开元占经
開元占經(唐・瞿曇悉達奉敕撰)
綜合類典籍
通読するより工具書として引くほうが実用的である。他の門類で分からない暦法術語に出会ったら、たいていここで出所をたどれる。
開元占經(唐・瞿曇悉達奉敕撰)
《四庫全書總目》提要
唐瞿曇悉達撰。《唐書·藝文志》載一百十卷。《玉海》引《唐志》亦同。又注云:《國史志》四卷,《崇文目》三卷。此本一百二十卷,與諸書所載不符,當屬後人分卷之異。自一卷“天占”至一百十卷“星圖”,均占天象。自一百十一卷“八穀占”至一百二十卷“龍魚蟲蛇占”,均占物異。或一百十卷以前為悉達原書,故與《唐志》及《玉海》卷數相符。其後十卷,後人以雜占增附之歟?
本書は唐代の瞿曇悉達が編纂したものである。《新唐書・芸文志》には一百一十卷と著録され、宋の王應麟《玉海》が引く《唐志》の卷数も同じである。《玉海》はさらに注を加え、《国史志》は四卷、《崇文總目》は三卷と記すとしている。ところが現存するこの本は一百二十卷で、上記の各家の書目の記載と合わず、後人が卷を分け直したことによる相違であろう。卷一の「天占」から卷一百一十の「星圖」まではいずれも天上の星象を占うもの、卷一百一十一の「八穀占」から卷一百二十の「龍魚蟲蛇占」まではいずれも物類の異常変異を占うものである。おそらく卷一百一十以前が瞿曇悉達の原書であり、だからこそ卷数が《唐志》《玉海》と合致するのであろう。その後の十卷は、後人が種々の雑占を増補して附け加えたものであろうか。
卷首標銜,悉達曾官太史監事。考《玉海》開元六年詔瞿曇悉達譯《九執曆》,則悉達之為太史監,當在開元初。卷首又標奉敕撰,而奉敕與成書年月皆無可考,惟其中載歷代曆法止於唐《麟德曆》,且雲李淳風見行《麟德曆》。考唐一行以開元九年奉詔創《大衍曆》,以開元十六年頒之,其時《麟德曆》遂不行,此書仍雲見行《麟德曆》,知其成於開元十六年以前矣。
卷首に記された官衔からは、瞿曇悉達が「太史監」の職にあったことが分かる。《玉海》の記載を調べると、開元六年に朝廷が詔を下して瞿曇悉達にインドから伝来した《九執曆》を翻訳させたというから、彼が太史監に任じられたのは開元初年であろう。卷首にはまた本書が「奉敕撰」と明記されているが、詔を奉じた時期も成書の年月ももはや考証のしようがない。ただ書中に載る歷代の曆法は、最も遅くても唐代の《麟德曆》までしか記されておらず、しかも李淳風の定めた《麟德曆》が当時施行中の曆法であるとしている。唐の僧一行が開元九年に詔を奉じて《大衍曆》を創製し、開元十六年にそれが天下に頒行されると、その時《麟德曆》は廃止された。この書がなお《麟德曆》を現行の曆としていることから、開元十六年以前に成書したことが分かる。
所言占驗之法,大抵術家之異學,本不足存。惟其中卷一百四、一百五全載麟德、九執二歷。《九執曆》不載於《唐志》,他書亦不過標撮大旨。此書所載,全法具著,為近世推步家所不及窺。又《玉海》載《九執曆》以開元二年二月朔為歷首。今考此書,明雲今起明慶二年丁巳歲二月一日以為歷首,亦足以訂《玉海》所傳之誤。
書中に説く占卜驗應の法は、おおむね術數家の異端の學に属し、本来なら保存に値しない。貴重なのは、その中の卷一百四・卷一百五に《麟德曆》と《九執曆》という二つの曆法が完全に收録されていることである。《九執曆》は《唐書・芸文志》の著録に見えず、他書が言及しても大旨を掇めるにすぎない。ところが本書の記載は算法の全體を具えて記録しており、近世の天象を推算する曆算家でさえ窺い知ることのできなかったものである。また《玉海》は《九執曆》が開元二年二月初一を曆元の起算點とするとしているが、今この書を核すると、「今起明慶二年丁巳歳二月一日以為曆首」と明記されており、これもまた《玉海》の傳えた誤りを訂正するに足る。
至《麟德曆》雖載《唐志》,而以此書較之,多有異同。若推入蝕限術、月食所在辰術、日月蝕分術諸類,《唐志》俱未之載。又此書載章歲、章月、半總、章閏、閏分歷、周月法、弦法、氣法、曆法諸名,與《新唐書》所載全不合。其相合者,惟辰率、總法等目。蓋悉達所據當為《麟德曆》,見行本《唐志》遠出其後,不無傳聞異詞。又是可訂史傳之訛,有裨於考證不少矣。
《麟德曆》については、《唐書・芸文志》に著録があるものの、この書と照らし合わせると異同が多い。日月が食限に入ることを推算する術、月食がいずれの時晨に起こるかを推算する術、日月食の食分の多少を推算する術といった類は、《唐志》にはいずれも記載がない。またこの書は「章歳」「章月」「半總」「章閏」「閏分曆」「周月法」「弦法」「氣法」「曆法」という名目を列挙しているが、《新唐書》の記載とは全く合わず、符合するのは「辰率」「總法」など少数の條目だけである。おそらく瞿曇悉達が依據したのは當時施行されていた《麟德曆》の原本であり、《唐志》の成書ははるかに後のことで、傳聞が実を失い説が一致しないのも無理はない。これによってまた史傳の誤写を訂正することができ、考證の學への助けは少なくない。
又徵引古籍,極為浩博。如《隋志》所稱緯書八十一篇,此書尚存其七八,尤為罕見。然則其術可廢,其書則有可採也。卷首有萬曆丁巳張熙識語,謂是書歷唐迄明,約數百年,始得之挹元道人。鉤沉起滯,非偶然已。
この書が徵引する古籍はきわめて浩博である。例えば《隋書・經籍志》に挙げられた讖緯の書八十一篇のうち、この書にはその十分の七八が保存されており、まことに得がたい。このように見れば、そこに説く占術は廃して用いなくてもよいが、この書そのものには大いに取るべきところがある。卷首には明代の萬曆丁巳年に張煕が書いた識語があり、この書が唐代から明代まで數百年を傳わり、始めて挹元道人から得たという。久しく埋没していた舊籍を再び掘り起こせたのも、偶然のことではないのであろう。
開元占經 卷一
天地名體
天體渾宗
按後漢河間相張衡《靈憲》曰:“昔在先王,將步天路,用定靈軌,尋考本元。先準之於渾體,是為正儀、立度,而皇極有由建也,樞運有由稽也。乃建乃稽,斯經天常。聖人無心,因茲以生心。故《靈憲》作興。
東漢に河間相を務めた張衡は、天文著作《靈憲》の中で言う。昔の先王は、日月星辰の運行する道を推歩し、天體運行の法則を定め、天地の本原を追尋するにあたり、つねにまず「渾體」(渾圓の天球模型)を準據として、これによって儀器を校正し度數を劃定した。こうして「皇極」――帝王が統治する大中の道――に建樹の依據が生まれ、天體の樞軸の運轉にも考察の憑據が生まれた。準則を樹立することができ、運轉を考察することができてこそ、天の恒常の規律を把握したことになる。聖人にはもともと固執する心がなく、まさにこれらの天象に憑って治世の心を生じさせた。だからこそ《靈憲》という書が時に應じて作られたのである。
曰:太素之前,幽清玄靜,寂漠冥默,不可為象。厥中惟虛,厥外惟無,如是者永久焉,期謂溟涬,蓋乃道之根也。道根既建,自無生有。太素始萌,萌而未兆,並氣同色,混沌不分。故道志之言云:‘有物混成,先天地生。’其氣體固未可得而形,其遲速固未可得而紀也。如是者又永久焉,斯謂龐鴻,蓋乃道之干也。
張衡は言う。「太素」(元氣が初めて萌す段階)以前、宇宙は幽深にして清虛、玄遠にして沈靜、寂寞として聲なく、昏冥として光なく、いかなる形象をもってしても描寫し得ない。その内はただ一面の「虛」であり、その外はただ一面の「無」であって、この狀態がきわめて久遠の時間つづいた。これを「溟涬」といい、まさに「道」の根である。道の根がすでに立定すると、「無」から「有」が生じた。太素が萌動し始めたが、萌動してはいるもののなお兆しが見えず、氣と色は渾然一體で混沌として分かちがたい。だから道を説く典籍《老子》に「物有りて混成し、天地に先だちて生る」とある。その時元氣の形體にはまだ形狀というべきものがなく、その運行の遲速も記すすべがなかった。この狀態がまたきわめて久しくつづいた。これを「龐鴻」といい、まさに「道」の軀幹である。
道干既育,有物成體。於是元氣剖判,剛柔始分,清濁異位。天成於外,地定於內。天體於陽,故圓以動;地體於陰,故平以靜。動以行施,靜以合化,堙鬱構精,時育庶類,斯謂天元,蓋乃道之實也。
道の軀幹がすでに長成すると、萬物に形體が備わった。そこで元氣が剖開し、剛と柔とが分離を始め、清と濁とがそれぞれの位についた。天は外に生成し、地は内に定位した。天は陽を體とするので形狀は渾圓で運轉が止まらず、地は陰を體とするので形狀は平展で安靜に動かない。天は運動をもって氣化を施布し、地は安靜をもって生成に協和し、二氣が鬱積交感して精華を構結し、時に應じて萬類の生物を孕育した。これを「天元」といい、まさに「道」が結んだ果實である。
在天成象,在地成形。天有九位,地有九域。天有三辰,地有三形。有象可效,有形可度。情性萬殊,旁通感薄,自然相生,莫之能紀。於是人之精者作聖,實始紀綱而經緯之。
天にはさまざまな星象が凝成し、地にはさまざまな形體が凝成した。天には九つの方位があり、地には九つの區域がある。天には日・月・星の三辰があり、地には山・川・原隰の三類の地形がある。天上の星象は摹畫することができ、地上の形體は丈量することができる。萬物の情性は千差萬別で、互いに旁通交感し、迫り相激して、自ずから相生相成するが、誰も一々記すことはできない。そこで人の中で最も精明な者が聖人となり、始めてこの一切に綱紀を建て、經緯を區劃したのである。
八極地維,徑二億三萬二千三百里,南北則短減千里,東西則廣增千里。自地至天半丁八極,則地之深亦如之。通而度之,則是渾也。將覆其數,用重差鉤股,懸天之景,薄地之儀,皆移千里而差一寸得之;過此而往,未之或知也。未之或知者,宇宙之謂也。宇之表無極,宙之端無窮。
大地の八方の盡頭のあいだの直徑は、二億三萬二千三百里である。南北方向は一千里短く、東西方向は一千里多い。地面から天までの高さは、八極の直徑の半分に等しく、地の下への深さもまたこの數である。上下四方を通算すれば、全體は一個の渾圓の球となる。これらの數字を核算するには「重差」と「句股」の算法を用いなければならない。天上に懸かる太陽の投じる影の長さを量り、地面に緊貼して立てた表儀と照らし合わせるのであるが、いずれも「相距ること一千里なら日影は一寸相違する」という比例から推し求めたものである。この範圍を超えた外側は、知るすべがない。知るすべがないというのは、まさに「宇宙」のことである。「宇」は空間でその外に際涯がなく、「宙」は往古來今でその兩端に窮盡がない。
天有兩儀,以舞道中。其可觀樞星,是謂之北極。在南者不著,故聖人弗之名焉。其世之遂九分而減二。陽道左廻,故天運左行。有驗於物,則人氣左嬴,形右繚也。
天には南北二つの樞極があり、天道の正中で旋轉し舞い動く。そのうち見えるほうの樞紐の星を「北極」と呼び、南にある一つは隱れて顯れないので、聖人はそれに名を立てなかった。「其世之遂九分而減二」の一句は、底本の文字に訛脫があるようであるが、大意は周天の度數を九分して二分を減じて計算するということである。陽氣の道は左に旋轉するので、天體の運行も左行である。このことは萬物の身上で驗證することができる。人の身の氣は左に偏り充實し、形體は右に纏繞する。
天以陽廻,地以陰淳。是故天致其動,稟氣舒光。地致其靜,承施候明。天以順動,不失其中,則四時順至;寒暑不減,致生有節,故品物用生。地以靈靜,作合承天,清化致養,四時而後育,故品物用成。
天は陽氣によって旋轉し、地は陰氣によって凝厚となる。だから天はその動を極め、元元氣を稟受して光明を舒展し、地はその靜を極め、天の施與を承けて光照を俟つ。天は時に順って動き中正を失わないので、四季は順序どおりに至り、寒暑は損なわれず、生養に節度があるので萬物は生發を得る。地は虛靈沈靜をもって天に配承し、清和の氣化をもって萬物を致養し、四季の運行を終えて萬物成熟するので、萬物は完成を得る。
凡至大者莫如天,至厚者莫若地,至質者曰地而已。至多莫若水,水精為漢,漢周於天而無列焉,思次質也。地有山嶽,以宣其氣,精鍾為星。星也者,體生於地,精成於天,列居錯峙,各有由屬。
天下で最大のものは天に過ぎず、最も厚いものは地に過ぎず、最も質實なのもまた地だけである。最も多いものは水で、水の精華は昇って「天漢」(銀河)となる。天漢は天空全體を環繞するが星宿に列しないのは、その質地が一等劣るからである。地上には山嶽があり、地中の氣を宣泄するのに用いられ、地氣の精華が凝聚すれば星となる。いわゆる星とは、形體は地に生じ、精氣は天に凝り、羅列錯落として對峙分布し、それぞれに統屬がある。
紫宮為皇極之居,太微為五帝之延。明堂之房,大角有席,天市有座。蒼龍連踡於左,白虎猛據於右,朱雀奮翼於前,靈龜圈首於後,黃神軒轅於中。六擾既畜,而狼蚖魚鱉,罔有不具。在野象物,在朝象官,在人象事,於是備矣。
紫微宮は天帝の居する宮室、太微垣は五方の天帝が群臣を接見する朝堂である。天には「明堂」の房室があり、「大角」星には席位が設けられ、「天市」垣には座次が設けられている。東方の蒼龍は蜷曲盤繞して左にあり、西方の白虎は威猛雄踞して右にあり、南方の朱雀は前に振翅し、北方の靈龜は後に回首し、中央には黃帝の神たる軒轅がいる。馬・牛・羊・豕・犬・雞の六種の馴畜がすでに備わり、狼・蜥蜴・魚・鱉の類も無きにあらず。星象は野においては各種の物類に對應し、朝廷においては各種の官職に對應し、人間においては各種の事務に對應し、ここに至って完備である。
懸象著明,莫大乎日月。其徑當天周七百三十六分之一,地廣二百四十三分之一。日者,陽精之宗,積而成鳥,象烏,有三趾,陽之類,其數奇。月者,陰精之宗,積而成獸,象兔,陰之類,其數偶。
空中に懸かり光明顯著な天象で、太陽と月より大きいものはない。日月の直徑は周天の七百三十六分の一に相當し、大地の闊さの二百四十三分の一に相當する。太陽は陽精の宗主で、陽精が積聚して鳥形と化し、その象は烏であり、三隻の脚を生じ、陽の類に屬するので奇數を取る。月は陰精の宗主で、陰精が積聚して獸形と化し、その象は玉兔であり、陰の類に屬するので偶數を取る。
其後有馮焉者,羿請無死之藥於西王母,姮娥以之奔月。將往,枚筮之於有黃,有黃占之曰:‘吉,翩翩歸妹,獨將西行,逢天晦芒,毋驚毋恐,後且大昌。’姮娥遂託身於月,是為蟾蜍。
後になってまた月に憑附する傳說がある。后羿が西王母に不死之藥を求めて得ると、姮娥(すなわち嫦娥)は藥を服して月宮に奔った。行くに先だち、彼女は有黃という巫者に蓍草で占卜させた。有黃の斷辭は「吉。翩翩として去る歸妹、獨り西に行く。途中天の色が暗く光がなくとも、慌てるな、懼れるな、後將に大いに昌んあらん」といった。姮娥はそこで身を月に托し、蟾蜍と化した。
夫日譬猶火,月譬猶水,火則外光,水則含景。故月光生於日之所照,魄生於日之所蔽,當日則光盈,就日則光盡也。眾星被耀,因水轉光。當日之沖,光常不合者,蔽於地也。是謂暗虛。在星星微,月遇則食。
太陽は譬えば火、月は譬えば水である。火は外に向かって光を發し、水は影像を內に含む。だから月の明光は太陽に照らされる部分に生じ、月魄(暗い部分)は太陽に遮られる部分に生じる。太陽と正對するとき月光は圓滿し、太陽に近づくとき月光は消盡する。衆星は日光の照曜を受け、また水面のようにその光を轉射する。太陽と正對するその一處には光がつねに照り込まないが、それは大地に遮られているのであり、これを「暗虛」と呼ぶ。星宿が暗虛に入れば光芒は微弱となり、月が暗虛に遭えば月食が起こる。
日之薄地,暗其明也。繇暗視明,明無所屈,是以望之若大。方於中天,天地同明。繇明視暗,暗還自奪,故望之若小。火當夜而揚光,在晝則不明也。月之於夜,與日同而差微。星則不然,強弱之差也。
太陽が地平線に貼近するとき、四周は昏暗でそれ自身は明亮である。昏暗の處から明亮の物を見れば、その明亮は抑壓を受けないので、見上げれば大きく見える。太陽が中天に昇れば、天上地下ともに同じく明亮となり、明亮の處から見れば、その暗淡はかえって自身の明亮に奪われるので、見上げればかえって小さく見える。火が夜に光焰を揚げても、晝になれば明亮が顯れないのは、まさにこの理である。月の夜間の情形は太陽と同じだが、差別はやや小さい。星はこのようではなく、星の大小明暗はただその光芒の強弱の差別にすぎない。
眾星列布,其以神著,有五列焉,是謂三十五星。一居中央,謂之北斗。動變定占,實司王命。四佈於方,為二十八宿。日月運行,歷示吉凶,五緯更次,用告禍福,則天心於是見矣。
衆星は羅列分布し、神異なるがゆえに顯著であり、五つの行列があり、所謂「三十五星」である。そのうち一列は中央に居り、北斗と呼ばれる。北斗の動靜變化は占斷を決定し、實に帝王の命運を掌る。殘る四列は東南西北の四方に分布し、これが二十八宿である。日月はその間を運行して吉凶を順次顯示し、金木水火土の五星は各宿を輪番に經歷して禍福を預告する。天の心の意はここに於て顯現する。
中外之官,常明者百有二十四,可名者三百二十,為星二千五百,而海人之占未存焉。微星之數,蓋萬一千五百二十。庶物蠢動,咸得繫命。不然何以總而理諸。
中宮と外宮の星官のうち、常年明亮なものは一百二十四個、名を呼べるものは三百二十個、合わせて二千五百の星であり、航海する人の占う南方の星象はなおその中に含まれない。あの微細な暗星の數は、およそ一萬一千五百二十顆である。天下の萬物は蠢然として動き、みな星にその命數を繫げている。そうでなければ、何をもってそれらを統攝し治理することができようか。
夫三光同形,有似珠玉,神守精存,麗其職而宣其明。及其衰,神歇精斁,於是乎有隕星。然則奔星之所墮,至則石矣。
日・月・星の三種の光體は形質が同じで、いずれも珠玉のごとくであり、神明が守護し精氣が存留して、それぞれの在る職位に附麗して光明を放つ。それらが衰敗するに及び、神明は歇滅し精氣は敗壞する。そこで星の隕落がある。だから流星の墜ちたところ、地に落ちて石となるのである。
文耀麗乎天,其動者七,日、月、五星是也。周旋右廻。天道者,貴順也。近天則遲,遠天則速,行則屈,屈則留廻,留廻則逆,逆則遲,迫於天也。行遲者觀於東,觀於東屬陽;行速者觀於西,觀於西屬陰,日與月以配合也。攝提、熒惑、地候見晨,附於日也。太白、辰星見昏,附於月也。二陰三陽、參天兩地,故男女取焉。
光耀の文彩は天に附麗しているが、その中で移動するものは七つ、すなわち太陽・月と金木水火土の五星である。それらは天體を環繞して右に旋行する。天道は順行を貴ぶからである。天殼に近いものは行きが遲く、天殼に遠いものは行きが速い。行進の中に屈折があり、屈折すれば停留回旋が現れ、停留回旋すれば逆行に轉じ、逆行すればなお遲い。これはみな天體の運轉に逼迫される故である。行きの遲いものは東方に見え、東方に觀るのは陽に屬し、行きの速いものは西方に見え、西方に觀るのは陰に屬する。これはまさに太陽・月と相配合する。攝提(歳星、すなわち木星)・熒惑(火星)・地候(鎮星、すなわち土星)は清晨に現れて太陽に依附し、太白(金星)・辰星(水星)は黃昏に現れて月に依附する。二つは陰に屬し三つは陽に屬し、「參天兩地」の數理に合うので、男女の別もまたこれに取法するのである。
方星巡鎮,必因常度,苟或盈縮,不逾於次。故有列司作使,曰老子四星,周伯、王逢、絮芮各一,錯乎五緯之間,其見無期,其行無度,實妖經星之所,然後吉凶宣周,共詳可盡。”
四方の星は巡行鎮守して、必ず固定の度數に依循し、たとえ超前落後の盈縮があっても本來の位次を越え出ることはない。このほかに屬官・使者の類を充てる星があり、「老子」の四星と呼ばれ、また「周伯」「王逢」「絮芮」が各一顆あって、五星のあいだに錯雜している。それらの出現には定期がなく、運行に常度がなく、實に經星(恒星)の區域を攪擾する妖異の星である。これらがあることで、吉凶の徵兆が宣示周遍し、天象の詳細が窮盡できるのである。
張衡《渾儀註》曰:“渾天如雞子,天體圓如彈丸,地如雞子中黃,孤居於內。天大而地小,天表裡有水。天之包地,猶殼之裹黃。天地各乘氣而立,載水而浮。
張衡《渾儀注》にいう。渾天の形狀は一個の雞卵のごとく、天體は渾圓で彈丸のようであり、大地は卵の中の黃のようで、孤零零として中間に處っている。天は大にして地は小、天の表裏にはみな水がある。天は地を包裹すること、卵殼が卵黃を裹むごとし。天と地はそれぞれ氣に乘じて立定し、水上に托載されて漂浮している。
周天三百六十五度四分度之一;又中分之則一百八十二度八分之五覆地上,一百八十二度八分之五繞地下。故二十八宿,半見半隱,其兩端謂之南北極。
周天は合わせて三百六十五度四分の一である。中間から平分すれば、一百八十二度八分の五が地面以上を覆い、一百八十二度八分の五が地面以下を環繞する。だから二十八宿はつねに半分が見え、半分が隱沒して見えない。天球の旋轉が依托するあの二つの端點を、南極と北極と呼ぶ。
北極,乃天之中也。在正北,出地上三十六度,然則北極上規,徑七十二度,常見不隱。南極,天之中也。在南,入地三十六度,南極下規七十二度,常伏不見。兩極相去一百八十二度半強。
北極は天の中樞で、正北方に位置し、地平面より三十六度高い。こうして北極を心として畫く「上規」の圓圈の直徑は七十二度となり、圈内の星は常年可見で隱沒しない。南極もまた天の中樞で、正南方に位置し、地平面より三十六度低い。南極を心として畫く「下規」の圓圈の直徑も同じく七十二度で、圈内の星は常年潛伏して見えない。南北の兩極は一百八十二度半余り離れている。
天轉如車轂之運也,周旋無端,其形渾渾,故曰渾天也。赤道橫帶,天之腹;去南北二極,各九十一度十九分度之五。(橫帶者,東西圍天之中要也。然則北極小規去赤道五十五度半,南極小規亦去赤道五十五度半,並出地、入地之數,是故各九十一度半強也。)
天の旋轉は車輪の轂が轉動するようで、周而復始して起訖がなく、形體は渾然一團である。だから「渾天」と呼ぶ。赤道は一は一條の帶のように天の腰腹に橫束し、南北の兩極よりそれぞれ九十一度十九分の五である。(原書小注:所謂橫帶とは、東西方向に天體の正中を環繞するあの要束のことである。このように算すれば、北極の小規圈は赤道より五十五度半、南極の小規圈も赤道より五十五度半で、さらに北極の地に出る・南極の地に入る三十六度を合わせるので、兩邊それぞれ九十一度半余りとなる。)
黃道斜帶,其腹出赤道表裡各二十四度。(日之所行也,日與五星行黃道,無虧盈。月行九道:春行東方青道二,夏行南方赤道二,秋行西方白道二,冬行北方黑道二,四季還行黃道,故月行有虧盈。東西南北隨八節也。
黃道は斜めに天腹に束ねられ、赤道の内外にそれぞれ二十四度を伸出している。(原書小注:黃道とは太陽の行く道である。太陽と五星はみな黃道に沿って運行し、偏出偏入の盈虧がない。月は九條の道を行く。春は東方の青道二條、夏は南方の赤道二條、秋は西方の白道二條、冬は北方の黑道二條を行き、四季の末に黃道に歸るので、月の運行には盈虧がある。東西南北のこの四組の道路は、立春・春分など八つの節氣に隨って更換される。)
日最短,經黃道南,在赤道外二十四度,是其表也。日最長,經黃道北,去赤道內二十四度,是其裡,故夏至去極六十七度而強,冬至去極百一十五度亦強。
白晝が最も短いとき、太陽は黃道の最も南の一段を經て、赤道以外二十四度にあり、これが所謂「表」である。白晝が最も長いとき、太陽は黃道の最も北の一段を經て、赤道以内二十四度にあり、これが所謂「裏」である。したがって夏至の日に太陽は北極より六十七度余り、冬至の日に太陽は北極より一百十五度もまた余りある。
日行而至斗二十一度,則去極一百一十五度少強,是故日最短,夜最長,景極長,日出辰、入申,晝行地上一百四十六度強,夜行地下二百一十九度少強。夏至日在井二十五度,去極六十七度少強。是故日最長,夜最短,景極短,日出寅,日入戌,晝行地上二百一十九度少強,夜行地下一百四十六度強。)
太陽が南斗宿の二十一度に行き當たるとき、北極より一百十五度やや多く、だからこのとき白晝は最も短く黑夜は最も長く日影は最も長い。太陽は辰の位(東南偏東)より昇り、申の位(西南偏西)に落ち、晝は地面以上を一百四十六度余り行き、夜は地面以下を二百一十九度やや多く行く。夏至には太陽は井宿の二十五度にあり、北極より六十七度やや多く、だからこのとき白晝は最も長く黑夜は最も短く日影は最も短い。太陽は寅の位(東北偏東)より昇り、戌の位(西北偏西)に落ち、晝は地面以上を二百一十九度やや多く行き、夜は地面以下を一百四十六度余り行く。)
然則黃道斜截赤道者,即春、秋分之去極也。(斜截赤道者,東西交也。然則春分日在奎十四度少強,西交於奎也。秋分日在角五度弱,東交於角也。在黃赤二道之交中,去極俱九十一度少強,故景居二至長短之中,奎十四、角五,出卯入酉,日晝行地上,夜行地下,俱一百八十二度半強,故晝夜同也。)
このように見れば、黃道が斜めに赤道を截るあの二處は、まさに春分・秋分のとき太陽が北極に距る所在である。(原書小注:所謂斜截赤道とは、黃赤二道が東・西の兩邊で相交することである。春分に太陽は奎宿十四度やや多くあり、これは西邊で奎宿に交わることである。秋分に太陽は角宿五度やや弱くあり、これは東邊で角宿に交わることである。太陽が黃赤二道の交點に處るとき、北極よりいずれも九十一度やや多いので、日影の長短はちょうど冬至・夏至の二つの極端の間に居る。奎宿十四度・角宿五度のこの二處では、太陽は卯の位の正東より昇り、酉の位の正西に落ち、晝は地面以上・夜は地面以下を、それぞれ一百八十二度半余り行くので、晝夜が相等しい。)
張衡《渾儀圖注》曰:“今此春分去極九十一度少強,秋分去極九十一度少強者,就夏曆景去極之法以為率也。是以作小渾,盡赤道、黃道,乃各調賦三百六十五度四分之一,從冬至所在始起,令之相當值也。
張衡《渾儀圖注》にいう。今春分は北極より九十一度やや多く、秋分は北極より九十一度やや多いと講ずるのは、夏曆に依って日影で去極の度數を推求する方法で定めた比率である。そこで一具の小型渾象を製作し、赤道と黃道をともに畫き備え、さらに二條の道にそれぞれ三百六十五度四分の一を均配し、冬至の在る位置から起算して、黃赤兩道の度數を彼此對應させる。
取北極及衡,各針穿之為軸,取薄竹篾穿其兩端,令兩穿中間與渾半等以貫之,令察之與渾相切摩,乃從減半起,以為八十二度八分之五,盡衡減之半焉。
北極と玉衡(南極)の二處には、それぞれ鍼で穿透して轉軸とする。さらに一條の薄竹篾を取り、その兩端に孔を穿ち、兩孔のあいだの距離をちょうど渾象の半周に等しくして、それを兩軸に套貫し、竹篾を渾象の表面に貼り滑動させる。それから半減の處より起算し、八十二度八分の五と定め(この數は底本が「一百」の二字を脫したようで、一百八十二度八分の五と作るべきである)、玉衡のあの一端の半減の處に至るまで算える。
又中分其篾,拗去其半,令其半之際,正直與兩端減半相直,令篾半之際,從冬至起一度一移之,視篾之半際多少,黃赤道幾也。其所多少,則進退之數也。從北極數之,則去極之度也。
さらにこの竹篾を正中より分かち、その半分を折去して、折斷したあの半分の處がちょうど兩端の半減の處と一直線を成すようにする。竹篾の半分の處を冬至點から起こり、一度ずつ移して行き、半分の處の指す度數の多少を見れば、黃道と赤道がその處でどれほど相違するかが分かる。相違の多少は、すなわち黃道進退の數目であり、北極より數えれば、すなわちその點の極に距る度數である。
各分赤道、黃道為二十四氣,一氣相去十五度十六分之七,每一氣者,黃道進退一度焉。所以然者,黃道直時去南北極近,其處地少而橫行,與赤道且等,故以篾度之,於赤道多也。
赤道と黃道をそれぞれ二十四の節氣段に劃分し、每一節氣のあいだは十五度十六分の七を距り、一節氣を過るごとに黃道は一度進退する。そのようにする所以は、黃道がまさに南北二極に近いあの一段に當たるとき、占める位置が小さく橫行に近く、ほぼ赤道と平行なので、竹篾をもって量れば赤道上に量り得た度數が多く見えるからである。
設一氣令十六日皆常率,四日差少半也。令一氣十五日,不能半耳。故使中道三日之中差少半,三氣一節,故四十六日而差今三度也。至乎差三之時而五日同率者一,其實一節之間不能四十六日也。今殘日居其策,故五日同率也。其率雖同,先之皆強,後之皆弱,不可勝記耳。
仮に一個の節氣を十六日と算して、みな同一の比率で推算すれば、四日で差が半度に滿たない。もし一節氣を十五日と算すれば、差數はなお半度に足らない。だから中間のあの三日のうちに相差を半度に滿たなくする。三節氣を一節に合して、四十六日で差が三度に滿つ。差が三度に滿つとき、連なる五日が同一の比率を用いる情形が現れるが、實は一節のうちに四十六日に滿たず、今は餘る零日をも策數の中に算入するので、五日同率の現象がある。これらの比率は同じと謂うものの、前のものはみな強く偏り、後のものはみな弱く偏り、細微の出入は記すに勝えないほど多い。
至於三而復有進退者,黃道稍斜於橫行,不得度故也。春分、秋分所以退者,黃道始起更斜矣,於橫行不得度故也。亦每氣一度焉。故三氣一節亦差三度也。至三氣之後,稍遠而直,故橫行得度而稍進也。
差が三度に滿ちた後また進あり退あるのは、黃道が次第に橫行の方向に斜めとなり、應有の度數を量り足らないからである。春分・秋分の退る所以は、黃道がここより轉じてなお斜めとなり、橫行に照らして量れば度數を量り足らず、これも每一節氣に一度差し、だから三節氣を一節に合して同じく三度差す。三節氣を過ぎた後、黃道は次第に極を離れ遠ざかり平直に趨き、橫に量れば度數を量り足るので、また次第に進むのである。
立春、立秋橫行稍退矣,而度猶雲進者,以其所退減其所進,猶有盈餘未盡故也。立夏、立冬橫行稍進矣,而度猶雲退者,以其所進增其所退,猶有不足未畢故也。以斯言之,日行非有進退也,而以赤道量度黃道使之然也。本二十八宿相去度數,以赤道為強耳,故黃道亦有進退也。
立春・立秋の前後には橫行の度數がすでに次第に退いているが、なお「進」と謂うのは、退けたものをもって先に進んだものを抵減し、なお抵い盡くさない盈餘があるからである。立夏・立冬の前後には橫行の度數がすでに次第に進んでいるが、なお「退」と謂うのは、進んだものをもって先に退けたものを補い、なお補い足らない虧欠があるからである。このように講ずれば、太陽の運行には本來進退というものはなく、ただ赤道の尺度をもって黃道を丈量したために、進退が顯れたのである。本來二十八宿の彼此相距の度數は赤道によって定められており、赤道の量りが強く偏るので、黃道上にもまたこれに隨って進退があるのである。
冬至在斗二十一度少半,最遠時也,而此歷斗二十度,俱一百一十五度強矣,冬至宜與之同率焉;夏至在井二十一度半強,最近時也。而此歷井二十三度,俱六十七度強矣,夏至宜與之同率焉。”
冬至に太陽は斗宿二十一度少半にあり、これは北極に距ること最も遠いときである。しかるにこの曆法は斗宿二十度に定め、兩者とも去極は一百十五度余りで、冬至はまさにこの比率に照らして推すべきである。夏至に太陽は井宿二十一度半余りにあり、これは北極に距ること最も近いときである。しかるにこの曆法は井宿二十三度に定め、兩者とも去極は六十七度余りで、夏至もまたこの比率に照らして推すべきである。
漢靈帝時議郎蔡伯喈於朔方上書曰:“論天體者有三家:《宣夜》之學,絕無師法。《周髀》術數具存,考驗天狀,多所違失。唯渾天近得其情。今史官所用候臺銅儀,則其法也。立八尺圓體而具天地之形,以正黃道,占察發斂,以行日月,以步五緯,精微深妙,百世不易之道也。”
漢の靈帝の時の議郎蔡邕(字は伯喈)は朔方に流される間に上書していう。天體を議論する者は合わせて三家の學說がある。「宣夜」の一派は、全く師傳の法度の依憑すべきものがない。《周髀》の一派は、推算の術數は俱にあるものの、それをもって天象の實況を考驗すれば、違失が多い。ただ渾天の説が比較的實情に近い。今史官の用いる觀候台のあの銅渾儀は、まさに渾天の法に憑る。八尺高い圓形の儀體を立て、天地の形狀をみなその上に具え、それをもって黃道を校正し、太陽南北進退の「發斂」を觀測し、日月の度數を推行し、五星の位置を推歩する。その精微深妙は、百代も更改しない道理である。
蔡氏《月令章句》曰:“天者純陽精剛,轉運無窮。其體深而包地,地上者一百八十二度八分之五,地下亦如之。其上中北偏出地三十六度,謂之北極,極星是也。史官以玉衡,長八尺,孔徑一寸,從下端望之,此星常見於孔端,無有移動,是以知其為天中也。
蔡邕《月令章句》にいう。天は純陽の氣が凝った精剛の體で、運轉は永く窮盡しない。その形體は深廣にして地を包裹する。地面以上に露れるのは一百八十二度八分の五で、地面以下に藏れるのもこの數である。天の上中の方は北に偏り、地面より三十六度高く、これを「北極」と呼ぶ。北極星はまさにそこにある。史官は玉衡をもって測量するが、玉衡は長さ八尺、孔徑一寸で、下端より望み入れば、この星は終始孔のあの一端に現れて、絲毫も移動が見えない。これによってそれが天の中樞と斷定する。
其下中南偏,入地亦三十六度,謂之南極,從上端望之,當孔下端是也。此兩中者,天之輻軸所在,轉運所由也。
天の下中の方は南に偏り、地下に沒入するのもまた三十六度で、これを「南極」と呼ぶ。玉衡の上端より望み入れば、まさに孔の下端に正對するあの一處がそれである。南北のこの二つの中樞は、天という大きな車輪の輻條と軸心の在るところであり、天全體の旋轉はみなそれらより生ずる。
天左旋出地上而西,入地下而東,其繞北極徑七十二度,常見不伏,圖內赤小規是也。繞南極徑七十二度,常伏不見,圖外赤大規是也。據天地之中,而察東西,則天半見半不見,圖中赤規截婁、角者是也。”
天は左に旋轉し、地面に露出すれば西に行き、地下に沒入すれば東に行く。北極を環繞して直徑七十二度のあの一圈は、星辰が常年可見で隱伏せず、すなわち星圖の裏面のあの紅色の小規圈である。南極を環繞して直徑七十二度のあの一圈は、星辰が常年隱伏して見えず、すなわち星圖外圍のあの紅色の大規圈である。天地の正中に立って東西の兩方を觀察すれば、天は半分可見・半分不可見であり、あれが圖上婁宿と角宿を橫截するあの紅色の規圈である。
後漢末吳人陸公紀《渾天》曰:“先生之道,存乎治曆明時,本之驗著,在於天儀。夫法象莫若渾天,渾天之設久矣。昔在顓頊,使南正重司天。而帝嚳亦序三辰,堯命羲和,欽若昊天,曆象日、月、星辰。舜之受禪,在璇璣玉衡,以齊七政。以是數者言之,曩時已立渾天之象明矣。
東漢末の吳の人陸績(字は公紀)は《渾天》の一書にいう。先聖の道は、曆法を制定し時令を明らかにすることに落實する。その根本の驗證と彰顯は、天を觀る儀器にある。天の形象に取法するには、渾天ほど相宜なるものはなく、渾天儀の設立は由來すでに久しい。昔顓頊の世に、南正の重を任命して天事を掌らせた。帝嚳も日・月・星の三辰の次序を整理した。堯は羲氏・和氏に命じて恭敬に上天に順い、日月星辰の運行を觀測推算させた。舜は禪讓を受けた後、「璇璣玉衡」という儀器を用いて日月五星の七政の行度を校正した。この數事に就いて言えば、はるか早い時にすでに渾天儀象を立てていたことは、極めて明白である。
周公序次六十四卦,兩者相承,反覆成象,以法天行,周而復始,晝夜之義,故《晉卦象》曰:“晝日三接。”《明夷象》曰:“初登于天,後入于地。”仲尼說之,曰:“明出地上,晉進而麗乎大明,是以晝日三接,明入地中。”明夷夜也,先晝後夜,先晉後明夷,故曰初登于天,照四國也。後入于地,失則也。日月麗乎天,隨天轉運,出入乎地,以成晝夜也。渾天之義,蓋與此同。
周公は六十四卦の次序を排定し、相鄰る兩卦は彼此相承し、正看反看して卦象を成し、もって上天の運行に取法し、周而復始して、その中に晝夜の道理を含ませた。だから《晉卦》の象辭に「晝に三たび天子に接見す」といい、《明夷卦》の象辭に「初め天空に升り、後に地下に沈む」という。孔子は解釋していう。「光明が地より出る、これが晉卦である――上進して大明に附麗し、ゆえに白晝のうち三たび接見する。光明が地に沈む、それが明夷である」と。明夷は夜を謂う。先に白晝があり後に黑夜があるので、先に晉卦を排し後に明夷卦を排する。ゆえに「初め天空に升る」とは四方の國を照臨することをいい、「後に地下に沈む」とは常則を失うことをいう。日月は天に附麗し、天に隨って旋轉し、大地のあいだに出没して、晝夜を形成する。渾天説の義理は、おおむねこれと同じである。
仲尼歿,大道乖,諸子穿鑿妄作,乃有蓋天之說。其以虛偽,較然可知,又曰:“渾天以日出地上則晝,故《易》曰:‘明出地上,晝日三接。’又曰:晉,晝也。日入於地則夜,夜則明傷。故《易》曰:‘明夷,傷也。”又曰:“‘初登于天,照四國也。後入于地,失則也。’《尚書》:‘寅賓出日,寅餞納日。’以此言之,知出入於地,審矣。若日不出於地,則何緣得有晝、夜、明、暗乎。
孔子が去世した後、大道は乖違し、諸子百家は穿鑿附會して妄りに新説を立て、そこで「蓋天」の論があった。その虛妄不實は顯然として見抜くことができる。陸績はまたいう。渾天説は太陽が地面を升出すれば白晝とする。だから《周易》に「光明が地より出る、晝に三たび接見す」といい、また「晉とは白晝である」という。太陽が地下に沈入すれば黑夜で、夜は光明が損傷する。だから《周易》に「明夷とは損傷である」という。又いう。「初め天空に升るは四方の國を照臨す。後に地下に沈むは常則を失う」。《尚書・堯典》に「恭敬に日出を迎接し、恭敬に日沒を送別す」の言がある。これに據って論ずれば、太陽が確かに大地に出入することが知られ、これは明白で疑いない。もし太陽が地下より升出しないなら、何をもって晝と夜・明と暗の分別があらんや。
天半覆地上,半周地下,繞地而運。故二十八宿半見半隱,如天半右覆地上,半周地下,二十八宿何故再見更隱乎。由此言之,天乃裹地而運,信矣。此是昏明之大術也。
天は半分が地面以上を覆い、半分が地面以下を繞行し、大地を圍んで轉動する。だから二十八宿はつねに半分可見・半分隱沒である。もし蓋天家のように講じ、天はただ斜めに半分地上を覆い半分地下を繞るだけなら、二十八宿がどうして一再出现し一再隱沒することがあろうか。ここから言えば、天は地を包裹して運轉するのであり、この點は確かに信じられる。これが昏晓明暗の大道理である。
天之形狀,圓周渾然,運於無窮,故曰渾。《易》曰:‘乾為天,為圜。’又曰:‘先甲三日,後甲三日,終則有始。’天行也,此之謂矣。天大地小,天統地;半覆地,上半周地下,譬如卵白,白繞黃也。”
天の形狀は、圓周渾然一體で、運轉永く窮盡しないので、「渾」と呼ぶ。《周易・説卦》に「乾は天、圓なり」という。《蠱卦》にまた「甲日より先に三日、甲日より後に三日、終結してまた重ねて始まる」という。これはまさに天の運行を講じ、この道理を説いたものである。天は大にして地は小、天は地を統攝する。半分は地上を覆い、半分は地下を繞ること、あたかも蛋白の卵黃を圍裹するがごとし。
揚子雲《太玄經》曰:“天穹隆而周乎下,地旁薄而向乎上,故知天裹地下。周天三百六十五度四分度之一,一百八十二度八分度之五覆地上,一百八十二度八分度之五周地下,故二十八宿半見半隱,日月出入以成昏明也。
西漢の揚雄(字は子雲)は《太玄經》の中にいう。天穹は隆起して下向に環繞し、地は廣大平鋪して上向に承接する。ゆえに天が地の下面をも一倂せに包裹していることが知れる。周天は三百六十五度四分の一、そのうち一百八十二度八分の五が地上を覆い、一百八十二度八分の五が地下を繞る。だから二十八宿は半分可見・半分隱沒で、日月はその間に出入し、昏晓明暗を形成する。
北極星北方偏出於地三十六度,南極中偏入於地亦三十六度,南極、北極天軸所在,轉運所由,譬車之有輪,所以自行也。眾星皆移無常,惟北極守中不易,是以知其為天中也。天傾,故極在中北。仲尼曰:‘譬如北辰,居其所而眾星共之。’”
北極星は北方にあって地面より三十六度偏出し、南極は正中より南に偏って地下に沒入するのもまた三十六度である。南極・北極は天軸の在るところで、天の旋轉はみなこれより生ずる。あたかも車に輪軸があり、よって自ら轉動し得るがごとし。衆星はみな移動して位置に常がないが、ただ北極のみが中樞を守って一動も移らない。ゆえにそれが天の中心であることを知る。天は傾斜しているので、極點は正中より北に偏った位置にある。孔子はいう。「たとえば北極星、その位置に安居し、衆星はみな環繞してそれを拱衛する」と。
又《太玄經》曰:“天圓地方,極樞中央,動以歷靜,時乘十二,以建七政。’是以《堯典》曰:‘在璇璣玉衡,以齊七政。’此之謂也。繞南極七十度,常在地下不出地。周天一百七萬一千里,東西南北徑三十五萬七千里,立徑亦然。”自外諸說,度次交會,與蔡氏、張衡同,故略雲。
《太玄經》はまたいう。天は圓にして地は方、極軸は中央に居り、運動をもって靜止を經歷し、十二辰に依って順次運轉し、もって日月五星七政の行度を確立する。だから《尚書・堯典》に「璇璣玉衡をもって七政を校正す」というのは、まさにこの意味を講じたものである。南極を環繞する七十度のあの一片は、つねに地下にあって地面に露出しない。周天の長さは一百七萬一千里、東西南北の直徑は三十五萬七千里、上下の直徑もまたこの數である。このほか各家の説法があり、度數の次第と黃赤の交會を講じるものはいずれも蔡邕・張衡の説と同じなので、省略する。
吳將廬江王蕃《渾天象說》曰:‘幽平之後,周室遂卑,天子不能頒朔,魯曆不正,百有餘年;以建申之月為建亥,而怪蟄蟲不伏也。曆紀廢壞,道術浸亂,渾天之義,傳之者寡,末世之儒,或不聞見,各以私意,為天作說;故有《周髀》、《宣夜》之論。《宣夜》絕無師法。《周髀》見行於世,考驗天伏,多所違失。
三國の吳の將領で廬江の人王蕃は《渾天象説》の中でいう。周の幽王・平王以後、周王室は日に日に衰微し、天子はもはや諸侯に曆朔を頒布することができず、魯國の曆法は錯亂して正しからず、前後一百余年に及んだ。ついには建申の月(夏曆七月)を建亥の月(夏曆十月)と當て、なお蟄蟲がなぜ土に入り潛伏しないかを怪しむ始末であった。曆法の綱紀は廢壞し、天文の學は次第に紊亂し、渾天の義理を傳授する者はごく少なかった。末世の儒生はある者は聞くことすらしたことがなく、各々私意に憑って天のために一套の説法を造り、そこで《周髀》と「宣夜」の兩派の議論があった。宣夜説には全く師傳の法度がなく、《周髀》の説は世に流行したが、それをもって天象の出没伏見を考驗すれば、違失が多かった。
依劉洪《乾象曆》之法而論渾天曰:‘前儒舊說,天地之體,狀如鳥卵,天包地外,猶殼之裹黃也。周旋無端,其形渾渾然,故曰渾天也。周天三百六十五度五百八十九分度之百四十五,東西南北,辰轉周規,半覆地上,半在地下,故二十八宿半見半隱;以赤儀準之,其見者常百八十二度有奇,是以知其半覆地上,半隱地下,其二端謂之南極、北極,天之中也。
王蕃は劉洪《乾象曆》の算法に依って渾天を論じていう。前代の儒者の舊説は、天地の形體は鳥卵のようで、天は地の外を包み、あたかも卵殼が卵黃を裹むごとしとする。それは周旋運轉して起訖がなく、形體は渾然一團なので、渾天と呼ぶ。周天は三百六十五度五百八十九分の一百四十五で、東西南北は十二辰に按じ圓規に依って運轉し、半分は地上を覆い、半分は地下にある。だから二十八宿は半分可見・半分隱沒である。赤道儀をもって校準すれば、可見の部分はつねに一百八十二度余りであり、これによって半分が地上を覆い半分が地下に隱れることが知れる。その二つの端點を南極・北極と呼び、あれは天の中樞である。
北極在正北,出地三十六度。南極在正南,入地亦三十六度。兩極相去一百八十二度半強。眾星皆移,而北極不徙,猶車輪之有釭軸也。繞北級徑七十二度,常見不隱,謂之上規。繞南極七十二度,常隱不見,謂之下規是也。上規去南極,下規去北極,皆一百四十度半強。以二規於渾儀。
北極は正北方にあって地面より三十六度高く、南極は正南方にあって地下に沒入するのもまた三十六度であり、兩極は一百八十二度半余りを距る。衆星はみな移動するが、獨り北極のみ遷移せず、あたかも車輪に軸管と車軸があるがごとし。北極を環繞して直徑七十二度の一圈は、星辰が常に見えて隱沒せず、「上規」と呼ばれる。南極を環繞して直徑七十二度の一圈は、星辰が常に隱れて出現せず、「下規」と呼ばれる。上規の南極よりの距り・下規の北極よりの距りは、いずれも一百四十度半余りである。この二つの規圈はいずれも渾儀の上に標すべきものである。
為中規赤道帶天之紘,去兩極各九十一度少強。黃道,日所行也。半在赤道外,半在赤道內,與赤道東交於角五弱,西交於奎十四少強。其出赤道外極遠者,去赤道二十四度,斗二十一度是也。其入赤道內極遠者,入赤道二十四度,井二十五度是也。
居中のあの規圈がすなわち赤道で、一條の冠帶のように天の正中に束ねられ、南北兩極よりそれぞれ九十一度やや多い。黃道は太陽の行く道で、半分は赤道以外に、半分は赤道以内にある。それは東邊で赤道と角宿五度やや弱に交わり、西邊で赤道と奎宿十四度やや多に交わる。赤道以外に伸出して最も遠いところは赤道より二十四度で、すなわち斗宿二十一度である。赤道以内に深入して最も遠いところもまた赤道に入ること二十四度で、すなわち井宿二十五度である。
日南至斗二十一度,去極百一十五度少強,是日最南,去極最遠,故景最長。黃道斗二十一度,出辰、入申,故日亦出辰、入申,晝行地上百四十六度強,故日短;夜行地下二百一十九度少弱,故夜長。
冬至に太陽は南行して斗宿二十一度に至り、北極より一百十五度やや多く、この日太陽は最も南に偏り北極より最も遠いので、日影が最も長い。黃道上斗宿二十一度のこの點は辰の位より昇り申の位に落ちるので、太陽もまた辰の位より昇り申の位に落ちる。晝は地面以上を一百四十六度余り行くので白晝が短く、夜は地面以下を二百一十九度やや弱行くので黑夜が長い。
自南至之後,日去極稍近,故景稍短;日晝行地上度稍多,故日稍長;夜行地下稍少,故夜稍短;日行度稍北;故日出入稍北;以至於夏至日在井二十五度,去極六十七度少強,是日最近北,去極最近,故景最短。
冬至以後、太陽は北極に距ることが次第に近くなるので日影は次第に短くなり、晝に地面以上を行く度數が次第に多くなるので白晝は次第に長くなり、夜に地面以下を行く度數が次第に少なくなるので黑夜は次第に縮まり、太陽の行く度數が次第に北に偏るので日出日沒の方位も次第に北に偏る。夏至に至るまでに、太陽は井宿二十五度にあって北極より六十七度やや多く、この日太陽は最も北に寄り北極に最も近いので、日影は最も短い。
黃道井二十五度出寅、入戌,故日亦出寅、入戌,日晝行地上二百一十九度少弱,故日長;夜行地下百四十六度強,故夜短;自夏至之後,日去極稍遠,故景稍長;日晝行地上度稍少,故日稍短;夜行地下度稍多,故夜稍長;日所在度稍南,故日出入稍南;以至於南至,而復初焉。斗二十一度,井二十五度,南北相應四十八度。
黃道上井宿二十五度のこの點は寅の位より昇り戌の位に落ちるので、太陽もまた寅の位より昇り戌の位に落ちる。晝は地面以上を二百一十九度やや弱行くので白晝が長く、夜は地面以下を一百四十六度余り行くので黑夜が短い。夏至以後、太陽は北極に距ることが次第に遠くなるので日影は次第に長くなり、晝に地面以上を行く度數が次第に少なくなるので白晝は次第に縮まり、夜に地面以下を行く度數が次第に多くなるので黑夜は次第に長くなり、太陽の在る度數が次第に南に偏るので日出日沒の方位も次第に南に偏る。冬至に至れば、また初めの狀態に回復する。斗宿二十一度と井宿二十五度は南北に遙かに對應し、四十八度を相差する。
春分日在奎十四少強,秋分日在角五少弱;此黃赤二道之中交也。去極俱九十一度少強,南北處斗二十一、井二十五之中,故景居二至長短之中,奎十四、角五,出卯、入酉,故日亦出卯、入酉,日晝行地上,夜行地下,俱百八十二度半強,故日見之漏五十刻,不見之漏五十刻,謂之晝夜同。
春分に太陽は奎宿十四度やや多くにあり、秋分に太陽は角宿五度やや弱にあり、この二處はまさに黃赤二道の相交する中點である。二處とも北極より九十一度やや多く、南北の方位はちょうど斗宿二十一度と井宿二十五度の正當中にあるので、日影の長短もまた冬至・夏至の二つの極端の間に居る。奎宿十四度・角宿五度のこの二點は卯の位より昇り酉の位に落ちるので、太陽もまた正東の卯位より昇り正西の酉位に落ちる。晝は地面以上・夜は地面以下を、それぞれ一百八十二度半余り行くので、太陽の可見の漏刻は五十刻、不可見の漏刻もまた五十刻、これを晝夜相等しいと呼ぶ。
夫天之晝夜,以日出入為分;人之晝夜,以昏明為限。日未出二刻半而明,日入後二刻半而昏。故損夜五刻,以增晝刻。是以春秋分之漏,晝五十五刻。
天のいう晝夜は太陽の地平への出入を分界とし、人のいう晝夜は天亮天黑を界限とする。太陽がまだ升出しない以前二刻半に天はすでに發亮し、太陽が落下して後二刻半に天はようやく昏黑する。だから夜の刻數より五刻を減じて白晝の刻數に加える。したがって春分・秋分に漏壺に按じて計れば、白晝は五十五刻である。
渾天遭周秦之亂,師傳斷絕,而喪其文,唯渾儀尚在,臺是以不廢,故其詳可得言。至於纖微委屈,闕而不傳,周天裡數,無聞焉爾。而《洛書軌曜度》、《春秋考異郵》皆云:周天一百七萬一千里。至以日景驗之,違錯甚多,然其流行,布在眾書,通儒達士,未之考正。是以不敢背損舊術,獨據所見。故按其數,更課諸數,以究其意也。
渾天の學は周末・秦代の動亂に遭い、師徒の傳授は中斷し、典籍は散失し、ただ渾儀のみが留存して觀候台はゆえに廢棄されなかったので、その大略はなお講じ出すことができる。其中の細微曲折の處に至っては、殘缺失傳であり、周天が究竟幾何の里あるかは、さらに聞くすべもない。しかるに讖緯の書《洛書甄曜度》と《春秋考異郵》はいずれもいう、周天は一百七萬一千里と。日影をもって驗證すれば違誤錯亂の處が多いが、しかしこの説は流傳きわめて廣く、各種の書に散布し、通達の儒者學士はいずれも考正を加えたことがない。だから私は舊有の算法を背棄削減して一己の見のみに憑ることを敢えてせず、ここにこの數字に依って、改めて各項の數據を核算し、もってその本意を推究した。
古歷皆云周天三百六十五度四分度之一,皆分一百七萬一千里數為一度闊二千九百三十二里七十一步二尺七寸四分大強;斗下分為七百三十三里一十七步五尺一寸八分大弱。三光之行,不必有當,術家以算,追而求之;故諸家之歷,各有異同,
古代の曆法はいずれも周天を三百六十五度四分の一とし、いずれも一百七萬一千里という總數を度に按じて分け、一度の闊さを二千九百三十二里七十一步二尺七寸四分強と得た。その零餘の四分の一度(曆家は「斗下分」と呼ぶ)は七百三十三里一十七步五尺一寸八分弱に折合する。日月五星の運行は必ずしもちょうどこれらの數目に相當せず、曆算家は推算をもって追尋求取するしかないので、各家の曆法は彼此同あり異ありである。
漢靈帝之末,四分曆與天違錯,時會稽東部都尉太山劉洪,善於推候,乃考術史官自古至今曆法,原其進退之行,察其出入之驗,視其往來,度其終始。課斗下分不能四分之一,減以為五百八十九分之一百四十五,更造《乾象曆》,以追日、月、五星之行。比於諸家,最為精密,今史官所用,則其歷也。
漢の靈帝の末年、四分曆は天象と合わなかった。当時の會稽東部都尉で泰山の人劉洪は推算候驗に擅長し、そこで史官の自古以來の各種の曆法を考核し、日月進退の行度を推原し、それらの出没の驗證を考察し、往復を觀察し始終を度量した。斗下分が四分の一度に足らないことを核算し出し、それを五百八十九分の一百四十五に減定して、別に《乾象曆》を造り、もって日月五星の運行を追算した。各家の曆法と比べて、この一部が最も精密であり、今史官の使用するのがこの曆である。
故所作渾象諸,分度節次及昏明中星,皆更以《乾象》法作之,擊天一百七萬一千里,以《乾象》法分之,得二千九百三十二里八十步三尺九寸五分弱,斗下分為七百二十一里二百五十九步四尺五寸地二強。《乾象》全度長古歷全度九步一尺二寸少弱,斗下分減古歷斗下分十一里五十八步六寸六分弱,其大數俱一百七萬一千里,斗下分減,則全度純數使其然也。
だから私が渾象を製作するとき、各項の分度の節次および黃昏・平旦に南中天の星は、みな《乾象曆》の算法に改照して重定した。周天一百七萬一千里を取り、《乾象曆》の度數に按じて分ければ、一度は二千九百三十二里八十步三尺九寸五分弱に合し、斗下分は七百二十一里二百五十九步四尺五寸二分強に合す(底本は「四尺五寸地二強」と作るが、文字に訛誤があるようである)。《乾象》の一整度は古曆の一整度より九步一尺二寸やや弱長く、《乾象》の斗下分は古曆の斗下分より十一里五十八步六寸六分弱少ない。兩者の總數は同じく一百七萬一千里であり、斗下分の減少した所以は、まさに整度の實數の加大が造り出したものである。
又陸績云:‘周天一百七萬一千里,東西南北徑三十五萬七千里,立徑亦然。’此蓋天黃赤道之徑數也。渾天蓋天黃赤道周天度同,故績取以言耳。此言周三徑一也。
陸績はまたいう。「周天一百七萬一千里、東西南北の直徑三十五萬七千里、上下の直徑も同じ」と。これは實は蓋天家が黃赤道を推算して得た直徑の數である。渾天と蓋天の兩家の用いる黃赤道の周天度數は相同じなので、陸績はここに取って引用したのである。これは「圓周三・直徑一」の古い比率に按じて算え出したものである。
古歷術日率圓周三,中徑一,臣更考之徑一不翅周三率;周百四十二,而徑四十五,以徑率乘一百七萬一千里,以周率約之,得徑三十二萬九千四百一里一百二十二步二尺二寸一分七十一分分之十,東西南北及立徑皆同,半之得十六萬九千七百里二百一十步一尺六寸百四十二分分之八十一,地上去天之數也。
古代の曆算の法は圓周の長さ三・中徑の長さ一と説く。私が重ねて考訂すれば、直徑を一とするとき圓周はなお三に止まらない。圓周率一百四十二・直徑率四十五を取り、直徑率をもって一百七萬一千里に乘じ、さらに圓周率をもって除すれば、直徑三十二萬九千四百一里一百二十二步二尺二寸一分又七十一分の十を得る。東西・南北の直徑および上下の直徑はみな相同じ。その半分を取れば、十六萬九千七百里二百一十步一尺六寸又一百四十二分の八十一を得、これが地面より天までの距離である。
夫周徑固前定物,為蓋天者,尚不考驗,而乃論天地之外,日月所不照,陰陽所不至,日精所不及,儀術所不測,皆為之說虛誕無證,是亦鄒子瀛海之類也。
圓周と直徑はもともと眼前に測定し得るものであるが、蓋天説を主張する者はこのことさえ考驗せず、かえって天地以外のことを大いに談ずる。あれらは日月の照らさず、陰陽の到らず、日光の射及ばず、儀器算術の測り出せないところであるのに、一々それらのために説法を編み出し、虛誕にして憑證がない。これはすなわち戰國の鄒衍が九州の外に大瀛海ありと講じたあの類の空談と大差ない。
臣謹更以晷景考周天裡數,按《周禮大司徒》之職云:‘土圭之法,測土深,正日景,以求地中。日南則景短多暑;日北則景長多寒;日東則景夕多風;日西則景朝多陰。日到之景,盡有五寸,謂之地中。’鄭玄云:‘土圭之長,尺有五寸,以夏至立八尺表,其景適與圭等,謂之地中,今潁川陽城地為然。’鄭玄云:‘凡日景於地,千里而差一寸。景尺有五寸者,南戴日下萬五千里也。’
私は謹んで再び日影をもって周天の里數を考求する。《周禮・大司徒》にこの官職の職守を講じていう。「土圭の法を用いて地の遠近を測量し、日影を校正して、もって大地の中央を求む。南に偏するの地は日影短く暑熱多く、北に偏するの地は日影長く寒冷多く、東に偏するの地は日影が傍晚のごとく風多く、西に偏するの地は日影が早晨のごとく陰多い。夏至の日中の投ずる影が、恰好一尺五寸なるを、地中と呼ぶ」と。鄭玄の注にいう。「土圭は長さ一尺五寸、夏至のこの日に八尺高き表を一條立て、その影子はちょうど土圭と長さを等しくすれば、地中と呼ぶ。今潁川郡陽城縣のあの地がまさにこのようである」と。鄭玄はまたいう。「およそ日影の地に投ずるや、相距ること一千里にして一寸を相差す。影の長さ一尺五寸は、この處が太陽の正下に當たる地點を離れて南に一萬五千里あるを説明す」と。
誠以八尺之表,而有尺五寸景,是立八十而旁十五也;南萬五千里而當日下,則日當去其下地八萬里矣。從日斜射陽城,則天徑之半也,天體圓如彈丸,地處天之半,而陽城為中,則日春、秋、冬、夏、明、晝、夜,去陽城皆無盈縮矣,故知從日斜射陽城為天徑之半也。
すでに八尺高き表が一尺五寸の影子を投ずるは、すなわち竪直八十・橫向十五の比例である。南に一萬五千里すれば便ち太陽の正下に當たる地點に到るならば、太陽のその下の地面に距るは應に八萬里ならん。太陽より陽城に斜射するあの線は、すなわち天球の半徑である。天體は渾圓にして彈丸のごとく、大地は天の正中に處り、しかも陽城はまた大地の中心ならば、太陽は春・秋・冬・夏を論わず、天明・白晝・黑夜を論わず、陽城に距るに遠近の增減なし。ゆえに太陽より陽城に斜射するあの線がまさに天球の半徑なることを知る。
以勾股法言之,旁萬五千里勾也。立八萬里,則股也。從日斜射陽城,則弦也。以勾股求弦法入之,得八萬一千三百九十四里三十步五尺三寸六分,天徑之半,而地上去天之數也。倍之,得十六萬二千七百八十八里六十一步四尺七寸二分,天徑之數也。以周率乘之,徑率約之,得五十一萬三千六百八十七里六十八步一尺八寸二分,周天之數也。
句股法をもって講ずれば、橫向の一萬五千里は句、竪直の八萬里は股、太陽より陽城に斜射するあの線は弦である。句股より弦を求める算法に代入すれば、八萬一千三百九十四里三十步五尺三寸六分を得、これは天球の半徑、すなわち地面より天までの距離である。一倍を加えれば、十六萬二千七百八十八里六十一步四尺七寸二分を得、これは天球の直徑である。さらに圓周率をもって乘じ直徑率をもって除すれば、五十一萬三千六百八十七里六十八步一尺八寸二分を得、これが周天の長さである。
減《甄曜度》《考異郵》五十五萬七千三百一十二里有奇,一度凡一千四百六里百二十四步六寸四分十萬七千五百六十五分分之萬九千四十九,減舊度千里五百二十五里二百五十六步三尺三寸二十一萬五千一百三十分分之十六萬七百三十分。
この數は《洛書甄曜度》《春秋考異郵》の説くところより五十五萬七千三百十二里余り少ない。これに照らして算えば、周天一度は一千四百六里一百二十四步六寸四分又十萬七千五百六十五分の一萬九千四十九に合し、舊説の每一度より一千五百二十五里二百五十六步三尺三寸又二十一萬五千一百三十分の十六萬七百三十を減少せり(底本の「千里五百二十五里」の句は衍誤があるようである)。
夫末世之儒,多妄穿鑿,補增《河洛》,竊作讖緯,其言浮虛難悉,據用六官之職,周公所制勾股之術,目前定數,晷景之度,事有明驗,以求推之,近為詳矣。
末世の儒生は多く妄誕の穿鑿を好み、《河圖》《洛書》を增補し、私に讖緯を造る。その言は浮泛虛妄にして、盡く信じがたい。今《周禮》六官の職守に依據し、周公の制した句股算法を用い、眼前に確定し得る數目・日影の量り得る尺度に憑り、事毎に明白の驗證あり、これに據って推求してこそ、始めて比較的詳實と算える。
黃赤道相與交錯,其間相去二十四度。以兩遊儀準之,二道俱三百六十五度有奇,是以知天體圓如彈丸。而陸績造渾象,其形如鳥卵;然而黃道應長於赤道矣。績云:‘東西南北徑三十五萬七千里。’然則績亦以天形正圓也。而渾象為鳥卵,則為自相違背。
黃道と赤道は彼此交錯し、兩者の相距る最も遠きは二十四度である。二つの游儀をもって校準すれば、二條の道はいずれも三百六十五度余り、これによって天體の渾圓にして彈丸のごときを知る。しかるに陸績の渾象の製作は鳥卵の形狀を成した。あのようであれば、黃道は赤道より長からねばならぬ。陸績自らまた「東西南北の直徑三十五萬七千里」と謂うは、彼が實にもまた天形の正圓なるを認めたを見る。然るに造る所の渾象は鳥卵形にして、これすなわち自相矛盾なり。
月行二十七日有奇而周天,其行半出黃道外,半入黃道內;在內謂之陰道,在外謂之陽道,其行陰陽道極遠者不過六度。黃道無常,諸家各異,各依其歷。節氣所行宿度,《尚書》、《月令》、《太初》、《三統》、《四分》、《乾象》各不同,昏明亦異,日行蹉跌,不遵常之所為也。
月は二十七日余りで天を一周り繞り、その路程は半分は黃道の外に出で、半分は黃道の内に入る。内にあるを「陰道」と呼び、外にあるを「陽道」と呼び、陰陽二道を出入する最も遠きも六度を過ぎず。黃道の定法に一定なく、各家彼此相同じからず、いずれも各自自家の曆法に依據す。節氣に太陽の在る宿度は、《尚書》《禮記・月令》および《太初曆》《三統曆》《四分曆》《乾象曆》の記す所各々相同じからず、黃昏と平旦の中星にも差異あり。これは太陽の運行がもともと參差錯落ありて、全く一成不變の常規に遵循せざるがゆえである。
夫三光之行,雖有盈縮,天地之體,常然不變,故諸家之歷,皆不著渾象,唯黃道當各隨其歷而錯之。而今臣所施黃道,《乾象》法也,審校先代諸儒,於春秋二分多差,而冬夏二至恆在;二分限中,蕃按渾象之法,地當在天中,其勢不便故,反觀其形。地為外匡,於已解者,無異在內。詭狀殊體,而合於理,可謂奇巧。
日月星の三光の運行は盈あり縮ありといえども、天地の形體は恒常に變わらず。ゆえに各家の曆法はいずれも別に渾象を造るを要せず、ただ黃道のみ各々自家の曆法に依って嵌置すべきなり。今私の安放する所の黃道は、《乾象曆》の法を用う。仔細に前代諸儒の成説を校核するに、彼らは春分・秋分の二處に多く差誤あり、而して冬至・夏至の二處は始終移らず、差誤はみな二分の範圍の内に落つ。我が王蕃は渾象の制法に按じて考う。地はもともと天球の正中に放つべきなれど、あのようになれば形勢觀看に不便なり。ゆえに反って外よりその形象を觀る――地を外なる方框と作る。すでに其中の道理を明白せる人に對しては、これと地の天内にあると分別なし。形狀奇詭・體制特別なれど、道理に合し、巧妙と謂うべし。
古舊渾象,以二分為一度,周七尺三寸半分。漢張衡更制,以四分為一度,凡周一丈四尺六寸一分。臣以古制局小,以布星辰,相去稠概,不得了察;而張衡所作,又復傷大,難可轉移。前表間以三分為一度事,許令臣新作周一丈九寸五分四分分之三,長古法三尺六寸五分四分分之一,減張衡亦三尺六寸五分四分分之三,渾象法黃道、赤道各廣一度有半,故今所作渾象,黃、赤道各廣四分半、相去七寸二分。渾儀中筒為璇璣,外規為玉衡。(吳太史令陳卓所作《渾天論》與王蕃大同。)
古の舊有の渾象は、二分の長をもって一度とし、全周七尺三寸半分なり。漢の張衡は別に改制し、四分の長をもって一度とし、全周合わせて一丈四尺六寸一分なり。私は古制の格局が小さすぎて、星辰を布けば彼此挨りあい密にして看清らかならずと思い、而して張衡の造る所はまた大きすぎるを失し、搬動轉旋しがたし。先前に上表して三分の長をもって一度と改用するの事を提出し、蒙りて私に一具を新造することを准許せり。全周一丈九寸五分又四分の三、古法より三尺六寸五分又四分の一長く、張衡のより三尺六寸五分又四分の三減少せり。渾象の定法に按ずれば、黃道・赤道各々闊きこと一度半。ゆえに今造る所の渾象は、黃道・赤道各々闊きこと四分半、兩道の相距るは七寸二分。渾儀の當中の圓筒を「璇璣」と呼び、外の規環を「玉衡」と呼ぶ。(原書小注:吳國太史令陳卓の作れる《渾天論》は、王蕃の説く所と大体相同じ。)
姜岌《渾天論答難》曰:“渾天之說,天體包裹,地在其中。七曜躔麗,道有常率。天體旁倚,故日道南高而北下;運轉之樞,南下而北高。二樞為轂,日道為輪,周廻運移,終則復始。北樞謂之北極,出地上三十六度,故天北際七十二度,常見而不伏。南樞謂之南極,入地下亦三十六度,故天南際七十二度常伏而不見。
十六國時期の天文曆算家姜岌は《渾天論答難》の中にいう。渾天の説は、天體は外に包裹し、大地は天の中間に處るとする。日月五星七曜はその上に附麗して運行し、各々恒常の行度あり。天體は側倚せるがゆえに、太陽の行く道は南高く北低し。而して天體の旋轉の樞軸は卻って南低く北高し。南北兩樞は車轂に譬え、太陽の行く道は車輪に譬え、周而復始して旋轉移動す。北の樞軸を「北極」と呼び、地面より出づること三十六度。ゆえに天の北邊七十二度の一片は常年可見にして隱伏せず。南の樞軸を「南極」と呼び、地下に沒入するもまた三十六度。ゆえに天の南邊七十二度の一片は常年隱伏して見るを得ず。
或云:火,陽也,故外照。金、水,陰也,故內景。日為陽精,故為外照;月為陰之宗,應內景。而月復能外照,何也?對曰:月光者,日曜之所生,是故外景如日照也;是故瑩金、澄水得日之照,照物亦有景。
或る人問う。火は陽に屬し、ゆえに外に向かって照射す。金と水は陰に屬し、ゆえにただ内里に影像を含む。太陽は陽の精華、ゆえに外に向かって照射す。月は陰の宗主、理の宜しくただ影像を内含すべきに、然るに月もまた能く外に向かって照射するは、これ何の故ぞ。答えていう。月の光は太陽の照射する所より生じ出づるがゆえに、それが外に投出する光は太陽の照射するがごときなり。ちょうど光亮の金屬・澄清の水面が日照を受けて、亦能く光を他の物體に反照して影像を映出するがごとし。
又曰:月無虧盈,虧盈由人也;日月之體,形如圓丸,各徑千里,月體向日,常有光也。月之初生,日曜其西,人處其東,不見其光,故名曰魄。魄一日之後,微東而南,故明生焉。八日正在南方,半之故見其弦也。望則人處日月之間,故見其圓也。
姜岌はまたいう。月は本身圓缺なく、圓缺は觀看する者の處する位置より成る。日月の形體はみな圓球のごとく、各々直徑一千里。月の太陽に朝るあの一面は、終始光あるなり。月初新生のとき、太陽はその西面を照らし、人は卻ってその東面に立ち、あの一面の光を見ず。ゆえに「魄」と呼ぶ。「魄」の一日を過ぐるに至り、月は稍や東移して南に偏り、明の部分は便ち出現す。初八に至れば、月はまさに南方に在り、明の部分は恰好一半、ゆえに見る所は弦月なり。望日に至れば、人はまさに日月の間に處り、ゆえに見る所は滿圓なり。
假使月初生時,移人在日月之間,東向以視,則月光圓若望也。夏至之日,日入戌,月初生時,則西北近日有光。及出於寅,未閱三日,以視月,則東北近日處光滿也。研之於心,驗之於目,月體向日,有光而形圓矣。
假使月初新生のとき、人を日月の間に挪して、東に向かって望ましめば、則ち見る所の月光は同じく圓滿にして、望日と同じからん。夏至のこの日に太陽は戌の位に落つ。月初新生のとき、月の西北方の太陽に靠近する一側は光あるなり。太陽が寅の位より昇起するを待つに至り、なお三日に滿たず、再び月を觀れば、便ちその東北方の太陽に靠近するあの一側の光すでに滿つるを見ん。心思をもって研究し、眼睛をもって驗證すれば、月の太陽に朝るあの一面はつねに光あり、しかも形狀渾圓なるを知るべし。
難者又云:日曜星月,明乃生焉。然則月望之日,夜半之時,日在地下,月在地上,其間隔地,日光何由得照月,暗虛安得常日沖?對曰:日之曜天,不以幽而不至;不以明而不及。赫烈照於四極之中,明光曜煥乎宇宙之內,循天而曜星月,猶火之循突而升,及其光曜,無不周矣。惟沖不照,名曰暗虛,蓋日及天體,猶滿面賁鼓矣。
責難する者はまたいう。星月は太陽の照射に依って光明を生ずる。しかるに望日の夜半に至れば、太陽は地下にあり月は地上にあり、中間に大地を隔て、日光は何をもって月に照り得るや。「暗虛」はまたどうしてつねに太陽に正對するのか。答えていう。太陽は天空を照耀し、地が幽暗なるをもって到らざるなく、地が明亮なるをもって及ばざるなし。それは熾烈に四極の内に照り滿ち、光輝明亮に宇宙の中に映徹し、天體に沿って星月を照亮すること、火の煙突に沿って上に昇るがごとく、その光の到る所、周遍せざるなし。ただ太陽に正對するあの一點のみ照らず、名づけて「暗虛」という。これは日光が天體全體に遍及すること、あたかも鼓面の滿滿に绷られたるがごときによる。
日之光炎,在地之上,礙地不得直照而散,故薄虧,而照則近;在地之下,聚而直照,故滿盈,而照而遠。以斯言之,則日光應曜星月,有何礙哉?《易傳》:‘日夜食則星亡。’無日以曜之故也。
太陽の光焰は、地面以上に處るとき大地に阻碍されて直射すること能わず四外に散開し、ゆえに稀薄虧缺に顯れ照及の距離も近し。地面以下に處るときは則ち聚攏して直射し、ゆえに滿盈に顯れ照るも遠し。このように講ずれば、日光はもともと星月を照亮すべきものにして、何の妨碍かあらん。《易傳》にいう、「白晝夜のごとき日食の發生するとき、星は便ち隱沒す」と。あれはまさに太陽のそれらを照耀するものなきがゆえである。
難雲地上不得直照而散,故薄虧而照近。檢先望一日,日未入地而月已出,相去三十餘萬里,日在地上,散而直照,不應及月,而使月全明者,何也?對曰:薄虧而照則近,是言礙地光難周耳。水流溼,火就燥,類相從也。月星者,類也。日光散照,雖不及月,譬之燃燭,一燭在上,一燭在下,滅下燭使煙相當,則上滅之談,循煙而下,燃下燭矣。此類相從也。
また或る人責難していう。すでに日光が地面以上にあっては直射すること能わず外に向かって散開し、ゆえに稀薄虧缺にして照ること近しと講ずるならば、則ち望日の前一日を查すに、太陽なだ落下せずして月すでに昇起し、兩者の相距る三十余萬里、この時太陽は地面以上にあり、光は散開にして直射にあらず、本當に月に照るべからず。然るに月は全明なり、これ何の故ぞ。答えていう。所謂稀薄虧缺・照ること近しとは、不過大地に阻碍されて光の周遍しがたきを説くのみ。水は濕處に流れ、火は乾處に燒き、同類の物は自然に相從す。月と星は、まさに日光と同類の物なり。日光の散照は月に及ばずといえども、點燈の蠟燭をもって比方を為さん。一支の蠟燭は上にあり、一支の蠟燭は下にあり、下面のあの支を吹滅して、煙を上面のあの支に正對せしめれば、則ち上面の蠟燭の火焰(底本のここ「上滅之談」の四字は訛あり)は煙に順って下に走り、下面のあの支を重ねて點燃せん。これがすなわち同類相從の道理なり。
難者又曰:日夜食則眾星亡。按月體不大於地,今日在地下,月在地上,地體大尚不能掩日使不照月,月體小於地,安能掩日使不照曜星也。對曰:上元之初,日月如疊璧,五星如連珠,故曰重光。重光者,日在上,月次之,星居下。地在宿內,故掩日月光,星月存而曜亡也。月在星宿之外,故掩日,日光不得照星也。”
責難する者はまたいう。白晝夜のごとき日食の發生するとき衆星は便ち隱沒す。しかるに月の形體に按ずれば地より大ならず。今太陽は地下にあり、月は地上にあり、體積のより大なる地ですら太陽を遮って月に照らさしめざること能わざるに、月體は地より小、またどうして太陽を遮って星に照らさしめざること能わんや。答えていう。曆元の開始のとき、日月は玉璧の相疊するがごとく、五星は珠子の相連なるがごとし。ゆえに「重光」と呼ぶ。所謂重光とは、太陽最上にあり、月はこれに次ぎ、星は最下に在り。地は星宿の裏面に處り、ゆえにそれが日月の光を遮蔽するとき、星月は在るといえども光芒見えず。月は星宿の外面に處り、ゆえにそれが太陽を遮るとき、日光は便ち星に照らざるなり。
梁武帝《嘗儀》云:“月體不全光,星亦自有光,非受明於日。若是日曜月所以成光,去日遠則光全,去日近則光缺。五星行度亦去日有遠近,五星安得不盈虧?當知不然。太陽之精,自有光景,但異於太陽,不得渾赫。星月及日,體質皆圓,非如圓鏡,當如丸矣。”
梁の武帝は《嘗儀》の中にいう。月の形體は通體發光するにあらず、星もまた自らその光あり、太陽の所より光明を領受するにあらず。もし月が太陽の照射に依ってその光明を成すと謂わば、則ち太陽を離るること遠きとき月光は圓滿すべく、太陽に近きとき月光は虧缺すべし。五星の運行の度數も同じく太陽を離近の不同あり、五星はどうして盈虧に隨わざらんや。これによって事はあのようにあらざるを見る。太陽の精華は自らその光影あり、ただ星月の光は太陽と同じからずして、太陽のごとく赫赫盛大なること能わざるなり。星・月と太陽の體質はみな圓なり。圓鏡のごとき扁平の圓面にあらずして、彈丸のごときに當るべし。
祖暅曰:“姜岌此言非也,星猶月,稟日之光,然後乃見。若星在日裡,則應盈魄,今既不然,故知星在日表而常明也。按星體自有光曜,非由稟日始明,今星宿有時食,月在魄中,分明質見,則是星行亦在月裡,不專在表。又姜岌承二燭為喻,理亦迂廻,非實驗也。”
祖暅はいう。姜岌のこの話は當らず。星は月と同じく、みな日光を承受して然る後に見られるなり。もし星が太陽の内側に處らば、則ち月魄のごとく明あり暗あり・時に圓時に缺あるべし。今すでにこのようにあらず。星は太陽の外側に在りて、よって常明なるを知る。ただしまた見るべし、星體は自身もともと光芒あり、日光を承受して始めて發亮するにあらず。今星宿の或いは掩食せられるや、月がまさに暗魄のあの一半に處るとき、星の形質はなほ分明に見ゆ。これによって星の運行にもまた月の内側に處るあるを見る。專ら外側に在るにあらず。さらに言えば姜岌の沿うて用いる兩支の蠟燭の比喻、道理もまた迂曲繞遠にして、實測より得たるにあらず。
晉侍中劉智《論天》曰:“凡含天地之氣而生者,人其最貴而有靈智者也。是以動作營為,皆應天地之象。古先聖王,觀靈曜,造算數,準辰極,制渾儀,原性理,考徵詳。贊其幽義,而作歷術焉。
晉の侍中劉智は《論天》の中にいう。およそ天地の氣を含受して生ずるは、人をもって最も尊貴にして靈性智慧を具うるを數う。ゆえに人の一舉一動・一切の經營作為は、いずれも天地の物象と相應せねばならず。古の先聖先王は、日月星辰の光耀を觀察し、算術を創造し、北辰を準據とし、渾儀を製作し、萬物の性理を推原し、徵驗の詳情を考核し、其中の幽深の義理を闡發し、ここにおいて曆法の學あり。
渾儀象天之圓體,以含地方,輪轉周匝,中有二端,其可見者,極星是也,謂之北極。在南者,在地下不見,故古人不名。陰陽對合為群生,父母精象在於五星,其於共成天地之功也,則日月為政,五星為緯,天以七紀,七曜是也。
渾儀は天の渾圓の體に取象し、方正の大地をその内に包含し、一周を轉動して周遍に遺漏なし。當中に二つの端點あり。見え得るあの一つはすなわち極星、北極と呼ぶ。南邊のあの一つは地下に處り見えず。ゆえに古人はそれに命名せず。陰陽は相對配合して萬類を化生し、父母の精の物象は五星に體現す。それらが共に天地の功を成就するに就いて言えば、日月は「政」、五星は「緯」なり。天は七者をもって綱紀とし、すなわちこれ七曜なり。
北極不過為眾星之君,命政指授,以斗建時。斗有七星,與曜同精,而布節氣於下者也。晦朔分於東西,消息辨於南北,取以定四方,天地配合,方氣有常,天以七紀,方修其政。故方有七宿,二十八星是也。
北極は不過衆星の君主にして、號令を發し政事を指授し、北斗の斗柄の指す所に依って時令を確定す。北斗に七つの星あり、七曜と同じく精氣の凝れる所にして、下に向かって節氣を布散す。晦朔の交替は東西兩方に分見し、陰陽消長の變化は南北兩方に辨察し、これに據って四方を確定す。天地相配し、各方の氣は各々常規あり、天は七をもって綱紀とし、四方もまた各々その政を修む。ゆえに每一方に七宿あり、合わせてすなわち二十八宿なり。
天有常度,日月成象。眾星有宮分,方物有體類,在朝十八星是也。天有常度,日月成象。眾星有宮分,方物有體類,在朝象官,在野象物,在人象事,理自然也。眾星定位,七曜錯行,盈縮有期節,故曆數立焉。
天に恒常の度數あり、日月は凝って顯著の物象を成し、衆星は各々屬する所の宮分あり、各方の物は各々形體種類あり、朝廷の上においては十八星に對應す。(この數句は底本重出す。今錄に照らす。)天に恒常の度數あり、日月は凝って顯著の物象を成し、衆星は各々屬する所の宮分あり、各方の物は各々形體種類あり。朝廷に對應して百官、原野に對應して萬物、人事に對應して各種の事情。これ自然の道理なり。衆星は各々定位あり、七曜は交錯運行し、行度の盈縮はいずれも一定の期限節次あり。ゆえに曆數の學はこれに就いて建立起る。
日,太陽也;施溫萬物生,施光則陰以明,眾所稟為倡先者也。君,尊之象也。月,太陰也。稟照於陽,虧盈隨時,有所稟受,臣卑之道也。五星象五常,托四時,成五事。
太陽は、すなわち太陽の精なり。それが溫暖を施布すれば、萬物は便ち生長す。それが光明を施布すれば、陰暗の物もまた隨って顯明となる。萬物の稟受する所にして倡導領先の位に居るをもって、ゆえに君主尊貴の象徵なり。月は、すなわち太陰の精なり。それは陽より照耀を接受し、時に隨って虧あり盈あり、凡事稟受する所有り。これまさに臣下卑順の道なり。五星は仁義禮智信の五常を象徵し、四時の中に寄托し、貌・言・視・聽・思の五事を成就す。
舊說日譬猶火也,月譬猶水也,火則施光,水則含景。故月光生於背日,當日則光盈,近日則明滅。然則月為臣象可知矣。又曰:當其衝月食者,陰性毀損,不受光也。群臣不等強,日月不等明。陰在於上,不自抑損,陽必侵之。望在交度,其應必食。故《詩》云:‘披月而食,則維期常。’道勢然也。侵甚,則既虛之象也。
舊説は太陽を火に比し、月を水に比す。火は外に光明を施放し、水は影像を含蓄す。ゆえに月光は太陽に背くあの一面に生じ、太陽に正對すれば月光圓滿し、太陽に靠近すれば明光熄滅す。このように見れば、月は臣下を象徵すること、明白なりと謂うべし。舊説はまた講じていう。まさに日月の相冲に當って月食を發生するは、あれは陰の本性が毁損を受けて、光明を接受すること能わざるなり。群臣の強弱は並び齊らず、日月の明暗も相等しからず。陰が上位に居りて自ら抑損するを知らざれば、陽は必定に來りてそれを侵犯せん。望日が恰好黃白二道の交點の度數に落つれば、相應して必定に月食を發生す。ゆえに《詩經》にいう、「月の虧食を發生する、あれはなほ尋常の事と算す」と。これ道理と形勢の然らしむるなり。侵犯すること厲しければ、便ち月全食のごとき虧盡の象と成る。
日,尊君象也。月,卑臣象也。晦朔之會,交則同道。同道則形相蔽。天道君為尊,臣由臣道,雖度相值,月不掩日,卑下尊也。不由臣道,月掩日體,卑凌尊也。是故太平之時,交而不食,尊卑道順。”
太陽は尊貴君主の象徵、月は卑下臣子の象徵なり。晦朔の交に日月相會し、もし交點に正當れば便ち一道を同行す。一道に同在すれば、形體は便ち互相遮蔽せん。天道に按ずれば君は至尊を為す。臣子もし臣道を守れば、縱令度數正相值すとも、月は太陽を掩わざるなり。あれは卑者の尊者の下に甘居するなり。もし臣道を守らざれば、月は便ち日體を掩わん。あれは卑者の尊者を凌犯するなり。ゆえに天下太平のとき、日月は相交するといえども日食を發生せず、尊卑の道は各々その順を得るなり。
或問云:“顓頊氏造渾儀,黃帝為蓋天,其遺說雲蓋天象笠,極在其中,日月遠近,以為晦明。渾儀以天裹地,地載於氣,天以廻轉,而日月出入,以為晦明。二說誰其得之?”
