Libo

温公易说

宋 · 司马光

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

この書は宋代の司馬光の撰である。蘇軾が司馬光のために書いた《行状》には、彼が《易説》三巻、《注繋辞》二巻を著したと記されている。《宋史・芸文…

易経易学典籍

術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。

四庫全書総目提要

宋司馬光撰。考蘇軾撰光《行狀》,載所作《易說》三卷,《注繫辭》二卷。《宋史·藝文志》作《易說》一卷,又三卷,又《繫辭說》二卷。晁公武《讀書志》云:“《易說》雜解《易》義,無詮次,未成書。”《朱子語類》又云:“嘗得溫公《易說》於洛人范仲彪,盡《隨卦》六二,其後闕焉。後數年,好事者於北方互市得版本,喜其復全。”

この書は宋代の司馬光の撰である。蘇軾が司馬光のために書いた《行状》には、彼が《易説》三巻、《注繋辞》二巻を著したと記されている。《宋史・芸文志》には《易説》一巻と著録され、また三巻本もあり、さらに《繋辞説》二巻がある。晁公武《郡斎読書志》にいわく:《易説》は《周易》の義理を散説的に解釈した著作で、編集の順序がなく、完璧な書として成っていなかった。《朱子語類》にはまたいわく:朱熹はかつて洛陽人の范仲彪から温公の《易説》を得たが、《随卦》六二の一爻までしかなく、それ以降は欠けていた。数年後、好事者が北方の辺境の榷場で版本を買い求め、朱熹はこの書が再び完全になったことを喜んだという。

是其書在宋時所傳本,已往往多寡互異,其後乃並失其傳。故朱彝尊《經義考》亦注為“已佚”。今獨《永樂大典》中有之,而所列實不止於《隨卦》,似即朱子所稱後得之本。其釋每卦或三四爻,或一二爻,且有全無說者。惟《繫辭》差完備,而《說卦》以下僅得二條。亦與晁公武之言相合。

ここから分かるように、この書は宋代に流伝した本が、すでに篇帙の多少が互いに異なっており、後には伝本そのものまで失われた。だから清の朱彝尊が《経義考》を編む際も「すでに亡佚」と注記している。今や《永楽大典》の中にのみ保存されており、しかも収録された内容は確かに《随卦》までにとどまらない。これは朱熹が言った後に再び得たあの本であろう。書中で一卦を解釈するに、あるものは三四爻のみ、あるものは一二爻のみで、さらに一卦全体に一句の説もないものもある。ただ《繋辞》の部分だけがやや完備し、《説卦》以下はわずか二条のみ残っている。これも晁公武の言う「未成書」との言葉に符合する。

又以陳友文《集傳精義》、馮椅《易學》、胡一桂《會通》諸書所引光說核之,一一具在。知為宋代原本無疑。其解義多闕者,蓋光本撰次未成,亦如所著《潛虛》,轉以不完者為真本,並非有所殘佚也。光傳家集中有《答韓秉國書》,謂王輔嗣以老莊解《易》,非《易》之本旨,不足為據。

さらに陳友文《周易集伝精義》、馮椅《易学》、胡一桂《周易本義啓蒙翼伝会通》などの諸書に引用された司馬光の《易説》で照合すると、引用された各条は《永楽大典》本の中に一つ残らず見出すことができ、これが確かに宋代の原本であることに疑いないことが分かる。その義理の解説に欠落が多いのは、おそらく司馬光がもともと編纂を終えていなかったためで、彼の著した《潜虚》と同じように、むしろ完成していない本を真本とすべきであって、流伝の中で損傷・散失したのではない。司馬光《伝家集》には《答韓秉国書》という一篇があり、王弼が老荘の学で《周易》を解釈したのは《周易》本来の宗旨ではなく、依拠に足りないと論じている。

蓋其意在深闢虛無玄渺之說。故於古今事物之情狀,無不貫徹疏通,推闡深至。如解《同人》之《彖》曰:“君子樂與人同,小人樂與人異。君子同其遠,小人同其近。”《坎》之《大象》曰:“水之流也,習而不止,以成大川。人之學也,習而不止,以成大賢。”《咸》之九四曰:“心苟傾焉,則物以其類應之。故喜則不見其所可怒,怒則不見其所可喜,愛則不見其所可惡,惡則不見其所可愛。”

ここから分かるように、彼の意図は虚無玄妙を空論する学风を痛烈に斥けることにあった。だから古今の事物のあらゆる情態に対し、すべて貫通して疏解し、極めて深く推究・闡明した。例えば《同人》卦の《彖伝》を解して:君子は人との求同を楽しみ、小人は人との立異を楽しむ。君子の认同する範囲は遠くまで推し広げ、小人の认同する範囲は身辺に限られる、と。《坎》卦の《大象伝》を解して:水の流れは繰り返し止まず、ついには大河を成す。人の学問も繰り返し止まず、ついに大賢を成す、と。《咸》卦九四爻を解して:心がひとたび偏倚すれば、外物はその偏倚する類にしたがって応じてくる。だから人は喜びの時には本来怒るべきことが見えず、怒る時には本来喜ぶべきことが見えず、偏愛すれば本来憎むべきところが見えず、憎めば本来愛すべきところが見えない、と。

大都不襲先儒舊說,而有德之言,要如布帛菽粟之切於日用。惜其沈湮既久,說《易》家竟不獲睹其書。今幸際聖朝,表章典籍,復得蒐羅故簡,裒次成編。亦可知名賢著述,其精義所在,有不終泯沒於來世者矣。謹校勘釐訂,略仿《宋史》原目,定為六卷,著於錄。

これらの解説はおおむね前代の儒者の旧説を踏襲せず、徳のある人が発した議論で、布帛や穀物のように日常生活に切実である。惜しいのはこの書があまりに長く埋没し、《周易》を講ずる学者がそれを見ることさえできなかったことだ。今幸いにも本朝が典籍を表彰する時に遇い、旧日の残簡を再び捜集して編次し書と成すことができた。これによっても、名賢の著述は精義あるところさえあれば、ついに永遠に後世に埋没することはないと分かる。ここに謹んで校勘・整理し、おおむね《宋史・芸文志》のもとの著録名目にならい、六巻と定めて《四庫全書》に収録する。

易説原序(宋・陳仁子)

九師興而易道微。易之微,豈専九師咎哉?彖翼而下,旁薄深廣,留七分者亡幾。田、丁、施、費師授,俾勿墜。龍圖書或左用之而不悟,京房守緯數,其失也浮。二千年間,易道倀倀如濛霧行,述而不論,河汾猶難之。歷越五閠,真人御宇,王澤萃鍾,異人間世:希夷抉羲畫而成於邵,濓溪洩周經而融於程;以至匯為漢上而尚變,演為考亭而尚占,支析為合沙而尚象。三聖蘊剖抉靡遺,而讀者瞭然如生三代之世。

漢代に淮南王の門下のいわゆる「九師」一派が興って以来、《周易》の大道はかえって晦冥となった。しかし《周易》が晦冥となったのは、果たして九師だけの過ちだろうか。《彖伝》《文言》以下の諸伝は義理が広博で深遠だが、後人が十分の七を保ち得た家はすでに少ない。前漢の田何・丁寛・施讐・費直が師承を重ねて、ようやくこの学問が墜落しないようにした。《河図》《洛書》については、ある者は誤って用いて自覚しなかった。京房は専ら讖緯術数に守り、その弊は浮泛で実がないことにあった。二千年の間、《易》道は茫然として帰する所がなく、濃霧の中を行くがごとく、学者は転述するばかりで論断を敢えてせず、王通のような河汾の学もこれを難しいと感じた。五次の閏月のような長い歳月を経て、真人が天下を執り、王化の恩沢が集まり、奇特の士が世を隔てて出た。陳抟が伏羲画卦の意を発掘し、邵雍の手に至ってようやく完成した。周敦頤が《周易》の経義を闡発し、二程の手に至って融會貫通した。そして朱震が衆説を集めて変化を崇び、朱熹がその義を推演して占筮を崇び、林栗が分析して象数を崇んだ。伏羲・文王・孔子の三位の聖人の蘊奥は剖析し尽くされ、読者は読んで豁然と明らかになり、三代の世に身を置くがごとくであった。

晚得溫公易說一編,視諸老尤最通暢。今流傳人間世槁雖未完,其論太極陰陽之道、乾坤律呂之交,正而不頗,明而不鑿,獵獵與濓洛貫穿。中間分剛柔中正配四時,微疑未安,學者直心爾。易之作,聖人吉凶與民同患之書也,非隠奧難深而難見也。談易而病其隱且艱,非深於易者也。參習是編,易道庶其明乎!時丙申臘月朔,茶陵後學古迂陳仁子同俌序。

私はごく遅くになってようやく司馬温公の《易説》一編を得たが、上述の諸先輩に比べて、その説は特に通達暢達である。今世に流伝する稿本は完全ではないが、書中の「太極」「陰陽」の理の論、乾坤と十二律吕相配の義の論は、端正で偏頗なく、明白で穿鑿せず、気勢鮮明に濂渓・洛陽の学と互いに貫通している。その中で剛柔中正を四時に分配する一段は、やや疑わしく安心できないところがあるが、学者は読む時に坦然として疑を存すればよい。《周易》の制作は、もともと聖人が吉凶禍福を百姓とともに担当する書であって、隠晦深奥で窺い難いものではない。《易》を談じてその隠晦艱深を嫌う者は、真に《易》理に深く通じた者ではない。この編を参照して研習すれば、《周易》の道はおそらく明白になろう。時に丙申年臘月初一日、茶陵の後学、古迂の陳仁子同俌が序を作る。

易総論

或曰:易者,聖人之所作乎?曰:易者,先天而生,後天而終,細無不該,大無不容,逺無不臻,廣無不充。惟聖人能索而知之,逆而推之,使民識其所來,而知其所歸。夫易者,自然之道也,子以為伏羲出而後易乃生乎?

人が問う:《周易》は聖人が創作したものか。答えていわく:《周易》の講ずる道理は、天地が形成される前からすでに存在し、天地が終結した後にようやく終わる。細微な事物は包まないものなく、宏大な事物は容れないものなく、遥かな所は至らないところなく、広い範囲は満たないところない。ただ聖人のみがこれを探索して認識し、逆推して追溯し、百姓に自分がどこから来たかを認めさせ、どこへ行くかを知らしめることができる。《周易》の講ずるのは自然本来の規律である。あなたは伏羲が世に出てから《易》が始まったと思うのか。

或曰:敢問易者,天事歟?抑人事歟?曰:易者,道也。道者,萬物所由之塗也,孰為天,孰為人?故易者,陰陽之變也,五行之化也,出於天,施於人,被於物,莫不有陰陽五行之道焉。故陽者,君也,父也,樂也,徳也;陰者,臣也,子也,禮也,刑也。五行者,五事也,五常也,五官也。推而廣之,凡宇宙之間皆易也,烏在其專於天、專於人?二者之論皆蔽也。且子以聖人為取諸胸臆而為仁義禮樂乎?蓋有所本之矣。

人が問う:《周易》は天道の事を講ずるのか、それとも人事か。答えていわく:《周易》が講ずるのは「道」である。いわゆる「道」とは万物が共に行く途である。何が天に属し、何が人に属するかを分かてることができようか。だから《周易》が講ずるのは陰陽の変動、五行の化育で、それは天から出て人に施され、万物に覆い及び、陰陽五行の理を含まないものは一つもない。それゆえ陽に属するものは君・父・楽・徳であり、陰に属するものは臣・子・礼・刑である。五行については《尚書・洪範》のいう「五事」に対応し、仁義礼智信の「五常」であり、朝廷の「五官」である。これから推し広げれば、宇宙の内の一切はすべて《易》である。どうして専ら天に属し、専ら人に属すると言えようか。それを天事または人事に限定するのは、二説とも偏蔽の見である。ましてあなたは聖人が胸中の臆想で仁義礼楽を造ったと思うのか。それには本原の依拠があるのだ。

或曰:易道其有亡乎?天地可敝,則易可亡。孔子曰:“乾坤毀則無以見易,易不可見則乾坤或幾乎息矣。”是故人雖甚愚,而易未嘗亡也。推而上之,邃古之前而易已生;抑而下之,億世之後而易無窮。是故易之書或可亡也,若其道則未嘗一日而去物之左右也。萬物蚩蚩,若魚蝦蠃蚌之處於海,食焉,游焉,死焉,而終莫之知也。

人が問う:《易》道に消亡する日はあるか。答えていわく:天地が破敗し得るなら、《易》道もようやく消亡し得る。孔子は《繋辞》にいわく:乾坤が毀棄されれば《易》を見る由なく、《易》が見えなければ乾坤もほぼ息絶えるであろう、と。だから人はたとい愚昧の極みに至っても、《易》道はかつて消亡したことがない。上に溯れば遠古の以前から《易》道はすでに生じ、下に推せば億万世の後にも《易》道は窮尽しない。それゆえ《周易》という書はあるいは亡佚し得るが、それが講ずる道は、一日も万物の左右を離れたことがない。世間の万物は懵々として、魚・蝦・螺・蚌が大海に生活するごとく、海の中で食を求め、海の中で遊び、海の中で死ぬが、終始海が何であるかを知らない。

或曰:聖人之作易也,為數乎?為義乎?曰:皆為之。二者孰急?曰:義急,數亦急。何為乎數急?曰:義出於數也。義何為出於數?曰:禮樂刑徳,陰陽也;仁義禮智信,五行也。義不出於數乎?故君子知義而不知數,雖善無所統之。夫水無源則竭,木無本則蹶,是以聖人抉其本源以示人,使人識其所來,則益固矣。易曰:“君子居則觀其象而玩其辭,動則觀其變而玩其占。”明二者之不可偏廢也。

人が問う:聖人が《周易》を創作したのは「数」を講ずるためか、それとも「義」を講ずるためか。答えていわく:両方とも講ずる。では二者のどちらが急要か。答えていわく:義理も急要、術数も急要。なぜ術数も急要か。義理はまさに術数から生じるからである。義理がどうして術数から生じるのか。答えていわく:礼・楽・刑・徳は陰陽に対応し、仁・義・礼・智・信は五行に対応する。義理はまさに数から出るのではないか。だから君子が義理のみを解して術数を解さなければ、その学問はよくても統攝貫通する所がない。水に源がなければ涸れ、樹に根本がなければ倒れる。それゆえ聖人は義理の本源を掘り出して人に示し、それがどこから来たかを認めさせ、学問をいっそう牢固にする。《繋辞》にいわく:君子は平居に卦爻の象を観てその文辞を玩び、行動の時にその変化を観てその占断を玩ぶ、と。これはまさに義理と術数の両者が偏廃できないことを説明している。

巻一 上経

乾卦

乾下乾上。乾:元亨利貞。初九:潛龍勿用。初九,陽之始也。於律為黃鐘,於曆為建子之月,陽氣方萌於黃泉,太陰始盛,萬物未被其澤,故曰潛龍。龍者何?陽也。陽則曷謂之龍?龍者神獸,變化無常,升降有時,故象陽也。其言勿用何?聖人觀象而為之戒也。潛龍之時,伏於泉,不可用也。是故冬華而雷為妖為災,人躁而狂為凶為殃,皆時不可用而用之也。

乾卦は下卦が乾、上卦も乾である。卦辞にいわく:元・亨・利・貞。初九爻辞にいわく:潜伏する龍、施用すべからず。初九のこの爻は陽気の端緒である。十二律に配すれば「黄鐘」、暦法に配すれば建子の月、すなわち夏暦十一月である。この時陽気がちょうど地下黄泉の中に萌動し、太陰の気が盛んで、万物はまだ陽気の潤沢を受けていない。だから「潜龍」という。何を「龍」というか。それは陽である。陽であるのに、なぜ龍と称するか。龍は神獣で、変化に定形がなく、昇降にそれぞれ時節があるから、陽気を象徴するのに用いる。爻辞に「勿用」というのは何の意味か。これは聖人が卦象を観て世人のために立てた告誡である。潜龍の時、陽気は泉下に伏蔵し、動用すべきではない。だから冬に花が咲き、冬に雷が鳴れば、妖異の災変となる。人心が浮躁して狂妄になれば、凶険の禍殃を招く。すべて時機が動用を容れないのに強いて動用したためである。

九二:見龍在田,利見大人。九二者,陽之見也。於律為太蔟,於曆為建寅之月,陽氣蔟達,發而在田,萬物忻忻,生意昭蘇,故曰見龍在田。其言利見大人者何?通之於人也。君子修徳行義,始聞於人,人莫不悅,莫不歸焉,雖未有功,善之端也,治之本也,故曰利見大人。

九二爻辞にいわく:龍がすでに田野に現れ、大人に見るに利あり。九二のこの爻は陽気が顕現する段階である。十二律に配すれば「太蔟」、暦法に配すれば建寅の月、すなわち夏暦正月である。この時陽気が叢聚して通達し、発散して田野に布き、万物が欣々として栄え、生機が再び甦醒する。だから「見龍在田」という。爻辞に「利見大人」というのはまた何の意味か。これは天時の象を人事に貫通して言ったものである。君子が品德を修養し道義を踐行すれば、名声が人に知られ始め、人々は喜び帰附しない者がいない。この時彼はまだ実際の功業を建てていないが、すでに善の端緒・治世の根本である。だから「利見大人」という。

九三:君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。九三,陽之進也。於律為姑洗,於曆為建辰之月,萬物畢生而趨於繁茂之時也,故君子進徳修業,自強不息也。其言夕惕若厲無咎者何?聖人為之戒也。九三在下體之上,居上體之下,勤則進乎上,怠則退乎下,故夕惕若厲,然後得無咎也。

九三爻辞にいわく:君子は終日勤勉して懈らず、夜になってもなお警惕戒惧し、危境に臨むがごとくにすれば、過ちがない。九三のこの爻は陽気が逓進する段階である。十二律に配すれば「姑洗」、暦法に配すれば建辰の月、すなわち夏暦三月で、まさに万物がすべて生発して繁茂に趨る時である。だから君子は德行を増進し、学业を修治し、自彊して息まない。爻辞に「夕惕若厲、无咎」というのは何の意味か。これは聖人がこの位置に処する人のために立てた告誡である。九三は下卦の最上の爻と上卦の最下の爻の間に処し、勤勉すれば上卦に上進でき、懈怠すれば下卦に退落する。だから必ず日夜に警惕して危境に臨むがごとくにして、そうしてようやく過ちがなくなる。

九四:或躍在淵,無咎。九四,陽之盛也。於律為蕤賓,於曆為建午之月,萬物誠茂矣而未及於大成,徳業誠盛矣而未至於夫亨,安居則不能,欲進而自疑,故躍以試之也。夫言在淵無咎者何?失於進不若失於止之愈也。

九四爻辞にいわく:あるいは騰躍して起き、あるいは退いて深淵に処る。いずれも過ちがない。九四のこの爻は陽気が壮盛な段階である。十二律に配すれば「蕤賓」、暦法に配すれば建午の月、すなわち夏暦五月である。この時万物は確かに繁茂したが、まだ完全な成熟には至らない。德行事業は確かに興盛したが、まだ通達顕揚の地步に至っていない。彼に安然として動かないことを求めるのはできず、前進しようとすれば心におのずから疑慮が生ずる。だからまず騰躍してみて時機を試す。爻辞に「在淵无咎」というのは何の意味か。意味は:冒進において失うよりは、持重停留において失う方が、後者の方がはるかによい。

九五:飛龍在天,利見大人。九五,陽之成也。於律為夷則,於曆為建申之月,黍稷既實,功徳成矣,徳業普施,大人亨矣,萬物熙熙,道力行矣,故曰利見大人。

九五爻辞にいわく:龍が飛騰して天上にあり、大人に見るに利あり。九五のこの爻は陽気が功を成す段階である。十二律に配すれば「夷則」、暦法に配すれば建申の月、すなわち夏暦七月である。この時黍稷はみな結実し、功業德行はみな成り告げた。徳沢事業は普遍に施行され、大人の道は通達して阻まず、万物は一斉に和楽興盛し、大道は有力に推行される。だから「利見大人」という。

上九:亢龍有悔。乾上九。或曰:物之盛則蕤賓不若林鐘也,物之成則夷則不若仲呂也,舉其微而舍其彰,何也?曰:君倡而臣和,陽生而陰成,故陰者佐陽而代有終也,陽者倡陰而尸其功也,是君臣之道也,又何疑矣。

上九爻辞にいわく:あまりに高く飛んだ龍には悔恨がある。ここでは乾卦上九を論ずる。人が問う:万物の繁盛を論ずれば、「蕤賓」の月は「林鐘」の月に及ばない。万物の成熟を論ずれば、「夷則」の月は「仲吕」の月に及ばない。あなたは気象の微弱な方を挙げて、かえって気象の顕著な方を捨てる。これはなぜか。答えていわく:君主が倡導すれば臣下が応和し、陽気が発生すれば陰気が促成する。だから陰の職分は陽を輔佐し、陽に代わって收尾を完成することにあり、陽の職分は陰を倡率してその功を居ることにある。これはまさに君臣の間の道理であって、何の疑惑があろうか。

案:光解乾坤六爻,本於《景王將鑄無射》篇。韋昭注云:十一月曰黃鐘,乾初九;正月曰太蔟,乾九二;三月曰姑洗,乾九三;五月曰蕤賓,乾九四;七月曰夷則,乾九五;九月曰黃鐘,乾上九。據此,則此爻注於律應為無射,為建戌之月。乃此條復論蕤賓、林鐘、夷則、仲呂,不及無射,疑上有脫文。

館臣按語:司馬光が乾坤両卦の六爻を解釈するのは、《国語・周語》中の《景王将鋳無射》一篇に依拠している。韋昭注にいわく:十一月を黄鐘と称し、乾卦初九に配す。正月を太蔟と称し、乾卦九二に配す。三月を姑洗と称し、乾卦九三に配す。五月を蕤賓と称し、乾卦九四に配す。七月を夷則と称し、乾卦九五に配す。九月を黄鐘と称し、乾卦上九に配す、と。これによって推算すれば、上九のこの爻が配する律は本来「無射」であるべきで、配する暦は建戌の月、すなわち夏暦九月であるべきだ。しかしこの一条はまた転じて蕤賓・林鐘・夷則・仲吕を論じ、ひとえに無射を言わない。上に脱漏の文字があると疑う。

用九:見群龍無首,吉。龍者神獸,能隠能見,有變化之象;陽氣能生能成,聖賢能出能處,故易皆謂之龍。惟聖知聖,惟賢知賢,聖賢見己之類,當推而下之,勿為之首,為之首則亢矣。

用九爻辞にいわく:一群の龍が現れていずれも首領を争わないのは、吉利である。龍は神獣で、隠れることも現れることもでき、変化不測の意象を具えている。陽気は生発することも成就することもでき、聖賢は出仕することも退処することもできる。だから《周易》はすべて「龍」をもってこれらを称呼する。ただ聖人のみが聖人を知り、ただ賢者のみが賢者を知る。聖賢が自分と同類の人に見れば、相手を推挙して自分を下位に置き、衆人の首領となることを争わない。ひとたび首領を争えば驕亢に流れる。

彖曰:大哉乾元,萬物資始,乃統天。雲行雨施,品物流形。大明終始,六位時成,時乘六龍以御天。乾道變化,各正性命,保合大和,乃利貞。首出庶物,萬國咸寜。

《彖伝》にいわく:偉大なりや乾卦の代表する元始の気、万物はみなそれに依頼して初めて生成し、それは全天道を統攝している。雲気は流行し、雨沢は降下し、各類の事物は流布して形を成す。太陽の光明は終始を貫徹し、六爻の位次は時序によって成立し、聖人は時に乗じてこの六条の龍に乗駕して天道を駕御する。乾道は運行変化し、万物をして各自その性命を端正せしめ、太和の気を保持会合せしめ、ここに「利」と「貞」がある。乾道は衆物の首に居りて万物を生養し、天下万国はこれによって安寧する。

象曰:天行健,君子以自強不息。潛龍勿用,陽在下也。見龍在田,徳施普也。終日乾乾,反復道也。反復道也:君子進徳修業,反覆以求先王之道而力行之。或躍在淵,進無咎也。進無咎也:言進亦無咎,而君子寜在淵也。飛龍在天,大人造也。大人造也:大人之所宜為也。亢龍有悔,盈不可乆也。用九,天徳不可為首也。

《大象伝》にいわく:天道の運行は剛健にして息まず、君子はこれに取法して自ら奮発し永に歇まない。「潜龍勿用」は、陽気がまだ下位に処するからである。「見龍在田」は、徳沢の施与がすでに普遍であることを言う。「終日乾乾」は、正道を反復して行くことを言う。いわゆる「反復道也」とは:君子が德行を増進し学业を修治し、先王の道を反復して探求し努力して踐行することである。「或躍在淵」は、前進しても過ちがないことを言う。いわゆる「進无咎也」とは:前進は固より過ちがないが、君子はむしろしばらく深淵に退処することを願うという意味である。「飛龍在天」は、大人が有所作为することを言う。いわゆる「大人造也」とは、大人のなすべき事である。「亢龍有悔」は、盈満の状態が長く保持できないことを言う。「用九」は、天徳が衆人の首に居ることを争わないことにあることを言う。

文言曰:元者,善之長也;亨者,嘉之也;利者,義之和也;貞者,事之乾也。君子體仁足以長人,嘉足以合禮,利物足以和義,貞固足以幹事。

《文言伝》にいわく:「元」は衆善の中で最も首位に居るもの、「亨」は美好な事物の聚会、「利」は道義が調和を得ること、「貞」は事を弁ずる骨干である。君子が身をもって仁徳を体現すれば、人々の首領となるに足り、衆美を会合すれば礼に符合するに足り、万物をして各々その利を得せしめれば道義を調和するに足り、正固を堅守すれば事業を支撑するに足る。

元者善之長也,體仁足以長人:長猶首也。仁者愛人,人皆歸之,可為之首。亨者嘉之也,嘉足以合禮:君明臣忠,父慈子孝,兄友弟恭,夫義婦順,上下皆羙,際交通,然後成禮。

「元者善之長也、體仁足以長人」の一句について:いわゆる「長」とは首領の意味である。仁者は他人を愛護し、人々はみな彼に帰附する。ゆえに彼らの首領となることができる。「亨者嘉之也、嘉足以合禮」の一句について:君主が英明で臣子が忠誠、父が慈愛で子が孝順、兄が友愛で弟が恭敬、夫が義に合い妻が理に順い、上下各方がすべて尽善尽美で、彼此の間が交往通達すれば、こうして「礼」が成就する。

利者義之和也,利物足以和義:仁者聖人,不裁之義,則事失其宜,人喪其利,故君子以義制仁政,然後和。

「利者義之和也、利物足以和義」の一句について:仁心を懐く聖人が、「義」をもって裁断節制しなければ、事情は応有の分寸を失い、人々はかえって本来得るべき利益を失う。だから君子は「義」をもって仁政の施行を節制し、そうして初めて仁と義が調和し得る。

貞者事之乾也,貞固足以幹事:《詩》三百,一言以蔽之,曰思無邪,故貞者事之乾也。君子固守其正,以楨乾萬事,使不散亂也。君子行此四徳者,故曰乾:元亨利貞。

「貞者事之幹也、貞固足以幹事」の一句について:《詩経》三百篇を一句で概括すれば「思无邪」である。純正こそがまさに事を弁ずる骨干であることが分かる。君子は自分の正道を牢牢と守り、それをもって万事の支柱とし、事情が散乱失序に至らないようにする。君子が「元亨利貞」の四種の徳性を踐行し得るから、卦辞にいわく:乾卦、元・亨・利・貞、と。

初九曰“潛龍勿用”,何謂也?子曰:龍徳而隠者也。不易乎世,不成乎名,遁世無悶,不見是而無悶,樂則行之,憂則違之,確乎其不可拔,潛龍也。不見是而無悶:舉世非之亦無悶也。樂行憂違:君子遇有道得行其志則樂,遇無道不得行其志則憂。

《文言伝》が問う:初九に「潜龍勿用」というのは、何を講ずるか。孔子が答えていわく:これは龍のような德行を具えて隠居して出ない人である。彼は世俗の風気によって操守を変えず、名声を求取せず、世を避けて隠居しても苦悶を覚えず、人に称許されなくても苦悶を覚えない。時世が行うべきなら出て道を行い、時世が憂うべきなら退避して身を引く。意志が堅定にして動揺できない。これが「潜龍」である。司馬光が解していわく:「不見是而无悶」とは、たとい挙世がみな彼を非議しても、彼は苦悶を覚えないことを言う。「樂則行之、憂則違之」とは、君子が有道の世に遇えば自分の抱負を施行し得て欣然として行い、無道の世に遇えば抱負を施行し得ず引退して避けることを言う。

九二曰“見龍在田,利見大人”,何謂也?子曰:龍徳而正中者也。庸言之信,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,徳博而化。易曰“見龍在田,利見大人”,君徳也。正中信謹以下,皆所以修身也。君子有君徳而無其位,修已以俟時,徳已及人也。

《文言伝》が問う:九二に「見龍在田、利見大人」というのは、何を講ずるか。孔子が答えていわく:これは龍徳を具えて中正の位に居る人である。彼は平常の言話に信用を講じ、平常の行事に謹慎で、邪念を防範して内心の誠を保全し、当世に沢を被せても誇耀せず、德行が広博にして他人を感化し得る。《周易》に「見龍在田、利見大人」というのは、まさに君たるの徳を指す。司馬光が解していわく:「正中」「信」「謹」これらの言葉から下は、すべて自身を修養する功夫を講ずる。君子が君たるの德行を具えてもまだ相応の地位がなければ、自己を修養して時機を待つ。その徳沢はこの時すでに他人に恵及している。

九三曰“君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎”,何謂也?子曰:君子進徳修業。忠信,可以進徳也;修辭立其誠,所以居業也。知至至之,可與幾也;知終終之,可與存義也。是故居上位而不驕,在下位而不憂,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。修辭立其誠所以居業也:君子外修言辭,內推至誠,內外相應,令無不行,事業所以日新也。

《文言伝》が問う:九三に「君子終日乾乾、夕惕若厲、无咎」というのは、何を講ずるか。孔子が答えていわく:君子は德行を増進し、学业を修治する。忠誠守信は德行を増進し得、言辞を修飭し誠意を確立すれば事業を守ることができる。到達すべき境地を知って努力して到達すれば、彼と幾微の理を談ずることができる。終止すべき時を知って適時に終止すれば、彼とともに道義を持守することができる。だから上位に居ても驕横せず、下位に処しても憂惧しない。それゆえ勤勉不懈で随時に警惕し、たとい危険に遇うも過ちがない。司馬光が解していわく:「修辭立其誠、所以居業也」とは、君子が外に言辞を修飭し、内に至誠の心を推行し、内外が互いに応合し、発する政令に推行されないものがなく、事業はこれによって日日に更新することを言う。

九四曰“或躍在淵,無咎”,何謂也?子曰:上下無常,非為邪也;進退無恆,非離群也。君子進徳修業,欲及時也,故無咎。君子時行則上進,時止則下退,非為邪以求利,非違眾以干名也,恐失時而已。

《文言伝》が問う:九四に「或躍在淵、无咎」というのは、何を講ずるか。孔子が答えていわく:あるいは上りあるいは下るのに常規はなく、邪僻の事をするためではない。あるいは進みあるいは退くのに定則はなく、同類を離れるためではない。君子が德行を増進し学业を修治するのは、時機に趕上しようと欲するからで、ゆえに過ちがない。司馬光が解していわく:君子は行動すべき時には向上して進取し、止息すべき時には下に退処する。彼は邪念のために私利を牟取するのでもなく、衆人に違背して名声を猟取するのでもなく、ただ時機を錯失することを恐れるのみである。

九五曰“飛龍在天,利見大人”,何謂也?子曰:同聲相應,同氣相求。水流溼,火就燥,雲從龍,風從虎,聖人作而萬物睹。本乎天者親上,本乎地者親下,則各從其類也。聖人在位,萬物無不知之,故聖賢畢集,亦從其類也。

《文言伝》が問う:九五に「飛龍在天、利見大人」というのは、何を講ずるか。孔子が答えていわく:相同の声は互いに応和し、相同の気は互いに尋求する。水は低湿の所に流れ、火は乾燥の所に焼き、雲は龍に随いて起き、風は虎に随いて生ずる。聖人が興起すれば、万物はみな仰望して瞻視する。本源が天に出るものは上に親附し、本源が地に出るものは下に親附し、各自その同類に従う。司馬光が解していわく:聖人が君位に居れば、万物は彼を識らない者がなく、ゆえに聖賢の士が紛紛として彼の身辺に汇集する。これも各々その類に随う道理である。

上九曰“亢龍有悔”,何謂也?子曰:貴而無位,髙而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。既亢驕自賢,則賢人在下位莫肯輔,其顛危也。

《文言伝》が問う:上九に「亢龍有悔」というのは、何を講ずるか。孔子が答えていわく:地位が尊貴でも実際の職位がなく、身が高処に居ても百姓の帰附がなく、賢人は下位に居るが肯んじて輔佐に来ず、ゆえに一たび挙動すれば悔恨を招く。司馬光が解していわく:すでに驕亢自負で自ら賢と為せば、下位に処する賢人で肯んじて輔佐に来る者はなく、彼は勢い必ず傾覆危亡する。

潛龍勿用,下也。見龍在田,時舍也。為時所舍,故有君徳而無其位。終日乾乾,行事也。或躍在淵,自試也。飛龍在天,上治也。亢龍有悔,窮之災也。乾元用九,天下治也。

《文言伝》またいわく:「潜龍勿用」は、身が下位に処するからである。「見龍在田」は、時勢に暫く擱置されたのである。司馬光が解していわく:まさに時勢に擱置されたからこそ、君たるの徳があっても相応の地位がない。「終日乾乾」は、事を弁ずるに勤いことを言う。「或躍在淵」は、自ら時機を試探することを言う。「飛龍在天」は、上位に居りて治理を施行することを言う。「亢龍有悔」は、窮極が招く災禍を言う。「乾元用九」は、天下がこれによって治理を得ることを言う。

潛龍勿用,陽氣潛藏。見龍在田,天下文明。終日乾乾,與時偕行。或躍在淵,乾道乃革。飛龍在天,乃位乎天徳。亢龍有悔,與時偕極。乾元用九,乃見天則。

《文言伝》またいわく:「潜龍勿用」は、陽気が潜伏収蔵する時である。「見龍在田」は、天下が文采光明の時である。「終日乾乾」は、時勢とともに前進することである。「或躍在淵」は、乾道がまさに変革を生じようとすることである。「飛龍在天」は、天徳に合う尊位に居ることである。「亢龍有悔」は、時勢とともに極点に走到したことである。「乾元用九」は、ここに上天の運行の法則が顕現する。

乾元者,始而亨者也。利貞者,性情也。乾始能以羙利利天下,不言所利,大矣哉!大哉乾乎!剛健中正,純粹精也。六爻發揮,旁通情也。時乘六龍,以御天也。雲行雨施,天下平也。

《文言伝》またいわく:いわゆる「乾元」は、万物を開創してこれを亨通せしめる力である。いわゆる「利貞」は、万物の本性と実情を講ずる。乾道は始めから美好な利益をもって天下に施恵し得るが、自分が何の利を施したかを宣揚することはない。これは真に偉大である。偉大なりや乾卦。それは剛強勁健にして中を居り正を守り、純浄で雑なく極めて精粹である。六爻の意義が発揮されれば、万物の情状に旁通する。時に乗じてこの六条の龍を駕御するのが、すなわち天道を駕御することである。雲気が流行し雨沢が降下すれば、天下はここに太平となる。

君子以成徳為行,日可見之行也。潛之為言也,隠而未見,行而未成,是以君子弗用也。君子學以聚之,問以辨之,寛以居之,仁以行之。易曰“見龍在田,利見大人”,君徳也。

《文言伝》またいわく:君子は德行を成就することを自己の行為準則とし、それは日日に行事に見ることができる。「潜」の字の含義は、隠蔵してまだ顕現せず、修行してまだ成就せず、ゆえに君子はこの時作為を施展しない。君子は学习によって学問を積聚し、請教によって疑難を辨明し、寛厚によって居処し人を待ち、仁愛によって実行に付す。《周易》に「見龍在田、利見大人」というのは、君たるの德行を講ずる。

九三重剛而不中,上不在天,下不在田,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。九四重剛而不中,上不在矢,下不在田,中不在人,故或之。或之者,疑之也,故無咎。

《文言伝》またいわく:九三は陽爻が陽位に居り、重畳の剛で中位に居らず、上は天位に到らず、下は田位を離れ、ゆえに勤勉不懈で随時に警惕し、たとい危険があっても過ちがない。九四もまた重畳の剛で中位に居らず、上は天位に到らず、下は田位を離れ、中に居りて人位に在らず、ゆえに「或」の字を用いる。いわゆる「或」とは、心に遅疑を存し審慎して決しない意味で、ゆえに過ちがない。

夫大人者,與天地合其徳,與日月合其明,與四時合其序,與鬼神合其吉凶。先天而天弗違,後天而奉天時。天且弗違,而況於人乎?況於鬼神乎?亢之為言也,知進而不知退,知存而不知亡,知得而不知喪。其惟聖人乎!知進退存亡而不失其正者,其惟聖人乎!

《文言伝》またいわく:いわゆる「大人」は、その德行が天地と合し、その光明が日月と合し、その秩序が四時と合し、その断定する吉凶が鬼神と合する。彼が天時の先に行動しても、上天も彼に違背せず、彼が天時の後に行動すれば、上天の時序を奉行する。上天すらなお彼に違背しないのに、いわんや人をや、いわんや鬼神をや。「亢」の字の含義は、ただ前進を知って後退を知らず、ただ生存を知って滅亡を知らず、ただ獲得を知って喪失を知らないことである。これに能くしないのは、おそらく聖人のみであろう。進退存亡の道理を知ってその正道を失わないのは、おそらく聖人のみであろう。

坤卦

坤下坤上。坤:元亨,利牝馬之貞。君子有攸往,先迷後得主,利西南得朋,東北喪朋,安貞吉。彖曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。坤厚載物,徳合無疆,含光大,品物咸亨。牝馬地類,行地無疆,柔順利貞。君子攸行,先迷失道,後順得常。西南得朋,乃與類行;東北喪朋,乃終有慶。安貞之吉,應地無疆。

坤卦は下卦が坤、上卦も坤である。卦辞にいわく:坤は元始にして亨通し、母馬のように柔順にして正を守るに利あり。君子が往く所あれば、先んじて行けば方向を迷い、後に随従すれば主人を得る。西南方に往けば朋友を得、東北方に往けば朋友を失う。正道に安んずれば吉利である。《彖伝》にいわく:至極なりや坤の代表する元始の徳、万物はそれに依頼してようやく生長し得、それは上天に順承する。大地は深厚にして万物を承載し得、その徳性は無辺無際に合し、涵容広大にして各類の事物を亨通順遂せしめる。母馬は地類に属し、大地上を窮りなく行走し得、柔順にして正を守るに利あり。君子が往く所あれば、先んじて行けば正道を迷い、後に随従すれば常理に合う。「西南得朋」は、同類と同行することを言う。「東北喪朋」は、最終にかえって福慶があることを言う。正道に安守するが吉たる所以は、それが大地の無辺の徳性に相応するからである。

象曰:地勢坤,君子以厚徳載物。乾之象曰“自強不息”,坤之象曰“厚徳載物”,何也?曰:強者,勉之謂也;載者,安濟之謂也。君子自強法天,厚徳法地,徳不厚則物不得而濟也。是故自強不息則道無不臻,厚徳而載則物無不濟。夫乾坤者,易之門戶,二象者,道徳之關樞也。

《大象伝》にいわく:大地の形勢は順承寛厚で、君子はこれに取法して深厚の德行をもって万物を承載する。司馬光が問う:乾卦の《大象》に「自彊不息」といい、坤卦の《大象》に「厚德載物」というのは、なぜか。答えていわく:いわゆる「強」は勉力奮発の意味、いわゆる「載」は安頓済助の意味である。君子の自彊は天に取法し、德行の深厚は地に取法する。德行が厚くなければ万物は済助を得ない。だから自彊不息なれば大道は至らない所なく、徳厚にして承載し得れば万物は済助を得ないものなし。乾と坤は《周易》の門戸であり、「自彊不息」「厚德載物」のこの二つの卦象は、道と徳の関鍵枢紐である。

初六:履霜,堅冰至。象曰:履霜堅冰,陰始凝也,馴致其道,至堅冰也。初六者,陰之始也。於律為林鐘,於曆為建未之月,陽氣方盛,陰生而物未之知也,是故君子謹之。其曰履霜堅冰至:霜者寒之先也,冰者寒之盛也。君子見微而知彰,原始而知終,攘惡於未芽,杜禍於未萌,是以身禔而國家乂寜也。

初六爻辞にいわく:脚下に霜を踏めば、堅厚の氷がまさに至ろうとしている。《小象伝》にいわく:霜を履んで堅氷の至るを知るは、陰気が凝結し始めることであり、この路に順って発展すれば、堅氷の地步に至る。初六のこの爻は陰気の端緒である。十二律に配すれば「林鐘」、暦法に配すれば建未の月、すなわち夏暦六月である。この時陽気が正に盛んで、陰気はすでに産生したが万物はまだ察覚していない。だから君子はこれに格外に謹慎する。爻辞に「履霜、堅氷至」という:霜は寒冷の先兆、氷は寒冷の極盛である。君子は細微の苗头を見て顕著の后果を推知し、開端を推究して結局を預知し、悪がまだ発芽しない時にこれを除き、禍がまだ萌生しない時にこれを堵す。ゆえに自身安寧にして国家太平である。

六二:直方大,不習無不利。象曰:六二之動,直以方也;不習無不利,地道光也。六二者,於律為南呂,於曆為建酉之月,草木黃落,暑去而寒至也。其曰直方大何?直方而大,地之徳也。六二何為擅地之徳?坤之主也。六二何為坤之主?夫陰陽雖殊,皆主中正者也,故乾九五陽之主也,坤六二陰之主也。地之得其為直方大者何?直者言其氣,方者言其形也,大者兼形與氣而言之也。

六二爻辞にいわく:正直・端方・博大で、刻意に演習しなくても不利なし。《小象伝》にいわく:六二の挙動は正直にして端方、演習しなくても不利なきは、大地の道が光明顕著だからである。六二のこの爻は、十二律に配すれば「南吕」、暦法に配すれば建酉の月、すなわち夏暦八月で、この時草木は枯黄凋落し、暑気は退いて寒気が至る。爻辞に「直方大」というのは何の意味か。正直・端方にして博大は、まさに大地の徳性である。六二は何によって独り大地の徳性を得るか。それは坤卦の主爻だからである。六二はまた何によって坤卦の主爻となるか。陰陽は性質が異なるが、いずれも居中守正の爻を主とする。ゆえに乾卦九五は陽の主爻、坤卦六二は陰の主爻である。大地の「直方大」と称し得る所以は、またどう講ずるか。「直」はその気について言い、「方」はその形について言い、「大」は形と気の両面を兼合して言うのである。

六三:含章可貞,或從王事,無成有終。象曰:含章可貞,以時發也;或從王事,知光大也。乾坤之爻,得位未必告,失位未必凶,其故何也?曰:陽非陰則不成,陰非陽則不生,陰陽之道,表裡相承,陰勝則消,陽勝則亢。是故乾坤以陰居陽、以陽居陰,不皆為咎也。

六三爻辞にいわく:文采を含蘊して正を守るべく、あるいは君王の政事に従事し、成功を居らずしてよい結局がある。《小象伝》にいわく:文采を含蘊して正を守るべきは、時機を待って発露するためである。あるいは王事に従事するは、彼の智慧が広大であることを言う。司馬光がいわく:乾坤両卦の爻は、正位を得ても必ずしも吉でなく、正位を失っても必ずしも凶でない。これは何の故か。答えていわく:陽は陰なくして成就できず、陰は陽なくして生発できない。陰陽の道理は表裏互いに承接する。陰が過盛になれば陽を消退せしめ、陽が過盛になれば驕亢に流れる。だから乾坤両卦の中で陰爻が陽位に居り、陽爻が陰位に居る情形は、すべてが過ちと算入されるわけではない。

乾之九三以陽居陽而不中,故曰“夕惕若厲,無咎”;坤之六四以陰居陰而不中,故曰“括囊,無咎無譽”:皆剛柔太過,故須畏慎而後免咎也;然未失其正,故不凶也。九五、六二居中履正,其徳最羙;九二、六五不失其中,徳羙次之;九三、六四不失其正,雖危無疑;九四、六三雖無中正之徳,九四以陽處下,剛克而沈潛者也,故曰“在淵無咎”;六三以陰處上,柔克而髙明者也,故曰“含章可貞”。

乾卦九三は陽爻が陽位に居りて中位に在らず、ゆえに爻辞に「夕惕若厲、无咎」という。坤卦六四は陰爻が陰位に居りて中位に在らず、ゆえに爻辞に「括囊、无咎无譽」という。この両爻はいずれも剛または柔が過頭で、ゆえに必ず戒惧謹慎して後に過ちを免れ得る。しかしそれらは畢竟正位を失っていないから、凶険ではない。九五と六二は中位に居りかつ正位を得て、德行は最も美善である。九二と六五は位に当たらないが中に居り、德行の美は次一等である。九三と六四は正位を失わず、危険はあるが疑慮する所なし。九四と六三については、中でもなく正でもないが、九四は陽爻をもって上卦の下位に処し、「剛克」に属して沈潜し得る一類で、ゆえに「在淵无咎」という。六三は陰爻をもって下卦の上位に処し、「柔克」に属して高明になり得る一類で、ゆえに「含章可貞」という。

六三者,於律為應鐘,於曆為建亥之月,百榖斂藏,萬物備成,陰功小終。體執乎柔而志存乎剛,故曰含章;柔不泥於下,剛不疑乎上,故曰可貞。王者,尊之極也,為臣之榮,從王役也;不敢專成,下之職也;承事之終,臣之力也。

六三のこの爻は、十二律に配すれば「応鐘」、暦法に配すれば建亥の月、すなわち夏暦十月である。この時百谷は収斂して倉に入り、万物は完全に成熟し、陰の功用は小さく成り告げる。その形体は柔順を執守し、心志は剛健を存する。ゆえに「含章」という。柔順にして下に拘泥せず、剛健にして上に疑われず。ゆえに「可貞」という。君王は尊貴の極点であり、臣子たるの栄耀は君王に効力して事を弁ずることにある。成功を独占することを敢えてしないのは下位に居る者の本分で、事情を承当してそれを底迄するのは臣子の功労である。

物以陽生,得陰而成;令由君出,得臣而行。故陽而不陰則萬物傷矣,君而不臣則百職曠矣。陰陽同功,君臣同體,天之經也,人之紀也。《虞書》曰:“予欲左右有民,汝翼;予欲宣力四方,汝為。”此之謂也。

万物は陽気によって生じ、陰気を得て成熟する。政令は君主から発し、臣子を得て推行される。だから陽のみあって陰なければ、万物は損害を受ける。君のみあって臣なければ、百官の職事は荒廃する。陰と陰は共に一功を成し、君と臣は同じく一体を為す。これは上天の常道であり、人間の綱紀でもある。《尚書・虞書》に舜帝の言葉を記していわく:「私は百姓を輔助教養したい。あなたたちに輔翼してほしい。私は四方に力量を施展したい。あなたたちに実行してほしい」、と。言うのはまさにこの道理である。

六四:括囊,無咎無譽。象曰:括囊無咎,慎不害也。六四者,於律為大呂,於曆為建丑之月,曰窮於次,月窮於紀,天吟地閉,萬物伏死,陰氣大盛,陽將更始。履卑體順,以陰居陰,處不得中而潛伏乎其深,是以幽晦否塞而不通,雖無咎亦無譽也。

六四爻辞にいわく:口袋を扎緊するように口を閉じて言わなければ、過ちもなく称誉もない。《小象伝》にいわく:口袋を扎緊して禍患に遭わないのは、謹慎だからこそ損害を受けない。六四のこの爻は、十二律に配すれば「大吕」、暦法に配すれば建丑の月、すなわち夏暦十二月である。この時太陽は一年の十二次を走り終え、月は一年の会合を走り終え、天地は閉塞凝滞し、万物は潜伏して死のごとく、陰気は極めて旺盛で、陽気はまさに重新に始まろうとする。六四の処する位置は卑下で、体性は柔順で、陰爻をもって陰位に居り、中に居らずして深く潜伏し、ゆえに幽暗閉塞して通達しない。こうすれば過ちはないが、称誉も得られない。

六五:黃裳元吉。象曰:黃裳元吉,文在中也。六五者,於律為夾鐘,於曆為建帽之月,天地始闢,和氣融明,莩甲發散,庶物滋榮。體柔而志剛,乘陰而佐陽,中羙能黃,上羙則元,下羙則裳,是以吉也。

六五爻辞にいわく:黄色の下裳は大いに吉利である。《小象伝》にいわく:黄裳の大吉は、文采が中位に蘊含されているからである。六五のこの爻は、十二律に配すれば「夾鐘」、暦法に配すれば建卯の月、すなわち夏暦二月である。この時天地が開闢し始め、和暖の気が融和明朗で、草木の種殻が萌発綻裂し、万物が滋長繁栄する。六五は体性が柔順にして心志が剛健で、衆陰に凌乗して陽剛を輔佐する。内在の美が中に居るから「黄」の中央の色を取り、上にある美徳を「元」と称し、下にある美徳を「裳」と称し、ゆえに吉利である。

上六:龍戰于野,其血黃。象曰:龍戰于野,其道窮也。上六者,陰之窮也。於律為仲呂,於曆為建巳之月,純陰用事,陽道已窮,冒進不已,不能守中,是以戰也。夫下不能自重,重之者上也;臣不能自大,大之者君也。重而不已,上必危;大而不已,君必虧。既危且虧,能無戰乎?故君子執臣之樞,守臣之機,謹其樞,固其機,禍無從來。樞機之失,儓僕為災,雖得而勝之,猶有傷也,故曰其血黃。

上六爻辞にいわく:龍が郊野で交戦し、青黄相雑の血を流す。《小象伝》にいわく:龍が郊野で交戦するのは、陰の道路がすでに尽頭に走到したからである。上六のこの爻は陰気が窮尽する段階である。十二律に配すれば「仲吕」、暦法に配すれば建巳の月、すなわち夏暦四月である。この時純陰が権を当てて事を用い、陽の道路はすでに窮処に至る。陰気はひとえに冒進して止まず、中道を守ることができず、ゆえに交戦がある。下位に居る人は自分で自分を抬高できず、彼を抬高するのは上の君主である。臣子たるは自分で自分を強大にできず、彼を強大にするのは君主である。抬高して止まなければ、上の者は必ず危険になる。壮大にして止まなければ、君主は必ず損害を受ける。危険であり損害を受けるのに、争闘が発生しないことがあろうか。だから君子は臣子たるの枢紐を把握し、臣子たるの関鍵を守る。この枢紐を謹守し、この関鍵を穏固にすれば、禍患は生ずる由がない。ひとたび枢紐関鍵が失守すれば、僕隷の下人すら禍患となり、たとい僥倖に相手に戦勝しても、自分はすでに傷を受けている。ゆえに爻辞に「其血玄黄」という。

文言曰:臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辨之不早辨也。嗚呼!聖人之戒為人上者,如此其深乎!用六:利永貞。象曰:用六永貞,以大終也。

《文言伝》にいわく:臣子が君主を殺害し、子が父を殺害するのは、いずれも一朝一夕に造成されたのではなく、その由来は逐漸に積累し、原因は辨察すべき時に及早に辨察しなかったことにある。司馬光が感嘆していわく:ああ、聖人が上位に居る者に告誡するその用意は、竟にこのように深切であるか。用六爻辞にいわく:長久に正を守るに利あり。《小象伝》にいわく:用六の「永貞」たる所以は、宏大をもって全卦を収結しようとするためである。

文言曰:坤至柔而動也剛,至靜而徳方,後得主而有常,含萬物而化光。坤道其順乎,承天而時行。積善之家,必有餘慶;積不善之家,必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辨之不早辨也。易曰“履霜堅冰至”,蓋言順也。

《文言伝》にいわく:坤は極めて柔順だが、ひとたび運動すれば剛勁である。それは極めて安静で、徳性が方正である。後に随従してようやく主人を得、ゆえに常道に合する。それは万物を涵容して化育の功が広大である。坤道は真に柔順なりや、それは上天を承奉して時に依って運行する。善行を積累する家は、必ず余裕の福慶を後人に留める。悪行を積累する家は、必ず余裕の禍殃を後人に留める。臣子が君主を殺害し、子が父を殺害するのは、いずれも一朝一夕に造成されたのではなく、その由来は逐漸に積累し、原因は辨察すべき時に及早に辨察しなかったことにある。《周易》に「履霜、堅氷至」というのは、まさに事情が勢いに順って発展し、循序に至る道理を講ずる。

直其正也,方其義也。君子敬以直內,義以方外,敬義立而徳不孤。“直方大,不習無不利”,則不疑其所行也。君子法地之直方,則敬以直內,義以方外,敬義立而徳不孤,則大也。何謂敬以直內、義以方外?敬則所受不陷於敗也,義則所適不失其宜也。直且方者,守諸己而無待於外也。君子居則不陷於敗,動則不爽其宜,施於身而身正,施於國而國治,夫又何習而何不利焉?可以斷然無疑矣。

《文言伝》にいわく:「直」は内心の端正を言い、「方」は行事の合宜を言う。君子は恭敬をもって内心を正直にし、道義をもって行為を方正にする。敬と義が確立すれば、德行は孤立无助とならない。爻辞に「直方大、不習无不利」というのは、彼が自分の所作所為に疑慮がないことを言う。司馬光が解していわく:君子が大地の正直と方正に取法すれば、敬をもってその内を正しくし、義をもってその外を方とすることができる。敬と義が確立して徳が孤立しなければ、これが「大」である。何が「敬以直内、義以方外」か。心に恭敬を存すれば、承受する事情が敗壊に陥らない。行事が義に合すれば、往く所が分寸を失わない。正直にして方正の人は、根本を自己身上に守りて外物に依頼しない。君子は平居に敗壊に陥らず、行動に事宜に違背せず、自身に施行すれば自身が端正し、国家に施行すれば国家が安治する。こうなれば、なお何の演習が必要で、何の不利があろうか。完全に断然として疑うことがない。

陰雖有羙,含之以從王事,弗敢成也。地道也,妻道也,臣道也。地道無成而代有終也。天地變化,草木蕃;天地閉,賢人隠。易曰“括囊,無咎無譽”,蓋言謹也。君子黃中通理,正位居體,羙在其中而暢於四支,發於事業,羙之至也。陰疑於陽必戰,為其嫌於無陽也,故稱龍焉;猶未離其類也,故稱血焉。夫黃者,天地之雜也,天而地黃。

《文言伝》にいわく:陰は美徳を含有するが、それを含蔵して君王の政事に従事し、成功に自居することを敢えてしない。これが大地の道、妻子の道、臣子の道である。大地の道は成功に自居することを敢えてせず、ただ上天に代わって終結を完成するのみである。天地が交感変化すれば、草木は繁盛する。天地が閉塞して通ぜざれば、賢人は隠退する。《周易》に「括囊、无咎无譽」というのは、まさに謹慎を講ずる。君子は中和の徳を内含して文理に通達し、正位に居りて体統が安定し、美徳が心中に蘊含して四肢に暢達し、事業上に発揮する。これは美の極点である。陰が盛んになって陽と疑似する地步に至れば、必ず争戦が発生する。人がその中に陽がないと誤認するを怕れるから、それを「龍」と称する。しかしそれは畢竟陰の類属を脱していないから、また「血」と称する。「黄」については、それは天地の色が相雑じて成ったもので、天色は玄にして地色は黄である。

屯卦

震下坎上。屯:元亨利貞,勿用有攸往,利建侯。彖曰:屯,剛柔始交而難生,動乎險中,大亨貞。雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寜。象曰:雲雷,屯,君子以經綸。

屯卦は下卦が震、上卦が坎である。卦辞にいわく:屯は元始にして亨通して正を守るに利あり、往く所あるに宜しからず、諸侯を分封するに利あり。《彖伝》にいわく:屯は剛と柔がちょうど交接して艱難がこれに随いて産生し、険境の中で活動し、ゆえに大いに亨通して正を守り得る。雷雨は鼓動して天地の間に充盈する。天地が初創し、草創蒙昧の時には、諸侯を分封すべきで、かつ安逸に自居すべからず。《大象伝》にいわく:雲が上にあり雷が下にある、これが屯卦である。君子はこれに取法して天下の綱紀を整理する。

屯者何?草木之始生也,貫地而出,屯然其難也。象曰“君子以經綸”,經綸者何?猶云綱紀也。屯者,結之不解者也。結而不解則亂,亂而不緝則窮,是以君子設綱布紀,以緝其亂,解其結,然後物得其分,事得其序,治屯之道也。

何が「屯」か。それは草木がちょうど萌生し、地面を頂穿して出て、屯然として聚積し、挙歩が艱難な様子である。《大象伝》に「君子以経綸」という。何が「経綸」か。綱紀を整治するに相当する。いわゆる「屯」は、糾結して解けない状態である。結住して解けなければ混乱し、混乱して整理しなければ絶境に走到する。だから君子は綱領を設立し法度を布置して、その混乱を整理しその糾結を解き、そうして万物が各々その分を得、衆事が各々その序を得るようにする。これが屯難を治理する方法である。

初九:盤桓,利居貞,利建侯。象曰:雖盤桓,志行正也;以貴下賤,大得民也。屯初九盤桓者何?治屯之道不可遽也。利居貞者何?治之不正,愈以亂之也。利建侯者何?建侯所以治其綱也。治其綱,百目張,夫又何亂之不緝,何結之不解乎?此之謂經綸之道也。

初九爻辞にいわく:徘徊逗留し、安処守正に利あり、諸侯を分封するに利あり。《小象伝》にいわく:徘徊逗留するが、心志の行くところは正当である。尊貴の身をもって卑賤の下に屈居し、ゆえに大いに民心を得る。司馬光が屯卦初九を解していわく:「盤桓」とは何の意味か。屯難を治理するに操切してはならないということである。「利居貞」とは何の意味か。治理する時に正道を走らなければ、かえって局面を一層乱すということである。「利建侯」とは何の意味か。諸侯を分封するはまさに大綱を整治する方法である。大綱を捉えれば、衆多の細目は自然に張開し、それでなお何の混乱が整理できず、何の糾結が解けないことがあろうか。これが「経綸」の道と称する。

六二:屯如邅如,乘馬班如,匪□婚媾,女子貞不字,十年乃字。象曰:六二之難,乘剛也;十年乃字,反常也。人臣之道,患不正也,患不一也。茍一而正,通可必也。十年之屯,猶一日也。

