皇极经世心易发微
天地が一開一合し、「元」「会」「運」「世」を運転して永く止まらないのは、これを支えるものが「理」と「数」の二つにほかならないからである。数は…
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
皇極經世心易発微
皇極經世心易発微・序
運闔開以成元會運世而不已者,理與數而已。是故數由理生,理由數著者也。未形之初,有理斯有數,有數斯有象,既形之後,因象以推數,因子以推理,理者太虛之實義,而數者太虛之定分也。故河圖兆祥,伏羲因之而畫卦,孔子因之而作大衍,皆所以成變化而行鬼神,發明河圖之數也。
天地が一開一合し、「元」「会」「運」「世」を運転して永く止まらないのは、これを支えるものが「理」と「数」の二つにほかならないからである。数は理から生じ、理はまた数によって顕現する。天地万物がまだ形を成さない先には、理あれば数があり、数あれば象がある。すでに形を成した後には、人は象によって数を推し測り、さらに数によって理へ遡る。「理」とは太虚のうちの真実虚ならざる義蘊であり、「数」とは太虚のうちの確定して移らざる分限である。だから《河図》が祥瑞を現し、伏羲がそれによって八卦を画き、孔子がそれによって「大衍」の筮法を推し演じたのは、みな万物の変化を成就し、鬼神の功用を推行して、《河図》に含まれる数理を闡明するためであった。
自孔子沒後之言數者,流於術而大義晦矣,至宋邵康節得李挻之之傳,著為皇極經世書,其命象定數自為一家,形於道即太極動靜之機著於文,即伏羲奇偶之畫,自無生有,自有生無也。夫無之生有者,無極而太極也。有之生無者,動之而靜也。
孔子が亡くなって以後、数を論ずる者は多くが一技一術に流れ、聖人の大義はかえって晦昧になった。宋になって邵康節(邵雍)が李挻之の伝授を得て、《皇極経世書》を著した。彼は象を立て数を定めて自ら一家を成した。道体に落とせば太極の一動一静の機括であり、文字符号に落とせば伏羲の画いた奇偶の両爻である。この学問が説くのは、無から有を生じ、有からまた無へ帰ることである。「無生有」とは無極より太極となることであり、「有生無」とは動が静に復帰することである。
或有或無天道之妙,一動一靜,太極之根,往來相資,屈伸相感,通變化成天下之文,極其數遂定天下之象,故在天則有日月星辰風雨露雷以成其象,在地則有水、石、飛、走、草、朩、以成其形,在人則有性、情、形、體、聲、色、臭、味感應變化,消息盈虛而循環而不已焉,是故以元經會以運經世,大而天地之終始,小而人物之死生,遠而古今之世變無不該貫,蓋得伏羲畫卦之意,而發孔子之未發者也。
忽ち有り忽ち無きは、まさに天道の微妙なるところであり、一動一静は、まさに太極の根柢である。有無の往来は互いに凭借し、屈伸進退は彼此感応する。その変化を会通すれば天下の文彩が成り、その数目を窮めれば天下の物象が定まる。だから天には日・月・星・辰・風・雨・露・雷があって天象を構成し、地には水・石・飛禽・走獣・草・木があって地形を構成し、人の身には性・情・形・体・声・色・臭・味があって物に感応して変化し、消長盈虚して循環し止まない。まさにこのゆえに《皇極経世》は「以元経会」「以運経世」の法を用いて、大きくは天地の開闢と終結から、小さくは人物の生死、遠くは古往今来の世道の変遷に至るまで、すべて一をもって貫いた。これは真に伏羲画卦の本意を領会し、孔子が言い尽くさなかった道理を発揮したものである。
要其本旨皆原於易,夫易者,一也,易之一即道之中也,中者,人之心也,故曰天向一中生,造化人從心上起經綸,所以為先天之學也,先天之學,正其心,平其氣,無私於心,無反於義,義理融會其道中,正即物窮理而盡性,知天之學亦在其中矣。
帰結すれば、その宗旨はみな《易》に本づく。《易》の説くところは一つの「一」であり、この「一」はすなわち道の「中」であって、「中」が人の身に落ちれば人心となる。だから邵子は言う、天は「一」のうちに造化を生じ、人は「心」の上に経綸を建てる、これこそ「先天之学」の立脚点である。先天之学の功夫は、自己の心を正しくし、自己の気を平定し、心に私念を存さず、行事に義理に背かないことにある。義理が胸中に融會貫通すれば、道は自ずと中に居りて正しい。これによって物に就きてその理を窮め、己の性を尽くせば、「知天」の学もまたそのうちに具わっている。
易曰原始反終,故知死生之說,生死即太極之動靜也,不動不靜,不生不死,是道之一也,是以大衍之數一變而七,七七四十九也,七變而為九,九九八十一也,數既極於九,又復而為一,人既生復又死,明其理知其數,則凡動靜可求其端,陰陽可求其始,而萬物之得失,人事之休咎,皆可得而前知矣,此皇極所由作,貫理數而一之也。
《易・繋辞》に「原始反終、故に死生の説を知る」とある。生と死とは、すなわち太極の動と静である。動せず静まらなければ、すなわち生もなく死もない。これが道のあの「一」である。だから「大衍之数」は一変して七となり、七七は四十九を得、七が再変して九となり、九九は八十一を得る。数は九に至ってすでに極まり、そこでまた一に復帰する。ちょうど人がすでに生まれて、ついにはまた死に帰るごとし。その理を明らかにし、その数を掌握すれば、一切の動静はみな端緒を見出し得、陰陽はみな起点に遡り得て、万物の得失・人事の吉凶はすべてあらかじめ知ることができる。《皇極経世》が作られたゆえんは、まさに「理」と「数」を貫通して一とせんとするにあった。
有志數學者,不可不求其理,有志於理者,不可不求諸心,求心之要,舍靜何以哉,奧自受讀以來,徒祈共文,茫然無所獲,靜奍之久,一旦豁然而前知之,道得其要繫,觀其象玩占固不應驗,乃敢折衷微詞多蒞舊聞,以理為經,以易為緯,輯為六卷,名曰心易發微妙,凡造化之源,陰陽之妙,與卦氣之盛衰,聲音之倡和,體用之變遷,執之斷例,靡不備焉,昔人有言,理究伊川,數究康節,如詣其極則亦一而已矣。
数学に志ある者は、その理を追究せざるを得ず、理に志ある者は、自己の心に帰って求めざるを得ない。そして心を求める要訣は、「静」を除いてほかに何によるか。私はこの学問を読み始めて以来、ただ文字の上で打ち回り、茫然として一無所得であったが、静養すること久しく、忽然としてある日豁然貫通し、未来を予知するに至り、ようやく道の要領を掴んだと言える——このようでなければ、ただ卦象を眺め占辞をもてあそぶだけでは、もともと応験するはずがない。そこであえて各家の精微の論を折衷し、広く前人の旧説を採って、「理」を経とし《易》を緯として、六巻に編み、《心易発微》と名づけた。およそ造化の本源・陰陽の妙用・卦気の盛衰・声音の唱和・体用の変遷、および事を断ずるに拠る成例は、備わらないものがない。前人は言った、理を論ずるには伊川(程頤)に追究し、数を論ずるには康節(邵雍)に追究せよと。実のところ功夫が極まれば、両者も結局は一つの事にすぎない。
是書也雖於邵子之心無所補,而幼學之士,亦可得其旨意之大略,觀物之梯航也。故不敢私録之,以求正於有道雲。 洱陽楊體仁野崖氏題
この書は邵子の本心に増益するものこそないが、初学の者が読めば、その大意を得ることもでき、「観物」の学への階梯・舟航とすることができよう。だから私蔵を敢えてせず、これを録し出して、道ある士に是正を求める。洱陽(いまの雲南大理一帯)の楊體仁、別号を野崖氏、題す。
野崖先生伝
吾滇僻處西隅,而山川靈秀,不減中州。雲邑雖彈丸小邑,實得坤維正氣,乃土金相生過氣之所,向南行五日則極熱,向北行五日則極寒,此其驗也。邑中靈氣所鍾,代有偉人而必以向春先生為冠。
わが雲南は西南の辺陲に処するが、山川の霊秀の気は中原に遜色しない。雲県は弾丸の小邑ながら、まさに「坤維」(西南の方位)の正気を得て、土金相生・気数交過の地である。ここから南へ五日行けば酷熱となり、北へ五日行けば奇寒となるのが、その明証である。全県の霊気の鐘まるところ、代々人材を出すが、必ず向春先生(楊體仁)をもって第一とする。
先生少而頴悟志在道德,不慕聲華,為邑增廣生員,潛心易學,上紹五聖心傳,近接堯夫正派,蓋先天後天之數固已得之心悟,而非言說所能盡矣,極深研幾言必有中。然人猶未之奇也。
先生は幼にして頴悟で、志は道徳にあり、虚名を慕わなかった。本県の増広生員に補されて後、専心《易》学を研究し、上は伏羲・文王・周公・孔子の諸聖の心伝を承け、近くは邵尭夫(邵雍)の正脈に接した。先天と後天の数術は、早くより心のうちに悟り透り、言語の尽くし得るところではなかった。研究は極めて深く極めて細かく、言を発すれば往々にして必ず中った。しかし当時の人はまだ彼に何の奇特もあるとは思わなかった。
明學憲出巡,於報優劣最為緊要,故凡報劣者俱被笞革焉。時值歲試,行催報劣甚嚴。邑學師欲以貧者當之。先生曰,嘻彼貧士也,何可當此累,自願以身代之。學師曰,汝品行端方,報劣無可措詞者。先生曰,但言左道惑眾,擅吃民間雞酒足矣。學師然其說以報之。
明代の提学官(学憲)が出巡するに当たり、最も重視したのは生員の優劣の上報で、「劣」と報じられた者はみな板子を食らい功名を革された。当時ちょうど歳試にあたり、劣等の報告を促す公文がきびしく迫り、本県の教官は貧寒な生員一名をもって数に充てようとした。先生は言った、ああ、あれは窮する読書人だ、どうしてこの連累に堪えられよう、と。自ら身をもって代わることを願った。教官は言った、あなたは品行が方正だ、あなたを劣と報じるには実に説辞の立てようがない、と。先生は言った、ただ私が旁門左道をもって衆を惑わし、勝手に老百姓の鶏と酒を食したと言えば、足りる、と。教官はその言のままに上報した。
迨學憲按臨榆郡,歲試甫畢,於報劣者嚴加考詢。一見先生即作色言曰,汝為士子,左道惑眾可乎?先生答曰,生員非左道惑人者,若謂生員左道惑人,易經不該命題。學憲色和曰,汝知易數,其能明吾意乎?先生曰,請書一字。學憲於案上書一“由”字。 先生曰,是問六甲,蓋“由”字倒看則“甲”也。
提学官が大理府(楡郡)に巡視したとき、歳試がちょうど終わり、彼は劣と報じられた者を一々厳しく詰問した。先生を見るや顔色を変えて言った、あなたは身もって読書人でありながら、左道をもって百姓を惑わすとは、話になるか、と。先生は答えた、生員は左道をもって人を惑わしているのではありません。もし生員が左道をもって人を惑わすと言うなら、《易経》をもって考題に出すべきではありません、と。提学官の顔色が和らいで言った、あなたはすでに《易》数に通じているなら、私の心に思う事を当てられるか、と。先生は言った、一字をお書きください、と。提学官は案の上に「由」の字を書いた。先生は言った、お尋ねは身孕の事でしょう。「由」の字を逆に見ればまさに「甲」の字で、六甲はすなわち懐妊を指しますから、と。
學憲故意喝之曰,非也。先生曰,恭喜老宗師,所生是個公子。但這聲喝得不好,報信人至觀音塘馬折足,並家內所命乳名亦起出。後歷歷皆驗。學憲撫然曰,世俗譏評何足為定?吾幾屈一佳士。此後報劣之令遂弛。但存其意而已。
提学官はわざと大喝一声して言った、違う、と。先生は言った、ごめでたうございます老宗師、夫人がお生みになったのは公子でございます。ただ今のこの一喝がよくありませんでした。喜びを報ずる者が観音塘に至るとき、馬が腿を折りましょう、と。彼は府で子供に付けた乳名まで言い当てた。後に件件みな応験した。提学官は悵然として言った、世俗の譏評がどうして準たるものになろうか、私はあやうく好い士子を冤屈させるところであった、と。これより劣報の命令は緩み、ただその名目を留めるだけとなった。
由是名由省會沐士公尤重之。即軍旅大事亦與相商,於賊散之期皆預定焉。值鄉試之年,預令起數,凡元魁姓氏悉有隱語,但於事後方角耳。其前知多類,不可殫述。
これより彼の名声は省城に伝わり、雲南を鎮守する沐国公はとりわけ彼を重んじ、用兵のごとき大事にも彼と商量し、盗賊のいつ潰散するかさえ予め日を定めることができた。郷試の年に逢うたび、沐公は予め彼に起数を請い、およそ解元・魁首の姓氏を彼はみな隠語をもって言い表した。ただ事後になってはじめて明らかに見えたのである。彼の未来を予知した事例は多くこのごとくで、言い尽くせない。
一曰先生獨處,心動遂自起數,乃因算賊被獲久之得釋,欲行報怨也。先生算其從來之方,佈下擒拏之綱,獲賊小校,謝之以金。遂長嘆曰,前知誠妙解也,然多言數窮,安之非禍基哉。此後不輕與人卜矣。
ある日先生が独り家にあって、心中一动すれば、すなわち自ら一課を起し、かつて彼に算破されて落网した盗賊が、長く関められた後に放免され、まさに仇を寻ねて報復しに来ることを算め出した。先生は相手の来る方向を推算し、予め擒拿の羅網を布いて、この賊の小頭目を捕え、さらに銭をもって办事の者に酬謝した。事後に彼は長嘆して言った、未来を予知するのは固より妙不可言だが、話が多ければ気数もまた窮まる、誰が知ろう、これが禍を招く根苗でないと、と。これより彼は容易に人のために占卜しなかった。
算得雲邑路當孔道五十年後必罹兵焚,遂摯家屬遷於姚城。先生年益得高,邵修髯偉,貌飄飄欲仙。念一畫原於伏羲,誰登畫卦之臺,九疇原於大禹,誰涉洛水之濱。以及文王之閱厯,周公之經營,孔子之車服禮器不可不厯覽其勝也。
彼は雲県が交通の要道に処し、五十年後に必ず兵火に遭うことを算め出し、家眷を連れて姚安に遷った。先生の年が高まるほどに、身材は頎長・須髯は飄然として、見るに仙になりそうであった。彼は常に思った、一画開天は伏羲から出たが、誰かかつて彼の画卦の高台に登った者があるか。「九畴」は大禹から出たが、誰かかつて洛水の浜に親しく臨んだ者があるか。また文王が羑里に囚われた経歴・周公が洛邑を営建した功業・孔子が残した車服礼器も、みな自ら遍覧せざるを得ない、と。
於足遂辭家遠遊,於途中得遇李卓吾赴姚安府任議論。間卓吾知先生學究天人甚重之。因問曰:公家姚城亦有嗣乎?先生曰:曾留下書一函與子,後日吾子投書,無論遲早急與相見,能免公災。卓吾重先生,遂志其言不忘。
そこで彼は家人に辞して遠游し、途中でまさに姚安知府に赴任せんとする李卓吾(李贄)に遇い、二人は一路談論した。談話の間に、卓吾は先生の学問が天人を貫くを知り、大いに彼を敬重して問うた、あなたの家は姚安にあり、後人もいるか、と。先生は言った、私は息子に一封の信を残した。後日我が息子が投書に来たら、早晚を問わず、すぐに接見してください。そうすればあなたの一場の災禍を免れさせられます、と。卓吾は先生を敬重し、この言を心に牢記した。
其子視書,封固甚密,外又封云:某年月日時投書始驗。至日時來投書,值卓吾坐晚衙(此處有一字不明),子投書急與相見,時已黃昏矣。卓吾方前甫發書,忽大震一聲,府府堂中梁崩塌將公座壓為粉碎。彼此大驚,起書視之,但曰:我救群倒梁之厄,君惜我孤苦之兒。此尤應驗之最奇最顯也。
息子がその信を見ると、封は極めて厳密で、外にはさらに一行の字があった、某年某月某日某時に投書してこそ霊験がある、と。その日子時に至り、息子は前へ投書し、ちょうど卓吾が晩堂を坐すに当たり(原文ここに一字模糊)、楊家の息子の投書と聞くや、すぐに接見し、時はすでに黄昏であった。卓吾が座を離れて前に進み信を拆こうとすると、忽然として轟と一声の巨響がし、府堂正中の大梁が塌れ下り、公座を粉碎してしまった。二人とも大いに驚き、信を取って見ると、上にはただ書かれていた、我はあなたの横梁圧頂の厄を救い、あなたは我が孤苦無依の児を憐れめ、と。これは彼の応験した最も奇にして最も顕著な一事である。
後變姓名為孔道人於慈雲寺。得遇了凡先生,未以知來之學,載在了凡立命篇,說甚詳,茲不重贅。先生雲遊不返,莫知所終,如神龍之無端,見其首不見其尾也。
後に彼は姓名を改め、慈雲寺で「孔道人」となり、袁了凡先生に遇って、未来を予知する学問を彼に伝えた。この事は了凡の《立命篇》に記されて詳細を極め、ここでは再び重ねない。先生はこの後雲游して帰らず、誰もその下落を知らず、神龍のごとく踪迹なく、頭を見るも尾を見ずであった。
先生易數發微自靈性然,亦有秘傳焉。少年赴試秋闈,於安寧道中遇一老叟墜驢幾死,同伴驚駭疾云,先生獨扶之。老叟睜目視之曰:扶我者汝耶,吾有神數待子久矣。蘊授以皇極經世之秘訣也。自此遂棄舉業而專習焉。老叟不知何許人,疑為穆伯長之流雲。
先生の《易》数上の發明は、固より天賦の霊性から出たが、しかし確かに秘密の伝授もあった。彼が少年の時、郷試に赴く途上、安寧の道で一人の老翁が驢背から墜ちてほぼ命を失おうとしているのに遇い、同行の者はみな驚いて急いで立ち去ったが、ただ先生だけが進んで彼を扶起した。老翁は眼を開いて彼を見て言った、我を扶けるはあなたか。我に一套の神数あり、久しくあなたを待っていた、と。そこで《皇極経世》の秘訣を彼に伝授した。これより先生は科挙を放棄し、専らこの学を攻めた。その老翁が何者かは知らないが、ある人は穆伯長(穆修)一流の隠者ではないかと猜した。
按先生氏楊諱體仁字向春,別號野崖前(此處缺一字),明嘉靖人也,世居雲洱之北門,至隆慶年間書已行世。余與先生相距二百有餘年,其軼事但得之傳聞,今錄先生書,見其易數精微,有功先聖,懼其事之久而湮沒也,不揣固陋,以為傳記之,先生其知我之心乎,後之君子其諒我之心乎。 大清乾隆十二年歲在丁卯夏四月吉旦
按ずるに、先生は楊と姓し、名は體仁、字は向春、別号は野崖(原文ここに一字欠く)、明代嘉靖年間の人で、代々雲県・洱海一帯の北門に住んだ。隆慶年間に至り、彼の書はすでに世に流行した。私は先生と隔たること二百余年、その軼事はただ伝聞から得たのみである。いま先生の書を抄録して、その《易》数の精微深妙、先聖への功あるを見、また年代久しくこれらの事跡の湮没無聞になるを恐れて、量力せず、彼のためにこの伝記を写下した。先生はおよそ私の心意を解するであろうか。後世の君子もまた私のこの心意を体量してほしい。大清乾隆十二年、歳は丁卯、夏四月吉日。
心易発微・目録
卷一 序 伏羲太極圖說 河圖說 洛書圖說 先天八卦圖說 後天八卦圖說 經世衍易圖說 經世天地四象圖說 元會運世圖說 六十四卦方圖說 六十四卦圓圖說 邵子先天卦氣說 天地始終之數 一元十等數 以元經會說 以運經世說 年之月卦 日之時卦 皇極起卦法 運會世並年月日入圖歌訣 皇極起例
巻一に収める各篇は順に次のごとし:序、《伏羲太極図説》、《河図説》、《洛書図説》、《先天八卦図説》、《後天八卦図説》、《経世衍易図説》、《経世天地四象図説》、《元会運世図説》、《六十四卦方図説》、《六十四卦円図説》、《邵子先天卦気説》、《天地始終之数》、《一元十等数》、《以元経会説》、《以運経世説》、《年之月卦》、《日之時卦》、《皇極起卦法》、《運会世併年月日入図歌訣》、《皇極起例》。
卷二 問數答語 觀物筌蹄 八卦取象 八卦變象 論九疇 八卦取象拾意 先天體用起例 後天體用起例 先後天辨 卦爻當位 後天物來方向斷 策數起例 先天八卦正數 先天五行生成數 軌數起例 後天八卦正數 後天五行生成數 觀物策軌 策軌順逆 為人占例 自己占例 動物占例 靜物占例 稽疑十應 卦辭協卜 觀物元機 觀物動靜 四植說 吉星 凶星 三要元機
巻二に収める各篇は順に次のごとし:《問数答語》、《観物筌蹄》、《八卦取象》、《八卦変象》、《論九畴》、《八卦取象拾意》、《先天体用起例》、《後天体用起例》、《先後天辨》、《卦爻当位》、《後天物来方向断》、《策数起例》、《先天八卦正数》、《先天五行生成数》、《軌数起例》、《後天八卦正数》、《後天五行生成数》、《観物策軌》、《策軌順逆》、《為人占例》、《自己占例》、《動物占例》、《静物占例》、《稽疑十応》、《卦辞協卜》、《観物元機》、《観物動静》、《四植説》、《吉星》、《凶星》、《三要元機》。
《皇極經世心易發微》總目 卷三 體用總斷 天時 歲序 人事 身命 家宅 屋舍 婚姻 產育 科甲 仕宦 求謀 求財 出行 行人 疾病 小兒病症 醫藥 鬼神 詞訟 失物 逃亡 盜賊 征戰 墳墓 交易 謁見 憂疑 損壞 飲食
以上は《皇極経世心易発微》の総目である。巻三に収める各篇は順に次のごとし:《体用総断》、《天時》、《歳序》、《人事》、《身命》、《家宅》、《屋舎》、《婚姻》、《産育》、《科甲》、《仕宦》、《求謀》、《求財》、《出行》、《行人》、《疾病》、《小児病症》、《医薬》、《鬼神》、《詞訟》、《失物》、《逃亡》、《盗賊》、《征戦》、《墳墓》、《交易》、《謁見》、《憂疑》、《損壞》、《飲食》。
卷四 大定根源 取動卦 動卦數 陰陽加策 年除數 大定起例 元會運世 數有空缺 數有隔借 數有順逆 以數合卦 卦有動爻 天地生成數 二極數 陰陽數 分格 合格 數有錯綜 數有乘除 觀數吉凶 四象說 歲序 地理 起屋 家宅 婚姻 產育 出行 行人 應舉 求財 疾病 生死 墳墓 詞訟 交易 逃亡 兩家氣數 物之成敗 物之隱微 物之多寡 出師勝負 謁見 人物貴賤 人物和睦 觀未來事 行船 進退奴僕 求買田宅 飲食豐嗇 刀砧煞 八卦星象 皇極起例 納音數 後天八卦數 起大運 起小運 推歲序休咎 買物損壞 推人生死 聲音說 分五音 辨清濁 明等第 交互音 檢篇韻法 聲音辨說
巻四に収める各篇は順に次のごとし:《大定根源》、《取動卦》、《動卦数》、《陰陽加策》、《年除数》、《大定起例》、《元会運世》、《数有空缺》、《数有隔借》、《数有順逆》、《以数合卦》、《卦有動爻》、《天地生成数》、《二極数》、《陰陽数》、《分格》、《合格》、《数有錯綜》、《数有乗除》、《観数吉凶》、《四象説》、《歳序》、《地理》、《起屋》、《家宅》、《婚姻》、《産育》、《出行》、《行人》、《応挙》、《求財》、《疾病》、《生死》、《墳墓》、《詞訟》、《交易》、《逃亡》、《両家気数》、《物之成敗》、《物之隠微》、《物之多寡》、《出師勝負》、《謁見》、《人物貴賤》、《人物和睦》、《観未来事》、《行船》、《進退奴僕》、《求買田宅》、《飲食豊嗇》、《刀砧煞》、《八卦星象》、《皇極起例》、《納音数》、《後天八卦数》、《起大運》、《起小運》、《推歳序休咎》、《買物損壞》、《推人生死》、《声音説》、《分五音》、《辨清濁》、《明等第》、《交互音》、《検篇韻法》、《声音辨説》。
卷五 五運之年卦 卷六 小序 人物統於太極圖之上下 起本身數 聲音入既濟四象並掛一卦總括陽圖 聲音入既濟四象並掛一卦總括陰圖 後天參伍錯綜之例 卜易變通論 事應遲速例 八卦內伏干支刑合等例 凶殺 長生例 日與卦合 天祿 地祿 天赦 時方吉凶 十應靈樞篇 文王十二月卦氣圖 二十四月卦氣 七十二候 求七十二候 日卦 時卦 八卦十六變 八卦配象 卷七 歷代帝王經世甲子歲
巻五は《五運之年卦》一篇のみ。巻六に収める各篇は順に次のごとし:《小序》、《人物統于太極図之上下》、《起本身数》、《声音入既済四象併挂一卦総括陽図》、《声音入既済四象併挂一卦総括陰図》、《後天参伍錯綜之例》、《卜易変通論》、《事応遅速例》、《八卦内伏干支刑合等例》、《凶殺》、《長生例》、《日与卦合》、《天禄》、《地禄》、《天赦》、《時方吉凶》、《十応霊枢篇》、《文王十二月卦気図》、《二十四月卦気》、《七十二候》、《求七十二候》、《日卦》、《時卦》、《八卦十六変》、《八卦配象》。巻七は《歴代帝王経世甲子歳》一篇のみ。
巻一
伏羲太極図説
此圖乃伏羲氏所作也,世不顯傳,或謂希夷所作,雖周子亦未之見焉,乃自作太極圖觀任道遜之詩可見矣。詩云: “太極圖中一氣旋,兩儀凹象無形全,先天八卦五行具,萬物何曾出此圈”。又云: “造化根源文字祖,圖成太極自天然,當時早見周夫子,不費鑽研作正傳”。
この図は伏羲氏の作で、世間に公開して流伝せず、ある人は陳抟(希夷先生)の作と言う。実は周敦頤さえかつてこれを見ず、ゆえに自ら別に一幅の太極図を画いた——任道遜の詩を見れば明らかである。詩に言う:太極図中はただ一股の気が旋転し、陰陽両儀の凹凸の象は渾然として形なくして完備し、先天八卦と五行はすでにその中に含まれ、万物はかつてこの圈子から出たことがない、と。また言う:それは造化の根源・文字の鼻祖であり、図は太極を成し、全く天然より出ず。当年周敦頤が早くこの図を見ていれば、力を費やして钻研し別に正伝を作る必要はなかった、と。
