子夏易传
子夏易伝(旧題は春秋・卜子夏の撰)
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
子夏易伝(旧題は春秋・卜子夏の撰)
周易上経 巻一 乾伝第一
乾卦
乾下乾上。乾,元、亨、利、貞。彖曰:大哉乾元,萬物資始,乃綂天。雲行雨施,品物流形,大明終始,六位時成,時乘六龍以御天。乾道變化,各正性命,保合太和乃利貞。首出庶物,萬國咸寧。乾始降氣者也。始而通,終而濟,保其正也,故綂萬物而無外。夫天者,位也、質也。乾者,人也、精神也,有其人然後定其位,精神通明然後綂其質,故能雲行雨施、生類繼續。大明終始而分其六位,乘其隱見而得其變化,故得生成而性命正矣。是以聖人之當位也,保合於乾元太和之道乃利而終正也。故能首出庶物萬國保其安也。
《乾》卦は下卦が乾、上卦も乾である。卦辞は言う:乾は元・亨・利・貞という四つの徳性を具えている。《彖伝》は言う:偉大なり、乾の元始の徳よ!万物はすべてこれに依って初めて生成し、これが天道全体を統べている。雲気が流行し雨沢が施され、あらゆる事物が流動のうちに形体を成し遂げる。太陽が終始を貫き、六つの爻位が時序に随って次々と成り立ち、聖人は六頭の竜を駕するように天道を御する。乾道は運行変化して、万物にそれぞれその本性と命分を正しく得させ、最高の和を保ち合わせる――これが「利」と「貞」である。乾道は万物の首に居り、天下万国はこれによって皆安寧を得る。注者は説明する:乾は最も先に陽気を降らせる方である。それは初めに万物を通達させ、終わりに万物を成就させ、終始自らの正道を守るから、万物を統摂して一物も外に漏らさない。天とは、位置と形質のことである。乾とは、主宰する者と精神のことである。まず主宰の人があって、その後その名位が定まる。精神が通達明徹して、その後形質を統御できる。ゆえに雲行雨施して、あらゆる生類を続々と生ませることができる。太陽が終始を貫くことによって、ここに六つの爻位が分かれる。陽気の隠顕に随って変化の節度が得られ、それによって万物が生成し、本性と命分が端正される。ゆえに聖人はしかるべき位置に居り、乾元の至高の和の道を保ち会する。こうしてあるところに利があり、終わりには正に帰る。それゆえ万物の首に居って、万国にその安定を保たせることができるのである。
象曰:天行健,君子以自強不息。健而不息,天之運也。自強而成,德者君子之事也。初九,潛龍勿用。象曰:陽在下也。陽氣始生,潛而未形,雖德龍德,與眾無以異也。九二,見龍在田,利見大人。象曰:德施普也。陽氣生物始見於田也,稼者可以乘其時也,惟大人學之成德可以普天下所利、見明其道也。
《象伝》は言う:天の運行は剛健にして已まず、君子はこれに法って自ら奮い励んで決して休まない。注者は説明する:剛健にして息まないとは、天の運転である。自ら奮起して成し、徳を成すことは、君子の事業である。初九の爻辞は言う:潜れた竜は、しばらく用いるべからず。《象伝》は言う:これは陽気がなお最下に居るからである。注者は説明する:陽気はいま生じ始め、潜れてまだ形迹を現していない。この時すでに竜のごとき徳を具えていても、常人と比べて異なるところは見えない。九二の爻辞は言う:竜が田に現れ、大人に見るに利あり。《象伝》は言う:これは徳沢の遍く施される象である。注者は説明する:陽気が万物を生やすことは、まず田に顕れ、耕す者はこの時節に乗じて手を着けるべきである。ただ大人が学びて徳を成せば、天下の人を遍く利せしめ、人は彼を見てその行う道を明らかに識るのである。
九三,君子終日乾乾,夕惕若,厲無咎。象曰:反復道也。君子能通天下之志、體天下之變,屈舒用舍唯時進退者也。故當知終之地、守知至之機,有庇人之大德,守事君之小心,雖在上位反而復守其卑。健於德、敬於人、勤於事上,終日而不懈夕,猶惕然,此其道也。雖危,何咎,君子所以修其德而後其身也。
九三の爻辞は言う:君子は終日勤勉して已まず、夕になってもなお戒惧警惕し、処境は険しくあれども咎はない。《象伝》は言う:これは正道の上を反復して行くことである。注者は説明する:君子は天下の人の心志を通暁し、天下の変化を体し、屈するも伸するも、用いられるも捨てられるも、すべて時勢にのみ随って進退する。ゆえに彼は終局を知るべき地に立ち、至るべき時を知る機を把え、人を庇うに足る大徳を懐きながら、君に仕える謹慎小心を守る。上卦の位に身を置きながら、かえって卑下を守るのである。彼は徳において剛健であり、人に対して恭敬し、上の者に勤勉に仕え、終日怠らず、夕になってもなお惕然としている。これが彼の行う道である。このようにすれば、処境は危なくとも、どうして咎があろうか。君子はまさに自らの徳を修めて、一己の身を後にするのである。
九四,或躍在淵,無咎。象曰:進無咎也。官人者人望其咎也。位髙者,主畏其逼也,位革於下也,可無懼乎?位上公也、逼帝王也,可進而謙讓恤患,以勤百姓將務時,以進其道也。而猶自疑德之薄,而位之下,而卑以自守,故曰在淵無咎也。
九四の爻辞は言う:竜はあるいは躍り起き、あるいはなお淵に留まり、いずれも咎はない。《象伝》は言う:このように進めば咎はない。注者は説明する:官位に居る者は、衆人がみな彼の過失を盯視し、地位の高い者は、君主がまたその迫るを忌む。九四のこの爻はいま下卦から上卦へ変じたばかりで、どうして畏れる心を抱かざるを得ようか。その位次は上公に当たり、すでに帝王に逼近している。本来進み取ることができたのに、なお謙遜退譲して患禍を恤み、勤勉に百姓のために労し、努力して時機を捉えて己の主張を行う。それでもなお、彼は自ら徳が浅く位次が足りないと疑い、謙卑をもって自らを守る。ゆえに爻辞は淵の中に留まって咎なしと言うのである。
九五,飛龍在天,利見大人。象曰:大人造也。陽升而萬物相見也,以聖人之大德而為乎天下,明以周之、神以化之,而莫見其狀,則智惘辨其處,萬物咸仰其宜,利見大人而賴其治也。
九五の爻辞は言う:竜が天に飛騰し、大人に見るに利あり。《象伝》は言う:これは大人が興作を成すことである。注者は説明する:陽気が上昇すれば、万物はこれによって互いに見え合う。聖人はその大徳をもって天下を治め、明察をもって四方を遍く照らし、神妙の力をもって万民を化育する。しかし彼の運作の形迹は見えず、智ある者も茫然として彼がいかなるところに落ち着くかを弁じ得ない。万物はみな彼に仰いでそれぞれ宜しきを得る。ゆえに大人に見るに利ありと言い、天下はすべて彼の治めに依るのである。
上九,亢龍有悔。象曰:盈不可久也。陽極則消之,盈則虧之,終則始之也。亢而不知,雖尊極天下、威大四海,未離於悔也。故聖人與時而消息,則堯授舜、舜授禹,不極於亢,而善其終也。
上九の爻辞は言う:竜が高く飛び過ぎれば、悔いがあろう。《象伝》は言う:満盈の状態は長久ではあり得ない。注者は説明する:陽は極に至れば消退し、満盈の後は損し、終点に行き着いてまた始まる。ひたすら高亢してこの理を悟らなければ、たとえ尊きこと天下の極、威勢が四海に遍くとも、悔恨を脱することはできない。ゆえに聖人は時勢に随って消退と生長を把握する。唐堯は天下を虞舜に譲り、虞舜はまた夏禹に譲り、自らを高亢の極端に至らせなかった。それゆえ良い結末を得ることができたのである。
用九,見群龍無首,吉。象曰:用九,天德不可為首也。陽者,剛德之物也。凡用者皆取象焉,故曰:乾坤其易之門邪!陽肆而不已則暴,時而後動則治。夫首者,事之倡也。故聖人之治天下也,有以誅亂去惡者也,應之而正,非其倡也,則天下皆覩聖人之用九之無首也。此天之無私矣,天下之歸矣,吉何往哉!
用九の辞は言う:一群の竜が現れて、誰も先んじて首とならなければ、吉である。《象伝》は言う:用九とは、天の徳性は争って先頭を為すことができないということである。注者は説明する:陽とは、剛健の徳を具えたものであり、大凡そ「用」と講ずるところはみなそれから象を取る。ゆえに乾坤はおよそ《易》の門戸であろうと言うのである。陽気が放縦にして節制を加えなければ暴虐に流れ、時機が熟して然る後に動いてこそ治をもたらすことができる。いわゆる「首」とは、率先して事端を挑発する者である。聖人の天下を治めるに、禍乱を誅除し邪悪を剷除する挙動はあるが、それはすでに起きた事に応じて匡正するのであって、彼が率先して挑起したのではない。こうして天下の人は皆、聖人が「用九」して争って首とならないのを見る。これがまさに上天の無私であり、天下の人はこれによって彼に帰附する。吉祥がまたどこへ逃げ去ることがあろうか。
文言曰:元者,善之長也。亨者,嘉之會也。利者,義之和也。貞者,事之幹也。君子體仁,足以長人。嘉會,足以合禮。利物,足以和義。貞固,足以幹事。君子行此四德者,故曰:乾,元、亨、利、貞。善於物,治之始也;通其情,治之道也;利於物而義歸之,守其正則無敗事矣。
《文言伝》は言う:元とは、衆善の首長である。亨とは、美しき事物の会合である。利とは、道義の調和である。貞とは、事を為す主幹である。君子は仁徳を身に体現すれば、衆人の首長と為るに足る。美しき事物を会合すれば、礼に合するに足る。万物を利せば、道義を調和するに足る。正固を堅く守れば、事務を担うに足る。君子はこの四つの徳行を践履する。ゆえに言う:乾は元・亨・利・貞を具えると。注者は説明する:万物に善を為すことは、治の開端である。万物の情に通ずることは、治の門径である。万物を利せば、道義は自ら彼に帰附する。自らの正道を守れば、事を損なうことはないのである。
初九,曰:潛龍勿用,何謂也?子曰:龍德而隱者也,不易乎世,不成乎名,遯世無悶,不見是而無悶。樂則行之,憂則違之,確乎其不可拔,潛龍也。不易乎世,一世而不可辨也;道未行而名不彰也;世非之而不悶也;吉凶與人同患,憂則違之也。
《文言伝》は初九について問う:「潜龍勿用」とはどういう意味か。孔子は答える:これは竜のごとき徳性を具えながら隠居して出ない人のことである。彼は世俗のために己を改めず、名声を成すを急がず、世を避けて隠居しても煩悶せず、人に認められなくても煩悶しない。意に合う事はこれを為し、憂うべき事はこれを避ける。その意志は堅定にして抜き動かすことができない。これが潜藏の竜である。注者は説明する:世俗のために己を改めないとは、挙世がいまだ彼を弁識できないということである。彼の主張はいまだ行われず、ゆえに名声が顕れない。世人が彼を非議しても、彼は煩悶しない。彼は衆人とともに吉凶禍患を受けて、憂うべき事に遇えば退き避けるのである。
九二,曰:見龍在田,利見大人。何謂也?子曰:龍德而正中者也。庸言之信,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,德博而化。易曰:見龍在田,利見大人。君德也。龍德而成行也。非其位而居君德,謹信以為常,得於正也。存誠以防邪,立於中也。善世而不伐,守其謙也。德博可施,萬物雖利見之,其道未行也。
《文言伝》は九二について問う:「見龍在田、利見大人」とはどういう意味か。孔子は答える:これは竜のごとき徳性を具えて中に居り正を守る人のことである。日常の言語は信用を講じ、日常の行いは謹慎であり、邪僻を防いで内の誠を存し、世人に福をもたらしても自ら誇らず、徳行は広博にして人を感化するに足る。《易経》が「竜田に見え、大人に見るに利あり」と言うのは、彼が君主の徳性を具えているということである。注者は説明する:これは竜徳を有してすでに行動に付した人である。彼は君位に居らないが、すでに君主の徳性を具えている。謹慎守信を常態と為すことは、「正」を得ることである。誠意を存養して邪僻を防ぐことは、「中」に立つことである。世人に福をもたらして自ら誇らないことは、謙遜を守ることである。彼の徳行は広博にして施行し得るが、万物はすべて彼を見て利を得るといえども、彼の主張はいまだ真に行い広められてはいないのである。
九三,曰:君子終日乾乾,夕惕若,厲無咎。何謂也?子曰:君子進德修業。忠信,所以進德也;修辭立其誠,所以居業也。知至至之,可與幾也;知終終之,可與存義也。是故居上位而不驕,在下位而不憂,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。位雖高而猶可進也,德之修也,君子之知,在乎幾也。上體者,位之大也、難至之地也,而能至之,是其所至而至之,則乃免於悔也,故可與論其幾矣。事之難,在乎終也,而能終於下,是素知終而能終也,非義以利人則不能矣,故可與存其義也。進德而不盈也,豈上位而驕乎。安位以自守也,豈下位而憂乎。惕然其危,何咎之有!
《文言伝》は九三について問う:「君子終日乾乾、夕惕若、厲无咎」とはどういう意味か。孔子は答える:君子は一方で徳行を増進し、一方で事業を営修する。忠誠守信は、徳行を増進するためである。言辞を修飾し誠意を立てることは、事業を守るためである。至るべきところを知って努力して至る者は、彼とともに事の微細な兆候を把握することができる。止まるべきところを知って真に止まる者は、彼とともに道義を守ることができる。ゆえに彼は上位に居っても驕縦せず、下位に処っても憂愁しない。それゆえ終日勤勉し、時勢に随って戒惧し、処境は危なくとも咎はない。注者は説明する:九三の位次はすでに低からざるも、なお上進を続けることができ、その要はすべて徳行の修養にある。君子の明智は、微細な兆候を察見し得るところにある。上卦とは、位次が尊大にして極めて企及し難いところであり、彼がそれに達するのは、まさに至るべきところを知って至るからであり、こうして悔恨を免れるので、彼と「幾」を語ることができるのである。事の難しいのは終わりを収めることであり、彼が下位において事を終わりまで為し遂げるのは、平素より終局を知って善く終えることができるからである。道義をもって人を利する者でなければこれはできず、ゆえに彼とともに道義を守ることができるのである。徳行を増進し続けて決して自ら満たず、どうして上位に居るがゆえに驕縦することがあろうか。自らの位次に安んじて自ら守れば、どうして下位に処るがゆえに憂愁することがあろうか。彼はただ処境の危険を戒惧するのみであって、どうして咎があろうか。
九四,曰:或躍在淵,無咎。何謂也?子曰:上下無常,非為邪也;進退無恆,非離群也。君子進德修業,欲及時也,故無咎。上下無常,非求越其群也,所以自進其德,民歸之。
《文言伝》は九四について問う:「或躍在淵、无咎」とはどういう意味か。孔子は答える:あるいは上りあるいは下って定準なく、これは邪僻なことを為そうとするのではない。あるいは進みあるいは退いて常規なく、これもまた自らの同類を離れようとするのではない。君子が徳行を増進し事業を営修するのは、時機に追い付こうと欲するからである。ゆえに咎はない。注者は説明する:あるいは上りあるいは下って定準なしとは、同類の上に凌駕しようと欲するのではなく、用いて自ら徳行を高めるものであり、百姓は自然と彼に帰附するのである。
九五,曰:飛龍在天,利見大人。何謂也?子曰:同聲相應、同氣相求、水流溼、火就燥、雲從龍、風從虎,聖人作而萬物覩。本乎天者,親上;本乎地者,親下。則各從其類也。類之同、氣之合,無情而相從也。清者,本乎天上之道也;濁者,本乎地下之事也。聖人在上,君子、小人各得其所,親而從其類,而天下定也。
《文言伝》は九五について問う:「飛龍在天、利見大人」とはどういう意味か。孔子は答える:同じ声音は互いに応和し、同じ気息は互いに求め合う。水は湿る所へ流れ、火は乾く所へ向かって燃える。雲は竜に随って起こり、風は虎に随って生ずる。聖人が興起すれば、万物はみな彼を仰ぎ見る。天に根源するものは上に親しみ、地に根源するものは下に親しみ、それぞれ自らの同類に随うのである。注者は説明する:種類が同じで気息が合えば、情識なき事物でさえ互いに追随する。清軽なるものは天上の道に本づき、重濁なるものは地下の事に本づく。聖人が上位にあれば、君子と小人はそれぞれ適した位置を得て、各々の同類に親しみ随う。天下はここに安定するのである。
上九,曰:亢龍有悔。何謂也?子曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。民歸者,位也,亢窮也,何有於民哉!賢人何輔哉!潛龍勿用,下也。見龍在田,時舍也。終日乾乾,行事也。或躍在淵,自試也。飛龍在天,上治也。亢龍有悔,窮之災也。乾元用九,天下治也。見龍有君德矣,時舍而不用也。或躍以進其道、行其德而自試,飛龍治在一人也。用九上下皆正,天下得治也。
《文言伝》は上九について問う:「亢龍有悔」とはどういう意味か。孔子は答える:地位は尊いのに実際の爵位がなく、高く立っているのに統べるべき百姓がなく、賢人はみな下位にあって彼を輔佐する者がいない。ゆえに一たび動きがあれば悔恨を招くのである。注者は説明する:百姓が帰附するのは「位」による。高亢して窮尽の地に至れば、どうして百姓を論ずることができよう、またどうして賢人があって輔佐できよう。《文言伝》はさらに爻を逐い申し述べる:「潜龍勿用」は、最下に処るからである。「見龍在田」は、時機をなおしばらく擱置すべきである。「終日乾乾」は、勤勉に事を為している。「或躍在淵」は、自らを試みている。「飛龍在天」は、上位において治理を施している。「亢龍有悔」は、窮尽に行き着いて災禍を招いた。「乾元用九」は、天下が治を得る。注者は続けて説明する:見龍はすでに君主の徳性を具えているが、時機が未だ至らず、しばらく擱置されて用いられない。或躍在淵は、これを借りてその主張を推し進め、その徳行を施行して自らを試みることである。飛龍在天は、治の権が一人に集まっている。用九は上下ともに各々その正を得、天下はこれによって治を得るのである。
潛龍勿用,陽氣潛藏。見龍在田,天下文明。終日乾乾,與時偕行。或躍在淵,乾道乃革。飛龍在天,乃位乎天德。亢龍有悔,與時偕極。乾元用九,乃見天則。日中星鳥,春分象也。乾道乃革,革於陰也。位乎天德,高明而周也。時者,天之節也。乾者,中之動也。時有節,動有中,亢則俱極矣。乾善用九,周而不殆,天之德也,可以觀其則矣。
《文言伝》はまた言う:「潜龍勿用」は、陽気がなお潜藏しているからである。「見龍在田」は、天下に文采光明が現れたからである。「終日乾乾」は、時勢とともに前に行くからである。「或躍在淵」は、乾道がここに至って変革を生ずるからである。「飛龍在天」は、天に合う徳位に居るからである。「亢龍有悔」は、時勢とともに極端に至るからである。「乾元用九」は、ここに上天の法則が顕れる。注者は説明する:《尚書・堯典》に「日中星鳥」と講ずるは、まさに春分の景象を言うのであって、すなわち天下に文采光明の時である。いわゆる乾道が変革を生ずるとは、陰に対する変革を言う。いわゆる天に合う徳位に居るとは、高遠明徹にして周遍して遺漏なきを言う。時とは、上天の節度である。乾とは、中道より発する運動である。時に節度あり、動きが中道に合すれば、ひとたび高亢すればみな極端に至る。乾は善く九を用い、運行が周遍して衰弊に至らない。これがまさに上天の徳性であって、これによってその法則を見ることができるのである。
乾元者始而亨者也,利貞者性情也。乾始能以美利利天下,不言所利,大矣哉。天之道,不形而善始,故謂之乾。乾始通於物,物得而生也。物利而成,雖利之而純精不改其正,物自乘其化也。故聖人經營其始終而不失其正焉。情興於性,大通無累也,故乾之利美矣,安往而不利哉,不言其所利者也。
《文言伝》は言う:乾元とは、万物をして開始せしめ、かつ通達せしめるものである。利と貞とは、乾の本性と情実である。乾は初めより美しき利益をもって天下に施恵することができながら、自らの利の在る所を言わない。真に偉大である。注者は説明する:天の運行は形迹を顕さずして善く開創する。ゆえにそれを乾と称する。乾は開始の時に万物と相通じ、万物はそれを得てこそ生長できる。万物は利を得て成就するが、乾はそれらを利すといえど、その純粹精微の本体は自身の正を改めず、万物はただ各々その化育に随うのみである。ゆえに聖人は事の終始を経営してその正を失わない。情は性の中より興り、広大にして通達、累わるところがない。それゆえ乾の「利」は美しく、どこへ行って利あらざることがあろうか。まさにこのゆえに、それは自らの利する所を言い出す必要がないのである。
大哉乾乎,剛健中正,純粹精也。六爻發揮,旁通情也,時乘六龍,以御天也。雲行雨施,天下平也。君子以成德為行,日可見之行也。夫乾,剛健中正,為主純精不雜之至也。故始終六位,隨時發散,能旁通庶物之情。變化乘時,雲行雨施而無不及,德之大者也。君子象之,能博其德,乃日可見之行,則民之所利見矣。故能體化合變而治於無形也。潛之為言也,隱而未見,行而未成,是以君子弗用也。行未成,則於事不盡也。
《文言伝》は言う:偉大なり乾よ!剛強勁健にして中に居り正を守り、純粹にして精微である。六爻は順次に作用を発揮し、旁らに万物の情実に通ず。時に随って六条の竜を駕し、これをもって天道を御す。雲気は流行し雨沢は施降し、天下はこれによって太平となる。君子は徳を成就することを日常の践行と為す。それは毎日見ることができる行いである。注者は説明する:乾は剛健中正にして主宰としてあり、純粹精微の極みにして一糸の雑質をも夾雑しない。ゆえに初爻より上爻に至る六つの位次は、時勢に随って次々に発散し、旁らに万物の情実に通じることができる。変化する時は時機に乗り、雲行雨施して及ばざるところなし。これは徳行の中で最大のものである。君子はこれに法り、自らの徳行を広博ならしめ、毎日見ることのできる行いと為す。百姓もまたその中より利益を得る。ゆえに彼は化育を体し変動に契り、無形のうちに治理を完成する。いわゆる「潜」とは、隠伏して未だ顕れず、践行し始めて未だ成らざるを指す。ゆえに君子はしばらく施展しない。注者は補足する:践行が未だ成らなければ、事においてまだ尽くしたとは言えないのである。
君子學以聚之,問以辨之,寛以居之,仁以行之。易曰:見龍在田,利見大人。君德也。行之成,乃君之德也。九三,重剛而不中,上不在天,下不在田,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。剛者,物之健也,人之難御也,履重剛,動而失之咎也。時無止也,人道無息也,故乾乾因其時,得其上下,乃無咎也。
《文言伝》は言う:君子は学びをもって学問を積聚し、問いをもって是非を辨明し、寛厚をもって自ら処し、仁愛をもって事を行う。《易経》が「竜田に見え、大人に見るに利あり」と言うは、これ君主の徳性である。注者は説明する:践行に成就あってこそ、君主の徳性である。《文言伝》はまた言う:九三は剛爻を重ねて「中」の位に居らず、上は天に届かず、下は田に在らず。ゆえに終日勤勉し、時勢に随って戒惧すれば、処境は危なくとも咎なし。注者は説明する:剛とは、事物の中で最も強健にして、また人が最も駕御し難いものである。重ねた剛爻の上に踏み居れば、一たび動きて失当すれば過ちとなる。時勢は止まることなく、人の尽くすべき道も息まない。ゆえに終日勤勉し、時勢に順い、上下の分際を正しく置き、こうして初めて咎なきを得るのである。
九四,重剛而不中。上不在天,下不在田,中不在人,故或之。或之者,疑之也,故無咎。地道以上為用,承天以布生也。天道以下為用,資始而流形於下也。三履於地,守得其處,人道之安,據眾之所也。四升上矣,乘重剛矣。上近於天,革於眾庶者也。位逼於尊,德崇於人,而猶自疑而不果,在淵而守下,故得無咎也。
《文言伝》は言う:九四は剛爻を重ねて「中」の位に居らず、上は天に届かず、下は田に在らず、中に処っても人の位に在らず。ゆえに「或」と言う。いわゆる「或」とは、心に遅疑を存することである。まさに遅疑するがゆえに、咎はない。注者は説明する:地道は上に向かうを用と為し、天を承けて生機を布散する。天道は下に向かうを用と為し、開端を賦与して形体を下に流布せしめる。九三は地の上に踏み、自らの在るべき所を守った。それは人道の安穏なる処であって、衆人の居る位置を占める。九四はすでに上卦に升り、重ねた剛爻の上に乗り、上は天に近づく。これは衆庶の中より脱変して出たものである。その位次は至尊に逼り、徳望はまた常人より高いが、なお自ら疑いて果決せず、寧ろ淵の中に停まって卑下を守る。ゆえに差錯を出さざるを得るのである。
夫大人者,與天地合其德,與日月合其明,與四時合其序,與鬼神合其吉凶。先天而天弗違,後天而奉天時。天且弗違,而況於人乎?況於鬼神乎?大人之道、無私之德,而不偏也,而況於中人乎?故能觀象立器、徵讓與時而無差者也。人者神之主也,得於人,鬼神之道可知也。
《文言伝》は言う:いわゆる大人とは、その徳は天地と合し、その明照は日月と合し、その秩序は四時と合し、その定むる吉凶は鬼神と合する。彼は天時に先んじて行い、天は彼に違わない。天時に後れて動いても、また天の時序を奉げ行うことができる。上天でさえ彼に違わない、まして人をや、まして鬼神をや。注者は説明する:大人の行う道、無私の徳は、偏り倚ることなきものである。天と鬼神でさえこのようである、まして中等の資質の常人をや。ゆえに彼は物象を観察して器物を創制することができ、征伐であれ揖譲であれ時宜に合して差失がない。人は神の主宰であり、人事において処置を当て得れば、鬼神の道もまた推し知ることができるのである。
亢之為言也,知進而不知退,知存而不知亡,知得而不知喪。亢者直,進而不知退,極窮而悔也。其惟聖人乎?知進退存亡,而不失其正者,其惟聖人乎?進退存亡,時之然,於我何有焉。因內外之分明,則保其終而無悔,聖人之道也。
《文言伝》は言う:いわゆる「亢」とは、進むことのみ知りて退くことを知らず、存することのみ知りて亡ぶを知らず、獲ることのみ知りて喪うを知らざるを言う。注者は説明する:高亢の人はひたすら直ちに前へ向かい、進を知りて退を知らず、窮極に行き着いて悔恨を招く。《文言伝》は続けて言う:およそ聖人のみか?進退存亡の理を知りてその正を失わざるは、およそ聖人のみか!注者は説明する:進退存亡はもとより時勢の致すところであり、我が身にとってはまた何物であろうか。まさに内外の分際が明白清楚であるがゆえに、終局を保全して悔恨なきを得る。これが聖人の行う道である。
坤卦
坤下坤上。坤,元亨,利牝馬之貞。君子有攸往,先迷,後得主,利西南,得朋。東北喪朋,安貞吉。彖曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。坤厚載物,德合無疆。含弘光大,品物咸亨。牝馬地類,行地無疆,柔順利貞。君子攸行,先迷失道,後順得常。西南得朋,乃與類行,東北喪朋,乃終有慶。安貞之吉,應地無疆。坤,順也,承於乾而成乾之化也。臣稟命於君,而致君之治也。有大通始生之德焉,萬物由之得焉,萬物由之而形也,無有逺邇而奉順之勤。不敢怠柔,不失正,牝馬之貞也。臣道也,待君而後成也。君子攸行,初離乎族,迷而失道,後保其所,乃其常也。西南同類,安無成也。東北喪朋,出而得正,終有慶也。地承天而體方,臣奉君而為正,逺無不至,多無不能,無疆之德。故君子定其分,行其事,則葉夫無疆之永也。象曰:地勢坤,君子以厚德載物。地無不載,勢順而上,承於天。君子修博其德,而當承上之事也。
《坤》卦は下卦が坤、上卦も坤である。卦辞は言う:坤は元と亨を具え、牝馬のように柔順にして正を守るに利あり。君子は往くところあり、先んじて行けば道に迷い、後に随えば主人を得る。西南の方へ行けば同伴を得、東北の方へ行けば同伴を失う。安んじて正を守れば吉である。《彖伝》は言う:極致なり、坤の元始の徳よ!万物はすべてこれに依って生長し、これは順に天を承ける。坤は厚重にして万物を承載し、その徳性は無辺無際に合する。それは含容寛厚にして光明博大、あらゆる事物はこれによって通達する。牝馬は地の類に属し、大地の上を行くこと際限なし。柔順にして正を守るに利あり。君子は前行することあり、先んずれば道路を失い、後に随い順えば常道を得る。西南へ行けば同伴を得るは、同類とともに行くなり。東北へ行けば同伴を失うも、終わりにはかえって喜慶あり。安んじて正を守るの吉は、大地の無辺無際に応ずるなり。注者は説明する:坤とは、順のことである。それは乾を承けて乾の化育を成就する。ちょうど臣子が君主より命令を受けて、君主の治を実現するがごとし。坤は万物を通達せしめ生長を始めしめる徳性を具え、万物はこれによって得る所あり、またこれによって形体を成就する。遠近を問わず、奉行順従の勤労を尽くす。それは怠慢せず、柔順にしてその正を失わない。これが「牝馬之貞」であり、すなわち臣たるの道である。君主の発令を待って然る後に事を成し得るのである。君子が前行するに、初めは自らの族類を離れたがゆえに道路を迷う。後に自らの在るべき位置を守って、初めて常道に帰る。西南は同類の聚集する処であり、その中に安んじても事を成すことはできない。東北は同伴を失うといえど、出で行けばかえって正を得、終わりに喜慶あらん。大地は上天を承けて形体方正、臣子は君命を奉行してこそ正と為る。再び遠き所にも至らざるなく、再び多き事にも成さざるなし。これが無辺無際の徳性である。ゆえに君子は自らの名分を定め、本分内の事を為し遂げれば、あの無辺無際の長久の道に協合することができるのである。《象伝》は言う:大地の勢いこそ坤である。君子はこれに法り、深厚の徳をもって万物を承載する。注者は説明する:大地に承載せざるものなく、その勢いは順沿して上に向かい、天に承く。君子が自らの徳行を修養し拡充するのは、まさに上に在る者に仕える事務を担当せんがためである。
初六,履霜堅氷至。象曰:履霜堅氷,陰始凝也。馴至其道,至堅氷也。陰始凝以極於積柔而為堅,罪始於小欺以至於累惡而為賊。故為上者不可以不辨,為下者不可以不愼。不早辨也,馴而順之以至於大也,則無及已。夫陰陽往來等也。乾始於潛,日之南至而生也;陰生於日之鶉首,至履霜,而五陰成而為氷。何也?陽天下之大也,陰輔成其內,而其體一也,萬物化也。陽胎於坎而老於乾,則凝為霜,積而成氷,此陰自成形,而為賊害之始也,非生之始也。雖陰盛也而陽潛焉,終得其正也。故賊臣者世皆有之,有隨而滅之,此其象也,故聖人作為戒云。
初六の爻辞は言う:足の下に霜を踏めば、堅厚の氷がまもなく来る。《象伝》は言う:霜を踏みて堅氷の至るを知るは、陰気が凝結を始めたからである。この道に順い一歩一歩行けば、堅氷の地歩に至らん。注者は説明する:陰気は凝結を始め、ずっと柔弱を積みて極に至れば堅硬と化する。罪悪は小さな欺瞞より起こり、ずっと悪行を累積すれば人を害する賊となる。ゆえに上位に在る者は辨明せざるべからず、下位に在る者は謹慎せざるべからず。もし早く辨明せず、ひたすらそれに順って発展し坐大の地歩に至れば、及ばざるなり。陰陽の往来は対等である。乾は潜藏より始まり、冬至の日に陽気は初生する。陰気は太陽が鶉首の次に行る時に生じ、足の下に霜を踏む時に至り、五つの陰爻はすでに成り、凝結して氷と為る。なぜこのようか。陽は天下の最大のもの、陰はその中においてこれを輔して成就する。両者はもとより一つの整体であり、万物はこれによって化育する。陽は坎の中に孕育し、乾の位において衰老す。ここに凝結して霜と為り、積累して氷と為る。これは陰が自ら形を成して、禍害の開端と為るものであって、生養の開端ではない。たとえ陰気が正に盛んでも、陽はなおその中に潜伏し、終わりにはなおその正位に帰ることができる。ゆえに国家を危害する臣子は歴代皆あり、また必ず人あって随いこれらを剷除する。これがこの爻の顕す象であり、聖人はこれによって《易》を作りて世人に告誡するのである。
六二,直方大,不習無不利。象曰:六二之動,直以方也。不習無不利,地道光也。靜然而待其天氣,直也。物得宜而遂生,方也。無不載焉,大也。地道之上,居體之中,盡地之理,無私而生成也。承命而化之,動無不中,何習之有乎,故無不利也。
六二の爻辞は言う:正直・方正・博大にして、刻意に学び演習せずとも、利あらざるなし。《象伝》は言う:六二の挙動は、正直にしてまた方正である。習練せずして利あらざるなしとは、地道の光明显耀による。注者は説明する:静かに上天の気候の降るを待つ、これが「直」である。万物が各々その宜しきを得て順に生長する、これが「方」である。承載せざるものなし、これが「大」である。六二は地道の中に居り、下卦の「中」の位に居り、大地の理を窮め、私心なく生養して万物を成就する。それは天の命令を承けて化育を加え、一挙一動すべて中道に合す。どうしてあらためて学び演習する必要があろうか。ゆえに利あらざるなきなし。
六三,含章可貞,或從王事,無成有終。象曰:含章可貞,以時發也。或從王事,知光大也。體順也,為下之長,守臣之分也。內含其明而不敢遂,故可因時而發,不失其正。王或有命,則從之也。不果首成,代終而以知之,光大能全其道也。
六三の爻辞は言う:内に美質を含みて正を守ることを得れば、あるいは君王に随いて事を為し、成功の名を争い取らずとも、良い結局を有つことを得る。《象伝》は言う:内に美質を含みて正を守ることを得とは、時機を待ちて初めて発揮するなり。あるいは君王に随いて事を為すとは、その智慧の光明博大なり。注者は説明する:六三は体性柔順にして、下卦三爻の中の長者であり、臣たるの本分を恪く守る。それは自らの明智を内に含藏して敢えて徑直に施展せず、ゆえに時機に順いて初めて発揮し得て、その正を失わない。君王が一たび命令あれば、それに跟従する。それは争って首創成功の者を為さず、君王に代わりて事を終わりまで為す。この自知の明を凭り、光明博大にしてこそ、自らの行う道を保全し得るのである。
六四,括囊,無咎,無譽。象曰:括囊無咎,愼不害也。純陰之升,無陽以明之,則陰不能獨化也。下體地也,上又非陽,無天無君之象也,天地不交之道也。賢人何由明乎?敬愼而懷其道,包括而不敢發,可以無咎譽也。戒其位於上行也。
六四の爻辞は言う:口袋を括めるがごとく言葉を収めれば、咎もなく、称誉もなし。《象伝》は言う:口袋を括めて差錯なしとは、謹慎なれば禍害を招かざるなり。注者は説明する:純粹の陰気は上に升騰し、陽来たりてこれを照明するなし。陰は独りで化育すること能わざるなり。下卦は地、上卦もまた陽にあらず。これは天無く君無きの象、すなわち天地相交通せざるの局面である。このような時、賢人は何を凭りて自らの主張を顕明せしめんや。ただ恭敬謹慎に自らの道を懐藏し、これを包裹収攏して敢えて発露せず、こうしてこそ咎もなく称誉もなきを得る。爻辞はこの位次に処る者を告誡して、冒然と上に向かい行動せざるよう要請するのである。
六五,黃裳,元吉。象曰:黃裳元吉,文在中也。黃,中之文也。裳,下之飾也。柔以文治,中而能通,貴而體正,不敢違背,致君之化也。為臣以之盡道矣,故大吉也。上六,龍戰于野,其血玄黃。象曰:龍戰于野,其道窮也。陰之極而陽戰之,曰龍戰也。戰則兩傷矣。陰道極,極斯窮,窮則傷,將復壯,因萬物而見焉,故曰於野。則柔脆者枯死,而堅強者內生也。用六,利永貞。象曰:利用永貞,以大終也。柔戒於邪,長正乃利也。故君子之用六也,順上而保其正,合其剛大而終也。
六五の爻辞は言う:黄色の下裳を着れば、大いに吉祥である。《象伝》は言う:黄裳大吉とは、文采が内に含まれているからである。注者は説明する:黄は「中」の位に居る色であり、裳は下身に着ける服飾である。六五は柔順の徳をもって文治の方式で治理し、中に居って通達し、身分は尊貴にして体性は端正、敢えて君命に背かず、一心に君主の教化を成全しに行く。臣子としてこのようにすれば、臣たるの道を尽くしたことになる。ゆえに大いに吉祥である。上六の爻辞は言う:竜が郊野の上で交戦し、流れ出る血は青黒と黄色と相雑じる。《象伝》は言う:竜が郊野の上で交戦するは、坤道がすでに窮尽に至ったからである。注者は説明する:陰が極に至れば、陽は来たりてこれと相争う。これを「竜戦」と称す。一たび交戦すれば両敗倶傷となる。陰道は極に至り、極まれば窮し、窮すれば傷を受ける。しかし陽はまさに新たに壮大せんとし、万物を借りて顕現する。ゆえに「野」に在ると言うのである。この時、柔脆の類は枯萎して死に、堅強の類はかえって内に萌生する。用六の辞は言う:長く正を守るに利あり。《象伝》は言う:長く正を守るに利ありとは、博大をもって終局を収束せんとするなり。注者は説明する:柔順の方は邪僻を警惕し、正道を助長してこそ利がある。ゆえに君子が六という柔爻を運用するのは、上の者に順从して自らの正を保ち、剛健博大の道に会合して終局を完成するのである。
文言曰:坤至柔而動也剛,至靜而德方,後得主而有常,含萬物而化光,坤道其順乎,承天而時行。坤,順也。靜而含光,能畜治萬物而不敢先也。順於上而時動,成其終而不怠。堅剛而得於久,至柔以為剛也。
《文言伝》は言う:坤は極めて柔順であるが、ひとたび動けば剛勁である。それは極めて安静でありながら、徳性は方正である。後に随ってこそ主人を得る。ゆえに常道がある。それは万物を含容して化育の功が広大である。坤道はおよそ順であろうか。上天を承けて時序に随って運行する。注者は説明する:坤とは、順のことである。それは安静にして光明を含蘊し、万物を蓄養し治理することができながら、敢えて先んずることはしない。上の者に順从し、時序に随って動き、自らの終局を成就して懈怠しない。その堅強剛勁なるところはまさに持久できるに在る。極致の柔順を剛強に転化したものである。
積善之家,必有餘慶。積不善之家,必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故。其所由來者,漸矣。由辯之不早辯也。易曰:履霜堅氷至,蓋言順也。君子之辯於初也,既形於履霜則堅氷至,順而致之,然也。其辯於君子小人,蓋愼乎此也。
《文言伝》は言う:善行を積み累ねた家には、必ず余りある福慶が後人に残る。悪行を積み累ねた家には、必ず余りある禍殃が後人に残る。臣子が君主を殺し、兒子が父親を殺すのは、一朝一夕に形成されたのではない。その由来は漸次積み累ねられたものである。原因はまさに辨明すべき時に及早に辨明しなかったところにある。《易経》が「履霜堅氷至」と言うのは、まさに勢いに順って発展するという道理を講じたものである。注者は説明する:君子は事が剛く起こる頭の時に辨明すべきである。一たびすでに「履霜」と顕れれば、堅氷は必ず到来する。これは勢いに順って一歩一歩招致する必然的結果である。彼が君子と小人を辨別するのは、まさにこの起頭の処において格別に謹慎するのである。
直其正也,方其義也。君子,敬以直內,義以方外,敬義立,而德不孤。直方大,不習無不利。則不疑其所行也。敬而不謟,直內也。非義而不合,方外也。敬義不孤,德之大也。可執一而當之,事至而決之,何習而後為乎。是以不疑其所行也。
《文言伝》は言う:「直」とはその内心が端正であることを言い、「方」とはその行事が合宜であることを言う。君子は恭敬をもって内心を正直ならしめ、道義をもって行為を方正ならしめる。恭敬と道義とが確立すれば、徳行は孤单ならざるを得ない。いわゆる「直方大、不習无不吉」とは、彼が自らの為す事に対してもはや遅疑しないことを言う。注者は説明する:恭敬であって諂媚せず、これが内心を正直ならしめる。道義に合せざれば附和に往かず、これが行為を方正ならしめる。恭敬と道義が孤立せず、これが徳行の博大である。彼はこの一つの原則を持守して一切に対応することができ、事が来れば当下に決断を為す。どうして先に演練を一番してから手を出す必要があろうか。ゆえに彼は自らの為す事に対して遅疑しないのである。
陰雖有美,含之以從王事,弗敢成也。地道也,妻道也,臣道也。地道無成而代有終也。含而守下,代其終也。天地變化,草木蕃。天地閉,賢人隱。易曰:括囊無咎,無譽。蓋言謹也。地本下矣,而上無天純陰之用,閉之道也。君子謹而晦之,免於害也。
《文言伝》は言う:陰はまた美しき所を有するといえども、それを含藏して君王の事業に追隨し、敢えて成功に自居しない。これは地の道、妻の道、臣の道である。地道は自ら成功に居らず、天に代わりて事を終わりまで為す。注者は説明する:含藏して下位を守り、上の者に代わりて終局を完成する。《文言伝》はまた言う:天地が交感変化すれば、草木は繁茂する。天地が閉塞して通ぜざれば、賢人は隠退する。《易経》が「括囊无咎、无誉」と言うは、まさに謹慎を講じたものである。注者は説明する:地はもともと下に在り、しかも上に天がなく、すべて純陰が作用している。これが閉塞の局面である。君子は謹慎に自らを収斂隠晦してこそ、禍害を免れることができるのである。
君子黃中通理,正位居體,美在其中而暢於四支,發於事業,美之至也。文在於中者,能通天下之理也。得其樞矣,於何而不利焉。是以為臣體柔,能正大位,揚君之大化也。則美在其中而四肢暢矣。正德於時而天下形矣,舉事而可乆也,天下則之,以之為業,美之至也。
《文言伝》は言う:君子は中に居る黄色の徳をもって事理に通達し、位次を端正し本分に安処する。美好はその内に蘊含されて四肢に暢達し、事業に発揮される。これは美の極致である。注者は説明する:文采を内に含む人は、天下の道理に通達し得る。この関鍵を捉えれば、なんらの事も順調でないことがあろうか。ゆえに臣子は体性柔順にして、しかも尊崇の位次を端正し、君主の大教化を宣揚し開く。ここに美好が内に蘊含されて四肢に舒暢する。彼は時に及んで自らの徳行を端正すれば、天下の秩序は成形する。彼の弁ずる事は長久たるべく、天下の人は彼に取法し、これを共同の事業と為す。これが美の極致である。
陰疑於陽,必戰。為其嫌於無陽也,故稱龍焉。猶未離其類也,故稱血焉。夫玄黃者,天地之雜也。天玄而地黃。陰,純陰者也,雖盛衰之無盡窮也,故為治之主焉,為君道焉。在於四時而消息則迭興,而未始相離也。陽極則陰生其中,陰極則陽復其中,至於交會,則有進退之事。陽勝陰,理固然也。陰勝陽,悖之道也,故稱陰老而乾戰焉。堅氷之至也,陰之盛,陽憚而疑,故戰也。勿以陰盛而謂之無陽乎,陽潛而運,乃在中也。慮其將來,疑於無陽也,故稱龍焉。外由陰也,故類稱血焉。戰而兩傷,故云玄黃之雜色也。
《文言伝》は言う:陰が強盛にして陽と相当するに至れば、必ず交戦する。人々がこの時すでに陽なしと疑うがゆえに、特意それを「竜」と称する。また陰が畢竟まだ自らの族類を脱していないがゆえに、それを「血」と称する。いわゆる玄黄とは、天色と地色と相雑じるもので、天は青黒色、地は黄色である。注者は説明する:坤は純粹に陰に属する一卦である。陰陽の盛衰交替はもとより窮尽なく、しかも陽こそ治理の主宰であり、君主の道である。四時について言えば、陰陽の消退と生長は交替して興り、従来彼此相分離したことがない。陽が極に至れば、陰はその中に萌生する。陰が極に至れば、陽はまたその中に回復する。両者が交会する時に至って、進退相争の事がある。陽が陰に勝るは理の当然である。陰が陽に勝るは悖乱の道である。ゆえに陰はすでに衰老し乾が来たりてこれと交戦すると言う。堅氷の到来する時、まさに陰気が最も盛んで、陽は忌憚する所ありて疑を生ずる。ここにおいて交戦するのである。陰気が正に盛んだからといって、すでに陽なしと言うべからず。陽はただ潜伏して運行し、実はその中に在るのである。まさに将来、人が陽なしと疑うを恐れるがゆえに、それを「竜」と称する。しかし外表の顕れるはなお陰の主導によるがゆえに、その族類に就いて「血」と称する。一たび交戦すれば両敗倶傷、ゆえに流れ出る血は玄黄相雑の色と言うのである。
屯卦
震下坎上。屯,元亨利貞,勿用有攸往,利建侯。象曰:屯剛柔始交而難生,動乎險中,大亨貞。雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寧。剛生於柔,動在險中,屯也。天地之道,交而生物;君民之道,交而生事。物者得治後生也,事者經之而後遂也。難而營之,動於險中而獲於大通以正也,非智者不能善其道也。陽震,春四時之首也。雷雨動而滿盈,造物之始也,猶除草而為居也,始於冥昧未見也。險在於前矣,何所往哉。安而立已,勤而力民,協其力也。
《屯》卦は下卦が震、上卦が坎である。卦辞は言う:屯は元・亨・利・貞の四徳を具え、往くところあるに宜しからず、諸侯を分封するに宜し。《彖伝》は言う:屯は剛と柔が剛く交合し、艱難がこれに随って生ずる。険境の中において行動し、大いに亨通して正を守るに宜し。雷雨の鼓動は天地の間に充満し、上天が万物を創造する初めは一片の草莽昏暗。此の時、諸侯を分封すべく、安逸に自居すべからず。注者は説明する:剛が柔の中より生じ出て、行動はまた険境の中に処する。これが屯である。天と地が相交じてこそ万物を生じ、君と民が相交じてこそ政事を生ず。万物はまず治理を得て然る後に生長し、事はまず経営して然る後に成就する。艱難の中に経営し、険境の中に行動して、大いなる通達を獲得し正を守る。智慧ある者にあらざればこの路を善く行くこと能わず。震は陽に属し、春であり、四時の首に居る。雷雨が鼓動して天地に充盈するは、まさに造化の物を生ずる開端である。まるでまず雑草を除きてこそ屋を筑き居るがごとく、一切は昏暗未明の時より起こる。此の刻、険難は眼前に在り、なおどこへ往くことができようか。ただ安定して立ち己を立たしめ、勤勉に百姓のために力を出し、衆人の力を協調するのみである。
象曰:雲雷屯,君子以經綸。云,畜雨者也。雷,下震之,將降而滿盈也。君子務時經綸而可大也。初九,盤桓,利居貞,利建侯。象曰:雖盤桓,志行正也,以貴下賤,大得民也。剛居屯初,造化經始之時也。險在前,民思其安也。君子知其時而不決進,故盤桓於下,居所用正,正則民安;歸下,則眾所服,故動於下,建侯封也。
《象伝》は言う:雲が上にあり雷が下に在るは、すなわち屯である。君子はこれに法って経営治理に従事する。注者は説明する:雲は雨水を蓄積するもの、雷は下において震動し、雨はまさに降臨せんとして天地に充満す。君子はこの時節を捉えて経営治理すれば、事業はこそ大きくできる。初九の爻辞は言う:徘徊して進まず、安居して正を守るに宜しく、諸侯を分封するに宜し。《象伝》は言う:徘徊して進まないといえども、彼の心志は正道の上を行っている。尊貴の身をもって卑賤の下に屈す。ゆえに大いに民心を得る。注者は説明する:陽剛の爻は屯の開端に処り、まさに造化が経営を始める時である。険難はまさに前にあり、百姓は安定を盼む。君子は時機が未だ至らざるを知りて冒然と前進せず、ゆえに下位において徘徊する。彼の処する位置は正道を用い、行い正しければ百姓は安定する。下位に屈することを肯んずれば、衆人はこそ服従する。ゆえに彼が下において挙動する所あれば、すなわち諸侯を分封建立するのである。
六二,屯如邅如,乘馬班如,匪?婚媾,女子貞不字,十年乃字。象曰:六二之難,乘剛也。十年乃字,反常也。陰者,依陽而成也,況當此屯時,欲進應五。雖至於乘馬班如,裝飾器備而不可往者,乘初之?也。極數之變以待會終,得其依者,守中執志之正也。
六二の爻辞は言う:難行して徘徊し、馬に乗って回り打转す。来る者は賊寇ではなく、求婚の人である。女子は正を守りて嫁ぐを肯んぜず、十年を過ぎて初めて嫁を許す。《象伝》は言う:六二の艱難は、剛爻の上に凌駕するがゆえである。十年にして初めて嫁を許すは、事が常道に帰ったからである。注者は説明する:陰は陽に依拠してこそ成就する所あり、まして屯難の時に当たるや。それは上進して九五に応和せんと欲する。しかし車馬を備え装飾を整えても、なお往くこと能わず。その原因は初九の剛の上に凌駕するに在る。それは数の変化を尽くして推し、終に会合する日を待ち、最後に依然として自らの依拠する人を得る。凭る所はまさに「中」の位を守り、心志の正を執守することである。
六三,即鹿無虞,惟入于林中。君子幾不如舍,往吝。象曰:即鹿無虞,以從禽也。君子舍之,往吝,窮也。逺於陽,欲依於五,五與二也。將來得乎?是無謀度器備以從禽也,故獲於林中。君子知幾不如舍之,往則吝也。
六三の爻辞は言う:野鹿を追逐するも山林の官の引路なく、ただ一頭に樹林の中に鑽入するのみ。君子は苗头を見れば、これを放棄するに如かず。強いて往かば困窘あらん。《象伝》は言う:鹿を追いて引路の人なきは、ひたすら禽獣を貪求するなり。君子がそれを放棄するは、往かば困窘し、窮路に行き着くを以てなり。注者は説明する:六三は陽爻に遠く離れ、九五に依附せんと欲する。しかし九五の応和する所は六二である。それの欲するは将来得ることができようか。これは謀画なく、器具装備なきをもって禽獣を追逐するに等しい。ゆえに樹林の中に陥るのみである。君子は苗头を見出し、放棄するに如かざると覚え、強いて往かば困窘を招致せん。
六四,乘馬班如,求婚媾,往吉,無不利。象曰:求而往,明也。時之屯,陰求陽之深也。之其應者,皆乘馬備飾而待於行,兩意求之而遂往,明得其情,吉無不利也。
六四の爻辞は言う:馬に乗って回り打转し、婚配を求めに往けば、往いて吉祥、利あらざるなし。《象伝》は言う:求むる所有りて往くは、明智なり。注者は説明する:屯難の時に当たり、陰が陽を求める心情は格別に迫切である。前に往きて自らと相応する一方へ、双方とも車馬を備え装いを整えて上路を待つ。彼此両方とも意あり。ここにおいて往くのである。これは相手の心意を明白にしたがゆえに、吉祥にして利あらざるなし。
九五,屯其膏,小貞吉,大貞凶。象曰:屯其膏,施未光也。屯動於險中,非常之時也,有非常之才而後可以濟之矣。五守中,而獨應,無膏澤以及天下也。小以自守可也,將以大正,凶之道也,施豈光乎。上六,乘馬班如,泣血漣如。象曰:泣血漣如,何可長也。屯難而後者也,以柔居極,屯道窮也。乘馬班如,將何行乎,故泣血漣如,凶可知也,不能久也。
九五の爻辞は言う:恩沢を積聚して施放せず、小事において正を守れば吉祥、大事において正を守れば凶険である。《象伝》は言う:恩沢を積聚するは、施予がなお广大に足らざるを言う。注者は説明する:屯は険境の中の行動であり、非常の時期に属す。非常の才干あってこそ難関を渡ることを得。九五は「中」の位を守ったといえども、ただ六二と単独に相応するのみで、恩沢を天下に普施していない。この時、これを用いて小さき処に自守するは可以なり。もしこれを凭りて大いなる匡正を成就せんと欲せば、すなわち凶を招くの道である。その施予はまたどうして广大と言うに足りよう。上六の爻辞は言う:馬に乗って回り打转し、哭いて眼涙は血のごとく連々として下る。《象伝》は言う:哭泣して血涙漣々たる、この情形はどうして長久できよう。注者は説明する:上六は屯難の中において最後に落ちた一爻であり、柔弱の質をもって卦の頂端に居る。屯の路はすでに窮尽に行き着いた。車馬は備えたれど原地に打转するのみで、なおどこへ往くことを得よう。ゆえに血涙漣々と哭く。凶険は想い知るべく、この局面もまた支持する久しからざるなり。
蒙卦
坎下艮上。蒙,亨。匪我求童蒙,童蒙求我。初筮告,再三瀆,瀆則不告,利貞。彖曰:蒙,山下有險,險而止,蒙。蒙,亨,以亨行時中也。匪我求童蒙,童蒙求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也。蒙以養正,聖功也。山下有險而止,昧於所從,蒙也。夫知昧而求決者,通之道也。決而當於時,適於中道,乃行也亨。蒙之理,非求我也,求我,蒙不能明也,待蒙求我,志應而後發也。告者精意而上請也,初志乎決,剛中求辨於理,故來告也。至於再三,則或多矣,瀆蒙者也,其肯告乎?蒙者,無知也,以其不知以養其所知。亨蒙之道,乃聖功利而正者也。
《蒙》卦は下卦が坎、上卦が艮である。卦辞は言う:蒙は亨通である。我が蒙昧の童に求むるにあらず、蒙昧の童が我に求むるなり。初めの占問にはこれに告げ、再三追問すればすなわち瀆すなり。瀆すればもはや告げず、正を守るに宜し。《彖伝》は言う:蒙とは、山下に険あり、険に遇いて停まりて進まざる。これが蒙である。蒙の亨通する所以は、亨通の道をもって行い、当时の中道に合するがゆえである。我が童蒙に求むるにあらず、童蒙が我に求むるなりとは、双方の心志の相応ずるなり。初めの占問にこれに告ぐるは、九二の陽剛にして「中」に居るがゆえなり。再三追問すればすなわち瀆すなり、瀆すれば告げざるは、啓蒙の事を瀆すを以てなり。蒙昧未開の状態をもって純正を培養するは、これ聖人を造就する功業なり。注者は説明する:山下に険阻ありてただ停まるのみ、どこへ往くべきか茫然とする。これが蒙である。自ら茫然たるを知りて来たりて決断を求む、これがまさに通達に向かう路である。決断が時機に合い、中道に切中し、一たび施行すれば亨通する。啓蒙の道理は我が人に求むるに在らず。もし反って我より人に求むれば、蒙昧の人はかえって明白なること能わず。蒙昧の人が我に求むるを待ち、心志相応じて後、我はこそ彼を啓発する。来たりて求告する者は、必ず誠意専注して上に請教せねばならない。彼が初めに志を立てて決断を求め、陽剛居中の人に事理の辨析を求取する。ゆえに来たりて求告する。問うこと第二次第三次に及べば、未免これ多し。これは啓蒙の事を瀆すもので、誰がなお肯んじて彼に告げんや。蒙昧の人はもとより無知、まさに彼の今の無知を凭りて彼の将来の所知を培養せんとす。蒙昧者を通達せしめるこの路は、まさに聖人を造就する功業にして、利ありかつ正に合するのである。
象曰:山下出泉,蒙。君子以果行育德。水泉出,而未通止所也。德不博不能及於物,淺學之蒙也。君子以之克己而果行,廣學以育德而後能通也。初六,發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往吝。象曰:利用刑人,以正法也。承於陽而發蒙也。陰奉陽而始明,全德以及物也。刑者失而後治之道也。雖陰至明可以刑人,而說桎梏正法而已,長用之,則吝也。
《象伝》は言う:山下より泉水涌き出づるは、すなわち蒙。君子はこれに法り、果決に践行して徳を養う。注者は説明する:泉水は剛く涌き出でて、まだ通路を見出さず原処に停まる。徳行が広博ならざれば万物に施及すること能わず。これは学問浅薄の蒙昧状態に譬ゆ。君子はこれによって自らを約束して果決に践行し、広く学びて徳を養い、然る後にこそ通達し得る。初六の爻辞は言う:蒙昧を啓発するは、人に刑罰を動用するに宜しく、また人のために脚镣手銬を解くに宜し。ひたすらこのようにすれば困窘あらん。《象伝》は言う:人に用刑するに宜しとは、法度を端正せんがためなり。注者は説明する:初六は上の陽爻を承けて啓蒙を得る。陰が陽に奉从して初めて事理を明白にし、進んで徳を成就し他に施及する。刑罰は差錯が出た後に用いて治理する手段である。陰はすでに人に用刑すべき地歩に明白になったが、それはただ桎梏を解き法度を端正するがためのみ。長く刑罰に倚仗すれば、困窘に陥らん。
九二,包蒙吉,納婦吉,子克家。象曰:子克家,剛柔接也。陽剛也,明也。初奉之而求其辨,三附之而委其質,比初之蒙而無情繫於三,故吉也。居中而正配於五,婚姻之吉也。家道大者莫先於正夫婦也。居中貴而委身於卑,能接之以禮者也。子能克家,莫過是也。
九二の爻辞は言う:蒙昧の人を包容すれば吉祥、妻室を納るれば吉祥、兒子は家業を担当すること能く。《象伝》は言う:兒子が家業を担当し得るは、剛と柔とが彼此相接応するがゆえなり。注者は説明する:九二は陽爻、剛に属し、すなわち事理を明白にする一方である。初六はそれに奉从して事理の辨析を求め、六三はそれに依附して自らの身をそれに付託する。それは初六の蒙昧に親近するが、情感上において六三に牽係せず。ゆえに吉祥である。それは下卦の「中」の位に居り、端正に六五と相配す。これは婚姻上の吉祥である。家を治める大道は、夫婦関係を端正するより先なるものなし。それは中位に居り身分は貴重でありながら、自らの身を卑下の一方に付託することを肯んず。これは礼をもって相接し得る人である。兒子が家業を担当し得るは、これより良きものなし。
六三,勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利。象曰:勿用取女,行不順也。乘於陽而說之,失位而不顧其應者,蒙也。不能自保而為不順,曷用娶之,無所利也。六四,困蒙,吝。象曰:困蒙之吝,獨逺實也。逺於陽也,困,何以明?守位而困,可惜者也。
六三の爻辞は言う:この女子を娶るべからず。彼女は銭ある男子を見れば自持を失う。彼女を娶るは利なし。《象伝》は言う:この女子を娶るべからざるは、彼女の行いが正道に順わざるがゆえなり。注者は説明する:六三は陽爻の上に凌駕してまたそれを喜悦し、自ら位置当たらず、また本より自らと相応ずべき上九を顧念せず。これが蒙昧である。自身さえ保てずして行い順わず、どうして彼女を娶らんや。娶るは利なし。六四の爻辞は言う:蒙昧の中に困るは、困窘あり。《象伝》は言う:蒙昧に困るの困窘は、孤单にして陽剛の実体に遠く離れたるがゆえなり。注者は説明する:六四は陽爻より最も遠く、困せられて、何を凭りて事理を明白にせんや。自らの位次を守るも困頓の中に陥るは、まことに惜しむべきなり。
六五,童蒙,吉。象曰:童蒙之吉,順以巽也。陰蒙無知,童之道也。以柔德委順於二,而二剛巽之,居尊與能,得其為上之道,故吉也。上九,擊蒙,不利為?,利御?。象曰:利用御宼,上下順也。三已應也,茍恱於三,擊而取之,動不妄乾,為宼也,擊而歸之,應下以順上,保終無間,故利用宼也。
六五の爻辞は言う:孩童のごとく蒙昧なれば吉祥。《象伝》は言う:童蒙の吉祥する所以は、柔順にして謙遜なるがゆえなり。注者は説明する:陰柔蒙昧にして知る所なきは、まさに孩童の様子である。六五は柔順の徳をもって自らを九二に付託し、九二は陽剛にして、また謙遜をもってそれに対することを肯んず。六五は尊位に居りながら、才能ある人に付託することを肯んじ、上に在る者の正道を掌握した。ゆえに吉祥である。上九の爻辞は言う:猛撃の方式をもって蒙昧を治むるは、自ら寇を為すに宜しからず、寇を抵禦するに宜し。《象伝》は言う:盗寇を抵禦するに宜しとは、上下ともに順从するを以てなり。注者は説明する:六三はもとよりすでに上九と相応じたり。もし上九が六三の取悦を貪り、往きて猛撃し強取すれば、その挙動は胡乱の侵擾と成り、自らかえって盗寇と為る。まさしく盗寇を撃退して彼らを帰服せしめ、下には六三に応和し上には秩序に順从し、こうしてこそ終局を保全して彼此嫌隙なきを得る。ゆえに盗寇に対付するに宜しと言うのである。
需卦
乾下坎上。需,有孚光,亨貞吉,利涉大川。彖曰:需,須也,險在前也,剛健而不陷其義,不困窮矣。需有孚光,亨貞吉,位乎天位以正中也。利涉大川,往有功也。需,待也。剛居於尊,安於險之道也。能制下,健以為用,君子待命而已,不可自任,則剛健終不陷也。君子觀其為而動之,其義豈窮哉。五以險德而位於天,雖非坦道,強毅而制下也,剛中而有孚也。獲剛健之臣而不敢不說,則不勞而待其功矣。故光通而貞吉,復何險之有哉,是以利涉大川,而無險不濟也。文王君人也,得九五之位;仲尼位下也,居君子之事。合兩而待之,則上待下之能,下待上之命。觀是需之情可見矣。
《需》卦は下卦が乾、上卦が坎である。卦辞は言う:需は誠信ありて光明、亨通して正を守れば吉祥、大河を渡るに宜し。《彖伝》は言う:需とは、待つのことである。険阻は前に横たわり、剛健の方はその中に陥落せず。その義理に就いて言えば、困窘窮尽の地歩に至ることはない。需に誠信ありて光明、亨通して正を守りて吉祥とは、九五が上天の位に居りてまた端正に中に居るがゆなり。大河を渡るに宜しとは、往けば功績あらんことを言う。注者は説明する:需とは待つことである。陽剛の爻が尊位に居るは、険境に安処するの弁法である。それは下を統御すること能く、剛健を可用の資と為す。君子はただ君命を待つのみ、自ら主張を為すべからず。こうすれば剛健者は終に陥落せず。君子は形勢の走向を観察して後に行動すれば、義理に就いてどうして窮尽に至ることがあろうか。九五は険陥の徳をもって天位に居り、平坦の路にあらざるも、強毅を凭りて下を統御することができる。陽剛は中に居りて誠信あり。それは剛健の臣子を得て敢えて喜悦せざるを得ず、自ら労苦せずして彼らの功績を坐等すれば足る。ゆえに光明显達、正を守りて吉祥と言い、なんらの険も憂慮する足らず。ここにおいて大河を渡るに宜しく、さらに険き処にも過ぎ去らざるなし。周文王は人を治める君主にして、九五のごとき位置を占めたり。孔子は位は下にして、君子の分内の事を為したり。この両面を合わせて見れば、すなわち上に在る者は下に在る者の才能の施展を待ち、下に在る者は上に在る者の命令を待つ。これを観れば、需卦の情実は明白に見られるのである。
象曰:雲上於天,需。君子以飲食宴樂。澤來矣,君子待命而不勞於慮,而得其治也,飲食宴樂而已。初九,需于郊,利用恆,無咎。象曰:需于郊,不犯難行也。利用恆,無咎,未失常也。郊逺者也,未履其位,行不犯難也。用其常不失其素矣。
《象伝》は言う:雲気が天に升るは、すなわち需。君子はこれに法りて飲食宴飲して楽しむ。注者は説明する:雨沢はまさに来らんとす。君子はただ命令を待ちて労神苦思せず、治理は自ら成就し、目下は飲食宴楽すれば足る。初九の爻辞は言う:郊野の外にて待つは、常態を保持するに宜しく、咎なし。《象伝》は言う:郊野にて待つは、険難を冒して行動せざるなり。常態を保持して咎なきは、平常の分寸を失わざるなり。注者は説明する:郊野は険境に遠き処にして、初九はまだ位次ある地位に踏まず。ゆえに行動して険を冒さず。自らの常態を保持すれば、平素の本色を失わざるなり。
九二,需于沙,小有言,終吉。象曰:需于沙,衍在中也。雖小有言,以吉終也。行逺也,沙,邇乎水,剛履其位,敵對於五,五非敵也,可以待也。君子之道,無執也,與時而行也。得其中者,雖小有言,吉終而已矣。
九二の爻辞は言う:沙地の上にて待つは、稍や口舌の争いあるも、終は吉祥。《象伝》は言う:沙地にて待つは、寛绰として「中」の位に居るがゆえなり。稍や口舌ありといえども、終はなお吉祥をもって収場す。注者は説明する:九二はすでに行くこと較べて遠し。沙地は水辺に近く、陽剛の爻はこの位次に踏み、九五と敵対相応の関係に処す。しかし九五は実はその敵にあらず。ゆえに安心して待つことを得。君子の行事の道は固執せざるに在り、時勢に随いて行動する。「中」の位を守る者は、稍や口舌の争いあれども、終は不过吉祥をもって収場するのみ。
九三,需于泥,致宼至。象曰:需于泥,災在外也。自我致宼,敬愼不敗也。上險可犯也。剛以在上,待命於泥,逼難而濡。難猶外矣,我致之而宼至,敬愼之,不敗也。六四,需于血,出自穴。象曰:需于血,順以聽也。剛險居上,而承之難,從事者也,動而見傷矣。坎陰處下,幽穴之物,而今升之,待陽之運而出,難也,則不可不順以聽之。
九三の爻辞は言う:泥濘の中にて待つは、盗寇を招来す。《象伝》は言う:泥濘の中にて待つは、災禍はなお外に在り。自ら盗寇を招きたるなり。ただ恭敬謹慎なれば敗れざるなり。注者は説明する:上の険境は冒し往く可きものなり。九三は陽剛をもって下卦の最上爻に居り、泥濘の裡に命令を待つ。すでに険難に逼近して沾湿せられたり。険難は畢竟なお外に在り、我が自らそれを招惹して、盗寇はこそ門を叩き来る。ただ恭敬謹慎をもって対すれば、敗れざるなり。六四の爻辞は言う:血泊の中にて待つは、洞穴の裡より出づ。《象伝》は言う:血泊の中にて待つは、柔順にして聴从するなり。注者は説明する:剛健と険陥とがともに上に壓し、六四はこのようの難処を承け、このようの事を弁ぜんとす。一たび動けば傷を受けん。坎は陰に属してもとより下に処り、幽深の洞穴中の物なり。今や上に升るは、陽気の運転を待ちてこそ出づるを得。実に困難なり。ゆえに柔順に聴从せざるべからず。
九五,需于酒食,貞吉。象曰:酒食貞吉,以中正也。剛德中正,施令而治者也。治事已獲眾之奉,待其酒食而已。上六,入于穴,有不速之客,三人來,敬之,終吉。象曰:不速之客來,敬之,終吉。雖不當位,未大失也。需坎上也,道之終則反覆也,入于穴矣。乾覆其上,三爻來而不假待也。知道之終能固其所,而敬為主,雖不得其位能吉其終也。
九五の爻辞は言う:酒食の中にて待つは、正を守りて吉祥。《象伝》は言う:酒食にて正を守りて吉祥とは、中に居りて正を得るがゆえなり。注者は説明する:九五は陽剛の徳ありて中に居りて正を得、号令を発して治理を実行する人なり。政事はすでに弁成し、また衆人の擁戴を得。余るはただ酒食を享用するのみ。上六の爻辞は言う:洞穴の中に落入り、請わざる客三人来り至る。彼らを恭敬をもって待せば、終は吉祥。《象伝》は言う:請わざる客の至り来り、恭敬をもって待せば終は吉祥。位置当たらざるも、大なる損失なし。注者は説明する:需卦は坎が上にあり、道は終点に至れば反転して回る。ゆえに洞穴に落入ると言う。乾は上に覆い、下卦の三つの陽爻は自ら門に尋ね来り、もはや待つを要せず。上六は道の終点に至るの道理を識り、自らの処境を穏住し得て、また恭敬を主と為す。ゆえに適合の位次を占めざりといえども、なお結局を吉祥に帰せしめるを得。
訟卦
坎下乾上。訟,有孚,窒惕,中吉,終凶。利見大人,不利涉大川。彖曰:訟上剛下險,險而健訟。訟有孚,窒惕,中吉,剛來而得中也。終凶,訟不可成也。利見大人,尚中正也。不利涉大川,入于淵也。君子知微、知彰、知柔、知剛,能盡物之情也。訟之者,其昧於先乎!兩其情,則上剛而下險;兼其象,則中心險而行健,得無訟乎。訟之所由,興於二也,內剛險也。居中,理可信也;不中,塞也。上健可懼也,直可申也,故中吉。人不與訟也,故終凶。大人志尚中正者,利而見之辨也。陷於下矣,又好爭焉,故可涉於險也。
《訟》卦は下卦が坎、上卦が乾である。卦辞は言う:訟は誠信ありて阻塞せられ、心に戒惧を懐く。中途に止まれば吉祥、争い尽せば凶険。大人に見るに利あり、大河を渡るに宜しからず。《彖伝》は言う:訟卦は上は剛健、下は険陥、険陥にしてかつ剛健。ゆえに争訟を起こす。訟に誠信ありて窒塞せられ、心に戒惧を存し、中途に止息すれば吉祥とは、九二の陽剛が下来りて「中」の位を占めたるがゆえなり。争い尽くせば凶とは、争訟は結果を争い出すべからざるを言う。大人に見るに利ありとは、居中守正を崇尚するなり。大河を渡るに宜しからざるとは、深淵に掉落せんことを言う。注者は説明する:君子は細微をも知り、顕明をも知り、柔をも識り、剛をも識る。事物の情実を窮尽すること能く。官司を打つ人は、大概事先に糊塗なるか。双方の情態より見れば、上は剛強にして下は陰険。合わせて卦象を見れば、内心険悪にして行事強横。これが争訟を起こさざることを得んや。争訟の起因は九二に出づ。それは内卦に在りて剛にしてかつ険。「中」の位に居れば、道理はなお取信すべし。一たび中に居らざれば、堵塞せらる。上の乾は剛健にして畏るべく、それは自ら理直にして申説すべし。ゆえに中途に止息してこそ吉祥。旁人は彼に陪して官司を尽くまで打つを願わず。ゆえに争いて最後に至るは凶なり。大人は中正を崇尚する志ある人。彼に見えて是非を辨明せしめんことを請えば利あり。あのごとき已に下位に陥落してまた争闘を好む者は、竟として険境を蹚渉せんとす。
象曰:天與水違行,訟。君子以作事謀始。相違而與處事,訟之象也。君子見其未著,防其未形,則逺訟也。初六,不永所事,小有言,終吉。象曰:不永所事,訟不可長也。雖小有言,其辨明也。柔非勇於訟也,上迫而至訟。訟初有言,辨明而通,其志不長,其訟得於終吉之道也。訟之長,凶之咎也,其吉於初已乎。
《象伝》は言う:天は西に転じ水は東に流れ、両相背離す。すなわち訟。君子はこれに法り、事に着手するの初めにおいて先に謀画を清楚にす。注者は説明する:彼此背離しながらも共に処り共に事を為す。これが争訟の象である。君子は事が未だ顕露せざる時に見出し、未だ成形せざる時に防范を加う。こうすれば争訟に遠きなり。初六の爻辞は言う:争執の事を永きに拖せず、稍や口舌あるも、終は吉祥。《象伝》は言う:争執の事を永きに拖せざるは、官司は永く打つべからざるなり。稍や口舌ありといえども、是非はすでに辨明せり。注者は説明する:柔弱の初六は勇んで争訟する人にあらず。上の来たり逼迫するより争訟に鬧るなり。争訟の初めに口舌の争いありて、是非辨明せられればすなわち通ず。それはもとより久拖する心なく、ゆえにその争訟は終帰吉祥の路に走上る。官司を永きに拖すは、凶を招くの過失なり。その吉祥は大概開端に止まるに在るか。
九二,不克訟,歸而逋,其邑人三百戶,無眚。象曰:不克訟,歸逋,竄也。自下訟上,患至掇也。為下訟上,訟可得乎,自貽其患也。不可而退,還竄其邑,自守其寡,不敢上敵,猶無眚也。
九二の爻辞は言う:官司に勝たず、帰りて逃避し躲藏す。その封邑は三百戸のみあれば、災祲なからん。《象伝》は言う:官司に勝たず帰りて躲藏すは、逃竄なり。下位をもって上位と争訟するは、患禍を招くこと手を伸して拾取するがごとく易し。注者は説明する:下位に処りて上位と官司を打つ、官司に勝つことを得んや。それは自ら患禍を求むるなり。行うべからざるを知りて退き、自らの封邑に帰りて躲藏し、人少なく勢弱きの本分を安守し、敢えて再び上と敵せず。こうしてこそ災祲なきを得る。
六三,食舊德,貞厲,終吉。或從王事,無成。象曰:食舊德,從上吉也。處下之上,從乎剛陽,而訟通矣,食其德矣。乘剛而待之,危也。從上得附,故終吉矣。夫以柔附上,非聽其訟,亦為上忤矣。故至有命,則行之不敢自成也。夫不爭於外者,善矣夫。
六三爻辞は言う:旧来の俸禄・徳沢を饗用し、正を守りて危惧を知れば、終に吉祥。あるいは君王に随って事を為すも、成の名に居らず。《象伝》は言う:旧来の徳沢を饗用するは、上の者に従いてこそ吉祥なり。注者は説明する:六三は下卦の最上爻に処り、陽剛の方に従えば争訟は通解し、旧来の徳沢を饗用するを得る。然れど剛爻に凌駕して相手を待つは処る所危し。上に従って依附を得るがゆえ、終に吉祥なり。柔弱の身をもって上の者に依附するに、もしその裁断に順聴せざれば、上にも忤逆と見做されん。ゆえに命令あらば即ち行い、敢えて功成を自居せず。外にて人と争わざる者は実に善きかな。
九四,不克訟,復即命渝,安貞吉。象曰:復即命,渝安貞,不失也。三柔附我,故我不能敵,初之訟也。以就三之命,變其訟之應也。安貞而吉,何所失哉。九五,訟元吉。象曰:訟元吉,以中正也。中正上行,雖訟而吉大也。上九,或錫之鞶帶,終朝三褫之。象曰:以訟受服,亦不足敬也。剛居訟,終能訟而得其終也。專攻得其非,上或賞也。三脫其服,象褫疾也。
九四爻辞は言う:官司に勝てず、回りて君命に就きて態度を改め、正を守るに安んずれば吉祥。《象伝》は言う:回りて君命に就き、態度を改めて正に安んずれば、失う所なし。注者は説明する:六三は柔順に我に依附すれば、我は之と敵する要なし。元より初六の挑みし争訟なり。九四は六三の受くる命令に順い、争訟における相応の立場を改め、正を守るに安んじて吉祥を得る。失う所あらんや。九五爻辞は言う:争訟にて大いに吉祥。《象伝》は言う:争訟にて大いに吉祥なるは、中に居りて正を得ればなり。注者は説明する:九五は中に居りて正を得、上位に在りて事を行う。争訟の中に身を処すといえども吉祥大なり。上九爻辞は言う:あるいは大帯を賜るも、一朝の内に三度剥奪さる。《象伝》は言う:官司を打ちて得たる服飾も、亦尊敬するに足らず。注者は説明する:上九は陽剛をもって訟卦の終点に処り、終に官司を底まで打ちて結果を出すを得る。それ一味に攻訐して相手の過失を指摘すれば、上はあるいは賞賜を与えん。然れど一日の内に三度賜服を脱がさるるは、正に剥奪の来ること速かにして急なるが如し。
師卦
坎下坤上。師,貞,丈人吉,無咎。彖曰:師,眾也。貞,正也。能以眾正,可以王矣。剛中而應,行險而順,以此毒天下,而民從之,吉。又何咎矣。五天位也,而以非陽居之,或有戰爭之事。二剛陽也,而能正眾,可崇任之,佐其尊而臣也,文人之謂。居中而奉,行險而順,以殺上。殺毒其人,而人從也。專其命,咎,則吉復大矣,又何咎焉。
《師》卦は下体が坎・上体が坤なり。卦辞は言う:師は正を守るに宜しく、老成持重の長者をもって統率せば吉祥にして過ちなし。《彖伝》は言う:師とは衆なり、貞とは端正なり。衆をもって端正を行うを得ば、天下に王たるを得べし。九二は陽剛にして中に居りて六五と相応し、険境に行動して能く順う。此の方式をもって天下を役使せば、百姓なお彼に従う。ゆえに吉祥にして、何の過ちあらんや。注者は説明する:六五は天子の位なれど陽の爻に非ざるが占めたれば、戦事あるを得べし。九二は陽剛の爻にして能く衆を端正し、尊崇し任用して尊位を輔佐せしめて臣子をもって自任せしむ可し。此れ卦辞の謂う所の「丈人」(本書は「文人」と作る)なり。彼は下卦の「中」位に居りて君命を奉じ、険境に行動して能く順う。此に凭りて誅殺を施行す。殺伐は一部分人を毒害すといえども、人はなお彼に従う。彼は独り軍令を掌れば、理を以て言えば過ちあるべきに、結果は却って吉祥にして、しかも吉大なり。過ちを論ずるに足らんや。
象曰:地中有水,師。君子以容民畜眾。地中有水,故能有得其潤,而保其廣地之用也,蓋象乎君子也。則能得其情而獲其治道,出於民也。故君子以容而畜之,顯仁以藏用也。
《象伝》は言う:大地の中に水を含むは即ち師なり。君子は此に取法して百姓を容納し民衆を蓄養す。注者は説明する:大地の中に水を含めば、水の滋潤を得て広闊なる土地の用を保つを得。此れ蓋し君子の象か。君子は能く民情を体察して治理の道を得、此の治道は本より百姓より出づ。ゆえに君子は容納の方式をもって彼らを蓄養し、仁愛を顕露して作用を含蔵す。
初六,師出以律,否臧凶。象曰:師出以律,失律,凶也。春秋傳言:執事順成為臧,逆為否。理有必然之勝者,師出而謀合之,為臧,乃其律也;失之,是以凶也。夫律者,軍事之命也。師之興,主君不能親之,是以授其命而不授其事,名曰專征,此古師之道也。軍志曰:軍之所承於君者,師之可戰,君曰無戰,必戰可也;師不可戰,君曰戰之,無戰可也。故進不求其名,退不避其罪,本乎社稷之衛也。或以聽君主之制為律,豈足是哉。愼諸,其在授人以律乎。
初六爻辞は言う:兵を出すは法度をもって節制し、為すこと善からざれば凶険。《象伝》は言う:兵を出して法度をもって節制せば、法度を失えば凶険。注者は説明する:《左伝》に曰く、事を為して理に順い成ずるを「臧」と曰い、逆うを「否」と曰うと。事理に必勝の勢いあれば、兵を出すに謀劃また之と合う。此れ「臧」にして即ち其の法度なり。此れを失えば、ゆえに凶険。謂う所の「律」は即ち軍事上の号令なり。軍隊興るとき、君主は自ら統領する能わざれば、ただ将領に号令の権を授けて具体の軍務に干渉せず。此れを「専征」と曰い、古代の用兵の道なり。《軍志》に曰く:軍隊の君主より承くるはただ大命のみ。もし此の軍隊戦うべければ、君主に打つ勿れと曰うも必ず打つべく、もし此の軍隊戦うべからざれば、君主に打てと曰うも打たざるべしと。ゆえに進戦は名声を求めるが為にあらず、退兵も罪責を回避せず、根本は国家を扞衛するに在り。或る人は一味に君主の節制に聴従するを「律」と為す。何ぞ足らんや。慎むべし。要は号令の権を如何なる人に付するかに在り。
九二,在師中,吉,無咎。王三錫命。象曰:在師中,吉,承天寵也。王三錫命,懷萬邦也。剛中而應,行險而順,受命而能正眾也,吉何咎哉。王者以天下為心,用兵非以怒也,平之非喜殺也。三錫命非私也,安萬邦而已矣。
九二爻辞は言う:軍中に身を処して能く中道を守れば吉祥にして過ちなし。君王は屡々賞命を頒す。《象伝》は言う:軍中に処りて中道を守れば吉祥なるは、上天の恩寵を承けたればなり。君王の屡々賞命を頒すは、天下万邦を安撫するが為なり。注者は説明する:九二は陽剛にして中に居りて六五と相応し、険境に行動して能く順い、君命を受けて能く衆を端正す。吉祥にして何の過ちあらんや。王者は天下をもって心と為し、用兵は憤怒より出づるにあらず、禍乱を平定するも殺戮を好むにあらず。屡々賞命を頒するも私意より出づるにあらず、ただ万邦を安寧せしめんが為のみ。
六三,師或輿尸,凶。象曰:師或輿尸,大無功也。師之出也,任於一人,剛中者也。多則或矣,非其任也。何功之有,吉?二剛也,而以陰柔乘其上,是兼其領也,輿師之凶也,宜哉。無君上之命,則免矣,故曰或也。
六三爻辞は言う:軍隊はあるいは車をもって屍首を載せて帰るべし。凶険。《象伝》は言う:軍隊の車をもって屍を載せて帰るは、大いに功労なし。注者は説明する:軍隊の出征は一人を専任すべし。即ち陽剛中に居る九二なり。兵を統べる者多ければ「あるいは」といえる含糊の局面を現出す。之れ其の担うべき責任にあらず。此れ何の功労と吉祥を論ぜんや。九二は剛爻なれど六三は陰柔の質をもってその上に凌駕し、同時に統率の権を兼管するに等し。軍隊の屍を載せて帰るの凶険も亦応有なり。仮に君主の命令なく擅りに此くの如くせば、更に免るる能わず。ゆえに爻辞は「或」の一字を用う。
六四,師左次,無咎。象曰:左次,無咎,未失常也。左者不用之地,待其師命而已,未失常也。六五,田有禽,利執言,無咎。長子帥師,弟子輿尸,貞凶。象曰:長子帥師,以中行也。弟子輿尸,使不當也。居尊雖柔,待而有獲也。何以利乎,柔不能臨眾也。執命而授德人,則無咎矣。二剛中而繼體於五,其長子乎。命授一人,帥師可也。三柔弟子也,命不可二也,其輿尸也。
六四爻辞は言う:軍隊は左方に退駐し、過ちなし。《象伝》は言う:左に退駐して過ちなきは、常規を失わざればなり。注者は説明する:左方は作戦に投入せざる位置にして、ただ軍令を待つのみ。常規を失わざるなり。六五爻辞は言う:田に禽獣ありて害を為せば、捉えて声討するに宜しく、過ちなし。長子をもって軍隊を統率せば可なり。若し次子どもをして一同に插手せしめば、屍を載せて帰らん。正を守るも凶険。《象伝》は言う:長子の軍隊を統率するは、中道に依りて行事すればなり。次子どもの屍を載せて帰るは、任用の当を得ざればなり。注者は説明する:六五は尊位に居りて質地柔弱、待つを頼みて収穫あるを要す。それ何をもって利を得んや。柔弱は自ら大衆を統領する能わず。ただ任命の権を握りて徳ある者に付すのみ、過ちなからん。九二は陽剛にして中に居り、下に在りて六五の正体を承接す。此れ謂う所の「長子」か。軍令を一人に付して軍隊を統率せしむは可なり。六三は柔弱にして「弟子」の類に属す。軍令は二処より出づべからず。否れば屍を載せて帰らん。
上六,大君有命,開國承家,小人勿用。象曰:大君有命,以正功也。小人勿用,必亂邦也。師之終復於大君者,居天下而無私。故誓師曰:用命賞於祖,不用命戮於社。功存社稷之公也,天下共之。有開國而封之者,承家而食之者,此功之分也。王執而正之,非惠之私也。小人不原於天命,不足於貴位,故至亂邦。此易之終戒也,而失於用也。
上六爻辞は言う:天子は詔命を頒して諸侯を分封し卿大夫の家を承継せしむるも、小人を任用すべからず。《象伝》は言う:天子の詔命を頒するは、功労を論定するが為なり。小人を任用すべからざるは、必ず国家を擾乱せんが故なり。注者は説明する:戦事終了に至れば、一切はまた天子に帰す。天子は天下を統御して私心なければなり。ゆえに《尚書・甘誓》に師を出す時の誓詞を記して曰く:命令に服する者は祖廟にて賞を行い、命令に服せざる者は社壇の前に処すと。功労は社稷の公器を保存するが為にして、天下人は共に之を享有す。或る者は功により国を開き封を受け、或る者は功により家を承け禄を食む。此れ功労の等差なり。君王は此の尺度を掌握して裁正を加う。恩惠を私相授受と為すにあらざるなり。小人は天命を推原せず、尊貴の位次を担うに堪えず。ゆえに国家を擾乱するに至らん。此れ《易経》の師卦終了処に於て為す告誡にして、世人は偏偏として用人の上に差錯を出せり。
比卦
坤下坎上。比,吉,原筮元永貞,無咎,不寧方來,後夫凶。象曰:比,吉也。比,輔也,下順從也。原筮元永貞,無咎,以剛中也。不寧方來,上下應也。後夫凶,其道窮也。眾畏險,民咸其安也,輔其正而獲吉也。剛位於尊也,本其陽之德行,仁也。居中可以長正也,長正可以寧方也。筮而比之,亦何咎也,則不寧,輔而安矣。後夫道窮,雖求輔,凶也。
《比》卦は下体が坤・上体が坎なり。卦辞は言う:比は吉祥なり。占筮の結果を推原するに、元始・長久・正固の三つの品質を備えれば過ちなし。安寧ならざる邦国も前来りて帰附す。後頭に落つる者は凶険。《彖伝》は言う:比は吉祥なり。比とは輔助なり。下の衆爻は皆九五に順う。占筮を推原して元始・長久・正固ありて過ちなきは、九五が陽剛にして「中」に居ればなり。安寧ならざる邦国の前来りて帰附するは、上下彼此相応ずればなり。後頭に落つる者の凶険なるは、其の路既に窮尽に走り至ればなり。注者は説明する:衆人は険難を怕れ、百姓は皆安定を得るを希う。正に居る者を輔助して乃ち吉祥を獲得す。陽剛の爻は尊位に居り、其の陽の徳性を本として施行するは即ち仁なり。「中」位に居れば長く正を保持すべく、長く正を保持すれば四方を安寧せしむべし。占筮の後に之に親附に行かば、又た何の過ちあらんや。ここに於て先の安寧ならざる所も、輔助あれば即ち安定す。後頭に落つる者は道路已に窮まり、復た人の輔助を求めに行くも亦凶険なり。
象曰:地上有水,比。先王以建萬國,親諸侯。地載水而澤也,水得地而安也。下得上而寧也,上得下而位也。故先王建萬國和親諸侯,然後天下安也。初六,有孚比之,無咎。有孚盈缶,終來有他吉。象曰:比之初六,有他吉也。眾各保其所居也,能初以求比,是以吉也。知乎幾,辨乎微,為天下首。比必自誠信盈於素分也。素分盈,則主恩及,而他吉來矣。
《象伝》は言う:地上に水あるは即ち比なり。先王は此に取法して万国を分封し諸侯を親近す。注者は説明する:大地は水を承載して湖沢と成り、水は大地を得て乃ち安定す。下の者は上の者を得て乃ち安寧に、上の者は下の者を得て乃ち位置に立つ。ゆえに先王は万国を分封して諸侯を和睦親近し、然る後に天下乃ち安定す。初六爻辞は言う:誠信を懐きて親附すれば過ちなし。誠信充満して瓦缶の盛満するが如ければ、終にまた別の吉慶の到来あらん。《象伝》は言う:比卦の初六は別の吉慶あらん。注者は説明する:衆人は各々其の居る所を守りて処る。初六は能く最初に就きて親附を求む。ゆえに吉祥。それ洞察の苗头を知り細微を辨明するを得。ここをもって天下人の先導と為る。人に親附するは必ず自らより始め、誠信を本分の内に充満せしめん。本分の内充実せば、君主の恩沢は彼に施及せん。別の吉慶も亦之に随いて至らん。
六二,比之自內,貞吉。象曰:比之自內,不自失也。為五內比,應而相合,承其私也,為眾所覩也。能自守中正,故保其吉也。六三,比之匪人。象曰:比之匪人,不亦傷乎。不正,不能辨其去就,而輔於上,無首也。可比非其人乎,不亦傷矣。六四,外比之,貞吉。象曰:外比於賢,以從上也。比於尊,剛承上,輔賢,得正,吉也。
六二爻辞は言う:内部より親附すれば、正を守りて吉祥。《象伝》は言う:内部より親附するは、自己を喪失せざればなり。注者は説明する:六二は内卦に在りて九五の為に親附の事を為し、九五と相応して彼此契合し、九五の其れに対する偏愛を承受す。此の一点また衆人の見る所と為る。それ能く自ら守りて中に居りて正を得るの道あり。ゆえに吉祥を保住す。六三爻辞は言う:親附する所は親附すべき人に非ず。《象伝》は言う:親附すべからざる人に親附せば、亦た甚だ悲しむべからずや。注者は説明する:六三は位置正からず、自己の離るべき誰・帰向すべき誰を分かち弁えず。上を輔助に行くといえども、一の可靠なる帰宿なし。親附すべからざる人に親附せば、亦た甚だ悲しむべからずや。六四爻辞は言う:外に向かいて親附すれば、正を守りて吉祥。《象伝》は言う:外に賢者に親附するは、上の者に從うが為なり。注者は説明する:六四は尊位に親附し、柔順をもって上の陽剛を承接し、賢者を輔助して其の正を得る。ゆえに吉祥。
九五,顯比,王用三驅,失前禽,邑人不誡,吉。象曰:顯比之吉,位正中也。舍逆取順,失前禽也。邑人不誡,上使中也。為天下王也,背之以來,皆吾人也,則可以安天下矣。獨守其中,而私其應,為眾所觀,非顯其私歟。疾其背,而愛其向也,則失其不來者矣。邑有家者也,私也,豈王者顯私也。偏其私,故邑人不誡,王所使之,然也。雖顯其吉,正其位而尊也。上六,比之無首,凶。象曰:比之無首,無所終也。無誠於附,道窮而比,戮斯及矣,何終哉。
九五爻辞は言う:光明正大に衆人に親附す。君王の田獵はただ三面より駆りて、正面に逃走する禽獣を放走す。自己の封邑の人すら必ずしも告誡せず、吉祥。《象伝》は言う:光明正大に親附して吉祥なるは、其の位次端正にして中に居ればなり。背離するを放ち順うを留む。ゆえに前の禽獣を放跑す。封邑の人に告誡せざるは、上の者の彼らを役使するに中道に合すればなり。注者は説明する:天下の王と為れば、凡そ身を轉じて帰附する者は皆我が子民なり。此くして乃ち天下を安定すべし。若し只だ自己の「中」位を守りて、己と相応する一方に偏私せば、衆人の眼に見られ、之れ私心を公開するにあらずや。己に背離する者を痛恨し己に帰向する者を偏愛せば、未だ帰らざる者らを失わん。封邑は家室私産ある所にして、本より私の性質を帯ぶ。王たる者安んぞ此の私心を公開せんや。正に私処に偏袒する所あるがゆえに、封邑の人は告誡を要せず。之れ君王の彼らを役使する結果なり。それ親附の道を顕揚して吉を得るは、位次端正にして尊貴なればなり。上六爻辞は言う:人に親附するも帯頭の帰宿なくば凶険。《象伝》は言う:親附して帰首する所なきは、好き結末あるべからず。注者は説明する:上六は人に依附するに誠意なく、路已に絶え走り至るを待ちて始めて親附せんと欲すれば、誅戮頭上に落つべし。何の結末を論ぜんや。
小畜卦
乾下巽上。小畜,亨,密雲不雨,自我西郊。彖曰:小畜,柔得位,而上下應之,曰小畜。健而巽,剛中而志行,乃亨。密雲不雨,尚往也。自我西郊,施未行也。小畜,陰上得位,而陽皆應之也,柔畜剛也。大為小所畜,其畜不能全,小畜而已也。故健而巽,剛下柔也。剛居中,巽柔而從其畜,志得而後通也。雨者,陰陽和,陰行其道,則盛而為雨。小畜,志於上往也,自得其位而已。使陽而巽,其澤不足以下濟也,則密雲而不雨也。雲自西郊而東也,陰消而退未能行施也。小人來,居上位,非中正之德,君子無所承也,其何足光哉,不能畜君子之大也。
《小畜》卦は下体が乾・上体が巽なり。卦辞は言う:小畜は亨通す。濃雲密布するも雨下さず、雲は我が西の郊野より飄来す。《彖伝》は言う:小畜とは柔爻の適当なる位次を得て、上下五つの陽爻が皆之と相応ずればなり。ゆえに小畜と曰う。剛健にしてまた謙遜、陽剛中に居りて心志施行を得。ここをもって亨通す。濃雲に雨なくば、陽気なお上行を継続し、雲西郊より飄来するは、恩沢なお施行の開けざればなり。注者は説明する:小畜は陰爻の上に在りて位を得、衆陽皆来たりて之と応和するは、柔の剛を蓄止するなり。大なる者が小なる者に蓄止さるれば、此の蓄止は徹底する能わず、ただ小小なる蓄止のみ。ゆえに剛健にして謙遜と曰うは、陽剛が柔の下に屈居すればなり。陽剛「中」位に居り、柔順謙遜に其の蓄止に服従し、心志実現を得て然る後に乃ち通達す。謂う所の雨とは陰陽調和して陰が其の道に随いて運行し、気盛えて乃ち雨と成る。小畜は一心に上に向かいて行進するも、過ぎず自己の此の位次を得たるのみ。それ陽をして謙遜ならしむれば、恩沢は下に普施するに足らず。ここに於て濃雲密布して雨と成らず。雲西郊より東に飄くは、陰気正に消退し、未だ雨沢を施行する能わざればなり。小人の上位に来たるは中正の徳なく、君子承奉すべきなし。何の光大を論ぜんや。それ君子の博大を蓄止する能わざるなり。
象曰:風行天上,小畜。君子以懿文德。風行天上,而不能畜大也。言行德之大也。文德者,德之小也。君子之道,無所備也。畜其文德,與時行也。初九,復自道,何其咎,吉。象曰:復自道,其義吉也。乾,本上也。三陽尚上也,應而歸焉。巽以行志,復自我道,何以咎哉,其義吉也。
《象伝》は言う:風の天上を行走するは即ち小畜なり。君子は此に取法して己の文徳を修美す。注者は説明する:風の天上に行走するも、大なる物を蓄止する能わず。言論と行為は徳中の大なる者に属し、文采修飾の徳は徳中の小なる者なり。君子の行う所の道は具わらざる無し。此の時己の文徳を修美し、時勢に随いて行動す。初九爻辞は言う:己の本来の路に帰れば、何の過ちあらん。吉祥。《象伝》は言う:己の本来の路に帰るは、義理に就いて言えば吉祥なり。注者は説明する:乾は本来上にあるべし。下卦の三陽爻は皆上を尚び、上と相応して帰附す。それ謙遜の方式をもって心志を実現し、己の本来の路に帰れば何の過ちあらん。義理に就いて言えば吉祥なり。