六二爻辞にいわく:艱難にして徘徊し、馬に騎りて盤旋して進まず。来るのは強寇ではなく、婚配を求めに来る者である(原文ここに一字欠く)。女子は正を守って出嫁せず、十年を過ぎてようやく出嫁する。《小象伝》にいわく:六二の艱難は、剛爻の上に凌乗するからである。十年にしてようやく出嫁するのは、反常の局面が終に正常に復帰するからである。司馬光が解していわく:臣子たるの道理は、端正ならざるを怕れ、専一ならざるを怕れる。もし専一にして端正ならば、通達は必然に期待できる。こうすれば、十年の屯難も、一日のごとく容易に過ぎる。

六三:即鹿無虞,惟入于林中,君子幾,不如舍,往吝。象曰:即鹿無虞,以從禽也;君子舍之,往吝窮也。六四:乘馬班如,求婚媾,往吉,無不利。象曰:求而往,明也。九五:屯其膏,小貞吉,大貞凶。象曰:屯其膏,施未光也。上六:乘馬班如,泣血漣如。象曰:泣血漣如,何可長也。

六三爻辞にいわく:野鹿を追逐するも虞人の引路なく、ただ一頭に樹林の深処に闖入するのみ。君子は機を見て事を行い、捨てて追わないに如かず、強いて往けば憾惜がある。《小象伝》にいわく:鹿を追って虞人の引路なきは、ひとえに禽獣を貪求する。君子がそれを捨てるのは、往けば必ず憾惜困窮を致すからである。六四爻辞にいわく:馬に騎りて盤旋して進まず、前に行って婚配を求取すれば、往くは吉利で不利なし。《小象伝》にいわく:求むる所あって往くは、明智である。九五爻辞にいわく:恩沢を積聚して下に施与せざれば、小事は正を守って吉利、大事は正を守って凶険。《小象伝》にいわく:恩沢を積聚して施さざるは、施与がまだ広大でないからである。上六爻辞にいわく:馬に騎りて盤旋して進まず、哭いて眼泪が血のごとく連綿と断たない。《小象伝》にいわく:泣血連綿、この局面はどうして長久し得ようか。

蒙卦

坎下艮上。蒙:亨。匪我求童蒙,童蒙求我。初筮告,再三瀆,瀆則不告,利貞。彖曰:蒙,山下有險,險而止,蒙。蒙亨,以亨行時中也。匪我求童蒙,童求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也。蒙以養正,聖功也。

蒙卦は下卦が坎、上卦が艮である。卦辞にいわく:蒙は亨通。我が蒙昧の童子を求めるにあらず、蒙昧の童子が我を求める。初次占問すれば彼に告げ、一再追問すればこれを褻瀆し、褻瀆すればもはや告げない。正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:蒙卦の卦象は山下に険あり、険に遇って歩を止めて前進せず、これが蒙である。蒙の亨通たる所以は、亨通の道をもって行事して時中に合うからである。「我が童蒙を求めるにあらず、童蒙が我を求む」は、双方の心志が相応することを言う。「初筮告」は、九二が陽剛にして中に居るからである。「再三瀆、瀆則不告」は、こうすればかえって啓蒙の事を褻瀆するからである。蒙昧未鑿の時をもって純正を培養するは、聖人を造就する功業である。

蒙者何?百姓蚩蚩,莫知所之,聖人教之以道,然後曉然識其是非,故夫蒙者,教人之象也。匪我求童蒙,童蒙求我:孔子曰“不憤不啟,不悱不發”,夫人不求我而強教之,則志不應而言不從矣,故君子之教,道而弗牽,強而弗抑,開而弗達也。

何が「蒙」か。百姓が懵懂無知でどこへ往くべきかを知らず、聖人が大道をもって彼らを教導し、そうして彼らがはっきりと是非を分辨するようになる。だから「蒙」のこの一卦は、まさに人を教育する象徴である。「我が童蒙を求めるにあらず、童蒙が我を求む」について:孔子がかつていわく「学生が苦思して解けない時に至らなければ彼を開導せず、言いたくて言えない時に至らなければ彼を啓発せず」、と。他人が来て我を求めず、我が勉めて彼を教えれば、彼の心志は肯んじて応じず、我の言葉も彼は聴従しない。だから君子の施教は、引導を加えるのみで強引にはせず、勉励を加えるのみで圧制せず、啓発を作るのみで結論を直接に講尽しない。

初筮告,再三瀆,瀆則不告:孔子曰“學而不思則罔”,又曰“舉一隅不以三隅反,則不復也”。陸希聲曰:初筮告,啟其宗也;再三瀆,以塞聰也;瀆則不告,告乃成蒙也。

「初筮告、再三瀆、瀆則不告」について:孔子がかつていわく「ただ学习して思考しなければ迷惘する」、またいわく「一角を挙げて残りの三角を推知し得なければ、もはや彼を教えない」、と。唐の陸希声がいわく:初次占問すれば彼に告げるは、彼のために根本要領を開啓するためである。一再追問すれば褻瀆となり、かえって彼の聡明を堵塞する。褻瀆すればもはや告げない。ひとえに告げるばかりでは、彼を一層蒙昧な人に養成するのみだからである。

夫鍜礪者工也,犀利者金也;植藝者圃也,堅實者木也。則工雖巧,不能持土以為兵;圃雖良,不能植穀而生梓也。故才者天也,不教則棄;教者人也,不才則悖。故人者受才於天而受教於師。師者,決其滯,發其蔽,抑其過,引其不及,以養進其天才而已。繫辭曰“茍非其人,道不虛行”,此之謂也。

鍛打磨礪するのは工匠だが、鋭利かどうかは金属本身に取决まる。栽種培育するのは園丁だが、堅実かどうかは木材本身に取决まる。だから工匠がいくら灵巧でも、泥土をもって兵器を打造できない。園丁がいくら高明でも、穀子を種して梓樹を長出させられない。それゆえ人の才質は天賦から出て、教育を加えなければ白白と拋棄する。教育は人為から出て、学生に才質がなければ行き通らない。だから人は上天から才質を接受し、師長から教育を接受する。老師たる者は、彼の滞塞を疏通し、彼の蒙蔽を掲開し、彼の過頭を抑制し、彼の不足を牽引して、彼の天生の才質を培養増進するに過ぎない。《繋辞》に「もしそのような人でなければ、道は空しく施行されない」というのは、まさにこの意味である。

象曰:山下出泉,蒙,君子以果行育徳。果行者,言其動也;育徳者,言其靜也。君子動果而靜専,內明而外晦,此之謂蒙以養正也。

《大象伝》にいわく:山下に泉水が湧出する、これが蒙卦である。君子はこれに取法して果決に行事し、自己の徳性を涵育する。いわゆる「果行」は彼の動の一面を講じ、いわゆる「育徳」は彼の静の一面を講ずる。君子は動けば果断、静まれば専一、内心が明達にして外表は含晦である。これを「蒙昧未鑿の時をもって純正を培養する」と称する。

初六:發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往吝。象曰:利用刑人,以正法也。九二:包蒙吉,納婦吉,子克家。象曰:子克家,剛柔接也。六三:勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利。象曰:勿用取女,行不順也。六四:困蒙,吝。象曰:困蒙之吝,獨逺實也。

初六爻辞にいわく:蒙昧を啓発し、刑罰を施用して人を警戒するに宜しく、人をして脚鐐手銬を脱がしむべく、ひとえに刑を用い続ければ憾惜がある。《小象伝》にいわく:刑罰を施用するに宜しいは、法度を端正するためである。九二爻辞にいわく:蒙昧者を包容すれば吉利、妻室を娶納すれば吉利、子は家業を撑起できる。《小象伝》にいわく:子が家業を撑起し得るは、陽剛と陰柔が相接応するからである。六三爻辞にいわく:この女子を娶ることなかれ、彼女は有銭の男子を見れば身を失って相従し、何の好処もない。《小象伝》にいわく:この女子を娶ることなかれは、彼女の行為が順正の道に合わないからである。六四爻辞にいわく:蒙昧に困る、憾惜あり。《小象伝》にいわく:蒙昧に困る憾惜は、それが孤零零として剛実の陽爻に遠離するからである。

六四困蒙吝:孔子曰“困而不學,民斯為下矣”,聖人於是爻也,將以戒夫不學者也。六五:童蒙,吉。象曰:童蒙之吉,順以巽也。童蒙者,何以吉也?得人而信使之也。

六四の「困蒙、吝」について:孔子がかつていわく「困惑に遇ってもなお学习を肯んじなければ、そのような人は最も下等である」、と。聖人はこの爻において、まさに学习を肯んじない人に告誡しようとする。六五爻辞にいわく:童子のように蒙昧にして教を受ければ、吉利。《小象伝》にいわく:童蒙の吉利たる所以は、それが柔順にして謙遜だからである。いわゆる「童蒙」は、なぜかえって吉利か。彼が賢人を得て、信任して任用し得るからである。

昔齊桓公、衛靈公之行,犬彘之所不為也,然而大則霸諸侯,小則有一國,其故何哉?有管仲、仲叔圉、祝鮀、王孫賈為之輔也。二君者,天下之不肖君也,得賢人而信使之,猶且安其身而収其功,況明哲之君用忠良之臣者乎?上九:擊蒙,不利為冦,利御冦。象曰:利用御冦,上下順也。

昔、斉桓公・衛霊公の所作所為は、猪狗すら為さないことであったが、しかし大は諸侯に称霸し得、小も一国を保有し得た。これは何の故か。斉桓公に管仲の輔佐があり、衛霊公に仲叔圉・祝鮀・王孫賈の輔佐があったからである。この両位の君主は天下の不成器の君主で、なおかつ賢人を得て信任任用したために、身を安んじ業を立て功効を収めることができた。いわんや明智の君主が忠良の臣子を任用するをや。上九爻辞にいわく:強撃をもって蒙昧を去除し、自ら侵掠の強寇を為すに宜しからず、外来の強寇を抵御するに宜しい。《小象伝》にいわく:強寇を抵御するに用いるに宜しいは、上下がみな順服し得るからである。

需卦

乾下坎上。需:有孚,光亨,貞吉,利涉大川。需者何?待時而行之謂也。孚者,見信於人之謂也。夫信者,已之所為也;孚者,待人而後成者也。故夫需之道,利安而不利躁,修已以待人者也。非夫信義著明、道徳光大,則不能以亨也。居正待時,然後吉也;用邪求益,冝其凶也。需以涉難,難可濟也;躁以涉川,沈可必也。

需卦は下卦が乾、上卦が坎である。卦辞にいわく:需は誠信を心に懐き、光明亨通し、正を守って吉利、大河を渡るに宜しい。何が「需」か。時機を待って行動することである。何が「孚」か。他人に信任されることである。「信」は自分が為し得る事、「孚」は他人の認可を待って成立する。だから「需」の道理は安静に利して躁進に利せず、自己を修養して他人を待つことである。信義が昭著で道徳が光大でなければ、亨通し得ない。正道に安処して時機を静候して後に吉利で、邪術を用いて好処を謀取すれば理所當然に凶険である。等待の態度をもって艱難を渉越すれば艱難は渡り得、躁進の態度をもって大川を横渡すれば沈没は必然である。

彖曰:需,須也,險在前也,剛健而不陷,其義不困窮矣。需有孚,光亨,貞吉,位乎天位以正中也。利涉大川,往有功也。坎,陷也,其云不陷何?需然後進,故不陷也。又曰位乎天位以正中者何?有孚光亨貞吉者,人君所以待天下之道也。

《彖伝》にいわく:需は等待であり、険難が前にあるからである。下卦が剛健にして陷落に至らず、その義理について言えば困窮の地步に走到しない。「需、有孚、光亨、貞吉」は、九五が天子の位に居りて中正だからである。「利渉大川」は、往けば功効があることを言う。司馬光が解していわく:坎の意味はもともと陷落である。《彖伝》はなぜかえって「不陷」というか。先に等待して後に前進するから、陷落しないのである。《彖伝》また「位乎天位以正中」という。これは何の意味か。「有孚、光亨、貞吉」は、まさに君主が天下に対待する道理である。

象曰:雲上於天,需,君子以飲食宴樂。需之為飲食何也?雲上於天,萬物之滂沱下施,萬物飲之,以豐,以肥,以榮,以滋,飲食燕樂及下之道也。

《大象伝》にいわく:雲気が天上に昇る、これが需卦である。君子はこれに取法して安閑に飲食宴楽して時機を待つ。なぜ「需」に飲食を講ずるか。雲が天に昇れば、随いて大雨が滂沱として施降し、万物がこの甘霖を承受し、ゆえに豊盛・肥美・繁栄・滋潤する。飲食宴楽して恩沢を万民に下及するは、まさに同じ道理である。

初九:需于郊,利用恆,無咎。象曰:需于郊,不犯難行也;利用恆無咎,未失常也。九二:需于沙,小有言,終吉。象曰:需于沙,衍在中也;雖小有言,以吉終也。

初九爻辞にいわく:郊野で等待し、恒常を保持するに利あり、過ちなし。《小象伝》にいわく:郊野で等待するは、険難を冒して前行せざることである。恒常を保持して過ちなきに利するは、常道を失わざるからである。九二爻辞にいわく:沙灘で等待し、少し言語の中傷があるが、最終に吉利。《小象伝》にいわく:沙灘で等待するは、それが寛綽にして中に居ることを言う。少し言語の中傷があれども、終に吉利をもって収場する。

九三:需于泥,致冦至。象曰:需于泥,災在外也;自我致冦,敬慎不敗也。冦雖邇,不犯不至,故曰自我致也;能用需道,故曰敬慎不敗也。

九三爻辞にいわく:泥濘の中で等待し、強寇を招来した。《小象伝》にいわく:泥濘の中で等待するは、災禍がまだ外にある。強寇は自分が招来したので、恭敬謹慎すれば失敗しない。司馬光が解していわく:強寇は逼近するが、自分で冒瀆しなければ、それも到来しない。ゆえに「自我招致」という。等待の道を運用し得れば、ゆえに「恭敬謹慎すれば失敗しない」という。

六四:需于血,出自穴。象曰:需于血,順以聽也。需于血者,入險而傷也;出於險者,不競乃善也。以需血者,非需之地也。子曰“繋辭焉以盡其言,變而通之以盡利”,此之謂也。

六四爻辞にいわく:血泊の中で等待し、坎穴から脱身して出る。《小象伝》にいわく:血泊の中で等待するは、柔順に形勢に聴従する。司馬光が解していわく:いわゆる「需于血」は、すでに険境に進入して傷を受けた。険境から脱出し得たのは、強を争わざるからで、これがよい。血泊の地をもって等待するは、もともと等待に適宜の地ではない。孔子が「文辞を繋げて言わんとする言を窮尽し、これを変通して事物の利を窮尽す」というのは、まさにこの種の情形である。

九五:需于酒食,貞吉。象曰:酒食貞吉,以中正也。需九五“需于酒食,貞吉”,酒食者何?福祿之謂也。九五以中正而受尊位,天之所佑,人之所助也。然則福祿既充矣,而又何需焉?曰:中正者,所以待天下之治也。書曰“允執其中”,又曰“以萬民惟正之供”。夫中正者,足以盡天下之治也,舍乎中正而能亨天之福祿者寡矣。

九五爻辞にいわく:酒食の中で等待し、正を守って吉利。《小象伝》にいわく:酒食にして正を守りて吉利は、中に居りて正を守るからである。司馬光が需卦九五の「需于酒食、貞吉」を解していわく:何が「酒食」か。福禄の意味である。九五は中正の徳をもって尊貴の位を承受し、上天の保佑するところ、衆人の幇助するところである。すでに然りならば、福禄はすでに充足しているのに、なお何を待つのか。答えていわく:いわゆる中正とは、天下の大治を待つためのものである。《尚書》に「誠実に中道を執守せよ」といい、また「万民をして皆正道の奉養を得せしめよ」という。中正の徳は、天下の治理を成就するに足る。中正を捨ててなお上天の福禄を享け得る者は、少ない。

上六:入于穴,有不速之客三人來,敬之終。象曰:不速之客來,敬之終吉,雖不當位,未大失也。

上六爻辞にいわく:洞穴の中に落ち入り、招かざる三人の客が到来する。彼らを恭敬して待れば、終に好い結果がある。《小象伝》にいわく:招かざる客が到り、彼らを恭敬して待せば終に吉利を獲る。上六は居る位が当たらないが、大きな過失はない。

訟卦

坎下乾上。訟:有孚窒惕,中吉,終凶,利見大人,不利渉大川。彖曰:訟,上剛下險,險而健,訟。訟有孚窒惕中吉,剛來而得中也。終凶,訟不可成也。利見大人,尚中正也。不利渉大川,入于淵也。象曰:天與水違行,訟,君子以作事謀始。

訟卦は下卦が坎、上卦が乾である。卦辞にいわく:訟は、心中に誠信あれども阻塞され、ゆえに戒惧する。中途で止めれば吉利、終始争い抜けば凶険。大人に見るに宜しく、大河を渡るに宜しからず。《彖伝》にいわく:訟卦は上卦が剛強、下卦が険陷で、内に険詐にして外に剛強、ゆえに争訟となる。「訟、有孚窒惕、中吉」は、陽剛が来て下卦に居りて中位を得るからである。「終凶」は、争訟が終始争い抜くべからざることを言う。「利見大人」は、中正の徳を崇尚するからである。「不利渉大川」は、そうすれば深淵に陥入することを言う。《大象伝》にいわく:天は上に行き、水は下に流れ、二者は背道して馳す。これが訟卦である。君子はこれに取法して、事を為すに凡そ開頭に謀劃を周全にする。

初六:不永所事,小有言,終吉。象曰:不永所事,訟不可長也;雖小有言,其辯明也。九二:不克訟,歸而逋其邑人三百戶,無眚。象曰:不克訟,歸逋也;自下訟上,患至掇也。六三:食舊徳,貞厲,終吉;或從王事,無成。象曰:食舊徳,從上吉也。

初六爻辞にいわく:争訟の事を拖延し続けなければ、少し言語の糾紛があるが、最終に吉利。《小象伝》にいわく:争訟の事を拖延しないは、争訟が長久すべからざるからである。少し言語の糾紛があるも、是非は終に辨説し明らかにし得る。九二爻辞にいわく:争訟に勝ち取ることができず、帰って逃避隠居すれば、彼の封邑は三百戸の人家のみで、こうすれば災禍がない。《小象伝》にいわく:争訟に勝たなければ、退帰して逃避する。下位の者をもって上位の者と争訟すれば、禍患は手を伸ばして拾取するがごとく自ら招来する。六三爻辞にいわく:祖上の遺した旧有の産業を安享し、正を守りて危惧を知れば、終に吉利を得る。あるいは君王の政事に従事し、成功に居らない。《小象伝》にいわく:旧有の産業を安享するは、上の者に順従して初めて吉利を得るからである。

九四:不克訟,復即命,渝安貞,吉。象曰:復即命渝,安貞不失也。九五:訟,元吉。象曰:訟無吉,以中正也。上九:或錫之鞶帶,終朝三褫之。象曰:以訟受服,亦不足敬也。案:訟卦說原本缺。

九四爻辞にいわく:争訟に勝ち取ることができず、ここに心を回して正理に帰就し、態度を変えて守正に安んずれば、吉利。《小象伝》にいわく:心を回して正理に帰就して改変あれば、守正に安んじて失うことなし。九五爻辞にいわく:争訟の事、大いに吉利。《小象伝》にいわく:争訟にして吉を得るは、九五が中に居りて正を守るからである。上九爻辞にいわく:あるいは争訟によって官服大帯を賜与されるも、一朝にして三度剥奪される。《小象伝》にいわく:官司を打って得た服飾は、人の尊敬に値しない。館臣按語:訟卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。

師卦

坎下坤上。師:貞,文人吉,無咎。師貞丈人吉無咎,何也?曰:難之也。夫治眾,天下之大事也,非聖人則不能。夫眾之所服者武也,所從者智也,所親者仁也,三者不備而能用其眾,未之有也。然或得之小,或得之大,或用之邪,或用之正,邪正大小之道,其得失吉凶相去逺矣。

師卦は下卦が坎、上卦が坤である。卦辞にいわく:師は正を守る。老成持重の長者に統率されれば吉利、過ちなし。司馬光が問う:卦辞に「師、貞、丈人吉、无咎」というのは、なぜか。答えていわく:聖人がこの事の難しさを看重するからである。衆人を統率するは天下の大事で、聖人でなければ弁じられない。衆人の畏服する所は威武、聴従する所は智慧、親近する所は仁愛である。この三様が斉備せずして衆人を駕御し得る者は、かつてあったことがない。しかし同じく衆を得ても、ある者は得る法が小さく、ある者は得る法が大きい。ある者は用いるに邪で、ある者は用いるに正である。邪と正、大と小の路数が異なれば、それらの得失吉凶の差は甚だ遠い。

彼小人者,以矯矯為武,瞲瞲為智,喣喣為仁,眾人亦有悅而從之者,所謂小也。聖人者,以正人為武,安人為智,利人為仁,天下皆悅而從之,所謂大也。夫小人之得眾也,以為上則以為下則亂,故謂之邪;聖人之得眾也,所以禁而止亂也,故謂之正。夫眾非小人之所用也,小人用之以為不正,咎孰大焉。子罕曰:“兵者,所以威不軌而昭文徳也。”聖人以興,亂人以廢,此之謂也。

あの小人どもは、強を逞しくし勝に好むを威武とし、言を察し色を観るを智慧とし、小恩小恵を仁愛とする。衆人の中にも確かに喜んで追随する者があり、これがいわゆる「小」である。聖人は他人を端正するを威武とし、他人を安定するを智慧とし、他人に利益するを仁愛とし、天下人は皆喜悦して彼に追随する。これがいわゆる「大」である。小人が衆人の擁戴を得れば、上にあっては如何如何し、下にあっては禍乱を制造する(原文ここに脱漏あり)。ゆえに「邪」と称する。聖人が衆人の擁戴を得れば、これをもって暴乱を禁止し禍乱を平息する。ゆえに「正」と称する。衆人はもともと小人に駆使されるべきでないのに、小人がひとたび彼らを駆使して用いるに正ならざれば、これより大きな過ちがあろうか。春秋の時、宋国の子罕がいわく:「兵というものは、法紀を守らぬ者を威慴し、文徳を彰顕するためのものである」、と。聖人はそれによって興起し、乱臣はそれによって敗亡する。言うのはまさにこの道理である。

彖曰:師,眾也;貞,正也。能以眾正,可以王矣。剛中而應,行險而順,以此毒天下,而民從之,吉,又何咎矣。王者何?大人之謂也。剛中而應,行險而順者:治眾而不以剛則慢而不振,用剛而不獲中則而無親,上無應於君,下無應於民,則身危而功不成,所施不在於順則眾怒而民不從。四者非所以吉而無咎也,吉而無咎則惟剛中而應、行險而順者乎?

《彖伝》にいわく:「師」とは衆人であり、「貞」とは端正である。衆人をもって正道を推行し得れば、王業を成就することができる。九二は陽剛にして中に居りて六五と相応し、険難の中を行くも柔順にして違えず、この方式をもって天下を役使し天下を労苦しても、百姓はなお彼に従う。ゆえに吉利で、どうして過ちがあろうか。司馬光が解していわく:いわゆる「王」は、大人を指す。「剛中而応、行険而順」この数句について:衆人を統率するに剛を用いなければ、士卒は怠慢して振作しない。剛を用いて中を得なければ、暴戻に流れて親附する者がいない。上に君主の呼応を得ず、下に民衆の呼応を得なければ、自身が危険にして功業が成り難い。施行する所が柔順に合わなければ、衆人は憤怒して聴従を肯んじない。この四種の情形はいずれも吉を致して過ちなきに足らない。吉利にして過ちなきに能くする者は、おそらくあの剛中にして応あり、かつ険を行いて柔順なる者のみであろう。

夫兵者,危事也,故曰行險;財用之蠧而民之殘也,故曰毒天下。毒之者,其志將以安之也,若針砭之所以已疾也,是以民從而無咎也。象曰:地中有水,師,君子以容民畜眾。師之所以為容民畜眾者,非特施於治兵之謂也,故天子用之以治天下,諸侯用之以治其國,卿大夫用之以治其家,其道一也。

用兵は危険の事である。ゆえに《彖伝》に「行険」という。それは財用を蛀蝕し百姓を殘害する。ゆえに「毒天下」という。それを毒害する所以は、本意はそれを安定するためで、鍼砭をもって病を治して疾患を除去するがごとき。ゆえに百姓はなお従うて過ちがない。《大象伝》にいわく:地中に水を蓄うる、これが師卦である。君子はこれに取法して、百姓を容納し民衆を畜養する。司馬光が解していわく:師卦の「容民畜衆」を講ずる所以は、ただ治軍に施用するに限った言ではない。ゆえに天子はこれをもって天下を治理し、諸侯はこれをもって封国を治理し、卿大夫はこれをもって采邑を治理する。その道理はすべて同じである。

初六:師出以律,否臧凶。象曰:師出以律,失律凶也。九二:在師中吉,無咎,王三錫命。象曰:在師中吉,承天寵也;王三錫命,懐萬邦也。六三:師或輿尸,凶。象曰:師或輿尸,大無功也。六四:師左次,無咎。象曰:左次無咎,未失常也。

初六爻辞にいわく:兵を出すに軍法紀律をもって約束せよ。紀律が不良なれば凶険。《小象伝》にいわく:兵を出すに紀律をもって約束せよ。紀律を喪失すれば凶険。九二爻辞にいわく:身が軍中に在りて中道を持守し得れば、吉利、過ちなし。君王が三度冊命を頒下して嘉奨す。《小象伝》にいわく:身が軍中に在りて中を持って吉は、上天の恩寵を承受したのである。君王が三度命を頒するは、万邦を安撫するためである。六三爻辞にいわく:軍隊はあるいは車に死体を載せて帰る、凶険。《小象伝》にいわく:軍隊が尸を載せて帰るは、大いに功なくして返ることである。六四爻辞にいわく:軍隊が退いて左に守りて営を扎る、過ちなし。《小象伝》にいわく:退いて守りて営を扎りて過ちなきは、用兵の常法に違背せざるからである。

六五:田有禽,利執言,無咎;長子帥師,弟子輿尸,貞凶。象曰:長子帥師,以中行也;弟子輿尸,使不當也。師六五柔也,其為師之主奈何?古者人君之遣將也,跪而推轂,曰:“閫以內,寡人制之;閫以外,將軍制之。”進止之制,賞罰之權,皆決於外,不從中覆也,委任責成功而已矣。

六五爻辞にいわく:田に禽獣が害を為す、命を奉じて討伐するに宜しく、過ちなし。年長持重の人に軍隊を統率せしめれば可、年幼無能の人を上陣せしめれば、尸を載せて帰り、正を守るも凶険。《小象伝》にいわく:長子が軍隊を統率するは、彼が中道に依って事を行い得るからである。弟子が尸を載せて帰るは、任用が当たらざるからである。司馬光が問う:師卦六五は柔爻である。それは何によって一卦の主となるか。答えていわく:古の君主が将領を派遣するに、跪いて戦車の車轂を推して、いわく:「国门以内の事は、寡人が裁決する。国门以外の事は、将軍が裁決する」、と。進兵停兵の号令、賞功罰罪の権柄は、すべて前方にて決断し、朝廷に復命して請示する必要なく、ただ重任を委ねて彼に功業を建立せしめるのみである。

六五以柔居尊,下應於二,二以剛中能任其事,是以動則有功,若田狩而獲禽也。師出無名,事故不成,故曰利執言。執者何?奉辭伐罪之謂也。舉國家之眾而委之一人,此安危之機,存亡之端,不可以不謹。謹擇其人,是人君之事守也,故曰長子帥師。弟子輿尸,貞凶者,雖正猶凶也。上六:大君有命,開國承家,小人勿用。象曰:大君有命,以正功也;小人勿用,必亂邦也。

六五は柔順の徳をもって尊位に居り、下に九二に応合す。九二は陽剛にして中に居り、軍事を担当し得る。ゆえに一たび挙動すれば功勲を建立し、田獵して禽獣を捕獲するがごとし。兵を出すに師出の名分がなければ、事情は自然に弁じられない。ゆえに「利執言」という。何が「執言」か。声討の辞令を奉持して有罪の人を討伐することである。全国の兵衆を一人に交託するは、安危の枢機、存亡の開端で、慎重ならざるべからず。統帥の人選を慎重に挑選するは、まさに君主が堅守すべき職分である。ゆえに「長子帥師」という。「弟子輿尸、貞凶」については、動機が端正でも結局はなお凶険であることを言う。上六爻辞にいわく:天子が冊命を頒下し、諸侯を分封し卿大夫を冊立す。ただし小人を任用すべからず。《小象伝》にいわく:天子が命を頒するは、功労を論定するためである。小人を任用せざるは、用いれば必ず邦国を禍乱するからである。

比卦

坤下坎上。比:吉。原筮元永貞,無咎。不寜方來,後夫凶。彖曰:比吉也,比輔也,下順從也。原筮元永貞無咎,以剛中也。不寜方來,上下應也。後夫凶,其道窮也。

比卦は下卦が坤、上卦が坎である。卦辞にいわく:比は吉利。占筮の義を推原するに、善始・長久・守正さえあれば、過ちなし。心中に安からぬ者も前来して帰附し、来るのが太遅の者は凶険あり。《彖伝》にいわく:比は吉利なり、比とは親輔の意味で、下の衆陰が上の九五に順従することである。「原筮元永貞、无咎」は、九五が陽剛にして中位に居るからである。「不寧方来」は、上下が彼此呼応することを言う。「後夫凶」は、彼の路がすでに尽頭に走到したことを言う。

比吉,比之所以吉者何?雜卦曰“比樂師憂”。凡物孤則危,群則強。比者,上下相親,他不能間,外不能侵者也,故吉。原筮者何?比者不可茍合也。是故初六曰“有孚比之,無咎”。夫初六,比之始也,始謀相親者,不可不謹擇其人。人之誠信未孚而親愛之,取禍之道也,故曰有孚比之無咎。繫辭曰:“君子易其心而後語,定其交而後求”,此之謂也。

「比、吉」について:親比の吉利たる所以は、何の故か。《雑卦伝》に「比卦は歓楽、師卦は憂愁」という。大凡事物は孤単なれば危険、成群なれば強盛である。いわゆる「比」は、上下が彼此親近し、他人が離間し得ず外力が侵犯し得ない状態で、ゆえに吉利である。では「原筮」とはまた何の意味か。親比は随便に凑合すべからざることを言う。ゆえに初六爻辞に「有孚比之、无咎」という。初六は親比の開端で、初めて彼此の親近を謀る時、対象を慎重に選択せざるべからず。相手の誠信がまだ検証を得ざるに親愛に往けば、それは禍患を自招する做法である。ゆえに「誠信あって初めて彼を親比すれば、過ちがない」という。《繋辞》にいわく:「君子は先ず自己の心態を平和にして後に口を開き、先ず交情を確定して後に求むる所有り」、と。言うのはまさにこの道理である。

原筮元永貞無咎者何?凡比之道,不可以不善也,不可以不長也,不可以不正也,故曰原筮元永貞無咎。夫物比而不以剛中,則柔邪也,故彖曰“原筮元永貞無咎,以剛中也”。象曰:地上有水,比,先王以建萬國,親諸侯。

「原筮元永貞、无咎」はまたどう講ずるか。大凡親比の道は、善から出ざるべからず、持久せざるべからず、正に合せざるべからず。ゆえに「原筮元永貞、无咎」という。事物が親比するも剛健中正に依頼しなければ、柔媚邪佞に流れる。ゆえに《彖伝》に「原筮元永貞无咎は、九五が剛健にして中に居るから」という。《大象伝》にいわく:地上に水あり、水と地と緊密に相親しむ、これが比卦である。先王はこれに取法して、万国を分封し、諸侯に親近した。

初六:有孚比之,無咎;有孚盈缶,終來有他吉。象曰:比之初六,有他吉也。六二:比之自內,貞吉。象曰:比之自內,不自失也。六三:比之匪人。象曰:比之匪人,不亦傷乎。

初六爻辞にいわく:誠信を懐いて他人を親比すれば、過ちなし。誠信が瓦缶に装満するがごとく充盈すれば、終に意外の吉慶を招来す。《小象伝》にいわく:比卦の初六は、意外の吉慶あり。六二爻辞にいわく:内部から上の者を親比して、正を守って吉利。《小象伝》にいわく:内部から親比するは、それが自己の操守を喪失せざることを言う。六三爻辞にいわく:親比する所の者は合適の人にあらず。《小象伝》にいわく:親比する所の者が合適の人にあらざるは、痛惜せしめざらんや。

六四:外比之,貞吉。象曰:外比於賢,以從上也。外比者何?棄親而從疏也。棄親而從疏者,非親賢而從上則不可也。親賢而從上者,茍不出乎正,猶不免乎凶也。夫比非大公之道也,子曰“君子周而不比,小人比而不周”,故比而不中正者,皆非君子之道也。

六四爻辞にいわく:外に向かいて九五を親比して、正を守って吉利。《小象伝》にいわく:外に向かいて賢者を親比するは、上の君主に順従するためである。司馬光が解していわく:何が「外比」か。近親を捨てて疏远の人に追随することである。近親を捨てて疏远に追随するに、賢人に親近し君上に順従するためでなければ、不可である。たとい賢人に親近し君上に順従するも、もし正道から出ざれば、なお凶険を免れない。「比」はもともと大公無私の做法ではないから、孔子が「君子は普遍に団結して結党せず、小人は結党して普遍に団結せず」というのは、この故である。ゆえに凡そ親比して中正に合わざるは、みな君子の道にあらざるなり。

九五:顯比,王用三驅,失前禽,邑人不誡,吉。象曰:顯比之吉,位正中也;舍逆取順,失前禽也;邑人不誡,上使中也。九五顯比吉何也?九五履至貴之位,為眾陰所歸,暢其中正以懷海內,從命者賞,違命者誅,善善惡惡而不在於私,用中正以求比者也,故曰顯比吉。顯者,光顯盛大之謂也。

九五爻辞にいわく:光明正大に天下を親比す。君王が田獵するに三面からのみ駆赶し、前に逃走する禽獣を放ち去り、本邑の人も特に戒備する必要なく、吉利。《小象伝》にいわく:光明に親比する吉利たる所以は、九五が中正の位に居るからである。迎面して逆来するを捨て、順従して入るを取る。ゆえに前の禽獣を放ち去る。邑人が戒備する必要なきは、上の者の駆使が中道に合するからである。司馬光が問う:九五の「顕比」はなぜ吉利か。答えていわく:九五は至りて尊貴の位置に居り、衆陰の帰附する対象である。彼は自己の中正の徳を舒展して四海を安撫し、命令に服従するを賞し、命令に違抗するを誅罰し、善を好み悪を憎むも私心から出ず、これは中正の道をもって天下の親附を求めることである。ゆえに「顕比吉」という。いわゆる「顕」は、光明显赫・盛大昭彰の意味である。

王用三驅失前禽,前禽者何?背去之禽也。失者何?求與之相親而不可得者也。上六:比之無首,凶。象曰:比之無首,無所終也。

「王用三駆、失前禽」の何が「前禽」か。背を転じて逃走する禽獣である。何が「失」か。それと相親近せんと欲して得られざるである。上六爻辞にいわく:親比するも好い開端なきは、凶険。《小象伝》にいわく:親比して開端なければ、好い結局もない。

小畜卦

乾下巽上。小畜:亨,宻雲不雨,自我西郊。彖曰:小畜,柔得位而上下應之,曰小畜。健而巽,剛中而志行,乃亨。宻雲不雨,尚往也;自我西郊,施未行也。象曰:風行天上,小畜,君子以懿文徳。

小畜卦は下卦が乾、上卦が巽である。卦辞にいわく:小畜は亨通。濃雲密布するも雨が下らず、雲気は我らの西の郊野から来る。《彖伝》にいわく:小畜卦の中、六四のこの柔爻が正位を得て上下の五つの陽爻がみな来てそれに応合す。ゆえに「小畜」と称す。下卦が剛健、上卦が謙遜、陽剛が中に居りて心志が推行を得る。ゆえに亨通。「密雲不雨」は、陽気がまだなお上行し続けることを言う。「自我西郊」は、恩沢の施与がまだ真に推行開来せざることを言う。《大象伝》にいわく:風が天上に吹行す、これが小畜卦である。君子はこれに取法して、自己の文章徳行を修美する。

初九:復自道,何其咎,吉。象曰:復自道,其義吉也。九二:牽復,吉。象曰:牽復在中,亦不自失也。九三:輿說輻,夫妻反目。象曰:夫妻反目,不能正室也。六四:有孚,血去惕出,無咎。象曰:有孚惕出,上合志也。

初九爻辞にいわく:自己の本来の道路に循って返回すれば、どうして過ちがあろうか。吉利。《小象伝》にいわく:本道に循って返回するは、道理について言えば吉利である。九二爻辞にいわく:牽引されて一同に返回すれば、吉利。《小象伝》にいわく:牽引して返りて中位に居れば、自己の操守を喪失することもなし。九三爻辞にいわく:車輪の輻条が脱落し、夫妻が反目して相争う。《小象伝》にいわく:夫妻が反目するは、夫が自己の家室を端正し得ざるからである。六四爻辞にいわく:誠信を心に懐き、血光の災が消除し、憂惧が解脱し、過ちなし。《小象伝》にいわく:誠信あって憂惧が解脱するは、上の者と心志が相合するからである。

九五:有孚攣如,富以其鄰。象曰:有孚攣如,不獨富也。上九:既雨既處,尚徳載,婦貞厲,月幾望,君子征凶。象曰:既雨既處,徳積載也;君子征凶,有所疑也。案:小畜卦說原本缺。

九五爻辞にいわく:誠信を心に懐いて人と緊密に牽連し、財富を鄰里と共享す。《小象伝》にいわく:誠信あって緊密に牽連するは、彼が財富を独自占有せざることを言う。上九爻辞にいわく:雨はすでに下り、事もすでに安定し、これは徳行を崇尚して満載に積累した結果である。婦人が固執して正を守れば危厲あり、月が満盈に近づき、君子がこの時出行すれば凶険。《小象伝》にいわく:雨が下りて事が安定したは、徳行が満載に積累したのである。君子が出行して凶険は、その中に別に可疑の処あるからである。館臣按語:小畜卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。

履卦

兌下乾上。履虎尾,不咥人,亨。彖曰:履,柔履剛也。說而應乎乾,是以履虎尾不咥人,亨。剛中正,履帝位而不疚,光明也。象曰:上天下澤,履,君子以辨上下,定民志。

履卦は下卦が兌、上卦が乾である。卦辞にいわく:老虎の尾巴を踏んだが、虎は人を咬まず、亨通。《彖伝》にいわく:履は、柔順の者が剛強の者の後ろを踩踏することである。和悦の態度をもって剛健の乾に応合すれば、ゆえに虎尾を踏んで咬まれず、ここに亨通。九五は陽剛中正にして天子の位に居りて心に愧ることなく、ゆえに光明磊落。《大象伝》にいわく:上は天、下は沢、尊卑判然として別あり、これが履卦である。君子はこれに取法して、上下の名分を辨明し、百姓の心志を安定する。

履者何?人之所履也。人之所履者何?禮之謂也。人有禮則生,無禮則死,禮者人所履之常也。其曰辨上下、定民志者何?夫民生有欲,喜進務得而不可厭者也,不以禮節之,則貪淫侈溢而無窮也。是故先王作為禮以治之,使尊卑有等,長幼有倫,內外有別,親疏有序,然後上下各安其分而無覬覦之心,此先王制世御民之方也。

何が「履」か。人の践行するものである。人の践行するものは何か。「礼」である。人は礼あれば生存し得、礼なければ死亡する。礼は人の践行する常道である。《大象伝》に「辨上下、定民志」というのは、何の意味か。人は生まれながらに欲望あり、進取を好み獲得を務め、永遠に満足を知らない。もし礼をもって節制しなければ、貪婪淫佚・奢侈泛濫して止境がない。ゆえに先王は礼を制定してこれを治理し、尊卑に等級あり、長幼に次序あり、内外に分別あり、親疏に条理あらしめ、こうして上下が各自その本分に安んじ、非分の想を存せしめない。これはまさに先王が世道を安排し百姓を駕御する方法である。

初九:素履往,無咎。象曰:素履之往,獨行願也。九二:履道坦坦,幽人貞吉。象曰:幽人貞吉,中不自亂也。六三:眇能視,跛能履,履虎尾,咥人,凶;武人為于大君。象曰:眇能視,不足以有明也;跛能履,不足以與行也;咥人之凶,位不當也;武人為于大君,志剛也。

初九爻辞にいわく:質朴本色をもって践行して前往せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:本色をもって践行して往くは、独自に自己の心願を実行する。九二爻辞にいわく:行く所の路は平坦寛闊で、幽静に自守する人は正を守って吉利。《小象伝》にいわく:幽人が正を守りて吉は、内心が自ら方寸を乱さざるからである。六三爻辞にいわく:眼が一つ瞎れても能く見ると自以り、腿足が跛れても能く行くと自以り、虎尾を踏んで虎に咬傷され、凶険。これはまさに勇を逞しくする武夫が強いて大君を為さんとするに似たり。《小象伝》にいわく:独眼にして能く見ると自以るも、実は見清すに足らず。跛足にして能く行くと自以るも、実は遠路を同行するに足らず。咬まるるの凶険は、六三の居る位が当たらざるからである。武夫が大君を為さんとするは、彼の心志が剛愎に過ぎるからである。

九四:履虎尾,訴訴,終吉。象曰:訴訴終吉,志行也。九五:夬履,貞厲。象曰:夬履貞厲,位正當也。夬者何?決也。履者何?人之所履也。人之所履有得有失,為人君者決而正之,得則有賞,失則有法,勸賞畏刑,然後人莫敢不慎其履,而天下國家可得而治也。五以剛健為履之主,乘其中正以決得失,任斯重也,可不戒乎?故曰貞厲。上九:視履考祥,其旋元吉。象曰:元吉在上,大有慶也。

九四爻辞にいわく:虎尾を踏み、戒惧して安からず、最終に吉利。《小象伝》にいわく:戒惧して終に吉利を獲るは、心志が施行を得るからである。九五爻辞にいわく:剛決に人々の行履を裁断し、正を守りて心に危惧を存す。《小象伝》にいわく:剛決に裁断して正を守り危惧するは、九五の居る位が正当なるからである。司馬光が解していわく:何が「夬」か。決断である。何が「履」か。人の践行する所である。人の践行には合宜あり失当あり、君主たる者はこれを裁断して糾正する。為すこと正しければ賞奨あり、為すこと誤れば刑法あり、人々は賞奨に勉励され刑罰に畏懼され、そうして誰も自己の行為を謹慎せざるを敢てせず、天下国家も治理し得られる。九五は剛健の徳をもって履卦の主を為し、中正の位に憑って人々の得失を裁決する。担子かくのごとく重し、どうして戒惧せざるを得ようか。ゆえに「貞厲」という。上九爻辞にいわく:自己の一生の行履を回顧し、その中の禍福の徴兆を考察す。もし周備して欠損なければ、大いに吉利。《小象伝》にいわく:大吉にして全卦の最上に居るは、大いに福慶あることである。

巻二 上経

泰卦

乾下坤上。泰:小往大來,吉亨。彖曰:泰,小往大來,吉亨,則是天地交而萬物通也,上下交而其志同也。內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人,君子道長,小人道消也。象曰:天地交,泰,后以財成天地之道,輔相天地之宜,以左右民。

泰卦は下卦が乾、上卦が坤である。卦辞にいわく:泰は、陰柔の小者が外に往き、陽剛の大者が内に来る。吉利亨通。《彖伝》にいわく:泰卦の「小往大来、吉亨」は、これすなわち天地二気が交感して万物が通暢し、上下が彼此交通して心志が相同じい。内卦が陽にして外卦が陰、内に剛健にして外に柔順、内に君子を用い外に小人を置く。君子の道は日に増長し、小人の道は日に消退す。《大象伝》にいわく:天地が交感す、これが泰卦である。君主はこれに取法して、天地の運行の規律を裁節成就し、天地の生物する所宜を輔助促成し、もって百姓を扶助する。

象曰“后以財成天地之道,輔相天地之宜”,何也?夫萬物,生之者天也,成之者地也。天地能生成之而不能治也,君者所以治人而成天地之功也,非後則天地何以得通乎?太曰:“天之所貴曰生,物之所尊曰人,人之大倫曰治,治之所因曰辟。崇天普地,分群偶物,使不失其統者,莫若乎辟。天辟乎上,地辟乎下,君辟乎中。”此之謂也。

《大象伝》に「后以財成天地之道、輔相天地之宜」というのは、何の意味か。万物は、それらを生育するは天、それらを成就するは地である。天地は万物を生成し得るも万物を治理し得ず、君主はまさに人群を治理して天地の功業を完成するものである。君主なければ、天地はまたどうして通達し得ようか。揚雄《太玄》にいわく:「上天の看重する所を『生』と称し、万物の尊崇する所を『人』と称し、人間の最大の倫理を『治』と称し、治理の依靠する所を『君』と称す。高天広地をして各々その位を得せしめ、衆類を分別し万物を配対し、それらをして統属を失わせしめざるに、君主に及ぶ者なし。天は上に在りて主を為し、地は下に在りて主を為し、君は中間に在りて主を為す」、と。言うのはまさにこの道理である。

初九:拔茅茹,以其彚,征吉。象曰:拔茅征吉,志在外也。九二:包荒,用馮河,不遐遺,朋亡,得尚于中行。象曰:包荒,得尚于中行,以光大也。

初九爻辞にいわく:茅草を抜き起こせば、根須が相連なって叢を成し、同類がともに帯出される。前往すれば吉利。《小象伝》にいわく:茅を抜きて前往して吉利は、心志が外に向かうからである。九二爻辞にいわく:荒穢を包容し得、徒歩で大河を渉り得、遠方の人を遺漏せず、党を結んで私を営まず。こうすれば中正の道に配合して行くことができる。《小象伝》にいわく:荒穢を包容して中正の道に配合し得るは、その徳が広大光明なるからである。

九三:無平不陂,無往不復,艱貞無咎,勿恤其孚,于食有福。象曰:無往不復,天地際也。物極則反,天地之常也。是故治者亂之原也,通者塞之端也。三居天地之際,剛徳將退,柔徳將進,故曰無平不陂,無往不復。君子於是時也,何為而可哉?必也執節守道而獨行其志乎。故曰艱貞無咎,君子之道也。

九三爻辞にいわく:終始平坦にして傾斜せざる路なく、一直に前往して返回せざる事なし。艱難の中に正を守れば過ちなく、他人が自己を信任するかを憂慮する勿れ。衣食俸禄の上におのずから福分あり。《小象伝》にいわく:一直に前往して返回せざるなきは、九三がちょうど天地の交接の処に在るからである。司馬光が解していわく:事物は極点に至れば反転する。これは天地間の常理である。ゆえに太平はまさに禍乱の根源、通達はまさに閉塞の開端である。九三は天地の交接の位置に居り、剛徳はまさに退去せんとし、柔徳はまさに進入せんとす。ゆえに「无平不陂、无往不复」という。君子はこの種の時に、どうするを妥当とするか。ただ節操を守住し正道を堅持し、独自に自己の志向を実行するのみである。ゆえに「艱貞无咎」という。これはまさに君子の応走の路である。

患志之不篤,不患人之不信。譬如農夫,是穮是蔉,雖有饑饉,必有豐年,故勿恤其孚。君子之干祿也,修其性,俟其命而已矣,然後能永享安榮也,故曰于食有福。詩云“愷悌君子,求福不回”,此之謂也。

君子はただ自己の志向が篤実に足らざるを憂え、他人が自己を信任せざるを憂えず。これはまさに農夫のごとく、一遍また一遍に耘草し、一遍また一遍に培土すれば、たとい飢饉の年頭に遇うも、日后に必ず豊収の年成がある。ゆえに「勿恤其孚」という。他人が信ずるか否かを憂慮する必要なし。君子が俸禄を求取する方法は、不過自己の本性を修養して天命を静候するのみである。こうして初めて長久に安寧尊栄を享有し得る。ゆえに「于食有福」という。《詩経・大雅・旱麓》に「和楽平易の君子は、福を求むるに邪僻の道を用いず」というのは、まさにこの意味を講ずる。

六四:翩翩不富以其鄰,不戒以孚。象曰:翩翩不富,皆失實也;不戒以孚,中心願也。六五:帝乙歸妹,以祉元吉。象曰:以祉元吉,中以行願也。上六:城復于隍,勿用師,自邑告命,貞吝。象曰:城復于隍,其命亂也。

六四爻辞にいわく:翩然として下降し、富有ならざるも隣居を帯いて同に来る。誡告せずとも彼此信任す。《小象伝》にいわく:翩然として下降して富有ならざるは、上卦の三陰がみな陽剛の充実を失ったからである。誡告せずとも彼此信任するは、これ本よりそれらの内心の願望なるがゆえに。六五爻辞にいわく:帝乙が自己の妹妹を嫁出せしめ、これによって福祉を獲得し、大いに吉利。《小象伝》にいわく:福を得て大吉は、六五が中に居りて自己の心願を実行し得るからである。上六爻辞にいわく:城墻が傾覆して護城の干壕に坍回す。この時軍隊を動用すべからず、ただ自己の封邑の中から政令を発布するのみ、正を守るも憾惜を免れず。《小象伝》にいわく:城墻が壕溝に坍回するは、政令がすでに紊乱したからである。

否卦

坤下乾上。否之匪人,不利君子貞,大往小來。彖曰:否之匪人,不利君子貞,大往小來,則是天地不交而萬物不通也,上下不交而天下無邦也。內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子,小人道長,君子道消也。

否卦は下卦が坤、上卦が乾である。卦辞にいわく:閉塞の時世は人道に合わず、君子の守正に利せず。陽剛の大者は外に往き、陰柔の小者は内に来る。《彖伝》にいわく:閉塞して人道に合わず、君子の守正に利せず、大者往きて小者来るは、これすなわち天地二気が相い交感せずして万物が通暢し得ず、上下が彼此相い交通せずして天下は邦国なきに形同ず。内卦が陰にして外卦が陽、内に柔弱にして外に剛強、内に小人を用い外に君子を斥く。小人の道は日に増長し、君子の道は日に消退す。

否之匪人何也?凡君子小人更為否泰也,故君子泰則小人否,君子否則天下亂,小人否則天下治。今大往小來,則君子之道否也,故曰否之匪人。否之所施,非其人也。否者,壅塞使之不進之謂也。象曰:天地不交,否,君子以儉徳辟難,不可榮以祿。

「否之匪人」とは何の意味か。大凡君子と小人は総じて通泰と閉塞の中に輪番に処する。君子が通泰の時、小人は閉塞し、君子が閉塞すれば天下は動乱し、小人が閉塞すれば天下は安治する。今や大者往き小者来る。閉塞するは君子の道であることが見える。ゆえに「否之匪人」という。これは閉塞圧制の施加する対象が、圧制されるべき種類の人ではないことを言う。いわゆる「否」は、壅堵阻塞して人をして上進し得せしめざる意味である。《大象伝》にいわく:天地が相い交感せず、これが否卦である。君子はこれに取法して、倹約の徳行をもって禍難を躲避し、爵禄の栄華を貪図すべからず。

初六:拔茅茹,以其彚,貞吉亨。象曰:拔茅貞吉,志在君也。六二:包承,小人吉,大人否亨。象曰:大人否亨,不亂群也。否而得位,以柔應君,包承者也,故小人居之則為吉,大人居之則為否也。然大人者體順履正,和而不同,否不能久,久而必通,故曰亨也。

初六爻辞にいわく:茅草を抜き起こせば、根須が相連なって叢を成し、同類がともに帯出される。正を守って吉利亨通。《小象伝》にいわく:茅を抜きて正を守りて吉は、それが心に君主を想うからである。六二爻辞にいわく:ひとえに包容承順すれば、小人はこれを為して吉利、大人は応に閉塞の道を守住して初めて亨通し得。《小象伝》にいわく:大人が閉塞して亨通するは、彼が小人と同流合汚して自己の品類を擾乱せざるからである。司馬光が解していわく:六二は閉塞の世に在りて正位を得、柔順をもって君上に応合するは、ひとえに包容承順の一類である。ゆえに小人がこの位置に処すれば吉利、大人がこの位置に処すればかえって閉塞を守住すべきである。ただ大人は体性が柔順にして行う所が端正、和穆に相処して苟同せず。閉塞は長久せず、久しければ必ず通達する。ゆえに「亨」という。

六三:包羞。象曰:包羞,位不當也。君子之不得其時也,失位而居於下,則為小人之所侮;居於上,則為君子之所恥。故六三不當其位而進退包羞也。

六三爻辞にいわく:心に羞愧を懐いて容忍す。《小象伝》にいわく:羞を懐いて容忍するは、居る位が恰当ならざるからである。司馬光が解していわく:君子は生まれて時に逢わず、正位を失いて下位に屈居すれば、小人に欺侮される。勉めて上位に居れば、また君子に恥と引かれる。ゆえに六三の居る位が当たらず、進退に無論羞を含み忍を包むのみ。

九四:有命無咎,疇離祉。象曰:有命無咎,志行也。四者,陰退而陽進之時也。命者,上之所以施於下也。四以陽居上,變否為泰,命之所施必施於賢者,賢人進則泰之端見矣,故有命無咎。疇者,群陽之謂也,陽徳將亨,故曰疇離祉。

九四爻辞にいわく:君命を秉承して事を行えば過ちなく、同類はみな福祉に依附し得。《小象伝》にいわく:君命を秉承して過ちなきは、心志が施行を得るからである。司馬光が解していわく:九四の処する所は、まさに陰気が退去し陽気が上進する時である。いわゆる「命」は、上の者が用いて下に施行する政令である。九四は陽爻をもって上卦に居り、まさに閉塞を通泰に転変せんとす。政令の施加する対象は必ず賢者で、賢人が進用を得れば、通泰の端倪が顕現する。ゆえに「有命无咎」という。いわゆる「疇」は、衆陽爻を指す。陽徳はまさに亨通せんとす。ゆえに「疇離祉」という。

九五:休否,大人吉,其亡其亡,繫于苞桑。象曰:大人之吉,位正當也。上九:傾否,先否後喜。象曰:否終則傾,何可長也。

九五爻辞にいわく:閉塞の局面を休止せば、大人吉利。心に常に「まさに滅亡せん、まさに滅亡せん」を想えば、こうして叢生の桑根に繋えるがごとく牢固なり。《小象伝》にいわく:大人の吉利たる所以は、居る位が正当なるからである。上九爻辞にいわく:閉塞の局面を傾覆せば、初めは閉塞、後には歓喜。《小象伝》にいわく:閉塞は尽頭に至れば傾覆す。それはどうして長久し得ようか。

同人卦

離下乾上。同人于野,亨,利渉大川,利君子貞。彖曰:同人,柔得位得中而應乎乾,曰同人。同人曰:同人于野,亨,利渉大川,乾行也。文明以健,中正而應,君子正也。惟君子為能通天下之志。

同人卦は下卦が離、上卦が乾である。卦辞にいわく:曠遠の郊野において人と和同すれば、亨通。大河を渡るに宜しく、君子の守正に宜しい。《彖伝》にいわく:同人卦の中、六二のこの柔爻は正位を得てかつ中に居り、上に九五の乾に応ず。ゆえに「同人」と称す。《同人》卦辞に「同人于野、亨、利渉大川」というは、それは乾剛の作用が推行しているのである。下卦が文明にして上卦が剛健、六二と九五はみな中正にして彼此相応ず。これはまさに君子の正道である。ただ君子のみが天下人の心志を通達し得る。

同人者何?同於人之謂也。君子樂與人同,小人樂與人異。與人同者,人亦同之;與人異者,人亦異之。同則相愛,異則相惡;愛則相利,惡則相害;相利則交安,相害則交危。利害安危之端,在於同人,不可不察也。

何が「同人」か。他人と和同することである。君子は人との求同を楽しみ、小人は人との立異を楽しむ。あなたが人と和同すれば、人もあなたと和同す。あなたが人と立異すれば、人もあなたと立異す。和同すれば彼此相愛し、立異すれば彼此相憎む。相愛すれば彼此利を得、相憎めば彼此害を受く。彼此利を得れば双方とも安寧し、彼此害を受ければ双方とも危険である。利と害、安と危の起点は、人と和同し得るか否かに在り。仔細に体察せざるべからず。

何謂君子樂與人同?請借魯事以言之。夫季、孟異室而皆出於桓,魯、衛異國而皆出於姬,姬、姜異姓而皆為中國,夷、夏異俗而皆列於此。君子之樂與人同也,是以近者悅,逺者來,同人之利,豈不大哉?

何が君子が人との和同を楽しむか。請うて春秋時の魯国の事を借りて説明せん。季孫氏と孟孫氏は異なる家に分属すれども、みな魯桓公の一系から出た。魯国と衛国は異なる国なれども、みな姫姓から出た。姫姓と姜姓は異なる姓なれども、みな中原諸夏に同じく属す。夷狄と華夏は風俗が同じからざれども、みなこの天下の内に同列す。君子はまさにこのように人との求同を楽しむ。ゆえに近処の人は喜悦し、遠処の人は来帰す。人と和同の帯来する好処は、大ならざらんや。

何謂小人樂與人異?小人曰:季、孟異室也,吾何與哉?又曰:彼此異民也,吾何與哉?又曰:爾汝異身也,吾何與哉?此樂與人異也。是以民有災而君弗恤,父有疾而子弗憂,兄有禍而弟弗救也,異之為害,豈不大哉?

何が小人が人との立異を楽しむか。小人はいわん:季氏と孟氏はもともと一家ではない。我に何の関わりか。またいわん:彼と我はもともと一族の民ではない。我に何の関わりか。またいわん:あなたと我はもともと同一の身ではない。我に何の関わりか。これが人との立異を楽しむである。ここに百姓が災に遭うも君主は体恤せず、父が病あるも子は憂慮せず、兄に禍あるも弟は搭救せず。立異の造成する禍害は、大ならざらんや。

詩曰“自西自東,自南自北,無思不服”,同之至也。又曰“翕翕訿訿,亦孔之哀”,又曰“噂背憎,職競由人”,異之至也。然則同而已矣。其曰同人者何?同之道極於人也,草木禽獸不可同也。

《詩経・大雅・文王有声》に「西辺から東辺へ、南辺から北辺へ、心悦誠服せぬ者なし」というは、これは和同の極点である。《詩経・小雅・小旻》にまた「苟合してまた詆毀す、実に悲しむべし」といい、《詩経・小雅・十月之交》にまた「面では談笑し背では憎恨す、すべて人の為す所」というは、これは立異の極点である。すでに然りならば、すなわちただ求同あるのみである。卦名を「同人」と称すは何の意味か。和同の道は人を最高の対象とすることを言い、草木禽獣はこれと和同し得ないのである。

同人于野,亨,利渉大川,利君子貞,何也?曰:野則言其逺也。君子同其逺,小人同其近;逺故無不同也,近故迭相攻也,迭相攻非同人之道也。然則聖人其有私乎?曰:有。聖人之私大,眾人之私小。聖人者,以天下為私者也,藝穀樹蔬而食之,犕牛乘馬而畜使之,皆所以役物而養人也,所私不亦大乎?

