は彼を養うを肯んぜず、朋友は彼を容れるを肯んぜず。だから彼を焼き殺し彼を拋棄す。尚氏は按ずる。如淳と許慎の説法は、皆『小象伝』の「容るる所なし」の義と相合す。これで古義はもともとかくのごとしと分かる。『小象伝』は言う。突如として來たるがごとしは、容るる所なきなり。
六五:出涕淪若,戚嗟若,吉。目汁出曰涕。五離為目,兌為雨水,決(左無)九三往遇雨,《革》傳水火相息,水出自目,故曰涕淪。淪,《說文》水別流,言涕被面而支溢也。清儒皆以伏坎為涕,於卦象之神妙全失。兌口為嗟,若者語辭。象本不吉,然而云吉者,以麗於陽中也。象曰:六五之吉,麗王公也。乾為王為公,謂四上。
六五爻辞:涕を出だして沱(だ)若(じゃく)たり、戚嗟(せきさ)若たり、吉。尚氏は解す。目の中より流出する汁液を「涕」と呼ぶ。五爻は離体に在り、「離」は目と為る。「兌」は雨水と為り、夬卦の九三は「往きて雨に遇う」と言い、革卦の『彖伝』は水火は相い息(や)むと言う。水は目より流出す。だから「涕沱」と言う。「沱」は『説文』が水の分支別流と解し、眼涙が面に被りて横溢するを言う。清の学者は皆伏する「坎」を以て涕水を解す。卦象の精微の処はすなわち全く遺失せられた。「兌」は口と為るがゆえに「嗟」と為り、「若」は句末の語助詞である。この爻の象はもともと不吉に、然るに吉と言うは、其の上下の陽爻の中に附麗するを以てなり。『小象伝』は言う。六五の吉なるは、王公に麗るなり。尚氏は解す。「乾」は王・公と為り、九四と上九の二つの陽爻を指す。
上九:王用出征,有嘉,折首,獲匪其五,無咎。此與《大有》《鼎》上九義同也。《大有》上九云:自天有之,吉無不利;《鼎》上九云:大吉。蓋《大有》《鼎》中交皆不利,凡中爻不通利者,上九必利。《大畜》中爻為艮所畜,至上九忽亨,則以上九高出庶物,不為所言也。《大有》《鼎》《離》與《大畜》理同也。
上九爻辞:君王は兵を用いて出征し、嘉美の功有り、敵の首を斬獲し、俘獲する所は其の部衆に止まらず、咎なし。尚氏は解す。これは大有・鼎の两卦の上九と義理同じ。大有の上九は「天より之を佑(たす)く、吉にして利ならざるなし」と言い、鼎の上九は「大吉」と言う。大有・鼎の两卦の中間の各爻は皆利あらず。およそ中爻が通利せざる卦は、上九は必ず利を得。大畜の中爻は「艮」に畜止せられたが、上九に至っては忽ち亨通す。則ち上九が衆物の上に高出して、畜止の拘限を受けざるを以てなり。大有・鼎・離と大畜とは道理一様である。
茹敦和云:離有征伐象。《明夷》九三日南狩(左月),得其大首;《晉》上九日維有伐邑,皆為離上爻。蓋一陽突出兌說之上,而兌為斧鉞,離為甲兵,故曰王用出征。兌為毀折,乾為首,先儒皆謂坎折坤,則離亦折乾也,皆以中爻故離有殺象,《既濟》云東鄰殺牛是也。折首謂殺敵。于思泊云:虢季盤折首五百,執訊五十,不?(左其右上鳳右下女)股,女多禽折首、執訊,征之金文,皆謂殺敵,非謂魁首。按於說是也。
茹敦和は言う。離卦に征伐の象有り。明夷の九三は「南に狩りて、其の大首を得」と言い、晋の上九は「維れ邑を伐つを用う」と言う。皆離卦の上爻に現る。これは一つの陽爻が「兌」悦の上に突出して、然るに「兌」は斧鉞と為り、「離」は甲兵と為るがゆえに、君王の兵を用いて出征するを言う。「兌」は毀折と為り、「乾」は首と為る。先輩の学者は皆坎は能く坤を折ると言う。然らば離もまた能く乾を折る。皆中爻の由によるがゆえに、離に殺伐の象有り。既済の「東隣、牛を殺す」と言うは即ち一例である。「首を折る」とは敵を殺すを指す。于省吾は言う。虢季子白盤の銘文に「首を折ること五百、訊を執ること五十」と有り、また「汝、禽多し、首を折り訊を執れ」の語有り。金文を以て騐(ため)せば、「首を折る」は皆敵を殺すを指し、首領を擒獲するを謂うに非ず。尚氏は按ずる。于氏の説法は正しい。
匪與分古通,《周禮·地官》凜(?)人以待國之匪頒,注:匪讀為分。獲匪其衛者,謂匪頒所獲丑擄於有功,以為奴隸也。象曰:王用出征,以正邦也。徵,正也。折首獲丑,皆正邦之事。邦象未詳,諸家皆以坤為邦。按三至五伏艮,艮為邦。
「匪」と「分」とは古代に相い通ず。『周礼・地官』に「廩人、以て国の匪頒を待つ」とあり、鄭玄の注は「匪」は「分」と読むと言う。「匪其醜を獲」と謂うは、分頒して得たる俘虜を有功の人に賞与して、彼らをして奴隸に充たしむるを言う。『小象伝』は言う。王、出征を用うるは、以て邦を正すなり。尚氏は解す。「征」とはすなわち正である。敵の首を斬り・俘虜を獲るは、皆邦を匡正するの事に属す。「邦」の取象は前人は交代せず、各家は皆「坤」を以て邦とす。尚氏は按ずる。三より五爻に「艮」が伏し、「艮」こそ邦の象である。これは同じく『焦氏易林』の中に保存せられた逸象である。
『周易尚氏学』巻九 下経
咸卦
咸,亨,利貞,取女吉。咸,感也。《歸藏》曰欽,《詩·秦風》憂心欽欽,傳:思望之,心中欽欽然。蓋以少男仰求少女,有欽慕之情,是欽亦有感意,與咸義同。六爻皆有應,故曰亨利貞。少女在前,肖男在後,而艮為求,兌為悅,艮男求女,兌悅應之,得婚姻之正,故曰取女吉。
咸卦卦辞:亨通、正を守るに利あり、女を娶れば吉を得。尚氏は解す。「咸」とはすなわち感應である。『帰蔵』易はこの卦を「欽」と称し、『詩経・秦風』に「心を憂えて欽欽たり」とあり、毛伝は思念盼望して心中欽欽然たる貌と言う。少男が頭を仰いで少女を求取し、欽慕の情を懐く。これで「欽」もまた感應の意を含むが分かり、「咸」と義同じ。この卦は六爻が全て正応有るがゆえに亨通利貞と言う。少女(兌)は上に居りて前に在り、少男(艮)は下に居りて後に在り、然るに「艮」に「求」の象有り、「兌」に「悦」の象有り。艮の男は往きて女を求め、兌の女は欣悦して之に應ず。婚姻の正道に合す。だから女を娶れば吉と言う。
象曰:咸,感也,柔上而剛下,二氣感應以相與,止而悅,男下女,是以亨利貞,取女吉也。天地感而萬物化生,聖人感人心而夫下和平。觀其所感,而天地萬物之情可見矣。否三上交,故曰柔上而剛下;山澤通氣,故曰二氣感應以相與;艮止兌悅,故曰止而悅;兌上艮下,故曰男下女。天地感即陰陽和合,和合則萬物生;聖人感人則仁義兼施,仁義俠(左水)則天下和平。蓋天地萬物之事,莫不由感而通,由感而成,而其所以能感之故則情也,故曰其情可見。
『彖伝』は言う。咸とはすなわち感應で、柔爻は上に行きて剛爻は下に居り、二つの気は相い感じ相い應じて以て互いに親與し、止まりて喜悦し、男は女に下る。是を以て亨通利貞、女を娶れば吉なり。天地は相い感じて万物は化育生長し、聖人は人心を感動して天下は和平す。其の感ずる所の對象を觀れば、天地萬物の實情は見る可きなり。尚氏は解す。この卦は否卦の三爻と上爻とが互換して成るがゆえに柔は上に剛は下と言う。山と沢とは氣息相い通ずがゆえに二氣は感應して以て相い與すと言う。「艮」は止と為り、「兌」は悦と為るがゆえに止まりて悦ぶと言う。兌は上に在り艮は下に在るがゆえに男が女に下ると言う。天地の相い感ずるは即ち陰陽の和合で、和合すれば則ち萬物化生す。聖人の人心を感ずるは則ち仁義を兼ね施し、仁義は遍く行われて天下和平す。天地萬物の一切は、感應に由らずして通ずるなく、感應に由らずして成るなく、然るに其の能く相い感ずる所以の由は、根柢は一つの「情」の字に在るがゆえに、其の情は見る可しと曰う。
象曰:山上有澤,咸。君子以虛受人。艮為君子,艮男下兌女,卑以自牧,故曰以虛受人。虞翻曰:否坤為虛,乾為人,今坤虛,三受上,故以虛受人。初六:咸其拇。拇,《釋文》馬、鄭、薛云:足大指也。初在下震交,故曰成其拇。咸及拇,則欲行矣。象曰:咸其拇,志在外也。外謂四,初應在四,初四相上下,則各當其位。足者人所恃以行,今感在拇,故欲之外也。巽伏故亦為志,見《易林》,亦失傳象也。
『大象伝』は言う。山の上に沢有るは咸。君子は以て虛を以て人を受く。尚氏は解す。「艮」は君子と為り、艮の男は兌の女に屈して下り、謙卑にして自ら牧(やしな)う。だから虛を以て人を受くと言う。虞翻は言う。否卦の坤は虛と為り、乾は人と為る。今、坤はすでに虛しく、三爻は上に上爻を受く。だから虛を以て人を受くと曰う。初六爻辞:足の拇指に感ず。尚氏は解す。「拇」は『経典釈文』が馬融・鄭玄・薛虞の説法を引き、足の大趾である。初爻は下卦の震爻の位に在るがゆえに拇指に感ずと言う。感應が拇指に及べば、即座に行動せんと欲す。『小象伝』は言う。其の拇に咸(かん)ずるは、志、外に在るなり。尚氏は解す。「外」とは九四を指し、初六の正応は四に在り、初と四とは各々上下の相対の位に居れば、即座に皆其の位に当たる。足は人が賴って行走する所で、今、感應は拇指に在るがゆえに、外に往かんと欲す。「巽」は伏して、よってまた「志」の象有り。これは『焦氏易林』に見え、同じく失伝の逸象である。
六二:成其腓,凶,居吉。脛腓所恃以行,感及於腓,則欲前進,乃進而凶者何也?按二當位,承陽有應,與《革》二至上同,《革》六二征吉,此應與之同,然而凶者,以《革》義取革新,故利於徵;若《咸》則義取陰陽相感,感在五為正應,乃三四亦陽,二獨與五,則為三四所忌,故動凶居吉。此與《同人》六二同:二同於五,原為正應,然而吝者,以三四亦陽,二不與同而獨同五,則招忌也,其故皆在三四。近比三則失五之正應,遠應五則有近不承陽之嫌。《遁》六二蟄以牛革,亦戒其動,以《遁》二與《同人》《咸》體同也。
六二爻辞:腿肚(ひゃく)に感ず、凶。安居すれば則ち吉。尚氏は解す。小腿は行走の依賴する所で、感應が腿肚に及べば、即座に前に往かんと欲す。然るに前進すればかえって凶たるは、これは何の故ぞ。六二は当位し、上に陽爻を承けてまた正応有り、革卦の二爻より上爻に至るの格局と同じ。革の六二は「征きて吉」と言い、この爻の応与の關係は之と同じ。然るにここでは凶たるは、革の卦義は革故鼎新を取るがゆえに出征に利あり、咸の卦義は陰陽の相感を取るがゆえに、五爻に感ずるがこそ正応であるに、然るに三・四の两爻もまた陽で、六二は偏に五のみと相い與すれば、則ち三・四に忌まるる所と為る。だから動けば則ち凶、居れば則ち吉。これは同人の六二と同じ。二と五はもともと正応なのに、「吝」と言うは、やはり三・四が皆陽で、二は彼らと同じくせずして独り五と同じくすれば、そこで忌を招く。病根は皆三・四に在り。近く三に比すれば五の正応を失い、遠く五に応ずれば近処に陽を承けざるの嫌疑有り。遯の六二は「黄牛の革を以て之を執(つな)ぐ」と言い、これも妄動せざるを告誡す。遯の二爻は同人・咸と體勢同じきを以てなり。
腓,《說文》脛端(左月)也。喘(左月),《說文》腓腸也。段玉裁云:腓腸謂脛骨後之肉,腫之言肥,似中有腸者,故曰腓腸。按段釋腓腸,至為明晰,即今俗所謂腿肚也。《莊子·天下篇》禹腓無跋(左月),注:跋(左月),細毛也,腓因勞受摩揩,故跋(左月)不生。然則腓為脛肚明矣。人之行恃脛,感及於脛,必前進矣,進則有咎,故曰凶;居則不動而承陽,故曰居吉。此爻凶義,鮮有詳其故者。崔憬謂二應五,失艮止義;惠棟謂二比三,失五正應,義皆未備。
「腓」は『説文』が脛端の肉と言い、「腨」は『説文』が即ち腓腸と言う。段玉裁は言う。腓腸とは脛骨の後の肉を指し、腫れて肥厚と見え、中に腸を裝めたるがごときがゆえに腓腸と曰う。尚氏は按ずる。段氏の腓腸を釋するは最も明晰で、即ち今日の俗にいう腿肚子である。『荘子・天下篇』は大禹が「腓に胈なし」と言い、注は「胈」は細毛で、腿肚は勞作に因って常に摩擦を受くるがゆえに細毛生ぜずと言う。これで腓は即ち脛肚たること疑いなし。人の行走は小腿に恃む。感應が小腿に及べば、必ず前進せんとす。前進すれば咎害有り。だから凶と言う。安居して動かずして上に陽爻を承ければ、だから居て吉と言う。この爻の凶たる處は、其の由を説き明かす者は稀である。崔憬は二は五に應じて艮止の義を失うと言い、恵棟は二は三に比して五の正応を失うと言う。二種の説法は皆完備せず。
象曰:雖凶居吉,順不害也。二承陽有應,當位,本無凶理,象辭恐人生疑,故釋其故。言爻辭雖云動凶居吉,然陰順陽為天職,六二但上承諸陽,亦無害也。傳意似重近取,不必遠應也。翼經之大,莫過於是。
『小象伝』は言う。凶なりと雖も居れば吉は、順なれば害されざるなり。尚氏は解す。六二は上に陽爻を承けてまた正応有り、居る位もまた當たるを得る。もともと凶の理なきに、象辭は人の疑を生ぜんを恐れて、特に其の由を説明す。爻辭は動けば凶・居れば吉と言うと雖も、然るに陰柔の陽剛に順從するはもともと天職で、六二はただ上に諸陽を承奉すれば、すなわち妨害なし。傳文の意は似て就近に相承するを更重んじ、遠く正應を求むる必ずしも要せず。傳が經文を羽翼するの大なるは、この一條より明白なるは莫し。
九三:咸其股,執其隨,往吝。巽為股,股在腓上,故咸及於股。陽遇陽則窒,上雖有應,不能往也,往則為四五所忌而吝生矣。若初二則隨三者也,三下履重陰,止於是可矣。執者止也,止於三下比於陰,不必前進,否則吝窮也。象曰:咸其股,亦不處也,志在隨人,所執下也。股所以行,故曰不處。巽為志,乾為人,言初二志在隨三,故三之所執,宜於下也。
九三爻辭:大腿に感ず。其の隨う所を執守す。往けば吝有り。尚氏は解す。「巽」は股と為り、大腿は腿肚の上に在るがゆえに感應は大腿に升る。陽は陽に遇えば則ち窒塞して通ぜず。上爻は之と應ずると雖も、往く能わず。一往けば即ち四・五の両爻に忌まれて吝は生ず。初二の両爻に至っては、九三に隨從する者で、九三は下に二つの陰爻を踏む。此に止まればすなわち可なり。「執」とは即ち止で、三爻の下に止まりて陰爻に親比し、さらに前に進む必ずしも要せず。然らざれば即ち吝にして困窮す。『小象傳』は言う。其の股に咸ずるは、亦処らざるなり。志、人に隨うに在り、執守する所は下に在り。尚氏は解す。大腿は行走に用いる所以の物だから「処らず」と言う。「巽」は志と為り、「乾」は人と為る。初・二の心志は九三に隨從するに在りを言うがゆえに、九三の執守する所は、当に下に在るべし。
九四:貞吉,悔亡,憧憧往來,朋從爾思。四不當位,承乘皆陽,故必貞定無為,方免悔吝。朋謂初,爾謂四,憧撞,思不定也。蓋四來應初則三害之,初往應四則二害之,故初四不宜動,宜靜。然阻愈多則感愈切,朋從爾思者,言初不得應陽,而慕思四也。象曰:貞吉悔亡,未感害也;憧憧往來,未光大也。下繫云:凡易之情,近而不相得則凶,或害之。三近四,二近初,然三亦陽,為四敵;二亦陰,為初敵,故二三為初四害。知其害而不動,害斯免矣,故曰未感害也。初四相上下成離,離為光大,今不能相上下,故曰未光大。
九四爻辭:正を守れば吉、悔恨は亡び、心神定まらず往來し、朋友は爾の心思に從う。尚氏は解す。九四は當位せず、上承・下乗するは皆陽爻。だから必ず貞定無爲にしてこそ悔吝を免れ得る。「朋」とは初六を指し、「爾」とは九四を指し、「憧憧」とは心思の定まらざる貌である。九四は下りて初六に應ぜんとすれば三爻が之を妨害し、初六は上りて九四に應ぜんとすれば二爻が之を妨害す。だから初と四とは皆動くに宜からず、靜に宜しき。然るに阻隔は愈々多ければ相感は愈々切なり。「朋、爾の思に從う」とは、初六が陽爻に應じ得ず、ただ心に慕い九四を思念するのみを言う。『小象傳』は言う。貞吉、悔亡ぶは、未だ害を感ぜざるなり。憧憧として往來するは、未だ光大ならざるなり。尚氏は解す。『繫辭下』は言う。およそ『易』の表す情狀は、近くして相い得ざれば則ち凶、或いは相い害す。三は四に近く、二は初に近し。然るに三もまた陽で四の敵體と爲り、二もまた陰で初の敵體と爲る。だから二・三は初・四の禍害と爲る。其の害有るを知りて妄動せざれば、害は斯に免れる。だから未だ害を感ぜずと言う。初と四とがもし各々上下の相對の位に居れば便ち離と成り、「離」は光大と爲る。今は相い上下する能わざるがゆえに未だ光大ならずと言う。
九五:咸其每(左月),無悔。每(左月),《說文》背脊肉也,鄭、虞同。伏艮,艮為背,故曰咸每(左月)。當位得中,故無悔。感居人身之上,故象曰志末,末謂上六。言九五感上,近而無阻,故無悔也。案五正應在二,而舍二感上者,以三四害之也。象曰:咸其每(左月),志末也。《大過》云本末弱,以上為末也。茲曰志末,謂五為三四所阻,不能應二,故舍遠取近,感在上也。
九五爻辭:背脊の肉に感ず、悔なし。尚氏は解す。この字は『説文』が背脊肉と訓し、鄭玄・虞翻の解釋は同じ。九五の下に伏するは「艮」で、「艮」は背と爲るがゆえに背脊に感ずと言う。九五は當位してまた中を得るがゆえに悔なし。感應はすでに人身の上部に到るがゆえに『小象傳』は「志、末なり」と言い、「末」とは上六を指す。九五は上六に感じ、近くして阻隔なきがゆえに悔なしを言う。按ずるに九五の正應はもともと六二に在るに、二を舍てて上に感ずるは、三・四の両爻が中より梗阻するを以てなり。『小象傳』は言う。其の脢(ばい)に咸ずるは、志、末なり。尚氏は解す。大過は「本末弱き」と言う。これで上爻を以て末と爲すが分かる。ここで「志、末なり」と言うは、九五が三・四に阻まれて二に應ずる能わざるを指し、だから遠を舍てて近を取り、感應は上六に在る。
上六:咸其輔頰舌。虞翻曰:耳目之間日輔頰。按《說文》:輔,人頰車也;頰,面旁也。《左傳》輔車相依注:輔,輸頰;車,牙車。正義云:《易》以輔頰舌三進並言,則三物也。故鄭注《頤》卦云:頤者口車輔也,震動於下,又止於上,口車動而上,因輸嚼物以養人。
上六爻辭:牙床・脸颊と舌とに感ず。虞翻は言う。耳目の間を輔頬と曰う。尚氏は按ずる。『説文』は言う。輔とは人の頬車で、頬は面の旁側である。『左傳』の「輔車相依」の注は言う。輔とは即ち牙牀外側の頬で、車とは即ち牙車である。孔穎達の正義は言う。『周易』は輔・頬・舌の三者を竝列する。これで三樣の物たるが分かる。ゆえに鄭玄が頤卦に注して言う。頤とは即ち口車と輔で、震は下に動き、艮は上に止まり、口車は上に向かって運動して、輔に依って物を咀嚼し以て人を養う。
按鄭所謂口車即牙車,牙車在口下,故曰動而上;輔在口上,故曰因輔嚼物以養人,是輔與牙車對,在口中,頰在面旁,居口上,與頤連,不過頰在上,頤在下,頰以骨言,頤以肉言耳,是輸與頰確為二物,又皆為口之屬,故與舌並言。兌為口為言,輔頰舌皆兌象,所用以言者,感及於是,則言說多矣,故象日滕口說。來矣鮮云:舌動則輔應而頰隨之,三者相須用事,皆所以言者,皆兌象。象曰:咸其輔頰舌,泰(左月)口說也。《釋文》:滕,達也。九家作乘,虞作滕,鄭云送也。按鄭、虞說非也。朱子云:滕與騰通,即達也。李鼎祚本正作騰。
尚氏は按ずる。鄭玄のいわゆる口車は即ち牙車で、牙車は口の下方に在るがゆえに動きて上と言い、輔は口の上方に在るがゆえに輔に依って物を嚼んで以て人を養うと言う。これで輔と牙車とが相い對して、皆口の中に在るが分かる。頬は面の旁側に在り、口の上に居りて頤と相い連なり、ただ頬は上に・頤は下に、頬は骨骼に就いて言い・頤は肌肉に就いて言うのみ。これで輔と頬とは確かに兩樣の物で、また皆口に屬するがゆえに、舌と竝擧するが分かる。「兌」は口・言と爲り、輔・頬・舌は皆兌の象で、皆言說するに用いる所の物である。感應がここに及べば、言説は多し。だから『小象傳』は「滕口の説」と言う。來知德は言う。舌は一たび動けば、輔は即ち相應じ、頬もまた跟いて動く。三者は相い須(もち)いて作用を起し、皆言說するに用いる所で、皆兌の象に屬す。『小象傳』は言う。其の輔頬舌に咸ずるは、口舌の張揚なり。尚氏は解す。『經典釋文』は「滕」は通達と言う。九家易の本は「乘」と作り、虞翻本は「滕」と作り、鄭玄は「送」と訓す。尚氏は按ずる。鄭・虞の説は誤り。朱熹は「滕」と「騰」とは通じ、即ち通達と言う。李鼎祚の本は正しく「騰」と作る。
恒卦
恆,亨,無咎,利貞,利有攸往。咸男下女,男求女,得婚姻之正,夫婦之道既立,則長男在前,長女在後,夫倡婦隨,終身以之,故受之以恆。恆,常也,久也。卦六爻皆有應,故亨利貞。《易林》《大畜》之《未濟》云:乾坤利貞,乳生六子。利貞者和合也。二五應初承重陽,四臨重陰,故曰利有攸往。虞翻謂終變成益者是也。
恒卦卦辞:亨通、咎なし、正を守るに利あり、往く所有るに利あり。尚氏は解す。咸卦は男が女に屈して下り、男が往きて女を求めて、婚姻の正道に合した。夫婦の道はすでに確立すれば、そこで長男(震)は上に居りて前に在り、長女(巽)は下に居りて後に在り、夫は唱導して妻は隨從し、終身これを以てす。だから『序卦』は咸の後に恒を接がしむ。「恒」とは即ち常で、即ち久である。この卦は六爻が全て正應有るがゆえに亨通利貞。『焦氏易林』の大畜之未済の一條は「乾坤、利貞、乳して六子を生ず」と言う。これでいわゆる「利貞」は、講ずる所はまさに陰陽の和合たるが分かる。二と五とは相い應じ、初爻は上に两陽爻を承け、四爻は前に两重の陰爻に臨む。だから往く所有るに利ありと言う。虞翻が恒は終に変じて益と成ると言うは、まさにこの意である。
象曰:恆,久也,剛上而柔下,雷風相與,巽而動,剛柔皆應,恆。恆亨無咎利貞,久於其道也。天地之道,恆久而不巳也。利有攸往,終則有始也。日月得天而能久照,四時變化而能大成,聖人久於其道而天下化成。觀其所恆,而天地萬物之情可見矣。泰初四相上下成震巽,故曰剛上而柔下。震巽相反覆,乾坤者震巽之終,震巽者乾坤之始,故曰終則有始。《蠱》先甲三日、後甲三日,終則有始,與此理同也。夫婦者天地也,天地之道,循環往來,恆久不已。乾為日,兌為月,日月久照,恆也。震為春,巽為夏,兌秋,乾冬,四時反覆,無有窮期,恆也。乾為聖人,震巽為草木,故曰萬物之情。
『彖伝』は言う。恒とは即ち長久で、剛爻は上に行きて柔爻は下に居り、雷と風とは互いに親與し、柔順にして能く振動し、剛柔は各々其の應を得。これが恒である。恒、亨、咎なし、利貞とは、其の正道に久しく在る能くするなり。天地の道は恒久にして已まざるなり。往く所有るに利ありとは、終りの處は即ち開端なり。日月は天の助を得て能く長く照り、四時は不斷に変化して能く大成有り、聖人は其の道に長くして天下は化育有り。其の恒守する所を觀れば、天地萬物の實情は見る可きなり。尚氏は解す。この卦は泰卦の初爻と四爻とが上下互換して震・巽を成すがゆえに剛は上に柔は下と言う。震と巽とは互いに反覆の象を爲し、乾坤は震巽の終點で、震巽は乾坤の起點。だから終れば則ち始有りと言う。蠱卦の「甲に先んずること三日、甲に後ること三日」もまた終れば則ち始有りで、道理はこれと同じ。夫婦とは即ち天地で、天地の道は循環往來して恒久已まず。「乾」は日と爲り、「兌」は月と爲り、日月は長く照るは即ち恒である。「震」は春と爲り、「巽」は夏と爲り、「兌」は秋、「乾」は冬。四時は反覆して窮盡の期なし。これもまた恒である。「乾」は聖人と爲り、「震」「巽」は草木と爲るがゆえに萬物の情と言う。
象曰:雷風,恆。君子以立不易方。雷風同聲相應,可常可久,立而易方,則不恆矣,故此卦六爻皆有應,而爻辭皆不取。《論語》有勇知方,注:方,義也。立不易方,即蹈義而行,無或違也。
『大象伝』は言う。雷と風とは恒。君子は以て立ちて方を易(か)えず。尚氏は解す。雷と風とは同じ聲にして相い應じ、常たる可く久しき可し。もし立ち定まりてまた向きを改換せば、則ち恒ならず。だからこの卦は六爻は皆正應有ると雖も、爻辭は一概に應與の義を取らず。『論語』に「勇有りて方を知る」の一語有り、注は「方」とは即ち義と言う。「立ちて方を易えず」とは即ち道義に蹈んで行い、少しも違背するなし。
初六:浚恆,貞凶,無攸利。浚,深也。虞翻云:乾初為淵故深。深謂陽。乃泰初陽上居四,四陰下居初,雖皆失位,而仍有相求相交之象,故曰浚恆。乃四陽為二三所隔,不能應初,若初則可應四也。惟初遠應四,則有近不承陽之嫌,為二三所忌,故曰貞凶,無攸利。貞,卜問。巽為利也。
初六爻辭:深く恒を求む、占問して凶を得、利する所なし。尚氏は解す。「浚」とは深である。虞翻は乾の初爻は淵と爲るがゆえに深と稱すと言い、「深」とは陽爻を指す。この卦は泰卦の初位の陽が上に四位に居り、四位の陰が下に初位に居るより成る。两爻は皆位を失うと雖も、なお互いに求取交感するの象有り。だから「浚恒」と言う。然るに九四の陽は二・三の两爻に隔斷せられて初に應ずる能わず。もし初爻の方より見れば、四に應じに往くは可なり。ただ初爻は遠く九四に應ずれば、則ち近處に陽爻を承奉せざるの嫌疑有りて、二・三に忌まる。だから貞凶・攸に利なしと言う。「貞」とは占問である。「巽」は利と爲る。
象曰:浚恆之凶,始求深也。又在初稱始,宜靜不宜動,況陰居初失位,尤不宜動,以違恆久之義。乃初六求與四陽交,不知二三之有厲,故曰浚恆之凶,始求深也,言凶之故在初六求與四交也。《焦氏易林》《泰》之《恆》云:蔡倏適楚,流連江濱,逾日歷月,思其後君。糞為草莽,故為蔡;叢木為楚,故震為楚。言初求四,故曰蔡侯適楚。乾為江海,初在乾下,故曰流連江濱。乾為日,兌為月,初前臨乾兌,故曰逾日歷月。初求交四,震為君,故曰思其後君。林詞專釋此爻與四之關係,而曰思其後君,釋求深之義,尤為明白,故本焦義以為詁。
『小象伝』は言う。浚恒の凶たるは、始めに求むること深きなり。尚氏は解す。初爻はまた「始」と稱し、靜に宜しく動に宜からず。況んや陰爻の初に居るはもともと位を失い、いよいよ動に宜からず。動けば則ち恒久の義に違背す。初六は偏に往きて九四の陽と交わらんことを求め、二・三の两爻が中間に横たわって危險有るを知らず。だから浚恒の凶・始めに求むること深しと言う。凶の由は即ち初六が四と交わらんことを求むに在るを言う。『焦氏易林』の泰之恒の一條は言う。「蔡侯、楚に適(ゆ)き、江濱に流連し、日を逾え月を歴て、其の後の君を思う。」草莽の象は蔡と爲るがゆえに「蔡」を取り、叢木の象は楚と爲るがゆえに「震」は楚と爲る。これは初爻が四を求むるを言うがゆえに蔡侯の楚に適くと言う。「乾」は江海と爲り、初爻は乾體の下に在るがゆえに江濱に流連すと言う。「乾」は日と爲り、「兌」は月と爲り、初爻は前に乾・兌に臨むがゆえに日を逾え月を歴ると言う。初爻は四と交わらんことを求め、「震」は君と爲るがゆえに其の後の君を思うと言う。焦氏の林辭は専らこの爻と四爻との關係を釋して、「其の後の君を思う」を以て「求深」の義を點出す。殊に明白なれば、尚氏は焦氏の義に依って注を作る。
丸二:悔亡。二不當位,前臨重陽,宜有悔矣。然得中位,進雖不利,中正自守,亦無悔也。象曰:九二悔亡,能久中也。乾為久,為三四所隔,不能應五,故久於中。卦以恆為義,久中故悔亡。
九二爻辭:悔恨は亡ぶ。尚氏は解す。九二は當位せず、前に两陽爻に臨み、もともと悔有るべし。然るに中位を得て、前進は利あらずと雖も、中正にして自ら守れば、すなわち悔なし。『小象伝』は言う。九二、悔亡ぶは、能く中に久しきなり。尚氏は解す。「乾」は久と爲り、九二は三・四に隔てられて上に九五に應ずる能わず。だから中位に長く居るのみ。全卦は「恒」を以て義を立つ。能く中位に久しくすれば、だから悔亡ぶ。
九三:不恆其德,或承之羞,貞吝。乾為德,三承乘皆陽,宜靜不宜動,倘亟於應上,而四或害之,則羞吝生矣,故貞吝也。又三居巽上,下橈,進退不定,亦不恆之一因也。象曰:不恆其德,無所容也。乾為德,承乘皆陽,進退有阻,故曰無所容。
九三爻辭:其の德を恒守する能わず、或いは羞辱を承けん、占問して吝有り。尚氏は解す。「乾」は德と爲り、九三は上承・下乗するは皆陽爻で、靜に宜しく動に宜からず。もし急いで上六に應ぜんとすれば、四爻は即ち之を妨害して、羞辱と悔吝とは便ち生ず。だから貞吝と言う。さらに言えば九三は「巽」體の上位に處り、巽の性は下に曲がりて進退は搖擺定まらず。これもまた「恒ならず」の一つの由である。『小象伝』は言う。其の德を恒ならずは、容るる所なきなり。尚氏は解す。「乾」は德と爲り、九三は承乗皆陽にして進退皆阻礙有り。だから容るる所なしと言う。
九四:田無禽。震為田獵,禽,獲也。下應初,三二遇敵,受阻,故無禽。按四前臨重陰,例之《豫》四、《大壯》《解》《豐》,四爻皆吉,茲獨不吉者,卦以恆久貞定為義,故不取利往也。象曰:大非其位,安得禽也。乾為久,乾四失位,故曰久非其位。
九四爻辭:田獵して獲る所なし。尚氏は解す。「震」は田獵と爲り、「禽」とは即ち擒獲である。九四は下に初六に應ずるに、然るに三・二の两爻は敵體で、中より阻隔す。だから獲る所なし。按ずるに九四は前に两重の陰爻に臨み、豫卦の九四および大壮・解・豐の諸卦に比照すれば、これらの卦の四爻は皆吉に、獨りこの爻は吉ならざるは、恒卦が恒久貞定を以て義を立つるがゆえに、「利往」の意を取らざるなり。『小象伝』は言う。久しく其の位に非ざるに居りて、安んぞ禽を得んや。尚氏は解す。「乾」は久と爲り、乾體の四爻は位を失うがゆえに久しく其の位に非ずと言う。
六五:恆其德,貞婦人吉,夫子凶。二五為夫婦,乾為德,六五下遇重陽,而正應在九二,通利極矣。陰得陽應,終身順承,故貞婦人吉。乾為夫,《大過》九二老夫得女妻是也,故夫子謂九二,六五者九二之婦,本為正應。然二著應五而從婦,則三四遇敵,橫犯災難,故曰夫子凶。《大畜》初九曰不犯災,《需》初九曰不犯難行,二卦初九皆有正應,而皆二三得敵,故日災難,茲與之同。象曰:婦人貞吉,從一而終也;夫子制義,從婦凶也。五應二,故曰從一而終。坤為義,乾制義者也。陽得陰應,本無足貴,況應之而犯災難乎?故曰從婦凶也。
六五爻辭:其の德を恒守す。占問して婦人は吉を得、男子は則ち凶。尚氏は解す。二と五とは一對の夫婦で、「乾」は德と爲る。六五は下に两陽爻に遇いて、然るに正應は九二に在る。通達順利極まりなし。陰は陽の來應を得て、終身順承す。だから婦人は貞吉と言う。「乾」は夫と爲り、大過の九二の「老夫、其の女妻を得」は即ちこの象だから、「夫子」は九二を指し、六五は九二の婦で、もともと正應である。但し九二はもし一意に上に六五に應じて婦人に從わば、則ち三・四と敵に遇い、災難を横に犯す。だから夫子は凶と言う。大畜の初九は「災を犯さず」と言い、需の初九は「難行を犯さず」と言う。この两卦の初九は皆正應有るに、然るに皆二・三に敵せらる。だから災難と言う。ここの情形は彼らと同じ。『小象伝』は言う。婦人の貞吉は、一に從いて終るなり。夫子は當に義を以て裁斷すべく、婦に從えば則ち凶なり。尚氏は解す。五は二に應ずるがゆえに一に從いて終ると言う。「坤」は義と爲り、「乾」は義理を裁制する者である。陽は陰の來應を得るはもともと貴ぶに足らず、況んや之に應じてなお災難を犯さんや。だから婦に從えば凶と言う。
上六:振恆,凶。上六居動之極,故日振恆。振,起也。卦以貞靜恆久為義,振則於恆德或違,故凶。象曰:振恆在上,大無功也。交至上而窮,不宜動。大謂三,三欲應上,為四所隔,故曰大無功。
上六爻辭:動盪定まらずして恒を求む、凶。尚氏は解す。上六は震動の頂點に處るがゆえに「振恒」と言う。「振」とは起動である。全卦は貞靜恒久を以て義を立つ。一たび振動すれば則ち恒德と相い違す。だから凶。『小象伝』は言う。振恒、上に居るは、大なる者功なきなり。尚氏は解す。爻位は上に至れば窮盡して、さらに動に宜からず。「大」とは九三を指し、九三は上六に應ぜんと欲すれど九四に隔てらる。だから大いに功なしと言う。
『周易尚氏学』巻十 下経
遯卦
遁,亨,小利貞。遁月卦闢未,陰長陽消,小人道長,君子道消。遁者退也,避也。當陰盛之時,勢須退避,否則其禍有不可勝言者矣,故曰遁亨。蓋以行止論,潔身退隱,否所謂儉德避難也,無所謂亨;而以禍福論,防微慮遠,不事王侯,高尚其事,優遊事外,亨莫亨於是矣,故傳日適而亨也。陽大陰小,小利貞者,謂宜貞定也。傳曰浸而長,謂陰方長,長則消陽,故利於靜,不利於動也。
遯卦卦辭:亨通、小なる者は正を守るに利あり。尚氏は解す。遯は十二消息卦の中の未月を主る卦で、陰氣は漸く長じ陽氣は漸く消し、小人の道は生長して君子の道は消退す。「遯」とは即ち退で、即ち避である。まさに陰盛の時に當たり、形勢の上で必ず退避する須あり。然らざれば禍患は言うに堪えざる有り。だから遯、亨と言う。もし行止に就いて論ずれば、身を潔くして退隱するはまさに否卦のいわゆる「德を儉しくして難を避く」で、亨と談ずるに足らず。然るにもし禍福に就いて論ずれば、微を防ぎ遠くを慮り、王侯に事えず、其の行う所の事を高尚にして、世事の外に從容す。これより亨通なるは莫し。だから『彖伝』は「遯びて亨なり」と言う。陽は大と爲り陰は小と爲る。「小利貞」とは當に貞定して動かざるべしと言う。『彖伝』は「浸して長ず」と言い、陰氣がまさに生長するを指す。長ずれば則ち陽を消すがゆえに、靜に利ありて動に利あらず。
象曰:遁亨,通而亨也,剛當位而應,與時行也。小利貞,浸而長也。通之時義大矣哉。五當位,二有應,故曰剛當位而應。然而不能不適者,時不可也,故曰與時行。遁太早則有過情之譏,如嚴光是也;太晚則不能適,沉溺於小人之中,而不能免,如劉歆是也。行而宜之之謂義,故夫子極嘆時義之大。
『彖伝』は言う。遯、亨とは、退避して後に通達するなり。剛爻は位に當たりて應有り、時勢に隨いて行くなり。小利貞とは、陰氣が漸々生長するなり。遯の時義は大なるかな。尚氏は解す。九五は位に當たり、九二は之と應有るがゆえに剛は位に當たりて應有りと言う。然るに退避せざる能わざるは、時勢の容れざるを以てなり。だから時と行くと言う。退隱の早きに過ぐれば則ち情を矯(た)めたりの譏を招く。東漢の嚴光は即ちかくのごとし。晚きに過ぐれば則ち退く成らずして、小人の中に沉溺して身を脱する能わず。劉歆は即ちかくのごとし。行事して各々其の宜を得るを「義」と謂うがゆえに、孔子は極めて「時義」の大なるを贊歎す。
象曰:天下有山,遁。君子以遠小人,不惡而嚴。凡卦皆合上下卦以立名,乾健艮止,皆無退義,然而遁者,以乾與艮先後天皆居西北也。西北者幽潛無用之地,《太玄》謂曰冥,冥者明之藏也,故曰遁。乾為君子,遠遁在外,故曰遠小人。五應二,故曰不惡;然以有阻隔故,絕難為與,故曰不惡而嚴,蓋外不與絕,內實遠之也。
『大象伝』は言う。天の下に山有るは遯。君子は以て小人を遠ざけ、惡(にく)まずして嚴なり。尚氏は解す。およそ卦は皆上下の两體を合して以て名を立つ。「乾」は健にして「艮」は止にして、本身は皆退避の義なし。然るにこの卦が「遯」と名づくは、乾と艮とが先天・後天の方位の上で皆西北に居るを以てなり。西北は幽潛にして用なきの地で、揚雄の『太玄』は之を「冥」と稱す。冥とは即ち光明の收藏する處。だから「遯」と曰う。「乾」は君子と爲り、遠く遁避して外に在るがゆえに小人を遠ざくと言う。九五は六二と相い應ずるがゆえに「惡まず」と言う。然るに中間に阻隔有るを以て、真に相い與すること極めて難し。だから惡まずして嚴と言う。表面は彼と決絶せず、内裏は實に彼を疏遠す。
初六:通尾,厲,勿用有攸往。爻象初為尾,初往應四,則為同性之二所阻,危厲之道也,勿往則免矣。象曰:遁尾之厲,不往何災也。艮為止,在艮宜靜,勿用有攸往,則無災矣。
初六爻辭:退避して末尾に落つる、危險。往く所有るを用いる勿れ。尚氏は解す。爻位の例に按ずるに、初爻は尾と爲る。初六は往きて九四に應ぜんとすれば、即ち同じ陰性の六二に阻まる。これは危險の道で、往かざれば即ち免るる。『小象伝』は言う。遯尾の厲(あやう)きは、往かざれば何の災かあらん。尚氏は解す。「艮」は止と爲り、艮體に身を處すれば當に安靜なるべく、往く所有るを用いざれば、即ち災禍なし。
六二:執之用黃牛之革,莫之勝說。艮為牛,《無妄》六三或繫之牛是也。二居中,故曰黃牛。《易林》《既濟》之《艮》云伺候牛羊,《同人》之《無妄》云負牛上山,皆以艮為牛。艮為皮革。執,持也,止也,艮手為執。言二得中正,宜貞定自持,如牛革之固,莫能勝我而說去也,仍小利貞之怡(右下日)也。說,脫同。象曰:執用黃牛,固態也。巽為志,牛革者至固之物,持志如是,貞定極矣,故曰固志。固則不動,不動則不消陽。
六二爻辭:黄牛の革を以て之を執(つな)げば、誰も解き脱する能う者なし。尚氏は解す。「艮」は牛と爲り、无妄の六三の「或いは之に牛を繫ぐ」は即ちこの象である。二爻は中に居りて、中央の色は黄。だから黄牛と言う。『焦氏易林』の既済之艮は「牛羊に伺候す」と言い、同人之无妄は「牛を負いて山に上る」と言う。皆「艮」を以て牛と爲し、これもまた『説卦』に無きの逸象である。「艮」はまた皮革と爲る。「執」とは持守で、止住である。艮は手と爲るがゆえに執と爲る。これは六二がすでに中正を得れば、則ち貞定にして自ら守る當きを言い、牛皮繩のごとく牢固にして、誰も之に勝ちて之を鬆脱せしむる能わず。これはなお卦辭の「小利貞」の意である。「説」と「脱」とは同じ。『小象伝』は言う。黄牛を以て執ぐるは、志の固きなり。尚氏は解す。「巽」は志と爲り、牛皮革は最も堅固の物で、心志を持守することかくのごとし。貞定極點に到る。だから志の固きと言う。牢固なれば則ち動かず、動かざれば則ち陽氣を消損せず。
九三:係遁,有疾厲,畜臣妾,吉。巽為繩,故曰繫;艮止故曰秒遁,言繫戀而不即遁也。巽為疾,三無應,往遇敵,故有疾厲。然下有重陰,承順於三,畜臣妾則吉,艮為臣妾也。巽疾象,詳《履》卦象傳注。艮臣象亦本《易林》,《易林》《決(無左)》之《坎》云君臣擾憂,坎中爻艮震,震為君,艮為臣,故曰君臣擾憂;又《兌》之《艮》云臣圍其君,亦以艮為臣。蓋艮為憧為僕,故為妾;臣與僕古不分,故為臣。由是知《蹇》六二曰王臣塞蹇,《小過》六二曰遇其巨,《易》原以艮為臣也。象曰:繫遭之厲,有疾憊也;畜臣妾吉,不可大事也。《廣韻》:憊,贏困也。陸績云:大事謂天下之政,潛道之世,但可居家,畜養臣妾,不可治國之大事。
九三爻辭:牽繫せられて退避する能わず、疾患危險有り。臣僕侍妾を畜養すれば則ち吉。尚氏は解す。「巽」は繩と爲るがゆえに「繫ぐ」と言い、「艮」は止と爲るがゆえに繫遯と言う。戀戀として捨てずして即座に遁去する能わざるを言う。「巽」は疾と爲り、九三は正應なく、往けば即ち敵體に遇うがゆえに疾厲有り。然るに下に两重の陰爻有りて三に順承す。臣妾を畜養すれば則ち吉。「艮」に「臣妾」の象有るを以てなり。「巽」の疾と爲るの取象は、詳しくは履卦の象伝の注を見よ。「艮」の臣と爲るの象もまた『焦氏易林』に本づく。『夬』之坎は「君臣、擾憂す」と言い、坎の中爻は互出して艮と震と爲り、「震」は君・「艮」は臣と爲るがゆえに君臣擾憂と言う。また『兌』之艮は「臣、其の君を圍む」と言い、同じく艮を以て臣と爲す。艮は僮僕と爲るがゆえに妾と爲り、臣と僕とは古時分かれざるがゆえにまた臣と爲る。これに由って蹇の六二が「王臣蹇蹇」と言い、小過の六二が「其の臣に遇う」と言い、『周易』はもともと艮を以て臣と爲るを知る。『小象伝』は言う。繫遯の厲きは、疾有りて憊(つか)るるなり。臣妾を畜えば吉は、大事を爲す可からざるなり。尚氏は解す。『廣韻』は「憊」は羸弱困頓と言う。陸績は言う。大事とは天下の政務を指し、潛隱退避の時世に在りては、ただ家に居りて臣妾を畜養するのみ、國家の大事を治むる可からず。
九四:好道,君子吉,小人否。虞翻曰:否乾為好為君子,陰稱小人。按四與初有應,好適者,外不與小人絕,當禍患未形之時,從容而遁也。然知幾其神,惟君子能之,若小人則繫戀而不去也,故曰君子吉,小人否。象曰:君子好遁,小人否也。
九四爻辭:退避を好む、君子は吉、小人は及ばず。尚氏は解す。虞翻は言う。否卦の乾は好・君子と爲り、陰は小人と稱す。尚氏は按ずる。九四は初六と應有る。「遯を好む」と謂うは、表面は小人と決絶せず、禍患の未だ形を成さざる時に趁りて、從容として退くを言う。然るに幾微を預見するは神妙の事で、ただ君子のみ之を爲す能くす。もし小人なれば則ち戀棧して去るを肯んぜざるのみ。だから君子は吉・小人は及ばずと言う。『小象伝』は言う。君子は遯を好み、小人は則ち及ばず。
否,不也。小人不肯退,不退則凶咎至矣。九五:嘉道,貞吉。乾為嘉,五居中當位,下有應與,大必適也,乃識微慮遠,及此嘉時而遁焉,故曰貞吉。象曰:嘉遁貞吉,以王志也。五應在二,二互巽,巽為伏,故為心志。虞翻用卦變謂四與初巳易位,三已變成坎,上來之三,成坎為志。夫聖人觀象繫辭,其所用象,乃在三變之後,迂曲如此,使後學鳥從測之哉。
「否」とはすなわち「不」である。小人は退くを肯んぜず、退かざれば則ち凶咎至る。九五爻辭:嘉美なる退避、占問して吉を得。尚氏は解す。「乾」は嘉と爲り、九五は中に居りて位に當たり、下にまた正應有りて、もともと退避の必ずしも要せざりし。然るにそれは微を見て著を知り、深く謀り遠くを慮りて、この嘉良き時に趁りて退避した。だから貞吉と言う。『小象伝』は言う。嘉遯、貞吉なるは、以て志を正しくするなり。尚氏は解す。九五の正應は二に在り、二爻は互出して「巽」を爲し、「巽」は伏と爲るがゆえに「心志」の象有り。これもまた『焦氏易林』の存し『説卦』の未だ載せざる逸象である。虞翻は卦變の説を用いて、四と初とはすでに位を易え、三はすでに變じて坎と爲り、上爻はまた來りて三に居りて坎を成して志と爲すと講ず。聖人は象を觀て辭を繫ぐに、其の用る所の象は、乃ち三重の變動の後に始めて現る。迂曲してかくのごとし。後學をして何處よりか之を測らしめんや。
上丸:肥通,無不利。子夏傳釋肥為饒裕,虞翻以乾盈為肥,皆非。《後漢·張衡傳》注引《淮南九師訓》云:飛而能適,吉孰大焉。《易林》《需》之《遁》云去如飛鴻,《節》之《道》云奮翅鼓翼,王弼云曾(左矢)繳不能及,並皆讀為飛。朱芹引姚寬《西溪叢語》云:肥古作琶,琶蜚同字,是肥即蜚,蜚即飛也。蓋上九居極上,高飛遠引,無有阻隔,故無不利。而乾為行,故為飛,乾九五飛龍在天是也。象曰:肥遁無不利,無所疑也。上九逍遙世外,故無所疑。
上九爻辭:高く飛んで遠く退く、利あらざるなし。尚氏は解す。子夏傳は「肥」を饒裕に解し、虞翻は乾の盈滿を以て肥と爲す。皆非なり。『後漢書・張衡傳』の注が『淮南九師訓』を引いて「飛んで能く遯ぶるは、吉、孰か大ならん」と言い、『焦氏易林』の需之遯は「去ること飛鴻のごとし」と言い、節之遯は「翅を奮い翼を鼓す」と言い、王弼は「矰繳も及ぶ能わず」と言う。併せて皆「肥」を「飛」と讀む。朱芹は姚寛の『西溪叢語』を引いて言う。「肥」は古に別の一つの寫法有り、あの字は「蜚」と同一の字。これで肥は即ち蜚、蜚は即ち飛なるが分かる。上九は全卦の最上端に居り、高く飛び遠く往きて阻隔なし。だから利あらざるなし。然るに「乾」は行と爲り、よってまた飛と爲る。乾の九五の「飛龍、天に在り」は即ちこの象である。『小象伝』は言う。肥遯、利あらざるなきは、疑う所なきなり。尚氏は解す。上九は世外に逍遥す。だから疑う所なし。
大壮卦
大壯,利貞。《雜卦》云:大壯則止。《序卦》云:物不可以終壯,故授之以晉,晉者進也,是亦訓為止,故與進對文。《太玄》擬為格,格,阻也,亦止也;又擬為夷,夷,傷也,故馬、虞訓壯為傷。吳先生曰:傷則必止,二義相因。按《說卦》震為蕃,蕃有閉義,《詩》四國於蕃,箋云蕃屏也;《周禮》大司徒蕃樂,杜子春讀蕃為藩,謂藩閉樂器而不用,是蕃與藩通。大壯之所以為止者,以震藩屏閉在前也。四不應初,二三遇敵,下陽全為四所格阻,故日曰貞,言利於貞定不動也,即止也。不止則傷,四五兩爻是也。鄭、王謂為強盛,然注莫古於十翼,莫精於《太玄》,皆不如是言,疑非《易》本旨。
大壮卦卦辭:正を守るに利あり。尚氏は解す。『雜卦伝』は「大壮は則ち止まる」と言い、『序卦伝』は「物は終りまで壮たる可からず。故に之に晋を受く。晋とは進なり」と言う。晋は前進だから、「壮」もまた止と訓ずるが分かる。よって「進」と對擧して文を成す。揚雄の『太玄』は「格」を以て大壮に擬配し、格は阻で即ち止である。また「夷」を以て擬配し、夷は傷だから、馬融・虞翻は「壮」を傷と訓す。呉先生は言う。傷つけば必ず止まる。二義は相い因依す。尚氏は按ずる。『説卦』は震は蕃と爲ると言い、「蕃」に閉塞の義有り。『詩經』の「四國は蕃に於てす」は、鄭箋は蕃は即ち屏障と言う。『周禮』の大司徒に「蕃樂」有り、杜子春は「蕃」を「藩」と讀み、樂器を圍閉して用ゐざるを指す。これで蕃と藩とは通ずるが分かる。大壮が「止」の義を取る所以は、まさに震の藩籬屏障が前に閉ざるを以てなり。九四は初九と應ぜず、二・三はまた敵體で、下の陽爻は全て四爻に格阻せらる。だから「利貞」と言い、貞定して動かざるに利ありを言う。即ち止である。止まらざれば傷を受く。四・五の両爻はまさにかくのごとし。鄭玄・王弼は「壮」を强盛と講ずるに、然るに『易』を解する注は『十翼』より古きは莫く、また『太玄』より精なるは莫し。彼らは皆かくのごとく言わず。恐らく『周易』の本旨に非ざるか。
象曰:大壯,大者壯也,剛以動,故壯。大壯利貞,大者正也,正大而大地之情可見矣。大謂乾,乾在下為四所格,故曰大者壯也。蓋剛宜靜,剛而動必多阻格,釋壯之故也。利貞者,貞定。《乾》象傳云:各正性命,保合太和,乃利貞。天地之情,本如是也。象曰:雷在天上,大壯。君子以非禮弗履。震為履,震履乾,即卑履尊,非禮甚矣。陸績曰:君子見卑履尊,終必消除,故以為戒。大象每相反為義,此其一也。
『彖伝』は言う。大壮とは、大なる者の壮なり。剛健にしてまた能く動く、だから壮。大壮、利貞とは、大なる者の正なり。正にして大なれば、天地の實情は見る可きなり。尚氏は解す。「大」とは乾を指し、乾は下卦に在りて九四に格阻せらるがゆえに大なる者は壮と言う。剛はもともと靜に宜しく、剛にして妄動すれば必ず阻格多し。これは「壮」の由を釋す。「利貞」とは即ち貞定である。乾卦の『彖伝』は「各々性と命とを正しくし、太和を保合して、乃ち利貞」と言う。天地の實情はもともとかくのごとし。『大象伝』は言う。雷、天の上に在るは大壮。君子は以て礼に非ざれば履(ふ)まざるなり。尚氏は解す。「震」は履と爲り、震は乾を履めば、即ち卑なる者が尊なる者を踐踏す。礼に非ざること甚だし。陸績は言う。君子は卑の尊を履むを見て、終りには必ず消除せらるるを知り、故に以て自ら戒めと爲す。『大象伝』は常に相反する一面より義を立つ。これは即ち其の一例である。
初九:壯于趾,征凶,有年。初應在四,四震為趾,乃四亦陽,初失應,故壯于趾,言趾有所阻格也。又二三亦陽,陽遇陽則窒,故征凶。有二,《說文》:有,不宜有也,《春秋傳》日月有食之是也。依《說文》,有孚者,謂不宜於有也,即不孚也,正與象辭孚窮之義合也。象曰:壯于趾,其孚窮也。初得敵,無應,故孚窮。九二:貞吉。二得中,故貞吉,與下貞歷為對文。象曰:九二貞吉,以中也。二承乘皆陽,得敵,似不吉,然而言者,以位中也。
初九爻辭:足趾に壮を現す、出征すれば凶、孚有り(源文の「有年」はすなわち「有孚」)。尚氏は解す。初九の正應は九四に在り、四爻は震體に屬し、「震」は趾と爲る。然るに四もまた陽爻だから、初九は應を失う。だから趾に壮ありと言い、足趾が阻格を受けたを言う。二・三もまた皆陽で、陽は陽に遇えば則ち窒塞して通ぜず。だから出征すれば凶。「有」の字は『説文』が「有とは宜しく有る可からざるなり」と言い、『春秋』經傳の「日月、之を食する有り」は即ちこの種の用法。そして『易』の中の「孚有り」は、孚有るべからざるを言い、即ち孚ならず。まさに『小象伝』の「孚、窮まる」の義と相合す。『小象伝』は言う。趾に壮有るは、其の孚、窮まるなり。尚氏は解す。初九は敵體の中に處りて正應なし。だから孚は窮まる。九二爻辭:占問して吉を得。尚氏は解す。九二は中を得るがゆえに貞吉。下文の九三の「貞厲」と對擧して文を成す。『小象伝』は言う。九二、貞吉なるは、以て中なり。尚氏は解す。九二は上承・下乗するは皆陽爻にして敵體と爲り、似て不吉なれど、然るになお吉と言うは、其の位が中に在るを以てなり。
九三:小人用壯,君子用罔,貞歷,羝羊觸藩,贏其角。三應在上,小人謂上六,君子謂三。乃上六慾應三,而為五所格,故用壯;三欲應上,而為四所格,故用罔。目,無也,言三上皆失其用也,故卜問歷。中爻互兌,故曰羊;四震為藩;贏,纏繞也;三在下卦之上,於交象為角。羝羊觸藩,贏其角者,言三欲上升,為九四所阻格,若羝羊以角觸藩而不能決,角反為藩所困也。荀爽以五為角,五為角,則藩已決矣,胡有贏象哉。震藩象,《易林》《乾》之《豐》云藩屏周衛,《同人》之《師》云藩屏湯武,皆以震為藩,而藩與蕃通,《說卦》震為蕃,即《易林》所本也。象曰:小人用壯,君子罔也。罔猶否也。
九三爻辭:小人は蛮力を用い、君子は則ち施用する所なし。占問して危險有り。牡羊は藩籬に觸れて、角は纏はれれり。尚氏は解す。九三の正應は上六に在り、「小人」は上六を指し、「君子」は九三を指す。上六は三に應ぜんと欲すれど六五に格せられて用壮と爲り、九三は上に應ぜんと欲すれど九四に格せられて「罔を用う」と爲る。「罔」とは即ち無で、三と上とが皆其の施用の地を失うを言うがゆえに卜問して危險有り。中間の各爻は互出して「兌」を爲すがゆえに羊と言い、四爻は震體に屬し、「震」は藩と爲り、「羸」とは纏繞で、三は下卦の上に在りて爻象に按ずれば角と爲る。「牡羊、藩に觸れて其の角を羸す」とは、九三が上に升らんと欲するも九四に阻格せられ、牡羊が角を以て藩籬に觸れて決開する能わず、角はかえって藩籬に困るがごときを言う。荀爽は五爻を以て角と爲すが、五はもし角ならば、藩籬は早くも撞き開かれ、何處にか纏角の象あらんや。「震」の藩と爲るの象は『焦氏易林』より出づ。乾之豐は「藩屏、周の衞」と言い、同人之師は「藩屏、湯武」と言い、皆震を以て藩と爲す。然るに藩と蕃とは相い通じ、『説卦』が震は蕃と爲ると言うは、まさに『易林』の取象の根拠である。『小象伝』は言う。小人は壮を用い、君子は罔なり。「罔」とは猶お「否」のごとし。
九四:貞吉,悔亡,藩決不贏,壯於大典之復(左車)。四前監重陰利往,故貞吉無悔,故藩決不贏。震為輿,為復(左車)。象曰尚往,是四往五也。四往五,震象毀,而兌為毀折,故曰壯于大輿之復(左車)。蓋卦以止為義,藩決則進,進則有傷,五爻喪羊相因而至矣。虞翻因不知復(左車)象,氦復(左車)為腹,非。
九四爻辭:占問して吉を得、悔恨は亡び、藩籬は撞き開かれて角はもはや纏はれず、壮は大車の車軸(輹)に現る。尚氏は解す。九四は前に两重の陰爻に臨みて前往に利あるがゆえに貞吉にして悔なし。だから藩は決して羸せず。「震」は輿と爲り、また車軸と爲る。『小象伝』が「上に往く(尚往)」と言うは、即ち四は五に往くを言う。四は五に往けば震象は毀れ、然るに「兌」は毀折と爲るがゆえに大輿の輹に壮ありと言う。この卦は「止」を以て義を立つ。藩籬は一たび開けば即ち前進し、前進すれば傷損有り。六五の「羊を喪う」の凶は便ち踵を接して至る。虞翻は車軸の象を解せざるに因り、「輹」を「腹」と講ず。誤りである。
象曰:藩決不贏,尚往也。尚往言上進居五。六五:喪羊于易,無悔。兌為羊,兌毀折故喪羊。易,《釋文》云陸作場,謂疆場也,古文往往如是。《說文》場,田畔也。《詩·小雅》疆場有瓜。喪羊於場,言喪羊于田畔也。諸家作難易解,不辭甚矣。惟場象無有詳者,按震為阪,《說文》阪,坡也,山協也,《詩·小雅》瞻彼阪田,場既為田畔,疑仍震象也。然雖喪羊,下有應得中,亦無悔也。象曰:喪羊于易,位不當也。位不當,釋喪羊之故也。
『小象伝』は言う。藩は決して羸せずは、上に往かんと欲するなり。尚氏は解す。「尚往」とは上進して五位に居るを言う。六五爻辭:田界の上に於て羊を喪う、悔なし。尚氏は解す。「兌」は羊と爲り、兌はまた毀折を主るがゆえに羊を喪う。「易」の字は『經典釋文』が陸德明の本は「埸」と作りて田界を指し、古文は常にかくのごとく寫すと言う。『説文』は「埸」は田畔と言い、『詩經・小雅』に「疆埸に瓜有り」有り。「埸に於て羊を喪う」とは、田界の上で羊を喪ったを言う。諸家が之を難易の易に解するは、言に成らざること甚だし。ただ「埸」の取象を講じ明らかにする者なし。按ずるに「震」は阪と爲り、『説文』は阪は坡で、山の脇なりと言い、『詩經・小雅』に「彼の阪田を瞻る」有り。埸はすでに田畔なれば、恐らくなお震象か。羊を喪うと雖も、然るに下に正應有りてまた中位に居るがゆえに、すなわち悔なし。『小象伝』は言う。易に於て羊を喪うは、位、當たらざるなり。尚氏は解す。位、當たらずとは、まさに羊を喪うの由を釋す。
上六:羝羊觸藩,不能退,不能遂,無攸利,艱則吉。卦全體兌象,故仍曰抵羊。上欲應三,而為五所格,五亦陰得故。三之藩在四,上之藩在五,故退欲來三,為藩所阻;進欲前往,而道已窮,故不能退不能遂。巽為利,巽伏故無攸利。然上當位有應,艱貞自守,終吉也。象曰:不能退,不能遂,不詳也;艱則吉,咎不長也。《釋文》云:詳,審也,審慎也。言不能退不能遂之故,咎在不慎審於始而妄動也。鄭、虞、王肅、王弼皆釋詳為善,於義亦通。三上為正應,終必和合,故曰咎不長。
上六爻辭:牡羊は藩籬に觸れて、退く能わず、遂ぐる能わず。攸に利なし。艱難に處して正を守れば則ち吉。尚氏は解す。全卦は通體兌の象有るがゆえに、なお牴羊と言う。上六は九三に應ぜんと欲すれど六五に格せらる。五もまた陰にして敵體と爲るを以てなり。九三の藩籬は四爻に在り、上六の藩籬は五爻に在る。だから退きて三に來らんと欲すれば藩に阻まれ、進みて前に往かんと欲すれば道はすでに窮まる。だから退く能わず遂ぐる能わずと言う。「巽」は利と爲り、巽は伏して顯れざるがゆえに攸に利なし。然るに上六は當位してまた正應有り。艱難の中に正を守りて自ら持せば、終りには吉を得。『小象伝』は言う。退く能わず遂ぐる能わざるは、審詳ならざるなり。艱難すれば則ち吉は、咎は長からざるなり。尚氏は解す。『經典釋文』は「詳」は審で、慎審なりと言う。これは退く能わず遂ぐる能わざるの由を言い、咎は始めに於て謹慎審察せずして妄動したに在る。鄭玄・虞翻・王肅・王弼は皆「詳」を善に解す。義理の上でも講じ通る。三と上とは正應で、終りには必ず和合す。だから咎は長からずと言う。
晋卦
晉,康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。離出地居五,南面響明而治,故曰晉。晉,進也。四諸侯。康,美也,大也,《禮·祭統》康周公注:康猶褒大也。《易林》《隨》之《恆》云:實沉參虛,封為康侯。康侯略如大侯,為諸侯之美稱,猶《詩》之言齊侯、言平王也。坎為馬,坤亦為馬;坎為眾,坤亦為眾,故曰用錫馬蕃庶。艮為手故曰錫,錫,予也,言康侯恭順,來賓于王,錫賁眾多。《雜卦》晉,晝也。艮為手,數三,離為晝,故曰晝日三接。侯果曰:《大行人》職曰,諸公三晌三問三勞,諸侯三響再問再勞,於男三晌一問一勞,即天子三接諸侯之禮也。晝日三接,即一晝三覿也。
晋卦卦辭:康侯は賜う所の車馬蕃庶を獲、一日の中に三たび接見を受く。尚氏は解す。離は地より出でて五位に居り、南面して明に向かいて天下を治むがゆえに「晋」と曰う。「晋」とは即ち進である。四爻は諸侯と爲る。「康」は美で、大である。『礼記・祭統』の「康周公」に鄭注は「康」は猶お褒大なりと言う。『焦氏易林』の随之恒は「實沈・參虚、封じて康侯と爲る」と言う。「康侯」は大略、大侯に等しく、諸侯の美稱で、猶お『詩經』の齊侯と言い・平王と言うがごとし。「坎」は馬と爲り、「坤」もまた馬と爲り、「坎」は衆と爲り、「坤」もまた衆と爲るがゆえに、馬を錫(たま)うこと蕃庶と言う。「艮」は手と爲るがゆえに「錫」と言い、錫とは即ち給與で、康侯が恭順にして來りて天子に朝覲し、受くる所の賞賜は甚だ豐厚なるを言う。『雜卦伝』は晋は晝なりと言う。「艮」は手と爲り、其の数は三。「離」は晝と爲るがゆえに晝日、三接すと言う。侯果は言う。『周禮・大行人』の職文は言う。諸公を接するは三饗・三問・三勞し、諸侯を接するは三饗・再問・再勞し、子男を接するは三饗・一問・一勞す。即ち天子が諸侯を三接するの礼である。「晝日、三接す」とは即ち一日の中に三たび相見る。
象曰:晉,進也,明出地上,順而麗乎大明,柔進而上行,是以康候用錫馬蕃庶,晝日三接也。明出地上謂離,順謂坤,柔進而上行謂五,進居地上,得君位也。象曰:明出地上,晉。君子以自昭明德。
『彖伝』は言う。晋とは即ち前進で、光明は地より出でて上に在り、柔順にして大明に麗り、柔爻は上進して尊位に居る。是を以て康侯、馬を錫うこと蕃庶を用い、晝日、三接するなり。尚氏は解す。光明が地より出でて上に在るとは離を指し、「順」とは坤を指し、「柔進して上行す」とは六五を指し、前進して地上に居りて君位を得るを言う。『大象伝』は言う。明、地より出でて上に在るは晋。君子は以て自ら其の明德を昭(あきら)かにす。
二無應,進遇坎,坎為憂,故曰愁如。貞吉者,卜問吉也。介,虞、九家皆訓為大。坤為母,伏乾為大、為福、為王,故曰受茲介福于其王母。王母謂二,言二雖不宜於進,然得中為坤本位,必受此大福也。舊解謂王母指六五,六五亦陰,焉能福二,故夫陰遇陰、陽遇陽,敵應之理不明,說《易》無不誤也。象曰:受茲介福,以中正也。言二所以受茲大福者,以得此中正之位也。若六五則中而不正,各家因曰王母疑非五莫能當,豈知下坤方為母,伏乾故曰王母,《易林》此例甚多也。
この節は晋の六二爻辭「晋如、愁如、貞吉、茲の介福を其の王母に受く」を解すに、底本はこの句の爻辭を脫去す。尚氏は解す。六二は正應なく、前進してまた坎に遇い、「坎」は憂と爲るがゆえに愁如と言う。「貞吉」とは占問して吉を得るを言う。「介」は虞翻と九家易とが皆大と訓す。「坤」は母と爲り、坤の下に伏する乾は大・福・王と爲るがゆえに、茲の介福を其の王母に受くと言う。「王母」は六五ではなく、六二自身の居る坤體を指し、二爻は前進に宜しからざると雖も、然るに中を得て坤の本位に居るがゆえに、必ずこの大福を承受す。旧注は「王母」は六五を指すと言うに、六五もまた陰爻にして、焉んぞ二爻に福を降す能わんや。これで陰が陰に遇い・陽が陽に遇えば便ち敵體と爲るの道理を明らかにせざれば、『易』を講ずるに誤らざるなしと分かる。『小象伝』は言う。茲の介福を受くるは、以て中正なり。尚氏は解す。これは六二が大福を承受する所以は、中正の位を得るを以てなりを言う。六五に至っては、中に居るも正を得ず。各家はこれに因って「王母」は五爻をおいて当たる者莫しと言うが、彼らは知らざりしことに、下の坤こそが母で、坤の中に乾が伏するがゆえに「王母」と稱す。『焦氏易林』にこの種の例は甚だ多し。
六三:眾允悔亡。施氏於《升》初六允升,讀作允(A:左上山左下卒),就允(A)進也,此允字當與之同,故吳澄亦讀作眾允(A)。眾斯允(A)者眾進。坤為眾,言群陰並進而承陽也,故曰悔亡。虞翻詁允為信,朱子從之,與象傳上行之義不合。象曰:眾克之志,上行也。坎為志,上行謂進而承陽,即釋允(A)義,可見施讀合也。
六三爻辭:衆人は一齊に上進し、悔恨は亡ぶ。尚氏は解す。施氏は升卦の初六の「允(まこと)に升る」の處で「允」を別の一字(上山下卒の形、原書この字を缺き、僅かに字形の描述を存す)と讀み、あの字は即ち「進」の意である。ここの「允」の字は当に之と同じくすべく、だから呉澄もまた「衆進」と讀む。「衆允」とは即ち衆人が一齊に前進す。「坤」は衆と爲り、群陰が肩を竝べて上進して陽爻を承奉するを言うがゆえに、悔恨は亡ぶ。虞翻は「允」を誠信と訓し、朱熹は此の説に從うが、『小象伝』の「上行」の義と合せず。『小象伝』は言う。衆の進むの志は、上に行くなり。尚氏は解す。「坎」は志と爲り、「上行」とは前進して陽爻を承奉するを指し、まさにあの「進」の字を釋す。これで施氏の讀法が正しいが分かる。
九四:晉如鼠,貞厲。《釋文》子夏傳作碩鼠,雲五技鼠也,古蓋音同通用。艮為鼠,為穴,坎為盜。鼠居穴中,伺隙盜竊,晝伏夜動。四失位,前臨夷主,下擁萬民,而坎為隱伏,為畏怯,欲進居五,恐下民生疑;欲下應初,又恐失五位,進退周章,有類於碩鼠,故貞厲也。象曰:碩鼠貞厲,位不當也。位不當,即謂不中不正。
九四爻辭:前進すること鼫鼠のごとく、占問して危險有り。尚氏は解す。『經典釋文』は子夏傳は「碩鼠」と作り、五種の技能を持つ鼠の一種と言い、古時は蓋し音同じくして通用した。「艮」は鼠・穴と爲り、「坎」は盗と爲る。老鼠は洞穴の中に住み、隙を伺いて竊盜し、晝は藏伏して夜は活動す。九四は位を失い、前に畏るべき君主に臨み、下に萬民を擁し、然るに「坎」は隱伏・畏怯と爲る。彼が上進して五位に居らんと欲すれば、下民の疑を生ぜんを恐れ、下りて初六に應ぜんと欲すれば、また五位を失わんを恐る。進退は周章して、甚だ碩鼠に類似す。だから占問して危險有り。『小象伝』は言う。碩鼠、貞厲なるは、位、當たらざるなり。尚氏は解す。位、當たらずとは、即ち中に居らずして正を得正を得ざるを謂う。
六五:悔亡,矢得勿恤,往吉,無不利。六五得尊位,晌明而治,故侮亡。矢,輔嗣作失,茲從孟、馬、荀、虞、鄭、王肅諸家。坎為矢,五坎體,是得矢也;坎為恤,得矢為用,故勿恤;承陽故往吉。坎矢象,《噬嗑》九四云得金矢,以坎為失也,《易林》常用,乃至漢末竟失傳。象曰:矢得勿恤,往有慶也。往遇陽,故曰往有慶。虞翻強命五變得乾為有慶,豈知六五上下皆乾陽,五居其中,往承陽故有慶;若五變為陽,往遇陽得敵,尚能有慶哉。
六五爻辭:悔恨は亡び、矢を得て憂うる勿れ、往けば吉を得、利ならざるなし。尚氏は解す。六五は尊位を得て、明に向かい面して天下を治むがゆえに悔亡ぶ。「矢」の字は王弼本は「失」と作るが、ここでは孟喜・馬融・荀爽・虞翻・鄭玄・王肅の諸家に依從す。「坎」は矢と爲り、五爻は坎體の中に在るがゆえに矢を得と爲る。「坎」はまた恤と爲り、矢を得れば正しく施用可きがゆえに恤(うれ)う勿れと言い、上に陽爻を承くるがゆえに往けば吉。「坎」の矢と爲るの象は、噬嗑の九四が「金矢を得」と言うもまた坎を以て矢と爲り、『焦氏易林』は常に之を用うるに、漢末に至ってついに失伝した。『小象伝』は言う。矢を得て恤う勿れは、往きて慶有るなり。尚氏は解す。往きて陽爻に遇うがゆえに往きて慶有りと言う。虞翻は強いて五爻を變じて乾と成さしめてこそ慶有りと算えんとすが、彼は知らざりしことに、六五の上下は皆乾陽で、五は其の中に居り、往きて陽爻を承奉するがゆえに慶有り。もし五が陽爻に變ぜば、往きて陽に遇えば敵體と成りて、なお慶有るを談ず可けんや。
上九:晉其角,維用伐邑,厲吉,無咎,貞吝。爻例上為角,故曰晉其角。坤為邑。《離》上九云王用出征,有嘉折首,是離有征伐象,蓋離為甲兵,故維用代色。然下應柔爻,故必振厲方吉元咎,以不全吉,故貞吝。象曰:維用伐邑,道未光也。離為光明,至上光將熄矣。夫王道大光,則無用征伐,用征伐必未光也。
上九爻辭:前進して角上に到る。邑國を討伐するに用うる可きのみ。危厲戒懼して後に吉、咎なし。占問して吝有り。尚氏は解す。爻位の例に按ずるに、上爻は角と爲るがゆえに其の角を晋すと言う。「坤」は邑と爲る。離卦の上九は「王、出征を用い、嘉にして首を折る有り」と言う。これで離に征伐の象有るが分かる。「離」は甲兵と爲るがゆえに、ただ邑國を討伐するに用うる可きのみ。然るに下に柔爻に應ずるがゆえに、必ず振厲戒懼してこそ吉を得咎なし。全く吉利ならざるを以て、占問して吝有り。『小象伝』は言う。邑を伐つを維れ用うるは、道、未だ光ならざるなり。尚氏は解す。「離」は光明と爲り、上爻に至れば光は將に熄めんとす。王道が大いに光明なれば、則ち征伐を用うるなし。征伐を動用すれば、必ず道の未だ光大ならざるを言う。
明夷卦
明夷,利艱貞。鄭云:夷,傷也。日出地上,其明乃光,至其人地,明則傷矣。按二至四互坎,故曰艱;坤安故曰貞。利艱貞者,言當明夷之世,宜以艱苦貞定自守也。象曰:明入地中,明夷。內文明而外柔順,以蒙大難,文王以之。利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。
《明夷》の卦辞:艱難の中で正道を守るのが利である。尚氏の解:鄭玄は「夷」は傷だと言う。太陽が地上に出ればその光は輝くが、地に入れば光明は傷つく。尚氏按:二から四爻は互卦として「坎」を成し、坎は険難なので「艱」と言い、「坤」の性は安順なので「貞」と言う。「利艱貞」とは明夷の世に身を置くとき、艱苦と貞定をもって自守すべきことを言う。彖伝:光明が地中に入るのが《明夷》である。内に文明を持ち外に柔順を示し、それゆえ大きな難に遭うが、文王はまさにこうであった。利艱貞とは、自らの明を晦ますことであり、内難の中にあってもその志を正しくできたのは、箕子がまさにこうであった。
離文明,坤柔順,離內坤外,故曰內文明而外柔順。坎為難,故曰以蒙大難。坤為文,震為王,故曰文王。文王國羌里,幾經艱難,而後出之,故日以蒙大難。坤為黑,坎為隱伏,明伏地下,故曰晦其明。坎在下,故曰內難。坎為志為正,故曰內難而能正其志。震為子為箕,故曰箕子。《易林》《賁》之《屯》云:章甫薦履,箕子佯狂,以屯震為箕子也。箕子紂請父,故曰內難。紂囚箕子,箕子佯狂為奴,晦明不用,僅以身免,故曰箕子以之,以,用也。《易》凡於人名地名,無不從象生,除焦延壽外,無知此者。震箕象形,《易林》屢用。象曰:明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。象曰:君子于行,義不食也。初潛龍勿用,況當明夷之世,方自晦之不暇,當然不得祿食也。
尚氏の解:「離」は文明、「坤」は柔順であり、離が内、坤が外にあるので、内に文明で外に柔順と言う。「坎」は難なので、以て大難に蒙ると言う。「坤」は文、「震」は王であり、合わせて「文王」と言う——文王は羑里に囚われ、艱難を経て後に脱することができたので、以て大難に蒙ると言う。「坤」は黒、「坎」は隠伏であり、光明が地下に潜伏するので、其の明を晦ますと言う。坎は下卦にあるので、内難と言う。「坎」は志、正であるので、内難にあって其の志を正しくできると言う。「震」は子、箕であるので「箕子」と言う。《焦氏易林》《賁》之《屯》に「章甫荐履、箕子佯狂」とあるのは、まさに屯卦の震を箕子としている。「震」の字形はまさに簸箕に似ており、《焦氏易林》はたびたびこれを用いる。箕子は紂王の諸父なので内難と言い、紂が箕子を囚え、箕子は狂を装って奴となり、その明を晦まして用いず、ただ一命を全うしただけなので、箕子之を以てすと言い、「以」は用の意である。《周易》の人名・地名はすべて卦象から生じるもので、焦延寿以外にこれを知る者はいない。大象伝:光明が地中に入るのが《明夷》であり、君子はこれに倣い、衆を臨むに晦まして用い、かえって明らかになる。小象伝:君子が行くに、義において禄食を受けない。尚氏の解:初爻はもともと潜龍勿用の位であり、まして明夷の世にあっては、自ら韬晦するだけでも足りないのだから、俸禄を受けることはもちろんできない。
六二:明夷于左股,用拯馬壯吉。《釋文》云:股,馬、王肅作般。孫堂云:般,盤之省,漢碑盤字常作股,股常作般,然則馬、王雖作般,義仍作股,漢時般、股通用不分也。互震為左,巽為股,巽伏不見,故曰夷于左股。三震為馬。拯,鄭云承也,子夏傳作升,仍音承。用拯馬壯吉者,言二承三,三陽,故壯吉也。舊解獨惠棟謂馬謂三,而謂三升二故壯,則又非。承者順,謂陰順陽,象釋曰順,即釋拯義也。象曰:六二之吉,順以則也。則者法也,陰以陽為則。順以則,謂陰順陽,釋拯馬之義也。乃舊解皆不知其所謂,故愈說愈晦。豈知象以解經,順即謂拯也。
六二爻辞:光明が傷つくのは左腿であり、救援に用いる馬が壮健であれば吉。尚氏の解:《経典釈文》は「股」の字を馬融・王粛本では「般」とすると言う。孫堂曰く:「般」は「盤」の省文で、漢碑では「盤」をしばしば「股」と書き、「股」をしばしば「般」と書く。ならば馬・王二家は「般」と書いても取る義はやはり「股」であり、漢代は般・股が通用して分かれなかった。互体の「震」は左、「巽」は股であり、巽は伏して顕れないので、左股を傷つと言う。三爻は震に属し、「震」は馬である。「拯」は、鄭玄は承と言い、子夏伝は「升」と作るが、読みはやはり「承」と同じ。「用拯馬壮吉」とは、六二が九三を上承し、三は陽爻なので壮にして吉である。旧注でただ恵棟だけが馬を三爻と言うが、三が二に升るから壮だと説くのはまた誤りである。「承」は順であり、陰が陽に順うことを指す。小象伝が一個の「順」の字で解くのは、まさに「拯」の義を解いている。小象伝:六二が吉なのは、柔順にして法則に合うからである。尚氏の解:「則」は法であり、陰は陽を法則とする。「順以則」とは陰が陽に順うことで、まさに「拯馬」の義を解している。旧注はみな何を言っているか分からず、説けば説くほど晦渋する。象伝はもともと経を解くためのもので、「順」が言うのは「拯」であることを、どうして知らないのか。
九三:明夷於南,句狩,句得其大首,不可疾,句貞。三遇坤,坤為夜為黑,震為南。《左傳》成十六年,晉筮遇《復》曰南國戚(左足),以坤為國,震為南也。三南遇坤,故曰明夷於南。震為狩為大,坎為首為獲,故曰得其大首,言得其渠率也。《詩·大雅》吳天疾威,傳:疾猶急也。不可疾,言雖得其大首,不可持之過急也。貞謂宜安定也,疾與貞相對為義。舊讀疾貞連文,九家謂不可疾正,最為害理,獨項氏《玩辭》以貞自為句,與經義合。又舊讀以南狩連文,義亦不協。象曰:南狩之志,乃大得也。陽遇陰故大有得。
九三爻辞:光明が傷つくのは南方において(「于南」は自ら一つの句)、出猟して(「狩」は自ら一つの句)、その首領を擒えた(この下で句を断つ)が、急いで事を運んではならない、占問(「貞」は自ら一つの句)。尚氏の解:三爻は上に坤に遇い、「坤」は夜、黒であり、「震」は南である。《左伝》成公十六年、晋人が筮して《復》卦を得たとき、辞に「南国蹙」とあるのは、まさに坤を以て国とし、震を以て南としている。三爻が南に向かって坤に遇うので、明夷于南と言う。「震」は狩、大であり、「坎」は首、獲であるので、其の大首を得と言い、相手の首領を擒えたことを言う。《詩経・大雅》に「昊天疾威」とあり、毛伝は:疾は急に似たりと言う。「不可疾」とは首領を擒えたとはいえ、事を運ぶに急いではならないことを言う。「貞」は安定すべきことを言い、「疾」と「貞」は対挙して義を成す。旧読は「疾貞」を連ねて一句とし、九家易は「不可急正」と説くが、最も義理を傷つける。ただ項安世《周易玩辞》が「貞」を独立して句とし、経義に合う。旧読はまた「南狩」を連ねて一句とするが、義においても協わない。小象伝:南狩の志は、大いに得るところがある。尚氏の解:陽が陰に遇うので大いに得るのである。
六四:入于左腹,獲明夷之心,于出門庭。震為左,坤為腹,為門庭,為心。四坤體,故曰人於左腹。坤閣故曰獲明珍之心于出門庭。震為出,言行至四人坤,悉明夷之故,正在於是也。四當位有應,故無吉凶。坤心之象,《益》九五云有孚惠心,心調二,二坤體也;又《益》九五象云大得志,志亦謂坤,故《易林》《需》之《否》云志如死灰,以坤為死為志。人第知坎為心志,不知坤亦為心志,故《易》辭多誤解。象曰:入于左腹,獲心意也。坤為心意,故曰獲心意。舊解多以三升五成坎為心意,穿鑿無理,不可從。
六四爻辞:左腹に入り、明夷の心を探り得て、門庭から出て行く。尚氏の解:「震」は左、「坤」は腹、門庭、心である。四爻は坤体にあるので、于左腹に入ると言う。坤はまた閉蔵する所なので、門庭を出る際に明夷の心を獲たと言う。「震」は出であり、四爻に至って坤中に入れば、明夷の由来はすべてここで明らかになる。六四は当位でかつ正応があるので、爻辞は吉凶を言わない。「坤」が心の象であることは:《益》九五に「有孚恵心」とあり、その「心」は六二を指し、二爻はまさに坤体にある。《益》九五の小象にまた「大得志」とあり、「志」もまた坤を指す。だから《焦氏易林》《需》之《否》に「志如死灰」とあるのは、まさに坤を以て死、志としている。人々は坎が心志であることだけを知り、坤もまた心志であることを知らないので、《周易》の辞句は多く誤解されてきた。小象伝:于左腹に入るは、心意を獲たり。尚氏の解:「坤」は心意なので、心意を獲たと言う。旧注は多く三爻が五爻に升って坎を成すと説くが、穿鑿で理がなく、従うべきではない。
六五:箕子之明夷,利貞。震為箕子已見前。據《易林》,此箕子則孩子也。《決(左無)》之《中孚》云:道路不通,孩子心饋。以中孚互震為孩子。又《家人》之《龔》云:孩子貪餌。以伏震為孩子。又《損》之《大畜》云:嬰兒孩子,未有知識。以大畜上艮為嬰兒,互震為孩子。凡《易林》取象,無不本之《易》,《易》他處無孩子象也。
六五爻辞:箕子のように光明が傷つき、正道を守るのが利。尚氏の解:「震」は箕子であり、前にすでに述べた。《焦氏易林》によると、ここの「箕子」は実は「孩子」である。《夬》之《中孚》に「道路不通、孩子心憒」とあるのは、中孚の互体の震を以て孩子としている。《家人》之《豊》に「孩子貪餌」とあるのは、伏震を以て孩子としている。《損》之《大畜》に「嬰児孩子、未有知識」とあるのは、大畜の上体の艮を以て嬰児、互体の震を以て孩子としている。凡そ《易林》の取象は、すべて《周易》に本づくのに、《周易》の他の所には「孩子」の象がなく、この象は《明夷》のこの爻から出るほかないことが分かる。
宋吳械《韻補》云:古亥字音喜亦音其。按亥字既讀為其,則其字亦必讀為亥。《淮南子·時則訓》A (?)萁隧火,高誘注:萁讀為該備之該,即A(?) 該燧火也。真既讀為該,於是亥、孩、刻、亥(上草),與其、箕常通用。《書·微子》我舊雲刻子,《論衡》作我舊雲孩子,孩子謂紂,言久知其愚蒙昏饋(左 )也,是應為孩子而作刻子。《墨子·非攻篇》紂播棄黎老,賊誅孩子,是孩子即箕子。古之所謂誅,不盡是殺,賊誅孩子,即幽囚箕子也,是應為箕子而作孩子。