九二,牽復,吉。象曰:牽復在中,亦不自失也。志乎畜而不能全也。雖與我而非應,可以牽,而巽之自復其道,得時之中,故吉也。九三,輿說輻,夫妻反目。象曰:夫妻反目,不能正室也。陰之微,不能大畜,其亦已矣。故初應二,牽巽志而行,自復其道,至於三,斯極之矣。上飛制下,終於小畜,理固然也。思不能行,行脫其輻也。陽不制陰,夫不正室也。
九二爻辞は言う:牽引せられて一同に返回すれば吉祥。《象伝》は言う:牽引せられて返回して「中」位に居れば、亦た自己を喪失せず。注者は説明する:六四は心に陽剛を蓄止せんと欲するも、徹底に蓄止する能わず。それ我と牽連ありといえども我と相応の一爻にあらず、ただ我を牽引するを得るのみ。我は謙遜に己の本来の路に帰れば、恰好時勢の中道に合す。ゆえに吉祥。九三爻辞は言う:車子の車輻脱落し、夫妻反目して仇と成る。《象伝》は言う:夫妻の反目は、丈夫の家室を端正する能わざればなり。注者は説明する:陰の力量微弱にして大規模に蓄止する能わず、亦た此の地步に至るのみ。ゆえに初九は九二に応和し、牽引せられて謙遜の心志をもって前行し、各々本来の路に帰る。九三に至れば此の局面は極点に走り至る。上の六四は下を凌駕控制するも、終竟ただ小小なる蓄止なり。道理本より此くの如し。九三は走らんと欲するも走る能わず、一走れば車輻脱落す。陽の陰を制服する能わざるは、即ち丈夫の家室を端正する能わざるなり。
六四,有孚,血去,惕出,無咎。象曰:有孚,惕出,上合志也。一陰也,而眾陽趨焉,非其所治者也,則懼其傷害矣。奉與五剛,誠信相與,近而相親,固也。尊而肅民,安也。何傷害惕懼之患哉,可無咎乎。
六四爻辞は言う:誠信を懐き、血光の災い消除し、戒懼の心解脱せらるれば過ちなし。《象伝》は言う:誠信を懐きて戒懼を脱するは、上の九五と心志相合すればなり。注者は説明する:六四は全卦唯一の陰爻にして、衆多の陽爻皆之に向かいて湧来す。之れ其の駕馭する所にあらず。ゆえに傷害を受けんことを怕る。それ九五の陽剛を奉承結交し、彼此誠信をもって相待し、近づきて相親しむれば関係牢固なり。九五は尊貴にして能く百姓を整粛せば、局面も亦安定す。此くして何の傷害と戒懼の禍患あらんや。固より過ちなし。
九五,有孚,攣如。富以其鄰。象曰:有孚,攣如,不獨富也。卦唯一陰,鄰而奉已,已亦交愛,有孚攣如,資貨與同,不獨自厚,巽而行志者也。
九五爻辞は言う:誠信を懐き緊緊に牽係し、富足を隣近の人に分与す。《象伝》は言う:誠信を懐きて緊緊に牽係するは、富足を独り占めにせざればなり。注者は説明する:全卦ただ一の陰爻ありて、九五の近旁に在りて己に奉事し、己も亦愛をもって之に報ゆ。彼此誠信ありて緊密に牽係す。九五は財貨を人と共享し、己のみ豊厚にせず。此れ謙遜の方式をもって心志を実現する者なり。
上九,既雨既處,尚德載,婦貞厲。月幾望,君子征凶。象曰:既雨既處,德積載也。君子征凶,有所疑也。小畜,畜其餘未始於道,小不能畜,陽得行其志,上不可全無。下無所遂志,故其終焉。既雨,得行其道也;旣處安其所也。尚德載陽為所畜也,陰專於陽危之道也。月近望,陰盈盛也。君子征凶,陽疑而不敢進也。以爻語之,則得志;以體言之,則小畜。此言巽,陰之終而不繫於爻也。
上九爻辞は言う:雨既に下り已に停歇して安処す。徳行を崇尚して積載深厚なれど、婦人一味に此の局面を守れば危険あり。月將に円満せんとす。君子此の時出行せば凶険。《象伝》は言う:雨既に下りて止息安処するは、徳行積累承載の結果なり。君子の出行すれば凶なるは、心中疑慮ある所あればなり。注者は説明する:小畜の蓄止する所はただ零余にして、根本の道より着手せざればなり。小なる方は大なるを蓄止する能わず、陽は終竟己の心志を実現すべく、上も亦一無所得なるべからず。それ下に在りて心志を遂行する能わざれば、ゆえに上九に至りて収場す。謂う所の「既雨」とは其の道終に施行を得たるを言い、謂う所の「既処」とは己の在るべき所に安頓するなり。「尚徳載」とは陽の陰に蓄止せられしを言う。陰の陽を独り占めするは正に危険の道なり。月接近して満円せんとするは、陰気正に盈盛なるを説明す。君子の出行すれば凶なるは、陽の心に疑慮ありて敢えて前進せざればなり。爻位に就いて言えば得志なれど、整卦の体勢に就いて言えば依然ただ小畜なり。此処に講ずるは巽にして、陰の終点に走り至るにして、某一爻に係属せざるなり。
履卦
兌下乾上。履,虎尾不咥人,亨。彖曰:履,柔履剛也。說而應乎乾,是以履虎尾不咥人,亨。剛中正,履帝位而不疚,光明也。履,一陰而履於陽,為下之長,眾之趨焉,是以危而履虎尾也。語其上下,則下承上也;言其情,則說而奉於乾也。失其所履而全其所承,是以不咥人,亨。情之所歸,則三也,故以卦命之。其於履,則剛中正,履帝位而不疚,其義也。能制其度,得其光明也。陰者陽之求,而履之陽不競者,以陰失位而凶,陽抑其情而不亂上之正,而咸得其履也。
《履》卦は下体が兌・上体が乾なり。卦辞は言う:虎の尾を踏むも虎は人を咬まず、亨通す。《彖伝》は言う:履とは柔の剛の上に踏むなり。下卦喜悦して上卦乾と相応ずれば、ゆえに虎尾を踏むも虎は人を咬まず、亨通す。九五は陽剛にして中に居りて正を得、帝位を踏んで心に愧ずることなく、光明磊落なり。注者は説明する:履卦はただ一の陰爻ありて陽爻の上に踏む。それ下卦の長者にして、衆爻皆之に向かいて奔去す。ゆえに処境危険にして虎尾を踏むが如し。上下関係に就いて言えば下の上を承奉するなり。情態に就いて言えば喜悦して乾に奉事するなり。それ己の踏むべき位置を踏み誤るといえども、上への承奉を保全す。ゆえに虎は人を咬まず亨通を得。衆人の情感の帰向する所は六三なり。ゆえに之をもって整卦を命名す。履道其の自体に至りては、則ち九五陽剛にして中に居りて正を得、帝位を踏んで心に愧ずることなき、此れ乃ち履の正義なり。彼は能く法度を制定し、ここをもって光明を得。陰は陽の追求する所にして、履卦中の陽は之と争わず。陰の自身失位にして凶険を帯来すればなり。陽は己の情欲を抑制して上の者の正道を擾乱せず。ここに於て各爻は各々己の踏むべき位置を得たり。
象曰:上天下澤,履。君子以辨上下、定民志。上天下澤,得其履也。君子辨賢、不肖而上下定之,則民無覬倖之望也。初九,素履,往,無咎。象曰:素履之往,獨行願也。履得其所履,吉也,過之則咎。以剛志而守下,不求其陰,進之不以為榮,獨履素行之節,是以無過咎也。
《象伝》は言う:上は天・下は沢なれば即ち履なり。君子は此に取法して上下の名分を分辨し百姓の心志を安定す。注者は説明する:天は上に在り沢は下に在り、各々踏むべき位置を踏む。君子は誰が賢・誰が不肖を分辨し、上下の次序を定めれば、百姓は再び非分僥倖の指望を存せず。初九爻辞は言う:質朴本色をもって行事して前往せば過ちなし。《象伝》は言う:本色をもって行事して前往するは、独り己の心願を実行するなり。注者は説明する:己の踏むべき位置を踏めば即ち吉祥にして、本分を越えれば過ちあり。初九は剛強の心志をもって下位を守り、彼の陰爻を求取せず、前進するも之を栄耀と為さず、ただ独り質朴本色の操守を守る。ゆえに過失なし。
九二,履道坦坦,幽人貞吉。象曰:幽人貞吉,中不自亂也。履不得其履,寧倡無僣。二以剛比柔,見利,不撓其志。居易幽退,履其所履,中正之吉也。
九二爻辞は言う:走る所の路平坦寛闊にして、幽静自守の人は正を守りて吉祥。《象伝》は言う:幽静自守の人の正を守りて吉祥なるは、其の「中」に居りて内心自ら乱れざればなり。注者は説明する:若し己の踏むべき位置を踏むに及ばざれば、寧ろ率先して自守して越分僭越せざるべし。九二は陽剛をもって陰柔の六三に緊挨すれども、利あるを見るも己の心志を動揺せず。それ平易に安処し幽静退譲し、己の踏むべき位置を踏む。此れ即ち中に居りて正を守るの吉祥なり。
六三,眇能視,跛能履,履虎尾,咥人,凶。武人為于大君。象曰:眇能視,不足以有明也。跛能履,不足以與行也。咥人之凶,位不當也。武人為于大君,志剛也。卦皆無諸陰,而三自以為己任。眇目能視,跛足能履,豈足恃哉。僣履非位,咥其冝也。而志擬於剛,欲為武人大君之行,凶之災也。
六三爻辞は言う:一隻眼瞎れたるもなお見る能く、一條腿跛れたるもなお走る能し。虎尾を踏みて虎は人を咬む。凶険。此れ勇を逞しうする武人の大君の事を為さんとするなり。《象伝》は言う:独眼の見る能くするは明察と称するに足らず、跛脚の走る能くするは人と同行するに足らず。咬まるるの凶険は位置の当を得ざればなり。武人の大君の事を為さんとするは、其の心志過剛なればなり。注者は説明する:整卦他処は皆陰爻なく、ただ六三の此の一の陰爻ありて、それ却って自ら以て整卦の重任皆己の身に在りと為す。独眼の見る能くし跛脚の走る能くするは、之れ何ぞ靠得住せんや。それ僭越して己に属せざる位次の上に踏めば、虎に咬まるるも亦応有なり。而して其の心志は偏に陽剛に比擬せんと欲して、武人の大君と称するの挙動を為さんと欲す。此れ正に凶を招くの禍患なり。
九四,履虎尾,愬愬,終吉。象曰:愬愬終吉,志行也。三以不順,為眾同棄,而已近也,愼於難履者也。心懼不足相與,在乎守卑以承於上,為上所任。果獲其志得其終,吉也。
九四爻辞は言う:虎尾を踏みて戒懼不安なるも、終に吉祥。《象伝》は言う:戒懼不安にして終に吉祥なるは、其の心志施行を得ればなり。注者は説明する:六三は行為順わざるが因に、衆人一同に拋棄せられ、而它の九四に離るること最も近し。ゆえに九四は此の走り難き処に格外謹慎す。それ心の内に怕れて、六三は結交するに足らざるを覚え、ここに於て心思を卑下を守り上を承奉するに放ち、ここをもって上の者の任用する所と為る。それ果して己の心志を実現し、好き結末を得たり。ゆえに吉祥。
九五,夬履,貞厲。象曰:夬履,貞厲,位正當也。三柔失位,志比武人,五為一卦之主,明得帝位取而決之,非求繫於情也。然三者,眾之趨也,雖曰決之,正之危也。位正當也,何其患乎。
九五爻辞は言う:剛決の方式をもって行事し、正を守りて危懼を知る。《象伝》は言う:剛決に行事し正を守りて危を知るは、其の位次正当なればなり。注者は説明する:六三は柔弱にして位置当を得ず、心志は勇を逞しうする武人に比擬す。九五は全卦の主爻にして、自ら帝位を占據するを明白に知り、便ち決然として之を裁断す。私情上の牽係より出づるにあらざるなり。然るに六三は畢竟衆爻の趨向する所の対象にして、之を裁決せんとすといえども、此の匡正其のものは危険を帯ぶ。但だし其の位次正当なれば、又た何の憂うべきあらんや。
上九,視履考祥,其旋元吉。象曰:元吉,在上大有慶也。積善之家,必有餘慶,歸其本也。不顧其邪,自履其所得履之終也,則可以心視其往之履,而考其善應也。積其行,得其終,歸其有慶者矣,旋其元吉哉。
上九爻辞は言う:己の一路走り来たりし路を回顧して吉凶の徵兆を考察し、能く周全反復せば大いに吉祥。《象伝》は言う:大いに吉祥なるは、其の上位に高居して大いに福慶あればなり。注者は説明する:善行を積累する家は必ず多余の福慶ありて後人に遺す。此れ話を根本に帰して言うなり。上九は彼の邪僻なる物を理会せず、自己は踏むべき位置を踏みて一直に終点に走り至る。ここに於て用心して己の過去に走りし所の路を回顧し、其の帯来する好き報応を考察すべし。己の徳行を積累して好き結末を得、終に福慶あるの類に帰す。此れ即ち其の周全反復して大吉なる所以なり。
周易上経 巻二 泰伝第二
泰卦
乾下坤上。泰,小往大來,吉,亨。彖曰:泰,小往大來,吉,亨。則是天地交而萬物通也,上下交而其志同也。內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人,君子道長,小人道消也。易者,象也,神之用也。故泰象於天地交,而萬物生;上下交而人治成。陽內得時而陰外也,健發於內,其道順行於外。親內君子,踈外小人,君子之長也。是以損削之道往,而豐大之道來,吉而通者也。
《泰》卦は下体が乾・上体が坤なり。卦辞は言う:泰とは小なる者外に往き大なる者入り来るにして、吉祥にして亨通す。《彖伝》は言う:泰は小往大来・吉祥亨通。此れ即ち天地交感して万物通暢し、上下交流して心志相同じきなり。陽は内に在りて陰は外に在り、剛健は内に在りて柔順は外に在り、君子は内に在りて小人は外に在り、君子の道日に増長し小人の道日に消退す。注者は説明する:《易》の講ずるは象にして、神妙作用の体現なり。ゆえに泰卦は天地交感して万物生長し、上下交流して人間の治理成就を象に取る。陽は内に在りて時を得、陰は外に排さる。剛健は内部より発動して其の道は外に順暢に施行す。内の君子を親近し外の小人を疎遠す。此れ正に君子の勢力の増長なり。ここをもって損減削弱の路子は退き去り、丰厚壮大の路子は入り来る。ゆえに吉祥にして通達す。
象曰:天地交泰,后以財成天地之道。輔相天地之宜,以左右民。天地合其時以養物也,聖人興其財以豐人也。結網罟,作耒耜,能輔相天地之宜,成天地之道。因時而通利,而左右其民也。
《象伝》は言う:天地交感するは即ち泰なり。君主は此に取法して天地の道を裁節成就し、天地の宜しき所を輔助賛襄して、もって百姓を護佑す。注者は説明する:天地は其の時序を会合して万物を養育し、聖人は財用を興辦して人民を豊足ならしむ。結縄して網罟を作り、耒耜の農具を制作す。此れ即ち能く天地の宜しき所を輔助賛襄し天地の道を成就するなり。時節に順いて利益を疏通せしめ、ここをもって己の百姓を扶助す。
初九,拔茅茹,以其彚,徵,吉。象曰:拔茅征吉,志在外也。拔茅而連出也,君子道長,上下交志,以其類,征吉。離內以之外,志求其成也。九二,包荒,用馮河,不遐遺,朋亡,得尚于中行。象曰:包荒得尚于中行,以光大也。乾降為泰,而得其中,能通天下之情,知天下之用,而不過其當也。朋黨何由興乎,志在其中,不失其治,應之而行,可謂光大已矣。
初九爻辞は言う:茅草を抜くに根鬚相連なりて一叢の同類を帯出す。前進すれば吉祥。《象伝》は言う:茅を抜き前進して吉祥なるは、心志外に在ればなり。注者は説明する:一根の茅草を抜けば一串を牽連して帯出す。正に君子の道の日に増長する時の如く、上下心志相交わり、同類相引きて一同に前進す。ゆえに吉祥。それ内卦を離れて外に走向するは、事業を成就せんとする志あるなり。九二爻辞は言う:能く荒穢を包容し、能く徒渉して河を渡り、遠方の人を遺漏せず、朋党を結んで私を営まず。此くして乃ち中道に配合して行うを得べし。《象伝》は言う:荒穢を包容して能く中道に配合するは、其の光明博大なればなり。注者は説明する:乾の下降して泰と成るに、九二また下卦の「中」位を占住し、能く天下の実情を通達し天下の用度を明白に知りて、応有の分寸を超出せず。此くして朋党何処より興らんや。其の心志は即ち中道に在り、治理の本分を失わず、形勢に順応して行動す。光明博大と謂うべし。
九三,無平不陂,無往不復,艱貞,無咎。勿恤其孚,于食有福。象曰:無往不復,天地際也。乾下通而泰也,物不可終通,則天道復其上,地道歸其下矣。平陂則險矣,有往則復矣。君子見其交會,思其所終,慮患而艱守之,不失其正,則可無咎而全其吉,保食其福也。
九三爻辞は言う:一直に平坦にして傾斜に変わらざるなく、一直に前往して返回せざるなし。艱難の内に正を守れば過ちなし。己の誠信を憂慮する勿れ、饗用の上に自ずから福分あり。《象伝》は言う:只往きて返らざるなきは、此れ天地交接の界限なり。注者は説明する:乾は下に在りて上に通暢す。ゆえに泰と成る。然れど事物は永遠に通暢する能わず。ここに於て天道は其の上位に回帰せんとし、地道は其の下位に帰せんとす。平地の斜坡に変われば即ち険あり、去るあれば必ず回りあり。君子は此の交會の関口を見て即ち其の終局を思い、預め禍患を思慮して艱難に守り、己の正を失わず。此くして乃ち過ちなく吉祥を保全し、己の福分を安享するを得べし。
六四,翩翩,不富以其鄰,不戒以孚。象曰:翩翩,不富,皆失實也。不戒以孚,中心願也。物各歸本也,陰陽之情皆相求也。四所以下者,非顧其陽,自樂其歸,不賴陽之治也。與其眾同志,翩翩輕舉,不富鄰而自備,不戒約而自孚,皆乘中心之願而行也。
六四爻辞は言う:軽快に飛び下り、己は富有ならざれど隣を帯同して同じく来る。告誡を用いずして彼此誠信あり。《象伝》は言う:軽快に下降して富有ならざるは、上卦の三陰皆陽実を失えばなり。告誡せずして彼此信あるは、内心の願望より出づればなり。注者は説明する:万物は各々本位に回帰し、陰と陽の情態は本より互に尋求す。六四の下り来る所以は、下の陽爻を顧念するにあらず、自己本位に回帰するを楽しむなり。陽を頼りて己を治むるにあらざるなり。それ同類の三陰と心志相同じく、軽快に一同に飛び下る。隣の富有に頼らずして自ら準備停当し、告誡約束を立下せずして彼此自然に信あり。皆心の内の願望に順いて行動するなり。
六五,帝乙歸妹,以祉元吉。象曰:以祉元吉,中以行願也。陰居貴盛而委質於二,靜而無為,居貴有祉,理得於中。願心而行,非權之逼也。忘巳而與能,聖人之道也。故元吉矣。
六五爻辞は言う:帝乙は妹を嫁がせ、ここをもって福祉を獲得して大いに吉祥。《象伝》は言う:ここをもって福祉を獲得して大いに吉祥なるは、其の中に居りて己の心願を実行すればなり。注者は説明する:六五は陰柔の質をもって尊貴盛大の位次に居りて、自身を九二に託付し、安静にして妄為せず、身は貴位に居りて福祉を享有す。道理は即ち其の「中」を得るに在り。それ自らの心願に順いて為すにして、権勢の逼迫せるにあらざるなり。己を忘れて事を有才能の人に交す。此れ聖人の道なり。ゆえに大いに吉祥。
上六,城復于隍,勿用師,自邑告命,貞吝。象曰:城復于隍,其命亂也。塹隍以為城,取下以為上也。其終則復隍矣。下為上使者,通其志也。終不能通,命亂者也。以之用眾,眾不從也。以之告邑,命不行也。猶以為正也,終惜已矣。
上六爻辞は言う:城墻倒塌して城下の乾壕に回る。兵を出す勿れ、ただ己の封邑内に命令を下達すべし。此の局面を守るも亦た困窘あり。《象伝》は言う:城墻の壕溝に倒回するは、政令已に紊乱せるを説明す。注者は説明する:深き壕溝を挖りて土を取り城墻を築成す。即ち下の土を取りて上に堆むなり。最後に至れば城墻は終竟壕溝内に塌回せん。下の者の上の者に駆使に聴任する所以は、上下心志相通ずればなり。如今終竟相通ずる能わざれば、即ち政令紊乱なり。此の政令をもって衆人を調動すれば衆人は服従せず。之をもって己の封邑に号令すれば命令も亦行き通らず。若しなお自ら此の如く為すを以て正確と為さば、則ち実に惜しむべし。
否卦
坤下乾上。否之匪人,不利君子貞,大往小來。彖曰:否之匪人,不利君子貞,大往小來。則是天地不交,而萬物不通也。上下不交而天下無邦也。內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子,小人道長,君子道消也。天地之道,各守其所,上下不相通志,而非人道之治。陰在內而陽失時,內其柔邪而外其剛直,小人爭內而君子踈逺也。時否閉矣,無復人之道也。小人道長,不利君子正,為小人疾也。是以大善之事往,而小惡之事來也。
《否》卦は下体が坤・上体が乾なり。卦辞は言う:否閉の時代に当道するは正人にあらず、君子の正を守るに利あらず、大なる者外に往きて小なる者入り来る。《彖伝》は言う:否閉の時当道するは正人にあらず、君子の正を守るに利あらず、大往小来。此れ即ち天地相交感せずして万物通暢する能わず、上下相交流せずして天下は邦国なきが形同なり。陰は内に在りて陽は外に在り、柔は内に在りて剛は外に在り、小人は内に在りて君子は外に在り、小人の道日に増長し君子の道日に消退す。注者は説明する:天地は各々己の位置を守りて、上下の心志相溝通せず。此れ人道の応有の治理にあらざるなり。陰は内に在りて陽は時機を失い、柔邪の輩は内に放たれて剛直の士は外に擺され、小人は争うて内層に進入して君子は疎遠排斥さる。時局已に閉塞して再び人道の言うべきなし。小人の道増長し、君子の正を守るに利あらず。小人正に彼らを忌恨すればなり。ここをもって大にして善なる事は去り、小にして悪なる事は来る。
象曰:天地不交,否。君子以儉德辟難,不可榮以祿。上下隔塞,其志不通,其道不行也,則動而見疑矣。故晦道薄德,懼時之用,以避其患也。初六,拔茅茹,以其彚,貞吉亨。象曰:拔茅貞吉,志在君也。易也者,聖人所以體其時,而利其行也。天地不交,君子不榮以祿。夫吉凶生乎動,動其始,則其終不能禁矣。處否初位,而愼其動,得君乃行。故牽類而守正,終?其吉亨也。
《象伝》は言う:天地相交感せざるは即ち否なり。君子は此に取法して倹約自守の徳行をもって患難を躲避し、禄位をもって己を栄耀す可からず。注者は説明する:上下隔絶閉塞して心志溝通する能わず、主張も亦施行する法なし。此の時一たび挙動あれば人の猜疑せらるる所と為る。ゆえに君子は己の道を晦蔵し徳行を淡薄に表現し、此の時に起用せられんことを畏懼し、此の方法をもって禍患を躲开す。初六爻辞は言う:茅草を抜くに根鬚相連なりて一叢の同類を帯出す。正を守れば吉祥亨通。《象伝》は言う:茅を抜きて正を守りて吉祥なるは、心志君主の身に係ればなり。注者は説明する:《易経》は聖人の時勢を体察し行事を便利とするに用いる所の書なり。天地相交感せざるの時、君子は禄位を以て栄とせず。吉凶は皆行動より産生し、一旦開頭に軽挙妄動せば、後頭に到りて収拾する能わず。初六は否卦の最初位次の上に処り、己の挙動を謹慎対待し、君主の信任を得て乃ち出仕に肯ず。ゆえにそれ同類を牽引して共に其の正を守り、終に吉祥亨通を得たり。
六二,包承,小人吉。大人否,亨。象曰:大人否亨,不亂群也。柔履順中,承其上,小人得一時之中,故獲一時之吉。君子得其大中也,當其否也,不能包承於上,亦不能非小人,必避世異俗,安卑保命而已,故雖否而終通也。
六二爻辞は言う:一味に包容承順するは、小人に就いて言えば吉祥なり。大人は則ち否閉に安んじて却って亨通す。《象伝》は言う:大人の否閉に安んじて亨通するは、其の小人の群党と混淆せざればなり。注者は説明する:六二は柔順にして下卦の「中」位に居り、上を承奉す。小人は此の時に一時の中位を得たり。ゆえに一時の吉祥を獲得す。君子の守る所は大なる中道にして、否閉の時に正当し、彼は上に一味に包容承順する能わず、亦た公然と小人を指斥する能わず。ただ此の世道を避け流俗と相異なり、卑下に安んじ性命を保全するのみ。ゆえに否閉の世に処すといえども終に能く通達す。
六三,包羞。象曰:包羞,位不當也。位陽也,而陰處之。包承,柔佞之過也,是以羞辱及矣。九四,有命,無咎。疇離祉。象曰:有命無咎,志行也。上近至尊,下據其民,咎以專也。五之休否,有命任已,卑以奉上,正以率下,其志得行,亦又何咎。誰麗其福乎,乃巳之致也。
六三爻辞は言う:羞辱を包蔵す。《象伝》は言う:羞辱を包蔵するは位次の当を得ざればなり。注者は説明する:第三位は本より陽爻の占むべき所にして、如今は却って陰爻の彼処に処るなり。それ一味に包容承順するは柔媚諂佞の甚しきにして、ゆえに羞辱は自ら頭上に落つ。九四爻辞は言う:君命を秉承して行事すれば過ちなく、同類は皆福分に沾るを得。《象伝》は言う:君命を秉承して過ちなきは、其の心志施行を得ればなり。注者は説明する:九四は上に至尊に接近し、下にまた百姓を据有す。本来専擅をもって罪を獲すべきに、九五は正に否閉の局面を止息せんとして、命令ありて之に交付す。それ謙卑をもって上の者に奉事し、端正をもって下の者を統率し、心志施行を得て、又た何の過ちあらんや。是れ誰が此の福分に沾上せしか。則ち正に其の自ら招来する所なり。
九五,休否,大人吉。其亡其亡,繫于苞桑。象曰:大人之吉,位正當也。大人者知存亡之道也。群小並進雖可全正,雖得尊位憂其危亡。順而從之,不敢以力,息於否之時也,其道乃固矣。正當其位,物猶不陵,故保其吉,而終遇也。上九,傾否,先否後喜。象曰:否終則傾,何可長也。否之終否,其傾矣。極終則變,何可以久。君子當其極,故先否也。困極以道通也,故後喜也。
九五爻辞は言う:否閉の局面を止息せば、大人吉祥。常に「將に亡びんとす、將に亡びんとす」の警惕を存して、乃ち叢生する桑の根に係るが如く牢固なるを得べし。《象伝》は言う:大人の吉祥は位次正当なればなり。注者は説明する:大人は存亡の理を懂得する人なり。衆多の小人一斉に上進するに、彼は己の正を保全すべく、尊位に身を居すといえども、依然危亡を憂慮す。彼は形勢に順いて随和し、敢えて強力を憑りて硬来せず、否閉の時に動作を停めれば、其の立身の道はここをもって穩固なり。位次正当なれば、外物なお彼を欺凌する能わず。ゆえに能く己の吉祥を保住して、終に通泰の時機を待つ。上九爻辞は言う:否爻辞は言う:否閉の局面を傾覆せば、先ず否塞にして後に喜悦す。《象伝》は言う:否閉は終点に至れば即ち傾覆せん。豈に長久ならんや。注者は説明する:否閉は最後に走り至れば、それ即ち傾覆せん。事は極点に到り終点に走り至れば変ず。豈に長久なるを得んや。君子は正に此の極点に赶上す。ゆえに先ず否塞を経歴し、困頓極処に至り、正道に憑りてまた通ず。ゆえに後に乃ち喜悦あり。
同人卦
離下乾上。同人,于野,亨。利涉大川,利君子貞。彖曰:同人于野,柔得中而應乎乾,曰同人。同人曰:「同人于野,亨,利涉大川。」乾行也。文明以健,中正而應,君子正也。唯君子為能通天下之志。天下之器大矣,其為務多矣。治之而不謬者,其唯同人乎。所以同其同而無方也。二一陰也,得中而群陽歸焉,能得物之情,故曰同人。其德乾之德也。下之功,上使之也。為上能同於下者,鮮矣。能同之,則其德大矣,其務成矣,其聖人之功歟。上之不與,雖下求其同不可得也。非文明辨於內,剛健行於外,中正而相應者,不能同也。此君子之正而能通天下之志也。
《同人》卦は下体が離・上体が乾なり。卦辞は言う:人と和同するに曠野の上に於て、亨通し、大河を渡るに宜しく、君子の正を守るに宜し。《彖伝》は言う:人と曠野に和同するは、柔爻「中」位を得て上卦乾と相応ずればなり。ゆえに同人と曰う。同人卦辞の「同人于野、亨、利渉大川」と曰うは、之れ乾の施行する所なり。文明にしてまた剛健、中に居りて正を守りて彼此相応ず。此れ君子の正道なり。君子のみ能く天下人の心志を通達す。注者は説明する:天下の器物は何ぞ其の広大、為さんとする事務は何ぞ其の繁多、之を治理して差錯出さざるを得る者は、蓋し「同人」の此の路のみか。其の人と和同する能くする所以は、正に一方に拘定せざるに在り。六二は全卦唯一の陰爻にして、中に居りて衆陽皆之に帰附し、能く万物の情実を体察す。ゆえに同人と曰う。其の徳は即ち乾の徳なり。下の功労は上の駆使して出で来る所なり。上の者を為りて能く下と和同する者は実に少なし。真に能和同すれば、徳行即ち博大にして事務も亦成就す。此れ蓋し聖人の功業か。上もし参与に肯ぜざれば、下の苦々しく和同を求むるも得る能わず。内に文明ありて辨察し外に剛健ありて施行し、中に居りて正を守りて彼此相応ずるにあらざれば、和同する能わず。此れ正に君子の正道にして、亦た正に天下人の心志を通達する能くする所以なり。
象曰:天與火,同人。君子以類族辨物。天體大也,火體小也。火曰炎上,同於天也。必時曦燥,而後盛乎,俟天之與也。上下之位旣列,得其同,則上能與下也。君子象之,而類其族,辨其物。志可同者與之,不遺其細者也,則天下何有焉。
《象伝》は言う:天と火相配するは即ち同人なり。君子は此に取法して族類を区分し事物を辨明す。注者は説明する:天の形体大なり、火の形体小なり。火の性質は向上燃焼し、ここをもって天と相同ず。火は必ず晴暖乾燥の時節を待ちて乃ち旺に燃ゆるを得。此れ上天の相助を待つなり。上下の位次既に排定し、能く彼此和同すれば、即ち上の肯じて下に給与するなり。君子は此の象に取法して、族類を帰併し事物を分辨し明白にす。凡そ心志相同じくすべき者は即ち之と相交わり、細小の一類をも遺漏せず。此くして天下に何の難事あらんや。
初九,同人于門,無咎。象曰:同人于門,又誰咎也。卦一陰,而近者多得也,或尊而保之也。初比於二,不繫其常,出門同之,無與爭者,得之先也,誰之咎矣。六二,同人于宗,吝。象曰:同人于宗,吝道也。不能大同,守宗獨應,失其於野之義,可惜也已。
初九爻辞は言う:一たび門を出れば人と和同し、過ちなし。《象伝》は言う:門を出れば人と和同すれば、又た誰か之を怪罪せん。注者は説明する:全卦ただ一の陰爻ありて、之に近き爻は大多得る所有り、或るは尊位を憑りて之を護住す。初九は六三に緊挨するも、常規の応爻関係を死守せず、一たび門を出れば衆人と和同し、人の之と争う者なし。其の先んじて在ればなり。誰か復た之を怪罪せんや。六二爻辞は言う:ただ己の宗族の内の人と和同すれば、困窘あり。《象伝》は言う:ただ本宗と和同するは、此れ困窘を招致する路子なり。注者は説明する:六二は天下と大同する能わず、ただ己の宗党を守りて単独に九五と相応す。「同人于野」の本義を喪失せり。実に惜しむべし。
九三,伏戎于莽,升其高陵,三歲不興。象曰:伏戎于莽,敵剛也。三歳不興,安行也。情繫者,德之累也。妄興者,凶之道也。居下之長,而據尊之應,潛構兵戎,以敵於五。在下之上,曰髙陵也。至五而三,象三歳也。五勝而不能興也。禍自致也,安所行哉。
九三爻辞は言う:兵甲を草莽の中に埋伏し、また高き山岡に登りて瞭望す。三年も敢えて発動せず。《象伝》は言う:兵甲を草莽の中に埋伏するは、敵手太だ剛強なればなり。三年敢えて発動せざれば、復た何処に往かんや。注者は説明する:情感上牽係ある所は、徳行の拖累なり。胡乱に兵を興すは、凶を招くの路子なり。九三は下卦三爻中の長者にして、本より尊位に属すべき応爻を霸占し、暗中に兵甲を構結して九五と敵せんと欲す。それ下卦の最上一爻に処る。ゆえに「高陵」と曰う。三より五に数えて共に三位あり。ゆえに象を「三歳」に取る。九五は上風を占め、それ終竟発動し起る能わず。禍患は自ら招来する所にして、復た何処に往かんや。
九四,乘其墉,弗克攻,吉。象曰:乘其墉,義弗克也;其吉,則困而反則也。與三攻,以求二,乘其墉也,猶隔之矣。二可得乎,其義固不克也。求之不得也,困而反其則矣,乃遇其吉也。
九四爻辞は言う:相手の城墻に登りたるも、進攻を発動せず。吉祥。《象伝》は言う:城墻に登るは、道義に就いて言えば本より攻むべからず。其の吉祥なる所以は、困境に陥りて法則に回到せばなり。注者は説明する:九四は本より九三と一同に進攻して六二を争取せんと欲し、ゆえに城墻に登れり。然れど城墻は依然として之を外に隔つ。六二は得る能わんや。道義に就いて言えば本より攻め下す能わず。追求して得ざれば、ここに於て困窘の内に応守すべき法則に回到す。此れ乃ち吉祥に遇上せり。
九五,同人,先號咷而後笑。大師克相遇。象曰:同人之先,以中直也。大師相遇,言相剋也。剛健中正,求其同而為治也。夫求其同,固有不同者矣,故下剛。有役其公而私其同焉,以力正之。未獲其志,故先號咷而後笑也。非私也,求其治而中直以正也。剛而難遇也。之而後合,同人之道也。
九五爻辞は言う:人と和同す。起初は声を放ちて痛哭し、後来は却って歓笑す。大軍を出動して阻隔を攻克せば、乃ち応ずる所の人と相會するを得べし。《象伝》は解釈す:同人の先に痛哭する所以は、九五の「中」道を守りて心地正直なればなり。大軍相遇とは、双方先ず武力を以て相克するを言うなり。注者は以為す:九五は陽剛の徳を以て上卦の中位に居り、既に「中」にしてまた「正」なり。其の天下人の和同を謀求するは、天下を治理するが為なり。凡そ和同を追求すれば、必ず同心を肯ぜざる人に碰上す。ゆえに下卦の剛爻は其の中に作梗す。或る人は公家の名義を假借して和同を私有に據す。九五は武力を用いて彼らを糾正せざるを得ず。心志一時未だ実現せざれば、ゆえに先は号啕痛哭し、後来乃ち歓笑に轉ず。此れ私心より出づるにあらず、天下大治を求得して、中に居り正直の態度を以て衆人を端正せんと欲するなり。陽剛と陽剛の間は本より相遇し難し。必ず先ず阻隔を衝破して然る後に乃ち會合すべし。此れ正に人と和同するの道なり。
上九,同人,于郊無悔。象曰:同人于郊,志未得也。居其外也。已過其內,無與同者,患爭之,悔則免矣。求同無與,志何得也。
上九爻辞は言う:城外の郊野に於て人と和同すれば、悔恨なし。《象伝》は解釈す:郊野に於て和同するは、心志未だ実現せざればなり。注者は以為す:上九は全卦最外の一位に居り、已に卦の内部を越過し、之と同心すべき人なし。それ争奪の禍患を遠離す。ゆえに悔恨を免るるを得。然れど和同を求めんと欲するも同伴なく、心志又何の実現を論ぜんや。
大有卦
乾下離上 大有,元亨。彖曰:大有,柔得尊位,大中而上下應之,曰大有。其德剛健,而文明應乎天,而時行是以,元亨。柔得大中之位,而上下歸焉,無有逺邇,皆大有之也。其德剛健而行,文明以辨,大位德應於天,以時行,是以大亨也。
《大有》卦は下卦を乾・上卦を離と為す。卦辞は言う:大有は最も亨通す。《彖伝》は解釈す:大有卦の裡の彼の一の柔爻は尊貴の五位を得、上卦の「中」に居りて上下五つの陽爻皆来たりて之に応ず。ゆえに「大有」と曰う。其の品德剛健にしてまた文明の美あり、上に天道に応じ、時勢に順いて推行す。ここをもって最も亨通す。注者は以為す:六五は柔順の徳を以て尊位を占據してまた中に居り、上下衆爻皆之に帰附し、遠近を論わず皆其の所有と為る。此れ即ち「大有」なり。下体の乾徳は剛健にして奮進し、上体の離徳は文明にして能く是非を辨別す。大位に居るの徳行は上天と相応し、また時勢に按りて推行す。ゆえに能く大いに亨通す。
象曰:火在天上,大有。君子以遏惡揚善,順天休命,明得其時,上無不容也。善者,道之大也,故揚之。惡者,道之小也,故遏之。上舉其善則惡止矣。君子順其時,美其命而已,故大有之也。
《象伝》は言う:火の天上に高懸するは、此れ即ち大有卦の象なり。君子は此より邪悪を遏制し善行を表彰し、上天に順応して美しき天命を成全するを懂得す。注者は以為す:離火は上に在りて光明恰も其の時を得れば、上位に居る人は便ち包容せざる無し。善は大道中の宏大の一面にして、ゆえに之を表彰すべし。悪は大道中の卑小の一面にして、ゆえに之を遏制すべし。上位に在る者はただ善行を挙揚せば、邪悪は自然停息す。君子は過ぎず時勢に順応して上天の賦与する所の美命を成全するのみ。ここをもって能く大いに得る所有り。
初九,無交害,匪咎。艱則無咎。象曰:大有,初九,無交害也。夫欲其豐,害物以求有者,斯害來矣。此害之交也。咎可逃乎。初得於主,始有之矣,守其分而不躁,難其志以自保,則終有大而無咎也。未涉於交害矣。易所以戒。大有,剛健之初,先逺害而利,自至矣。
初九爻辞は言う:禍害と交接せざれば、過失と算せず。能く艱難謹慎を守持せば、過ちなし。《象伝》は解釈す:大有卦の初九は、禍害と相交接せず。注者は以為す:自ら丰厚富有せんと欲して、人を損害して占有を求むれば、禍害即ち之に随いて来る。此れ即ち害と相交するにして、此の如き過失何ぞ逃れんや。初九は六五の主の信任を得て、剛き所有する所を始む。ただ本分を安守して躁進せず、心志を艱難自保の上に放てば、終に能く大いに得る所有りて過ちなからん。其の根本「交害」に沾上せざればなり。《周易》は正に此の一爻を用いて人に告誡す。大有卦の剛健の開端に処して、先ず禍害を遠離せば、好き所自ずから到来せん。
九二,大車以載,有攸往,無咎。象曰:大車以載,積中不敗也。剛健之中,力之大者也。上之所任事,委於中,致逺,不泥也。
九二爻辞は言う:大車を用いて装載し、前往する所有りて、過ちなし。《象伝》は解釈す:大車を用いて装載するは、貨物の車の正中に堆積して傾覆せざればなり。注者は以為す:九二は陽剛を以て下卦の「中」に居り、力量最も強大の一爻なり。上の六五の主は政事を之に交託し、事情は中に居る臣に委付せば、甚だ遠き処に運送して陥住するに至らざるを得べし。
九三,公用亨于天子,小人弗克。象曰:公用亨于天子,小人害也。為下之長,富有其民,公之位也。為五所有,志達乎尊,以奉其主也。小人不可用也。以上之柔德,則不克,通而謀其害之矣。大有,容之也。御小人者,其道異乎,可大有之而不任也。
九三爻辞は言う:公侯は天子に進献して天子に通達す。小人は卻って担当するに堪えず。《象伝》は解釈す:公侯の天子に進献するに、小人此の位置に処れば禍害と成らん。注者は以為す:九三は下卦の長にして、一方の民を富有す。正に公侯の位置なり。それ六五の所有と為り、心志は尊位に上達し、以て己の君主に奉事す。此の如き位置は小人の用うべきにあらざるなり。上の六五の柔順の徳行を憑るも、小人は感化せられざるのみならず、却って通達の便を借りて危害を謀劃せん。大有の世は包容を講究す。ゆえに小人をも容納する能し。ただ小人を駕馭するの弁法は君子を対待するに同じからず。之を己の所有の範囲内に包容すべきも、重任を委す可からざるなり。
九四,匪其彭,無咎。象曰:匪其彭,無咎。明辨晳也。柔得尊位,而上下咸願應之以時,近親難處之地也。能知禍福之端,畏天下之所覩。如非在五旁,兢以自警,不敢怙恃,可無咎矣。非明辨者不能至也。可謂智矣。剛能處柔者也。
九四爻辞は言う:己の声勢を張大せざれば、過ちなし。《象伝》は解釈す:盛勢を張揚せずして災禍なきは、能く事理を明辨し見識清晰なればなり。注者は以為す:六五は柔順の徳を以て尊位を占據し、上下各爻は皆応時して之に帰附せんと願う。九四は君位に緊挨して、正に既に親近にして又た自処し難き所に処る。它能く禍福の苗头を看清し、天下人の注視を敬畏し、表現するに宛も君主の身旁に在らざるが如く、戦戦兢兢として自ら警惕し、敢えて恩寵に倚仗せず。此くして乃ち過ちなからん。事理を明辨する者にあらざれば此の一歩に到る能わず。智慧あると謂うべし。此れ陽剛の爻にして能く柔順の位に安処するの表現なり。
六五,厥孚交如,威如,吉。象曰:厥孚交如,信以發志也。威如之吉。易而無備也。以柔德而居主位,虛中孚誠民亦奉其誠也。志交信矣。何所備乎。故易然,而保其尊。威如,而獲其吉也。
六五爻辞は言う:彼は誠信を以て人と交往し、又た威厳を失わず。吉祥。《象伝》は解釈す:誠信を以て相交するは、信実を用いて衆人の心志を激発するなり。威厳ありて吉を獲るは、平易坦蕩にして防備するを要せざればなり。注者は以為す:六五は柔順の徳を以て君主の位を占據し、内心虚靜にして誠信を懐抱すれば、百姓も亦誠心を以て彼に奉事す。上下の心志誠信を因に相交われば、復た何の防備を要せんや。ゆえにそれ平易坦然にして能く尊位を保住し、看るに自ずから威厳あり。ここをもって吉祥を獲得す。
上九,自天佑之,吉。無不利。象曰:大有,上吉,自天佑也。剛居極上,尊柔奉之,可謂上賢而順高,而得終。履其信也。得其終也。內符於天,與天合德也。則自天佑之矣。何不利焉。
上九爻辞は言う:上天より保佑を得、吉祥にして利あらざる無し。《象伝》は解釈す:大有卦上九の吉祥は、上天の保佑より来る。注者は以為す:上九は陽剛を以て全卦の最上に居り、六五の此の柔順の君は之を尊崇し奉養す。賢人を崇尚し高徳に順従すと謂うべく、ここをもって能く善終す。其の踐行する所は誠信にして、得る所は好き結末なり。内心は天道に合して天と徳を同じうす。ここに於て上天は自然之を保佑す。又何の利あらざるあらんや。
謙卦
艮下坤上 謙,亨。君子有終。彖曰:謙,亨。天道下濟而光明,地道卑而上行。天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙。鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙尊而光,卑而不可踰,君子之終也。陽,天也,而下其陰,是以謙。無不通。君子所以保終也。天之道,寒暑日月也。盈則虧之,損則益之。地之道,山川丘陵谷也。髙則傾之,卑則受之。鬼神依人,謙則福之,盈則禍之。人道惡盈,盈則慢之,以人惡已。謙則下人,故人好也。尊而謙之,益光大矣。卑而謙之,人莫之踰。君子所以保終也。
《謙》卦は下卦を艮・上卦を坤と為す。卦辞は言う:謙は亨通し、君子は能く善終を保有す。《彖伝》は解釈す:謙の亨通する所以は、天の法則は下に施済して光明显耀し、地の法則は卑下に処りて地気上に運行すればなり。天道は盈は盈満を損減して謙虚を增益し、地道は盈満を改変して謙虚に流注し、鬼神は盈満を損害して謙虚に賜福し、人道は盈満を厭悪して謙虚を喜好す。謙徳は尊貴なる者をして愈々光大ならしめ、卑下なる者をして逾越する能わざらしむ。此れ即ち君子の善終なり。注者は以為す:陽は本より天にして、如今は卻って陰の下に屈居す。ゆえに之を謙と曰う。行き通らざる無し。君子は之に憑りて結末を保全す。天の法則は寒来暑往・日月盈虧と表現し、満ちれば即ち之を亏せしめ、亏ければ即ち之を増せしむ。地の法則は山川丘陵溝谷と表現し、高きは即ち之を傾塌せしめ、低きは即ち之を承受せしむ。鬼神は人事に依託し、人謙虚なれば即ち福を降し、人自満なれば即ち禍を降す。人情は自満を厭悪し、自満すれば即ち人を軽慢し、人も亦己を厭悪す。謙虚なれば即ち己を屈して人に下るを得。ゆえに人人喜愛す。身を尊位に処して能く謙すれば、徳行愈々光大す。身を卑位に処して能く謙すれば、人は凌越する法なし。此れ即ち君子の善終を保全する所以なり。
象曰:地中有山,謙。君子以裒多益寡,稱物平施。山下於地,而得地中,謙也。君子謙以下人,得人心也。多者損己,以聚之寡者減己,以益之稱物而平施。不失其常乃平也。
《象伝》は言う:地中に山を蔵するは、此れ即ち謙卦の象なり。君子は此より多餘を減損し不足を增益し、事物を衡量して公平に施予するを懂得す。注者は以為す:山は本より地面に高過ぐれども、如今は卻って地中に屈居す。此れ正に謙なり。君子は謙虚の姿態を以て己を屈して人を待ち、ここをもって人心を得。占有多き一方は己を減損して衆人を聚合し、占有少なき一方も亦己を節減して補益を求む。各自の実情を衡量して平均分配す。恒常の分寸を失わざれば、乃ち真の公平と算すに足る。
初六,謙謙君子,用涉大川,吉。象曰:謙謙君子,卑以自牧也。柔以處下,謙之謙也。君子用謙於初,自養其德,雖涉難而吉也。
初六爻辞は言う:謙にして又た謙なる君子は、此の徳行を憑りて大河を渡るも吉祥。《象伝》は解釈す:謙にして又た謙なる君子は、卑下の姿態を用いて己を涵養す。注者は以為す:初六は柔爻を以て全卦最下の位に居るは、謙徳の中の謙なり。君子は事情の開端に就きて謙虚を守り、之を用いて己の徳行を培養すれば、険艱を渉越するも吉祥を得るを得べし。
六二,鳴謙,貞吉。象曰:鳴謙貞吉,中心得也。陽者眾陰之所求也。二承而親之,旣得於心,聲以發外,謙而鳴之,辭也。守中而不敢自大,得正之吉也。
六二爻辞は言う:謙徳は声名ありて伝揚せられ、正を守れば吉祥。《象伝》は解釈す:鳴謙にして正を守りて吉を獲るは、内心真に得る所有ればなり。注者は以為す:一卦の中の陽爻は衆多の陰爻の共同追求する対象にして、六二は上に九三を承けて之と親近す。此れ「比」なり。心中既に得る所有れば、声音便ち外に向かいて発出し、謙虚にして言辞に形わる。此れ即ち「鳴謙」なり。それ下卦の「中」に居りて又た位に当たりて「正」を得、能く中を守りて敢えて自大せず。ゆえに正を守るの吉祥を獲得す。
九三,勞謙君子,有終吉。象曰:勞謙君子,萬民服也。居下之上,為眾之,則勤於正,眾雖勞,而謙厚之至也。謙以保位,萬民服也,故得保其終,吉矣。
九三爻辞は言う:勤労にして謙虚の君子は、能く善終を保有す。吉祥。《象伝》は解釈す:勤労謙虚の君子は、万民皆彼に帰服す。注者は以為す:九三は下卦の最上一爻に居り、衆人の取法する対象にして、それ正道に勤勉す。衆人労苦すといえども、それ謙厚の極点に到れり。謙虚を用いて己の位置を保住すれば、万民自ずから帰服せん。ゆえに能く結末を保全して吉祥を得。
六四,無不利,撝謙。象曰:無不利,撝謙。不違則也。謙以在位,不僭不偪,不違其則者也。以之奉五,而待於三,奉事得宜,指撝皆從,無不利也。謙敬之利,道之然也。
六四爻辞は言う:利あらざる無し。処処に謙徳を施展す。《象伝》は解釈す:不利なくして能く謙徳を施展するは、法則に違背せざればなり。注者は以為す:六四は謙虚の態度を以て近君の位に居り、僭越せず亦た逼迫せざるは、法度に違背せざる人なり。それ此の態度を以て六五の君に奉事し、また下の功ある九三を礼待す。奉事宜しきを得、一挙一動皆人の聴従あり。ゆえに利あらざる無し。謙虚恭敬の帯来する所の好処は、事理本より此くの如し。
六五,不富以其鄰,利用侵伐,無不利。象曰:利用侵伐,征不服也。柔居上位,止而順之,謙也。柔之過,盜之心生,故至用師也。居尊而著于謙,得眾之道也,故不待富鄰而利以侵伐也。
六五爻辞は言う:己は富有ならざれど能く隣近の人を帯動し、兵を出して討伐するに利あり。利あらざる無し。《象伝》は解釈す:兵を出して討伐するに利あるは、彼の帰服を肯ぜざる者を征討するなり。注者は以為す:六五は柔爻を以て上位に居り、能く自ら抑止して衆人に順応す。此れ即ち謙なり。但だし柔順は頭に過ぎれば、即ち人の覬覦の心を引来す。ゆえに乃ち軍隊を動用するの地步に到れり。身は尊位に居りて謙徳を以て着称するは、正に衆人の擁戴を得るの弁法なり。ここをもって財貨に頼りて隣邦を籠絡せずとも、能く順利に兵を出して征討す。
上六,鳴謙,利用行師,征邑國。象曰:鳴謙,志未得也。可用行師征邑國也。上雖應三,二近相與,故中心未得也。徒聲鳴而已。然正應無爭,辭謙無怨,是以外助也。分眾受命,才堪征邑國而已,非不利者也。
上六爻辞は言う:謙名遠播し、兵を出すに利あり、往きて己の采邑封国を征討す。《象伝》は解釈す:鳴謙は心志未だ実現せず、なお用兵して邑国を征討すべし。注者は以為す:上六は九三と正「応」ありといえども、六二は九三に離るること更に近くして之と相親しむ。ゆえに上六は心中未だ真に得意せず、余る所はただ虚有其名の声譽のみ。但だしそれ九三と本より正応にして彼此争わず、言辞謙遜にして怨恨を結ばず。ここをもって能く外来の援助を得。それただ一部分の兵衆を分得して命を奉じて出征し、僅かに己の封邑小国を討伐するに足るのみ。此れ亦た不利と談ずるに足らず。
豫卦
坤下震上 豫,利建侯,行師。彖曰:豫,剛應而志行,順以動,豫。豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎。天地以順動,故日月不過而四時不忒。聖人以順動,則刑罰清而民服。豫之時,義大矣哉。陰者小人之道也。治之者,非君子歟。眾陰而陽御之,非當大位則有兵戰之事。文之不當理也。其用師而豫乎,剛應而眾從之也。豫先而當得其順動者也。順以動,故天地如之,日月之迭明也。四時之更,變也。聖人以順動,而天下服也。非聖人不能得順動之時義也。
《豫》卦は下卦を坤・上卦を震と為す。卦辞は言う:豫は諸侯を分封し軍隊を出動するに利あり。《彖伝》は解釈す:豫卦は陽剛の爻の衆爻と相応して心志推行を得、事理に順応して行動す。此れ即ち豫なり。豫は順応して動すれば、ゆえに天地の運行も亦た此くの如し。況んや諸侯を分封し軍隊を出動するの類の事をや。天地は時に順いて動す。ここをもって日月の運行は度を失わず四季の更替は差錯なし。聖人は時に順いて動せば、刑罰即ち清明にして百姓即ち帰服す。豫卦の処する所の時勢は、意義実に重大なり。注者は以為す:陰は小人の道を代表し、能く小人を治理する者は、正に君子にあらずや。衆多の陰爻は一の陽爻に統御せらる。若し此の陽爻尊位に正当せざれば、兵戎の事を免がれず。之れ文治の未だ理順せざる所以なり。ゆえに豫卦の用兵に談及するは、九四の此の陽剛の爻の衆爻と相「応」して衆人之に從えばなり。凡事予め安排妥当せば、乃ち順応して動くの効果を得。順応して動せば、ゆえに天地は皆此の如く運行す。日月交替に発光し四季輪番に更変す。聖人は時勢に順応して動せば、天下即ち帰服す。聖人にあらざれば、便ち順動の時機と意義を体会する能わず。
象曰:雷出地奮,豫。先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。雷始發震奮而出地,物遂其豫也。震先而得其樂乎,故謂豫之。為樂得於心,而形見於外,興物而動其情,曰樂。故先王之有天下者,樂也。禮平天下之志,以修諸內也。故合其鍾、鼔、竽、瑟、管、磬之聲而與眾共樂也。禮者,重本崇德而敬其上也,故禘郊宗祖皆崇有德,而配之上帝天神焉。以與眾同敬而節諸外也,故作樂崇德,殷薦上帝,合禮樂之化,設內外之敎,而天下順也。
《象伝》は言う:雷の地下より奮然として出づるは、此れ即ち豫卦の象なり。先王は此より音楽を制作し徳行を尊崇し、隆重に之を上帝に献じて、祖先をして配享せしむ。注者は以為す:雷は始めて震動奮発して土を破り地を出づれば、万物ここに於て各々暢遂す。此れ即ち豫なり。先ず震動ありて然る後に其の和楽を得。ゆえに之を豫と称す。楽は心中より生発してまた外に表現する所の物にして、それ万物を感発して人の性情に触動す。ゆえに先王は天下を擁有するの時便ち音楽を用いて人心を安頓し、礼を用いて天下人の心志を平正にして其の内在を修養す。ここをもって鐘・鼓・竽・瑟・管・磬の各種楽器の声音を合奏して、万民と共同に歓楽す。礼の作用は根本を重んじ徳行を崇尚して上の者を恭敬するなり。ゆえに禘祭・郊祭および宗廟の祭祖は皆徳ある人を尊崇し、彼らをして上帝天神に配享せしむ。此くして便能ち衆人と一同に致敬して外に節制あるを得べし。音楽を制作して徳行を崇尚し、隆重に上帝を献祭し、礼と楽の教化を相配合せしむれば、内外の教皆建立して、天下自ずから順服せん。
初六,鳴豫,凶。象曰:初六,鳴豫,志窮,凶也。初有上應,樂有得志也。夫君子之心,靜而自居。知得喪之終始,而不遷其正,故其樂不極,其憂不沮,何患之及哉。小人之始得志,誇其大而極其志,極而不及,於禍者無之。
初六爻辞は言う:得意忘形に己の歓楽を張揚すれば、凶険あり。《象伝》は解釈す:初六の鳴豫は、心志已に窮尽の処に到ればなり。ゆえに凶。注者は以為す:初六は九四と正「応」ありて、ここをもって自ら以て快楽得志と為す。君子の心は安静自守にして、得失皆終始あるを明白し、此を因に己の正道を改変せず。ゆえに歓楽は極端に走り至らず、憂愁も彼を沮喪せしめず。又何の禍患の彼に加えらるる能わんや。小人は剛き得志するや、便ち己の声勢を誇耀して心志を極点に放縦す。極点に放縦して収斂を知らざれば、禍患を招来せざる無し。
六二,介于石,不終日,貞吉。象曰:不終日,貞吉。以中正也。卦一陽也。眾陰競之,以求豫也。二得順而中正,物至而順,豫至而樂,不遷其正也,故介如石堅,難以茍變。感之至,後動也。得吉之先也,其先知者不疾而速獲其吉也。安用其終日乎。
六二爻辞は言う:耿介なること石の如くにして、終日を待つに及ばずして決断するを得。正を守れば吉祥。《象伝》は解釈す:終日を待たずして正を守りて吉を獲るは、其の既に下卦の「中」に居りて又た位に当たりて「正」を得ればなり。注者は以為す:豫卦はただ九四の一の陽爻ありて、衆陰爻皆争うて之に趨附して安楽を求む。六二は既に柔順にして又た中に居りて位に当たり、外物来ればそれ順応し、歓楽来ればそれも亦楽しむも、己の正道を改変せず。ゆえに耿介なること石の如く堅定にして、苟且節を変ずること難し。感応極処に到るを待ちて乃ち行動す。ここをもって能く吉祥の到来するに先んじて予備ある所と為る。此の如き先知先覚の人は、急躁ならずして行動迅速にして吉祥を獲得す。何ぞ終日を待つを要せんや。
六三,盱豫悔,遲有悔。象曰:盱豫有悔,位不當也。四經,始之地也。而三統下,卦之主而不當位,是以遲速皆不中也。盱而遽來,柔涉乎諂也。遲而後至,疑懼旅於眾也。是以悔矣。
六三爻辞は言う:大きく眼を睜きて仰望して楽を求めれば、悔恨あらん。遅疑して前進せざるも、同じく悔恨あり。《象伝》は解釈す:盱豫にして悔あるは、其の処する所の位置の恰好在らざればなり。注者は以為す:九四は豫卦の事情発端の在る所の位置にして、六三は下卦を統領し、本より下体の主なれど、偏偏として陰爻を以て陽位に居り、位置当を得ずして其の「正」を失う。ゆえに来ること早きも好し、来ること遅きも好しとせず、皆合宜ならず。眼を睜きて張望し匆匆として来り赴くは、柔弱にして諂媚に近し。遅疑の後に至るは、心に疑懼を懐きて衆人の中に混迹するなり。両頭皆妥当ならず。ここをもって悔恨を招来す。
九四,由豫,大有得,勿疑,朋盍簪。象曰:由豫,大有得。志大行也。一陽而能濟眾也。而上下應之,所以得豫,皆由之也。復何疑焉。旣順以動之,天下附之。則智者為謀,勇者為力,皆相朋合,簪而來仕矣。
九四爻辞は言う:衆人の安楽は皆之より由りて来り、大いに得る所有り、猜疑するを要せず。朋友は髪簪の頭髪を聚攏するが如く聚集して来らん。《象伝》は解釈す:之より由りて安楽を得大いに獲る所有るは、心志の広く推行を得ればなり。注者は以為す:九四は卦中唯一の陽爻にして、卻って能く衆人を救済し、上下各爻皆来たりて之に応ず。天下の安楽を得る能くする所以は、全て之より由りて来る。又何の猜疑すべきあらんや。既に事理に順応して行動すれば、天下即ち之に帰附す。ここに於て智謀ある者は其の為に謀を出し、勇力ある者は其の為に力を効め、彼此朋党の如く結合し、簪の髪を束ぬるが如く紛紛として出仕に来る。
六五,貞疾,恆不死。象曰:六五,貞疾,乘剛也。恆不死,中未亡也。四剛動也。眾之歸柔,無德乘之,正乃疾也。守恆於中,其義不死已,存其尊也。
六五爻辞は言う:久治癒えざる病を守持するも、長久にして死せず。《象伝》は解釈す:六五の疾病を守持するは、其の陽剛の上に凌乗すればなり。長久にして死せざるは、中に居るの位未だ喪失せざればなり。注者は以為す:九四は陽剛にして主動の一爻にして、衆人の帰附する所は卻って柔弱の六五なり。六五は自身相称の徳行なく、反って陽剛の上に凌駕す。此れ正に其の病根なり。好くも它能く恒久に上卦の「中」を守れば、事理に按りてなお滅亡するに至らず。尊位保存を得たり。
上六,冥豫成,有渝無咎。象曰:?豫,在上何可長也。剛得志而豫,五正疾矣。而又上之,處於豫外,不知時之豫,昧於豫之成也。何可長哉。變而知歸,得無咎矣。
上六爻辞は言う:昏昧に安楽に耽りて已成の積習と為る。若し能く改変する所あらば、過ちなからん。《象伝》は解釈す:昏昧に安楽に耽りて又た上位に高居すれば、此の局面豈に長久なるを得んや。原文此処に一処の缺字ありて「?豫」と作るも、依然旧本に依りて保留す。注者は以為す:九四は陽剛得志にして衆人を安楽せしめ、六五は已に此を因に久病の身と成れり。上六は卻って復た更に上に走りて、豫卦の最も外辺に処り、当時の安楽の何処より来るを明白せず、亦た安楽の已成定局と為りし事実に昏昧す。此の如くして豈に長久なるを得んや。若し能く変通して回頭を知らば、災禍なからん。
随卦
震下兌上 隨,元亨利貞,無咎。彖曰:隨,剛來而下柔。動而說,隨。大亨貞,無咎。而天下隨時,隨時之義大矣哉。剛來而下於柔,得其情,隨。而治之大通者也。剛中正,動而說,利而正,夫何咎哉。夫隨,多失正,正則寡。隨,動說而隨大,亨不失其正,而無咎者,大人也。而天下隨之矣。
《随》卦は下卦を震・上卦を兌と為す。卦辞は言う:随は最も亨通し、正を守るに利あり、過ちなし。《彖伝》は解釈す:随卦は陽剛の前来して陰柔の下に屈居し、震動して人を喜悅せしむ。此れ即ち随なり。大いに亨通して又た正を守りて災禍なく、天下万物皆時勢に随順し、随時の意義は実に重大なり。注者は以為す:陽剛の前来して甘んじて柔爻の下に居れば、ここをもって人情を体察し、人情に順いて治理す。ゆえに大いに通達す。陽爻既に「中」に居りて又た「正」を得、行動して人を欣悦せしめ、利ありて又た端正なり。何の過ちあらんや。凡そ随従は、大多正を失い易く、能く正を守る者少なし。随卦は既に動して悦び、随従する者も又た衆多にして、亨通の中に其の正を失わずして過ちなし。此れ徳位兼備の大人のみ能く為す所にして、ここに於て天下皆来たりて彼に随従す。
象曰:澤中有雷,隨。君子以嚮晦入宴息。雷下於澤之中也。雷隨於澤,澤隨於雷。君子得物之情,而隨正之。則物來隨已正也。何所憂哉。故向暮入宴息,安之時也。
《象伝》は言う:大沢の中に雷あるは、此れ即ち随卦の象なり。君子は此より天色暗に轉ぜば即ち屋に入りて安歇するを懂得す。注者は以為す:雷は大沢の中に降り、雷は沢に随順し沢も亦雷に随順す。君子は万物の実情を体察し、其の本性に順いて之を端正せば、万物便ち己に随従に来たりて各々其の正に帰す。又何の憂慮すべきあらんや。ゆえに天色の晚に向かえば即ち室に入りて休息す。此れ正に安息すべきの時なればなり。
初九,官有渝,貞吉。出門交有功。象曰:官有渝,從正,吉也。出門交有功,不失也。隨主於見,可而變也。不隨則不吉。隨而喪本,亦不吉。初無專應得其理也。剛不失正,得其吉也。與二相得,出門交有功也。非應而合之,不失其隨,時之宜,不隨則獨立無功矣。
初九爻辞は言う:主管する所の事情に変動あり。正を守れば吉祥。門を出でて人と交往せば、即ち功効を建立するを得べし。《象伝》は解釈す:主する所に変ありて能く正道に跟従すれば、ゆえに吉祥。門を出でて交往して功あるは、随うべき人を失わざればなり。注者は以為す:随従は形勢を看清するを貴び、随うべき処を見れば即ち之に随いて変ず。一味に随わざるは固より吉ならず、随いて根本を喪失するも亦た吉ならず。初九は固定相「応」の爻なく、却って随の道理に合す。それ陽剛を以て正道を守る。ここをもって吉祥を得。それ緊隣の六二と相親して相得す。此れ即ち門を出でて交往して功あるなり。正応にあらざるも能く會合す。正に随従の本義を失わず、時宜に合する做法なり。若し一概に随わざれば、ただ孤立して功なからんのみ。
六二,係小子,失丈人。象曰:係小子,弗兼與也。不顧其應,與時相得,動說相與,得隨之宜。五體隨而不戀初,遇之而有交。故二無凶,吉之戒也。
六二爻辞は言う:年少の初九に係恋すれば、即ち年長の九五を喪失す。《象伝》は解釈す:小子に係恋するは、両頭の同時に兼顧する能わざればなり。注者は以為す:六二は本より之と相「応」する九五を顧みずして、近旁の初九と時宜に合し、震動欣悦して彼此相与す。此れも亦随従の道に合す。九五は自身体察して随の義理に於て専ら初九に眷戀せず、六二は初九と相遇して往来する所有り。ゆえに六二は凶険なく、此の一爻は人に吉道を守るを提醒するの告誡なり。
六三,繫丈人,失小子。隨有求得,利居,貞。象曰:係丈夫,志舍下也。隨不繫於常也。三近於四,而遂相附得,隨也。四亦不逆求,所得也專,正而居,志合逺附,得所利也。
六三爻辞は言う:年長の九四に係恋すれば、即ち年少の初九を喪失す。随従して求むる所有れば便ち得るを得。安居して正を守るに利あり。《象伝》は解釈す:丈夫に係恋するは、心志下の初九を舎棄すればなり。注者は以為す:随従は固定の対象に拘泥せず。六三は九四に靠近せば、ここに於て彼此依附して相得す。此れ即ち随なり。九四も亦其の求附を拒絶せず。ゆえに六三の得る所専一なり。安居して正を守り、心志遠処と相合して依托する所有り。ここをもって応有の好処を得たり。
九四,隨有獲,貞凶。有孚,在道以明,何咎。象曰:隨有獲,其義凶也。有孚在道,明功也。得三而附,有獲者,私擅其民,正之凶也。以隨之時,協隨之義,竭誠奉主,立功明道,皆上之有也。夫何咎哉。
九四爻辞は言う:随従して獲取する所有れば、正を守るも亦た凶険あり。ただ誠信を懐きて行事正道に合して事理を明白せば、又た何の過ちあらんや。《象伝》は解釈す:随従して獲あるは、義理に按りて言えば凶なり。誠信を懐きて正道に合するは、功業を彰明するなり。注者は以為す:九四は六三の前来して依附するを得。謂う所の「有獲」とは、即ち民衆を私自に己の有と據す。自身端正するも凶険を免がれ難し。若し能く随卦の時勢に順応し、随従の義理に合し、誠意を竭して君主に奉事し、功業を建立して正道を闡明し、此の一切を将りて上の者の所有に帰せば、那れ復た何の過ちあらんや。
九五,孚于嘉,吉。象曰:孚于嘉,位正中也。剛德居尊,有應而不繫,盡下之宜,大通者也。中正而保位,利而貞也。信向於隨之嘉吉,則下皆隨之矣。
九五爻辞は言う:誠信を以て美善の人に対待せば、吉祥。《象伝》は解釈す:美善に誠信するは、其の位置端正にして又た中に居ればなり。注者は以為す:九五は陽剛の徳を以て尊位を占據し、相応の爻あるも牽係せられず、能く下の各爻の宜しき所に尽力順応す。ここをもって大いに通達す。それ既に「中」にして又た「正」にして君位を保住し、利ありて正を守る。誠心は随従中の最も美善の一面に向かう。ここをもって吉祥を獲得し、下の人は自然皆来たりて之に随従す。
上六,拘係之,乃從維之,王用亨于西山。象曰:拘係之,上窮也。隨者,下而隨也。下而隨之乃治,非大正之義也。治誠而不隨,則以力制可也。六無附而保其上,守於險阻可拘之,乃從維之,以力而後至服,而通命於逺志,治也。
上六爻辞は言う:彼を拘捕係縛し、随いてまた繩索を用いて維係を加う。君王は西山に於て祭祀を挙行す。《象伝》は解釈す:拘捕係縛するは、上六已に窮極の地に到ればなり。注者は以為す:謂う所の随とは、下の者の上の者に随従するなり。下の者の随従に憑りて治理を得るは、なお最も正大の道理と算せず。若し治理已に真誠より出づるも相手依然随従を肯ぜざれば、則ち武力を用いて彼を制服すべし。上六は依附する所なくただ己の高位を保住せんと欲し、険阻を据守す。ゆえに之を拘捕して、再び繩索を用いて維係し、武力を憑りて之を帰服せしめ、然る後に政令を遠方の心志未附の処に通達す。此れも亦た一種の治理なり。
蠱卦
巽下艮上 蠱,元亨,利涉大川,先甲三日,後甲三日。彖曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。蠱,元亨,而天下治也。利涉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。蠱,文皿蟲也。風過山也。時之蠱,而事繫之,不可以無制,作也。剛升而上,柔來而下,剛柔兩得其情,大通而柔伏也。巽而上,無違迕也。故可以造治制作,而無難也。
《蠱》卦は下卦を巽・上卦を艮と為す。卦辞は言う:蠱は最も亨通し、大河を渡越するに利あり。甲の日前の三日・甲の日後の三日は皆審慎に籌劃すべし。《彖伝》は解釈す:蠱卦は陽剛上に在り陰柔下に在り、遜順して然る後に止息す。此れ即ち蠱なり。蠱は最も亨通すれば、ここをもって天下治理を得。大河を渡越するに利あるは、前往すれば必ず為すべき事あるを言うなり。先甲三日・後甲三日とは、一段の終結の後に便ち新たな開始あるを言う。此れ天道の運行なり。注者は以為す:「蠱」の字は皿より従い虫より従い、器皿に虫生ずるの義を取る。卦象は則ち風の山を吹き過ぐるなり。時勢敗壊して蠱と成れば、事情之に随いて生ず。制度と興作なかるべからず。陽剛は上昇して上卦に至り、陰柔は下降して下卦に至り、剛と柔各々其の実情を得。ここをもって大いに通達して柔者伏順す。下体巽順にして上に向かい、違逆抵触なく。ゆえに能く治理に着手し制度を創立して困難に遇わざるを得べし。
古之為治者,以質文相變也。弊而更之,之謂也。以質治者,寛而任人,親而不尊,其弊也。野而不近,縱而難禁,故因其弊而反之以文。以文治者,檢而有度,尊而不親,其弊也。煩而多賊,近而無實,因其弊而更之以質。質文更代,終則有始。如寒暑之謝也。甲者,制事之首也。夫立制者,必先究前弊之由,察其中,要其終。故先三日,以原之,然後更之,今及其先,乃及其後。後甲三日之正,故能合其時,而當於人心也。殷因於夏,周因於殷,故為之改命,創制天下法也。
注者は接ぎて言う:古人の天下を治理するや、常に質朴と文飾を交替変換せしめ、弊病出現せば即ち之に更改を加う。講ずる所は正に此の道理なり。質朴を用いて治理すれば、寛厚にして人を信任し、君民相親しむも尊厳足らず。其の流弊は粗野にして事理に切らず、放縦にして禁止し難し。ゆえに流弊に針対して反って文飾に改用す。文飾を用いて治理すれば、検束ありて法度あり、君上尊厳なるも親近足らず。其の流弊は繁瑣にして戕害多く、切近なるが如くにして実効なし。ここに於て又た流弊に針対して質朴に改回す。質と文更迭交替し、一段終結すれば便ち又一の開端なり。寒暑の相互に交謝するが如し。「甲」は創制事務の開頭なり。凡そ制度を訂立する者は、必ず先ず以往の弊病の由来を追究し、其中の関節を考察し、其の結局を予計す。ゆえに甲の日前の三日に其の本源を推原して然る後に更改を加え、其の先前を顧りて又た其の往後を顧る。甲の日後の三日に新制を端正に帰せしめ、ここをもって能く時勢に合して人心に切中す。殷代は夏代に沿襲し、周代は殷代に沿襲す。皆沿襲の中に於て旧命を改易し、天下の為に新たな法度を創立せり。
象曰:山下有風,蠱。君子以振民育德。山下有風,時蠱而制事也。君子將以振民,先有其德然後制作也。
《象伝》は言う:山の下に風起るは、此れ即ち蠱卦の象なり。君子は此より民衆を振作し徳行を培育するを懂得す。注者は以為す:山の下に風あるは、時勢敗壊して興作あるを要するを象徴す。君子は百姓を振作せんと欲せば、必ず先ず自身の徳行を具備して然る後に乃ち制度の興革を談ずべし。
初六,幹父之蠱,有子考,無咎,厲終吉。象曰:幹父之蠱,意承考也。有為者,臣子之職也。受命者,承其意而損益從時,而後蠱,可乾也。柔始受命,能終其事。承父之後也,可謂有子矣。考何咎乎。臨事而專,故曰厲也。終成其志,得無咎也。有事之道也。
初六爻辞は言う:父輩遺留の弊乱を匡正す。此の如き児子あれば、先父は過ちなからん。危厲あるも終に吉祥。《象伝》は解釈す:父輩の弊乱を匡正するは、先父の心意を承接せんと欲するなり。注者は以為す:為す所有るは、本より人臣・人児たるの職分なり。使命を承受する者は、先人の本意を秉承して時勢に随いて増減あるべく、然る後に乃ち弊乱を匡正するを談ずべし。初六は柔順の質を以て始めて命を受くるも、能く事情を底まで為り遂げ、父親の事業を接續せり。好き児子あると謂うべし。先父に復た何の過失あらんや。大事に面临して独り決断す。ゆえに危厲あると曰う。終に先人の心志を成全せり。ここをもって過ちなし。此れ即ち事務を担当するの道理なり。
九二,幹母之蠱,不可貞。象曰:幹母之蠱,得中道也。乾內應柔,承母之事也。不可以自正,非所越也。乃得中道矣。事有順而後成者,此之謂也。
九二爻辞は言う:母輩の遺す所の弊乱を匡正するに、一己の正に固執す可からず。《象伝》は解釈す:母輩の弊乱を匡正するは、適中の道を取得せんと欲するなり。注者は以為す:九二は内卦に在りて事を任じて上に柔順の六五と「応」ず。是れ母親一方の事務を承担するなり。それ自作主張して一味に正を求むる能わず。之れ其の越分して為すべきにあらざればなり。此くの如くして乃ち「中」道を得たと算す。或る事情は必ず先ず順従して然る後に乃ち為り成すを得べし。講ずる所は正に此の情形なり。
九三,幹父之蠱,小有悔,無大咎。象曰:幹父之蠱,終無咎也。以剛得位,乾其事而專其任也。專之故,小悔,終成其志,故無咎也。
九三爻辞は言う:父輩の弊乱を匡正すれば、稍々悔恨あるも大きな過ちなし。《象伝》は解釈す:父輩の弊乱を匡正すれば、終に災禍なからん。注者は以為す:九三は陽剛を以て陽位に居るは、位に当たりて「正」を得るなり。それ此の事を承担して独り其の責を攬す。独断専行を因とすれば、ゆえに稍々悔恨ある所あれども、終竟先人の心志を成全せり。ここをもって過ちなし。
六四,裕父之蠱,往見吝。象曰:裕父之蠱,往未得也。柔之位,而以柔處之,不能敏於事也。是寛其事而無成也。復命得乎,往見吝矣,終無功也。
六四爻辞は言う:寛緩を以て父輩の弊乱に対待すれば、復た走りて行かば困窘に遭遇せん。《象伝》は解釈す:父輩の弊乱を寛緩するは、前往して得る所能わざればなり。注者は以為す:六四は本より陰柔の位にして、又た陰柔の質を以て其の中に居り、事を為すに敏捷なる能わず、ただ一味に寛縦にして成效見えず。此の如くしてなお回りて命に復するを得んや。前往すれば必然困窘に遭遇し、終竟功労あらざらん。
六五,幹父之蠱,用譽。象曰:幹父用譽,承以德也。柔非能幹蠱也。事必有主之者矣,用德而不勞於力,五之謂歟。居得中正,眾之所荷,用譽之謂也。
六五爻辞は言う:父輩の弊乱を匡正して、ここをもって美譽を獲得す。《象伝》は解釈す:父輩の弊乱を匡正して称誉を得るは、徳行を用いて承担すればなり。注者は以為す:陰柔の自身は本より自ら弊乱を匡正する能わず、事情は必ず別に人ありて其の間を主持す。徳行を憑りて自ら労力せざるを必ずしもせざる者は、講ずる所は正に六五か。それ上卦の「中」に居りて位は尊貴に処り、衆人の擁戴する対象なり。此れ即ち「用誉」の含義なり。
上九,不事王侯,髙尚其事。象曰:不事王侯,志可則也。剛上者,主之尚也,令之源也。終其事而不享其利,以髙尚為事,可企而則也。不事王侯,可以尚之也。
上九爻辞は言う:王侯に事奉せずして、己の守る所の操行を高尚と為す。《象伝》は解釈す:王侯に事奉せざるは、其の志向は效法の準則と為すべきを言うなり。注者は以為す:陽剛は最上に居るは、君主の尊崇する所の人にして、亦た政令の源頭なり。彼は事情を為り成して其の中の好処を享受せず、清高自守を以て事と為す。此の如き人は人の仰慕して取法するに値す。正に王侯に事奉せざるが因に、却って更に尊崇に値す。
臨卦
兊下坤上 臨,元亨利貞。至于八月,有凶。彖曰:臨剛浸而長,說而順,剛中而應,大亨。以正天之道也。至于八月,有凶。消不乆也。陰陽迭盛,天道成焉。陽長而萬物生,君子之道行,小人望之而服也。剛長正以應,說而順之,大亨,以正也。夫物有長也,必有代也。陽雖維陰,至於陰盛則不復維矣。君子當其時,內惕而不自得焉。觀時之消息也。臨代坤之二也。極六位而陰及代之矣。數之變也。凶其乆乎。月陰之物來,代陽也,故八月凶。
《臨》卦は下卦を兌・上卦を坤と為す。卦辞は言う:臨は最も亨通し、正を守るに利あり。八月に到れば凶険あらん。《彖伝》は解釈す:臨卦は陽剛の逐漸に滋長し、欣悦にして柔順、陽爻「中」に居りて上と相「応」す。ここをもって大いに亨通す。此れ端正を用いて天道に合するなり。八月に到りて凶あるは、陽気の消退するや久しからずして将に来臨せんとするを言うなり。注者は以為す:陰と陽は交替に盛衰し、天道此より形成す。陽気生長すれば万物萌生し、君子の道推行を得、小人望見すれば亦た服従す。陽剛生長して端正にして相応の爻あり、欣悦にして順従す。ゆえに大いに亨通するは、一の「正」の字に憑ればなり。凡そ事物の生長あれば、必ず之に取代する者有り。陽は陰を維係住する能くするも、陰気極盛の時に到れば維係する能わず。君子は此の如き時勢に処り、内心警惕して敢えて自満せず、時勢の消長盈虚を観察す。臨卦は坤卦の第二位より生長し上りて陰位に取代したるにして、六位を走り満たすを待てば、陰気即ち又た陽気に取代せんと来る。此れ気数の必然の変化にして、凶、凶険は豈に甚だ久しく拖ぜんや。月は陰の類に属し、陰の陽に取代し来る。ゆえに八月に凶あると曰う。
象曰:澤上有地,臨。君子以敎思無窮,容保民無疆。澤上有地,地取潤於澤。剛臨於柔,小人取,則於君子思其敎,周而無已也。則能保民安眾而應其無疆也。
《象伝》は言う:大沢の上に地あるは、此れ即ち臨卦の象なり。君子は此より人を教誨するの心思の窮尽なきを、百姓を包容保護するの疆界なきを懂得す。注者は以為す:沢の上に地あり、地は沢の中より滋潤を汲取す。陽剛は下に居りて陰柔に臨めば、小人便ち君子に取法し、君子の教化を思慕して周遍にして止息なし。此くして乃ち能く百姓を保全し衆人を安頓して、彼の疆界なき包容と相称す。
初九,咸臨貞吉。象曰:咸臨貞吉,志行正也。四為我應,能感柔也。則制之自我矣。豈肆其志哉。感其從正者也。故得吉矣。
初九爻辞は言う:感応の方式を以て人に親臨し、正を守れば吉祥。《象伝》は解釈す:咸臨にして正を守りて吉なるは、心志の推行する所皆正道なればなり。注者は以為す:六四は初九と相「応」し、初九は能く此の柔爻を感動せば、主動権は便ち己の手裡に掌握せらる。然れどそれ豈に此を因に己の心志を放縦せんや。其の感動する所は正に相手の正道に順従する一面なり。ここをもって吉祥を得。
九二,咸臨吉無不利。象曰:咸臨吉無不利,未順命也。剛浸而長,履位得中,有其德而能感。五以從已也。則五順於二,二未盡順於五也。尊而順,剛德日崇,故無不利也。
九二爻辞は言う:感応を以て人に親臨すれば吉祥にして、利あらざる無し。《象伝》は解釈す:咸臨にして吉にして不利なきは、其の未だ一味に上の命令に順順従せざればなり。注者は以為す:陽剛漸漸に滋長し、九二の処する所の位置は又た下卦の「中」に居り、徳行ありて能く人を感動し、六五をして己に順従せしむ。ここに於て六五は九二に順従するも、九二は卻って完全に六五に順従せず。尊位に居る者が却って下の者に順従せば、陽剛の徳は便ち一天天と崇高と為る。ゆえに利あらざる無し。
六三,甘臨,無利攸。既憂之,無咎。象曰:甘臨,位不當也。既憂之,咎不長也。陰以居上,柔接以臨之,甘辭以說之,失其正也。下有其人,而悟其非道,而能憂之,則咎不長也。
六三爻辞は言う:甜言蜜語を用いて下に臨むは、好処ある所なし。若し能く此を為に憂懼せば、過ちなからん。《象伝》は解釈す:甘臨は処する所の位置の恰好在らざればなり。既に能く憂懼すれば、過失は長久ならざらん。注者は以為す:六三は陰爻を以て下卦の上に居り、柔媚の姿態を用いて下の人に接近し、甜美の言辞を用いて彼らを討好す。此れ即ち正道を失えり。下に既に賢人あれば、それ便ち己の走る所の正路にあらざるを醒悟し、ここをもって心に憂懼を生ず。然らば過失は自然長久に拖ざらざらん。
六四,至臨無咎。象曰:至臨無咎,位當也。應於初,則剛之。敎而守當其位,盡柔之道,臨之至也。無憂邪之,咎矣。
六四爻辞は言う:親身切近に下に臨めば、過ちなし。《象伝》は解釈す:至臨に災禍なきは、位置恰好在ればなり。注者は以為す:六四は初九と相「応」して便ち陽剛に取法し、教化を接受して己の処すべき位置を安守し、柔順の道を尽処に為す。此れ即ち臨の極致にして、自然邪僻を因に過失を招来するを憂慮するを要せず。
六五,知臨大君之宜,吉。象曰:大君之宜,行中之謂也。二以剛長,五能感而從焉,知之以能,授之以政,可謂智矣。大君之宜,能臨天下者,如此矣。行能得其中也。
六五爻辞は言う:明智を以て下に臨むは、此れ大君の応有の作為にして、吉祥。《象伝》は解釈す:大君の宜しき所とは、行事能く中道に合するを言うなり。注者は以為す:九二は陽剛の徳を憑りて不断に生長し、六五は之に感動せられて之に順従し、其の才能を識別して政事を之に交付す。明智と謂うべし。謂う所の大君の宜しき所とは、能く天下に君臨する人は正に此の様子にして、行事皆恰好至当の「中」を取得す。
上六,敦臨,吉,無咎。象曰:敦臨之吉,志在內也。四五皆應於陽,上為至順,亦歸而從之,逺而志於陽,厚於君子之道,順時知機,吉。又何咎哉。
上六爻辞は言う:敦厚の態度を以て下に臨めば吉祥にして、過ちなし。《象伝》は解釈す:敦臨の吉なる所以は、心志内卦の陽爻に係ればなり。注者は以為す:六四・六五は皆下の陽爻と相応し、上六は最も柔順の一爻にして、亦た帰附して彼らに跟従す。相隔遥遠なるも心志は陽剛に向かい、君子の道に篤厚にして、時勢に順応して先機を懂得す。ゆえに吉祥にして、又た何の災禍あらんや。
觀卦
坤下巽上 觀,盥而不薦,有孚,顒若。彖曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下。觀,盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。觀天之神道而四時不忒,聖人以神道設敎,而天下服矣。觀上觀下也。下順上巽,觀上之風從而化之。上巽下坤,觀下之情而設敎也。剛德上行,為天下之大。觀得其中正大順,而巽以從之也。
《觀》卦は下卦を坤・上卦を巽と為す。卦辞は言う:觀は祭祀開始の時已に手を盥い爵を滌うも未だ祭品を献上せざるに、此の時誠意最も盛んにして、衆人は信実を懐きて彼を仰望す。《彖伝》は解釈す:偉大の瞻仰の対象は上位に高居し、柔順にして遜入し、中に居りて正を得て天下に向かいて示範す。祭祀盥手して未だ献享せざれば、衆人は誠信満懐して仰望し、下の者は観瞻して感化を受く。上天の神妙なる運行の道を観察すれば、四季は従来差錯なく、聖人は此の神妙の道に依照して教化を設立せば、天下便ち皆帰服す。注者は以為す:觀は既に下の者の上の者を仰観するにして、亦た上の者の下の者を俯観するなり。下体柔順・上体遜入し、下の人は上の風範を観看して受化に跟随す。上体を巽・下体を坤と為し、上の人は下の実情を観察して教化を設立す。陽剛の徳は上行して天下の最も観仰すべき対象と為り、それ既に「中」を守りて「正」を得て又た極めて和順なれば、人便ち遜順に之に追随す。
古者,先王之治天下,為風之首者,非他也。禮之謂歟敬,其禮之本,歟宗廟,其敬之大。歟盥,其祭之首。歟取,諸潔敬者也。禮也者,物得其履,而不謬也。措之天下無所不行,本於其敬也。敬發乎情者也。盡則誠信,誠積中而容作於外,施於人而人順也。敬之盡者,莫大於孝,莫大於尊,親愛之。故貴之。貴之故尊之。昔者周公郊祀后稷以配天,宗祀文王於明堂以配上帝。是以四海之內各以其職來祭,天下無不敬其親者,此不令而民化上矣。
注者は接ぎて言う:古の先王の天下を治理するに、用いて風気の先を開くは他ならず、即ち礼なり。礼の根本は敬に在り、敬の最大の処は宗廟の祭に在りて、祭祀の頭一道の程序は則ち盥洗にして、取る所は正に潔淨恭敬の義なり。謂う所の礼とは、万事万物をして各々其の履すべき所を得て差錯出さざらしめ、天下に推行して通ぜざる無く、根本は一の敬の字に在り。敬は真情の中より発出する所にして、極処に為せば即ち誠信なり。誠意は心中に積りて儀容は外に表現し、人に施加すれば人も亦順服す。敬の極点に到るの表現は、孝より大なるなく亦た尊崇より大なるなし。彼を親愛すればなり、ゆえに彼を看重し、彼を看重すればなり、ゆえに彼を尊崇す。従前周公は郊外に於て天を祭りて后稷を以て配享し、明堂に於て文王を祭祀して彼を以て上帝に配享せしめたれば、ここに於て四海の内各々己の職分を按りて助祭に来たり、天下は己の親長を敬愛せざる無し。此れ即ち命令を下さずして百姓自然に上の者に感化せらるるなり。
宗廟之始者,盥也。得其始,盡其敬,誠其孝,然後能事宗廟鬼神也。其先祭也,散齋三日,以定志。致齋三日,以一慮。其將祭也,恫恫乎,恐懼如將見之。詩云:明發不寐,有懷二人,思之深也。其敬齋也,先祭而告,慟哭反矣。況至於盥乎。盥者,祭之道可觀其首敬也。薦者,養之道,故盡其敬,竭其情,則能備物矣。所以假外物而成孝子之心也,非禮之本也,故不在於薦矣,觀其誠信顒若而已。民知其敬上也,聖人申其情,行其事,而成敎於天下。雖天子必有尊也。則神道報其情也。此先王設敎之端,而天下大服也。
注者は接ぎて言う:宗廟の祭の起頭は即ち盥洗なり。此の開端を抓住して、恭敬を尽処に為し孝心を誠処に為して、然る後に乃ち宗廟鬼神に奉事するを談ずべし。祭祀の前、先ず散斎三日を以て心志を安定し、再び致斎三日を以て思慮を専一にす。祭を行わんと将にするの時、憂思懇切にして惶恐すること宛も直ちに先人に見えんとするが如し。《詩経・小雅・小宛》に曰く、天明けてなお睡る能わず、心の内に父母双親を懐念すと。思念の深き此より見るべし。斎戒敬を尽す人は、正祭の前に先き祝告を行い、往々にして痛哭して帰る。況んや盥洗の此の一歩に到りてをや。盥洗は祭の礼数に属し、其の中より主祭者の最初の彼の恭敬を看取すべし。献享は奉養の礼数に属し、ただ恭敬極点に到り真情竭尽せば、祭品自然斉備す。献享は過ぎず外在の物品を借助して孝子の心意を成全するに過ぎず、礼の根本にあらざるなり。ゆえに卦辞は献享を取らずしてただ盥洗を言う。人の看る所はただ彼の誠信仰望の神情のみ。百姓は彼の此の如く上の者に敬事するを見れば、聖人便ち此の真情に順いて祭祀の事を推行し、ここをもって天下に於て教化を完成す。便ち貴にして天子と為るも、亦た必ず其の尊奉する所の対象あり。ここに於て神明の道は其の誠心に回報す。此れ即ち先王の教化を設立するの開端にして、天下ここを因に大いに服従す。
象曰:風行地上,觀。先王以省方,觀民設敎,草木從上之風而偃也。故先王察其方,所觀其俗性。不易其素履。則民自行其道也。
《象伝》は言う:風の大地の上に吹行するは、此れ即ち觀卦の象なり。先王は此より四方を巡視し民情を観察して教化を設立す。注者は以為す:草木は上より吹き来る風に順いて倒伏す。ゆえに先王は各地の方域を考察し、当地の風俗性情を観看して、彼らの素来的行事の方式を更改せざれば、百姓は自然正道に走上せん。
初六,童觀,小人無咎,君子吝。象曰:初六,童觀,小人道也。柔而無位,逺於大觀,童蒙而無所觀,小人之道也。
初六爻辞は言う:孩童の如く浅陋に観看するは、小人に在りては過ちと算せずとも、君子に在りては卻って困窘なり。《象伝》は解釈す:初六の童觀は、小人の路数なり。注者は以為す:それ陰柔の質を以て又た其の位に居らず、彼の偉大の観仰の対象に離るること甚だ遠く、孩童の如く蒙昧無知にして、看取する所なし。此れ正に小人の做法なり。
六二,窺觀,利女貞。象曰:窺觀女貞,亦可醜也。當大觀之時,不能逺於所觀,而顧覬覦為正,施於女子,守正則可矣。君子之丑也。
六二爻辞は言う:門縫より偸看するは、女子の正を守るに利あり。《象伝》は解釈す:窺觀して女子の正を守るに利あるは、此れ君子に対して言えば亦た可羞なり。注者は以為す:偉大の瞻仰の時に正当するも、それ能く眼界を放開して遠くを看ずるに及ばず、卻って覬覦の心を懐きて自ら以て正と為す。此の態度を女子の身に用いれば、本分を守るはなお可なり。若し君子の身に在らば、則ち一種の羞恥なり。
六三,觀我生進退。象曰:觀我生進退,未失道也。大觀在乎中正已,處下體之,上風化之,出而及於民,進其道也。柔以奉之,退而謙也。故觀我生之,風化進不凌上,退不廢職,或從正事,可謂不失其道矣。
六三爻辞は言う:己の作為する所を観察して以て進退を決定す。《象伝》は解釈す:自身を観察して進退を定むるは、正道を喪失せざればなり。注者は以為す:偉大の観仰は中に居りて正を守るに在り。六三は下卦の最上一爻に処り、風教は上より吹き下る。それ此の教化を推行して百姓に及ぼすは、此れ進なり。柔順の態度を用いて上の者に奉事するは、此れ退きて謙を守るなり。ゆえにそれ己の行う所の風化を観察す。進みて上の者に凌駕せず、退きて己の職守を荒廃せず、凡事皆正当の事情に跟従す。正道を喪失せざると謂うべし。
六四,觀國之光,利用賓于王。象曰:觀國之光,尚賓也。履極臣位,順而承上,為上之巽,國之光也。煥乎可觀,利於用也。為王者之上賓。
六四爻辞は言う:一国の光輝盛徳を観仰するは、君王の賓客と為るに利あり。《象伝》は解釈す:国の光を觀るは、賓礼の士を崇尚するなり。注者は以為す:六四は已に人臣の最高の位置に踏み至りて、柔順に上の者を承奉す。是れ上体巽順の体現にして、亦た正に一国の光彩の在る所なり。それ煥然として観るべく、任用せらるるに便く、足りて君王の上賓を為すべし。
九五,觀我生,君子無咎。象曰:觀我生,觀民也。為觀之尊,天下風化之首也。我之生化,備於民矣。觀其民有君子之風,乃天下無所歸,咎也。
九五爻辞は言う:己の施為を観察すれば、君子此の如く為して過ちなし。《象伝》は解釈す:我が生を觀るは、実は百姓を観察するなり。注者は以為す:九五は全卦の仰観する所の尊位にして、天下風教の領頭人なり。己の推行する所の教化は、皆百姓の身に体現す。百姓の君子の風気を具有するを見れば、天下便ち帰罪すべき処なし。
上九,觀其生,君子無咎。象曰:觀其生,志未平也。過居無民之位,乘五之上,憂悔之地,志不得平也。亦在王敎而已自觀,有君子之風,乃無咎也。
上九爻辞は言う:他人の施為を観察すれば、君子此の如く為して過ちなし。《象伝》は解釈す:其の生を觀るは、心志なお平靜なる能わざればなり。注者は以為す:上九は君位を越過して民衆治むべきなき位置に居り、又た九五の上に凌乗す。正に容易に憂悔を招来すべき処に処る。ゆえに心志安寧を得ず。其の為し能くする所は亦た過ぎず王者の教化に留意し自我省察するのみ。ただ自身なお君子の風範あれば、便ち過ちなからん。
巻三 周易上経噬嗑伝第三
噬嗑卦
震下離上 噬嗑,亨,利用獄。彖曰:頤中有物;曰噬嗑,噬嗑而亨。剛柔分,動而明,雷電合而章。柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。剛物在頤中,曰噬嗑。故噬而嗑之,其道乃通,刑以齊之者也。分剛於柔,分柔於剛,象交得其情也。動而明之義皆得於理也。雷震電照,威以明之,隱無不彰,果辨之也。柔上治之主也,雖不若剛徳,而運於無所用獄,而正之者也。
《噬嗑》卦は下卦を震・上卦を離と為す。卦辞は言う:噬嗑は亨通し、刑獄を施用するに利あり。《彖伝》は解釈す:口腔の中に物梗るあり。ゆえに噬嗑と曰う。咬合せば道路乃ち通暢す。剛爻と柔爻は上下に分布し、震動して明察し、雷と電は相配合して章顕す。柔爻は中位を得て上に向かいて行く。位置恰好在りと算せざるも、卻って刑獄を施用するに利あり。注者は以為す:堅硬の物は口中に梗れば、即ち噬嗑と曰う。ゆえに之を咬断し牙を合攏せば、路乃ち通じ過ぐるを得。此れ刑罰を用いて天下を斉整するを譬喻す。剛爻の中に柔爻を分入し、柔爻の中に剛爻を分入し、卦象交錯して各々其の実情を得。震動して又た明察するは、義理上皆事理に合す。雷は震動し電は照耀し、威勢を用いて明察を加えれば、隠蔽の事は顕露せざる無し。果決に是非を判明するを得べし。六五の此の柔爻は上に在りて治理を主持する君主にして、陽剛の徳の剛強に及ばざるも、能く运用当を得、動刑を要せざるに似たる処に於て事情を端正せしむ。
象曰:雷電噬嗑,先王以明罰敕法。雷震電照,震而後明得於情實也,先王明其罪,告其法,然後誅之,而民莫怨其上也。
《象伝》は言う:雷電交作するは、此れ即ち噬嗑卦の象なり。先王は此より刑罰を申明し法令を整飭す。注者は以為す:雷は震動し電は照耀し、先ず震攝して然る後に照明せば、乃ち事の真相を査得するを得。先王は先ず其の罪状を講清し、再び其の触犯する所の法条を告知して、然る後に懲処を加えれば、百姓便ち上の者を怨恨せず。
初九,屨校滅趾,無咎。象曰:屨校滅趾,不行也。屨校,以木禁足,如履屨也。罪其初過之小也,懲而戒之,校足沒趾而已,其咎不行。小人福不至於大罪,戒為治者不可以不禁其微。
初九爻辞は言う:脚上に木枷を戴き、脚趾を遮没すも、過ちなし。《象伝》は解釈す:足枷を戴きて脚趾を遮没するは、彼をして再び前に走る能わざらしむるなり。注者は以為す:謂う所の屨校とは、即ち木枷を用いて双脚を束住し、鞋を穿くが如く脚上に套するなり。懲治する所はただ其の初犯の小過失にして、懲戒一下するのみ。木枷は過ぎず脚趾を遮住するも、罪過便ち再び発展せざらん。此れ小人に対しては却って福気にして、彼をして大罪を犯下すに至らざらしめ、同時に天下を治理する人に告誡して、過ち細微の時に於て禁止を加えざるべからざるなり。
六二,噬膚滅鼻,無咎。象曰:噬膚滅鼻,乘剛也。噬而得位,物不敢抗,噬膚之易也。乘剛者恃其強也,不可以輕,輕則反為害矣。噬深而滅巳,然後免於咎,乃得於中也。
六二爻辞は言う:柔嫩的皮肉を咬嚙して、深くして鼻子を遮没するに至るも、過ちなし。《象伝》は解釈す:噬肤滅鼻は、其の陽剛の上に凌乗すればなり。注者は以為す:六二は刑を用いて位置当を得、相手は敢えて抗拒せず、柔軟の皮肉を咬むが如く容易なり。但だしそれ陽剛の上に凌乗するは、自身の強勢を倚仗するにして、刑を用うるに軽率す可からず。軽率なれば却って禍害を招来せん。咬むこと稍々深くして、己の鼻子をも埋入するに至る深さにして、然る後に乃ち過失を免るるを得。此れ亦た正に中に居りて偏らざるの分寸に合す。
六三,噬臘肉遇毒,小吝無咎。象曰:遇毒,位不當也。柔僣剛位以之刑物,如噬臘之難也,則反謀為毒矣。慮毒而未傷,則懐懼而不果刑也,免之矣。噬之不盡,小吝者也。毒不終害,故無咎也。
六三爻辞は言う:乾硬の腊肉を咬嚙して、毒味に碰上す。稍々困窘あるも、卻って過ちなし。《象伝》は解釈す:毒味に遇到するは、其の処する所の位置の恰好在らざればなり。注者は以為す:六三は陰柔の質を以て陽剛の位に僭居し、此の如き身份を以て人に対して刑を用いれば、乾腊肉を啃むが如く費力にして、相手は却って暗に毒計を生ぜん。それ毒害を顧慮して未だ受傷せざれば、ここに於て心に畏懼を存して敢えて果断に施刑せず。ここをもって幸免を得たり。咬むこと徹底せざるは、小小の困窘なり。毒害は終竟釀成せざれば、ゆえに過ちなし。
九四,噬乾胏,得金矢,利艱貞吉。象曰:利艱貞吉,未光也。上近於尊,多懼之地,陰之位也。以斯用刑,未為得其道也,噬乾胏矣。果於剛直,無所回邪,曰金矢也。雖勇於敢位,未當也,豈足光哉,行法而已,艱以承之不失。其正得其吉也。