或る人問道していう。顓頊氏は渾儀を創制し、黃帝は蓋天を作れり。蓋天の遺留する説は講じていう、天は一頂の斗笠のごとく、極は笠の正中にあり、日月は人と遠あり近あり、よって昏晓明暗を形成すと。渾儀の説は則ち講じていう、天は地を包裹し、地は氣の上に承載され、天は旋轉して停まらず、日月は其間に出没し、よって昏晓明暗を形成すと。この二種の説法、究竟いずれか説對せるや。
劉智曰:“蓋天之論謬矣,以春秋二分,日出卯入酉,若天象車蓋,極在其中,日、月、星辰,廻還藏明,二分之時,當晝短夜長。今以漏刻數之,則晝夜分等。以日入較之,則出卯入酉,此蓋天之說不通之驗也。然此二器,皆古之所制,但傳說義者,失其用耳。
劉智答えていう。蓋天の説法は錯なり。春分・秋分のこの二日、太陽は卯位の正東より昇起し酉位の正西に落下するをもってなり。もし天が車蓋のごとく、極が正中にあり、日月星辰はただ蓋頂を繞り回旋して遠きに轉ずれば便ち光明を隱去すとせば、則ち二分の日は應に白晝短く黑夜長かるべし。今漏刻に按じて計數すれば、晝夜恰好相等し。さらに日出日落の方位をもって比較すれば、また確かに卯より出で酉に入る。これがすなわち蓋天の説の講じ通らざる驗證なり。ただし蓋天の器と渾儀のこの兩樣の物は、いずれも古人の制する所にして、ただ後來その義を傳述する者がそれが本來の用途を失掉せしのみ。
昔者,聖王治曆明時,作圓蓋,以圖列宿,極在其中。廻之以觀天象,未可正昏、明,分晝,夜;故作渾儀也。象天體,亦以極為中,而朱規為赤遊周環,去極九十一度有奇。考日所行,冬夏去極遠近不同,故復畫為黃道;夏至去極近,冬至去極遠,二分之際,交於赤道;二道有表裡,以定宿度之進退,為術乃密。
從前聖王は曆法を制定し時令を明らかにするに、先ず一個の圓蓋を做り、二十八宿をその上に畫き、極を正中に在らしめ、それを轉動して天象を觀察せり。しかるにあのようではなほ昏旦を校正し晝夜を劃分すること能わず。ゆえにまた渾儀を造れり。渾儀は天體に取象し、また極をもって中心と為し、朱色をもって赤道游環を畫き一周を環繞し、極を距ること九十一度余り。太陽の行く所の道を考察すれば、冬夏は極を距る遠近同じからず。ゆえにまた黃道を畫出せり。夏至は極を距ること近く、冬至は極を距ること遠く、二分の際に黃道は赤道と相交わる。黃赤二道に内外の別あり、もって宿度の進退を確定し、推算の術はここに始めて周密なり。
至漢順帝時,南陽張衡,考定進退。靈帝時,太山劉洪,步月遲疾。自此之後,天驗愈詳。自司馬遷、劉向、劉歆、揚雄、賈逵、張衡、蔡邕、劉洪、鄭玄,此九君者,不但精於算步,皆博索沈綜,才思弘遠,而不合論渾蓋之用。明定日行四時之道,雖或精考,雅有所得,亦或出心裁,失其本旨。人之不同,處意各異;道之難盡,效於斯矣。”
漢の順帝の時に至り、南陽の人張衡は黃道進退の度數を考定せり。靈帝の時、泰山の人劉洪は月行の遲疾を推歩せり。これ以後、天象の驗證はなほいよいよ詳密なり。司馬遷・劉向・劉歆・揚雄・賈逵・張衡・蔡邕・劉洪より鄭玄に至る、この九位の先生は、推算步驗に精なるのみならず、しかもみな博采深思・才思宏遠なり。ただ彼らの渾天・蓋天兩種の器具の用途に對する議論は一致せざるなり。太陽の四時中の運行する道路を判定するに至っては、あるいは考核精審・確かに心得ある者あり、あるいは自己の臆斷より出でて本旨を失掉せる者もあり。人は各々同じからず、用心各々異なり。道理の窮盡しがたきは、ここに於て便ち見え出づるなり。
或問曰:“古歷論月食,或雲陰損,則不受明。或雲暗虛,暗虛所在。值月則月食,值星則星亡。今子不從,何也?”劉智曰:“言暗虛者,以為當日之沖,地體之蔭,日光不至,謂之暗虛。凡光之所照,光體小於所蔽,則蔭大於本質。今日以千里之徑,而地體蔽之,則暗虛之蔭,將過半矣。星亡月毀,豈但交會之間而已哉。由此言之,陰不受明,近得之矣。”
また或る人問道していう。古代の曆家の月食を講ずるや、あるいは陰氣が損傷を受けて、よって光明を接受せずという。あるいは「暗虛」の所在という――暗虛は月に碰うれば便ち月食を發生し、星に碰うれば便ち星を隱沒せしむと。今您が後の一種の説法を採らざるは、何の故ぞ。劉智答えていう。暗虛を講ずる人は認めていう、まさに太陽の對衝處に當るは大地の投下する陰影にして、日光の到らざる所、便ちこれを暗虛と呼ぶと。およそ光の照射するや、發光體は被遮蔽の物體より小なれば、則ち影子は本體よりなお大ならん。今太陽の直徑は千里にして、而して地體はそれを挡住すれば、則ち暗虛の陰影は將に半個の天空より大ならんとし、星の隱沒・月の虧損は應に交會のときのみ發生すべからざるなり。これよりして言えば、なほ「陰は光を受けず」の説法が比較的事實に近し。
又問曰:“若如所論,必有大蔭,月在日沖,何由有明?”劉智曰:“夫陰含陽面明,不待陽光明照之也。陰陽相應,清者受光,寒者受溫,無門而通,雖遠相應。是故觸石而雲出者,水氣之通也。相向而相及,無遠不至,無隔能塞者,至清之質,承陽之光,以天之圓,面向相背,側正不同,光魄之理也。陰陽相承,彼隆此衰,是故日月有爭明,日微則晝見,若但以形光相照,無相引受之氣,則當陽隆乃陰明隆;陽衰則陰明衰。二者之異,無由生矣。”
また問うていう。您の論に照らせば、必定に甚だ大なる陰影ありて、月は太陽と相冲の位置に處り、何を憑ってなほ光あるを得んや。劉智答えていう。陰は陽に朝向する一面を含んで明を生じ、必ずしも陽光の直接それに照到するを要せず。陰陽は彼此感應す。清明のは光を接受し、寒冷のは溫を接受し、通道なくしても能く相通じ、相隔たること遠くとも能く相應ず。ゆえに山石一觸して雲氣涌出するは、あれは水氣相通ずるの故なり。彼此相向すれば便ち相及ぶことを得、再び遠くとも到り得、再び隔たるとも塞ぐべからず。月は至清の質にして、陽の光輝を承受す。天體の圓なるに由りて、月面の朝向あるいは背向・側著あるいは正著は各々同じからず。これがすなわち明と魄の形成の道理なり。陰陽は互相承接し、此れ盛んなれば彼れ衰え、ゆえに日月のあいだに爭明の現象あり。太陽光弱きとき、白晝にも能く星月を見ることを得。假使ただ形體と光の互相照射のみにして、而して互相牽引承受の氣あらざれば、則ち應に陽盛きとき陰の明もまた盛んに、陽衰るとき陰の明もまた衰うべし。今この兩者の差異は、便ち產生するに從うべからざるなり。
後魏太史令晁崇,修渾儀以觀星象。按其儀以永興四年歲次困敦創造,傳至後魏末,入齊往周,隨至於大唐。歷年久遠,儀蓋日以傾墜。太史者,歷正也。
後魏の太史令晁崇は、渾儀を修造してもって星象を觀測せり。查するにこの具の儀器は永興四年・歳次困敦(子年)のあの年に創制せられ、一直に流傳して後魏の末年に至り、後來北齊に入り、また轉じて北周に歸し、隨って大唐に傳われり。年代久遠にして、儀器の頂蓋は日々に傾斜墜損せり。所謂「太史」とは、すなわち曆法を掌管する正官なり。
自景雲三年奉敕重令修造,使銀青光祿大夫、檢校將作少監楊務廉;與銀青光禪大夫、行太史令瞿曇悉達;正議大夫、行太史令李仙宗;試太史令殷知易;荊州都督兼秘書監、兼右衛率薛玉;銀青光祿大夫、檢校秘書監吳師道;正議大夫、行秘書少監閻朝隱等,首末共營,各盡其思。至先天二年,歲次赤備若,成其銘曰:“周天三萬七千里,分寸無敗;成歲三百六十日,盈縮有期。敬之敬之,以授人時。”今史司見用測候。
景雲三年に詔を奉じて重ねて修造するより、銀青光祿大夫・檢校將作少監楊務廉、銀青光祿大夫・行太史令瞿曇悉達、正議大夫・行太史令李仙宗、試太史令殷知易、荊州都督兼祕書監・兼右衛率薛玉、銀青光祿大夫・檢校祕書監吳師道、正議大夫・行祕書少監閻朝隱などの人を派し、頭より尾に至るまで共同に經營し、各々その智思を盡くせり。先天二年・歳次赤奮若(丑年)に至り、この具の儀器を造成せり。刻する所の銘文にいう、「周天三萬七千里、分寸毫厘差あらず。一歳三百六十日を成し、盈縮自ら定期あり。恭敬なるかな恭敬、これをもって百姓に時令を頒授せん」と。今史官衙署はまさにこれを用いて候驗を觀測す。
守太子率更令何承天《論渾象體》曰:“詳尋前說,因觀渾儀,研求其意。有悟天形正圓,而水居其半。地中高處卑,水周其下。言四方者,東曰暘谷,日之所出。西日濛汜,日之所入。莊子又云:‘北溟有魚,化而為鳥,將徒於南溟。’斯亦古之遺記,四方皆水證也。
守太子率更令何承天は《論渾象體》の中にいう。仔細に前人の説法を尋繹し、また渾儀に對して觀察し、其中の道理を研求して、よって天の形體の正圓にして、而して水はその半分を占むるを領悟せり。大地は中間高く四周低く、水はその下面を環繞す。四方を講ずれば、東邊を「暘谷」と呼び、太陽の昇起する所なり。西邊を「蒙汜」と呼び、太陽の落下する所なり。《莊子》はまたいう、「北海に一條の魚あり、鳥に變化して、將に南海に遷徙せんとす」と。これもまた古代の留する所の記載にして、四方みな水なるを證明するに足る。
四方皆水,謂之四海。凡五行相生,水生於金;是故百川發源,皆自山出,由高趨下,歸注於海。日為陽精,光曜炎熾,一夜入水,所以焦竭。百川歸注,足以相補。故旱不為減,浸不為增。”
四方みな水なれば、便ちこれを「四海」と呼ぶ。五行相生の道理に按ずれば、水は金より生ず。ゆえに百川の發源は、みな山中より流出し、高處より低處に趨向し、最後に海に歸注す。太陽は陽の精華にして光焰熾烈、一夜に到れば便ち水中に沒入し、よって海水を烤りて焦干耗損せしむ。而して百川は斷えず歸注して、足りて失する所を補足す。ゆえに大旱の年にも海水の減少を見ず、久涝の年にも海水の增多を見ず。
又云:“周天三百六十五度三百四分之七十五。天常西轉一日一夜過周一度。南北二極,相去一百一十六度三百四分度之六十五強,即天徑也。黃道斜帶赤道,春分交於奎七度,秋分交於軫十五度,冬至斗十四度半強,夏至井十六度半弱。從北極抉天而南五十五度強,則居天四維之中最高處也,即天頂也。其下即地中也。”自外與王蕃大同。
何承天はまたいう。周天は三百六十五度又三百四分の七十五なり。天はつねに西に向かって旋轉し、一晝一夜に一度多く轉ず。南北二極の相距るは一百十六度又三百四分の六十五やや多く、これがすなわち天の直徑なり。黃道は斜めに赤道を束ね、春分は奎宿七度に交わり、秋分は軫宿十五度に交わり、冬至は斗宿十四度半余りにあり、夏至は井宿十六度半弱にあり。北極より天穹を穿りて南に向かって五十五度余り量れば、あそこはすなわち天球四維の中で最も高き處、すなわち天頂なり。その正下方は、すなわち大地の中心なり。このほかの説法は王蕃と大体相同じ。
徐爰《宋書》云:“元嘉十三年有詔太史令錢樂之,依舊說鑄渾天銅儀。徑六尺八分,周一丈八尺二寸六分。地在天內,立黃、赤二道、南、北二極,規佈列二十八宿、北斗、極星。五分為一度,置日、月、五星於黃道之上。置立漏刻,以水轉儀,昏明中星,與天相符。
徐爰《宋書》にいう。元嘉十三年、朝廷は詔を下して太史令錢樂之に命じ、舊説に依って渾天銅儀を鑄造せしめたり。直徑六尺八分、周長一丈八尺二寸六分。地を天の裏面に放ち、黃道・赤道の兩道と南極・北極の兩極を立て、規圈に依って二十八宿・北斗と極星を羅列す。五分の長をもって一度と為し、日月五星を黃道上に安置す。また漏刻を設置し、水力をもって儀器を帶動して旋轉せしめ、黃昏と平旦に南中天の星は、みな實際の天象と相符せり。
到十七年,又被敕作小渾天。徑二尺二寸,周六尺六寸。二分為一度,二十八宿、中外宮星備具,以白色珠及青黃三色珠為三家星。日、月、五星悉居黃道。”
元嘉十七年に至り、錢樂之はまた敕を奉じて小渾天を製作せり。直徑二尺二寸、周長六尺六寸。二分の長をもって一度と為し、二十八宿および中官・外官の星はみな齊備し、白色の珠子と青・黃など三種の顏色の珠子を用いて、分別して石申・甘德・巫咸の三家の定めたる星を代表せしめたり。日月五星は全て黃道上に安放せり。
梁奉朝請祖暅《渾天論》曰:“自古論天者多矣,而群氏紛紜,互相非毀。竊覽同異,稽之典經。仰觀辰極,傍矚四維。睹日、月之升降,察五星之見狀。校之以儀象,覆之以晷漏。則渾天之理,信而有徵。輒遺眾說附渾儀雲《考靈曜》,先儒求得天地相去十七萬八千五百里,以晷景驗之,失之於過多。既不顯求之術,而虛設其數,蓋誇誕之辭,非聖人之旨也。學者多因其說,而未之革,豈不知尋其理歟?抑未能求其數故也。
梁の奉朝請祖暅は《渾天論》の中にいう。自古以來天體を議論する人甚だ多く、各家紛紜一致せず、互相攻訐詆毀す。私は竊かに各家の異同を遍覽し、經典を用いて稽考し、頭を擡げて北辰天極を觀察し、旁ら四方を視て、日月の昇起降落を看、五星の出没の形狀を察し、儀象を用いて校驗し、晷影漏刻を用いて覆核すれば、則ち渾天の道理は確かに信じるべくして徵驗あり。そこで衆説を撇開し、專ら渾儀に就いて講ず。讖緯書《尚書考靈曜》および前代の儒者の推得る天地相距十七萬八千五百里は、日影をもって檢驗すれば、過多を失す。彼らはすでにこの數を求得る算法を明示せんと肯んぜず、また憑空にこの數字を設出せり。あれは不過夸大虛誕の辭にして、聖人の本意にあらざるなり。後來の學者は多くこの説法に沿襲して改正を加えず。豈に其中の道理を尋求するを懂得せざらんや。恐らくはあの數を求め得ざるの故ならん。
王蕃所考校之前說,不啻減半。雖非揆格所知而求之以理,誠未能遙趣其實,蓋近密乎。輒因王蕃天高數以求冬至、春分日高,及南戴日下去地中數法;令表高八尺與冬至景長一丈三尺各自乘並而開方除之為法,天高乘表高為實,實如法;得四萬二千六百五十八里有奇,即冬至日高也。以天高乘冬至景長為實,實如法;得六萬九千三百二十里有奇,即冬至南戴日下去地中數也。
王蕃の考訂する所の數目は前人の舊説より半分を減ずるに止まらず。揆度推格の完全に知曉し得る所にあらざるといえども、道理に按じて求むれば、雖にいえどもなほ遠く實情に逼近すること能わざるも、大概は總じて比較的精密に接近すると算うべし。私はここに王蕃の定めたる天高の數目に依って、冬至・春分のときの太陽の高度および太陽の正下に當る地の地中を距る里數を求めんとす。算法は、表高八尺と冬至影長一丈三尺を各々平方し、相加えたる後に平方を開きて、除數と為す。天高を用いて表高に乘じて被除數と為し、被除數は除數に照らして除せば、四萬二千六百五十八里余りを得。これすなわち冬至の太陽の高度なり。さらに天高を用いて冬至影長に乘じて被除數と作り、除數に照らして除せば、六萬九千三百二十里余りを得。これすなわち冬至のとき太陽の正下に當る地の地中を距る里數なり。
求春秋分數法,令表高及春秋分景長五尺三寸九分各自乘,並而開方除之為法;因冬至日高實而以法除之,得六萬七千五百二里有奇,即春秋分日高也。以天高乘春秋分景長實,實如法而一,得四萬五千四百七十九里有奇,即春秋分南戴日下去地中數也。南戴日下,所謂丹穴也。
春分・秋分の數目を求める算法は、表高と春秋分影長五尺三寸九分を各々平方し、相加えたる後に平方を開きて除數と為す。冬至日高を求むるときの被除數を沿用し、この除數を用いて除せば、六萬七千五百二里余りを得。これすなわち春秋分の太陽の高度なり。さらに天高を用いて春秋分影長に乘じて被除數と作り、除數に照らして一を除得れば、四萬五千四百七十九里余りを得。これすなわち春秋分のとき太陽の正下に當る地の地中を距る里數なり。所謂太陽の正下に當るの地とは、すなわち古書のいう所の「丹穴」なり。
推北極裡數法;夜於地中表南傳地遙望北辰細星之末,令與端參合,以人目去表數及表高各自乘,並而開方除之為法,天高乘表高數為實,實如法而一,即北極細星高地數也。天高乘人目去表為實,實如法;即去北辰極下之數也。北戴斗極為空桐,日去赤道表裡二十四度,遠寒近暑而中和。
北極里數を推算する算法は、夜に地中に立つる所の表の南邊に在り、地面に沿って北辰細星の末端を遠望し、視線を表端と相參合せしむ。人眼より表に至る距離と表高を各々平方し、相加えたる後に平方を開きて除數と為す。天高を用いて表高に乘じて被除數と作り、除數に照らして一を除得れば、すなわち北極細星の地を距る高度なり。さらに天高を用いて人眼より表に至る距離に乘じて被除數と作り、除數に照らして除せば、すなわち北辰極の正下方あの一點に到る距離なり。北斗・北極を正頂くあの片の地方を「空桐」と呼ぶ。太陽は赤道内外に出入すること各々二十四度、離るること遠ければ寒冷に、離るること近ければ暑熱に、居中なれば寒暑調和す。
二分之日,去天頂三十六度,日去地中,冬、夏、春、秋、晨、昏、晝、夜,皆同度也。而有寒暑者,地氣上騰,天氣下降故遠日下而寒,近日下而寒,非有遠近也。猶火居上,雖遠而炎;在旁,雖近而微。視日,在旁而大,居上而小者,仰矚為難,平視為易也。由視有夷險,非遠近之效也。今懸殊於百仞之上,或置之於百仞之前,從而觀之,則大小殊矣。先儒弗斯取驗取給,用繁翰墨,夷途頓轡,雄辭折辯,不亦迂哉。
二分の日に太陽は天頂より三十六度を距る。太陽の地中に距るは、冬・夏・春・秋を論わず、清晨・黃昏・白晝・黑夜を論わず、度數はみな一樣である。しかるに仍然として寒あり暑あるは、地氣が上騰し天氣が下降するの故なり。太陽の正下を離るること遠き處は便ち冷え、太陽の正下に近き處は便ち熱し(底本の下の一「寒」の字は「暑」と作るべし)、太陽が本身遠あり近ありにあらず。譬えば火が頭頂の上にあれば、遠しといえども炎熱を覺え、火が旁邊にあれば、近しといえども反って微弱を覺ゆ。太陽を看るに、旁邊にあって地平に靠近するとき大きく顯れ、頭頂に昇るとき小さく顯れるは、仰頭して看れば費力し平視すれば省力する、視看の難易が造り出したにして、遠近の效驗にあらざるなり。今一件の物を百仞の上に高懸し、あるいは百仞の前に擺して、走りて之を看れば、大小は便ち同じからずと顯る。前代の儒者はここより驗を取り就近して解を求めず、卻って大いに筆墨を費やし、平坦の路上で馬頭を勒し、雄辯の辭を用いて爭辯す。迂闊なること甚だしきにあらざるか。
今大寒在冬至後二氣者,寒積而未消也。大暑在夏至後二氣者,暑積而未歇也。寒暑均和乃在春秋分後二氣者,寒暑積而未平也。譬之火始下室,而未甚溫,弗事加薪,久而愈熾,既已遷之,猶有餘熱也。月行有中道,有陰道,有陽道。
今大寒は冬至以後の兩個の節氣に落つ。あれは寒は寒氣の積累して未だ消散せざるなり。大暑は夏至以後の兩個の節氣に落つ。あれは暑氣の積累して未だ歇止せざるなり。寒暑の均平調和は春分・秋分以後の兩個の節氣に落つ。あれは寒暑の積累して未だ平復せざるなり。これは譬えば火が剛く屋裏に生じて、なほ甚だ暖かならず、もし斷えず柴を添えば、時間久しければいよいよ熾熱なり。火を移去るに及んで、屋裏は仍然餘熱を留む。月の運行に中道あり、陰道あり、陽道あり。
如姜岌說《周髀》云:‘日徑千二百五十里。’蓋天乖謬,已詳前識,無足採焉。以渾象言之,失於過大矣。張衡日、月其徑,當周天七百三十六分之一,地廣二百四十二分之一。按此而論,天周分數圓周率也。廣分數圓徑率也。以八約之,得周率九十二,徑率二十九;其率傷於周多徑少,衡之疏也。
姜岌の引く所の《周髀》の「太陽の直徑は一千二百五十里」と謂うに至っては、蓋天の説の乖謬は前面すでに辨析明白にして、採信するに値せず。渾象に就いて講ずれば、この數は過大を失す。張衡は日月の直徑は應に周天の七百三十六分の一・大地の闊度の二百四十二分の一たるべしと説く。これに按じて論ずれば、周天の分數はすなわち圓周率、闊度の分數はすなわち圓徑率なり。八を用いて約簡すれば、周率九十二・徑率二十九を得。この比率の毛病は周の多すぎて徑の少なすぎるにあり、張衡の疏失なり。
衡以日月之徑居一度之半,又言八極之維徑二億三萬二千三百里。既非考定日月徑又不明其理,飾辭華說,不足窮= 者也。望日月法,立於地中,以人目屬徑寸之管而望日月,令日月大滿管孔;及定管長,以管徑乘天高,管長除之,即日月徑也。
張衡は日月の直徑は一度の半分を占むと認め、また八極四維の直徑は二億三萬二千三百里と謂う。彼はすでに日月の眞實の直徑を考定せず、また其中の道理を講じ清らかにせず、ただ華麗の辭藻を用いて文飾を加うるに、事理を窮究するに足らず(この句の底本に訛字を夾む)。日月を測望する方法は、地中に立ち、眼睛を一條の内徑一寸の管子に貼住して日月を望み、日月をちょうど管孔に充滿せしむ。然る後管長を量定し、管徑を用いて天高に乘じ、さらに管長を用いて除せば、所得はすなわち日月の直徑なり。
月,陰精也。其形圓,其質稟日之光而見。其體日光不照則謂之魄。故月望之日,日月相望,人居其間,盡觀其質,故形圓也。二絃之日,日照其側,人觀其旁,故半魄半明也。晦逆之日,月照其表,人在其裡,故形不見。舊說日月半魄半明也。晦朔之日,月照其表,人在其裡,故形不見。舊說日月行九道,斯蓋未究月行之變,而假為其說。
月は陰の精華にして形狀渾圓、その質體は日光を承受して見られんことを要す。形體上に日光の照到せざる部分を便ち「魄」と呼ぶ。ゆえに望日のあの日に日月相對し、人は兩者の中間に處り、それが光を受くる一面を完全に見到すれば、ゆえに形狀は圓なり。上下弦のあの兩日は、太陽はその側面を照らし、人は旁邊より看れば、ゆえに半魄半明を呈現す。晦朔の日は、月の光を受くる一面は外に朝って人に背き、人はその暗面の一側にあり、ゆえにその形體を見る能わず。(底本は「舊説日月半魄半明也」以下數句重出す。今錄に照らして刪らず。)舊説は日月の運行に九道ありと講ず。あれは未だかつて月行變化の實情を推究せずして假立した説法なり。
謹按:著作郎張東對三道九行曰:‘按《漢天文志》:日有三道,月有九行者,謂日、月行黃道,為得其正,或行黃道外,或行黃道內,內、外及正行,因名三道。故曰:房有四表三道。日、月經房星南門即為旱,經房星北門即為水。日有三道者,但內外差及正行之道也。
謹んで按ず。著作郎張東は「三道九行」に關する提問に回答していう。《漢書・天文志》に據れば、太陽に三道あり月に九行ありとは、日月が黃道上に行けば走行端正と算し、或いは黃道の外に行き、或いは黃道の内に行くを謂う。内・外に正行を加えれば、よって三道と呼ぶ。だから房宿に四表三道ありと説く。日月が房宿南邊の門を經過すれば便ち旱を主とし、房宿北邊の門を經過すれば便ち水を主とす。所謂太陽に三道ありとは、ただ内外の偏差に正行の道を加えたのみなり。
月有九行,謂青道二,出於黃道東;赤道二,出於黃道南;白道二,出在黃道西;黑道二,出於黃道東;赤道二,出於黃道南;白道二,出在黃道西;黑道二,出在黃道北。故鄭玄注《月令》,立春、春分,日行青道,月為之佐;立夏、夏至,日行赤道,月為之佐;立秋、秋分,日行白道,月為之佐;立冬、冬至,日行黑道,月為之佐。
月に九行ありとは、青道二條、黃道の東より出で、赤道二條、黃道の南より出で、白道二條、黃道の西より出で、黑道二條、黃道の北より出ず(底本は「黑道二、出於黃道東」以下數句重出して並びに訛字あり。今錄に照らす)。だから鄭玄の《禮記・月令》を注するにいう。立春・春分に太陽は青道を行き、月はそれが輔佐を為す。立夏・夏至に太陽は赤道を行き、月はそれが輔佐を為す。立秋・秋分に太陽は白道を行き、月はそれが輔佐を為す。立冬・冬至に太陽は黑道を行き、月はそれが輔佐を為す。
故月之九行,非為黃道外別有九道,交橫綿絡,貫於躔舍,但為日月,既為動物,不能不小有盈縮,或行黃道內外。又按:日、月以立春合宿在營室,即北方之星,色當言黑。春分合宿在奎,奎為西方之宿,色當言白。而鄭云:立春、春風,日行青道者,考以歲起於春,春在東方,東方色青,故起青號。
ゆえに月の九行は、黃道の外に別に九條の道路ありて交橫綿絡し、日月の經る所の宿次を貫穿するにあらず。ただ日月はみな運動の物にして、些微の盈縮あること能わざれば、或いは黃道の内に行き、或いは黃道の外に行くのみによるなり。また按ず。日月は立春に營室宿に會合し、營室は北方の星にして、顏色は本當に黑と説くべし。春分に奎宿に會合し、奎は西方の宿にして、顏色は本當に白と説くべし。然るに鄭玄は卻って立春・春分に太陽は青道を行くと謂う。あれは一年の春に起り、春は東方にあり、東方の色は青を為すを考慮して、ゆえに便ち青字を用いて標名と為したるなり。
南、西及北,三方準此方,故日、月共有三道,實無九行。但以因八節之差,順四時之色,曲為九名,故月行言九;直舉其實,故日道稱三;三道九行,其義一也。則夫日之三道,躔於二十八宿,月之九行,經於八節也。
南方・西方と北方のこの三方もまたこの辦法に照らして比擬す。ゆえに日月は實に三道あるのみにして、眞正の九行あるにあらず。ただ八節の推移に隨って差別あり、四時の顏色に順い、曲折して九個の名目を立出するが故に、ゆえに月行九ありと説く。直截にその實情を講ずれば、ゆえに日道は三と稱す。三道と九行は、その義理はもともと一回事なり。このように見れば、太陽の三道は二十八宿の間に行き、月の九行は則ち八個の節氣に分配せらる。
染武帝支:‘自故以來,談天者多矣,皆是不識天象,各隨意造;家執所說,人著異見,非直毫釐之差,蓋實千里之謬。戴盆而望,安能見天,譬猶宅蝸牛之角,而欲論天之廣狹;懷蚌螺之南寧,而欲測海之多少;此可謂不知量矣。
梁の武帝はいう(底本の「染武帝支」の四字は「梁武帝云」の訛なり)。自古以來、天を談ずる人甚だ多く、みな天象を認識せずして各々己意に憑って編造す。每家は自己の説法を守り、人人は別に異見を立て、これは毫厘の差のみならず、實に千里の謬なり。頭上に盆子を頂いて天を望まば、どうして天を見得んや。譬えば蝸牛角の上に住して天の廣狹を議論せんと欲し、蚌殼瓢勺のあの點の容量を懷いて海水の多少を測量せんと欲するがごとし。これは自ら量らずと謂うべし。
《繫辭》云:“易有太極,是生兩儀。’元氣已分,天地設位。清浮升乎上,沈濁居乎下。陰陽以之而變化,寒暑用此而相推。辨尊卑貴賤之道,正內外男女之位。在天成象,三辰顯曜;在地成形,五雲布澤。斯昏明於晝夜,榮落於春秋。大聖之所經綸,以合三才之道;
《周易・繫辭》にいう。「易に太極あり、太極は兩儀を生出す」と。元氣が分判した後、天地は各々その位に就く。清く輕きは浮升して上にあり、濁く重きは沈降して下にあり。陰陽はこれより變化し、寒暑はこれより更替し、尊卑貴賤の道はこれより辨明し、内外男女の位はこれより端正す。天上に物象を凝成し、日月星の三辰は光耀を顯出す。地上に……
清浮之氣,升而為天,天以妙氣為妙氣之體,廣遠為量。彌覆無所不周,運行來住不息。一晝一夜,圓轉一周。張覆之廣,莫能際其邊際。運行之妙,無有見其始終。不可以度數而知,不可以形象而譬。此天之大體也。沈濁之氣,下凝為地。地以土水為質,廣厚為體,邊際遠近,亦不可知。質常安伏,寂然不動。山嶽水海,育載萬物,此地之大體也。
清く輕き氣は上昇して天と成る。天は精妙の氣をもって體と為し、廣遠をもって量度と為し、彌漫覆蓋して周らざるなく、運行往來して停息せず、一晝一夜に圓轉一周す。それが覆蓋を張る廣大は、人にしてその邊際を窮盡すること能わざるあり。それが運行の精妙は、人にしてその始終を見たることなし。すでに度數をもって測知する能わず、また形象をもって比擬する能わず。これがすなわち天の大體なり。濁く重き氣は下に凝って地と成る。地は土と水をもって質と為し、廣厚をもって體と為し、邊際の遠近は同じく知るべからず。その質體は安伏恒常にして寂然動かず、山嶽江海は萬物を化育承載す。これがすなわち地の大體なり。
天地之間,別有升降之氣,資始資生,以成萬物。《易》曰:‘大哉乾元,萬物資始;大載坤元,萬物資生。’資始之氣,能始萬物,一動一靜。或此乃天之別用,非即地之形體。資生之氣,能生萬物,一翕一闢,或此亦地之別用非即地之形體。
天地のあいだに、別に一種の昇降の氣あり。一面は萬物の開端を資助し、一面は萬物の生長を資助して、もって萬物を成就す。《周易》にいう、「偉大なるかな乾元、萬物はこれに依って始まる。廣大なるかな坤元、萬物はこれに依って生ず」と。資始の氣は萬物を開啓すること能く、一動一靜す。あるいはこれは天の別の一種の作用にして、並びに天地の形體本身にあらざるならん。資生の氣は萬物を生長すること能く、一合一開す。あるいはこれもまた地の別の一種の作用にして、並びに地の形體本身にあらざるならん。
四大海之外,有金剛山,一名鐵圍山。金剛山北,又有黑山。日月循山而轉周廻四面,一晝一夜,圍繞環匝。於南則現,在北則隱,冬則陽降而下,夏則陽升而高。高則日長,下則日短。寒暑昏明,皆由此作。夏則陽升,故日高而出山之道遠。冬則陽降,故日下而出山之道促。出山遠則日長,出山促則日短。二分則合高下之中,故半隱半見,所以晝夜均等,無有所短。
四大海の外に、一座の金剛山あり、またの名を鐵圍山という。金剛山の北面に、また一座の黑山あり。日月は山に沿って轉動し、四面を環繞し、一晝一夜に繞行一周す。南に轉ずれば便ち顯現し、北に轉ずれば便ち隱沒す。冬は陽氣下降して位置低く、夏は陽氣上昇して位置高し。位置高ければ白晝長く、位置低ければ白晝短く、寒暑昏明はみなこれより產生す。夏は陽氣上昇し、ゆえに太陽高くして出山の經る所の路遠し。冬は陽氣下降し、ゆえに太陽低くして出山の經る所の路短し。出山の路遠ければ白晝長く、出山の路短ければ白晝短し。二分の日は恰好高低の中に當り、ゆえに山は半隱半現し、これに因って晝夜は均等にして、いずれの一邊も偏短なることなし。
日照於南,故南方之氣燠。日隱在北,故北方之氣寒。南方所以常溫者,冬月日近南而下,故雖冬而猶溫。夏則日近北而高,故雖夏猶不熱。北方所以以常寒者,日行繞黑山之南,日光常自不照,積陰所聚,熏氣遠及,無冬無夏,所以常寒。故北風則寒,南風則暖。一歲之中,則日夏升而冬降;一日一夜,則晝見而夜隱。
太陽は南邊を照らし、ゆえに南方の氣は溫暖なり。太陽は北邊に隱れ、ゆえに北方の氣は寒冷なり。南方の常年溫暖なる所以は、冬月に太陽が南に靠って位置低く、ゆえに冬に在るといえども仍然溫暖なり。夏に太陽が北に靠って位置高く、ゆえに夏に在るといえども酷熱せず。北方の常年寒冷なる所以は、太陽の繞行が黑山の南邊にあって、日光は終始照り過ぎず、積陰聚集して寒氣は熏染遠播し、冬夏を論わずみなこのようの故に、ゆえに常寒なり。これに因って北風起れば便ち冷え、南風起れば便ち暖む。一年の中に、太陽は夏に昇高し冬に降低す。一晝一夜の中に、太陽は白日に顯現し夜に隱沒す。
黑山之峰正當北極之南,故夏日雖高,而不能不至寅而現,又至戌而隱。春秋分則居高下中,朝至金剛山之外,雖與山平,而去山猶遠,故為金剛所障,日未能出,須至卯然後乃現;西方亦復如是。冬則轉下。所隱亦多,朝至於辰則出金剛之上,夕至於申則入金剛之下,金剛四面略齊,黑山在北;當北彌峻,東西連峰,近前轉下,所以日在北而隱,在南而現。
黑山の峰頂はまさに北極の南面に當り、ゆえに夏の太陽は位置高しといえども、なほ寅時に至って出現し、戌時に到れば便ち隱沒す。春分・秋分に太陽は高低の中に居り、早晨に金剛山の外に轉じ、すでに山と齊平なるといえども、山を距ることなほ遠し。よって金剛山に遮擋されて、太陽はなほ出來せず、必ず卯時に至って然る後に顯現せねばならず。西邊の落山の情形もまたこのよう。冬に太陽は轉ずることいよいよ低く、遮住せらる部分もいよいよ多し。早晨は辰時に至って金剛山の上に升出し、傍晚は申時に到れば金剛山の下に落入す。金剛山は四面大体齊平にして、黑山は北邊にあり、いよいよ北に往けばいよいよ高峻なり。東西兩側は峰巒相連し、前面に靠近すれば次第に低く下去す。ゆえに太陽は北に轉ずれば便ち隱沒し、南に轉ずれば便ち顯現す。
夫人目所望,至遠則極,二山雖有高下,皆不能見。三辰之體,理繫陰陽,或升或降,隨時而動。至於天氣清妙,無所不周,雖自運動無間,日月星辰遲疾各異,晷度多少不繫乎天。金剛自近天之南,黑山則近天之北極,雖於金剛為偏,而南北為一。
人の眼睛の望み得る所は、極遠に到れば便ち到頭なり。あの兩座の山は高低の別あるといえども、みな望見せざる所なり。日月星の三辰の形體は、道理上陰陽に係屬し、或いは升或いは降、時に隨って動く。天氣の清妙は周らざるなきに至りては、自身運轉して停まらざるといえども、日月星辰は各々遲疾の別あり、晷影度數の多少は天に取決せざるなり。金剛山はもともと天の南邊に靠近し、黑山は則ち天の北極に靠近す。金剛山に對して言えば一邊に偏するといえども、南北一貫に就いて言えば則ち同一條理なり。
制旨解釋云:‘金剛山自近天之南,黑山則近天之北極,準於金剛為偏,而於南北為一。令上林館學士虞劇穎,上林館倪徽仁、劉文道等,算其度數,開列於後。’臣履等謹奉依敕旨推按曆法表景知長短之差,日行南北之道;旁考經紀,近較目前,莫不事事符合,昭然可見。謹略條度數如左:
《制旨》の解釋にいう。金剛山はもともと天の南邊に靠近し、黑山は則ち天の北極に靠近す。金剛山に比照して言えば偏なりとす。而して南北に就いて言えば則ち一貫なり。上林館學士虞劇穎、および上林館の倪徽仁・劉文道などの人に著令して、その度數を推算し、後に開列せしめたり。臣虞履などは謹んで詔旨を奉じて、曆法を推按し、表影に憑って日影長短の差別と太陽南北運行の路徑を知り、旁ら經典綱紀を考え、近く眼前實測に比對して、事毎に符合せざるなく、昭然として見ゆべし。謹んで度數を簡要に條列して下のごとくす。
日道圓周三百六十五度,分為十二辰,辰三十度半。春秋分出卯入酉,冬至則出辰入申,夏至則出寅入戌,春秋分出卯中左右十五度,冬至日出卯南,去卯中二十四度,則是侵辰九度。夏至日出卯北,去卯中亦二十四度,則是侵寅九度。春分日入酉,左右亦各十五度。冬至日入酉南,去酉中二十四度,是侵申九度。夏至日入酉北,去酉中亦二十四度,是侵戌九度。
太陽の行く所の道の圓周は合わせて三百六十五度、分かちて十二辰と為し、每辰三十度半。春分・秋分は卯位より昇起し酉位に落下し、冬至は則ち辰位より昇起し申位に落下し、夏至は則ち寅位より昇起し戌位に落下す。春分・秋分は卯位正中の左右各十五度以内に出づ。冬至に太陽は卯位の南に出で、卯位正中を距ること二十四度、すなわち辰位に侵入すること九度。夏至に太陽は卯位の北に出で、卯位正中を距ることもまた二十四度、すなわち寅位に侵入すること九度。春分に太陽は酉位に落ち、左右もまた各十五度。冬至に太陽は酉位の南に落ち、酉位正中を距ること二十四度、これは申位に侵入すること九度。夏至に太陽は酉位の北に落ち、酉位正中を距ることもまた二十四度、これは戌位に侵入すること九度。
北極璇璣玉衡,上當天之北五十五度,北去黑山頂三十六度。夏至日在天南十二度。春秋分日在天南三十六度。冬至日中,日在天南五十度。冬至日中,日去金剛南三十度。梁武說云:‘四大海,外有金剛山,一名鐵圍山,山北又有黑山。虞履等又以璇璣玉衡在人之北五十五度,北去黑山三十六度。或曰:瞻星望月,蓋不及渾;度景量天,渾不及蓋。竊較醚之笠之,末盡天體之頤;而候之測之,才窮推出之妙。”
北極璇璣玉衡は、上に向かってまさに天の北方五十五度に當り、北に向かって黑山頂を距ること三十六度。夏至に太陽は天の南方十二度にあり。春分・秋分に太陽は天の南方三十六度にあり。冬至日中に太陽は天の南方五十度にあり。冬至日中に太陽は金剛山の南を距ること三十度。梁の武帝はいう、四大海の外に金剛山あり、またの名を鐵圍山とし、山の北面にまた黑山ありと。虞履などはまた璇璣玉衡は人の北面五十五度にあり、北に向かって黑山を距ること三十六度と認む。或る人いう、星を觀て月を望むは、蓋天の法は渾天に比せざるなり。影を量りて天を測るは、渾天の法は蓋天に比せざるなりと。(末句の底本文字に訛あり。)大意は講じていう、あの斗笠のごとき蓋天の形をもって比量せば、終竟に天體の深奥を窮盡すること能わざるに、而して候望測算も、不過推步の巧妙を窮盡せるのみと。
梁人朱史《定天論》:“日一千六百七十里,周天六十萬二百三十一里,徑率求之,得十九萬四千一百六十四里,即天東西南北相去之數也。求之得九萬七千八百里,即春、秋分日天去地之數也。夏至日天去地上八萬一千三百九十四里,冬至之日為天去地上十萬六千二十里也。”
梁朝の人朱史は《定天論》の中にいう。太陽の直徑は一千六百七十里、周天は六十萬二百三十一里、徑率を用いて推求すれば、十九萬四千一百六十四里を得、これがすなわち天の東西・南北兩端相距るの數目なり。さらに推求すれば、九萬七千八百里を得、これがすなわち春分・秋分のとき天の地を距るの數目なり。夏至のこの日に天は地面を距ること八萬一千三百九十四里、冬至のこの日に天は地面を距ること十萬六千二十里。
隋掖縣丞劉焯《渾天論》曰:“璇璣玉衡,正天之呂。帝王欽若,世傳其象。漢之孝武,詳考律曆,則落下閎,鮮于妄人共所營定。逮於張衡,又尋述作。亦體制不異閎等。雖閎制莫存,而衡造有器。至吳世陸績、王蕃,並更修鑄,績小有異,蕃乃事同。宋有錢樂之,魏初晁崇等,總用銅鐵,小大有殊,規域經模,不異蕃造。
隋朝掖縣縣丞劉焯は《渾天論》の中にいう。璇璣玉衡は天象を校正する法度にして、歷代の帝王は恭敬にそれに遵循し、その形制は世々傳わる。漢の武帝は律曆を詳細に考訂すれば、便ち落下閎と鮮于妄人とありて共同に營造裁定せり。張衡に至って、また尋繹撰述を加え、體制もまた落下閎などと大きき不同なし。落下閎の造れる儀器はすでに存せざるも、張衡の造れるはなほ實物の留むるあり。吳國の世に至り、陸績・王蕃はみな重ねて修造鑄作せり。陸績の造れるは略かに差異あり、王蕃の造れるは則ち大体相同じ。劉宋に錢樂之あり、後魏初年に晁崇などあり、一概に銅鐵を用いて鑄造し、大小不同あるといえども、而して規圈區域と整體模式は、王蕃の造れると致すところなし。
觀蔡氏《月令章句》,鄭玄注《考靈曜》勢同衡法,迄今不改。焯以愚管,留情推測,見其數制,莫不違爽;失之千里,差在毫釐,大象一乖,餘何可驗。況赤黃均度,月無出入,分至所恆,定氣不別。衡分刻本差,輪!守故,其為疏謬,不可復言。
再び蔡邕の《月令章句》と鄭玄の注《尚書考靈曜》を看るに、路數はみな張衡の法と相同じ、今日に至るまで更改あることなし。我が劉焯は管窺の見をもって、用心に推測して、これらの儀器の數據と制度は違謬失實せざるなきを看出せり。千里を失して毫厘に差す。天象の大格局は一旦乖錯せば、其餘はまた何の驗證かあらん。何を況んや赤道・黃道は度數を均分し、月は出入なしと説かれ、二分二至は死に定められ移らず、定氣もまた分別を加えず。玉衡の分刻はもともと偏差ありて、而して輪環は仍然舊樣に照らす(底本のここに訛字を夾む)。その疏漏謬誤は、實に再び説くこと能わざるなり。
亦既由理不明,致使眾家問出,蓋及宣夜,三說並驅,平昕安穹,四天騰沸。至當不二,理惟一揆,豈容天體七種殊說,又漏景去極,就渾可推,百骸共體,本非異物。此真已驗,彼偽自彰。豈朗日未輝而爝火不息;理有而闕,詎不可悲者也。
まさに天體の理の講じ明白ならざるがゆえに、始めて各家の爭相立説を招來す。蓋天・宣夜と渾天の三種の主張は並行競逐し、此外にまた平天・昕天・安天・穹天の四家が一齊に鼓噪す。天地間の最も恰當なる道理は一個あるのみにして、衡量の準繩もまた一條あるべきのみにして、どうして天體に關する七種の互相抵牾の説法を容せんや。何を況んや漏刻を用いて時を計り、日影を用いて北極出地の高度を測定する、これらはみな渾天の模型に依って推算出來す。ちょうど人の百骸が同じく一身に屬するがごとく、天象と算法はもともと兩回事にあらず。渾天はすでに實測驗證に眞と為せられ、其餘各家の虛妄は自然に顯露出ず。豈に明晃晃の太陽すでに昇起して、而して小小の火把はなほ熄滅せんと肯んぜざるの道理あらんや。正確の道理は明明としてそこに擺在して、然るに擱置して用いらざるは、豈に人を痛心せしめざらんや。
昔蔡伯喈自朔方上書曰:以八尺之儀,度知天地之象。古有器而無其書,常欲寢伏儀下,案度在數,而為立說。伯喈以負罪朔方,書奏不許。伯喈若蒙許,亦必不能。伯喈才不逾張衡,衡本豈有遺思也。則有器無書,觀不能悟。焯今立術,改正舊渾,又以二至之景,定去極晷漏,並天地高遠。星辰運周,所宗有本,皆有其率,祛今賢之巨惑,稽往哲之群疑。豁若雲披,朗如霧散。為之錯綜,數卷已成。待得景左,謹更啟送。
當年蔡邕(字伯喈)は流放地朔方より朝廷に上書していう。一具の八尺高き渾天儀に憑れば、便ち天地の形狀を測知し得べし。自古以來儀器あるのみにして儀器を講解する著作なし。彼は甚だ日夜に渾儀の下に守伏し、刻度に按じ實測數據に依據して、それのために一套の學説を寫出せんことを欲せり。蔡邕は當時罪を獲て朔方に謫居し、奏章は遞上去するも朝廷は批准せざるなり。其實たとえ准ぜりとも、彼は必ずしも寫成らず。蔡邕の才具は張衡を超過せざるに、張衡は豈に想到すべきを留めて想わざりけんや。これによって儀器あるのみにして解説の書なきは、單に觀測に靠りても道理を悟り出づべからざるを見る。我が劉焯は今別に一套の算法を立て、舊有の渾天推歩を訂正し、また冬至・夏至兩日の日影に依據して、北極出地の度數と晝夜漏刻の長短、および天地のあいだの高低遠近を測定す。星辰の運行一周の規律は、みな各々本する所有り、みな相應の行度常數を給出し得、足りて當今學者の大疑惑を解開し、前代先哲の留めたる種種の猜疑を考定するに足り、雲を撥きて日を見・霧散りて天開くがごとく豁然明朗ならん。私はすでにこれらの內容を編排綜合して、數卷に寫成せり。日影の實測結果を測得するを待ちて、會して再び恭敬に呈送し上げん。
又云:周官夏至日景,尺有五寸。張衡、鄭玄、王蕃、陸績先儒等,皆以為景千里差一寸,言南戴日下,萬五千里。表景正同,天高乃異。考之算法,必為不可。寸差千里,亦無典據。明為意斷,事不可依。今交愛之州,表北無景,計無萬里,南過戴日。是千里一寸,非其實差。焯今說渾,以道為率。道里既定,得差乃審。既大聖之年,昇平之日,釐改群謬,斯正其時。請一水工,並解算術士,取河南北平地之所,可時數百里。南北使正,審時以漏,平地以繩。隨氣至分,同日度景。得其差率,裡即可知。則天地無所匿其形,辰象無所逃其數。超前顯聖,效象除疑,請勿以人廢言不用。”
劉焯はまたいう。《周禮》は夏至のあの日の日影は長さ一尺五寸を記載す。張衡・鄭玄・王蕃・陸績これらの前代學者は、みな南北相距一千里にして日影は便ち一寸を相差すと認め、これに據って太陽に正對する地點は南方一萬五千里以外にありと推出せり。しかるに各地の表影もし完全相同ならば、據って推得る天高は反って各々相同じからざらん。算法をもって一核對すれば、この説法は必定に脚を立たず。「千里一寸を差す」もまた經典の依據を尋得ず、分明に主觀臆斷に憑って定下したにして、行いを據るべからず。今交州・愛州の一帶は、八尺表の北面に根本に影子を見ず。算えるに中原を離れて並びに一萬里なく、位置はすでに太陽に正對する處を越過せり。これによって「千里一寸」は並びに眞實の差數にあらざるを見る。我が劉焯は渾天を講じ、實測の道路里程をもって標準と為す。路程すでに量定せば、日影の差數はこそ算え準ず。今まさに聖主在位・天下太平の時に當りて、これらの沿襲すでに久しき謬誤を清理訂正せば、まさに最も好き時機なり。朝廷に請うて一名の水準測量に精なる工匠を派し、さらに一位の算術に通曉する人を配し、黃河南北の平地を選取し、數百里長き一段を量出し、南北方向を筆直に校正し、漏刻を用いて時刻を核准し、繩墨を用いて地面を量平し、節氣交至あるいは交分のあの日を待ち、同一日に南北兩處に於て分別に日影を測量せん。その間の差率を求得れば、一里は多少の影長に合すれば便ち推知し得べし。このようになれば天地は便ちその形狀を隱藏するに從なく、星辰もまたその數理を逃開するに從なし。これは前人を超越し聖德を彰明し、實測天象を用いて疑惑を消除する辦法なり。私個人の故をもってこの話を廢棄して采用を加えざるを請わざるなり。
按劉焯《皇極曆》云:“凡日食,由月行黃道,體所映蔽大,較正交正如累璧,漸減則有差,在內食分多,在外無損,雖外全而月下,內損而更高。交淺則間遙,交渾則相博。或由近而不掩,因遙而蔽多,所觀之地又偏,所食之時又別。月居外道,此不見虧,月外之人,反以為食。交分正等,因在南方,冬損則多,夏虧乃少。假均冬夏,早晚又殊。處南北體則高,居東西傍而下。視有邪正,理不可一。且古史所說,本有紛互,今故推其梗概,求者知其指歸。
編者の按語は劉焯《皇極曆》を引いていう。「およそ日食は、みな月が黃道上に行到するに由る。月體の日面を遮蔽する多少は並びに一樣ならず。恰値正交のときは兩塊の玉璧の疊合するがごとし。交點次第に偏離すれば便ち差別あり。月が黃道以内に偏れば、食分は便ち多し。黃道以外に偏れば、日面は虧損を受けず。外に在るといえども日面完整なるも、月の位置は卻って低く偏り、内に在りて日面虧あるは、月の位置は反ってなお高し。交點の相距ること淺ければ、日月のあいだは便ち疏遠に顯れ、交點相合深ければ、兩者は便ち迫近相搏す。或いは靠近するに因って反って遮住せず、或いは離遠するに因って反って遮蔽すること多し。さらに觀測の地點に偏東偏西の別あるを加えて、見食の時刻もまたこれに隨って同じからず。月が黃道の外側に走れば、此地は虧缺を見ずして、他處の人は反って日食を見たり。たとえ交分完全に相等しくとも、ただ太陽が南方天區に在るに因りて、冬は虧損便ち多く、夏は虧損反って少なし。假定に冬夏兩季の條件相同ならんも、早晨と傍晚の見る所また一樣ならず。太陽が正南あるいは正北に處れば位置便ち高く、東方あるいは西方に處れば便ち地平に貼近して低し。視線に斜あり正あり、道理は一概に論ずる能わず。何を況んや古代史籍の記す所、もともと彼此紛歧ありて、今姑く大概を推出して、研求する人に其中の歸趣を知らしめん。
苟地非於陽城,皆隨所而漸異。然月食以月行虛道,暗氣所沖,日有暗氣,天有虛道,正黃道常與日對,如鏡居日下,魄曜見陰,名曰暗虛,月則食。故張衡稱:當月月食,當星星亡。雖夜半之辰,子午相對,正隔於地,值虛即虧。既月兆日光,當午更曜,時亦隔地,無廢稟明。諒以天光神秘,應感玄通。比陸績於愚凡,意天彰於靈曜。正當夜半,何害虧稟。月由虛道,表裡俱食。日之與月,體同勢等。較其食分,月盡為多。容或形差,微增虧數。疏而不漏,納要克舉。
ただ觀測地點が陽城に在らざれば、各處の見る所はみな地點の不同に隨って次第に差異あらん。月食に至っては、則ち月が「虛道」上に行到して、暗氣に冲犯せらるるに致る所致なり。太陽に暗氣あり、天上に虛道あり、黃道に正對するあの一點はつねに太陽と相對し、一面の鏡子を太陽の底下に擺するがごとし。月魄の光輝はここに到れば便ち陰影を顯出す。これを「暗虛」と呼び、月は走り入れば便ち月食を發生す。ゆえに張衡はいう、正對するは月なれば、月は便ち虧食し、正對するは恒星なれば、恒星は便ち隱沒すと。たとえ夜半の時分に於て、子位と午位は正相對し、中間は明明として大地を隔つるに、ただ月が暗虛に値遇すれば照樣に虧缺せり。すでに月は日光を承受して發亮するに、まさに午位に當れば反っていよいよ明亮なり。あのとき同じく大地を隔つるに、然るに並びにその光明を承受するを妨碍せず。想うに天上の光輝は神妙測りがたく、感應の理は幽深貫通なり。劉焯は陸績を愚昧凡庸の輩に比作するは、天意の日月星辰の上に昭彰するを意味す。まさに夜半に在りて、又何の妨げか月の虧損と受光にあらん。月が虛道を行經すれば、日面月面の内外はみな食せらるべし。太陽と月は形體相當・情勢相等し、二者の食分を比較すれば、月の全虧の情形はいよいよ多きを要す。あるいは形狀に略かに差異あるに因りて、虧缺の數值を稍や增加せん。この套の説法は粗略なるといえども疏漏に至らず、要領を抓住すれば便ち推行すべし。
議曰:月隔奩匣,鏡不生菱,地隔高天,月寧含景。竊稽諸典,比陸績於愚凡,意天彰於錄曜者,殆以虛而喻實,亦理所絕,無必求知也。凡事可依,必須取論無滯。或以當夜半,何害虧稟。日輪所照,日光所臨,何關大地。近驗應符,乃華言之飾辨,非忘私之至公。弱於德,強於辨,為後人通弊,信乎其然矣。”
評議していう。鏡子が妝奩匣子を隔てば、便ち菱花の影像を照出せず。大地が高天のあいだに橫隔すれば、月はまたどうして日光を承受すること能わんや。竊かに各家典籍を考核するに、劉焯は陸績を愚昧凡庸の輩に比作し、天意の日月星辰に昭彰するを説く。これ大概は虛玄の比擬をもって實在の事理を説明せんとするにして、理に於てすでに講じ通らず、また必ずしもそれを弄明白するを要せず。およそ據って立論し得べき道理は、必ず講じて通達にして滯碍なかるべきなり。彼はまたまさに夜半に當るに、何の妨げか虧損受光にあらんという。しかるに日輪の照らす所の範圍・日光の臨する所の地方は、橫隔の大地と究竟何の相干あるや。近來の驗證正相符合すと説くに至っては、あれは不過浮華言辭の粉飾の辯にして、並びに私見を摒除する持平の論にあらず。德行の上に薄弱なるに、然るに口辯の上に強を逞しゅうす。これ後世學者の通病にして、看來確かにこのようのごとし。
開元占經 卷二
論天
夫言天體者,蓋非一家也。世之所覆傳有渾天,有蓋天。說渾天者,言渾然而圓,地在其中;蓋天者,言天形如車蓋,地形如覆槃。皆中高外下,二曜推移,五星迭觀,見伏昏明,皆由遠近運移,麗天不入於地。日之將沒,去人彌遠,明衰光滅,故暗其明。及其將出,去人彌近,光明炎熾,故顯其照。揚雄以為渾天得之,難蓋天曰:“於高山之上,設水平以望日,則日出水平下,若天體常高,地體常卑,日無出下之理。”於是蓋天無以對也。
天體結構を談論するは、もともと一家に止まらず。世上流傳する所は主として渾天説と蓋天説あり。渾天を主張する人はいう、天は渾然一體にして圓球を呈し、大地は便ち球の中間に懸處すると。蓋天を主張する人はいう、天の形狀は車上の傘蓋のごとく、地の形狀は倒扣の木盤のごとしと。兩家はみな天地は中間高く四外低しと認め、日月の二大光體はその上に推移し、金木水火土の五星は輪番出現す。それらの隱沒顯現・昏暗明亮は、みな遠近位置の運行變化が造り出したによる――日月星辰は天に附麗して運轉し、並びに眞に地裏に鑽入するにあらざるなり。太陽は快く山に落つるとき、觀測者を離れることいよいよ遠く、光芒は衰減して熄滅するに至り、ゆえに幽暗に顯る。それが將に昇起せんとするとき、人を離れることいよいよ近く、光焰熾盛にして、ゆえに照耀分明なり。揚雄は渾天説こそ講じ對れると認め、彼は蓋天家を詰難していう。「高山の頂上に一具の水準器を架して太陽を望まば、太陽が水準面以下より昇起するを見ん。もし天體が永く上にあり地體が永く下にあらば、太陽には下方より昇起するの道理なからん」と。蓋天家はこれに對して言で答うるなし。
渾天之說,天體包裹,地在其中,七曜躔離,道有常率,天體旁倚,故日道南高而北下,運轉之樞,南下而北高。二樞為轂,日道為輪,周廻運移,終則復始。北樞謂之北極,北極出地上三十六度,故天南際七十二度,常見而不伏。南樞謂之南極,南極入地下亦三十六度,故天北際七十二度,常伏而不見。
渾天家の説法は、天體は外殼のごとく外に包裹し、大地はその中央に處る。日月と五星は合わせて七曜、各々軌道に沿って運行離合し、みな固定の行度あり。天球は斜倚して安置せらるるに由りて、ゆえに太陽の軌道は南邊高く北邊低し。而して天體旋轉の樞軸は卻って南端低く北端高し。兩端の樞軸は車輪の轂に譬え、太陽の軌道は車輪の輞に譬え、周而復始して旋轉運行し、一圈を走完すればまた重ねて開始す。北端の樞軸を「北極」と呼び、北極は地平より出づること三十六度。ゆえにそれを心と為し跨度七十二度のあの片の天區は常年可見にして地下に沒入せず。南端の樞軸を「南極」と呼び、南極は地平以下に沈むもまた三十六度。ゆえにそれを心と為し跨度七十二度のあの片の天區は常年隱伏して見ること能わざるなり。
《周髀》云:日一度二千九百三十二里有奇,夏至景一尺四寸,冬至一丈三尺五寸,周天百七萬一千里,徑三千五萬七千里,四表內萬五千里,其外亦萬五千里。故天日四遊於三萬里之中,冬南、夏北、秋東,皆薄四表而止,地亦升降於天之中,旁遊之數,與天遊同。日道星宿之外,亦萬五千里,圓周之徑,正與四表等。
《周髀算經》にいう。太陽は一度を行く毎に二千九百三十二里余りに合す。夏至の日影は長さ一尺四寸、冬至の日影は長さ一丈三尺五寸。周天の長さは一百七萬一千里、直徑は三千五萬七千里。四方標界以内は一萬五千里、標界以外もまた一萬五千里。ゆえに天は每日三萬里の範圍の内に「四游」を作し、冬は南に游び、夏は北に游び、秋は東に游び、みな四方標界に到るを止とす。大地もまた天の中間に在ってこれに隨って昇降し、それが橫向に游移する數值は天游の數值と相同じ。太陽の軌道は二十八宿の外もまた一萬五千里、この圓周の半徑は、まさに四方標界に到る距離と相等し。
冬至之日,出辰入申;夏至之日,出寅入戌;進退於六十度之中焉,非專四遊之差,亦有地之升降。冬至之後,日轉北移,非專日之也,亦由天地遊而南,故物在生而不死。夏至之後,日轉南移,非專日之移,亦由天地遊而南,故物在生而不死。夏至之後,日轉南移,非專日之移也。亦由天地遊而北,故物有伏而不生。
冬至のあの日、太陽は辰位より昇起し申位に落下す。夏至のあの日、寅位より昇起し戌位に落下す。一年の中に出入の方位は六十度の範圍の内に進退す。これは單に天の「四游」を作すが造り出した差數にあらず、其中にまた大地昇降の因素あり。冬至以後、太陽は轉じて北に移る。これは專ら太陽自身の動くにあらず、また天地の南に游向するに由るをもって、ゆえに萬物は萌生して死滅せず。夏至以後、太陽は轉じて南に移る。これは專ら太陽自身の移動するにあらず、また天地の南に游向するに由るをもって、ゆえに萬物は萌生して死滅せず。夏至以後、太陽は轉じて南に移るも、また専ら太陽自身の移動するにあらずして、而して天地の北に游向するに由るをもって、ゆえに萬物は潛伏して生長せず。底本のここ「夏至之后」の一節は重出兩遍し、前の一遍は「天地游而南……物在生而不死」と作り、後の一遍の「天地游而北……物有伏而不生」と自相抵牾し、顯かに傳抄重出して誤を致したるに係る。應に後の一句をもって正と為すべし。今仍然原文に照らして實錄す。
二分之日,出卯入酉;正與地上平,故半表之徑,得天地相去十九萬里,然則地處天半而下也,故曰出地上百八十二度八分度之五,謂之晝;入地下百八十二度八分度之五,謂之夜。晝則出地上而西,夜則入地下而東,周匝百刻,昏明五十刻分之,日刻數既均,天度又等,與極應規,謂之中繩;居寒暑景之和,處遲疾之中。
春分・秋分のこの兩日、太陽は卯位より昇起し酉位に落下して、恰好地平面と相合す。ゆえに半個の標界の距離を取って推算すれば、天地相距十九萬里を得、大地がまさに天球の半分の高度に處して略かに下に偏するを見るべし。これに因って太陽は地平以上に出でて一百八十二度又八分の五度を走るを説き、この時間を「晝」と呼ぶ。地平以下に沈入してもまた一百八十二度又八分の五度を走り、この時間を「夜」と呼ぶ。白天に太陽は地平を出でて西に行き、夜に地平に入りて東に行き、一晝夜は合わせて一百刻、黃昏と天明を界として各々五十刻を分得す。日行の刻數はすでに均等なれば、經る所の天度も彼此相當し、南北兩極の位置と正相應合す。この軌道を便ち「中繩」と呼ぶ。それは寒暑と影長の折中の處に處り、また太陽視行遲速の中間に處るなり。
春分之後,日行中繩之北,故晝長而夜短,伏少而見多,景短而溫氣甚。秋分之後,日行中繩之南,故晝短而夜長,伏多而見少,景長而寒氣多。《易》說冬至之景,一丈三尺。夏至之景,一尺四寸八分。並二至之景,得一丈四尺四寸八分。春分之景七尺二寸四分,秋分之景與春分等。並二分之景,亦得一丈四尺四寸分八分,然東西南北,經緯均也。太平時和,七曜順軌,伏遊兩儀之中,不內不外。
春分以後、太陽は「中繩」の北に行き、ゆえに白晝長く黑夜短く、隱沒の天區は少なく可見の天區は多く、日影短く暑氣盛んなり。秋分以後、太陽は「中繩」の南に行き、ゆえに白晝短く黑夜長く、隱沒の天區は多く可見の天區は少なく、日影長く寒氣重し。《易緯》は冬至の日影は長さ一丈三尺、夏至の日影は長さ一尺四寸八分と講じ、兩個の至日の影長を相加えれば、一丈四尺四寸八分を得。春分の日影は長さ七尺二寸四分、秋分の日影は春分と相等しく、兩個の分日の影長を相加えれば、また一丈四尺四寸八分を得。これによって東西方向と南北方向上に、經緯の數值は均衡相當なるを見る。天下太平・寒暑調和のとき、七曜は常軌に循って運行し、天地二儀のあいだに上下游移し、すでに軌道の内に越えず、また軌道の外に越えず。
漢之《乾象》魏之《景初》,皆以二分之時,行渾儀之內;故南北闊而東西狹,冬至去極百一十五度,景長一丈三尺。夏去極六十七有奇,景長一尺五寸,並度得百八十二度八分度之五,並景得一丈四尺五寸。春分去極八十九,度景長五尺二寸五分。秋分去極九十度,景長五尺五寸。並度得百七十九度,並景得一丈七寸五分,東西少於南北三度焉。東西九千度弱,東西之景短於南北之景三尺七寸五分,為裡三萬七千五百。東西之徑定也,而度與景裡則有殊。然則一度之裡,一寸之差,及四遊之說,殆難明矣。
漢代の《乾象曆》、魏代の《景初曆》は、みな春分秋分に七曜は渾儀の示す所の軌道以内に行くと認め、ゆえに南北の跨度は寬く東西の跨度は窄し。それらの數據に按ずれば、冬至に太陽は北極を距ること一百十五度、影長一丈三尺。夏至は北極を距ること六十七度余り、影長一尺五寸。兩個の至日の去極度を相加えれば一百八十二度又八分の五度を得、影長を相加えれば一丈四尺五寸を得。春分は北極を距ること八十九度、影長五尺二寸五分。秋分は北極を距ること九十度、影長五尺五寸。兩個の分日の去極度を相加えれば一百七十九度を得、影長を相加えれば一丈七寸五分を得。このように東西方向は便ち南北方向より三度少く、折合すれば九千里やや弱。東西方向の日影は南北方向の日影より三尺七寸五分短く、千里一寸に按じて折算すれば便ち三萬七千五百里なり。しかるに東西方向の直徑はもともと定值にして、度數を用いて推算するも影長を用いて里に折算して推算するも對上せず。すでにこのようであれば、一度は多少の里に合し、一寸の影差は多少の里に合し、および所謂「四游」の説は、恐らくみな講じ明白にすること難からん。
鄭玄以二至之景,一寸俱差千里。夏至之日,八尺之表景,得一尺五寸。日下之地,南於嵩高一萬五千里。冬至之日,八尺之表景,得一丈三尺。日下之地,南於嵩高十三萬里。夫日高則景小,卑則景差多。日無上下之說,而天地有升降,安得千里同差一寸也。故東西之徑小於南北之徑,以度言之,則九千里;以景言之,則三萬七千五百里。二分之日,南北千里蓋當景差四寸矣。鄭氏之言,豈合理哉。
鄭玄は兩個の至日の日影は、一寸を差する毎に南北相距一千里に相當すと認む。夏至のあの日、八尺高き表の投ずる影は長さ一尺五寸、太陽の正下の地點は便ち嵩山以南一萬五千里に在り。冬至のあの日、八尺表の影長は一丈三尺、太陽の正下の地點は便ち嵩山以南十三萬里に在り。其實太陽は位置高ければ影短く、位置低ければ影差便ち大なり。太陽にもともと上下昇降の説なく、卻って天地に昇降あり。どうして一律に千里差一寸に按じて算えんや。前面の推する所に照らせば、東西方向の直徑は南北方向の直徑より小なり。度數に按じて言えば九千里少く、影長に按じて折算して言えば卻って三萬七千五百里少なし。春分秋分のこの兩日、南北相距一千里にして、日影は大概應に四寸を相差すべし。鄭玄の説法、何ぞ道理に合乎せん。