卦辞に「同人于野、亨、利渉大川、利君子貞」というは、何の意味か。答えていわく:「野」はその遠きを形容す。君子の和同の範囲は遠処に推し、小人の和同の範囲は近旁に限る。遠処に推せば、和同し得ぬ者なく、近旁に限れば、彼此攻訐す。彼此攻訐すれば、人と和同の道にあらず。では聖人にも私心あるか。答えていわく:有り。ただ聖人の私は大、常人の私は小。聖人は天下全体を自己の私と為す人である。穀物蔬菜を種植して人に食用を供し、牛を駕り馬に騎って人に役使を供す。これらはみな万物を役使して人類を養育する。彼の私する範囲は、また大ならざらんや。

夫惟聖人為能愛其身,愛其身故愛其親,愛其親故愛其國,愛其國故愛其道。道者,所以保天下而兼利之也。未有危人之親而人不危其親者也,害人之身而人不害其身者也,天下交害之而身不亡者未之有也。然則危人適所以自危,害人適所以自害也,烏在其能私哉?

ただ聖人のみが真に自身を愛惜することを懂得す。自身を愛惜するがゆえに、自己の親人を愛惜す。親人を愛惜するがゆえに、自己の国家を愛惜す。国家を愛惜するがゆえに、自己の持する道を愛惜す。いわゆる「道」は、天下を保全して天下に共同に受益せしめるものである。かつて他人の親人を危害して他人が彼の親人を危害せざりし者なく、また他人の身体を傷害して他人が彼の身体を傷害せざりし者なし。天下人がみな彼に加害して彼がなお性命を保全し得るは、かつてあったことなきなり。見れば、他人を危害するはまさに自己を危害し、他人を傷害するはまさに自己を傷害する。こうなればどうして自己の為に私を謀るに及ばんや。

夫君子小人,其為愛身一也。君子之愛身也逺,小人之愛身也近;逺故大,近故小。小者非他也,智不及也。是故識其大者為大人,識其小者為小人,非其志之異也,識之蔽也。君子同於正,故其同大;小人同於邪,故其同小。邪正者,小大之分也。

君子と小人は、自身を愛惜するこの一点において実は同じである。ただ君子は自身を愛惜するに長遠に着眼し、小人は自身を愛惜するに眼前に着眼す。長遠に着眼するがゆえに格局が大、眼前に着眼するがゆえに格局が小。いわゆる「小」は、別の緣故なし、ただ智慧が足らざるのみ。ゆえに大処を認識し得るは大人となり、小処のみ認識するは小人となる。これは彼らの志向が同じからざるにあらず、見識が蒙蔽を受けたるなり。君子は正道に和同す。ゆえに彼の和同する範囲は広大。小人は邪僻に和同す。ゆえに彼の和同する範囲は狭小。邪と正は、まさに小と大の分界である。

何謂君子能通天下之志?天下之志,莫不欲利而惡害,欲安而惡危,欲治而惡亂。君子能安之、利之、治之,使天下猶一人也,此之謂能通天下之志。象曰:天與火,同人,君子以類族辨物。

何が君子が天下人の心志を通達し得るか。天下人の心志は、利を得んと欲して害を受くるを悪まぬなく、安寧を欲して危険を悪まぬなく、安治を欲して禍乱を悪まぬなし。君子は天下を安寧せしめ、天下を利せしめ、天下を安治せしめ、天下全体をして一人のごとくせしめる。これを能く天下人の心志を通達すと称す。《大象伝》にいわく:天は上に在り火は上に向かう、二者は同趨す、これが同人卦である。君子はこれに取法して、族類を分別し事物を辨析す。

初九:同人于門,無咎。象曰:出門同人,又誰咎也。初者,動之始也。夫向於左者必背於右,附於前者必離於後,故同者必有所異也。初九出門同人無咎,言未有繫也。六二:同人于宗,吝。象曰:同人于宗,吝道也。宗,類也,類之中又有類焉,同其類者所同狹也,故吝。

初九爻辞にいわく:一たび門を出れば人と和同す。過ちなし。《小象伝》にいわく:門を出でて人と和同せば、誰か彼を怪罪せん。司馬光が解していわく:初爻は行動の開端である。左辺に面向するは必ず右辺に背対し、前面に靠近するは必ず後面に遠離す。ゆえに和同する所有れば必ず立異する所有り。初九の「出門同人、无咎」は、彼がこの時まだ何の私人の牽係もなきを言う。六二爻辞にいわく:ただ自己の宗族の内に和同すれば、憾惜あり。《小象伝》にいわく:ただ宗族の内に和同するは、憾惜に通ずる路子である。司馬光が解していわく:「宗」はすなわち類である。類の中にまた小類を分かち、ただ自己のこの一小類と和同すれば、和同する範囲は太だ狭窄なり。ゆえに憾惜あり。

九三:伏戎于莽,升其髙陵,三歳不興。象曰:伏戎于莽,敵剛也;三歲不興,安行也。九四:乘其墉,弗克攻,吉。象曰:乘其墉,義弗克也;其吉,則困而反則也。九三伏戎于莽,九四乘其墉弗克攻吉,何也?三、四者,上下之際,同異之分也,故迭爭而交不勝也。伏戎于莽者,下襲上;乘其墉者,上陵下。上可變,下不可變,逆順之勢也。

九三爻辞にいわく:兵甲を草莽の中に埋伏し、また高い山岡に登って観望す。三年の久しきも発動を敢てせず。《小象伝》にいわく:兵甲を草莽に埋伏するは、相手が剛強なるがゆえに。三年発動を敢てせざれば、どうして安然として事を行い得ようか。九四爻辞にいわく:相手の城墻に登ったが、終に進攻を発動せず、吉利。《小象伝》にいわく:城墻に登るは、道義について言えば本より攻むべからず。それの吉利たる所以は、困境に陥って正理に返帰したるがゆえに。司馬光が問う:九三は「伏戎于莽」、九四は「乗其墉、弗克攻、吉」、これはなぜか。答えていわく:三・四の両爻は上下卦の交界に処し、まさに和同と立異の分界で、ゆえに互いに争闘して誰も誰に勝てず。「伏戎于莽」は、下の者が上の者を襲撃せんとす。「乗其墉」は、上の者が下の者を欺凌せんとす。上の者はなお回心転変し得、下の者は上を犯すべからず。これは順と逆の形勢の然らしむる所である。

九五:同人先號咷而後笑,大師克相遇。象曰:同人之先,以中直也;大師相遇,言相剋也。九五,君也,以中正而施同人者也。夫君子好同,小人好異,徳之未充,信之未孚,近者不服,逺者不懷,故號咷也。中則不阿,正則不私,不阿不私,天下歸之,始於憂勤,終於逸樂,故後笑也。

九五爻辞にいわく:人と和同して、起先は号啕して大哭し、後には歓笑す。大軍が戦勝の後に彼此会合す。《小象伝》にいわく:和同の初に号啕する所以は、九五が中を守りて正直なるがゆえに。大軍が会合するは、双方が先ず一番の較量を経ることを言う。司馬光が解していわく:九五は君主で、中正の徳をもって人と和同を推行す。君子は求同を好み、小人は立異を好む。德行がまだ充実せず誠信がまだ人に認可されざる時、近処の人は服せず、遠処の人は来帰せず。ゆえに号啕す。中を守れば阿私せず、端正なれば偏袒せず。阿私せず偏袒せざれば、天下はみな来帰す。開頭は憂労勤苦、最後は安逸快楽。ゆえに後に歓笑す。

同者之與多,異者之與寡,寡不足以勝眾,故聖人在上,天下大同者,化於眾也。子曰:君子之道,或出或處,或黙或語,言跡之異也。二人同心,其利斷金,言道之同也。二人,言其寡也;金,物之難斷者也。二人同心猶可以斷,況於眾乎?同心之言,其臭如蘭,蘭,芬物也,言猶如是,況其道乎?羙之至也。

求同の人の得る支持は多く、立異の人の得る支持は少なし。少数は多数に敵せず。ゆえに聖人が上位に在る時、天下は大同し得る。それは衆人がみな感化されたればこそ。孔子がいわく:君子の処世の道は、あるいは出仕し、あるいは退処し、あるいは沈黙し、あるいは発言す、と。司馬光が解していわく:これは外在の行跡が異なり得るを言う。孔子がまたいわく:両人同心なれば、その鋭利は金属を斬断するに足る、と。これは内在の道が同じり得るを言う。いわゆる「二人」は、人数の少なきを極言し、金属は斬断し難き物である。両人が同心してなお金属を斬断し得るに、いわんや衆人の同心をや。「同心之言、其臭如蘭」。蘭は芬芳の物である。言語がなおこのごとく芬芳し得るに、いわんや守る所の道をや。あれは真に美しきの極点なり。

上九:同人于郊,無悔。象曰:同人于郊,志未得也。郊者,外也,不同於人而亦不異於人,是以無悔而志未得也。按序卦之義,否者,物不相交之卦也,不相交則異,異則爭,爭則窮,故受之以同人。同人者,所以通之也,物通則大有矣。

上九爻辞にいわく:郊外において人と和同せば、悔恨なし。《小象伝》にいわく:郊外において和同するは、心志がまだ実現せざるなり。司馬光が解していわく:「郊」は卦外の地を指す。上九は人と和同せず、また人と立異せず。ゆえに悔恨もなく、志向も実現せず。《序卦伝》の義理によれば:否卦は万物が彼此相い交通せざる卦で、相い交通せざれば差異を産生し、差異あれば争闘を産生し、争闘すれば走投無路に至る。ゆえに下に接ぐるは同人卦である。同人は、まさに万物を重新に通達せしめるに用いる。万物が通達せば、そうして富有する。ゆえにまた大有卦をもって接ぐ。

大有卦

乾下離上。大有:元亨。彖曰:大有,柔得尊位大中而上下應之,曰大有。其徳剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。大有者何?富有之謂也。天子富有天下,諸侯富有其國,大夫富有其家,非得大有之道,烏能得其下乎?

大有卦は下卦が乾、上卦が離である。卦辞にいわく:大有は大いに亨通。《彖伝》にいわく:大有卦の中、六五のこの柔爻が尊位に居り、中に居りて広大、上下の五つの陽爻がみな来てそれに応合す。ゆえに「大有」と称す。その徳性は剛健にしてまた文采光明、天道に順応して時に依って運行す。ゆえに大いに亨通。司馬光が解していわく:何が「大有」か。富有である。天子は天下を富有し、諸侯は自己の封国を富有し、大夫は自己の采邑を富有す。もし大有の道を掌握しなければ、どうして真に彼の属下の人を拥有し得ようか。

然則大有何故以柔為主?夫為人上者,言而人莫敢違也,動而人莫敢逆也,故戒之在剛也。夫上之所以能有下者,得其心也;得其心者,能以恩信結之也,故大有以柔中為主也。柔而不明,則前有讒而弗見,後有賊而不知;明而不健,則知善而不能舉,知惡而不能去:二者皆亂亡之端也。明以燭之,健以決之,居不失中,行不失時,然後能保有其眾而元亨也。

では大有卦はなぜ柔爻を主とするか。人の上に居る者は、話すに違抗を敢てする者なく、行動するに阻拦を敢てする者なし。ゆえに彼に剛愎を戒除せよと告誡する。上の者が真に下の人を拥有し得る所以は、彼らの心を得たからである。人心を得るに能くするは、恩徳と信義をもって彼らを聨結するに頼る。ゆえに大有卦は柔順にして中に居るを主とす。ただ、柔順にして明察ならざれば、前に讒言あるも見えず、後に奸賊あるも知らず。明察にして剛健ならざれば、善を知るも挙用し得ず、悪を知るも除去し得ず。この両者はいずれも乱亡を招致する開端である。明察をもって照見し、剛健をもって決断し、居処して中道を失わず、行事して時機を失わず、そうして初めて彼の民衆を保有して大いに亨通し得る。

然則大有何以上明而下健?曰:明勝於健則賞不失功,罰不失罪;健勝於明則反之。此大有所以當明也。象曰:火在天上,大有,君子以遏惡揚善,順天休命。火在天上,明之至也,至明則善惡無所遺矣。善則舉之,惡則抑之,上之職也。明而能健,慶賞刑威得其當,然後能保有四方,所以順天美命也。

では大有卦はなぜ光明を象徴する離を上に置き、剛健を象徴する乾を下に置くか。答えていわく:明察が剛健に勝れば、賞賜は有功の人を漏らさず、刑罰は無罪の人を錯加えず。剛健が明察に勝てば、結果はこれに反す。これはまさに大有卦が明を上とすべき緣故である。《大象伝》にいわく:火が天上に高く懸る、これが大有卦である。君子はこれに取法して、悪行を遏止し善行を表彰し、上天の美善の命令に順応す。司馬光が解していわく:火が天上にあるは、光明の極点に至る。極めて光明なれば、善と悪は遺漏する所なし。善を見れば挙用し、悪を見れば抑制す。これは上の者の職責である。明察してまた剛健なれば、慶賞と刑威は用いるに皆恰当、そうして初めて四方を保有し得る。これが上天の美善の命に順応するの意味である。

初九:無交害,匪咎,艱則無咎。象曰:大有初九,無交害也。九二:大車以載,有攸往,無咎。象曰:大車以載,積中不敗也。九三:公用亨于天子,小人弗克。象曰:公用亨于天子,小人害也。九四:匪其彭,無咎。象曰:匪其彭無咎,明辨晰也。

初九爻辞にいわく:相互交往の禍害なく、過ちと算せず。安に居りて危を思うに能くすれば、過ちなし。《小象伝》にいわく:大有卦の初九は、まだ交往の禍害なし。九二爻辞にいわく:大車をもって装載し、往く所有り、過ちなし。《小象伝》にいわく:大車をもって装載するは、貨物が車中に堆積して傾覆を致さざるがゆえに。九三爻辞にいわく:公侯が天子に進献して款侍を得、小人は担当し得ず。《小象伝》にいわく:公侯が天子に進献するに、もし小人に換えれば事を壊す。九四爻辞にいわく:その盛大を逞しゅうせざれば、過ちなし。《小象伝》にいわく:盛大を逞しゅうせずして過ちなきは、彼が事理を明白清晰地に辨别し得るがゆえに。

六五:厥孚交如,威如,吉。象曰:厥孚交如,信以發志也;威如之吉,易而無備也。六五柔得尊位,大中而上下應之,故曰厥孚交如,言孚發於中而應之者交至也。夫以柔徳而主眾剛,推誠任物,易而無備,所可戒者在於無威,故曰威如吉。此聖人所以儆戒人君優遊不暴、柔而不立者也。為人君者,剛而不暴,柔而不可犯,此所以為皇極之道。上九:自天佑之,吉無不利。象曰:大有上吉,自天佑也。

六五爻辞にいわく:彼の誠信は上下を交相互いに感応せしめ、また威厳を保持す。吉利。《小象伝》にいわく:誠信が交相互いに感応するは、信実をもって衆人の心志を激発する。威厳あって初めて吉利は、彼が平易に過ぎて戒備がなきがゆえに。司馬光が解していわく:六五は柔爻をもって尊位に居り、中に居りて広大にして上下がみな来て応合す。ゆえに「厥孚交如」という。意味は誠信が内心より発し、彼に応ずる人が紛紛として到来す。柔順の徳をもって衆多の剛爻を統領し、誠を推して物を待ち、平易にして戒備なし。警戒すべき所はまさに威厳を缺少するに在り。ゆえに「威如吉」という。これはまさに聖人があの優柔寛緩にして威断を加えず、柔弱にして立ち起こること能わざる君主を告誡するに用いる。君主たるは、剛強にして暴虐ならず、柔和にして侵犯を容れず。これが《洪範》のいう「皇極」の道理である。上九爻辞にいわく:上天より保佑を降下す、吉利にして不利なし。《小象伝》にいわく:大有卦の上爻の吉利たる所以は、上天の保佑を得たるがゆえに。

謙卦

艮下坤上。謙:亨,君子有終。彖曰:謙亨,天道下濟而光明,地道卑而上行。天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙尊而光,卑而不可逾,君子之終也。人之將有行也,將有為也,施之以謙則無不通也。君子之徳誠盛矣,業誠大矣,不謙以持之,則無以保其終也,故夫謙者,君子之終也。

謙卦は下卦が艮、上卦が坤である。卦辞にいわく:謙は亨通。君子は善始善終し得る。《彖伝》にいわく:謙の亨通たる所以は、天道が下降して万物を済助して光明显著にして、地道が卑下にしてその気が上に向かって運行する。天道は盈満を損して謙虚を増益し、地道は盈満を変じて謙虚に流注し、鬼神は盈は盈満を損害して謙虚に福を賜い、人道は盈満を悪んで謙虚を喜好す。謙虚の人は身に尊位に居りて徳はいよいよ光大、身に卑下に処して誰も彼を越過し得ず。これが君子の善終である。司馬光が解していわく:人がまさに行動あらんとし、まさに作為あらんとする時、謙虚の態度をもって施行すれば、行き通らぬことなし。君子の德行は確実に盛大、事業は確実に宏大なれども、謙虚をもって持守しなければ、善終を保住し得ない。ゆえにいわく、謙はまさに君子が善終を得る憑借なり、と。

象曰:地中有山,謙,君子以裒多益寡,稱物平施。初六:謙謙君子,用渉大川,吉。象曰:謙謙君子,卑以自牧也。六二:鳴謙,貞吉。象曰:鳴謙貞吉,中心得也。九三:勞謙君子,有終吉。象曰:勞謙君子,萬民服也。勞謙,有勞而謙者也。

《大象伝》にいわく:高山が地中に蔵る、これが謙卦である。君子はこれに取法して、多余を減損し不足を増補し、事物の多寡を衡量して公平に施予す。初六爻辞にいわく:謙にしてまた謙の君子は、この態度をもって大河を渡れば、吉利。《小象伝》にいわく:謙にしてまた謙の君子は、卑下の姿態をもって自己を修養す。六二爻辞にいわく:謙虚の名が外に遠く播れ、正を守って吉利。《小象伝》にいわく:謙名が遠く播れて正を守りて吉利は、この謙虚が内心より発して所得あるがゆえに。九三爻辞にいわく:功労あってなお謙虚なりし君子は、善終を保有し得、吉利。《小象伝》にいわく:功労あって謙虚の君子は、万民がみな心悦誠服す。司馬光が解していわく:いわゆる「労謙」は、功労あってなお謙虚たる人である。

六四:無不利,撝謙。象曰:無不利,撝謙,不違則也。六五:不富以其鄰,利用侵伐,無不利。象曰:利用侵伐,征不服也。上六:鳴謙,利用行師,征邑國。象曰:鳴謙,志未得也,可用行師征邑國也。

六四爻辞にいわく:不利なし、それが謙徳を発揮し施行し得るがゆえに。《小象伝》にいわく:不利なくして謙徳を施行し得るは、法則に違背せざるがゆえに。六五爻辞にいわく:自己は富有ならざるも隣近の人を相従せしめ、兵を興して討伐するに宜しく、不利なし。《小象伝》にいわく:兵を興して討伐するに宜しいは、帰服を肯んじせざる者を征伐する。上六爻辞にいわく:謙名が遠く播れ、軍隊を出動するに宜しく、自己の属邑の国を征討す。《小象伝》にいわく:謙名が遠く播れるは、心志がまだ完全に実現せず、ゆえに兵を出して属邑の国を征討し得。

豫卦

坤下震上。豫:利建侯行師。彖曰:豫,剛應而志行,順以動,豫。豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎?天地以順動,故日月不過而四時不忒;聖人以順動,則刑罰清而民服。豫之時義大矣哉!

豫卦は下卦が坤、上卦が震である。卦辞にいわく:豫は、諸侯を分封し軍隊を出動するに宜しい。《彖伝》にいわく:豫卦の中、九四のこの剛爻が衆陰の呼応を得て心志が推行を得、形勢に順応して行動す、これが豫。豫は形勢に順応して行動す。ゆえに天地の運行もこのごとく、いわんや諸侯を分封し軍隊を出動するこの種の人事をや。天地は規律に順応して運動す。ゆえに日月の運行は過失なく、四季の更替は差錯なし。聖人は民情に順応して行動すれば、刑罰は清明にして百姓は帰服す。豫卦の包含する時勢と意義は、真に重大なりや。

象曰:雷出地奮,豫,先王以作樂崇徳,殷薦之上帝,以配祖考。雷出地者,春分候也。春分之時,雷迅出地以動萬物,萬物莫不奮迅悅豫而從之也。豫,喜意也,作樂所以飾喜也。薦之上帝,以配祖考,用樂之盛者。

《大象伝》にいわく:雷が地下より奮然として発出す、これが豫卦である。先王はこれに取法して、音楽を創制し徳行を崇尚し、隆重に音楽を上帝に進献し、かつ祖先をもって配享せしめた。司馬光が解していわく:雷が地中より発出するは、まさに春分の物候である。春分の時節、雷は迅疾に地を破って出で、万物を鼓動す。万物は奮起振作して歓欣喜悦してこれに随いて動かざるなし。「豫」は歓喜の意味で、音楽を創作するはまさにこの歓喜を文飾するに用いる。音楽を上帝に進献し祖先をもって配享するは、楽を用いるの最も隆盛の場合である。

初六:鳴豫,凶。象曰:初六鳴豫,志窮凶也。六二:介于石,不終日,貞吉。象曰:不終日貞吉,以中正也。六三:盱豫,悔;遲,有悔。象曰:盱豫有悔,位不當也。九四:由豫,大有得,勿疑,朋盍簪。象曰:由豫大有得,志大行也。六五:貞疾,恆不死。象曰:六五貞疾,乘剛也;恆不死,中未亡也。上六:冥豫成,有渝,無咎。象曰:冥豫在上,何可長也。

初六爻辞にいわく:得意忘形に歓楽を張揚すれば、凶険。《小象伝》にいわく:初六が歓楽を張揚するは、心志が窮極して凶険を招致す。六二爻辞にいわく:耿介なること磐石のごとく、終日を待たずして幾を見て作す。正を守って吉利。《小象伝》にいわく:終日を待たずして正を守りて吉利は、六二が中に居りて正を得るがゆえに。六三爻辞にいわく:諂媚して上を視て歓楽を求めば、必ず悔恨を生ず。もし遅疑して改めざれば、さらに後悔す。《小象伝》にいわく:諂媚して楽を求めて悔あるは、居る位が恰当ならざるがゆえに。九四爻辞にいわく:歓楽は彼より生じ、大いに得る所有り。猜疑する勿れ。朋友たちは髪簪が髪を聚めるがごとく聚攏し来る。《小象伝》にいわく:歓楽が彼より生じて大いに得る所有るは、心志が大いに施行する。六五爻辞にいわく:この位を守るは病を抱くがごとく、長久にして死なず。《小象伝》にいわく:六五が病を抱くは、それが九四の剛爻の上に凌乗するがゆえに。長久にして死なざるは、それが居中の徳がまだ喪失せざるがゆえに。上六爻辞にいわく:歓楽に沈溺してすでに定局を成したも、もし改変あるに能くすれば、過ちなし。《小象伝》にいわく:歓楽に昏冥して全卦の上に居る、これはどうして長久し得ようか。

随卦

震下兌上。隨:元亨利貞,無咎。彖曰:隨,剛來而下柔,動而說,隨。大亨貞無咎,而天下隨時,隨時之義大矣哉!象曰:澤中有雷,隨,君子以嚮晦入宴息。

随卦は下卦が震、上卦が兌である。卦辞にいわく:随は元始にして亨通して正を守るに利あり、過ちなし。《彖伝》にいわく:随卦は陽剛が前来して陰柔の下に屈居し、行動すれば人をして欣悦せしむ。ゆえに「随」と称す。大いに亨通して正を守りて過ちなきは、ここに天下がみな時勢に随順す。時勢に随順するの意義は、真に重大なりや。《大象伝》にいわく:雷が沢中に伏る、これが随卦である。君子はこれに取法して、天色が晩に向かう時に入りて休息安寝す。

初九:官有渝,貞吉,出門交有功。象曰:官有渝,從正吉也;出門交有功,不失也。六二:係小子,失丈夫。象曰:係小子,弗兼與也。六三:係丈夫,失小子;隨有求得,利居貞。象曰:係丈夫,志舎下也。九四:隨有獲,貞凶;有孚在道以明,何咎。象曰:隨有獲,其義凶也;有孚在道,明功也。九五:孚于嘉,吉。象曰:孚于嘉吉,位正中也。上六:拘係之,乃從維之,王用亨于西山。象曰:拘係之,上窮也。

初九爻辞にいわく:主守する対象に変動あり、正を守れば吉利。門を出でて人と交往すれば功を建つ。《小象伝》にいわく:主守する所に変動あるも、正道に跟従すれば吉利。門を出でて交往して功あるは、これに失なきを言う。六二爻辞にいわく:年少の一方に係恋すれば、年長の一方を失う。《小象伝》にいわく:年少に係恋するは、両辺を兼顧し得ざるがゆえに。六三爻辞にいわく:年長の一方に係従すれば、年少の一方を失う。随従して求むる所有れば得、安居して正を守るに宜しい。《小象伝》にいわく:年長の一方に係従するは、心志の上で下の初九を捨棄したるがゆえに。九四爻辞にいわく:随従して獲取する所有れば、正を守るも凶険。誠信を心に懐き正道を行いてかつ明智なれば、何の過ちかあらん。《小象伝》にいわく:随従して獲取あるは、道理について言えば凶険。誠信を心に懐きて正道を行くは、明智の帯来する功效。九五爻辞にいわく:誠信をもって美善の人に随従せば、吉利。《小象伝》にいわく:誠信をもって美善に随従して吉利は、九五の位置が中正なるがゆえに。上六爻辞にいわく:彼を拘禁捆縛し、また繩索をもって維係す。君王は西山において祭享を挙行す。《小象伝》にいわく:彼を拘禁捆縛するは、随道が上位に至りてすでに窮極したるがゆえに。

蠱卦

巽下艮上。蠱:元亨,利渉大川,先甲三日,後甲三日。彖曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。蠱元亨而天下治也。利渉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。

蠱卦は下卦が巽、上卦が艮である。卦辞にいわく:蠱は大いに亨通、大河を渡るに宜しい。甲の日の前の三日、甲の日の後の三日、みな慎重に申令すべし。《彖伝》にいわく:蠱卦は陽剛が上に居り陰柔が下に居り、下は卑順にして上は静止し、ここに積弊が叢生す、これが蠱。積弊を整治して大いに亨通せば、天下は治理を得る。「利渉大川」は、往けば必ず為すべき事あるを言う。「先甲三日、後甲三日」は、一段の終結の後にまた新たな開始あるを言う。これはまさに上天の運行の法則である。

蠱者,物有蠧敝而事之也。事之者,治之也,除蠧補敝,故大通也。剛上而柔下,善登而惡降也;巽而止之,利以濟難也。甲者,生之始,為仁為徳;庚者,殺之終,為義為刑。先之三日以謹其始,後之三日以慎其終。蠱以少陽在上而行令,故主仁;巽以少陰在上而行令,故主義。天以陰陽終始萬物,君子以仁義修身,以徳刑治國,各有其事也。

いわゆる「蠱」とは、事物に蠹蝕敗壊があってこれを整治することである。「事之」はそれを治理することで、蠹虫を除去し破敗を修補する。ゆえに大いに通達し得る。陽剛が上にあり陰柔が下にあるのは、善の上昇と悪の下降である。下が卑順し上が制止するは、艱難を渡るに利あり。「甲」は生長の開始で、仁と徳に配属す。「庚」は粛殺の終結で、義と刑に配属す。甲の日の前の三日に申令するは、謹慎に開頭するためである。甲の日の後の三日に申令するは、慎重に收尾するためである。蠱卦は少陽の艮が上に居りて号令を発する。ゆえに仁を主とす。巽卦は少陰が上に居りて号令を発する。ゆえに義を主とす。上天は陰陽をもって万物を終結し開始し、君子は仁義をもって自身を修養し、徳教と刑罰をもって国家を治理す。各々その職事あり。

象曰:山下有風,蠱,君子以振民育徳。案:隨卦說原本缺。艮為丘為山,巽為風為號令。君子洗濯其心,一以待人,以育徳於上,山之象也;發號施令,革弊除蠧,以振民於下,風之象也。

《大象伝》にいわく:山下に風が吹拂す、これが蠱卦である。君子はこれに取法して、百姓を振作し徳行を涵育す。館臣按語:随卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。司馬光が解していわく:艮は丘を象徴し山を象徴し、巽は風を象徴し号令を象徴す。君子は自己の内心を洗滌し、専一誠懇をもって他人を待つ。上位に在りて徳行を涵育するは、これ山の意象である。号令を発布し、弊政を革除し蠹害を清除し、下に在りて百姓を振作するは、これ風の意象である。

初六:幹父之蠱,有子,考無咎,厲終吉。象曰:幹父之蠱,意承考也。子者,所以承父之事而成之;臣者,所以成君之事而終之。天下之事大矣多矣,自非聖人不能無過,故子能葢父之愆,臣能掩君之惡,然後為幹蠱也。

初六爻辞にいわく:父の遺留した弊事を匡正す。このような子あれば、去世の父は過錯を留めない。危厲あるも、最終に吉利。《小象伝》にいわく:父輩の弊事を匡正するは、本意は父の志業を継承せんとするなり。司馬光が解していわく:子たるは、父の事業を承接してこれを成さんとするである。臣子たるは、君主の事業を成就してこれを完さんとするである。天下の事情は重大にして繁多なり。聖人にあらざれば、過失なき者はなし。ゆえに子が父の過失を掩蓋し得、臣子が君主の缺失を彌補し得て、そうして初めて「干蠱」と算する。

以秦始、漢武之奢汰驕暴,相逺也無幾耳。始皇得胡亥以為子,李斯以為臣,不旋踵而亡矣,天下後世之言惡者必歸焉。武帝得昭帝以為子,霍光以為臣,而國家乂寧,後世稱之為明君,隋唐之祖亦然。故必有賢子,然後考得無咎也。幹事之始,敢自安乎?故戰戰兢兢,乃得終吉也。夫事有蠱敝,不可不更,臣子之心,非以髙君父而自名也,欲以掩惡而全美,故曰意承考也。

秦始皇と漢武帝を取って言えば、彼らの奢侈驕横暴虐は、彼此相差して多からず。秦始皇は胡亥のような子、李斯のような臣を得て、転眼の間に国家が滅亡し、後世は凡そ暴悪を説くに必ず彼に罪を帰す。漢武帝は昭帝のような子、霍光のような臣を得て、国家はこれによって安定し、後世はかえって彼を明君と称す。隋文帝・唐高祖の情形もこのごとし。ゆえに必ず賢能の子あって、去世の父が初めて過錯なきを得。匡正弊事の開頭を承当して、どうして安逸を自求することを敢えんや。ゆえに戦戦兢兢として、終の吉利を得るを要す。事情に蠹蝕敗壊あれば、更改を加えざるべからず。しかるに臣子がこうする用心は、君父を圧過して自己の名声を抬高せんとするにあらず、ただその悪を掩蓋しその美を成全せんと欲するなり。ゆえに《小象伝》に「意承考也」という。

九二:幹母之蠱,不可貞。象曰:幹母之蠱,得中道也。九三:幹父之蠱,小有悔,無大咎。象曰:幹父之蠱,終無咎也。親有過,下氣怡聲以諫,禮也。三以重剛乾之,故小有悔也;然不失其正,故無大咎也。

九二爻辞にいわく:母の遺留した弊事を匡正す、己見を固執すべからず。《小象伝》にいわく:母輩の弊事を匡正するは、中道を得て行うを要す。九三爻辞にいわく:父の遺留した弊事を匡正す、少し悔恨あるも、大きな過錯なし。《小象伝》にいわく:父輩の弊事を匡正するは、終に過錯なからん。司馬光が解していわく:父母に過失あれば、子女たるは声気を放し低くし和顔悦色をもって勧諫すべし。これは礼である。九三は重畳の陽剛をもって匡正するに、態度は未免剛硬。ゆえに少し悔恨あり。ただそれは正位を失わず。ゆえに大きな過錯なし。

六四:裕父之蠱,往見吝。象曰:裕父之蠱,往未得也。六四裕父之蠱:楚屈到嗜芰,有疾,屬之曰:“祭我必以芰。”及祥,宗老將薦芰,屈建命去之,曰:“國君有牛享,大夫有羊饋,士有豚豕之奠,庶人有魚炙之薦,不羞珍異,不陳庶侈。”夫子不以其私慾乾國之典,遂不用。

六四爻辞にいわく:父の遺留した弊事を寛縦すれば、このまま往けば必ず憾惜を致す。《小象伝》にいわく:父輩の弊事を寛縦するは、往けば行き通らざるなり。司馬光が六四の「裕父之蠱」を解していわく:春秋時、楚国の屈到は菱角を愛食し、病重い時に家人に嘱していわく:「我を祭るには必ず菱角を用いよ」、と。小祥の祭に至り、宗廟を掌管する老臣がまさに菱角を進献せんとするに、その子屈建が撤去を下令していわく:「国君の祭は牛を用い、大夫の祭は羊を用い、士は小猪を用い、庶人は烤魚を用いる。祭品は珍奇の物を用いず、众多奢侈の品を陳設せざるなり」、と。屈建は父の私人の嗜好をして国家の典制を干犯せしめるを肯んぜず、終に採用せず。

易曰“裕父之蠱,往見吝”,裕之為言,饒也,益也,父不義而順之,是裕之也,往而不變,斯可醜也。六五:幹父之蠱,用譽。象曰:乾父用譽,承以徳也。五居盛位,以柔承剛,又有中和之徳,故有譽也。

《周易》に「裕父之蠱、往見吝」という。「裕」の字の意味は寛饒・増益である。父の做法が道義に合わざるに子たるがひとえに順従するは、これが「裕」である。ひとえにこのままにして改変を肯んぜざれば、実に可恥なり。六五爻辞にいわく:父の遺留した弊事を匡正して、これによって美誉を獲得す。《小象伝》にいわく:父輩の弊を匡正して美誉を得るは、彼が徳行をもって父業を承継するがゆえに。司馬光が解していわく:六五は尊盛の位に居り、柔順をもって上九の剛に承接し、また中和の徳性を具備す。ゆえに贊誉を得るを得。

上九:不事王侯,髙尚其志。象曰:不事王侯,志可則也。陽者,君子之象。致仕而無位,年高而徳尊,雖不能以力幹事,而智慮深逺,志可法也,故先王養老乞言焉。非夫矯亢以驚俗、虛驕而無用者也。

上九爻辞にいわく:王侯に侍奉せず、自己の志節を高遠に視る。《小象伝》にいわく:王侯に侍奉せざるは、彼の志節は効法に値す。司馬光が解していわく:陽爻は君子の象徴である。このような人はすでに退休して官位なく、年紀高邁にして徳望尊崇なり。再び力を出して事を弁ずること能わざるも、智慮深遠にして志節は効法し得る。ゆえに先王は老者を奉養して彼らに嘉言を請教する。これは決してあの故に高傲を作して世俗を驚駭し、徒らに驕矜ありて毫も用なきの人ではない。

臨卦

兌下坤上。臨:元亨利貞,至于八月有凶。彖曰:臨,剛浸而長,說而順,剛中而應,大亨以正,天之道也。至于八月有凶,消不久也。八月者,周之八月也。陽生於復,長於臨;陰生於姤,長於遁。遁與臨反者也。聖人防微杜漸,故於陽長之初而著陰之戒也。

臨卦は下卦が兌、上卦が坤である。卦辞にいわく:臨は元始にして亨通して正を守るに利あり。八月に至れば凶険あり。《彖伝》にいわく:臨卦は陽剛が漸漸に生長し、下卦が欣悦にして上卦が柔順、九二は陽剛にして中に居りて六五と相応ず。大いに亨通して正道に合す。これは上天の法則である。「至于八月有凶」は、陽気の消退する日が遠からざるを言う。司馬光が解していわく:ここの八月は、周暦の八月を指す。陽気は復卦に生じ、臨卦に生長す。陰気は姤卦に生じ、遁卦に生長す。遁卦はちょうど臨卦と相反す。聖人は防微杜漸せんと欲す。ゆえに陽気がちょうど生長し始める時に、陰気への警戒を標出す。

象曰:澤上有地,臨,君子以教思無窮,容保民無疆。教思無窮,容保民無疆,功之所以大也。初九:咸臨,貞吉。象曰:咸臨貞吉,志行正也。君子之所以能自大者,學於道也。學充於內則志氣夷懌矣,浸長於外則人化而順之矣,人化而順之,所以大也。

《大象伝》にいわく:沢の上に地が臨圧してその上に居る、これが臨卦である。君子はこれに取法して、百姓を教化する心思は無窮無尽、百姓を包容護養する胸懐は辺際なし。司馬光が解していわく:教化の心思が無窮にして、容保百姓が無疆は、これまさに功業の宏大たる所以の原因である。初九爻辞にいわく:感応の心をもって民に臨み、正を守って吉利。《小象伝》にいわく:感応して民に臨みて正を守りて吉利は、心志の行く所が端正なるがゆえに。司馬光が解していわく:君子が自己を壮大ならしめ得る所以は、大道に学習するに頼る。学問が内心に充実すれば、志気は平和喜悦す。徳性が外面に漸漸に生長すれば、他人は感化を受けて順従す。人々が感化を受けて順従するは、これが「大」である。

有應於外,化順之象也。夫道以正心為本,初九所以能感物而大,志行正也。孔子曰:“學而時習之,不亦悅乎?有朋自逺方來,不亦樂乎?”傳曰:“大學之本,心正然後身修。”九二:咸臨,吉無不利。象曰:咸臨吉無不利,未順命也。二在下體而不當位,故小人未肯盡受命也。

初九は外卦に相応の爻あり。これまさに感化して順従するの意象である。大道は内心を端正するを根本とす。初九が外物を感動してその大を成し得る所以は、まさにそれが心志の行く所が端正なるがゆえに。孔子がいわく:「学びて時に温習実践すれば、また喜悦ならずや。朋友が遠方より来れば、また快楽ならずや」、と。《大学》にいわく:「大学の根本は、心正しくして後に身が修まる」、と。九二爻辞にいわく:感応の心をもって民に臨み、吉利にして不利なし。《小象伝》にいわく:感応して民に臨みて吉にして不利なきは、下がまだ完全に命令に順従せざるがゆえに。司馬光が解していわく:九二は身に下卦に在りて居る位が当たらず。ゆえに小人はなおその号令を完全に接受することを肯んぜざるなり。

六三:甘臨,無攸利,既憂之,無咎。象曰:甘臨,位不當也;既憂之,咎不長也。六四:至臨,無咎。象曰:至臨無咎,位當也。六四進升上體,至大之境已得其位,故無咎也。六五:知臨,大君之宜,吉。象曰:大君之宜,行中之謂也。上六:敦臨,吉,無咎。象曰:敦臨之吉,志在內也。

六三爻辞にいわく:甜言媚悦をもって民に臨めば、好処あることなし。すでにこのため憂惧せば、過ちなからん。《小象伝》にいわく:甜言をもって民に臨むは、居る位が当たらざるがゆえに。すでに憂惧して改過せば、過ちは持久せざらん。六四爻辞にいわく:親身に切近に民に臨めば、過ちなし。《小象伝》にいわく:切近に民に臨みて過ちなきは、居る位が恰当なるがゆえに。司馬光が解していわく:六四は上進して上卦に升入し、至りて広大の境地に到りてすでに正位を得たり。ゆえに過ちなし。六五爻辞にいわく:智慧をもって民に臨むは、これ大君の応有の做法なり。吉利。《小象伝》にいわく:大君の応有の做法は、中道に依って行くを言う。上六爻辞にいわく:敦厚の徳をもって民に臨めば、吉利、過ちなし。《小象伝》にいわく:敦厚に民に臨むの吉利たる所以は、それが心志を内卦の賢者に係るがゆえに。

観卦

坤下巽上。觀:盥而不薦,有孚顒若。彖曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下。觀,盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。觀天之神道而四時不忒,聖人以神道設教而天下服矣。觀者,上以徳示人,使人觀而化之也。盥,圭潔其徳也;薦,豐備其物也;顒,人君有徳之容也。

観卦は下卦が坤、上卦が巽である。卦辞にいわく:観は、祭祀の時にちょうど手を洗い終えて、まだ祭品を献せざるの一刻のごとく、誠敬を満懐して神情は粛穆なり。《彖伝》にいわく:偉大なる観瞻の象は上位に居り、柔順にして謙遜、中正の徳をもって天下に昭示す。「観、盥而不薦、有孚顒若」は、下の人々が彼を瞻仰して感化を受くるを言う。上天の神妙なる運行の道を観察すれば、四季は従来差錯せず。聖人はこの神妙の道に依って教化を設立すれば、天下はみな帰服す。司馬光が解していわく:いわゆる「観」は、上の者が徳行をもって人に昭示し、人をして瞻仰して感化を受けしむることである。「盥」は、彼の徳行が圭玉のごとく潔浄なるを言う。「薦」は、祭品が豊盛完備なるを言う。「顒」は、君主に徳ある時のあの荘重なる儀容である。

夫徳由內出,物自外至,茍內徳不充,雖外物豐備,不能化人也。故黍稷非馨,明徳惟馨。茍有明信,澗溪沼沚之毛,蘋蘩薀藻之菜,可薦於鬼神,可羞於王公,而況下民乎?故曰盥而不薦。

徳行は内心より発し、祭品は外面より得る。もし内在の徳行が充実せざれば、たとい外在の祭物がいかに豊盛完備なるも、他人を感化すること能わず。ゆえに《尚書・君陳》にいわく、黍稷の香気は真の芬芳と算するに足らず、光明の徳行こそ真の芬芳なり、と。《左伝》にもまたいわく、光明の誠信さえあれば、山澗溪溝池沼の中に生長する野草、苹・蘩・薀・藻のごとき水菜も、みな鬼神に進献し得、王公に進奉し得る。いわんや下の百姓に奉献するをや。ゆえに卦辞に「盥而不薦」という。

君人者能隆內殺外,勤本略末,徳潔誠著,物皆信之,然後可以不為而成,不言而化,恭已南面,顒然而已,所謂神道設教而天下服也,故曰有孚顒若。象曰:風行地上,觀,先王以省方觀民設教。先王省方,考禮樂,恊時日,飭法度,以示人,為觀之象。

君主たる者が内在を加重して外在を減省し、根本に勤めて枝節に略し、徳行潔浄にして誠意昭著なれば、万民はみな彼を信服し、そうして刻意に作為せずとも事は自ら成り、号令を発せずとも風俗は自ら化し、ただ恭敬に南面して坐し、儀容荘重なるのみ。これがいわゆる「神妙の道に依って教化を設立して天下が帰服す」である。ゆえに卦辞に「有孚顒若」という。《大象伝》にいわく:風が大地の上に吹行す、これが観卦である。先王はこれに取法して、四方を巡視し民情を体察し教化を設立した。司馬光が解していわく:先王が四方を巡視し、礼楽を考訂し、時令暦日を協調し、法度を整飭して、もって人に昭示する。これまさに「観」の意象である。

初六:童觀,小人無咎,君子吝。象曰:初六童觀,小人道也。六二:窺觀,利女貞。象曰:窺觀女貞,亦可醜也。六三:觀我生進退。象曰:觀我生進退,未失道也。六四:觀國之光,利用賓于王。象曰:觀國之光,尚賓也。九五:觀我生,君子無咎。象曰:觀我生,觀民也。上九:觀其生,君子無咎。象曰:觀其生,志未平也。

初六爻辞にいわく:児童のごとく浅陋に観看するは、小人は然りて過ちと算せず、君子は然りて憾惜あり。《小象伝》にいわく:初六の童稚の観は、小人の路数である。六二爻辞にいわく:門の隙間から偷看するは、ただ女子の守正に利するのみ。《小象伝》にいわく:窺視の観はただ女子の守正に利するのみは、男子について言えばまた可羞なり。六三爻辞にいわく:自己の行為の得失を観察して進退を決定す。《小象伝》にいわく:自身を観察して進退を定むるは、まだ正道を喪失せず。六四爻辞にいわく:一国の光輝盛徳を観瞻するは、君王の賓客となって出仕するに宜しい。《小象伝》にいわく:国の光輝を観瞻するは、王家の賓客たるを崇尚す。九五爻辞にいわく:自己の行う教化を観察すれば、君子はこれを為して過ちなし。《小象伝》にいわく:自身を観察するは、実は民風を観察するなり。上九爻辞にいわく:他人の受ける教化を観察すれば、君子はこれを為して過ちなし。《小象伝》にいわく:他人の教化を観察するは、心志がまだ安然平静し得ざるがゆえに。

噬嗑卦

震下離上。噬嗑:亨,利用獄。彖曰:頤中有物,曰噬嗑。噬嗑而亨,剛柔分,動而明,雷電合而章,柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。象曰:雷電,噬嗑,先王以明罰勑法。明罰勑法:先王明罰,非以殘人,所以正法也。

噬嗑卦は下卦が震、上卦が離である。卦辞にいわく:噬嗑は亨通、断案用刑に宜しい。《彖伝》にいわく:口中に物を含む。ゆえに「噬嗑」と称す。すなわち咬合の意味である。咬合して後に通暢す。ゆえに亨通。剛爻と柔爻が分布均匀にして、下卦が震動し上卦が明照し、雷と電と相配合して威明が彰顕す。六五のこの柔爻は中位を得て上に向かいて行く。居る位は当たらざるも、断案用刑に宜しい。《大象伝》にいわく:雷電が交作す、これが噬嗑卦である。先王はこれに取法して、刑罰を申明し法令を整飭した。司馬光が解していわく:「明罰勑法」について:先王が刑罰を申明するは、人を殘害するためではなく、法度を端正するためである。

初九:屨校滅趾,無咎。象曰:屨校滅趾,不行也。六二:噬膚滅鼻,無咎。象曰:噬膚滅鼻,乘剛也。六三:噬臘肉,遇毒,小吝,無咎。象曰:遇毒,位不當也。噬嗑,食也,故皆以食物明之。禽獸全乾者謂之臘,噬之至難者也;乾肉者,難於噬膚而易於乾胏者也。

初九爻辞にいわく:脚に木枷を戴きて脚指を遮没す、過ちなし。《小象伝》にいわく:脚に木枷を戴きて脚指を遮没するは、彼をして再び邪路を走上らしめざるなり。六二爻辞にいわく:嫩肉を咬食して、深く鼻子を遮没す、過ちなし。《小象伝》にいわく:肉を咬みて鼻を没するは、六二が初九の剛爻の上に凌乗するがゆえに。六三爻辞にいわく:腊肉を咬食して、毒味に遇う、少し憾惜あるも過ちなし。《小象伝》にいわく:毒味に遇うは、居る位が恰当ならざるがゆえに。司馬光が解していわく:「噬嗑」はすなわち物を食べることである。ゆえに各爻はみな食物をもって説明す。全体の風乾した禽獣を「腊」と称し、最も咬み難し。「干肉」は嫩肉より咬み難く、骨帯びた干肉より咬み易し。

九四:噬乾胏,得金矢,利艱貞,吉。象曰:利艱貞吉,未光也。六五:噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。象曰:貞厲無咎,得當也。上九:何校滅耳,凶。象曰:何校滅耳,聰不明也。

九四爻辞にいわく:骨連れた干肉を咬食して、銅の箭頭を得たり。艱難の中に正を守るに宜しく、吉利。《小象伝》にいわく:艱難に正を守りて吉を獲るに宜しきは、道路がまだ光大せざるがゆえに。六五爻辞にいわく:干肉を咬食して、黄銅を得たり。正を守りて心に危惧を存せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:正を守りて危惧して過ちなきは、処置が得当なるがゆえに。上九爻辞にいわく:肩上に木枷を扛ぎて耳朵をも遮住す、凶険。《小象伝》にいわく:枷を扛ぎて耳朵を遮住するに至るは、彼が聴覚不明にして勧誡を聴取することを肯んぜざるがゆえに。

賁卦

離下艮上。賁:亨,小利有攸往。彖曰:賁亨,柔來而文剛,故亨;分剛上而文柔,故小利有攸往。天文也,文明以止,人文也。觀乎天文以察時變,觀乎人文以化成天下。象曰:山下有火,賁,君子以明庶政,無敢折獄。

賁卦は下卦が離、上卦が艮である。卦辞にいわく:賁は亨通、少し前往に利あり。《彖伝》にいわく:賁の亨通たる所以は、柔爻が下りて剛爻を文飾す。ゆえに亨通。また剛爻を分かちて上りて柔爻を文飾す。ゆえに少し往く所有るに利す。剛柔が交錯す、これは天の文采。文采光明にしてまた節止する所有り、これは人の文采。天の文采を観察すれば時序の変化を体察し得、人の文采を観察すれば天下を教化し風俗を成就し得る。《大象伝》にいわく:山下に火が照耀す、これが賁卦である。君子はこれに取法して、各項の政務を明白清楚に処理す。ただし敢えて文飾のみに憑って訟獄を断決せず。

初九:賁其趾,舎車而徒。象曰:舎車而徒,義弗乘也。六二:賁其須。象曰:賁其須,與上興也。九三:賁如濡如,永貞吉。象曰:永貞之吉,終莫之陵也。六四:賁如皤如,白馬翰如,匪冦婚媾。象曰:六四當位疑也,匪冦婚媾,終無尤也。六五:賁于丘園,束帛戔戔,吝,終吉。象曰:六五之吉,有喜也。上九:白賁,無咎。象曰:白賁無咎,上得志也。案:賁卦說原本缺。

初九爻辞にいわく:自己の脚指を文飾し、寧ろ車を捨てて歩行す。《小象伝》にいわく:車を捨てて歩行するは、道義について言えば乗坐すべからざるなり。六二爻辞にいわく:自己の鬍鬚を文飾す。《小象伝》にいわく:鬍鬚を文飾するは、上の九三に随いて一同に興起す。九三爻辞にいわく:文飾ありてまた潤沢あり、長久に正を守れば吉利。《小象伝》にいわく:長久に正を守るの吉利たる所以は、終始誰も彼を欺凌し得ざるがゆえに。六四爻辞にいわく:文飾して素浄潔白、白馬が奔驰して来る。来るは強寇にあらず、婚配を求むるなり。《小象伝》にいわく:六四の居る位は正当にして心に疑慮あり。来者は強寇にあらずして婚を求むるなり、終に過失なからん。六五爻辞にいわく:山丘園圃の間に文飾し、備うる所の束帛は微薄少小、吝嗇を顕すも最終に吉利。《小象伝》にいわく:六五の吉利たる所以は、喜慶の事あるがゆえに。上九爻辞にいわく:本色素白をもって文飾と為せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:素白を飾として過ちなきは、上位に居りて心志が遂げたるがゆえに。館臣按語:賁卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。

剥卦

坤下艮上。剝:不利有攸往。彖曰:剝,剝也,柔變剛也。不利有攸往,小人長也。順而止之,觀象也,君子尚消息盈虛,天行也。象曰:山附於地,剝,上以厚下安宅。剝以厚下安宅:夫基薄則牆隤,下薄則上危,故君子厚其下者,所以自安其居也。

剥卦は下卦が坤、上卦が艮である。卦辞にいわく:剥は、往く所有るに宜しからず。《彖伝》にいわく:剥は剥落で、陰柔が陽剛を改変するである。往く所有るに宜しからざるは、小人の勢力がまさに増長するがゆえに。形勢に順応して歩を止むるを知るは、これ卦象より見出される。君子は消退・生長・盈満・虧虚の規律を重視す。それはまさに上天の運行の常道なるがゆえに。《大象伝》にいわく:山が地上に依附す、これが剥卦である。上の者はこれに取法して、下民を厚くして自己の居所を安定す。司馬光が解していわく:「厚下安宅」について:地基が薄ければ墻は塌れ、下が単薄なれば上は危険。ゆえに君子が下民を厚くするは、まさに自己の居所を安頓するに用いる。

初六:剝床以足,蔑貞凶。象曰:剝床以足,以滅下也。六二:剝床以辨,蔑貞凶。象曰:剝床以辨,未有與也。六三:剝之,無咎。象曰:剝之無咎,失上下也。六四:剝床以膚,凶。象曰:剝床以膚,切近災也。六五:貫魚以宮人寵,無不利。象曰:以宮人寵,終無尤也。

初六爻辞にいわく:牀を剥蝕して、牀脚より始まり、正道を滅棄すれば凶険。《小象伝》にいわく:牀を剥するに牀脚より始まるは、下部を毀滅せんとするなり。六二爻辞にいわく:牀を剥蝕して、牀身と牀脚の交接の処に剥り至る。正道を滅棄すれば凶険。《小象伝》にいわく:牀干に剥るるは、それに援助し得る同伴なきがゆえに。六三爻辞にいわく:剥落の事に参与するも、過ちなし。《小象伝》にいわく:剥落に参与して過ちなきは、それが上下の衆陰に背離して独り上九に応ずるがゆえに。六四爻辞にいわく:牀を剥蝕して、すでに人の肌膚に剥り至る、凶険。《小象伝》にいわく:肌膚に剥るるは、災禍がすでに目睫に迫る。六五爻辞にいわく:繩をもって魚を穿つがごとく衆陰を帯領し、宮女が依次に寵幸を承受するがごとく、不利なし。《小象伝》にいわく:宮女のごとく寵を受くるは、終に過失なからん。

上九:碩果不食,君子得輿,小人剝廬。象曰:君子得輿,民所載也;小人剝廬,終不可用也。碩果不食,將墜於地而復生也。剝之為道,舉卦皆陰而上獨以陽乘之,猶衰世之君子獨立不懼以制群陰,雖不當位,民所載也。或者陰來伐之,則是小人得志,君子道窮,禍亂遂成,民無所庇矣。詩云“人之云亡,邦國殄瘁”,此之謂也。

上九爻辞にいわく:碩大の果実は食べられず、君子はこれによって民衆の車輿のごとき擁載を得、小人は自己の房屋をも剥毀す。《小象伝》にいわく:君子が車輿を得るは、百姓に擁戴されるがゆえに。小人が房屋を剥毀するは、終に任用し得ざるなり。司馬光が解していわく:碩果が食べられざるは、将来地に落ちてまた重新に生長し得。剥卦の道理は:整卦はみな陰爻で、独り最上の一爻が陽、衆陰の上に凌駕す。衰乱の世の君子が独立して惧れず、一身をもって群陰を制服するがごとし。彼は居る位は当たらざるも、百姓の擁戴する所なり。もし陰気がさらに上りて彼を攻伐せば、それは小人が志を得て君子の道が窮尽し、禍乱はこれによって醸成し、百姓も庇護する所なからん。《詩経・大雅・瞻卬》に「賢人が一旦亡去せば、邦国は困病凋敝せん」というは、まさにこの道理を言う。

復卦

震下坤上。復:亨,出入無疾,朋來無咎,反復其道,七日來復,利有攸往。彖曰:復亨,剛反,動而以順行,是以出入無疾,朋來無咎。反復其道,七日來復,天行也。利有攸往,剛長也。復其見天地之心乎!