九四爻辞は言う:骨帯びたる乾肉を咬嚙して、金属の箭鏃を得たり。艱難の中に正を守るに利あり、吉祥。《象伝》は解釈す:艱難に正を守りて吉を獲るに利あるは、其の未だ光大せざるを言うなり。注者は以為す:九四は君位に靠近するは、最も容易に畏懼を招致する処にして、本より又た陰柔の位なり。此の如き処境を以て刑を用いれば、なお其の正道を得たと算せず。ゆえに骨帯びたる乾肉を咬むが如く棘手なり。それ剛直果決にして一点の迂回邪僻なし。此れを「金矢」と曰う。それ事を任ずるに勇なるも、位置は却って恰好在らず。何の光大を談ぜんや。過ぎず法を奉じて事を為るのみ。艱難謹慎の態度を用いて承担して分寸を失わず、正道を守住せば即ち吉祥を獲得するを得べし。
六五,噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。象曰:貞厲,無咎,得當也。柔以噬物亦為難也,噬乾肉矣。位尊民服,可以有制,因於剛之道也。治至於刑,正之危也。得中當理,故無咎也。
六五爻辞は言う:乾肉を咬嚙して、黄金を得たり。正を守りて危懼を知れば、過ちなし。《象伝》は解釈す:正を守りて危を知りて災禍なきは、処置当を得ればなり。注者は以為す:陰柔の質を以て硬物を咬嚙せんとするは本より吃力にして、ゆえに乾肉を咬むが如しと曰う。好くもそれ位は尊貴に居りて百姓服従し、能く裁制する所有り。憑る所は陽剛の路数に取法するなり。治理は刑罰を動用するの地步に到るや、已是れ端正の中に危険を含む。六五は上卦の「中」に居りて処置合理なれば、ゆえに過ちなし。
上九,何校滅耳,凶。象曰:何校滅耳,聰不明也。噬嗑之終,罪不可掩,至於極刑,故荷負其校以沒於耳,凶滅身也。小人為過之初,皆知其然也。不虞咎,大而不可脫也,徒聞其言而不能辨其終也,故耳其沒矣。聽之罪也。
上九爻辞は言う:肩上に大枷を扛して、耳朵をも遮没す。凶険。《象伝》は解釈す:枷を荷いて耳を遮るは、其の耳朵聴き得るも事理を明白せざればなり。注者は以為す:噬嗑卦の末尾に到れば、罪悪は再び掩盖する能わず、終に極刑を招来す。ゆえに重枷を肩負して、枷板は一直に耳朵に遮るに至り、凶険は身を喪うの地步に至る。小人は剛き悪事を為すの時、実は皆後果の如何なるを明白するも、ただ罪責の大にして解脱する法なきに至らんことを料到せざりしなり。彼らは空しく勧誡の話を聴き過ぐるも、其の中の結局を辨明する能わず。ゆえに耳朵は枷に遮没さる。此れ正に忠告を聴取するに善からざるの招致する所の罪罰なり。
賁卦
離下艮上 賁,亨小利有攸往。彖曰:賁,亨柔來而文剛,故亨。分剛上而文柔,故小利有攸往。天文也,文明以止,人文也。觀乎天文以察時變,觀乎人文以化成天下。剛下而柔來,文之。天降氣於地而為文也。柔上而分剛,象之地懸,象於天而為文也。天降氣於地,周而通也,故亨。地懸象於上,可以觀文,而則時中,柔而非實,應未足以濟之也,故小利有攸往。皆成文於天也。列尊卑之序,別同異之道,上建治於下,下繫治於上,止而得其治也。觀其天文,可以敬授人時,察其人文,可以自已而化,成天下治也。
《賁》卦は下卦を離・上卦を艮と為す。卦辞は言う:賁は亨通し、稍々前往する所あるに利あり。《彖伝》は解釈す:賁の亨通する所以は、柔爻前来して剛爻を文飾すればなり。ゆえに亨通す。剛爻を分出して上行して柔爻を文飾せば、ゆえにただ小にして前往するに利あり。此れ天の文采なり。文明にして止る所を知るは、此れ人の文采なり。天文を観察して時序の変化を考察し、人文を観察して教化して天下を成就するを得べし。注者は以為す:剛爻は下降して柔爻前来して文飾を加うるは、上天の気を地上に降して文采を形成するが如し。柔爻は上行して剛爻を分出するは、大地の物象を天上に懸托して文采を形成するが如し。天は気を地上に降して周流して通暢す。ゆえに亨通す。地は物象を上方に懸けて、人をして文采を観賞して四時の中に效法せしむべし。但だし柔爻は畢竟充実足らず、相応の力量は大事を成就するに足らず。ゆえにただ小にして前往するに利あり。此れらの文采は皆天上に於て生成せらる。それ尊卑の次序を排列し、異同の界限を分辨し、上の者は下に対して治理を建立し、下の者は上の治理に帰属し、静止不動にして各々其の治を得。天文を観察すれば、恭敬に時令を百姓に頒授するを得べし。人文を考察すれば、自身より為起して教化に推及して、天下の治理を成就するを得べし。
象曰:山下有火,賁。君子以明庶政,無敢折獄。火在山下,其勢至微,君子審其幾,而明以出政,愼以致刑,懼其熾也。及其末也。君子奈之何哉。
《象伝》は言う:山の下に火あるは、此れ即ち賁卦の象なり。君子は此より各項の政務を処理清楚にするも、敢えて軽率に訟案を判決せず。注者は以為す:火は山の脚下に在りて火勢なお微弱なり。君子は此れらの細微の苗头を審察し、明明白白に政令を発布し、謹慎小心に刑罰を施用す。其の大火と蔓延成るを怕れればなり。火勢已に尽頭に焼き至るを待たば、君子は又た之を如何せんや。
初九,賁,其趾舎車而徒。象曰:舎車而徒,義弗乘也。剛而未位,獨立其志,不趨其應,不茍乎乘也。故飾其趾,將徒行也。其義豈乘哉。明其時之不可也。
初九爻辞は言う:己の脚趾を文飾して、車子を捨てて徒歩にて行走す。《象伝》は解釈す:車を捨てて徒歩するは、義理に按りて乘車すべからざればなり。注者は以為す:初九は陽剛の質あるも未だ相応の地位なきに、独り己の志向を堅守し、之と相「応」の爻に趨附せず、亦た苟且に他人の車を搭乘するに肯ぜず。ゆえに己の脚趾を修飾して、徒歩にて行かんと準備す。義理に按りてそれ豈に乘車すべきや。此れ正に時機の未だ許容せざるを表明す。
六二,賁其須。象曰:賁其須,與上興也。得其三而為文,若須之附頤也。柔而位卑,依剛以為文也。
六二爻辞は言う:下巴上の鬍鬚を文飾す。《象伝》は解釈す:鬍鬚を文飾するは、上に随いて一同に興起するなり。注者は以為す:六二は上の九三に靠りて己の文采を成就す。鬍鬚の下巴上に附するが如し。それ質柔にして位置卑下にして、ただ陽剛に依附して乃ち文采を顕出するを得べし。
九三,賁如濡如,永貞吉。象曰:永貞之吉,終莫之陵也。剛以得位,兩柔附之,賁然而有文。濡如而沃,其潤雖阻,他應履位,相保可以長守。其正則物不能凌而獲其吉。
九三爻辞は言う:文飾は光彩にして潤澤あり。長久に正を守れば吉祥。《象伝》は解釈す:長久に正を守るの吉祥は、終竟人の之を欺凌する能わざればなり。注者は以為す:九三は陽剛を以て陽位に居りて位に当たりて「正」を得、上下両の柔爻皆来たりて之に依附す。ここをもって文采粲然たり。潤澤すること水を以て澆灌せられしが如し。其の潤澤は阻碍を受くるといえども、両の柔爻は各々相応の爻ありて各々本位に安んず。彼此保全すれば即ち長久に維持するを得べし。ただ正道を守住せば、外物は之を欺凌する能わず。ここをもって吉祥を獲得す。
六四,賁如皤如,白馬翰如,匪宼婚媾。象曰:六四當位,疑也。匪宼婚媾,終無尤也。得位有應,賁而成文,故潔其儀,白其馬,欲翰如而速往也。懼三為宼,而不敢進,退當位正應,疑何久哉。宼夷則合矣。
六四爻辞は言う:文飾は潔白素浄にして、白馬奔馳すること飛ぶが如し。来るは強盜にあらずして求婚の人なり。《象伝》は解釈す:六四は位置本より恰好在れども、ただ心に疑懼を存せり。来者は強盜にあらずして婚配の人なれば、終に怨咎なからん。注者は以為す:六四は位に当たりて又た相「応」の初九ありて、装飾すれば自ずから文采と成る。ゆえに儀容を修めて潔浄と為し、馬匹を備えて白色と為して、疾馳して迅速に前往せんと欲す。それ九三の中間に横たわりて強盜を充当せんことを怕れ、ここをもって敢えて前進せず。然れど一歩退きて看れば、それ位置恰好在りて又た正応あり。猜疑何ぞ持久せんや。「強盜」の疑慮消除するを待たば、双方自然結合せん。
六五,賁于丘園,束帛戔戔,吝終吉。象曰:六五之吉,有喜也。不在於彩賁之佳也。柔以居陽,獨保儉德,不因剛以為飾,守中黃以為賁,化之首也。故賁丘園之儉焉,納富用約,故戔戔其束帛,盈也。過儉不飾,雖可惜也。致理於文,終獲其志,故吉有喜也。
六五爻辞は言う:文飾を丘陵园圃の如き朴素の処に用いれば、一束の帛少なくして憐むべし。困窘あるも終に吉祥。《象伝》は解釈す:六五の吉祥は、喜慶有るなり。注者は以為す:真の文飾は色彩の華美に在らず。六五は陰柔を以て尊位に居り、独り倹朴の徳を守住し、陽剛に依頼して己を装点せずして、中和の色を守りて己の文飾と為す。此れ教化の開端なり。ゆえにそれ文飾を丘園の如き倹素の上に落とし、財富を収納して用度節約す。ここをもって束帛は少なくして単薄に顕わるも、実は正に此れ充盈なり。倹省過分にして修飾を加えざれば、看去惜しむべきなりといえども、文采を合理の方向に引向せば、終竟己の心志を実現せり。ゆえに吉祥にして喜慶あり。
上九,白賁,無咎。象曰:白賁無咎,上得志也。剛居柔上,其尚賢也。知存之而不競,保始終而得治者,自得其文也。人之所尚也。其在依柔而後飾哉。超然以素物,無潔矣,又何咎乎。上而逺世,獲乎志也。
上九爻辞は言う:純白を以て文飾と為せば、過ちなし。《象伝》は解釈す:白賁に災禍なきは、上位に居りて心志実現を得ればなり。注者は以為す:陽剛は柔爻の上に居るは、賢徳を崇尚するの表現なり。自身を保全して人と相争わざるを懂得し、能く始終を守りて其の治を得る者は、文采は自然内里より生出す。正に人の推崇する所にして、何ぞ柔爻に依傍して己を装点せんことを要せんや。それ超然物外にして素朴を以て自処す。此れより潔浄なるは更になし。又た何の過ちあらんや。最上に居りて塵世を遠離す。正に己の心願を実現せるなり。
剥卦
坤下艮上 剝,不利有攸往。彖曰:剝,剝也。柔變剛也。不利有攸往,小人長也。順而止之觀象也。君子尚消息盈虛,天行也。剝,柔乘剛也。君子之道僅存也。何所往哉,順其時止而止之,可以觀其象,而適其變也。夫道,無定體也。唯時行之,消而息之,盈而虛之,天之道也。君子之尚也。故當其道往,而不吝焉。應其時而不自得焉。
《剥》卦は下卦を坤・上卦を艮と為す。卦辞は言う:剥は前往する所有るに利あらず。《彖伝》は解釈す:剥とは剥落にして、柔爻の剛爻を改変するなり。前往するに利あらざるは、小人正に生長すればなり。形勢に順応して之を停止せしむるは、卦象を観察するに憑る。君子は消退と生息・盈満と虧虚の道理を推崇す。之れ天道の運行なり。注者は以為す:剥卦は柔爻の剛爻の上に凌乗して、君子の道は上九の一線残存するのみ。復た何処に往かんや。ただ時勢に順いて止むべきに止み、其の中より卦象を観察して、其の変化に適応するのみ。道は本より固定の形体なく、ただ時勢に随いて推行す。消退すべきに消退し、生息すべきに生息し、盈満すべきに盈満し、虧虚すべきに虧虚す。此れ天の法則にして、亦た君子の推崇する所なり。ゆえに己の道の行き通らずして将に退去せんとするを遺憾と感ぜず、時勢に順応して泰然として処し、亦た沾沾自ら喜ばざるなり。
象曰:山附於地,剝。上以厚下,安宅。山髙也,地下也,下剝上則山附於地也。故君不可以制下,則厚順於下,因而安宅之,不敢遷也。
《象伝》は言う:山の地上に依附するは、此れ即ち剥卦の象なり。上位に在る者は此より下民を厚待し、己の居所を安定するを懂得す。注者は以為す:山は本より高く地は本より低し。下は上を剥蝕すれば、山即ち塌落して地に附着す。ゆえに君主は既に一味に下民を圧制する能わざれば、則ち寛厚に彼らに順応すべく、此に憑りて己の居所を安穏得らしめ、敢えて軽々しく遷動せず。
初六,剝床以足蔑,貞凶。象曰:剝床以足,以滅下也。床,人之所安也。剝之以足,滅下之道。潛而剝之,猶未見也。無陽自此始矣。凶之道也。
初六爻辞は言う:牀身を剥蝕するに牀脚より始め、根基を毀傷せば、正を守るも凶険あり。《象伝》は解釈す:牀を剥するに牀脚より起るは、下の根基を毀壊せんと欲すればなり。注者は以為す:牀は人の身を安ずるに頼る物にして、剥蝕は先ず牀脚より下手す。此れ根基を毀滅するの路数なり。それ暗裡に一点ずつ剥蝕して表面はなお看え出さず、陽気の喪失は此より始まる。ゆえに凶険の道なり。
六二,剝床以辨蔑,貞凶。象曰:剝床以辨,未有與也。剝以漸長,小人漸得位也。至剝其床,剝道見而可辨也。無正而得位,誰與之哉,凶之道也。
六二爻辞は言う:牀身を剥蝕して牀干と牀身の相接する処に至り、毀傷更に深し。正を守るも凶険あり。《象伝》は解釈す:牀身の相接する処に剥蝕するは、其の未だ相与の同伴なきが故なり。注者は以為す:剥蝕逐漸に加深するは、小人の一歩ずつ位置を占據するを説明す。牀身に剥れば、剥落の勢い已に顕露して辨認すべし。それ端正ならざるも位置を占めて在る。誰か之と結伴に肯ぜんや。此れ自然凶険の道なり。
六三,剝之無咎。象曰:剝之無咎,失上下也。群小剝上,已獨應之,無咎者也。猶應離群失眾之趨也。
六三爻辞は言う:剥落の中に処するも卻って過ちなし。《象伝》は解釈す:剥落して災禍なきは、其の上下の同類を離ればなり。注者は以為す:一群の小人は合力して上の陽爻を剥蝕するも、ただ六三は独り上九と相「応」す。ここをもって過ちなし。但だしそれ此の如く為すは、亦た即ち同類を脱離し衆人の趨向に背離するを意味す。
六四,剝床以膚,凶。象曰:剝床以膚,切近災也。剝至上,體過床以及膚,近於災也。凶,其危也。
六四爻辞は言う:剥蝕已に人の肌肤に傷め至れり。凶険。《象伝》は解釈す:牀を剥して肌肤に傷めるは、災禍已に身に貼りて来ればなり。注者は以為す:剥蝕の勢いは上体に推進し、牀身を越過して肌肤に傷む。災禍に離るること已に甚だ近し。ゆえに凶と曰うは、其の処境の危急を形容するなり。
六五,貫魚以宮人寵。無不利。象曰:以宮人寵,終無尤也。剝上於五,為剝之主,能得其中。上承於陽,反止群小,群小由之貫魚。寵以宮人,不害外正,何不利焉。則終無尤矣。
六五爻辞は言う:一串の魚の如く依次に排列して、宮人を率いて恩寵を承受す。利あらざる無し。《象伝》は解釈す:宮人を率いて寵を受くるは、終に怨咎なからん。注者は以為す:剥落の勢いは第五位に上昇して、六五は剥卦の主と成れるも、能く上卦の「中」を守住す。それ上に向かいて陽爻を承奉し、反って衆多の小人を制止し、衆小人は其の帯領する所より由りて串に穿ねたる魚の如く依序に行く。宮人の如く恩寵を承受するは、外朝の正道を妨害せず。何の不利あらんや。ここをもって終竟怨咎なからん。
上九,碩果不食,君子得輿小人,剝廬。象曰:君子得輿民所載也。小人剝廬,終不可用也。極剝而保於上,大果有乎。拔不食者也。極消則息道,斯來矣。君子厚徳以藏垢也,故民所載矣。小人矜忌而偶怨也。故剝人之廬,終不可用也。復而不敵怨於剝者,君子也。
上九爻辞は言う:碩大の果実は食せられざりしに、君子はここを因に車輿の承載を得、小人は卻って房舎をも剥毀せらる。《象伝》は解釈す:君子の車輿を得るは、百姓の彼を承載に願えばなり。小人の房舎を剥毀するは、終竟任用すべからざるを説明す。注者は以為す:剥落極点に到るも独り上九は最上に保全せられ、彼の大果実はなお在りて摘食せられざる一顆なり。消退極処に到れば、生息の道将に来臨せんとす。君子は徳行深厚にして能く污垢を包容す。ゆえに百姓は彼を承載するを楽しむ。小人は則ち驕矜猜忌して処処に怨を結ぶ。ゆえに他人の房舎をも剥毀せんと欲す。此の種の人は終竟任用すべからざるなり。陽気回復の時に到りて、嘗て己を剥蝕したる人に報復せざれば、此れ乃ち君子なり。
復卦
震下坤上 復,亨。出入無疾,朋來,無咎。反復其道,七日來復,利有攸往。彖曰:復,亨。剛反動而以順行,是以出入無疾。朋來無咎,反復其道,七日來復,天行也。利有攸往,剛長也。復其見天地之心乎。陽反入於下而復其所出,而動以順行,出入而無間,何疾之有。一陽長而群陽至焉,君子之道通也。其何咎乎。易六位而成文也。乾之姤,剝。陽之初九,陽道消也。極六位而反於坤,之復其數七日,其物陽也。陽統陰之理也。陽雖消而復之,不逺之而不絶也。其天道之行歟,反而復行其道也。剛長也,君子可以利攸往矣。
《復》卦は下卦を震・上卦を坤と為す。卦辞は言う:復は亨通す。出入妨害なく、朋類前来して過ちなし。往返循環は一定の規律ありて、七天を経過すれば即ち一回回復す。前往する所有るに利あり。《彖伝》は解釈す:復の亨通する所以は、陽剛返回して発動し、又た柔順の勢いに依順して推行すればなり。ゆえに出入妨害なし。朋類前来して災禍なく、往返循環に其の規律ありて七日にして来復す。此れ天道の運行なり。前往する所有るに利あるは、陽剛正に生長すればなり。復卦より蓋し天地生生の用心を見るを得べきか。注者は以為す:陽気は下に返回到りて其の最初生出の処に回り、一動すれば即ち勢いに順いて行く。出入の間阻隔なし。何の妨害あらんや。一の陽爻生長し起れば、衆陽之に随いて至り、君子の道此より通達す。復た何の過ちあらんや。《周易》は六つの爻位を以て一卦の文理を組成す。乾卦は一変して姤と為り、再変して剥に至り、陽爻の初九より算起して、陽道は一路消退す。六位を走り満たして坤に返回到り、再び復卦に到れば、正好く七の此の数にして、指す所は正に陽なり。此れ陽の陰を統率するの道理なり。陽は消退するも終に回復して、走ること甚だ遠からず亦た断絶せず。此れ蓋し正に天道の運行にして、返回の後再度己の法則を推行す。陽剛生長すれば、君子ここを因に前往して利益を獲得するを得べし。
夫易者,易也。剛柔相易,運行而不殆也。陽為之主焉,陰過則陽滅,陽復則陰剝,晝復則夜往,夜至則晝往,無時而不易也。聖人是以觀其變化生殺也,往而復之也。而無差焉,謂陽生而為天地之心,天地之心與物而見也。將求之而不可得也。子曰:天下何思,何慮天下,殊途而同歸,一致而百慮。聖人之與天地並也。以萬物為之心也。何已心之往哉,故有以求之不至矣。無以求之,亦不至矣。是聖人無而有之,而易行乎。其中矣,可無辨乎。
注者は接ぎて言う:謂う所の「易」とは、即ち変易なり。剛と柔は互に交換して運転息まず。陽は其の中の主宰なり。陰の盛んに過ぐれば則ち陽消亡し、陽回復すれば則ち陰剥落し、白昼回り来れば則ち黒夜過ぎ去り、黒夜到れば則ち白昼過ぎ去り、一刻も変易せざる無し。聖人はここを因に万物の変化生殺を観察すれば、去りて復た来り、絲毫差錯なし。ここに於て陽気の萌生は即ち天地の用心なりと曰う。天地の用心は万物の身に於て乃ち看るべく、若し単に其の本身を追尋せば、却って尋ね得ず。孔子は嘗て曰く、天下の事は何の思慮すべきあらんや、天下の路は相同じからざるも同一の処に帰向し、思慮は百端なるも終に一致に帰すと。聖人は天地と並立して、万物をもって己の心と為す。豈に一己の心を用いて追逐せんや。ゆえに刻意に之を求むれば求むる能わず、完全に之を求めざるも亦た求むる能わず。此れ正に聖人の「無」の中に於て「有」を体認する所にして、変易の道は即ち此の中間に運行す。何ぞ辨察を加えざるべからんや。
象曰:雷在地中,復先王。以至日閉關,商旅不行,后不省方。冬至陽潛,動於地中也。帝王者,體化合乾,故至日閉關絶行。不務察事,以象潛之勿用與時之,更始也。
《象伝》は言う:雷の地中に潜蔵するは、此れ即ち復卦の象なり。先王は冬至の此の日に関口を関閉し、商旅は外に出行せず、君主も亦た四方を巡視せず。注者は以為す:冬至の時陽気はなお潜伏して、ただ地下に於て微微に萌動す。帝王は此の生化の理を体察して乾道と相合す。ゆえに冬至の日に閉関して行旅を断絶し、政事を察問するに忙せず。以て潜龍勿用の道理に取象し、亦た時令の重新開始の意味に順応す。
初九,不逺復,無祇悔,元吉。象曰:不逺之,復以修身也。陽生也,復於初也。修身之道,生非而復,復之不逺也。不適於邪也。得大吉矣。
初九爻辞は言う:走ること遠からずして回頭すれば、悔恨に至らず、大いに吉祥。《象伝》は解釈す:遠からずして回頭するは、用いて自身を修養するなり。注者は以為す:陽気萌生して、最初の位置に回復す。修身の道理は正に此の如し。一たび過失あれば即ち直ちに回頭し、回頭すること早く走偏すること遠からざれば、即ち邪路に滑向せず。ここをもって大きな吉祥を獲得す。
六二,休復吉。象曰:休復之吉,以下仁也。陽生也,仁也。二得位而歸復之,陰之道不行,而得其息矣。得仁而行吉之道也。
六二爻辞は言う:美好に回復すれば吉祥。《象伝》は解釈す:休復の吉祥は、能く仁者の下に屈居すればなり。注者は以為す:陽気の萌生は即ち仁なり。六二は位に当たりて「正」を得て初九に帰向し、之に随いて回復し、陰柔の路数は再び施行せずして、却って休養生息を得たり。それ仁者を親近して吉祥の道路上に行走す。
六三,頻復厲,無咎。象曰:頻復之厲,義無咎也。極於下體逺之復也,危而憂之,頻而復之,茍知復也。雖危何咎。
六三爻辞は言う:屢々回復して又た屢々喪失す。危厲あるも、卻って過ちなし。《象伝》は解釈す:頻復の危厲は、義理に按りて災禍なし。注者は以為す:六三は下卦の頂端に処り、初九の回復の処に離るること已に較遠し。ここをもって心に危懼を懐きて憂慮し、一次次重新に回頭す。ただ真に回頭を懂得せば、処境危険なるも、又た何の過ちあらんや。
六四,中行獨復。象曰:中行獨復,以從道也。諸陰或複利仁,而行也。四自應之,安仁而適也。時有其復,異於上,下行能得中,復以至於道也。
六四爻辞は言う:衆爻の中間に走りて独り回復す。《象伝》は解釈す:中行独復は、以て正道に跟従せんと欲すればなり。注者は以為す:其の他の陰爻は或るは仁の好処を見て始めて回復し、大流に随いて行く。六四は卻って初九と本より相「応」にして、仁に安んじて自然而然に之に帰向す。それ此の時に於て回復するは、上の各爻と同じからず。行事能く其の中を取りて偏らず、回復の後便ち正道に合す。
六五,敦復無悔。象曰:敦復無悔,中以自考也。逺陽過,應悔之道也。安而守中,志能自考也。自考也者,窮其理而盡其性也。故逺以復之,厚於德也。故無咎矣。
六五爻辞は言う:敦厚に回復して、悔恨なし。《象伝》は解釈す:敦復悔なきは、能く中を守りて自ら省察成全するなり。注者は以為す:六五は初九の彼の陽爻に離るること甚だ遠く、又た相応の爻なく、本より容易に悔恨を招致するの処境なり。好くもそれ安んじて上卦の「中」を守住し、心志能く自ら省察す。謂う所の自考とは、即ち事理を窮究して其の本性を尽すなり。ゆえに相隔遥遠なるもなお回復する能く、徳行ここを因に深厚と為り、即ち過ちなからん。
上六,迷復凶,有災眚。用行師,終有大敗以其國君,凶。至于十年不克征。象曰:迷復之凶,反君道也。復陽於下,其道未著,陰求復之者,或利之而復,或自考而復,皆心自復非陽力之能制也。至於上逺之極也,不能自復,不知陽之仁也,故據眾之上,迷其復凶之災也。雖用眾必大敗也,以其不往時而反於尚君之道也。至於窮數而不能征也。
上六爻辞は言う:方向を迷失して回頭を知らざれば、凶険にして災殃あらん。用いて兵を出せば、終竟大敗して、復た国君に連累し、凶険にして、十年の内出征する能わざるに至らん。《象伝》は解釈す:迷復の凶険は、君主の道に違反すればなり。注者は以為す:陽気は下に在りて回復し、其の道路はなお明顕ならず。衆陰爻の回復を求むるは、或るは好処を見て始めて回復し、或るは自ら省察して回復す。皆本心より出づるにして、陽爻の強力を用いて逼迫する能くする所にあらざるなり。上六に到れば、陽爻に距離ること已に極点に遠く、自ら回頭する能わず、亦た陽の代表する仁を懂得せずして、卻って偏に衆人の上に盤踞せんと欲す。ここをもって回復の路を迷失して、凶険の災禍を招来す。便ち大軍を動用するも一定に惨敗せん。其の時勢に順応を肯ぜず、却って君道を尊崇するの原則に背離すればなり。気数窮尽するに至るもなお出征するの力なし。
无妄卦
震下乾上 無妄,元亨利貞,其匪正有,不利有攸往。彖曰:無妄,剛自外來而,為主於內,動而健,剛中而應,大亨以正天之命也。其匪正有眚,不利有攸往,無妄之往,何之矣。天命不佑行矣哉。天徳在上,求賢以治時,在乎前也。剛自外來而踐其初,而為治主於內,其體動而健上,剛中而下柔,應之上下一徳理,無違者非大亨,以正乎此天之命。上使之行,下得陳其力也。其匪正而往,非上之至違於天,背於時也。行矣哉,不可行者也。
《无妄》卦は下卦を震・上卦を乾と為す。卦辞は言う:无妄は最も亨通し、正を守るに利あり。若し行為端正ならざれば即ち災殃あらん。前往する所有るに利あらず。《彖伝》は解釈す:无妄卦は陽剛の外卦より来りて、内卦の主宰と成り、震動して剛健、陽爻「中」に居りて上下相「応」し、大いに亨通して端正す。此れ上天の命令なり。行為正からざれば即ち災殃あり、前往するに利あらざるは、无妄の世に於て復た何処に往かんや。天命皆彼を保佑せずして、復た何ぞ走り通らんや。注者は以為す:天徳は上位に高居して、賢才を求取して当世を治理す。此れ眼前に擺るの頭等の事なり。陽剛は外より来りて初爻の位を踏み、内卦に於て治理の主を担任す。卦体は震動して上体剛健、陽爻は中に居りて下体柔順相応し、上下同一の徳・同一の理にして、違逆の処なし。此れ豈に大亨にあらずや。憑る所は正に端正にして、端正も亦た正に上天の命令なり。上の者は政令を推行せしめ、下の者は己の力量を施展するを得。若し行為正からずして貿然に前往せば、那れ則ち上の者の過錯にあらずして、自己の極端に天道に違背し時宜に背離するなり。此の如くしてなお走る能わんや。之れ走り通る能わざるなり。
象曰:天下雷行,物與無妄。先王以茂對時育萬物。天下雷行,雷動而震物,得其生,自正其命相與不妄矣。故先王求有徳,以茂其治,對時而養萬物。
《象伝》は言う:雷の天下に運行して、万物皆之に随いて敢えて虚妄せざるは、此れ即ち无妄卦の象なり。先王は此より勉力して天時に順応して万物を養育す。注者は以為す:雷は天下に運行して、一たび震動すれば即ち万物を驚起し、万物は各々其の生を得て、自然各自の天命を端正せしめ、彼此相処するも亦た虚妄せず。ゆえに先王は徳ある人を訪求して、用いて治理を繁盛ならしめ、四時に順応して万物を養育す。
初九,無妄,往吉。象曰:無妄之往,得志也,以剛而來居內卦之下。志行其正以輔於乾,為佐治之主,往來必得其志也。
初九爻辞は言う:虚妄ならざれば、前往して吉祥。《象伝》は解釈す:无妄にして前往するは、能く心志を実現するなり。注者は以為す:初九は陽剛を以て外より来りて内卦の最下の一位に居り、正道を推行して上体乾を輔佐せんことを立志し、治理を輔助するの主角を充当す。ゆえに往くも来るも、必ず己の心志を実現するを得べし。
六二,不耕穫,不菑畬,則利有攸往。象曰:不耕穫,未富也。剛正而在乎前,柔守位而上,應也。其可妄乎。不合初以首事,不與鄰以謀富,故不耕菑獲畬而已矣。承令而行,則利其往也。
六二爻辞は言う:収穫を為さんと耕さず、熟田を為さんと開荒せず。此の如くして却って前往する所有るに利あり。《象伝》は解釈す:耕さずして獲を求めるは、富を求むるを以て念とせざればなり。注者は以為す:陽剛端正の初九は其の前に在り、六二は柔順を以て本位を守住して上に九五と相「応」す。それ豈に妄動すべきや。それ初九と聯合して先んじて事端を発動せず、亦た隣近の爻と合謀して富を求めず。ゆえにただ耕して収穫を計較せず、開荒して熟田を指望せざるのみ。それ上の命令を奉承して行事す。ここをもって前往して利あり。
六三,無妄之災,或繫之牛行人之得,邑人之災。象曰:行人得牛,邑人災也,陰妄居陽災之道也。牛者,陰之類也。非所履而履之,繫之者也。四近而得之,非其本合,行人之得也,本應於上。邑人之謂也。上道窮而爭合,故受之災,以其行人得牛,而致其忿也。
六三爻辞は言う:端なくして来るの災禍:或る人は牛を彼処に栓ぎ置けば、過路の人は牛を牽き去り、同邑の人は卻って此を因に受累す。《象伝》は解釈す:過路の人は牛を得て、同邑の人は災に遭う。此れ陰爻の妄に陽位に居るの招災の路数なり。注者は以為す:牛は陰の類に属し、六三は本より踏むべからざる位置の上に踏めば、牛を彼処に栓ぎ置くに等し。九四は離るること近くして順手に之を得。本より之と結合すべからざれば、此れ即ち謂う所の「行人之得」なり。而して六三は原本上九と相「応」して、上九乃ち彼の「邑人」なり。上九は道路窮尽の地に処りて来りて此の姻縁を争奪せんと欲す。ここをもって災禍を蒙受す。正に過路の人の牛を牽き去るを因に、其の憤恨を惹起せればなり。
九四,可貞無咎。象曰:可貞無咎,固有之也。繫於三,咎也。居尊守卑,正以承上,得民不以為私,猶可固其所有,而免於咎。
九四爻辞は言う:正固を守持するを得、過ちなし。《象伝》は解釈す:正を守って災禍なからんを得べしは、其の能く己の応有の物を牢固に守住すればなり。注者は以為す:九四は六三を牽係すれば、本より過失あるなれども、其身は近君の尊位に居りて能く卑下を自守し、端正に上の者を承奉し、民心を得るも私有に據せず。此の如くして依然己の擁有する一切を穩固するを得、ここをもって過錯を免るべし。
九五,無妄之疾,勿藥有喜。象曰:無妄之藥,不可試也。剛自外來,為主於內,動而得民,往而獲志,道既盛矣,則疑疾之也。夫以剛動,強志在,於正攻之,則反害從之,則成功。故藥之増剝待之,終吉。
九五爻辞は言う:自身の妄為にあらざるにして染せる病は、薬を吃せずして痊愈し喜慶あらん。《象伝》は解釈す:无妄の病の用うる所の薬は、随に試みに往く可からず。注者は以為す:陽剛は外より来りて内卦に於て主を為し、一動すれば即ち民心を得、前往すれば即ち心志を実現す。道勢已に甚だ盛んにして、ここに於て人の猜疑と忌恨を招来す。此れ空より来るの病の如し。陽剛を以て行動して意志堅強にして、本意は端正に在り。若し硬に之を攻治せんとすれば、反って害を受く。其自然に順えば、反って能く成功す。ゆえに貿然に薬を用いればただ剥損を増加せしむるのみ。静静に待たば、終に吉祥ならん。
上九,無妄,行有眚,無攸利。象曰:無妄之行,窮之災也。乘於剛,上於尊而又爭。應窮高極危,妄之甚也。復何往哉,無所利也。
上九爻辞は言う:无妄の世に処して、硬に行動する所有らば即ち災殃あらん。好処ある所なし。《象伝》は解釈す:无妄の世に於てなお妄行するは、窮尽の処に走り至るの招来する所の災禍なり。注者は以為す:上九は陽剛に凌乗して、位置また君位の上に在りて、復た人と相争いに往かんとし、己の相「応」の六三を争奪せんと往かんとす。それ高きこと極点・危きこと極点にして、妄動すること甚だしき過ぎたり。此の如くして復た何処に往かんや。自然好処ある所なし。
大畜卦
乾下艮上 大畜。利貞。不家食吉。利涉大川。彖曰:大畜,剛健篤實,輝光日新其徳。剛上而尚賢,能止健大正也。不家食吉,養賢也。利涉大川,應乎天也。剛健而上求於艮,非輝其光而日新其徳乎。剛上而尚賢,尊柔以奉之,重其徳,承其道也。能止健以為大正也。賢不肖,非其畜也。祿之以公食,勤之以民治,成上之功,畜而盡其能也。應乎天也。於何而不濟乎,是以利涉大川也。
《大畜》卦は下卦を乾・上卦を艮と為す。卦辞は言う:大畜は正を守るに利あり。家中に在りて自食其力せずして朝に禄を受くれば、吉祥。大河を渡越するに利あり。《彖伝》は解釈す:大畜卦は剛健にして篤厚充実し、光輝煥発して徳行日日に更新す。陽剛は上に在りて賢人を崇尚し、能く剛健の勢いを抑止す。此れ極大の端正なり。家に食せずして吉なるは、国家の賢才を畜養すればなり。大河を渡越するに利あるは、上に天道に応ずればなり。注者は以為す:下体剛健にして上に向かいて上体艮に教を求むるは、此れ豈に己の光輝を煥発せしめ徳行を日新ならしむるにあらずや。陽剛は上に居りて賢人を崇尚し、六五の此の柔爻は尊に居りて彼を奉養し、其の徳行を看重し、其の主張を承接し、能く剛健の勢いを抑止して大いなる端正を成就す。畜養する所は必ず賢者たるべく、不肖の人は畜養の列に在らず。公家の俸禄を用いて彼を供養し、百姓を治理するの事務を用いて彼を勤労し、上の者の功業を成就す。彼を畜養するは即ち彼をして所能を尽展せしめんと欲するなり。此の如くして便ち上に天道に応ず。又何の事か為り成らざらんや。ここをもって大河を渡越するに利あり。
象曰:天在山中,大畜。君子以多識,前言往行以畜其徳。天在山中,小能畜大也。君子之畜大也。前言往行,多學而究之,論辨而擬之,以畜為徳也。
《象伝》は言う:天の山中に包蔵せらるるは、此れ即ち大畜卦の象なり。君子は此より前代の嘉言善行を広く記取して、用いて己の徳行を蓄積す。注者は以為す:天にして能く山中に容納せらるるは、小なるの能く大なるを畜養するなり。君子の蓄積する所は正に此の大なり。前人の言論と往昔の行事に対しては、彼は広く学習して窮究を加え、反復論弁して以て自身に比照し、蓄積をもって徳行を培養するの途と為す。
初九,有厲利已。象曰:有厲利已,不犯災也。上畜之初,何可自任,故居而待命則利往而違上,則厲也。
初九爻辞は言う:危厲ありて、停止するに利あり。《象伝》は解釈す:危厲ありて停止するに利あるは、以て災禍に触犯せざるが為なり。注者は以為す:初九は上に畜止せらるるの開端に処り、豈に自作主張すべきや。ゆえに原地に安居して命令を待つのみ利あり。若し一意に前往して上の者に違背せば、即ち危厲あらん。
九二,輿說輹。象曰:輿說輹,中無尤也。大畜之下體為上之畜履無位,應中安其所畜,故脫輿輹而不往任上之畜也,終無尤也。
九二爻辞は言う:車子の車軸上の伏兎を脱掉して、路を走ること成らず。《象伝》は解釈す:車の伏兎を脱するは、中に居りて怨咎なきが故なり。注者は以為す:九二は身を大畜卦の下体に在りて、上の畜養する所の一方にして、自身は本より職位なし。それ上に相「応」の爻ありて又た下卦の「中」に居り、畜養せらるるの処境に安んず。ゆえに索性車上の伏兎を卸却して前往せず、一心に上の畜養を接受す。ここをもって終竟怨咎なし。
九三,良馬逐,利艱貞。曰:閒輿衛,利有攸往。象曰:利有攸往,上合志也。奉上之勞而不敢自獲,其志至終得治,則因其道焉。故開國承家,其道自利,馳良馬也。自任不可以縱緩,則失矣。艱而守正,乃利閒。習乘輿備其左右,則利有攸往矣。上大畜之終,則盛大矣,無不通也。習輿備衛所以合上之志,而皆通也。
九三爻辞は言う:好き馬の飛奔追逐するは、艱難の中に正を守るに利あり。駕車と防衛の事を熟習すべし。前往する所有るに利あり。《象伝》は解釈す:前往する所有るに利あるは、上の心志と相合すればなり。注者は以為す:九三は上の者の為に効労して敢えて功労を己の有と為さず、其の心志は最後に至るまで天下大治に指向す。ここに於て此の路に順いて走り下る。ゆえに国を建て家を立てば、此の路を走れば自然利あり、良馬を駆馳するが如し。但だし既に其の事を自任せば、放縦松懈す可からず。一松懈すれば便ち失誤せん。艱難の中に正道を守住して、乃ち閑習備練に利あり。車馬を熟習し左右の護衛を配備すれば、即ち前往するに利あり。大畜卦の末尾に到れば、気象已に盛大にして、行き通らざる無し。車駕を熟習し護衛を整備するは、正に上の者の心志に迎合する為にして、ここをもって処処通達す。
六四,童牛之牿。元吉。象曰:六四元吉,有喜也。牛,陰類也,而又童焉,居牢而安能止其健,不勞其備而得其用,則何往而不濟焉。故大吉有喜也。
六四爻辞は言う:小牛の角上に横木を加うれば、大いに吉祥。《象伝》は解釈す:六四の大吉は、喜慶有るなり。注者は以為す:牛は陰の類に属し、況んやなお一頭の小牛をや。之を牢圏の内に安置すれば即ち安頓するを得、ここをもって其の強悍を制止す。甚だ大きな気力を費やして防備するを要せずして、即ち其の效用を得るを得。然らば何の事を為りて成功せざらんや。ゆえに大いに吉祥にして喜慶あり。
六五,豶豕之牙吉。象曰:六五之吉有慶也。四止於初,童牛而喜,不勞而得下之效也。至於五,下則剛長,事斯大矣,故有備而勞及獲其用也。其吉於豶豕之牙焉,豶豕,豭之無陽者,牙劣而不用可也。以大中而獲乾也。事之大濟,故有慶也。
六五爻辞は言う:閹過の猪は獠牙あるも害を為すに足らず、吉祥。《象伝》は解釈す:六五の吉祥は、福慶有るなり。注者は以為す:六四の制止する所は初九にして、小牛を対付するが如く軽松にして歓喜す可く、気力を費やさずして下の効験を収得せり。六五に到れば、下の陽剛已に壮大にして、事即ち大なり。ゆえに必ず防備する所有り労力を付出して、然る後に乃ち其の效用を獲得するを得べし。其の吉祥は「豶豕之牙」の上に落つ。豶豕とは即ち閹割せられし公猪にして、獠牙あるも已に衰弱にして人を傷する能わず。六五は上卦の「中」に居るの大中の徳を憑りて下体乾の剛強を收服し、事情大功告成す。ゆえに福慶あり。
上九,何天之衢,亨。象曰:何天之衢道大行也。大畜,冀其成也。剛上也。為柔上之,佐時行道,止健而致於治也。既成而大通矣,於何往而不可哉。故上九曰何以為也。雖天衢而通也,可謂大行也已矣。
上九爻辞は言う:何等なる開闊の天上の通衢や、亨通す。《象伝》は解釈す:天衢の問いは、道路の大いに暢行するを言うなり。注者は以為す:大畜卦の一路盼望する所は即ち事功の成就なり。上九は陽剛を以て最上に居り、柔順の六五の尊奉する所と為り、時局を輔佐し正道を推行し、剛健を抑止して天下を治理に帰せしむ。功業既に告成して、一切大いに通達す。復た何の処か往き得ざらんや。ゆえに上九は一の「何」の字を用いて発問す。彼の通道は天上の大路の如く寛廣にして、暢行阻無しと謂うべし。
頤卦
震下艮上 頤,貞吉。觀頤,自求口實。彖曰:頤貞吉,養正則吉也。觀頤,觀其所養也。自求口實,觀其自養也。天地養萬物,聖人養賢,以及萬民頤之,時大矣哉。頤,口頰也。下動而上止,其為頤乎。身之而養也。頤為養乎。民由上養,正乃吉也。止而待之,養之道也。動而求之,見利遷也。故下動皆凶,上止皆吉。觀頤自養,正為吉乎。萬物待天地之養也,百姓待聖人之養也。聖人待賢人之治也。故在於養賢,則聖人昭昭焉。分賢不肖,白黒也。中人效而為之,其意無別也。不知賢,孰果謂天下之賢也。故曰大哉。
《頤》卦は下卦を震・上卦を艮と為す。卦辞は言う:頤は正を守れば吉祥。頤養の道を観察し、自ら往きて口中の食物を謀求せよ。《彖伝》は解釈す:頤は正を守りて吉とは、養うこと端正にして乃ち吉祥を言うなり。頤を觀るは、其の養う所は何ぞやを観察するなり。口実を自求すは、其の如何に己を養活するを観察するなり。天地は万物を養育し、聖人は賢人を養育して万民に推及す。頤卦の処する所の時勢は実に重大なり。注者は以為す:頤とは即ち口腮にして、下卦震動して上卦静止す。正に人の咀嚼する時下颌は動して上颌は動かざるの様子にして、ゆえに頤と曰う。指す所は自身の保養なり。頤は既に養なれば、百姓は上の者より来りて養わる。養うこと端正にして乃ち吉祥。静止して待つは、正当の受養の道なり。一動して即ち索取に往くは、則ち利を見て遷移するなり。ゆえに下卦の三爻は凡そ動く者皆凶にして、上卦の静止する者皆吉なり。頤養の道を観察し自養の方式を審視するに、端正こそ吉祥なり。万物は天地の養うを待ち、百姓は聖人の養うを待ち、聖人は則ち賢人の協力治理を待つ。ゆえに要は賢を養うに在りて、能く賢を養えば、聖人の明徳は昭然として見るべし。賢と不肖を分辨するは、本より黑白の如く分明なるべく、中等資質の人はただ仿効に跟従するのみ、心中は本より分辨の能力なし。若し誰が賢人を識別する能わざらんに連れて、又た何を憑りて天下の賢才の何処に在るを言い清せらるるを得んや。ゆえに《彖伝》は其の偉大を讚嘆す。
象曰:山下有雷,頤君子,以愼言語,節飲食。山中雷震,養萬物,是謂頤之象也。言語者,禍福之幾也。飲食者,康疾之由也。動止得其道,身乃安頤,莫過是也。
《象伝》は言う:山の下に雷あるは、此れ即ち頤卦の象なり。君子は此より己の言語を謹慎し己の飲食を節制す。注者は以為す:山中の雷声震動して万物を養育す。此れ即ち頤と曰う所の卦象なり。言語は禍福を招致するの関鍵にして、飲食は健康と疾病を決定するの根源なり。挙動と静止は皆正道に合して、身体乃ち安然に養を得。頤養の義は此れより切要なる無し。
初九,舎爾靈□,觀我朶頤,凶。象曰:觀我朶頤,亦不足貴也。初以動之先,嚼而求徒,朶其頤而已。恃三之附以,為己之才也。而又趨其應,不卜吉凶之去,就多求養而無節,凶其宜也。雖附又應,豈足貴哉。
初九爻辞は言う:己の彼の霊妙の禀賦を捨棄して、卻って我の大嚼する様子を盯視して涎を流す。凶険。此の句原本に一処の缺字ありて「霊□」と作るも、旧本に依りて保留して補字を為さず。《象伝》は解釈す:我の大嚼を盯視するは、此の態度も亦た看重するに足らず。注者は以為す:初九は震動の最前頭に処り、ただ咀嚼して食を求め空しく垂涎し、腮幫子を動するのみを知る。それ六三の前来して依附するを倚仗して、此を己の本事と為し、又た急ぎて之と相「応」の六四に奔向し、吉凶の去就を占問するに肯ぜず、一味に多方に養を求めて節制なし。凶険は理の当然の所なり。既に依附ありて又た応爻あるも、此の做法何ぞ称道するに足らんや。
六二,顚頤拂經于丘頤,徵,凶。象曰:六二,征凶,行失類也。倒養於下,近而非應,違其常理也。丘頤,地之高,剛上者也。震體動則頤,下體皆上也。動而上求之謂也養,於初矣,而又上徵無其應也。是失其類無恆拂常於頤之上,凶之道也。
六二爻辞は言う:顛倒して下に向かいて養を求め、又た常理に違背して高処の上九に向かいて養を求む。前往せば則ち凶険。《象伝》は解釈す:六二の前往して凶あるは、行動の中に同類を喪失すればなり。注者は以為す:顛倒して下の初九に向かいて養を求むるは、両爻はただ相隣するにして正「応」にあらず。此れ即ち常理に違背す。謂う所の丘頤とは、地勢の高処を指す。即ち上に居るの陽爻なり。震体は一動すれば即ち頤養の勢いと成り、下卦の三爻は皆上に向かいて求取せんと欲す。それ已に初九の彼処に於て養を求めたるに、卻って又た上に向かいて出征せんと欲するも、上は本より之と相応の爻なし。此れ即ち同類を喪失せるなり。反復無常に頤養の一事の上に於て常理に違背すれば、自然凶険の道なり。
六三,拂頤,貞凶。十年勿用,無攸利。象曰:十年勿用,道大悖也。剛動柔朶,猶為凶也。況失位之柔也。雖應於上,上剛而極止,下柔而極動,性極相違,求養於上,違背之道,無甚於斯,故征之凶也。至於數極而不見用,無攸利也。
六三爻辞は言う:頤養の道に違背すれば、正を守るも凶険ありて、十年の久しきも皆施用すべからず。好処ある所なし。《象伝》は解釈す:十年施用すべからざるは、其の道大いに常理に違背すればなり。注者は以為す:陽剛の妄動・陰柔の垂涎も、なお凶を招かんとす。況んや六三は陰爻を以て陽位に居りて正位を失うの柔爻をや。それ上九と相「応」するも、上九は陽剛にして止ること極点に到り、六三は陰柔にして動くこと極点に到れば、両者の性情極端に相反す。而して上に向かいて奉養を求取せんと欲す。事理に違背するは此れより甚だしき無し。ゆえに前往せば必ず凶にして、気数の尽頭に走り至るも任用せられず、好処ある所なし。
六四,顚頤吉。虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。象曰:顚頤之吉,上施光也。頤貴其止於正也,雖下顚養而得位,靜止施而不求,故吉也。非無情也。止以待時,故視其所視,不眶盱也,非無慾也。義然後取,待逐安其所也。頤之吉雖顚而無咎也。
六四爻辞は言う:顛倒して下に向かいて養を求めば吉祥。虎の如く目光沈着に注視して、欲望接続して断えず。過ちなし。《象伝》は解釈す:顛頤の吉なる所以は、上に居る者の施予の広大にして光明なればなり。注者は以為す:頤養は能く正道上に止るを貴ぶ。六四は下に向かいて養を求むるも、其の位に当たりて「正」を得、安静自守して、ただ施予して索取せず。ゆえに吉祥。此れ其の情欲なしと言うにあらずして、能く己を止めて時機を待つなり。ゆえに看るべき物を看て、眼を瞪らして四处を窺伺せず。亦た其の欲望なしと言うにあらずして、道義に合して乃ち取り、時機到来して自ら其の位に安んずるを待つなり。頤養の吉祥は即ち此に在り。顛倒して養を求むるも、卻って過ちなからん。
六五,拂經居,貞吉。不可涉大川。象曰:居貞之吉,順以從上也。居尊而上從已,無政而不能於化,違其常理者也。附賢守正而吉矣,不可涉難也。
六五爻辞は言う:常理に違背して其の位に安居すれば、正を守りて吉祥。但だし大河を渡越す可からず。《象伝》は解釈す:居て正道を守るの吉祥は、柔順に上の者に跟従すればなり。注者は以為す:六五は身を尊位に居り、本より上の人に己に聴従せしむべきに、如今それ自ら政令を推行するの能力なく、教化を施行する能わずして、反って上九に依従せんと往かんとす。此れ即ち常理に違背せり。好くもそれ賢者に依附して正道を守住すれば、ここをもって吉祥。ただ大きな険艱を渉越しに往く可からざるなり。
上九,由頤厲吉,利涉大川。象曰:由頤厲吉,大有慶也。陽艮主也,五附之而保其尊,三應之而保其至,頤之得養,由上止而成也。居位擅民,厲之道,得時可尚,故吉。而有慶也。剛以濟眾,何險之有乎,是以利涉也。
上九爻辞は言う:天下は彼より由りて養を得。危厲あるも卻って吉祥にして、大河を渡越するに利あり。《象伝》は解釈す:頤より由りて危厲にして吉を獲るは、大いに福慶あるなり。注者は以為す:上九は陽爻にして、又た上体艮の主爻なり。六五は之に依附して尊位を保住し、六三は之と相「応」して安頓を得。頤卦の能く天下を養育する所以は、全て上九の上に静止して成就するに憑る。人臣の位を以て民衆を独攬するは、本より危厲を招致するの路数なれども、它時勢に順応して推崇に値す。ゆえに吉祥にして福慶あり。陽剛の才を以て衆人を救済せば、復た何の危険を言わんや。ここをもって大河を渡越するに利あり。
大過卦
巽下兌上 大過,棟橈,利有攸往,亨。彖曰:大過,大者過也。棟橈,本末弱也。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。大過之時,大矣哉。大過,強大者能過也。本無正,而末不能治者也。棟既橈矣,法無從矣,何所承乎。唯強行者,不拘於細,不守其弊,過之而後治也。下剛過中,上巽而後悅,行利往而後乃亨。從大然後過也,非才大者不能行。權而合悅也。
《大過》卦は下卦を巽・上卦を兌と為す。卦辞は言う:大過は、屋梁彎曲す。前往する所有るに利ありて亨通す。《彖伝》は解釈す:大過とは陽大なる者の過盛なり。棟梁の彎曲するは、首尾両端の軟弱なればなり。陽剛過盛するも中に居り、遜順にして欣悦に推行すれば、前往する所有るに利ありて、ここをもって亨通す。大過の処する所の時勢は、意義実に重大なり。注者は以為す:大過とは強大の人の能く常規を超越するを言うなり。根本上端正の規矩なければ、末梢も亦た整治するに由なし。棟梁既に彎曲して、法度は依憑を失う。復た何の重任を承当するを得べきや。唯だ敢えて強行する者のみ、瑣細に拘泥せず、既有の弊病を死守せず、常規を超越して然る後に乃ち局面を収拾するを得。下体陽剛過盛にして能く中を守り、上体遜順して然る後に人を欣悦せしむ。此の如くして推行して乃ち前往に利ありて然る後に亨通す。先ず大なる徳才を具備して然る後に乃ち常規の超越を談ずべし。才干宏大の人にあらざれば此の一歩を為る能わず。之れ通権達変して又た衆人の歓心を得るを要すればなり。
象曰:澤滅木,大過。君子以獨立不懼遯世,無悶。木為澤所沒,下過其上也。本無政矣,舉而治之亦無患也。故君子當於是,獨立而濟,不懼群邪,然後能通,過上乃行。雖曰得之不足以榮也。遭其用,遯世無悶,失之不足恥也。
《象伝》は言う:大水の樹木を淹没するは、此れ即ち大過卦の象なり。君子は此より世に独立して畏懼せず、世を避け隠居するも煩悶せざるを懂得す。注者は以為す:樹木の大沢に淹没せらるるは、下の水の上の木に超過するなり。此の時に当たりて本より様になる政治なく、身を挺して出でて之を整治するも禍患ある所なし。ゆえに君子は此の局面に処して、独り立ちて時を救い、成群の邪佞の輩を懼れずして、然る後に乃ち局面を打通し、上の者の成規を超越して己の主張を推行するを得。便ち此の如くなるも、任用を得るも以て栄と引くに足らず。任用せられんに碰上せば出でて事を為り、隠退して世を避くるも苦悶を覚えず、機会を失うも同じく羞恥と為すに足らず。
初六,藉用白茅,無咎。象曰:藉用白茅,柔在下也。君子之於大過也,必本於誠敬然後濟之也。雖曰藉用白茅,薄之至而誠之著也。柔處於下,謹敬於初,不私於己,則動而無咎矣。
初六爻辞は言う:潔白の茅草を用いて襯墊と為せば、過ちなし。《象伝》は解釈す:白茅を用いて墊と為すは、陰柔の下位に居ればなり。注者は以為す:君子は大過の時に面して、必ず誠敬を以て根本と為して、然る後に乃ち時局を挽救するを得。謂う所の白茅を用いて墊と為すは、此の物は薄くして再び薄き能わざるも、誠意は此を因に格外分明に顕わる。陰柔は最下の位に処りて、事情の開端に就きて謹慎恭敬して、己の為に私を謀らざれば、然らば一たび挙動あれば便ち過ちなからん。
九二,枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利。象曰:老夫女妻,過以相與也。陽舉於陰,過初之本事,過其位。剛而得中,行權以合說也。老夫重合女妻,枯而復生,其實時過而相與得復生之理。故其無不利也。
九二爻辞は言う:枯乾の楊樹は重新して嫩芽を抽出し、年老の男子は年軽の妻子を娶り得たり。利あらざる無し。《象伝》は解釈す:老夫が少妻に配するは、常規を超越して彼此相与するなり。注者は以為す:陽爻は陰爻に托挙せらるるは、初六の本分内の事を越過して、亦た己の処すべき位置を越過す。九二は陽剛にして下卦の「中」に居り、能く権に通じ変に達して欣悦の道に合す。老年男子の再度婚配して少妻を得るは、正に枯木の重新して生発するが如く、実は時序已に過ぐるも彼此相配して、なお重新生長の道理を得るを得べし。ゆえに利あらざる無しと曰う。
九三,棟橈。凶。象曰:棟橈之凶,不可以有輔也。不能拯弱自守其位,棟之橈也。而又應柔本末弱矣。柔何輔焉,凶之道也。
九三爻辞は言う:棟梁彎曲して凶険。《象伝》は解釈す:棟梁彎曲の凶険は、有力の輔助を得る能わざればなり。注者は以為す:九三は衰弱の局面を拯救する能わずして、顧みて己の位子を守住するのみ。此れ棟梁の彎曲下垂するが如し。其の相「応」する所は又た上六の此の柔爻にして、ここに於て首尾両端皆軟弱無力なり。柔弱の一方はそれに何の輔助を与え得んや。ゆえに凶険の道なり。
九四,棟隆吉。有它。吝。象曰:棟隆之吉,不橈乎下也。以陽而與,其柔志在拯時也。得其吉矣。情以求應,不撓於下也。不能自與。可惜也已。
九四爻辞は言う:棟梁の上に向かいて隆起して吉祥。別に牽掛あらば、則ち困窘せん。《象伝》は解釈す:棟梁隆起して吉なるは、其の下に向かいて彎曲せざればなり。注者は以為す:九四は陽剛の質を以て陰柔と相交して、心志を時局を拯救するの上に放つ。ここをもって吉祥を獲得す。それ真情を以て相応の爻を尋求して、下の牽累する所と為らず。ただそれ能く完全に己に靠りて事を成さざるは、此れ稍々可惜なり。
九五,枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。象曰:枯楊生華,何可久也。老婦士夫亦可醜也。陽處陽也,自守而已,不能大過者也。雖欲拯之其能得乎,不足以濟衰也。則老婦得其士夫,猶枯而徒華,可丑而已,當尊而徳不能濟,力而不能勝也。無功可譽,亦無咎矣。
九五爻辞は言う:枯乾の楊樹はただ花を開出するのみ、年老の婦人は少壮の男子に嫁を得たり。過錯なく亦た称賛すべき処なし。《象伝》は解釈す:枯楊開花は、豈に長久維持する能わんや。老婦が少夫に配するも、亦た可羞なり。注者は以為す:九五は陽爻を以て陽位に居りて、ただ本分を自守するの能くするのみ、常規を超越する大事を為出す能わず。それ時局を挽救せんと欲するも、又た豈に為り遂げらるるを得んや。衰敗を救助するに足らず。此れ老婦の少夫に嫁するが如く、又た枯木のただ開花して結実せざるが如く、徒らに可羞なるのみ。身は尊位に居りて徳行は世を済うに足らず、力を使うも勝任する能わず。ゆえに称誉すべき功業なく、亦た何の災禍あるを談ずるに及ばず。
上六,過涉滅頂,凶,無咎。象曰:過涉之凶,不可咎也。過涉襄危之極,罪咎之地也。況以柔終乎。過涉之深,滅其頂,頂滅身之終也,於何而咎哉。
上六爻辞は言う:水を渉ること過深にして、水は頭頂を淹没す。凶険なるも、卻って彼に罪を帰する能わず。《象伝》は解釈す:過渉の凶険は、彼を責怪す可からざるなり。注者は以為す:水を渉りて極端の危難に深陷するは、本より罪責を招致するの処境にして、況んや上六は又た陰柔の質を以て全卦の終点に処するをや。それ渉ること太だ深くして、水は頭頂を淹過す。頭頂の淹没せらるるは即ち身命の終結なり。事已に此に至りて、復た彼を如何に責怪せんや。
習坎卦
坎下坎上 習,坎有孚,維心,亨。行有尚。彖曰:習,坎重險也。水流而不盈,行險而不失其信,維心,亨。乃以剛中也行,有尚往有功也。天險不可升也,地險山川丘陵也。王公設險以守其國,險之時用大矣哉。習,重也。水重至,流而不盈乎,兩坎也。為其嫌於止水也,故以習,坎名之。剛中而有孚,浚之斯流,流之斯止,浮之斯濟,沈之斯溺,不違於人,而人不可欺,不失信於,險也。
《習坎》卦は上下皆坎なり。卦辞は言う:重重の険陥の中に誠信を懐き、ただ内心を維係せば、即ち亨通するを得。行動は嘉尚を受けん。《彖伝》は解釈す:習坎とは重畳の険陥なり。水は流動して盈満せず、険境の中に走りて己の信実を失わず、内心を維係してここをもって亨通するは、陽爻の「中」に居るに憑る。行動の嘉尚を受くるは、前往せば必ず功效あるを言うなり。天の険は高くして攀援すべからざるに在り、地の険は山川丘陵に在り。王公は険要を設置して己の国家を守衛す。険の時勢と功用は実に重大なり。注者は以為す:「習」は重畳の意思なり。水は一重接一重に涌き来り、流動して盈満せざるは、正に両の坎の相畳の象なり。人の静止不流の水と誤会せんことを怕るればなり。ゆえに「習」の字を用いて坎に命名す。陽爻は中に居りて心に誠信を懐く。之を疏浚すれば即ち流れ去り、其の流るるに任せば自然停下し、其の上に浮かべば即ち渡るを得、沈下せば即ち溺亡す。それ従来人事の常理に違背せず、人も亦た之を欺騙する能わず。険境の中に処りて信用を失わざるなり。
夫行險而自能通者,固繫於心乎。能剛中志,果濟乎險而得其道者,則行險而有功也。天險絶其升也,地險山川丘陵也,天地猶險以成,而況於人乎。王公設城池以險國也,剛中藏用,以應險也。物之情而為險之用,非知者不能用,而終於正也。
注者は接ぎて言う:険境の中に走りて能く自ら出路を打通する者は、要は豈に心に在らずや。能く剛強に中を守りて心志堅定にして、果決に険難を渡過して其の正道を得る者は、険境を行走して却って功業を建立せん。天の険は人の攀升し上る能わざるに在り、地の険は山川丘陵に在り。天地なお険を以て己を成就す。況んや人事をや。王公は城池を修築す。即ち国家の為に険阻を設下するなり。陽剛は中に居りて作用を内に蔵して、用いて険難に応対す。勢いに因りて利導し事物の本情を利用して険の功用を発揮するは、智慧ある人にあらざれば為る能わず。而して始終端正に帰すべし。
象曰:水洊至習,坎。君子以常徳行習敎事,水至柔而順,剛中而信,故能險而不滯也。雖洊流而至,其道一也。故君子以常行而存乎中習敎事,以御其險,則得其正而有功也。
《象伝》は言う:水の一重接一重に流れ来るは、此れ即ち習坎卦の象なり。君子は此より徳行を常あるを使し、反復して教化の事を演習す。注者は以為す:水は極めて柔順なるも、内裡は卻って剛強にして信を守る。ゆえに能く険境の中に流行して停滞せず。重重畳畳として涌き来るも、其の道理は始終一如なり。ゆえに君子は恒常の操行を以て心中に存養し、反復して教化の事を演練して、用いて険難を抵御す。此の如くして便能ち其の正道を得て功業を建立す。
初六,習。坎入于坎窞凶。象曰:習坎入坎,失道,凶也。初柔而居重險之下,質弱而無心不知,濟險之道,習坎而入于坎窞,何以濟乎,故凶也。習重也,謂治其事也。
初六爻辞は言う:重重の険陥の中に身を処して、卻って坎中の深穴に掉り落ちり。凶険。《象伝》は解釈す:習坎にして坎中に落入するは、正道を喪失せるを以て凶と為すなり。注者は以為す:初六は陰柔の質を以て重険の最下に居り、本質柔弱にして心中に主なく、険難を渡過するの方法を懂得せず、身は重険の中に在りて却って坎底の深穴に墮入す。何を憑りて脱せんや。ゆえに凶険。「習」は重畳の意思にして、此処に用うるも亦た其の事を操習治理するの意味を含む。
九二,坎有險,求小得。象曰:求小得,未出中也。居坎之內,前尚有險也。行險得中,而二柔附之體,險而有功也。雖求小得,未出險中也。
九二爻辞は言う:坎中はなお険あり。求むる所はただ小に得る有るのみ。《象伝》は解釈す:求めて小に得る所有るは、未だ険陥の中を走出せざればなり。注者は以為す:九二は下坎の内に処りて、前はなお一重の険あり。それ険中を行走して能く「中」を守り、上下両の柔爻皆之に依附す。身は険境に在りて卻って能く功を建つ。但だしそれ小に得る所有りといえども、畢竟未だ険境を脱出せず。
六三,來之坎,坎險且枕入于坎窞,勿用。象曰:來之坎,坎終無功也。位剛而以柔治,難矣。況兩坎之間乎。二剛,險也。而且枕之求可得乎。上坎之底,坎窞者也,之可得乎。進退莫可終,無功也。
六三爻辞は言う:来るも坎にして去るも坎なり。険上に険を加えて、其の間に枕卧して又た深穴に墜入す。施為する所有るべからず。《象伝》は解釈す:来去皆坎なるは、終竟功效あらざらん。注者は以為す:六三の居る所は本より陽剛の位にして、卻って陰柔の方式を用いて応付す。已に甚だ吃力にして、況んやそれ正に両重の坎の間に夾まれるをや。下の九二は陽剛にして、本身就是険なり。六三は之に枕靠して求取すれば、何を得る能わんや。上は又た上坎の底部にして、正に坎中の深穴なり。去りて又た何を得る能わんや。進むも行かず、退くも行かず。終竟功效あらざらん。
六四,樽酒,簋貳,用缶,納約自牖,終無咎。象曰:樽酒,簋貳,剛柔際也。陰弱質也,附陽而濟居於上,體依五得位,濟其險矣。夫欲上之盡者,必自盡者也。誠之至,豈假於豐哉。則樽酒而簋,副器約而納寡,自至於牖以盡其忠,剛柔之際,承上之道也,終何咎矣。
六四爻辞は言う:一樽の薄酒・两簋の素食を、瓦缶を用いて盛りて、窓口より此の簡約の心意を送り入る。終に過ちなし。《象伝》は解釈す:一樽の酒・两簋の食とは、剛柔の此に於て交接するを言うなり。注者は以為す:六四は陰柔の質にして、陽剛に依附して乃ち事を成すを得。それ身は上体に処りて、九五に緊靠して又た位に当たりて「正」を得。ここをもって能く険難を渡過す。上の者をして心を尽さしめんと欲する人は、必ず先ず自ら心を尽さん。誠意極点に到れば、豈に豊盛の排場を借助せんことを要せんや。ゆえにただ一樽の酒・一簋の飯を用いて、副器簡単にして進献微薄にして、親ら窓前に送りて以て己の忠誠を表達す。剛と柔は此に於て交接す。此れ正に上の者を承奉するの正道にして、終に何の過ちあらんや。
九五,坎不盈,祇既平。無咎。象曰:坎不盈,中未大也。在坎中矣,坎豈盈乎。夫濟險者,盡斯泰乎。斯無咎矣。處其險,尊安而不慮,則險為咎矣,未至乎大,可無愼歟。
九五爻辞は言う:坎中の水は未だ満たず、ただ剛き坎口と斉平するのみ。過ちなし。《象伝》は解釈す:坎水未だ盈たざるは、中に居るの徳未だ充分に光大せざればなり。注者は以為す:人は正に坎険の中に在れば、坎水豈に満たんや。険難を渡越する人は、力量を尽処に用いて乃ち平安に轉向するを得。此の如くして便ち過ちなからん。若し身は険境に処しながら地位の尊貴を因に心安理得にして思慮を加えざれば、然らば険難は災禍と変成せん。既に光大の地步に達せざれば、何ぞ謹慎せざるべからんや。
上六,係用徽纆,寘于叢棘,三歲不得,凶。象曰:上六失道,凶。三歲也,柔而無心小人也。乘剛而履於極險,居於峻法之時,行極險之事,故用繫纆,索寘于叢棘,失其謀身之道也,以是三歲而凶。乃終。
上六爻辞は言う:繩索を用いて捆綁して、荊棘叢生の牢獄に関入れられ、三年も脱身する能わず。凶険。《象伝》は解釈す:上六は正道を喪失せり。ゆえに凶。注者は以為す:謂う所の三年とは、時間の久しきを言うなり。上六は陰柔にして心中に主なく、正に小人なり。それ陽剛に凌乗して又た最も険なる位置の上に踏み、法度厳峻の時に処して、卻って極めて冒険の事を為すに往く。ゆえに繩索に捆縛せられて、荊棘叢中の牢獄に投入せらる。此れ身を謀り自ら全うするの道を喪失せるなり。ここをもって三年の久しきも皆困頓凶険にして、全卦終了するに至る。
離卦
離下離上 離,利貞,亨。畜牝牛吉。彖曰:離,麗也。日月麗乎天,百榖草木麗乎土。重明以麗乎正,乃化成天下。柔麗乎中正,故亨,是以畜牝牛吉也。麗,安附也。而利以正,故能通也。日月得天,故能長守其明。百榖草木得乎附土,故能永保其種。麗其所麗者也。上下皆明,咸安其處,利而不正,何為化成矣。柔麗大中,強而不武,利而得正,化之元也。是以能通天下也。故畜牝牛,柔而強力,以濟者相麗之道也。
《離》卦は上下皆離なり。卦辞は言う:離は正を守るに利ありて亨通す。母牛を畜養せば吉祥。《彖伝》は解釈す:離とは即ち附麗にして、日月は天に附麗し、百穀草木は土に附麗す。重畳の光明は正道に附麗して、ここに於て能く教化して天下を成就す。柔爻は中正の位に附麗す。ゆえに亨通し、ここをもって母牛を畜養して吉祥なり。注者は以為す:謂う所の麗とは、即ち安然に依附して、而して依附するに端正にして乃ち通達するを得べきなり。日月は天に依托せば、ゆえに能く其の光明を長久に保持す。百穀草木は土に依托せば、ゆえに能く己の種類を永遠に保住す。此れ即ち依附すべき物に依附するなり。上下両体皆光明にして、各々其の処に安んず。若し只だ利を図って端正ならざれば、又何の教化成就を談ぜんや。柔爻は中に居るの大位に依附して、強健にして武力を逞しうせず、利ありて又た正を守る。此れ教化の開端にして、ここをもって能く天下に通行す。ゆえに母牛を畜養すと曰うは、其の柔順にして又た力量あるを取りて、用いて事を成すべきをもってなり。此れ正に彼此依附の道理なり。
象曰:明兩作離,大人以繼。明照于四方。兩明嗣麗,天下大明也。得麗之大者,莫過於大人。麗於大位也。累聖之治,兩明而繼,而天下化矣。
《象伝》は言う:両重の光明升るは、此れ即ち離卦の象なり。大人は此より光明を承継して四方を照耀す。注者は以為す:両重の光明前後相続して依附すれば、天下便ち一片大明なり。能く最大の依附を得る者は、大人に比する者無し。其の依附する所は最も尊貴の大位なればなり。歴代聖人の相承する治世は、正に光明の光明に接ぐるにして、天下ここを因に教化を得たり。
初九,履錯然,敬之,無咎。象曰:履錯之敬,以辟咎也。求保所安者,履其初,錯然內省而敬懼之,即能保所麗,而免於咎也。
初九爻辞は言う:脚步交錯雑乱するも、ただ恭敬に対待せば、過ちなし。《象伝》は解釈す:步履交錯して心に恭敬を存するは、用いて災禍を避開するなり。注者は以為す:己の安ずる所を保住せんと欲する人は、起步の時に於て紛雑の形勢に面して、能く警醒して反躬自省して心に敬畏を懐けば、即ち己の依附する所の位置を守住して、ここをもって過錯を免るべし。
六二,黃離元吉。象曰:黃離元吉,得中道也。黃者,文之中也。柔居中正,治麗其文,故元吉也。
六二爻辞は言う:黄色の文采を以て相依附すれば、大いに吉祥。《象伝》は解釈す:黄離の大吉は、中道を得ればなり。注者は以為す:黄は各種の色彩の中に於て最も中和に居るの一種なり。六二は陰柔を以て下卦の「中」に居りて位に当たりて「正」を得、己の依附する所の文采を整治して恰好好処に至らしむ。ゆえに大いに吉祥。
九三,日昃之離,不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶。象曰:日昃之離,何可久也。三者將進之地也,在於離。麗得其正,則吉,過之則凶。離明而行,陽麗於三,止於所也,可以鼓缶樂,終於此矣過。以求之日之昃也,將何往哉。耊之凶也。易戒其於分,而麗得其所也。
九三爻辞は言う:太陽の偏西する時の附麗に、瓦缶を敲きて歌うて自ら楽しまざれば、即ち年老力衰の悲嘆を発出せん。凶険。《象伝》は解釈す:日已に偏西の附麗は、豈に長久なる能わんや。注者は以為す:第三爻は将に上に向かいて推進せんとするの位置にして、離卦の中に処り、依附するに端正なれば吉祥にして、分寸を超過すれば凶険。離の光明を憑りて行うに、陽爻は第三位に依附せば、則ち己の処すべき所に止まるべく、缶を敲きて楽しむを尽くすべし。此処に至りて止めよ。若し越分して追求せば、那れ則ち太陽の已に西斜するに好比如して、復た何処に往かんや。此れ即ち老邁の年の凶険なり。《周易》は正に人に己の本分を守住して、依附を恰好在る位置の上に落とすべきを告誡す。
九四,突如其來如,焚如,死如,棄如。象曰:突如其來如,無所容也。
九四爻辞は言う:来勢突兀にして猛烈に、烈火の焚焼するが如く、死亡するが如く、拋棄せらるるが如し。《象伝》は解釈す:来ること此の如く突兀なるは、其の上下の間に於て容身する処なきが故なり。
四者,行上之道,首進之地,進逼於五,不當其位,無徳之至,突如而來如也。五尊嚴之盛,不可陵也,故為焚如而死棄矣。搏殘之而不容也。六五,出涕沱若,戚嗟若,吉。象曰:六五之吉,離王公也。柔居尊陽,故為下之謀也。有乘剛之逼焉,故為出涕矣。以柔正而居王公之位,憂嗟之深,天下歸助,故終吉。
注者は《離》卦の九四を解して曰く:九四の此の一爻は、上に向かいて行進する通道の上・先んじて突進する位置に処り、上に向かいて九五の君位を直逼し、而して其の自身は陽爻の陰位に居りて「位に当たらず」。是れ毫も徳行なきの極端にして、ゆえに爻辞は「突如其来如」を用いて其の猝然の闖入を形容す。九五の君位は尊厳極盛にして侵犯を容れず。ここをもって九四の下場は焚焼・死亡・拋棄と為り、扑灭剷除せられて容納せられず。 経文六五に曰く:淚水滂沱として流下し、憂愁悲嘆す。吉祥。《象伝》に曰く:六五の吉祥なる所以は、其の王公の位に依附すればなり。 注者は解釈して曰く:六五は柔順の陰爻を以て尊貴の陽位に居る。ゆえに能く下の臣民の為に謀劃す。其の下は九四の此の剛爻を壓して、「乗剛」の逼迫を受く。ここをもって淚の雨下するが如き象あり。然れどそれ柔順守正の品德を以て王公の位を占據し、憂懼悲嘆の此の如く深切なるに、天下皆来たりて帰附相助す。ゆえに終に吉を得たり。
上九,王用出征,有嘉,折首獲匪,其丑無咎。象曰:王用出征,以正邦也。柔之道,非天下大服焉,故終於用師之正,以重明之,治為天下之麗,以柔順之徳,為天下之歸。其終或用師,則出征,而折首矣,有其嘉,以剛終也。獲其非類,而天下正也。
経文上九に曰く:君王は兵を出して征討し、嘉美の功績ありて、敵方の首悪を斬殺し、俘獲するは同類の党羽にあらず。過ちなし。《象伝》に曰く:君王の兵を出して征討するは、以て邦国を端正するが為なり。 注者は解釈して曰く:単に柔順の道に靠るは、天下人をして徹底に心服せしむる能わず。ゆえに《離》卦は終に用兵の正当性に帰せんとする所以なり。《離》は重明にして、文明の治を以て天下の依附する対象と為し、柔順の徳行を以て天下の帰心の在る所と為す。終局に到りて武を動かざるを得を得ざれば、則ち兵を出して征討し首悪を斬殺す。能く此の嘉美の功績あるは、上九の剛爻を以て全卦を収束すればなり。俘獲する所は己の同類党羽にあらざれば、天下ここに於て端正に帰す。
巻四 周易下経咸伝第四
咸卦
艮下兌上。咸,亨,利貞,取女吉。彖曰:咸,感也。柔上而剛下,二氣感應以相與,止而說,男下女,是以亨利貞,取女吉也。天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平,觀其所感而天地萬物之情可見矣。
《咸》卦は「艮」下に在り「兌」上に在り。卦辞は言う:咸は亨通し、正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。《彖伝》は言う:咸とは即ち感応なり。柔順の陰爻は上位に上昇し、剛健の陽爻は下位に降到し、陰陽二気は互に感応して結合す。下卦「艮」は静止にして、上卦「兌」は欣悦なり。男方は主動に女方の下に屈居す。ゆえに亨通し正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。天地は互に感応して、万物即ち化育生長す。聖人は人心を感化して、天下即ち和睦太平す。其の感応する所の情形を観察すれば、天地万物の実情は皆看清楚なるを得べし。
二氣之相感應也,中無間也,故得萬物變化乎其內,天氣下降而地氣上,濟陽下陰而陰從陽也。止於所說,其利之正也,故取女以之吉也。而感應之道取焉,聖人無為與天地準,寂然虛中通天下之情,因其情而通天下之故,而咸得其治則天下和平矣。夫相下而不私則感之而通也。觀天地萬物之情,而感一也。彖語其感大者,如此也。至於爻則形相趨也,利相逐也,豈及於感之至哉。天下忘於情而有累於質者,則於物不盡矣,故見利則躁,後時則絶,皆凶悔之道也。
注者は解釈して曰く:陰陽二気は互に感応して、中間毫も阻隔なし。ゆえに万物は能く此の感応の中に於て変化生成す。天の陽気は下降し地の陰気は上昇し、陽は先ず陰の下に屈居して之を成全せば、陰は便ち陽に順従す。感応は彼此欣悦の分寸に止まる。此れ即ち「利貞」の正道にして、ゆえに妻を娶るは此を因に吉祥なり。感応の道の要領は正に此に取る。聖人は清靜無為にして天地と同一の法則と為り、内心寂然空明にして、ここをもって能く天下人の真情を通達し、此の真情に順いて天下の事理を貫通せば、人人皆治理を得て、天下即ち和睦太平せん。彼此謙下して私心を存せざれば、感応即ち通達するを得。天地万物の実情を観察すれば、感応の道理は原本ただ一なり。《彖伝》の講ずる所は感応中の最も宏大の彼の一層にして、即ち此くの如し。六爻に至りては、説く所は卻って形体上の趨附・利害上の追逐にして、何ぞ感応の極致に足らんや。天下人若し只だ情欲を顧みて又た形質に拖累せられれば、外物に対して体察するに尽きず。ここに於て利を見れば浮躁妄動し、時機を錯過すれば往来を断絶す。此れ皆凶を招き悔を生ずるの路数なり。
象曰:山上有澤,咸。君子以虛受人。澤,說來也。山,止受也。君子感人之來,虛中以止之,受其情也。情之得,治之生也。失其情,得治者未之有也。初六,咸其拇。象曰:咸其拇,志在外也。拇,體於下者。將行之物也。有應於外始有志於感而未行也。未涉于吉凶之鄉也。
《象伝》は言う:山の上に沼沢あるは、此れ即ち《咸》卦なり。君子は此より領悟して、虚懐を以て他人を接納すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:「兌」は沢と為りて欣悦に前来し、「艮」は山と為りて静止に承受す。君子は他人の来帰を感応するに、虚空の心胸を用いて相手を穏やかに接住し、彼らの真情を接納す。真情を得れば、治理即ち之に随いて生ず。真情を丟棄して能く治理せし者は、従来之有らざるなり。 経文初六に曰く:感応は脚の大拇指に発生す。《象伝》に曰く:感応は大拇指に在りて、心志の外に向かうを説明す。 注者は解釈して曰く:拇指は身体の最下端に長じて、将に歩を邁さんとする時先ず動くの部位なり。初六は上卦に相「応」の爻ありて、ただ剛き感応の念頭を萌生して未だ行動に付せざれば、ゆえに未だ吉凶の領地に踏み入らず。
六二,咸其腓,凶,居吉。象曰:雖凶居吉,順不害也。下體之中,當於腓之為物,足往。斯往矣,獨而往之,即妄動也,何益於行乎。妄動則不見其情也,不得於事冝,其凶哉。居以守位,順以待令,吉矣。得其中者也。
経文六二に曰く:感応は小腿肚に発生して凶険あり。安居して動かざれば則ち吉祥。《象伝》に曰く:凶険あるも安居して吉を得るは、柔順なれば則ち害を受けざるを以てなり。 注者は解釈して曰く:六二は下卦の中位に処りて、正に小腿肚の此の部位に対応す。脚は一たび邁動すれば、それ即ち跟いて走る。然れど它若し己に依りて単独に走らば、便ち妄動にして、行事に何の好処あらんや。妄動すれば即ち相手の真情を看清する能わず、事を為るに分寸を失う。当然凶険なり。安居して本位を守住し、柔順に上の号令を等候せば、即ち吉祥なり。此れ乃ち「中」を守住せるなり。
九三,咸其股,執其隨,往吝。象曰:咸其股,亦不處也。志在隨人,所執下也。居下體之上,隨上體而往止,亦非自處之物也。感止於下,以下事而求感也,豈由已乎。執賤隨感可惜者也。
経文九三に曰く:感応は大腿に発生して、人に跟従するの做法を死守せば、前往すれば憾惜あらん。《象伝》に曰く:感応は大腿に在りて、亦た安処する能わざるの表現なり。 注者は解釈して曰く:九三は心志ただ他人を追随するに在りて、其の執守する所の物は太だ卑下なり。それ下卦の最上位に居りて、上卦は一動すればそれ即ち跟いて走るか停むかして、亦た自主安処する能くする角色にあらず。感応はただ下体に停留して、卑下の方式を用いて感応を求めば、何ぞ復た己に由るを得んや。執守は低賤にして人に随いて感ず。実に惜しむべし。
九四,貞吉,悔亡。憧憧往來,朋從爾思。象曰:貞吉悔亡,未感害也。憧憧往來,未光大也。升於上體而兼於下,始以兩體相逐追也。凡物以形利相感者,未極於志也。神遇者,豈假役哉。無慮澹然而居於形之上,不言而信,不行而至天下,感之況於明乎。而以形質相感,未感則害至,故貞吉。而獲悔亡,憧憧相追,朋乃從思。
経文九四に曰く:正を守れば吉にして悔恨消失す。心神不定に往来奔走すれば、ただ同類の朋友のみ汝の心思に順従せん。《象伝》に曰く:正を守りて吉祥にして悔恨消失するは、未だ感応に傷害せられざればなり。心神不定に往来するは、感応未だ光大ならざればなり。 注者は解釈して曰く:九四は已に上卦に升入して又た下卦を兼顧す。起初は上下両体の彼此追逐するなり。凡そ形体・利害を以て相感応するは、皆未だ心志の層面に深入せず。真に精神を以て相遇する者は、豈に奔走駆使せんことを要せんや。心中計較する所なく恬淡に形体の上に超然として、言を出さずして人自信服し、出行せずして天下を感召す。此の如き感応は況んやなお光明なるをや。若し只だ形体資質を以て相感応せば、一旦感応成らざれば禍害は直ちに来る。ゆえに必ず正を守って乃ち吉なり。能く悔恨消失を保住するは、其の心神不定に互に追逐して、亦たただ同類の朋友のみ其の心思に順従を肯ずればなり。
九五,咸其脢,無悔。象曰:咸其脢,志末也。至脢,心脊之肉,近於心也。感近於情而非志也,故無悔而己。可以言者,物之質也,況其脢乎。上六,咸其輔頰舌。象曰:咸其輔頰舌,滕口說也。感至極,未有至於言說而已,於情逺矣,何足咸哉。浮之甚也。
経文九五に曰く:感応は背脊肉に発生して、悔恨なし。《象伝》に曰く:感応は背脊肉に在りて、心志已に末梢に落つるを説明す。 注者は解釈して曰く:「脢」は心口と脊背の間の肉にして、心臓に靠近す。感応は情感に貼近するに到るもなお心志より出づるの地步に至らず。ゆえにただ悔恨なしと為すを得るのみ。能く口より説き出だすを得るは、過ぎず事物の表層形質にして、況んやただ背上の彼の一塊の肉をや。 経文上六に曰く:感応は牙床・面頬と舌頭に発生す。《象伝》に曰く:感応は牙床・面頬と舌頭に在りて、ただ誇誇たる談を為すのみ。 注者は解釈して曰く:感応は極点に走り至りて、結果は卻ってただ口頭言語の上に落つ。真情に離るること已に遠く、何ぞ感応と称せんや。浮浅にして極点に到れり。
恒卦
巽下震上。恆,亨,無咎,利貞,利有攸往。彖曰:恆,久也。剛上而柔下,雷風相與。巽而動,剛柔相應,恆。恆亨無咎,利貞,久於其道也。天地之道,恆久而不已也。利有攸往,終則有始也。日月得天而能久照,四時變化而能久成,聖人久於其道而天下化成。觀其所恆而天地萬物之情可見矣。恆而得其久也。
《恒》卦は「巽」下に在り「震」上に在り。卦辞は言う:恒は亨通して過ちなく、正を守るに利あり、前往する所有るに利あり。《彖伝》は言う:恒とは即ち長久なり。剛爻は上に居り柔爻は下に処り、雷と風は互に助長し、下卦「巽」は順入・上卦「震」は震動にして、剛柔各々相「応」す。此れ即ち《恒》なり。恒は能く亨通して過ちなく正を守るに利あるは、長久に己の正道上に守るに在ればなり。天地の運行の規律は、即ち恒久にして停息せざるなり。前往する所有るに利あるは、一段の終結は正に另一段の開始なればなり。日月は天道に依循して乃ち長久に照耀するを得、四季は更迭変化して乃ち長久に万物を成就するを得、聖人は長久に其の道を守りて天下乃ち教化有成せん。万物の各自恒守する所を観察すれば、天地万物の実情は皆看清楚なるを得べし。此れ即ち恒守して長久を得るなり。
剛上而柔下,剛柔交而下承也。雷行風從,増其大逺矣。巽而動,往無不從也。剛柔皆應外內逹也。此可久之道也。能久則通矣。保其無咎矣。利而得正矣。久而得其終始之道也。則何往而不利焉。天地恆久也,而萬物生。聖人恆久也,而天下化。以恆久而觀之,天地萬物之情得其恆者,長也。
注者は解釈して曰く:剛爻は上に在りて柔爻は下に在り、剛柔交接して下位は上位を承奉す。雷は一たび響けば風は即ち跟いて来り、声勢は彼此増大して伝えること更に遠し。下卦は順入して上卦は震動すれば、前往すれば順従せざる無し。六爻は剛柔两両として相「応」して内外通達す。此れ即ち能く長久なるの道理なり。能く長久なれば自然通暢して、即ち「過ちなし」を保住し、利ありて又た正道を守住するを得、長久にして終に復た始まるの規律を懂得すれば、然らば往く所何れにか順利ならざらんや。天地恒久にして、万物乃ち化生を得。聖人恒久にして、天下乃ち教化を得。「恒久」の此の角度より看れば、天地万物の実情の中に於て、凡そ恒常を守住する能くする者は、皆長遠なり。
象曰:雷風,恆。君子以立不易方。雷之震,風必從之。君子行,必由其道。得其恆而増,其恆而増其大也。故獨立其所不以物易。初六,浚恆,貞凶,無攸利。象曰:浚恆之凶,始求深也。恆者,久於其道,不煩而物自歸也。處於極下,深底者也。不修其恆,不度其分,遂求其應,初以深極而求於人。人斯竭之矣,何以終乎。正之凶而無所利也。
《象伝》は言う:雷と風の相随するは、此れ即ち《恒》卦なり。君子は此より領悟して、卓然として自立して己の方向を改変せざるべきを得たり。 注者は解釈して曰く:雷は一たび震動すれば、風は必ず之に随いて来る。君子は行動する所有れば、必ず己の正道を遵循す。恒常を守住すれば即ち增益する所有り、恒常に增益すれば即ち日漸に宏大す。ゆえに君子は独立して自守して、外物を因に改易せず。 経文初六に曰く:一上りて即ち深く挖して恒久を求むれば、占問の結果は凶にして、好処ある所なし。《象伝》に曰く:深く挖して恒久を求むるの凶なる所以は、開始に於て求むること太だ深きを要すればなり。 注者は解釈して曰く:謂う所の恒とは、長久に己の道上に守りて、人を煩擾せずして万物自ずから帰附せん。初六は全卦の最下面に処りて、最も深きの底部なり。それ己の恒徳を修養せず、己の分際を衡量せずして、急ぎて上の相「応」の爻を求めに往く。開始より即ち極深の索求を以て人に加う。人は其の索取する所に枯竭せられて、此の関係は豈に好き結末あるを得んや。ゆえに便ち此の一套を守るも凶にして、毫も好処なし。
九二,悔亡。象曰:九二,悔亡。能久中也。非其位久失道也,剛而自正,退而久中,可以悔亡。九三,不恆其徳,或承之羞,貞吝。象曰:不恆其徳,無所容也。三者,終下至上之地,進退之所也。不能修徳守位,而復上以求應,無其恆也,何以容哉。以是為政可惜者也。
経文九二に曰く:悔恨消失す。《象伝》に曰く:九二の悔恨消失するは、能く長久に中位を守住すればなり。 注者は解釈して曰く:九二は陽爻を以て陰位に居りて、本より位に当たらず。時間一久しければ即ち道を失わんとす。然れどそれ剛健にして能く自ら其の正を守り、退居して下卦に在りて長久に「中」を守住す。ここをもって悔恨を消失せしむるを得べし。 経文九三に曰く:能く恒久に己の徳行を保持せざれば、時に此を因に羞辱を蒙受せん。占問の結果は憾惜なり。《象伝》に曰く:能く恒久に徳行を保持せざれば、即ち容身する処なし。 注者は解釈して曰く:三の此の位置は、下卦の終結して上卦に通往するの処にして、進む可く退く可きの関口なり。九三は徳を修めて本位を守住するに肯ぜずして、反って上に攀求して相「応」の爻を求む。此れ即ち恒心なきにして、復た何処にか之を容れるを得んや。此の態度を用いて政事を処理するは、実に惜しむべし。
九四,田無禽。象曰:久非其位,安得禽也。承上之地,柔以奉上而剛居之。求應於下位已失矣,安所獲乎。六五,恆其徳,貞,婦人吉,夫子凶。象曰:婦人貞吉,從一而終也。夫子制義,從婦凶也。從繫以為正,守中而為恆,婦人以之吉也,夫子可以制義矣。而從人之政,狹之至矣,固其凶也。上六,振恆,凶。象曰:振恆,在上大無功也。極上,終盡之地,柔振而將久之道窮也,久何之乎。雖有其應,不足振也。失時之極,無功已矣,凶之道也。
経文九四に曰く:田獵するも禽獣を打獲れず。《象伝》に曰く:長久に己に属せざる位置上に待てば、豈に禽獣を打獲る能わんや。 注者は解釈して曰く:四は君上を承奉するの位置にして、本より柔爻の恭順に上位を侍奉すべきに、如今は卻って剛爻に占據せらる。それ又た下に向かいて相「応」の爻を求めば、本位已に失守せり。復た何を獵獲する能わんや。 経文六五に曰く:恒久に己の徳行を保持せば、占問の結果は婦人吉祥・男子凶険なり。《象伝》に曰く:婦人の正を守りて吉祥なるは、一を從って終わればなり。男子は事宜を裁断すべく、一味に婦人に順従せば凶険なり。 注者は解釈して曰く:順従依附を以て正と為し中道を守住するを以て恒と為すは、婦人此の如く為すは吉祥なり。男子は本より自ら合宜の事を裁断すべきに、卻って一味に他人に聴憑して政務を決定せしむれば、那れ則ち狭隘にして極点に到り、凶険は自然必定なり。 経文上六に曰く:動蕩不安に恒久を求むれば凶険。《象伝》に曰く:動蕩に恒久を求むるは、身は上位に居りて毫も功效なし。 注者は解釈して曰く:上六は全卦の最上端に在りて、終結窮尽の地にして、柔爻を以て此処に震蕩不安す。長久の道已に尽頭に走り至りて、復た何処に長久せんと往かんや。下面に相「応」の爻あるも、亦た其の此の如き振動を支撐するに足らず。時機を錯失すること極点に到りて、一事も成らず。此れ即ち凶を招くの路数なり。
遯卦
艮下乾上。遯,亨,小利貞。彖曰:遯亨,遯而亨也。剛當位而應與時行也。小利貞,浸而長也。遯之時,義大矣哉。陰長而君子外於時也。隱其道,逃其情,從而正之,而後乃亨。夫彼之生也,微其終大而不可御者,時之來也。故君子觀其兆,而不待其至也。當位而應,猶不果制,與時行而已矣。陰浸而長,其患未害,我志猶行也,故小利而貞。剛而應柔,和而不同,遯而反制,非大徳不能消息也。
《遯》卦は「艮」下に在り「乾」上に在り。卦辞は言う:遯は亨通して、小に正を守るに利あり。《彖伝》は言う:遯にして亨通するは、退避して乃ち亨通を得ればなり。九五は剛爻の正位に居りて「位に当たり」、又た六二と相「応」して、能く時勢に順いて行く。小に正を守るに利あるは、陰気正に漸漸生長すればなり。退避の時機は、意義真に重大なりや。 注者は解釈して曰く:陰気増長して、君子は時勢に排斥せられて外に在り。彼は己の主張を隠蔵し、己の心跡を収斂して、形勢に順いて之を矯正して、然る後に乃ち亨通するを得。小人は初生の時はなお微弱なるも、終に壮大にして抵御する法なきに至る。此れ時勢の自ら門に尋ね来るなり。ゆえに君子は苗头剛き現われんとする時に即ち看清し、其の長成を待たずして動身す。九五は位に当たりて又た応ありて、なお能く果決に相手を制服する能わざれば、亦た只好く時勢に随いて行くのみ。陰気は漸長するも、禍患は未だ真に災と成らず。我が志向はなお施行の開き得べし。ゆえに「小利貞」と曰う。剛爻と柔爻は相応して能く和睦相処するも、流を同じうして污を合わせず、退避の中に於て反って相手を制約す。徳行宏大の人にあらざれば此の如く消長を把握する能わず。
象曰:天下有山,遯。君子以逺小人,不惡而嚴。山侵於天,下通上也。君子逃情於小人,不以力爭,嚴以制也。初六,遯尾,厲。勿用有攸往。象曰:遯尾之厲,不往何災也。遯,以逃避患也。患未至而首遯之,則逺於患矣。陰過二矣,而後遯焉,遯之尾也。見而逃之,反相疑也。不往而和,則何災哉。
《象伝》は言う:天底下に山あるは、此れ即ち《遯》卦なり。君子は此より領悟して、小人を疎遠して、疾言厲色を用いずして自ずから威厳あるべきを得たり。 注者は解釈して曰く:山は高聳して天に逼近するは、下より上に通向するなり。君子は小人に対してはただ心跡を収斂して彼を躲开して、彼と強を争い力を闘わずして、威厳を用いて彼を制約す。 経文初六に曰く:退避は最後に落ちて、危険あり。前往する所有る勿れ。《象伝》に曰く:退避の最後に落つるの危険は、ただ前往せざれば又た何の災禍あらんや。 注者は解や。 注者は解釈して曰く:謂う所の遯とは、即ち禍患を逃開するなり。禍患の未だ到らざるに就きて先んじて退避して、乃ち禍患を遠離するを得。如今陰気已に六二を越過したる後に乃ち退避するは、此れ退避の尾巴なり。人に看見せられて始めて逃ぐれば、反って相手の猜疑を招来す。前に走らずして之と相安せば、又た何の災禍あらんや。
六二,執之用黃牛之革,莫之勝說。象曰:執用黃牛,固志也。小人之道,狹而鮮親,至於履位,人多逃也。則以法執也,或繫之以利,質之以愛,然後人不得去。堅其志而不可拔也,乃得小人之中,而獲其順矣。
経文六二に曰く:黄牛皮の做れる繩索を用いて彼を捆住せば、誰も解脱し開く能わず。《象伝》に曰く:黄牛皮を用いて捆縛するは、心志を堅定せんと欲するなり。 注者は解釈して曰く:小人の路数は、気量狭窄にして人の親近に願う者少なく、其の高位に登るを待たば、人は大多逃開せんと欲す。ここに於て彼は即ち法令を用いて人を拘執し、或いは利益を用いて籠絡し、恩愛を用いて抵押と為す。此くして人乃ち走り去る能わず。心志堅定にして動揺する能わざれば、此れ即ち小人一路の「中」を守住せると算して、ここをもって其の要する所の順従を得たり。
九三,係遯有疾厲,畜臣妾吉。象曰:係遯之厲有疾,憊也。畜臣妾吉,不可大事也。繫志於陰,不能遯也。為小人所制,危憊之道也。施於畜臣妾,吉也。繫於鄙賤,豈可大事乎。九四,好遯君子吉,小人否。象曰:君子好遯,小人否也。君子知幾絶而好遯小人,情繫不能遯也。
経文九三に曰く:牽係せられて退避成らず、患病するが如き危険あり。用いて奴僕侍妾を畜養するは卻って吉祥。《象伝》に曰く:牽係せられて退り能わざるの危険は、疾病の如くにして困頓疲憊なり。奴僕侍妾を畜養して吉祥とは、大事を承当すべからざるを言うなり。 注者は解釈して曰く:九三は心志下の陰爻の上に牽掛して、ここをもって退避する能わず、小人の牽制する所と為る。此れ危殆困頓の路数なり。此の牽係を用いて奴僕侍妾を畜養するに放てば卻って吉祥。心思は卑賤の事情の上に拴せられて、何ぞ復た大事を為る能わんや。 経文九四に曰く:退避を楽しめば、君子吉祥にして、小人は為る能わず。《象伝》に曰く:君子は退避を楽しめば、小人は卻って為る能わず。 注者は解釈して曰く:君子は能く苗头を洞察して、断然割舍して退避を楽しむ。小人は則ち情感に牽絆せられて、退かんと欲するも退く能わざるなり。
九五,嘉遯,貞吉。象曰:嘉遯貞吉,以正志也。當位相應,能制於內,遯情而治,志在乎正,可謂遯之嘉也。上九,肥遯,無不利。象曰:肥遯無不利,無所疑也。過於卦外,無應小人,不勞慮於進退,可謂遯之肥而無不利也。
経文九五に曰く:美好の退避は、正を守れば吉。《象伝》に曰く:美好の退避は正を守りて吉を得るは、其の心志を端正せしめればなり。 注者は解釈して曰く:九五は陽爻を以て陽位に居りて「位に当たり」、又た六二と相「応」して、能く内部に於て節制を加う。心跡を収斂して退避するもなお事情を治理して好く、心志は始終正を守るに在り。此れ退避中の最も美好の一種と称すべし。 経文上九に曰く:寛綽従容に退避すれば、利あらざる無し。《象伝》に曰く:寛綽従容に退避して不利なきは、心中に疑慮の毫もあらざればなり。 注者は解釈して曰く:上九は已に全卦の外に超出して、下の小人と相「応」の牽連なく、進退の為に操心するを要せず。此れ退避中の最も寛裕従容の一種と称すべく、ゆえに利あらざる無し。
大壮卦
乾下震上。大壯,利貞。彖曰:大壯,大者壯也。剛以動,故壯大。壯,利貞,大者正也。正大而天地之情可見矣。陽剛也,大也,剛而不邪,大而能周,時而後動,故大者壯,而得其正也。天地以正,大而得其生。聖人以正,大而天下化。其道剛動而大者正也。
《大壮》卦は「乾」下に在り「震」上に在り。卦辞は言う:大壮は正を守るに利あり。《彖伝》は言う:大壮とは、陽大なる者の強盛なり。剛健にして又た動く能し。ゆえに強盛。大壮は正を守るに利あるは、陽大なる者の本身端正なればなり。正大の道を守住せば、天地の実情は看清楚なるを得べし。 注者は解釈して曰く:陽は即ち剛にして、即ち謂う所の「大」なり。剛健にして邪僻ならず、宏大にして能く周遍し、時機成熟して然る後に乃ち行動す。ゆえに陽大なる者強盛にして又た正を守住する能し。天地は此の正大を憑りて、万物乃ち生長を得。聖人は此の正大を憑りて、天下乃ち教化を得。《大壮》の道は即ち剛健にして動く能く陽大なる者端正なるなり。