天遊薄四面而止,日道與四表等,不升不降,常與四表交錯。二分之日道,與二極應規,而天地居四遊之中。春分之後,天地降而下游西南,至於夏至,天遊至南表而止,故視日北而高。景差少高之故自此以後,而北至秋分,還與日道應規。故分之後,天地升而上游,而北至於冬至,則天遊至北表而止,故視日插而南。景差多卑之故計其進退,南北不繫於三萬里之內。春分之後,至夏之差度二十四,除其鉤弦之數,乃常南遊六萬餘里,此蓋升降之度,裡則少矣。
天の游移は四方邊界に到れば便ち停住し、太陽の軌道は四方標界との距離相等しく、すでに上昇せず下降せず、始終に四方標界と交錯相接す。春分秋分の兩日の日道は南北二極の位置と應合し、而して天地はまさに四游範圍の中間に處す。春分以後、天地は下降して西南に游移し、夏至に至れば、天は南邊の標界に游到して止住す。ゆえに太陽を看れば北に偏して位置高し。これは影差小・太陽位置高きの故なり。これ以後北に向かって回移し、秋分に至ればまた日道と應合す。秋分以後、天地は上昇して上に向かって游移し、一路北に向かい冬至に至れば、天は北邊の標界に游到して止住す。ゆえに太陽を看れば低垂して南に偏す。これは影差大・太陽位置低きの故なり。それが進退の幅度を計算すれば、南北方向は三萬里以内に局限せざるなり。春分以後夏至に至る、去極度は相差二十四度、句股弦の換算數值を扣除すれば、つねに南に向かって六萬余里游移せん。これは不過昇降の對應する度數にして、實際の里程に折れば其實多からざるなり。
今置渾天於地,以衡望日,地升渾上則日去極遠,地降下渾下則日去極近;遠近之驗,不必在於南北,亦由升降可知矣。然則旁遊與外降各十二度,與天在遊三萬里相近矣。日月麗天,有虧有盈,有交有會,日行日出,經半周天焉;即月道交錯,半入日道之內,半出日道之外;在外謂之行陽,在內謂之行陰,當交則會,會則有食。
今渾天儀を地面上に安放し、玉衡窺管を用いて太陽に對して觀測すれば、地面が渾儀の上に升れば、太陽は北極を離れて遠く顯れ、地面が渾儀の下に降れば、太陽は北極を離れて近く顯る。遠近の驗證は、必定に南北方向より看るを要せず、昇降より同じく能く知るべし。このように算えば、橫向游移と向外下降は各々十二度にして、「天は三萬里以内に游移す」の説法と接近せん。日月は天に附麗し、虧あり盈あり、交あり會あり。太陽は每日出没し、一晝夜に半個の周天を經行せん。月の軌道は太陽の軌道と交錯し、半分は日道以内に進み、半分は日道以外に出づ。外に在る一段を「行陽」と呼び、内に在る一段を「行陰」と呼び、交點に行到すれば便ち相會し、相會すれば便ち日月交食を發生す。
蔡氏《月令章句》曰:“天者,純陽精剛,轉運無窮,其體渾而包地。地上者一百八十二度八分之五,地下亦如之。其上中北偏,出地三十六度,謂之北極,極星是也。史官以玉衡長八寸,孔徑一寸,從下端望之,此星常見孔端,無有移動,是以知其為天中也。其下中南偏,入地亦三十六度,謂之南極。從上端望之,當孔下端是也。此兩中者,天之輻軸所在,轉運之所由也。
東漢の蔡邕《月令章句》にいう。「天は純陽の精・剛健の氣にして、旋轉運行永に止息なく、その形體は渾圓にして大地を包裹す。天の地平以上の部分は一百八十二度又八分の五度、地平以下の部分もまたこの數なり。天球上方の北に偏するあの中心は、地平より出づること三十六度にして、『北極』と呼ばれ、北極星はまさにそこに在り。史官は長さ八寸・孔徑一寸の玉衡管を用いて、下端より上に望めば、この星はつねに管孔の頂端に出現して、絲毫も移動を見ず。これに因ってそれが天の中心なるを斷定す。天球下方の南に偏するあの中心は、地平以下に沈入するもまた三十六度にして、『南極』と呼ばる。玉衡の上端より望去れば、まさに管孔の下端に正對するがそれなり。この南北兩個の中心は、天の車軸の在る所にして、天體の旋轉はみなそれらに憑藉すべし。」
天左旋出地上而西,入地下而東。其繞北極,徑七十二度,常見不伏,圖內赤小規是也。繞南極,徑七十二度,常見不伏,圖內赤小規是也。繞南極,徑七十二度,常見不伏,圖外赤大規是也。據天地之中,而察東西,則天半見半不見,圖中赤規截婁角者是也。”
天は左に旋轉し、地平を出でて以上あれば便ち西に行き、地平に入りて以下あれば便ち東に行く。北極を環繞して直徑七十二度のあの一圈は、常年可見にして隱沒せず、すなわち星圖の裏面のあの紅色の小圓なり。南極を環繞して直徑七十二度のあの一圈は、常年可見にして隱沒せず、すなわち星圖の裏面のあの紅色の小圓なり。南極を環繞して直徑七十二度のあの一圈は、常年可見にして隱沒せず、すなわち星圖の外面のあの紅色の大圓なり。天地の正中に立って東西方向を觀察すれば、天は便ち半分可見・半分不可見にして、あればすなわち星圖上に婁宿と角宿を橫截するあの紅色の規線なり。」底本のここ「繞南極」の一句を連寫兩遍し、前の一遍の「常見不伏、圖內赤小規」は「常伏不見、圖外赤大規」と作るべきにして、傳抄重出して訛を致したるに係る。今原文に照らして實錄して改めず、と按ず。
岌按:此與張衡所說不殊,則雲玉衡長八寸,則似是古儀矣。又云據天地之中所云規數,據蓋圖綴星是也。後漢末,吳人陸績,字公紀,於孫權時,又作《渾天儀說》。績造渾天圖,漸於土室居,令不覺晝夜。已在內推步度數,擊鼓節與外相應,而不失毫釐。
編者の按語(底本は「岌按」と作る)にいう。この段の話は張衡の講ずる所と並びに不同ならず。玉衡管の長さ八寸と説くに至っては、あれは古式の儀器なるよう。また天地正中に立って觀察すと説くに、其中の講ずる所の規線度數は、蓋天圖上に綴る所の星位に依據す。東漢末年、吳地の人陸績、字は公紀、孫權の時にまた《渾天儀説》を撰寫せり。陸績は渾天圖を製作し、併せて次第に封閉の土室に搬入して居住し、自己をして外の晝夜を覺察せしめず。彼は室內に天體行度を推算し、推する所の時刻に按じて鼓を擊ちて節を報せば、竟に室外の實際の時辰と相應し、絲毫差あらず。
陸公紀《渾天說》云:先王之道,存乎治曆明時,本之驗著,在於天儀。夫法象莫如渾天,渾天之設外矣。昔在顓頊,使南正重司天,而帝嚳變序三辰。堯命羲和,欽若昊天,曆象日月星辰。舜之受禪,在璇璣玉衡,以齊七政。以是數者言之,曩時已立渾天之象明矣。
陸績《渾天説》に講じていう。先王の治國の道は、曆法を修治し時令を明らかにするに落實す。而してそれが最も根本の驗證依據は、便ち天を觀る儀器に在り。天象に取法するには、渾天ほど合適なるはなし。渾天儀の設置は由來すでに久し。上古顓頊の時、南正重に命じて天事を掌管せしめたり。帝嚳はまた日月星三辰の次序を釐定せり。堯は羲氏・和氏に命じて恭敬に上天に順應し、日月星辰の運行を觀測推算せしめたり。舜は禪讓を接受した後、先ず璇璣玉衡を察看して、もって七政を校正せり。この數件事より看れば、あの時すでに渾天の儀象を立て有せりとは、甚だ清楚なり。
周公序次六十四卦,兩兩相承,反覆成象,以法天行,周而復始,晝夜之義。故《晉卦彖》曰:“晝日三接。”《明夷象》曰:“初登于天,照四國也;後入于地。”仲尼說之曰:“明出地上,晉進而麗乎大明,是以晝日三接。”明入地中明夷,明夷夜也,先晝後夜,先晉後明夷,故曰先登於天,照四國也;後入于地,失則也。日月麗乎天,隨天轉運,出入乎地,以成晝夜也。渾天之義,蓋與此同。
周公は六十四卦を編次し、兩兩相承して、卦形反覆して卦象を成し、もって上天の運行を效法し、周而復始して、其中に晝夜交替の意思を含む。ゆえに《晉卦・彖傳》に「一日の内に三たび接見を受く」といい、《明夷・象傳》に「初め天上に升りて、四方の國を照臨す。後に地下に沈入す」という。孔子は解説していう。「光明が地面を升出するはすなわち《晉》、前進して大明に附麗し、ゆえに一日の内に三たび接見を受く」と。光明が地中に進入すれば便ち《明夷》、《明夷》は夜を説く。先に晝あって後に夜あるをもって、ゆえに先《晉》にして後《明夷》、これに因って先に天上に升りて四方の國を照臨し、後に地下に沈入して常度を失掉せりと説く。日月は天に附麗し、天に隨って旋轉し、大地に出没して、もって晝夜を形成す。渾天の義理は、大概これと相同じなり。
雲雲餘已見前篇,至與蔡氏張衡同,故略雲。故曰:言天體非一家也。吳時,廬江王蕃,字興元,為中常侍,善數術,嘗造渾儀及《渾天象說》云:“幽平之後,周室遂卑。”雲雲,至日光不得曜星也,與前說並同。
以下の話は前の一篇すでに載錄し過ぎ、內容は蔡邕・張衡の講ずる所と相同じなれば、ゆえに省略す。だから説くに、天體を談論するはもともと一家に止まらざるなり。三國吳の時、廬江の人王蕃、字は興元、官は中常侍を任じ、數術に精通し、かつて渾儀を製造して併せて《渾天象説》を撰じありて、文中にいう、「幽王・平王以後、周王室は便ち衰落せり」云云、「日光は星星を照亮する能わず」の一句に至るまで、みな前面の引く所の説法と相同じ。
開元占經 卷三
天占
天名主
《易》曰:“天地貞觀,日月貞明。”《洪範傳》曰:“清明者,天之體也。”《易》曰:“天行健,君子以自強不息。”《易說卦》曰:“乾為天,乾健也。”《河圖葉光紀》曰:“元氣闓陽為天。”《易乾鑿度》曰:“清輕者上為天,重濁者下為地。”《禮統》曰:“天、地,元氣之所生,萬物之祖也。天之為言顛也,神水珍也。”
《周易・繫辭下》にいう。「天地は正道をもって人に顯示し、日月は正道をもって萬物に普照す」。《洪範傳》にいう。「清明澄澈なるは、すなわち天の本體なり」。《周易・乾卦・象傳》にいう。「天道は運行剛健不息、君子はこれに因って自強止まず」。《周易・説卦傳》にいう。「乾卦は天を象徵し、乾の性質はすなわち剛健なり」。緯書《河圖葉光紀》にいう。「元氣は陽氣を開啓し、ここにおいて天と成る」。緯書《易乾鑿度》にいう。「清輕の部分は上昇して天と成り、重濁の部分は下沈して地と成る」。《禮統》にいう。「天と地はみな元氣の生ずる所にして、萬物の始祖なり。『天』のこの字は『顛』に義を取り、すなわち最も高き頂の意思なり」。(末句「神水珍也」の四字は底本文字に訛脫あり、義通ずべからず。)
《爾雅》曰:“穹蒼,蒼天也。春為蒼天,夏為昊天,秋為旻天,冬為上天。”《太玄經》曰:“九天:一為中天,二為羨天,三為順天,四為更天,五為$天,六為廓天,七為咸天,八為沈天,九為成天。”
《爾雅・釋天》にいう。「穹蒼はすなわち蒼天なり。春季の天を蒼天と呼び、夏季の天を昊天と呼び、秋季の天を旻天と呼び、冬季の天を上天と呼ぶ」。揚雄《太玄經》にいう。「天は九重に分かつ。第一重を中天と呼び、第二重を羨天と呼び、第三重を順天と呼び、第四重を更天と呼び、第五重を□天と呼び、第六重を廓天と呼び、第七重を咸天と呼び、第八重を沈天と呼び、第九重を成天と呼ぶ」。(第五重の名稱は底本缺字、「$」號をもって疑を存す。今本《太玄》は「睟天」と作る。)
《考靈曜》曰:“觀玉儀之遊,昏明主時,乃命中星。中央鈞天,其星角、亢、氐。東方蒼天,其星房、心、尾。東北變天,其星箕、斗、牽牛。北方玄天,其星須女、虛、危、營室。西北幽天,其星東壁、奎、婁。西方昊天,其星胃、昴、畢。西南方朱天,其星觜、參、東井。南方炎天,其星輿鬼、柳、七星。東南方陽天,其星張、翼、軫。”《淮南子》曰:“道始於虛廓,虛廓生宇宙,宇宙生氣,清陽者薄靡而為天。”
緯書《尚書考靈曜》にいう。「玉衡儀器の指示する所の游移を觀察し、黃昏と天明の星象に按じて時令を定め、ここにおいて各時節の南中天の星宿を確定す。中央を鈞天と呼び、屬する所の星宿は角・亢・氐。東方を蒼天と呼び、屬する所は房・心・尾。東北を變天と呼び、屬する所は箕・斗・牽牛。北方を玄天と呼び、屬する所は須女・虛・危・營室。西北を幽天と呼び、屬する所は東壁・奎・婁。西方を昊天と呼び、屬する所は胃・昴・畢。西南方を朱天と呼び、屬する所は觜・參・東井。南方を炎天と呼び、屬する所は輿鬼・柳・七星。東南方を陽天と呼び、屬する所は張・翼・軫」。《淮南子・天文訓》にいう。「道は虛廓に發端し、虛廓は宇宙を生出し、宇宙は元氣を生出し、元氣の中の清明輕揚の一部分は飄浮上昇して、便ち天と成る」。
天數
《洛書甄曜度》曰:“周天三百六十五度四分度之一,一度為二千九百三十二里,則天地相去十七萬八千五百里。”《廣雅》曰:“天圍廣,南北二億三萬三千五百里七十五步,東西短減四步,周六億十萬七百里二十五步。”從地至天,一億一萬六千七百八十七里。下度地之厚,與天高等。”《靈憲》曰:“天有九位,自地至天,一億一萬六千二百五十里。懸天之景,薄地之儀,皆移千里而差一寸。”
緯書《洛書甄曜度》にいう。「周天は合わせて三百六十五度又四分の一度、每一度は二千九百三十二里に合し、則ち天と地は十七萬八千五百里を相距る」。張揖《廣雅》にいう。「天の範圍は廣闊にして、南北の長さ二億三萬三千五百里零七十五步、東西はそれより四步短く、周長六億一十萬七百里零二十五步。地面より天までは、一億一萬六千七百八十七里。下に向かって地の厚度を量れば、天の高度と相等し」。張衡《靈憲》にいう。「天に九個の層位あり、地面より天までは一億一萬六千二百五十里。天に高懸する日影と地面に貼近する圭表は、みな位置一千里を移る毎に、影長は便ち一寸を相差す」。
關令《內傳》曰:“南午北子,相去九千一萬里。東卯西酉,亦九千一萬里。四隅空無,相去亦爾。天去地四十萬九千里。”徐整《三五曆紀》曰:“天地渾沌如雞子,盤古生其中,一萬八千歲天地開闢,清陽為天,濁陰為地,盤古在其中一日九變,神於天,聖於地。天日高一丈,地日厚一丈,盤古日長一丈。如此一萬八千數,天數極高,地數極深,盤古極長。後乃有三皇。數起於一,立於三,成於五,盛於七,處於九;故天去地九萬里。”
關令尹喜《內傳》にいう。「南邊の午位より北邊の子位に至る、相距ること九千一萬里。東邊の卯位より西邊の酉位に至るも、また九千一萬里。四角は空闊無物なるといえども、相距るは同じくこの數なり。天は地を離るること四十萬九千里」。三國吳の人徐整《三五曆紀》にいう。「天地未だ分かれざるとき、渾沌として雞蛋のごとく、盤古は便ちその中に生ず。一萬八千年を過ぎて、天地はこそ開闢せり。清揚は天と成り、濁重は地と成る。盤古は天地の當中に在って一天に九次の變化あり、天よりなほ神奇に、地よりなほ聖明なり。天は每日一丈を昇高し、地は每日一丈を加厚し、盤古もまた每日一丈を長高す。このように一萬八千年を過ぎて、天の高度は極點に到り、地の深度は極點に到り、盤古の身量もまた極點に到れり。これ以後乃ち三皇あり。數目は一に起り、三に立ち、五に成り、七に盛んに、九に止まる。ゆえに天は地を離るること九萬里なり」。
《淮南子》曰:“九野,九千九百九十里,去地一億一萬里。”《春秋內事》曰:“天下十二分次,日月之所躔也。”《孝經援神契》曰:“周天七衡、六間者,相去萬九千八百三十三里三分裡之一,合十一萬九千里。從內衡以至中衡,從中衡以至外衡。各五萬九千五百里。”
《淮南子》にいう。「九野の幅員は九千九百九十里、地を離るること一億一萬里」。《春秋內事》にいう。「天下は十二次に劃分せらる。あれは日月の運行の經過する所の位置なり」。緯書《孝經援神契》にいう。「周天は七條の衡道・六段の間隔に分かち、相邻る兩衡の相距るは一萬九千八百三十三里又三分の一里、合計十一萬九千里。最も裏の內衡より中衡に至り、中衡より最も外の外衡に至る、各々五萬九千五百里なり」。
天裂
京氏《易妖占》曰:“天開見光,流血滂滂。”《天鏡》曰:“天裂見光,流血汪汪;天裂見人,兵起國亡。”劉向《洪範傳》曰:“漢惠帝二年,天天東北,廣十餘丈,長二十餘丈。”《星經》亦云:“或則天裂,或則地動,皆氣有餘,陽不足也。地動陰有餘,天裂陽不足,皆下盛強,將害君之變也。其後有呂氏之亂。”
西漢の京房《易妖占》にいう。「天は開裂して光亮を現出せば、將に血の地に流遍せんとす」。《天鏡》にいう。「天は裂開して光亮を現出せば、血は片に流れん。天は裂開して人の形狀を現出せば、兵禍興起して國家滅亡す」。劉向《洪範傳》にいう。「漢の惠帝二年、天は東北方に裂開し、寬さ十余丈、長さ二十余丈」。(底本は「天天東北」と作る。下の一「天」の字は「裂」と作るべし。)《星經》もまたいう。「或いは天は開裂し、或いは地は震動す。みな一方の氣に餘りあり陽氣不足するに由る。地動は陰氣に餘りあり、天裂は陽氣不足なり。兩者はみな下位の者の強盛にして、將に君主を危害する變故の出現せんことを表明す。此の後果して呂氏一族の亂を作すあり」。
“景帝三年,天北有赤者如席,長十餘丈,或曰赤氣,或曰天裂,其後有七國之兵。”“晉惠帝元康二年二月,天西北天裂,按劉向說曰:‘天裂陽不足,地動陰有餘,是時人主昏瞀,妃后專制。’”“又八月庚午,天中裂為二,有聲如雷者三,君道衰,臣下專僭之象也。是日長沙王奉帝出拒成都、河間二王,後成都、河間、東海又迭專威命。是其應也。”
「漢の景帝三年、天の北方に一片の赤色出現し、形狀は蓆子のごとく、長さ十余丈。或る人はあれを赤氣と説き、或る人は天裂と説く。此の後便ち呉楚七國の亂の兵禍發生せり」。「晉の惠帝元康二年二月、天は西北方に裂開せり。劉向の説法に依れば、『天裂は陽氣不足、地動は陰氣に餘りあり』。當時君主は昏聵糊涂にして、后妃は權を專ら政を當れり」。「同年八月庚午日、天は中間より兩半に裂け、雷のごとき巨響三聲を發せり。これは君道衰微・臣下專權僭越の徵象なり。便ちこの日に、長沙王司馬乂は惠帝を奉じて兵を出し成都王司馬穎・河間王司馬顒の二王を抵禦せり。後來成都王・河間王・東海王はまた輪番に朝廷の威權を專擅し、まさにこの次の天象の應驗なり」。
“穆帝昇平五年八月己卯夜,天中裂,廣三四丈,有聲如雷,野雉皆鳴。是後哀帝荒疾,海西失德,太后總萬機,桓溫專權,威振內外,陰氣隆,陽道微也。”《天鏡》曰:“天以冬裂,天下大兵。有陰謀,主有喪;春秋主君臣懷攏,夏冬主有大兵。”京房《妖占》曰:“天分作亂之君,無道之臣,欲裂其土,國之主當之。”《天鏡》曰:“天裂而言,如其言。天裂見牛、馬、豕,天下憂。《汲冢紀年書》曰:“懿王元年,天再啟於鄭、晉,穆帝昇平五年,天裂有聲,又有天裂見其流水、馬、人。”
「晉の穆帝升平五年八月己卯日の夜裏、天は中間より裂開し、寬さ三四丈、聲響は雷のごとく、野雞はみな驚かされて鳴叫せり。此の後晉の哀帝は丹藥を服食して荒廢病重し、海西公は德を失いて廢せられ、褚太后は朝政大事を總攬し、桓溫は大權を專擅して威勢は内外を震動せり。これまさに陰氣隆盛・陽道衰微の徵驗なり」。《天鏡》にいう。「天が冬季に裂開すれば、天下に將に大規模の兵禍ありて、併せて陰謀發生し、君主に喪事あらん。春秋兩季に裂開すれば、君臣の互相猜忌牽制を主とし、夏冬兩季に裂開すれば、大兵禍あるを主とす」。京房《妖占》にいう。「天が開裂して分かるるは、亂を作す君主・無道の臣子のあの塊の土地を瓜分せんと欲する徵象にして、一國の君はこの場の災禍を承當せん」。《天鏡》にいう。「天が裂開して話語の聲を發出せば、便ちそれが説く所に照らして應驗せん。天が裂開して牛・馬・猪の形狀を現出せば、天下に將に憂患あらん」。《汲冢紀年書》にいう。「周の懿王元年、天は鄭・晉の一帶に兩次開裂せり」。晉の穆帝升平五年、天裂して併せて聲響を伴い、此外にまた天裂して流水・馬・人形を現出せるの記載あり。
天變色
《洪範傳》曰:“天忽變色,是謂易常。天裂見人,兵起國亡。天鳴有聲,至尊憂且驚。皆亂國之所由生也。”《天鏡》曰:“天忽變色,四夷來侵,不出八年有兵。”
《洪範傳》にいう。「天が忽然として顏色を改變すれば、これを『易常』と呼び、すなわち常道を變亂せるなり。天が裂開して人形を現出せば、兵禍興起して國家滅亡す。天が鳴響を發出せば、至尊の君主はすでに憂愁しまた驚懼す。これらはみな亂國のこれより產生する徵兆なり」。《天鏡》にいう。「天が忽然として色を變ずれば、四方邊裔は將に來り侵犯せんとし、八年を出でずして便ち戰事あらん」。
天鳴
京房《易傳》曰:“天鳴必有殺行,民流亡。”又曰:“萬姓勞厥,妖天鳴。”《天鏡》曰:“天鳴,世主失,不出十日。”又曰:“天鳴主死,百姓哭。”《河圖秘微》曰:“劉帝即位百七十日,太陰在庚辰,江充構禍,其變天鳴。”“晉元帝大興二年八月戊戌,天鳴東南,有聲如風水相薄。京房《易妖占》曰:‘天鳴有聲,人主憂’”
京房《易傳》にいう。「天が鳴響を發出せば、必定に殺戮の事ありて推行せられ、百姓は流離逃亡せん」。またいう。「萬民は勞苦困頓せば、便ち天鳴のこのようの妖異出現せん」。《天鏡》にいう。「天鳴は、當世の君主の天下を失うを主とし、十天を出でずして便ち應驗せん」。またいう。「天鳴は君主の死亡を主とし、百姓は號哭せん」。《河圖祕微》にいう。「漢家の皇帝(底本は『劉帝』と作る。漢の武帝を指す)が即位一百七十日にして、太陰の紀年は庚辰に在り、江充の構陷は巫蠱の禍を釀成し、それが先兆變異は便ち天鳴なり」。「晉の元帝大興二年八月戊戌日、天は東南方に鳴響し、聲音は風と水の相激盪するがごとし。京房《易妖占》にいう、『天鳴に聲あり、君主に憂患あり』」。
“晉大興三年十月壬辰,天鳴,至甲午止,其後王敦入石頭,王師敗績,元帝屈辱,制於強臣,即而晏駕。”“晉安帝隆安五年閏月癸丑,天東南鳴,二年九月戊子,天東南又鳴,是後桓玄篡位,安帝播越,憂莫大焉。鳴每東南者,蓋中興江外,天隨之而鳴也。”“晉安帝義熙元年八月,天鳴在東南,京房《易傳》曰:‘萬姓勞厥,妖天鳴。’是時安帝雖反政,而兵革歲動,眾庶勤勞也。”
「晉の元帝大興三年十月壬辰日、天は鳴響を始め、甲午日に至ってこそ停止せり。此の後王敦は兵を舉して石頭城に攻入り、朝廷の軍隊は大敗し、元帝は屈辱を蒙り、強臣に挾制せられ、まもなく便ち去世せり」。「晉の安帝隆安五年閏月癸丑日、天は東南方に鳴響せり。元興二年九月戊子日、天は東南方にまた鳴り。此の後桓玄は帝位を篡奪し、安帝は流離遷徙を迫られ、憂患はこれより大ききはなし。天鳴は每毎東南方に發生するは、大概晉室が江南に中興したに因りて、天は便ちあの方位に順って鳴響するなり」。「晉の安帝義熙元年八月、天は東南方に鳴響せり。京房《易傳》にいう、『萬民は勞苦困頓せば、便ち天鳴の妖異出現す』。當時安帝はすでに復位親政せるも、然るに戰事は年年斷えず、民衆は十分に辛勞せり」。
天雨禽獸 雨蟲 雨鱉 雨骨
《天鏡》曰:“天雨鳥獸,主兵喪,萬民流亡。”劉向《洪範傳》曰:“天雨禽獸,是謂不祥;不出三年,其下興兵。”《洪範傳》曰:“人君不親骨肉,親他人,故蟲從天墮地,骨肉去也。不救,兵大起。其救也,立王公,率同姓諸侯,無偏黨,則災消。”
《天鏡》にいう。「天上より鳥獸の落下するは、兵禍と喪事あるを主とし、萬民は流離逃亡す」。劉向《洪範傳》にいう。「天上より飛禽走獸の落下するは、これを不祥と呼ぶ。三年を出でずして、あの地方は便ち戰事を興起せん」。《洪範傳》にいう。「君主は自己の骨肉至親を親近せず、反って外人を親近す。ゆえに蟲子は天上より地面に墜落して、骨肉離散を象徵す。もし補救を設圖せざれば、便ち大いに干戈を動かせん。補救の辦法は、王公を分封し、同姓の諸侯を統率し、私を偏り黨を結ばざれば、災異は便ち消解せん」。
又曰:“春秋者,蟲之災也,以罰暴虐而取於天下;貪叨無厭,以興動眾;取邑治城,而失眾心,蟲為害矣。”文公三年秋,雨螽於宋,是時宋公以暴虐刑重,賦斂無度應,是而螽也。《天鏡》曰:“天雨魚鱉,為兵喪,萬民流亡”。《洪範傳》曰:“天雨魚鱉,國有兵喪。”又曰:“天雨骨,是謂陽消;王者德令不行,佞人用。不出三年,有內爭。”“《易飛候》曰:“天雨骨,師將破亡。”
またいう。「《春秋》の記載する所は、蟲子の造成する災害にして、もって暴虐の手段に靠りて天下を取る者らを懲罰す。彼らは貪得厭なく、動輒師を興し民を勞し、城邑を攻取し城池を大修し、よって衆人の心を失掉し、蟲害はここにおいて發作す」。魯の文公三年の秋、宋國の天上に螽蟲落下せり。當時宋公は暴虐にして、刑罰苛重、賦税徵斂に節制なく、感應の致す所、こそこの場の螽災を降下せり。《天鏡》にいう。「天上より魚と鱉の落下するは、兵禍と喪事あるを主とし、萬民は流離逃亡す」。《洪範傳》にいう。「天上より魚と鱉の落下するは、國家に將に兵禍と喪事あらん」。またいう。「天上より骨頭の落下するは、これを『陽消』と呼び、すなわち陽氣消損なり。君王の德政號令は推行し下らず、奸佞小人は任用を得たり。三年を出でずして、內部に爭鬥發生せん」。《易飛候》にいう。「天上より骨頭の落下するは、軍隊は將に潰敗覆亡せん」。
天雨筋 雨膏 雨肉 雨錫 雨水銀
《洪範傳》曰:“天雨筋,國大飢。”又曰:“天雨膏,如蟲,輔臣多貪之應也。”《易飛候》曰:“天雨膏,其國有急。”《洪範傳》曰:“君無道暴虐,天雨肉。天雨肉,天不享其德,將易其君。”《繼漢書五行志》曰:“桓帝建和三年,北地雨肉,似半筋,大如手。時帝幼,太后專政。”
《洪範傳》にいう。「天上より筋のごとき物の落下するは、國中に大饑饉を鬧さん」。またいう。「天上より油脂狀の物の落下するは、形狀は蟲子のごとく、これは輔政大臣の貪墨多きの應驗なり」。《易飛候》にいう。「天上より油脂の落下するは、あの國家に急難あらん」。《洪範傳》にいう。「君主が無道にして暴虐なれば、天は便ち肉を落下す。天の肉を落下するは、上天がもはやその德行を享受せず、將にこの君主を更換せんとするなり」。《續漢書・五行志》にいう。「漢の桓帝建和三年、北地郡の天上に肉塊落下し、半截の筋のごとく、大小は手掌のごとし。當時桓帝は年幼にして、梁太后は朝政を專擅せり」。
《魏志》曰:“公孫泉將亡,襄平北市生肉,長圍各數尺,有頭目口喙,無手足而動。”《喙搖占》曰:“有形不成者,其國滅。”《洪範傳》曰:“天雨膏錫,如甘露著樹木,不出三年,更政易主。白者名甘露,黃者為爵錫。”《天鏡》曰:“天雨如水銀,是謂刑枉,不出三年,兵喪並起,亡國失土。”
《三國志・魏志》にいう。「公孫淵(唐人は諱を避けて『公孫泉』と作る)の將に覆亡せんとするとき、襄平城北の集市の上に一塊の肉を生出し、長さと周長は各々數尺あり、頭あり眼あり嘴あり、手脚なきも然るに活動を會す」。《喙搖占》にいう。「形體ありて成形すること能わざる怪物の出現するは、あの國家は滅亡せん」。《洪範傳》にいう。「天上より膏狀の錫質物の落下するは、甘露のごとく樹木に附着す。三年を出でずして、便ち政令を變更し君主を更換せん。白色のを『甘露』と呼び、黃色のを『爵錫』と呼ぶ」。《天鏡》にいう。「天上より水銀のごとき物の落下するは、これを刑罰冤枉と呼び、三年を出でずして、兵禍と喪事は一齊に發生し、國破れ地を失わん」。
天雨血
京房曰:“天雨血,茲謂不親,黔首怨之,不出三年,亡其宗人。”《尚書中候》曰:“夏桀無道,天雨血。”《天鏡》曰:“天雨血,是謂天見其妖,不正者不得久處其位,不三年兵起。”《演孔圖》曰:“君過滿七九,則雨血。”《運斗樞》曰:“偏任不移,雨血漂流。”京房《易傳》曰:“王者不顧骨肉,不親九族,天雨血二日。”又曰:“血自天墮,三年大兵。”《易飛候》曰:“天雨血,流染衣,其國亡,君戮。”
西漢の京房はいう。「天上より血の落下するは、これを『不親』と呼び、百姓はみな彼を怨恨し、三年を出でずして、その宗族は便ち覆亡せん」。《尚書中候》にいう。「夏桀は無道にして、天上より血を落下せり」。《天鏡》にいう。「天上より血の落下するは、これは上天の妖異を顯示す。行為正しからざる人はその位に久居すること能わず、三年に到らずして便ち兵事興起せん」。緯書《春秋演孔圖》にいう。「君主の過失は七九六十三の數に積滿せば、天は便ち血を落さん」。緯書《春秋運斗樞》にいう。「一人を偏信偏任して始終改更せんと肯んぜざれば、天は便ち血を落して漂流せん」。京房《易傳》にいう。「君王は骨肉を顧念せず、九族を親近せざれば、天は便ち連ねて兩天の血を落さん」。またいう。「血が天上より墜落すれば、三年の内に大戰事あり」。《易飛候》にいう。「天上より血を落し、衣裳を染紅せば、あの國家は滅亡し、國君は誅戮せられん」。
《太公金匱》曰:“唐堯克有苗,問人曰:‘吾聞有苗時,天雨血沾衣,有此妖乎?’人曰:‘非妖也,有苗誅諫者,尊無功,退有能,遇人如敵,故亡耳。’”京房《易》曰:“臨獄不解,茲謂進非厥咎,天雨血。天雨血者,茲謂不親宗,有怨恐,不出三年,亡其宗。佞人用功,天雨血。”
《太公金匱》に記載す。唐堯は有苗を戰勝した後、旁人に問うていう。「我は聞くに有苗の當政のとき、天上に血を落して衣裳を沾濕せしめたり。眞にこの種の妖異ありや」と。その人は回答していう。「あれは妖異にあらず。有苗は進諫する人を誅殺し、功勞なきを尊崇し、才能あるを斥退し、人を待ること仇敵を待つのごとし。ゆえにこそ亡國せしのみ」と。京房《易》にいう。「案獄は久拖して決せず、これを不應に進用すべき人を進用せると呼び、その咎徵は便ち天上の血を落すなり。天上の血を落するは、君主が宗族を親近せず、宗族は怨恨と恐懼を心懷することを説く。三年を出でずして、その宗族は便ち覆亡せん。奸佞小人が勢を得て事を用いれば、天もまた血を落さん」。
《漢書五行志》曰:“惠帝二年,雨血於宜陽,一頃所,劉向以為近赤,祥也。時大臣誅滅諸呂,殭尸流血。”又曰:“哀帝建平四年,山陽胡陵雨血,廣三尺,長五尺,大者如錢,小者如麻,後三年,王莽專朝,誅貴戚。”
《漢書・五行志》にいう。「漢の惠帝二年、宜陽の一帶に天上に血を落し、約一頃の地面を覆蓋せり。劉向はこれを赤色の一類の徵應に屬すと認め、先兆なりとす。後來大臣は呂氏の諸王を誅滅し、屍は橫たわり血は流れ、まさにこれと相應せり」。またいう。「漢の哀帝建平四年、山陽郡胡陵縣の天上に血を落し、寬さ三尺、長さ五尺、大なる血點は銅錢のごとく、小なるは麻子のごとし。此の後三年、王莽は朝政を專擅し、外戚貴幸を誅除せり」。
天雨羽毛 天雨金銀鐵錢
《天鏡》曰:“天雨羽毛,是謂興人不常,棄亡,前後有喪,不出九年,兵馬興。”京房曰:“天雨毛,邪人進,賢人逃,貴人走。”《易飛候》曰:“天雨毛羽,其國大風。”又曰:“天雨羽毛,大人出亡。”又曰:“天雨羽,君德不通,逆於天下。”
《天鏡》にいう。「天上より羽毛の落下するは、これを人才を舉用すること反覆無常と呼び、棄置せらるる人は流亡して外にあり、前後接連して喪事あり。九年を出でずして、兵馬は便ち興動せん」。京房はいう。「天上より毛の落下するは、邪僻の人進用せられ、賢良の人は逃走し、顯貴の人は出奔す」。《易飛候》にいう。「天上より毛羽の落下するは、あの國家に大風を刮かん」。またいう。「天上より羽毛の落下するは、大人物は出逃せんとす」。またいう。「天上より羽の落下するは、君主の德澤の通達すること能わず、天下の人心に違逆するなり」。
《天鏡》曰:“天雨金,為兵喪,萬民流亡。”《易飛候》曰:“天雨金鐵,大兵入。”《天鏡》曰:“天雨金鐵,是謂刑餘,人君殘酷,好殺無違,不出一年,兵交於朝。”京房曰:“天雨金銀,兵將興,失道之君當之。”謹按:《史記》秦獻公十八年雨金。《易飛候》曰:“天雨鐵錢,其國大飢。”
《天鏡》にいう。「天上より金の落下するは、兵禍と喪事あるを主とし、萬民は流離逃亡す」。《易飛候》にいう。「天上より金鐵の落下するは、將に大軍の入境あらん」。《天鏡》にいう。「天上より金鐵の落下するは、これを『刑餘』と呼び、すなわち濫に刑戮を施して遺下した殃咎なり。君主は殘酷にして殺を好み、敢えて違逆する人なし。一年を出でずして、兵刃は便ち朝廷の上に相交わらん」。京房はいう。「天上より金銀の落下するは、兵事は將に興起せんとし、道を失う君主はこの場の災禍を承當せん」。編者謹んで按ず、《史記》は秦の獻公十八年に天上に金を落せるを記載す。《易飛候》にいう。「天上より鐵錢の落下するは、あの國家に大饑饉を鬧さん」。
天雨石 雨氷 雨笠 雨杵 雨灰土
《天鏡》曰:“天雨石,為兵喪,萬民亡。”京房曰:“天雨石,為政者質信不施,偽詐妄作,國君死亡。”《易飛候》曰:“天雨冰,其國大疾。”又曰:“天雨笠,國大飢。”又曰:“天雨杵,其國大飢。”
《天鏡》にいう。「天上より石頭の落下するは、兵禍と喪事あるを主とし、萬民は逃亡す」。京房はいう。「天上より石頭の落下するは、當政者が誠信を施行せず詐僞妄為するの徵象にして、國君は將に死亡せん」。《易飛候》にいう。「天上より氷の落下するは、あの國家に大疫病を流行せん」。またいう。「天上より斗笠の落下するは、國中に大饑饉を鬧さん」。またいう。「天上より木杵の落下するは、あの國家に大饑饉を鬧さん」。
皇甫士安曰:“殷紂暴虐,天雨灰天雨灰色,君有歸來邑者。”墨子曰:“商紂不德,十日雨土於毫,天雨土,君夫封。”《易飛候》曰:“天雨土,是大凶,民人負子東西,莫居其鄉。”又曰:“天雨土,是謂高土,百姓勞若而無妨,土是謂高。社民勞苦,繁於土功不安,主外戚謀。”
皇甫謐(字は士安)はいう。「殷の紂は暴虐にして、天上より灰を落下せり。天の灰色の物を落するは、外の地より都邑に歸附する人あるを主とす」。(底本のここ「天雨灰天雨灰色」の六字は重出、文字に訛あり。)墨子はいう。「商の紂は德を失い、接連して十天亳地に土を落せり。天上の土を落するは、君主が別に封建するを主とす」。《易飛候》にいう。「天上より土を落するは、これは大凶の象にして、百姓は孩子を背負いて東奔西走し、自らの鄉里に留まらんと肯ずる人なし」。またいう。「天上より土を落するは、これを『高土』と呼び、百姓は勞苦なるといえども受害に至らず、土の堆積すること高きは便ちこの意思なり。社中の百姓の勞苦するは、土木工程の多すぎて安寧を得ざるに因りて、外戚の不軌を圖謀するあるを主とす」。
天雨五穀 雨[木奈] 雨草木 雨梳 雨釜甑
《天鏡》曰:“天雨五穀,是謂禾不熟,人君賦斂重數,故示戒,不出五年,因乏軍糧。”墨子曰:“天雨粟,不肖者食祿,與三公一位。天雨黍、豆、麥、粟、稻,是謂惡祥;不出一年,民負子流亡,莫有所向。”《易飛候》曰:“天雨五穀,其國大飢。”“天雨黍,為政者去,大人出死他國,三年有死將。”又曰:“天雨木奈,兵起四方。”
《天鏡》にいう。「天上より五穀の落下するは、これは禾稼の熟せざるを主とす。君主の賦税徵斂がすでに重くまた頻なるに因りて、上天はこそあのようの告誡を降下せり。五年を出でずして、便ちこれに因って軍糧に缺乏せん」。墨子はいう。「天上より粟の落下するは、不肖の徒の俸祿を享受し地位は三公と並列するを主とす。天上より黍・豆・麥・粟・稻の落下するは、これを惡兆と呼ぶ。一年を出でずして、百姓は孩子を背負いて流亡し、何の方に向かうかを知らず」。《易飛候》にいう。「天上より五穀の落下するは、あの國家に大饑饉を鬧さん」。またいう。「天上より黍の落下するは、當政者は位を去り、大人物は出走して他國に客死し、三年の内に將帥の死亡あらん」。またいう。「天上より林檎果實の落下するは、四方はみな兵事を興起せん」。
《天鏡》曰:“天雨草,是謂增福,不出三年,外國輸谷。”“天雨草木,為兵喪,萬民流亡。”“天雨木,多風,五穀傷。”墨子曰:“國君失信,專祿去賢,則天雨草。”《易飛候》曰:“天雨草,國有殘,民破亡。”又曰:“君讒臣不和,天雨草木,其歲民多兵死。”《易飛候》曰:“天雨梳,其國有權。”又曰:“天雨釜甑,其國大飢。”墨子曰:“天雨釜甑,歲大穰。”
《天鏡》にいう。「天上より草の落下するは、これを福分を增添すと呼び、三年を出でずして、外國は便ち穀物を輸送して前來せん」。またいう。「天上より草木の落下するは、兵禍と喪事あるを主とし、萬民は流離逃亡す」。またいう。「天上より木の落下するは、風多きを主とし、五穀は損傷を受けん」。墨子はいう。「國君は信を失い、爵祿を獨占して賢人を疏遠すれば、天は便ち草を落下せん」。《易飛候》にいう。「天上より草の落下するは、國家に將に殘破あらんとし、百姓は家を破り逃亡せん」。またいう。「君主は讒言を聽信し君臣は不和なれば、天は便ち草木を落下し、あの年の百姓は兵禍に死すること多からん」。《易飛候》にいう。「天上より梳子の落下するは、あの國家に權柄の旁落する事あらん」。またいう。「天上より鍋と甑の落下するは、あの國家に大饑饉を鬧さん」。墨子はいう。「天上より鍋と甑の落下するは、年成は將に大豐收せん」。同一の異象にして兩家の斷ずる吉凶は相反す。本書は二説を併存して參考に備う。
天雨絮布帛 雨藥 雨墨 雨火
《天鏡》曰:“天雨絲帛,天下有兵喪,不出六年,兵起且亂。”又曰:“天雨布帛,為兵喪,萬民流亡。”墨子曰:“天雨絮,其國將喪,無復有兵。”《易飛候》曰:“天雨藥,其君有咎。”《天鏡》曰:“天雨墨,是謂陰謀,君臣無道讒人進用,不出五年,君亡。”墨子曰:“天雨墨,君陰謀。”
《天鏡》にいう。「天上より絲帛の落下するは、天下に將に兵禍と喪事あらんとし、六年を出でずして、兵事は興起してしかも動亂發生せん」。またいう。「天上より布帛の落下するは、兵禍と喪事あるを主とし、萬民は流離逃亡す」。墨子はいう。「天上より綿絮の落下するは、あの國家に將に喪亡あらんとし、此の後再び兵を興す力量なし」。《易飛候》にいう。「天上より藥物の落下するは、あの國の君主に災殃あらん」。《天鏡》にいう。「天上より墨の落下するは、これを陰謀と呼び、君臣はみな正道を守らず、讒言を進める人は任用せられ、五年を出でずして、君主は敗亡せん」。墨子はいう。「天上より墨の落下するは、君主の暗中に不軌を圖謀するを主とす」。
《天鏡》曰:“天火燒國郭門,其地有謀人慾發。”又曰:“天火焰宗廟,人君不謹敬,淫佚,又數犯冬令也。”又曰:“天火焚朝廟社稷,主有大殃,國將亡。”謹按:後魏時,造作宮室過度,而頻有天災,其後累有兵亂。又曰:“一條天火燒正殿,此必人君不聽諫,戮大臣,佞人持政。”
《天鏡》にいう。「天火が國都の外城門を焚燒すれば、あの地方に亂を作せんと圖謀する人ありて將に發動せん」。またいう。「天火が宗廟を焚燒するは、君主の恭謹敬慎せず、荒淫放縱し、また屢々冬季に應に守る政令を違犯するに因る」。またいう。「天火が朝廷の宗廟と社稷壇を焚燒すれば、君主に大禍殃あり、國家は將に滅亡せん」。編者謹んで按ず、北魏の時は宮室を營造すること過度にして、よって屢々天災を發生し、此の後接連して兵亂あり。またいう。「一道の天火が正殿を燒毀すれば、これは必定に君主が勸諫を聽かず大臣を誅殺し、奸佞小人をして朝政を把持せしむる所致なり」。
“天火燒街,有大兵。”“天火燒廄,兵大起。”“天火燒民舍,兵方起。”“天火燒野五穀,國將亡。”“天火燒山阜,百姓不安。”“天火燒萬物,天下分裂。”“天火燒牛馬,兵屠裂。”“天火燒水,逆兵方起。”“天火焰大水,木鳴呼,是謂奸起,六月霜降。”“天雨火,為兵喪,萬民流亡。”“天妄下火焚燒,是謂大殃,民負子流亡。”墨子曰:“天下火燔邑城門,其邑被圍。”《易飛候》曰:“天雨火,是謂大凶,民人賣其子東西,莫居其鄉。”又曰:“天官見師為禍,司馬必敗。”司馬謂兵師也。
「天火が街市を燒くは、將に大戰事あらん」。「天火が馬廄を燒くは、兵禍大いに起らん」。「天火が民房を燒くは、兵禍まさに發生せんとす」。「天火が野外の莊稼を燒くは、國家は將に滅亡せん」。「天火が山陵丘阜を燒くは、百姓は安寧を得ず」。「天火が萬物を焚燒すれば、天下は分裂す」。「天火が牛馬を燒くは、兵禍屠戮は慘烈なり」。「天火が水の上に燃燒すれば、叛逆の兵事まさに興起せんとす」。「天火が大水の上に騰焰して、樹木は呼嘯の聲を發出すれば、これを奸邪興起と呼び、六月の裏にも霜を降さん」。「天上より火を落下するは、兵禍と喪事あるを主とし、萬民は流離逃亡す」。「天が端なく火を降りて焚燒するは、これを大禍殃と呼び、百姓は孩子を背負いて流亡す」。墨子はいう。「天が火を降りて城邑の城門を燒毀すれば、あの城邑は圍困せられん」。《易飛候》にいう。「天上より火を落するは、これは大凶の象にして、百姓は自らの孩子を賣りて東奔西走し、鄉里に留まらんと肯ずる人なし」。またいう。「天官の星象は軍旅の禍を現出せば、司馬は必定に敗績せん」。ここに謂う所の「司馬」とは、兵を統べる將帥を指す。
天隕石 天雨雜物 雨戟 雨人
京房《易候》曰:“王者不顧骨肉,不親九族,則天隕石。”甘氏曰:“無雲而雷,石隕隨地,大可一丈,圍形如雞子,兩頭銳,名曰天鼓,所下之邦,必有大戰,伏尸數萬,不可救。”春秋僖公十六年,隕石於宋五。此時宋襄之應也,望之是星至地為石,其所無光榮之象也。”《天鏡》曰:“天雨雜物,皆為兵喪,萬民流亡。”“天雨戟,是謂不祥,不出三年,天下兵興。”《天鏡》曰:“天雨人,無名字,妄語言,是謂凶殃。不出十二年,必易王。”
京房《易候》にいう。「君王は骨肉を顧念せず、九族を親近せざれば、天は便ち隕石を降下せん」。甘氏(すなわち戰國齊の人甘德、石申と併稱する古占星家)はいう。「天上に雲なく然るに雷を打ち、石頭は之に隨って地に墜ち、大なるは一丈に到り得、形狀は雞蛋のごとく、兩頭尖銳にして、名づけて『天鼓』という。それが落下するあの邦國は、必定に大戰ありて、屍を橫たうる數萬、挽救するに法なし」。《春秋》は魯の僖公十六年に五塊の隕石が宋國に落ちたるを記載す。これは宋襄公の霸を圖ること成らざるの應驗なり。遠く望むときはそれは天上の星にして、地面に落到すれば便ち石頭と成る。あれは光輝榮顯を失うの象徵なり。《天鏡》にいう。「天上より各種の雜物の落下するは、みな兵禍と喪事あるを主とし、萬民は流離逃亡す」。またいう。「天上より戟の落下するは、これを不祥と呼び、三年を出でずして、天下は便ち兵事を興起せん」。《天鏡》にいう。「天上より人を落下するは、姓名を説出する能わず、胡言亂語す。これを凶禍殃咎と呼び、十二年を出でずして、必定要に君王を更換せん」。
開元占經 卷四
地占
地名體
《易》曰:“天地貞觀,日月貞明。”《坤卦》曰:“牝馬地類,行地無疆。”《象》曰:“地勢坤,君子以厚德載物。”《淮南子》曰:“重濁者淹滯而為地。”《說文》曰:“元氣初分,重濁為地,萬物所陳列也。”《洪範五行傳》曰:“地者,成萬物者也。”《元命包》曰:“地者,易也。言養物懷任易變化,含吐應節,故其立字士力於一者為地。”
《周易・繫辭下》にいう。「天地は正道をもって人に顯示し、日月は正道をもって萬物に普照す」。《周易・坤卦》にいう。「母馬は地の一類に屬し、大地を行きて邊際なし」。《坤卦・象傳》にいう。「大地の形勢は寬厚和順にして、君子はこれに因って深厚の德行をもって萬物を承載す」。《淮南子》にいう。「重濁の部分は沈滯して下り、便ち地と成る」。許愼《説文解字》にいう。「元氣の剛く分かれしとき、重濁の部分は地と成り、萬物の陳列する所の在なり」。《洪範五行傳》にいう。「所謂地とは、すなわち萬物を成就するなり」。緯書《春秋元命包》にいう。「『地』はすなわち『易』なり、それが萬物を養育し懷藏承載し、容易に變化を生出し、含蓄吐納はみな節候に順應することを説く。ゆえに字を造るとき『土』『力』の二字を『一』の上に合して、便ち『地』と成れり」。
《聖證論》曰:“孔昆云:‘普天之下,華嶽列居,河海所流,丘陵墳衍,總謂之地。’”《素問》曰:“積陰為地,故地者濁陰。”《元命包》曰:“地所以右轉者,氣濁清少,含陰而起遲,故轉右迎天。”謂陰氣也。《考靈曜》曰:“地有四遊,冬至地上北而南三萬里矣,恆動而不止,而人不知,譬如人在大舟行,而人不覺也。”《漢地理志》曰:“保章氏掌天文,以星土辨九州之地,所封之域,皆為分星,以視吉凶。”
王肅《聖證論》にいう。「孔昆は講じていう、『普天の下、華山などの高嶽はその間に羅列し、江河湖海は奔流する所を經て、丘陵と高低の平野は、總べてみな地と呼ばる』」。《黃帝內經・素問》にいう。「陰氣は積聚すれば便ち地と成る。ゆえに地は濁陰に屬す」。緯書《春秋元命包》にいう。「地の右に旋轉する所以は、その氣の濁重にして清揚の分少なきに因りて、陰氣を含んで起動遲緩なれば、ゆえに右に轉じて天の運行を迎合す」。ここに謂う所はまさに陰氣なり。緯書《尚書考靈曜》にいう。「大地に『四游』あり、冬至のとき地は北より南に向かって三萬里游移し、恒常に運動して停止せざるに、人は卻って毫も覺察なし。あたかも人が大船の上に坐して行進して、自己感じ出づるがごとし」。《漢書・地理志》にいう。「保章氏は天文を掌管し、星宿の對應する分野をもって九州の土地を辨別す。およそ分封の疆域は、みな各々屬する所の分星あり、據って吉凶を觀察す」。
地數
《河圖括地象》曰:“地廣東西二萬八千里,南北二萬六千里。有君長之八極之廣,東西二億三萬三千里,南北二億三萬一千五百里。”《詩含神霧》曰:“天地東西二億三萬三千里,南北二億三萬一千五百里,天地相去億五萬里。”《廣雅》曰:“神農所治四海內,東西九十萬里,南北八十一萬里。唐帝所治九州地,二千四百三十萬八千四十二頃。夏禹所治四海內地,東西二萬八千里,南北二萬六千里。”
緯書《河圖括地象》にいう。「大地は東西の寬さ二萬八千里、南北の長さ二萬六千里。もし君長の統轄ある八極の内を一倂せに計入すれば、則ち東西二億三萬三千里、南北二億三萬一千五百里」。緯書《詩含神霧》にいう。「天地は東西二億三萬三千里、南北二億三萬一千五百里、天と地は一億五萬里を相距る」。張揖《廣雅》にいう。「神農の治理する所の四海の内は、東西九十萬里、南北八十一萬里。唐堯の治理する所の九州の土地は、合わせて二千四百三十萬八千四十二頃。夏禹の治理する所の四海の内の土地は、東西二萬八千里、南北二萬六千里」。
《命曆序》曰:“神農始立制形。”《甄曜度》曰:“四海東西九十萬里,南北八十萬里。”《山海經》曰:“帝命豎亥,步自東極至於西極、五億十選(郭璞注曰:豎亥,健行人。選,萬也。)九千八百八步。豎亥左手把策,右手指青丘。一曰:禹令豎亥;一曰:五億十萬九千八百步。”《紀年》曰:“穆王東下天下二億二千五百里;西征億有九百里;南征億有七百三里;北征二億七里。”
緯書《命曆序》にいう。「神農は最も早く土地區劃の形制を訂立せり」。緯書《洛書甄曜度》にいう。「四海の内は東西九十萬里、南北八十萬里」。《山海經》にいう。「天帝は豎亥に命じて東極より一步步量りて西極に至らしめ、五億一十萬九千八百八步を得たり。豎亥は左手に計數の算籌を拿り、右手は青丘を指す。別の一説は大禹が豎亥に命じて量らしめたとし、別の一説は五億一十萬九千八百步を量得たとす」。其中「豎亥、健行人。選、万也」の一句は原書の夾注にして、晉の人郭璞の解釋を引き、豎亥は遠行に善いる人にして、「選」はすなわち「萬」なりと説く。《竹書紀年》にいう。「周の穆王は東行して天下二億二千五百里、西征して一億九百里、南征して一億七百三里、北征して二億七里」。
《山海經》曰:“天地之東西,二萬八千里,南北二萬六千里。出水者八千里,受水者八千里。”《博物志》曰:“地祗之位,起形於崑崙,縱廣萬里,高萬一千里,神物所生,聖人仙人之所集。崑崙之東北,地轉下三千百里,有八玄幽都,方二十萬里。地下有四柱,柱廣十萬里,有三千六百軸,犬牙相舉也。”《呂氏春秋》曰:“凡四海之內,東西有五億九萬七千里,南北亦有五億九萬七千里。”《淮南子》曰:“禹乃使大章,步自東極至於西極,二億三萬三千五百里七十五步,使豎亥自北極至於南極,二億三萬三千五百里七十五步。”《古今通論》曰:“夫地者,厚三萬里,凡八極之廣,東西二十三萬三千里,南北二十三萬一千五百里。”
《山海經》にいう。「天地の東西の寬さ二萬八千里、南北の長さ二万六千里。水を發源出づるの地八千里、衆水を容納するの地八千里」。張華《博物志》にいう。「地神の位次は、その形は崑崙山より起り、崑崙は縱橫一萬里、高さ一萬一千里にして、神異の物の生ずる所・聖人と仙人の聚集する所なり。崑崙の東北方に、地勢は轉折して下に三千一百里、あそこに八處の玄冥幽都あり、方圓二十萬里。地下に四根の柱子あり、每根の柱の寬さ十萬里、別に三千六百根の軸あり、犬牙のごとく交錯して支撐す」。《呂氏春秋》にいう。「およそ四海の内は、東西に五億九萬七千里あり、南北にもまた五億九萬七千里あり」。《淮南子》にいう。「大禹はここにおいて大章を派して東極より步量して西極に至らしめ、二億三萬三千五百里零七十五步を得たり。また豎亥を派して北極より步量して南極に至らしめ、二億三萬三千五百里零七十五步を得たり」。《古今通論》にいう。「大地は厚さ三萬里。およそ八極の内の幅員は、東西二十三萬三千里、南北二十三萬一千五百里」。
地動
京氏曰:“地動,陰高者為下,下者為陽。此人君俱進,君子為小人同倫,任小人為上宰,置君子於下位,此陰高而陽卑也。故反也害及大人。”《河圖秘徵篇》曰:“地之動,大臣逆。”《雒書雒罪級》曰:“土震不言眾虐盛。”《尚書夏侯說》曰:“地大臣盛,將有為下不靜,兵數動也。”《運斗樞》曰:“地之動,知並孳,君臣蹶施(宋均曰:蹶,動也;施,放縱之也。)陰喧譁。”又曰:“地震之異,陰倍主。”
京房はいう。「地が震動するは、陰氣が反って高位に居り、本應上に在る陽氣が反って下に落つるなり。これはすなわち君主と臣下とが等量並進し、君子は小人と混じり一流と為り、小人を任用して首輔と為し、君子を下位に安置するがごとき、まさに陰高く陽卑しなり。陰陽はこのように倒置せば、禍害は便ち大人物に波及せん」。緯書《河圖祕徵篇》にいう。「大地の震動は、大臣の悖逆を主とす」。緯書《雒書雒罪級》にいう。「土地の震動して聲を出さざるは、衆多の暴虐の事の盛行する徵兆なり」。《尚書夏侯説》にいう。「地動は大臣の勢力強盛を主とし、將に下位の者の安分ならざる舉動あり、兵事は屢々發生せん」。緯書《春秋運斗樞》にいう。「大地の震動は、黨羽の滋生するを知るべく、君臣は躁動放縱し、陰氣は喧騰す」。句中の「蹶、動也。施、放縱之也」は原書の小注にして、東漢の宋均の解釋を引く。またいう。「地震のこの種の變異は、陰氣の加倍して君主を壓過する表現なり」。
《保乾圖》曰:“地動,下逆,無陽自燭:則退強臣,誅大過,免近戚。”《潛潭巴》曰:“地動搖,臣下謀上。”《運斗樞》曰:“后族專權,地動搖宮。”《春秋公著傳》曰:“臣專政,陰而行陽,故地震。”《穀梁》曰:“地動,大臣盛,將動有變。”(變謂反也)夏氏曰:“地動,民不安,搖擾流移。”劉向《洪範傳》曰:“地動者,臣不臣也,臣下大貴也。”
緯書《孝經保乾圖》にいう。「地動は、下位の者の悖逆にして陽氣の自明し能わざる徵象なり。補救の道は強橫の臣を罷退し、罪過重大の人を懲治し、近親外戚の權位を免除するに在り」。緯書《春秋潛潭巴》にいう。「大地の搖動は、臣下の君上を圖謀するを主とす」。《春秋運斗樞》にいう。「后妃の家族は權柄を專擅せば、地は便ち宮室を搖撼せん」。《春秋公羊傳》(底本は「公着傳」と作る)にいう。「臣下は朝政を專擅し、もともと陰に屬するに卻って陽の事を做す。ゆえに地震す」。《春秋穀梁傳》にいう。「地動は、大臣の勢盛なるを主とし、將に變故發生せん」。(「變」とは反叛を指す。これは原書の小注なり。)夏侯氏はいう。「地動は、百姓の不安を主とし、動盪騷擾して流徙遷移す」。劉向《洪範傳》にいう。「地動は、臣子の臣道を守らず、臣下の尊貴に過分なる所致なり」。
董仲舒《對災異》曰:“地者,陰之類也;動者,後宮臣下專,主之盛陽衰,故致疾疫。當制後宮,齊御百宮以救之。”京房《對災異》曰:“地者,大臣之位,當載安萬民,懷藏物類;而動搖者,此不欲為君載安萬民,動搖不安,思欲篡殺也。”京房《傳》曰:“地動蹶城,天下亡。”《天鏡》曰:“地動,世主失,不出千日。”
董仲舒《對災異》にいう。「地は陰の一類に屬す。それが動き起これば、后宮と臣下の權を專らにし、君主の盛陽の氣は衰減し、よって疫病を招來す。應に后宮を約束し、百官を整肅統領し、これをもって災異を消解すべし」。京房《對災異》にいう。「地は大臣の居る所の位置にして、本應萬民を承載安頓し、萬物を懷藏容納すべきに、今卻って搖動起來せり。これは肯んじて君主のために萬民を承載安頓せず、動搖安んぜずして、篡逆殺害の念頭を心に存するなり」。京房《傳》にいう。「地の震動して城池を摧塌せば、天下は覆亡せん」。《天鏡》にいう。「地動は、當世の君主の位を失うを主とし、一千天を出でずして應驗せん」。
京房曰:“地動,蹶屋、室、人,天下兵行。”“地移,或西或東,不列王公,此謂不公其行也。”“地動,動床大,歲大熟。”“地動,教令從臣下出,必有流身飢亡。”“地動,有赤水出,司馬戮。”“地動,疾驚牛馬,禽獸變動,天子失地。”“地獨動於靈廟中及朝廷,邑有亂臣,且凶。”“國無忠臣,動動不已。”“地比四五日動,人主不安。”“地數動,殺人,賊臣暴。”
京房はいう。「地が動きて房屋・居室を震塌し人口を壓傷せば、天下に將に兵事ありて推行せん」。「地面が移位し、或いは西に或いは東に、王公の班次に按じて排列せざるは、これを行事不公と呼ぶ」。「地が動きて牀榻が大幅に搖晃せば、あの年は反って大豐收せん」。「地動は、政令教命の臣下より發出するを主とし、必定に流亡して外にあり饑餓して死する人あらん」。「地動して赤色の水の涌出するあれば、兵を掌る司馬は誅戮せられん」。「地動して、牛馬をして驚かしめ禽獸をして反常に騷動せしめば、天子は將に土地を失わん」。「ただ靈廟の中と朝廷の内に單獨に地動を發生せば、あの城邑の裏に亂臣あり、情勢凶險なり」。「國中に忠臣なければ、地は便ち震動して止まざらん」。「地が接連して四五日震動すれば、君主は安寧を得ず」。「地が屢々震動して人を傷つけば、奸賊の臣の橫暴を主とす」。
“地以春動,有音,歲不昌。以夏動,有音,人主有喪。以四月動,有音,五穀不熟,民大飢。以五月動,有音,人主有喪,民流亡。以六月動,有音,少老多死,歲惡。以秋動,有音,大兵起。以九月動,有音,殃大。以冬動,有音,人主有喪,兵起。以十月動,有音,其邑有功。以十一月動,有音,其邑有大兵喪及民飢亡。以十二月動,有音,其邑有兵行。”
「地が春季に震動して併せて聲響を伴わば、あの年の年成は好からず。夏季に震動して聲あれば、君主に喪事あり。四月に震動して聲あれば、五穀熟せず、百姓は大いに饑饉を鬧さん。五月に震動して聲あれば、君主に喪事あり、百姓は流亡せん。六月に震動して聲あれば、少年老人は死亡多く、年景惡劣なり。秋季に震動して聲あれば、將に大規模の兵事興起せん。九月に震動して聲あれば、禍殃は甚だ大なり。冬季に震動して聲あれば、君主に喪事あり、兵事興起せん。十月に震動して聲あれば、あの城邑に功業あらん。十一月に震動して聲あれば、あの城邑に大兵禍・大喪事および百姓の饑餓流亡あらん。十二月に震動して聲あれば、あの城邑に將に軍隊の開拔あらん」。
《地鏡》曰:“地動三年,其國民流,東西動十日以,上必有兵。”“地動千里,是謂陰盛陽衰,人君犯四時,興土功,不出年,國有喪。”“地動,壞城郭宮室,是謂陰道失,四海有兵喪。”《抱朴子》曰:“軍中地動,必大戰,或有謀反。”張衡上書曰:“地動者,民擾也。”《易坤靈圖》曰:“地大動,搖世主之宮,國不安。”
《地鏡》にいう。「地が接連して三年震動すれば、あの國家の百姓は流散せん。東西方向に十天以上震動するは、必定に兵事あらん」。「地震の波及するは千里、これを陰盛陽衰と呼び、君主が四時の令を違犯し土木を大興する所致なり。一年を出でずして、國家に喪事あらん」。「地動して城郭宮室を毀壞すれば、これを陰道失守と呼び、四海の内に將に兵禍と喪事あらん」。葛洪《抱朴子》にいう。「軍中に地動發生すれば、必ず大戰あり、あるいは謀反する人あらん」。張衡は上書していう。「地動は、百姓の將に騷動せんとする徵兆なり」。緯書《易坤靈圖》にいう。「大地は劇烈に震動し、當世の君主の宮室を搖撼せば、國家は安寧を得ず」。
《國語》曰:“周幽王二年,西周三川皆震,伯陽父曰:‘周將亡矣;夫天地之氣,不失其序,若過其序,民之亂也。陽伏而不能出,陰迫而不能烝。於是在地震。今三川實震,陽失其所也。’”
《國語》に記載す。周の幽王二年、西周の境內の涇・渭・洛の三條の河の流域は一齊に地震せり。伯陽父はいう。「周朝は快く亡びんとす。天地の氣はそれが固有の次序あり、一旦この次序を越出せば、便ち百姓の將に亂せんの先兆なり。陽氣は下に潛伏して出來ず、陰氣はそれを壓迫してまた昇騰能わず。ここにおいて地震發生す。今三川は實實在在に地震せり。まさに陽氣がそれが應處の位置を失うなり」。
《史記》曰:“周幽王二年,西周三川皆震,(三川,涇、渭、洛也。)伯陽甫曰:‘周將亡矣,天地之氣不失其序,若過其序,民亂之也。陽伏而不能出,陰迫而不能烝,於是有地震。今三川實震,是陽失其所而填陰也。陽失而在陰,原必塞;原塞,國必亡。夫水土演而民用也;土無所演,民乏財用,不亡何待。昔伊、洛竭而夏亡,河竭而商亡;今周德若二代之季矣,其川原又塞,塞必竭,川竭山必崩;夫國必依山川,山崩、川竭,亡之徵也。若國亡,不過十年,數之紀也。’”
《史記》に記載す。周の幽王二年、西周の境內の三川はみな地震を發生せり。(原書小注:三川とは、涇水・渭水・洛水を指す。)伯陽甫はいう。「周朝は快く亡びんとす。天地の氣はその次序を錯亂せざるに、一旦錯亂せば、あれは便ち百姓のそれを擾亂せるなり。陽氣は下に潛伏して出來ず、陰氣はそれを壓迫して昇騰能わず。ここにおいて地震あり。今三川は實實在在に震動せり。これは陽氣が本位を失いて陰氣に填塞せらるるなり。陽氣が位を失いて陰の下に屈居せば、水源は必定に阻塞せん。水源阻塞せば、國家は必定に滅亡せん。水土は通暢滋潤せば、百姓はこそ用度あり。土地が滋潤を得ざれば、百姓は便ち財用に缺乏し、亡びざらば何を待たん。從前伊水・洛水は枯竭して夏朝滅亡し、黃河は枯竭して商朝滅亡せり。今周朝の德行は夏商の末世のごときにして、河川の源頭はまた阻塞せられ、阻塞せば必然に枯竭せん。河川枯竭せば、山陵は必定に崩塌せん。國家は必定要に山川に依托すべく、山崩れ川竭るは、まさに滅亡の徵兆なり。國家もし滅亡せんとせば、十年を超過せざらん。十は一個の數の終紀なるをもってなり」。
《左傳》曰:“昭公二十三年八月丁酉,南宮極震,萇弘謂劉文公曰:“君其勉之,先君之力可濟也。周之亡也,其本川震;今西王之大臣亦震,天棄之矣,東王必大克。注子朝在王城,故謂西王;敬王居狄泉,在王城之東,枚曰東王。”“漢安帝永初元年,郡國十八地震。地者,陰也。法當安靜。今乃越陰之職,專陽之政,故應以震動。”
《左傳》に記載す。魯の昭公二十三年八月丁酉日、周の王城の南宮極の處に震塌發生せり。萇弘は劉文公に對していう。「君は努力すべし。先君の功業はなほ成就すべし。當年周朝の將に亡びんとするとき、それが本源の川の震動を發生せしなり。今西王の大臣の在る所の處もまた震動せり。これは上天が彼を抛弃するにして、東王は必定に大いに全勝せん」。以下は原書の小注。王子朝は王城を據有し、ゆえに彼を「西王」と稱す。周の敬王は狄泉に住し、位置は王城の東にあり、ゆえに「東王」と呼ぶ。(底本の「枚曰東王」の「枚」の字は「故」と作るべし。)また記す。「漢の安帝永初元年、十八個の郡國に地震發生せり。地は陰に屬し、常理に按ずれば應に安靜なるべきに、今卻って陰の職分を越出し、本屬陽の政事を專擅す。ゆえに上天は震動をもって回應す」。
“漢獻帝初平年中,京師地震。董卓以問蔡伯喈,伯喈對曰:‘地動陰盛,大臣逾制之所致也。公乘青蓋車,遠近以為非宜為。’先是山東豪傑並起,卓懼,乃徙天子都長安,燔燒洛陽宮室,自為太師,號曰尚父,乘青蓋車,金華爪畫兩輪,故諫之,卓乃更乘金華皂蓋車。”《地鏡》曰:“地動而折,有急令,近臣謀主,兵革興。”