宋人の呉棫《韻補》曰く:古の「亥」の字の読みは「喜」と同じく、また「其」と読む。すでに「亥」の字を「其」と読み得るなら、「其」の字も必ず「亥」と読み得る。《淮南子・時則訓》に「爨萁燧火」とあり、高誘注:萁は該備の「該」と読む、すなわち「該燧火」である。「亥」がすでに「該」と読むので、亥・孩・刻・荄の一組の字は、其・箕と通用する。《尚書・微子》に「我旧云刻子」とあり、《論衡》は引いて「我旧云孩子」と作り、「孩子」は紂王を指し、早くからその愚昧昏聵を知っていたと言う。本は「孩子」と作るべきところを「刻子」と書いたのが見える。《墨子・非攻篇》に紂が「播棄黎老、賊誅孩子」とあり、ここの「孩子」はすなわち箕子である。古人の言う「誅」はすべて殺すことではなく、「賊誅孩子」はすなわち箕子を幽囚することで、本は「箕子」と作るべきところを「孩子」と書いたのが見える。
故此處六五之箕子,漢趙賓又作亥(上草)茲。夫《墨子》以孩子作箕子,則《明夷》六五之箕子,《易林》作孩子,正與《墨子》合,與《論衡》同,孩子皆謂紂也。孩、箕、刻、亥(上草),皆非訛字,以音同古通用,猶盤桓之盤,或作盤,作盤(下木),作般,皆非訛字也。《易林》云:嬰兒孩子,未有知識。釋孩子之義也。六五天子位,孩子之明夷,謂紂昏蒙。惟其指紂,故象傳推及於文王箕子;不然,象傳之箕子,胡以無一異讀哉。故《易林》《垢(左女)》之《明夷》云:西戎為疾,幽君去室。《明夷》六五君位,坤黑,故曰幽君;坎為室,六五在坎外,故曰幽君去室。幽君即釋孩子之義。又《困》之《明夷》,邃態作云:蒙覆大臣。坤為雲,亦釋昏蒙之義。
だからここの六五の「箕子」は、漢の趙賓はまた「荄茲」と書く。《墨子》がすでに「箕子」を「孩子」と書くのだから、《明夷》六五の「箕子」を《易林》が「孩子」と書くのは、まさに《墨子》と合し、また《論衡》とも同じで、これらの「孩子」はみな紂王を指す。孩・箕・刻・荄のこれらの書き方はみな訛字ではなく、ただ音が同じで古に通用しただけで、「盤桓」の「盤」が、あるいは盤と書き、槃と書き、般と書くのがみな訛字でないのと同じである。《易林》に「嬰児孩子、未有知識」とあるのは、まさに「孩子」の義を解している。六五は天子の位であり、「孩子之明夷」は紂王が昏昧蒙蔽していることを言う。それが紂を指すからこそ、象伝は話を文王と箕子に推し及ぼしたのであり、そうでなければ象伝の「箕子」に、どうして一個の異読もないのか。だから《易林》《姤》之《明夷》に「西戎為疾、幽君去室」とある:《明夷》六五は君位であり、「坤」は黒なので幽君と言い、「坎」は室であり、六五は坎体の外にあるので、幽君室を去ると言う。「幽君」はまさに「孩子」の義を解している。また《困》之《明夷》に「雲蒙覆大臣」とあり、「坤」は雲であり、これも昏蒙の義を解している。
又《京房易傳》《明夷》云:君暗臣明,不可止。君暗謂六五,臣明謂六二,亦以五為君,不以為紂臣。又象傳曰:孩子之貞,明不可息也。貞,正也,言孩子居天子之正位,天子一日萬幾,故明不可息。若箕子已晦其明矣,有何不可息。古今釋者千百家,於此語未有能通者。蓋文王與微子,不欲明斥紂,故以孩子為代名,猶《麥秀歌》之謂狡童也。
また《京房易伝》は《明夷》を説いて「君暗臣明、不可止」と言い、「君暗」は六五を指し、「臣明」は六二を指し、これも五を君として、紂の臣子としてはいない。さらに象伝の「孩子之貞、明不可息也」を見るに、「貞」はすなわち正であり、孩子が天子の正位に居り、天子は一日に万件の政事を処理するので、光明は停熄できないと言う。もし箕子を指すなら、彼はすでに自らの光明を晦ましており、「不可息」などと何を論ずることがあろう。古今の経を解く者は成百上千あるが、この句を説き通せる者は一家もない。文王と微子は明白に紂王を斥けることを欲しなかったので、「孩子」をもって代称としたのは、《麦秀歌》が彼を「狡童」と称したのと同じである。
觀《墨子》以箕子為孩子,則此之箕子,亦為孩子,《易林》之讀,獨得其真。自孩、箕音同通用之義弗明,竟作紂臣矣。豈知孩子即謂紂,與《微子》之孩子同。彼夫趙賓作亥(上草)茲,劉向、荀爽作亥(上草)滋,蜀才作其子,王弼作其茲,惠棟作亥子,雖與象傳義不合,然皆知作紂臣之必非。乃孔疏不從王注,而從馬融,竟作紂臣解,疏已。五本君位,馬融作紂臣解,亦知其不安,而以箕子演疇、有君德為解,益可證《易林》以孩子為紂之精。五承乘皆陰,下又無應,故曰利貞,謂宜艱貞自守不妄動也。象曰:箕子之貞,明不可息也。五為天子,天子一日萬幾,明息則政亂矣,故曰明不可息。
《墨子》が箕子を孩子と書くのを見れば、ここの「箕子」もすなわち「孩子」であり、《易林》の読みだけが真相を得たことが分かる。「孩」「箕」が音同じく通用する義が知られなくなってから、一概に紂の臣子と説くようになった。どこで知ろう、「孩子」はすなわち紂を指し、《尚書・微子》篇の「孩子」と同じ一人である。趙賓の「荄茲」、劉向・荀爽の「荄滋」、蜀才の「其子」、王弼の「其茲」、恵棟の「亥子」については、象伝の義と合わないとはいえ、みな紂臣と解するのは必ず誤りと知っていた。偏に孔穎達の疏は王弼注に従わず馬融に従い、ついに紂臣と解したのは、あまりに疏漏である。五はもともと君位であり、馬融は紂臣と解して自分でも不安を覚え、そこで箕子が《洪範》九疇を陳演し、君徳を備えていたと引いて場を繕うが、これはかえって《易林》が「孩子」を以て紂とする精当さを証明する。六五は上承も下乗もみな陰爻で、下に正応もないので利貞と言い、艱難の中で正道を守って自持し、妄動してはならないと言う。小象伝:孩子之貞は、光明が停熄できない。尚氏の解:五は天子であり、天子は一日万機なので、光明が一たび熄めば政事は乱れる。だから明不可息と言う。
上六:不明晦,初登于天,後入于地。明夷之初為晉,晉日在地上而為晝,故曰初登于天。乃晉覆成明夷,日在地下而為夜,故曰後人於地。人地故晦而不明。卦正如彼,覆則如此,此文王示序卦之義也。象曰:初登于天,照四國也;後入于地,失則也。坤為國,震卦數四,故曰四國。則謂三,上為四五所格,不能應三,故曰失則。此則字與六二順以則、《謙》六四不違則義同,皆謂陽。舊解皆不知失則之故何在,泛說之,非。
上六爻辞:光明を見ずして一片昏晦、初め天に登り、後に地に入る。尚氏の解:《明夷》の前身は《晋》であり、《晋》の太陽は地上にあって白昼なので初登于天と言う。《晋》が一たび倒覆すれば《明夷》となり、太陽は地下にあって黑夜なので後入于地と言う。地に入ったので昏晦にして明らかならず。同一組の卦が、正して見ればあのようで、倒して見ればこのようになるのは、まさに文王が《序卦》の義を示した所である。小象伝:初登于天は、四国を照らす。後入于地は、法則を失う。尚氏の解:「坤」は国、「震」の卦数は四なので四国と言う。「則」は九三を指し、上六は四・五に格えられて三に応じられないので失則と言う。この「則」の字は六二の「順以則」、《謙》六四の「不違則」と義が同じく、みな陽爻を指す。旧注はみな「失則」の所以がどこにあるかを知らず、ただ泛泛と説くのみで、正しくない。
周易尚氏学 巻十一 下経
家人卦
家人,利女貞。《歸藏》曰散家人。卦以一陽一陰,散處於卦內,又上卦巽風,下卦火炎上,均有敬意,故以為名乎。馬融曰:家人以女為奧主,長女中女,各得其正,故曰利女貞。然象傳曰男正位乎外,似家人兼男女言,特女尤利耳。又考《太玄》擬家人為居,雲踞膚赫赫,為物城郭,萬物咸宅,是以家人初上爻皆陽,故曰膚,曰城郭,而人宅其中,故曰家人也,義似較各家為優。二四得正,承陽有應,故利於女子之占也。
《家人》の卦辞:女子が正道を守るのが利。尚氏の解:《帰蔵》易はこの卦を「散家人」と称す。この卦は一陽一陰が卦内に散布し、さらに上卦の巽は風、下卦の離火は上炎するので、みな発散の意を含み、おそらくこれによって名付けられた。馬融曰く:家人は女子を以て室中の主とし、長女(巽)と中女(離)が各々その正を得るので、利女貞と言う。しかし彖伝に「男正位乎外」とあるのを見れば、「家人」は男女を兼ねて言うもので、ただ女子に対して特に利があるだけである。また《太玄》は「居」を以て家人に擬配し、「踞膚赫赫、為物城郭、万物咸宅」と言う。家人卦の初爻と上爻はともに陽なので「膚」と称し「城郭」と称し、人はその中に居るので「家人」と言う——この説は諸家よりも高明なようである。二爻と四爻はともに正位を得、上に陽爻を承げてまた正応があるので、女子の占問に利がある。
象曰:家人女正位子內,男正位乎外,男女正,天地之大義也。家人有嚴君焉,父母之謂也。父父、子子、兄兄、弟弟、夫夫、婦婦,而家道正,正家而天下定矣。女正位乎內謂二,男正位乎外謂五,二五者夫婦,即天地也,即父母也,父母皆得正位,故曰嚴君。嚴君者尊也。卦下五爻皆得正,故曰父父、子子、兄兄、弟弟、夫夫、婦婦。初震交,震為子,為兄,為夫;三艮爻互坎,坎艮皆為弟;巽為婦。父子兄弟夫婦皆得正,則家正,家齊則國治,故曰天下定。
彖伝:家人卦において女子は内にあってその正位を得、男子は外にあってその正位を得る。男女各々その正を得るのは、天地の大義である。一家の内に威厳ある君長がいるとは、父母を言う。父が父らしく、子が子らしく、兄が兄らしく、弟が弟らしく、夫が夫らしく、婦が婦らしくすれば、家道は端正する。家が正しければ、天下もまた安定する。尚氏の解:女正位乎内は六二を指し、男正位乎外は九五を指し、二と五は夫婦であり、すなわち天地であり、すなわち父母である。父母がともに正位を得たので「厳君」と称し、「厳君」はすなわち尊長である。この卦は下の五爻がすべて正位を得るので、父父・子子・兄兄・弟弟・夫夫・婦婦と言う。初爻は震爻で、「震」は子、兄、夫である。三爻は艮爻でまた互して坎を出し、「坎」「艮」はともに弟である。「巽」は婦である。父子・兄弟・夫婦がみなその正を得れば家は正しく、家が斉しければ国は治まるので、天下定と言う。
象曰:風自火出,家人。君子以言有物,而行有恆。巽木生火,火動生風,故曰風自火出。物,孔疏云事也。按《周禮·地官》司門幾出人之不物者,注:衣服視瞻,不與眾同,及所操物,不如品式者。然則不物即違常,即不法也。言有物者,即言不離乎經常也。
大象伝:風は火の中から生じる、これが《家人》卦であり、君子はこれに倣い、言には実拠があり、行には常度がある。尚氏の解:巽木は火を生じ、火が一たび動けば風を生ずるので、風自火出と言う。「物」は、孔穎達疏は「事」と言う。按《周礼・地官》の司門が出入りを稽察する「不物者」について、鄭玄注:衣著容貌が衆と異なり、および所持する器物が規格に合わない人。これで見れば「不物」は常規に反し、法度に合わないことである。「言有物」とは、言葉が経常の道を離れないことである。
初九:閒有家,悔亡。《釋文》馬云:閒,闌也,防也。離中虛外堅,故離有閒義,即《太玄》所謂為物城郭也。能閉其家,故侮亡也。荀、鄭訓閒為閒習,似非。象曰:閒有家,志未變也。初應在四,四體坎,坎為志。志未變者,言初與四為正應,無敢或渝,所謂行有恆而家道正也。其以遂為說者,皆因不得解而穿鑿也。
初九爻辞:初めに家のために防閑を立てれば、悔恨は消える。尚氏の解:《経典釈文》は馬融を引いて:閑は欄であり、防である。離の卦体は中虚で外堅なので、離に「閑」の義がある。すなわち《太玄》の言う「為物城郭」である。家を防閑し得るので悔亡。荀爽・鄭玄は「閑」を熟習と訓するが、似て非なるようである。小象伝:閑有家は、心志が未だ変わらざるなり。尚氏の解:初九の正応は六四にあり、四は坎体にあり、「坎」は志である。「志未変」とは初と四が正応で、少しも変節することを敢えてしないことであり、すなわち大象伝の言う行有恒にして家道正である。「遂」の字を持ち出して解する者は、みな説き通せないために穿鑿している。
六二:無攸遂,在中饋,貞吉。象曰:家人高高(左口),未失也;婦子嘻嘻,失家節也。失、佚古通,未佚者言不敢放逸也。若嘻嘻則淫佚而不中節矣,故曰失家節。失,下讀得之失,上讀佚,以與節韻。
六二爻辞:自ら擅りに成し遂げることなく、ただ家中で飲食を主る、占問は吉。(源本はこの下で九三爻辞および注文を脱している。)小象伝:一家が厳しく呵責するのは、まだ失当ではない。婦人・子供が嘻嘻哈哈するのは、家を治める節度を失う。尚氏の解:「失」と「佚」は古に相通じ、「未失」とは放縱逸楽を敢えてしないことを言う。もし嘻嘻哈哈すれば、淫佚にして節度に合わないので、失家節と言う。同じ一つの「失」の字を、下句は得失の「失」と読み、上句は放佚の「佚」と読むのは、「節」と韻を押すためである。
六四:富家大吉。乾為富,四承重陽,當位有應,體坎,坎為室家,故曰富家大吉。凡上卦為巽,四當位無不吉者,如《小言》《觀》《益》《巽》《渙》《中孚》,六四皆吉。誰不當位者,雖臨重陽,不盡吉也,此《易》例也。虞翻旨命三變成艮,最為害理,三當位,胡為使失正哉。象曰:富家大吉,順在位也。言富之故,以順陽也。五得位,故曰順在位。
六四爻辞:家を富ませる、大吉。尚氏の解:「乾」は富であり、六四は上に両重の陽爻を承げ、当位でまた正応があり、坎体の中に処り、「坎」は室家なので、富家大吉と言う。凡そ上卦が巽の卦は、四爻が当位であれば吉でないことはなく、《小畜》《観》《益》《巽》《渙》《中孚》のごとく、それらの六四はみな吉である。当位でない者については、たとえ前に重陽に臨んでも、必ずしもみな吉ではない。これは《周易》の通例である。虞翻は強いて三爻を変じて艮を成さしめようとするが、最も義理を傷つける——三爻はもともと当位なのに、なぜそれを正を失わせるのか。小象伝:富家大吉は、柔順にしてその位に居るなり。尚氏の解:これは富の所以が陽爻に順うことにあると言う。九五は位を得ているので、順在位と言う。
九五:王假有家,勿恤,吉。五天子,故曰王。假,《釋文》更白反,注至也。案《虞書》格子上下,傳:格,至也,是王弼、陸德明皆讀假為格,與《萃》之王假有廟同。王假有廟,言王以至誠感神明;王假有家,言王以至德威格家人,無有不正,故無所憂而吉也。象曰:王假有家,交相愛也。交相愛,謂二五交孚,即釋格義。諸家皆釋假為大,與交相愛之義相去甚遠,故唯王注為得也。
九五爻辞:君王が一家に感格すれば、憂慮するに及ばず、吉。尚氏の解:五は天子なので王と称す。「假」は、《経典釈文》の注音は「更白反」で、注は「至」と解す。按《虞書》に「格于上下」とあり、孔伝は「格」はすなわち至と言う。これで見れば王弼と陸徳明はともに「假」を「格」と読むのであり、《萃》卦の「王假有廟」と同じである。「王假有廟」とは君王が至誠を以て神明に感通すること、「王假有家」とは君王が至徳を以て家人に感格し、家中に正しくない者がいなくなることを言う。だから憂うべきことがなくて吉。小象伝:王假有家は、交わり相愛するなり。尚氏の解:交相愛は二と五が交わり孚信することを指し、まさに「格」の義を解している。諸家はみな「假」を「大」と解し、「交相愛」の義と相去ること遠いので、ただ王弼注だけが正しかったのである。
上九:有孚,威如,終吉。上九居家之上,為全家所戴,故曰有孚,曰威如。上居卦終,故曰終吉。象曰:威如之吉,反身之謂也。巽究成震,震為威,言震巽相反覆,故曰反身。虞翻命三變成陰,以說反身,三當位,胡能使變。乃惠棟不知其強說,謂《蹇》上六志在內為反身。夫《蹇》三上皆當位有應與,若《家人》則三上皆陽,艮傳所謂敵應也,上胡能反三哉。
上九爻辞:誠信があり、威厳があり、終わりに吉を得る。尚氏の解:上九は一家の上に居り、全家の擁戴する所なので、有孚・威如と言う。上爻は卦の終わりに居るので、終吉と言う。小象伝:威如之吉は、身に反求することを言う。尚氏の解:「巽」を極めて推すれば「震」となり、「震」は威である。これは震と巽が互いに反覆の象であることを言うので、反身と言う。虞翻は三爻を変じて陰爻にして「反身」を解するが、三爻はもともと当位なのに、どうして変えられるのか。恵棟はそれが硬説であることを知らず、また《蹇》卦上六の「志在内」がすなわち反身と言う。《蹇》卦は三と上がともに当位で応与があるが、《家人》は三と上がともに陽爻であり、まさに艮卦伝の言う敵応であり、上爻がどうして三に反求することができよう。
睽卦
睽,對事吉。《歸藏》作瞿,《說文》鷹隼視也,《禮·玉藻》視容瞿瞿,注:驚視不審貌。夫驚而懼,視而不審,則視象必至乖違明矣。至《周易》日睽,義與瞿略同。睽,乖也,《說文》目不相聽也。卦三至五兩目相背,相背則視乖。聽,從也,不相從,則一目視為彼,一目視為此,如三上所言是也。蓋卦之得名,全以卦象。《六書故》:睽,反目也。與《說文》義同。自反目之義失,舊解於三上爻辭皆莫詳其故矣。小謂陰,六五得中有應,故小事吉也。
《睽》の卦辞:小事は吉を得る。尚氏の解:《帰蔵》易はこの卦を「瞿」と作り、《説文》は「瞿」は鷹隼が目を張って視ると言い、《礼記・玉藻》の「視容瞿瞿」は、鄭注は驚いて視て真実に見えない様子と言う。驚きかつ惧れ、視て真に見えなければ、視象は必ず乖違するのは明白である。《周易》に至って「睽」と改名したが、意は「瞿」とほぼ同じ。「睽」はすなわち乖であり、《説文》は両眼が相い順わないと言う。この卦は三至五爻が両目の相背の象であり、相背すれば視る所が乖離する。「聴」はすなわち従であり、両眼が相い順わなければ、一眼はこちらを見、一眼はあちらを見る。六三と上九の爻辞はまさにこの様子である。これで見ればこの卦の名づけはすべて卦象から来ている。《六書故》は「睽」は反目と言い、《説文》の義と同じ。「反目」の義が失伝してから、旧注は三爻と上爻の爻辞をみな理由を説けなくなった。「小」は陰爻を指し、六五は中に居りまた正応があるので、小事は吉を得る。
象曰:睽,火動而上,澤動而下,二女同居,其志不同行。說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以小事吉。天地睽而其事同也,男女睽而其志通也,萬物睽而其事類也,睽之時用大矣哉。火性炎上而即居上,水潤下而即居下,愈去愈遠,故二女同居不同行。坎為志也。然所以睽者,以同為女也。若夫天地男女,其形雖睽隔,而其功用,無不和合而同也;其心志無不相感而通也。即推而至於萬物,若繁賾不可計數矣,然只有物即有陰陽,有牝牡,陰陽牝牡,則必合而為類無疑也。故睽亦有時有用也。
彖伝:睽卦は火が動いて上に向かい、沢が動いて下に向かう。二つの女子が同じ処に同居しても、心志は同行しない。喜びて光明に附麗し、柔爻が上進して尊位に居り、中を得て剛に応ずるので、小事は吉を得る。天地は相い乖睽しても化育の事は同じく、男女は相い乖睽しても心志は相通じ、万物は相い乖睽しても各々類を以て相い従う。睽の時用はまことに大きい。尚氏の解:火の性は上に炎騰しそれはもともと上にあり、水の性は下に浸潤しそれはもともと下にあるので、離れていくばかりだから、両女同居して同行せずと言う。「坎」は志である。しかし乖睽する所以は、両者がともに女子だからである。天地・男女について言えば、形体は睽隔しても、功用は和合して一に帰しないものはなく、心志も相い感じ相い通じないものはない。さらに万物に推し広げれば、紛繁で数え尽くせないが、物あるところ必ず陰陽・牝牡があり、陰陽・牝牡あれば必ず合して類を成す。これは疑いない。だから「睽」にもまた自らその時があり、その用がある。
象曰:上火下澤,睽。君子以同而異。同者同為女,異者不同行。君子法之,不拘於一。初九:悔亡,喪馬,勿逐自復,見惡人,無咎。震為馬,兌二折震,震毀,故曰喪馬。震為復,二必升五,升五則下成震,故曰自復。離為惡人,初前遇之,兌見,故曰見惡人。蓋初居潛龍之位,勿用之時,居易俟命,無所動作,故悔亡而無咎也。象曰:見惡人,以辟咎也。
大象伝:上は火、下は沢、これが《睽》卦であり、君子はこれに倣い、大同の中に小异を保つ。尚氏の解:「同」は両者がともに女子であることを指し、「異」は心志が同行しないことを指す。君子はこれを效法し、一端に拘泥しない。初九爻辞:悔恨は消える。馬を失っても、追い求めるに及ばず、それは自ら帰ってくる。醜悪な人に見ても、過咎はない。尚氏の解:「震」は馬であり、兌は第二爻の処で震を折るので、震象は毀壊し、だから喪馬と言う。「震」は復であり、九二は必ず五位に升り、五に升った後に下体はまた震となるので、自復と言う。「離」は悪人であり、初九は進めばそれに遇い、「兌」は見なので、悪人を見と言う。初九は潜龍の位に居り、まさに勿用の時に当たり、平易に安く処して天命を待ち、動作する所がないので、悔亡にして无咎。小象伝:悪人を見るは、災を避けるためである。
九二:遇主于巷,無咎。五為卦主,《豐》九四云遇其夷主是也。二應之,離為巷,故曰遇主于巷。有應得中,故無咎。離巷象失傳。《易林》《無妄》之《小畜》云:魷蝦去海,遊於枯裡,街道迫狹,不得自在。小畜上巽為魚,故曰魷蝦;乾為海,巽在外,故曰去海;離為桔為裡為街巷,《說文》巷,裡道;《詩·鄭風》巷無居人,傳曰巷裡塗。離上下陽,中虛,儼然里巷也。巷為裡道,故象曰未失道。巷象失傳,故舊解無不誤,不足怪也。象曰:遇主于巷,未失道也。得應,故曰未失道。
九二爻辞:里巷の中で主人に遇う、過咎はない。尚氏の解:五は全卦の主であり、《豊》九四の「遇其夷主」はまさにこの用法。九二はそれに応じ、「離」は巷なので、遇主于巷と言う。正応がありまた中位に居るので、過咎はない。「離」が巷の象であることはすでに失伝している。《焦氏易林》《无妄》之《小畜》曰く:「鮒蝦去海、游于枯里、街道迫狭、不得自在。」小畜の上体の巽は魚なので鮒蝦と言い、「乾」は海であり、巽は外卦にあるので去海と言い、「離」は枯、里、街巷である。《説文》は巷は里中の道と言い、《詩経・鄭風》に「巷无居人」とあり、毛伝は巷はすなわち里中の路と言う。離卦は上下が陽で中間が虚空なので、いかにも一条の里巷である。巷は里中の道なので、小象伝は「未失道」と言う。巷象がすでに失伝しているので、旧注に誤らないものはない。これも怪しむに足りない。小象伝:遇主于巷は、正道に違わざるなり。尚氏の解:正応を得たので、未失道と言う。
六三:見輿曳,其牛掣,其人天且劓,無初有終。兌為見,坎為輿,為曳,坎輿在前,而三居坎後,故曰見輿曳。五離為牛。掣鄭作,雲牛角皆踴也,踴,起也。《說文》作獎,雲角一仰一俯;子夏傳作獎,雲一角仰。案契、契(下加解)同字,皆音摯,義皆同。又《易林》《大言》之《睽》云:傷破妄行,觸壁契(下加解)牆。亦以角踴為說,不以滯隔為訓。只王弼作掣,音與諸家同,義與諸家異,非也。其牛契(?)者,言牛角騰踴上出也。
六三爻辞:大車が曳き止められるのを見、その牛の角は上に聳え起ち、その人は額を黥され鼻を割かれる刑を受け、初めは順わずして終わりに結果あり。尚氏の解:「兌」は見、「坎」は輿、曳である。坎車は前にあり六三は坎の後ろに居るので、見輿曳と言う。五爻は離体にあり、「離」は牛である。「掣」の字は鄭玄に別の書き方があり、牛角がともに上に聳え起つと言い、「踊」はすなわち起である。《説文》は別の字と作り、両角が一仰一俯と言う。子夏伝もまたその字と作り、一角が上仰すると言う。按この二字形はもともと同一字で、ともに「摯」と読み、意義もみな同じ。また《焦氏易林》《大有》之《睽》に「傷破妄行、触壁掣牆」とあるのも、角が上に聳え起つと説き、阻滞隔碍の解とはしない。ただ王弼が「掣」と作るのみで、読みは諸家と同じだが取義は諸家と異なり、正しくない。「其牛掣」とは、牛角が騰踊して上に聳え出ることを言う。
天。馬融雲契(?)鑿其額曰天,虞翻雲黥額為天,割鼻為劓,鯨即古之墨刑,馬云鑿殆誤也。艮為額為鼻,艮伏不見,故曰劓;兌上毀缺,故曰天。惟古刑無名天者。俞越(左 )云:天為兀字,古文天作兀(下再加兀),以形近,故兀訛為天。《莊子》云魯有兀者,《釋文》云刖足曰兀。其人兀且劓,猶《困》九五曰劓刖也。按三震象半見,故曰刖足,俞氏之說或是也。
さらに「天」の字を言う。馬融は額を鑿刻することを「天」と言い、虞翻は額上に墨を刺すを「天」、鼻を割くを「劓」と言う。黥はすなわち古の墨刑であり、馬融の「鑿」と言うのはおそらく誤り。「艮」は額、鼻であり、艮は伏して見えないので劓と言う。兌は上にあり毀缺の象があるので天と言う。ただ古代の刑名には「天」と称するものがない。兪樾曰く:「天」は「兀」の字であり、古文の「天」の書き方は「兀」と形が近いので、「兀」が訛って「天」となった。《荘子》に「魯に兀者あり」とあり、《経典釈文》は足を斫るを「兀」と言う。「其人兀且劓」とは、ちょうど《困》九五の言う「劓刖」のごとし。尚氏按:六三は震象が半ば現れる処に居るので刖足と言い、兪氏の説はおそらく正しい。
又胡安定云:天當作而,古文相類,傳寫遂誤。在漢法臉罪,無髡其鬢髮日而。又《周禮》梓人作其鱗之而,亦謂髡其鬢髮。按之而,注訓為頰版,《釋文》云禿也,《玉篇》亦訓頎為禿,賈疏亦無髡其鬢髮之解,然版之為禿,字書皆同,則而者禿也。禿則天然無發,不必受刑,似胡說不如俞說優也。三不當位,故初不吉;有應承陽,故曰有終。
また胡瑗曰く:「天」の字は「而」と作るべきで、古文の両字は形が近く、伝写が誤ったのだという。漢代の律法の髡刑では、鬢髮を剃るを「而」と言う。《周礼・梓人》の「作其鱗之而」もまた鬢髮を剃ることを指す。尚氏按:「之而」について、鄭注は頬部の甲版と訓し、《経典釈文》は禿と言い、《玉篇》もまたその字を禿と訓し、賈公彦疏にも鬢髮を剃るの解はない。ただ「版」を禿と訓するのは各家の字書が同じなので、ならば「而」はすなわち禿である。禿は天生に髮がないのであれば、刑を受けるに及ばない。見るに胡氏の説は兪氏の説ほど妥当でない。六三は不當位なので初めは吉ならず、正応がありまた上に陽爻を承ぐので有終と言う。
象曰:見奧曳,位不當也;無初有終,遇剛也。位不當故無初,遇剛故有終。九四:睽孤,遇元夫,交孚,厲無咎。坎為孤為夫。虞翻強令四變成震,以取夫象。豈知《左傳》襄二十四年筮遇困之大過,坎變巽,曰夫從風,以坎為夫也。坎者乾元之精,故曰元夫;比曰元永貞,是其義也。四上下皆陰,故曰交孚。坎險故曰厲,交孚則志行,故厲無咎。象曰:交孚無咎,志行也。坎為志。志行,言陽得陰則孚也。此爻舊解皆用虞氏交變,取夫象,信漢儒不信左氏,豈不異哉。
《小象》が九三を解す曰く:車は曳かれ牛は掣かれるは、六三が陰柔を以て陽位に居り、位が當たらないからである。初めは阻まれるも終わりには相合えるは、それが上に上九の剛に応ずるからである。位當らざれば无初、剛に遇えば有終である。九四爻辞:孤立して相い違うも、「元夫」に遇い、彼是誠を以て相交り、危厲に処るも過咎なし。「坎」は既に「孤」でもあり、また「夫」でもある。虞翻は強いて九四に爻変して「震」を成さしめて「夫」の象に湊あわせようとするが、《左伝》襄公二十四年、崔杼が棠姜を娶らんと筮して《困》之《大過》に遇い、まさに下卦の「坎」が「巽」に変じ、占辞に「夫従風」と言ったのを知らない。これで見れば漢以前から本より「坎」を以て「夫」としていた。「坎」の中の一陽は乾元の精華なので「元夫」と称し、《比》卦辞の「元永貞」とこの義は同じ。九四は上下ともに陰であり、陰陽が相い遇えば相い孚なので「交孚」と言い、「坎」は険なので「厲」と言う。すでに交孚すれば心志は通ずるので、厲と雖も災なし。《小象》は交孚无咎は志行と言うのは、「坎」がまた「志」であるから——陽爻が陰爻の配を得れば相い孚じられる。旧注は一概に虞翻の爻変の説を踏襲して「夫」の象に湊あわせ、寧ろ漢儒の条例を信じて《左伝》の実録を信じない。まことに怪しむべきである。
六五:悔亡,厥宗噬膚,往何咎。同人六二云「同人于宗」,以五陽為宗,宗主也,坤先述後得主是也。茲以九二為宗。艮為膚,以剛在外也,故離亦為膚。二兌體,兌口逼近離膚,故曰厥宗噬膚。然二為正應,二五相上下,各得位,故往無咎。離膚象,《易林·師之井》云「范子妙材,戮辱傷膚」,井互離,兌毀折,故曰戮辱;離兌連體,故傷膚,是焦氏以離為膚也。井中爻亦睽也。象曰:厥宗噬膚,往有慶也。得陽應,故曰有慶。
六五爻辞:悔恨は消える。あの同宗の人が皮肉を咬み開けば、往いて何の災いがあろうか。《同人》六二に「同人于宗」とあるのは、九五の陽を以て「宗」とし、「宗」はすなわち主である。《坤》卦辞が先に「先迷」を言い後に「得主」を言うのも、まさにこの意である。ここでは九二の陽を以て「宗」とする。「艮」に「膚」の象があるのは、その剛爻が外にあって皮膚の体を覆うごとしを取る。「離」は外剛で中虚なので、これもまた「膚」とする。九二は下の「兌」の中に処り、「兌」は口であり、口は「離」が象る皮膚に緊接しているので、「厥宗噬膚」と言う。九二と六五はもともと正応であり、両爻は一上一下して各々その位を得るので、往いて災いなし。「離」が「膚」であることの証拠は、《焦氏易林・師之井》に「范子妙材、戮辱傷膚」とある:《井》卦の二至四は互して「離」、「兌」は毀折なので「戮辱」と言い、「離」「兌」の両体は相連なので「傷膚」と言う。これで見れば焦延寿はまさに「離」を以て「膚」としている。そして《井》卦の中爻互体もまさに《睽》である。《小象》が厥宗噬膚往有慶と言うのは、六五が九二という陽爻の応を得るので「有慶」と称する。
上九:膜孤,見豕負塗,載鬼一車,先張之弧,後說之壺,匪寇,婚媾,往遇雨則吉。睽為反目,目反故所見不同:一日見為豕,一見為鬼;一目見張弧而懼,一見說壺而喜;一見為寇,一見為婚媾也。見字統全爻而言,反目之精神全出。舊解若只見豕負塗者,由不知睽之取象,在反目也。
上九爻辞:乖離して孤立し、豚が背に泥汚を負うのを見、一車に鬼魅を載せたのを見、先に弓を張りて射ようとし、後にまた弓を放下する。来るのは強盗ではなくて、婚を求める人である。往いて雨に遇えば吉利である。《睽》卦の取象は「反目」——両眼が各々おのおの見るので、同一物にして両眼の見る所が異なる。一眼は豚を見、一眼は鬼を見、一眼は張弓して恐れるを見、一眼は弓を放下して喜ぶを見、一眼は強盗を見、一眼は婚配を見る。爻辞のあの「見」の字は全爻を統攝し、両眼が相い違う精神がすべて現れ出ている。旧注がもし「見豕負塗」を実に一頭の泥豚を見たとだけするなら、それは《睽》卦の立象の根本が「反目」にあることを知らないものである。
離為見,互坎為豕、為塗、為車、為鬼。坎數一,故曰一車。坎為弧為矢,張弧則欲射我矣。離為壺,說遺也,而坎為酒,遺我以壺酒,則意善也。坎為寇,三雖坎體,而應上九,則婚媾也,寇則非矣。兌為雨,上往居三,故曰遇雨。三上相上下,各當位,故吉。之上內,宜曰來,然賽五往外也曰朋來,需三往上也曰三人來,蓋自本位言則曰來,去本位言則曰往,不能執也。壺,王弼作弧,茲從京、馬、鄭、王肅、翟子玄。說,《釋文》始銳反,音稅。象曰:遇雨之吉,君疑亡也。坎為疑,疑之故全在坎。上往三成大壯,天雷一震,坎象消釋,故曰群疑亡。坎為眾,故曰群疑,即上所見諸象也。
「離」は目なので「見」とする。三至五は互して「坎」となり、「坎」に「豕」「塗」(泥汚)「車」「鬼」の諸象がある。「坎」の数は一なので「一車」と言う。「坎」はまた弓、矢であり、張弓はすなわち我を射ようとすること。「離」は中虚なので「壺」とし、「説」は贈遺の意であり、「坎」は酒である。人が一壺の酒を以て相い贈るのは、すなわち善意である。「坎」はまた寇盗である。六三は「坎」体に属すると雖も、上九と正応である。それはすなわち婚配であり、強盗ではない。「兌」は雨であり、上九は下に往いて三位に居るので「遇雨」と言う。三と上は一内一外して相応じ、各々當位するので吉。上九が下って内卦に至るのは、理の上では「来」と言うべきである。しかし《蹇》九五は外卦に往くのに「朋来」と言い、《需》九三は上に往くのに「三人来」と言う。これで見れば本位から眼を着ければ「来」と言い、本位を離れて眼を着ければ「往」と言うので、拘執してはならない。「壺」の字は王弼本は「弧」と作り、ここでは京房・馬融・鄭玄・王粛・翟子玄の諸家に依って「壺」とする。「説」の字は《釈文》注は始鋭反で「税」と読む。《小象》に遇雨之吉は群疑が消亡と言うのは、「坎」は疑であり、一爻の中に疑を生ずる所以はすべて互「坎」にある。上九が下に往いて三位に居れば《大壮》を成し、天上に雷が一動すれば「坎」の象は随って消散するので「群疑亡」と言う。「坎」はまた衆なので「群」疑と言い、指すのはまさに上文に見えた豕・鬼・弧・寇の一串の幻象である。
蹇卦
蹇:利西南,不利東北,利見大人,貞吉。重坎故日蹇。坤在西南,五往居坤中,得中有應,放曰利西南。艮居東北,三陽窮於上而多凶,故不利東北。大人謂五,往得尊位,故利於出見,傳所謂往有功也。往五當位居中,故貞吉。
《蹇》の卦辞:西南に利あり、東北に利なし、大人を見るに利あり、正道を守れば吉。この卦は下が「艮」で上が「坎」であり、二至四はまた互して「坎」となり、上卦の「坎」と重なるので、険の上に険を加え、それゆえ「蹇」(跛行して進み難し)と言う。後天八卦で「坤」の位は西南にあり、九二が往いて「坤」の中位に居れば、中を得るとともに応もあるので「利西南」と言う。「艮」の位は東北にあり、九三の陽は上において窮阻して凶の多いので「不利東北」と言う。「大人」は九五を指し、九二が往けば尊位を得るので、出でてこれを見るに利あり、《彖伝》に「往有功也」と言うのはまさにこの意。往いて五位に居れば當位にしてまた中に居るので「貞吉」。
彖曰:蹇,雞也,險在前也。見險而能止,知矣哉。蹇利西南,往得中也。不利東北,其道窮也。利見大人,往有功也。當位員吉,以正邦也。蹇之時用大矣哉。坎險又止,故曰見險而能止,此卦義也。虞翻於利不利之故,蓋茫然莫解,復以《參同契》月出庚之說解利西南,月滅癸之說解不利東北。豈知茲所謂西南確指坤位,坤為邦,五居坤中,故曰正邦。而翻則曰月生西南,夫月於三日出庚,庚豈西南哉,真管輅所謂美而偽也。
《彖伝》:蹇はすなわち難であり、険阻が前に横たわる。危険を見て能く停まりて進まない、これぞ明るき智である。「蹇利西南」は九二が往いて中位を得るを言い、「不利東北」はその道がすでに尽きる所に至るを言い、「利見大人」は往いて功を建てられるを言い、「當位貞吉」は以て邦国を匡正するを言う。《蹇》卦が時に応じて宜しきを制する功用はまことに大きい。上卦の「坎」は険、下卦の「艮」は止なので、「見険而能止」と言い、これが全卦の大義である。虞翻はなぜ西南に利があり東北に利がないかについて、実は茫然として解せず、ついに《周易参同契》の「月出于庚」の納甲の説を持ち出して「利西南」を講じ、「月滅于癸」を以て「不利東北」を講ずる。彼はどこで知ろう、ここで言う西南は確かに「坤」の位を指すことを:「坤」は邦国であり、九五は「坤」の中位に居るので《彖伝》は「正邦」と言う。虞翻は月が西南に生ずと言うが——月は初三に庚方に現れ、庚は西方であり、どこが西南か。これはまさに管輅が譏った「美而偽」である。
象曰:山上有水,蹇。君子以反身修德。見險而止,反身修德,以俟之而已。文言云「進德修業」,乾三云「君子終日乾乾夕惕若」,修德之事也。艮為身,反身者反而求諸己,不徒止而不前也。艮身象,艮彖云「艮其背不獲其身」,以艮為身也。故《易林·需之坎》云「名困身辱,勞無所得」,坎中爻艮,艮為名、為身,坎隱伏,故名困身辱。虞翻用卦變,以坤為身,不知艮亦為身也。
《大象伝》:山の上に水があるのは《蹇》卦の象であり、君子はこれによって悟り、身を反して自省し、徳を修養すべきことを知る。危険を見れば停まって、回りて自らの徳を修め、静かに時機を待つだけである。《乾・文言》に「進徳修業」とあり、《乾》九三に「君子終日乾乾、夕惕若」とあり、みな徳を修めることを講ずる。「艮」に「身」の象があり、いわゆる「反身」とは反して自らの身上に求めることであり、ただ停まりて前に往かないだけではない。「艮」が「身」であることには拠がある:《艮》卦辞に「艮其背、不獲其身」とあり、まさに「艮」を以て「身」としている。だから《焦氏易林・需之坎》に「名困身辱、労無所得」とある——《坎》卦の二至四は互して「艮」となり、「艮」は「名」でもあり「身」でもあり、そして「坎」は隠伏埋没を主るので名困身辱と言う。虞翻はこの句を講ずるに卦変を動員して「坤」を以て「身」とするが、「艮」がもともと「身」であることを知らない。
初六:往黎,來譽。四不應,二至四坎,初臨之,故往蹇;來居初,靜而不動,則有譽也。又為名,故曰譽。象曰:往蹇來譽,宜時也。宜時,正義作宜待,釋文云張氏作宜時,鄭本作宜待時,虞同,茲從張氏。艮為時,宜時者,謂時宜如此也。阮校云:石經待也二字漫漶,而不言上有宜宇,可見鄭虞讀似非。
初六爻辞:往けば艱難、退けば声譽あり。初六と六四はともに陰爻で相応じない。二至四は互して「坎」となり険である。初六はこの重険に緊接しているので往けば艱難である。退きて初位に守りて静かに動かなければ、かえって声譽がある。「艮」はまた「名」の象があるので「譽」と言う。《小象》:往蹇来譽、宜時也。「宜時」の二字は、孔穎達《周易正義》本は「宜待」と作り、陸徳明《経典釈文》は張氏本は「宜時」と作り、鄭玄本は「宜待時」と作り、虞翻は鄭と同じと言う。ここでは張氏本に依る。「艮」は「時」であり、いわゆる「宜時」とは、時勢がもともとこうあるべきことを言う。阮元《校勘記》曰く:唐石経の「待也」の二字はすでに模糊して弁じ難いが、その上にまた「宜」の字があることには言及していない。これで見れば鄭玄・虞翻のあの読みは正しくないようである。
六二:王臣蹇蹇,匪躬之故。艮為臣,五為王,二應五,故曰王臣。艮為憧僕,古臣僕不分,故艮亦為臣。二臨重坎,故曰王臣蹇蹇,蹇蹇言劬勞也。艮為躬,匪躬之故,言所以劬勞如此者,乃從王事,匪為私也。艮臣象,損上九云「得臣無家」,小過六二云「遇其臣」,遁六三云「畜臣妾吉」,皆以艮為臣也。象曰:王巨蹇蹇,終無尤也。有應故無尤。尤古音信,詩部風「大夫君子,無我有尤」,與下之協;此與上時下之協,與詩同,故正義上象作宜待非。
六二爻辞:王の臣子は艱難にまた艱難すれど、自らの身の故のためではない。「艮」は臣、九五は王、六二は上に九五に応ずるので「王臣」と言う。「艮」はまた童仆であり、古は臣と仆と分たなかったので、「艮」はすなわちまた臣とする。六二はまさに重「坎」の下に当たるので「王臣蹇蹇」と言い、「蹇蹇」は劬労止まざるを形容する。「艮」にはまた「躬」(自身)の象があり、「匪躬之故」とは彼がこのように労する所以は、王家の事を弁ずるためであって、私利のためではないと言う。「艮」が臣であることには傍証がある:《損》上九に「得臣无家」とあり、《小過》六二に「遇其臣」とあり、《遁》六三に「畜臣妾吉」とあり、みな「艮」を以て臣とする。《小象》:王臣蹇蹇、終无尤也。六二は正応があるので怨咎なし。「尤」の字の古読は「之」の部と相諧し、《詩・邶風》(今本は《鄘風・載馳》に在り)の「大夫君子、無我有尤」は、まさに下句の「之」と韻を押す。ここでも「尤」は上一爻の《小象》の「時」、下文の「之」と相協するので、《詩》と同じく、《周易正義》が上一爻の《小象》を「宜待」と書くのは正しくないことが分かる。
九三:往蹇,來反。往遇險,反據下二陰則利也,故曰往蹇來反。象曰:往蹇來反,內喜之也。內謂下二陰,陰欲承陽,故曰內喜之,釋來反之故也。六四:往蹇,來連。正義馬云「連亦難也」,王弼云「往來皆難」,是亦訓連為難。蓋四居上下坎之間,故往來皆難。荀爽謂與至尊相連,朱子謂連於九三者皆非也。又屯上六云「泣血漣如」,淮南子引作連如,蓋與此義同,亦連為難之一證。
九三爻辞:往けば艱難、退けば依る所を得る。九三は上に往けば重「坎」の険に撞き込み、退きて来れば下の初六・六二の二つの陰爻を拠するので利があり、だから「往蹇来反」と言う。《小象》:往蹇来反、内喜之也。「内」は下の二つの陰爻を指し、陰爻はもともと陽爻を承奉したがるので、内の陰爻がそれを歓迎すると言い、なぜ「来反」するかを解している。六四爻辞:往けば艱難、退いて来ても連なりて行き難い。《周易正義》は馬融を引き「連もまた難」と言い、王弼は「往来ともに難」と言う。これで見れば彼らも「連」を「難」と訓した。六四はまさに上の「坎」と互「坎」の間に夾まっているので、往も来も難である。荀爽は「連」は至尊の位に連なると言い、朱熹は九三に連なると言うが、みな正しくない。また《屯》上六に「泣血漣如」とあり、《淮南子》は引いて「連如」と作る。これとこの処は義同じく、これも「連」が「難」と訓する一条の佐証である。
象曰:往蹇來連,當位實也。坎為實,當位實者,言四位當,惟所值上下皆實,故進退難也。坎剛中故為實。《易林·屯之師》云「李梅冬實」,師震為李梅,坎為冬為實也。舊解皆以乾為實,致此句義不明瞭。豈知此賓字謂坎,上下坎,方能明來往皆難之義也。
《小象》:往蹇来連、當位実也。「坎」に「実」の象がある。いわゆる「當位実」とは、六四が陰を以て陰に居り本来位は正当であるが、ただその処する上下の両辺がみな「坎」という「実」なので、進退ともに難である。「坎」は一陽が中に居りて剛なので「実」とする。《焦氏易林・屯之師》に「李梅冬実」とある——《師》卦の下体は互して「震」となり、「震」は李、梅であり、上体の「坎」は冬、実である。旧注は一概に「乾」を以て「実」とし、この句を講じ通えなくした。彼らはどこで知ろう、この「実」の字がまさに「坎」を指すことを。上下がみな「坎」と認めてこそ、往来ともに難い道理を講じ明らかにできる。
九五:大蹇,用來。當位居尊,故曰大蹇。陰以陽為朋,陽往陰中,故曰朋來。虞翻以下卦伏兌為朋,豈知象傳曰中節,即謂五居坤中,如合符節,釋朋義也。象曰:大蹇朋來,以中節也。言五在陰中,陰陽相遇,如符節之合。
九五爻辞:大艱難の中、朋類が来る。九五は陽を以て陽に居り、當位にして尊に処るので「大蹇」と言う。陰は陽を以て「朋」とし、陽爻が群陰の中に行き至るので「朋来」と言う。虞翻は下卦「艮」に伏する「兌」を以て「朋」とするが、《小象》が「以中節也」と言うのは、まさに九五が「坤」(群陰)の中位に居り、符節の両半が相合するごとしを言い、この句自体がすなわち「朋」の意を解していることを知らない。《小象》:大蹇朋来、以中節也。九五が衆陰の中に処り、陰と陽が相い遇うことは、符節の契合するごとく間なしと言う。
上六:往蹇,來碩,吉,利見大人。上窮故往蹇。來碩謂應三,三陽故曰碩。爾雅釋詁「碩,大也」,陽大故曰碩。利見大人,謂順五,五為大人。象曰:往蹇來頂,志在內也;利見大人,以從貴也。應三故曰在內,三體坎,故曰志在內。五天子位,故曰從貴。
上六爻辞:往けば艱難、退いて来れば碩大の収穫があり、吉利で、大人を見るに利あり。上六はすでに全卦の尽きる所に至り、さらに前に往けば路がないので「往蹇」と言う。「来碩」はそれが下に九三に応ずることを指し、九三は陽爻で、陽は大なので「碩」と言う。《爾雅・釈詁》に「碩は大なり」とあり、陽爻は大を主るので「碩」と称す。「利見大人」とは上六が九五に順承することを言い、九五がすなわち「大人」である。《小象》:往蹇来碩は志在内也、利見大人は以従貴也。上六は九三に応じ、九三は内卦にあるので「在内」と言う。九三はまた互「坎」の体に属し、「坎」は「志」なので「志在内」と言う。九五は天子の位なので「従貴」と言う。
解卦
解:利西南,無所往,其來復吉;有攸往,夙吉。震出險故曰解。歸藏作荔,荔與離通。上林賦「答(上草)還離支」,離支即荔支;千祿字書「離支,俗作荔支」,是離荔音同通用。離即解也,義與周易同。坤位西南,四居坤初,前臨重陰,陽得陰則通,故利西南。五得敵,故不利往,來復於二,各當其位,故曰其來復吉。有攸往,謂二往五。夙,早也。禮記孔子間居「夙夜基命有密」,疏「夙即聽也,聽明也」。二坎為夜,五震為晨,二往五則由夜及晨而天明矣,明故吉也。舊解于吉之故,皆言早往得位故吉,而王注詁夙為速尤誤。豈知詩書皆以夙與夜對言,夙為早者,言早晨也,非速也。
《解》の卦辞:西南に利あり。往くべき所がなければ、帰りてもとの位に復れば吉。往く所あれば、早く往けば吉。上卦「震」が動いて「坎」の険の外に出るので「解」と言う。《帰蔵》はこの卦を「茘」と作り、「茘」と「離」は相通ずる:司馬相如《上林賦》に「荅遝離支」とあり、「離支」はすなわち茘枝である。顔元孫《干禄字書》は「離支、俗に荔支と作る」と言う。これで見れば離・茘は音同じく通用する。「離」はすなわち「解」であり、《周易》の卦義と一致する。「坤」の位は西南にあり、九四は上体の群陰の初めに居り、前に二つの陰爻に臨み、陽は陰に遇えば通ずるので「利西南」と言う。九五と九四はともに陽であり「得敵」なので、往くには利がない。退いて来て二位に居れば、各爻が各々その位に当たるので「其来復吉」と言う。「有攸往」は九二が往いて五位に居ることを指す。「夙」は早である。《礼記・孔子閑居》の「夙夜基命宥密」について孔疏は「夙はすなわち昕、昕は天明」と言う。下卦「坎」は夜、上卦「震」は晨であり、九二が上行して五に至れば、夜から晨に入りて天が明ける。天明するので吉。旧注がこの「吉」を解するに、みな早く往けば位を得るので吉と言い、王弼注はさらに「夙」を「迅速」と訓し、誤りはなお遠い。彼らは《詩経》《尚書》で「夙」はみな「夜」と対挙され、「夙」を早と訓するのは早晨を指し、快速ではないことを思いもしない。
彖曰:解,險以動,動而免乎險,解。解利西南,往得眾也。無所往,其來復吉,乃得中也。有攸往夙吉,往有功也。天地解而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲坼,解之時大矣哉。坎險震動,震在外,動而出險,故曰解。六五前遇陰,故曰無所往;來居二,居中當位,故吉。九二往居五,故有功。雷震坎雨,是天地解也。
《彖伝》:《解》卦は下が険で上が動であり、一たび動けば険境を脱出する、これが「解」である。「解利西南」は、往いて衆陰の帰附を得るを言う。「无所往、其来復吉」は、退いて来てやっと中位を得るを言う。「有攸往夙吉」は、往いて功を建てられるを言う。天地の気が解ければ雷雨が作し、雷雨が一たび作れば百果草木の外殻がみな迸裂して出る——《解》卦が時に順って動く意義はまことに大きい。下卦「坎」は険、上卦「震」は動であり、「震」は外にあり、一たび動けば険の外に出るので「解」と言う。六五が前に遇うのは上六の陰であり、同性は相い斥くので「无所往」と言う。退きて下って二位に居れば、中にしてまた當位なので吉。九二が上行して五位に居るので「往有功」と言う。「震」は雷、「坎」は雨であり、雷雨が交わり作るのは、まさに天地の気が解散するのである。
震為春,為百果草木。離為甲,孫星衍云「甲,皮也」。震動故甲拆,訴說文「裂也」。言草木當春,得雷雨胚胎迸裂,蓓蕾怒發,芽 潛滋,而外甲訴也。史記律書「甲者言萬物剖符甲而出」。又禮月令「其日甲乙」,鄭注云「時萬物,皆解孚甲」,皆甲拆之的解也。
「震」は春であり、また百果草木である。二至四は互して「離」となり、「離」に「甲」(外殻)の象があり、孫星衍は「甲はすなわち皮」と言う。「震」は動を主るので外殻が迸裂し、「坼」の字は《説文解字》が「裂」と訓する。これは草木が春に至り、雷雨の滋潤を得て、胚芽が迸裂し、花蕾が放たれ、嫩芽が土下に暗々裏に滋長し、そして外の硬殻が裂けることを言う。《史記・律書》に「甲とは、万物が外殻を剖きて生出るを言う」とあり、《礼記・月令》に春は「其日甲乙」とあり、鄭玄注は「この時万物はみな包裹の硬殻を解く」と言う——これらはみな「甲坼」の二字の確解である。
乃馬陸皆讀訴為宅,雲根也。愚以為訴宅音同,故通用;若以宅為根,則古無此訓,且草木未得雷雨之先,豈皆無孚甲無根乎。鄭康成蓋讀與馬陸同,而知其難通,故又曰「皆讀如人倦之解,以濟其窮」。若曰皆甲宅,即解甲宅也,豈知甲宅即甲訴,不必如是穿鑿。且甲可解,根如何解哉,是仍不通也。然由鄭說,可悟以宅為根之非矣。
ところが馬融・陸徳明はともに「坼」を「宅」と読み、「宅」は根と言う。私は「坼」「宅」は同音なので通用し得ると思う。ただし「宅」を根と解するなら、古書に根本的にこの訓釈がなく、しかも草木は雷雨を得る前には外殻も根もなかったというのか。鄭玄はおそらく読み法が馬・陸と同じであったが、自ら説き通せないことを知り、そこでまた「皆」の字を「人倦之解」の「解」と読むべしと言い、困境を救済しようとした。彼の説に照らせば「皆甲宅」はすなわち「解甲宅」である。しかし「甲宅」はすなわち「甲坼」であって、このように穿鑿するに及ばない。まして外殻は解くことができるが、根はどうして解き得よう。やはり説き通せない。ただ鄭玄のこの一つの曲折によって、かえって「宅」を根とするのが誤りであることが見える。
乃雅麗堂刻本從惠棟校,竟改集解甲拆為甲宅。豈知苟注本作甲坼,故曰草木萌芽,萌芽即釋拆義也。若作宅,苟胡以不釋,且釋文早言之矣,明本集解可證也。陸道平作纂疏,不顧荀注義如何,亦改作宅,致傳文與注不相應,真可異已。釋文只雲馬陸作宅,後集荀注者,如孫堂如馬國翰,皆改苟注作宅,可謂盲從。
そして雅雨堂刻本は恵棟の校改に依り、ついに李鼎祚《周易集解》の「甲拆」を「甲宅」に改めた。知るべし、荀爽注本はもともと「甲坼」と作ったので、彼の注の中に「草木萌芽」とある——「萌芽」はまさに「坼」の字の義を解している。もし原文が「宅」と作るなら、荀爽はなぜ解釈を加えないのか。まして《経典釈文》は早くから明白に説明しており、明刻本の《集解》もまた証とできる。陸道平は《周易集解纂疏》を作り、荀注の意がいかんを問わず、随って「宅」に改め、《彖伝》の正文と注文とが対応しなくなった。まことに奇怪である。《釈文》はただ馬融・陸績が「宅」と作ると言うのみで、後に荀爽注を輯めた者、孫堂のごとく、馬国翰のごとく、却って一律に荀注を「宅」に改めた。盲従と言うべきである。
象曰:雷雨作,解。君子以教過宥罪。坎為罪過,震為解,故赦過宥罪。初六:無咎。承陽有應,雖失位,得無咎也。象曰:剛柔之際,義無咎也。際,交也。言初承陽,剛柔交際,故義得無咎。
《大象伝》:雷雨が興作するのは《解》卦の象であり、君子はこれによって悟り、過失を赦免し、罪愆を寛宥すべきことを知る。下卦「坎」に「罪過」の象があり、上卦「震」は「解」であり、両象が相合するので赦過宥罪と言う。初六爻辞:過咎なし。初六は上に九二の陽を承げ、また九四と相応じ、陰を以て陽に居りて位を失すると雖も、なお災いなくあり得る。《小象》:剛柔之际、義无咎也。「際」は交接である。初六が上に陽爻を承げ、剛と柔がここで交接し、理の上から自然に過咎がないと言う。
九二:田獲三狐,得黃矢,貞吉。坎為狐,坎陷故為獲。二應在五,五震為田獵,數三,故曰田獲三狐。坎為矢,互離色黃,故曰得黃矢。貞吉者,卜問吉也。諸家皆以離為矢,離雖為甲兵,然若斧象則專屬兌,矢則專象坎。坎為棘、為匕、為直、為穿,故為矢,經從未以離為矢。象曰:九二貞吉,得中道也。離為道,二中位,故曰中道。
九二爻辞:田猟で三匹の狐を捕獲し、黄銅の箭鏃を得る、占問は吉。「坎」に「狐」の象があり、「坎」はまた陥穽なので「獲」とする。九二は上に九五に応じ、九五は「震」体にあり、「震」は田猟、「震」の数は三なので「田獲三狐」と言う。「坎」は箭矢であり、二至四は互して「離」となり、「離」の色は黄なので「得黄矢」と言う。「貞吉」とは卜問して得た所が吉であること。各家はみな「矢」を「離」に帰する。「離」は固より甲冑兵戈であるが、斧鉞の象は専ら「兌」に属し、箭矢の象は専ら「坎」に属する。「坎」は棘刺、匕首、直、穿透であるので矢とする。《周易》の経文にはかつて「離」を以て矢としたことがない。《小象》:九二貞吉は得中道也。互「離」は「道」であり、九二はまた下卦の中位に居るので「中道」と言う。
六三:負且乘,致寇至,貞吝。三不當位,坎為車,三在車上,故曰乘。上震向外視之艮,艮為負何,故曰負且乘。坎為寇,三上下皆坎,故曰致寇至。古者君子方得乘車,若負戴則為小人之事,今負且乘焉,望之不似,則盜賊從而生心,故曰致寇至,言招致使來也。致卜問吝矣,貞吝與上貞吉為對文,故夫從虞氏以貞吉為之正者非也。象曰:負且乘,亦可且也;自我致戎,又誰咎也。說文「戎,兵也」,寇至故謂致戎。
六三爻辞:物を背負いまた車に乗るので、強盗を招き寄せる。占問は吝惜あり。六三は陰を以て陽に居りて不當位。下卦「坎」は車であり、六三は車上に坐るので「乗」と言う。上卦「震」を外から倒して見ればすなわち「艮」であり、「艮」に荷担を背負う象があるので「負且乗」と言う。「坎」はまた寇盗であり、六三の上下はみな「坎」体なので「致寇至」と言う。古は君子のみが車に乗ることができ、荷を背負うは小人の仕事であった。今や背負いかつ乗るのは、見たところ不倫不類であり、盗賊は心を動かすので「致寇至」と言う——「致」は招き引きて来らしめるの意。卜問すれば吝あり。「貞吝」と上一爻の「貞吉」はまさに対文なので、凡そ虞翻に依って「貞」を「変之正」と講ずるのはみな正しくない。《小象》:負且乗は、まことにまた丑しむべし。自ら兵戎を招く、また誰をか咎めん。《説文解字》は「戎は兵なり」と言う。寇盗が来るので「致戎」と言う。
九四:解而拇,朋至斯孚。拇,陸績云「足大指也」,王肅云「手大指」。手指於震象不合,故陸注是也。震為足,四前遇重陰,陽遇陰則通,故曰解而拇,言利往也。復家云「朋來無咎」,陰以陽為朋。九四前遇重陰,下乘陰,陰孚於陽,故曰朋至斯孚,言上下陰其共於四也。彖傳謂往得眾,指此爻也。舊解皆從虞翻說,謂四陽從初,下兌故朋至斯軍,致孚義全晦。象曰:解而拇,未當位也。解而拇,前進也,四失位,進至五則當位矣,申解而拇之故也。
九四爻辞:あなたの足の拇指を解けば、朋類が来て相い孚信する。「拇」の字は、陸績は足の大指と言い、王粛は手の大指と言う。手指は「震」の取象と合わないので、陸績の注が正しい。「震」は足であり、九四は前に六五・上六の二つの陰爻に遇い、陽は陰に遇えば通行して阻まることがないので「解而拇」と言い、意は往くに利あり。《復》卦《彖伝》に「朋来无咎」とあるので、陰が陽を以て「朋」とすることが見える。九四は前に重陰があり、下にはまた六三の陰を乗り、衆陰はみな陽に孚信するので「朋至斯孚」と言い、上下の陰爻がみな九四に帰附することを言う。《彖伝》の「往得衆」と言うのは、指すのはまさにこの爻。旧注はみな虞翻に随って講じ、九四の陽が下に初六に従い、下体が「兌」を成すので「朋至斯孚」と言い、「孚」の字の意をすべて遮蔽してしまった。《小象》:解而拇は未當位也。「解而拇」とはすなわち前に進むこと。九四は陽を以て陰に居り本来不當位であり、五位に進んで至れば當位する。これは「解而拇」の縁由を申し説くものである。
六五:君子維有解,吉,有孚于小人。震為君子謂四。君子維有解,言四宜升五,當位而吉。小人謂陰,四升五成坎,坎上下皆陰,有孚維心亨,故曰有率於小人。象曰:君子有解,小人退也。君子有解,謂九四升五;小人退,謂五退居四。釋爻義可謂至明白矣。
六五爻辞:君子は解脱する所あれば、すなわち吉。この一点は小人の身上でも検証を得られる。「震」は君子で、ここでは九四を指す。「君子維有解」とは、九四が五位に上昇すべきことを言い、當位して吉を得る。「小人」は陰爻を指す。九四が五位に升れば上体は「坎」を成し、「坎」の上下はみな陰爻で、まさに《坎》卦辞の「有孚維心亨」の義に合うので「有孚于小人」と言う。《小象》:君子有解は小人退也。「君子有解」は九四が五位に上昇することを指し、「小人退」はもとの六五が退きて下って四位に居ることを指す。これは爻義を解してこれ以上なく明白なものである。
上六:公用射隼于高墉之上,獲之無不利。震為公為射為隼,伏龔為塘為高,六居賣上,故射隼于高墉之上。蓋卦為重坎,上六履重坎之上,動作如意,故獲之無不利也。震射,左氏象;震為鴻鵠故為隼,俱見易林,詳焦氏易詁。象曰:公用射隼,以解體也。坎為悖,上六居重坎之外,故曰解悻。
上六爻辞:王公が高墻の上に鷹隼を射、一挙に射獲して、利あらざるなし。「震」に「公」の象があり、また射、隼である。上卦「震」に伏する「巽」は墻垣、高であり、上六はまさに墻垣の上に踞るので「射隼于高墉之上」と言う。全卦は下の「坎」と三至五の互「坎」とが相重なり、上六は重「坎」の外に踏み出て、動作は心のままであるので「獲之无不利」と言う。「震」が射であることはもともと《左伝》の占例の中の象であり、「震」が鴻鵠であるがゆえに隼である。これらはみな《焦氏易林》に見え、詳しい論証は拙著《焦氏易詁》に見よ。《小象》:公用射隼は以解悖也。「坎」に「悖」(乖逆)の象があり、上六は重「坎」の外に居るので「解悖」と言う。
周易尚氏学 巻十二 下経
損卦
損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用,二簋可用亨。貞我悔彼,以我之陽,益彼之上,故曰損。歸藏作員,朱彝尊謂即損卦。然歸藏以益為誠,則此未必取義於損。按員古作云,商頌「景員維何」,箋「員古文作雲」,以此例之,歸藏必原作雲也。說文「云,山川氣也,象迴轉形」,後人加雨作云,是雲即雲字。卦上艮下兌,說卦由澤通氣,氣即雲;中互坤,坤正為雲。卦二至上正反震,震為出,雲出澤中,至上而反,正迴轉之形,與說文合,與卦象合。
《損》の卦辞:誠信あり、元吉、過咎なし、正を守るべし、往く所あるに利あり。何を以て祭享するか。二簋の薄食も以て祭享し得る。按八卦の貞悔の例によれば、内卦は「貞」で我であり、外卦は「悔」で彼である。この卦は我方の下体の一つの陽爻を取って彼方の上体の頂端を増益するので「損」と言う。《帰蔵》はこの卦を「員」と作り、朱彝尊はすなわち《損》卦と考える。しかし《帰蔵》は《益》を「諴」と称するので、この卦は必ずしも損減の義を取らない。按「員」の古文は「云」と書き、《詩・商頌・玄鳥》の「景員維何」について鄭箋は「員、古文は云と作る」と言う。これに類推すれば、《帰蔵》の原本は必ず「云」と作った。《説文解字》は「云、山川の気、字形は気の回転する状に象る」と言い、後人は「雨」の頭を加えて「雲」と成したので、「云」はすなわち「雲」の字であることが見える。この卦は上が「艮」で山、下が「兌」で沢であり、《説卦》は「山沢通気」と講じ、この気はすなわち雲である。中間は互して「坤」となり、「坤」はまさに雲気である。全卦の二から上はまた一正一覆の二つの「震」であり、「震」は出であり、雲気が沢中から升り出て、上爻に至りてまた折り返るのは、まさに回転の形である——《説文》の「云」の字への解説に合し、また本卦の卦象にも合する。
六爻皆有應,故曰有孚。二陽遇陰,乾元通,故曰元吉。可貞,言二不宜升毛再損也。利有攸往謂上也,上九下乘重陰,頤曰利涉大川,利涉即利往也。爾雅釋詁「曷,止也」,而曷與曷(左心)通。詩大雅「汽可小曷(左心)」,傳「曷(左心),息也」,息止義同,故集韻云「曷(左心)或作曷」也。而曷(左心)與甜通,詩甘棠篇「召伯所矩」,釋文「慈本又作曷(左心)」。曷之用,言憩息之時也。上卦艮,故云憩。
この卦は六爻が両々相応じるので「有孚」と言う。九二の陽は前に陰爻に遇い、乾元の気が貫通し得るので「元吉」と言う。「可貞」とは、九二が本位を守るべく、さらに五位に上昇して下体にまた一つの損を受けさせるべきでないことを言う。「利有攸往」は上九を指す。上九は下に六五・六四の二つの陰爻を乗り、《頤》卦の上九は「利渉大川」と言うが、「利渉」はすなわち「利往」である。「曷」の字は《爾雅・釈詁》は「止」と訓し、そして「曷」は「愒」と相通ずる:《詩・大雅・民労》の「汔可小愒」について毛伝は「愒、息也」と言い、「息」と「止」は同義なので《集韻》は「愒或いは曷と作る」と言う。「愒」はまた「憇」と相通ずる:《詩・召南・甘棠》の「召伯所憇」について《経典釈文》は「憇、本また愒と作る」と言う。だから「曷之用」とは、まさに休憩止息の時に当たることを言う。上卦は「艮」であり、「艮」は止なので「憇」と言う。
震為簋,坤數二,故曰二簋。況為亨,亨饗通,左傳成十二年「享以訓恭儉」,釋文「享本亦作饗」;又莊四年「止而饗之」,周語「大臣饗其祿」,注皆訓饗為食。易之用二簋可用享,言當休暇之時,可以二簋為亨;二籃雖儉,然處損時,亦可也。清儒承荀氏舊說,見言簋即以為祭宗廟,侈陳禮制。豈知儀禮公食大夫扎「宰夫啟簋」,詩秦風「於我乎食四簋」,凡宴享皆用簋,非必祭宗廟始用也,且於易義之謂何矣。崔憬以曷為何,荀爽等只說二簋可用享,不及曷義。於是清儒如惠棟焦循張惠言孫星衍等,亦不釋曷義,只一姚配中襲崔憬說,疑非也。
「震」に「簋」の象があり、「坤」の数は二なので「二簋」と言う。「兌」は享であり、「享」と「饗」は相通ずる:《左伝》成公十二年の「享以訓恭倹」について《釈文》は「享、本また饗と作る」と言い、荘公四年の「止而饗之」、《国語・周語》の「大臣饗其禄」は、注はみな「饗」を食用と訓する。《損》卦の「二簋可用享」は、まさに休憩閑暇の時にあたり、二簋の薄食を以て饗宴し得ることを言う。二簋は倹薄と雖も、「損」の時勢に処すれば、これでもよいのである。清代の学者は荀爽の旧説を沿袭し、「簋」の字を一見すれば宗廟を祭ると認定して、そこで礼制を大いに談ずる。彼らはどこで思うか、《儀礼・公食大夫礼》に「宰夫啓簋」とあり、《詩・秦風・権輿》に「于我乎每食四簋」とあり、凡そ宴饗はみな簋を用い、決して宗廟を祭るにのみ用いるのではないことを。ましてあのように講じれば《易》義と何の関係があろう。崔憬は「曷」を「何」と訓し、荀爽らは「二簋可用享」を講ずるのみで、根本的に「曷」の字の意に渉らない。そこで清儒は恵棟・焦循・張恵言・孫星衍らもみな「曷」の字を解釈せず、ただ姚配中一人が崔憬の説を沿用するのみで、おそらくこれも正しくない。
象曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用,二簋可用享,二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。貞我悔彼,內與外、上與下,其親疏迥不相同,故夫以內陽益外,則我損矣,上下即內外也。泰三往上,故曰其道上行。震為應,二至四震,乃上卦震覆,若反聲相應者,故曰二簋應,與中孚之鶴鳴子和理同也。
《彖伝》:《損》は、下体を減損して上体を増益し、その道は上に行く。減損する所あってなお誠信あり、元吉、過咎なし、正を守るべし、往く所あるに利あり。何を以てするか。二簋の薄食を以て祭享し得る。ただ二簋の享は時に応ずることを要し、剛爻を減損し柔爻を増益するにも各々その時がある。損と益、盈と虚は、みな時勢に随いてともに推移する。按貞悔の例によれば、内卦は我、外卦は彼であり、内と外、上と下は、親疎が迥然として異なる。だから内卦の陽爻を取って外卦を増益するのは、我のほうではすなわち損失である——上下はすなわち内外である。《損》は《泰》から来り、《泰》の九三が上位に往くので「其道上行」と言う。「震」に「応」の象がある:二至四は互して「震」となり、ちょうど上卦「艮」という覆「震」の倒影で、回声の相応ずるがごとしなので「二簋応」と言い、《中孚》九二の「鶴鳴在陰、其子和之」と同一の道理である。
二簋應有時,言時當曷(左心)息,用二簋享,正與時應也。泰極還否,損者泰之終、否之始。損剛益柔有時者,按卦氣,損為七月卦,時已當否,陽日減,陰日增,正損剛益柔之時,不可不預知也。時當益則益,時當損則損;益則盈,損則虛,乾盈坤虛,應時而行,所謂窮則變、變則通也。
「二簋応有時」とは、時勢がまさに休憩止息に当たり、二簋の薄食を以て饗宴することが、ちょうど時に応ずることを言う。《泰》は極に至れば《否》に転回し、《損》はまさに《泰》の末尾、《否》の冒頭である。いわゆる「損剛益柔有時」は、漢代の卦気の説によれば、《損》は七月の卦で、節候はすでに《否》に迫り、陽気は日に日に減少し、陰気は日に日に増長し、まさに剛爻を減損し柔爻を増益する時節であり、あらかじめ知らざるべからず。時勢が増益すべきなら増益し、減損すべきなら減損する。増益すれば盈満し、減損すれば空虚する。「乾」は盈を主り、「坤」は虚を主り、時勢に随いて行うのは、すなわち《繋辞》の言う「窮則変、変則通」である。
象曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒欲。震為決躁,為武人,故為忿。乃上卦震覆為艮,艮止故曰懲忿。二至上正覆震,震為口,有爭食象,坤閉故曰窒慾。學易之君子,因以取法焉。
《大象伝》:山の下に沼沢があるのは《損》卦の象であり、君子はこれによって悟り、忿怒を克制し、欲望を閉塞すべきことを知る。「震」は決断躁動であり、また武人なので「忿」の象がある。そして上卦「艮」はまさに「震」の倒体であり、「艮」は静止を主り、忿怒を止めるので「懲忿」と言う。全卦の二から上は一正一覆の二つの「震」であり、「震」は口であり、两口が相向かえば争食の象がある。中は互して「坤」となり、「坤」は閉蔵を主り、この争食の口を閉じるので「窒欲」と言う。《易》を学ぶ君子はここに倣う。
初九:已事這往,無咎,酌損之。已虞作祀,晁氏云「巳古文祀宇」。按金文沈子它敦銘「用饗響已公」,已公即祀公。初應在四,四震為祭祀,兌為晌,遺速也。祀事遺往者,言宜往應四也。當位故無咎,所應為陰,故曰酌損。象曰:已事遙往,尚合志也。尚上同,上謂四,初四婚媾,故曰合志。四坤為志,其用卦變以坎為志者,非也。
初九爻辞:祭祀の事は急いで往き、過咎なし、斟酌して減損せよ。「已」の字は虞翻本は「祀」と作り、晁説之は「巳は古文の祀の字」と言う。按金文《沈子它簋》の銘文に「用饗祀公」とあり、「祀公」はすなわち先公を祭祀すること。初九は上に六四に応じ、六四は「震」体にあり、「震」は祭祀である。下体「兌」は享献であり、「遄」は急速である。「祀事遄往」とは、初九が駆けつけて六四と相応ずべきことを言う。初九は陽を以て陽に居りて當位なので无咎。応ずる所の六四は陰爻であり、陽が来て陰を益すれば減損する所有るので「酌損之」と言う。《小象》:已事遄往は尚合志也。「尚」は「上」と同じく、「上」は六四を指す。初と四は正応で婚配のごとしなので「合志」と言う。六四は三至五の互「坤」の中に処り、「坤」は「志」である。卦変を動員し、某爻を変じて「坎」にして「志」の象を求める説はみな正しくない。
九二:利貞,征凶,弗損益之。三已損矣,二不宜再損,故利於貞定也。震為征,二陽臨重陰,更利於徵,然二往五則下愈損,故征凶也。弗損者,即貞於二不動,不再損下也;弗損即益二矣,故曰益之。夫貞我侮彼,泰三陽三陰,而陽全在我,此所以為泰也。損我一陽以益外,已非善徵,若損之不已,則成否矣。否天地閉,賢人隱,故於二爻著以為戒,曰利貞,曰征凶。
九二爻辞:正を守るに利あり、出征すれば凶。減損せず、かえって増益である。六三はすでに損して出たので、九二はさらに損すべきでない。だから本位を安守するに利あり。「震」は征行であり、九二は陽を以て上の重陰に臨み、常例に照らせばなおさら往くべきである。しかし九二が一旦上行して五位に至れば、下体はさらに甚だしく損するので「征凶」と言う。いわゆる「弗損」とは、固く二位に守りて動かず、さらに下体を減損しないこと。下体を損しなければ、九二自身を増益したに等しいので「益之」と言う。按貞悔の例によれば、内卦は我、外卦は彼である。《泰》卦は三陽三陰で、三つの陽爻は全て我の側にあり、これでこそ《泰》となる。今や我の一陽を損して外卦を増益すれば、すでに好い兆しではない。もし一損再損すれば、《否》となる。《否》は天地閉塞し賢人が隠遁する時なので、この爻で特に垂戒して「利貞」と言い「征凶」と言う。
舊解惟王弼能識二之不宜往五,謂剛全上則剝道成。若虞翻則謂二不征之五則凶,故反經為說。豈知二陽得五陰為應,利往誠為常例,獨損二因其利往,再損內也,故因以為戒。乃後世如惠棟張惠言等,多祖述其說;獨姚配中識虞義之反經,乃又以利貞為之正,二之正成陰,陰與陰不相應,故征凶,仍以卦變為穿鑿。然則不獨易象失傳,易理之失傳更甚也。象曰:九二利貞,中以為志也。中謂二,言志貞於二,不前進也,故曰中以為志。舊解無不誤者。
旧注の中でただ王弼だけが九二は上に五位に往くべきでないと見抜き、剛爻がすべて上行すれば《剥》の局面が形成されると言った。虞翻に至っては、却って九二が五位に出征しないのが凶だと言い、経文の意をまるごと反対に説いた。彼は陽爻が五位の陰爻を得て正応とし、往くに利あるのは固より通例であるが、ただ《損》卦の九二は「利往」であるがゆえにかえって内卦を再損するので、それを以て垂戒したのだということを知らない。後世の恵棟・張恵言らは多く虞説を祖述した。ただ姚配中は虞翻が反対に講じたと見抜いたが、却ってまた「利貞」を「変之正」と講じた——九二が変じて正となれば陰爻となり、陰と陰は相応じないので征凶とし、依然として卦変を以て穿鑿する。これで見れば《易》象の失伝ばかりでなく、《易》理の失伝はさらに深刻である。《小象》:九二利貞は中以為志也。「中」は二位を指し、心志が二位に固く守りてさらに前進しないことを言うので「中以為志」と言う。旧注は一家として誤らないものがない。
六三:三人行則損一人,一人行則得其友。乾為人,泰三陽原為三人,今成兌,損一人矣。損三以益上,上乘重陰,陽以陰為友,故曰一人行則得其友,友謂四五。舊解以下應兌為友,故於三則疑之故,無有通者。象曰:一人行三則疑也。三陽上行則成否,否上九為四五所阻格,所謂敵也;敵則相疑相忌,而不相友矣,釋得友之故也。易於陰陽相遇為朋友之故,言之可謂明白矣。乃自荀虞以來,以兌二陽房二陰為朋友,相承至今。豈知陽遇陽陰遇陰,艮謂之敵應,中孚謂之得敵哉。
六三爻辞:三人が同行すれば一人を減損し、一人が独行すればかえって朋友を得る。「乾」は人であり、《泰》卦の下体の三つの陽爻はもともと「三人」である。今や一陽を損して「兌」と成ったのは、すなわち一人を減損したこと。六三を損して以て上九を増益すれば、上九は下に六五・六四の二つの陰爻を乗り、陽は陰を以て「友」とするので「一人行則得其友」と言い、「友」は四・五の二つの陰爻を指す。旧注は下体の「兌」を「友」としたため、「三則疑」の所以を講ずるに至って、一家として講じ通せるものがない。《小象》:一人行は三則疑也。三つの陽爻が一斉に上行すれば《否》となる。《否》の上九は九四・九五に遮られ、これがいわゆる「敵」である。すでに敵対となれば、互いに猜疑忌惮して相い友とすることができない。これはまさに「得友」の縁由を解している。《周易》は陰陽の相い遇うを以て朋友とする。説くこと実に明白と言うべき。しかし荀爽・虞翻以来、「兌」の二つの陽爻と二つの陰爻を朋友と算え、今日まで沿袭してきた。彼らはどこで知ろう、陽が陽に遇い、陰が陰に遇うのを《艮》卦は「敵応」と呼び、《中孚》は「得敵」と呼ぶことを。
六四:損其疾,使遄有喜,無咎。坤為疾,四得陽應,故曰損其疾。遄,往也。坤為憂,乾為喜,使遺有喜者,言往得陽應而喜也。坤疾象失傳,舊解故多不當。象曰:損其疾,亦可喜也。疾損故可喜。
六四爻辞:その疾病を減損し、それを早く来らしめれば喜庆があり、過咎なし。「坤」に「疾」の象があり、六四は初九を得て正応とするので「損其疾」と言う。「遄」は往である。「坤」は憂、「乾」は喜であり、「使遄有喜」とは往いて陽爻の応を得て喜を生ずると言う。「坤」が「疾」であるこの象は久しく失伝しているので、旧注は多く講じて妥当でない。《小象》:損其疾は亦可喜也。疾病はすでに減損したので、自然に喜ぶべきである。
六五:或益之十朋之龜,弗克違,元吉。艮為龜,漢書食貨志注蘇林曰「兩貝為朋,朋值二百一十六,元龜十朋」。艮為朋友,坤數十,故曰十朋之龜。言陽在上五得承之,若大寶之益也。陰順陽,故曰弗克違。五卦位最尊尊,故曰元吉。艮龜象失傳,侯果謂內柔外剛龜之象,豈知艮即為龜。象曰:六五元吉,自上佑也。
六五爻辞:人が彼に価十朋の大亀を贈り、推辞し得ず、元吉。「艮」に「亀」の象がある。《漢書・食貨志》の注は蘇林を引き「両貝を一朋とし、一朋は二百一十六銭に値し、元亀は十朋に値す」と言う。「艮」は朋友、「坤」の数は十なので「十朋之亀」と言う。これは上九の陽が上にあり、六五がそれを承奉し得て、重宝の増益を得るがごとしを言う。陰は陽に順うので「弗克違」(違逆し得ず)と言う。五は全卦で最も尊い位なので「元吉」と言う。「艮」が亀であるこの象は失伝して久しく、侯果は止むなく内柔外剛が亀の様子と言うが、彼はどこで知ろう、「艮」はそれ自身が亀であることを。《小象》:六五元吉は自上祐也。
益卦