復卦は下卦が震、上卦が坤である。卦辞にいわく:復は亨通。出で入りても妨害なく、朋類が前来しても過ちなし。それが固有の軌道に往返して、七日にして返り来る。往く所有るに宜しい。《彖伝》にいわく:復の亨通たる所以は、陽剛が返回するがゆえに。行動して形勢に順応し得。ゆえに出入に妨害なく、朋類が前来しても過ちなし。その道に往返して七日にして返回するは、これ上天の運行の規律である。往く所有るに宜しきは、陽剛がまさに生長するがゆえに。復卦より、おそらく天地が万物を生育する本心を見るべきか。

七日來復何也?冬至卦氣起於中孚,次復,次屯,次謙,次睽。凡一卦御六日二百四十分日之二十一,五卦合三十日二百四十分日之一百五,此冬至距大寒之數也,故入冬至凡渉七日而復之氣應也。象曰:雷在地中,復,先王以至日閉闗,商旅不行,后不省方。

「七日来復」とは何の意味か。卦気の説によれば、冬至の日の卦気は中孚より始まり、次は復、次は屯、次は謙、次は睽である。毎一卦は六又二百四十分の二十一日を主管し、五卦合せて三十又二百四十分の百五日で、これはまさに冬至より大寒に至る間の日数である。ゆえに冬至に入って後、七日を経て、復卦の気が相応して至る。《大象伝》にいわく:雷が地中に潜蔵す、これが復卦である。先王はこれに取法して、冬至のこの日に関口を閉鎖し、商旅は通行を停止し、君主も四方に出巡せず。

初九:不逺復,無祗悔,元吉。象曰:不逺之復,以修身也。六二:休復,吉。象曰:休復之吉,以下仁也。六三:頻復,厲,無咎。象曰:頻復之厲,義無咎也。復者,過而能復之謂也。不慎其始,頻過而復,亦已危矣,雖然,猶愈於迷而不復也,故曰無咎。

初九爻辞にいわく:遠からず走りて返回すれば、大きな悔恨を造成するに至らず、大いに吉利。《小象伝》にいわく:遠からず走りて返回するは、自身を修養するに用いる。六二爻辞にいわく:美善に返回すれば、吉利。《小象伝》にいわく:美善に返回する吉利たる所以は、それが己を屈して初九のこの仁者の下に居るを得るがゆえに。六三爻辞にいわく:屡々失いてまた返る。危厲あるも過ちなし。《小象伝》にいわく:屡々復返するに危厲あるも、道理について言えば過ちなし。司馬光が解していわく:いわゆる「復」は、過失ありて正路に返帰し得ることである。開頭に謹慎せず、一再に錯を犯してまた一再に返回するは、これすでに危険なり。たといこのごとくも、なお迷失して永遠に回頭せざるに勝る。ゆえに「无咎」という。

六四:中行獨復。象曰:中行獨復,以從道也。中行者,行於眾陰之中也。四行眾陰之中,獨能履正思順,下應於陽,不陷溺於群邪而能自復於善者也,故曰中行獨復。孔子曰:“不曰堅乎,磨而不磷;不曰白乎,涅而不淄。”此之謂也。

六四爻辞にいわく:衆爻の中を行くも独り返回す。《小象伝》にいわく:衆中を行きて独り返回するは、正道に跟従するためである。司馬光が解していわく:いわゆる「中行」は、衆陰爻の間を行くことである。六四は衆陰の中に夾まるも、独り正を守りて順を思い、下に初九のこの陽爻に応合し、群邪の中に沈溺することを肯んぜずして自ら善道に返帰し得。ゆえに「中行独復」という。孔子がいわく:「真に堅硬なる物と謂うにあらずや、磨くも薄からず。真に潔白なる物と謂うにあらずや、染むるも黒からず」、と。言うはまさにこの種の人である。

六五:敦復,無悔。象曰:敦復無悔,中以自考也。上六:迷復,凶,有災眚,用行師,終有大敗,以其國君凶,至于十年不克征。象曰:迷復之凶,反君道也。

六五爻辞にいわく:敦厚の徳をもって正道に返帰せば、悔恨なし。《小象伝》にいわく:敦厚に返帰して悔なきは、それが中に居りて自我省察し得るがゆえに。上六爻辞にいわく:返帰の路に迷失して、凶険。天災人禍あらん。もしこれをもって兵を出して戦わば、終に大敗し、国君をも連れて凶険に遭い、十年の久しきも出征し得ざるに至る。《小象伝》にいわく:迷って復せざるの凶険は、君たるの道に違背するがゆえに。

无妄卦

震下乾上。無妄:元亨利貞,其匪正有眚,不利有攸往。彖曰:無妄,剛自外來而為主於內,動而健,剛中而應,大亨以正,天之命也。其匪正有眚,不利有攸往,無妄之往,何之矣?天命不佑,行矣哉!象曰:天下雷行,物與無妄,先王以茂對時育萬物。

无妄卦は下卦が震、上卦が乾である。卦辞にいわく:无妄は元始にして亨通して正を守るに利あり。もし行う所正ならざれば災患あり、往く所有るに宜しからず。《彖伝》にいわく:《无妄》卦は陽剛が外より来て内卦に主を為し、行動して剛健有力、九五は陽剛にして中に居りて六二と相応す。大いに亨通して正道に合す。これは上天の命令である。「其匪正有眚、不利有攸往」は、无妄の時にもし妄動して前往せば、往きて何の処にか至らん。上天の命令も彼を保佑せず、なお行き通るを得んや。《大象伝》にいわく:天の下に雷の声が運行し、万物はみな真実无妄の本性を賦与される。先王はこれに取法して、勉力して天時に順応して万物を養育した。

初九:無妄,往吉。象曰:無妄之往,得志也。六二:不耕穫,不災畬,則利有攸往。象曰:不耕穫,未富也。六三:無妄之災,或繫之牛,行人之得,邑人之災。象曰:行人得牛,邑人災也。九四:可貞,無咎。象曰:可貞無咎,固有之也。九五:無妄之疾,勿藥有喜。象曰:無妄之藥,不可試也。上九:無妄,行有眚,無攸利。象曰:無妄之行,窮之災也。案:無妄卦說原本缺。

初九爻辞にいわく:真実无妄にして往けば吉利。《小象伝》にいわく:无妄の徳をもって往くは、心志が実現を得る。六二爻辞にいわく:収穫を求めて耕さず、熟田を求めて開荒せざれば、かえって往く所有るに宜し。《小象伝》にいわく:収穫のために耕さざるは、彼が致富を貪図せざるを言う。六三爻辞にいわく:意外に来る災禍。ある人が牛を彼処に拴ぎ、過路の人が牛を牽き去り、本邑の人がかえって失牛の災を蒙受す。《小象伝》にいわく:過路の人が牛を得て、本邑の人がかえって災禍に遭う。九四爻辞にいわく:正を守るべく、過ちなし。《小象伝》にいわく:正を守りて過ちなきは、これ本よりそれが固有の徳性なるがゆえに。九五爻辞にいわく:自己の招致せざる疾病は、薬を服せずとも痊愈す。《小象伝》にいわく:无妄の疾に対する薬は、随便に一試すべからざるなり。上九爻辞にいわく:无妄の極に処して、さらに行動あれば災患あり、好処あることなし。《小象伝》にいわく:无妄の時にまた妄動するは、それは窮極して招来する災禍である。館臣按語:无妄卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。

大畜卦

乾下艮上。大畜:利貞,不家食吉,利渉大川。彖曰:大畜,剛健篤實輝光,日新其徳。剛上而尚賢,能止健,大正也。不家食吉,養賢也。利渉大川,應乎天也。象曰:天在山中,大畜,君子以多識前言往行,以畜其徳。

大畜卦は下卦が乾、上卦が艮である。卦辞にいわく:大畜は正を守るに利あり。家中に自食せずして朝に禄を受ければ吉利、大河を渡るに宜しい。《彖伝》にいわく:大畜卦は剛健・篤実にして光輝煥発し、徳行をして日日に更新せしめ得。上九は陽剛にして上位に居りて賢者を崇尚し、下の剛健を止住し得。これは大いに正当なり。「不家食吉」は、国家が賢人を奉養し得るを言う。「利渉大川」は、それが天道に順応するがゆえに。《大象伝》にいわく:天が山中に包蔵す、これが大畜卦である。君子はこれに取法して、広く前賢の嘉言と往聖の善行を記取し、もって自己の徳行を蓄積す。

初九:有厲,利己。象曰:有厲利己,不犯災也。九二:輿說輹。象曰:輿說輹,中無尤也。九三:良馬逐,利艱貞,曰閒輿衛,利有攸往。象曰:利有攸往,上合志也。六四:童牛之牿,元吉。象曰:六四元吉,有喜也。童牛,不角之牛也;牿者,貫角之木,所以止其觸也。四用柔正以畜剛健,不用威武而物自服,故曰童牛之牿,言雖設而無用也。

初九爻辞にいわく:危険あり、自ら止まるに宜しい。《小象伝》にいわく:危険ありて止まるに宜しきは、災禍を触犯せざらんためなり。九二爻辞にいわく:車が車軸上の伏兔を脱落す。《小象伝》にいわく:車が伏兔を脱するは、九二が中に居り、ゆえに過失なし。九三爻辞にいわく:良馬が奔驰追逐す、艱難の中に正を守るに宜し。日日に駕車と防衛の本領を練習すべし、往く所有るに宜し。《小象伝》にいわく:往く所有るに宜しきは、上位の者と心志が相合するがゆえに。六四爻辞にいわく:小牛の角上に木楅を加えれば、大いに吉利。《小象伝》にいわく:六四の大吉は、喜慶あるがゆえに。司馬光が解していわく:「童牛」はまだ角の長ぜざる小牛である。「牿」は牛角を横に穿つ木条で、それが抵触して人を傷るを防止するに用いる。六四は柔順中正の徳をもって剛健を畜止し、威武を動用せずして万物は自然に馴服す。ゆえに「童牛之牿」という。意味は防具を設置したれども、実は用いるに及ばざるなり。

六五:豶豕之牙,吉。象曰:六五之吉,有慶也。上九:何天之衢,亨。象曰:何天之衢,道大行也。

六五爻辞にいわく:閹せし公猪は、獠牙あるも害を為すに足らず、吉利。《小象伝》にいわく:六五の吉利たる所以は、福慶あるがゆえに。上九爻辞にいわく:天空に通ずる大道を肩負す、亨通。《小象伝》にいわく:天衢の大道を肩負するは、畜徳すでに成りて大道が広く施行を得たるを言う。

頤卦

震下艮上。頤:貞吉,觀頤,自求口實。彖曰:頤貞吉,養正則吉也。觀頤,觀其所養也;自求口實,觀其自養也。天地養萬物,聖人養賢以及萬民,頤之時大矣哉!

頤卦は下卦が震、上卦が艮である。卦辞にいわく:頤は正を守って吉利。人の頤養の道を観察し、かつ自ら口中の食物を謀求せよ。《彖伝》にいわく:頤は正を守りて吉利は、養う所が正道に合すれば吉利を言う。「観頤」は、彼が養う所は何人なるかを観察する。「自求口実」は、彼がどう自己を奉養するかを観察する。天地は万物を養育し、聖人は賢者を奉養して万民に推及す。頤卦の包含する時勢は、真に重大なりや。

凡萬物有者為陽,無者為陰;日光之所灼者為陽,所不灼者為陰;和氣之所煦者為陽,所不煦者為陰。聖人之於仁義猶是也:愛養萬物謂之仁,其所不愛不養謂之義,義者裁仁以就宜者也。或曰:聖人之仁無不及也,而有不愛不養乎?曰:暴亂而為物害者,聖人所不得而愛養也,聖人豈樂殺哉?

大凡万物は、存在するは陽に属し、存在せざるは陰に属す。日光の照射する所は陽に属し、照射せざる所は陰に属す。和暖の気の煦育する所は陽に属し、煦育せざる所は陰に属す。聖人の仁と義を待つもこのごとし。万物を愛護養育するを「仁」と称し、彼が愛護せず養育せざる部分を「義」と称す。いわゆる「義」は、仁愛を裁制して事宜に合わしむるなり。人が問う:聖人の仁愛は到達せざる所なし。なお彼の愛せず養わざる者あらんや。答えていわく:あの凶暴作乱して衆生を危害する人は、聖人の愛護養育し得ざる所なり。聖人は豈に人を殺すを楽しまんや。

何謂觀其所養?其人賢,則其所養必賢也;其人不肖,則所養必不肖也。何謂觀其自養?取於人以義,自奉養以禮,斯賢也;取於人無度,自奉養無節,斯不肖也。故富視其所與,貧視其所取,窮視其所主,達視其所舉,足以知其為人矣。

何が「彼が養う人を観察す」か。この人が賢明なれば、彼が養う所も必ず賢者。この人が成器ならざれば、彼が養う所も必ず成器ならず。何が「彼がどう自己を奉養するかを観察す」か。他人に向かいて索取するに道義に合し、自己を供養するに礼制に合すれば、これが賢者。他人に向かいて索取するに限度なく、自己を供養するに節制なければ、これが不肖の徒。ゆえに富有の時は彼が財物を誰に与えるかを見、貧窮の時は彼が何処より取得するかを見、困窘の時は彼が何人に依附するかを見、顕達の時は彼が何人を挙薦するかを見れば、彼が如何なる人なるかを知るに足る。

初九:舎爾靈,觀我朵頤,凶。象曰:觀我朵頤,亦不足貴也。六二:顛頤,拂經于丘頤,征凶。象曰:六二征凶,行失類也。六三:拂頤,貞凶,十年勿用,無攸利。象曰:十年勿用,道大悖也。六四:顚頤,吉,虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。象曰:顛頤之吉,上施光也。六五:拂經,居貞吉,不可渉大川。象曰:居貞之吉,順以從上也。上九:由頤,厲吉,利渉大川。象曰:由頤厲吉,大有慶也。

初九爻辞にいわく:あなた自身の霊亀のごとき美質を捨棄して、我が垂涎して腮を鼓して嚼食するを盯視す、凶険。《小象伝》にいわく:他人を盯視して垂涎して嚼食するは、これも看重に値せざるなり。六二爻辞にいわく:顛倒して下に求養し、常理に違背して高処の上九に求養す、往けば凶険。《小象伝》にいわく:六二が往きて凶険は、それが行為に同類の呼応を失うがゆえに。六三爻辞にいわく:頤養の正道に違背すれば、正を守るも凶険。十年の久しきも施用すべからず、好処あることなし。《小象伝》にいわく:十年施用すべからざるは、行う所の道が大いに正理に違背するがゆえに。六四爻辞にいわく:顛倒して下に求養すれば、吉利。老虎のごとく目光を緊盯し、欲求は接連不断なれども、過ちなし。《小象伝》にいわく:顛倒して求養して吉利は、上位の者の施予する恩沢が光大なるがゆえに。六五爻辞にいわく:常理に違背す、安居して正を守れば吉利、大河を渡越すべからず。《小象伝》にいわく:安居して正を守りて吉利は、それが柔順に上九に追随するがゆえに。上九爻辞にいわく:天下はみな彼に頼って養を得、危厲あるも吉利、大河を渡るに宜し。《小象伝》にいわく:天下が彼によって養を得、危ありて吉は、大いに福慶あるなり。

大過卦

巽下兌上。大過:棟橈,利有攸往,亨。彖曰:大過,大者過也。棟橈,本末弱也。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。大過之時大矣哉!大過者何?大者陽也,陽之過差者也。陽之所以過差者奈何?陽當居外以衛陰,陰當居內以佐陽;今大過多陽而居內,小過多陰而居外,此其所以為過也。

大過卦は下卦が巽、上卦が兌である。卦辞にいわく:大過は屋梁が弯曲下垂す、往く所有るに宜しく、亨通。《彖伝》にいわく:大過は、陽の大者が過盛なり。「棟橈」は、初・上の両爻が首尾に居りて柔弱なるがゆえに。陽剛は過盛なれども中位に居り、謙遜にして和悦をもって事を行う。ゆえに往く所有るに宜しく、ここに亨通。大過の時の意義は、真に重大なりや。司馬光が解していわく:何が「大過」か。「大」は陽を指し、「大過」はすなわち陽が頭を過ぐるなり。陽はなぜ頭を過ぐるか。理によれば陽は外囲に居りて陰を護衛すべく、陰は内部に居りて陽を輔佐すべし。今や大過卦は陽多くして内部に居り、小過卦は陰多くして外囲に居る。これがいわゆる「過」である。

然則彖曰“剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨”,何也?大過者,剛之過也;有攸往者,猶云有為而然者也。夫剛過而不得其中,又不以巽說行之,其志非以有為也,茍求過人而已矣,如是則何以得亨乎?故大過之所以得亨者,此數徳故也。君子或為過人之行者,將以有為也,非道之常也,故曰利有攸往乃亨。象曰:澤滅木,大過,君子以獨立不懼,遁世無悶。

では《彖伝》に「剛過而中、巽而説行、利有攸往、乃亨」というは、また何の意味か。「大過」は、剛が頭を過ぐるを指す。「有攸往」は、作為あるためこうするに等し。もし剛が頭を過ぐりてまた中道を持守し得ず、行事するにまた謙遜和悦の態度を用いざれば、彼の心志は事業を建立するに在らず、ただひとえに人に勝過せんと求むるのみ。こうすればどうして亨通し得ようか。ゆえに大過の亨通し得る所以は、まさに「剛而得中」「巽而説行」のこの数種の徳性に頼る。君子は時に常人を超過する挙動を為す。それは大事を成就するためで、常道ではない。ゆえに「利有攸往、乃亨」という。《大象伝》にいわく:大沢の水が樹木を淹没す、これが大過卦である。君子はこれに取法して、世に独立して畏懼なく、世を避けて隠居しても苦悶を覚えず。

初六:藉用白茅,無咎。象曰:藉用白茅,柔在下也。九二:枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利。象曰:老夫女妻,過以相與也。九三:棟橈,凶。象曰:棟橈之凶,不可有輔也。九四:棟隆,吉,有它吝。

初六爻辞にいわく:祭品を潔白の茅草の上に墊かば、過ちなし。《小象伝》にいわく:白茅をもって墊と為すは、柔順の者が下位に処するがゆえに。九二爻辞にいわく:枯干した楊樹が重新に新芽を長じ、年老いた男子が年輕の妻を娶る、不利なし。《小象伝》にいわく:老夫が少妻に配するは、頭を過ぐる方式をもって相配合するなり。九三爻辞にいわく:屋梁が弯曲下垂す、凶険。《小象伝》にいわく:棟梁が弯曲の凶険は、それが剛愎にして輔助を接受し得ざるがゆえに。九四爻辞にいわく:屋梁が隆起挺直す、吉利。もし他求あれば憾惜あり。

大過九三“棟橈凶”,九四“棟隆吉,有它吝”,何也?夫大過剛已過矣,正可濟之以柔,而不可濟之以剛也,故大過之陽皆以居陰為吉,而不以得位為義也。九三居陽履剛而在一體之上,剛很強愎,不可輔弼者也,故曰棟橈凶;九四以陽居陰而在一體之下,剛不違謙,能隆其棟者也,然過而失中,故曰有它吝。象曰:棟隆之吉,不橈乎下也。

司馬光が問う:大過卦九三は「棟橈、凶」といい、九四は「棟隆、吉、有它吝」という。これはなぜか。答えていわく:大過の時は剛がすでに頭を過ぐり、まさに柔をもってこれを補救すべく、再び剛をもって補救すべからず。ゆえに大過卦の陽爻はみな陰位に居るを吉と為し、正位を得るを可取と為さず。九三は陽爻が陽位に居り、また下卦の最上に処し、剛愎凶狠にして固執強横、輔佐し得ざる人なり。ゆえに「棟橈、凶」という。九四は陽爻が陰位に居り、また上卦の最下に処し、剛強にして謙遜を失わず、棟梁を高く撑げ得る。しかし畢竟過盛にして中道を失う。ゆえに「有它吝」という。《小象伝》にいわく:棟梁が隆起の吉利たる所以は、それが下に弯曲せざるがゆえに。

九五:枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。象曰:枯楊生華,何可久也;老婦士夫,亦可醜也。

九五爻辞にいわく:枯干した楊樹が花を開出し、年老いた婦人が年輕の男子に嫁ぐ、過ちもなく称誉もなし。《小象伝》にいわく:枯楊が花を開くも、どうして長く開き得ようか。老婦が少夫に配するも、また可羞の事なり。

大過九二無不利,九五無咎無譽,何也?夫大過本末弱也。初已弱矣,進入於二而遇陽,故曰枯楊生稊。稊者,始生而向茂者也。五,陽之盛也,盛極將落,故曰枯楊生華。華者,已榮而將落者也。初過於弱,二過於強,強弱相濟,厥功已成,其於國也,如剛毅之君以寛柔之臣輔之,故無不利也。

司馬光が問う:大過卦九二は「无不利」といい、九五はかえって「无咎无誉」という。これはなぜか。答えていわく:大過卦の首尾の両爻はみな柔弱。初六はすでに甚だ柔弱、上に進みて九二に至りてまた陽爻に遇う。ゆえに「枯楊生稊」という。いわゆる「稊」は、ちょうど萌生して繁茂に趨る新芽である。九五は陽の極盛、盛んの極点に至れば衰落せんとす。ゆえに「枯楊生華」という。いわゆる「華」は、すでに最盛に開いてまさに凋落せんとする花である。初六は柔弱に過ぎ、九二は剛強に過ぐ。強と弱と互相に調剤して、功效がここに成就す。国家に用いれば、剛毅果決の君主に寛厚柔和の臣子の輔佐あるがごとし。ゆえに「无不利」。

上以衰陰符於盛陽,其於國也,如驕盈之君以愚庸之臣輔之,雖幸而無咎,不足以有譽也。五居中履正,故無咎;輔弼非人,故無譽也。上六:過渉滅頂,凶,無咎。象曰:過渉之凶,不可咎也。

上六は衰敗の陰をもって極盛の陽に配合す。国家に用いれば、驕矜自満の君主に愚昧平庸の臣子の輔佐あるがごとし。こうすればたとい僥倖に過ちなきも、贊誉を獲得するに足らず。九五は中に居りて正を得。ゆえに「无咎」。しかしその輔佐の人は職に称せず。ゆえに「无誉」。上六爻辞にいわく:渉水し過度して、水が頭頂を没す、凶険。しかし彼に咎を帰すこと能わず。《小象伝》にいわく:渉水し過度の凶険は、彼を怪罪すべからざるなり。

坎卦

坎下坎上。習坎:有孚維心亨,行有尚。彖曰:習坎,重險也。水流而不盈,行險而不失其信。維心亨,乃以剛中也;行有尚,往有功也。天險不可升也,地險山川丘陵也,王公設險以守其國。險之時用大矣哉!

坎卦は下卦が坎、上卦も坎である。卦辞にいわく:習坎は、心中に誠信を懐けば亨通し得、行動すれば嘉尚を受く。《彖伝》にいわく:習坎は、重畳の険難である。水は不停に流動して盈満せず、険難の中を行きてその信実を失わず。「維心亨」は、九二・九五が陽剛にして中に居るがゆえに。「行有尚」は、往けば必ず功效あるを言う。天の険は、高くして攀ずべからざるに在り。地の険は、山川丘陵に在り。王公は険阻を設置して自己の国家を守衛す。険のこの一因の特定の時機における作用は、真に重大なりや。

象曰:水洊至,習坎,君子以常徳行,習教事。坎以常徳行、習教事何也?水之為徳,無有方圓曲直、髙下夷險而不失其平者也,故君子以常徳行。水之流也,習而不止,以成大川;人之學也,習而不止,以成大賢,故君子以習教事。

《大象伝》にいわく:水が接連して不断に涌来す、これが習坎卦である。君子はこれに取法して、徳行を恒常に保持し、教化の事を反復練習す。司馬光が解していわく:坎卦はなぜ「常徳行、習教事」を講ずるか。水の徳性は:方なるに遇うも円なるに遇うも、曲なるも直なるも、高きも低きも、平坦なるも険峻なるも、その平準を失わざるがゆえに。ゆえに君子はこれに取法して徳行を恒常に保持す。水の流動は反復して停まず、ここに大河を汇成す。人の求學は反復して停まず、ここに大賢を成就す。ゆえに君子はこれに取法して、教化の事を反復演習す。

初六:習坎,入于坎窞,凶。象曰:習坎入坎,失道凶也。初者,事之始也。聖人之教人也,禁其始不禁其終,防其□不防其章,故坤之初六曰“履霜堅冰至”,震之初九曰“震來虩虩,後笑言啞啞,吉”,皆原其始而要終也。

初六爻辞にいわく:重険の中に陷り、また坎中の坑に落入す、凶険。《小象伝》にいわく:重険の中にまた深坑に入るは、正道を失いて凶険を招致するがゆえに。司馬光が解していわく:初爻は事情の開端である。聖人が人を教導するは、総じてその開頭を禁止して結尾を待たず、それが隠微の時に防範してその顕著を待たず(原文ここに一字欠く)。ゆえに坤卦初六に「履霜、堅氷至」といい、震卦初九に「震来虩虩、後笑言啞啞、吉」というは、みなその開端を推究してその結局を預計するなり。

夫人之於險也,始皆有恐懼之心焉,及幸而濟也,則狃以為常,至於失身而不自知也。是以聖人於險之初而戒其將來之禍,曰習坎入于坎窞凶。窞者,坎中之坎也。九二:坎有險,求小得。象曰:求小得,未出中也。六三:來之坎坎,險且枕,入于坎窞,勿用。象曰:來之坎坎,終無功也。

人々が危険に面するは、起初にみな恐懼の心を懐く。僥倖に渡過するを待てば、習以て常と為し、終に身敗名裂して自ら知らざるに至る。ゆえに聖人は険難がちょうど開始する時に将来の禍患を警告して、「習坎、入于坎窞、凶」という。いわゆる「窞」は、坎中の坎、坑裏の深坑である。九二爻辞にいわく:坎中になお険難あり、ただ小小の収穫を求むるのみ。《小象伝》にいわく:ただ小得を求むるのみは、まだ険難の中を脱出せざるがゆえに。六三爻辞にいわく:来るも往くも重重の坎険、険にしてまた暫く倚枕して停歇するのみ、坎中の深坑に落入し、施為する所有るべからず。《小象伝》にいわく:来るも往くも重坎に陷るは、終に功效なからん。

六四:樽酒簋貳,用缶,納約自牖,終無咎。象曰:樽酒簋貳,剛柔際也。九五:坎不盈,祇既平,無咎。象曰:坎不盈,中未大也。上六:係用徽纆,置于叢棘,三歲不得,凶。象曰:上六失道,凶三歲也。

六四爻辞にいわく:一樽の薄酒・两簋の淡飯を、瓦缶をもって盛り、窗口より簡約に君主に進献すれば、最終に過ちなし。《小象伝》にいわく:一樽の酒两簋の飯は、剛爻と柔爻がここに交接するを言う。九五爻辞にいわく:坎中の水はまだ盈満せず、坑沿と斉平なるを待てば、過ちなし。《小象伝》にいわく:坎水が満たざるは、九五が居中の徳がまだ広大ならざるがゆえに。上六爻辞にいわく:繩索をもって捆綁し、荆棘叢生の牢獄に關進して、三年も脱身し得ず、凶険。《小象伝》にいわく:上六が正道を喪失するは、ゆえに三年の久しきも凶険なり。

離卦

離下離上。離:利貞,亨,畜牝牛吉。彖曰:離,麗也。日月麗乎天,百穀草木麗乎土,重明以麗乎正,乃化成天下。柔麗乎中正,故亨,是以畜牝牛吉也。

離卦は下卦が離、上卦も離である。卦辞にいわく:離は正を守るに利あり、亨通。母牛のごとき柔順の徳を畜養すれば吉利。《彖伝》にいわく:離はすなわち附麗依存の意味である。日月は天に附麗し、百谷草木は土に附麗す。重畳の光明は正道に附麗して、ここに天下を教化し風俗を成就し得。柔爻が中正の位に附麗す。ゆえに亨通。ここに「畜牝牛吉」という。

離利貞亨:離,麗也,麗者不可以不正也。夫明者常失於察,察之甚者或入於邪,是以聖人重明以麗乎正,乃能化成天下。柔者失於弱而不立,故柔麗乎中正然後乃亨。夫太明則察,太昧則蔽,二以明徳而用中正,是以獲元吉也。象曰:明兩作,離,大人以繼明照于四方。

「離、利貞、亨」について:離はすなわち附麗。附麗する対象は端正ならざるべからず。明察の人は常に苛察に失し、苛察が頭を過ぐれば時にかえって邪僻に流入す。ゆえに聖人は重畳の光明をもって正道に附麗せしめ、こうして初めて天下を教化し得。柔順の人は常に軟弱にして立ち起こること能わずに失す。ゆえに柔順をして中正に附麗せしめ、そうして初めて亨通し得。太明なれば苛察に流れ、太暗なれば蒙蔽を受く。六二は光明の徳にしてまた中正の道を用いる。ゆえに大吉を獲得す。《大象伝》にいわく:光明が接連して興起す、これが離卦である。大人はこれに取法して、連続不断の光明をもって四方に照臨す。

初九:履錯然,敬之,無咎。象曰:履錯之敬,以辟咎也。初九敬之無咎何也?夫火者,始於焰焰而至於不可撲滅者也,是以明者慮於未兆,見於未萌,方事之初而錯然矜慎,以避其咎也。六二:黃離,元吉。象曰:黃離元吉,得中道也。

初九爻辞にいわく:脚步が交錯雑乱す、恭敬謹慎をもって対せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:脚步が交錯する時に恭敬を保持するは、過錯を避けんとするなり。司馬光が問う:初九の「敬之无咎」は何の道理か。答えていわく:火は総じて微弱の小火苗より始まり、最後には撲滅し得ざるに焼き至る。ゆえに明智の人は徴兆の未だ現れざるにすでに考慮し、苗头の未だ萌せざるにすでに察覚し、事情がちょうど開頭し頭緒が紛雑の際に矜持慎重をもって、日后の過錯を避けるに用いる。六二爻辞にいわく:中央の黄色に附麗す、大いに吉利。《小象伝》にいわく:黄色の麗にして大吉は、それが中道を得たるがゆえに。

九三:日昃之離,不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶。象曰:日昃之離,何可久也。九四:突如其來如,焚如,死如,棄如。象曰:突如其來如,無所容也。突者,子之不順者也。火性炎上,而九四以剛乘剛,用其不正以陵於上,若火之方熾,其來甚盛,極盛必衰,故死如棄如也。死者,禍之極也;棄者,眾所不與也。

九三爻辞にいわく:太陽が西斜する時の附麗、瓦缶を敲いて歓歌自適し得ざれば、ただ老邁の人の悲嘆あるのみ、凶険。《小象伝》にいわく:太陽が西斜する時の附麗は、どうして長久し得ようか。九四爻辞にいわく:突然に闖来し、烈火の焚焼するがごとく、死したるがごとく、抛棄されたるがごとし。《小象伝》にいわく:突然に闖来の様は、天地間に彼を容納する処なし。司馬光が解していわく:「突」は不孝順の子を指す。火の本性は上に向かいて燃焼す。しかるに九四は陽剛をもって陽剛に凌乗し、不正当の方式をもって上の者を欺凌す。火が正に旺に焼くるがごとく、来勢極めて猛し。盛んの極点に至れば必ず衰竭す。ゆえに「死如、棄如」という。「死」は禍患の極点、「棄」は衆人がみな彼に親附することを肯んぜざるなり。

六五:出涕沱若,戚嗟若,吉。象曰:六五之吉,離王公也。上九:王用出征,有嘉折首,獲匪其醜,無咎。象曰:王用出征,以正邦也。

六五爻辞にいわく:涙水が滂沱として下り、憂戚して嘆息す、吉利。《小象伝》にいわく:六五の吉利たる所以は、それが王公の尊位に附麗するがゆえに。上九爻辞にいわく:君王が兵を出して征伐し、嘉美の戦功あり、首悪を斬殺し、俘獲する所は彼の党衆にあらず、過ちなし。《小象伝》にいわく:君王が兵を出して征伐するは、邦国を端正するためなり。

巻三 下経

咸卦

艮下兌上。咸:亨,利貞,取女吉。彖曰:咸,感也。柔上而剛下,二氣感應以相與,止而說,男下女,是以亨利貞取女吉也。天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平。觀其所感,而天地萬物之情可見矣。象曰:山上有澤,咸,君子以虛受人。

咸卦は下卦が艮、上卦が兌である。卦辞にいわく:咸は亨通、正を守るに利あり、妻を娶れば吉利。《彖伝》にいわく:咸はすなわち感応。柔爻が上にあり剛爻が下にあり、陰陽二気が交相互いに感応して彼此親和す。下卦が静止にして上卦が欣悦、男方が主动に女方の下に屈居す。ゆえに亨通・正を守るに利・妻を娶りて吉利。天地が互いに感応すれば、万物は化育生長す。聖人が人心を感動せば、天下は和睦太平す。それらの感応する方式を観察すれば、天地万物の実情は看清すべし。《大象伝》にいわく:高山の上に沼沢あり、これが咸卦である。君子はこれに取法して、虚懐若谷にして他人を接納す。

初六:咸其拇。象曰:咸其拇,志在外也。六二:咸其腓,凶,居吉。象曰:雖凶居吉,順不害也。九三:咸其股,執其隨,往吝。象曰:咸其股,亦不處也;志在隨人,所執下也。

初六爻辞にいわく:感応が脚の大拇趾に在り。《小象伝》にいわく:感応が拇趾に在るは、それが心志を外に向かわしむるがゆえに。六二爻辞にいわく:感応が小腿肚に在り、凶険。安居して動かざれば吉利。《小象伝》にいわく:凶険なれども安居すれば吉は、柔順に自守すれば害を受けざるがゆえに。九三爻辞にいわく:感応が大腿に在り、意を執して他人に追随せんとす。往けば憾惜あり。《小象伝》にいわく:感応が大腿に在るは、また安処自守し得ざるなり。心志が他人に追随するに在るは、彼の執守するものが太だ卑下なるを見るべし。

九四:貞吉悔亡,憧憧往來,朋從爾思。象曰:貞吉悔亡,未感害也;憧憧往來,未光大也。四在脢下,感其心者也。心感於物,為善為惡,為吉為凶,無不至焉。必也執一以應萬,守約以御眾,其惟正乎。夫正而遇禍,猶為福也;求仁得仁,又何悔?故心正則事無不吉而悔亡也。

九四爻辞にいわく:正を守って吉利にして悔恨消失す。もし心神定まらずして来来往往せば、すなわちただあなたと意念相同の一小撮の人のみがあなたに追随せん。《小象伝》にいわく:正を守りて吉利にして悔亡するは、まだ邪念に感ぜられて害を受けざるがゆえに。心神定まらずして往来するは、境界がまだ広大ならざるがゆえに。司馬光が解していわく:九四の位置は背脊肉の下に在り、まさに人心を感動する部位である。心はひとたび外物に感ぜられれば、あるいは善あるいは悪、あるいは吉あるいは凶、何の后果も出現し得。必ず一つの根本を執守して万変に対応し、簡約を守住して紛繁を駕御すべし。その根本はおそらくただ「正」ならん。正を守りて禍患に遭遇しても、なお福と算す。仁徳を追求して仁徳を得れば、また何の悔いる可きあらん。ゆえに心地が端正なれば、事情は吉利ならざるなく、悔恨は自然に消失す。

憧憧,心動貌;朋,類也。心茍正矣,則往也,來也,屈也,伸也,而心不為之動焉。動於往來,則心傾矣;心茍傾焉,則物以其類應之。是故喜則不見其所可怒,怒則不見其所可喜,愛則不見其所可惡,惡則不見其所可愛;顧右則失左,瞻前則忘後,視必有所蔽,聽必有所偏,故曰未光大也。

「憧憧」は心神が揺動する様、「朋」はすなわち同類。心がもし端正なれば、外物が去るも来るも屈するも伸するも、心はこれによって動揺せざらん。ひとたび来来往往の外物に牽動されれば、心は偏斜す。心がひとたび偏斜すれば、外物はそれが偏斜するあの一類にしたがってこれに響応す。ゆえに人は喜ぶ時に本来怒るべき事を見ず、怒る時に本来喜ぶべき事を見ず、偏愛すれば相手の可厭の処を見ず、厭悪すれば相手の可愛の処を見ず。右辺を顧れば左辺を失い、前面を望めば後面を忘れ、物を見れば必ず遮蔽あり、声を聴けば必ず偏失あり。ゆえに《小象伝》に「未光大也」という。

孔子曰:“天下何思何慮?天下同歸而殊塗,一致而百慮。”天下何思何慮?歸與致者,豈非正歟?故於文,一止為正。正者,止於一而無不周也,夫又何思而何慮焉?譬諸止水,寂然不動,物有萬變,而所以應之者一也。

孔子は《繋辞》の中にいわく:「天下に何の思慮する可きあらん。天下の万事は殊途にして同帰し、百慮にして一致す」、と。すでに「天下何思何慮」というならば、同帰し一致する所のものは、豈に「正」にあらざらんや。ゆえに字形より言えば、「一」と「止」と合せれば「正」の字なり。いわゆる正は、一に止守してまた周遍せざるなし。それはなお何を思い何を慮るを要せんや。これは静止の水のごとく、寂然として動かず、外物は万端に変化するも、それが用いて対応するは終始あの一つなり。

日月者,天地之精也;寒暑者,天地之氣也。天地猶以屈伸相感,而況於人乎?故大人之道,正其心而已矣。治之養之,以至於精義入神,則用無違矣。用之於身,則身安而徳崇矣。過此以往,不足思也。久而不息,則可以窮神而知化,大人之徳莫盛於斯矣。

日月は天地の精華、寒暑は天地の気息。天地はなお一屈一伸をもって互いに感応す。いわんや人をや。ゆえに大人の道は、不過自己の心を端正するのみ。これを治理しこれを涵養し、精研義理して神妙に深入する地步に至るまで、運用すれば違失なからん。これを自身に運用すれば、身心は安泰にして徳行は崇高す。これ以外は、みな心思を費すに値せず。長久に堅持して停歇せざれば、神妙を窮究し造化を洞知し得。大人の徳行は、これより盛大なるなし。

九五:咸其脢,無悔。象曰:咸其脢,志末也。上六:咸其輔頰舌。象曰:咸其輔頰舌,滕口說也。

九五爻辞にいわく:感応が背脊肉に在り、悔恨なし。《小象伝》にいわく:感応が背脊に在るは、それが心志はただ末節に及ぶを言う。上六爻辞にいわく:感応が牙床・面頰と舌頭に在り。《小象伝》にいわく:感応が牙床面頰舌頭に在るは、不過夸夸其談・口頭に売弄するのみ。

恒卦

巽下震上。恆:亨,無咎,利貞,利有攸往。彖曰:恆,乆也。剛上而柔下,雷風相與,巽而動,剛柔皆應,恆。恆亨無咎利貞,乆於其道也。天地之道,恆乆而不已也。利有攸往,終則有始也。日月得天而能乆照,四時變化而能乆成,聖人久於其道而天下化成。觀其所恆,而天地萬物之情可見矣。

恒卦は下卦が巽、上卦が震である。卦辞にいわく:恒は亨通、過ちなし、正を守るに利あり、往く所有るに宜し。《彖伝》にいわく:恒はすなわち長久。剛爻が上にあり柔爻が下にあり、雷と風と互いに助長し、謙遜にして行動し得、剛柔各爻がみな彼此相応ず、これが恒。「恒、亨、无咎、利貞」は、長久に自己の正道を守住せんとするを言う。天地の運行の規律は、恒久にして停息せざるなり。「利有攸往」は、一段の終結の後にまた新たな開始あるを言う。日月は天道を得。ゆえに長久に照耀し得。四季は不断に変化す。ゆえに長久に万物を成就し得。聖人は長久に彼の道を堅守すれば、天下は教化有成を得。それらの恒守する所のものを観察すれば、天地万物の実情は看清すべし。

恆亨無咎利貞:久於其道,無不通也;行而可久,必無咎也;常乆之利,利居貞也。象曰:雷風,恆,君子以立不易方。初六:浚恆,貞凶,無攸利。象曰:浚恆之凶,始求深也。九二:悔亡。象曰:九二悔亡,能久中也。九三:不恆其徳,或承之羞,貞吝。象曰:不恆其徳,無所容也。

「恒、亨、无咎、利貞」について:長久に正道を堅守せば、行き通らざるなし。行事が持久し得れば、必ず過ちなからん。恒久の帯来する好処は、正固に安守するに在り。《大象伝》にいわく:雷と風と相伴して作る、これが恒卦である。君子はこれに取法して、身を立て世に処して自己の方向を改変せず。初六爻辞にいわく:一始めより深く恒久を求むれば、正を守るも凶険、好処あることなし。《小象伝》にいわく:深く恒久を求むるの凶険は、一開頭に求むる所が太だ深きがゆえに。九二爻辞にいわく:悔恨消失す。《小象伝》にいわく:九二の悔恨が消失するは、それが長久に中道を守住し得るがゆえに。九三爻辞にいわく:恒久に自己の徳行を保持し得ざれば、時に羞辱を招来し、正を守るも憾惜あり。《小象伝》にいわく:恒久に徳を守り得ざれば、身を容るる処なし。

九四:田無禽。象曰:乆非其位,安得禽也。六五:恆其徳,貞,婦人吉,夫子凶。象曰:婦人貞吉,從一而終也;夫子制義,從婦凶也。上六:振恆,凶。象曰:振恆在上,大無功也。振者,木之搖落也。上以柔弱之質,當恆乆之終,體動而應風,搖落之象也,常乆之道由茲而墜,故曰大無功也。

九四爻辞にいわく:田獵して禽獣を打獲らず。《小象伝》にいわく:長久に自己に属せざる位置に待れば、どうして禽獣を獵獲し得ようか。六五爻辞にいわく:恒久に柔順の徳行を保持し、正を守れ。婦人はこれを為して吉利、男子はこれを為して凶険。《小象伝》にいわく:婦人が正を守りて吉は、一に従って終るがゆえに。男子は応に道義に依って裁断すべく、ひとえに婦人に順従すれば凶険。上六爻辞にいわく:躁動して安からず恒久を求むれば、凶険。《小象伝》にいわく:躁動して全卦の上に居るは、大いに功なし。司馬光が解していわく:「振」は樹木が摇撼されて葉落つる様。上六は柔弱の資質をもって、恒久の道の終点に処し、体性は動を主としまた上に風に応ず。まさに揺動零落の意象なり。恒久の道はこれより墜落す。ゆえに「大无功也」という。

遯卦

艮下乾上。遁:亨,小利貞。彖曰:遁亨,遁而亨也。剛當位而應,與時行也。小利貞,浸而長也。遁之時義大矣哉!象曰:天下有山,遁,君子以逺小人,不惡而嚴。初六:遁尾,厲,勿用有攸往。象曰:遁尾之厲,不往何災也。

遯卦は下卦が艮、上卦が乾である。卦辞にいわく:遯は亨通。小者は少し正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:遯の亨通たる所以は、時に及んで退避して亨通を得るがゆえに。九五は陽剛にして正位に居りて六二と相応ず、これ時勢に順応して行動するなり。「小利貞」は、陰気がまさに漸漸に生長するを言う。遯卦の包含する時勢と意義は、真に重大なりや。《大象伝》にいわく:天の下に高山が阻隔す、これが遯卦である。君子はこれに取法して、小人に遠離し、疾言厲色を用いずして自然に荘厳なり。初六爻辞にいわく:退避する時に最後に落ちるは、危厲あり、往く所有るに宜しからず。《小象伝》にいわく:後を落ちて退くの危厲は、往かざるさえすれば、また何の災禍があらん。

六二:執之用黃牛之革,莫之勝說。象曰:執用黃牛,固志也。遁之為道,避內而趨外者也。二以柔居內,未得自去者也,然履中守正,和而不流,執志之堅,人不能奪,故曰執之用黃牛之革,莫之勝說。黃者,中也;牛革,取其柔而堅韌也。

六二爻辞にいわく:黄牛の皮をもって作れる繩索をもって彼を捆りて、解脱し得る者なし。《小象伝》にいわく:黄牛の皮をもって捆縛するは、彼の心志が堅固なるを言う。司馬光が解していわく:遯卦の道理は、内卦を避けて外卦に趨ることである。六二は柔爻をもって内卦に居るは、まだ自ら离去し得ざる一爻である。しかるにそれは中を履み正を守り、人と和睦しても波に逐わず、志向を執守すること甚だ堅定にして、他人は奪い去ること能わず。ゆえに「執之用黄牛之革、莫之勝説」という。「黄」は中を象徴す。「牛革」は、それが柔軟にしてまた堅靱なる特徴を取る。

九三:係遁,有疾厲,畜臣妾吉。象曰:係遁之厲,有疾憊也;畜臣妾吉,不可大事也。三以剛徳居位而宴安於內,繫於榮利,不能自退,故曰有疾。小人道長,貪位不退,危之道也,故曰厲。臣妾者,繫於人而不能自去者也,故畜臣妾吉。

九三爻辞にいわく:牽係する所有りて退避し得ず、これによって病患危厲あり。この態度をもって奴僕侍妾を畜養するはむしろ吉利。《小象伝》にいわく:牽係して退くの帯来する危厲は、病ありて困頓するがゆえに。奴僕侍妾を畜養して吉利は、彼が大事を承当すべからざるを言う。司馬光が解していわく:九三は陽剛の徳をもって正位に居るも、安逸に内卦に留恋し、栄華名利を牽掛し、自ら引退し得ず。ゆえに「有疾」という。小人の勢力はまさに増長するに、彼はかえって官位を貪恋して退譲を肯んぜず。これは危険を招致する路子なり。ゆえに「厲」という。奴僕侍妾のこの類は、本来人に牽係されて自ら离去し得ざる者。ゆえに「畜臣妾吉」。

九四:好遁,君子吉,小人否。象曰:君子好遁,小人否也。四以剛徳而處非其位,君子難進而易退,小人反是者也,故曰好遁,君子吉,小人否也。九五:嘉遁,貞吉。象曰:嘉遁貞吉,以正志也。中正,徳之嘉也。君子邦有道則見,邦無道則隠,可以進而進,可以退而退,不失其時,以中正為心者也,故曰嘉遁貞吉。上九:肥遁,無不利。象曰:肥遁無不利,無所疑也。

九四爻辞にいわく:喜好する所有るもなお退避し得るは、君子はこれを為して吉利、小人は則ち能わず。《小象伝》にいわく:君子は愛を割して退くを得、小人は能わず。司馬光が解していわく:九四は陽剛の徳をもって自己に属せざる位置に処す。君子は進取に難く退譲に易く、小人はちょうどその反し。ゆえに「好遯、君子吉、小人否」という。九五爻辞にいわく:美善に退避し、正を守りて吉利。《小象伝》にいわく:美善に退避して正を守りて吉利は、彼が自己の心志を端正し得るがゆえに。司馬光が解していわく:中正は、まさに徳行の中の最も美善なる者。君子は国家が清明なれば出仕し、国家が昏乱なれば隠退す。進むべければ進み、退くべければ退き、時機を錯過せず、一切が中正の道を心と為す。ゆえに「嘉遯、貞吉」という。上九爻辞にいわく:寛綽従容に遠く退避して、不利なし。《小象伝》にいわく:従容に遠退して不利なきは、彼が心中に疑慮なきがゆえに。

大壮卦

乾下震上。大壯:利貞。彖曰:大壯,大者壯也。剛以動,故壯。大壯利貞,大者正也,正大而天地之情可見矣。象曰:雷在天上,大壯,君子以非禮弗履。

大壮卦は下卦が乾、上卦が震である。卦辞にいわく:大壮は正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:大壮は、陽の大者が強盛なり。剛健の徳をもって奮動す。ゆえに強盛。「大壮、利貞」は、陽の大者が正道を走るを言う。正にしてまた大なるを能くすれば、天地の実情もまた看清すべし。《大象伝》にいわく:雷が天上に響く、これが大壮卦である。君子はこれに取法して、凡そ礼に合せざる事は一概に為さず。

初九:壯于趾,征凶,有孚。象曰:壯于趾,其孚窮也。九二:貞吉。象曰:九二貞吉,以中也。九三:小人用壯,君子用罔,貞厲;羝羊觸藩,羸其角。象曰:小人用壯,君子罔也。九四:貞吉悔亡,藩決不羸,壯于大輿之輹。象曰:藩決不羸,尚往也。

初九爻辞にいわく:強壮は脚指に表れ、急いで前進すれば凶険。これは確鑿として信ずべし。《小象伝》にいわく:強壮がただ脚指にあるは、彼が必ず走投無路なるを断定し得。九二爻辞にいわく:正を守りて吉利。《小象伝》にいわく:九二が正を守りて吉利は、それが中に居るがゆえに。九三爻辞にいわく:小人はひとえに強を逞して壮を用い、君子は強壮を無物のごとく視る。固執し続ければ危厲あり。公羊が角をもって籬笆を頂くに、角がかえって卡住されるがごとし。《小象伝》にいわく:小人が強を逞して壮を用いるを、君子は則ちこれを無のごとく視る。九四爻辞にいわく:正を守りて吉利にして悔恨消失す。籬笆が頂き開けられて、角はもはや卡住せず、強壮は大車の車軸伏兔のごとく堅実なり。《小象伝》にいわく:籬笆を頂き開けて角が困を受けざるは、まだ前進し続け得るを言う。

六五:喪羊于易,無悔。象曰:喪羊于易,位不當也。上六:羝羊觸藩,不能退,不能遂,無攸利;艱則吉。象曰:不能退,不能遂,不詳也;艱則吉,咎不長也。案:大壯本卦說原缺。

六五爻辞にいわく:田畔の辺界の上に羊を喪失すも、悔恨なし。《小象伝》にいわく:田畔に羊を喪うは、居る位が恰当ならざるがゆえに。上六爻辞にいわく:公羊が角をもって籬笆を頂き、退こうとしても退けず、進もうとしても進めず、好処あることなし。艱難の中に自処し得れば吉利。《小象伝》にいわく:退くこと能わずまた進むこと能わざるは、行事が周詳ならざるがゆえに。艱難に処し得れば吉利は、過錯が持久せざるを言う。館臣按語:大壮本卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。

晋卦

坤下離上。晉:康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。彖曰:晉,進也。明出地上,順而麗乎大明,柔進而上行,是以康侯用錫馬蕃庶,晝日三接也。象曰:明出地上,晉,君子以自昭明徳。君子進其明徳,如日之升也。

晋卦は下卦が坤、上卦が離である。卦辞にいわく:晋は、邦国を安定する諸侯が天子に众多の車馬を賞賜され、一日の内に三度接見を受く。《彖伝》にいわく:晋はすなわち上進。光明が地面より升出し、柔順にして大明に附麗す。六五は柔爻にして上進して尊位に居る。ゆえに安国の侯が众多の車馬の賞賜を得て、一日の内に三度接見を受くと言う。《大象伝》にいわく:光明が地面より升出す、これが晋卦である。君子はこれに取法して、自ら自己の美徳を彰明す。司馬光が解していわく:君子が自己の光明の徳行を増進するは、太陽が断えず上昇するがごとし。

初六:晉如摧如,貞吉;罔孚,裕無咎。象曰:晉如摧如,獨行正也;裕無咎,未受命也。初進者,徳業未著,人莫之信,躁以求之則凶,寛以待之無咎。未受命者,受上命然後可進,無命而進,凶道也。

初六爻辞にいわく:上進せんと欲するも摧折圧抑さる、正を守れば吉利。たとい人に信任されずとも、寛綽従容さえすれば過ちなし。《小象伝》にいわく:進まんと欲して挫折を受くるは、彼が独り正道を堅持するがゆえに。寛綽にして過ちなきは、まだ任命を接受せざるがゆえに。司馬光が解していわく:ちょうど上進し始める人は、徳行事業がまだ顕著ならず、他人はみな彼を信任せず。急躁に求取に赴けば凶険、寛緩に等待すれば過ちなし。いわゆる「未受命」は、先に上の任命を接受して然る後に進用すべきを言う。任命なくして擅自に進取するは、それは凶を招く路子なり。

六二:晉如愁如,貞吉,受茲介福,于其王母。象曰:受茲介福,以中正也。六三:眾允,悔亡。象曰:眾允之志,上行也。九四:晉如鼫鼠,貞厲。象曰:鼫鼠貞厲,位不當也。六五:悔亡,失得勿恤,往吉,無不利。象曰:失得勿恤,往有慶也。上九:晉其角,維用伐邑,厲吉,無咎,貞吝。象曰:維用伐邑,道未光也。

六二爻辞にいわく:上進して心に憂愁を懐くも、正を守りて吉利、王母よりこの大福を承受せん。《小象伝》にいわく:この大福を承受するは、六二が中に居りて正を得るがゆえに。六三爻辞にいわく:衆人の信允を得れば、悔恨消失す。《小象伝》にいわく:衆人が信允する心志は、一同に上に進取せんとするなり。九四爻辞にいわく:上進するに貪婪にして多能にして一精なき鼫鼠のごとし、固執すれば危厲あり。《小象伝》にいわく:鼫鼠のごとく固執して危厲は、居る位が恰当ならざるがゆえに。六五爻辞にいわく:悔恨消失す。得失を憂慮する必ずしもなし、往けば吉利、不利なし。《小象伝》にいわく:得失を憂慮する必ずしもなきは、往けば必ず福慶あるなり。上九爻辞にいわく:上進して角尖の処に至る、ただ自己の属邑を討伐するに用いるに宜し。危厲あるも吉利、過ちなし。ただし固守し続ければなお憾惜あり。《小象伝》にいわく:ただ属邑を討伐するに宜しきは、彼の道がまだ光大ならざるを言う。

明夷卦

離下坤上。明夷:利艱貞。彖曰:明入地中,明夷。內文明而外柔順,以蒙大難,文王以之。利艱貞,晦其明也,內難而能正其志,箕子以之。象曰:明入地中,明夷,君子以蒞眾,用晦而明。

明夷卦は下卦が離、上卦が坤である。卦辞にいわく:明夷は、艱難の中に正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:光明が地中に沈入す、これが明夷である。内に文采光明にして外は柔順、よって大難を承受し得。周文王がまさにこうした。「利艱貞」は、自己の光明を隠晦せんとするなり。身に内部の禍難を処して自己の心志を端正し得るは、箕子がまさにこうした。《大象伝》にいわく:光明が地中に沈入す、これが明夷卦である。君子はこれに取法して、民衆を治理する時に表面は含晦にして内心は明察なり。

初九:明夷于飛,垂其翼,君子于行,三日不食,有攸往,主人有言。象曰:君子於義不食也。六二:明夷,夷于左股,用拯馬壯,吉。象曰:六二之吉,順以則也。九三:明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。象曰:南狩之志,乃大得也。六四:入于左腹,獲明夷之心,于出門庭。象曰:入于左腹,獲心意也。

初九爻辞にいわく:明夷の時は鳥の飛ぶがごとく、翅膀を垂れたり。君子は路上に奔走し、三日も飯を食らわず。往く所有れば、主人はまた閑話を言う。《小象伝》にいわく:君子は道義のために出て寧ろ食せず。六二爻辞にいわく:光明が傷つけられ、左腿に傷あり。健壯の馬をもって拯救せば、吉利。《小象伝》にいわく:六二の吉利たる所以は、それが柔順にして法則に合うがゆえに。九三爻辞にいわく:光明が傷つけられる時に南方に向かいて出猟し、首悪元凶を擒獲す。操之過急して速正を求むべからず。《小象伝》にいわく:南征の志向は、終に大いに得る所有らん。六四爻辞にいわく:左辺の腹地に進入し、明を傷つける者の心意を摸清し、ここに門庭を走出して去る。《小象伝》にいわく:左腹に進入するは、相手の心意を摸したるなり。

六五:箕子之明夷,利貞。象曰:箕子之貞,明不可息也。君子之晦,以避難也,內修明徳,不可息也。為人臣者,有箕子之正則可也;無箕子之正,茍生以忘其君者,罪莫大焉,故曰利貞。

六五爻辞にいわく:箕子のごとく暗世の中に光明を隠蔵するは、正を守るに利あり。《小象伝》にいわく:箕子の守正は、彼の内心の光明が熄滅すべからざるを言う。司馬光が解していわく:君子が韜晦する所以は、禍難を躲避するためである。しかるに内心に光明の徳行を修養するは、中断すべからざるなり。臣子たる者、もし箕子のごとき操守あれば、韜晦すれば可なり。もし箕子のごとき操守なく、ただ苟且偷生を求めて自己の君主を忘れんには、これより大きなる罪過はなし。ゆえに「利貞」という。

上六:不明晦,初登于天,後入于地。象曰:初登于天,照四國也;後入于地,失則也。上六之象,其言失則何?國家之所以立者,法也,故為工者規矩繩墨不可去也,為國者禮樂法度不可失也。度差而機失,綱絶而網紊,紀散而□亂,法壞則國家從之,嗚呼,為人君者可不慎哉!

上六爻辞にいわく:明ならざるのみならず、かえって昏暗。起初は天空に登り、後来は地下に墜入す。《小象伝》にいわく:起初に天に登るは、四方の国を照耀し得。後来に地に入るは、法則を喪失せるなり。司馬光が解していわく:上六の爻象について、《小象伝》はなぜ「失則」というか。国家が立国し得る所以は、法度に頼る。ゆえに工匠を為す者は規・矩・繩・墨を丢棄し得ず、国を治むる者は礼・楽・法・度を喪失し得ず。尺度がひとたび差えば、机括は失霊す。綱繩がひとたび断たれれば、網眼は散乱す。紀綱がひとたび散ずれば、秩序は紊乱す(原文ここに一字欠く)。法度が敗壊せば、国家もまたそれに従いて亡ぶ。ああ、君主たる者はどうして謹慎せざるを得んや。

魯有慶父之難,齊桓公使仲孫湫視之,曰:“魯可取乎?”對曰:“不可,猶秉周禮。”周禮,所以本也,然則法之於國,豈不重哉!