「漢の獻帝初平の年間、京城に地震發生せり。董卓はこの事を拿って蔡邕に問い、蔡邕は回答していう、『地動は陰氣の太盛にして、大臣の制度を逾越するに由りて招致せしなり。君の乘坐する青蓋車は、遠近の人はみな體制に合わずと認む』と。これ以前に山東の豪傑は紛紛として起兵し、董卓は恐懼して、便ち天子を遷して長安に都を建て、洛陽の宮室を焚燒し、自ら太師を任じ、尚父と號稱し、青蓋車に乘坐し、車の兩輪はなほ金華爪紋を以て飾れり。ゆえに蔡邕は天象を借りて彼を規諫せり。董卓はここにおいて金華皁蓋車に改乘せり」。《地鏡》にいう。「地震動して斷裂せば、將に緊急の政令の下達あり、近臣は君主を圖謀し、兵革興起せん」。
地坼
《秘徵篇》曰:“三公秉執,卦錄在心,則地坼。”《考異郵》曰:“臣恣,地裂坼。”《漢含孳》曰:“大夫專權,兵陵地坼。”《海中占》曰:“主好聽讒言,廢置大臣,女子為政,刑法誅殺不以以道理,則地坼。”京房《對災異》曰:“陰倍陽,被地坼;臣叛君,則義廢;此人君不親,上下不厚,致此災也。不救,則骨肉相殘,父子分離,羌夷叛去。”
《河圖祕徵篇》にいう。「三公は權柄を把持し、心の裏に符命圖錄を惦記せば、地は便ち開裂せん」。緯書《春秋考異郵》にいう。「臣下は恣意妄為せば、地は便ち裂開せん」。緯書《春秋漢含孳》にいう。「大夫は權柄を專擅し、兵禍は凌逼せば、地は便ち開裂せん」。漢代の星占書《海中占》にいう。「君主は讒言を聽信することを好み、隨意に大臣を廢黜安置し、女子をして政事に干與せしめ、刑罰誅殺は道理に依らざれば、地は便ち開裂せん」。京房《對災異》にいう。「陰氣は加倍して陽氣を壓過せば、地は便ち裂開せられん。臣下は君主を背叛せば、君臣の義は便ち廢棄せん。これは君主の人を親厚せず、上下の恩義の澆薄するに由りて招致せる災異なり。もし補救せざれば、便ち骨肉相殘し、父子離散し、羌人夷人は叛離して去らん」。
《演孔圖》曰:“地坼,陰畔不靜,陽不施,臣下專恣,故天下以謀去主。”《潛潭巴》曰:“地裂,下分威執,曰臣不臣。”《漢書》曰:“和帝永元七年,趙國易陽,地裂。”京房《易傳》曰:“地坼裂者,臣下分離,不肯相從,災及王公。”張衡上書曰:“土裂者,威分。”《月令》曰:“季秋行冬令,則土地分裂。”《尚書說》曰:“黃帝相亡,則地裂。”
緯書《春秋演孔圖》にいう。「地が開裂するは、陰の一方の安靜せんと肯んぜざるにして陽氣の施布し能わず、臣下は專橫恣肆なり。ゆえに天下に君主を除掉せんと圖謀する人あり」。《春秋潛潭巴》にいう。「地が裂開するは、下位の者の君主の威權を瓜分するにして、臣の臣に似ざると呼ばるるなり」。《漢書》にいう。「漢の和帝永元七年、趙國の易陽縣に地裂せり」。京房《易傳》にいう。「地が開裂するは、臣下の離心分散を主とし、相互に附從せんと肯んぜず、災禍は將に王公に殃及せん」。張衡は上書していう。「土地の開裂は、權威の分割せらるるなり」。《禮記・月令》にいう。「季秋の月に冬季の政令を推行せば、土地は便ち分裂せん」。《尚書説》にいう。「黃帝の輔相が亡故せば、地は便ち裂開せん」。
京房《易妖占》曰:“陰倍陽,地分坼。”又曰:“地分,下叛主。賢明者退,不肖者進。”又曰:“地劈大者,此謂兵起天下。分離長一里以上,及成谷,其中有水且至。所謂地劈者,坼也。”又曰:“地劈於邑,城毀廢;劈於邑朝,天下有大兵,其邑獨亡,春夏無傷;劈於朝廷,邑分離為數鄉;劈於宮殿,室邑社稷滅亡;劈於社稷,乃大祠,其下邑有大殃;劈於兵冢,下民大死亡。”《抱撲子》曰:“軍中地裂,急徙居,不則軍敗。”
京房《易妖占》にいう。「陰氣は加倍して陽氣を壓過せば、地は便ち分裂せん」。またいう。「地が分裂するは、下位の者の君主を背叛するを主とし、賢明の人は退隱し、不肖の人は進用せらる」。またいう。「地の裂けること大なるは、これを天下の兵を興すと呼ぶ。裂縫の長さ一里以上に達し、甚だしきは溝谷を形成するは、其中に將に水の涌到あらん。所謂『地劈』とは、すなわち地坼なり」。またいう。「地が城邑の處に開裂すれば、城池は毀壞廢棄せん。城邑の官署の處に開裂すれば、天下に將に大兵禍あらんとし、而してこの座の城邑は獨り覆亡に遭い、春夏兩季に開裂すれば則ち害なし。朝廷の處に開裂すれば、城邑は將に數個の鄉に分離せん。宮殿の處に開裂すれば、宮室・城邑と社稷はみな滅亡せん。社稷壇の處に開裂すれば、便ち大祭を舉行すべく、あの屬下の城邑に大禍殃あらん。軍中の墳冢の處に開裂すれば、下面の民衆は大批に死亡せん」。葛洪《抱朴子》にいう。「軍營の中に地裂せば、趕緊に駐地を遷移すべく、然らざれば軍隊は敗せん」。
《地鏡》曰:“地裂劈,臣下有分離;若在城門,驕臣從中起,邑有謀兵;地裂朝廷,分其鄉部;地裂社稷,天下有大兵;地裂市里居家,不出三年,大兵起,國有憂,王道中忽坼;不出四年,王道絕,有分天地。居地分裂一里以上,或山阜破,丘有水,天下流亡。地劈有音,及見雜物形,若於朝廷、宗廟、丘社、道中咸為兵亂、國亂;地坼有聲,天下不安,國分,包兵起。地夏裂一丈以上,殺五穀。秋裂,民流亡。冬裂,大凶;兵起,國主亡。”
《地鏡》にいう。「地が裂開するは、臣下の離心背叛あるを主とす。もし城門の處に裂けば、驕橫の臣は將に城中より發難し、城邑に兵謀あらん。地が朝廷に裂けば、便ちその鄉部を分割せん。地が社稷壇に裂けば、天下に將に大兵禍あらん。地が市井里巷民居のあいだに裂けば、三年を出でずして、大兵は興起し、國家に憂患あらん。王道の正中が忽然として斷裂せば、四年を出でずして、王道は斷絶し、天下に分崩あらん。居する所の地が一里以上裂け、あるいは山陵の崩壞し土丘の中より水を冒出するは、天下の人は流亡せん。地が開裂するとき聲響を發出し、および各種の雜物の形狀を現出せば、もし朝廷・宗廟・丘社・道路の中に發生せば、みな兵亂國亂を主とす。地が開裂して聲あれば、天下は安んぜず、國家は分裂し、兵禍は圍逼して起らん。地が夏季に一丈以上裂けば、五穀は害を受けん。秋季に裂けば、百姓は流亡せん。冬季に裂けば、大凶にして、兵事は興起し、國君は敗亡せん」。
京房《易妖占》曰:“地以正月劈,有傷歲。以二月劈,人主吉,歲樂。以三月劈,歲熟,吉。以四月劈,人主吉,歲熟,五穀登。以五月劈,五穀收。以六月劈,此歲定。經七月劈,此驚駭,兵起發。以八月劈,兵大作,民流亡。以九月劈,煞兵行,人主恐亡。以十月劈,有亡,邑有兵。以十一月劈,民不安,兵大作。以十二月劈,人主大降將凶。”
京房《易妖占》にいう。「地が正月に開裂すれば、年成を損傷せん。二月に開裂すれば、君主は吉利にして年景は歡樂なり。三月に開裂すれば、年成は豐熟して吉なり。四月に開裂すれば、君主は吉利にして年成は豐熟、五穀は登收せん。五月に開裂すれば、五穀に收成あらん。六月に開裂すれば、この年は安定なり。七月に開裂すれば、人をして驚駭せしめ、兵事は將に發動せん。八月に開裂すれば、兵事は大いに起り、百姓は流亡せん。九月に開裂すれば、殺伐の師は出動し、君主は惶恐して將に亡びん。十月に開裂すれば、喪亡の事あり、城邑に兵禍あらん。十一月に開裂すれば、百姓は安んぜず、兵事は大いに起らん。十二月に開裂すれば、君主は將に大なる貶降を遭い、凶事あらん」。
《潛潭巴》曰:“地鳴而坼,君不專政,臣叛作。”《易坤靈圖》曰:“黃之人精,兵起,地大裂,土化為人。”《易妖占》曰:“地劈有狀,掌掌闌闌,此兵急。邑分有音,哅哅亂,天下不安,傳驛相從。”“地分坼,軍破將急出,去不可止。”漢陽嘉二年六月,雒陽宣德亭地坼,長八十五丈,時李固對策,以為陰類專恣,將有分離之象,上帝以戒陛下。”
《春秋潛潭巴》にいう。「地が先ず鳴聲を發して然る後に開裂するは、君主の朝政を獨掌し能わず、臣下の起りて叛亂するを主とす」。緯書《易坤靈圖》にいう。「黃色人形の精が出現すれば、兵事は興起し、大地は開裂し、泥土は化して人形と作る」。《易妖占》にいう。「地が開裂して形狀を現出し、斑斑驳駁・縱橫交錯すれば、これは兵事緊急を主とす。城邑が分裂して聲音あり、喧鬧嘈雜せば、天下は安んぜず、驛站の文書は接連不斷に傳遞せん」。「地が分裂するは、軍隊の潰敗を主とし、將領は趕緊に圍を突きて出走すべく、一去すれば便ち制止するに法なし」。漢の順帝陽嘉二年六月、雒陽の宣德亭の一帶に地裂し、長さ八十五丈。當時李固は詔に應じて對策し、これを陰類の專橫恣肆にして將に分崩離析の象を出現せんとし、上天はこれを借りて陛下を告誡すると認めり。
地陷
《地鏡》曰:“地自陷,天王亡地。”《書緯遠期授》曰:“赤帝亡,五郡陷。”《秘徵篇》曰:“邑之淪,主勢奪。”《運斗樞》曰:“邑之淪,陰吞陽,下相屠。”《潛潭巴》曰:“天子無深鑿地,深則民苦,邑反淪而下。”《保乾圖》曰:“地淪,山亡之兆。亂如塗,禍漫漫。”《地鏡》曰:“地無故自下,天下亂,兵大起。”《易妖占》曰:“地自下,其君亡。”又曰:“家無故宅自陷下,此必人亡其邑君矣。”《地鏡》曰:“地陷沒入,人君為臣下所擒。”
《地鏡》にいう。「地が自ら塌陷するは、天王の國土を失うを主とす」。《書緯遠期授》にいう。「赤帝が敗亡せば、五個の郡は陷落せん」。《河圖祕徵篇》にいう。「城邑の沈陷は、君主の權勢の剝奪せらるるを主とす」。《春秋運斗樞》にいう。「城邑の沈陷は、陰氣の陽氣を吞沒し、下位の者の互相屠戮するなり」。《春秋潛潭巴》にいう。「天子は土地を深く挖るを要せず。挖ること太も深ければ百姓は便ち受苦し、城邑は反って沈陷下去せん」。《孝經保乾圖》にいう。「土地の沈陷は、山嶽消亡の預兆にして、禍亂は泥淖のごとく自拔しがたく、災禍は彌漫して邊なし」。《地鏡》にいう。「地が無故に自ら下陷せば、天下は大亂し、兵事は大いに起らん」。《易妖占》にいう。「地が自ら下陷せば、あの國の君主は將に亡びん」。またいう。「人の家の宅子が無故に自ら陷落すれば、これは必定にあの人がその邑君の位を失掉せんとするなり」。《地鏡》にいう。「地が塌陷して人を埋沒せしめ入れば、君主の臣下に擒獲せらるるを主とす」。
《異苑》曰:“晉武帝太康五年,宗廟地欻陷,無故梁自折,凡宗廟,所以承祖先嗣,承世不利,安居摧陷,是縹絕之徵也。”京房曰:“山無故自下降,天下兵作。”“晉太康八年七月,大雨,殿前陷,方五尺,深數丈,中有破船。”
劉敬叔《異苑》にいう。「晉の武帝太康五年、宗廟の地面は忽然として塌陷し、屋梁は無故に自ら折斷せり。およそ宗廟とは、祖先を承奉し後嗣を傳續するを用いるなり。今傳世利あらず、安居の處は摧折塌陷す。これは國祚斷絶の徵兆なり」。京房はいう。「山嶺が無故に自ら下降せば、天下に兵事を起こさん」。「晉の武帝太康八年七月、天は大雨を降り、殿前の地面は塌陷し、方圓五尺、深さ數丈に達し、裏面に竟に一條の破船あり」。
京房《妖占》曰:“地以正月自下,且有大事。以三月自下,水月火至。以五月自下,不吉,天下有兵,民兵離鄉。以六月自下,大水,且至多不常。以七月自下,天下兵大行。以八月自下,天下大搖,民多行。以九月自下,天下有亡主。以十月自下,天下有兵。以十一月自下,有水且行。以十二月自下,大水,且移者傷。”《地鏡》曰:“春地陷,有大水,魚行人道。夏陷,兵起,國分,有非常水。秋陷,有大兵。冬陷,有兵、水。”
京房《妖占》にいう。「地が正月に自ら下陷せば、將に大事あらん。三月に自ら下陷せば、水災と火災は接踵而至せん。五月に自ら下陷せば、吉ならず、天下に兵事あり、百姓と士卒は鄉里を離れん。六月に自ら下陷せば、大水ありて、しかも來ること多くまた反常なり。七月に自ら下陷せば、天下は大いに兵を舉げん。八月に自ら下陷せば、天下は大いに動搖し、百姓に遷徙多からん。九月に自ら下陷せば、天下に君主の敗亡あらん。十月に自ら下陷せば、天下に兵事あらん。十一月に自ら下陷せば、大水ありて將に泛流せん。十二月に自ら下陷せば、大水ありて、遷徙の人は損傷を受けん」。《地鏡》にいう。「春天に地陷せば、大水ありて、魚は人の行く道路上に游がん。夏天に地陷せば、兵事は興起し、國家は分裂し、異常の水患あらん。秋天に地陷せば、將に大規模の兵事あらん。冬天に地陷せば、兵禍と水災あらん」。
地燃
京房《易傳》曰:“火出地,其國大出水,其君死。”《述異記》曰:“姚興永和十年,華山東界地燃,廣百餘步,草木煙枯,井谷沸竭,置生物皆熟,民殘之徵也。晉惠帝光照元年五月,范陽國北,地燃可爨。至九月而驃騎范陽王司馬虓薨。十一月,惠帝用食而崩。懷帝即位,太傅東海王司馬越殺太宰,河間王司馬顒專柄朝政,又尋死遂沮。永嘉之亂,海淪殪越之亂,副亦皆殄滅。石勒焚越之尸,此其應也。”
京房《易傳》にいう。「火が地の裏より冒出すれば、あの國家に大量に水を出で、それが君主は死せん」。《述異記》にいう。「後秦の姚興永和十年、華山の東界の一帶に地下燃燒し、寬さ一百余步、草木は烟に熏枯せられ、井泉溝谷は沸騰干涸し、活物をその上に放てばみな燙熟せん。これは百姓の將に殘害に遭わんの徵兆なり。晉の惠帝光熙元年(底本は『光照』と作る)五月、范陽國の北面に地下燃燒し、用いて火を燒き飯を做るべし。九月に至り、驃騎將軍范陽王司馬虓は去世せり。十一月、惠帝は食を進みたる後に駕崩せり。懷帝が即位した後、太傅東海王司馬越は太宰を殺掉し、河間王司馬顒は朝政を專擅し、まもなくもまた死去して事敗壞せり。永嘉の亂の中に、司馬越の亂の牽連する所の人もまたみな殲滅せられり。石勒は司馬越の屍首を焚燒せり。これがすなわちあの次の地燃の應驗なり」。
《有秦錄》曰:“初秦之未亂也,關中大然,無火而煙氣大起,月餘不滅。”慕容熙光始四年,遼東新郡地燃,五年八月,為遼西太守邵顏聚徒反,至九月敗,誅熙。建始元年正月,華陽郡地燃,是歲,熙僭號之七年也。其年五月,為尚書郎苻進謀反,事覺誅至,九月熙出逸,妻瘞,進餘黨推之賊高和為主,據城反,熙馳還,不得入,遂逃。不免,為和所誅。後三年,宋高祖平齊,冬,盡坑其眾,二燕並滅,慕容氏殲焉。此皆不祥之應也。”
《有秦錄》にいう。「當初前秦はまだ大亂なかりしとき、關中の一帶は大面積に地下燃燒し、明火なきも然るに烟氣騰騰、一個多月熄まざりき」。後燕の慕容熙光始四年、遼東の新設の郡に地下燃燒せり。光始五年八月、遼西太守邵顔は衆を聚めて造反し、九月に到りて敗亡し、慕容熙に誅殺せられり。建始元年正月、華陽郡に地下燃燒し、この年はまさに慕容熙が僭して帝號を稱する第七年なり。當年五月、尚書郎苻進は造反を圖謀し、事敗露して誅せられ、九月に至り、慕容熙は出逃し、妻子は草草として掩埋せられ、苻進の餘黨は賊首高和を推擧して主と為し、城を據して反叛せり。慕容熙は馬を馳せて趕回すも、城に入ること能わず、逃走するしかなく、終究一死を免れず、高和に殺せられり。此の後三年、宋の高祖劉裕は齊地を平定し、冬にその部衆を全部坑殺し、兩個の燕國は一倂せに覆滅し、慕容氏はここに於て殲盡せられり。これらはみな不祥の兆の應驗なり。
地鳴
《地鏡》曰:“地中哅哅有聲,人君好興兵相致。”《潛潭巴》曰:“地鳴有聲,天子不知國,政任婦人。”“地中有聲洞洞者,邑亡。”京房《易候》曰:“地中訩訩,若嗷嗷,為凶祥,所愛子死,邦有殃。”
《地鏡》にいう。「地下より喧嚷嘈雜の聲音を發出するは、君主の干戈を好み動かし、彼此に戰禍を招引するを主とす」。緯書《春秋潛潭巴》にいう。「地が鳴響を發出するは、天子の治國の道を解せず、政事を婦人に交して辦せしむるを主とす」。またいう。「地下より空洞の響聲を發出せば、あの城邑は覆亡せん」。京房《易候》にいう。「地下に紛紛擾擾、衆人の號叫するがごとき聲音の響起するは、これは凶險の徵兆にして、寵愛する兒子は死し、邦國に禍殃あらん」。
地生毛
《地鏡》曰:“地忽生毛,天下亂,兵起。”《易妖占》曰:“地生毛,百姓勞苦。”《史記》曰:“趙王遷時,人訛言曰:‘秦為笑,趙為號,以為不信,視地之生毛。’後五年,地果生毛,七年而秦滅趙。”
《地鏡》にいう。「地面に忽然と毛を生長せば、天下は大亂し、兵事興起せん」。《易妖占》にいう。「地上に毛を生ずるは、百姓の勞苦を主とす」。《史記》に記載す。趙王遷が位に在るとき、民間に一句の謠諺を流傳していう。「秦國は笑い、趙國は哭く。もし信ぜざれば、地上に毛を生ずるや否やを看よ」と。五年を過ぎて、地上に果して毛を生出し、第七年に到りて、秦國は便ち趙國を滅掉せり。
地嘔血
《地鏡》曰:“地出血,為兵亂,國亡。”“地忽生血,國將虛。”《潛潭巴》曰:“地嘔血,禍之極效也。”《地鏡》曰:“地無故赤如燃,兵大起。”《河圖》曰:“地赤如丹,血流泛泛。”《易妖占》曰:“功臣戮厥,地生血。”王隱《晉書》曰:“祖約為豫州,府內地皆如丹,其後果凶。”京房曰:“地生血,賊必來攻,凶急,去忽留。”
《地鏡》にいう。「地の裏より血を涌出せば、兵亂を主とし、國家は滅亡せん」。またいう。「地上に忽然として血を生出せば、國勢は將に空虛せん」。《春秋潛潭巴》にいう。「大地の嘔血は、禍患の極點に達するの驗證なり」。《地鏡》にいう。「地が無故に紅く燃燒するがごとくなれば、兵事大いに起らん」。《河圖》にいう。「地面の赤紅なること丹砂のごときは、將に鮮血の四處に漫流せん」。《易妖占》にいう。「功ある臣が殺戮に遭えば、地は便ち血を生出せん」。東晉の王隱《晉書》にいう。「祖約が豫州刺史に出任したとき、官府の裏の地面はみな紅く丹砂のごとく、後來果して凶禍に遭えり」。京房はいう。「地の血を生ずるは、敵寇は必定に前來進攻し、凶險急迫にして、應に趕快に離去し滯留すべからず」。
地出光
《地鏡》曰:“地忽生光,如火照,憂國危亡。”《潛潭巴》曰:“地生光,女謁行。”“地忽生光,小人進,賢人滅。”(注云:近驗敬暉桓范等被逐,而小人用事,於時洛陽城東白馬寺側地光如鏡,行者影現。)京房《易候》曰:“不顧骨肉,不親九族,厥德已衰,地出光。”
《地鏡》にいう。「地面に忽然として光亮を發出し、火の照るがごときは、國家の危亡を憂うを主とす」。《春秋潛潭巴》にいう。「地面の光を發するは、女子に借りて請託干政の風氣の盛行を主とす」。またいう。「地面に忽然として光を發せば、小人は進用し、賢人は排斥せらる」。括弧内は原書の小注にしていう。近世の驗證は敬暉・桓彦范などの人の貶逐せられ、而して小人の權を當て事を用いるなり。當時洛陽城東の白馬寺の旁に地面は光を發して鏡のごとく、行人の影子はみなその上に映現せり。(底本は「桓范」と作る。應に桓彦范を指す。)京房《易候》にいう。「君主は骨肉を顧念せず、九族を親近せざれば、彼の德行はすでに衰敗し、地は便ち光を發出せん」。
地自出泉
《地鏡》曰:“地無故自成泉,天下亂,兵起,大水。”《易候》曰:“天不下雨而地自出泉,其國大水,亂從中生。”《地鏡》曰:“湧泉忽出,臣為禍害,或以疾;不過三年,國憂有喪。”“家中庭忽出泉者,當富。”
《地鏡》にいう。「地が無故に自ら涌して泉水と成れば、天下は大亂し、兵事興起して併せて大水あらん」。《易候》にいう。「天上には併せて雨を降らざるに、地の裏に卻って自ら泉水を涌出せば、あの國家は大水に遭い、禍亂は內部より產生せん」。《地鏡》にいう。「泉水の忽然として噴涌而出するは、臣下の禍害を製造するを主とし、あるいは疾疫流行せん。三年を過ぎずして、國家に憂患喪事あらん」。またいう。「人の家の庭院の當中に忽然として泉水の涌出するは、あの家の人は應に致富せん」。
地自長
《明鏡》曰:“地忽自長,在道中,天下不通;地長邑下,其治毀;地長市中,國有利;地長社稷,王者增土;地長洲嶼,上亦增土;地無故自長,如丘隴、室屋,其上或生草木,皆失地,亡民。春長者,吉昌。卒長有生樹,天王安;有死樹,國王亡。地夏長,年中熟。秋長,殺生,易地。冬長,國不安,地上卒息者,大人將起。”
《明鏡》にいう。「地面に忽然として自ら隆起す。道路の當中に隆るは、天下の道路の通ぜざるを主とす。城邑の下に隆るは、あそこの治所の毀壞するを主とす。集市の中に隆るは、國家の利を得るを主とす。社稷壇に隆るは、君王の土地を增廣するを主とす。隆起して洲渚島嶼と成るは、君上もまた土地を增廣するを主とす。地が無故に自ら隆起し、形狀は墳丘あるいは屋室のごとく、上面あるいはなほ草木を生長する、これらはみな土地を喪失し人民を丟掉するを主とす。春天に隆起するは、吉利昌盛なり。忽然として隆起してその上に活きる樹を長ずるは、天王は安寧なり。枯樹を長ずるは、國王は敗亡せん。地が夏天に隆起せば、年成は中等に豐熟せん。秋天に隆起せば、肅殺傷生を主とし、封地を更換せん。冬天に隆起せば、國家は安んぜず。地面に忽然として喘息のごとく起伏するは、大人物の將に興起せんを主とす」。
地自營宮 地生雜物 地生卵
《地鏡》曰:“大澤中地無故自營宮,女患,位卑者暴貴。”《地鏡》曰:“地無故生雜物,天下亂,兵起,大水。”《易傳》曰:“地自生卵,將軍且疾。”
《地鏡》にいう。「大きな湖沼の中に、地が無故に自ら圍みて宮室の形狀と成るは、女子に由りて引起される禍患あり、地位卑下の人は驟然として顯貴なるを主とす」。《地鏡》はまたいう。「地が無故に各種の雜物を生長せば、天下は大亂し、兵事興起して併せて大水あらん」。《易傳》にいう。「地の裏に自ら卵を生出するは、將軍の將に患病せんを主とす」。
地生石
京房《易傳》曰:“地自生石,軍可久居。”《地鏡》曰:“石生平野,庶人逆謀,興兵,臣反,不出三月,齊兵起。”
京房《易傳》にいう。「地の裏に自ら石頭を生長するは、軍隊のここに長久に駐紮すべきを主とす」。《地鏡》にいう。「石頭が平曠の原野の上に生ずるは、平民の叛逆を圖謀し兵を起して亂を作し、臣下の反叛するを主とす。三個月を出でずして、兵事は便ち一齊に興發せん」。
地生穀
京房《易傳》曰:“地自出五穀,將軍得大道,生黃色,將軍得土地。”
京房《易傳》にいう。「地の裏に自ら五穀を生長するは、將軍の大道を踐行し大業を成就し得るを主とす。もし生出したる穀物の黃色を呈せば、將軍の土地を獲得するを主とす」。
開元占經 卷五
日占 一
日名體
張揖《廣雅》曰:“朱明、曜靈、東君,日也。”《兵法》曰:“姓張名長生,字子房;一名子明,字長史,能者知便不畏白刃。”皇甫謐《年曆》曰:“日以晝明,名曰曜靈。”《春秋元命苞》曰:“日之為言實也,節也,含一開度立節,使物咸別,故謂之日。言陽佈散合如一,故其立字四合共一者,為日。望之度尺,以千里立。”(實者周圓缺合一言其身者)
張揖《廣雅》にいう。「朱明・曜靈・東君は、みな太陽の別名なり」。《兵法》にいう。「太陽は姓は張、名は長生、字は子房。また名は子明、字は長史。この一套を懂得する人は事に臨みて機を知り、白刃をも畏懼せず」。皇甫謐《年曆》にいう。「太陽は白晝に光を放つ。ゆえに名づけて『曜靈』という」。緯書《春秋元命苞》にいう。「『日』のこの字は義を『實』に取り、また義を『節』に取る。それは一元を含蘊し、度數を開闢し、節候を確立し、萬物をして各々分別あらしむ。ゆえにこれを日と稱す。これは陽氣の布散開來してまた一に合歸するを説く。ゆえに字を造るとき四面を圍合し中間に一畫を共にする形狀を『日』と寫せり。それを望み上ぐるに一尺の視徑あり。これは千里一寸の比例に按じて推立したるなり」。括弧内は原書の小注。所謂「實」とは、日體の周圓完滿・盈缺合一に就いて言うにして、その形體を講ずるなり。
《春秋元命苞》曰:“天尊精為日,陽以一起,日以發紀。尊故滿,滿故施,施故仁,仁故明,明故精,精故外光,故火日外景,陽精外吐。”《春秋元命苞》曰:“元開陽為天精,精為日,散而分佈為大辰天一。陽成於三,故日中有三足烏。”《淮南天文問詰》曰:“積陽之熱氣生火,火氣之精者為日。日者,陽之主也。故陽燧見日則燃而為火。又曰日者,天之使也。”《河圖》曰:“在天為日月,在地為水火。”
《春秋元命苞》にいう。「天の至尊の精は凝りて太陽と成り、陽氣は『一』より起始し、太陽はこれに由りて紀元を開啓す。至尊なるをもってのゆえに圓滿し、圓滿なるをもってのゆえに施與し能わく、施與するをもってのゆえに仁德あり、仁德あるをもってのゆえに光明し、光明なるをもってのゆえに精純し、精純なるをもってのゆえに外に向かって光を發す。ゆえに火と太陽はみな光を外に向かって射出し、陽氣の精は外に向かって吐露す」。《春秋元命苞》はまたいう。「元氣は陽を開闢出し、天の精と成る。精は凝聚して太陽と為り、散開分布すれば則ち大辰と天一等の星と成る。陽數は三に成る。ゆえに太陽の裏面に三足の烏あり」。《淮南子・天文訓》にいう。「積聚の陽氣の生ずる所の熱氣は化して火と成り、火氣の中最も精の部分は便ち太陽なり。太陽は陽氣の主なり。ゆえに陽燧をもって太陽に對せば、便ち引燃して火を取るべし」。またいう。「太陽は上天の使者なり」。《河圖》にいう。「天上に於ては日月と表現し、地上に於ては水火と表現す」。
楊泉《物理論》曰:“日者,天陽之精也。夏則陽盛,故晝長,夜短;冬則陰盛,故夜長,晝短;春秋則陰陽均,故晝夜等。”張衡《靈憲》曰:“日者,陽精之宗,積而成鳥,象烏有三趾,陽之類,其數奇也。日譬猶火也,月譬猶水也,火則外光,水則含景,故宣明於晝,納明於夜,如是瑕,必露其匿,人君得,仰則焉。”
晉の人楊泉《物理論》にいう。「太陽は天上の陽氣の精華なり。夏天は陽氣旺盛なり。ゆえに白晝長く黑夜短し。冬天は陰氣旺盛なり。ゆえに黑夜長く白晝短し。春秋兩季は陰陽均平なり。ゆえに晝夜相等し」。張衡《靈憲》にいう。「太陽は陽精の宗主にして、陽精は積聚して鳥形と成り、形象は三隻の脚の烏にして、陽の一類に屬す。ゆえに奇數を取る。太陽は火に比すべく、月亮は水に比すべし。火は外に向かって光を放ち、水は影像を含蓄す。ゆえに太陽は白天に光明を宣布し、月亮は夜裏に光明を承受す。日面もし瑕疵あれば、必定にそれが隱藏する所の物を暴露出さん。君主はこれに由りて領會する所有れば、便ち仰觀して法を取るべし」。
石氏曰:“日光旁照十萬二千里,經三十二萬四千里,同一百萬二千里。暉經千里,(周髀曰:經一千二百五十里)周三千里。(徐整長曆曰:“日經千里,周三千里。”周三千里與石氏同也。)張衡《靈憲》曰:“日、月,其當天七百三十分之一。”(徐整長曆曰:日下於天七千里。)
石氏(戰國の魏人石申、古星占學派の宗師)はいう。「日光は四旁に向かって照射すること十萬二千里、直徑三十二萬四千里、合わせて周長一百萬二千里。日輪の本身の光暉は直徑一千里、周長三千里」。其中「《周髀》に曰く、經一千二百五十里」および「徐整《長曆》に曰く、『日經千里、周三千里』。周三千里は石氏と同じなり」は、みな原書の小注にして、《周髀算經》は直徑一千二百五十里と作り、三國の吳人徐整《長曆》は太陽の直徑一千里・周長三千里と説き、その周長三千里の數は石氏と相合す。張衡《靈憲》にいう。「日と月の視直徑は、各々周天の七百三十分の一を占む」。末尾の括弧内もまた原書の小注。徐整《長曆》は太陽の天より低きこと七千里と説く。
日行度
揚雄《方言》曰:“日暈為躔歷行也。”(躔,踐也)《春秋元命包》曰:“日行一度以立序,行三百六十五度四分度之一。”《春秋元命包》曰:“日月左行周天二十三萬里。”《河圖》曰:“天元十一月甲子夜半,朔,日月俱起牽牛初度。推歷考宿,正月在營室;二月在奎;三月在胃;四月在畢;五月在東井;六月在柳;七月在翌;八月在角;九月在房;十月在尾;十一月在斗;十二月在牽牛。”
揚雄《方言》にいう。「日暈を『躔』と呼ぶ。これは太陽の依次に經歷運行するを指す」。括弧内は原書の小注。「躔」とはすなわち踩踏して經行するの意思なり。緯書《春秋元命包》にいう。「太陽は每天に一度を行りて以て次序を確立し、一周は共に三百六十五度また四分の一度を行る」。《春秋元命包》はまたいう。「日月は左に向かって運行し、周天を繞ること一圈は二十三萬里なり」。《河圖》にいう。「天元十一月甲子日の夜半の合朔を以て起算と為し、日月はみな牽牛宿の初度より出發す。曆法を推排し各月の在る所の宿次を核定す。正月は營室に在り、二月は奎に在り、三月は胃に在り、四月は畢に在り、五月は東井に在り、六月は柳に在り、七月は翼に在り、八月は角に在り、九月は房に在り、十月は尾に在り、十一月は斗に在り、十二月は牽牛に在り」。
《河圖》曰:“日月五星同道,過牽牛、女、虛、危、室、璧、奎、婁、胃、昂,皆行其南之九尺;畢北七尺;觜參北一丈三尺;貫東井,出鬼南六尺,出柳北六尺,出七星張北一丈三尺,出翌軫北一丈三尺,貫角亢出氐南一尺,出房左右股間,出心北二尺,出尾北九尺,出箕北一尺,貫南斗,復至牛。此日、月、五星行常道也。
《河圖》にいう。「日・月と五星は一道を同行す。牽牛・須女・虛・危・營室・東壁・奎・婁・胃・昴の各宿を經過するときは、みなこれらの宿の南面の九尺の處より通過す。畢宿を過ぐるときは北面の七尺の處より通過す。觜宿・參宿を過ぐるときは北面の一丈三尺の處より通過す。東井宿を穿過す。輿鬼宿を出づるとき南面の六尺の處に在り、柳宿を出づるとき北面の六尺の處に在り、七星・張宿を出づるとき北面の一丈三尺の處に在り、翼・軫を出づるとき北面の一丈三尺の處に在り。角宿・亢宿を穿過し、氐宿を出づるとき南面の一尺の處に在り。房宿の左右兩股のあいだより穿出す。心宿を出づるとき北面の二尺の處に在り、尾宿を出づるとき北面の九尺の處に在り、箕宿を出づるとき北面の一尺の處に在り。再び南斗を穿過し、牽牛宿に回到す。これがすなわち日・月・五星の運行の常道なり」。
《洛書》曰:“日、月、五星行歷左角內,行左亢外四尺;行歷左氐外;行房兩股間;行心內六尺;行尾內十八尺;行箕內十二尺;行斗柄中一尺;行牛中;行女外四尺;行虛外六尺;行危外十三尺;行室外十六尺;行璧外十三尺;行奎外十三尺;行婁外九尺;行胃外十尺;行井中;行鬼外十四尺;行柳內九尺;行觜內八尺;行參內十八尺;行七星內十五尺;行張內十八尺;翌內十六尺;行軫內十六尺。在上者為北,此日月五星之正也。”
《洛書》にいう。「日・月・五星は運行して左角宿の內側を經過し、左亢宿の外側四尺を經過す。左氐宿の外側を經歷す。房宿の兩股のあいだより通過す。心宿の內側六尺を行る。尾宿の內側十八尺を行る。箕宿の內側十二尺を行る。南斗の斗柄の中の一尺を行る。牽牛宿の正中を行る。須女宿の外側四尺を行る。虛宿の外側六尺を行る。危宿の外側十三尺を行る。營室の外側十六尺を行る。東壁の外側十三尺を行る。奎宿の外側十三尺を行る。婁宿の外側九尺を行る。胃宿の外側十尺を行る。東井の正中を行る。輿鬼の外側十四尺を行る。柳宿の內側九尺を行る。觜宿の內側八尺を行る。參宿の內側十八尺を行る。七星の內側十五尺を行る。張宿の內側十八尺を行る。翼宿の內側十六尺を行る。軫宿の內側十六尺を行る。謂う所の『在上』とは北面を指す。これがすなわち日月五星の運行の正軌なり」。
《易坤靈圖》曰:“王者至德之蔭,則日月若連珠璧。”(鄭玄曰:至德之蔭,謂將興之時;連璧無朔望之異也。)《尚書考靈曜》曰:“天地開闢,曜滿舒元,曆紀名月,首甲子冬至,日、月、五緯,俱起牽牛初,日月若懸璧,五星若連珠。”
緯書《易坤靈圖》にいう。「君王に至高の德澤ありて天下を庇蔭せば、日月の運行は串連したる珠玉璧環のごとく整齊ならん」。括弧内は原書の小注にして、鄭玄の解釋を引く。所謂「至德之蔭」とは、王業の將に興らんとするのときを指す。「連璧」とは日月の並行して朔望盈虧の差異なきを説く。緯書《尚書考靈曜》にいう。「天地開闢の初め、光曜は充盈して元氣を舒展し、曆法紀元は月序を定下し、甲子日の冬至を以て起首と為し、日・月と金木水火土の五緯星はみな牽牛宿の初度より出發す。日月は懸掛の玉璧のごとく、五星は串起の珠子のごとし」。
《淮南天文問詰》曰:“太陰元始,建於甲寅。(大元,初有日月五星之時也)日月俱入營室五度。(日月如連璧,五星如貫珠,皆右行)天一以始,建七十六歲,日月復以正月入營室五度,無餘分,(餘分,少餘也)名曰一紀。天一凡二十紀千五百二十歲大終,日月星辰復始甲寅之元。日月行危一度而歲有奇四分度之一;(危,北方宿也)故四歲而積千四百六十一日而復合故舍,八十歲而復。
《淮南子・天文訓》にいう。「太陰紀年の元始は、甲寅に建つ」。(原書小注:所謂「大元」とは、剛ち日月五星有らんとするのときなり。)「日月はみな營室宿の五度に進入す」。(原書小注:日月は連綴の璧のごとく、五星は貫串の珠のごとく、みな右に向かって運行す。)「天一を以て起點と為し、七十六年を經過して、日月は重新たに正月に營室宿の五度に進入し、更に零餘の分數なし」(原書小注:「餘分」とはすなわち零星の小數なり)、「これを一紀と呼ぶ。天一は共に二十紀、一千五百二十年を以て一大終と為し、日月星辰はまた甲寅のこの元始に回到す。日月は危宿の一度を行經し、一年はなほ四分の一度を多出す」(原書小注:危は、北方の宿なり)、「ゆえに四年は積滿して一千四百六十一日と為りて重新たに原來の宿位に回到し、八十年はまた一個の循環なり」。
故曰子午卯酉為二繩;丑寅、辰巳、未申、戌亥為四鉤。東北為報德之維,西南為倍陽之維,東南為常羊之維,西北為瞦之維。日冬至則井北中繩,陰氣極,陽氣萌,故曰冬至為德。日夏至則斗南中繩,陽氣極,陰氣萌;故曰夏至為刑。陰氣極則北至,北極下至黃泉,故不可以鑿地穿井,萬物閉藏,蟄蟲首穴,故曰德在室。陽氣極則南至,南極上至朱天,故不可以夷邱上屋,萬物蕃息,五穀兆長,故曰德在野。(夷,平也)
「ゆえに子午・卯酉の兩條の直線を『二繩』と呼ぶと説く。丑寅・辰巳・未申・戌亥の四組の方位を『四鈎』と呼ぶ。東北方を報德之維と呼び、西南方を倍陽之維と呼び、東南方を常羊之維と呼び、西北方を『瞦』之維と呼ぶ(底本のここ『瞦』の字の後にはなほ一個の私用區の生僻字符を緊跟す。今本の《淮南子》は『蹏通之維』と作る)。太陽は冬至に到れば便ち東井宿の北面の中繩の上に行到し、陰氣は極點に到り、陽氣は萌生を始む。ゆえに冬至は德に屬すと説く。太陽は夏至に到れば便ち南斗宿の南面の中繩の上に行到し、陽氣は極點に到り、陰氣は萌生を始む。ゆえに夏至は刑に屬すと説く。陰氣が極點に到るはすなわち北至にして、北極の下は深く黄泉に達す。ゆえにこのとき地を掘り井を鑿つべからず。萬物は閉藏し、蟄蟲はみな洞口に縮在す。ゆえに德は室內に在りと説く。陽氣が極點に到るはすなわち南至にして、南極の上は高く朱天に至る。ゆえにこのとき丘陵を鏟平し屋に登り修葺すべからず。萬物は繁衍生息し、五穀は萌發生長す。ゆえに德は野外に在りと説く」。(末句の括弧内は原書の小注:「夷」とはすなわち鏟平なり。)
《漢書天文志》曰:“凡君行急,則日行疾;君行緩,則日行遲;日行不可指而知也。故以二至二分之星為候。日東行,星西轉。冬至昏奎八度中;夏至氐十三度中;春分柳一度中;秋分牽牛三度七創建中;此其正行。七日行疾,則星西轉疾,事勢然也。故過中則疾,君行急之感也。不及中則遲,君行緩之象也。至月行則以晦朔決之;日冬則南,夏則北,冬至於牽牛,夏至於東井。日之所行為中道,月、五星皆隨之。”《禮緯》曰:“天子服中,禮從容中;則日、月、五星不敢縱橫。”京房《別對災異》:“日行房,乘三道,太平上道,癉平中道,霸世行下道雲。”
《漢書・天文志》にいう。「およそ君主の行事急躁なれば、太陽の運行は便ち快く、君主の行事遲緩なれば、太陽の運行は便ち慢し。太陽の行度は直接に指點出すに法なきをもって、ゆえに二至二分のときの中天の星象を以て測候す。太陽は東に向かって行き、星辰は西に向かって轉ず。冬至の黃昏のとき奎宿の八度は南中天に居り、夏至のとき氐宿の十三度は中に居り、春分のとき柳宿の一度は中に居り、秋分のとき牽牛宿の三度は中に居る。これはそれが正常の行度なり。太陽の行くこと快ければ、星辰の西轉もまた快し。事理形勢はもともとこのごとし。ゆえに星宿の應在の中天位置を越過するはすなわち行疾にして、あれは君主の行事急躁の感應なり。應在の中天位置に到らざるはすなわち行遲にして、あれは君主の行事遲緩の象徵なり。月亮の運行に至っては、則ち晦朔を以て判定す。太陽は冬天は南に偏り、夏天は北に偏り、冬至は牽牛宿に到り、夏至は東井宿に到る。太陽の行く所の路線を中道と呼び、月亮と五星はみなそれに跟って走る」。(「秋分牽牛三度七創建中」の「七創建」の三字・「七日行疾」の「七」の字は、均しく底本の傳寫に因って誤を致す。)《禮緯》にいう。「天子の服制は中道に合し、禮儀擧止は從容として度に合せば、あれば日・月・五星は敢えて縱橫に次を失わず」。京房《別對災異》にいう。「太陽の房宿を行經するとき、それが乘る所は三道の中のいずれの道なるかを看るべし。太平の世は上道を走り、衰病不寧の世は中道を走り、霸者の世は下道を走る」。
日晷影
許慎《說文》曰:“晷,日景也。”劉熙《釋名》曰:“晷規也,如規畫也。”《周禮地官司徒》曰:“以土圭之法,測土深,正日景,以求地中。日南則景短多暑;日北則景長多寒;日東則景夕多風;日西則景朝多陰。日至之景,尺有五寸,謂之地中;天地之所合也,四時之所交也,風雨之所會也,陰陽之所和也。”
許愼《説文解字》にいう。「晷とは、すなわち日影なり」。劉熙《釋名》にいう。「晷とはすなわち規にして、圓規を用いて畫き出したるがごとし」。《周禮・地官・司徒》にいう。「土圭の方法を用いて土地の深淺遠近を測量し、日影を校正し、以て大地の中心を求得す。太陽の南に偏る地方は日影短くして暑氣多く、北に偏る地方は日影長くして寒氣多く、東に偏る地方は日影は傍晚のごとくにして風多く、西に偏る地方は日影は早晨のごとくにして陰多し。夏至のあの日に日影の長さ一尺五寸の地點を、便ち『地中』と呼ぶ。あそこは天地の氣の交合し、四時の氣の交接し、風雨の聚會し、陰陽の調和する所在なり」。
(按土圭者,非削土為其圭象,訓為度也。置圭度景,謂之土圭。日南則景短多暑者,謂夏至日躔南方井宿也。日北則景長多寒,謂冬至日躔北方斗宿也。日東則景夕多風者,謂秋分日躔東方角宿也,故秋分祭月也。日西則景朝多陰者,謂春分日躔西方婁宿也,故春分祭朝日也。古來天圖春秋二分並交婁角也。諒知夕者,秋分之異名,朝者,春分之別號。景長稱南至,景短稱北至,今日南則景短,日北則景長者,先論日躔宿也,後論日躔景也。)
この一整段は原書の小注にしていう。所謂「土圭」とは、併せて土を削りて圭の形狀を做成するにあらず。「土」は應に「度」と訓すべく、すなわち測度の意にして、玉圭を放置して日影を量度するを、便ち土圭と呼ぶ。「日南則景短多暑」とは、夏至のとき太陽の南方の井宿を行經するを説く。「日北則景長多寒」とは、冬至のとき太陽の北方の斗宿を行經するを説く。「日東則景夕多風」とは、秋分のとき太陽の東方の角宿を行經するを説く。ゆえに秋分に月を祭る。「日西則景朝多陰」とは、春分のとき太陽の西方の婁宿を行經するを説く。ゆえに春分に清晨に日を祭る。自古以來の天象圖の上に、春分秋分はみな婁宿と角宿に交わる。これに由りて「夕」は秋分の別名にして、「朝」は春分の別稱なるを知るべし。影長きを「南至」と呼び、影短きを「北至」と呼ぶ。ここに卻って日南影短・日北影長と説くは、あれは前の一句の講ずる所は太陽の躔る所の宿次にして、後の一句の講ずる所はこそ太陽の投ずる所の影長なるに因る。
《周髀》曰:“周髀長八尺,其勾之損益,一寸千里。”張衡《靈憲》曰:“懸天之晷,薄地之儀,皆移千里差一寸。”鄭司農曰:“土圭之長,尺有五寸,以夏至日立八尺表,其景適與圭等,謂之地中。今潁川陽城地為然。”(按晉太康《地記》曰:河南陽城縣是謂土中,夏至景尺有五寸,所以為候也。《南越志》曰:南景在日之南,五月立表望之,日在表北,景在表南,交州日景較北三寸,林邑九寸一分地。)鄭玄曰:“凡日景於地千里差一寸,景尺有五寸者,南戴日下萬五千里也。”
《周髀算經》にいう。「周髀の表は高さ八尺にして、それが勾影の增減は、每一寸は一千里に相當す」。張衡《靈憲》にいう。「天上に懸る日影と地面に貼近する圭表は、みな位置の移ること每に一千里、影長は便ち一寸を相差す」。鄭衆(人は鄭司農と稱す)はいう。「土圭は長さ一尺五寸。夏至のこの日に一根の八尺高の表を立て、その影長は恰好圭と相等しければ、あの地方を便ち『地中』と呼ぶ。今潁川郡陽城縣はまさにこのごとし」。括弧内は原書の小注。晉代《太康地記》にいう、河南陽城縣は便ち所謂「土中」にして、夏至の影長一尺五寸、これに據って測候すべし。《南越志》にいう、影子は太陽の南邊に在り、五月に表を立てて觀測せば、太陽は表の北面に在り、影子は表の南面に落ち、交州の日影は北に偏ること三寸、林邑の一帶は北に偏ること九寸一分。鄭玄はいう。「およそ日影は地面上に每に一千里にして一寸を相差す。影長一尺五寸の地方は、正對太陽の處を距ること南面一萬五千里なり」。
《洪範五行傳》曰:“日月之行,則有冬、有夏,而為寒暑;若南失節,晷過而長,則為寒;退而晷短,則為燠。人君急,則晷進疾而寒,舒則晷退遲而燠,故曰急恆燠若。一曰,晷長為潦,晷短為旱,奢者為扶;扶者,邪臣進,正臣疏,君子不足,奸人有餘。”《漢書天文志》曰:“冬至,日南極,晷長,南不極,則溫不害;夏至,日北極,晷短,北不極,則寒為害。故《書》曰:“日月之行,則有冬有夏也;故治變於下,日月運於矣。”
《洪範五行傳》にいう。「日月の運行に冬あり夏あり、よって寒暑を形成す。もし南に向かって節度を失えば、日影は常度を超過して長く變じ、便ち寒と成る。退回りて影短ければ、便ち燠熱と成る。君主の行事急躁なれば、日影は便ち進むこと快くして天氣寒し。君主が寬舒なれば、日影は便ち退くこと慢くして天氣暖し。ゆえに『急則常燠』と説く。別の一種の説法は、影長は水涝を主とし、影短は干旱を主とし、過度のを『扶』と呼ぶ。所謂扶とは、すなわち邪臣は進用し正臣は疏遠し、君子は不足して奸人は有餘なり」。《漢書・天文志》にいう。「冬至に太陽は南極に到り、日影は長し。もし南行して極點に到らざれば、あれば溫暖は便ち害を成すに至らず。夏至に太陽は北極に到り、日影は短し。もし北行して極點に到らざれば、あれば寒冷は便ち害を為さん。ゆえに《尚書》は日月の運行に冬あり夏ありと説く。政治は下に於て變動せば、日月は便ち上に於て相應に運轉す」。
《易緯》曰:“日冬至,人主不出宮室,寢兵聽樂,日擊黃鐘之磬,公卿大夫列奏音侍,則陰陽之晷如度。故夏至之禮,如冬至之禮。”又曰:“冬至之日,樹八尺之表,日中視晷,晷如度者,則其歲美,人民和順;晷不如度者,則其歲惡,人民多偽言,政令為之不平。晷進則水,晷退則旱。進一尺二寸則月蝕,退則日蝕。月食則正王臣之行,日蝕則正人主之道。”
《易緯》にいう。「冬至のこの日、君主は宮室を出でず、兵事を停息して樂を聽き、黃鐘の磬を敲擊し、公卿大夫は依次に樂を奏して侍立す。あらば陰陽の日影は便ち常度に合す。ゆえに夏至の禮儀は、冬至の禮儀と相同なり」。またいう。「冬至のあの日、八尺高の表を立起し、正午のとき日影を觀測す。影長の常度に合するは、あの年の年成好く、人民は和順なり。影長の常度に合せざるは、あの年の年成惡く、人民に虛妄の言多く、政令もまたこれに因って不公なり。日影の超前すれば便ち水涝を主とし、日影の退後すれば便ち干旱を主とす。一尺二寸超前すれば便ち月食發生し、一尺二寸退後すれば便ち日食發生す。月食發生せば、王臣の行為を端正すべく、日食發生せば、君主の治道を端正すべし」。
又曰:“冬至晷長一丈三尺。(按周髀曰:長三尺五寸。劉向曰:長一丈一尺四寸。何承天長一丈三尺。祖暅銅表長一丈三尺。今曆景長一丈尺七寸五分。)當至不至,則旱多溫病;未當至而至,則多病暴逆,心痛,應至夏至。”《易緯》曰:“小寒晷長一丈二尺四分。(按周髀長一丈二尺五寸小分五。何承天長一丈二尺四寸八分。祖暅長一丈二尺四寸三分。今曆景長一丈二尺二寸八分。)當至不至,先小旱後大水,丈夫多病喉痺;未當至而至,多病身熱,來年麻不熟。”
《易緯》はまたいう。「冬至の日影は長さ一丈三尺」。括弧内は原書の小注にして、各家の數值を羅列す。《周髀》は長さ三尺五寸と作り、劉向は一丈一尺四寸と作り、何承天は一丈三尺と作り、祖暅の銅表は一丈三尺と作り、本朝の曆法の測る所の影長は一丈七寸五分と為す。「節氣の應到して到らざれば、便ち干旱多く溫熱病多し。應到せずして卻って提前に到れば、便ち暴逆の症と心痛を患うこと多く、應驗は夏至に到るべし」。《易緯》にいう。「小寒の日影は長さ一丈二尺四分」。(原書小注:《周髀》は一丈二尺五寸小分五と作り、何承天は一丈二尺四寸八分と作り、祖暅は一丈二尺四寸三分と作り、本朝の曆法の測る所は一丈二尺二寸八分と為す。)「節氣の應到して到らざれば、先ず小旱ありて後に大水あり、男子は喉痹を患うこと多し。應到せずして卻って提前に到れば、身熱の症を患うこと多く、來年の麻類は熟せず」。
《易緯》曰:“大寒晷長一丈一尺八分。(按周髀長一丈五寸一分小分四。何承天長一丈一尺三寸四分。祖暅長一丈一尺二寸。今曆景長一丈一尺一寸五分。)當至不至,則先大旱後大水,麥不成,病厥;未當至而至,多病,上氣,[口蓋]腫。”《易緯》曰:“立春晷長一丈一寸二分。(按周髀長一丈五寸二分小分三。何承天長九尺九寸一分。祖暅長九尺八寸。今曆景長九尺六寸二分。)當至不至,兵起,麥不成,病瘧、疾;未當至百至,多病熛疾。”
《易緯》にいう。「大寒の日影は長さ一丈一尺八分」。(原書小注:《周髀》は一丈五寸一分小分四と作り、何承天は一丈一尺三寸四分と作り、祖暅は一丈一尺二寸と作り、本朝の曆法の測る所は一丈一尺一寸五分と為す。)「節氣の應到して到らざれば、先ず大旱ありて然る後に大水あり、麥子は成熟せず、人は厥逆の症を患う。應到せずして卻って提前に到れば、疾病を生ずること多く、氣は逆上し、上腭は腫脹す」。《易緯》にいう。「立春の日影は長さ一丈一寸二分」。(原書小注:《周髀》は一丈五寸二分小分三と作り、何承天は九尺九寸一分と作り、祖暅は九尺八寸と作り、本朝の曆法の測る所は九尺六寸二分と為す。)「節氣の應到して到らざれば、兵事は興起し、麥子は成熟せず、人は瘧疾を患う。應到せずして卻って提前に到れば、熛熱急症を患うこと多し」。
《易緯》曰:“雨水(是今曆啟蟄也)晷長九尺一寸六分。(按周髀長九尺五寸三分小分二。何承天長八尺二寸八分。祖暅長八尺一寸七分。今曆景長八尺七寸。)當至不至,旱麥不熟,多病心痛;未當至而至,多病斃。”《易緯》曰:“驚蟄(是今曆雨水也)晷長八尺二寸。(按周髀長八尺五寸四分小分一。何承天長六尺七寸二分。祖暅長六尺六寸二分。今曆景長六尺五寸四分。)當至不至,則霧稚禾不穗,老人多病疾瘧;未當至而至,多病癰疽,脛腫。”
《易緯》にいう。「雨水(原書小注:すなわち本朝の曆法の稱する所の啓蟄)の日影は長さ九尺一寸六分」。(原書小注:《周髀》は九尺五寸三分小分二と作り、何承天は八尺二寸八分と作り、祖暅は八尺一寸七分と作り、本朝の曆法の測る所は八尺七寸と為す。)「節氣の應到して到らざれば、天は旱し、麥は熟せず、人は心痛を患うこと多し。應到せずして卻って提前に到れば、病死する多し」。《易緯》にいう。「驚蟄(原書小注:すなわち本朝の曆法の稱する所の雨水)の日影は長さ八尺二寸」。(原書小注:《周髀》は八尺五寸四分小分一と作り、何承天は六尺七寸二分と作り、祖暅は六尺六寸二分と作り、本朝の曆法の測る所は六尺五寸四分と為す。)「節氣の應到して到らざれば、便ち大霧を起こし、幼禾は穗を抽かず、老人は瘧疾を患うこと多し。應到せずして卻って提前に到れば、癰疽を生ずること多く、小腿は浮腫す」。
《易緯》曰“春分晷長七尺二寸四分。(按周髀長七尺五寸五分。劉向長七尺二寸六分。何承天長五尺三寸九分。祖暅長五尺三寸七分。今曆景長五尺三寸三分。)當至不至,先旱後水,歲惡禾不熟,多病痺;未當至而至,多病疚,身癢。”《易緯》曰“清明晷長六尺二寸八分。(按周髀長六尺五寸五分小分五。
《易緯》にいう。「春分の日影は長さ七尺二寸四分」。(原書小注:《周髀》は七尺五寸五分と作り、劉向は七尺二寸六分と作り、何承天は五尺三寸九分と作り、祖暅は五尺三寸七分と作り、本朝の曆法の測る所は五尺三寸三分と為す。)「節氣の應到して到らざれば、先ず旱して後に涝し、年成好からず禾稼熟せず、人は痹症を患うこと多し。應到せずして卻って提前に到れば、久病を生ずること多く、身上は癢を發す」。《易緯》は接續していう。「清明の日影は長さ六尺二寸八分」。(原書小注の開頭は作る:《周髀》は長さ六尺五寸五分小分五……)ここの本分片の底本の正文は戛然而止して、清明の一條の小注と占辭はまだ寫き畢わらず。後續の文字は下一分片の中に接續す。
何承天長四尺二寸五分。祖暅長四尺二寸五分。今曆景長四尺三寸四分。)當至不至,菽豆不熟。多病疾試,振寒;未當至而至,多病暴死。”《易緯》曰:“穀雨長晷長五尺三寸二分。(按周髀長五尺五寸五分小分四。何承天長三尺三寸五分。祖暅長三尺二寸六分。今曆景長三尺三寸。)當至不至,水物雜揉,羊不蕃,多病疾瘧,振寒,霍亂;未當至而至,老人多病瘟氣腫。”
(ここは上文の清明の一條の原書小注に承接す)劉宋の何承天の推得したる日影は長さ四尺二寸五分、祖暅の推得したるもまた四尺二寸五分、本朝の現行曆法の實測したる影長は四尺三寸四分と為す。清明の氣は應來して來ざれば、豆類の莊稼は便ち成熟を長せず、人は疾病を生ずること多く、寒を畏れて發抖す。節氣は應來せずして卻って提前に來到せば、人は暴病猝死すること多し。《易緯》にいう。「穀雨のこの日、日影は長さ五尺三寸二分」。(原書小注:《周髀算經》の所載に按ずれば五尺五寸五分また小分四と為し、何承天の推得は三尺三寸五分、祖暅の推得は三尺二寸六分、本朝の現行曆法の實測は三尺三寸。)穀雨の氣は應來して來ざれば、水中の生物は混雜失序し、羊群は繁殖せず、人は瘧疾・寒戰と霍亂を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、老年人は瘟疫の氣の致す所の浮腫を患うこと多し。
《易緯》曰:“立夏晷長四尺三寸六分。(按周髀長四尺五寸七分小分四。何承天長二尺五寸。祖暅長二尺五寸三。今曆景長二尺四寸九分。)當至不至,旱,五穀傷,牛畜病,未當至而至,多病頭痛,腫[口蓋],喉痺。”《易緯》曰:“小滿晷長三尺四寸。(按周髀長三尺三寸八分小分二。何承天長一尺九寸七分。祖暅長一尺九寸九分。今曆景長一尺六寸九分。今曆景長一尺九寸八分。)當至不至,多凶,言有大喪,先水後旱,多病筋急,痺痛;未當至而至,多病赻氣,[口蓋]腫。”
《易緯》にいう。「立夏のこの日、日影は長さ四尺三寸六分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば四尺五寸七分また小分四と為し、何承天の推得は二尺五寸、祖暅の推得は二尺五寸三、本朝の現行曆法の實測は二尺四寸九分。)立夏の氣は應來して來ざれば、天は便ち干旱し、五穀は損を受け、牛馬牲畜は病を生ず。應來せずして卻って提前に來到せば、人は頭痛・上腭腫脹と喉嚨閉塞を患うこと多し。《易緯》にいう。「小滿のこの日、日影は長さ三尺四寸」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば三尺三寸八分また小分二と為し、何承天の推得は一尺九寸七分、祖暅の推得は一尺九寸九分、本朝の現行曆法の實測は一尺六寸九分、別の一處はまた一尺九寸八分と作る。)小滿の氣は應來して來ざれば、凶事多く、大喪あるを主とし、先ず涝して後に旱し、人は筋脈拘急と麻痹疼痛を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、人は「赻氣」の一類の氣血奔迫の病と上腭腫痛を患うこと多し。
《易緯》曰:“芒種晷長二尺四寸四分。(按周髀長二尺五寸九分小分一。何承天長一尺六寸九分。祖暅長一尺六寸九分。今曆景長一尺六寸四分。)當至不至,多凶,主國有枉令;未當至而至,多病厥,頭眩病。”《易緯》曰:“夏至晷長一尺四寸八分。(按周髀長一尺六寸。劉向長一尺五寸八分。何承天長一尺五寸。祖暅長一尺五寸。今曆景長一尺四寸九分。)當至不至,國有大殃,旱,陰陽並傷,草木夏落,有大寒;未當至而至,多病,肩腫。”
《易緯》にいう。「芒種のこの日、日影は長さ二尺四寸四分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば二尺五寸九分また小分一と為し、何承天の推得は一尺六寸九分、祖暅の推得は一尺六寸九分、本朝の現行曆法の實測は一尺六寸四分。)芒種の氣は應來して來ざれば、凶事多く、國家の冤枉不公の政令を頒行するを主とす。應來せずして卻って提前に來到せば、人は昏厥と頭暈目眩の症を患うこと多し。《易緯》にいう。「夏至のこの日、日影は長さ一尺四寸八分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば一尺六寸と為し、劉向の推得は一尺五寸八分、何承天の推得は一尺五寸、祖暅の推得は一尺五寸、本朝の現行曆法の實測は一尺四寸九分。)夏至の氣は應來して來ざれば、國家に大災殃あり、天は旱し、陰陽の二氣は一同に傷を受け、草木は盛夏に落葉し、嚴寒を出現す。應來せずして卻って提前に來到せば、人は病を生ずること多く、肩部は腫脹す。
《易緯》曰:“小暑晷長二尺四寸。(按周髀長二尺五寸九分小分一。何承天長一尺六寸九分。祖暅長一尺六寸九分。今曆景長一尺六寸四分。)當至不至,先小水,後旱,有兵,多病洩注,腹病;未當至而至,多病膨脹。”《易緯》曰:“大暑晷長三尺四寸。(按周髀長三尺五寸八分小分一。何承天長一尺九寸七分,祖暅長一尺九寸七分。今曆景長一尺九寸七分。)當至不至,外兵來,年飢,多病筋痺,胸痛;未當至而至,多病脛痛,惡氣。”
《易緯》にいう。「小暑のこの日、日影は長さ二尺四寸」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば二尺五寸九分また小分一と為し、何承天の推得は一尺六寸九分、祖暅の推得は一尺六寸九分、本朝の現行曆法の實測は一尺六寸四分。)小暑の氣は應來して來ざれば、先ず小水災あり、隨後干旱して併せて兵禍あり、人は瀉下如注・腹中疼痛を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、人は腹部脹滿を患うこと多し。《易緯》にいう。「大暑のこの日、日影は長さ三尺四寸」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば三尺五寸八分また小分一と為し、何承天の推得は一尺九寸七分、祖暅の推得は一尺九寸七分、本朝の現行曆法の實測は一尺九寸七分。)大暑の氣は應來して來ざれば、外敵の兵馬は入侵し、年成は饑荒し、人は筋脈麻痹と胸口疼痛を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、人は小腿疼痛を患うこと多く、併せて穢惡の氣に傷を受く。
《易緯》曰:“立秋晷長四尺三寸六分。(按周髀長四尺五寸七分三。何承天長二尺五寸。祖暅長二尺五寸五分。今曆景長二尺四寸九分。)當至不至,暴風為災,來年歲不稔;未當至而至,多病疾瘧,上氣,咽腫。”《易緯》曰:“處暑晷長五尺三寸二分。(按周髀長三尺五寸六分小分四。何承天長三尺二寸五分。祖暅長三尺二寸六分。今曆景長三尺三寸。)當至不至,國多淫合,兵起,麥不熟;未當至而至,病脹,身熱不汗。”
《易緯》にいう。「立秋のこの日、日影は長さ四尺三寸六分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば四尺五寸七分三と為し、何承天の推得は二尺五寸、祖暅の推得は二尺五寸五分、本朝の現行曆法の實測は二尺四寸九分。)立秋の氣は應來して來ざれば、暴風は災を成し、來年の收成は好からず。應來せずして卻って提前に來到せば、人は瘧疾・氣逆上衝と咽喉腫痛を患うこと多し。《易緯》にいう。「處暑のこの日、日影は長さ五尺三寸二分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば三尺五寸六分また小分四と為し、何承天の推得は三尺二寸五分、祖暅の推得は三尺二寸六分、本朝の現行曆法の實測は三尺三寸。)處暑の氣は應來して來ざれば、國中の男女は淫亂苟合すること多く、兵事は興起し、麥子は成熟し能わず。應來せずして卻って提前に來到せば、人は腹脹を患い、身上は熱を發するも卻って汗を出さず。
《易緯》曰:“白露晷長六尺二寸八分。(按周髀長六尺五寸五分小分五。何承天長四尺二寸五分。祖暅長四尺二寸五分。今曆景長四尺。)當至不至,多病疽疸,洩;未當至而至,多病水腹,閉疝,瘦。”《易緯》曰:“秋分晷長七尺二寸四分。(按周髀長七尺五寸五分。劉向長七尺二寸六分。何承天長五尺三寸九分。祖暅長五尺三寸七分。今曆景長五尺三寸三分。)當至不至,草木復勞,多病溫,悲心痛;未當至而至,多病胸脅腹痛。”
《易緯》にいう。「白露のこの日、日影は長さ六尺二寸八分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば六尺五寸五分また小分五と為し、何承天の推得は四尺二寸五分、祖暅の推得は四尺二寸五分、本朝の現行曆法の實測は四尺。)白露の氣は應來して來ざれば、人は癰疽黃疸と泄瀉を生ずること多し。應來せずして卻って提前に來到せば、人は腹中積水・疝氣閉結と身體消瘦を患うこと多し。《易緯》にいう。「秋分のこの日、日影は長さ七尺二寸四分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば七尺五寸五分と為し、劉向の推得は七尺二寸六分、何承天の推得は五尺三寸九分、祖暅の推得は五尺三寸七分、本朝の現行曆法の實測は五尺三寸三分。)秋分の氣は應來して來ざれば、草木は凋落すべきときに於て反って重新に勞作生長し、人は溫病と悲傷心痛を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、人は胸脅と腹部の疼痛を患うこと多し。
《易緯》曰:“寒露晷長八尺二寸。(按周髀長八尺五寸四分小分一。何承天長六尺七寸二分。祖暅長六尺六寸七分。今曆景長六尺五寸四分。)當至不至,來年穀不成,畜鳥獸被殃,多端正疝瘕,腰痛;不當至而至,多病熱中。”《易緯》曰:“霜降晷長九尺一寸六分。(按周髀長九尺五寸二分小分二。何承天長八尺三寸八分。祖暅長八尺一寸七分。今曆景長八尺七寸。)當至不至,百物大耗,來年多大風,人病腰痛;未當至而至,至病胸脅,肢瞞。”
《易緯》にいう。「寒露のこの日、日影は長さ八尺二寸」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば八尺五寸四分また小分一と為し、何承天の推得は六尺七寸二分、祖暅の推得は六尺六寸七分、本朝の現行曆法の實測は六尺五寸四分。)寒露の氣は應來して來ざれば、來年の穀物は成熟し能わず、家畜と鳥獸は殃に遭い、人は端正疝瘕の一類の積塊病と腰痛を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、人は內熱の症を患うこと多し。《易緯》にいう。「霜降のこの日、日影は長さ九尺一寸六分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば九尺五寸二分また小分二と為し、何承天の推得は八尺三寸八分、祖暅の推得は八尺一寸七分、本朝の現行曆法の實測は八尺七寸。)霜降の氣は應來して來ざれば、百物は大量に損耗し、來年は大風を刮くこと多く、人は腰痛を患う。應來せずして卻って提前に來到せば、人は胸脅疼痛・四肢脹滿を患う。