夫既謂八卦渾淪文字祖,則知圖為伏羲所作,而非希夷明矣。其外一圈太極也,中分黑白者,陰陽也。黑中含一點白者,陰中有陽也。白中含一點黑者,陽中有陰也。
すでに詩のうちにそれを八卦渾然一体・文字の鼻祖と言う以上、この図が伏羲より出て陳抟の作でないことが見えよう。図の外囲の一つの円圈がすなわち太極であり、圈中の黒白両半に分かれたものがすなわち陰と陽である。黒の一半のうちに一点の白を含むのは陰中に陽ありを示し、白の一半のうちに一点の黒を含むのは陽中に陰ありを示す。
陰陽交互,動靜相倚,周詳活潑,妙趣自然,其圈外左方,自《震》一陽馴至《乾》之三陽,所謂起《震》而歷《離》、《兌》,以至於《乾》是也。右方自《巽》一陰,馴至《坤》之三陰,所謂自《巽》而歷《坎》、《艮》,以至於《坤》是也。其間四正四隅,陰陽純雜,隨方步位,自有太極含陰陽,陰陽含八卦之妙,不假安排也。
陰と陽は交錯して互いに含み、動と静は彼此依倚し、周密にして霊動、妙趣は天然である。圈外の左半は、《震》の一陽より始まり、逐歩増長して《乾》の三陽に至る。すなわちいわゆる《震》に起り、《離》《兌》を経て《乾》に至るである。右半は《巽》の一陰より始まり、逐歩増長して《坤》の三陰に至る。すなわちいわゆる《巽》に起り、《坎》《艮》を経て《坤》に至るである。その間の四正(子午卯酉)と四隅(四つの角位)の上において、陰陽は純あり雑あり、各々方位によって一歩一歩排して行けば、自ずと太極が陰陽を含み、陰陽が八卦を含む妙が顕れ、人の刻意の安排を用いない。
豈淺見近識者,所能及哉。伏羲不過摸寫出來,以示人耳。予嘗窮觀此圖,陰陽渾淪,蓋有不外乎太極,而亦不離乎太極者,本先天之《易》也。觀周子太極圖,則陰陽顯著,皆太極之所為,而非太極之所倚者,實後天之《易》也。
これはどうして見識浅近の者の到達し得るところであろうか。伏羲はただこれを描摹して人に見せたにすぎない。私はかつて反復してこの図を観察した:陰陽は渾然一体で、太極の外に在らず、また太極を離れず、これはもともと「先天之《易》」である。さらに周敦頤の《太極図》を見れば、そこでは陰陽が分明顕著で、全て太極の生発したるものであり、太極の依傍するものではない。これは実に「後天之《易》」である。
然而先天所以包括後天之理,後天所以發明先天之妙,明乎道之所渾淪,則先天而天弗違,太極體立矣。明乎道之所顯著,則後天而奉天時,太極用行矣。使徒玩諸畫象,談諸空言,則伏羲之意荒矣。
ただし先天はまさに後天の道理を包含し、後天もまさに先天の妙用を闡発する。道の渾然未分の一面を明らかにすれば、《乾卦・文言》のいわゆる「先天にして天違わず」を成し得て、太極の本体はここより立つ。道の顕著已分の一面を明らかにすれば、「後天にして天時を奉ず」を成し得て、太極の作用はここより行われる。もしただ几筆の画象を把玩し、几句の道理を空談するのみならば、伏羲の本意は荒廃する。
故周子有詩曰: “畫堂幾座萬幾休,日暖風和草色幽,誰道三千年遠事,而今只在眼睛頭”。 豈非孔子所論太極之旨,容有外於一舉目之間哉,是能默識於其妙,而見於性情之理者,旨要可考也。
だから周敦頤に詩あって曰く:画堂のうち几案の前に静坐し、万般の事務はすでに放下し、日は暖かく風は和らぎ、春草は幽緑なり。誰か言う、三千年前の遠事は遥かに及ばずと、いまそれ眼前に在り、と。これはまさに孔子の論じた太極の旨が、必ずしも举目一瞬の外にないを説明するではないか。よく黙然のうちにその奥妙を体会し、また性情の理の上にその落实を見れば、この図の要旨は考究し出すことができる。
河図洛書
愚按《河圖》《洛書》為數之宗也,數之所起,一陰一陽而已,陽數奇屬天而象圓,陰數偶屬地而象方,《河圖》以生數為主,故一、二、三、四、五、居內,六、七、八、九、十居外,
私は思うに、《河図》《洛書》は一切の数の総源頭である。数の起点は、ただ一陰一陽に過ぎない。陽数は奇数で天に属し、その象は円。陰数は偶数で地に属し、その象は方。《河図》は「生数」を主とする。ゆえに一・二・三・四・五を内圈に排し、六・七・八・九・十を外圈に排する。
天一生水,得五為六,故地以六成之,而一六共宗居北,地二生火,二得五為七,故天以七成之,而二七為朋居南,天三生木,三得五為八,故地以八成之,而三八同道居東,地四生金,四得五為九,故天以九成之,而四九為友居西,天五生土,五得五為十,故地以十成之,而五十相守居中,生數在內,成數在外,各以類數而同處其方,在內為主,在外為賓,亦各以數而相統不亂,此所謂道其常數之體也。
天は一をもって水を生じ、一に中央の五を加えて六を得る。ゆえに地は六をもってこれを成全し、一と六は「共宗」して北方に居る。地は二をもって火を生じ、二に五を加えて七を得る。ゆえに天は七をもってこれを成全し、二と七は「為朋」して南方に居る。天は三をもって木を生じ、三に五を加えて八を得る。ゆえに地は八をもってこれを成全し、三と八は「同道」して東方に居る。地は四をもって金を生じ、四に五を加えて九を得る。ゆえに天は九をもってこれを成全し、四と九は「為友」して西方に居る。天は五をもって土を生じ、五に五を加えて十を得る。ゆえに地は十をもってこれを成全し、五と十は「相守」して中央に居る。生数は内に在り、成数は外に在り、同類の数は一方に同処す。内に在るは主と為り、外に在るは賓と為り、各々数目に依って彼此統属して錯乱しない。これがいわゆる常数の本体である。
以陰陽老少論之,一為老陽之位,其外則老陰之數居之,二為少陰之位,其外則少陽之數居之,三為少陽之位,其外則少陰之數居之,四為老陰之位,其外則老陽之數居之,此又陰陽老少互藏其宅之變也。
もし老陽・少陽・老陰・少陰によって分ければ:一は老陽の位で、その外はかえって老陰の数(六)に占められる。二は少陰の位で、外は少陽の数(七)に占められる。三は少陽の位で、外は少陰の数(八)に占められる。四は老陰の位で、外は老陽の数(九)に占められる。これはまた陰陽老少の互いに相手の屋宅のうちに蔵する変化である。
以生出之序言之,始下次上,次左,此右而復於中,而又始於下也。 以運行言之,北方一六水,生東方三八木,東方木生南方二七火,火生中央五十土,中央土生西方四九金,西方金生北方一六水,左旋一周,而水復生木也。
もし生出の次第によって言えば、まず下(北)、次に上(南)、次に左(東)、次に右(西)、また中央に帰り、そしてまた下方より始まる。もし運行によって言えば、北方の一六水は東方の三八木を生じ、東方木は南方の二七火を生じ、火は中央の五十土を生じ、中央土は西方の四九金を生じ、西方金はまた北方の一六水を生じる。このように左に旋転一周すれば、水は再び木を生ず。
以對待言之,北方一六水克南方二七火,西方四九金克東方三八木,是生生之中,又有剋制相成之義焉,本之以畫卦,則虛其中之五與十者,太極也。奇數二十五,偶數三十者,兩儀也。以一、二、三、四,為六、七、八、九者,四象也。折四方之合,以為《乾》、《坤》、《離》、《坎》,補四隅之空,以為《兌》、《震》、《巽》、《艮》者,八卦也。此所謂虛其中以作易也。
もし相対の方位によって言えば、北方の一六水は南方の二七火を克し、西方の四九金は東方の三八木を克す。見るべきは生生不已のうちに、また相克相成の意を含むことである。これに拠って卦を画く:中央の五と十を空け出せば、それは太極である。奇数は合計二十五・偶数は合計三十、それは両儀である。一・二・三・四に各々五を加えて六・七・八・九と為れば、それは四象である。四方の組合を拆いて《乾》《坤》《離》《坎》を立て、四角の空位を填補して《兌》《震》《巽》《艮》を立てれば、それは八卦である。これがいわゆる中央を空けて《易》を創制するである。
洪範九畴図
愚按《易範》聖人之所作,故《洛書》以奇為主,一、三、七、九各居其外,五居其中,而二、四、六、八亦各以偶數,而附奇數之側,正者為君,側者為臣,所謂主於陽以統陰,而肇其變數之用也。
私は思うに、《易》と《洪範》はみな聖人の作である。ゆえに《洛書》は奇数を主とする:一・三・七・九は四正の外に分列し、五は中央に居り、二・四・六・八の偶数は各々奇数の傍の四隅に附す。正位に居るは君、側位に居るは臣。これがいわゆる陽を主として陰を統摂し、もって変数の功用を開くである。
然以數之縱橫十五,則皆以七、八、九、六疊為消長而得之,一居正北疊五為六,而與南方之九疊為消長,四居東南得五為九,而與西北之六疊為消長,六進為九,則九長而六消,九退為六,則九反消而六又長,三居正東,得五為八,而與西方之七疊為消長,二居西南,得五為七,而與東北之八疊為消長,七進為八,則八長而七消,八退為七,則八反消而七又長,虛中五,則縱橫皆十五,而一含九,二含八,三含七,四含六,參伍錯綜,無適而不遇其合焉,此變化之無窮,所以為妙也。
《洛書》の縦横相加して皆十五なるは、皆七・八・九・六の迭相消長より得る:一は正北に居り、中五を加えて六と成り、南方の九と互いに消長す。四は東南に居り、五を加えて九と成り、西北の六と互いに消長す。六進んで九と為れば、九は増長して六消退し、九退いて六と為れば、九は反って消退して六また増長す。三は正東に居り、五を加えて八と成り、西方の七と互いに消長す。二は西南に居り、五を加えて七と成り、東北の八と互いに消長す。七進んで八と為れば、八増長して七消退し、八退いて七と為れば、八反って消退して七また増長す。中央の五を空けて見れば、縦横各行はみな十五で、一は九を含み、二は八を含み、三は七を含み、四は六を含む。三五錯綜して、いかに排布しても相合う。これがその変化無窮・妙と称するゆえんである。
其陽數之次,則北首而東,東而中,中而西,西而南,其陰數,則首西南而東南,次西北而東北,也合而言之,則北首而西南,次東而東南,次中而西北,次西而東北,以窮於南也,其運行則一六水克二七火,二七火克四九金,四九金克三八木,三八木克中央土,右旋一周而土復克水也。
陽数の次序は、北より起り、東に至り、また中央に至り、また西に至り、最後に南に至る。陰数の次序は、西南より起り、東南に至り、また西北に至り、また東北に至る。合して言えば、すなわち先ず北のち西南、次に東のち東南、次に中央のち西北、次に西のち東北、最後に南方に終結する。その運行に至っては、すなわち一六水は二七火を克し、二七火は四九金を克し、四九金は三八木を克し、三八木は中央之土を克す。右に旋転一周すれば、土はまた回頭して水を克す。
以對待言之則東南方四九金生西北一六水,東北三八木生西南二七火,是剋制之中又有生生不窮之理焉,大禹之敘疇,故一為五行,二為五事,三為八政,四為五紀,五為皇極,六為三德,七為稽疑,八為庶徵,九為五福,皇極居中,而八者各以其次列於外焉,所謂則《洛書》者,總其實是也,
もし相対の方位によって言えば、東南方の四九金は西北の一六水を生じ、東北の三八木は西南の二七火を生ず。見るべきは克制のうちにまた生生不窮の理を含むことである。大禹が九畴を排列するや、まさにこれに依った:一は五行、二は五事、三は八政、四は五紀、五は皇極、六は三徳、七は稽疑、八は庶征、九は五福。「皇極」は中に居り、その余の八畴は各々次序によって外囲に排す。いわゆる《洪範》が《洛書》に取法するは、まさにこの実情を講ずるである。
愚按具天地之理者,易之象紀天地之理者,範之數數始於奇,象成於偶,二四而八,八卦之象,三三為九,九疇之數,故象以偶為用,有應則吉,數以奇為用,有對則凶。偶者陰陽對待之象,奇者陰陽疊運之數也。
私は思うに:よく天地の理を完備に体現するは、《易》の象であり、よく天地の理を条理に記録するは、《洪範》の数である。数は奇に起り、象は偶に成る。二乗四して八を得る、あれは八卦の象。三乗三して九を得る、あれは九畴の数。ゆえに象は偶数を用とし、相応あれば吉。数は奇数を用とし、対立あれば凶。偶数は陰陽両両対待の象を代表し、奇数は陰陽迭相運行の数を代表する。
先天八卦図
此伏羲方位之圖,易之本也。故乾一坤八、兌二艮七、離三坎六、震四巽五,各各相對,不惟其數合成九數,其畫亦各各相對合成九畫焉。夫九乃老陽之數,無所不包。自震至乾為順,自巽之坤為逆。數往順天而左行,皆已生之卦,故云「數往者順」;知來逆天而右行,皆未生之卦,故云「知來者逆」。
これは伏羲の方位図で、《易》の根本と為る。ゆえに乾一は坤八に対し、兌二は艮七に対し、離三は坎六に対し、震四は巽五に対し、両両相対す。ただ両卦の数目相加して九を合成するのみならず、両卦の爻画相加しても九画を合成す。九は老陽の数で、包まざる所なし。《震》より《乾》に至るを順とし、《巽》より《坤》に至るを逆とす。「数往」は天道に順って左に行き、数う所はみな已生の卦。ゆえに《説卦》に「数往する者は順なり」と言う。「知来」は天道に逆って右に行き、推する所はみな未生の卦。ゆえに「知来る者は逆なり」と言う。
附圖一: 圖二 : 圖三: 圖四: 圖五 : 圖六: 圖七:
以下原書には順に図一・図二・図三・図四・図五・図六・図七の計七幅の挿図を附す。こ本は図題のみ存し、図形はすでに散佚した。
後天八卦図
後天為流行之用,出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮,此文王方位之圖,易之用也。先天之離東坎西,象日月之出乎卯、入乎酉;後天之離南坎北,象天地之正子午。先天非後天,則無以成其變化;後天非先天,則無以自行。予按:先天,造化之初由心出跡之學;後天,生物之後因跡求心之學。心與道皆虛,不為物礙也;在先天之先不為無,在後天之後不為有,跡不能外也。朱子謂康節之學得於先天,看得道理透徹,自然前知耳。
後天卦が講ずるは流行の功用である。《説卦》に万物の「震に出づ、巽に斉し、離に相見え、坤に致役し、兌に説言し、乾に戦い、坎に労し、艮に成言す」と言う。これが文王方位図で、《易》の用である。先天図は離を東・坎を西に置き、日月が卯位より升り酉位に落ちるに象を取る。後天図は離を南・坎を北に置き、天地子午の正位に象を取る。先天に後天なければ、その変化を完成する由なく、後天に先天なければ、自ら運転する由なし。私は思うに:先天は造化未生の初・心より形迹を生ずる学、後天は万物已生の後・形迹より本心に回求する学である。心と道はみな虚で、外物に阻碍されない。先天の先に在っても「無」と算えず、後天の後に在っても「有」と算えず、而して形迹は終にそれを離れず。朱子は康節の学問が先天に得力し、道理を透徹に見たれば、自然によく予知するを得たと言う。
経世衍易図
經世衍易圖 太傳曰:易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦,八卦定吉凶,吉凶生大業。予謂天地出於易,易非出於天地;聖人作易,而易不作於聖人也。易有太極者何也?當夫元氣渾淪,陰陽未判,是為太極〇
これは《経世衍易図》である。《繋辞伝》に言う:「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。」私は思うに、天地は《易》の中より生じ、《易》は天地の中より生じたのではない。聖人はただ《易》を写出したのみで、《易》自体は聖人の造出したものではない。何をか「易有太極」と言う。元気が渾然一団・陰陽未だ分判せざる時、これが太極である。図上では一つの空心円圈をもってこれを表す。
及夫元氣既分動輒為陽 靜者為陰 動之上生一奇謂之陽 動之上生一偶謂之陰 靜之上生一奇謂之剛 靜之上生一偶謂之柔 合而言之陰陽剛柔四象也
元気が一を二と分かつに及び、動の一面がすなわち陽、静の一面がすなわち陰。「動」の上にさらに一奇画を生じて陽と言い、一偶画を生じて陰と言う。「静」の上にさらに一奇画を生じて剛と言い、一偶画を生じて柔と言う。合して言えば、陰・陽・剛・柔すなわち四象である。
四象陽之上生一奇謂之太陽 生一偶謂之太陰 陰之上生一奇謂之少陽 生一偶謂之少陰 四象剛之上生一奇謂之少剛 生一偶謂之少柔 柔之上生一奇謂之太剛 生一偶謂之太柔
四象のうち、「陽」の上に一奇画を生じて太陽と言い、一偶画を生じて太陰と言う。「陰」の上に一奇画を生じて少陽と言い、一偶画を生じて少陰と言う。また「剛」の上に一奇画を生じて少剛と言い、一偶画を生じて少柔と言う。「柔」の上に一奇画を生じて太剛と言い、一偶画を生じて太柔と言う。
故太陽為乾,太陰為兌,少陽為離,少陰為震,少剛為巽,少柔為坎,太剛為艮,太柔為坤。此伏羲畫卦之自然形體次第,而孔子發明之,故曰:易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦,八卦定吉凶。此言最為切要,古今說者雖多,惟康節、明道二先生之說得之。故康節所謂乾一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八,正謂此也。
そこで太陽は《乾》、太陰は《兌》、少陽は《離》、少陰は《震》、少剛は《巽》、少柔は《坎》、太剛は《艮》、太柔は《坤》と為る。これは伏羲が卦を画く時自然生成した形体の次第で、孔子がこれを闡発した。ゆえに《繋辞》に「易有太極、是生両儀、両儀生四象、四象生八卦、八卦定吉凶」と言う。この几句は最も切要である。古今解说する者は多いが、ただ康節(邵雍)と明道(程颢)の両先生のみが点に言い当てた。康節のいわゆる乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八は、講ずる所まさにこの次序である。
夫易之未作,易在太極之先;易之既作,一在太極之內。八卦畫而吉凶定,吉凶定而大業生。以言乎法象之大,則有易中之天地,乾坤是也;以言乎變通之大,則有易中之男女,震巽六子是也;以言乎著名之大,則有易中之日月,離坎是也;以言乎崇高之大,則有易中之富貴,日新月盛、富有大業是也;以言乎利用之大,則有易中之生人,神道設教、順動服民是也;以言乎深遠之大,則有易中之蓍龜,某爻吉、某爻凶是也。
《易》が未だ写出されざる時、易理はすでに太極の先に在り。《易》がすでに写成れば、あの「一」は太極の内に含まる。八卦を一たび画き出せば吉凶は判定し、吉凶が判定すれば偉大の事業は生発する。法象の大に就いて言えば、《易》中に天地あり、すなわち乾坤の両卦。変通の大に就いて言えば、《易》中に男女あり、すなわち震・巽等の六子卦。顕明の大に就いて言えば、《易》中に日月あり、すなわち離・坎の両卦。崇高の大に就いて言えば、《易》中に富貴あり、いわゆる日新月盛・富有大業。利用の大に就いて言えば、《易》中に生民を養育する道あり、聖人は神道をもって教を設け、天に順って動き百姓を帰服さす。深遠の大に就いて言えば、《易》中に蓍亀卜筮あり、よく某爻吉・某爻凶を断定す。
此皆言易中之大業。非聖人立卦作易,孰能備天下之物、致天下之用、成天下之器,若是其廣大悉備矣乎?天地之道,陰陽剛柔,有動靜之兩儀,必有一元之太極。康節明天地陰陽剛柔始於太極之動靜,與周子所傳太極相表裡。康節復窮其變交,推天之陰陽、地之剛柔各自相交而生八卦,有相交而天以乾兌離震四卦生西北十六位,而後陰陽之用盡焉;地以坤艮坎巽四卦升東南十六位,而後剛柔之用盡焉。
これらの言う所はみな《易》中の大業である。聖人の立卦作《易》なくんば、誰かよく天下の物を備載して遺すことなく、天下の用を発揮し、天下の器を制造して成功し、このごとく広大にして完備ならんか。天地の道には、陰陽剛柔あり、動静両儀あれば、必ず一元の太極あり。康節は天地の陰陽剛柔はみな太極の動静に始まると闡明し、周敦頤の伝うる太極の説と互いに表裏と為す。康節はまたその交変を窮究し、天の陰陽・地の剛柔が各々相交して八卦を生ずを推し出した:天は《乾》《兌》《離》《震》の四卦をもって西北方の十六位を生じ、陰陽の用はようやく窮尽す。地は《坤》《艮》《坎》《巽》の四卦をもって東南方の十六位を升起し、剛柔の用はようやく窮尽す。
雖然,天地自交而未至於相交以生物也。是故動靜者,天地分太極之初;四象者,天地稟太極之理;十六卦者,天地達太極之用,而用在於交也。太極為一,一生二為動靜,二生四為陰陽剛柔,四生八為八卦,八生十六為十六位。分天地,則天有十六位、地有十六位,為三十二矣,是皆加倍之數也。
ただしこの時天と地はまだ各々内部に相交るのみで、未だ彼此相交して万物を生ぜず。ゆえに言う:動静は天地初分太極の時、四象は天地が太極の理を承受する、十六卦は天地が太極の用を通達する、而してこの「用」は全く「交」に在り、と。太極は一、一生二すなわち動と静、二生四すなわち陰陽剛柔、四生八すなわち八卦、八生十六すなわち十六位。分けて天地に見れば、天に十六位・地に十六位あり、合して三十二と為る。これはみな逐層加倍の数である。
一十六有二者天地各分其一用以為體是體也動之大者謂之太陽 動之小者謂之少陽 靜之大者謂之太陰 靜之小者謂之少陰 太陽為日太陰為月少陽為星少陰為辰日月星辰交而田之體盡矣靜之大者謂之太柔 靜之小者謂之少柔 動之大者謂之太剛 動之小者謂之少剛 太柔為水太剛為火少柔為土少剛為石水火土石變而地之體盡矣
十六位に两套あるゆえんは、天地が各々その一を分ち得て、これをもって自身の「体」と為すためである。天に就いて言えば:動之大者を太陽と言い、動之小者を少陽と言い、静之大者を太陰と言い、静之小者を少陰と言う。太陽は日、太陰は月、少陽は星、少陰は辰と為し、日月星辰は交錯し、天の体はすなわち窮尽す(原文「田之体」の「田」は「天」字の訛)。地に就いて言えば:静之大者を太柔と言い、静之小者を少柔と言い、動之大者を太剛と言い、動之小者を少剛と言う。太柔は水、太剛は火、少柔は土、少剛は石と為し、水火土石は変化し、地の体はすなわち窮尽す。
自太極之判,以陰陽剛柔為天地之用,乃體之用也;自陰陽剛柔分太少,生為八卦,為天地之體,乃用之體也。今日月星辰交而天之體盡,水火土石交而地之體盡,則主生言之;而天以日月星辰交為十六卦也,地以水火土石交為十六卦也,則十六卦又各為生物之體,則主位言之也。
太極の分判より見れば、陰陽剛柔をもって天地の功用と為すは、あれは「体中之用」。陰陽剛柔よりさらに太少を分けて八卦を生じ、天地の形体と為すは、あれは「用中之体」。いま日月星辰相交して天の体窮尽し、水火土石相交して地の体窮尽すと言うは、これは「生」の角度に就いて講ずる:天は日月星辰相交して十六卦を得、地は水火土石相交して十六卦を得る。而してこの十六卦はまた各々生物の本体と為る、これは「位」の角度に就いて講ずる。
太者得氣之多,少者得氣之少也。日月星辰麗乎天,而乾為日者太陽也,兌為月者太陰也,離為星者少陽也,震為辰者少陰也。日月星辰交,而日有四位:乾、夬、大有、大壯;月有四位:履、兌、暌、歸妹;星有四位:同人、革、離、豐;辰有四位:無妄、隨、噬嗑、震,而為十六矣。非天之體盡於此乎?
いわゆる「太」は得気多きこと、いわゆる「少」は得気少なきこと。日月星辰は天に附麗す:《乾》は日と為し、太陽に属す。《兌》は月と為し、太陰に属す。《離》は星と為し、少陽に属す。《震》は辰と為し、少陰に属す。日月星辰交錯の後、日に四位あり——《乾》《夬》《大有》《大壮》。月に四位あり——《履》《兌》《暌》《帰妹》。星に四位あり——《同人》《革》《離》《豊》。辰に四位あり——《无妄》《随》《噬嗑》《震》。合して十六卦を成す。天の体は正しくここに至りて窮尽すではないか。
水火土石麗乎地,而坤為水者太柔也,艮為火者太剛也,坎為土者少柔也,巽為石者少剛也。水火土石交,而水有四位:坤、剝、比、觀;火有四位:謙、艮、蹇、漸;土有四位:師、蒙、坎、渙;石有四位:升、蠱、井、巽,而為十六矣。非地之體盡於此乎?