益:利有攸往,利涉大川。貞我悔彼,以彼之陽,下來益我,故曰益也。歸藏曰誠,說文「誠,和也」。書召誥「其丕能誠於小民」,注亦訓誠為和。風雷同聲相應,和之至也。是周易以陽爻上下言,故曰益;歸藏合上下卦言,曰誠也。利有攸往,謂五,五既中且正,傳所謂中正有慶也。利涉大川謂初,坤大川,震為舟,初陽遇陰而通,故曰利涉,傳所謂術道乃行也。
《益》の卦辞:往く所あるに利あり、大川を渉るに利あり。按貞悔の例によれば、内卦は我、外卦は彼である。この卦は彼方の上体の一つの陽爻を下にして我方を増益するので「益」と言う。《帰蔵》はこの卦を「諴」と名づけ、《説文解字》は「諴、和也」と言う。《尚書・召誥》の「其丕能諴于小民」について、注もまた「諴」を和と訓する。上「巽」は風、下「震」は雷であり、風雷は同声相応じ、和の至りである。これで見れば《周易》は陽爻の上下の移動に眼を着けたので「益」と言い、《帰蔵》は上下両卦の相和するに眼を着けたので「諴」と言う。「利有攸往」は九五を指し、九五は中に居りてまた正を得る、《彖伝》のいわゆる「中正有慶」。「利渉大川」は初九を指す:「坤」は大川、「震」は舟であり、初九の陽は前に陰爻に遇いて通行するので「利渉」と言い、《彖伝》のいわゆる「木道乃行」。
象曰:益,損上益下,民說無疆。自上下下,其道大光。利有攸往,中正有慶。利涉大川,木道乃行。益動而巽,曰進無疆。天施地生,其益無方。凡益之道,與時偕行。坤為民,震為樂,故曰民說。坤為廣,故曰無疆。否四來居下卦之下,故曰自上下下。震為玄黃,故曰大光。
《彖伝》:《益》卦は上体を減損し下体を増益し、百姓の喜びは辺際なし。上位から下位に屈して居り、その道は広大にして光明。「利有攸往」は、九五が中正にして福慶あるがゆえ。「利渉大川」は、舟楫の道が通行し得るゆえ。《益》は下が動き上が巽順で、日に進みて辺際なし。天は気を施し地は化生し、その増益には定まる方所がない。凡そ増益の道は、みな時勢に随いてともに推移する。「坤」は民、「震」は楽なので「民説」と言い、「坤」は広大なので「无疆」と言う。《益》は《否》から来り、《否》の九四が下って下卦の最下に居るので「自上下下」と言う。「震」は玄黄の色なので「大光」と言う。
利有攸往,中正有慶,謂五。利涉大川,木道乃行,謂初。震為舟故曰木,古刳木為舟,故謂舟為木。渙曰乘木有功,中孚曰乘木舟虛,皆以木為舟。利涉大川,故曰木道乃行,言舟行水上,舟楫之利用溥也。此純釋利涉之義。坤為水,震為舟,故曰木曰行。程子不知本即為舟,改木為益,野文之害,至斯而極。
「利有攸往、中正有慶」は九五を指し、「利渉大川、木道乃行」は初九を指す。「震」は舟なので「木」と称する——古人は一木の木を刳り抜いて船を作ったので、船を「木」と呼んだ。《渙》卦《彖伝》に「乗木有功」とあり、《中孚》に「乗木舟虚」とあり、みな「木」を以て舟を指す。すでに大川を渉るに利あるので「木道乃行」と言い、舟が水上を行き、舟楫の利が普遍的に施されると言う。この句は純粋に「利渉」の義を解している。「坤」は水、「震」は舟なので「木」と言い「行」と言う。程頤は「木」がそれ自体で舟を指すことを解さず、ついに「木道」を「益道」に改めた。経文を粗率に妄改する害は、ここに至って頂点に達したと言うべきである。
陽自外來,故曰天施。震為生,坤為地,故曰地生。益者否之終、泰之始。太玄云「巳用則賤,當時則貴」,艮為時,與時偕行者,言時而當益,不能不益也。象曰:風雷益。君子以見喜則遷,有過則改。乾力善,坤為過,乾來初,得值得民,是遷善也;乾來初成震,坤象滅,是改過也,故學易之君子法之。
陽爻が外卦から下るので「天施」と言い、「震」は生、「坤」は地なので「地生」と言う。《益》は《否》の終点、《泰》の起点である。揚雄《太玄》は「すでに用いられしものは賤しく、まさにその時に当たるものこそ貴し」と言う。「艮」は時であり、いわゆる「与時偕行」とは、時勢が増益すべき時には、増益せざるべからずと言う。《大象伝》:風雷が交わり作るのは《益》卦の象であり、君子はこれによって悟り、善行を見れば遷りてこれに従い、過失あればすなわち改めることを知る。「乾」は善、「坤」は過である。「乾」の陽が下って初位に居り、位を得るとともに民心も得る、これが「遷善」である。「乾」の陽が来て初位に居りて「震」を成し、もとの「坤」の象は随って消滅する、これが「改過」である。だから《易》を学ぶ君子はこれに倣う。
初九:利用為大作,元吉元咎。虞翻云「大作謂耕播未來之利」。按虞書「平秩東作」,注「歲起於東,而始就耕,謂之東作」;禹貢「恆衛既從,大陸既作」,注「二水巳治,從其故道,大陸之地已可耕作」,是作即耕也。震為春,為耕,至春民盡耕,故曰大作。陽遇陰故利,乾元通,故元吉無咎。象曰:元吉無咎,下不厚事也。震健而決躁,故左氏以為射,言其速也。厚,餘也,行速故無餘事。坤為事,言初雖在下,往利無阻,事無積滯,仍利涉大川之意也。
初九爻辞:大いに農事を興すに利あり、元吉、過咎なし。虞翻は「大作とは耕種播撒して未来の収成を謀ること」と言う。按《尚書・尭典》の「平秩東作」について注は「一年は東方に起こり、この時より耕作を始める、これを東作と言う」と言う。《禹貢》の「恒水・衛水はすでに順流し、大陸の沢はすでに耕作し得」について注は「この二水はすでに治まり、旧道に帰り、大陸一帯の土地はすでに耕種し得」と言う——これで見れば「作」はすなわち耕である。「震」は春、耕であり、春に至れば百姓はみな田に下るので「大作」と言う。初九の陽は前に陰爻に遇うので利あり、乾元の気が貫通するので大吉にして過咎なし。《小象》:元吉无咎は下不厚事也。「震」の性は剛健にして決断躁進なので、《左伝》の占例は「震」を以て射とし、その迅速を取る。「厚」は多余であり、行動が迅速なので、積み残す余事がない。「坤」は事であり、初九は下位に居ると雖も、往いて順利で阻礙がなく、事が積滞しない。なお「利渉大川」の意である。
六二:或益之十朋之龜,弗克違,永貞吉,王用亨於帝吉。艮為龜為朋友,坤數十,故曰十朋之龜。二應在五,五又故以十朋之龜益二也。二得陽應,故曰弗克違。二當位,故永貞於二吉。震為帝,王謂五,震為祭祀,故曰享。王用享于帝吉者,言五應二,則二吉也。象曰:或益之,自外來也。外謂九五,恐人疑為初。
六二爻辞:人が彼に価十朋の大亀を贈り、推辞し得ず、久しく正を守れば吉。君王がそれを以て上帝を祭享すれば吉。三至五は互して「艮」となり、「艮」は亀、朋友であり、「坤」の数は十なので「十朋之亀」と言う。六二は上に九五に応じ、九五はこれによって十朋の亀を以て六二を増益する。六二は陽爻の応を得るので「弗克違」と言う。六二は柔を以て柔に居りて當位なので、長く二位を守れば吉。「震」は帝、「王」は九五を指し、「震」はまた祭祀なので「享」と言う。「王用享于帝吉」とは、九五が下に六二に応じ、六二がすなわち吉を得ると言う。《小象》:或益之は自外来也。「外」は九五を指す——人が誤って初九と思うことを恐れて、特に点明する。
六三:益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭。三居坤中,坤為凶,為事。益之用凶事,言上來益三,為五所阻,大畜初九所謂有厲也,故曰凶事。二三四陰爻皆承五,九云「中行無咎」,泰二云「得尚于中行」,中行謂五。有孚中行者,言三與二四,同孚於五也。震為言,故為告;為王故為圭。坤為眾,故曰公,公共也。三震為諸侯,告公用圭者,言約同諸侯執圭,共往朝五也。圭者天子所錫子,今朝天子,故執以為信。
六三爻辞:彼を増益するには凶事に用い、過咎なし。誠信を懐きて中道を行い、王公に禀告するときは玉圭を手に執る。六三は互「坤」の中に処り、「坤」は凶、事である。「益之用凶事」とは、上九が下って六三を増益せんとするも、九五に遮られることを言い、すなわち《大畜》初九の言う「有厲」である。だから「凶事」と言う。二・三・四の三つの陰爻はみな上に九五を承ぐ:《夬》九五は「中行无咎」と言い、《泰》九二は「得尚于中行」と言い、「中行」はみな五位を指す。「有孚中行」とは、六三が六二・六四とともに九五に孚信することを言う。「震」は言語なので「告」とし、「震」は王なので「圭」とする。「坤」は衆なので「公」と称し、「公」はすなわち共同である。六三は「震」体に処り、「震」は諸侯である。「告公用圭」とは、諸侯を約集して手に玉圭を執り、ともに往いて九五に朝見することを言う。圭は天子の賜う所であり、今や天子に朝するに往くので、圭を執って憑信とする。
舊解以凶事為凶喪,或為凶荒,則告之天子,告之友邦,而受其碑隧(左 )。告必將儀,或執壁,或用圭,如臧文仲以紀獻工告曜(左上入左下米)於齊。豈知告公用圭,即申有孚中行之義,與上之凶事無涉,是皆以他經例易,不知易文上下旬不必相屬也。象曰:益用凶事,固有之也。言陰遇陰,陽遇陽,近而不相得故凶,乃易理當然之事,故曰固有。
旧注は「凶事」を凶喪と講じ、あるいは凶年飢饉と講じ、そこで天子に禀告し友邦に通報して、その賻贈を受けると言う。禀告は必ず贄礼を帯び、あるいは玉璧を執り、あるいは玉圭を用いる。たとえば《左伝》に載る臧文仲が紀国の甗と玉磬を以て斉国に行きて糴糧したごときである。彼らは「告公用圭」がまさに「有孚中行」の意を申し説くもので、上文の「凶事」とは相渉らないことを知らない。これはみな他の経書の成例を取って《易》に比附し、《易》の文句は上下両句が必ずしも連属しないことを知らない。《小象》:益用凶事は固有之也。陰が陰に遇い、陽が陽に遇うは、位置は近いが互いに相い得ないので凶——これは《易》理の中にもともと然らざるを得ないことなので「固有」と言う。
六四:中行告公從,利用為依遷國。中行謂五,震為告,坤為臣,為眾,從謂順五。告公從者,言下三陰宜共同承五也。坤為國,震動,故曰遷國;艮止故曰依。左傳隱六年「我周之東遷,晉鄭焉依」,說文「依,椅也」。利用為依遷國者,言坤國播遷,至五艮而止,依以建國也。陰從陽故利,巽為利也。象曰:告公從,以益志也。坤為志,公從九五,陽益陰,故曰益志。自坤志象失傳,遂令某爻變成坎,以求志象矣。
六四爻辞:中道を行き、王公に禀告して衆人が順従する。ある所に依託して国都を遷徙するに利あり。「中行」は九五を指し、「震」は告であり、「坤」は臣、衆であり、「従」は九五に順従すること。「告公従」とは、下の三つの陰爻が共同して九五を承奉すべきことを言う。「坤」は国、「震」は動を主るので「遷国」と言い、三至五は互して「艮」となり、「艮」は止を主るので「依」と言う。《左伝》隠公六年に「我が周王室の東遷は、晋・鄭に依拠す」とあり、《説文解字》は「依、倚也」と言う。「利用為依遷国」とは、「坤」が象る国邑が遷徙流離して、五位の「艮」に至ってやっと停まり、この所に依託して重ねて国を建てると言う。陰は陽に順うので利あり、上体「巽」はまた利である。《小象》:告公従是以益志也。「坤」は志であり、王公が九五に順従するのは、陽が来て陰を増益するので「益志」と言う。「坤」が「志」であるこの象が失伝してから、注家は止むなくある爻を変じて「坎」を出して「志」の象を求めるようになった。
九五:有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我德。爾雅釋言「惠,順也」。坤為順為心,有孚惠心,言五孚於下坤而順我也。震為問,五震覆,故曰勿問。五位尊,故曰元吉。勿問元吉者,言五乘重陰而大吉也。乾為德,有孚惠我德,言下三陰皆承順我而有軍也。象曰:有孚惠心,勿問之矣;惠我德,大得志也。坤為志,陽為大,陽五下乘重陰,故曰大得志。管子度地「天下之人皆歸其德而惠其義」,注「惠,順也」,正說此也。
九五爻辞:誠信あって人の心に順い、占問するに及ばずして元吉。誠信あって我が徳に順う。《爾雅・釈言》は「恵、順也」と言う。「坤」は順、心であり、「有孚恵心」とは、九五が下体の「坤」と相い孚じて我に順うと言う。「震」は問であり、九五の処する上体は覆「震」で、反るとなれば不問なので「勿問」と言う。五は尊位なので「元吉」と言う。「勿問元吉」とは、九五が下に重々の陰爻を乗りて大吉と言う。「乾」は徳であり、「有孚恵我徳」とは、下の三つの陰爻がみな我に承順して相い孚じると言う。《小象》:有孚恵心は、さらに問うに及ばず。我が徳に順うは、心志を大いに得たり。「坤」は志、陽は大であり、九五の陽は下に重陰を乗るので「大得志」と言う。《管子・度地》に「天下の人はみな其の徳に帰り其の義に順う」とあり、注は「恵、順也」と言う。まさにこの処の用法である。
上九:莫益之,或繫之,立心勿恆,凶。上與五為敵,故曰莫益,言益三也。上應在三,然上若益三,則為五所忌,而或繫之。五艮體,艮為手為繫也。坤為心,上應在坤,下虛,處巽上,風隕,進退不果,故曰立心勿恆,凶。恆九三云「不恆其德」,益上九與恆九三同為賣上,故亦曰勿恆,緣巽下撓,故義同也。
上九爻辞:彼を増益する者なく、かえって彼を拴き繋ぐ者あり。心を立てて恒久ならざれば、凶。上九は九五と同じく陽爻で、敵対の関係なので「莫益」と言う——ここでの「益」は上九が往いて六三を増益することを指す。上九は本應六三に応ずるが、それがもし真に三を益しに行けば、九五の忌む所となり、そこで「或繋之」。九五は互「艮」の体にあり、「艮」は手、拴繋である。「坤」は心であり、上九の応ずる六三はまさに互「坤」の中にある。六三は陰柔にして虚で実なく、上九はまた「巽」体の上に居り、「巽」は風で陥落の象があり、「巽」の性はまた進退して果なし。だから「立心勿恒、凶」と言う。《恒》九三は「不恒其徳」と言い、《益》上九は《恒》九三と同じく「巽」体の上に処るので、これもまた「勿恒」と言う——「巽」は下が断じて撓曲するを以て、義を取るところが同じであるからである。
象曰:莫益之,偏辭也;或繫之,自外來也。恐其被繫,戒以莫益,故曰偏辭。左傳襄三年「君子謂奚舉其偏而不嘗」,注「偏,屬也,猶私也」。外謂五,五為上敵。下繫云「幾易之情,近而不相得則凶,或害之」,故上欲應三,五或繫之。五在外,言繫之者仍在外也。同人九三曰敵剛,中孚六三云得敵,子夏傳「三與四為敵」,是陽遇陽,陰遇陰,愈近而愈不相得。舊解自虞翻以來,皆不知此為周易根本定例,故說或繫之,皆不知繫上九者為何爻,而無不誤矣。
《小象》:莫益之は偏辞也、或繋之は自外来也。それが人に拴がれることを恐れたので、「莫益」を以て告誡する、これを「偏辞」と言う。《左伝》襄公三年の「君子は祁奚が自らの属官を挙げるに偏らずと言う」について、注は「偏は属、猶私のごとし」と言う。「外」は九五を指し、九五は上九の敵爻である。《繋辞下伝》に「凡そ《易》の情は、位置が近くて互いに相い得なければ凶、あるいは相い加害す」とある。だから上九が往いて六三に応じようとすれば、九五が来てそれを拴ぐ。九五は上九の外にあるので、それを拴ぐ力はなお外面から来ると言う。《同人》九三は「敵剛」と言い、《中孚》六三は「得敵」と言い、《子夏伝》は「三と四は互いに敵」と言う——これで見れば陽が陽に遇い陰が陰に遇うは、近ければ近いほど互いに相い得ない。旧注は虞翻以来、みなこれが《周易》の根本の通例であることを知らず、だから「或繋之」を講ずるとき、上九を拴ぐのがどの爻であるかを誰も言い出せず、したがって誤らないものがなかった。
按否泰者,天道之自然,為運會所必有,故以次於上經十卦之後;損益者,人事之進退,為人為之所關,故以次於下經第十卦之後。十者數之終,終則變,變則否泰迭更,損益互見,此其義也。又損者泰之終,以見否泰雖屬無道,而由否而奉,由泰而否,損之益之,推輓之權,則在人為,有定而無定也。此上下經天人之分,動靜之別,非參育之聖人,固不能知其故也。故於上經之否泰,自為一卷;下經之損益,自為一卷,以見此四卦為全經之樞紐,與他卦絕不同也。
尚氏の按語:《否》《泰》が講ずるのは天道自然であり、気運時会の中に必然として有るべきものなので、上経の第十卦の後に排する。《損》《益》が講ずるのは人事の進退であり、人の作為に関るので、下経の第十卦の後に排する。十は数の終点であり、終点に至れば変じ、一たび変ずれば《否》《泰》は交替更迭し、《損》《益》は互いに見える。これがそれらの意義である。また《損》は《泰》の末尾である。これで見れば《否》《泰》は天道に属すると雖も、《否》から《泰》に転じ、《泰》から《否》に転ずるは、あるいは損あり、あるいは益あり、その推挽転移の権柄は却って人為にあり、定まりあるようで実は定まりなし。これが上経と下経の天と人との分際、静と動との区別である。天地の化育を参賛し得る聖人でなければ、もともとその中の故を知る由もない。だから上経の《否》《泰》は自ら一巻を成し、下経の《損》《益》は自ら一巻を成し、以てこの四卦が全経の枢機であって、他の各卦とは截然として異なることを示す。
周易尚氏学 巻十三 下経
夬卦
決(無左):揚子王庭,孚號有厲,告自邑,不利即戎,利有攸往。王育云「夾即古文塊(左王)字」。按禮內則「右佩塊(左王)」,釋文「本又作決」;詩小雅「決(左水)拾既飲」是也。而決(左無)決,故決(左無)與決(左王)同。說文「玉佩也」,廣韻「合同似環而有缺」。決(左無)乾為玉為圜,兌上缺,儼然塊(左王)形也。而決者絕也,左傳晉獻公賜太子申生塊(左王),以示決絕。卦以五陽決一陰,故謂之決(左無)也。
《夬》の卦辞:王庭において公に宣揚し、誠信を以て呼号して危厲あり。自らの城邑から告誡を発し、兵を興して戦うに利あらず、往く所あるに利あり。「夬」の字は、王育は「夬はすなわち古文の『玦』の字」と言う。按《礼記・内則》の「右に玦を佩く」について《経典釈文》は「玦本また决と作る」と言い、《詩・小雅・車攻》の「决拾既佽」の「决」もまたこの字である。「夬」と「决」は相通ずるので、「夬」は「玦」と同じである。《説文解字》は玦は玉佩と言い、《広韻》はその形は環のごとくして缺口ありと言う。《夬》卦の下体「乾」は玉、円であり、上体「兌」はちょうど上に一口の欠けがあり、いかにも玉玦の形状である。そして「决」はまた断絶の義がある:《左伝》に晋献公が太子申生に玉玦を賜うは、すなわち決絶を表示するに用いたと記す。本卦は五つの陽爻を以て一つの陰爻を決去するので「夬」と言う。
歸藏以決(左無)為規,規圜也。決(左無)重乾,乾圜故為規;決(左王)亦圜,然上缺,是周易取象,與歸藏同而更切也。乾為王,伏艮為庭,一陰履五陽之上,故曰揚于王庭。兌口為號,厲危。孚號有厲者,言陰雖孚於陽,為陽所說,然窮處於上,須危厲自警也。
《帰蔵》は《夬》を「規」と呼び、「規」はすなわち円である。《夬》卦の二至四、三至五はみな「乾」であり、「乾」は円なので「規」と称し、玉玦もまた円で、ただ上に一つの缺口がある。これで見れば《周易》の取象は《帰蔵》と同じく、しかもなお貼切である。「乾」は王であり、上体「兌」に伏する「艮」は庭院であり、一つの陰爻が五つの陽爻の上を踏むので「揚于王庭」と言う。「兌」は口なので呼号とし、「厲」は危である。「孚号有厲」とは、上六の陰は下の陽と相い孚じ陽の悦ぶ所と雖も、それは孤窮にして最上に処るので、必ず危厲を以て自ら警めなければならないと言う。
兌口故曰告,兌為斧鉞,故曰戎。說文「戎兵也」,禮月令「以習王戎」,注「弓殳矛戈戰」。伏艮為邑。告自邑,不利即戎者,言一陰危處於上,告誡國人,不可妄動也,皆指上六言也。利有攸往,謂五。決(左無)本陽息卦,五息而往則陰盡。決(左無)者決也,決者絕也,陽決陰也。
「兌」は口なので「告」と言い、「兌」はまた斧鉞なので「戎」と言う。《説文解字》は「戎、兵器也」と言い、《礼記・月令》の「以習五戎」について鄭注は弓・殳・矛・戈・戟と挙げる。上体「兌」に伏する「艮」は邑である。「告自邑、不利即戎」とは、一つの陰爻が危うく最上に処り、ただ国人に妄りに挙動するなかれと告誡するしかないと言う——この数句はみな上六に就いて言う。「利有攸往」は則ち九五を指す。《夬》はもともと陽気の生長する消息卦であり、九五がさらに上に生長すれば、陰爻は消尽する。「夬」はすなわち「決」、「決」はすなわち断絶で、陽が陰を決去するを指す。
象曰:決(左無),決也,剛決柔也。健而說,決而和。揚于王庭,柔乘五剛也。孚號有後,其危乃光也。告自邑,不利即戎,所尚乃窮也。利有攸往,剛長乃終也。下健上說,說故和。其危乃光者,危謂陰退,陰退則陽長,陽長故光。所尚乃窮,申不利即戎之故也。陽長乃終,終謂陰盡也。
《彖伝》:「夬」はすなわち決であり、剛爻が柔爻を決去する。下体は剛健、上体は和悦で、決断して和順を失わず。「揚于王庭」は、一つの柔爻が五つの剛爻の上に凌駕することを言う。「孚号有厲」は、危を知ってこそ光り大なるを言う。「告自邑、不利即戎」は、武力を崇尚すれば絶路に至るを言う。「利有攸往」は、剛爻が終点まで生長するを言う。下卦「乾」は健、上卦「兌」は悦であり、悦なるがゆえに和。「其危乃光」は、「危」は陰爻の退去を指し、陰退けば陽長し、陽長するがゆえに光明。「所尚乃窮」は、なぜ兵を興すに利あらざるかを申し説く。「剛長乃終」は、「終」は陰爻が消尽するを言う。
象曰:澤上於天,決(左無)。君子以施祿及下,居德則忌。祿謂恩澤,澤在天上無用,故君子思以下施。乾為富,故為德,德得同。苟子禮論篇「貴始得之本也」,注「得當為德」。居,積也。下乾,二至四,三至五,皆乾,乾多故曰居德。居德則忌者,言蓄積大多,多藏厚亡,為人所忌也。象辭每相反以取義,此亦其一也。
《大象伝》:沢水が天に升るは《夬》卦の象であり、君子はこれによって悟り、俸禄を施散して下民に及ぼすべきを知り、徳沢を屯積するは忌むべきを知る。「禄」はすなわち恩沢である。水沢が天上に積みて取り用るに由なし、だから君子は下に施与せんと思う。「乾」は富、それによって徳であり、「徳」と「得」は同義である。《荀子・礼論篇》の「貴始、得之本也」について注は「得は徳と作るべし」と言う。「居」は積蓄である。この卦は下体が「乾」であり、二至四、三至五もまた「乾」なので、「乾」は多しゆえに「居徳」と言う。「居徳則忌」とは、蓄積が多すぎると多蔵は必ず厚亡を致し、人の忌恨を招くと言う。《大象》の辞は往々にして反対の一面から義を取る、これもまたその一例である。
初九:壯于前趾,往不勝為咎。初震爻,震足故曰趾,震動故曰前趾。壯,傷也。陽遇陽得敵,故傷於前趾,故往不勝而有咎矣。趾荀作止,晁氏云「止古文」。按說文有止無趾,止即足之象形字,加足者非也。象曰:不勝而往,咎也。前有重陽,所遇皆敵,不勝必矣。明知不勝而往,宜其有咎。
初九爻辞:足趾の前端を傷つけられ、往いて勝つ能わず、過咎あらん。初九は「震」の爻位であり、「震」は足なので「趾」と言い、「震」は動を主るので「前趾」と言う。「壮」は傷である。陽爻が前に陽爻に遇うを「得敵」と言うので、前趾を傷し、それによって往いて勝つ能わずにして咎あり。「趾」の字は荀爽本は「止」と作り、晁説之は「止は古文」と言う。按《説文解字》には「止」ありて「趾」なし、「止」はすなわち脚の象形字で、後に「足」の旁を加えたのは誤りである。《小象》:不勝而往は咎也。初九の前は重々の陽爻で、遇う所はみな敵なので、必ず勝つ能わず。勝たぬを知りてなお往く、過咎あるは当然である。
九二:惕號,莫夜有戎,勿恤。乾為惕為言,故曰惕號,言有所警戒也。二應在五,五兌,兌為昧谷,故為莫為夜;兌為兵戎,故曰莫夜有戎,言有寇警也。然五不應二,故雖莫夜有戎,無憂也。乾為惕故為憂。舊解因不知勿恤之故何在,故用象皆誤。豈知隨象云「君子以晌晦人宴息」,晌晦即謂兌。然則兌為莫夜,易有明象,而兌五不應二,故雖有虛驚,實不足憂恐也。象曰:有戎勿恤,得中道也。乾為道,二中位。
九二爻辞:警厳して呼号し、暮夜に兵戎の警あり、憂慮するに及ばず。「乾」は惕、言なので「惕号」と言い、戒備する所有ると言う。九二は上に九五に応じ、九五は「兌」体にあり、「兌」は西方昧谷の位に当たるので「莫」(暮)、夜とし、「兌」はまた兵戎なので「莫夜有戎」と言い、敵情の警報あると言う。ただ九五と九二は同じく陽爻で相応じないので、夜警あると雖も、憂うに足らず。「乾」は惕、それによって憂である。旧注は「勿恤」の所以がどこにあるかを明らかにしないので、用いる象がみな誤る。彼らは思いもしない、《随》卦《大象》が「君子以向晦入宴息」と言い、「向晦」はまさに「兌」を指すことを。これで見れば「兌」が暮夜であるのは、《易》にもともと明白な象がある。そして五位の「兌」は二と相応じないので、一場の虚驚あると雖も、実は憂恐るるに値しない。《小象》:有戎勿恤は得中道也。「乾」は道であり、九二はまた下卦の中位に居る。
九三:壯於頂,有凶。君子決決(左無)獨行,遇雨,若儒,有慍,無咎。顧(左九)面顴也。三居下卦之上,故曰頒(左九);而四五皆陽,故傷及於頎(左九),傷頎(左九)故凶。乾為君子,承乘皆陽遇敵,故決決(左無)獨行;而應在上,上兌為雨,故曰遇雨,曰若濡。濡,雨(下沾)溼也。乾為衣,衣濡故溫,然究為正應,亦無咎也。象曰:君子決決(左無),終無咎也。決決(左無)獨行狀。三於四五雖遇敵,於卜獨有應,故曰終無咎。終謂上。
九三爻辞:頬骨に傷つけられ、凶あり。君子は決然として独行し、大雨に遇い、渾身濡れそぼち、心中に怒りを含むも、過咎はない。「頄」は面頬の上の頬骨である。九三は下卦の頂に居るので「頄」と称し、そして九四・九五はみな陽爻なので、頬骨を傷するに及び、頬骨を傷したので凶。「乾」は君子であり、九三は上に承げ下に乗るもみな陽爻で、至る所敵に遇うので、決然として独行する。それは上六と正応であり、上体「兌」は雨なので「遇雨」と言い「若濡」と言う——「濡」はすなわち雨水に沾濡すること。「乾」は衣であり、衣裳が淋し濡れするので愠怒を生ず。ただ上六は畢竟その正応なので、終わりに過咎なし。《小象》:君子夬夬は終无咎也。「夬夬」は決然として独行する様子。九三は九四・九五に対しては敵に遇うと雖も、上六に対しては独り正応があるので「終无咎」と言う——「終」は上爻を指す。
九四:臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信。伏艮為膚,為尾,故為臀,臀尾閭也,艮伏故曰元膚。乾為行,承乘皆陽,失位,故其行次且。次且,馬云「卻行不前也」。兌為羊,玉篇「牽速也」,娠九三云「行未牽也」,亦以奉為速。次且行緩,速則無悔。牽羊悔亡者,言四宜隨五,速進決陰,陰決則當位居五,故曰悔亡。舊說皆不知悔亡之故何在,則以牽字失詁也。
九四爻辞:臀部に皮肉なく、行くに躊躇して前進せず。羊を牽いて行けば悔恨は消えるが、規勧の言を聞きて信ぜず。上体「兌」に伏する「艮」に「膚」の象、「尾」の象があり、それによって「臀」とする——臀はすなわち尾閭のある所。「艮」は伏して見えないので「无膚」と言う。「乾」は行であり、九四は上に承げ下に乗るもみな陽爻で、自らはまた陽を以て陰に居りて位を失するので「其行次且」。「次且」は、馬融は「退縮して前まず」と言う。「兌」は羊であり、《玉篇》は「牽、速也」と言い、《姤》九三《小象》は「行未牽也」と言い、これも「牽」を速と訓する。「次且」は行動が遅緩で、速くなれば悔なし。「牽羊悔亡」とは、九四が九五に随い、速やかに前進して上六の陰を決除すべきことを言う。陰が一たび決去すれば、九四は進んで五位に居りて當位するので「悔亡」と言う。旧説はみな「悔亡」の所以がどこにあるかを明らかにしないのは、「牽」の字の訓釈が失伝したためである。
兌為耳,故曰聞。乾為言為信,兌口亦為言。聞言不信者,兌言向外,與乾言相背,故不信也。兌耳象,鼎傳云「翼而耳目聰明」,目謂上離,耳謂互兌也。象曰:其行次且,位不當也;聞言不信,聰不明也。兌為耳,為黯昧,故曰不明。不明猶不審,俗所謂不清。虞氏以離目當之,非。
「兌」は耳なので「聞」と言う。「乾」は言、信であり、「兌」は口でもありまた言である。「聞言不信」とは、「兌」の言語は外に向かい、「乾」の言語と相い背くので、信じないと言う。「兌」が耳であることには拠がある:《鼎》卦《彖伝》に「巽而耳目聡明」とあり、「目」は上体の「離」を指し、「耳」はすなわち二至四の互「兌」を指す。《小象》:其行次且は位不當也、聞言不信は聡不明也。「兌」は耳であり、また暗昧なので「不明」と言う。「不明」は猶ほ不審のごとく、俗に言う聞き取りが明らかでない。虞翻は「離」の目の象を取ってこの句を講ずる、正しくない。
九五:覓陸決決(左無),中行無咎。盂喜云「覓陸獸名」,決(左無)有兌,兌為羊也,說文亦云「崑山羊細角」。諸家說此二字,人人異辭,獨孟氏於象密合。凡五皆謂中行,又決決(左無)於羊行貌獨切。鄭虞等訓克陸為草屬,草焉有決決(左無)之象哉。象曰:中行無咎,中未光也。兌黯昧,故未光。
九五爻辞:莧陸の羊は決然として行き、中道を行きて過咎なし。孟喜は「莧陸は獣の名」と言う——《夬》卦の上体に「兌」あり、「兌」は羊であり、《説文解字》もまた「莧、山羊、角細」と言う。各家がこの二字を解するに、人ごとに説を異にし、ただ孟喜の説のみが卦象と密合する。凡そ五位はみな「中行」と呼ぶ。そして「夬夬」の二字を以て羊の歩相を形容するもまた、格外貼切である。鄭玄・虞翻らは「莧陸」を草類と訓するが、草にどうして「夬夬」と行く様があろうか。《小象》:中行无咎は中未光也。「兌」は暗昧を主るので「未光」と言う。
上六:無號,終有凶。一陰在上,為陽所推,不能久也。兌為口故曰號。無號終有凶者,言不必號號眺(左口),必消滅也。象曰:無號之凶,終不可長也。不可長,言不能長久。
上六爻辞:呼号するに及ばず、終わりに凶あり。一つの陰爻が孤として最上に懸り、下の五陽に推逼されて、長くあり得る筈なし。「兌」は口なので「号」と言う。「无号終有凶」とは、さらに号啕して哭叫するに及ばず、それは必ず消滅せられると言う。《小象》:无号之凶は終不可長也。「不可長」とは、長く存在し得ないと言う。
姤卦
垢(左女):女壯,勿用取女。歸藏曰夜,古娶必以夜,故曰昏。後陰遇陽,即女遇男,亦婚垢(左女)也,是夜與垢(左女)義同也。女謂陰,虞翻云「壯傷也」,陰傷陽,柔消剛,故曰女壯。勿用取女,戒詞也。
《姤》の卦辞:女子があまりに強壮である、かかる女を娶るなかれ。《帰蔵》はこの卦を「夜」と名づける——古は妻を娶るに必ず夜間になしたので、婚礼を「昏」と呼ぶ。そして陰が陽に遇うはすなわち女が男に遇う、すなわち婚媾であるので、「夜」と「姤」は意義が相通ずることが見える。「女」は陰爻を指す。虞翻は「壮はすなわち傷」と言い、陰が陽を傷害し、柔が剛を消蝕するので「女壮」と言う。「勿用取女」は告誡の辞である。
象曰:尼(左木),遇也,柔遇剛也。勿用取女,不可與長也。天地相遇,品物咸章也。剛遇中正,天下大行也。垢(左女)之時義大矣哉。消息卦乾盈於巳,盈則必虧,故至午而一陰生於下,陰遇陽,故曰天地相遇。時當五月,萬物潔齊,而巽為草木,為高,為長,故曰品物咸章。荀爽以南方夏位說品物咸章,於象亦切也。
《彖伝》:《姤》は相遇であり、柔が剛に遇った。「勿用取女」とは、彼女と久しく相い処すべからずと言う。天地陰陽が相い遇えば、万物はみな光華を彰す。剛爻が中正の位に遇えば、教化は天下に通行し得る。《姤》卦が時に順って義を取るの大なり。按十二消息卦によれば、「乾」の純陽は巳月に盈満し、盈満すれば必ず虧損するので、午月に至って一つの陰爻が底下から生出する。陰が陽に遇うので「天地相遇」と言う。この時まさに五月に当たり、万物は潔斉にして整い、しかも上体「巽」は草木、高、長なので「品物咸章」と言う。荀爽は南方夏位を以て「品物咸章」を解釈するが、取象として言うも甚だ貼切である。
五剛既中且正,教化天下,命令大行,如風之博遍。垢(左女)五月卦,故曰時。天地相遇,歲功方成,故曰時義大也。鄭玄謂垢(左女)一女當五男,非禮之正,故謂之振;女壯以淫,故不可取。而朱子喜用其說,便謂女德不貞,於易理太不類也。
九五の剛は中に居りてまた正を得、天下に教化して、命令は通行して阻まることなく、風のごとく各処を吹き遍す。《姤》は五月の卦なので「時」と言う。天地が相い遇い、一年の収成才てこそ成就し得るので「時義大也」と言う。鄭玄は《姤》は一つの女子が五人の男子に対するので、礼の正道に合わず、それゆえ「姤」と呼ぶと言い、また女子が強壮なのは淫佚によるので、娶るべからずと言う。朱熹は彼の説を採るを好み、すなわち女徳の貞ならずと講ずる。これは《易》理とあまりに類らない。
象曰:天下有風,尼(左木)。后以施樹四方。復冬至,垢(左女)夏至。易林復之履云「先王日至,不利出城」,又晉之解云「二至之戒,家無凶禍」。故復象云「先王以至日閉關,商旅不行,后不省方」。至日,王弼孔穎達皆謂二至。又漢書薛宣傳「至日休吏」,由來已久,注「至日夏至冬至也」。蓋古時視二至最重,自周訖南宋,可考見者,至日皆停止工作。乾為後,巽為命,伏坤為四方。后以施命浩四方者,言君以夏至之日,施命令止四方行旅也。後漢魯恭傳說此,最合古義,詳焦氏易詁中。
《大象伝》:天下に風あるは《姤》卦の象であり、君主はこれによって命令を発し、四方に誥諭する。《復》は冬至に当たり、《姤》は夏至に当たる。《焦氏易林・復之履》に「先王は至日において、出城に利あらず」とあり、《晋之解》にまた「二至の禁忌を謹守すれば、家中に凶禍なし」と言う。だから《復》卦《大象》に「先王以至日閉関、商旅不行、后不省方」と言う。この「至日」は、王弼・孔穎達はともに冬至夏至を兼指すると考える。《漢書・薛宣伝》に「至日休吏」とあるので、その来由は久しい。注は「至日はすなわち夏至・冬至」と言う。大抵古は二至を最も重んじ、周代から南宋に至るまで、凡そ考え見られる所では、至日はみな工作を停止した。「乾」は后(君)、「巽」は命、「巽」に伏する「坤」は四方である。「后以施命誥四方」とは、君主が夏至の日に命令を頒布し、四方の行旅を禁止することを言う。《後漢書・魯恭伝》はこの一条を講じて最も古義に合う、詳しくは拙著《焦氏易詁》に見よ。
初六:繫於金尼(左木),貞吉,有攸往,見凶,贏豕孚摘(左足)躅。巽為繩,故曰繫;巽木乾金,故曰金尼(左木)。馬融云「尼(左木)在車下,所以止輪」,釋文廣雅云「止也」。說文作稱(左木),云「絡絲趺」。按今本說文,跌訛為稱(左木),云「人木稱(左木)聲,讀若尼(左木)」。
初六爻辞:金属の柅に繋ぎ止められ、占問して吉。もし往く所あれば、凶を見る。痩せた牝豚は必ず躁動する。この卦は下「巽」上「乾」:「巽」は繩索なので「繫」と言い、「巽」はまた木、「乾」は金、木器に金を飾るので「金柅」と言う。「柅」とは何かについて、馬融は「柅は車輪の下に装し、車輪を止める用」と言い、《経典釈文》が引く《広雅》も「柅」を「止」と訓じる。《説文解字》ではこの字を「檷」と作り、「絡糸趺」と釈して、糸を繞る架の下の底座である。按ずるに今本《説文》は「趺」字を「檷」に訛して、その説解が「木より、檷聲、柅と讀若す」となり、文義かえって通じなくなった。
陶廬云「古從爾從尼(左木)之字,同音通用」。毛詩「飲餞於爾(左 )」,韓詩作坭;書「典祀勿,豐於呢」,釋文引馬云「考也,謂稱廟也」。然則尼(左木)稱(左木)古通用,後儒必謂爾(左木)是者非也。況馬君訓作止車木,可證古文原作尼(左木);若為爾(左木),馬君能有異說哉。
陶方琦は「古、凡そ『尔』より聲を得た字と『尼』より聲を得た字は、同音にして通用す」と言う。例えば《毛詩》「飲餞于禰」は《韓詩》では「坭」と作り、《尚書・高宗肜日》「典祀無豊于昵」は《経典釈文》が引く馬融の説に「昵は考なり、父の廟を指す」——同じ字で二種の寫が並行する。されば、「柅」と「檷」は古い本に通用できたはずで、後の學者が必ず「檷」と作ってのみ正しと斷ずるは、正しくない。況んや馬融がこの字を車輪を止める木と訓じたは、正に古本が元より「柅」と作したを證明す。假に原文が「檷」この繞糸の架ならば、馬融はどうしてこうも異なる一種の釋を與へ得よう。字形一たび考定されれば、下文「繫于金柅」が「止住」の義を取るに着落がある。
按絡絲者,絡絲之器,王肅所謂尼(左木)織績之器,婦人用者是也。趺者橫木,安絡器下,以防欹側,在下似足,故謂之跌。唐陰宏道云「絡器,關西謂之絡垛,梁益謂之絲登,其下附(左木)即尼(左木)也」。按陰氏所謂附(左木),即說文之趺,故玉篇即作絡絲附(左木)。陳壽棋云「附(左木)趺同字」。絡,縛也,與繫同義。
按ずるに謂はゆる「絡糸」とは、糸を繞る器具を指し、すなはち王肅の謂ふ「柅は紡績績麻の器具、婦人の用ふるもの」のその物である。「趺」は一本の横木で、繞糸器の下に安め、それが歪み傾くを防ぐ。下にあって脚のやうなので「趺」と呼ぶ。唐人陰宏道は「繞糸の器具、關西一帯は絡垛と呼び、梁州益州一帯は絲登と呼び、その下の柎が即ち柅」と言う。陰氏の謂ふ「柎」は即ち《説文》の「趺」で、だから《玉篇》は徑に「絡「絡糸柎」と寫す。陳壽祺は「柎と趺は同じ字」と言う。「絡」は纏縛の義で、爻辭の「繫」と同義である。
繫於金尼者,言以絲縛於金尼(左木)之上,止而勿動,以喻陰不宜動而消陽,故下雲往見凶,是其義也。貞吉者,卜問吉;往見凶者,進則凶也。巽為贏(下中羊)為豕,巽進退,故滴(左足)躅。羸,釋文陸讀為累,鄭力追反,是仍讀為累,與大壯同,累纏繞也,羸累累音同通用。巽為繩故為贏,巽伏故亦為豕。滴(左足)躅,動也。羸豕孚滴(左足)躅者,言豕雖拘贏,然滴(左足)躅前進,信其必然,不可忽也,喻陰雖微,後必長也。巽豕象失傳,詳焦氏易詁易象補遺。
「繫于金柅」とは、絲繩を以て金柅に縛り、止めて動かさず、以て陰爻が妄りに動いて陽爻を消蝕すべからざるを譬喩する。故に下文に「有攸往、見凶」と言ふは、卽ちこの意である。「貞吉」は卜問の得たる所が吉。「往見凶」は前進すれば凶。「巽」は羸、豕であり、「巽」の性は進退定まらず、故に「蹢躅」(徘徊躁動)の象あり。「羸」字は《釋文》に陸績が「累」と讀むと言ひ、鄭玄の注音は力追反で、仍ほ「累」と讀み、《大壯》卦と同じ。「累」は纏繞で、羸・累・纍の三字は音同じくして通用す。「巽」は繩なので「羸」(纏縛)を爲し、「巽」は伏なのでまた「豕」を爲す。「蹢躅」は躁動である。「羸豕孚蹢躅」とは、牝豚は縛られたれど、仍ほ蹢躅して前に拱かむとし、それが必ずかくなるを斷じて言ひ、輕忽すべからず——陰爻が目下微弱なるも、日後必ず生長することを譬喩す。「巽」が豕たるこの象は久しく失傳し、詳しくは拙著《焦氏易詁》《易象補遺》を見よ。
象曰:繫於金尼(左木),柔道牽也。玉篇「牽速也」。下九三象釋其行次且,曰行未牽也,是象傳亦訓牽為速。柔道牽者,言柔之為道,消陽甚速,故以金尼(左木)止之。諸家皆謂柔牽於二,失經旨。經旨恐陰進危陽,故止其動;象釋為柔道牽,申繫於金尼(左木)之故也。牽速之象取風疾,兼取巽繩。
《小象》曰く:繫于金柅は、柔道牽なり。《玉篇》曰く「牽、速也」。下の九三の《小象》は「其行次且」を釋して「行未牽也」と言ひ、見るに《象傳》も「牽」を速と訓ず。「柔道牽」とは、陰柔この道は陽氣を消蝕する極めて速なり、故に金柅を以てそれを止めるを要す。各家は皆、陰柔が九二に牽かれたると言ひ、經文の本旨を失ふ。經文の本旨は陰爻が上進して陽爻を害するを憂ふるに在り、故にその動を止める。《象傳》が「柔道牽」と解するは、正に何が故に「繫于金柅」するかを申説す。「牽」に速の義あり、「巽」風の疾速に象り、同時にまた「巽」が繩たるを兼取す。
九二:苞有魚,無咎,不利實。苞今本作包,書禹貢「草木漸包」,釋文「或作苞」,是包苞古通,故虞氏作苞,見釋文。虞云「巽為白茅」,詩「白茅苞之」。巽為魚,二據陰居中,故曰苞有魚。巽為賓客,不利賓者,賓指上四陽,言初為二所據,四陽不能及初也。子夏傳作庖,而荀爽則作胞,胞 通,是皆以庖廚為義,然卦元是象,故虞氏合也。象曰:苞有魚,義不及賓也。二近,賓遠,故義不及。
九二爻辞:包に魚あり、咎なし、賓に利からず。「苞」字を今本は「包」と作す。《尚書・禹貢》「草木漸包」に《釋文》「或は苞と作す」と言ひ、見るに包・苞は古く相通じ、だから虞翻本は「苞」と作し、《釋文》に見ゆ。虞翻は「巽は白茅」と言ひ、《詩・召南・野有死麕》に「白茅これを包む」とあり。「巽」は魚、九二は初六の陰に據りて下卦の中位に居るので「苞有魚」と言」と言ふ。「巽」は賓客。「不利賓」の「賓」は上の四つの陽爻を指し、初六が既に九二に占められたるを言ひ、餘りの四陽は初六に及ばざるなり。《子夏傳》はこの字を「庖」と作し、荀爽本は「胞」と作し、「胞」と「庖」は相通じ、彼らは皆庖厨より義を取る。しかるにこの卦は本から魚象あり、故に仍ほ虞翻の講法が卦象に合す。《小象》曰く:苞有魚は、義賓に及ばざるなり。九二は初六に近く、餘の賓客は遠きを離る、故に理よりして及ばず。
九三:臀無膚,其行次且,厲,無大咎。三居下卦之末,故亦曰臀。初陰爻,下爛,故曰無膚。乾為行,三得敵,故次且不前。然三當位,故雖危厲而無大咎也。舊解皆不知次且之故何在,而以復震為行為說,失之遠矣。象曰:其行次且,行未牽也。行未牽,即行未速,次且者卻行未前,故日未速。
九三爻辞:臀部に皮肉なく、行は躊躇して前に進まず、危厲あり、然大の咎なし。九三は下卦の末端に處るので「臀」と亦稱す。初爻は陰、下が斷裂して虚なので「无膚」と言ふ。「乾」は行。九三の上下に遇ふは皆陽爻で、「得敵」なので躊躇して進まず。但し九三は陽を以て陽に居り當位なので、危厲なるも大咎なし。舊注は皆「次且」の緣由の何に在るかを知らず、卻って覆「震」を行として解說し、差ること遠し。《小象》曰く:其の行次且は、行未だ牽ならざるなり。「行未牽」とは行き速ならざること。「次且」は退縮して前に進まず、故に速ならずと言ふ。
九四:苞無魚,起凶。四應初,疑於有魚,豈知初已為二所據,實無魚也。無魚則勿動,動應初則為二三所害,故凶。起,作也。象曰:無魚之凶,遠民也。陰為民,言四距初遠,故無魚也。
九四爻辞:包に魚なし、動けば凶。九四は初六に相應し、看るに魚あるべきに似たり。知らず、初六は早くも九二に占められ、實に魚なし。魚なきが故に妄動すべからず、一たび動いて初六に應ぜば、便ち九二・九三に害され、故に凶。「起」は發動。《小象》曰く:魚なきの凶は、民に遠きなり。陰爻は民。九四が初六を離るること遠きを言ひ、故に魚を得ず。
九五:以把苞瓜,含章,有隕自天。下巽為杞,上乾為圜,為瓜。孟子告於曰「以人性為仁義,猶以杞柳為否(左木)卷(左木)」,說文「否(左木)?也」,「卷(左木)屈木盂也」。以杞苞瓜者,言以杞柳之器盛瓜也。乾為大明,故曰章;瓜為所苞,故曰含章。五承乘皆陽,行窒,故含章自守。五天位,巽為隕,有隕自天者,言不久明消至二,五與為應,有隕落之險也。知其險而預為之備,則得矣,此聖人防微慮遠之意也。
九五爻辞:杞柳の器を以て瓜を盛り、文采を含蓄し、天より隕ち來るものあり。下體「巽」は杞、上體「乾」は圓、瓜である。《孟子・告子》は「人性を以て仁義を爲すは、杞柳を以て杯棬を爲すが如し」と言ひ、《説文解字》は「桮は器なり」「棬は木を屈して作れる盂なり」と言ふ。「以杞苞瓜」とは、杞柳を編んだ器皿を以て瓜を盛ると言ふ。「乾」は大明なので「章」と言ひ、瓜は内に包藏せられたるので「含章」と言ふ。九五の承ぐ上・乘ぐ下は皆陽爻、行路窒塞なので、ただ文采を含蓄してその位に自守するのみ。五は天位、「巽」に「隕落」の象あり。「有隕自天」とは、ほどなく陰氣が消長して二位に至り、九五は二と應なり、隕落の險ありと言言ふ。險あるを知りて豫め防げば、妥當なり——これ聖人が微を防ぎ漸を杜じ、事を慮ること深遠なるの用意である。
自荀虞以來,皆不知左傳有風隕象,因之清儒亦皆不知,於是虞氏令四隕初之說,沿襲至今,而經義全晦。復六五曰敦復無侮,待陽息至二,五有應而古;此則廬陽消至二,五應之而凶。象曰:九五含章,中正也;有隕自天,志不時也。巽為命,舍命謂任命也。志不舍命者,言知其後有隕落之險,不任命而預防之也。
荀爽・虞翻以来、《左傳》占例中に「巽」風に隕落の象あるを知らず、それ故に清代の學者も一概に知らず、ここに於いて虞翻のあの「九四を隕落して初位に至らしむ」の説が今日に沿袭し、經義全く遮蔽せらる。《復》卦六五は「敦復无悔」と言ひ、あれは陽氣の生長して二位に至るを待ち、六五は應ありて吉。ここは則ち陰氣が消長して二位に至り、九五はそれと相應じてかえって凶。《小象》曰く:九五含章は、中正なり。有隕自天は、志命を舍てざるなり。「巽」は命、「舍命」とは天命に聽き任すこと。「志不舍命」とは、九五は明かに日後隕落の險あるを知りて、天に由り命に任すを肯ぜず、豫め之を防備すと言ふ。
上九:尼(左木)其角,吝,無咎。乾為首,上九居乾之上,角之象也,故曰垢(左女)其角,然亦無大咎也。象曰:尼(左木)其角,上窮吝也。處亢龍之位,故窮吝。
上九爻辞:相遇は犄角に在り、吝惜あり、然咎なし。「乾」は首、上九は「乾」體の最上に居り、正に頭頂に角生ずるの象なので「姤其角」と言ふ。但だし大の災禍もなし。《小象》曰く:姤其角は、上に窮して吝なり。上九は《乾》卦「亢龍有悔」のやうなる位置に處る、故に窮にして且つ吝なり。
萃卦
萃:王俊有廟,利見大人,亨利貞,用大牲吉,利有攸往。蘋聚也,坤為萬物,聚於澤中,故曰萃。王謂五,艮為廟,假格通至也,巽為人。王假有廟,言王以至誠,格於宗廟而有事也。九五得位,故曰利見大人;二五應予,故曰亨利貞。兌為羊,巽為豕,坤為牛,皆大牲,有事於宗廟用之而吉也。利有攸往,謂二應五,五天位,故傳曰順天命。
《萃》卦辭:君王宗廟に至り、大人を見るに利あり、亨にして正を守るに利あり、牛羊の大牲を以て祭祀すれば吉、往く所有るに利あり。「萃」は聚集。下體「坤」は萬物、上體「兌」の澤の中に聚積し、故に「萃」と呼ぶ。「王」は九五を指す。三至五は互して「艮」、「艮」は宗廟。「假」と「格」は相通じ、「至」の義。二至四は互して「巽」、「巽」は人(入)。「王假有廟」とは、君王が至誠を以て宗廟に感格して祭事を行ふを言言ふ。九五は陽を以て陽に居り位を得るので「利見大人」と言ひ、六二は九五に相應すので「亨利貞」と言ふ。「兌」は羊、「巽」は豕、「坤」は牛、皆大牲口で、これらを以て宗廟に祭事を行へば吉。「利有攸往」は六二が上に九五に應ずを指し、五は天位、故に《彖傳》は「順天命」と言ふ。
象曰:萃,聚也,順以說,剛中而應,故聚也。王假有廟,致孝享也;利見大人亨,聚以正也;用大牲吉,利有攸往,順天命也。觀其所聚,而天地萬物之情可見矣。五天位,巽為命,坤順,順天命,謂二順五也。艮為觀,坤為萬物,天地萬物,陰陽而已,有陰陽即有情咸,可見而知也。
《彖傳》曰く:《萃》は即ち聚、下順にして上悦、九五は剛にして中に居り又正應あり、故に聚む能ふ。「王假有廟」とは、孝道を盡して祭享す。「利見大人亨」とは、正道を以て相聚す。「用大牲吉、利有攸往」とは、天命に順從す。萬物が聚集するの理を觀ずれば、天地萬物の實情は見るべきなり。五は天位、互「巽」は命、下體「坤」は順。謂はゆる「順天命」とは、六二が九五に順承すと言ふ。互「艮」は觀、「坤」は萬物。天地萬物は陰陽より外ならず、陰陽あれば情感交感あり、因りて觀察して知るべきなり。
象曰:澤上於地,萃。君子以除戎器,戒不虞。戎兵也,月令「以習五戎」,注「五戎弓殳戈矛戰也」。兌為斧鉞,艮為刀兵,除治也。君子觀於革象,因以治戎器而戒不虞。坤為亂,艮為止,止亂,故曰戒不虞,言防意外也。
《大傳象》曰く:澤水地に漫上すは、《萃》卦の象。君子は因りて悟り、兵器を修治し、意外に備ふべきを知る。「戎」は即ち兵器。《禮記・月令》「以習五戎」に注は「五戎は弓・殳・戈・矛・戟」と言」と言ふ。上體「兌」は斧鉞、互「艮」は刀兵。「除」は修治。君子はこの卦象を見て、因りて兵器を修治し不測に備ふ。「坤」は亂、「艮」は止。禍亂を止す、故に「戒不虞」と言ふ、即ち意外に備ふ。
初六:有孚,不終,乃亂乃萃,若號,一握為笑,勿恤,往無咎。四有應,故曰有孚。乃初為二三所阻格,難於應四,故曰不終。乃亂乃蘋,坤為亂,為聚,言亂萃於下也。四巽為號,艮手為握。若號者,言四召初與相上下也。四下來初,則初四相握手,下卦成震,震為笑,故曰一握為笑也。坤為憂,有應故勿憂。初之四得正,故往無咎。象曰:乃亂乃萃,其志亂也。坤為志為亂。
初六爻辞:誠信ありて終り能はず、於是紛亂、於是聚集。若し呼號せば、一握手して歡笑に轉ず。憂ふる勿れ、往けば咎なし。初六は九四に相應す、故に「有孚」と言ふ。但し初六は六二・六三に擋がれ、上に九四に應ずること難し、故に「不終」と言ふ。「乃亂乃萃」——「坤」は亂、又聚。群陰が紛亂して下に聚まるを言ふ。九四は三至五の互「巽」の中に處り、「巽」は號。二至四は互して「艮」、手なり、故に「握」となす。「若號」とは、九四が初六を招呼して、それと上下相應ぜむとすと言ふ。九四が下りて初位に至れば、初と四は卽ち握手し、下卦は隨りて「震」となり、「震」は笑、故に「一握爲笑」と言笑」と言ふ。「坤」は憂、正應ありなれば憂ふる勿し。初六が往いて四位に至り其の正を得る、故に「往无咎」。《小象》曰く:乃亂乃萃は、その志亂れたるなり。「坤」は既に志、又た亂なり。
六二:引吉,無咎,孚乃利用侖(左 )。引進也,禮檀弓「兄弟之子猶子也,蓋引而進之也」。引吉無咎者,言進應五則吉而無咎也。侖(左 )薄祭也。二孚五,五兌為享,而坤為吝嗇,故曰孚乃利用侖(左 ),侖(左 )夏祭,互巽為夏也。象曰:引吉無咎,中未變也。進應五仍中位,故曰中未變。
六二爻辞:牽引して上れば吉、咎なし、誠信あれば禴祭を行ふに利あり。「引」は進。《禮記・檀弓》は「兄弟の子も己が子の如し、それ牽引して之を進む」と言ふ。「引吉无咎」とは、六二が上進して九五に應ぜば吉にして咎なしと言ふ。「禴」は簡薄の祭祀。六二は九五に孚り、九五は「兌」體に在り、「兌」は享。而るに「坤」の性は吝嗇儉約、故に「孚乃利用禴」と言ふ。「禴」は夏祭、三至五は互して「巽」、夏なり。《小象》曰く:引吉无咎は、中未だ変らざるなり。六二が上進して九五に應ずるも、五は仍ほ中位、故に「中未變」と言ふ。
六三:萃如嗟如,無攸利,往無咎,小吝。三無應失位,而巽為嗟,故曰嗟如。巽為利,失位無應,故無所利。三前遇重陽,故往無咎;然上無應,故往小吝也。象曰:往無咎,上巽也。巽順也,上巽言上順四五,四五陽,故無咎。虞氏謂動之四故上賣,誤之遠矣。
六三爻辞:聚りて復た散じ、嗟歎連聲、利あることなし。往けば咎なし、ただ小の吝惜あるのみ。六三は上六と同じく陰にして相應せず、又陰を以て陽に居り位を失ふ。三至五は互して「巽」、「巽」は嗟歎、故に「嗟如」と言ふ。「巽」は又利。六三は位を失ひ應なし、故に「无攸利」。六三の前には九四・九五の二陽爻に遇ふ、陰は陽に遇へば通ず、故に「往无咎」。但し上六はそれと相應せず、故に往くも仍ほ小吝あり。《小象》曰く:往无咎は、上巽なり。「巽」は順。「上巽」とは、六三が上に九四・九五に順承すと言ふ。四五は皆陽爻、故に咎なし。虞翻は六三を變動して四位に至らしめて乃ち上「巽」とならむと欲す、錯ること遠し。
九四:大吉無咎。下乘三陰,故大吉;失位故無咎,無咎者僅免於咎也。象曰:大吉無咎,位不當也。繫辭云「無咎者善補過者也」,故無咎非全美之辭。九五:萃有位,無咎,匪孚,元永貞,悔亡。得位居中,故有位無咎。五孚於二,乃為四所阻,難於應二,故曰匪罕。然乾元永貞於五,居高臨下,亦無悔也。象曰:萃有位,志未光也。兌為黯昧,艮為光明,艮伏故志未光。巽為志。
九四爻辞:大吉、咎なし。九四は下に三つの陰爻に乘り、衆陰歸附す、故に大吉。然それは陽を以て陰に居り位を失ふ、故にただ「无咎」と言ふのみ——「无咎」とは不過勉强に災咎を免るるばかり。《小象》曰く:大吉无咎は、位當らざるなり。《繫辭傳》は「无咎は、過を補救すること善きなり」と言ふ、見るに「无咎」は十全十美的斷語に非ず。九五爻辞:聚集して尊位に居り、咎なし。相孚じ能はざるも、長く正を守れば、悔恨消ゆ。九五は位を得て中に居る、故に「有位无咎」と言ふ。九五は本より六二と相孚ずるも、九四に擋がれ、下に六二に應ずること難し、故に「匪孚」と言ふ。但し乾元の徳は長く五位に正しく、高きに居りて下に臨む、亦悔なし。《小象》曰く:萃有位は、志未だ光ならざるなり。「兌」は暗昧、「艮」は光明。この卦の互「艮」は伏して顯はれず、故に「志未光」と言ふ。互「巽」は又志なり。
上六:諮涕夷(左水),無咎。兌為口,故諮,釋文「齊諮嗟嘆之辭」,鄭同,馬云「悲聲怨聲」。兌為澤,故涕夷(左水)。玉篇「目計出曰涕」,說文「演鼻液也」。上乘陽,三無應,故悲哀若是,然當位亦無大咎也。虞翻作齊資,云「齊持資膊也」,即持賻助喪也,非。象曰:齊諮涕夷(左水),未安上也。言不安於窮吝。
上六爻辞:嗟歎流涕、涕泗交下、咎なし。「兌」は口、故に嗟歎の「咨」あり。《經典釋文》は「齎咨は嗟歎の辭なり」と言ひ、鄭玄も同じ。馬融は「悲聲、怨聲」と言ふ。「兌」は澤、故に「涕洟」あり。《玉篇》曰く「眼裡より流出する水を涕と呼ぶ」、《説文解字》曰く「洟は鼻涕なり」。上六は下に九五の陽に乘り、又六三と同性にして應なし、故に悲哀此の歩に至る。不過それは陰を以て陰に居り當位、亦大の災禍なし。虞翻本は「齊資」と作し、「齊は拿持、資は賻贈」と言ひ、即ち錢物を以て人の喪事を助くるを言ふ、これは對らず。《小象》曰く:齎咨涕洟は、未だ上に安んぜざるなり。それが窮蹙困吝の處境に安んぜざるを言ふ。
升卦
升:元亨,用見大人,勿恤,南征吉。陽遇陰則通,故名曰升。歸藏曰稱,牧誓「稱而戈」,注「稱舉也」;又譽人曰稱揚。升者升而上,舉者亦揚之使上,故歸藏曰稱,周易曰升,其義並同。陽上升,故元亨,元謂乾元也。大人謂二,二為三所阻格,故不曰利見大人,而曰用見,言二宜升五也。
《升》卦辭:大いに亨り、大人を進見するに宜し、憂ふる勿れ、南に進發すれば吉。陽爻は前に陰爻に遇へば通行阻なし、故に卦名を「升」と曰ふ。《歸藏》はこの卦を「稱」と名づく。《尚書・牧誓》「稱爾戈」に注は「稱は舉げるなり」と言ひ、又人を稱贊することを「稱揚」と呼ぶ。「升」は上に升往、「舉」もまた物を揚げて上らしむ、故に《歸藏》は「稱」と曰ひ《周易》は「升」と曰ふも、意思は一なり。陽氣上昇す、故に「元亨」、「元」は乾元を指す。「大人」は九二を指す。九二は同じく陽爻なる九三に擋がる、故に「利見大人」と曰はずして「用見」と曰ふ、九二が五位に上昇すべきを言ふ。
坤為憂為恤,二升五大人得位,故曰勿恤。震為南,為徵,三臨群陰,故南征吉。左傳成十六年,晉筮遇復,曰南國戚(左足),以震為南;明夷九三曰南狩,亦以震為南。自震南象失傳,清儒皆用虞氏法,以二升五互離為南。象曰:柔以時升,巽而順,剛中而應,是以大亨。用見大人,勿恤,有慶也;南征吉,志行也。二升五,故有慶。坤為志,三臨重坤,故曰志行。
「坤」は憂、恤。九二が五位に升れば、大人位を得る、故に「勿恤」と言ふ。「震」は南、征。九三は三至五の互「震」の中に處り、上に群陰に臨む、故に「南征吉」と言ふ。《左傳》成公十六年に晋人が筮して《復》卦を得たを記し、占辭は「南國蹙」と言ひ、正に「震」を以て南と爲す。《明夷》九三は「南狩」と言ひ、亦た「震」を以て南と爲す。自から「震」が南たるこの象失傳してより、清代の學者は一概に虞翻の辦法に沿用し、九二が五位に升りて互體「離」となりて乃ち南と爲すと言ふ。《彖傳》曰く:柔順なりて時を以て上升し、下「巽」にして上「順」、九二は剛にして中に居り又應あり、故に大いに亨る。「用見大人、勿恤」は、福慶あるなり。「南征吉」は、心志行はるるなり。九二が五位に升る、故に福慶あり。「坤」は志、九三は上に重々の「坤」陰に臨む、故に「志行」と言ふ。
象曰:地中生木,升。君子以順德,積小以高大。巽為高為長,故為高大;坤為小為積。積小以高大者,言以坤陰柔順之德,積累以成其高大也。象卦形也。初六:允升,大吉。允施氏作A,說文同,云「A 進也」。晉六三云「眾A」,即眾進也;茲曰A升,仍前進而升也。進遇陽,故大吉。
《大象傳》曰く:地中より樹木生ずは、《升》卦の象。君子は因りて悟り、徳を順養し、細小を積累して高大を成すべきを知る。「巽」は高、長、故に「高大」を爲す。「坤」は小、積聚。「積小以高大」とは、「坤」のあの陰柔順承の徳性を以て、一點一點積累して、從りてその高大を成すを言ふ。ここに謂ふ「象」とは、卽ち卦の形體である。初六爻辞:誠信上昇し、大吉。「允」字を施讐本は「㽙」と作し、《説文解字》も同じく、「㽙、進なり」と解す。《晋》六三は「衆允」と言ひ、卽ち衆人が齊しく進む。ここに「允升」と言ふも、仍ほ向前に推進して上昇す。初六が前進して九二の陽に遇ふ、故に大吉。
象曰:允升大吉,上合志也。上謂二三,九家謂上交,非。巽伏故為志。九二:孚乃利用尼(左木),無咎。二孚五,五坤為吝嗇,故曰掄。侖(左示)夏日薄祭敢。兌為祭,巽為夏,故曰軍乃利用掄,無咎矣。象曰:九二之孚,有喜也。升五故有喜。
《小象》曰く:允升大吉は、上志に合すなり。「上」は九二・九三を指す。九家易は上位と相交はると言ふ、對らず。「巽」は伏藏を主る、故に「志」を爲す。九二爻辞:誠信あれば禴祭を行ふに利あり、咎なし。九二は上に六五に孚り、六五は「坤」體に在り、「坤」の性は吝嗇儉約、故に「禴」と言ふ。「禴」は夏日の簡薄の祭祀。「兌」は祭、「巽」は夏、故に「孚乃利用禴、无咎」と言ふ。《小象》曰く:九二の孚は、喜有るなり。九二が五位に升るを得た、故に喜あり。
九三:升虛邑。馬雲虎丘也。按左傳僖二十八年「晉侯登有莘之虛」,詩衛風「升彼虛矣」。虛者高丘,巽為高,故曰虛;坤為邑。升虛邑者,言升邑之高處也,正巽上象也,與同人九四之乘其庸,取象正同。荀爽作空虛解,後來諸家,以虛為坤象,多宗荀說,非。象曰:升虛邑,無所疑也。坤為迷為疑,陽遇陰,故無所疑。
九三爻辞:大丘の上の城邑に登る。馬融は「虚は卽ち大丘」と言ふ。按ずるに《左傳》僖公二十八年「晋侯、有莘の故墟に登る」、《詩・鄘風・定之方中》「升彼虚矣」。「虚」は卽ち高丘。「巽」は高、故に「虚」を爲す。「坤」は邑。「升虚邑」とは、城邑の高處に登上るを言ひ、正に「巽」體が下に在りてその象上に向ふの意、《同人》九四「乘其墉」の取象と完全に相同じ。荀爽は「虚」を空虚に解し、後の各家は「虚」を以て「坤」の空虚の象と爲し、多半は荀説に宗從す、其の實對らず。《小象》曰く:升虚邑は、疑ふ所なきなり。「坤」は迷、疑。九三の陽は前に陰爻に遇ひて通ず、故に疑慮なし。
六四:王用亨於歧山,吉,無咎。震為王,兌為亨。震為陵為皈,而形上歧,故曰歧山。王用亨於歧山者,言望二升五,四得承陽,陰順陽,猶臣事君。望二升五,猶望工至歧山,而有所亨獻也。象曰順事,順承也。二若不升五,四如何得承陽哉,故望之也。
六四爻辞:君王岐山に亨獻の祭を行ひ、吉、咎なし。互「震」は王、「兌」は亨獻。「震」は丘陵、山、而してその形上分岐す、故に「岐山」と言ふ。「王用亨于岐山」とは、六四が九二の五位に上昇するを盼望し、己れ卽ち陽爻を承奉する能はむを言ふ。陰は陽に順從し、臣子の君主に事奉するが如し。九二の五に升るを盼望するは、君王が親ら岐山に臨みて亨獻所有るを盼望するに比す。《小象》曰く「順事」、「順」は卽ち承奉。九二若し五位に升らずんば、六四は豈に陽爻を承奉するを得むや。だからこそそれを盼望す。
此正文王服事殷之本旨。乃後儒謂文王作爻辭,不合自稱為王;若為殷王,又無至歧山之理,以爻辭為周公作。此無訟易辭皆由象生,故韓宣子不謂為易辭,而曰易象。即只以人事言,紂尚能國文王,何不可到歧山。且文王於此事數言之,服事忠誠,溢於言表,又豈必實有其事。乃謂王為文王,無理甚矣。李過西谷易說云「若以此王為文王,則王用三驅、王假有廟,亦文王耶」,駁舊說至詳盡。象曰:王用亨於歧山,順事也。坤為順,言二升五,四得承陽,故曰順事。
これ正に文王の殷商に服事するの本意である。後の學者は卻って言ふ:文王が爻辭を作り、自ら「王」と稱すべからず。若し殷王と言はむ、又岐山に至るの道理なし——ここに於いて爻辭は周公の作と斷定す。其の實、且つ論ぜず《易》辭は皆卦象より生ぜるを(故に韓宣子が魯國に於いて見たは「易辭」と呼ばずして「易象」と呼ぶ)、單に人事より言へば、紂王が尚ほ文王を囚禁する能くするに、文王は何が故に岐山に至る能はざらむや。況んや文王がこの事に再三言及し、殷室に服事するの忠誠言表に溢る、又何ぞ必ずしも實にその事あるを要せむ。硬にこの「王」を文王と説成するは、太だ道理なきなり。李過《西溪易説》は「若しこの王を以て文王と爲さば、則ち『王用三驅』『王假有廟』も皆文王か」と言ひ、舊説を駁斥する最も詳盡なり。《小象》曰く:王用亨于岐山は、順事なり。「坤」は順。九二が五位に升り、六四が陽爻を承奉するを得を言ひ、故に「順事」と言ふ。
六五:貞吉,升階。貞吉,卜問吉也。坤為土為重,故有階級之象。升階言二升五也。五陽,故象曰大得志。象曰:貞吉升階,大得志也。坤為志,陽升五,故大得志。上六:冥升,利于不息之貞。坤為晦冥為夜,故曰冥升;得陽應,故曰利于不息之貞,與利永貞同偕。蓋上六為同性之四五所格,不能應三,故有此象。象曰:冥升在上,消不富也。坤消故不富。
六五爻辞:占問して吉、階級に升る。「貞吉」は卽ち卜問の得たる所が吉。「坤」は土、重疊、故に階級層級の象あり。「升階」とは九二が五位に上昇すと言ふ。五位に陽を得、故に《小象》は「大得志」と言ふ。《小象》曰く:貞吉升階は、大いに志を得たるなり。「坤」は志、陽爻が五位に升る、故に大いにその志を得たり。上六爻辞:昏暗中に上昇し、息まずして正を守るに利あり。「坤」は晦冥、夜、故に「冥升」と言ふ。上六は下に九三の陽の相應を得、故に「利于不息之貞」と言ふ、「利永貞」と同一の意。大抵上六は同じく陰性なる六四・六五に阻隔せられ、順に三に應ずる能はず、故に斯くの如くの辭象あり。《小象》曰く:冥升在上は、消不富なり。「坤」は消減を主る、故に「不富」と言ふ。
困卦
困:亨,貞,大人吉,無咎,有言不信。二五剛得中,處險能說,故亨。貞,占也。二五為大人,故貞大人吉也。兌口為言,三至上正反兌,所向不同,故有言不信。此其義始見於《左傳》。《左傳》昭五年明夷之謙曰:於人為言,敗言為讒。謂謙上震為人為言,下艮為反震,故曰敗言。是以正反震為讒。《易林》承其義,於訟之困云:心與言反。正釋此語也。坤之離云:齊魯爭言。離二至五正反兌,故曰爭言,爭言即不信。離二至五,與困三至上同也。舊解皆誤,詳《焦氏易詁》。
《困》卦:亨通。占問すれば、徳位ある「大人」は吉利、咎あることなし。口を開いて言を出すも、人に信ぜられず。九二・九五は皆陽剛を以て上下卦の中位に居り、下卦の坎は險陷、上卦の兌は和悦。身は險境に陷りてもなほ和悦して自處す、故に「亨」と言」と言ふ。「貞」はここでは占問の義。二・五の兩爻は正に「大人」の位、故に占問すれば大人吉利と言ふ。兌は口、口は言を出す能ふ、故に兌に「言」の象あり。本卦は三爻より上爻まで、正兌一つに倒兌一つを疊ね、兩つの口が相反して向かひ、各その詞を執る、故に「有言不信」と言ふ。この取象の例は最も早く《左傳》に見ゆ:昭公五年に「明夷之謙」を記して「於人為言、敗言為讒」と言ふ——謙卦の上體震は人、言、下體艮は正に震の倒象、故に「敗言」と稱す、見るに正震と倒震と相い疊ねば卽ち讒言なり。《焦氏易林》は此の義を承襲す:訟之困は「心與言反」と言ひ、正に「有言不信」の句を解釋す。坤之離は「齊魯爭言」と言ふは、離卦の二爻より五爻も亦た正兌と倒兌と相い疊ねたればにして、故に「爭言」と言ふ、爭言とは彼此信ぜざること。離卦の二至五の結構は、困卦の三至上と完全相同なり。舊注は此れに對し皆講じて錯り、詳しくは尚氏《焦氏易詁》を見よ。
象曰:困,剛B也,險以說,困而不失其所亨,其唯君子乎。貞大人吉,以剛中也。有言不信,尚口乃窮也。坎剛B,三至上剛B,陽陷陰中故困。因而不失其所亨,唯君子能之。君子即大人,若小人即不堪矣。兌為口,三至上正反兌,故曰尚口。尚口乃窮者,言徒尚口說,必有相反而不信者,故窮也。象曰:澤無水,困。君子以致命遂志。水在澤下,則澤竭矣,故曰無水。巽為命,而兌為反巽,為毀折,故曰致命。坎為志,二人於淵不出,故曰遂志。學易之君子以之。
《彖傳》曰く:《困》は陽剛が陰柔に掩蔽せられ、險陷の中に處りて仍ほ和悦し、身は困境に陷りてもその亨通の道を失はず、これ君子のみ爲す能ふ所か。「貞大人吉」は、二・五が陽剛にして中に居ればなり。「有言不信」は、一味口舌を崇尙してかえって走るべき途なきを言ふ。下卦の坎は一陽が兩陰に掩はれ、三爻より上爻も亦た陽が陰に掩はれ、陽は陰の中に陷る、故に「困」と呼ぶ。身は困境に陷りて亨通を失はず、君子のみ能くかくの如くす。ここの「君子」は卽ち卦辭の謂ふ「大人」、若し小人ならば便ち承當し得ず。兌は口、三爻より上爻は正兌と倒兌と相い疊ね、兩口相向かふ、故に「尚口」と言ふ。「尚口乃窮」とは:ただ口舌の能を逞ばしくするを知りて、必ず相反の議論を招きて采信せられず、故に窮途に走る。《大象傳》曰く:澤の中に水なきは、これ《困》。君子は因りて悟り、性命を舍てて志向を成す能ふべきを知る。水は本來澤中に蓄ふべきに、今澤下に漏りて澤は涸竭す、故に「无水」と言ふ。巽は命、兌は巽の倒象、又毁折の義あり、故に「致命」と言」と言ふ、卽ち命を舍つること。坎は志、坎中の陽は深く淵底に入りて出でず、故に「遂志」と言ふ、志向を堅守して底まで至る。《易》を學ぶ君子はこれに取法す。
初六:臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿,凶。初在下,故曰臀,與決(左無)九四同。株木謂坎。言初欲應四,坎陷為阻,故困于株木。株乾也,《韓非子》守株待兔,而坎為棟,故為株木。坎為幽,坎陷為谷,初在下,故人於幽谷。離伏故不覿。三歲言其久。蓋初失位,處坎下,故其象如此。茹敦和以坎為三歲,王昭素謂初至三三爻為三歲,以坎上六證之,茹說是也。象曰:入于幽谷,幽不明也。離伏坎夜,故幽不明。
初六爻辞:臀部は枯木株に困まれ、幽深の山谷に落ち、三年も人に見ることなし、凶。初爻は全卦の最下に居る、故に「臀」の象を取る、《夬》卦九四の臀象を取ると同例。「株木」は下卦の坎を指す。初六は本より上に九四に應ぜむと欲すれど、坎に險陷の阻隔あり、故に「困于株木」と言ふ。「株」は卽ち樹の株、《韓非子》に株を守りて兎を待つの故事あり。坎は又「棟」の象あり、木質堅干、故に坎は株木たり得。坎は幽暗、坎の險陷は又深谷、初爻は下に在り、故に「入于幽谷」と言ふ。離は目、見。此の卦は離象が潛伏して現はれず、故に「不觌」、人を見ず。「三歲」は時間の久しきを形容す。大抵初六は陰を以て陽に居りて位を失ひ、又坎險の下に處る、故に爻象かくの如し。茹敦和は坎を以て三歲と爲し、王昭素は則ち初爻より三爻まで共に三爻なるが故に三歲と言ふ。坎卦上六の爻辭を以て印證すれば、茹氏の説は對なり。《小象傳》曰く:幽谷に入るは、幽暗にして明ならざればなり。離象潛伏し、坎は又夜、故に幽暗にして明ならず。
九二:困于酒食,朱紱方來,利用亨祀,征凶,無咎。坎為酒食,需九五需于酒食是也。二居坎中,故困于酒食。巽為繩為級,坎為赤,巽在二前,故日朱龍(左言)方來,言將膺錫命也。《博雅》紱綬也。朱級貴人所服,以祭宗廟者,故用以亨祀則利也。然五不應故征凶,得中亦無咎。象曰:困于酒食,中有慶也。居陰中,故有慶。
九二爻辞:酒食に困まれ、赤色の蔽膝は將に送らんとす。これを以て祭祀を行ふに宜し。出行に凶險あるも、咎あることなし。坎は酒食、《需》卦九五の「需于酒食」は卽ちこの象。九二は正に坎に坎體の中に處る、故に「困于酒食」と言ふ。巽は繩、組綬、坎は赤色、巽體は又九二の前に在り、故に赤色の紱は將に送られんとすと言ふ、將に君王の冊命を蒙らんとすの意。《博雅》曰く「紱は卽ち綬帶」。朱色の綬帶は貴人の穿戴し、宗廟を祭祀する禮服、故にこれを以て祭祀を行へば利あり。然るに九五と九二は同じく陽爻にして相應せず、故に出行に凶險あり。但し九二は中に居る、故に咎あることなし。《小象傳》曰く:酒食に困まるるは、中に居りて喜慶あり。九二は初六・六三の兩陰の間に處りて中位を得、故に喜慶あり。
六三:困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。巽為石,坎為蒺藜。三前臨巽,故困于石;下據坎,故據于蒺藜。石堅剛不可人,蒺藜刺人,不可踐也。巽為人,坎為宮,故人於其官。巽為齊,妻者齊也,故巽為妻。巽為伏,又上無應,故人宮而不見妻也。象而如是,凶可知也。巽石象,宋邵雍用之,後儒怪駭。豈知《焦氏易林》同人之小畜云:戴石上山,步跌不前。小畜小巽為石,下乾為山為首,石在首上,故曰戴石。餘證尚多,詳《焦氏易詁》卷一。
六三爻辞:巨石に困まれ、又蒺藜を踏み、己が屋に歸りて、卻って妻子に見えず、凶。巽は石、坎は蒺藜。六三の前は緊く巽巽體に臨む、故に「困于石」。下は又坎體を踏む、故に「據于蒺藜」。石は堅硬にして人の入ること能はず。蒺藜は刺を帶びて人を刺す、踏み上ぐべからず。巽は入、坎は宮室、故に「入于其宮」と言ふ。巽の古音は「齊」に通じ、而るに「妻」は卽ち夫と齊等の義、故に巽に又「妻」の象あり。巽に又潛伏の義あり、加ふるに六三と上六は同じく陰爻にして正應なし、故に家門に入りて妻子に見えず。爻象既にかくの如し、凶險は想ひ見るべし。巽が石たるこの逸象は、宋代の邵雍曾て之を用ゐ、後の儒者は大驚小怪す。知らず《焦氏易林》同人之小畜は「戴石上山、步跌不前」と言ふ——小畜の小巽は正に石、下體乾は山、首、石は頭頂の上に在り、故に「戴石」と言ふ。この類の旁證は仍ほ多し、詳しくは《焦氏易詁》卷一を見よ。
象曰:據于蒺藜,乘剛也;入于其宮,不見其妻,不詳也。《釋文》云:蒺藜茨草。虞翻謂為木名似非。《釋估》茨蒺藜。注:布地蔓生,有子,三角刺人。《詩·庸(右邑)風》牆有茨。傳:茨蒺藜。孔疏:蒺有刺,不可踐者是也。惟不可踐,故以喻乘剛,若為木則不合矣。《正義》作藜,然《爾雅》及《毛詩》傳皆作藜,藜藜通用。阮校必謂藜是,似亦無確證,詳善也。
《小象傳》曰く:蒺藜を據るは、六三が九二の陽剛に凌駕せばなり。家門に入りて妻子に見えざるは、不祥の兆なり。陸德明《經典釋文》曰く:蒺藜は一種の茨草なり。虞翻はそれを木名と爲す、見るに對らず。《爾雅・釋草》曰く「茨」は卽ち蒺藜、注文はそれが地面に匐匐して蔓生し、結ぶ果は三つの角ありて人を刺すを講す。《詩經・鄘風》に「墻有茨」の句あり、毛傳は「茨」を蒺藜と解し、孔穎達の疏は蒺藜に刺ありて踏むべからずと言ひ、正に此の爻に合す。正に踏むべからざるが故に、以て六三が陽剛に凌乘するの危險を譬喩す。若しこれを樹木と爲さば、便ち講じ通じず。《周易正義》は「藜」と作り、而して《爾雅》と《毛詩》傳も皆「藜」と作す、兩つの字形は通用す。阮元《校勘記》は必ず「藜」と作して對なりと言ふも、確かなる證據あるに似ず、尚ほ詳考を待つ。
九四:來徐徐,困于金車,吝,有終。來應初為二所阻,故曰徐徐。二坎為車,離色黃外堅,故曰金車。困于金車,申來徐徐之故也。仍陰於險,不得應初也。然與初為正應,初吝終合,故曰有終。象曰:來徐徐,志在下也;雖不當位,有與也。坎為志,志在下,言應初。
九四爻辞:遲遲緩緩と前に來り、青銅に飾れる車に困まれ、吝惜あるも、終に好き結果を得。九四は下りて初六に應合すれど、九二に阻隔せられ、故に「徐徐」と言ふ。九二は坎體に居り、坎は車、故に車象あり。離の色は黃にして外殻堅硬、故に「金」の義を取る、合はせて「金車」と呼ぶ。「困于金車」は正に「來徐徐」の緣故を申説す——九四は仍ほ險阻の裡に陷り、初六と相應する能はず。然るに九四と初六は陰陽相當、本より正應、初め吝惜の阻隔あるも、最終必ず會合する能ふ、故に「有終」と言ふ。《小象傳》曰く:遲遲と來るは、心志が下方に係はればなり。九四は陽を以て陰位に居りて當らずと雖も、卻って相應の伙伴あり。坎は志、「志在下」とは心志が初六に應合するに在るを言ふ。
九五:劓月(右 ),困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。艮伏鼻不見,故曰劓。兌折震足象毀,故曰別。坎為赤,巽為紱,故曰赤紱。乃二爻坎為不應,故困于赤紱。上遇陰利往,故有說。兌為食,故利用祭祀。象曰:劓月(右 ),志未得也;乃徐有說,以中直也;利用祭祀,受福也。坎為志,二無應,故志未得。坎五曰受福,茲與之同,傳所謂祭則受福也。
九五爻辞:劓刑と刖刑を受け、赤色の蔽膝に困まれ、緩やかにして後始めて轉機あり、祭祀を行ふに宜し。艮は鼻。此の卦は艮象潛伏し、鼻見えず、故に「劓」(鼻割り)と言ふ。兌に毁折の義あり、震は足、兌が震を折れば足象毁れ、故に「刖」(足斷ち)と言ふ。坎は赤、巽は紱、故に「赤紱」と言ふ。但し九二は同じく陽爻にして九五と相應せず、故に「困于赤紱」。九五は上に向かひて上六の陰に遇ふ、陽は陰に遇へば通じ、往くに利あり、故に「乃徐有說」、緩やかに解脫あり。兌は口、食、故に祭祀を行ふに宜し。《小象傳》曰く:劓刖の刑を受くるは、心志未だ實現せざればなり。緩やかに轉機あるは、九五が中に居りて正直なればなり。祭祀に宜しきは、福佑を承受する能ふが故。坎は志、九二はそれと相應せず、故に心志未だ得ず。坎體の第五爻辭に「受福」の語あり、ここはそれと同例、正に《繫辭》の謂ふ祭祀すれば福佑を蒙るなり。