当年、魯国に慶父が作乱の難あり。斉桓公は仲孫湫を派して情勢を観察せしめ、問うていわく:「魯国は呑併すべきか」、と。仲孫湫が答えていわく:「不可なり。魯国はなお周礼を奉行して居る」、と。周礼は、まさに立国の根本である。これより見れば、法度の一箇の国家に対するは、豈に極めて重要ならざらんや。

家人卦

離下巽上。家人:利女貞。彖曰:家人,女正位乎內,男正位乎外,男女正,天地之大義也。家人有嚴君焉,父母之謂也。父父,子子,兄兄,弟弟,夫夫,婦婦,而家道正,正家而天下定矣。家者,治之至小者也,然有嚴君之道焉。嚴,恭也,知事親則知事君矣。象曰:風自火出,家人,君子以言有物而行有恆。

家人卦は下卦が離、上卦が巽である。卦辞にいわく:家人は、女子が正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:家人卦の中、女子は内卦に正位を得、男子は外卦に正位を得る。男女各々その正を得るは、これ天地間の大義なり。一家の中に威厳の君長あるは、父母を指す。父は父らしく、子は子らしく、兄は兄らしく、弟は弟らしく、夫は夫らしく、妻は妻らしくすれば、家道は端正なり。家々端正なれば、天下もまた安定す。司馬光が解していわく:家は、治理の単位の中の最も小さき者。しかるにその中にも同じく「厳君」の道あり。「厳」はすなわち恭敬。いかに双親に侍奉するかを知れば、いかに君主に侍奉するかもまた知る。《大象伝》にいわく:風が火の中より生出す、これが家人卦である。君子はこれに取法して、説話するに必ず実際の内容あり、行事するに必ず恒常の則あり。

初九:閒有家,悔亡。象曰:閒有家,志未變也。六二:無攸遂,在中饋,貞吉。象曰:六二之吉,順以巽也。九三:家人嗃嗃,悔厲吉;婦子嘻嘻,終吝。象曰:家人嗃嗃,未失也;婦子嘻嘻,失家節也。六四:富家,大吉。象曰:冨家大告,順在位也。

初九爻辞にいわく:一始めより規矩をもって防範して家を治めれば、悔恨消失す。《小象伝》にいわく:始めに防範して家を治むるは、家人の心志がまだ変壊せざるに乗ずるなり。六二爻辞にいわく:擅自に専断して行事せず、ただ家中に飲食供養を主持す、正を守りて吉利。《小象伝》にいわく:六二の吉利たる所以は、それが柔順にして謙遜なるがゆえに。九三爻辞にいわく:家を治むるに過度に厳厲なれば、悔恨危厲あるもなお吉利。もし婦人孩子が嘻嘻哈哈して規矩なければ、最終に憾惜あり。《小象伝》にいわく:家を治むるに厳厲は、まだ失当と算せず。婦孺が嬉笑して度なきは、家庭の節度を喪失するなり。六四爻辞にいわく:家庭を富足せしめば、大いに吉利。《小象伝》にいわく:家を富まして大吉は、それが柔順にしてまた正位に居るがゆえに。

九五:王假有家,勿恤,吉。象曰:王假有家,交相愛也。假,大也。文王刑于寡妻,至于兄弟,以御于家邦,大其家以至於有天下。親其親以及人之親,長其長以及人之長,上下交相愛而天下和矣,故曰交相愛也。

九五爻辞にいわく:君王が自己の家道を盛大完備せしめば、憂慮する必ずしもなし、吉利。《小象伝》にいわく:君王が家道を盛大ならしむるは、一家の上下が交わり親愛するがゆえに。司馬光が解していわく:「假」は盛大の意味である。《詩経・大雅・思斉》にいわく、文王は先ず自己の妻子に榜様を為し、進んで兄弟に推及し、さらに家国の治理に推及した。彼はまさに自家の道理を拡大して、天下を擁有するに至るまで拡大した。自己の親人を愛するを進んで他人の親人に推及し、自己の長輩を敬するを進んで他人の長輩に推及して、上下彼此に相愛すれば、天下もまた和睦す。ゆえに「交相愛也」という。

上九:有孚威如,終吉。象曰:威如之吉,反身之謂也。上九以陽居上,家之至尊者也,家人望之以為表式。茍其身不正,則雖令不從,是以內盡至誠,為人所信,然後有威可畏,而獲終吉也。大學曰:“欲齊其家者先修其身,欲修其身者先正其心,欲正其心者先誠其意”,此之謂也。

上九爻辞にいわく:心に誠信を懐きて威厳を保持せば、最終に吉利。《小象伝》にいわく:威厳ありて吉利は、反って自己を要求するを言う。司馬光が解していわく:上九は陽爻をもって全卦の上に居るは、一家の中の最も尊貴の人にして、家人はみな彼を仰望して表率と為す。もし彼の自身が端正ならざれば、たとい号令を発するも、家人は聴従せざらん。ゆえに彼は内心にその至誠を尽くし、衆人の信任を取得し、然る後に初めて人をして敬畏せしむる威厳ありて、これによって最終の吉利を得。《大学》にいわく:「自己の家を整治せんと欲せば、先ず自身を修養せよ。自身を修養せんと欲せば、先ず自己の心を端正せよ。自己の心を端正せんと欲せば、先ず自己の意念を誠実にせよ」、と。言うはまさにこの道理である。

睽卦

兌下離上。睽:小事吉。彖曰:睽,火動而上,澤動而下,二女同居,其志不同行。說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以小事吉。天地睽而其事同也,男女睽而其志通也,萬物睽而其事類也,睽之時用大矣哉!象曰:上火下澤,睽,君子以同而異。

睽卦は下卦が兌、上卦が離である。卦辞にいわく:睽は、小事を為せば吉利。《彖伝》にいわく:睽卦の中、火は動いて上に向かい、沢は動いて下に向かう。二箇の女子は同じ屋に住むも、心志は一つの方向に向かわず。下卦は欣悦にして上卦の光明に附麗す。六五は柔爻にして上進して尊位に居り、中位を得て九二の陽剛と相応ず。ゆえに小事を為せば吉利。天と地は彼此に乖異するも、それらの万物を生養する事業は相同す。男と女は彼此に乖異するも、彼らの求合する心志は相通ず。万物は彼此に乖異するも、それらの各々類別に依る道理は一致す。睽卦の特定の時機における作用は、真に重大なりや。《大象伝》にいわく:上は火、下は沢、これが睽卦である。君子はこれに取法して、同を求むる中に自己の独立不同を保持す。

初九:悔亡,喪馬勿逐自復,見惡人無咎。象曰:見惡人,以辟咎也。九二:遇主于巷,無咎。象曰:遇主于巷,未失道也。六三:見輿曵,其牛掣,其人天且劓,無初有終。象曰:見輿曵,位不當也;無初有終,遇剛也。九四:睽孤,遇元夫,交孚,厲無咎。象曰:交孚無咎,志行也。六五:悔亡,厥宗噬膚,往何咎。象曰:厥宗噬膚,往有慶也。

初九爻辞にいわく:悔恨消失す。馬を失うも追い求むるに及ばず、それ自ら帰り来らん。面目可憎の人に見えても過ちなし。《小象伝》にいわく:可憎の人を接見するは、禍咎を避けんがためなり。九二爻辞にいわく:小巷の中に君主と相遇う、過ちなし。《小象伝》にいわく:巷の中に主に遇うは、正道に背離せざるなり。六三爻辞にいわく:車が拖住され、車を拉く牛が牽制されるを見る。駕車の人は黥額割鼻の刑を受く。起初は順ならず、最終に好結果あり。《小象伝》にいわく:車が拖住されるを見るは、居る位が恰当ならざるがゆえに。起初順ならず終に結果あるは、最後に陽剛の上九に遇上するがゆえに。九四爻辞にいわく:乖離して孤立するも、陽剛の善士に遇い、彼此に誠をもって相交わる。危厲あるも過ちなし。《小象伝》にいわく:交相に誠信して過ちなきは、心志が施行を得るがゆえに。六五爻辞にいわく:悔恨消失す。彼の宗族の人は嫩肉を咬むがごとく容易に親合す、何処に往きて過ちあらん。《小象伝》にいわく:宗族が相合すること嫩肉を噬むがごときは、往けば必ず福慶あるなり。

上九:睽孤,見豕負塗,載鬼一車,先張之弧,後說之弧,匪冦婚媾,往遇雨則吉。象曰:遇雨之吉,群疑亡也。

上九爻辞にいわく:乖離して孤立し、疑心重重にして、猪の背上に汚泥の沾満するを見、また一車の鬼怪を見る。先ず弓を張りて射んと欲し、後来また弓を放下す。来るは強寇にあらず、婚配を求むるなり。往く時にもし下雨に遇えば、吉利。《小象伝》にいわく:雨に遇うの吉利たる所以は、種種の疑慮がみな消散するがゆえに。

蹇卦

艮下坎上。蹇:利西南,不利東北,利見大人,貞吉。彖曰:蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉!蹇利西南,往得中也;不利東北,其道窮也。利見大人,往有功也;當位貞吉,以正邦也。蹇之時用大矣哉!象曰:山上有水,蹇,君子以反身修徳。

蹇卦は下卦が艮、上卦が坎である。卦辞にいわく:蹇は、西南に往くに利あり、東北に往くに不利。大人を見るに宜しく、正を守りて吉利。《彖伝》にいわく:蹇はすなわち艱難、険境がまさに前に在るがゆえに。険境を見て歩を止むるを能くするは、これ真に明智なりや。「蹇利西南」は、彼処に往けば中道を得るを言う。「不利東北」は、あの路はすでに尽頭に走り至るを言う。「利見大人」は、往けば必ず功效あるを言う。各爻が位に当たりて正を守りて吉利は、邦国を端正するためなり。蹇卦の特定の時機における作用は、真に重大なりや。《大象伝》にいわく:山上に水が阻隔す、これが蹇卦である。君子はこれに取法して、躬を反して自省し、徳行を修養す。

初六:往蹇來譽。象曰:往蹇來譽,宜待也。六二:王臣蹇蹇,匪躬之故。象曰:王臣蹇蹇,終無尤也。九三:往蹇來反。象曰:往蹇來反,內喜之也。六四:往蹇來連。象曰:往蹇來連,當位實也。九五:大蹇朋來。象曰:大蹇朋來,以中節也。上六:往蹇來碩,吉,利見大人。象曰:往蹇來碩,志在內也;利見大人,以從貴也。

初六爻辞にいわく:往けば難あり、返れば則ち賛誉を得。《小象伝》にいわく:往けば難にして来れば誉あるは、時機を等待すべきを言う。六二爻辞にいわく:王臣は艱難の中に一再に難に赴くは、自身のためではない。《小象伝》にいわく:王臣が屡々難に赴くは、終に過失なからん。九三爻辞にいわく:往けば難あり、ここに返回す。《小象伝》にいわく:難に往きて返るは、内卦の衆陰爻が彼の帰るを喜ぶがゆえに。六四爻辞にいわく:往けば難あり、返れば則ち同類と相連す。《小象伝》にいわく:難に往きて来れば連なるは、居る位が恰当にして篤実なるがゆえに。九五爻辞にいわく:大難の中に処して、朋友が前来して相助す。《小象伝》にいわく:大難にして朋が来るは、九五が中に居りて節度あるがゆえに。上六爻辞にいわく:往けば難あり、返れば則ち功業碩大、吉利、大人を見るに宜し。《小象伝》にいわく:難に往きて来れば碩は、心志が内卦に係るなり。大人を見るに宜しきは、尊貴の九五に追随するためなり。

解卦

坎下震上。解:利西南,無所往,其來復吉,有攸往夙吉。彖曰:解,險以動,動而免乎險,解。解利西南,往得眾也;其來復吉,乃得中也;有攸往夙吉,往有功也。天地解而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲坼,解之時大矣哉!

解卦は下卦が坎、上卦が震である。卦辞にいわく:解は、西南に往くに利あり。もし往く所なければ、原処に返れば吉利。もし往く所有れば、及早に行動すれば吉利。《彖伝》にいわく:解卦は身に険境を処して能く行動し、一動すれば険境を脱離す。ゆえに「解」と称す。「解利西南」は、彼処に往けば衆人の擁護を得るを言う。「其来復吉」は、返れば中道を得るを言う。「有攸往夙吉」は、往けば必ず功效あるを言う。天地の陰陽の気が舒解して、ここに雷雨が興作す。雷雨が興作して、各種の果木草類はみな甲を破りて発芽す。解卦の包含する時勢は、真に重大なりや。

解無所往其來復吉、有攸往夙吉,何也?夫能濟難者存乎中,能有功者存乎時。時未可往而用之太速則不達,時可以往而應之太緩則無功,故上六藏器於身,待時而動,君子韙之。象曰:雷雨作,解,君子以赦過宥罪。初六:無咎。象曰:剛柔之際,義無咎也。案:睽、蹇二卦說並原本缺。

解卦に「无所往、其来復吉。有攸往、夙吉」というは、これ何の道理か。危難を解救し得るは、中道を持守するに頼る。功業を建立し得るは、時機を抓住するに頼る。時機がまだ往くべからざるに用事するに太だ急なれば、目的に達せず。時機がすでに往くべきに応対するに太だ緩なれば、功效なし。ゆえに上六のあの一爻は器具を身上に蔵して、時機を等待して後に行動することを講じ、君子はこれを以て是と為す。《大象伝》にいわく:雷雨が興作す、これが解卦である。君子はこれに取法して、過失を赦免し、罪犯を寛宥す。初六爻辞にいわく:過ちなし。《小象伝》にいわく:剛爻と柔爻がここに交接すれば、道理について言えば過ちなし。館臣按語:睽・蹇の両卦の司馬光の解説は、原本ですでにみな缺失している。

九二:田獲三狐,得黃矢,貞吉。象曰:九二貞吉,得中道也。六三:負且乘,致冦至,貞吝。象曰:負且乘,亦可醜也;自我致戎,又誰咎也。九四:解而拇,朋至斯孚。象曰:解而拇,未當位也。六五:君子維有解,吉,有孚于小人。象曰:君子有解,小人退也。上六:公用射隼于髙墉之上,獲之,無不利。象曰:公用射隼,以解悖也。

九二爻辞にいわく:田獵して三匹の狐狸を捕獲し、黄銅の箭頭を得たり、正を守りて吉利。《小象伝》にいわく:九二が正を守りて吉利は、それが中道を得たるがゆえに。六三爻辞にいわく:物を背負いてかえって車上に坐すれば、強寇を招来す。正を守るも憾惜あり。《小象伝》にいわく:物を背負いて車に乗るは、また可羞なり。強寇は自己の招来したる者、また誰を怪さん。九四爻辞にいわく:あなたの脚上の拇趾の累を解脱せよ、朋友が到来して初めて誠をもって相待せん。《小象伝》にいわく:拇趾の累を解脱するは、九四が居る位が恰当ならざるがゆえに。六五爻辞にいわく:君子は小人の糾纏を解除し得、吉利。これ一点は小人についても検証あり。《小象伝》にいわく:君子が解脱を得るは、小人が退去したるがゆえに。上六爻辞にいわく:王公が高牆の上に鷹隼を射て、これを射中す、不利なし。《小象伝》にいわく:王公が隼を射るは、悖乱を解除するためなり。

損卦

兌下艮上。損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。損益之名,以內為主者也,內為已,外為彼。彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。象曰:山下有澤,損,君子以懲忿窒欲。

損卦は下卦が兌、上卦が艮である。卦辞にいわく:損は、心に誠信を懐き、大いに吉利、過ちなし、正を守るべく、往く所有るに宜し。何をもって祭享せんか。两簋の薄食をもって祭享に用い得。司馬光が解していわく:「損」と「益」のこの二つの卦名は、内卦を以て立論の主体と為す。内卦は自己を代表し、外卦は相手を代表す。《彖伝》にいわく:損は、下を減損して上を増益し、その路数は上に向かいて行くなり。「損而有孚、元吉、无咎、可貞、利有攸往。曷之用。二簋可用享」は、二簋の薄祭は時宜に合うを要し、剛健を減損し柔順を増益するも時宜に合うを要す。減損と増益、盈満と虧虚は、みな時勢に随いて一同に推移す。《大象伝》にいわく:山下に沢あり、沢水が山根を侵蝕す、これが損卦である。君子はこれに取法して、自己の忿怒を懲戒し、自己の貪欲を堵塞す。

初九:已事遄往,無咎,酌損之。象曰:已事遄往,尚合志也。九二:利貞,征凶,弗損益之。象曰:九二利貞,中以為志也。六三:三人行則損一人,一人行則得其友。象曰:一人行,三則疑也。六四:損其疾,使遄有喜,無咎。象曰:損其疾,亦可喜也。六五:或益之十朋之,弗克違,元吉。象曰:六五元吉,自上佑也。上九:弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。

初九爻辞にいわく:自己の事を弁じ畢れば速やかに前往して相助せよ、過ちなし。ただし斟酌して自己を減損すべし。《小象伝》にいわく:事畢りて速かに往くは、上位の者と心志が相合するがゆえに。九二爻辞にいわく:正を守るに利あり、急進すれば凶険。自己を減損せずして相手を増益し得。《小象伝》にいわく:九二が正を守るに利あるは、それが中を守るを以て心志と為すがゆえに。六三爻辞にいわく:三人が同行すれば一人を減じるを要し、一人が独行すればかえって伴侣を得。《小象伝》にいわく:一人が独行して初めて友を得るは、三人が同行すれば互いに猜疑するがゆえに。六四爻辞にいわく:自己の毛病を減損して、それを速やかに好転せしめば喜慶あり、過ちなし。《小象伝》にいわく:自己の毛病を減損し得るは、また欣喜に値するなり。六五爻辞にいわく:ある人が彼に価値十朋の大亀を贈与し、推辞する術なし、大いに吉利。《小象伝》にいわく:六五の大吉は、上天の保佑を得たるなり。上九爻辞にいわく:他人を減損せずかえって他人を増益すれば、過ちなし、正を守りて吉利、往く所有るに宜しく、臣民を得て一家一姓に限らざるを得。《小象伝》にいわく:損せずして益するは、心志が大いに実現を得るなり。

益卦

震下巽上。益:利有攸往,利渉大川。彖曰:益,損上益下,民說無疆;自上下下,其道大光。利有攸往,中正有慶;利渉大川,木道乃行。益動而巽,日進無疆;天施地生,其益無方;凡益之道,與時偕行。象曰:風雷,益,君子以見善則遷,有過則改。

益卦は下卦が震、上卦が巽である。卦辞にいわく:益は、往く所有るに宜しく、大河を渡るに宜し。《彖伝》にいわく:益は、上を減損して下を増益し、百姓の喜悅は止境なし。上の者が尊を屈して下位の者に就けば、彼の道は大いに光明を放つ。「利有攸往」は、九五・六二が中正にして相応して福慶あるがゆえに。「利渉大川」は、巽木が舟を成す道が施行を得るがゆえに。益卦は下が動きて上が順い、日日に進益して無窮。上天が施与し大地が化生して、それらの増益に定所なし。大凡増益の道は、みな時勢に随いて一同に推行す。《大象伝》にいわく:風と雷と互いに助長す、これが益卦である。君子はこれに取法して、善行を見ればそれに向かい靠攏し、過失あれば立刻に改正す。

初九:利用為大作,元吉,無咎。象曰:元吉無咎,下不厚事也。六二:或益之十朋之,弗克違,永貞吉,王用享于帝,吉。象曰:或益之,自外來也。六三:益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭。象曰:益用凶事,故有之也。六四:中行告公從,利用為依遷國。象曰:告公從,以益志也。

初九爻辞にいわく:用いて大いに興して作為するに宜しく、大いに吉利、過ちなし。《小象伝》にいわく:大吉にして過ちなきは、下位に居る者は本来過重の事を担当すべからざるがゆえに。六二爻辞にいわく:ある人が彼に価値十朋の大亀を贈与し、推辞する術なし。長久に正を守れば吉利。君王がこれをもって上帝を祭享すれば、吉利。《小象伝》にいわく:ある人が来りて彼を増益するは、外より来るなり。六三爻辞にいわく:増益の物を凶を救い災を賑うの事に用いれば、過ちなし。心に誠信を懐き中道に依って行うさえすれば、圭を執りて王公に稟告し得。《小象伝》にいわく:増益を凶荒の事に用いるは、本来しかるべし。六四爻辞にいわく:中道に依って行い、王公に稟告して獲准す。こういう依靠に憑籍して国都を遷移するに宜し。《小象伝》にいわく:王公に稟告して獲准するは、天下を増益するの志のためなり。

九五:有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我徳。象曰:有孚惠心,勿問之矣;惠我徳,大得志也。惠心者何?惠之所施,孚於心然後善也。夫人墜於絶壑而遺之珠玉,寢疾垂死而饋之酒肉,其物非不羙也,而人不以徳者何也?非其心之所欲也。

九五爻辞にいわく:誠信を懐きて施惠の心有れば、問卜するまでもなく大吉を知る。天下の人もまた誠信をもって我が恩徳を感念せん。《小象伝》にいわく:誠信ありて施惠の心を懐くは、それはさらに問うに及ばざるなり。天下の人が我が恩徳を感念するは、心志が大いに実現を得るなり。司馬光が解していわく:何が「惠心」か。すなわち施す所の恩惠は、受惠者の心願に合うを要し、然る後に初めて善と算す。譬えば一人が絶壁深谷に掉ち入りて、あなたがかえって彼に珍珠美玉を贈らん。一人が病に臥して垂危に、あなたがかえって彼に美酒鮮肉を贈らん。物は好からざるにあらず、しかし人はこれによってあなたに感激せず。これは何のためか。それは彼の心裏の需とする所ではないがゆえに。

上九:莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。象曰:莫益之,偏辭也;或擊之,自外來也。上九“立心勿恆,凶”,何也?戒人勿以求益為常心也。“莫益之”,象曰“偏辭”者,何也?知益於已而不知恕於人之謂也。

上九爻辞にいわく:彼を増益する人なく、かえって彼を攻撃する人あり。彼は心を立てて恒を守り能わず、凶険。《小象伝》にいわく:彼を増益する人なきは、彼の話が一偏を顧みるのみなるがゆえに。彼を攻撃する人あるは、禍は外より来るなり。司馬光が問う:上九に「立心勿恒、凶」というは、これ何の意味か。答えていわく:これは人々を告誡するに、ひとえに増益を求取するを以て常存の心思と為すなかれ。《小象伝》が「莫益之」を解して「偏辞」というは、また何の意味か。すなわち彼はただ自己を増益するを知るのみで、己を推して人に及ぼすを知らざるを言う。

夬卦

乾下兌上。夬:揚于王庭,孚號有厲,告自邑,不利即戎,利有攸往。彖曰:夬,決也,剛決柔也。健而說,決而和。揚于王庭,柔乘五剛也;孚號有厲,其危乃光也;告自邑,不利即戎,所尚乃窮也;利有攸往,剛長乃終也。象曰:澤上於天,夬,君子以施祿及下,居徳則忌。

夬卦は下卦が乾、上卦が兌である。卦辞にいわく:夬は、王庭の上に小人の罪状を公開宣揚す。誠信をもって衆人を号令して心に危惧を存せよ。先ず自己の封邑より告誡を発布し、立刻に武力を動用するに宜しからず、往く所有るに宜し。《彖伝》にいわく:夬はすなわち決断、陽剛が陰柔を決除するなり。剛健にしてまた和悦、決断にしてまた和順。「揚于王庭」は、上六のこの柔爻が五つの剛爻の上に凌駕するがゆえに。「孚号有厲」は、心に危惧を存すればその道が初めて光大なるを言う。「告自邑、不利即戎」は、武力を崇尚すれば絶路に走り至るを言う。「利有攸往」は、陽剛が底まで生長すれば大功が告成するを言う。《大象伝》にいわく:沢水が天上に升る、これが夬卦である。君子はこれに取法して、俸禄を施予して恩沢を下に百姓に及ぼし、功に居りて自恃する徳行に対しては戒忌を加う。

初九:壯于前趾,往不勝為咎。象曰:不勝而往,咎也。九二:惕號,莫夜有戎,勿恤。象曰:有戎勿恤,得中道也。九三:壯于頄,有凶;君子夬夬,獨行遇雨,若濡有慍,無咎。象曰:君子夬夬,終無咎也。

初九爻辞にいわく:強壮が前進の脚指に表れ、往きて取勝し得ざれば、過錯を成す。《小象伝》にいわく:取勝し得ざるを明知してまた往くは、これが過錯である。九二爻辞にいわく:警惕して呼号戒備すれば、たとい傍晚夜間に兵戎の来犯あれども、憂慮する必ずしもなし。《小象伝》にいわく:兵戎ありて憂慮する必ずしもなきは、九二が中道を得たるがゆえに。九三爻辞にいわく:強壮が顴骨面頰に表れ、凶険あり。君子は決然として行い、独自に往く時に雨に遇い、渾身が淋湿して人に慍怒を招くも、過ちなし。《小象伝》にいわく:君子が決然として行うは、終に過ちなからん。

壯于頄,壯形於面也。三為健極,故曰壯于頄也。物惡太健,故有凶。然君子居之,體剛履正,決決無疑,信志獨行而不易於世,故雖怨怒不足為咎也。雨濡者,怨謗之象也。

いわゆる「壮于頄」は、剛壮の気が臉上に顕露するを言う。九三は下卦剛健の頂点に処す。ゆえに「壮于頄」という。事物は最も過度の剛健を忌諱す。ゆえに凶険あり。ただし君子がこの位置に処するは、体性は剛強にして行う所は端正、決断果敢にして毫も猶疑せず、自己の志向を堅信して独自に前行して世俗のために改変せず。ゆえにたとい怨恨慍怒を招来するも、過ちと算するに足らず。「遇雨若濡」に至るは、まさに怨恨毀謗を遭受するの意象である。

九四:臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信。象曰:其行次且,位不當也;聞言不信,聰不明也。九四任其剛決,以據健之上,故居與行皆不安也。羊,狠物也,牽羊者,制其狠心也,制其狠心則悔亡矣。不正而決,故聞言不信也。

九四爻辞にいわく:臀部が傷を受けて好皮肉なく、行歩する時に歩履艱難。もし羊を牽くがごとく人に随いて行き得れば、悔恨は消失せん。惜しいかな彼は忠言を聴くも信ぜず。《小象伝》にいわく:歩履が艱難は、居る位が恰当ならざるがゆえに。忠言を聴きて信ぜざるは、彼が聴覚不明なるがゆえに。司馬光が解していわく:九四は自己の剛強決断を憑恃して、剛健の乾体の上に踞る。ゆえに安処するも行動するも安穏ならず。羊は性情が倔强の動物。「牽羊」はすなわちそれの倔强の性を制服するなり。自己の倔强の心を制服し得れば、悔恨は消失す。九四は正位に居らずしてひとえに決断す。ゆえに忠言を聴くも信ぜざるなり。

九五:莧陸夬夬,中行無咎。象曰:中行無咎,中未光也。上六:無號,終有凶。象曰:無號之凶,終不可長也。

九五爻辞にいわく:柔脆の馬歯莧を鏟除するがごとく果断に小人を決除し、中道に依って行えば過ちなし。《小象伝》にいわく:中道に依って行えば過ちなけれども、九五の居中の徳はまだ光大ならず。上六爻辞にいわく:哭号するも用なし、終に凶険あり。《小象伝》にいわく:哭号する処なきの凶険は、この局面が終に長久し得ざるを言う。

姤卦

巽下乾上。姤:女壯,勿用取女。彖曰:姤,遇也,柔遇剛也。勿用取女,不可與長也。天地相遇,品物咸章也;剛遇中正,天下大行也。姤之時義大矣哉!剛,陽徳也,君子所尚也。然剛而不中則亢,剛而不正則戾;亢則人疾之,戾則人違之,故剛遇中正,然後可以大行於天下也。

姤卦は下卦が巽、上卦が乾である。卦辞にいわく:姤は、この女子は過度に強壮、こういう女子を娶るなかれ。《彖伝》にいわく:姤はすなわち相遇、陰柔が来りて陽剛に遇うなり。「勿用取女」は、彼女と長久に相処すべからざるを言う。天地の二気が相遇せば、各類の事物はみな彰顕成形す。陽剛が中正の徳に遇えば、天下にその道を大行し得。姤卦の包含する時勢と意義は、真に重大なりや。司馬光が解していわく:剛は陽の徳性にして、君子の推崇する所。しかるに剛にして中に居らざれば驕亢に流れ、剛にして端正ならざれば乖戻に流れる。驕亢なれば人々は彼を厭悪し、乖戻なれば人々は彼に背離す。ゆえに必ず陽剛をして中正に遇わしめ、然る後に初めて天下にその道を大行し得。

“姤之時義大矣哉”:姤,消卦也,孔子何大焉?夫世之治亂,人之窮通,事之成敗,不可以力致也,不可以數求也,遇與不遇而已矣。舜遇堯而五典克從,百揆時敘;禹、稷、契、皋陶遇舜而六府三事允治,地平天成;伊尹遇湯而格於皇天;師尚父遇文武而天下大定。不然,泯泯於眾人之中,後世誰克知之?以是觀之,姤之為義,豈不大哉!

《彖伝》に「姤之時義大矣哉」というについて:姤は陰気が陽を消す卦。孔子はなぜまたそれを重大と称賛するか。答えていわく:世道の治と乱、個人の困窘と顕達、事情の成と敗は、みな単に気力のみに頼って弁じ得るではなく、また単に術数のみに頼って求め得るではなく、説き尽くせばただ遇と不遇に在るのみ。虞舜は尭に遇い、ここに五種の倫常の教が順行し得、百官の政務は時にしたがい有序なり。禹・后稷・契・皋陶は舜に遇い、ここに水火金木土穀の六府と正徳・利用・厚生の三事がみな治理妥当し、大地は平治し上天は成功す。伊尹は商湯に遇い、徳行は上天に感通す。姜太公は文王・武王に遇い、天下はここに大定す。然らざれば、彼らは衆人の中に湮没し、後世に彼らを知る者あらんか。これより見れば、「姤」のこの一卦の意義は、豈に重大ならざらんや。

象曰:天下有風,姤,后以施命誥四方。初六:繫于金柅,貞吉,有攸往,見凶,羸豕孚蹢躅。象曰:繫于金柅,柔道牽也。九二:包有魚,無咎,不利賓。象曰:包有魚,義不及賓也。九三:臀無膚,其行次且,厲,無大咎。象曰:其行次且,行未牽也。

《大象伝》にいわく:天の下に風が吹拂して遇わざるなし、これが姤卦である。君主はこれに取法して、命令を発布し四方に誥諭す。初六爻辞にいわく:銅製の止車器に係在されるがごとく妄動し得ず、正を守りて吉利。もし往く所有れば、凶険に遇わん。あの瘦弱の母猪は実は一心に躁動安からず。《小象伝》にいわく:銅柅に係るは、陰柔の道は牽制を加うべきを言う。九二爻辞にいわく:厨中に魚を包む、過ちなし。ただし取りて客を待つに宜しからず。《小象伝》にいわく:包中に魚あるは、道理について言えば取りて賓客を待つべからず。九三爻辞にいわく:臀部が傷を受けて好皮肉なく、行歩する時に歩履艱難。危厲あるも大きな過ちなし。《小象伝》にいわく:歩履が艱難は、それが行動がまだ牽引住せられざるがゆえに。

九四:包無魚,起凶。象曰:無魚之凶,逺民也。姤九四“包無魚,起凶”:魯昭公將去季氏,宋樂祁譏之曰:“政在季氏三世矣,魯君喪政四公矣,無民而能逞其志者,未之有也。國君以是鎮撫其民,魯君失民矣。靖以待命猶可,動必憂。”已而昭公伐季氏,果不勝而出,死於外。

九四爻辞にいわく:厨中の包みに魚なく、一動すれば凶険あり。《小象伝》にいわく:魚なきの凶険は、民衆を疏遠したるがゆえに。司馬光が姤卦九四の「包无魚、起凶」を解していわく:当年、魯昭公は季氏を除去せんと打算した。宋国の楽祁は彼を譏評していわく:「政権が季氏の手中に落ちてすでに三代、魯君が政権を喪失してもまたすでに四代。民衆の擁護なくしてその志を得逞する者は、従来有らず。国君は民衆に頼って国家を鎮撫する。今や魯君はすでに民心を失掉せり。安静に時機を等待するはなお可なり。一動すれば必ず憂患を招来せん」、と。まもなく昭公は果して季氏を討伐するも、結果取勝し得ずして出奔し、最後に国外に死したり。

九五:以杞包瓜,含章,有隕自天。象曰:九五含章,中正也;有隕自天,志不舍命也。杞,材之羙者也;包瓜,不食之物也。九五剛遇中正,有羙材矣,遇小人道長之時,無應於內,不食者也。蘭生深林,不以無人而不芳,故有羙而含之,以俟命也。

九五爻辞にいわく:杞樹の枝葉をもって甜瓜を包裹し、文采を含藴し、美好の物が天より降ることあらん。《小象伝》にいわく:九五が文采を含藴するは、それが中正なるがゆえに。物が天より降るは、それが心志は天命に違背せざるを言う。司馬光が解していわく:杞は木材の中の優美なる一種。「包瓜」は包んで食せざる物を指す。九五は陽剛にして中正の位に遇うは、美好の材質を具備する者。惜しいかな小人の勢力が増長する時に遇い、内卦にまた相応の爻なし。ゆえに「包而不食」の処境なり。蘭花は深林の中に生え、人の観賞なきを以て芬芳を吐かざることなし。ゆえに彼は美質ありて含蔵して露わさず、ただ天命を等待するのみ。

抑材之不良、徳之不臧,身之憂也;材既良矣,徳既臧矣,雖不遇其時,以至於隕越而不振,天實為之,謂之何哉?故修已以俟命者,君子之志也。上九:姤其角,吝,無咎。象曰:姤其角,上窮吝也。姤其角者,行無所之之謂也。

さらに言えば、材質が優良ならず徳行が美善ならざれば、それこそが自身の憂慮すべき事。材質すでに優良にして徳行すでに美善なれば、たとい好時機に遇わず、跌倒挫敗して振起し得ざるに至るも、それは実に天意の造成する所、また何を言わんや。ゆえに自己を修養して天命を等待するは、まさに君子の志向である。上九爻辞にいわく:頭角の上に相遇う、憾惜あるも過ちなし。《小象伝》にいわく:頭角に相遇うは、上位がすでに窮極して憾惜を生ずるがゆえに。司馬光が解していわく:いわゆる「姤其角」は、彼処に走り至ってすでに往くべき路なきを言う。

巻四 下経

萃卦

坤下兌上。萃:亨,王假有廟,利見大人,亨,利貞,用大牲吉,利有攸往。彖曰:萃,聚也,順以說,剛中而應,故聚也。王假有廟,致孝亨也;利見大人亨,聚以正也;用大牲吉,利有攸往,順天命也。觀其所聚,而天地萬物之情可見矣。

萃卦は下卦が坤、上卦が兌である。卦辞にいわく:萃は亨通。君王が宗廟に親臨して致祭し、大人を見るに宜しく、亨通、正を守るに利あり。牛羊などの大牲を用いて祭祀すれば吉利、往く所有るに宜し。《彖伝》にいわく:萃はすなわち聚集。下卦が柔順にして上卦が欣悦、九五は陽剛にして中に居りて六二と相応ず。ゆえに聚集し得。「王假有廟」は、孝道を極尽して祭享を挙行するなり。「利見大人亨」は、聚合は必ず正道に依循するを要すを言う。「用大牲吉、利有攸往」は、上天の旨意に順応するなり。万物の聚集の情形を観察すれば、天地万物の実情は看清すべし。

物順以說,萃之象也;上剛中而下應之,亦聚之象也。大人者,以正聚物者也,聚得大人然後通也。象曰:澤上於地,萃,君子以除戎器,戒不虞。初六:有孚不終,乃亂乃萃,若號,一握為笑,勿恤,往無咎。象曰:乃亂乃萃,其志亂也。六二:引吉,無咎,孚乃利用禴。象曰:引吉無咎,中未變也。

司馬光が解していわく:万物が柔順にして欣悦は、これ聚集の意象。上に九五が陽剛にして中に居りて下の衆爻がみな来りてそれに応合するも、また聚集の意象。いわゆる「大人」は、正道を用いて人を聚合し得る人。聚合する時にこういう大人を得て、然る後に初めて通達し得。《大象伝》にいわく:沢水が地面の上に升る、これが萃卦である。君子はこれに取法して、兵器を修繕し、意外の変に戒備す。初六爻辞にいわく:心に誠信あるも持守し終ること能わず、ここに心思が混乱し聚散は常なし。もし呼号して求助すれば、転眼の間に衆人は相与に談笑せん。憂慮する必ずしもなし、往けば過ちなし。《小象伝》にいわく:忽ち乱れ忽ち聚まるは、それが心志が乱れたるがゆえに。六二爻辞にいわく:引薦されて上れば則ち吉利、過ちなし。心に誠信を懐くさえすれば、微薄の禴祭を用いても可なり。《小象伝》にいわく:引薦されて吉利にして過なきは、それが居中の操守が改変せざるがゆえに。

六三:萃如嗟如,無攸利,往無咎,小吝。象曰:往無咎,上巽也。九四:大吉,無咎。象曰:大吉無咎,位不當也。九五:萃有位,無咎,匪孚,元永貞,悔亡。象曰:萃有位,志未光也。以剛中之徳,僅能保位無咎,而徳信不洽於民,未足光也,故必以元永貞之道聚民,然後悔亡也。上六:齎諮涕洟,無咎。象曰:齎諮涕洟,未安上也。

六三爻辞にいわく:聚合せんと欲するも嗟嘆するのみ、好処あることなし。往けば則ち過ちなし、ただ少し憾惜あり。《小象伝》にいわく:往きて過ちなきは、上の上六が柔順謙遜なるがゆえに。九四爻辞にいわく:大いに吉利して初めて過ちなしを得。《小象伝》にいわく:必ず大吉にして初めて過ちなきは、九四が居る位が恰当ならざるがゆえに。九五爻辞にいわく:天下を聚合して尊位を据有す、過ちなし。もしなお信服せざる人あれば、善始・長久・守正の道を以て感化すれば、悔恨は消失せん。《小象伝》にいわく:聚合してその位有るは、心志がまだ光大ならざるを言う。司馬光が解していわく:九五は陽剛居中の徳行を憑って、僅かに地位を保住して過錯を出さざるを得るも、徳沢信義はまだ百姓に普及せず。ゆえにまだ光大ならずと言う。ここにおいて必ず「元永貞」の弁法を用いて民衆を聚合し、然る後に悔恨が初めて消失せん。上六爻辞にいわく:嗟嘆悲泣して涕涙交流す、過ちなし。《小象伝》にいわく:嗟嘆して涕泣するは、上位に居りて安穏し得ざるがゆえに。

升卦

巽下坤上。升:元亨,用見大人,勿恤,南征吉。彖曰:柔以時升,巽而順,剛中而應,是以大亨。用見大人勿恤,有慶也;南征吉,志行也。象曰:地中生木,升,君子以順徳,積小以高大。

升卦は下卦が巽、上卦が坤である。卦辞にいわく:升は大いに亨通。大人に進見するに宜しく、憂慮する必ずしもなし、南方に向かいて進発すれば吉利。《彖伝》にいわく:柔順の者が時に依って上昇し、謙遜にして柔順、九二は陽剛にして中に居りて六五と相応ず。ゆえに大いに亨通。「用見大人、勿恤」は、必ず福慶あるを言う。「南征吉」は、心志が施行を得るを言う。《大象伝》にいわく:地中に樹木が生出す、これが升卦である。君子はこれに取法して、徳性に順応し、細微を積累して高大を成就す。

初六:允升,大吉。象曰:允升大吉,上合志也。九二:孚乃利用禴,無咎。象曰:九二之孚,有喜也。九三:升虛邑。象曰:升虛邑,無所疑也。六四:王用享于岐山,吉,無咎。象曰:王用享于岐山,順事也。太王避狄,順也;肇基王跡,升也。六五:貞吉,升階。象曰:貞吉升階,大得志也。上六:冥升,利于不息之貞。象曰:冥升在上,消不富也。

初六爻辞にいわく:信允を得て上昇すれば、大いに吉利。《小象伝》にいわく:允を得て升りて大吉は、上の陽爻と心志が相合するがゆえに。九二爻辞にいわく:心に誠信を懐くさえすれば、微薄の禴祭を用いても可なり、過ちなし。《小象伝》にいわく:九二の誠信は、必ず喜慶あらん。九三爻辞にいわく:上昇する時に無人の空城に進入するがごとし。《小象伝》にいわく:空城に升入るは、前路に阻碍疑難なきを言う。六四爻辞にいわく:君王が岐山に祭享を挙行す、吉利、過ちなし。《小象伝》にいわく:君王が岐山を祭享するは、柔順に上天を奉事するなり。司馬光が解していわく:周太王は狄人を避けて岐下に遷るは、これが「順」。これによって王業の基業を開創したるは、これが「升」。六五爻辞にいわく:正を守りて吉利、階級を拾い上がるがごとし。《小象伝》にいわく:正を守りて吉利にして階を登るは、心志が大いに実現を得るなり。上六爻辞にいわく:昏昧にひとえに上昇す、ただ停歇せずして正を守るに用いるに利あり。《小象伝》にいわく:昏昧に上昇して全卦の上に居るは、陽気が消退してもはや富実ならざるなり。

困卦

坎下兌上。困:亨,貞,大人吉,無咎,有言不信。彖曰:困,剛揜也。險以說,困而不失其所亨,其唯君子乎。貞大人吉,以剛中也;有言不信,尚口乃窮也。象曰:澤無水,困,君子以致命遂志。初六:臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿。象曰:入于幽谷,幽不明也。谷者,險而窮下之象也。

困卦は下卦が坎、上卦が兌である。卦辞にいわく:困は亨通、正を守れ。大人は吉利、過ちなし。この時講話しても人に信ぜられず。《彖伝》にいわく:困は、陽剛が陰柔に遮掩されるなり。身に険境を処してなお欣悦し得、困頓の中にして彼が亨通する所以を失わず。これおそらく君子のみ能くする所か。「貞、大人吉」は、九二・九五が陽剛にして中に居るがゆえに。「有言不信」は、この時口舌の弁を崇尚するはただ走投無路なるを言う。《大象伝》にいわく:沢の中に水なし、これが困卦である。君子はこれに取法して、寧ろ性命を捨てても自己の志向を実現せん。初六爻辞にいわく:臀部が枯樹の桩に困せられ、幽深の山谷に落入り、三年も人に見えず。《小象伝》にいわく:幽谷に落入るは、幽暗不明の処境なり。司馬光が解していわく:「谷」は険峻にして下位に窮居するの意象。

九二:困于酒食,朱紱方來,利用享祀,征凶,無咎。象曰:困于酒食,中有慶也。六三:困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。象曰:據于蒺藜,乘剛也;入于其宮,不見其妻,不祥也。九四:來徐徐,困于金車,吝,有終。象曰:來徐徐,志在下也;雖不當位,有與也。

九二爻辞にいわく:酒食の禄に困せられ、紅色の祭服がまさに送来せんとす。祭享を挙行するに宜しく、急いで進取すれば凶険、ただし過ちなし。《小象伝》にいわく:酒食に困せらるるは、九二が中に居りて必ず福慶あるがゆえに。六三爻辞にいわく:巨石に挡せられ、また蒺藜の上に坐す。自己の家に帰るも、妻子に見えず、凶険。《小象伝》にいわく:蒺藜の上に坐するは、それが九二の剛爻の上に凌乗するがゆえに。家に帰りて妻子に見えざるは、これ不吉の兆なり。九四爻辞にいわく:来ること遅緩にして、金車に困せられ、憾惜あるも終に結果あり。《小象伝》にいわく:来ること遅緩は、それが心志を下の初六に係るがゆえに。居る位は当たらざるも、なお相与の人あらん。

九五:劓刖,困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。象曰:劓刖,志未得也;乃徐有說,以中直也;利用祭祀,受福也。上六:困于葛藟,于臲卼,曰動悔,有悔,征吉。象曰:困于葛藟,未當也;動悔有悔,吉行也。

九五爻辞にいわく:割鼻断足の刑を受け、紅色の祭服に困せられ。随後に慢慢と解脱を獲得し、祭祀を挙行するに宜し。《小象伝》にいわく:刑傷を遭受するは、心志がまだ実現せざるなり。慢慢と解脱を獲得するは、九五が中に居りて正直なるがゆえに。祭祀に宜しきは、福佑を承受し得るを言う。上六爻辞にいわく:葛藤に纏まれ、処境が動揺して安からず。心に「一動すれば后悔せん」と思い、これによって真に悔意あり。この時往けば則ち吉利。《小象伝》にいわく:葛藤に困せらるるは、処境が恰当ならざるがゆえに。妄動すれば悔いるを知りて悔意を生ずるは、この一行動がすなわち吉利なり。

井卦

巽下坎上。井:改邑不改井,無喪無得,往來井井,汔至亦未繘井,羸其瓶,凶。彖曰:巽乎水而上水,井,井養而不窮也。改邑不改井,乃以剛中也;汔至亦未繘井,未有功也;羸其瓶,是以凶也。象曰:木上有水,井,君子以勞民勸相。

井卦は下卦が巽、上卦が坎である。卦辞にいわく:井は、村邑は遷改し得るも、水井は遷改し得ず。井水は減少せずまた増多せず。来来往往の人はみな井辺に来りて水を汲む。水を汲みて井口に将に至らんとするも繩子がまだ井より提出せず、水瓶を打破すれば、凶険。《彖伝》にいわく:水の中に深入して水を提上ぐ、これが井。井は衆人を養育して永遠に窮竭せず。「改邑不改井」は、九二・九五が陽剛にして中に居るがゆえに。「汔至亦未繘井」は、まだ成功せざるを言う。「羸其瓶」は、ゆえに凶険。《大象伝》にいわく:木桶の上に水あり、これが井卦である。君子はこれに取法して、百姓を慰労し、彼らが互いに帮助するを勉励す。

初六:井泥不食,舊井無禽。象曰:井泥不食,下也;舊井無禽,時舎也。九二:井谷射鮒,甕敝漏。象曰:井谷射鮒,無與也。谷,窮也,窮於井中,所守隘也;射鮒於井,所獲□也。甕者,所以汲也,甕敝而漏,水不可得也。九二處下而在內,又不當位,上無其應,應斯象也。

初六爻辞にいわく:井底に淤泥が満ちて、水は飲むべからず。廃棄の旧井は禽鳥も来らず。《小象伝》にいわく:井泥が飲用し得ざるは、それが最下に処するがゆえに。旧井に禽鳥も来らざるは、それがすでに時勢に廃棄されたるがゆえに。九二爻辞にいわく:井底の泉眼は小魚に射るのみ、水を汲む瓦甕は破れてひたすら漏水す。《小象伝》にいわく:井底に小魚を射るは、それに相応の援助なきがゆえに。司馬光が解していわく:「谷」は窮尽の意味。井中に困せられれば、守る所の地は狭窄なり。井裏に小魚を射れば、得る所は実に微小なり(原文ここに一字欠く)。「甕」は水を汲むに用いる。甕が破れて漏水すれば、水は取上ぐべからず。九二は下位に居りて内卦に在り、また位に当たらず、上にそれと相応の爻なし。まさにこういう意象に応ず。

九三:井渫不食,為我心惻,可用汲,王明並受其福。象曰:井渫不食,行惻也;求王明,受福也。六四:井甃,無咎。象曰:井甃無咎,修井也。九五:井洌寒泉食。象曰:寒泉之食,中正也。井洌寒泉食:居位用事而澤及於民之謂也。上六:井收勿幕,有孚,元吉。象曰:元吉在上,大成也。

九三爻辞にいわく:井はすでに淘洗干浄せりとも飲み来る人なく、我が心中を惻然たらしむ。この井は汲用すべきなり。もし君王が明察ならば、大家はみな福沢を受け得。《小象伝》にいわく:井すでに淘浄して飲用する人なきは、行路の人もみなこれがため惻然たり。君王の明察を求めれば、共にその福を受け得。六四爻辞にいわく:磚石をもって井壁を修砌せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:井壁を修砌して過ちなきは、水井を修治するに在り。九五爻辞にいわく:井水は清澈、寒泉は飲用に供すべし。《小象伝》にいわく:寒泉が飲用すべきは、九五が中正なるがゆえに。司馬光が解していわく:「井冽寒泉食」は、尊位に居りて政事を主持して恩沢が百姓に普及するを言う。上六爻辞にいわく:井水が汲上げられ、井口を蓋うなかれ。心に誠信を懐けば、大いに吉利。《小象伝》にいわく:大吉にして全卦の上に居るは、井道が大功告成するなり。

革卦

離下兌上。革:已日乃孚,元亨利貞,悔亡。彖曰:革,水火相息,二女同居,其志不相得,曰革。已日乃孚,革而信之。文明以說,大亨以正,革而當,其悔乃亡。天地革而四時成,湯武革命,順乎天而應乎人,革之時大矣哉!

革卦は下卦が離、上卦が兌である。卦辞にいわく:革は、変革の日に至って初めて人に信を取り得。元始にして亨通して正を守るに利あり、悔恨消失す。《彖伝》にいわく:革卦の中、水と火と互いに熄灭す。二箇の女子は同じ屋に住むも、心志は彼此に合せず。ゆえに「革」と称す。「已日乃孚」は、変革の後に人々が初めてそれを信ずるを言う。下卦が文明にして上卦が欣悦、大いに亨通して正道に合す。変革が恰当を得れば、悔恨は消失す。天地が変革して四季が形成し、商湯・周武王が天命を変革するは、上は天意に順い下は人心に応ず。革卦の包含する時勢は、真に重大なりや。

革之為道,不可易也,故元亨利貞而後悔亡也。初則民心未孚,故鞏用黃牛,不可變也;二則得時之中,故已日革之,行有嘉也。象曰:澤中有火,革,君子以治曆明時。初九:鞏用黃牛之革。象曰:鞏用黃牛,不可以有為也。六二:已日乃革之,征吉,無咎。象曰:已日革之,行有嘉也。

司馬光が解していわく:変革の道は、軽率に従事すべからず。ゆえに必ず元・亨・利・貞を做到し、然る後に悔恨が初めて消失せん。初九の時は民心がまだ帰附せず。ゆえに黄牛の皮をもって牢牢に捆るを要し、この時は変動すべからず。六二の時はちょうど時機の中に赶上す。ゆえに「日に至ってそれを変革す」、行動すれば嘉美の結果あらん。《大象伝》にいわく:沢の中に火あり、二者は相克す、これが革卦である。君子はこれに取法して、暦法を修治し時序を明確にす。初九爻辞にいわく:黄牛の皮をもって牢牢に捆縛せよ。《小象伝》にいわく:黄牛の皮をもって捆縛するは、この時は作為あるべからざるを言う。六二爻辞にいわく:変革の日に至って初めてそれを変革せよ、往けば吉利、過ちなし。《小象伝》にいわく:日に至って初めて変革するは、行動すれば嘉美の結果あらん。

九三:征凶,貞厲,革言三就,有孚。象曰:革言三就,又何之矣。九四:悔亡,有孚改命,吉。象曰:改命之吉,信志也。九五:大人虎變,未占有孚。象曰:大人虎變,其文炳也。上六:君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。象曰:君子豹變,其文蔚也;小人革面,順以從君也。

九三爻辞にいわく:急いで前往すれば凶険、固執して守るも危厲あり。変革の議論を反復審議して三次して後に定めて、初めて人に信を取り得。《小象伝》にいわく:変革の議がすでに三次審定せらるれば、また何処に往かんや。九四爻辞にいわく:悔恨消失す。心に誠信を懐きて天命を更改せば、吉利。《小象伝》にいわく:命を改めて吉利は、人々が彼の志向を信ずるがゆえに。九五爻辞にいわく:大人の変革は虎紋の煥然として一新するがごとく、占問するまでもなく人に信を取り得。《小象伝》にいわく:大人の虎変は、彼の文采が光明炳耀なるを言う。上六爻辞にいわく:君子の変革は豹紋の漸次文を成すがごとく、小人も面目を改変す。この時急進すれば凶険、安居して正を守れば吉利。《小象伝》にいわく:君子の豹変は、彼の文采が茂密華美なるを言う。小人が面目を改変するは、柔順に君主に服从するなり。

鼎卦

巽下離上。鼎:元吉,亨。彖曰:鼎,象也,以木巽火,亨飪也。聖人亨以享上帝,而大亨以養聖賢。巽而耳目聰明,柔進而上得行中而應乎剛,是以元亨。象曰:木上有火,鼎,君子以正位凝命。

鼎卦は下卦が巽、上卦が離である。卦辞にいわく:鼎は大いに吉利、亨通。《彖伝》にいわく:鼎は、器物の象を取る。木柴を火の中に送進して、食物を烹煮するに用いる。聖人は牲牢を烹煮して上帝を祭享し、また大規模に烹飪して聖賢を奉養す。謙遜にして耳聡目明、六五は柔爻にして上進して尊位に居り、中道を行いて九二の陽剛と相応ず。ゆえに大いに亨通。《大象伝》にいわく:木の上に火あり、これが鼎卦である。君子はこれに取法して、自己の位分を端正し、上天の賦与する使命を凝守す。

初六:鼎顛趾,利出否,得妾以其子,無咎。象曰:鼎顛趾,未悖也;利出否,以從貴也。九二:鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。象曰:鼎有實,慎所之也;我仇有疾,終無尤也。九三:鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨虧悔,終吉。象曰:鼎耳革,失其義也。九四:鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。象曰:覆公餗,信如何也。

初六爻辞にいわく:鼎足が顛倒して上に向かうは、ちょうど鼎中の汚穢を倒出するに利あり。侍妾を娶りて児子を生下するがごとく、過ちなし。《小象伝》にいわく:鼎足が顛倒するは、常理に違背と算せず。汚穢を倒出するに利あるは、尊貴の一方に随従するためなり。九二爻辞にいわく:鼎中に食物が盛満す、我が対頭は病ありて我に靠近し得ず、吉利。《小象伝》にいわく:鼎中に実物あるは、自己の去向を謹慎すべし。対頭に病あるは、終に過失なからん。九三爻辞にいわく:鼎耳に変故が生じ、鼎を抬ぐ行動は受阻し、肥美の野鶏肉は食らうに及ばず。降雨を待てば、悔恨は消減し、最終に吉利。《小象伝》にいわく:鼎耳の変故は、九三が応有の位分を失去したるがゆえに。九四爻辞にいわく:鼎足が折断し、王公の美食を傾覆し、鼎身は沾汚す、凶険。《小象伝》にいわく:王公の美食を傾覆せば、こういう信任はまたいかに交代せんや。

六五:鼎黃耳金,利貞。象曰:鼎黃耳,中以為實也。上九:鼎玉,大吉,無不利。象曰:玉在上,剛柔節也。六五“鼎黃耳金,利貞”,上九“鼎玉,大吉,無不利”:黃者,中也;耳者,所以聽也,君子虛其耳以聽於下,非則不受也。金者,剛而忍者也;玉者,堅而溫者也。五陰也,故尚乎剛;上陽也,故尚乎溫。夫柔不失剛,剛不失溫,然後能舉其大器者也。

六五爻辞にいわく:鼎に黄色の鼎耳と金属の鼎鉉を配せば、正を守るに利あり。《小象伝》にいわく:鼎に黄耳あるは、居中の徳を以て実質と為す。上九爻辞にいわく:鼎に玉製の鼎鉉を配せば、大いに吉利、不利なし。《小象伝》にいわく:玉鉉が上に在るは、剛と柔と各々その節制を得るなり。司馬光がこの二爻を解していわく:「黄」は中を象徴す。「耳」は聴くに用いる。君子は虚心にして下の意見を傾聴し、合理ならざれば接受せず。「金」は剛強にして堅忍なり。「玉」は堅硬にして温潤なり。六五は陰爻。ゆえに剛を崇尚するを要す。上九は陽爻。ゆえに温潤を崇尚するを要す。柔順にして剛強を失わず、剛強にして温潤を失わず。こうして初めて国家のこの大器を挙げ得。

震卦

震下震上。震:亨,震來虩虩,笑言啞啞,震驚百里,不喪匕鬯。彖曰:震亨,震來虩虩,恐致福也;笑言啞啞,後有則也;震驚百里,驚逺而懼邇也;出可以守宗廟社稷,以為祭主也。震驚百里,不喪匕鬯:夫主大器者,不可以無威也,無威則民不服,民不服則所守喪矣,故曰震驚百里,不喪匕鬯。象曰:洊雷,震,君子以恐懼修省。

震卦は下卦が震、上卦も震である。卦辞にいわく:震は亨通。雷の声が伝わり来る時は人々がみな惊恐戒惧し、随後に談笑自若とす。雷震が百里の遠くに驚動すれども、主祭の者は手中の匕匙と香酒をも失落せず。《彖伝》にいわく:震の亨通たる所以は、雷が来る時に惊恐戒惧し、この恐懼がかえって福气を帯来するがゆえに。随後に談笑自若とするは、事の後に自ら法度あるがゆえに。「震惊百里」は、遠くの人が驚き近くの人が畏れるを言う。こういう人が出で来れば、宗廟社稷を守护し、祭祀の主持者と為り得。司馬光が解していわく:「震惊百里、不喪匕鬯」について:国家の重器を主持する者は、威厳なかるべからず。威厳なければ、百姓は服せず。百姓が服せざれば、守护する所の江山は失われん。ゆえに「震惊百里、不喪匕鬯」という。《大象伝》にいわく:雷の声が接連して至る、これが震卦である。君子はこれに取法して、心に恐惧を懐きて自己を修養省察す。

初九:震來虩虩,後笑言啞啞,吉。象曰:震來虩虩,恐致福也;笑言啞啞,後有則也。六二:震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐,七日得。象曰:震來厲,乘剛也。六三:震蘇蘇,震行無眚。象曰:震蘇蘇,位不當也。九四:震遂泥。象曰:震遂泥,未光也。泥者,以陽居陰,喪其威也。

初九爻辞にいわく:雷が来りて惊恐戒惧し、随後に談笑自若とす、吉利。《小象伝》にいわく:雷が来りて惊恐するは、この恐惧がかえって福气を帯来す。随後に談笑自若とするは、事の後に自ら法度あるがゆえに。六二爻辞にいわく:雷が来る時に危厲あり、銭財を喪失せんと估量す。ただ高き山陵に登るのみで、追い求むるに及ばず、七天の後に自ら失いまた得らん。《小象伝》にいわく:雷が来りて危厲あるは、六二が初九の剛爻の上に凌乗するがゆえに。六三爻辞にいわく:雷が震いて人心神定まらざるも、震動の中に行進すれば災患なし。《小象伝》にいわく:雷が震い神魂が定まらざるは、居る位が恰当ならざるがゆえに。九四爻辞にいわく:雷震の後に泥の中に陷入す。《小象伝》にいわく:震えて泥に陷るは、それが道がまだ光大ならざるがゆえに。司馬光が解していわく:いわゆる「泥」は、九四が陽爻をもって陰位に居り、自己の威勢を喪失したるがゆえに。

六五:震往來厲,億無喪,有事。象曰:震往來厲,危行也;其事在中,大無喪也。上六:震索索,視矍矍,征凶。震不于其躬,于其鄰,無咎,婚媾有言。象曰:震索索,中未得也;雖凶無咎,畏鄰戒也。

六五爻辞にいわく:雷震が人をして来去に危厲ならしむるも、估量すれば損失なく、なお照常に祭祀の事を主持し得。《小象伝》にいわく:雷震が来去に危厲ならしむるは、行動が危険の中に処するを言う。ただしそれが主持する事は中道に合す。ゆえに大体に損失なし。上六爻辞にいわく:雷震が人をして索索に発抖せしめ、両眼が惊惶して四顧す。この時出行すれば凶険。雷震が自己身上に落ちずして、鄰人の身上に落つれば、過ちなし。ただし婚姻の相手に多少の怨言あらん。《小象伝》にいわく:雷震して索索に発抖するは、まだ中道を得ざるがゆえに。凶険あるも過ちなきは、鄰人の震を受くるを見て警戒を知るがゆえに。

震不于其躬,于其鄰者,禍在彼而思在此也。楚人滅江,秦穆公為之降服出次,不舉過數,曰:“吾自懼也。”君子曰:詩云“惟彼二國,其政不獲;惟此四國,爰究爰度”,其秦穆公之謂矣。

いわゆる「震不于其躬、于其邻」は、災禍が他人の彼処に落ちるも、戒惧の心はかえって自己の此処に生ずるを言う。当年、楚国が江国を滅ぼすに、秦穆公はこのため素服を穿ち正寝を遷出し、膳を減じ楽を撤すること常礼の規定を超過して、いわく:「我は自己を警戒するなり」、と。君子が評論していわく:《詩経・大雅・皇矣》に「あの夏・商の两国は、政事が人心を得ず。この四方の国が、かえって反復に研究揣度す」というは、言うはおそらく秦穆公のごとき人か。

艮卦

艮下艮上。艮其背,不獲其身,行其庭,不見其人,無咎。彖曰:艮,止也。時止則止,時行則行,動靜不失其時,其道光明。艮其止,止其所也;上下敵應,不相與也,是以不獲其身,行其庭不見其人,無咎也。象曰:兼山,艮,君子以思不出其位。

艮卦は下卦が艮、上卦も艮である。卦辞にいわく:背部に止息せば、すなわち自己の身体を察覚せず。彼の庭院を走り過ぐるも、あの人を見ず。過ちなし。《彖伝》にいわく:艮はすなわち止。止むべき時に止まり、行くべき時に行く。動と静とみな時機を錯失せざれば、彼の道は光明なり。「艮其止」は、それが止むべき所に止まるなり。上下の各爻が両々敵対に相応じて親和せざるを言う。ゆえに自身を察覚せず、庭院を過ぐるも人を見ず、過ちなしと言う。《大象伝》にいわく:二つの山が重畳す、これが艮卦である。君子はこれに取法して、問題を思考するに自己の職位の範囲を超出せず。

初六:艮其趾,無咎,利永貞。象曰:艮其趾,未失正也。其位則下也,其事則初也,止而不行,何咎之有?抑君子於其所止,不可不謹擇也,止於永貞,利莫大焉。六二:艮其腓,不拯其隨,其心不快。象曰:不拯其隨,未退聽也。九三:艮其限,列其夤,厲熏心。象曰:艮其限,危熏心也。六四:艮其身,無咎。象曰:艮其身,止諸躬也。

初六爻辞にいわく:脚指に止息せば、過ちなし、長久に正を守るに宜し。《小象伝》にいわく:脚指に止息するは、それが正道を失わざるを言う。司馬光が解していわく:初六の位置は最下に在り、遇う事情は開端に在り。この時に止まるを得て妄行せざれば、何の過ちかあらん。ただし君子は自己の止息する所について、謹慎に選択せざるべからず。長久の守正の上に止息し得れば、好処はさらに大なり。六二爻辞にいわく:小腿肚に止息して、随従する所の人を拯救し得ず、心に痛快ならず。《小象伝》にいわく:随従する所を拯救し得ざるは、九三が退譲聴従を肯んぜざるがゆえに。九三爻辞にいわく:腰際に止息して、脊背の肉を撕裂し、危険は烈火の心を熏するがごとし。《小象伝》にいわく:腰際に止息するは、危険がその心を熏灼す。六四爻辞にいわく:自身に止息せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:自身に止息するは、自己を安頓し住ませたるなり。

六五:艮其輔,言有序,悔亡。象曰:艮其輔,以中正也。凡剛柔當位,正之象也。孔子贊乾之九二“龍徳而正中”,艮之六五曰“以中正”,何也?曰:艮六五文之誤也,當云以正中也。正中者,正得其中,非既正又中也。然則二爻其為不正乎?曰:非謂其然也。中正者,道之貫也,相須而成,相輔而行者也。上九:敦艮,吉。象曰:敦艮之吉,以厚終也。