《易緯》曰:“立冬晷長一丈一寸二分。(按周髀長一丈五寸二分小分二。何承天長九尺九寸一分。祖暅長九尺八分。今曆景長尺尺六寸三分。)當至不至,地氣不藏,立夏寒,早旱晚水,萬物不成;未當至而至,多病擘掌痛。”《易緯》曰:“小雪晷長一丈一尺八分。(按周髀長一丈一尺五寸一分小分四。何承天長一丈一尺三寸四分。祖暅長一丈一尺三寸。今曆景長一丈一尺一寸四分。)當至不至,來年黍麥不熟,多肘腑病;未當至而至,亦為肘腑痛。”
《易緯》にいう。「立冬のこの日、日影は長さ一丈一寸二分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば一丈五寸二分また小分二と為し、何承天の推得は九尺九寸一分、祖暅の推得は九尺八分、本朝の現行曆法の實測は一丈六寸三分。)立冬の氣は應來して來ざれば、地氣は收藏し能わず、來年の立夏に到りて反って寒冷し、年初は旱して年末は涝し、萬物は成熟し能わず。應來せずして卻って提前に來到せば、人は手掌疼痛を患うこと多し。《易緯》にいう。「小雪のこの日、日影は長さ一丈一尺八分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば一丈一尺五寸一分また小分四と為し、何承天の推得は一丈一尺三寸四分、祖暅の推得は一丈一尺三寸、本朝の現行曆法の實測は一丈一尺一寸四分。)小雪の氣は應來して來ざれば、來年の黍と麥はみな成熟せず、人は肘臂の病を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、同じく肘臂疼痛を主とす。
《易緯》曰:“大雪晷長一丈二尺四分。(按周髀長一丈一尺五寸小分五。何承天長一丈二尺四寸八分。祖暅長一丈二尺四寸三分。今曆景長一丈二尺二寸八分。)當至不至,溫氣洩,夏蝗生,大水。多病少氣,五疽,小腫;未當至而至,多病痍疽,應在芒種。”
《易緯》にいう。「大雪のこの日、日影は長さ一丈二尺四分」。(原書小注:《周髀算經》に按ずれば一丈一尺五寸また小分五と為し、何承天の推得は一丈二尺四寸八分、祖暅の推得は一丈二尺四寸三分、本朝の現行曆法の實測は一丈二尺二寸八分。)大雪の氣は應來して來ざれば、本應封藏すべき溫氣は外泄し、來年の夏天に蝗蟲を生じ、大水を發し、人は氣短乏力・五種の癰疽と小處浮腫を患うこと多し。應來せずして卻って提前に來到せば、人は瘡瘍癰疽を生ずること多く、應驗の時間は來年の芒種に在り。
日光明
劉向《洪範傳》曰:“日者,照明之大表;光景之大紀;群陽之精,眾貴之象也。故曰,其氣佈德,而主在地。日德者,生之類也;故日出而天下光明;日入而天下冥晦。”
劉向《洪範傳》にいう。「太陽は天地のあいだの照明の最大の標誌にして、光影長短・晝夜時刻の最大の綱紀なり。それは一切の陽氣の精華にして、衆多の尊貴の物の象徵なり。ゆえにそれは陽氣を布散して恩德と為し、而してこの恩德を承受するは大地なりと説く。太陽の德性は、萬物を生養する一類に屬す。ゆえに太陽は升起せば、天下は便ち一片の光明となり、太陽は落下せば、天下は昏暗にして光なし」。
日變色
《禮斗威儀》曰:“日青中黃外,是為一不可。(日者,黃中為主,應行君仁,黃中而青外,君禮,黃中而赤外,君義,黃中而黑外,君智。五色積聚,照明四方矣。今反青中而黃外,是位次倒置,黃為外奪,故為一不可矣。)
《禮緯・斗威儀》にいう。「太陽の中心は青色を呈して外圍は黃色を呈するは、これを『一不可』と呼ぶ」。(原書小注:太陽は本應居中の黃色を以て主と為すべく、君主の仁政を施行するに對應す。中心黃くして外圍青きは、君主の禮を守るに對應す。中心黃くして外圍赤きは、君主の義を行うに對應す。中心黃くして外圍黑きは、君主の智あるに對應す。五色は依次に積聚し、光は四方を照らすは、こそ常態なり。今反って中心青く外圍黃きは、これは尊卑の位次の顛倒にして、本應居中すべき黃色は外に排到せられて侵奪に遭う。ゆえに『一不可』と稱す。)
赤君喜怒無常,輕殺不辜無罪,不事天地,忽於鬼神,天則雨土、常熱,日蝕無光,地動,雷下降。(赤者火,火死為土,禮失其政,天雨土也。南方者火,故常熟也。南子為離,離為日,故日蝕無光。火滅灰為土,故地動。雷者土氣所為,故雷下降也;下者,雷電折擊,下殺人民也。)其時不救,兵從外來為害,戮而不葬。日赤中黃外,是為二不可。
太陽が赤を發するは、君主の喜怒無常を主とし、輕率に無辜の人を誅殺し、天地を祭祀せず、鬼神を怠慢すれば、上天は便ち塵土の雨を下起し、氣候は常に熱く、日食のとき太陽は全く光亮なく、地面は震動し、雷電は下に向かって擊落す。(原書小注:赤色は火に屬し、火は燒盡したる後に化して土と為る。禮制は政事の上に失守す。ゆえに天は土雨を降す。南方は火に屬す。ゆえに天氣は常に熱し。南方は卦に於て「離」に在り、離卦は太陽を象徵す。ゆえに日食のとき光なし。火は滅して灰と成るはすなわち土なり。ゆえに地動す。雷は土氣の生ずる所なり。ゆえに雷は下に向かって擊落す。所謂「下」とは、雷電の摧折打擊して、下に向かって百姓を傷殺するを指す。)これらの徵象を出現して當時に救正を加えざれば、便ち外來の兵禍の害を為すありて、人は殺戮せられて收葬する人なし。太陽の中心赤くして外圍黃きは、これを「二不可」と呼ぶ。
白君亂無威,臣獨逆理而不能誅。(白者變為白,白繫西方之色也,萬物衰老之處也。故為君德衰亂,亂臣專其威,無禮,君衰,亂於政事,不能誅也。)賢者不得為輔,朝中因女而進者眾。嶐山數崩,時大旱,河海不流,虎狼害人,其民好賕,吏併為奸,兵數十起千里之內。其時不數,及其年中亡;當誅臣逆理進者,以禁絕災害;因女進者時日以救,則災及其年。日白中黃外,是為三不可也。
太陽が白を發するは、君主の政亂して威權を失うを主とし、臣下は獨斷專行・背理妄為するも、君主は卻って誅除するに力なし。(原書小注:日色の白に變ずるは、白は西方の色にして、また萬物の衰老の歸する所なり。ゆえに君德の衰敗混亂を象徵し、亂臣は威權を獨攬し、禮法を守らず、君勢は衰微し、政事は紊亂し、誅罰を施行するに力なし。)賢能の人は入朝して政を輔くること能わず、朝廷の中に女寵の關係に靠りて身を進むる人は甚だ多し。高山は屢々崩塌し、當時大旱して、河海は流を斷ち、虎狼は人を傷つけ、百姓は賄賂を好み、官吏は一同に奸を作し、千里の内に兵禍は數十次併せて起らん。このときもし整治を加えざれば、當年の内に便ち覆亡せん。應にあの背理して身を進むる臣子を誅除し、用いて災害を杜絶すべく、女寵に靠りて身を進むる人に對しては、及び時に清理し挽救すべし。然らざれば災禍は當年に便ち降臨せん。太陽の中心白くして外圍黃きは、これを「三不可」と呼ぶ。
黑,賤人為君婦人輕賢佞陷,候間得親,將小臣所私及危其身。(色變為黑者暗,故賤人為君。黑、陰色,故婦人持政,輕誅賢。黑者水,流行無所不及,隨器方員,以喻佞人隨君方圓,故候間得親。私者,竊也。小人將盜竊其位及其身。)
太陽が黑を發するは、出身低賤の人の君主を做るを主とし、婦人は權を當てて賢良を輕慢し、奸佞の徒は忠直を陷害す。彼らは君主の空隙を窺伺して親近を得、小臣は暗中に權柄を竊取し、以て君主自身に危及すに至る。(原書小注:日色の黑に變ずるはすなわち暗に變ずるなり。ゆえに賤者の君たるを主とす。黑は陰の顏色なり。ゆえに婦人の政事を執掌し、賢者を輕率に誅殺するを主とす。黑はまた水に屬し、水の流るるは到らざる所なし。方器の裏に盛れば便ち方形と成り、圓器の裏に盛れば便ち圓形と成る。用いて佞人の一味として君主に迎合するを比喻し、よって間隙を窺伺して親信を得ること能わす。所謂「私」とはすなわち竊取にして、小人は將に君主の權位を偷奪し、甚至君主の身家に危害せんとす。)
時則常雨不休,水則海潰河益,民多溺水死,乘舟者多,蛇入都邑,雞雉同宿。(好婦人者,必用其言,欲廢嫡立庶,故蛇入都邑,雉從約宿。蛇雉有文章在野,喻同政賢從,欲代其位。故《易蔭氣樞》曰:“繼體不改,號令不行,群下爭利,君弱臣強,選舉失,暴風發屋折木為咎,則有蛇入都邑,雉從雞宿也。”)婦人多重死,胎子不就。(用婦人言,欲專其政,轉相嫉害也。)其時不救,患在門內。(當遠婦人,復進賢也。)其日黑中黃外是為四不可也。”
このとき便ち常常として陰雨止まず、水患は則ち海水の潰溢・河水の暴漲にして、百姓に淹れ死する多く、船に靠りて出行する地方は增多し、蛇は都城に爬進し、野雞は家雞と一處に同棲す。(原書小注:婦人を寵愛する君主は、必定に彼女の言を聽信し、嫡子を廢掉して庶子に改立せんと欲す。ゆえに蛇の都邑に入り、野雞の家雞に隨って宿に棲るの怪異を出現す。蛇と野雞はみな身に花紋ありて本應野外に在るべく、用いて在野の人もまた朝政を同掌し、原有の位置を取代せんと圖謀するを比喻す。ゆえに《易蔭氣樞》にいう、『位を繼ぐ君は弊政を改めず、號令は推行し能わず、臣下は私利を爭奪し、君は弱く臣は強く、選拔任用は當を失い、狂風は屋を掀き樹を折りて災咎と成れば、便ち蛇の都邑に進入し、野雞の家雞に隨って同宿するの事あらん』と。)婦人は重病に因って死すること多く、懷く胎兒もまた保つこと能わず。(原書小注:婦人の言を聽用せば、彼女らは政權を專擅せんと欲して、便ち互相嫉妒殘害せん。)このときもし救正せざれば、禍患は便ち宮門の內に發生す。(原書小注:應に婦人を疏遠し、重新に賢才を進用すべし。)この種の太陽の中心黑くして外圍黃き現象は、「四不可」と呼ばる。
《春秋潛潭巴》曰:“箕主正月,日色如青赤者,昧暝玄黃,亭亭奪光,旬望以上,七月朔日日蝕。近侯輔臣反,其正月地動搖,官兵大擾。”《春秋潛潭巴》曰:“房主二月,日色如正月,旬望以上;八月二日日蝕,南夷北狄侵中國,流星數出,天下旱,三年兵來,二月天雨血,後九十日名水決,天下多訛臣,朝延女黨悖天子,備玩好之喜,且經此逢害。”
《春秋潛潭巴》にいう。「箕宿は正月を主管す。もしこの月に太陽の顏色が青中に赤を帶び、昏暗として黑く發し黃く發し、空中に孤懸して光輝を失い、十天より半月以上に持續せば、便ち七月初一に日食發生に應ず。附近の諸侯と輔政大臣は將に反叛し、當年の正月に地面は震動搖晃し、官軍は大亂せん」。《春秋潛潭巴》にいう。「房宿は二月を主管す。もし二月に太陽の顏色が正月に謂うがごとき昏暗にして光を奪われ、十天より半月以上に持續せば、便ち八月初二に日食發生に應じ、南方と北方の夷狄は中原を侵擾し、流星は屢々出現し、天下は大旱して、三年の内に兵禍到來せん。二月に天上より血雨を落下せば、此の後九十天に名ある大川は決口し、天下に奸僞の臣多く、朝廷の中の女寵黨羽は天子に違逆し、ただ玩好の物を置辦して樂を取るのみ顧みて、將にこれに因って禍に遭わん」。
《春秋潛潭巴》曰:“角主三月,日色如正月,望旬以上;五月大霧,九月朔日日蝕,十月有兵,倉皇其來,三月彗星如房,後百二十日名山崩,熒惑守心其效也。故日者,天子之象,君父夫兄之類中國之應也。夫明主之踐位,群賢履職,天下和平,黎民康寧,則日麗其精明,揚其光耀。”
《春秋潛潭巴》にいう。「角宿は三月を主管す。もし三月に太陽の顏色が正月に謂うがごとき昏暗にして光を奪われ、半月十天以上に持續せば、便ち五月に大霧を起こし、九月初一に日食發生し、十月に兵事發生して來勢倉皇せん。三月に彗星出現し、大きさは房宿のごとく、此の後一百二十天に名山は崩塌し、火星が心宿に停留して去らざるは便ちその應驗なり。ゆえに太陽は天子の象徵にして、君主・父親・丈夫・兄長のこの一類の尊者の象徵にして、また中原の國運の對應の物なりと説く。英明の君主が位に登り、衆賢は各々その職を守り、天下は太平にして百姓は安康せば、太陽は便ち精純明淨と顯れ、光輝煥發せん」。
《黃帝占》曰:“有道之國,日月過之即明,人君吉昌,人民安寧。”《尚書考靈曜》曰:“五政不失,日月光明;五政謂四時及季夏之政也。”《尚書考靈曜》曰:“日照四極九光;東日日中,南日日永,西日宵中,北日日短,光照四十四萬六千里。”
《黃帝占》にいう。「政治清明の國家は、日月がその分野を經過すれば格外に明亮し、君主は吉祥昌盛し、百姓は安寧なり」。《尚書考靈曜》にいう。「五政はその序を失わざれば、日月は便ち光明なり。所謂五政とは、春・夏・秋・冬の四時の政令を指し、再加うるに季夏の一時の政令なり」。《尚書考靈曜》にいう。「太陽は四方の極遠の處に照到し、九種の光を發出す。東方は春分の晝夜均分の『日中』にして、南方は夏至の白晝最長の『日永』にして、西方は秋分の晝夜相等の『宵中』にして、北方は冬至の白晝最短の『日短』にして、日光は四十四萬六千里の外に照到すべし」。
《禮斗威儀》曰:“君乘土而王,其日太平,則日五色無主。”(宋均曰:包五行之色不主於一也。)《禮緯含文嘉》曰:“君政尊而制命,日月貞明。”《春秋感精符》曰:“王者之明,以日為契;日明則道正,闇昧不明則道亂,各以其類占,天子常戒以自勵。”
《禮緯・斗威儀》にいう。「君主は土德を承けて王と稱し、太平の世に逢上せば、太陽は便ち五色を兼備して一色を專主せず」。(原書小注:宋均はいう、これは五行各自の顏色を包容して、其中のいずれか一種を偏主せずなり。)《禮緯・含文嘉》にいう。「君主の政令は尊嚴にして自ら號令を發し施すこと能わば、日月は便ち端正明亮せん」。《春秋感精符》にいう。「帝王の聖明なるや否やは、太陽を以て符驗と為す。太陽の明亮なれば、便ち治道の端正を説明し、昏暗不明なれば、便ち治道の紊亂を説明す。各々その屬する所の類別に按じて占斷し、天子は應に常にこれを以て警戒し自勉すべし」。
《孝經古秘》曰:“日光明,海內樂,無怨心,陰陽調,年命長,民人以康。”《孝經內記》曰:“日和五色,君有德。”京房《易傳》曰:“日者,眾陽之精,內明玄黃,五色無主,以象,人君光照無主,不可以色名也。”京房《易傳》曰:“聖主在上,則日五色備。”京氏曰:“日大光,天下和平,上下俱昌,延年益壽,世無極。”
《孝經古祕》にいう。「太陽が光明なれば、四海の内は歡樂にして、人に怨恨の心なく、陰陽は調和し、壽命は長久し、百姓はこれに因って安康せん」。《孝經內記》にいう。「太陽が柔和にして五色を兼具するは、君主に德あるを説明す」。京房《易傳》にいう。「太陽は衆陽の氣の精華にして、內裏は明亮して玄黃の色を呈し、五色を兼備して一色を專主せず。用いて君主の天下を光照し一方を偏主せざるを象徵す。ゆえにいずれか一種の顏色を以てそれを稱説すること能わず」。京房《易傳》にいう。「聖明の君主は上位に在れば、太陽は便ち五色齊備せん」。京房はいう。「太陽の光輝盛大なれば、天下は太平し、君臣上下はみな昌盛し、人人は延年益壽し、世代は窮まりなし」。
孫氏《應瑞圖》曰:“人君不假臣下以柄權,則日月揚光。”又曰:“王者動不失時,日揚光。”王充《論衡》曰:“王者道至於天,則日揚大光。”韓楊曰:“日則帝興亡微闕太子崩,海內失命,哭聲吟吟,天下定異,推在名公萌之出,天子格自正孝,度天心,思消之,天子吉。”
孫氏《應瑞圖》にいう。「君主が權柄を臣下に借與せざれば、日月は便ち光輝を發揚せん」。またいう。「帝王の擧動が農時の政令に違背せざれば、太陽は便ち光輝を發揚せん」。王充《論衡》にいう。「帝王の德政は上に天に達せば、太陽は便ち盛大の光を發出せん」。韓楊はいう。「太陽の變異は帝業の興亡に關係す。もし日光が微弱虧缺なれば、則ち太子の夭亡を主とし、海內は秉る所の天命を失い、四處に哀哭の聲を傳出し、天下は將に確鑿の災異を出現し、推究すれば名望ある公卿の家に於て萌發に應ず。天子もし自身を端正し孝道を恪守し、天心を揣度して消解を設圖し得れば、天子は便ち轉じて吉利を爲さん」。
《春秋潛潭巴》曰:“軫主四月,日色白,丹如黃丹,青比梅葉、芄蘭無色,旬朔以上;十一月朔日日蝕,天子誅於強臣,百二十日,五山亡。”一日:“君死不葬,吳楚以東,十國稱王;天子繼絕,諸侯多亡,豪傑縱橫。”
《春秋潛潭巴》にいう。「軫宿は四月を主管す。もし四月に太陽が白を發し、赤色は黃丹のごとく浮泛し、青色は則ち梅葉・芄蘭のあのごとく黯淡無華にして、十天より一個月以上に持續せば、便ち十一月初一に日食發生に應じ、天子は強臣に殺せられん。一百二十天後、五岳の一類の大山は崩毀せん」。別の一種の説法は、「君主は死後に安葬を得ず、吳楚以東に十國が自立して王を稱し、天子の一系は斷絶して旁支に由りて承繼し、諸侯は覆亡多く、豪強の士は四處に橫行せん」。
《春秋潛潭巴》曰:“張主五角,日色如正月,旬望以上;十一月朔晦日日蝕,南夷為亂,後九十日地嘔血,兵禍並起,逆為天上,百二十日,五星從熒惑,聚中國,四夷爭起,妻妾哭於宮,天子滅於國。其五月,彗星五芒,出於頭極,九虹見交,與日交併立;天子亡,諸侯自君,上滅庶雄,制命兵雷令。”
《春秋潛潭巴》にいう。「張宿は五月を主管す。もしこの月に太陽の顏色が正月に謂うがごとき昏暗にして光を奪われ、十天より半月以上に持續せば、便ち十一月の朔日あるいは晦日に日食發生に應じ、南方の夷人は亂を作さん。此の後九十天に大地は血水を吐出し、兵禍は一同に興起し、叛逆の氣は直沖天際せん。一百二十天後、五大行星は火星に跟隨して中原の分野に聚集し、四方の夷狄は爭って起兵し、妻妾は宮中に痛哭し、天子は國中に覆滅せん。あの年の五月に到り、彗星は五道の芒角を拖き、天頂より出現し、九道の虹霓は交錯顯現して太陽と交叉並立す。天子は滅亡し、諸侯は各自に君を稱し、上に在る者は誅滅せられて衆多の梟雄は併起し、兵威雷厲の號令を憑じて號令を發施せん」。
《春秋潛潭巴》曰:“東井主六月,日色赤如醰,旬望以上;十月朔日日蝕,四方射主,武將威兵,後九十日國大亂。其六月天鳴地坼,三公九卿皆反,各自立為君,勝者稱王,非天命也。”
《春秋潛潭巴》にいう。「東井宿は六月を主管す。もし六月に太陽が瓮中の濃酒のごとく赤くして、十天より半月以上に持續せば、便ち十月初一に日食發生に應じ、四方に君主を射殺せんと圖謀する人あり、武將は兵威を憑じて驕橫せん。此の後九十天、國中は大亂す。あの年の六月に到り、天空は鳴響し、地面は開裂し、三公九卿は全て反叛し、各自に國君を立て、誰が取勝すれば誰が王を稱す。これは併せて上天の授予する天命にあらず」。
《春秋潛潭巴》曰:“氐主七月,日色青赤,若昧暝亭亭奪光,旬望以上;正月朔日日蝕,後七十日山冢絕崩,百川沸騰,大臣皆用,祿在名公。百二十日,高峰為谷,深谷為陵,天下昏亂,群小執綱,以方為圓,以欺為忠,帝人失勢,俯從風靡,天子大弱,可防而消。”
《春秋潛潭巴》にいう。「氐宿は七月を主管す。もし七月に太陽が青中に赤を帶び、黃昏時のごとく空中に孤懸して光輝を失い、十天より半月以上に持續せば、便ち正月初一に日食發生に應ず。此の後七十天、山陵は崩裂し、百川は沸騰し、大臣は一概に任用せられ、俸祿權位はみな名ある公卿の手裏に落つ。一百二十天後、高峰は陷じて深谷と為り、深谷は隆りて丘陵と為り、天下は昏亂し、一群の小人は綱紀を把持し、方なるを圓と説き、欺詐を以て忠誠と當て、帝室の人は勢を失い、俯首して風に隨い倒伏するのみ得、天子は大いに衰弱す。此の象は預先に防範してそれを消解せしむべし」。
《春秋潛潭巴》曰:“昂主八月,日色如正月,旬望以上,三月朔日日蝕,妻後殺主,後百二十日,地必大動,天下起兵,害誅王。其來八月,殞石。五六月,天下謀殺,其王易於卿。大雨壤波流,翔主失,伍姓不亡。期百二十日,斗星消,易姓起,至期而無徵,天子繕三王之政,五帝之功,以立中興。”
《春秋潛潭巴》にいう。「昴宿は八月を主管す。もし八月に太陽の顏色が正月に謂うがごとき昏暗にして光を奪われ、十天より半月以上に持續せば、便ち三月初一に日食發生に應じ、妻室后妃は君主を謀殺せん。此の後一百二十天、地面は必定に大震し、天下は起兵して王者を加害誅殺せん。あの年の八月に到り、隕石の墜落あり。五六月の間、天下は密かに弑殺を圖謀し、あの王は公卿に輕易に取代せらる。大雨は土地を沖毀し洪波は橫流し、君主の威權は飄搖失落するも、然るに同姓の五族はなほ覆亡に至らず。約に一百二十天のとき、北斗の諸星は光芒消隱し、改朝換姓の事は興起す。もし期に到りて併せて應驗なければ、天子は便ち夏商周三王の政教・五帝の功業を修明し、これを借りて中興の業を建立すべし」。
《春秋潛潭巴》曰:“奎主九月,日色如正月,青黑不明,旬望以上,來歲天雨蝗,五月殞霜,京師中三月晦,日日蝕,天子以色,后妃黨橫。其來九月,虎入邦,雉群翔,巢國中,天子好野遊,主人去,外人昌,吳楚以南滅,兵亂以興。”
《春秋潛潭巴》にいう。「奎宿は九月を主管す。もし九月に太陽の顏色が正月に謂うがごとく青黑にして不明亮なれば、十天より半月以上に持續せば、來年天上は蝗蟲を落下し、五月に霜を降さん。京城の中、三月の晦日に日食發生し、天子は女色に沉溺し、后妃の黨羽は橫行せん。あの年の九月に到り、虎は城邦に進入し、野雞は成群飛翔して國都の中に巢を築き、天子は野外に游獵することを好み、主家の人は離去して外來の人は勢を得、吳楚以南は滅せられ、兵亂はこれに因って興起せん」。
《春秋潛潭巴》曰:“東璧主十月,日色如黑,文綱綱然,四月朔日日蝕,後七十日,蛇群入市,雉死廟堂之中,主失國,野鳥跦跦,或致鴝鵒,君王危,天下驚,鄰國入,主出臣,下逐上,其類令天子備,司禍為福。”
《春秋潛潭巴》にいう。「東壁宿は十月を主管す。もし十月に太陽の顏色が黑を發し、面上の紋理は網のごとく交錯せば、便ち四月初一に日食發生に應ず。此の後七十天、蛇は成群して街市に爬進し、野雞は宗廟朝堂の中に死し、君主は國家を失わん。野鳥は跳躍して來り、甚至八哥を招來す。君王は危殆にして天下は震驚し、鄰國は入侵し、君主は逐出せられて臣子は權を當て、下に在る者は上に在る者を驅逐す。この一類の徵象は天子に戒備あらしめ、可能に到來する禍事を轉じて福と爲さんと要す」。
《春秋潛潭巴》曰:“虛主十一月,日色如綠綈,旬望以上;十日天雨堵,(宋均曰:“堵當作赭,赤色土也。)五色朔日日蝕,大臣殺主,七十日大霜,天下無所措,不出;民或藏匿,走入宮。主驚去國,天下瓦解,禮主消,爍中國,夷狄其來。七月出兵,大合屠君誅父無服之屬,九族之親,君臣易位。”
《春秋潛潭巴》にいう。「虛宿は十一月を主管す。もし十一月に太陽の顏色が綠色の粗綢のごとく、十天より半月以上に持續せば、十天の内に天上は赤土を落下せん。(原書小注:宋均はいう、『堵』は應に『赭』と作るべく、赤色の土なり。)五色の雜現するのとき朔日に日食發生に逢い、大臣は君主を謀殺せん。七十天後に大霜を降し、天下は措手する處なく、人は出門すること敢えず。百姓はあるいは藏匿し、あるいは宮中に逃進す。君主は驚懼して國都を逃離し、天下は土崩瓦解し、禮制の主宰は消亡し、中原はこれがために銷鑠し、夷狄は機に乘じて入侵す。七月に出兵して大擧會戰し、君主を屠戮し父輩を誅殺し、連ねて本來服喪關係なき疏族と九族至親もみな牽連を受け、君臣の位置は完全に顛倒す」。
《春秋潛潭巴》曰:“斗主十二月,日色如灰、如塗、如虹、如合爪,旬望以上;六月朔晦二日日蝕,九十日,日魄。大臣專國,代其君為王,天子廢斥,強候執命,夷狄內侵中國百年,上無天子,下無方伯,眾狼為政。後二百二十日,虎哭地陷,天雨沙,山躍石。其來六月,天子弱,大臣為主。”
《春秋潛潭巴》にいう。「斗宿は十二月を主管す。もし十二月に太陽の顏色が灰のごとく、塗抹の泥のごとく、虹霓のごとく、合攏の指甲のごとく、十天より半月以上に持續せば、便ち六月の朔日と晦日の兩天に日食發生に應ず。九十天後、太陽はただ暗淡の形影を剩すのみ。大臣は國政を專擅し、彼の君主を取代して王を稱し、天子は廢黜排斥せられ、強橫の諸侯は生殺の命を掌握し、夷狄は中原を侵入して長く百年に達し、上に天子なく、下に方伯なく、一群の豺狼は政を當てり。此の後二百二十天、虎は哭聲を發出し、地面は塌陷し、天上は沙を落とし、山中の石頭は迸跳す。あの年の六月に到り、天子は衰弱し、大臣は實際の主宰と成る」。
《春秋感精符》曰:“君營於邪,輔宰不納,奢大縱盜,快意所欲,民不聊生,則遊氣蔽日,日青黃白黑。”《春秋感精符》曰:“主弱,則日色赤如灰;王淪濘,則日流血。”又曰:“大臣擅命,妻專盜成黨赤,後大旱,地動搖。”
《春秋感精符》にいう。「君主は一心に邪僻の事を營求し、輔政大臣の諫言は采納せられず、奢侈無度にして竊盜の徒を放縱し、一味として自己の稱心快意を圖り、百姓は過活するに法なければ、便ち浮游の雲氣ありて太陽を遮蔽し、日色は青・黃・白・黑を現出す」。《春秋感精符》にいう。「君主が衰弱すれば、太陽の顏色は便ち赤中に灰を帶びん。帝王が污濁に沈淪せば、太陽は便ち血を流すがごとくならん」。またいう。「大臣が擅自に號令を發し、后妃が權を專らにし權柄を竊弄して黨羽を結成せば、日色は赤を發し、此の後便ち大旱あり、地面は震動搖晃せん」。
又曰:“日青赤黃白黑乍連,於氣茫茫,不可以類推象,度三十日,以往蝕無期此至亂,故比年日蝕。”又曰:“夷狄並侵,兵將用,則日紫。”又曰:“日色赤如灰,主以急見伐。”《春秋緯》曰:“日黃濁佈散,必有后黨嬖。”
またいう。「太陽の青・赤・黃・白・黑の幾種の顏色が忽然として一片に連成し、茫茫の雲氣の裏に籠罩され、常例に按じて分類取象するに法なく、この種の情形が三十天以上持續せば、此の後日食は便ち定期なく推すべからず。これは極亂の象にして、ゆえに連年日食發生せん」。またいう。「夷狄が一同に入侵し將に兵力を動用せんとするとき、太陽は紫色を呈す」。またいう。「太陽が赤中に灰を帶ぶるは、君主の急速に討伐せらるるを主とす」。《春秋緯》にいう。「太陽が黃を發して渾濁し、その色は布散開來せば、宮中に必ず后妃一黨の寵幸の人の道を當つるあり」。
《孝經契》曰:“日和五色,明照四方;黃白失信,赤青奪明,黑多暴害,乘離,失信則慢。”《孝經左契》曰:“日變有五色,蒼色見於百姓也。”京氏曰:“察天不順厥異,日赤,其中有黑。”京氏曰:“日變色,青為飢與憂,赤為爭與兵,黃為德與善,白為旱與喪,黑為水,民半死。”
《孝經契》にいう。「太陽が柔和にして五色を兼具し光は四方を照らすは、これは常態なり。黃中に白を帶ぶるは、信義を失うを主とす。赤中に青を帶ぶるは、光明の奪わるるを主とす。黑色の偏多なるは、暴虐殘害を主とす。諸色は相乘じ相離し、信義を失えば便ち怠慢を生出す」。《孝經左契》にいう。「太陽が色を變じて五種の顏色を現出せば、其中の青色は百姓の身上に應ず」。京房はいう。「天象を觀察して天意に順應し能わざれば、それが變異は便ち太陽の赤を發し、赤中にまた黑を帶ぶるなり」。京房はいう。「太陽が色を變ずれば、青は饑荒と憂患を主とし、赤は爭鬥と兵禍を主とし、黃は德政と善事を主とし、白は旱災と喪事を主とし、黑は水災を主として、百姓は一半死掉せん」。
又曰:“日赤如赭,布如灰,不出其歲,有大將死於野。”又曰:“日有黑光,不出六十日,有大水傷五穀,空屋;所見之國,糴貴十倍,二旬乃止。”京氏曰:“《救黃經》云:‘賢者之言,行之而蔽,其人有以其美自揚厥異,日色黃,黃者,中和色,喻美行也,人君內有賢臣,卒得其位,保其社稷,人君自知,非其德行所能設,稱揚其人,則復矣。’”
またいう。「太陽が赭石のごとく赤く、灰のごとく散布せば、この年を出でずして、大將ありて野外に戰死せん」。またいう。「太陽が黑光を發出せば、六十天を出でずして、大水ありて五穀を損傷し、房屋は空廢す。對應する所の分野の國は、糧價は十倍に漲上し、二十天後にこそ停止す」。京房はいう。「《救黃經》は講じていう、『賢者の進言は采行せられたるも、功勞は卻って人に掩沒せられ、あの人はここにおいて自らその美名を張揚す。それが變異は便ち日色の黃を發するなり。黃は中和の色にして、用いて美好の德行を比喻す。君主の朝中に賢臣ありて、終に應有の職位を得、國家社稷を保全せり。君主自身もまたこれは全く一己の德行の辦到し得る所にあらざるを明白にし、よって公開にあの賢臣を稱揚せば、日色は便ち正常に恢復せり』と」。
《赦赤經》云:“人君不學道,無以教下、發號令、動害百姓,日應之而赤;人君聽用仁賢,尊之加賓客,避寢思道,則復矣。”《救黑經》云:“臣不能進諫其君,怨下見百姓,故日黑。人主當憂勞求賢,罷左右強臣,則黑除矣。”《救白經》云:“人君軟弱,海內咸貧,日白六旬,不可復變;未滿六旬,求任賢臣,抗武揚威,誅罰為非,則復矣。”
《赦赤經》は講じていう。「君主は治國の道を學ばず、臣下を教化するに由なく、號令を發施すること動輒百姓を傷害せば、太陽は便ちこれに應じて赤を發す。君主もし仁人賢士を聽用し、彼らを賓客のごとく尊崇し、常居の寢殿を避けて治道を靜思し得れば、日色は便ち正常に恢復す」。《救黑經》は講じていう。「臣子は君主に諫を進むること能わず、怨氣は轉じて下に百姓の身上に加わる。ゆえに太陽は黑を發す。君主は應に國事を憂勞し賢才を訪求し、身邊の強橫の臣を罷免すべく、黑色は便ち消除せん」。《救白經》は講じていう。「君主が軟弱にして、海內は普遍に貧困し、太陽が白を發して六十天に滿てば、便ち再び挽回しがたし。もしまだ六十天に滿たざれば、賢臣を訪求任用し、武備を振作し威勢を張揚し、非を為し歹を作す人を誅罰し得れば、日色は便ち正常に恢復す」。
《夏氏圖》曰:“日暈黃濁黃,動搖為風雨,其不動搖,憂病暴怨。”《荊州占》曰:“日始出一竿,赤如血,有死王,以宿占國。”又曰:“日赤如血,其國君死,赤始未赭,將軍戰死於野。”(按王隱《晉書》曰:東海王越自陽成帥甲士四萬,京邑多徙次許昌,以鳴崇為兵司馬,越領豫州牧,三月四日,日有赤,散流,其光若血下流,其光之所照皆赤,日中有若飛'者,七八十,九日,越斃於項也。)
《夏氏圖》にいう。「太陽を環繞する光圈が黃く發して渾濁し、もし晃動して定まらざれば、風を起こし雨を降るを主とす。もし併せて晃動せざれば、憂患・疾病と突如其來の怨仇を主とす」。《荊州占》にいう。「太陽が剛ち地平を出でて一竿高のとき、血のごとく赤きは、帝王の死去するありを主とし、太陽の在る所の星宿に按じてどの國家に應ずるかを判定す」。またいう。「太陽が血のごとく赤きは、あの分野の國君は死す。赤色が剛ち起りてまだ赭色に轉成せざるは、將軍の野外に戰死するを主とす」。(原書小注:王隱《晉書》の記載に按ずるに、東海王司馬越は陽成より甲士四萬を率いて出發し、京城の裏の許多の人は許昌に遷往して駐紮し、鳴崇を任命して兵司馬と為し、司馬越は兼ねて豫州牧を領す。三月四日、太陽は赤を發し、赤氣は四散流瀉し、あの光は血のごとく下に向かって淌り、およそ照到する所はみな赤色と成り、日面の中に七八十個の飛鳥のごとき物あり。初九日に到り、司馬越は項城に死せり。)
《孝經內記》曰:“主不敬天地,犯名山大川,則日色青白黃黑。”甘氏曰:“日或黑青黃,師破喪候王。”京氏曰:“日者,太陽之精,萌於東,盛於南;其色赤。今乃青,青東方,少陽色也。謂人君微弱,國無賢輔,則致此災;不救,日蝕為災,其救也,率股肱,正臺輔,任忠直,報功能,立將軍,修城郭。”
《孝經內記》にいう。「君主が天地を敬せず、名山大川の神靈を觸犯せば、太陽は便ち青・白・黃・黑の色を現出す」。甘德はいう。「太陽はあるとき黑を發し青を發し黃を發するは、軍隊の潰敗を主とし、諸侯王は身を死せん」。京房はいう。「太陽は太陽の氣の精華にして、東方に萌生し南方に鼎盛す。それが正色は赤なり。今卻って青を發す。青は東方少陽の色にして、君主の微弱・國中に賢良の輔臣なきを説明し、こそこの樣の災異を招致せり。もし救正せざれば、便ち日食の形式を以て災を成さん。救正の辦法は、得力の大臣を統率し好し、三公台輔の人選を端正し、忠直の士を任用し、有功有能の人に酬報し、將軍を設立し、城郭を修繕す」。
京房《易傳》曰:“人君不聞道德,其亂國背上,則日赤。”(按洪範曰:漢成帝河平元年正月壬寅朔,日月俱在營室,日赤;二月十二日癸未日朔,日又赤。其夜月赤,十三日甲申,日出赤如血,無光,漏上四刻半,乃頗有光,照地赤黃,食時後乃復,是時帝無道德,後宮趙氏亂,內外宗,王氏擅朝,逐主亡國之應。)
京房《易傳》にいう。「君主は道德の言を聽進れず、國政は紊亂して臣下は君上を背棄せば、太陽は便ち赤を發す」。(原書小注:《洪範》の記す所に按ずるに、漢の成帝河平元年正月壬寅の朔日、日月は同じく營室宿に在りて太陽は赤を發せり。二月十二日癸未の朔日、太陽はまた赤を發し、當夜月亮もまた赤を發せり。十三日甲申、日出ずるとき血のごとく赤く、全く光亮なく、漏刻の四刻半を走り過ぐるまでこそ略々光輝あり、地面に照到して赤黃色を呈し、早飯の時分を過ぎてこそ正常に恢復せり。當時成帝は道德に失し、后宮の趙氏姉妹は淫亂し、內外の親族は相勾結し、王氏の一門は朝政を專擅す。これはまさに君主の逐われ國祚の傾亡するの應驗なり。)
京房《易傳》曰:“上微弱,無法制,則日白六十日,萬物無霜而死。”又曰:“臣下無智勇,天下自征伐,則日白體動而寒。”又曰:“人君弱而能任其事,謂不亡,則日白。”又曰:“人君公行衍過,不自改,則日黑,大風起。”(天無雲而日光掩也。)
京房《易傳》にいう。「君主が微弱にして、法度を立下して節制を加うること能わざれば、太陽は便ち白を發して六十天、萬物は霜を下さずとも枯死せん」。またいう。「臣下に旣に智謀なくまた勇力なければ、天下は各自に兵を興して征伐し、太陽は便ち白を發し、日體は晃動して天氣は寒に轉ず」。またいう。「君主は衰弱なるといえども、なほ國事を擔當し得れば、滅亡に至らずと説くべく、このとき太陽は白を發す」。またいう。「君主が公然として一再に過を犯して自改せんと肯んぜざれば、太陽は便ち黑を發し、併せて大風を刮起す」。(原書小注:これは天上に雲なく然るに日光は卻って遮蔽せらるるを説くなり。)
京房曰:‘日有青光,不出二旬大風,糴貴,斗米二千。一歲五見,糴倍;十見以上,民多疾疫,不出一年。”京氏曰:“日青,君弱亡,君無知也。黃間,若不與也。”黑慈(闕)甘氏曰:“臣逆君法,日赤如火,其國必亂。”
京房はいう。「太陽が青光を帶ぶれば、二十天を出でずして便ち大風あり、糧價は上漲し、一斗の米は二千錢に賣到せん。一年の内に五次出現せば、糧價は加倍す。十次以上出現せば、百姓は疫病に染すること多く、應驗は一年を出でず」。京房はいう。「太陽が青を發するは、君主の衰弱敗亡を主とし、君主の昏昧無知なるに因る。青中に黃を夾ずるは、有所吝惜して給與せんと肯んぜざるがごとし」。以下に黑色を講ずるの一條は、底本殘缺す。甘德はいう。「臣下が君主の法令に違逆せば、太陽は火のごとく赤く、あの國家は必定に大亂せん」。
《荊州占》曰:“日色赤而三日不復,則霧而昏。晝昏此人君無德故也。”又曰:“日色赤黃,其月旱。”又曰:“有黃光照下國,有土水若流血,名王死之。有白光破國,主憂喪。有青色,國實倉。有赤光,流血滂滂。有黑光,多死兵。”(以上日色之變。)“乍赤乍白各十日,臣有伏兵欲謀君。”又曰:“日色如紫,名為日死,王者惡之。”
《荊州占》にいう。「太陽が赤を發し、三天を過ぎてなほ恢復せざれば、天は便ち霧を起こして昏暗す。白晝の昏暗は、君主の德なきの緣故に因るなり」。またいう。「太陽が赤中に黃を帶ぶれば、當月は旱を主とす」。またいう。「黃光ありて下方の國土に照到せば、土災水患あるを主とし、水色は流血のごとく、著名の王者は死去す。白光あれば、國破れるを主とし、君主に憂患喪事あり。青色あれば、國家の倉廩充實を主とす。赤光あれば、流血滂沱を主とす。黑光あれば、兵戰に死者衆多を主とす」。(原書小注:以上はみな日色變異の占なり。)「忽赤忽白して、各々十天持續するは、臣下の兵馬を埋伏し、君主に加害せんと圖謀するを主とす」。またいう。「太陽の顏色の紫を發するを、『日死』と呼ぶ。帝王は最もそれを忌諱す」。
日戴光
《太公兵法》曰:“日戴天下,大凶,期不出三年。”
《太公兵法》にいう。「太陽の上方に『戴』氣を出現す——あれは日輪の正上方に橫たわり、形は一條の直線のごとくにして中部は微微に隆起する雲氣にして、太陽に一頂の帽子を戴上するがごとし——この戴氣は天下を籠罩し、大凶の象にして、應驗の期限は三年を出でず」。
日無光
《太公陰秘》曰:“君不明,臣不忠,故日天光。月不明,見變不救,殃禍生,臣欲反,主失名。安百姓,用賢人,弱者扶則無害。”又曰:“凡四時受王之日,日月當清明,五星順度,潤澤有光,凡此君臣和同。或晝不見日,夜不見月,五星失度,陽蔽日光,亂風連日,此國君迷荒,不順時令,疾病蟲霜,忠臣受誅,讒言者昌,兵火欲起,民人惶惶,盜賊滿道,死者不葬。”
《太公陰祕》にいう。「君主は明察せず、臣子は忠を盡くさず。ゆえに太陽はそれが本有の天光を失う。月亮もまた明亮せず。この種の變異を見て救正を加えざれば、災禍は便ち發生し、臣下は謀反せんと欲し、君主は名位を失わん。もし百姓を安撫し、賢人を任用し、弱小を扶助し得れば、便ち害あらず」。またいう。「およそ四季の中の當旺得令の日は、日月はみな應に淸朗明淨にして、五大行星は順次に行り、潤澤にして光あるべし。これらはみな君臣の和睦一心を表示す。もし白天に太陽を見ず、夜裏に月亮を見ず、五星の運行は常度を失い、陽氣は反って遮蔽せられて日光は顯れず、狂風は接連して數日止まざれば、これは國君の昏迷荒怠・時令に順應せざるの徵象にして、將に疾疫・蟲害と霜災あり、忠臣は誅戮に遭い、讒言を進める人は勢を得、兵火は將に起り、百姓は惶恐安んぜず、盜賊は路に滿ち、死者は埋葬する人なきなり」。
《黃帝用兵要法》曰:“沈陰,日月俱無光,晝不見日,夜不見月,星皆有雲障之而不雨,此為君臣俱有陰謀,兩敵相圖謀也。若晝陰夜月出,君謀臣;夜陰晝日出,臣謀群,下逆上。”又曰:“日濛濛無光,士卒內亂。”
《黃帝用兵要法》にいう。「陰雲は沈沈として、日月はみな光なく、白天に太陽を見ず、夜裏に月亮を見ず、星辰は全て雲氣に遮住せられて然るに雨を下さざるは、これは君と臣の雙方の各々陰謀を心懷くを表示し、また敵對の兩方の彼此に算計するを表示す。もし白天は陰沈にして夜裏に卻って月亮の出ずれば、君主の臣下を算計するなり。夜裏が陰沈にして白天に卻って太陽の出ずれば、臣下の君主を算計するにして、下に在る者は上に在る者に違逆す」。またいう。「太陽が蒙昧にして光なきは、士卒の內部に亂を作すを主とす」。
《河圖帝覽嬉》曰:“日月不光,有亡國死王,期不出五年。”《春秋感精符》曰:“三失陽事則日無光。”《春秋感精符》曰:“君行內虛,外有肅敬、佈政、修度之名,苟無至誠,為下犯冒,晚晚不驚,則日光冥冥,鬱怏不清,其後水數淫,而霧霜屢臻。”
《河圖帝覽嬉》にいう。「日月がみな光を發せざるは、國家の滅亡・君王の身死するの事あるを主とし、應驗の期限は五年を出でず」。《春秋感精符》にいう。「三度に陽に屬する政事の上に失あれば、太陽は便ち光なし」。《春秋感精符》にいう。「君主の行為は內裏空虛にして、外表は卻って恭敬肅穆・政令を頒布し法度を修訂するの名聲あり。もし併せて一片の至誠の心なければ、便ち臣下に冒犯欺凌せられん。甚だ晚きに至りてなほ警醒を知らざれば、太陽の光は便ち昏昏沈沈として、鬱結して淸朗ならず。此の後洪水は屢々泛濫し、霧と霜もまた一再に降臨せん」。
《春秋感精符》曰:“日無光,主主勢奪,群臣盜讒蔽行。”(按《洪範日月》曰:“漢元帝永光元年四月,日色青白無影,日中時,影無光,是夏寒。至九月乃有光,是時宦者弘恭、石顯等倚勢讒賊忠良,上弱,不明、不義、不遠之應也。)
《春秋感精符》にいう。「太陽に光なきは、君主の權勢の奪わるるを主とし、群臣は權柄を竊弄し讒言を進めて君主の耳目を蒙蔽す」。(原書小注:《洪範日月》の記載に按ずるに、漢の元帝永光元年四月、日色は青白にして影子を照出さず、正午の時分は影子を連ねても光なく、あの年の夏天は反常に寒冷し、九月に到るまで太陽はこそ光亮を恢復せり。當時宦官の弘恭・石顯などの人は權勢を倚仗して忠良を讒害す。これはまさに君主の軟弱にして、旣に明察ならず、また義に合わず、更に遠慮なきの應驗なり。)
《春秋感精符》曰:“妻黨翔,群臣資橫,則日黃無光。(翔橫言,從盜言,從盜也,黃地色,妻象也。恣奸謀,故光見於天,使日黃至於無光澤也。)偏任權柄,大臣擅法,則日青黑。(日為君,月為臣,月生出水,水色青,母子助戰二氣並見。)子黨犯命,權威宮國,則遊氣蔽日,日赤鬱怏無色。(日色赤,子生於父,父子同氣;今赤氣蔽日,子奸父之象也。)九十日,日黃,則日中無影,其時叛作,璚珥數出,黃雲入國,妻黨翔應;青則寒霜虐雹,偏任氣應赤,則日斗湛陰霧集。”(霧集猶霧冥也,子犯命應。)
《春秋感精符》にいう。「后妃の一黨は氣焰飛揚し、群臣は勢に借りて橫行せば、太陽は便ち黃を發して光なし。(原書小注:所謂飛揚橫行とは、すなわち放縱竊取の意なり。黃は大地の色にして、まさに后妃の象徵なり。彼女らは恣意に奸謀を施行す。ゆえに天に顯象して、太陽をして黃を發して毫も光澤なからしむ。)君主が一人を偏信して權柄を交出し、大臣が擅自に法令を把持せば、太陽は便ち青黑を發す。(原書小注:太陽は君主を象徵し、月亮は臣子を象徵す。月は水より生じ、水の色は青し。これは母子の二氣の一同に顯現するなり。)子嗣の一黨が君命に違犯し、宮中・國中に威を作り福を作せば、便ち浮游の雲氣ありて太陽を遮蔽し、太陽は赤を發して鬱結して色なし。(原書小注:日色の赤を發するは、子は父に由りて生ぜられ、父子は氣を同じくするに因る。今赤氣は反って太陽を遮蔽す。まさに兒子の父親を暗算するの象なり。)九十天を過ぎて、太陽は黃を發し、正午に竿を立てても影子を照出さず。このとき叛亂は發作し、日旁の『璚』氣と『珥』氣は屢々出現す——璚は青赤色にして彎曲して外向し、中間に一條の形は帶鈎のごとき氣を橫貫し、珥は太陽の兩旁の短小なること耳のごとき氣なり——黃雲は國都に進入して、まさに后妃一黨の飛揚跋扈に應ず。もし青色を現ずれば、便ち寒霜と暴虐の冰雹あり。これは一人を偏信するの應驗なり。もし赤色を現ずれば、便ち兩日の相鬥・陰氣の沈滯・霧氣の聚集を出現せん」。(原書小注:霧集とはすなわち霧氣の昏冥にして、これは子嗣の君命に違犯するの應驗なり。)
《春秋感精符》曰:“日久不明,天子蔽塞;各以其類自勅,以消之。”《春秋孔演圖》曰:“騏驎斗兮日無光。”《春秋緯》曰:“日光亡,諸侯叛;三十日不光群禍起。”《孝經內記圖》曰:“日無故過中時無光,人君不明,天下有雨,主兵。”甘氏曰:“日出一年而無光耀,其月有王死,一旦王有憂。”《孝經內記圖》曰:“王驕慢,日月失明。”
《春秋感精符》にいう。「太陽が長久に明亮せざるは、天子の蒙蔽壅塞せらるるを説明す。各々屬する所の類別に按じて自ら告誡せば、こそそれを消解すべし」。《春秋孔演圖》にいう。「麒麟の相鬥するとき、太陽は便ち光なし」。《春秋緯》にいう。「日光の喪失するは、諸侯の背叛を主とす。三十天光を放たざれば、各種の禍亂は一齊に興起せん」。《孝經內記圖》にいう。「太陽が無故に正午を過ぎてなほ光なきは、君主の不明察を主とし、天下は將に雨を降し、併せて兵事を主とす」。甘德はいう。「太陽が出でて整整一年光輝なきは、當月に帝王の死去あり、あるいは帝王は一朝のあいだに憂患に遭遇す」。《孝經內記圖》にいう。「帝王が驕橫怠慢なれば、日月は便ち光明を失わん」。
《孝經內記圖》曰:“日出東方二竿,亭亭無光,為日病;未入二竿,亭亭無光,為日死。日死君死;日病君病。”甘氏曰:“見一日為十日,見二日為一月,見一月為一歲,不出其年兵起。”(按韋昭曰:日下無光,謂唯質見耳。)
《孝經內記圖》にいう。「太陽が東方より升起して兩竿高のとき、孤零零として光なきを、『日病』と呼ぶ。將に落ちんとしてなほ兩竿高のとき、孤零零として光なきを、『日死』と呼ぶ。日死なれば則ち君主は死し、日病なれば則ち君主は病む」。甘德はいう。「この種の無光の象が一天出現せば、十天の内に應驗す。兩天出現せば、一個月の内に應驗す。一個月出現せば、一年の内に應驗し、當年を出でずして便ち兵事あらん」。(原書小注:韋昭の説に按ずるに、所謂日下無光とは、ただ太陽の形體を看見するのみを指すなり。)
《荊州占》曰:“日始出二竿,未入二竿,其色赤而無光,其分主凶;必有兵喪,春則為旱,災在六月。”《太公兵法》曰:“日未入兩竿而無光曜,其月必主死。一曰主憂。”京氏曰:“日未入二竿,亭亭無光,所舍國君死;日出三日無光,國乃不昌。”甘氏曰:“日出旦無光,陽見德也;日旦而無明,入而無光,此謂陽見刑也。”
《荊州占》にいう。「太陽が剛ち升起して兩竿高、あるいは將に落下せんとしてなほ兩竿高のとき、顏色は赤を發して光なきは、それが對應する所の分野は凶を主とす。必ず兵禍喪事あり。もし春天に在れば便ち旱災を主とし、災は六月に應ず」。《太公兵法》にいう。「太陽が將に落ちんとしてなほ兩竿高にして光輝なきは、當月に必ず死亡を主とす。別の一説は憂患を主とす」。京房はいう。「太陽が將に落ちんとしてなほ兩竿高にして、孤零零として光なきは、それが在る所の星宿分野の國君の死を主とす。太陽が連ねて三天出でてみな光なければ、國家は便ち昌盛せず」。甘德はいう。「太陽が出ずるとき清晨に光なきは、陽氣の德性を顯示するなり。早晨に明亮せず、落下のときにまた光なきは、これを陽氣の刑殺を顯示すと呼ぶ」。
甘氏曰:“人君宰相,不從四進行令,刑罰不明,大臣奸謀,離賢蔽能,則日月無光。見瑕適不改其行,其國五穀不成,六畜不生,人民上下縱橫,賊盜並起。”甘氏曰:“日出無光曜者,主病。一曰:主有負於臣,百姓有冤心。”甘氏曰:“日失色,所臨之國不昌。”京房《易妖占》曰:“君不明,日不光。”
甘德はいう。「君主と宰相が四時の次第に依らずして政令を推行し、刑罰は淸明ならず、大臣は暗中に奸謀を弄して、賢者を排擠し能人を掩沒せば、日月は便ち光なし。この種の瑕疵譴告を見てなほ行事を改變せざれば、あの國家は便ち五穀熟せず、六畜は繁えず、百姓は上下橫行して序なく、盜賊は一齊に興起せん」。甘德はいう。「太陽が出でて光輝なきは、君主の病を生ずるを主とす。別の一説は君主は臣下に負うところあり、百姓は心中に冤を含むとす」。甘德はいう。「太陽が本色を失えば、それが照臨する所の國家は昌盛せず」。京房《易妖占》にいう。「君主が明察せざれば、太陽は便ち光を發せず」。
京氏曰:“天下雲盡,赤日不光三十日者,有大兵,王者亡;五十日者,兵且作,大飢,民亡;七十日者,有大殃,亡主、兵作、大飢;九十日者,社稷亡;百二十日者,邑墟亡。”京氏曰:“日月大無光,國無王,民不安,天下有兵。”京氏曰:“日失光明,主令不行,民飢流亡。”京氏曰:“日無故久無光,天下不彰,社稷隳亡。”京氏曰:“日月皆無光,則淵涸山崩,王者惡之。”
京房はいう。「天上の雲はすでに散盡し、赤色の太陽は卻って光なし。三十天持續すれば、大兵事あるを主とし、帝王は敗亡す。五十天持續すれば、兵事は將に起り、大いに饑饉を鬧し、百姓は流亡す。七十天持續すれば、大災殃あり、君主は亡故し兵事興起し饑荒嚴重す。九十天持續すれば、國家社稷は覆亡す。一百二十天持續すれば、城邑は化して廢墟と為りて亡ぶ」。京房はいう。「日月が大いに光輝を失えば、國中に王なきを主とし、百姓は安んぜず、天下に兵事あらん」。京房はいう。「太陽が光明を失えば、君令の推行し能わざるを主とし、百姓は饑餓流亡せん」。京房はいう。「太陽が無故に長久に光なきは、天下の明らかならざるを主とし、社稷は毀壞滅亡せん」。京房はいう。「日月がみな光なければ、便ち深淵は干涸し山陵は崩塌す。帝王は最もこの種の天象を忌諱す」。
董仲舒《災異占》曰:“日無故白無光,其主不死,國乃不昌。青無光,天下人民相食,主去。日赤無光,天下兵起,大旱。日黃無光,天下主失德,名山崩,地動。日黑無光,臣下為政。”《氣經》曰:“日光赤氣見,為賊者皆君左右大臣也。”京房《易妖占》曰:“日赤無光,君凶也。”
董仲舒《災異占》にいう。「太陽が無故に白を發して光なきは、あの君主はたとい死せずとも、國家もまた昌盛せず。青を發して光なきは、天下の百姓の相食するを主とし、君主は位を離る。太陽が赤を發して光なきは、天下の起兵を主とし、大旱す。太陽が黃を發して光なきは、天下の君主の德行を喪失するを主とし、名山は崩塌し地面は震動す。太陽が黑を發して光なきは、臣下の國政を代行するを主とす」。《氣經》にいう。「日光の中に赤氣を出現せば、亂を作し害を為すはみな君主の身邊の大臣なり」。京房《易妖占》にいう。「太陽が赤を發して光なきは、君主に凶あるを主とす」。
開元占經 卷六
日占 二
日晝昏
《春秋感精符》曰:“日者,陽之精曜,魄光明所以察下,夫以照滅晝晦,甚所懼也。”《春秋緯》曰:“后族專權,謀為國害,則日晝昏。”京氏曰:“奸臣盛,日晝昏。”《春秋運斗樞》曰:“日晝昏之異,臣為政莫制持專權跋扈,陰騙舒。”《雒罪級》曰:“日晝昏,不言擅畔。”石氏曰:“日晝昏,行人無影,到暮不止,刑急,民無聊生,不出二年,大水下,田不收。”甘氏曰:“日晝錯,鳥群鳴,天下國家分析,臣持政,期不出五年中。”甘氏曰:“日無故晝昏倒暮,不出一年,大水。”
《春秋感精符》にいう。「太陽は陽氣の凝成せる光耀にして、それが光明は用いて下界を照察す。もしこの照臨の光が反って吞滅せられ、白晝は變じて昏暗となれば、あれは最も畏懼すべきの事なり」。《春秋緯》にいう。「后族が權を專らにし、國家に危害せんと圖謀せば、白天の太陽は便ち昏暗せん」。京房はいう。「奸臣の勢力が興盛なれば、白天の太陽は便ち昏暗せん」。《春秋運斗樞》にいう。「白晝に日光昏暗のこの一變異は、臣下の朝政を把持して制する人なきを主とし、權柄を專擅し驕橫跋扈し、陰氣はこれに因って舒張せん」。《雒罪級》にいう。「白晝に日光昏暗は、一言を發せずして便ち擅自に叛離する人あるを主とす」。石申はいう。「白晝に日光昏暗して、路上の行人は影子を照出さず、天黑に到るまでなほ消散せざるは、刑罰苛急を主とし、百姓は過活するに法なく、兩年を出でずして便ち大水を發し、田裏は顆粒の收なからん」。甘德はいう。「白晝に日光錯亂し、群鳥は亂叫せば、天下國家の分崩離析を主とし、臣下は朝政を把持し、應期は五年を出でず」。甘德はいう。「太陽が無故に白晝に昏暗し、一直に日暮に到るまで暗ければ、一年を出でずして便ち大水を發せん」。
京房《別對災異》曰:“國有讒佞,朝有殘臣,則日無光,闇冥不明。”《易》曰:“日中見斗,日中星見,明其冥也;故貶之為暮也。其救也,遠佞諂,近忠直,修經典,閉私道,則日光明。”《洪範傳》曰:“日正晝而冥晦者,陰反為陽,臣反制君也。”
京房《別對災異》にいう。「國中に讒を進むる奸佞あり、朝中に忠良を殘害する臣子あれば、太陽は便ち光なく、昏暗不明なり」。《易》にいう。「正午の時分に卻って北斗を見、正午の時分に星辰は顯現す。白晝のすでに昏冥を説明す。ゆえにこの段の時辰を『暮』と貶稱せんと要す。救正の辦法は、佞人諂臣を疏遠し、忠直の士を親近し、經典を修明し、私を營るの門路を堵塞せば、太陽は便ち重新に光明せん」。《洪範傳》にいう。「太陽が正午に反って昏暗晦冥なるは、これは陰の反って陽位に居り、臣下の反って君主を挾制するなり」。
《孝經雌雄圖》曰:“子日晝冥者,水溢山崩,水灌涼州,凶在武都、酒泉。丑日晝冥者,鬼山崩,水出灌兗州,凶在濟陰、任城。寅日晝冥者,虎山崩水,灌徐州,凶在下邳,琅琊。卯日晝冥者,水山崩,一日風,山水灌青州,凶在平原,齊國。辰日晝冥者,風山崩,水出灌揚州,凶在豫章,廬江。巳日晝冥者,龍山崩,一曰水山崩,水灌豫州,凶在淮揚、汝南、會國,一曰凶在淮揚、南昌。
《孝經雌雄圖》にいう。「子日に白晝昏暗せば、大水泛濫・山陵崩塌を主とし、水は凉州を淹し、凶は武都・酒泉に應ず。丑日に白晝昏暗せば、鬼山の崩塌を主とし、大水は衝出して兖州を淹灌し、凶は濟陰・任城に應ず。寅日に白晝昏暗せば、虎山の崩塌發水を主とし、徐州を淹灌し、凶は下邳・琅琊に應ず。卯日に白晝昏暗せば、水山の崩塌を主とし、別の一説は大風を起こすとし、山洪は青州を淹灌し、凶は平原・齊國に應ず。辰日に白晝昏暗せば、風山の崩塌を主とし、大水は衝出して揚州を淹灌し、凶は豫章・廬江に應ず。巳日に白晝昏暗せば、龍山の崩塌を主とし、別の一説は水山の崩塌とし、大水は豫州を淹灌し、凶は淮揚・汝南・會國に應じ、別の一説は凶は淮揚・南昌に應ずとす」。
午日晝冥者,水山崩,一曰上山;水灌幽州,凶在日南,蒼梧。一曰水灌青州,凶在平原,齊南。未日晝冥者,土山崩,一曰水山;水出灌荊州,凶在南陽。申日晝冥者,石山崩、水灌益州,凶在蜀郡、廣漢,酉日晝冥者,鐵山崩,水灌幷州,凶在河內五原。戌日晝冥者,氣山朋,水灌兗州,凶在河內、太原,一曰凶在河內、京兆。亥日晝冥者,岑山崩,水灌冀州,凶在趙國、清河。一曰,水灌兗州人民也。”
(以下はなほ《孝經雌雄圖》の謂う所)「午日に白晝昏暗せば、水山の崩塌を主とし、別の一説は上山の崩塌とす。大水は幽州を淹灌し、凶は日南・蒼梧に應じ、別の一説は水は青州を淹し、凶は平原・齊南に應ず。未日に白晝昏暗せば、土山の崩塌を主とし、別の一説は水山の崩塌とす。大水は衝出して荊州を淹灌し、凶は南陽に應ず。申日に白晝昏暗せば、石山の崩塌を主とし、大水は益州を淹灌し、凶は蜀郡・廣漢に應ず。酉日に白晝昏暗せば、鐵山の崩塌を主とし、大水は并州を淹灌し、凶は河內・五原に應ず。戌日に白晝昏暗せば、氣山の崩塌を主とし、大水は兖州を淹灌し、凶は河內・太原に應じ、別の一説は凶は河內・京兆に應ずとす。亥日に白晝昏暗せば、岑山の崩塌を主とし、大水は冀州を淹灌し、凶は趙國・淸河に應ず。別の一説は大水は兖州の百姓を淹没すとす」。
日無雲而不見
《河圖》曰:“天元雲,日不見,三日為大喪,必在滅國。”甘氏曰:“八月朔日日不見,正月酉日日不見,主死。”《春秋漢含孳》曰:“日不出,懦下。(不出謂日當出不出,君懦畏群下也)則就陰位(燕自闕)。”《春秋緯》曰:“沈日不出,則為天下冥冥,俱溺絕。”
《河圖》にいう。「天上には本來雲なきに、太陽は卻って看見せず。あらんごとく連續三天のは、大喪あるを主とし、必定に國家の覆滅に應ず」。甘德はいう。「八月初一に太陽を見ず、正月の酉日に太陽を見ざるは、みな人の身死するあるを主とす」。《春秋漢含孳》にいう。「太陽の應出でて出でざるは、君主の怯懦にして臣下の後に屈居するを主とす。(原書小注:所謂不出とは、太陽の當出すべきにして出でざるを指し、君主の懦弱・群臣を畏懼するを象徵す。)ここにおいて退居して陰に屬する位置の上に到る(原書はここに闕文あるを注明す)」。《春秋緯》にいう。「太陽が沈沒して出でざれば、天下は便ち一片の昏冥となり、人人は溺水して氣を斷つがごとし」。
日中烏見
《洛書》曰:“日中有烏見,名曰陰德,不出六十日,兵出;從其所向伐之勝,若有國主死。(按《抱朴子》曰吳赤烏十三年,日中烏見,三足。然魏蜀不見,孫權死。)京氏曰:“日中有烏見主失明,為政者亂。”《黃帝》曰:“日中三足烏,見者,其所居分野有白衣會,大旱,赤地。三足烏出,住日外者,天下大國受其災,戴麻森森,哭聲吟吟。”
《洛書》にいう。「太陽の中に烏鴉の形影を出現するを、名づけて『陰德』という。六十天を出でずして便ち兵事の出動あり。烏影の向かう所の方位に朝着して討伐せば、取勝すべし。然らざれば便ち國君の死去あらん」。(原書小注:《抱朴子》の記載に按ずるに、吳國の赤烏十三年、日中に烏影を出現し、三足烏なり。然るに魏・蜀の兩地はみな看ること能わず、後來孫權は去世せり。)京房はいう。「太陽の中に烏影を出現するは、君主の明察を失い、執政の人の昏亂を主とす」。《黃帝》にいう。「太陽の中に三足烏を出現せば、それが在る所の分野に素服送喪の聚會あり、大旱して、赤地千里す。三足烏が出現して日輪の外に停まるは、天下の大國はこの場の災禍を受け、人人は頭に麻布を戴き、哀哭の聲は絶えず」。
《太公陰秘》曰:“日中烏見者,君咎;雙烏見者,將相逆入,斗者主出走,烏動者大飢,水旱不時,人民流在他鄉。救之法:實倉庫、舉賢士,遠佞邪、察後宮,任有道,赦不從,則災消矣。”《孝經內記圖》曰:“日無暈而烏見,所宿之國亡絕。”(王隱《晉書惠紀》曰:“元康六年六月日中若飛燕者,積數日,後有愍懷太子事。)《日傍氣圖》曰:“日中烏見,其國君死、期三年。”《荊州占》曰:“常以月十四日,候日,中有氣如飛鳥,其地無居者。”京房《災異》曰:“日月薄赤,見日中烏,將軍出旌,舉此不詳,必亡。”
《太公陰祕》にいう。「太陽の中に烏影を出現するは、君主に咎あるを主とす。兩隻の烏影を出現するは、將相の叛逆して宮に入るを主とす。兩烏の相鬥するは、君主の出逃を主とす。烏影の躁動して定まらざるは、大饑荒を主とし、水旱は時を失い、百姓は他鄉に流落す。救解の辦法は、倉庫を充實し、賢士を擧用し、奸佞を疏遠し、后宮を察治し、道あるの人を任用し、順從せんと肯んぜざる人を赦免せば、災禍は便ち消解せん」。《孝經內記圖》にいう。「太陽に光暈なくして烏影を出現せば、それが在る所の星宿分野の國家は將に滅絶せん」。(原書小注:王隱《晉書・惠帝紀》にいう、元康六年六月、日中に飛燕のごとき黑影を出現し、接連して數日好し、後來便ち愍懷太子の害せらるるの事を發生せり。)《日傍氣圖》にいう。「太陽の中に烏影を出現せば、あの國家の君主は死し、期限は三年なり」。《荊州占》にいう。「常に每月の十四日に太陽を觀察し、日中に氣ありて形は飛鳥のごときは、あの地方は將に居住する人なからん」。京房《災異》にいう。「日月の色は薄くして赤を發し、また日中の烏影を見れば、將軍の出兵して旗を張るを主とす。あらんごとく興兵するは吉利ならず、必定に敗亡せん」。
日中有雜雲氣
《黃帝占》曰:“日中有火光氣見者,其國左右大臣欲反。”《春秋潛潭巴》曰:“君德鷹揚,君臣和,德道慶,則日含王字。”(日中有王字者,君德象,日光所照無不及也。)石氏曰:“日中有立人之象,君慎左右急。”《荊州占》曰:“日中有人行者,臣害主,而主爭客勝;有三人,天鉤主,人必更。”
《黃帝占》にいう。「太陽の中に火光のごとき氣を出現するは、あの國家の君主の左右の大臣の謀反せんと欲するを主とす」。《春秋潛潭巴》にいう。「君主の威德は鷹隼の高飛するがごとく、君臣は和睦し、德政の道は慶すべく、太陽の中に一個の『王』の字を含蓄せん」。(原書小注:日中に王の字を出現するは、君德の象徵にして、日光の照する所の遠きは至らざるなきを表示す。)石申はいう。「太陽の中に人の站立する形象あるは、君主の趕緊に身邊の人を防備すべきを主とす」。《荊州占》にいう。「太陽の中に人の行走するは、臣下の君主を謀害するを主とし、而して兩軍の相爭のとき客方は取勝す。もし三個の人影を出現せば、天鈎の象は君主の身上に應ずるを主とし、君位は必定に更換せん」。
《雜雲氣占》曰:“青氣入,白如老人,黑帽黑衣,杖刀立日中,從日出至食時不罷,君失位。”又曰:“青氣入日,狀如兩烏,重立日中,從日出至食時不罷,日無精光,夷人為主,正治失痊,河水逆流。”京房曰:“祭天不順茲謂逆,日中有黑子。”又曰:“臣不掩君惡,令下見於百姓;百姓惡君,則日變。”(中有黑者,陰也。皆日出入時也。)