水火土石は地に附麗す:《坤》は水と為し、太柔に属す。《艮》は火と為し、太剛に属す。《坎》は土と為し、少柔に属す。《巽》は石と為し、少剛に属す。水火土石交錯の後、水に四位あり——《坤》《剥》《比》《観》。火に四位あり——《謙》《艮》《蹇》《漸》。土に四位あり——《師》《蒙》《坎》《涣》。石に四位あり——《升》《蠱》《井》《巽》。合して十六卦を成す。地の体は正しくここに至りて窮尽すではないか。
洪範以水火木金土為造化之用,此以五行有石土無金木者:木為土之子,有土無木,母孕子胎也;石者金之胞,有石而無金,子藏母胞也。
《洪範》は水・火・木・金・土の五行をもって造化の用と為す。ここの五行は却って石あり・土ありて金・木を列せず。その故は:木は土の生ずる儿子、土ありて木を列せざるは、ちょうど母の胎儿を懐ぐごとし。石は金の胞衣、石ありて金を列せざるは、ちょうど子の母胎の中に蔵るるごとし。
経世天地四象図
天地四象圖 日月星辰麗乎天,而乾兌離震生;水火土石麗乎地,而坤艮坎巽生。日午中而氣熱,故為暑;月子中而氣冷,故為寒。月十干之星為陽而主晝,十二支辰為陰而主夜,皆天之氣也。水降而為雨,地氣上騰也;火熾而生風,地氣旁達也;地氣夜升而為露,星殞有聲而主雷,皆地之氣也。
これは《天地四象図》である。日月星辰は天に附麗して《乾》《兌》《離》《震》より生じ、水火土石は地に附麗して《坤》《艮》《坎》《巽》より生ず。日が午位正中に行く時気は最も熱し。ゆえに暑を主とす。月が子位正中に行く時気は最も冷たし。ゆえに寒を主とす。十天干の配する星は陽に属して白昼を主とし、十二地支の配する辰は陰に属して黒夜を主とす。これらはみな天之气。水が降り下って雨と為るは地気の上騰なり。火が熾盛にして風を生ずるは地気の四旁への通達なり。地気は夜に上昇して露を凝成す。星が陨落して声あれば雷を主とす。これらはみな地之气。
日月星辰自相交,而天之變盡於十六卦;水火土石自相交,而地之變盡於十六卦。是天地之氣凝結而生物,有物斯有質,有質則有數。故乾在天成象為月,在地成形為火,火與日本一體,故陽燧取於日而得火;兌在天成象為月,在地成形為水,水與月本一體,故方諸取於月而得水;離在天成象為星,在地成形為石,石與星本一體,故傳言星殞為石。
日月星辰は自ら相交錯し、天の変化は尽く十六卦にあり。水火土石は自ら相交錯し、地の変化は尽く十六卦にあり。これは天地の気が凝結して万物を生ず:物あれば形質あり、形質あれば数目あり。ゆえに《乾》は天に象を成して日と為り、地に形を成して火と為る——火と日は本と一体、ゆえに「陽燧」(凹面銅鏡)をもって太陽に向かえば火を取るを得る(原文ここ「成象為月」は「成象為日」と作るべし)。《兌》は天に象を成して月と為り、地に形を成して水と為る——水と月は本と一体、ゆえに「方諸」(露を承ける器皿)をもって月亮に向かえば水を取るを得る。《離》は天に象を成して星と為り、地に形を成して石と為る——石と星は本と一体、ゆえに古書に星の陨落すれば石と成ると言う。
震在天成象為辰,在地成形為土,辰與土本一體。故自日月星之外,高而蒼蒼者皆辰也;自水火石之外,廣而茫茫者皆土也。蓋日月星辰猶人之有耳目口鼻,水火土石猶人之血氣骨肉也。是故數者,盡天下之物則也;得乎數,則物之則、事之理無不在焉。不明乎數,不明乎善矣;不誠乎數,不誠乎身矣。
《震》は天に象を成して辰と為り、地に形を成して土と為る——辰と土は本と一体、ゆえに日月星を除いて、あの高高として上に在り一片蒼蒼たるものはみな辰に属し、水火石を除いて、あの広袤無際・一片茫茫たるものはみな土に属す。日月星辰はたとえば人の耳目口鼻、水火土石はたとえば人の血気骨肉。ゆえに「数」は天下万物の法則を窮尽し得ると言う:数を掌握すれば、物の法則・事の道理はその中に在らざるなし。数を明白にせずんば、「善」を明白にするとは言えず、数の上に真実无妄を致せずんば、自身を「誠」ならしむるとは言えず。
易之與極,其旨若相似而致用實不同。易之與極,八卦名同而位殊,爻同而旨異。位之殊,先天後天之圖可識矣;旨之異,卦同而象不同也。故易之乾為天、為君,而極則為日、為暑;易之兌為澤、為金,而極則為寒、為月;易之離為火、為日,而極則為星、為晝;易之震為雷、為木,而極則為辰、為夜;易之巽為風、為木,而極則為石、為雷;易之坎為水、為月,而極則為土、為露;易之艮為山、為土,而極則為火;易之坤為地、為土,而極則為水、為雨矣。
《易》と《皇極経世》は、宗旨は相似たるに見えて実際の用法は同じからず:両家は八卦の名称は同じくして位置は同じからず、爻画は同じくして取旨は同じからず。位置の不同は、先天図と後天図を見れば識別し得る。取旨の不同は、卦は同じなれど取る所の象の同じからざるに在り。ゆえに《易》の《乾》は天と為し君と為るも、《皇極》では日と為し暑と為る。《易》の《兌》は沢と為し金と為るも、《皇極》では寒と為し月と為る。《易》の《離》は火と為し日と為るも、《皇極》では星と為し昼と為る。《易》の《震》は雷と為し木と為るも、《皇極》では辰と為し夜と為る。《易》の《巽》は風と為し木と為るも、《皇極》では石と為し雷と為る。《易》の《坎》は水と為し月と為るも、《皇極》では土と為し露と為る。《易》の《艮》は山と為し土と為るも、《皇極》では火と為る。《易》の《坤》は地と為し土と為るも、《皇極》では水と為し雨と為る。
易以占為神,極以算為智。占者聽圓變之蓍,以求將見之象;算者布一定之卦,以銜無窮之數。占則取象於天,神之研幾也;算則斷在於人,智之極深也。神以知來,而未嘗不藏往;知以藏往,而未嘗不知來也。左為天,右為地。日月星辰麗乎天,而離震乾兌居之;水火土石麗乎地,而坤艮坎巽居之。體數有四,布算之法皆源於此。 附圖8:
《易》は占筮を「神」とし、《皇極》は推算を「智」とす。占う者は円転変化の蓍草に聴凭して、将に現れんとする象を求取し、算う者は固定不変の卦を排布して、無窮無尽の数を衔接す。占は天上より象を取り、「神」の研幾入微に属し、算は人より判断し、「智」の極深探索に属す。神は未来を知り得るも未だかつて過往を含蔵せざるにあらず、智は過往を含蔵するも未だかつて未来を知り得ざるにあらず。図上は左辺を天とし右辺を地とす:日月星辰は天に附麗して《離》《震》《乾》《兌》これに居り、水火土石は地に附麗して《坤》《艮》《坎》《巽》これに居る。体数は共に四類あり、布算の方法はみなここより発源す。以下原書は図八を附す。
元会運世図
愚嘗考之:陽一為奇,陰二為偶,是以一元之數起於乾,故乾為起數之端,猶一歲包年月日時而為之也。乾之後有兌,兌為月,其數二,衍之為十二,猶一歲有十二月也;兌之後有離,離為日,其數三,衍之為三百六十,猶一歲有三百六十日也;離之後有震,震為時,其數四,衍之為四千三百二十,猶一歲有四千三百二十時也。
私はかつて考究した:陽は一をもって奇とし、陰は二をもって偶とす。ゆえに「一元」之数は《乾》に起り、《乾》はすなわち起数の開端で、たとえば一年が年・月・日・時を包含するごとし。《乾》の後は《兌》、《兌》は月と為し、その数は二、推衍せば十二、たとえば一年に十二の月あるごとし。《兌》の後は《離》、《離》は日と為し、その数は三、推衍せば三百六十、たとえば一年に三百六十日あるごとし。《離》の後は《震》、《震》は時と為し、その数は四、推衍せば四千三百二十、たとえば一年に四千三百二十の時辰あるごとし。
此一二三四為天地生物之始數,陽之所以先乎陰也。震之後繼以巽五,陰元之氣莫先於此,是以巽元之年數衍之為十二萬九千六百年,為起數之端。坎六繼之,是為巽元之月數,衍之為一百五十五萬五千二百月;艮七又繼之,是為巽元之日數,衍之為四千六百六十五萬六十日;若夫巽元之時數,則居坤之八焉,又衍之為五萬五千九百八十七萬二千時。此五六七八又為天地成物之終數,陰之所以承乎陽也。
この一・二・三・四は天地生物の起始之数で、正に陽の陰に先んずるを説明す。《震》の後には《巽》が接し、第五位に居り、陰元之气はこれをもって最先と為す。ゆえに《巽》元の年数は十二万九千六百年に推衍し、起数の開端と為す。《坎》は第六に居り、《巽》元の月数で、一百五十五万五千二百月に推衍す。《艮》は第七に居り、《巽》元の日数で、四千六百六十五万六千日に推衍す(原文は一「千」字を脱す)。《巽》元の時数に至っては、《坤》の第八位に落ち、五億五千九百八十七万二千時に推衍す。この五・六・七・八はまた天地成物の終結之数で、正に陰の陽を承接するを説明す。
由是重而衍之,以至於八,則乾之世數四千三百二十,衍之為五萬五千九百八十七萬二千;兌之世數五萬一千八百四十,衍之為六十七萬一千八百四十六萬四千。循而推之,皆可概見。
これよりさらに加倍して第八層に推衍すれば、《乾》の世数四千三百二十は五億五千九百八十七万二千に推衍し、《兌》の世数五万一千八百四十は六十七億一千八百四十六万四千に推衍し得る。このごとく循序推算して行けば、その余の各数はみな大略見出すことを得る。
大抵乾兌離震之數,包巽坎坤艮在其中。子至巳上六辰皆屬乾,謂之先天;自午至亥下六辰皆屬坤,謂之後天。後天皆效先天而為之,故曰「成象謂之乾,效法謂之坤」,可舉隅而知。 附圖9:
大体において、《乾》《兌》《離》《震》之数はすでに《巽》《坎》《坤》《艮》をその中に包含す。子より巳に至る上半の六辰はみな《乾》に属し、先天と言い、午より亥に至る下半の六辰はみな《坤》に属し、後天と言う。後天はみな先天を仿效して運行す。ゆえに《繋辞》に「成象之謂乾、效法之謂坤」と言う。一隅を挙げてその余を推知し得る。以下原書は図九を附す。
伏羲六十四卦円図
伏羲六十四卦圓圖(此乃先天之所覆也) 愚謂圓圖者,天地之陰陽也。在天為日月星辰、寒暑晝夜,謂之流行之易,言其天地四時流行而不息也。其卦皆從中起:自坤生者始於復,自乾生者始於姤,皆在天地之中。中者,心也,萬事萬化生於心。是康節之學本於先天之易,尚象而不尚辭,蓋欲示不言之教,如伏羲六十四卦初無言語文字也。
《伏羲六十四卦円図》(これは先天之図の覆被する範囲)。私は思うに、円図が講ずるは天地の陰陽:天に在っては日月星辰・寒暑昼夜と為り、「流行之易」と言い、説く所は天地四時の流転不息である。その卦はみな中間より起る:《坤》より生ずるものは《復》より始まり、《乾》より生ずるものは《姤》より始まり、みな天地の中に在り。「中」はすなわち心、万事万化はみな心の裏より生ず。見るべし、康節の学問は先天之《易》に本づき、卦象を重んじて卦辞を重んぜず、言語を用いざる教化を施行せんと欲す。ちょうど伏羲の画いた六十四卦はもともと一字もなかったごとし。
圖左三十二陽卦,春以發生,夏以長養,自復至乾得一百一十二陽爻、八十陰爻,是陽數多陰數少,即春夏之晝長而熱也。圖右三十二陰卦,秋以收斂,冬以包藏,自姤至坤得一百一十二陰爻、八十陽爻,是陰數多陽數少,即秋冬之晝短而寒也。
図の左半は三十二の陽卦、春に発生し夏に長養す。《復》より《乾》に至るまで陽爻一百十二・陰爻八十あり、陽多く陰少なく、正に春夏の白昼長くして天气熱きに対応す。図の右半は三十二の陰卦、秋に収斂し冬に包蔵す。《姤》より《坤》に至るまで陰爻一百十二・陽爻八十あり、陰多く陽少なく、正に秋冬の白昼短くして天气寒きに対応す。
左右三十二而為六十四卦,又以春夏秋冬分之,各四其六十四,而為一千五百三十六卦之氣,以運行於天。四象立體,六甲循環,以見皇帝王霸之跡治;三百六旬有六日轉旋,乾坤主之,屬乎天地之造化。衍之為元會運世,散之為歲月日時。事有體用而分皇帝王霸,業有心跡而分易書詩禮春秋,理無往而不在其
左右各三十二は合して六十四卦を成し、さらに春夏秋冬に按じて各々四に分かち、六十四卦を四倍して推き、共に一千五百三十六卦之气を成して天に運行す。四象は本体を確立し、六十甲子は循環往复し、これより皇・帝・王・覇の治迹を見るべし。一年三百六十六日の旋転は、乾坤の主宰に由り、天地の造化に属す。推衍すればすなわち元・会・運・世、散布せばすなわち歳・月・日・時。事には体用あり、そこで皇・帝・王・覇を分かち、功業には心迹あり、そこで《易》《書》《詩》《礼》《春秋》を分かつ。この理は往く所に在らざるなし。
伏羲六十四卦方図
伏羲六十四卦方圖 愚謂方圖者,地道之剛柔也。在地為水火土石、風雨露雷,謂之對待之易,言其承天時行以生物也。其卦皆從中起,自中而起則震巽之一陰一陽,故陰至巽而伏,亦至巽而止;陽至震而休,亦自震而生。陰陽二氣交乎震巽,實坎離交乎黃庭之象也。
《伏羲六十四卦方図》。私は思うに、方図が講ずるは地道の剛柔:地に在っては水火土石・風雨露雷と為り、「対待之易」と言い、説く所はそれが天時を承奉して運行し、もって万物を生養するである。その卦もみな中間より起る。中間より起れば、《震》《巽》の一陰一陽に落ちつく。ゆえに陰は《巽》に至りて潜伏し、また《巽》に至りて止息す。陽は《震》に至りて休歇し、また《震》より新生す。陰陽二気は《震》《巽》に交会す。実はすなわち坎離の「黄庭」(丹家のいう身中の中宮)に交会する象である。
內一截三十二陽卦,西北角乾,東北角泰;外一截三十二陰卦,西南角坤,東南角否,亦共六十而為六十四卦。又以元會運世分之,各四其六十四,以為二百五十六位之卦體,以生物於地。四四立體,四九為用,以見律呂音聲、陽唱陰和、動植飛走、出生入死,坎離主之,屬乎地之造化。故邵子有詩云:「天地定位,否泰交類;山澤通氣,咸損見義;雷風相薄,恆益起意;水火相射,既濟未濟。四象相交成十六事,八卦相蕩為六十四。」此正言方圖之意也。 附圖10:
内の一層は三十二の陽卦、西北角は《乾》、東北角は《泰》。外の一層は三十二の陰卦、西南角は《坤》、東南角は《否》。合しても六十四卦。さらに元・会・運・世に按じて各々四に分かち、六十四卦を四倍して推き、二百五十六位の卦体と為して地に生物す。四四相乗して体を立て、四九相配して用と為す。これより律呂声音・陽唱陰和、および動物植物・飛禽走獣の出生入死を見るべし。みな坎離の主宰に由り、地の造化に属す。ゆえに邵子に詩ありて曰く:天地定位、《否》《泰》交類。山沢通気、《咸》《損》見義。雷風相薄、《恒》《益》起意。水火相射、《既済》《未済》。四象相交りて十六事を成し、八卦相盪して六十四と為る。これ正に方図の意旨を講ずる。以下原書は図十を附す。
朱子先天卦気
朱子曰:先天圖自左方《震》初,為冬至,《離》、《兌》中,為春分,至《乾》之末,而交夏至,右方自《巽》初為夏至,《坎》、《艮》中,為秋分,至《坤》之末,而交冬至。圖之順逆左右,先儒說之詳也。
朱子曰く:先天図は左辺《震》の起始の処より算えば冬至、到《離》《兌》の中間は春分、《乾》の末尾に至ればすなわち夏至に交る。右辺《巽》の起始の処より算えば夏至、《坎》《艮》の中間に至れば秋分、《坤》の末尾に至ればすなわち冬至に交る。この図の左右順逆の理は、先輩の儒者すでに言い詳めたり。
夫《乾》一、《兌》二、《離》三、《震》四,已生之卦也。其序自南而北。若卦氣運行,則自北而南,一陽生於《震》始。故邵子以冬至之半為《復》。十一月中也。
《乾》一・《兌》二・《離》三・《震》四は、みな已に生成した卦で、その次序は南より北へ排す。しかし卦気の運行を論ずれば、すなわち北より南へ、一陽は《震》より生起す。ゆえに邵子は冬至の那一半、すなわち子月の中を《復》卦と定め、これすなわち十一月の中気である。
十二月丑初小寒,其卦為《頤》、《屯》、《益》,月半大寒,則《震》、《噬嗑》、《隨》。正月寅初立春,其卦為《無妄》,為《明夷》,月半雨水,則《賁》、《既濟》、《家人》,二月卯初驚蟄,其卦為《豐》、《離》、《革》,月半春分,則《同人》、《臨》,
十二月(丑月)の初は小寒に交り、配する卦は《頤》《屯》《益》。月中に至り大寒に交り、配するは《震》《噬嗑》《随》。正月(寅月)の初は立春に交り、配する卦は《无妄》《明夷》。月中に至り雨水に交り、配するは《賁》《既済》《家人》。二月(卯月)の初は驚蟄に交り、配する卦は《豊》《離》《革》。月中に至り春分に交り、配するは《同人》《臨》。
三月辰初清明,其卦為《損》、《節》、《孚》,(此處應為《中孚》卦,省略一“中”字)月半穀雨,則《歸妹》、《暌》、《兌》,四月巳初立夏,其卦為《履》、《泰》,月半小滿,則《大畜》、《需》、《小畜》,五月午初芒種,其卦為《大壯》、《大有》、《夬》,至《乾》之末交夏至焉。
三月(辰月)の初は清明に交り、配する卦は《損》《節》《孚》(ここの《孚》は《中孚》であるべく、原文は一「中」字を省く)。月中に至り谷雨に交り、配するは《帰妹》《暌》《兌》。四月(巳月)の初は立夏に交り、配する卦は《履》《泰》。月中に至り小満に交り、配するは《大畜》《需》《小畜》。五月(午月)の初は芒種に交り、配する卦は《大壮》《大有》《夬》。《乾》卦の末尾に至ればすなわち夏至に交る。
《巽》五、《坎》六、《艮》七、《坤》八,未生之卦也。其圖自西而北,若卦氣之行,自一陰生於《巽》始,故夏至午之半為《姤》,五月中也,
《巽》五・《坎》六・《艮》七・《坤》八は、みな未だ生成せざる卦で、それらは図上西より北へ排す。卦気の運行を論ずれば、すなわち一陰は《巽》より生起す。ゆえに夏至の那一半、すなわち午月の中を《姤》卦と定め、これすなわち五月の中気である。
六月未初小暑,其卦為《大過》、《鼎》、《恆》,月半大暑,則《巽》、《井》、《蠱》,七月申初立秋,其卦為《升》、《訟》,月半處暑,則《困》、《未濟》、《解》,八月酉初白露,其卦為《渙》、《坎》、《蒙》,月半秋分,則《師》、《遯》,九月戌初寒露,其卦為《咸》、《旅》、《小過》,月半霜降,則《漸》、《蹇》、《艮》,十月亥初立冬,其卦為《謙》、《否》,月半小雪,則《萃》、《晉》、《豫》,十一月子初大雪,其卦為《觀》、《比》、《剝》、,至坤之末交冬至焉,即子之半也。
六月(未月)の初は小暑に交り、配する卦は《大過》《鼎》《恒》。月中に至り大暑に交り、配するは《巽》《井》《蠱》。七月(申月)の初は立秋に交り、配する卦は《升》《訟》。月中に至り処暑に交り、配するは《困》《未済》《解》。八月(酉月)の初は白露に交り、配する卦は《涣》《坎》《蒙》。月中に至り秋分に交り、配するは《師》《遯》。九月(戌月)の初は寒露に交り、配する卦は《咸》《旅》《小過》。月中に至り霜降に交り、配するは《漸》《蹇》《艮》。十月(亥月)の初は立冬に交り、配する卦は《謙》《否》。月中に至り小雪に交り、配するは《萃》《晋》《豫》。十一月(子月)の初は大雪に交り、配する卦は《観》《比》《剥》。《坤》卦の末尾に至ればすなわち冬至に交る、これすなわち子月之半である。
此三十二卦屬陰,以當秋冬,子至巳,《乾》、《兌》、《離》、《震》,六陽月,其節有四,冬至、立春、春分、立夏也。午至亥,《巽》、《坎》、《艮》、《坤》,六陰月,其節有四,夏至、立秋、秋分、立冬也。一年八節二之,計一十六卦,外有十六卦,三之計四十八卦,並之則六十四卦,以當一期之氣候,所以定時成歲,行鬼神成變化也。
この三十二卦は陰に属し、秋冬両季に対応せしむ。子より巳に至るは、《乾》《兌》《離》《震》の主る六つの陽月で、その中に四つの大節あり:冬至・立春・春分・立夏。午より亥に至るは、《巽》《坎》《艮》《坤》の主る六つの陰月で、その中にも四つの大節あり:夏至・立秋・秋分・立冬。一年八節、每節に両卦を配し、共に十六卦。このほかさらに十六卦あり、每卦さらに三分を配し、共に四十八卦。両者相加せば正に六十四卦、もって一周年の気候に対応す。この套の办法に凭ればすなわち時令を確定し歳功を成就し、鬼神之用を推行して万物の変化を成就し得る。
邵子先天卦気
《乾》、《坤》、《坎》、《離》分配四時,主二十四氣,《坤》盡子中,交《離》初爻冬至,上爻驚蟄,《離》盡卯中,交乾初爻春分,上爻芒種,《乾》盡午中,交《坎》初爻夏至,上爻白露,坎盡酉中,交《坤》初爻秋分,上爻大雪。
《乾》《坤》《坎》《離》の四卦は四季に分配し、二十四節気を主管す:《坤》卦は子月の中に終り、接いで《離》卦の初爻は冬至に当たり上爻は驚蟄に当たる。《離》卦は卯月の中に終り、接いで《乾》卦の初爻は春分に当たり上爻は芒種に当たる。《乾》卦は午月の中に終り、接いで《坎》卦の初爻は夏至に当たり上爻は白露に当たる。《坎》卦は酉月の中に終り、接いで《坤》卦の初爻は秋分に当たり上爻は大雪に当たる。
春、夏、秋、冬各有六十四卦氣,皆從中起,子、午、卯、酉為四仲,二分二至當之,寅、申、巳、亥為四孟,四立當之,經世曆以冬至為天地之元,元之元也。故去四正卦,而用三百六十卦氣圖,以春分為人物之元,亦元之元也。故用六十四卦而四之,而二百五十六位卦氣圖。
春夏秋冬は各々六十四卦之气あり、みな「中」より起る。子・午・卯・酉は四仲之月で、二分(春分・秋分)二至(冬至・夏至)により対応す。寅・申・巳・亥は四孟之月で、四立(立春・立夏・立秋・立冬)により対応す。《経世》暦法は冬至を以て天地之元と為し、「元中之元」とす。ゆえに坎離震兌の四正卦を除去し、ただ三百六十卦の卦気図を用う。また春分を以て人物之元と為し、同じく「元中之元」とす。ゆえに六十四卦を取りて四を乗じ、二百五十六位の卦気図と為す。
以冬至子中為世之元,春分卯中為元之元,夏至午中為會之元,秋分酉中為運之元,各六十四卦,各以氣運而更疊值事。開物於寅中,而起於驚蟄者,二月初氣也。閉物於戌中,而終於立冬者,十月初氣也。
冬至(子月之中)を「世」之元とし、春分(卯月之中)を「元」之元とし、夏至(午月之中)を「会」之元とし、秋分(酉月之中)を「運」之元とし、各々六十四卦を配し、各々気運に按じ輪番に当値管事す。万物は寅月の中に開闢し、而して実際は驚蟄に起る、あれは二月の初気である。万物は戌月の中に閉蔵し、而して実際は立冬に終る、あれは十月の初気である。
何也?曰:寅中戌中雖主月會而言,其用實由乎節氣,地之生物以氣為機,天之氣先至,而後地之物應之,氣之來常先半月,氣以舒而常盈,用以疾而常縮,故關朗子云:當期之數,過者謂之氣盈,不及者謂之朔虛,朔者盈虛之不齊,積微之久,中氣中有居於月晦者,必閏以置之,乃復於初經,本於先天,故中朔同起卦氣,因先天卦氣取中氣,以主月元會運世,皆從中起,所謂舉正於中也。
何となれば。寅中・戌中は月と会に就いて言うなれど、実際作用するは節気なればなり。地上の生物は気を以て機括とす:天の気先に至り、地の物しかる後に随い応ず。気の到来は常に半月提前す。気は舒緩、ゆえに常に盈余あり。用は急促、ゆえに常に亏縮あり。このゆえに関朗子は言う:一周年の応有の日数、多く出づるを「気盈」と言い、不足するを「朔虚」と言う。朔の盈虚は斉しからず、積累久しければ、中気の月末に落ちる情形を現出し、必ず閏月を設置せねば、本来の常度に帰る能わず、と。この套の办法は先天に本づく。ゆえに中気と朔日は同じく卦気を起す。先天卦気に依って中気を取りて月を主管せしめ、元・会・運・世もみな「中」より起る。これいわゆる「中に正を挙ぐ」である。
卦圖曰:大運法當從經世,數起於星甲、辰子,小運法當依卦氣圖,起甲仲巳孟日,天統乎體,氣之體生於四仲,故大運甲子當冬至,而二十四氣之中,皆得子午卯酉之四中也,氣之用行於四立,故小運甲寅當立春,而二十四氣之首,皆得寅、申、巳、亥,而生乎孟矣。
卦図上に言う:大運の算法は《経世》之数に依るべく、「星甲」「辰子」より起算すべし。小運の算法は卦気図に依るべく、甲日は仲に属し巳日は孟に属すより起算すべし、と。天は「体」を統摂し、而して気の体は四仲に生ず。ゆえに大運の甲子は冬至に対応し、二十四気の中の中気はみな子・午・卯・酉の四仲之位に落ちる。気の用は四立に行われ、ゆえに小運の甲寅は立春に対応し、二十四気の首の節気はみな寅・申・巳・亥に落ち、而して四孟之位に生ず。
六十四卦方円図
愚按:先天方圓二圖一一相應,故邵子曰:「變於內者應於外,變於外者應乎內;變於下者應乎上,變於上者應乎下。」蓋巽離兌以二十八陽應坎艮震之二十八陰。乾兌巽坎為上,則震離艮坤為下;乾兌離震為內,則巽坎艮坤為外。陽消陰長,每卦相效,未有變而不應者。
私は思うに、先天の方図と円図は一々対応す。ゆえに邵子は言う:内に変ずるは外に応じ、外に変ずるは内に応じ、下に変ずるは上に応じ、上に変ずるは下に応ず、と。《巽》《離》《兌》は二十八の陽爻をもって《坎》《艮》《震》の二十八の陰爻に対応し、《乾》《兌》《巽》《坎》を上と為せば、《震》《離》《艮》《坤》はすなわち下と為る。《乾》《兌》《離》《震》を内と為せば、《巽》《坎》《艮》《坤》はすなわち外と為る。陽消陰長し、每一卦皆彼此効応し、哪一卦変じて対面起応せざるやなし。
變者從天,天左行,日應一度;應者法日,日右行,天應一度,皆左右相應也。日紀於星,乾離也;月會於辰,兌震也;水生於土,坤坎也;火潛於石,艮巽也,皆上下相應也。飛者棲木,離艮也;走者依草,震坤也;心肺相聯,乾巽也;肝膽相聯,兌坎也,皆內外相應也。所以易之六爻,初與四應,二與五應,三與上應,常相反對也。
変化を起こす一方は天に順従す:天は左行し、日はすなわちそれに一度応ず。応を起こす一方は日に效法す:日は右行し、天はすなわちそれに一度応ず。これは左右の相応。日は星を以て紀と為す、すなわち《乾》と《離》。月は辰と会す、すなわち《兌》と《震》。水は土に生ず、すなわち《坤》と《坎》。火は石に潜む、すなわち《艮》と《巽》。これは上下の相応。飛禽は樹木に栖む、すなわち《離》と《艮》。走獣は草叢に依る、すなわち《震》と《坤》。心肺は相連る、すなわち《乾》と《巽》。肝胆は相連る、すなわち《兌》と《坎》。これは内外の相応。ゆえに《易》の六爻は、初は四と相応し、二は五と相応し、三は上と相応し、つねに両両相対す。
天地相合,牝牡相召:天陽地陰,天律地呂,天聲地倡。以乾兌離震居西北,倡地之五六七八一十六卦於東南,又交西南否、遯、訟、姤十六卦,是為寒暑晝夜,變飛走草木之性情形體。得動數十六卦,成二百五十六卦位,含四變,凡動物之成敗美惡,莫不由是。
天地は相合し、雌雄は相招す:天陽地陰、天律地呂、天は先に声を出し地は来りて唱和す。《乾》《兌》《離》《震》は西北に居り、地の五・六・七・八の十六卦を東南に倡導し、また西南の《否》《遯》《訟》《姤》十六卦と相交る。これはすなわち寒暑昼夜と為り、飛走草木の性・情・形・体を変化す。「動数」十六卦を得て、二百五十六卦位を成し、内に四重の変化を含む。およそ動物の成敗美悪は、由りて定まらざるなし。
地音天和,以坤艮坎巽居東南,和天之一二三四一十六卦於西北,又交東北泰、臨、明夷、復十六卦,是為風雨露雷,變性情形體之飛走草木。得植數十六卦,成二百五十六卦位,含四變,凡植物之榮枯華實,莫不由是。
地は先に音を出し天は来りて応和す:《坤》《艮》《坎》《巽》は東南に居り、天の一・二・三・四の十六卦を西北に応和し、また東北の《泰》《臨》《明夷》《復》十六卦と相交る。これはすなわち風雨露雷と為り、飛走草木の性・情・形・体を変化す。「植数」十六卦を得て、二百五十六卦位を成し、内に四重の変化を含む。およそ植物の栄枯と開花結実は、由りて定まらざるなし。
西南之卦自左而右,以觀動物。動物之命在首,附天以陽生乎下,在下之三十二卦其一皆向上者,命在上也,故人首在上而鳥獸皆橫生。東北之卦自上而下,以觀植物。植物之命在根,附地以陰生乎上,在上之三十二卦其一皆向下者,命在下也,故人腎在下而草木倒生。然後配以聲音之卦,則日月星辰之聲,天卦百五十二也;水火土石之音,地卦百五十二也。
西南方の卦は左より右へ看て動物を観察す:動物の生命は頭部に在り、天に依附し、陽気をもって下面より生起す。下に在る三十二卦、その中の「一」はみな上を朝り、生命は上に在るを説明す。ゆえに人頭は上に朝り、鳥獣は横に生長す。東北方の卦は上より下へ看て植物を観察す:植物の生命は根部に在り、地に依附し、陰気をもって上面より生起す。上に在る三十二卦、その中の「一」はみな下を朝り、生命は下に在るを説明す。ゆえに人の腎は下に在り、草木は倒れて生長す。さらに声音之卦を配すれば、日月星辰之「声」は天卦に属し、共に一百五十二。水火土石之「音」は地卦に属し、亦た共に一百五十二。
又按:六十四卦圓布者,乾盡午中,坤盡子中,離盡卯中,坎盡由中;陽生於子中,極於午中;陰生於午中,極於子中,其陽在南,其陰在北。方布者,乾始於西北,坤盡於東南,其陽在北,其陰在南。此陰陽對待之數。
さらに六十四卦を看る:円図の排布において、《乾》は午中に終り、《坤》は子中に終り、《離》は卯中に終り、《坎》は酉中に終る(原文「由中」は「酉中」と作るべし)。陽は子中に生じて午中に極まり、陰は午中に生じて子中に極まる。ゆえに陽は南に在り陰は北に在り。方図の排布において、《乾》は西北に始まり、《坤》は東南に終る。ゆえに陽は北に在り陰は南に在り。これはすなわち陰陽彼此対待の数。
圓於外者為陽,方於內者為陰;圓者動而為天,方者靜而為地。圓圖乾在南、坤在北,方圖坤在南、乾在北;乾位陽畫多,坤位陰畫多,陰陽各以類而聚。圖以圓函方,見天包地外,地在天中矣。
外に在りて円を呈するは陽に属し、内に在りて方を呈するは陰に属す。円なるは動して天と為り、方なるは静して地と為る。円図裏《乾》は南に在り《坤》は北に在り、方図裏《坤》は南に在り《乾》は北に在り。《乾》の位置は陽爻多く、《坤》の位置は陰爻多く、陰陽は各々同類に按じ一処に聚る。整幅の図は円をもって方を包含す。見るべし、天は地の外に包み、地は天の中に処す。
方圖西北十六卦,天卦自相交;東南十六卦,地卦自相交。其斜行則乾、兌、離、震、巽、坎、艮、坤,自西北而東南,皆陰陽之純卦,所以不能生物也。西南十六卦,天去交地,天卦皆在上而生氣在首,故能生動物而頭向上;東北十六卦,地去交天,天卦皆在下,生氣在根,故能生植物而頭向下。其斜行則泰、損、既濟、益、恆、未濟、咸、否,自東北而西南,皆陰陽得偶之卦,所以生物也。
方図西北の十六卦は、天卦が自ら自らと相交る。東南の十六卦は、地卦が自ら自らと相交る。斜対角の一行は《乾》《兌》《離》《震》《巽》《坎》《艮》《坤》、西北より東南へ排し、全て陰陽の純卦。ゆえに生物する能わず。西南の十六卦は、天の地に交る、天卦はみな上に在り、生気は頭部に在る。ゆえに動物を生じて頭は上に朝るを得る。東北の十六卦は、地の天に交る、天卦はみな下に在り、生気は根部に在る。ゆえに植物を生じて頭は下に朝るを得る。この一辺の斜行は《泰》《損》《既済》《益》《恒》《未済》《咸》《否》、東北より西南へ排し、みな陰陽の偶に配成した卦。ゆえに生物するを得る。
吾因是而知植物之命在於根,動物之命在於首也。又合二圖而觀之:方圖乾處圓圖亥位,謂之天門,是天氣下降也;坤處圓圖巳位,謂之地戶,是地氣上騰也。此兩十六卦,所謂陰陽互藏其宅也。
私はこれより知る:植物の生命は根に在り、動物の生命は頭に在る。さらに両図を合して見れば、方図の《乾》は正に円図の亥位に落ち、「天門」と言い、天気の下降を表す。方図の《坤》は正に円図の巳位に落ち、「地戸」と言い、地気の上騰を表す。この両組の十六卦は、いわゆる陰陽互いにその宅を蔵す、である。
泰處圓圖寅位,謂之鬼方;否處圓圖申位,謂之人路。此兩十六卦,是天交地、地交天而生生不息,所以泰居寅而否居申,所謂陰陽各從其類也。夫圓圖主運行之事,運行者氣也,生物者質也;氣非質則無所附麗,質非氣則豈能生物哉?此見天有生物之氣,地有成物之形也。
《泰》は円図の寅位に落ち、「鬼方」と言い、《否》は円図の申位に落ち、「人路」と言う。この両組の十六卦は、天の地に交り地の天に交りて生生不息す。ゆえに《泰》は寅に居り《否》は申に居る、すなわちいわゆる陰陽各々その類に随う。円図の主るは運行之事:運行するは気、生物するは質。気に質なくんば依附する所なし、質に気なくんば何ぞよく生物せん。これより見るべし、天に生物の気あり、地に成物の形あり。
愚按:元會運世之數,一運當三百六十年,可以推歷代之治亂。子至卯,陰中陽,將治也;卯至午,陽中陽,極治也;午至酉,陽中陰,將亂也;酉至子,陰中陰,極亂也。先天圖自泰歷蠱而至否,自否歷隨而至泰,即南北之運數也。
私は思うに、元・会・運・世之数は、一運は三百六十年を合し、もって歴代の治乱を推算し得る:子より卯は陰中之陽、天下は将に治まらんとす。卯より午は陽中之陽、治は極処に至る。午より酉は陽中之陰、天下は将に乱れんとす。酉より子は陰中之陰、乱は極処に至る。先天図上《泰》より《蠱》を経て《否》に至り、また《否》より《随》を経て《泰》に返る。これはすなわち南北往复の運数。
蓋泰與否相對,蠱與隨相對。故曰:自泰至否,其間有蠱;蠱之者誰?陰方用事,陽艮已止,陰邪巽入,否斯至矣。自否至泰,其間有隨;隨之者誰?陽震順動,兌陰隨之,民說無疆,泰無不宜。此否泰蠱隨,殆亦天門、地戶、人路、鬼方出入之交與?