六五爻辞にいわく:牙床に止息して、説話に条理あり、悔恨消失す。《小象伝》にいわく:牙床に止息するは、それが中正なるがゆえに。司馬光が解していわく:大凡剛爻が剛位に居り、柔爻が柔位に居るは、初めて「正」の意象なり。孔子は乾卦九二を賛美して「龍徳而正中」というも、艮卦六五の《小象》はかえって「以中正」という。これはなぜか。答えていわく:艮卦六五のこの句は文字に誤あり。応に「以正中也」と作るべし。いわゆる「正中」は、ちょうどその中位を得るで、正位にしてまた中に居るではない。では乾九二・艮六五のこの二爻は豈に正ならざらんか。答えていわく:この意ではない。「中」と「正」は本より貫通一体の道理にして、互いに依待して成立し、互いに輔助して施行す。上九爻辞にいわく:敦厚の徳をもって止息せば、吉利。《小象伝》にいわく:敦厚に止息する吉利たる所以は、それが厚道をもって善終し得るがゆえに。

漸卦

艮下巽上。漸:女歸吉,利貞。彖曰:漸之進也,女歸吉也。進得位,往有功也;進以正,可以正邦也;其位剛得中也。止而巽,動不窮也。象曰:山上有木,漸,君子以居賢徳善俗。

漸卦は下卦が艮、上卦が巽である。卦辞にいわく:漸は、女子が嫁に行けば吉利、正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:漸の講ずる循序漸進は、まさに女子が嫁に行くに礼に依って行いて初めて吉利なるがごとし。漸進して正位を得れば、往けば功效あり。正道に依って漸進すれば、邦国を端正し得。この位置は九五の陽剛にして中を得るを指す。下卦が静止にして上卦が謙遜。ゆえに行動して窮途に陷入せざらん。《大象伝》にいわく:山上に樹木が生えて日に高大す、これが漸卦である。君子はこれに取法して、賢徳を蓄養し風俗を改善す。

初六:鴻漸于干,小子厲,有言,無咎。象曰:小子之厲,義無咎也。六二:鴻漸于盤,飲食衎衎,吉。象曰:飲食衎衎,不素飽也。九三:鴻漸于陸,夫征不復,婦孕不育,凶,利御冦。象曰:夫征不復,離群醜也;婦孕不育,失其道也;利用禦寇,順相保也。

初六爻辞にいわく:鸿雁が漸漸に水辺に飛び至り、小孩子は多少の危険あり、多少の議論を招来するも、過ちなし。《小象伝》にいわく:小孩子の危険は、道理について言えば過ちなし。六二爻辞にいわく:鸿雁が漸漸に磐石の上に飛び至り、飲食は和楽従容、吉利。《小象伝》にいわく:飲食が和楽は、それが徒らに飽食するにあらざるを言う。九三爻辞にいわく:鸿雁が漸漸に高地に飛び至り、丈夫は遠行して帰らず、妻子は懐孕するも生育し得ず、凶険。強寇を抵御するに宜し。《小象伝》にいわく:丈夫が遠行して帰らざるは、自己の同類に背離するなり。妻子が懐孕して育せざるは、正道を失去するなり。強寇を抵御するに宜しきは、彼此に順応すれば互いに保全し得るを言う。

六四:鴻漸于木,或得其桷,無咎。象曰:或得其桷,順以巽也。九五:鴻漸于陵,婦三歲不孕,終莫之勝,吉。象曰:終莫之勝吉,得所願也。上九:鴻漸于陸,其羽可用為儀,吉。象曰:其羽可用為儀吉,不可亂也。案:漸卦說原本缺。

六四爻辞にいわく:鸿雁が漸漸に樹上に飛び至り、あるいは一根の平直の枝條を得て落脚し得るか、過ちなし。《小象伝》にいわく:あるいは平直の枝條を得るは、それが柔順にして謙遜なるがゆえに。九五爻辞にいわく:鸿雁が漸漸に高陵の上に飛び至り、妻子は三年も懐孕し得ざるも、終竟誰も彼らに勝る能わず、吉利。《小象伝》にいわく:終竟誰も勝つ能わずして吉利は、心願を遂げたるがゆえに。上九爻辞にいわく:鸿雁が漸漸に高地に飛び上がり、その羽毛は礼儀の装飾に用い得、吉利。《小象伝》にいわく:羽毛が儀飾と為り得て吉利は、それが行列が扰乱すべからざるを言う。館臣按語:漸卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。

帰妹卦

兌下震上。歸妹:征凶,無攸利。彖曰:歸妹,天地之大義也。天地不交而萬物不興,歸妹,人之終始也。說以動,所歸妹也;征凶,位不當也;無攸利,柔乘剛也。象曰:澤上有雷,歸妹,君子以永終知敝。

帰妹卦は下卦が兌、上卦が震である。卦辞にいわく:帰妹は、急進すれば凶険、好処あることなし。《彖伝》にいわく:少女が嫁に行くは、天地間の大義なり。天地の陰陽が交感せざれば、万物は興起し得ず。女子の嫁に行くは、人類の終結と開始に関係す。欣悦によって躁動す、嫁ぐ所は少女なり。「征凶」は、各爻の居る位が当たらざるがゆえに。「无攸利」は、柔爻が剛爻の上に凌乗するがゆえに。《大象伝》にいわく:沢の上に雷が震動す、これが帰妹卦である。君子はこれに取法して、長久の結局に着眼してその中の弊病を預知す。

初九:歸妹以娣,跛能履,征吉。象曰:歸妹以娣,以恆也;跛能履吉,相承也。不正而合,是以跛也;以娣而行,故能履也;所以吉者,說以承上也。九二:眇能視,利幽人之貞。象曰:利幽人之貞,未變常也。六三:歸妹以須,反歸以娣。象曰:歸妹以須,未當也。

初九爻辞にいわく:少女が嫁に行きて陪嫁の偏房を為すは、跛脚の人がなお行走し得るがごとし、往けば吉利。《小象伝》にいわく:嫁に行きて娣妾を為すは、常道を守るなり。跛にして行走し得て吉利は、彼女が正室に承事し得るがゆえに。司馬光が解していわく:名分が正ならずして結合す。ゆえに「跛」を以て比喻と為す。陪嫁の身份をもって随行す。ゆえになお走り動くを得。吉利たる所以は、彼女が和悦にして上の者に承奉し得るがゆえに。九二爻辞にいわく:一隻の眼に病ありてなお看るを得、幽居の人のごとく正を守るに宜し。《小象伝》にいわく:幽人の守正に宜しきは、彼女が常道を改変せざるを言う。六三爻辞にいわく:少女が嫁に行くもただ等待するのみ、反って陪嫁の身份をもって嫁に行かざるを得ず。《小象伝》にいわく:嫁に行きて等待を須つは、処境が恰当ならざるがゆえに。

九四:歸妹愆期,遲歸有時。象曰:愆期之志,有待而行也。六五:帝乙歸妹,其君之袂不如其娣之袂良,月幾望,吉。象曰:帝乙歸妹,不如其娣之袂良也;其位在中,以貴行也。上六:女承筐無實,士刲羊無血,無攸利。象曰:上六無實,承虛筐也。

九四爻辞にいわく:少女が嫁に行くに婚期を錯過す、遅く嫁に行くに自らその時あらん。《小象伝》にいわく:婚期を延誤する心意は、時機を等待して嫁に行かんとするなり。六五爻辞にいわく:帝乙が自己の妹を嫁がせるに、正室の衣袖はかえって陪嫁者の衣袖に華美ならず。月は満盈に接近す、吉利。《小象伝》にいわく:帝乙が妹を嫁がするに、正室の衣袖が陪嫁者に華美ならざるは、六五が位に中位に居り、尊貴の身份をもって行いて、服飾を以て勝るを以てせざるがゆえに。上六爻辞にいわく:女子の捧ぐる竹筐の中に物なく、男子が羊を宰るも血を見ず、好処あることなし。《小象伝》にいわく:上六が空虚にして実なきは、捧ぐるは一隻の空筐なり。

豊卦

離下震上。豐:亨,王假之,勿憂,宜日中。彖曰:豐,大也,明以動,故豐。王假之,尚大也;勿憂宜日中,宜照天下也。日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息,而況於人乎?況於鬼神乎?象曰:雷電皆至,豐,君子以折獄致刑。

豊卦は下卦が離、上卦が震である。卦辞にいわく:豊は亨通。君王はこの盛大に達し得、憂慮する必ずしもなし。日の中に正するがごとく普く照らすべし。《彖伝》にいわく:豊はすなわち盛大。下卦が光明にして上卦が奮動す。ゆえに盛大。「王假之」は、盛大を崇尚するなり。「勿憂、宜日中」は、天下を普く照らすべきを言う。しかるに太陽は正午に至れば偏斜し、月は円満に至れば虧蝕す。天地の盈満と虚缺も、なお時序に随いて消長す。いわんや人をや。いわんや鬼神をや。《大象伝》にいわく:雷と電と一斉に到来す、これが豊卦である。君子はこれに取法して、訟獄を明断し刑罰を施行す。

初九:遇其配主,雖旬無咎,往有尚。象曰:雖旬無咎,過旬災也。六二:豐其蔀,日中見斗,往得疑疾,有孚發若,吉。象曰:有孚發若,信以發志也。六二處下在內,以陰居陰,如蔀屋幽塞而不見知於人者也,故曰往得疑疾。蘭生深林,不以無人而不芳;君子居中履正,久幽而不變,人將信之,然後可以發其蔀而行其志矣。

初九爻辞にいわく:自己と相配の主人に遇い、彼此が均等なれども過ちなし、往けば嘉尚を受けん。《小象伝》にいわく:均等なれども過ちなきも、ひとたび均等を超過すれば災禍あらん。六二爻辞にいわく:遮蔽物が盛大にして、正午の時分にかえって北斗星を見る。往けば猜疑忌恨を招来す。誠信を以て人を啓発するさえすれば、吉利。《小象伝》にいわく:誠信を以て人を啓発するは、信実を以て相手の心志を打動するを用いる。司馬光が解していわく:六二は下位に処して内卦に居り、陰爻を以て陰位に居るは、草席に遮られた屋子のごとく幽暗閉塞にして人に了解されず。ゆえに「往得疑疾」という。蘭花は深林の中に生え、人の観賞なきを以て芬芳を吐かざることなし。君子は中に居りて正を守り、長久に幽暗の中に処して操守変わらざれば、人々は終に彼を信任し、然る後に初めてあの層の遮蔽を揭开して自己の志向を施行し得。

九三:豐其沛,日中見沬,折其右肱,無咎。象曰:豐其沛,不可大事也;折其右肱,終不可用也。九四:豐其蔀,日中見斗,遇其夷主,吉。象曰:豐其蔀,位不當也;日中見斗,幽不明也;遇其夷主,吉行也。豐、歸妹之彖,先陳其善而後釋其凶;豐九四之象,先敘其惡而後著其吉:聖人之辭,至公以直善惡也。

九三爻辞にいわく:遮蔽の帷幔が盛大にして、正午の時分にかえって小星を見る。自己の右臂を折断す、過ちなし。《小象伝》にいわく:帷幔が盛大は、大事を承当すべからざるを言う。右臂を折断するは、終に任用し得ざるを言う。九四爻辞にいわく:遮蔽物が盛大にして、正午の時分にかえって北斗星を見る。自己と相当の主人に遇えば、吉利。《小象伝》にいわく:遮蔽が盛大は、居る位が恰当ならざるがゆえに。正午に斗を見るは、幽暗にして明ならざるなり。相当の主人に遇うは、この一行動は吉利なり。司馬光が解していわく:豊卦と帰妹卦の《彖伝》は、みな先ずそれの好い一面を陳説して後にそれの凶なる一面を解釈す。豊卦九四の《小象》は、則ち先ずそれの悪い一面を叙述して後にそれの吉なる一面を点出す。聖人の言辞は極めて公允にして、ただ如実に善悪を判定するのみ。

六五:來章,有慶譽,吉。象曰:六五之吉,有慶也。上六:豐其屋,蔀其家,窺其戸,闃其無人,三歲不覿,凶。象曰:豐其屋,天際翔也;窺其戸,闃其無人,自藏也。

六五爻辞にいわく:文采ある賢才を招来せば、福慶と美誉あらん、吉利。《小象伝》にいわく:六五の吉利たる所以は、福慶あるがゆえに。上六爻辞にいわく:房屋を高大に修るるも、自家を遮蔽して幽暗ならしむ。門の隙より裏を窺えば、寂静にして人影なく、三年も人に見えず、凶険。《小象伝》にいわく:房屋を高大に修るるは、自ら視ること天辺に翱翔するがごとき高し。門内を窺視して寂静にして人なきは、彼が自ら自己を蔵起したるなり。

旅卦

艮下離上。旅:小亨,旅貞吉。彖曰:旅,小亨,柔得中乎外而順乎剛,止而麗乎明,是以小亨,旅貞吉也。旅之時義大矣哉!象曰:山上有火,旅,君子以明慎用刑而不留獄。初六:旅瑣瑣,斯其所取災。象曰:旅瑣瑣,志窮災也。六二:旅即次,懷其資,得童僕貞。象曰:得童僕貞,終無尤也。

旅卦は下卦が艮、上卦が離である。卦辞にいわく:旅は小さく亨通。旅居の人は正を守りて吉利。《彖伝》にいわく:旅の小さく亨通たる所以は、六五の柔爻が外卦に中位を得て陽剛に順従するがゆえに。下卦が静止にして上卦の光明に附麗す。ゆえに小さく亨通、旅居して正を守りて吉利。旅卦の包含する時勢と意義は、真に重大なりや。《大象伝》にいわく:山上に火あり、火勢は遷移して停まらず、これが旅卦である。君子はこれに取法して、刑罰を明察慎重に用い、案件を積圧せしめず。初六爻辞にいわく:旅居の人が猥琐卑賎は、これまさに彼が自ら災禍を取る原因なり。《小象伝》にいわく:旅居して猥琐は、心志が窮困して災禍を招来するなり。六二爻辞にいわく:旅居者が旅舎に住み入り、懐裏に盤纏を帯び、また忠貞の童僕を得たり。《小象伝》にいわく:忠貞の童僕を得るは、終に過失なからん。

九三:旅焚其次,喪其童僕,貞厲。象曰:旅焚其次,亦以傷矣;以旅與下,其義喪也。九四:旅于處,得其資斧,我心不快。象曰:旅于處,未得位也;得其資斧,心未快也。六五:射雉,一矢亡,終以譽命。象曰:終以譽命,上逮也。上九:鳥焚其巢,旅人先笑後號咷,喪牛于易,凶。象曰:以旅在上,其義焚也;喪牛于易,終莫之聞也。大壯之六五“喪羊于易”,旅上九“喪牛于易”,易者,不憂險阻之謂也。

九三爻辞にいわく:旅居者が自己の客舎を焼き、童僕を失去す、固執して守れば危厲あり。《小象伝》にいわく:旅居して客舎を焚毀すれば、また傷害を受くるに足る。旅居の身を以て下人に対して過度に苛刻なれば、理に必ず彼らを失わん。九四爻辞にいわく:旅居者が暫く一処の栖身を得、また盤纏と利斧を得たるも、我が心は痛快ならず。《小象伝》にいわく:旅居して暫く栖身を得るは、まだ応有の位置を得ざるがゆえに。盤纏利斧を得るも、心はなお痛快ならず。六五爻辞にいわく:野鶏を射て、一隻の箭を失うも、最終に美誉と爵命を得たり。《小象伝》にいわく:終に美誉爵命を得るは、上に通達して尊者に及ぶがゆえに。上九爻辞にいわく:鳥の巣が火に焼毀され、旅人は起初は歓笑し後来は号咷大哭す。軽忽の間に牛を喪失す、凶険。《小象伝》にいわく:旅居の身を以て上位に高居すれば、理に焚かるべし。軽忽の中に牛を喪うは、最後まで自己はなお鼓裏に蒙せらるるなり。司馬光が解していわく:大壮卦六五に「喪羊于易」といい、旅卦上九に「喪牛于易」という。いわゆる「易」は、軽慢忽略して険阻を憂慮せざるを指す。

巽卦

巽下巽上。巽:小亨,利有攸往,利見大人。彖曰:重巽以申命,剛巽乎中正而志行,柔皆順乎剛,是以小亨,利有攸往,利見大人。象曰:隨風,巽,君子以申命行事。初六:進退,利武人之貞。象曰:進退,志疑也;利武人之貞,志治也。九二:巽在床下,用史巫紛若,吉,無咎。象曰:紛若之吉,得中也。九三:頻巽,吝。象曰:頻巽之吝,志窮也。六四:悔亡,田獲三品。象曰:田獲三品,有功也。

巽卦は下卦が巽、上卦も巽である。卦辞にいわく:巽は小さく亨通、往く所有るに宜しく、大人を見るに宜し。《彖伝》にいわく:二つの巽が相重畳するは、反復して命令を申明するを象徴す。陽剛が謙遜に中正を守りて心志が推行を得、衆柔爻がみな陽剛に順従す。ゆえに小さく亨通、往く所有るに宜しく、大人を見るに宜し。《大象伝》にいわく:風が相随いて吹く、これが巽卦である。君子はこれに取法して、反復して政令を申明し政事を推行す。初六爻辞にいわく:進退が猶疑定まらず、武人のごとく堅定に正を守るに宜し。《小象伝》にいわく:進退が定まらざるは、心志が疑惑するなり。武人の守正に宜しきは、心志を整治せしめんとするなり。九二爻辞にいわく:謙卑にして牀下に伏するほど、史官巫祝を任用して紛紛と祷告せば、吉利、過ちなし。《小象伝》にいわく:紛紛と祷告して吉利は、九二が中を得るがゆえに。九三爻辞にいわく:一再に勉強して順従を作せば、憾惜あり。《小象伝》にいわく:屡屡勉強して順従する憾惜は、心志がすでに窮困したるがゆえに。六四爻辞にいわく:悔恨消失し、田獵して三類の獵物を獲得す。《小象伝》にいわく:田獵して三類の獵物を獲得するは、功效あるなり。

九五:貞吉悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉。象曰:九五之吉,位正中也。巽之彖曰“重巽以申命”:重巽,隨風也;隨風者,申命之象也;風為號令。九五之君,為號令之主,得位以行其令,不失其中正,故曰貞吉悔亡無不利。民可與樂成,難與慮始,故曰無初有終。庚屬西方金,金主□制,號令不嚴則不行,故先庚三日、後庚三日吉也。

九五爻辞にいわく:正を守りて吉利にして悔恨消失し、不利なし。起初は順ならずして最終に成あり。庚の日の前の三天・庚日の後の三天に申令せば、吉利。《小象伝》にいわく:九五の吉利たる所以は、居る位が正にしてまた中なるがゆえに。司馬光が解していわく:巽卦の《彖伝》に「重巽以申命」という:二つの巽が相重なるは、すなわち風と風と相随う。風が相随うは、まさに反復して命令を申明するの意象。風が号令を象徴するがゆえに。九五の君は号令を発する主宰にして、正位に居りて政令を推行し、また中正の道を失わず。ゆえに「貞吉悔亡、无不利」という。百姓は彼らと一同に成功を享受し得るも、彼らと一同に開端を謀画すること難し。ゆえに「无初有終」という。「庚」は西方の金に属し、金は刑殺裁断を主る(原文ここに一字欠く)。号令が厳ならざれば推行し得ず。ゆえに庚日の前の三天・庚日の後の三天に反復申令して初めて吉利なり。

上九:巽在床下,喪其資斧,貞凶。象曰:巽在床下,上窮也;喪其資斧,正乎凶也。

上九爻辞にいわく:謙卑にして牀下に伏するほど、自己の銭財と利斧を喪失す。固守し続ければ凶険。《小象伝》にいわく:卑伏して牀下にあるは、上位に居りて窮極するがゆえに。銭財利斧を喪失するは、このままにすれば必ず凶険なり。

兌卦

兌下兌上。兌:亨,利貞。彖曰:兌,說也。剛中而柔外,說以利貞,是以順乎天而應乎人。說以先民,民忘其勞;說以犯難,民忘其死;說之大,民勸矣哉!象曰:麗澤,兌,君子以朋友講習。

兌卦は下卦が兌、上卦も兌である。卦辞にいわく:兌は亨通、正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:兌はすなわち喜悅。陽剛が中に居りて陰柔が外にあり、喜悅の道を以て正を守るに利す。ゆえに上は天意に順い下は人心に応ず。喜悅の道を用いて率先して百姓を帯領すれば、百姓は労苦を忘れん。喜悅の道を用いて百姓を帯領して難に赴かせば、百姓は死亡を忘れん。喜悅の作用の大は、百姓をしてこうも奮勉せしめ得るや。《大象伝》にいわく:二つの沢が相連なり、交相に潤沢す、これが兌卦である。君子はこれに取法して、朋友とともに講論学習す。

初九:和兌,吉。象曰:和兌之吉,行未疑也。九二:孚兌,吉,悔亡。象曰:孚兌之吉,信志也。六三:來兌,凶。象曰:來兌之凶,位不當也。九四:商兌未寧,介疾有喜。象曰:九四之喜,有慶也。九五:孚于剝,有厲。象曰:孚于剝,位正當也。上六:引兌。象曰:上六引兌,未光也。案:兌卦說原本缺。

初九爻辞にいわく:和順の道を以て人に喜悅を致せば、吉利。《小象伝》にいわく:和悅の吉利たる所以は、それが行為がまだ疑慮を引起こさざるがゆえに。九二爻辞にいわく:誠信を以て人に喜悅を致せば、吉利、悔恨消失す。《小象伝》にいわく:誠信にして喜悅にして吉利は、人々が彼の志向を信ずるがゆえに。六三爻辞にいわく:主动に討好して悦を求むれば、凶険。《小象伝》にいわく:討好して悦を求むるの凶険は、居る位が恰当ならざるがゆえに。九四爻辞にいわく:反復に誰に悦を求むべきを権衡して心中安からず。界限分明に邪佞を厭悪し得れば、喜慶あり。《小象伝》にいわく:九四の喜は、福慶あるなり。九五爻辞にいわく:あの陽剛を剥落する小人を誤信すれば、危厲あり。《小象伝》にいわく:陽を剥する小人を誤信するは、それが居る位置がまさに尊位に当たりて尤も警惕を須つがゆえに。上六爻辞にいわく:人を引誘して喜悅を求取せしむ。《小象伝》にいわく:上六が引誘して悦を求むるは、それが道がまだ光大ならざるを言う。館臣按語:兌卦の司馬光の解説は、原本ですでに缺失している。

渙卦

坎下巽上。渙:亨,王假有廟,利涉大川,利貞。彖曰:渙亨,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。王假有廟,王乃在中也;利渉大川,乘木有功也。象曰:風行水上,渙,先王以享于帝立廟。初六:用拯馬壯,吉。象曰:初六之吉,順也。九二:渙奔其機,悔亡。象曰:渙奔其機,得願也。六三:渙其躬,無悔。象曰:渙其躬,志在外也。六四:渙其群,元吉,渙有丘,匪夷所思。象曰:渙其群元吉,光大也。

渙卦は下卦が坎、上卦が巽である。卦辞にいわく:渙は亨通。君王が宗廟に親臨して致祭し、大河を渡るに宜しく、正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:渙の亨通たる所以は、陽剛が前来して困窮に至らず、六四の柔爻が外卦に正位を得て上と同心なるがゆえに。「王假有廟」は、君王の心がまさに正中の位に在るを言う。「利渉大川」は、木舟に乗りて水を渡れば必ず功效あるがゆえに。《大象伝》にいわく:風が水面の上に吹行して水波が渙散す、これが渙卦である。先王はこれに取法して、上帝を祭享し宗廟を建立した。初六爻辞にいわく:健壯の馬を借助して渙散を拯救せば、吉利。《小象伝》にいわく:初六の吉利たる所以は、それが柔順なるがゆえに。九二爻辞にいわく:渙散の時に憑倚すべき几案に奔り就けば、悔恨消失す。《小象伝》にいわく:渙散して几案に奔就するは、心願を遂げたるなり。六三爻辞にいわく:自身の私念を渙散せば、悔恨なし。《小象伝》にいわく:その自身を渙散するは、心志が外に向かうなり。六四爻辞にいわく:朋党の群を渙散せば、大いに吉利。渙散の後に重新に聚まりて山丘を成すは、これ平常の人の思い及ぶ能くする所にあらず。《小象伝》にいわく:朋党を渙散して大吉は、それが道が光明広大なるがゆえに。

九五:渙汗其大號,渙王居,無咎。象曰:王居無咎,正位也。“渙,利渉大川”:坎下巽上,乘木有功也。九五“渙汗其大號,渙王居,無咎”:王者,號令之從出也。庶人稟於士,士稟於大夫,大夫稟於君,君稟於天子;天子至尊,出令而非受令者也,其餘則有所稟而不敢專也,故王居無咎。上九:渙其血去逖出,無咎。象曰:渙其血,逺害也。

九五爻辞にいわく:汗水のごとく重大の号令を発出し、危難を渙散して王者の居所を保有せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:王者がその位に居りて過ちなきは、それが正位に居るがゆえに。司馬光が解していわく:卦辞の「渙、利渉大川」は、坎が下にあり巽が上にあり、木舟に乗りて水を渡れば必ず功效あるがゆえに。九五の「渙汗其大号、渙王居、无咎」:君王は号令の発出する源頭である。庶人は士に聴命し、士は大夫に聴命し、大夫は国君に聴命し、国君は天子に聴命す。天子は最も尊貴にして、ただ号令を発して他人の号令を接受せず。其余の人はみな秉受する所有りて専断を敢えてせず。ゆえに「王居无咎」という。上九爻辞にいわく:血光の災を渙散し、遠々しく离去せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:血光の災を渙散するは、禍害を遠離せんとするなり。

節卦

兌下坎上。節:亨,苦節不可貞。彖曰:節亨,剛柔分而剛得中。苦節不可貞,其道窮也。說以行險,當位以節,中正以通。天地節而四時成,節以制度,不傷財,不害民。象曰:澤上有水,節,君子以制數度,議徳行。

節卦は下卦が兌、上卦が坎である。卦辞にいわく:節は亨通。苦澀勉强の節制は固守すべからず。《彖伝》にいわく:節の亨通たる所以は、剛爻柔爻が各々半を占めて陽剛が中位を得るがゆえに。「苦節不可貞」は、あの路はすでに尽頭に走り至るを言う。和悦の態度を以て険難に行走し、正位に居りて節制を施行し、中正を守りて通達して碍なし。天地に節度あって、四季が初めて形成を得。制度を用いて節制すれば、財物を耗傷せず百姓を損害せざらん。《大象伝》にいわく:沢の上に水あり、沢に容量ありて水に節限あり、これが節卦である。君子はこれに取法して、礼数法度を制定し、徳行の標準を評議す。

初九:不出戶庭,無咎。象曰:不出戸庭,知通塞也。九二:不出門庭,凶。象曰:不出門庭凶,失時極也。六三:不節若,則嗟若,無咎。象曰:不節之嗟,又誰咎也。六四:安節,亨。象曰:安節之亨,承上道也。九五:甘節,吉,往有尚。象曰:甘節之吉,居位中也。上六:苦節,貞凶,悔亡。象曰:苦節貞凶,其道窮也。

初九爻辞にいわく:内室の庭院を走出さざれば、過ちなし。《小象伝》にいわく:内庭を出ざるは、彼がいつ通じいつ塞がるを懂得するがゆえに。九二爻辞にいわく:門外の庭院を走出さざれば、凶険。《小象伝》にいわく:門庭を出ずして凶険は、時機を錯失してすでに極点に至るがゆえに。六三爻辞にいわく:自己に節制を加えざれば、ただ嗟嘆あるのみ。これは他人を怪るべからず。《小象伝》にいわく:節制を知らずして生ずる嗟嘆は、また誰を怪さんや。六四爻辞にいわく:安然として自守して節制せば、亨通。《小象伝》にいわく:安然に節制して亨通は、それが上の者の正道を承奉するがゆえに。九五爻辞にいわく:甘美適中に節制せば、吉利、往けば嘉尚を受けん。《小象伝》にいわく:甘美に節制する吉利たる所以は、九五が中位に居るがゆえに。上六爻辞にいわく:苦澀勉强に節制すれば、固守すれば凶険、ただし悔恨は消失し得。《小象伝》にいわく:苦節を固守して凶険は、それが道がすでに窮尽したるがゆえに。

節者,貴於適事之宜者也,故初無咎而二有凶也。君子以制數度、議徳行:徳行者,議之而後動,動而中節,然後為善也。兌,說也,和易也;坎,險也,嚴峻也。知說而不知險,則民不肅;知險而不知說,則民不親。不肅則慢,不親則乖,慢與乖,亂亡之道也,是以說以行險,得節之宜也。

司馬光が解していわく:いわゆる「節」の貴ぶべき処は、ちょうど事情の分寸に合するに在り。ゆえに初九は戸庭を出ずして過錯なく、九二は門庭を出ずしてかえって凶険なり。《大象伝》に「君子以制数度、議徳行」という:いわゆる徳行は、先ず評議を加えて然る後に行動し、行動してちょうど節度に合して、然る後に初めて善と算す。兌は喜悅を代表し、和順平易なり。坎は険陷を代表し、厳厲峻急なり。和悦のみ知りて峻厳を知らざれば、百姓は粛敬せず。峻厳のみ知りて和悦を知らざれば、百姓は親附せず。粛敬せざれば怠慢し、親附せざれば離心す。怠慢と離心は、みな乱亡を招致する路子なり。ゆえに「説以行険」、こそ節制の恰当の分寸と算するに足る。

三極說而過乎中,故曰不節若則嗟若;上極險而過乎中,故曰苦節不可貞。節物者,無位則不能也,故曰當位以節。子臧曰:“聖達節,次守節,下失節。”九五正不違中,中不離正,達節者也;六四以下承上,以柔成剛而不失其正,守節者也;九二以陽居陰,六三以陰居陽,失夫節者也。九五居夫尊位,以中節物,故曰居位中也。

六三は兌体の喜悅の頂点に処して中道を過ぐ。ゆえに「不節若、則嗟若」という。上六は坎体の険陷の頂点に処して中道を過ぐ。ゆえに「苦節、不可貞」という。事物を節制するに、相応の地位なくしては弁じ得ず。ゆえに《彖伝》に「当位以節」という。春秋時、曹国の子臧がいわく:「聖人は節度を通達し得、次の一等は節度を守住し得、最下等は節度を喪失す」、と。九五はすでに正にして中道に違背せず、中に居りて正道を脱離せず、これは節度を通達する者。六四は下位を以て上位に承奉し、柔順を用いて剛健を成就してその正を失わず、これは節度を守住する者。九二は陽爻を以て陰位に居り、六三は陰爻を以て陽位に居るは、みな節度を喪失する者。九五は尊位に居りて、中道を用いて万物を節制す。ゆえに《小象伝》に「居位中也」という。

中孚卦

兌下巽上。中孚:豚魚吉,利渉大川,利貞。彖曰:中孚,柔在內而剛得中,說而巽,孚乃化邦也。豚魚吉,信及豚魚也;利渉大川,乘木舟虛也;中孚以利貞,乃應乎天也。中孚者,發於中而孚於人也。豚魚,幽賤無知之物,茍飼以時,則應聲而集,而況於人乎?至誠以渉險,如乘虛舟,物莫之害,故曰利渉大川,乘木舟虛也。象曰:澤上有風,中孚,君子以議獄緩死。

中孚卦は下卦が兌、上卦が巽である。卦辞にいわく:中孚は、誠信が小猪と魚のごとき微物に及べば則ち吉利。大河を渡るに宜しく、正を守るに利あり。《彖伝》にいわく:中孚卦は柔爻が内にありて剛爻が中位を得、下卦が欣悦にして上卦が謙遜なれば、誠信はここに邦国を感化し得。「豚魚吉」は、誠信が小猪と魚にすら感化し及ぶを言う。「利渉大川」は、乗る所が中空の木舟なるがゆえに。中孚にして正を守るに利するは、まさに天道に順応するなり。司馬光が解していわく:いわゆる「中孚」は、内心より発して人に信を取るなり。小猪と魚は幽微低賎・無知無識の動物なれど、時にしたがいそれらを餵養するさえすれば、それらは声音を聞きても聚まり来らん。いわんや人をや。至誠の心を以て険難を渉越するは、中空の舟船に乗るがごとく、外物はみなそれを傷害し得ず。ゆえに「利渉大川、乗木舟虚也」という。《大象伝》にいわく:沢の上に風が吹拂す、これが中孚卦である。君子はこれに取法して、獄案を審議し死刑を緩決す。

初九:虞吉,有他不燕。象曰:初九虞吉,志未變也。九二:鳴鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾靡之。象曰:其子和之,中心願也。鳴鶴在陰,其子和之:言至誠以待物,無逺不應。六三:得敵,或鼓或罷,或泣或歌。象曰:或鼓或罷,位不當也。六四:月幾望,馬匹亡,無咎。象曰:馬匹亡,絶類上也。九五:有孚攣如,無咎。象曰:有孚攣如,位正當也。上九:翰音登于天,貞凶。象曰:翰音登于天,何可長也。

初九爻辞にいわく:事前に揣度審慎なれば則ち吉利、別に他求あれば安寧し得ず。《小象伝》にいわく:初九が審慎にして吉利は、それが心志がまだ改変せざるがゆえに。九二爻辞にいわく:鶴が山陰の処に鳴叫すれば、それの小鶴は声に応じて相和す。我に一杯の美酒あり、あなたと共同に分享せん。《小象伝》にいわく:小鶴が声に応じて相和するは、あれは内心より発する意願なり。司馬光が解していわく:「鳴鶴在陰、其子和之」は、至誠の心を以て外物に対すれば、再び遠き地方も応ぜざるなきを言う。六三爻辞にいわく:対手に遇いて、忽ち鼓を撃ちて進攻し、忽ち疲憊して停歇し、忽ち悲泣し、忽ち歌唱す。《小象伝》にいわく:忽ち鼓し忽ち止まるは、居る位が恰当ならざるがゆえに。六四爻辞にいわく:月は満盈に接近し、馬匹は配偶を喪失す、過ちなし。《小象伝》にいわく:馬が配偶を失うは、同類の牽連を断絶して専心に上に向かうなり。九五爻辞にいわく:心に誠信を懐きて緊密に衆人を牽連せば、過ちなし。《小象伝》にいわく:誠信ありて緊密に相連なるは、九五が居る位が正当なるがゆえに。上九爻辞にいわく:鶏鳴の声が高く天上に飛び上がる、固守すれば凶険。《小象伝》にいわく:鶏の声が天に上達するは、これどうして長久し得ようか。

小過卦

艮下震上。小過:亨,利貞,可小事,不可大事,飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉。彖曰:小過,小者過而亨也。過以利貞,與時行也。柔得中,是以小事吉也;剛失位而不中,是以不可大事也。有飛鳥之象焉,飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉,上逆而下順也。小過何?小者陰也,陰之過差者也。不宜上宜下,與其過而僭上,不若過而逼下也。象曰:山上有雷,小過,君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉。

小過卦は下卦が艮、上卦が震である。卦辞にいわく:小過は亨通、正を守るに利あり。小事を為すは可なり、大事を為すは可ならず。飛鳥が鳴声を留下するがごとく、上に飛ぶに宜しからずして下に落つるに宜し、大いに吉利。《彖伝》にいわく:小過は、陰の小者が少し过分して亨通を得る。少し過ぐるもなお正を守るに利するは、時勢に随いて行かんとするなり。柔爻が中位を得。ゆえに小事を為せば吉利。剛爻が正位を失去してまた中に居らず。ゆえに大事を為すべからず。卦中に飛鳥の意象あり:飛鳥が鳴声を留下す、上に宜しからずして下に宜し、大いに吉利。上に向かうは逆にして下に向かうは順なるがゆえに。司馬光が解していわく:何が「小過」か。「小」は陰を指し、「小過」はすなわち陰が頭を過ぐるなり。いわゆる「不宜上宜下」は、过分して上に僭越するよりは、过分して謙下して低く就くに如かずを言う。《大象伝》にいわく:山上に雷の声が響く、これが小過卦である。君子はこれに取法して、行為の上で少し恭敬に過ぎ、居喪の時に少し哀戚に過ぎ、用度の上で少し倹省に過ぐるを為す。

初六:飛鳥以凶。象曰:飛鳥以凶,不可如何也。小過初六“飛鳥以凶”者,止過宜在初也,與坤、豫之初同,困、豫皆戒於初而慮於終也。六二:過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎。象曰:不及其君,臣不可過也。九三:弗過防之,從或戕之,凶。象曰:從或戕之,凶如何也。

初六爻辞にいわく:飛鳥が高飛して凶険を招致す。《小象伝》にいわく:飛鳥が凶を致すは、あれは如何ともし難き事なり。司馬光が解していわく:小過卦初六に「飛鳥以凶」というは、过分を制止するは応に開頭においてす、これは坤卦・豫卦の初爻と用意相同じ。困卦・豫卦はみな開端の処に告誡を加えて結局を顧慮す。六二爻辞にいわく:祖父を越過して祖母に遇い、直接に君主を冒犯せずして臣位に遇合す、過ちなし。《小象伝》にいわく:君主を越過せざるは、臣子たるは过分すべからざるがゆえに。九三爻辞にいわく:彼を过分に防範せずして、跟従し続ければあるいは殘害されん、凶険。《小象伝》にいわく:跟従してあるいは殘害さるるは、あの凶険はまたどうしようか。

九四:無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞。象曰:弗過遇之,位不當也;往厲必戒,終不可長也。六五:密雲不雨,自我西郊,公弋取彼在穴。象曰:密雲不雨,已上也。上六:弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災眚。象曰:弗遇過之,已亢也。

九四爻辞にいわく:過ちなし。过分するまでもなく恰好に相遇う、往けば則ち危厲あり、必ず戒慎を須つ。この做法を以て長久の道として固守し続けるべからず。《小象伝》にいわく:过分せずして恰好に相遇うは、居る位が恰当ならざるがゆえに。往けば危厲にして必ず戒備を須つは、この局面が終に長久し得ざるを言う。六五爻辞にいわく:濃雲が密布するも雨を下さず、雲気は我らの西辺の郊野より来る。王公は繩帯びた箭を以てあの洞穴の裏に躲れる獵物を射取す。《小象伝》にいわく:密雲して雨せざるは、陰気がすでに上に升至ったがゆえに。上六爻辞にいわく:相遇うを肯んぜずしてひとえに越過するは、飛鳥が羅網に遭うがごとし、凶険。これを天災人禍と称す。《小象伝》にいわく:遇わずして過ぐるは、すでに驕亢に過ぐるがゆえに。

小過六二“過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎”:夫過者,上也;不及者,下也;遇者,得其中也。陽,君象也;陰,臣象也。九三居下體之上而用小過之道,上之所忌,下之所疾,故弗過防之,則或就戕之矣。九四以陽居陰,過恭者也,故無咎;行過乎恭,非過也,故曰弗過遇之;若守以為常,則消陽之道,故往厲必戒,勿用永貞也。上六弗遇過之,初與上皆過而失中之甚也。

司馬光が小過卦六二の「過其祖、遇其妣、不及其君、遇其臣、无咎」を解していわく:いわゆる「過」は、上に向かいて超越するなり。いわゆる「不及」は、退いて下に居るなり。いわゆる「遇」は、恰好にその中道を得るなり。陽は君主の象徴、陰は臣子の象徴。九三は下卦の最上の一爻に処して小過の道を施用するは、まさに上の者の忌諱する所、下の者の疾恨する所なり。ゆえに过分の防範を加えざれば、殘害に遭う可し。九四は陽爻を以て陰位に居るは、恭謹に過ぐるの一類。ゆえに過錯なし。行為が少し恭敬に過ぐるは、実は过分と算せず。ゆえに「弗過遇之」という。ただしそれを常規として固守し続ければ、陽剛を消損する路数を成す。ゆえに「往厲必戒、勿用永貞」という。上六の「弗遇過之」に至るは、それは初爻と上爻がみな过分して甚だ中道を失去するがゆえに。

既済卦

離下坎上。既濟:亨小,利貞,初吉終亂。彖曰:既濟亨,小者亨也。利貞,剛柔正而位當也。初吉,柔得中也;終止則亂,其道窮也。象曰:水在火上,既濟,君子以思患而豫防之。初九:曳其輪,濡其尾,無咎。象曰:曳其輪,義無咎也。曳輪,不速進也;濡尾,後其難也;險已濟,故雖艱無咎。

既済卦は下卦が離、上卦が坎である。卦辞にいわく:既済は、小処に亨通、正を守るに利あり。開頭は吉利、最後にかえって禍乱を生ず。《彖伝》にいわく:既済の亨通たる所以は、小処が亨通を得るなり。「利貞」は、剛爻柔爻が各々その正を得て位置が恰当なるがゆえに。「初吉」は、六二の柔爻が中位を得るがゆえに。「終止則乱」は、それが道がすでに窮尽したるがゆえに。《大象伝》にいわく:水が火上にあり、ちょうど烹煮が成功す、これが既済卦である。君子はこれに取法して、禍患を預想して事先に防備す。初九爻辞にいわく:車輪を拖住して急進せしめず、尾巴を沾湿す、過ちなし。《小象伝》にいわく:車輪を拖住するは、道理について言えば過ちなし。司馬光が解していわく:「曳輪」は、前進を急がざるなり。「濡尾」は、艱難を後に置くなり。険難すでに渡過せり。ゆえに艱辛あるも過ちなし。

六二:婦喪其茀,勿逐,七日得。象曰:七日得,以中道也。九三:高宗伐鬼方,三年克之,小人勿用。象曰:三年克之,憊也。六四:繻有衣袽,終日戒。象曰:終日戒,有所疑也。九五:東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。象曰:東鄰殺牛,不如西鄰之時也;實受其福,吉大來也。上六:濡其首,厲。象曰:濡其首厲,何可久也。

六二爻辞にいわく:婦人が車上の帘飾を喪失す、追尋するに及ばず、七天の後に自ら失いまた得らん。《小象伝》にいわく:七天にして復得するは、六二が中道を守るがゆえに。九三爻辞にいわく:殷の高宗武丁が鬼方を討伐し、三年にして初めてそれを攻克す。小人を任用すべからず。《小象伝》にいわく:三年にして初めて攻克するは、極めて疲憊せるなり。六四爻辞にいわく:華美の綢衣は終に破舊の衣絮と変じん、終日戒備を要す。《小象伝》にいわく:終日戒備するは、心中に疑慮する所有るなり。九五爻辞にいわく:東辺の隣国が牛を殺して盛祭するは、西辺の隣国の微薄の禴祭に如かず、後者がこそ真に神明の福佑を承受す。《小象伝》にいわく:東隣が牛を殺すは、西隣の祭るが時に合するに如かず。真に福佑を承受するは、大吉の運が到来するなり。上六爻辞にいわく:頭を沾湿す、危厲あり。《小象伝》にいわく:頭を沾湿して危厲あるは、この局面はどうして長久し得ようか。

未済卦

坎下離上。未濟:亨,小狐汔濟,濡其尾,無攸利。彖曰:未濟亨,柔得中也。小狐汔濟,未出中也;濡其尾,無攸利,不續終也。雖不當位,剛柔應也。狐者,審於濟水者也。汔,幾也;幾濟而陷,猶未濟也。濡其尾無攸利,未出險中而力盡不繼也。

未済卦は下卦が坎、上卦が離である。卦辞にいわく:未済は亨通。小狐狸がまさに河を渡らんとして、尾巴を沾湿す、好処あることなし。《彖伝》にいわく:未済の亨通たる所以は、六五の柔爻が中位を得るがゆえに。「小狐汔済」は、それがまだ険難の中を走出せざるを言う。「濡其尾、无攸利」は、それが事情を堅持し終ること能わざるを言う。各爻は居る位は当たらざるも、剛爻柔爻がみな彼此に呼応す。司馬光が解していわく:狐狸は水を渡るに最も審慎なる動物。「汔」は接近の意味。眼に渡らんとするを見てかえって陷入せば、なお渡らざると算す。「濡其尾、无攸利」は、まだ険境を脱出せざるに気力がすでに用尽し後継力なきを言う。

象曰:火在水上,未濟,君子以慎辨物居方。既濟、未濟反覆相承也。險難未濟,功業未成,故君子以矜慎之心辨物之宜,處之以道;如是則險無不濟,功無不成。無所復為,則又思未萌之患而豫防之,是以君子能康乂民物而永保安榮也。

《大象伝》にいわく:火が水上にあり、二者は相為に用いず、これが未済卦である。君子はこれに取法して、謹慎に事物を辨別し、それらを安置して各々その所を得せしむ。司馬光が解していわく:既済と未済の両卦は反復に相承する。険難がまだ渡過せず功業がまだ完成せざる時、君子はすなわち矜持謹慎の心を以て事物の適宜の処を辨別し、正道を用いてそれらを安頓す。こうすれば、険難は渡過せざるなく、功業は成らざるなし。もはや為すべきなき時に至れば、またまだ萌生せざる禍患を預想して事先に防範す。ゆえに君子は百姓万物を安治し得、長久に安寧尊栄を保有し得。

初六:濡其尾,吝。象曰:濡其尾,亦不知極也。九二:曳其輪,貞吉。象曰:九二貞吉,中以行正也。六三:未濟,征凶,利渉大川。象曰:未濟征凶,位不當也。九四:貞吉悔亡,震用伐鬼方,三年有賞于大國。四者,卦體變革之際,故否、睽、未濟之象皆云志行也。

初六爻辞にいわく:尾巴を沾湿す、憾惜あり。《小象伝》にいわく:尾巴を沾湿するは、またそれが自己の限度を知らざるがゆえに。九二爻辞にいわく:車輪を拖住して急進せしめず、正を守りて吉利。《小象伝》にいわく:九二が正を守りて吉利は、それが中道を以て正道を践行するがゆえに。六三爻辞にいわく:事情がいまだ成功せず、急進すれば凶険、大河を渡るに宜し。《小象伝》にいわく:未済にして急進の凶険は、居る位が恰当ならざるがゆえに。九四爻辞にいわく:正を守りて吉利にして悔恨消失す。威勢を奮起して鬼方を討伐せば、三年の後に大国の封賞を受けん。司馬光が解していわく:第四爻は一卦の卦体が変革を生ずる交界の処。ゆえに否卦・睽卦・未済卦のこの三卦の九四《小象》はみな「志行也」という。

六五:貞吉無悔,君子之光,有孚,吉。象曰:君子之光,其暉吉也。五雖未濟,以柔居中,又有文明之徳,能任賢以濟難,故曰君子之光。光輝著明,為物所信,則吉從之矣。上首也,下尾也;初不知極,上不知節,皆入於險,其揆一也。上九:有孚于飲酒,無咎,濡其首,有孚失是。象曰:飲酒濡首,亦不知節也。

六五爻辞にいわく:正を守りて吉利にして悔恨なし。これは君子の光輝、心に誠信を懐く、吉利。《小象伝》にいわく:君子の光輝は、まさにその光芒が外に映ずるがゆえに吉利なり。司馬光が解していわく:六五は事が未成の時に処するも、柔順を以て中位に居り、また文明の徳性を具備し、賢者を任用して危難を解救し得。ゆえに「君子之光」という。光輝が顕著昭明にして、万物の信服する所と為れば、吉利は自然に随いて来る。上爻は首、初爻は尾。初六は限度を知らず、上九は節制を知らず、結果はみな険境に陷入す。道理は一なり。上九爻辞にいわく:誠信を懐いて酒を飲みて作楽すれば、過ちなし。ただし沈湎して頭を沾湿するに至れば、たとい誠信あるも正道を失う。《小象伝》にいわく:酒を飲みて頭を沾湿するに至るは、また節制を知らざるがゆえに。

巻五 繋辞上

繫辭上。繫辭雜記前聖及孔子解易之語,上下以簡帙重大,故分之。天尊地卑,乾坤定矣:言天地設位,則易已著。卑髙以陳,貴賤位矣。動靜有常,剛柔□矣:天地萬物皆有卑高,故易之六位亦有貴賤。

これは《繋辞上伝》である。司馬光が解していわく:《繋辞》の一篇は前代の聖人および孔子が《周易》を解説する話を雑記する。竹簡の巻帙が多く重きがゆえに、上下の二篇に分つ。「天が上に在りて尊く、地が下に在りて卑しければ、乾坤の位置は確定す」:これは天地がひとたび上下の位を設定すれば、《易》の道理もまた顕現するを言う。「卑と高が依次に排列すれば、貴と賎の位次が確立す。動と静と各々常規あれば、剛と柔が判然として分明す(原文ここに一字欠く)」:天地万物にみな高下の別あり。ゆえに《易》卦の六つの爻位にも貴賎の分あり。

方以類聚,物以群分,吉凶生矣:方,道也。道同則類聚,志異則群分;同則相愛,異則相惡;愛惡相攻而吉凶生,易皆則之。在天成象,在地成形,變化見矣:象有隠見,形有死生,猝變漸化,互相推移,易皆效之。

「方は類別に按じて聚合し、物は群体に按じて划分すれば、吉凶はこれによって生ず」:いわゆる「方」はすなわち道。走る所の道が同じければ、同類は聚合して一となり。心志が同じからざれば、不同の群体に分かる。同じければ彼此に相愛し、同じからざれば彼此に相憎す。愛と憎と互相に冲击して、吉と凶が生ず。《周易》はみなこの情形に取法す。「天上に日月星辰の象を形成し、地上に山川動植の形を形成して、変化が顕現す」:天象に隠あり現あり、地形に生あり死あり。あるいは驟然に変異し、あるいは漸次に化育し、彼此に推移更替す。《周易》はみなこれらの現象を仿効す。

是故剛柔相摩:日月寒暑,一往一來。八卦相蕩:出震成艮,迭相推蕩。鼓之以雷霆,潤之以風雨,日月運行,一寒一暑:日舒月疾,一南一北,而寒暑生焉,此皆變化之道。乾道成男,坤道成女:乾坤變化,萬物自成。乾知大始,坤作成物:知猶主也,萬物始生者乾之所主,終成者坤之所為也。

「ゆえに剛と柔と互いに切磨す」:日と月、寒と暑のごとく、一去一来す。「八卦が互いに激盪す」:震卦より発端して、艮卦に至りて終成し、依次に互いに推動激盪す。「雷霆を用いてそれらを鼓動し、風雨を用いてそれらを滋潤す。日月が運行して、一寒一暑」:太陽の走るは舒緩、月の走るは迅疾、一つは南に偏し一つは北に偏して、寒暑はここに生ず。これらはみな変化の道理なり。「乾道は男性を成就し、坤道は女性を成就す」:乾坤がひとたび変化すれば、万物は自然に生成す。「乾は万物の開創を主宰し、坤は万物を作り成すを負責す」:「知」はすなわち主宰の意味。万物の開始生成は、乾の主宰する所。最終の成就は、坤の完成する所。

乾以易知,坤以簡能:一以貫之,故曰易簡;乾言易,坤言簡。易則易知,簡則易從:情無幽險故易知,事不煩苛故易從。易知則有親,易從則有功:難知則人不親,難從則功不成。有親則可久,有功則可大:輔之者眾故可久,日滋月益故可大。可久則賢人之徳,可大則賢人之業:凡勝人者皆謂之賢。

「乾は平易を以て開創を主宰し、坤は簡約を以て万物を成就す」:みな一つの道理を以て到底まで貫通す。ゆえに「易簡」と称す。乾のこちらは「易」といい、坤のあちらは「簡」という。「平易なれば容易に了解され、簡約なれば容易に遵従されん」:心跡に幽深険詐なし。ゆえに容易に了解さる。事を弁ずるに煩瑣苛細なし。ゆえに容易に遵従さる。「容易に了解されれば親附する人あり、容易に遵従されれば功業を建立し得」:了解し難ければ、人々は親附せず。遵従し難ければ、功業は成らず。「親附する人あれば長久し得、功業あれば広大し得」:彼を帮助する人が多し。ゆえに長久し得。日積月累して断えず増益す。ゆえに広大し得。「長久し得るは賢人の徳行、広大し得るは賢人の事業」:凡そ常人に勝る能くするはみな「賢」と称す。

勿簡而天下之理得矣:天下之理不能出乾坤之外。天下之理得而成位乎其中矣:此言聖人上觀於天,下觀於地,中觀萬物而作易也,易道始於天地,終於人事。右第一章。

「簡易の道が確立すれば、天下の道理はみな掌握せらる」:天下の道理は乾坤の両卦の範囲を跳出せず。「天下の道理を掌握せば、人は天地の中に自己の位置を確立す」:これは聖人が上に向かい天象を観察し、下に向かい地形を観察し、中に居りて万物を観察して、これによって《周易》を創作したを言う。《易》の道理は天地より始まり、最後に人事に帰結す。以上は第一章。

聖人設卦觀象:聖人窮理盡性以至於命,欲立有於無,統眾於寡,故設卦以觀萬物之象。繫辭焉而明吉凶:八卦成列,以盡天下之象,因而重之,變化備矣,猶未得與眾共之,故聖人復繫以爻彖之辭,明言吉凶以告。剛柔相推而生變化:爻彖所言者,有形之常道,猶未足以窮無形之神理,故復以剛柔相推,極變化之數,而占事知來。

「聖人が卦象を設置してその象を観察す」:聖人は事理を窮究し本性を尽通して天命を通暁するに至り、「無」の中に「有」を建立し、少数を以て众多を統攝せんと欲す。ゆえに卦象を設置して万物の形象を観察す。「文辞を繫げて吉凶を闡明す」:八卦が排列して行を成せば、すでに天下の物象を窮尽す。さらにそれらを両々相重ねれば、変化は完備す。ただしこうしてもなお衆人と共同に分享し得ず。ゆえに聖人はまたそれに爻辞と彖辞を繫げて、明確に吉凶を講出して人々に告げる。「剛爻と柔爻と互いに推移して変化を生ず」:爻辞彖辞の講ずる所は、有形の常理にして、なお無形の神妙の理を窮尽するに足らず。ゆえにまた剛柔が互いに推移するを用いて、変化の数理を極尽し、これによって事情を占問し未来を預知す。

是故吉凶者,失得之象也;悔吝者,憂虞之象也:得之為吉,失之為凶;失而知悔,凶中之吉也;得而可恥,吉中之凶也;事雖小而皆可憂虞。變化者,進退之象也:天地萬物皆有消息盈虛。剛柔者,晝夜之象也:一往一來,迭為賓主。六爻之動,三極之道也:天地人至極之道。

「ゆえに吉と凶は、失と得の象徴。悔と吝は、憂愁と疑慮の象徴」:得ればすなわち吉、失えばすなわち凶。失えりて悔改を知るは、凶中の吉。得たりて人をして羞恥せしむるは、吉中の凶。事情は小なりとも、みな憂慮警惕に値す。「変化は、前進と後退の象徴」:天地万物にみな消退・生長・盈満・虧虚あり。「剛と柔は、白昼と黒夜の象徴」:一去一来して、輪流に主客を為す。「六爻の変動は、三極の道を体現す」:すなわち天・地・人のこの三者の最も根本の道理なり。

是故君子所居而安者,易之序也;所樂而玩者,爻之辭也。是故君子居則觀其象而玩其辭,動則觀其變而玩其占:序,上下終始之序;動,謂有所興為。是以自天佑之,吉無不利。右第二章。

「ゆえに君子が安身立命して依拠する所は、《易》の次序。喜愛玩味する所は、各爻の文辞。ここにおいて君子は平居の時は卦爻の象を観察してその文辞を玩味し、行動の時はその変化を観察してその占断を玩味す」:いわゆる「序」は、上下終始の次第。いわゆる「動」は、興作する所有るを指す。「ゆえに上天より保佑が降下して、吉利にして不利なし」。以上は第二章。

彖者,言乎象者也:物之本體。爻者,言乎變者也:變化云為。吉凶者,言乎其失得也:得道則吉,失道則凶。悔吝者,言乎其小疵也:事之可憂虞者也。無咎者,善補過也。

「彖辞は、一卦の象を講ずる」:講ずるは事物の本体。「爻辞は、変動を講ずる」:講ずるは変化と行事。「吉と凶は、得と失を講ずる」:道に合すれば吉、道に背けば凶。「悔と吝は、小毛病を講ずる」:あの憂慮警惕に値する事を指す。「无咎は、過失を彌補するに善し」。

是故列貴賤者存乎位,齊小大者存乎卦:陰幽禍惡為小,陽明福善為大。辯吉凶者存乎辭,憂悔吝者存乎介震,無咎者存乎悔。是故卦有小大,辭有險易,辭也者,各指其所之。右第三章。示人吉凶大趣,使人引而伸之。

「ゆえに貴賎を排列するは爻位に在り、小大を区分するは卦体に在り」:陰暗・禍患・邪悪は「小」に属し、陽明・福慶・善良は「大」に属す。「吉凶を辨別するは卦爻辞に在り、悔吝を憂慮するは細微の界限と震惧に在り、過ちなきを得るは悔改に在り。ゆえに卦に小有り大有り、辞に険有り易有り。いわゆる辞は、各々それが趨向する方向を指明す」。以上は第三章。司馬光が解していわく:この一章は人に吉凶の大致の趨向を指示し、人をしてこれによって推衍し開かしむるなり。

易與天地準,故能彌綸天地之道:與天地準,與天地相似。孔穎達曰:彌綸,彌縫補合,經綸牽引也。仰以觀於天文,俯以察於地理,是故知幽明之故:天文地理皆不能離陰陽五行,以其所見揆所不見,則知幽明之理一也。原始反終,故知死生之說:物有始必有終,人有生必有死。

「《易》は天地と相等しく斉し。ゆえに天地の道を弥合統貫し得」:いわゆる「与天地准」は、すなわち天地と相似るなり。孔穎達がいわく:「弥」は弥縫補合、「綸」は経綸牽引。「頭を抬げて天上の文象を観察し、頭を低めて地上の文理を考察すれば、これによって幽隠と顕明の緣故を懂得す」:天文と地理はみな陰陽五行を離れず。見える者を以て見えざる者を推測すれば、幽と明の道理は実は一致するを知る。「起始を推究し終結を反求して、生死の道理を懂得す」:万物は開始あれば必ず終結あり、人は出生あれば必ず死亡あり。

精氣為物,游魂為變,是故知鬼神之情狀。與天地相似,故不違。知周乎萬物而道濟天下,故不過:知周萬物,無所不知;道濟天下,無所不利;如此則何有過差。旁行而不流:旁行謂觸類而長之,不流謂既有典常。樂天知命,故不憂:知易則吉凶有命,惟天所授而樂之,夫復何憂。

「精気が凝聚して物体と為り、遊魂が離散して変化を造成すれば、これによって鬼神の情状を懂得す。《易》は天地と相似。ゆえに天地に違背せず。その智慧は万物に周遍してその道は天下を済助し得。ゆえに過失なからん」:智慧が万物に周遍すれば、知らざるなし。その道が天下を済助すれば、その利を得ざるなし。こうすれば何処にまた過失差錯あらん。「旁通して泛濫せず」:いわゆる「旁行」は、類に触れて旁通して推衍し開く。いわゆる「不流」は、それに自ら恒常の法則あるがゆえに。「天を楽しみ命に安んず。ゆえに憂愁せず」:《易》理を懂得すれば、吉凶に自ら天命あるを知り、ただ上天の授予する所なれば、楽しみて接受す。また何の憂愁すべきあらん。