象曰:雷在天上,大壯。君子以非禮弗履。雷在天上,陽氣大行,君子得其道也。非禮弗履,保其壯也。初九,壯于趾,征凶,有孚。象曰:壯于趾,其孚窮也。剛以處下,不有其大,初而遂用其壯也。壯在乎趾,何以用哉,以之而征,凶其冝也,故信有窮也。
《象伝》は言う:雷の天上に響くは、此れ即ち《大壮》卦なり。君子は此より領悟して、礼に合せざる事は絶対に為らざるべきを得たり。 注者は解釈して曰く:雷は天上に響きて、陽気大いに通行す。正に君子の其の道を行うを得るの時なり。礼に合せざる事を為さざるは、即ち此の強盛を保住せんが為なり。 経文初九に曰く:強壮はただ脚趾の上に在りて、出征せば則ち凶。但だし此れ確鑿疑いなし。《象伝》に曰く:強壮はただ脚趾の上に在りて、其の此の自信は必然窮尽に走り至らん。 注者は解釈して曰く:初九は剛爻を以て最下位に処りて、本より真に「大」の実力を具備せず、一開頭より即ち急ぎて其の強壮を施展す。強壮はただ脚趾の上に在りて、何の用場に派せらるべきや。此の点の本銭を拿りて出征に往かば、凶険は理の当然の所にして、ゆえに其の自信は終竟窮尽に走り至らん。
九二,貞吉。象曰:九二貞吉,以中也。守正處卑,得中之道,全其壯也。故貞吉矣。九三,小人用壯,君子用罔。貞厲,羝羊觸藩,羸其角。象曰:小人用壯,君子罔也。剛居上而得位也。小人知進不知退,故用其壯也。壯必見傷,正之危也。四剛在上,將陵過之,能容無忌,必羸闐矣。君子逹於幾危,故不用也。
経文九二に曰く:正を守れば吉。《象伝》に曰く:九二の正を守りて吉祥なるは、其の「中」位に居ればなり。 注者は解釈して曰く:九二は正道を守住して卑下に甘処して、中を守るの道を得たり。ここをもって己の強盛を保全す。ゆえに正を守りて吉を得。 経文九三に曰く:小人は一味に強を逞しうし、君子は卻って此の事なきが如く為す。占問の結果は危険なり。公羊は籬笆に往きて頂きて、角を卡住せり。《象伝》に曰く:小人は一味に強を逞しうすれば、君子は則ち視るに物なきが如し。 注者は解釈して曰く:九三は剛爻を以て下卦の上に居りて「位に当たる」。小人はただ前進を知りて後退を知らず。ゆえに其の強壮を逞しうす。強壮は必ず損傷を招来し、便ち正を守るも危険なり。上はなお九四の此の剛爻ありて、九三は凌越し過ぎんと欲す。若し顧忌毫もなく硬に闖せば、必然角を籬笆の裡に死死に卡住せん。君子は此の類の幾微の危機を通暁す。ゆえに此の如く強を用うるに肯ぜず。
九四,貞吉悔亡,藩決不羸,壯于大輿之輹。象曰:藩決不羸,尚往也。為剛長之首升於上,體守於臣位,志在除邪,疑其逼也。故貞吉乃悔亡矣。往皆柔也,物無逆之,藩決而不羸也。居大臣之任,可以載其剛之用也。
経文九四に曰く:正を守れば吉にして悔恨消失す。籬笆は已に撞開せられて、角は再び卡住せず。強壮は大車の伏兎の上に表現す。《象伝》に曰く:籬笆撞開して角の困を受けざるは、継続前往するを得ればなり。 注者は解釈して曰く:九四は陽剛増長の隊伍の排頭にして、已に上卦に升入し、臣位を安守す。其の志は邪僻を剷除せんと欲すれども、人は其の君位に逼近するを疑心するを得。ゆえに必ず正を守って乃ち吉にして悔恨乃ち消失するを得べし。それ上に往きて遇う所は皆柔爻にして、阻擋する物なし。ここをもって籬笆撞開して角は卡住せられず。それ大臣の職を担任するは、正好く剛健の力の施展を承載する能く、大車の伏兎の足りて重を載するに足るが如し。
六五,喪羊于易,無悔。象曰:喪羊于易,位不當也。剛長也。而以柔乘之五陽也。而以陰處之,雖欲用壯,是喪其壯,而不難也。質柔而不可恃也。柔不終拒,尊中獲存,故無悔也。上六,羝羊觸藩,不能退,不能遂,無攸利,艱則吉。象曰:不能退,不能遂,不詳也。艱則吉,咎不長也。柔居壯,極非其壯,而用壯也。將觸藩矣。恃應而往,不能退也。質弱道窮,不能遂也。進退無可安所之哉,若自守其柔,艱以為志,不敢盈殆,得其吉矣。
経文六五に曰く:田畔の上に於て羊を丟失して、悔恨なし。《象伝》に曰く:田畔に於て羊を丟うは、其の居る所の位置の恰好在らざればなり。 注者は解釈して曰く:此の時陽剛は正に増長して、六五は卻って柔爻を以て其の上に凌駕す。五は本より陽位にして陰爻に占據せらる。それ便ち強を逞しうせんと欲するも、己の強壮を丟失するに等しく、而して丟うこと毫も費力せず。資質柔弱は本より靠るべからず。然れどそれ柔順にして一味に抗拒せず、尊位と「中」を守るを憑りて己を保全す。ゆえに悔恨なし。 経文上六に曰く:公羊は籬笆を頂きて、退きて回る能わず、亦た冲きて出づる能わず。好処ある所なし。処境艱難なるも卻って吉祥。《象伝》に曰く:退きて回る能わずして又た冲きて出づる能わざるは、明智足らざればなり。艱難なるも卻って吉祥とは、過錯の長引かざるを言うなり。 注者は解釈して曰く:上六は柔爻を以て《大壮》の終極に居りて、本より真の強壮なくして偏に強を逞しうせんと欲すれば、ここに於て籬笆に撞上せり。それ下に相「応」の爻あるを仗りて便ち前に向かいて冲ぐれば、ゆえに退きて回る能わず。資質柔弱にして道路窮尽せば、ゆえに亦た冲きて出づる能わず。進退皆身を安ずる処なく、復た何処に往かんや。若し能く己の柔順を安守して、艱難の処境を心志を磨礪するに当作し、敢えて自満して冒進せざれば、即ち吉祥を得るを得べし。
晋卦
坤下離上。晉,康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。彖曰:晉,進也。明出地上,順而麗乎大明。柔進而上行,是以康侯用錫馬蕃庶,晝日三接也。明出地上,聖人順民而麗於大明,光於天下,方無滯於幽也。故柔進而上行,附於大明之中,極一臣之位,任為治之主,故謂為康侯錫以多馬,晝日之間而三接也。
《晋》卦は「坤」下に在り「離」上に在り。卦辞は言う:晋は、邦国を安定するの諸侯は大量の馬匹を賜与せられ、一天の内に三回接見を受けたり。《彖伝》は言う:晋とは即ち前進なり。光明は地面より升出して、柔順にして大光明に依附す。柔爻は前進上行す。ゆえに安国の侯の衆多の馬匹を賜与せられ、一天の内に三回接見を受くると曰う。 注者は解釈して曰く:光明は地面より升起して、聖人は民情に順いて此の大光明に依附して、天下を光照せば、四方は再び幽暗の裡に滞留するの角落なし。ゆえに柔爻は前進上行して、大光明の中に依附して、人臣の頂点を為し、国を治めるの主事者を担当す。ここをもって彼を「康侯」と称して、彼に衆多の馬匹を賞賜し、一天の内に三回接見せり。
象曰:明出地上,晉。君子以自昭明徳。明出地上,大明之道,可進之時也。君子著其明徳,求上知之。初六,晉如,摧如。貞吉。罔孚,裕無咎。象曰:晉如,摧如,獨行正也。裕無咎,未受命也。有應於上,可以進也。應近於五,未獲於情,慮其得之薄,故摧如。不進,以柔守下也。復以自知,正之吉也。未為上信,未受上命,故修徳自退,寛以居之,終無咎矣。
《象伝》は言う:光明の地面より升出するは、此れ即ち《晋》卦なり。君子は此より領悟して、自ら己の美徳を彰明すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:光明は地面より升起して、正に大光明の道通行して進取すべきの時なり。君子は己の美徳を顕揚するは、上位に在る者に己を了解せしめんと希望するなり。 経文初六に曰く:前進せんと欲するも、卻って挫退せられり。正を守れば吉。信任を得ざるも、亦た寛裕自処して、過ちなし。《象伝》に曰く:前進せんと欲して又た挫退せらるるは、独り正道を守るなり。寛裕自処して過ちなきは、未だ任命を接受せざればなり。 注者は解釈して曰く:初六は上面に相「応」の爻ありて、本より前進す可し。然れど其の応する所の九四は六五に緊挨して、感情上は未だ君主の青睞を得ざれば、初六は己の得る所の太だ薄きを顧慮す。ゆえに挫折を受く。それ硬に上に闖らずして、柔順を以て下位を守住し、回頭して自知の明あり。此れ正を守るの吉祥なり。既に上の信任を取得せざるも、亦た上の任命を接受せず。ゆえにただ徳行を修養し主動に退譲して、寛舒に待ちて、終に過ちなからん。
六二,晉如,愁如,貞吉。受茲介福,于其王母。象曰:受茲介福,以中正也。得位而進,無應而愁如也。夫以謹順中正,憂勤其進,非唯獲吉,抑受其福也。五以陰而降徳也。茍能立身行道,當時大明,何必待於應乎。王母,陰尊而幽逺者,猶知福之況其明王乎。
経文六二に曰く:前進せんと欲して、憂愁不安。正を守れば吉。王母の彼処より此の大福を承受せん。《象伝》に曰く:此の大福を承受するは、其の「中」にして又た「正」なればなり。 注者は解釈して曰く:六二は陰爻を以て陰位に居りて位に当たり、正に上進せんとするも、卻って上に相「応」の爻なし。ゆえに憂愁。然れどそれ謹慎柔順・中正不偏の姿態を以て、憂慮して勤勉に進取に対待せば、但だ吉祥を獲得するのみならず、復た福沢を領受せり。六五は陰爻なるも、恩徳を降下するに肯ず。能く身を立て道を行わば、又た正に大光明の令に当たるの時に在りて、何ぞ必ず一の相応の爻を待たざるべからんや。「王母」は陰類の中の尊貴にして幽遠の一位にして、彼女に連れて皆福を賜うを懂得す。況んや聖明の君王をや。
六三,眾允悔亡。象曰:眾允之志,上行也。處上又進悔之道也。眾允志合,故進不非,故悔亡也。九四,晉如,鼫鼠貞厲。象曰:鼫鼠貞厲,位不當也。上奉於五,下據其民,剛強處卑,進不當位,其竊位也。如大鼠焉,貪而無禮,不能終矣。以之為重危之道也。
経文六三に曰く:衆人皆信従して、悔恨消失す。《象伝》に曰く:衆人の信従するの心志は、一同に上に向かいて前進するなり。 注者は解釈して曰く:六三は下卦の上位に処りて復た更に前進せんと欲するは、本より悔を招くの路数なり。然れど衆人皆之を信服して心志相合すれば、ゆえに其の前進は過錯と算せずして、悔恨も亦た便ち消失せり。 経文九四に曰く:前進せんと欲するも、卻って只の碩鼠の如し。占問の結果は危険なり。《象伝》に曰く:碩鼠の如き危険は、其の居る所の位置の恰好在らざればなり。 注者は解釈して曰く:九四は上は六五を奉承せんとし、下は又た民衆を占據し、剛強の質を以て臣下の位に処りて、前進して「位に当たらず」。位を竊據するに等し。それ即ち一隻の大老鼠の如く、貪婪にして礼法を守らざれば、好き結末あらざらん。此の如くして下れば双重の危険の路数なり。
六五,悔亡,失得勿恤,往吉,無不利。象曰:失得勿恤,往有慶也。臣當君任,正之道也。以明盛而進弼成王化而為治主也。夫以明正為治者,則天下各當其才矣,何恤乎失得哉。以斯而往,吉其冝也。故無不利矣。
経文六五に曰く:悔恨消失し、得失は皆憂慮するを要せず。前往して吉祥にして、利あらざる無し。《象伝》に曰く:得失は憂慮するを要せずとは、前往すれば喜慶あらんを言うなり。 注者は解釈して曰く:臣子は君主の托付する所の重任を担当するは、此れ正当の做法なり。六五は光明鼎盛を憑りて上進し、輔助して君王の教化を成就し、天下を治理するの主事者と成る。凡そ光明公正を以て施治する者は、天下人は便ち各自才能と相称の位置上に安放せらる。復た個人の得失の為に操心するを要せんや。此の様に走り下れば、吉祥は理の当然の所にして、ゆえに利あらざる無し。
上九,晉其角,維用伐邑,厲吉無咎,貞吝。象曰:維用伐邑,道未光也。以柔徳治者,不能威肅天下也。故其終多用師焉。進過於禮,故曰角。進極於終,民或叛也。明正久著,人多恊焉,猶用伐邑,雖危吉也。則咎自免矣。治物不以徳,以之為政,可惜之也。
経文上九に曰く:前進は頭上の犄角に到りて、ただ己の属邑を討伐するに用うるの能くするのみ。危険あるも卻って吉祥にして、過ちなし。但だし一直に此の如く下去せばなお憾惜あらん。《象伝》に曰く:ただ属邑を討伐するに用うるの能くするのみとは、其の道未だ光大ならざるを言うなり。 注者は解釈して曰く:単に柔順の徳を用いて治理する者は、天下をして敬畏粛然たらしむる能わず。ゆえに收尾に到りて常に軍隊を動用せんとす。上九は前進して礼の分寸を超過す。ゆえに「角」と称す。全卦の尽頭に進みて、民衆の中には叛離する有り。好くも光明公正は已に彰顯すること甚だ久しく、多数人はなお之と協同す。ここをもって縦に兵を動かして属邑を討伐するも、危険あるもなお吉祥に帰して、過錯も亦た自然免除せらる。事物を治理するに徳行に靠らず、此の方式を用いて政事を処理するは、実に惜しむべし。
明夷卦
離下坤上。離下坤上:明夷,利艱貞。彖曰:明入地中,明夷。內文明而外柔順,以蒙大難,文王以之利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。明入地中,上無以明,天下無所見也。艱以事上,不失於正,利也。故文王內文明而外柔順也。箕子蒙難而能正其志,晦其明者也。
《明夷》卦は「離」下に在り「坤」上に在り。卦辞は言う:明夷は、艱難の中に正を守るに利あり。《彖伝》は言う:光明の地下に沈入するは、即ち《明夷》なり。内裡文明にして外表柔順にして、此を靠りて大の患難を承受す。周文王は即ち此の如く為せり。艱難の中に正を守るに利あるは、己の光明を隠晦せんと欲するなり。身は内部の患難に処しながら能く心志を端正す。箕子は即ち此の如く為せり。 注者は解釈して曰く:光明は地下に沈入して、上位に在る者は顕明するに由なく、天下人も亦た何も看見せず。艱難の中に於て君上に侍奉するも、なお其の正道を失わず。此れ即ち「利」の在る所なり。ゆえに周文王は内裡文明にして外表柔順なり。箕子は患難を蒙受して能く己の志を端正す。正に己の光明を蔵起するの人なり。
象曰:明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。明入地中,藏其明也。民可使由之,不可使知之,故君子之蒞眾也。外用晦,以使民內保。明以為治。初九,明夷,于飛垂其翼,君子于行,三日不食,有攸往。主人有言。象曰:君子于行,義不食也。小人賊害之,時有明,則傷矣。初以君子之徳剛而不回,故為時忌之深也。以其無位,猶且逺患,庶以速奔也,故絶其跡,隱其形,三日而不敢食。逃難而遇人,人必疑言矣。害明之深,懼人之見也。君子畏害而速去,其義豈遑食哉。
《象伝》は言う:光明の地下に沈入するは、此れ即ち《明夷》卦なり。君子は此より領悟して、民に臨み衆を治むるに鋒芒を収斂して、反って更に能く明察すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:光明は地下に沈入するは、己の明智を蔵起するなり。《論語・泰伯》に曰く、百姓は彼らをして照して為さしむる可く、然れど彼らをして事事皆其の中の縁由を明白せしむるは難し。ゆえに君子は民に臨み衆を治むるに、外に対して鋒芒を収斂して、百姓をして内心安穏ならしめ、己は則ち明察を守りて治理を施行す。 経文初九に曰く:光明の傷つけらるるの時、鳥は飛行の中に翅膀を垂下す。君子は逃亡の路上に於て、三天も飯を喰うに顧みず。前往する所有れば、彼を收留する主人は復た閑話を言わん。《象伝》に曰く:君子は逃亡の路上に於て、道義に按りて此の時飯を喰うに顧みざるなり。 注者は解釈して曰く:小人は正に賢良を残害して、当時誰の身上に光明あれば、誰即ち傷を受けん。初九は君子の徳行を具備して、剛直にして迂回するに肯ぜず。ゆえに当世の忌恨する所と為ること最も深し。それ職位なきも、なお遠く禍患を躲开せんと欲し、ただ快く奔逃せんことを盼ぐ。ここをもって行踪を断絶し形跡を隠蔵して、三天も進食するを敢えてせず。難を逃るるの途中に於て人に碰上せば、人家は必ず疑いを起して閑話を言わん。光明を加害する者の用心の深きは、彼をして人に看見せらるるも害怕せしむ。君子は禍害を畏懼して急ぎて離開せんと欲す。道義に按りて何ぞ復た飯を喰うに顧みんや。
六二,明夷,夷于左股,用拯馬壯,吉。象曰:六二之吉,順以則也。守中順則無猜者也。而已道不行矣。夷于左股者焉,故與之拯馬而馳逐也。且內明以外順,雖傷左而右存,與時並行不失其吉也。九三,明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。象曰:南狩之志,乃大得也。為文明之主夷終則進也。上六逺其明,雖高而至晦也。應其誅焉。時之得嚮明而南巡狩也。獲其大首耳,其汙俗漸正而已,不可疾也。
経文六二に曰く:光明の傷つけらるるの時、傷は左腿上に在り。一匹の健壯の馬を用いて救助せば、吉祥。《象伝》に曰く:六二の吉祥は、柔順にして法則に合すればなり。 注者は解釈して曰く:六二は「中」道を守り柔順にして法則に合して、人の猜忌を招かざるも、ただ己の主張の行き通らざるのみ。其の傷は左腿に在れば、ゆえに彼に一匹の健壯の馬を与えて救助して、之を載せて奔馳せしむ。況んやそれ内裡明智にして外表柔順にして、左辺を傷つけらるるも右辺はなお在りて、時勢と並行して其の吉を失わざるをや。 経文九三に曰く:光明の傷つけらるるの時、南方に向かいて巡狩して、敵方の首悪を捕獲せり。急に正を求むべからず。《象伝》に曰く:南に向かいて巡狩するの心志は、大の収獲を得たりしなり。 注者は解釈して曰く:九三は下卦の文明の主にして、光明の傷つけらるるは尽頭に到れば則ち反攻上進すべし。上六は光明に遠離して、位置は高きも晦暗極点に到りて、正に討伐を受くべし。時機既に到来せば、即ち光明の方向に朝かいて南に巡狩下りて、過ぎず彼の首悪を擒獲するのみ。汚濁の風俗はただ慢慢に矯正するの可きにして、急に成を求むべからず。
六四,入于左腹,獲明夷之心于出門庭。象曰:入于左腹,獲心意也。守以下位,順以上承,自右而入于左腹,獲其心意也。順以避患,止守於分明,其歸自異矣。出於門庭,不逺行也。六五,箕子之明夷,利貞。象曰:箕子之貞,明不可息也。在難之內,而能保明其中,智以藏之,愚以晦之,得其正而時不能遷也。則明豈息哉。得中之道亡而能有,故箕子當之矣。上六,不明晦,初登于天,後入于地。象曰:初登于天,照四國也。後入于地,失則也。暗而過中至明夷之極,晦之至也。位高勢,崇登於天也。失道將覆,入於地也。
経文六四に曰く:左辺の腹地に進入して、明を傷つくる者の心思を摸清し、ここに於て門庭を走出す。《象伝》に曰く:左辺の腹地に進入するは、相手の心意を掌握せればなり。 注者は解釈して曰く:六四は臣下の位を安守して、柔順に上を承奉し、右側より潜入して左辺の腹地に至り、相手の心意を摸清せり。それ順従を以て禍患を避開して、ただ己の分内の明白すべき事を守住せば、最終の帰宿は自然旁人と同じからず。門庭を走出すとは、其の他郷に遠走せざるを言うなり。 経文六五に曰く:箕子の如く光明の傷つけらるる時に於て自晦すれば、正を守るに利あり。《象伝》に曰く:箕子の正を守るは、光明は熄滅する能わざるを説明す。 注者は解釈して曰く:六五は身は患難の中に在りて、卻って能く内心の光明を保住して、智慧を用いて之を蔵起し、痴を装うて之を掩盖し、己の正道を守住して時勢の改易する能わざれば、然らば光明は何ぞ熄滅せんや。中道将に亡びんとするの際に於てなお之を存続せしむる能し。ゆえに箕子より由りて此の爻に当たらしむ。 経文上六に曰く:光を発せずして一片の晦暗中に在り、起初は天空に升上し、後来は地下に墜入す。《象伝》に曰く:起初は天空に升上するは、能く四方の国を照耀す。後来は地下に墜入するは、法則を喪失せればなり。 注者は解釈して曰く:上六は昏暗にして中位を越過し、《明夷》の極点に到りて、是れ晦暗の頂に到れるなり。其の位置は高く勢力は盛んにして、天空に升上するが如し。一旦道を失うて将に傾覆せんとすれば、即ち地下に墜入するなり。
家人卦
離下巽上。家人,利女貞。彖曰:家人,女正位乎內,男正位乎外。男女正,天地之大義也。家人有嚴君焉,父母之謂也。父父子子,兄兄弟弟,夫夫婦婦,而家道正。正家而天下定矣。正家之道在於女正,女既位而男位正也。故聖人設昬禮焉,重而娶之,當其位也。然後可保其久矣。夫婦正,家道之先,上下之始也。嚴君之道始焉,父母之道出焉,故嚴其君。則父父子子,兄兄弟弟,夫夫婦婦,家道咸正,而天下定矣。
《家人》卦は「離」下に在り「巽」上に在り。卦辞は言う:家人は、女子の正を守るに利あり。《彖伝》は言う:家人の道は、女子は内に於て己の位置を摆正し、男子は外に於て己の位置を摆正す。男女各々其の正を得るは、此れ天地間の大義なり。一家の中に威厳の君長あるは、説く所は父母なり。父は父の如く、子は子の如く、兄は兄の如く、弟は弟の如く、夫は夫の如く、妻は妻の如くして、家道即ち端正ならん。家家端正せば、天下も亦ち安定せん。 注者は解釈して曰く:一の家を端正するの関鍵は女子の先ず正なるに在りて、女子の位置摆正せられて、男子の位置乃ち跟いて正ならん。ゆえに聖人は婚礼を制定して、鄭重其事に迎娶して、彼此をして各々本位に安んぜしめて、然る後に乃ち長久を保つを得。夫婦各々其の正を得るは、家道の頭一の事にして、亦た上下尊卑の起点なり。威厳君長の規矩は此処より立起して、父母の職分は此処より生発す。ゆえに一家の君長を尊崇すべし。此の如くして一来れば、父は父の如く、子は子の如く、兄は兄の如く、弟は弟の如く、夫は夫の如く、妻は妻の如くして、家道は全て端正にして、天下も亦た安定せん。
象曰:風自火出,家人。君子以言有物,而行有恆。火出而風鼓之炎,乃大也。女正而男久之,家乃成也。必由內生而外成也。言必有在而不茍行,必守常而不雜此家人之,則而正其本也。初九,閒有家,悔亡。象曰:閒有家,志未變也。家人之道,在於防邪,防閒在於初也。及其志未變而正之,則不至於悔矣。得之制者也。
《象伝》は言う:風の火の裡より生出するは、此れ即ち《家人》卦なり。君子は此より領悟して、説話には実在の内容あるべく、行事には恒常の準則あるべきを得たり。 注者は解釈して曰く:火は焼き起れば、風は一たび鼓動せば、火勢即ち旺大す。女子は先ず正にして、男子は再び之を長久維持下去して、家乃ち成就と算す。此の一切は必ず内部より生発して外部に於て完成するなり。説話は必ず言に物有りて苟且せず、行事は必ず常規を守住して駁雑ならず。此れ即ち《家人》卦の法則にして、亦た家庭を端正するの根本の方法なり。 経文初九に曰く:一開始より即ち防範して家を治むれば、悔恨消失す。《象伝》に曰く:一開始より即ち防範して家を治むるは、心志の未だ変壞せざるに趁うてなり。 注者は解釈して曰く:家を治むるの道は邪僻を防止するに在りて、而して防範は最初に下るべし。家人の心志の未だ変壞せざるに趁うて匡正を加えれば、即ち事後の懊悔に至らず。此れ家を治むるの関鍵を抓住せるなり。
六二,無攸遂,在中饋,貞吉。象曰:六二之吉,順以巽也。婦人之職,正其中也。無所遂其成,在中主饋而已。體柔順而剛巽之,得正之吉也。九三,家人嗃嗃,悔厲吉。婦子嘻嘻,終吝。象曰:家人嗃嗃,未失也。婦子嘻嘻,失家節也。體之上,家之長,剛以嚴之。故嗃嗃,威下也。家人之性,不喜服也。雖悔有厲,乃保其吉也。婦子嘻嘻,從下之性,何以節其中哉,可惜也已。
経文六二に曰く:自作主張して何を成就せずして、ただ家中に於て飲食の事を主持す。正を守れば吉。《象伝》に曰く:六二の吉祥は、柔順にして謙遜なればなり。 注者は解釈して曰く:婦人の職分は、家中内部の事務を端正するに在り。彼女は擅自に何を成就するに往かずして、ただ家裡に於て飲食を主管するのみ。其の本体は柔順にして、又た能く謙遜を以て剛爻を承接す。ここをもって正を守るの吉祥を獲得す。 経文九三に曰く:家を治むるに過度に厳厲にして、家人は怨声断えず、悔恨と危険あるも、結果は吉祥。婦人孩子は嬉笑して度なければ、終竟憾惜あらん。《象伝》に曰く:家を治むるに厳厲は、未だ正道を失わざるなり。婦人孩子は嬉笑して度なければ、即ち家庭の節度を喪失せり。 注者は解釈して曰く:九三は下卦の上に居りて、一家の長にして、剛健の質を以て家人を厳格に約束す。ゆえに「嗃嗃」の厲声ありて、是れ下に対して威を立つるなり。人の天性は本より管束を受くるを喜ばず。ゆえに悔恨あり危険あるも、卻って正に此を因に吉祥を保住せり。反って、婦人孩子は嬉笑して度なければ、是れ一味に下の人の性子に順うなり。那れ復た何を拿りて家中の分寸を節制せんや。実に惜しむべし。
六四,富家大吉。象曰:富家大吉,順在位也。柔承於尊,位高而順,故得家之富,保其大吉也。九五,王假有家,勿恤,吉。象曰:王假有家,交相愛也。剛尊配應,夫婦之正,而家道正矣。王至有家,天下刑于上也,親以相親,交以泛愛,何憂乎禍亂哉。故能保其吉也。
経文六四に曰く:家道を富足ならしむれば、大いに吉祥。《象伝》に曰く:家道を富足ならしめて大吉なるは、柔順にして又た恰好在る位置に居ればなり。 注者は解釈して曰く:六四は柔爻を以て尊位を承奉して、位置は高く態度は柔順なり。ゆえに能く家業の富足を獲得して、此の大吉を保住す。 経文九五に曰く:君王は親ら臨みて其の家を擁有せば、憂慮するを要せず、吉祥。《象伝》に曰く:君王の親ら臨みて其の家を擁有するは、家人の彼此相愛するなり。 注者は解釈して曰く:九五は剛爻を以て尊位に居りて、六二と相配して相「応」す。此れ夫婦各々其の正を得るにして、ここに於て家道端正ならん。君王は能く其の家を斉えば、天下は即ち上の者を以て榜様と為す。親情を以て彼此親近し、交往を以て仁愛を広施せば、復た何の禍乱を憂慮せんや。ゆえに能く吉祥を保住す。
上九,有孚,威如,終吉。象曰:威如之吉,反身之謂也。剛得終於家人,天下化之,信而行之人。人正,家而自為治也。夫以家人,威信之道始以,令人也。其終也。反信已焉,人反敬已焉。威信及而天下之治至矣。
経文上九に曰く:心に誠信を懐きて、威厳畏るべし。最終に吉祥。《象伝》に曰く:威厳ありて吉を得るとは、反って己に要求するを言うなり。 注者は解釈して曰く:上九は剛爻を以て《家人》の全卦を収束して、天下皆其の教化せらるる所と為り、人は之を信服して照して為す。人人各々其の身を正せば、家家自然治理して好し。家を治むるの立つる所の威信は、起初は用いて他人を命令するなり。最後に到れば、他人は反って己を信任し、他人は反って己を敬重す。威信の及ぶ所、天下の太平も亦た到来せり。
睽卦
兌下離上。睽,小事吉。彖曰:睽,火動而上,澤動而下。二女同居,其志不同行。說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以小事吉。天地睽而其事同也,男女睽而其志通也,萬物睽而其事類也。睽之時用大矣哉。
《睽》卦は「兌」下に在り「離」上に在り。卦辞は言う:睽は小事吉祥。《彖伝》は言う:睽の卦象は、火は上に向かいて燃動し、沢は下に向かいて流動す。両の女子は一屋に同住して、心志は卻って同一の方向に朝かわず。下卦「兌」は欣悦にして上卦「離」の光明に依附し、柔爻は前進上行して、「中」に居りて剛爻と相「応」す。ゆえに小事吉祥。天地は相背離して化育の事は卻って相同じく、男女は相背離して心意は卻って相通ず。万物は彼此背離して各自の事類は卻って相似たり。乖離の時の功用は、真に重大なりや。
睽,異也。上火下澤,火炎上澤,潤下性之異也。二女同居,志各異行,是以睽也。此獨化不足失其全,用睽而為合也。他用小事同矣。事之同,則相說明其冝也。柔進上行而應剛,小得其中,睽而應其正,故小事,用之吉。古者聖人之治也。用天下之物成天下之事,取異物相制,或以相合,其類多矣。則天下無不同也。至於天地之殊,男女之別,體異而事同,況乎小物也。子曰:弦木為弧,剡木為矢。蓋取諸睽合眾材,各睽其小體而成其大器。觀是而他可知也。夫濟天下之務者,豈止於一材乎。非聖人不能合睽而為功也。
注者は解釈して曰く:睽とは即ち相異なり。上は火にして下は沢なり。火性は炎上し沢性は潤下す。此れ本性上の相異なり。両の女子は一屋に同住して、心志は各々一辺に朝かう。ゆえに睽と曰う。単に一方の独自化育に靠るは、整体を成全するに足らず。正に此の相異を借りて結合を促成すべし。其の余の用場は、小事の上に於て即ち相同じくするを得。事情能く相同じければ、彼此即ち欣悦に各自の分寸を講明す。柔爻は前進上行して剛爻と相「応」して、小小に「中」を守住せり。相乖離するも正道に応合せり。ゆえに小事の上に於て之を用いれば吉祥なり。古の聖人の天下を治理するや、是れ天下の各種の物件を用いて天下の各種の事情を成就す。性質相異の物を取来りて互に制約し、或いは互に配合す。此の如き例子は甚だ多し。ここに於て天下は相合する能わざる無し。天と地の懸殊・男と女の分別に至りては、形体相異にして成す所の事相同じく、況んや彼らの細小の物件をや。孔子は《周易・繋辞下》に於て曰く、木を曲げて弓と為し、木を削り尖らして箭と為す。此れ蓋し《睽》卦に取象せるなり。各種の材料を聚合して、彼らをして各自小処の相異を保留せしめて、ここをもって一件の大器を成就す。此の一点を看懂せば、別の道理も亦た推知する可し。天下の大事を為成せんとするに、豈にただ一種の材料に靠らんや。聖人にあらざれば、即ち相異の物を合起して功業を建立する能わず。
象曰:上火下澤,睽。君子以同而異。上火下澤,志睽者也。中有小事之用焉。君子合異以同其事,同則務濟,類非不可以無別,無別則亂生,故君子同其事而異其道。初九,悔亡。喪馬勿逐,自復。見惡人,無咎。象曰:見惡人,以辟咎也。睽,異類而同也。未合而悔生也。故六爻初皆咎,而能免之者,以其小事同也。小事同者,何往不同哉,故皆有終也。馬,類之異也。睽之初,不相與,故喪之矣。終賴而相濟也,則勿逐而自復矣。火澤體異而相惡也,惡而睽之,復相逺矣。見而和之,何咎之有。與時終睽,而小事吉也。
《象伝》は言う:上は火・下は沢なるは、此れ即ち《睽》卦なり。君子は此より領悟して、相同の中に於て相異を保持すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:上は火・下は沢にして、心志は乖離なるも、其の中はなお小事を為るの用処あり。君子は相異の力量を聚合して同一の事を為るに往く。同心して乃ち事を為成するを得。而して同類の中も亦た分別あるべからざる可からず。分別なければ即ち乱を生ぜん。ゆえに君子は同一の事を為るも、卻って各々不同の路数を守る。 経文初九に曰く:悔恨消失す。馬は走り丟うるも追うを要せず、它自ずから回らん。面目可憎の人に見えば、過ちなし。《象伝》に曰く:可憎の人に見ゆるは、以て過錯を避開するなり。 注者は解釈して曰く:睽とは、異類にして終に相同じくする能くするなり。彼此は未だ合攏せざれば、悔恨即ち生出す。ゆえに六爻は起初皆過錯を帯びたり。而して能く過錯を免るるは、小事の上に於て能く相同じくするに靠ればなり。小事の上に於て能く相同じくする者は、何処に走り至るも相同じくせざらんや。ゆえに各爻皆好き結末あり。馬とは、異類の象徴なり。乖離の初に於て彼此は相親附せず。ゆえに馬は走り丟う。最終はなお之を靠りて互に成全せば、ゆえに追うに及ばずして它自ずから回らん。火と沢は形体相異にして彼此嫌悪す。若し嫌悪を因に之と乖離せば、即ち離るること愈々遠からん。見えて関係を調和好くせば、復た何の過錯あらんや。時勢と一同に乖離して底に至るも、而して小事の上に於てなお吉祥を得たり。
九二,遇主于巷,無咎。象曰:遇主于巷,未失道也。火澤,睽也。而不相通陰陽,匹也。相求之物,睽而相望而相得。曰遇巷者,不逺而得也。初為出門,二為巷乎,相得既通,可無咎矣。六三,見輿曵,其牛掣,其人天且劓,無初有終。象曰:見輿曵,位不當也。無初有終,遇剛也。睽始異,而終有遇,履非其位,不安所處,輿曵者也。乘剛不能制下,其牛掣也。四與已睽,近不相得,則害生矣。故自上刑也。履於不正,是固然矣,始睽而難故,無初也。應而後合,故有終也。
経文九二に曰く:小巷の裡に於て主人に遇見せり。過ちなし。《象伝》に曰く:小巷の裡に於て主人に遇見するは、本より正道に背離せざるなり。 注者は解釈して曰く:火と沢は本より乖離にして、彼此相通ぜず。然れど陰と陽は配偶にして、互に尋求するの物なり。乖離するも、遥遥相望して終に相得る能し。「巷に遇う」と曰うは、指す所は遠く走るを要せずして遇見したるなり。初九は剛き門を出たると算し、九二は便ち巷子の裡に走り至ると算さん。彼此相得て気を通せば、即ち過ちなからんを得べし。 経文六三に曰く:大車の向後に拖拽せらるるを見て、車を拉く牛も亦た牽制せらる。駕車の人は額上刺字と割鼻の刑罰を受けたり。起初は順ならざるも、最終は好き結果あらん。《象伝》に曰く:大車の拖拽せらるるを見るは、其の居る所の位置の恰好在らざればなり。起初順ならずして最終好き結果あるは、剛爻に遇上せればなり。 注者は解釈して曰く:乖離の時は開頭は総じて相異にして、末了に到りて乃ち遇合あり。六三の踏む所は其の在るべき位置にあらざれば、身を安ずる能わず。ゆえに大車の向後に拖拽せらるるが如し。それ剛爻の上に凌駕するも卻って下を制服する能わず。ゆえに牛は牽制せらる。九四は之と乖離して、靠ること甚だ近くして合い来らず。禍害即ち生出せり。ゆえに刑罰は上より加え来るなり。正ならざる位置上に踏めば、本より此の如くなるべし。開頭乖離して処境艱難なれば、ゆえに「无初」と曰う。最終は上九と相「応」して合攏せば、ゆえに「有終」と曰う。
九四,睽孤,遇元夫。交孚,厲無咎。象曰:交孚無咎,志行也。睽而無應,志患其孤,求與同者,初亦不偶合。志交信孚以陽,召陽非好合者,故危矣。同體與事,故無咎也。睽無自成,必自外合也,故兩陽而有終焉。六五,悔亡,厥宗噬膚,往何咎。象曰:厥宗噬膚,往有慶也。睽而未通,悔之道也。終而有應,故悔亡之矣。宗二也。三柔比之,欲以為附,二噬而絶也。而願合於已,往何咎哉。柔膚也。陽噬之易也。中而有與,往有慶也。
経文九四に曰く:乖離の中に孤立無援にして、陽剛の大丈夫に遇上して、彼此誠信を以て相交す。危険あるも卻って過ちなし。《象伝》に曰く:誠信を以て相交して過ちなきは、心志の施行を得ればなり。 注者は解釈して曰く:九四は乖離の中に処りて相「応」の爻なく、心の裡に己の太だ孤単なるを愁えて、同道を尋求す。然れど初九も亦た其の配偶にあらず。それ陽爻の身份を以て陽爻と心を交わりて信を取る。陽を用いて陽を召すは、本より陰陽の好合にあらず。ゆえに危険あり。好くも同一卦に同属して共に一事を為れば、ゆえに過ちなからん。乖離は本より自ら事を成す能わざれば、必ず外来の力量を靠りて結合すべし。ゆえに両の陽爻も亦た好き結末あるを得。 経文六五に曰く:悔恨消失し、其の同宗は軟肉を咬開するが如く容易し。前往して何の過錯あらんや。《象伝》に曰く:同宗は軟肉を咬開して、前往すれば喜慶あらん。 注者は解釈して曰く:乖離して彼此相通ぜざるは、本より悔を招くの路数にして、最終は相「応」の爻を得たり。ゆえに悔恨消失す。「厥宗」は九二を指す。六三の此の柔爻は九二に緊「比」して、依附し上らんと欲すれば、九二は一口に之を咬断して、而して甘んじて六五と結合す。然らば六五の前往して復た何の過錯あらんや。六五は柔弱にして一塊の軟肉の如く、陽爻は之を咬開せんとするに甚だ容易し。それ「中」を守りて又た同伴あり。ゆえに前往すれば喜慶あらん。
上九,睽孤,見豕負塗,載鬼一車,先張之弧,後說之弧,匪宼婚媾,往遇雨則吉。象曰:遇雨之吉,群疑亡也。睽之極,惡其孤之深也。三以失位之陰,大乖其道,上以文明之主,觀而輕穢之。怪異之先張之弧,不願之極,後說之弧,思合之深也。無四之宼,則亦親矣。始睽終合而得吉也。遇陰之極,則好合之道成,又何群疑之有哉。
経文上九に曰く:乖離の中に孤立無援にして、一頭の猪の背上に泥満つるを見、又た一整車の鬼を見たり。先ず弓を張りて射んと欲して、後来は又た弓を放下す。来るは強盜にあらずして、求婚の人なり。前往して雨に遇下せば即ち吉祥。《象伝》に曰く:雨に遇いて吉なるは、種種の疑慮皆消散すればなり。 注者は解釈して曰く:乖離は極点に到りて、最も厭悪する所は己の孤単なり。六三は失位の陰爻にして、大いに正道に違背す。上九は上卦の文明の主にして、之を看れば便ち之を軽賤し、其の汚穢を嫌いて、其の怪異を覚る。ここに於て先ず弓を張りて射んと欲す。此れ情愿せざるの極点に到れるなり。後来は又た弓を放下す。此れ結合せんと欲するの心思の深き極点に到れるなり。ただ九四の此の「強盜」の中より作梗する無ければ、両者も亦た親近し来る。開頭は乖離して末了は合攏す。ここをもって吉を得。陰気の極点に積みて雨を降下するに遇上せば、好合の道は成りたり。復た何の種種の疑慮あらんや。
蹇卦
艮下坎上。蹇,利西南,不利東北,利見大人,貞吉。彖曰:蹇,難也。險在前也。見險而能止知矣哉。蹇,利西南,往得中也。不利東北,其道窮也。利見大人,往有功也。當位貞吉,以正邦也。蹇之時用大矣哉。見險而止,難其進也。度徳而處,將以營之也。蹇利西南,眾順待治,往而得中,因眾而險下濟也。不利東北,遂止而不以進,道窮而不能濟於蹇也。
《蹇》卦は「艮」下に在り「坎」上に在り。卦辞は言う:蹇は、西南に往くに利あり、東北に往くに利あらず。大人に見ゆるに利ありて、正を守れば吉。《彖伝》は言う:蹇とは即ち艱難にして、険阻は前に横たわる。険阻を見て能く停止するは、真に明智なりや。蹇は西南に利あるは、前往して「中」位を得る能くすればなり。東北に利あらざるは、彼の路已に尽頭に走り至ればなり。大人に見ゆるに利あるは、前往して功業を建立する能くすればなり。各爻位に当たりて正を守りて吉を得るは、以て邦国を端正するが為なり。艱難の時の功用は、真に重大なりや。 注者は解釈して曰く:険阻を見れば即ち停止するは、前進の此の事を甚だ慎重に看待するなり。己の徳行を衡量して然る後に処する所を決定するは、好く此の事を経営せんと打算するなり。「蹇利西南」は、西南は坤に属して衆人順従して治理を待てば、前往すれば即ち「中」を得、衆人の力を憑借して下より険難を化解し去るを得べし。「不利東北」は、此に就きて止步して復た前進せざるを言うにして、道路窮尽して、亦た此の艱難を解救するに法なし。
象曰:山上有水,蹇。君子以反身修徳。山上有水,難之所也,有徳者乃能濟之。君子反身修徳,將以為也。初六,往蹇來譽。象曰:往蹇來譽,冝待也。柔止於初,見險而待,保下之安也,故往則之蹇,來則見譽矣。六二,王臣蹇蹇,匪躬之故。象曰:王臣蹇蹇,終無尤也。得位居正而應於尊,竭力致身以輔於上,救其蹇於蹇中也。五能蹇而已竭焉,可以保其終也。
《象伝》は言う:山の上に水あるは、此れ即ち《蹇》卦なり。君子は此より領悟して、反って自身を検査して徳行を修養すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:山の上に水あるは、艱難の在る所の処にして、ただ徳ある人のみ乃ち之を渡り過ぐる能し。君子は身を反して自省して徳行を修養するは、正に将来の為す所有らんが為なり。 経文初六に曰く:前往せば艱難に陷入せん、回来せば則ち称誉を獲得せん。《象伝》に曰く:前往して艱難にして回来して誉を獲るは、時機を等待すべきを言うなり。 注者は解釈して曰く:初六は柔爻を以て最下位に停りて、険阻を見れば即ち守候して、下面の安穏を保住せり。ゆえに前に往きて走れば即ち艱難に撞上し、退き回れば卻って称誉を受く。 経文六二に曰く:君王の臣子は艱難の中に於て一再して難に赴くも、本より自身の為にあらざるなり。《象伝》に曰く:君王の臣子の一再して難に赴くは、終に怨咎なからん。 注者は解釈して曰く:六二は陰爻を以て陰位に居りて「位に当たり」て「正」を守り、又た九五の尊位と相「応」す。気力を竭尽し自身を豁出して君上を輔佐し、艱難の中に於て君上の艱難を解救す。九五は能く之と共に艱難に赴きて、而して其の自身は又た全力を傾けたり。ここをもって能く善終を保住す。
九三,往蹇來反。象曰:往蹇來反,內喜之也。得位於上,內有其人,安之所也。故往則涉險難中,來則內喜,得其反而安矣。六四,往蹇來連。象曰:往蹇來連,當位實也。蹇非得中,不能濟下也。四得位矣,可以承其上,而不可獨濟也。故往則蹇矣,來則當其位而連於實,得其所附也。
経文九三に曰く:前往せば艱難に陷入せん、回来せば則ち本処に返帰せん。《象伝》に曰く:前往して艱難にして回来して返帰するは、内卦の人の皆之を歓迎すればなり。 注者は解釈して曰く:九三は下卦の上位に在りて「位に当たる」。内卦は其の同伴あるにして、是れ身を安ずる可きの処なり。ゆえに前に往きて走れば即ち険難の中に渉入し、退き回れば内卦の人は皆歓喜して、它本処に返帰して亦た安穏ならん。 経文六四に曰く:前往せば艱難に陷入せん、回来せば則ち人と連結せん。《象伝》に曰く:前往して艱難にして回来して連結するは、其の位に当たりて処境実在なればなり。 注者は解釈して曰く:艱難の中に処りて若し「中」を守住せざれば、即ち下面の人を解救する能わず。六四は位に当たるも、君上を承奉する可く、然れど独り艱難を解救しに往く能わず。ゆえに前に往きて走れば即ち艱難にして、退き回れば則ち本位に安んじて実在の同伴と連結して、己の依附すべきの処を尋ね得たり。
九五,大蹇朋來。象曰:大蹇朋來,以中節也。在蹇之中正,而得大位,濟蹇之大者也。居於中正,而能裁制節度,使賢不肖,各當其所,故用朋來,而求伸也。上六,往蹇來碩吉。利見大人。象曰:往蹇來碩,志在內也。利見大人,以從貴也。柔居陰極內有其應,五極其蹇已,又附之,故往則道窮。求得內附,故大且吉。利見以從,貴也。
経文九五に曰く:身は大艱難の中に処りて、朋友前来して相助す。《象伝》に曰く:大艱難の中に朋友前来するは、中に居りて節度あればなり。 注者は解釈して曰く:九五は艱難の中に於て「中」に居りて「正」を得、又た尊貴の大位を占據す。是れ艱難を解救するの主角なり。それ中に居りて正を守りて、能く裁断安排して分寸を掌握し、賢能と不賢をして各々其の所を得しめば、ゆえに能く朋友の前来して相助するを靠りて、局面を伸展し開かんと謀求す。 経文上六に曰く:前往せば艱難に陷入せん、回来せば則ち収穫碩大にして吉祥。大人に見ゆるに利あり。《象伝》に曰く:前往して艱難にして回来して碩大なるは、心志の内卦に在ればなり。大人に見ゆるに利あるは、尊貴の者に順従すればなり。 注者は解釈して曰く:上六は柔爻を以て陰位の極点に居りて、内卦は之と相「応」の九三あり。九五は已に身を艱難の極に陥れて、它又た九五に依附せんと往けば、ゆえに前に往きて走れば即ち道路窮尽す。転じて内に向かいて依附を尋求して、ここをもって収穫碩大にして吉祥なり。謂う所の「利見大人」とは、即ち尊貴の者に順従するなり。
解卦
坎下震上。解,利西南,無所往,其來復吉。有攸往夙吉。彖曰:解,險以動,動而免乎險。解,解利西南,往得眾也。其來復吉,乃得中也。有攸往夙吉,往有功也。天地解而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲拆。解之時大矣哉。
《解》卦は「坎」下に在り「震」上に在り。卦辞は言う:解は、西南に往くに利あり。若し往く可き処無ければ、則ち原処に返回すれば即ち吉祥。若し前往する所有らば、早く行動すれば即ち吉祥。《彖伝》は言う:解とは、身は険難に処りて能く行動し、一動すれば即ち険難を脱離す。解は西南に利あるは、前往して衆人の擁護を得る能くすればなり。原処に返回して吉祥なるは、能く「中」を守住すればなり。前往する所有りて早ければ則ち吉なるは、前往して功業を建立する能くすればなり。天地の気は一たび舒解せば、雷雨即ち発作す。雷雨は一たび発作すれば、各種の果木草本の種子外壳は皆裂開して発芽す。舒解の時の意義は、真に重大なりや。
濟險而動,動出於險,解也。道之夷而無適,不達也。君子可策其名也。解利西南,往而得眾,動於外而有功也。其來復吉,復其所亦可以位也。內剛中而得民也。有攸往夙吉,趨時之敏,緩則無功也。天地解而雷雨作,百果草木皆甲拆,自然之應,不疾而速也。君子貴其途而通也。可無夙乎,非知通於物者,不能通於時也。
注者は解釈して曰く:険難を渡過して行動して、一動すれば即ち険境を走出せり。此れ即ち「解」なり。道路は平坦にして、何処に往くとも走り通らざる無し。君子は正に此処に於て己の功名を成就す可し。「解利西南」は、前往して衆人の擁護を得て、外部に於て行動して功業を建立するなり。「其来復吉」は、己の元の処所に回帰して、同じく本位に安んずるを得べし。此れ内卦に剛爻の「中」に居りて民心を得ればなり。「有攸往夙吉」は、敏捷に時機を抓住すべきを言うにして、拖延せば即ち功效なし。天地の気は舒解して雷雨発作して、各種の果木草本の種子外壳は皆裂開す。此れ自然而然の感応にして、急躁ならずして来ること極めて速し。君子の看重する所は正に道路通暢の此の一点にして、何ぞ趁早にせざるべからんや。事物の理に通達するを懂得する人にあらざれば、即ち時機に通達する能わず。
象曰:雷雨作,解。君子以赦過宥罪。雷雨作,上震下澤,釋難之時也。久險不通,人不堪也。赦過宥罪,應乎人心而得其解也。初六,無咎。象曰:剛柔之際,義無咎也。解,緩也。無阻艱也。況以柔守下而承於剛乎。得其序也。其義固無咎矣。
《象伝》は言う:雷雨の発作するは、此れ即ち《解》卦なり。君子は此より領悟して、過失を赦免し罪愆を寛宥すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:雷雨は発作して、上は震雷・下は潤沢にして、正に患難を解除するの時なり。険難は長久通ぜずして、人は堪え忍ぶ能わず。過失を赦免し罪愆を寛宥するは、人心に順応して、患難も亦た之に随いて化解せん。 経文初六に曰く:過ちなからん。《象伝》に曰く:剛爻と柔爻の交接するの際は、道理に按りて過ちなからん。 注者は解釈して曰く:解とは、即ち舒緩にして、阻塞艱難なし。況んや初六は柔爻を以て最下位に守りて上の剛爻を承奉するをや。上下の次序皆摆対せり。道理に按りて本より過ちなからん。
九二,田獲三狐,得黃矢,貞吉。象曰:九二貞吉,得中道也。剛居中也,能濟其險,眾之所附也。初承以奉之五,正而應之,眾來附之,非我之貪也。難以解矣,可以各保其歸也。守中直而保其正,不乾其邪,得中道正之吉也。
経文九二に曰く:田獵して三隻の狐狸を捕獲し、黄色の箭矢を得たり。正を守れば吉。《象伝》に曰く:九二の正を守りて吉祥なるは、「中」道を得ればなり。 注者は解釈して曰く:九二は剛爻を以て下卦の中位に居りて、能く険難を解救す。是れ衆人の依附する対象なり。初六は下に在りて之を承奉し、六五は上に在りて正道を以て之と相「応」し、衆人皆来りて依附す。本より其の自ら貪求して得たる所にあらず。険難既に化解して、各方皆己の帰宿を保住するを得。それ中正剛直を守住して己の正道を保住し、邪僻に沾染しに往かず。ここをもって中道守正の吉祥を獲得す。
六三,負且乘,致宼至,貞吝。象曰:負且乘,亦可醜也。自我致戎,又誰咎也。履於不正,乘於二,而與之負於四,而繫之多妄之陰,貪其非有,亦可丑矣。宼自已致,誰之咎乎。以之為正,可惜者也。九四,解而拇,朋至斯孚。象曰:解而拇,未當位也。剛處於卑而與三相得,如拇附也。未當位者也。非可久也。故解拇而與,初為朋得其正,乃保其孚矣。
経文六三に曰く:物を背負いて卻って又た大車に坐乗して、強盜を招来せり。占問の結果は憾惜なり。《象伝》に曰く:物を背負いて又た大車に坐乗するは、実に看難し。自ら兵禍を招来して、復た誰を怪まんや。 注者は解釈して曰く:六三は正ならざる位置上に踏みて、九二の上に凌駕して、又た九四と背を靠せ背を靠せに纏擾す。是れ満身妄念の陰爻にして、本より己に属せざる物を貪図す。実に看難し。強盜は自ら招来せるにして、誰を怪む能わんや。此の一套を以て正道と為すは、実に惜しむべし。 経文九四に曰く:汝の脚上の大拇指を解开せば、朋友到来して誠信有らん。《象伝》に曰く:汝の大拇指を解开するは、位置恰好在らざればなり。 注者は解釈して曰く:九四は剛爻を以て臣位に処りて六三と相投して、大拇指の緊貼するが如し。それ本より「位に当たらず」して、此の関係は長久維持する能わず。ゆえに六三との纏擾を解开して、転じて初六と結びて朋友と為して、乃ち其の正を得ると算し、亦た彼此の誠信を保住せり。
六五,君子維有解,吉,有孚于小人。象曰:君子有解,小人退也。解,行險而免其險也。故下多妄動焉,皆上法之怠,從以濟險而失於緩也。五以柔處,中而繫有,終二守其正而已矣,不敢自解也,故得其中吉也。夫人之化上,從其行也。上難則小人不敢妄進也。
経文六五に曰く:君子は唯だ小人之患を解除する能くして、乃ち吉祥を得。此の一点は小人の身上に於ても亦た検証を得たり。《象伝》に曰く:君子は解除する所有れば、小人即ち退去せん。 注者は解釈して曰く:解とは、険難を走り過ぐて険難を脱擺するなり。ゆえに下の人は常に妄動するは、皆上の法度の松弛の致す所にして、跟いて共に険を解きに往くも卻って拖沓に失す。六五は柔爻を以て上卦の中位に居りて心に牽係ありて、終竟ただ九二をして其の正道を守住せしむるのみ、自身は敢えて軽易に松懈せず。ゆえに中を守るの吉祥を得たり。人は上の者の感化を受くるは、其の実際の做法に跟いて走るなり。上は厳格なれば、小人は敢えて胡乱に進取せざるなり。
上六,公用射隼于髙墉之上,獲之。無不利。象曰:公用射隼,以解悖也。解,釋弛緩也。故多有縱焉。終而獲之,得其時也。三應其誅焉。縱悖之甚,據非其有,雖欲貪戾,其能終乎。而公以法誅,何所不獲。悖解眾安無不利也。
経文上六に曰く:王公は高墻の上に於て彼の鷹隼を射て、射中して之を擒獲せり。利あらざる無し。《象伝》に曰く:王公の隼を射るは、以て悖乱を解除するなり。 注者は解釈して曰く:解とは、釈放・松弛・寛緩の意思を含む。ゆえに此の一卦の裡に於ては常に放縦の事あり。最後に到りて悖乱の者を擒獲するは、時機を抓住せるなり。六三は正に此の一誅を受くべし。それ放縦悖乱すること極点に到りて、本より己に属せざる物を占據し、縦に一味に貪婪暴戻するも、又何ぞ善終を得んや。王公は法に依りて誅討せば、復た何の擒え得ざるあらんや。悖乱は一たび除かれば、衆人は安定す。ゆえに利あらざる無し。
損卦
兌下艮上。損,有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往,曷之用,二簋可用享。彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞利,有攸往,曷之用,二簋可用享。二簋應有時,損剛益柔有時。損益,盈虛與時偕行。
《損》卦は「兌」下に在り「艮」上に在り。卦辞は言う:損は、心に誠信を懐きて、大いに吉祥にして、過ちなく、正を守る可く、前往する所有るに利あり。何を用いて祭献せんや。两簋の薄食にして足りて享祭す可し。《彖伝》は言う:損とは、下面を減損して上面を增益して、其の路数は上に向かいて走るなり。減損して心に誠信を懐けば、大いに吉祥にして、過ちなく、正を守る可くして利あり、前往する所有るに利あり。何を用いて祭献せんや。两簋の薄食にして享祭す可し。两簋の薄食を用うるは時候を看るべく、剛健を減損して柔順を増益するも亦た時候を看るべし。減損と增益・充盈と虛虧は、皆時勢に随いて一同に変化推移す。
損,損下也。夫上也者,下之庇也,可無奉乎。故分下之剛,而上益於柔,下不敢多,而奉其上也。損者,益之本,能損而當,則民成矣。大吉而無咎。雖損也,其道存焉,可以正也,有正而能損已,何往而不可哉。損而得於時,雖至約可也。竭剛以奉,其道不存,不可正也已矣,故損益盈虛而與時偕行也。剛者,君子之道也,故處於下以奉其上,居其上以益於下,君子之道也。下者上之本也。不可以失其所也,故損益之辭繫焉,為人上者不可不慮下也。
注者は解釈して曰く:損とは、下面を減損するなり。上位に在る人は下民の庇護にして、何ぞ供奉しに往かざるべからんや。ゆえに下卦の剛爻を分出して、上に向かいて上卦の柔爻を增益す。下面は敢えて多く留めずして、而して之を上に奉ぐ。減損とは、正に增益の根本なり。能く減損して又た恰如其分なれば、百姓即ち成全を得。ゆえに大吉にして過ちなからん。減損なるも、其の中の道理はなお在りて、ここをもって正を守る可し。心に正道を存して又た能く己を減損すれば、然らば何処に往くとも行き通らざらんや。減損若し時宜に合せば、便ち倹薄の極点に到るも未だ嘗て可ならざる無し。然れど若し剛健の力を抽乾して上に供奉せば、那れ道理は存在せざらん。亦た何の正不正を談ぜんや。ゆえに減損と增益・充盈と虛虧は皆時勢に随いて一同に推移するを要すと曰う。剛とは、君子の道なり。ここをもって下位に処れば則ち之を用いて上に奉事し、上位に居れば則ち之を用いて下を增益す。此れ皆君子の道なり。下面は上面の根本にして、之をして応有の位置を失わしむべからず。ゆえに《損》《益》両卦の辞は乃ち此処に繋げらる。人の上位者と為るは下の為に着想せざる能わざるなり。
象曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒欲。山下有澤,山止其上,損澤而上,潤也。君子之可損者,忿欲也。縱之而咎生也,故戒之。初九,已事遄往,無咎。酌損之。象曰:已事遄往,尚合志也。損貴其合時,初以結之,合其志也。故止其事而遄往,則終無咎矣。酌者,損之薄也。損以奉上,冝乎夙也,初猶遄也,其可後乎。當其時,雖酌之當也。
《象伝》は言う:山の下に沼沢あるは、此れ即ち《損》卦なり。君子は此より領悟して、忿怒を克制し嗜欲を堵住すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:山の下に沢ありて、山は静止して上に在りて、沼沢の水汽を減損して上に向かいて蒸騰して山体を滋潤せしむ。君子の身上の減損すべきは、即ち忿怒と嗜欲なり。之を放縦せば、過錯即ち生出せん。ゆえに戒惕を加うべし。 経文初九に曰く:己の手頭の事を停下して赶快に前往せば、過ちなし。但だし斟酌して減損すべし。《象伝》に曰く:手頭の事を停下して赶快に前往するは、上の心志と相合すればなり。 注者は解釈して曰く:減損は最も時機に合することを看重す。初九は一上りて即ち上と結合して、正に心志相投せり。ゆえに己の事を停下して赶紧に前去すれば、終に過ちなからん。謂う所の「酌」とは、減損すること薄き得なり。己を減損して上を奉養するは、趁早すべきにして、初九は本より赶紧すべきにして、何ぞ後に落ちる能わんや。ただ時機に赶上せば、便ちただ斟酌して一点を損するも、亦た恰好在るなり。
九二,利貞。征凶弗損,益之。象曰:九二,利貞,中以為志也。初遄往而酌損之,貴其初合其志也。於事中可以守,務利其正也。損非其時,徒失其正,征之凶也。志守中正,而從其事不損己,以奉上,而上來,益已得,其中道者也。
経文九二に曰く:正を守るに利ありて、急に出征せば則ち凶。己を減損せずして、卻って相手を增益せり。《象伝》に曰く:九二の正を守るに利あるは、「中」を守るを以て己の心志と為せばなり。 注者は解釈して曰く:初九は赶紧に前往して斟酌して減損するに、貴ぶ可きは其の一開頭より即ち上と心志相合するなり。九二は事情の中段に処りて、持守して動かざるを得て、務めて己の正道を守住せんと求む。減損若し時宜に合せざれば、白白に己の正道を丟棄して、急に出征すれば即ち凶険あらん。それ心志に中正を守りて、事を為るに於て本より己を減損して上を奉承せずして、上は卻って下り来りて之を增益す。此れ即ち中道を得るの人なり。
六三,三人行,則損一人,一人行,則得其友。象曰:一人行,三則疑也。一與一則志專而相應也。一以待而二以應之則惑矣。而況於三乎。於男女則不生化矣,於所求則累其徳矣,於建?則多勞而寡功矣,可以不愼乎。故三陰行則損六三之應,六三獨往則獲上矣。
経文六三に曰く:三人同行すれば、即ち一人を減損し去らん。一人独行せば、卻って其の伙伴を得る能し。《象伝》に曰く:一人独行して乃ち対を為す。三人は一起すれば即ち互に猜疑せん。 注者は解釈して曰く:一対一は、心志専一にして彼此相「応」す。一方は等待するに、卻って両方ありて来りて之に応ずれば、即ち迷惑す。況んや三方をや。男女の間に於ては、人多ければ即ち生育化育する能わず。求むる所の事情の上に於ては、人多ければ即ち徳行を拖累す。営建(原文此処一字を缺く)の事情の上に於ては、人多ければ即ち労苦して収効少なし。此れ能く謹慎せざるべからんや。ゆえに三の陰爻は一同に行動すれば、即ち六三の相応の関係を減損し去らん。六三は単独に前往すれば、卻って上九を得る能し。
六四,損其疾使遄有喜,無咎。象曰:損其疾亦可喜也。逺於陽而處兩陰之間,待初之來而為勤,望之初遄,來使已疾,損而有喜也,亦有何咎。六五,或益之十朋之,弗克違,元吉。象曰:六五,元吉自上佑也。損而益之,天之道也,人之理也。居尊以柔,能損諸已也,則天佑之。民歸之莫不感說以奉益也,或也者非意之而自外至也。雖十朋之,莫違其大吉也。
経文六四に曰く:己の毛病を減損して、人をして赶快に前来せしめば即ち喜慶ありて、過ちなし。《象伝》に曰く:己の毛病を減損するは、亦た欣喜するに値するなり。 注者は解釈して曰く:六四は陽爻に遠離して両の陰爻の中間に夾まれて、ただ初九の前来して力を出すを待ちて、其の赶紧に動身せんことを盼ぐ。初九は一来れば即ち之の為に病痛を去掉して、減損の後卻って喜あり。復た何の過錯あらんや。 経文六五に曰く:人来りて之を增益して、価値十朋の大亀すら、誰も之に違逆する能わず。大いに吉祥。《象伝》に曰く:六五の大いに吉祥なるは、上天の保佑より来るなり。 注者は解釈して曰く:先ず減損して然る後に增益するは、此れ天道にして、亦た人事の常理なり。六五は柔順を以て尊位に居りて、能く己を減損すれば、上天即ち之を保佑す。百姓は之に帰附して、感動欣悦して增益を捧上せざる者無し。謂う所の「或」とは、此の增益は其の意を以て謀求する所にあらずして、自ら外より門に送り来るを言うなり。便ち価値十朋の大亀なるも、其の此の大吉に違逆する能わず。
上九,弗損益之,無咎,貞吉。利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。損,損下奉其君也。上非受益之地,亦臣於主也。而剛正以處之,五柔以奉之,故不損己以奉主,而為主所益也,復何咎哉。得正之吉也。尚徳而往,何不利乎,高而無位,贊五之功,雖應得臣,無自有也。上賢之徳得損之終反受其益,大得志者也。
経文上九に曰く:己を減損せずして卻って他人を增益せば、過ちなく、正を守れば吉。前往する所有るに利ありて、臣属を得るも一家に偏私せず。《象伝》に曰く:己を減損せずして他人を增益するは、大いに心志を実現せるなり。 注者は解釈して曰く:損とは、本より下面を減損して君主を奉養しに往くなり。上九の処する所は本より增益を接受するの位置にあらず。它同じく君主の臣子なり。然れどそれ剛健守正の姿態を以て自処して、六五は又た柔順を以て之を奉承せば、ゆえに它己を減損して君主を奉承するを要せずして、卻って君主の增益する所と為る。此れ復た何の過錯あらんや。此れ正を守りて得たるの吉祥なり。徳行を崇尚して前往すれば、何の不利あらんや。其の位置は高きも実職なく、ただ六五を輔助して功業を建立するのみ。六三と相「応」して臣属を得るも、卻って己の有に據せず。上九は賢徳を尊崇するの心を以て、《損》卦の終局に於て卻って增益を承受せり。此れ即ち大いに心志を実現せるなり。
益卦
震下巽上。益,利有攸往,利涉大川。彖曰:益,損上益下,民說無疆。自上下下,其道大光。利有攸往,中正有慶。利涉大川,木道乃行。益動而巽,日進無疆。天施地生,其益無方。凡益之道與時偕行。
《益》卦は「震」下に在り「巽」上に在り。卦辞は言う:益は、前往する所有るに利あり、大河を渡過するに利あり。《彖伝》は言う:益とは、上面を減損して下面を增益して、百姓は欣悦して止境なし。上位より下位に屈身すれば、此の路数は大放光明なり。前往する所有るに利あるは、中に居りて正を守りて喜慶あればなり。大河を渡過するに利あるは、「巽」は木と為して、木船の道は通行を得ればなり。《益》卦は下卦震動して上卦柔順にして、日日精進して止境なし。上天は施与して大地は化生して、彼の增益は固定の方所なし。凡そ增益の道は、皆時勢に随いて一同に推行すべし。
為上者其道下濟也,故損上之剛,分而下益於柔。自上下下者也。中正為主,益而得時,何往而不可哉。是以有慶也。動巽而木行也。乘於大川而無險也。益動而巽於人,日進而無疆也。天施而後地生,上益而後下奉其益,豈窮哉。益之無當,雖惠而不行也,故時與而後可也。
注者は解釈して曰く:上位に在る人は、其の道は下に向かいて施済すべし。ゆえに上卦の剛爻を減損して、分出して下に向かいて柔爻を增益す。此れ即ち「自上下下」なり。中に居りて正を守るを以て主と為して、增益して又た時機に赶上せば、何処に往くとも行かざらんや。ゆえに喜慶あり。下卦は震動して上卦は「巽」木と為れば、木船は便ち行走する能く、大河の上に浮かぶも危険なし。《益》卦は能く行動して又た人に対して謙順なり。ゆえに日日精進して止境なし。上天は先ず施与して然る後に大地乃ち化生し、上面は先ず增益して然る後に下面乃ち此の增益を捧げて回報す。此の如き循環は何ぞ窮尽せんや。增益若し与うるに恰好在らざれば、恩恵なるも推行し去る能わず。ゆえに必ず時機の許可して、然る後に乃ち可なり。
象曰:風雷,益。君子以見善,則遷有過,則改。雷行而風從,益,其震也。見善則遷,有過則改,益莫大也。初九,利用為大作,元吉無咎。象曰:元吉無咎,下不厚事也。益,損上益下者也。夫受上之益而豈徒哉,必有大功而可以當之矣。初以剛下為動之主,能堪也大事者。下者難處之地,非專厚之所,得其大吉,乃無咎也。
《象伝》は言う:風と雷の互に助長するは、此れ即ち《益》卦なり。君子は此より領悟して、善行を見れば即ち遷りて効法し、過失有れば即ち赶紧に改正すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:雷は一たび響けば風は即ち跟上せば、正に雷の声勢を增益せり。善を見れば即ち遷りて之に従い、過有れば即ち改む。人の身上の增益は此れより大なる無し。 経文初九に曰く:用いて大事業を興辦するに利ありて、大いに吉祥にして、過ちなし。《象伝》に曰く:大いに吉祥にして過錯なきは、下位に居る者は本より厚重の事任を承受すべからざればなり。 注者は解釈して曰く:《益》卦は上面を減損して下面を增益す。上の增益を承受して、豈に白白に受くる能わんや。必ず大功を建立して乃ち配するに足る。初九は剛爻を以て下に居りて震動の主と為るは、能く大事を担当する者なり。然れど下位は本より難処の処にして、厚待を専享すべきの所にあらず。ゆえに必ず大吉を為到して、乃ち過ちなしを談ずるに足る。
六二,或益之十朋之,弗克違,永貞吉。王用享于帝,吉。象曰:或益之,自外來也。柔以得位,受上之益,得中之道,能精意以奉五,通於人而信於神也,故外來非常之佑也。夫陰之所利,在於永貞,而二能盡之,其于吉也。雖訪諸十朋之,不能違也,長正之道,豈止於臣下哉。雖王用之而享於上帝吉也。
経文六二に曰く:人来りて之を增益して、価値十朋の大亀は、誰も違逆する能わず。長久に正を守れば吉。君王は之を用いて天帝を祭享すれば、吉祥。《象伝》に曰く:人来りて增益するは、外より送り来るなり。 注者は解釈して曰く:六二は柔爻を以て陰位に居りて位に当たりて、上の增益を承受して、又た「中」を守るの道を得、能く精誠の意を以て九五に奉事し、人に対して通達にして神に対して守信す。ゆえに非同尋常の保佑の外より到来する有り。陰爻の利する所は、正に長久に正を守るに在りて、而して六二は此の一点を極致に為到せり。ここをもって吉祥。便ち価値十朋の大亀を拿りて卜問するも、此の結果に違逆する能わず。長久に正を守るの道理は、豈にただ臣下に適用するのみならんや。便ち君王の之を用いて上帝を祭享するも、同じく吉祥なり。
六三,益之,用凶事無咎。有孚中行,告公用圭。象曰:益用凶事,固有之也。柔處高位危,咎之道也。居危而受上之益,非其見危致命,堅志而固有其事則不免矣。五為施益之主,而已竭,信不敢自專,必中行以告之用圭以表之,乃可能行奉其中也。
経文六三に曰く:之を增益して、凶険の事情の上に用うれば過ちなし。心に誠信を懐きて中正の道を走りて、王公に禀告するに圭を執りて信と為せよ。《象伝》に曰く:增益を凶険の事の上に用うるは、之を牢牢に守住せんと欲するなり。 注者は解釈して曰く:六三は柔爻を以て下卦の高位に処りて、本より危険にして咎を招くの路数なり。身は危境に処りて卻って上の增益を承受すれば、若し能く危を見て命を授け堅定の意志を以て此の事を牢牢に担起せざれば、即ち災禍を免れず。九五は增益を施予するの主人にして、六三は已に誠信を竭尽して敢えて擅自に作主せず、必ず中正の道を走りて禀告しに往きて、并びに圭を執りて信と為して心跡を表明すべし。此の如くして乃ち事を為成して、彼の「中」道を奉行するを得べし。
六四,中行,告公從,利用為依遷國。象曰:告公從,以益志也。原本闕傳。九五,有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我徳。象曰:有孚惠心,勿問之矣。惠我徳,大得志也。有中正之徳,當益之尊,信以令人,施以心惠,勿問之矣,乃大吉也。我信惠下,下益報之,上下交孚,治之至也,大得其志矣。
経文六四に曰く:中正の道を走りて、王公に禀告して聴従を得たり。之に依託して国都を遷徙するに利あり。《象伝》に曰く:王公に禀告して聴従を得るは、以て上下同心の志向を增益するなり。此の爻の注解は原書の中に已に缺失せり。 経文九五に曰く:心に誠信を懐きて施恵の心有れば、占問するを要せずして大いに吉祥。下も亦た心に誠信を懐きて、我が恩徳を感戴す。《象伝》に曰く:心に誠信を懐きて施恵の心有れば、即ち再び占問するを要せず。我が恩徳を感戴するは、大いに心志を実現せるなり。 注者は解釈して曰く:九五は中正の徳行を具備して、正に增益を施予するの尊位に当たりて、誠信を用いて衆人を号令し、心より発するの恩惠を用いて他人に施与すれば、那れ即ち再び占問するを要せずして、自然大の吉なり。我は誠信を以て下に恵を施せば、下は即ち加倍して我に回報し、上下彼此誠を以て相待す。此れ治理の極致にして、即ち大いに心志を実現せるなり。
上九,莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。象曰:莫益之,偏辭也。或擊之,自外來也。五以中正,人皆歸之,上九乘之,過求眾附,雖有其應,豈附之哉。獨自益之,人不益矣。不能修整立心,勿恆多求於人,人所忿也。益窮反損,故有外來而擊之者也。
経文上九に曰く:人の来りて彼を增益する無く、倒に人の来りて彼を攻撃する有り。立定せる心志は持久する能わず。凶険。《象伝》に曰く:人の彼を增益する無きは、此れ偏私一方の招来せる説法なり。人の来りて彼を攻撃するは、外より来るなり。 注者は解釈して曰く:九五は中に居りて正を守りて、人人皆之に帰附す。上九は卻って九五の上に凌駕して、過分に衆人の己に依附し来るを要求す。それ相「応」の爻あるも、人家は何ぞ之に依附するに肯ぜんや。それただ己を增益するに顧みれば、他人は即ち之を增益し来らざらん。それ能く修養整粛して心志を立定する能わず、心志は既に持久する能わずして卻って処処に人に向かいて索求す。此れ人の憤恨を招くなり。增益は尽頭に走り至れば即ち反って変じて減損と為る。ゆえに外より来りて彼を攻撃する人有らん。
巻五 周易下経夬伝第五
夬卦
乾下兌上。夬,揚于王庭,孚號有厲,告自邑,不利即戎,利有攸往。彖曰:夬,決也,剛決柔也。健而說,決而和。揚于王庭,柔乘五剛也。孚號有厲,其危乃光也。告自邑不利,即戎所尚,乃窮也。利有攸往,剛長乃終也。
《夬》卦は「乾」下に在り「兌」上に在り。卦辞は言う:夬は、君王の朝廷の上に於て公開に宣揚し、誠懇に呼号して危険の在る所を指明す。先ず己の城邑より告令を発布して、直ちに武を動かすに利あらず、前往する所有るに利あり。《彖伝》は言う:夬とは即ち決断にして、剛爻の柔爻を決除するなり。下卦剛健にして上卦欣悦にして、果断に決除して又た能く和睦す。「王庭に揚ぐ」は、一の柔爻の五の剛爻の上に凌駕すればなり。「孚号有厲」は、唯だ危険を意識して、前途乃ち光明なるを言うなり。「邑より告ぐ、戎に即くに利あらず」は、武を動かすを崇尚するの此の路は終竟走り通らざるを言うなり。「往く所有るに利あり」は、陽剛の増長して最後に到れば即ち完成するを言うなり。
陽長終位而陰微也。君子在位,小人在野,健制而能悅之,不隱情也。剛決而能和之,不任力而剛不過中也。故顯於王庭而民得治也。夫用九即吉於無首也,剛長即凶於用壯也。道之窮則不富矣,其危矣哉。信有危而思患,呻號終無刑,乃保其光也。告自邑,揚而令之從也。不利即戎,肆剛騁力,道途斯變。利有攸往,柔道外而剛治遂終也。
注者は解釈して曰く:陽気は増長して最後の一の位置に到れば、陰気は已に微弱なり。君子は朝に在りて、小人は野に摈斥せらる。剛健の力を以て彼を制服して又た彼をして心服口服せしむる能く、実情を隠瞞せず。果断に決除して又た之と和睦する能く、一味に武力を憑らず、剛強も亦た中道を越出せず。ゆえに事情は朝廷の上に於て公開に処理して、百姓も亦た治理を得たり。《乾》卦の「用九」は群龍無首にして乃ち吉を講じ、《大壮》卦は一味に強を用うれば即ち凶を講ず。道は尽頭に走り至れば即ち復た充実せず。之れ甚だ危険なり。真切に危険を意識して預め禍患を憂慮して、呼号あるも始終刑戮を動かざれば、此れ乃ち光明を保住せり。「邑より告ぐ」は、号令を公開に宣揚して人をして服従せしむるなり。「戎に即くに利あらず」は、一旦剛猛を放縦して強を逞しうし力を用いれば、局面は即ち変を生ぜんとす。「往く所有るに利あり」は、柔爻の卦外に排除せられて、剛健の治は終に圓満に収束するを言うなり。
象曰:澤上於天,夬。君子以施祿及下,居徳則忌。澤上於天,上澤以及下也。上以明法,決治致其平也。君子以施祿及下,惠其澤也。選徳以居其位,取則以上為禁,盡已而不敢上越也。
《象伝》は言う:沼沢の水汽の天上に升るは、此れ即ち《夬》卦なり。君子は此より領悟して、俸禄を下に施予して、而して徳を積みて自ら居るに於て避忌する所有るを懂得すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:沢気は天上に升るは、上の恩沢を下に降及せんと欲するなり。上の者は法度を申明して、果断に裁決して治理を公平に帰せしむ。君子は俸禄を下に施予するは、其の恩沢を施行するなり。徳ある人を選抜して相応の位置上に安置して、并びに上位の規矩を以て禁令と為す。各人は己の本分を尽して敢えて上に僭越せざらん。
初九,壯于前,趾往不勝,為咎。象曰:不勝而往,咎也。陽處體初,志在乎前,趾將行以,求勝也。壯之用斯窮之矣,下之微也,何可勝哉。知其不可以往之,自為咎也。九二,惕號莫夜,有戎勿恤。象曰:有戎勿恤,得中道也。以剛而退,守於柔,知其危而懼,呻號戎於昧矣,可為戎,無敵也。何所憂乎,得其中道,吉也。
経文初九に曰く:強壮は最前の脚趾の上に表現して、前往するも勝を取る能わざれば、即ち過錯と成る。《象伝》に曰く:明らかに勝を取る能わざるを知りて復た前往するは、之れ自ら過錯を取るなり。 注者は解釈して曰く:初九は陽爻を以て全卦の最下端に処りて、心思は卻って全て前に向かいて冲ぐるに在り、脚趾は一たび抬げば即ち身を動かして勝を求めんと欲す。其の強を逞しうするの本銭は此処に到りて即ち用尽せり。下位に処りて又た此の如く微弱にして、何ぞ勝を取る能わんや。明らかに往く可からざるを知りて復た硬に往くは、過錯は自ら招来せるなり。 経文九二に曰く:傍晚の時分に警惕して呼号戒備せば、縦に敵兵の来襲あるも憂慮するを要せず。《象伝》に曰く:敵兵あるも憂慮するを要せざるは、「中」道を得ればなり。 注者は解釈して曰く:九二は剛爻にして退譲を懂得して、柔順の一面を守住し、危険を意識してここをもって戒懼して、昏暗の時分に於て即ち呼号して敵情を戒備す。此の如くして便ち真に戦事あるも、奈何する能くする対手無し。復た何を憂慮せんや。それ中を守るの道を得たり。ゆえに吉祥。
九三,壯于頄,有凶,君子夬夬,獨行遇雨若濡,有慍,無咎。象曰:君子夬夬,終無咎也。當位上應,往而為壯,內得其心,外形於色,壯見於頄也。行而與邪凶之道也。夫君子治已,豈繫於私哉。雖獨行,遇應而潤於我,而反恕其邪志,匪其失亦又何咎。
経文九三に曰く:強壮は顴骨の上に顕露して、凶険あり。君子は決断すること乾乾脆脆として、独り行走して雨に遇いて淋湿せられ、怨怒を招来せるも、卻って過ちなし。《象伝》に曰く:君子の決断すること乾乾脆脆たるは、終に過ちなからん。 注者は解釈して曰く:九三は陽爻を以て陽位に居りて「位に当たり」、上は上六と相「応」して、一たび前に往けば即ち其の強壮を逞しうす。内心は此の念頭を生じて、外面は即ち臉色の上に露われて、強壮は顴骨の間に顕現す。此の心思を帯びて行動に往きて又た邪僻の者と結伴するは、凶を招くの路数なり。然れど君子は己を約束して、何ぞ私情に牽住せられんや。独り行走するも、相応の上六に遇いて之に沾湿せらるるも、反って復た其の彼の邪僻の心志を寛恕して、ただ自ら正道を失わざれば、又何の過錯あらんや。
九四,臀無膚,其行次且,牽羊悔亡。聞言不信。象曰:其行次且,位不當也。聞言不信,聦不明也。志進決柔而逼於上,坐不能安,行不能正,剛而不當其位也。羊者,觗突不回之物,比之用壯,焉能自牽。繫其志,不縱其壯,則悔亡也。是語也,聽之而不能明,昧為其道者也。
経文九四に曰く:臀部は皮肉なく、路を走りて趔趄として行き難し。若し能く羊を牽くが如く其の後に跟いて走らば、悔恨即ち消失せん。惜しむべしは忠言を聴くも信ずるに肯ざるなり。《象伝》に曰く:路を走りて趔趄として行き難きは、位置恰好在らざればなり。忠言を聴きて信信ぜざるは、耳目の明察足らざればなり。 注者は解釈して曰く:九四は一心に上進して柔爻を決除せんと欲し、又た上位を緊逼して、坐れば坐ること安穏ならず、走れば走ること端正ならず。此れ剛爻にして「位に当たらず」の縁故なり。羊は横冲直撞して回頭するに肯ざるの牲口にして、一味に強を用うる人に好比如す。何ぞ自ら己を牽住する能わんや。ただ己の心志を拴住して、彼の強勁を放縦せざれば、悔恨乃ち消失せん。此の番の道理を、それ聴くも卻って明白する能わざれば、是れ正道に対して昏昧不通の人なり。
九五,莧陸夬夬,中行無咎。象曰:中行無咎,中未光也。上無位之尊也。決,其決至易也。莧陸之柔,脃也。以至尊之徳,務至微之物,則缺於與能矣。夬而得中,無咎而已豈足以為光哉。上六,無號,終有凶。象曰:無號之凶,終不可長也。剛長而一柔尚存,亡無日矣。雖號之無及已也。
経文九五に曰く:莧陸を剷除するが如く干脆に決断して、中正の道を走れば過ちなし。《象伝》に曰く:中正の道を走りて過錯なきは、中に居るの道未だ光大ならざればなり。 注者は解釈して曰く:上六は上位に居るも実際の職守なく、之を決除するは実は極めて容易なり。莧陸の此の草は柔軟にして脆嫩にして、正に上六の写紹なり。至尊の徳行を以て此の如き微末の物を對付するは、賢能を任用するの此の事の上に於て便ち欠缺あるに顕わる。果断に決除して能く「中」を守住するも、過ぎず過ちなしと為到するのみ。何ぞ光大を談ぜんや。 経文上六に曰く:再び呼号するを要せず。最終はなお凶険あり。《象伝》に曰く:呼号するを要せざるの凶険は、其の終竟長久する能わざるを言うなり。 注者は解釈して曰く:陽剛は不断に増長してただ一の柔爻のなお在るのみ、滅亡は即ち眼前に在りて、縦に呼号して救を求むるも及ばざるなり。
姤卦
巽下乾上。姤,女壯,勿用取女。彖曰:姤,遇也。柔遇剛也。勿用取女,不可與長也。天地相遇,品物咸章也。剛遇中正,天下大行也。姤之時義大矣哉。陽也,君人之道也,正之恆也。而陰來代之,眾以求之,其道遇也。陰之賊也。遇而合之,仕無正也。女之壯也,非人倫之道,不足以娶之。事無恆,不足以為用。夫易無窮也。陽不能獨化,化不可以無遇,故遇而後成。初茍而終固,即遂其生,化之大焉。且物無大也,無細也。其得之大遇也。待於外之來也,豈已之由乎。其在於遇人,大吉。則乾陽也,巽陰也,有天地相遇之道焉。天地遇而萬物章也,剛得中正而能擇其柔,聖人遇於大位也。則其道大行,君子遇於時,輔聖人之功而天下治也。品物得遇而其道乃通始,微而終著也。
《姤》卦は「巽」下に在り「乾」上に在り。卦辞は言う:姤は、女子過度に強壮にして、此の如き女子を娶る勿れ。《彖伝》は言う:姤とは即ち相遇にして、柔爻の剛爻に遇上するなり。此の如き女子を娶る勿れは、之と長久相処する能わざればなり。天地は互に遇合して、万物即ち皆彰顯せらる。剛爻は中正の位に遇上して、教化即ち天下に於て広く推行せらる。相遇の時の意義は、真に重大なりや。 注者は解釈して曰く:陽とは、衆人に君臨するの道にして、正道の常規なり。如今陰爻は卻って来りて之に取代せんとし、衆陽皆往きて之を求む。此の路数は即ち「遇」と曰う所なり。此れ実は陰の陽に対する戕害なり。ただ偶然遇上するに憑りて結合して、出でて官を為るも正路に走上せず。女子此の如く強壮なるは、人倫の道に合せずして、彼を娶るに値せず。行事に恒常なくして、亦た任用するに足らず。《易》の変化は本より無窮無尽にして、陽は独り化育する能わず、化育は又た相遇を経過せざる可からず。ゆえに必ず先ず遇合して然る後に成有り。開頭は便ち草率なるも、末了に於て能く穩固下来せば、即ち生生の理に順遂して、之れ化育中の最大の事なり。況んや事物は本より大小の所謂なく、能く成就する所有るは皆此の大の遇合に靠る。それ外の到来を待つを要して、何ぞ己に由るを得んや。人事の上に於て合適の人に遇うに至りては、則ち大吉なり。《姤》卦は上体「乾」は陽と為り、下体「巽」は陰と為り、其の中に天地相遇の道を含む。天地相遇して万物彰顯す。剛爻は中に居りて正を得て能く柔爻を擇取するは、聖人の大位に遇上するに好比如して、其の道は便ち広く推行する能し。君子は好き時候に遇上して、聖人を輔助して功業を成就せば、天下即ち治理して好し。万物は各自応有の遇合を得て、彼の道理乃ち此より貫通す。開頭は甚だ微小にして、末了に到れば卻って顕赫し起れり。
象曰:天下有風,姤。后以施命誥四方。人之治者,火承上之風,能君天下者,得天下之治也。施命告四方,人承其命,咸得其遇也。初六,繫于金柅,貞吉。有攸往,見凶。羸豕孚蹢躅。象曰:繫于金柅,柔道牽也。陰之為道,冝牽於陽。而守其正,保其吉也。君子隨遇而往,無永正,何以終乎,凶其冝也。無異於牝豕從豭,遇無信蹢躅而已。非久之道也。
《象伝》は言う:天底下に風を刮るは、此れ即ち《姤》卦なり。君主は此より領悟して、命令を頒布して四方を曉諭すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:民衆を治理する人は、火の上より吹き来る風を借るるが如し。能く天下を統御する者は、乃ち天下の太平を得る能し。命令を頒布して四方を曉諭して、人人此の道の命令を承受せば、亦た皆各自の遇合を得たり。 経文初六に曰く:金属の制動木に拴係して、正を守れば吉。若し前往する所有らば、即ち凶険を見ん。瘦弱の母猪も亦た焦躁して来回に踢騰せん。《象伝》に曰く:金属の制動木に拴係するは、柔順の道の牽制せられしなり。 注者は解釈して曰く:陰の路数は、陽に牽引せられて、ここをもって己の正道を守住し、吉祥を保住すべし。若し君子の如く遇に随いて往くも、卻って長久の正道なければ、何ぞ好き結末あるを得んや。凶険は理の当然の所なり。此れ母猪の公猪を追逐するに両樣なからず。遇合して信を守らざれば、ただ焦躁の来回に踢騰するのみ残る。能く長久なるの路数にあらず。
九二,包有魚,無咎。不利賓。象曰:包有魚,義不及賓也。陰者,身之資也。魚非食之珍者。初非陰之正者,卦無陰,亦眾之所向也。已得之而供其求,眾失之,未足深吝,故獲之無咎。得其中者也。畜非正之物,懼人之見,其義豈及於賓哉。
経文九二に曰く:厨房の裡に魚有りて、過ちなし。但だし之を拿りて賓客を招待するに適宜ならず。《象伝》に曰く:厨房の裡に魚あるは、道理に按りて賓客に輪到せざるなり。 注者は解釈して曰く:陰は身を養うの資本にして、魚は本より食物中の珍品にあらず。初六は本より純正の陰爻にあらざるも、全卦ただ此の一の陰爻あるのみにして、亦た衆陽の争相に趨赴するの対象と成りたり。九二は先に之を得て、用いて己の需要を満足せしむ。衆陽は之を得ざるも、亦た懊恨するに太だ過ぎるを要せず。ゆえに九二は之を得て過ちなし。其の「中」を守住せればなり。然れど畜養する所は既に純正の物にあらざれば、人に看見せらるるを怕れて、道理に按りて何ぞ復た之を拿りて客を待するに輪到せんや。
九三,臀無膚,其行次且,厲無大咎。象曰:其行次且,行未牽也。求初之,合二已,得矣,胡獲焉。坐而不安,行而不正,牽繫其柔而未得也。以其不獲也。而止於位,故免於爭競之患雖,危而無大咎也。九四,包無魚,起凶。象曰:無魚之凶,逺民也。無位之陰,遇斯獲矣,二有之也。應何為乎起已求,遇之凶之道也。
経文九三に曰く:臀部は皮肉なく、路を走りて趔趄として行き難し。危険あるも、但だし大の過ちなし。《象伝》に曰く:路を走りて趔趄として行き難きは、未だ牽引せられざればなり。 注者は解釈して曰く:九三は初六を求めに往かんと欲するも、初六は早已に九二と合上せり。它復た何を撈取する能わんや。ここに於て坐れば坐ること安穏ならず、走れば走ること端正ならず、一心に彼の柔爻を牽掛するも始終之を得ず。正に之を得ざるを以て、它便ち安分に己の位置上に停りて、ここをもって争奪の禍患を免掉せり。危険あるも、卻って大の過ちなし。 経文九四に曰く:厨房の裡に魚無し。一たび挙動あれば即ち凶。《象伝》に曰く:魚無きの凶険は、民衆に疎遠せればなり。 注者は解釈して曰く:彼の名位なきの陰爻は、誰遇上せば誰即ち之を得る能し。如今已に九二の占有する所と為れり。九四は初六と相「応」するも、又何ぞ身を起して索求しに往かんことを必ずせんや。強に遇合を求むるは、正に凶を招くの路数なり。
九五,以杞包瓜,含章,有隕自天。象曰:九五含章,中正也。有隕自天,志不舎命也。無中正之徳者,皆無魚以至於悔也。至五徳博而位尊,謀其道不思其欲,故食杞匏瓜而已。夫以剛正之體,含章明之徳,志在行道不舎敎令,如天降之也。莫不咸賴矣,所謂剛遇中正而天下大行也。上九,姤其角,吝,無咎。象曰:姤其角,上窮。吝也。已過體矣,何所遇乎,姤於角也。以是求遇,可惜者也。不至於爭,無吝已矣。
経文九五に曰く:杞樹の枝葉を用いて甜瓜を包住して、内に文采を含む。物の天より降り来る有らん。《象伝》に曰く:九五の内に文采を含むは、中に居りて正を守ればなり。物の天より降り来る有るは、其の心志の天命を放棄するに肯ざればなり。 注者は解釈して曰く:凡そ中正の徳を具備せざる爻は、皆「无魚」と落ちて悔恨を生出す。九五に到れば、徳行広博にして位置尊貴にして、ただ己の道を謀求して己の私欲を打算せず。ゆえに喫する所は過ぎず杞実・匏瓜の此の類の粗淡の物なり。それ剛健守正の本体を以て、内に文采光明の徳行を含み、心志は大道を推行するに在りて教化政令を放棄するに肯ぜず。好比如て之れ上天の降下せし所の如し。ここに於て人の之に依頼せざる無し。此れ即ち《彖伝》の説く所の剛爻の中正の位に遇上して教化の天下に於て広く推行するなり。 経文上九に曰く:遇合はただ頭上の角に碰上するのみ、憾惜あるも、卻って過ちなし。《象伝》に曰く:遇合の角に碰上するは、上に居りて窮尽すればなり。ゆえに憾惜。 注者は解釈して曰く:上九は已に卦体の外に越出して、復た何に遇上する能わんや。ただ角の上に遇うの能くするのみ。此の方式を用いて遇合を求むるは、実に惜しむべし。好くもそれ人と争奪するに至らずして、憾惜も亦た此処に至りて止むるのみ。
萃卦
坤下兌上。萃,亨。王假有廟,利見大人亨。利貞。用大牲吉。利有攸往。彖曰:萃,聚也。順以說。剛中而應,故聚也。王假有廟,致孝享也。利見大人亨,聚以正也。用大牲吉,利有攸往,順天命也。觀其所聚而天地萬物之情可見矣。順而以說,柔無違也。剛中正而應,保其萃以通也。天下大聚,正者而孝享,聚其昭穆,剛尊而利以見也。萃其正而通也。用大牲吉,聚而豐之,得其稱也。夫聚而通之。何往不利。順於類正而相聚得其通,而保其久也。天地萬物之情見於此矣。
《萃》卦は「坤」下に在り「兌」上に在り。卦辞は言う:萃は亨通す。君王は宗廟に親臨し、大人に見ゆるに利ありて亨通し、正を守るに利あり。大牲畜を用いて献祭せば則ち吉にして、前往する所有るに利あり。《彖伝》は言う:萃とは即ち聚集なり。柔順にして欣悦にして、剛爻は中に居りて下と相「応」す。ゆえに能く聚集す。君王の宗廟に親臨するは、孝道を尽して祭享を挙行するなり。大人に見ゆるに利ありて亨通するは、聚集の正道に合すればなり。大牲畜を用いて献祭して吉にして前往する所有るに利あるは、天命に順応すればなり。其の聚集する所の情形を観察すれば、天地万物の実情は皆看清楚なるを得べし。 注者は解釈して曰く:柔順にして又た欣悦にして、柔爻は違逆の心なし。剛爻は中に居りて正を守りて相応有れば、ここをもって此の次の聚集を保住して之を通暢ならしむ。天下大聚の時に於て、端正の人より由りて孝敬の祭享を主持して、祖先の昭穆の次序を聚斉す。九五は剛健にして尊貴なり。ゆえに彼に見いに往くに利あり。聚集するに正にして、乃ち通暢する能し。大牲畜を用いて献祭して吉なるは、聚合の際に於て祭品を豊盛に為して、場合と相称せしめばなり。聚集し起して又た能く通暢せば、何処に往くとも利あらざらんや。同類に順いて正道を以て相聚して、通暢を得れば、即ち長久を保住せり。天地万物の実情は、即ち此処に於て體現せらる。
象曰:澤上於地,萃。君子以除戎器,戒不虞。澤得地以久,地得澤以潤相,聚之道也。眾之聚也,不可以無防,故君子以除戎器,戒不虞。初六,有孚不終,乃亂乃萃,若號,一握為笑,勿恤,往無咎。象曰:乃亂乃萃,其志亂也。四為上應,三近附之,已信不終,失其萃矣。則心惑而志亂矣。何所利哉。若小能號呼,自省度其可否,反而哂之不以為笑,靜然保居,終獲其應,復何憂哉。往必無咎也。
《象伝》は言う:沼沢の水は地面の上に積むは、此れ即ち《萃》卦なり。君子は此より領悟して、兵器を修繕して、意外の変に防備すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:沼沢は大地の承托あって乃ち長久する能く、大地は沼沢の滋潤あって乃ち潤沢する能し。此れ即ち聚合の道なり。衆人は聚集し起れば、防備あるべからざる可からず。ゆえに君子は兵器を修繕して、不測を戒備す。 経文初六に曰く:心に誠信を懐くも卻って底に到るまで保持する能わず。ここに於て又た乱れ又た聚す。若し能く呼号して助を求めば、転眼の間に便ち相視して笑せん。憂慮するを要せず。前往して過ちなし。《象伝》に曰く:又た乱れ又た聚するは、其の心志の迷乱せればなり。 注者は解釈して曰く:九四は初六の上に於て相「応」するの対象にして、然れど六三は就近に九四に依附せり。初六の誠信は便ち底に到るまで保持する能わず、本より之に属すべきの聚合を喪失す。ここに於て心の裡に疑惑して志向迷乱して、復た何の好処あらんや。若し它稍能く呼号して助を求め、自ら反省して可行か可行せざるかを掂量し、回頭して一笑に置いて何の笑柄とも為さずして、安安靜靜に本位を守住せば、最終はなお相応の爻を得る能し。那れ復た何を憂慮せんや。前往して必ず過ちなからん。
六二,引吉無咎,孚乃利用禴。象曰:引吉無咎,中未變也。初三皆萃於四,已獨守中,不變其志,待於五,牽而後為聚,得其吉矣。居內靡他,何咎之有。精意承奉信以結之,豈待於豐乎,雖薄而可以薦也。六三,萃如,嗟如,無攸利,往無咎,小吝。象曰:往無咎,上巽也。下皆上,萃。已無應焉。萃如,嗟如也,何所利哉。奉於四剛,剛巽而與,故往而無咎。不能下已而從人,位之失矣,可小惜也。
経文六二に曰く:牽引せられて前来すれば則ち吉にして、過ちなし。心に誠信を存せば、即ち簡樸の禴祭を挙行するに適宜なり。《象伝》に曰く:牽引せられて吉にして過錯なきは、中を守るの心志の改変せざればなり。 注者は解釈して曰く:初六と六三は皆九四の彼処に聚り去れり。ただ六二は独り「中」を守住して、己の心志を改変せずして、九五の来りて牽引するを待ちて、牽引せられて然る後に乃ち聚合に往く。ここをもって吉を得。それ内卦に居りて心に旁騖なく、何の過錯あらんや。精誠の意を以て君上を承奉し、誠信を用いて之と結合せば、何ぞ必ず祭品の豊盛を待たざるべからんや。便ち菲薄なるも、亦た之を拿りて進献する可し。 経文六三に曰く:聚合せんと欲するも聚る能わずして、ただ嗟嘆するのみ。好処ある所なし。前往して過ちなく、ただ小小の憾惜あるのみ。《象伝》に曰く:前往して過錯なきは、上の九四の謙順に相待すればなり。 注者は解釈して曰く:下卦の各爻は皆上に向かいて聚合するに、独り六三は相「応」の爻なし。ゆえに聚合せんと欲するも聚り成らずして、只好く嗟嘆す。何の好処あらんや。它転じて九四の此の剛爻を奉承せば、剛爻は能く謙順に之を接納す。ゆえに前往して過ちなからん。然れど它己を下に居るを肯ぜずして一味に他人を攀附せば、本位已に失守せり。此の一点は小小に惋惜するに値す。