《泰》と《否》は相対し、《蠱》と《随》は相対す。ゆえに言う:《泰》より《否》に至る、中間《蠱》を経る——これを敗壊するは誰か。陰気の権を当るは、陽は《艮》に止められ、陰邪は《巽》より潜入し、《否》はすなわち到来す。《否》より《泰》に至る、中間《随》を経る——随従するは誰か。陽気の順動、すなわち《震》動して《兌》陰相随い、百姓喜悅して无疆、《泰》はすなわち宜しからざるなし。この《否》《泰》《蠱》《随》は、大概正に天門・地戸・人路・鬼方の出入交接の関口であろう。
數往者順,自子至午,震離兌乾為治之象;知來者逆,自午至子,巽坎坤艮為亂之象。當背北面南觀之,即知順逆。唐至五代六甲子,半治半亂;宋乾德至今又六甲子,中經南人用事,南離隨氣過北而亂,康節蓋已推之。
「数往者順」は、子より午に至り、《震》《離》《兌》《乾》相継ぐは、治世の象。「知来者逆」は、午より子に至り、《巽》《坎》《坤》《艮》相継ぐは、乱世の象。北を背き南に面して図を看れば、順逆は一目瞭然。唐代より五代は六つの甲子を経歴し、半治半乱。宋代乾徳年間より如今また六つの甲子、その間南方の人権を当り、南方《離》気随いて北移して乱を致した。これらは康節大概すでに推算し出したのであろう。
六甲子者,三百六十年也,即一日十二時之數。自堯甲辰期運,月巳、辰末、星癸,迄今月仍在午,辰方過酉,為年者三千六百六十,為世者僅一百二十二,何速哉!古今在天地閒,猶日暮耳。聖人通乎晝夜之道而知,能以一時觀萬時,一世觀萬世。予錄世運於十二會運之終,其有感也夫。
六つの甲子すなわち三百六十年、正に一天十二時辰之数に合す。帝尭甲辰年より起算し、会は巳に在り辰は将に尽きんとし、星は癸位に値る。今天月に至るも未だ午に在り、辰は剛に酉を過ぎ、共計三千六百六十年、ただ一百二十二世のみ、過ぐること何ぞその速きや。古往今来は天地の間に放てば、亦た早朝より晩まで一天の工夫に過ぎず。聖人は昼夜之道に通暁して知らざる所なし、一個の時辰をもって万個の時辰を観照し、一世をもって万世を観照し得る。私は世運を十二会運の末尾に附録するも、亦た感觸ある所なり。
天地始終之数
康節先生傳連山易於山林隱徳之士,以天一地二,天三地四,天五地六,天七地入,天九地十,分十等,曰:元會運世歲月日時分秒作皇極經世書,自元至時隸之卦而分杪行乎八卦之間,有卦有數,天地人物皆囿於其中,則卦數窮物之情,極物之變,雖鬼神之不測,與天地之無窮,亦難逃乎此數焉耳矣。
康節先生は山林隠徳之士より《連山易》の伝授を得て、天一・地二、天三・地四、天五・地六、天七・地八、天九・地十に按じ、十個の等級に分け、元・会・運・世・歳・月・日・時・分・秒と称し、《皇極経世書》を写成した。「元」より「時」に至るまで卦に係属し、「分」「秒」はすなわち八卦の間に運行す。卦あり数あり、天地人物はみな囊括され、その中に在り。卦と数は万物の情状を窮究し万物の変化を窮尽す。鬼神のごとき測度し難き、天地のごとき無窮無尽なるも、亦たこの套の数の外に逃れ難し。
一元十等数
一元十等數(乾當太極,以一元為一年)一元之數。 十二會(坤當元氣,以一會為一年)三百六十運(天以一運為一年)。 四千三百二十世(地以世為一年)一十二萬九千六百年。 一百五十五萬五千二百月,四千六百六十五萬六千日。 五億五千九百八十七萬二千時。 兌卦一百六十七億九千六百一十六萬分 二千一十五億五千三百九十二萬杪 一會三十運,三百六十世,一會之數。 一萬八百年 十二萬九千六百月,三千三百八十八萬八千日,四千六百六十五萬六千時。 履卦一十二億九千九百六十八萬分。 一百六十七億九千六百一十六萬秒。 一運十二世,三百六十年,一運之數 四千三百二十月,一十二萬千六百日,一百五十五
一元の十等之数(《乾》は太極に相当、一元を一年と看成す)、これは一元の数目:一元は十二会を含み(《坤》は元気に相当、一会を一年と看成す)、三百六十運(天は一運を一年と看成す)、四千三百二十世(地は一世を一年と看成す)、十二万九千六百年、一百五十五万五千二百月、四千六百六十五万六千日、五億五千九百八十七万二千時。《兌》卦に配し、一百六十七億九千六百一十六万分・二千一十五億五千三百九十二万秒と為る。一会は三十運・三百六十世を含み、これは一会の数目:一万零八百年、十二万九千六百月、三千三百八十八万八千日、四千六百六十五万六千時。《履》卦に配し、十二億九千九百六十八万分・一百六十七億九千六百一十六万秒と為る。一運は十二世・三百六十年を含み、これは一運の数目:四千三百二十月、十二万九千六百日(原文は一「九」字を脱す)、一百五十五万余時——原文ここにて中断す。
一會 三十運, 三百六十世,一會之數。 一萬八百年 十二萬九千六百月, 三千三百八十八萬八千日, 四千六百六十五萬六千時。 履卦(集成無“履卦”二字)一十二億九千九百六十八萬分。 一百六十七億九千六百一十六萬秒。 一運 十二世, 三百六十年,(一運之數) 四千三百二十月, 一十二萬九千六百日, 一百五十五萬五千二百時。 四千六百六十五萬六千分。 五億五千九百八十七萬二千秒。
以下上列の各等を再び重列す。一会:三十運、三百六十世、これは一会の数目。一万零八百年、十二万九千六百月、三千三百八十八万八千日、四千六百六十五万六千時。《履》卦に配す(《古今図書集成》本は「履卦」の二字なし)、十二億九千九百六十八万分・一百六十七億九千六百一十六万秒と為る。一運:十二世、三百六十年、これは一運の数目。四千三百二十月、十二万九千六百日、一百五十五万五千二百時、四千六百六十五万六千分、五億五千九百八十七万二千秒。
一世 三十年 三百六十月 一萬八百日 一十二萬九千六百時 三百八十八萬八千分。 四千六百六十五萬六千秒。 一年 十二月 三百六十日 四千三百二十時 一十二萬九千六百分 一百五十五萬五千二百秒
一世の数目:三十年、三百六十個月、一万零八百天、十二万九千六百個時辰、三百八十八万八千分、四千六百六十五万六千秒。一年の数目:十二箇月、三百六十天、四千三百二十個時辰、十二万九千六百分、一百五十五万五千二百秒。ここの「分」「秒」は《皇極経世》の立つる時間等級で、今天の分・秒と一事にあらず。
一月 三十日 三百六十時 一萬八百分 一十二萬九千六百秒 一日 十二時 三百六十分 四千三百二十秒 一時 三十分 三百六十秒 一分 十二秒 一秒
一月の数目:三十天、三百六十個時辰、一万零八百分、十二万九千六百秒。一日の数目:十二個時辰、三百六十分、四千三百二十秒。一時の数目:三十分、三百六十秒。一分は十二秒を含む。最末の一等すなわち一秒。
一秒在瞬息,細之又細,分而歸律呂聲音以取數,所以窮盡天地間萬變萬化萬事萬物也。
一秒は短くしてただ一瞬の間に在り、細にしてまた細なりと言うべし。さらに分け下れば、すなわち律呂声音に帰入して数を取る。このごとく層層推衍し、よく天地の間の万変万化・万事万物を窮尽す。
以元経会説
以太極觀天地,則天地亦一物也。蓋天地雖大,不過形氣之凝結耳。経者對緯之名,以元為經,則始終此元而已矣。
太極の高度に立って天地を看れば、天地も亦た一件の東西に過ぎず:天地は広大なれど、終にただ形と気の凝結して成るに過ぎず。「経」は「緯」に相対して立つ名目。「元」を経と為せば、頭より尾に至るまでただこの一元のみ。
以會為緯,則有十二變焉,凡此十有二變,在一元則有十有二會,在一運則為十有二世,有一歲則為十有二月,有一日則為十有二時,在一分則為十有二秒,十有二變之數,無往而不在焉,則變者其緯也。不變者其經也。於緯之中,有以執其經於變之中,有以守其常也。共三百六十運,分二十四氣,每一氣之首蔵四爻準閏,運世年為大運,皆起泰損大畜,節月日時為小運,皆起升蒙蠱井,毎運一卦中四爻直事。
「会」を緯と為せば、すなわち十二重の変化あり。この十二変は、一元中に在っては十二会と為り、一運中に在っては十二世と為り、一年中に在っては十二月と為り、一日中に在っては十二時と為り、一分中に在っては十二秒と為る。十二変之数は在る所に在らざるなし。会うに変ずるは緯、変変ぜざるは経。緯の中に在りて経を把住し得、変の中に在りて常を守住し得べし。一元は共に三百六十運、二十四気に分かち、每一気の開頭に四爻を蔵して閏余に充作す。運・世・年は「大運」に属し、みな《泰》《損》《大畜》《節》より起卦す。月・日・時は「小運」に属し、みな《升》《蒙》《蠱》《井》より起卦す。每一運は一卦を用い、卦中の四爻より輪値管事す。
日甲月子一星三十辰,三百六十年,一萬八百, 復此一會,但有天耳未有地也,地未有何況人乎。然是理是策已具於無形之中矣。逆而推之,可以推之其必有三十運,三百六十世,一萬八十年,而當笫一會之數也。節始冬至,閏爻泰卦至戊寅,笫十五運節交小寒,閏爻大有卦。
日は甲、月は子、星は一、辰は三十、共に三百六十年・一万零八百。こ会《復》卦に配す:その時はただ天あり、未だ地あらず。地すでになく、況んや人をや。しかしこの套の理・この套の筹策は、早已無形の中に具備す。倒推して帰れば、必ず三十運・三百六十世・一万零八百年あるを断定し得、正に第一会の数目に合す。節気は冬至より始まり、閏爻は《泰》卦。戊寅・第十五運に至り、節気は小寒に交り、閏爻は《大有》卦。
月丑二星六十辰七百二十年,二萬一千六百,臨 臨此一會但有地耳未有人也。且未有而況物乎然是理是數已具,於無形之中矣,逆而推之,可以知其六十運七百二十世二萬一千六百年,而當笫二會之數也。節交大寒,閏爻渙卦至戊申笫四十五運,節交立春,閏爻晉卦。
月は丑、星は二、辰は六十、七百二十年、二万一千六百。こ会《臨》卦に配す:その時はただ地あり、未だ人あらず。人すでになく、況んや万物をや。しかしこの套の理・この套の数は早已無形の中に具備す。倒推して帰れば、六十運・七百二十世・二万一千六百年あるを知るを得、正に第二会の数目に合す。節気は大寒に交り、閏爻は《涣》卦。戊申・第四十五運に至り、節気は立春に交り、閏爻は《晋》卦。
月寅三星九十辰一千八十年,三萬二千四百泰 當此一會之半,既已有人亦復有物,人物既具,則必有主之者矣。斯時也,豈非三皇之時乎?然易有其象,未有其辭,既不傳事,亦難考,是故逆而推之,運世可知也,節交雨水,閏爻屯卦,至戊寅笫七十六運,節交驚蟄,閏爻震卦。
月は寅、星は三、辰は九十、一千零八十年、三万二千四百、《泰》卦に配す。こ会の中間に至り、人はすでに出現し、万物もすでに具備す。人と物すでに斉備せば、必ず彼らを統領する人あり。この時、豈に正に三皇之世にあらざらんや。ただその時《易》はただ卦象ありて卦辞なし。事跡すでに流伝せず、すなわち考証し難し。ゆえにただ倒推して帰るのみ、運と世はなお推知し得る。節気は雨水に交り、閏爻は《屯》卦。戊寅・第七十六運に至り、節気は驚蟄に交り、閏爻は《震》卦。
月卯四星一百二十辰,一千四百四十年,四萬三千二百,大壯 大壯此當笫四會,計一百二十運,一千四百四十世,四萬三千二百年,節交春分,閏爻損卦至戊申笫一百零五運,節交清明,閏爻夬卦。
月は卯、星は四、辰は一百二十、一千四百四十年、四万三千二百。《大壮》卦は第四会に当り、共計一百二十運・一千四百四十世・四万三千二百年。節気は春分に交り、閏爻は《損》卦。戊申・第一百零五運に至り、節気は清明に交り、閏爻は《夬》卦。
月辰五星一百五十辰,一千八百年,五萬四千,夬卦 夬此當第五會,計一百五十運,一千八百世,五萬四千年,節交穀雨,閏爻坎卦,至戊寅第一百三十五運,節交立夏,閏爻蠱卦。
月は辰、星は五、辰は一百五十、一千八百年、五万四千。《夬》卦は第五会に当り、共計一百五十運・一千八百世・五万四千年。節気は谷雨に交り、閏爻は《坎》卦。戊寅・第一百三十五運に至り、節気は立夏に交り、閏爻は《蠱》卦。
月巳六星一百八十辰,二千一百六十年,六萬四千八百,乾 乾此當笫六會,計一百八十運二千一百六十世,六萬四千八百年,節交小滿,閏爻比卦比卦至戊申笫一百六十五運,節交芒種,閏爻頤卦,當壬戍笫一百七十九運。 黃帝即位,此運二千一百四十五,在戊申世甲子年也。少昊氏即位,在此運二千一百四十八辛亥世甲辰年。 帝堯即位在此運二千一百五十六,已未世甲辰年。 帝舜即位此運二千二百二十八,辛酉世丙辰年。
月は巳、星は六、辰は一百八十、二千一百六十年、六万四千八百。《乾》卦は第六会に当り、共計一百八十運・二千一百六十世・六万四千八百年。節気は小満に交り、閏爻は《比》卦(原文「比卦」の二字は重出)。戊申・第一百六十五運に至り、節気は芒種に交り、閏爻は《頤》卦。また壬戌・第一百七十九運に当る。黄帝即位は本運第二千一百四十五世、すなわち戊申世の甲子年。少昊氏即位は本運第二千一百四十八世、すなわち辛亥世の甲辰年。帝尭即位は本運第二千一百五十六世、すなわち己未世の甲辰年。帝舜即位は本運第二千二百二十八世、すなわち辛酉世の丙辰年。
月午七星二百一十辰,二千五百二十年,七萬五千六百,姤 此第七會計二百一十運,二乾五百二十世,七萬五千六百年,節交夏至,閏爻大畜卦,當甲於第一百八十一運,二乾一百六十一世,甲子年即夏禹王八年也。
月は午、星は七、辰は二百十、二千五百二十年、七万五千六百。これは第七会、《姤》卦に配し、共計二百十運・二千五百二十世・七万五千六百年。節気は夏至に交り、閏爻は《大畜》卦。甲子・第一百八十一運・第二千一百六十一世の甲子年に至り、正に夏禹王八年である。
乙丑第一百八十二通二千一百七十三世,甲子年夏孔甲三十三年也。 丙寅第一百八十三運二千一百八十五世。甲子年商王般辛十年也。 丁卯第一萬八十四運,二千一百九十七世,甲子年商紂十八年至己卯周武王初年。 戊辰第一百八十五運,二千二百單九世,甲子年周幽王五年也。 已巳第一百八十六運,二乾二百二十一世,甲子年周威烈王九年至二千二百二十八世乙未年,漢高袓元年也。
乙丑・第一百八十二運、第二千一百七十三世、その甲子年は夏代孔甲三十三年。丙寅・第一百八十三運、第二千一百八十五世、その甲子年は商王盤庚(原文は「般辛」と作る)十年。丁卯・第一百八十四運(原文は誤って「第一万八十四運」と作る)、第二千一百九十七世、その甲子年は商紂十八年、己卯年に至り周武王元年。戊辰・第一百八十五運、第二千二百零九世、その甲子年は周幽王五年。己巳・第一百八十六運、第二千二百二十一世、その甲子年は周威烈王九年。第二千二百二十八世の乙未年に至り、漢高祖元年。
庚午第一百八十七運,二乾二百三十三世,甲子年漢宣帝五鳯元年也。 辛末第一百八十入運,二乾二百四十五世,甲子年西晉惠帝未興元年至二千二百五十五世內戊寅年唐高祖武德元年。 壬申年笫一百八十九運二千二百五十七世甲子唐高宗麟德元年至二千二百六十六世丙申年,宋太袓元年也。 癸西笫一百九十運二千二百六十九世甲子年,宋仁宗天聖二年,至二千二百七十七世甲子年,元至元元年丁未,入此大有卦九二爻。 甲戌第一百九十一運,二千二百八十一世,乃明朝洪武十七年,甲子入此運,戊寅第一百九十五運,節交小暑閏爻履卦。
庚午・第一百八十七運、第二千二百三十三世、その甲子年は漢宣帝五鳳元年。辛未・第一百八十八運、第二千二百四十五世、その甲子年は西晋恵帝永興元年(原文は「未興」と作る)。第二千二百五十五世の戊寅年に至り、唐高祖武徳元年。壬申・第一百八十九運、第二千二百五十七世、その甲子年は唐高宗麟徳元年。第二千二百六十六世の丙申年に至り、宋太祖開国之年。癸酉・第一百九十運、第二千二百六十九世、その甲子年は宋仁宗天聖二年。第二千二百七十七世の甲子年に至り、元代至元元年、丁未年《大有》卦九二爻に進入。甲戌・第一百九十一運、第二千二百八十一世、正に明朝洪武十七年甲子この運に進入。戊寅・第一百九十五運に至り、節気は小暑に交り、閏爻は《履》卦。
月未八,星二百四十,辰三千八百八十,年八萬六千四百。遯 遯此當第八會,計二百四十運,二千八百八十世,八萬六千四百年,節交大暑,閏爻隨卦至戊申第二百二十五運,節交立秋,閏爻漸卦。
月は未、星は八、辰は二千八百八十(原文は「三千八百八十」と作るも下文と合せず)、年は八万六千四百。《遯》卦は第八会に当り、共計二百四十運・二千八百八十世・八万六千四百年。節気は大暑に交り、閏爻は《随》卦。戊申・第二百二十五運に至り、節気は立秋に交り、閏爻は《漸》卦。
月申九,星二百七十,辰三千二百四十,年九萬七千二百。否 否此當第九會,計二百七十運,三千二百四十世,九萬七千二百年。節交處暑,閏爻剝卦,至戊寅第笫二百五十五運,節交白露,閏爻升卦。
月は申、星は九、辰は三千二百四十、年は九万七千二百。《否》卦は第九会に当り、共計二百七十運・三千二百四十世・九万七千二百年。節気は処暑に交り、閏爻は《剥》卦。戊寅・第二百五十五運に至り、節気は白露に交り、閏爻は《升》卦。
月酉十,星三百,辰三千六百,年十八萬八千。觀。 觀此當第十會,計三百運,三千六百世,一十萬八千年,節交秋分,閏爻升卦,至戊申第二百八十五運,節交寒露,閏爻鼎卦。
月は酉、星は十、辰は三千六百、年は十万八千(原文は誤って「十八万八千」と作る)。《観》卦は第十会に当り、共計三百運・三千六百世・十万八千年。節気は秋分に交り、閏爻は《升》卦。戊申・第二百八十五運に至り、節気は寒露に交り、閏爻は《鼎》卦。
月戍十一,星三百三十,辰三千九百六十,年一十一萬八千八百,《剝》。 此第十一會計三百三十運,三千九百六十世,一十一萬八千八百年,節交霜降,閏爻《否》卦戊寅,第三百一十五運,節交立冬閏爻《益》卦,當此一會之半,從有入無謂之閉物,則其視於開物,相去遠矣。然則如是而已乎,祝氏曰:窮則變,變則通,—元之後,安知不復有一元以繼之。
月は戌、星は十一、辰は三千九百六十、年は十一万八千八百、《剥》卦に配す。これは第十一会、共計三百三十運・三千九百六十世・十一万八千八百年。節気は霜降に交り、閏爻は《否》卦。戊寅・第三百十五運に至り、節気は立冬に交り、閏爻は《益》卦。こ会の中間に至り、万物は有より無に帰す、「閉物」と言い、当初の「開物」に比すれば、相距すでに遠し。豈にここに至りて止まらんか。祝氏は言う:窮極すれば変じ、変ぜば通ず。一元過ぎた後、誰か知らん、再び一元の接続続くをや、と。
月亥十二,星三百六十,辰四千三百二十,年一十二萬九千六百。《坤》。 此第十二會,計三百六十運,四千三百二十世,一十二萬九千六百年。節交小雪圖閏爻戊申,第三百四十五運,運交大雪閏爻,比卦當此為混沌之世,浩浩無窮,生生不息,天運循環,無往不復,經子會,又復開天矣。康節先生所以書日甲月子星甲辰子者,以日甲後有乙日、丙日,丁之元元也。
月は亥、星は十二、辰は四千三百二十、年は十二万九千六百、《坤》卦に配す。これは第十二会、共計三百六十運・四千三百二十世・十二万九千六百年。節気は小雪に交る(ここ原文に訛脱あり)。戊申・第三百四十五運に至り、大雪に交り、閏爻は《比》卦。この時正に混沌之世、浩浩として辺なし、而もなお生生不息す。天運は循環し、往あれば必ず復あり、子会を一過すれば、天は再び開闢す。康節先生が「日甲・月子・星甲・辰子」を写作したゆえんは、甲日の後になお乙日・丙日・丁日あり、一元の外に仍お元あるがためなり。
以運経世説
每三百六十年配也二十四氣,毎一氣一年,各準四爻,共二百五十六卦,—千五百三十六爻,而卦變一周,周而復始也,歷代不復贅演,自午會第十一運甲子世戊申年夬卦九五爻直事,乃洪武元午也。至甲子年乃洪武十七年也。
每三百六十年は二十四節気に配し、每一気は一年を管し、各々四爻に配し、共に二百五十六卦・一千五百三十六爻を得る。卦は一週変じて後、また周而復始す。歴代の推演はここでは再び贅述せず。午会第十一運・甲子世の戊申年より、《夬》卦九五爻当値管事し、あれは正に明朝洪武元年。甲子年に至れば、すなわち洪武十七年である。
年之月卦
月為小運卦,起《升》、《蒙》、《蠱》、《井》,每一分二氣,當氣之日,未當氣時辰之前,是前節氣之卦,既交氣時辰之後,交氣時辰多少,用蔵閏四爻,次日子時,方用正節氣之四爻,此經世書蔵閏之法也。
月の「小運」に属する卦は、《升》《蒙》《蠱》《井》より起る。每一分は両個の節気を管す。交気の那一天に至り、およそ交気の時辰の前は、なお前一節気の卦を用い、交気の時辰を過ぎて後、交気時辰の多少に按じ、まず「蔵閏」の四爻を用い、第二天の子時に至りて、はじめて正式に本節気の四爻を啓用す。これが《経世書》蔵閏の办法である。
逐月用卦,以節氣而藏,惟以晦朔弦望之虛也,月大則七日三時為春,七日三時為夏,七日三時為秋,七日三時為春冬,此經世書之用卦,所以備氣盈虛之妙用,而元會運世各有縮,為一元、一會、一運、一世、一年、一月、一日、一時及微而一秒,亦可準元元會運世與歲月日時,此分秒所以行乎其間,斂大為小,衍小為大,大以用小,小以用大,所以自天地而至豪釐之事物,皆不能逃乎卦數也。
逐月の用卦は、節気に按じ蔵閏するなり。ただ晦・朔・上弦・下弦の間はもともと虚実盈縮あるがゆえに。月份が大月と為る時は、すなわち七日三時を春とし、七日三時を夏とし、七日三時を秋とし、七日三時を冬とす。《経世書》のこのごとくの用卦は、正に気盈と朔虚の妙用を兼備せんがためである。元・会・運・世は各々盈縮あり、一元・一会・一運・一世・一年・一月・一日・一時を問わず、细微に至りて一秒に至るまで、みな元・会・運・世と歳・月・日・時に比照して推るべし。「分」「秒」はすなわちこの中間に行走す:大を収斂して小と成し、小を推衍して大と成す。大をもって小を管し、亦た小をもって大を管す。ゆえに上は天地より下は毫釐の事物に至るまで、卦数の外に逃れ得るものなし。
經世書蔵閏,各有妙旨,蔵閏所以為運行顯閏,所以為休咎,如顯閏則一日二十四,分為閏,一月二十四時為閏,(五刻當一時)一年二十四日為閏,(六十刻當一日)一世二十四月為閏,—運二十四年為閏,一會二十四世為閏,閏主天地內之兵革疫歷饑荒,然亦分下為—十六,以分野推之。
《経世書》の蔵閏は各々妙意あり:蔵閏は運行を推らんがため、顕閏は吉凶を断ぜんがため。いわゆる顕閏とは、一日は二十四分を以て閏とし、一月は二十四時を以て閏とし(五刻折りて一時に合す)、一年は二十四日を以て閏とし(六十刻折りて一日に合す)、一世は二十四月を以て閏とし、一運は二十四年を以て閏とし、一会は二十四世を以て閏とす。閏は天地の間の兵禍・瘟疫・饑饉を主管す。ただしなお再び十六份に分かち、地上の分野に按じて推断せねばならず。
日之時卦
三百六十時為一周,每一時用四爻,每二刻用一爻,仍分節氣蔵閏,一時準一日三十時,兩日半準一月,每月初一日子時至初五日亥時為二月,每一月準一年,而月之大則三十日準一月,月之小則二十九時準一月,蓋月之大則一月三百六十時(十二個三十也)月小則—月三百四十八時,(十二個二十九)此經世書引而伸之一元之內,閏大小皆不差矣。
三百六十個の時辰を一週とし、每一个時辰は四爻を用い、每两刻は一爻を用い、仍旧節気に按じ蔵閏す。一个時辰は一天に折合し、三十個時辰すなわち两天半は一个月に折合す。每月初一子時より初五亥時に至るまでを两个月と算作し、每一个月は一年に折合す。大月は三十日を以て一月に折合し、小月は二十九時を以て一月に折合す:大月の一个月は三百六十時(十二個の三十)あり、小月の一个月は三百四十八時(十二個の二十九)あるがゆえに。《経世書》のこのごとく引申するは、一元の内に在りて、閏の大小はみな差錯あらざらんことを期す。