上六:困於葛C?(3田上草),於D E?,曰動悔有悔,征吉。巽為葛C,三至上正反巽,而三不應上,故困於葛C。D E?,危險不安之貌。上乘剛,元應,故有是象。兌為口,曰者自警也。言處此D E?之境,時時以動海有悔自警。動海者言動而應三,三不應故侮。有悔者言下乘陽又有悔也。征吉謂三,言三往四,上得陽應而吉也。此二句向天的解,姑測其義如是。象曰:用於葛C?,未當也;動悔有悔,吉行也。未當者,言上不宜乘陽也。吉行者,三之四上得陽應,故吉也。
上六爻辞:葛藟の藤蔓に纏困せられ、危殆不安の中に處り、「一たび動けば悔あり、果して悔あり」と曰ふも、前行すれば吉。巽は葛藟。本卦は三爻より上爻まで正巽と倒巽と相い疊ね、藤蔓交錯し、而して六三は又上六と相應せず、故に「困于葛藟」。「臲卼」は危險不安の狀。上六は九五の陽に凌乘し、又相應の爻なし、故に斯くの象あり。兌は口、「曰」は自ら警誡するの辭、身はこの危殆の境に處り、時時に「一たび動けば悔あり」を以て己を警惕するを言ふ。「動悔」とは一たび動けば便ち六三に應じに行かねばならず、而して六三は應ぜず、故に悔生ず。「有悔」とは上六が下に九五の陽に凌乘し、本身また悔あるを言ふ。「征吉」は六三を指し、六三が四位に往けば、上六は便ち陽爻の相應を得て吉と言ふ。この二句は舊來恰當の解釋なし、姑くその義を推測するにかくの如し。《小象傳》曰く:葛藟に困まるるは、處位當らざればなり。一たび動けば悔して果して悔あるも、前行すれば吉。「未當」とは上六は陽剛に凌乘すべからずと言ふ。「吉行」とは六三が四位に移れば、上六は便ち陽爻の相應を得る、故に吉と言ふ。
井卦
井:改邑不改井,無喪無得,往來井井,訖至亦未橘(左絲)句井,羸其瓶,凶。水在澤下,澤竭故困。水在澤中,汲之不窮,故兌為並。《易林》復之旅云:井沸釜鳴。以旅互兌為井。鄭玄以巽木為桔槔,汲水以取並象,格槔焉有在井下者乎。
《井》卦:城邑を改換しても水井は改換せず、井水は減らず増えず、往來する人は皆井邊に至りて汲む。汲繩ほとんど井底に放ち盡すも、未だ瓶を提げ上ぐる能はず、井壁は又瓶を挂け、凶。水は澤下に漏れば澤は枯竭す、あれは《困》卦。水は澤中に蓄へば汲取盡さず、故に兌に「井」なるこの逸象あり。《焦氏易林》復之旅は「井沸釜鳴」と言」と言ふ、卽ち旅卦の互體兌を把って井と爲す。鄭玄は卻って巽木を以て桔槔と爲し、汲水の器具に靠りて井象を取る——桔槔に豈に井底下に安まるの道理あらむや。
兌為井,坤為邑,泰初往坤中,故改邑。二至四仍兌,與泰體同,故不改井。不改故無喪得。初至四正反兌,故曰往來井井。《易林》益之萃云:往來井井。即以蘋三至上正反兌,為往來井井。荀云:訖竟也。訖至者,言更(左絲)繫至並底而盡也。譎(左絲)綆也。亦未譎(左絲)者,言巽繩在下,尚未譎(左絲)瓶使上也。
兌は井、坤は邑。《井》は《泰》卦より來り、泰卦の初九は往いて坤體の中に居る、故に「改邑」と言ふ。而して二爻より四爻は仍ほ兌、泰卦と體勢相同じ、故に「不改井」と言ふ。井既に改まらず、亦た喪失と獲得と謂ふ所なし。初爻より四爻は正兌と倒兌と相い疊ね、一往一來、故に「往來井井」と言ふ。《焦氏易林》益之萃は「往來井井」と言ひ、正に萃卦の三爻より上爻の正反兌を以て「往來井井」の象を取る。荀爽曰く「訖は卽ち盡」。「訖至」とは汲繩を一直に井底に放ちて放盡すと言すと言ふ。「繘」は卽ち汲水の繩子、「亦未繘」とは巽の繩子が仍ほ下に在りて、未だ瓶を提げ上げざるを言ふ。
其以訖為幾,渭瓶幾至井口而覆者非也。經明曰未譎(左絲),若至井口,則已譎(左絲)矣。中爻離為瓶,正當毀折之地,而巽為繩,故曰羸。羸累通。井羸其瓶者,言瓶為井闢(下瓦)所拘羸鉤掛也。瓶既為井所掛礙,非覆即破,故凶。
或る人は「訖」を「幾」と讀み、瓶がほとんど井口に至りて始めて傾覆すと言ふ、これは對らず。經文は分明に「未繘」と言ひ、若し已に井口に至らば、則ち是れ已に提げ上げられたり。中間互體の離は瓶、正に兌金毁折の位置上に處り、而して巽は繩、故に「羸」と言ふ。「羸」と「累」は相通じ。「井羸其瓶」とは瓶が井壁の磚甃に拘纏鉤挂せられたるを言ふ。瓶既に井壁に挂碍せられ、傾覆せざれば打破なり、故に凶。
揚子雲《酒箴》云:子猶瓶矣,居井之湄,不得左右,牽於纏徵,一旦F?礙,為裳所車(右3田)。注:F?縣也。G?並以磚為秋(下瓦)也。車(右3田)繫也。言瓶縣為井磚所掛礙,而瓶受繫也。是揚子讀並羸其瓶,井不屬上讀。後荀爽襲子云,亦以井屬下讀。其以譎(左絲)井為名者,則下文之羸其瓶,莫詳其故矣,非也。
揚雄《酒箴》曰く:汝はあの水瓶の如く、井邊に擺られ、左右に動彈すること能はず、繩索に牽繫せられ、一旦懸挂磕碰すれば、便ち井甃に拽住せらる。注文曰く:懸は卽ち挂。井は磚を以て砌りて甃と爲す。拽は卽ち牽繫。瓶が懸りて井磚に鉤住せられ、因りて牽累を受くるの意。見るに揚雄は「井羸其瓶」を連讀し、「井」字は上句に屬せず。後の荀爽は揚雄に沿袭し、亦た「井」字を下句に屬して讀む。至りてあの「繘井」を一個の詞と爲す人は、下文「羸其瓶」の緣由が説き清楚らず、故に對らず。
贏,《易林》家人之頤云:長股贏戶。長股即簫(左蟲)蛸。贏戶者,言以比絲纏繞於戶上也,是以贏為累。故荀訓為拘贏,虞釋為鈞贏。他若陸績、蜀才作累,王肅作縹,王肅作縲,其字雖異,其音皆同,其義如一。
「贏」字に説き至れば、《焦氏易林》家人之頤は「長股贏戶」と言」と言ふ。「長股」は卽ち蟏蛸、卽ち長脚蜘蛛。「贏戶」とはそれが絲を以て門戶の上に纏繞するを言ひ、見るに「贏」は正に纏累の義。だから荀爽はこれを拘纏と訓じ、虞翻は鉤繞と解す。其他陸績本・蜀才本が「累」と作し、王肅本が「縹」と作し、又「縲」と作すも、字形は同じからざれど、讀音は悉く相同じ、含義は完全一致す。
象曰:巽乎水而上水,井。井養而不窮也。改己不改井,乃以剛中也。訖王亦未譎(左絲),來有功也。井羸其瓶,是以凶也。句依荀讀,故汲古閣所刊李氏《集解》,及雅麗堂刊本,皆井字屬下。坎在上故曰上水。巽人也,巽乎水而上水,言以瓶人水,汲水使上也。水所以養人,取之不竭,故養而不窮。二五皆剛,故不改。未譎(左絲)故無功。井拘累其瓶使水覆,故凶。
《彖傳》曰く:巽より水の中に入りて水を提げ上ぐは、これ《井》。井水は人を養ひて窮盡せず。城邑を改換しても水井を改換せざるは、二・五が陽剛にして中に居ればなり。汲繩を放盡すれど未だ瓶を提げ來らざるは、未だ成功せざるなり。井壁が瓶を挂くるは、故に凶。ここの斷句は荀爽の讀法に依る、故に汲古閣が刊刻せる李鼎祚《周易集解》及び雅麗堂刊本は、皆「井」字を下句に屬す。坎は上卦に在り、故に「上水」と言ふ。巽は入、「巽乎水而上水」とは瓶を水の裡に放ち入れて、水を汲りてそれを上らしむを言ふ。水は以て人を養ふもの、取之竭さず、故に養ひて窮らずと言ふ。九二・九五は皆陽剛にして中に居る、故に「不改」と言ふ。瓶を提げ上ぐる能はざりしかば、故に成功せず。井壁が瓶を拘して水を傾覆せしむ、故に凶。
訖至亦未簫(左蟲),荀注云汽竟也。譎(左絲)所以出水通井,今居初未得應五,故未譎(左絲)也,不與井連文。井羸其瓶,荀注云:井謂二,瓶謂初,初欲應五,為二所拘羸。以井屬下讀,與揚子同,故從之。象曰:木上有水,井。君子以勞民勸相。坎為眾為民為勞卦,故曰勞民。《釋詁》相導也。兌為言,故曰勸相,言以言語勸導,使有所勉也。
「訖至亦未繘」の一句に關し、荀爽の注曰く「汔は卽ち盡」。「繘」は以て水を出し井に通ずるもの、今初爻は未だ上に九五に應ずる能はず、故に「未繘」と言ふ、この句は「井」字と連讀せず。「井羸其瓶」に至りては、荀爽の注曰く「井」は九二を指し、「瓶」は初六を指す、初六は上に九五に應ぜむと欲するも、九二に拘纏せらる。彼は「井」字を下句に屬して讀み、揚雄と同じ、故にその説を採用す。《大象傳》曰く:木の上に水あるは、これ《井》。君子は因りて悟り、百姓を慰勞し、彼らの互いに助くるを勸勉すべきを知る。坎は衆、民、又勞卦、故に「勞民」と言ふ。《爾雅・釋詁》曰く「相は卽ち引導」。兌は言、故に「勸相」と言ふ、言語を以て勸導し、百姓に勉励所有らしむの意。
初六:井泥不食,舊井無禽。初在井下,故曰泥。兌口為食,兌覆故不食。並原以汲水,今無水而泥,其為舊井無疑也。禽獲也,無水故無所得,其以禽鳥為詁者非。又按舊井者廢井也,兌為井,兌覆為巽,故井廢。象曰:井泥不食,下也;舊井無禽,時舍也。舍,棄也。
初六爻辞:井底は盡く淤泥、飲用する能はず。この廢棄の舊井は一獲する所なし。初六は井の最下に在り、故に「泥」と言「泥」と言ふ。兌は口、口は食を進む能ふ、故に兌は食。此處兌體傾覆す、故に「不食」。井は本來以て水を汲る用、今水なきに淤泥のみあれば、それは口の舊井なり疑ひなし。「禽」は擒獲の得る所の義、井の裡に水なし、故に一獲する所なし。あの「禽」を禽鳥に解するの説は對らず。另按「舊井」は卽ち廢井、兌は井、兌を倒して巽となれば井象已に毁れ、故に廢井なり。《小象傳》曰く:井底の淤泥食する能はざるは、それが最下位に處ればなり。舊井一獲なきは、時勢已にそれを廢棄せばなり。「舍」は卽ち抛棄。
九二:井編鮒,雍(下瓦)敝漏。二後兌體之下,故曰並谷。巽為魚,故曰鮒,《子夏傳》蝦H?也。伏震為射,蝦G?穴居水際,故曰並谷射鮒。伏震為雍(下瓦),巽下缺,雍(下瓦)無當,故敝漏。夫井內之穴,井矢所能加,雍(下瓦)漏則水洩,而失其用。以二前遇陽,應亦陽,故動靜皆不適也。象曰:井谷射鰍??,無與也。言五元應與。
九二爻辞:井壁の旁穴は小魚に射、汲水の甕は又破れ又漏る。九二は兌體の下に在り、故に「井谷」と言谷」と言ふ。巽は魚、故に「鮒」と言ふ、《子夏傳》は蝦蟆と爲す。伏震に射象あり、蝦蟆の類は水邊に穴居す、故に「井谷射鮒」と言ふ。伏震は又甕、巽の下爻は虚缺、甕底實ならず、故に破漏す。井裡の旁穴は本より射矢の及ぶ所能にあらず。甕一たび漏れば水は泄盡し、汲水の用を失ふ。九二の前は九三の陽に遇ひ、應ずる所の九五は又陽、陽は陽に遇へば窒塞す、故に動くも靜くも皆合せず。《小象傳》曰く:井谷射鮒は、相應の伙伴なきなり——卽ち九五はそれと相應せずと言ふ。
九三:井渫不食,為我心惻,可用汲,王明,並受其福。三應在上,上居坎水上,故曰井渫。《漢書·王莽傳》潰(左示)毛(左目)不渫。注:渫徹也,通出。揚子《方言》渫歇也。茲曰井渫,謂井水渾蜀沉歇而清徹也。初為促則上為渫,正上居坎水上之象也。
九三爻辞:井は已に淘洗乾淨なるも人の飲みに來るなく、我が心を惻然ならしむ。この井は汲用すべきもの、君王の明察さえあらば、大家皆その福澤を蒙る能ふ。九三の應ずる所は上六、上六は坎水の上に居る、故に「井渫」と言ふ。《漢書・王莽傳》に「不渫」の文あり、注は「渫」は通徹、通出と言ふ。揚雄《方言》は「渫」は止歇と言ふ。ここに「井渫」と言ふは、井水の渾濁已に沈澱止歇して清澈となるを指す。初六は淤泥、上六は便ち澄清、正に上六が坎水の上に居るの象。
夫水潔(左無)宜食矣,乃竟不食者,以五亦陽為阻三不得應上也。兌為食,為使也。坎為心為憂。為我心惻者,言三被阻,不能汲上,使我心優也。然三與上究為正應,上水既渫而清,三僅可汲,五豈能終阻之。王謂五,五坎為隱伏,故不明。然王終有明時,王明則三上汲引,養而不窮,天下普受其福矣。
水既に潔淨なれば便ち飲用すべきに、竟に人の飲みに來るなきは、九五も亦た陽爻、中間に横亙して阻隔を成し、九三をして上に上六に應ずる能はざらしむればなり。兌は食、使、坎は心、憂。「為我心惻」とは九三が阻まれ、上面の清水を汲引して上らしむる能はず、我が心に憂傷せしむを言ふ。然るに九三と上六は終竟正應、上面の井水既に澄清せば、九三は以て汲取すべし、九五豈に永遠にそれを阻隔する能はむや。「王」は九五を指し、九五は坎體に在り、坎は隱伏、故に「不明」と言ふ。但し君王は終に明察するの時あり。君王一旦明察せば、九三と上六は便ち汲引相通じ、人を養ひて窮盡せず、天下人皆遍くその福澤を蒙る。
凡爻有正應者,初雖有阻,終必相合。同人九五曰:先號眺(左口)而後笑,大師克相遇。言五克去三四之阻,終能遇二也。漸九五曰:終莫之勝吉,得所願也。盲五終能勝三,與二相合也。茲害三者五,五君位尊,三不敢言克言勝,只冀王明而已。王明則三上終相遇也。
凡そ爻位に正應あるは、初め縱令阻隔あるも、最終必ず會合す。《同人》九五は「先號咷而後笑、大師克相遇」と言ふは、九五が三・四の兩爻の阻隔を攻克し、終に六二と相遇る能ふを言ふ。《漸》卦九五は「終莫之勝、吉」と言ひ、《小象傳》は「得所愿也」と言ふは、九五が終に九三に勝つ能く、六二と相合するを言ふ。ここに九三を阻害するは九五、九五は君位に居りて尊貴、九三は敢て「克」と言はず「勝」と言はず、ただ君王の明察を期望するのみ。君王明察せば、九三と上六は終に相遇る能ふ。
文王服事忠誠,情見乎辭,因五為阻,故呼王明。舊解不知不食之故,在五敵為阻,又不知王明並受其福,即言三上終能應與,特以五而變其辭耳,故無一得解者。象曰:井渫不食,行惻也;求王明,受福也。不食之故,其咎在五,故曰求王明。
文王の殷商に事奉するは忠誠謹愼、この心情は爻辭の裡に流露す。阻隔を成すは九五の君なれば、故にただ「王明」を呼吁す。舊注は井水澄清にして人の飲用するなき緣故が九五が同じく陽爻にして敵阻を構成するに在るを明白せず、又「王明、並受其福」が正に九三と上六が終に相應する能ふを説くを懂得せず、ただ對方が君位なるが爲に換て説法を爲すのみにして、故に一家も講じ通ずるなし。《小象傳》曰く:井は已に淘淨なるも人の飲用するなきは、行路の人が之が爲に惻然す。君王の明察を祈求するは、福澤を承受せんが爲なり。井水が飲用せられざる緣故は、過は九五に在り、故に「求王明」と言ふ。
六四:井患,無咎。以瓦甓砌井曰秋(下瓦)。兌為井,六四居兌上,則井將修成,故無咎。象日:井秋(下瓦)無咎,修井也。秋(下瓦)修也。九五:井冽寒泉,句食。冽甘也。坎為寒為泉,泉既甘冽,故可食。象曰:寒泉之食,中正也。五雖無應,然位正中,故可食。
六四爻辞:磚石を以て井壁を修砌し、咎あることなし。瓦甓を以て井を砌るを「甃」と呼ぶ。兌は井、六四は兌體の上に居り、則ち井は便ち修成せんとす、故に咎あることなし。《小象傳》曰く:井壁を修砌して咎なきは、水井を修治するに在り。「甃」は卽ち修治。九五爻辞:井水は清冽甘甜、飲用すべし。「冽」は卽ち甘美。坎は寒、泉、泉水は既に甘甜又清冽、故に飲用すべし。《小象傳》曰く:甘寒の泉は飲に供す可きは、九五が中に居りて正しきを得ればなり。九五は相應の爻なしと雖も、位置端正にして中に居る、故に飲用すべし。
上六:井收勿幕,有孚元吉。收成也,幕蓋也,覆也。坎為隱伏,故為蓋覆。六居坎上故勿幕,言井既成,以出水為功,不宜蓋覆也。三得陽應,故有孚而吉。象曰:元吉在上,大成也。成即收也。
上六爻辞:井は已に修成せり、井口を蓋ふこと勿れ、誠信を懷けば、大いに吉利。「收」は完成、「幕」は蓋覆。坎は隱伏、故に蓋覆の象あり。上六は坎體の上に居り、已に覆蓋の外に出づ、故に「勿幕」と言ふ。井は既に修成せば、便ち水を出し人を養ふを以て功用と爲し、更に蓋ふべからずの意。上六は九三と陰陽相應して陽爻の應を得、故に誠信ありて吉。《小象傳》曰く:上位に大吉あるは、大功吿成なり。「成」は卽ち「收」。
革卦
息長也,言更代用事也。但兌離皆陰卦,易之道陰遇陽,陽遇陰方志得。若陰遇陰,陽遇陽,則為敵矣。中孕六三曰得敵,艮彖曰敵應,是也。故其志不相得。巽為志,二至上正反巽,故不相得。己中央土,仁義禮智信,信亦隸中央,故曰己日乃孚。革而信之,信故無悔。四時相代實相革,期無或爽,信也。湯武革命,天人皆應,亦信也。不信則不能革,故時之所關甚大,此其義也。
底本は《井》卦上六を講じ畢れば逕に此處に接す。《革》卦卦辭「己日乃孚、元亨利貞、悔亡」と《彖傳》「水火相息、二女同居、其志不相得」の一節の經文は全部脱去し、僅かに尚秉和が《彖》を釋するの注文を存す。今底本の實收に依り、通行本に據りて代補せず。「息」は生長。水火が交替して當令し、彼此取代すと言ふ。但し兌と離は皆陰卦、《易》の通例は陰は陽に遇ひ陽は陰に遇して乃ち各その志を遂ぐ。若し陰が陰に遇ひ陽が陽に遇へば、便ち敵對を成す。《中孚》六三は「得敵」と言ひ、《艮》卦《彖傳》は「敵應」と言ひ、正にこの義。だから《彖傳》は二女同居して「其志不相得」と言ふ。巽は志、本卦は二爻より上爻は正巽と倒巽と相い疊ね、方向相背す、故に心志相合せず。天干の「己」は中央土に屬し、五常の中の仁・義・禮・智・信、「信」も亦た中央に隸屬す、故に卦辭は「己日乃孚」と言ふ——己日に至りて乃ち誠信あり。變革して人に信ぜしむ、信あれば故に悔恨なし。四季の更迭は其の實彼此變革、從來期を失はず、これ卽ち信。商湯・周武の革命は、上天と人心と皆響應す、これも亦た信。誠信なくんば便ち變革する能はず、故に「時」はここに關係極めて大なり、これ卽ち《革》卦の義理の在る所。
象曰:澤中有火,革。君子以治曆明時。歷者日月星辰之所歷,識其處以定四時。《書》所謂敬授民時,《大戴記》之《夏小正》,《小戴記》之《月令》皆歷也。卦上兌為月,下離為日,乾為寒,離為暑,兌雨巽風皆備,故君子法之,以治曆明時。
《大象傳》曰く:澤の中に火あるは、これ《革》。君子は因りて悟り、歷法を修治し時令を明辨すべきを知る。謂はゆる「歷」は、日月星辰の經行するの軌迹、その位置を記し下して以て四季を確定す。《尚書・堯典》の謂ふ「敬授民時」、《大戴禮記》裡の《夏小正》、《小戴禮記》裡の《月令》、皆歷法に屬す。本卦の上體兌は月、下體離は日。乾は寒、離は暑。兌は雨、巽は風——日月・寒暑・風雨は悉く具備す、故に君子はそれに取法して、以て歷法を修治し時令を辨明す。
初九:鞏用黃牛之革。離外則故曰鞏,鞏固也。離為牛,《左傳》曰純離為牛。離六二云黃離,故曰黃牛。乃虞翻則謂離無牛象,干寶謂離父本坤,故曰黃牛,皆非也。離外堅為甲故為革,革皮去毛者也。固莫團於牛革,言初當勿用之時,不可妄動,宜固守也。牛革所以喻其固也。象曰:鞏用黃牛,不可以有為也。初潛龍勿用,故不可以有為。又上無應,即不信也,不信即不可革。
初九爻辞:黃牛の皮を以て堅く繫縛す。離卦の外爻は剛實なので「鞏」と言ふ、「鞏」は卽ち堅固。離は牛、《左傳》の占例は純離の卦を牛と爲す。離卦六二の爻辭は「黃離」と言ふ、故に合はせて「黃牛」と稱す。虞翻は卻って離に牛象なしと言ひ、干寶は離の父卦は本より坤、此に因りて黃牛ありと言ふも、兩説とも對らず。離の外爻は甲殼の如く堅硬、故に「革」の象あり、「革」は卽ち毛を去りたる獸皮。天下に牛皮より牢固なるはなし。初九が正に作爲すべからざる時に當り、輕擧妄動すべからず、堅守すべきを言ひ、牛皮を以てその牢固を譬喩す。《小象傳》曰く:黃牛の皮を以て繫縛すは、作爲すべからざればなり。初爻は乾卦の初九「潛龍勿用」の如し、故に作爲すべからず。況んや上に相應の爻なし、則ち是れ誠信なし、誠信なくんば便ち變革する能はず。
六二:己日乃革之,征吉,無咎。二離主爻,離貞己,故曰己。二有應,故曰己日乃革。二遇陽,故拉吉而無咎也。按二為日中,王弼以過往詁己日,故決知其非是。象日:已日乃革之,行有嘉也。乾為嘉,行有嘉,謂二征則遇陽,遇陽故人。
六二爻辞:己日に至りて乃ち變革を施行す、往けば吉利、咎あることなし。六二は離卦の主爻、離は納甲の法に於いて天干の「己」に貞す、故に「己」と言ふ。六二は九五と相應す、故に「己日乃革」と言ふ。六二は前行して陽爻に遇ふ、陰は陽に遇へば通ず、故に吉利にして咎あることなし。按ずるに六二は下卦の中位に居り、正に日中の位に當る。王弼は卻って「己日」を已に過去せる日と解す、これに據りて便ち彼の講じて錯れりを斷定すべし。《小象傳》曰く:己日乃ち變革を施行すは、往けば嘉美あり。「乾」は嘉、「行有嘉」とは六二が往けば便ち陽爻に遇ひ、陽に遇へば彼此相通ずと言ふ。
九三:征凶,貞厲,革言三就,有孚。三臨重陽,陽遇陽則窒,故征凶。卜問厲也。然三應在上,上兌為言,而兌為毀折,故曰革言。就即也,遇也。革言三就有孚者,言三雖得敵,不能應上,若上六即三,則甚順利而有孚也。
九三爻辞:往けば凶險あり、占問に危厲あり。變革の議が三度來りて相い就く、誠信を懷く。九三の上は緊く九四・九五の二陽爻に臨み、陽は陽に遇へば窒塞す、故に往けば凶險あり。「貞厲」とは占問の結果が危厲なるを言ふ。然るに九三の應ずる所は上六、上體兌は言、而して兌に又毁折の義あり、舊を毁り新たにするは卽ち革、故に「革言」と言ふ。「就」は靠近、遇合の義。「革言三就有孚」とは:九三は陽爻に遇ひて敵對を成し上應する能はずと雖も、若し上六が下り來りて九三に就けば、大いに順利にして誠信ありと言ふ。
兌為言,乾亦為言,言多故曰三就。又三在三爻,損六三云三人行,需上六云三人來,皆以在三交,取數於三。三就者三遇也,謂革言來之多也。有孚者上孚於三也。易理失傳,舊解於征凶之故,莫有明者。豈知征凶貞厲,謂陽遇陽;下二句謂上應三,義不相屬也。象曰:革言三就,又何之矣。之往也。又何之者,言上六即三,不必他往也。蓋革言日至則孚者眾,而事已審,革之而已,勿再猶豫不定也。
兌は言、乾も亦た言、言の象は重疊繁多、故に「三就」と言ふ。又九三は本身第三爻に居り、《損》卦六三は「三人行」と言ひ、《需》卦上六は「有不速之客三人來」と言ひ、皆爻が第三位に在るに因りて數を三に取る。「三就」は卽ち三度遇合、變革の議が接連して來るを形容す。「有孚」とは上六が九三に對して誠信を懷くを言ふ。《易》理は久しく失傳し、舊注は「征凶」の緣故に一家も講じ明白なりしなし。豈に知らむ、「征凶貞厲」は陽が陽に遇ひて敵を成すに就きて言ひ、下の二句は則ち上六が來りて九三に應ずるに就きて言ふ、兩層の意思は本より相連屬せず。《小象傳》曰く:變革の議が三度來就す、又た何れか之かむ。「之」は卽ち往。「又何之」とは上六が就き來りて九三に合すれば、更に他處に往くを要せずと言ふ。大抵變革の議は日日到來し、贊同する人も多く、事も已に審察清楚なり、手を著けて變革すれば卽ちよし、更に猶豫不決する勿れ。
九四:悔亡,有孚,改命吉。四失位,宜有悔,無應予則無孚。然九四居乾之中,乾為信,故無悔而有孚。巽為命,四至上巽覆,是改命也。《易林》人畜之決(左無)也:太子扶蘇,出於遠郊,佞幸成邪,改命生憂。即以決(左無)上兌為改命本此也。改命則革也。蓋初以時未至而固守,二孚於天時,三孚於人事,至四遂實行改革矣。乾四雲或躍在淵,與此理同也。自覆象失傳,舊解皆以四變陰成既濟為改命。既濟者終正,何吉之有哉,非也。
九四爻辞:悔恨消ゆ、誠信を懷き、天命を改易すれば吉。九四は陽を以て陰位に居りて位を失ふ、本來悔あるべし。又相應の爻なし、本來誠信なかるべし。然るに九四は三・四・五の成す乾體の中に居り、乾は信、故に悔恨消えて誠信あり。巽は命、四爻より上爻は倒巽、巽體既に傾覆せり、正に「改命」の象。《焦氏易林》大畜之夬は「太子扶蘇、出于遠郊、佞幸成邪、改命生憂」と言ふ、卽ち夬卦の上體兌を把って倒巽と爲して「改命」の象を取る、本源は正に此處に在り。改命は卽ち變革。大抵初九は時機未だ至らざるに因りて固守し、六二は天時に應じ、九三は人事に應じ、九四に至りて便ち實際に手を著けて改革す。乾卦九四は「或躍在淵」と言ふ、道理これと相同じ。自から「覆象」なるこの取象法失傳してより、舊注は皆九四を變じて陰爻と爲し《既濟》を成して「改命」と爲す。然るに既濟は萬事已に定まり各その正を得、あれに何の「吉」か言ふべきあらむ、故に對らず。
象曰:改命之吉,信志也。巽為志,改命則實行革命,故曰伸志,言得行其志也,志行故吉。九五:大人虎變,未占有孚。乾為大人為虎。大人虎變者,喻大人履九五之尊,威德誕敷,崇高巍煥,改易舊觀,故曰虎變。下有應,故未占而有孚也。乾虎象失傳,後惟茹敦和、俞樾知之。虞翻以坤為虎,宋衷以兌為虎,皆非。象曰:大人虎變,其文炳也。五應二,二離為文,故其文炳。
《小象傳》曰く:天命を改易するの吉なる所以は、心志の伸展を得ればなり。巽は志、改命は卽ち實際に革命を推行す、故に「伸志」と言ふ、己が志向を施行する能ふの意。志向行はる、故に吉利。九五爻辞:大人は猛虎の如く焕然と一變す、占問するに及ばずして已に誠信あり。乾は大人、乾は又虎——この虎象は《説卦》に無く、尚氏が《焦氏易林》の中より鉤沈し出づるの漢代逸象。「大人虎變」は大人が九五の尊位に登り、威德が廣布して崇高輝煌、舊局面を徹底して改換すを譬喩し、故に「虎變」と言ふ。下の六二はそれと相應す、故に占問するに及ばず已に誠信あり。乾が虎たるこの象は久しく失傳し、後は茹敦和・兪樾のみ懂得す。虞翻は坤を以て虎と爲し、宋衷は兌を以て虎と爲す、皆對らず。《小象傳》曰く:大人虎變は、その文采光い顯はれたるなり。九五は六二に應じ、六二は離體に在り、離は文采、故に文采炳耀す。
上六:君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。伏艮為君子,為豹。君子豹變者,謂革命後住命之動,皆得封拜而有茅土,尊顯富貴,易世成名,故曰豹變。陰稱小人,民為面,艮伏故革面。小人革面者,謂革命之後,除舊佈新,小民皆改易其視向也。面向也,《史記·項羽本紀》馬童面之,是也。上六當位,不宜動宜靜,故征凶居吉。艮面象,《易林》遁之蒙云:雲過吾面。以蒙坎為雲,艮為面。虞氏謂面指四,非。象曰:君子豹變,其文蔚也;小人革面,順以從君也。下應三,離為文。面向也,故曰順以從君,言下順乾也。
上六爻辞:君子は豹の如く焕然と一變し、小人も面目の向ふ所を改換す。往けば凶險あり、安居して正を守れば吉。本卦の潛伏する艮は君子、豹。「君子豹變」とは革命成功の後、追隨して事に任ずる人は皆封賞を得て封地あり、尊貴顯赫にして富貴榮華、改朝換代して名位を成就すを言ひ、故に「豹變」と言ふ。陰爻は小人と稱し、艮は面、此處は艮象潛伏す、故に「革面」と言ふ。「小人革面」とは革命の後、舊を除き新を布き、小百姓は皆その朝向するの對象を改換すを言言ふ。「面」は卽ち朝向、《史記・項羽本紀》裡の呂馬童が顔を轉じて項羽に對するは、正にこの義項を用ゐ。上六は陰を以て陰に居り、本より自から當位、妄動すべからずして安靜に宜し、故に往けば則ち凶、安居すれば則ち吉。艮が面たるこの逸象は《焦氏易林》遯之蒙「雲過吾面」に見ゆ、蒙卦の坎を以て雲と爲し艮を以て面と爲す。虞翻は「面」は九四を指すと言ふ、對らず。《小象傳》曰く:君子豹變は、その文采斐然たるなり。小人革面は、順服して君上に追隨す。上六は下に九三に應じ、九三は離體に在り、離は文。「面」は朝向、故に順服して君上に追隨すと言ふ、在下者が乾陽に順從するの意。
鼎卦
象曰:木上有火,鼎。君子以正位凝命。鼎偏倚則勢危,故貴正,不正則束(左食)覆。鼎斂實於內,故貴凝,不凝則實漫矣,故君子取之,以正位凝命。初六:鼎顛趾,利出否,得妾以其子,無咎。震為趾,震伏巽隕,故曰顛趾。巽為臭腐,故曰否,否惡也汙也。初在下卑汙之地,出之四則各當位而利矣。四,兌為妾,四來初是得妾也。初之四體震,震為子,是得妾兼得子也,故利出也。
底本は《革》卦上六を講じ畢れば逕に《鼎》卦《大象》に接し、中間に《鼎》卦卦辭「元吉、亨」と《彖傳》「鼎、象也。以木巽火、亨飪也」の一節の經文並びに注文を脱去し、僅かに《大象》以下を存す。今底本の實收に依り、通行本に據りて代補せず。《大象傳》曰く:木の上に火あるは、これ《鼎》。君子は因りて悟り、位分を端正し使命を凝聚すべきを知る。鼎は一旦偏斜すれば形勢危險、故に端正を貴び、正しからざれば鼎裡の食物を傾覆し出す。鼎は食物を内に收斂す、故に凝聚を貴び、凝聚せざれば食物は漫溢し出す。故に君子はそれに取法して、己が位分を端正し、受くる所の使命を凝聚す。初六爻辞:鼎足は上に向かひて翻倒し、正好しく鼎裡の汚穢を倒出す。妾を娶りて又彼女に因子を生まれ、咎あることなし。震は足趾、此處は震象潛伏して巽に隕落の義あり、故に「顚趾」と言ふ。巽は臭腐、故に「否」と言ふ、「否」は卽ち惡濁汚穢。初六は最下の卑污の地に處り、それを四位に移せば、初・四は便ち各その正位を得て利あり。第四爻の兌は妾、四爻が下りて初位に至れば「得妾」。初爻が上りて四位に至れば震體を構成し、震は子、これ妾を得て又子を得るなり、故に汚穢を倒出すに利ありと言ふ。
象曰:鼎顛趾,未體也;利出否,以從貴也。停逆也,初陰順陽,故曰未悖。初承陽應四,故曰從貴。九二:鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。乾為實,仇匹也,指五。五乘陽勢逆,不能即二,故曰有疾。豫六五乘剛曰貞疾,茲與之同。我謂二,二為三四所隔,既不能即五;五因乘剛有疾,亦不能即二。然我與我仇,究為正應,始雖阻,終必合也,故結之曰吉。象曰終無尤,即謂二五終合也。
《小象傳》曰く:鼎足翻倒すれど、未だ常理に違背せず。汚穢を倒出すは、尊貴なる者に追隨せんが爲。「悖」は卽ち違逆、初六は陰を以て陽爻に順承す、故に「未悖」と言ふ。初六は上に陽爻を承ぐと共に九四と相應す、故に「從貴」と言ふ。九二爻辞:鼎の中に食物滿ち盛れり、我が對手は病あり、我に靠近する能はず、吉利。乾は實、「仇」は匹配、對手、ここは六五を指す。六五は陰を以て九四の陽に凌乘し、その勢は逆にして順ならず、來りて九二に就く能はず、故に「有疾」と言ふ。《豫》卦六五は剛に乘りて「貞疾」と言ふ、ここと同例。「我」は九二を指し、九二は三・四の兩爻に隔てられ、往きて六五に就く能はず。六五は剛に乘りて病あるに因り、來りて九二に就く能はず。然るに「我」と「我仇」は終竟正應、初め阻隔あるも、最終必ず會合す、故に結語に「吉」と言ふ。《小象傳》に「終无尤」と言ふは、正に二・五が最終に會合するを言ふ。
象曰:鼎有實,慎所之也;我仇有疾,終無尤也。之往也。二前臨重陽,行不利,故慎所之。二五終合,故終無尤。按此爻舊解,鮮有當者,一仇字失詁。虞翻謂二據四婦,四為仇;朱子以仇為初。陽遇陽為敵之義,自漢失傳,故慎所之三字,皆莫知所謂。清儒以漢為步趨,漢儒誤遂無不誤矣。
《小象傳》曰く:鼎の中に食物あるは、己が往く所の方向を愼むべし。我が對手に病あるも、最終に過失なし。「之」は卽ち往。九二の前は緊く九三・九四の二陽爻に接し、前行利ならず、故に往く所の方向を愼むを要す。二・五は終竟會合す、故に最終に過失なし。按ずるに此の爻の舊注は講じ對るもの少なし、癥結は全く「仇」字が正確の訓釋を失ふに在り:虞翻は九二が九四この「婦」に據ると言ひ、因りて四を以て仇と爲す。朱熹は則ち「仇」を初六と作す。陽が陽に遇へば卽ち敵對を成すこの義例は、漢代以降失傳し、故に「愼所之」の三字は人人皆その云ふ所を知らず。清代の學者は漢儒を亦歩亦趨の榜樣と爲す、漢儒一たび錯れば、後人は錯らざるなし。
九三:鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨虧悔,終吉。三至五兌為耳,巽隕落,故曰耳革。行,道也。《易林》復之中孚云:鼎煬其耳,熱不可舉,大路壅塞,旅人心苦。以行為道路。蓋三承乘皆陽,陽遇陽故其行塞。上離為雉,兌為膏,雉膏在上,乃上不應三,故雉膏不食。
九三爻辞:鼎耳は脱落して變形し、行進阻まる、肥美の野鷄肉は食べ上げらるることなし。降雨に及べば、虧缺と悔恨は皆消解し、最終に吉利。三爻より五爻は互體して兌、兌は耳、而して巽に隕落の義あり、故に「耳革」と言革」と言ふ、卽ち鼎耳が落つ。「行」はここでは道路の義。《焦氏易林》復之中孚は「鼎煬其耳、熱不可擧、大路壅塞、旅人心苦」と言ふ、正に「行」を道路と作す。大抵九三は上に九四を承ぐ、下に九二に乘る、皆陽爻、陽は陽に遇へば窒塞す、故に道路阻塞す。上體離は雉、兌は膏脂、肥美の雉肉は上面に在るも、然るに上九は同じく陽爻にして九三と相應せず、故に雉膏を食ふに及ばず。
兌為雨,為昧,故曰虧悔,虧悔不明也。吳先生雲悔晦也。按《易林》復之云:陰霧作匿,不見白日。不見白日,虧也。《於虛賦》日月蔽虧,江淹詩金峰各虧日,是也。陰霧作匿晦也,吳讀與《易林》同也。終吉者,初之四則三臨重陰,陽得陰則通,故吉。象曰:鼎耳革閱失其義也。義宜也。鼎之用全在耳,今耳革失其用,故曰失義。
兌は雨、又た昏昧、故に「虧悔」と言ふ、「虧悔」は卽ち昏暗にして明ならず。吳汝綸先生は「悔」は當に「晦」と讀むべしと言ふ。按ずるに《焦氏易林》復卦の辭は「陰霧作匿、不見白日」と言ふ——白日を見ざるは卽ち「虧」、司馬相如《子虛賦》は「日月蔽虧」と言ひ、江淹の詩は「金峰各虧日」と言ふ、皆此の義。「陰霧作匿」は卽ち「晦」。見るに吳氏の讀法は《易林》と相合す。「終吉」と言ふは、初六が四位に移れば、九三の上面は便ち兩個の陰爻に臨み、陽は陰を得れば通暢す、故に吉利。《小象傳》曰く:鼎耳脱落すは、その應有の功用を失へばなり。「義」は卽ち「宜」。鼎の功用は全く兩耳に在り、今耳落ちれば鼎は使用する法なし、故に「失義」と言ふ。
九四:鼎折足,覆公棘,其刑劇,凶。震為足,三至五兌,兌二折震,震象毀,故曰鼎折足。糞為束(左食),馬云鍵也,鄭云菜也。乃三至五巽覆,四為諸候、三公之位,故曰覆公束(左食)。
九四爻辞:鼎足は折斷し、王公の鼎食は傾倒し出づ、重刑を受くべし、凶。震は足、三爻より五爻は互體して兌、兌の陰爻は震を折斷し、震象毁れ、故に「鼎折足」と言ふ。巽は「餗」、卽ち鼎中に盛るの食。馬融は肉羹と言ひ、鄭玄は菜蔬と言ふ。三爻より五爻は倒巽、巽體傾覆し、而して第四爻は正に諸侯、三公の位置、故に「覆公餗」と言ふ。
刑屋(右 )王弼作形渥。古青同通用,《管子·心術下》云:意然後刑,刑然後思。注:意感其事,然後呈形。是刑形古通用,茲從各家。京云刑在頁(左九)為屋(右 )。《漢書·敘傳》:底劇鼎臣。師古注劇(左屋)厚刑。又《周禮·秋官·司氏》:邦若屋誅。鄭注云:屋當讀為其刑劇之束(左食)。劇(左屋)誅謂不於市也。蓋四不當位,故象凶,如是賣束(左食)之象。
「刑剭」は王弼本に「形渥」と作す。古時「刑」「形」の二字は通用し、《管子・心術下》は「意然後刑、刑然後思」と言ひ、注文は心に感じる所ありて然後形迹を呈すと講し、見るに「刑」「形」は古時通用す、ここは諸家に依りて「刑」と讀む。京房曰く:刑を頭上に加ふるを「剭」と曰ふ。《漢書・敘傳》に「底剭鼎臣」の語あり、顏師古の注は「剭」は重刑と言ふ。又《周禮・秋官》の司烜氏は「邦若屋誅」と言ひ、鄭玄の注は「屋」は當に「其刑剭」の「剭」と讀むべし、「剭誅」とは市朝に於いて公に行刑せず、屋内に於いて處死するを指す。大抵九四は陽を以て陰位に居りて當位せず、故に爻象凶險、正にかくの如くの鼎覆し食翻るの樣子なり。
按《易林》未濟之無妄云:求糜耕田。以無妄互巽為糜。而馬氏訓束(左食)為健,與《易林》同,鍵即糜也。鄭氏訓為菜,按《韓奕》之詩曰:其敕(上草)維何,維荀及蒲。疏引易曰鼎折足,覆公敕(上草)。是束(左食)與敕(上草)通用,而鄭訓與詩合,蓋皆巽象,可從。
按ずるに《焦氏易林》未濟之无妄は「求糜耕田」と言ふ、无妄卦の互體巽を把って糜粥と爲す。而して馬融は「餗」を「鍵」と訓じ、《易林》と相合す、「鍵」は亦た糜粥の類。鄭玄はこれを菜蔬と訓ず、按ずるに《詩經・大雅・韓奕》は「其蔌維何、維筍及蒲」と言ひ、孔穎達の疏は《易》の「鼎折足、覆公蔌」を引く、見るに「餗」と「蔌」は通用し、而して鄭玄の訓釋は正に《詩》と相合す。この兩説は其の實皆巽象を取る、皆采信すべし。
九家云:三公調陰陽,猶鼎之凋五味,足折束(左食)覆,猶三公不勝其任,而覆天子之美,故受此重辜也。王弼以形渥為沾儒,程子謂為汗澀,豈知《下繫》云:德薄而位尊,鮮不及矣。謂及於刑辟也,即讀為刑劇(左屋)也。工程所釋,皆望文生義,非也。象日:覆公像信如何也。乾為信,信如何者,言行為如此,信仰失也。
《九家易》曰く:三公は陰陽を調和し、鼎が五味を調和するが如し。鼎足折斷し鼎食傾覆すは、三公が職守に勝任せず、天子の美政を傾覆せるが如し、故に斯くの重罪を承受す。王弼は「形渥」を沾濕沾濡と解し、程頤は汗流れて面滿つと解す、知らず《繫辭下》は「德薄而位尊、鮮不及矣」と言ふ、「及」は卽ち刑罰に遭及す、正に當に「刑剭」と讀むべし。王弼・程頤の解釋は皆望文生義、對らず。《小象傳》曰く:王公の鼎食を傾覆せり、何の信用か談ずべき。乾は信、「信如何」とは行為が竟に此の歩に至り、威信已に喪失せりと言ふ。
六五:鼎黃耳金鉉,利貞。兌為耳,離黃中,故曰黃耳。乾為金,故曰金鉉。鉉與扃同,《士冠禮》設局鼎(上加帽),鄭注扃今文為鉉,《釋文》扃鼎扛也,孔疏所謂貫鼎耳而扛之,是也。伏坎象也。六五得中,下有應,故利貞。利貞言二五應也。象曰:鼎黃耳,中以為實也。乾為實,九二云鼎有實,五得中應二,故中以為實。實指二。黃中色,故曰中以為實。
六五爻辞:鼎に黃色の耳、金屬の鼎杠あり、占問に宜し。兌は耳、離は黃、中に居る、故に「黃耳」と言ふ。乾は金、故に「金鉉」と言ふ。「鉉」と「扃」は同一件の器物、《儀禮・士冠禮》に「設扃鼏」の文あり、鄭玄の注は「扃」の今文は「鉉」と作すと言ふ。《經典釋文》曰く「扃」は鼎を抬ぐの横杠、孔疏の謂はゆる鼎耳を穿ちて鼎を抬げ上ぐる、正に此の物を指す。これは潛伏するの坎象。六五は上卦の中位に居り、下に九二の相應あり、故に占問に宜し。「利貞」は正に二・五の相應に就きて言ふ。《小象傳》曰く:鼎の黃耳は、中に居る者を以て實と爲す。乾は實、九二は「鼎有實」と言ふ。六五は中位を得て下に九二に應ず、故に「中以為實」と言ふ、「實」とは卽ち九二を指す。黃は居中の色、故に「中以為實」と言ふ。
上九:鼎玉鉉,大吉無不利。乾為玉,上九陽為直,故象玉鉉。又上九以鉉舉鼎,動作自如,無有滯礙,故大吉無不利,與大畜上九義同。象釋曰剛柔節,以五陰為承也。象日:玉鉉在上,剛柔節也。上陽得五陰為承,故曰剛柔節。諸家多以三變應上成未濟,為剛柔節,豈知六爻獨三當位,胡可使其失正。且變而成未濟,六爻皆不安,胡能大吉。此自虞翻卦變伎倆,以濟其窮者,可復申述之乎。
上九爻辞:鼎に玉製の横杠を配し、大いに吉利、利なからざるなし。乾は玉、上九は陽爻にして性質剛直、故に玉鉉に取象す。又た上九は鉉を用ゐて鼎を抬げ上ぐ、動作自如にして滯碍毫もなし、故に大吉にして利なからざるなし、《大畜》上九の意思と相同じ。《小象傳》は「剛柔節」と解釋す、上九が六五の陰を得て下に承接せらるればなり。《小象傳》曰く:玉鉉が上位に居るは、剛柔調節當を得たるなり。上九の陽は六五の陰の承接を得、故に「剛柔節」と言ふ。諸家は多く九三を變爻して上九に應じ《未濟》を成さしめて乃ち「剛柔節」と曰ふと爲す、知らず本卦の六爻は九三のみ當位なり、豈にそれをして正位を失はしむべけむや。況んや《未濟》と變じたるの後は六爻皆安穩ならず、又た何ぞ「大吉」なる能はむ。これ本より虞翻「卦變」の伎倆、以て彼の講じ通ぜざる所を敷衍す、豈に更に申説するの價値あらむや。
震卦
震:亨,震來A?,笑言啞啞,震驚百里,不喪匕鬯。震振也,動也。一陽伏二陰之下,陽必上升,故振動而為雷,為起。《歸藏》作釐,李過曰釐者理也,黃宗炎曰謂雷釐地而出以作聲。愚按震為笑樂,為喜,而釐與僖通,《史記》以魯僖公釐公,是其證。《說文》傅樂也,與喜同。
《震》卦:亨通。雷聲襲來して人を驚懼せしむ、隨後談笑自若。雷威は百里を震動せど、主祭者の手の中の匕と鬯酒は失落せず。「震」は振作、動。一個の陽爻は兩個の陰爻の下に潛伏し、陽氣は必ず上昇す、故に振動して雷と爲り、起動と爲る。《歸藏易》は此の卦を「釐」と作し、李過は「釐」は卽ち治理と言ひ、黃宗炎は雷が大地を剖開して出でて以て發聲すと言ふ。我按ずるに:震に歡笑、喜樂の象あり、而して「釐」と「僖」は相通じ、《史記》は魯僖公を釐公と寫す、卽ち證據。《説文》の收める此の字は歡樂と訓じ、「喜」と同義。
又震為生為福,而釐亦為福,《前漢·文帝紀》祠官祝釐,如淳曰福也。是釐與震義多同,故《歸藏》作釐,《周易》作震。陽得出故亨。AA?恐懼貌,陽來居初,故日震來。雷之發也,萬物震恐,故震來A?A?。陽遇陰則通,故笑言啞啞。啞啞笑貌。
又た震に生長、福佑の象あり、而して「釐」も亦た福の義:《漢書・文帝紀》は祠官の「祝釐」を言ひ、如淳の注は「釐」は卽ち福と言福と言ふ。見るに「釐」と「震」の含義は多く相同じ、故に《歸藏》は「釐」と作し、《周易》は「震」と作す。陽氣は土に出るを得、故に亨通。「虩虩」は恐懼の狀。陽爻は來りて初位に居る、故に「震來」と言ふ。雷一たび發作すれば萬物は皆震動恐懼す、故に「震來虩虩」と言ふ。初九の陽は上に向かひて陰爻に遇ふ、陽は陰に遇へば通暢す、故に「笑言啞啞」。「啞啞」は歡笑の狀。
震為百,艮為裡,坎為棘匕,為鬯。鬯櫃(左禾)酒也,震為黍,坎為酒,故曰鬯。震驚百里,不喪匕鬯者,言震雷雖威及百里,而不驚懼也。匕所以載牲,曾所以降神,皆祭祀之用,故傳曰可以守宗廟為祭主也。
震は百、艮は里、坎は棘木を以て製する匕、鬯酒。「鬯」は黑黍を用ゐて釀するの香酒、震は黍、坎は酒、故に合はせて「鬯」象を成す。「震驚百里、不喪匕鬯」とは:雷威は方圓百里を震動すれど、主祭者は鎭定して驚かず。「匕」は牲體を鼎の中より挑出して載せるの禮器、「鬯」は以て神を降すの香酒、皆祭祀の具に屬す、故に《彖傳》は斯くの人は宗廟を守護し祭主を擔當する能ふと言ふ。
彖曰:震亨,震來,恐致福也;笑言啞啞,後有則也;震驚百里,驚遠而懼邇也;出可以守宗廟社稷,以為祭主也。震為福,故曰恐致福。則,法也,互坎為法則。震為後,後有則者,言陽復於下為陰主也。震為出,為祭,為主;艮為守,為社稷,為廟;震為長子。驚遠懼邇,能匕鬯不失,故可為祭主,而長守宗廟社稷也。
《彖傳》曰く:《震》は亨通。雷聲襲來して人を驚懼せしむは、懼を知りて福佑を招けばなり。隨後談笑自若なるは、その後行事に法度あればなり。雷威は百里を震動すは、遠き人を驚動せしめ近き人を恐懼せしむ。長子出でて主事し、宗廟社稷を守護し祭主を擔當すべし。震は福、故に懼を知りて福を致すと言と言ふ。「則」は法度、互體の坎に法則の象あり。震は后、「后有則」とは陽爻が下位に復歸して衆陰の主と爲るを言ふ。震は出、祭、主。艮は守、社稷、宗廟。震は又長子。既に遠近を皆驚懼せしむ能く、又雷震の中に於いて匕鬯失落せず、故に祭主を擔當し宗廟社稷を長久に守護する能ふ。
象曰:存(左水)雷震。君子以恐懼修省。存(左水)再也,上下震故曰存(左水)雷。困震而恐,因恐而修省。初九:震來AA?,後笑言啞啞,吉。陽在下,故曰後,言初雖AA?恐懼,後則樂也,陽遇重陰故也。象曰:震來AA?,恐致福也;笑言啞啞,後有則也。恐則修省,修省則致福。
《大象傳》曰く:雷聲は接連して至るは、これ《震》。君子は因りて悟り、戒懼を心存し身を修め過を省るべきを知る。「洊」は再び、接連の義、上下卦は皆震、故に「洊雷」と言ふ。雷震に因りて恐懼を生じ、恐懼に因りて身を修め過を省る。初九爻辞:雷聲襲來して人を驚懼せしむ、隨後談笑自若、吉利。陽爻は最下位に在り、故に「后」と言ふ、初九が初め驚懼すれど隨後歡樂に轉ずるを言ひ、これはそれが上に向かひて重疊の陰爻に遇ひ、陽は陰に遇へば通ずればなり。《小象傳》曰く:雷來りて驚懼すは、懼を知りて福を致せばなり。談笑自若は、その後行事に法度あればなり。戒懼を心存すれば身を修め過を省り、身を修め過を省れば福佑を招く能ふ。
六二:震來厲,億喪貝,濟(左足)于九陵,勿逐,七日得。來者復也。震來厲,言陽復初,二乘之,故危厲不安也。億噫通,《釋文》云本亦作噫,虞翻雲惜辭也。艮為貝,震者艮之覆,故喪貝。古以貝為貨幣,因厲喪貝。震為言,故曰惜辭。鄭作十萬解,似不如虞義也。
六二爻辞:雷聲襲來して危險あり、噫、貝幣を失ひ、九重の高陵に登る。追ふる勿れ、七天の後自ら失ひて復た得む。「來」は卽ち復歸。「震來厲」とは陽爻が初位に復歸し、六二はその上に凌乘す、故に危厲不安。「億」と「噫」は相通じ、《經典釋文》は或る本は「噫」と作すと言ひ、虞翻はこれ惋惜の語氣詞と言ふ。艮は貝、震は正に艮の倒象、艮既に傾覆せれば貝は失はれ、故に「喪貝」と言ふ。古人は貝殼を以て貨幣と爲し、危厲に遭遇して貝幣を失ふ。震は言、故にこの惋惜の辭あり。鄭玄は「億」を十萬の數に解す、虞翻の解釋に如かざるに似たり。
二至四艮,艮為陵,艮陽在上,陽老故曰九陵。震為臍,躍升也,而坎為盜,在艮陵上,言有人持貝,臍九陵以去也。然不必逐也。震為逐,數七,故曰七日。震為復,勿逐七日得者,言所喪之貝,不必追逐,至七日自然來復也。
二爻より四爻は互體して艮、艮は陵。艮の陽爻は上に在り、陽の數は九を以て老と爲す、故に「九陵」と言ふ。震は躋、躍升攀登なり。而して坎は盗、坎體は正に艮陵の上に在り、人の貝幣を拿して九重の高陵に攀上して逃走せるを言ふ。然るに追ふるを要せず。震は逐、震の數は七、故に「七日」と言ふ。震は又復、「勿逐七日得」とは:失はれたる貝幣は追趕するを要せず、第七日に至れば自然に歸り來ると言ふ。
舊解皆以離為貝,《易林》剝之蒙云:齊貝贖狸。蒙上艮為齊為貝。又謙之蠱、訟之大畜,皆曰喪貝,亦皆以上艮為貝。蓋艮堅在外,與離同也。象曰:震來厲,乘剛也。乘剛故危。六三:震蘇蘇,震行無青。蘇蘇,鄭云不安也。坎為疾病,故為眚。蓋三不當位,故不安,然得陽為承,亦無眚也。象曰:震蘇蘇,位不當也。虞以蘇為死而復生,由象傳觀之,鄭釋為當。
舊注は皆離を以て貝と爲す、其の實《焦氏易林》剝之蒙は「賚貝贖貍」と言ひ、蒙卦の上體艮を以て賚、貝と爲す。又謙之蠱、訟之大畜は皆「喪貝」と言ひ、亦た皆上體艮を以て貝と爲す。大抵艮は堅硬の外殻が外に裹む、離の外剛中虚の性質と相同じ、故に貝象を取る能ふ。《小象傳》曰く:雷來りて危險あるは、六二が陽剛に凌乘せばなり。剛に乘れば故に危險。六三爻辞:雷震の下に惶惶として安からず、震動の中に行ふも災眚なし。「蘇蘇」は鄭玄の言ふに不安の狀。坎は疾病、故に災眚の象あり。大抵六三は陰を以て陽に居りて當位せず、故に安からず。然るにそれは上に九四の陽を承ぐ、陰は陽を承げば順なり、故に災眚もなし。《小象傳》曰く:惶惶として安からざるは、位置當らざればなり。虞翻は「蘇」を死して復た生ずに解す、《小象傳》より見れば、仍ほ鄭玄の解釋が恰當なり。
九四:震遂泥。遂隧之省文,隧即墜也。《論語》文武之道,未墜於地,石經作隊。又《列子》矢隧地而塵不揚,皆以隧為墜。遂古文隧之省。《荀子·理論篇》人焉而隧,楊驚注云隧古墜字,故荀爽作隧。四坎為泥,陷四陰中,故隧泥。震為行,隧泥則行難矣。象曰:震遂泥,朱光也。坎隱伏,故未光。
九四爻辞:雷震して泥中に墜陷す。「遂」は「隧」の省寫、「隧」は卽ち墜落。《論語・子張》は「文武之道、未墜于地」と言ひ、漢石經は「墜」を「隊」と寫す。《列子》は箭が「隧地而塵不揚」と言ふ、皆「隧」を以て「墜」と爲す。「遂」は古文「隧」の省形。《荀子・禮論篇》は「人焉而隧」と言ひ、楊倞の注は「隧」は古「墜」字と言ふ、だから荀爽本は此の爻を「隧」と作す。九四は坎體に在り、坎は泥、それ又上下四個の陰爻の當中に陷る、故に泥裡に墜入すと言ふ。震は行、泥中に墜ちれば寸步も難行なり。《小象傳》曰く:雷震墜泥は、未だ光大ならざるなり。坎は隱伏、故に未だ光大する能はず。
六五:震往來厲,億無喪有事。往得敵,來乘陽,故往來皆危厲也。自陽遇陽陰遇陰為敵之理失傳,於是虞翻不知往厲之故在陰遇陰,只以乘剛為說。乘剛則來厲,於往無涉也。五得中位尊,匕鬯之事,故無喪也。象曰:震往來厲,危行也;其事在中,大無喪也。行,道也。大無喪即億無喪。
六五爻辞:雷震の中に往くも危險、來るも危險。幸ひに損失なく、祭祀の事は照舊に進行す。六五は上行して上六に遇ひて同じく陰爻にして敵對を成し、退き下りて又九四の陽に凌乘す、故に往來皆危厲なり。自から「陽は陽に遇ひ陰は陰に遇へば則ち敵と爲る」の條の義理失傳してより、虞翻は便ち「往厲」の緣故が陰が陰に遇ふに在るを明白せず、ただ「乘剛」を用ゐて解釋す。然るに乘剛はただ「來厲」を解釋する能ふのみ、「往」とは毫も相干ならず。六五は上卦の中位に居りて尊貴、匕鬯の祭祀の事を主持す、故に損失なし。《小象傳》曰く:雷震往來皆危險なるは、行道に危あればなり。主る所の事は中に居る、故に大体損失なし。「行」はここでは道路。「大无喪」は卽ち爻辭の「億无喪」。
上六:震索索,視矍矍,征凶。震不于其躬,于其鄰,無咎。婚尼(左木)有言。索索,鄭云猶縮縮,足不正也。三在震上,蘇蘇不安,上亦同也。??,鄭云目不正也。《說文》佳欲逸走也,徐曰左右驚顧也。震,目無上皆,故因恐懼而視矍矍也。
上六爻辞:雷震の下に雙足は瑟縮し、兩眼は驚惶して四顧す、往けば凶險あり。雷震は己が身に落ちず、ただ鄰人の身に落つ、咎あることなし。但し婚姻の事は口舌を招く。「索索」は鄭玄の言玄の言ふに「縮縮」の如し、脚步正しからざるの狀。六三は下震の上に處りて惶惶として安からず、上六の處境も亦た同じ。「矍矍」は鄭玄の言ふに眼神正しからず。《説文》曰く「瞿」は鳥が驚いて逃げむとするの狀、徐鍇は左右に驚顧すと言ふ。震の卦畫は一横を缺き、眼睛に上眼瞼なきが如し、故に恐懼に因りて兩眼驚視す。
《易林》訟之豫云:眵難無距,與鵲格鬥,翅折目盲,為鳩所傷。眵,《說文》目傷目(上此)也。豫上震,目無上目(上此),故日眵,曰盲,義即本此也。虞翻不知易用象之妙,以卦無視象,命三變成離取視象,易取象無此迂曲也。三無應,故征凶。震不于其躬于其鄰,仍驚遠懼邇之意。艮為躬,艮覆為震,故不于其躬于其鄰。
《焦氏易林》訟之豫は「雛鷄无距、與鵲格鬥、翅折目盲、爲鳩所傷」と言ふ。「眵」は《説文》に眼睛傷つきて眼眶潰爛すと言ふ。豫卦の上體は震、震畫は一横を缺き、眼眶殘缺の如し、故に「眵」と言ひ「盲」と言ふ、取義は正に此に本づく。虞翻は《易》の象を用ゐるの巧妙を懂せず、本卦に「視」の象なしと爲し、便ち九三に變爻して離を成さしめて視象を取らしむ。《易》の取象に斯くの迂回曲折あるなし。上六は六三と同じく陰爻にして相應せず、故に往けば凶險あり。「震不于其躬、于其鄰」は、仍ほ《彖傳》「驚遠而懼邇」の意。艮は躬身、艮を倒せば卽ち震、躬身の象已に倒れたり、故に雷震は己が身に落ちずして鄰人の身に落つと言ふ。
震為鄰,《易林》蹇之噬嗑云:不利出鄰,疾病憂患。噬嗑下震為鄰為出,出即與坎險遇,而有疾病憂患之苦,是明以震為鄰也。鄰仍謂三也。言三蘇蘇,即知其可懼而戒備也,知懼故無咎。
震に「鄰」なるこの逸象あり:《焦氏易林》蹇之噬嗑は「不利出鄰、疾病憂患」と言ふ。噬嗑の下下體震は鄰、出、一たび出でれば便ち坎險に撞當り、因りて疾病憂患の苦あり、これ分明に震を把って鄰と爲す。ここの「鄰」は仍ほ六三を指す。六三の惶惶として安からざるを見て、上六は便ち情勢の恐るべきを知りて豫め戒備すを言ふ。戒懼を知る、故に咎あることなし。
卦二至上正反震,故有言。有言者爭訟,與困之三至上正反兌有言不信同也。卦三男俱備,無一女象,故不能婚媾,如婚媾則必爭訟也。自覆象失傳,此句舊解二千年無一當者。只《易林》中孚之謙云:伯氏爭言。謙亦正覆震,與震二至上同。爭言即有言,震為伯也。象曰:震索索,中未得也;雖凶無咎,畏鄰戒也。在震上,故曰中未得。因畏而戒,故無咎。
本卦は二爻より上爻まで正震と倒震と相い疊ね、故に「有言」の象あり。「有言」は卽ち爭訟、《困》卦の三爻より上爻まで正兌倒兌と相い疊ねて「有言不信」と同例。本卦は震は長男、坎は中男、艮は少男、三男俱全し、一個の女象もなし、故に成婚する能はず。若し硬く成婚せむとすれば、必ず爭訟を引起す。自から「覆象」なるこの取象法失傳してより、この一句は二千年來舊注に一家も講じ對るものなし。ただ《焦氏易林》中孚之謙は「伯氏爭言」と言ふ——謙卦も亦た正震と倒震と相い疊ね、《震》卦の二至上の結構と相同じ。「爭言」は卽ち「有言」、而して震は又伯、卽ち長子。《小象傳》曰く:雙足瑟縮すは、居中の道未だ得ざればなり。凶險あるも咎なきは、鄰人の震を受くるを見て戒懼する所を知ればなり。上六は上震の上に處りて中に居らず、故に「中未得」と言ふ。畏懼に因りて戒備す、故に咎あることなし。
艮卦
艮其背,不獲其身,行其庭,不見其人,無咎。《歸藏》作狠,狠《廣韻》很之俗宇。《說文》很不聽從也,一曰行難也。艮鄭云艮之言很也,是很艮義同。艮止也,震為行,震反故止。雜卦震起也,艮止也,即言正反之義也。舊說以陽在上為止,非其義也。艮為背為身為庭為人。艮其背,靜也。三至五互震,故又曰行其庭,行其庭動也。乃因無應與,靜則不獲身上手足之用,動則不見庭除應予之人。無動作無交際,故亦無咎也。
《艮》卦:背部に抑止し、己が身體を感ずることなし。庭院を行走しても、庭中の人を見ず。咎あることなし。《歸藏易》は此の卦を「狠」と作し、「狠」は《廣韻》に於いて「很」の俗字。《説文》曰く「很」は聽き從はざるなり、一説に行走艱難なり。鄭玄曰く「艮」の意思は卽ち「很」、見るに「很」と「艮」は義同じ。艮は止、震は行、震を倒轉すれば卽ち艮、故に止と爲す。《雜卦傳》曰く「震、起也。艮、止也」、講ずる所は正に正震と倒震の關係。舊説は陽爻が上に居るを以て止と爲す、本義に合せず。艮は背、身、庭、人。「艮其背」は靜。三爻より五爻は互體して震、故に又「行其庭」と言ふ、「行其庭」は動。ただ全卦の上下は敵應にして相應の爻なきに因り、靜の時は自身の手足の作用を感ぜず、動の時は庭中に於いても相應の人を見ず。動作なく又交際なし、故に咎あることもなし。
象曰:艮,止也。時止則止,時行則行,動靜不失其時,其道光明。艮其止,止其所也。上下敵應,不相與也,是以不獲其身,行其庭不見其人,無咎也。艮為時,下艮,故曰時止則止。三至五互震,故曰時行則行。止則靜,行則動,動靜隨時,故其道光明。艮為道路,陽在上故光明。六爻無應予,故曰敵應。
《彖傳》曰く:《艮》は卽ち止。止むべき時に止まり、行ふべき時に行行ふ、動と靜と皆その時機を失はず、その道路は便ち光明。「艮其止」は、止むべき所に止まる。全卦の上下爻は兩兩敵對して、彼此相い親與せず、故に己が身體を感ぜず、庭中を行走しても人を見ず、因りて咎あることなし。艮は時、下卦は艮、故に「時止則止」と言ふ。三爻より五爻は互體して震、故に「時行則行」と言ふ。止は卽ち靜、行は卽ち動、動靜皆時機に順應す、故に道路光明。艮は道路、陽爻は上位に居る、故に光明。六爻は皆相應の爻なし、故に「敵應」と言ふ。
陰陽相遇為朋為類,若陽遇陽,陰遇陰,則皆為敵。同人九三云敵剛,以比應皆陽,故曰敵剛,以陽遇陽為敵。中孚六三云得敵,《子夏傳》云四與三為敵,而不釋其義。荀爽解之曰:三四俱陰,故稱敵也。以陰遇陰為敵,此實易義之根本。
陰と陽と相遇へば便ち朋友、同類を成す。若し陽が陽に遇ひ陰が陰に遇へば、便ち皆敵對を成す。《同人》九三は「敵剛」と言ふ、それが相比し相應するは皆陽爻なれば、故に「敵剛」と言ふ、これは陽が陽に遇ひて敵と爲る。《中孚》六三は「得敵」と言ひ、《子夏傳》は四と三と敵と爲ると言ふも、緣由を解釋せず。荀爽は解釋して曰く:三・四は皆陰爻、故に敵と稱す。これは陰が陰に遇ひて敵と爲る。この條の義例は實に《易》理の根本なり。
明乎此則屯二之十年乃字,此三之比之匪人,頤六二之失類、六五之不利涉,大壯初九之征凶,解九四這解而拇,決(左無)初九之往不勝、九四之其行次且,鼎九二之慎所之,震六五之往厲,皆可觀象而得其義,否則不知其所謂矣。此易義之所以終古長夜也。然觀《子夏傳》之解得敵,似此義韓嬰已知之,荀爽能釋之,然可以於上列各爻,任其失解,抑有解而採輯者不合其意而不錄歟。
この條の義例を明白せば、則ち《屯》卦六二の「十年乃字」、《比》卦六三の「比之匪人」、《頤》卦六二の「失類」、六五の「不利涉大川」、《大壯》初九の「征凶」、《解》卦九四の「解而拇」、《夬》卦初九の「往不勝」、九四の「其行次且」、《鼎》卦九二の「愼所之」、《震》卦六五の「往來厲」、皆爻象の上より確解を求むべし。然らざればそれらが何を説むかを知らず。これ正に《易》義が千古長夜の如くなるの緣故。不過《子夏傳》の「得敵」を解するを看れば、韓嬰已に此の義を懂得せしに似たり、荀爽も亦た之を闡釋する能ふ。何ぞ上列の各爻の上に於いてそれらの失解を任するや。或は彼らは本より解説あるも、ただ采輯して書を成す人が己意に合せずと覺えて收錄せざりしか。
象曰:兼山,艮。君子以思不出其位。艮為位,艮止故不出。坎為思,得中唯心亨,亦不出。學易之君子法之。九三:艮其限,列其夤,厲熏心。限,《說文》阻也,《玉篇》界也,即脊骨界左右也,故馬荀鄭虞皆訓為要。三居卦中,坎為要,故取象於限。坎為脊為肉,故取明於夤。夤,馬虞皆以為夾脊肉。
《大象傳》曰く:兩山相重は、これ《艮》。君子は因りて悟り、思慮が己が職位を越えざるべきを知る。艮は位、艮は又止、故に思慮は本位を越えず。坎は思、坎は中位を得て「維心亨」、亦た外越せず。《易》を學ぶ君子はこれに取法す。九三爻辞:腰部に抑止し、夾脊の肉を撕裂す、危厲の情は火の心を熏するが如し。「限」は《説文》に阻隔と訓じ、《玉篇》は界限と訓ず、正に脊骨が左右を分界するを指す、だから馬融・荀爽・鄭玄・虞翻は皆これを腰と訓ず。九三は全卦の中に居り、坎は腰、故に「限」に取象す。坎は脊、肉、故に「夤」に取象す。「夤」は馬融・虞翻ともに夾脊の兩側の肉と爲す。
脊骨居中為限,脊肉左右分列。列裂同,《墨子·明鬼下》云生列兕虎,《荀子·哀公問》云兩驂列兩服人廄,注皆作裂。脊肉裂分左右,脊界其中,故曰裂其夤,皆坎象也。艮為火,互坎為心,故厲熏心。
脊骨が中に居るは卽ち「限」、脊の兩旁の肉は左右に分列す。「列」と「裂」は相同じ、《墨子・明鬼下》は「生裂兕虎」と言ひ、《荀子・哀公問》は「兩驂列兩服入廐」と言ひ、注文は皆「裂」と作す。脊肉は裂けて左右に分かれ、脊骨は中間に界す、故に「裂其夤」と言ふ、これらは皆坎の象より取る。艮は火、互體の坎は心、故に危厲は火の心を熏するが如しと言ふ。
自坎肉象失傳,後懦皆不知噬嗑三四五三爻之肉象,及此夤象何屬。自艮火象失傳,虞翻以艮為閽,讀紊為閽,謂古閽作熏字,並云馬吉熏灼其心。未聞易道以坎水熏灼人者,豈知艮為火,馬氏所詁,正與易合。
自から坎が肉たるこの象失傳してより、後の儒者は皆《噬嗑》三・四・五の三爻の「肉」象が何處より出づるを知らず、又ここの「夤」象が哪の卦に屬するを知らず。自から艮が火たるこの象失傳してより、虞翻は便ち艮を以て「閽」(門を守る人)と爲し、「熏」を「閽」と讀み、古「閽」字は「熏」と寫すと言ひ、又馬融が「熏灼其心」と訓じたと言ふ。曾て《易》理が坎水を以て人を熏灼すること聽かず、豈に知らむ艮は本來火なり、馬融の訓釋は正に《易》象と相合す。
至荀氏以熏為動,讀作動。來知德又云以三十年之功,始悟熏字之由於伏離。由斯證一象之失傳,可使名家易人人異詞,真可嘆也。艮火坎肉象,皆詳《焦氏易詁》。《易林》艮之無妄云:顛覆不制,痛熏我心。是焦亦作熏。象曰:艮其限,危熏心也。厲危也,故曰危熏心。
至りて荀爽が「熏」を以て「動」と爲し、動と讀む。來知德は又自ら三十年の工夫を花して、始めて「熏」字が潛伏する離火より出づるを悟りたと言ふ。これに由りて證すべし:一個の卦象の失傳は、名家の《易》を解するを人人各その詞を執らしむ、真に歎くべきなり。艮が火、坎が肉たるこの兩象は、皆詳しく《焦氏易詁》に見ゆ。《焦氏易林》艮之无妄は「顚覆不制、痛熏我心」と言ふ、見るに焦延壽の本も亦た「熏」と作す。《小象傳》曰く:腰部に抑止すは、危險は火の心を熏するが如し。「厲」は卽ち危、故に「危熏心」と言ふ。
六四:艮其身,無咎。艮為身,見上彖。虞以坤為身為孕非也。初趾二腓,三要四身,按爻序自下而上,故象釋為躬。得位故無咎。象曰:艮其身,上諸躬也。艮為躬,躬即身也。三四居卦之中,故曰要,曰身,並無他義。虞氏謂五動乘四則妊身,以止諸躬為妊身,卦天離象,強命王爻變成離,惑亂學,莫此為甚。
六四爻辞:その身に抑止し、咎あることなし。艮は身、已に上文《彖傳》の解説に見ゆ。虞翻は坤を以て身、懷孕と爲す、對らず。本卦は初爻は足趾、二爻は小腿肚、三爻は腰、四爻は身、爻位の次序に按りて下より上に排列す、だから《小象傳》は「身」を「躬」と解釋す。六四は陰を以て陰に居りて正位を得、故に咎あることなし。《小象傳》曰く:その身に抑止すは、自身に止まればなり。艮は躬、「躬」は卽ち身。三・四の兩爻は全卦の中に居る、故に「腰」と稱し「身」と稱す、別の含義あるに非ず。虞翻は卻って六五が變動して六四に乘るは卽ち「妊身」(懷孕)と言ひ、「止諸躬」を懷孕に解す。本卦には離象あるに非ざれど、彼は硬く五爻が變じて離を成すと指定す、學者を迷惑擾亂す、これより甚だしきなし。
六五:艮其輔,言有序,悔亡。輔,《說文》人頰車也,在頰之上,與牙車相對。春秋僖五年輔車相依,注云車牙車。疏牙車,牙下骨之名,在頰之下。蓋幾物人口,皆賴牙車載之,故名曰車。人慾嚼物,或言語,則牙動而上與輔對,故曰輔車相依。
六五爻辞:その口輔に抑止し、言は條理あり、悔恨消ゆ。「輔」は《説文》に人の頰骨と言ひ、面頰の上部に在り、「牙車」卽ち下頷骨と相對す。《春秋》僖公五年に「輔車相依」の語あり、杜預の注は「車」は卽ち牙車と言ひ、孔穎達の疏は牙車は牙の下のあの骨頭の名稱、面頰の下部に在ると言ふ。大抵食物は口に入れば、皆牙車に靠りて承載せられ、故にこれを「車」と名づく。人が物を嚼む或は言を出せば、牙車は便ち上下活動して上面の輔骨と相對す、故に「輔車相依」と言ふ。
輔在上不動,故艮為輔,頤即用以取象。三至五震,震為言,上卦震反,故曰艮其輔。序者次也,言不紊也。三至五震,時而當言則言;四至上震反,時而不當言,則言止矣,故曰言有序。《詩·大雅》序賓以賢,言賓之位次,與其賢相當,秩然不亂也。言行君子之樞機,時言則言,時止則止,有序如是,故無悔也。虞氏易序作孚,言孚於上也。
輔骨は上に在りて動かず、故に艮は「輔」の象を取り、《頤》卦は卽ちこれを以て取象す。三爻より五爻は互體して震、震は言。上卦は震の倒象、言語は止住せらる、故に「艮其輔」と言ふ。「序」は次第、言語が紊亂せざるを指す。三至五は震、該に言ふべき時に言ふ。四至上は倒震、該に言ふべからざる時、言語は便ち停住す——故に「言有序」と言ふ。《詩經・大雅・行葦》は「序賓以賢」と言ふ、賓客の座次が彼らの賢德と相稱し、秩然として亂れざるを言ふ。言語行動は君子の樞機、該に言ふべき時に言ひ該に止むべき時に止まり、條理この歩に至る、故に悔恨なし。虞翻本は「序」字を「孚」と作し、六五が上九に取信すと言ふ。
象曰:且其輔,以中正也。五中而不正,正字或疑衍,又或作正中。然未濟九二傳中以行正也,大壯九二傳大者正也,大謂九二,似亦不拘。上九:敦艮吉。敦與頓通,頓止也。易凡言敦,皆有止義、待義,義詳敦臨敦復。敦艮者,頓止於上也,下履重陰,故吉。象曰:敦艮之吉,以厚終也。艮為山,故曰厚;而艮為終,故曰以厚終,唯厚故止也。
《小象傳》曰く:口輔に抑止すは、中に居りて正しきを得ればなり。六五は中に居ると雖も、陰を以て陽位に居りて正を當らず、故に或る人は「正」字を衍文と疑ひ、或る本も「正中」と作す。不過《未濟》九二《小象傳》は「中以行正也」と言ひ、《大壯》九二《小象傳》は「大者正也」(「大」は九二を指す)と言ふ、見るに傳文が「正」字を用ゐるは拘泥するに似ず。上九爻辞:敦厚篤實に抑止し、吉利。「敦」と「頓」は相通じ、「頓」は卽ち停止。《易》は凡そ「敦」と説くは、皆停止、等待の義を含む、詳しく《臨》卦「敦臨」、《復》卦「敦復」の解説を見よ。「敦艮」は卽ち上位に停止す。上九は下に兩個の陰爻を踩み、陽は陰を履めば通ず、故に吉利。《小象傳》曰く:敦艮の吉なる所以は、敦厚を以て善終する能ふが故。艮は山、故に「厚」と言ふ。艮は又終、故に「以厚終」と言ふ——正に厚重なるが故に、止むる能ふ。
周易尚氏學卷十五 下經
漸卦
漸:女歸吉,利貞。上下卦皆陰承陽,陰承陽即婦從夫,故曰日漸。漸進也,次也,言陰次於是,宜進而承陽也。巽為婦,艮止於下,有女歸之象。二五應,故利貞而吉。象曰:漸之進也,女歸吉也。進得位,往有功也。進以正,可以正邦也。其位,剛得中也。止而巽,動不窮也。五得位故有功。艮為邦,故曰正邦。象曰:山上有木,漸。君子以居賢德善俗。居積也,居賢德即積賢德也。坎為積,艮為賢,巽為風俗,有賢德故以善俗。居賢德善俗,皆非猝然可能之事,皆漸義也。
《漸》卦:女子は嫁して吉利、正を守るに宜し。本卦の上下兩體の陰爻は皆陽爻を承接し、陰が陽を承ぐは卽ち妻の夫に從ふ、故に「漸」と呼ぶ。「漸」は漸進、亦た次第、陰爻が此處に依次に列して、序に循りて上りて陽爻を承接すべきを言ふ。巽は婦、艮は下に止まり、女子嫁ぐの象あり。六二は九五と相應す、故に正を守るに宜しくして吉利。《彖傳》曰く:漸は漸次前進、女子嫁して吉。前進して各その位を得、往けば便ち功あり。正道を以て前進し、邦國を匡正すべし。謂はゆる「其位」は、九五が陽剛にして中に居るを指す。内止にして外順、行動すれば困窮せず。九五は正位を得、故に功あり。艮は邦、故に「正邦」と言ふ。《大象傳》曰く:山の上に樹木生ずは、これ《漸》。君子は因りて悟り、賢德を積蓄し風俗を改善すべきを知る。「居」は積蓄、「居賢德」は卽ち賢德を積累す。坎は積、艮は賢、巽は風俗。賢德有れば、故に風俗を改善する能ふ。賢德の積蓄と風俗の改善は、皆倉卒の間に辦する能ふの事に非ず、皆「漸」の義理に合す。
初六:鴻漸于干,小子厲,有言,無咎。鴻大雁也,艮為鴻。周公時訓,以雁北鄉當屯卦,是以坎為北,互艮為雁。故《易林》師之萃云:鴻雁啞啞,以水為家。以萃互艮為鴻也。需之遁云:去如飛鴻。亦以遁下艮為鴻。千水涯也,二至四坎水,初在坎下,故曰鴻漸于干。艮少故為小子。有言者爭訟,震為言,艮為反震,敗言,故曰有言。左傳云敗言為讒是也。有言故厲,然初為士,潛伏在下,亦無咎也。象曰:小子之厲,義無答也。初勿用,故義無咎。
初六爻辞:鴻雁は漸次に水邊の高地に飛び至り、年幼の人は危險あり、口舌を招く、然咎あることなし。「鴻」は大雁、艮に「鴻」なるこの逸象あり。《周公時訓》は「雁北鄕」のこの物候を《屯》卦に配し、正に坎を以て北と爲し互體の艮を以て雁と爲す。だから《焦氏易林》師之萃は「鴻雁啞啞、以水爲家」と言ひ、萃卦の互體艮を以て鴻と爲す。需之遯は「去如飛鴻」と言ひ、亦た遯卦の下體艮を以て鴻と爲す。「干」は水邊、二爻より四爻は互體して坎水、初六は坎水の下に在り、故に鴻雁が漸次に水涯に飛び至ると言ふ。艮は少男、故に「小子」と稱す。「有言」は卽ち爭訟:震は言、艮は震の倒象、倒轉せられたる言は卽ち敗壞の言、故に「有言」と言ふ、《左傳》の「敗言爲讒」は正に此の意。口舌是非ありて故に危險。然るに初六は下位に居りて在下の士の如く、潛伏して未だ動かず、故に咎あることもなし。《小象傳》曰く:年幼者の危險は、理よりして咎あることなし。初爻は正に「勿用」の時に當り、故に理よりして咎なし。
六二:鴻漸于盤,飲食行(中乾),吉。盤大石也,三艮為石,故漸於盤。二坎體,坎為飲食。行行(中乾),和樂也。二當位得中應五,故象吉如是。象曰:飲食行行(中乾),不素飽也。坎中實為飽,應在五,巽為白,故曰素飽。素飽猶素餐,不素飽,言得之以道也。
六二爻辞:鴻雁は漸次に大石に飛び至り、飲食は和樂從容、吉利。「磐」は大石、第三爻は艮體に在り、艮は石、故に漸進して磐石上に至ると言ふ。六二は坎は坎體に在り、坎は飲食。「衎衎」は和樂の狀。六二は陰を以て陰に居りて當位中を得、又上に九五に應ず、故に爻象吉利かくの如し。《小象傳》曰く:飲食和樂は、白く閒飯を喫するに非ず。坎の中爻は陽、中間充實、故に飽を爲す。應ずる所の九五は巽體に在り、巽は白、故に「素飽」と言ふ。「素飽」は「素餐」の如し、「不素飽」とは得る所の食は正道より來るを言ふ。
九三:鴻漸于陸,夫征不復,婦孕不育,凶,利禦寇。馬云山上高平曰陸。艮為夫,在上,故不復。《易林》復之剝云:夫亡從軍,抱膝獨宿。以剝艮為夫也。孕,妊娠也;育生也。震為孕,《左傳》昭元年武王邑姜方震太叔是也。三震覆,故不育。郭璞《洞林》否之小過云:婦女胎反見華益。否三互巽,故知為婦女;二四互艮,世變良,艮為反震,是胎反也。胎亦孕也,義即本此也。
九三爻辞:鴻雁は漸次に高平の陸地に飛び至り、丈夫は遠征して歸らず、妻子は孕みて生み出すこと能はず、凶險。盗寇を抵禦するに利あり。馬融曰く山の上の高くして平坦なる所を「陸」と曰ふ。艮は夫、艮體は上に在りて外に在り、故に丈夫は歸り來らず。《焦氏易林》復之剝は「夫亡從軍、抱膝獨宿」と言ふ、卽ち剝卦の艮を以て夫と爲す。「孕」は懷胎、「育」は生み下す。震は孕、《左傳》昭公元年は武王の妻邑姜が「方震太叔」と言」と言ふ、卽ち正に太叔を懷して居る、卽ち此の象。九三の處する震は倒震、胎象反覆す、故に生み下す能はず。郭璞《洞林》は否之小過を占して「婦女胎反」と言ふ、否卦の第三爻は互體巽の中に在り、故に婦女を説くと知る。二至四は互體して艮、變卦の後は艮は倒震と爲る、正に「胎反」。「胎」は卽ち孕、取義は正に此に本づく。
巽為寇,三下擁群陰,而艮為守禦,為堅,寇在外,守禦在內,使外寇不人,故利也。舊解皆以坎為寇,豈知坎之為寇,以其隱伏,巽亦為伏,故易亦以巽為寇。且以坎為寇,坎寇已在內矣,如何能御之。虞翻以坎為寇,謂自上御下,自上御下,其利在上,於三何與。一象失傳,使經義顛倒錯亂,至於如此,真可喂也。
巽は寇——上體の巽は外に在り、正に外來の盗寇。九三は下に一群の陰爻を擁し、而して艮は守衛、堅固。寇は外面に在り、守禦は裡面に在り、外寇をして入り來る能はざらしむ、故に「利禦寇」と言ふ。舊注は皆坎を以て寇と爲す、知らず坎の寇と爲る所以は、その隱伏の義を取るに在り。巽も同じく潛伏の義あり、故に《易》も亦た巽を以て寇と爲す。況んや若し坎を以て寇と爲さば、此の卦の坎は二至四の互體の中に在り、寇は已に裡面に在り、還た何を抵禦せむ。虞翻は坎を以て寇と爲し、自上に於いて下を禦ぐと言ふ。然るに自上下を禦ぐは、利を得るは上位に在り、九三と何の相干かあらむ。一個の卦象失傳し、竟に經義をして顚倒錯亂此の歩に至らしむ、真に歎くべきなり。
象曰:夫征不復,離群五也;婦孕不育,失其道出;利用御冠,順相保也。坤為眾為丑,丑眾也,《詩·小雅》執訊獲五是也。高附離也。群丑謂下二陰,言三陽繫戀於下二陰,故不復也。諸家訓離為去,與下順相保之義不合,非也。艮為道,坎為失,故失道不育。下二陰順三陽,以為保守,故曰順相保。
《小象傳》曰く:丈夫遠征して歸らざるは、同群を離脱せばなり。妻子懷孕して育たざるは、正道を背離せばなり。盗寇を抵禦するに利あるは、上下順從して相い保全せばなり。坤は衆、丑、「丑」は卽ち衆、《詩經・小雅・出車》は「執訊獲丑」と言ふ、正に此の義。「離」は附著。「群丑」は九三の下の兩個の陰爻を指し、九三の陽が下面の兩陰に眷戀依附せば歸り來らずと言と言ふ。諸家は「離」を離去と訓ず、下句「順相保」の意思と合せず、對らず。艮は道、坎は失、故に道を失して育たずと言ふ。下の兩個の陰爻は九三の陽に順從し、これに藉りて自ら保つ、故に「順相保」と言ふ。
六四:鴻漸于木,或得其桷,無咎。巽為鴻,九家逸象巽為鸛,鸛鴻皆水鳥,故亦為鴻。周公時訓以鴻雁來當巽卦,是以巽為鴻。故《易林》中孚之同人云:鴻飛遵陸。以同人互巽為鴻。又大畜之兌云:鴻盜我襦,逃于山隅。兌互巽為盜為鴻。舊以離為鴻非也。巽為木為桷,《說文》椽方曰桷。得桷言安也。四當位承陽,故無咎。象日:或得其桷,順以巽也。言順承五上二陽。
六四爻辞:鴻雁は漸次に樹木に飛び上り、或は一根の方直の桷枝を得て落脚す、咎あることなし。巽に亦た「鴻」なるこの逸象あり:《九家易》の逸象は巽を鸛と言ひ、鸛と鴻は皆水鳥、故に巽も亦た鴻たるべし。《周公時訓》は「鴻雁來」のこの物候を巽卦に配し、正に巽を以て鴻と爲す。だから《焦氏易林》中孚之同人は「鴻飛遵陸」と言ひ、同人卦の互體巽を以て鴻と爲す。大畜之兌は「鴻盜我襦、逃于山隅」と言ひ、兌卦の互體巽を以て盜、鴻と爲す。舊注は離を以て鴻と爲す、對らず。巽は木、桷、《説文》曰く方形の椽子を「桷」と曰ふ。桷枝を得るは、落脚安穩なるを言ふ。六四は陰を以て陰に居りて當位、又上に九五の陽を承ぐ、故に咎あることなし。《小象傳》曰く:或は桷枝を得るは、柔順にして謙遜なればなり。六四が上面の九五・上九の二陽爻に順從承接すの意。
九五:鴻漸于陵,婦三歲不孕,終莫之勝,吉。巽為高,五應在二,二艮體,五居艮上,故漸於陵。巽為婦,震為孕,震伏,下敝漏,故不孕。又五應在二,為三所阻,不能應二,故三歲不孕。坎為三歲,言其久。然五與二為正應,三豈能終阻之,故終勝三,得所願而吉也。莫之勝,言三不能勝五也。象曰:終莫之勝吉,得所願也。五終能應二,故得所願。舊解皆從虞氏以成既濟定為說,強命初上變,非。