九四,大吉無咎。象曰:大吉無咎,位不當也。承上於地以剛處之,而下據其眾,非其至公奉上之心大吉則咎也。九五,萃有位,無咎。匪孚,元永貞,悔亡。象曰:萃有位,志未光也。四有其民,而權逼於已,位當貴也,咎何有乎。尊信不行,道豈光乎,且陽徳仁也,可以長正而悔亡矣,民終歸之也。上六,齎諮涕洟,無咎。象曰:齎諮涕洟,未安上也。乘剛而不安,違而無萃。齎諮憂嘆以至於涕洟,懼而內戒,咎何有焉。
経文九四に曰く:大いに吉祥にして乃ち過錯なし。《象伝》に曰く:大吉にして乃ち過錯なきは、位置恰好在らざればなり。 注者は解釈して曰く:九四は剛爻を以て君上を承奉するの位置上に処りて、下は又た衆多の民衆を占據す。若し一片の至公奉上の心なくして大吉を為到せば、那れ即ち過錯なり。 経文九五に曰く:聚合して尊位を擁有せば、過ちなし。若し人の信服するに肯ざる有らば、ただ長久に正固を守持せば、悔恨即ち消失せん。《象伝》に曰く:聚合して尊位を擁有するは、心志未だ光大ならざればなり。 注者は解釈して曰く:九四は民衆を把持して、権勢は九五自身に逼近す。但だし九五の居る所の位置は本より尊貴なるべく、何の過錯あらんや。ただ尊崇と信任は推行し開かざれば、其の道は又何ぞ光大し起る能わんや。況んや陽の徳性は仁にして、ゆえにただ能く長久に正を守れば、悔恨即ち消失して、百姓は最終はなお之に帰附せん。 経文上六に曰く:嘆息して淚を流し、涕泗倶に下るも、過ちなし。《象伝》に曰く:嘆息して淚を流すは、身は上位に居りて安んぜざればなり。 注者は解釈して曰く:上六は剛爻の上に凌駕して心の裡に安んぜず、衆と相違背して聚り一起せず。それ長吁短嘆して憂愁して涕淚交流するに至るは、畏懼を以て内心に於て自ら戒惕すればなり。此の如くして又た何の過錯あらんや。
升卦
巽下坤上。升,元亨,用見大人,勿恤,南征吉。彖曰:柔以時升,巽而順剛,中而應,是以大亨用見大人。勿恤,有慶也。南征吉,志行也。柔,卑道也。巽,木道也。其道升而大也。見可而升得,其時也。內體巽而外順於物,剛中而上應之,是以亨也。合大人之徳,用見之,而勿恤有慶者也。南征吉,出諸幽而升於明也。志獲於此矣。
《升》卦は「巽」下に在り「坤」上に在り。卦辞は言う:升は大いに亨通す。用いて大人に求見するに、憂慮するを要せず。南に向かいて進発すれば吉祥。《彖伝》は言う:柔爻は時機に順いて上昇して、謙遜にして柔順にして、剛爻は中に居りて相「応」有り。ゆえに大いに亨通して、用いて大人に求見する可し。憂慮するを要せざるは、喜慶有らんなり。南に向かいて進発して吉祥なるは、心志の施行を得ればなり。 注者は解釈して曰く:柔とは、卑下の道にして、「巽」とは、木の道なり。其の路数は下より上に向かいて逐漸に壮大す。升る可きを看准して乃ち升るは、時機を抓住せるなり。内卦は謙遜にして外卦は万物に対して柔順にして、九二は剛爻の中に居りて上の六五は之と相応す。ゆえに亨通。それ大人の徳行に合して、此の如き姿態を以て大人に求見しに往けば、即ち憂慮するを要せずして自ずから喜慶あり。南に向かいて進発して吉祥なるは、幽暗の中より走り出でて光明に升入して、心志は即ち此処に於て実現せればなり。
象曰:地中生木,升。君子以順徳,積小以高大。木生浸而大也。剛中而柔順也。君子欲其升也。立本以愼徳,巽於卑順於上,則能積小而至於大也。初六,允升大吉。象曰:允升大吉,上合志也。巽者,剛巽柔,柔順剛也。上承於剛,誠信相與,升而合徳,其升矣,故大吉。
《象伝》は言う:地の裡より樹木を生出するは、此れ即ち《升》卦なり。君子は此より領悟して、徳行に順応して、一点一点積累して高大に達すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:樹木は慢慢に生長して乃ち大と為る。九二は剛爻の中に居りて上卦は柔順なり。君子は上昇せんと欲せば、即ち根本を立定して謹慎に徳行を修養し、卑下に処りて謙遜を保持し、上位に対して柔順を保持して、此の如くして乃ち少を積みて多と成して高大に達する能し。 経文初六に曰く:信従を得て上昇して、大いに吉祥。《象伝》に曰く:信従を得て上昇して大吉なるは、上と心志相合すればなり。 注者は解釈して曰く:謂う所の「巽」とは、剛爻が謙遜を以て柔爻に待ちて、柔爻が剛爻に順服するなり。初六は下に在りて剛爻を承奉して、彼此誠信を以て相待し、一同に上昇して徳行相合せば、それ真に升り上る能し。ゆえに大吉。
九二,孚,乃利用禴,無咎。象曰:九二之孚,有喜也。剛而能正,中而無私,應上以升之象,豈假豐物而後享焉。上應其誠,下升而大,雖非其位得其道也。故有喜而無咎也。九三,升虛邑。象曰:升虛邑,無所疑也。上體順也。應而升之,虛邑以待也,升何疑哉。
経文九二に曰く:心に誠信を懐けば、即ち簡樸の禴祭を挙行するに適宜にして、過ちなし。《象伝》に曰く:九二の誠信は、喜慶の事有るなり。 注者は解釈して曰く:九二は剛健にして能く正を守りて、中に居りて私心なく、上と相「応」して上昇の象を呈す。何ぞ必ず豊厚の祭品を靠りて乃ち享祭せんことを要せんや。上は其の誠意に回応して、下は上昇して日漸に壮大す。それ陽爻の陰位に居りて己の在るべき位置上に在らざるも、卻って正確の道理を得たり。ゆえに喜慶ありて過ちなからん。 経文九三に曰く:一座の空城の裡に上昇し入る。《象伝》に曰く:空城に升入するは、疑慮する可き所なきなり。 注者は解釈して曰く:上卦「坤」は柔順なり。九三は上六と相「応」して上に向かいて升れば、空城は門を敞きて彼処に在りて待つ。上昇して復た何の遅疑する可きあらんや。
六四,王用亨于岐山,吉。無咎。象曰:王用亨于岐山,順事也。位輔乎尊,而不待諸升者,通上下,安險阻之任,難之地也。而順以當位,恭以事上,得其吉矣,亦又何咎。六五,貞吉升階。象曰:貞吉升階,大得志也。以柔道而至於中也。升階而就其位,正之吉也。可謂大志也。上六,冥升,利于不息之貞。象曰:?升,在上消不富也。上而不已,昧於升也。時消也。安所息乎,利以守正,不求孳孳也。
経文六四に曰く:君王は岐山に於て祭享を挙行して、吉祥にして、過ちなし。《象伝》に曰く:君王の岐山に於て祭享するは、柔順に事を為ればなり。 注者は解釈して曰く:六四は尊位を輔佐して、本身は已に再び上昇を靠るを要せず。其の職責は上下を溝通し険阻を安頓するにして、其の処する所は艱難の地なり。然れど它柔順を以て「位に当たり」て、恭敬に君上に侍奉す。ここをもって吉を得。又た何の過錯あらんや。 経文六五に曰く:正を守れば吉にして、台階に沿うて上昇す。《象伝》に曰く:正を守りて吉を得て階に沿うて上昇するは、大いに心志を実現せるなり。 注者は解釈して曰く:六五は柔順の道を憑りて上卦の中位に到達し、台階に順いて己に属するの位置に登上せり。此れ正を守るの吉祥にして、大いに志向を実現せると謂う可し。 経文上六に曰く:昏冥の中に於てもなお一味に上昇すれば、停息せずに正を守るに利あり。《象伝》に曰く:昏冥に上昇するは、上位に居りて消退して再び充実せざるなり。 注者は解釈して曰く:一直に上に向かいて止むるに肯ざるは、上昇の此の事に対して已に昏昧せり。時運は正に消退して、何処に復た歇脚する可きの処あらんや。此の時は正を守住するに利在りて、再び孜孜不倦に上に向かいて求めざるべし。
困卦
坎下兌上。困,亨貞,大人吉。無咎。有言不信。彖曰:困,剛揜也。險以說,困而不失其所,亨。其唯君子乎,貞大人吉,以剛中也。有言不信,尚口乃窮也。剛則困,見揜於柔也。險而能說,雖困而通也。君子之行,存乎素也。困而自辨,而不責於人,修齊其徳以自濟也。五為眾之歸焉。剛而能幹,中而得當,大人之正也。亨困而吉,何咎之有乎。困而尚口,斯窮之矣,何所信乎,故君子飾行以亨困,而不以言也。
《困》卦は「坎」下に在り「兌」上に在り。卦辞は言う:困は、亨通して正を守るに利ありて、大人吉祥にして、過ちなし。此の時説話して人の信ずる無し。《彖伝》は言う:困とは、剛爻の掩蔽せらるるなり。身は険難に処りてなお能く欣悦し、困せられて其の操守を失わず。ここをもって亨通す。此れ蓋し君子のみ乃ち為到する能くするか。正を守りて大人吉祥なるは、剛爻の中に居ればなり。説話して信ずる人無きは、一味に口舌を逞しうせば即ち走投無路なればなり。 注者は解釈して曰く:剛爻の困を受くる所以は、柔爻に掩蔽せられしなり。険境に処りてなお能く欣悦するは、困頓するも終竟通達す。君子の操行は、全て平日の素養に在り。困を受くる時はただ反躬自省して、而して他人を責怪しに往かず、己の徳行を修整して自ら救う。九五は衆人の帰附する対象にして、剛健にして能く事を為り、中に居りて処置当を得。此れ大人の正道なり。困境の中に於て能く亨通して吉を得れば、復た何の過錯あらんや。困を受くる時に若し一味に口舌を逞しうせば、那れ即ち絶路に走り至る。復た誰か彼を信ぜんや。ゆえに君子は行為を端正するを靠りて困境を打通して、而して説話に靠らず。
象曰:澤無水,困。君子以致命遂志。澤無水,涸而無潤也。夫積行以成其徳,雖致命,終遂其道。君子之志,剛而不可拔也,故能致困而不可失其道也。初六,臀困于株,木入于幽谷,三歲不覿。象曰:入于幽谷,幽不明也。能濟困者,剛直也。初以柔弱居於困窮,而不安其所也。而欲上應於二,為二所吝,幽於坎底,以至於三歲而無所見,不明之至也。
《象伝》は言う:沼沢の裡に水無きは、此れ即ち《困》卦なり。君子は此より領悟して、便ち性命を献出するも亦た己の志向を貫徹すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:沼沢は水無ければ、即ち乾涸して滋潤を失う。人は一点点の善行を積累して徳行を成就す。縦に性命を豁出するを要するも、最終は亦た己の道を貫徹せん。君子の志向は剛強にして動揺する能わざれば、ゆえに能く身を困境に陥れて己の道を丟掉せず。 経文初六に曰く:臀部は樹樁の上に困せられて、幽深の山谷の裡に落ちて、三年も人に見えず。《象伝》に曰く:幽谷に落ちるは、幽暗にして光明を見ざればなり。 注者は解釈して曰く:能く困境を解救するは、剛健正直の品質なり。初六は柔弱の質を以て困窮の中に処りて、己の位置上に於て身を安ずる能わず、又た上に向かいて九二と相応せんと欲するも、卻って九二の吝惜して拒絶する所と為る。ここに於て坎険の最底層に幽陥して、三年も何も看見せざるに至る。昏暗にして極点に到れり。
九二,困于酒食,朱紱方來,利用亨祀,征凶,無咎。象曰:困于酒食,中有慶也。剛而得中,為初三之附,豐於所資,困酒食者矣。酒食困,有位而得其民,則受其命服,而朱紱來矣。夫以位卑而有民利,潔敬以奉上,恃權而凌征之凶也。卑以自守,得無咎矣。
経文九二に曰く:酒食に困せられて、紅色の祭服は正に送り来らんとす。祭祀を挙行するに適宜にして、急に出征せば則ち凶。但だし過ちなし。《象伝》に曰く:酒食に困せらるるは、中に居りて喜慶あればなり。 注者は解釈して曰く:九二は剛健にして「中」を守住して、初六と六三は皆来りて之に依附し、其の倚仗する所の資財は甚だ豊厚なり。ここに於て酒食に困せらるるの人と成れり。酒食に困するは、其の既に職位ありて又た民心を得るを説明す。然らば即ち君上の賜与する命服を受けん。紅色の祭服も亦た送り来らん。卑下の地位を以て民衆の利を擁有せば、即ち潔淨恭敬に君上に奉事すべし。若し権勢を仗りて凌駕・征伐しに往かば、那れ即ち凶険なり。卑下の本分を守住して自処して、乃ち過ちなからんを得べし。
六三,困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻。凶。象曰:據于蒺藜,乘剛也。入于其宮,不見其妻,不祥也。柔以居困,力不堪也。欲其往而困於四堅於石也。欲其安而據於二難於蒺藜也。進退無可安所存乎,以至於失位而殞身也。位之不當,不足亨,困不祥之至也。
経文六三に曰く:石頭に困せられて、又た蒺藜の上に坐す。己の家裡に回帰して、卻って妻子に見えず。凶険。《象伝》に曰く:蒺藜の上に坐するは、剛爻の上に凌駕すればなり。家に回りて妻子に見えざるは、不吉利の兆頭なり。 注者は解釈して曰く:六三は柔弱の質を以て困境の中に処りて、力量は承当し起らず。它前進せんと欲するも、卻って九四に挡住せられて、九四は堅硬にして石頭の如し。它安坐せんと欲するも、脚下は又た九二を踏みて、人を扎するは蒺藜の如し。進退皆身を安ずる処なく、復た何処に存身する能わんや。本位を丟掉し性命を送掉するに至る。其の居る所の位置は「位に当たらず」して、困境を打通するに足らず。此れ即ち困境中の最も不吉利の一種なり。
九四,來徐徐,困于金車,吝有終。象曰:來徐徐,志在下也。雖不當位,有與也。初為之,應二剛困之,故遲遲而來,以待其間也。位之不當,不足亨,困可惜也。雖困於二,終歸其應,金車剛而能載也。
経文九四に曰く:慢吞吞に前来して、彼の金属大車に困せられり。憾惜あるも、但だし終竟結果有らん。《象伝》に曰く:慢吞吞に前来するは、心志の下に在ればなり。位置恰好在らざるも、卻って相与の伙伴有り。 注者は解釈して曰く:初六は九四の相「応」するの対象にして、然れど九二の此の剛爻は之を困住せり。ゆえに九四はただ慢慢地来りて、中間に空隙出現するを待つのみ。其の居る所の位置は「位に当たらず」して、困境を打通するに足らず。困せられて実に惜しむべし。但だしそれ九二に困せらるるも、最終はなお能く之と相応の初六の彼処に回帰す。彼の金属大車は剛硬なるも、畢竟能く人を載せて前行するなり。
九五,劓刖,困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。象曰:劓刖,志未得也。乃徐有說,以中直也。利用祭祀,受福也。
経文九五に曰く:割鼻断足の刑罰を遭受して、彼の紅色の祭服に困せられり。慢慢地にして乃ち解脱を得て、祭祀を挙行するに適宜なり。《象伝》に曰く:割鼻断足の刑を遭受するは、心志未だ実現せざればなり。慢慢地にして解脱を得るは、中に居りて正直なればなり。祭祀を挙行するに適宜なるは、能く福沢を承受すればなり。
物莫能兩大,二之豐則五道減矣。二以剛得眾,而五怒其甚也。將欲刑之上,下敵應不能勝也,故困之免矣。夫居尊以忿失其道也。終以中直久而說矣。至誠感神,況赤紱乎。故精意乃受其佑矣。
事物は同時に并び大なる能わず。九二の此の一方は盛大と為れば、九五の君道は即ち減損せんとす。九二は陽剛の徳を以て衆人の擁戴を得て、九五はここを因に彼に対して忿恨極点に到れり。九五は上位に於て九二に対して刑罰を動用せんと欲するも、然れど九二と九五は同じく陽爻にして、上下はただ相「敵」して相「応」せず。君上は并びに取勝する能わず。ゆえに九二は卻って困厄の中より脱身す。身は尊位に居りて卻って一時の忿怒を憑りて行事するは、正に為君の道を喪失せり。九五は最終は「中」道を守住して心を持するに正直にして、時間一久しければ、困境は自然喜悅に転成す。至誠の心はなお能く神明を感動す。況んや赤紱の此の如き祭服を用いて祭祀を挙行せんをや。ゆえにただ精誠専一の心意にして、乃ち神明の保佑を承受する能し。
上六,困于葛藟,于臲卼,曰動悔有悔。征吉。象曰:困于葛藟,未當也。動悔有悔,吉行也。柔之為物,不能通於困,當困之終然,可征矣。居於上,而果於剛,欲其退也。為葛藟繫之,欲其處也。臲卼而難據,皆不離於困也。柔弱質也,不能專斷,語其治也。何哉?曰:動悔有悔,其處也,則徵矣,乃吉行也。
上六は、葛藤に纏繞せられて困せられて、又た動揺不安の険地に処す。占辞に曰く:一たび挙動有れば即ち懊悔せん。正に已に懊悔を懂得するを因に、前往して乃ち吉利なり。《象伝》に曰く:葛藤に困せらるるは、上六の処する所の位置の恰好在らざればなり。一動して悔いて能く自ら其の悔を知るは、前に向かいて行動して乃ち吉利なるを説明す。陰柔の質性は本より困厄を打通する能わざれども、但だし困卦の最後の一爻に到れば、形勢は已に窮極にして将に変せんとす。ゆえに出行する可し。上六は卦上に高踞するも、卻って陽剛に対して一味に強を逞しうして、本意は陽剛をして退譲せしめんと欲す。結果は反って葛藤の如き牽絆に係住せられて、ただ原処に滞留するの能くするのみ。脚下は揺晃して立足し難し。此れら皆未だ「困」の処境を脱離せず。陰柔の資質は柔弱にして、独断専行する能わず。ゆえに如何に自処するを談ずるを要す。何と為すべきや。占辞に曰く、一動して悔いて悔を知る。若し只だ安処して動かざれば、那れ即ち前に向かいて走るべし。前に走るは乃ち吉利の行動なり。
井卦
巽下坎上 井,改邑不改井,無喪無得,往來井井,汔至,亦未繘井,羸其瓶,凶。彖曰:巽乎水而上水,井。井養而不窮也。改邑不改井,乃以剛中也。汔至亦未繘井,未有功也。羸其瓶,是以凶也。
下卦を巽・上卦を坎と為すは、《井》卦なり。井卦は言う:城邑は遷移す可く、水井は遷移するに法なし。井水は既に減少せず、亦た増多せず。来来往往の人は皆井上に到りて水を汲む。水を汲むこと井口に快到するも、繩子は卻って未だ桶を井より提出せずして、反って瓦瓶を碰破す。凶。《彖伝》は言う:木桶は水中に伸入して、再び水を提げ上る。此れ即ち井なり。井は衆人を養育して永遠に枯竭せず。城邑は改遷して井は改まらざるは、九二・九五の陽剛にして「中」位に居ればなり。井口に快到して未だ井より提出せざるは、功用未だ完成せざるを言うなり。瓦瓶は碰破せらる。ゆえに凶。
水人之資也,徳人之保也。自古至今,其道一也。故從於水,而下入得水,上汲而施物,井之道也。好於徳而巽志修徳,充其徳而位於民,上咸賴其澤徳之施也。故井曰徳,巽志修徳,曰徳之地不可改而非其道也。酌之不竭,不資於外,無喪無得也。君子之徳,其虛中無改,施之不竭,於何而喪其厚徳也。必備莫究其極,又何能得井冽可食之。
水は人の生活に頼るの資源にして、徳は人の立身に頼るの保障にして、古より今に至りて、此の道理は始終一如なり。ゆえに井卦は水に取象す。木桶は下に向かいて水中に沈入して水を取りて、再び上に向かいて汲み出して万物を供給す。此れ即ち井の道理なり。人は徳行を愛好せば、即ち謙遜の志を以て徳行を修養すべし。徳行充実の後に位に居りて民に臨めば、上位に在る者の恩沢は人人の仰頼する所と為る。此れ正に徳の施予なり。ゆえに井は即ち徳と曰う。「謙遜の志を以て徳を修む」とは、徳の立足する所の根基は更改すべからざるを言うにして、改めば即ち正道にあらず。井水は舀取して尽きず、又た外来の補給に依頼するを要せず。此れ即ち「無喪無得」なり。君子の徳は、内心謙虚にして根本変わらず、衆人に施予して枯竭せざらん。何ぞ其の深厚の徳を損失せんを談ぜんや。必ず修養完備して人の其の極限を窮究する能わざるに到らば、然らざれば何ぞ清冽の井水の如く人に飲用を供する能わんや。
往來者,皆井,其井之用焉,則君子徳博而施,故往來者徳其徳焉。非剛中之徳不能至也,井可食矣。人近至之而未繘,無功不能汲。下君子雖至於徳,無其位不受其器,未伸其功也。羸其缾,凶繘之失道,用之非器,棄先之功而及其凶也。君子於器而立度,行權而合物,然後道可終也。夫道者,及物而成徳也。修其徳而不利濟,非其道也。有徳無其位,不建其功,其徳未行也。有其法當於權,然後能終之,故君子不可以不備徳,觀其井而古今之道可知也。
来来往往の人は皆井辺に到りて水を取りて、皆此の井を使用す。君子の徳行広博にして普く人に施すに好比如す。ゆえに往来の人は皆其の徳を感戴す。陽剛の「中」に居るの徳行にあらざれば、即ち此の一歩に達する能わず。達せば、井水乃ち飲用す可し。人已に井辺に走り到るも、繩子は卻って未だ提げ上らざれば、即ち功用未成にして水を汲む能わず。下位の君子は縦に徳を修むる已に完備に臻るも、相応の職位なければ、即ち施展の器具を得ずして、功業はなお伸展し開かず。「瓶を羸す」の凶なる所以は、繩を用うるの方法の失当にして、用うる所は又た合適の器皿にあらずして、白白に先前の功夫を丟棄して凶険を招来せればなり。君子は器具に対して法度を立下して、権変を行使して又た事物に切合して、然る後に正道乃ち始有り終有らん。謂う所の道とは、即ち万物に施及して徳行を成就するなり。ただ己の徳を修養して能く他人を利益済助せざれば、那れ即ち道にあらず。徳有りて其の位なければ、功業を建立する能わずして、其の徳は即ち真に施行せられざるなり。既に法度有りて、又た能く権変に合すれば、然る後に乃ち善始善終する能し。ゆえに君子は己の徳を修備せざる可からず。此の井を看れば、古往今来の道理は皆清楚なり。
象曰:木上有水,井。君子以勞民勸相。木上有水,上木而出,以潤於木,井徳之施也。勞也者,勉民之勞也。治之得冝,樂其勞而生財也。上讓下,敬父慈子,孝人之性也。君子明之善,而勸也。非抑之制之,善為事者如之也。
《象伝》は言う:木の上に水あるは、此れ即ち井卦なり。君子は此より百姓を慰労して彼らの互に幇助するを勉励するを懂得す。木の上に水ありて、水は木に沿うて上に向かいて升出して、又た反って樹木を滋潤す。此れ即ち井徳の施予なり。謂う所の「労」とは、百姓の労作に勤るを勉励するなり。治理法を得れば、百姓即ち己の労作を楽して財富を生出す。上位の者は礼譲を以て下位の者に待ちて、父輩を敬奉し子輩を慈愛す。孝順は本より人の天性なり。君子は此の善性を明白して勧導を加うるに、本より圧制強迫にあらず。事を為るに善き人は皆此の如く為すなり。
初六,井泥不食,舊井無禽。象曰:井泥不食,下也。舊井無禽,時舎也。居於井下,井泥者也。舊井而無水者也,禽何食哉。窮下而質弱者矣,時何用哉,故舎也。
初六は、井底に淤泥満ちて、井水は飲用する能わず。一口の廃棄の旧井は、禽鳥すら来らず。《象伝》に曰く:井底の淤泥は飲用する能わざるは、其の最下に処すればなり。旧井は禽鳥すら無きは、時勢の捨棄する所と為ればなり。初六は井の最底層に居りて、正に淤泥の在る所なり。此れ一口の早已に乾涸して水無きの旧井にして、禽鳥は彼処に到りて何を喫し得んや。それ身は困窮の最下位に処りて、本身は又た陰柔質弱にして、此の時に当たりて何の用処ある能わんや。ゆえに時勢に捨棄せられたり。
九二,井谷射鮒,甕敝漏。象曰:井谷射鮒,無與也。井而與下谷之流也。初微陰也,而注志焉。中之才無施,及以應不能上行,而集其下事也。有質而不得,務徳也。器自矣,誰不棄之。
九二は、井水は山谷の水の如くただ下に向かいて泄して、井底の小魚に澆きて、水を汲むの瓮は又た破れ又た漏る。《象伝》に曰く:井水の下泄して小魚に澆ぐは、九二の上に於て相「応」の援手なきが故なり。此の井はただ下面の山谷の水流と相通ず。初六は微弱の陰爻にして、九二は卻って心思を全て其の身上に傾注す。九二は「中」に居るの才あるも施展する処なく、加うるに九五と同じく陽爻にして相「応」せずして、上に向かいて通行する能わず。只好く下面に於て瑣碎の小事を聚拢す。好き資質有りて任用を得ざれば、即ち専力して徳行を修養すべし。然れど器皿は自ら破漏して、誰か之を丟開せざらんや。
九三,井渫不食,為我心惻,可用汲。王明並受其福。象曰:井渫不食,行惻也,求王明受福也。剛治其位,修已而謀治也。在下之上,有徳者也。井以上為井也。未至上出不見食也。憂其行而心惻矣。上應也,可用汲矣。阻於王之疑也。若主明道通矣。得其賢人,王亦賴其治也。並受其福。
九三は、井は已に淘洗し浄めたるも人来りて飲用する無くして、我が心中を難過せしむ。此の井水は本より汲取す可きなり。君王若し能く明察せば、君臣即ち一同に福沢を承受せん。《象伝》に曰く:井已に淘浄して人の飲用する無きは、過路の人の其の為に難過するなり。此れ君王の明察を希求して共に其の福を受けんとするなり。九三は陽剛にして本位を治守して、是れ自身を修養して治世を謀求するの人なり。それ下卦の最上の一爻に処りて、是れ徳ある人なり。井は井口を出でて乃ち其の井と成ると算せば、九三は未だ上位に升りて井を出ざれば、ゆえに人の取食せらるるならず。それ己の道行の通達する能わざるを憂慮して、ここをもって心中惻然たり。九三と上六は相「応」して、水は本より汲取す可く、ただ君王の猜疑の阻隔する所と為るのみ。倘若君主明察せば、道路即ち通暢せん。此の如き賢人を得れば、君王も亦た彼を靠りて天下を治理せん。ゆえに君臣は一同に福沢を承受すと曰う。
六四,井甃無咎。象曰:井甃無咎,修井也。體上而下柔,以自處無外以他其徳,不弘學而已矣。修井之道,質弱止於無咎,不足以大濟也。
六四は、磚石を用いて井壁を砌治して、過ちなし。《象伝》に曰く:井壁を修砌して過錯なきは、其の此の井を修治すればなり。六四は已に上卦に進入するも、卻って柔弱の陰爻にして下位に居りて、ただ己を守住して徳を外面に分散せざるの能くするのみ、過ぎず学問未だ弘大ならざるのみ。井を修むるの此の事は、其の柔弱の資質を憑りて、ただ差錯出さざるを為到する能くするのみ、なお大に天下を済うに足らず。
九五,井冽,寒泉食。象曰:寒泉之食,中正也。井之治者,寒泉也。冽其寒又甚焉。居於中正,為井之主,保井之徳,養而不窮者也。道之上行,人受其施,皆得食其井也。
九五は、井水清冽にして、是れ甘寒の泉水にして飲用を供す可し。《象伝》に曰く:寒泉は飲用す可きは、九五の既に「中」に居りて又た「正」を得ればなり。井は治理して好ければ、水即ち寒泉と成る。一の「冽」の字を説くは、其の寒きこと更に徹底なるを形容す。九五は陽剛を以て既に中且つ正なる尊位に居りて、全卦の主にして、能く井の徳性を保住して、衆人を養育して枯竭せず。井道は上に向かいて通行して、人人其の施予を蒙受して、皆此の井の水を喝到する能し。
上六,井收勿幕,有孚,元吉。象曰:元吉在上,大成也。井至上,收井之功也。應於下,引於五,博濟而不施,無幕覆之。為眾之信,大成而元吉。
上六は、井水は汲み上げらる。井口を蓋住する勿れ。心に誠信を存して、大いに吉利。《象伝》に曰く:大吉は最上の一爻に出現するは、井道の大功告成を言うなり。井は上位に到りて、乃ち井功を収成するの時なり。上六は九三と相「応」して、又た九五の牽引を受けて、広く衆人を済助して井口に遮盖を加えず。此の如くして即ち衆人の信頼する所在と成りて、井道大成して大吉を獲得せり。
革卦
離下兌上 革,已日乃孚,元亨利貞,悔亡。彖曰:革,水火相息,二女同居,其志不相得,曰革。已日乃孚,革而信之,文明以說,大亨以正。革而當,其悔乃亡。天地革而四時成,湯武革命,順乎天而應乎人。革之時大矣哉。
下卦を離・上卦を兌と為すは、《革》卦なり。革卦は言う:彼の日に到りて、人乃ち信ぜん。大いに亨通して、正を守るに利ありて、悔恨消失す。《彖伝》は言う:革とは、水火の互に止息するなり。両の女子は一処に同住して、心志は卻って合い来らず。此れ即ち「革」と曰う。彼の日に到りて乃ち人に信を取るは、変革の後人乃ち之を信ずるを言うなり。文明にして又た和悦にして、大いに亨通して正道に合す。変革当を得れば、悔恨自然消亡す。天地は変革して四季形成し、商湯・周武王は天命を変革して、上は天道に順い下は人心に応ず。革卦の処する所の時機は、意義実に重大なりや。
火不遂其上,澤不得而下,故相息。息也者,勞而止之而得其自生也。二女同居,志乖而不可處,故革而制之,後乃成也。已日而信之,文明而說之剛,則大中元亨以正也。革而當,其悔乃亡。物不久,革之而後成。天地革而成四時也。湯武革命,得其時而天下正也。革非習近之所得也,其大矣哉。
火は能く一直に順遂に上に向かいて焼く能わず、沢水も亦た能く順暢に下に向かいて流るる能わず。ゆえに両者は互に止息す。謂う所の「息」とは、相手をして挫折して停下せしむるにして、反って此を因に自身の新生を獲得す。両の女子は一屋に同住して、心志乖違して共処するに法なし。ゆえに変革を用いて裁制を加えて、此の後乃ち事を成すを得。彼の日に到りて人乃ち信ずるは、文明にして和悦にして、又た陽剛を以て主と為ればなり。ここに於て大「中」の道を守住して、大いに亨通して正に合す。変革当を得れば、悔恨即ち消亡す。事物は能く長久変わらざる能わず、変革を経過して然る後に乃ち成就する能し。天地は変革して四季を形成し、商湯・周武王は天命を変革するは、時機を抓住して天下を正道に帰せしめればなり。変革は旧習に因循して眼前に貪る能くする所にあらず。其の意義は実に重大なりや。
象曰:澤中有火,革。君子以治厯明時。澤中有火,革而後存。君子修其歴數,明其四時之革,而授以民時也。
《象伝》は言う:沢の中に火あるは、此れ即ち革卦なり。君子は此より暦法を制訂して時令を明辨す。沢の中に火を蔵して、両者は必ず変革を経過して乃ち并存する能し。君子は暦数を修訂して、四季の更替変革の規律を弄清して、農時を百姓に頒授す。
初九,鞏用黃牛之革。象曰:鞏用黃牛,不可以有為也。革者,中格事,順於人,而後民志堅,而勉其務也。從已之為而為,則莫聽也,其能久乎,愼初者也。
初九は、黄牛皮を用いて之を牢牢に捆縛するを要す。《象伝》に曰く:黄牛皮を用いて捆縛するは、初九は未だ作為する所有る可からざるを言うなり。変革の此の事は、「中」道に合して事情に切合し、人心に順応して、然る後に百姓の心志乃ち堅定にして、乃ち己の本分に勉力するに肯ず。若し只だ己の意思に按りて一意孤行せば、即ち人の聴従に肯ずする無し。彼の如くして長久する能わんや。ゆえに此の一爻は人をして変革の初に於て格外謹慎せしめんと欲するなり。
六二,已日乃革之,征吉無咎。象曰:已日革之行有嘉也。柔以守位,中以為道,上應於五,有命而行。已日遂革而從其制也。以斯而行,嘉吉也。
六二は、彼の日に到りて乃ち往きて之を変革して、前往して吉利にして、過ちなし。《象伝》に曰く:彼の日に到りて乃ち変革するは、前行して喜慶あらん。六二は陰柔を以て本位を守住して、「中」に居るを以て立身の道と為して、上に向かいて九五と相「応」して、君命を得て乃ち行動す。彼の日に到れば即ち勢いに順いて変革して、君上の裁制に服従す。此の様に為りて往けば、自然嘉美吉慶有らん。
九三,征凶,貞厲。革言三就,有孚。象曰:革言三就,又何之矣。剛得上位,專極其火,性將制,其應不從,其革也。反道背時,征之凶,正之危。自初至三,令已成矣,民已信,又何云也。
九三は、前往して凶険ありて、固守するも亦た危厲あり。変革の主張は三次商議して已に成就して、人は已に信従せり。《象伝》に曰く:変革の言は三次已に成就して、復た何処に往かんや。九三は陽剛にして下卦の最上位に居りて、離火の性子を極端に発揮して、一味に己の性子を憑りて他人を裁制せんと欲す。上六は之と相「応」するも并びに聴従せずして、它復た強行に変革せんと欲す。此れ正道に違背して時機を錯失して、前往せば即ち凶にして、固執して守り下るも亦た危険なり。初九より九三に到りて、変革の号令は已に完成して、百姓も亦た已に相信せり。復た何の好く再び説くあらんや。
九四,悔亡,有孚。改命吉。象曰:改命之吉,信志也。剛能辨志,信而行正,守卑上從,承命而改,得其道矣,何悔之有。
九四は、悔恨消失して、心に誠信を存し、政令を更改せば則ち吉。《象伝》に曰く:命を改めて吉なるは、其の心志の人に信を取ればなり。九四は陽剛にして能く志向を明辨して、信を守りて行事端正にして、臣位を安守して上に向かいて君主に順従し、君命を秉承して旧制を更改しに往く。此れ即ち変革の正道に合せり。復た何の悔する可きあらんや。
九五,大人虎變,未占有孚。象曰:大人虎變,其文炳也。剛居尊而革之知變之道,勇於變革,易而為功也。得於中而煥乎其外,理著於兆矣,豈俟占而知哉。
九五は、大人の変革は虎皮の毛を換うるが如く光彩鮮明にして、占問するを要せずして已に人に信を取れり。《象伝》に曰く:大人の虎変の如きは、其の文采炳煥を言うなり。九五は陽剛を以て尊位に居りて変革を主持して、変通の道理を深知して、革新に勇于す。ゆえに変ること容易にして能く成功す。其の内心は「中」道に得て、外表ここを因に光彩煥発して、事理は征兆の上に於て早已に顕明せり。何ぞ復た占卜を待ちて乃ち知らんことを要せんや。
上六,君子豹變,小人革面。征凶,居。貞吉。象曰:君子豹變,其文蔚也。小人革面,順以從君也。虎變者,明其理,勇於變也。發而成文,君子之類也,大人之道也。其次勇而變焉,故其文蔚也。內信而外說也。小人無所明也。安於舊俗,樂於縱。故革面而已也。猶思其故行也,則周之三監也。征之凶哉。居而守正,獲其吉也。
上六は、君子の変革は豹紋の新を換うるが如く文采斐然として、小人も亦た面目を改換せり。継続して前往せば凶険ありて、安居して正を守って乃ち吉利。《象伝》に曰く:君子の豹変の如きは、其の文采蔚然を言うなり。小人の面目を改換するは、君上に順従するなり。謂う所の虎変とは、事理を明白して変革に勇于して、外に発すれば便ち文采を成就す。此れ君子の一類の人にして、大人の做法なり。次一等の人も亦た能く改変に勇于す。ゆえに文采はただ蔚然として観る可きなり。彼らは内心誠信にして外表和悦なり。小人は道理に一も明らかなる無く、旧有の習俗に安んじて、己を放縦するを喜ぶ。ゆえにただ臉面を一たび改むるの能くするのみ。若しなお旧日の行跡を念念不忘せば、那れ即ち周初の殷民を監視して叛乱したる管叔・蔡叔・霍叔の三監の如く、前往して必ず凶険。安居して正道を守住して、乃ち吉利を獲得するを得べし。
鼎卦
巽下離上 鼎,元吉,亨。彖曰:鼎,象也。以木巽火,亨飪也。聖人亨以享上帝,而大亨以養聖賢。巽而耳目聦明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以元亨。
下卦を巽・上卦を離と為すは、《鼎》卦なり。鼎卦は言う:大吉にして亨通す。《彖伝》は言う:鼎とは、一件の象を取るの器なり。木柴を火中に送り入るるは、食物を烹煮するなり。聖人は牲牢を烹煮して上帝を祭享し、又た大規模に烹煮して聖賢を供養す。謙遜柔順にして、ここをもって耳聡目明す。陰柔は前進して上に向かいて行きて、「中」に居りて陽剛と相「応」す。ゆえに大いに亨通す。
天下者,神器也。鼎者大器也。其治之者,必有法也,故以治鼎為法焉。離巽合而成象矣。趾分其初也,次實腹也,中虛耳也。上剛鉉也,故曰鼎,象也。其義以木巽火也。有亨飪之道也。聖人南面而設制度,使天下以器,而治其大器,則物無滯矣。則固矣,故曰鼎。取新也。利出否焉,不置其器者也。治其器必以制度,制之道莫上乎立敬,立敬莫先乎享上帝,此制度之先也。
天下は神聖の器物にして、鼎は則ち国家の大器なり。之を治理するは必ず法度あるを要す。ゆえに鼎を治むるを借りて法度を講明す。離と巽の両卦相合して、即ち鼎の形象を構成す。初爻は分張して下に在りて鼎足の如く、二・三の両爻は充実して鼎腹の如く、五爻は中空にして鼎耳の如く、上爻は陽剛にして耳を貫くの鼎鉉の如し。ゆえに鼎は一件の象を取るの器と曰う。意義に就きて講ずれば、木柴を火中に送り入るるにして、烹煮の道理を含む。聖人は南面して君と為りて制度を設立して、天下人をして各々器用に按りて行事せしめて、ここをもって国家の此の大器を治理せば、万事は即ち壅滞せずして、根基も亦た穩固せり。ゆえに鼎と曰う。鼎の用意は新を取るに在り。「否を出すに利あり」は、陳腐の残渣を倒出すにして、然れど鼎の此の器物本身を廃棄せず。器物を治理するは必ず制度に依頼して、而して制度を建立するの関鍵は、敬心を樹立するより重要なる莫し。敬心を樹立するは、又た上帝を祭享するより在先なる無し。此れ一切の制度の開端なり。
鼎用多而致治者,莫若乎養聖賢。此其器也,得其器行其事然後能為天下王。聖人巽於聖賢,則明矣。以天下之目視也,以天下之耳聽也,於何而不至焉。柔得大位,斂身若不足,故天下歸之。剛上而尊賢,剛而任能也。則天下何有焉。是以大有慶而能通也。
鼎の用途は甚だ多し。而して真に大治を帯来する能くするは、聖賢を供養するより重要なる莫し。此れ正に其の器物と為るの意義の在る所にして、此の器有りて、此の事を為成して、然る後に乃ち天下の王と為るを得。聖人は謙遜に聖賢を礼待せば、眼光即ち明察ならん。天下人の眼睛を用いて看て、天下人の耳朵を用いて聴けば、復た何の達せざる所あらんや。六五は陰柔を以て尊貴の大位に居りて、自身を収斂して総じて足らずを覚えるが如し。ゆえに天下は彼に帰附す。上九は陽剛にして上に在りて賢者を尊崇し、君主は剛健にして能有る人を任用するに肯ぜば、然らば天下は復た何の難辦の事あらんや。ここをもって大いに喜慶有りて能く通達す。
象曰:木上有火,鼎。君子以正位凝命。木上有火,爨鼎之道。治鼎者也,當聖人養賢使能也。君子正位守職,成聖人之命也。
《象伝》は言う:木の上に火あるは、此れ即ち鼎卦なり。君子は此より名位を端正し使命を凝聚す。木の上に火を燃すは、正に火を焼きて鼎を煮るの様子なり。鼎を治むるに会する人は、聖人の賢才を養育し能者を任使するに相当す。君子は己の名位を端正し本職を守好して、此を以て聖人の托付する所の使命を成全す。
初六,鼎顚趾,利出否。得妾以其子,無咎。象曰:鼎顚趾,未悖也。利出否,以從貴也。下鼎趾也,上應顚也。治鼎之道,用鼎之始也。應滌覆否,顚之利也。妾本下也,而以孚升士,雖賤而才貴。火上從而致其新也。可無咎矣。夫制者,有位而從權,雖反可也。
初六は、鼎は翻転せられて鼎足は上に朝かえり、裡面の汚穢残渣を倒出するに利あり。妾を娶りて彼女を因に児子を生めば、過ちなし。《象伝》に曰く:鼎足の翻転するは、本より常理に違背せず。残渣を倒出するに利あるは、以て尊貴の一方に順従せんと欲するなり。初六は最下に在りて是れ鼎足なり。それ九四と相「応」して上に向かいて牽引せられて、即ち翻転の象と成れり。鼎を治むるの弁法は、鼎を用い始むるの時正に此の如くなるべし。鼎身を洗滌して汚物を倒浄すべく、此れ即ち鼎を翻すの好処なり。妾の地位は本より低下なるも、卻って誠信を憑りて己の児子をして士に進身せしむ。人は卑賤なるも才具は可貴なり。火は上に在りて之に随いて焼き起れば、鼎中は便ち新物に換上せり。ゆえに過ちなからん。凡そ制度を主持する人は、其の位に居りて権変を懂得せば、做法は便ち一時に常規と相反するも、亦た可なり。
九二,鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。象曰:鼎有實,愼所之也。我仇有疾,終無尤也。剛以中應而承其實,任之重者矣。四以近權,惡我專任,怨偶敵我,不可以不愼其所行。然九四之覆,餗正無幾矣。豈暇謀我哉。獲其終吉也矣。
九二は、鼎中に食物満装せり。我が対頭は正に病を害して、我に靠近する能わず。吉利。《象伝》に曰く:鼎中に実物あるは、己の去向を謹慎すべし。我が対頭は病有りて、終に過失なからん。九二は陽剛にして「中」に居りて六五と相「応」して、鼎中の実物を承載す。是れ重任を担負するの人なり。九四は君位に靠近して権勢を握有して、九二の独り専任を得るを厭悪して、怨偶と成りて我と敵を為す。ゆえに九二は己の行止を謹慎せざる可からず。然れど九四は自ら正に鼎を打翻して、鼎中の美食は眼に見て残り無多し。何ぞ復た工夫ありて来りて我を算計せんや。ゆえに九二は終竟吉利を獲得す。
九三,鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨虧悔,終吉。象曰:鼎耳革,失其義也。尊柔非應,而革於四,鼎耳所以待實而將用也。革則我道不通也。雉膏焉得而食哉。夫君子之修徳,用其知也,欲其效也,無已知以應,不能進也,安得其任哉。失修徳之義也。當鼎新主,耳目聦眀,以柔徳接之,獨見以進則悔虧而終吉也。
九三は、鼎耳は変故を発生して、行動はここを因に受阻して、肥美の野鶏肉は喫上せず。天降の甘雨を待たば、悔恨即ち減少して、最終吉利。《象伝》に曰く:鼎耳の変を生ずるは、其の本来の意義を喪失せればなり。六五は陰柔を以て尊に居りて、九三と并びに相「応」せずして、中間は又た九四の阻隔改変する所と為る。鼎耳は本より鼎の食物を満装して抬挙取用を準備するを待つ所にして、鼎耳は一変して、我が路子は即ち通ぜず。肥美の雉肉は何ぞ復た喫到する能わんや。君子は徳行を修養するは、己の才智を施展して、其の功效に見るを指望するを要す。若し己と相応するの知遇の人なければ、即ち上進するに法なく、又何の任用せらるるを談ぜんや。此れ即ち徳を修むるの本意を喪失せり。正に鼎道更新して新君の耳聡目明の時に当たりて、君主は柔順の徳を以て彼を接納して、彼は独自の見識を憑りて進用を得れば、然らば悔恨即ち減少して終に吉利に帰せん。
九四,鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。象曰:覆公餗,信如何也。以不中之才當鼎食之寵,事上與下,力何任焉,折足者矣。非唯足折,亦虧公任也。公任虧則受凶。渥者,形濡什而不勝也。非所任而任,以至於此,信有凶矣,如之何哉。
九四は、鼎足折断して、王公の美食を打翻して、鼎身は淋漓として沾污す。凶。《象伝》に曰く:王公の美食を打翻するは、此の信任は復た何と交代せんや。九四は「中」に居らざるの才具を以て鼎食を享用するの寵位を占據して、上は君主を事奉せんとし、下は衆人を照応せんと欲す。其の力量は何ぞ担い起らんや。ここに於て鼎足を折断せり。ただ足を折るのみならず、亦た王公の委任を辜負す。托する所を辜負せば、即ち凶険を遭受せん。謂う所の「渥」とは、形体は湯汁に浸透せられて狼狽して支撑する能わざるの様子なり。本より其の勝任する能くする事にあらざるを卻って彼に担任せしめば、乃ち此の歩田地に落ち至る。確かに凶険ありて、又た何と為る能わんや。
六五,鼎黃耳金鉉,利貞。象曰:鼎黃耳,中以為實也。文而虛中,待鉉以載也,故能應剛而任重之矣。尊柔以能,利而得正也。
六五は、鼎は黄色の鼎耳と銅鉉を配上して、正を守るに利あり。《象伝》に曰く:鼎に黄耳有るは、「中」に居るを以て其の実質と為せばなり。六五は文明にして内心虚空にして、鉉の鼎耳に貫入して鼎を抬起せんを待てば、ゆえに能く陽剛と相「応」して重任を承担す。それ尊位に居りて卻って柔順に能有る人を任用す。ここをもって利ありて「正」を得。
上九,鼎玉鉉,大吉。無不利。象曰:玉鉉在上,剛柔節也。剛上而尊,賢助以載鼎也。玉鉉者,貴於金而不當用也。剛能聦逹,茍柔奉之巽,而以順得其節矣。器大治矣,故大吉而無不利也。
上九は、鼎は玉製の鼎鉉を配上して、大吉にして、利あらざる無し。《象伝》に曰く:玉鉉は最上に在りて、是れ剛と柔各々其の節度を得ればなり。上九は陽剛にして上に居りて人の尊崇を受く。是れ賢者は力を出して鼎を抬挙し起るなり。玉鉉は銅鉉より更に貴重にして、本より日常の用うる所の物にあらず。上九は陽剛にして聡明通達にして、六五は又た柔順謙遜に彼を奉承して、剛柔相済して、即ち応有の節度を得たり。鼎の此の大器は治理して好し。ゆえに大吉にして不利無し。
震卦
震下震上 亨,震來虩虩,笑言啞啞,震驚百里,不喪匕鬯。彖曰:震,亨。震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,後有則也。震驚百里,驚逺而懼邇也。出可以守宗廟社稷,以為祭主也。
下卦を震・上卦も亦た震と為すは、《震》卦なり。震卦は言う:亨通す。雷震は伝わり来りて人をして驚恐不安せしめて、随いて談笑の声は啞啞として起る。雷震は百里の遠きを驚動して、主祭人の手中の匕匙と香酒は卻って曽て失落せず。《彖伝》は言う:震は亨通す。雷震は伝わり来りて人を驚恐せしむるは、恐懼を知るを以て乃ち福沢を招来する能くすればなり。談笑啞啞は、此の後行事に法則有らんとす。百里を震驚するは、遠方を驚動して近処の人をして戒懼せしむるなり。長子は出でて事を主りて、能く宗廟社稷を守住して、祭祀の主を充当す可し。
震,亨。因其震而自震也。微而震之,保其終也。雷者天之震也。君子變其容,號令者,上之震也,保其終也。雷來類震者,外一動也。君子省諸內,見外猶驚之,況於自動乎。動者,吉凶悔吝之所生也。事之來驚,而虩虩然,後獲其笑語也,福之生後之則也。震,始生之陽,長子者也。長者能震,是震其初也。有其長子,則能驚其逺而懼邇也。君子可以守宗廟祭祀,則匕鬯不缺而保其社稷也。皆初震而有其後者也。
震卦の亨通する所以は、人は震動を受けて能く自ら警醒するを以てなり。震動なお軽微の時に於て先ず自ら震醒して、乃ち最後の結果を保全する能し。雷は上天の震動にして、君子は之が為に色を変え容を改む。上位の者は号令を発施す。之れ人君の震動にして、皆善終を守住せんが為なり。雷は一来れば、凡そ之と同類の物は皆震動に随いて、那れ過ぎず外物の一次の動盪なり。君子は卻って此より内に向かいて反省す。外物を見てなお驚惕す。況んや是れ己の挙動する所有るをや。挙動とは、正に吉・凶・悔・吝の産生するの根源なり。事情は来る時先ず驚懼不安して、此の後乃ち談笑の従容を獲得して、福沢は此より生じて、法則も亦た之に随いて確立す。震は初生の陽にして、長子を象徴す。長子は能く震動を主るは、正に最初に於て即ち己を震醒せんと欲するなり。此の如き長子有れば、即能く遠方を驚動して近処をして戒懼せしむ。君子はここをもって宗廟祭祀を守住する能く、匕匙香酒は缺失せざらんとし、社稷は保全を得ん。此れら皆開端の処に於て震懼を知りて、ここを因に好き結末あるの例子なり。
象曰:洊雷震,君子以恐懼,修省。重雷震而不已也。君子修已而履省之,恐懼之至,患無由及也。
《象伝》は言う:雷声の相継いで至るは、此れ即ち震卦なり。君子は此より心に恐懼を懐きて、自身を修養し過失を反省す。雷声は重畳して、震動して停まず。君子は己を修養して、歩歩反省検査して、戒懼は極点に到れば、禍患即ち降臨するに由無し。
初九,震來虩虩,後笑言啞啞。吉。象曰:震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,後有則也。剛能制斷,辨物也。動之於初,震其始恐懼其初,後有則,得震之義也。
初九は、雷震は伝わり来りて人をして驚恐不安せしめて、此の後卻って能く談笑啞啞として、吉利。《象伝》に曰く:震来して驚恐するは、恐懼を知るを以て乃ち福沢を招来する能くすればなり。談笑啞啞は、此の後行事に法則有らんとす。初九は陽剛にして能く決断して、事物を弁別するに善し。それ最初に於て即ち動作する所有りて、開端の処に於て己を震醒して始に於て戒懼して、此の後行事は便ち法度有らん。此れ乃ち真に震卦の意義を得たり。
六二,震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐,七日得。象曰:震來厲,乘剛也。剛初而震之,保其吉也。二而已震,失其義也。乘剛震位,危喪資也。則度其喪而上升矣,兩震不相應也。何所來乎,雖懼而不失中,可以自省,終固其所,勿逐之矣。七日而得其所喪也。七日者,極六爻而反下也。剛斯易矣。
六二は、雷震は伝わり来りて危険ありて、銭財を喪失せんと估量して、只好く高高の九重の山陵に登上して避ける。追尋しに往くを要せず、七天以後自然復得せん。《象伝》に曰く:震来して危有るは、六二の陽剛の上に凌乗すればなり。初九は最初に於て即ち震を受けて自ら警せば、ゆえに吉利を保住せり。六二は震已に発作するを待ちて乃ち震動せば、即ち震卦の本意を喪失せり。それ陽剛を凌乗して身は震動の位に処れば、ゆえに危険ありて資財を損失せんとす。ここに於て它損失を権衡して上に向かいて避升す。上下両の震卦は同性にして、彼此并びに相「応」せずして、又何処より援手を得んや。それ驚懼するも、卻って「中」道を喪失せずして、能く自ら反省して、終竟己の位置を穩住せり。ゆえに追いに往くを要せず。七天の後自ずから喪失したる物を找回せん。謂う所の七天とは、六爻の一周を走完して下卦に返帰して、彼の時陽剛は已に平易に転成せり。
六三,震蘇蘇,震行無眚。象曰:震蘇蘇,位不當也。弱而無當,蘇蘇也。居不安矣。行乃無眚也。
六三は、震動の中に於て緩緩に驚醒して恍惚不定す。震に因りて行動せば、即ち災禍なからん。《象伝》に曰く:震動の中に恍惚不安なるは、其の処する所の位置の「当」ならざればなり。六三は陰柔にして位置当ならざれば、ゆえに恍恍惚惚たり。原処に留るも并びに安穏ならずして、身を動かして前行すれば反って災禍無し。
九四,震遂泥。象曰:震遂泥,未光也。光可震也。而屈於柔,安於眾陰之中,已泥者也。失其震首,省不能致後之福,雖得所奉,豈足光哉。
九四は、震動の後終に泥の裡に陥る。《象伝》に曰く:震して泥に陥るは、其の道未だ光大する能わざるを言うなり。九四は本より光明有りて震威を発動するに足るも、卻って陰柔の下に屈居して、衆多の陰爻の中に安処して、已に泥濘の中に陥り入れり。它首倡震動の地位を丟掉して、便ち反省するも亦た日後の福沢を換回する能わず。縦になお人の之を奉承する有るも、又何の光大を談ぜんや。
六五,震往來厲,億無?。有事。象曰:震往來厲,危行也。其事在中,大無喪也。懼而往也。尊行何安,其反來也。剛以為疾,故皆危也。則以度而居矣,位得大中,事之主也。剛從而依,而不敢遂逼矣,懐懼而已,無所喪也。
六五は、震動の来るや、前往して危険にして退回するも亦た危険なり。估量し下るに并びに損失なく、仍旧祭祀の事を主持する可し。(原文「億无」下に一字を缺く、通行本は「喪」と作る。)《象伝》に曰く:往来皆危険なるは、行動に危有るを言うなり。六五の主持する所の事は「中」を守るに在れば、ゆえに大体上損失有らざらん。それ心に戒懼を懐きて前に向かいて走るも、然れど尊位を以て行事せば又何処に安穏あらんや。転身して退回せば、陽剛は又た逼迫して患と為る。ゆえに往来皆危険なり。ここに於て它形勢を審度して安居して動かず。それ上卦の大「中」に位居して、是れ事を主るの人にして、陽剛は随従して之に依附して、并びに敢えて一味に進逼せず。それ過ぎず戒懼を懐くのみにして、実際上并びに失する所なし。
上六,震索索,視矍矍,征凶。震不于其躬,于其鄰,無咎。?媾有言。象曰:震索索,中未得也。雖凶無咎,畏鄰戒也。索索而驚,矍矍而視,重震之極而中心不自得也。君子安其身而後動也。極懼也,何所容哉。內外震懼,身之危,征之凶矣。震不以躬,懼鄰而驚,則無咎也。兩震者,動而自省,則行之有終,陽之和,象之純故也。自震而戒,則可兩震求合,則乖也。
上六は、震動の中に於て脚步索索として発抖し、両眼は驚惶して四顧す。前往して凶険あり。雷震は己の身上に落ちずして、ただ隣居の身上に落つれば、即ち災禍なからん。但だし姻親の間は難免して閑話あらん。(「?」処は原文缺字、通行本は「婚」と作る。)《象伝》に曰く:脚步索索として発抖するは、心中未だ「中」道を得ざればなり。凶険あるも災禍なきは、隣居の震を受くるを見て警戒を知ればなり。索索として発抖して驚懼し、矍矍として不安に張望するは、重畳の震動の極点に到りて、内心は能く自主せざるなり。君子は総じて先ず自身を安頓し好くして然る後に乃ち行動す。如今恐懼は極処に到れば、復た何の身を容るるの地あらんや。内外皆震懼の中に在りて、自身已に危殆なり。再び前に往きて走れば即ち凶なり。震動は己の身上に落ちずして、隣居の震を受くるを因に自ら驚けば、即ち災禍なからん。上下両の震卦は、若し各々震動に因りて自ら反省せば、行事即ち能有始有終ならん。此れ彼らの同じく陽気の和に属して卦象純一なるの縁故なり。自身の震を受くるより戒懼を知れば便ち好し。若し両の震は硬に互に求合せんと欲せば、反って彼此乖違せん。
艮卦
艮下艮上 艮,其背不獲其身,行其庭不見其人,無咎。彖曰:艮,止也。時止則止,時行則行。動靜不失其時,其道光明。艮其止,止其所也。上下敵應,不相與也。是以不獲其身,行其庭不見其人,無咎也。
下卦を艮・上卦も亦た艮と為すは、《艮》卦なり。艮卦は言う:背部に抑止して、即ち己の身体を覚察せず。自家の庭院の裡を走りて、亦た庭中の人を看見せず。過ちなし。《彖伝》は言う:艮とは即ち止なり。停るべきの時に於て即ち停りて、行くべきの時に於て即ち行きて、動と静は皆時機を錯過せざれば、其の道即ち光明なり。謂う所の「其の止を艮す」とは、各々己の処るべきの処所に停るなり。上下両卦の爻位は相「敵」して相「応」せず、彼此相往来せず。ゆえに自身を覚察せずして、庭院を走り過ぐるも人を看見せず。ここをもって過錯なし。
艮兩止也。各止於所,向也。見敵應而咎生也。不獲其身,不欲彼見於我也。至近而不可通,雖行其庭不見其人。我無見於彼也。不相見也。何敵之有乎,故無咎也。君子之道,無固也,時可止則止之,時可動則動之,消息以時,而道乃光也。
艮卦は上下両の「止」にして、各々己の位置と朝向の上に停る。凡そ相遇して敵「応」を結成する者は、過錯即ち此より産生す。謂う所の「其の身を獲ず」とは、相手をして己を看見せしめんを願わざるなり。彼此は近在咫尺にして互に相通ぜず。ゆえに自家の庭院の裡を走るも亦た庭中の人を看見せずして、我も亦た相手を看に往かず。両辺は互に相見えずして、何ぞ復た敵対の言う可き有らんや。ゆえに過ちなからん。君子の立身の道理は并びに一端を固執せず。時勢は止む可ければ即ち止住して、時勢は動く可ければ即ち動き起して、時勢の消長に随いて進退して、其の道乃ち光大する能し。
象曰:兼山,艮。君子以思不出其位。一體而兩山,兼山者也。位身之止也,思不出其位,止者也。
《象伝》は言う:両山の重畳するは、此れ即ち艮卦なり。君子は此より思慮は己の職位を越出せざるを明白す。同一の卦体にして両座の山を含めば、即ち「兼山」と曰う。居る所の位置は身体の停留する処所にして、思慮は本位を越出せざるは、正に「止」の意思なり。
初六,艮其趾,無咎。利永貞。象曰:艮其趾,未失正也。止於下,艮於趾也。艮則不行也。得其止未失其正也,何所咎乎。利於長正,得其久也。
初六は、脚趾の上に抑止して、過ちなし。長久に正を守るに利あり。《象伝》に曰く:脚趾を抑止するは、未だ「正」道を失わざればなり。最下位に停るは、即ち脚趾に止るなり。既に止住せば、亦た再び走動せず。能く止るべきの処所に止住せば、即ち正道を失わず。復た何の過錯あらんや。長久に正を守るに利あるは、此の如くして乃ち持久する能くするを言うなり。
六二,艮其腓,不拯其隨,其心不快。象曰:不拯其隨,未退聽也。腓隨足也,自動則躁妄也,何益於動乎。艮體不動,則腓不得舉而隨也,性躁而不得往,未退而聽命,故其心不快也。
六二は、小腿肚の上に抑止して、其の跟隨する所の部位を救助する能わずして、心の裡は此れを因に痛快ならず。《象伝》に曰く:随う所の部位を救助する能わざるは、其の未だ退り下りて命を聴くに肯ぜざればなり。小腿肚は本より脚に随いて走る物にして、自ら乱動すれば即ち躁妄と成る。行動に対して何の好処あらんや。艮卦の卦体は動かずして、小腿肚は即ち抬げ起して跟いて走る能わず。其の性子は急躁なるも卻って去り成らずして、又た退り下りて上面の吩咐を聴従するに肯ぜず。ゆえに心の裡に痛快ならず。
九三,艮其限,列其夤,厲薫心。象曰:艮其限,危薫心也。艮於下體而不得通於上,止於體之中也。分其體,夤列矣。危及至心也。知其不可,而不可相見,則全其體。至於三,限其止乃止也。而敵之乃處中道而止之,於事則中分矣,羞辱至故,危薫哉。
九三は、腰間に抑止して、夾脊の肌肉を撕裂せり。危険は烈火の人心を熏灼するが如し。《象伝》に曰く:腰間を抑止するは、危険の其心を熏灼すればなり。九三は下卦に止りて上に通ずる能わずして、恰好身体全体の中段に停る。身体は腰を攔がれて分かれて、夾脊の肉は即ち撕裂して、危険は直に心上に逼る。若し明らかに為す可からざるを知りて索性彼此相見えざれば、倒に還って身体を保全する能し。然れど九三の此の一爻に到れば、界限は正に此処に卡在して、只好く停住す。それ上九と同じく陽爻にして相「敵」して、又た中間の位置上に処りて截断せられて、事情は便ち腰を攔がれて両截に分かる。羞辱は之に随いて来る。ゆえに危険は火の心を熏すが如し。
六四,艮其身,無咎。象曰:艮其身,止諸躬也。上體兼下,兼兩而止,則時止能止,其身當位,而靜止得於分,故無咎也。
六四は、自身を抑止して、過ちなし。《象伝》に曰く:其の身を抑止するは、「止」を己の身上に落実すればなり。六四は上卦に進入して下卦を兼顧して、両体を兼合して止を知る。正に止るべきの時に於て能く止住せり。それ陰爻を以て陰位に居りて、其の身は位に「当たり」て、安靜に止を守りて本分に合す。ゆえに過錯なし。
六五,艮其輔,言有序,悔亡。象曰:艮其輔,以中正也。上體之中,當其輔也。得其中正言也。言而序,悔亡者也。
六五は、牙床の上に抑止して、説話に条理あれば、悔恨消失す。《象伝》に曰く:牙床を抑止するは、六五の「中」に居りて正に合すればなり。それ上卦の中位に処りて、正に人の牙床の在る所に相当す。其の説く所の話は中正の道に合して、言語は条有り理有り。悔恨は自然消失す。
上九,敦艮吉。象曰:敦艮之吉,以厚終也。動者,利之求也。動失則害至。止者,正之元也,久守則福來,非敦厚之徳不能止其終也。
上九は、敦厚に止を守りて、吉利。《象伝》に曰く:敦厚に止を守るの吉利は、能く厚道を以て善終すればなり。行動とは、利益を求取せんが為なり。一旦動き錯えれば、禍害即ち来る。停止とは、「正」の根本にして、長久に之を守住せば、福沢即ち到来せん。若し敦厚の徳にあらざれば、是れ此の「止」を最後まで守住する能わざるなり。
漸卦
艮下巽上 漸,女歸吉。利貞。彖曰:漸之,進也。女歸吉也。進得位,往有功也。進以正,可以正邦也。其位剛得中也。止而巽,動不窮也。
下卦を艮・上卦を巽と為すは、《漸》卦なり。漸卦は言う:女子の出嫁は吉利にして、正を守るに利あり。《彖伝》は言う:漸とは即ち循序漸進にして、ゆえに女子の出嫁は吉利なり。前進して応有の位置を得て、前往すれば即ち能く功業を建立す。正道を以て前進して、邦国を匡正する可し。説く所の位とは、九五の陽剛にして「中」に居るを指す。内卦は止を知りて外卦は柔順なり。ゆえに行動して困窮に陷入せざらん。
女也者,嫁於夫也,必有歸也。臣也者,得位於君,必有進也。皆以進外為位乎漸,而道乃行也。剛下柔巽之,是以柔得正位乎外,而輔剛,故女歸吉,而往有功也。使柔進得其位,而正邦者,剛得中也。止於相與,而巽以從,則動而何窮哉。
女子は丈夫に嫁ぐに、必ず一の帰宿有らん。臣子は君主の彼処より職位を取得するに、必ず一の進身の路有らん。二者は皆向外に進取するを靠りて位置を取得して、且つ必ず循序漸進して、正道乃ち施行する能し。陽剛は下に居りて柔順を以て之に待てば、ゆえに陰柔は能く外卦に於て「正」位を取得して陽剛を輔佐す。ここをもって女子の出嫁は吉利にして、前往して功業を建つる能し。陰柔をして前進して位を得しめて、ここをもって邦国を匡正するは、九五の陽剛の「中」に居るの縁故なり。内卦は人と相親するに止りて、外卦は謙順にして随従す。此の如くして行動起せば又何ぞ困窮せんや。
象曰:山上有木,漸。君子以居,賢徳善俗。山上有木,得其高進也。君子之居,親其徳而外善於俗,而後能漸之進也。
《象伝》は言う:山の上に樹木あるは、此れ即ち漸卦なり。君子は此より其の身を安処して、賢徳を涵養して風俗を改善す。山の上に樹を長ずるは、山勢を借りて高遠の進長を得ればなり。君子は安居するの時に於て、内は己の徳行に親近し、外は風俗を改良して、然る後に乃ち循序漸進する能し。
初六,鴻漸于干,小子厲,有言無咎。象曰:小子之厲,義無咎也。初至而至於乾也。至弱才業未聞,上無應而首於進者,冝為小人之所危也。道不同,故危之矣。我未位也。無害小人,小人何害於我哉。故雖有言,其義不至於咎矣。
初六は、鴻雁は漸漸に水辺の高岸に飛落す。年幼の小子は危険ありて、些少の閑話を招来せんも、卻って過ちなし。《象伝》に曰く:小子の危険は、道理に就きて言えば并びに過錯と為らざるなり。初六は剛に歩を起し、ただ水辺の岸上に到達するのみ。它極めて柔弱にして、才干学業は未だ人に知られず、上に向かいて又た相「応」の援手なく、卻って帯頭して進を求む。自然小人の脅威と視為せらるる有らん。彼此の路数は同じからざれば、ゆえに小人は彼を為難せんと欲す。然れど我は未だ職位を取得せずして、小人に対して并びに妨害なく、小人は又た何を我に妨害する能わんや。ゆえに縦に些少の閑話有るも、道理の上より説けば未だ過錯を構成するに至らず。
六二,鴻漸于盤,飲食衎衎,吉。象曰:飲食衎衎,不素飽也。盤非鴻之所處,二非三之所得,今托之矣,非安也。得位相止,飲食且樂,可飽也。
六二は、鴻雁は漸漸に大石盤に飛到して、飲食は和楽融融として、吉利。《象伝》に曰く:飲食の和楽は、并びに白白に飽き喫するにあらざるなり。大石盤は本より鴻雁の栖息する所にあらずして、六二も亦た本より九三の得るべきの対象にあらず。如今姑且此処に身を托するは、本より長久の安にあらず。但だし六二は位を得て「中」に居りて、九三と相親して止す。飲食快楽して、総じて喫飽するを得べし。
九三,鴻漸于陸,夫征不復,婦孕不育,凶。利御宼。象曰:夫征不復,離群醜也。婦孕不育,失其道也。利用御宼,順相保也。得位於上,漸而之陸也。二應五也。為已止之,五合於四,征而不復,顧其類也。已與於二,二自有配偶,邪而不敢孕,失其生化之道,故凶也。兩志相保,無可間也,於長正之道,則可保夫一時之利也。
九三は、鴻雁は漸漸に高平の陸地に飛到す。丈夫は出征して一たび去れば返らず、婦人は孕を懐くも生育する能わず。凶。強寇を抵御するに利あり。《象伝》に曰く:丈夫の出征して返らざるは、己の同類を離開すればなり。婦人の懐孕して育たざるは、正道を喪失せればなり。強寇を抵御するに利あるは、彼此相順従して互に保全すればなり。九三は下卦に於て最上の位を得て、鴻雁の漸進して陸地に登上するに好比如す。六二は本より九五と相「応」するも、卻って九三の就近に截住する所と為る。九五は転じて六四と結合す。ゆえに丈夫の出征して返らずと曰う。ただ己の彼の一類の伴侣を顧るのみ。九三は六二に親近するも、而して六二は本より正の配有り。此の如き結合は邪にして正ならず。ゆえに敢えて生育せずして、生養化育の正道を喪失せり。ここをもって凶険。但だし両方の心志は互に保全して、外人は挑発するに由無し。長久に正を守るの道理に就きて講ずれば固然合せざるも、卻って亦た能く一時の便利を保住す。
六四,鴻漸于木,或得其桷,無咎。象曰:或得其桷,順以巽也。木非鴻之本,止漸而得位於高,或得於桷,桷上附也。承五而相得焉,亦非其安而安也。五巽巳順,尊而相保,不可傾奪,故無咎。
六四は、鴻雁は漸漸に樹木に飛上して、或いは平展の枝椏を找到して落脚する能くして、過ちなし。《象伝》に曰く:平枝を找到する能くするは、其の柔順にして謙遜なればなり。樹木は本より鴻雁の本処にあらずして、六四は循序に進みて高位を得て、姑且一根の平枝を找到せば、彼の枝椏は上に向かいて附着するなり。それ九五を承奉して彼此相得す。本より安穏ならざるも卻って之に居りて安ず。九五は謙遜にして、六四は順従にして、一尊一卑は互に保全して、誰も之を傾覆奪取する能わず。ゆえに過錯なし。
九五,鴻漸于陵,婦三歲不孕,終莫之勝,吉。象曰:終莫之勝,吉得所願也。陵高,安之所。二本應五,三近止之,至五而三,故曰三歲不孕。夫務於大功者,不檢於細故,細故不有,匪正之事不甚非之,及其得至於大位,則人莫敢不懼,而道自復也。
九五は、鴻雁は漸漸に高陵に飛上す。婦人は三年孕する能わざるも、但だし終竟誰の彼女を圧倒する能くする無し。吉利。《象伝》に曰く:終竟彼女に勝過する能くする無きは、吉は願いを得償するに在ればなり。山陵は高峻にして、正に身を安ずるの所なり。六二は本より九五と相「応」するも、卻って九三の就近に截住する所と為る。六二より九五に数えて中間は三位を隔つ。ゆえに三年孕まずと曰う。凡そ大功業を致力する人は、細枝末節を計較せず。細故は既に心上に放たずして、些少の正道に合せざるの事も亦た深く責備を加えず。彼の尊位に登上するを待たば、人は敬畏せざる無く、正道は自然回復せん。
上九,鴻漸于陸,其羽可用為儀。吉。象曰:其羽可用為儀吉。不可亂也。漸之進也。夫進之為道,求其利也。暴速而取害之至也。漸以相與,雖非其道,不至於悔也。上乃進得高陸,不累於世,不爭於利,中心何可亂哉。超然志逺,知夫進退之道,故其羽可用為儀也。
上九は、鴻雁は漸漸に高遠の陸地に飛到して、其の羽毛は礼儀の装飾と為すに用う可し。吉利。《象伝》に曰く:羽毛は儀飾と為すに用う可くして吉なるは、其の行止の紊乱す可からざるを言うなり。漸卦の説く所は循序漸進なり。進を求むるの此の事は本より利を得せんが為にして、急躁に快を求めば、禍害は立刻に到る。循序漸進に人と相処すれば、縦に未だ必ず正道に合せざるも、亦た悔恨を招来するに至らず。上九は高遠の陸地に進到して、世俗に牽累せられず、人と利を争わず。内心は何ぞ乱れんや。それ物外に超然として志趣高遠にして、進退の分寸を深知す。ゆえに其の羽毛は拿り来りて礼儀の表率と為す可し。
帰妹卦
兌下震上 歸妹,征凶,無攸利。彖曰:歸妹,天地之大義也。天地不交,而萬物不興。歸妹,人之終始也。說以動,所歸妹也。征凶,位不當也。無攸利,柔乘剛也。
下卦を兌・上卦を震と為すは、《帰妹》卦なり。帰妹卦は言う:前往して凶険ありて、便利ある無し。《彖伝》は言う:少女の出嫁するは、天地間の大義なり。天地陰陽は交合せざれば、万物即ち興盛する能わず。少女の出嫁するは、人倫の終結と開端に関係す。喜悦を因に行動して、其の嫁出する所は少女なり。前往して凶険なるは、爻位の「当」ならざればなり。便利ある無きは、陰柔の陽剛の上に凌乗すればなり。
少女之窮也,無所往而歸其長陽。女說其有歸,而往也。男說其有家,而娶也。有生化之義焉,不交則無終也。故少配長,說以與動,有終而自此始也。少陰失位以求合,人斯賊之矣。不足以相久,徵其凶哉。柔得中,眾之歸也。陰雖從陽,陽下其陰,失其位也。柔制其剛也。豈人倫之序哉,不足以獨化也。故無攸利。至於終,存乎生化之大義焉。
少女は走る可き路無きに到りて、往く可き処なくして年長の陽剛に歸向す。女子は帰宿有るを因に喜悦して、ここに於て出嫁す。男子は家室有るを因に喜悦して、ここに於て迎娶す。此の裡面に生養化育の意義を含んで、男女は相交合せざれば、人倫即ち帰結なし。ゆえに少女は長男に配して、喜悦を因に之に随いて行動して、人生の終結と開端は皆此より生ず。然れど少陰は其の位に当たらずして卻って急に合を求めば、人は即ち此を因に彼女を軽賤し、彼女を傷害す。此の如き結合は長久するに足らずして、前往して自然凶険なり。六五は陰柔にして「中」を得て、是れ衆人の歸向する所なり。陰は本より陽に順従すべく、此処は卻って陽の陰の下に屈居して、位置は顛倒して、成りて柔を以て剛を裁制す。此れ何処に人倫の次第に合せんや、単に一方に靠るも亦た万物を化育するに足らず。ゆえに便利ある無しと曰う。其の最終の帰結に至りては、則ち生養化育の大義を保存するに在り。
象曰:澤上有雷,歸妹。君子以永終知敝。澤之濡雷,震於其上,雨微而雷震。雖不當於大,亦相歸之物也。無歸也,斯敝之矣。君子知其敝,無所往,故歸而永終也。
《象伝》は言う:沢の上に雷あるは、此れ即ち帰妹卦なり。君子は此より長久の帰結を求取して其の中の弊病を預知す。沢水は下に於て潤沢して、雷は上に於て震動して、雨勢微弱にして雷声轟響す。此の如き配合は盛大と算すに足らざるも、畢竟亦た彼此帰属の一対なり。若し帰属なければ、即ち衰敗破敝せん。君子は此の層の弊病を明白して、少女の往く可き処なきを知りて、ゆえに彼女をして出嫁せしめて、ここをもって長久の終結を求む。
初九,歸妹以娣,跛能履,征吉。象曰:歸妹以娣,以恆也。跛能履,吉相承也。無所往歸之矣。初說而後動也,何不可乎。故?娣雖不足行,茍能徵,則吉。《周禮》曰:歸,以恆者也。柔而隨剛,吉相承也。歸妹相終,非情,故以禮歸之。
初九は、少女は出嫁して陪嫁の偏房を為して、跛脚の人のなお能く走るが如し。前往して吉利。《象伝》に曰く:娣の身份を以て出嫁するは、其の能く常道を守るを取ればなり。跛脚にしてなお能く走るは、吉は能く輔助承事するに在ればなり。少女は往く可き処なくして、只好く此の如く嫁出す。初九は先ず喜悦有りて然る後に乃ち行動す。何の不可あらんや。ゆえに陪嫁の娣を為すは独り当一面するに足らざるも、ただ前往するに肯ぜば、即ち吉利なり。《周礼》は女子の出嫁を講じて、説く所は正に此の種の常を守るの道なり。陰柔にして陽剛に随従して、吉は能く輔助承事するに在り。少女は出嫁して能く相守して底に到るは、靠る所は本より私情にあらず。ゆえに礼制に按りて彼女を嫁出すべし。
九二,眇能視,利幽人之貞。象曰:利幽人之貞,未變常也。剛居內而應,柔之制也。道之反,不足以為明也。眇而視者矣。自守其幽,不變其常,雖利也。豈娶之道哉。
九二は、一眼偏盲してなお能く看見して、幽靜に自守する人の正道を守持するに利あり。《象伝》に曰く:幽人の正を守るに利あるは、未だ常道を改変せざればなり。九二は陽剛にして内卦に居りて六五と相「応」して、反って陰柔の裁制を受く。此れ正道の顛倒過来せるにして、明察と称するに足らずして、ただ一隻の眼睛偏盲してなお勉強して看る能くするに算するのみ。それ己の幽靜の処境を安守して、常道を改変せざれば、固然利あるも、然れど此れ何処に正常の嫁娶の道と称せんや。
六三,歸妹以須,反歸以娣。象曰:歸妹以須,未當也。夫以不敵,將配以仁者,遽而行之不能終也。故待其所從道極,相說而來,歸以娣可也。未當故也。
六三は、少女は出嫁するも卻って時機を等待するを要して、只好く退回して陪嫁の偏房を為す。《象伝》に曰く:出嫁して等待を要するは、位置の「当」ならざればなり。其の身份は本より相手に配得上せずして、卻って仁厚の君子に嫁がんと欲す。倉促に行を成すは能く善終せざるなり。ゆえに其の跟従する所の一方の尽頭に走り至るを待ちて、彼此情投意合して再び来れば、彼の時陪嫁の娣を為すも亦た可なり。此れ皆六三の陰爻を以て陽位に居りて処する所の恰好在らざるの縁故なり。
九四,歸妹愆期,遲歸有時。象曰:愆期之志,有待而行也。過下升上,陽以居陰,剛過其柔也。得其無與,合而來之,義也。遲歸有時,此得待而行也。
九四は、少女は出嫁して婚期を誤りて、遅く出嫁して自ずから合適の時候有らん。《象伝》に曰く:期を誤るの心意は、時機を等待して乃ち行動せんと欲するなり。九四は下卦を越過して上卦に升入して、陽爻を以て陰位に居りて、是れ剛強の柔順を超過せり。それ上下皆相「応」の配偶なくして、ただ相手の情投意合して自ら前来するを待つの能くするのみ。此れ乃ち道理に合せり。遅く出嫁して自ずから其の時有るは、正に時機を等待して然る後に行動せんと欲するなり。
六五,帝乙歸妹,其君之袂,不如其娣之袂良。月幾望,吉。象曰:帝乙歸妹,不如其娣之袂良也。其位在中以貴行也。殷王之少妹,歸妹之貴也。古者王女下嫁於諸侯,衣服不繫其夫。下王后一等,故君之袂,不如娣之袂。妻貴於夫,夫下妻也。故見其妻象焉。月幾望,陰盈盛也。陰而得中,無與爭者,故吉也。
六五は、帝乙は其の妹を嫁出して、正妻の衣袖はなお陪嫁の娣の衣袖の華美に如かず。月は将に圓ならんとして未だ圓ならず。吉利。《象伝》に曰く:帝乙の妹を嫁ぐは、正妻の衣袖は娣の衣袖の華美に如かず。彼女は「中」位に位居して、是れ尊貴の身份を以て出嫁せるなり。帝乙は殷商の君王にして、其の嫁ぐ所は其の小妹にして、此れ帰妹の一類中の最も尊貴の例子なり。古時王家の女児は諸侯に下嫁して、衣服の等級は丈夫に随わずして、ただ王后より低き一等なり。ゆえに正妻の衣袖は反って陪嫁の娣の衣袖の華美に如かず。妻子の身份は丈夫より尊貴にして、丈夫は妻子の下に屈居するを要す。ゆえに此処に顕出するは妻の形象なり。月は将に圓ならんとして未だ圓ならずは、陰気の盈満興盛なり。陰柔にして能く「中」を得て、彼女と相争い来る誰も無し。ゆえに吉利。
上六,女承筐無實,士刲羊無血,無攸利。象曰:上六,無實承虛筐也。柔而居極,歸妹之窮也。復何待乎。無其歸者也。女徒承筐,不見其實也。士求進,安得其偶哉。道之窮而無所利也。
上六は、女子の捧ぐる竹筐の裡は空にして一物無く、男子は羊を宰するも卻って血を見ず。便利ある無し。《象伝》に曰く:上六の筐中に実物なきは、一隻の空筐を捧ぐればなり。上六は陰柔にして全卦の頂端に居りて、是れ帰妹の道の尽頭に走り至れり。復た何を指望する能わんや。已に帰す可きの対象無し。女子は白白に筐子を捧ぐるも、裡面に祭品を看見せず。男子は進取を求めんと欲するも、又何処に配偶を找到せんや。此れ道路窮尽して一も利無きなり。
巻六 周易下経豊伝第六
豊卦
離下震上 豐,亨。王假之,勿憂宜日中。彖曰:豐,大也。明以動,故豐。王假之,尚大也。勿憂宜日中,宜照天下也。日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息,而況於人乎,況於鬼神乎。
下卦を離・上卦を震と為すは、《豊》卦なり。豊卦は言う:亨通す。君王は能く豊大の境に達して、憂慮するを要せずして、正午の太陽の如くなるべし。《彖伝》は言う:豊とは即ち盛大なり。既に光明にして又た能く行動すれば、ゆえに能く豊大す。君王は豊大に達するは、盛大を崇尚すればなり。憂慮するを要せずして日中に宜しきは、普く天下を照す可きを言うなり。然れど太陽は正中に到れば即ち偏斜して、月は圓満すれば即ち虧蝕して、天地間の盈満と空虛は、皆時序に随いて消長す。況んや是れ人をや、況んや是れ鬼神をや。
夫明者,內含其照也。動而施之,乃豐也。明以時動,物伸其直,得盡其大生長之而遂成也。期盛之矣。豐之道者也,唯尚大而當之,故王能極之也。不失天下之情,則勿憂而旣治矣。日之明盛於中也,王宜照於天下也,則無微而不大也。過於中則憂,大斯盈,盈斯缺矣。大之道也,蓋聖人戒乎其大也。
謂う所の明とは、内裡に光照を含蓄するにして、之を発動し出して万物に施して、乃ち其の豊大と成る。光明にして能く時に順いて動けば、万物即ち其の本性を伸展して、充分に生長して然る後に成熟す。此れ乃ち盛大と曰う所なり。豊大の道理は、ただ盛大を崇尚して又た担当し得起る人にして乃ち配得上す。ゆえにただ君王のみ能く之を極処に推到す。君王は天下人の実情に違背せざれば、即ち憂慮するを要せずして天下は已に治好せり。太陽の光明は正午に於て最も盛んにして、君王も亦た天下に照臨する可く、彼の如くして再び微細の角落も亦た皆光大を得。然れど一たび正午を過ぎれば即ち憂慮すべし。盛大は即ち盈満に趨りて、盈満は即ち虧缺に転向す。此れ正に「大」の規律にして、ゆえに聖人は人をして盛大に対して常に戒懼を存せしめんと欲するなり。
象曰:雷電皆至,豐。君子以折獄致刑。雷電皆發,天下文明。盛大之時,明刑以肅民也。君子無所隱避,明以折獄而至用刑,可以勿憂。當日中之宜也。
《象伝》は言う:雷と電の一斉に到来するは、此れ即ち豊卦なり。君子は此より案件を判決して刑罰を施行す。雷電は一同に発作して、天下光明燦爛たり。此の盛大の時に当たりて、刑法を昭明して百姓を整粛すべし。君子は隠瞞回避す可き無くして、明察を以て案を判じて進みて刑罰を動用せば、即ち憂慮無きを以て、正に日中天の時宜に合せり。
初九,遇其配主,雖旬無咎。往有尚。象曰:雖旬無咎,過旬災也。豐,尚大也。唯其大者至之以陽,遇四務同而相配,彼俟之為巳主,相須而待也。明方動進而速有功也。遲而過旬失其動也。災之道也。
初九は、己と相配するの主人に遇上して、彼此均等なるも亦た過ちなし。前往して人の推重を受けん。《象伝》に曰く:均等なるも過錯なきは、此の限度を超過せば即ち災禍有らん。豊卦は盛大を崇尚す。惟だ陽剛を用いて盛大を成就するを以て、初九は九四に遇上して、両者は事務相同じくして彼此相配す。相手は己を等待して、己を主人と為す。双方は互に需要して彼此等待す。光明は正に発動して、前進して快ければ乃ち迅速に功を見る能し。拖延して期限を過ぎれば、即ち行動の時機を錯失して、之れ災を招くの路数なり。
六二,豐其蔀,日中見斗,往得疑疾,有孚發若,吉。象曰:有孚發若,信以發志也。柔之為道,靜退者也。又以居內,不能大其上也。是障其光而暗其明也。往之為王,雖尊而陰也。蓋相發則覆,疑矣,且履正不邪,中考自信於心,明生於內,而悟其違時之失,修改其道,無執其故,得其吉也。
六二は、遮蔽物は極厚に加えて、正午の時分に反って北斗星を看見す。前往して猜疑忌恨を遭遇せん。ただ心に誠信を存して誠意を啓発し出せば、即ち吉利。《象伝》に曰く:誠信有りて能く啓発するは、誠信を用いて相手の心志を啓発するなり。陰柔の做法は本より安靜退譲にして、六二は又た内卦に居りて、在上の者の事業を拡大する能わず。此れ即ち光を遮住して己の明を暗くするに等し。其の投奔せんとする所の六五は君位に居るも、卻って亦た陰爻なり。両陰相遇して、本想は互に啓発せんとするに、結果は反って彼此遮覆して、猜疑即ち生じ出来れり。但だし六二は「正」位を踐履して邪路を走らずして、心中に於て反復考量して自信不疑にして、光明は内心より生出す。ここをもって己の時勢に違背するの過失を覚悟して、原來の路数を修改して、旧有の成法を固執せず。ゆえに能く吉を得。
九三,豐其沛,日中見沬,折其右肱,無咎。象曰:豐其沛,不可大事也。折其右肱,終不可用也。居於下體之上,而上應焉。自以為有其位,而應其德也。貴賤之等則三曷足以為德乎。豐沛以為光,應幽陰以為德,豈可大事乎。力小任重者,右肱斯折也。右肱斯折不可用也,自致廢矣。誰復加於咎乎。
九三は、帷幔は極密に遮りて、正午の時分に微弱の星光を看見し、右臂を折断す。過ちなし。《象伝》に曰く:帷幔の極密に遮るは、大事を為す可からざるを言うなり。右臂を折断するは、終竟任用せられる能わざるを言うなり。九三は下卦の最上位に処りて、上に向かいて上六と相「応」して、自ら以為すらく既に位置有りて、又た相応の徳有りと。然れど貴賤の等級に按りて言えば、一の九三は何処に徳を称するに足らんや。幽暗の帷幔を以て光明と為し、幽隱の陰爻を以て依る可きの徳と為せば、此の如くして何ぞ大事を為す能わんや。力量小にして担子重ければ、右臂即ち折断す。右臂は一たび折れれば即ち再用する能わずして、是れ自ら己を廃人と為せるなり。復た過錯を誰の頭上に加え得んや。
九四,豐其蔀,日中見斗,遇其夷主,吉。象曰:豐其蔀,位不當也。日中見斗,幽不明也。遇其夷主吉,行也。陽以守卑而不能弘其大,以當於時也。是幽其明而暝其晝也。初陽之來,為相發之主,事合志終,得其明動之義,故吉也。
九四は、遮蔽物は極厚に加えて、正午の時分に反って北斗星を看見す。己と相当するの主人に遇上して、吉利。《象伝》に曰く:遮蔽極厚なるは、位置の「当」ならざればなり。正午に斗を見るは、幽暗にして明ならざればなり。相当の主人に遇上して吉なるは、行動すべきを言うなり。九四は陽爻を以て陰位に居りて自ら卑下を守りて、豊大の事業を弘揚し起して時勢に適応する能わず。此れ即ち己の光明を遮暗して白昼を昏夜と為せるなり。初九の此の陽爻の前来するは、正に之と互に啓発するの主人にして、事情合拍して心志相終えて、乃ち「明」と「動」の相合するの意義を得。ゆえに吉利。
六五,來章,有慶譽,吉。象曰:六五之吉,有慶也。柔居尊,陽能尚其大,而不以力得,其日中之宜也。天下無所隱諱,無微而不照,則天下歸其章明之德矣。故其慶譽之吉哉。
六五は、文采ある賢才を招来して、喜慶と美譽有らん。吉利。《象伝》に曰く:六五の吉利は、喜慶有ればなり。六五は陰柔を以て尊位に居りて、陽剛の才は皆其の盛大を成就するを願意して、而して它并びに強力を靠りて奪取せず。正に日中天の時宜に合せり。天下に隠瞞忌諱す可き無くして、再び細微の地方も亦た照す無き無し。ここに於て天下は皆其の彰明の徳行に歸向す。ゆえに喜慶美譽の吉利有らん。
上六,豐其屋,蔀其家,窺其戸,闃其無人,三歳不覿,凶。象曰:豐其屋,天際翔也。窺其戸,闃其無人,自藏也。極其大過於豐之所也。無道可弘,柔而無鑑也。唯富其室,厚其家,自謂其翔於天際,人莫之見也。自藏也者,雖窺其戸,可得見乎。過明之逺,而動之極也,不覿以三年矣。凶其至也。
上六は、房屋を造ること高大なるも、卻って帷幔を用いて家門を遮蔽せり。門縫より張望すれば、静悄悄として人影を見ずして、三年も人を見ず。凶。《象伝》に曰く:屋子を造ること高大なるは、天辺に翱翔するが如し。門内を窺看して空に一人無きは、自ら己を蔵起せればなり。上六は盛大を極端に推到して、已に豊卦の応有の限度を超出せり。它弘揚す可きの道なくして、陰柔にして又た鑑識を缺乏して、ただ居室を富麗にし家業を豊厚ならしむるを知る。自ら以為すらく天際に高翔して、誰も己を看見する能わざらんと。謂う所の「自蔵」とは、便ち人の門縫より張望する有るも、又何処に彼を看見する能わんや。それ光明に離るること太だ遠くして、躁動は又た極点に到れり。ゆえに三年も人を見ずして、凶険も亦た之に随いて来る。
旅卦
艮下離上 旅,小亨。旅貞吉。彖曰:旅小亨。柔得中乎外,而順乎剛,止而麗乎明,是以小亨。旅貞吉也。旅之時義大矣哉。
下卦を艮・上卦を離と為すは、《旅》卦なり。旅卦は言う:小に亨通して、羈旅在外にして能く正を守れば即ち吉利。《彖伝》は言う:旅は小に亨通するは、六五の陰柔にして外卦に於て「中」を得て陽剛に順従し、内卦は止を知りて又た外卦の光明に依附すればなり。ゆえに小に亨通して、羈旅は正を守りて吉なり。旅卦の処する所の時勢の意義は、実に重大なりや。
雖柔中得乎外,下而順於艮剛。上不能有其上,而寄旅於下,下不事其上,而不應於上,旅之義也。柔得中附順於下剛,而剛不距,是以小亨。旅之為道,不敢妄動,上麗其明乃可止也。止不妄也。明辨也。不為物疑,故正吉也。旅之為道,貞吉而後極,旅小亨。故再雲旅。非大人不能安其旅,而獲其小亨也。
六五は陰柔にして外卦に於て「中」を得るも、卻って下に向かいて艮卦の陽剛に順従するを要す。上の者は能く真に其の上位を擁有する能わずして、只好く客旅の如く下に寄身す。下の者も亦た其上に侍奉せずして、上と并びに相「応」せず。此れ即ち「旅」の含義なり。陰柔は中を得て下面の陽剛に依附順従して、陽剛も亦た拒絶を加えず。ゆえに小に亨通す。他郷に客と為るの道理は、軽挙妄動するを敢えてせずして、上に向かいて光明に依附して乃ち安頓下来る能し。止りて妄為せずして、明にして能く弁別して、外物に猜疑せられず。ゆえに正を守れば則ち吉。羈旅の道は、先ず正を守りて吉を得て然る後に乃ち其の道を尽す能くして、乃ち此の点の小小の亨通有らん。ゆえに卦辞は「旅」の字を重ねて説き一遍せり。徳ある大人にあらざれば、能く羈旅に安んじて此の小亨を獲得する能わず。
象曰:山上有火,旅。君子以明愼用刑,而不留獄。火寄於山,火非可久,刑以正法。刑不可久,故明愼用刑,以寄治之,而不留獄。
《象伝》は言う:山の上に火あるは、此れ即ち旅卦なり。君子は此より明察謹慎に刑罰を使用して、案件を積圧せざらしむ。火は山の上に寄托して、停留して長久する能わず。刑罰は法度を端正するに用いるにして、同じく拖延して久し過ぎる可からず。ゆえに明察謹慎に刑を用いて、客旅の暫寄するが如く之を為完了して、獄訟を滞留して決せざらしめず。
初六,旅瑣瑣,斯其所取災。象曰:旅瑣瑣,志窮,災也。柔而在下,瑣瑣賤旅也。有應於上,滿而得志,斯極之矣。以賤役而自盈,斯自取其災也。
初六は、他郷に客と為りて瑣碎猥屑にして、此れ正に災禍を自ら取るの縁由なり。《象伝》に曰く:旅途中に瑣碎猥屑なるは、心志困窮して災を招けばなり。初六は陰柔にして最下に処りて、是れ猥瑣卑賤の旅人なり。それ上に於て九四の相「応」有れば、便ち自満得意し起して、此の点の得意を極処に推到せり。卑賤の僕役の身份を以て自我膨脹するは、正に自ら災禍を招来す。
六二,旅即次,懷其資,得童僕,貞。象曰:得童僕,貞。終無尤也。守位奉上,而三相與得,其次來其資也。奉上而得中,得童僕之貞也。終何尤矣。
六二は、旅人は客舎に住み入りて、懐裡に盤纏を帯びて、還って童僕の忠信を得たり。《象伝》に曰く:童僕の忠信を得るは、終に過失なからん。六二は本位を守住して上の者を奉承して、又た九三と相親互得す。ここをもって客舎に住上して、亦た資財を帯来せり。それ上位に奉事して「中」に居れば、ゆえに童僕の忠貞を得て、終に何の過失ある能わんや。
九三,旅焚其次,喪其童僕,貞厲。象曰:旅焚其次,亦以傷矣。以旅與下,其義喪也。原本闕傳。
九三は、旅人は己の客舎を焼掉して、童僕を喪失せり。便ち正を守るも亦た危険あり。《象伝》に曰く:旅人の客舎を焼掉するは、亦た人をして痛心せしむるに足らん。羈旅の身を以て此の如く下人に対待するは、道理に按りて童僕を喪失するは必然なり。(此の爻の注伝は原本已に缺失せり。)
九四,旅于處,得其資斧,我心不快。象曰:旅于處,未得位也。得其資斧,心未快也。旅以剛而升於上,體寄得所處,未得位也。資斧者,將營作所使之具也。得其所處,下應而獲其資器,而以旅之難也。其可就乎?終不得其位,故我心不快也。
九四は、旅人は暫居の処所有りて、亦た盤纏と斧具を得たるも、然れど我が心の裡は并びに痛快ならず。《象伝》に曰く:旅人の住処有るは、卻って未だ応有の名位を得ざればなり。資斧を得るも、心の裡は仍旧痛快ならず。九四は陽剛を以て上昇して上卦に進入して、身体は寄托して一の身を安ずるの所有るも、卻って正当の位置を取得せず。謂う所の「資斧」とは、営造作業を準備するの時に用うる所の器具なり。それ棲身の処を找到して、又た初六と相「応」して此れらの器具を得たるも、然れど客旅の身を以て、処境本より艱難にして、此の点の憑借を憑りて何処に即ち事を成す能わんや。終竟応有の名位を得ず。ゆえに我が心の裡に痛快ならず。
六五,射雉,一矢亡。終以譽命。象曰:終以譽命,上逮也。君子藏器於身,待時而動,則我由獲也。旅,火山旅也。五寄柔於剛也,物有非可久也。不由於我也,豈久其位乎。將遂安也,非惟失位,抑亦喪其謀矣。以其居中上之位,旅之貴者也,素以眾仰,故及於終有譽之命也。欲麗中,故曰雉也。
六五は、山鶏を射て、一支の箭を丟えり。最終は卻って此を因に美譽と爵命を獲得す。《象伝》に曰く:終に美譽爵命を得るは、其の能く人に上達すればなり。君子は才具を身上に蔵して、時機を等待して動けば、収穫即ち己に由りて掌握せらる。旅卦は上は離・下は艮にして、即ち火の山の上に在るの象なり。六五は陰柔を以て陽剛の間に寄托して、凡そ寄托の物は皆長久する能わずして、主動権は又た己の手裡に在らず。何ぞ長久に此の位置を占住する能わんや。若し只だ眼前の安逸を図れば、那れ即ち位置を喪失するのみならず、原有の謀劃も亦た一倂に喪失せん。好くもそれ上卦の中位に居りて、是れ羈旅の中に於て身份尊貴の一位にして、平素衆人の仰望する所と為る。ゆえに最後に到りてなお美譽と爵命を得。それ「中」道に依附するの意有りて、而して離卦は雉に取象す。ゆえに雉を射ると曰う。
上九,鳥焚其巢,旅人先笑,後號咷。喪牛于易,凶。象曰:以旅在上,其義焚也。喪牛于易,終莫之聞也。旅於上,極巢之髙也。旅得上位,先笑者也。以旅在上,人所嫉也。則焚巢而號咷矣。牛順物也,旅之為道,全於順也。剛而亢居,喪其順也。旅者人之客也,又剛而無順人,何吉哉,故喪於無難也。固其凶哉。
上九は、鳥巣は焼掉せられて、旅人は起初歡笑して、後来は放声痛哭す。辺邑に於て軽易に牛を丟えり。凶。《象伝》に曰く:羈旅の身を以て最上に居るは、理に按りて即ち焼かるべし。辺邑に於て牛を丟うは、終に人の知る無し。上九は旅卦の最上に処りて、正に鳥巣の築かるる最も高きの処なり。客旅の身を以て上位を占したれば、起初自然歓笑す。然れど客居して人の上に凌駕するは、人の嫉恨を遭うを要す。ここに於て巣は焼掉せられて放声痛哭す。牛は馴順の牲畜にして、羈旅の道は全て一の「順」の字に在り。上九は陽剛にして高亢に自居すれば、即ち此の柔順を喪失せり。旅人は本より他人の客人にして、又た剛強にして人に順従するに肯ぜず。何処に吉利有らんや。ゆえに并びに何の危難も無きの処に於て牛を丟う。凶険は自然免るる能わざるなり。
巽卦
巽下巽上 巽,小亨。利有攸往,利見大人。彖曰:重巽以申命,剛巽乎中正而志行,柔皆順乎剛,是以小亨,利有攸往,利見大人。
下卦を巽・上卦も亦た巽と為すは、《巽》卦なり。巽卦は言う:小に亨通して、前往する所有るに利あり、大人に見ゆるに利あり。《彖伝》は言う:両の巽の重畳するは、政令を反復申明す。陽剛は謙遜にして中正の道を守住して、ここをもって心志は推行を得。陰柔は皆陽剛に順従す。ゆえに小に亨通して、前往する所有るに利あり、大人に見ゆるに利あり。