日之時卦,只以年之月卦為用,但有起寅字之異耳,年之月卦,則以五虎元遁,而寅月起升蒙蠱井,張行成作經世書,通變不分大小運,皆起升蒙蠱井,蓋只得半無邪,所謂卦起升蒙蠱井之一句耳,不知康節先生以元會運世年為大運,起泰、損、大蓄、節。月為小運,起升、蒙、蠱、井之要訣也。
日の時卦は、ただ年の月卦を借りて推る。差別はただ起卦は寅字より起こるに在るのみ。年の月卦は、「五虎遁」の口訣に按じ、寅月より《升》《蒙》《蠱》《井》を起す。張行成は《経世》之書を作り、通変を講ずるに大運小運を分かたず、一律に《升》《蒙》《蠱》《井》を起す。あれはただ一半を得たのみ、いわゆる「卦起升蒙蠱井」の这一句のみである。彼は知らず、康節先生の要訣は:元・会・運・世・年は大運に属し、《泰》《損》《大畜》《節》を起し、月は小運に属して、はじめて《升》《蒙》《蠱》《井》を起す、なることを。
皇極起卦法(およそ三条)
皇極起卦有四法,天數起於會之子,冬至甲子卦自泰行也。人數起於運之甲,驚蟄己卯方起泰卦,地起於世之子,大寒甲己仲用泰值事,物數起於月之寅,春分起泰而用甲己孟,各各不用起冬至者,天運子也起大寒者。地運丑也起驚蟄者,人建寅也,而積一氣在正月之終氣也,起春分者,帝出於震也。天地人物各用一元,皆首於泰卦,
《皇極》の起卦に四種の办法あり。天数は会の子位に起り、冬至甲子は《泰》卦より運行を始む。人数は運の甲位に起り、驚蟄己卯にしてはじめて《泰》卦を起す。地数は世の子位に起り、大寒甲己之仲は《泰》卦をもって当値と為す。物数は月の寅位に起り、春分に《泰》卦を起して甲己之孟を用う。各家の起す所の不同:冬至を起すは、天運の子に在るを取る。大寒を起すは、地運の丑に在るを取る。驚蟄を起すは、人統の寅に建つを取るも、而して累積の一气は正に正月の終気に在る。春分を起すは、「帝出乎震」之義を取る。天・地・人・物は各々一元を用い、みな《泰》卦を首と為す。
自干與坤分太極為易之門,一變而為四象,二變而為八卦,三變而為十六位,四變而為六十四卦,至四變而耦之,則先天大圖一百二十八卦也。四變而四之,則掛一圖二百五十六卦也。四變而八則既濟圖,五百一十二卦也。四變而六之,則既濟陰陽圖之細數,各一千二十四卦也,八八之卦亦四變而為用,故日月星辰有天,水火土石之在地,土農工商之在人,無非四也。
《乾》《坤》は太極を分判し、《易》の門戸と為る。一変して四象を成し、二変して八卦を成し、三変して十六位を成し、四変して六十四卦を成す。四変の後さらに加倍すれば、すなわち先天大図の一百二十八卦。四変の後四を乗ずれば、すなわち「挂一図」の二百五十六卦。四変の後八を乗ずれば、すなわち《既済》図の五百一十二卦。四変の後さらに二を乗ずれば(原文「六之」と作る)、すなわち《既済》陰陽図の細数、各々一千零二十四卦を得る。八八六十四卦もみな四変を経てはじめて作用を起す。ゆえに天に日・月・星・辰あり、地に水・火・土・石あり、人間に士・農・工・商あり、一として四ならざるなし。
皇極之法妙在方圓曲直,行以園生物,以方平行則直斜行則曲,所以成變化而行鬼神,乘除消長是由此而分也。先天以方圓二象合為一圖,分二圖別之為二,此元經會,會經運,會經世,皆圓圖之用也。
《皇極》之法の妙処は方・円・曲・直に在り:運行は円を用い、生物は方を用う。平に走れば直線と成り、斜に走れば曲線と成る。変化はこれより成り、鬼神はこれより行い、乗・除・消・長もこれより分かつ。先天は方・円両個の象を一幅の図に合成し、また分けて両幅の図と為すを得る。いわゆる「以元経会」「以会経運」「以運経世」(原文「会経世」は「運経世」と作るべし)は、みな円図の用法である。
乾坤為大父母,其卦皆右行,從太陽也。復姤為小父母,其卦皆左行,從四時也。右從之卦,皆一生二,二生四,四生十六,十六生三十二,三十二生六十四,至於反生一十七卦,而復會無極之數,即元終復有元之理也。左行之卦,自一而二,笫笫相承,如環無端,即歲運又攺歲之理也。二者順逆異行,其數之差,至於萬萬極,陽舒陰縮也。
《乾》《坤》は大父母、それらの生ずる卦はみな右に行き、太陽に跟随す。《復》《姤》は小父母、それらの生ずる卦はみな左に行き、四時に跟随す。右に行く卦は、みな一生二・二生四・四生十六・十六生三十二・三十二生六十四、反生の一十七卦に至るまで、また無極之数に帰会す。これはすなわち一元終りてまた一元あるの理。左に行く卦は、一より二へ、層層相承け、円環のごとく起訖なし。これはすなわち一年過ぎてまた新年に改まるの理。両者は順逆方向同じからず、数目の相差は大いに万万の極に至るを得る。あれは陽気の舒展・陰気の収縮の致す所である。
皇極二百五十六卦,只用內貞外悔二象之外無爻義,故分兩圖,只用一二三四五六七八之數,而定卦分兩圖變既濟圖,皆以內外之數繫卦為卦,一卦以數取成二百五十六卦,其卦又自袓於先圓圖也。觀物外篇言:乾兌離震,用陽爻一百八十,巽坎艮坤,用陰爻一百八十,又並陽侵陰旦侵夜數,又取坎艮之陽爻四十,共三百五十六爻,即掛一卦所袓也,是以摘爻明義,以所得卦為吉凶也。
《皇極》の二百五十六卦は、ただ内卦を「貞」・外卦を「悔」とする両個の象を用うるのみで、このほか爻義を講ぜず。ゆえに両幅の図に分け、ただ一・二・三・四・五・六・七・八の几个の数をもって卦を定む。両図を分けて再び《既済》図に変ずるも、みな内外の数を卦に係して卦を成すを以てす。一卦は数に按じ取り用い、共に二百五十六卦を成し、而してこれらの卦はまたみな先天円図を祖述す。《観物外篇》に言う:《乾》《兌》《離》《震》は陽爻一百八十を用い、《巽》《坎》《艮》《坤》は陰爻一百八十を用い、さらに陽侵陰・昼侵夜の数を合し、また《坎》《艮》の陽爻四十を取り、共に三百五十六爻、これすなわち「挂一卦」の祖述する来源。ゆえに爻位を摘取して義理を闡明し、所得の卦を以て吉凶を判断せんとす。
元会運世入図歌訣
既濟卦皆以尊居左,以卑居右,如運與會,則運為尊,運為世,則會為尊也。位置左卦有是地卦者變為天,如坤變乾,巽變震是也,又看右卦有是天卦變為地,如震變巽,離變坎是也。各變合天地之位了,乃取之方合既濟圖,植物卦亦然。 元經會觀天也,會經運觀地也,運經世觀人也。聲音律呂則又以之而觀物矣。
《既済》図の卦は、みな尊者を左辺に・卑者を右辺に放つ:たとえば運と会と相配せば、すなわち運を以て尊と為し、運と世と相配せば、すなわち会を以て尊と為す(この両句の原文は疑わしく互倒あり)。安放する時は左辺の卦を看、もし地卦なればすなわち天卦に変ず、《坤》の《乾》に変ずるごとく、《巽》の《震》に変ずるごとし。さらに右辺の卦を看、もし天卦なればすなわち地卦に変ず、《震》の《巽》に変ずるごとく、《離》の《坎》に変ずるごとし。各々変じて天地の位次に合するの後、取り来りてはじめて《既済》図の格局に合す。植物類の卦もこれに照じて办理す。「以元経会」は天を観、「以会経運」は地を観、「以運経世」は人を観る。声音律呂に至っては、すなわち物を観るに用う。
經世之篇起唐堯,用編年法分三百六十年為一周,積為十運也。欲見三百六十年值年卦同而應驗,所以異者在於值運值世者之卦,處互成章,不可為典常也,
《経世》各篇は唐尭より紀年を起こし、編年之法を用い、三百六十年を一周と算作し、累積して十運と為す。値年の卦は每三百六十年に一度重複すれど、応験は各々相同じからず、分別はすなわち値運・値世の卦の上に在り。それらは交錯して文と成り、一成不変の常法と作るべからず。
如泰否兩卦,泰在否中則吉,否在泰中則凶。是小不勝大也。然泰在否中而否,自屯來夬剝等卦,來則仍主凶,否在泰中,而泰自大有謙,無妄來則不能為災矣。是弱不能敵強也。天理人事本不相遠,陽多則為德,為君子,為平治,為豐大,陰多則為刑,為小人,為難危,為廹促,觀康節論大過之義,則逢大過卦者,豈可便為棟橈凶哉,謙無凶而夬剝無吉,恐亦未然,如謙當閉物,何吉之有。
《泰》《否》両卦を以て例と為せば:《泰》が《否》の大局の中に処すれば吉、《否》が《泰》の大局の中に処すれば凶。これは小の大に敵せざるなり。しかし《泰》は《否》の中に処するも、もしあの《否》が《屯》《夬》《剥》等の卦より転来すれば、仍旧凶を主とす。《否》は《泰》の中に処するも、もしあの《泰》が《大有》《謙》《无妄》より転来すれば、災を成す能わず。これは弱の強に敵せざるなり。天理と人事は本来相去遠からず:陽多ければ徳と現れ・君子と現れ・太平と現れ・豊大と現る。陰多ければ刑と現れ・小人と現れ・艱危と現れ・窘迫と現る。康節の《大過》を論ずる意を看れば、およそ《大過》卦に遇う者、何ぞ必ずしも「棟橈」之凶ならんや。《謙》卦は全く凶なく《夬》《剥》は全く吉なしと言うも、恐らく未だ必ずしも然らず:《謙》卦もし正に閉物の時に当たらば、また何の吉か言わんや。
皇極起例(およそ六条)
皇極用卦之法出於方外丹經之道意,其詞曰:“用卦不用卦,須向卦中作,及其用卦時,用卦還是錯。”此以所得之卦變而合位。不用原卦是用卦不用卦也。又並兩卦相合而交取其貞與悔各以一卦以既濟卦之四象,此須向卦中作也,得四矣又也入卦一卦而後用之,猶以用既濟卦為錯也,
《皇極》の用卦の方法は、方外丹経の意旨より出ず。その口訣に言う:「用卦不用卦、須向卦中作。及其用卦時、用卦還是錯。」これは求め得た卦を変化を加えて位次に合わしめ、元来の卦を用いざるを言い、これを「用卦不用卦」と言う。また両卦を相合して交互に内卦(貞)と外卦(悔)を取り出し、各々一卦を成し、《既済》卦の四象に配す。これを「須向卦中作」と言う。四象を得出して後、さらに再び卦に入りて一卦を取りて然る後に使用す。ゆえに単に《既済》卦を用いるは仍旧錯なりと言う。
今附例於後假如人來說少字,就用少字算少字,是古沼切在二十七筱字,韻聲屬上聲,音屬齒音之第四聲,屬日月,聲輕乃夬卦,音屬收齒輕乃比卦,以夬卦居左比卦居右,二卦相併其外卦是兌與坎合成困卦,其內卦是干與坤合成否卦則臺既濟圖是會之元之運之元困否入卦,一個乃大有卦也,斷之曰:吉。其數六兆五千萬億,笫四聲屬丁齒音,四屬亥,四巽十得五十六數,去三十而用二十六,乘之則得一百兆之數也,數內隱天山遯卦,乃成功身退之象也。
いま例を後に附す。たとえば人ありて来りて一個の「少」字を言わば、すなわち「少」字をもって起算す。「少」は古沼切、二十七篠韻に属し、声調は上声、読音は歯音の第四声に属す。声の上においては日月に属し、声軽く、《夬》卦を得る。音の上においては収歯にして軽く、《比》卦を得る。そこで《夬》卦を左辺に放ち、《比》卦を右辺に放つ。両卦并合し、外卦は《兌》と《坎》と合して《困》卦を成し、内卦は《乾》と《坤》と合して《否》卦を成す。さらに《既済》図に合し、会之元・運之元を得る。《困》《否》を卦に入れ、一卦を取ればすなわち《大有》卦、断語は吉。その数は六兆五千億。第四声は丁に属し歯音に属し、四はまた亥に属し、四と《巽》の十と相加して五十六を得、三十を減じて二十六を用い、これをもって相乗すれば一百兆之数を得る。数中に暗に《天山遯》卦を蔵す。正に功成身退の象。
假如有事在心,忽聞牛叫,就用叫字算,是古吊切在十八嘨字韻,聲屬去聲,音屬舌音之笫一,是聲屬月辰,乃屬隨卦,音屬唇音輕閉,乃觀卦。便以隨卦居左,觀卦居右,二卦順並其外卦是兌,與巽合為大過卦,其內卦是震與坤合為豫卦,則合既濟圖是會之世之元,大過豫而入掛一圖,乃既濟卦也。斷之曰:其事已成在秋季,尤吉。
またたとえば心裏に正に一件事を想うに、忽然として牛の叫ぶを聞かば、すなわちこの「叫」字をもって起算す。「叫」は古吊切、十八啸韻に属し、声調は去声、読音は舌音の第一等に属す。声の上においては月辰に属し、《随》卦を得る。音の上においては唇音にして軽閉、《観》卦を得る。そこで《随》卦を左辺に放ち、《観》卦を右辺に放つ。両卦順次并合し、外卦は《兌》と《巽》と合して《大過》卦を成し、内卦は《震》と《坤》と合して《豫》卦を成す。さらに《既済》図に合し、会之世之元を得る。《大過》《豫》を「挂一図」に代入すれば、すなわち《既済》卦。断語は:此事すでに办成し、秋季に応じ、尤も吉利、と。
其數一萬二千五百九十七億一千二百萬,其叫字屬笫三聲,丙子四音已是二十八數,復以二十八因之,則得其事之數,三十五萬二千九百一十九億三千六百萬。又斷之曰:笫三位空,其事難成於同乾人中,有不足。又數內八百二十億為地澤臨,此八月終之卦,全於八月,有凶也。
その数は一万二千五百九十七億一千二百万。「叫」字は第三声に属し、丙子四音はすでに二十八之数に合し、さらに二十八を以て乗ずれば、すなわち此事之数を得る:三十五万二千九百十九億三千六百万。また断じて曰く:第三位は落空し、此事は同伙の人の中において办成し難く、その中に欠缺あり、と。数裏にはさらに八百二十億を含みて《地沢臨》卦と為る。これは八月末の卦、事情は整个八月に落ち、すなわち凶険あり。
巻二(《図書集成》版本)
問数答語
于越李子問曰:余留心數學久矣, 凡高賢名術未嘗不起疑,以探其薀,而驗者恆少不驗者恆多,未有如先生之奇,而多中神而多驗也,果有所秘傳耶?獨得之妙耶?何不垂筆,以示不朽。
越地(今の浙江一帯)の李子が請教して曰く:私は数学に留心すること已久しく、およそ高明之士・著名之術に遇えば、疑問を提出しその中の蘊奥を深探せざるなし。しかし応験するは常に少なく、応験せざるは常に多し。未だかつて先生のごとき奇妙を見ず——推断多く中り屢々神験す。これは究竟秘密の伝授あるか、それともあなた独得の妙悟か。何ぞ写下して、以て不朽に伝えざらんや、と。
楊子曰:具天地陰陽之理者易也,所以體天地陰陽之理,隨時變易以從道者心也,心不能靜無以決天下之疑。釋天下之疑矣。學數之要,必先掃除雜念,收斂身心,以有為應跡,以明覺為自然,久而行之,則志氣清明義理昭著,而數理自然貫通矣。
楊子が回答して曰く:完整地に天地陰陽之理を含具するは、《易》なり。よく天地陰陽之理を体認し、随時変易して大道に順従するは、心なり。心もし静ならざれば、天下の疑難を決断し天下の疑惑を解除する能わず。数を学ぶ要領は、必ず先に雑念を掃除し身心を収斂し、有意の作為をもって事跡に応付し、清明の覚照をもって本然状態と為さねばならず。このごとく長久に為し続ければ、志気は自然に清明、義理は自然に昭著、数理もまた自然に貫通す、と。
李子曰:飬靜之說,吾嘗聞其既矣,敢問變之說何如? 揚子曰:易者,隨時變易以從其道也。易書雖為卜筮而作,而義理未嘗不該苟專於卜筮,以求易則得其形,而下者遺其形,而上者殆非體用一原,顯微無間之道矣。苟專於義理以求易,則無以定天下之吉凶,決天下之得失,豈聖人所謂無大過而吉凶,而吉凶與民同患之意哉,故易卦雖有一定之名,而氣陏時轉,不無衰旺之萬,論卦不論氣,則局於象,昩於時,得其影響而不能真知灼見矣。若能看得卦氣透徹,不惟知吉凶而亦能識造化之根源也。
李子曰く:養静の道理は、私すでに聴明白せり。請う、「変」の道理はまた如何、と。楊子曰く:いわゆる《易》とは、すなわち随時変易して其道に順従する。《易》の書は卜筮のために作られたるも、義理は備わらざる所なし。もし一味に卜筮より《易》を求めれば、ただ形而下の一面を得て、形而上の一面を丢掉す。すなわち「体用一源・顕微无間」の道理に合せず。もし一味に義理より《易》を求めれば、また天下の吉凶を判定し天下の得失を決断する能わず。どこにか聖人のいう「无大過」にして「吉凶与民同患」の本意あらんや。ゆえに卦は各々固定の名称あれど、気は随時転移し、衰旺の差別ある能わず。ただ卦を論じて気を論ぜざれば、すなわち卦象に局限され时令に昏昧、ただ影子回声ばかりを得て、真知灼見と談ずるに足らず。もし卦気を透徹に看れば、すなわち吉凶を知るに止まらず、さらに造化の根源を認識し得る、と。
李子曰:卦氣之外,無仍別有機乎? 楊子曰:數固天地盈虛往來一定之理,而此心之靈不假思慮,不勞卜度,有以開天下之物成天下之務者,惟寂然不動而已矣。
李子曰く:卦気の外、さらに別に機要あるか否や、と。楊子曰く:数は固より天地盈虚往来の一定之理なれど、此心の霊明は必ずしも思慮に依頼せず、必ずしも力を費やして揣度せず、よく天下之物を開通し天下之務を成就す。拠る所はただ《繋辞》のいう「寂然不動」の四個字のみ、と。
昔張子厚為商洛令時,屢過康節之蘆,拜而問曰:此學幾日可盡?先生曰:本無多事,以子之才,頃刻可盡。須棄卻仕宦,靜養十年,使塵慮消散,自然有得。
从前張子厚(張載)商洛県令と為るや、屢々康節の草廬に到り拜訪し、礼を行い請教して曰く:この門の学問は多少の天を要して学尽くすを得るか、と。康節曰く:本来事多少あらず、あなたの才分に凭れば、頃刻の間に学尽くすを得。ただあなたは必ず仕宦を拠開し、十年静養し、塵世の雑念を消散干浄せしめば、自然所得あらん、と。
邢叔和來學引古今不已先生曰:姑置是先天未有許多語,且當虛心使胷中蕩然無一事,方可。 詩曰:若論先天一字無。 又曰:身在天地後,心在天地先。 又曰:天向一中分造化,人從心上起經綸。
邢叔和来り学を求め、一開口すれば古今を引証し、説き止まず。康節曰く:これらは先に放して置け。先天之学は本来あれほど多くの話あらず。あなたはしばらく心を虚にして、胸中を空蕩蕩として一事を存さずしてこそ、学ぶ可し、と。彼の詩に曰く:先天を論ずれば、一個字すらなし、と。また曰く:身は天地生成の後に在り、心は天地開闢の先に在り、と。また曰く:天は「一」の中に造化を分け、人は「心」の上に経綸を建立す、と。
他日又曰:數學非十年則不成。由此觀之學數以靜養為先,卦氣為要也。也靜則胷次玲瓏,物來順應,魯齊有云:先天之學純乎天者也,非純乎其天之人不可輕授,蓋以此數蘊神仙之秘訣,洩造化之元機,得之者當重,非其人不傳。故康節不授邢叔和而願授程明道,豈無所見而然焉。 李子曰:命之矣。敢不勤。 諸然觀物必有筌蹄,請書於後。
後に彼また曰く:数学は十年の功夫を下さざれば学成らず、と。これより見れば、数を学ぶは静養を以て先と為し、卦気を以て要と為す。心一たび静まれば、胸中は通透玲瓏、事物来れば自然順応す。魯斎言いし:先天之学は純乎天然の学問、心地純乎天然の人にあらずんば、軽易に伝授す可からず。この套の数の裏に神仙の秘訣を藴含し、造化の元機を泄露すればなり。これを得る人は応に郑重たるべし、その人にあらざれば伝えず、と。ゆえに康節は邢叔和に伝えるを肯んぜず、却って程明道に伝えるを情とす。豈に見地なくしてこのごとく為さんや。李子曰く:謹んで教を受けん、あえて勤勉せざらんや。すでにこの然れば、観物は総じて入手の門径あるべし、請い後に写下されよ、と。
観物筌蹄
一曰論動靜。夫動靜者。吉凶悔吝之本。蓋嗜慾將至有開。必先朕兆之萌。其端可測。一動一靜之間有自然之數。不動不占。不因事不占。故皇極之數專在動上求之。
第一条、動静を論ず。動と静は吉・凶・悔・吝の根本。嗜欲将に至らんとする時は必ず開端あり、事情発生の前は必ず先に征兆萌動あり、あの端倪は測知し得る。一動一静の間に、自ずから天然之数あり。ゆえに動ぜざれば占せず、具体の事情に因らざれば占せず。《皇極》之数は専ら「動」の上に求めんとす。
(星光注:“專在動上求之”也是《梅花易數》的大旨。《河洛精蘊》提到此意時有這樣一段文:“邵子《易》數甚精,如通一物,超數算之。便可知是物何時而始,何時而終。但必有動處,方能起算。如見一葉落,便從落葉之時起算”。
(星光按:「専在動上求之」もまた《梅花易数》の宗旨なり。《河洛精蘊》がこの層の意思を講ずるにこのような一段の話あり:邵子の《易》数は極めて精、たとえば一件の東西に遇えば、常規を超越して推算し、よくこの東西のいつ開始し何時終結するを知るを得。ただし必ず「動」処ありて、はじめて起算し得べし。たとえば一片の葉の落下を見れば、すなわち落葉の那一刻より起算す、と。
故在“大定根源”章節中有“先從動處起元機。次下今年月日時”之語。“動”是預測學中普遍推行的準則,六爻求動爻,六壬以沖剋為發用,遁甲以身宮為發動,皇極數以年干克為動減策數等等無不以動為旨。
ゆえに《大定根源》一章の中に「先ず動処より元機を起し、次に今年月日時を下す」の話あり。「動」は予測之学の普遍通行の準則:六爻卦は動爻を找求し、六壬は冲克を以て発用を取り、奇門遁甲は身宮を以て発動と為し、皇極数は年干相克を以て動と為して策数を減去す。このごとき等は、ことごとく「動」を宗旨と為さざるなし。
故楊子曰:“易卦雖有一定之名,而氣陏時轉,不無衰旺之萬,論卦不論氣,則局於象,昩於時,得其影響而不能真知灼見矣。若能看得卦氣透徹,不惟知吉凶而亦能識造化之根源也。”所謂“卦氣”亦是隨時流動,亦是“動‘意矣。)
ゆえに楊子曰く:卦は各々固定の名称あれど、気は随時転移し、衰旺の差別ある能わず。ただ卦を論じて気を論ぜざれば、すなわち卦象に局限され时令に昏昧、ただ影子回声ばかりを得て、真知灼見と談ずるに足らず。もし卦気を透徹に看れば、すなわち吉凶を知るに止まらず、さらに造化の根源を認識し得る、と。見るべし、いわゆる「卦気」もまた随時流動して、同じく「動」の意思を含む、と。)
凡意所萌動。務以先聞先見之動物為主。因動而起則禍福可前知矣。 (星光注:見某網友發貼其觀點能見至象皆憑自己隨意取象皆可,竊為不可,還是按“務以先聞先見之動物為主”為準則。否則失去“欲將至有開。必先朕兆之萌”之意蘊也。)
およそ心念一たび動けば、必ず最も早く聞き最も早く見たあの動の事物を以て準と為すべし。この「動」に依って卦を起せば、禍福はあらかじめ知るべし。(星光按:かつて某網友の発帖を見て、およそ見得る象はみな随意に選取し得ると主張す。私は私下に不可と思う。なお「務めて先聞先見の動物を以て主と為す」を以て準則と為すべし。さもなくば「嗜欲将至有開、必先朕兆之萌」の句の意蘊を失わん。)
故以二動合為一卦。或一動則不可算。一動一靜則可算。蓋動靜相連亦是數也。若所動者既雜。則以先聞先見者算之。其餘不可用。 (星光注:提出二動可成卦,二靜則不可算,還是圍繞以“動”為主題。在《先後天辨》論述的更為詳細:“先朕兆之萌。其端可測。一動一靜之間有自然之數。不動不占。不因事不占。故皇極之數專在動上求之。凡意所萌動。務以先聞先見之動物為主。因動而起則禍福可前知矣。故以二動合為一卦。或一動則不可算。一動一靜則可算。蓋動靜相連亦是數也。若所動者既雜。則以先聞先見者算之。其餘不可用。”)
ゆえに両個の「動」を合して一卦と為すを要す。もし一個の動のみあれば、すなわち起算する能わず。一動一静配合せば、却って起算し得べし。動と静の相連もまた数を構成すればなり。もし動する事物太り雑乱なれば、すなわち最も早く聞き最も早く見た一個を取りて算え。その余はみな用いる能わず。(星光按:ここに両動の一卦を成す可く・両静はすなわち起算する能わざるを提出す。仍旧「動」なる主題を囲繞す。《先後天辨》一篇はさらに詳しく講ず、その文に曰く:事情発生の前は必ず先に征兆萌動あり、あの端倪は測知し得る。一動一静の間に自ずから天然之数あり。動ぜざれば占せず、事に因らざれば占せず。ゆえに《皇極》之数は専ら動の上に求む。およそ心念の萌動は、必ず最も早く聞き最も早く見た動物を主と為し、動に依って卦を起せば、禍福はすなわち予知し得べし。ゆえに二動を以て一卦に合す。ただ一動あればすなわち算えず、一動一静なればすなわち算え得べし。動静相連もまた数なればなり。もし動する所太り雑なれば、すなわち先聞先見を用いて算え。その余は用うべからず、と。)