《雜雲氣占》にいう。「青氣が日中に侵入し、其中の白影は一個の老人にして、黑帽を戴き黑衣を穿き、刀を拄いて太陽の當中に立ち、日出より一直に早飯の時分に到るまでなほ散去せざるは、君主の位を失うを主とす」。またいう。「青氣が太陽に侵入し、形狀は兩隻の烏鴉のごとく、重疊して日中に立ち、日出より早飯の時分に到るまでなほ散去せず、太陽に精光なきは、夷人の君主を做るを主とし、正常の治理は恢復するに法なく、河水は倒流せん」。京房はいう。「天を祭るに禮數に合わざるを、これを『逆』と呼び、太陽の當中に便ち黑子を出現せん」。またいう。「臣下が君主のために過失を掩蓋せず、失當の命令を百姓に公布し、百姓はこれに因って君主を憎惡せば、太陽は便ち變異を發生す」。(原書小注:日中に黑色を出現するは、陰に屬す。これらはみな日出日落のときに出現す。)
《文命鉤》曰:“偏任權柄,大臣擅法,則有青黑子。”《甘氏占》曰:“日青赤掩月,不有戰必有亡國。”《京房占》曰:“日中有黑雲,若赤、若青、若黃,乍五、乍十、乍三十,天子崩。”(按《晉中興書》曰:昇平三年十月丙午,日中有黑子,如卵,少時而孝宗崩;太和四年十月乙未,日中有黑子,明年海西公廢。)
《文命鈎》にいう。「君主が一人を偏信して權柄を交出し、大臣が擅自に法令を把持せば、太陽の中に便ち青黑色の斑點を出現せん」。《甘氏占》にいう。「太陽が青赤にして月亮を掩蔽するは、戰事を發生せずとも必ず國家の滅亡あらん」。《京房占》にいう。「太陽の中に黑雲あり、あるいは赤・あるいは青・あるいは黃、忽ち五處・忽ち十處・忽ち三十處なるは、天子の駕崩を主とす」。(原書小注:《晉中興書》の記載に按ずるに、升平三年十月丙午、日中に黑子を出現し、大きさは鳥卵のごとく、まもなく晉の孝宗穆帝は駕崩せり。太和四年十月乙未、日中にまた黑子を出現し、第二年に海西公は廢せられり。)
《太公陰秘》曰:日中有黑氣,若一、若二、至四五者,此陽中伏陰,君害臣,上出者,臣謀君,旁出者,君謀臣;不出者,宮女有憂;昏見在臣,晨見在君。救之法:輕刑罰,赦無罪,節威權,安百姓,貸不足,則災消矣。”又曰:“日中有黑氣者,一菲二至四五者,教令不行,三公為亂,爵賞不平。不救者,臣誅君,子謀父。救之法,任賢直,信道德,退貪邪,輕刑罰,察奏糾,思刑戮,則無害。”又曰:“日中有黑氣,見君有過而臣不掩,故日不明。見變不救者,主有憂。救之法,承順天地,申用明堂,則無害矣。”
《太公陰祕》にいう。「太陽の中に黑氣あり、あるいは一處・あるいは兩處・多くは四五處に到るは、これは陽氣の中に陰氣の潛伏するにして、君主の臣下に加害するを主とす。黑氣の日輪の上方より冒出するは、臣下の君主を謀害するを主とす。旁邊より冒出するは、君主の臣下を算計するを主とす。日輪を冒出せざるは、宮女に憂患あるを主とす。黃昏のときに出現するは臣下に應じ、淸晨のときに出現するは君主に應ず。救解の辦法は、刑罰を減輕し、無罪の人を赦免し、威權を節制し、百姓を安撫し、貧乏を賑貸せば、災禍は便ち消解せん」。またいう。「太陽の中に黑氣あり、一處・兩處より四五處に至るは、政令教化の推行し能わざるを主とし、三公は亂を作し、封爵賞賜は不公なり。救正を加えざれば、便ち臣下の君主を誅殺し兒子の父親を謀害せん。救解の辦法は、賢良正直の人を任用し、道德を篤信し、貪婪奸邪の徒を斥退し、刑罰を減輕し、奏章糾劾を審察し、殺戮の事に慎重に對待せば、便ち害あらず」。またいう。「太陽の中に黑氣あるは、君主に過失ありて臣下が彼のために遮掩せざるに因る。ゆえに太陽は明亮せず。この種の變異を見て救正せざれば、君主は便ち憂患あり。救解の辦法は、天地を奉順し、明堂の政教を申明して施行せば、便ち害あらず」。
《洪範五行傳》曰:“人君有過,故不循天治,則日黑居側,大如彈丸。”《荊州占》曰:“日中有黑氣,大如桃李者,臣蔽主明。(按何法盛曰:“太興四年三月癸未,日中有黑子,永昌元年十月辛卯,日中有黑子,是時中宗龐幸,劉隗擅作威福,殘傷君道。王敦因之託晉陽之舉兵,逼都輦,禍及忠賢,故日有瑕也。寧康元年十月巳酉,日中有黑子,如李,二年三月庚寅,日又有黑子,如雞卵二枚,十一月己巳,日又有黑子,大如雞子,是時帝已長,而康獻皇后以從嫂臨朝,實傷君道,故日有瑕。太元十三年二月庚子,日有黑子,大如李,十四年二月辛卯,日中又有黑子,二十年十一月辛卯,日中又有黑子。是時會稽王以母弟專政,故日有瑕。)
《洪範五行傳》にいう。「君主に過失ありて、よって上天の治道に遵循し能わざれば、太陽の裏に便ち黑氣を出現して一側に偏居し、大小は彈丸のごとし」。《荊州占》にいう。「太陽の中に黑氣ありて、大きさは桃子李子のごときは、臣下の君主の明察を蒙蔽するを主とす」。(原書小注:何法盛の記載に按ずるに、晉の太興四年三月癸未、日中に黑子を出現せり。永昌元年十月辛卯、日中にまた黑子を出現せり。當時晉の中宗元帝は偏りて寵信を加え、劉隗は擅自に威を作り福を作して君たるの道を損害し、王敦は便ちこれを借りて晉陽起兵の名義を假託して京城に進逼し、禍は忠良賢士に及ぶ。ゆえに太陽に瑕點あり。寧康元年十月己酉、日中に黑子を出現し、大きさは李子のごとし。二年三月庚寅、日中にまた兩枚の黑子あり、大きさは雞卵のごとし。十一月己巳、日中にまた黑子あり、大きさは雞蛋のごとし。當時孝武帝はすでに成年したるに、康獻皇后は卻って堂嫂の身份を以て朝に臨み政を聽き、實に君たるの道を傷つけり。ゆえに太陽に瑕點あり。太元十三年二月庚子、日中に黑子を出現し、大きさは李子のごとし。十四年二月辛卯、日中にまた黑子あり。二十年十一月辛卯、日中にまた黑子あり。當時會稽王は皇帝の同母弟の身份を以て朝政を專斷す。ゆえに太陽に瑕點あり。)
京氏曰:“日有白雲貫,天下有白徒之眾三年,至其黑雲,天下有謀不成。”京氏曰:“候日無色,其中有赤氣大如爪,踴躍;為人君絕命。”京房《妖占》曰:“赤雲貫日者,狀如建鼓,此謂守威;有扈下此云啟之所攻也。”《荊州占》曰:“赤雲貫日如建鼓,三年不雨。”
京房はいう。「白雲ありて太陽を橫貫するは、天下の三年の内に臨時に徵發する白衣の兵衆あるを主とす。黑雲に換えて橫貫するは、天下に陰謀ありて成功し能わざるを主とす」。京房はいう。「太陽を觀察してそれが全く顏色なく、其中に赤氣ありて大きさは指爪のごとく、跳動して定まらざるは、君主の性命斷絶を主とす」。京房《妖占》にいう。「赤雲が太陽を橫貫し、形狀は一面の建鼓のごときは、これを『守威』と呼ぶ。當年有扈氏は便ちこの種の雲氣の下に於て夏后啟に討伐せられしなり」。《荊州占》にいう。「赤雲が太陽を橫貫し、形狀は建鼓のごときは、三年雨を下さざるを主とす」。
日生牙齒足
《春秋感精符》曰:“夷狄並侵,戰兵將用,則日垂牙舉足,其發必子輔政,擅威福。”郗萌曰:“日有齒足,則其國謀反。”甘氏曰:“日足白,有破諸侯王。”石氏曰:“日有白足,有戰者破罷敗將軍死。”《洛書》曰:“日始見赤足,主坐急見伐,名臣反,輔相奪。”《春秋感精符》曰:“日赤足,主顛蹶破殺王使並相伐。”
《春秋感精符》にいう。「夷狄が一同に入侵して將に兵力を動用せんとするとき、太陽は便ち牙狀の尖芒を垂下し足狀の光條を伸出す——『牙』は日面に下垂する短銳の氣にして、『足』は日下に向外して伸出する條狀の氣なり——この種の事を出現せば、必定に君主の子嗣の政を輔け、威福賞罰を專擅するなり」。郗萌はいう。「太陽に齒狀と足狀の氣を出現するは、あの國家に謀反する人あるを主とす」。甘德はいう。「太陽の足氣が白を發するは、諸侯王の擊破せらるるあるを主とす」。石申はいう。「太陽に白色の足氣あるは、交戰の一方の擊破せられ軍隊の潰散し、將軍の戰死するを主とす」。《洛書》にいう。「太陽に剛ち赤色の足氣を出現するは、君主の罪に因って急速に討伐せられ、名ある臣子は反叛し、輔相の權は人に奪去せらるるを主とす」。《春秋感精符》にいう。「太陽に赤色の足氣あるは、君主の顛僕敗亡を主とし、王の使者は殺せられ、各方は互相攻伐せん」。
《春秋緯漢含孳》曰:“日赤足,君赤走,足為火。”又曰:“有赤足數十,下江下地,則君必出走。”《春秋考異郵》曰:“日赤足,有興兵者,日白足,殺諸王侯。”(按宋均注曰:“足動也,喻臣也,日色赤而為足,是臣下奪主勢而興兵也;白,金氣,故殺大臣也。)《河圖》曰:“日兩足,庶雄起。”
《春秋漢含孳》にいう。「太陽に赤色の足氣あるは、君主の脚を赤くして奔逃するを主とし、『足』は五行の中に於て火に屬するに因る」。またいう。「數十條の赤色足氣を出現して、下に向かって江河大地に伸到せば、あれば君主は必定に出逃せん」。《春秋考異郵》にいう。「太陽に赤色の足氣あるは、兵を興す人あるを主とす。太陽に白色の足氣あるは、諸侯王の殺せらるるを主とす」。(原書小注:宋均の注の説に按ずるに、足は活動の部位にして、用いて臣下を比喻す。日色の赤を發して足氣を生出するは、臣下の君主の權勢を奪取して兵を興すなり。白は金氣に屬す。ゆえに大臣を誅殺するを主とす。)《河圖》にいう。「太陽に兩條の足氣を出現するは、庶族の中の梟雄の興起を主とす」。
日有彗芒
《孝經雌雄圖》曰:“日彗者,君有火德,天下大豐。”高宗曰:“日上芒如烽火,國主失土。”《春秋緯漢含孳》曰:“日垂芒,戰爭。”(謂芒角則戰也。)《洛書》曰:“日有氣而芒,色黃白潤澤,是為陽光,天子有喜,小有德令赦。”夏氏曰:“上黃白芒,君福昌;不得正色,王有憂。”
《孝經雌雄圖》にいう。「太陽が彗星のごとき掃帚狀の光芒を生出するは、君主に火德あるを主とし、天下は大豐收せん」。高宗はいう。「太陽の上方の芒氣が烽火のごときは、國君の國土を喪失するを主とす」。《春秋漢含孳》にいう。「太陽が芒氣を垂下するは、戰爭を發生するを主とす」。(原書小注:これは日面に芒角を生じれば便ち戰を打つを説くなり。)《洛書》にいう。「太陽に氣ありて芒を生じ、顏色は黃白にして潤澤なるを、これを『陽光』と呼び、天子に喜慶の事あるを主とし、隨後に德政を施行し赦令を頒布するの擧あらん」。夏氏はいう。「太陽の上方に黃白色の芒氣あるは、君主の福澤昌盛を主とす。もしこの樣の正色にあらざれば、帝王に憂患あるを主とす」。
日刺
《孝經雌雄圖》曰:“日刺者,為有氣刺日中也。謂下賤度上小,知其是非如豫行之也。一年有殃,臣之犯上也。日大色黃,最所極甚,則眾陰惡氣近傍,則賤度上心;為刺在左,為欲諫惡,在歷為欲立王,在上為欲撫主,在下為欲易君。若此之變,君急責躬,自悔考過,執事慎其是非,以洽王治也。”又曰:“日刺甲乙,父子求惡也;日刺丙丁,君臣相疑,改政教也;日刺戊巳,后妃有意害君左右;日刺庚辛,將欲(闕××××)日刺壬癸,宦者有傷。”
《孝經雌雄圖》にいう。「所謂『日刺』とは、一道の氣ありて針の刺すがごとく日面の中に扎进するなり。それは下位に在る卑賤の者の上に在る者を揣度して輕視し、是非曲直を明知して然るに搶先して妄動するを象徵す。一年の内に災殃あり。これは臣下の君上を冒犯するの徵象なり。太陽が大にして色黃きは、變異の極點に到るにして、各種の陰邪の氣は日旁に逼近せば、便ち卑賤の者の君主の心意を揣度するなり。刺氣の左邊に在るは、諫を進めて過惡を指斥せんと欲する人あるを主とす。歷する所の處に在るは、別に新王を立てんと欲する人あるを主とす。上方に在るは、君主を凌駕撫制せんと欲する人あるを主とす。下方に在るは、君主を更換せんと欲する人あるを主とす。この類の變異に遇上せば、君主は應に趕緊に自身を責備し、悔悟して過失を檢討し、事を辦する人もまた是非を謹慎分辨して、王道政治をして和洽せしめんことを好くす」。またいう。「甲乙の日に日刺を出現するは、父子のあいだの互相惡を求めるを主とす。丙丁の日に日刺を出現するは、君臣の彼此猜疑し將に政令教化を更改せんとするを主とす。戊己の日に日刺を出現するは、后妃の君主の身邊の人に加害せんと意あるを主とす。庚辛の日に日刺を出現するは、將に(底本のここに闕文あり)を主とす。壬癸の日に日刺を出現するは、宦官の損傷を受くるを主とす」。
日大小
《春秋漢含孳》曰:“日大則(闕××)處闕消;日小則奪大。”日大於常則無光,君無羽翼也;日小於常則奪威勢也。”《春秋緯》曰:“日大則(闕××××××)獨立勢不出;日小則以漸侵(闕××××××)石氏曰:“日消小者,所當國(闕×××××××××××)京氏曰:“日小主闕賞賜不當。”《春秋緯》曰:“赤帝之災,日消小。”
《春秋漢含孳》にいう。「太陽が大に變ずれば、便ち(底本は二字を闕く)居する所の處は虧損消減す。太陽が小に變ずれば、便ち強大の者に侵奪せらる」。太陽が平常より大にして光なきは、君主に羽翼の輔佐なきを象徵す。太陽が平常より小なるは、君主の威勢の人に奪去せらるるを象徵す。《春秋緯》にいう。「太陽が大に變ずれば、便ち(底本は六字を闕く)孤立して權勢の施行し能わず。太陽が小に變ずれば、便ち逐漸に侵奪せられ(底本は六字を闕く)」。石申はいう。「太陽が消減して小に變ずれば、それが對應する所の國家は(底本は十一字を闕く)」。京房はいう。「太陽が小に變ずるは、君主の(底本は一字を闕く)賞賜當たらざるを主とす」。《春秋緯》にいう。「赤帝の一系に屬する災異は、便ち太陽の消減して小に變ずるなり」。
日分毀
《孝經內記圖》曰:“日分割,君失亡。”《春秋合誠圖》曰:“君蔽臣專,則日出乃毀。”《春秋漢含孳》曰:“日毀則國毀。”(謂日分四五分、則國分也。)京氏曰:“日中分,不出五年,國亡。”《孝經雌雄圖》曰:“日中分,天下分為二。”京氏曰:“露奪日光,日中破,軍災國。一曰:陰勝陽,臣勝君,兩敵相當。”《洛書》曰:“賢人失位,讒進忠退,政煩民擾,則日分為兩。無救,從王民叛。”《荊氏氣占》曰:“日中分為兩,國主死;分為兩,見有烏居其中,爭主死。”《荊州占》曰:“日中分為兩,所舍國亡。”(按《孝經內說圖》曰:當紂之時,六月壬子,分為兩日,破為兩巳,上者主盡。)
《孝經內記圖》にいう。「太陽が分割開來するは、君主の位を失い敗亡するを主とす」。《春秋合誠圖》にいう。「君主が蒙蔽せられて臣下が權を專らにせば、太陽は一出でれば便ち殘毀す」。《春秋漢含孳》にいう。「太陽が殘毀すれば、國家もまたこれに隨って殘毀す」。(原書小注:太陽が四五塊に裂けば、國家もまた四五塊に分裂するを説くなり。)京房はいう。「太陽が中間より分開せば、五年を出でずして國家は滅亡せん」。《孝經雌雄圖》にいう。「太陽が中間より分開するは、天下の兩半に分成するを主とす」。京房はいう。「露氣が日光を奪去し、太陽が中間より破開するは、軍隊の國家に災を招くを主とす。別の一説は陰の陽に勝ち臣の君に勝ち、兩敵は勢均力敵なりとす」。《洛書》にいう。「賢人が職位を失い、讒を進むる人は上來して忠直の人は退去し、政令は煩苛にして百姓は騷擾せば、太陽は便ち兩個に分成す。もし救正せざれば、君王に跟隨する百姓もまた叛離せん」。《荊氏氣占》にいう。「太陽が中間より兩個に分成するは、國君の死を主とす。兩個に分成して烏影ありて其中に居るを見れば、位を爭う者の死を主とす」。《荊州占》にいう。「太陽が中間より兩個に分成するは、それが在る所の星宿分野の國家の滅亡を主とす」。(原書小注:《孝經內説圖》の説に按ずるに、商の紂王のときに當り、六月壬子の日、太陽は兩個に分成して兩半に破れ、上位に在る君主は氣數これに就きて窮盡せり。)
《荊圖占》曰:“日分為兩,以上有從王。”《春秋感精符》曰:“君臣爭,則日裂;主偏任,則日裂為五。”《春秋緯》曰:“日毀為五,帝將煞,漸起偏任。”《孝經內記》曰:“日毀為五、此謂帝失天下,戮於中也。”《河圖》曰:“日割國分。”《春秋緯》曰:“日裂,主誅臣爭。”《尚書中候》曰:“夏桀無道,殺關龍逢,滅皇圖,壞亂歷綱。殘賊天下,賢人逃,日傷。”《春秋緯》曰:“日壞者,(闕×××××××××××)京氏曰:“日地半,則國破亡,兩敵相當。”《荊州占》曰:“常以正月三日盡八日,觀日光無環者,天下有兵喪。”《春秋緯》曰:“日之穿,可貫杌。”(音脫。)
《荊圖占》にいう。「太陽が兩個に分成するは、上面に別に跟從する王者の出現を主とす」。《春秋感精符》にいう。「君臣が相爭えば、太陽は便ち裂開す。君主が一人を偏信せば、太陽は便ち五塊に裂成す」。《春秋緯》にいう。「太陽が殘毀して五塊と成るは、帝王の將に殺害せられんとするを主とし、禍端は漸漸に偏信より起る」。《孝經內記》にいう。「太陽が殘毀して五塊と成るは、これは帝王の天下を失い、其中に於て殺せらるるを説くなり」。《河圖》にいう。「太陽が分割せば、國土もまた分裂す」。《春秋緯》にいう。「太陽が開裂するは、君主の誅せられて臣下の相爭うを主とす」。《尚書中候》にいう。「夏桀は暴虐無道にして、忠臣關龍逢を殺害し、帝王の圖籍を毀滅し、曆法綱紀を破壞し、天下を殘害し、賢人は逃亡す。太陽はこれに因って損を受く」。《春秋緯》にいう。「太陽が損壞するは、(底本のここに十一字を闕く)」。京房はいう。「太陽がただ一半を剩して地面に貼着するは、國家の破亡を主とし、兩敵は相持して下らず」。《荊州占》にいう。「常に正月初三より初八のこの幾日に觀察し、日光の外圍に光環なきは、天下に兵禍喪事あるを主とす」。《春秋緯》にいう。「太陽が穿透せられて、樹樁を貫穿すべし」。(原書小注:「杌」は音は「脱」と同じなり。)
日夜出
《河圖》曰:“日夜出,是謂陰明,割剖國分。”(按《墨子》曰:昔三苗大亂,正命殛之,日為夜出。隨巢子曰:三苗大亂,妖日宵出。)《春秋感精符》曰“王闕,則日夜出。”《尚書金櫃》曰:“日夜出者,紀綱滅,大臣專政,作威奪權;無救,大臣賊其主,奪其邦;其救也,親仁賢,退驕佞,填四時,布恩惠,赦天下,則日夜出不為傷也。”
《河圖》にいう。「太陽が夜裏に出現するを、これを『陰明』と呼び、國土の割裂分崩を主とす」。(原書小注:《墨子》の説に按ずるに、從前三苗は大亂し、上天は命を下してそれを誅滅し、太陽は竟に夜裏に出來せり。隨巢子はいう、三苗の大亂のとき、妖異の太陽は夜裏に出現せり。)《春秋感精符》にいう。「帝王の位に虧缺あれば、太陽は便ち夜裏に出現せん」。《尚書金櫃》にいう。「太陽が夜裏に出現するは、國家綱紀の泯滅を主とし、大臣は朝政を專擅し、威を作り福を作して權柄を奪取す。もし救正せざれば、大臣は便ち彼の君主を謀害し彼の邦國を篡奪せん。救正の辦法は、仁人賢士を親近し、驕橫奸佞を斥退し、四時の政令を安定し、恩惠を廣布し、天下を大赦せば、あれば太陽夜出もまた傷害を造成するに至らず」。
《易緯》曰:“日夜出,隱謀合,國雄逃亡,從處易主。”《孝經內記圖》曰:“日夜出,明臣賊其主,奪其家;一日兵起,天下飢,再出三年,君死國亡。”京氏曰:“日夜出,是謂陰反陽,不出二年,天下見大兵;不出一年,有大水;在所見處之國,天下不安。”又曰:“日暮而出,是謂陰重,天下見兵。”京氏曰:“日出於夕,人君不詳,社稷亡。”
《易緯》にいう。「太陽が夜裏に出現するは、暗中の陰謀のすでに勾結成事せるを主とし、國中の豪雄は逃亡し、依附する所の地方は將に主人を另換せん」。《孝經內記圖》にいう。「太陽が夜裏に出現するは、明白に臣下の君主を謀害し彼の家國を篡奪せんとするを表示す。一天出現するは、兵事興起・天下饑荒を主とす。再次出現するは、三年の内に君主は死し國家は亡ぶ」。京房はいう。「太陽が夜裏に出現するを、これを陰の反って陽位に居ると呼び、兩年を出でずして天下に大兵事あらん。一年を出でずして、大水あらん。此の象を見る所の分野の國に於て、天下はみな安寧を得ず」。またいう。「太陽が日暮の後にこそ出來るを、これを陰氣深重と呼び、天下に兵事あるを主とす」。京房はいう。「太陽が傍晚に升起するは、君主の不吉を主とし、社稷は滅亡せん」。
郗萌曰:“日夜出,是謂陰陽,在國者亡,兵起,天下飢,以日命其國。郗萌曰:“日夜出照,見角宿,妾黨縱橫,四夷侵犯,十二諸侯攻伐敗亡(闕×××××××××××××)《荊州占》曰:“日宵出,是謂明絕,(闕××××××××)內伐不昌,不出三年有(闕××××××××××××)《荊州占》曰:“日夜出,北斗見,天下兵悉起。”《荊州占》曰:“日夜出,不出二年,天下有兵、水,兵出在所見國。”(按韋昭《洞記》曰:“漢武三年四月有物如日夜出,三年春,河水溢於平原,大飢,人相食。閩越圍東甌,遣嚴助救之,閩越走。”)
郗萌はいう。「太陽が夜裏に出現するを、これを陰陽倒置と呼ぶ——太陽は本當白晝に行るべきに、今反って夜間に現ず——應ずる所の國家は滅亡し、兵事は興起し、天下は饑荒せん。太陽夜出のあの日の日辰に按じて、どの一個の國家に應ずるかを判定す」。郗萌はいう。「太陽夜出して東方の角宿を照見するは、妾媵一黨の橫行無忌を主とし、四方の夷狄は邊境を侵犯し、十二諸侯は互相攻伐して敗亡す(底本のここに十三字を闕く)」。《荊州占》にいう。「太陽が夜間に出現するを、これを『明絶』と呼び、意思是光明の斷絶にして、(底本は八字を闕く)內部は相互征伐して國勢は昌ならず、三年を出でずして(底本は十二字を闕く)あらん」。《荊州占》にいう。「太陽夜出して北斗は顯現するは、天下の兵事の全面爆發を主とす」。《荊州占》にいう。「太陽夜出は、兩年を出でずして天下に兵禍と水災あり、兵事は此の象を見る所の分野の國に出づ」。(原書小注:韋昭《洞記》の説に按ずるに、漢の武帝三年四月、一個の太陽に似たる物ありて夜裏に出現せり。三年の春、黃河は平原の一帶に泛濫し、大饑荒にして、人は相食せり。閩越は東甌を圍攻し、朝廷は嚴助を派して救援に往かしめ、閩越は退走せり。)
日當出不出當入不入
《春秋緯漢含孳》曰:“日當出不出,懦下,當入不入(闕)。”
《春秋漢含孳》にいう。「太陽の應升起すべきときに升起せざるは、君主の懦弱にして臣下の後に屈居するを主とす。應落下すべきときに卻って落下せざるは、(底本のここに闕文あり)」。
日再出再中
石氏曰:“日再出,為滲光,其國君死,有兵起。”《春秋漢含孳》曰:“日復中,支庶起。”京氏曰:“日再中,帝王窮。”(按《帝王郊祭志》文帝時新垣平上言曰:日再中居頃之日卻復中,乃更以十七年為元年。)
石申はいう。「太陽が再一次升起するを、『滲光』と呼び、あの國家の君主の死去を主とし、兵事興起あらん」。《春秋漢含孳》にいう。「太陽が再一次正中に到達するは、旁支庶出の人の起りて位を奪うを主とす」。京房はいう。「太陽が兩次正中に居るは、帝王の氣數窮盡を主とす」。(原書小注:《帝王郊祭志》の記載に按ずるに、漢の文帝のとき方士新垣平は上奏して太陽の將に兩次中に居らんとを説き、一會兒を過ぎて、太陽は果して退回りて又一次中に居り、ここにおいて文帝は改めて十七年を以て元年と為せり。)
日出復入 日入復出
京氏曰:“日出復入,日入復出,主降臣。”又曰:“日出復下,日入復高,日入復見,為還;天下大亂,期三年。”《荊州占》曰:“日出又還,不出三年,天下大亂。所謂反者,君不秉其柄,舍法度,用私意,不任官職,而好自治,則日反;日還者,為日出而復下,下而復高;無救,當為大亂,不軌皆叛,不從其敕。正心固一,修古道,守法正,無忒業,則日還不為傷也。”
京房はいう。「太陽が升起したる後にまた落回去し、落下したる後にまた升起來るは、臣下の降服歸順を主とす」。またいう。「太陽が升起したる後にまた下沈し、落下するのときにまた升高し、落下したる後に重新に出現するを、これを『還』と呼び、天下大亂を主とし、期限は三年なり」。《荊州占》にいう。「太陽が出來てまた退回去するは、三年を出でずして天下大亂せん。所謂『反』とは、君主の自ら權柄を把持せず、法度を抛開して私意に任憑し、百官をして各々その職を司らしめず、反って事事自ら處置することを好めば、太陽は便ち反象を現出す。所謂『還』とは、太陽が出來てまた沈下去し、沈下去してまた升高す。もし救正せざれば、便ち大亂を發生し、法度を守らざる人は全て叛離し、君主の詔令に聽從せず。もし心志を端正し專一不二にし、古道を修行し、法度を恪守し、行事に差失なければ、あれば日還もまた傷害を造成するに至らず」。
《春秋感精符》曰:“主驚懼,則日入復出。”京氏曰:“日暮入復出,天下亡。”《春秋漢含孳》曰:“日曜則畏後,文景移位,支庶起。躍謂日暮當下入,入更躍,此畏後權;文景者,日反也。”《春秋緯》曰:“躍如則曲從,天下駭擾,無君桀。”《孝經》曰:“日已入,而光復照,兵起。”
《春秋感精符》にいう。「君主が驚慌恐懼せば、太陽は便ち落下したる後にまた升起せん」。京房はいう。「太陽が傍晚に落下したる後にまた升起するは、天下の滅亡を主とす」。《春秋漢含孳》にいう。「太陽が跳躍するは、君主の后族を畏懼するを主とし、文景の象は移位し、旁支庶出の人は起りて位を奪う。所謂『躍』とは、太陽の傍晚に本應沈落すべきに、落下したる後に卻ってまた跳起するを説き、これは后族の權勢を畏懼するの徵象なり。所謂『文景』とは、すなわち日反の象なり」。《春秋緯》にいう。「太陽が跳躍して定まらざるは、君主の委曲順從を主とし、天下は驚擾安んぜず、無道の君夏桀の當政するがごとし」。《孝經》にいう。「太陽がすでに落下したるに、而して陽光は重新に照耀するは、兵事興起を主とす」。
日墜 日流
《洛書》曰:“日從天墜,有道之君正天下,無道之君走。”《春秋漢含孳》曰:“日流則提擊;流謂累如赤珠數十在日下,此則君兵提擊東西也。”《春秋緯》曰:“日流,則君王滅,以沈湎並奪。”
《洛書》にいう。「太陽が天上より墜落するは、もし道あるの君なれば、これを借りて天下を端正し能わく、もし無道の君なれば、便ち出逃せんと要す」。《春秋漢含孳》にいう。「太陽が流瀉するは、兵刃の相擊を主とす。所謂『流』とは、數十顆の赤色珠子のごとき連綴して串と成る氣ありて日下に懸るを指し、これは便ち君主の軍隊の將に東西に征戰して短兵相接せんを表示す」。《春秋緯》にいう。「太陽が流瀉するは、君王の覆滅を主とし、酒色に沈湎して人に吞倂され位を奪わるるに因る」。
日出異方
京氏曰:“日出於午,天子失國。”京氏曰:“日出於巳,天子失明,令不行。”《河圖》曰:“日出西方,以母制。”
京房はいう。「太陽が正南の午位より升起するは、天子の國家を失うを主とす」。京房はいう。「太陽が東南の巳位より升起するは、天子の明察を失い、政令の推行し能わざるを主とす」。《河圖》にいう。「太陽が西方より升起するは、國政の君主の母族に由りて把持せらるるを主とす」。
日併出
《春秋運斗樞》曰:“主弱,公侯狡猾,起莫能匡,則日並照。”《河圖》曰:“日不照,月不消,山吐泉,火燒林。”又曰:“兩日照天下,民飢。”《春秋潛潭巴》曰:“兩日並出,地裂水不流。”《詩緯推度災》:“逆天地,絕人倫,則二日出相爭。”京氏曰:“兩日並出,是謂諸侯有謀,自底滅亡,天下興兵,無道之臣舉兵亡。”又曰:“兩日並出,天下爭王。”《孝經緯》:“夏時,兩日並出。讖曰:桀無道,兩日照,夷山亡,龍逢誅,人民散,郊社墟。”
《春秋運斗樞》にいう。「君主が衰弱して、公侯が狡詐にして、起來する人あるも匡正するに法なければ、天上に便ち兩個の太陽を出現して一同に照耀す」。《河圖》にいう。「太陽は照耀せず、月亮は虧缺せず、山中は泉水を噴出し、大火は山林を燒毀す」。またいう。「兩個の太陽が天下を照るは、百姓の饑荒を主とす」。《春秋潛潭巴》にいう。「兩個の太陽が一同に出現するは、地面の開裂を主とし、河水は流を斷つ」。《詩緯推度災》にいう。「天地に違逆し人倫を斷絶せば、便ち兩個の太陽ありて出でて相爭わん」。京房はいう。「兩個の太陽が一同に出現するは、これは諸侯に陰謀あるを表示し、終將自ら滅亡を取り、天下は兵を興し、無道の臣は起兵して敗亡す」。またいう。「兩個の太陽が一同に出現するは、天下の王位を爭奪するを主とす」。《孝經緯》にいう。「夏代のとき、兩個の太陽が一同に出現せり。讖語にいう、夏桀は無道にして、兩個の太陽は照耀し、夷山は崩毀し、關龍逢は殺せられ、百姓は離散し、郊祀と社稷の地は變じて廢墟と成れりと」。
《博物志》曰:“桀時,費昌之河上見二日;在東者焰焰將起,在西者沈沈將滅,若疾雷之聲,問於馮夷曰:‘何者為夏?何者為殷?’夷曰:“西日為夏,東日為殷,桀將亡乎?於是費昌歸,徙其族於東,歸商也。’”京氏曰:“兩日並出,是謂並明;假主爭明,天下有兩主。”京氏曰:“日並出,無道之臣為君爭功德;先舉兵者昌,後舉兵者亡。”
《博物志》にいう。「夏桀のとき、費昌は黃河の邊上に於て兩個の太陽を看見せり。東邊のあの個は火焰騰騰として將に升起せんとし、西邊のあの個は沈沈暗淡として將に熄滅せんとし、なほ疾雷のごとき響聲を伴へり。費昌は便ち河神馮夷に問うていう、『いずれの一個は夏ぞ、いずれの一個は殷ぞ』と。馮夷はいう、『西邊の太陽は夏にして、東邊の太陽は殷なり。夏桀は將に滅亡せんとするか』と。ここにおいて費昌は歸去し、自己の宗族を東方に遷して、商に歸附せり」。京房はいう。「兩個の太陽が一同に出現するを、これを『並明』と呼ぶ。君主を冒充して眞主と光明を爭奪する人あれば、天下に便ち兩個の君主あらん」。京房はいう。「太陽が一同に出現するは、無道の臣の君主と功德を爭奪するを主とす。先に起兵するの一方は昌盛し、後に起兵するの一方は敗亡せん」。
《荊州占》曰:“兩日並出以上,是謂亂明;亂明出,天下大亂。家有親親,欲同謀上,皆成形。不出三年,五穀大貴,一石值千錢,國大飢。”《荊州占》曰:“兩日以上出,天下有災,夏以兩日亡。”《尚書考靈曜》曰:“(闕)帝之亡,三日並照。”(《晉陽春秋》曰:建武元年,三日並出,觀臺令史諫章曰:天下其三分乎?)巫咸曰:三日並見於房心下,不出一年,天下治;有裂地為三州者。”京氏曰:“三日並出,大臣爭奪王政。”又曰三日並出,不出三旬,諸侯爭為王。
《荊州占》にいう。「兩個以上の太陽を出現するを、これを『亂明』と呼ぶ。亂明は一出でれば、天下は大亂す。各家は各自に自己の親族を親附し、みな合謀して君上を對付せんと欲し、これらの圖謀はみなすでに成形す。三年を出でずして、五穀の價格は暴漲し、一石は一千錢に値し、國中は大饑荒せん」。《荊州占》にいう。「兩個以上の太陽を出現するは、天下に災あるを主とし、夏朝は便ち兩日並出に因って亡べり」。《尚書考靈曜》にいう。「(底本は一字を闕く)帝の滅亡のとき、三個の太陽が一同に照耀せり」。(原書小注:《晉陽春秋》にいう、建武元年に三個の太陽が一同に出現し、觀星臺の令史は諫章を上っていう、天下は大概將に一を三に分たんとするかと。)巫咸はいう。「三個の太陽が房宿・心宿の下に一同に出現するは、一年を出でずして天下太平せん。にも説法あれば國土は將に三州に裂成せんとす」。京房はいう。「三個の太陽が一同に出現するは、大臣の王權を爭奪するを主とす」。またいう。三個の太陽が一同に出現せば、三十天を出でずして、諸侯は便ち爭って王を稱せん。
《孝經內記》曰:“三日並出者,國君必亡其位。有人在前後宮中同,人君即亡也。”《荊州占》曰:“三日並出,其國有滅諸侯,有亡地空邑,河水大出;不則其年大兵並大喪。”《春秋緯》曰:“三日並出,天子黜。”又曰:“數日並出,兩主爭。”《京房占》曰:“二日、三日、四日、五日並出,此謂爭明,天下兵作,亦主三、四、六主立。(按《國志》曰:建興四年二月,江東初聞愍帝凶,問群臣並見五日;一日正中央,餘在四邊,夏侯族曰:天下多天子,何所怪也。)《汲冢書》曰:胤甲居西河,天有孳,十日並出。”《淮南子》曰:“堯之時,十日並出,焦禾稼草木,民無所食,堯使羿射之,中其九,烏皆死,墜其翼。”
《孝經內記》にいう。「三個の太陽が一同に出現せば、國君は必定にその君位を失わん。もし人前宮后宮の中に於て君主と並立同尊するあれば、君主は隨即敗亡せん」。《荊州占》にいう。「三個の太陽が一同に出現せば、あの國家に諸侯の滅せられ、地を失い城を空しくするあり、河水は暴漲泛濫す。然らざれば當年に便ち大兵事と大喪事あらん」。《春秋緯》にいう。「三個の太陽が一同に出現するは、天子の廢黜せらるるを主とす」。またいう。「好幾個の太陽が一同に出現するは、兩位の君主の相爭うを主とす」。《京房占》にいう。「兩個・三個・四個・五個の太陽が一同に出現するを、これを『爭明』と呼び、天下の兵を興すを主とし、また三位・四位・六位の君主の並立するあるを主とす」。(原書小注:《國志》の記載に按ずるに、建興四年二月、江東は剛ち晉の愍帝の遇害の凶訊を聽聞し、群臣に詢問したるに、衆人は一同に五個の太陽を看見せり。一個は正中央に在り、其餘の四個は四邊に在り。夏侯族はいう、天下に天子多きは、何の奇怪かあらんやと。)《汲冢書》にいう。「夏王の胤甲は西河に居り、天上に怪異を出現して、十個の太陽が一同に出現せり」。《淮南子》にいう。「唐堯のとき、十個の太陽が一同に出現し、莊稼草木を烤焦し、百姓は食うべき物なく、堯は羿を派して日を射に往かしめ、その中の九個を射中し、九隻の金烏はみな死して、翅膀は紛紛として墜落せり」。
日重累
《孝經雌雄圖》曰:“日重累;甲乙,皇太子重殃;丙丁,大臣折傷;戌巳,后妃失御,為崇是也;庚辛,將卒軍奸大行也;壬癸,君政暮露,而下不掩救也。變變悉悉見見者,亡滅之事,惟有賢君良臣,除大惡,革偽朝,定尊卑;如此則消卻變,眾害伏也。”
《孝經雌雄圖》にいう。「太陽が重疊累加す。甲乙の日に出現するは、皇太子の重大なる災殃に遭うを主とす。丙丁の日に出現するは、大臣の夭折損傷を主とす。戊己の日に出現するは、后妃の駕馭の道を失い、妖を興して祟を作すを主とす。庚辛の日に出現するは、將士の軍中に於て奸亂盛行するを主とす。壬癸の日に出現するは、君主の政令の傍晚の露水のごとき短暫を主とし、而して臣下もまた彼のために遮掩補救せず。種種の變異が接連不斷に顯現するは、みな敗亡覆滅の事の預兆なり。ただ賢明の君主と良善の臣子に靠りて、大惡を鏟除し、虛僞の朝綱を革除し、尊卑の次序を釐定し、あらんごとくこそ變異を消解し、各種の禍害をして潛伏發せざらしむべし」。
日鬥 鬥而暈蝕
黃帝曰:“凡日斗,以日中三足烏見,為正日斗也;常以日出食時,候若三足烏,不見者不為斗也。”京氏曰:“兩日斗,天下爭;三日斗,法如雞鬥相搏,當視先滅,以決其事。”《金櫃》曰:“日斗者,人君內無聰明,邪臣爭權。日斗者無精,眾人見烏其中,無救;期六十六日,王者亡其土地。其救,闢四門,來仁賢,授爵分職,循名責躬,則斗不為傷。”
黃帝はいう。「およそ日鬥を判斷するは、日中に三足烏を出現するを以て眞正の日鬥と爲すべし。通常日出より早飯の時分に觀察し、もし三足烏を看見せざれば、便ち日鬥と算せず」。京房はいう。「兩個の太陽の相鬥は、天下の爭奪を主とす。三個の太陽の相鬥は、その法は群雞の相搏つに同じく、應にいずれの一個の先に熄滅するかを看て、これに據って事の歸屬を判定す」。《金櫃》にいう。「日鬥は、君主の內心の聰明ならず、奸邪の臣が權柄を爭奪するに因る。相鬥する太陽に精光なく、衆人はみな其中に烏影あるを見る。もし救正を加えざれば、期限六十六天に、帝王は便ち國土を喪失せん。救正の辦法は、四方の門を敞開して意見を廣納し、仁人賢士を招來し、爵位を授與し職事を分派し、名に按って實を責め自ら反躬自省せば、日鬥は便ち傷害を造成せず」。
《海中占》曰:“日斗月蝕,主病脹,偏枯口舌,咽喉心腹。”京氏曰:“日斗,常以日出至食時以斗,斗後烏見,六十日王者亡地,若烏不見,不為斗。凡日斗不及三年,下有拔城大戰,齊燕多水。”京氏曰:“日赤黑比斗者,其國分不出三年,中食人,大小民飢亡。”京氏曰:“日斗,黃者為中勝,中國強;青者為左勝,左國強;白為右勝,右國強;赤為前勝,前國強;黑者為後勝,後國強;不勝者,將有殃。”
《海中占》にいう。「太陽が相鬥して月亮が虧蝕するは、人の腹脹・半身不遂を患うを主とし、および口舌・咽喉・心腹の一類の病に及ぶ」。京房はいう。「日鬥は通常日出より早飯の時分に相鬥し、鬥の後に烏影を出現するは、六十天の内に帝王は土地を喪失す。もし烏影の出現せざれば、便ち日鬥と算せず。およそ日鬥は、三年に到らずして、下面に便ち城を攻め寨を拔くの大戰あり、齊・燕の一帶は水災多し」。京房はいう。「太陽が赤黑相并して鬥えば、あの國家は分裂し、三年を出でずして國中の人は相食し、大小の百姓は饑餓死亡せん」。京房はいう。「日鬥のとき、色黃の一方は居中して取勝し、中原の國は強盛なり。色青の一方は左邊に於て取勝し、左方の國は強盛なり。色白のは右邊に於て取勝し、右方の國は強盛なり。色赤のは前方に於て取勝し、前方の國は強盛なり。色黑のは後方に於て取勝し、後方の國は強盛なり。取勝し能わざる一方は、將に災殃あらん」。
京房《對災異》曰:“日斗,或赤、或白、或蒼、或黃虎入邦,此謂守邑破亡,周君以此亡。”又曰:“數日俱出,若斗,天下兵大戰。”石氏曰:“白日與黑日斗,其國相攻,天下有兵,不出三年,大飢。”《春秋緯》曰:“赤日相燙血滂滂;君臣無道行縱橫。”京氏曰:“日斗、有變,暈、日蝕,君死,日皆傷,兵起。呂氏曰:“亂國之主,眾莫親;邪氣蓋積,則蝕斗。(按《尚書璇璣鈴》曰:桀時有日斗蝕。太公《金櫃》曰:三苗時有日斗也。)
京房《對災異》にいう。「日鬥のとき、あるいは赤・あるいは白・あるいは青・あるいは黃の虎形の氣が城邦に進入するを、これを『守邑破亡』と呼び、周朝の君主は便ちこの種の天象に因って亡べり」。またいう。「好幾個の太陽が一同に出現して、相鬥するがごとくのは、天下に大規模の兵戰あるを主とす」。石申はいう。「白色の太陽と黑色の太陽の相鬥するは、あの兩個の國家の互相攻伐を主とし、天下に兵事あり、三年を出でずして大饑荒を鬧さん」。《春秋緯》にいう。「赤色の太陽の互相熨迫するは、血の流るる滂沱、君臣は無道にして縱橫妄行す」。京房はいう。「日鬥してまた變異を出現し、加うるに日暈・日食あるは、君主の死亡を主とし、太陽は全て傷を受け、兵事興起せん」。呂氏はいう。「昏亂の國の君主は、衆人はみな親附せず。邪惡の氣が積聚遮蔽せば、便ち日食と日鬥を出現す」。(原書小注:《尚書璇璣鈴》の説に按ずるに、夏桀のとき日鬥と日食あり。太公《金櫃》にいう、三苗のとき日鬥あり。)
日以十二辰鬥
《孝經雌雄圖》曰:“子日日斗者,李氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“子日日斗者,李氏、竇氏欲為天子。”《孝經雌雄圖》曰:“丑日日斗者,趙氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“丑日日斗者,趙氏欲為天子。”《雌雄圖》曰:“寅日日斗者,姚氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“寅日日斗者,鄧氏、尚氏欲為天子。”《雄雄圖》曰:“卯日日斗者,張氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“卯日日斗者,衛氏、張氏欲為天子。”
以下は十二支の日に按じて日鬥を分占し、各々日鬥發生の當天の日辰に依りて、いずれの一姓の人の帝位を奪取するの心を懷くかを推知す。《孝經雌雄圖》にいう。「子日に日鬥を出現するは、李姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「子日に日鬥を出現するは、李姓・竇姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《孝經雌雄圖》にいう。「丑日に日鬥を出現するは、趙姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「丑日に日鬥を出現するは、趙姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《雌雄圖》にいう。「寅日に日鬥を出現するは、姚姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「寅日に日鬥を出現するは、鄧姓・尚姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《雌雄圖》(原書はここに「雄雄圖」と作る)にいう。「卯日に日鬥を出現するは、張姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「卯日に日鬥を出現するは、衛姓・張姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。
《雌雄圖》曰:“辰日日斗者,邊氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“辰日日斗者,陶氏、但氏欲為天子。”《雌雄圖》曰:“巳日日斗者,步氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“巳日日斗者,宗氏、上氏欲為天子。”《雌雄圖》曰:“午日日斗者,劉氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“午日日斗者,馬氏郭氏欲為天子。”《孝經雌雄圖》曰:未日日斗者,朱氏、霍氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“未日日斗者,(闕×××)欲為天子。”
《雌雄圖》にいう。「辰日に日鬥を出現するは、邊姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「辰日に日鬥を出現するは、陶姓・但姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《雌雄圖》にいう。「巳日に日鬥を出現するは、步姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「巳日に日鬥を出現するは、宗姓・上姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《雌雄圖》にいう。「午日に日鬥を出現するは、劉姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「午日に日鬥を出現するは、馬姓・郭姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《孝經雌雄圖》にいう。「未日に日鬥を出現するは、朱姓・霍姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「未日に日鬥を出現するは、某姓(底本のここに三字を闕く)の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。
《孝經雌雄圖》曰:“申日日斗者,陳氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“申日日斗者,侯氏欲為天子。”《孝經雌雄圖》曰:“酉日日斗者,(闕××××)欲為天子。”《魏氏圖》曰:“酉日日斗者,周氏欲為天子。”《孝經雌雄圖》曰:“戌日日斗者,閻氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“戌日日斗者,孔氏、劉氏欲為天子。”《孝經雌雄圖》曰:“亥日日斗者,秦氏欲為天子。”《魏氏圖》曰:“亥日日斗者,秦氏、尹氏欲為天子。”
《孝經雌雄圖》にいう。「申日に日鬥を出現するは、陳姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「申日に日鬥を出現するは、侯姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《孝經雌雄圖》にいう。「酉日に日鬥を出現するは、某姓(底本のここに四字を闕く)の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「酉日に日鬥を出現するは、周姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《孝經雌雄圖》にいう。「戌日に日鬥を出現するは、閻姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「戌日に日鬥を出現するは、孔姓・劉姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《孝經雌雄圖》にいう。「亥日に日鬥を出現するは、秦姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。《魏氏圖》にいう。「亥日に日鬥を出現するは、秦姓・尹姓の人の天子の位を謀取せんと意あるを主とす」。以上《孝經雌雄圖》と《魏氏圖》の兩家の占する姓氏は時に出入あり、併存互參すべし。
日月並出
《春秋感精符》曰:“后妃專則日與月並照。”《春秋考異郵》曰:“日月並照,出數月俱行,或大或大,滿不消;其下必有煞君、滅邦、女主持政、大夫亂綱、夷狄內侵、天下咸兵。”京氏曰:“日月並出,為並明;天下有兩主立。”京氏曰:“《氣占》云:‘日月並俱出,君臣爭明。’”京氏曰:“日月並出,兵在內。”京氏曰:“日月兩見,是(闕××××××)皆有兵飢。”京氏曰:“日月並出,相去二寸,臣下作亂滅其主。”
《春秋感精符》にいう。「后妃が權を專らにせば、太陽と月亮は便ち一同に照耀せん」。《春秋考異郵》にいう。「日月が一同に照耀し、接連して幾個月もみな同時に天上に運行して、あるいは大あるいは小、月亮は圓滿したる後にも虧缺せず。この天象の下に必定に君主を弑殺し邦國を覆滅し、女主の執政・大夫の綱紀を擾亂し、夷狄の入侵・天下遍地の兵禍の事あらん」。京房はいう。「日月が一同に出現するを、『並明』と呼び、天下に兩個の君主の並立を主とす」。京房はいう。「《氣占》は講じていう、『日月が一同に出現するは、君臣の光明を爭奪するを主とす』と」。京房はいう。「日月が一同に出現するは、兵禍の內部より起るを主とす」。京房はいう。「日月の兩者が同現するは、これは(底本は六字を闕く)にして、みな兵事と饑荒あるを主とす」。京房はいう。「日月が一同に出現して、相距ること二寸は、臣下の亂を作して彼の君主を滅掉するを主とす」。
《魏氏圖》曰:“日月並見者,君為臣,臣為君,其世亂,民相殘。”《孝經內記圖》曰:“日月兩見,十日不雨,兵在內起及外。”《荊州占》曰:“日月並出,是謂滅亡,天下有國者亡。”《洪範五行傳》曰:“吳之亡也,日月並出,其後越滅吳,臣欺其君,夷狄侵中國。”《荊州占》曰:“日月並見,是謂爭光,大國弱小國,不出三年兵起,歲惡,風雨不時。”《荊州占》曰:“日月並出,是謂死喪,吏人會聚,以下凌上。”魏氏曰:“日月並晝見者,君弱臣強,以臣伐君,謀為天子。”
《魏氏圖》にいう。「日月が一同に出現するは、君主の降じて臣と為り臣子の升じて君と為るを主とし、あの時代は動亂し、百姓は互相殘殺せん」。《孝經內記圖》にいう。「日月の兩者が同現して、十天雨を下さざるは、兵禍の內部より興起して外部に波及するを主とす」。《荊州占》にいう。「日月が一同に出現するを、これを『滅亡』と呼び、天下の國土を擁する人の敗亡を主とす」。《洪範五行傳》にいう。「吳國の滅亡のとき、日月は一同に出現せり。後來越國は吳國を滅掉せり。これはまさに臣下の君主を欺凌し、夷狄の中原を侵犯するの應驗なり」。《荊州占》にいう。「日月が一同に出現するを、これを『爭光』と呼び、大國の小國を削弱するを主とし、三年を出でずして兵事興起し、年成好からず、風雨は時を失わん」。《荊州占》にいう。「日月が一同に出現するを、これを『死喪』と呼び、官吏百姓の聚集して事を生じ、下を以て上を犯すを主とす」。魏氏はいう。「日月が白天に一同に出現するは、君弱く臣強きを主とし、臣下は君主を討伐し、自立して天子と為らんと圖謀す」。
日月與大星並見
《洛書》曰:“日月大星並出晝見,是謂爭明;大國弱,小國強,有立侯王者。”
《洛書》にいう。「太陽・月亮と明亮の大星が白天に一同に出現するを、これを『爭明』と呼ぶ——三者は爭って顯耀し、尊卑は分かたず。大國の轉じて弱く小國の轉じて強くなるを主とし、將に侯王と立てらるる人あらん」。
日入月中 月入日中
《春秋感精符》曰:“君亡失陽事,日月相干。”石氏曰:“日入月中,並不出,九十日兵大起。”《易令》曰:“日入月中,鐵貴三位,二旬而止。”石氏曰:“日入月中,女主病,不則將軍司馬吉。”一曰:“日在月中,后死。”《荊州占》曰:“日見月中者,不出三年,人主亡;月入日中亦然。”《孝經內記圖》曰:“月入日中,臣賊其主,奪其家。”石氏曰:“月入日中,光不滅,后妃持政。”
《春秋感精符》にいう。「君主が陽に屬する政事の上に亡失あれば、日月は便ち互相干犯せん」。石申はいう。「太陽が月亮の中に進入して、兩者は合在一起して分開せざるは、九十天の内に大規模の兵事興起せん」。《易令》にいう。「太陽が月亮の中に進入せば、鐵價は三成上漲し、二十天後に停止す」。石申はいう。「太陽が月亮の中に進入するは、女主の病を生ずるを主とし、然らざれば便ち將軍・司馬の吉を得るなり」。別の一説は、「太陽が月亮の中に在るは、后妃の死去を主とす」。《荊州占》にいう。「月亮の中に於て太陽を見れば、三年を出でずして君主は亡故す。月亮が太陽の中に進入するもまた一樣なり」。《孝經內記圖》にいう。「月亮が太陽の中に進入するは、臣下の君主を謀害し彼の家國を篡奪するを主とす」。石申はいう。「月亮が太陽の中に進入して光は熄滅せざるは、后妃の朝政を把持するを主とす」。
開元占經 卷七
日占 三
日冠
石氏曰:“有氣青赤,立在日上,名為冠。”王朔曰:“日冠者,聞也,冠者如半暈也,法當在日上。”如淳曰:“日氣在日上,為冠。”魏氏曰:“冠者,君有私事,在南宮中。”《高宗占》曰:“日冠者,有喜氣從冠外入,從中出有喜喜氣者,謂王相氣潤澤也。”甘氏曰:“日冠,天子立侯王,不出三年。”
石申はいう。「青赤色の氣ありて太陽の上方に豎立するを、名づけて『冠』という」。王朔はいう。「所謂日冠とは、『聞』の意思を取る。冠氣の形狀は半個の日暈のごとく、法に按じて應に太陽の上方に出現すべし」。如淳はいう。「日氣が太陽の上方に在れば、便ち冠なり」。魏氏はいう。「冠氣を出現するは、君主に私密の事あり、事は南宮の中に在るを主とす」。《高宗占》にいう。「日冠が出現して、喜氣ありて冠氣の外より進入り、また冠氣の中間より透出するは、これは便ち喜あるの徵兆なり。所謂喜氣とは、五行の中の當旺得令・色澤潤澤の氣を指す」。甘德はいう。「太陽に冠氣あるは、天子の侯王を冊立するを主とし、應期は三年を出でず」。
《孝經雌雄圖》曰:“日冠,謂臣權在君上也;不損至於進所愛,復不損害忠良,復不損專主威,復不損邪行私,復不損王政衰,復不損謀為非。冠也,謂不以禮自治也;上不知也。”《孝經內記》曰:“日上冠者,君與兄弟姊妹私通。”《孝經雌雄圖》曰:“日冠甲乙,天子欲養仇。丙丁,君臣相反覆,下逆上,上不能止息也。戊巳,妻黨貴寵極也。庚辛,將帥僭號,欲為奸賊也。壬癸,寒賊暴貴。”
《孝經雌雄圖》にいう。「日冠とは、臣下の權勢の君主の上に凌駕するを説く。もし減損を加えざれば、便ち自己の偏愛する所の人を進用せん。再び減損せざれば、便ち忠良を殘害せん。再び減損せざれば、便ち君主の威權を專擅せん。再び減損せざれば、便ち邪を行い私を營らん。再び減損せざれば、便ち王政をして衰敗せしめん。再び減損せざれば、便ち不軌を圖謀せん。所謂『冠』とは、すなわち肯んじて禮を以て自己を約束せず、而して君上は卻って毫も知情せざるなり」。《孝經內記》にいう。「太陽の上方に冠氣あるは、君主の自己の兄弟姉妹と私通するを主とす」。《孝經雌雄圖》にいう。「日冠が甲乙の日に出現するは、天子の仇敵を豢養するを主とす。丙丁の日に出現するは、君臣の反覆無常を主とし、下に在る者は上に在る者に違逆し、君上は制止し能わず。戊己の日に出現するは、后妃一黨の尊貴寵幸の極點に到るを主とす。庚辛の日に出現するは、將帥の名號を僭越し奸賊を做らんと欲するを主とす。壬癸の日に出現するは、寒微の賊人の驟然として顯貴なるを主とす」。
日戴
石氏曰:“氣在日上,名為戴。”又曰:戴之色青赤。”王朔曰:“日戴者,形如直狀,其上微起,在日上為戴。戴者,德也,國有喜也。”如淳曰:“氣在日上為戴。”《高宗占》曰:“重戴,天子有喜,得地,若有所立。”
石申はいう。「氣が太陽の上方に在るを、名づけて『戴』という」。またいう。「戴氣の顏色は青中に赤を帶ぶ」。王朔はいう。「所謂日戴とは、形狀は一條の平直の橫線のごとく、中段は微微に隆起し、太陽の上方に橫たわるを便ち戴と呼ぶ。『戴』は『德』の意思を取り、國家に喜慶の事あるを主とす」。如淳はいう。「氣が太陽の上方に在れば便ち戴なり」。《高宗占》にいう。「重疊の戴氣を出現するは、天子に喜慶あり、土地を得、あるいは冊立する所有るを主とす」。
日珥
石氏曰:“日兩傍有氣,短小,中赤外青,名為珥。”《釋名》曰:“日珥者,在日兩傍之名也;珥言似耳,在兩傍也。”如淳曰:“氣在日傍,直對為珥。”王朔曰:“珥,耳也。珥者,仁也;珥者,近臣也,珥者,親近之人也,珥者,當如珥也。”甘氏曰:“珥,朝有耳,純白色為喪;間赤為兵;間青為疾;間黑為水;間黃為喜。”甘氏曰:“日朝有珥,國有行進之事,其不行,凶能戎。”
石申はいう。「太陽の兩旁に氣ありて、短小にして中間は赤く外圍は青きを、名づけて『珥』という」。《釋名》にいう。「日珥とは、太陽の兩旁のあの種の氣の名稱なり。『珥』と呼ぶはそれが耳朵に似るに因りて、兩旁に長ずるがゆえなり」。如淳はいう。「氣が太陽の旁邊に在りて、正對して日面に向かうは、便ち珥なり」。王朔はいう。「珥とはすなわち耳なり。珥は仁を象徵す。珥は近臣を象徴す。珥は親近の人を象徴す。珥は應に耳飾のごとく日輪の兩旁に貼附すべし」。甘德はいう。「珥とは、すなわち朝廷に耳目の近臣あるなり。純白色は喪事を主とし、赤色を夾雜するは兵事を主とし、青色を夾雜するは疾疫を主とし、黑色を夾雜するは水災を主とし、黃色を夾雜するは喜慶を主とす」。甘德はいう。「早晨に太陽に珥あるは、國家に出行進軍の事あるを主とす。もし出行せざれば、凶險は便ち戰事の上に應ず」。
《荊氏占》曰:“日夕有珥,赤黑白,有大客。”董仲舒曰:“日交速而珥,兵大出。”《荊州占》曰:“日交珥,象一方眾兵皆起,軍在外者罷。”《孝經內記》曰:“日珥,赤兵、白喪、青憂、黑死、黃有喜,不出三年。”《孝經內記》曰:“日珥,人主有喜,為拜將軍,苦有子孫;一曰有風。”郗蔭曰:“日珥,人主有喜,兵在外亦有喜。”《洛書》曰:“日珥而張者,即人主有憂,欲聽,欲外。”《荊州占》曰:“日珥北方以及三方,必有疾雷。”
《荊氏占》にいう。「傍晚に太陽に珥ありて、顏色は赤・黑・白の相雜なるは、遠方の大賓客の到來あるを主とす」。董仲舒はいう。「太陽が交疊迅疾にして珥氣を生出するは、大規模の出兵を主とす」。《荊州占》にいう。「太陽に交叉の珥氣を出現するは、一方の兵衆の全部起事を象徵し、外に在る軍隊は則ち撤回せんと要す」。《孝經內記》にいう。「日珥の赤色は兵を主とし、白色は喪を主とし、青色は憂を主とし、黑色は死を主とし、黃色は喜慶を主とし、應驗は三年を出でず」。《孝經內記》にいう。「日珥は、君主に喜ありて將軍を拜授せんを主とす。もし辛苦の事あれば、則ち子孫の身上に應ず。別の一説は風を起こすを主とす」。郗萌はいう。「日珥は、君主に喜あるを主とし、外に於て兵を用いるの一方もまた喜あらん」。《洛書》にいう。「珥氣の張開するは、君主に憂患あり、言路を廣納せんと欲し、外に向かって事を用いんと欲するを主とす」。《荊州占》にいう。「日珥が北方に出現して以て其餘の三方に及ぶは、必定に急雷あらん」。
石氏曰:“有軍;日有一珥為喜,在日西;西軍戰勝,東軍戰敗。在日東,東軍勝,西軍敗。南北亦然。無軍而珥,為拜將。”《孝經雌雄圖》曰:“日左珥者,君有陰事,與傍妻為奸;在西宮中欲立。”《摘亡闢》曰:“日有赤黑珥,夷人起兵,外降附之。”《孝經雌雄圖》曰:“右珥者,君有重宮,婦人陰事私發。”夏氏曰:“日左右有黃白珥,君下赦。”京氏曰:“日以春有二珥,人君聽事。”王朔曰:“日珥等,兩軍相當,無相奈何。”
石申はいう。「軍隊の外に在るとき、太陽にただ一個の珥あるは、喜兆なり。珥が太陽の西邊に在れば、西邊の軍隊は戰勝し東邊の軍隊は戰敗す。珥が太陽の東邊に在れば、東邊の軍隊は勝ち西邊の軍隊は敗る。南北方向もまたこの類に照推す。軍隊の外に在らずして珥氣を出現するは、將軍を拜授するを主とす」。《孝經雌雄圖》にいう。「太陽の左邊に珥あるは、君主に隱祕の事ありて偏房侍妾と私通するを主とす。事は西宮の中に在りて、なほ彼女を立てて正室と爲さんと欲す」。《摘亡辟》にいう。「太陽に赤黑色の珥あるは、夷人の起兵を主とし、外族に降附に來る人あらん」。《孝經雌雄圖》にいう。「太陽の右邊に珥あるは、君主に別に寵幸の內宮ありて、婦人の隱私の事は私下に發作するを主とす」。夏氏はいう。「太陽の左右に黃白色の珥あるは、君主の赦令を頒布するを主とす」。京房はいう。「春天に太陽に兩個の珥を出現するは、君主の自ら政を聽き事を理するを主とす」。王朔はいう。「太陽の兩旁の珥氣が相等しきは、兩軍の相持して誰も誰を奈何し能わざるを主とす」。
《摘玉闢》曰:“日有兩珥,無封候桀恐還自伐。”京氏曰:“日兩珥,且有大使,一日兩珥,焰焰如光,為人君有喜。”《洛書》曰:“日兩耳,中赤外青,色黃白潤澤,天子喜。”《洛書》曰:“珥中有赤雲貫日,有名之人死。”京氏曰:“日有三珥,人君有女子憂。”《孝經內記圖》曰:“珥有四,天子大喜。”石氏曰:“日有四珥,天子拜將,太子立王候。”甘氏曰:“日四珥,天子有子孫喜期不出三年。”京氏曰:“日出四珥,將軍亡;日入四珥,有大兵。”京氏曰:“日朝五珥,國憂,兵起。夕珥臨日兩傍,必有大客來言北方之事。”甘氏曰:“日有六珥,命曰大提;六十日分有喪,若赤雲掩日,下有亡國。”
《摘玉辟》にいう。「太陽に兩個の珥あるは、侯を封ぜられざる凶暴の徒の恐怕は轉じて自相攻伐せんを主とす」。京房はいう。「太陽に兩個の珥あれば、將に重要の使者の到來あらん。別の一説は太陽に兩個の珥ありて光焰灼灼として神采あるは、君主に喜慶あるを主とす」。《洛書》にいう。「太陽に兩個の珥ありて、中間は赤く外圍は青く、色澤は黃白にして潤澤なるは、天子に喜あるを主とす」。《洛書》にいう。「珥氣の中に赤雲ありて太陽を橫貫するは、名望ある人の死去を主とす」。京房はいう。「太陽に三個の珥あるは、君主の女子の事のために憂愁するを主とす」。《孝經內記圖》にいう。「珥が四個あるは、天子の大喜を主とす」。石申はいう。「太陽に四個の珥あるは、天子の將軍を拜授し、太子の王侯を冊立するを主とす」。甘德はいう。「太陽に四個の珥あるは、天子に子孫の喜あるを主とし、應期は三年を出でず」。京房はいう。「日出のときに四個の珥あるは、將軍の身亡するを主とす。日落のときに四個の珥あるは、大兵事あるを主とす」。京房はいう。「早晨に太陽に五個の珥あるは、國家に憂患ありて兵事興起するを主とす。傍晚に珥氣が日輪の兩旁に緊貼するは、必ず遠方の大賓客の前來して北方の事を稟報せん」。甘德はいう。「太陽に六個の珥あるを、名づけて『大提』という。六十天の内に分野の地に喪事あらん。もしまた赤雲ありて太陽を掩蔽せば、下方に便ち國家の滅亡あらん」。