巽剛巽柔,柔順剛也。申重也。上下皆巽,政之缺,乗其巽而重命,其治命行,則獲安矣。陽居於中正雖巽而志行也。柔皆上順於剛,物無逆者,可以行權而合法也。巽以申之,復其小康也。是以小亨,巽而往無不利也。大人得於中正,利以見之,輔而行其制也。
巽卦は陽剛の陰柔に対して謙遜にして、陰柔は又た陽剛に順従す。「申」とは即ち重複なり。上下両卦は皆巽にして、正に政令の缺失あるの時に当たりて、即ち此の謙順を趁りて重ねて命令を申明して、治理の号令を推行し下れば、天下即ち安定を獲得す。陽爻は中正の位に居りて、謙遜なるも心志はなお能く推行す。陰柔は皆上に向かいて陽剛に順従して、万物は違逆の無し。ゆえに権変を施行して又た法度に合する能し。謙遜を用いて命を反復申明すれば、小康の局面に回復する可し。ゆえに小に亨通すと曰う。謙順にして前往せば即ち不利無し。大人は中正の道を得て、彼に見いに往くに利ありて、彼を輔助して制度を推行せしむ。
象曰:隨風巽,君子以申命行事。風巽,風相隨也。故君子申上之命,而從其事,率民以隨上,而民皆隨令也。
《象伝》は言う:風と風の相随うは、此れ即ち巽卦なり。君子は此より政令を反復申明して政事を推行す。巽は風と為して、両風は相随う。ゆえに君子は君上の命令を重申して事を着手して、百姓を帯領して在上の者に跟随せしめば、ここに於て百姓は皆号令に聴従す。
初六,進退,利武人之貞。象曰:進退,志疑也。利武人之貞,志治也。巽柔在下,而不能果決,進退者也。巽於始,申命行事之初也。利於勇而行之則正也。非暴也,志行其治者也。
初六は、進退猶疑不定にして、武人の如く正を守るに利あり。《象伝》に曰く:進退不定なるは、心志に疑有ればなり。武人の正を守るに利あるは、心志は事情を為办好くするに在ればなり。初六は陰柔にして最下に居りて、能く果断に決定する能わず。ゆえに進退遅疑す。それ巽卦の開頭に処りて、正に政令を申明して事を着手するの起始段階にして、勇敢に執行しに往くに利ありて、那れ乃ち正と算す。此れ并びに暴力を施行せんとするにあらずして、而是れ心志は政事を治理し好くするに在り。
九二,巽在床下,用史巫,紛若吉,無咎。象曰:紛若之吉,得中也。巽乎下也,而又陰居床下之巽,猶得其中。巽下通上,方於祭祀之用史巫,雖多於敬事,達其命不任於已,則吉也。
九二は、謙卑して床底下に至りて、祝史と巫覡を任用して、紛紛擾擾として忙碌す。吉利にして、過ちなし。《象伝》に曰く:紛擾して吉なるは、九二の「中」に居ればなり。それ下に対して謙遜にして、又た陽爻を以て陰位に居りて床下に伏するが如く卑屈なり。好くもなお「中」道を守住せり。それ下より上に至りて君意を通達す。祭祀の時に祝史巫覡を任用するに好比如して、恭敬に神を事るの上に於て繁多を為すも、卻って能く命令を伝達し出して事情を己の身上に攬せず。ゆえに吉利。
九三,頻巽吝。象曰:頻巽之吝,志窮也。處卦之髙,巽於下柔,求其巽而不獲,匪其中而莫正,以至於頻蹙憂嗟也。剛不能執志,而窮於巽,可惜也巳。
九三は、一再屈従して愁眉展ばずして、憾惜あり。《象伝》に曰く:屡屡屈従するの憾惜は、心志困窮せればなり。九三は下卦の最高処に処りて、卻って下面の陰柔に対して謙遜するを要す。相手の順従を求めんと欲するも得られずして、それ既に「中」に居らずして又た「正」を得ずして、愁眉苦臉して憂嘆已まざるに至る。陽剛にして能く己の志向を堅守する能わずして、謙順の上に於て窮途に走り至れり。実に惜しむべし。
六四,悔亡,田獲三品。象曰:田獲三品,有功也。陰巽主也。為陽所巽,而順於陽,得位上奉而當之矣。臣而行事悔之道也。順而正之,何悔之有,故建功而田獲三品能歆其神人也。
六四は、悔恨消失して、田獵は三類の獵物を獲得す。《象伝》に曰く:田獵に三類の獵物を獲得するは、功労を建立せるを言うなり。六四は陰爻中の事を主るの一位にして、衆陽は皆之に対して謙遜して、而して它又た陽剛に順従す。それ位を得て上に向かいて君主を奉承して、正に相「当」せり。臣子を為るは擅自に行事するは、本より悔を招くの路数にして、然れどそれ順従して正道に合せば、復た何の悔する可きあらんや。ゆえに能く功業を建立して、田獵に三類の祭品を獲得するに好比如して、神明と人をして欣然と享用せしむるに足る。
九五,貞吉,悔亡。無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉。象曰:九五之吉,位正中也。以剛而巽於中正,巽而無違,中而不過,正而得當,以是申命牧下之功,何悔之有,何往不利。始而從之,政非自我,故無初矣。後獲其治,故有終也。甲者則事之首,庚者甲之中也。申重也。事中失而重之治也,則無世無之矣。主巽於臣,臣順於主,而為功也。當其殷巽於大彭、豕韋申之也,其在周巽於齊桓、晉文申之重,而其道小通矣。夫正其失者,先原其始,察其中知其弊,故先之三日也。因其弊而反正其失,得後三日之吉也。不可以不審也。無因而為者,未之有也。
九五は、正を守れば吉にして、悔恨消失して、不利ある無し。起初は順ならざるも最終は成有りて、庚日の前の三天、庚日の後の三天に於て分別に申告せば、吉利。《象伝》に曰く:九五の吉利は、其の正中に位居すればなり。九五は陽剛を以て謙遜に中正の道を守住す。謙順にして違逆せず、中に居りて過分ならず、正を得て恰当なり。此の如き態度を用いて政令を申明して下民を統御せば、復た何の悔する可きあらんや。何処に往くとも利あらざらんや。起初はただ旧有の政令を承接して、政事は本より己より出づるにあらず。ゆえに開端無しと曰う。後来治理の成效を收到して、ゆえに好き結局有りと曰う。天干中の甲は一事の開頭にして、庚は則ち十干の中段に処す。「申」は重申の意思にして、事情は中途に行きて偏差出づるも重ねて整治を加えれば、此れ何れの代に於ても免れざる所なり。君主は臣下に対して謙遜にして、臣下は君主に対して順従して、事功乃ち為成る能し。商代は大彭・豕韋の此の如き方伯を倚重して王命を重申し、周代は斉桓公・晋文公を倚重して王命を重申して、此の弁法を靠りて、王道乃ち勉強して小有通行せり。凡そ過失を糾正する人は、先ず事情の起頭を推原して、再び中間の経過を考察して弊病の在る所を看清す。ゆえに庚日の前の三天に於て先ず準備を作るを要す。弊病に順いて其の偏失を矯正せば、即ち庚日の後の三天の吉利を得。此の事は仔細に審察せざる可からず。縁由無くして貿然に行事して能く成功するは、従来曽て有らざるなり。
上九,巽在床下,喪其資斧,貞凶。象曰:巽在床下,上窮也。喪其資斧,正乎凶也。以剛而居重巽之上,以巽於下,巽而極,過巽無甚焉,在床下者也。極巽失據,無剛之用,資器皆亡之矣,身將安守哉,正其凶也。
上九は、謙卑して床底下に至りて、盤纏と斧具を丟失せり。正を守るも亦た凶。《象伝》に曰く:謙卑して床下に至るは、上位に居りて窮途に走り至ればなり。資斧を丟うは、正に凶険を招来せり。上九は陽剛を以て両の巽卦の最上に居りて、反って下面に向かいて卑屈して、謙遜は極点に到れり。過度の謙卑は此れより甚だしき無し。ゆえに床下に伏すと曰う。謙卑は極処に到れば即ち立足の地を喪失して、陽剛の才は発揮するに由無くして、資財器具すら皆丟光せり。自身は復た何を靠りて守住せんや。此の凶険は它自ら招来せるなり。
兌卦
兊下兊上 兊,亨,利貞。彖曰:兊,說也。剛中而柔外,說以利貞,是以順乎天而應乎人。說以先民,民忘其勞。說以犯難,民忘其死。說之大,民勸矣哉。
下卦を兌・上卦も亦た兌と為すは、《兌》卦なり。兌卦は言う:亨通して、正を守るに利あり。《彖伝》は言う:兌とは即ち喜悦なり。陽剛は「中」に居りて陰柔は外に在りて、喜悦の道を以て正固を守持す。ゆえに上は天道に順い下は人心に応ず。喜悦の道を用いて百姓の前頭を走れば、百姓即ち労苦を忘れん。喜悦の道を用いて冒険犯難に往けば、百姓即ち死亡を忘れん。喜悦の力量は真に大なりや。百姓は此を因に鼓舞を得。
剛中正而外柔,順於萬物,皆說其澤。聖人以說先人,而民忘其勞,以說犯難,民則忘死。非大人不能說於民,而民咸說而得其正也。
陽剛は中に居りて正を得て外表柔和にして、万物に順応して、万物は皆其の潤沢を喜愛す。聖人は喜悦の道を以て衆人の前面を走れば、百姓即ち労苦を忘掉す。喜悦の道を以て帯頭して難に赴けば、百姓即ち生死を忘掉す。徳ある大人にあらざれば、能く真に百姓を喜悦せしめずして、亦た能く百姓をして人人歓悦して同時に正道に帰せしむる能わず。
象曰:麗澤,兊。君子以朋友講習。兩說而合者,莫過於朋友講習也。
《象伝》は言う:両沢の相連して互に滋潤するは、此れ即ち兌卦なり。君子は此より朋友と一起に講論学習す。両方は彼此喜悦して契合するは、朋友の間の講論切磋より好き莫し。
初九,和兊吉。象曰:和兊之吉,行未疑也。以剛正之說,首出門而和人也。守正和人也。守正和人,何往不吉。行豈疑哉。
初九は、和順の道を以て人を喜悦せしめば、吉利。《象伝》に曰く:和悦して吉なるは、其の行為の懐疑す可き無ければなり。初九は陽剛端正の喜悦を以て、率先して門を出でて人と和睦相処して、正道を守住して人と交往しに往く。正を守りて人と和せば、何処に往くとも不吉あらんや。行為は又何処に人の猜疑を招かんや。
九二,孚兊吉。悔亡。象曰:孚兊之吉,信志也。失位與三,豈無悔也。志在和人,欲其說,信中不失正,故吉也。夫何悔焉。
九二は、誠信を以て人を喜悦せしめば、吉利にして、悔恨消失す。《象伝》に曰く:誠信喜悦して吉なるは、其の心志の誠実信ず可ければなり。九二は陽爻を以て陰位に居りて「正」を失い、又た六三と親比相近し。何ぞ悔恨無からんや。但だしそれ心志は人と和睦するに在りて、人人の歓悦を希望して、内心誠信にして正道を失わず。ゆえに吉利。復た何の悔する可きあらんや。
六三,來兊凶。象曰:來兊之凶,位不當也。兊者,陽說陰也。過說於上,柔以來人,使人從欲者也。何以終哉,凶其宜也。
六三は、主動に前来して人の歓喜を討わんとす。凶。《象伝》に曰く:来りて悦を求むるの凶険は、其の位置の「当」ならざればなり。兌卦は本より陽爻の陰爻に向かいて悦を示すにして、六三は卻って過分に上面を取悦しに往きて、柔媚を用いて他人を招引して、人をして欲望を放縦せしむ。此の如くして何ぞ好き結末有る能わんや。凶険は其の応得する所なり。
九四,商兊未寧,介疾有喜。象曰:九四之喜,有慶也。乾居臣位,商量冝制,祗上使下,不敢自安,皆獲所說,必得其慶也。故大速有喜也。
九四は、如何に取悦すべきかを反復商量して心中安寧を得ずして、能く断然として小人の此の禍患を隔絶すれば即ち喜慶有らん。《象伝》に曰く:九四の喜慶は、其の福慶有るを言うなり。九四は陽剛にして臣位に居りて、采取すべきの措置を斟酌商量して、君上を敬事して下属を役使して、己を安逸せしむるを敢えてせずして、上下皆其の喜悦する所を得。必ず福慶を獲得せん。ゆえに甚だ速くして喜事有らん。
九五,孚于剝,有厲。象曰:孚于剝,位正當也。陰二君而一民,小人之道也。處尊而孚於上,陰信於小人消君子之道也。得位正當為人之刑,則下化矣。下之消則上危也。可不慎乎。
九五は、陽剛を消剥する小人に対しても亦た誠信を講ずれば、危険あり。《象伝》に曰く:陽を剥ぐるの小人に対して信を講ずるは、九五の処する所の位置の正当なればなり。両の君主にして一の百姓あるのみは、此れ小人の路数なり。九五は身は尊位に居りて上六の此の陰爻に対して推心置腹すれば、即ち誠信を小人に与えたるにして、那れ君子の道を消損せん。它位を得て正当にして、本より衆人の表率と為るべく、下面は自然其の感化を受く。然れど下の君子は一旦消損せられれば、上の君主も亦た危険なり。何何ぞ謹慎せざる能わんや。
上六,引兊。象曰:上六引兊,未光也。為五牽說,信而尚之,柔而匪正也。雖說來矣,豈足光哉。
上六は、他人を牽引して来りて喜悦を求む。《象伝》に曰く:上六の牽引して悦を求むるは、其の道未だ光大する能わざればなり。上六は九五に牽引せられて相悦して、九五は之を信任して并びに之を推重するも、然れど它陰柔にして位「正」ならず。人を引得て前来して歓悦せしむるも、又何処に光大を談ぜんや。
渙卦
坎下巽上 渙,亨。王假有廟,利渉大川,利貞。彖曰:渙亨,剛來而不窮。柔得位乎外,而上同。王假有廟,王乃在中也。利渉大川,乗木有功也。
下卦を坎・上卦を巽と為すは、《渙》卦なり。渙卦は言う:亨通す。君王は宗廟の裡に到りて其の孝享を致して、大河を渡過するに利ありて、正を守るに利あり。《彖伝》は言う:渙の亨通する所以は、陽剛の前来して困窮に陥らざればなり。陰柔は外卦に於て応有の位置を得て、又た上面と同心なり。君王の宗廟に親至するは、君王の「中」位に居るを言うなり。大河を渡るに利あるは、木舟に乗って能く成功すればなり。
剛下濟而行不窮,柔得位於外,而輔剛,剛志行而遂通,上下相資,而不相待,雖行散動,人自為治,渙也。五之為主,不以形約,不以武禁,通其志而天下自治,豈人臣之為乎。乃王之命也。當以無為,可以至於有廟致亨矣。木之乗則無險矣。不勞而致重於不通,上乘下之能也。施逺而濟其散,治乎中正,而利貞者也。
陽剛は下り来りて救済して行事して困窮に至らずして、陰柔は外卦に於て位を得て陽剛を輔佐して、陽剛の心志は推行を得て終に通達す。上下は互に憑借して彼此等待するを要せずして、離散流動の中に処るも、人人皆能く自ら治理す。此れ即ち「渙」なり。九五は全卦の主にして、它形式を用いて約束せず、武力を用いて禁止せずして、ただ人の心意を通暢せしめば、天下即ち自然安治す。此れ何処に臣子を為るの能く為到する所あらんや。之れ君王の号令なり。無為の態度を用いて、乃ち宗廟に親至して其の亨通を致すの境地に達する能し。木舟に乘上して水を渡れば、即ち険阻の言う可き無し。気力を費さずして重物を原本通ぜざるの処所に運到するは、之れ上の者の下の者の能力を借用するに善ければなり。恩沢は遠方に施及して人心の渙散を救済して、中正の道を用いて治理す。此れ即ち「利貞」なり。
象曰:風行水上,渙。先王以享于帝立廟。風行水上,無擁限也。上以發令,不疾而速,逺而承治者也。當其無事也。先王享於上帝,配之祖考,用禮樂之道,致享而已。
《象伝》は言う:風の水上を行くは、此れ即ち渙卦なり。先王は此より上帝を祭享して宗廟を建立せり。風は水面の上に吹きて、壅塞阻隔無し。上の者は号令を発布して、急促するを要せずして自然迅速にして、遠方も亦た治化を承受する能し。天下の事無きの時に当たりて、先王は上帝を祭享して、祖先を以て配享して、礼楽の道を憑りて祭祀を完成するのみ。
初六,用拯馬壯吉。象曰:初六之吉,順也。渙之初,可以散動也。二能濟而巳附之,故顯而行之無畏忌也。壯馬馳騁而得其吉。
初六は、拯救に用うるの馬は甚だ強壮にして、吉利。《象伝》に曰く:初六の吉利は、其の柔順なればなり。渙卦の開頭は、正に疏散流動する可し。九二は救済の才ありて、初六は又た之に親附す。ゆえに敢えて公開に行事して畏忌する所無くして、強壮の馬に騎上して馳騁するが如し。ここをもって吉利を獲得す。
九二,渙奔其機,悔亡。象曰:渙奔其機,得願也。剛能治也,來而不窮,據初相與,得願馳騁,何往不至。兼固於三,貪其多,有失渙之道,未之悔也。
九二は、渙散の時に於て憑靠す可きの几案に向かいて奔すれば、悔恨消失す。《象伝》に曰く:凭几に向かいて奔するは、願いを得償せればなり。九二は陽剛にして治理の能有りて、前来して困窮に陥らず。它初六を據有して己と相親にして、願いを得償して手を放して馳騁すれば、何処に往くとも到達せざらんや。ただ它同時に又た六三を抓牢せんと欲して、貪求太だ多し。此れ渙卦の本意を失する有りて、但だし未だ懊悔の歩に至らず。
六三,渙其躬,無悔。象曰:渙其躬,志在外也。渙者散,而隨適可也。雖乗於剛,非其位也。自應於上,可以往而遂其志矣。散志適時,何悔之有。
六三は、自身の私念を散去して、悔恨無し。《象伝》に曰く:自身を散去するは、心志の外に在ればなり。謂う所の渙とは、即ち散開して処処に随順す。六三は陽剛の上に凌乗するも、其の居る所は又た正位にあらざれども、然れど它自ら上九と相「応」して、前往して己の心志を実現する可し。私意を散去して時勢に順応せば、復た何の悔する可きあらんや。
六四,渙其群,元吉。渙有丘,匪夷所思。象曰:渙其群,元吉。光大也。以柔順而上乗至尊,行大人之令者也。群者,眾之務公之事也。渙眾之公,大吉而光也。若以私也,則丘墟不移,咎歸於巳,巳亦思之不夷矣。可不慎乎。
六四は、己の私党を散去して、大いに吉利。渙散の中に於て又た能く山丘の如きの衆人を聚起するは、此れ常人の想い及ぶ能くする所にあらず。《象伝》に曰く:私党を散去して大吉なるは、其の道の光明盛大なればなり。六四は柔順の身を以て上に於て至尊の九五を承事して、是れ大人の号令を奉行するの人なり。謂う所の「群」とは、衆人の共同に経営するの公事なり。衆人の力量を公事の上に用うれば、即ち大吉にして光明なり。若し是れ私心の上に用いれば、那れ堆起せる丘塁は推移動かずして、過錯は皆己の身上に帰して、己の心の裡も亦た平坦ならざらん。此れ何ぞ謹慎せざる能わんや。
九五,渙汗其大號,渙王居,無咎。象曰:王居無咎,正位也。渙之尊而大號其令,物致其適,散其汗發其濡也。渙王居,大散也。憂在節。王者制天下之務,故正其位,行其道,乃無咎也。
九五は、汗の出づるが如く重大の号令を発布して、王者の積聚を散発せば、過ちなし。《象伝》に曰く:王者の積聚を散発して過錯なきは、其の正位に居ればなり。九五は渙散の時に於て尊位を以て大声に号令を発布して、万物をして各々其の宜を得しむ。汗を排出して欝積の湿気を宣泄し掉するが如し。「王居を渙す」とは、大規模に王室の積蓄を散発するなり。慮る可きの処は節制有るを要すに在り。王者は天下の事務を掌管すれば、ゆえに必ず己の位置を端正して正道を推行して、乃ち過錯なからんを得べし。
上九,渙其血,去逖,出無咎。象曰:渙其血,逺害也。應獨者多至於爭,此易之常情也。上獨有應而逺於傷害者,當其渙,得行其志,從其道也。故血去害逺而無咎也。
上九は、流血の憂患を散去して、恐懼に遠離して、険境を走出して、過ちなし。《象伝》に曰く:血患を散去するは、禍害に遠離するなり。衆爻は同一の爻に応ずるは、往々争いに鬧至る。此れ《易》の裡の常見の情形なり。上九は独り相「応」の伙伴有りて又た傷害に遠離するは、正に渙散の時に当たりて、它能く己の心志を推行して、正道に順いて為せばなり。ゆえに血光散去して禍害遠離して過錯無し。
節卦
兊下坎上 節,亨。苦節不可貞。彖曰:節亨。剛柔分而剛得中,苦節不可貞,其道窮也。說以行險,當位以節,中正以通。天地節而四時成。節以制度,不傷財,不害民。
下卦を兌・上卦を坎と為すは、《節》卦なり。節卦は言う:亨通す。苦澀の節制は固守する可からず。《彖伝》は言う:節して亨通するは、剛柔各々半を占めて陽剛の「中」に居ればなり。苦節は固守する可からざるは、彼の路已に尽頭に走り至ればなり。喜悦の心を以て険難を踐行し、位に居りて「当」を得て節制を知れば、中正の道は此を因に通行す。天地に節度有りて、四季乃ち形成を得。制度を用いて節制せば、即ち財物を損傷せずして、百姓を禍害せざらん。
剛分而濟柔,柔分而濟剛,剛得中以為主,相資不匱而得其度者,節之通也。過則苦,苦斯窮,不可正也。險者人之難履也,節者人之難從也。說其險能安其節者也,是大人當位而能節,而當其所而得其通也。故天地節,寒暑而成歳。聖人等貴賤而設制度,則財不枉而民不竭矣。節之為道廣矣夫。
陽剛は一半を分出して陰柔を接済し、陰柔は一半を分出して陽剛を接済して、陽剛は「中」に居りて主を作して、双方は互に憑借して匱乏せずして、各自分寸を得。此れ即ち節して通達す。節制は頭を過ぎれば即ち苦にして、苦は極処に到れば即ち窮して、窮すれば即ち守りて正を為す能わず。険難は人の踏上し難きにして、節制は人の服従し難きなり。能く喜悦の心を以て険難に面對する人は、乃ち節制に安んずる能し。此れ即ち徳ある大人の位に居りて「当」を得て能く節制を行い、恰に其の所に在りて通達を得るなり。ゆえに天地は節度有りて、寒来暑往して乃ち一年を形成す。聖人は貴賤等級を区分して制度を設立せば、財物即ち浪費に至らずして、民力も亦た枯竭に至らず。節の此の一条の道理は、涵蓋する所真に広大なりや。
象曰:澤上有水,節。君子以制數度,議徳行。澤上有水,止而不洩,下保其潤,上得其安,節之象也。君子制度數以位,議徳行以守則,無遺之患也。
《象伝》は言う:沢の上に水あるは、此れ即ち節卦なり。君子は此より礼数法度を制定して、徳行の高下を評議す。沢の上に水を蓄えて、止りて外に泄せずして、下は滋潤を保住して、上は安穏を得たり。此れ即ち節の形象なり。君子は礼数法度を制定して名位を確定して、徳行を評議して準則を訂立せば、即ち後患を留下せざらん。
初九,不出戸庭,無咎。象曰:不出戶庭,知通塞也。節者不可以出也。初而慎之,在於密也。不出戸庭,則無由禍患及也。言而復悔,出而後治,則無及巳。剛能辨制,知時通塞,得初節之義也。
初九は、内室の庭院を走出せざれば、過ちなし。《象伝》に曰く:戸庭を出ざるは、何れの時か通じ何れの時か塞がるを懂得すればなり。節制の時に当たりては軽易に外出するに宜からず。開頭に於て謹慎するは、関鍵は守密に在り。戸庭を走出せざれば、禍患即ち身に沾るに由無し。話は口を出口して再来りて後悔し、事情は為出して再去りて収拾せば、那れ即ち及ばざるなり。初九は陽剛にして能く弁別裁断して、時勢の通塞を懂得す。此れ即ち節卦の初爻の意義を得たり。
九二,不出門庭,凶。象曰:不出門庭凶,失時極也。節者當位而節乃通也。剛居下位,自髙於內,不聽其職,不揚其令。位也者,君子之時也。其可忽乎。失時之過,凶咎至矣,不能守節於位也。
九二は、大門の庭院を走出せざれば、凶。《象伝》に曰く:門庭を出でずして凶なるは、時機を錯過すること太だ甚だしければなり。節制は位に居りて「当」を得るの時に於て施行して乃ち通達する能し。九二は陽剛にして下位に居りて、内に於て自視甚だ高くして、己の職守を履行するに肯ぜずして、君上の号令を宣揚しに往かず。謂う所の位とは、正に君子の抱負を施展するの時機にして、何ぞ軽忽する能わんや。時機を錯過するの過失は一旦造成せば、凶険咎害即ち来る。之れ其の其の位の上に於て節度を守住する能わざればなり。
六三,不節若,則嗟若,無咎。象曰:不節之嗟,又誰咎也。不能自節,以弱質而乗剛,居上力小任大,重以至於憂嗟也。此巳之自召也,何人之咎哉。
六三は、能く自ら節制せざれば、只好く唉声嘆気して、此れ他人を怪る能わず。《象伝》に曰く:節制を知らずして発する嘆息は、復た誰に帰咎する能わんや。六三は能く自ら節制する能わずして、柔弱の資質を以て陽剛を凌乗して、下卦の上に処りて、力量小にして担子大にして、負担太だ重くして、終竟憂愁嘆息に弄至る。此れ自ら招来せるにして、何処に他人の過錯あらんや。
六四,安節亨。象曰:安節之亨,承上道也。以陰守柔,當位安節,承主之命得節之道,故能通也。
六四は、安然として節制を守住して、亨通す。《象伝》に曰く:節制に安んじて亨通するは、其の在上の者の正道を承奉すればなり。六四は陰爻を以て柔順を守持して、位に居りて「当」を得て節制に安んじて、君主の命令を秉承して節の道理に合す。ゆえに能く通達す。
九五,甘節吉。往有尚。象曰:甘節之吉,居位中也。剛以居尊,為化之主,甘於節而以令人也。正位以節,徳之中也。不過不逼,為天下之式,則天下財不傷,而民不害,皆歸徳矣。慶其來哉,志尚而得其志也。
九五は、甘美の節制にして、吉利にして、前往して人の推崇を受けん。《象伝》に曰く:甘節の吉利は、其の位に居りて「中」を得ればなり。九五は陽剛を以て尊位に居りて、是れ教化の主宰にして、己は節制に甘んじて然る後に他人を号令す。名位を端正して節制を施行するは、此れ徳の中正の処なり。既に過分ならずして、亦た逼迫せずして、天下の様式と成れば、然らば天下の財物は損傷を受けずして、百姓は禍害を受けずして、人人皆其の徳に歸向す。福慶は自然到来して、其の志向は人の推崇を為して、亦た己の心願を実現せり。
上六,苦節,貞凶。悔亡。象曰:苦節貞凶,其道窮也。節者以備其窮也。窮猶節之,節苦者也。身安資哉,正之凶也。居極乗剛,易之悔也。其在節極則自苦也。凶其深矣,悔小疵也。又何加焉。
上六は、苦澀の節制にして、固守せば則ち凶にして、悔恨は倒に消失せり。《象伝》に曰く:苦節固守して凶なるは、其の道已に窮尽せればなり。節制は本より困窮に防備せんが為にして、如今已に困窮して復た一味に節制せば、那れ節制は即ち変じて苦的と為る。自身はなお安頓し下る能わずして、復た何の憑借を談ぜんや。ゆえに固守し下れば即ち凶。上六は全卦の極端に居りて又た陽剛を凌乗するは、此れ《易》の裡に於て本より悔を招くの処境にして、節の尽頭に処りて、只好く自ら苦き喫を討うのみ。凶険は已に甚だ深くして、悔恨は過ぎず小小の瑕疵にして、凶に比して又た算するに足らんや。
中孚卦
兊下巽上 中孚,豚魚吉。利渉大川,利貞。彖曰:中孚,柔在內而剛得中。說而巽,孚乃化邦也。豚魚吉,信及豚魚也。利渉大川,乗木舟虛也。中孚以利貞,乃應乎天也。
下卦を兌・上卦を巽と為すは、《中孚》卦なり。中孚卦は言う:誠信は能く小猪小魚の此の如き微物に及んで、吉利。大河を渡過するに利ありて、正を守るに利あり。《彖伝》は言う:中孚は陰柔の卦の内部に居りて陽剛は「中」を得。喜悦にして又た謙遜にして、誠信は即ち邦国を感化する能し。「豚魚吉」とは、誠信は小猪小魚すら感通する能くするを言うなり。大河を渡るに利あるは、其の乘る所の木舟の中間の空なるを以てなり。中孚にして正を守るに利あるは、此れ即ち天道と相応ず。
上柔在內,以接於下,而剛得中,柔接而相親,剛中而實信,就巽以從之,故得下柔奉之而剛中,以信而民,莫不化者也。中發之信,恆而及於豚魚,雖豚魚而信,不遺其微小焉,故吉也。利渉大川,乗木而無險也。君子虛其中,而施信於民,故得民之信而可以致重道逺也。信自於中,利而以正,?於天地四時也,而況人乎。
六三・六四の両の陰爻は卦の内部に居りて下に向かいて接応し、九二・九五は陽剛にして「中」に居る。陰柔は来接応して彼此相親にして、陽剛は中に居りて誠実守信にして、又た謙遜の心を以て之に随順す。ゆえに下の陰柔は陽剛を奉承して、陽剛は中に居りて誠信を以て民に待せば、感化せられざる者無し。内心より発するの誠信は、之を恒に持して、小猪小魚に及ぶ可し。小猪小魚すら感通する能くすれば、誠信は如何なる細微の物をも遺漏せざるを見る可し。ゆえに吉利。大河を渡るに利あるは、木舟に乘りて危険無ければなり。君子は心中を虚空として、誠信を百姓に施予せば、ゆえに百姓の信頼を得て、重任を担起して遠方に走向する能し。誠信は内心より発して、利有りて又た正に合して、天地四時と相通ず。況んや是れ人をや。(「?」処は原文一字を缺く。)
象曰:澤上有風,中孚。君子以議獄緩死。澤降而風加焉,相得澤行也。君子信行,庶其中,感而變化也。故議留其獄,不即其死。
《象伝》は言う:沢の上に風あるは、此れ即ち中孚卦なり。君子は此より案情を審議して死刑を寛緩す。沢水は下に沈みて風は上に加わるに、両相契合して、潤沢即ち流布し開く。君子は誠信を推行して、囚人の内心を感通せんを希望して、彼らをして感動を受けて改過せしめば、ゆえに反復審議して案子を留下して、馬上に処死せず。
初九,虞吉,有他不燕。象曰:初九虞吉,志未變也。中孚之故在乎初也。速而應感其誠也,故度其志未變,而往則信終而吉。志變而有作,不可感也已矣。後之而絶類也。何所安乎。
初九は、事先に揣度して然る後に行動せば則ち吉にして、別に他求有れば即ち安寧を得ず。《象伝》に曰く:初九の揣度して吉なるは、相手の心志未だ改変せざればなり。中孚の根本は開端に在り。及早に感応しに往きて、相手乃ち己の誠意を感受する能し。ゆえに相手の心志未だ変わらざるの時に趁りて前往するを要して、然らば誠信は始終を貫徹して吉を獲せん。若し心志已に変わりて別に図る所有れば、即ち人を感動する能わず。後頭に落ちて又た同類を断絶せば、復た何処に身を安ずるの処あらんや。
九二,鳴鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾縻之。象曰:其子和之,中心願也。鶴者陽明之物也。而守陰處內,修徳立誠,名達而隱也,上中孚也。求中信以致,雖居陰也,時亦索之。中心願與之為治,同志而相求也,故公家之有好爵,而相與縻之矣。君子之道在於進徳乎,無隱而不彰,上求下治之本也。故君子而求其母也。
九二は、鶴は背陰の処に於て鳴叫して、其の幼雛は応声して唱和す。我は一杯の好酒有りて、汝と共同に分享せんを願う。《象伝》に曰く:幼雛の応声して唱和するは、内心の願望より出でばなり。鶴は陽に属して明亮の鳥にして、卻って背陰の処に守りて内に蔵身す。正に君子の徳行を修養して誠意を確立し、名声は已に通達して人は仍旧隠居して、上の九五と中心相孚するに好比如す。九五は中正誠信の士を求得して治世を成就せんを要すれば、九二は幽陰の地に居るも、時勢も亦た之を尋訪し出さん。双方の内心は皆一同に天下を治理するを願意して、志向相同じくして互に尋求す。ゆえに朝廷に好き爵位有れば、即ち彼と一同に分享せん。君子の立身の道は、不断に徳行を増進するに在り。徳行は隱して顕われざる無し。此れ上の者の賢を求め下の者の治を受くるの根本にして、ゆえに君子は総じて回頭して此の根本を探求す。
六三,得敵,或鼓或罷,或泣或歌。象曰:或鼓或罷,位不當也。三與四皆為敵,三應於上,四巽於下,對而為敵,鼔以戰之。四附上而大不敢當也,或罷之矣。不勝而懼,或泣之矣。四不我爭,歡巳志獲,或歌之矣。柔徳之薄,不量其勢,不當於位,不正於分也。
六三は、対手に遇上して、一忽れは鼓を撃ちて進攻し、一忽れは又た兵を罷め、一忽れは哭泣し、一忽れは唱歌す。《象伝》に曰く:忽ち鼓を撃ち忽ち兵を罷むるは、位置の「当」ならざればなり。六三と六四は彼此敵を為す。六三は上九と相「応」して、六四は則ち下に向かいて謙順して、両両相対して対手と成る。ゆえに鼓を撃ちて戦を開く。然れど六四は九五に依附して勢力大にして、六三は敢えて硬碰せずして、只好く兵を罷む。打勝つ能わずして心に恐懼を生じて、ここに於て哭泣す。後来六四は并びに我と相争わずして、六三は心願を遂げ得て歓喜して、ここに於て歌を唱い起す。此れ柔順の徳の浅薄太だしきにして、形勢を衡量せずして、位置は既に恰好在らずして、又た本分に合せざればなり。
六四,月幾望,馬匹亡,無咎。象曰:馬匹亡,絶類上也。得位上順而為五巽,陰盛得附,故無咎也。
六四は、月は将に圓ならんとして未だ圓ならずして、馬は配対の同伴を喪失せり。過ちなし。《象伝》に曰く:馬の配偶を喪失するは、同類を断絶して上に向かいて依附すればなり。六四は位を得て上に向かいて順従して、九五に対して謙遜柔順す。陰気は盛んなるも、卻って依附す可きの対象を找到せり。ゆえに過錯なし。
九五,有孚攣如,無咎。象曰:有孚攣如,位正當也。四絶類而孚我,我亦有信。攣如,當其位正,雖得地而無咎。
九五は、心に誠信を存して緊密相連して、過ちなし。《象伝》に曰く:誠信有りて緊密相連するは、其の位置の正当なればなり。六四は同類を断絶して誠信を以て我に歸向して、我も亦た誠信を以て相待す。ゆえに牢牢に維係して一起す。其の居る所の位置は端正にして、ここをもって地步を站穩して過錯無し。
上九,翰音登于天,貞凶。象曰:翰音登于天,何可長也。翰音為雞,巽之象也。以其陽物巽陰而無力飛,必鳴也。登於天,何可久乎。信不由中,而為極上,難終之約,其可乎。信而莫應,有聲而巳,正之凶也。
上九は、鶏鳴の声は天に高飛して、固守せば則ち凶。《象伝》に曰く:鶏声は天空に升上するは、何ぞ長久する能わんや。謂う所の「翰音」とは即ち鶏にして、巽卦の取象なり。鶏は本より陽に属するの物にして、卻って陰に謙伏して、高飛するの力量無くして、ただ鳴叫するの能くするのみ。鳴声は天空に升上して、又何ぞ持久する能わんや。誠信は内心より発せずして、卻って身は最上に居りて、善終し難きの盟約を訂立せんと欲す。此れ行わんや。空に誠信の名有りて人の応ずる無くして、ただ一片の声音のみ残る。ゆえに固守し下れば即ち凶。
小過卦
艮下震上 小過,亨,利貞。可小事,不可大事。飛鳥遺之音,不冝上,冝下,大吉。彖曰:小過,小者過而亨也。過以利貞,與時行也。柔得中,是以小事吉也。剛失位而不中,是以不可大事也。有飛鳥之象焉。飛鳥遺之音,不宜上,宜下,大吉。上逆而下順也。
下卦を艮・上卦を震と為すは、《小過》卦なり。小過卦は言う:亨通して、正を守るに利あり。小事を為る可くして、大事を為る可からず。飛鳥は一路の鳴声を留下して、上に向かうに宜からずして、下に向かうに宜しくして、大吉。《彖伝》は言う:小過とは、小の方面に於て超過する所有りてなお能く亨通す。超過して依旧正を守るに利あるは、時勢と同行すればなり。陰柔は「中」を得て、ゆえに小事を為れば吉利。陽剛は位を失い又た中に居らずして、ゆえに大事を為る可からず。卦の中に飛鳥の形象有り。飛鳥は鳴声を留下して、上に向かうに宜からずして下に向かうに宜しくして大吉なるは、上に向かうは違逆にして、下に向かうは乃ち順遂なればなり。
剛失正,柔以為主,小人當位,過而得通也。小人者,其心小其見狹,其務近君子,過以合時,利不失正乃行,故小事可也。鳥也者,陽升之物也。剛雖上而失位,不中不得行正也,是以有飛鳥之象也。君子憂其失,哀其止,發乎志,形乎聲,犯上以匡之,逆於其道不行,動無所往,遇於害焉。上順而止之,以俟其通,故得其大吉焉。是故不可以大事也。
陽陽剛は正位を喪失して、陰柔は主宰と成りて、小人は要津を占據す。過分に属するも亦た行き通る能し。小人の此の種の人は、心量狭小にして見識浅近にして、其の経営する所はただ眼前切近の事のみ。君子は此の時に於て略か変通を作して時宜に合して、ただ利有りて正道を失わざれば乃ち為りに往く。ゆえに小事は為る可し。鳥は陽気に随いて上昇するの物なり。陽剛は上行するも正位を喪失して、又た中に居らずして、即ち正道を推行する能わず。ゆえに卦の中に飛鳥の象有り。君子は時局の過失を憂慮して、正道の受阻を哀傷して、情は志に動きて、声に形うして、上位の者を冒犯して之を匡正せんと欲す。然れど時勢に違逆せば、道即ち行き通らずして、動けば往く可き処無くして、反って禍害に遇上す。形勢に順応して暫く止住して、通達の時機を等待するに如かず。ゆえに能く大吉を得。正に此を因に、乃ち大事を為る可からずと曰う。
象曰:山上有雷,小過。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉。山上有雷,其虛聲而巳,無益下也。行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉,救於治有其聲也。小事過而不傷其正者,莫過是也。故君子行之。
《象伝》は言う:山の上に雷を打つは、此れ即ち小過卦なり。君子は此より行為の上に於て格外恭敬し、居喪の時に於て格外哀傷し、用度の上に於て格外節倹す。山の上に雷を打つは、過ぎず一片の虛響にして、下面に対して并びに実際の益処無し。行為は恭敬に過ぎ、居喪は哀傷に過ぎ、用度は節倹に過ぐるは、治世に対しても亦たただ一点の声名上の補救を留下するのみ。但だし小処に於て稍稍過分にして正道を傷害せざるは、此の三件より合適なる莫し。ゆえに君子は此の如く為りに往くに肯ず。
初六,飛鳥以凶。象曰:飛鳥以凶,不可如何也。小過不冝上也,其在防之初乎。上應其動,無所止者也。不可往而往,凶災之及,自致之也,將如之何哉。
初六は、飛鳥の如く上に向かいて飛べば、凶。《象伝》に曰く:飛鳥の凶を招くは、挽回するに法無きなり。小過の時は上に向かうに宜からずして、防範は正に最初に於てすべし。初六は九四と相「応」して之に随いて躁動して、一たび飛べば即ち収住する能わず。明らかに前往す可からざるを卻って偏に前往すれば、凶災は頭に臨みて、是れ自ら招来せるにして、復た之を拿りて如何と為る能わんや。
六二,過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎。象曰:不及其君,臣不可過也。小過,剛失位也。二得位,得中能過其剛者也。妣,臣柔也。往與於陰也。非其常而得之,曰過。於其家斯遇妣矣。其於國斯遇臣矣。不及其君,人之化也。臣不可過君也。而今過之者,小過之過者也。遇而時,故無咎矣。
六二は、祖父を越過して、祖母に遇上す。君主の彼処に到達せずして、卻って臣子に遇上す。過ちなし。《象伝》に曰く:君主の彼処に到達せざるは、臣子は君主を越過す可からざればなり。小過卦の中に於て陽剛は皆位を失い、六二は既に位を得て又た「中」に居る。是れ能く陽剛を越過する者なり。祖母と臣子は皆柔順の一類に属して、六二の前往して遇合する所は皆陰なり。常規に合せざるも仍旧所得有るは、即ち「過」と曰う所なり。家の中に於て其の遇上する所は祖母にして、国の中に於て其の遇上する所は臣子なり。「其の君に及ばず」とは、人事の常理に就きて言う所にして、臣子は君主を越過す可からず。如今它は竟に越過して、正に小過卦の説く所の稍稍逾越するなり。其の遇合は又た皆時宜に合す。ゆえに過錯なからん。
九三,弗過,防之,從或戕之,凶。象曰:從或戕之,凶如何也。陽不得正,不遇者也。小人匪正,忌於君子,可以防之,應而從之,則戕之矣。不能防而自致凶也,如之何哉。
九三は、提防を加えずして一味に順従せば、即ち人来りて彼を傷害する有らん。凶。《象伝》に曰く:順従して人の傷害を遭うは、此の凶険は復た何と為る能わんや。九三は陽爻を以て陽位に居りて卻って正応を得ずして、是れ時機に遇う能わざるなり。小人は心術正ならずして、君子を忌恨して、本より厳に防範を加うべし。若し反って彼と相「応」して順従を加えば、即ち彼の害する所と為らん。能く防範せざりて自ら凶険を招くは、那れ復た何の弁法あらんや。
九四,無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞。象曰:弗過遇之,位不當也。徃厲必戒,終不可長也。卑退自守,故無咎也。剛失位不能過者也。下應而來,非已之召,故曰遇也。恃應自得,以往危哉。必自戒之,此不足為長正之道也。
九四は、過ちなし。是れ其の越過しに往くにあらずして、相手の前来して相遇するなり。継続して前往せば危険ありて、必ず自ら警戒して、此の路を長久に固守する可からず。《象伝》に曰く:越過せずして相遇するは、位置の「当」ならざればなり。前往して危有りて必ず戒懼すべしは、終竟能く長久せざるを言うなり。九四は謙卑退譲して本分を自守すれば、ゆえに過錯なし。それ陽剛にして位を失いて、本より超越するに由無し。初六は下に在りて之と相「応」して自ら前来するは、并びに九四の招引する所にあらず。ゆえに「遇」と曰う。人の相応有るを倚仗して自鳴得意して、再び前に往きて走れば即ち危険なり。必ず自ら警戒すべし。此の如き処境は畢竟長久に正を守るの道と為るに足らず。
六五,密雲不雨,自我西郊,公弋,取彼在穴。象曰:密雲不雨,已上也。柔居尊,小居大也。不應於上,小事而巳。密雲而不能雨者,陰陽得行其道,故盛而為雨也。小過陰乗陽,而位於陽,巳上過矣,安?施乎。不足以和澤天下也。君子之修德,守於中正,俟其時而行也。茍無正矣,雖上過其德也。將何為乎。陰不足以當王,施於公而巳矣。弋非狩之大者,穴非路之夷者,皆小人之過也。以柔與於柔也。
六五は、濃雲密布して卻って雨を下さずして、雲気は我が西辺の郊野より飄来す。王公は繩を帯びたる箭を用いて洞穴の裡に躲蔵するの獵物を射取す。《象伝》に曰く:雲密にして雨ならざるは、陰気已に上面に升り至ればなり。六五は陰柔を以て尊位に居りて、是れ小の大の位置を占めたるなり。それ上面と相「応」せずして、ただ小事を為るの能くするのみ。雲は已に密布するも卻って雨を下し成らざるは、陰陽をして各々其の道を行い交感的和合して、乃ち盛んと為りて雨を成すを要すればなり。小過卦の中に於て陰は陽を凌乗して、又た陽位を占據して、陰気は已に過分に上僭して、復た何ぞ施化する能わんや。(「安」下は原文一字を缺く。)此れ即ち天下を調和滋潤するに足らず。君子は徳行を修養して、中正を守住して、時機を等待して然る後に行動す。若し本身正ならざれば、縦に人の上に凌駕するも、亦たただ徳行上の僭越のみ。又た何を為成する能わんや。陰柔は王者を充当するに足らずして、ただ公侯の此の一級に施用するの能くするのみ。繩を帯びたる箭を用いて射獵するは、本より田獵中の大事にあらず。洞穴も亦た平坦の大道にあらず。此れら皆小人の過分の処なり。此処は柔弱の手段を以て柔弱の対象を對付するを以てなり。
上六,弗遇過之,飛鳥離之,凶。是謂災眚。象曰:弗遇過之,巳亢也。小過,陰□過也。小人之道,極也。應何遇乎,飛鳥之凶,上何止矣。道之窮,離之凶,是謂災之過也。
上六は、遇合無くして一味に超越して、飛鳥は群を離れて遠飛す。凶。此れ即ち災禍と曰う所なり。《象伝》に曰く:遇せずして超越するは、已に太だ高亢なればなり。小過卦は陰気の過分(原文此処一字を缺く)にして、小人の道は極端に走り至れり。它已に応ずる所無くして、復た誰に遇上する能わんや。飛鳥の高飛の凶険は、最上に到りて復た何処に停る能わんや。道路窮尽して、群を離れて凶を招く。此れ即ち災禍の過度と曰う所なり。
既済卦
離下坎上 旣濟,亨,小。利貞。初吉,終亂。彖曰:旣濟,亨。小者,亨也。利貞,剛柔正而位當也。初吉,柔得中也。終止則亂,其道窮也。
下卦を離・上卦を坎と為すは、《既済》卦なり。既済卦は言う:亨通するも、但だし只だ小の亨通なり。正を守るに利あり。開頭は吉利にして、結尾は混乱す。《彖伝》は言う:既済にして亨は、小の方面の亨通なり。正を守るに利あるは、剛柔各々其の正を得て爻位相「当」すればなり。開頭の吉利は、六二の陰柔の「中」を得ればなり。最後に到りて停滞し下れば即ち混乱するは、其の道已に窮尽せればなり。
剛濟而得位乎上,柔當而應上,是以亨,偕於小人也。剛柔得正,其利貞。下者,上之階;柔者,強之本。柔當而守中,不敢逸也,故初吉。安於旣濟,止而無防,窮其道而終亂也。
陽剛は済渡の功を成就して上に於て其の位を得て、陰柔は位に当たりて上に向かいて応する所有り。ゆえに亨通す。ただ此の亨通は小人と共有するを要す。剛柔は皆各々其の正を得。ゆえに正を守るに利あり。下に居るは上に居る者の階梯にして、柔弱なるは剛強の根本なり。六二は陰柔にして位に当たりて「中」道を守住して、敢えて安逸を放縦せず。ゆえに開頭吉利。然れど一旦既済の成局に安んじて、停下して防備を加えざれば、道即ち尽頭に走り至りて終に混乱に帰せん。
象曰:水在火上,旣濟。君子以思患而豫防之。水在火上,相得而為功也。旣濟之矣,安之不慮,則覆矣。故思患先防,?保其終也。
《象伝》は言う:水の火上に在るは、此れ即ち既済卦なり。君子は此より禍患を想到して預め防備す。水は火の上に在りて、両者は相済して乃ち功用を成就する能し。事情は既に為成して、若し安享して再び思慮せざれば、即ち傾覆せん。ゆえに禍患を想到して預め防範して、乃ち最後の結局を保住する能し。(末句「?」処は原文一字を缺く。)
初九,曳其輪,濡其尾,無咎。象曰:曳其輪,義無咎也。剛為旣濟之初,力微而去險未逺也。旣濟深險而未達於陸,故曳輪濡尾也。初濟而不敢怠,其義豈有咎乎。
初九は、車輪を拖住して急進せしめずして、尾巴を沾湿せり。過ちなし。《象伝》に曰く:車輪を拖住するは、道理に就きて講ずれば過錯なからん。初九は陽剛にして既済の開頭に処りて、力量はなお微弱にして、険境を離るること未だ遠からず。剛に深険を渡りてなお陸地に登上せず。ゆえに車輪を拖して尾巴を沾すと曰う。剛に河を渡りて即ち懈怠するを敢えてせざれば、道理に按りて何処に過錯あらんや。
六二,婦喪其茀,勿逐,七日得。象曰:七日得,以中道也。得位處內而應於上,婦之道也。而乗於剛,懼其暴也。喪其飾矣。茀之喪,容之減矣,中以奉陽,獲其濟,下不敢凌,勿逐而七日自復。七日者,復之不逺,近取之諸日,極小人位而復,則下剛易也。
六二は、婦人は車上の帷飾を丟えり。追尋しに往くを要せず、七天以後自然復得せん。《象伝》に曰く:七天に復得するは、「中」道を守住せればなり。六二は位を得て内卦に居りて、又た九五と相「応」す。此れ人の妻と為るの道理なり。然れど它陽剛の上に凌乗して、相手の暴戻を怕れて、ここを因に己の装飾を丟失せり。帷飾は一たび失えば、儀容即ち色を減ず。然れど它中に居るの徳を以て陽剛を奉承して、済助を得て、下の者も亦た敢えて欺凌せず。ゆえに追いに往くを要せずして、七天の後自ら回らん。謂う所の七天とは、復回の期限の并びに遠からざるを言うにして、就近に日数に取象す。陰柔小人の位置は極処に走り至れば即ち回転せん。彼の時下の陽剛も亦た平易と変らん。
九三,髙宗伐鬼方,三年克之,小人勿用。象曰:三年克之,憊也。為下體之上,巳得其位,旣濟者也。濟險以力非易也,與王同功而受任也。髙宗鬼方,三年克之,義焉。力以三年,疲而獲矣。愼在於典守乎,非其人則恃勢也。以天下之功為巳之私,與主剛敵,至於終亂矣。
九三は、殷高宗武丁は鬼方を討伐して、三年を用いて乃ち攻克せり。小人を任用する可からず。《象伝》に曰く:三年に乃ち攻克するは、已に疲憊不堪なればなり。九三は下卦の最上に処りて、已に応有の位置を得て、是れ能く済渡の功を成就する者なり。武力を以て険難を平定するは本より易ならずして、它君王と同じく功業を建てて重任を接受す。殷高宗は鬼方を征討して、三年に乃ち取勝す。説く所は正に此の道理にして、三年の力を耗尽して、疲憊の後乃ち獲勝す。謹慎すべきは職守を掌管するの人選に在り。用うる所の人非ざれば、彼即ち勢を仗りて妄為して、天下の功労を拠りて私産と為して、進みて君主と分庭抗礼して、終に天下大亂に至らん。
六四,繻有衣袽,終日戒。象曰:終日戒,有所疑也。有應當位,居剛之上,疑懼侵逼,至其重夜而不少懈也。柔而守正而戒備之,乃可以濟,亨小矣。物咸遂焉,雖居乗剛而終無患也。
六四は、華美の綢衣は終に破絮と変らん。整天戒備するを要す。《象伝》に曰く:整天戒備するは、心の裡に疑慮する所有ればなり。六四は相「応」の爻有りて又た位に居りて「当」を得るも、卻って陽剛の上に処りて、惟だ侵逼せらるるを恐れて、ゆえに夜に入りて後も敢えて絲毫の松懈無し。它陰柔にして能く正を守りて、又た時時戒備す。此れ乃ち済渡の功を成就する能くして、亨通は有限を得たり。万事は皆能く順遂して、身は剛を乗るの位に処るも、最終は亦た禍患無し。
九五,東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。象曰:東鄰殺牛不如西鄰之時也。實受其福,吉大來也。人也者,神之主也。時者,人之由也。禮之大也。差其時,則人不和神,弗福矣。旣濟難夷,非大盛也,故有終止之窮焉。大人者,與時消息也。時之失,何所寄乎。故旣濟雖盈,神弗福也。得時盡順,吉大來也。唯大人□保其終矣。
九五は、東辺の隣国は牛を殺して盛祭するも、西辺の隣国の簡薄の禴祭に如かずして、反って実実在在に神の福佑を承受せり。《象伝》に曰く:東隣の牛を殺すは、西隣の時に合せるに如かず。実に其の福を受くるは、大吉の到来なり。人とは、神の主宰にして、時機とは、人の行事の依拠にして、亦た礼の中の最も重大の一項なり。時機を錯過せば、人心即ち和睦せずして、神も亦た福を降さず。既済の時は艱難未だ平息せずして、并びに極盛の局面にあらず。ゆえに停滞窮尽の結局有り。大人は時勢の消長に随いて進退して、時機は一旦錯失せば、復た希望を何処に寄托する能わんや。ゆえに既済は表面盈満なるも、神明も亦た福を降さず。時機を抓住して事事順遂して、大吉乃ち到来せん。ただ大人(原文此処一字を缺く)にして乃ち最後の結局を保住する能し。
上六,濡其首,厲。象曰:濡其首厲,何可久也。旣濟而極於上,志與時窮,上反下矣。首濡矣,身其危哉。
上六は、河を渡るの時頭すら皆沾湿せられて、危険あり。《象伝》に曰く:頭部を沾湿して危険なるは、此れ何ぞ長久する能わんや。既済の道は最上の一爻に到りて已に極点に走り至りて、心志と時勢は皆已に窮尽して、上に居るは要して反って下面に落ち至らん。頭すら皆浸湿せば、自身自然危険なり。
未済卦
坎下離上 未濟,亨。小狐汔濟,濡其尾,無攸利。彖曰:未濟亨,柔得中也。小狐汔濟,未出中也。濡其尾,無攸利,不續終也。雖不當位,剛柔應也。
下卦を坎・上卦を離と為すは、《未済》卦なり。未済卦は言う:亨通す。小狐狸は将に河を渡らんとして、卻って尾巴を沾湿せり。便利ある無し。《彖伝》は言う:未済にして能く亨通するは、六五の陰柔の「中」を得ればなり。小狐狸の将に渡らんとするは、其の未だ険中を走出せざるを言うなり。尾巴を沾湿して利無きは、能く事情を接続して底に到る能わざればなり。各爻は皆位に当たらざるも、但だし剛と柔は彼此相「応」す。
柔得中,不當位,未?濟也,而□其變矣。剛近濟在於險中,力小形微,濡其尾,無攸利,不?續其終。下非所濟逺也。剛柔而同力,故有終通之道焉。
六五は柔順の質を以て上卦の中に居るも、然れど六爻は皆己の応処すべきの位置上に在らず。ゆえに「未済」と称す。而して事情の転機は亦た即ち此の一片の変動の中に寄托せらる。九二の剛は已に渡済の功に逼近するも、卻って仍旧坎険の裡面に陥りて、力量弱小にして形勢単薄にして、正に小狐狸の河を渡りて尾巴を沾湿するに好比如す。便利の言う可き無くして、能く河を渡るの功業を最後まで接続する能わず。下卦は本より遠渡す可きの処所にあらず。好くも剛爻と柔爻は上下相応して同心合力す。ゆえに終竟渡済亨通の道路存在せり。
象曰:火在水上,未濟。君子以慎辨物居方。
《象伝》は言う:火の水の上面に在るに、火性は上に炎りて水性は下に潤して、両相交わらず。此れ即ち《未済》卦の卦象なり。君子は此に取法して、謹慎に事物の性質を分弁して、彼らをして各々応有の方位上に安処せしむ。
火上水下,各守其所,雖未濟而各保其安也。君子明愼辨物,而使各安其所,則致之而得宜用之,而得當也。
火は上に在り、水は下に在りて、各自己の位置を守住して、彼此能く相済せざるも、卻って亦た各自安穏を保全せり。君子は明察して謹慎に万物の性情を分弁して、彼らをして各々其の位に安んぜしめば、然らば彼らを招納すれば即ち合宜を得て、彼らを使用すれば即ち得当を得ん。
初六,濡其尾,吝。象曰:濡其尾,亦不知極也。
初六:小狐狸は河を渡りて尾巴を沾湿せり、憾惜する所有り。《象伝》に曰く:尾巴を沾湿するは、亦た己の力量の限度を懂得せざればなり。
以柔而濟於險,初始渉者也。近淺猶濡尾矣,況其深必不濟矣。不知力之極也,可惜也已。
初六は柔弱の質を以て険難を渡越せんとするは、剛に水に下水して川を渉るの人なり。岸に靠るの浅処に於てなお尾巴を沾湿す。況んや深処に到れば、必ず渡り過ぐる能わず。此れ己の力量の極限を懂得せざるにして、実に惜しむべし。
九二,曵其輪,貞吉。象曰:九二貞吉,中以行正也。
九二:車輪を拖住して前進を急がずして、正固を守持して吉祥を獲る可し。《象伝》に曰く:九二の正を守りて吉を得るは、其の下卦の中に居りて、能く「中道」に依りて正事を行えばなり。
居得險中,動而應主,剛德不邪而?濟也,故曵輪。載險而當之矣,故正吉也。
九二は坎険の中に処りて中位を得て、一たび挙動有れば即ち上は六五の君に応じて、剛健の徳は邪路を走らずして、能く渡済の任を担当す。ゆえに「車輪を拖住す」と曰う。它険難を載せて承当に勇于す。ここをもって正を守れば即ち吉祥有らん。
六三,未濟征凶,利渉大川。象曰:未濟征凶,位不當也。
六三:事情未だ成功せざるに貿然として前行せば凶険有らん。但だし大川を渡渉するに利あり。《象伝》に曰く:未済の時に征行して凶有るは、其の処する所の位置の并びに恰好在らざればなり。
力小失位,逺何為,附於二則險自濟也。
六三は力量弱小にして又た其の正位を失いて、遠行して復た何の作為ある能わんや。ただ九二の剛に依附せば、険難は自然即ち渡過する能し。
九四,貞吉,悔亡。震用伐鬼方,三年有賞于大國。象曰:貞吉悔亡,志行也。
九四:正固を守持して吉祥を獲得して、悔恨消失す。威武の力を奮起して鬼方を征伐して、三年を歴時して、終に大国より封賞を得たり。《象伝》に曰く:正を守りて吉を獲して悔恨消失するは、其の志向の施行を得ればなり。
未濟征凶,柔居中,力小不?濟也。有委任之道焉,未濟當位,志在乎濟,而奉其上得正之吉也。而遂其志焉。何逼近之悔乎,將盡力以功,震其未濟,故伐鬼方,三年乃克,而受國矣。初以勤奉主,終以功獲賞,有終濟之義也。
卦辞は「未済征凶」と説くは、六五の柔を以て中に居りて力量弱小にして、独力にて渡済を完成する能わざれば、ゆえに其の中に賢臣を委任するの道理を含む。九四は未済の時に於て承担すべきの位置に居りて、志向は渡済の功を成就するに在りて、能く上の六五の君を奉事す。ここをもって正を守るの吉祥を得て、亦た己の心願を遂げたり。既に然れば、何処に復た君位に逼近するの招致する所の悔恨あらんや。它尽力を竭尽して功業を建立せんと欲して、未だ渡済せざるの際に於て威震を奮発す。ゆえに「鬼方を征伐す」と曰う。三年を打ちて乃ち攻克して、終に大国の君に封ぜらる。起初は勤労を以て君主を奉事し、最後は戦功を以て封賞を獲得せり。此の裡面に終に渡済する能くするの意義有り。
六五,貞吉無悔。君子之光,有孚,吉。象曰:君子之光,其暉吉也。
六五:正固を守持して吉祥を獲得して、悔恨無し。君子の光輝は四方を照耀して、心に誠信を懐きて、吉祥。《象伝》に曰く:君子の光輝は、其の光芒の外に発して吉祥を帯来するを言うなり。
柔得中正之吉,無其悔也。志在乎濟,授之以?任之,無疑以至於終濟,可謂君子之光煥乎輝發矣。信有中正之吉哉。
六五は柔を以て尊に居りて中正の吉を獲得すれば、ゆえに悔恨無し。其の志向は渡済に在りて、事権を九四に交付して信任を加えて、毫も猜疑せずして、一直に終に渡済成功に至る。此れ君子の光輝の煥然発越と謂う可し。それ確かに「中正」の徳の帯来する所の吉祥を具備せりや。
上九,有孚,于飲酒,無咎。濡其首,有孚,失是。象曰:飲酒濡首,亦不知節也。
上九:心に誠信を懐きて、安然として酒を飲みて自ら楽しみて、過ちなし。但だし若し沉溺して頭頂を浸湿するに至らば、縦に誠信有るも、亦た応有の分寸を喪失せり。《象伝》に曰く:酒を飲みて頭頂を浸湿するに到るは、亦た節制を懂得せざればなり。
滿者自覆,謙者自益,非天之所為也。夫以未濟之初志存,而不懈以至於終濟,而信有其樂也,亦何咎哉。樂極志滿,道斯反矣,故濡其首,信失其樂哉。夫將濟者,力之及也。濟非大順而致也,力以取之,順以守之,乃得其久。旣濟而盈,將有覆矣。君子可無懼乎。
自満の人は自ら傾覆を取りて、謙退の人は自ら增益を獲る。此れ并びに上天の意ある安排にあらず。《未済》の初に於て即ち志向を立定して、堅持不抜して終に渡済に至りて、ここをもって確かに其の中の快楽を享有す。此れ又た何の過錯あらんや。然れど一旦楽の極処に到りて志得意満せば、事理即ち反面に走向せん。ゆえに「頭頂を浸湿す」と曰う。彼の誠信より換来したる快楽も亦た喪失せり。将に成功せんとする人は、力量の勝任に足るを靠ればなり。渡済は本より単に一路順遂を憑りて達成する能くするにあらずして、力量を用いて争取し、柔順を用いて守成して、乃ち長久を保持する能し。已に渡済して卻って驕盈自満せば、傾覆即ち到来せんとす。君子は豈に心に戒懼を存せざる可けんや。
巻七 周易繋辞上第七
天尊地卑,乾坤定矣。卑髙以陳,貴賤位矣。動靜有常,剛柔斷矣。方以類聚,物以群分,吉凶生矣。在天成象,在地成形,變化見矣。是故剛柔相摩,八卦相蕩。鼓之以雷霆,潤之以風雨。日月運行,一寒一暑。乾道成男,坤道成女。乾知大始,坤作成物。乾以易知,坤以簡能。易則易知,簡則易從。易知則有親,易從則有功。有親則可久,有功則可大。可久則賢人之德,可大則賢人之業。易簡而天下之理得矣。天下之理得而成位乎其中矣。
天は上に在りて尊貴にして、地は下に在りて卑下にして、《乾》《坤》両卦の位置は此に就きて確定せり。低下と高上は依次に陳列して、貴賤の等次も亦た排定せらる。天地万物の運動と静止は各々常規有りて、「剛」と「柔」の両種の性質は便ち此より判別せらる。事情は種類に按りて相聚し、万物は群體に按りて相分かれて、吉と凶は此に就きて産生す。天上に於て日月星辰の「象」を形成し、地上に於て山川動植の「形」を形成して、変化は便ち顕現せらる。ゆえに剛爻と柔爻は互に摩蕩して、八卦は彼此推移激揚して、雷霆を用いて彼らを鼓動し、風雨を用いて彼らを滋潤す。日月は運行して息まずして、一寒一暑は交替往来す。「乾」道は男性を成就し、「坤」道は女性を成就す。「乾」は万物の開創を主宰し、「坤」は万物の完成を承担す。「乾」は平易を以て知を主り、「坤」は簡約を以て能く成す。平易は即ち了解せられ易くして、簡約は即ち遵従せられ易し。了解し易ければ即ち人の親附する有りて、遵従し易ければ即ち能く功效を建立す。人の親附有れば即ち長久す可くして、功效有れば即ち広大す可し。長久す可きは賢人の徳行にして、広大す可きは賢人の事業なり。此の平易簡約有れば、天下の道理は皆把握を得。天下の道理を把握すれば、人も亦た天地の間に於て己の位置を確立せり。
天尊也,故健以首之。地卑也,故順以承之。尊卑列而貴賤明矣。盈乎中者,莫大象類焉,夫婦也,父子也,君臣也。尊動而變卑,靜而化剛,柔以斷其用,而得其常也。正其分位,觀其動靜,然後理可得也。夫物同其事,則聚之有上下之應也。異其群,則分之有剛柔之合也。趨其同,求其群,居其位或不當,則吉凶生也。故天降其氣,地流其形,上施其道,下行其事,則能成變化矣。
天は尊高なり。ゆえに剛健を用いて首に居る。地は卑下なり。ゆえに柔順を用いて承載す。尊卑の次序は排列し出れば、貴賤の分別も亦た明白ならん。天地之間に充盈するは、象を取りて類を帰するより重大なる莫くして、夫婦・父子・君臣の此れらの人倫は、皆此より立つ。尊者は一たび動けば便ち卑者に転向して、静に下来れば又た剛を化生し出して、再用して柔を以て剛の功用を裁断すれば、ここに於て各々其の常道を得。各自の名分位次を端正して、彼らの動と静を観察して、然る後に事理乃ち把握する能し。凡そ事類の相同じきは、即ち聚合し起して、其の中に上下相応の関係有り。凡そ族群の相異なるは、即ち区分し開かれて、其の中に剛柔相合の道理有り。己の同類に趨向して、己の群體を尋求して、而して居る所の位置は時に恰好在らざれば、吉凶即ち此より産生す。ゆえに天は其の気を降下して、地は其の形を流布して、上の者は大道を施行して、下の者は事務を弁理す。此の如くして即ち能く変化を成就す。
聖人以是觀象造形,而能體化合變者,得之道也。故剛柔相摩而成變化,八卦更致,殊濟同功。雷以動之,雨以濡之,風以散之,日月以運息之,四時以推之,故乾者氣之始也,男之道也。一施命而不雜,唯無為也。能通天下之志,故得保其尊,易知者也。坤承乾也,造形始也,女之道也。專其命而不失其作者也。能知變化之道,故得保其靜也,簡能者也。夫易以知物者,物易知也。故於物有親,有親者可久之道也。故長人以之為德,簡以從物者,物亦易從也。物從則有功,斯可大矣。故從事者以之為業。天下之物多矣,而其致一焉,易簡之謂也。致一則天下之理盡矣,故能上保其尊,下安其卑,而成位長矣。
聖人は此れらに依拠して物象を観察して形制を創制し、ここをもって能く造化を体察して変動に契合す。此れ即ち道を得と曰う所なり。ゆえに剛と柔は互に摩蕩して変化を成就して、八卦は交替施用して、途経は相同じからざれども功效は一致す。雷を用いて彼らを鼓動し、雨を用いて彼らを滋潤し、風を用いて彼らを吹散し、日月の運行を用いて彼らをして或いは作り或いは息せしめ、四時の更替を用いて彼らを推動す。ゆえに「乾」は気の開端にして、男性の法則なり。它一たび命令を発布せば即ち純一雑なくして、ただ無為なるのみ、卻って能く天下人の心志を貫通す。ここをもって能く尊位を保守す。此れ即ち「易知」なり。「坤」は「乾」の施与を承受して、形を造るの起点にして、女性の法則なり。它専ら受くる所の命を守住して其の化育の功を失わずして、能く変化の道を通暁す。ここをもって能く其の安静を保守す。此れ即ち「簡能」なり。《易》は平易を用いて万物を認識すれば、万物即ち認識せられ易し。ゆえに万物に対して親附の情有り。親附有れば即ち長久す可きの道路にして、ここをもって人の長と為る者は之を徳行と為す。簡約を用いて万物に順従すれば、万物も亦た順従し易し。万物順従すれば即ち功效有りて、功效有れば即ち広大す可し。ここをもって事を弁ずる人は之を事業と為す。天下の事物は極めて多くして、而して其の歸趣する所は一致に帰す。此れ即ち「易簡」と曰う所なり。一致に帰せば、天下の道理も亦た窮尽せり。ゆえに能く上に於て尊位を保守し、下に於て卑位を安頓して、従りて位置を確立して長久に維持す。
聖人設卦觀象,繫辭焉。而明吉凶,剛柔相推而生變化,是故吉凶者,失得之象也。悔吝者,憂虞之象也。變化者,進退之象也。剛柔者,晝夜之象也。六爻之動,三極之道也。是故君子所居而安者,易之序也。所樂而玩者,爻之辭也。是故君子居則觀其象,而玩其辭。動則觀其變,而玩其占。是以自天佑之吉,無不利。彖者:言乎象者也。爻者,言乎變者也。吉凶者,言乎其失得也。悔吝者,言乎其小疵也。無咎者,善補過也。是故列貴賤者,存乎位。齊小大者,存乎卦。辨吉凶者,存乎辭。憂悔吝者,存乎介震。無咎者,存乎悔。是故卦有小大,辭有險易。辭也者,各指其所之。
聖人は卦體を設立して物象を観察して、卦爻の下に文辞を系著して、用いて吉凶を闡明す。剛爻と柔爻は互に推移して、従りて変化を産生す。ゆえに「吉凶」は得と失の象徴にして、「悔吝」は憂愁疑慮の象徴にして、「変化」は前進と後退の象徴にして、「剛柔」は白昼と黒夜の象徴なり。六爻の変動は、天・地・人「三極」の道を體現す。ゆえに君子の平居して能く安処するは、《易》の顕示する所の次序にして、喜愛して反復玩味するは、爻辞なり。ここをもって君子は閑居する時は則ち卦象を観察して卦爻の辞を玩味し、行動する時は則ち爻変を観察して占断を玩味す。ゆえに能く上天の保佑を得て、吉祥にして利あらざる無し。「彖辞」は一卦の象を講ずるにして、「爻辞」は爻位の変を講ず。「吉凶」は人事の得失を講じて、「悔吝」は細小の瑕疵を講じて、「无咎」は善く過錯を弥補するを言う。ゆえに貴賤等次を排列するは、爻位に在り。卦徳の大小を権衡するは、卦體に在り。吉凶を分弁するは、卦爻の辞に在り。悔吝を憂慮するは、纎介の際の震懼警覚に在り。能く過錯を出さざるは、悔を知りて改むるに在り。ここをもって卦に小有り大有り、辞に険有り易有り。謂う所の辞とは、即ち各々其の趨向する所の方向を指出するなり。
聖人得天地之理,探萬物之宜,而設卦觀象,後聖繫辭焉。而明吉凶,剛柔迭代而進退之,則變化窮而吉凶生也。是故吉凶者,得失也。悔吝者,不盡其時而後其憂也。故追悔之,嘆惜之,則無及也。陰陽相推,物極而變。消息之道,觀其象而擬之也。剛柔迭興,動靜相乗,晝夜之道,觀其可而動止之。故重其卦以極。三才之道窮,萬物之情也。是以君子所居而安者,因其時,觀其序,而效其吉也。所樂而玩者,處得其變,而羙其文也。故君子居則觀其象,而玩其辭,動則觀其變,而玩其占,自卜之明也。
聖人は天地の道理を体察して、万物の宜なる所を探求して、ここに於て卦體を設立して物象を観察す。後来の聖人は又た卦爻の下に文辞を系著して、用いて吉凶を闡明す。剛柔は更迭交替して進有り退有りて、変化は極処に推至すれば、吉凶即ち産生せらる。ゆえに「吉凶」の講ずる所は得と失にして、「悔吝」の講ずる所は時機を及ばず把握せざりて、事後乃ち憂愁を生出して、追悔嘆惜するの時に到りては、已に及ばざるなり。陰と陽は互に推移して、事物は極点に到れば即ち変ず。此れ消長盈虛の道理にして、其の卦象を観察して比擬を加うるを要す。剛と柔は交替興起して、動と静は彼此乗承す。此れ昼夜交替の道理にして、可行与否を看准して行動か停止かを決定するを要す。ゆえに八卦を重畳して六十四卦と為して其の変を窮尽す。天・地・人「三才」の道は推究せられて底に到りて、万物の実情も亦た尽く其の中に在り。ここをもって君子の平居して能く安処するは、時勢に順いて次序を観察して、従りて其の中の吉道に取法す。喜愛して玩味已まざるは、身を処するに当を得て変に随いて通ずれば、従りて其の中の文理を欣賞すればなり。ゆえに君子は閑居する時は則ち卦象を観察して卦爻の辞を玩味し、行動する時は則ち爻変を観察して占断を玩味す。此れ自ら占問して心中了然せるなり。
聖人極陰陽之度,窮變化之□,而得其易。是以合於天而自天佑之吉,無不利也。彖者,時之大歸也。爻者,時中之變也。變而得失繫焉,悔吝生焉,能補過者無咎也。是故列其位而分其貴賤,中其小大之務者,在乎卦之歸也。辨乎吉凶者,觀乎辭之?也。憂悔吝者,存而不忘其中,思患而不苟徇也。有咎而震以免者,悔而懲其先也。故卦大者,可大而行也。故卦小者,道消而可明也。故險易之辭係指焉。
聖人は陰陽の法度を窮尽して、変化の極致を推究して、ここをもって《易》の道理を得たり。ゆえに它上は天道に合して、能く「自天佑之、吉无不利」なり。「彖辞」の講ずる所は一卦の処する所の時の総帰趨にして、「爻辞」の講ずる所は此の一時の中の具体の変動なり。変動有れば即ち得失に系著して、悔吝も亦た之に随いて生ず。能く過錯を弥補する人は即ち過錯有らざらん。ゆえに爻位を排列して貴賤を分出して、卦徳大小の軽重緩急を斟酌するは、皆一卦の帰趣に取決す。吉凶を分弁するは、卦爻の辞の指向を看るを要す。悔吝を憂慮する人は、心中常に戒惕を存して中道を忘れずして、預め禍患を思慮して苟且遷就せず。本より已に咎有りて卻って震懼を因に免禍を得るは、是れ能く追悔して事先に於て懲戒するなり。ゆえに卦徳の大なるは、手を放して大事を施行する可し。卦徳の小なるは、道體消退するもなお能く其の理を顕明す。険と易の相同じからざる辞句は、正に各々此処に系著して指示を為さんが為なり。
易與天地準,故能彌綸天地之道。仰以觀於天文,俯以察於地理,是故知幽明之故,原始反終,故知死生之說。精氣為物,游魂為變,是故知鬼神之情。狀與天地相似,故不違,知周乎萬物而道濟天下,故不過。旁行而不流,樂天知命,故不憂。安土敦乎仁,故能愛。範圍天地之化而不過,曲成萬物而不遺,通乎晝夜之道而知,故神無方而易無體。一陰一陽之謂道,繼之者善也。成之者性也。仁者見之謂之仁,知者見之謂之知。百姓日用而不知,故君子之道鮮矣。顯諸仁,藏諸用,鼓萬物而不與聖人同憂,盛德大業至矣哉。富有之謂大業,日新之謂盛德,生生之謂易。成象之謂乾,效法之謂坤。極數知來之謂占,通變之謂事,陰陽不測之謂神。
《易》は天地と斉等にして、ゆえに能く天地の道を包羅貫串す。頭を抬げて天上の文象を観察し、頭を低めて地上の纹理を審察して、ここをもって幽隱と顕明の縁由を懂得す。事物の開端を推原して、事物の終結を返求して、ここをもって死と生の道理を懂得す。精気は凝聚して物と為りて、魂気は遊散して変化を生起す。ここをもって鬼神の情状を懂得す。《易》道は天地と相似て、ゆえに天地に違背せず。其の智慧は万物に遍及して其の道は天下を救済するに足る。ゆえに過差有らざらん。它四方に旁通して泛濫に流れずして、天に楽しみ命に安んず。ゆえに憂懼無し。居る所の地に安処して仁徳に篤厚すれば、ゆえに能く人を愛し物を愛す。它天地の造化を籠罩して過差に至らずして、曲折に万物を成全して一物を遺漏せずして、昼夜幽明の道を通暁して知らざる無し。ゆえに「神」は固定の方所無くして、「易」は固定の形體無し。一陰一陽は交替運行して即ち「道」と曰う。能く之を承接するは善にして、能く之を成全するは性なり。仁者は之を見て即ち仁と称し、智者は之を見て即ち智と称して、百姓は日用之を用いて自覚せず。ゆえに能く全體に君子の道を把握する人は少なし。它仁徳を顕露し出して、功用を潜蔵し起して、万物を鼓動して生長せしむるも聖人の如く憂患を懐かず。盛大の徳行と広大の事業は真に極致に達せりや。富足広有を「大業」と曰い、日日更新を「盛徳」と曰い、生生不已を「易」と曰い、物象を成就するを「乾」と曰い、成形を效法するを「坤」と曰い、蓍数を窮尽して未来を預知するを「占」と曰い、変化を通達するを「事」と曰い、陰陽変化の測度す可からざるを「神」と曰う。
夫易惟與天地之大而無私,與四時之德而得節,故能彌縫綸繫天地之道。仰以觀於天文,俯以察於地理,而不差也。是以窮神達化,知幽明之故。原始反終,知死生之說。生者,形也,合天地之精,聚氣而為物。魂者,寄於形也,魂形散而遊,遊而為變。窮幽明之故則鬼神之道可知也。隱猶索之,則人道昭乎,其陳矣。與天地同功而不差,智周乎萬物之道,濟乎天下得其理而不過。行權以治之,歸其正而不流。樂天知命以處之,而無不適。
《易》は惟だ其の天地の如きの広大にして毫も偏私無くして、四時の如きの徳性にして各々節度を得るを具備するを以て、ゆえに能く天地の道を縫合貫串し起す。頭を抬げて天上の文象を観察し、頭を低めて地上の纹理を審察して、皆差錯無し。ここをもって能く神妙を窮究して造化を通達して、幽隱顕明の縁由を懂得す。開端を推原して終結を返求して、死生の道理を懂得す。謂う所の「生」とは、形體を指して、它天地の精華を匯合して、気を聚集して物と為る。謂う所の「魂」とは、形體の上に寄托するにして、形體は消散すれば魂気は便ち遊蕩し開いて、遊蕩即ち変化と成る。幽明の縁由を窮究せば、鬼神の道も亦た知曉する可し。隱微の処すらなお探索するを要せば、然らば人事の道は自然昭然分明に眼前に陳列せらん。《易》は天地と同功にして毫も差錯無くして、其の智慧は万物の道に遍及して、天下を救済して事理を把握して過差なからん。它通権達変に治理して、最終は正道に帰して泛濫に至らず。天に楽しみ命を知りて自ら処るは、ここをもって往く所適わざる無し。
物得安其土者,上敦其仁也。故能施愛而博化,模範天地周圍之而不過其大。曲成萬物,治其所履而不遺其小,通其幽明,體其動息,故無變而不知也,故神也者。得萬物之妙而為名也,無方也。易也者,易萬物而為言無質體也。妙其運,萬物皆神也。得其理,萬物皆易也。故一其陰,陰則易也。一其陽,陽則易也。續以繼之而成教於天下者,唯仁之善乎。備物而咸說也,用之而不勤。行之而不殆而能成天下之至者,純精之性也。則無不易矣。仁者見易謂之仁,智者見易謂之智,皆一其方百姓用之而豈知其化用哉。故至於君子之道鮮矣。
万物の能く己の土地に安居する所以は、上の者の篤厚に仁徳を施行すればなり。ゆえに能く慈愛を広施して衆生を普化す。它天地を以て模範と為して、周遍籠罩して天地の大を超出せず。曲折に万物を成全して、彼らの行う所の事を整治して一物の小を遺漏せず。它幽と明を貫通して、動と息を体察すれば、ゆえに一種の変化とて其の知らざる無し。ここをもって謂う所の「神」とは、其の万物の妙を得るに就きて立てる名にして、是れ固定の方所無きなり。謂う所の「易」とは、其の万物を変易するに就きて言うにして、是れ固定の形質無きなり。運化に妙にして、万物は皆神ならざる無し。其の理を把握して、万物は皆易ならざる無し。ゆえに陰に専一すれば、陰は便ち易なり。陽に専一すれば、陽は便ち易なり。此の道理を承接延續して天下に於て教化を成就するは、ただ仁の善徳なるか。它万物を斉備して衆物をして皆悦ばしめて、之を用いて労苦を覚えずして、之を行いて危殆に至らず。従りて能く天下の最高の境界を成就す。此れ純精雑ならざるの本性にして、那れ即ち往く所易ならざる無し。仁者は《易》を見て即ち仁と称し、智者は《易》を見て即ち智と称す。皆各々一偏を執るなり。百姓は日々之を使用して、何ぞ其の化育の用を知らんや。ゆえに能く全體に君子の道を把握する人は少なしと曰う。
澤及人,人謂仁,故顯之,神用之而不可見,故藏之聖人者,興其仁也。興其仁之憂而後歸之也。顯其方,豈若鼔動萬物乗其變而無憂哉。此盛徳大業之至也。故惣其有而?其適矣,順其行而無滯於故矣。靜然至虛,無滯於物,而能生其生,而神其用者,易也。成其象而能徤以通之者,乾也。治其質,效其法,而無不順者,坤也。極變於陰陽,而考變窮數,知來之謂,占得其占,通其數乗其變,而行之,之謂事。行其事,盡其道,民咸利之,之謂神。
恩沢は人に施及せば、人は之を仁と称す。ゆえに之を顕露し出すを要す。神妙の功用は施行するも看見せられず。ゆえに之を潜蔵し起すを要す。聖人の做法は、其の仁徳を振興するにして、然れど仁徳を振興するは必ず先ず憂患を懐きて、然る後に乃ち成功に帰す。此の如く己の方術を顕示するは、何処に万物を鼓動して変化に乗りて自身憂患無きに及ばんや。此れ乃ち盛徳大業の極致なり。ゆえに万有を総括して各々其の宜を得しめて、其の運行を順任して旧例に滞泥せず。静にして極虛にして、外物に滞せられずして、卻って能く万物の生を生養して万物の用を神妙するは、即ち「易」なり。物象を成就して能く剛健を以て貫通するは、即ち「乾」なり。形質を整治して成形を效法して順ならざる無きは、即ち「坤」なり。陰陽の中に於て変化を窮尽して、変動を考究して蓍数を推極して、用いて未来を預知する。此れ「占」と曰う所なり。占断を得て後に、其の数を通暁して其の変化に乗りて施行に付す。此れ「事」と曰う所なり。此れらの事を施行して、此の道理を尽して、百姓をして皆利益を得しむ。此れ「神」と曰う所なり。
夫易,廣矣大矣。以言乎逺則不御,以言乎邇則靜而正,以言乎天地之閒則備矣。夫乾其靜也專,其動也直,是以大生焉。夫坤其靜也翕,其動也闢,是以廣生焉。廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,易簡之善配至德。
《易》道は真に広大なりや。其の遠処に就きて言えば、辺際無くして窮尽す可からず。其の近処に就きて言えば、安静にして端正なり。天地の間に就きて言えば、備わらざる無し。「乾」は静止の時は専一不二にして、運動の時は剛直不撓にして、ここをもって偉大の生成の力は此より出づ。「坤」は静止の時は収斂閉合して、運動の時は開啓敞放して、ここをもって広博の化育の功は此より出づ。《易》の広大は天地と相配して、其の変通は四時と相配して、其の陰陽の義理は日月と相配して、其の平易簡約の善徳は最高の徳行と相配す。
夫易廣矣,大矣。逺而不知其止無其外也。邇而靜以自正無其內也。其備也。同於天地之閒矣。夫乾造物之始也,其靜也,至虛而不雜其動也。降氣而當物,無不知也,無私作也,故能大焉,萬物父也。坤造形者,其靜也。上未降氣,翕聚而不發其動也。啟務而承命,無不能也,無私巧也,故能廣焉,萬物母也。是以易無形也。易物而為形,易無名也。故廣大,體天地變通,合四時陰陽之義,配日月易簡之善,配至徳而無不備者也。
《易》道は広博にして宏大なり。遠処に就きて言えば、它無窮無尽にして外辺界無し。近処に就きて言えば、它安静自正にして内辺界無し。其の完備は、整個の天地の間に等同す。「乾」は万物を創生するの開端にして、静止の時は極めて虛寂にして雑乱せずして、運動の時は陽気を降下して万物を成就して、知らざる無くして、亦た私意造作無し。ゆえに能く偉大にして、是れ万物の父親なり。「坤」は形體を造成するの一方にして、静止の時は天上の気未だ降下せざれば、它便ち収斂聚合して発動せず。運動の時は事務を開啓して天命を承受して、能くせざる無くして、亦た私巧機心無し。ゆえに能く広博にして、是れ万物の母親なり。ここをもって《易》は本身形體無くして、它万物を変易して乃ち形體を顕出す。《易》は本身名称無し。ゆえに能く広大なり。它天地を體現して、変通は四時に合して、陰陽の義理は日月に配合して、平易簡約の善徳は最高の徳行に配合す。ここをもって備わらざる無し。
子曰:易其至矣乎。夫易,聖人所以崇德而廣業也。知崇禮卑,崇效天,卑法地。天地設位而易行乎其中矣。成性存,存道義之門。聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其典禮。繫辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。言天下之至賾而不可惡也。言天下之至動而不可亂也。擬之而後言,議之而後動。擬議以成其變化。鳴鶴在陰,其子和之。我有好爵,吾與爾縻之。
孔子は曰く:《易》は大概最高の道理なるか。《易》は聖人の用いて徳行を提高して事業を拡大するの書なり。智慧は崇高を要して、礼節は卑下を要す。崇高は天を效法して、卑下は地を取法す。天地は各々其の位を設けて、而して《易》道は即ち其の中に於て運行す。本性を成就して保存を加うれば、此れ便ち道義の生発するの門戸なり。聖人は天下万物の幽深繁賾を見て、即ち彼らの形態容貌を比擬して、彼らの各々相宜の性質を象徴す。ゆえに之を「象」と称す。聖人は天下事物の変動を見て、即ち其の中の会合貫通を観察して、拠りて典章礼制を推行して、又た卦爻の下に文辞を系著して吉凶を判断す。ゆえに之を「爻」と称す。它天下の最も幽深繁賾の事情を説尽して人をして厭悪せしめずして、天下の最も紛紜変動の事情を説尽して人をして迷乱せしめず。先ず比擬して然る後に発言し、先ず商議して然る後に行動して、比擬商議を通じて其の変化を成就す。《中孚》の九二爻辞は曰く:白鶴は山陰の処に於て鳴叫して、其の幼雛は応声して相和す。我は一杯の美酒有りて、汝と共同に分享せんを願う。
子曰:君子居其室出其言,善則千里之外應之,況其邇者乎。居其室出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎。言出乎身,加乎民,行發乎,邇見乎。逺言行,君子之樞機,樞機之發,榮辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎。同人先號咷而後笑。子曰:君子之道或出,或處,或黙,或語。二人同心,其利斷金。同心之言,其臭如蘭。初六,藉用白茅,無咎。子曰:苟錯諸地而可矣,藉之用茅,何咎之有,慎之至也。夫茅之為物,薄而用可重也。慎斯術也。以往其無所失矣。勞謙君子有終吉。子曰:勞而不伐,有功而不德,厚之至也。語以其功,下人者也。德言盛禮,言恭謙也者。致恭以存其位者也。
孔子は曰く:君子は己の屋裡に住みて、言い出す所の話は若し善言なれば、千里之外も皆応響す。況んや近処の人をや。己の屋裡に住みて、言い出す所の話は若し不善なれば、千里之外も皆背離す。況んや近処の人をや。言語は自身より発して、百姓に影響す。行為は近処より始まりて、遠方に顕現す。言と行は君子の門軸と弩機にして、門軸弩機は一旦発動せば、即ち栄と辱の主宰と成る。言と行は君子の用いて天地を感動するの憑借にして、何ぞ謹慎せざる可けんや。《同人》の九五爻辞は曰く:起初は号啕大哭して、後来は歓笑す。孔子は曰く:君子の処世の道は、或いは出仕し或いは退隱し、或いは沈黙し或いは進言す。両の人は心を同じくして、彼の鋒利は金属を斬断するに足りて、同心人の説く所の話は、気味芬芳として蘭草の如し。《大過》の初六爻辞は曰く:潔白の茅草を用いて下に墊せば、過ちなし。孔子は曰く:直接地上に放置するも本より亦た可なり。還って茅草を用いて墊くれば、復た何の過錯ある能わんや。此れ謹慎の極点に到れり。茅草の此の物は本身軽微にして、用処は卻って能く甚だ貴重なり。此の謹慎の弁法を推行し下れば、往后何を為すとも閃失有らざらん。《謙》の九三爻辞は曰く:勤労にして謙遜の君子は能く善終を保有して吉を獲す。孔子は曰く:辛労して自ら誇らずして、功有りて自ら其の徳に居らず。此れ敦厚の極点に到れり。其の功労を説くに、彼は卻って人の下に甘居す。徳行は盛大を以て貴と為して、礼節は恭敬を以て貴と為す。謂う所の「謙」とは、即ち恭敬を極尽して己の地位を保住するなり。
亢龍有悔。子曰:貴而無位,髙而無民。賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。不出戶庭,無咎。子曰:亂之所生也。則言語以為階,君不密則失臣,臣不宻則失身。□事不宻,則害成。是以君子慎宻而不出也。子曰:作易者,其知盜乎。易曰:負且乗致冦,至負也者,小人之事也。乗也者,君子之器也。小人而乗君子之器,盜思奪之矣。上慢下暴,盜思伐之矣。慢藏誨盜,冶容誨淫。易曰:負且乗致冦,至盜之招也。
《乾》の上九爻辞は曰く:龍は飛ぶこと太だ高き過ぎれば即ち悔恨有らん。孔子は曰く:地位は尊貴にして卻って実権の位無くして、身は高処に居りて卻って百姓無くして、賢人は皆下位に在りて輔佐する人無し。ゆえに一たび挙動有れば即ち悔恨を産生す。《節》の初九爻辞は曰く:門庭を走出せざれば、過ちなし。孔子は曰く:禍乱の産生する所以は、言語を以て階梯と為せばなり。君主は慎密ならざれば即ち臣子を喪失して、臣子は慎密ならざれば即ち自身を喪失して、機要の事は慎密ならざれば即ち禍害を釀成す。ゆえに君子は慎密を謹守して軽易に言を出ださず。孔子は曰く:《易》を作る人は大概盗賊の心理を懂得せんか。《解》の六三爻辞は曰く:物を背負して卻って車の上に坐れば、強盗を招来せん。物を背負するは本より小人の幹る事にして、車は本より君子の使用するの器物なり。小人は卻って君子の車に乗坐すれば、盗賊即ち彼を搶奪せんと想い来らん。上に対して傲慢して下に対して暴虐なれば、盗賊即ち彼を討伐せんと想い来らん。財物を収蔵するに馬虎なれば、人を教えて盗ましむるに等し。打扮して妖冶なれば、人を教えて淫乱せしむるに等し。《易》は「物を背負して車の上に坐れば、強盗を招来す」と説くは、正に自ら盗賊を招来せるなり。
聖人之作易,而崇德廣業者,何以為也。夫易,無私也,無為也,無方也,無體也。同於物不循其故,是以得天地萬物之情狀也。斯以運化,不亦崇廣乎,智也者。周於物而兆其機也。無不變故效天之崇焉。禮也者,止其體而得其履,無不遂也,故法地之卑焉。設天地之象,立智禮之度,則百化周流乎其中,而易其道矣。夫以成性而不外,安其所安者,於物不惑矣。其於理至矣。道義之所由生也。
聖人は《易》を創作して、之を用いて徳行を提高して事業を拡大す。究竟何を憑りて做到する能くするや。《易》は私意無くして、造作無くして、固定の方所無くして、固定の形體無し。它万物と相同にして旧例を因襲せず。ゆえに能く天地万物の真実の情状を把握す。此の一点を憑りて造化を運転せば、不も亦た既に崇高にして又た広大ならんや。謂う所の「智」とは、万物に周遍して能く事機の萌兆を察見して、一種の変化とて其の照察の中に在らざる無し。ゆえに它天の崇高を效法す。謂う所の「礼」とは、自身を安頓して各々其の履行すべきの分際を得て、一事とて順遂ならざる無し。ゆえに它地の卑下を取法す。天地の物象を設立して、智と礼の法度を確立せば、然らば百般の造化は其の中に周流して、《易》道も亦た其の中に於て実現せらる。本性を成就して外に向かいて馳求せざるを憑りて、己の安処すべきの地位に安処すれば、万物に対して迷惑せざる能くして、事理に対して便ち極致に到る。此れ正に道義の生発する所由の根源なり。
聖人見天地之至奧而為後世之傳,以為將來之利,故錯其剛柔,察其態度,而擬於形容,象其物冝,故謂之象。見天下之動靜,取舍離合而得其□通以行其典禮。繫辭焉,以定其吉凶。是故謂之爻。得天下之情偽而咸以象,告人不可思而惡也。適天下之變而咸得其要,治之不可惡而亂也。觀天下之情而擬之,議天下之可而動之,則能成變化之道也。善者,民之所好也。言行者,民之準也。修諸內而發諸外矣。故鳴鶴在陰,其子和之。同聲而相應,本立道成也。可不務乎。
聖人は天地の間の最深奥の道理を見て、後世の為に伝述を作出して、此を以て将来の利益を謀求す。ゆえに交錯して剛爻柔爻を安排して、万物の情態を審察して、彼らの形状容貌を比擬して、彼らの各々相宜の性質を象徴す。ここをもって之を「象」と称す。它又た天下事物の動と静、取と舎、離と合を見て、其の中より会通の処を把握して、拠りて典章礼制を推行して、并びに卦爻の下に文辞を系著して吉凶を判定す。ここをもって之を「爻」と称す。天下の真情と虚偽を全て卦象を用いて表達し出して世人に告げれば、人は即ち厭悪の思を生出するに由無し。天下の変化に順応して皆能く要領を抓住すれば、治理し起して厭悪を因に紛乱を致すに至らず。天下の実情を観察して比擬を加えて、天下の可行の事を商議して行動を加えれば、即ち能く変化の道を成就す。善とは、百姓の喜好する所にして、言と行とは、百姓の準則なり。皆内心に於て修養して然る後に外に向かいて発用すを要す。ゆえに「白鶴は山陰に鳴叫して、其の幼雛は応声して相和す」と曰うは、此れ同類の声の互に感応して、根本は一たび立てば、道即ち成る。何ぞ勉力して為さざる可けんや。
是以君子修諸其身矣,修身者將以求其試也。幽而獨之,誰與和之。是以同其人,其道乃昭矣。同人者,君子之同也。其道上行,初雖逆之終獲其同也。故君子之道,出處語黙途,雖殊其致一也。二人同心,無不濟。雖至堅無不可斷之矣。同心之言,無迕矣。夫是以君子廣其同,則其道可進也。進而徃之,將以蒞其行也。其在於過,慎乎初,而慎之有終矣。故潔於薄物而致重之用也。進而得位者,其在於謙,敬而盡民力乎,故勞謙君子有終吉。德以崇,為盛也。禮以謙,為恭也。故曰謙也者,致恭以存其位者也。
ここをもって君子は先ず自身の上に於て修養して、修身は将来の任用せらるるを得んが為なり。幽居独処して、又た誰が彼と相和せんや。ゆえに人と相同ずるを要して、其の道乃ち昭顯し出る能し。《同人》の講ずる所は正に君子の人と同を求むるにして、其の道は上に向かいて通行して、起初は阻逆有るも、最終はなお認同を獲得す。ゆえに君子の道は、或いは出仕し或いは退処し、或いは沈黙し或いは進言して、途経は相同じからざるも、帰趣は卻って一致す。両の人は心を同じくして、為成らざるの事無くして、最も堅硬の物すら断らざる無し。同心人の説く所の話は、彼此抵牾無し。正に此を因に、君子は人と相同ずるの範囲を拡大して、其の道乃ち推進する能し。推進して前往するは、己の主張を実践しに往かんと欲するなり。彼は若し過甚の時に処れば、即ち開頭に於て謹慎するを要して、謹慎して乃ち好き結果有る能し。ゆえに潔淨の軽微の物を用いて底を墊いて貴重の功用を收到するの道理有らん。前進して地位を得る人は、関鍵は謙退に在りて、恭敬に民力を体恤す。ゆえに「勤労謙遜の君子は能く善終を保有して吉を獲す」と曰う。徳行は崇高を以て盛大と為して、礼節は謙退を以て恭敬と為す。ゆえに曰く:謂う所の「謙」とは、即ち恭敬を極尽して己の地位を保住するなり。
時之易道,斯變矣。安其位而不知巳與時極矣,窮之災也。是以亢龍有悔,戒其保於存而久其位也。夫位愈髙者,難其為人也,君子不可以不自知也。夫利厚者,害易及也。貴為長者,利害以出也。為下之巽也。其在於慎密,否則害及之矣。盜伺之矣。故不出戸庭,無咎矣。以德之不周而不厭其髙者,貪其非所有而有之,則易於事矣。易斯慢而下思賊之矣,皆自致其寇。此易之終戒也。
時勢と《易》道は、此処に到りて即ち転変を発生せんとす。己の位置に安んじて己の已に時勢と一同に尽頭に走り至るを知らざるは、此れ窮極の帯来する所の災禍なり。ゆえに「龍は飛ぶこと太だ高き過ぎれば即ち悔恨有り」と曰うは、人を誡めて一味に既有の位を守住して長久に之を占拠せんと想わしめず。位置は愈だ高ければ、人を為るは愈だ難くして、君子は自知の明無くんばあらざるべし。利益の豊厚の処は、禍害も亦た易く之に随いて来る。身は尊貴に居りて人の長と為れば、利と害は皆此より出づ。ゆえに下位に居るは謙遜を要す。関鍵は慎密に在りて、然らざれば禍害即ち頭に臨みて、盗賊即ち窺伺せん。ゆえに「門庭を走出せざれば、過ちなし」と曰う。徳行は并びに周備せざるに卻って己有の高位に満足せずして、本より己に属せざるを貪求して拠りて己有と為せば、那れ事情を太だ軽易に看たるなり。軽易は即ち傲慢を生じて、下の人は便ち彼に加害せんと想う。皆自ら招来せるの盗寇なり。此れ《易》の篇末に於て給出するの告誡なり。
大衍之數五十,其用四十有九。分而為二,以象兩;掛一以象三;揲之以四,以象四時;歸竒於扐,以象閏。五歳再閏,故再扐而後掛。
「大衍」の数は五十にして、実際に動用するは四十九根の蓍草なり。彼らを随手に両份に分けて、用いて天地両儀を象徴す。其の中より一根を取出して掛けて、用いて天・地・人三才を象徴す。毎に四根を一組として数え過ぎて、用いて春夏秋冬四時を象徴す。数え余りの零頭を手指の間に夾えて、用いて閏月を象徴す。五年の中には両個の閏月有るを要すれば、ゆえに両次零余を夾取して、然る後に再び重ねて分掛けて起算す。
聖人幽贊神明,設五十之數以求易者,何也。三揲之極,多得老陰,其數合二十五以對之而求之也。其一不用者,太極也。故可名之謂之太極。夫有生於無,無者未見氣也。不可用也。故置之也。初揲或五或九,再三得四八也。初營於再者三者,何也。道生一,一者形變之始,萬物之生也。為治者不離其本也。故用之於始揲也。以營一之有而偶不用之,無天地陰陽設位而易行乎其中,豈竒而立哉。分而二,象兩儀也。掛一象人也,人也者,包括萬物而為之首也。故兩而生人,曰三才焉。