凡看動物。以先者為上卦。後得者為下卦。次加年月日時。又次加陰陽之策。共成若干。仍以克太歲之卦除之。然後方成一數。如以手執筆。筆動而手亦動也。如以手取刀裁紙。乃是三件物。未將刀到紙邊時。只以手與刀兩件算數。若已將刀正裁紙時。只算刀與紙。不可算手。此是二動連屬之義。
およそ動の事物を観察するに、先に出現するを上卦と為し、後に出現するを下卦と為す。然る後に年・月・日・時之数を加え、さらに陰陽の策数を加え、合計して若干を得、さらに太歳を克する卦数を以て除す。これにはじめて一個の可用の数と為る。たとえば手裏に筆を拿れば、筆は動き手もまた動く。または手を用いて刀を拿り紙を裁つごとく、これは三件の東西:刀は未だ紙辺に靠らざる時、ただ手と刀の両件を算うのみ。刀すでに正に紙を裁つ時、すなわちただ刀と紙を算うのみ、再び手を算え得ず。これすなわち「二動相連属」の意思。
一動一靜者。如以手拍棹。則手動棹不動。如抬棹則是二者俱動也。如以腳震地。腳動而地不動。此是一動一靜連屬之義。須要動靜相關。然後可用。舉此為例。餘可類推。
いわゆる一動一静、たとえば手を以て桌子を拍すれば、手は動きて桌子は動かず。もし桌子を抬起せば、あれは両件みな動くなり。また脚を以て地を跺すれば、脚は動きて地は動かず。これすなわち「一動一静相連属」の意思。総じて動と静彼此相関ありて、然る後に用い得べし。これらを挙げて例と為す。その余は類推し得べし。
然動靜之中難以取舍。有自己之數。有他人之數。有物之數。如自己算數。心下主定何事。靜坐自看我身上如何動。或頭動。或手足動。或沿衣而動。須是無心之動便可取而下數。已得動數或再有動不可用。只以先動者為主。如有人來我。須從那人來問時。觀他身上動靜而下數方是親切。如算物取物動處而下數。要在澄心取動。動取不真則數不驗矣。
ただし動静の間は取捨し難し:自己の数あり、別人の数あり、物の数あり。もし自己のために起算せば、先に心裏に問う所の何事を定め、静坐して自己身上の如何に動くを看る:あるいは頭動、あるいは手脚動、あるいは衣服に順いて動かん。必ず無心之動なりて、はじめて取りて数を起す可し。すでに動数を取得した後、たとい再び動あるも用い得ず、ただ最も早く動いたを以て主と為す。もし人ありて来りて我に問わば、すなわちあの人の開口して来り問う時より、彼身上の動静を観察して数を起す。これはじめて貼切なり。もし物のために起算せば、すなわち物の動く処を取りて数を起す。総じて心念を澄清して動を取るを要す。動の取ること真ならざれば、数は応験せざらん。
星光注;此段文聯接上文更為詳談動與靜的關係,根據《梅花易數》“萬物賦”言:“觀物理者,靜則乎地,動則乎天,原夫萬物有數,易算無窮,動靜可知。”取其動靜連屬之義應在此乎。
星光按:この段は上文に接し、さらに詳しく動と静の関係を談ず。《梅花易数》の《万物賦》に曰く:物理を観察する者は、静時は地に取法し、動時は天に取法す。万物は本来数あり、《易》の推算は無窮無尽、動静みな知り得べし、と。いわゆる「動静連属」の意思は、大概ここに在る。
另外“次加年月日時,又次加陰陽之策”是成卦與數的綜合判斷方法。《梅花易數》雖然有列出策數、軌數之數據,但如何應用沒有交待,所謂年月日時,即測時的四柱數,即神數術中稱為“大定數”,據其干支納甲歸屬於何卦算出策數。實際數與卦的關係有二種方法取得,一是用成卦直接利用成卦陰陽策數若干即為“身數”,取動爻因十加卦數、正數、動爻數,組成千百十零為數。另一種利用四柱干支化策數組成千百十零為數。關於數的應用那是後話了。
另外、「次に年月日時を加え、又次に陰陽之策を加う」は、成卦と成数を合して判断する方法なり。《梅花易数》は策数・軌数の数据を列出すれど、如何に運用するを交代せず。いわゆる年月日時とは、すなわち起課時の四柱之数、神数一類の術法中には「大定数」と言い、干支納甲の帰属する哪一卦に拠って策数を算出すべし。実際数と卦の関係には両種の取法あり:一は直接に成卦の陰陽策数若干を以て「身数」と為し、再び動爻を取りて十を乗じ、卦数・正数・動爻数を加え、千・百・十・零の四位の数を組成す。另一は四柱干支を化して策数と為し、千・百・十・零の四位の数を組成す。数の如何に運用するに至っては、あれは後話なり。
論卦象 二曰論卦象。夫卦象者。聖人仰觀俯察。近取諸身。遠取諸物之象也。故乾健坤順、乾馬坤牛之屬。易中備載不能盡述。明理者以象推之。今略以同類者辨焉。且如干兌皆屬金。何以分別。蓋乾乃貴重圓健之物。兌乃毀傷破缺之物。坤艮皆屬土。蓋坤為地艮為山。或在高山或在平地自是不同。震巽皆屬木。蓋震為陽木。巽為陰木。其發生茂盛萌芽者震也。枯槁憔悴者巽也。又有棹凳床櫃之類為巽。蒼筤萑竹之類為震。內虛外實者為離。內實外虛者為坎。日亦為離。月亦為坎。凡起動數。當以此卦算數。
以下卦象を論ず。第二条、卦象を論ず。卦象は聖人の仰ぎ天文を観・俯ねて地理を察し、近処は自身に取り遠処は万物に取りて得たる象なり。ゆえに《乾》は健と為し《坤》は順と為し、《乾》は馬と為し《坤》は牛と為るの類は、《易》中に記載完備、説き尽くし得べからず。道理を明白する者は象に照じて類推し得べし。ここではただ同類難分なるに就きて略かに辨別す。たとえば《乾》《兌》はみな金に属す、如何に区別せん。《乾》は貴重・円満・剛健の物、《兌》は毀傷・破缺の物。《坤》《艮》はみな土に属す、《坤》は地と為し《艮》は山と為る。一は高山・一は平地に在り、自然同じからず。《震》《巽》はみな木に属す、《震》は陽木・《巽》は陰木:発生茂盛・抽芽吐葉するは《震》に属し、枯槁憔悴するは《巽》に属す。このほか桌凳床櫃の類は《巽》に属し、青竹蘆荻の類は《震》に属す。内虚外実なるは《離》と為り、内実外虚なるは《坎》と為る。日もまた《離》に属し、月もまた《坎》に属す。およそ動数を起すは、みなこれらの卦に依って数を算すべし。
星光注;歷來易學的流派的二大支流是象數與義理,作為我們能在術數論壇上留連的易友,我想應注重“象數”,以“象數”為主,易的符號就是二個,陰和陽,你說他簡也夠簡易的,你說他複雜也可以,萬象在其中。象電腦一樣,只有0和1,可做的事可多了,就看你怎麼利用了。古人學易常稱“玩占”、“玩辭”等,看你怎麼玩了。
星光按:歴来易学の両大支流は象数と義理。常に術数論壇に流连する易友たる者として、私は応に象数に側重し象数を以て主と為すべしと思う。《易》の符号はただ両個——陰と陽。それを簡と言えば、確かに簡易。それを複雑と言うも、未だかつて可ならざるなし。万象はみなその中に含まる。ちょうど計算機は零と一のみあるも、為し得る事は多々あるごとく、全くあなたの如何に運用するを看る。古人の《易》を学ぶに常に「玩占」「玩辞」と言うも、亦たあなたの如何に玩ぶを看る(ここの「玩」は反復体味・揣摩の意思)。
象數派認為爻辭是用來“明象”的。《梅花易數》雖屬“先天”之學,不尙“辭”,但是在取象時,也利用“爻辭”作參考,如在“占物類例”中:“凡看物數,看其成卦,觀其爻辭,如得乾曰,潛龍無用,乃曰無用之物,見龍在田,乃曰田中之物”云云, 此段主旨指明“同類”的卦象應如何區分,簡略舉例了卦象,以情性取,以形取,以陰陽所屬取,以卦義取,以卦氣取,手法諸多,多看卦例,可豐富自己的經驗。
象数一派は爻辞を以て卦象を闡明するに用うと認む。《梅花易数》は先天之学に属して卦爻辞を崇尚せざるも、取象する時はまた爻辞を拿りて参考と為す。たとえば《占物類例》の裏に言う:およそ物数を看るは、先に所成の卦を看、再びその爻辞を看る。もし《乾》卦初九「潜龍勿用」を得れば、すなわちこれを無用之物と言う。九二「見龍在田」を得れば、すなわちこれを田裏の東西と言う。このごとき等、と。上面のこの一段の主旨は、同類の卦象を応に如何に区分すべきを指明し、併せて略かに取象の門径を挙出す:情性より取るあり、形状より取るあり、陰陽所属より取るあり、卦義より取るあり、卦気より取るあり、手法は很多。多く卦例を看れば、自己の経験を豊富にし得べし。
三曰論卦氣。夫卦氣者。旺相休囚之氣也。維天之命於穆不已。故春木夏火秋金冬木。土旺四季。無非生長收藏之氣。卦名不易。而氣隨時轉。自有真假、進退、元耗、浮沉之殊。占斷之際。當按時審氣。不可拘於卦名。
第三条、卦気を論ず。卦気すなわち旺・相・休・囚之气。《詩経》に「維天之命、于穆不已」と言う。天命は運行停止せず。ゆえに春は木に属し、夏は火に属し、秋は金に属し、冬は水に属し(原文「冬木」は「冬水」と作るべし)、土は四季之末に旺す。无非れ生・長・収・蔵之气なり。卦名は固定して変わらず、気は随時転移す。自然に真と假・進と退・元と耗・浮と沈の分別あり。占断する時は、応に時令に按じ気を審察し、卦名に拘泥すべからず。
故當時用事者謂之真。背時無氣者謂之假。氣候將臨者謂之進。氣候已往者謂之退。四植生扶者謂之元。四植洩氣者謂之耗。不當令而日辰生旺者謂之浮。死休囚廢而受制於時者謂之沉。沉氣則欲速則不達。浮氣則當權而不久。耗氣則隨得隨失。元氣則根深而福厚。退氣則有今而罔後。進氣則方興而未艾。假氣則虛多而實少。真氣則成始而成終。審此而斷之。則禍福如懸鑑矣。
ゆえに当令用事するを「真」と言い、背時無気なるを「假」と言う。気候将に来臨せんとするを「進」と言い、気候已に過去するを「退」と言う。四値(年月日時)のそれを生扶するを「元」と言い、四値のそれの気を泄するを「耗」と言う。不当令にして日辰より生旺するを「浮」と言い、死・休・囚・廃に処して時令の克制を受くるを「沈」と言う。沈気すればすなわち速ならんと欲して達せず。浮気すればすなわち一時当権して不久長。耗気すればすなわち随得随失。元気すればすなわち根深にして福厚。退気すればすなわち眼前ありて以後なし。進気すればすなわち方興にして未だ艾まらず。假気すればすなわち虚多く実少。真気すればすなわち有始有終。これらに按じて審察判断せば、禍福はすなわち鏡を照るがごとく清楚なり。
星光注; 此旺相休囚之氣,任何術數都應用的準則,三式,六爻,河洛理數,四柱八字,都講四時之氣,八字的“強弱”,在網上爭的不亦樂乎。《梅花易數》也不例外,如“諸事響應歌”曰:“大扺體宜用卦生、旺、相,謀為終有益”。此生、旺、相即卦氣也。
星光按:この套の旺相休囚之气は、如何なる術数もみな応用すべき準則なり。三式(太乙・奇門・六壬)・六爻・河洛理数・四柱八字は、みな四時之气を講ず。八字のいわゆる「強弱」は、網上の争論して已まざる所。《梅花易数》もまた例外にあらず、《諸事響応歌》のごとく曰く:大抵体卦は応に用卦より生を得、応に旺・相之地に処すべし。謀る所の事は終に益あらん、と。ここの生・旺・相、講ずる所まさに卦気なり。
此段對真假、進退、元耗、浮沉術語作了明瞭的說明。當然作為梅易倒沒必要像孟氏、京氏、邵氏所講的卦氣分到“爻”程度,只要參考《易隱》所列的卦氣就夠了。今錄出供易友參考; 附:八卦配節氣旺衰式
この一段は真偽・進退・元耗・浮沈の幾個の術語を解釈して甚だ清楚。当然、梅花易に就いて言えば、却って孟喜・京房・邵雍のごとく卦気を細分して「爻」の程度に至る必須なく、ただ《易隠》の列する卦気を参考すれば足れり。いま抄録して易友の参考に供す。附:八卦配節気旺衰表。
旺相胎沒死囚休廢 旺相胎沒死囚休廢 立冬:乾坎艮震巽離坤兌 冬至:坎艮震巽離坤兌乾 立春:艮震巽離坤兌乾坎 春分:震巽離坤兌乾坎艮 立夏:巽離坤兌乾坎艮震 夏至:離坤兌乾坎艮震巽 立秋:坤兌乾坎艮震巽離 秋分:兌乾坎艮震巽離坤 四值即測時的四柱支也。但四值的用法是在數上所得之卦,即“連山”卦序,作為梅易沒有用到數的情況下,此參數可忽略。
表中両欄はみな「旺・相・胎・没・死・囚・休・廃」の八個の等級に依って排列す。立冬の時は依次乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌。冬至の時は依次坎・艮・震・巽・離・坤・兌・乾。立春の時は依次艮・震・巽・離・坤・兌・乾・坎。春分の時は依次震・巽・離・坤・兌・乾・坎・艮。立夏の時は依次巽・離・坤・兌・乾・坎・艮・震。夏至の時は依次離・坤・兌・乾・坎・艮・震・巽。立秋の時は依次坤・兌・乾・坎・艮・震・巽・離。秋分の時は依次兌・乾・坎・艮・震・巽・離・坤。いわゆる「四値」は、すなわち起課時の四柱の地支。ただし四値の用法の針対するは数より推得する卦、すなわち《連山》卦序なり。梅花易もし数を用いざれば、この参数は忽略し得べし。
四曰論審機。夫審機者。觀之語默動靜之機也。人來求我之際。言雖未出於口。而形於身見於事者。自有動靜往來真假虛實之機。入門之際。當審其機。觀其氣色之憂喜。而參之以卦象之休旺。則事之可否亦可得而前知矣。
第四条、審機を論ず。いわゆる審機とは、すなわち対方の言語と沈黙・挙動と安静の間の機兆を観察するなり。人の来りて我に求問する時、話は未だ口に出せざるも、彼身上に顕現・事上に表露するは、自然に動と静・往と来・真と假・虚と実の機兆を帯ぶ。彼一たび門に進入すれば、応にこれらの機兆を審察し、彼の神色の憂か喜かを看、再び卦象の休と旺に参照せば、事情の成り得る成り得ざるもまたあらかじめ知るべし。
蓋臨事之際。見物偶然起者謂之動。偶然安息者謂之靜。人物之去謂之往。人物之至謂之來。布帛穀粟之類謂之真。紙花木果之類謂之假。有聲無形謂之虛。有形有象者謂之實。動則其事速。靜則其事遲。凶事欲其去。吉事喜其來。求官問利愛其真。問事尋人怕其假。興詞訟訴嫌其虛。作事謀為利其實。以此八機合前八氣化而裁之。變而通之。則未來已往之事皆可得而前知矣。人之氣色必於動物觀之。蓋氣從中出為內卦。色見於外為外卦。人有喜怒舒慘。不若動處起之為有準也。
事に臨む時、東西の偶然動き出ずるを見るを「動」と言い、偶然安静下来るを「静」と言う。人あるいは物の離去するを「往」と言い、人あるいは物の到来するを「来」と言う。布帛穀粟の一類の実用之物を「真」と言い、紙花木果の一類の仿造之物を「假」と言う。声音ありて形体なきを「虚」と言い、有形有象なるを「実」と言う。動なれば事情は快、静なれば事情は慢。凶事はその離去を希望し、吉事はその到来を喜ぶ。官を求め利を問うは「真」に遇うを喜び、事を問い人を尋ねるは「假」に遇うを怕れ、官司告状は「虚」に遇うを嫌い、事を為し謀を划するは「実」に遇うに利あり。この八種の機兆を前面のいう八種の気に合し、化裁・変通を加えれば、未来と已往の事はみなあらかじめ知るべし。人の気色は必ず動の事物の上より観察すべし:気は内裏より発出し、内卦に属す。色は外に顕現し、外卦に属す。人に喜・怒・舒・惨の神情あり、終に動処より卦を起すの来得たる准确には如かず。
星光注; 此段論述“外應”的觀察技巧,分為真假、虛實,往來、動靜,結合所測類別區別應用,至於“外應”也正是《梅花易數》預測的特色與必須掌握的技巧。
星光按:この一段の講ずるは「外応」を観察する技巧、分けて真偽・虚実・往来・動静の幾組と為し、測する所の事類に結合して分別運用すべし。「外応」正に《梅花易数》占測の特色、また必ず掌握すべき技巧なり。
《萬物賦》云:“未成卦以前,必虛心而求應。即成卦以後,觀刻應以為斷。聲音言語,傍人識兆,當遇形影往來,我心指實皆是,及其六爻以定,三天既生,始尋卦象之端,終測刻應之理,是以逢吉兆,而終知有喜。見凶識而不兔乎凶,故欲知他人家之事。必須憑我耳目之聞見,未成卦而聞見之,乃已生之事既定。卦而觀察之,乃未來之機”。
《万物賦》に曰く:卦は未だ成らざる前、必ず虚心を以て感応を等候すべし。卦すでに成りて後、すなわち当時の刻応を看て判断す。声音言語・旁人の透露する兆頭、および所遇形影の往来、およそ我心の当下に指認して実と為すは、みな数と算う。六爻すでに定まり三才之象すでに生ずに及び、先に卦象の上より頭緒を尋ね、最後に再び刻応之理を以て推測す。ゆえに吉兆に遇えば、終に喜事あらん。凶兆を見れば、亦た免れがたき凶あらん。このゆえに別人家の事を知らんと欲せば、必ず自己の耳聞目見に凭れ。卦未成の前の所聞所見は、已に発生した事なり。卦既成の後に観察したるは、はじめて未来の機兆なり、と。
講的正是此理,故其外應的真、假、虛、實概念值的《梅易》借鑑應用於實測。如班主測一婦女人問病,見老婦女與小孩,當時我見此貼憑其外觀象,缺一夫的凶兆,再進一歩,可研其二人是向測者來或往,外應技巧多多也。
講ずる所まさにこの道理なり。ゆえに外応中の真・假・虚・実の幾個の概念は、梅花易の借鑑し実測に用いるに値する。たとえば版主が一位の婦女のために病を測るに、当時一個の老婦人と一個の小孩を見たり。私はあの帖子を見、ただこの外象に凭り、すなわち缺少丈夫の凶兆あると断出せり。さらに一歩進めば、またあの両人の求測者に朝着して来るか走開くかを研究し得べし。外応の技巧は甚だ多し。
“人之氣色必於動物觀之”。“氣”是很難掌握的。看相術高層次的精斷叫“善觀氣色”,所以看相術最難學的即“氣色”的應用。如為“喜、怒、舒、慘”倒不是很難,關於氣就憑測者的社會經歷與悟性了。
「人之気色必ず動物に於て之を観る」の一句の裏、「気」は甚だ掌握し難し。相術中の高層次の精細判断を「善く気色を観る」と言う。ゆえに相術の最も学び難きは気色の運用なり。「喜・怒・舒・惨」の外露出の神情に至っては、却って太り難と算えず。而して「気」のこの一層は、すなわち全く占測者自己の社会閲歴と悟性に凭るのみ。
五曰論卦義。夫卦義者。文王周公孔子所繫之辭。自有深意存乎其中也。如干為剛健亦為亢滯。君子來之多吉。小人得之多凶。坤為厚實亦為重濁。有得之而富貴者。有得之而愚頑者。坎有潤物之功。亦有陷溺之象。離有文明之意。亦有乖離之理。兌為和悅亦為詭隨。艮為靜止亦為時行。震為震動亦為驚恐。巽乃巽順亦為不果。
第五条、卦義を論ず。卦義すなわち文王・周公・孔子の係したる卦爻辞、その中自ずから深意あり。たとえば《乾》は剛健と為すも、また亢極停滞たり得べし。君子は占い得れば多吉、小人は得れば多凶。《坤》は厚実と為すも、また重濁たり得べし:これを得て富貴なる者あり、これを得て愚頑なる者もあり。《坎》に万物を滋潤する功あり、また陥溺沈淪の象あり。《離》に文明の意あり、また乖違背離の理あり。《兌》は和悦と為すも、また曲意逢迎たり得べし。《艮》は静止と為すも、また応時而行たり得べし。《震》は震動と為すも、また驚懼恐慌たり得べし。《巽》は遜順と為すも、また優柔不決たり得べし。
又乾為君父之道。坤為臣子之道。咸姤利於婚姻。鼎革利於更改。待於需。進於晉。行師於師。爭訟於訟。聚於萃。散於渙。退於遁。守於困。安於恆泰。厄於蹇夷。盈於豐有。壞於損蠱。家人之在室。旅之在途。此皆卦象之義也。
またたとえば《乾》は君父之道を代表し、《坤》は臣子之道を代表す。《咸》《姤》は婚姻に利あり、《鼎》《革》は変更改易に利あり。等待は《需》を看、前進は《晋》を看、出兵は《師》を看、争訟は《訟》を看、聚合は《萃》を看、離散は《渙》を看、退避は《遯》を看、困守は《困》を看、安穏は《恒》《泰》を看、厄難は《蹇》《明夷》を看、盈満は《豊》《大有》を看、敗壞は《損》《蠱》を看。《家人》は家中に在るを主とし、《旅》は旅途中に在るを主とす。これらはみな卦象の含む意義なり。
起數之時。不可執一。當隨其機之吉凶、日辰之休旺而言之。蓋身數旺則福可成。否則福變為禍矣。故曰。君子修之吉。小人悖之凶。有人為之何如耳。堯夫之言亦有觀世之間。學數者當深致其思。
数を起す時は一端に執着す可からず、応に機兆の吉凶・日辰の休旺に随いて論を立てべし。身数旺なれば、福気ははじめて成就し得べし。さもなくば福もまた禍と変成せん。ゆえに曰く:君子は理に依って修養すれば吉、小人は事理に違背すれば凶、全く人の自己如何に為すを看るのみ。尭夫(邵雍)の話裏にもまた世道を観察するの意思を含む。数を学ぶ者は応に深入体会すべし。
星光注;其論卦義是謂大象,其一意含反對之情,同樣乾卦,“君子來之多吉。小人得之多凶”,物有相反之情也。《梅花易數》專有一篇“諸卦反對性情”論文,講的也是這道理。如《河洛理數》也同樣看具體用於何人物,有君子、在仕、在庶之分,得之如何如何,有“看人”之嫌,但畢竟是卦理,不能說它是“投機取巧”。
星光按:ここに論ずる所の卦義は大象を指し、その中の一層の意思は相反之情を含有す。同じく《乾》卦、「君子来る多吉、小人得之多凶」、見るべし事物は本来相反の両面あり。《梅花易数》に専ら一篇の《諸卦反対性情》あり、講ずるもまたこの道理。《河洛理数》も同じく具体何人の身上に用いるを看、君子・在仕・在庶幾等に分かち、この卦を得る如何如何、と。この看似るに「人因りて異る」の嫌ありとも、畢竟是れ卦理、それを投机取巧とは言えず。
《象數舉隅》云:“八卦取義者,有一卦專論取者,有分論各爻取者,有以全體、互體、上下體取者,有以陽爻稱陽物陰爻稱陰物者,取義不同,取象也異也。”這段論述引伸了取義的範圍,《梅花易數》取象亦有“體用互變”之斷法,體也不是一成不變,也要靈活多樣,有的卦例是綜合互卦、變卦等卦象,以得最多的卦象為體。拘泥於大象是死法,故凡泥象不通者尚究於斯。
《象数挙隅》に曰く:八卦の取義の办法は、専ら整卦に就きて立論するあり、分かちて各爻に就きて立論するあり、全体・互体・上下体に依って取るあり、亦た陽爻を陽物・陰爻を陰物と称するあり。取義同じからざれば、取象もまた各々異る。这段话は取義の範囲を拓寛す。《梅花易数》の取象にもまた「体・用・互・変」の断法あり、体卦は一一成不変に非ず、同じく霊活多様を要す。ある卦例は互卦・変卦等の卦象を綜合し、出現最も多きあの卦象を以て体と為す。大象を死守するは死法なり。ゆえにおよそ象に拘泥して講通せざるは、なお応にここより推究すべし。
六曰論生克。夫生克者。八卦相生相剋之義也。大抵卦貴生不貴克。克則凶生則吉共理。以日干為主。以數為賓。一數之內又以運為主。元會世為賓。最要賓生主。又生日辰為妙。
第六条、生克を論ず。生克すなわち八卦相生相克の道理。大体において、卦は相生を以て貴と為し相克を以て忌と為す:克を受ければすなわち凶、生を得ればすなわち吉、これは通例。推断するは日干を以て主と為し数を以て賓と為す。一個の数の内に在りては、また「運」を以て主と為し、元・会・世を以て賓と為す。最も要緊なるは賓の来生主、もし再び日辰を生じ得ればさらに妙なり。
元會世生扶運爻則吉。元會世生運。、運又生日辰者為上吉。日辰與運數相生相合而元會世來克運者。則事雖好而機不及時、為人所制伏。若元會世俱來生運。運與日辰不相生者。此好中不足之數。
元・会・世の運爻を生扶すればすなわち吉。元・会・世の運を生じ、運また転じて日辰を生ずるは、あれは上等の吉。もし日辰と運数相生相合して、元・会・世かえって運を克せば、すなわち事情は好といえど、時機は趕上せず、さらに人の壓制を受けん。もし元・会・世みな来りて運を生じ、運と日辰の間は却って相生せざれば、これすなわち好中带欠缺之数なり。
凡卦生要生回。克宜克出。逆克者耗氣。如算一年則以年干斷。淺近之事則以日干斷。此皇極之通論也。大抵日辰尤為緊要。縱觀年月。亦要參看日辰。兩下俱吉則吉。兩下俱凶則凶。此四柱歸一之論。
およそ卦は生に逢うは生じて回るを要し、克に逢うは克して出ずるを要す。反って克を受くるは、耗気なり。一整年を推算するは、すなわち年干を以て断ず。浅近の小事は、すなわち日干を以て断ず。これは《皇極》の通例。大体において日辰は最も緊要:縦い年を看月を看とも、また日辰を参看すべし。両辺ともに吉なればはじめて吉、両辺ともに凶なればすなわち凶。これすなわち四柱帰一の道理。