九五爻辞:鴻雁は漸次に高陵に飛び上り、婦人は三年孕まず、然終竟誰もそれに勝つ能はず、吉利。巽は高、九五の應ずる所は六二、六二は艮體に在り、九五は艮體の上に居る、故に漸進して高陵に至ると言ふ。巽は婦、震は孕。此處は震象潛伏し、下體に又缺漏あり、故に孕まず。又た九五は六二に應ずるも、九三に阻隔せられ、六二と相應する能はず、故に三年孕まず。坎は三歲、時間の久しきを形容す。然るに九五と六二は本より正應、九三豈に永遠に阻隔する能はむや。故に最終に九三に勝ち、愿を償て吉利。「莫之勝」とは九三が九五に勝つ能はざるを言ふ。《小象傳》曰く:終竟人のそれに勝つ能はざるにして吉は、愿を償るを得ればなり。九五は終竟六二と應合する能ふ、故に愿を償るを得。舊注は皆虞翻に沿袭して「成既濟定」を用ゐて解說し、硬く初爻・上爻を變動すと指定す、對らず。
上九:鴻漸于陸,其羽可用為儀,吉。在卦上,與三同,故仍漸于陸。巽為羽,儀飾也。其羽可用為儀者,巽為高為白,言上居高明之地,羽毛鮮潔,故可用以為儀,賁一切也。巽羽之象,《易林》隨之小畜云:奮翅鼓翼。以小畜上巽為翼。又頤之兌六翮長翼,亦以兌互類為翼。象曰:其羽可用為儀吉,不可亂也。儀型萬方,秩然不紊,故不可亂。
上九爻辞:鴻雁は漸次に高陸に飛び至り、その羽毛は禮儀の裝飾と爲すに用ふべし、吉利。上九は全卦の最上位に在り、九三と同じく「陸」の位置に處る、故に仍ほ陸に漸むと言ふ。巽は羽、「儀」は文飾。羽毛を以て儀飾と爲すべしと言ふは、巽が高、白なればの意にして、上九が高明の地に居り、羽毛は潔白鮮亮、故に以て裝飾を爲し、用ひて一切を文飾すべし。巽が羽たるこの逸象は《焦氏易林》随之小畜「奮翅鼓翼」に見ゆ、小畜の上體巽を以て翼と爲す。又頤之兌は「六翮長翼」と言ひ、亦た兌の互體巽を以て翼と爲す。《小象傳》曰く:羽毛を以て儀飾と爲して吉なるは、紊亂すべからざればなり。それは萬方の表率と爲るに足り、秩序井然、故に紊亂すべからず。
歸妹卦
歸妹:征凶,無攸利。兌為少女,故曰妹。震為歸,婦人謂嫁曰歸,故曰歸妹。震類長女從長男為恆,則曰利有攸往。茲少女從長男,與恆同耳,乃彖義則與恆相反,曰征凶無攸利何為也。
《歸妹》卦:往けば凶險あり、利あることなし。兌は少女、故に「妹」と稱す。震は歸、婦人の嫁ぐを「歸」と曰」と曰ふ、故に「歸妹」と呼ぶ。震は長男、長女と相配すれば便ち《恒》卦、《恒》卦は「利有攸往」と言ふ。ここは少女が長男に跟從し、《恒》卦と本より同類に屬す。然るに《歸妹》の《彖》義は卻って《恒》と相反し、「征凶、无攸利」と言ふ、これは何の爲か。
曰恆下巽,巽陰承陽,與上震無一爻不相應,故利有攸往。歸妹則巽覆為兌,陰乘陽,初三皆失應,故征凶。巽為利,巽覆故無攸利。又中四爻皆不當位,貞靜自守,尚恐有咎,動則悔吝生矣,故征凶不利也。
答へて曰く:《恒》卦の下體は巽、巽の陰爻は下に在りて陽爻を承接し、上體の震と六爻は兩兩相應し、一爻も相應せざるなし、故に「利有攸往」。《歸妹》は則ち巽が倒倒轉して兌と爲る、陰爻はかえって陽爻の上に在りて「乘」を成し、初九と九三は又皆相應を失ふ、故に「征凶」。巽は利、巽既に傾覆せり、故に「无攸利」。又た中間の四爻は皆當位せず、就中安靜に自守しても尚ほ咎あるを恐る、一たび動けば便ち悔恨と吝惜とを生ず、故に往けば凶險、利なからざるなしと言ふ。
下繫云:其為道也屢遷,變動不居,周流六虛,上下無常,剛柔相易,不可為典要,唯變所適。正謂此。恆與歸妹,上卦同也,下卦同為二陽一陰也,乃巽則如彼,巽覆則如此,唯變所適也。唯變所適,謂甲卦與乙卦,一爻變動,則吉凶相反,非謂卦無是象,強命某爻變,以成其象也。自漢以來,因誤解變動不居、唯變所適二語,援為護符,浪用爻變,以濟其窮,前有虞翻,後有焦循,其尤也。
《繫辭下》曰く:《易》この道理は屢々遷移し、變動して居らず、六爻の虚位に周流し、上下に定準なく、剛柔は相い變易し、以て固定の條例と爲すべからず、ただ變化に隨りて適應す。講ずる所は正に此の情形。《恒》と《歸妹》は上卦相同じ、下卦も同じく兩陽一陰、然るに下卦が巽と作れば便ち《恒》の如くとなり、巽が一たび倒轉して兌と爲れば便ち《歸妹》の如くとなる、これを「唯變所適」と呼ぶ。謂はゆる「唯變所適」とは、甲卦と乙卦との間は一爻の不同あるのみにして、吉凶は便ち相反すと言ふ。並びに卦裡に本來あの象なしに、硬く某爻を指して變動せしめてあの象を湊出すべしと説くに非ず。漢代以來、「變動不居」「唯變所適」のこの兩句を誤解したるに因り、便ちそれを護身符と爲し、爻し、爻變を濫用して己の講じ通ぜざる所を敷衍す、前に虞翻あり、後に焦循あり、是れ其中最も突出せるものなり。
彖曰:歸妹,天地之大義也。天地不交,而萬物不興。歸妹,人之終始也。說以動,所歸妹也。征凶,位不當也。無攸利,柔乘剛也。歸妹而後有夫婦,天地者夫婦之義,天地交而後有萬物,故歸妹為女之終,生人之始。中爻皆不當位,三五皆以柔乘剛,故征凶無攸利也。象曰:澤上有雷,歸妹。君子以水終知敝。女歸則永終,兌毀折,故以知敝為戒。
《彖傳》曰く:《歸妹》が講ずるは天地間の大道理。天地の氣が交感せざれば、萬物は興起する能はず。女を嫁がすは、人倫の終結と開端。喜悅に因りて行動す、嫁ぐ所は少女。「征凶」は爻位當らざればなり。「无攸利」は柔爻が剛爻に凌乘せばなり。嫁女あつて乃ち夫婦あり、天地は正に夫婦の義の本源。天地は交感して然後萬物を化生す、故に嫁女は既に女子の娘家に在る生活の終結にして、又人類を生育するの開端。本卦の中間四爻は皆當位せず、六三と六五は又皆柔を以て剛に凌乘す、故に往けば凶險、利なからざるなしと言ふ。《大象傳》曰く:澤の上に雷あるは、これ《歸妹》。君子は因りて悟り、長久を以て歸宿と爲し弊敗を豫知すべきを知る。女子は嫁せば當に一に從ひて終るべし。兌に毁折の義あり、故に弊敗を豫知して以て自ら警戒するを要す。
初九:歸妹以娣,破能履,征吉。初在兌下,故曰梯。娣者嫡之女弟也。《公羊傳》諸侯一聘九女,嫁者一娣一侄(左女),騰者皆有至娣。嫁者謂嫡,嫡及兩媵六娃娣共九女。兌折震故跛,然二升五則下成震,震為足,故曰跛能履,征吉也。象曰吉相承,即承二升五而吉也。
初九爻辞:女を嫁がして妹妹を以て陪嫁し媵妾と爲す、跛けれど尚ほ行く能ふ、往けば吉利。初九は兌體の最下方に在り、故に「娣」と稱す。「娣」は正妻の妹妹。《公羊傳》は諸侯は一次に九女を聘娶し、出嫁する正妻は一娣一侄を帶し、陪嫁の媵も各侄娣を帶すと言ふ。「嫁者」は正妻を指し、正妻に兩個の媵と六個の侄娣とを加ふれば共に九女。兌に毁折の義ありて震を折る、震は足、足折られたれば故に「跛」。然るに九二が五位に上昇すれば、下體は便ち震と爲る、震は足、脚は又能く行く、故に「跛能履、征吉」と言ふ。《小象傳》に「吉相承」と言ふは、正に九二の五に升るを承接して吉を得を言ふ。
象曰:歸妹以娣,以恆也;跛能履,吉相承也。按初無應,二陽為阻,不能前進,有凶無吉。茲曰吉相承,謂二升五下卦成震,初臨重陰,相隨而吉。相承者謂二升五吉,初承其後仍吉也。虞翻求其義而不得,強命初爻變陰承陽為說。夫初當位,胡能使變。經義之不明,此等曲說亂之也。以恆蓋謂女嫁隨娃梯,乃娶婦之常道。說者動以恆卦為解,非。
《小象傳》曰く:嫁女は娣を以て陪嫁すは、常道を遵循せばなり。跛脚能く行くは、吉慶相承接せばなり。按ずるに初九と九四は同じく陽爻にして相應なきに加ふ、又九二の陽に阻擋せられ、前進する能はず、本來凶あるに吉なかるべし。ここは卻って「吉相承」と言ふは、九二が五位に升りて後に下卦が震と變じ、初九の上面に重疊の陰爻に臨み、陽は陰に遇へば通ず、故に相隨りて吉と言ふ。「相承」とは九二の五に升りて吉を得、初九はその後に承接して亦た同じく吉と言ふ。虞翻はその義を求めて得ず、硬く初爻を指定して陰爻と變じて陽爻を承接すると解す。然るに初九は本來當位、豈にそれを變えしむべけむや。經義の明ならざる所以は、正に此の類の曲解に攪亂せられたるなり。「以恒」は大抵女子が嫁ぐ時に侄娣を隨帶して陪嫁すを言ひ、これは妻を娶るの常規。經を解する人は動もすれば《恒》卦を把って解釋す、對らず。
九二:眇能視,利幽人之貞。二三米高,故曰眇。《說文》眇一眇也。能者,以互離也。二應國五,五展為人,克為昧,故曰幽人。利幽人之貞,言利與互相上下,各當位也。象曰:利幽人之貞,未變常也。未變常,言二五相應與乃常道也。
九二爻辞:一隻眼偏盲するも尚ほ見る能ふ、幽居の人が正を守るに宜し。九二は下體の中に居り、處する所高からず、故に「眇」と言ふ。《説文》曰く「眇」は一目偏小にして一目獨視。仍ほ「能視」なる所以は、二至四が互體して離、離は目なればなり。九二は上に六五に應じ、六五は震體に在り、震は人。兌は昏昧、故に「幽人」と稱す。「利幽人之貞」とは、九二と六五が上下相應するに宜しく、各當位と言ふ。《小象傳》曰く:幽人が正を守るに宜しきは、常道を變更せざればなり。「未變常」とは二・五の相應は本來常道なりと言ふ。
六三:歸妹以須,反歸以娣。須,《說文》面毛也。歸嫁也。歸妹為嫡,今以須之故,反嫁為娣也。伏艮為須,《易林》同人之否云:牽於虎鬚。否互艮為虎為須。虞氏訓須為需,需待也。六三若有待義,與九四之有待義復矣。《易林》渙之歸妹云:妹為貌執(下心),敗君正色。莊子田子子方老聃新沐,方將被髮而乾,華然似非人,華言可怖也。是焦氏亦訓須為面毛也,故曰貌華。
六三爻辞:女を嫁がして鬚鬢長し、かえってただ媵妾と作して嫁ぎ出さるるのみ。「須」は《説文》に臉上の毛と言と言ふ。「歸」は出嫁。歸妹は本來正妻と作すべきに、今鬚鬢長きの緣故に因りて、かえって降格して娣媵と作さる。潛伏する艮は須、《焦氏易林》同人之否は「牽于虎須」と言ふ、否卦の互體艮を以て虎、須と爲す。虞翻は「須」を「需」に訓じ、「需」は等待。然るに六三若し亦た等待の義ならば、九四の「愆期」の等待と重複す。《焦氏易林》渙之歸妹は「妹爲貌㥷、敗君正色」と言ひ、《莊子・田子方》は老聃が剛に頭を洗ひ畢り、正に頭髮を披散して晾干し、樣子木然として活人に似ずと寫す——「㥷」は正に相貌の可怕るるを言ふ。見るに焦延壽も亦た「須」を臉上の毛と訓ず、故に「貌㥷」と言ふ。
象曰:歸妹以須,未當也。未當言不宜有是惡象也。困上六當位矣,象曰未當也,義與此同。革傳曰革而當,義皆同宜。後雅麗堂集解本見虞注作位未當,竟於象傳添一位字。豈知正文若作位未當,《釋文》早言之矣,今《釋文》無有,可證虞本亦無位字。雅麗本皆從惠棟校,改字甚多,昔人謂惠氏亂經,茲更添字,宜罪之者多也。
《小象傳》曰く:嫁女にして鬚長しは、合宜せざればなり。「未當」とは斯くの如く惡劣の徵象あるべからずと言ふ。《困》卦上六は本來當位なるも、《小象傳》は亦た「未當也」と言ふ、用法はここと相同じ。《革》卦《彖傳》は「革而當」と言ふ、其中の「當」は皆「宜」と同じ。後に雅麗堂本《周易集解》は虞翻の注が「位未當」と作るを見て、竟に《小象傳》の正文の裡に一個の「位」字を加ふ。知らず正文若し原作「位未當」ならば、《經典釋文》は早くも記載所有るべし。今《釋文》に此の説なし、虞翻本にも「位」字なきを證すべし。雅麗堂本は皆惠棟に依りて校改し、改動の字甚だ多し、前人已に惠棟が經を亂ると言へり、ここに還た字を添ふ、彼を指責する人の多きも無怪なり。
九四:歸妹愆期,返歸有時。震為時,坎陷故愆期。愆過也,愆期故遲歸待時,待升五也。又下無應,亦衍期之一因。卦四時俱備,故曰有時。升五則時至矣。象曰:想期之志,有待而行也。坎為志,震為行,有待而行者,待升五也。
九四爻辞:女を嫁がして婚期を錯過し、延遲して出嫁すは自らその時あり。震は時、坎は險陷、陷に因りて耽誤す、故に「愆期」。「愆」は卽ち過失、錯過。婚期を錯過し、故に延遲して出嫁して時機を待つ、待つは五位に上昇すを待つ。又た九四の下は初九と同じく陽爻にして相應なし、これも亦た愆期の一個の緣由。本卦は震は春、離は夏、兌は秋、坎は冬、四時俱備す、故に「有時」と言ふ。五位に升れば、時機到る。《小象傳》曰く:愆期の心志は、待つ所有て然後行動す。坎は志、震は行。「有待而行」、待つは正に五位に升居すを待つ。
六五:帝已歸妹,其君之袂,不如其娣之袂良,月既望吉。震為帝,故曰帝乙。帝乙湯也。京房易載基嫁妹之辭,是湯曾嫁妹,故曰帝乙歸妹。震為君為袂,而震亦為口,袂袖口也。袂在五震,故日君袂;在二兌,故曰棵袂,皆取象於口。乃五陰二陽,故君袂不如姊良。
六五爻辞:帝乙は妹妹を嫁がし、正妻の衣袖はかえって陪嫁の娣の衣袖の漂亮に如かず。月將に圓ならむとするの時、吉利。震は帝、故に「帝乙」と言ふ。帝乙は卽ち商湯。京房《易》に湯が妹を嫁がすの辭句を載す、見るに湯は確かに曾て妹を嫁がし、故に「帝乙歸妹」と言ふ。震は君、袂、而して震は又口、「袂」は卽ち衣袖の口。「袂」は五爻の震體に在れば「君袂」と呼び、二爻の兌體に在れば「娣袂」と呼ぶ——皆「口」の象より取る。然るに六五は陰爻にして九二は陽爻、陰は虚にして陽は實、故に正妻の衣袖はかえって陪嫁の娣の漂亮に如かず。
坎為月,為中,震東兌西,坎月離日,東西相望,正望日也。惟五居坎末,時已過中,故曰既望。既望從孟荀讀,虞作幾,京作近。晁說之雲古文近既讀同,孟云既望者,十六日也。五得中有應故吉。震君震袂震口象皆失傳,說詳《焦氏易詁》。象曰:帝已歸妹,不如其梯之袂良也;其位在中,以貴行也。雖不正而得中,中五位尊,故曰貴。
坎は月、中、震は東に在り兌は西に在り、坎は月、離は日、日月は東西に相望み、正に月圓の「望」日。ただ六五は坎體の末端に處り、時は已に正中を過ぎたり、故に「既望」と言ふ。「既望」は孟喜・荀爽の讀法に依る。虞翻本は「幾望」と作し、京房本は「近望」と作す。晁説之は古文に於いて「近」「既」は讀音相同じと言ふ。孟喜は「既望」は卽ち每月十六日と言ふ。六五は中位を得て又相應あり、故に吉利。震が君、袂、口たるこの數象は皆久しく失傳し、説は詳しく《焦氏易詁》に見ゆ。《小象傳》曰く:帝乙嫁妹は、正妻の衣袖は陪嫁の娣の漂亮に如かず。その位置は中に居る、尊貴の身份を以て出嫁すればなり。六五は陰を以て陽に居りて正ならずと雖も、卻って中位に居る。中位は又五この尊位、故に「貴」と言ふ。
上六:女筐無實,士圭(右刀)羊無血,無攸利。下兌為女,震為筐,女在下,筐在上,故曰女承筐。乃上不應三,故無實。震為虛,亦無實也。震為士,兌為羊,為斧,為毀折,故曰士圭(右刀)羊。乃三不應上,故無血。坎為血,三體離,坎伏,故無血。此與失九二,因爻無應,即就無應取義。舊解坐不知此,故說之永不能通。巽為利,巽伏上下失應,故無攸利。震虛象失傳,虞翻用卦變成坤,取虛象。豈知震為蒼茛竹為葦,皆取其中虛。況象傳曰虛筐,亦以震為虛。象曰:上六元實,承虛筐也。象明言震虛,故知虞氏非。
上六爻辞:女子の捧ぐる竹筐は裡面一物なし、男子は羊を宰するも血を見ず、利あることなし。下體兌は女、震は筐。女は下に在り筐は上に在り、故に「女承筐」と言ふ。然るに上六は六三と同じく陰爻にして相應せず、故に筐中に物なし。震は本身に「虚」の象あり、亦た實なし。震は士、兌は羊、斧、毁折、故に「士刲羊」と言ふ。然るに六三は上六と相應せず、故に羊を刺して血を見ず。坎は血、六三は離體に在り、坎象潛伏す、故に血なし。この爻は本卦の九二と同じく、爻位に相應なきに因りて、逕に「无應」の上より義を取る。舊注は正に此の點を懂せざれば、如何に講ずるも講じ通ぜず。巽は利、巽象潛伏して上下に又相應を失ふ、故に「无攸利」。震が虚たるこの象は久しく失傳し、虞翻は便ち卦を變じて坤を成して虚象を取る。知らず震は蒼筤竹、葦、皆その中間空虚の義を取る。況んや《小象傳》は明かに「虚筐」と言ふ、亦た正に震を以て虚と爲す。《小象傳》曰く:上六は一も得る所なく、空筐一隻を捧ぐ。《小象傳》は分明に「虚」が震より出づるを言ふ、見るに虞翻の説法は對らず。
豐卦
象曰:雖旬無咎,過旬災也。旬者盈數,過旬災,仍月盈則食之意也。六二:豐其部,日中見斗,往得疑疾,有孚發若,吉。二至五五大坎,坎為隱伏,故中四爻象皆閻昧。部(上草),虞翻雲日蔽雲中稱部(上草)。虞未申其義,然坎雲在離日之上,正日蔽雲中也。離為星,故日斗。又震亦為斗,斗七星也,言離日有障蔽,日隱而星見也。
底本は《歸妹》上六を講じ畢れば逕に此處に接す。《豐》卦卦辭「亨、王假之、勿憂、宜日中」、《彖傳》、《大象》「雷電皆至、豐。君子以折獄致刑」及び初九爻辞「遇其配主、雖旬无咎、往有尚」は各の注文と共に一倂に脱去し、僅かに初九《小象》以下を存す。今底本の實收に依り、通行本に據りて代補せず。《小象傳》曰く:對方と相當するに咎なしと雖も、限度を超過すれば災禍あり。「旬」は滿盈の數、滿盈を過ぎれば災あり、仍ほ《彖傳》「月盈則食」の意。六二爻辞:遮蔽物盛大にして、正午に卻って北斗を見る。往けば猜疑の疾を招く。誠信を懷きて奮發すれば、吉利。二爻より五爻は一個の大坎の形狀を合成す、坎は隱伏、故に中間四爻の象は皆昏暗にして明ならず。「蔀」は虞翻が太陽が雲に遮らるるを「蔀」と曰ふ。虞翻は其中の取象の緣由を申説せざれど、其の實坎は雲、雲は離日の上に在り、正に太陽が雲に遮蔽せらるるなり。離は星、故に「斗」と言ふ。震も亦た斗、北斗は七顆の星。太陽が遮蔽を受け、日光隱沒して星辰かえって顯現すの意。
二巽體,巽為疑為疾,巽初六象曰進退志疑是也。五不應,故往得疑疾。然二承重陽,手於三四,發若者,言其順利也。陰孚陽故吉。離星巽疑象詳《焦氏易詁》。象曰:有孕發若,信以發志也。有孚故信,巽為志。信以發志者,言陰孚於陽,得行其志也。
六二は巽體の中に在り、巽は疑、疾、《巽》卦初六《小象傳》の「進退、志疑也」は卽ちこの象。六五と六二は同じく陰爻にして相應せず、故に往けば猜疑の疾を招く。然るに六二は上に九三・九四の二陽爻を承ぐ、誠信は三・四に及ぶ。「發若」とは事情順利を言ふ。陰爻は陽爻に取信す、故に吉利。離が星、巽が疑たるこの兩個の逸象は、詳しく《焦氏易詁》を見よ。《小象傳》曰く:誠信を懷きて奮發すは、誠信を以て心志を激發せばなり。誠信あれば故に「信」と言ふ、巽は志。「信以發志」とは陰爻が陽爻に取信し、因りて己が志向を施行する能ふを言ふ。
九三:豐其沛,日中見沫,折其右肱,無咎。沛大雨貌,《孟子》沛然下雨。《易林》泰之豐云:龍蛇所聚,大水來處,滂滂沛沛,使我無賴。九家雲大暗謂之沛。沫,《子夏傳》星之小者。日中見沫者,言當日中而昏暗見小星也。三兌體,兌為雨,故曰沛。兌為晦,故曰見沫。艮為肱,三應在上,上艮覆,故折其右肱。兌為右為折也。然三當位有應,故無咎。
九三爻辞:遮蔽は大雨滂沱の如く、正午に卻って微小の星を見る、右臂を折斷す、咎あることなし。「沛」は大雨の狀、《孟子》は「沛然下雨」と言ふ。《焦氏易林》泰之豐は「龍蛇所聚、大水來處、滂滂沛沛、使我無賴」と言ふ。《九家易》は大暗を「沛」と曰ふ。「沫」は《子夏傳》に小星と言ふ。「日中見沫」とは正中の午に卻って天色昏暗にして小星を見る能ふを言ふ。九三は兌體に在り、兌は雨、故に「沛」と言ふ。兌は晦暗、故に「見沫」と言ふ。艮は臂、九三の應ずる所は上六、上六の處する艮は倒艮、臂象倒折す、故に「折其右肱」と言ふ。兌は右、又毁折。然るに九三は陽を以て陽に居りて當位、又相應あり、故に咎あることなし。
象曰:豐其沛,不可大事也;折其右肱,終不可用也。三遇敵,不利往,所應為陰,陰小故不可大事。三雖有應而折肱,故終不可用。虞氏以二至五大過死解,似非。九四:豐真部(上草),日中見斗,遇其夷主,吉。《易林》升之臨云:據斗運樞。以震為斗。茲震在日上,以為障蔽,故仍曰豐其部(上草),日中見斗。主謂五,五柔爻,故曰夷主。《詩·周頌》有夷之行,毛傳夷易也。陽遇陰則通,故曰易曰,曰吉。
《小象傳》曰く:遮蔽大雨の如くは、大事を爲すべからざればなり。右臂を折斷すは、終竟施用する能はざればなり。九三は上に九四に遇ひて同じく陽爻にして敵對を成し、往くに利ならず。應ずる所の上六は陰爻、陰は小、故に大事を爲す能はず。九三は相應あるも臂を折られたれば、故に終竟施用する能はず。虞翻は二至五爻の互體大過を用ゐて「死」の義を取りて解釋す、對らずに似たり。九四爻辞:遮蔽物盛大にして、正午に北斗を見、己と相配の主人に遇ふ、吉利。《焦氏易林》升之臨は「據斗運樞」と言ふ、震を以て斗と爲す。ここは震は正に日の上方に在りて遮蔽を成す、故に仍ほ「豐其蔀、日中見斗」と言ふ。「主」は六五を指し、六五は柔爻、故に「夷主」と稱す。《詩經・周頌》に「有夷之行」あり、毛傳は「夷」は卽ち平易と言ふ。陽は陰に遇へば相通ず、故に「夷」と言ひ「吉」と言ふ。
象曰:豐其部(上草),位不當也;日中見牛,幽不明也;遇其夷主,吉。《易林》升之臨云:據斗運樞,以震為斗。茲震在日上,以為障蔽,故仍日半其部(上草),日中見斗。主謂五,五柔爻,故曰夷主。《詩·周頌》有夷之行,創傳夷易也。陽遇陰則通,故曰易,日吉。象曰:半其部(上草),位不當也;日中見斗,幽不明也;遇其夷主,吉行也。兌為昧,故幽不明。陽遇陰故志行。郭京舉正行上脫志字,宜從。
《小象傳》曰く:遮蔽物盛大なるは、位置當らざればなり。正午に北斗を見るは、幽暗にして明ならざればなり。相配の主人に遇ふは、吉利。以下の一段は前文と重出す:《焦氏易林》升之臨は「據斗運樞」と言ふ、震を以て斗と爲す。ここは震は日の上方に在りて遮蔽を構成す、故に仍ほ「豐其蔀、日中見斗」と言ふ。「主」は六五を指し、六五は柔爻、故に「夷主」と稱す。《詩經・周頌》に「有夷之行」あり、毛傳は「夷」は卽ち平易と言ふ。陽は陰に遇へば相通ず、故に「夷」と言ひ「吉」と言ふ。《小象傳》曰く:遮蔽盛大なるは、位置當らざればなり。正午に斗を見るは、幽暗にして明ならざればなり。相配の主人に遇ふは、前行して吉を得。兌は昏昧、故に幽暗にして明ならず。陽は陰に遇へば通ず、故に心志行はる。郭京《周易擧正》曰く「行」字の上に一個の「志」字を脱漏す、依從すべし。
六五:來章,有慶譽,吉。呼九四來五,當位居中,彖所謂日中也,故曰章。五得位,故有慶譽吉。或謂四往五不能曰來,豈知六五呼四,當然曰來。況睽上九云往遇雨則吉,是上來內,易有時亦言往也。需上曰有不速之客三人來,是三往上亦曰來也。蹇五大蹇朋來,是陽往五亦曰來也。上曰來章,又何疑乎。象曰:六五之吉,有慶也。慶謂陽升五得位。
六五爻辞:光明文采を招來す、喜慶あり美譽あり、吉利。これは九四を招呼して上りて五位に居らしむ。九四が五位に至れば便ち當位にして中に居る、正に《彖傳》の謂ふ「日中」、故に「章」と稱す。五位は正を得、故に喜慶あり、美譽ありて吉利。或る人は四が五に往かば當に「往」と言ふべし、「來」と言ふ能はずと言ふ。知らず是れ六五が九四を招呼する、當然「來」と言」と言ふ。況んや《睽》卦上九は「往遇雨則吉」と言ふ、あれは上爻が内卦に歸る、見るに《易》は時に此の情形をも「往」と説す。《需》卦上六は「有不速之客三人來」と言ふ、あれは下の三爻が上に往くにしても「來」と稱す。《蹇》卦九五は「大蹇朋來」と言ふ、あれは陽爻が五位に往くにしても「來」と稱す。ここに「來章」と言ふに、何の疑ふべきかあらむ。《小象傳》曰く:六五の吉なる所以は、喜慶あるが故。喜慶とは陽爻が五位に升りて正を得を指す。
上六:豐其屋,部(上草)其家,窺其戶,闃其無人,三歲不覿,凶。屋家戶,後儒不知其象,穿鑿百出,愈說愈晦,此覆象失傳之故也。按虞注云從外窺三。又九家說重門繫柝云:豫不艮,從外示之。上震復為艮,豐上六從外示內,亦艮也。
上六爻辞:房屋を高く大に修め、卻って自家を遮蔽す。門縫より裡に窺見すれば、靜悄悄として人なし、三年に人影を見ず、凶險。屋、家、戸のこの三象は、後の儒者はその出處を明白せず、ここに於いて穿鑿附會層出し、講ずるほど糊塗たり、癥結は正に「覆象」の失傳に在り。按ずるに虞翻の注は外面より六三を窺見すと言ふ。《九家易》は《繫辭》「重門擊柝」を解釋して曰く:豫卦の下體は艮に非ずして倒艮、外面より人に示す。上體の震を反れば卽ち艮、《豐》卦の上六は外より内を看る、用ゐる所は正にこの倒艮なり。
艮為屋為家為戶,中爻大坎,故障蔽其家。艮為觀,下視,故曰窺其戶。震為人,上應在三,三巽伏,故闃寂無人。闃虞云空也,鄭云無人兒。震為歲,數三,故曰三歲不覿而凶也。闃孟喜作室,窒古與空通用。《列子·黃帝篇》玉人潛行不空,《莊子·達生篇》引作室,然則孟虞之詁同也。
艮は屋、家、戸。中間四爻は大坎を合成す、坎は隱伏、故にその家を遮蔽す。艮は觀看、下に向かひて俯視す、故に「窺其戸」と言ふ。震は人、上六の應ずる所は六三、六三は潛伏する巽體の中に在り、巽は伏、故に靜寂して人なし。「闃」は虞翻に空と言ひ、鄭玄は人なきの狀と言ふ。震は歲、その數は三、故に三年に人を見ずして凶險。「闃」字は孟喜本に「窒」と作し、「窒」は古時「空」と通用す:《列子・黃帝篇》は至人が「潛行不空」と言ひ、《莊子・達生篇》が引用する時は「窒」と作す、見るに孟喜と虞翻の訓釋は其の實相同じ。
象曰:豐其屋,天際祥也;窺其戶闃其無人,自藏也。五天位,上在五外,故曰天際。《說文》祥福也善也。徐肱曰凡吉凶之先見其兆者,皆曰祥,故孟喜曰天際祥,天降下惡祥也。自藏謂三,三宜應上,而巽為伏,故曰自藏,釋無人之故也。祥從鄭本,《正義》作翔,翔樣音同通用。
《小象傳》曰く:房屋を高く大に修むは、天際に上達するの兆。門縫より窺見して靜寂にして人なきは、自ら躲藏せばなり。五は天位、上六は五の外に在り、故に「天際」と言ふ。《説文》曰く「祥」は福、善。徐鍇曰く凡そ吉凶が豫め顯現するの兆を皆「祥」と曰ふ、だから孟喜は「天際祥」は上天の降すの惡兆と言ふ。「自藏」は六三を指す:六三は本來上に上六に應ずべきに、然るにそれは潛伏する巽體の中に在り、故に「自藏」と言ふ、これは人なきの緣故を解釋す。「祥」字は鄭玄本に依る、《周易正義》は「翔」と作す、「翔」と「祥」は音同じくして通用す。
此卦舊解,因易理失傳,不知二五為卦主,於是遇其配主,遇其夷主,皆以震為主,權櫟不合。因卦象失傳,於是爻變卦變,雜然並用,以求其象。學者只涵泳白文,或尚能明其一二;若即舊解求之,則愈茫昧疑惑,真可慨也。
この一卦の舊注は、《易》理の失傳に因り、六二・六五が始めて全卦の主なるを知らず、ここに於いて初九の「遇其配主」、九四の「遇其夷主」の「主」を皆震と爲し、彼此扞格して合せず。又卦象の失傳に因り、ここに於いて爻變、卦變の各種手法を一齊に用ゐて、彼らの要する象に凑合す。學者若しただ反覆涵泳して白文すれば、或は尚ほ一二を明白するを得。若し舊注に照らして解を求めば、かえって愈々迷茫疑惑す、真に歎くべきなり。
旅卦
旅。小亨,旅貞吉。旅之卦義,先儒皆以行旅為說。然卦名皆由卦象生,火山何以為旅?侯果、孔疏皆以火在山上,勢難久留,故為旅。如所詁火在山上,不久即滅耳,安見其為行旅?按《易林》剝之旅云:「居正不安,大盜為咎。」大畜之旅云:「安其室廬,傳母何優。」是皆以居家為說,於行旅之義正相反。
《旅》卦、小に亨通あり、行旅して正を守れば吉。《旅》卦の卦義を説くに至れば、前代の經師は一概に「行旅」在外を把って解說す。然るに卦名は皆卦象より生ず、上の離は火、下の艮は山、火は山上に在り、何に憑りて便ち「旅」と呼ぶや。侯果と孔穎達《周易正義》は皆火が山上に燃ゆるは、勢ひ必ず久留し難し、故に「旅」と名づくと言ふ。但し彼らの如く訓釋に依れば、火は山上に在りてほどなく熄滅す、何處より見て出門在外と取るや。更に《焦氏易林》を看る:剝之旅は「居正不安、大盜爲咎」と言ひ、大畜之旅は「安其室廬、傳母何優」と言」と言ふ、講ずるは皆家中に安居するの事、「行旅」の義と恰も相反す。
履之旅云:「鳥子鵲雛,常與母俱,願慕群旅,不離其巢。」又晉之旅云:「逐旅失群。」是以旅為伴旅。卦二陰隨二陽,一陰隨一陽,陽前陰後,有若伴侶,疑焦氏所詁者於卦象為切。又《釋詁》:旅,眾也。卦離火,艮亦為火,火多故眾,伴旅亦眾也。九三象云:「以旅與下。」以眾與下也。若作行旅,此句難通矣。
履之旅は「鳥子鵲雛、常與母俱、願慕群旅、不離其巢」と言ひ、晋之旅は「逐旅失群」と言ひ、皆「旅」を伴るの「伴旅」と作す。卦象より看れば、《旅》卦の兩個の陰爻は各一個の陽爻に隨ひ、一陰一陽に隨ひ、陽は前に在りて陰は後に在り、正に結伴同行の伴侶の如し、見るに焦延壽の訓釋せるは、舊説より更に卦象に貼合す。又た《爾雅・釋詁》曰く「旅、衆也」、此の卦の上體離は火、尚氏の據る所の漢代逸象に於いて艮も亦た火、火多き故に「衆」と爲す、而して結伴成群は本身卽ち「衆」。九三《小象》は「以旅與下」と言ふ、正に衆人を下屬に交付するの意。若し「旅」を行旅に解せば、この一句は便ち講じ通ぜず。
又初交旅瑣瑣,斯其所。斯,離也。行旅往來,有不離其所者哉?於行旅之義尤不合,故疑焦義是也。六五得尊位,故小亨、貞吉。彖曰:旅,小亨,柔得中乎外而順乎剛,上而麗乎明,是以小亨,旅貞吉也。旅之時又大矣哉。六五上下皆陽,故曰順乎剛。離六五云「離王公」,即順乎剛也。旅五月卦,當中夏,故曰時。
更に初六爻辞「旅瑣瑣、斯其所」を看る、「斯」は離開の義。若し真に行旅往來を講ぜば、豈に己が居處を離開せざるの道理あらむや。見るに行旅を以て此の卦を解するは愈々合せず、だから我は焦延壽が「旅」を伴侶、衆と爲すの訓釋を始めて對と爲す。六五は尊位に居る、故に卦辭は「小亨」「貞吉」と言ふ。《彖傳》曰く:《旅》卦は小に亨通あり、柔爻の六五は外卦に於いて中を得て剛爻に順承し、上行して光明の離體に附麗す、故に「小亨」、行旅して正を守りて吉。《旅》卦の應ずる所の時勢は真に重大なりかな。六五の上下は皆陽爻、故に「順乎剛」と言ふ。《離》卦六五《小象》は「離王公也」と言ひ、説く所は亦た剛爻に順承す。《旅》は五月の卦、正に仲夏の時に當る、故に《彖傳》は「時」と稱す。
象曰:山上有火,旅。君子以明慎用刑,而不留獄。大象以相反見義,此亦其一也。離為明,君子不敢待其明,故用刑必慎。艮為慎,兌為刑也。艮為止,君子不敢怠於事,故不留獄。艮為拘繫、為獄也。
《大象傳》曰く:山の上に火あるは、これ《旅》卦。君子は因りて體會し、刑獄を審理すれば明察にして審愼、案子を長久積壓して決せざるべからず。《大象傳》は常に卦象と相反の一面より義を取る、ここは卽ち一例:離は光明、君子は卻って敢て自らその明に恃まず、故に刑を用ゐれば必ず謹愼。艮は逸象に於いて「愼」、互、互體の兌は「刑」。艮は又「止」、君子は卻って敢て此に因りて政事を懈怠せず、故に獄訟を滯留せしめず。艮に還た「拘繫」「牢獄」の象あり。
初六,旅瑣瑣,斯其所,取災。瑣瑣,陸績、鄭玄皆訓為小,馬云疲弊視貌。按《爾雅·釋詁》:瑣瑣,小也。注舍人曰:瑣瑣,計謀褊淺之貌。《詩·節南山》「瑣瑣姻姬」,蓋往來猥瑣、勞弊不安也。斯,《釋言》:離也。斯其所,言離其所欲應四也。二得敵,故取災,離為災。蓋初六不當位,而得敵在下,宜靜不宜動,故《易林》復之旅云:「二人輦車,徒去其家,井沸釜鳴,不可以居。」徒去其家,即離其所;並沸釜鳴,即取災也。義詳《焦氏易詁》。象曰:旅瑣瑣,志窮變也。初不當位,二得敵,不能應四,故曰志窮。
初六:行旅の中に瑣瑣屑屑として、己が處すべきの地を離開し、災禍を招く。「瑣瑣」の二字は、陸績・鄭玄は皆「小」と訓じ、馬融は疲憊困頓の狀と言言ふ。《爾雅・釋詁》曰く「瑣瑣、小也」、郭舍人の注は「瑣瑣」は計謀短淺の狀と言ふ。《詩經・節南山》に「瑣瑣姻婭」の語あり。合はせて看るに、往來猥瑣にして勞頓安からざるの意。「斯」字は《爾雅・釋言》に「離」と訓ず、「斯其所」とは初六が本位を離開して九四に應和せんとす。然るに九二は初六と同じく陽爻にして相い拒み、「得敵」の勢を成す、故に災を招く、離に又「災」の象あり。初六は本來當位せず、又下卦に於いて敵に遇ふ、靜守に宜しく妄動に宜からず、故に《焦氏易林》復之旅は「二人輦車、徒去其家、井沸釜鳴、不可以居」と言ふ——「徒去其家」は正に「斯其所」、「井沸釜鳴」は正に「取災」。此の義は詳しく《焦氏易詁》を見よ。《小象傳》曰く:行旅瑣瑣屑屑は、心志困窮して變を生ずればなり。初六は當位せず、九二は又それと敵と爲る、上に九四に應ずる法なし、故に「志窮」と言ふ。
六二,旅即次,懷其資,得僮僕,貞。舉正作員吉,宜從。艮為舍,次,舍也;即次,言就舍也。資,財也,巽為利居中,故懷其資。艮為僮僕,二得位承陽,故得僮僕。貞下宜依舉正增吉字,貞吉與下貞厲為對文。象曰:得僮僕貞,終無龍也。即次身安,懷資用足,得僮僕役使有人,故終天尤。艮初象云志疑也,即以巽為志。雜卦云:巽伏也。心志伏在內,故巽象之。舊解命四變成坎取心象,非。
六二:旅途中に客舍に住み入り、身上に資財を帶し、還た僮僕を得て使役す、正を守る。唐の郭京《周易擧正》は此處を「貞吉」と作す、依從すべし。艮は屋舍、「次」は卽ち舍。「即次」とは客舍に投宿するを言ふ。「資」は財貨、巽は利にして六二は中に居る、故に「懷其資」と言ふ。艮に又「僮僕」の象あり、六二は位を得て上に九三の陽を承ぐ、故に「得僮僕」と言」と言ふ。「貞」字の下は《周易擧正》に依りて一個の「吉」字を補ふべし、「貞吉」は正好く九三爻辞の「貞厲」と相對して文を成す。《小象傳》曰く:僮僕を得て正を守るは、終竟過失なからむ(原文「終无龍」、「龍」は「尤」の訛)。客舍に住み入れば身安く、資財を帶すれば用度充足し、僮僕を得れば役使する人あり、故に終始過咎なし。巽卦初六《小象》は「志疑也」と言ふ、正に巽を以て「心志」と爲す。《雜卦傳》曰く「巽、伏也」、心志は内に潛伏す、故に巽を用ゐてそれを象徴す。舊注は九四を變爻して坎を成さしめ、坎より「心」の象を取る、錯り。
象曰:旅于處,未得位也;得其資斧,心未快也。凡九四比六五,例終升五。歸妹九四曰「有待而行」,待升五也。豐九四曰「遇其夷主吉行也」,六五曰「來章」,亦言回來五也。茲曰未得位,因未得五位,故處以俟也。下六五曰「終以譽命」,即謂四終升五也。
《小象傳》曰く:旅途中に暫時安處すは、未だ應有の爵位を得ざればなり。資財と斧鉞を得と雖も、心裡は仍ほ痛快ならず。凡そ九四が六五に緊鄰するは、體例に按りて最終皆五位に上昇す。《歸妹》九四《小象》は「有待而行」と言」と言ふ、卽ち五に升るを待つ。《豐》卦九四は「遇其夷主、吉行也」と言ひ、六五は「來章」と言ふ、亦た五位に歸るを言ふ。ここに「未得位」と言ふは、未だ五爻の位を取得せざれば、故に暫く安處して時を待つ。下の六五爻辞は「終以譽命」と言ふ、正に九四が最終に五位に升るを言ふ。
六五,射雉,一矢亡,終以譽命。離為雉,兌毀折,故射雉。射必以矢,坎為矢,乃坎伏不見,故一矢亡,坎數一也。譽,令聞也,艮為譽。命,爵命也,巽為命。終以譽命者,言巽命在二,雖不應五,然四必得位升五;四升五,二應之,是譽命終及於五也。象曰:終以譽命,上違也。逮,及也。上逮,謂二終上應五也。
六五:山雉を射、一隻の箭を損失す、最終に美譽と爵命を獲得す。離は雉、兌は毁折を主る、故に「射雉」と言ふ。箭を射れば必ず矢を用ゐ、坎は矢、然るに《旅》卦の中に坎象潛伏して現はれず、故に「一矢亡」と言ふ。坎は數に於いて一、故にただ一矢と言言ふ。「譽」は美好の聲名、艮に「譽」の象あり。「命」は爵命、巽に「命」の象あり。謂はゆる「終以譽命」とは、巽の爵命の象は六二に在り、六二は六五と同類にして相應せずと雖も、然るに九四は必ず位を得て五位に上昇す。四が五位に升れば、六二は便ちそれと相應す、ここに於いて譽命は最終に五位に歸す。《小象傳》曰く:終に譽命を得るは、上に向かひて逮及する所有ればなり(原文「上違」、「違」は當に「逮」の訛)。「逮」は及、「上逮」とは六二が最終に上に向かひて五爻に應和すを言ふ。
上九,鳥焚其巢,旅人先笑後號兆(左口),喪牛于易,凶。離為鳥,中虛故為巢,巽風搧火於下故焚巢。上履陰,兌悅故先笑;三巽體,男為兆(左口);三不應上,故後號兆。左傳昭五年「純離為牛」,兌毀折,故喪牛。艮為田為易,易,田畔電。牛在艮外,故喪牛于田畔。焚巢喪牛故凶。晁說之云:易,古文場字,《詩·小雅》「疆場有瓜」是也。
上九:鳥兒の巢は焼き毀られ、旅人は先に歡笑して後に號咷す、田畔に於いて牛を喪ふ、凶。離は鳥、離の中爻は虚、故に又鳥巢と爲す。下體巽は風、風は下に在りて火を扇ぐ、故に巢は焚かるる。上九は下に六五の陰に臨み、兌は喜悅を主る、故に「先笑」。六三は巽體に屬し、號咷の象あり。六三と上九は同じく陰陽相應せず、故に接ぎて「後號咷」。《左傳》昭公五年は「純離爲牛」と言ひ、兌は毁折を主る、故に「喪牛」。艮は田、「易」、「易」は卽ち田畔。牛は艮體の外に在り、故に田畔に於いて牛を喪ふと言ふ。巢は焚かれ牛は又た喪はる、故に凶。晁説之曰く:「易」は古文の「場」字、《詩經・小雅》「疆埸有瓜」の「埸」は卽ちそれ。
象曰:以旅在上,其義焚也;喪牛于易,終莫之聞也。旅,眾也。在上者眾,不自斂抑,則高亢為禍。左傳隱四年「兵猶火也,不戢將自焚」,是其義也。坎為耳,坎伏故莫之聞。虞翻用爻變取震象,謂震為筐故為巢,後儒多從之。按《易林》離之需云「高木腐巢」,需坎為木,在上故曰高木;互離為巢,在澤水中,故曰腐巢。訟之解云「南徒無廬,鳥破其巢」,解上震,震為南為徒,下坎為室,震在坎外,故曰南徒無廬;互離為鳥為巢,而坎為破,故曰烏破其巢。以離為巢,庶得真解。
《小象傳》曰く:「衆」を以て上位に居るは、理當焚かるべし。田畔に於いて牛を喪ふは、終竟聽く人なし。「旅」は「衆」、上位に居りて人衆勢盛にして、若し自ら收斂するを知らず、一味高亢なれば便ち禍を招く。《左。《左傳》隱公四年は「兵猶火也、弗戢將自焚」と言ふ、正にこの道理。坎は耳、此の卦は坎象潛伏す、故に「莫之聞」。虞翻は爻變を用ゐて震象を取り、震は竹筐に因りて巢と爲すと言言ふ、後の學者は多く彼に跟從す。其の實《焦氏易林》離之需は「高木腐巢」と言ふ——需卦の上坎は木、上に居れば故に「高木」、互體離は巢、巢は澤水の中に在れば故に「腐巢」。訟之解は「南徒無廬、鳥破其巢」と言ふ——解卦の上體震は南、徒、下體坎は室、震は坎の外に在り、故に「南徒無廬」と言ふ、互體離は鳥にして巢、而して坎は破、故に「鳥破其巢」と言ふ。見るに離を以て巢と爲すを始めて真解を得と算ふべし。
周易尚氏學卷十六 下經
巽卦
巽。小亨,利有攸往,利見大人。初四皆承陽,故曰巽。巽,順也,順陽故小亨。往遇陽故利。陽居二五得中,故利見大人。彖日:重巽以申命,剛巽乎中正而志行,柔皆順乎剛,是以小亨,利有攸往,利見大人。巽為命令,虞書「申命義叔」,傳:申,重也。重巽以申命者,謂工者一再宣佈命令,以示鄭重也。巽為風,行莫疾於風,命令一出,傳達天下,有若於風,故巽為命也。二五中正,下陰順承,故志行。象曰:隨風,巽。君子以申命行事。重巽故曰隨風,隨,繼也、從也,言後風之隨前風也。令出惟行,萬事以治,故君子以之。
《巽》卦、小に亨通あり、往く所有るに利あり、大人を見るに利あり。初六・六四は皆上に陽爻を承ぐ、故に卦名を「巽」と爲す。巽は順從、陰は陽に順ふれば故に「小亨」。前行して陽爻に遇ふ、故に「利有攸往」。陽爻は二・五に居りて中を得、故に「利見大人」。《彖傳》曰く:重疊の巽象は以て反覆して政令を申明す、剛爻は中正の位に順處して心志行はれ、柔爻は皆剛爻に順承す、故に小に亨通あり、往くに利あり、大人を見るに利あり。巽は命令、《尚書・虞書》に「申命羲叔」あり、孔傳は「申」は重複と言ふ。「重巽以申命」とは、君王が一再命令を宣布して以て鄭重を示すを言言ふ。巽は風、天下の運行に風より速きなし、命令一たび出でれば天下に傳遍し、風の如し、故に巽に「命」の象あり。二・五の兩爻は中正、下の陰爻は順承す、故に「志行」。《大象傳》曰く:一陣の風に一陣の風が接ぐは、これ《巽》。君子は因りて反覆して政令を申明し、政事を推行す。上下皆巽、故に「隨風」と言ふ。「隨」は相繼、跟從、後の一陣の風が前の一陣の風に跟從すを言ふ。政令は一たび出でれば卽ち行はれ、萬事因りて治を得、故に君子はそれを效法す。
初六,進退,利武人之貞。初臨重陽得主,故宜於進;而四無應與,故進而又退。象釋曰志疑,疑四無應也。震為武人,此巽卦也,何以利武人之占?因震巽相反覆,巽究則為震,易貴將來,故武人利也。象曰:進退,志疑也;利武人之貞,志治也。巽不果,故志疑;返震故志治,言得行其志以治天下。
初六:進退猶疑す、武人が正固を守持するに利あり。初六は上に兩個の陽爻に臨み、依託を得、本來前進すべし。然るに六四と同じく陰爻にして、應與する所なし、故に進んで又退く。《小象傳》は「志疑」と解す、正に六四の來りて相應せざるを疑慮す。震は武人、此の卦は巽にして震に非ず、何ぞ爻辞が武人の占に利ありと言ふや。震と巽は同一卦體の反覆なれば、巽は推究して極處に至れば變じて震と爲る、《周易》は將來の趨向を看重す、故に武人に利あり。《小象傳》曰く:進退猶疑すは、心志に疑あるが故。武人の正を守るに利あるは、心志が治理に在ればなり。巽の性は優柔にして果決ならず、故に「志疑」。一たび返りて震と爲れば剛健にして有爲、故に「志治」、その志を施行して以て天下を治むる能ふを言ふ。
九二,巽在床下,用史玉紛若,吉,無咎。巽為床,初順二,故曰巽在床下。初至四正覆兌,兌口多,故曰用史巫紛若。按周禮內史云:凡命諸侯孤卿大夫,則策命之;凡四方之事書,內史讀之。儀禮云:辭多則史。又司巫云:男巫女巫,凡邦之大栽,則歌哭而請。是史巫皆以口舌為用。而二居正反兌之間,故曰紛若,紛若言不一也。二得中故吉無咎。此義先儒無知者,只茹敦和云:巽初之陰,伏於床下,震也,於是乎用史巫以祛之,史巫雲者互兌也。象始大明。而茹氏仍不知初至三為覆兌,故紛若不得解。象曰:紛若之吉,得中也。二無應、失位、遇敵,然下孚於陰得中故吉。
九二:謙卑にして牀の下に伏す、祝史と巫覡とを任用して紛紛として祈禳す、吉、咎なし。巽は牀、初六は九二に順從す、故に「巽在牀下」と言ふ。初爻より四爻は正兌と覆兌と相い疊ねて構成す、兌は口、口多し、故に「用史巫紛若」と言ふ。《周禮》內史の職曰く:凡そ諸侯・孤卿大夫を册命するは、便ち簡策を用ゐて命を宣し、凡そ四方より上呈する文書は、內史これを宣讀す。《儀禮》曰く:言辭繁多なるは史。又た司巫の職曰く:男巫女巫、凡そ國に大災あれば、便ち歌哭して祈請す。見るに祝史と巫覡は皆口舌を以て用と爲す。九二は正に正兌と覆兌の間に處る、故に「紛若」と言ふ、「紛若」は紛紜として一ならざるの狀。九二は中に居る、故に吉にして咎なし。この層の意思は前代の經師に知る人なし、ただ茹敦和が曰く:巽初の陰爻が牀の下に伏すは震象、ここに於いて史巫を用ゐてそれを祛除す、謂はゆる史巫とは互體の兌を指す。象義これに至りて始めて大いに明白。惜しむらくは茹氏は仍ほ初至三が覆兌なるを知らず、故に「紛若」の二字は彼は仍ほ解き通ぜず。《小象傳》曰く:紛紜として祈禳して吉を得るは、中に居ればなり。九二は應なし、位を失ひ、又九三と同類にして敵す、然るに下に初六の陰に孚合して又中に居る、故に吉。
九三,頻巽,吝。王弼云:頻,頻蹙不樂。按玉篇顰下云:易本作頻。是頻即古文顰字。三居巽上,雖當位而下撓,故頻蹙不安而吝也。象曰:頻巽之吝,志窮也。巽為心志,上無應,下乘陽,故曰志窮。六四,悔亡,田獲三品。當位承陽,故悔亡。伏震為田獵,兌羊離牛巽豕,故田獲三品,離卦數三也。凡陰遇重陽多吉。象曰:田獲三品,有功也。有所獲,故有功。
九三:一再して眉を蹙めて勉强卑順す、憾惜あり。王弼曰く:「頻」は眉頭緊蹙して心中樂しまず。《玉篇》「顰」字の下に《周易》本は「頻」と作すと言ふ、見るに「頻」は卽ち古文の「顰」字。九三は下巽の上に居り、當位と雖も、然るに下は陰爻に橈動せられ、故に眉を蹙めて安からずして吝あり。《小象傳》曰く:頻蹙して卑順して吝を致すは、心志困窮すればなり。巽は心志、九三は上に相應なく、下に又陽に臨む、故に「志窮」と言ふ。六四:悔恨消ゆ、田獵に於いて三類の獵物を獲。六四は當位にして上に九五の陽を承ぐ、故に悔亡。伏藏の震象は田獵、兌は羊、離は牛、巽は豕、故に「田獲三品」と言ふ、離は數に於いて三。大抵陰爻が兩個の陽爻に遇へば多吉。《小象傳》曰く:田獵に三品を獲るは、功效あるが故。獵獲する所有れば、故に功ありと言ふ。
九五,貞吉,悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後度三日,吉。九五得位,下孚於陰,故貞吉悔亡。巽為利,故無不利。震巽相反覆,無初者,言巽之初為震,震納庚,一爻當一日,故曰先庚三日。今震究為龔,故無初。有終者,言巽之究仍為震,終即後也,故曰後庚三日。以其終為震,故曰有終。震陽復故吉。先庚三日,言巽之先;後庚三日,言巽之究。與蠱之先甲三日、後甲三日義同;無初有終,與蠱之終則有始義亦同。象曰:九五之吉,位正中也。九五既中且正,故吉。
九五:正を守りて吉を得、悔恨消ゆ、利なからざるなし、初めは順ならずして結局は圓滿、庚の日の前の三日、庚の日の後の三日、吉。九五は位を得、下に陰爻に孚合す、故に「貞吉悔亡」。巽は利、故に「无不利」。震と巽は互いに反覆の卦:謂はゆる「无初」とは、巽の初始は本來震、震は納甲に於いて庚に配す、一爻は一日に當る、故に「先庚三日」と言ふ。今震は已に推究して巽と變じたれば、故に「无初」と言ふ。謂はゆる「有終」とは、巽は推究して底に至りて仍ほ震に回復す、「終」は卽ち「後」、故に「後庚三日」と言ふ。その終りに震に歸するに因り、故に「有終」と言ふ、震の陽氣回復す、故に吉。「先庚三日」は巽の前を講じ、「後庚三日」は巽の究極を講ず、《蠱》卦の「先甲三日、後甲三日」の取義と相同じ。「无初有終」は《蠱》卦《彖傳》「終則有始」の意思と亦た同じ。《小象傳》曰く:九五の吉なる所以は、位に居りて既に正にして且中なればなり。九五は既に中を得又正を得、故に吉。
上九,巽在床下,喪其資斧,貞凶。巽,順也,謂四。巽在床下,言順我者在下。上九失其輔助,故曰喪其資斧。斧、輔通用,兌為斧亦為輔,上卦兌覆,故曰喪失也。說詳旅卦。象曰:巽在床下,上窮也;喪其資斧,正手凶也。九窮於上而下撓,故貞凶。象仍釋貞為正,其義不協。
上九:順伏して牀の下に在り、資財と斧鉞とを喪失す、これを守れば凶。「巽」は順、ここは六四を指す。「巽在牀下」とは己に順從する人は下に在るを言ふ。上九は輔助を喪失す、故に「喪其資斧」と言ふ。「斧」と「輔」は古來通用、兌は斧にして亦た輔、上卦は倒覆の兌、故に「喪失」と言ふ。この説法は《旅》卦上九に已に詳説す。《小象傳》曰く:牀下に順伏すは、上に居りて窮極せばなり。資斧を喪失すは、それを正と爲すも凶。九は上位に居りて已に窮極に至り、下は又陰爻に橈動せられ、故に「貞凶」。《小象》は仍ほ「貞」を「正」に解す、義に於いて協はず。
兌卦
兌。亨牙貞。兌,悅也。兌何以悅?以一陰見於二陽之上,陽得陰而悅也。剛中柔外,與泰義合,故亨。陰陽相遇,故利貞。彖曰:兌,說也。剛中而柔外,說以利,是以順乎天而應乎人。說以先民,民忘其勞;說以犯難,民志其死。說之大,民功矣哉。
《兌》卦、亨通、正を守るに利あり(原文「亨牙貞」、「牙」は「利」の訛)。兌は喜悅。兌は何の故に喜悅を主るや。一個の陰爻が兩個の陽爻の上に顯現すれば、陽は陰を得て便ち喜悅を生ず。剛は内に在り柔は外に在り、《泰》卦の義理と相合す、故に亨通。陰陽相遇す、故に正を守るに利あり。《彖傳》曰く:兌は卽ち悅。剛は中に居りて柔は外に在り、喜悅を以て利を得、故に上は天道に順ひ下は人心に應ず。喜悅の道を以て民に率先すれば、百姓は便ち勞苦を忘る。喜悅の道を以て危難に赴かば、百姓は便ち死亡を忘る。喜悅の道は真に偉大なり、百姓は因りて勸勉せらる。
陰陽相遇故悅,悅故利貞,所謂保合太和、各正性命也。五天位,上順之,故日順乎天,互巽為順也。三人位,巽於二,故日應乎人,互巽為應也。三至上大坎,坎為民、為勞、為險難、為棺郭(左木),故為死。而三至上正反兌,坎民來往,皆在兌說之中,故役之而忘勞,犯難而不知死也。兌見在上,故曰先民。先民說,先使民悅也,故民勸。
陰陽相遇して故に喜悅、喜悅なれば故に正を守るに利あり、これ卽ち《乾・彖傳》の謂ふ「保合太和、各正性命」。五は天位、上六はそれを順承す、故に「順乎天」と言ふ、互體巽は順。三は人位、六三は九二に卑巽す、故に「應乎人」と言ふ、互體巽も亦た應。三爻より上爻は一個の大坎を合成す、坎は民、勞苦、險難、棺槨、故に又死と爲す。而して三より上は又正兌と覆兌と相い疊ね、坎の象する百姓は往來出入して全く兌悅の中に在り、故に彼らを役使しても彼らは勞苦を忘れ、難に赴かせても彼らは生死を顧みず。兌は上に顯現す、故に「先民」と言ふ。「先民說」は卽ち先に百姓をして喜悅せしむ、百姓は此に因りて勸勉を受く。
象曰:麗澤兌,君子以朋友講習。玉篇:麗,偶也。周禮夏官校人「麗馬一口(內辛)」,注:麗,耦也。又士冠禮「主人酬賓,束帛儷皮」,注:儷皮,兩鹿皮。古文儷作離,離傳云「離,而也」,是麗一儷通,仍耦也。重兌故曰麗澤,猶重巽日隨風。其以互離為義者,非也。
《大象傳》曰く:兩澤相連なるは、これ《兌》。君子は因りて朋友と一緒に講論研習す。《玉篇》曰く「麗、偶也」。《周禮・夏官・校人》に「麗馬一圉」あり、鄭注曰く「麗、耦也」。《儀禮・士冠禮》「主人酬賓、束帛儷皮」、注曰く「儷皮」は兩張の鹿皮。古文「儷」は「離」と寫す、《離》卦《彖傳》曰く「離、麗也」——見るに「麗」と「儷」は相通じ、皆成雙成對の意。上下皆兌、故に「麗澤」と言ふ、正に上下皆巽にして「隨風」と言ふが如し。或る人は互體の離を把って「麗」を解す、對らざるなり。
陰陽相遇相悅為朋友,兌口故曰購習。初至五正反兌相對,正朋友互相講習之象,故君子法之。虞翻謂兌二陽同類為朋。夫陽遇陽,陰遇陰,則為害為敵,昆與中孚皆言之,豈得為朋友?又云伏艮為友,蓋取義於損六三「一人行則得其友」。豈知艮之為友,以一陽上行,遇二陰為友,與兌之以一陰下降,遇二陽為朋友同,皆取義於陰陽相遇。朋友之詁既誤,於是卦無艮兌而言朋者,必百計變動以求兌象,甚至用參同契納甲之法,謂八日兌象月見了,以解坤彖之得朋,凡易之言朋者,無不誤矣。
陰と陽と相遇ひ相い悅ばむを始めて「朋友」と呼ぶ。兌は口、故に「講習」と言ふ。初爻より五爻まで、正兌と覆兌と兩兩相對し、正に朋友が互いに講論研習するの象、故に君子はそれに取法す。虞翻は兌中の兩個の陽爻は同類にして「朋」と言ふ。然るに陽は陽に遇ひ陰は陰に遇へば相い害し相い敵するのみ、《艮》卦と《中孚》は皆この點を説く、豈に朋友と算すべけむや。彼は又伏藏の艮を「友」と言ふ、大抵《損》卦六三「一人行、則得其友」より義を取る。知らず艮の友と爲る所以は、一個の陽爻が上行して兩個の陰爻に遇ふ。これと兌の朋友と爲る所以、一個の陰爻が下降して兩個の陽爻に遇ふとは、道理相同じ、皆陰陽相遇に義を取る。「朋友」なるこの訓釋が一たび錯れば、ここに於いて凡そ卦中に艮・兌なくして爻辞が「朋」を言ふは、注家は千方百計して卦爻を變動して兌象を湊り、甚だしきは《參同契》の納甲の法を搬出して、初八日に兌象の月が丁位に顯現すと説き、以て《坤》卦《彖辭》の「得朋」を解す——《周易》の中に凡そ「朋」を説く所、一處も錯らざるなし。
初丸,和兌,與二並行,故曰和。當位故吉。初與二本為敵,卦以兌說為義,和以處之,自然吉矣。象曰:和花之吉,行未疑也。初得敵,故疑於二;和以處之,故行不疑。損三云「三則疑也」,易於陽遇陽相疑相忌之故,言之至為明白矣,乃失傳何哉。
初九:和悅を以て相處りて喜悅す(原文「初丸」は當に「初九」)。初九と九二は幷肩して行く、故に「和」と言」と言ふ。初九は當位、故に吉。初九と九二は本來同じく陽爻にして相い敵す、但し此の卦は兌悅を以て義を立つ、和順の態度を用ゐて相處れば、自然吉なり。《小象傳》曰く:和悅して吉は、行事に疑慮なければなり。初九は敵に遇ふ、故に九二に對して疑あり。和順を用ゐて相處る、故に行して疑はず。《損》卦六三《小象》は「三則疑也」と言ふ、《周易》は陽が陽に遇へば相い疑ひ相い忌むの道理を、講じて再び明白ならざるなし、何ぞ後世竟に失傳せしや。
九二,孚兌吉,悔亡。孚於三,陽遇陰故吉;得中,故悔亡。象曰:孚兌之吉,信志也。陽遇陰故志得伸。巽為志,三巽主爻,二遇之,故信志。六三,來兌凶。在內稱來,來就二陽以為悅,行為不正則有之,無所謂凶。但三本多凶,又不當位,來而不正遂不宜矣。象曰:來兌之凶,位不當也。來而不當位,故凶。
九二:誠信を以て相い悅ばむ、吉、悔恨消ゆ。九二は上に向かひて六三に孚合す、陽は陰に遇ふれば故に吉。又中位に居る、故に悔亡。《小象傳》曰く:誠信相い悅ばみて吉は、心志伸ぶるを得ればなり。陽は陰に遇へば心志伸ぶるを得。巽は心志、六三は巽體の主爻、九二はそれと相遇ふ、故に「信志」と言ふ。六三:來りて悅を求む、凶。内卦に於いては「來」と呼ぶ、六三は下り來て兩個の陽爻に近づきて以て喜悅を求む、行爲の正ならざるは有ると雖も、本來凶を言ふに至らず。ただ第三爻は本來凶多し、六三は又以て陰を以て陽に居りて當位せず、來りて悅を求めて又正ならず、ここに於いて適宜ならず。《小象傳》曰く:來りて悅を求めて凶は、居位當らざればなり。來りて居る所當位せず、故に凶。
九四,商兌未寧,介疾有喜。四不當位,無應,前又遇陽,似不吉。然而有喜者,以下履陰也。小畜九五曰有孚,履九四曰志行,皆以下遇陰而吉,此與之同。商,量度也。商兌者,以初至五正反兌相對,而四若與下對語者,故曰商兌,講習之象亦以此也。三至五巽,進退不果,故未寧。互大坎為疾,乃四獨履陰,志行,是疾去也。介,助也,詩以介眉壽是也。介疾有喜者,言助疾使愈,兌悅故有喜也。象曰:九四之喜,有慶也。九四獨履陰,履陰故有喜,故曰有慶。
九四:反覆して誰に向かひて悅を求むべきを商量するも未だ安寧能はず、病者を扶助して喜慶あり。九四は陽を以て陰に居りて當位せず、又應爻なし、前面に還た九五の陽に遇ふ、看似吉ならず。然るに竟に喜ある能ふは、それが下に六三の陰に臨めばなり。《小畜》九五は「有孚」と言ひ、《履》卦九四は「志行」と言ふ、皆下に向かひて陰に遇ひて吉を得るに因る、此の爻はそれらと同理。「商」は商量、忖度。謂はゆる「商兌」は、初爻より五爻まで正兌と覆兌と兩兩相對し、九四は正に下の爻と對語するが如きに因る、故に「商兌」と言ふ。《大象》「講習」の義も亦た此に由りて來る。三至五爻は巽、巽の性は進退果決ならず、故に「未寧」。互體大坎は疾病、然るに九四は獨り下に陰爻に臨む能ふ、心志行はる、これ卽ち疾病の離去。「介」は助、《詩經》「以介眉壽」の「介」は卽ちこの意。「介疾有喜」とは、病人を扶助して彼を痊愈せしむを言を言ふ、兌は喜悅を主る、故に喜あり。《小象傳》曰く:九四の喜は、福慶あるが故。九四は獨り下に陰爻に臨み、陰を履めば故に喜あり、故に「有慶」と言ふ。
九五,孚于剝,有厲。陽遇陰則通,故二五皆孚於三上。然吉凶不同者,兌為秋,六三當正秋,萬物成熟,故二孚之而吉。若上六則為季秋,其辰在戌,其卦為剝,雜卦云「剝,爛也」,當此時萬物荒落,陽氣為陰所剝將盡矣,九五若再享於是,必為所剝無疑也,故曰有厲。象曰:孚于剝,位正當也。以人事言,上六處悅之極,是小人佞悻之尤;九五當人君之位,而見近此等小人,其為禍有不可勝言者。象曰位正當,言正當人君之位,不可與上六近也。上六,引兌。引,開弓視的也。伏艮為手,故引兌,言上六來就五陽以為悅,猶射者之志於的也。象曰:上六引兌,未光也。兌門(內音)昧,故未光。
九五:剥落せむとする上六に孚信す、危險あり。陽は陰に遇へば本來相通ず、故に九二・九五は皆分かれて六三・上六に孚合す、然るに吉凶同じからず。兌は秋、六三は正に仲秋に當り、萬物成熟す、故に九二はそれに孚合して吉を得。上六は則ち季秋に相當し、その辰は戌に在り、その卦は《剝》、《雜卦傳》曰く「剝、爛也」、此の時萬物凋零し、陽氣は陰氣に剥蝕せられて將に盡きむとす、九五若し還た往きてそれに孚信せば、必ず剥さるること疑なし、故に「有厲」と言ふ。《小象傳》曰く:剥落する者に孚信すは、居る所の位が正當すればなり。人事に就きて言へば、上六は喜悅の極悅の極點に處る、小人の中に最も諂佞に善き。九五は人君の位に居るに、卻って斯くの如く小人に親近す、その禍患は言ふべからざるなり。《小象》の「位正當」と言ふは、九五は正に人君の位に當り、上六と親近すべからずと言ふ。上六:悅を引取す。「引」は弓を張りて箭靶に瞄準す。伏藏の艮は手、故に「引兌」と言ふ、上六が下り來て五個の陽爻に近づきて以て喜悅を求む、射手が一心に靶子を瞄へるが如しと言ふ。《小象傳》曰く:上六が悅を引取すは、その道未だ光大ならざればなり。兌は闇昧、故に「未光」と言ふ。
渙卦
渙。亨,王假有廟,利涉大川,利貞。舊解皆以風行水上,渙散為說。然如渙王居、渙其躬等爻辭,散義皆不通。按太玄擬渙為文,司馬光云:揚子蓋讀渙為煥。案渙即有文義。淮南子說山訓「夫玉潤澤而有光,渙乎其有似也」,注:文采似君子也。後漢書延篤傳「渙爛其溢目」,注:渙爛,文章貌。是渙本有文義,故歸藏作奐。禮檀弓「美哉奐焉」,釋文:奐本亦作煥。是揚子之讀,與古訓合。卦坎為赤,震為玄黃,巽為白,而風行水上,文理爛然,故為文也。為文則於爻辭無扦格矣。震為王,艮為廟,假,至也,言王有事於宗廟。震為舟,在水上,故利涉,皆中爻象。
《渙》卦、亨通、君王は親ら宗廟に至り、大河を渡るに利あり、正を守るに利あり。舊注は皆「風行水上、渙散」を用ゐて此の卦を解す、然るに「渙王居」「渙其躬」の類の爻辞の如きは、「散」の義を以て全く講じ通ぜず。按ずるに揚雄《太玄》は「文」首を以て《渙》に擬す、司馬光曰く:揚雄は大抵「渙」を「煥」と讀む。「渙」は本來文采の義を含有す。《淮南子・説山訓》曰く「夫玉潤澤而有光、渙乎其有似也」、注は文采が君子に似たりと言ふ。《後漢書・延篤傳》「渙爛其溢目」、注は「渙爛」は文章煥發の狀と言ふ。見るに「渙」は本より文采の義あり、故に《歸藏》は此の卦を「奐」と作す。《禮記・檀弓》「美哉奐焉」、《經典釋文》曰く「奐」本は又「煥」と作す。見るに揚雄の讀法は古訓と相合す。卦象に就きて言へば、坎は赤、互震は玄黃、巽は白、而して風は水上を行く、波紋燦然、故に「文」と爲す。「文」に解せば、爻辞は處處講じ通ず。震は王、艮は廟、「假」は至、君王が宗廟に於いて祭祀を舉行すを言ふ。震は舟、舟は水上に行く、故に「利涉大川」——これらは皆中間の幾爻の互體の象より取る。
彖曰:渙亨,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。王假有廟,王乃在中也。利涉大川,乘木有功也。剛來居二,臨一陰則陷,二陰則通,故曰不窮。四當位,上承一陽固吉,承二陽尤吉。上同者,與小畜六四、升初六之上合志同也,言孚於五上也。震為舟,古刳木為舟,五乘之,故曰乘木,乘木即乘舟。
《彖傳》曰く:《渙》の亨通なる所以は、剛爻が下り來て二に居りて困窮に至らず、柔爻は外卦に於いて位を得て上と同心せばなり。「王假有廟」とは、君王が正に中位に處るを言ふ。「利涉大川」は、木舟に乘りて功あるが故。剛爻が下り來て二位に居る、若しただ一個の陰爻に臨まば險中に陷入す、兩個の陰爻に臨まば則ち通達す、故に「不窮」と言ふ。六四は當位、上に一個の陽爻を承ぐは固より吉、兩個の陽爻を承ぐは更に吉。謂はゆる「上同」は、《小畜》六四、《升》卦初六《小象》の謂ふ「上合志同」と是一回事、九五と上九とに孚合すを指す。震は舟、古人は大木を剖鑿して船を作り爲す、九五はその上に乘る、故に「乘木」と言木」と言ふ、「乘木」は卽ち舟に乘る。
象曰:風行水上,渙。先王以享于帝立廟。亨帝則禮儀繁盛,立廟則楹桷巍煥,皆屬於文,正釋卦義也。初六,用拯馬壯吉。震為馬,初承之,故曰拯馬。鄭云拯承也。拯馬即承陽,震健故壯吉。此與明夷六二象同,故辭同,故象傳皆以順釋之,拯順也。象曰:初六之吉,順也。言陰順陽,以順釋拯義也。
《大象傳》曰く:風が水面の上を行くは、これ《渙》。先王は因りて上帝を祭祀し、宗廟を建立す。上帝を祭祀すれば禮儀繁盛し、宗廟を建立すれば梁柱高大にして煥然たり、皆「文」に屬す、正に卦名の義を解釋す。初六:用ゐて拯救するの馬は强壯、吉。震は馬、初六は上に震馬を承ぐ、故に「拯馬」と言馬」と言ふ。鄭玄曰く「拯」は承。「拯馬」は卽ち陽を承ぐ、震の性は剛健、故に「壯吉」と言ふ。此の爻は《明夷》六二と取象相同じ、故に爻辞も亦た相同じ、兩處の《小象》も皆「順」を用ゐて解釋す、「拯」は卽ち順。《小象傳》曰く:初六の吉なる所以は、順なればなり。陰が陽に順從すを言ひ、「順」を用ゐて「拯」字の義を解す。
九二,渙奔其機,悔亡。焦循云:漢百官公卿表虎賁郎注「賁讀與奔同」,據是奔賁古通,奔其機即賁其機。按機即几筵之幾,廟中所用物;賁,文飾也。艮為幾,震為玄黃,故賁其機。得中,遇陰,故侮亡。象曰:渙奔其機,得願也。陽遇重陰志行,故曰得願,舊解無有知其故者。六三,渙其躬,無悔。艮為躬,渙其躬,即行有文也。得陽應,故渙其躬無悔。象曰:渙其躬,志在外也。巽為志,應在上,故志在外。
九二:その几案を文飾す、悔恨消ゆ。焦循曰く:《漢書・百官公卿表》「虎賁郎」の注は「賁は奔と讀み同じ」と言ふ、これに據りて「奔」「賁」の二字は古時相通ずるを知る、「奔其机」は卽ち「賁其机」。「机」は卽ち几筵の「几」、宗廟の中に用ふるの物。「賁」は文飾。艮は几、震は玄黃の色、故にその几を文飾すと言ふ。九二は中に居りて又陰に遇ふ、故に悔亡。《小象傳》曰く:その几案を文飾すは、心愿を遂げればなり。陽爻は兩個の陰爻に遇へば心志行はる、故に「得願」と言ふ。舊注は一家も其中の緣故を知るなし。六三:自身を文飾す、悔恨なし。艮は身躬、「渙其躬」は卽ち行事に文采あり。六三は上九の陽と相應するを得、故にその身を文飾して悔なし。《小象傳》曰く:その身を文飾すは、心志外に在ればなり。巽は心志、六三の應ずる所は上爻に在り、故に「志在外」と言ふ。
六四,渙其群,元吉,渙有丘,匪夷所思。坎為眾為群,四體艮,艮為光明,在坎上,故渙其群。承陽故元吉。艮為丘,丘陵所以設險,今去坎險而復遇山險,故曰匪夷所思。夷,平也、常也,言為恆常所不料也。象曰:渙其群元吉,光大也。遇陽故光大。按象曰光大,亦釋渙為文。
六四:群衆をして煥然として文あらしむ、大吉。煥然の中に又丘陵あり、これは尋常の料想する能ふ所に非ず。坎は衆、群、六四は艮體に屬し、艮は光明、坎水の上に居る、故に「渙其群」と言ふ。六四は上に九五の陽を承ぐ、故に「元吉」。艮は又丘、丘陵は以て險を設くるに用ふ、今剛に坎水の險を離れたるに、又山陵の險に遇ふ、故に「匪夷所思」と言ふ。「夷」は平、常、これは平常の豫料する能ふ所に非ざるを言ふ。《小象傳》曰く:群衆をして煥然として大吉せしむるは、光明盛大なればなり。六四は陽に遇ふ、故に光大。《小象》の「光大」と言ふは、亦た正に「渙」を文采光華に解するなり。
九五,渙汗其大號,渙王居,無咎。吳先生曰:汗,連綿字。愚按上林賦「采色皓(左水)汗」,注:玉石符采映耀也。渙汗益與汗同,與渙爛亦同。巽為號令,渙汗其大號,即頒佈光顯其號令,如風之無不屆也。艮為居,五君位,故曰王居。渙王居,言工居巍煥也。五履萬民之上,故光大如此也。得中故無咎。象曰:王居無咎,正位也。五位中正,故曰正位。五無應,然無咎者,以得中也。
九五:煥然としてその重大號令を發布す、君王の居所は光煥たり、咎なし。吳先生曰く:「渙汗」は連綿詞。我按ずるに《上林賦》に「采色澔汗」あり、注は玉石の符采が互相映耀すと言ふ。「渙汗」は正に「澔汗」と同義、前面の引く所の「渙爛」とも亦た同義。巽は號令、「渙汗其大號」とは號令を光輝顯耀に頒布す、風の如く到らざる所なし。艮は居處、五は君位、故に「王居」と言居」と言ふ。「渙王居」とは君王の居所は巍峨煥然たるを言ふ。九五は高く萬民の上に居る、故に光大此の如し。九五は中を得、故に咎なし。《小象傳》曰く:君王の居所咎なきは、居位正しきを得ればなり。九五の位は中正に居る、故に「正位」と言ふ。九五は本來應爻なし、然るに仍然咎なしは、中を得ればなり。
上九,渙其血去逖出,無咎。血古文恤字,逖與惕音同通用。小畜六四「血去惕出」,與此同也。詁選為遠者非。應在三,坎為憂惕。王國維云:古易狄同字,山海大荒東經井竹書皆云王亥乇(左言)於有易,而楚辭天問作有狄;又簡狄古今表作簡遏。按漢書王商傳「車無怵愁憂」,師古云:狄(下心),古惕字。故虞翻注云:逖,憂也。與小畜六四詁惕為憂同,是虞即以邀惕同字。
上九:煥然として憂恤離去して警惕消除す、咎なし。「血」は古文の「恤」字。「逖」と「惕」は同音にして通用す。《小畜》六四「血去惕出」は此處と同例。「逖」を「遠」と訓ずるの説法は對らず。上九の應ずる所は六三に在り、坎は憂懼警惕。王國維曰く:古時「易」「狄」は同一個の字、《山海經・大荒東經》と《竹書紀年》は皆「王亥托于有易」と言ふ、而して《楚辭・天問》は卻って「有狄」と作す。又「簡狄」は《古今人表》の中に「簡遏」と作す。《漢書・王商傳》に「車無怵惕憂」あり、顏師古曰く「悐」は古「惕」字。だから虞翻の注は「逖、憂也」と言ふ、《小畜》六四の「惕」を憂と訓ずると相同じ、見るに虞翻も亦た「逖」「惕」を一字と看作す。王國維が此の一串の異文を列擧すは、正に「易」「狄」「惕」の諸字は古音相近くして通用するを證明せむと欲す、故に此の爻の「逖」は當に「惕」と讀むべし、内心の警懼を指し、並びに遠近の「遠」に非ず。
上九應在三,三坎為憂惕,而上九高出卦上,去坎險即遠,又不為互艮所止,與大畜上九義同。渙,其光明貌。渙其恤去惕出,言光明在上,憂患自免也。句法與論語渙乎其有文章同。象曰:渙其血,遠害也。坎為害,上去三遠,故曰遠害。
上九の應ずる所は六三に在り、六三は坎に屬して憂懼警惕。而して上九は全卦の上に高踞し、坎險を離るる已に遠く、又互體の艮に阻止せられず、《大畜》上九の義理と相同じ。「渙」は光明煥發の狀。「渙其恤去惕出」とは、光明は上に在り、憂患は自然免除せらるを言ふ。この種の句法は《論語》「渙乎其有文章」と相同じ。《小象傳》曰く:煥然として憂恤離去すは、禍害を遠離すればなり。坎は害、上九は六三を離るる甚だ遠し、故に「遠害」と言ふ。
節卦
節。亨,苦節不可貞。坎居西方,兌又居西,合為一處,故曰節。節,信也。古剖竹為符,合以取信,故說文云:節,竹約也。序卦云:物不可以終離,故受之以節。節之用在合,故與離對文。又曰節而信之,是序卦即以節為符信也。凡卦名皆從卦象生,震為竹,而二至五正反震,兩竹相合,則信成矣,而坎為信也。
《節》卦、亨通、過分に苦澀の節制は固守すべからず。坎の位は西方に在り、兌も亦た西方に居る、兩者は一處に合す、故に卦名を「節」と呼ぶ。「節」は符信。古人は竹を剖して符と爲し、兩半相い合して以て信を取る、故に《説文解字》曰く「節、竹約也」。《序卦傳》曰く「物不可以終離、故受之以節」、節の功用は「合」に在り、故に「離」と相對して文を爲す。《序卦》は又曰く「節而信之」、見るに《序卦》は正に「節」を符信と作す。凡そ卦名は皆卦象より生ず:震は竹、此の卦は二爻より五爻は正震と覆震と相い疊ね、兩根の竹符は相合し、符信は便ち成立す、而して坎は本身に「信」の象あり。
苦節向無通詁。虞翻命三變成離,火炎上作苦,以說苦節,而後儒多從之,誠以詁苦為甚為過,皆不安也。按周禮考工記「辨其苦良」,史紀五帝紀「舜陶於河濱,器皆不苦窳」,皆以苦為惡。節所以取信,苦窳則以持久,不能符合,故曰苦節不可貞。自先天象失傳,節字失詁,於是苦節之義,遂亦失矣。又坎為破,兌毀折,按卦象節易苦窳,戒之所以慎始也。
「苦節」の二字は歷來通達の訓釋なし。虞翻は第三爻を變じて離を成さしめ、火が上に炎して苦味を生ずるを取りて「苦節」を解す、後世の學者は多く彼に跟從す、其の實「苦」を「甚」に訓じ「過」に訓じても皆講じ安からざるが因。按ずるに《周禮・考工記》に「辨其苦良」あり、《史記・五帝本紀》は「舜陶于河濱、器皆不苦窳」と言ふ、皆「苦」を麤惡と作す。節の用處は信を取るに在り、符節が麤惡なれば難く持久して、兩半は合はさらず、故に「苦節不可貞」と言ふ。自から先天卦位の象失傳してより、「節」字は確解を失ひ、「苦節」の義も亦た便ちこれに跟從して失はる。又た坎は破、兌は毁折を主る、卦象に按れば、符節は本來破損麤惡し易し、故に人を警戒して初めに於いて謹愼せしむ。
象曰:不出戶庭,知通塞也。初應在坎,坎為通;二遇敵,不能應四,故曰塞。知其塞不出戶庭,以求通,故曰知通塞。吳先生曰:易以陽在前為塞,陰在前為通。初之不出,以九二在前,故曰知通塞。二則可出而不出,故有失時之凶也。
《小象傳》曰く:戸戸の庭院を出でざるは、通と塞との分別を知ればなり。初九の應ずる所は坎體に在り、坎は通。九二はそれと同類にして相い敵し、それをして上に六四に應ずる能はざらしむ、故に「塞」と言ふ。初九は前路の阻塞を知りて、戸庭を出でずして靜に通達の時を待つ、故に「知通塞」と言ふ。吳先生曰く:《周易》は陽爻が前に在るを以て塞と爲し、陰爻が前に在るを以て通と爲す。初九の出でざる所以は、九二が前面に擋ればなり、故にそれを「知通塞」と言ふ。九二は則ち出づべきにして竟に出でず、故に時を失するの凶險あり。
九二,不出門庭,凶。互艮為門庭,二比重陰,陽遇陰則通,通則利往,乃竟不出,是失時也,故凶。象曰:不出門庭凶,失時權也。艮為時,極,中也。說文極棟也,棟居屋脊,當屋之中,故極為中。失時極,即失時之中也。
九二:門庭を出でざる、凶。互體艮は門庭。九二は初六と六三の兩個の陰爻に緊鄰し、陽は陰に遇へば通ず、通ずれば則ち往くに宜し、然るにそれは竟に出でず、これは時機を錯失す、故に凶。《小象傳》曰く:門庭を出でざるにして凶は、時機の中を錯失せばなり(原文「失時權」、「權」は當に「極」)。艮は時。「極」は中。《説文解字》曰く「極、棟也」、棟は屋脊に在り、正に一屋の中に當る、故に「極」に「中」の義あり。「失時極」は卽ち時機の恰當の分寸を錯失す。
六三,不節若,則嗟若,無咎。三失位無應,故曰不節。震為笑,震反為艮則嗟矣。離九三云「不鼓缶而歌,則大耋之嗟」,與此象義並同也。王弼云:若,辭也,語助辭也。順二故無咎。象曰:不節之嗟,又誰咎也。言其咎在己。六四,安節亨。得位有應,上承九五,艮止為安,故安節亨。象曰:安節之亨,承上道也。言能承上不失其道。
六三:節制する能はず、ここに嗟歎す、咎なし。六三は陰を以て陽に居りて位を失し、又應爻なし、故に「不節」と言ふ。震は笑、震を倒して艮を成せば、笑は便ち嗟歎と變じたり。《離》卦九三は「不鼓缶而歌、則大耋之嗟」と言ふ、取象と義理と皆此の爻と相同じ。王弼曰く:「若」は語辭、語助の詞。六三は九二に順承す、故に咎なし。《小象傳》曰く:節制する能はざるにして嗟歎を致すは、又能く誰を怪まむや。過は己が身の上に在るを言ふ。六四:節制に安んず、亨通。六四は位を得て應あり、上に九五を承ぐ、艮は靜止を主りて「安」と爲る、故に「安節亨」と言ふ。《小象傳》曰く:節制に安んじて亨通すは、上位の道を承奉する能ければなり。在上者に順承してその正道を失はざるを言ふ。
九五,甘節吉,往有尚。說文:甘,美也;美,甘也。而坎為美脊,故坎有美象,甘節即美節也。節而美善,方可用以取信,與下苦節為對文。五當位居中,下乘重陰,正位居體,故甘節吉。爻在外為往,往得尊位,居之不疑,故曰往有尚。虞氏強命二變應五,以釋往字,豈知爻在外即曰往,泰否之大小往來可證也。象曰:甘節之吉,居位中也。艮為居,五中位。上六,苦節貞凶,悔亡。甘為美則苦為惡,坎為破,故曰苦節。節為信約,窳惡則不能符合,故貞凶。得位故無悔。象曰:若節貞凶,其道窮也。在上無應故窮。
九五:甘美の節制、吉。往けば崇尚を受けむ。《説文》曰く「甘、美也」「美、甘也」。而して坎は美脊、見るに坎に「美」の象あり、「甘節」は卽ち美好の節制。節制して美善なる能ふを始めて以て信を取るべし、上六の「苦節」と相對して文を成す。九五は當位にして中に居り、下に兩個の陰爻に乘り、正位に居りて卦體に當る、故に「甘節吉」。爻は外卦に處れば則ち「往」と呼ぶ、往きて尊位に居り、安居して疑慮する所なし、故に「往有尚」と言ふ。虞翻は硬く九二を變爻せしめて五に應ぜしめ、此を以て「往」字を解釋す。知らず爻は外卦に在れば則ち「往」と稱す、《泰》《否》の兩卦の「小往大來」「大往小來」は卽ち明證。《小象傳》曰く:甘節の吉なる所以は、居位中を得ればなり。艮は居、五は中位。上六:苦澀の節制、固守すれば凶、悔恨消ゆ。「甘」は既に美、則ち「苦」は惡。坎は破、故に「苦節」と言ふ。節は信約、符節が麤惡破損すれば合はさらず、故に「貞凶」。上六は陰を以て陰に居りて位を得、故に悔なし。《小象傳》曰く:苦節を固守すれば凶は、その道已に窮まればなり。上六は卦極に居りて應なし、故に窮す。
周易尚氏學卷十七 下經
中孚卦
中孚。豚魚吉,利涉大川,利貞。上卦節,節信也。節何以為信?以中爻兩震竹相合。中孚初至五象與節同,仍兩竹相合,而在中四爻,故曰中孚。孚,信也。歸藏曰大明,大明者,離日晉順而麗乎大明是也。是以小過為坎,大明為離,取義與周易微異也。
《中孚》卦、小猪と魚の如く薄物を以て獻祭するも吉、大河を渡るに利あり、正を守るに利あり。上の一卦は《節》、「節」は符信。《節》卦は何の故に信を主るや。中間の幾爻の兩個の震竹の象が相合すればなり。《中孚》は初爻より五爻に至りて、取象は《節》と相同じ、仍ほ兩根の竹符は相合し、而して合する處は中間四爻に在り、故に「中孚」と呼ぶ。「孚」は卽ち信。《歸藏》易は此の卦を「大明」と稱す、謂はゆる大明は卽ち離日の象、《晋》卦《彖傳》は「順而麗乎大明」と言ふ、指す所は離。見るに《歸藏》は《小過》を以て坎と爲し、此の卦を以て大明卽ち離と爲す、取義は《周易》と略々同じからず。