聖人は神明の道を深研して、五十の此の数目を設立して《易》を推求するは、是れ何の縁故なるや。三次揲蓍して極処に推至せば、多半老陰を得て、其の数は合して二十五と成りて、用いて之と相対して求索す。其の中に一根の始終用いざる有るは、那れ即ち「太極」にして、ゆえに之に命名して「太極」と曰う可し。「有」は「無」より生じて、「無」は未だ気を顕現せざるの状態にして、動用す可からず。ゆえに之を一旁に擱置す。第一次揲蓍の得る所の零余は五ならざれば即ち九にして、第二・第三次は則ち四を得るか或いは八を得るかなり。何為れぞ第一次の経営は第二・第三次と不同なるや。「道は一を生ず」ればにして、「一」は形體変化の開端、万物生成の起点にして、事を治る人は根本を離るる能わず。ゆえに揲蓍を開始するの時に於て即ち之を用上す。此の経営し出したる「一」の「有」を用いて、彼の擱置不用の「無」と相配せば、假如天地陰陽は各々其の位を設けて《易》道は其の中に運行せざれば、単に一個の奇零の数を憑りて何ぞ自立する能わんや。蓍草を両份に分けるは、両儀を象徴す。一根を掛出するは、人を象徴す。人の此の一物は、万物を包羅して万物の首に居る。ゆえに両儀の上に再び人を生じて、即ち「三才」と曰う。
揲之以四,象四時也。歸於扐,抆時之餘也。歸天地之餘盡五歳之。再閏,故再扐。而後掛數者,偶而後成也。竒者不盈,其四時也。數之寡也。故謂之陽,全其捰者,備其陰也。得數之成,故謂之陰,此求筮之數也。易者,聖人極天地之數,窮天下之變也。占者,索其數,逆其變,體其吉凶,斷天下之疑也。雖有聖人之心,必求龜蓍而聽其神焉。將有以奉也。人也者,萬物之靈也。志有至而吉凶兆焉,故志之斷則卜筮焉。志之疑則告其從焉。是以不疑其所行也。利物而有功也,故聖人曰卜筮雲。
毎に四根を一組として数え過ぐるは、四時を象徴す。余数を指の間に夾むるは、一時の零頭を抹取するなり。天地の零余を匯集して、尽く五年の内に在り。其の間に両次の閏月有れば、ゆえに両次零余を夾取して、然る後に再び重ねて分掛けす。数目は総じて偶を成して乃ち完成と算して、奇零の数は四時の全に満たざるは、数中の偏少するにして、ゆえに陽と称す。整数を全部収攏するは、陰数の完備するにして、得る所は成数にして、ゆえに陰と称す。此れ即ち筮を求むるに用うる所の数なり。《易》は、聖人の天地の数を窮尽して天下の変を推極するの書にして、占は、其の数を探索して其の変を逆推して其の吉凶を体察して、用いて天下の疑難を判断するの方法なり。縦に聖人の心智を具備するも、亦た必ず亀甲蓍草に求助して神明に聴命するを要す。総じて秉承する所有るを要すればなり。人は万物の中の最も霊性有るにして、心志に専注する所有れば、吉凶即ち先ず徴兆を露出す。ゆえに心志已に定まれば即ち卜筮を用いて決断して、心志に疑有れば即ち卜筮に請いて何れに従うべきを告知せしむ。此の如くして己の行う所の事に対して便ち遅疑せざらん。它万物に利して能く功效を建立す。ゆえに聖人は乃ち卜筮を説き到れり。
天數五,地數五,五位相得,而各有合。天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五。此所以成變化,而行鬼神也。
天数は五個有りて、即ち一・三・五・七・九なり。地数も亦た五個有りて、即ち二・四・六・八・十なり。此の五個の方位上の天数と地数は各自相当して、又た両両配合す。天数の総合は二十五にして、地数の総合は三十にして、天地の数は合計五十五なり。変化は此を因に成就して、鬼神は此を因に運行す。
易有太極而生天地,天為一竒也。地承天為二,偶,數而相生,合而相成。為水,火,木,金,土也。天地萬物未始,相離也。試於形變而論之本乎天,一降氣而得地,聚之為水,其肇為胚也。水內剛而外柔,故生於天之一,而成於地之六。因其一生而依其胚而為胎,胎者自得其溫氣也。溫發而為火,火始於內而成炎於外,故生於地之二,而成於天之七。含氣以自堅而骨生焉,骨堅陽木也。生於陽而養於陰也。故生於天之三而成於地之八,有其骨而筋堅焉。
《易》に「太極」有りて、太極は天地を生出す。天は「一」にして、奇数に属す。地は天を承受して「二」と為して、偶数に属す。奇偶の数は彼此相生・相合して相成して、ここに於て水・火・木・金・土の五行有らん。天地万物は従来曽て彼此分離せず。試みに形體の変化よりして講ぜば、本源は天に在りて、天数「一」は陽気を降下して地気を得て、凝聚し起して即ち水と成る。最初に結成せるは胚なり。水は内裡剛にして外表柔なり。ゆえに天数「一」より生じて、地数「六」より成る。此の「一」の生発を因りて、此の胚に依託して胎と為りて、胎は自身は能く温気を獲得す。温気は発散すれば即ち火と化して、火は内裡より発端して外に向かいて炎上す。ゆえに地数「二」より生じて、天数「七」より成る。気を含んで自身堅固にして、ここに於て骨骼生成す。骨骼は堅硬にして、陽木に属して、陽より生じて陰に於て養わる。ゆえに天数「三」より生じて、地数「八」より成る。骨骼有れば、筋腱も亦た之に随いて堅実ならん。
金從革而外剛,故生於地之四而成於天之九。土為肌膚,四者備皆肌膚養焉。肌膚因剛而生,而終於柔脃。故生於天之五而成於地之十。終數以成形也。分而異,功合而同濟,故天地之數五十有五。合而為五行,發而為五聲,散而為五臭,布而為五章,流而為五味,分而為五性。異同區焉,利害生焉,吉凶形焉,變化成焉,死生兆焉,鬼神通焉。可以元元而□其終也。
金は熔鋳変革する可くして外表剛硬なり。ゆえに地数「四」より生じて、天数「九」より成る。土は肌肤に対応して、前面の四者は具備せるの後に、皆肌肤を靠りて包養するを要す。肌肤は剛質に依託して生ずるも、最終は卻って柔軟脆弱に帰す。ゆえに天数「五」より生じて、地数「十」より成りて、最後の成数を用いて形體を完成す。分けて看れば各々相同じからざるの職分有りて、合わせて看れば則ち同じく一功を成す。ゆえに天地の数は共に五十五と為る。彼らは会合して五行と成りて、発して五声と成りて、散布して五臭と成りて、舗陳して五色文章と成りて、流行して五味と成りて、分派して五種の性情と成る。同と異の区別は此より劃開して、利と害は此より産生して、吉と凶は此より形を顕して、変化は此より完成して、死と生は此より徴兆を現出して、鬼神も亦た此より貫通す。之を憑りて即ち能く万物の本始を推原して彼らの終局を窮究す。
乾之□,二百一十有六。坤之□,百四十有四。凡三百有六十,當期之日。二篇之□,萬有一千五百二十,當萬物之數也。是故四營而成易,十有八變,而成卦八。卦而小成,引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣。顯道神德行,是故可與酬酢,可與佑神矣。
《乾》卦六爻の策数は二百一十六にして、《坤》卦六爻の策数は一百四十四にして、合わせて起して共に三百六十にして、正に一年の日数に相当す。《易経》上下両篇の策数は共に一万一千五百二十にして、正に万物の数目に相当す。ゆえに四道の営求手続を経て一変を完成して、十八次の変化を経て一卦を成す。八卦は只だ小成にして、之を引申推衍して、類に依りて増広せば、天下の能有る所の事情は即ち全て其の中に包括せらる。它天道を顕明して徳行を神化すれば、ここをもって人と対応酬答する可くして、神明の功用を輔助する可し。
兩儀生四象,則乾坤之爻各具四象焉。地六,天七,地八,天九,四象之成。□爻每其□,各含其四象。繫之乾坤之爻焉。乾坤合為十二,當期之月也。混其□爻,絶為三十焉,當月之日也。陽極其數,萬物畢,遂其成焉,故九也。陽極則剝陰,長而壯消之極也,故其變六也。消而息之,陽復而長,陰之退也。故為少陰,其數八也。陽盛長物,其貌始大而未成也。故為少陽,其數七也。老陽九也。四而九之,其□三十六也。老陰六也,四而六之其□,二十四也。合乾坤六爻之□,當期之日也。少陽七也,四而七之其□二十八也。少陰八也,四而八之其□三十二也。合二少之□,當期之日。同老陽老陰之□也。
両儀は四象を生出せば、然らば《乾》《坤》両卦の爻は即ち各自四象を具備す。地数六・天数七・地数八・天数九は、此れ即ち四象の構成なり。毎一爻は皆各自此の四象を含有して、皆乾坤の爻に系属す。乾坤両卦は合計十二爻にして、一年の十二個月に相当す。各爻を合わせて推算すれば、三十と定めて、一個月の日数に相当す。陽は数の極処に発展して、万物は完全に生成す。ゆえに「九」なり。陽は極点に到れば即ち陰気を剥落せんと欲して、生長壮盛の後は便ち消退の極点にして、ゆえに其の変数は「六」なり。消退より転じて生息と為して、陽気は回復して増長して、陰気は之に随いて退去す。ゆえに「少陰」と曰い、其の数は「八」なり。陽気は盛大にして万物を生長して、形貌は壮大を始めて卻って未だ完成せず。ゆえに「少陽」と曰い、其の数は「七」なり。老陽は九にして、四九を乗じて、策数は三十六なり。老陰は六にして、四六を乗じて、策数は二十四なり。乾坤六爻の策数を合わせ起して、正に一年の日数に相当す。少陽は七にして、四七を乗じて、策数は二十八なり。少陰は八にして、四八を乗じて、策数は三十二なり。両個の少数の策数を合わせ起して、亦た一年の日数に相当して、老陽老陰の策数と相同ず。
合二篇之□,三百八十四,半乾坤緫而承之,萬有一千五百二十。當萬物之數。是故分而掛,一揲之歸竒,四營而成易,三易以成爻,十有八變而成卦。初以乾坤錯綜而為八卦,以象動止。離陷巽說而各得其情矣。重而伸,類而長,以觀其愛惡失得,窮天下之情,極天下之變,以此而能事畢矣。故能明其道,辨其徳,行可以應天下之來,而助其神化者也。
《易経》上下両篇の爻数を合わせて共に三百八十四にして、乾坤策数の半を取りて総括承接し起して、一万一千五百二十を得て、正に万物の数目に相当す。ゆえに先ず蓍草を両份に分けて一根を掛出して、四根を一組として数え過ぎて零余を指の間に夾えて、四道の営求手続を経て一変を完成して、三変して一爻と成りて、十八変して一卦と成る。最初は乾坤を以て錯綜変化して八卦を生成して、用いて運動と静止を象徴す。《離》は附麗と為し、《坎》は陥険と為し、《巽》は順入と為し、《兌》は和悦と為して、各自己の情性を得たり。再び八卦を重畳推衍して類に依りて増広して、用いて人事の喜愛と厭悪、喪失と獲得を観察して、天下の実情を窮尽して、天下の変化を推極す。此れらを憑りて、天下の為す能くする事は即ち皆完備せり。ゆえに《易》は能く其の道理を闡明して其の徳性を分弁して、其の運用は天下の将に至らんとするの事に対応するに足りて、従りて神明の化育を輔助す。
子曰:知變化之道者,其知神之所為乎。易有聖人之道四焉。以言者,尚其辭。以動者,尚其變。以制器者,尚其象。以卜筮者,尚其占。是以君子將有為也,將有行也。問焉而以言,其受命也。如響無有逺近,幽深遂知來,物非天下之至,精其孰能與於此。參伍以變,錯綜其數,通其變遂成天地之文。極其數,遂定天下之象。非天下之至,變其孰能與於此。易無思也,無為也。寂然不動感而遂通天下之,故非天下之至,神其孰能與於此。夫易,聖人之所以極深而研幾也。唯深也,故能通天下之志。唯幾也,故能成天下之務。唯神也,故不疾而速不行而至。子曰:易有聖人之道四焉者,此之謂也。天一,地二,天三,地四,天五,地六,天七,地八,天九,地十。
孔子は曰く:変化の道を懂得する人は、大概即ち神明の作為を懂得せんか。《易》の中に聖人の道四条を含有す。用いて発言議論するは、其の文辞を看重す。用いて行動を指導するは、其の変化を看重す。用いて器物を制作するは、其の物象を看重す。用いて卜筮決疑するは、其の占断を看重す。ゆえに君子は将に作為有らんとし将に行動有らんとするの時に、即ち《易》に向かいて発問して言辞を以て求教せば、它人の詢問を承受して、回応は回声の如くして、遠近幽深を論わずして、皆能く未来の事を推知す。若し是れ天下の最も精微の道理にあらざれば、誰か能く此の一歩に做到せんや。三番五次に変化して、其の蓍数を交錯綜合して、其の変化を通暁して天地の文理を成就す。其の数を窮尽して天下の物象を判定す。若し是れ天下の最も善く変通するの道理にあらざれば、誰か能く此の一歩に做到せんや。《易》は思慮無くして、作為無くして、寂静動かずして、一旦感応すれば即ち天下の一切の事故を貫通す。若し是れ天下の最も神妙の道理にあらざれば、誰か能く此の一歩に做到せんや。《易》は聖人の用いて幽深を窮究して幾微を研求するなり。惟だ其の幽深なるを以て、ゆえに能く天下人の心志を貫通す。惟だ其の幾微なるを以て、ゆえに能く天下の事務を成就す。惟だ其の神妙なるを以て、ゆえに急促するを要せずして自然迅速にして、行走するを要せずして自然到達す。孔子は《易》に聖人の道四条有りと説くは、講ずる所は即ち此の意思なり。天は一と為し、地は二と為し、天は三と為し、地は四と為し、天は五と為し、地は六と為し、天は七と為し、地は八と為し、天は九と為し、地は十と為す。
天地之道,陰陽之化常矣。聖人以是觀其動靜而行其進退,不差於時者,是知神之所為,而合其變,得易之道也。故易。聖人之道四焉,以言者尚其辭,得易之文也。以動者尚其變,得易之時也。以制器者尚其象,得易之智也。以卜筮者尚其占,當其數而斷其疑也。君子時將有為而問之,將有行而請之,無有逺近幽深遂知來物至精者也。參伍之變而錯綜其數得其變,遂成天下之文。文見乎辭,故言者尚之。極其變,遂定天下之象。故制器者,取之此天下之至變者也。
天地の運行するの規律、陰陽の変化するの常道は即ち此の如し。聖人は此れらに依拠して事物の動静を観察して己の進退を決定して、従来時機を錯失せず。此れ即ち神明の作為を懂得して其の変化に契合し、亦即ち《易》道を得たるなり。ゆえに《易》の中の聖人の道は四条有り。用いて発言議論するは其の文辞を看重するは、此れ《易》の「文」を得たるなり。用いて行動を指導するは其の変化を看重するは、此れ《易》の「時」を得たるなり。用いて器物を制作するは其の物象を看重するは、此れ《易》の「智」を得たるなり。用いて卜筮するは其の占断を看重するは、是れ蓍数に依りて疑難を決断するなり。君子は時機将に作為有らんとするに於て之に発問して、将に行動有らんとするに於て之に請教して、遠近幽深を論わず皆能く未来の物を推知す。此れ即ち最も精微の境界なり。三番五次に変化して蓍数を交錯綜合して、其の中より変通を得て、ここに於て天下の文理を成就す。文理は卦爻の辞の上に表現せば、ゆえに言を立つる人は之を看重す。其の変化を窮尽して天下の物象を判定すれば、ゆえに器物を制作する人は之に取法す。此れ即ち天下の最も善く変通するの境界なり。
易無思也,無為也,寂然不動感而遂通天下之,故不遷其方而無適不利。此天下之至,神也。夫易者,剛柔相推,情偽相偶者也。故吉凶生焉。而聖人之其所終寄其象,以明天下之志,而無不中也。非極其深也,不能及其至精。窮其變,要其□,知其終,原其始閒。錯其說以成天下之務,非研其幾者不能得於至變也。體其物妙,其運用之非以勤也。行之非以跡也。非玄者,不能得於至神也。故一設象而君子其賴四焉。範兩五之數,窮萬物之變者也。非聖人其孰能深之。
《易》は思慮無くして、作為無くして、寂静動かずして、一旦感応すれば即ち天下の一切の事故を貫通す。ゆえに它己の方所を改換せずして往く所利あらざる無し。此れ即ち天下の最も神妙の境界なり。《易》は剛爻と柔爻の互に推移して、真情と虚偽の彼此相配するにして、ゆえに吉凶は此より産生す。聖人は其の悟り到る所の終極の道理を卦象の裡に寄托して、用いて天下人の心志を闡明して、中るあたわざる無し。幽深を底に到るまで推究せざれば、即ち彼の最も精微の処に達する能わず。其の変化を窮尽して、其の要領を抓住して、其の終結を知りて、其の開端を推原して、各家の説法を錯綜して天下の事務を成就す。幾微を研求する能わざる人は、即ち彼の最も善く変通するの処を領会するに法無し。万物の奥妙を体察して、之を運用するに勤苦経営を靠らずして、之を施行するも亦た痕迹を留下せず。玄妙を通達する能わざる人は、即ち彼の最も神妙の処を領会するに法無し。ゆえに聖人は一たび卦象を設立せば、君子は便ち此の四方面を依憑す可き有り。它両儀五行の数を規範して、万物の変化を窮尽す。若し是れ聖人にあらざれば、誰か能く之を此の般の深処に推究せんや。
子曰:夫易何為者也。夫易開物成務,冒天下之道如斯而巳者也。是故聖人以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑,是故蓍之徳圎而神,卦之徳方以智,六爻之義易以貢。聖人以此洗心,退藏於宻,吉凶與民同患。神以知來,知以藏往,其孰能與於此哉。古之聰明睿知神武而不殺者夫,是以明於天之道,而察於民之故。是興神武,以前民,用聖人以此齋戒。以神明其徳夫。是故闔戸謂之坤,闢戸謂之乾。一闔一闢,謂之變。徃來不窮,謂之通。見乃謂之象,形乃謂之器,制而用之謂之法,利用出入民咸用之,謂之神。
孔子は曰く:《易》は何を為るの用なるや。《易》は万物の理を開通して天下の務を成就して、天下の一切の道理を包羅す。如此のみ。ゆえに聖人は之を用いて天下人の心志を貫通して、天下の事業を奠定して、天下の疑難を判断す。ここをもって蓍草の徳性は円通にして神妙にして、卦體の徳性は方正にして明智にして、六爻の意義は則ち変易を以て人に告示す。聖人は此れらを憑りて内心を洗滌して、隱密の処に退蔵して、百姓と共同に吉凶禍患を承担す。神妙を用いて未来を預知して、明智を用いて往事を儲存して、復た誰か能く此の種の境界に達せんや。古時の彼の聡明叡智・威武神奇にして殺伐を動用するを要せざるの人は、正に此の如くなるか。彼は既に天道を明白して、又た民情を体察して、ここに於て此の神妙の先知の物を興起して、百姓の前面を走りて彼らの取用に供す。聖人は此れらを憑りて身心を斎戒して、己の徳行を神明ならしむ。ゆえに門を関するを「坤」と曰い、門を開くを「乾」と曰い、一関一開を「変」と曰い、往来窮まらざるを「通」と曰い、顕現し出たるを「象」と曰い、形を成して見ゆるを「器」と曰い、制作し出して使用を加うるを「法」と曰い、出入取用して百姓は人人受益して、即ち「神」と曰う。
易者,易其治也。故其知也。先物其變也。得度故能包覆天下之道而已者也。聖人用之而通天下之志,能開其先也。定天下之業能制其當也。以斷天下之疑果其作也。是故蓍未形而眾象畜焉,圎而神也。卦見其事定其所也。就時體化方以智也。六爻者,易其變通,明其辭義,而獻其吉凶也。聖人以之清慮滌思,歸神無形,然後齊聖體方,與眾民同患其吉凶,則能濟吉凶之患而為來世之範也。非神圎而知其來,知贍而征,諸往觀天地,古今萬物而為一者,其孰能至此哉。古之聦明睿知,止亂而不以殺,達天下之情而為之於始者如此也。
謂う所の《易》とは、即ち治理を平易ならしむるなり。ゆえに其の智慧は、能く事物未だ成形せざるの前に於て其の変化を預知す。法度を掌握して、ここをもって能く天下の道を包羅覆蓋す。如此のみ。聖人は之を用いて天下人の心志を貫通するは、是れ能く先機を開啓す。天下の事業を奠定するは、是れ能く裁制得当なり。天下の疑難を判断するは、是れ能く其の行事を果決す。ゆえに蓍草は未だ卦を成さざるの時に於て已に種種の物象を藴蓄す。此れ即ち円通にして神妙なり。卦體は具体の事情を顕現して其の処所を判定して、時に因りて変化を体察す。此れ即ち方正にして明智なり。六爻は則ち変通して居らずして、其の辞義を闡明して、吉凶を人に奉告す。聖人は此れらを憑りて思慮を澄清して雑念を滌除して、精神を収めて無形の境に帰して、然る後に聖徳を整粛して方正の理を体察して、百姓と共同に吉凶を承受す。ここをもって能く吉凶の禍患を救済して後世の為に典範を立下す。若し是れ神妙円通にして能く未来を預知し、智慮充足にして能く往事を徴験して、天地を観照して古今万物を貫通して彼らを一體と視做すの人にあらざれば、誰か能く此の種の境界に達せんや。古時の彼の聡明叡智・禍乱を平息して殺伐を用いずして、天下の情を通達して開端に於て患に防ぐの人は、正に此の如きなり。
神也者,運於無形,易而合其變也。而民不知所以明也。而聖人明之是以察於天之道,審於民之故,故作為易書,而前布之,以為民之用。聖人於是齋心無形體其神也。戒事避患,明其事也。以神明為徳者,如此也。故坤者靜也。動之主也。含其章而不變,故閉而藏之,乾也者。開其物而轉化,故啟而動之,可闔則體而合之。一動一靜,屈而伸之,之謂變。隨其變,觀其可獨往獨來,而無閡之。之謂通,辨其兆之。之謂象,見其形之。之謂器,制其用人可法之。之謂法,出入不滯民咸利之。而莫知之,之謂神。
謂う所の「神」とは、無形の中に運行して、変易して万物の変に契合するにして、百姓は并びに它何を憑りて此の如く昭明するを知らざれども、而して聖人は卻って之を明白す。ここをもって聖人は天道を体察して民情を審視して、《易》の此の部の書を作成して、預め頒布し出して、百姓の取用に供す。聖人はここに於て心を無形の境に斎戒して、彼の神妙を体認しに往きて、事に戒懼して禍患を避るは、事理を明白に弄清するなり。謂う所の「神明を以て徳と為す」とは、即ち此の様子なり。ゆえに「坤」は静を代表するも、卻って動の主宰なり。它文采を含蓄して変化を顕露せず。ゆえに是れ門を閉じて潜蔵す。「乾」は則ち万物を開啓して之を転化せしむ。ゆえに是れ門を啓きて発動して、合上すべきの時は即ち時機を体察して閉合す。一動一静して、或いは屈し或いは伸ぶるは、此れ「変」と曰う。其の変化に順随して、可行の処を看准して独往独来して毫も阻隔無きは、此れ「通」と曰う。其の徴兆を分弁するは、此れ「象」と曰う。其の形體を見るは、此れ「器」と曰う。其の用途を制作し出して人の取法す可からしむるは、此れ「法」と曰う。出入滞碍無くして百姓は人人得利して其の然る所以を知らざるは、此れ「神」と曰う。
是故易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦,八卦定吉凶,吉凶生大業。是故法象莫大乎天地,變通莫大乎四時,縣象著明莫大乎日月,崇髙莫大乎富貴。備物致用,立成器,以為天下利莫大乎聖人。探賾索隱,鉤深致逺,以定天下之吉凶,成天下之亹亹者,莫大乎蓍龜。是故天生神物,聖人則之。天地變化,聖人效之。天垂象見吉凶,聖人象之。河出圖,洛出書,聖人則之。易有四象,所以示也。繫辭焉,所以告也。定之以吉凶,所以斷也。易曰:自天佑之,吉無不利。子曰:佑者,助也。天之所助者,順也。人之所助者,信也。履信思乎,順又以尚賢也。是以自天佑之,吉無不利也。
ゆえに《易》の中に「太極」有りて、太極は「両儀」を生出して、両儀は「四象」を生出して、四象は「八卦」を生出して、八卦は吉凶を判定して、吉凶は偉大の事業を成就す。ここをもって取法す可きの形象は天地より大なる莫くして、変化通達は四時より大なる莫くして、空中に高懸して光明顕著は日月より大なる莫くして、崇高尊貴は富貴より大なる莫し。器物を備弁して其の功用を尽して、種種の器具を創制して天下人の為に利を謀るは、聖人より大なる莫し。幽賾を探究して隱微を捜尋して、深奥を鈎取して遠方を招致して、用いて天下の吉凶を判定して天下人の勤勉不倦の事業を成就するは、蓍草と亀甲より大なる莫し。ゆえに上天は神奇の物を生出せば、聖人は便ち之に取法す。天地は変化を発生せば、聖人は便ち之を仿效す。上天は物象を垂示して吉凶を顕現せば、聖人は便ち之に取象す。黄河は図を出現して、洛水は書を出現して、聖人は便ち彼らに取法す。《易》に四象有るは、用いて顕示するにして、文辞を系著するは、用いて告知するにして、吉凶を用いて判定するは、用いて疑を決するなり。《大有》の上九爻辞は曰く:上天の保佑を得て、吉祥にして利あらざる無し。孔子は曰く:「佑」とは即ち幇助なり。上天の幇助する所は天道に順応する人にして、人の幇助する所は誠信を講求する人なり。誠信を踐行して心は道を順念して、又た能く賢人を崇尚すれば、ゆえに能く上天の保佑を得て、吉祥にして利あらざる無し。
是故易有太極,太極以生兩儀,兩儀為陰陽,陰陽相推而生四象,時興終始迭,變而成八卦。動說離陷,情性之有歸也。故相摩而吉凶生焉,治其吉凶而大業成也。是故有法可象者,莫大於天地。有尊卑之位也。變通可則者,莫大於四時,得進退之宜也。懸象著明,莫大乎日月,晝夜動止推移而不改也。位崇體髙,而為民之承者,莫大於富貴,可以行大道也。備物致用,立成器以為天下利,莫大乎聖人,見天地之象,合萬物之理也。探賾索隱,鉤深致逺,定天下之吉凶,使天下勉而得其宜者,莫大於蓍龜,含其象,明其動,定其吉凶,行之不疑也。
ゆえに《易》の中に「太極」有りて、太極は両儀を生出して、両儀は即ち陰と陽なり。陰陽は互に推移して四象を生出して、四時は興起して終に復た始まると更迭して、変化して八卦と成る。震動・和悦・附麗・陥険の此れらの情性は、皆此処に於て帰属有り。ゆえに八卦は互に摩蕩して吉凶産生して、吉凶を治理し好くせば、偉大の事業は即ち成就せり。ここをもって法度有りて取象を供するは、天地より大なる莫くして、它尊卑の定位有り。変通して效法を供するは、四時より大なる莫くして、它進退の合宜有り。物象を高懸して光明顕著なるは、日月より大なる莫くして、它昼夜運行して動止推移して常度を改めず。地位崇高にして身分尊貴にして百姓の承奉する所と為るは、富貴より大なる莫くして、它大道を推行する能し。器物を備弁して其の功用を尽して、器具を創制して天下を利するは、聖人より大なる莫くして、彼は天地の物象を見て、万物の道理に契合す。幽賾を探究して隱微を捜尋して、深奥を鈎取して遠方を招致して、天下の吉凶を判定して、天下人をして勤勉して各々其の宜を得しむるは、蓍草亀甲より大なる莫くして、它物象を藴含して変動を昭明して吉凶を判定して、人をして行事して再び遅疑せざらしむ。
故天生神物蓍龜也,聖人則之。四時更變,萬化得節也,聖人效之。天垂象日月昭焉,星辰位焉,寒暑節焉,聖人以之,而授民時以節。百事順之,則得,逆之,則失。取之於天也。河出圖,洛出書,理形於文,承天之化,聖人則之。取文於地,故觀天地之文,則存天地之情矣。天地之情得,而知四象之所自出也。故四象以卦示也。繫辭所以明也。定以爻變,所以斷其得失,是以先天而天順之,乘其時也。信民而民助之,民信其信也。尚賢以至,而得盡其忠也。是以自天佑之,吉無不利也。
ゆえに上天は神奇の物を生出すは、即ち蓍草と亀甲にして、聖人は便ち彼らに取法す。四時は更迭変化して、万般の造化は各々節度を得て、聖人は便ち之を仿效す。上天は物象を垂示す。日月は照耀して、星辰は各々其の位に安んじて、寒暑は各々節候有りて、聖人は此れらに依拠して時令を頒授して節気を訂立す。百事は之に順応せば即ち所得有りて、之に違逆せば即ち所失有りて、此れ皆天に取法するなり。黄河は図を出現して、洛水は書を出現して、事理は形を成して文と為して、上天の化育を承受して、聖人は便ち彼らに取法す。此れ地に於て文を取るなり。ゆえに天地の文理を観察せば、即ち能く天地の実情を把握す。天地の実情を把握せば、即ち四象の何より出づるを知らん。ここをもって四象は卦體を通じて顕示して、系上の文辞は用いて闡明して、爻の変動を用いて判定して、従りて得失を断明す。ゆえに天時より先に行して上天は彼に順応するは、其の時機に乘上せればなり。民に信を取りて百姓は彼を幇助するは、百姓の其の誠信を相信すればなり。賢人を崇尚して賢人をして前来せしめば、即ち能く彼らをして其の忠誠を尽さしむ。ゆえに「上天の保佑を得て、吉祥にして利あらざる無し」と曰う。
子曰:書不盡言,言不盡意。然則聖人之意其不可見乎。子曰:聖人立象以盡意,設卦以盡情偽,繫辭焉以盡其言,變而通之以盡利,鼓之舞之以盡神。
孔子は曰く:文字は能く完全に言語を表達せずして、言語は能く完全に心意を表達せず。既に然れば、聖人の心意は難道看見するに法無からんや。孔子は続けて曰く:聖人は卦象を確立して心意を窮尽して、卦體を設置して万物の真情と虚偽を窮尽して、卦爻の下に文辞を系著して其の説かんと欲する所の話を窮尽して、変化会通を通じて事物の利を窮尽して、人心を鼓動振奮して神妙の功用を窮尽す。
夫意無窮也,言形之質也。言豈盡於意乎。書質之限也。書豈盡於言乎。則聖人之意不可見也。聖人以剛柔動靜之物,而為之象。相推無窮,咸備其理,庶以言盡其意也。設卦觀分凡是類者,無不掛焉。可以盡天下之情,偽矣。繫辭焉,定其吉凶,同其得失者,莫不咸在,庶以書盡其言也。易窮能變,變而能通,通而能久,可謂盡矣。天下之利矣。利之盡民不遺矣。本立至者也。故申之以孝慈,道之以忠敬,陳之以德義,示之以好惡,鼓其情性而民自樂,其道而不知其所以也。可謂其神矣。
心意は無窮無尽にして、言語は只だ心意の成形せる後の質體にして、言語は那ぞ能く心意を窮尽せんや。文字は又た言語の受ける所の限制にして、文字は那ぞ能く言語を窮尽せんや。此の如く説けば、聖人の心意は即ち看見するに法無し。ここに於て聖人は剛柔動静の此れらの事物を用いて卦象を設立して、互に推移して変化無窮にして、種種の道理を皆其の中に涵括して、庶幾くは言辞を用いて其の心意を窮尽す可し。卦體を設立して分際を観察して、凡そ同類に属するの事物は、其の中に懸掛せられざる無し。ここをもって能く天下の真情と虚偽を窮尽す。文辞を系著して、其の吉凶を判定して、其の得失を会同して、一様とて其の中に包括せられざる無し。庶幾くは文字を用いて其の言語を窮尽す可し。《易》理は窮極すれば即ち能く変じて、変ぜば即ち能く通じて、通ぜば即ち能く長久す。天下の利を窮尽せりと謂う可し。利益は普及して百姓は一も遺漏無し。此れ根本確立せるの後乃ち達する能くするの境地なり。ゆえに孝慈を用いて之を申明して、忠敬を用いて之を引導して、徳義を用いて之を陳述して、好悪を用いて之を指示して、百姓の性情を鼓動して百姓は自然其の中に楽しみて、此の道理を遵行して其の何の故に如此なるを知らざれば、此れ神妙と謂う可し。
乾坤其易之縕邪,乾坤成列,而易立乎其中矣。乾坤毀則無以見易,易不可見,則乾坤或幾乎息矣。是故形而上者,謂之道。形而下者,謂之器。化而裁之,謂之變。推而行之,謂之通。舉而措之,天下之民謂之事業。是故夫象聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜。是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其□通,以行其典禮。繫辭焉,以斷其吉凶,是故謂之爻。極天下之賾者,存乎卦,鼓天下之動者,存乎辭。化而裁之,存乎變。推而行之,存乎通。神而明之,存乎其人。黙而成之,不言而信,存乎德行。
《乾》《坤》は大概《易》の精藴の在る所なるか。乾坤両卦は行列を排成して、《易》道は即ち其の中に確立せり。乾坤若し毀棄せば、即ち《易》を看見するに由無し。《易》若し看見するに法無ければ、然らば乾坤も亦た幾んど停息せんとす。ゆえに形體の上に在るを「道」と曰い、形體の下に在るを「器」と曰い、化育して裁制を加うるを「変」と曰い、推演して施行に付するを「通」と曰い、之を挙出して天下百姓の身上に措置するを、即ち「事業」と曰う。ゆえに「象」を説き到れば、聖人は天下万物の幽深繁賾を見て、便ち彼らの形態容貌を比擬して、彼らの各々相宜の性質を象徴す。ゆえに之を「象」と称す。聖人は天下事物の変動を見て、便ち其の中の会合貫通を観察して、拠りて典章礼制を推行して、又た文辞を系著して吉凶を判断す。ゆえに之を「爻」と称す。天下の幽賾を窮尽するは、卦體に在り。天下の変動を鼓動するは、卦爻の辞に在り。化育裁制するは、「変」に在り。推演施行するは、「通」に在り。神妙にして之を明察するは、人に在り。沈黙して之を成就して、言語を用いずして人を信服せしむるは、則ち徳行に在り。
乾坤物,之祖也。易物之理也。而體其剛柔之適也。故易縕積於乾坤也。天地既位,則乾坤運乎。其中而易得,其道也。乾坤毀失,天地之理則無以見矣。易不可見,則幾於無乾坤,以易之為道,始終以明文也。其不可以施邪,是故形之上者,至無之運也。故能體萬物而不遺,而出其首,物無不由也,謂之曰道。至於形可象者,謂之器。治其器化而裁之,使得宜之,謂之變。適其□可久而行也,謂之通。舉其裁制錯之天下,而民利之,咸得務之,以為事業,則官農工賈各事其事,以久之為業,而天下各得其行也。此易之道也。
《乾》《坤》は万物の祖宗にして、《易》は万物の道理にして、而して其の體現する所は正に剛と柔の間の相宜なり。ゆえに《易》の精藴は乾坤の中に積聚す。天地は既に各々其の位に安んぜば、乾坤は即ち其の間に運行して、《易》も亦た己の道を得たり。乾坤は一旦毀棄喪失せば、天地の道理は便ち顕現するに由無し。《易》は顕現するに法無ければ、亦たほぼ乾坤無きに近し。《易》は一種の道と為して、始より終に到るまで皆文辞を靠りて彰明す。它豈に施行す可きの憑借無き能わんや。ゆえに形體の上に在るは、至虚無者の運化にして、ここをもって能く万物を體現して遺漏する所無くして、万物の首に居りて、万物は皆之より出づる無し。此れ即ち「道」と曰う。形有りて象す可きに至るは、即ち「器」と曰う。器物を整治して化育して裁制を加えて、之をして各々其の宜を得しむ。此れ「変」と曰う。之に順応して能く長久に推行するは、此れ「通」と曰う。裁制の成果を推行安置して天下に到れば、百姓は此を因に利を得て、人人各々務むる所有り。此れ即ち「事業」と成る。ここに於て官吏・農夫・工匠・商賈は各々己の事を幹して、長久に従事して職業と為して、天下人も亦た各々其の行う所を得。此れ即ち《易》道なり。
聖人見天下之奧,將以明之,擬諸形容,象其物宜,故謂之象。著諸其卦也。聖人見天下之動,而觀其□通,以制其常履。繫辭焉,以斷吉凶,故謂之爻。效之乎動也。辯之乎辭也。識其時效,其動化而制之,在其變中也。變得其適,終而始之,推而可久,在乎通也。顯其幽而明其神,在乎其人。觀其象得行其可,獲其正,能制而裁之,黙而成之,不言而信,在乎備徳。以成行,則民從其徳。信而化之也。故能運於無形,明於終始,知變化之道者也。
聖人は天下の深奥の道理を看見して、之を闡明し出さんと欲して、ここに於て彼らの形状容貌を比擬して、彼らの各々相宜の性質を象徴す。ゆえに之を「象」と称して、并びに之を卦體の上に著明す。聖人は天下事物の変動を看見して、其の中の会通の処を観察して、拠りて人々の日常遵行するの常道を制定して、并びに文辞を系著して吉凶を判断す。ゆえに之を「爻」と称す。爻を用いて変動を仿效して、辞を用いて事理を分弁す。其の時機と效験を認識して、其の変動に化育裁制を加うるは、皆「変」の中に在り。変じて其の宜を得て、終に復た始まりて、推行して能く長久するは、此れ即ち「通」に在り。其の幽隱を彰顯して其の神妙を闡明するは、此れ即ち人に在り。卦象を観察して能く可行の事に付して、正道を獲得して、能く制作裁成を加えて、沈黙して之を成就して、言語を用いずして人を信服せしむるは、此れ即ち徳行完備に在り。徳行完備して行動に落實せば、百姓即ち其の徳行に跟従して、彼を信服して其の化育を受けん。ゆえに它能く無形の中に運行して、終始の際に於て明察す。此れ即ち変化の道を懂得するの人なり。
巻八 周易繋辞下第八
八卦成列,象在其中矣。因而重之,爻在其中矣。剛柔相推,變在其中矣。繫辭焉而命之,動在其中矣。吉凶悔吝者,生乎動者也。剛柔者立本者也。變通者,趣時者也。吉凶者,貞勝者也。天地之道,貞觀者也。日月之道,貞明者也。天下之動,貞夫一者也。夫乾確然示人易矣。夫坤隤然示人簡矣。爻也者,效此者也。象也者,像此者也。爻象動乎內,吉凶見乎外。功業見乎變,聖人之情見乎辭。
八卦が列を成せば、物象はその中に在り。これを因りて重ねれば、爻位はその中に在り。剛爻・柔爻が互いに推移すれば、変化はその中に在り。文辞を繋いでこれを命断すれば、人事の行動はその中に在る。吉凶悔吝は、すべて行動から生ず。剛と柔は根本を確立するもの、変と通は時宜に赴くもの、吉と凶は正を守りて勝つもの。天地の道は、正を守りて人に昭らかに示す。日月の道は、正を守りて光明を放つ。天下の一切の動きは、正を守り一に帰するを以て帰とす。「乾」は剛健確然として、人に平易を示す。「坤」は柔順隤然として、人に簡約を示す。爻とは、これらを倣うもの。象とは、これらに像を取るもの。爻と象は卦体の内に変動し、吉と凶は人事の上に現れ、功業は変化の中に表れ、聖人の心意は文辞の中に表れる。
剛柔相推,而八卦成矣。八卦既列,象在其中矣。天地山澤,雷風水火,天下之大象也。健順動止,離險巽說,庶情之大端也。可得而見矣。相因而重之,爻動其中,兩而相求,情偽可得而吉凶形矣。剛柔相易,變化可觀也。繋辭以辨其動,吉凶悔吝之所明也。故可以觀其辭而效其動。剛柔者,素定其位而立其本也。變而通之者,就其吉而違諸凶,易其所也。從其時而歸其貞,可貞勝矣。夫貞者,得其分,恆其一,不徇於外也。則於物不惑矣。得事之幹也。當吉而保其吉,當凶而索其凶,天地以是貞也。得萬物之觀而為人之則也。日月以是貞也。得萬物之瞻而保其明也。
剛爻と柔爻が互いに推移して、八卦は成る。八卦既に排列すれば、物象はその中に在る。天・地・山・沢・雷・風・水・火は、天下の最大の物象。剛健・柔順・震動・静止・附麗・陥険・順入・和悦は、衆多の情性の大綱にして、皆これより見るべし。八卦は彼此相因りて重なり、爻はその中に変動す。両々互いに求応して、真情と虚偽と皆見え、吉凶もまた形を顕す。剛柔は互いに変易して、変化は観るべし。文辞を繋いでその動を辨えば、吉凶悔吝もまた明らかに成るを得、故に人はその辞を観てその動を效うべし。所谓る「剛柔」は、予め爻位を定めて根本を立つるなり。所谓る「変通」は、吉に就きて凶を避け、自ら処る所を換易し、時勢に順いて守正に帰せば、即ち守正を以て勝つべし。夫れ「貞」とは、自らの本分に安んじ、恒久にして一、外に徇りて苟且に遷就せず、斯くして万物に対し惑わず、事の主軌を捉え得るなり。吉に当たりてはその吉を保ち、凶に当たりてはその凶を索求す。天地は正しくこの如く守正すればこそ、万物の瞻仰の対象と為り、人の法則と為る。日月もまたこの如く守正すればこそ、万物の瞻望を受けてその光明を保つ。
天下萬物得其生動,皆得其貞一,故能繼其續也。夫乾運天之神,堅其一而不雜,確然易也。坤得地之順也。守其一而成物,隤然簡也。皆保一以成,其施而無情巧焉。示其以易,簡也。而物從之得矣。爻者,人得效此而動也。象者,人得像此而制也。爻象動於內,可得而觀也。吉凶見乎外,可征而從也。功業見乎變,因變而成也。聖人之情見乎,辭可得,極於深而至之也。
天下の万物が各々その生長活動を得るは、皆その専一の貞正を得るに因る。故によく継続して絶えず。「乾」は上天の神妙を運転し、その一を堅守して雑らず、確然として剛健、これ即ち「易」なり。「坤」は大地の柔順を得て、その一を守りて万物を成し、隤然として柔順、これ即ち「簡」なり。皆この「一」を守りて以て成る所あり、万物に施与して私情巧智を挟まず、人に示すは正しく平易と簡約なり。故に万物はこれに順いて各々得る所有り。所谓る「爻」は、人これを效えて行動すべし。所谓る「象」は、人これに像を取りて制作すべし。爻象は卦体の内に変動し、観るべし。吉凶は人事の上に現れ、徴験して依るべし。功業は変化の中に表れ、変化に因りて成就す。聖人の心意は文辞の中に表れ、その中より体会するを得、幽深を窮極してこれに至る。
天地之大徳曰生,聖人之大寶曰位。何以守位曰仁,何以聚人曰財。理財正辭,禁民為非曰義。古者包犧氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文與地之冝,近取諸身,逺取諸物,於是始作八卦,以通神明之徳,以類萬物之情。作結□而為網罟,以佃以漁,蓋取諸離。
天地の最大の德行を「生」と曰い、聖人の最も貴重なる宝を「位」と曰う。何を以てかこの位を守る。仁徳を以てす。何を以てか人衆を聚集す。財貨を以てす。財貨を管理し、名分言辞を端正し、百姓の非為作悪を禁止す、これを「義」と曰う。古の包犠氏の天下を王たりし時、仰げば天の物象を観、俯せば地の法則を観、鳥獣の文理と土地の所宜とを観察す。近くは自らの身体に象を取り、遠くは万物に象を取り、是に於て始めて八卦を創作し、以て神明の德性に会通し、以て万物の情状を比類す。又繩索を編結して網罟を作り、以て田猟し以て捕魚す、蓋し《離》卦に象を取れるなり。
天設四時而寒暑周焉。地設剛柔而生長遂焉。此天地之徳而厚其生也。聖人者,合天地之德,備萬物之情,帝人之器也。故有位而其道乃行,位其大寶者,與能守其位者仁也。何以仁,能聚其財,財也者,得物之財而資人以為財也。故設罟網作耒耜,通舟楫,易交貨,是類者民得物之財,成聖人之仁也。故得安其所聚,保其所居財之利爭斯興也。故治其分,正其名,禁其非,制而得冝曰義。故始於垂衣而列貴賤,中於重門而擊柝,終於弦木為弧矢,以示其禁而得易之變。此聖人之義而保其仁也。
天は四時を設立して寒暑一周し、地は剛柔を設立して生長完成す。これ天地の德性にして、以て万物の生命を厚養す。聖人は天地の德を会合し、万物の情を備えたる人にして、人群を統御する器量の在る所なり。故に君位有りてこそその道乃ち推行す。君位は即ち那件の最も貴重なる宝にして、よくこの位を守る者は仁徳なり。如何にしてか仁と為す。よく財貨を聚集するを以てす。所谓る財貨は、物産の利を取得し、以て人を供養して财富と為す。故に羅網を設け、耒耜を制作し、舟楫を開通し、貨物を交換す。この類の事は百姓に物産の利を獲得せしめ、亦た聖人の仁徳を成全す。故に百姓は聚居の所に安んじ、居住の地を保つを得る。然るに財利一たび多ければ、争奪これに随いて興る。故に名分を整治し、名号を端正し、非為を禁止し、裁制して宜しきを得る、これを「義」と曰う。故に始めは衣裳を垂れて以て貴賤を分かち、次には重門を設け木柝を撃ち、終には木を弯めて弓を為し木を削りて箭を為し、以て禁令を昭示す。皆《易》の変通を体現す。これ聖人の「義」にして、以て自らの「仁」を保全す。
太古,鳥獸萬物多而人寡,不待易物之財。人人自保其資也。至於人寖而盛,物斯鮮矣。食用艱矣,則智者有易。仰觀象於天,得四時之易也。俯觀法於地,承天時而易也。觀鳥獸之文,類聚群分,就利違害,而從其易也。觀其情而得其冝也。健以施下,順以承上,可則動之否,則止之險,則經之親,則麗之外。柔以說之,內順以巽之,近得於身也。天乾而地坤,雷動而山止,日照而雨濡,風散而澤潤,物之大者也。在乎萬物其生也。含陰陽而生其受也。
太古の時、鳥獣万物は众多にして人口は稀少なり。物産を交換するを要せず、人人自らその資用を保有す。人口漸く繁盛するに至りて、物産斯に稀少と為り、吃穿用度艱難と為り、是に於て智慧有る人は変易の道を推行す。仰げば天の物象を観て、四时更替の変易を得。俯せば地の法則を観て、天時を承奉して変易す。鳥獣の文理を観て、各々類を以て相聚り群を以て相分かち、利に趨き害を避くるを見るも、亦た変易に順うなり。それらの情性を観て各々の所宜を知るを得る。剛健なる者は施して在下の者に及び、柔順なる者は在上の者を承奉す。行なうべければ行動し、行なうべからざれば停止し、険に遇えばこれを経度し、親に遇えばこれに依附す。外に対し柔和を以て人を喜ばせ、内に対し柔順を以て人を巽服せしめ、近くは自らの身体に象を取る。天は乾と為り地は坤と為り、雷は震動して山は静止し、日は照耀して雨は滋潤し、風は吹散して沢は浸潤す。これらは万物中の最大のもの。万物につきて言えば、その生成は陰陽の気を含み、而も各々の禀受は偏重有り。
偏象之氣,故乾為馬,坤為牛。震為龍,巽為雞。離為雉,坎為豕。艮為狗,兊為羊。是以天下之受可得矣。於是始畫八卦,見其象,察其數,運於無形,明於顯著。混萬物而為一,而咸得其情則知其所麗矣。網罟內虛而外堅,維之離之象也。魚禽麗之而不脫弱,能麗其強,離之義也。遂犧而供其庖焉。天下之利,眾歸往而取法焉,故曰庖犧氏之王天下。立其位而行其道也。
偏受する所の象と気と各々相同じからざるに因り、故に《乾》は馬と為り、《坤》は牛と為り、《震》は龍と為り、《巽》は鶏と為り、《離》は雉と為り、《坎》は豕と為り、《艮》は狗と為り、《兌》は羊と為る。斯くして天下万物各々の禀受は皆把握するを得。是に於て包犠氏は始めて八卦を画き、その物象を見、その数理を考察し、これを無形に運化せしめ、顕著に昭明たらしむ。万物を混同して一と為し、而も各々その情を得れば、即ちそれら各々依附帰属する所を知る。網罟なる物は内裏空虚にして外围堅固、繩索を以て維系す、正しく《離》の卦象なり。魚と禽鳥は一たびその上に附着すれば脱身するを得ず、柔弱の網は強壮の獲物を網るを得、正しくこれ《離》の「附麗」の義理なり。是に於て犠牲を猟取して以て庖厨に供す。天下の人皆好処を得、衆人は帰附し来りてこれに取法す。故に包犠氏の天下を王たるを曰うは、君位を確立してその道を推行せるなり。
包犧氏沒,神農氏作。斵木為耜,揉木為耒,耒耨之利,以教天下,蓋取諸益。
包犠氏去世したる後、神農氏興起す。木を砍削して耜頭を作り、木を弯曲して耒柄を作り、この耕耘除草の便利を天下の人に教えたり。蓋し《益》卦に象を取れるなり。
神農氏之時,人育而繁,腥毛不足供給其食,修易其變,觀天地之冝,相五榖之種可食者,收而藝之。易物之才而生財也,其在於器乎。故斵木為耜,揉木為耒,木可以揉曲直於斯得之,為象能動木也。其義益之大也,神而化之,得農之道。是以取諸益。
神農氏の時代、人口生養繁多にして、腥肉毛皮已に食用を供給するに足らず。是に於て《易》の変通の道を修明し、天地の所宜を観察し、五穀の中の食用すべき品種を察看し、收集して之に種植を加ふ。物産の材質を変換して財用を生出すは、関鍵は器具に在らんか。故に木を砍削して耜頭を作り、木を弯曲して耒柄を作る。木は人に随いて弯曲取直す可し、此処に正しくこの点を用いたり。取象を以て言えば、《益》卦上は《巽》の木、下は《震》の動、正しく木材を運動する能しの象なり。義理を以て言えば、これ「增益」の大用にして、神妙に化育を加え、因りて農耕の道を得たり。故に《益》卦に象を取ると曰う。
日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所。蓋取諸噬嗑。
正午の時分に集市を開設し、天下の百姓を招来し、天下の貨物を汇聚し、交換完畢して便ち各々散去し、人人皆自ら所需要の物を得たり。蓋し《噬嗑》卦に象を取れるなり。
上古人質而自守其居,自費其用,而不相往來。財貨之有餘,不足不知其均也,故為之市。致天下之民,聚天下之貨而交易之,各得其所,齊其有餘而退,噬嗑之義也。日中者,明也。萬物皆相見,而不相昧。動於明之象也。是以取之噬嗑。
上古の人は質朴にして、各々自らの住処を守り、自らその出産を耗用し、彼此相往来せず。財貨の有余不足有るも、相通じて均平ならしむるを知らず。故に彼らの為に集市を設立す。天下の百姓を招来し、天下の貨物を汇聚して互相に交換し、各々その所需を得、彼此の有余と不足とを調剤して然る後散去す。これ即ち《噬嗑》の義理なり。正午の時分は最も明亮の時にして、万物皆彼此見えて昏昧に至らず。《噬嗑》は上卦《離》、下卦《震》にして、正しく光明の中に行動有るの卦象なり。故に《噬嗑》に取ると曰う。
神農氏沒,黃帝堯舜氏作。通其變,使民不倦,神而化之,使民冝之。易窮則變,變則通,通則久,是以自天佑之,吉無不利。黃帝堯舜垂衣裳而天下治,蓋取諸乾坤。
神農氏去世したる後、黄帝・尭・舜相継いで興起す。彼らは事物の変化に通達して百姓を倦怠に至らせず、神妙に化育を加えて百姓をして各々その宜を得しむ。《易》道は窮極に至れば即ち変じ、変ずれば即ち通じ、通じれば即ち長久す。故に上天の保佑を得るを得、吉祥にして利有らざる所なし。黄帝・尭・舜はただ衣を垂れ拱手して天下大治せり。蓋し《乾》《坤》両卦に象を取れるなり。
古之厚民者,興其利,未設其禁也。及世久而民盛,利薄而無分,則民殫其力,不足以為養民,患其競,不足以相禁。故聖人慮其患,因時而易變,故黃帝堯舜氏制度數採,章封土田,建官分賢不肖,而等其貴賤,通物之財,以為用。易物之力,以待勞。攻物之能,以相御。使物之能,以相濟。是以神而化之,民得冝之,易窮則變,變則通,通則久。易天下之物,成天下之務。終乾坤,極萬物,而易行於無窮。是以自天佑之,吉無不利。天保其尊,地保其卑,聖人安上,眾民安下,其象天上地下也。其義上健而無為,下順職事也。上下旣位可久而無替也。是以取諸乾坤。
古の百姓を厚待する者は、百姓に利有る事を興辦するのみにして、未だ甚だ禁令を設立せざりき。世代久遠人口繁盛するに及びて、利益薄く分限無く、百姓気力を竭くすも以て自らを養うに足らず。憂患は彼此争奪に在り、而も互相に約束するに足る弁法無し。故に聖人はこの禍患を考慮し、時勢に順応して変革を加ふ。故に黄帝・尭・舜は制度・等数・文采を制定し、封疆田土を划分し、官職を設立し賢と不肖とを区分し、彼らの貴賤等次を排定す。物産の財を流通して人の取用に供し、人力を交換して以て労役に応じ、各物の功能を発揮して以て互相に駕馭し、各物の所能を役使して以て互相に接済す。斯くの如く神妙に化育を加えれば、百姓は便ち各々その宜を得。《易》道は窮極すれば変じ、変ずれば通じ、通じれば長久す。天下の物を変易し、天下の務を成就し、終始を乾坤に極め、万物に窮極して、《易》道の運行は窮尽無し。故に「自天佑之、吉无不利」を得べし。天はその尊高を保守し、地はその卑下を保守す。聖人は上に安処し、百姓は下に安処す。天在上地在下に象を取る。義理を以て言えば、在上の者は剛健にして無為、在下の者は柔順にして各々その職を任ず。上下各々その位に安んずれば、即ち長久にして衰替せざるべし。故に《乾》《坤》に取ると曰う。
刳木為舟,剡木為楫,舟楫之利,以濟不通。致遠以利天下,蓋取諸渙。
木を挖空して船を作り、木を削尖して桨を作り、船と桨の便利を以て原本通行する能わざりし水域を渡り、貨物を遠方に運到して以て天下に利有り。蓋し《渙》卦に象を取れるなり。
木之為物,浮於水也。可以行險而不窮也。故虛木而舟之,剡木而楫之,以濟乎水,渙之象也。得其散適而致其遠,渙之義也。是以取諸渙。
木なる物は水面上に浮ぶを得、険処に行走して困窮に至らざるべし。故に木を空虚にして船と為し、木を削尖して桨と為し、以て水を渡る。《渙》卦は上《巽》の木、下《坎》の水、正しくこの卦象なり。それの涣散流布・随処适宜にしてよく遠方に抵达するの意を取る、これ即ち《渙》の義理なり。故に《渙》に取ると曰う。
服牛乗馬,引重致遠,以利天下,蓋取諸隨。
牛を馴服し馬を駕乗し、それらを以て重物を牽引し遠方に運送し、以て天下に利有り。蓋し《随》卦に象を取れるなり。
牛者,堅壯之物,可以牽引其重。馬者,健速之物,可以乗而致遠。柔弱乗其剛壯之物,隨之象也。動而說之,隨物之性而牽致之義。是以取諸隨。
牛は堅実強壮の牲畜にして、以て重物を牽引すべし。馬は矫健迅捷の牲畜にして、騎乗して遠方に抵达すべし。柔弱の人は剛強壮健の物を駕馭す、正しく《随》の卦象なり。下卦《震》は剛動、上卦《兌》は柔悦。震動下に在りて喜悦上に在り、物性に順いて牽引駆使す、これ即ち《随》の「随順」の義理なり。故に《随》に取ると曰う。
重門擊柝,以待暴客,蓋取諸豫。
層層の門戸を設置し、木柝を敲撃して夜を巡り、以て凶暴の強盗を防備す。蓋し《豫》卦に象を取れるなり。
以柔順之道,則物之生心也。剛動於外,以閒之豫之象也。則暴客無至也。順而動之,得其備矣。豫之義也。是以取諸豫。
一味に柔順の道を以て人に接すれば、即ち人に覬覦の心を生ぜしむ。《豫》卦は下《坤》の柔順にして、九四の剛は外に於て発動し、以て外患を防閑す、正しくこの卦象なり。斯くすれば凶暴の強盗は来らざるなり。形勢に順いて行動所有れば、防備は周全なり。これ即ち《豫》の「預め之が備を為す」の義理なり。故に《豫》に取ると曰う。
斷木為杵,掘地為臼。臼杵之利,萬民以濟,蓋取諸小過。
木を截断して杵を作り、地面を挖掘して臼を作り、臼杵舂米の便利を以て万民をして接済を得しむ。蓋し《小過》卦に象を取れるなり。
杵動於上,臼止於下。上動而小,小過之象也。小器設而萬民獲濟,小能濟大,小過之義也。是以取諸小過。
杵は上面に於て上下に搗動し、臼は下面に於て静止不移す。《小過》は上卦《震》の動、下卦《艮》の止にして、上に於て動所有りて過ぐる所は小、正しくこの卦象なり。この如き小器具を設置するも、万民は却ってこれに因りて接済を得、小を以て大を成就す、これ即ち《小過》の義理なり。故に《小過》に取ると曰う。
弦木為弧,剡木為矢。弧矢之利,以威天下,蓋取諸睽。
木を弯曲し弓弦を装して弓を作り、木を削尖して箭を作り、弓箭の鋭利を以て天下を威服す。蓋し《睽》卦に象を取れるなり。
睽小事吉。象不合而爻用也。是其全用而外合,以為用。得其小用也。睽眾才以為小器,睽之象也。利威逺而合諸睽者,睽之義也。是以取諸睽。
《睽》卦辞は「小事吉利」と曰う。その卦象は上下乖離不合にして、而も各爻は仍ほ各々その用有り。正しく整体の運用と外在の会合とに依りて事を成す。故に小なる功用を収めるのみ。種種の乖離の材料を凑合して小器具を作る、正しくこれ《睽》の卦象なり。利は遠方を威懾して原本乖離の物を会合に帰せしむるに在り、これ即ち《睽》の義理なり。故に《睽》に取ると曰う。
上古穴居而野處,後世聖人易之以宮室,上棟下宇,以待風雨,蓋取諸大壯。
上古の人は洞穴に居住し荒野に宿り、後世の聖人は改めて房屋を以て之に代え、上は棟梁を架起し下は屋檐を伸出して、以て風雨を遮蔽す。蓋し《大壮》卦に象を取れるなり。
上古人淳而未得其器之適也,故穴居以求其溫。野處以薄其燠,未免於墊隘風雨也。土弱脃之物,棟宇堅壯之物也。易之以宮室,上棟下宇,自下而壯,大壯之象也。則可以待風雨而極其宮室之用也。大壯之義是以取諸大壯。
上古の人は淳朴にして、未だ合用の器具を得ざりき。故に洞穴に居住して以て温暖を求め、野外に宿りて以て暑熱を避く。終に潮湿逼仄と風雨の苦とを免れず。泥土は柔弱脆薄の物、棟梁屋檐こそ堅固強壮の物なり。改めて房屋を以て之に代え、上は棟を架し下は檐を出し、下より上へ一層層に壮盛せるは、正しく《大壮》の卦象なり。斯くすれば即ち風雨を遮蔽して宮室の功用を極致に発揮すべし。これ即ち《大壮》の義理、故に《大壮》に取ると曰う。
古之葬者,厚衣之以薪,葬之中野,不封不樹,喪期無數。後世聖人易之以棺槨,蓋取諸大過。
古の死者を葬る者は、厚く柴薪を以て遺体を裹み、原野の中に埋め、墳頭を堆せず樹木を種えず、服喪の期限も定数無かりき。後世の聖人は改めて棺椁を以て之に代えたり。蓋し《大過》卦に象を取れるなり。
太古之人,樸而未散,哀樂之情無繫也。故生而求充其體,死而葬諸中野,以為無知而異類也。後世淳漓情智外散,故親其親,子其子,而哀樂惡欲之心盈矣。是以聖人因遵其情,而成其敎明,神道立上,下修五禮,設五敎以養生送死,以達其情而天下聽矣。設棺槨,穴地而葬之,其象入於澤也。其義不忘死而過厚之也。是以取諸大過。
太古の人は淳朴にして心性未だ離散せず、哀楽の情は牽挂有ること無し。故に生きてはただ身体を充つるを求め、死しては原野の中に埋む。死者は已に知覚無く生人と同類にあらずと以為せり。後世は淳風澆薄にして情感と心智は外に発散し、是に於て自らの双親を親愛し自らの子女を慈愛して、哀・楽・悪・欲の心は胸中に充満す。故に聖人は人情に順いて教化を成就し、神道を闡明し、上に於て典則を確立し、下に於て五種の礼制を修明し、五種の教化を設立し、以て生者を奉養し死者を送別して、人情をして通達を得しめ、天下人も亦た順従せり。棺椁を設置し、地を掘りて葬るは、《大過》上卦《兌》の沢に象を取り、遺体は沢下に入る。義理を以て言えば、死者を忘れずして厚待するに尋常を過ぐるなり。故に《大過》に取ると曰う。
上古結繩而治,後世聖人易之以書契,百官以治,萬民以察,蓋取諸夬。
上古は結繩記事を以て天下を治理し、後世の聖人は改めて文字契券を以て之に代えたり。百官はこれに憑りて政務を処理し、万民はこれに憑りて稽察を得。蓋し《夬》卦に象を取れるなり。
上古官職未設,人自為治,記其命而巳,可以結繩也。至於道散,於是聖人始立百官,造書契,萬民不待力求而以之察之。夬,剛長而至於五也。上下百官皆在其位,夬之象也。小人之道外其義,可以決而治矣。是以取諸夬。象者像也,義者財也,有其象則備其財矣。故制器者先得其象焉。
上古は官職未だ設立せず、人は各自自らの事を治理し、ただ号令を記下すれば足れり。結繩の弁法を以て即ち応付すべし。淳風離散の時に至りて、聖人始めて百官を設立し文字契券を創制す。万民は力求索を費やすを待たずしてこれに憑りて事情を稽察すべし。《夬》卦は陽剛生長して第五爻に抵达す。上下百官皆その位に在るを象徴す、正しくこれ《夬》の卦象なり。小人の道は外に摒斥され、事情は即ち決断して治理を得べし、これ即ちその義理なり。故に《夬》に取ると曰う。所谓る「象」は即ち取像、所谓る「義」は即ち材質。あの卦象有れば、即ち制器の材質を具備す。故に器物を制作する者は先ずその卦象を取得す。
是故易者象也。象也者像也。彖者材也。爻也者效天下之動者也。是故吉凶生而悔吝著也。陽卦多陰,陰卦多陽,其故何也。陽卦竒,陰卦耦,其德行何也。陽,一君而二民,君子之道也。陰,二君而一民,小人之道也。易曰:憧憧往來,朋從爾思。子曰:天下何思何慮,天下同歸而殊塗。一致而百慮,天下何思何慮。日往則月來,月往則日來。日月相推而明生焉。寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推而歳成焉。往者屈也,來者信也,屈信相感,而利生焉。尺蠖之屈以求伸也,龍蛇之蟄以存身也,精義入神以致用也,利用安身以崇徳也。過此以往未之或知也。窮神知化德之盛也。
故に《易》は即ち「象」、「象」は即ち取像なり。「彖辞」が講ずるは一卦の材質、「爻」は天下事物の変動を倣うもの。故に吉と凶はこれより生じ、悔と吝はこれより顕著す。陽卦の中に陰爻多く、陰卦の中に陽爻多し、これ何の故ぞ。陽卦の爻画は奇を成し、陰卦の爻画は偶を成すに因る。それらの德行は又何如。陽卦は一個の君主が二個の百姓を統率す、これ君子の道なり。陰卦は二個の君主が一個の百姓を争う、これ小人の道なり。《咸》九四爻辞は曰う:心神定まらず往来奔走す、ただ朋友のみが汝の心思に順従せん。孔子は曰う:天下に何ぞ思慮すべき有らん。天下の事は殊途にして同帰、百慮にして一致、又何ぞ思慮すべき有らん。太陽落ちれば月亮即ち升り、月亮落ちれば太陽即ち升る。日月互相に推移して光明生出す。寒冷過ぎれば暑熱即ち到来し、暑熱過ぎれば寒冷即ち到来す。寒暑互相に推移して一年完成す。過去するは屈、到来するは伸。屈と伸は互相に感応して、利益即ち生出す。尺蠖の身子を弯曲するは、伸展を求得せんが為なり。龍蛇の蟄伏するは、自身を保存せんが為なり。義理を精研して入神の地步に至るは、以てその実用を致さんが為なり。その道を善用して自身を安頓するは、以て德行を提高せんが為なり。この歩を過ぎて再び往かば、即ち人の知る能う所にあらず。神妙を窮究し造化を通暁す、あれは德行の極盛なり。
易曰:困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。子曰:非所困而困焉,名必辱。非所據而據焉,身必危。既辱且危,死期將至。妻其可得見邪。易曰:公用射隼于髙墉之上,獲之。無不利。子曰:隼者,禽也。弓矢者,器也。射之者,人也。君子藏器於身,待時而動,何不利之。有動而不括,是以出而有獲。語成器而動者也。子曰:小人不恥,不仁,不畏,不義,不見利,不勸,不威,不懲。小懲而大誡,此小人之福也。易曰:屨校滅趾,無咎。此之謂也。善不積不足以成名,惡不積不足以滅身。小人以小善為無益,而弗為也。以小惡為無傷,而弗去也。故惡積而不可掩,罪大而不可解。易曰:何校滅耳,凶。
《困》六三爻辞は曰う:石頭に困住せられ、又た蒺藜に靠り、自らの房屋に走り入るも妻子を見ず、凶険。孔子は曰う:困らるべからざる所にして困らるれば、名声必ず辱を受く。依靠すべからざる物にして依靠すれば、自身必ず危険なり。既に辱を受け且つ危険なれば、死期将に至らんとす、妻子何ぞ未だ見るを得んや。《解》上六爻辞は曰う:王公は高墻の上に鷹隼を射て、之を射中す、利有らざる無し。孔子は曰う:隼は禽鳥、弓箭は器具、之を射るは人なり。君子は器具を身上に蔵して、時機を待ちて後に行動す。何ぞ不利有らん。行動して阻碍無ければ、故に一たび手を出せば即ち収获有り。これは先ず器具を備えて後に行動するの道理を説くなり。孔子は曰う:小人は羞恥を知らざれば即ち仁を行う肯んぜず、畏懼を知らざれば即ち義を守る肯んぜず、利益を見ざれば即ち勉力肯んぜず、威慴無ければ即ち懲戒を受けず。小なる懲戒は大なる警诫を換う、正しくこれ小人の福気なり。《噬嗑》初九爻辞は曰う:脚上に刑具を戴き、脚趾を傷う、過錯有ること無し。講ずるは即ちこの道理なり。善行は積累せざれば即ち名声を成就するに足らず、悪行は積累せざれば即ち自身を毀滅するに足らず。小人は小なる善事を益無しと看作して之を為す肯んぜず、小なる悪事を妨害無しと看作して革除する肯んぜず。故に悪行は積みて掩う能わざるに至り、罪過は大にして解脱する能わず。《噬嗑》上九爻辞は曰う:肩上に枷鎖を扛ぎ、耳朵を傷う、凶険。
子曰:危者,安其位者也。亡者,保其存者也。亂者,有其治者也。是故君子安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂。是以身安而國家可保也。易曰:其亡其亡,繫于苞桑。子曰:德薄而位尊,知小而謀大,力小而任重,鮮不及矣。易曰:鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。言不勝其任也。子曰:知幾其神乎,君子上交不諂,下交不瀆。其知幾乎。幾者,動之□,吉之先見者也。君子見幾而作,不俟終日。易曰:介于石,不終日,貞吉。介如石焉,寧用終日,斷可識矣。君子知微,知彰,知柔,知剛,萬夫之望。
孔子は曰う:危険を招致するは、一味にその位に自安する者なり。敗亡を招致するは、一味にその存を自保する者なり。禍乱を招致するは、自ら已に治平せりと以為する者なり。故に君子は安定の時危険を忘れず、生存の時敗亡を忘れず、治平の時禍乱を忘れず。因りて自身安穏にして、国家も亦た保全すべし。《否》九五爻辞は曰う:将に滅亡せんとす、将に滅亡せんとす、これにしてこそ叢生の桑樹に係るが如く牢固たるを得。孔子は曰う:德行浅薄にして地位尊貴、智慧狭小にして図謀遠大、力量微弱にして担子沈重、禍に遭はざる者鮮し。《鼎》九四爻辞は曰う:鼎足折斷し、王公の美食を傾覆し、鼎身は汚漬に沾満す、凶険。説くは正しくその職に胜任する能わざるなり。孔子は曰う:事情の幾微を知暁する能うは、蓋し神妙と算すべきか。君子は上に交わりて諂媚せず、下に交わりて軽慢せず。これ即ち幾微を懂得するか。所谓る「幾」は、変動の最も細微の苗头、吉祥の預め顕露するの徴兆なり。君子は幾微を見れば即ち手を動かして之を為し、一日の過ぐるを待つを必とせず。《豫》六二爻辞は曰う:耿介として磐石の如し、一整天を等つを用いず、守正して吉を獲す。耿介として磐石の如くんば、何ぞ尚ほ一整天を等つを用いんや。これに拠りて以て断決明白に足る。君子は細微を知り且つ顕著を知り、柔弱を知り且つ剛強を知る。因りて万衆の仰望する人と為る。
子曰:顏氏之子,其殆庶幾乎。有不善,未甞不知。知之未甞復行也。易曰:不逺復,無祗,悔。元吉。天地絪縕,萬物化醇,男女構精,萬物化生。易曰:三人行則損一人,一人行則得其友。言致一也。子曰:君子安其身,而後動易其心,而後語定其交,而後求。君子修此三者,故全也。危以動,則民不與也。懼以語,則民不應也。無交而求,則民不與也。莫之與,則傷之者至矣。易曰:莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。
孔子は曰う:顔氏のあの弟子は、蓋し幾を知るに近からん。彼は不善の処有れば、自覚せざる一次も無し。自覚の後、再び第二回を犯さず。《復》初九爻辞は曰う:遠からずして歩みて即ち回頭し、大なる悔恨有るに至らず、大いに吉祥なり。天地二気交密纒繞して、万物因りて化育醇厚す。男女は精気を交合して、万物因りて化生繁衍す。《損》六三爻辞は曰う:三人同行せば即ち一人を減ずべし、一人独行すれば却って朋友を得。講ずるは正しく専一に帰するなり。孔子は曰う:君子は先ず自身を安穏にして、然る後に行動す。先ず内心を平和にして、然る後に発言す。先ず彼此の交情を確定して、然る後に求む所有り。君子はこの三条を修好す。故に自らを保全する能し。処境危険にして貿然行動すれば、百姓は即ち彼に親附せず。心に恐懼を懐きて発言すれば、百姓は即ち彼に応答せず。交情無くして人に求めば、百姓は即ち与えず。親附する人無ければ、彼を加害する人も亦た来る。《益》上九爻辞は曰う:彼を增益し来る人無く、却って彼を攻撃する人有り。心を立てて恒久する能わず、凶険。
易者:聖人寄其物,而設其象也。象者,可觀其物冝人,得而象。彖者:言乎卦之卦義,可觀其辭,而得其歸也。爻者:效天下之動也。動而吉凶悔吝之所生也。貞一而可以勝之矣。夫陰陽者,相求之物也。勝而往居為之主也,情性之所歸也,故其偶寡者而得其主也。其德行者,陽者明也。無私而體物之理也,可以施其令而保其尊也,一之道也。故陽卦一君子而二小人從,順之道也。陰者,暗也。昧於時之務也,承命而力其事,小人之職二之道也。故陰卦一小人而二君子,顚其道也,反其行也。而貴於形也。
所谓る《易》は、聖人が万物をその中に寄托して卦象を設立するなり。所谓る「象」は、それの象徴する物の所宜を観看するを得、人これに由りて取像する所有り。所谓る「彖辞」は、一卦の卦義を講じ、その文辞を見て全卦の帰趣を知るを得。所谓る「爻」は、天下事物の変動を倣い、一たび変動あれば、吉凶悔吝はこれに随いて生じ、ただ守正専一あるのみこれらに勝つを得。陰と陽は互相に求合する物にして、勝を占むる一方は往いて位に居りて主宰と為る、あれ正しく情性の帰属する所なり。故に爻数少なき一方は却って主宰の地位を取得す。その德行につきて言えば、陽は光明を代表し、私心無くして万物の理を体察する能し、号令を発布して尊位を保住すべし。これ「一」の道理なり。故に陽卦は一個の君子にして二個の小人の跟従あり、順従の道に属す。陰は暗昧を代表し、時務に懵懂不明にして、ただ命令を承受して事に力を尽くすのみ、これ小人の職分にして「二」の道理に属す。故に陰卦は一個の小人にして二個の君子あり、それの応有の道理を転倒し、それの応有の行事に違反して、ただ外在の形跡を看重す。
夫以形累而不以神遇者,非君子。貞一之道也。天下之器廣矣,其為物多矣,繫而憧憧,往來不離其形,而求其至,使從其思者,不亦劣乎。思而慮之,自喪之矣。何暇至於物哉。故聖人無思也,無慮也,寂然貞一,而不可惑也。以同也。而歸其殊塗以一也,而致其百慮,物自有其終始也。何所思慮哉。是以貞一之道,無不歸其同也。至於日往則月來,月往則日來,用舍相推也,往者不用也,來者用也。以不用而保其用,守其貞一也。故明焉。寒來則暑徃,暑徃則寒來,寒暑相代,故能成其歳,本於止而後動也。
凡そ形跡に拖累せられて精神を以て相契する能わざる人は、君子にあらず、即ち守正専一の道に合せず。天下の器物は広博なること甚だしく、事物は繁多なること甚だし。若し心の牽挂定まらず、往来奔忙して形跡を離れず、而も尚ほ極致を求得せんとし、万物をして自らの思慮に順従せしめんとせば、不亦た拙劣ならんか。一味に思量憂慮すれば、ただ自らを喪失するのみ、何ぞ尚ほ万物を応接する余力有らん。故に聖人は思う所無く慮る所無く、寂然としてあの貞一を守りて迷惑を受けず。「同」を以て那些の殊異の道路を統摂し、「一」を以てあの百般の思慮を貫通す。万物は自らそれらの終と始有り、又何ぞ思慮すべき有らん。故に守正専一の道は、「同」に帰せざる無し。太陽落ちて月亮升り、月亮落ちて太陽升るに至るは、これ取用と舎置の互相推移なり。過去するは暫く取らず、到来するは乃ち用う。「不用」を以てあの「用」を保住す、正しく貞一を守るなり。故に光明は生出するを得。寒来り暑往き、暑往きて寒来り、寒暑互相に更替して、故によく一年を完成す。根本は先ず止みて後に動くに在り。
故時之往則不用也,止也,故為之屈。時之來則用也,動也,故為之伸。屈而伸之,乃利生也。故尺蠖之屈以求伸也。龍蛇之蟄以存身也。皆本其止也。以是聖人窮理而盡性,止於無方,行於無形者,所以致神之用也。致其利用,能安其身者,修廣其德,用之而不殆也。道極乎是矣。故能窮神之所自知變之所化,此德之盛也。易之大歸也。聖人之至矣。是以君子保其貞一,得其所安,然後名可達也。非所困而困焉,非所據而據也,不量其力,危辱及矣。死期將至,雖至親而畔也。妻其可見乎,此不能安其身而愼其求也。
故に時機過ぎ去れば即ち取用せず、これは「止」にして、因りて「屈」と称す。時機到来すれば即ち取用を加え、これは「動」にして、因りて「伸」と称す。屈より伸に至りて、利益是に於て生出す。故に尺蠖の身子を弯曲するは伸展を求得せんが為、龍蛇の蟄伏するは自身を保存せんが為と曰う、皆「止」を以て根本とす。故に聖人は事理を窮究してその本性を尽し、固定の方所無き之境に止息し、形跡無き之処に運行す、正しくこれ神妙の功用を達成するの途徑なり。有利の運用を達成して自身を安頓する能う人は、その德行を修養し且つ拡充し、之を用いて危殆に致らず、道は此処に至りて極致と算す。故に神妙の自ずから来る所を窮究し、変化の由って生ずる所を通暁する能し。これ即ち德行の極盛、《易》の最大の帰趣にして、亦た聖人の極致なり。故に君子はその貞一を保守し、安処すべき地位を得て、然る後に名声乃ち通達すべし。困らるべからざる所にして困らる、依靠すべからざる物にして依靠し、自らの力量を衡量せざれば、危険と耻辱はこれに随いて来る。死期将に至らば、最も親近の人も亦た背離せんとす、妻子何ぞ尚ほ見るを得んや。これ即ち自身を安頓する能わずして又たその求む所に謹慎ならざるの結果なり。
夫保其身者,動而無失也。修德者,利其用也。是以公用射隼于髙墉之上,獲之無不利。德之備時之動,故能獲其位也。得位而蒞於民者,不可以不察於小人。為人之上者,本乎仁也。愛而過之,失其仁也。故小懲而大誡,乃小人之福也。御之以道仁,在其中矣。是以屨校滅趾,無咎至乎。惡積而累之罪大而誅之,無及之矣。則小人滅其身,而君子失其刑也。是以何校滅耳,凶。居其位而不失御其下之道,則可矣安。而盈之自喪之矣。斂身慮危,乃可全也。故君子安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂,是以身安而國家可保也。
よく自身を保全する者は、一挙一動皆閃失無し。よく德行を修養する者は、その用処を発揮するに善し。故に「王公は高墻の上に鷹隼を射て、之を射中す、利有らざる無し」と曰う。德行完備して又た時機に合して行動す、故によくその地位を保住す。地位を得て百姓に臨治する者は、小人の心理を体察せざるべからず。人の上人と為るは、根本は仁に在り。然るに慈愛が頭を過ぎれば、却って仁を失掉す。故に小なる懲戒は大なる警诫を換う、正しく小人の福気なり。正道を以て彼らを駕馭すれば、仁はその中に在り。故に「脚上に刑具を戴き脚趾を傷う、過錯有ること無し」と曰う、これにしてこそ到位と算す。悪行積累して罪過大にして誅すべからざるに至るを待たば、挽回するに及ばず。小人はこれに因りて自身を毀滅し、君子も亦たこれに因りて刑を用うるに失有り。故に「肩上に枷鎖を扛ぎ耳朵を傷う、凶険」と曰う。その位に居りて下を駕馭する方法を失わざれば、即ち可なり。安穏の中に身を在りて又た驕盈自満すれば、即ち自ら喪亡を取るなり。自身を收斂し常に危険を慮れば、乃ち保全すべし。故に君子は安定の時危険を忘れず、生存の時敗亡を忘れず、治平の時禍乱を忘れず。因りて自身安穏にして、国家も亦た保全すべし。
故曰,其亡其亡,繫于苞桑,然後能保其位也。愼在於謀大任重乎不可以不審也,過斯敗之矣。故德薄而位尊,智小而謀大,力小而任重,鮮不及矣。是以鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。不勝其任者也。夫能知其事之微者,可以從其大也。履其大任,其重雖萬變而得其神也。夫知幾則禍福之源明矣。幾者,事之來也。介然如石,不可以利,變也。觀吉而動,何不利焉。故上交不諂,不苟容也。下交不瀆,不輕怠也。知則吉矣。豈待於終日乎。故知微,知彰者,知其終始也。知柔,知剛者,識變化之為也。君子能知此者,萬夫之所望,可則而象也。此聖人之道至也。無以加矣。
故に「将に滅亡せんとす、将に滅亡せんとす、これにしてこそ叢生の桑樹に係るが如く牢固たるを得」と曰う。斯くの如くして後に乃ち自らの位置を保住する能し。謹慎の要害は、大事を図謀し重任を担当するに当たりて審慎ならざるべからざるに在り。分を過ぎれば即ち失敗す。故に德行浅薄にして地位尊貴、智慧狭小にして図謀遠大、力量微弱にして担子沈重、禍に遭はざる者鮮し。故に「鼎足折斷し王公の美食を傾覆し鼎身は汚漬に沾満す、凶険」と曰う、これその職責に胜任する能わざる人なり。事情の細微の処を察知する能う者は、乃ち大事を担当するに往くべし。大任を担えば、事態即ち千変万化するも、亦たその神妙を得べし。「幾」を懂得すれば、禍福の根源明白なり。所谓る「幾」は、事情の将に到来せんとする時の苗头。耿介として磐石の如く、利益に因りて改変せず。吉道を看准して後に行動す、何ぞ不利有らん。故に上に交わりて諂媚せざるは、苟且に容を取らざるなり。下に交わりて軽慢せざるは、軽忽怠惰せざるなり。この道理を知れば即ち吉を得、何ぞ尚ほ一整天を等つを用いんや。故に細微を知り且つ顕著を知るは、事情の終と始とを知るなり。柔弱を知り且つ剛強を知るは、変化の作用を識得するなり。君子はよくこれらを懂得する者は、即ち万衆の仰望する人と為り、取法し効像すべし。これ聖人の道の極致にして、再びこれを超過する能う者無し。
靜而無思,而得其神焉。見幾而後動,顏子者也。動而後知,知非而復,近尚於幾也。近而復之,不適於悔,好學者也。故曰,顏氏之子,其殆庶幾乎。有不善,未甞不知。知之未甞復行。是以不逺復,無祗,悔。元吉。知天之幾者,能通天下之志也。雖逺也,學而可以至之也。學以求之,其至者非一,以求之不可得也。故天地絪縕相繼,男女感應,相與皆一而通之乃能化醇也。學而二三,則其志惑矣。何以應哉。積一以求之,乃得其有。易曰“蒙亨,匪我求童蒙,童蒙求我。”志求而應,然後能自化也。是以三人行則損一人,一人行則得其友。言致其一也。
安静にして思慮する所無く、因りてあの神妙を得、幾微を見て後に行動す、これ顔回なり。行動して後に覚察し、非を覚察すれば即ち回頭す、これも亦た「幾」に接近すると算すべし。遠からずして歩みて即ち回頭し、悔恨の地步に落るに至らず、これ学問を好む人なり。故に「顔氏のあの弟子は、蓋し幾を知るに近からん。彼は不善の処有れば自覚せざること無く、自覚の後は即ち重ねて犯さず」と曰う。故に《復》初九は「遠からずして歩みて即ち回頭し、大なる悔恨有るに至らず、大いに吉祥なり」と曰う。上天の幾微を知暁する能う人は、即ち天下人の心志を貫通する能し。あの境界は遥遠なるも、学習を以ては到達すべし。然るに学習を以てこれを求むるに、若し求むる所の目標専一ならざれば、即ち求め得ず。故に天地二気交密纒繞して相継ぎて絶えず、男女彼此感応して相互配合す、皆専一に帰して之を貫通して、乃ち化育醇厚する能し。学習の時三心二意なれば、心志は迷惑し、尚ほ何を以て感応せん。専一を積聚して求索すれば、乃ち真に得る所有り。《蒙》卦辞は曰う:「《蒙》卦は亨通す、我があの蒙昧の童子を求むるに非ず、蒙昧の童子が我を求むるなり。」求学の志有りて後に乃ち応答有り、然る後に乃ち自ら化育する能し。故に「三人同行せば即ち一人を減ずべし、一人独行すれば却って朋友を得」と曰う、講ずるは正しく専一に帰するなり。
君子學以致其道者,身得其安也。則動而不失其節矣。心得其易也,則語而得其當也。辨而得其交也。應而供其求也。君子修此三者,故能全也。故危以動,則民莫與。懼以語,則民不應。無交而求,則民不與。莫與之,則傷之者至矣。是以莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。心無主矣。於物不辨矣。何以為恆哉。修是而可以周矣。
君子は学習を以て自らの道を成就する者は、自身は安穏を獲得し、即ち一挙一動分寸を失わず。内心は平易を獲得し、即ち説く所の話は恰当を得、事理を辨析して人を結交を得、人に回応してその求む所を満足せしむべし。君子はこの三条を修好す。故に自らを保全する能し。反って、処境危険にして貿然行動すれば、百姓は即ち親附せず。心に恐懼を懐きて発言すれば、百姓は即ち応答せず。交情無くして人に求めば、百姓は即ち与えず。親附する人無ければ、彼を加害する人も亦た来る。故に「彼を增益し来る人無く、或いは彼を攻撃する人有り、心を立てて恒久する能わず、凶険」と曰う。これは心中に主宰無く、事物に対し分辨する所無く、尚ほ何を以て恒久を保持せん。上面のこれらを修好すれば、即ち周全無欠すべし。
子曰:乾坤,其易之門邪!乾,陽物也;坤,陰物也。陰陽合德,而剛柔有體,以體天地之撰,以通神明之德。其稱名也,雜而不越;於稽其類,其衰世之意邪!夫易,彰往而察來,而微顯闡幽,開而當名辨物,正言斷辭,則備矣。其稱名也小,其取類也大,其□逺,其辭文,其言曲而中,其事肆而隱,因貳以濟民行,以明失得之報。
孔子は曰う:《乾》《坤》両卦は、蓋し《周易》の門戸ならんか。「乾」は純陽の物、「坤」は純陰の物。陰陽両種の德性結合して、剛爻と柔爻は乃ち実体を有し、それらを以て天地創化万物の事功を体現し、神明造化の德能を貫通す。《周易》の卦爻に立つる所の名目は、見たるは繁雑の似たるも皆義理の界限を越出せず。これら名目の帰する類別を考察すれば、透露する所は恐らく衰乱の世の憂患の心思ならん。《周易》なる書は、已に過去した事を彰明し、又将に到来せんとする事を察知し、幽微のものを顕露し、隠晦のものを闡発し、万物の情を開示して恰当の名称を配し、事物の品類を辨別し、端正の言辞を以て吉凶を裁断すれば、義理は完備す。それの称する所の名目は細小にして、取る所の類象は却って広大なり。その□は深遠にして、その文辞は文采有り。その話は委婉曲折にして事理に切中し、その記す所の事は鋪陳放开して又た含蓄して露わさず。陰陽二端に憑りて以て百姓の行事を幇助し、以て得と失の報応を闡明す。
乾坤相求而為八卦,八卦重錯而窮天下之象,皆生於乾坤也,非易之門邪!故乾,陽物也;坤,陰物也。陰陽各合德,而有剛柔之體,以體象天地之為,以通神明之德。其取象稱名,雖雜細也,而吉凶之分不過於理。故聖人考其辭義,而嘆之不敢正言也,其衰世之意邪,憂其傷也。
乾坤両卦は互相に感求して八卦を生出し、八卦再び重畳交錯して天下の物象を窮尽す。而も一切は皆乾坤より生出す、これ正しく《周易》の門戸にあらずや。故に「乾」は陽性の物、「坤」は陰性の物と曰う。陰陽は各々自身の德性を合一して、是に於て剛爻柔爻の形体有り、以て天地の作為に象を取り、以て神明の德能を貫通す。その象を取り名を立つるは瑣碎繁雑なるも、吉凶の判分は従来義理の外に超過せず。故に聖人はこれら卦爻辞の文義を反復考究して、ただ感嘆を発するのみにして敢えて直説せず、蓋し正しく衰乱の世の心思、世道の傷害を受くるを憂慮するなり。
夫易,明其旣往而察其將來,顯其微而闡其幽,開物之狀而當名辨物正言,而吉凶備,斷於辭矣。其稱名者,小可以藏其取類也,大可以廣其陳也。其□逺可以探賾,其辭文可以玩其意也。其言委曲而直於理,其事放肆而伏藏其奧焉。此立本於小也、近也、曲也、放也,觀其□有以副,而明之則大也、逺也、中也、深也。故因貳而索之,可以濟民之行;明而動之,可否而失得來報,以治其本也。
《周易》なる書は、已に既往の事を闡明して将に将来の事を察知し、細微のものを顕発し、幽隠のものを闡釈し、万物の情状を開示して恰当の名称を与え、事物の類別を辨別し、端正の言辞を以て説明を加え、是に於て吉凶完備して、全て卦爻辞に由りて裁断す。それの立つる所の名目は、小処を以て言えば取る所の類象を皆その中に包蔵するを得、大処を以て言えば広く万事を鋪陳するを得。その□は深遠にして、これに由りて幽賾を探究すべし。その文辞は文采有りて、これに由りてその中の意旨を玩味すべし。その話は委婉曲折にして又た事理を直指し、その記す所の事は放开鋪陳して又た深奥を潜蔵す。これは根本を細小・切近・委曲・放縦の数処に立つるなり、再びその□の配合する所有るを観て、明白せば便ち広大・深遠・中正・精深と成る。故に陰陽二端に順いて探索すれば、百姓の行事を幇助すべし。明察して後に行動すれば、行うべきか否か、得失の回報皆預め知るを得、これを以て事情の根本を治理す。
易之興也,其於中古乎?作易者,其有憂患乎!是故履,德之基也;謙,德之柄也;復,德之本也;恆,德之固也;損,德之修也;益,德之裕也;困,德之辨也;井,德之地也;巽,德之制也。履,和而至;謙,尊而光;復,小而辨於物;恆,雜而不厭;損,先難而後易;益,長裕而不設;困,窮而通;井,居其所而遷;巽,稱而隱。履以和行,謙以制禮,復以自知,恆以一德,損以逺害,益以興利,困以寡怨,井以辨義,巽以行權。
《周易》の興起は、蓋し中古時代に在らんか。《易》を作る人は、心里に恐らく憂患を懐きたらん。故に《履》卦は德行の根基、《謙》卦は德行の柄把、《復》卦は德行の本根、《恒》卦は德行の穏固、《損》卦は德行の修治、《益》卦は德行の寛裕、《困》卦は德行の辨別、《井》卦は德行の地基、《巽》卦は德行の裁制なり。《履》は和順にして至処に達する能し、《謙》は謙卑にして更に光大を顕し、《復》は細微の処より事物を分辨する能し、《恒》は処境駁雑にして厭倦を生ぜず、《損》は先難にして後易し、《益》は長久寛裕にして刻意造作せず、《困》は窮窘に身処して終に通達する能し、《井》は原処に安居して恩沢他人に遷及す、《巽》は事物を権衡して隠蔵して露わさず。故に《履》を以て行為を調和し、《謙》を以て礼数を節制し、《復》を以て自我省察し、《恒》を以てその德を専一にし、《損》を以て禍害を遠離し、《益》を以て利益を興起し、《困》を以て怨尤を減少し、《井》を以て義理を分辨し、《巽》を以て権変を施行す。
易之興也,當於中古乎,世衰道喪,而患其憂。情實相逺,而詐怨之蔓也。故其思深,其防曲,原天下之理,窮變化之□,則吉凶悔吝其我之所自乎。故履,徳之基也,其德所治而有別也,則不失亂矣。別而寡親,和之乃為至也。別而履之,和而從之,禮樂之道,可以立德而成行矣。
《周易》の興起は、応に中古時代に当たらんか。世道衰敗し正道淪喪し、《易》を作る人はこの為に憂患せり。人と人の真情は彼此疎遠にして、欺詐と怨恨は便ち蔓延せり。故にその思慮は深沈にして、その防範は周密なり。天下の義理を推原し、変化の□を窮究すれば、即ち吉凶悔吝は実に皆自ら招来するなり。故に《履》卦は德行の根基にして、それの治理する所は上下をして分別有らしむるに在り、斯くすれば即ち混乱に陥らず。然るに分別有れば、親近の人少なし、尚ほ和順を以て調剤して、乃ち至処に達したと算す。既に礼を以て分別して之を践履し、又た和を以て相従せしむ、これ即ち礼楽并行の道にして、これに由りて德行を立て操守を成就すべし。
用而交者,謙也。卑以自牧,得人之尊,其道光也,故能制其履,而保其所履也。往而不知復,無其本也;知悔而復,復於本也。不逺而復,在其小而來著乎,自知者也,德之本也,道之所由生也。定於內外之分者,可久之道也,其德固矣。定於內矣,雖多雜而不厭也,恆其一德者也。
以て人と交接するに用うるは、《謙》卦なり。卑下を以て自らを牧畜し、却って別人の尊重を得、その道はこれに因りて光大す。故に自らの践履を節制し、行う所の分際を保住する能し。一味に前に往きて回頭を知らざれば、即ち根本を失掉す。悔悟を知りて返回すれば、即ち根本の上に返回す。遠からずして歩みて即ち返回す、過失尚ほ細小の時に於て覚出す、これ自知する能う人にして、德行の本根、大道のこれに由りて生出する所なり。内外の分際を確定する者は、長久すべき路子にして、德行も亦た穏固なり。内心既に安定せば、即ち外境駁雑紛擾するも厭倦を生ぜず、これ即ち《恒》卦の説く所のその德を専一にするなり。
損己奉上,德之修也。損以減己,固先難矣,而說以與其道,易也,可以附其安矣,其何害乎。益其下者也,得寛而容也。長而能寛,不設備而民信也。自上與下,得下之竭,興利者也。困也者,君子辨其失而考德,困與窮而修之,故能終通也,不責於人也,其寡怨矣。君子保德,猶井之不渝也。德遷而及民,養而不窮,井之德也。施而不求其報,君子之義也。巽而下民者,非虧君子之道也,志有所之而為制也,稱於物之情而□隱乎其中,所以行權而制事也。事不巽則不能制也。此君子行於易而周其患也。
自らを減損して在上の人を奉養す、德行の修治なり。《損》卦は人に自らを克減せしむ、起初当然艱難なるも、内心喜悦してこの路に照らし行けば、後来は容易と為り、尚ほこれに依靠して安穏を得べし、これ何の妨害有らん。《益》卦は在下の人を增益し、寛厚にして衆人を容納する能し。上位に居りて長久にして寛厚たる能えば、防備を設下せざるを必とせず、百姓自然に信服す。上位より下に施与すれば、即ち下の竭力效命を得、これ利益を興起する人なり。《困》卦は、君子が困頓の中に於て自らの失誤を分辨し自らの德行を考験し、困窮の中に処して修治を加え、故に終に通達する能く、亦た別人を責怪せず、因りて怨尤は即ち少なし。君子は德行を守護す、井水の変質せざるが如し。德行遷移して百姓に施及し、衆人を養育して枯竭せず、これ即ち井の德性なり。施与して回報を求めず、正しく君子の義理なり。《巽》卦は謙順に百姓の下に屈居す、君子の道を虧損するに非ず、心志の達成せんとする所有りて、因りて裁制する所有るなり。事物の情実を権衡して、而も□はその中に隠蔵す。故に権変を施行して事務を処置する能し。事情は謙順を以て処理せざれば、即ち裁制する能わず。これ即ち君子の《易》に依りて行い、憂患を周全に応付するの弁法なり。
易之為書也不可逺,為道也屢遷,變動不居,周流六虛,上下無常,剛柔相易,不可為典要,唯變所適。其出入以度,外內使知懼,又明於憂患與故。無有師保,如臨父母。初率其辭而揆其方,旣有典常。茍非其人,道不虛行。
《周易》なる書は疎遠すべからず。それの道理と為るは屢屢変遷す。卦爻は変動して一処に停留せず、六個の爻位の間に周遍流行し、或いは上或いは下にして常規無く、剛爻柔爻互相に交換し、これを固定不変の典要と当作するべからず、ただ変化に随いて適応するのみ。その出入進退は皆法度有り、人をして外に在り内に在りて皆戒懼を知らしめ、又た憂患の情形と縁由とに明白なり。即ち身辺に師傅保傅無くとも、之を読めば父母の親臨するが如し。初めはその文辞に依循してその義理を推度すれば、即ちその中に本来自ら常規有るを発見せん。若しこの道を行う能う人に非ざれば、この道理は憑空に施行せざるなり。
易之為書也,中於務而不可逺,其為道也,因時而易,不滯於固。周流六位,而不見其狀。上下無常,剛柔相易,各指其要,惟變所適。象其物宜,觀其吉凶,得其出入之度。則內外知懼,而進退之分著也。又明於憂患與,憂患之所從,則凶悔之兆。儼乎其前,如父母師保之臨也。初修其文而度其義,可得時之適,為守常之道。得其道而後行。
《周易》なる書は、人事の実務に切中して疎遠すべからず。それの道理と為るは、時勢に因りて変易して成規に停滞せず。六個の爻位の間に周遍流行して、固定の形状を見ず。或いは上或いは下にして常規無く、剛柔互相に交換し、各々当時の要領を指明して、ただ変化に随いて適応す。事物の适宜に象を取り、その中の吉凶を観察し、出入進退の法度を把握すれば、即ち内外皆戒懼を知り、進退の分寸も亦た顕明なり。又た憂患及び憂患の由来に明白なれば、即ち凶険悔恨の徴兆は儼然として眼前に擺れ、父母師保の親臨するが如し。初めは先ずその文辞を研習してその義理を衡量すれば、即ち時宜に合する做法を求得するを得、守常の准則と為る。その道理を得て然る後に施行に付す。
易之為書也,原始要終以為質也。六爻相雜,唯其時物也。其初難知,其上易知,本末也。初辭擬之,卒成之終。若夫雜物撰德,辨是與非,則非其中爻不備。噫,亦要存亡吉凶,則居可知矣。知者觀其彖辭則思過半矣。二與四同功而異位,其善不同。二多譽,四多懼,近也。柔之為道,不利逺者,其要無咎,其用柔中也。三與五同功而異位,三多凶,五多功,貴賤之等也。其柔危,其剛勝邪!