蓋運者。一數之領袖。元會世或有歸還魁貴祿馬來生扶運數。運數又逢吉曜是謂逢吉。為官者升遷。為士者登笠。為商者進財。或得上人提撥。如會世好數來生運。運雖不旺。亦為有救。若會世之數帶煞克運。運逢生旺帶吉曜者。當招不義之財。得小人之力。好數克身則福淺。惡數克身則禍至。若身數更不吉斯為下矣。
「運」は一個の数の中の領袖なり。元・会・世の中にもし魁星・貴人・禄・馬の帰来して運数を生扶し、運数また吉星に碰上せば、これを逢吉と言う:官を為るは升遷し、書を読むは登第し、商を経るは財を進め、あるいは上級の提拔を得るを得べし。もし会・世の好数の来りて運を生ずれば、運は旺ならざるも、亦た救ありと算え得べし。もし会・世之数の凶煞を帯びて運を克し、而して運本身は生旺に逢いまた吉星を帯ぶれば、あれは不義之財を招来し、小人の助力を得ん。
然後以升降錯綜乘除之數審之。仍以卦之爻變佐之。數為卦之體。卦為數之用。體用俱吉為上。體重用輕數若不好則卦亦徒好也。初下之數論事體之本末。升降觀事體之中。錯綜乘除觀事體之終。有先吉後凶者。有先凶後吉者。以數論之。
然る後に再び升降・錯綜・乗除之数を以て審核し、併せて卦の爻変を以て判断を輔助す。数は卦の体、卦は数の用。体と用ともに吉なればはじめて上等。体重にして用軽く、数もし不好なれば、卦は再び好なるも亦た白好なり。最初に起出したる数は、事情の本末を看る。升降之数は、事情の中段を看る。錯綜乗除之数は、事情の結局を看る。先吉後凶あるあり、先凶後吉あるあり、みな数に凭りて論定すべし。
星光注; 我的《易象匯聚》貼出後,有的易友認為那是五行屬性,並且多象易亂,說盧氏象多幾十倍。八卦含有天地,包羅萬象,我的易象匯聚簡直一牛毛,再說卦不納五行,生克旺相休囚以何為據?故此易友偏頻了點,不講生克,方術好象斷了主心骨一樣。六曰論生克,雖然講的“皇極數”,其數亦要用卦作依據,否則是一克二還是二克一,當然數本身就蘊涵著令人著迷的許多奧秘,特別河洛之數,方陣化出的奧妙更是燦爛如煌。
星光按:我が《易象汇聚》貼出して後、ある易友はあれはただ五行属性にすぎず、且つ象多ければ容易に乱ると認め、盧氏の象はそれより多きこと数十倍と言う。実は八卦は天地を含摂し万象を包羅す。我があの点の汇聚は簡直にただ一根の牛毛なり。況んや卦もし五行を納せざれば、生克旺相休囚はまた何を凭りて判断せんや。ゆえにあの位の易友の看法は偏頗些かなり——生克を講ぜざれば、術数はすなわち主心骨を断れたるがごとし。第六条の論ずる生克は、「皇極数」を講ずるなれど、あの数もまた卦を用いて依据と為さねばならず。さもなくば究竟是一克二か還是二克一か。当然数本身は藴含して多くの着迷せしむる奥秘あり、特別に河洛之数、方陣より推演出す妙処はさらに燦爛輝煌なり。
這裡所講的“皇極數”牽涉面較多,術語、概念多,但是提醒大家,元、會、運、世代表年月日時,即千百十零,要化為卦的時候,應用《連山》卦序,即是洪範的九疇數。不能用先天或後天之序數代之。
ここに講ずる所の「皇極数」は牽渉面較広、術語と概念もまた多し。大家に提醒せんと欲するは:元・会・運・世は分別に年・月・日・時を代表し、すなわち千位・百位・十位・個位なり。それらを化して卦と為す時は、《連山》の卦序、すなわち《洪範》九畴之数を用いねばならず、先天あるいは後天の序数を拿りて代替す可からず、と。
七曰論沖合:夫沖合者,日辰與卦象相沖相合也,沖者其事敗,合者其事成。各有所用,不可以一例論之。
第七条、冲合を論ず。冲合すなわち日辰と卦象の間の相冲と相合:相冲すればすなわち事情失敗し、相合すればすなわち事情成功す。両者は各々各々の用処あり、一概に論じ得べからず。
沖者沖動其事,沖百與零他人動,沖十自己動,十零與日辰相沖者,作事散失。沖年為一歲之事,沖月為—月之事,沖日為一日之事。凡數與年月日時相沖為不吉,與運數相沖者次之,合年一年之吉,合月一月之吉,合日一日之吉,合百零與他人相合,十與自己相好,十零與日辰相合,所為皆成。若數來合運,人來求我,運去合數,我去求人。日辰合運有上人尋我,或好事臨身,沖者反是。
いわゆる冲とは、事情を冲動せしむるなり。百位と個位を冲すは、別人動くなり。十位を冲すは、自己動くなり。十位・個位と日辰相冲せば、事を為せば散失落空せん。年を冲するは一年之事を主とし、月を冲するは一月之事を主とし、日を冲するは一日之事を主とす。およそ数と年・月・日・時相冲するはみな不吉、運数と相冲するの程度は稍軽し。年に合するは一年之吉を主とし、月に合するは一月之吉を主とし、日に合するは一日之吉を主とす。百位と個位に合するは、別人と相合するなり、十位に合するは自己順遂なり。十位・個位と日辰相合せば、為す所の事はみな办成し得べし。もし数の来りて運に合せば、すなわち別人の来りて我を求むるなり。運の去りて数に合せば、すなわち我の去りて人を求むるなり。日辰の運に合せば、上級の来りて我を找するあらん、あるいは好事の身に臨まん。相冲の情形はすなわち正反対なり。
八曰論刑害。夫刑害者。敗事不吉之數也。數中逢此。凡百忌之。有與卦數相刑者。有與日辰相刑者。刑剋日辰非與人爭鬥即災患相侵。刑剋卦數非作事不成即悔氣懊惱。刑年一年之事。刑月一月之事。刑日一日之事。如寅日刑巽。巳日刑坤之類。害者六害也。斷法與刑同。
第八条、刑害を論ず。刑と害は敗事不吉之数、数中これに遇えば、百事みな忌諱すべし。卦数と相刑するあり、日辰と相刑するあり。日辰を刑克するは、人と争闘せざれば、すなわち災患侵擾せん。卦数を刑克するは、事を為して成らざれば、すなわち晦気懊悩せん。年を刑するは一年之事を主とし、月を刑するは一月之事を主とし、日を刑するは一日之事を主とす。たとえば寅日の《巽》を刑し・巳日の《坤》を刑するの類。いわゆる害とは、すなわち六害、判断の办法は刑と相同じ。
九曰論生旺墓絕。夫生者長生。旺者帝旺也。數得生旺而逢吉者。有財有喜。數得生旺而逢凶者。雖則有喜不免災悔。年得生旺者一年迪吉。月得生旺者一月迪吉。日得生旺者一日迪吉。非高人見訪即親友相迎。非進財帛即飲食宴會。帶克者名為不靜。十數生旺而帶六虛或耗數者。財必散失。占病吉長生。求官宜帝旺臨官。
第九条、生旺墓絶を論ず。生はすなわち長生、旺はすなわち帝旺。数は生旺を得てまた吉に逢うは、財あり喜あり。数は生旺を得るも凶に逢うは、喜ありといえど、亦た災殃悔吝を免れがたし。年は生旺を得れば、一年順吉。月は生旺を得れば、一月順吉。日は生旺を得れば、一日順吉——高人の来訪せざれば、すなわち親友の相迎えん。財を進め帛を得ざれば、すなわち飲宴聚會せん。もし克を帯ぶれば、すなわち「不静」と言う。十位之数は生旺に逢うも、六虚あるいは耗数を帯ぶれば、銭財は必定散失せん。病を占うは長生を以て吉と為し、官を求むればすなわち帝旺・臨官を宜とす。
墓絕者。天干逢墓絕是也。破耗者卦洩干支之氣也。囚陷者。卦克地支是也。年干墓絕一年不顯。月令墓絕一月晦滯。日干墓絕一日不快。破陷同此而推。如年干氣旺生運或運帶喜生年干。又主進財。克者不吉。
いわゆる墓絶とは、天干の墓・絶之地に落つるなり。いわゆる破耗とは、卦の干支之气を泄するなり。いわゆる囚陷とは、卦の去りて地支を克するなり。年干の墓絶に逢えば、一年顕達を得ず。月令の墓絶に逢えば、一月晦暗滞塞。日干の墓絶に逢えば、一日不痛快。破と陷もまたこのごとく類推す。もし年干の気旺にして来りて運を生ずれば、あるいは運の喜神を帯びて去りて年干を生ずれば、また財を進むを主とす。反って相克すればすなわち不吉。
十曰論虛耗。夫虛者空亡。耗者不用也。此數固為不吉。各有所用。凶事喜之。吉事忌之。惟有僧道遇之反吉。
第十条、虚耗を論ず。虚はすなわち空亡、耗はすなわち不用。こ類の数は固より不吉なれど、却って各々各々の用処あり:凶事を為る時は反ってこれに遇うを喜び、吉事を為る時はすなわちこれを忌諱すべし。ただ僧人道士これに遇うは反って吉と為るのみ。
故甲子旬中乾象憂。甲寅坎艮亦同流。甲辰艮震何須問。甲午巽象不須投。甲申離坤君須記。甲戌坤艮怕當頭。卦中如若來相遇。進用求謀百事休。此空亡之宿也。甲子旬中艮兌宮。甲戌還在三四中。甲申五六為無用。甲午怕見七八逢。甲辰又當九與十。甲寅七八九十同。上為男忌下為女。遇此名為不用星。此耗氣之宿也。
口訣に曰く:甲子旬中は《乾》象を忌み、甲寅旬裏《坎》《艮》も亦た此れなり。甲辰旬《艮》《震》に遇えば必ずしも再び問うを要せず、甲午旬《巽》象を見れば投ずるを用いず。甲申旬《離》《坤》は須く記住し、甲戌旬《坤》《艮》は当頭を怕る。卦中もしこれらに遇えば、進用を謀求するは百事皆休む。これらは空亡の値する星宿なり。また曰く:甲子旬中は《艮》《兌》両宮を忌み、甲戌旬は三・四の両数中に落ち、甲申旬は五・六は无用と為り、甲午旬は七・八を見るを怕れ、甲辰旬はまた九と十に当り、甲寅旬は七・八・九・十同じく忌む。上一句の挙ぐるは男に忌み、下一句の挙ぐるは女に忌む。遇えばすなわち「不用星」と言う。これらは耗気の値する星宿なり。
八卦取象
〖乾〗 三畫皆奇曰乾,乾者健也。於穆而不已,健行而不息,其體剛健而中正,其徳廣大而高明。所以取象於天而不詭隨也。占非正固,則無以保其終而不利矣。卦得時於秋,耗氣於冬,休廢於春,受制於夏,得氣於四季也。
《乾》卦。三画ともに奇画なるを《乾》と言い、乾はすなわち剛健なり。それ深遠にして止息せず、運行して停歇せず。その体は剛健中正、その徳は広大高明。ゆえに天に象を取りて、曲従随人せず。占問する時もし正固を守持する能わざれば、終局を保全して不利に帰する能わず。この卦は秋に時を得、冬に気を耗し、春に休廃し、夏に受制し、四季之末の辰戌丑未月に気を得る。
在下剛於內,在上剛於外,在身體面部方園,威儀翹楚,性情豁達,心地光明,包容萬物,樂善施仁。在人事上為豪勢之象,下為強橫之為,生則大人提攜官貴賜於,克則尊長相陵公門見忌。
《乾》は下卦に居れば剛は内に在り、上卦に居れば剛は外に在り。身体に就いて言えば、面部は方のうちに円を帯び、儀表は出衆、性情は豁達、心地は光明、万物を包容し善を楽しみ施を好む。人事に就いて言えば、上位に在れば豪門権勢の象、下位に在れば強横霸道の為。生に逢えば大人の提携・官貴の賞賜を得、克に逢えば尊長の欺圧・官府の猜忌を受く。
在天文為天凊氣朗,在地理為大郡名邦。在人物為大人、長老、父老,官員。在官職為尚書、天部、上卿、臺閣風憲、法司、牧伯、州縣或宣命朝官。在房屋為樓臺、公廨、寺觀、廟宇。在時序為九、十之交,戍亥月日。在動物為鷹、鵰、鸛、鶴、獅、象、驢、馬。在植物為牡丹、芍藥、龍眼、荔枝、胡桃、松栗、桃、李、梨、梅。在器用為剛圓之物,貴重之器,旺則金銀首飾,寶石、珍珠,衰則鏡、盤、酒盞、鍾、磬、鑼、鐺。在墳墓為西北方金星起頂。
天文の上においては、天清氣朗。地理の上においては、大郡名城。人物の上においては、大人・長老・父老と官員。官職の上においては、尚書・天官之部・上卿・台閣と風憲之職・司法之官・州牧郡守、あるいは奉旨傳命の朝官。房屋の上においては、楼台・官署・寺観・廟宇。時序の上においては、九月と十月之交、すなわち戌・亥の月と日。動物の上においては、鷹・雕・鸛・鶴・獅・象・驢・馬。植物の上においては、牡丹・芍薬・龍眼・荔枝・胡桃・松子栗子、および桃・李・梨・梅。器用の上においては、剛硬円整之物・貴重之器:気旺の時は金銀首飾・寶石珍珠、気衰の時は鏡・盤・酒盞・鐘・磬・鑼・鐺。墳墓の上においては、西北方にして金星起頂の地形。
在五音為商,其聲散以明其和溫以斷,在五則為方、為矩。在五事為言顯從而作,又在五常為義,為事之宜,在五色為白,在五性為魄,在五情為惡,惡為戰鬥。在五聲為悲泣。在五臓為肺。在五臭為腥。在五味為辛。在五氣為涼。在五經為書,又為春秋。在五星為太白。在天干為壬甲。在地支為戍亥。在字形為金旁,蓋頭為方圓之字。在數目為一、四、九,遇壬甲日為天祿,遇戍亥日為地祿。遇丙丁日為天貴。遇巳酉丑日為鞍馬。其策二百一十六,其軌七百六十八。
五音の上においては商に属し、その声は散にして明朗、その和は温にして果斷。五則の上においては方と為し矩と為る。五事の上においては「言」に属し、言語は顕明にして順従、發用は決斷と為る。五常の上においては義と為し、すなわち行事の宜と為る所。五色の上においては白、五性の上においては魄、五情の上においては惡、惡は戦鬥を主とす。五声の上においては悲泣。五臓の上においては肺、五臭の上においては腥、五味の上においては辛、五気の上においては涼。五経の上においては《尚書》、また《春秋》。五星の上においては太白(金星)。天干の上においては壬・甲、地支の上においては戌・亥。字形の上においては金字旁を帯ぶる字、および寶蓋頭・形体方円の字あり。数目の上においては一・四・九。壬日・甲日に遇えば天禄、戌日・亥日に遇えば地禄、丙日・丁日に遇えば天貴、巳・酉・丑日に遇えば鞍馬。その策数は二百一十六、軌数は七百六十八。
〖兌〗 一陰進於二陽之上,為兌,兌者說也。剛中和外,以利貞君子之正道也。非道求說則為邪侫,而有悔矣。其象為澤,君子之正道也,以朋友講習則義理相宜而不窮也。其卦得時休廢同乾,在下說於內,在上說於外,在身身體則容貌白淨,器宇崢嶸,身體短小。受制露形,性情和悅,口快多言,招人讒謗,暗地毀傷。在人事合則喜友迎賓,愛好講習,沖則暗昩,讒謗傷。
《兌》卦。一個の陰爻が両個の陽爻の上に進めばすなわち《兌》、兌はすなわち喜悅なり。それ剛は中に在りて和は外にあり、正を守るを利として君子の正道と為す。もし正道に循わずして喜悅を求取すれば、すなわち邪佞諂媚と成りて悔咎あり。その象は沢と為す。正に君子之道に合す:朋友と互相に講習し、義理彼此相長じて窮尽せず。この卦の時を得・休廃の規律は《乾》と同じくす。下卦に居れば喜悅は内に在り、上卦に居れば喜悅は外に在り。身体に就いて言えば、容貌は白浄、器宇は軒昂、身材は短小。克制を受くる時は形体外露、性情は和悦、口快く話多く、容易に讒言毀謗・暗中中傷を招来す。人事に就いて言えば、合に逢えば歡喜して友に会し賓客を迎迓し、講習を愛好す。冲に逢えば暗昧不明、讒を遭い謗を受く。
在天文為星,為月、雨澤、霧露。在地理為井泉、池沼、崩壞倒塌之處。在人物為兄弟、朋友、少女、童僕、妓妾、巫師、牙灼媒人。在官職為考校儒官、令伊、武職。在房屋,朽壞舍宇,倒塌舊房。在時序為酉年月日時或生旺月日。在動物為鷺()鮮魚、羊、鹿、猿、猴、在植物為胡桃、松、栗、杏、李、梅、梨,在器物為酒瓶、碗、盞,有破缺之物。在墳墓為正西方,金星有缺。在音五五則等類,俱與乾同。在天干為丁,有地支為酉,在字形為金旁口旁,在數目為—、四、九,遇丙為天貴,遇丁為天祿,遇酉日為地祿,其策為一百八十二,其軌七百三十六。
天文の上においては、星・月、雨沢と霧露。地理の上においては、井泉・池沼、および崩塌毀壊の地方。人物の上においては、兄弟・朋友・少女・童僕・歌妓姬妾・巫師、および牙行と媒人。官職の上においては、考校を主管する儒官・県令、および武職。房屋の上においては、朽壊の屋宇・倒塌の旧房。時序の上においては、酉の年月日時、あるいは卦気生旺の月日。動物の上においては、鷺鳥(原文ここに闕文あり)・鮮魚・羊・鹿・猿・猴。植物の上においては、胡桃・松・栗・杏・李・梅・梨。器物の上においては、酒瓶・碗・盞、および破損殘缺あるもの。墳墓の上においては、正西方にして金星有缺の地形。五音・五則等の類に至っては、みな《乾》と相同じ。天干の上においては丁、地支の上においては酉。字形の上においては金字旁・口字旁を帯ぶる字。数目の上においては一・四・九。丙に遇えば天貴、丁に遇えば天禄、酉日に遇えば地禄。その策数は一百八十二、軌数は七百三十六。
〖離〗 一陰居二陽之中為離,離者麗也。其象為火,陰麗於陽中虛,而外實內暗,而外明柔順,以麗於中也。為能處乎正直則亨,而又能柔則無不吉矣。其卦得時於夏,休廢於秋,受制於冬,得氣於春,耗氣於四季也。在下明於內,有上明於外。
《離》卦。一個の陰爻が両個の陽爻の中に居ればすなわち《離》、離はすなわち附麗なり。その象は火と為す:陰は陽に附麗し、中間虚にして外面実、内裏暗にして外面明、柔順之質を以て中位に附麗す。占者もし処身正直なれば亨通す。再び柔を守り得れば往く所吉ならざるなし。この卦は夏に時を得、秋に休廃し、冬に受制し、春に気を得、四季之末に気を耗す。下卦に居れば明は内に在り、上卦に居れば明は外に在り。
在身體容儀秀麗,面赤髮黃,身材五短,腹大頭尖,情懷光霽,好善樂賢,語言辨給,性急無常,心不蔵物,機謀敢當。 在人事志慮憂疑,行事不實。 在天文為日,虹霞電晹曝燠烜。 在地理為正南,窯灶爐冶之處。 在人物為師儒,武弁,中女,吏丞,軍兵,勇土。 在官職為通判,教職,翰院中丞。 在房屋為中堂,虛閣,灶舍,廚房。 在時序為午年月日。 在動物為彩雉。 在植物為櫻,桃,棗,杏,花紅,石榴,葵花,外剛內柔,紅紫之果。 在器用為燈籠,果盒,漆器,托盆,文書,印信,甲肯,乾曵,綱罟,帳幕。 在墳墓為正南乾燥之地。
身体に就いて言えば、容貌儀態は秀麗、面色は紅を發し頭髮は偏黄、身材は短小、腹大にして頭尖。胸懐は開朗光明、善を好み賢を樂しみ、言語は能く辨じ、性子は急躁にして无常、心裏は事を蔵する能わず、機謀ありて敢作敢当す。人事に就いて言えば、思慮は多く憂疑し、事を為すは踏実たらず。天文の上においては、太陽・虹霞・閃電・晴暖・曝曬・炎熱。地理の上においては、正南方、窯・竈・爐・冶の処。人物の上においては、師儒・武官・中女・府吏県丞・兵卒と勇士。官職の上においては、通判・学官・翰林院と中丞。房屋の上においては、中堂・空閣・竈間・厨房。時序の上においては、午の年月日。動物の上においては、彩雉。植物の上においては、櫻・桃・棗・杏・花紅・石榴・葵花、および外剛内柔・紅紫色の果実。器用の上においては、燈籠・果盒・漆器・托盤・文書・印信・盔甲・干戈・網罟・帳幕。墳墓の上においては、正南方乾燥の地形。
在五音為徵,其聲貶,以疾其和柔,以切在五,則為衡,為平。 在五事為視,明見作哲。 在五常為禮,為辭讓。 在五色為紅。 在五性為神。 在五情為喜好。 在五聲為笑樂。 在五臓為為心。 在五臭為焦。 在五味為苦。 在五氣為燥。 在五經為禮。 在五星為熒惑。 在天干為為己。 在地支為午。 在字形為中虛,日傍,火傍。 在數目為三五七,遇己為天祿,遇午日為地祿,辛日為天貴。 其策一百九十二,其軌七百三十六。
五音の上においては徵に属し、その声は急促にして下抑、その和は柔順にして懇切。五則の上においては衡と為し平と為る。五事の上においては「視」に属し、看て明白なればすなわち睿智を生ず。五常の上においては礼と為し、辞譲と為す。五色の上においては紅、五性の上においては神、五情の上においては喜好、五声の上においては笑樂。五臓の上においては心、五臭の上においては焦、五味の上においては苦、五気の上においては燥。五経の上においては《礼》、五星の上においては熒惑(火星)。天干の上においては己、地支の上においては午。字形の上においては中間空虚の字、および日字旁・火字旁を帯ぶる字。数目の上においては三・五・七。己に遇えば天禄、午日に遇えば地禄、辛日に遇えば天貴。その策数は一百九十二、軌数は七百三十六。
〖震〗 一陽生於二陰之下為震,震者動也。當震之來,虩虩恐懼而有不安之狀,君子能恐能修省,則致褔而不失共所矣。其象為雷,得時於春,耗氣於夏,受制於秋,休廢於冬,剋制於四季也。在下動於內,在上動於外。
《震》卦。一個の陽爻が両個の陰爻の下に生ずればすなわち《震》、震はすなわち動なり。震動の到来するに当り、人心は惶惶恐懼して安寧を得ず。君子もし恐懼に因りて修身省察すれば、福気を招来してその居る所を失わざるを得。その象は雷と為す。この卦は春に時を得、夏に気を耗し、秋に受制し、冬に休廃し、四季之末に克制を受く。下卦に居れば動は内に在り、上卦に居れば動は外に在り。
在身體,容儀魁偉,氣宇軒昂,髭髯盛美,身體最大,心情無毐,志大氣剛,多動少靜,喜怒不常。 在人事心地恍惚,舉動憂疑,為事多虛少實。 在天文為雷電,虹霓。 在地理為大塗市宅,樹木繁茂之所。 在人物為將師,長男,豪傑權勢子弟,客商。 在官職監郡守,參戎兵備,或鬧市司貨之官,守關巡邏之職。 在房屋為大塗屋宇市口人家。 在時序為卯年月日時 在動物為蛟龍,蛇蟒,蟬蝶,飛蛾。 在植物為芲莨,萑葦,蕃鮮,竹朩。 在器用為琴,瑟,鼓,笛,舟船,車,橋,耒梠,網罟,筳筐,餙算,腰絰,羅帯。 在墳墓為正東有樹木之地。
身体に就いて言えば、容貌儀表は魁梧、氣宇は軒昂、須髯は濃美、身材は高大、心地は狠毒を存せず、志向は遠大・氣性は剛強、動を好み静少なし、喜怒は无常。人事に就いて言えば、心思は恍惚、挙動は多く憂疑、事を辦するは虚多く実少。天文の上においては、雷電と虹霓。地理の上においては、大道旁の市宅・樹木繁茂の地方。人物の上においては、將帥・長男・豪傑權貴子弟と行商。官職の上においては、監司郡守・參將兵備、あるいは鬧市中貨物を掌管之官・守關巡邏之職。房屋の上においては、大道旁の屋宇・市口の人家。時序の上においては、卯の年月日時。動物の上においては、蛟龍・蛇蟒・蟬蝶・飛蛾。植物の上においては、茭白莨草・蘆葦萑草・繁盛新鮮之物、および竹木。器用の上においては、琴・瑟・鼓・笛、舟船・車・橋、耒耜農具・網罟・筳筐・算籌・腰絰與羅帶。墳墓の上においては、正東方樹木ある地形。
在五音為角,其聲和清以靜。 在五則為規,為圓。 在五事為貌恭敬而作肅。 在五常為仁心,為惻隱,為道德性命,為修己。 在五色為青。 在五聲為呼。 在五臭為羶。 在五性為魂。 在五情為怒。 在五臓為肝。 在五味為酸。 在五氣為溫。 在五經為詩。 在五星為歲星。 在天干為庚。 在地支為卯。 在字形為木旁。 在數目為四、三、八。 神煞:遇庚日為天祿,遇卯為地祿,遇壬癸為天貴。 笨軌:其策一百大十八,其軌七百零四
五音の上においては角に属し、その声は和順清朗にして安静。五則の上においては規と為し円と為る。五事の上においては「貌」に属し、容貌恭敬なればすなわち嚴肅を生ず。五常の上においては仁心と為し、惻隱之情と為し、道德性命之学と為し、自身を修養する為す。五色の上においては青、五声の上においては呼、五臭の上においては膻、五性の上においては魂、五情の上においては怒、五臓の上においては肝、五味の上においては酸、五気の上においては温。五経の上においては《詩》、五星の上においては歳星(木星)。天干の上においては庚、地支の上においては卯。字形の上においては木字旁を帯ぶる字。数目の上においては四・三・八。神煞方面:庚日に遇えば天禄、卯に遇えば地禄、壬・癸に遇えば天貴。策軌方面:策数は一百六十八(原文「一百大十八」は「一百六十八」と作るべし)、軌数は七百零四。
巽卦: 一陰伏於二陽之下為巽,巽者,順也。其象為風,以陰從陽,以柔從剛,上順下而出之,下順上而從之。所從乃得其正矣。其卦相相於春,耗氣於夏,受制於秋,得氣於冬,休廢於四季也。
《巽》卦。一個の陰爻が両個の陽爻の下に潜伏すればすなわち《巽》、巽はすなわち順なり。その象は風と為す:陰を以て陽に順従し、柔を以て剛に順従す。上に在る者は下に在る者に順應して命令を發出し、下に在る者は上に在る者に順應して命令を遵従す。このごときの順従こそその正を得たと算え得。この卦は春に相と為り、夏に気を耗し、秋に受制し、冬に気を得、四季之末に休廃す。