日抱
如淳注《漢書》曰:“氣如半環,向日為抱。”蔡伯喈曰:“氣見於日傍,內曲向日為抱。”京氏曰:“氣青外赤內,曲向日月為抱;兩軍相當,順抱者勝。”王朔曰:“氣向日,暈狀而短,則為抱。抱者,苞也;苞者,附也。抱者,近臣也;抱者,和親也。按其色占之,抱黃白潤澤,法有赦。”京氏曰:“氣向日月為抱;抱多者,來親附者眾多也。”
如淳が《漢書》に注していう。「氣の形狀が半個の圓環のごとく、彎曲の一面は太陽に朝向するを、便ち『抱』と呼ぶ」。蔡邕はいう。「氣が太陽の旁邊に出現して、內側は彎曲して太陽に朝向するを、抱と呼ぶ」。京房はいう。「氣が外圍は青く內裏は赤く、彎曲して日月に朝向するは、抱なり。兩軍の對峙のとき、抱氣の向かう所の一方は取勝す」。王朔はいう。「氣が太陽に朝向して、形狀は日暈のごとくにして較りて短きは、便ち抱なり。『抱』とはすなわち包にして、包とはすなわち依附なり。抱は近臣を象徵し、また和親を象徵す。その顏色に按じて占斷す。抱氣が黃白にして潤澤なるは、法に按じて赦令あるを主とす」。京房はいう。「氣が日月に朝向するは便ち抱なり。抱氣の多きは、前來して親附する人の衆多を表示す」。
孫氏《瑞應圖》曰:“君賢得土地,則有黃抱。”京氏曰:“氣抱日為和親,見者其臣欲親。”石氏曰:“日抱,鄰國臣佐來降。”石氏曰:“抱氣青赤,在日月傍,為其分;若王者有子孫之喜。”《孝經援神契》曰:“黃氣抱日,輔臣納忠。”《孝經內記圖》曰:“日光潤澤,有抱國昌。”《洛書》曰:“日抱,黃白潤澤,中赤外青,天子有喜;有和親來降者,軍不戰敵降軍罷。色青將喜,赤將兵爭,白將來,黑將死。”
孫氏《瑞應圖》にいう。「君主が賢明にして土地を得れば、便ち黃色の抱氣を出現す」。京房はいう。「氣が太陽を環抱するは、和親を主とす。この種の氣を見るは、臣下の親附せんと欲するを説明す」。石申はいう。「太陽に抱氣あるは、鄰國の臣屬佐吏の前來歸降を主とす」。石申はいう。「抱氣が青赤色を呈して日月の旁邊に在るは、それが對應する所の分野に應じ、また帝王に子孫の喜あるを主とす」。《孝經援神契》にいう。「黃氣が太陽を環抱するは、輔政大臣の忠言を獻納するを主とす」。《孝經內記圖》にいう。「日光が潤澤にして、また抱氣あるは、國家の昌盛を主とす」。《洛書》にいう。「日抱の氣が黃白潤澤にして、中間は赤く外圍は青きは、天子に喜あるを主とす。和親歸降の人あれば、軍隊は交戰を必とせず、敵軍は便ち投降して兵を罷めん。氣色が青ければ、將領に喜あるを主とす。赤ければ、將領に兵爭あるを主とす。白ければ、將領の將に至らんを主とす。黑ければ、將領の死亡を主とす」。
《高宗占》曰:“抱傍有黃氣,如人像;人主有賢,佐匡天下。”夏氏曰:“日有兩齊等以戰,抱先衰者敗。”《高宗占》曰:“《日傍氣圖》:‘日有兩抱,外慾自親者;人主有喜。’”夏氏曰:“日傍有氣抱,戰勝無軍,有欲和親者。”《高宗日傍氣圖》曰:“日有三抱,天子喜,天下和平,色赤,黃、白皆吉,若有親者。”《孝經內記》曰:“日四傍各有重抱,四方附信也。”《高宗占日傍氣圖》曰:“日四抱,天子有喜,皆將相向主,若有來和親者。”夏氏《日暈圖》曰:“日傍抱五重,再戰,順抱者勝也。”
《高宗占》にいう。「抱氣の旁邊に黃氣ありて、形狀は人像のごときは、君主の賢才を得て、天下を輔佐匡正するを主とす」。夏氏はいう。「太陽の兩邊の抱氣が均等にして兩軍交戰せば、抱氣の先に衰減するの一方は失敗す」。《高宗占》にいう。「《日傍氣圖》は講じていう、『太陽に兩重の抱氣あるは、外方に主動に親附に來らんと欲する人あるを主とし、君主に喜あり』と」。夏氏はいう。「太陽の旁邊に抱氣あるは、作戰の勝利を得るを主とす。もし軍隊の外に在らざれば、則ち和親に來らんと欲する人あるを主とす」。《高宗日傍氣圖》にいう。「太陽に三重の抱氣あるは、天子に喜あり天下和平を主とし、氣色の赤・黃・白はみな吉利にして、前來親附の人あるを主とす」。《孝經內記》にいう。「太陽の四邊に各々重疊の抱氣あるは、四方の來附して信を守るを主とす」。《高宗占日傍氣圖》にいう。「太陽に四重の抱氣あるは、天子に喜あり、各方は將にみな君主に面向し、あるいは前來和親する人あらん」。夏氏《日暈圖》にいう。「太陽の旁邊の抱氣に五重あるは、再度交戰を主とし、抱氣の向かう所の一方は取勝す」。
日背
京氏曰:“日中赤外青曲向外,名為背。”蔡伯喈曰:“氣見於日傍,外曲,曰背。”石氏曰:“背氣青赤而曲,外向,為叛象,其分臣反。”石氏曰:“日背,有反臣;若邊將去,善防之。”夏氏曰:“日背:背者,大夫卿欲為主。”《孝經內記》曰:“日兩背,有反者。”《孝經內記》曰:“日四背,有兵兵罷,無兵兵起,以宿分占之。”《太公兵法》曰:“日四背見,軍在外有反者。”《摘亡闢》曰:“日四背,天下駭擾,大將起在中野。”《春秋感精符》曰:“日四背,天下駭擾,大將起在中野。”《春秋感精符》曰:“日背而,天下分裂,臣子得志,主上弱。”《春秋考異郵》曰:“諸侯謀反,五背刺日。”
京房はいう。「氣が中間は赤く外圍は青くして彎曲して外に朝向するを、名づけて『背』という」。蔡邕はいう。「氣が太陽の旁邊に出現して、外に向かって彎曲するを、背と呼ぶ」。石申はいう。「背氣が青赤にして彎曲し、弓背は外に朝向するは、背叛の象にして、それが對應する所の分野に臣子の反叛あるを主とす」。石申はいう。「太陽に背氣あるは、反叛の臣あるを主とす。もし邊將の出行して外に在れば、彼を好好と防備すべし」。夏氏はいう。「所謂日背とは、大夫・公卿の自立して主と爲らんと欲するを説く」。《孝經內記》にいう。「太陽に兩重の背氣あるは、人の反叛するあるを主とす」。《孝經內記》にいう。「太陽に四重の背氣あるは、原有の兵事あれば便ち兵を罷め、原本兵事なければ便ち兵を起こし、太陽の在る所の星宿分野に按じて占斷すべし」。《太公兵法》にいう。「太陽に四重の背氣を出現するは、外に在る軍隊の中に人の反叛するあるを主とす」。《摘亡辟》にいう。「太陽に四重の背氣あるは、天下の驚擾を主とし、大將は曠野の中に起兵せん」。《春秋感精符》にいう。「太陽に四重の背氣あるは、天下の驚擾を主とし、大將は曠野の中に起兵せん」。《春秋感精符》にいう。「太陽に背氣を出現するは、天下の分裂を主とし、臣子は志を得、君上は衰弱せん」。《春秋考異郵》にいう。「諸侯が造反を圖謀せば、便ち五道の背氣ありて太陽に刺向せん」。
日璚
石氏曰:“氣青赤,曲向外,中有一橫,狀如帶鉤,名為璚。”如淳曰:“日刺日曰璚。璚決傷也。”孟康曰:“璚者,日將蝕,先有異氣也。”王朔曰:“日璚,璚者,決也;璚者,謫也,為汞離也。”夏氏曰:“日傍有青璚,大臣有去者;不去,有德令也。”
石申はいう。「氣が青赤色を呈し、彎曲して外に朝向し、中間に一條を橫貫して、形狀は帶鈎のごときを、名づけて『璚』という」。如淳はいう。「氣ありて針のごとく太陽に刺入するを、璚と呼ぶ。璚とはすなわち決裂損傷の意思なり」。孟康はいう。「璚とは、太陽の將に日食を發生せんとするとき預先に出現する異常の氣なり」。王朔はいう。「所謂日璚とは、璚とはすなわち決斷の『決』にして、璚はまた譴責の『謫』にして、水銀のあのごとく分離散開するの意思なり」。夏氏はいう。「太陽の旁邊に青色の璚氣あるは、大臣の離去せんとするあるを主とす。もし離去せざれば、便ち恩を施す德令を頒布せんとするなり」。
《孝經雌雄圖》曰:“日璚者,此變最劇,敗傷君者也。致滅上有之徵,禍從君不禁下起;在左右,禍從臣詐主;在上,禍從妃后;在下,禍從臣專政。從為自用,橫為暴多,有奸臣通。”《春秋考異郵》曰:“臣謀反,璚刺日。”《孝經內記圖》曰:“日傍一璚,萬人死其下。”夏氏曰:“日四璚,有兵兵罷,無兵兵起。(闕××××××)《春秋感精符》曰:“日四璚並立,政不一。(按《五行傳》曰:“日傍有氣,皆為晉國之將亡,四璚刺日,而後三卿分晉,以滅其祀。)”《春秋感精符》曰:“日九璚,後起之人並出。”
《孝經雌雄圖》にいう。「所謂日璚とは、この種の變異は最も劇烈にして、君主を敗壞損傷せんとするにして、滅亡を招致し上位を保たざるの徵兆なり。禍事は君主の臣下を約束し能わざるより起る。璚氣の左右に在るは、禍事は臣子の君主を欺詐するに出づ。上方に在るは、禍事は后妃に出づ。下方に在るは、禍事は臣子の朝政を專擅するに出づ。璚氣の豎直なるは、君主の剛愎自用を主とす。橫斜なるは、暴虐の事の衆多を主とし、奸臣の內外勾結あり」。《春秋考異郵》にいう。「臣下が造反を圖謀せば、璚氣は便ち太陽に刺向せん」。《孝經內記圖》にいう。「太陽の旁邊に一道の璚氣あるは、それが下面の分野に上萬人の死亡あるを主とす」。夏氏はいう。「太陽に四道の璚氣あるは、原有の兵事あれば便ち兵を罷め、原本兵事なければ便ち兵を起こす(底本のここに六字を闕く)」。《春秋感精符》にいう。「太陽に四道の璚氣ありて並列して立つは、政令の一門より出でざるを主とす」。(原書小注:《五行傳》の説に按ずるに、太陽の旁邊にこれらの氣を出現するは、みな晉國の將に亡びんの預兆なり。四道の璚氣が日を刺すに、此の後韓・趙・魏の三卿は晉國を瓜分し、晉國の宗祀を滅絶せり。)《春秋感精符》にいう。「太陽に九道の璚氣あるは、後起の位を爭う人の一同に出現するを主とす」。
《春秋呂氏》曰:“人主自恣,不修古王道,逆天暴物,妖禍起,地曜,日璚,日反光地曜,璚氣上刺反光,日景見南;又上光盛,無能見輪體,及至反光,午上體見。光微沒時,卻忽時暫明,亦如燈將盡而光忽暫明熾;自古以來,將亡之國,必生暴君虐主;其君必夭蕩其志,使窮極驕盈,而神照如來,故以反光深誡之也。”
緯書《春秋呂氏》にいう。君主は放縱自恣にして、古代聖王の治道を遵行せず、天時に違逆し萬物を殘害せば、妖異の災禍は便ち興起し、地面上は光焰を騰起し、太陽の旁に缺口狀の「璚」氣を生出し、太陽はまた「反光」を出現して地上は同時に發亮す。「璚」氣は上に向かって衝刺し、反光と相應じ、日影は南邊に出現す。また一種の情形あり。上方の光芒は太盛にして、反って日輪の形體を見ること能わず、「反光」の出現を待って、正午のとき日輪の本體はこそ重新に顯露す。日光が衰微して將に隱沒せんとするのとき、卻って忽然として短暫に明亮起來し、あたかも油燈の將に熄滅せんとするのとき火光の忽然として一亮して熾盛するがごとし。自古以來、將に滅亡せんとする國家は、必定に暴君虐主を生出す。あの樣の君主は必定に心志を放蕩し、驕橫盈滿して極點に到り、而して神明の照察は之に隨って降臨す。ゆえに上天は「反光」のこの種の異象を以て深く彼を告誡す。
日直
石氏曰:“日直,色赤丈餘,正立日月之傍,名為直。其分有自立者。”夏氏曰:“日直,直者正直,在日上下左右,主直臣自立也;直在下,光色潤澤,有立侯王者。”夏氏曰:“日有英直,君立臣;青赤直臣自立。”夏氏《日暈圖》曰:“日傍有一直,色黃白潤澤,有立候王。”《洛書》曰:“有一傍直,一方欲自立侯王,有二傍直,二方欲自立;三傍直,三方欲自立;四傍直,四方皆欲自立侯王。”《孝經內記》曰:“日傍有一直,蔽在一傍欲自立,從直所擊者勝。”
戰國の魏人天文家石申はいう。日旁の「直」とは、一道の赤色の氣柱にして、長さ一丈有餘、端端正正として日月の旁邊に豎立す。ゆえに名を取って「直」と爲す。この道の氣の對應する所の分野の内に、自ら王を稱し侯を稱する人あらん。占家の夏氏はいう。「直」は「正直」の義を取り、太陽の上下左右に出現して、剛直の臣の別に門戸を立てるを主とす。「直」もし太陽の下方に在りて、光色は滋潤にして光澤あるは、將に侯王と冊立せらるる人あらん。夏氏はまたいう。太陽の旁に光華挺秀の「直」氣あるは、君主の臣屬を冊立するなり。青赤色の「直」氣は、則ち臣下の自立なり。夏氏《日暈圖》にいう。太陽の旁に一道の「直」ありて、顏色は黃白にして潤澤なるは、將に侯王と立てらるる人あらん。《洛書》にいう。一側に一道の「直」あれば、便ち一方の自立して侯王と爲らんとするあり。兩道あれば、兩方は自立せんと要す。三道あれば、三方は自立せんと要す。四道あれば、四方はみな自立して侯王と爲らんと要す。《孝經內記》にいう。太陽の旁に一道の「直」ありて一側に遮蔽するは、あの一方の自立せんと欲するなり。兩軍の交戰のとき、「直」氣の指す方向に順って攻擊するの一方は獲勝す。
《孝經內記》曰:“日傍有兩直,其色潤澤,有侯王立。”夏氏《日暈圖》曰:“日傍有二直;欲自立者,其色中赤外青,不成。”高宗《日傍氣圖》曰:“日有二重直在,左右謀欲自立。”《洛書》曰:“日四直者,是謂四強;色黃白潤澤,天子有喜,安足無兵,國金倖臣使王。色青,天子有憂;赤,有兵;白,民多喪;黑,主死,國分。”
《孝經內記》にいう。太陽の旁に兩道の「直」氣ありて、顏色は滋潤にして光澤あるは、將に侯王の冊立せられんとするあらん。夏氏《日暈圖》にいう。太陽の旁に兩道の「直」あるは、自立せんと欲する人あるなり。この兩道の氣もし內赤外青なれば、則ち自立の事は辦成せず。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。太陽の旁に兩重の「直」氣ありて並立するは、左右の近臣の自立を圖謀するなり。《洛書》にいう。太陽の四面にみな「直」氣あるを、「四強」と呼ぶ。顏色が黃白にして潤澤なるは、天子に喜慶あり、境內は安定して兵事なく、國中は財貨充足し、寵を受くる臣は命を奉じて出使して王を封ぜらる。これらの氣もし青色を呈せば、天子に憂患あり。赤色を呈せば、兵禍を主とす。白色を呈せば、百姓に喪亡多し。黑色を呈せば、君主は死亡して國土は分裂す。
日交
王朔曰:“日有交,交者,青赤如暈狀,或如合背,或正直,交者,偏交者,兩氣相交也。或相貫穿,或相背交,主內亂,軍中不知。”石氏曰:“日交,人受淫勃之氣。”京氏曰:“偏交在日傍,從交在日,傍交所擊者勝。”甘氏曰:“常以九月上景侯日,傍交赤雲,其下有兵。”
漢代の望氣家王朔はいう。太陽に「交」氣あり。所謂「交」とは、青赤色にして形狀は日暈のごとき氣にして、あるいは兩道の「背」氣のごとく一處に合攏し、あるいは端直に豎立す。「交」はまた正交・偏交に分かれ、みな兩道の氣の彼此交錯するなり。それらはあるいは互相貫穿し、あるいは背を對えて交叉して、國內に動亂を發生するを主とし、而して軍中はなほ鼓の裏に蒙がれり。石申はいう。日旁に「交」を見るは、人間の淫亂悖逆の氣を承受せるなり。漢代の京房はいう。偏斜の「交」は太陽の旁邊に在り、順正の「交」は太陽に貼附す。兩軍は相當すれば、旁邊の「交」氣の指す方向に順って攻擊するの一方は獲勝す。甘德はいう。通常九月上旬に晴明の日を擇びて觀候し、もし太陽の旁に交錯の赤雲あれば、その下の應ずる所の地方に兵事あらん。
日提
夏氏《日暈圖》曰:“日傍有赤雲,曲如車蓋映日,名曰扶提;不出其年,有自立者,以日宿占之。”《荊州占》曰:“日傍有白雲,曲而向日,其一者居東方,其一者居西方,名曰提;不出其年,中有自立者。”《孝經內記》曰:“日有赤雲,如車輪,或二或四,按圖有二雲,或背日或向日,當如車蓋,不應如車輪,字之誤也。其背向外提,外臣背其主;二提,期三十日至;四提,期六十日至。”
夏氏《日暈圖》にいう。太陽の旁に赤色の雲ありて、彎曲すること車上の傘蓋のごとく太陽に映向するを、名づけて「扶提」という。この年を出でずして、便ち自立して王と爲る人あらん。どの地に應ずるかは、當時の太陽の在る所の星宿分野を看て推斷すべし。《荊州占》にいう。太陽の旁に白雲ありて彎曲して太陽に朝向し、一片は東に在り一片は西に在るを、名づけて「提」という。この年を出でずして、其中に自立の人あらん。《孝經內記》にいう。太陽の旁に赤雲ありて車輪のごとく、あるいは兩片あるいは四片——圖上に原本は兩片の雲を畫き、あるいは太陽に背向しあるいは太陽に朝向し、形狀は應に車蓋に似るべく、車輪に似るべからず。「車輪」は傳寫の誤なり。これらの雲もし外側に背朝して「提」と成るは、外臣のその君を背叛するを主とす。兩「提」を出現するは、應期三十日なり。四「提」を出現するは、應期六十日なり。
《孝經內記》曰:“日傍有赤雲,如車輪,四曲向日,名曰兵提;不出其年,有自立者,以宿占之。”甘氏曰:“日四傍有赤雲,曲而向日,名曰四提。”《荊州占》:“提猶耳也,不出其年中,兵起王者死;一曰亡地,有自立者。”《孝經內記》:“日四提,不出二年,大有兵,大將出亡,五穀貴價一倍,三十日至,大雨不止。”京氏曰:“四提,不出二年,有大兵,有大飢。”高宗曰:“日六提,國君當之宜防。”京氏曰:“日六提,天子亡,布貴,天下亂,五十日至。”
《孝經內記》にいう。太陽の旁に赤雲ありて車輪のごとく、四片は彎曲して太陽に朝向するを、名づけて「兵提」という。この年を出でずして自立の人あらん。どの一國に應ずるかは、なほ太陽の居る所の星宿分野に按じて推すべし。甘德はいう。太陽の四面にみな赤雲ありて彎曲して太陽に朝向するを、名づけて「四提」という。《荊州占》にいう。「提」はあたかも人の兩耳のごとく日旁に附す。この象を見れば、この一年の内を出でずして兵禍興起し君王は身を死せん。別の一説は國土淪喪にして、自立の人あらんとす。《孝經內記》はまたいう。太陽の四面に「提」あるは、兩年を出でずして大規模の兵事あらんとし、大將は外に出逃し、五穀の價格は一倍に翻上し、應期は三十日にして、しかも大雨は連綿として止まず。京房はいう。「四提」を出現するは、兩年を出でずして大戰事あり、大饑荒あらん。殷の高宗に托名する説は、太陽に六道の「提」あるは、國君はこの場の災禍を承當すべく、應に預先に防備すべし。京房はいう。太陽に六「提」あるは、天子は將に亡び、布帛は騰貴し、天下は大亂し、應期は五十日なり。
董仲舒曰:“殷時,在雲居日左右,曲布向日,名曰日提。”占曰:“不出六年,天子不利,必有立者。高宗感之修德,昌祚數百年,可謂災消而福生也。”
漢儒董仲舒はいう。殷商のとき、雲ありて太陽の左右に停駐し、彎曲に鋪展して太陽に朝向するを、名づけて「日提」という。當時の占辭にいう。六年を出でずして、天子は將に不利あり、必定に別に王と立てる人あらん。殷の高宗武丁はこの次の天象に因って警醒し、德政を勤修し、殷商の國祚はこれに因って數百年昌盛せり。災異の消解して福慶の之に隨って生ずと説くべし。
日格
甘氏曰:“有青氣,橫在日上下者,為格也;格者,格鬥之象也。”
甘德はいう。青色の氣ありて太陽の上方あるいは下方に橫亙するを、これを「格」と呼ぶ。「格」は格鬥廝殺の象徵にして、人間の將に爭鬥兵戈を起こさんを主とす。
日履紐纓
《洛書》曰:“日下有赤黑青氣,是謂履氣,交日下將纓,或曰紐也,天子有喜,有臣反從外來者,所以然者;日,天子之象也,黑水之精也,赤臨是謂水火相薄,故言天子喜;水者陷,故言有臣從外來反。”
《洛書》にいう。太陽の下方に赤・黑・青の三色の氣あるを、これを「履」氣と呼ぶ。それが日下に交結して冠纓のごとく下垂するを、また人は「紐」と稱す。この象を見れば、天子に喜慶あり、同時に臣子ありて外地より回來して反叛せん。これを斷ずる所以は、太陽は天子の象徵にして、黑色はすなわち水の精氣にして、赤氣はその上に臨壓せば、便ち水火の相迫にして、火は勝てば陽德は顯揚す。ゆえに天子に喜ありと説く。水性は下に向かって陷落し、陷害傾覆を主とす。ゆえに臣子ありて外面より回來して亂を作すと説く。
日承
夏氏曰:“承者,氣如半暈,在日下則名為承。承者,臣承君也,為君臣相承,有吉。”高宗《日傍氣圖》曰:“日下有黃氣,三重若抱,名曰承福;人主有吉喜,且得地。”
夏氏はいう。所謂「承」とは、形狀は半個の日暈のごとき氣にして、太陽の下方に出現するを便ち「承」と呼ぶ。「承」は臣下の君上を承奉するの義を取り、君臣上下の相承相輔を象徵し、吉利の天象なり。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。太陽の下方に黃色の氣ありて、三重に疊起し「抱」のごとく環拱するを、名づけて「承福」という。この象を見れば、君主に吉慶喜事あり、併せて土地を得るべし。
雜冠戴紐珥抱背玦直虹刺
《洪範傳》曰:“日抱、珥重光,以見吉祥;君獲賀,福祿並降。”夏氏曰:“日冠而珥,人主有喜,且有所立,期不出年中。”《洛書》曰:“日平曉,冠有兩珥,色黃白潤澤,天子有喜,聽言立王;色青,憂;白,喪;黑,死。所以然者,平曉至食時,為王兩珥有所聽,黃白兩設為有喜立。”王朔曰:“日冠當有兩珥,甚吉。”魏氏曰:“日冠右珥者,邦東有善人出,得位。”《孝經雌雄圖》曰:“日冠左珥者,君為婦母私相知。”
《洪範傳》にいう。太陽に「抱」氣の環拱あり「珥」氣の耳墜のごときありて、光華は重疊す。これは吉祥の顯現にして、君主は將に慶賀を獲得し、福と祿は一倂せに降臨せん。夏氏はいう。太陽の上に「冠」氣ありて兼ねて「珥」氣あるは、君主に喜慶あり、併せて某人を冊立せんとし、應期はこの一年の内を出でず。《洛書》にいう。淸晨に太陽が初めて出で、上に「冠」氣あり両側に「珥」氣ありて、顏色は黃白にして潤澤なるは、天子に喜慶あり、建言を采納して王侯を冊立せん。これらの氣もし青色を呈せば、憂患を主とし、白色は喪事を主とし、黑色は死亡を主とす。これを斷ずる所以は、平旦より早飯時に到るこの段の時辰は君王の位に屬し、兩「珥」は君王の聽納する所有るを象徵し、黃白二色の並陳は便ち喜慶冊立の事あるなり。王朔はいう。太陽に「冠」氣あれば、便ち應に同時に兩道の「珥」の相配あるべく、これは大吉の象なり。魏氏はいう。太陽に「冠」氣ありてただ右邊に「珥」あるは、國境の東方に賢能の人出來て官位を得るなり。《孝經雌雄圖》にいう。太陽に「冠」氣ありてただ左邊に「珥」あるは、君主の婦人の母親と私下に相好するなり。
《孝經內記》曰:“日左珥冠者,君東宮私婦女之事。”石氏曰:“日冠右珥者,邦南善人慾為政位。”魏《洛書》曰:“日兩珥,有直出珥中,中赤外青,色皆黃白潤澤,天子有珠寶,喜立王侯。所以然者,日,天子之象,珠者,陰之榮也;直者,輔也;黃白潤澤,故言天子有喜寶,直有立侯,青有憂,赤有兵,白有喪,黑者水也。”《孝經內記圖》曰:“日出而珥戴,王子有德令;一日有賀喜。”《孝經雌雄圖》曰:“日四傍有四珥,珥外左右有二抱者,子孫昌。”
《孝經內記》にいう。太陽の左邊に「珥」ありて上に「冠」あるは、君主の東宮に於て婦女と私情の事あるなり。石申はいう。太陽に「冠」氣ありて右邊に「珥」あるは、國境の南方に賢者ありて執政の地位を謀取せんと欲す。魏本の《洛書》にいう。太陽の両側に「珥」あり、また「直」氣ありて「珥」の中より透出して、內は赤く外は青く、整體は黃白にして潤澤なるは、天子は將に珠寶を得、併せて王侯を冊立するの喜事あらん。これを斷ずる所以は、太陽は天子の象徵にして、珠玉は陰類の中の最も華美の物なり。「直」氣は輔弼の臣を象徵す。顏色の黃白潤澤は吉に屬す。ゆえに天子に寶を得るの喜ありと説き、「直」氣あれば便ち侯を封ずるの立ありと説く。これらの氣もし青ければ、憂を主とし、赤ければ兵を主とし、白ければ喪を主とし、黑は水に屬して水患を主とす。《孝經內記圖》にいう。日出のときに「珥」ありてまた「戴」氣あるは、王子は將に德ある政令を頒行せん。別の一説は當日に慶賀すべきの喜事ありとす。《孝經雌雄圖》にいう。太陽の四面に四道の「珥」ありて、「珥」の外側の左右にまた各々一道の「抱」氣あるは、子孫の昌盛を主とす。
司馬遷《天宮書》曰:“日抱且戴喜。”《孝經援神契》曰:“王者德至於天,則日抱戴。”京氏曰:“日抱一背為破走;抱者,順氣也;背者,逆氣也;兩軍相當,順抱擊逆者勝,故言破走。”《洛書》曰:“日抱有一珥,色皆白潤澤,中赤外青,平晚至食時見,天子有喜;日中至日入,色蒼白潤澤,為有人從外來者,在喜事者,不可信也。”高宗曰:“日抱兩珥,下有黃氣如月,名曰遺德。有,太子喜;無氣,天子喜。”高宗曰:“日重抱在左右,人主有喜。”
司馬遷《史記・天官書》にいう。太陽に「抱」氣ありてまた「戴」氣あるは、喜慶を主とす。《孝經援神契》にいう。君王の德行が上に天に感ずれば、太陽は便ち「抱」「戴」の氣を出現せん。京房はいう。太陽に一「抱」一「背」あるは、敵軍の潰敗逃走を主とす。「抱」は順向環拱の氣にして、「背」は背離の氣なり。兩軍の對壘に、「抱」氣を據するの一方は勢に順って「背」氣を據するの一方を攻擊せば便ち取勝し得。ゆえに「破走」と説く。《洛書》にいう。太陽に「抱」氣ありて併せて一道の「珥」を帶び、顏色はみな白くして潤澤・內赤外青にして、淸晨より早飯時のあいだに出現するは、天子に喜慶あらん。もし正午より日落のあいだに出現して、顏色は蒼白にして潤澤なれば、則ち外地より前來する人あるを主とし、此人は喜事を名と爲すも、輕信すべからず。殷の高宗に托名する説は、太陽に「抱」氣と兩道の「珥」ありて、下方に別に黃氣ありて形は月牙のごときを、名づけて「遺德」という。この道の黃氣あれば、太子に喜あるなり。この道の氣なければ、天子に喜あるなり。またいう。太陽の左右に各々一重の「抱」氣あるは、君主に喜慶あらん。
高宗《日傍氣圖》曰:“日有重抱兩珥,人主有喜。”夏氏曰:“日重抱,中有璚順抱擊者勝,軍中有欲反者。”又曰:“重抱且背,順抱擊者勝,得地並有罷師。《洛書》曰:“三抱重有兩珥正方,色皆黃白潤澤,天子有喜,是謂大和。抱者親和之象也;珥方者,兵之象也。”《春秋渾付》曰:“人主修名無誠,言外方語內懷,負心驕蹇自恣,不謁忠稱孝,毀所增;日背,璚,青赤不明。”《洛書》曰:“日背而內,璚色中黑,故言水,主大臣反,故言天子有憂。
殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。太陽に重疊の「抱」氣と兩道の「珥」あるは、君主に喜慶あらん。夏氏はいう。太陽に重「抱」ありて、「抱」の中にまた缺口狀の「璚」氣を夾むは、兩軍の相當するに「抱」氣の方向に順って攻擊するの一方は獲勝し、しかも敵軍の中に反叛せんと欲する人あらん。またいう。旣に重「抱」ありてまた「背」氣あれば、「抱」に順って擊つ者は勝利を得、旣に土地を奪取し得、また將に敵軍の兵を罷めて散去せしむべし。《洛書》にいう。三重の「抱」氣が疊加して、また兩道の「珥」が端正に兩旁に分列し、顏色はみな黃白潤澤なるは、天子に喜慶あらん。これを「大和」と呼ぶ。「抱」は親近和睦の象徵にして、「珥」の端方は則ち兵戎の象徴なり。《春秋渾付》にいう。君主はただ名聲を修飾して誠意なく、嘴上の説く所と心中の想う所と一ならず、良心に違背し驕橫放縱し、忠臣を進用せず孝行を表彰せず、本應增益すべき德業を毀損せば、太陽は便ち「背」氣と「璚」氣を出現して、青赤にして晦暗不明ならん。《洛書》にいう。太陽に「背」氣ありて氣口は內に朝向し、「璚」氣の色は內黑にして、黑は水に屬して大臣の反叛を主とす。ゆえに天子に憂患ありと説く。
外赤中黑,故言有水火相伐,反臣從中起,天子死。”京氏曰:“日背、璚在日之南及其三方者,其國有反臣。”《易緯》曰:“日背,璚重累,小人略地,大人爭時。”京氏曰:“日月皆璚,其國有反者。”《洛罪級》曰:“日背、璚,不言內乖惡。”《摘亡闢》曰:“日背、璚並出,顛倒相貫屈,天子滅,下作禍。”《春秋緯》曰:“桀之世,有後通族擅權,背、璚刺日,垂其耀光,有此,則亡引也。”《春秋感精符》:“君臣乖錯不和,則日背、璚。”
上の《洛書》の説に承く。この類の氣は外は赤く內は黑し。ゆえに水火の相攻と説き、反叛の臣は朝廷の內部より事を起こし、天子は將に死せん。京房はいう。「背」氣と「璚」氣が太陽の南面および其餘の三面に出現するは、あの一分野の國家に反叛の臣あるなり。《易緯》にいう。太陽に「背」氣ありて、「璚」氣は重々疊累するは、小人の土地を侵奪し、大人物の時機を爭奪するを主とす。京房はまたいう。日と月がみな「璚」氣を出現せば、あの國家に謀反の人あらん。《洛罪級》にいう。太陽に「背」「璚」の氣あるは、內部の乖違して惡を爲すもまだ明言せざるなり。《摘亡辟》にいう。「背」氣と「璚」氣が一同に出現して、顛倒錯雜・彼此に貫穿屈曲するは、天子は將に滅せられ、臣下は亂を作して禍を肇めん。《春秋緯》にいう。夏桀の時代、王后の同族ありて權柄を專擅し、「背」氣「璚」氣は直に太陽を刺して光芒を垂下す。この種の天象あれば、便ち亡國の先兆なり。《春秋感精符》にいう。君臣のあいだ乖違錯亂して和睦せざれば、太陽は便ち「背」氣と「璚」氣を出現せん。
高宗《日傍氣圖》曰:“日傍有一直,赤氣如鱗在上,近臣欲自立也。”高宗《日傍氣圖》曰:“日有二背一直,大臣謀欲自立也。”甘氏曰:“日四璚,是謂大役,軍眾在外有反者。”《孝經內記》曰:“日有四背、璚,無軍在外,而見天下兵起;軍在外,天下兵盡罷。”《春秋感精符》曰:“日四背、璚,臣射主。”《孝經內記》曰:“日四背、璚,氣如大車隨者四,人主不安,大國不出一年;大車貫二背,有反臣,三月大雨下。”
殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。太陽の旁に一道の「直」氣ありて、上方にまた赤氣ありて魚鱗のごとく排列するは、近侍の臣の自立せんと欲するなり。同書はまたいう。太陽に兩道の「背」氣・一道の「直」氣あるは、大臣の自立を圖謀するなり。甘德はいう。太陽の四面にみな「璚」氣あるを、これを「大役」と呼び、大いに勞役を徵發するを主とし、外に在る軍隊の中に人の反叛あらん。《孝經內記》にいう。太陽に四道の「背」氣と「璚」氣あるに、もし當時軍隊の外に在らざれば、便ち天下の兵を興すを見ん。もしすでに軍隊の外に在れば、則ち天下の兵事は反って全部止息せん。《春秋感精符》にいう。太陽に四「背」と「璚」あるは、臣下の君主に加害するを主とす。《孝經內記》はまたいう。太陽に四「背」と「璚」ありて、別に四團の氣ありて形狀は大車の隨行するがごときは、君主は安寧を得ず、大國の禍事は一年を出でずして到らん。あの大車狀の氣もし兩道の「背」氣を貫穿せば、則ち反叛の臣あり、三個月の内に大雨を下さん。
《春秋緯》曰:“日有四背、璚,其國內亂,有兵起,若有背叛。”魏氏曰:“日傍有二直三抱,有自立者不成,順抱擊者勝,殺將。”魏氏曰:“日纓左珥,後宮出位,喜。”《孝經雌雄圖》曰:“日冠紐左珥者,君與舅母私相通。”《孝經雌雄圖》曰:“日冠紐左右珥,天下有吉,喜,五逆皆除。”《日暈圖》曰:“日冠纓左紈者,後宮有喜。”《日暈圖》曰:“日冠纓右珥,後宮出位,有喜。”又曰:“日暈冠纓左右紈,天下大喜。除刑。”
《春秋緯》にいう。太陽に四道の「背」氣と「璚」氣あるは、あの一分野の國家の內部動亂して兵事興起し、あるいは背叛する人あらん。魏氏はいう。太陽の旁に兩道の「直」氣・三重の「抱」氣あるは、自立せんと欲するも成事し能わざる人あるなり。兩軍の對壘に、「抱」氣の方向に順って攻擊するの一方は獲勝し、併せて敵將を斬殺し得。魏氏はまたいう。太陽に「纓」氣ありて左邊に「珥」あるは、后宮に本位を越出する人ありて、喜事を主とす。《孝經雌雄圖》にいう。太陽に「冠」氣・「紐」氣ありて左邊に「珥」あるは、君主の舅母と私通するなり。同書はまたいう。太陽に「冠」「紐」ありて左右にみな「珥」あるは、天下に吉慶喜事あり、五種の悖逆の事はみな消除せらる。《日暈圖》にいう。太陽に「冠」「纓」ありて左邊に白色の「紈」氣あるは、后宮に喜あらん。同書はまたいう。太陽に「冠」「纓」ありて右邊に「珥」あるは、后宮に本位を越出する人ありて、また喜事を主とす。またいう。日暈の上に「冠」「纓」ありて、左右にみな「紈」氣あるは、天下の大喜にして、刑罰は蠲除を得ん。
《孝經雌雄圖》曰:“日紐左珥者,為兄弟私相知。”《孝經內記》曰:“日冠紐者,君與青衣私相愛,欲成立為妻,已在宮也。”甘氏曰:“日戴而珥,天子有賀喜。抱以為和親,抱亦親多;抱珥見數國,家歡喜而和。”甘氏曰:“日戴且珥,天子有子孫,昌期不出其年。”夏氏曰:“日戴而珥,有令德。”夏氏曰:“日重抱,抱中外有璚而珥,順抱擊者勝,破軍軍中不和,不相信。”《孝經內記》曰:“日傍有重抱,其一傍有抱,抱後有背戴,順抱者勝。”
《孝經雌雄圖》にいう。太陽に「紐」氣ありて左邊に「珥」あるは、兄弟のあいだの私相往來するなり。《孝經內記》にいう。太陽に「冠」氣と「紐」氣あるは、君主の青衣を穿つ婢女と相愛して、彼女を立てて正妻と爲さんと欲し、而して此人はすでに宮中に在るなり。甘德はいう。太陽に「戴」氣ありてまた「珥」あるは、天子に慶賀すべきの喜事あらん。「抱」氣あれば便ち和親を主とし、「抱」氣は愈々多ければ親附する者は愈々多し。「抱」と「珥」と同時に出現すれば、則ち數個の邦國は一齊に歸附して、各家は歡喜して和睦す。甘德はまたいう。太陽に「戴」ありてまた「珥」あるは、天子は子孫を添え、昌盛の應期はこの年を出でず。夏氏はいう。太陽に「戴」あり「珥」あるは、君上に美好の德行あるを主とす。夏氏はまたいう。太陽に重「抱」氣ありて、「抱」の內外にみな「璚」氣ありて併せて「珥」を帶ぶるは、「抱」氣の方向に順って攻擊するの一方は獲勝し、敵軍を擊破し得、敵軍は內部不和にして彼此猜疑せん。《孝經內記》にいう。太陽の旁に重「抱」氣ありて、その一側に別に一道の「抱」あり、「抱」の後面にまた「背」氣と「戴」氣あるは、「抱」に順って戰うの一方は獲勝す。
高宗《日傍氣圖》曰:“日有一抱一直一珥,人主有喜且有所立。”呂氏曰:“背、璚,四直交在中,臣欲為邪,色青中赤外,在芒刺則為逆;其色赤中青外,無芒刺為謀;若數見,則國家凶。向日為抱,背日為背;背且抱,有欲為者右勝逆,明勝枯,久勝疾;若有白虹,以攻戰從抱擊之者勝;芒外者,中人勝;芒內者,外人勝;皆以象類為法。”
殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。太陽に一道の「抱」・一道の「直」・一道の「珥」あるは、君主に喜慶あり、併せて何人かを冊立せん。呂氏はいう。「背」氣・「璚」氣と四道の「直」氣が中間に交錯するは、臣下の非を爲し歹を作さんと欲するなり。氣色が內青外赤にして芒刺を帶ぶるは、公然の悖逆に屬す。內赤外青にして芒刺を帶びざるは、暗中の圖謀に屬す。この類の天象もし屢々出現せば、國家に凶險あらん。氣が太陽に朝向して彎抱するを「抱」と呼び、太陽に背離するを「背」と呼ぶ。旣に「背」ありてまた「抱」あるは、人の蓄意して事を生ずるあるを説明し、このとき正に居るの一方は悖逆の一方に勝ち、明亮のは枯暗に勝ち、持久のは短促に勝つ。もしまた白虹を出現せば、交戰のとき「抱」氣の方向に順って攻擊するの一方は獲勝す。芒刺の外に向かうは、城中の人は勝ち、芒刺の內に向かうは、城外の人は勝つ——これらはみな物象の屬する類別に按じて推斷するの法則なり。
《孝經雌雄圖》曰:“日上有冠三重,日下有虹,下行正,直長丈,不出一年立;故貴人絕後者,其年小熟,小賤;歲有兵,一年中天下不安。”夏氏曰:“日抱,且兩珥一虹貫抱中日,順虹擊者勝,殺將。”夏氏曰:“日抱兩珥且璚,二虹貫抱中日,順虹擊者勝二將,有相去。”夏氏曰:“日重抱,有三白虹貫抱中日,順虹擊者破軍將;二虹殺大將,一虹殺偏將。”魏氏曰:“日重抱左右二紈,有白紅虹貫抱,順擊勝,得二將;有三虹得三將。
《孝經雌雄圖》にいう。太陽の上方に三重の「冠」氣ありて、下方に虹あり、虹は端正に下垂して長さ約一丈なるは、一年を出でずして便ち冊立せらるる人あらん。舊有の貴人はこれに因って後嗣を絶ち、あの年の收成は略々差く、物價は略々賤し。この年に兵事ありて、一年の内に天下は安寧を得ず。夏氏はいう。太陽に「抱」氣ありて、また兩道の「珥」と一道の虹ありて「抱」氣と日體を貫穿するは、虹の指す方向に順って攻擊するの一方は獲勝し、併せて敵將を斬殺し得。夏氏はまたいう。太陽に「抱」氣・兩道の「珥」ありて併せて「璚」氣を帶びて兩道の虹は「抱」と日體を貫穿するは、虹に順って擊つ一方は獲勝し、兩員の敵將を得べく、敵方の將帥のあいだもまた彼此離散せん。夏氏はまたいう。太陽に重「抱」氣ありて、三道の白虹は「抱」と日體を貫穿するは、虹に順って擊つ一方は敵軍の主將を擊破す。兩道の虹は則ち大將を斬殺し、一道の虹は則ち偏將を斬殺す。魏氏はいう。太陽に重「抱」氣ありて、左右に兩道の白色の「紈」氣あり、また白虹・紅虹ありて「抱」氣を貫穿するは、その方向に順って攻擊するの一方は獲勝し、兩員の敵將を俘獲し得。三道の虹あれば、三員の敵將を得べし。
高宗《日傍氣圖》曰:“日一背一直,有赤氣如卷,近臣欲自立,二背一直,大臣欲自立。”《孝經雌雄圖》曰:“日刺,冠重累並出邊見者,是臣弒君,子弒父子變也,不可不審察也。見於東方,父子自為之;見於南方,君臣為之;見於西方,親戚、將卒為之。變為君者,多赤;變在臣者,多青;變在邊夷者,多黑;自天生大賊,五色錯亂。”
殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。太陽に一道の「背」・一道の「直」ありて、また赤氣ありて卷軸のごとく卷曲するは、近侍の臣の自立せんと欲するなり。兩道の「背」・一道の「直」あれば、則ち大臣の自立せんと欲するなり。《孝經雌雄圖》にいう。太陽に「刺」氣ありて、「冠」氣は重々疊累して一倂せに日輪の邊緣に出現するは、これは臣の君を弑し子の父を弑するのあの一類の變亂の象にして、仔細に審察せざるべからず。此の象が東方に出現するは、父子のあいだの自相殘害するなり。南方に出現するは、君臣のあいだの相戕するなり。西方に出現するは、親戚と將卒の亂を作すなり。變亂の君主の身上に應ずるは、氣色は赤を以て主と爲す。臣下に應ずるは、青を以て主と爲す。邊地の夷狄に應ずるは、黑を以て主と爲す。もし上天の降下する巨盜大賊なれば、則ち五色は錯雜淆亂す。
開元占經 卷八
日占 四
日暈
石氏曰:“日傍有氣,圓而周匝,內赤外青,名為景。”夏氏曰:“日暈者,運也,”如淳暈,日運也。暈者,屯也。暈者,圍也。一說暈者,軍營衛生也,營衛君也。”蔡伯喈曰:“氣見於日傍四周為暈。”《方言》曰:“日暈為躔,躔歷行也。”《爾雅》曰:“弇日為蔽雲,郭璞曰:‘即暈氣五色,覆日者也。’”《釋名》曰:“暈,卷也,氣在外卷結也。”《春秋感精符》曰:“一失陽事,則日暈。”
石申はいう。太陽の旁邊に氣ありて、圓くして一周を環繞し、內は赤く外は青きを、名づけて「景」という。夏氏はいう。「暈」とはすなわち「運」にして、すなわち回環運轉の義なり。漢の人如淳は「暈」を解釋して、またそれを太陽の運轉の氣と説く。また「屯」(屯聚)と解するあり、なほ「圍」(圍繞)と解するあり。別の一説は「暈」を以て軍營の護衛と爲して、君主を拱衛するを象徵す。蔡伯喈(蔡邕)はいう。氣が太陽の四周に出現するを、便ち「暈」と呼ぶ。揚雄《方言》にいう。日暈を「躔」と呼ぶ。「躔」は歷行・循行の意思なり。《爾雅》にいう。太陽を遮掩するを「蔽雲」と呼ぶ。郭璞は注していう、すなわち五色の暈氣の太陽を覆蓋し住るなり。劉熙《釋名》にいう。「暈」とはすなわち「卷」にして、氣の日外に卷曲盤結するを指す。《春秋感精符》にいう。人間にたとい一樁の陽に屬する政事の失當あれば、太陽は便ち暈を生ぜん。
石氏曰:“日暈者,軍營之象;周環匝日,無厚薄,敵與軍勢齊等;若無軍在外,天子失御,民多反叛。”班固《天文志》曰:“兩軍相當,日暈;等力均也。”甘氏曰:“日月皆暈,共戰不合,若兵罷。”《洛書》曰:“日出而暈,必有取主,不乃有師破。”石氏曰:“日以庚子暈,有赦令。”《河圖帝覽嬉》曰:“正月日暈,兵春起,不勝。”《河圖帝覽嬉》曰:“日以正月,若五月中有九暈以上,道上有熱,死將;一曰,多死人。”
石申はいう。日暈は軍營の象徵なり。暈が太陽を環繞して一周して各處の厚薄均勻なるは、敵我の兵勢相當を表示す。もし當時併せて軍隊の外に在らざれば、あれは便ち天子の統御の權を失い、百姓に反叛多きなり。班固《漢書・天文志》にいう。兩軍の對峙のときに日暈を出現するは、雙方の力量均等の象なり。甘德はいう。日と月がみな暈を生ずれば、兩軍は對壘するといえども打合は起こらず、あるいは乾脆として兵を罷む。《洛書》にいう。太陽が剛ち出でて便ち暈を生ずれば、必定に君位を取代する人あらん。然らざれば便ち軍隊の擊破せらるるあらん。石申はいう。太陽が庚子の日に暈を生ずれば、將に赦令の頒下あらん。《河圖帝覽嬉》にいう。正月の裏に日暈あれば、兵事は春天に興起するも、然るに兵を發するの一方は取勝し能わず。同書はまたいう。太陽が正月あるいは五月の中に九重以上の暈を生出せば、道路上は暑熱人を逼り、將帥の死亡を主とす。別の一説は死する人の甚だ多きとす。
《荊州占》曰:“日有朝夕之暈,是謂失地,主人必敗。”《荊州占》曰:“日三暈,軍分為三。”夏氏曰:《日暈圖》云:‘日暈潤黃濁黑,搖為風雨,且惡,不動搖,有憂病;不則有暴惡令。’”《太公陰秘》曰:“日暈,明分中赤外青,外人勝;中青外赤,中人勝;中黃外青黑,中人勝;外黃中青黑,外人勝,外白內青,外人勝;內白外青,中人勝;中黃外青,外人勝;中青外黃,內人勝。”
《荊州占》にいう。太陽が早晚にみな暈を出現するを、これを「失地」と呼び、守る方は必定に敗北せん。同書はまたいう。太陽に三重の暈あれば、軍隊は將に一を三に分かれん。夏氏は《日暈圖》を引いていう。日暈が黃くして潤澤・黑くして混濁にして、搖動して定まらざるは風を刮き雨を降るを主として情勢は妙ならず。もし凝定して動かざれば、則ち憂愁疾病あるを主とし、然らざれば便ち暴虐酷烈の政令の下達あらん。《太公陰祕》にいう。日暈の層次分明として辨識すべく、內赤外青なるは、城外の攻方は勝ち、內青外赤なるは、城內の守方は勝ち、內黃にして外青黑なるは、守方は勝ち、外黃にして內青黑なるは、攻方は勝ち、外白內青なるは、攻方は勝ち、內白外青なるは、守方は勝ち、內黃外青なるは、攻方は勝ち、內青外黃なるは、守方は勝つ。
《太公陰秘》曰:“日暈,黃白不斗,兵未解;青黑和解,分地;色黃,土功動,民不安;色黑,有水,陰國盛;色白,有喪;色青,為疾病;色赤,大旱,流血千里。”京氏曰:“日暈,有兵在外者,主人不勝,宜客。”《太公兵法》曰:“日暈始,起前滅後,匝而後成者,後面勝。”《太公兵法》曰:“日暈周匝,東北偏厚,厚為福,東軍在東北戰,西南戰敗。”《孝經內記》曰:“日暈而明,天下有兵,兵罷無兵,兵起不戰。”
《太公陰祕》にいう。日暈が黃白色を呈するは、雙方は交戰せざるも、然るに兵事はまだ解除せず。青黑色を呈するは、雙方は講和して地を割いて了結す。暈色が黃きは、土木を興動して百姓は安んぜざるを主とす。暈色が黑きは、水災ありて陰に屬する一方の強盛を主とす。暈色が白きは、喪事あるを主とす。暈色が青きは、疾病流行を主とす。暈色が赤きは、大旱を主として血は千里に流る。京房はいう。日暈を出現して軍隊の外に在れば、守る方は取勝し能わず、客方の進攻に利あり。《太公兵法》にいう。日暈が成形を始むるとき、前面は先に起りて後面は隨即消失し、一圈を繞ってこそ合攏するは、後至の一方は獲勝す。同書はまたいう。日暈が一周を環繞して東北方は偏りて厚きは、厚き處は福を主とし、東路軍は東北方に於て作戰すれば利を得、西南方に於て作戰すれば則ち敗る。《孝經內記》にいう。日暈して日光が明亮なれば、天下に兵事あらん。すでに兵事あるは兵を罷め、本來兵事なきは兵を起こして然るに併せて交戰せず。
《洛書摘亡闢》曰:“日暈明,人主有陰伏之謀。”京氏曰:“日暈,若井垣,若車輪,二國皆兵亡。”石氏曰:“日有青暈,不出旬,有大風,糴貴十倍,人民多疾病凶。”《河圖帝覽嬉》曰:“日暈,中赤外青,群臣親;外赤中青,群臣內其身,外其心。”石氏曰:“日有黑暈,災在用事臣。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈蒼黑,女主有憂。”京氏曰:“日有黃暈一重,人主有喜。”《洛書》曰:“日有青圍之,謂之青暈,不出二旬,大寒。
《洛書摘亡辟》にいう。日暈が明亮なれば、君主は隱祕にして發せざる圖謀を心懷く。京房はいう。日暈の形は井欄のごとく、あるいは形は車輪のごとくのは、兩個の國家はみな兵敗に因って亡びん。石申はいう。太陽に青色の暈あれば、十天を出でずして大大風あり、糧價は十倍に貴からんとし、百姓は疾病多く、凶を主とす。《河圖帝覽嬉》にいう。日暈が內赤外青なるは、群臣は君上を親附す。外赤內青なるは、則ち群臣は身は朝廷に在るも心はすでに外に在り。石申はいう。太陽に黑色の暈あれば、災禍は權を當て事を用いる大臣の身上に落つ。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈が蒼黑色を呈するは、女主に憂患あらん。京房はいう。太陽に一重の黃色の暈あるは、君主に喜慶あらん。《洛書》にいう。太陽が青氣に圍繞せらるるを、「青暈」と呼び、二十天を出でずして、天氣は大寒せん。
糴大貴,外長三錢;一歲五見,糴五倍;六見,糴六倍不止;不出一年,民相食,多疾;疫在所見之國。”《禮斗威儀》曰:“君乘水而王,其政癉平,則日黃中而青暈。”《洛書》曰:“日有黑圍之候,不出六十日,有大水傷五穀,敗人室宅,所見之國,糴貴十倍,三旬止。一歲十見此者,四海有役,窮民不得守其鄉,死不收藏。”《禮斗威儀》曰:“君乘水而王,其政癉平,則日黃中而黑暈。”
上の《洛書》の青暈の文に承く。米價は大漲して、京城の外は每斗にさらに三錢を多加せん。一年の内に五次出現せば、米價は五倍に漲到す。六次出現せば、六倍に漲到してなほ止まらず。一年を出でずして、百姓は相食して疾病流行し、瘟疫は便ち青暉の對應する所の分野の國家に發せん——原文「青暈」なり。《禮斗威儀》にいう。君主が水德を承けて王と稱し、政事は淸明公平なれば、太陽は便ち中央は黃色を呈して外に青暈を繞らん。《洛書》にいう。太陽が黑氣に圍繞せらるるの徵候は、六十天を出でずして大水ありて五穀を沖壞し人の房舍を毀し、應ずる所の分野の國家は米價は十倍に貴く、三十天後にこそ止まらん。一年の内に十次出現せば、四海の内はみな勞役徵發あり、窮苦の百姓は鄉土を守住り得ず、死しても收殮埋葬する人なし。《禮斗威儀》にいう。君主が水德を承けて王と稱し、政事は淸明公平なれば、太陽は便ち中央は黃色を呈して外に黑暈を繞らん。
《孝經內記》曰:“日有白圍之候,一本日白暈,不出九十日,有大暴兵,粟大貴三倍,歲多暴風,春雪霜,民多病亡,野犬多狂,所見之國尤多,其君不安。”《禮斗威儀》曰:“君承金而王,其政象平,則日黃中而白暈。”(宋均曰:象者取象於鏡見儀表端正。)《洛書》曰:“日有赤國之候,不出終食,必有大雨,雷霹靂殺乎為人民者;天下不同,獨以所見為然;必有大暑,道無行人。圍候者,日與辰星俱失度,不出旬日,圍候數如此者,不便貴人。
《孝經內記》にいう。太陽が白氣に圍繞せらるるの徵候(別の一本は「日白暈」と作る)は、九十天を出でずして突發の大規模兵禍あり、粟價は三倍に暴漲し、この年は暴風多く、春天は雪を下し霜を降り、百姓は病死多く、野狗は發狂多く、應ずる所の分野の國家は尤其嚴重にして、あそこの君主は安寧を得ず。《禮斗威儀》にいう。君主が金德を承けて王と稱し、政事は鏡鑑に取法して公平なれば、太陽は便ち中央は黃色を呈して外に白暈を繞らん。原書小注:宋均はいう、「象」は鏡子に取象して、儀容表率の端正を照見す。《洛書》にいう。太陽が赤氣に圍繞せらるるの徵候は、一頓の飯の工夫を出でずして必ず大雨あり、雷霆霹靂は人畜を擊殺す。天下の各地は併せて一律ならず、ただ此の象を見る所の地方に應驗す。此の後にまた必ず酷暑ありて、路上に行人を見ず。所謂「圍候」とは、太陽と辰星(水星)の一同に運行して度を失うに因る所致にして、十天を出でずして便ち應驗す。「圍候」の屢々あらんごとく出現するは、貴人に對して利ならず。
一歲數有圍候,歲十餘,王者不安,大臣坐事。不出二年中,天子亡,細布貴,後一年蠶不為縑,絮四倍,萬民大寒,見此之戒。”《禮斗威儀》曰:“君秉火而王,其政煩平,則日黃中而赤暈。”《孝經內記》曰:“日有黃圍之侯,風雨農田治,一歲數見,且大安,所見之國吉,不出三年。”
上の文に承く。一年の中に屢々「圍候」ありて、多くは十餘次に至れば、君王は安寧を得ず、大臣は事に因って罪を獲ん。兩年を出でずして、天子は將に亡び、細布の價は貴し。再び一年を過ぎて蠶は縑を結ばず、絲綿は四倍に漲上し、萬民は大いに寒凍を受けん——これは便ち此の象の示す所の警戒なり。《禮斗威儀》にいう。君主が火德を秉って王と稱し、政事は繁なるといえども公平なれば、太陽は便ち中央は黃色を呈して外に赤暈を繞らん。《孝經內記》にいう。太陽が黃氣に圍繞せらるるの徵候は、風調雨順・農田の治理有成を主とす。一年の中に屢次出現せば、天下は大安にして、應ずる所の分野の國家は吉利にして、應期は三年を出でず。
《孝經內記》曰:“日暈,亡日,無雨,大風,起兵;若土功,各當其星占。”(凡日月傍有異氣,抱,珥,強、帶、虹、譑、背、璚、纓、紐、格、履之屬,三日內有大風,二日內有大雨,災解不占。)甘氏曰:“日暈,七日無風雨,兵大作,不可起,眾大敗,不乃月蝕。”
《孝經內記》にいう。日暈を出現したる後、日光は隱沒して見えず、また雨を下さずして大風を刮起するは、兵を興すを主とす。あるいは土木を大興するを主とし、究竟どの地に應ずるかは、各々當時の太陽の在る所の星宿分野に按じて推斷す。原書小注:およそ日月の旁邊に異氣を出現する——「抱」「珥」「強」「帶」「虹」「譑」「背」「璚」「纓」「紐」「格」「履」のこの一類——ただ三天の内に大風を刮起し兩天の内に大雨を下せば、便ち災氣のすでに消解と算して、更に占るを要せず。甘德はいう。日暈を出現したる後、七天の内に風雨を見を見ざれば、則ち兵事は大いに起らん。このとき先んじて兵を動かすべからず。動かば則ち大敗す。然らざれば便ち月蝕を發生せん。
日方暈連環暈
高宗《日傍氣圖》曰:“日方暈,而上下聚二背,將敗,民散。”又曰:“日暈方,如井干,天下不知。”《荊州占》曰:“日暈,連如環,為兩軍兵起,君爭地。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈,環而聚,君死。”四邊亞出也。
殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈が方形を呈して、上下にまた兩道の「背」氣を聚るは、將帥の敗亡を主とし、百姓は離散せん。またいう。日暈が方正なること井上の木欄のごときは、天下の人は茫然として措く所を知らず。《荊州占》にいう。日暈が一環は一環に連なるは、兩軍の兵を興し國君が土地を爭奪して戰うを主とす。《日傍氣圖》はまたいう。日暈が環と成りて聚合して散ぜざるは、國君の死亡なり。所謂方暈とは、すなわち暈の四邊が各々外に向かって稜角を壓出して成るなり。
日暈而珥
京氏曰:“日暈而珥,宮中多事,後宮分爭,七日不雨,番察中。”甘氏曰:“日暈而珥,主有謀;軍在外,外軍有侮。”《荊州占》曰:“日暈而珥,天下有立侯王。”《荊州占》曰:“日暈而珥於暈上,將軍易。”甘氏曰:“日暈而珥如井干者,國亡以亂,有大兵反。”又曰:“日暈而珥合在軍中;一珥一國;二珥二國;三珥三國;同攻是國也。”甘氏曰:“日暈而珥聚在傍,貴人有罷者。”《太公兵法》曰:“日暈而珥,主有謀;十日不雨,兵起。”
京房はいう。日暈して「珥」氣を帶ぶるは、宮中に事多く、后宮は黨を分かちて相爭い、七天雨を下さざるは、輪番に詳細に察看すべし。甘德はいう。日暈して「珥」を帶ぶるは、君上に陰謀あるを主とす。もし軍隊の外に在れば、外面の軍隊は輕侮に遭わん。《荊州占》にいう。日暈して「珥」を帶ぶるは、天下に侯王の冊立せらるるあらん。同書はまたいう。「珥」が日暈の上に出現するは、將帥の將に更換せんを主とす。甘德はいう。日暈して「珥」の形は井欄のごときは、國家は內亂に因って亡び、大軍の反叛あらん。またいう。日暈して「珥」氣が軍中に合聚するは、一道の「珥」は一國に應じ、兩道は兩國に應じ、三道は三國に應じ、この幾國の合力して同じく一國を攻むるなり。甘德はまたいう。日暈して「珥」が一側に聚るは、貴人の罷黜せらるるあるを主とす。《太公兵法》にいう。日暈して「珥」を帶ぶるは、君上に陰謀あるを主とす。十天雨を下さざれば、兵事は興起せん。
石氏曰:“日暈而珥合,國有謀反。”《日暈圖》曰:“日暈左珥者,王候有喜;人君有私,事在後宮。”《洛書》曰:“兩敵相當,日暈兩珥,平等俱起而色同,軍無相奈何,色厚潤者賀喜。”又曰:“日暈兩珥,君有喜;一曰眾在外,有大事。”石氏曰:“春暈有四珥,人主更令。”日暈而負夏氏曰:“日負,負者青赤,如半暈狀,以著暈上,則為負。負者,位也;得地為喜。”京氏曰:“日暈,重有四負,殃大國亂;若三日大雨,不占。”《孝經內記圖》曰:“日暈,負且戴,國有喜。戰從戴所擊者,勝;得地。”
石申はいう。日暈して兩「珥」が相合するは、國中に謀反の人あらん。《日暈圖》にいう。日暈して左邊に「珥」あるは、王侯に喜慶あらん。同時に君主に私情ありて、事は后宮に出づ。《洛書》にいう。兩敵の相持するに、日暈の兩旁に各々一「珥」ありて、高低は相等しく一同に升起して顏色相同なれば、兩軍は誰も誰を奈何し能わず。「珥」の色が濃厚潤澤なるは、則ち慶賀喜事を主とす。またいう。日暈に兩「珥」あるは、君主に喜あらん。別の一説は兵衆が外に在りて將に大事あらんとす。石申はいう。春天の日暈に四道の「珥」を帶ぶるは、君主の將に政令を更改せんを主とす。以下は「日暈而負」の一目に入る。夏氏はいう。所謂「負」とは、青赤色にして形は半個の日暈のごとき氣にして、暈の上方に附着するを便ち「負」と呼ぶ。「負」は「位」の義を取り、地を得て喜と爲すを主とす。京房はいう。日暈が重疊して四道の「負」氣あるは、災殃深重にして大國は動亂す。もし三天の内に大雨を下せば、便ち占るを要せず。《孝經內記圖》にいう。日暈してまた「負」あり「戴」あるは、國中に喜あらん。作戰のとき「戴」氣の指す方向に順って攻擊するの一方は獲勝し、併せて土地を奪取し得。
日暈而冠戴珥抱背璚直提虹蜺雲氣
《孝經內記》曰:“日暈且冠戴,又有反照於日上;有戴赤青,長四五尺,左右上下有氣,各一丈許,不出九十日,有立侯王,不出百日,有大赦;糴貴十倍,大豆尤甚。”石氏曰:“日暈,且冠且戴,天下有立侯王;若自立者,分必益土。”石氏曰:“日暈且冠,王者有拜謁;若立諸侯,德令四方,天下大赦。”《孝經內記圖》曰:“日暈,有克,兩珥;有纓貫珥中,下交日下;天下有名之臣死,不出三十日有赦。”
《孝經內記》にいう。日暈してまた「冠」あり「戴」ありて、なほ反光ありて太陽の上方に映照す。「戴」氣は赤中に青を帶び、長さ四五尺にして、左右上下に別に氣ありて各々長さ一丈上下なり。九十天を出でずして侯王の冊立せらるるあり、一百天を出でずして大赦あらん。米價は十倍に漲到し、大豆は漲ること尤其厲害なり。石申はいう。日暈してまた「冠」ありてまた「戴」あるは、天下に侯王の冊立せらるるあらん。もし自立して王と爲すのなれば、その分野は必定に土地を增廣せん。石申はまたいう。日暈して「冠」氣あるは、君王は將に朝覲拜謁の事あらん。もし諸侯を冊立せば、則ち德政號令は四方に通行して天下は大赦せん。《孝經內記圖》にいう。日暈に「克」氣と兩道の「珥」を帶び、また「纓」氣ありて「珥」の中を貫穿して下に向かって日下に交結するは、天下に著名の大臣の死去あり、三十天を出でずして赦令あらん。
《太公兵法》曰:“日暈,冠,三珥;天子有喜,或為大赦,功拜大將軍。”高宗曰:“日暈、冠、珥、紐,人主有喜慶,且有所立,不出年中。京氏曰:“日暈,戴、抱、珥,其色皆赤內青外,清明即國家有吉、賀、喜。”《洛書》曰:“日暈且戴,而暈兩有氣皆如珥形,中赤外青,是謂琪璧;一名霧成,色皆黃白潤澤,有獻璧玉寶瑤器者,天子有喜。所以然者,日,天子象也。璧玉者,陰之榮也。黃白潤澤,故言天子有喜。”
《太公兵法》にいう。日暈に「冠」氣と三道の「珥」を帶ぶるは、天子に喜慶あり、あるいは大赦を頒下し、あるいは功を論じて大將軍を拜任せん。殷の高宗に托名する説は、日暈して併せて「冠」「珥」「紐」を見るは、君主に喜慶あり、併せて何人かを冊立せんとし、應期はこの年を出でず。京房はいう。日暈に「戴」「抱」「珥」を帶びて、顏色はみな內赤外青にして、氣象は淸朗明淨なれば、國家に便ち吉慶賀喜の事あらん。《洛書》にいう。日暈して「戴」氣ありて、暈の両側にまた各々氣ありて「珥」の形狀を作して、內赤外青なるを、これを「琪璧」と呼び、一名を「霧成」という。顏色がみな黃白にして潤澤なるは、將に璧玉珍寶瑤器を進獻する人あらんとし、天子に喜あらん。これを斷ずる所以は、太陽は天子の象徴にして、璧玉は陰類の中の最も華美の物にして、黃白潤澤はまた吉色なり。ゆえに天子に喜ありと説く。
夏氏曰:“日暈而珥,外有一抱;所圍城者,在外,外人勝。”《孝經內記》曰:“日暈,暈中有珥一抱,所謂圍城者在中,中人勝。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈、珥、兩抱,天子且在慶,一抱喜。至氣黃白赤,皆吉也。”《荊州占》曰:“日暈而珥,背左右,如大車輪,兵起,其國亡城,兵滿野,而城復歸。”京氏曰:“日暈有四珥,各四背、璚,期六十日,君臣有異謀者;有急事閉關,不行使,天下更命;三日雨,不占。四背,白氣干之,其端青赤,是妃與臣下共弒其君。”
夏氏はいう。日暈して「珥」を帶びて、暈の外に別に一道の「抱」氣あるに、まさに城を圍むの際に當りて、利を得るは城外に在りて、攻方は獲勝す。《孝經內記》にいう。日暈して暈の中に「珥」と一道の「抱」氣あるに、まさに城を圍むの際に當りて、利を得るは城內に在りて、守方は獲勝す。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈に「珥」と兩道の「抱」を帶ぶるは、天子は將に慶典あらん。ただ一道の「抱」のみもまた喜事を主とす。氣色の黃・白・赤の三色に到るは、みな吉利に屬す。《荊州占》にいう。日暈して「珥」を帶びて、左右にまた「背」氣ありて形は大きな車輪のごときは、兵事興起を主とし、あの一分野の國家は城池を丟失し、兵馬は郊野に遍布し、その後に城池はまた原來の主に歸還せん。京房はいう。日暈に四道の「珥」を帶びて、各々四道の「背」氣と「璚」氣を配するは、應期は六十天にして、君臣の各々異心を心懷くを主とす。國中に急事ありて關隘を關閉し使節を通ぜず、天下は政令を改易せん。もし三天の内に雨を下せば、便ち占るを要せず。四道の「背」氣もし白氣に干犯せられて、白氣の兩端は青赤色を呈するは、これは妃嬪と臣下の合謀して君主を弑殺するなり。
夏氏曰:“有軍日暈,有一抱,抱為順,貫暈中;在日西,西軍大勝,東軍大敗,中赤外青。若在日東,東軍大勝,西軍大敗,南北亦然。”石氏曰:“日暈有抱,抱為順,在日月之傍,王者有喜,子孫吉昌,政令行。”《洛書》曰:“凡占兩軍相當,必謹審日月之暈氣,知其所起、止、遠、近,應與不應,遲、疾、大、小、厚、薄、長、短、抱、背為多少,有、無、實、虛、久、亟、密、疏、澤、枯、相應,日等無相,奈何?