安土敦乎仁,故能愛:介甫曰,安土謂不擇地而安之。光謂:仁者求諸已,不求諸人;安土敦仁,則內重而外物輕,乃能自愛。範圍天地之化而不過:範謂則效,圍謂周徧。曲成萬物而不遺,通乎晝夜之道而知:知陰陽通變,反覆無窮,則無所不知。故神無方而易無體:韓曰,神則陰陽不測,易則惟變所適。光謂:神者言其化,易者言其書。右第四章。

「処する所の境地に安んじて仁に篤厚すれば、ゆえに人を愛し得」:王安石がいわく、「安土」は地方を挑揀せずして遇う所に安んずるを言う。司馬光がいわく:仁者は反って己に求めて、他人に苛求せず。処する所に安んじて仁に篤厚なれば、内在の分量は重く外物の分量は軽し。こうして初めて真に自己を愛惜し得。「天地を囲繞する化育を效法して差錯を出さず」:「范」は取法仿効、「囲」は周遍包羅。「曲折して万物を成全して遺漏なく、昼夜交替の道を通暁して知らざるなし」:陰陽の通変・反復無窮の道理を懂得すれば、知らざるなし。「ゆえに神妙に固定の方所なく、《易》にも固定の形体なし」:韓康伯がいわく、「神」は陰陽の変化が測度すべからず、「易」はただ変化の適う所。司馬光がいわく:「神」はそれの化育について言い、「易」はそれのこの書について言う。以上は第四章。

一陰一陽之謂道:反覆變化,無所不通。繼之者善也:易指吉凶以示人,人當從善以去惡,就吉而避凶,乃能繼成其道。成之者性也:人之性分不同,因易而各有成功。仁者見之謂之仁,知者見之謂之知:仁者守其常分,知者應變不窮,易道兼而有之。

「一陰一陽が交替運行するを道と称す」:それは反復変化して通ぜざるなし。「それを承接するはすなわち善」:《周易》は吉凶を指出して人に昭示し、人は応に善に趨従して悪を去除し、吉に走向して凶を避開すべし。こうして初めてあの道を承接して成就し得。「それを成就するはすなわち性」:人の天性禀分は各々相同じからず、《易》に憑って各々その成就あり。「仁者はそれを見てこれを仁と称し、智者はそれを見てこれを智と称す」:仁者は自己の恒常の本分を守住し、智者は変化に対応して無窮无尽。《易》道は則ちこの両方面を兼備す。

百姓日用而不知,故君子之道鮮矣:物之於易,猶魚之於水,朝夕起居不離於其中而莫之能知,故夫知易之君子為少。韓曰:君子體道以為用也,仁知則滯於所見,百姓則日用而不知,體斯道者不亦鮮矣乎。顯諸仁,曲成萬物,藏諸用:韓曰,日用不知。鼓萬物而不與聖人同憂:振動之而無為。

「百姓は日日にそれを用いるも知らず。ゆえに真に君子の道を懂得する人は少なし」:万物の《易》に対するは、魚の水に対するがごとく、早晚の起居はみな水中を離れざるも、水を知る者なし。ゆえに《易》を懂得する君子は実に少なし。韓康伯がいわく:君子は大道を体察してこれを運用す。仁者と智者はかえって各々自己の見る一面に拘泥し、百姓はさらに日日に用いるも毫も知覚せず。真にこの道を体認し得る人は、少なからずや。「それは仁に顕現し、曲折して万物を成全し、また作用を隠蔵す」:韓康伯がいわく、これがすなわち百姓が日に用いるも知らざるなり。「それは万物を鼓動するも聖人と一同に憂慮せず」:それは万物を振作鼓動すれども、刻意に作為せず。

盛徳大業至矣哉!富有之謂大業:廣大悉備。日新之謂盛徳:其益無方。生生之謂易:形性相續,變化無窮。成象之謂乾:見乃謂象,乾知大始。效法之謂坤:制而用之謂之法,坤作成物。極數知來之謂占:錯綜其數,遂知來物。通變之謂事:物各居其所則無事。陰陽不測之謂神:可測則不為神。

「それの盛大の徳行と広大の事業は真に至極なり。有らざるなきを大業と称す」:広博宏大にして備わらざるなし。「日日に更新するを盛徳と称す」:それの増益に定所なし。「生生して已まざるを易と称す」:形体と性質が相継相続して、変化に窮尽なし。「物象を形成するを乾と称す」:顕現して初めて象と称す。乾は万物の開創を主宰す。「效法して成形するを坤と称す」:制作してこれを使用するを「法」と称す。坤は万物を作り成すを負責す。「蓍数を極尽して未来を預知するを占と称す」:あの数を交錯綜合して、ここに将来の事を知る。「変化を通暁するを事と称す」:万物が各々その所に安んずれば、事あるなし。「陰陽の変化が測度すべからざるを神と称す」:測度し得るは神と算せず。

夫易廣矣大矣,以言乎逺則不御:莫之止。以言乎邇則靜而正:靜謂寂然不動,正謂貞夫一。以言乎天地之間則備矣:百物不廢。夫乾,其靜也專,其動也直:陽能制陰,陰不能制陽,故陽之動靜得以專直。是以大生焉:大可以兼廣。夫坤,其靜也翕,其動也闢:收斂發生,和而不唱。是以廣生焉:廣不可以兼大。

「《易》は真に広博宏大なり:遠くより言えば、それに辺際なし」:それを阻止し得るなし。「近くより言えば、それは安静にして端正」:いわゆる「静」は、寂然として動かず。いわゆる「正」は、一に執守す。「天地の間より言えば、それに備わらざるなし」:万物はみな遺棄されず。「乾は、静の時は専一、動の時は正直」:陽は陰を制約し得、陰は陽を制約し得ず。ゆえに陽の動と静はみな専一正直を做到し得。「これによって大を生ず」:「大」は「広」を兼含し得。「坤は、静の時は収斂閉合し、動の時は開張舒展す」:一収一放して、ただ応和して主唱せず。「これによって広を生ず」:「広」はしかし「大」を兼含し得ず。

廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,易簡之善配至徳。子曰:易其至矣乎!夫易,聖人所以崇徳而廣業也:法易簡以成久大。知崇禮卑,崇效天,卑法地,天地設位而易行乎其中矣:易所以通成知禮之功。成性存存,道義之門:人各有性,易能成之,存其可存,去其可去,道義之門皆由此塗出。右第五章。

「広大は天地と相配し、変通は四時と相配し、陰陽の意義は日月と相配し、易簡の善徳は至高の徳と相配す。孔子がいわく:《易》はおそらく至極ならん。《易》は聖人が用いて徳行を推崇し事業を拡大する所なり」:すなわち「易簡」の道を效法して長久と広大を成就するなり。「智慧は崇高を要し、礼節は卑下を要す。崇高は天を效法し、卑下は地を效法す。天地が上下の位を設定して、《易》はその中に運行す」:《易》はまさに「知」と「礼」のこの両方面の功夫を貫通し成就するに用いる。「人の本性を成就してこれを長存して已まざらしむ、これが道義の門戸」:人は各々その天性あり、《易》はそれを成就し得。保存すべきは保存し、去掉すべきは去掉して、道義の門戸はみなこの路より通じて出づ。以上は第五章。

聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容:賾者,精□之極致,人莫之見,聖人必有以見之,立形於無形而為卦。象其物宜,是故謂之象:物之質性各有宜。聖人有以見天下之動,而觀其□通,以行其典禮:動雖萬變,必有可□之地、可通之道;典禮猶法度。繫辭焉以□其吉凶,是故謂之爻:合其法度則吉,違之則凶。

「聖人は天下の最も幽深繁賾の物を見るを得て、その形態容貌を比擬す」:いわゆる「賾」は、精微(原文ここに一字欠く)の極点に至る物にして、常人は見る能わず、聖人は必ずそれを見る弁法あり、無形の中に形象を確立して卦に画成す。「事物の応有の様子を象征す。ゆえに『象』と称す」:万物の質性は各々その適宜あり。「聖人は天下万物の変動を見るを得て、それらの会合貫通する処を観察して、典章礼制を推行す」:変動は千頭万緒なれど、その中に必ず会合すべき処・貫通すべき門径あり。「典礼」は法度に相当す。「文辞を繫げてそれの吉凶を判断す。ゆえに『爻』と称す」:あの套の法度に合すれば吉、それに違背すれば凶。

賾者,至理幽□無形者也,故聖人立象,所以謂之形容也。□通,交衢也;典禮,法則也。聖人以一類萬,以要知繁,故謂之爻。爻者,群動之交也。言天下之至賾而不可惡也,言天下之至動而不可亂也:有條而不紊。擬之而後言:擬之於易。議之而後動:議之於易。擬議以成其變化:成其龍徳。

司馬光が解していわく:いわゆる「賾」は、至高の道理が幽隠(原文ここに一字欠く)して形体なし。ゆえに聖人が卦象を建立するは、まさにそれに「擬諸形容」を為さんがため。「会通」は、四通八達の路口のごとし。「典礼」はすなわち法則。聖人は一つの原理を以て万事を統攝し、簡要を以て繁多を把握す。ゆえにこれを「爻」と称す。「爻」はすなわち众多の変動の交会点。「天下の最も幽深繁賾の道理を言うも人をして厭悪せしめず、天下の最も紛繁の変動を言うも人をして混乱せしめず」:それに条理ありて紊乱せざるがゆえに。「先ず比擬して然る後に説話す」:すなわち《易》を拿て比擬するなり。「先ず斟酌して然る後に行動す」:すなわち《易》を拿て斟酌するなり。「比擬斟酌を通じてそれの変化を成就す」:すなわち龍のごとき徳行を成就するなり。

“鶴鳴在陰,其子和之;我有好爵,吾與爾靡之。”子曰:君子居其室,出其言善,則千里之外應之,況其邇者乎?居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎?言出乎身,加乎民;行發乎邇,見乎逺。言行,君子之樞機,樞機之發,榮辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎?

《繋辞》は中孚卦九二爻辞を引いていわく:「鶴が山陰の処に鳴叫すれば、それの小鶴は声に応じて相和す。我に一杯の美酒あり、あなたと共同に分享せん」、と。孔子がいわく:君子が自己の屋裏に住みて、説出する話がもし善なれば、千里の外の人もみな響応す。いわんや近処の人をや。自己の屋裏に住みて、説出する話がもし善ならざれば、千里の外の人もみな背離す。いわんや近処の人をや。言語は自身より発して、百姓に影響を及ぼす。行為は近処より始まりて、遠方に顕現す。言語と行為は、君子の門軸と弩機。門軸弩機がひとたび発動すれば、栄辱はそれによって主を為す。言語と行為は、君子の用いて天地を感動する物。どうして謹慎せざるを得んや。

鶴鳴子和,誠信發於中,無幽而不應。樞機謂得失至要,言行動天地,而況於人。“同人先號咷而後笑”:中直求合,同之者寡,故先憂;聖賢相值,天下大同,故後喜。子曰:君子之道,或出或處,或黙或語:跡不必同。二人同心,其利□金:二人心同,至堅可□,況於眾多。同心之言,其臭如蘭:志同言合,芬芳條暢。右第六章。

司馬光が解していわく:鶴がひとたび鳴叫すれば小鶴は便ち応和するは、誠信が内心より発して、再び幽隠の地方も応ぜざるなきがゆえに。「枢機」は得失の最も関鍵の処を指す。言行は天地すら感動し得。いわんや人をや。《繋辞》は同人卦九五爻辞の「同人先号咷而後笑」を引く:九五は中を守り正直にして人と和同を求むるに、開始は彼に贊同する人が少なし。ゆえに先ず憂愁す。後来に聖賢が彼此に相遇い、天下は大同す。ゆえに後来に歓喜す。「孔子がいわく:君子の処世の道は、時に出仕し時に退処し、時に沈黙し時に言談す」:外在の行跡は同じを必ずしもせず。「両人が心を同じくすれば、その鋒利は金属を斬断するに足る(原文ここに一字欠く)」:両箇の人が心意相同じければ、最も堅硬の物も斬断し得。いわんや衆人が心を同じくするをや。「同心の人の言語は、その気味は蘭花のごとく芬芳なり」:心志相同じく言語相合すれば、芬芳にして条達舒暢なり。以上は第六章。

“初六:藉用白茅,無咎。”子曰:茍錯諸地而可矣,藉之用茅,何咎之有?慎之至也。夫茅之為物薄,而用可重也;慎斯術也以往,其無所失矣。必言初六者,見其以柔處下;薄言易有,用可重,可以供神明。

《繋辞》は大過卦初六爻辞を引く:「藉用白茅、无咎」。孔子がいわく:もし直接に地上に放るも可なりに、なお白茅を用いて墊かんとは、何の過錯かあらん。これは謹慎の極点に至るなり。茅草のこの物は本身は甚だ微薄なれど、用いる所は甚だ貴重なり得。この謹慎の作風を推行し続けば、閃失あるなからん。司馬光が解していわく:《繋辞》が特意に「初六」を標明するは、それが柔順を以て下位に処するを顕示せんとするなり。いわゆる「薄」は、それが随処に易得を言う。いわゆる「用可重」は、それが用いて神明に供奉し得るを言う。

“勞謙君子,有終吉。”子曰:勞而不伐,有功而不徳,厚之至也,語以其功下人者也。徳言盛,禮言恭;謙也者,致恭以存其位者也。“勞謙君子,有終吉”:雖有功勤,不謙則不能保其終。“徳言盛,禮言恭”:徳愈盛,禮愈恭。“致恭以存其位”:保其富貴。

《繋辞》は謙卦九三爻辞を引く:「労謙君子、有終吉」。孔子がいわく:功労ありて自ら誇らず、功績ありて自らその徳に居らず、これは敦厚の極点に至る。言うはあの功労を帯びてなお人の下に屈居する者である。徳行は盛大を言い、礼節は恭敬を言う。いわゆる謙は、恭敬を極尽して自己の地位を保住するなり。司馬光が解していわく:「労謙君子、有終吉」は、たとい功労勤苦ありても、謙虚ならざれば善終を保住し得ざるを言う。「徳言盛、礼言恭」は、徳行がいよいよ盛大なれば、礼節はいよいよ恭敬なるを言う。「致恭以存其位」は、すなわち自己の富貴を保住するなり。

“亢龍有悔。”子曰:貴而無位:仁不能守,是為無位。髙而無民:眾心不附,是為無民。賢人在下位而無輔:雖無道而有賢人為輔,猶可以不亡;今在下位,是無輔也。是以動而有悔也:守靜猶愈。

《繋辞》は乾卦上九爻辞を引く:「亢龍有悔」。孔子がいわく:「地位は尊貴なれど実際の職位なし」——司馬光が解していわく:仁徳があの位置を守住し得ざれば、位置なきに等し。「身は高処に居るも百姓の帰附なし」——衆人の心が親附せざれば、百姓なきに等し。「賢人は下位に在るも来りて彼を輔助せず」——たとい君主が無道なれど、賢人の輔佐さえあれば、なお滅亡に至らざるを得。今や賢人はみな下位に在りて来るを肯んぜず、すなわちそれは輔佐なきなり。「ゆえにひとたび挙動あれば悔恨を招致す」——安くして静黙を守るに如かず。

“不出戸庭,無咎。”子曰:亂之所生也,則言語以為階。君不密則失臣:忠臣不親。臣不密則失身:陷於罪戮。幾事不密則害成,是以君子慎密而不出也:事未動而先露則無功。

《繋辞》は節卦初九爻辞を引く:「不出戸庭、无咎」。孔子がいわく:禍乱の産生は、往々にして言語を以て階梯と為す。「君主が慎密せざれば臣子を失わん」——司馬光が解していわく:忠臣はこれによって彼に親近するを肯んぜざらん。「臣子が慎密せざれば自身を喪失せん」——罪罰殺戮に陷入せん。「機密の事が慎密せざれば危害を造成す。ゆえに君子は謹慎に密を守りて軽易に出口せず」——事情がまだ発動せざるに先に泄露し出れば、成效あらざらん。

子曰:作易者其知盜乎:知盜之情。易曰“負且乘,致寇至”,負也者,小人之事也;乘也者,君子之器也;小人而乘君子之器,盜思奪之矣:徳薄位尊,必不能守。上慢下暴,盜思伐之矣:上慢下暴者,慢其上而暴其下也,慢上暴下皆所以致伐禍也。

孔子がいわく:《周易》を作った人はおそらく盗賊の心理を懂得するか。司馬光が解していわく:これは彼が盗賊の実情を了解するを言う。《周易》の解卦六三に「物を背負いてかえって車上に坐すれば、強寇を招来す」という。物を背負うは、小人の幹る活。車に乗るは、君子の用いる器物。小人がかえって君子の車に坐せば、盗賊は来りて奪取せんと想う。司馬光が解していわく:徳行が浅薄にして地位が尊貴なれば、必ず守住し得ず。「上に怠慢、下に暴虐なれば、盗賊は来りて彼を攻打せんと想う」:いわゆる「上慢下暴」は、彼が自己の上級に怠慢して自己の下属に暴虐するを指す。上の者に怠慢し、下の者に暴虐するは、みな討伐の禍を招来するに足る。

慢藏誨盜:守國不謹則敵人取之,立身不謹則禍辱乘之。冶容誨淫:先自敗然後人敗之。易曰“負且乘,致冦至”,盜之招也。右第七章。

「財物を収蔵するに馬虎随便なれば、盗賊を教唆するに等し」:国家を守衛するに謹慎ならざれば、敵人が来りて侵奪す。身を立て世に処するに謹慎ならざれば、禍患耻辱が虚に乗じて入る。「打扮して過度に妖冶なれば、淫邪を招引するに等し」:みな自己が先に自己を敗壊して、然る後に他人が来りて彼を敗壊す。ゆえに《周易》に「負且乗、致寇至」という。あの強寇はまさに自己の招来したる者。以上は第七章。

大衍之數五十,其用四十有九:闗子明曰,數兆於一,生於二,極於三,此天地人所以立也。地二天三合而為五,其一不用者,六來則一去也,既成則無生也。有生於無,終必有始,既有則無去矣,既終則始去矣。五位皆十,衍之極也,故曰大衍。

「大衍の数は五十、実際に使用するは四十九」:関子明がいわく、数は「一」に萌兆し、「二」に産生し、「三」に窮極す。天・地・人の三才はこうして確立す。地数の二と天数の三と合せて五なり。その中に一根の蓍草を用いざるは、「六」が一たび来れば「一」が去り、すでに成形せばもはや生発せざるがゆえに。「有」は「無」の中より産生し、終結あれば必ず開始あり。すでに「有」あらば、「無」は退去す。すでに終結せば、「始」もまた退去す。五箇の方位は每位に各々十にして、推衍の極限なり。ゆえに「大衍」と称す。

光謂:易有太極,一之謂也。分而為陰陽,陰陽之間必有中和,故夫一,衍之則三而小成,十而大備。小衍之則為六,大衍之則為五。一者,數之母也;數者,一之子也。母為之主,子為之用。是故小衍去一而為五行,大衍去一而為揲蓍之數。

司馬光がいわく:《易》に太極ありとは、「一」を指す。「一」を分かてばすなわち陰陽と為り、しかるに陰陽の間に必ず中和あり。ゆえにこの「一」は、推衍し開いて「三」に至れば小さく成る所有り、「十」に至れば大いに完備す。小規模にそれを推衍すれば「六」を得、大規模にそれを推衍すれば「五」を得。「一」は数の母親、衆数は「一」の児子。母親は主宰と為り、児子は運用と為す。ゆえに小衍は一箇の「一」を去って、すなわち五行の数と成る。大衍は一箇の「一」を去って、すなわち揲蓍の用いる所の四十九の数と成る。

分而為二以象兩,掛一以象三,揲之以四以象四時,歸竒於扐以象閏:奇者,四揲之餘;扐者,不用之數。五歲再閏,故再扐而後掛:左右手之扐,皆合於所掛之一。天數五:韓曰,五奇也。地數五:韓曰,五耦也。五位相得而各有合:生成相合,為水火木金土。

「蓍草を分かちて両把として天地の两儀を象徴し、一根を挂出して三才を象徴し、四根四根にそれを数えて四季を象徴し、余数を指間に夾んで閏月を象徴す」:いわゆる「奇」は、四根四根に数え畢った後の余数。いわゆる「扐」は、暫時に擱置して用いざる部分。「五年に二度の閏月あり。ゆえに二度余を帰して後に挂す」:左右両手の夾む所の余数は、みなあの挂出した一根に帰併す。「天数に五箇あり」:韓康伯がいわく、すなわち五箇の奇数。「地数に五箇あり」:韓康伯がいわく、すなわち五箇の偶数。「五箇の方位が彼此に相応じて各々配合あり」:生数と成数が互いに配合して、すなわち水・火・木・金・土と成る。

天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五:皆積數。此所以成變化而行鬼神也。乾之策二百一十有六:老陽一爻九揲三十六策,少陽七揲二十八策,獨舉老,取其變。坤之策百四十有四:老陰六揲二十四策,少陰八揲三十二策。凡三百有六十,當期之日;二篇之策萬有一千五百二十,當萬物之數也。

「天数を合計すれば二十五、地数を合計すれば三十、天地の数は総じて五十五」:みな累加したる総数。「これが変化の生成を得、鬼神の運行を得るの縁由。乾卦の蓍策数は二百一十六」:老陽の一爻は九、九に四を乗じて三十六策を得。少陽は七、七に四を乗じて二十八策を得。ここに単に老陽を挙ぐるは、それが能く変ずる緣故を取る。「坤卦の蓍策数は一百四十四」:老陰は六、六に四を乗じて二十四策を得。少陰は八、八に四を乗じて三十二策を得。「乾坤の両卦を合計して三百六十策、正に一年の日数に相当す。《周易》の上下両篇の蓍策総数は一万一千五百二十、正に万物の数目に相当す」。

是故四營而成易:自分而為二,至歸奇於扐。十有八變而成卦:三變而成一爻,八卦而小成。引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣:萬物所能之事皆畢。顯道神徳行,是故可與酬酢,可與佑神矣。右第八章。

「ゆえに四道の程序を経て一変を完成す」:蓍草を分かちて両把と為すより始まり、余数を指間に夾むに至るまで。「十八次の変化を経て一卦を形成す」:三変して一爻を形成し、八卦を得出すは小成。「それを引申し開き、類に触れて推衍し続ければ、天下の一切の為すべき事はみなその中に包含せらる」:万物の為し得る事はみな斉備す。「それは道を彰顯し、徳行を神妙莫测ならしむ。ゆえに人と対応酬答し得、神明の功用を輔助し得」。以上は第八章。

子曰:知變化之道者,其知神之所為乎:神之所為,變化不測,惟易能知之。易有聖人之道四焉:以言者尚其辭:繫辭以盡言。以動者尚其變:君子動靜效易變化。以制器者尚其象:若舟楫杵臼之類。以卜筮者尚其占。

孔子がいわく:変化の道を懂得する人は、おそらく神明の作為を懂得するか。司馬光が解していわく:神明の作為は変化にして測度すべからず、ただ《周易》のみ能くそれを洞悉す。「《易》は聖人の道を四箇の方面に包含す:用いて話を講ずる人はそれの文辞を推重す」——文辞を繫げるは話を尽くさんがため。「用いて行動する人はそれの変化を推重す」——君子の一動一静はみな《易》の変化を效法す。「用いて器物を制作する人はそれの物象を推重す」——例えば舟船桨楫・杵臼の類。「用いて卜筮する人はそれの占断を推重す」。

是以君子將有為也,將有行也:為、行所以異。問焉而以言,其受命也如向,無有逺近幽深,遂知來物,非天下之至精,其孰能與於此?參伍以變,錯綜其數,通其變,遂成天地之文:天有三辰五星,地有三正五行。極其數,遂定天下之象,非天下之至變,其孰能與於此?

「ゆえに君子がまさに作為する所有らんとし、まさに行動する所有らんとする時」:司馬光が解していわく、「為」と「行」は分別あり。「便ち《易》に向かいて発問し言語を以て求教すれば、それの詢問を受ける回答は回声のごとく迅捷。遠近幽深を問わず、みなこれによって未来の事を得知す。天下の最も精微の物にあらざれば、誰かこの地步に達し得ん。錯綜変化して、交互にそれの数目を推演し、それの変化を会通して、ここに天地間の文采を形成す」——天上に日月星の三辰と五大行星あり、地上に三正の暦と五行の質あり。「それの数目を窮極して、ここに天下の物象を判定す。天下の最も善変の物にあらざれば、誰かこの地步に達し得ん」。

易無思也,無為也,寂然不動,感而遂通天下之故,非天下之至神,其孰能與於此?夫易,聖人之所以極深而研幾也。惟深也,故能通天下之志:達物情。惟幾也,故能成天下之務:幾者,動之□,慮之於□,則事無不濟。惟神也,故不疾而速,不行而至:感而遂通天下之故。子曰易有聖人之道四焉者,此之謂也。右第九章。

「《易》は思慮なく、作為なく、寂静にして動かず。ひとたび感応あれば、天下の一切の事故に貫通す。天下の最も神妙の物にあらざれば、誰かこの地步に達し得ん。《易》はまさに聖人の用いて幽深を窮究し几微を研求する所なり。ただそれが幽深、ゆえに天下の人の心志に通達し得」——すなわち万物の実情を通暁するなり。「ただそれが几微、ゆえに天下の事務を成就し得」——いわゆる「几」は、変動の苗头(原文ここに一字欠く)。苗头の処にこれに考慮を加えれば、事情は弁じ成らざるなし。「ただそれが神妙、ゆえに急促する必ずしもなくして自然に迅速、行走する必ずしもなくして自然に到達す」——それがひとたび感応あれば天下の事故に貫通するがゆえに。「孔子が《易》に聖人の道の四箇の方面ありというは、講ずるはこれらなり」。以上は第九章。

天一,地二,天三,地四,天五,地六,天七,地八,天九,地十:此天地自然之數,所以成變化而行鬼神。子曰:夫易何為者也?夫易開物成務,冒天下之道,如斯而已者也。是故聖人以通天下之志,以定天下之業,以□天下之疑:開物,專示吉凶;成務,成天下之務;冒天下之道,包而有之。

「天数は一、地数は二、天数は三、地数は四、天数は五、地数は六、天数は七、地数は八、天数は九、地数は十」:これは天地の自然の数にして、変化はこれによって生成し鬼神はこれによって運行す。「孔子がいわく:《易》は何を為す者ぞや。《易》は万物を開啓し、事務を成就し、天下の道理を涵蓋す、如此而已。ゆえに聖人はこれを用いて天下の人の心志を貫通し、これを用いて天下の功業を奠定し、これを用いて天下の疑惑を決断す(原文ここに一字欠く)」:いわゆる「開物」は、すなわち専ら吉凶を指示す。いわゆる「成務」は、すなわち天下の事務を成就す。いわゆる「冒天下之道」は、すなわち天下の道を包羅して遺なし。

是故蓍之徳圓而神,卦之徳方以知:韓曰,圓者運而不窮,方者止而有分。光謂:蓍未形而不測,故曰神;卦已形而變通,故曰知。六爻之義,易以貢:發揮變化,以進於人。聖人以此洗心,退藏於密:洗心,滌諸邪惡,存養精明;藏密,返於無形。吉凶與民同患:豫以告之。神以知來,知以藏往:藏往謂不知其始,所以言往。其孰能與於此哉!

「ゆえに蓍草の徳性は円通にして神妙、卦体の徳性は方正にして明智」:韓康伯がいわく、円は運転して窮せず、方は静止して定分あり。司馬光がいわく:蓍草はいまだ成形せずして測度すべからず。ゆえに「神」と称す。卦はすでに成形して能く変通す。ゆえに「知」と称す。「六爻の意義は、変易に憑って呈献せらる」:変化を発揮し出して、人に進献す。「聖人はこれを用いて内心を洗滌し、隠密の処に退蔵す」:いわゆる「洗心」は、各種の邪悪を滌除して精純明澈を存養す。いわゆる「蔵密」は、無形の中に回帰するなり。「それは百姓と共同に吉凶の憂患を承当す」:預め吉凶を人々に告げる。「神妙を用いて未来を預知し、明智を用いて既往を含蔵す」:いわゆる「蔵往」は、それの起始を知らざるを言う。ゆえに「往」という。「また誰かこの地步に達し得んや」。

古之聰明睿知神武而不殺者夫:韓曰,服萬物而不以威刑。是以明於天之道,而察於民之故,是興神物以前民用:神物謂蓍,凡卜中然後用之,故曰以前民用。聖人以此齋戒,以神明其徳夫:韓曰,洗心曰齋,防患曰戒。光謂:徳盛則合於神明。

「これおそらく古代のあの聡明叡智・神武にして殺伐を用いざるの人か」:韓康伯がいわく、すなわち万物をして帰服せしめて威刑に靠らざるなり。「ここにおいて彼は天の規律を明白にし、また民衆の実情を体察し、ここに蓍亀のこの神物を興起して、民衆の用に先んじて彼らを指導す」:いわゆる「神物」は蓍草を指す。凡事は先ず占卜して応験を得て、然る後に初めてそれを為す。ゆえに「以前民用」という。「聖人はこれを用いて身心を斎戒して、自己の徳行を神妙聖明ならしむ」:韓康伯がいわく、内心を洗滌するを「斎」と称し、禍患を防備するを「戒」と称す。司馬光がいわく:徳行が盛大なればすなわち神明と相合す。

是故闔戸謂之坤:坤主收斂。闢戸謂之乾:陽發生也。一闔一闢謂之變,往來不窮謂之通,見乃謂之象:防象可見而未有形。形乃謂之器:形質已定,各有常分。

「ゆえに門戸を関するを坤と称す」:坤は収斂閉蔵を主管す。「門戸を打開くを乾と称す」:あれは陽気が生発するなり。「一関一開するを変と称し、往来して窮まらざるを通と称し、顕現するを象と称す」:象はすでに見るべきなれどいまだ確定の形体なし。「形体あるを器と称す」:形状質地はみなすでに確定して、各々その常分あり。

制而用之謂之法:各守其分,不相為用,故聖人制而用之。利用出入,民咸用之謂之神:出外入內,無所不用,而百姓不知,故謂之神。右第十章。

「制作し出してこれに使用を加うるを法と称す」:万物は各々自己の本分を守り、本より彼此に相為に用いず。ゆえに聖人が制作し出してこれを使用するに頼る。「人々の出入日用に利しく、百姓は日日にそれを用いるも説き清める能わず、これを神と称す」:出で門に在るも居て家に内なるも、在る処なくしてそれを使用せざるなく、しかるに百姓は自らそれを知らず。ゆえにこれを「神」と称す。以上は第十章。

是故易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦,八卦定吉凶,吉凶生大業。易有太極:極者,中也,至也,一也;凡物之未分混而為一者皆為太極。兩儀:儀,匹也,分而為二,相為匹敵。四象:陰陽復分老少而為二,相為匹敵。大業:富有萬象。

「ゆえに《易》に太極あり、太極は两儀を生じ、两儀は四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は吉凶を判定し、吉凶は偉大の事業を産生す」。司馬光が「易有太極」を解していわく:いわゆる「極」は、中・至・一の意思を含有す。凡そいまだ分化せず混然として一たる状態は、みな太極と称し得。いわゆる「两儀」:「儀」は匹配の意味、一が二に分かれて、彼此に相対して匹と為す。いわゆる「四象」:陰と陽とさらに各々老・少の二種に分かれて、彼此に相対して匹と為す。いわゆる「大業」:すなわち万象を富有す。

太極者何?陰陽混一,化之本原也。兩儀者何?陰陽判也。四象者何?老少分也,七九八六,卦之端也。八卦既形,吉凶全也;萬物皆備,大業成也。極,中也;儀,匹也。

何が太極か。すなわち陰陽が混然として一と為り、化育の本原なり。何が两儀か。すなわち陰陽が分判し開かれたるなり。何が四象か。すなわち老と少の划分にして、七・九・八・六のこの四箇の数は、まさに卦を成すの端緒なり。八卦はすでに成形して、吉凶は完備せり。万物は具備せざるなく、偉大の事業は成就せり。「極」はすなわち中、「儀」はすなわち匹。

太極,天也;乾坤,日月也;四象,五宮也;八卦,十二辰也;六十四卦,列宿也;眾爻,三百六十有六度也。太極,地也;乾坤,山澤也;四象,四方也;八卦,九州島也;六十四卦,萬國也;眾爻,都邑也。

天より比配すれば:太極は天、乾坤は日月、四象は五方の星宮、八卦は十二辰、六十四卦は二十八宿の衆星、众多の爻は則ち周天の三百六十六度。地より比配すれば:太極は地、乾坤は山と沢、四象は四方、八卦は九州、六十四卦は天下万国、众多の爻は則ち各処の都邑。

太極,歲也;乾坤,寒暑也;四象,四時也;八卦,八節也;六十四卦,十二月也;眾爻,三百六旬有六日也。太極,王也;乾坤,方伯也;四象,四嶽也;八卦,州牧也;六十四卦,諸侯也;眾爻,卿大夫士也。

時令より比配すれば:太極は一年、乾坤は寒と暑、四象は四季、八卦は八箇の節気、六十四卦は十二箇月、众多の爻は則ち三百六十六天。人事より比配すれば:太極は天子、乾坤は方伯、四象は四岳、八卦は州牧、六十四卦は諸侯、众多の爻は則ち卿・大夫・士。

或問:太極有形無形?曰:合之則有,離之則無。何謂也?曰:請以宮喻。夫宮者,土木之為也,舉土木則無宮矣;土木者,堂墉棟宇也,舉堂墉棟宇則無土木矣。雖然,合而言之,則宮巍然在矣。

人が問うていわく:太極は有形か無形か。答えていわく:合せて見ればすなわち有、拆いて見ればすなわち無。この話はどう講ずる。答えていわく:請う房屋を拿て比方せしめん。いわゆる房屋は、土木を用いて造成する。単に土木を言えば、房屋なし。いわゆる土木は、庁堂・墻垣・棟梁・屋檐なり。単に庁堂墻垣棟梁屋檐を言えば、土木なし。しかるにこのようを以てすれども、合せてひとたび言えば、あの房屋は依然として巍然と屹立してそこに在り。

太極者,一也,物之合也,數之元也。引而伸之,觸類而長之,則算不能勝也,書不能盡也,口不能宣也,心不能窮也。掊而聚之,歸諸一;析而散之,萬有一千五百二十,未始有極也。

いわゆる太極は、すなわち「一」にして、万物の総合、数の本元なり。それを引申し開き、類に触れて推衍し続ければ、あれは算するも算し畢らず、写すも写し尽さず、口も説き尽さず、心も想い窮めず。それを収攏聚合すれば、すなわち一箇の「一」に帰結す。それを分析離散すれば、すなわち一万一千五百二十の多さありて、しかも永遠に尽頭なし。

陰陽相違,非太極則不成;剛柔相戾,非中正則不行。故天下之徳誠眾矣,而萃於剛柔;天下之道誠多矣,而□於中正。剛柔者,徳之府;中正者,道之津。是故有剛而無中正則暴以亡,有柔而無中正則邪以消。嗚呼!中正之於人也,其厚矣哉!

陰と陽とは彼此に相違して、太極なければ成就する法なし。剛と柔とは彼此に相抵して、中正なければ推行する法なし。ゆえに天下の徳性は誠に众多なれど、みな剛と柔の上に汇聚す。天下の道路は誠に繁多なれど、みな中正に帰結す(原文ここに一字欠く)。剛と柔は徳性の府庫、中正は大道の津渡。ここにおいて、剛のみありて中正なければ、暴虐によって滅亡せん。柔のみありて中正なければ、邪僻によって消亡せん。ああ!中正の人に対するは、恩惠実に太く深厚なり。

剛者抑之,柔者掖之,不慮而成,不思而得,不卜而中,不筮而吉。“天下同歸而殊塗,一致而百慮”,非中正而何?書曰“沈潛剛克,髙明柔克”,以中正也。孔子曰“中庸之為徳也,其至矣乎”,又曰“詩三百,一言以蔽之,曰思無邪”。易之卦六十有四,其爻三百八十有四,得之則吉,失之則凶者,其惟中正乎!

剛強なるに抑制を加え、柔弱なるに扶掖を加う。こうすれば心を費やして謀劃せずとも自然に成功し、苦々しく思索せずとも自然に所得あり、占卜せずとも自然に中に合し、筮を求めずとも自然に吉利なり。《繋辞》に「天下万事は殊途にして同帰し、百慮にして一致す」という。あの同帰する所・一致する所は、正に「中正」ではないか。《尚書・洪範》に「沈潜柔弱の人には剛を用いて治理し、高亢強横の人には柔を用いて治理す」というは、講ずるは中正の道なり。孔子に「中庸の徳行と為すは、おそらく至極ならん」といい、また「《詩経》三百篇は、一句の話を以て概括すれば、すなわち思无邪なり」という。《周易》に六十四卦・三百八十四爻ありて、それを得れば吉、それを失えば凶なる者は、おそらくただ「中正」のみか。

剛,夏也;柔,冬也;中,春也;正,秋也。何謂才?曰:聰明強勇。何謂行?曰:孝友忠信。何謂徳?曰:中和正直。何謂道?曰:逺大高深。行以濟才,徳以濟行,道以濟徳。是故才而不以行則凶,行而不以徳則偏,徳而不以道則隘,四者兼足,謂之聖人。

剛は夏天に配し、柔は冬天に配し、中は春天に配し、正は秋天に配す。何を「才」と称す。答えていわく:聡明・強健・勇敢。何を「行」と称す。答えていわく:孝順・友愛・忠誠・守信。何を「徳」と称す。答えていわく:中和・正直。何を「道」と称す。答えていわく:遠大・高深。「行」を用いて「才」を成全し、「徳」を用いて「行」を成全し、「道」を用いて「徳」を成全す。ゆえに才ありて徳行を用いて節制せざれば則ち凶険、徳行ありて徳性を用いて提升せざれば則ち偏狭、徳性ありて大道を用いて貫通せざれば則ち局促。この四者がみな充足する人は、初めて聖人と称し得。

陰陽不相讓,五行不兼容,正也;陰陽醇而五行不雜,中也。陽盛則陰□,陰盛則陽□;火進則木退,土興則水衰。陰陽之治無少無多,五行之守無偏無頗,尸之者其太極乎!故太極之徳,一而已。

陰と陽とは彼此に相退譲せず、五行は彼此に相混容せず、これがすなわち「正」。陰陽は純粋にして五行は相駁雑せず、これがすなわち「中」。陽気が旺盛なれば、陰気は衰減す(原文ここに一字欠く)。陰気が旺盛なれば、陽気は衰減す。火気が上進すれば木気は退譲し、土気が興起すれば水気は衰微す。陰陽の調理は偏少にも偏多にもあらず、五行の守分は偏斜にも傾頗にもあらず。これ一切を主宰するは、おそらく太極か。ゆえに太極の徳性は、説き尽くせばただ一箇の「一」のみ而已。

是故法象莫大乎天地,變通莫大乎四時,縣象著明莫大乎日月,崇髙莫大乎富貴,備物致用、立成器以為天下利莫大乎聖人,探賾索隠、鉤深致逺,以定天下之吉凶、成天下之亹亹者,莫大乎蓍龜。富貴:富有四海,貴為天子。備物致用:蕃肓萬物,以為人用。立成器以為天下利:謂法度也。亹亹,勉勉也,使人去凶就吉。

「ゆえに效法し得る物象は天地より大なるなく、変化通達は四季より大なるなく、天空に高懸して光明顕著は日月より大なるなく、崇高顕赫は富貴より大なるなく、器物を斉備しその効用を尽くし創制して成器として天下を利するは聖人より大なるなし。幽賾を探究し隠微を捜尋し、深奥を鈎取し遠大を招致して、これによって天下の吉凶を判定し天下の人の勤勉不懈を促成するは、蓍草と亀甲より大なるなし」。司馬光が「富貴」を解していわく:すなわち四海を富有し貴して天子と為るなり。「備物致用」を解していわく:すなわち万物を繁育して、人の使用に供するなり。「立成器以為天下利」を解していわく:指すは法度なり。「亹亹」はすなわち勤勉の様子にして、人をして凶を避け吉に趨らしむるを指す。

是故天生神物,聖人則之;天地變化,聖人效之;天垂象,見吉凶,聖人象之;河出圖,洛出書,聖人則之。易有四象,所以示也;繫辭焉,所以告也;定之以吉凶,所以□也。易曰“自天佑之,吉無不利”。子曰:佑者,助也。天之所助者,順也;人之所助者,信也。履信思乎順,又以尚賢也,是以自天佑之,吉無不利也。右第十一章。

「ゆえに上天は蓍亀のごとき神物を生出し、聖人はそれに取法す。天地が変化を生起し、聖人はそれを仿効す。上天が物象を垂示して吉凶を顕現し、聖人はそれに取象す。黄河に龍図が出で、洛水に亀書が出でて、聖人はそれらに取法す。《易》に四種の卦象あり、これを以て昭示するなり。文辞を繫げるは、これを以て告知するなり。吉凶を判定するは、これを以て決断するなり(原文ここに一字欠く)。《周易》の大有卦上九にいわく:上天より保佑が降下して、吉利にして不利なし。孔子がいわく:佑はすなわち帮助なり。上天の帮助する所は天道に順応する人、衆人の帮助する所は信義を講ずる人。信義を践行して天道に順応することを念って忘れず、また賢者を崇尚し得。ゆえに上天より保佑が降下して、吉利にして不利なし」。以上は第十一章。

子曰:書不盡言:言有不可書者。言不盡意:然則聖人之意,其不可見乎?意有不可言者。子曰:聖人立象以盡意:象能盡言外之意。設卦以盡情偽:盡萬物之情偽。繫辭焉以盡其言:盡群言之要。變而通之以盡利:若“冥豫成,有渝,無咎”。鼓之舞之以盡神。

「孔子がいわく:文字は言語を完全に表達し得ず」——写し出せざる話あるがゆえに。「言語は心意を完全に表達し得ず」——然れば則ち聖人の心意は、豈に窺見する由なからんか。説き出せざる心意あるがゆえに。「孔子がいわく:聖人は卦象を建立して心意を窮尽す」——卦象は言語之外の意思を表達し得。「卦体を設置して事物の真偽を窮尽す」——万物の真情と虚偽をみな表現し出す。「文辞を繫げて言わんとする話を窮尽す」——众多の言語の要点をみな概括し入る。「それを変通して事物の利を窮尽す」——例えば豫卦上六の「逸楽に昏冥して已に定局を成せども、若し改変する能わば、過ちなからん」。「それを鼓動振作して神妙を窮尽す」。

乾坤其易之縕邪:縕,聚也;陰陽者,易之本體,萬物之所聚。乾坤成列而易立乎其中矣:變而通之。乾坤毀則無以見易,易不可見則乾坤或幾乎息矣:言更相為用。

「乾坤はおそらく《易》の淵藪か」:いわゆる「緼」は、聚集の意味。陰陽は《易》の本体にして、また万物の聚集する所在。「乾坤が排列して行を成せば、《易》はその中に確立す」:すなわちそれを変通せんとするなり。「乾坤が若し毀棄せられば、《易》を見る由なし。《易》が若し見るべからざれば、則ち乾坤もまたほぼ停息せん」:これは乾坤と《易》とが互相に為に用いるを言う。

是故形而上者謂之道:無形之中自然有此至理,在天為陰陽,在人為仁義。形而下者謂之器:有形可考,在天為品物,在地為禮法。化而裁之謂之變,推而行之謂之通:物久居其所則窮,故必變而通之,在天為氣節,在人為明哲。

「ゆえに形体の上に在るを道と称す」:無形の中に自然にこのごとき至理が存在して、天に在れば則ち陰陽と表現し、人に在れば則ち仁義と表現す。「形体の下に在るを器と称す」:形体ありて考察すべし。天に在れば則ち各類の事物、地に在れば則ち礼制法度。「変化してこれに裁制を加うるを変と称し、推行し開くを通と称す」:事物が長久に原処に停留すれば走るに路なく投ずるに至る。ゆえに必ずそれを変通せざるべからず。この変通の理は、天に在れば節気の推移と表現し、人に在れば明智通達と表現す。

舉而錯之天下之民謂之事業:易道既成,施之天下,則為聖人之事業。是故夫象,聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其□通,以行其典禮,繫辭焉以□其吉凶,是故謂之爻。

「それを拿て来りて天下の百姓に施行すれば、則ち事業と称す」:《易》の道理はすでに完備して、それを天下に施行せば、すなわち聖人の事業と成る。「ゆえに『象』と言うに至るは:聖人は天下の最も幽深繁賾の物を見るを得て、その形態容貌を比擬し、事物の応有の様子を象征す。ゆえに象と称す。聖人は天下万物の変動を見るを得て、それらの会合貫通する処を観察して、典章礼制を推行し、文辞を繫げてそれの吉凶を判断す。ゆえに爻と称す(原文ここに二字欠く)」。

極天下之賾者存乎卦,鼓天下之動者存乎辭,化而裁之存乎變,推而行之存乎通,神而明之存乎其人,茍非其人,道不虛行。黙而成之,不言而信,存乎徳行:知之非艱,行之惟艱。右第十二章。

「天下の幽深繁賾の理を窮尽するは卦に在り、天下万事の変動を鼓動するは辞に在り、変化してこれに裁制を加うるは『変』に在り、推衍して施行に付すは『通』に在り、それを神妙昭明ならしむるは則ち人に在り。若しあのようの人にあらざれば、道は空しく施行せざらん。黙々としてそれを成就して、言語を用いずして人をして信服せしむ、これは則ち徳行に在り」:司馬光は《尚書・説命》を引いていわく、道理を懂得するは難からず、真にそれを践行するは難し。以上は第十二章。

巻六 繋辞下

繫辭下。八卦成列,象在其中矣:萬物之象以備。因而重之,爻在其中矣:群爻大備,曲盡無遺。剛柔相推,變在其中矣:極其變也。繫辭焉而命之,動在其中矣:效天下之動,因辭而後明。吉凶悔吝者,生乎動者也:不動則無得失。剛柔者,立本者也:材性有分。變通者,趣時者也:時異事變。

これは《繋辞下伝》である。「八卦が排列して行を成せば、物象はその中に在り」:万物の形象はこれによって完備す。「それらを両々相重ねれば、六爻はその中に在り」:众多の爻は大いに完備して、曲折詳尽にして遺漏なし。「剛柔が互いに推移せば、変化はその中に在り」:変化は窮尽せられたり。「文辞を繫げて人々に告知せば、行動の準則はその中に在り」:それは天下万物の変動を仿効して、文辞に頼りて初めて顕明を得。「吉・凶・悔・吝は、みな行動によって産生す」:行動せざれば得失と謂うなし。「剛と柔は、根本を確立する者」:材質本性は各々分限あり。「変と通は、時機に趨合する者」:時勢が同じからざれば、事情もまたこれに随いて改変す。

吉凶者,貞勝者也:正則吉凶不能動矣,故易道貴之。天地之道,貞觀者也:以正道示之。日月之道,貞明者也。天下之動,貞夫一者也:於文,一止則為正。夫乾確然示人易矣,夫坤隤然示人簡矣:守夫至正故也。爻也者,效此者也;象也者,像此者也:此,效像天地之正道。

「吉と凶は、正を守るに憑って取勝す」:端正するさえすれば、吉凶は彼を動揺し得ず。ゆえに《易》道は最も「正」を看重す。「天地の道は、正を守るに憑って万物を昭示す」:正道を用いて人に昭示す。「日月の道は、正を守るに憑って恒久に光明す。天下万事の変動は、みなあの『一』に帰正す」:字形より言えば、「一」と「止」と合せてすなわち「正」の字なり。「乾は剛健して確然として、人に平易を昭示す。坤は柔順して隤然として、人に簡約を昭示す」:まさにそれらがみな至正の道を守住したるがゆえに。「爻はすなわちこのを仿効する者、象はすなわちこのに取象する者」:この「此」は、指すは天地の正道を效法取象するなり。

爻象動乎內,吉凶見乎外:以不見為內。功業見乎變,聖人之情見乎辭。天地之大徳曰生:日新。聖人之大寶曰位:非位不能濟物。何以守位曰仁:人心歸之,乃能保富貴。何以聚人曰財:韓曰,財所以資物生。理財正辭、禁民為非曰義:三者皆當□之以義。右第一章。

「爻象は卦内に変動し、吉凶は卦外に顕現す」:見えざる者を以て「内」と為す。「功業は変化の中に顕現し、聖人の情感は文辞の中に顕現す。天地の最大の徳性を『生』と称す」:すなわち日日に更新するなり。「聖人の最大の寶貝を『位』と称す」:あの位置なければ万物を済助し得ず。「何を以てこの位置を守住する。仁に憑る」:人心が彼に帰附して、初めて富貴を保住し得。「何を以て人衆を聚集する。財に憑る」:韓康伯がいわく、財貨は用いて万物の生存を資養するなり。「財を理し号令を端正し、百姓の為非作歹を禁止す、これを義と称す」:この三箇の事はみな応に義を用いて裁断すべし(原文ここに一字欠く)。以上は第一章。

古者包犧氏之王天下也,仰則觀象於天:成象之謂乾。俯則觀法於地:效法之謂坤。觀鳥獸之文與地之宜:鳥獸之文若的顙黔喙之類,地之宜若剛滷之類。近取諸身,逺取諸物,於是始作八卦,以通神明之徳,以類萬物之情:情雖萬端,而聚之不過健、順、動、入、麗、陷、止、說。作結繩而為罔罟,以佃以漁,葢取諸離。

「古き時、包犠氏が天下を統治して、頭を抬げれば則ち天上の物象を観察し」:物象を形成するは則ち乾。「頭を低めれば則ち地上の法則を観察し」:效法して成形するは則ち坤。「鳥獣の紋理と土地の適宜を観察し」:いわゆる鳥獣の文は、例えば白額の馬・黒嘴の獣の類。いわゆる地の宜は、例えば堅硬の土・鹽鹼の地の類。「近くは人身に取象し、遠くは万物に取象して、ここに始めて八卦を創作し、用いて神明の徳性を会通し、用いて万物の情状を帰類す」:万物の情状は千頭万緒あるも、帰攏すれば過ぎず健・順・動・入・麗・陥・止・説のこの八種のみ。「彼は繩索を編結して網罟を作り成して、用いて打獵捕魚す。おそらく離卦に取象せるか」。

包犧氏沒,神農氏作,斵木為耜,揉木為耒,耒耨之利以教天下,葢取諸益。日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,葢取諸噬嗑。神農氏沒,黃帝、堯、舜氏作,通其變,使民不倦:法久必弊,為民厭倦。神而化之,使民宜之:變而民莫之知。易窮則變,變則通,通則久,是以自天佑之,吉無不利:聖人守道不守法,故能通變。

「包犠氏が死して後、神農氏が興起し、木頭を砍削して耜を作り、木頭を彎曲して耒を作り、耕耘の便利を天下の人に教え、おそらく益卦に取象せるか。正午の時に集市を開設して、天下の百姓を招来し、天下の貨物を聚集し、交易が完畢すれば各自に散去して、人人が各々その所を得。おそらく噬嗑卦に取象せるか。神農氏が死して後、黄帝・尭・舜が相継いで興起し、事物の変化を通暁して、百姓をして厌倦を感ぜしめず」:法度は久しく用いれば必ず弊端を生じ、百姓はすなわち厌倦せん。「神妙に彼らを感化して、百姓をして各々その宜を得しむ」:変革するも百姓は並びに察覚せず。「《易》の講ずるは窮極すれば則ち変じ、変ずれば則ち通達し、通達すれば則ち能く長久す。ゆえに上天より保佑が降下して、吉利にして不利なし」:聖人が守るは道にして成法を死守せず。ゆえに通権達変し得。

黃帝、堯、舜垂衣裳而天下治,葢取諸乾坤:取諸乾坤,取其上下有分,上曰衣,下曰裳,聖人垂衣裳而天下治,乾尊坤卑之象也。刳木為舟,剡木為楫,舟楫之利以濟不通,致逺以利天下,葢取諸渙:取諸渙,取其木在水上。服牛乘馬,引重致逺,以利天下,葢取諸隨。

「黄帝・尭・舜はただ衣を垂れ拱手するのみにして天下は大治す。おそらく乾坤の両卦に取象せるか」:いわゆる乾坤に取象するは、それの上下に分別あるの意を取る。上身に穿くを「衣」と称し、下身に穿くを「裳」と称す。聖人が衣を垂れ拱手して天下が太平は、まさに乾尊坤卑の意象なり。「木頭を挖空して船を作り、木頭を削尖して桨を作り、舟楫の便利はもと不通の水域を渡り得、遠方に到達して天下を利す。おそらく渙卦に取象せるか」:いわゆる渙に取象するは、それの木が水上に在るの意を取る。「牛を馴服し馬を駕馭して、重物を牽引し遠方に到達して、天下を便利す。おそらく随卦に取象せるか」。

重門擊柝,以待暴客,葢取諸豫:取諸豫,豫,怠也,柝以警怠。□木為杵,掘地為臼,臼杵之利,萬民以濟,葢取諸小過:取諸小過,虞仲翔曰,取其上動而下止。□木為弧,剡木為矢,弧矢之利以威天下,葢取諸睽:取諸睽,取其先違而後利。

「層層の門戸を設置し、木梆を敲撃して夜を巡り、用いて凶暴の来客を防備す。おそらく豫卦に取象せるか」:いわゆる豫に取象するは、「豫」に安逸怠惰の意思あるがゆえに。梆を敲くはまさに用いて怠惰を警醒するなり。「木頭を砍断して杵を作り、地を掘って臼を作り、杵臼の便利は万民をして済助を得しむ。おそらく小過卦に取象せるか(原文ここに一字欠く)」:いわゆる小過に取象するは、三国の虞翻がいわく、それの上卦が震動して下卦が艮止するの意を取る。「木を彎めて弓を作り、木を削って箭を作り、弓箭の便利は天下を威慴するに足る。おそらく睽卦に取象せるか(原文ここに一字欠く)」:いわゆる睽に取象するは、それの先ず相違背して後にその利を得るの意を取る。

上古穴居而野處,後世聖人易之以宮室,上棟下宇,以待風雨,葢取諸大壯:風雨,動物也,風雨動於上,棟宇健於下,大壯之象也。

「上古の時、人々は洞穴の裏に住み荒野の中に露宿し、後世の聖人は房屋を改用してこれに代替せしむ。上に棟梁あり、下に屋檐あり、用いて風雨を防備す。おそらく大壮卦に取象せるか」:風雨は万物を鼓動し得る物。風雨が上に在りて震動し、棟梁屋宇が下に在りて剛健に支撑するは、まさに大壮卦の意象なり。

古之者,厚衣之以薪,之中野,不封不樹,喪期無數,後世聖人易之以棺槨,葢取諸大過:巽,木也,入也;兌,說也。棺槨衛死者入於土,而生者之情得以夷懌,大過之象也。

「古き時、死者を埋葬するに、ただ柴薪を用いて厚く裹住し、荒野の中に葬り、墳頭を堆らず、標樹を種えず、服喪にも一定の期限なし。後世の聖人は棺槨を改用してこれに代替せしむ。おそらく大過卦に取象せるか」:巽は木を代表し、また進入を代表す。兌は喜悅を代表す。棺槨が死者を護衛して土中に進入せしめ、しかるに生きる人の心情もまたこれによって平和喜悅を得。これがまさに大過卦の意象なり。

上古結繩而治,後世聖人易之以書契,百官以治,萬民以察,葢取諸夬:契者,要約也。古之要約,未有文字,相與結繩為識而已,其後浸相欺背,亂不可知,故聖人作為書契。書契既明,則是非立決,夬之象也。右第二章。

「上古の時は結繩の弁法を用いて治理し、後世の聖人は文字契拠を改用してこれに代替せしむ。百官はこれに憑って事を治め、万民はこれに憑って稽察す。おそらく夬卦に取象せるか」:いわゆる「契」は、すなわち契約。古き時は約を訂るにまだ文字なく、ただ彼此に繩を結びて記号を作すのみ。後来に人々は漸々に互いに欺騙背棄して、事情は混乱して弄清する法なし。ゆえに聖人は文字契拠を創制せり。契拠はひとたび明白なれば、是非は当下に判決す。これがまさに夬卦の決断の意象なり。以上は第二章。

是故易者,象也:立象以盡義。象也者,像也:擬諸其形容。彖者,材也:各言其本質。爻也者,效天下之動者也:舉措隨時。何謂材?材者,天賦之分也。何謂動?動者,感物之情也。是故吉凶生而悔吝著也:吉凶悔吝生乎動。

「ゆえに《易》は、講ずるは則ち『象』なり」:卦象を建立して義理を窮尽す。「いわゆる『象』は、すなわち『像』なり」:その形態容貌を比擬す。「彖辞は、材質を講ず」:分別して每一卦の本質を説明す。「爻は、天下万物の変動を仿効する者」:一挙一動はみな時に随いて変ず。司馬光が解していわく:何が「材」か。「材」は上天の賦与する分限。何が「動」か。「動」は外物に感応して生ずる情態。「ゆえに吉凶はこれによって産生し、悔吝はこれによって顕現す」:吉凶悔吝はみな行動によって産生するなり。

陽卦多陰,陰卦多陽,其故何也?陽卦奇,陰卦耦:陽卦奇,一奇二耦凡五;陰卦耦,一耦二奇凡四。其徳行何也?陽一君而二民,君子之道也;陰二君而一民,小人之道也:陽一君而二民,以寡御眾;陰二君而一民,無常心。

「陽卦の中に陰爻多く、陰卦の中に陽爻多し。これは何の緣故ぞ。陽卦の画数が奇数にして、陰卦の画数が偶数なるがゆえに」:陽卦の画数が奇は、一根の陽爻を一画と算し、两根の陰爻を四画と算して、共に五画を計す。陰卦の画数が偶は、一根の陰爻を二画と算し、两根の陽爻を二画と算して、共に四画を計す。「それらの徳行は如何。陽卦は一箇の君主が二箇の百姓を統率す、これは君子の道。陰卦は二箇の君主が一箇の百姓を争奪す、これは小人の道」:一君二民は、少数を以て多数を駕御す。二君一民は、則ち人心に定主なし。

易曰“憧憧往來,朋從爾思”。子曰:天下何思何慮?天下同歸而殊塗,一致而百慮,天下何思何慮?憧憧,心動貌;朋,類也。夫得喪往來,物理之常也,茍能居正以待物,則往來不足為之累;儻以往來動其心,則夫物之感人無窮,將惟爾所思,各以其類而至,所謂“物至而人化物”也。天下何思何慮,皆正夫一。

《周易》の咸卦九四にいわく「心神定まらずして来来往往し、ただあなたと意念相同じき一小撮の人のみ来りてあなたに追随す」。孔子がいわく:天下に何の思慮すべきあらんや。天下万事は殊途にして同帰し、百慮にして一致す。天下に何の思慮すべきあらんや。司馬光が解していわく:「憧憧」は心神が揺動する様子、「朋」はすなわち同類。得と失・来と往は、本より事物の常理。若し安く正道に処して外物を対待し得れば、則ちこれらの来来往往は拖累と為るに足らず。倘若来往の物に心を牽動せられば、則ち外物の人に対する感染は無窮无尽にして、凡そあなたの思念する所は、みな各々その類に按じて涌来せん。これが《礼記》の謂う所の「外物が到来して人は物に同化す」。「天下何思何慮」は、説き尽くせばみなあの「一」に帰正せんとするなり。