《周易》なる書は、事物の開端を推原し事物の終局を帰結して、以て一卦の実質と為す。六個の爻は互相に錯雑して、不過各自当時の事物を代表するのみ。初爻の意思は知暁し難く、上爻の意思は明白し易し、一個は本にして一個は末に因る。初爻の爻辞は不過事情の開端を比擬するのみ、上爻に至りて乃ち最終に一卦の結局を完成す。至於事物を錯雑し德義を撰述し是と非とを分辨せば、即ち中間数爻に依靠せざれば完備する能わず。噫、若し存亡吉凶を考求せば、平居動かずして便ち知るを得るなり。智慧有る人は彖辞を見れば、思慮已に半ばを過ぐ。第二爻と第四爻は功用相同にして爻位同じからず、それらの好処は併せ同じからず。二爻は多く称誉を得、四爻は多く畏懼有り、四爻は君位に切近するに因る。柔順の道は、君位を離るる遠きに対し利有らず。その要領は過錯有らざるに在りて、靠るは柔を用いて中に居るなり。第三爻と第五爻は功用相同にして爻位同じからず。三爻は多く凶険、五爻は多く功績有り、これ貴賤等級相同じからざるの造成する所なり。これら位置上に処すれば、柔弱は即ち危険にして、剛強蓋し乃ち胜任する能わんか。
易之為書,原始要終以為體也。夫物生而後有象,象成而後有數。窮數極變而為終。君子觀之可以知其歸也。六爻之設,陰陽之位,尊卑之分,剛柔之處,吉凶之報,象其時物也。初始象也,擬其形而則之,故難知也。其數窮變,極道之終也,故易知。初以辭擬之,其終得其體也,本難知而末易見也。是故雜類其事,思察為德,辨其是非,要其吉凶,觀夫中而得之矣,歸其主之制也。智者觀其彖辭,得象之大□,則六爻之雜,變化之理,□之則吉,違之則凶,蓋得其半矣。
《周易》なる書は、開端を推原し終局を帰結して、以て一卦の本体と為す。事物は先ず生成して後に形象有り、形象形成して後に数目有り、数を窮尽に推し変を極処に推せば便ち終結なり。君子はこの過程を観察して即ち事物の帰宿を知るを得。六爻の設立は、陰陽の位次有り、尊卑の分際有り、剛柔の処所有り、吉凶の報応有りて、皆当時の事物に象を取る。初爻は開端の象にして、ただその形状を比擬して効法を加うるのみ、故に知暁し難し。上爻に至れば、数已に窮尽し変已に到底し、道の終点なり、故に明白し易し。初爻は爻辞を以て之を比擬し、終了に至りて乃ち整体を見出す。本原は知り難く末端は見易し。故に各類の事情を錯雑して考察し、思索省察して德義を成就し、その中の是非を分辨し、その吉凶を考求す、皆中間数爻より観察して乃ち得るを得、最後は主爻の裁制に帰結す。智慧有る人は彖辞を観看して卦象の大□を得れば、即ち六爻の錯雑、変化の義理、これに順えば即ち吉これに違えば即ち凶、蓋し已に半ばを領会せり。
三與四同功而異位,陰耦也,承陽之道也。二多譽,四多懼,四近於尊,疑其逼也,柔之道也。逺而不利,二得柔中,中不邪也,柔奉上也,故多□而吉焉,故柔而居之,吉也。三與五同功而異位,微以及著,陰陽分佈,三則陽緫下象也,臣之道也。兩三才積,剛柔而至於五,大君之道也,故同功而異位。三多凶,有民而上,乗髙而難居也。五多功尊,無過也,為上者能斷其制也,故柔居之而危,其剛勝者也。
第三爻と第四爻は功用相同にして爻位同じからず。四爻は陰に属して偶数の位、陽剛を承奉する路子を走る。二爻は多く称誉を得、四爻は多く畏懼有り、四爻は尊位に貼近して、人に君主を逼迫するの嫌疑有ると疑わるるに因る、正しくこれ柔順者の処境なり。尊位を離るる遠ければ即ち利有らず、二爻は下卦の中に居りて「柔中」を得、中に居れば即ち邪僻せず、又た柔順に在上の者を奉事する能し、故に多く□して吉を獲す。故に柔を以て二位に居るは吉利なり。第三爻と第五爻は功用相同にして爻位同じからず。細微より顕著に推到し、陰陽はその間に分布し、三爻は陽の下卦を統摂するの象にして、人臣の道を走る。両個の三才を畳合して、剛柔第五爻に推せば、彼は即ち大君の道なり。故に功用相同にして爻位同じからずと曰う。三爻は多く凶険なり、それは下民を統有して又た上に居り、高位を乗じて却って安居し難きに因る。五爻は多く功績にして尊貴、過失有ること無し。上位に居る人は独断裁制する能し。故に柔を以て五位に居れば即ち危険にして、尚ほ剛健の人乃ち胜任する能し。
易之為書也,廣大悉備,有天道焉,有人道焉,有地道焉。兼三才而兩之,故六。六者非他也,三才之道也。道有變動,故曰爻;爻有等,故曰物;物相雜,故曰文;文不當,故吉凶生焉。
《周易》なる書は、広大にして備えざる無し。その中に天の道理有り、人の道理有り、地の道理有り。天・地・人三才を兼取して各々二に分かつ、故に六爻有り。所谓る六は、別の意思無く、即ち三才の道なり。道は変化流動有り、故に「爻」と曰う。爻は等級差別有り、故に「物」と曰う。物類は互相に錯雑す、故に「文」と曰う。文采の配置恰当ならざれば、吉凶はこれに由りて産生す。
易之為書也,廣大悉備矣,明三才之道焉。八卦小成,體其象矣,因而重之,耦天下之情,以極其剛柔之理也。故三才之道,以六位而成文也。道有變動,情之求也,故六爻效其動焉。位有陰陽,處有剛柔,得其等列,當其行事,故曰物。物雜而剛柔有閒,故曰文。文之不當,則不能治也,故有吉凶之及焉。
《周易》なる書は広大にして備えざる無し、それの闡明するは正しく天地人三才の道理なり。八卦は小なる成就にして、已に基本の物象を具備す。再び八卦を両々相重ねて、天下万事万物の情状と相配して、以て剛柔変化の義理を窮尽す。故に三才の道は、六個の爻位に靠りて排布成文す。道は変化流動有り、あれは情実の間の相互感求なり。故に六爻はこの変動を倣う。爻位は陰有り陽有り、居る所有剛有り柔有り、各々その等級次序を得、各々その行う所の事に当たる。故に「物」と曰う。物類錯雑して剛柔の間に間隔分際有れば、故に「文」と曰う。文采の配置当たらざれば、即ち治理する能わず、故に吉凶の随って来る有り。
易之興也,其當殷之末世、周之盛德邪?當文王與紂之事邪?是故其辭危。危者使平,易者使傾,其道甚大,百物不廢,懼以終始,其要無咎,此之謂易之道也。
《周易》の興起は、蓋し正しく殷商の末世・周朝の德業興盛の時に当たらんか。蓋し正しく周文王と商纣王の間のあの段の事情に当たらんか。故にその言辞は危懼に充満す。心に危懼を存する人は、《易》は彼をして平安に帰せしむ。軽心掉心する人は、《易》は彼をして傾覆に帰せしむ。その道理は極めて広大にして、天下百事はそれに遺棄せられる一样も無し。能く始めより終りに至るまで戒懼を保持すれば、その要領は過錯有らざるなり。これを《易》の道理と曰う。
易之興也,當末殷周之盛德也。殷紂反正,文王受幽,憂於危亡,故積其行事,極其象類,窮其變化,作為易之書,以違其凶悔而明其道也。使憂者謹愼而得其平,民所助也;易之不戒者,自致其傾,眾所棄也。所以推其亡而固其存也。其道甚大,而百事得舉也。懼其凶害,閒其進退,則始終□其無咎,此易之道也。
《周易》の興起は、正しく殷商末年・周朝の德業興盛の時に当たる。殷纣王は正道を違背し、周文王は羑里に囚禁せられ、危亡に憂懼し、是に於て自ら経歴する所の事を積聚し、卦象の類別を窮尽し、陰陽の変化を推極して、《易》なる書を写し成したり。以て凶険悔恨を避けて正道を闡明す。それは憂懼を懐く人をして謹慎に行事して平安を得しむ、これ百姓の願意幇助する所なり。《易》の告戒に軽心掉心する人は、自ら傾覆を招来す、これ衆人の拋棄する所なり。正しくこれ敗亡を推开して生存を鞏固せんとするなり。その道理は甚だ広大にして、因りて百事皆弁成するを得。凶険禍害を畏懼し、自らの進退を節制すれば、即ち始めより終りに至るまで□皆過錯有らず、これ即ち《易》の道理なり。
夫乾天下之至健也,德行恆易以知險。夫坤天下之至順也,德行恆簡以知阻。能說諸心,能研諸侯之慮,定天下之吉凶,成天下之亹亹者。是故變化云為,吉事有祥,象事知器,占事知來。天地設位,聖人成能,人謀鬼謀,百姓與能。八卦以象告,爻彖以情言,剛柔雜居而吉凶可見矣。變動以利言,吉凶以情遷。是故愛惡相攻而吉凶生,逺近相取而悔吝生,情偽相感而利害生。凡易之情,近而不相得則凶,或害之,悔且吝。將叛者其辭慚,中心疑者其辭枝,吉人之辭寡,躁人之辭多,誣善之人其辭游,失其守者其辭屈。
乾は天下の最も剛健なるものにして、その德行は永遠に平易にして、因りて険難を知る能し。坤は天下の最も柔順なるものにして、その德行は永遠に簡約にして、因りて阻塞を知る能し。《易》は人の心里を喜ばしむる能く、諸侯の思慮を研核する能く、天下の吉凶を判定し、天下の勤勉不倦の事業を成就す。故に変化と言行の間に於て、吉慶の事は先に祥兆有り。物象を観察すれば即ち何の器具を制作すべきかを知り、事情を占問すれば即ち未来を知る。天地は上下の位置を設定し、聖人はその中に於て自らの才能を成就す。人は謀劃し、鬼神も亦た謀劃し来り、百姓も亦たその中に参与して各々その能を尽す。八卦は卦象を以て告示し、爻辞と彖辞は情実を以て説明し、剛爻柔爻錯雑共処して、吉凶は即ち見るを得。爻の変動は利害に依りて言を立て、吉凶は人情の変遷に随いて転移す。故に喜愛と憎悪は互相に攻撃して、吉凶は便ちこれに由りて産生す。遠と近は互相に取求して、悔吝は便ちこれに由りて産生す。真情と虚偽は互相に感応して、利害は便ちこれに由りて産生す。凡そ《易》の顕示する人情は、彼此切近にして相投合せざれば即ち凶、或いは互相に傷害して、悔有り且つ吝有り。将に背叛せんとする人は、言辞の裏に慙愧を帯ぶ。心中疑惑の人は、言辞支離散乱す。吉善の人は言辞簡省、浮躁の人は言辞繁多。好人を誣陷する人は言辞游移不定、操守を喪失する人は言辞屈曲す。
夫乾天下之至健也,一而靜,故能通天下之志,知天下之幾,則無險而不知也。知其為者敗之,故能守其易。坤天下之至順也,直而方,達天下之事,識天下之過,故能無阻不察也,則知其執事失之也,故能守其簡。健而通之,動而順之,皆得其止,故能說天下之心,窮天下之慮,定天下之吉凶,使天下自曉而不亂也。
乾は天下の最も剛健なるものにして、専一にして安静、故に天下人の心志を貫通し天下事の先兆を知暁する能く、即ち険難にしてそれの知らざる有ること無し。それは強作妄為する人は必ず失敗するを知る。故に自らの平易を守住する能し。坤は天下の最も柔順なるものにして、正直にして方正、天下の事務を通達し天下の過失を識別す。故に阻碍にしてそれの察覚する能わざる有ること無く、因りて執事の人は如何に失误するかを知る。故に自らの簡約を守住する能し。剛健を以て貫通し、柔順を以て承接し、皆各々その安止の処を得。故に天下人の心を悦服せしむる能く、天下人の思慮を窮尽し、天下の吉凶を判定して、天下人をして自ら明白にして昏乱に至らざらしむ。
是故變化之道、云為之務,吉事先兆,制器知象,占事知來。天地設位而生化,聖人象之而成能,故將有為也,可以盡其事之始終。謀鬼神於卜筮,則百事歸上之□,而盡力於下矣。八卦備其象,可以象也;爻彖伸其情,可以思也。剛柔與居,達其文理,察其取舍而吉凶可見矣。觀其利而後變動,察其吉凶而後遷其情,此易之道也。
故に変化の道理・言語行動の事務は、吉慶の事は皆先に徴兆有り。器具を制作する人は卦象より啓発を得、事情を占問する人はこれに由りて未来を預知す。天地は上下の位を設定して生育変化し、聖人は天地に象を取りて自らの才能を成就す。故に将に作為有らんとする時、一件事の始末を尽頭に推究するを得。卜筮を以て鬼神に求謀すれば、即ち百事皆在上者の□に帰して、在下の人はただ力を尽くして之を為すのみ。八卦は物象を具備し、以て取像すべし。爻辞彖辞は情実を申明し、以て思索すべし。剛爻柔爻は一卦に共処し、その中の文理を通達し、その取舎を考察すれば、吉凶は即ち見るを得。利害を看清して然る後に変動し、吉凶を察明して然る後に自らの情志を転移す、これ即ち《易》の道理なり。
故取愛惡相攻而得失者,吉凶生也;逺近相取而差時者,悔吝生也。情以感物者,利之生也;偽以蔽人者,害之及也。夫物不相得,則近而彌凶也,或害之而悔且吝。故將叛者,其辭慚,內虛而求其說也;中心疑者,不知所從,其辭枝也。吉人守之而……闕。
故に喜愛と憎悪の互相攻撃して得失を分くるを以て言えば、吉凶はこれに由りて産生す。遠近の互相取求して時機を錯失するを以て言えば、悔吝はこれに由りて産生す。真情を以て外物を感動するは、利益のこれに由りて産生するなり。虚偽を以て他人を蒙蔽するは、禍害のこれに由りて到来するなり。凡そ彼此相投合せざるは、愈々切近なれば愈々凶険、或いは互相に加害して悔有り且つ吝有り。故に将に背叛せんとする者は、その言辞は慙愧を帯び、心里空虚にして勉强に説辞を找す。心中疑惑の者は、誰に依従すべきかを知らず、言辞は便ち支離散乱す。吉善の人は自らを守りて……(原書の伝文は此処に至りて残闕、以下亡佚す。)
巻九 周易説卦伝第九
昔者聖人之作易也,幽贊於神明而生蓍,參天兩地而倚數,觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生爻,和順於道德而理於義,窮理盡性以至於命。昔者聖人之作易也,將以順性命之理,是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義,兼三才而兩之,故易六畫而成卦;分陰分陽,迭用柔剛,故易六位而成章。
昔聖人の《周易》を創作せし時、幽かに神明の赞助を得て蓍草占筮の法を創出し、天数三地数二に参照して起卦の数を確立し、陰陽の変化を観察して卦体を設立し、剛柔の相推を発揮して爻画を生出し、これを道德に和順せしめて義理に条理し、万物の理を窮究し人物の性を尽顕して、天命に通達するに至れり。昔聖人の《周易》を創作せしは、将に「性」と「命」の道理に順応せんとす。故に天の法則を確立して「陰」と「陽」と曰い、地の法則を確立して「柔」と「剛」と曰い、人の法則を確立して「仁」と「義」と曰う。天地人三才を兼取して各々二に分かつ、故に《易》は六画を以て一卦を構成す。爻位は陰位と陽位を分出し、交替して柔爻と剛爻を使用す、故に《易》は六個の爻位を以て文章を排成す。
天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯。數往者順,知來者逆,是故易逆數也。雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以晅之,艮以止之,兊以說之,乾以君之,坤以藏之。
天は上地は下にして各々その位を定め、山と沢は気息相通じ、雷と風は互相に激蕩し、水と火は併せ相厭相滅せず、八卦は斯くの如く交錯配合す。已に過去した事を推数するは次序に順いて数え下る、将に到来せんとする事を預知するは逆に推し上る。故に《易》の用うる所は逆推の数なり。雷は以て万物を鼓動し、風は以て万物を吹散し、雨は以て万物を滋潤し、日は以て万物を晒暖し、「艮」は以て万物を止住し、「兌」は以て万物を喜悦せしめ、「乾」は以て万物を統領し、「坤」は以て万物を收藏す。
昔者聖人之作易,原其元而傳其理也。太極生兩儀,兩儀生四象,而萬物興焉。夫造者之大德也,幽深而無形,神運而明備,物得生成也。故聖人揚其幽於神明,而為治道之始也。蓍也者,神也,虛而周也,含其數而無太極之象也。物始兆,故參無以有之,曰天;兩而形之,曰地。依其數而推之,得四象之生成焉,人理之變化焉。始見者陰陽也,易而變之,而得其時,故天道成也。
昔聖人の《周易》を創作せしは、造化の本元を推原してその義理を伝述するなり。太極は両儀を生出し、両儀は四象を生出して、万物是に於て興起す。造化の大德は、幽深にして形状無く、神妙に運行して光明具備し、万物は乃ち生成を得。故に聖人はこの幽深の理を神明に彰揚して、以て治道の開端と為す。蓍草は即ち神に通ずる物にして、虚静にして周遍し、数目を含蔵して併せ太極の形象有ること無し。万物始めて徴兆有り、故に「三」を以て無の中より有を生出す、これを天と曰う。「二」を以てこれに形を成さしむ、これを地と曰う。この天三地二の数に依って推衍し下れば、即ち四象の生成を得、人事の理の変化も亦たその中に在り。最も先に顕現するは陰と陽、変易推移して各々その時を得、是に於て天道成立す。
故聖人以之立卦,乗氣散化而為形,用而之事,曰剛柔也,兼地道而成也。因而重之,生爻。兩儀分而萬物作,聖人為之主焉,故上和順於道德,可以生而化象其陰陽也;下以施佈於仁義,可以養而制用,其柔剛也。故原其始,致其終,窮其理而盡得天下之理,靜而順其時之命而行也。聖人之作易也,將以順性命之理也。故立天之道,曰陰與陽,氣之始也;立地之道,曰柔與剛,形之變也;立人之道,曰仁與義,德之偕也。合兩而後成也,故兼三才而兩之,故易六畫而成卦也。
故に聖人はそれに依拠して卦体を設立す。気の流散変化に乗じて形体と為り、人事に運用すれば、これを「剛」と「柔」と曰う、これ地道を兼取して成るなり。是に於て八卦を両々相重ねて、六爻を生出す。両儀分立して万物興作し、聖人はその中に於て主宰を為す。故に上は道德に和順して、生育化育して陰陽に象を取るべし。下は仁義を施布して、万民を養育してその用を節制し、柔剛に取法すべし。故にその開始を推原し、その終結を推究し、義理を窮尽して天下の道理を完全に把握し、安静に時勢の賦与する所の命に順いて行事す。聖人の《易》を作るは、将に性命の道理に順応せんとす。故に天の法則を確立して「陰」と「陽」と曰うは、これ気の開端なり。地の法則を確立して「柔」と「剛」と曰うは、これ形の変化なり。人の法則を確立して「仁」と「義」と曰うは、これ德の相配なり。皆両者相合して後に乃ち成就す、故に三才を兼取して各々二に分かつ。故に《易》は六画を以て一卦を構成す。
陰陽者,相生而為之化也,未始相離也。陽為君焉,物之始生,陽也。陽始生而濳於陰也,子之建也。雖曰陽之生,未有其位,故爻之初為無,其實陽之兆也。陰耦也,兩成之有其位也,其道卑焉,故爻之二為陰也。陰過則陽生,三竒數也,三而小成一卦之主也,故爻之三為陽也。陽變則陰生,位承上也,地之數也,故爻之四為陰也。數之積陰之變,則陽生也,天之數也,而得其中,而下富其民也,故爻之五為陽也。陽極則消而為陰,氣終則道窮也,故曰無位也。此天道之變,陰陽相更,聖人象之而分陰陽,迭用剛柔,故易六爻位而成文也。
陰と陽は、互相に生発して以て変化を造成す、従来彼此分離せざりき。陽は君主の地位に居る。万物の生長を開始するは、靠るは正しく陽気なり。陽気は初生の時陰の中に潜蔵す、一年の気の子月に建つが如し。陽已に生出すと曰うも、尚ほ爻位を取得せず、故に初爻は「無位」と算す、実はあれ正しく陽の萌兆なり。陰は偶数にして、両画を以て成りて、乃ち自らの位次有り。その道は卑下、故に第二爻は陰に属す。陰過盛なれば則ち陽又た生ず。三は奇数にして、第三爻に至りて已に小成、下卦の主なり。故に第三爻は陽に属す。陽変ずれば則ち陰生ず。第四爻の位次は上卦を承奉し、地の数に属す。故に第四爻は陰に属す。数は断えず積累し陰又た変を生ぜば、則ち陽復た生ず。第五爻は天の数に属し、又た上卦の中に居り、下に向かいて百姓を富足せしむる能し。故に第五爻は陽に属す。陽は極処に至れば則ち消退して陰に変じ、気は終点に至れば則ち道も亦た窮尽す。故に上爻は「無位」と曰う。これ即ち天道の変化・陰陽の更替にして、聖人はこれに象を取りて陰位陽位を分出し、交替して剛爻柔爻を使用す。故に《易》は六個の爻位を以て文章を排成す。
定天地之位,合二物之交,通山澤之氣,雷風相薄而大,水火相革而生,重錯八卦以觀其所適,而天下之理得矣。如日月之更也,如四時之代也,古今往來其道一也。故往者從而數之,來者逆而前之,是故逆數者,易之智也。雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以晅之,艮以止之,兊以說之,乾以首而倡之,坤以藏而成之。觀其□合之所以而象之,思其爻變之道而懼之,可以逆其數而違諸悔也。
天地上下の位置を確定し、陰陽両物の交感を会合し、山と沢の気息を貫通し、雷と風は互相に激蕩して声勢更に大なり、水と火は互相に変革して万物を生成し、八卦を重畳交錯して以てそれら各々の帰趨を観察せば、天下の道理は皆掌握せり。これは日月の更替の如く、四時の代謝の如く、古今往来道理はただ一なり。故に已に過去したに対しては、次序に順いて数え下り、将に到来せんとするに対しては、逆に推し上る。故に「逆数」は正しく《易》の智慧の在る所なり。雷は以て万物を鼓動し、風は以て万物を吹散し、雨は以て万物を滋潤し、日は以て万物を晒暖し、「艮」は以て万物を止住し、「兌」は以て万物を喜悦せしめ、「乾」は首に居りて万物を倡導し、「坤」は收藏して万物を成就す。それらの□相配合する縁由を観察して以て象を取り、爻変の道理を思索して戒懼を懐けば、即ちその数を逆推して悔恨を避くべし。
帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兊,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮。萬物出乎震,震東方也。齊乎巽,巽東南也。齊也者,言萬物之潔齊也。離也者,明也,萬物皆相見,南方之卦也。聖人南面而聽天下,嚮明而治,蓋取諸此也。坤也者,地也,萬物皆致養焉,故曰致役乎坤。兊,正秋也,萬物之所說也,故曰說言乎兊。戰乎乾,乾西北之卦也,言陰陽相薄也。坎者,水也,正北方之卦也,勞卦也,萬物之所歸也,故曰勞乎坎。艮,東北之卦也,萬物之所成終而所成始也,故曰成言乎艮。
天帝は「震」より出発し、「巽」に於て万物を斉整せしめ、「離」に於て万物と相見え、「坤」に於て万物を役使して養を受けしめ、「兌」に於て万物を欣悦せしめ、「乾」に於て陰陽交戦し、「坎」に於て万物労倦し、「艮」に於て万物終わりて復た始まる。万物は震に於て萌発す、震は東方の卦なり。巽に於て斉整す、巽は東南の卦なり。所谓る「斉」は、万物の長育する潔斉なるを説くなり。離は即ち光明、万物此処に至りて皆彼此顕現す、それは南方の卦なり。聖人は南方に面向して天下を聴治し、光明に向かいて治理す、蓋しこれに象を取れるなり。坤は即ち大地、万物皆此処に於て養育を得、故に「致役乎坤」と曰う。兌は正しく仲秋に当たり、万物成熟して喜悦の時節、故に「説言乎兌」と曰う。所谓る「戦乎乾」は、乾は西北の卦にして、説く所は陰気と陽気此処に於て相迫して交戦するなり。坎は即ち水、正北方の卦にして、亦た労倦の卦、万物此処に至りて皆帰蔵す、故に「労乎坎」と曰う。艮は東北の卦、万物此処に於て終結を完成して又た新たの生長を開始す、故に「成言乎艮」と曰う。
神也者,妙萬物而為言者也。動萬物者,莫疾乎雷;橈萬物者,莫疾乎風;燥萬物者,莫熯乎火;說萬物者,莫說乎澤;潤萬物者,莫潤乎水;終萬物始萬物者,莫盛乎艮。故水火相逮,雷風不相悖,山澤通氣,然後能變化旣成萬物也。
所谓る「神」は、造化の微妙に万物を成就する能しにつきて言うなり。万物を鼓動するは、雷より迅疾なる莫し。万物を吹拂弯曲するは、風より迅疾なる莫し。万物を乾燥せしむるは、火より熾熱なる莫し。万物を喜悦せしむるは、沢より人を悦ばしむる莫し。万物を滋潤するは、水より潤沢なる莫し。万物を終結し万物を開啓するは、艮より完備なる莫し。故に水と火は互相に追及して相滅絶せず、雷と風は互相に激蕩して相違背せず、山と沢は気息相通じ、然る後に乃ち変化流行して万物を成就する能し。
帝者,造化之主,天地之宗,無象之象也,不可以形智索。因物之生成始終其顯,其出入焉,參而主之者,陽也。是故出乎東,春之建也,陽動於下,萬物震之而生也,故震東方之物。齊乎巽,物之長,齊而布生鮮潔,區別而不相亂也。物方長,貌強而下柔也,故下柔而巽之,待其大者不可以不巽,故巽東南之物也。
所谓る「帝」は、造化の主宰・天地の宗主にして、形象無きの形象、形体と智巧を以て尋求する能わず。万物の生成終始を借りて自らを顕示し、亦た万物の出入の間に於て運行す。その中に参与して主宰を為すは、陽気なり。故にそれは東方より出る、あれは春気建立の時節にして、陽気は下面に於て萌動し、万物は震動せられて生発す、故に震は東方の物なり。巽に於て斉整す、万物正しく生長中にして、斉整に布生して鮮嫩潔斉、彼此区別して相混乱せず。万物剛く長起る時、外貌已に強くして根下尚ほ柔なり、故に下に於て柔順にして謙巽を以て之に処すべし。それの長大するを待てば、更に謙順の道を用いざるべからず、故に巽は東南の物なり。
離也者,明也,萬物之貌,始大皆明,而相見中柔順也,可以治之矣。是以聖人南面而聽天下,嚮明而治,蓋取諸此。坤也者,地也,萬物皆致養焉,物之雜也,外盛而中未盈,養之而後成者也,故順而求役,而致養之,故坤為西南之卦也。兊,正秋也,外柔而中壯也,萬物之盛而咸說也,故兊為正西之物也。乾,西北地也,陽之老,陰薄而爭興也,故戰也,萬物衰而落其榮也,故乾為西北之物也。
離は即ち光明。万物の形貌此処に至りて始めて壮大にして皆顕明、彼此相見え、卦中一陰柔順にして中に居り、之に治理を加うべし。故に聖人は南に面して天下を聴治し、光明に向かいて治理す、蓋しこれに象を取れるなり。坤は即ち大地、万物皆此処に於て養育を受く。この時万物駁雑にして、外表茂盛にして内裏未だ充実せず、養育を経て乃ち成熟すべし。故に柔順を以て役使を求めて、力を尽くして万物を供養す、故に坤は西南の卦なり。兌は正しく仲秋に当たり、卦体外柔にして中壮、万物繁盛にして喜悦せざる無し、故に兌は正西の物なり。乾は西北に在り、陽気已に老いて、陰気逼近して争相に興起す、故に交戦と曰う。万物衰敗してその栄華を凋落す、故に乾は西北の物なり。
坎者,陽胎於中而陰盛於外,水之卦也。水幽陰之物也,水流而不已也,萬物之所歸也。故物之生,先聚水而質其死也,水涸而枯槁,故其勞卦,為北方之物也。艮四時之終,萬物之所成,止於艮也。終則有始也,故曰成言乎艮,為東北之卦也。神也者,妙得其萬物變化之理,而為言也。故聖人之治天下?得其為帝之道,合其神用,不失其終始,則?為帝於天下而定其大位也。
坎卦は陽爻中間に孕育して陰爻外に盛んなる、水の卦なり。水は幽暗にして陰に属する物、長流して止まず、万物の最終に帰聚する所なり。故に物の生長する時先ず水分を聚集して以てその形質を成し、死亡するを待てば、水乾涸すれば即ち枯槁す、故にそれは労倦の卦にして、北方の物と為る。艮は四時の終点に処し、万物此処に於て成就し、皆艮に停止す。終結すれば則ち又た開始有り、故に「成言乎艮」と曰う、それは東北の卦なり。所谓る「神」は、微妙に万物変化の理を把握するにつきて言うなり。故に聖人の天下を治理するは、?帝と為るの道理を得、神明の功用に合して、万物の終始を錯失せざれば、則ち?天下に於て帝者の事を行いてその崇高の位置を奠定する能し。(文中の「?」は原書の缺字、下同。)
故動萬物者,莫疾乎雷,可以震動而肅也;橈萬物者,莫疾乎風,可以觀民而行令也;燥萬物者,莫熯乎火,明其所行,自竭其情,敬其所履,而不可亂也;說萬物者,莫說乎澤,外柔而接之,中剛以濟之,民咸說其義;潤萬物者,莫潤乎水,審利以安之,生貨以聚之;終萬物始萬物者,莫盛乎艮,限其所止則力不匱,而?生其始也。此得其一象之像也。故使水火異物而相濟,雷風相與而益大,山澤殊形而感化,此其兼象之像也。天地以是變化,聖人以是興作,然後?盡成萬物也。
故に万物を鼓動するは雷より迅疾なる莫く、政を為す者は震動を以て人を粛敬せしむべし。万物を吹拂するは風より迅疾なる莫く、政を為す者は民風を観察して政令を推行すべし。万物を乾燥せしむるは火より熾熱なる莫く、それは行う所の処を照明し、人をして各々その情を尽し自らの践履を敬慎して紊乱敢えてせざらしむ。万物を喜悦せしむるは沢より人を悦ばしむる莫く、外表柔和にして人を接待し、内裏剛正にして人を成全し、百姓皆その義理を喜悦す。万物を滋潤するは水より潤沢なる莫く、利益を審明して人を安居せしめ、財貨を生出して人を聚集せしむ。万物を終結し万物を開啓するは艮より完備なる莫く、それの止息する界限を限定すれば、民力は匱乏に至らず、而も?新たの開始を生出する能し。これらは皆単独一卦の象につきて取る所の象なり。至於水火両種の不同の物をして互相に成済せしめ、雷風一同に併作して声勢更に大ならしめ、山沢形体各異にして気息相感化するは、これ両卦兼合の象につきて取る所の象なり。天地はこれらに憑りて変化流行し、聖人はこれらに憑りて事功を興起し、然る後に?万物を完全に成就する能し。
乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞,坎為豕,離為雉,艮為狗,兊為羊。
「乾」は馬に象を取り、「坤」は牛に象を取り、「震」は龍に象を取り、「巽」は鶏に象を取り、「坎」は猪に象を取り、「離」は野鶏に象を取り、「艮」は狗に象を取り、「兌」は羊に象を取る。これは八卦の走獣飛禽の中に於て各々一物を取りて象と為すなり。馬は健行して息まず、正しく乾の剛健に合す。牛は馴順にして重を負い、正しく坤の柔順に合す。龍は潜躍変化し、正しく震の動に合す。鶏は時を知りて鳴き身軽くして下に伏処し、正しく巽の順入に合す。猪は汚湿卑下の地に居り、正しく坎の陥に合す。野鶏は文采外に露われ、正しく離の附麗光明に合す。狗は外剛にして守御し人を門に止むる能く、正しく艮の止に合す。羊は外柔にして内狠、正しく兌の悦に合す。
乾為馬,健速之物也。坤為牛,至順而□任重也。震為龍,濳動而變於陰也。巽為雞,體多陽輕舉之物,主於下也,陰巽而不□逺也。坎為豕,溼處卑穢之物也。離為雉,陽周而明中柔而文也,雉處髙潔而文煥也。艮為狗,外剛而□搏噬,禁止內柔而□附人也。兊為羊,內多陽很而不□害物也。
乾は馬に象を取る、馬は剛健迅速の物に因る。坤は牛に象を取る、牛は極めて馴順にして□重載を担任する能くに因る。震は龍に象を取る、龍は潜伏して動く能く陰の中に於て変化不测に因る。巽は鶏に象を取る、鶏の形体は陽気多く身子軽捷なるも、下に居るを主とし、柔順に下面に伏して□遠く飛ぶを□ざるに因る。坎は猪に象を取る、猪は潮湿卑汚の地に処する牲畜に因る。離は野鶏に象を取る、離卦は陽外周に在りて明、陰柔中に居りて文采を成し、野鶏は高潔に栖息して羽毛文彩煥発す。艮は狗に象を取る、狗は外表剛猛にして□搏撃齧咬し門を守りて人を止め、内裏柔馴にして□主人に親附する能くに因る。兌は羊に象を取る、羊は内裏陽多くして性情狠戾なるも、又た□別の物を傷害せざるに因る。
乾為首,坤為腹,震為足,巽為股,坎為耳,離為目,艮為手,兊為口。
人の身体につきて言えば、「乾」は頭に象を取り、「坤」は腹に象を取り、「震」は足に象を取り、「巽」は大腿に象を取り、「坎」は耳に象を取り、「離」は眼に象を取り、「艮」は手に象を取り、「兌」は口に象を取る。これは一身の体を八卦に分配するなり。頭は最上に居りて尊く、腹は容蔵する能く、足は下に在りて動を主とし、股は足に随いて屈伸し、耳は内通して聡く、目は外明して視、手は持握して物を止むる能く、口は開合して言説する能し。
乾為首,尊在上也。坤為腹,無不藏也。震為足,動在下也。巽為股,巽於下而隨足也。坎為耳,陽明在其內也。離為目,陽明照於外也。艮為手,外剛而?執止也。兊為口,外柔而□說人也。
乾は頭に象を取る、頭は最も尊貴にして一身の上に居るに因る。坤は腹に象を取る、腹中は蔵せざる無きに因る。震は足に象を取る、足は行動を主として人身の下に処するに因る。巽は大腿に象を取る、大腿は謙順に下部に居りて足に随いて動くに因る。坎は耳に象を取る、坎卦は陽明裏面に蔵れ、正しく耳の聡明の内に在るが如きに因る。離は眼に象を取る、離卦は陽明外に照耀して、正しく眼の光明の外に視るが如きに因る。艮は手に象を取る、それは外剛にして?執持して物を止むる能くに因る。兌は口に象を取る、それは外柔にして□人に取悦する能くに因る。
乾天也,故稱乎父。坤地也,故稱乎母。震一索而得男,故謂之長男。巽一索而得女,故謂之長女。坎再索而得男,故謂之中男。離再索而得女,故謂之中女。艮三索而得男,故謂之少男。兊三索而得女,故謂之少女。
乾は天なり、故にこれを父と称す。坤は地なり、故にこれを母と称す。乾坤交感して、第一次求索して男を得、故に震を長男と曰う。第一次求索して女を得、故に巽を長女と曰う。第二次求索して男を得、故に坎を中男と曰う。第二次求索して女を得、故に離を中女と曰う。第三次求索して男を得、故に艮を少男と曰う。第三次求索して女を得、故に兌を少女と曰う。所谓る「索」は、乾坤両卦の一爻を以て互相に求入るを説くなり。陽爻を得れば男卦と成り、陰爻を得れば女卦と成り、再び初・中・上三爻の次第に按じて長・中・少を分出す。
乾天也,父之道也。坤地也,母道也。二氣相求,氣勝而男女生也。乾之初配坤,而得長男,曰震;乾生於坤也。坤之初配乾,而得長女,曰巽;坤生於乾也。乾之再配坤,而得中男,曰坎。坤再配乾而得中女,曰離。乾三配坤而得少男,曰艮。坤三配乾而得少女,曰兊。二氣相推而八卦著矣,男女之道備矣,天下之情見矣。
乾は天、父親の道を走る。坤は地、母親の道を走る。陰陽二気互相に感求して、何れの気の上風を占むるやに依りて、即ち男を生出し或いは女を生出す。乾の初爻は坤に配入して、長男を得、これを震と曰う、これは乾の坤の中に生ずるなり。坤の初爻は乾に配入して、長女を得、これを巽と曰う、これは坤の乾の中に生ずるなり。乾第二次坤に配入して、中男を得、これを坎と曰う。坤第二次乾に配入して、中女を得、これを離と曰う。乾第三次坤に配入して、少男を得、これを艮と曰う。坤第三次乾に配入して、少女を得、これを兌と曰う。陰陽二気互相に推移して、八卦は即ち昭著、男女の道も亦た完備して、天下万物の情状皆これに由りて顕現す。
乾為天,為圜,為君,為父,為玉,為金,為寒,為氷,為大赤,為良馬,為老馬,為瘠馬,為駁馬,為木果。
乾卦は象を取って天と為し、円形と為し、君主と為し、父親と為し、玉と為し、金と為し、寒冷と為し、氷と為し、大紅色と為し、良馬と為し、老馬と為し、瘦馬と為し、毛色斑駁の駁馬と為し、樹上の果実と為す。
乾為天,剛健無狀,為萬物之宗也。為圎,周萬物也。為君為父,尊莫大也。為玉為金,至堅剛也。為寒為冰,氣極嚴結而為堅也。為大赤,陽老赤甚也。良馬,馬之極善也。老馬,馬之極久也。瘠馬,無膚其堅骨也。駁馬,堅猛之至也。為木果,木剛物也,老而為實生之本也。乾老陽也,其道極也,故健之極長,極堅,極老,皆取象也。
乾は天に象を取る、それは剛健にして定形無く、万物の宗主に因る。円と為るは、それは周遍に万物を包羅するに因る。君・父と為るは、それより尊貴なる莫きに因る。玉・金と為るは、それは極めて堅硬剛強に因る。寒・氷と為るは、陽気極処に至りて却って厳凝して堅氷に結成するに因る。大紅色と為るは、陽気蒼老の時顔色最も赤し。良馬は馬中の最も善く走る者。老馬は馬中の経歴最も久しき者。瘦馬は多少の皮肉無く堅骨を見るのみの馬。駁馬は堅強猛悍極点に至る馬。樹上の果実と為るは、木は剛硬の物にして、果実は老熟の後又た新生命の根本と為るに因る。乾は老陽にして、その道は極処に走至せり。故に凡そ剛健極点・久長極点・堅硬極点・蒼老極点に至る物は、皆取りてその象と為すべし。
坤為地,為母,為布,為釡,為吝嗇,為均,為子母牛,為大輿,為文,為眾,為柄,其於地也為黒。
坤卦は象を取って地と為し、母親と為し、布帛と為し、炊鍋と為し、吝嗇と為し、均平と為し、小牛を帯びたる母牛と為し、寛大の車輿と為し、文采と為し、众多と為し、器物の把柄と為し、地色につきて言えば則ち黒色と為す。
坤為地,地有形之大柔順而承天也。為母,有生育之功也。為布,衣服之出也。為釡,熟生之因也。為吝嗇,□藏也。為均,至柔而順而無偏也。為子母牛,順而育也。為大輿,□載也。為文,旣形而文著矣。為眾,陰二也,民之道也。純陰,故為眾也。為柄,執而用也,物由之而生,本之而用也。其於地也,為黒,至陰之色也。坤有形之大也,物生之本也,有容藏之義焉,有生化之道焉,故是類者皆取象也。
坤は地に象を取る、地は有形の物の中の最大にして、柔順にして上天を承奉するに因る。母親と為るは、それは生育の功労有るに因る。布帛と為るは、衣服はそれより出産するに因る。炊鍋と為るは、生食はそれに靠りて煮熟するに因る。吝嗇と為るは、それは□收藏する能くに因る。均平と為るは、それは極めて柔順にして偏私無きに因る。小牛を帯びたる母牛と為るは、それは柔順にして生育する能くに因る。寛大の車輿と為るは、それは□承載する能くに因る。文采と為るは、万物既に成形せば、文采は即ち顕現するに因る。众多と為るは、陰は二数にして百姓の道、坤は純陰にして、故に衆に象を取るに因る。器物の把柄と為るは、把柄は執持して使用する処にして、万物は地より生じ地を以て本として後に人の用いる所と為るに因る。地色につきて言えば黒と為る、黒は最も陰の顔色に因る。坤は有形の物の中の最大にして、万物生長の根本、容納收藏の意義を含み、亦た生育化育の道理を含む。故に凡そこの類に属する物は皆取りてその象と為すべし。
震為雷,為龍,為玄黃,為旉,為大塗,為長子,為決躁,為蒼莨竹,為萑葦,其於馬也,為善鳴,為馵足,為作足,為的顙,其於稼也,為反生,其究為健,為蕃鮮。
震卦は象を取って雷と為し、龍と為し、玄黄相雑の色と為し、花朵初放と為し、寛闊の大路と為し、長子と為し、決断急躁と為し、青翠の竹子と為し、芦荻と為し、馬につきて言えば則ち善く嘶鳴する馬・後左足白色の馬・足を挙げて高邁する馬・額上に白斑有る馬と為し、庄稼につきて言えば則ち甲を破りて反長し出る禾苗と為し、それの終極に推究すれば則ち剛健と為し、繁茂鮮嫩と為す。
震為雷,動於陰也。為龍,龍陰中之畜也。為玄黃,玄,天色,黃,地色,陽始生於陰,雜而為蒼色也。為旉,陽重而始華也。為大塗,剛動而上柔順之,可以縱其行也。為長子,初有陽也。為決躁,剛動之性也。為蒼筤竹,蒼色,性貞堅而節上虛也。為萑葦,類於竹也。其於馬,為善鳴,聲震於深也。為馵足,白足也,陽明之色而在下也。為作足,動於下也。為的顙,馵足之馬必的顙,陽下應於上中也。其於稼為反生,物始生,反甲而出也。其健往而皆柔動而必屈也。為蕃鮮,下本堅強則未滋而色澤,震剛下動也。物之始生,下之堅白皆取象也。
震は雷に象を取る、それは陽気の陰の中に於て鼓動するに因る。龍と為るは、龍は陰の中に潜処する霊物に因る。玄黄相雑の色と為るは、玄は天の顔色、黄は地の顔色、陽気剛く陰の中より生出して、天地の色相雑して便ち青蒼と成るに因る。花朵初放と為るは、陽気積聚して始めて華を吐くに因る。寛闊の大路と為るは、剛は下に於て鼓動して上面は柔順に相従し、歩を放开して行走すべきに因る。長子と為るは、それは乾坤の初次相交して陽を得るに因る。決断急躁と為るは、これは剛爻発動の性情に因る。青翠の竹子と為るは、竹は蒼色にして、性情貞正堅実にして節間中空に因る。芦荻と為るは、それは竹と同類に因る。馬につきて言えば善鳴の馬と為るは、その声音は深処より震発出るに因る。後足白色の馬と為るは、白は陽明の色にして下部に生ずるに因る。足を挙げて高邁する馬と為るは、震は動を主として下に動くに因る。額に白斑有る馬と為るは、後足白の馬は必ず額上に白斑有り、これは下面の陽の上面居中の処と相応するに因る。庄稼につきて言えば反生と為るは、植物剛く生長する時は種殻を頂破して反長し出るに因る。それは剛健に上に往きて生じ、遇う所皆柔にして一動すれば即ち曲折せんとす。繁茂鮮嫩と為るは、根下堅強にして未だ滋長せざる時顔色已に潤沢、正しくこれ震の剛爻の下に在りて鼓動するの象なり。凡そ万物初生・下部堅実潔白の物は、皆取りて震の象と為すべし。
巽為木,為風,為長女,為繩直,為工,為白,為長,為髙,為進退,為不果,為臭,其於人也,為寡髮,為廣顙,為多白眼,為近利市三倍,其究為躁卦。
巽卦は象を取って木と為し、風と為し、長女と為し、墨繩の取直と為し、工匠と為し、白色と為し、長と為し、高と為し、進退不定と為し、猶豫不決と為し、気味と為し、人につきて言えば則ち頭髪稀疏・額頭寛闊・眼白偏多・近利を貪求して利を三倍に獲ると為し、それの終極に推究すれば則ち躁動の卦と為る。
巽為木,剛巽柔而不固,可以柔曲直也。為風,剛巽柔,柔巽剛,無其體而相從也。為長女,陰生於初也。為繩直,從物之形而施其制也。為工,巽物之才而為器也。為白,素可以施眾採也。為長,可以制為下也。為進退,巽於物不自執其志,從時而進退也。為不果,巽從於物,不決成也。為臭,羶馨從物之風,巽下執其體,故為臭而巳也。
巽は木に象を取る、それは剛爻の柔爻に順従して根柢固からざるにして、柔の手段を以てそれを或いは曲或いは直ならしむべきに因る。風と為るは、剛は柔に順従し柔は又た剛に順従し、固定の形体無くして彼此相従するに因る。長女と為るは、それは陰爻の初位に生ずるに因る。墨繩取直と為るは、工匠は材料の形状に依って規矩を施加するに因る。工匠と為るは、工匠は物料の材質に順いて器具を制成するに因る。白色と為るは、素白の質は各種の彩色を加うべきに因る。長と為るは、上に居りて在下を制約する能くに因る。進退不定と為るは、それは外物に順従して自らの心志を固執せず、時勢に随いて或いは進或いは退するに因る。猶豫不決と為るは、それは一味に外物に随順して、果断に事を成す能わざるに因る。気味と為るは、腥膻芳香皆風に随いて来り、巽は下に於て物の本体を承受す、故にただ気味を取りて象と為すに因る。
陽也者,首也,而巽志於柔,其體虛其精,薄其道虧也,故於首則寡髮矣。於顙,則廣而無容矣。於目,則少其精眸也。為近利,以剛巽柔利求少物也。柔而羸剛,則利三倍;剛而巽柔,行權可也。巽而不反,巽其窮也,則為妄躁之兆也。巽者,陽巽於陰,不自任其志也,故可以行權而制事也。故木以曲直之,風以隨之,故可制之物從小之道,皆取象也。
陽は人身の頭にして、而も巽卦の心志は柔順に偏向し、その形体空虚にして精気単薄、その道は虧損する所有り。故に頭上に表現すれば即ち頭髪稀少なり。額頭に於ては、即ち寛闊にして肉を欠くなり。眼睛上に於ては、即ち黒眼珠少なくして眼白多きなり。近利を貪すると為るは、剛を以て柔に順い、求むる所は不過小利小物に因る。柔弱者は剛強者を疲困せしむる能くすれば、即ち利を三倍に獲るべし。剛強者は謙順に柔を待つ能くすれば、即ち権変を施行すべし。然るに一味に謙順して返回を知らざれば、謙順窮極の処に至りて、便ち妄動躁進の徴兆と為る。所谓る巽は、陽の陰に順従して、一意孤行して自らの心志を為さざるなり。故に権変を施行して事務を処置する能し。故に木は人に随いて曲直せしむべく、風は物に随いて行うべく、凡そ裁制し小道に順従すべき物は、皆取りて巽の象と為すべし。
坎為水,為溝瀆,為隱伏,為矯輮,為弓輪,其於人也,為加憂,為心病,為耳痛,為血卦,為赤,其於馬也,為美脊,為亟心,為下首,為薄蹄,為曵,其於輿也,為多眚,為通,為月,為盜,其於木也,為堅多心。
坎卦は象を取って水と為し、溝渠水道と為し、隠蔵潜伏と為し、曲なるを直にし直なるを曲にする矯揉と為し、弓と車輪と為し、人につきて言えば則ち憂愁增添・心病・耳痛・出血の卦・赤色と為し、馬につきて言えば則ち脊背健美の馬・性急の馬・頭を垂れたる馬・蹄甲薄き馬・腿を拖いて走る馬と為し、車につきて言えば則ち多災禍、又た通達と為し、月亮と為し、盗賊と為し、木につきて言えば則ち堅硬にして木心多き樹と為す。
坎為水,上下皆陰而陽在柔中,剛而有信也。履之以冝,乗其柔順而有功也。用之失道則沒溺矣,水之象也。為溝瀆,陽處兩陰之閒,陰深之象也。為隱伏,藏於陰中也。為矯輮,為弓輪,二陰之柔,濡之而雖剛可以屈直為曲也。為加憂,為心病,陽心也,陷於柔,故加憂而心痛也。為耳痛,陽明在內耳也,陷困於柔,故耳痛也。為血卦,血陰類也,傷於中而流血於外,陽傷於血赤也。
坎は水に象を取る、それは上下皆陰爻にして一陽は柔の中に居り、剛強にして信実有るに因る。适宜の弁法に依ってこれを践履し、その柔順に乗じて即ち成功する能し。之を用いるに正道に合せざれば、即ち沉溺淹没せん、正しくこれ水の形象なり。溝渠水道と為るは、陽爻は両陰の間に処して、陰深下陥の象に因る。隠蔵潜伏と為るは、陽は陰の中に蔵るるに因る。矯揉・弓と車輪と為るは、上下両陰の柔性は剛爻をその中に浸潤して、剛硬なるも直なるを弯ならしむべきに因る。憂愁增添・心病と為るは、陽は人の心にして、如今柔の中に陥り、故に憂愁加深して心痛すに因る。耳痛と為るは、陽明は本より内に在りて耳と為るにして、如今柔に困陥せられ、故に耳朵作痛するに因る。出血の卦と為るは、血は陰類に属して、内裏傷を受けて血は外に流る。陽は傷を受け、血色は赤を発すに因る。
其於馬也,為美脊,陽在中也。為亟心,陽居內其心速也。為下首,柔居上也。為薄蹄,為曵,柔在下非強行之物也。其於輿,為多眚,本末弱不?堅也。為通,剛得中雖陷之終通也。為月,中陰之精而中明也。為盜,居陰之中,陰竊之物也。其於木也,為堅多心,中剛也。故陽陷於陰也,陷而終通,故為陷也。其於善,則中善也。其於病,則終病也。故中剛之物,皆取象焉。
馬につきて言えば脊背健美と為るは、陽爻中に居りて、馬脊の挺健するが如きに因る。性急と為るは、陽は内に居りて心性迅疾に因る。頭を垂ると為るは、柔爻上に在りて、頭便ち低垂するに因る。蹄薄・腿を拖いて行くと為るは、柔爻下に在りて、強行遠走する能う馬にあらざるに因る。車につきて言えば多災禍と為るは、本末両端皆柔弱にして?堅牢ならざるに因る。又た通達と為るは、剛爻中を得て、一時陥落するも終究通ずる能くに因る。月亮と為るは、月は陰中の精華にして内に明光を含むに因る。盗賊と為るは、陽は衆陰の中に処して、正しく陰暗中に窃盗する人の如きに因る。木につきて言えば堅硬多心と為るは、それは中間剛実に因る。故に坎は陽の陰の中に陥りて、陥落して終究通ずる能し、故に「陥」と称す。善の一面に落れば、便ち内心真誠の善。病の一面に落れば、便ち纏綿して到底の病。凡そ中間剛実の物は、皆取りて坎の象と為すべし。
離為火,為日,為電,為中女,為甲冑,為戈兵,其於人也,為大腹,為乾卦,為鱉,為蟹,為蠃,為蚌,為□,其於木也,為科上槁。
離卦は象を取って火と為し、太陽と為し、閃電と為し、中女と為し、鎧甲頭盔と為し、戈矛兵器と為し、人につきて言えば則ち大肚子、乾燥の卦と為し、鼈と為し、蟹と為し、螺と為し、蚌と為し、□と為し、木につきて言えば則ち中間空にして上端枯槁の樹と為す。
離為火,陽盛而上下皆發也。為日,陽之精發於外也。為電,光耀為陰,發於陰之外也。為中女,陰生於中。為甲冑,為戈兵,外剛而為悍也。其於人,為大腹,陰氣伏於內也。為乾卦,陽盛而液不通於外也。為鱉,為蟹,為蠃,為蚌,為□,骨剛於外也。其於木也,為科上稿木,為顚,則槁中而虛也。離,陽盛於外,故至炎之物,外剛中柔之類,皆取象也。
離は火に象を取る、陽気旺盛にして上下両爻皆光焔を発散するに因る。太陽と為るは、それは陽の精華の外に発露するに因る。閃電と為るは、光耀は陰に裹まれ、陰の外面より迸発出るに因る。中女と為るは、陰爻中位に生ずるに因る。鎧甲頭盔・戈矛兵器と為るは、それは外表剛硬にして強悍を顕すに因る。人につきて言えば大肚子と為るは、陰気は裏面に潜伏するに因る。乾燥の卦と為るは、陽気太盛にして津液は外に通達する能わざるに因る。鼈・蟹・螺・蚌・□と為るは、これら動物は骨甲外に剛硬に因る。木につきて言えば中空にして上端枯槁の樹と為るは、樹は倒伏の時に至れば、即ち中間枯朽して空虚に因る。離は陽外に盛ん、故に凡そ極炎熱の物・外剛にして内柔の一類は、皆取りてその象と為すべし。
艮為山,為徑路,為小石,為門闕,為果蓏,為閽寺,為指,為狗,為鼠,為黔喙之屬,其於木也,為堅多節。
艮卦は象を取って山と為し、小路と為し、小石塊と為し、門闕と為し、樹上の果と地上の瓜と為し、門を守る閽人寺人と為し、手指と為し、狗と為し、鼠と為し、黒喙の猛禽の類と為し、木につきて言えば則ち堅硬にして節多き樹と為す。
剛極髙而終止,山之象也。為徑路,小路也,可止行其中也。為門闕,止出入之所也。為果蓏,少陽實止於地,不得象於木果也。為閽寺,止守其禁,止也。為指,□執止也。為狗,□守止也。為鼠,止於人也。為黔喙之屬,上剛啄剛而□啄止其物也。其於木也,為堅多節,剛小而生節木之堅也。艮,少陽生也,陽得卦,終於其所也。□止而小堅者,皆取象焉。
一陽剛は極高の処に居りて此処に至りて終止す、正しくこれ山の形象なり。小路と為るは、小路窄狭にして、行人はその中に於て随時停歩すべきに因る。門闕と為るは、門闕は出入を節制する地方に因る。果と瓜と為るは、少陽の結する所の果実は地面に止息して、乾の如く高樹上の木果に象を取る能わざるに因る。門を守る閽人寺人と為るは、彼らは禁令を看守して禁止を主とするに因る。手指と為るは、手指は□執持して東西を止住する能くに因る。狗と為るは、狗は□守衛して人を止むる能くに因る。鼠と為るは、鼠は常に人の居処に止息するに因る。黒喙の猛禽と為るは、上爻剛硬にして喙も亦た剛硬、□啄住して獲物を止住する能くに因る。木につきて言えば堅硬多節と為るは、剛性は小なるも竹節木節を生出し、正しく木の堅実の処に因る。艮は少陽初生にして、陽爻位を得てその止むべき所に終止す。凡そ□止息する能くして形体小にして堅実なる物は、皆取りてその象と為すべし。
兊為澤,為少女,為巫,為口舌,為毀折,為附決,其於地也,為剛滷,為妾,為羊。
兌卦は象を取って沢と為し、少女と為し、巫祝と為し、口舌言語と為し、毀壊折断と為し、依附と決裂と為し、土地につきて言えば則ち堅硬の鹸鹼地、又た侍妾と為し、羊と為す。
陰以居上,剛得其潤,上潤下堅,澤之象也。為少女,三求而得也。為巫,柔而不正而在。
一陰は上位に居りて、下面の剛爻はその滋潤を得、上面潤沢にして下面堅実、正しくこれ水沢の形象なり。少女と為るは、それは乾坤第三次求索して得たる女卦に因る。巫祝と為るは、それは柔弱にして正ならず、……に処す。(原書の伝文は此処に至りて残闕、以下亡佚す。)
巻十 周易序卦伝第十
有天地然後萬物生焉。盈天地之間者,唯萬物,故受之以屯。屯者,盈也。屯者,物之始生也。物生必蒙,故受之以蒙。蒙者,蒙也,物之稺也。物稺不可不養也,故受之以需。需者,飲食之道也。飲食必有訟,故受之以訟。訟必有眾起,故受之以師。師者,眾也。眾必有所比,故受之以比。比者,比也。比必有所畜,故受之以小畜。
天地有りて後に万物始めて生出す。天地の間に充満するはただ万物のみ、故に《乾》《坤》の後に接ぐは《屯》卦なり。「屯」は充盈の意思にして、亦た万物初生の意思なり。万物剛く生出せば必ず蒙昧幼稚、故に接ぐは《蒙》卦なり。「蒙」は即ち蒙昧、万物の幼稚の段階なり。幼稚なれば即ち養育を加えざるべからず、故に接ぐは《需》卦なり。「需」が講ずるは飲食供養を等待するの道理なり。飲食の利有れば、必然に争訟を引起す、故に接ぐは《訟》卦なり。争訟一たび起れば必ず衆人興起有り、故に接ぐは《師》卦なり。「師」は即ち衆人なり。衆人は一処に聚れば必ず親附する所有り、故に接ぐは《比》卦なり。「比」は即ち親比なり。親比の後必ず積聚する所有り、故に接ぐは《小畜》卦なり。
物畜然後有禮,故受之以履。履而泰,然後安,故受之以泰。泰者,通也。物不可以終通,故受之以否。物不可以終否,故受之以同人。與人同者,物必歸焉,故受之以大有。有大者,不可以盈,故受之以謙。有大而□謙,必豫,故受之以豫。豫必有隨,故受之以隨。以喜隨人者,必有事,故受之以蠱。蠱者,事也。
財物積聚して、然る後に礼節の講究有り、故に接ぐは《履》卦なり、「履」は即ち礼なり。礼に依りて行い上下通泰して、然る後に安定する能し、故に接ぐは《泰》卦なり。「泰」は即ち通達なり。事物は永遠に通達する能わず、故に接ぐは《否》卦なり。事物も亦た永遠に閉塞する能わず、故に接ぐは《同人》卦なり。人と同心する能う者は、万物必ず彼に帰向す、故に接ぐは《大有》卦なり。広大を擁有する人は自満すべからず、故に接ぐは《謙》卦なり。既に広大を擁有して又た□謙退する能くば、必ず和楽なり、故に接ぐは《豫》卦なり。和楽なれば必ず追随する人有り、故に接ぐは《随》卦なり。喜悦に因りて別人に追随する者は、必ず事情発生有らん、故に接ぐは《蛊》卦なり。「蛊」は即ち事なり。
有事而後可大,故受之以臨。臨者,大也。物大然後可觀,故受之以觀。可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者,合也。物不可以茍合而已,故受之以賁。賁者,飾也。致飾然後亨,則盡矣,故受之以剝。剝者,剝也。物不可以終盡剝,窮上反下,故受之以復。復則不妄矣,故受之以無妄。有無妄,然後可畜,故受之以大畜。物畜然後可養,故受之以頤。頤者,養也。不養則不可動,故受之以大過。物不可以終過,故受之以坎。坎者,陷也。陷必有所麗,故受之以離。離者,麗也。
為すべき事情有りて、然る後に壮大する能し、故に接ぐは《臨》卦なり。「臨」は即ち壮大なり。事物壮大して然る後に観仰するに値し、故に接ぐは《観》卦なり。観仰すべき有りて、然る後に会合する所有り、故に接ぐは《噬嗑》卦なり。「嗑」は即ち合なり。事物は随便に凑合して了事すべからず、故に接ぐは《賁》卦なり。「賁」は即ち文飾なり。文飾極点に致りて後に亨通すれば、即ち到頭なり、故に接ぐは《剥》卦なり。「剥」は即ち剥落なり。事物は一直に剥落して尽に至る能わず、剥して上面に至りて走投無路なれば即ち下面に返回して重新開始す、故に接ぐは《復》卦なり。正道に回復すれば虚妄せず、故に接ぐは《无妄》卦なり。虚妄無きにして、然る後に蓄聚すべし、故に接ぐは《大畜》卦なり。財物を蓄積して然る後に人を養うべし、故に接ぐは《頤》卦なり。「頤」は即ち養育なり。先ず養足せざれば行動する所有る能わず、故に接ぐは《大過》卦なり。事物は永遠に常度を過越する能わず、故に接ぐは《坎》卦なり。「坎」は即ち陥落なり。陥落の後必ず附麗する所有り、故に接ぐは《離》卦なり。「離」は即ち附麗なり。
有天地而後萬物生焉,物生則屯矣,有形之始也,故受之以屯。物之始生難立者也,經其屯而後,遂得其盈也。物稺而未知也,故受之以蒙。蒙,稺也。不可以不養,故受之以需,稺而不為,待其資也,莫過飲食,待而得其潤,飲食之道也。飲食者,人之資必有爭,故受之以訟。訟必有黨,故眾起,故受之以師。師,眾也。師終眾服,民知其比也,故受之以比。比者,眾輔而同也。附而同之,未及其豐也,故受之以小畜。
天地有りて後に万物生出し、万物一生すれば、即ち屯難の中に処す、これは有形の物の開端なり、故に接ぐは《屯》卦なり。万物剛く生出すれば自立し難し、この段の屯難を経て、乃ち充盈に達するを得。万物幼稚にして無知、故に接ぐは《蒙》卦なり、「蒙」は即ち幼稚なり。幼稚なれば即ち養育を加えざるべからず、故に接ぐは《需》卦なり。幼稚の時は自ら作為有る能わず、ただ外来の資養を等待するのみ、而も資養は飲食より更要なる莫し、等待して後に滋潤を得、これ即ち飲食の道なり。飲食は人の生存に頼る資源にして、必ず争奪を引起す、故に接ぐは《訟》卦なり。争訟は必ず各々党羽有り、是に於て衆人興起す、故に接ぐは《師》卦なり、「師」は即ち衆人なり。兵を用うる最後に至りて衆人帰服し、百姓は互相親比を懂得す、故に接ぐは《比》卦なり。所谓る「比」は、衆人輔助して同心するなり。已に親附同心するも、尚ほ丰厚の地步に至らず、故に接ぐは《小畜》卦なり。
畜眾則有治也,修禮以整之,故受之以履。得其履者,泰然而安,故受之以泰。泰,通也。物不可以終通,故受之以否。否者,道之塞也。道不可以終塞,必為上之,知之將同而進之以同人。與人同者,得其治焉,物必歸焉,故受之以大有。大有不可以盈,故受之以謙。有其大而□謙必豫,故受之以豫。
衆人を蓄養すれば即ち治理有らんと要し、是に於て礼制を修明して彼らを整飭す、故に接ぐは《履》卦なり。自らの践履の本分を守住すれば、即ち安泰にして穏定、故に接ぐは《泰》卦なり、「泰」は即ち通達なり。事物は永遠に通達する能わず、故に接ぐは《否》卦なり。所谓る「否」は、道路阻塞なり。道路は永遠に阻塞する能わず、必ず上位に居る人出で来り、此の理を明察して将に人と同心共進せんとす、故に接ぐは《同人》卦なり。人と同心する能う者は、即ち治理を得、万物も亦た必ず彼に帰向す、故に接ぐは《大有》卦なり。大有の人は自満すべからず、故に接ぐは《謙》卦なり。既に広大を擁有して又た□謙退する能くば、必ず和楽なり、故に接ぐは《豫》卦なり。
豫,樂而過其流矣。動說而相隨,故受之以隨。喜而相隨,不守其務則墮矣,將必有事也,故受之以蠱。蠱,事也。制作治事,然後可大,故受之以臨。臨,剛長而大而臨制也,相臨之道觀乎上之風也,在於尊上立敬也。莫大於神道,設教而天下可觀,治之大者也,故受之以觀。雖設教之可觀,必齊之而後合,故受之以噬嗑。噬嗑,合也。道之以德,齊之以禮,齊之以刑,雖合而巳未之至也。故制之大小,序之等終,分之外內,別之同異,文物以採之,聲明以揚之,煥然而有其文,而後盡其治也。故受之以賁。
《豫》は和楽にして、然るに楽は頭を過ぎれば放纵流蕩せん。人心は喜悦に因りて互相に追随す、故に接ぐは《随》卦なり。歓喜に互相に追随して、若し自らの職事を守住せざれば即ち堕壊し、将来必ず事端を生出せん、故に接ぐは《蛊》卦なり、「蛊」は即ち事なり。制作有りて事務を整治する能く、然る後に壮大すべし、故に接ぐは《臨》卦なり。「臨」は陽剛増長して盛大、上に居りて下に臨制す。上下相臨の道は、在上者の風範を観看するに在り、上位を尊崇し敬心を樹立するに在り。而も教を立つるは神道より大なる莫く、教化を設立して天下皆来りて観仰す、これ治理の大端なり、故に接ぐは《観》卦なり。教を設けて観るべき有るも、必ず斉整画一して然る後に会合すべし、故に接ぐは《噬嗑》卦なり、「噬嗑」は即ち合なり。德を以て之を引導し、礼を以て之を斉整し、刑を以て之を斉整す。合するも、尚ほ尽善の地步に至らず。故に大小の等級を定出し、尊卑の次第を排出し、内外を划分し、同異を辨別し、文物を以て彩飾し、声楽名号を以て発揚して、煥然として文采有り、然る後に治道乃ち完備と算す、故に接ぐは《賁》卦なり。
賁之未存其文,失其本也,則道之消矣,故受之以剝。剝者,消喪其道也。物不可以盡剝,道終而反生也,故受之以復。復,剛長也,君子之道生也。復則無妄矣,故受之以無妄。剛長而無妄,□畜其大也,故受之以大畜。物旣畜矣,然後可養,故受之以頤。自養之賢,所以安身而及民也。養之而後動,乃□過為治也,故受之以大過。過動而不由其制,必輕其小也。物無輕也,雖小?陷,故受之以坎。坎,陷也。懼其亡而修之,然後安其所麗,故受之以離也。
文飾若し外表の文采を留住するのみにして根本を失掉せば、道は即ち消損す、故に接ぐは《剥》卦なり。所谓る「剥」は、その道を消損喪失するなり。事物は剥落干浄する能わず、道は尽頭に走りて即ち反転再生す、故に接ぐは《復》卦なり。「復」は陽剛重新生長、君子の道はこれに由りて生ず。正道に回復すれば即ち虚妄せず、故に接ぐは《无妄》卦なり。陽剛増長して虚妄ならざれば、□広大の德業を蓄積する能し、故に接ぐは《大畜》卦なり。事物既に蓄積せば、然る後に人を養うべし、故に接ぐは《頤》卦なり。自らを養う能う賢者は、正しく先ず自身を安頓して後に百姓に推及すべし。養い足りて然る後に行動し、乃ち□大に作為有りて治理を施行する能し、故に接ぐは《大過》卦なり。行動過度にして法度に遵循せざれば、必ず細小の事を軽忽せん。然るに事物は軽忽すべき一样も無し、即ち細小なるも?人を陥落せしむべし、故に接ぐは《坎》卦なり、「坎」は即ち陥落なり。淪亡を畏懼して修治を加え、然る後に自らの附麗する所に安んずる能し、故に接ぐは《離》卦なり。
有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。夫婦之道,不可以不久也,故受之以恆。恆者,久也。物不可以久居其所,故受之以遯。遯者,退也。物不可以終遯,故受之以大壯。物不可以終壯,故受之以晉。晉者,進也。進必有所傷,故受之以明夷。夷者,傷也。
天地有りて後に万物有り、万物有りて後に男女有り、男女有りて後に夫婦有り、夫婦有りて後に父子有り、父子有りて後に君臣有り、君臣有りて後に上下の別有り、上下の別有りて、礼義乃ち安放の地方有り。夫婦の道は長久ならざるべからず、故に《咸》卦の後に接ぐは《恒》卦なり。「恒」は即ち長久なり。事物は長久に一処に停留する能わず、故に接ぐは《遯》卦なり。「遯」は即ち退避なり。事物は一直に退避し下る能わず、故に接ぐは《大壮》卦なり。事物は一直に壮盛する能わず、故に接ぐは《晋》卦なり。「晋」は即ち前進なり。前進は必ず損傷する所有り、故に接ぐは《明夷》卦なり。「夷」は即ち損傷なり。
傷於外者必反其家,故受之以家人。家道窮必乖,故受之以睽。睽者,乖也。乖必有難,故受之以蹇。蹇者,難也。物不可以終難,故受之以解。解者,緩也。緩必有所失,故受之以損。損而不已必益,故受之以益。益而不巳必決,故受之以夬。夬者,決也。決必有所遇,故受之以姤。姤者,遇也。物相遇而後聚,故受之以萃。萃者,聚也。
外面に於て傷を受けたる人は必ず自らの家に返回す、故に接ぐは《家人》卦なり。家道窮困すれば必ず乖離を生出す、故に接ぐは《睽》卦なり。「睽」は即ち乖離なり。乖離は必ず危難を招来す、故に接ぐは《蹇》卦なり。「蹇」は即ち危難なり。事物は永遠に危難の中に処する能わず、故に接ぐは《解》卦なり。「解」は即ち舒緩なり。舒緩し下れば必ず失う所有り、故に接ぐは《損》卦なり。減損止まざれば必ず増益に転ず、故に接ぐは《益》卦なり。増益止まざれば必ず決溢せんと要す、故に接ぐは《夬》卦なり。「夬」は即ち決断なり。決断の後必ず遭遇する所有り、故に接ぐは《姤》卦なり。「姤」は即ち相遇なり。事物相遇して然る後に聚集す、故に接ぐは《萃》卦なり。「萃」は即ち聚集なり。
聚而上者謂之升,故受之以升。升而不巳必困,故受之以困。困乎上者必反下,故受之以井。井道不可不革,故受之以革。革物者,莫若鼎,故受之以鼎。主器者,莫若長子,故受之以震。震者,動也。物不可以終動,止之,故受之以艮。艮者,止也。物不可以終止,故受之以漸。漸者,進也。進必有所歸,故受之以歸妹。得其所歸者必大,故受之以豐。豐者,大也。窮大者必失其居,故受之以旅。旅而無所容,故受之以巽。巽者,入也。入而後說之,故受之以兊。兊者,說也。說而後散之,故受之以渙。渙者,離也。物不可以終離,故受之以節。節而信之,故受之以中孚。有其信者必行之,故受之以小過。有過物者必濟,故受之以旣濟。物不可窮也,故受之以未濟終焉。
聚集して上に向かうを上昇と曰う、故に接ぐは《升》卦なり。上昇止まざれば必ず困頓す、故に接ぐは《困》卦なり。上面に於て困頓するは必ず下面に返回す、故に接ぐは《井》卦なり。井道は変革を加えざるべからず、故に接ぐは《革》卦なり。器物を変革するは鼎より合适なる莫し、故に接ぐは《鼎》卦なり。宗廟祭器を主持するは長子より合适なる莫し、故に接ぐは《震》卦なり。「震」は即ち動なり。事物は一直に動き下る能わず、それを停止せしむるを須とす、故に接ぐは《艮》卦なり。「艮」は即ち止なり。事物は永遠に停止する能わず、故に接ぐは《漸》卦なり。「漸」は即ち漸進なり。漸進は必ず帰宿する所有り、故に接ぐは《帰妹》卦なり。帰宿を得るは必ず盛大、故に接ぐは《豊》卦なり。「豊」は即ち盛大なり。盛大を窮極に推するは必ず安居の所を失う、故に接ぐは《旅》卦なり。羈旅外に在りて容身の処無し、故に接ぐは《巽》卦なり。「巽」は即ち進入なり。人心に進入して後に人を喜悦せしむ、故に接ぐは《兌》卦なり。「兌」は即ち喜悦なり。喜悦の後即ち発散せんと要す、故に接ぐは《渙》卦なり。「渙」は即ち離散なり。事物は一直に離散する能わず、故に接ぐは《節》卦なり。節制有りて人を信従せしむ、故に接ぐは《中孚》卦なり。誠信を懐く人は必ず行動に見る、故に接ぐは《小過》卦なり。常物を超出して作為有る能うは必ず成功す、故に接ぐは《旣済》卦なり。事物は窮尽する能わざるなり、故に《未済》卦を以て全書の終結と為す。
乾坤降升,萬物化形,今古而無差者,天地之道也。男女感應,夫婦敵配,而父子君臣之所自者,聖人之治也。政德禮義交錯乎其內,後聖人美其配天之功也,故序之。以咸男下女,以感也。正而久之乃成也,故受之以恆。恆,久也。夫婦之意盡於久矣,施久於物,物無久也,雖剛遯矣,故受之以遯。
乾坤二気は一降一升して、万物はこれに随いて化育成形し、古往今来毫も差錯無し、これは天地の常道なり。男女は互相に感応し、夫婦は匹配成偶し、而も父子君臣の名分はこれに由りて産生す、これは聖人の世を治むる根本なり。政令・德教・礼制・義理は交錯してその中に運行す。後の聖人はこの天と相配する功業を賛美し、故に諸卦の為に次序を排定す。下経は《咸》卦より開始し、男子の女子の下に屈居して誠を以て相感するの意を取る。感応正を得て且つ持久する能くば、乃ち成就と算す、故に接ぐは《恒》卦なり、「恒」は即ち長久なり。夫婦の意義は全て一個の「久」字の上に在り。然るに久を外物に施加せば、外物は永久する能う者無し、即ち剛強なるも終究退避せん、故に接ぐは《遯》卦なり。
物不可終遯,故受之以大壯。物不可終壯,復有進之,故受之以晉。晉,柔進而上行也。晉必有所傷,故受之以明夷。夷,傷也。傷於外者必反於家,故受之以家人。士處家則道窮而莫偶,將求外合,則睽而出矣。故受之以睽。睽,乖也。乖而未合則有難也,故受之以蹇。蹇者,難也。物不可終難,故受之以解。解,緩也。緩有所失,故受之以損。
事物は一直に退避する能わず、故に接ぐは《大壮》卦なり。事物は一直に壮盛する能わず、壮盛の後又た前進する所有り、故に接ぐは《晋》卦なり。「晋」は柔爻前進して上に向かいて運行す。前進は必ず損傷する所有り、故に接ぐは《明夷》卦なり、「夷」は即ち損傷なり。外面に於て傷を受くるは必ず家中に返回す、故に接ぐは《家人》卦なり。士人は家中に困処すれば道路窮窘にして相配する人無く、将に外に向かいて結合を尋求せんとし、是に於て乖離して出走す、故に接ぐは《睽》卦なり、「睽」は即ち乖離なり。乖離して会合する能わざれば即ち危難有り、故に接ぐは《蹇》卦なり、「蹇」は即ち危難なり。事物は永遠に危難に処する能わず、故に接ぐは《解》卦なり、「解」は即ち寛緩なり。寛緩し下れば即ち失う所有らん、故に接ぐは《損》卦なり。
損己以奉上,終受其益,故受之以益。益而不巳,不知其止也,則受其決。決,治也。故受之以夬。夬,決也。而後治不敢逸也,乃其遇故受之以姤。姤,遇也。物相遇而後聚,故受之以萃。萃,聚也。聚上而盛謂之升,故受之以升。升而不巳必困,故受之以困。困於上必反於下,道窮而自修也,故受之以井。井者,治之使深也。德者知而日新也,故不可以不革,故受之以革。革物而盛新者,莫如於鼎,故受之以鼎。主器者,莫如長子,故受之以震。
自らを減損して在上の人を奉養すれば、最終に回報の益を受く、故に接ぐは《益》卦なり。増益停止せず、適可而止を知らざれば、即ち決溢に遭う。「決」も亦た整治の意思を含有す、故に接ぐは《夬》卦なり、「夬」は即ち決断なり。決断の後治理に従事して安逸敢えてせず、是に於て遭遇する所有り、故に接ぐは《姤》卦なり、「姤」は即ち相遇なり。事物相遇して後に聚集す、故に接ぐは《萃》卦なり、「萃」は即ち聚集なり。上に聚集して日益興盛するを上昇と曰う、故に接ぐは《升》卦なり。上昇止まざれば必ず困頓す、故に接ぐは《困》卦なり。上面に於て困頓すれば必ず下面に返回し、道路窮窘すれば即ち転じて自我修治す、故に接ぐは《井》卦なり。所谓る「井」は、それを疏治して水源を加深せしむるなり。德有る人は日日に自らの見識を更新するを要し、故に変革せざるべからず、故に接ぐは《革》卦なり。旧物を変革して之を焕然一新たらしむるは、鼎より合适なる莫し、故に接ぐは《鼎》卦なり。宗廟祭器を主持するは長子より合适なる莫し、故に接ぐは《震》卦なり。
長子主器而巳,其在於物不可終也,故受之以艮。艮,止也。物不可終止,故受之以漸。漸者,進也。而不速於進也,必有所歸,故受之以歸妹。得其歸者必大,故受之以豐。豐,大也。志盈而蕩,窮其大者也,必失其居矣,故受之以旅。旅而無所容,故受之以巽。
長子は不過祭器を主持するのみ、万物につきて言えば、動は永遠に持続する能わざるなり、故に接ぐは《艮》卦なり、「艮」は即ち止なり。事物は永遠に停止する能わず、故に接ぐは《漸》卦なり。「漸」は即ち前進、而も急いで進むを求めず。前進は必ず帰宿する所有り、故に接ぐは《帰妹》卦なり。帰宿を得るは必ず盛大、故に接ぐは《豊》卦なり、「豊」は即ち盛大なり。心志自満して放蕩し、盛大を窮極に推せば、必ず安居の所を失う、故に接ぐは《旅》卦なり。羈旅外に在りて容身の処無し、故に接ぐは《巽》卦なり。
巽入而和入,於人則說矣,故受之以兊。兊,說也。上下咸說而後散,動而自為治也,故受之以渙。渙,離也。散而治,不拘其禁也,終則無節,故受之以節。節而施之,中而制之,信乃行之,故受之以中孚。自中發信,民必信之,可過其物而為治之,故受之以小過。信者為治之,具而非備之道,信治而巳,小過者也。有過物之治,必□濟也,故受之以旣濟。旣濟不可極,極而志盈,斯窮之矣,故受之以未濟,而終也。
巽は謙順に進入して、和順に人心に進入する能くば、人は即ち喜悦す、故に接ぐは《兌》卦なり、「兌」は即ち喜悦なり。上下皆喜悦して、然る後に人心涣散流動し、而もこの流動は本身自ら治理を形成する能し、故に接ぐは《渙》卦なり、「渙」は即ち離散なり。散開して治理して、禁令を以て拘束するを用いず、然るに最後に至りて便ち節度無し、故に接ぐは《節》卦なり。節制有りて施行し、中道を以て裁断を加え、再び誠信を以て推行す、故に接ぐは《中孚》卦なり。内心より誠信を発出すれば、百姓必ず信従し、常物を超出して治理を施行すべし、故に接ぐは《小過》卦なり。誠信は不過治理の工具にして、併せ完備の道にあらず、僅に誠信を靠りて治理せば、あれは尚ほ小に過越有るのみ。常物を超出する治理有れば、必ず□成就する能し、故に接ぐは《旣済》卦なり。旣済の後は極処に推す可からず、極処に至りて心志自満すれば、即ち窮尽す、故に接ぐは《未済》卦なり、以て全書の終結と為す。
巻十一 周易雑卦伝第十一
乾剛坤柔,比樂師憂,臨觀之義,或與或求。屯見而不失其居,蒙雜而著。震,起也。艮,止也。損,益,盛衰之始也。大畜,時也。無妄,災也。萃聚而升不來也。謙輕而豫怠也。噬嗑,食也。賁,無色也。兊見而巽伏也。隨,無故也,蠱則飭也。剝爛也。復反也。晉晝也。明夷誅也。井通而困相遇也。咸速也。恆久也。渙離也。節止也。解緩也。蹇難也。睽外也。家人內也。
《乾》は剛健にして《坤》は柔順、《比》は楽しむべくして《師》は憂うべし。《臨》と《観》の意義は、一個は上に居りて下に臨みて施与する所有り、一個は下に在りて仰観して求取する所有り。《屯》は剛爻始めて動きて顕現す、而もその安居の処を失わず。《蒙》は雑乱蒙昧にして後に漸々昭著す。《震》は奮起、《艮》は止息なり。《損》と《益》は、盛より衰に転じ衰より盛に転ずるの開端なり。《大畜》が講ずるは時機、《无妄》が講ずるは災殃なり。《萃》は下に於て聚合し、《升》は上行して返らず。《謙》は自らを軽くして自牧し、《豫》は安楽して怠を生ず。《噬嗑》は咬合して食を進め、《賁》は文飾極処に至りて反って無色に帰す。《兌》は情外に顕れ、《巽》は情内に伏す。《随》は旧事に循う無く、《蛊》は則ち弊乱を整飭す。《剥》は爛熟剥落し、《復》は本原に回返す。《晋》は白昼光明の如く、《明夷》は明德の誅傷せらるるなり。《井》は通達にして、《困》は険と相遇うなり。《咸》は感応神速、《恒》は持久不易なり。《渙》は離散、《節》は節止なり。《解》は寛緩、《蹇》は艱難なり。《睽》は乖離して外に向かい、《家人》は和合して内に在り。
否泰反其類也。大壯則止,遯則退也。大有眾也。同人親也。革去故也。鼎取新也。小過過也。中孚信也。豐多故也。親寡旅也。離上而坎下也。小畜寡也。履不處也。需不進也。訟不親也。大過顚也。姤遇也。柔遇剛也。漸女歸待男行也。頤養正也。旣濟定也。歸妹女之終也。未濟男之窮也。夬決也。剛決柔也。君子道長小人道憂也。
《否》と《泰》は各々相反の類に返帰す。《大壮》は壮盛にして止まるべく、《遯》は幾を知りて退避す。《大有》は所有する者众多、《同人》は人と親和す。《革》は旧きを革除し、《鼎》は新しきを取用す。《小過》は稍々常度を過越し、《中孚》は内心篤実にして信有り。《豊》は事故繁多、親人稀少なるは《旅》なり。《離》は火性炎上、《坎》は水性潤下なり。《小畜》は畜する所甚だ少なく、《履》は行いて安処せず。《需》は時を待ちて軽進せず、《訟》は相争いて親和せず。《大過》は本末転倒なり。《姤》は期せずして遇い、柔爻の剛爻に遇上るなり。《漸》は女子嫁ぐは男方の礼を行い迎え来るを待つなり。《頤》は正道を以て之を養うなり。《旣済》は各々その定位を得たるなり。《帰妹》は女子の帰宿、《未済》は男子の困窮なり。《夬》は決断、剛爻の柔爻を決去するなり、君子の道増長して小人の道憂懼す。
乾不偏其用,無執其體,無不周也,剛之用也。坤守其形,不敢先也,受命而無不行也,柔之道也。體得其用,故?保其久也。比剛樂師則憂集也。剛以臨觀,行其道也。巽說與眾,求其治也。屯者,剛始動於下,而立於難也。方將見矣,民之歸矣,故不遷而建侯利也。蒙者,時之昧也,雜亂不足以明也,而中心昭著矣,待其時而行然後通也。
乾は某一方面に偏用せず、亦た某一形体に固執せず、故に周遍せざる無し、これは剛の功用なり。坤は自らの形体を守住して、搶先敢えてせず、命令を接受して奉行せざる無し、これは柔の道理なり。形体は恰当の功用を得、故に?長久を保持する能し。《比》は一陽を主として衆人和楽し、《師》は則ち憂患聚集す。剛道を以て上に居りて下に臨み人の観仰を受くるは、自らの道を推行するなり。謙順喜悦を以て衆人に対するは、天下の治理を求得するなり。《屯》卦は陽剛始めて下面に於て萌動す、而も艱難の中に立身す。それは正しく将に顕現せんとし、百姓正しく帰附せんとす、故に遷徙を急がずして諸侯を建立するに利有り。《蒙》卦は時運昏昧にして、雑乱にして顕明するに足らず、然るに心中は実は已に明白、ただ時機を等待して後に行動し、然る後に通達する能し。
震,可舉而動也。艮,可止而息也。損者盛之始,益者衰之始也。大畜之時,時之得也,時在內也。無妄之眚,人之失也,外其時也,可不愼乎。柔而聚之可以保矣。升而求進,失其歸也。謙不自重,故終吉也。豫樂自惰,故終凶也。噬而嗑之,無繫情於噬,食之道也,故用獄,齊之而巳,不過當也。賁者,文飾也。升降有度,尊卑有數,禮之文也,治之飾也。尚色為賁,賁之末也。政以正之,刑以齊之,文以賁之,聖人之治也。
《震》は足を挙げて動くべく、《艮》は停下して休息すべし。《損》は盛より衰に転ずる開端、《益》は衰より盛に転ずる開端なり。《大畜》の講ずる所の時機は、時機を得到するにして、而も時機は内に在り。《无妄》の説く所の災眚は、人自らの過失にして、彼は時機を錯失するに因る、何ぞ謹慎せざるを得んや。柔道を以て衆人を聚合せば、即ち保全すべし。一味に上昇して進を求めば、却って帰宿を失う。《謙》卦は自らを看重せず、故に最終吉利。《豫》卦は安楽に耽りて自ら懈怠に甘んず、故に最終凶険。東西を咬合して心思を吃の上に牽系せざる、これこそ進食の道、故に《噬嗑》は断獄に用う、不過民衆を斉整するのみ、処罰は応有の分寸を超過せず。《賁》は文飾。昇降法度有り、尊卑定数有り、これは礼の文采にして、亦た治世の修飾なり。至於色彩を崇尚して乃ち文飾と算すは、あれ已に賁の末流なり。政令を以て民衆を端正し、刑罰を以て民衆を斉整し、文采を以て民衆を修飾す、これこそ聖人の治道なり。
兊,剛中而柔外,見其情而說人也。巽,剛中而柔內,隱其情而巽物也。隨,剛來而下柔,不守其常,不修其事,動而說之,終失其正也。無正而隨器斯蠱矣。器蠱而治,乾其蠱也。剛上而柔下,得其通也。巽而止之,可飾治也。剝者自消其道而潰也。思其反之,復其正也。順明以晉,昭天下也。明夷失德,眾所誅也。井也者,德之附也。德之成而通利於物,君子之遇困,修其德而不責於人,井德之通,由困而遇也。
《兌》は剛爻中に居りて柔爻外に在り、真情を顕露出して人を喜悦せしむ。《巽》は剛爻中に居りて柔爻内に在り、真情を隠蔵して外物に順従す。《随》は剛爻下り来りて柔爻の下に居り、常規を守らず職事を修めず、一動すれば即ち人に取悦し、最終に正道を失掉す。正道無くして人に随えば、器物これに由りて敗壊し、即ち《蛊》と成る。器物敗壊せば即ち整治を加うるを要し、これ即ち「幹蛊」なり。《蛊》卦は剛上に在りて柔下に在り、通達の理を得。順従して之を止息せしめば、即ち文飾整治すべし。《剥》は自らその道を消損して潰敗す。それの必ず反転せんを思えば、即ち正道に回復す。柔順にして光明に附麗して上に行くは《晋》にして、天下を照臨する能し。《明夷》は明德を喪失して、衆人の誅討する所と為る。《井》は德行の依附する地方。德行成就して万物に通利す。君子は困厄に遭遇して、ただ自らの德行を修治して別人を責怪せず。井德の通達は、正しく困厄の中より相遇して得るなり。
咸剛下柔,柔升剛,兩而相感也。神以相感,不疾而速也。感得其正,恆久之道。剛上而柔下,可以久矣。渙者,上下通志,柔順其上,剛巽柔德,乗木於水,離行從逺,不待設禁而自治也。其終則不禁,故反之以節。剛柔分其德也。水澤保其潤也。解者,乗險以動,而免於險也,則緩於小矣。小之緩則積於大,蹇矣,險猶在也,其可緩乎。道反之然也。
《咸》は剛柔の下に屈居し、柔升りて剛降り、両者互相に感応す。神妙の理を以て相感し、急促せずして自然迅速なり。感応正を得れば、即ち恒久の道。剛上に在りて柔下に在れば、即ち長久すべし。《渙》卦は上下心志相通じ、柔順に在上者を承奉し、剛を以て柔順の德を行い、木舟に乗りて水上を行くが如く、附麗して行いて遠行滞らず、禁令を設下するを必とせずして自然治理す。然るに最後に至りて禁約する所無し、故に《節》卦を以て之に反制し、剛柔各々その德を分かたしめ、水沢の中に在りてその潤沢を保住せしむが如し。《解》卦は険難に乗じて行動して、因りて険難を脱出す、是に於て小事に対し寛緩す。小事一たび寛緩なれば、積累して大事と成り、《蹇》難又た来る、険難は実は仍ほ在るに因り、何ぞ寛緩すべきや。事理の反覆は本来この如し。
睽,合外以成也。家人,由內以成也。否者,小人之道也。泰者,君子之道也。反其類不可以相從也。大壯,陽長君子可以制小人也。道變斯,遯則退之矣。大有,柔得大中,而?柔服,無有逺邇,皆有而容之,大有其眾也。同人,親其同也。性同相與,無閒上下也,是以天?與火也。唯同者,同之水火相息,不革則亡。革,去其故而不相見乃可也。革水火而成新,用者鼎也。新必反故,乃治也。
《睽》は外面の力量を合して事を成し、《家人》は内部の治理に由りて事を成す。《否》は小人当道、《泰》は君子当道、両者各々その類に返りて、互相に依従する能わず。《大壮》は陽気増長して、君子は小人を制服すべし。時勢一たび変ずれば、《遯》卦に至りて即ち退避すべし。《大有》は柔爻尊に居りて大中を得、因りて?衆人をして柔順帰服せしめ、遠近を論わず一概に包容す、故にそれは众多を擁有すると曰う。《同人》は同類と親しむ。性情相同なれば便ち彼此相与し、上下の間に隔阂無し、故に天?と火の親するが如し。ただ同類のみ相同なる能し、然るに水と火は互相に熄滅し、変革を加えざれば即ち敗亡せん。故に《革》卦は旧きを革去して、水火をして正面に相犯せざらしめて乃ち可なり。水火を変革して新物を成就す、用うる所の器具は便ち鼎なり。新しき物も亦た必ず旧き根本に返回して、斯くして乃ち治と為る。
小過者,柔得中,小人之正也。小人者,篤於小事而不知通濟君子。過行小事而合之,知可屯而過,動也。中孚,兩柔向而無迕也。外內剛中,皆情實著說而巽,信發於中也。小過,過行中孚,實信君子之道可者,與之豐明以動之,則物盡陳矣。事皆舉矣。事之多則未有周矣,愼其大者也。旅者,柔得中乎,外而下寄於剛也。自寄旅矣,人何親哉,不可以有附也。戒其止則明也。離得其所,麗可以上而昭也。坎陷其所,居可以下而經也。
《小過》は柔爻中を得、これは小人の正道なり。小人は小事に篤実にして通達済世の君子の道を懂得せず。君子は時に或いは過に小事を行いて彼らに遷就し、聚守すべきを知る時便ち稍々過ぐる一点、これも亦た一種の権変の挙動なり。《中孚》は両個の柔爻相向して抵觸無く、内外剛爻中に居りて、情実皆顕著、喜悦して又た謙順、誠信は内心より発出す。《小過》は行事上稍々過ぎ、《中孚》は内心篤実にして信有り、皆君子の行うべき道なり。それらと相配する《豊》卦は、光明を以て発動し、万物は即ち皆陳列出て、事情は即ち皆弁起す。然るに事情一たび多ければ即ち周全し難し、故にその中の大事を謹慎対待するを要す。《旅》は柔爻外卦に於て中を得て下に於て剛爻に寄托す。既に自ら羈旅に処すれば、別人は何を憑りて彼と親近せん、故に依附する所有るべからず、戒慎して止を知る能くば乃ち明智と算す。《離》はそれの処すべき地方を得、上に附麗して昭明する能し。《坎》はそれの居る所の地方に陥落して、下面に処して流行常有る能し。
小畜之寡,知足而不多藏,終得其畜也。履之不處,恭謙而不敢自恃,保其履也。需上險也。待命而不敢自任,全其健也。訟下險不可親也,與處而塞之,失謀於險也。大過正之末也。本無正而末不?興也。唯剛大者?過之而治也。政自其下,顚之道也。姤者,柔遇剛也。修巳自敬,守素安下,君子之素行也。時遇而得天之幸也。雖漸而進剛,行乃行也。
《小畜》の畜する所甚だ少なきは、知足して多蔵せざるに因り、最終に却ってその畜を保住す。《履》は行いて安処せざるは、恭敬謙譲して自恃敢えてせざるに因り、斯くして乃ち自らの践履を保住する能し。《需》卦は上体険にして、時命を等待して自作主張敢えてせず、乃ちその剛健を保全する能し。《訟》卦は下体険にして、故に親近すべからず。この如き人と相処して阻塞を受くるは、険の中に於て謀算を失するに因る。《大過》は正道の末流。根本上正無ければ、末梢は?興起する能わず、ただ剛大の人?常度を過越して整治を加うる能し。政令下位より出ずるは、あれ本末転倒の道なり。《姤》は柔の剛に遇上るなり。自らを修養し敬慎を存し、本分を安守して下位に甘居す、これは君子平素の操行なり。好時機に遇上るは、あれは上天の幸運を得るなり。漸々前進するのみなるも、剛道一たび行えば、事情も亦た行通るを得。
頤治自其上,養之正也。動之以妄,躁凶之道也。旣濟之道也。旣濟定矣,力窮而至於濟,無復加也,不可以不自知也。歸妹,少配長,道窮而無所往,所以行而終也。未濟,剛不全正以至於失位,道之窮也。而以為未濟,復將求也。如之何哉。夬,決也。剛決柔也。小人之道,雖形殘而不足以相治,無其正也。君子之道,長言之而可以決矣,明於始而無所諱,以至於天下正也。
《頤》卦の治養は上位より出づ、これは養育の正道なり。若し妄動を以て養えば、あれは即ち躁進して凶を取る路子なり。これも亦た即ち旣済の道なり。旣済已に安定し、力量用い尽して乃ち成功に達し、再び增益有る能わず、故に自らを知らざるべからず。《帰妹》は少女長男に配して、道路窮窘にして往く可き処無し、故に此処に行きて終結す。《未済》は剛爻完全に帰正する能わざるを以て本位を失掉するに至り、道の窮尽なり。然るに正しくそれを「未済」と看作するに因りて、尚ほ重新に追求すべし、然らざれば又た如何せん。《夬》は決断、剛爻の柔爻を決去するなり。小人の道は即ち形跡残破するも、亦た互相に整治するに足らず、それは本身正無きに因る。君子の道は、ただ伸張し開けば即ち小人を裁決する能く、開端に於て明察して隠諱する所無く、天下正に帰するを為すに至るまで。