在下順於內,在上順於外。在身體為寡髮,廣顙,身體修長,容貌潔淨,白眼多焉。心性工巧,喜怒不形,謙卑恭遜,和順得中,聰明愽覽,好學多能。
下卦に居れば順は内に在り、上卦に居れば順は外に在り。身体に就いて言えば、頭髮は稀疏、額頭は寬闊、身材は修長、容貌は潔淨、眼白は偏多。心性は靈巧、喜怒は色に形わらず、謙卑恭遜、和順適中、聰明博覽、學を好みて才能多し。
在人事為饋送,薦舉,道術,婚姻。在天風雲霧氣。在地理為蔬圃園林。在人物為文明秀士,道術,醫人,客商,工匠,長女,樂工。在房屋為清幽廣廈,竹舍茅籬。在官職為風憲,決獄,考校,提刑及禮法之官。在時序為三四之交,辰巳之月。在動物為飛禽鳴鳥,鵝鴨雞鳬。在植物篇為牡丹,芍藥,酸桃,澀李,在器用為門扇,棹橙,紙札,書籍,簫管,樂器。在墳墓為東南方園林樹木之所在。五音五則類與震同斷。在天干為辛,在地支為辰巳。在字形為竹頭。在數目為 五三八。遇辛日為天祿,遇辰巳日為地祿,遇王癸日為天貴。其策一百九十二,其軌七百三十六。
人事に就いて言えば、饋贈・薦舉・道術與婚姻。天文の上においては、風・雲・霧氣。地理の上においては、菜圃園林。人物の上においては、斯文秀士・術士・醫生・行商・工匠・長女と樂工。房屋の上においては、清幽の大屋・竹舍茅籬。官職の上においては、風憲之官・斷獄・考校・提刑および禮法を掌る之官。時序の上においては、三月と四月之交、辰・巳之月。動物の上においては、飛禽鳴鳥・鵝鴨鷄鳧。植物の上においては、牡丹・芍薬・酸桃・澀李。器用の上においては、門扇・桌凳・紙張・書籍・簫管一類の樂器。墳墓の上においては、東南方園林樹木の所在の地形。五音・五則等の類は、《震》と同じく判断す。天干の上においては辛、地支の上においては辰・巳。字形の上においては竹字頭を帯ぶる字。数目の上においては五・三・八。辛日に遇えば天禄、辰・巳日に遇えば地禄、壬・癸日に遇えば天貴。その策数は一百九十二、軌数は七百三十六。
坎卦 一陽陷於二陰之中為坎,坎者,陷也。陽陷於中為陰所溺,是為重險之義,能盡其誠則出險而有功矣。其象為水,旺相於冬,耗氣於春,休廢於夏,得氣於秋,受制於四季也。
《坎》卦。一個の陽爻が両個の陰爻の中に陷ればすなわち《坎》、坎はすなわち陷なり。陽は中間に陷りて陰に淹沒さる。ゆえに重重險難の義あり。よく其の誠心を盡くせば、すなわち險境を脫出して功を建つを得。その象は水と為す。この卦は冬に旺相、春に気を耗し、夏に休廃し、秋に気を得、四季之末に受制す。
在下陷於內,在上陷於外,在身體容貌清秀,氣語驕奢,出眾超群,卑以自牧,隨方就圓,心地委曲。在人事為矯柔隱,變詐不常,藏機用妄,柔順多端,在天文為雲雨霜雪。在地理為江河湖海溪澗井泉。在人物為商貨、鹽客、中男、樂工。在官職為屯田、水利、鹽運提舉,管糧管水之官。在房屋為近水之居。在時序為子年月日。在動物為鹿、豕、魚、蚌、蠣、蝦、蟹。在植物為蒺、叢棘、內剛外柔之果,在器用為水晶、鉛、錫、舟車、盆桶、酒筵器具。在墳墓為正北方,穴內有水。
下卦に居れば陷は内に在り、上卦に居れば陷は外に在り。身体に就いて言えば、容貌は清秀、談吐は幾分の驕矜奢華を帯び、才具は出衆超群、而も謙卑自守し得。處事は方に隨い圓に就き、心思は曲折。人事に就いて言えば、矯飾隱藏・變詐无常と為し、心機を暗藏し手段を妄用し、表面柔順にして花樣甚だ多し。天文の上においては、雲・雨・霜・雪。地理の上においては、江河湖海・溪澗井泉。人物の上においては、商販・鹽客・中男與樂工。官職の上においては、屯田・水利・鹽運提舉、および糧を管り水を管る之官。房屋の上においては、水邊に靠近の住處。時序の上においては、子の年月日。動物の上においては、鹿・豬・魚・蚌・蠣・蝦・蟹。植物の上においては、蒺藜・叢棘、および內剛外柔の果實。器用の上においては、水晶・鉛・錫・舟車・盆桶與酒席器具。墳墓の上においては、正北方にして穴中水ある地形。
在五音為羽,其音散,以虛其和斷以散。在五則為權度,在五事為聽聰聞而作謀。在五常為智。為是非,為曲折。在五色為黑。在五聲為悲號。在五臭為臭。在五味為卥。在五性為精。在五情為恐。在五臓為腎,在五氣為寒。在五經為易。在五星為辰星。在天干為戊。在地支為子。在字形為點水、弓旁、月旁。在數目為一、三、六。遇戊日為天祿,遇子日為地祿,遇乙己日為天貴。其策一百六十八,其軌七百零四。
五音の上においては羽に属し、その音は散にして虚、その和は斷にして散。五則の上においては權與度。五事の上においては「聽」に属し、聽きて聰敏なればすなわち謀略を生ず。五常の上においては智と為し、是非を辨別する為し、曲折周密と為す。五色の上においては黑、五声の上においては悲號、五臭の上においては腐臭、五味の上においては鹹、五性の上においては精、五情の上においては恐、五臓の上においては腎、五気の上においては寒。五経の上においては《易》、五星の上においては辰星(水星)。天干の上においては戊、地支の上においては子。字形の上においては三點水・弓字旁・月字旁を帯ぶる字。数目の上においては一・三・六。戊日に遇えば天禄、子日に遇えば地禄、乙・己日に遇えば天貴。その策数は一百六十八、軌数は七百零四。
艮:一陽止於二陰之上為艮,艮者止也。陽動而陰靜,上止而下靜,行止不失其時,其道光明也。若當行而止,當速而久,皆出其位而有咎矣。其象為山,得氣於夏,耗氣於秋,受制於春,休廢於冬,旺相於四季也。在下止於內,在上止於外。
《艮》卦。一個の陽爻が両個の陰爻の上に止まればすなわち《艮》、艮はすなわち止なり。陽は動を主とし陰は静を主とす。上面は止住し下面は安静。行と止ともに其の時を失わざれば、其の道は光明なり。もし行すべきの時に却って停住し、快すべきの時に却って拖延せば、すなわちすべて本分を超出して咎害あり。その象は山と為す。この卦は夏に氣を得、秋に氣を耗し、春に受制し、冬に休廃し、四季之末に旺相す。下卦に居れば止は内に在り、上卦に居れば止は外に在り。
在身體容貌厚重,器宇崢嶸,語言簡單,愛靜性情,行止篤實,作事不輕。在人事為濡滯多疑,進退不果。在天文為陰雲晦霧,煙瘴山嵐。在地理為山溪徑路,城廓、丘陵。在人物為僧道,醫術、童男、幼子。在官職為為門禁佐貳官,山郡管糧之任。在房屋為山莊宅舍或門庭徑路。在時序為丒寅之交,在動物為狗,鼠,黔喙之屬。在植物為茄芋,山藥,王瓜,筍菜。在器用為磁盤,瓦缽,上尖下圓有口之器物。在墳墓為東北古蹟之地,
身体に就いて言えば、容貌は厚重、器宇は軒昂、言語は簡省、性情は靜を喜び、行止は篤實、事を辦するは輕率ならず。人事に就いて言えば、遲滯多疑・進退不果決。天文の上においては、陰雲晦霧・煙瘴山嵐。地理の上においては、山間溪流與小路、城郭與丘陵。人物の上においては、僧人道士・醫生術士・童男與幼子。官職の上においては、門禁を掌管の佐貳官、および山區州郡の糧を管る之職。房屋の上においては、山莊宅舍、あるいは門庭與小徑。時序の上においては、丑月と寅月之交。動物の上においては、狗・鼠、および黑喙一類の鳥獸。植物の上においては、茄子・芋頭・山藥・王瓜與筍菜。器用の上においては、瓷盤・瓦鉢、および上尖下圓にして口ある器物。墳墓の上においては、東北方古跡ある地形。
在五音為宮,其聲洪以舒其和清以柔。在五則為繩直。在五事為思通征而作聖。在五常為信,為誠。在五色為殺褐色。在五經為禮樂。在五情為歌樂。在五聲為吟詠。在五臓為脾。在五臭為香。在五味為甘。在五氣為溼。在五性為意,在五星為鎮星。在天干為丙,在地支為丑寅。在字形為山頭,土傍,橫畫。在數目為七、五、十。遇丙日為天祿,遇丑寅日為地祿,遇甲戊庚日為天貴。遇申子辰日為鞍馬。其策一百六十八,其軌為七百零四。
五音の上においては宮に属し、その聲は洪亮舒緩、その和は清朗柔和。五則の上においては繩墨と為し直と為る。五事の上においては「思」に属し、思慮通達すればすなわち聖德と成る。五常の上においては信と為し誠と為す。五色の上においては黯淡の褐色。五経の上においては《禮》《樂》。五情の上においては歌樂、五聲の上においては吟詠。五臓の上においては脾、五臭の上においては香、五味の上においては甘、五気の上においては濕、五性の上においては意。五星の上においては鎮星(土星)。天干の上においては丙、地支の上においては丑・寅。字形の上においては山字頭・土字旁および橫畫多きの字。数目の上においては七・五・十。丙日に遇えば天祿、丑・寅日に遇えば地祿、甲・戊・庚日に遇えば天貴、申・子・辰日に遇えば鞍馬。その策数は一百六十八、軌数は七百零四。
【坤】 三畫皆偶曰坤,坤者,順也,順以承乎天,厚以載乎物,其體含弘而不耀,其德資財生而不息,為陰之純而順之,至也。故雖重之而名與象,皆不易焉。其占為大亨而利,以順健為順也。其象為地。得時於夏,耗氣於秋,受制於春,休廢於冬,旺相於四季也。
《坤》卦。三画ともに偶画なるを《坤》と言い、坤はすなわち順なり。それ天に順承し、萬物を厚載す。其の体は含容宏大にして炫耀せず、其の德は萬物を資生して停息せず、純陰にして順の極處なる卦なり。ゆえにたといこれを重疊して六畫と為すとも、卦名與卦象は皆改變せず。その占斷は大いに亨通して利あり、剛健に順從するを以て順と為す。その象は地と為す。この卦は夏に時を得、秋に氣を耗し、春に受制し、冬に休廢し、四季之末に旺相す。
【上下內外】在下順止於內,在上止於外。 【在身體】容貌厚重,威儀不苟,性情緩慢,誠實不浮,言不亂發,事不輕為。 【在人事】為慳吝鄙薄,遲緩不決。 【在天文】為霧氣,陰雲。 【在地理】為郊原四野。 【在人物】為老母,陰人,婦女。 【在官職】為守土司農之官,工部教民之職。 【在房屋】為村荘宅舍,近圃垣牆。 【在時序】為六七之交。未申月日。 【在動物】為鴨,雀,蜘蛛,牛,馬,驢。 【在植物】為薯芋,谷,栗,黍,稷,稻,粱,山藥。 【在器用】為與釜瓦器,陶冶之屬。布帛,絲綿,五穀之類。 【在墳墓】為西南郊野之地。
上下內外の方面:下卦に居れば順止は內に在り、上卦に居れば止は外に在り。身体に就いて言えば、容貌は厚重、儀表は莊重不苟、性情は遲緩、誠實にして浮誇せず、亂に話さず、輕率に行事せず。人事に就いて言えば、吝嗇鄙薄・遲緩不決。天文の上においては、霧氣與陰雲。地理の上においては、郊原四野。人物の上においては、老母・陰柔之人與婦女。官職の上においては、守土之官・司農之職、以及工部教民之任。房屋の上においては、村莊宅舍、菜圃與垣牆に靠近す。時序の上においては、六月と七月之交、未・申の月日。動物の上においては、鴨・雀・蜘蛛・牛・馬・驢。植物の上においては、薯芋・穀・栗・黍・稷・稻・粱與山藥。器用の上においては、釜甑瓦器・陶冶一類、および布帛・絲綿・五穀之類。墳墓の上においては、西南方郊野の地形。
【在五音】為宮。 【在五則】與《艮》同 【在五事】與《艮》同。 【在五常】與《艮》同。 【在地支】為未申 【在字形】為山頭,土傍,橫畫。 【在數目】八、五、十。 【吉神】遇乙癸為天祿,遇未申為地祿,遇甲戊庚乙己日為天貴,遇寅午戍日為鞍馬。 【策軌數】其策一百四十四,其軌六百七十二。
五音の上においては宮に属す。五則の上においては《艮》と相同、五事の上においても《艮》と相同、五常の上においても《艮》と相同。地支の上においては未・申。字形の上においては山字頭・土字旁および橫畫多きの字。数目の上においては八・五・十。吉神方面:乙・癸に遇えば天祿、未・申に遇えば地祿、甲・戊・庚・乙・己日に遇えば天貴、寅・午・戌日に遇えば鞍馬。策軌方面:策数は一百四十四、軌数は六百七十二。
八卦變象
乾卦生合得令為剛明正直之事,貴重成器之金。刑剋耗氣為公門非橫之事,銅鐵不貴之器。故乾見乾其物貴重而剛圓。見坎晦光而沉溺。見艮為非礦石即帶土之金。見震鐘鼓有聲之物。見巽刀斧有柄之物。見離乃中虛成器之物。見坤上衣下裳。見兌為銅鐵之器,損壞之物。初爻動變巽乃金刀削過之木。二爻動離,乃火煅過之金。三爻動變兌,乃五金廢壞之器,雖圓而損缺也。
《乾》卦は生に逢い・合に逢いまた當令すれば、剛明正直之事を主とし、指す所の物は貴重にして器を成す金。もし刑克・耗氣に逢えば、すなわち官府是非與橫逆之事を主とし、指す所の物は銅鐵一類の不貴重な器具。ゆえに《乾》は《乾》に遇えば、その物は貴重にして剛硬圓整。《坎》に遇えば、光澤晦暗・水中に沈沒す。《艮》に遇えば、礦石ならざれば土を帶ぶる金。《震》に遇えば、鐘鼓一類の聲ある物。《巽》に遇えば、刀斧一類の柄ある物。《離》に遇えば、中間空虛にして已に器を成すもの。《坤》に遇えば、上衣下裳。《兌》に遇えば、銅鐵器具・損壞之物。初爻動して《巽》に變ずれば、金刀に削られたる木器。二爻動して《離》に變ずれば、火を經て鍛煉されたる金。三爻動して《兌》に變ずれば、五金の廢壞之器、圓整なれど殘缺あり。
《兌》卦生合為歡喜和悅之事。銅鐵成器之物,刑剋耗氣為暗昩讒謗之慮。粗鄙損壞之物。故《兌》見《兌》先損而後益,見《坎》為澤中之物。見《艮》為金石之廢器,見《震》為刀槍,見《巽》為箭簇或琢削之類,見《坤》為土中沈埋之器具,初爻動變坎為酒盅、酒盞。二爻動變《震》為樂器銅鐵釘成之物,三爻動變《乾》乃整舊為新之貴物也。
《兌》卦は生に逢い・合に逢えば、歡喜和悅之事を主とし、指す所の物は銅鐵の製成した器具。もし刑克・耗氣に逢えば、すなわち暗昧不明・人の讒謗を遭うの憂慮を主とし、指す所の物は粗鄙損壞の東西。ゆえに《兌》は《兌》に遇えば、先に損失ありて後に得益す。《坎》に遇えば、水澤中の東西。《艮》に遇えば、金石一類の廢器。《震》に遇えば、刀槍。《巽》に遇えば、箭鏃あるいは雕琢削制を經たる物。《坤》に遇えば、土中に埋めたる器具。初爻動して《坎》に變ずれば、酒盅・酒盞。二爻動して《震》に變ずれば、樂器あるいは銅鐵釘成之物。三爻動して《乾》に變ずれば、すなわち舊物を修整し新品に翻成したる貴重之器。
《離》卦生合得令生合為文書印信之事,中虛華麗之物。刑剋耗氣為憂疑爭鬥之事。為窯灶爐冶之物。《離》見《離》為燈籠火燭之類,見《坤》為瓦碟磁器。見《兌》為煅煉之金。見《乾》為文書詔旨。見《坎》為毀壞或朩火激搏之物。見《艮》為瓦器或夜行之具。見《震》為為甲胃曵。見《巽》為文章書籍。初爻主在地之應,變《艮》硯石,瓦器。中爻主人物之應,變《坎》為水火煅煉。上爻主在天之應,變《震》為旌號長槍之屬。
《離》卦は生に逢い・合に逢いまた當令すれば、文書印信之事を主とし、指す所の物は中間空虛にして華麗なる東西。もし刑克・耗氣に逢えば、すなわち憂疑爭鬥之事を主とし、指す所の物は窯・竈・爐・冶の一類。《離》は《離》に遇えば、燈籠火燭の類。《坤》に遇えば、瓦碟瓷器。《兌》に遇えば、鍛煉を經たる金。《乾》に遇えば、文書詔旨。《坎》に遇えば、毀壞之物、あるいは水火相激相搏之物。《艮》に遇えば、瓦器あるいは夜行之器具。《震》に遇えば、盔甲與干戈。《巽》に遇えば、文章書籍。初爻は地上の應驗を主とし、動して《艮》に變ずれば、硯石・瓦器。中爻は人事の應驗を主とし、動して《坎》に變ずれば、水火鍛煉之物。上爻は天上の應驗を主とし、動して《震》に變ずれば、旌旗名號・長槍一類。
《震》卦生合得令為科名徵召之譽,鮮竹木之具。刑剋耗氣為虛驚憂悶之事,動作不寧之虙。故《震》見《震》為有聲之器,見《巽》為工巧之具,見《離》為紙筆文書之屬。見《坤》為柔楔之類,見《兌》為有聲可擊之物,圓全而無傷,見《坎》為生意,或木火應用之物,見《艮》為俯復之物,初爻動變坤為土中生長之物,二爻動變兌為刀斧有柄之物,三爻動變離,為燈蘢果盒之類。
《震》卦は生に逢い・合に逢いまた當令すれば、科舉功名・朝廷徵召の榮譽を主とし、指す所の物は新鮮の竹木器具。もし刑克・耗氣に逢えば、すなわち虛驚憂悶之事・躁動不安之狀を主とす。ゆえに《震》は《震》に遇えば、聲響ある器物。《巽》に遇えば、工巧の用具。《離》に遇えば、紙筆文書之類。《坤》に遇えば、柔軟の楔子一類。《兌》に遇えば、敲擊發聲し得・圓整にして損傷なき物。《坎》に遇えば、生發之意、あるいは木火合用之物。《艮》に遇えば、俯伏倒覆之物。初爻動して《坤》に變ずれば、土中生長の東西。二爻動して《兌》に變ずれば、刀斧一類の柄ある物。三爻動して《離》に變ずれば、燈籠果盒之類。
《巽》卦生合得令為升遷文書之事,布帛絲綿之類。刑剋耗氣為進退不果交易市利之為,故《巽》見《巽》為工巧竹朩之器,見《離》為文書,龍陷見《坤》為土中生長之物,見《兌》為稱衡或琢削之物;見《乾》為鐘鼓、刀劍;見《坎》為舟楫、弓矢;見《艮》為筆墨之類;見《震》為有聲之物;初爻動變《乾》為金刀削過之木或刀斧柄;二爻變《艮》為木槌,或土上之木器;三爻動變《坎》為蔬菜香覃木耳花果之類。
《巽》卦は生に逢い・合に逢いまた當令すれば、升遷與文書之事を主とし、指す所の物は布帛絲綿之類。もし刑克・耗氣に逢えば、すなわち進退不決・經商圖利之為を主とす。ゆえに《巽》は《巽》に遇えば、工巧の竹木器具。《離》に遇えば、文書(原文「龍陷」二字は疑わしく衍誤)。《坤》に遇えば、土中生長の東西。《兌》に遇えば、秤衡あるいは雕琢削制を經たる物。《乾》に遇えば、鐘鼓・刀劍。《坎》に遇えば、舟楫・弓箭。《艮》に遇えば、筆墨之類。《震》に遇えば、聲ある物。初爻動して《乾》に變ずれば、金刀に削られたる木頭あるいは刀斧之柄。二爻動して《艮》に變ずれば、木槌あるいは土上に放たる木器。三爻動して《坎》に變ずれば、蔬菜・香菇・木耳・花果之類。
《坎》卦生合得令為隱伏之事,魚鹽酒貨之物,刑剋耗氣故《坎》見《坎》為江湖河海流而不息,見《艮》為滋潤之土石,見《震》《巽》為水桶盆或竹朩所生香覃朩耳之類,見《離》為水火交結之物,見《坤》為水土造成之物,見《乾》上為公庭訴訟下為酒筵器具;見《兌》為酒食。初爻變《兌》乃盛水盛酒之具,缺而壞也。二爻變《坤》乃穀粟之類,三爻變巽,大則舟楫,小則瓢勺盆桶之類。
《坎》卦は生に逢い・合に逢いまた當令すれば、隱伏不顯之事を主とし、指す所の物は魚・鹽・酒等の貨物。刑克・耗氣に逢えばすなわちこれと相反。《坎》は《坎》に遇えば、江湖河海流動不息之象。《艮》に遇えば、濕潤の土石。《震》《巽》に遇えば、水桶水盆、あるいは竹木上に長出する香菇木耳之類。《離》に遇えば、水火交結之物。《坤》に遇えば、水土の做成した東西。《乾》に遇えば、上に在っては官府訴訟を主とし、下に在っては酒席器具を主とす。《兌》に遇えば、酒食。初爻動して《兌》に變ずれば、水を盛り酒を盛る器皿、而も殘缺破損あり。二爻動して《坤》に變ずれば、穀粟之類。三爻動して《巽》に變ずれば、大なれば舟楫、小なれば瓢・勺・盆・桶之類。
《艮》卦生合得令,為田園、墳墓、瓦器、磁缸;刑剋耗氣為行事多疑動止不一,又為瓦石器皿;故《艮》見《艮》為剛硬之土石,見《震》為木帯土之物,見《巽》為草朩;見《離》為瓦瓶瓦盒;見《坤》土塊、石塊;見《兌》為缺物;見《乾》為剛硬成器之物;見《坎》為河岸、田埂;初爻動變《離》為火燒成器之物;二爻動變《巽》為鋤頭、耒梠;三爻動變《坤》為田地、山坡。
《艮》卦は生に逢い・合に逢いまた當令すれば、田園・墳墓を主とし、指す所の物は瓦器・瓷缸。もし刑克・耗氣に逢えば、すなわち事を為す多疑・行止不定を主とし、指す所の物は瓦石器皿。ゆえに《艮》は《艮》に遇えば、堅硬の土石。《震》に遇えば、泥土を帶ぶる木。《巽》に遇えば、草木。《離》に遇えば、瓦瓶瓦盒。《坤》に遇えば、土塊石塊。《兌》に遇えば、殘缺之物。《乾》に遇えば、剛硬にして器を成す物。《坎》に遇えば、河岸・田埂。初爻動して《離》に變ずれば、火燒して成る器物。二爻動して《巽》に變ずれば、鋤頭・耒耜。三爻動して《坤》に變ずれば、田地・山坡。
坤》卦生合得令為陰私鄙吝之事;穀粟布帛之物;刑剋耗氣為輿釜瓦器陶冶之具;故《坤》見《坤》為衣、為布;見《兌》為出土之金;見《乾》為方圓之器,可貴可重之物;見《坎》為水土所成之器,見《艮》為堅剛之土石;見《震》《巽》為文書、田契;見《離》為爐冶窯灶;初爻動變《震》為鋤頭、陶冶之器;二爻動變《坎》為水火相併之物;三爻動變《艮》為磚瓦土石之類。
《坤》卦は生に逢い・合に逢いまた當令すれば、陰私鄙吝之事を主とし、指す所の物は穀粟布帛。もし刑克・耗氣に逢えば、指す所の物はすなわち釜甑瓦器・陶冶之具。ゆえに《坤》は《坤》に遇えば、衣と為し布と為る。《兌》に遇えば、出土之金。《乾》に遇えば、方圓之器・可貴可重之物。《坎》に遇えば、水土の做成した器物。《艮》に遇えば、堅硬の土石。《震》《巽》に遇えば、文書・田契。《離》に遇えば、爐冶窯竈。初爻動して《震》に變ずれば、鋤頭與陶冶之器。二爻動して《坎》に變ずれば、水火並用之物。三爻動して《艮》に變ずれば、磚瓦土石之類。
右八卦以靜其主,以動為物,凡卦象生旺逢合可食可用及貴重成器之物,卦象刑剋逢衰為不可食及破碎損壞之物,生體者眾為貴物,克體者眾為賤物,洩體者眾廢壞之物,用卦看其形色,互卦看其數目,先天七數,後天八數,亦不出八數之外也。互變卦中無生旺之氣者,為不入五行之物也。若五六爻動者,是能飛能走之物也。又如全卦中陽卦陽爻多為剛硬之物,陰卦陰爻多為柔軟之物。
以上八卦は、静の一方を以て主体と為し、動の一方を以て所占の物と為す。およそ卦象の生旺してまた合に逢うは、指す所は食べ得用い得および貴重成器之物。卦象の刑克を受けまた衰に逢うは、指す所は食用し得ずおよび破碎損壞之物。體卦を生ずる多きは、貴重之物。體卦を克する多きは、低賤之物。體卦を泄する多きは、廢棄損壞之物。用卦は物の形狀顏色を看、互卦は物の數目を看る:先天は七數を用い、後天は八數を用う。亦た皆八の數の外に出ず。互卦・變卦の中に生旺之氣なきは、あれは五行に入らざる東西。もし第五・第六爻發動せば、あれは飛び得走り得る活物。またたとえば整卦の中陽卦陽爻多きは、剛硬之物。陰卦陰爻多きは、柔軟之物。
補遺:身命篇之一
身命乃一生之主宰,而壽夭窮通攸繫也。凡占身命以體為為主,以闈用為命。二者宜旺不宜衰也。故正互變三卦皆生體,更逢四值有情,動作軒昻,所為如意,若正互變三卦皆克體,又遇四值無情,殊欠精神,所為不宜,用卦生體而互變卦克體者,早年發福,晚歲艱辛。用卦克體而互變卦生體者,早年艱辛,晚年稱意。
身命は人一生の主宰、壽夭窮通は皆その上に係る。およそ身命を占うは、體卦を以て主と為し、用卦を以て命と為す(原文「闈用」は「用」と作るべし)。兩者ともに旺を宜として衰を宜とせず。ゆえに正卦・互卦・變卦の三卦皆體卦を生じ、再び四値(年月日時)有情相助に逢えば、すなわち精神軒昂・為す所の作為は皆心に稱意のごとし。もし正・互・變の三卦皆體卦を克し、また四値無情に遇えば、すなわち精神短少・諸事不宜。用卦體を生じて互卦・變卦體を克するは、早年發達・晚年艱辛。用卦體を克して互卦・變卦體を生ずるは、早年艱辛・晚年順遂。
用逢真氣進二氣生體者,凡事如意,用逢真氣二氣克體者,所求無成。用逢真進二氣入局生體者,日漸顯迏,用逢退氣破陷克體者,日漸傾煩。貫祿有情生體者,發福發財。
用卦が真氣・進氣の両種の氣に逢着して來りて體卦を生ずれば、凡事如意。用卦が真氣・進氣に逢着して却って來りて體卦を克すれば、求む所の事は皆辦成せず。用卦が真氣・進氣に逢い入局して體を生ずれば、日漸顯達。用卦が退氣・破陷に逢いて體を克すれば、日漸傾敗煩擾。貫祿有情にして來りて體を生ずれば、福を發しまた財を發す。