巽為豚為魚,魚象人知之,豚即失傳。豈知後初云「贏豕孚滴(左足)躅」,即以巽為豕。易林在有之後「牝豕無假(左犬)」,旅之遁「彭生為為豕」,皆以巽為豕。蓋坎為豕以其隱伏,巽為伏,故亦為京。而中孚正覆巽,豚魚合居於中,故吉。
巽は既に豚たり又た魚たり。魚の象は人人皆知る、豚の象は卻って失傳せり。知らず《姤》卦初六は「羸豕孚蹢躅」と言ふ、正に巽を以て豕と爲す。《焦氏易林》大有之姤は「牝豕无豭」と言ひ、旅之遯は「彭生爲豕」と言ふ、亦た皆巽を以て豕と爲す。大概坎の豕と爲る所以は、その隱伏を取る。巽は正に「伏」、故に亦た豕と爲す。而して《中孚》の上下は正巽と覆巽と相い疊ね、豚と魚の象は皆卦中に聚合す、故に吉。
坤為大川,震為舟為虛為木,五履重陰,乘震舟之上,故曰利涉大川。傳釋曰乘木舟虛。按渙傳云「乘木有功」,乘木即乘舟;又益傳云「木道乃行」,木亦謂舟。據王應麟所輯鄭注云:舟謂集板如今船(原作自,阮校詩谷風正義云:自當為船),空大木為之曰虛,即古又名曰虛,總名皆曰舟。據鄭注木舟虛三者,平列為義,皆船也。利貞,傳釋為應乎天。五天位,三四皆陰爻,陽得陰則通,陰順陽故曰應乎天。
坤は大川、震は舟、虚、木。九五は下に兩個の陰爻に臨み、正に震舟の上に乘る、故に「利涉大川」と言ふ、《彖傳》は「乘木舟虚」と解す。《渙》卦《彖傳》は「乘木有功」と言ふ、「乘木」は卽ち舟に乘る。《益》卦《彖傳》は「木道乃行」と言ふ、「木」も亦た舟を指す。王應麟の輯錄する鄭玄の注に據るに:舟は木板を拼合して作り爲す、今の船の如し(原文「船」は誤って「自」と作し、阮元が《詩・谷風》正義を校して「自」は當に「船」と言ふ)。大木を掏空して作り爲すを「虚」と曰く、古時又た「虚」と名づく。總名は皆「舟」と曰ふ。見るに鄭注の中の「木」「舟」「虚」の三者は平列して義を取り、皆船を指す。尚氏が煩を憚らず鄭注を徵引すは、《彖傳》「乘木舟虚」の四字が向來空虚の木船に乘ると講ぜられたるに因る、其の實此の三字は三種の船の並列名稱、並びに空虚の意思なし。至りて「利貞」は《彖傳》は「應乎天」と解す:五は天位、三・四は皆陰爻、陽は陰を得れば通じ、陰は陽に順ふ、故に「應乎天」と言ふ。
彖曰:中孚,柔在內而剛得中,說而巽,孚乃化邦也。豚魚吉,信及豚魚也。利涉大川,乘木舟虛也。中孚以利貞,乃應乎天也。中爻艮為邦,艮邦震舟震象皆失傳,詳焦氏易詁。象曰:澤上有風,中孚君子以議獄緩死。玉篇獄謂之牢,又謂圜土。中爻艮止為獄,兩艮相合,則圜獄也。震為言故議獄,兌為毀折,故曰死。議獄緩死,欲孚及罪人而向善也。
《彖傳》曰く:《中孚》卦、柔爻は内に居りて剛爻は中を得、下は兌にして上は巽、誠信はここに於いて邦國を感化する能ふ。「豚魚吉」とは、信が豚魚の如き微物に及ぶを言ふ。「利涉大川」とは、木製の空舟に乘るを言ふ。《中孚》にして正を守るに利あるは、上に天道に應ずる能ければなり。中間の幾爻の互艮は邦國。艮が邦、震が舟たるこれらの象は皆已に失傳し、詳しく《焦氏易詁》を見よ。《大象大象傳》曰く:澤の上に風あるは、これ《中孚》。君子は因りて獄案を審議し、死刑を寬緩す。《玉篇》曰く:獄は又た牢と曰く、又た圜土と曰ふ。中爻の互艮は止を主る、故に獄と爲す。兩個の艮象相合すれば、卽ち環形の圜獄。震は言語、故に「議獄」。兌は毁折を主る、故に「死」と言ふ。獄案を審議し死刑を寬緩すは、誠信の罪人に感及して、彼らをして改過向善せしむるを希望す。
初九,虞吉,有它不燕。儀禮士虞禮注,釋虞為安。初陽遇陽不宜動,與節初同。節初九不出戶庭無咎,即謂安吉也。它謂四,四巽為隕落。有它謂不安於初,不顧二阻,而它往應四,則不燕也。燕與宴通,亦安也。兌為燕,四巽兌覆,故曰不燕。易林小畜之兌隨之革,皆曰燕雀銜茅,則皆以兌為燕。除易林外,他無用者,故易林為易象數(上草)。象曰:初九虞吉,志未變也。巽為志,志未變,言安於初而不應四。
初九:安處すれば則ち吉、別に往く他あれば便ち安寧ならず。《儀禮・士虞禮》鄭注は「虞」を安と訓ず。初九は陽爻、前面に又陽爻に遇ふ、妄動すべからず、《節》卦初九と同例。《節》初九「不出戸庭、无咎」、説く所は正に安處すれば則ち吉。「它」は六四を指し、六四は巽體に屬して隕落の象あり。「有它」とは初位に安んぜず、九二の阻隔を顧みずして、別に上に往きて六四に應ず、則ち安寧を得ざるを言ふ。「燕」と「宴」は相通じ、亦た安。兌は燕、六四の在る巽體は正に倒覆の兌、故に「不燕」と言ふ。《焦氏易林》小畜之兌、随之革は皆「燕雀銜茅」と言ふ、皆兌を以て燕と爲す。《易林》を除きては別に此の象を用ゐる人なし、故に《易林》を《周易》象數の淵藪と言ふ。《小象傳》曰く:初九安處して吉は、心志未だ變ぜざればなり。巽は心志、「志未變」とは初位に安守して四に應に應ぜざるを言ふ。
九二,鳴鶴在陰,其子和之。我有好爵,吾與爾靡之。震為鶴,為鳴,為子。陰,山陰。二至五正反震,下震鶴鳴于山陰,三至五震反,如聲回答,若相和然,故曰其子和之。其子謂覆震,非互震,判然二物也。易林大有之屯云「嗟嗟所言」,嗟嗟,對語也,屯初至五亦正覆震相對,與中孚同。又同人之中孚云「衣裳顛倒」,震為衣,三至五震覆,故曰顛倒。渙之中孚云「聞言不信」,震言,三至五震覆,故不信。不信取其相反,子和取其相對,仍同也。
九二:鶴は山の北に於いて鳴叫し、その幼雛はそれに應和す。我に美酒あり、願はくは爾と共享せむ。震は鶴、鳴、子。「陰」は山の北面を指す。二爻より五爻は正震と覆震と相い疊ね:下の震は鶴、山陰に鳴す。三至五爻の震は倒りたる、回聲の相い答ふるが如く、彼此唱和するが如し、故に「其子和之」と言ふ。ここの「其子」は覆震を指し、互震に非ず、兩者は判然として兩回事。《焦氏易林》大有之屯は「嗟嗟所言」と言ふ、「嗟嗟」は彼此對語。屯卦の初至五爻も亦た正震覆震相對し、《中孚》と相同じ。又た同人之中孚は「衣裳顚倒」と言ふ、震は衣、三至五爻の震は倒覆、故に「顚倒」と言ふ。渙之中孚は「聞言不信」と言ふ、震は言、三至五爻の震覆す、故に「不信」と言ふ。「不信」はその相反を取り、「子和」はその相對を取る、取象の道理は仍ほ一致す。
而二至五亦正反艮,艮納丙為山陽,下二至四艮覆,則山陰矣,而二正當其處,故曰鳴鶴在陰。易林頤之中孚云「熊羆豺狼,在山陰陽」,正覆良故既曰熊羆,又曰豺狼。上艮為山陽,下覆艮為山陰也,故曰在山陰陽。易林釋此語,可謂明白矣。
又た二爻より五爻も亦た正艮と覆艮と相い疊ね:艮は納甲に於いて丙に配し、山の南面と爲す。下の二至四爻の艮は倒覆、卽ち山の北面、而して九二は正にこの位置に處る、故に「鳴鶴在陰」と言ふ。《焦氏易林》頤之中孚は「熊羆豺狼、在山陰陽」と言ふ——正艮覆艮が並存するに因り、故に既に熊羆を言ひ又た豺狼を言ふ。上の艮は山南、下の倒覆の艮は山北、故に「在山陰陽」と言ふ。《易林》が此の句の解釋に對するは、再び明白ならざるなしと言ふべし。
山陰之義,知者甚鮮,後獨茹敦和以陰為山陰,而取義於兌。兌者艮之反,艮山陽,兌山陰,義不本易林,而取義與易林同。故夫有清一代之易家,主張自己,不隨聲附和者,莫茹氏若也。爵,說文飲器,酒尊也。震為尊為爵為嘉,故曰好爵。正覆震相對,故曰吾與爾靡之。孟喜云:靡,共也。貞我悔彼,爾謂五,言二五共此爵也。象曰:其子和之,中心願也。巽為心志,鳴和全在中四爻,故曰中心願。
「山陰」のこの層の意思は、知る人極めて少なし、後來ただ茹敦和のみ「陰」を山北に解す、不過彼は兌より義を取る。兌は艮の反卦、艮は山南、兌は山北。彼の説法は並びに《易林》に本づかず、取義は卻って《易林》と暗合す。だから清代一代の易學家の中に、自ら主張を出だして聲に隨り附和せざるは、茹氏に比するなし。「爵」は《説文》に飲器、酒尊と言ふ。震は尊、爵、嘉美、故に「好爵」と言ふ。正震覆震は兩兩相對す、故に「吾與爾靡之」と言ふ。孟喜曰く「靡、共也」。占法は内卦を以て「貞」卽ち我と爲し、外卦を以て「悔」卽ち彼と爲す、「爾」は九五を指し、九二と九五とが此の爵を共享すを言ふ。《小象傳》曰く:幼雛がそれに應和すは、内心より發するの愿望。巽は心志、鳴と和とは全く中間四爻に在り、故に「中心願」と言ふ。
六三,得敵,或鼓或罷,或泣或歌。子夏傳三與四為敵,故曰得敵。荀爽曰:三四俱陰,故稱敵也。中四爻艮相反覆,震為鼓,艮止故罷。罷疲通,音婆,下與歌葉,諸家或作罷音非也。震為歌,震反則泣矣,與艮為山陽、艮反為山陰義同也。蓋三不當位而遇敵,故不常如此也。得敵與頤二之失類,艮之敵應,為易義之根本,所關甚大。乃得敵韓子夏與苟知之,失類則無知者,致陰遇陰陽遇陽之處皆失解,可喟也。象曰:或鼓或罷,位不當也。義見前。
六三:同類の敵に遇ふ、時に鼓を擊ちて進撃し、時に疲憊して罷休し、時に哭泣し、時に歌唱す。《子夏傳》曰く:三と四とは敵と爲る、故に「得敵」と言ふ。荀爽曰く:三・四は皆陰爻、故に「敵」と稱す。中間四爻は艮象の反覆相疊:震は鼓、艮は止を主る、故に「罷」。「罷」と「疲」は相通じ、婆と讀み、下文の「歌」と押韻す、各家に本字の音を讀む有るは、對らず。震は歌、震を倒せば便ち泣と爲る、これと艮が山南、艮を倒せば山北と爲るとは取義相同じ。大概六三は當位せずして又敵に遇に遇ふ、故に擧止常なからざる此の歩に至る。「得敵」と《頤》卦六二の「失類」、《艮》卦の「敵應」とは、《周易》義理の根本、關係極めて大なり。然るに「得敵」は還た子夏と荀爽の知るあり、「失類」は則ち解する人なし、以致凡そ陰が陰に遇ひ陽が陽に遇ふの處は皆講じ通ぜず、實に歎くべきなり。《小象傳》曰く:時に鼓を擊ち時に罷休すは、居位當らざればなり。義理は上文を見よ。
六四,月既望,馬匹亡,無咎。兌為月,十五日日月望,乾象月盈甲。十六日平明,巽象月退辛。六四巽主,故曰既望。既王弼作幾,孟荀皆作既,孟云十六日也,作既於巽象方切。震為馬,四匹在初,馬匹亡,言不應初而承上也。承陽故無咎。象曰:馬匹亡,絕類上也。陰陽相遇方為類,舊解皆以陰遇陰為類,故全易類宇皆失詁。絕者決也,言四遇三敵,不能應初;類上即承上也。九五,有孚攣如,無咎。五下乘重陰,得類,故曰有孚,言孚於二陰也。攣繫也,戀也,前書李夫人傳「攣攣顧念我」。有孚攣如者,言繫攣三四也。五得位,故無咎。象曰:有孕攣如,位正當也。五既中且正。
六四:月は已に十五の望を過ぎ、馬は配匹を失ふ、咎なし。兌は月、十五日は日月相望み、納甲の法の中に乾象は月を以て甲に盈る。十六日の天明の時、巽象は月を以て辛に退く。六四は巽體の主、故に「既望」と言ふ。「既」字は王弼本に「幾」と作し、孟喜・荀爽は皆「既」と作し、孟喜は十六日と言ふ。「既」と作すは巽象に於いて始めて貼切。震は馬、六四の配匹は初九に在り、「馬匹亡」とはそれが初に應ぜずして上に九五を承ぐを言ぐを言ふ。陽を承ぐれば故に咎なし。《小象傳》曰く:馬が配匹を失ふは、下の同類を斷絶して上に承ぐればなり。陰陽相遇するを始めて「類」と呼ぶ、舊注は皆陰が陰に遇ふを以て類と作す、だから全部の《周易》の中の「類」字は皆確解を失へり。「絕」は決斷、六四が六三この同類の敵に遇ひて、下に初九に應ずる能はずと言ふ。「類上」は卽ち上に九五を承ぐ。九五:誠信ありて牽繫して舍てず、咎なし。九五は下に兩個の陰爻に乘り、その匹類を得、故に「有孚」と言ふ、三・四の兩陰に孚合すを指す。「攣」は繫、戀、《漢書・李夫人傳》に「攣攣顧念我」あり。「有孚攣如」とは、六三・六四を牽繫するを言ふ。九五は位を得、故に咎なし。《小象傳》曰く:誠信ありて牽繫して舍てざるは、居る所の位正當なればなり。九五は既に中を得又正を得。
上九,翰音登于天,貞凶。曲禮曰:雞曰翰音。巽為雞,為高,居翼卜又居卦之極上,故曰翰音登于天。上應在三,三震為翰為音也。巽下隕,故貞凶。王注翰高飛也。飛音者,音飛而實不至之謂也。居卦之上,華美外揚,虛聲無實,故不可久長。象曰:翰青登於天,何可長也。窮上失位,下虛,故不長。翰音取象皆在應,非只巽雞。易無一字不由象生,觀此益信矣。震翰象失傳,詳焦氏易詁。
上九:雞の鳴聲は高く天に飛ぶ、固守すれば凶。《禮記・曲禮》曰く:祭祀の時は雞を「翰音」と稱す。巽は雞、高、上九は巽體に處りて又全卦の極上に居る、故に「翰音登于天」と言ふ。上九の應ずる所は六三に在り、六三は震に屬し、震は翰、音。巽の性は下に隕落す、故に「貞凶」。王弼の注は「翰」は高飛と言言ふ。謂はゆる「飛音」は、聲音は飛揚するも實體は並びに之に隨りて上達せず。一卦の上に居り、華美外揚し、ただ虚聲ありて實質なし、故に長久する能はず。《小象傳》曰く:鳴聲高く天に飛ぶは、何ぞ長久する能はむや。上九は卦極に窮居して位を失し、下面に又虚、故に長久せず。「翰音」の取象は皆應爻に在り、ただ巽雞のみに非ず。《周易》は一個の字も象より生ぜざるなし、此の爻を看るに更に以て信を取るに足る。震が翰たるの象は已に失傳し、詳しく《焦氏易詁》を見よ。
小過卦
小過。亨利貞,可小事,不可大事。飛鳥遺之音,不宜上,宜下,大吉。過之為義,彖傳即不明釋,故訖無定解。後儒於是有以經過為說者,端木國瑚謂兌巽過乾之左右,故曰大過;艮震過坤之左右,故曰小過。有以過越為說者,朱震謂大過陽過陰,大者過越也;小過四陰二陽,小者過越也。前一說人只見於端木氏,後一說則易家多從之。
《小過》卦、亨通にして正を守るに利あり、小事を爲すべく、大事を爲すべからず。飛鳥はその聲を遺す、上に宜からず下に宜し、大吉。「過」字は究竟何義なるや、《彖傳》は並びに明白に解釋せず、故に歷來定說なし。後世の學者はここに於いて「經過」を用ゐて解する有り:端木國瑚は兌・巽は乾の左右を經過す、故に《大過》と曰ふ。艮・震は坤の左右を經過す、故に《小過》と曰ふ。亦た「過越」を用ゐて解する有り:朱震は《大過》は陽が陰を超過す、大者過越。《小過》は四陰二陽、小者過越。前の一説はただ端木氏の一家に見ゆ、後の一説は則ち易學家は多く跟從す。端木國瑚は清代の易家、朱震は宋代の易家。尚氏は先に此の兩派の舊説を原原本本擺出すは、正に下文に於いて逐條駁詰し、別に新解を立つるの張本を爲さむが爲。
然尚有五陽五陰之卦,何以不言過?且漢人以大過為死卦,陽過盛而反死,又何說乎?如謂四陽為上下二陰所束縛故死,則小過四陰包二陽,胡以不謂之死乎?又四陽在中為大過,四陰在中何以不謂為小過,而必以四陰在外者為小過乎?是皆可疑,而先儒無言者。
然るに《周易》の中に還た五陽一陰、五陰一陽の卦あり、何の故に「過」と稱せざるや。況んや漢代の學者は《大過》を以て死卦と看作し、陽が過に盛んにしてかえって死を致すと言ふ、これは又た何と講ぜむ。若し四個の陽爻が上下の兩個の陰爻に束縛せられて始めて死を致すと言はば、則ち《小過》は四個の陰爻が兩個の陽爻を包む、何の故にそれを死卦と呼ばざるや。更に言へば四陽が中に居るを《大過》と呼ぶ、則ち四陰が中に居るの卦は何の故に《小過》と呼ばずして、偏に四陰が外に在るの卦を《小過》と稱すや。これらは皆疑ふべし、然るに前代の經師は竟に提及する人なし。
按太玄擬大玄過為失,云「陰大作賊,陽不能得」,言陽為阻賊,而失其用也。擬小過為羨為差,云「陽氣贊幽,推包羨爽,未得正行」,言震陽本可直出,乃為上下四陰所包,推排曲抑,仍有羨爽。羨,邪曲;爽,差也。蓋大過按卦氣時當小雪,窮陰極寒,故陽氣極衰;小過時當立春,陽氣闢,本可無阻,乃為陰氣所包,仍不免小有回曲。大小過純以卦義言,不以陰陽多少言也。
按ずるに揚雄《太玄》は「失」首を以て《大過》に擬し、「陰大作賊、陽不能得」と言」と言ふ、陽が陰に阻害せられて功用を失ふの意。以て「羨」「差」の兩首を《小過》に擬し、「陽氣贊幽、推包羨爽、未得正行」と言ふ、震陽は本來直上して出づべきに、卻って上下の四個の陰爻に包住せられ、推擠壓抑せられて、仍ほ偏斜あるを免れざるの意。「羨」は邪曲、「爽」は差失。元來卦氣説に按れば、《大過》は小雪の節に當り、陰は窮寒極まる、故に陽氣極衰。《小過》は立春の節に當り、陽氣開闢し、本來暢通無阻すべきに、卻って陰氣に包裹せられ、仍ほ小に迂曲あるを免れず。見るに「大過」「小過」は純に卦義に就きて名を立つ、陰陽爻の多少に就きて名を立つるに非ず。揚雄が卦氣を把りて節候に配合すは、恰好に陰陽消長の時序の上より「過」字の指す所を説き清む、これ正に尚氏が最もその本義を得と認むるの一説。
卦二五陰得中,二陰承重陽故亨,陰牝陽故利貞。陰得中故可小事,陽失位而不中,故不可大事。左傳昭五年筮遇明夷之謙曰「日之謙當鳥」,日之謙即離變艮,變艮而曰當鳥,是以艮為鳥。易林本之,以艮為黔啄為鳥,詳焦氏易詁。小過下艮故曰鳥,上震故曰飛鳥,而震為覆艮,是上下皆鳥,故傳曰有飛鳥之象焉。
此の卦の六二・六五の兩個の陰爻は各中位を得、兩個の陰爻は中間の兩個の陽爻を承ぐ、故に亨通。陰は陽に順從す、故に正を守るに利あり。陰は中を得、故に「可小事」。陽爻は位を失ひて又不中、故に「不可大事」。《左傳》昭公五年は筮して《明夷》之《謙》を得と記し、「日之謙當鳥」と言ふ——「日之謙」は卽ち離が艮と變じ、艮と變じて「當鳥」と言ふ、見るに艮を以て鳥と爲す。《焦氏易林》は此に本づき、艮を以て黔喙、鳥と爲す、詳しく《焦氏易詁》を見よ。《小過》の下卦は艮、故に「鳥」と言ふ。上卦は震、故に「飛鳥」と言ふ。而して震は正に倒覆の艮、ここに於いて上下皆鳥、故に《彖傳》は「有飛鳥之象焉」と言ふ。
宋衷謂二陽在內,上下各二陰,有似飛鳥舒翮之象。虞翻則用卦變,雲小過從晉來,晉上離為鳥。惠士奇謂古飛非通用,小過即非字象,故曰飛鳥。愈演愈寄,皆艮鳥象失傳之過也。遺,送也。震為音。茹敦和云:下艮為反震,口向下若送音於人者,故飛鳥遺之音。上謂五,五失位而乘陽;正謂二,二當位而承陽,故上不宜而下大吉也。
宋衷は兩個の陽爻は内に在り、上下は各兩個の陰爻あり、飛鳥が翅を展ぶるの象の如しと言ふ。虞翻は則ち卦變を用ゐ、《小過》は《晋》卦より來る、《晋》の上體離は鳥と言ふ。惠士奇は古時「飛」「非」は通用す、《小過》の卦形は卽ち「非」字の象、故に「飛鳥」と言ふ。説くほどに愈々穿鑿たり、皆艮が鳥たるこの逸象の失傳に因る。「遺」は送、震は音。茹敦和曰く:下卦の艮は倒りたる震、口は下に向かひ、聲音を人に送るが如し、故に「飛鳥遺之音」と言ふ。「上」は六五を指し、六五は位を失ひて陽爻に乘凌す。「下」は六二を指し、六二は當位にして陽爻を承奉す、故に上行は宜からずして下行は大吉。
彖曰:小過,小者過而亨也。過以利貞,與時行也。柔得中,是以小事吉也。剛失位而不中,是以不可大事也。有飛鳥之象焉,飛鳥道之音,不宜上宜下,大、,上邊而下順也。艮為時。剛失位指四,不中指三。有飛鳥之象,謂上下卦皆艮也,非如宋衷之解。艮為鳥,上艮覆故曰逆,下反是故順。又五乘剛故逆,二承陽故順。
《彖傳》曰く:《小過》は、小者が過越して亨通を得。過越して正を守るに利あるは、時と偕に行けばなり。柔爻は中を得、故に小事を爲して吉。剛爻は位を失ひて又不中、故に大事を爲すべからず。卦中に飛鳥の象あり、飛鳥はその聲を遺す、上に宜からず下に宜し、大吉——上は逆、下は順。艮は時。「剛失位」は九四を指し、「不中」は九三を指す。謂はゆる「有飛鳥之象」とは、上下卦は皆艮、宋衷の解するが如くに非ず。艮は鳥、上卦の艮は倒覆、故に「逆」と爲す。下卦は倒覆に非ず、故に「順」と爲す。又た六五は剛爻に乘凌せば故に逆、六二は陽爻を承奉せば故に順。
象曰:山上有雷,小過。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉。震為行,恭或為艮象。兌毀折故曰喪,震為樂,震反為艮,故為哀。儉亦或為艮止象。舊解皆用卦變,無確詁,姑測其義如此。又三者皆過之微,即治小過之義也。初六,飛鳥以凶。艮為鳥,四雖有應,二得敵,應予阻格,又失位,故凶。象曰:飛鳥以凶,不可如何也。言應困難。
《大象傳》曰く:山の上に雷あるは、これ《小過》。君子は因りて行爲の上に於いて恭に稍過ぎ、居喪の時に於いて哀戚に稍過ぎ、用度の上に於いて儉省に稍過ぐ。震は行。「恭」は或は艮象を取る。兌は毁折を主れば故に「喪」と言」と言ふ、震は樂、震を倒して艮を成せば、故に哀と爲す。「儉」も亦た或は艮止の象を取る。舊注は皆卦變を用ゐて解す、確切の訓釋なし、我は姑く此の如くその取義を推測す。又た恭・哀・儉の三者は皆ただ略々過分、正に「小過」を治むるの道。初六:飛鳥に因りて凶を致す。艮は鳥。初六は九四と應あると雖も、然るに六二はそれと同類にして相い敵し、應路は阻隔せられ、初六は又位を失す、故に凶。《小象傳》曰く:飛鳥に因りて凶を致すは、奈何ともすべなし。應を求むるの路艱難なるを言ふ。
六二,過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎。艮為祖,二承三故過其祖。巽為妣,二當巽初,故遇其妣。爾雅母曰妣,妣謂二,祖謂三。二應在五,五震為君,乃五不應,故不及其君。良為臣,三艮主爻,二承之,故遇其臣。艮為祖,翼為母,震君艮臣象皆失傳,故舊解無通者,義詳焦氏易詁。象曰:不及其君,臣不可過也。傳義未詳,舊說或崑崙,或浮泛,皆不安。
六二:祖父を越過して祖母に遇ふ。君主に到達せずして、卻って臣屬に遇ふ、咎なし。艮は祖、六二は上に九三を承ぐ、故に「過其祖」と言ふ。巽は妣、六二は正に巽體の初位に當る、故に「遇其妣」と言ふ。《爾雅》曰く「母曰妣」。「妣」は六二自身を指し、「祖」は九三を指す。六二は本來上に六五に應ずべし、六五は震に屬して君、然るに六五は同じく陰爻にして來りて相應せず、故に「不及其君」と言ふ。艮は臣、九三は艮體の主爻、六二はそれを承奉す、故に「遇其臣」と言ふ。艮が祖、巽が母、而して震が君、艮が臣たるこれらの象は皆已に失傳し、故に舊注は一家も講じ通ずるなし、義詳《焦氏易詁》。《小象傳》曰く:君主に到達せざるは、臣屬は越過すべからざればなり。此の傳の義は未だ詳明なる能はず、舊説或は囫圇として含糊、或は浮泛にして切せず、皆安穩ならず。
九三,弗過防之,從或戕之,凶。四遇敵故弗過。艮為守為堅,下有群陰承之,利於防守,故曰防之,與漸九三、蒙上九利禦寇義同也。三應在上,戕害也。從或戕之者,言三若應上,則四或害之也。艮為刀劍,四艮反向下,故戕之。首回防之,所以戒也。象曰:從或戕之,凶何如也。極言其凶。
九三:それを越過せずしてそれを防備す、若し往きて追隨せば或は戕害せらる、凶。九四と九三は同じく陽爻にして相い敵す、故に「弗過」。艮は守、堅固、下面に又衆陰の承奉あり、防守に利あり、故に「防之」と言ふ。これと《漸》卦九三、《蒙》卦上九の「利禦寇」とは取義相同じ。九三の應ずる所は上六に在り。「戕」は害。「從或戕之」とは、九三若し上に上六に應ぜば、九四或はそれに加害せんと言ふ。艮は刀劍、九四の在る艮は倒りて下に向かふ、故に戕害する能ふ。爻辞は先に「防之」と言ふ、正に以て告誡す。《小象傳》曰く:往きて追隨せば或は戕害せらる、その凶は還た如何ともせむや。これはその凶を極言す。
九四,無咎,弗過遇之,往厲必戒,匆用水貞。四臨重阻,利往,故無咎。四應在初,遇謂遇三也,三為四敵,故戒以弗過,然而遇之。往厲者,謂往應初而厲也。往應初,則三戕之,故厲。厲則宜有所戒,勿用而貞定自守可也。無咎指上行,弗過指下行。昔賢皆泥於往外為往,豈知需上云「三人來」,是往外而日來;睽上云「往遇雨」,是來內而曰往,易團於往來不執定例也。象曰:弗過遇之,位不當也。往厲必戒,終不可長也。言之初仍勿用為宜,終不可長。
九四:咎なし、それを越過せずしてそれと相遇ふ、往けば危險あり、必ず戒備すべし、施用する所あらざるべし、永に正固を守るに宜し。九四は下に兩個の陰爻に臨み、往くに宜し、故に咎なし。九四の應ずる所は初六に在り。「遇」とは九三に遇上するを指し、九三は九四の同類の敵、故にそれに告誡して「弗過」、然るに終竟に遇上したり。「往厲」とは、往きて初六に應ぜば則ち危險ありと言ふ。往きて初六に應ぜば、九三は便ちそれを戕害す、故に危險。既に危險なれば則ち戒備する所有べし、輕擧妄動せずして安守正固すれば卽ち可。「无咎」は上行に就きて言ふ、「弗過」は下行に就きて言ふ。前代の學者は皆外卦に往くを始めて「往」と呼ぶに拘泥す、知らず《需》卦上六は「三人來」と言ふ、あれは外卦に往くにして「來」と言ふ。《睽》卦上九は「往遇雨」と言ふ、あれは内卦に來るにして「往」と言ふ——《周易》は往來に於いて本來定例に拘執せず。《小象傳》曰く:越過せずして之と相遇ふは、居位當らざればなり。往けば危險あり必ず戒備すべしは、終竟長久すべからざればなり。往きて初六に應ずるは仍ほ輕用せざるを以て宜と爲す、終竟長久すべからずと言ふ。
六五,密雲不雨,自我西郊,公弋取彼在穴。文言以坤為雲,五上重陰,故曰密雲。兌為雨,風火在下,故不雨。兌西震東,言此密雲起自西郊,而東行也。震為公為射,故曰公弋。七者繫繩於矢以射鳥,乃不射身而以上取彼在穴之艮狐,胡能得乎?
六五:濃雲密布するも雨を降らさず、雲は我の西邊の郊野より飄來す。王公は繩を帶びたる箭を以てあの洞穴の中に躲れる獵物を射取す。《文言傳》は坤を以て雲と爲す、六五と上六の兩個の陰爻は相重なり、故に「密「密雲」と言ふ。兌は雨、然るに風と火と下に在り、故に雨を降らさず。兌は西に在り震は東に在り、此の片の密雲が西郊より升起して東に行くを言ふ。震は公、射、故に「公弋」と言ふ。「弋」とは箭の上に繩を繫げて以て鳥を射る。然るに六五は鳥を射ざり、かえって弋を用ゐてあの洞穴の中に藏るる艮狐を獵取す、何ぞ獵取する能はむや。
蓋五應在二,二巽為繩,艮為矢,以繩繫矢,七象也。而艮為穴為孤,艮手為取,穴居之物,豈能弋取?言二不應五,有如此也。凡易取象,不於本變必於應。應爻有應予,如明夷初交應在四震,則曰飛,曰翼,曰攸往,曰主人有言,全取震象,而直言之。應爻無應予,亦往往取其象而明其不應,如歸妹上六應在三兌,則曰女承筐,曰士圭(右刀)羊,女與羊皆兌象,而三不應上,故又曰無實無血,及此爻皆是也。舊解不知此例,見象無著,則用卦變以當之,於是易義遂亡於講說矣。象曰:密雲不雨,已上也。巳上與小畜之上往同義。
元來六五の應ずる所は六二に在り:六二は巽に屬し、巽は繩、艮は矢、繩を用ゐて箭を繫げば、正に「弋」の象。而して艮は又穴、狐、艮は手なれば故に「取」と爲す。然るに穴居の物は、豈に繩を帶びたる箭を以て射取する能はむや。これ正に六二の來りて五に應に應ぜざるを説く、情形は卽ち此の如し。大凡《周易》の取象は、本爻の變化の上に在らざれば、必ず應爻の上に取る。應爻若し來りて相應せば、《明夷》初九の應ずる所が六四の震體に在るが如く、爻辞は便ち「飛」と言ひ「翼」と言ひ「攸往」と言ひ「主人有言」と言ふ、全く震象を取りて直接説き出す。應爻若し相應せざれば、亦た往往その象を取りてその應ぜざるを點明す、《歸妹》上六の應ずる所が六三の兌體に在るが如く、爻辞は便ち「女承筐」と言ひ「士刲羊」と言ふ、女と羊とは皆兌象、而して六三は並びに上に應ぜず、故に又「无實」「无血」と言ふ——此の爻は正に此の一類。舊注はこの體例を懂せず、象に著落なきを見て、便ち卦變を搬出して湊る、ここに於いて《周易》の義理は便ち講説の中に亡びたり。《小象傳》曰く:濃雲雨を降らさざるは、陰氣已に上行せばなり。「已上」は《小畜》の「尚往」と同義。
上六,弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災音。弗遇言為五所格,應三難也,乃竟過之,是無心相值,不虞之禍。蓋艮為鳥,上卦艮覆,鳥首向下有墜象,而艮為刀兵,正墜兵刃之上。離罹通,道也。遭此意外之禍,故凶也。三巽體,巽為疾病,故為災眚。是謂災眚者,言禍非由己,致無妄之災,不可如何也。
上六:相遇はざるにそれを越過し、飛鳥は羅網に遭ふ、凶、これを災禍と謂ふ。「弗遇」とは六五に阻格せられて、下に九三に應ずること甚だ難しと言ふ。結果は卻ってそれを越過したり、これは心ならずして撞き當る、意料之外の禍患。艮は鳥、上卦の艮は倒覆、鳥頭は下に向かひ、墜落の象あり。而して艮は又刀兵、正好く兵刃の上に墜ちたり。「離」と「罹」は相通じ、遭遇の意。斯くの如く意外の禍に遭ふ、故に凶。九三は巽體に屬し、巽は疾病、故に災眚と爲す。謂はゆる「是謂災眚」とは、禍患は自らに由りて招くに非ず、无妄の災に屬し、奈何ともすべなし。
象曰:弗遇過之,巳亢也。虞翻云:飛下稱亢。按說文,亢人頸,或從頁,是亢即頏,古通為一字。詩邶風「頜之頏之」,毛傳:飛而上曰頡,飛而下回頏。故前書揚雄傳解嘲「鄒行以頡亢而取世資」,頏即作亢。師古云:頡亢,上下不定也。亦訓亢為下。上卦艮鳥覆有墜象,故曰亢。已亢者,言飛鳥離災而下也。
《小象傳》曰く:相遇はざるにそれを越過すは、已に下に向かひて低く飛べばなり。虞翻曰く:下に向かひて飛ぶを「亢」と曰ふ。按ずるに《説文》、「亢」は人の頸項、或は頁より「頏」と作す。見るに「亢」は卽ち「頏」、古時は一字に通ず。《詩經・邶風》「頡之頏之」、毛傳曰く:上に向かひて飛ぶを「頡」と曰ひ、下に向かひて飛ぶを「頏」と曰ふ。だから《漢書・揚雄傳》の載する所の《解嘲》「鄒衍以頡亢而取世資」は、「頏」を「亢」と寫す。顏師古曰く:「頡亢」は上下定まらざるなり。これも亦た「亢」を下に向かふと訓ず。上卦の艮鳥は倒覆、墜落の象あり、故に「亢」と言ふ。「已亢」とは、飛鳥が災に遭ひて下に向かひて墜落すを言ふ。
李道平云:陽言亢,陰不言亢,故虞不從俗說。聞見錄云:唐張師為贊皇尉,夢白鳥飛翔墜於雲際,召黃賀筮之,遇小過,曰:雷震山上,鳥墜雲間,聲跡兩銷,不可復見,委心順命可也。是亦以艮為鳥,艮覆故曰鳥墜,互大坎故曰云間,震為聲跡,坎隱伏,故曰聲道兩銷,不可復見。是亢之為下,再見於唐人所釋;以艮覆為鳥墜,黃賀獨知也。
李道平曰く:陽爻は始めて「亢」を言ひ、陰爻は「亢」を言はず、故に虞翻は俗説を采らず。《聞見錄》は記載す:唐の張師は贊皇縣尉を任じ、夢に白鳥が飛翔して雲間に墜落すを見、黃賀を召して占筮せしめ、《小過》卦を得。黃賀曰く:雷は山上に震動し、鳥は雲間に墜落す、聲音と蹤跡とは兩皆消失して、復た見るべからず、ただ安心して命に順ふのみ。これも亦た艮を以て鳥と爲す:艮は倒覆、故に「鳥墜」と言ふ。互體大坎、故に「雲間」と言ふ。震は聲跡、坎は隱伏を主る、故に聲跡は兩銷して復た見るべからずと言ふ。見るに「亢」を下に向かふと解するは、唐人の解釋の中に又た一度出現す。而して倒覆の艮を以て鳥墜と爲すは、則ち黃賀一人のみ知る。
既濟卦
既濟。亨,小利貞,初吉終亂。爾雅釋天:濟謂之齊。疏:霽,止也。說文同。歸藏作岑昕(上雨),昕(上雨)即霽字。上坎為雨,下離為日,雨過日出,故曰既濟。謙傳天道下濟,即下止也。詩庸(右邑)風「不能旋濟」,傳:濟,止也。莊子齊物論「厲風濟則萬竅為虛」,注:濟,止也。彖傳曰終止,雜卦曰既濟定,亦皆訓濟為止。既者盡也,左傳桓三年「日有食之既」是也。既濟者,言六爻盡當位而止其所也。止其所而不遷,則道窮,故彖辭不許其終吉。
《既濟》卦、亨通、小者は正を守るに利あり、初めは吉利にして最終に亂を生ず。《爾雅・釋天》曰く「濟謂之霽」、疏曰く「霽」は止、《説文》相同じ。《歸藏》は此の卦を「岑霽」と作し、「霽」は卽ち雨止の字。上卦坎は雨、下卦離は日、雨過ぎて天晴れ日が出づ、故に「既濟」と呼ぶ。《謙》卦《彖傳》「天道下濟」は、卽ち下に向かひて止まる。《詩經・邶風》「不能旋濟」、毛傳曰く「濟、止也」。《莊子・齊物論》「厲風濟則衆竅爲虚」、注曰く「濟、止也」。《彖傳》は「終止」と言ひ、《雜卦傳》は「既濟定」と言ふ、亦た皆「濟」を止に訓ず。「既」は盡、《左傳》桓公三年「日有食之既」は卽ちこの用法。謂はゆる「既濟」とは、六爻は全部當位にして各その所に止まるを言ふ。その所に止まりて再び遷動せず、道は便ち窮す、故に卦辞はそれの終りに吉に歸するを許さず。尚氏が一連に《爾雅》《説文》《歸藏》及び《謙》卦《彖傳》、《詩經》《莊子》の諸證を徵引すは、目的はただ一:「濟」字を通常の「渡水」の義より「止」の義に拉回して、卦名の取義をして著落あらしむ。
釋文釋濟為度,太玄釋為成,惟彖傳曰終止,即明釋既義、濟義。既者盡也,終也,終止即既濟。後儒紛紜不已者,以忽略終止,即說卦義也。六爻皆當位有應,故亨。小利貞小字,俞樾雲衍文,卦辭只回亨利貞,故傳特以小者亨也釋之。如原有小字,則人人皆知,傳不如此釋矣。子夏傳虞翻皆以亨小斷句,似非。毛奇齡云:宜以既濟亨句、小利貞句,小利貞與小利有攸往同。按毛說於句讀適矣,然傳曰剛柔正,是兼大小言也,今專以屬之小,於六交當位之義不合。然則小字屬上下讀皆不安,征之彖傳,其為衍文無疑,俞氏之說似為可信。
《經典釋文》は「濟」を渡に解し、《太玄》は成に解す、ただ《彖傳》のみ「終止」と言ふ、正に明白に「既」義と「濟」義とを解釋す。「既」は盡、終、「終止」は卽ち「既濟」。後世の學者は聚訟して休まず、正に「終止」が卽ち卦名の義を解説するを忽略せばなり。此の卦の六爻は皆當位にして各應あり、故に亨通。至りて「小利貞」の「小」字は、兪樾は衍文と認む:卦辞は本來ただ「亨、利貞」と作す、だから《彖傳》は特に「小者亨也」を用ゐて解釋す。假令原文に本來「小」字あらば、あれは人人皆見出す能ふ所、《彖傳》は此の如く解せざらむ。《子夏傳》と虞翻は皆「亨小」を連讀して句を斷つ、對らずに似たり。毛奇齡曰く:當に「既濟亨」を以て一句と爲し「小利貞」を以て一句と爲すべし、「小利貞」は「小利有攸往」と同例。毛氏の説は句讀の上に於いて通順す、然るに《彖傳》は「剛柔正」と言ふ、あれは大小を兼ねて言ふ、今專らそれを「小」に歸屬せしむは、六爻當位の義と合せず。此の如く看れば、「小」字は上に屬するも下に屬するも安穩ならず、《彖傳》を把って驗證すれば、それは衍文なること疑なし、兪樾の説法は信ずべきに似たり。
蓋易之為道,以陽為主,陰與陽絕不平等,故陰得陽應必吉,陽得陰應則不必吉,且有以為凶者,如大過四爻、中孚初爻皆是。既濟二四承乘皆陽,又三陰皆有陽應,故小者亨。彖傳專以亨屬小,亦謂大者不然。大何以不然?凡陽遇重陰必吉,一陰則否。既濟三五皆陷陰中,雖三陽皆得位有應,然所應者陰,固與柔爻異也,此傳之所以專以亨屬之小也。既濟者終止,其在既濟之初,上下得所,民物咸宜,故初吉。然易之道以變通為貴,無或休息,止而終於是,則易道窮矣,故終亂。
大凡《周易》の道は陽を以て主と爲し、陰と陽と絶對に對等ならず:だから陰爻が陽爻の相應を得れば必ず吉、陽爻が陰爻の相應を得れば卻って必ずしも吉ならず、甚だしきは此に因りて凶と爲る有り、《大過》九四、《中孚》初九は皆是れ。《既濟》卦の六二・六四の承ぐ所乘る所は皆陽爻、三個の陰爻は又皆陽爻の相應あり、故に「小者亨」。《彖傳》は特に「亨」をただ小者に歸すは、亦た大者は並びに此の如くならざるを意味す。大者は何の故に此の如くならざるや。凡そ陽爻が兩個の陰爻に遇へば必ず吉、ただ一個の陰爻に遇へば則ち然らず。《既濟》の九三・九五は皆陰爻の中に陷る、三個の陽爻は皆位を得て應あると雖も、然るに應ずる所は陰爻、情形は本來柔爻と同じからず、これ卽ち《彖傳》が專ら「亨」を小者に歸するの緣故。「既濟」は卽ち終止。既濟の初に於いては、上下各その所を得、百姓萬物相い宜ならざるなし、故に「初吉」。然るに《周易》の道は變通を以て貴と爲し、停歇を容れず、一たび止まりて此に終れば、易道は便ち窮す、故に「終亂」。
彖曰:既濟亨,小者亨也。利貞,剛柔正而位當也。初吉,柔得中也。終止則亂,其道窮也。卦三陰三陽,二為陰始得中,放曰初吉。上六則陰之終,故日終止則亂,坤為亂也。五剛亦得中,不許其吉者,以陷於陰中,與柔得中異也。象曰:水在火上,既濟。君子以思患而預防之。治亂相循環,當治不可忘亂。坎為患為心,故曰思患。
《彖傳》曰く:《既濟》は亨通す、小者の亨通なり。正を守るに利あるは、剛柔各その正を得て位次相當せばなり。初め吉利なるは、柔爻が中を得ればなり。終止すれば則ち亂を生ずは、その道已に窮まればなり。此の卦は三陰三陽、六二は陰爻の中に最先に中を得、故に「初吉」と言言ふ。上六は則ち陰爻の終、故に「終止則亂」と言ふ、坤に「亂」の象あり。九五は剛爻も亦た中を得と雖も、《彖傳》はそれに吉を許さずは、それが陰爻の中に陷りて、柔爻が中を得るの情形と同じからざればなり。《大象傳》曰く:水は火の上に在るは、これ《既濟》。君子は因りて禍患を思慮して豫め防備す。治と亂とは互相循環し、治世の時に當りて亂世を忘るべからず。坎は患、心、故に「思患」と言ふ。
初九,曳其輪,儒其尾,無咎。初應在四,四坎為曳,為輪,為儒。四居坎下,故曰曳,曰尾。所有象皆在應爻,舊解苦於本爻求,胡能合乎?曳儒當有咎,得正故無咎。象曰:曳其輪,義無咎也。得正有應,當然無咎。
初九:車輪を拖住し、尾を沾濕す、咎なし。初九の應ずる所は九四に在り、九四は坎に屬し、坎は曳、輪、濡。九四は坎體の下に居る、故に「曳」と言ひ「尾」と言ふ。すべての象は皆應爻の上に在り、舊注は一味本爻の上に苦苦として求索す、何ぞ吻合する能はむや。輪を拖き尾を濡すは本來咎あるべし、初九が正を得るに因り、故に咎なし。《小象傳》曰く:車輪を拖住すは、義に於いて咎なし。初九は正を得て又應あり、當然咎なし。
六二,婦喪其弗(上草),匆逐,七日得。左傳昭五年「火水妃也」,故離為坎婦。弗(上草)車蔽也。詩碩人曰「翟弗(上草)以朝」,疏:婦人乘車不露兒,車之前後障以翟羽,以自隱蔽,謂之弗(上草)。按周禮有巾車職,巾所以為蔽,即弗(上草)也。坎為隱伏為弗(上草),乃坎在外,故喪其弗(上草)。蓋離為光明,二承乘皆陽,無所隱蔽,如婦人之喪其弗(上草)也。廬兆鱉云:初曳輪,二喪弗,義實相因,其改字作紱作髟(下也)者,皆非也。震為逐,半震故勿逐。七日得者,震為復,數七,言至七日,自然來復,與震二同義也。象曰:七日得,以中道也。二得中故得。
六二:婦人は車上の帷飾を喪失す、追尋するを要せず、七天の内に自ら失ひて復た得む。《左傳》昭公五年曰く「火、水妃也」、故に離は坎の配偶の婦。「茀」は車上の遮蔽物。《詩經・碩人》曰く「翟茀以朝」、疏曰く:婦人は車に乘るに露面せず、車の前後に野雞の羽毛を以て遮擋して以て自ら隱蔽す、これを「茀」と曰ふ。《周禮》に巾車の職あり、「巾」は卽ち用ゐて遮蔽する、卽ち「茀」。坎は隱伏を主る、故に茀と爲す。然るに坎は外卦に在り、故に「喪其茀」と言ふ。元來離は光明、六二の上に承ぐ下に乘るは皆陽爻、隱蔽する所なし、正に婦人の車帷を喪したるが如し。盧兆鰲曰く:初九の「曳輪」、六二の「喪茀」、義理は本來相因す、「茀」を改字して「紱」と作し「髢」と作すは皆對らず。震は逐、此處はただ半個の震象あるのみ、故に「勿逐」と言ふ。「七日得」は、震に回復の義ありて、その數は七、第七天に至れば自然回復すを言ふ、《震》卦六二「七日得」と同義。《小象傳》曰く:七日にして復た得るは、中道を守ればなり。六二は中を得、故に復た得る能ふ。
九三,高宗伐鬼方,三年克之,小人勿用。易林於既未濟,偶用半象,本之易也。三四形震,震為帝為主,故曰高宗,曰伐。坎為三年,為鬼方。高宗殷王武丁,鬼方西美國名。範書西羌傳云:殷室中衰,諸侯叛,至高宗伐西戎鬼方,三年乃克。又曰周季歷伐西落鬼戎是也。坎為艱為勞,故三年乃克。小人謂上六。復上六云反君道,比上六云無首凶,師上六云小人勿用,是上六反君道無道,為小人之尤。茲於三交發之者,以三應在上六,故預戒也。象曰:三年克之,憊也。坎為勞,故曰憊,憊疲極也。
九三:殷の高宗は鬼方を征伐し、三年にして乃ちそれを攻克す、小人は任用すべからず。《焦氏易林》は《既濟》《未濟》の兩卦に於いて偶に半象を使用す、これは《周易》に本づく。此の卦の三・四の兩爻は半個の震形を構成す、震は帝、主、故に「高宗」と言ひ「伐」と言ふ。坎は三年、鬼方。高宗は卽ち殷王の武丁。鬼方は西方羌族の國名。范曄《後漢書・西羌傳》曰く:殷室は中衰し、諸侯は叛離す、高宗の時に至りて西戎鬼方を征伐し、三年にして乃ち攻克す。又曰く周人の季歷は西落鬼戎を征伐す、亦た此の類。坎は艱難、勞苦、故に三年にして始めて攻克する能ふ。「小人」は上六を指す。《復》卦上六は「反君道」と言ひ、《比》卦上六は「无首凶」と言ひ、《師》卦上六は「小人勿用」と言ふ、見るに上六は君道を背反して行事道なし、小人の中に最も甚だし。此處に於いて九三の爻に此の告誡を發するは、九三の應ずる所は上六に在れば、故に豫め警戒す。《小象傳》曰く:三年にして乃ち攻克すは、疲憊せばなり。坎は勞、故に「憊」と言ふ、「憊」は疲れ極まる。
六四,襦有衣袖,終日戒。此與解三用象同。襦說文繒采色,按繒說文帛也。三四震象,震為衣,襦有,言有帛衣也。四五巽象,巽為帛,亦為枷。如(左衣),敗絮也。襦有衣如(左衣)者,言雖有帛衣,衣敗絮以自晦,終日戒備也。離為日,坎為憂,故曰終日戒。蓋四居兩坎之間,坎為盜,俱有所侵犯,故惡衣以自晦。
六四:華美の絲衣あるも、卻って破絮を著る、終日戒備す。これは《解》卦六三と取象相同じ。「襦」は《説文》に彩色の繒と言ふ。「繒」は《説文》に帛と言ふ。三・四の兩爻は震象を構成す、震は衣、「襦有」とは絲帛の衣あるを言ふ。四・五の兩爻は巽象を構成す、巽は帛、亦た「袽」。「袽」は破敗の舊絮。「襦有衣袽」とは、絲帛の衣あると雖も、卻って破絮を穿著して以て自ら掩藏し、終日戒備すを言ふ。離は日、坎は憂、故に「終日戒」と言ふ。元來六四は兩個の坎體の間に處り、坎は盜、人の來りて侵犯せんことを惟恐る、故に惡衣を穿りて以て自ら晦む。
如(左衣)說文引作奴(下繫),釋文云子夏作茹,茹柳奴(下繫)音同故通用。又云京作絮,按絮即奴(下繫)之形訛字。太玄迎道云「裳有衣襦」,裳者禮服,襦者短衣,乃有裳不用而衣襦,釋此句至為明晰。又釋文儒子夏作襦,薛虞云古文作襦,按襦儒古通。周禮羅氏注,鄭司農云:襦為儒有衣絮之襦。弓人注,鄭司農云:如(下巾)讀為襦有衣奴(下繫)之奴(下繫)。是襦儒枷古通用,故各家讀不同。象曰:終日戒,有所疑也。坎為疑。
「袽」字は《説文》は「絮」と引き、《經典釋文》曰く子夏本は「茹」と作し、「茹」「絮」は音同じくして通用す、又曰く京房本は「絮」と作す。按ずるに「絮」は卽ちこの字の形訛。揚雄《太玄》曰く「裳有衣襦」、「裳」は禮服、「襦」は短衣、禮服あるに穿らずして短衣を穿る、以て此の一句を解釋するに最も明晰。《釋文》は又曰く「儒」字は子夏本は「襦」と作し、薛虞は古文は「襦」と作すと言ふ、見るに「襦」「儒」は古時相通ず。《周禮》羅氏の注は鄭司農を引きて曰く:「襦」は卽ち「襦有衣絮」の襦。《考工記》弓人の注は鄭司農を引きて曰く:「帤」は「襦有衣絮」の絮と讀む。見るに「襦」「儒」「袽」は古時通用す、故に各家の讀法は同じからず。尚氏が此の一大段に異文を羅列すは、「襦有衣袽」の四字が歷來傳本の用字の不同に因りて聚訟するを説明せむと欲す。但し「茹」と寫るも「絮」と寫るも「袽」と寫るも、指す所は皆破舊の絮帛、「襦」この件の絲衣と正に相對照す、句義は並びに異文に因りて改變せず。《小象傳》曰く:終日戒備すは、心に疑慮あればなり。坎は疑。
九五,東鄰殺牛,不如西鄰之論祭,實受其福。離位東,故曰東鄰。坎位西,故曰西鄰。離為牛,兌為毀折為斧,故曰東鄰之殺牛。坎為飲食,故為祭。侖(左示)薄祭也,坎為薄,故曰西鄰之掄祭。乾為福,殺牛而祭,當受福矣,然不如掄祭受福者,以坎當五,得中正之時也。此離東坎西之確證。鄭氏謂離日出東,故曰東鄰;坎月生西,故曰西鄰。而不知離即在東,坎即在西,則卦象失傳之故也。又漢人往往以紂與文王之事說此爻,非。象曰:東鄰殺牛,不如西鄰之時也。實受其福,吉大來也。受福故吉。上六,濡其首,厲。坎為首,陰乘陽故襦其首,與比上六之無首義同,彖所謂終亂者此交。象曰:濡其首厲,何可久也。荀爽曰:居上襦五,處高居盛,必當復危,故何可久。
九五:東九五:東邊の鄰は牛を殺して盛祭す、西邊の鄰の薄祭に如かず、實實に神の福佑を承受す。離の位は東に在り、故に「東鄰」と言ふ。坎の位は西に在り、故に「西鄰」と言ふ。離は牛、兌は毁折、斧を主る、故に東鄰が牛を殺すと言ふ。坎は飲食、故に祭と爲す。「禴」は簡薄の祭、坎は薄、故に西鄰の禴祭と言ふ。乾は福。牛を殺して祭れば、本來福を受くべし、然るに薄祭の福を受くるに如かざるは、坎が正に五位に當り、中正の時を得ればなり。これは離が東に在り坎が西に在るの確證。鄭玄は離日は東より出づ、故に東鄰と曰ふ。坎月は西に生ず、故に西鄰と曰ふ——彼は離が本身卽ち東に在り坎が本身卽ち西に在るを知らず、これ正に卦象失象失傳の緣故。還た漢代の學者は往往紂王と文王の故事を把って此の爻を解す、亦た對らず。《小象傳》曰く:東鄰が牛を殺すは、西鄰がその時を得るに如かず。實實に福を受くは、吉慶大いに來ればなり。福を受くれば故に吉。上六:頭を沾濕す、危險。坎は首、上六は陰を以て陽に乘る、故にその首を濡濕す、《比》卦上六「无首」と取義相同じ。卦辞の謂ふ「終亂」は、指す所は卽ち此の爻。《小象傳》曰く:頭を沾濕して危險は、何ぞ長久する能はむや。荀爽曰く:上六は最上に居りて九五を濡濕す、處ること高く居ること盛ん、必ず重ねて危險に陷入す、故に長久すべからずと言ふ。
未濟卦
未濟。亨,小孤訖濟,濡其尾,無攸利。濟止也。六爻皆當位,止其所而不動,故曰既濟。茲六交皆不當位,不止,故曰未濟。終而止,則其道窮;終而不止,則其道不窮,故既未濟相續而循環。柔得五中故亨。艮為小孤,卦有三艮形,故易林渙之未濟云「三虎上山,更相喧喚」,是以未濟為三艮,故曰三虎上山。茲曰小狐,是以艮為狐。訖說文涸也。干寶云:小狐力弱,訖乃可濟,今水未涸,故儒其尾。艮為尾也,濡尾故無攸利。按九家坎亦為狐,茲曰小狐曰尾,艮為小為尾,故知取艮象。濟者,濟坎水也。
《未濟》卦、亨通。小狐は水の乾き將盡ならむとするに渡河す、卻って尾を沾濕す、利あることなし。「濟」は止。《既濟》は六爻皆當位、各その所に止まりて動かず、故に「既濟」と呼ぶ。此の卦は六爻皆當位せず、止まる能はず、故に「未濟」と呼ぶ。終りて止まれば、その道は便ち窮す。終りて止まらざれば、その道は便ち窮せず、故に《既濟》《未濟》は相接して循環已まず。柔爻の六五は中を得、故に亨通。艮は小狐。此の卦に三個の艮形あり、故に《焦氏易林》渙之未濟は「三虎上山、更相喧喚」と言ふ、正に《未濟》を以て三艮と爲す、故に三虎が山に上ると言ふ。ここに「小狐」と言ふは、見るに艮を以て狐と爲す。「汔」は《説文》に水涸と訓ず。干寶曰く:小狐は力弱く、水の乾くを待ちて始めて渡る能ふ。今水は未だ乾かず、故に尾を沾濕す。艮は尾、尾を濡すれば故に利ある所なし。按ずるに九家易は坎も亦た狐と爲す、但しここは既に「小狐」と言ひ又た「尾」と言ふ、而して艮は小、尾、知るべし取る所は艮象。謂はゆる「濟」は、坎水を渡る。
象曰:未濟寧,柔得中也。小狐訖濟,未出中也。濡其尾無攸利,不續終也。雖不當位,剛柔應也。未出中,言二陷於坎中也。六爻皆不當位,無攸利,然賜柔相應,窮則宜變,變則通,故不續終,申不止之義也。象曰:火在水上,未濟。君子以慎辨物居方。乾陽物,坤陰物,陰陽各當位,是居方也。陰陽皆不當位,是聚而失其方也。辨而明之,慎其居而擇所處,則無咎矣,故君子以之。
《彖傳》曰く:《未濟》の亨通なる所以は、柔爻が中を得ればなり。「小狐汔濟」とは、未だ坎險の中を走出でざるを言ふ。「濡其尾、无攸利」とは、終了に接續する能はざればなり。六爻は皆當位せずと雖も、但し剛柔は各自相應す。謂はゆる「未出中」とは、九二は還た坎險の當中に陷るを言ふ。六爻は皆當位せず、故に利ある所なし。然るに剛柔は彼此相應す、窮極すれば則ち變ずべし、變ずれば則ち通ず、故に「不續終」と言ふ、正に「不止」の意思を申明す。《大象傳》曰く:火は水の上に在るは、これ《未濟》。君子は因りて愼重に事物を辨別し、それらをして各その所に居らしむ。乾は陽物、坤は陰物、陰陽は各自當位するは卽ち「居方」。此の卦は陰陽皆當位せず、一處に聚まりてその處する所を失ふ。分清楚に辨別し、愼重にそれらを安頓し、處するの位を選擇すれば、咎なからむ、故に君子は此に取法す。
初六,濡其尾,吝。在下故曰尾,濡尾故吝。象:濡其尾,亦不知極也。極說文棟也,棟居屋中,故極者中也。濡尾知極,言初在下失中。九二,曳春輪,貞吉。坎為輪為曳,居中,故貞吉。象曰:九二貞吉,中以行正也。以位言,九二中而不正,茲曰行正,以正釋貞也,非謂位正。
初六:尾を沾濕す、憾惜あり。初六は最下に在り、故に「尾」と言ふ。尾を濡濕せば、故に吝。《小象傳》曰く:尾を沾濕すは、亦た中道を知らざればなり。「極」は《説文》に棟と訓ず。棟は屋子の正中に在り、故に「極」は卽ち中。「濡尾不知極」とは、初六が下に居りて中を失ふを言ふ。九二:車輪を拖住す、正を守りて吉を得。坎は輪、曳。九二は中に居る、故に「貞吉」。《小象傳》曰く:九二が正を守りて吉は、中に居りて因りて行事正しきを得ればなり。爻位に就きて言へば、九二は中に居りて當位せず。ここに「行正」と言ふは、「正」を用ゐて「貞」字を解釋す、並びにその位の正を説くに非ず。
六三,未濟征凶,利涉大川。不當位,前遇險,故征凶。征凶則不能利涉,茲日利涉大川,上下文義反背,朱子疑利上有不字。按象云位不當,則不利也,缺以俟知者。象曰:未濟征凶,位不當也。承乘皆險,動則必凶,柔居剛,故位不當。
六三:事未だ成らざるに出征すれば則ち凶、大河を渡るに利あり。六三は當位せず、前面に又坎險に遇ふ、故に「征凶」。既に出征に凶あれば、川を涉るに利なる能はず。ここは卻って「利涉大川」と言ふ、上下文義相反す、朱熹は「利」字の上に一個の「不」字を脱漏すと疑ふ。按ずるに《小象》は「位不當」と言ふ、則ちそれは不利、此處は只好く疑を存して知者を待つ。《小象傳》曰く:事未だ成らざるに出征すれば則ち凶は、居位當らざればなり。六三の上に承ぐ下に乘るは皆險陷、一たび動けば必ず凶。柔爻を以て剛位に居る、故に位當らずと言ふ。
九四,貞吉,悔亡,震用伐克方,三年有賞于大國。坎為鬼。易林觀之既濟云「班馬還師」,是用半震,震為馬為反,既濟三半震,故曰班馬還師。茲易曰震用伐鬼方,亦以四五形震,為易林之所本。震為威武為征伐,坎為三故曰三年。有賞于大國者,言伐鬼方有功,以大國賞之也,蓋以五上半艮為國也。貞吉,卜問吉也。高士奇天祿識余云:易震用伐鬼方,敦深謂震乃摯伯名;程傳訓為威武,則三年有賞于大國,何人也?以文理言,此說頗勝,而述之者少。象日:貞吉悔亡,志行也。坎為志,四承乘皆陰,故志行。
九四:正を守りて吉を得、悔恨消ゆ。威武を奮起して鬼方を征伐し、三年の後に大國の封賞を受く。坎は鬼。《焦氏易林》觀之既濟は「班馬還師」と言ふ、用ゐる所は半震の象——震は馬、返、《既濟》の三爻の處に半個の震形あり、故に「班馬還師」と言ふ。此處《周易》は「震用伐鬼方」と言ふ、亦た四・五の兩爻を以て半震を構成す、正に《易林》の本とする所。震は威武、征伐、坎は數に於いて三、故に「三年」と言ふ。「有賞于大國」とは、鬼方を征伐して功あれば、大國を用ゐて彼を封賞すを言ふ。五・上の兩爻は半個の艮形を構成す、艮は國。「貞吉」は卜問して吉を得。高士奇《天祿識餘》曰く:《周易》「震用伐鬼方」、敦深は「震」を摯伯の名字と認む。程頤《易傳》は「震」を威武に訓ず、則ち三年の後に大國に賞ぜらるるは又た誰なるや。文理に就きて言へば、此の一説は頗る高明、惜しむらくは稱述する人少なし。《小象傳》曰く:正を守りて吉を得、悔恨消ゆるは、心志行はればなり。坎は志、九四の上に承ぐ下に乘るは皆陰爻、故に志行。
六五,貞吉,無悔,君子之光,有孚吉。離為光,五君位,故君子之光。下有應,故有孚吉。象曰:君子之光,其暉吉也。離為大明,故其暉吉。暉,說文光也。上九,有孚于飲酒,無咎,濡其首,有孚失是。坎為酒,為飲食,上九下履重坎,故有孚于飲酒。有應故無咎。上應在三,三居重坎之中,故亦濡其首。六爻皆有應,故有孚;皆失位,故失是。然不續終之故,正以此也。
六五:正を守りて吉を得、悔恨なし。これは君子の光輝、誠信ありて吉。離は光、五は君位、故に「君子之光」と言ふ。下に九二の相應あり、故に「有孚吉」。《小象傳》曰く:君子の光輝は、その光暉が吉を帶ぶればなり。離は大明、故に「其暉吉」と言ふ。「暉」は《説文》に光と訓ず。上九:誠信ありて飲酒作樂す、咎なし。若し頭を沾濕せば、誠信あると雖も亦た正當に失す。坎は酒、飲食、上九は下に向かひて重疊の坎の坎體に臨む、故に「有孚于飲酒」と言ふ。應爻あり、故に咎なし。上九の應ずる所は六三に在り、六三は重坎の中に處る、故に亦た「濡其首」。六爻は皆各應あり、故に「有孚」と言ふ。六爻は又皆位を失す、故に「失是」と言ふ。然るに《彖傳》の謂ふ「不續終」の緣故は、正に此に在り。
象曰:飲酒濡首,亦不知節也。上艮為節,節止也,過而不止,故不知節。即未濟之卦形,即異於常卦,故所取之象,往往為本卦所無,如曰逐,曰高宗,曰伐,日襦(左繫)衣如(左衣),曰殺,曰祭,曰福,曰大國,曰震,本卦皆無此象。於是虞氏用卦變以求其象,惝恍支離,莫可究潔。然經於九四曰震,且明以四五為震矣,故知其它皆用半象也。
《小象傳》曰く:飲酒して頭を沾濕すは、亦た節制を知らざればなり。上體艮は節、「節」は止。過分にして止まるを知らず、故に「不知節」と言ふ。《未濟》の卦形は本來尋常の卦と同じからず、故に爻辞の取る所の象は往往本卦の有する所に非ず、たとへば「逐」と言ひ「高宗」と言ひ「伐」と言ひ「襦有衣袽」と言ひ「殺」と言ひ「祭」と言ひ「福」と言ひ「大國」と言ひ「震」と言ふ、本卦には皆これらの象なし。ここに於いて虞翻は卦變を用ゐてこれらの象を求む、恍惚支離にして推究するに由なし。然るに經文は九四に於いて明白に「震」と言ふ、且明々に四・五の兩爻を以て震と爲す、此に由りて知るべし其餘の各處は皆半象を用ゐる。尚氏は全書の收尾の處に於いて特に此の點を拈出すは、彼の《易》を解するの根本方法を總結せむと欲す:象若し本卦の裡に尋ね得ざれば、則ち當に半象と應爻の上に到りて求むべし、而して卦卦變の裡に向かひて硬く湊るべからず。
易林本之,於觀之既濟云「班馬還師」,震之即濟云「齒齒(右間)齒齒(上契無大)」,兌之既濟云「積石為山」,旅之既濟云「逐鹿南山」,恆之既濟云「三嫗治民」,是皆於既濟取震馬震鹿巽嫗兌齒艮山象。又謙之未濟「千柱百梁」,是以艮為樑柱,未濟三艮形,故曰千柱百梁。又渙之未濟「三虎上山」,亦以三艮為三虎。又蹇之未濟云「一口三舌」,亦以重兌為三舌。凡易林取象,無不本於易。
《焦氏易林》は正にこの方法に本づく:觀之既濟は「班馬還師」と言ひ、震之既濟は「齗齗齒齒」と言ひ、兌之既濟は「積石爲山」と言ひ、旅之既濟は「逐鹿南山」と言ひ、恒之既濟は「三嫗治民」と言ふ——これらは皆《既濟》卦の上に於いて分かれて震馬、震鹿、巽嫗、兌齒、艮山の象を取る。又た謙之未濟は「千柱百梁」と言ふ、艮を以て梁柱と爲す、《未濟》に三個の艮形あれば、故に千柱百梁と言ふ。渙之未濟は「三虎上山」と言ふ、亦た三艮を以て三虎と爲す。蹇之未濟は「一口三舌」と言ふ、亦た重兌を以て三舌と爲す。凡そ《易林》の取象は、一處も《周易》に本づかざるなし。謂はゆる「半象」とは、兩爻已に某卦の半を具ふれば、便ち該の卦の象を取るべし。尚氏が一連に六條の林辭を擧出すは、焦延壽が確かに此の取象の法を通曉して沿用するを證明せむと欲す。
此用半象,必有所受之,而其詳不傳。由是證施孟梁丘三家易學,其取象皆尚有極繁瑣之口傳。徒以古人尚質,竹書艱難,其所為易傳,皆疏其大義,而不詳其煩瑣,致使象數之細微,皆存之口授,不著竹帛,以傷其方雅。故漢時學易者必有師,非重師,重口授也。口授一絕,後人雖欲知而莫由。幸焦氏易林未亡,吾人可按其辭,抽繹墜象,使易之晦辭,得以復明;易之誤解,俾以復正。不然且終古長夜矣。
焦延壽が半象を此の如く用ゐるは、必ず師承する所有る、ただ其中の細節は流傳せず。此に由りて證明すべし、施讐・孟喜・梁丘賀の三家の易學は、取象の方面に於いて皆還た極めて繁瑣の口傳を保存す。ただ古人は質樸を崇尚し、竹簡は書寫艱難、彼らの作る易傳は皆ただ大義を疏通して、繁瑣の處を詳載せず、以致象數の細微の處は全く口耳相授に靠り、竹帛に著さず、かえってそれを湮沒不彰ならしめたり。だから漢代に《易》を學ぶは必ず師承あらざるべからず、並びに老師この名分を看重するに非ず、而して口授を看重す。口授は一たび斷絶せば、後人は縱令知らむと欲すも知るに由なし。所幸なるは《焦氏易林》は亡佚せず、我らはその林辭に依據して、これらの墜失せる卦象を抽繹し出でて、《周易》の晦澀の辭句をして重ねて明白を得せしめ、《周易》の誤解せらるるの處をして重ねて正解に歸せしむべし。然らざれば、則ち永遠に長夜の中に陷らむ。
上經終坎離,坎中爻震艮,離中爻巽兌,是舉坎離而六子具也。下經終既未濟,乾坤具備,而即濟一陽一陰,則震兌也;未濟一陰一陽,則艮巽也,是舉坎離而八卦備也,故以為六十四卦之殿。其卦既無所不包,其象遂父母與六子俱備,故易與易林,於既未濟取象獨不同歟。
《上經》は《坎》《離》の兩卦を以て結びと爲す:坎の中間幾爻は震と艮とを含み、離の中間幾爻は巽と兌とを含む、見るに坎離を擧出せば、六個の子卦は便ち皆齊備す。《下經》は《既濟》《未濟》を以て結びと爲す:乾坤の兩體は已然具備し、而して《既濟》の一陽一陰の處は卽ち震と兌、《未濟》の一陰一陽の處は卽ち艮と巽、見るに坎離を擧出せば、八卦は便ち皆齊備す、故にそれらを用ゐて六十四卦の壓軸と爲す。此の兩卦は既に包まざる所なし、それらの象も亦た父母卦と六子卦とは一應俱全す、これ大概《周易》と《焦氏易林》が《既濟》《未濟》の上に於いて取象の格外に衆と異なるの緣故か。
周易尚氏學卷十八
繫辭上傳
繫辭噓吸經髓,摯舉無神,其難解蓋過於經。大抵深於易理者,望而知其所謂;易理不精者,愈讀註釋,愈不得要領。漢注皆以象,宋注皆以理。然辭有明指卦象者,離象而演空理則非矣;有泛言易理者,求解而必於卦象則執矣。茲擇其可解者略說之,其語意崑崙不易知者,則闕。
《繫辭》が吞吐吸納するは全經の精髓、綱領を提挈して形跡に落ちず、その難懂の程度は大概還た經文本身を超過す。大體に言へば、易理を鑽研して深き人は、一たび見れば便ちそれが何を講ずるかを明白す。易理の功夫が到家ならざる人は、注解を讀むほど、愈々要領を捉へる能はず。漢人の注は一概に卦象より入手し、宋人の注は一概に義理より入手す。然るに《繫辭》の文句は、或は明白白白として卦象を指して説く、象を撇きて義理を空談すれば便ち錯る。或はただ泛泛として易理を講ず、非要に卦象の上に坐實せむとすれば又た拘泥に過ぐ。ここはただあの講じ明白すべきを挑んで略々解説し、凡そ語意が渾淪として崑崙一片の如く、脈絡を看清し易からざるは、則ち疑を存して論ぜず。
天尊地卑,乾坤定矣。率高以陳,貴賤位矣。動靜有常,剛柔斷矣。首二句言聖人仰觀天,俯察地,因其尊卑而定乾坤二象。三四二句,言乾位南,坤位北,高卑不同,而貴賤以分也。動者乾之常,靜者坤之常,因其動靜之跡,而識其剛柔之性也。
天は上に在りて尊く、地は下に在りて卑し、「乾」「坤」の兩卦の地位は此に由りて確定す。高低は依次に陳列し、貴賤の等次は此に由りて排定す。一動一靜は各常度あり、「剛」「柔」の兩種の性質は此に由りて判然分明す。開頭の兩句は、聖人が頭を擧げて天象を觀察し、頭を低れて地形を考察し、天尊地卑の分別に依照して、乾・坤の此の兩個の最根本の卦象を確定したるを言ふ。第三・四の兩句は、乾は南方に居り坤は北方に居り、一高一低にして位置同じからず、尊卑貴賤も亦た之に隨りて分かる。運行不息は乾の常態、凝然として動かずは坤の常態、聖人は此の一動一靜の跡象の上より、剛と柔との此の兩種の性情を認出したり。
方以類聚,物以群分,吉凶生矣。方,九家云,道也,所也。方以類聚,言萬物能聚於一方者,以各從其類也。陰陽遇方為類。頤六二象曰行失類,言陰不遇陽也。坤傳曰西南得朋,乃與類行。中率六四曰絕類上,言陰遇陽也。陰陽通為類,類則聚,聚則和合而吉矣。物者陰物陽物,純陽或純陰為群。乾曰見群龍無首,以純陽為群。否二象曰不亂群,以純陰為群。純陽純陰則不交而陰陽分,分則類離,離則凶矣。九家注死生之說云,陰陽合則生,離則死。自類字失詁,舊解皆不知吉凶之故何在,可喟也。
事物は同類に依りて一處に聚まり、物件は群體に依りて分かる、吉凶は便ち此處より生ず。「方」字は《九家易》に「道」と訓し、又た「處所」と訓ず。謂はゆる「方以類聚」とは、萬物の能く同一處に聚まる所以は、各自その同類に跟隨すればなりを言ふ。陰爻と陽爻とが相遇して、始めて「類」と稱するに足る。《頤》卦六二の《象傳》は「行失類也」と言ふ、講ずる所は陰爻の前に陽爻に遇はざるを講ず。《坤》卦《彖傳》は「西南得朋、乃與類行」と言ひ、《中孚》六四は「絕類上」と言ふ、講ずる所は皆陰爻が陽爻に遇ふを講ず。見るに陰と陽と相通じて始めて「類」を成す。陰と陽と各自成堆せば、便ち交感する能はず、陰陽分離す。分離すれば則ち同類離散し、離散すれば便ち凶なり。《九家易》が「死生之説」を注する時に講ず:陰陽交合すれば卽ち生あり、陰陽分離すれば卽ち死あり。「類」字の訓詁が失傳してより、舊日の解釋は皆吉凶の根源が究竟何處に在るかを弄清す能はず、實に歎くべし。
在天成象,在地成形,變化見矣。太玄玄離(左手)云,日一南而萬物死,日一北而萬物生,斗一北而萬物虛,斗一南而萬物盈。按日月星斗天之象,象一轉移,則萬物隨以生死,而變化之形,應於地上。以上數者,皆易之原理也。
天上に於いて日月星辰の「象」を結成し、地上に於いて山川動植の「形」に凝成す、變化は便ち此に由りて顯現す。揚雄《太玄・玄摛》曰く:太陽が一たび南方に到れば、萬物は便ち凋零死す。太陽が一たび北方に到れば、萬物は便ち萌動して生ず。北斗の斗柄が一たび北を指せば、萬物は便ち空虚す。斗柄が一たび南を指せば、萬物は便ち充盈す。按ずるに日月星斗は皆天上の「象」、天象が一たび轉移すれば、地上の萬物は便ち之に跟ひて生生死死す、變化の形跡は全部大地の上に應驗す。以上の此の幾條は、皆《周易》の最根本の原理なり。
是故剛柔相摩,八卦相蕩。摩即交也。乾坤初爻摩成震巽,中爻摩成坎離,上爻摩成良兌,而六於以生,八卦全矣。八卦以一卦蕩八卦,而六十四卦備矣。蕩猶推也。不曰重而回蕩者,言以一卦加於此卦,復加於彼卦,有類於推蕩也。摩虞翻訓薄,薄即交也。
だから剛と柔とは互相摩蕩し、八卦は互相推蕩す。「摩」は卽ち交合。乾・坤の兩卦は初爻が互交して、震と巽とを生成す。中爻が互交して、坎と離とを生成す。上爻が互交して、艮と兌とを生成す、六個の子卦は此に由りて產生し、八卦は便ち齊全す。再び八卦の中の每一卦を把って其餘の八卦を推蕩せば、六十四卦は便ち完備す。「蕩」の意思は「推」に近し。此處に「重卦」と言はずして「蕩」と言ふは、同一個の卦を把って此の卦の上に加へ、又た彼の卦の上に加ふるに、甚だ來回推移するの樣子に似ればなり。「摩」字は虞翻は「薄」と訓す、「薄」は卽ち迫近交合の意思。
鼓之以雷霆,潤之以風雨,日月運行,一寒一暑。雷出自地,陽自下出上,故震為雷。覆之則陽在上為艮,霆自上下擊,故艮為霆。自晉宋以來,有以霆為電者,後焦循等從之,以霆為離象。豈知此四句,言六子之用,以霆為離,則與下日象復,而六子不全。故霆為電,於字畫雖有本,而在此則非也。雷霆鳴而草木甲訴,故曰鼓。陰在下為巽風,覆之則陰在上為兌雨,自上下降者也。為風則東風解凍,為雨則草木華滋,故曰潤。日南至,月北至則寒;日北至,月南至則暑。坎月離日,對象也;震艮同體,兌巽同體,正覆象也。
雷霆を用ゐて萬物を鼓動し、風雨を用ゐて萬物を滋潤し、日月は運轉息まず、一寒一暑は交替往復す。雷は地下より發する所、陽氣は下より上に向かひて昇る、故に「震」は雷を取象と爲す。震卦を倒して、陽爻が上に居れば便ち「艮」と成り、霆は上より下に向かひて劈擊す、故に「艮」は霆を取象と爲す。晉・宋より來りて人ありて「霆」を電に解し、後に焦循等が此の説に跟從し、ここに於いて霆を「離」の卦象に算ふ。彼らは思ひ到らず、此の四句の講ずる所は正に震・巽・坎・離・艮・兌の此の「六子卦」の各自の功用。若し霆を離に算へば、便ち下文の「日」象と重複し、六子は反って湊らざるに至る。雨は草木を繁茂せしむ、故に「潤」と言ふ。太陽が南行して極處に至り、月亮が北行して極處に至れば便ち寒冬。太陽が北行して極處に至り、月亮が南行して極處に至れば便ち盛暑。坎は月、離は日、これは一對の「對象」。震と艮とは同じく一體より出で、兌と巽とは同じく一體より出づ、これは「正覆象」。
乾道成男,坤道成女,乾知大始,坤作成物。乾以初爻交坤成震,中爻交坤成坎,上爻交坤成艮,以生三男,故曰成男。坤以初爻交乾成巽,中爻交乾成離,上爻交乾成兌,以生三女,故曰成女。大始謂萬物資始,成物謂萬物資生。作虞姚作化,姚云,宜作作,故從孔本。
乾の法則は男性を造就し、坤の法則は女性を造就す。乾は萬物の開端を主管し、坤は萬物を養育して形を成すを負責す。乾は初爻を用ゐて坤に交はり、震と爲る。中爻を用ゐて坤に交はり、坎と爲る。上爻を用ゐて坤に交はり、艮と爲る、此に由りて三個の男卦を生出す、故に「成男」と言ふ。坤は初爻を用ゐて乾に交はり、巽と爲る。中爻を用ゐて乾に交はり、離と爲る。上爻を用ゐて乾に交はり、兌と爲る、此に由りて三個の女卦を生出す、故に「成女」と言ふ。「大始」は卽ち《乾・彖傳》の謂ふ所の「萬物資始」、「成物」は卽ち《坤・彖傳》の謂ふ所の「萬物資生」。「作」字は虞翻本・姚信本は皆「化」と寫し、而して姚信は自ら又た當に「作」と作すべしと言ふ、故にここは孔穎達の據る所の本子に依從す。
乾以易知,坤以簡能。易則易知,簡則易從。易知則有親,易從則有功。有親則可久,在有功則可大。可夫則賢人之德,可大則賢人之業。易簡而天下之理得矣。天下之理得,而易成位乎其中矣。釋文云,馬王肅作而易成位乎其中,他本皆無易字,茲從馬王肅本。此言乾坤之德,純一不雜,易知易從也。乾之德剛健純粹,施仁育物而已,故曰易。坤之德收嗇閉藏,順陽成事而已,故曰簡。
乾は平易の方式を以て開創を主持し、坤は簡約の方式を以て成就を承載す。平易なれば容易に認識せられ、簡約なれば容易に遵循せらる。認識し易ければ人の親附あり、遵循し易ければ功業を建立する能し。人の親附あれば能く長久し、功業を建つれば能く廣大す。長久すべければ便ち賢人の德行、廣大すべければ便ち賢人の事業。「易」與「簡」を掌握せば、天下の道理は便ち皆把握せらる。天下の道理皆把握せらるれば、《周易》も亦た天地之間に於いて自己の位置を確立す。陸德明《經典釋文》曰く、馬融本・王肅本は「而易成位乎其中」と作し、其他の各本は皆「易」字なし、故に馬・王の兩家の本子に從ふ。此の一段は乾坤の德性が純一にして駁雜ならざるを説く、故に容易に認識せられ容易に遵行せらる。乾の德性は剛健純粹、ただ生機を施與し萬物を化育するのみ、故に「易」と曰ふ。坤の德性は收斂閉藏、ただ陽氣を順承して事情を做成するのみ、故に「簡」と曰ふ。
聖人設卦觀象,繫辭焉而明吉凶,剛柔相推而生變化。古聖人仰觀俯察,象萬物萬事而畫卦,是卦者象也。故韓宣子適魯,不曰見周易,而曰易象,誠以象者易之本。伏羲既畫卦以象萬物,文王遂觀象而繫易辭,是易辭皆由象生。象而吉則辭吉,象而凶則辭凶,辭有吉凶,皆象之所命,聖人只明之而已。然則學易者,不先明卦象,而欲通其辭,是猶論布帛之良苦,而不知其質為絲桌也,可乎。乃自王弼掃象,演空理,唐宋諸儒,以其易而從之,易學遂亡矣。范寧謂其罪浮桀紂,彼實有所見,非故為苛論也。剛柔相推而生變化,如消息卦互相推蕩是也。以卦變爻變言者,失之遠矣。
聖人は卦體を設立し卦象を觀察し、卦爻の下に文辭を繫げて以て吉凶を指明す、剛柔の兩種の爻は互相推移して變化を產生す。上古の聖人は上に天文を觀、下に地理を察し、萬事萬物の形態を摹擬して卦を畫き出す、見るに卦は本身卽ち「象」。だから春秋の時、晉國の韓宣子は魯國に到りて、自己が《周易》を見たと言はず、而して「易象」を見たと言ふ、正に象のみが《周易》の根本なればなり。伏羲は既に卦を畫きて以て萬物を摹擬し、文王は便ちこれらの象を觀察して卦爻辞を繫ぐ、見るに《周易》の文辭は全く象の裡より生出す。象吉なれば則ち辞吉、象凶なれば則ち辞凶。辞の吉凶は全く象に由りて來る。而して王弼の流がして之に追隨す、象數の學は此に從りて斷絶す。晉人の范寧は王弼の罪過は桀・紂を超過すと言ふ、彼は確かに要害を見たり、並びに故意に苛刻の話を言ふに非ず。至りて「剛柔相推而生變化」は、指す所は十二消息卦の彼此推蕩。あの「卦變」「爻變」を用ゐて解釋するは、本意より離れて太だ遠し。
是故吉凶者,失得之象也;悔吝者,憂虞之象也;變化者,戀之象也;剛柔者,晝夜之象也。六支之動,三極之道也。吉則得,凶則失。知悔吝則知憂虞,知憂虞則可趨吉避凶。陽生於復,進而推陰,則萬物化生;陰生於振,退而消陽,則萬物變死。乾剛坤柔,乾大明,晝;坤黑,夜。說文,極棟也;逸雅,棟中也。陸續曰,初四下極,二五中極,三上上極。按初四即地極,二五即人極,三上即天極,故鄭注云,三極三才也。蓋陰陽者,天之極;剛柔者地之極;仁義者人之極。六爻之動,以此為法,隨時通變,不偏不畸,胥合乎中,故曰三極。
だから「吉凶」は得と失との象徵、「悔吝」は憂愁戒懼の象徵、「變化」は進退往復の象徵、「剛柔」は白晝と黑夜との象徵。六爻の變動は、體現する所は天・地・人の「三極」の道。吉は卽ち得る所有り、凶は卽ち失ふ所有り。悔吝を懂れば、便ち憂慮戒懼を懂り、憂慮戒懼を懂れば、便ち吉に趨き凶を避くる能ふ。陽氣は《復》卦より萌生を始め、前に向かひて推進して陰氣を排開す、ここに於いて萬物は化育生長す。陰氣は《姤》卦より萌生を始め、後に向かひて退縮して陽氣を消損す、ここに於いて萬物は變に由りて死す。乾は性剛、坤は性柔。乾は光明にして晝、坤は幽暗にして夜。一・二は地極、三・四は人極……いや——初・二は地極、三・四は人極、五・上は天極とすべし——按ずるに初・二は地極、三・四は人極、五・上は天極、故に鄭玄の注は「三極」は卽ち「三才」と言ふ。大致に言へば、陰陽は天の極則、剛柔は地の極則、仁義は人の極則。六爻の變動は皆此を以て準と爲し、時に隨りて通權達變して偏斜畸重せず、全部中道に合す、故に「三極」と曰ふ。
是故君子所居而安者,易之序也;所樂而玩者,艾之辭也。是故君子居則觀其象而玩其辭,動則觀其變而玩其占,是以自天佑之,吉無不利。居安觀象,靜也。觀象玩辭,玩象辭也,所謂七八占象也。若爻動則為九六,九六觀變,而玩其爻辭以為占,故無不利也。
だから君子が平居して能く安身立命するは、《周易》の顯示する次序なり。樂しみて反復玩味する所は、爻辞なり。故に君子は閒居すれば便ち卦象を觀察して卦辞を玩味し、行動する所有れば便ち爻變を觀察して占斷を玩味す、故に能く上天の保佑を得て、吉祥にして利ならざる所なし。安居して象を觀るは、説く所は靜の一面。象を觀て辞を玩むは、玩味する所は卦象と彖辞、卽ち七・八の此の兩個の不變の數を用ゐて卦象を占すを謂ふ。若し爻が變動を發せば、便ち九と六と成る。九・六を得れば便ちその變化を觀察し、彼の一爻の爻辞を玩味して以て占斷を作す、故に利ならざる所なしと言ふ。
彖者言乎象者也,支者言乎變者也。吉凶者言乎其失得也,悔吝者言乎其小疵也,無咎者善補過也。是故列貴賤者存乎位,齊小大者存乎卦,辨吉凶者存乎辭,憂悔吝者存乎介,震無咎者存乎悔。是故卦有小大,辭有險易,辭也者,各指其所之。七八不變,故占彖;九六變,故占爻。吉則得,凶則失。疵,病也。凡言無咎者,原有咎也,知悔而改,則無咎矣,故日善補過。五乾位,君南面位貴;二坤位,臣北面位賤。齊,正也。陽卦大,陰卦小,卦列則大小分。例如泰小往大來,為大卦;否大往小來為小卦也。又全經陽爻一百九十二,陰爻亦一百九十二,陰陽齊等,毫無偏畸也。介音戛,介者觸也,豫六二云,介于石是也,謂心有所感觸而憂懼,能憂懼悔吝自能免也。震,懼也,棋則侮,悔則無咎。吉則辭易,凶則辭險。之,往也。
「彖辞」は整卦の象を講ず、「爻辞」は爻位の變動を講ず。「吉凶」は得失を講じ、「悔吝」は小毛病を講じ、「无咎」は善く過失を彌補するを説く。だから貴賤を排列するの關鍵は爻位に在り、大小を端正するの關鍵は卦體に在り、吉凶を分辨するの關鍵は文辭に在り、悔吝を憂懼するの關鍵は「介」に在り、能く震動戒懼して災禍を免るるの關鍵は悔を知るに在り。だから卦に大小あり、辞に險易あり。謂はゆる文辭は、各自その往く所の方向を指明す。七・八の數を得れば變せず、故に彖辞を占す。九・六の數を得れば變ずるを要す、故に爻辞を占す。吉は卽ち得る所有り、凶は卽ち失ふ所有り。偏側なし。「介」は戛と讀み、觸動の意思、《豫》卦六二の「介于石」は正に此の意、心裡に觸動する所有りて憂懼を生ずを指す。能く憂懼すれば、悔吝は自然免るべし。「震」は戒懼、戒懼すれば則ち悔を知り、悔を知れば災禍なし。吉の辞句は平易、凶の辞句は險峻。「之」は往。
辭也者各指其所之,言凡易辭,皆視其爻之所往,而定吉凶也。此有二義。一,初之四,二之五,三之上,其爻在此,而其辭往往指應爻,應爻即所之。例如蒙六三曰見金夫不有躬,指上爻象也;泰九二曰朋亡得尚于中行,指六五言。有應故所之皆利,無應則不利也。又幾言志在外、志在內者,亦指所之也。