日往則月來,月往則日來,日月相推而明生焉;寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推而歲成焉。往者屈也,來者信也,屈信相感而利生焉。尺蠖之屈,以求信也;龍蛇之蟄,以存身也:皆因屈以致信。精義入神,以致用也:聖人虛一以靜,存誠素至,故能精義入神,以致其治世之用。

「太陽が落つれば月が升り、月が落つれば太陽が升りて、日月は互いに推移して光明が産生す。寒冷が過ぎ去れば暑熱が到来し、暑熱が過ぎ去れば寒冷が到来して、寒暑は互いに推移して一年が形成す。過ぎ去るは屈縮、到来するは伸展、屈と伸とは互いに感応して利益が産生す。尺蠖が身を彎曲するは、伸展を求取せんがため。龍蛇が蟄伏し起るは、自身を保存せんがため」:これらはみな屈縮に憑藉して伸展を换取す。「義理を精研して入神に至るは、致用せんがため」:聖人は虚静専一にして、平素に至誠を持守す。ゆえに能く義理を精研して神妙に深入し、これによってそれの世事を治理する功用を発揮し得。

利用安身,以崇徳也:先治其本。過此以往,未之或知也:言此聖人之極致。窮神知化,徳之盛也:知化,謂修己以安百姓。右第三章。

「善く運用して自身を安頓するは、徳行を尊崇せんがため」:これは先ず根本を治理するなり。「この範囲を超出する以外は、則ち知り得る所にあらず」:これは以上の講ずる所はすでに聖人の極致を言う。「神妙を窮究し造化を洞知するは、あれは徳行の極盛」:いわゆる「知化」は、指すは自己を修養して百姓を安頓するなり。以上は第三章。

易曰“困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶”。子曰:非所困而困焉,名必辱;非所據而據焉,身必危;既辱且危,死期將至,妻其可得見耶?困于石,不量力而犯強敵;據于蒺藜,不度徳而居人上;入于其宮,已所有也;不見其妻,失其配輔。

《周易》の困卦六三にいわく:「巨石に挡住されて、また蒺藜の上に坐す。自己の家裏に帰るも、妻子を見ず、凶険」。孔子がいわく:困らるべからざる所に困らるれば、名声は必ず辱を受けん。占拠すべからざる位置に占拠すれば、自身は必ず危険ならん。辱を受けまた危険なれば、死期はまさに至らんとす。妻子は何れの処にまた見るを得んや。司馬光が解していわく:「困于石」は、自己の力量を衡量せずして強敵を触犯するなり。「据于蒺藜」は、自己の徳行を掂量せずして硬くして人の上に凌駕せんとするなり。「入于其宮」は、指すは自己の擁有する地方。「不見其妻」は、自己を輔佐する配偶を失去するなり。

易曰“公用射隼于髙墉之上,獲之,無不利”。子曰:隼者,禽也;弓矢者,器也;射之者,人也。君子藏器於身,待時而動,何不利之有?動而不括,是以出而有獲,語成器而動者也。

《周易》の解卦上六にいわく:「王公が高墻の上に鷹隼を射て、それを射中したり、不利なし」。孔子がいわく:鷹隼は禽鳥、弓箭は器具、それを射るは人。君子は器具を身上に蔵して、時機を等待して後に行動す。何れの処に不利あらんや。行動して毫も阻碍なく、ゆえにひとたび手を出せば則ち收獲あり。説くはまさにあの器具の準備が成熟して初めて行動する人なり。

子曰:小人不恥不仁,不畏不義,不見利不勸,不威不懲,小懲而大誡,此小人之福也。易曰“屨校滅趾,無咎”,此之謂也。小人之情盡如是。小懲而大誡:懲其小惡,使人戒懼,不至於大。屨校滅趾:止之於下。

孔子がいわく:小人は不仁を以て羞耻と為さず、不義を以て畏懼と為さず。利益を見ざれば則ち努力を肯んぜず、威慴を加えざれば則ち懲戒を受けず。彼をして小さく懲罰を受けしめて大きく警戒を収得せしむるは、これがまさに小人の福気。《周易》の噬嗑卦初九に「脚に木枷を戴きて脚趾を遮没す、過ちなし」というは、説くはすなわちこれ。司馬光が解していわく:小人の性情は大抵みなこのごとし。いわゆる「小懲而大誡」は、彼の小なる過悪を懲罰して、彼をして心に戒惧を生ぜしめて、大悪を鋳成するに至らざらしむ。いわゆる「屨校滅趾」は、最も下に在るうちに彼を制止するなり。

善不積不足以成名,惡不積不足以滅身。小人以小善為無益而弗為也,以小惡為無傷而弗去也,故惡積而不可掩,罪大而不可解。易曰“何校滅耳,凶”:積惡貫盈,不得不誅;或先告以禍敗,終不能聽,故曰滅耳凶。

「善行は積累せざれば名声を成就するに足らず、悪行は積累せざれば自身を毀滅するに足らず。小人は小なる善事は好処なしと認めて為すを肯んぜず、小なる悪事は妨害なしと認めて革除を肯んぜず。ゆえに悪は積累して掩盖し得ざるに至り、罪は重大にして解脱し得ず。《周易》の噬嗑卦上九にいわく:肩上に木枷を扛いで耳朵をまで遮い尽くす、凶険」:司馬光が解していわく、これは悪行が積満して貫盈して容れ難く、誅戮を加えざるを得ず。人ありて事先に禍敗の道理を彼に告ぐるも、彼は終に聴き入れず。ゆえに「滅耳、凶」という。

子曰:危者,安其位者也;亡者,保其存者也;亂者,有其治者也。是故君子安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂,是以身安而國家可保也。易曰“其亡其亡,繫于苞桑”:桑之為物,深根而難拔;叢生曰苞。

孔子がいわく:危亡を招致するは、往々にして自ら位に坐ること甚だ安穩なりと以為する人。滅亡を招致するは、往々にして自ら長く生存を保ち得と以為する人。禍乱を招致するは、往々にして自ら天下はすでに治まると以為する人。ゆえに君子は安定の時に危険を忘れず、生存の時に滅亡を忘れず、太平の時に禍乱を忘れず。こうして初めて自身は安寧にして国家は保全を得。《周易》の否卦九五に「心中に常にまさに滅亡せん・まさに滅亡せんと想う、こうして初めて叢生の桑根に係るがごとき牢固を得」とあるは:司馬光が解していわく、桑樹のこの植物は根が深く扎して拔出し難し。叢生して一となれば則ち「苞」と称す。

子曰:徳薄而位尊,知小而謀大,力小而任重,鮮不及矣。易曰“鼎折足,覆公餗,其形渥,凶”,言不勝其任也:承輔非才,覆敗美實,其形沾漬,喪國亡家。

孔子がいわく:徳行が浅薄にして地位が尊貴、智慧が短小にして図謀が遠大、力量が微小にして担子が沉重なれば、禍に遭わざるは鮮し。《周易》の鼎卦九四に「鼎足が折断し、王公の美食を傾覆し、鼎身は沾污す、凶険」というは、説くはまさに彼が自己の職任を担当し当たらざるなり。司馬光が解していわく:輔佐の責を承当する所の人が職に称せざれば、美好の成果を毀壊して、鼎身をして污渍狼藉ならしめて、邦国を喪失し家門を敗亡するに至らん。

子曰:知幾其神乎:除惡於未萌,銷禍於未形,身安而後國治,百姓莫知其所以然。君子上交不諂,下交不瀆,其知幾乎:諂上瀆下,亂之所由生也。幾者,動之□,吉之先見者也:吉下脫凶字。君子見幾而作,不俟終日。易曰“介于石,不終日,貞吉”:介如石焉,寧用終日?□可識矣。君子知□知彰,知柔知剛,萬夫之望:見幾而作,戒在不正,故曰正吉;萬夫之望,眾人望之以為表。

孔子がいわく:能く几微を洞察するは、おそらく神か。司馬光が解していわく:このごとき人は悪のまだ萌生せざる時にそれを除き、禍のまだ成形せざる時にそれを消解す。自身は安寧にして後に国家は安治すれども、百姓はなぜこうなるかを知らず。「君子は上に対する交往に諂媚せず、下に対する交往に軽慢せず。おそらく几微を懂得するか」:上の者に諂媚し下の者に軽慢するは、まさに禍乱の産生する根源。「いわゆる『几』は、変動の苗头にして、吉の先兆(原文ここに一字欠く)」:「吉」の字の下に一箇の「凶」の字が脱漏せり。「君子は几微を見れば則ち即刻に行動して、一日の過ぐるを待たず。《周易》の豫卦六二にいわく:磐石のごとく耿介にして、終日を待たずして、正を守りて吉利」:磐石のごとく耿介なれば、何れの処にまた一整天を待つを用いんや。苗头がひとたび露れれば則ち看清し得(原文ここに一字欠く)。「君子は隠微を懂得しまた顕著を懂得し、柔順を懂得しまた剛強を懂得す。ここにおいて万人の仰望する所と為る」:几を見て作るは、戒惧する所はまさに端正ならざるなり。ゆえに正を守って初めて吉という。いわゆる「万夫之望」は、衆人がみな彼を仰望して彼を以て表率と為すなり。

子曰:顏氏之子,其殆庶幾乎!有不善未嘗不知,知之未嘗復行也。易曰“不逺復,無祇悔,元吉”。庶幾:庶幾近於道。無祇悔:韓曰,祇,大也。

孔子がいわく:顔回のこの人は、おそらく几微を懂得するに近きか。彼は不善あるに自ら知らざるなく、知れば則ち重ねて犯さず。《周易》の復卦初九に「遠く走らざるに返回して、大なる悔恨を造成するに至らず、大いに吉利」という。司馬光が解していわく:いわゆる「庶几」は、すなわちほぼ道に接近す。いわゆる「无祇悔」は、韓康伯がいわく、「祇」は大の意味。

天地絪縕,萬物化醇;男女構精,萬物化生。易曰“三人行則損一人,一人行則得其友”,言致一也。天地男女,皆一陰一陽相匹敵也。三人並進,或哲或愚,莫知適從,無以致治,雖志在於益而不免於損,故聖賢相遇,一人足矣。

「天地の二気が交融絪縕して、万物はこれによって化育醇厚す。男女が交合して精気し、万物はこれによって化生す。《周易》の損卦六三にいわく:三箇人が同行すれば則ち一人を减去し、一箇人が独行すればかえって伴侣を得。講ずるはまさに専一に帰せんとするなり」、司馬光が解していわく:天と地・男と女は、みな一陰一陽にして彼此に相配す。三箇人が一同に前進すれば、その中に明智なるもあり愚昧なるもあり、誰のを聴くべきかを知らず、治理を達成する法なし。本意は增益せんとするも、結果はかえって减損を免れず。ゆえに聖賢が相遇えば、一箇の人ありてもまた足る。

子曰:君子安其身而後動:眾附身安,乃能兼人。易其心而後語:彼不我疑,言則見信。定其交而後求:先施恩徳,無求不獲。君子修此三者,故全也:無失。危以動則民不與也:身不能自安,他人其誰附之。懼以語則民不應也。無交而求則民不與也:審其所以適人,知人之所以求我;交者,恩相往來之謂也;已無施於人而慾望人之施,人誰與之哉。

孔子がいわく:「君子は先ず自身を安穏ならしめて然る後に行動す」:衆人が帰附して自身が安穏なれば、然る後に初めて别人を兼容し得。「先ず自己の心態を平和ならしめて然る後に開口す」:相手が我を猜疑せざれば、説く話は人に信を取り得。「先ず交情を確定して然る後に求むる所有り」:先ず恩徳を施与すれば、則ち求めて得ざるなし。「君子はこの三条を修養す。ゆえに能く周全す」:すなわち閃失あらざらん。「険境に身を処して行動せば、百姓は則ち彼に響応せざらん」:自己すら安身し得ざれば、别人は誰か帰附を肯んぜん。「恐懼を心懐いて発言せば、百姓は則ち彼に応和せざらん。交情なくして求むる所有れば、百姓は則ち彼を帮助せざらん」:自己がどう人を待つかを審察して、初めて别人がなぜ我に求助するかを知る。いわゆる「交」は、恩惠が彼此に往来するなり。自己が人に対して毫も施与なきに、かえって别人が来りて自己に施与せんと指望するは、誰か彼に与えんや。

莫之與則傷之者至矣:忿其貪妄。易曰“莫益之,或擊之,立心勿恆,凶”:戒其立心勿以貪得為常。右第四章。

「彼を帮助する人なければ、則ち彼を傷害する人が来らん」:大家がみな彼の貪婪妄求を憤恨するがゆえに。「《周易》の益卦上九にいわく:彼を增益する人なく、かえって彼を攻撃する人あり。彼の立心は守恒すること能わず、凶険」:これは人々に告誡するに、貪求して得たるを常存の心思と為すなかれ。以上は第四章。

子曰:乾坤其易之門邪!乾,陽物也;坤,陰物也。陰陽合徳而剛柔有體,以體天地之撰,以通神明之徳。易之門:易由此出。乾坤合徳而剛柔有體:交錯而成眾卦,然其剛柔各自為體,撰故也。乾陽物,坤陰物:凡萬物之陽者皆為乾,陰者皆為坤。

孔子がいわく:乾坤はおそらく《易》の門戸か。乾は陽性の物、坤は陰性の物。陰陽の徳性が会合して剛柔が各々形体を具え、用いて天地の造作を体現し、用いて神明の徳性を会通す。司馬光が解していわく:いわゆる「易之門」は、《易》がここより産生するを言う。いわゆる「乾坤合徳而剛柔有体」は、乾坤が交錯して衆卦を生成するも、しかるにその中の剛と柔は各々一体と為るを言う。これはそれらの本性の造作によって決定せられたるなり。いわゆる「乾是陽物、坤是陰物」は、凡そ万物の中の陽に属するはみな乾に帰し、陰に属するはみな坤に帰すを言う。

乾坤相雜而成六子,六子者非他也,乾坤之雜也。乾坤者,陰陽之祖也。陰陽之精,騰為日月,散為水火,鼓為雷風,流為山澤。乾,健也;坤,順也。動、險、止者,健之枝也;入、麗、說者,順之體也。

乾坤が互相に交錯して六箇の子卦を生成す。いわゆる六子は別に来歴なく、ただ乾坤の交錯する産物のみ。乾坤は陰陽の祖宗。陰陽の精華は、升騰して日月と為り、散布して水火と為り、鼓盪して雷風と為り、流布して山沢と為る。乾の性質は剛健、坤の性質は柔順。震の動・坎の険・艮の止は、剛健の分出したる枝派。巽の入・離の麗・兌の説は、柔順の構成したる体系。

夫乾不專於天也,坤不專於地也。凡事物之健者皆乾也,順者皆坤也,動者皆震也,入者皆巽也,陷者皆坎也,麗者皆離也,止者皆艮也,說者皆兌也。夫八卦者,事之津,物之衢也,所以貫三極而體萬物也。

乾は決して天のみを指さず、坤もまた決して地のみを指さず。凡そ事物の中の剛健なるはみな乾に属し、柔順なるはみな坤に属し、動盪なるはみな震に属し、入伏なるはみな巽に属し、陷落なるはみな坎に属し、附麗なるはみな離に属し、静止なるはみな艮に属し、喜悅なるはみな兌に属す。八卦は、事情の津渡・万物の通衢にして、用いて天地人の三極を貫通して万物を体現するなり。

其稱名也,雜而不越;於稽其類,其衰世之意耶:雜而不越,雜舉事物以名其卦,而皆有倫理,不相逾越;衰世之意,世衰則憂患多。夫易,彰往而察來,而□顯闡幽:既兆為往,未至為來;顯者□之,幽者闡之;□顯闡幽者,□其顯,闡其幽也。

「それの称説する名目は、繁雑なれど常理を越出せず。それの類別を考察すれば、おそらく衰乱の世の心思か」:いわゆる「雑而不越」は、それが雑に各種の事物を挙げて卦に命名するも、みな条理に合して彼此に相逾越せざるを言う。いわゆる「衰世之意」は、世道が衰乱なれば則ち憂患必ず多きがゆえに。「《易》は既往を彰明して未来を察知し、顕著なるを隠微化し幽隠なるを闡発す(原文ここに一字欠く)」:すでに苗头を顕露したるを算して「往」と為し、まだ到来せざるを算して「来」と為す。顕著なるは則ちこれに収斂を加え、幽隠なるは則ちこれに闡発を加う。

開而當名辨物,正言□辭則備矣:□辭謂彖也;開釋義類,當其卦名,辨其爻物,正言其吉凶。其稱名也小,其取類也大,其□逺,其辭文,其言曲而中,其事肆而隠,因貳以濟民行,以明失得之報:肆謂不可為典要。右第五章。

「義理を開釈して名称を恰当、事物を分明ならしめ、正しく断語を講出せば、義理は完備す(原文ここに一字欠く)」:いわゆる「断辞」は彖辞を指す。義理の門類を開釈して、それを卦名に相当ならしめ、各爻の象する物を辨明して、明白にその吉凶を講出す。「それの称説する名目は細小にして、取譬する類別はかえって宏大。それの旨意は深遠にして、それの文辞は文采を富有す。それの話は曲折にして事理に切中し、それの叙する事は鋪陳してまた深意を隠含す。それは吉凶の両端に憑藉して百姓の行事を帮助し、用いて得失の報応を顕明す」:いわゆる「肆」は、それが固定して一成不変の準則と為る能わざるを言う。以上は第五章。

易之興也,其於中古乎:易更三聖然後能極深。作易者,其有憂患乎:有憂患則慮事深。是故履,徳之基也;謙,徳之柄也;復,徳之本也;恆,徳之固也;損,徳之修也;益,徳之裕也;困,徳之辨也;井,徳之地也;巽,徳之制也。

「《易》の興起は、おそらく中古の時代か」:《易》は伏羲・文王・孔子の三位の聖人の手を経て、然る後に能く幽深を窮極す。「《易》を創作した人は、おそらく心中に憂患を懐けるか」:心に憂患を懐けば、事情を考慮する才が深切なり。「ゆえに履卦は徳行の根基、謙卦は徳行の柄把、復卦は徳行の根本、恒卦は徳行の堅固、損卦は徳行の修治、益卦は徳行の寛裕、困卦は徳行の辨験、井卦は徳行の処所、巽卦は徳行の裁制」。

履,徳之基:履,禮也,進徳必由禮。謙,徳之柄:執而用之。復,徳之本:反求諸身。損,徳之修:克己。益,徳之裕:日新。困,徳之辨:韓曰,困而益明。井,徳之地:韓曰,所處不移,象居得其所也。巽,徳之制:發號施令以為制度也。

司馬光が逐条に解していわく:「履、徳之基」——「履」はすなわち礼、徳行を増進するは必ず礼を経由せん。「謙、徳之柄」——それを手中に執持して運用を加う。「復、徳之本」——反って自身の上に求索す。「損、徳之修」——すなわち自己を克制す。「益、徳之裕」——すなわち日日に更新す。「困、徳之辨」——韓康伯がいわく、困境に処して徳行はいよいよ顕明なり。「井、徳之地」——韓康伯がいわく、処する位置は遷移せず、居処が各々その所を得るに取象す。「巽、徳之制」——すなわち号令を発して法度を制定す。

履和而至,謙尊而光,復小而辨於物,恆雜而不厭,損先難而後易,益長裕而不設,困窮而通,井居其所而遷,巽稱而隠。履和而至:禮之用,和為貴;至者,言事倫之極致。復小而辨於物:韓曰,□而辨之,不逺復也。損先難而後易:韓曰,刻損以修身故先難,無患故後易。困窮而通:困而不失其所亨。井居其所而遷:韓曰,井居不移而能遷其施。

「履卦は和順にして極致に達し、謙卦は尊崇にしていよいよ光大し、復卦は細微にして能く事物を辨明し、恒卦は雑処して人をして厭煩せしめず、損卦は先ず難にして後に易、益卦は増長寛裕にして虚設せず、困卦は窮困にして能く通達し、井卦は居処して移らずして恩沢が外に遷り、巽卦は事宜に切合して形跡を露さず」。司馬光が解していわく:「履和而至」——《論語》に礼の運用は和を以て貴しと為すという。「至」は事理の倫次が極致に達するを言う。「復小而辨于物」——韓康伯がいわく、幽微の処にこれに辨別を加う。ゆえに能く「不遠復」(原文ここに一字欠く)。「損先難而後易」——韓康伯がいわく、刻苦して减損して自身を修養す。ゆえに起初は難し。日后に患なし。ゆえに後来は易し。「困窮而通」——困境に身を処しても、彼が亨通たる所以の物を失わず。「井居其所而遷」——韓康伯がいわく、井は本身は移動せざるも、能くその恩沢を遠処に輸送し得。

履以和行,謙以制禮,復以自知,恆以一徳,損以逺害,益以興利,困以寡怨,井以辨義,巽以行權。損以逺害:損己則人莫之害。益以興利:興利以益人。困以寡怨:牛悔叔曰,困而不失其所亨,寡怨者,不怨天,不尤人。井以辨義:識義所在,處之不移。右第六章。

「履卦は用いて行為を和順ならしめ、謙卦は用いて礼数を節制し、復卦は用いて自己を認識し、恒卦は用いて徳行を専一にし、損卦は用いて禍害を遠離し、益卦は用いて利益を興起し、困卦は用いて怨尤を减少し、井卦は用いて道義を辨明し、巽卦は用いて権変を施行す」。司馬光が解していわく:「損以遠害」——自己を减損すれば、别人は来りて加害せざらん。「益以興利」——利益の事を興弁して他人に惠及す。「困以寡怨」——牛悔叔がいわく、困に処しても彼が亨通たる所以の物を失わず。いわゆる「寡怨」は、すなわち上天を怨恨せず他人に帰咎せず。「井以辨義」——道義の所在を認清して、その中に安く処して動揺せず。以上は第六章。

易之為書也不可逺:道不可須臾離。為道也屢遷,變動不居,周流六虛,上下無常,剛柔相易:凡易之六位剛柔迭居,二有君上用謙徳之象,五有臣子居盛位之象。五不必專於為君,故有箕子之明夷;二不必專於為臣,故有王用享于帝。

「《易》のこの書は遠離すべからざるなり」:道は一刻も離開し得ざるがゆえに。「それの講ずる道は屡屡に変遷して、変動して居らず、六箇の爻位の間に周流して、あるいは上あるいは下にして常規なく、剛爻柔爻が互いに変易す」:《易》の六箇の爻位は、剛と柔と輪流に居処す。第二爻は時に君上が謙徳を施行する意象を呈現し、第五爻は時に臣子が盛位に居る意象を呈現す。第五爻は必ずしも専ら君主を指さず。ゆえに明夷卦六五に「箕子之明夷」あり。第二爻は必ずしも専ら臣子を指さず。ゆえに益卦六二に「王用享于帝」あり。

不可為典要,唯變所適。其出入以度,外內使知懼:典常要約,自內適外為出,自外適內為入,易出入六爻以為人內外之法度。又明於憂患與故,無有師保,如臨父母:故謂事之所以然。無有師保,自得楷法;如臨父母,言可嚴畏。初率其辭而揆其方,既有典常,茍非其人,道不虛行。

「それは固定して一成不変の準則と為すべからず、ただ変化に随いて適応するのみ。それの出と入とみな法度ありて、人をして外に対し内に対して戒惧を知らしむ」:「典常」はすなわち恒定の準則。内卦より外卦に走向するを「出」と称し、外卦より内卦に回帰するを「入」と称す。《易》は六爻の出入を用いて人の内外事務を処理する法度と為す。「また人をして憂患およびその中の緣故を明白ならしむ。師傅保傅が傍にあらざるも、父母に面するがごとし」:いわゆる「故」は、すなわち事情がかくのごとくなる所以の道理。いわゆる「无有師保」は、師保を必ずしもせずして自己に法度に循うを得るを言う。いわゆる「如臨父母」は、心に厳正敬畏を存するを言う。「起初にそれの文辞に依循してそれの義理を揣度すれば、則ちその中に自ら恒常の準則あるを発見せん。ただしあのようの人にあらざれば、道は空しく施行せざらん」。

易之為書也,原始要終以為質也:易以窮物之終始為本質。六爻相雜,惟其時物也:時異事殊,吉凶不同。其初難知,其上易知:本末也。初辭擬之,卒成之終。若夫雜物撰徳,辨是與非,則非其中爻不備:雜物撰徳,錯綜時物,數其徳行;中爻謂二至五。噫!亦要存亡吉凶,則居可知矣:知者觀其彖辭,剛思過半矣:彖統卦徳。右第七章。

「《易》のこの書は、開端を推究し終局を帰結するを以て本質と為す」:《易》は事物の始終を窮究するを以てそれの根本内容と為す。「六爻が互相に錯雑するは、過ぎず各爻の処する時位と象する所の物のみ」:時機が同じからず事情に別あれば、吉凶もまた一様ならず。「初爻の意義は知り難く、上爻の意義は知り易し」:これは本と末の関係。「初爻の爻辞はただ比擬推測するのみ、上爻に至って初めて最終に事情を了結を為す。錯雑して各種の物象し各爻の徳性を撰述し是と非を辨別するに至っては、中間のあの幾爻なくんば不完備」:いわゆる「雑物撰徳」は、各時の物象を錯綜して一一にそれらの徳行を数説す。「中爻」は指すは第二爻より第五爻に至る。「ああ!存亡吉凶を知らんと欲すれば、坐して其処に在れば則ち明白を得ん。明智の人はただ彖辞を看て、思考すればすでに半ばを過ぐ」:彖辞は一卦の徳性を統攝す。以上は第七章。

二與四同功而異位,其善不同,二多譽,四多懼,近也:同功,韓曰同陰功也;多懼,韓曰逼近君故多懼。柔之為道,不利逺者,其要無咎,其用柔中也:柔之為道,或以近而多懼,或以逺而不利,其要在於隨時適宜,不犯於咎,以中為用而已。三與五同功而異位,三多凶,五多功,貴賤之等也,其柔危,其剛勝邪。

「第二爻と第四爻とは功用が相同じくして位置が不同なり。それらの善処もまた一様ならず。二爻は多く賛誉を得、四爻は多く戒惧あり、それが君位に靠近するがゆえに」:いわゆる「同功」は、韓康伯がいわく同じく陰位の功に属す。いわゆる「多惧」は、韓康伯がいわく君位に迫近するがゆえに多く戒惧す。「柔の道理は、遠処に利せず。それの要領は過錯を出さざるに在り、それの作用は柔を以て中に居るに在り」:柔の道理は、あるいは君位に靠近するによって多く戒惧し、あるいは遠離するによってその利を得ず。関鍵は時に随い因応して宜を得て過錯を触犯せず、中を守るを以て用と為すのみ。「第三爻と第五爻とは功用が相同じくして位置が不同なり。三爻は多く凶険、五爻は多く功業。これは貴と賎の等級差別。柔を用いれば則ち危険、剛を用いておそらく初めて勝任し得ん」。

易之為書也,廣大悉備,有天道焉,有人道焉,有地道焉,兼三才而兩之,故六。六者非它也,三才之道也:三才各有陰陽。道有變動,故曰爻:爻以效三才之變動。爻有等,故曰物:上下剛柔,各有貴賤,等級不同,以象萬物。物相雜,故曰文:剛柔相雜,然後成文。文不當,故吉凶生焉:或承或乘,有愛有惡。

「《易》のこの書は、広博宏大にして備わらざるなし。その中に天道あり、人道あり、地道あり。天地人の三才を兼取して各々両爻を以て相配す。ゆえに六爻なり。いわゆる六は別の意思なく、すなわち三才の道なり」:三才は各自にみな陰陽の両面あり。「道に変動あり。ゆえに爻と称す」:爻は用いて三才の変動を仿効するなり。「爻に等級あり。ゆえに物と称す」:上下の剛柔は各々貴賎ありて、等級は相同じからず、用いて万物を象征す。「物象が互相に錯雑す。ゆえに文と称す」:剛柔が互相に錯雑して、然る後に文采を形成す。「文采の配置が当たらざれば、ゆえに吉凶が則ち産生す」:あるいは上に承接し、あるいは下に凌乗して、ここにおいて相愛するもあり相憎するもあり。

易之興也,其當殷之末世、周之盛徳邪?當文王與紂之事邪?是故其辭危,危者使平,易者使傾,其道甚大,百物不廢,懼以終始,其要無咎,此之謂易之道也。其辭危:惡直醜正,實繁有徒。易者使傾:韓曰,易,慢易也。其要無咎:福莫長於無禍。右第八章。

「《易》の興起は、おそらく殷商の末世・周徳の興盛する時に正しく当たるか。おそらく周文王と商紂王のあの段の事情に当たるか。ゆえにそれの言辞は危惧を充満す。心に危惧を存するは彼をして平安を得しめ、掉軽心するは彼をして傾覆せしめ得。それの道理は十分に宏大にして、万事万物に涵盖せざるなし。始より終に至るまで心に戒惧を懐きて、その要領は過錯を出さざるに在り。これを《易》の道理と称す」。司馬光が解していわく:「其辞危」は、当時に正直を憎悪し公正を丑詆する人が実に成群結党したるがゆえに。「易者使傾」は、韓康伯がいわく、「易」は怠慢軽忽の意味。「其要无咎」は、福気は禍患なきより長久なるはなしを言う。以上は第八章。

夫乾,天下之至健也,徳行恆易以知險;夫坤,天下之至順也,徳行恆簡以知阻:乾健坤順,各守一徳,以生萬物,故曰易簡;然探賾索隠,鉤深致逺,萬物之情偽不能逃,故知險阻也。能說諸心,能研諸侯之慮,定天下之吉凶,成天下之亹亹者:王輔嗣《略例》曰,能研諸慮,則“侯”之衍字也。人以易能言吉凶之所在,故悅之;知得失之有報,故審而行之。

「乾は天下の最も剛健にして、それの徳行は永遠に平易にして能く険難を洞知す。坤は天下の最も柔順にして、それの徳行は永遠に簡約にして能く阻碍を洞知す」:乾は剛健・坤は柔順にして、各々一種の徳性を守住して万物を生養す。ゆえに「易簡」と称す。しかるにそれらは幽賾を探究し隠微を捜尋し深奥を鈎取し遠大を招致して、万物の真情と虚偽はみな逃れ得ず。ゆえに能く険阻を洞知す。「それは人をして心中に喜悅せしめ得、人々の思慮を研求し得、天下の吉凶を判定し、天下の人の勤勉不懈を促成し得」:王弼の《周易略例》に「能研諸慮」と作る。見えば「侯」は衍出の多余の字なり。人々は《易》が能く吉凶の所在を説出するがゆえに、それを喜愛す。得失にみな報応あるを知れば、ゆえに慎重にそれに照らして去做す。

是故變化云為,吉事有祥,象事知器,占事知來:象事知器,以制器者尚其象;占事知來,以卜筮者尚其占。韓曰:夫變化云為者,行其吉事則獲嘉祥之應,觀其象事則知制器之方,玩其占事則睹方來之驗也。天地設位,聖人成能:天地能示人法象而不能教也,能生成萬物而不能治也,聖人教而治之,以成天地之能。

「ゆえに変化と言行の中に在りて、吉善の事を行えば則ち祥瑞あり。象を観る事は器物の制作を知り得、占問の事は未来を預知し得」:いわゆる「象事知器」は、すなわち器物を制作する人はそれの物象を推重す。いわゆる「占事知来」は、すなわち卜筮する人はそれの占断を推重す。韓康伯がいわく:いわゆる変化と言行は、吉善の事を為せば則ち嘉祥の感応を獲得し、物象の事を観察すれば則ち制器の門径を知り、占問の事を玩味すれば則ち将来の応験を見るを言う。「天地が上下の位を設定し、聖人がそれらの功能を成就す」:天地は能く人に法象を顕示するも施教し得ず、能く万物を生成するも治理し得ず。ゆえに聖人が施教治理するに頼りて、天地の功能を成就す。

人謀鬼謀,百姓與能:韓曰,鬼謀,寄卜筮以考吉凶也。光謂:聖人謀之於人,謀之於鬼,以考失得,故舉無不當;能如是者,則百姓與之。八卦以象告:示以吉凶之象。爻彖以情言:言其失得之情。剛柔雜居而吉凶可見矣:各居其所而不相交則無吉凶。

「人が謀劃し、鬼神もまた来りて謀劃し、百姓もまたその能に参与す」:韓康伯がいわく、いわゆる「鬼謀」は、卜筮を借りて吉凶を考察するなり。司馬光がいわく:聖人はすでに人に向かいて謀劃し、また鬼神に向かいて謀劃して、用いて得失を考核す。ゆえに一挙一動は恰当ならざるなし。こうすること能く至れば、百姓は自然に彼を擁護す。「八卦は物象を用いて人に告知す」:人に吉凶の意象を顕示す。「爻辞彖辞は実情を用いて言説す」:その中の得失の実情を説出す。「剛爻柔爻が錯雑して相処せば、吉凶は則ち見るを得」:若し各々その位を守りて彼此に相交涉せざれば、吉凶と謂うなし。

變動以利言:韓曰,變而通之以盡利。吉凶以情遷:恃吉而驕怠則凶,畏凶而戒慎則吉,故曰以情遷。是故愛惡相考而吉凶生,逺近相取而悔吝生,情偽相感而利害生。凡易之情,近而不相得則凶,或害之,悔且吝:攻猶取也。

「変動は利益について言う」:韓康伯がいわく、それを変通するは事物の利を窮尽せんがため。「吉凶は人の情態に随いて遷移す」:吉利を倚仗して驕矜怠惰すれば則ち凶に転じ、凶険を畏懼して戒惧謹慎すれば則ち吉に転ず。ゆえに「以情遷」という。「ゆえに喜愛と厭悪と互いに考較して、吉凶が則ち産生す。遠と近と互いに取用して、悔吝が則ち産生す。真情と虚偽と互いに感応して、利害が則ち産生す。大凡《易》の講ずる情理は:彼此に接近するも相得る能わざれば則ち凶険、あるいは傷害を受け、悔恨ありまた憾惜あり」:ここの「攻」は「取」に相当す。

將叛者其辭慚,中心疑者其辭枝,吉人之辭寡,躁人之辭多,誣善之人其辭游,失其守者其辭屈:辭慚者,不能隠其實;辭枝者,一左一右;辭寡者,敏於行;辭多者,急求人知;辭遊者,必茍巧飾;辭屈者,內無主。右第九章。

「まさに背叛せんとする人は、説話に慚愧を帯び。心中に疑惑ある人は、説話が枝蔓して定まらず。吉善の人は話少なく、浮躁の人は話多し。好人を誣陥する人は、説話が游移して定まらず。操守を失掉した人は、説話が理屈して詞窮す」:説話が慚愧は、実情を掩蔵し得ざるがゆえに。説話が枝蔓は、忽ち左忽ち右なり。話少なき人は、行動に敏なり。話多き人は、別人に自己を知らしめんと急ぐなり。説話が游移する人は、必ず苟且巧飾せり。説話が理屈する人は、内心に主見なきなり。以上は第九章。

説卦

說卦。昔者聖人之作易也,幽贊於神明而生蓍,參天兩地而倚數,觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生爻,和順於道徳而理於義,窮理盡性以至於命。

これは《説卦伝》である。従前、聖人が《周易》を創作するに、暗中に神明の賛助を得て蓍占の法を創出し、天数の三・地数の二を取って数を立つる依拠と為し、陰陽の変化を観察して卦体を確立し、剛柔の意義を発揮し出して爻を産生し、一切を道徳に和順して義に条理ならしめ、物理を窮究し本性を尽通して、天命を通暁するに至るまで。

昔者聖人之作易也,將以順性命之理,是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義,兼三才而兩之,故易六畫而成卦;分陰分陽,迭用柔剛,故易六位而成章。三才者,天,陽也;地,陰也;人者,陰陽之中也。以物言之,則陽也,陰也,太極也;以事言之,則始也,壯也,究也;以位言之,則下也,中也,上也。三才之中,復有陰陽焉,故因而重之以為六爻,而天下之能事畢矣。

従前、聖人が《周易》を創作したは、性命の道理に順応せんとするなり。ゆえに天の道を確立して陰と陽と称し、地の道を確立して柔と剛と称し、人の道を確立して仁と義と称す。三才を兼取して各々両爻を以て相配す。ゆえに《易》は六画を画き満たして初めて一卦を成す。陰位と陽位を分出し、交替して柔爻と剛爻を使用す。ゆえに《易》に六箇の爻位ありて文理を成す。司馬光が解していわく:いわゆる三才は、天は陽に属し、地は陰に属し、人は則ち陰陽の中に居る。物の角度より言えば、すなわち陽・陰・太極。事の角度より言えば、すなわち開始・壮盛・終結。位の角度より言えば、すなわち下・中・上。三才の中にまた各々陰陽あり。ゆえに三画卦を重畳して六爻と成せば、天下の一切の為すべき事は則ちみな斉備す。

天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯。數往者順,知來者逆,是故易逆數也。雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以晅之,艮以止之,兌以說之,乾以君之,坤以藏之。

天と地とは上下の位を確定し、山と沢とは気息が相通じ、雷と風とは互いに激盪し、水と火とは相厭棄せず、八卦は彼此に交錯す。已往の事を数を推するは順推、未来の事を預知するは逆推。ゆえに《周易》の講ずるは逆推の数なり。雷は用いて万物を鼓動し、風は用いて万物を吹散し、雨は用いて万物を滋潤し、太陽は用いて万物を晒暖し、艮は用いて万物を止息し、兌は用いて万物を欣悦せしめ、乾は用いて万物を主宰し、坤は用いて万物を収蔵す。

帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮。萬物出乎震,震,東方也。齊乎巽,巽,東南也;齊也者,言萬物之潔齊也。離也者,明也,萬物皆相見,南方之卦也,聖人南面而聽天下,嚮明而治,葢取諸此也。

天帝は震卦より出発し、巽卦において万物を整斉し、離卦において万物をして相見えしめ、坤卦において万物を役使して生養せしめ、兌卦において万物をして喜悅せしめ、乾卦において陰陽が交戦し、坎卦において万物をして労倦せしめ、艮卦において万物をして終成せしむ。万物は震卦より出生す。震は東方に在り。巽卦において整斉す。巽は東南に在り。いわゆる「斉」は、万物が潔浄整斉を言う。離はすなわち光明、万物はみなここに彼此に顕現す。それは南方の卦。聖人は南面して天下を聴治し、光明の方向に朝かいて治理す。おそらくここに取象せるか。

坤也者,地也,萬物皆致養焉,故曰致役乎坤。兌,正秋也,萬物之所說也,故曰說言乎兌。戰乎乾,乾,西北之卦也,言陰陽相薄也。坎者,水也,正北方之卦也,勞卦也,萬物之所歸也,故曰勞乎坎。艮,東北之卦也,萬物之所成終而所成始也,故曰成言乎艮。

坤はすなわち大地、万物はみなここに養育を得。ゆえに「致役乎坤」という。兌は、まさに秋季に当たり、万物が欣悦する時。ゆえに「説言乎兌」という。「戦乎乾」は、乾は西北方の卦にして、説くは陰陽の二気がここに激盪交戦するなり。坎はすなわち水、正北方の卦にして、また労倦の卦、万物はここに至りてみな帰蔵す。ゆえに「労乎坎」という。艮は、東北方の卦にして、万物はここに終結を完成し、また新たなる起点を開始す。ゆえに「成言乎艮」という。

神也者,妙萬物而為言者也。動萬物者莫疾乎雷,撓萬物者莫疾乎風,燥萬物者莫熯乎火,說萬物者莫說乎澤,潤萬物者莫潤乎水,終萬物始萬物者莫盛乎艮。故水火相逮,雷風不相悖,山澤通氣,然後能變化,既成萬物也。乾,健也;坤,順也;震,動也;巽,入也;坎,陷也;離,麗也;艮,止也;兌,說也。

いわゆる「神」は、それが万物をして変化神妙ならしむるについて言う。万物を鼓動するは雷より迅疾なるなく、万物を揺撼するは風より迅疾なるなく、万物を烘干するは火より熾熱なるなく、万物を取悦するは沢より人をして喜悦せしむるなく、万物を滋潤するは水より湿潤なるなく、万物を終結しまた万物を開始するは艮より盛大なるなし。ゆえに水火は互いに追及し、雷風は互いに違逆せず、山沢は気息が相通じて、然る後に能く変化を生出し、万物を成就す。乾の性質は剛健、坤は柔順、震は震動、巽は入伏、坎は陷落、離は附麗、艮は静止、兌は喜悅。

乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞,坎為豕,離為雉,艮為狗,兌為羊。乾為首,坤為腹,震為足,巽為股,坎為耳,離為目,艮為手,兌為口。乾,天也,故稱乎父;坤,地也,故稱乎母;震一索而得男,故謂之長男;巽一索而得女,故謂之長女;坎再索而得男,故謂之中男;離再索而得女,故謂之中女;艮三索而得男,故謂之少男;兌三索而得女,故謂之少女。

動物について言えば:乾は馬を象征し、坤は牛を象征し、震は龍を象征し、巽は鶏を象征し、坎は猪を象征し、離は野鶏を象征し、艮は狗を象征し、兌は羊を象征す。人身について言えば:乾は頭を象征し、坤は腹を象征し、震は足を象征し、巽は大腿を象征し、坎は耳を象征し、離は眼を象征し、艮は手を象征し、兌は口を象征す。乾は天、ゆえに父と称す。坤は地、ゆえに母と称す。震は坤が初めて乾に向かいて求索して陽爻を得て男と為る。ゆえに長男と称す。巽は乾が初めて坤に向かいて求索して陰爻を得て女と為る。ゆえに長女と称す。坎は第二次に求索して男を得。ゆえに中男と称す。離は第二次に求索して女を得。ゆえに中女と称す。艮は第三次に求索して男を得。ゆえに少男と称す。兌は第三次に求索して女を得。ゆえに少女と称す。

乾為天,為圜,為君,為父,為玉,為金,為寒,為冰,為大赤,為良馬,為老馬,為瘠馬,為駁馬,為木果。坤為地,為母,為布,為釡,為吝嗇,為均,為子母牛,為大輿,為文,為眾,為柄,其於地也為黒。

乾の象征する所有り:天、円形、君主、父親、玉、金属、寒冷、冰、大紅色、良馬、老馬、瘦馬、雑色馬、樹上の果実。坤の象征する所有り:大地、母親、布帛、鍋釜、吝嗇、均平、小牛を帯びた母牛、大車、文彩、众多、柄把。地の方面に在りては則ち黒色を象征す。

震為雷,為龍,為□黃,為旉,為大塗,為長子,為決躁,為蒼筤竹,為萑葦;其於馬也,為善鳴,為馽足,為作足,為的顙;其於稼也,為反生;其究為健,為蕃鮮。

震の象征する所有り:雷、龍、青黄雑色(原文ここに一字欠く)、花の開放、寛濶の大路、長子、決断にして急躁、青嫩の竹子、芦葦。馬の方面に在りては、善く嘶鳴する馬・後左腿に白色ある馬・行走する時に足を高く抬ぐる馬・額頭に白斑ある馬を象征す。庄稼の方面に在りては、種子が返生して倒長する作物を象征す。推究して極処に至れば則ち剛健を象征し、繁茂鮮活を象征す。

巽為木,為風,為長女,為繩直,為工,為白,為長,為髙,為進退,為不果,為臭;其於人也,為寡髮,為廣顙,為多白眼,為近利市三倍;其究為躁卦。

巽の象征する所有り:木、風、長女、繩墨のごとき正直、工匠、白色、長、高、進退が定まらず、事を為すに果断ならず、気味。人の方面に在りては、頭髪稀少の人・額頭寛濶の人・眼白多き人・近利を貪求して三倍の市利を獲る人を象征す。推究して極処に至れば則ち躁動の卦と為る。

坎為水,為溝瀆,為隠伏,為矯輮,為弓輪;其於人也,為加憂,為心病,為耳痛,為血卦,為赤;其於馬也,為羙脊,為亟心,為下首,為薄蹄,為曳;其於輿也,為多眚,為通,為月,為盜;其於木也,為堅多心。

坎の象征する所有り:水、溝渠、隠蔵潜伏、彎曲を矯正す、弓と車輪。人の方面に在りては、憂愁加重・心病・耳痛を象征し、また血卦と為りて赤色を象征す。馬の方面に在りては、脊背美好の馬・性子急躁の馬・頭を低める馬・蹄薄の馬・腿を拖いて走る馬を象征す。車の方面に在りては、多く災患を象征す。また通達・月亮・盗賊を象征す。樹木の方面に在りては、堅硬にして木心多き樹を象征す。

離為火,為日,為電,為中女,為甲冑,為戈兵;其於人也,為大腹;為乾卦,為鱉,為蠏,為蠃,為蚌,為龜;其於木也,為科上槁。坎,陽也,而為月;離,陰也,而為日,何也?日者,至陽之精也;月者,至陰之精也。坎,北方也,陰之極也,陰極則陽生其中矣;離,南方也,陽之極也,陽極則陰生其中矣。故坎離者,陰陽之交際,變化之本原也。

離の象征する所有り:火、太陽、閃電、中女、鎧甲頭盔、戈矛兵器。人の方面に在りては、大肚子の人を象征す。また乾燥の卦と為りて、鱉・蟹・螺・蚌・亀を象征す。樹木の方面に在りては、中空にして上端枯槁の樹を象征す。司馬光が解していわく:坎は本より陽卦なれど、かえって月亮を象征す。離は本より陰卦なれど、かえって太陽を象征す。これはなぜか。太陽は至陽の精華、月亮は至陰の精華なるがゆえに。坎は北方に在りて、陰の極点、陰が極点に至れば陽は則ちその中に萌生す。離は南方に在りて、陽の極点、陽が極点に至れば陰は則ちその中に萌生す。ゆえに坎離の両卦は、まさに陰陽の交接する処・変化の本原なり。

艮為山,為徑路,為小石,為門闕,為果蓏,為閽寺,為指,為狗,為鼠,為黔喙之屬;其於木也,為堅多節。兌為澤,為少女,為巫,為口舌,為毀折,為附決;其於地也,為剛滷;為妾,為羊。

艮の象征する所有り:山、小路、小石頭、門楼、樹上の果実と藤蔓の瓜類、門を守る閽人と内侍、手指、狗、鼠、および黒嘴の猛獣の類。樹木の方面に在りては、堅硬にして節多き樹を象征す。兌の象征する所有り:沼沢、少女、巫祝、口舌、毀壊折断、附着して後に决裂。土地の方面に在りては、堅硬の鹽鹼地を象征す。また侍妾を象征し、羊を象征す。

序卦

序卦。有天地然後萬物生焉,盈天地之間者唯萬物,故受之以屯。屯者,盈也;屯者,物之始生也。物生必蒙,故受之以蒙。蒙者,蒙也,物之稚也。物稚不可不養也,故受之以需。需者,飲食之道也。飲食必有訟,故受之以訟。訟必有眾起,故受之以師。師者,眾也。眾必有所比,故受之以比。比者,比也。

これは《序卦伝》である。先ず天地ありて、然る後に万物が初めて産生す。天地の間に充盈するはただ万物のみ。ゆえに接続するは屯卦。「屯」は充盈の意味にして、また万物の初生の意味。万物は初生すれば必ず蒙昧す。ゆえに接続するは蒙卦。「蒙」はすなわち蒙昧にして、指すは万物の幼稚の階段。万物が幼稚なれば養育を加えざるべからず。ゆえに接続するは需卦。「需」が講ずるは飲食供養の道。飲食あれば必ず争訟あり。ゆえに接続するは訟卦。争訟あれば必ず衆人が興起す。ゆえに接続するは師卦。「師」はすなわち衆人。衆人は必ず親比する所有り。ゆえに接続するは比卦。「比」はすなわち親近依附。

比必有所畜,故受之以小畜。物畜然後有禮,故受之以履。履而泰然後安,故受之以泰。泰者,通也。物不可以終通,故受之以否。物不可以終否,故受之以同人。與人同者物必歸焉,故受之以大有。有大者不可以盈,故受之以謙。有大而能謙必豫,故受之以豫。豫必有隨,故受之以隨。以喜隨人者必有事,故受之以蠱。蠱者,事也。

親比の後に必ず畜聚する所有り。ゆえに接続するは小畜卦。事物に畜積ありて然る後に初めて礼節を講ず。ゆえに接続するは履卦。礼節を践行して通泰し、然る後に初めて安定し得。ゆえに接続するは泰卦。「泰」はすなわち通達。事物は永遠に通達する能わず。ゆえに接続するは否卦。事物もまた永遠に閉塞する能わず。ゆえに接続するは同人卦。能く人と和同するは、万物は必ず彼に帰附す。ゆえに接続するは大有卦。盛大を擁有するは自満すべからず。ゆえに接続するは謙卦。盛大を擁有してまた能く謙虚なれば、必ず安楽す。ゆえに接続するは豫卦。安楽すれば必ず追随する人あり。ゆえに接続するは随卦。喜悅によって別人に追随するは、必ず事情あらん。ゆえに接続するは蠱卦。「蠱」はすなわち事情。

有事而後可大,故受之以臨。臨者,大也。物大然後可觀,故受之以觀。可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者,合也。物不可以茍合而已,故受之以賁。賁者,飾也。致飾然後亨則盡矣,故受之以剝。剝者,剝也。物不可以終盡,剝窮上反下,故受之以復。復則不妄矣,故受之以無妄。有無妄然後可畜,故受之以大畜。物畜然後可養,故受之以頤。頤者,養也。

事情ありて然る後に初めて壮大し得。ゆえに接続するは臨卦。「臨」はすなわち壮大。事物が壮大して然る後に初めて観瞻に供し得。ゆえに接続するは観卦。観瞻に供し得て然る後に合聚する所有り。ゆえに接続するは噬嗑卦。「嗑」はすなわち合。事物はただ苟且湊合するのみならすべからず。ゆえに接続するは賁卦。「賁」はすなわち文飾。文飾が極致に至れば、亨通の道もまた窮尽す。ゆえに接続するは剥卦。「剥」はすなわち剥落。事物は終に剥尽する能わず、剥落して上位に窮極すれば則ち下位に返回せん。ゆえに接続するは復卦。正道に返帰すれば則ち虚妄せず。ゆえに接続するは无妄卦。真実无妄ありて然る後に初めて畜聚し得。ゆえに接続するは大畜卦。事物に畜積ありて然る後に初めて養育し得。ゆえに接続するは頤卦。「頤」はすなわち養育。

不養則不可動,故受之以大過。物不可以終過,故受之以坎。坎者,陷也。陷必有所麗,故受之以離。離者,麗也。有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。

養育を加えざれば行動する所有る能わず。ゆえに接続するは大過卦。事物は永遠に过分する能わず。ゆえに接続するは坎卦。「坎」はすなわち陷落。陷落の後に必ず附着する所有り。ゆえに接続するは離卦。「離」はすなわち附麗。以上は上経。先ず天地ありて然る後に万物あり、万物ありて然る後に男女あり、男女ありて然る後に夫婦あり、夫婦ありて然る後に父子あり、父子ありて然る後に君臣あり、君臣ありて然る後に上下の分あり、上下の分ありて然る後に礼義に安放する処あり。

夫婦之道不可以不久也,故受之以恆。恆者,久也。物不可以久居其所,故受之以遁。遁者,退也。物不可以終遁,故受之以大壯。物不可以終壯,故受之以晉。晉者,進也。進必有所傷,故受之以明夷。夷者,傷也。傷於外者必反其家,故受之以家人。家道窮必乖,故受之以睽。睽者,乖也。乖必有難,故受之以蹇。蹇者,難也。物不可以終難,故受之以解。解者,緩也。

夫婦の道は長久ならざるべからず。ゆえに接続するは恒卦。「恒」はすなわち長久。事物は長久に一箇の地方に停留する能わず。ゆえに接続するは遁卦。「遁」はすなわち退避。事物は永遠に退避する能わず。ゆえに接続するは大壮卦。事物もまた永遠に壮盛する能わず。ゆえに接続するは晋卦。「晋」はすなわち上進。上進すれば必ず損傷する所有り。ゆえに接続するは明夷卦。「夷」はすなわち損傷。外面に在りて傷を受けたるは必ず自己の家中に返回す。ゆえに接続するは家人卦。家道が窮困すれば必ず乖離す。ゆえに接続するは睽卦。「睽」はすなわち乖離。乖離すれば必ず危難に遭遇す。ゆえに接続するは蹇卦。「蹇」はすなわち危難。事物は永遠に危難に処する能わず。ゆえに接続するは解卦。「解」はすなわち緩解。

緩必有所失,故受之以損。損而不已必益,故受之以益。益而不已必決,故受之以夬。夬者,決也。決必有所遇,故受之以姤。姤者,遇也。物相遇而後聚,故受之以萃。萃者,聚也。聚而上者謂之升,故受之以升。升而不已必困,故受之以困。困乎上者必反下,故受之以井。井道不可不革,故受之以革。革物者莫若鼎,故受之以鼎。

緩解し下れば必ず失落する所有り。ゆえに接続するは損卦。减損して停まざれば必ず增益に転ず。ゆえに接続するは益卦。增益して停まざれば必ず決溢せん。ゆえに接続するは夬卦。「夬」はすなわち決断。決断の後に必ず遭遇する所有り。ゆえに接続するは姤卦。「姤」はすなわち相遇。事物が相遇して然る後に聚集す。ゆえに接続するは萃卦。「萃」はすなわち聚集。聚集して上に向かうを上升と称す。ゆえに接続するは升卦。上升して停まざれば必ず困頓す。ゆえに接続するは困卦。上に在りて困を受くるは必ず下に返回す。ゆえに接続するは井卦。水井の道は変革を加えざるべからず。ゆえに接続するは革卦。事物を変革するは鼎より合适なるなし。ゆえに接続するは鼎卦。

主器者莫若長子,故受之以震。震者,動也。物不可以終動,止之,故受之以艮。艮者,止也。物不可以終止,故受之以漸。漸者,進也。進必有所歸,故受之以歸妹。得其所歸者必大,故受之以豐。豐者,大也。窮大者必失其居,故受之以旅。旅而無所容,故受之以巽。巽者,入也。

宗廟祭器を主持するは長子より合适なるなし。ゆえに接続するは震卦。「震」はすなわち震動。事物はずっと動きて停まらざる能わず、総じてそれを止住す。ゆえに接続するは艮卦。「艮」はすなわち止息。事物もまた永遠に止息する能わず。ゆえに接続するは漸卦。「漸」はすなわち漸進。漸進すれば必ず帰宿する所有り。ゆえに接続するは帰妹卦。帰宿を得るは必ず壮大す。ゆえに接続するは豊卦。「豊」はすなわち盛大。盛大して極点に至るは必ず自己の居所を失去す。ゆえに接続するは旅卦。羈旅して外に在りて容身する処なし。ゆえに接続するは巽卦。「巽」はすなわち進入。

入而後說之,故受之以兌。兌者,說也。說而後散之,故受之以渙。渙者,離也。物不可以終離,故受之以節。節而信之,故受之以中孚。有其信者必行之,故受之以小過。有過物者必濟,故受之以既濟。物不可窮也,故受之以未濟,終焉。

進入の後に則ち人をして喜悅せしむ。ゆえに接続するは兌卦。「兌」はすなわち喜悅。喜悅の後に則ち疏散し開くを要す。ゆえに接続するは渙卦。「渙」はすなわち離散。事物は永遠に離散する能わず。ゆえに接続するは節卦。節制ありて人をして信従せしむ。ゆえに接続するは中孚卦。誠信ある人は必ず実行に付す。ゆえに接続するは小過卦。事を為すに常人を超過する処あるは必ず能く成功す。ゆえに接続するは既済卦。事物は窮尽了結する能わず。ゆえに接続するは未済卦。全書はここに終結す。

雑卦

雜卦傳。乾剛坤柔,比樂師憂。臨、觀之義,或與或求。屯見而不失其居,蒙雜而著。震,起也;艮,止也。損益,盛衰之始也。大畜,時也;無妄,災也。萃聚而升不來也,謙輕而豫怠也。噬嗑,食也;賁,無色也。兌見而巽伏也。隨,無故也;蠱則飭也。剝,爛也;復,反也。晉,晝也;明夷,誅也。井通而困相遇也。

これは《雑卦伝》である。乾は剛健にして坤は柔順、比卦は歓楽にして師卦は憂愁。臨卦と観卦の意義は、一つは施与、一つは求取。屯卦は初生顕現してその応有の居処を失わず、蒙卦は駁雑にして漸く顕明に趨く。震は奮起、艮は止息。損と益は、盛と衰の開端。大畜が講ずるは時機、无妄が講ずるは意外の災。萃は聚合にして升は上行して返らず、謙は自軽自下にして豫は安逸怠惰。噬嗑が講ずるは吃食、賁が講ずるは文飾が無色に帰す。兌は外に顕現して巽は内に潜伏す。随は旧故を守らず、蠱は則ち積弊を整飭す。剥は剥落腐爛、復は回返。晋は白昼のごとく、明夷は誅傷を遭受す。井は通達にして困は困厄に遭遇す。

咸,速也;恆,久也。渙,離也;節,止也。解,緩也;蹇,難也。睽,外也;家人,內也。否泰反其類也。大壯則止,遁則退也。大有,眾也;同人,親也。革,去故也;鼎,取新也。小過,過也;中孚,信也。豐,多故也;親寡,旅也。

咸は感応迅速、恒は持守長久。渙は離散、節は節止。解は緩解、蹇は艱難。睽は外に背離し、家人は内に团聚す。否と泰は彼此相反の両類。大壮は壮盛にして止むを知り、遁は退避。大有は所有者が众多、同人は人と親和す。革は旧きを革除し、鼎は新しきを取用す。小過は少し過越あり、中孚は心中に誠信。豊は事故繁多、親近する人が稀少なれば則ち羈旅と成る。

離上而坎下也。小畜,寡也;履,不處也。需,不進也;訟,不親也。大過,顛也。姤,遇也,柔遇剛也。漸,女歸待男行也。頤,養正也。既濟,定也。歸妹,女之終也。未濟,男之窮也。夬,決也,剛決柔也,君子道長,小人道憂也。案:序卦說、雜卦說並原本缺。

離の性は上に向かい坎の性は下に向かう。小畜は畜聚する所が稀少、履は処する所に安んぜず。需は等待して冒進せず、訟は彼此に相亲わず。大過は本末が顛倒す。姤は相遇にして、陰柔が来りて陽剛に遇う。漸は女子が嫁に行くに男方の依礼に来り迎えるを待つ。頤は養育が正道に合するを要す。既済は各爻が各々その定位を得。帰妹は女子が帰宿ありて終身に托す。未済は陽剛が窮困して事いまだ成らず。夬は決断にして、陽剛が陰柔を決除す。君子の道は日に増長し、小人の道は則ち日に憂危す。館臣按語:《序卦》《雑卦》の両篇の司馬光の解説は、原本にてみな已に缺失せり。

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