「辞也者各指其所之」とは、凡そ《周易》の文辭は、皆彼の一爻の往く所の方向を看て、據りて以て吉凶を判定すを言ふ。ここは兩層の意思を包含す。第一層:初爻は四爻に往き、二爻は五爻に往き、三爻は上爻に往く。爻は此の位に在ると雖も、その辞は往往之と相應する彼の一爻を指して言ふ、應爻は卽ちそれの「所往」の地方。譬へば《蒙》卦六三は「見金夫、不有躬」と言ふ、指す所は上九の一爻の象。《泰》卦九二は「朋亡、得尚于中行」と言ふ、指す所は六五。應爻あれば、所往は便ち皆利あり。應爻なければ、所往は便ち利ならず。此外凡そ「志在外」と言ふ等は皆然り。
二,凡爻之所比,得類失類,所關最大。例如頤六二,前遇重陰,象傳曰行失類也;中孚六三,前亦遇陰,爻辭曰得敵,皆以陰遇陰為敵,為失類,故所之不利也。又鼎九二曰慎所之,革九三曰征凶又何之矣,皆以陽遇陽,敵剛,所之不利。繫辭指出,故曰各指其所之,餘卦類推。其第一義虞翻不知,而誤解。朱震又謂之為之卦,後獨焦循知之。其第二義訖無知者,教失類慎所之各辭,解無不誤,於是此句亦鮮得解矣。
第二層:凡そ某一爻の緊挨する鄰爻は、同類を得るか同類を失ふか、關係は最も重大。譬へば《頤》卦六二は、前に連ねて陰爻に遇ふ、《象傳》は便ち「行失類也」と言ふ。《中孚》六三は、前も亦た陰爻に遇ふ、爻辞は便ち「得敵」と言ふ。これは皆陰爻の陰爻に遇ふを樹敵と看做し、失類と看做す、故に所往は利ならず。又た如し《鼎》卦九二は「愼所之」と言ひ、《革》卦九三は「征凶」「又何之矣」と言ふ、皆是れ陽爻の陽爻に遇ひ、剛と爲に敵す、所往は利ならず。《繫辭》は此の一層を點し出す、故に「各指其所之」と言ふ、其餘の各卦は此に照らして類推すべし。
易與天地準,故能彌綸天地之道。仰以現於天文,俯以察於地理,是故知幽明之故。原始反終,故知死生之說。精氣為物,游魂為變,是故知鬼神之情狀。準同也。彌綸包絡也。幽明即陰陽。乾始於坎終於離,坤始於離終於坎,故云原始反終。始終即生死。九家云,陰陽合則生,離則死,故知死生之說。宋衷云,說舍也,蓋讀如召南召怕所說之說。鄭云,精氣謂七八,游魂謂九六。七八木火之數,九六金水之數,木火用事而物生,故曰精氣為物;金水用事而物變,故曰游魂為變。按七八生,神也;九六死,鬼也。精氣謂之神,物生所信也;游魂謂之鬼,物終所歸也。言木火之神,生物東南;金水之神,終物西北。知其情狀,故不違。
《周易》は天地と齊等し、故に能く天地の道を包羅貫通す。頭を擡げて天文を觀察し、頭を低れて地理を考察す、故に幽暗と顯明との緣由を懂得す。萬物の開端を推究し、その終結を反溯す、故に生死の道理を懂得す。精氣は凝聚して形體と爲り、魂氣は游散して變化を造成す、故に鬼神の實情を懂得す。「准」は齊等、「彌綸」は包裹纏絡。「幽明」は卽ち陰陽。乾は坎位より始めて離位に至りて終結し、坤は離位より始めて坎位に至りて終結す、故に「原始反終」と言ふ。始終は亦た卽ち生死。《九家易》曰く:陰陽交合すれば卽ち生あり、陰陽分離すれば卽ち死あり。七・八は生を主り、神に屬す。九・六は死を主り、鬼に屬す。精氣を神と曰ふ、萬物の生長の依託する所。游魂を鬼と曰ふ、萬物の終了の歸宿する所。これは木火の神が東南方に於いて萬物を生養し、金水の神が西北方に於いて萬物を終結すを説く。鬼神の此の種の實情を懂得せば、行事は自然天道に違逆せず。
與天地相似,故不違。知周乎萬物而道濟天下,故不過。旁行而不流,樂天知命故不憂。安土敦乎仁故能愛。範圍天地之化而不過,曲成萬物而不遺,通乎晝夜之道而知,故神無方而易無體。八卦盡萬物之象,故曰知周萬物。過差也。旁行九家謂指六日七分圖,以一爻值一日,一月值五卦,至歲終而周合無餘,故曰不流。流溢也。凡物皆生於二氣之中,故曰曲成萬物而不遺。乾大明晝,坤蕃閉夜,無方無體,謂周遍也。
《周易》は天地と相似す、故に天地の道に違背せず。その智慧は萬物に遍及してその道は以て天下を濟助するに足り、故に偏差あることなし。四方に旁通して泛濫せず、天を樂み命を知りて故に憂懼する所なし。處する所に安んじて仁に敦厚なり、故に能く人を愛す。それは天地の造化を包擧して差錯を出さず、萬物の情を曲盡して一の遺漏もなく、晝夜幽明の道を通曉して一切を洞明す、故に神妙にして固定の方所なく、《易》道は固定の形體なし。八卦は已に萬物の象を窮盡す、故に「知周萬物」と言ふ。「過」は差錯。「旁行」の一語は、《九家易》は「六日七分」の卦氣を指すと認む——一爻は一日に值り、一個月は五卦に值り、年終に到れば恰好周に合して餘數なし、故に「不流」と言ふ。「流」は漫溢。凡そ物は皆陰陽の二氣の中に生ず、故に「曲成萬物而不遺」と言ふ。乾は光明にして晝、坤は閉藏にして夜。それを方所なし形體なしと言ふは、それの遍ならざる所なきを形容す。
一陰一陽之謂道,繼之者善也,成之者性也。仁者見之謂之仁,知者見之謂之知,百姓日用而不知,故君子之道鮮矣。顯諸仁,藏儲用,鼓萬物而不與聖人同優,盛德大業至矣哉。富有之謂大業,日新之謂盛德,生生之謂易,成象之謂乾,效法之謂坤,極數知來之謂占,通變之謂事,陰陽不測之謂神。道無他,即一陰一陽也。繼統也。乾統天生物,故曰善;坤傾乾成物,故曰性。仁者見道,謂道為仁;知者見道,謂道為知,不免有偏。百姓顓蒙,日由其道,而不知其所以然,故能體君子之道者甚少也。道難見,見諸生物,故日顯諸仁;然不見其作為,故曰藏儲用。聖人成務故憂天下,若陰陽造化,鼓鑄萬物,無聲無臭,無方無體,故不與聖人同憂。
一陰一陽は交替運行してこれを「道」と曰ふ、それを秉承するは善、それを成就するは性。仁者はその中より仁を見、智者はその中より智を見、百姓は天天それを用ゐて卻って毫も自覺せず、故に真に君子の道を體會する人は少なし。道は萬物を生養する仁德の上に顯現し、又た自己の功用の背後に隱藏す。それは萬物を鼓動して聖人の如く憂患を懷くに似ず、此の如き盛德大業は真に極點に到れり。一切を富有するを大業と曰ひ、日日更新するを盛德と曰ひ、生生不已するを《易》と曰ひ、形象に凝成するを乾と曰ひ、乾を效法して承載するを坤と曰ひ、蓍數を窮盡して未來を豫知するを占と曰ひ、變化を通曉して施行するを事と曰ふ。それは自身は見ること難く、ただその萬物を生養する處より見るのみ、故に「顯諸仁」と言ふ。然るに又たそれが何らの作爲あるを看出す能はず、故に「藏諸用」と言ふ。聖人は事功を成就せんと欲す、故に天下の爲に憂慮す。至りて陰陽の造化は萬物を陶鑄し、聲臭なく方體なし、故に聖人と同じく憂患を懷かず。
盛德謂天,大業謂地。物無不備,故曰富有;變化不息,故曰日新。陽極生陰,陰極生陽,轉相生,故曰生生之謂易。乾三畫象三才,故曰成象;坤效乾而兩之,故曰效法。生數極於五,成數極於十,故大衍之數五十。及其揲著也,只用四十有九,參天兩地,循環往復,然後得此七九八六之數,故曰極數。數極然後理盡,理盡然後能知來,占得其吉凶也。陰陽鼓萬物,萬物不覺知,故曰不測,曰神。
「盛德」は天を指し、「大業」は地を指す。萬物は備はらざる所なし、故に「富有」と曰ふ。變化は永く停息せず、故に「日新」と曰ふ。陽は極點に到りて陰を生出し、陰は極點に到りて陽を生出し、輾轉相生す、故に「生生之謂易」と言ふ。乾の三畫は天・地・人の三才を摹擬す、故に「成象」と曰ふ。坤は乾を效法して每一畫を兩半に分つ、故に「效法」と曰ふ。生數は五を以て極と爲し、成數は十を以て極と爲す、故に「大衍之數」は五十と定まる。實際に蓍を揲する時に到りてはただ四十九根を用ゐるのみ、「參天兩地」を取法し、循環往復して推演して、然る後に始めて七・九・八・六の此の幾個の數を求得す、故に「極數」と曰ふ。數は極處に推して、理は始めて窮盡す。理窮盡せば、始めて未來を豫知し、其中の吉凶を占出する能ふ。陰陽は萬物を鼓動す、萬物は卻って毫も覺察せず、故に「不測」と曰ひ「神」と曰ふ。
夫易廣矣大矣,以言乎遠則不御,以言乎邇則靜而正,以言乎天地之間則備矣。夫乾,其靜也專,其動也直,是以大生焉。夫坤,其靜也翕,其動也關,是以廣生焉。廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,易簡之善配至德。遠謂乾天,邇謂坤地。復陽動北,南行推陰,左傳謂之射,故曰其動也直,直故大。垢(左女)陰動下,下虛,虛則能容,故曰其動也闢,闢故廣。乾坤配天地,乾坤交成震兌離坎,故變通配四時。荀爽云,乾舍於離,同日而居;坤舍於坎,同月而居,故陰陽配日月。
《周易》の道は真に廣博宏大なり:その遠に就きて言へば、屆かざる遠なし。その近に就きて言へば、安靜にして端正。天地之間に就きて言へば、備はらざる所なし。乾は靜する時は專一凝定し、動する時は直遂にして回らず、故に「大」を產生す。坤は靜する時は收斂閉合し、動する時は開闢展布す、故に「廣」を產生す。その廣大は天地と相配し、變通は四時と相配し、陰陽の意義は日月と相配し、易簡の善德は至高の德と相配す。「遠」は乾天を指し、「近」は坤地を指す。《復》卦の一陽は北方に於いて發動し、南に向かひて陰氣を推排す、《左傳》は此の種の直行を「射」と稱す、故に「其動也直」と言ふ。下體は虚空、虚空なれば便ち容納する能し、故に「其動也闢」と言ふ、開闢するは故に能く廣なり。乾坤は天地と相配す。乾坤は相交して震・兌・離・坎を生成す、故に變通は四時と相配す。荀爽曰く:乾は離に寄居して太陽と同處し、坤は坎に寄居して月亮と同處す、故に陰陽は日月と相配す。
子曰,易其至矣乎。夫易,聖人所以崇德而廣業也。知崇禮卑,崇效天,卑法地。天地設位,而易行乎其中矣。成性存存,道義之斗。知謂乾效天崇,禮謂坤法地卑。上天下地中間人,故易行乎其中。乾為道,坤為義,出乾人坤,故道義為乾坤之門戶。乾成始,坤成終,成之者性也,往來循環,無或間斷,故曰成性存存。
孔子曰く:《周易》は大概至高無上ならむ。《周易》は聖人が以て德行を提高し事業を擴大する所。智慧は崇高を要し、禮節は謙卑を要す。崇高は天に取法し、謙卑は地に取法す。天地の上下の位置が一たび確定せば、《易》道は便ちその中に於いて運行す。本性を成就して保存して失はず、これ正に道義の門戶。「知」は乾が天に效法して崇高なるを指し、「禮」は坤が地に效法して卑下なるを指す。上は天、下は地、中間は人、故に《易》道は便ちその中に於いて運行す。乾は道、坤は義。乾より出でて坤の中に入る、故に道義は正に乾坤の門戶。乾は萬物の開端を成就し、坤は萬物の終結を成就す、「成之者性也」、往來循環して一刻の間斷もなし、故に「成性存存」と言ふ。
聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其曲禮,緊辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。言天下之至賾而不可亂也,言天下之至動而不可亂也。擬之而後言,議之而後動,擬議以成其變化。
聖人は天下の最も繁雜の事物を見るに辦法あり、ここに於いてそれらの形狀容貌を摹擬し、それらの各自相宜の物類を象徵す、故にそれを「象」と曰ふ。聖人は天下萬事の變動を見るに辦法あり、ここに於いて其中の會合貫通の處を觀察し、據りて以て典章禮制を推行し、又た文辭を繫げて以て吉凶を判斷す、故にそれを「爻」と曰ふ。それは天下の最も繁雜の事物を説き盡して雜亂を顯はさず、天下の最も紛紜の變動を説き盡して錯亂を顯はさず。先ず摹擬して然る後に口を開き、先ず審議して然る後に行動す、摹擬審議に靠りて以て彼の千變萬化を成就す。
議之而後動,釋文鄭姚桓玄荀柔之皆作儀之。按釋名,儀宜也。漢書外戚傳,皆心儀霍將軍女,作儀義味實深長。但下文云擬議以成其變化,承上文言,鄭玄等上作儀,下又作議,非。又按惡荀讀作亞,亞次也。按惡亞古同字,史記廬絡傳孫綰他人,封為亞谷侯,漢書作惡谷。又語林,有得漢印者,文曰周惡夫,劉原父謂即周亞夫印。而噴與賾通。左傳定四年,會同難,噴有煩言,注噴至也,疏至於會時,有煩亂忿爭之言,然則噴有煩亂意。言天下之至噴而不可亞者,即言天下之物,至為繁賾雜亂,而難以次第也。
「議之而后動」の一句は、《經典釋文》曰く鄭玄・姚信・桓玄・荀柔之の各本は皆「儀之」と寫す。按ずるに《釋名》曰く「儀」は卽ち「宜」。《漢書・外戚傳》に「皆心儀霍將軍女」の説法あり、「儀」と寫れば意味は確かに更に深長。但し下文は「擬議以成其變化」と言ふ、上文を承接して言ふ、鄭玄等は上句に「儀」を作し下句に又た「議」を作す、前後一ならず、對らず。又た按ずるに「惡」字は荀爽は「亞」と讀む、「亞」は次第の意思。「惡」「亞」の兩字は古時本來一字:《史記・盧綰傳》の中に孫綰が他人を「亞」と封ずる事あり。また盟會の事に「會同難、賾有煩言」と言ふ、杜預の注は「賾」は「至」と言ひ、孔穎達の疏は會盟の時に到れば便ち煩亂忿爭の言語ありと言ふ、見るに「賾」は煩亂の意を含有す。謂はゆる「言天下之至賾而不可亞」とは、卽ち天下の事物は極めて繁雜紛亂にして、一一に次第を排出し難しと言ふ。
鳴鶴在陰,其子和之。我有好爵,吾與爾靡之。子曰,君子居其室,出其言善,則千里之外應之,況其邇者乎。居其實,出其言不善,則千里之外連之,況其邇其手。言出乎身力,乎民。行發乎邇見乎遠。言行君子之樞機,樞機之發,榮辱之主也。言行君子之所以動天地也,可不慎平。中孚二至四互震,震為言為善。三至五震反,若相和答者,故曰應之。震為善,三至五震覆,故曰不善。震覆為艮,正與震相反,故曰違之。艮為裡,震為千萬,故曰千里。艮為君子,一為居為室。樞戶樞也,主閉;機弩牙也,主發動。艮為樞,震為機。
「鳴鶴在陰、其子和之。我有好爵、吾與爾靡之。」孔子曰く:君子は自己の屋裡に住み、説き出す話は若し善なれば、千里之外も皆響應す、何況んや近處の人をや。自己の屋裡に住み、説き出す話は若し善ならざれば、千里之外も皆背離す、何況んや近處の人をや。言語は自身より發して百姓に施加し、行爲は近處より始めて遠方に顯現す。言行は君子の樞機、樞機は一たび發動せば、榮と辱とは便ちそれに由りて決定す。言行は君子が以て天地を感動するもの、何ぞ謹愼せざる能はむや。《中孚》卦の二より四爻は互して「震」を出す、震は言語・善を取象と爲す。三至五爻は覆震、故に「不善」と言ふ。震を倒せば艮と成り、正に震と相反す、故に「違之」と言ふ。艮は鄕里、震は千萬の數、故に「千里」と言ふ。艮は君子、又た居處・屋室。「樞」は門軸、閉合を主管す。「機」は弩牙、發射を主管す。艮は樞、震は機。
同人先號兆(左口)而後笑。子曰,君子之道,或出或處,或默或語。二人同心,其利斷金;同心之言,其臭如蘭。此明同人九五爻辭。同人旁通師,乾為君子為道,故曰君子之道。師震為出,為語;坤為默;同人互巽為處,故曰或出或處,或默或語。九五與六二應,伏坎為心,故曰二人同心。巽為利,乾為金,離斷金,故曰其利斷金。乾為言,巽為奧為蘭,故曰同心之言,其臭如蘭。
「同人先號咷而后笑。」孔子曰く:君子の處世の道路は、或は出仕し、或は退隱し、或は沉默し、或は發言す。兩人同心せば、その鋒利は以て金屬を斬斷するに足り。同心の話語は、氣味芬芳として蘭草の如し。これは《同人》卦九五の爻辞を解釋す。《同人》は《師》卦と旁通し、乾は君子・道、故に「君子之道」と言ふ。《師》卦の中の震は出・言語、坤は沉默、《同人》の互體の巽は退處、故に「或出或處、或默或語」と言ふ。九五は六二と相應し、伏藏の坎は心、故に「二人同心」と言ふ。巽は銳利、乾は金、離は能く金を斷つ、故に「其利斷金」と言ふ。乾は言語、巽は馨香・蘭草、故に「同心之言、其臭如蘭」と言ふ。
初六藉用白茅無咎。子曰,苟錯諸地而可矣,藉之用茅,何咎之有,慎之至也。夫茅之為物薄,而用可重也,慎斯術也以往,其無所失矣。此大過初六爻辭。錯置也。巽為茅,在下故曰錯諸地,曰藉。茅之為物雖薄,然香潔可薦於宗廟,用以縮酒,其重為何如哉。術道也,言持此卑退謹慎之道,則悔吝不生,而無所失也。
「初六、藉用白茅、无咎。」孔子曰く:本來物を地上に放れば便ち行了、還た白茅を用ゐて墊く、何處に過失あらむや。これは謹愼の極點に到れり。茅草の此の物は本身甚だ輕賤、用處は卻って甚だ重大なるべし。此の種の謹愼の道を推行し去れば、何らの閃失あることなからむ。これは《大過》卦初六の爻辞。「錯」は安放。巽は茅草、位は下體に在り、故に「地上に放る」と言ひ「墊く」と言ふ。茅草は輕賤と雖も、卻って芳香潔淨にして、宗廟に進獻すべく、以て酒を濾して滓を去るに用ゐる、その作用は又何等に重要なるや。「術」は卽ち道、此の種の卑退謹愼の態度を抱定して行事すと言ふ、悔吝は便ち產生せず、亦た何らの閃失あることなからむ。
勞謙君子有終吉。子曰,勞而不伐,有功而不德,厚之至也,語以其功下人者也。德言盛,禮言恭,謙也者,致功以存其位者也。釋謙九三爻義。坎為勞,震為言語,為功,艮為位。亢龍有悔。子曰,貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。釋乾上九。
「勞謙、君子有終、吉。」孔子曰く:辛勞して誇耀せず、功あって自らその德に居らず、これは敦厚の極點に到れり、説く所は自己の功勞を把って而して人の下に甘居すを説く。德行に就きては盛大を要し、禮節に就きては恭敬を要す。謂はゆる謙は、功業を做足して又た能く自己の位置を保住す。此の一節は《謙》卦九三の爻義を解釋す。坎は勞苦、震は言語・功業、艮は爵位。「亢龍有悔。」孔子曰く:地位は尊貴にして實職なし、身は高處に居るに百姓なし、賢人は皆下位に在りて輔助する人なし、故に一たび擧動あれば便ち悔を要す。此の一節は《乾》卦上九を解釋す。
不出戶庭,無咎。子曰,亂之所生也,則言語以為階。君不密則失巨,臣不密則失身,凡事不密則害成,是以君子慎密而不出也。節初九爻辭。節二至五亦正反震,故曰言語。而兌為口舌,二至四震言,三至五如言而反,故曰不密。震為君,艮為臣,為身,兌毀折,故曰失,曰害。升九五云升階,以震為階也,故曰言語以為階。艮為慎密。此與上中孚節,皆演正覆象,而注家無知者。
「不出戶庭、无咎。」孔子曰く:禍亂の產生する所以は、言語を把って臺階と爲したればなり。君主は愼密ならざれば臣子を失ひ、臣子は愼密ならざれば性命を丟し、凡事愼密ならざれば禍害を釀成す、故に君子は謹愼緘默して輕易に出口せず。これは《節》卦初九の爻辞。《節》卦の二より五爻は亦た一正一反の兩個の震を構成す、故に「言語」と言ふ。而して兌は口舌、二至四爻は正震にして發言を主り、三至五爻は覆震にして話を説きて又た反悔するが如し、故に「不密」と言ふ。震は君、艮は臣・身、兌は毁折を主る、故に「失」と言ひ「害」と言ふ。《升》卦九五は「升階」と言ふ、正に震を以て臺階と爲す、故にここは「言語以爲階」と言ふ。艮は謹愼緘默。此の一節は上面の《中孚》の彼の一節と、皆正覆象を推演するに在り、而して歷來の注家は一個も懂得するなし。
子曰,作易者其知盜乎。易曰負且乘,致寇至。負也者小人之事也,乘也者君子之器也,小人而乘君子之器,盜思奪之矣。上慢下暴,盜思伐之矣。慢藏誨盜,冶容誨淫。易曰負且來,致寇至,盜之招也。解六三爻辭。坎為盜,為寇;艮為背,故為負;上卦震為覆艮,故曰負。坎為車,六三下據坎,故曰負且乘。古在上之君子,方得乘車,故曰君子之器;若負戴則小人之事也。今而乘車,是君子也,乃又負戴,是以君子而行小人之事,故致寇至。震為言,故曰誨。
孔子曰く:《周易》を作る人は大概盜賊の心理を懂得せむ。《易》は「負且乘、致寇至」と言ふ。東西を背負するは小人の幹る活、車に乘るは君子の用ゐる器具。小人は卻って君子の車に坐上す、盜賊は便ち彼の東西を奪はむと來り想ふ。上位に在るは怠慢、下位に在るは暴戾、盜賊は便ち彼を討伐せむと來り想ふ。財物を收藏して馬虎なれば、人に來りて偷むを教ふるに等し。妖冶に打扮せば、人に來りて淫むを教ふるに等し。《易》は「負且乘、致寇至」と言ふ、正に自己が盜賊を招引す。これは《解》卦六三の爻辞。坎は盜・寇。艮は背、因りて「背負」の象を取る。上卦の震は倒過來の艮、故に「負且乘」。古時はただ上位に居る君子のみ能く車に乘る、故に「君子之器」と言ふ。至りて肩挑背扛は、あれは小人の活計。今既に車に坐せば、卽ち君子たり、卻って又た東西を背負す、これは君子の身分を以て小人の事を幹る、故に盜寇を招來す。震は言語、故に「誨」と言ふ。
於鬯云,招者射之的也。呂氏春秋本生紀云,萬人操弓,共射其一招,高注云,招墩的也。又盡數紀云,射而不中,反攸於招,注,反修其標的,畢校云,招一作的。按的的同,說卦的顙,說文作的顙,是其證。面的古音勺,與招聲近,故通用。盜之招即盜之的,言負且乘與盜以的也。虞翻命二變成艮,取艮手釋招義,非。冶,釋文鄭陸虞姚作野,言妖野容儀。愚謂冶野音義並同,故通用。漢學家必謂野是,非也。
于鬯曰く:「招」は卽ち射箭の靶子。《呂氏春秋・本生》曰く「萬人操弓、共射其一招」、高誘の注は「招」は箭垛靶子と言ふ。《盡數》篇曰く「射而不中、反修于招」、注は回頭して自己の靶子を修正すと言ひ、畢沅の校勘は「招」は或る本子は「的」と作すと言ふ。按ずるに「的」與「馰」は本來一字、《説卦傳》の「的顙」は《説文解字》は「馰顙」と寫す、卽ち明證。「的」字の古音は「勺」の如く讀み、「招」と聲音相近し、故に兩字は通用す。「盜之招」は卽ち「盜之的」、意思は東西を背負して又た車に坐るは、等しく盜賊の爲に靶子を樹立す。艮を以て手と爲して「招」を招手と解釋するは、對らず。「冶」字は《經典釋文》曰く鄭玄・陸績・虞翻・姚信の各本は皆「野」と作し、妖冶野艷の儀容を指す。我は「冶」「野」は音義皆相同じ、故に通用すべしと認む。漢學家は必ず「野」と作して始めて對と言はむと欲す、則ち對らず。
大衍之數五十,其用四十有九。分而為二以象兩,卦一以象三,揲之以四以象四時,歸奇於力力(左手)以象閏,五歲再闖,故再而後卦。此言煤蓍之法,並用數之根本也。凡占必極數,方能知來。五者生數之極,不能再生。又一二三四五五數皆無偶,於是由五加一為六,以與一偶;加二為七,以與二偶;加三為八,以與三偶;加四為九,以與四偶;加五為十,以與五偶。故十者成數之極,不能再加。衍鄭云演也,乾雲合也,蜀才云廣也。五十既為極數,故大衍以此為本也。
「大衍之數」は五十、實際には四十九根の蓍草を使用す。先ず手に随りて兩把に分つ、天地の兩儀を象徵す。其中より一根を取出して掛起す、天地人の三才を象徵す。再び四根四根に數ふ、春夏秋冬の四時を象徵す。數へ剩る零頭を手指の縫間に夾む、閏月を象徵す。五年の中に兩個の閏月あり、故に兩次の夾扐を經過して始めて一爻を畫出す。此の一段は蓍を揲して卦を求むるの方法を講ず、同時に數を用ゐるの根本道理を講ず。凡そ占筮は、必ず數を極處に推して、始めて未來を豫知する能ふ。五は「生數」の頂點、再び上に生ずる能はず。且つ一・二・三・四・五の此の五個の數は皆他の數と相配す——加一して六を得て一と相配し、加二して七を得て二と相配し、加三して八を得て三と相配し、加四して九を得て四と相配し、加五して十を得て五と相配す。だから十は「成數」の頂點、再び加ふる能はず。「衍」字は鄭玄は推演に訓し、干寶は會合に訓し、蜀才は廣大に訓ず。五十は既に極數たれば、故に「大衍」は便ちそれを以て根本と爲す。
太玄玄圖云,一與六共宗,二與七共朋,三與八成友,四與九同道,五與五相守,正五十也。孔子曰五十以學易,正謂此也。然五十居生數成數之極,極則窮故不用之,用五十之次數四九。由四十九方能衍出六七八九,然六七八九之生,仍由於一二三四。虛一用一也,分二用二也,掛一用三也,象四用四也。揲餘不一則二,不三則四,本一二三四,衍出六七八九。而六七八九,無不含五,十仍五也,非果不用也,此所以為大衍也。
揚雄《太玄・玄圖》曰く:一與六は同宗、二與七は朋と爲り、三與八は友を成し、四與九は同道、五與五は相守——これらの數目は合起して正に五十。孔子曰く「五十以學易」、講ずる所は正に此の數。然るに五十は生數與成數の頂點に處り、頂點に到れば便ち窮盡す、故にそれを動用せずして、五十より一位低き四十九を用ゐる。四十九に由りて始めて六・七・八・九を推衍し出づべし。然るに六・七・八・九の產生は、仍舊一・二・三・四に依靠す。一根を空出して用ゐずは、正に「一」を用ゐる。兩把に分つは、正に「二」を用ゐる。一根を掛起すは、正に「三」を用ゐる。四に以て數ふるは、正に「四」を用ゐる。每數へ剩るは一ならざれば卽ち二、三ならざれば卽ち四、一・二・三・四に本づきて、始めて六・七・八・九を推衍し出づ。而して六・七・八・九の裡面は五を含まざるなし、あの「十」は其實還た是れ五、並びに眞に棄置して用ゐざるに非ず。これ卽ち「大衍」の二字の含義。
象兩者天地也。掛一者,別以一策掛於左手之小指。象三者三才也。揲之以四,謂每揲四策,一策象一時也。奇者揲餘之策,虞翻云,不一則二,不三則四也。力(左手)馬云指間,范望云,並之於兩手指間。歸奇於力(左手)者,言將揲左揲右之所餘,並掛一,統歸於兩小指間,以為一力(左手),即一變也。一變既已,將過揲之策合之,如式再分掛諜,併力(左手)之於次小指間,以為二變。二變既已,仍公正策,如式再分掛揲,併力(左手)之於有三指間,閃為三變,故曰再力(左手)。再者相續之詞,至三力(左手)則卦矣,故不言三力(左手)。
「象兩」は天與地とを象徵す。「掛一」は、別に一根の蓍策を取出して左手の小指の上に掛ぐ。「象三」は天・地・人の三才を象徵す。「揲之以四」とは、每次四根四根に數ふるを言ふ、一根は一個の季節を象徵す。「奇」は最後まで數へて剩る策、虞翻曰く:一根ならざれば卽ち兩根、三根ならざれば卽ち四根。「扐」字は馬融は手指の間と言ひ、范望はそれを兩手指の縫裡に並夾すと言ふ。謂はゆる「歸奇于扐」とは、卽ち左手の一堆・右手の一堆の各自數へ剩る零頭を、先前掛起したる彼の一根と連同し、一並びに兩手の小指の間に歸攏し、一「扐」と算す。次小指の間に夾み、二變と算す。二變が完成したる後、仍舊正策を合攏し、同じ樣の方式に照らして再び分け再び掛け再び數へ、零頭を第三根の手指の間に夾めば、便ち三變、故に「再扐」と言ふ。「再」は相續の説法。第三次の夾扐に到れば該當爻を畫くべし、故に「三扐」と言はず。
三變既畢,視每變所餘策數,少則四,多則八。如三變皆少數,則三四十二策,合掛十一策,共十三策,則正策為三十六,四數之得九,賈公彥周禮太卜疏所謂三少為重,為九,為老陽也。如三變比多數,則三八二十四策,合掛一共二十五策,則正策為二十四,四數之得六,賈公彥所謂三多為交,為六,為老陰也。
三變が完畢したる後、每一變の剩する策數を看る:少なきは四根、多きは八根。假令三變が皆少數なれば、卽ち三個の四にして共に十二根、掛起の一根を連同して合計十三根、則ち正策は還た三十六根を剩し、四を用ゐて除せば九を得、これ卽ち賈公彦《周禮・太卜》疏の謂ふ「三少爲重」、九を得るは「老陽」なり。假令三變が皆多數なれば、卽ち三個の八にして共に二十四根、掛起の一根を連同して合計二十五根、則ち正策はただ二十四根を剩し、四を用ゐて除せば六を得、これ卽ち賈公彦の謂ふ「三多爲交」、六を得るは「老陰」なり。
如三變兩多一少,則為二十策,合掛一共二十一策,則正策為二十八,四數之得七,賈公彥所謂兩多一少為單,為七,為少陽也。如三變兩少一多,則十六策,合掛一共十七策,則正策為三個二,四數之得八,賈公彥所謂兩少一多為拆,為八,為少陰也。
假令三變の中、兩次多く一次少なければ、剩策は共に二十根、掛起の一根を連同して合計二十一根、則ち正策は還た二十八根を剩し、四を用ゐて除せば七を得、これ卽ち賈公彦の謂ふ「兩多一少爲單」、七を得るは「少陽」なり。假令三變の中、兩次少なく一次多ければ、剩策は共に十六根、掛起の一根を連同して合計十七根、則ち正策は還た三十二根を剩し、四を用ゐて除せば八を得、これ卽ち賈公彦の謂ふ「兩少一多爲拆」、八を得るは「少陰」なり。
求七八九六之法既得,三變後視所得而畫於版,故曰再力(左手)而後卦。卦者掛也,說文掛畫也,言畫其所得之一爻於版也。閏者一歲之餘,左傳文元年,履端於始,歸餘於終,歸餘於終,與歸奇於力(左手)同也。每月必有閏,至年終而計其餘,大率一年閏十日。每揲必有奇,至一變終而並歸於力(左手)。天時積至五歲,約盈五十餘日,閏二月以為結束。
七・八・九・六を求むるの方法は既に明白なれば、三變の後に卽ち得る所の數に按りて爻を木版に畫く、故に「再扐而后卦」と言ふ。「卦」は卽ち「掛」、《説文解字》は「掛」は劃記と言ふ、求得したる此の一爻を版に畫くを指す。「閏」は一年に多出するの日子。《左傳》文公元年は「履端于始、歸餘于終」と言ふ、「歸餘于終」は「歸奇于扐」と同一個の道理。每個月は皆一點の餘數を多出し、年終に到りて餘數を合計せば、大約一年は十天を多出す。每次揲蓍すれば皆零頭を剩し、終に到りて零頭を合計して以て一爻を成す。
揲蓍力(左手)一變之餘,二變之餘,至第三變再力(左手)之,併合前力(左手),總計其數,視所得而畫出一爻,以為結束,故曰再而後卦也。虞氏云,初力(左手)掛於小指間,再力(左手)掛於次小指間,三力(左手)掛於第三指間。必掛於指間者,須知古人多立筮,又無高几憑撫,以存放蓍策,故必暫掛於指間,以待三變之終也。
揲蓍する時は一變の剩る零頭・二變の剩る零頭を指間に夾み、第三變に到りて再び一度夾み、前兩次の扐と合して、その數目を總計し、得る所の數に按りて一爻を畫出して以て一輪の結束と爲す、故に「再扐而后卦」と言ふ。虞翻曰く:第一次の扐は小指の間に掛げ、第二次の扐は次小指の間に掛げ、第三次の扐は第三指の間に掛ぐ。何の故に必ず指の縫裡に掛ぐるや。須らく知るべし、古人は多くは立ちて占筮し、又高卓あって凭靠して蓍草を擱放すべきなし、故に只好く暫時手指の間に夾みて、三變の結束を待つ。
卦從京氏,實虞氏曰,則布掛之一爻,虞亦作卦,掛字皆後人妄改。卦掛本通,孔疏引易緯云,卦者掛也,言懸掛物象以示人也。而掛與掛尤通,惟掛為後出之字,故每以卦訛掛。求爻之法,至再力(左手)而後卦已畢。後人誤以揲左為初,揲右為再力(左手),因疑卦為二變之掛一,改卦為掛。誠如是,是求爻之法未竣也,未竣人胡能明。且揲半不能謂為一力(左手)謂為一力(左手),則一變終也。
「卦」字は京房本に依從す。其實虞翻が「則布挂之一爻」と言ふ時、虞本も亦た「卦」と寫す、あの「挂」と寫す處は皆後人が擅改す。「卦」與「挂」は本來相通じ、孔穎達の疏は《易緯》を引きて「卦者挂也」と言ふ、意思は物象を懸掛し出でて人に看しむ。而して「挂」與「掛」は尤其相通ず、ただ「掛」は後起の字なれば、故に常に「卦」を「挂」と誤寫す。爻を求むるの程序は、「再扐而后卦」に到りて便ち完成す。後人は誤りて左手の一堆を數へるを以て第一次と爲し右手の一堆を數へるを以て第二次の夾扐と爲すと認むは、錯りなり。
天數五,地數五,五位相得而各有合。天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五,此所以成變化而行鬼神也。子曰,知變化之道者,其知神之所為乎。易有聖人之道四焉,以言者尚其辭,以動者尚其變,以制器者尚其象,以卜筮者尚其占。是故君子將有為也,將有行也,問焉而以言,其受命也如晌,無有遠近幽深,遂知來物。非天下之至精,孰能與於此。
天數は五個あり、地數は五個あり、此の五組の數は彼此相配して各會合あり。天數は合計二十五、地數は合計三十、天地の數は總共五十五。變化は此に由りて完成し、鬼神は此に由りて運行す。孔子曰く:變化の道を懂得する人は、大概便ち神明の作爲を懂得せむ。《周易》の裡には聖人の道の四項を包含す:義理を講論する人はその文辭を推重し、行動に付す人はその變化を推重し、器物を製造する人はその卦象を推重し、卜筮して事を問ふ人はその占斷を推重す。だから君子が將に作爲せんとし將に行動せんとする時は……。
以上言易之神。釋文,晌亦作響,朱子云,晌古文響字,言易受筮者之命,如響之應聲,而告以來物之吉凶也。參伍以變,錯綜其數,通其變,遂成天地之交,極其數,遂定天下之象。非天下之至變,其孰能與於此。爻數至三,內卦終矣,故曰必變,乾四雲乾道乃革是也,此從三才而言也。若從五行言,至五而盈,故過五必變,乾上有悔,泰上城復于隍是也,故曰三五以變。
以上は《周易》の神妙を講ず。《經典釋文》曰く「晌」は亦た「响」と寫し、朱熹曰く「晌」は「响」の古文。意思は《周易》が占筮者の問命を接受して、回聲が聲音に應答するが如く、未來の吉凶を彼に告ぐ。參錯交互して變化を生じ、交錯綜合してその數を會通し、その變化を會通して、ここに於いて天地の交合を成就す。その數を窮盡して、ここに於いて天下の物象を確定す。若し天下の最も善變のものに非ざれば、誰か能く此の地步に到らむや。爻位は第三に數へて、內卦は便ち結束す、故に必然に變ずと言ふ、《乾》卦九四は然り。
一二三四,與六七八九同,而陰陽則異,故一與六相錯,二與七相錯,三與人相錯,四與九相錯。綜者來往上下也。數至三而終,終則復始,故三變成一爻;至五而盈,盈則返初,五加一為六,加二為七,加三為八,加四為九,故曰錯綜其數。錯則陰數與陽數相合,相得,故曰成天地之交;綜則陰陽往復,循環不窮,而四象以出。此明易用六七八九之所以然。古今說此者,人執一辭,旋無定解,姑申其本原如此。
一・二・三・四の此の幾個の數は、六・七・八・九と本來同一系列に屬し、ただ陰陽屬性が相反するのみ、故に一與六は交錯し、二與七は交錯し、三與八は交錯し、四與九は交錯す。「綜」は來來往往・上上下下の意思。三に數へれば便ち頭に到り、頭に到れば便ち重新に開始す、故に三變して始めて一爻と成る。五に數へれば便ち盈滿し、盈滿すれば便ち起點に返回す、五に一を加へて六を得、二を加へて七を得、三を加へて八を得、四を加へて九を得、故に「錯綜其數」と言ふ。「錯」は陰數與陽數と彼此相合・彼此相得す、故に「成天地之交」と言ふ。
易無思也,無為也,寂然不動,感而遂通天下之故。非天下之至神,其孰能與於此。夫易,聖人之所以極深而研幾也。惟深也故能成天下之志,唯幾也故能成天下之務,唯神也故不疾而速,不行而至。子曰,易有聖人之道四焉者,此之謂也。四謂尚辭尚變尚象尚占。
《周易》の自身は思慮なく作爲なく、靜默として動かず、一たび感應せられれば便ち天下の一切事理に貫通す。若し天下の最も神妙のものに非ざれば、誰か能く此の地步に到らむや。《周易》は聖人が以て幽深を窮究し幾微を研求する所。正に幽深なれば、故に能く天下人の心志に貫通す。正に幾微なれば、故に能く天下の事務を成就す。正に神妙なれば、故に急促せずして自然迅速、移動せずして自然到達す。孔子が「《周易》の裡には聖人の道の四項を包含す」と言ふ、指す所は卽ちこれら。謂はゆる「四項」は、卽ち文辭を推重し變化を推重し卦象を推重し占斷を推重す。
天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十。子曰,夫易何為而作也,夫易開物成務,冒天下之道,如斯而已者也。如斯而已者,言易道盡包括於十數之中也。本義從程氏,置於大衍章之前固謬妄;即據漢書置於天數五之上,仍未得也。如在彼處,則冒天下之道如斯而已數語,尚何指哉。須知如斯二字,即指天地數。
天數は一、地數は二、天數は三、地數は四、天數は五、地數は六、天數は七、地數は八、天數は九、地數は十。孔子曰く:《周易》は何の爲に作るや。《周易》は萬物を開通し事務を成就し、天下の一切道理を籠罩するの書、此の如くのみ。謂はゆる「此の如くのみ」とは、《易》道は全部此の十個の數の中に包括すを言ふ。朱熹《周易本義》は程頤に依從して、此の一節を「大衍」章の前に移すは、固く荒謬なり。卽ち《漢書》に依據してそれを「天數五」の一節の上に放るも、亦た仍然妥當ならず。假令前に放らば……。
是故聖人以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑。是故蓍之德國而神,卦之德方以知,六支之義易以貢。聖人以此洗,石經作先,諸家訓先為盡,實先洗古通用,莊子德充符不知先生之洗我以善邪,與此洗義同。心退藏於密,吉凶與民同患。神以知來,知以藏往,其孰能與於此哉。古之聰明睿知,神武而不殺衰也者夫。是以明於天之道,而察於民之故,是興神物,以前民用。聖人以此齋戒,以神明其德夫。
だから聖人は《周易》を用ゐて天下人の心志を會通し、天下の事業を奠定し、天下の疑難を決斷す。故に蓍草の德性は圓通にして神妙、卦體の德性は方正にして明智、六爻の意義は則ち變化に隨りて人に告ぐるに在り。「聖人以此洗心」の「洗」字は漢石經は「先」と作し、各家は「先」を「盡」に訓す。其實「先」「洗」は古時通用す、《莊子・德充符》曰く「不知先生之洗我以善邪」、あの「洗」はここと意思相同じ。聖人はそれを借りて內心を洗滌し、退藏して隱密の處に在り、百姓と共同に憂患を承擔す。
是故闔戶謂之坤,闢戶謂之乾,一闔一闢謂之變,往來不窮謂之通,見乃謂之象,表乃謂之器,制而用之謂之法,利用出入,民咸用之謂之神。陽生於復,齊於巽,萬物相見,故曰辟戶;陰生於午,閉藏於亥,萬物收縮,故日闔戶,一闢一闔,往來不窮,故曰通,即消息卦之理也。貢釋文告也,京陸虞作工,荀作功,工功古通。
だから門戶を關じるを「坤」と曰ひ、門戶を開くを「乾」と曰ひ、一關一開を「變」と曰ひ、往來停まらざるを「通」と曰ふ。顯現し出づるを「象」と曰ひ、形を成して見るべきを「器」と曰ふ。製作し出でて使用を加ふるを「法」と曰ふ。それを利用して出入无碍し、百姓は天天皆それを用ゐて卻ってその所以然を知らず、便ちこれを「神」と曰ふ。陽氣は《復》卦より萌生し、巽位に到りて整齊す、萬物はここに於いて相互顯現す、故に「辟戶」と曰ふ。陰氣は午位より萌生し、亥位に到りて閉藏す、萬物はここに於いて收斂緊縮す、故に「闔戶」と曰ふ。一開一關にして……。
是故易有太極,是生兩儀,兩枚生四象,四象生八卦,八卦定吉凶,吉凶生大業。說文,極棟也,中也。從坎至離,南北正中,中即極。極以西萬物終,是為陰儀。極以西萬物終,是為陰儀。陽少於子,老於已;陰少於午,老於亥,四象生矣。四象即四時,春少陽,夏老陽,秋少陰,冬老陰也。老陽老陰即九六,六陽少陰即七八,故四象定則八卦自生。太極者中,天地定位則陰陽分,兩儀也。坤下一陽生震,少陽也;二陽生兌,三陽乾則老陽矣。才陽之下生一陰巽,少陰也;二陰艮,三陰坤則老陰矣,六卦備矣。而水火則橫互於中,水火者乃交後之乾坤也。豎則為天地,東陽西陰;橫則為日用,南陽北陰,是故坎下震上艮,離上兌下巽,乾坤生六子,離坎兼四隅,故四象生八卦。
だから《周易》に「太極」あり、太極は「兩儀」を生出し、兩儀は「四象」を生出し、四象は「八卦」を生出し、八卦は吉凶を決定し、吉凶は偉大の事業を產生す。《説文解字》曰く「極」は屋脊の正梁、亦た「中」の意思。坎位より離位に至るは、正に南北の中間に當る、此の「中」は卽ち極。極より以西は、萬物は終結に趨す、これ卽ち「陰儀」(此の句は原刻重出、其中の一句は當に「極以東萬物始、是爲陽儀」と作すべし)。陽氣は子位に於いて少なり、巳位に到りて老なり。陰氣は午位に於いて少なり、亥位に到りて老なり。
是故法象莫大乎天地,變通莫大乎四時,縣象著明莫大乎日月,崇高莫大乎富貴。備物致用,立成器以為天下利,莫大乎聖人。探賾索隱,鉤深致遠,以定天下之吉凶,成天下之AA?者,莫大乎蓍龜。是故天生神物,聖人則之;天地變化,聖人效之;天垂象見吉凶,聖人象之;河出圖,洛出書,聖人則之。易有四象,所以示也;繫辭焉所以告也;定之以吉凶,所以斷也。天地者乾坤,四時者離坎震兌,離坎又為日月。艮山為崇為貴,巽為高為利市,故為富。合乾坤離坎,震兌艮巽,而八卦之用全,故下曰備物致用。左傳定四年,會同離噴有煩言,注嘖至也,噴賾通。探賾者,探其深至也;隱者伏也,索隱者言正象之旁,尚有伏象,須索之也。河出圖,洛出書,自然屬於感應符瑞之事,故與神物並言,以見易之所自出,而聖人則之也。
だから效法取象は天地より大きなるはなく、變化會通は四時より大きなるはなく、天空に懸掛して光明顯著は日月より大きなるはなく、崇高は富貴より大きなるはなし。器物を備辦し功用を發揮し、創制成器して以て天下に利するは、聖人より大きなるはなし。繁雜を探索し隱伏を搜尋し、深奥を鈎取し遠方を招致し、以て天下の吉凶を判定し天下の勤勉不倦の事業を成就するは、蓍草與龜甲より大きなるはなし。だから上天は神物を生出し、聖人はそれに取法す。天地は變化を發生し、聖人はそれを效仿す。上天は物象を垂示して吉凶を顯現し……。
惟圖書究為何物,集解引孔安國注云,河圖八卦也。按五行志云,劉歆以為伏羲繼天而王,受河圖,則而畫之,八卦是也。又禮運河出馬圖,鄭注,龍馬負圖而出,疏引中侯握中紀云,伏羲有天下,龍馬負圖出於河,遂法之作八卦,是伏羲則河圖作八卦,漢人多如此言。然曰則之法之,則河圖別為一物,非河圖即八卦明甚。若河圖即八卦,尚胡云則之法之乎。孔說非也。
ただ河圖・洛書は究竟何のものなるや。李鼎祚《周易集解》は孔安國の注を引きて曰く:河圖は卽ち八卦。按ずるに《漢書・五行志》曰く、劉歆は伏羲が天命を承けて王と稱し、河圖を接受し、それに取法して畫き出せるは卽ち八卦と認む。又た《禮記・禮運》は「河出馬圖」と言ふ、鄭玄の注は龍馬が圖を背負して出づと言ふ。孔疏は《尚書中候・握河紀》を引きて曰く:伏羲は天下を擁有し、龍馬は圖を背負りて黃河より出づ、伏羲は便ちそれに效法して以て八卦を作る。見るに伏羲が河圖に取法して以て八卦を作るは、漢代の人は多く此の如く講ず。然るに既に「圖」と言ふ……。
惟河圖究為何狀,莫有言者。至宋人以五行數當之,一六北方水,二七南方火,三八東方木,四九西方金,五十中央土,共五十五數。此數之見於古籍者,如太玄云,三八木,二七火,四九金,一六水,五五土。月令其日甲乙,其數八;其日丙丁,其數七;其日庚辛,其數九;其日壬癸,其數六;其日戊已,其數五。墨子書迎敵,其方數東方八,南方七,西方九,北方六。
至りて河圖は究竟何の形狀なるや、從來説き出す人なし。宋代に到りて、人々は五行の數を把ってそれに比附す:一與六は北方に在りて水に屬し、二與七は南方に在りて火に屬し、三與八は東方に在りて木に屬し、四與九は西方に在りて金に屬し、五與十は中央に在りて土に屬す、合計五十五個の數。此の一套の數字は古籍に見えるは、如し揚雄《太玄》は三八は木・二七は火・四九は金・一六は水・五五は土と言ひ、《禮記・月令》は當值の日が甲乙なるは、その數は八。丙丁なるは、その數は七。庚辛なるは、その數は九……。
大戴禮,孤子朝,孤子八人以成春事;司馬爵士之有度者七人,以成夏事;食農夫九人,以成秋事;司空息國老六人,以成冬事。黃帝素問,其方數東方八,南方七,西方九,北方六。其方,其時,其數,皆與此圖同。而墨子在春秋時即言之,可謂古矣。然各家只言其數,不言其名,不知宋人以此數當河圖,究何所據。
《大戴禮記》曰く、天子は孤子に朝見す、孤子八人を取りて以て春天の禮事を完成し、司馬は德行ある士人七人を選拔して以て夏天の禮事を完成し、農夫九人を宴享して以て秋天の禮事を完成し、司空は國中の老人六人を慰勞して以て冬天の禮事を完成す。《黃帝內經・素問》は各方の數を講ず、亦た東方八・南方七・西方九・北方六。これらの記載の用ゐる方位・時令・數目は、全部謂はゆる河圖の數と相合す、而して《墨子》は春秋時期に卽ち已に此の如く講ず、古老と算ふべし。然るに各家は皆ただ……。
至於洛書,孔安國謂即九疇。五行志,劉歆謂禹治洪水,錫洛書,法而陳之,洪範是是也。並謂自初一曰五行,至畏用六極,凡此六十五字,皆洛書本文,是孔劉皆以洛書為九疇。然鄭注引春秋緯云,河龍圖發,洛龜書成,河圖九篇,洛書六篇。論衡云,河圖洛書,言興衰存亡,是又皆以為書名,與今宋人所傳戴九履一之數大異。
至りて洛書は、孔安國はそれを卽ち《洪範》九疇と言ふ。《漢書・五行志》は劉歆の説法を記す:大禹は洪水を治理し、上天は彼に洛書を賜ふ、彼はそれに依照して鋪陳し開き、《洪範》は便ち此の如く來れり。劉歆は并且「初一曰五行」より「畏用六極」に至る此の六十五個の字は、皆洛書の原文と認む。見るに孔安國・劉歆は皆洛書を把って九疇と作す。然るに鄭玄の注は《春秋緯》を引きて曰く:黃河の龍圖は發し、洛水の龜書は成る、河圖に九篇あり、洛書に六篇あり。王充《論衡》は河圖洛書の講ずる所は興衰……と言ふ。
其說戴九履一之數者,乾鑿度云,一陰一陽合十五,太一取其數以行九宮,四正四維,皆合於十五,則正與今書數合。又大戴禮,明堂者九室,二九四,七五三,六一八,即今書之橫圖數,九室即九宮。又孫星衍云,北周甄鸞注數術記遺九宮算云,九宮者即二四為肩,六八為足,左三右七,戴九履一,五居中央。
「戴九履一」の此の套の數目を講ずるは、《易緯乾鑿度》曰く:一陰一陽は相合して十五と爲し、太一は此の數に按りて九宮の中に運行し、四正與四隅の方位は相加して皆十五に合す——これ正に今天傳はる所の洛書の數目と吻合す。又た《大戴禮記》は明堂に九間の屋子あり、排列は二九四・七五三・六一八、正に今本洛書の橫行の數、九室は亦た卽ち九宮。孫星衍は又た曰く:北周の甄鸞は《數術記遺》を注して九宮算法を講ず、謂はゆる九宮は卽ち二・四を兩肩と作し、六・八を兩足と作し、左邊三・右邊七、頭……。
又鄭注太一下行九宮云,太一行始坎,次坤,次震,次巽,復息於中宮。按坎數一,坤二,震三,巽四,中宮五,是太一之行,按一二三四五之序也。又云自中官至乾,次兌,次艮,次離,一周畢矣。按乾西北數六,兌西數七,艮東北數八,離正南九,是太一之行,又自五而六七八九也。故曰四正四維,數合十五也。
鄭玄の注「太一下行九宮」は又た曰く:太一の起行は坎より始め、其次は坤に到り、其次は震に到り、其次は巽に到り、然る後中宮に休息す。按ずるに坎の數は一、坤は二、震は三、巽は四、中宮は五、見るに太一の行程は一・二・三・四・五の次序に照らして走る。鄭玄は又た曰く:中宮より再び乾に到り、其次は兌に到り、其次は艮に到り、其次は離に到り、一圈は便ち走完す。按ずるに乾は西北に在りて數は六、兌は正西に在りて數は七、艮は東北に在りて數は八、離は正南に在りて數は九、見るに太一の行程は接著又た五より走りて六・七・八・九に到る……。
然則今洛書,據大戴禮乾鑿度鄭注甄駕注,皆名曰九宮,不謂為洛書。其謂為洛書者,只北周廬辯注大戴禮云,記用九室,謂法龜文,然他古籍皆不如是言也。河圖洛書既茫昧難明,至宋人以五行數九宮數當之,誠不知其何所據。然孔劉以九宮數為九疇,獨不思則之者,則以畫卦,畫卦者伏義,洛書禹時出,伏義安能則之,不尤誤乎。
此の如く看れば、今天謂はゆる洛書は、《大戴禮記》・《乾鑿度》・鄭玄の注・甄鸞の注の説法に依照せば、皆ただ「九宮」と呼ばるのみ、並びに洛書と稱せず。それを洛書と稱するは、ただ北周の盧辯が《大戴禮記》を注する時に言ひたるあり:記文の用ゐる九室は、龜背の紋理に取法す。然るに其他の古籍は皆此の如く講はず。河圖洛書は本來茫昧にして明らかに難く、宋人に到りて五行の數・九宮の數を把って比附す、實に彼らの根據する所は何なるかを知らず。至りて孔安國・劉歆が九宮の數を把って《洪範》九疇と作すは、卻って偏偏として……なし。
按禮緯含文嘉云,伏羲德合上下,天應以鳥獸文間,地應以河圖洛書,乃則以作易。又河圖挺輔佐云,黃帝問道於天老,天老日,河出龍圖,洛出龜書,所紀帝錄,列聖人之姓號。據是則洛書亦出伏羲時,出於伏羲時,方能則以畫卦。後漢學家襲孔劉之說,定謂洛書出禹,皆誤也。四象,或云指七八九六,或云指上神物變化垂象圖書四者,又有謂指分二掛一揲四歸奇者。愚按指七八九六者是也,七八九六即南北東西,即春夏秋冬也。
按ずるに《禮緯・含文嘉》曰く:伏羲の德行は上通下達し、上天は鳥獸の花紋を以て彼に回應し、大地は河圖洛書を以て彼に回應し、彼はここに於いてこれらに取法して以て《易》を作る。又た《河圖挺佐輔》曰く:黃帝は天老に大道を請教し、天老曰く黃河は龍圖を出し洛水は龜書を出す、上面には帝王の名錄を記錄し、聖人の姓號を排列す。此に據れば、洛書も亦た伏羲の時代に出現す。正に伏羲時代に出るが故に、始めてそれに取法して以て卦を畫くを談ずるに足る。後來の漢學家は孔安國・劉歆の説法に沿襲し、一口に洛書は大禹の時に出づと咬定す……。
易曰,自天佑之,吉無不利。子曰,佑者助也,天之所助者順也,人之所助者信也,履信思乎順,又以尚賢也,是以自天佑之,吉無不利也。此釋大有上九爻義,或言是錯簡,宜在前七爻之下。大有六五承陽,五天位,承順也,是天以順佑上也。乾為人為信,二應五,五孚於上,故曰人之所助者信。上履信思順,又二應五得尚于中行,是尚賢也,故無不利。
《易》曰く:「自天佑之、吉无不利。」孔子曰く:「佑」は幫助。上天の幫助する所は天道に順應する人、衆人の幫助する所は信用を講ずる人。信實を履行して心念は道に順ひ、又た能く賢人を崇尚す、故に上天の保佑を得て、吉祥にして利ならざる所なし。此の一節は《大有》卦上九の爻義を解釋す。或る人はこれを錯簡と言ふ、當に前面七爻の後に放るべし。《大有》六五は上面の陽爻を承接し、五は天位、承接は卽ち順從、これは上天が順道を以て上九を保佑す。乾は人・信實、九二は六五と相應し……。
周易尚氏學卷十九
繫辭下傳
八卦成列,象在其中矣。因而重之,爻在其中矣。剛柔相推,變在其中矣。繫辭焉而命之,動在其中矣。天地定位,乾坤列南北;日月縣象,離坎列東西;山澤通氣,艮兌列西北東南;雷風相薄,震巽列東北西南。三畫舉而八卦全,凡萬物之象,我不包括於八卦之中,故象在其中。因八卦重八卦,兼三才而兩之故六,六方有爻。說文爻交也,一與四交,二與五交,三與上交,故三畫只有象,六畫始有爻。相推指消息。
八卦は行列に排成し、物象は便ちその中に在り。それらを兩兩相重せば、爻は便ちその中に在り。剛柔は互相推移し、變化は便ちその中に在り。文辭を繫げて以て指示せば、行動の準則は便ちその中に在り。天地は位を定め、乾坤は南北に排す。日月は象を懸げ、離坎は東西に排す。山澤は氣を通じ、艮兌は西北與東南に排す。雷風は相迫り、震巽は東北與西南に排す。三畫卦は一擧して八卦は齊全し、凡そ萬物の象は、一樣も八卦の中に包括せられざるなし、故に「象在其中」と言ふ。八卦を用ゐて八卦を重ぬれば、三才を兼取して各自加倍し、……。
吉凶悔吝者,生乎動者也。剛柔者立本者也,變通者趨時者也。吉凶者貞勝者也,天地之道,貞觀者也;日月之道,貞明者也;天下之動,貞夫一者也。貞勝姚信讀作貞稱,貞常也,言吉凶之道,無不與陰陽相稱也。按勝稱音近古通,考工記角不勝乾,乾不勝筋,謂之不參,注,勝或作稱;晉語曰,中不勝貌,韋注,勝當為稱。天地謂二五,二五中正,中正以觀天下,故曰貞觀。坎月離日,大明終始,故曰貞明。一者神也,神也者,妙萬物而為言者也,故動貞於一。
吉凶悔吝は、皆「動」の上より產生す。剛與柔は根本を確立する、變與通は時勢に順應す。吉凶は恒常の理の相稱に取决す:天地の道は恒常を以て人に示し、日月の道は恒常を以て光を放ち、天下の一切變動は皆恒常の「一」に歸す。「貞勝」は姚信は「貞稱」と讀む、「貞」は恒常、吉凶の道理は陰陽と相稱せざるなしを言ふ。按ずるに「勝」「稱」の兩字は音近く、古時通用す:《考工記》曰く「角不勝干、干不勝筋、謂之不參」、注曰く「勝」は或る本子は「稱」と作す。《國語》……。
夫乾確然示人易矣,夫坤貴(左阜)然示人簡矣。爻也者效此者也,象也者像此者也。義皆與前復,以非一人所記錄。爻象動乎內,吉凶見乎外,功業見乎變,聖人之情見乎辭。天地之大德曰生,聖人之大寶曰位,何以守位曰人,何以聚人曰財,理財正辭,禁民為非曰義。內內卦,外外卦。乾鑿度云,易氣從下生,故動於地之下,則應乎天之下;動於地之中,則應於天之中;動於地之上,則應於天之卜,故曰爻象動乎內,吉凶見乎外。守位曰人,人王肅桓玄等作仁,仁人古通。禮器碑四方士仁,士仁即士人;論語問管仲,曰人也,即仁人也;又仁者雖告之曰,井有仁焉,其從之也,有仁即有人,何晏注謂仁人墮井,誤。
乾は剛健堅定にして、「易」の道理を把って人に明示す。坤は柔順卑下にして、「簡」の道理を把って人に明示す。爻は此の道理を效法する、象は此の道理を摹擬す。此の幾句の意思は皆前面と重複す、見るに《繫辭》は並びに一人の記錄に出ず。爻與象は卦體の內部に於いて變動し、吉凶は便ち外に顯現す。功業は變化の上に顯現し、聖人の心意は文辭の裡に顯現す。天地の最大の德性を「生」と曰ひ、聖人の最大の寶物を「位」と曰ふ。何を靠りて位置を守住するや。人を靠る。何を靠りて人を聚集するや。財を靠る。財貨を管理し……。
古者包犧氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。近取諸身,如乾首坤腹震足等是;遠取諸物,如乾馬坤牛艮狗兌羊等是。凡物皆有陰陽,有陰陽則相感而有情,有情則相聚相合而為類,故曰以類萬物之情。作結繩而為罔罟,以佃以漁,蓋取諸離。離中爻類為繩,離重目故為罔署,罔罷皆目也。以罔罟取獸於陸曰佃,取魚於澤曰漁。
古時伏羲氏は天下を統治し、頭を擡げて天上の物象を觀察し、頭を低れて地上の法則を觀察し、鳥獸の紋理と土地の所宜とを觀察し、近處は自身に取法し、遠處は萬物に取法す、ここに於いて始めて八卦を創作し、以て神明の德性を會通し、以て萬物の情狀を歸類す。「近取諸身」は、例へば乾は頭・坤は腹・震は足の類。「遠取諸物」は、例へば乾は馬・坤は牛・艮は狗・兌は羊の類。凡そ物は皆陰陽あり、陰陽あれば便ち相互感應して情を生じ、情あれば便ち相聚相合して類を成す、故に「以類萬物之情」と言ふ……。
包犧氏沒,神農氏和,亞(有邑)木為鋁,揉木為耒,耒耨之利,以教天下,蓋取諸益。益巽為木,震為足故為鋁,鋁耒頭金也;震為耕故為耒,耒耕具也。中爻艮手,故曰刺地。故亞(右邑)木使銳,而冒以金,使人地易;來形曲,故揉之使曲。
伏羲氏が去世し、神農氏が興起し、木頭を砍削して耜を做成し、木頭を揉曲して耒を做成し、耒耜耕耘の便利を把って以て天下を教導す、大概《益》卦に取象す。《益》卦の巽は木、震は足にして因りて耜を取象と爲す——耜は耒頭の上の金屬刃。震は耕作にして因りて耒を取象と爲す——耒は田を耕すの把柄。中間の互體は艮にして手、故に地裡に刺入するを要すと言ふ。だから木頭を砍削して尖銳と爲し、再び金屬刃を套上し、それをして容易に土に入らしむ。耒の形狀は彎曲、故に木頭を揉制して彎曲の樣子と爲すを要す。
日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸噬嗑。噬嗑離在上,放曰日中;互艮為市,坎為聚,為眾,為民,震為貨為歸,故曰交易而退。神農氏沒,黃帝堯舜氏作,通其變使民不倦,神而明之,使民宜之。易窮則變,變則通,通則大,是以自天佑之,吉無不利。黃帝堯舜垂衣裳而天下治,蓋取諸乾坤。乾為衣,坤為裳,上衣下裳,乾上坤下,故曰取諸乾坤。自黃帝以前,只短衣,以禦寒,無所謂威儀;至黃帝始服冕垂衣,襟袖寬博,彬彬下垂;至堯舜更象日月星辰山龍服,而衣裳之文采大備。
正午の時分に集市を開設し、天下の百姓を招來し、天下の貨物を聚集し、交易が完畢すれば便ち散去し、各人は皆自己の需要するものを得、大概《噬嗑》卦に取象す。《噬嗑》の離は上體に在り、故に「日中」と言ふ。互體の艮は市集、坎は聚集・衆人・百姓、震は貨物・歸返、故に「交易而退」と言ふ。神農氏が去世し、黃帝・堯・舜が興起し、事物の變化を會通して百姓をして倦怠を覺えざらしめ、神妙の方式を以てそれを彰明し、百姓をして各その宜を得しむ。《易》道は窮極すれば則ち變ず、變ずれば便ち通達す……。黄帝より以前はただ短衣を穿りて寒を禦ぐのみ、威儀を談ずるに足らず。黄帝に到りて始めて冕を戴き衣を垂れ、衣襟袖口は寛大にして文雅に垂拂し下る。堯舜の時に到りて更に日・月・星辰・山・龍等の紋章を繪き上げ、衣裳の文采は便ち大いに完備したり。
刳木為舟,炎(左手)不木為揖,舟揖之利,以濟不通,致遠以利天下,蓋取諸渙。渙上巽為木,下坎為揖,說文揖翟(左木)舟也。中爻震為舟,艮手故曰刳曰炎(左手)。刳說文判也,玉篇空物腸也,剖也。古之明無鋸,故剖木使中空以為舟也。震舟象失傳,虞翻等皆以渙為舟。杭辛齋謂日本易家以震為船。按易林大有之謙云,方船備水,以謙互震為船也。震為虛,故為舟船,歸妹上六承虛筐也,以震為虛也。
木頭を挖き空して船を做成し、木頭を削尖して槳を做成し、船と槳との便利を把って以て阻隔を渡り、遠方に抵達して天下を造福す、大概《渙》卦に取象す。《渙》の上體の巽は木、下體の坎は槳、《説文解字》は「楫」は卽ち船を劃すの棹と言ふ。中間互體の震は船、艮は手、故に「刳」と言ひ「剡」と言ふ。「刳」は《説文解字》に剖開と訓し、《玉篇》は東西の內腔を掏空すと言と言ふ、卽ち剖開。上古は鋸子なし、故にただ木頭を剖開して挖き空して以て船を做るのみ。震の船たるはこの逸象は久しく已に失傳し、虞翻等は知らず、ただ日本の易學家は震を以て船と爲す。按ずるに《焦氏易林・大有之謙》は「方船備水」と言ふ、正に《謙》卦の互體に震あるに因りて震を船に取ればなり。震に虚空の象あり、故に能く舟船を取象と爲す。《歸妹》上六は「承虚筐也」と言ふ、亦た震を以て虚と爲す。
服牛乘馬,引重致遠,以利天下,蓋取諸隨。服牛即駕牛。說文牛部葡(左牛)下引易日葡(左牛)牛乘馬,而不言葡(左牛)義。陳壽棋曰,玉篇葡(左牛)皮秘切,服也,以鞍裝馬也;集韻葡(左牛)用牛也,通作用。據此服牛即駕牛也。易林歸妹之比云,申酉脫服,牛馬休息,脫服即馳駕也。隨互艮為牛,下震為馬,艮為引,巽為利,謂以牛馬引重致遠,以利濟天下也。艮牛象見無妄解。
牛に駕し馬に乘り、重物を牽引して遠方に抵達し、以此天下を便利す、大概《隨》卦に取象す。「服牛」は卽ち牛に駕す。《説文解字》の牛部は「犕」字の下に《易》を引きて「犕牛乘馬」と言ふ、然るに「犕」の意思を解釋せず。陳壽祺曰く:《玉篇》は「犕」は音皮秘切、「服」と訓し、馬に鞍具を装上するを指す。《集韻》は「犕」は牛を役使すと言ふ、「用」と通作す。此に據れば、「服牛」は卽ち牛に駕す。《焦氏易林・歸妹之比》は「申酉脫服、牛馬休息」と言ふ、「脫服」は卽ち駕具を卸下す。《隨》卦の艮は牛、下體の震は馬、艮は牽引、巽は利益、牛馬を用ゐて重物を牽引して遠方に抵達し、以此天下を利濟すを言ふ。按ずるに《説卦》はただ「坤爲牛」を講ず、「艮爲牛」は《説卦》の有する所に非ずの逸象、取證の詳細は《无妄》卦の解説に見るべし。
重門擊析,以待暴客,蓋取諸豫。豫艮為門,坤亦為門,故曰重門。又九家云,從外視之艮,故曰重門,是以正反艮為重門也。震為析,艮為擊,故曰擊檄。震為客,而決躁,故曰暴客。重門深密,擊檄警戒,皆所以備盜,中爻坎為盜也。
層層の門戶を設置し、木梆を敲打して夜を巡る、以て凶暴の來客を防備す、大概《豫》卦に取象す。《豫》卦の艮は門、坤も亦た門、故に「重門」と言ふ。《九家易》は又た曰く、外より看て去れば同じく艮、故に「重門」と言ふ、これは一正一反の兩個の艮を把って重門と爲す。震は柝、艮は敲擊、故に「擊柝」と言ふ。震は客、その性は決斷躁動、故に「暴客」と言ふ。層層の門戶は關ぢて嚴密、梆を敲きて夜を巡りて以て警戒を示す、皆盜賊を防備するに用ゐる、中間互體の坎は正に盜なり。
斷木為杵,掘地為臼,臼杵之利,萬民以濟,蓋取諸刃過。小過中爻巽為木為杵,兌毀折,故曰斷木為杵。震中虛為臼,艮為掘,掘地為臼,蓋以蜃灰,至之使堅,盛轂於中,春之以杵,而民食濟也。弦木為弧,剡木為失,弧矢之利,以咸天下,羞取諸睽。睽中爻坎為弧,為矢。弦說文弦說文弓弦也,弧說文木弓也。弦木為弧,言以弦牽本使曲成弧也。剡削也,削木使直成失也。離為威如,兌毀折,故曰威天下。
木頭を截斷して杵を做成し、地面を挖掘して臼を做成し、臼杵の舂搗の便利は萬民をして救濟を得しむ、大概《小過》卦に取象す。《小過》の中間互體の巽は木・杵、兌は毁折を主る、故に「斷木爲杵」と言ふ。震の中間は虚空なれば故に臼と爲し、艮は挖掘、地を挖きて臼と爲す——大概蜃殼の燒成したる灰を用ゐて塗抹夯實し、それをして堅硬ならしめ、穀物を其の中に盛りて、杵を用ゐて舂搗す、百姓の口糧は便ち著落あり。弦を用ゐて木を繃して弓を做成し、木頭を削尖して箭を做成し、弓箭の便利を把って以て天下を威服す、大概《睽》卦に取象す。《睽》卦の離は……。「弦」は《説文解字》に弓弦と言ふ。「弧」は《説文解字》に木弓と言ふ。「弦木爲弧」とは、弓弦を用ゐて木條を牽引してそれを彎曲して弓と爲すを言すを言ふ。「剡」は削、木頭を削直して以て箭を做る。離は威嚴、兌は毁折を主る、故に「威天下」と言ふ。
上古穴居而野處,後世聖人易之以宮室,上棟下宇,以待風雨,蓋取諸大壯。大壯通觀,觀艮為穴為野,為宮室,巽為棟,在外卦,故曰上棟。艮為字,在巽下,故曰下宇。宇今俗所謂廊詹也。巽為風,兌為雨。兌為雨,舊解不用旁通,用正象,宜其不合也。
上古の時人々は洞穴の裡に住み野外的に栖身し、後世の聖人は房屋に改用し、上に棟梁あり下に屋檐あり、以て風雨を抵擋す、大概《大壯》卦に取象す。《大壯》は《觀》卦と旁通し、《觀》卦の艮は洞穴・郊野・宮室、巽は棟梁、外卦に居る、故に「上棟」と言ふ。艮は屋檐、巽の下に在り、故に「下宇」と言ふ——「宇」は卽ち今天俗稱の廊檐。巽は風、兌は雨。兌の雨たるは此の象は必ず旁通に靠りて始めて取り出づるを得、舊注は旁通を用ゐずしてただ本卦の正象を取る、講り通ぜざるも怪しむに足らず。
古之葬者,厚衣之以薪,葬之中野,不封不樹,喪期無數,後世聖人易之以棺槨,蓋取諸大過。大過乾為衣,巽為薪,管輅以坎為棺槨,大過中實亦坎象,故亦象棺槨,漢儒以大過為列卦,蓋本此也。上古結繩而治,後世聖人易之以書契,百官以治,萬民以察,問取諸央。決(左無)上兌為覆巽,巽為繩,上古結繩紀事,今巽覆為兌,兌為斧,故曰書契。契刻也,呂氏春秋,契舟求劍是也。考工記,築氏為削,合六而成規,注今之書刀。蓋古用簡須以刀刻字,今殷墟掘出之甲骨文是也,故曰書契。兌為刀,斧,乾為圜,畫刀合六以成規,故取於決(左無)。
古時は死者を埋葬するに、柴草を用ゐて厚厚と裹住し、荒野の中に葬り、墳頭を堆らず樹木を種えず、服喪も亦た定期なし。後世の聖人は棺槨に改用す、大概《大過》卦に取象す。《大過》の乾は衣、巽は柴薪。管輅は坎を以て棺槨と爲し、《大過》の中間四爻は實にして上下兩爻は虚、亦た正に坎の形狀、故に同じく棺槨を取象と爲すべし——漢代の學者が《大過》を死喪の卦に列すは、大概便ち此に本づく。上古は繩を結ぶの辦法を用ゐて治理し、後世の聖人は文字契刻に改用す、百官はそれに憑りて政事を辦理し、萬民はそれに憑りて稽察す……。兌は刀・斧、乾は圓、六把の刻刀は合起して圓を成す、故に《夬》卦に取象す。
是故易者象也,象也者像也。此聰明上取象之故也。凡易辭無不從象生,韓宣子適魯,不曰見周易,而曰見易象與魯春秋,誠以易者象也,象者像也。言萬物雖多,而八卦無不像之也。像俗宇,釋文,孟京虞姚董,還作象。象者材也。材猶言行能。阮元訓象為分,材與財裁通,言用此彖辭,說卦象而分之。爻者效天下之動者也,是故吉凶生而悔吝著也。動發也,爻交也,卦至六畫始有爻。動於下,應於上,故曰效。效之而當則吉,不當則凶也。
だから《周易》の講ずる所は卽ち「象」、謂はゆる「象」は卽ち摹擬。これ正に上文の聖人の取象を講ずるの緣故。凡そ《周易》の文辭は一句も象の裡より生ぜざるなし。韓宣子は魯國に到り、《周易》を見たと言はず、而して「易象」と《魯春秋》を見たと言ふ、正に《易》は卽ち象、象は卽ち摹擬なればなり。これは萬物は衆多と雖も、八卦は一樣も摹擬し得ざるなしを言ふ。「像」は後起の俗字、《經典釋文》曰く孟喜・京房・虞翻・姚信・董遇の各本は仍舊「象」と寫す。「彖者材也」の「材」は……。「爻」は天下萬物の變動を效法する、故に吉凶は此に由りて產生し悔吝は此に由りて顯著す。「動」は發動、「爻」は交錯、卦は六畫に到りて始めて爻あり。下に發動し、上に呼應す、故に「效」と曰ふ。效法して當を得れば吉、當を得ざれば凶。
陽卦多陰,陰卦多陽,其故何也。陽卦奇,陰卦耦,其德行何也。陽一君而二民,君子之道也;陰二君而一民,小人之道也。韓注少者多之宗,一者眾之歸。陽卦二陰,故奇為之君;陰卦二陽,故耦為之主。後漢仲長統曰,易曰陽一君二臣,君子之道也;陰二君一臣,小人之道也。然則寡者為人上者也,眾者為人下者也,專以貴賤言。愚謂陽道行則世治,世治則一君二民而君權一;陰道盛則世亂,世亂則二君一民,而君權墜。管子霸言云,使天下兩天子,天下不可理也;一國而兩君,一國不可理也;一家而兩父,一家不可理也。不可理則亂,故曰小人之道。
陽卦の裡は陰爻多く、陰卦の裡は陽爻多し、これは何の緣故なるや。陽卦の爻畫は奇、陰卦の爻畫は偶。それらの德行は又た如何。陽卦は一個の君・兩個の民、これは君子の道。陰卦は兩個の君・一個の民、これは小人の道。韓康伯の注曰く:少なきは多きの宗仰する所、一個は衆人の歸附する所。陽卦に兩個の陰爻あれば、故にあの單獨の奇爻はそれらの君を做る。陰卦に兩個の陽爻あれば、故にあの單獨の偶爻はそれらの主を做る。東漢の仲長統曰く:《易》は陽卦一君二臣は君子の道、陰卦は……民にして君權墜落すと講ず。《管子・霸言》曰く:天下若し兩個の天子あらば、天下は治理する能はず。一國に兩個の國君あらば、一國は治理する能はず。一家に兩個の父あらば、一家は治理する能はず。治理する能はざれば便ち亂を生ず、故に「小人之道」と曰ふ。
易曰,憧憧往來,朋從爾思。子曰,天下何思何慮,天下同歸而殊途,一致而百慮,天下何思何慮。釋成九四爻義。吾道一以貫之,朋從爾思,則百慮也;憧憧往來,則殊途也。然途雖殊而同歸於一,慮雖百亦終致於一,天下事貞於一而已,何思何慮哉。
《易》曰く:「憧憧往來、朋從爾思。」孔子曰く:天下に何の思ふ可き、何の慮る可きあらむや。天下萬事は殊途にして同歸し、百慮にして一致す、天下に何の思ふ可き、何の慮る可きあらむや。これは《咸》卦九四の爻義を解釋す。孔子は「吾道一以貫之」を講ず:「朋從爾思」は卽ち謂はゆる「百慮」、「憧憧往來」は卽ち謂はゆる「殊途」。然るに道路は同じからずと雖も、最終は皆一に歸す。思慮は紛雜と雖も、最終は亦た一に歸す。天下の事は一に定まるのみ、還た何の思の思ふ可き慮る可きあらむや。
日往則月來,月往則日來,日月相推,而明生焉。寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推,而歲成焉。往者屈也,來者信也,屈信相感,而利生焉。尺蠖之屈,以求信也;龍蛇之蟄,以存身也;精義入神,以致用也;利用安身,以崇德也。過此以往,來之或知也,窮神知化,德之盛也。咸互乾為日,上兌為月,至夕則日往而月來,至晨則月往而日來。往收藏也。乾為寒,坤為暑,乾息自復,至始而藏,坤陰用事;坤消自垢(左女),至復而藏,乾陽用事。寒暑互相推,而歲功以成。往則收藏故曰屈,來則用事故曰信。
太陽は西に去れば月亮は便ち昇起し、月亮は西に去れば太陽は便ち昇起す、日月は互相推移して光明產生す。寒冷は過ぎ去れば暑熱は便ち到來し、暑熱は過ぎ去れば寒冷は便ち到來す、寒暑は互相推移して一年完成す。「往」は卽ち屈、「來」は卽ち伸。屈與伸と互相感應して、利益は便ち產生す。尺蠖の身子を蜷縮する所以は、伸展を求得する爲なり。龍蛇の蟄伏する所以は、性命を保全する爲なり。義理を精研して以て神妙の境に進入するは、實用に施す爲なり。其の道を善用して自身を安穩ならしむるは、德行を提高する爲なり。此の一層を超過して再び上に往かば、便ち人の及ぶ所に非ず……。大抵陰陽の屈伸循環は端頭なし:屈せざれば便ち伸ぶ能はず、蟄伏せざれば保存するに由なし、陰陽往來の定理は本來便ち此の如し。
尺蠖,屈信蟲也,見說文。又爾雅疏,蠖又呼步屈,言其以尾就首,屈而後信,舉步之形也。埤雅云,今人布指求尺,一屆一信,如蠖之步,謂之尺蠖。按詩小雅,螟嶺有子,果贏負之。螟蛉食槐葉蟲,色綠與葉若一,夏日細腰,以泥砌窠成,銜螟嶺人。螟蛉即尺蠖。成九四巽體,巽為蟲,蠖行以尾就首,先屈後信,故以為喻。咸艮位戌亥,互乾為龍,伏坤為蛇,乾坤合居於戌亥數無之地,故曰蟄,誰能蟄故能存身,乾傳所謂保合太和也。乾為神,坤為義,精義人神,謂乾坤合德於戍亥。易林云,乾坤利貞,乳生六子,六子生然後能致用,用利然後身安,身安則德自崇。蓋陰陽屈信,循環無端,不屈則不能信,不蟄則無以為存,陰陽往來,定理本如是也。
「尺蠖」は一屈一伸して行くの一種の蟲、《説文解字》に見ゆ。《爾雅》疏は又た曰く、蠖は亦た「步屈」と叫ばる、それが尾巴を頭の位置に挪りて、先屈して後に伸び、一步一步移動するの樣子を形容す。《埤雅》曰く、今人は手指を張開して長短を量る、一屈一伸にして甚だ蠖の走法に似たり、故に「尺蠖」と曰ふ。按ずるに《詩經・小雅》曰く「螟蛉有子、蜾蠃負之」——螟蛉は槐葉を喫する蟲、顏色は青綠にして樹葉と相同じ。夏天の細腰蜂は泥を用ゐて窠巢を壘成し、便ち螟蛉を銜へて入る。螟蛉は卽ち尺蠖。《咸》卦九四は……。
易曰,困于石,據于疾藜,入于其宮,不見其妻凶。子曰,非所困而困焉,名必辱;非所據而據焉,身必危。既辱且危,死期將至,妻其可得見邪。坎隱伏故名辱,坎險故身危,坎為棺槨,故曰死。困六三爻義。易曰,公用射隼于高塔之上,獲之無不利。子曰,隼者禽也,弓矢者器也,射之者人也。君子藏器於身,待時而動,何不利之有。動而不括,是以出而有獲,語成器而動者也。解上震為器,為人,互坎故藏器,震為時,為動,動故不括。解上六天義。
《易》曰く:「困于石、據于蒺藜、入于其宮、不見其妻、凶。」孔子曰く:困を受くべからざる處に卻って困を受くれば、名聲は必ず辱を受く。憑據すべからざる處に卻って憑據に往けば、身家は必ず危險。既に辱を受け又た危險なれば、死期は便ち將に到らむとす、妻子は何處に還た見るを得むや。坎は隱伏を主る、故に名聲は辱を受く。坎は險陷を主る、故に身家は危險。坎は棺槨、故に死に到ると言ふ。これは《困》卦六三の爻義。《易》曰く:「公用射隼于高墉之上、獲之、无不利。」孔子曰く:隼は禽鳥、弓箭は器具……。阻礙なし、故に一たび手を出せば便ち收穫あり、器具が備妥して始めて行動するの道理を講ず。《解》卦上體の震は器具・人、互體に坎あるを以て「藏器」と言ふ。震は時機・行動、行動して因りて阻礙する所なし。これは《解》卦上六の爻義。
子曰,小人不恥不仁,不畏不義,不見利不動,不威不懲。小懲而大戒,此小人之福也。易曰履校滅趾無咎,此之謂也。此釋噬嗑初九爻義。震為動為威。善不積不足以成名,惡不積不足以又身。小人以小善為無益而弗為也,以小惡為無傷而弗去也,故惡積而不可掩,罪大而不可解。易曰何校滅耳,凶。此釋噬嗑上九爻義。
孔子曰く:小人は不仁を以て恥と爲さず、不義を以て懼るると爲さず、利益を見ざれば便ち動くを肯んぜず、威勢を施加せざれば便ち警惕を知らず。一點の小懲罰を受けて大警戒を得る、これ正に小人の福氣。《易》は「履校滅趾、无咎」と言ふ、講ずる所は便ち此の道理。此の一節は《噬嗑》卦初九の爻義を解釋す。震は行動・威勢。善行は積累せざれば以て名聲を成就するに足らず、惡行は積累せざれば以て自身を毁滅するに足らず。小人は小善を把って益なしと看做して為るを肯んぜず、小惡を把って關係なしと看做して改むるを肯んぜず、故に惡は積みて多くなりて掩蓋する能はず、罪は大にして解脱する能はず。《易》は「何校滅耳、凶」と言ふ。此の一節は《噬嗑》卦上九の爻義を解釋す。
子曰,危者安其位者也,亡者保其存者也,亂者有其治者也。是故君子安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂,是以身安而國家可保也。易曰其亡其亡繫于苞桑。此釋否九五爻義。子曰,德薄而位尊,知小而謀大,力小而任重,鮮不及矣。易曰鼎折足,覆公像,其形渥,言不勝其任也。此釋鼎九四爻。形渥,鄭虞皆作型劇,言因覆束(左食)而被大刑也,古字音同通用。王弼程傳以形為形體,王謂形渥為沾濡,程謂為汗澀,皆望文生義,不惟不審通假之例,且於經義顯違。以折足覆束(左食)之罪,只汗澀而已乎。本義多從程傳,獨此不從,誠以其陋也。觀此曰鮮不及矣,謂及於刑辟也,此可以定其是非也。
孔子曰く:謂はゆる「危」は、一味に自己の位置に安んずればなり。謂はゆる「亡」は、自ら以て能く生存を長保すと爲すればなり。謂はゆる「亂」は、自ら以て治理し得たりと爲すればなり。だから君子は安穩の時は危險を忘れず、生存の時は滅亡を忘れず、太平の時は禍亂を忘れず、故に自身は安穩にして國家は保つべし。《易》は「其亡其亡、繫于苞桑」と言ふ。此の一節は《否》卦九五の爻義を解釋す。孔子曰く:德行は淺薄にして地位は尊貴、智慧は短小にして圖謀は遠大、力量は微弱にして擔子は沉重、殃を遭はざるは少なし。《易》は「……」と言ふ。あの大罪は、豈にただ一身の汗を出すのみにして算さむや。朱熹《周易本義》は多く程《傳》を沿用す、唯獨此の一の一處は從はず、正に程説の太だ淺陋なればなり。《繫辭》の「鮮不及矣」を看れば、刑罰を遭ふを免れ難しを言ふ、此に由りて便ち誰是誰非を判定する能ふ。
子曰,知幾其神乎。君子上交不謅,下交不瀆,其知幾乎。幾者動之微,吉之先見者也。君子見幾而作,不俟終日。易曰介于石,不終日,貞吉。介如石焉,寧用終日,斷可識矣。君子知微知彰,知柔知剛,萬夫之望。此釋豫六二爻義。左傳昭五年,於人為言,敗言為讒,廉下艮,震反,故曰敗言。豫與謙同體,亦正反震,故曰謅曰讀。蒙曰瀆則不告,以二至上正反震相對,言多故曰讀。豫亦正反震,故亦曰讀。繫辭與左傳之用正覆象,除易林外,無有喻者,故解左氏而誤,解易而誤,而謅與瀆之故,皆莫知其所自來矣。介研之省,硬也,故曰介如石。
孔子曰く:幾微を懂得するは、大概便ち神に近からむ。君子は上に對して交往して諂媚せず、下に對して交往して輕慢せず、これ卽ち幾微を懂得するか。「幾」は變動の細微の苗頭、吉兆の最先顯露する地方。君子は苗頭を見れば便ち行動し、一日の過ぐるを待たず。《易》は「介于石、不終日、貞吉」と言ふ。堅定は磐石の如し、何ぞ必ず整整一日を等つを要せむや、判斷は顯然として當下に作出すべし。君子は既に細微を知り又た顯著を知り、既に柔を知り又た剛を知る、萬衆の仰望する人なり。此の一節は《豫》卦六二の爻義を解釋す。《左傳》昭公……。此の象は《焦氏易林》を除くの外に懂得する人なし、故に《左傳》を解すれば錯り、《周易》を解するも亦た錯る。至りて「諂」「瀆」の兩字の來歷は、就更に説き清す人なし。「介」は「砎」の省文、堅硬の意思、故に「介如石」と言ふ。
子曰,顏氏之子,其殆庶幾乎。有不善未嘗不知,知之未嘗復行也。易曰不遠復,無只悔,元吉。此釋復初爻義。天地煙(左繫)溫(左言),萬物化醇;男女構精,萬物化生。易曰,三人行則損一人,一人行則得其友,言致一也。損六三爻義。少男少女,爻無不交。艮為天,坤為地,為萬物,震為生。未交則陰陽分,既交則陰陽合德,所謂同聲同氣也,故曰致一。
孔子曰く:顏氏のあの孩子は、大概差不多ならむ。善からざる處ありて自ら知らざるなし、一たび知れば便ち再び重犯せず。《易》は「不遠復、无祗悔、元吉」と言ふ。此の一節は《復》卦初九の爻義を解釋す。天地の氣は氤氳交感し、萬物は此に由りて化育醇厚す。男女は精氣を交合し、萬物は此に由りて化育生長す。《易》は「三人行則損一人、一人行則得其友」と言ふ、講ずる所は「一」に歸するの道理。これは《損》卦六三の爻義。《損》卦の下艮は少男・上兌は少女、六爻は交はらざるなし。艮は天、坤は地・萬物、震は生。未だ交合せざる時は陰陽分離し、既に交合すれば則ち陰陽合德す、卽ち謂はゆる同聲相應・同氣相求、故に「致一」と言ふ。
子曰,君子安其身而後動,易其心而後語,定其交而後求,君子修此三者故全也。危以動,則民不與也;懼以語,則民不應也;無交而求,則民不與也。莫之與剛傷之者至矣。易曰莫益之,或擊之,立心匆恆,凶。益上九爻義。二至四艮為身為安為求,震為動為言,坤為心為民。易,平也,言平易其心而後語也。
孔子曰く:君子は先ず自身を安頓し好して然る後に行動し、先ず自己の心氣を平和にして然る後に説話し、先ず交情を確定し好して然る後に請求する所有り。君子は此の三條を修養し好す、故に能く周全す。處境は危殆にして還た行動せば、百姓は便ち彼に親附せず。心は恐懼を懷きて口を開かば、百姓は便ち響應せず。交情なくして人を求むれば、百姓は便ち給與せず。給與を肯ずる人なければ、あの彼を傷害する人は便ち將に來らむとす。《易》は「莫益之、或擊之、立心勿恒、凶」と言ふ。これは《益》卦上九の爻義。二より四爻は互して艮を出す、艮は身・安・……。
子曰,乾坤其易之門邪。乾陽物也,坤陰物也,陰陽合德,而剛柔有體,以體天地之撰,以通神明之德。其稱名也,雜而不越,於稽其類,其衰世之意邪。夫易彰往而察來,而微顯闡幽,開而當名,辨物正言,斷辭則備美。其構名也小,其取類也大,其旨遠,其辭文,其言曲而中,其事肆而隱,因貳以濟民行,以明失得之報。
孔子曰く:乾坤は大概《周易》の門戶ならむ。乾は陽性の物、坤は陰性の物。陰陽はその德性を合し、剛柔は各形體あり、以て天地の造作を體現し、以て神明の德性を會通す。それの稱説する名目は駁雜と雖も範圍を逾越せず。それの歸類する方式を考察せば、恐らくは衰亂の時代の用意なるか。《周易》は既往を彰明して未來を察知し、細微の處をして顯豁ならしめ幽隱の處をして開朗ならしむ。卷を開いて名實相當し、物類を辨明し言辭を端正せば、判斷の辞句は便ち完備にして盡善。それの標擧する名目は細小、歸納する物類は卻って宏大。それの旨意は深遠、それの文辭は文采あり、それの話は委婉にして中肯、それの記する事は鋪陳にして含蓄。それは吉凶の兩端に憑りて以て百姓の行事を幫助し、以て得失の報應を闡明す。
易之興也,其於中古乎,作易者其有憂患乎。是故履,德之基也;謙,德之柄也;覆,德之本也;恆,德之園也;損,德之修也;益,德之裕也;困,德之辨也;井,德之地也;巽,德之制也。虞氏曰,中古謂庖犧,庖犧始畫卦,以前為上古,上古之人無憂患。九卦者防憂慮患之本。柄本也,所以持物辨別也。遭困之時,君子不改其常,小人必失其度,以此為別。井以水養人,取不竭,用不窮,故曰德之地。巽為命令,人君申命用事,宰制天下,故曰德之制。此陳九卦之德。
《周易》の興起は、大概中古時期に在らむか。《易》を作る人は大概心に憂患を懷けらむか。だから《履》は德行の根基、《謙》は德行の把柄、《復》は德行の根本、《恒》は德行の穩固、《損》は德行の修治、《益》は德行の寬裕、《困》は德行の分辨、《井》は德行の處所、《巽》は德行の裁斷。虞翻曰く:「中古」は伏羲を指す、伏羲は始めて卦を畫き、彼より以前は上古と算す、上古の人は憂患なし。此の九個の卦は憂慮を防ぎ禍患を禦ぐの根本。「柄」は……。分寸を亂すことを定めたり、此の一一點に憑りて便ち分辨し出づべし。井は水を用ゐて人を養ふ、汲取して盡きず使用して竭きず、故に德行の處所と言ふ。巽は命令、君主は命令を申布し政事を處理し天下を宰制す、故に德行の裁斷と言ふ。此の一段は九卦の德性を陳述す。
履和而至,謙尊而光,復小而辨於物,恆雜而不厭,損先難而後易,益長裕而不設,困窮而通,井居其所而遷,巽稱而隱。此申九卦之性,以明其重要。履下兌為和,上乾為至。謙下艮為光朋,為由,故尊而光。復陽雖微,然陽物,坤陰物,陰陽各別,故復小而辨於物,辨別也。恆六爻皆交,故雜而不厭。挹損人情之所難,故先難;久則人驚而服,故後易。虞氏以上失位為難,誤之遠矣。
《履》は平和にして通達、《謙》は謙卑にして光大、《復》は細微にして能く事物を分辨し、《恒》は駁雜にして人に厭倦せしめず、《損》は先難にして後易、《益》は增長寬裕にして造作を要せず、《困》は窮窘にして能く通達し、《井》はその本位に居りて恩澤遠く及び、《巽》は事理を權衡して隱微にして露れず。此の一段は九卦の性質を申説し、以てそれらが何以重要なるを説明す。《履》の下下體の兌は和悅、上體の乾は通達。《謙》の下體の艮は光明・由、故に謙卑にして又た光大。《復》卦の一陽は微弱と雖も、卻って陽性の物、……「分」は卽ち分别。《恒》卦の六爻は全部相交す、故に駁雜にして人に厭倦せしめず。自己を抑損するは人情の上に最も做到し難き、故に「先難」。日子は久しく人々は驚服す、故に「後易」。虞翻が上爻の失位を把って「難」を解釋するは、錯ること便ち太だ遠し。
益陽歸內,內為貞,貞為我。設陳也,天施地生,言不必設施為作,自然裕也。困下坎為通,並所居不移,而澤施於人,故居所能遷。巽為命令,舉國稱揚,然民可使由,不可使知,故稱而隱。又稱者銓衡之總名,鄭注月令云,稱錘曰權,由是以推,稱乾曰衡。後儒動謂稱即權者非也。謙傳云,稱物平施;月令云,分繭稱絲計功,是也。上巽下翼,內外平,故曰稱。巽伏故穩。
《益》卦の陽爻は內卦に歸入し、內卦は貞、貞は卽ち自己の此の一方。「設」は陳設造作。天は氣を施し地は物を生ず、必ずしも刻意に造作施爲せずして、自然に寬裕なりを言ふ。《困》卦の下體の坎は通、故に「窮而通」。《井》の處する位置は固定移らず、而して恩澤は卻って人に施及す、故に「居其所而遷」と言ふ。巽は命令、舉國上下は皆それを稱頌す。然るに百姓はただそれらをして照りて做らしむべく、それらをして全部明白せしむるは能はず、故に「稱而隱」と言ふ。再び言へば「稱」は衡器の總名、鄭玄が《月令》を注して「稱」を卽ち「權」と言ふは、對らず。《謙・彖傳》は「稱物平施」と言ひ、《月令》は「分繭稱絲計功」と言ふ、皆是れ此の用法。《巽》卦の上下兩體は皆巽、內外は均平、故に「稱」と言ふ。巽は潛伏を主る、故に「隱」と言ふ。
履以和行,謙以制禮,復以自知,恆以一德,損以遠害,益以興利,國以寡怨,井以辨義,巽以行權。此言九卦之用。履乾為行,兌悅故行和。凡禮以謙為主,故以制禮。恆不易方,故一德。損互坤為害,泰初往坤上,害不能及,故遠害。富貴易為人忌,困則無忌者,故寡怨。風進退,故行權。
《履》は行爲を調和するに用ゐ、《謙》は禮數を節制するに用ゐ、《復》は自己を反省知るに用ゐ、《恒》は德行を專一にするに用ゐ、《損》は禍害を遠離するに用ゐ、《益》は利益を興起するに用ゐ、《困》は怨尤を減少するに用ゐ、《井》は義理を分辨するに用ゐ、《巽》は權變を施行するに用ゐ。此の一段は九卦の功用を講ず。《履》卦の乾は行、兌は喜悅を主る、故に行動は和順。凡そ禮は皆謙を以て主と爲す、故に以て禮數を節制す。《恒》卦は方所を改變せず、故に德行は專一。《損》卦の互體の坤は禍害、《泰》卦の初爻は上に往きて坤の上位に至れば、禍害は便ち及ぶ能はず、故に禍害を遠離すと言ふ。富貴は容易に人の妒忌を招く、困頓は反って人の妒忌するなし、故に怨尤は少なしと言ふ。巽は風、進む有り退く有り、故に能く權變を施行す。
易之為書也不可遠,其為道也屢遷,變動不居,周流六虛,上下無常,剛柔相易,不可為典要,唯變所適。其出入以度,外內使知懼,明於憂患與故,無有師保,如臨父母。初率其辭而揆其方,既有典常,苟非其人,道不虛行。正義云屢遷,謂乾初潛龍,乾二見龍是也。變動不居,若一陽生為復,二陽為臨,無或停息,是也。六虛六位也。上下無常如二五相上下,泰二得上於中行是也。適往也,如乾初得九,則往娠也。乾元亨利貞,垢(左女)則天地相遇,卦德迥不同,故曰不可為虛典要。
《周易》の此の書は疏遠すべからず、それの講ずる道理は屢屢遷移し、變動して一處に停留せず、六個の爻位の間に周流し、忽上忽下にして定準なし、剛柔は互相更替し、固定の條例と爲す能はず、ただ變化に隨りて往く所あり。その出入進退は皆法度あり、人をして內に在り外に在りて皆戒懼を知らしむ。それは人をして憂患の由來を明白せしむ、師傅保姆は旁に在らずと雖も、卻って父母の親臨あるが如し。開頭はその文辭に依循してその義理を揣度すれば、自然に常規あって循るべし。但し假令あの樣の人に非ざれば、此の道理は憑空に來らざるなり……。《泰》卦九二の「得尚于中行」は卽ち是れ。「適」は往、例へば《乾》卦の初爻は九を得れば、便ち《姤》卦に往く。《乾》卦は元亨利貞、《姤》卦は卻って「天地相遇」、卦德は全然同じからず、故に固定の條例と爲す可からずと言ふ。
往外為出,來內為人,往來出人,皆有一定之度數,不能混淆。如初與四相往來,二與五相往來,三與上相往來,倘不能相往來,則中必有疾,如鼎二曰我仇有疾是也。疾則懼矣,懼則知所防矣,故曰明於憂患與故。率正也,揆度也,方道也,言正其初首之辭,而度其終未之道,盡有典常,故非文王不能明其道也。
外卦に往くを「出」と曰ひ、內卦に回るを「入」と曰ふ。一往一來・一出一入は、皆一定の度數あり、混淆すべからず。例へば初爻與四爻は互相往來し、二爻與五爻は互相往來し、三爻與上爻は互相往來す。倘若彼此往來して通通ぜざれば、中間に必ず毛病あり、《鼎》卦九二の「我仇有疾」と言ふが如し。毛病あれば便ち戒懼し、戒懼すれば便ち防範を懂得す、故に「明于憂患與故」と言ふ。「率」は端正、「揆」は揣度、「方」は道理。意思はその開頭のあの一句の文辭を端正して、以てその終末の義理を揣度す、其中に自ずから常規あって循るべし、故に文王の此の如き人に非ざれば、便ち其中の道理を闡明する能はずと言ふ。
易之為書也,原始要終以為質也。六爻相雜,唯其時物也。其初難知,其上易知,本末也。初辭擬之,年成之終。若夫雜物撰德,辨是與非,則非其中爻不備。噫,亦要存亡吉凶,則居可知矣。知者觀其彖辭,則思過半矣。原始如乾初九潛龍勿用,是原始也;上九亢龍有侮,是要終質本也。物陽物陰物,六爻剛柔相雜,然爻各有其時,各有其物,時物當則吉,否則凶也。本末初上也,初則事微故難知,上則事彰故易知。初擬議之,卒終成之。假如噬嗑初九,善惡在擬議之間,至上九則凶災彰徹,一成不變也,故曰卒成之終。
《周易》の此の書は、開端を推究し終局を歸結して以て卦體の本質と爲す。六爻は錯雜して一處に在り、無非是れ各自の時位與物類のみ。初爻の意思は知り難く、上爻の意思は知り易し、これは本與末との關係。初爻の辞はただ摹擬推測し、末爻に到りて始めて最終定局す。至りて物類を錯雜し德性を撰述し是非を辨別するは、則ち中間の幾爻に非ずして完備する能はず。唉、存亡吉凶を知らむと欲せば、平居も亦た推知する能ふ。明智の人はただ彖辞を看れば、思慮は已に過半なり。謂はゆる「原始」は、例へば《乾》卦の初……。事情は尚微、故に知り難し。上爻は事情已に顯れり、故に知り易し。初爻はただ摹擬商量、末爻は始めて最後に完成す。譬へば《噬嗑》初九は、善惡は還た商量すべきの間に在り、上九に到れば則ち凶災は昭彰して、定局を成して改更する能はず、故に「卒成之終」と言ふ。
雜物,言陰陽相雜也。撰數也,撰德者,言數合陰陽之德,而別其是非也。中爻謂中四爻,二至四互一卦,三至五互一卦,京氏所謂一卦備四卦之用也。吉凶是非,初引其端,上考其成,至其詳盡,則在中四爻,故曰非中交不備。中爻之是非既明,則吉凶已著。居處也,處乾吉則存,處坤凶則亡,故曰居可知。
「雜物」とは陰與陽と彼此交雜するを言ふ。「撰」は數、「撰德」とは數を用ゐて陰陽の德性に配合し、從りて其中の是與非とを分别すを言ふ。「中爻」は中間の四爻を指す:二至四爻は互して一卦を出し、三至五爻は互して一卦を出す、卽ち京房の謂ふ一個の卦が四個の卦の功用を兼備す。吉凶是非は、初爻はその端緒を引出し、上爻はその結果を考察す、至りて詳盡の內容は、全く中間の此の四爻に在り、故に「非中爻不備」と言ふ。中爻の是非は一たび弄明白せば、吉凶も亦た昭然として見るべし。「居」は處する位置:乾位に處れば則ち吉にして存を得、坤位に處れば則ち凶にして亡に趨す、故に「居可知」と言ふ。
二與四同功而異位,其善不同,二多譽,四多懼,近也。柔之為道,不利遠者,其要無咎,其用柔中也。三與五同功而異位,三多凶,五多功,貴賤之等也,其柔危,其剛勝邪。二四同為坤位,故同功,而二位在內,且居中,故異位。三五同為乾位,故同功,而五在外,且居中,故異位。近謂二在內卦,遠謂四在外卦。柔之為道不利遠,二近故多譽,四遠故多懼。其謂近五故懼者非也。三五皆陽位,故柔爻居之危,剛爻居之勝。
二爻與四爻は功用相同じくして位置は同じからず、それらの好處も亦た一樣ならず:二爻は稱譽を得る多く、四爻は戒懼する多し、四爻は離るること遠ければなり。柔の品性は遠處に處るに利せず、その要領は過錯を出さざるに在り、靠る所は柔順にして中を守る。三爻與五爻は功用相同じくして位置は同じからず:三爻は凶險多く、五爻は功業多し、これは貴賤の等級の造成する差別。彼處は柔爻が居れば則ち危、剛爻が居れば始めて勝任なるか。二爻與四爻は同じく坤位に屬す、故に「同功」。而して二爻は內卦に在り、又た中位に居る、故に「異位」。三爻與五爻は同じく……。「遠」は四爻の外卦に在るを指す。柔の品性は遠處に利せず、二爻は近ければ故に稱譽多く、四爻は遠ければ故に戒懼多し。或る人は四爻は九五に逼近するに因りて戒懼すと言ふ、あれは對らず。三・五は皆陽位、故に柔爻がその位に居れば便ち危險、剛爻がその位に居れば始めて勝任す。
易之為書也,廣大悉備,有天道焉,有人道焉,有地道焉,兼三才而兩之故六,六者非他也,三才之道也。道有變動故日文,支有等故曰物,物相雜故曰文,文不當故吉凶生焉。文不當謂不當位。干寶云,等群也,爻中之義群物交集也。
《周易》の此の書は、廣大にして備はらざる所なし:其中有り天道あり、人道あり、地道あり。三才を兼取して各自加倍す、故に六畫、此の六畫は別のものに非ず、正に三才の道なり。道に變動あり、故に「爻」と曰ふ。爻に等級あり、故に「物」と曰ふ。物類は互相錯雜す、故に「文」と曰ふ。文采は配置當らず、吉凶は便ち此に由りて產生す。「文不當」とは爻の當位せざるを言ふ。干寶曰く:「等」は群類、爻中の意義は正に各種物類の交會聚集に在り。
易之興也,其當殷之末世,周之盛德邪,當文王與紂之事邪。是故其辭危,危者使平,易者使傾,其道甚大,百物不廢,懼以終始,此要無咎,此之謂易之道也。言易辭憂危慮患,或為文王事紂,囚於羌里時所為。干寶何妥等,便指某卦爻辭指周某事,其因皆緣誤釋此二語,與虞翻之誤解不可為典要,唯變所適,浪用卦變突變同也。易平易也,危者使平,如否上先否後喜是也;易者使傾,如泰上城復于隍是也。
《周易》の興起は、大概正に殷代末年・周德方盛の時に當らむか、正に文王與紂王との彼の一段の史事に當らむか。故にその文辭は憂危に充滿す:憂危戒懼の人は、それをして平安を得しむ。輕慢懈怠の人は、それをして傾覆に趨らしむ。その道理は極めて廣大、萬事萬物は遺漏する所なし。始終戒懼を保持す、これ始めて「无咎」の要領、これを《易》道と曰ふ。これは《周易》の文辭が憂危慮患に充滿すを言ふ、或は文王が紂王に侍奉し羑里に囚はるる時に作れるか。干寶・何妥の此の輩は便ち某卦某爻の辞を指して……此の兩句は、虞翻が「不可爲典要、唯變所適」を誤解して卦變を濫用する與同一類の毛病。「易」は輕慢平易。「危者使平」は、例へば《否》卦上九の「先否后喜」。「易者使傾」は、例へば《泰》卦上六の「城復于隍」。
夫乾天下之至健也,德行恆易以知險;夫坤天下之至順也,德行恆簡以知阻。能說諸心,能研諸侯之慮,定天下之吉凶,成天下之AA?者。居易不忘險,行簡知有阻。阻險阻也,知有險阻,然後可免於患難。能諸慮,諸下衍侯之二字。AA?王肅云勉也。
乾は天下の最も剛健、その德行は永遠に平易、因りて能く險難を識破す。坤は天下の最も柔順、その德行は永遠に簡約、因りて能く阻礙を識破す。それは人をして心中喜悅せしめ、人をして思慮を精研せしめ、天下の吉凶を判定し、天下の勤勉不倦の事業を成就す。平易に身を處して險難を忘れず、行事は簡約にして阻礙あるを知る。「阻」は卽ち險阻。險阻あるを知りて、然る後に始めて患難を免るべし。「能研諸慮」の此の一句は、「諸」字の下に「侯之」の兩字が衍出す。至りて「亹亹」は王肅は勉力不倦と訓ず。
是故變化云為,吉事有詳,象事知器,占事知來。天地設位,聖人成能,人謀鬼謀,百姓與能。詳祥音同通用,朕兆也,言吉凶必有先兆也。象事知器,此言占驗之事,如郭璞洞林,遇兌知有銅擇(左金),遇坎知有銅擇(左金)六枚也。唯聖人能盡天地之性,故曰成能。人謀鬼謀,言易道深至;百姓與能,言其庸近,所謂夫婦之愚可以與知也。
だから萬事の變化與人の言行擧動は、吉利の事は必ず先に徵兆あり。象を觀て以て器物を豫知し、占筮して以て未來を豫知す。天地は上下の位置を設定し、聖人は其中の功能を成就す。人の謀劃ありて、又た鬼神の謀劃あり、百姓を連ねても亦た此の份の功能に參與する能ふ。「詳」與「祥」は音同じくして通用し、朕兆を指す、吉凶は必ず先に徵兆ありを言ふ。「象事知器」は占驗靈應の事を講ず、例へば郭璞《洞林》の中に兌卦を占得れば便ち銅鐸あるを知り、坎卦を占得れば便ち銅鐸は共に六枚あるを知る。ただ聖人のみ能く窮盡す……。
八卦以象告,支象以情言,剛柔雜居,而吉凶可見矣。變動以利言,吉凶以情遷。是故愛惡相攻而吉凶生,遠近相取而悔吝生,情偽相感而利害生。幾易之情,近而不相得則凶,或害之,悔且吝。
八卦は物象を用ゐて以て人に告げ、爻辞與彖辞は實情を用ゐて以て説明す。剛爻柔爻は交雜して居り、吉凶は便ち看出すべし。變動は利害に就きて言ふ、吉凶は實情に隨りて遷移す。だから愛與惡と互相攻擊すれば、吉凶は便ち產生す。遠與近と互相取用すれば、悔吝は便ち產生す。眞誠與虚僞と互相感應すれば、利害は便ち產生す。大凡《周易》の講ずる人情は、相鄰りて近くして卻って彼此相投合せざれば便ち凶、或は傷害を遭受し、或は悔恨與羞吝に陷入す。
凡萬物之象,皆包括於八卦之中。筮得某卦,必有四象,上下卦並上下互是也。至於卦爻辭則明卦情。占者以象為本,以情為用。如公子完生,筮得觀之否,觀上風下地,而坤為國,互艮為山,告之以象矣;觀國之光,利用賓于王,爻則言其情也。
天下萬物の形象は、全部八卦の中に包羅す。占筮して某一卦を得れば、此の一卦は便ち必ず四個の象を含有す:上卦・下卦、再び第三爻より第五爻に互りて成す「上互」、第二爻より第四爻に互りて成す「下互」を加ふ。至りて卦辞爻辞は、講ずる所は則ち此の一卦の情態。占斷する人は、「象」を以て根本と爲し「情」を以て運用と爲すべし。例へば《左傳》は陳厲公の子敬仲が出生する時に占筮して、《觀》卦が《否》卦に變ずるを得るを記す:《觀》卦の上巽は風・下坤は地、坤は又た「國」の象あり、第三爻より第五爻は……。
變動以利言。如觀六四動成乾,風為天於土上,愈變而利愈明,益動而其情益吉,故曰變動以利言,吉凶以情遷。攻,摩也,愛惡相攻即剛柔相摩也。陽遇陰,陰遇陽,則相求相愛,復朋來無咎、革六二征吉是也。陽遇陽,陰遇陰,則相敵相惡,如頤六二行失類、征凶,鼎九二慎所之是也。愛則吉,惡則凶,故愛惡相攻而吉凶生。
《繫辭》は「變動以利言」と言ふ、卦爻の變動は利與不利の上に着眼するを要すを言ふ。就く《觀》卦六四は一たび動けば、上卦の巽は便ち乾に變じ、原先の「風行地上」は便ち「天在土上」と成る、愈々變じて利益は愈々顯豁。愈々動きてその情態は愈々吉。故に「變動以利言、吉凶以情遷」と言ふ。「攻」は摩蕩の意思、「愛惡相攻」は亦た卽ち《繫辭上傳》の謂ふ「剛柔相摩」。陽爻が陰爻に遇ひ陰爻が陽爻に遇へば、異性相求め、彼此愛悅す、《復》卦は「朋來无咎」と言ひ《革》卦は……。
遠近相取而悔吝生者,遠謂應,近謂比。例如同人六二,遠取五為正應,近又比三,故吝。感六二亦然,故遠近不能兼取。中孚六四曰絕類上,近取也;近取上則不遠取初,故曰馬匹亡也。情者陽,偽者陰,陰陽相感,有利有害,絕不相同。例如益初九感四則利,上九感三,則五為敵而害之矣。下曰近而不相得則凶,或害之,正申其故也。
「遠近相取而悔吝生」の「遠」は相應を指し、卽ち初與四・二與五・三與上。「近」は相比を指し、卽ち相鄰の兩爻。例へば《同人》六二は、遠處に往きて九五を取りて正應と爲し、近處に往きて又た九三と相比す、兩頭を皆要す、故に爻辞は「吝」と言ふ。《咸》卦六二も亦た此の種の情形、見るに遠近は兼取する能はず。《中孚》六四《象傳》は「絕類上」と言ふ、あれは遠を舍てて近を就きて上九を取る。既に近く上九を取れば、便ち再び遠く初九を取りて應と爲さず、故に爻辞は「馬匹亡」と言ふ。「情」は陽を指し、「僞」は陰を指す。陰陽は……。
將叛者其辭塹(下心),中心疑者其辭枝,吉人之辭寡,躁人之辭多,誣善之人其辭游,失其守者其辭屈。
將に背叛せむとする人は、言辭の裡に慚愧を帶ぶ(「慙」は卽ち「慚」字)。心中疑惑定まらざる人は、言辭は枝蔓雜亂。吉善の人は話少なく、浮躁の人は話多し。好人を誣陷する人は、言辭は游移閃爍。操守を喪失する人は、言辭は屈曲にして直ならず。
荀爽以易辭為解,虞翻謂指六子。按易之本在乾坤,而其用在六子,虞氏之說似為得之。以六子測人之情偽,不得於此必於彼,無有遁形矣,故於下繫終言之,示人以涉世之方。離正覆兌相反,叛者反也,而中虛,故其辭斬(下心)。坎上下兌口相背,故疑;坎為中為心,故曰中心疑。水性技溢,故其辭枝。震為言,震反為艮,故言寡;艮為人,艮止而靜,故曰吉人。震為決躁,似兌而長舌,故辭多。兌為口舌,陰掩陽,故曰誣善;柔乘剛,故其辭游。風進退不果,故失其守。陰伏在下,故其辭屈。
此の一章は、荀爽はそれを《周易》卦爻辞の辞氣に解し、虞翻は則ち震・巽・坎・離・艮・兌の六個の子卦を指すと言ふ。按ずるに《易》の根本は乾・坤の兩卦に在り、而してその運用は六子卦に在り、虞翻の説法は更に取るべきに似たり。六子の象を用ゐて以て人情の眞僞を測度す、此の一卦は測り出づる能はざれば、彼の一卦は必ず測り出づる能し、人の心跡は便ち遁形するに由なし。だから孔子は《繫辭下傳》の末尾に於いて此の一段を講ず、人に一套の立身涉世・察言觀人の方法を教ふるを要す。取象に就きて言へば:離卦は正看は離・倒看は兌と成り、兩者は相反す、……。
周易尚氏學卷二十・説卦
昔者聖人之作易也,幽贊於神明而生蓍,參天兩地倚數。案參兩之說,先儒不同。馬融、王肅並云:天數五,地數五,五位相合,以陰從陽;天得三合,謂一三與五也;地得兩合,謂二與四也。鄭玄云:天地之數備於十,乃參之以天,兩之以地,而倚乇(左言)大衍之數五十也;必三之以天、兩之以地者,天三覆,地二載,必極於數,庶得吉凶之審。虞翻云:謂分天象為三才,以地兩之,立六畫之數。倚,馬融訓依,虞、王訓立。
《説卦傳》曰く:從前聖人は《易》を創作し、幽深に神明の功用を贊助して蓍草占筮の法を創制し出で、天數三・地數二に取法して筮數を建立す。尚氏按ずるに:「參天兩地」に對する解釋は、前代の學者は説法一ならず。馬融・王肅は皆曰く:天數は五個あり、地數は五個あり、五個の位次は兩兩相配して、陰を以て陽に從ふ。天は「三」の此の合數を得、指す所は一・三與五。地は「兩」の此の合數を得、指す所は二與四。鄭玄曰く:天地の數は十に完備す、ここに於いて天數を以て三倍し地數を以て二倍し、從りて依托し出で……。
按參兩者乃數之本原。馬王謂一三五為參天,二四為兩地。夫一二三四五乃生數,故數止於五。五數既立,以此為本,加一為六,二為七,三為八,四為九,而蓍數乃出。然則六七八九之成數,皆原於一二三四之生數,故曰倚數,言數皆依此立也。馬王之說是也。
尚氏按ずるに:「參」「兩」は乃是れ數の本原。馬融・王肅は一・三・五を「參天」、二・四を「兩地」と言ふ。一・二・三・四・五は「生數」、故に數はただ五に至りて止まる。五の此の數は一たび確立せば、便ちそれを以て基準と爲す:一を加へて六を得、二を加へて七を得、三を加へて八を得、四を加へて九を得、占筮の用ゐる所の六・七・八・九は便ち此に由りて產生す。則ち六・七・八・九のこれらの「成數」は、全部一・二・三・四のこれらの「生數」に本原す、故に《説卦》は「倚數」と言ふ、意思は筮數は皆此に依托して……。
天奇地耦。大行五十,兩地也;用四十有九,參天也。分二,兩地;掛一,參天;揲四,兩地;歸奇,參天。三變得三奇,三三而九,參天也;三變得三耦,二三得六,兩地也;三變而兩奇一耦,則為人,兩地也;兩耦一奇則為七,參天也。蓋欲知來,必先極數,而極數之法,必參兩回互,以此為本也。
天數は奇、地數は偶。大衍之數五十は、「兩地」の象。實際に四十九根の蓍草を用ゐるは、「參天」の象。蓍草を兩份に分作すは、「兩地」。其中より一根を掛出すは、「參天」。四根四根に數へ過ぐるは、「兩地」。餘數を指間に歸入すは、「參天」。三變の後に三個の奇數を得れば、三三は九を得、「參天」に屬す。三變して三個の偶數を得れば、二三は六を得、「兩地」に屬す。三變して兩奇一偶を得れば、卽ち八(原文「人」は當に「八」字の訛)、「兩地」に屬す。兩偶一奇は卽ち七……。
觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生支,和順於道德而理於義,窮理盡性以至於命。昔者聖人之作易也,將以順性命之理,是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。兼三才而兩之,故易六畫而成卦;分陰分陽,迭用柔剛,故易六位而成章。
《説卦》曰く:聖人は陰陽の變化を觀察して卦體を確立し、剛柔の推移の上に盡情發揮して爻畫を生出す。それをして道德に和順せしめ、義理に條理せしめ、物理を窮究し物性を極盡し、以て天命に通曉するに至る。從前聖人は《易》を創作し、それを用ゐて性與命との道理に順應せむと欲す、故に天の法則を確立して「陰」與「陽」と曰ひ、地の法則を確立して「柔」與「剛」と曰ひ、人の法則を確立して「仁」與「義」と曰ふ。天・地・人の三才を兼收して各自加倍す、故に《易》は六畫を以て一卦を組成す。六畫は又た陰……を分出す。
一三五陽,二四六陰,柔交居陰位,剛爻居陽位,則當位,否則失位,以此為用。虞翻曰:和順謂坤,道德謂乾,以乾通坤謂之理義,以乾推坤謂之窮理,以坤變乾謂之盡性;性盡理窮,故至於命,巽為命也。
尚氏按ずるに:初・三・五は陽位、二・四・六は陰位。柔爻は陰位に居り剛爻は陽位に居れば、便ち「當位」と曰ふ、然らざれば便ち「失位」と曰ふ、《易》は卽ち此を以て用と爲す。虞翻曰く:「和順」は坤を指し、「道德」は乾を指す。乾を用ゐて坤を貫通するを「理義」と曰ひ、乾を用ゐて坤を推衍するを「窮理」と曰ひ、坤を用ゐて乾を變化するを「盡性」と曰ふ。性已に盡き理已に窮まり、故に能く「至于命」す、而して巽卦は正に「命」の逸象あり。
天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯。數往者順,知來者運,是故易逆數也。此先天卦位也。天地定位,言乾位南坤位北也。薄,人也;射,厭也;錯,妗也,交也。言八卦方位,陽錯陰,陰錯陽,無一卦不相對,無一爻不相交也。此純指先天八卦之方位形式,故特申之曰八卦相錯。太玄玄告準說卦者也,玄告云:天地相對,日月相劌,山川相流,輕重相浮。又曰:南北定位,東西通氣,萬物錯處於其中。
《説卦》曰く:天地は上下に定位し、山澤は氣息相通じ、雷風は互相激蕩し、水火は互相厭棄せず、八卦は彼此交錯す。已往を數ふるに順なるは順、將來を推すに逆なるは逆、故に《易》は逆推の數。尚氏按ずるに:此の一節の講ずる所は先天卦位。「天地定位」とは、乾は南に居り坤は北に居るを言ふ。「薄」は迫近、「射」は厭棄、「錯」は交雜・交互。八卦の方位を言言ふ、陽與陰は相錯し陰與陽は相錯し、一卦も兩兩相對せざるなく、一爻も彼此相交せざるなし。これは純粹に先天八卦の方位格局を指す……。
按天地相對,南北定位,即謂乾南坤北也;日日月相會,東西通氣,謂離東坎西也。天地水火,四正卦也。曰山川相流,輕重相浮,萬物鍺處於其中,即謂四隅卦也,正釋此也。又乾鑿度曰:其位也,天在上,地在下,君南臣北,父坐子伏。易若以坤西南、乾西北為定位,尚得謂天在上、地在下乎?尚得謂君南臣北乎?當然別有所指。
尚氏按ずるに:《玄告》は「天地相對」「南北定位」と言」と言ふ、卽ち乾は南に在り坤は北に在るを指す。「日月相會」「東西通氣」と言ふは、卽ち離は東に在り坎は西に在るを指す。天・地・水・火は四個の正方の卦。それは「山川相流、輕重相浮、萬物錯處于其中」と言ふ、指す所は便ち四個の隅角の卦、これ正に《説卦》の此の一章を解釋す。《乾鑿度》は又た曰く:方位に就きて言へば、天は上に在り、地は下に在り、君は南に在り、臣は北に在り、父は坐りて子は俯伏す。《周易》若し真に坤を西南に居り乾を西北に居るを以て定位と爲さば、還た……。
乾鑿度又云:天地之道立,山澤雷風水火之象定矣,其散佈用事也,震生物於東方,離長之於南方,兌收之於西方,坎藏之於北方。與下帝出乎震之方位同。夫曰散佈用事,則震東兌西、離南坎北,未用事之先,不在此也明矣。乾鑿度於乾南坤北變為離南坎北之故,言之可謂悉。
《乾鑿度》は又た曰く:天地の法則は一たび確立せば、山澤・雷風・水火の卦象も亦た便ち定まる。それらが散布し開きて各司その事の時に到れば、震は東方に於いて萬物を生發し、離は南方に於いてそれをして長大せしめ、兌は西方に於いてそれをして收斂せしめ、坎は北方に於いてそれをして閉藏せしむ。これは下文の「帝出乎震」の一節の講ずる方位と相同じ。既に「散布用事」と言ふ、見るに震東・兌西・離南・坎北は皆用事したる後の位置、未だ用事せざる之前は並びにこれらの方位に在らず、これ便ち甚だ明白なり。《乾鑿度》は由りて乾南坤北より離南坎……に變ずる……。
數往者順,謂四陽卦;知來者逆,謂四陰卦。陽性強健,其動直,自內往外,順行,放日數往者順;陰性斂嗇閉藏,自外來內,逆行,故曰知來者逆。逆,迎也。陽往陰來,自然相遇,相遇然後相交,易道乃成,故曰易逆數也。言陽逆陰,陰逆陽,故能定位、通氣、相薄、不相射也。此仍言八卦相錯之理,相錯故陰陽能相逆,不相錯則陰自陰、陽自陽,胡能相值而相交哉。
「數往者順」は、乾・震・坎・艮の四個の陽卦を指す。「知來者逆」は、坤・巽・離・兌の四個の陰卦を指す。陽性は強健にして、運動は徑直、內より外に向かひて走る、順行、故に「數往者順」と言ふ。陰性は收斂閉藏にして、外より內に向かひて來る、逆行、故に「知來者逆」と言ふ。「逆」はここは迎接の意思。陽往きて陰來り、自然相遇す。相遇して然る後に相交す、《易》道は始めて得て成立す、故に「易逆數也」と言ふ。これは陽は陰を迎へ陰は陽を迎ふるを言ふ、故に八卦は始めて能く定位し通氣し相薄りて相厭せず……。
雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以暄之,艮以止之,兌以說之,乾以君之,坤以藏之。匹耦對舉,與前節位同,不過先六子後父母耳。帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎又。
《説卦》曰く:雷は萬物を鼓動するに用ゐ、風は萬物を吹散するに用ゐ、雨は萬物を滋潤するに用ゐ、日は萬物を溫煦するに用ゐ、艮は萬物をして靜止せしむるに用ゐ、兌は萬物をして欣悅せしむるに用ゐ、乾は萬物に君臨するに用ゐ、坤は萬物を收藏するに用ゐ。尚氏按ずるに:ここは兩兩對を成して擧出す、方位は上一節と相同じ、ただ先に六子卦を説き後に乾坤の父母卦母卦を説くのみ。《説卦》は又た曰く:帝は震方より出で、巽方に於いて整齊し、離方に於いて相見し、坤方に於いて勞作を致力し、兌方に於いて喜悅言説し、乾方に於いて交戰し、坎方に於いて慰勞し、艮方に於いて成就す(「又」は「艮」……)。
馬國翰曰:此連山易文,見干寶周禮注引。按此言後天卦位,周易用之,恐人不知,故下節即連山易文,逐字逐句而詳釋其義,並明指其方位,以見與上文所言方位絕不同也。帝,神也,即主宰萬物者也。舊解皆忽略下節乃解釋此節,致此節皆成贅文。來知德曰:此專明六子之功用,然孤陽孤陰不能生物,必依先天卦位,使六子相錯相交,然後能變化既成萬物也。
馬國翰曰く:此の一段は《連山易》の文字、干寶《周禮注》の引用に見ゆ。尚氏按ずるに:ここの講ずる所は後天卦位、《周易》はそれを採用す。人の明白せざるを怕れ、故に下一節は緊接して《連山易》の原文を、逐字逐句詳細にその意思を解釋し、并せて明確に各卦の所在する方位を指出し、以て上文の謂ふ先天方位と絕對に同じからざるを見得せむ。「帝」は卽ち神、亦た卽ち萬物を主宰する者。舊注は皆下一節が正に本節に對する解釋たるを忽略し、以致本節を多餘の重複と看す。來知德曰く:此の一段は專ら闡……。
乾健也,坤順也,震動也,巽入也,坎陷也,離麗也,艮上也,兌說也。此言八卦之性情。乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞,坎為豕,離為雞,艮為狗,兌為羊。此所謂遠取諸物。巽為難,九家云:應八風也,風應節而變,變不失時,難時至而鳴,與風相應。杭辛齊曰:雞善伏。按巽為伏,然上兩解皆未必協,則謂其義至今未明可也。兌為羊,純取其形似,舊解謂羊性狠者非也。
《説卦》曰く:乾の性は剛健、坤の性は柔順、震は奮動、巽は入伏、坎は陷險、離は附麗、艮は靜止(「上」は「止」字の訛)、兌は喜悅。これは八卦の性情を講ず。又た曰く:乾は馬、坤は牛、震は龍、巽は雞、坎は豕、離は雉、艮は狗、兌は羊——これ卽ち《繫辭》の謂ふ「遠取諸物」。尚氏按ずるに:巽の雞たる所以は、《九家易》曰くそれが八方の風に應和せばなり、風は節候に按りて變じ變じてその時を失はず、雞は時辰に按りて啼きて正に風と相應す……。
乾為首,坤為腹,震為足,巽為股,坎為耳,離為目,艮為手,兌為口。此近取諸身。坎窖也,故為耳;經以兌為耳,皆取其形。舊解謂坎北方屬腎,腎主耳;又謂坎北方主聰,故為耳,皆非。以上二十四象,昔人謂之本象。
《説卦》曰く:乾は頭、坤は腹、震は足、巽は大腿、坎は耳、離は眼、艮は手、兌は口。これ卽ち「近取諸身」。尚氏按ずるに:坎に窟窖の象あり、中間は凹陷す、故に耳と爲す。《周易》經文の中は又た兌を以て耳と爲す、兩者は皆その形狀相似を取る。舊注は坎は北方に居り五臟に於いて腎に屬し、腎は耳に開竅すと言ひ、又た坎は北方に在りて聰聽を主る故に耳と爲すと言ふ——皆對らず。以上の八卦性情・遠取諸物・近取諸身は共に二十四個の象、前人は之を「本象」と稱す。
乾天也,故稱乎父;坤地也,故稱乎母;震一索而得男,故謂之長男;巽一索而得女,故謂之長女;坎再索而得男,故謂之中男;離再索而得女,故謂之中女;艮三索而得男,故謂之少男;兌三索而得女,故謂之少女。
《説卦》曰く:乾は天、故にそれを父と稱す。坤は地、故にそれを母と稱す。第一次求索して男を得、故に長男と曰と曰ふ、卽ち震。第一次求索して女を得、故に長女と曰ふ、卽ち巽。第二次求索して男を得、故に中男と曰ふ、卽ち坎。第二次求索して女を得、故に中女と曰ふ、卽ち離。第三次求索して男を得、故に少男と曰ふ、卽ち艮。第三次求索して女を得、故に少女と曰ふ、卽ち兌。
索,求也。陰與陽互相求,文言曰同聲相應、同氣相求是也。陽求陰得三男,陰求陽得三女,而以初中上三爻為次序,實經之所用不與盡同。如隨以震為小子、艮為丈夫,大過以巽為女妻、以兌為老婦,與此正相反。蓋以二人言,先生者為長,次為幼;而以一人言,則初爻為幼,至上而老矣。此其理除焦氏易林外,餘無知者。易林以兌為老婦,巽為少齊,初讀之皆莫明其義,後乃恍然知其悉本於易也。
「索」は卽ち求。陰與陽と互相求取す、《文言傳》は「同聲相應、同氣相求」と言ふ、正に此の意。陽は陰を求めて震・坎・艮の三男を得、陰は陽を求めて巽・離・兌の三女を得、并せて初爻・中爻・上爻を以て長・中・少の次序を定む。但し《周易》經文の實際の用ゐる所は、此と並びに完全に相同じからず。例へば《隨》卦は震を以て「小子」・艮を以て「丈夫」と爲し、《大過》は巽を以て「女妻」・兌を以て「老婦」と爲す、《説卦》の長少の序と恰好相反す。これは因りて:若し兩個の人に就きて相比して言へば、……。
朱子謂說卦之象,求之於經亦不盡合。讀哉其有不合,蓋說卦乃自古相傳之象,至周易愈演愈精,故經所用象不盡與說卦同。虞翻等必執說卦以解經,至大過創為二應上、初應五之惡例,以求其合,其誤遂不可言矣。
朱熹曰く《説卦》の載する所の象は、《周易》經文の中に把って印證に往くも、亦た能く完全に相合せず。彼の説く所は確かに錯らず。これは因りて《説卦》の記する所は乃是れ古より相傳するの舊象、《周易》の成書する時に到りて取象は已に愈々推して精蜜、故に經文の用ゐる所の象は、《説卦》と同じからざるを盡くさず。虞翻の此の一派の人は偏ねて《説卦》を死守して以て經を解せむと欲し、甚だしきは《大過》卦の中に「二應上」「初應五」の此の類の荒謬の應爻體例を生造して勉强湊合す、その錯誤は便ち勝ちに言ふべからず。
乾為天,為圜,為君,為父,為玉,為金,為寒,為冰,為大赤,為良馬,為老馬,為瘠馬,為駁馬,為木果,為龍,為直,為衣,為言。依九家本增,下同。金玉象其純粹。西北不同風,陰寒之地,故為寒冰。乾舍於離,南方火,故為大赤。乾健故為馬。凡物皆有初壯究,故由良馬而老而瘠而駁。木果形皆圜,無他義。其以駁為食虎豹之獸,或又本陸機詩疏謂駁為木,皆非。乾上放為衣。
《説卦》曰く:乾は天、圓、君、父、玉、金、寒、冰、大赤、良馬、老馬、瘦馬、雜色馬、樹上の果實、龍、直、衣、言。(末の四象は龍・直・衣・言は、《九家易》本に依りて增補す、以下の各卦の增補する者は此と同じ。)尚氏按ずるに:金與玉は、その質地の純粹を取る。乾位は西北、他方の風と同じからず、陰寒の地、故に寒・冰と爲す。乾は離に寄舍し、離は南方の火、故に大赤と爲す。乾は性剛健、故に……と爲す。
坤為地,為母,為布,為釜,為吝嗇,為均,為子母牛,為大輿,為文,為眾,為柄,其於地也為黑,為牝,為迷,為方,為囊,為棠,為黃,為帛,為漿。坤德偏布萬物以致養,故為布。外府注云:布,泉也,凡錢藏者曰泉,行者曰布,取名於水泉,其流行無不偏。按本為水,故象泉布。萬物資地成熟,故為釜。坤閉故吝嗇。不擇而生故為均。坤為牛,地生生不已,今之童牛,不日又生子而為母矣,故為子母牛。萬物依之為本故為柄。坤文故為帛。坤為水,故為漿。
《説卦》曰く:坤は地、母、布、釜、吝嗇、均平、小牛を帶ぶる母牛、大車、文采、衆多、柄。地に就きて言へば黑。又た雌、迷、方、囊、裳、黃、帛、漿と爲す。(後の數象は《九家易》本に依りて增補す。)尚氏按ずるに:坤德は萬物に遍布してそれらをして養を得しむ、故に「布」と爲す。《周禮・外府》の鄭注曰く:布は卽ち泉、亦た卽ち錢幣。凡そ錢幣は貯藏せば「泉」と曰ひ、流通し出づれば「布」と曰ふ、水泉に取名り、その流行の遍ならざる所なきを取る……。
震為雷,為龍,為玄黃,為敷,為大塗,為長子,為決躁,為蒼茛竹,為萑葦;其於馬也為善嗚,為弓(左下?)足,為作足,為的顙;其於稼也為反生,其究為健,為蕃鮮,為玉,為鵠,為鼓。龍馬(右龍)通,而馬(右龍)與龍通。說文龍,多毛犬也。鄭作龍,雲取日出色;虞作馬(右龍),雲蒼色。案周禮秋官犬人,掌犬牲,凡幾珥沈辜用馬(右龍),注:故書馬(右龍)作龍。疏:雜色牲,即雜色犬牲也。又春官牧人職用馬(右龍),御史職馬(右龍)車,注皆云故書馬(有龍)作龍,是馬(右龍)古作龍。清儒依虞說,多從馬(右龍),豈知龍馬(右龍)音同通用,龍即馬(右龍),非誤字也,特詁為龍或只詁為雜色,不詁為犬牲則誤耳。
《説卦》曰く:震は雷、龍、青黃の色、花開、大路、長子、決斷躁動、蒼青の竹、蘆葦。馬に就きて言へば、善く鳴く馬、後左足白き馵馬、奮起前足の馬、額上に白斑ある馬。莊稼に就きて言へば倒生。その終極の象は剛健、又た藩籬、鮮少、玉、鵠、鼓と爲す。(末の數象は《九家易》本に依りて增補す。)尚氏按ずるに:「龍」與「駹」は相通じ、「駹」は又た「尨」と相通ず。《説文》曰く:尨は、毛多き狗。鄭玄本は「……」と作す。
又易林決(左無)之屯云:龍吠有威,行者留止。巽寡髮,震多毛,震為威,為鳴,故為龍,是鄭讀與焦同。敷,干寶敷為花貌,易林亦以震為花,此象卦形,餘說皆誤。九家雲蒼茛,青也。震為周為虛,歸妹上六承虛筐也。竹與崔葦皆有節,下陽象之,上二陰象其圓而中空。馬足白為馬(?),陽在下故足白。的顙,白顛也。初陽生,故曰反生。
尚氏按ずるに:《焦氏易林・夬之屯》は「龍吠有威、行者留止」と言ふ——其中の巽は寡髮、震は多毛、震は又た威・鳴、正に「尨」の此の種の多毛の犬の象を取りて「吠」と言ふ、見るに鄭玄の讀法は焦延壽と相同じ。「敷」字は干寶は花開の貌に解し、《易林》も亦た震を以て花と爲す、これは震の卦形に取象す、其餘の各家の解釋は皆對らず。《九家易》曰く「蒼莨」は卽ち青色。震に周匝・虚空の象あり、《歸妹》上六「承虚筐」は卽ち此の象を取る。竹與萑葦は皆節あり、下面一……。
宋衷曰:陰在上,陽在下,故為反生,謂集豆之類皆戴甲而生。按來注最為精切,格物微,取象之妙人微,而經生知之者寡。陽息至三,乾健;反覆成巽,龔為垣庸,故為蕃。蕃藩通,詩小雅營營青蠅、止於蕃是也。巽為寡,故為鮮,詩終鮮兄弟,傳:鮮,寡也。玉色白或青,故為玉。有謂為王之訛者,證以易林象非也。鵠鶴古通。為聲音故為鼓。
宋衷曰く:陰爻は上に在り陽爻は下に在り、故に「反生」と曰ふ、豆類の類の種子は皆種殼を頂いて上に向かひて長出すを指す。尚氏按ずるに:來知德の注は最も精切、彼は物を格するに入微、取象の妙も亦た入微、惜しむらくは一般の經生は知る人少なし。震は一陽生息して三爻に到れば便ち乾を成す、乾は性剛健、故に「其究爲健」と言ふ。震は反覆せば巽を成す、巽は垣牆、故に「蕃」と爲す。「蕃」與「藩」は相通ず、《詩・小雅》「營營青蠅、止于蕃」は卽ち此の字。巽は寡少、故に「鮮」と爲す。《詩經》「……」。
巽為木,為風,為長女,為繩直,為工,為白,為長,為高,為進退,為不果,為臭;其於人也為寡髮,為廣顙,為多白眼,為近利市三倍;其究為躁卦,為楊,為鸛。陸績云:風,士氣也,巽坤之所生,故為風,故易林亦以坤為風。巽柔故為繩,巽風故直。工,說文巧飾也,象人有規 。徐楷(左金)曰:為巧必遵規 法度,然後為工。按巽為順,能順規 ,遵循法度,故為工。風可進可退,故不果,經屢以巽為疑,同此也。臭,氣也,風散則氣至,故為臭。巽隕落,故寡髮;震為髮,反巽故寡髮。廣顙取上二陽象。多白眼,按離為目,中爻陰,黑睛,上下陽目中之白;今二陽皆在上,睛伏在下,故多白眼。利市三倍,似取流通,或取人義。究為震,故曰躁卦。
《説卦》曰く:巽は木、風、長女、繩直、工、白、長、高、進退、不果決、氣味。人に就きて言へば、頭髪稀少、額頭寬廣、眼白多、三倍の利に近き市利。その終極の象は躁動の卦、又た楊・鸛と爲す。(末の二象は《九家易》本に依りて增補す。)尚氏按ずるに:陸績曰く、風は土の氣、巽は坤より生ぜし所、故に風と爲す、此に因りて《易林》も亦た坤を以て風と爲す。巽は性柔、故に繩と爲す。巽は風、風は行して曲がらず、故に直と爲す。「工」は《説文》……「白眼」:離は目、中爻は陰にして黒眼珠を象り、上下の二陽は眼中の白を象る。巽卦の二陽は皆上に在り、黒睛は下に伏す、故に眼白多し。「近利市三倍」は、似たる風の流通の義を取るか、或は巽の「入」の義を取る。巽は究極して震に變ず、故に「躁卦」と言ふ。
坎為水,為溝瀆,為隱伏,為矯,為弓輪;其於人也為加優,為心病,為耳痛,為血卦,為赤;其於馬也為美脊,為亟心,為下首,為薄蹄,為曳;其於輿也為多青,為通,為月,為盜;其於木也為堅多心,為宮,為律,為可,為棟,為叢棘,為狐,為蒺藜,為桎梏。為隱伏,為憂,為心病,為美脊,為亟心,為通,為堅多心,皆以陽在陰中而取象。以乾闢坤,故為溝讀。曲者使直為矯,直者使曲為,水性可曲可直也,可曲故可為弓輪。水在地,猶人之有血。乾大赤,坎得乾之中爻,故亦為赤。月者水之精,故坎為月。為憂故下首,下首猶低頭也。坎隱伏,故為盜。坎為屋極,故為宮,為棟。坎陽在中,健而直,故為棘,為蒺藜。坎陽陷朋中,不能移動,如法律之固定,如桎梏之在手足,故為法律,為桎梏。
《説卦》曰く:坎は水、溝渠、隱伏、矯直、弓輪。人に就きて言へば、憂愁身に加はる、心病、耳痛、血卦、赤色。馬に就きて言へば、脊背美、性子急、垂頭、蹄薄、拖曳にして行き難し。車に就きて言へば、災眚多し。又た通、月、盜と爲す。木に就きて言へば、堅硬にして木心多き。又た宮室、法律、可、棟梁、叢生の荆棘、狐、蒺藜、桎梏と爲す。(後の數象は《九家易》本に依りて增補す。)尚氏按ずるに:隱伏・憂・心病と爲すは……頭。坎は性隱伏、故に盜と爲す。坎は屋脊の極を象る、故に宮室・棟梁と爲す。坎は一陽が中に居りて剛健にして直なり、故に棘・蒺藜と爲す。坎の陽爻は陰爻の中に陷りて動く能はず、譬へば法律の固定移らざるが如く、譬へば桎梏の手足に加はるが如し、故に法律・桎梏と爲す。
離為火,為日,為電,為中女,為甲冑,為戈兵;其於人也為大腹,為乾卦,為鱉,為蟹,為贏,為蚌,為龜;其於木也為科上槁,為牝牛。取火之明,故為日為電。中虛故為大腹。餘象皆取外堅。離中拓故科上槁。經皆以艮為龜,變外堅故。
《説卦》曰く:離は火、日、電、中女、盔甲、兵器。人に就きて言へば大腹。又た乾燥の卦、鱉、蟹、螺、蚌、龜と爲す。木に就きて言へば中空にして上端枯槁、又た母牛と爲す。尚氏按ずるに:火の光明を取る、故に日・電と爲す。離の中爻は虚、故に大腹と爲す。其餘の鱉・蟹・螺・蚌・龜の諸象は、皆その外殼の堅硬を取る。離の中間は坼裂す、故に「科上槁」と爲す。但し《周易》經文は皆艮を以て龜と爲す、あれも亦た外殼の堅硬を取るの緣故。
艮為山,為徑路,為小石,為門闕,為果瓜(雙瓜上草),為閣寺,為指,為狗,為鼠,為黔喙之屬;其於木也為堅多節,為養,為虎,為狐。震為大塗,反之則為徑路。為山,故為石,外堅故也。門闕閽寺皆象形。指能屈伸制物,與手同義,故為指。狗,虞翻雲上已有狗,當為拘字之誤。按構變音句(左金),禮曲禮若僕者降等則自下拘之,注拘取之也。釋文:拘,古侯反。是拘與狗音同,故通用,而其義為取,仍由手取象。狗拘亦猶龍馬(右龍)羊陽之通用,不可謂龍羊之為誤字也。凡經書字如此者,必有其故,詳細推考,自能得其故,不必遽為改字。
《説卦》曰く:艮は山、小路、小石、門闕、瓜果の屬、門を守る閽人寺人、手指、狗、鼠、鳥喙黑色の一類。木に就きて言へば堅硬多節。又た養、虎、狐と爲す。(末の三象は《九家易》本に依りて增補す。)尚氏按ずるに:震は大路、震は倒れて艮を成す、故に小路と爲す。艮は山、故に石と爲し、その外剛を取る。門闕・閽人寺人は皆卦形に就きて取象す。手指は能く屈し能く伸び、器物を把持する能し、手與同義、故に指と爲す。至りて「狗」は虞翻曰く上文に已に艮……手より取象す。「狗」「拘」は通用す、亦た正に「龍」與「駹」・「羊」與「陽」の通用するが如し、「龍」「羊」は錯字と言ふ能はず。凡そ經書中の此の類の用字は、必ずその緣故あり。詳細推考するに從ひて、自ずからその故を求得する能し、動もすれば字を改むるを要せず。
艮為穴,鼠穴居,故為鼠。黔喙,易林作黔啄。說反喙耶,啄家食也。馬卻皆謂為虎象之屬,實虎約無黔者。茗啄則專屬之鳥,鳥之剛在啄,鳥艮剛在上,故為黔喙。凡鳥之鷙者,無不黔啄,易林以艮為鷹檀(右鳥)雕隼,本此也。剛在外故堅多節。鼻者面之山,故又為鼻。乾為虎,艮得乾上爻,故亦為虎。狐穴居故亦為狐。
尚氏按ずるに:艮は洞穴、鼠は穴居する、故に鼠と爲す。「黔喙」は《易林》は「黔啄」と作す。《説文》曰く「喙」は口、「啄」は鳥の食を取る。馬融・鄭玄は皆「黔喙之屬」は虎豹の一類を指すと言ふ、其實虎豹に黑嘴は並びになし。「黔啄」は則ち専ら鳥類を指す:鳥の身上の最も剛硬の部位は嘴に在り、艮卦の剛爻は正に上に在り、故に「黔喙」と爲す。凡そ猛禽は、黑嘴ならざるなし、《易林》は艮を以て鷹・鸇・雕・隼と爲す、根據は便ちここに在り。艮の剛爻は外に在り、故に堅硬多節と爲す。鼻子は面部の隆起して山の如き處、故に艮は又た鼻と爲す。乾は虎、艮は乾卦の上爻を得、故に亦た虎と爲す。狐は穴居する、故に亦た狐と爲す。
序卦
上經始乾坤,終坎離,而以否泰為樞紐;下經始咸恆,終既未濟,而以損益為樞。其間次序,皆有深意。聖人慮後世妄人或有亂其卦序者,故為此以綰轂之,其意義可不深求也。
《周易》上經は乾・坤を以て開始し、坎・離を以て終結し、而して《否》《泰》の兩卦を以て樞紐と爲す。下經は咸・恒を以て開始し、《既濟》《未濟》を以て終結し、而して《損》《益》の兩卦を以て樞紐と爲す。此の中間の次序は、皆深意を含有す。聖人は後世の妄人が或は卦序を打亂せむことを擔心し、故に《序卦傳》を作り、車轂が車輻を綰住するが如く卦序を固定す。至りて《序卦》の各卦の名義を訓釋するあの些の話は、倒って深求するを要せず。
有天地然後萬物生焉。盈天地之間者唯萬物,故受之以屯。屯者盈也,屯者物之始生也。物生必蒙,故受之以蒙。蒙者蒙也,物之犀(左禾)也。物釋不可不養也,故受之以需。需者飲食之道也。飲食必有訟,故受之以訟。訟必有眾起,故受之以師。師者眾也。眾必有所比,故受之以比。比者比也。比必有所畜,故受之以小畜。物畜然後有禮,故受之以履。履而泰,然後安,故受之以泰。泰者通也。物不可以終通,故受之以否。物不可以終否,故受之以同人。與人同者,物必歸焉,故受之以大有。大者不可以盈,故受之以謙。有大而能謙必豫,故受之以豫。豫必有隨,故受之以隨。以喜隨人者必有事,故受之以蠱。蠱者事也。有事而後可大,故受之以臨。臨者大也。物大然後可觀,故受之以觀。
天地あって、然る後に萬物は始めて生出す。天地の間に充滿するはただ萬物のみ、故に《乾》《坤》の後は《屯》卦に接す——「屯」は盈滿、又た萬物の初生。萬物は初生すれば必然蒙昧、故に《蒙》卦に接す——「蒙」は蒙昧、萬物の幼稚階段。幼稚のものは養育を加へざる能はず、故に《需》卦に接す——「需」は飲食の道。飲食あれば必然に爭奪あり、故に《訟》卦に接す。爭訟は必然に衆人を引起して興起せしむ、故に《師》卦に接す——「師」は衆。衆人は聚集すれば必然に……人の隨從する有らん、故に《隨》卦に接す。欣悅の心を以て別人に隨從するは必ず事あらん、故に《蠱》卦に接す——「蠱」は事。事ありて然る後に其の大を成す可し、故に《臨》卦に接す——「臨」は大。事物は盛大にして然る後に觀瞻に供す可し、故に《觀》卦に接す。
可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者合也。物不可以苟合而已,故受之以賁。賁者飾也。致飾然後亨則盡矣,故受之以剝。剝者剝也。物不可以終盡,剝窮上反下,故受之以復。復則不妄矣,故受之以天妄。有元妄然後可畜,故受之以大畜。物畜然後可養,故受之以頤。頤者養也。不養則不可動,故受之以大過。物不可以終過,故受之以坎。坎者陷也。陷必有所麗,故受之以離。離者麗也。離麗者,言一陰麗於二陽之間。
觀瞻に供する有りて然る後に會合する所有り、故に《噬嗑》卦に接す——「嗑」は合。事物は苟且に相合して了事と爲す可からず、故に《賁》卦に接す——「賁」は文飾。文飾は到極して、亨通の道も亦た窮盡す、故に《剝》卦に接す——「剝」は剝落。事物は終歸剝盡する能はざる、剝は上爻に到りて窮極すれば便ち下面に返回して重生す、故に《復》卦に接す。正道に回復すれば虛妄ならず、故に《无妄》卦に接す。妄爲せざれば然る後に始めて畜積する所有る能し、故に《大畜》卦に接す。畜積して然る後に養育すべし、故に《……》に接す。以て《大過》卦に接す。事物は一直に過甚する能はず、故に《坎》卦に接す——「坎」は陷。陷落すれば必ず附麗する所有り、故に《離》卦に接す——「離」は附麗。尚氏按ずるに:謂はゆる「離、麗也」は、《離》卦の一個の陰爻が兩個の陽爻の間に附麗すを言ふ。
有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。夫婦之道(指咸卦)不可以不久也,故受之以恆。恆者久也。物不以久居其所,故受之以豚(左之)。豚(左之)者退也。物不可以終豚(左之),故受之以大壯。物不可以終壯,故受之以晉。晉者進也。進必有所傷,故受之以明夷。夷者傷也。傷於外者,必反其家,故受之以家人。家道窮必乖,故受之以睽。睽者乖也。乖必有難,故受之以蹇。蹇者難也。物不可以終難,故受之以解。解者緩也。緩必有所失,故受之以損。損而不巳必益,故受之以益。益而不已必決,故受之以決(左無)。決(左無)者決也。決必有所遇,故受之以垢。垢(左女)者遇也。
天地あって然る後に萬物あり。萬物あって然る後に男女あり。男女あって然る後に夫婦あり。夫婦あって然る後に父子あり。父子あって然る後に君臣あり。君臣あって然る後に上下の名分あり。上下の名分あって然る後に禮義は安放施行するの處所有り、「錯」は卽ち措置。夫婦の道(《咸》卦を指す指す)は長久せざる可からず、故に《咸》の後は《恒》卦に接す——「恒」は長久。事物は長久に一個の位置に固守する能はず、故に《遯》卦に接す——「遯」は退避。事……失落する所有り、故に《損》卦に接す。減損止まざれば、必然に反轉して增益と爲る、故に《益》卦に接す。增益止まざれば、必然に盈滿して潰決す、故に《夬》卦に接す——「夬」は決斷。決去したる後は必然に遇合する所有り、故に《姤》卦に接す——「姤」は相遇。
物相遇而後聚,故受之以苯。萃者聚也。聚而上者謂之升,故受之以升。升而不已必困,故受之以困。困乎上者必反下,故受之以並。井道不可不革,故受之以革。革物者莫若鼎,故受之以鼎。主器者莫若長子,故受之以震。震者動也。物不可以終動,止之,故受之以艮。艮者止也。物不可以終止,故受之以漸。漸者進也。進必有所歸,故受之以歸妹。得其所歸者必大,故受之以豐。豐者大也。窮大者必失其居,故受之以旅。放而天所容,故受之以巽。巽者人也。入而後說之,故受之以兌。兌者說也。說而後散之,故受之以渙。渙者離也。物不可以終離,故受之以節。節而信之,故受之以中孚。有其信者必行之,故受之以小過。有過物者必濟,故受之以既濟。物不可窮也,故受之以未濟終焉。
事物は相遇して然る後に聚集す、故に《萃》卦に接す——「萃」は聚。聚集して向上するを「升」と曰ふ、故に《升》卦に接す。上升止まざれば必然に困窮す、故に《困》卦に接す。上に於いて困を受くるは必ず下面に返回す、故に《井》卦に接す。井道は年久しく變革を加へざる可からず、故に《革》卦に接す。物性を變革するは鼎の烹煮に若くは莫し、故に《鼎》卦に接す。宗廟の祭器を主持するは長子に若くは莫し、故に《震》卦に接す——「震」は動。事物は一直に動き停まざる能はず、それをして靜止せしむるを要す、故に《艮》卦に接す……《節》卦。節制あって人をして信從せしむ、故に《中孚》卦に接す。誠信あるは必ず行動に見る、故に《小過》卦に接す。常物を超過するの處あるは必ず能く事情を成就す、故に《既濟》卦に接す。而して事物は窮盡すべからず、故に最後に《未濟》卦に接して以て結びと爲す。
伏羲未定婚禮以前,人皆知有母,不知有父,故曰有夫婦然後有父子。節者符也,以竹為之,各持其一,合之以為信,周禮地官掌節是也。物不可終離,故受之以節,節之用在合,故與離對文。合而符則信,故曰節而信之,全指符節言,舊解皆誤。
尚氏按ずるに:伏羲が婚姻の禮を確立する以前は、人はただ母親あるを知るのみ、父親あるを知らず、故に《序卦》は「有夫婦然後有父子」と言言ふ。「節」は卽ち符節、竹子を用ゐて做成し、雙方は各一半を執り、合起して驗對して以て憑信と爲す、《周禮・地官》は「掌節」の官を設け、正に此の物を掌管す。《序卦》は「物不可終離、故受之以節」と言ふ——節の用處は「合」に在り、故に「離」と相對して文を成す。合起して符驗相符せば便ち「信」、故に「節而信之」と言ふ。此の一段は完全是れ符節に就きて言ふ、舊注は皆解錯りぬ。
雜卦
十翼以雜卦終,與山六十四卦以未濟終義同也。蓋六十四卦卦序皆文王所定,其起訖皆有深義,不可動搖。然易道以不窮為義,六十四卦至既濟而六爻定,定則窮矣,故殿以未濟,使之復通。六十四卦,上經始天地,下經始夫婦,此不易者也,故雜卦仍之。而以井困居上經之末,以損益為樞紐;以未濟決(左無)居下經之末,以否泰為樞紐。損益否泰,後先互易,明文王之意先天道後人事,孔子之意先人事後天道也。
《十翼》は《雜卦傳》を以て收尾し、六十四卦の《未濟》を以て收尾するの用意と相同じ。六十四卦の卦序は皆是れ文王の定むる所、起訖の間は皆深意を含有し、動搖すべからず。然るに《易》道は不窮盡を以て宗旨と爲し、六十四卦は《既濟》に排到りて、六爻は各その位を得て安定す、安定は便ち窮盡を意味す、故に《未濟》を用ゐて壓陣し、卦氣をして重新流通せしむ。六十四卦の上經は天地卽ち乾坤より開始し、下經は夫婦卽ち咸恒より開始す、これは更易すべからざる、故に《雜卦》は仍舊沿用す。ただ《雜卦》は《井》《……》を上經の末に放りて、而して《損》《益》を以て樞紐と爲し、《未濟》《夬》を下經の末に放りて、而して《否》《泰》を以て樞紐と爲す。損益與否泰の先後位置は互相調換す、正に文王の用意は先天道を先とし後に人事を以てし、孔子の用意は人事を先とし後に天道を以てするを表明す。
先人事,並取其不窮。困而不失其亨,故以為上經之殿。聽天道,則事之濟不濟命也,剛健果決,自強不息,終焉以赴之耳,故以未濟決(左無)終,仍窮變通久之義也。謂之為雜者,言雜柔(左未)各卦,使上下經互易,不與文王卦序同。非孔子不敢有此改作,亦非孔子無此神化之筆也,彼七十二賢固不敢創制如斯也。以上所言,雜卦殿十翼之義也。
先に人事を講じ、同時に亦たそれの不窮盡の意思を取る:《困》卦は困境に身を處してその亨通を失はず、故にそれを把って上經の尾を壓す。至りて天道に聽憑すれば、則ち事情は成與不成は皆命。人の能くする所は、ただ剛健果決・自強不息にして一往直前するのみ、故に《未濟》《夬》を用ゐて收尾す、仍舊是れ「窮則變、變則通、通則久」の意思。叫ばる所以は「雜卦」は、それが各卦を雜糅錯綜し、上下經をして互相調換せしめ、文王の卦序と同じからざるを言ふ。孔子に非ざれば、此の如き改動を作るを敢てする人なし。亦た孔子に非ざれば、此の如き出神入化の手筆有る人なし——あの七十二位の賢人は斷じて敢て此の如く創制せず。以上の謂ふ所は、《雜卦》の《十翼》の尾を壓する所以の道理。
至其所言,必錯綜對舉者何也?以見卦象正則如此,反則如彼也。正象說卦舉其端,說卦所未言者,可類推也,至覆象則無言者。然如大過九五枯楊,人尚知為反巽,獨正覆象相雜,如蒙匪我求童蒙、童蒙求我、初筮告、再三讀、讀則不告,則以二至上,正反震也;如左傳以謙為敗言,則以謙下艮與震相反也;如困曰有言不信,則以三至上,正覆兌也;如震曰婚媾有言,則以二至上正覆震相背也。
至りて《雜卦》の謂ふ所は必ず錯綜して對を成して擧出するは、何の緣故なるや。人に見しめむと欲す:卦象は正看は此の如く、倒看は又た彼の如し。正立の象は、《説卦》は已に端緒を擧出し、《説卦》の説かざる所は類に依りて推求すべし。至りて倒覆の象は、則ち從來道及する人なし。《大過》九五の「枯楊」の如きは、人々は還たそれが上兌を倒看して巽と成すを取るを知り、巽は楊なればなり。唯獨正象與覆象と夾雜して一處に在るは、便ち懂る人なし。例へば《蒙》卦辞「匪我求童蒙、童蒙求我、初筮告、再三瀆、瀆則不告」は、……「敗言」と爲すは、《謙》の下卦は艮、艮與震は正反相反し、震は言にして反震は則ち言敗ればなり。又た《困》卦の「有言不信」と言ふが如きは、三爻より上爻の正兌與覆兌を取る。又た《震》卦の「婚媾有言」と言ふが如きは、二爻より上爻の正震與覆震の相背を取る。
如中孚曰鶴鳴子和,則以二至五正反震相對,如相應也。鳴鶴在陰者,則以二至五正反民,正則為山陽,反則為山陰也。又六三云或鼓或罷、或泣或歌,則以二至五正反艮震,震則或鼓或歌,艮則或泣或罷也。如此之類,經內甚多,除焦氏易林外,二千年說者無不誤。夫子蓋預知之,故於最後之雜卦申其義。
又た《中孚》九二の「鶴鳴在陰、其子和之」と言ふが如きは、二爻より五爻の正震與反震の相對を取る、好もし彼此呼應するが如し。謂はゆる「鳴鶴在陰」は、二爻より五爻の正艮與反艮を取る:正看は山の南面卽ち山陽、反看は山の北面卽ち山陰、亦た卽ち背陰の處。又た《中孚》六三の「或鼓或罷、或泣或歌」と言ふが如きは、二爻より五爻の正反艮震を取る:震は則ち鼓を擊ち則ち歌唱し、艮は則ち哭泣し則ち罷休す。此の一類の例子は、經文の中に甚だ多し、《焦氏易林》を除くの外は、兩千年來《易》を説く人は錯るものなきなし。孔子は大概豫め料到し、故に最後の《雜卦》の中に此の層の道理を申明す。
乾剛坤柔,比藥師憂。比五雖坎,然當位居尊,故樂;師二人淵,故憂。臨觀之義,或與或求。臨二陽撫臨萬民,有施惠之意,震往,故曰與;反之為觀,則萬民仰五,有乞求之意,故曰求,艮為求也。
《雜卦》曰く:乾は剛健、坤は柔順。《比》卦は歡樂、《師》卦は憂愁。尚氏按ずるに:《比》卦九五は坎體の中に在ると雖も、然るに當位にして尊に居る、故に歡樂。《師》卦九二は重陰の下に陷入り、深淵に墜るが如し、故に憂愁。《雜卦》は又た曰く:《臨》《觀》の兩卦の意義は、一は給與、一は求取。尚氏按ずるに:《臨》卦下體の二陽は上に撫して萬民に臨み、恩惠を施予するの意あり、震は又た前往の象あり、故に「與」と言ふ。《臨》は倒れて《觀》と成れば、萬民は九五を仰望し、乞求の意あり、故に「求」と言ふ、而して艮は正に「求」の逸象あり。
屯見而不失其居,蒙雜而著。屯二陽皆當位,故不失其居;蒙二陽皆失位,故曰雜,物相雜則文生,故曰著。震起也,艮止也,損益盛衰之始也。震動故起,反則止矣。泰損上一陽以益上,故損為衰之始,再三損則成否;否移上一陽以益下,故益為盛之始,再三益則成泰。
《雜卦》曰く:《屯》卦は陽氣顯現してその所居を失はず、《蒙》卦は陰陽雜糅して文采顯著。尚氏按ずるに:《屯》卦の兩個の陽爻は皆當位、故に「不失其居」。《蒙》卦の兩個の陽爻は皆失位、故に「雜」と曰ふ、而して事物は相雜れば便ち文采を生出す、故に「着」と言ふ。《雜卦》は又た曰く:震は奮起、艮は靜止。《損》《益》の兩卦は盛衰の開端。尚氏按ずるに:震は動を主る、故に起と爲す。震は倒れて艮と成れば、便ち止住す。《泰》卦は下體の一下體の一陽を減損して上體を增益し去り、《損》と成る、故に《損》は衰落の開始、再三減損し下去れば便ち《否》に變ず。《否》卦は上體の一陽を移して以て下體を增益し、《益》と成る、故に《益》は興盛の開始、再三增益し下去れば便ち《泰》に變ず。
大畜時也,無妄災也。王引之云:古時與待通,恐天災至,畜以待飢。人本坤靈圖。無妄互艮,艮為火,故災。焦京皆以無妄為大旱卦,自艮火象失傳,虞氏即不知其義。萃聚而升不來也,謙輕而豫怠也。陽上升,故不來。廉不自滿,故輕;豫自足,故怠。怠虞作怡,按怠怡皆從心,本一字,故古常通用。史記始皇本紀視聽不怠,劉歆烈女贊言行不怠,注並作怡。怡則自足,與謙輕反。
《雜卦》曰く:《大畜》は時を待つ、《无妄》は災禍。王引之曰く:古時は「時」與「待」は相通ず、天災の降臨を怕れ、故に糧食を蓄積して以て飢荒を待つを言ふ。尚氏按ずるに:此の説は《坤靈圖》に本づく。《无妄》卦の二より四爻は互りて艮、艮に火象あり、故に災と爲す。焦延壽・京房は皆《无妄》を把って大旱の卦と作す、艮の火たる此の逸象の失傳せしより、虞翻は便ちその意思を懂らず。《雜卦》は又た曰く:《萃》は聚集、《升》は去りて回らず有り。《謙》は自ら輕んず、《豫》は怠惰。尚氏按ずるに:《升》……「怠」。「怠」字は虞翻本は「怡」と作す、按ずるに怠・怡は皆心旁より從ふ、本是れ一字、故に古時常に通用す:《史記・秦始皇本紀》「視聽不怠」、劉歆《烈女贊》「言行不怠」、注は皆「怡」と作す。「怡」は自足、正に《謙》の自輕と相反す。
噬嗑食也,賁無色也,兌見而巽伏也。頤中有物,故曰食;火在山下,與明夷同,故曰元色;兌陰在上故曰見,巽陰在下故曰伏,故巽亦為盜賊,為寇戎,為豕,與坎同象。隨元故也,蠱則飭也,剝爛也,復反也,晉晝也,明夷誅也。志在隨時,不執其故。廣韻:飭,整備也。蠱則飭者,亂極思治也。爛自垢(左女)始,至剝而極。復則陽反。曰在上故晝。誅,傷也,明傷則夜矣。
《雜卦》曰く:《噬嗑》は喫食、《賁》は色無し。《兌》は顯現、《巽》は潛伏。尚氏按ずるに:《頤》の口の中は物を含有す、故に「食」と言ふ。《賁》卦は離火は艮山の下に在り、《明夷》と相同じ、故に「無色」と言ふ。兌の陰爻は上に在り、故に顯現と爲し、巽の陰爻は下に在り、故に潛伏と爲す、因此巽も亦た盜賊・寇戎・豕の象あり、坎と同類。《雜卦》は又た曰く:《隨》は因循する所なし、《蠱》は整飭、《剝》は爛、《復》は返、《晉》は白晝、《明夷》は誅傷。
並通而因相遇也。並養而不窮故通,困剛掩,陽陷陰中,不通。自乾坤至此仍三十卦,合上經數;自咸恆至決(左無),仍三十四卦,合下經數。咸速也,恆久也,渙離也,節止也。感則無遠近,無弗屆,故事莫速於感;反之為恆,則不速而久。渙者散也,故曰離;反之為節,則合而不離,故曰止。
《雜卦》曰く:《井》は通、《困》は相遭遇。尚氏按ずるに:井水は人を養ひて窮竭せず、故に「通」と爲す。《困》卦は剛爻は柔爻に掩蔽せられ、陽は陰の中に陷る、故に通ぜず。《乾》《坤》よりここに數へて仍ほ三十卦、正に上經の卦數に合す。《咸》《恒》より《夬》に數へて仍ほ三十四卦、正に下經の卦數に合す。《雜卦》は又た曰く:《咸》は迅速、《恒》は長久。《渙》は離散、《節》は止。尚氏按ずるに:感應は遠近を分たず、到らざるの處なし、故に事情は感應より快きはなし。《咸》は倒れて《恒》と成れば、便ち快を求めずして久を求む。「渙」は散、故に「離」と言ふ。《渙》は倒れて《節》と成れば、便ち聚合して離散せず、故に「止」と言ふ。
解緩也,蹇難也,睽外也,家人內也。緩則和矣,和則易矣,反之則難。睽離女在上卦,故曰外;反之在內,故曰內也。否泰反其類也。陰陽交為類,否陰交陽,泰陽交陰,故曰反。大壯則止,豚(左之)則退也,大有眾也,同人親也。止則不退,反之則退;眾則不親,反之則親。
《雜卦》曰く:《解》は舒緩、《蹇》は艱難。《睽》は外に向かふ、《家人》は內に向かふ。尚氏按ずるに:舒緩すれば便ち和順、和順すれば便ち平易、《解》は倒れて《蹇》と成れば便ち艱難なり。《睽》卦は離は中女にして上卦に居る、故に「外」と言ふ。倒れて《家人》と成れば、離は下卦に在り、故に「內」と言ふ。《雜卦》は又た曰く:《否》《泰》は各自その類を反す。尚氏按ずるに:陰與陽と相交して始めて同類と算す、《否》は陰往きて陽と交はり、《泰》は陽來りて陰と交はり、方向は相反す、故に「反其類」と言ふ。《雜卦》は又た曰く……。
革去故也,鼎取新也,小過過也,中孚信也。革更改舊有,故曰去故;鼎亨飪待熟,故曰取新;過失也,失刖不信,反之則信。豐多故也,親寡旅也,離上而坎下也。多與寡相反,上與下相反。豐雷電皆至故多,旅互巽為寡,艮為鰥,故親寡。火炎上,水潤下。
《雜卦》曰く:《革》は舊きを去除し、《鼎》は新しきを取用す。《小過》は過失、《中孚》は誠信。尚氏按ずるに:變革は舊有を更改す、故に「去故」と言ふ。鼎は食物を烹煮してその熟するを待つ、故に「取新」と言ふ。「過」は過失、過失あれば便ち取信する能はず、倒れて《中孚》と成れば便ち誠信。《雜卦》は又た曰く:《豐》は故多し、《旅》は親寡し。《離》は上に向かひ《坎》は下に向かふ。尚氏按ずるに:多與寡は相反し、上與下は相反す。《豐》卦は雷與電と一齊に到來す、故に「多」。《旅》卦の互體に巽あり、巽は寡、艮は妻無きの鰥夫、故に「親寡」。火性は炎上、水性は潤下。
小畜寡也,履不處也,需不進也,訟不親也。小畜巽為寡,履者行也,故不處;需險在前,故不進;訟天水違行,故不親。寡則獨處,反之則不處矣;不親則異行,與需之不行,亦正相反。大過顛也,垢(左女)遇也,柔遇剛也。顛隕也,下巽隕落,頂滅澤中,故顛。垢(左女)坤遇乾,乾剛坤柔。
《雜卦》曰く:《小畜》は寡少、《履》は安處せず。《需》は前進せず、《訟》は相親せず。尚氏按ずるに:《小畜》の上卦巽は寡。「履」は行走、故に安處せず。《需》卦は險陷は前に在り、故に前進せず。《訟》卦は天與水とは背道して行く、故に相親せず。寡少なれば便ち獨處す、《小畜》は倒れて《履》と成れば便ち獨處せず。相親せざれば便ち各その道を行く、《需》の前行せざると亦た正好相反す。《雜卦》は又た曰く:《大過》は顛墜、《姤》は遇、是れ柔は剛に遇上す。尚氏按ずるに:「顛」は隕落、《大過》の下卦巽に隕落の象あり、棟梁は傾頹して澤中に滅頂す、故に「顛」と言ふ。《姤》は坤の一陰は乾の五陽に遇上す、乾は剛にして坤は柔、故に「柔遇剛」と言ふ。
漸女歸待男行也,頤養正也,既濟定也。漸陰皆居陽後,故待男行;頤求口食,得養之正;既濟山六爻當位而止其所,故曰定。歸妹女之終也,未濟男之窮也。女終夫家,故以嫁為終。既濟三陽皆比陰,內剛外柔,與泰理同,故不窮;未濟三陽皆居陰前,內柔外剛,與否理同,故窮。程子謂三陽不當位故窮,豈知三女亦不當位,豈獨三男,然而不窮者,以三女皆承陽也。程子謂來之多年,不得其義,後得之於成都箍桶者,蓋託辭也。
《雜卦》曰く:《漸》は女子は出嫁して男方の來迎を待つを要す、《頤》はその養ふ所當たるを養ふ、《既濟》は安定。尚氏按ずるに:《漸》卦の陰爻は皆陽爻の後に居る、故に男方の先行を待つを要す。《頤》卦は口中は食を求め、養生の正道を得。《既濟》は六爻は各自當位してその所に安處す、故に「定」と言ふ。《雜卦》は又た曰く:《歸妹》は女子の終歸、《未濟》は男子の窮途。尚氏按ずるに:女子は最終は夫家に歸す、故に出嫁を以て「終」と爲す。《既濟》の三個の陽爻は皆陰爻に緊鄰し、內剛にして外柔……三三陽は當位せざれば故に窮す、然るに三陰も亦た同じく當位せざるを知らず、何ぞただ三陽のみならむや。然るに《既濟》の窮せざる所以は、三個の陰爻が皆陽爻を承奉すればなり。程頤は自ら此の義理を求むる多年得ずと言ふ、後來は成都の一個の箍桶匠の處より得たり——あれは大概ただ托詞のみ。
決(左無)決也,剛決柔也,君子道長,小人道憂也。沈善登雲:雜卦以乾剛坤柔始,以決(左無)剛決柔,還復為乾終,是舉全易渾成一乾。按此說最得決(左無)卦居終之義。自大過以下,不兩卦反對,宋儒頗疑為錯簡,然曰女之終、男之窮,上下對文,似非錯簡,惟義仍反對。大過死,反之則得養;垢(左女)柔遇剛,反之則剛決柔;漸女有待而行,反之則不待而嫁矣;既濟定,窮則不定。雖不對舉,而義仍反對。虞翻謂大過死,大過下垢(左女),故次以後,上夾故以決終,亦可參考。
《雜卦》は最後に曰く:《夬》は決斷、是れ剛は柔を決去す。君子の道は增長し、小人の道は消憂す。沈善登曰く:《雜卦》は「乾剛坤柔」を以て開頭と爲し、《夬》の「剛決柔」を以て重新回復して純乾と爲し作結す、等しく整部の《易》を渾然として一個の乾に擧成す。尚氏按ずるに:此の説は最も能く《夬》卦の末に居るの用意を得たり。《大過》より以下は、各卦は再び兩兩反對して文を成さず、宋儒は頗る錯簡を疑心せり。然るに「女之終」「男之窮」と言ふは、上下は正に相對して文を成す、看るに並びに錯簡に非ず、ただ意義の上に仍舊是れ反對なり。《既濟》は定、窮極すれば則ち定ならず。これらは兩兩並擧せずと雖も、意義の上に依然相反相成す。虞翻曰く《大過》は死と爲し、《大過》の下は《姤》に接す、因りて依次に後に排列し、而して《夬》はその上に居る、故に《夬》を用ゐて篇を終はる——彼の説法も亦た參考すべし。