夏氏はいう。軍隊が外に在るときに日暈を出現して、また一道の「抱」氣ありて暈の中を貫穿す——「抱」は順氣に屬す——もし「抱」が太陽の西邊に在れば、則ち西路軍は大勝し東路軍は大敗す。その氣は內赤外青なり。もし太陽の東邊に在れば、則ち東路軍は大勝し西路軍は大敗す。南北方向の推法もまた一樣なり。石申はいう。日暈して「抱」氣あるに、「抱」は順氣に屬して日月の旁邊に出現するは、君王に喜慶あり、子孫は吉利昌盛にして、政令は通行して阻ずるなし。《洛書》にいう。およそ兩軍對峙の勝負を占斷するに、必ず仔細に日月の暈氣を審察すべし。それがどの處より生起しどの處に至って止歇するか、日を離るること遠きか近きか、軍情と相應するや相應せざるや、成形すること慢きか快きか、形體は大なるか小なるか、氣層は厚きか薄きか、氣身は長きか短きか、「抱」と「背」とは各々多少ありや、有るや無きや、實なるや虛なるや、持續すること久しきか急促なるか、氣質は密なるか疎なるか、色澤は潤なるか枯なるか、両邊は彼此對應するや否やを弄清すべし。もし雙方が處處相等しくして優劣を分かつ能わざれば、あれはまたどのように判斷すべきか。
故曰:近勝遠,疾勝遲,大勝小,厚勝薄,長勝短,抱勝背,多勝少,有勝無,實勝虛,久勝亟,密勝疏,澤勝枯,重抱大勝無抱也。抱為和親,抱多親者益多;背為不和,分離相去,背於中者離於中,背於外者離於外也。凡分離相去之相,親疏赤中外青,以和相去:青中外赤,以惡相去。”《太公兵法》曰:“日暈抱、珥,喜氣;日暈黃者,主人有喜。”《太公陰秘》曰:“日一暈、一抱、一背為不和信者,更逆不信者,順。”
上の《洛書》の文に承く。ゆえに説く。氣の近きは氣の遠きに勝ち、成形の快きは成形の慢きに勝ち、形體の大なるは小なるに勝ち、氣層の厚きは薄きに勝ち、氣身の長きは短きに勝ち、「抱」あるは「背」あるに勝ち、數量の多きは少なきに勝ち、氣あるは氣なきに勝ち、氣實なるは氣虛なるに勝ち、持久するは短促に勝ち、稠密のは稀疏に勝ち、潤澤のは枯槁に勝つ。而して重「抱」あるは、更に全く「抱」氣なきの一方に大勝す。「抱」は和睦親附を主とし、「抱」氣は愈々多ければ親附する者は愈々多し。「背」は不和を主として、雙方は分離して去り、「背」が暈の內に在れば內部より離散し、「背」が暈の外に在れば外部より離散す。およそこの種の分離散去の象は、なほ氣色を看て以て親疎を別つべし。內赤外青なるは、好く聚り好く散ずるなり。內青外赤なるは、惡を交えて去るなり。《太公兵法》にいう。日暈に「抱」を帶び「珥」を帶ぶるは、喜慶の氣なり。日暈が黃色を呈するは、守る方に喜あらん。《太公陰祕》にいう。一重の日暈・一道の「抱」・一道の「背」あるは、彼此の不和不信を主とす。情勢が翻轉過來すれば、原本悖逆不信の一方は反って轉じて歸順と爲る。
夏氏曰:“《日暈圖》云:‘暈有重抱,後有偕戰,順抱者勝,得地。’”高宗曰:“日暈兩抱,天子有喜,天下和平,色赤黃白皆吉,有和親。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈四抱,天子有喜,將相治,端皆向主者,來和親。”甘氏曰:“日暈抱、珥,上將軍易。”京氏曰:“日暈,背氣有暈中,此為不和,分離相去,其色青外中赤,忠臣受命,主有所之兩軍相當;中人軍欲降叛於外也。”董仲舒曰:“日暈兩背,君臣俱危,主失凶。”
夏氏は《日暈圖》を引いていう。日暈に重「抱」氣を帶ぶるは、此の後將に兩軍の會戰あらんとし、「抱」氣の方向に順って進擊するの一方は獲勝し、土地を奪得すべし。殷の高宗に托名する説は、日暈に兩道の「抱」氣を帶ぶるは、天子に喜慶あり、天下は和平なり。氣色の赤・黃・白はみな吉に屬して、和親の事あるを主とす。高宗《日傍氣圖》にいう。日暈に四道の「抱」氣を帶ぶるは、天子に喜慶あり、將相は各々その治を得。諸氣の兩端がみな君位に朝向するは、四方の前來和親するなり。甘德はいう。日暈に「抱」を帶び「珥」を帶ぶるは、上將軍の將に更換せんを主とす。京房はいう。日暈の中に「背」氣あるは、これは不和の象にして、雙方の分離して去るを主とす。氣色の外青內赤なるは、忠臣の命を受けて出使し君上に別に往かんとする所あるなり。もし兩軍對壘せば、則ち城中の軍隊の出でて降り城外に叛歸せんと欲するなり。董仲舒はいう。日暈に兩道の「背」氣を帶ぶるは、君と臣とみな處境危殆にして、君主に位を失うの凶あらん。
《太公陰秘》曰:“日暈有背,大臣有叛者;或曰:左右欲有走。”石氏曰:“日暈而背,兵起,其分失城。”石氏曰:“日暈有背,背為逆,有降叛,有反城。在日東,東有叛;在日西,西有叛;南北亦如之。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈一背,臣弒主。”(按《中興書》曰:“隆安元年十二月壬辰,日暈有背、璚,是後帝不親萬幾會稽世子元顯專、行威,罰義,熙六年五月丙子,日暈有背、璚,是時盧循逼京都,戰於郊也。)
《太公陰祕》にいう。日暈に「背」氣を帶ぶるは、大臣の中に叛變する人あらん。別の一説は君主の左右の近臣の出走せんとするなり。石申はいう。日暈して「背」氣を帶ぶるは、兵事興起し、あの一分野は城池を丟失せん。石申はまたいう。日暈に「背」を帶ぶるに、「背」は逆氣に屬して、人の投降叛變するあるを主とし、城池の倒戈して主を易うるあらん。「背」が太陽の東邊に在れば、東方に叛あり。太陽の西邊に在れば、西方に叛あり。南北方向はこの類に依って推すべし。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈に一道の「背」氣を帶ぶるは、臣下の君主を弑殺するを主とす。原書小注:《中興書》に記載す。晉の安帝隆安元年十二月壬辰日、日暈は「背」氣と「璚」氣を帶び、此の後安帝は萬機を親理せず、會稽世子司馬元顯は大權を獨攬して威罰を擅行せり。義熙六年五月丙子日、また日暈の「背」「璚」を帶ぶるを見、當時盧循は京城に進逼し、雙方は近郊に於て交戰せり。
石氏曰:“有軍日暈,有一背,背為逆,在日西,東軍大勝,西軍大敗。若在日東,西軍大戰,東軍敗。南北亦然。”《孝經內記圖》曰:“日暈,上下有兩背,無兵兵起,有兵兵入。”魏氏曰:“日暈,四背在暈內,名曰不和,有內亂,離於中。”夏氏《日暈圖》曰:“日暈,暈中有兩背,兩璚,又半暈臨日,反臣起,中不成。”《孝經內記圖》曰:“日暈,外四背,璚,所謂離於外者,外臣有離去者。”《孝經內記》曰:“日暈,中有四背,璚,其背端盡出暈者,反役內起。”
石申はいう。軍隊が外に在るときに日暈を出現して、また一道の「背」氣あり——「背」は逆氣に屬す——「背」が太陽の西邊に在れば、則ち東路軍は大勝し西路軍は大敗す。もし太陽の東邊に在れば、則ち西路軍は力戰して東路軍は敗る。南北方向の推法もまた一樣なり。《孝經內記圖》にいう。日暈の上下に各々一道の「背」氣あるは、本來兵事なきは兵を起こし、すでに兵事あるは敵兵は境內に攻入せん。魏氏はいう。日暈に四道の「背」氣を帶びてみな暈の內に在るを、名づけて「不和」といい、內部の動亂・人心の內部より離散するを主とす。夏氏《日暈圖》にいう。日暈の中に兩道の「背」氣・兩道の「璚」氣ありて、また半個の暈ありて日體に逼臨するは、叛臣の事を起こすを主とするも、然るに事は中途に在って成功し能わず。《孝經內記圖》にいう。日暈の外に四道の「背」氣と「璚」氣あるは、これは便ち所謂「離于外」にして、外任の臣の背離して出走するあるを主とす。《孝經內記》にいう。日暈の中に四道の「背」氣と「璚」氣ありて、而して「背」の兩端は全て暈の外に伸出するは、叛亂の內部より發動するを主とす。
京氏曰:“日暈而背四,如大車者,四提沒其國,眾在外,有反臣。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈一背,麗陣貫之,大臣欲犯其主。”《孝經內記圖》曰:“日暈有= ,裂地立王。”石氏曰:“日暈,中有璚氣,璚為不順,與背同;人臣不忠而外其心,君臣乖離,其國兵起,若有逃臣。”京氏曰:“日暈,直氣貫暈中,白其色,將失;順其氣攻,破軍。”高宗曰:“日暈清明,一傍直,有立侯王。其色青外,赤內,潤澤者,上所立也。”
京房はいう。日暈に四道の「背」氣を帶びて形は大車のごときは、「四提」の象はあの國家をして淪亡せしめん。もし兵衆の外に在れば、則ち軍中に反叛の臣あらん。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈に一道の「背」氣を帶びて、また氣ありて軍陣のごとく排列して其間を貫穿するは、大臣の君上を冒犯せんと欲するを主とす。《孝經內記圖》にいう。日暈にある種の氣を帶ぶる(ここ底本は一個の殘缺符號と作り、氣名はすでに脫落す)は、土地を分裂して別に君王を立てるを主とす。石申はいう。日暈の中に「璚」氣あるに、「璚」は不順の氣に屬して「背」氣と同類なり。臣下の不忠にして心は外に向かい、君臣は乖違背離し、あの一分野の國家は兵事を興起し、あるいは臣子の出逃あらん。京房はいう。日暈の中に「直」氣ありて貫穿し、氣色の白を發するは、將帥の失利を主とす。この道の氣の方向に順って進攻せば、敵軍を擊破すべし。殷の高宗に托名する説は、日暈が淸朗明淨にして一側に「直」氣あるは、將に侯王の冊立せらるるあらん。氣色の外青內赤にして潤澤なるは、君上の冊立する所の人なり。
石氏曰:“日暈有直,氣在兩傍,其國有自立者,若立諸候,一曰:王者封賞左右。”《魏氏圖》曰:“日暈有二直,欲自立者,明者立;若黑,不明者死。”《魏氏圖》曰:“日暈,有一直一背,欲自立;二直、二背,欲自立;有三直、三背,欲自立;有四直、四背,皆欲自立也。赤中青外,不成。”夏氏曰:“日暈,有直、珥,為破軍,貫日中,為殺將。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈,兩直一背,有反臣。”石氏曰:“日暈四提,必有大將出亡者。”
石申はいう。日暈に「直」氣を帶びて、氣は日の兩側に分列するは、あの一分野の國家に自立する人あり、あるいは諸侯を冊立す。別の一説は君王の將に左右の近臣を封賞せんとするなり。《魏氏圖》にいう。日暈に兩道の「直」氣を帶ぶるは、自立せんと欲する人あるなり。氣の明亮なるは、その人は立つことを得。氣の黑を發して明亮ならざるは、その人は身を死す。《魏氏圖》はまたいう。日暈に一道の「直」・一道の「背」を帶ぶるは、自立せんと欲する人あり。兩「直」兩「背」も、また自立せんと欲するなり。三「直」三「背」も、なほ自立せんと欲するなり。四「直」四「背」は、則ち四方はみな自立せんと欲す。もし氣が內赤外青なれば、則ち自立の事は辦成せず。夏氏はいう。日暈に「直」氣と「珥」氣を帶ぶるは、敵軍を擊破するを主とす。「直」氣が日體を貫穿するは、敵將を斬殺するを主とす。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈に兩道の「直」・一道の「背」を帶ぶるは、反叛の臣あるを主とす。石申はいう。日暈に四道の「提」氣を帶ぶるは、必定に大將の外に出逃するあらん。
京氏曰:“日暈而且冠三重,日下有虹,行正,長數丈,不出其年,有反者;貴人絕,後有兵飢。(按司馬彪《續漢書》曰:光武建武七年四月丙寅日,而日有暈,虹貫暈,在皆八度,畢邊兵,秋隗囂反,侵安定。)《荊州占》曰:“日暈而珥,赤虹貫直其國分者,受其害。”石氏曰:“日暈有抱、背、珥、直,而有虹貫之者,順虹擊之,大勝,得地。”玄冥曰:“日月暈、背,彗孛虹蜺在箕,兵起後宮。玄冥曰:“日月暈,虹蜺彗孛在尾,兵起於宮,將交走,期百八十日。”
京房はいう。日暈の上にまた三重の「冠」氣ありて、日下に虹あり、虹身は端正にして長さ數丈に達するは、この年を出でずして便ち反叛する人あらん。貴人は嗣を絶ち、その後に兵禍と饑荒あらん。原書小注:司馬彪《續漢書》に記載す。漢の光武帝建武七年四月丙寅日、太陽は暈を生じ、虹は暈體を貫穿し、兩者はみな畢宿の八度の上に在り。畢宿は邊地の兵事を主とし、當年の秋に隗囂は反叛して安定郡を侵擾せり。《荊州占》にいう。日暈して「珥」を帶びて、また赤虹ありて筆直に貫穿するは、虹の對應する所の分野の國家は將に禍害に遭受せん。石申はいう。日暈に「抱」「背」「珥」「直」の諸氣を帶びて、また虹ありて其間を貫穿するは、虹の指す方向に順って攻擊せば、大勝を獲得して土地を奪取し得。玄冥はいう。日月が暈を生じて「背」氣を帶びて、而して彗星・孛星と虹・蜺が箕宿に出現す——箕宿は燕地の分野なり——兵禍の后宮より起るを主とす。玄冥はまたいう。日月が暈を生じ、虹・蜺・彗・孛が尾宿に出現す——尾宿もまた燕分に屬す——兵禍の宮廷より起るを主とし、將帥は交鋒したる後に奔逃し、應期は一百八十天なり。
石氏曰:“日月無精光,青赤暈,蜺、背、璚在心度中,是謂大湯,兵喪並起,王者以赦降外。”京氏曰:“凡日出虹暈,主分地;日入虹暈,諸侯分地;黑者,以兵分地;白者,以喪分地也。”《荊州占》曰:“日暈而白虹奸,而屬域之東,東斥地;域之南,南斥地;域之西,西斥地;域之北,北斥地;西方皆紆,自四方斥地;是謂人主驕溢,期不出五年。”夏氏曰:“日暈,二白虹貫暈,有客戰勝。”《孝經內記》曰:“日暈,有虹貫暈中,順虹擊者勝,殺將。”
石申はいう。日月が精光を失い、ただ青赤色の暈を見、而して蜺・「背」・「璚」の諸氣が心宿の度數の內に出現す——心宿は天王明堂の位・宋地の分なり——これを「大湯」と呼び、兵禍と喪事の一同に發生するを主とし、君王は赦令を頒布するに靠りて境外の敵を招降せんと要す。京房はいう。およそ日出のときに虹暈を出現するは、君王本人の土地を割讓するを主とす。日落のときに虹暈を出現するは、則ち諸侯の土地を割讓するなり。虹暈の色黑きは、兵戰に因って地を分かち、色白きは、喪事に因って地を分かつ。《荊州占》にいう。日暈して白虹の干犯ありて、白虹がある一區域の東邊に連屬すれば、便ち東に向かって地を割り、南邊に在れば、便ち南に向かって地を割り、西邊に在れば、便ち西に向かって地を割り、北邊に在れば、便ち北に向かって地を割る。もし各方とも盤曲纏繞すれば、便ち四面より同時に地を割くなり。これは君主の驕橫盈滿の招來する所にして、應期は五年を出でず。夏氏はいう。日暈して兩道の白虹ありて暈體を貫穿するは、客方(進攻の一方)の作戰獲勝す。《孝經內記》にいう。日暈して虹ありて暈中を貫穿するは、虹の指す方向に順って攻擊するの一方は獲勝し、併せて敵將を斬殺し得。
甘氏曰:“日暈而珥,有雲穿之者,天下名士死。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈兩珥,而下有黃雲,人主有喜,期百二十日,遠年中。”甘氏曰:“日暈而兩珥在外,有聚雲在中與外,不出三日,城圍,出戰。”《春秋感精符》曰:“日一暈兩珥,有立雲貫日,出國多妖孽。”《洛書摘亡闢》曰:“日暈而兩珥,立雲貫之,國有大疾。”《春秋緯》曰:“日暈有兩珥,黃雲貫之,不出三月,貴人有死者。”
甘德はいう。日暈して「珥」を帶びて、また雲ありて其間を穿過するは、天下の有名の士人の將に死せんとするなり。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈に兩道の「珥」を帶びて、下方にまた黃雲あるは、君主に喜慶あり、近ければ應期一百二十天、遠ければ年內に應ず。甘德はいう。日暈して兩道の「珥」がみな暈の外に在りて、また雲團ありて暈の內と暈の外に聚集するは、三天を出でずして城池は圍まれ、城を出でて戰に迎うを須す。《春秋感精符》にいう。一重の日暈に兩道の「珥」を帶びて、また直立の雲ありて日體を貫穿するは、國中に妖異災孽を生ずること多きを主とす。《洛書摘亡辟》にいう。日暈して兩道の「珥」を帶びて、直立の雲が其間を貫穿するは、國中に大疫あらん。《春秋緯》にいう。日暈に兩道の「珥」を帶びて、黃雲が其間を貫穿するは、三個月を出でずして、貴人の中に死亡あらん。
《黃帝兵法》曰:“日月暈,仰視之,須臾忽有雲氣從傍入者,急隨雲以攻之,大勝。”《太公陰秘》曰:“日暈,有五色雲,如杵貫日,從外入,外人歸勝,從內出,內人勝。欲知姓字,白者商,赤者徵,青者角,黑者羽,黃者宮。”《太公陰秘》曰:“日暈,有眾雲在左右,色黃白,吉;青白,兵行;黑白,內亂;青赤,和解;青黑,流血;俱明者,未解兵不歸,明者勝。”甘氏曰:“日暈,有聚雲不去者,兵起。”甘氏曰:“日暈,有聚雲外入,不出三日,國城圍。”
《黃帝兵法》にいう。日月が暈を生ずるとき頭を擡げて觀望し、片刻の間に忽然として雲氣ありて旁より侵入するは、應に立即に雲の來る方向に順って攻擊を發起すべく、大勝を獲得すべし。《太公陰祕》にいう。日暈して五色の雲ありて木杵のごとく太陽を貫穿し、雲が外より內に向かって侵入するは、外來の一方は勝利を得、內より外に向かって衝出するは、內裏の一方は勝利を得。どの人の姓氏に應ずるかを推知せんと欲せば、便ち五音を五色に配して定むべし。白色は商音に屬し、赤色は徵音に屬し、青色は角音に屬し、黑色は羽音に屬し、黃色は宮音に屬す。《太公陰祕》はまたいう。日暈して左右に成片の雲ありて、色黃白のは吉にして、青白は兵を興し出行するを主とし、黑白は內亂を主とし、青赤は講和を主とし、青黑は流血を主とす。兩方の氣がみな明亮なるは、兵事は解けず軍隊は回還し能わざるにして、其中の更に明亮の一方は獲勝す。甘德はいう。日暈して聚雲ありて停住して散ぜざるは、兵事興起を主とす。甘德はまたいう。日暈して聚雲ありて外面より侵入するは、三天を出でずして、國都の城池は圍まれん。
夏氏曰:“日暈,有雲氣從暈外入者,兵得入;雲氣從中出者,兵從中出。”《孝經內記》曰:“日暈,有青雲三,從外貫暈;戰;客勝。”夏氏曰:“貫日以日宿占之。”夏氏曰:“日暈,有青氣從中四出,有圍城,城中勝。有直交三,有欲自立,不成。”夏氏《日暈圖》曰:“日暈,有青雲從外四貫暈,有圍城,外勝中。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈,下有青雲如死虹,屬暈;大將死亡。”
夏氏はいう。日暈して雲氣ありて暈の外より侵入するは、敵兵の城を攻め入り得るを主とす。雲氣が暈の內より外に向かって衝出するは、守軍の城中より殺出せんを主とす。《孝經內記》にいう。日暈して三道の青雲ありて外面より暈體を貫穿するは、兩軍交戰して、客方(進攻の一方)は獲勝す。夏氏はいう。およそ雲氣の日を貫くは、どの地に應ずるかは、みな當日の太陽の居る所の星宿分野に按じて推斷す。夏氏はまたいう。日暈して青氣ありて暈の中より四面に向かって射出するに、もし城を圍む中に在れば、則ち城中の守方は獲勝す。もし別に三道の「直」氣ありて交錯するは、自立せんと欲するも成事し能わざる人あるなり。夏氏《日暈圖》にいう。日暈して青雲ありて外面より四面に暈體に貫入するに、もし城を圍む中に在れば、則ち城外の攻方は城中の守方に勝たん。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈の下方に青雲ありて形は枯死の虹のごとく暈體に連接するは、大將の死亡を主とす。
《五音候》曰:“日暈合,氣如人,在暈中偕日者,臣叛,不脫;日暈不合,叛者得脫。”《孝經內記圖》曰:“日有白氣,從外向內刺,外人勝;圍城城拔。”《孝經內記圖》曰:“日暈,有白氣從內向外刺,中人勝;圍城,城不拔。”石氏曰:“日暈,有白雲如車蓋臨上,城降昨地。”高宗曰:“日暈,有赤氣如戟臨之,其國兵起。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈,傍有赤氣,如節職旗狀在外,名曰螢尤之旗,兵從內起。”
《五音候》にいう。日暈が合攏して環と成りて、また氣ありて形狀は人のごとく暈の中に於て太陽と相伴うは、臣下の叛亂して逃脫し得ざるを主とす。もし日暈が缺口して合せざれば、叛亂の人は便ち身を脫し得ん。《孝經內記圖》にいう。太陽に白氣ありて外より內に向かって芒刺のごとく直刺するは、城外の攻方は獲勝し、圍城は攻拔すべし。同書はまたいう。日暈して白氣ありて內より外に向かって直刺するは、城內の守方は獲勝し、圍城は攻下し得ず。石申はいう。日暈して白雲ありて車蓋のごとくその上に壓臨するは、城池の投降・土地の失陷を主とす。殷の高宗に托名する説は、日暈して赤氣ありて形は戈戟のごとくその上に壓臨するは、あの一分野の國家は兵事を興起せん。高宗《日傍氣圖》にいう。日暈して旁邊に赤氣ありて、形狀は旌節旗幟のごとく暈の外に立つを、名づけて「蚩尤之旗」といい、兵禍の內部より發動するを主とす。
《孝經內記圖》曰:“日暈,赤氣貫中屬白,臣賊主;赤甚者,為用兵;不甚者,為用藥;陰者不發,人莫知之。”高宗《日傍氣圖》曰:“日暈,有黃氣承之,得地,不出年中。”夏氏《日暈圖》曰:“日暈,有虹貫暈,不中日,戰從貫所擊之,勝;得小將。”夏氏《日暈圖》曰:“日暈,有白虹貫,從虹所擊,戰勝,破軍殺將。”《魏氏圖》曰:“日暈,有白虹七貫暈;以圍城,主人勝,城不拔。”《孝經內記》曰:“日暈,有氣如牛,入居暈;不出三日,寇入城。”
《孝經內記圖》にいう。日暈して赤氣ありて其中を貫穿して末端は白氣に連なるは、臣下の君主を謀害するを主とす。赤色の濃重なるは、兵刃を用いて事を行い、赤色の濃ならざるは、毒藥を用いて事を行い、氣色の晦暗にして陰に屬するは、陰謀は潛伏して發せず、察覺する人なし。殷の高宗に托名する《日傍氣圖》にいう。日暈して黃氣ありて下に於て承托するは、地を得るを主とし、應期はこの年を出でず。夏氏《日暈圖》にいう。日暈して虹ありて暈體を貫穿するも卻って日輪を穿過せざるは、作戰のとき虹の貫穿の方向に順って攻擊せば、獲勝して敵方の偏裨小將を俘得し得。同書はまたいう。日暈して白虹ありて貫穿するは、虹の指す所の方向に順って攻擊せば、作戰は勝利を得、敵軍を擊破して敵將を斬殺せん。《魏氏圖》にいう。日暈して七道の白虹ありて暈體を貫穿するは、これを以て圍城を占えば、守方は獲勝して城池は攻下し能わず。《孝經內記》にいう。日暈して氣ありて形狀は牛のごとく、暈中に進入して停留するは、三天を出でずして、寇兵は城內に攻入せん。
京氏曰:“日暈不合,有雲如牛,在暈外來,入暈中;臣不服。”京氏曰:“日暈,有氣如毛羽,臨日不去,國有大兵憂。”高宗曰:“日暈,有四銳氣,如峰四出;國君亡。”高宗曰:“日暈,有錦文氣,潤色從外入者,有文書喜至;從中出者,王使出,喜事也;枯乾不明者,舉事憂。”王朔曰:“日暈,有錦文之氣在暈中,君欲遣使,文書大行;在錦文之氣在暈外,外文書來。”
京房はいう。日暈が缺口して合せず、また雲ありて形は牛のごとく暈の外より過來して暈の中に進入するは、臣下の君命に服せざるを主とす。京房はまたいう。日暈して氣ありて形は羽毛のごとく、太陽に壓臨して久久として去らざるは、國家に大兵禍の憂あらん。殷の高宗に托名する説は、日暈して四道の尖銳の氣ありて、山峰のごとく四面に向かって伸出するは、國君は將に亡びん。高宗はまたいう。日暈して織錦花紋のごとき氣ありて、色澤は潤澤にして自ら外より內に進入するは、文書喜訊の到來あるを主とす。自ら內より外に向かって發出するは、君王の使者を派して出行するにして、また喜事に屬す。氣色の枯干して明らかならざるは、則ち辦する所の事に憂患あらん。王朔はいう。日暈して錦紋の氣ありて暈の內に在るは、君主の使者を遣派せんと欲して文書は大量に頒行す。錦紋の氣が暈の外に在るは、則ち外面の文書の將に送來せんとするなり。
《五音候》曰:“日暈,氣如入,在暈中向日,中人受令;在暈外向日,外人受令;一曰使臣還,得其正色,有喜;不得,王氣有憂。”《五音候》曰:“日暈,氣如臥人,在暈上,其下破敗。”《五音候》曰:“臥人之氣在暈中,君有憂,臣暴死。”又曰:“日暈,臥人氣在暈外,臣有憂,憂主死。”
《五音候》にいう。日暈して氣ありて形狀は人のごとく(「入」は應に「人」と作るべし)、暈の內に於て太陽に朝向するは、城中の人の號令を接受するなり。暈の外に於て太陽に朝向するは、城外の人の號令を接受するなり。別の一説は出使の臣子の將に回還せんとするにして、氣が五行の正色を得るは喜あるを主とし、正色を得ざれば則ち王氣に憂あらん。《五音候》はまたいう。日暈して氣ありて形は躺臥の人のごとく、位は暈の上に在るは、その下の對應する所の地方は破敗せん。同書はまたいう。臥人形の氣が暈の中に在るは、君主に憂患ありて臣下は暴亡せん。またいう。日暈して臥人形の氣が暈の外に在るは、臣下に憂患ありて、憂う所は君主の死なり。
日重暈
魏氏曰:“日重暈,中赤外青,有臣謀,邪不成。”夏氏曰:“日重暈,攻城圍邑不拔;重暈,天下有立侯王,不乃拔城。”京氏曰:“日重暈,有德之君得天下。”石氏曰:“日暈,再重,其分戰有功。”《河圖帝覽嬉》曰:“日暈二重,其外青、中濁,不散。”《孝經內記》曰:“日有青暈二重者,其災在春內,女親用事,甲乙暈者所見之國,雕殺草木五穀,不出六十日中,有兵起。所見之處者用事弱亂,故日暈青,三年乃止。”
魏氏はいう。太陽に兩重の暈ありて、內赤外青なるは、臣下の不軌を圖謀するあるを主とするも、然るに邪謀は得逞し能わず。夏氏はいう。太陽に重暈あるは、城を攻め邑を圍むもみな攻下し能わず。重暈あれば、天下は將に侯王の冊立せらるるあらん。然らざれば便ち城池の攻取せらるるあらん。京房はいう。太陽に重暈あるは、德ある君の天下を取得するの象なり。石申はいう。日暈の兩重なるは、その分野の屬する所の地は作戰して功あらん。《河圖帝覽嬉》にいう。日暈が兩重にして、外層は青く中層は混濁なるは、暈氣の久久として散ぜざるを主とす。《孝經內記》にいう。太陽に兩重の青暈あるは、災禍は春季の內に應じ、女性外戚の權を當て事を用いるを主とす。甲日・乙日に暈を生ずるは、應ずる所の分野の國家は草木五穀は凋零枯死し、六十天を出でずして兵事興起せん。此の象の應ずる所の處の執政者は軟弱昏亂なり。ゆえに日暈は青色を呈して、三年を過ぎてこそ止まらん。
石氏曰:“日有青暈,再重,主後親戚在內為亂,王者有憂。”(案洪範《五行傳》曰:周幽之敗也,日暈再重,中暈赤,外暈青,一黑盡上下通在日中,是歲有幽王之敗。)《孝經內記》曰:“日有黑暈二重,其災在冬月。”
石申はいう。太陽に兩重の青暈あるは、皇后の親族の宮禁の內に於て亂を作すを主とし、君王に憂患あらん。原書小注:洪範《五行傳》にいう、周の幽王の敗亡のあの年、日暈は兩重にして、內暈は赤色、外暈は青色にして、別に一道の黑氣ありて上下に貫通して正に日心に當たり、この年に便ち幽王敗亡の事を發生せり。《孝經內記》にいう。太陽に兩重の黑暈あるは、災禍は冬季の月分に應ず。
開元占經 卷九
日占 五
候日蝕
京房《日蝕占》曰:“日之將蝕也,五龍先見於日傍:青龍見於日左,以春蝕;赤龍見於日上,以夏蝕;黃龍見於日中央,以六月蝕;白龍見於日右,以秋蝕;黑龍見於日下,以冬蝕。欲候此龍見日蝕,法當以五寅日候之:春以甲寅,夏以丙寅,六月下旬以戊寅,秋以庚寅,冬以壬寅:此所謂五寅也。置盆水庭中,平旦至暮視之,則龍見。欲如何月?孟月以孟,仲月以仲,季月以季。欲如何日蝕?
京房《日蝕占》にいう。太陽の將に蝕を發生せんとするのとき、先に五條の龍形の氣ありて日旁に顯現せん。青龍は太陽の左邊に出現すれば、日蝕は將に春季に發生せん。赤龍は太陽の上方に出現すれば、日蝕は夏季に在り。黃龍は日の正中に出現すれば、日蝕は六月に在り。白龍は太陽の右邊に出現すれば、日蝕は秋季に在り。黑龍は太陽の下方に出現すれば、日蝕は冬季に在り。この五龍を觀候して以て日蝕を預知せんと欲すれば、方法は五個の「寅」日に於て觀測するに在り。春は甲寅日を用い、夏は丙寅日を用い、六月下旬は戊寅日を用い、秋は庚寅日を用い、冬は壬寅日を用い、これがすなわち所謂「五寅」なり。庭院の中に一盆の水を放ち、淸晨より傍晚に到るまで看れば、龍形は便ち水面の上に顯現せん。日蝕の一季のどの月に落つるかを推さんとすれば、龍が孟月に出現すれば便ち孟月に應じ、仲月に出現すれば仲月に應じ、季月に出現すれば季月に應ず。日蝕のどの一天・どの時辰に落つるかを推さんとすれば。
龍以上旬見,日以朔蝕:龍以下旬見,日以晦蝕:龍以日出,見以日出蝕:龍以日中見,以日中蝕:龍以晡時見,日經晡時蝕:龍以日入見,日以日入蝕。”《春秋合誠圖》曰:“日之將蝕,陽微陰漸,其城君蔽,臣恣,下壅塞,九引先出,日乃毀息。(陽,日也,君也,陰,月也,淅猶入也。君微弱,故陰氣入日,是主問蔽,臣下壅塞、君恩化使不施行也,九引先出,卒蝕日也。日將蝕破滅,必先氣引出見祥也。)
龍が上旬に出現すれば、日蝕は便ち初一の朔日に發生す。龍が下旬に出現すれば、日蝕は便ち月末の晦日に發生す。龍が日出のときに出現すれば、日蝕は便ち日出の時刻に在り。龍が正午に出現すれば、日蝕は便ち正午に在り。龍が晡時(申時)に出現すれば、日蝕は便ち晡時の前後に在り。龍が日落のときに出現すれば、日蝕は便ち日落の時刻に在り。《春秋合誠圖》にいう。太陽の將に蝕せられんとするは、陽氣の衰微して陰氣の浸侵し、君德は蒙蔽せられ臣下は放縱し下情は壅塞して通ぜざるなり。先に九道の引氣ありて冒出し、然る後に太陽の光明は便ち吞蝕せられて止息せん。原書小注:陽は太陽を指し、また君主を指す。陰は月亮を指す。「淅」は「入」に猶ごとく、すなわち侵入の義なり。君主は微弱なり。ゆえに陰氣は太陽に侵入す。これはすなわち君主の蒙蔽せられ、臣下の下情を壅塞し、君主の恩澤教化の施行し能わざるを説くなり。九道の引氣は先に出でて、隨即日蝕は便ち發生す。太陽の將に蝕せられて明を失わんとするは、必定に先に氣ありて引伸出して、この一の徵兆を顯現出す。
常經以效類,垂萌法至尊、陽精魄。”(常經、垂萌,上十二月所祭者也。故冬至,夏至,入陽氣,陰注布貞以精明魄,權成其尊也。)《春秋感精符》曰:“日將蝕,必先青黃不卒,至漸消也。日光沉掩、皆月所掩毀傷:雌為政,伐其雄。”京氏曰:“日失魄者,將蝕:月失魄者,水:所謂失者,日光精移處若有兩日也。”《尚書璇璣鈐》曰:“北斗第一星,率色數赤不明,七日內日蝕。”《春秋感精符》曰:“日紫色出,二十日以上則蝕既,禍必合。”
「常經」は同類の相感を以て驗證し、「垂萌」は至尊の位に取法して、みな太陽の陽精と光魄に關乎す。原書小注:「常經」と「垂萌」とは、每年十二月に祭祀する所の對象なり。ゆえに冬至・夏至のとき、陽氣は入りて陰氣は之に隨って敷布貞定して、用いて日の精明光魄を保全し、權衡してその尊位を成就す。《春秋感精符》にいう。太陽の將に蝕せられんとするは、必定に先に青黃の色を呈して久久として退かず、隨後に光芒は漸漸に消損す。日光の沈暗にして遮らるるは、みな月亮の遮掩損傷する所致なり。これは雌(陰・后妃臣下)の政を當てて、反ってその雄(陽・君主)を征伐するなり。京房はいう。太陽が光魄を失うは、將に日蝕あらん。月亮が光魄を失うは、水災を主とす。所謂「失」とは、日光の精氣の位置を移すにして、見上げれば兩個の太陽あるがごとし。《尚書璇璣鈐》にいう。北斗の第一星(天樞)の氣色は大抵赤を發して明亮せず、七天の内に日蝕あらん。《春秋感精符》にいう。太陽が紫色を呈して出でて、二十天以上持續せば、便ち日全蝕を發生し、禍患は必定に接踵而至せん。
石氏曰:“日月以二月、八月,出房南:過其度、其沖戶日月以晦蝕;出房北過其度、其沖,日月以朔蝕。”郗萌曰:“辰星受制,不見輿鬼,乃日蝕。”郗萌曰:“歲星、辰星,逆乘張左右角,皆為日蝕,國有大變。”《荊州占》曰:“諸日變皆旬望以上:旬十日、望十五日,其沖月,皆應當蝕。乃災成正月日色變,來七月日蝕是也。”韓楊曰:“熒惑南去列星間,從四舍以上,期百二十日日蝕,”
石申はいう。日月が二月・八月に房宿の南を經行して、もし應有の度數を超出せば、あればそれと相對する衝位の上に於て、日月は便ち晦日に蝕を發生せん。もし房宿の北を經行して度數を超出せば、則ちその衝位の上に於て、日月は朔日に蝕を發生せん。郗萌はいう。辰星(水星)が克制を受けて、また輿鬼宿に見えざれば、便ち日蝕あらん。郗萌はまたいう。歲星(木星)と辰星が逆行して張宿の左右角に凌乘するは、みな日蝕を主とし、國中に大變故あらん。《荊州占》にいう。各種の日變の應期はみな十天・十五天以上に在り。一旬は十天にして、一望は十五天なり。それと相衝するあの月分に到れば、みな應に日蝕を發生すべし。譬えば災象が正月に日色變異を以て表現せば、七月に到れば便ち日蝕を發生す。便ちこの道理なり。韓楊はいう。熒惑(火星)が南に向かって列宿のあいだを離れて、四個の星舍以上を行過せば、應期一百二十天の内に日蝕あらん。
候日夜蝕二
《易萌氣樞》曰:“日夜蝕者,火中無影,言日當夜蝕;建八尺竹,視其下無影,蝕不可見,故以表候之耳。日所以夜蝕者,人君諱其過;臣下強,君不能制;見臣之惡,反以為善;見臣邪僻,反以為正直;故日夜蝕中陰過盛,陽道微,日夜蝕者,謀臣誅。”
《易萌氣樞》にいう。所謂「日夜蝕」とは、燈燭火光の下に於て影子を照出し能わざるを指し、太陽のまさに夜裏に蝕せらるるを説明す。一根の八尺高の竹表を立て、その底下に影子なきを看る——夜間の日蝕は肉眼は從って見るに由なし。ゆえに圭表に靠りて測候せんと要す。太陽の夜間に蝕せらるるあるの所以は、君主の自己の過失を諱飾するに因る。臣下の勢力は強盛にして、君主は控制し住ること能わず。臣下の惡行を見て、反って善行と當て、臣下の邪僻不正を見て、反って正直と當つ。ゆえに「日夜蝕」は陰氣の過盛・陽道の衰微の象なり。日夜蝕を出現するは、不軌を圖謀する大臣の將に誅殺せられんを主とす。
日薄蝕三
《河圖帝覽嬉》曰:“日月赤黃無光.命曰薄;破毀傷,命曰蝕。”孟康子曰:“日月無光曰薄。”京房《易傳》曰:“日月不交而蝕,曰薄。”韋昭曰:“月氣往迫之,為薄。”京房《易傳》曰:“蝕皆於晦朔;有不於晦朔者,名曰薄。此人君誅不以理,賊臣漸舉兵而起,雖非日月同宿,時陰氣盛,猶掩薄日光也。”《釋名》曰:“日月虧;日蝕稍侵,虧如蟲食木也。”(按謝承《後漢書》曰:“江夏黃琬七歲,祖瓊為魏郡太守,梁太后詔問其日蝕之狀未能對。
《河圖帝覽嬉》にいう。日月が赤黃色を呈して光芒なきを、「薄」と呼ぶ。日輪月輪に破損虧傷あるを、「蝕」と呼ぶ。孟康はいう。日月が光芒を失えば便ち「薄」と呼ぶ。京房《易傳》にいう。日月が併せて相交せずして虧損を發生するを、「薄」と呼ぶ。韋昭はいう。月の陰氣が前に往きて日光を逼迫するを、便ち「薄」なり。京房《易傳》はまたいう。日蝕はみな晦日と朔日に發生す。晦朔に在らずして虧損を生ずるを、便ち「薄」と呼ぶ。これは君主の誅戮が情理に合わず、奸臣は漸漸に起兵して亂を作すに因る。このときたとい日月は併せて一宿に同處せずとも、然るに陰氣はまさに盛んにして、また以て日光を遮掩逼迫するに足る。劉熙《釋名》にいう。日月に虧あるに、日蝕は逐漸に侵奪せられて、虧缺することあたかも蟲子の樹木を蛀食するがごとし。原書小注:謝承《後漢書》に記載す。江夏の人黃琬の七歲のあの年、祖父黃瓊は魏郡太守を任じ、梁太后は詔を下して日蝕の形狀を詢問せしむるに、黃瓊は回答する能わざりき。
琬跪而曰:何不言日蝕之餘,如月之初。”)《穀梁傳》曰:“日有蝕之,吐者外壤,蝕者內壤,闕然不見,其壤有食之者也。”《毛詩》曰:“彼月而食,則惟其常此日而食,於何不臧。”《春秋考異郵》曰:“麟龍鬥,則日月蝕。”(按:《淮南鴻烈》曰:“麒麟斗日月蝕也。”)《五經通義》曰:“日蝕者,月往蔽之;君臣反不以道,故蝕。”《春秋漢含孽》曰:“臣子謀,日乃蝕。”(案檀道鸞《晉陽秋》曰:“孝武太元元年,十月辛亥,日有蝕之。
黃琬は一旁に跪いていう。何ぞ回答して日蝕の殘剩する形狀は、あたかも初生の新月の一般なりと爲さざる。《穀梁傳》にいう。太陽が蝕せられたるに、吐露して外に在るは外壤にして、吞食掉せらるるは內壤なり。日輪は一塊を缺きて蹤影を見ず、あの缺處の壤土は何ものかに吃掉せられたるを説明す。《毛詩》にいう。あの月亮の食せらるるは、なほ常事と算すべし。この太陽もまた食せらるるは、何等かの不祥なるか。《春秋考異郵》にいう。麒麟と龍が相鬥すれば、便ち日蝕月蝕を發生せん。原書小注:《淮南鴻烈》にいう、麒麟が相鬥せば、日月は便ち蝕せらる。《五經通義》にいう。日蝕は月亮の過來して太陽を遮蔽せしなり。君臣の關係は顛倒して道に合わず。ゆえに蝕を生ず。《春秋漢含孽》にいう。臣子が圖謀を心懷けば、太陽は便ち蝕せられん。原書小注:檀道鸞《晉陽秋》に記載す。晉の孝武帝太元元年十月辛亥日、日蝕を發生せり。
時有張五虎、路六根等謀反,諸葛偘誘斬之,滅其凶黨。)《春秋運斗樞》曰:“人主自恣不循古,逆天暴物,禍起則日蝕。”《禮斗威儀》曰:“君喜怒無常,輕殺不辜,戮無罪,慢天地,忽鬼神,則日蝕。”《淮南子》曰:“君失其行,日薄蝕無光。”京房《易說》曰:“下侵上,則日蝕。”《河圖帝覽嬉》曰:“日蝕所宿,國主疾,貴人死;用兵者從蝕之面攻城取地。”《河圖》曰:“日三蝕,三雄謀;日四蝕,四夷謀。”《春秋感精符》曰:“再失陽事,則日蝕,謫見。”
當時に張五虎・路六根などの人ありて謀反す。諸葛偘は彼らを誘出して斬殺し、この凶黨を剿滅せり。《春秋運斗樞》にいう。君主が放縱自恣にして古法を遵循せず、天時に違逆し萬物を殘害せば、禍端は一起すれば便ち日蝕を發生す。《禮斗威儀》にいう。君主が喜怒無常にして、輕率に無辜を殺害し罪過なき人を誅戮し、天地を怠慢し鬼神を輕忽せば、便ち日蝕を發生せん。《淮南子》にいう。君主の行事が失當なれば、太陽は便ち迫近して虧蝕して光芒なし。京房《易説》にいう。下に在る者が上に在る者を侵犯せば、便ち日蝕を發生す。《河圖帝覽嬉》にいう。日蝕のとき太陽の居る所の星宿は、その分野の國君は病を患い、貴人は死亡す。兵を用いる人は應に日蝕發生のあの一面より城を攻め地を奪うべし。《河圖》にいう。一年に三次の日蝕は、三個の強雄の各々圖謀を心懷くなり。四次の日蝕は、四方の夷狄の各々圖謀を心懷くなり。《春秋感精符》にいう。人間に再度陽に屬する政事の失當あれば、便ち日蝕を發生す。これは上天の譴責を降下するの顯現なり。
《春秋感精符》曰:“日蝕有三法;一曰妃黨恣,邪臣在側,日黃無澤,則日以晦蝕,其發必於眩惑。二曰偏任權並,大臣擅法,則日青黑,以二日蝕,其發必於酷毒。三曰宗黨犯命,威權害國,則日赤鬱怏無光色,則日以朔蝕,其發必行嫌隙。”班固《天文志》曰:“古人有言曰:天下太平,五星循度,無有逆行者;日不蝕塑,月不蝕望。”洪範《傳》曰:“日蝕必以朔,非朔為薄蝕。陰盛侵陽,其君凶,不出三年;日蝕皆蝕合朔,不理,臣下將起,則日蝕不以朔晦。”
《春秋感精符》にいう。日蝕の成因は三種あり。その一は妃嬪の黨羽の放縱・奸邪の臣の君側に近きにして、このとき太陽は黃を發して光澤なきは、日蝕は便ち晦日に發生し、禍患は必定に君主の迷惑せらるるより發作す。その二は偏りて一人を信じ權柄は一身に集まり、大臣は擅自に法令を玩弄し、このとき太陽は青黑色を呈し、日蝕は便ち初二に發生し、禍患は必定に酷虐毒害の上より發作す。その三は宗室の黨羽の君命に違抗し、威權を憑りて國家を危害し、このとき太陽は赤を發して鬱結沈陰・毫も光色なきは、日蝕は便ち朔日に發生し、禍患は必定に彼此の猜忌嫌隙の上より發作す。班固《漢書・天文志》にいう。古人に言あり、天下太平のとき、五星は常度に循って運行して逆行するなく、朔日に日蝕を發生せず望日に月蝕を發生せず。洪範《傳》にいう。日蝕は必定に朔日に發生して、朔日に在らざるを「薄蝕」と呼ぶ。陰氣は盛んにして陽氣を侵犯するは、あの國君に凶ありて、應期は三年を出でず。日蝕は本來みな日月の合朔のときに發生す。もし政事は理を失い臣下は將に亂を作さんとすれば、日蝕は便ち朔日に在らずまた晦日に在らずして發生せん。
《春秋感精符》曰:“日之蝕,國絕也。”《春秋緯》曰:“君不聰聽,無知德威,今不嚴舒,懦為臣下所侵,則日光青赤,其後久旱,地動搖宮,陰氣盛,下臣太恣橫,陽精挑奪,日行失度,不得,則日月薄於晦,陽為臣所悅,故以晦日蝕之,失後也。”(案洪範《天文日月度占》曰:“春秋魯昭公二十四年夏五月乙未朔,日月有蝕之,周之五日建辰,今之三月也。魯趙分也,魯太師梓曰:將水叔孫昭子曰:旱也,夫日過春分而陽猶不勝陰,能無旱乎;是秋魯大旱。
《春秋感精符》にいう。太陽の蝕せらるるは、國祚の斷絶の象なり。《春秋緯》にいう。君主が明察して聽納し能わず、德を施し威を立てるを懂得せず、政令は旣に嚴明ならずまた寬舒ならずして、懦弱にして臣下に侵奪せらるれば、太陽の光色は便ち轉じて青赤と爲らん。此の後に長久に乾旱して、地震は宮室を搖動せん。陰氣が強盛にして、下面の臣子は過分に放縱橫行し、太陽の陽精は挑動侵奪せられ、日の運行は常度を失いてその正を得ず、日月は便ち晦日に相迫して蝕と爲る。陽は臣下に取説び挾持せられ、ゆえに晦日に蝕を發生す。これは應期の錯後せるなり。原書小注:洪範《天文日月度占》にいう、《春秋》の魯の昭公二十四年夏五月乙未朔に日蝕を發生し、あれは周曆の五月・斗建は辰に在りて、今の三月に相當す。魯國は趙の分野に屬し、魯國の太師梓はこれを將に水災を主とせんといい、叔孫昭子は旱災という——太陽はすでに春分を過ぎても陽氣はなほ陰氣に勝ち得ず、何として乾旱せざるを得ん。あの年の秋に魯國は果然として大旱せり。
凡二至、二分日有蝕之,不為水災,大旱而已也。)《易萌氣樞》曰:“昭明蔽塞,政在臣下,親戚干朝,君不覺悟,即雜氣失以星奔,日蝕為咎。”(案《洪範五行傳》曰:“漢成帝建始三年冬十二月戊申朔日有食之,其夜未央殿地震,日在須女九度,占在皇后貴妾。其後皇后廢趙飛燕,姊妹亂官,皇子死,王氏專權。)《易通卦驗》曰:“日蝕則害命,王道傾側;故日蝕則正人主之過。
およそ冬至・夏至と春分・秋分のこの四個の節氣に日蝕を發生するは、水災を主とせず、ただ大旱を主とするのみ。《易萌氣樞》にいう。光明が遮蔽壅塞せられて、政權は臣下の手裏に落ち、外戚親族は朝政に干與し、而して君主はなほ省悟せず、是の雜亂の氣は序を失い星辰は奔逸して位を失い、日蝕は便ち咎徵と成れり。原書小注:《洪範五行傳》にいう、漢の成帝建始三年冬十二月戊申朔に日蝕を發生し、當夜に未央殿は地震せり。日は須女宿の九度に在り、占辭は皇后と寵妾の身上に應ず。此の後に皇后は廢せられ趙飛燕は寵を得、趙氏姊妹は后宮を淆亂し、皇子は夭亡し、王氏外戚は權を專らにせり。《易通卦驗》にいう。日蝕すれば便ち君主の性命を危害し、王道は之に隨って傾覆偏斜す。ゆえに日蝕は正に用いて君主の過失を匡正する所なり。
《詩推度災》曰:“日蝕君傷。”(按檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武大元二十年三月庚辰日有食之,二十一年九月庚申帝崩。)《詩含神霧》曰:“日之蝕,帝消。”(案袁宏《漢紀》曰:“安帝永初五年正月庚辰朔,日有蝕之,本志為正旦,王者聽朝之日也,鄧太后攝政,天子守虛位,不得行其號令,蓋陽不克之象也。《晉中興書》曰:“成帝咸和六年三月壬戌朔,日有食之,是時顯宗已長,幸司徒第,猶出入見王導夫人曹氏如子弟之禮。以人君而敬人臣之妻有虧君德。
《詩推度災》にいう。日蝕を發生するは、君主は傷を受く。原書小注:檀道鸞《晉陽秋》に記載す。晉の孝武帝太元二十年三月庚辰日に日蝕を發生し、太元二十一年九月庚申に孝武帝は駕崩せり。《詩含神霧》にいう。太陽の蝕せらるるは、帝王の消損なり。原書小注:袁宏《漢紀》にいう、漢の安帝永初五年正月庚辰朔に日蝕を發生せり。本志は正月初一を以て君王の朝に臨み政を聽くの日と爲し、當時鄧太后は朝に臨んで政を攝り、天子は空しく虚位を守りて自己の號令を推行し能わず、これは正に陽の陰に勝ち能わざるの象なり。《晉中興書》にいう、晉の成帝咸和六年三月壬戌朔に日蝕を發生し、當時顯宗(成帝)はすでに長大するも、なほ司徒府第に臨幸し、出入して王導の夫人曹氏に拜見して、なほ子弟の禮を行えり。君主の尊を以て人臣の妻を敬事するは、君主の威德に虧あり。
九年十月乙未朔,日有食之,是時顯宗冠,當親萬幾,而委政大臣,君道有虧也。”)《春秋潛潭巴》曰:“凡日蝕之敗,或地嘔血,或天雨蝗鳥旁,蜚龍群鬥,長人入宮,虎哭雉巢,列宿火,皆禍敗顯然之徵也。”《春秋潛潭巴》曰:“日蝕之後,必有亡國弒君,奔走乖離,相誅專政,擁主滅,兵車天下,昏亂,邦多郵。”(按洪範《天文志日月變占》曰:春秋魯昭公十五年夏,六月丁巳朔,日有食之。晉魯分也,後二年晉昭公九年,六卿專晉,三家擅魯,魯昭公奔之應也。
咸和九年十月乙未朔にまた日蝕を發生し、當時成帝はすでに冠禮を行うて、理を以て萬機を親理すべきに、卻って政事を大臣に委託す。これは君道に虧あるなり。《春秋潛潭巴》にいう。およそ日蝕の招致する所の敗亂は、あるいは大地は血を涌し出し、あるいは天上は蝗蟲飛鳥を落下し、飛龍は成群に相鬥い、異常に高大の人は宮廷に闖入し、老虎は哀號し野雞は樹に上りて巢を作り、列宿のあいだに火光を出現す——これらはみな禍敗のすでに顯露せるの徵兆なり。《春秋潛潭巴》はまたいう。日蝕の後、必定に亡國弑君の事あり、人々は奔逃流散して彼此乖離し、互相に誅戮して國政を專擅し、君主を挾持して傾覆に至り、兵車は天下に馳騁して世道は昏亂し、邦國に過失罪愆多し。原書小注:洪範《天文志日月變占》にいう、《春秋》の魯の昭公十五年夏六月丁巳朔に日蝕を發生し、分野は晉と魯に屬す。兩年の後すなわち晉の昭公九年、六卿は晉國の政權を專擅し、三桓は魯國の大權を獨攬し、魯の昭公は出奔せり。正にこの次の日蝕の應驗なり。
洪範《五行傳》曰:“漢高帝三年冬十一月癸卯晦,日有食之。吳齊分也,後二年齊韓信徙封楚王,三年廢為侯而誅之應也。《晉中興書》曰:“太和三年三月丁巳,日有食之,五年七月癸酉日有食之,皆海西被廢之應也。《宋書天文志》曰:“晉元帝太興元年四月丁丑朔,日有食之。明帝大寧三年十一月癸巳朔,日有蝕之,在斗。斗吳分也,其後蘇峻作逆。安帝元興二年四月癸巳朔,日有食之。其冬桓玄篡位。)《春秋合誠圖》曰:“日蝕之,主見賊。”
小注續引:洪範《五行傳》にいう、漢の高帝三年冬十一月癸卯晦日に日蝕を發生し、分野は吳と齊に屬す。兩年後に齊王韓信は楚王に改封せられ、第三年に淮陰侯に貶せられて誅殺に遭い、正にそれの應驗なり。《晉中興書》にいう、晉の廢帝太和三年三月丁巳日に日蝕を發生し、太和五年七月癸酉日にまた日蝕を發生し、みな海西公(廢帝司馬奕)の廢黜せらるるの應驗なり。《宋書・天文志》にいう、晉の元帝太興元年四月丁丑朔に日蝕を發生せり。明帝太寧三年十一月癸巳朔に日蝕を發生し、位置は斗宿に在り、斗宿は吳地の分野にして、その後に蘇峻は亂を作せり。安帝元興二年四月癸巳朔に日蝕を發生し、この年の冬に桓玄は位を篡せり。《春秋合誠圖》にいう。太陽の蝕せらるるは、君主の亂賊に遭遇するを主とす。
《春秋保乾圖》曰:“日蝕,主行蔽明,壅塞;改身修政,乃黜不法。又曰:日蝕治亂。”《春秋公羊傳》曰:“日蝕,皆臣弒君,子弒父,夷狄侵中國之異。”(按洪範《天文志日月變占》曰:‘春秋魯莊公十八年春三月,日有食之,衛齊分也,後狄人減衛,齊桓公救而封之應也。二十六年冬十二月癸亥朔,日有食之,燕分也。其後山戎侵燕,齊桓救燕北至孤竹,平山戎之應也。三十年九月癸亥朔,日有食之,楚之分也;其後楚世子商臣殺其君父之應也。
《春秋保乾圖》にいう。日蝕を發生するは、君主の行事の明德を遮蔽して上下は壅塞して通ぜざるなり。君主は應に身を反して自省し政事を修明し、法度を守らざる人を罷黜すべし。またいう。日蝕は治と亂の分際に關乎す。《春秋公羊傳》にいう。日蝕はみな臣の君を弑し子の父を弑し夷狄の中國を侵擾するのこの一類の變異の先兆なり。原書小注:洪範《天文志日月變占》にいう、《春秋》の魯の莊公十八年春三月に日蝕を發生し、分野は衛と齊に屬す。後來に狄人は衛を滅し、齊の桓公は兵を出して相救い併せて衛國の爲に土を重封せり。正にそれの應驗なり。莊公二十六年冬十二月癸亥朔に日蝕を發生し、分野は燕に屬す。その後に山戎は燕國を侵犯し、齊の桓公は燕を救い、北伐して直に孤竹に抵り、山戎を平定せり。正にそれの應驗なり。莊公三十年九月癸亥朔に日蝕を發生し、分野は楚に屬す。その後に楚國の太子商臣はその君父楚の成王を殺害せり。正にそれの應驗なり。
魯文公元年春二月癸亥朔,日有食之,齊分也;後十一年間狄三侵齊,十四年昭公卒,其弟公子商人殺其君凡子而自立,四年齊人殺之,大亂之應。十五年六月辛丑朔,日有食之,晉分也;此正陽純乾之月,陰氣未起而能侵陽,其災最重;明年晉趙穿殺其君靈公,而周匡王崩之應也。魯襄公二十一年秋九月庚戌朔,日有食之,楚分也;後十二年楚公子圍殺其君兄而自立之應也。韋昭《漢紀》曰:‘光武十七年二月日有食之,二十年五月朔,虜數犯上黨,銅閛右扶風。
魯の文公元年春二月癸亥朔に日蝕を發生し、分野は齊に屬す。此の後十一年の間に狄人は三次齊國に入侵し、文公十四年に齊の昭公は去世し、その弟公子商人は國君を殺して自立し、四年後に齊人はまた彼を殺掉せり。これは便ち大亂の應驗なり。文公十五年六月辛丑朔に日蝕を發生し、分野は晉に屬す。六月は正陽純乾の月にして、陰氣は本來まだ興起せざるに卻って陽氣を侵犯し能わずんばあらず——ゆえにこの次の災異は最も重し。第二年に晉國の趙穿は國君晉の靈公を殺し、周の匡王は駕崩せり。正にそれの應驗なり。魯の襄公二十一年秋九月庚戌朔に日蝕を發生し、分野は楚に屬す。十二年後に楚の公子圍はその兄郟敖を殺して自立して楚の靈王と爲り、正にそれの應驗なり。韋昭《漢紀》にいう。漢の光武建武十七年二月に日蝕を發生し、建武二十年五月朔にまた日蝕を發生せり。此の後に胡虜は屢次上黨を侵犯し、兵鋒は銅閛と右扶風に波及せり。
二十一年匈奴大入上谷郡之應是也。)《洛書》曰:“日蝕復生者,日光復故也,後日蝕生地擊敵破之。”《荊州占》曰:“日蝕之下,有破國大戰,將軍死,有賊兵。”(按洪範《天文日月變占》曰:‘魯成公十六月丙寅朔,日有食之,晉分也;是月魯侯伐鄭,戰於鄢陵,楚師大敗,恭王傷目,將軍子反死之,昔侯時豫而驕,多殺大臣,明年晉大夫樂書中行偃遂殺厲公,大亂之應也。)
建武二十一年に匈奴は大いに上谷郡に侵入せり。便ちこの次の日蝕の應驗なり。《洛書》にいう。日蝕の後に光明は復生するは、日光の原狀を恢復せるなり。此の後に應に日蝕の應ずる所の地に於て兵を起こし、敵人を出擊して併せて其を擊破すべし。《荊州占》にいう。日蝕の籠罩する所の地方は、國を破るの大戰ありて、將軍は戰死し賊兵の亂を作すあり。原書小注:洪範《天文日月變占》にいう、魯の成公十六年(底本は「十六月」と作り、一字を脫す)六月丙寅朔に日蝕を發生し、分野は晉に屬す。當月に魯侯は兵を出して鄭を伐ち、兩軍は鄢陵に戰い、楚軍は大敗して楚の共王は眼睛を傷つけ、主將子反はこれに因って命を喪う。晉侯(底本は「昔侯」と訛作す)は當時安逸にして驕縱し、大臣を殺戮すること過多にして、第二年に晉の大夫欒書・中行偃は便ち厲公を殺せり。正に大亂の應驗なり。
《洛書》曰:“日蝕不祥,善惡各為其國。”(按《左氏傳》曰:昭公七年,夏四月甲辰朔,日有食之。晉侯問於士,文伯曰:誰將當日食?對曰:魯衛惡之,衛大魯小。公曰何故?對曰去衛地如魯地。杜注曰:衛地豕韋也,魯地降婁也,日食自於豕韋之末及降婁之始乃息,故禍在衛大,在魯小也。《傳》曰:於是有災,魯實受之其大咎,其衛君乎?魯將工卿注曰:八月衛候卒;十一月季孫宿卒。
《洛書》にいう。日蝕は不祥の兆にして、其中の吉凶善惡は各々應ずる所のあの國家に歸す。原書小注:《左氏傳》にいう、魯の昭公七年夏四月甲辰朔に日蝕を發生せり。晉侯は士文伯に詢問す。この次の日蝕は該に誰の身上に應ずべきか。士文伯は回答す。魯國と衛國は殃に遭わんとし、衛國の受害は大にして魯國の受害は小なり。晉侯は何の緣故なるかを問う。回答していう。この次の日蝕は衛の分野より魯の分野に移向するを以てなり。杜預は注していう。衛の分野は豕韋にして、魯の分野は降婁なり。この次の日蝕は豕韋の末より開始して、降婁の初に到ってこそ止息す。ゆえに禍患は衛國に於て重く魯國に於て輕し。《左傳》はまたいう。これに因って禍災あらん。魯國は確かに承受せんとするも、然るにあの大きき咎殃は、大概は衛國の國君の身上に落せんか。魯國は則ち卿佐を喪失せん。杜注はいう。この年の八月に衛侯は去世し、十一月に魯國の季孫宿は去世せり。
又洪範《天文日月變占》曰:‘魯僖公五年秋九月戊申朔,日有食之,楚周之分也;其後楚莊王觀兵於周疆,有問鼎之應。’洪範《五行傳》曰:“漢高帝三年冬十月甲戌晦、日有食之,燕吳越分也,後二年燕王滅茶反,誅;復以盧綰為燕王,亦反,誅。南越王趙佗自立稱帝之應也。)《洛書》:“日月蝕當用兵擊之,君安。日月蝕不可出軍;日蝕之歲,不可出軍;月蝕之月,不可出軍。”甘氏曰:“無道之國,日月過之薄蝕。兵之所攻,國家亡;又以有喪。”
また、洪範《天文日月變占》にいう。魯の僖公五年秋九月戊申朔に日蝕を發生し、分野は楚と周に屬す。その後に楚の莊王は周の邊境に兵を陳れて、王孫滿に九鼎の輕重を探問せり。正にそれの應驗なり。洪範《五行傳》にいう、漢の高帝三年冬十月甲戌晦日に日蝕を發生し、分野は燕・吳・越に屬す。兩年後に燕王臧荼(底本は「灭茶」と訛作す)は反叛して誅せられ、盧綰を改めて燕王と立てしに、盧綰もまた反叛して誅せられり。南越王趙佗は自立して帝を稱す。みなそれの應驗なり。《洛書》にいう。日月が蝕せらるるとき應に勢を趁って兵を出して攻擊すべく、君位は平安を保つべし。またいう、日月蝕のときは兵を出すべからず。日蝕を發生のあの年は兵を出すべからず、月蝕を發生のあの月は兵を出すべからず。甘德はいう。道なき國家は、日月がその分野を經過すれば便ち薄蝕せん。兵禍の攻打の處は、國家は覆亡し、此外にまた喪事あらん。
甘氏曰:“日,陽精之明耀,魄寶其氣,佈德而至,生本在地,曰德。德者,生之類也,德傷則亡,故日蝕必有國災,日蝕則失德之國亡。日蝕,修德。”甘氏曰:“日薄,色赤黃,其月旱。”京房《妖占》曰:“日蝕,無道之君當之。”京氏曰:“外交之蝕,蝕旦不虧,虧而地猶明,是外謀也。”京氏曰:“專政之蝕,日明缺至,陽雖侵,光猶明,是司馬舉兵欲起。”京氏曰:“日蝕,諸侯相侵;白、青、明,君弱。”京氏曰:“日蝕,國有兵,大戰從西方來,勝。”
甘德はいう。太陽は陽精の光明照耀にして、光魄はその精氣を涵藏して、恩德を布施して下に人間に臨む。萬物生長の根本は大地に在り。これを便ち「德」と呼ぶ。「德」は生養の一類の事に屬し、德が一たび傷を受ければ、生機は便ち亡失す。ゆえに日蝕は必定に國家の災禍を帶來し、日蝕は便ち德を失うの國家の將に亡びんを意味す。日蝕に遇上れば、君主は德行を修養すべし。甘德はまたいう。太陽が薄蝕して色は赤黃を呈するは、當月は旱を主とす。京房《妖占》にいう。日蝕を發生するは、道なき君の承當せんとするなり。京房はいう。所謂「外交之蝕」とは、淸晨に虧蝕を發生するも日輪に缺損を看出さず、すでに虧せるも地面は依舊として明亮なるは、これは外面に圖謀の人あるを主とす。京房はまたいう。所謂「專政之蝕」とは、日光が正に明なるに缺損は隨即到來し、陽氣は侵犯せらるるも光はなほ明亮なるは、これは兵を掌る司馬の兵を舉げて事を起こさんとするを主とす。京房はまたいう。日蝕は諸侯の相互侵伐を主とす。日色の白・青にして明亮なるは、君主の衰弱を主とす。京房はまたいう。日蝕は國中に兵事あるを主とし、大戰のとき西方より進擊するの一方は獲勝す。
京氏曰:“日蝕,王為君蝕,相為臣蝕,囚為罪人蝕,死為夷狄蝕。休為民,有兵;其兵從陰所來,日蝕後必通水,在陰所來;在於三年之內,又必有火燒屋。”(按韋昭《洞紀》曰:漢和帝永元二年二月日食,三年,左校尉耿夔等征匈奴,戰破之。安帝元初三年日蝕;京師旱,武陵蠻夷燒官寺。桓帝永康元年日食,渤海水溢,殺人。十二月丁丑帝崩。
京房はいう。日蝕のとき、もし令を當つ氣が正に五行の「王」位に處せば、君主の身上に應じ、「相」位に處せば、大臣の身上に應じ、「囚」位に處せば、罪人の身上に應じ、「死」位に處せば、夷狄の身上に應じ、「休」位に處せば、百姓の身上に應じ、併せて兵事あるを主とし、あの兵禍は陰氣の來る所の方位より來らん。日蝕の後に必定に大水あり、また陰氣の來る所の方位に在り。三年の内に、なほ必定に火災ありて屋宅を燒毀せん。原書小注:韋昭《洞紀》に記載す。漢の和帝永元二年二月に日蝕あり、永元三年に左校尉耿夔らは匈奴に出征して其を擊破せり。安帝元初三年に日蝕あり、京城は大旱にして武陵の蠻夷は官府を焚燒せり。桓帝永康元年に日蝕あり、渤海の海水は泛溢して人を淹死せしめ、この年の十二月丁丑に桓帝は駕崩せり。
孫盛《晉陽秋》曰:武帝太康七年正月甲寅朔,日有食之,乙卯又食;詔曰:邦之不滅,實在朕躬;公卿大臣,極言其失,太尉亮、司徒舒、司空馞上言曰:三朔之始,日有食之。蓋陽即過,而墜冰未消;謹按經義曰:君道也;父道也;夫道也;君子道也;陽勝陰,陽氣之常:今丞不消,陰氣盛;陰盛者,臣擅主權也;孝道不修也;後宮過度,小人在位也。後八年正月戊申朔,日又食,太熙元年而武帝崩之應也。)劉向《洪範傳》曰:“日之為異,莫重於蝕;春秋日蝕則書之也。
小注續引孫盛《晉陽秋》:晉の武帝太康七年正月甲寅朔に日蝕を發生し、次日乙卯にまた蝕せり。武帝は詔を下していう。國家の不寧は、責任は其實は我の一人の身上に在り。公卿大臣に盡情に朕の過失を指陳せんことを請う。太尉(司馬)亮・司徒(魏)舒・司空「馞」(人名は底本に訛あり)は上奏していう。正月の朔日は歲・月・日の三者の始にして、卻って日蝕を發生せり。このとき陽氣は本來すでに轉旺するに、而して墜地の冰凌はなほ消融せず。謹んで經義に按ずるに、陽の象徵する所は君道・父道・夫道・君子の道なり。陽の陰に勝つは、陽氣の應有の常態なり。如今に冰凌は消えず、陰氣の強盛を説明す。陰氣強盛なれば、便ち臣下の君權を擅奪し・孝道の修まらず・后宮の法度を逾越し・小人の高位を竊據するなり。その後太康八年正月戊申朔にまた日蝕を發生し、太熙元年に到って武帝は駕崩せり。正にそれの應驗なり。劉向《洪範傳》にいう。日の異象は、日蝕より嚴重のはなし。ゆえに《春秋》は日蝕に一遇せば必定に記載を加う。
日蝕者,下凌上,臣侵君之象也。日蝕數者,其亂眾;稀者,亂亦稀。”《洪範傳》曰:“人君失序,享國不明,臣下務亂,君陰蔽陽,則日月薄蝕,汶暗暗昧;若蝕從中起,背、= 縱橫,則亂交爭,兵革並行。”《史記天官書》曰:“諸侯作亂,日蝕盡時。”夏氏曰:“日蝕出軍,軍折傷,後疾病。”《荊州占》曰:“日蝕當其國,君王死。”(按韋昭《洞紀》曰:‘周平王五十一年日食,三月平王崩。’
日蝕は下に在る者の上に在る者に凌駕し・臣子の君主を侵犯するの象徴なり。日蝕の次數頻繁なれば、禍亂もまた衆多なり。日蝕稀少なれば、禍亂もまた稀少なり。《洪範傳》にいう。君主が綱紀次序を失い、國家を享有するも昭明し能わず、臣下は一意に亂を作し、君主は陰氣に蔽われてその陽德を失えば、日月は便ち薄蝕して昏昏昧昧と爲らん。もし虧蝕が日輪の中央より起こりて、「背」氣と殘缺のあの種の弧氣(底本は此の字は殘缺)が縱橫交錯するは、あれは便ち禍亂の交相爭鬥・兵戈の一倂せに興起するなり。《史記・天官書》にいう。諸侯の起兵して亂を作すは、日全蝕のときに應ず。夏氏はいう。日蝕のとき兵を出すれば、軍隊は折傷して傷亡し、事後は疾病流行せん。《荊州占》にいう。日蝕がまさにある國の分野に當るは、あの國の君王は將に死せん。原書小注:韋昭《洞紀》にいう、周の平王五十一年に日蝕を發生し、三月に平王は駕崩せり。
洪範《天文志日月變占》曰:‘高帝九年六月乙未晦,日,日有食之,周秦分也,是時漢都長安,都東及洛陽為畿內。明年四月高帝崩。’韋昭《洞紀》曰:‘漢文帝二年十一月晦,日食,帝引咎責躬,舉直言,省莕費,闢籍田,除誹謗妖言之罪。文帝后四年四月晦,日食,七年六月已亥帝崩。哀帝元年正月辛丑朔,日有食之,不盡如鉤,明年哀帝崩。’晉《中興書》曰:愍帝建興五年十一月先晦,二日丙子,日有食之,十二月愍帝崩於虜庭。
洪範《天文志日月變占》にいう。漢の高帝九年六月乙未晦日に日蝕を發生し、分野は周と秦に屬す。當時漢朝は長安に都を建て、京都以東は洛陽に連なるもみな畿內の地と算せり。第二年四月に高帝は駕崩せり。韋昭《洞紀》にいう。漢の文帝二年十一月晦日に日蝕を發生し、文帝は咎を引いて自ら責め、直言の路を廣開し、用度を節省し、籍田を開闢して親耕し、誹謗妖言の罪を廢除せり。文帝後元四年四月晦日にまた日蝕を發生し、後元七年六月己亥に文帝は駕崩せり。漢の哀帝元年正月辛丑朔に日蝕を發生し、日輪は虧れて未だ盡きず形狀は鈎のごとく、第二年に哀帝は駕崩せり。晉《中興書》にいう、晉の愍帝建興五年十一月、晦日の前の兩天の丙子日に日蝕を發生し、十二月に愍帝は胡虜の朝廷に於て死せり。
咸康八月正月乙未朔,日有食之,京都大雨,郡國以聞,是謂三朝王者惡之,六月而顯宗崩。昇平四年八月辛丑朔,日有食之,畿既在角,為天門,人主惡之,明年孝宗崩也。’)《洛書》曰:“日蝕,從所蝕利擊敵也。”王朔曰:“日蝕,兩敵相當,即從蝕所擊之,大勝殺將。”
咸康八年(底本は「咸康八月」と作る)正月乙未朔に日蝕を發生し、京城は大雨を下り、各郡國はみな此事を上報せり。正月初一は歲・月・日の三者の朝にして、君王は最もこの一天の日蝕を忌諱し、當年六月に顯宗成帝は駕崩せり。升平四年八月辛丑朔に日蝕を發生し、全蝕の處は角宿に在り、角宿は天門の位にして、君主は尤も忌諱し、第二年に孝宗穆帝は駕崩せり。《洛書》にいう。日蝕のとき、蝕せらるるのあの一面より敵人を出擊するを最も利ありと爲す。王朔はいう。日蝕のとき兩敵の相持すれば、便ち蝕せらるるの方位に順って對方を攻擊せば、大勝を獲得して敵將を斬殺し得。
日蝕早晚所主四
甘氏曰:“日出至早食時蝕為齊;食時至籨中食為楚;籨中至日中蝕為周;日中至日籦蝕為秦;日籦至日晡蝕為魏;晡時至日夕蝕為燕;日夕至日入蝕為代;皆為不出三年,當之者國有喪。”甘氏曰:“日始出而蝕,是謂無明,齊越受兵;一曰亡地。”京氏曰:“日始出而蝕,是謂棄光,齊楚亡。”甘氏曰:“日中而蝕,荊魏受兵;一曰亡地,海內兵大起。”《太公兵法》曰:“日中蝕,海內兵大起,王公憂。”石氏曰:“日晡蝕,兵將罷兵不起。”
甘德はいう。日蝕が日出より早食時のあいだに發生するは、齊國に應ず。食時より隅中のあいだは、楚國に應ず。隅中より正午のは、周に應ず。正午より日昃(太陽西斜)のは、秦に應ず。日昃より晡時のは、魏に應ず。晡時より日夕のは、燕に應ず。日夕より日落のは、代に應ず。この幾種の情形はみな三年を出でずして應驗し、當る所のあの國家に喪事あらん。甘德はまたいう。太陽が剛ち出でて便ち蝕せらるるを、これを「無明」と呼び、齊・越の兩地は兵禍に遭受す。別の一説は土地を喪失するなり。京房はいう。太陽が剛ち出でて便ち蝕せらるるを、これを「棄光」と呼び、齊・楚は將に亡びん。甘德はいう。正午のときに日蝕を發生するは、荊・魏は兵禍に遭受す。別の一説は土地を喪失して海內は大規模に兵を興すなり。《太公兵法》にいう。正午の日蝕は、海內は大規模に兵を興して王公は憂懼せん。石申はいう。晡時の日蝕は、兵は將に罷散して戰事は再び興起せず。
甘氏曰:“日將入而蝕,大人出兵,趙燕當之;近期三月,遠期三年。”《魏氏圖》曰:“日入出蝕,是謂勝明,大人出兵起當之。”
甘德はいう。太陽の將に山に落ちんとするに日蝕を發生するは、大人物の兵を出すを主とし、趙・燕の兩地の分野はこの場の災禍を承當せん。近ければ應期三個月、遠ければ應期三年なり。《魏氏圖》にいう。日落の時分に日蝕を發生するを、これを「勝明」と呼び、大人物の兵を出し役を興して、彼に由って此の象を承當せしむるを主とす。
日蝕從上起五
《春秋感精符》曰:“日以上蝕者,子為害。”甘氏曰:“幾日蝕,則有兵;日蝕從上,失於道,君當之。”京氏曰:“日蝕上者,君為其偽,佞人而安用之,故尊卑失禮,責於尊者;故天見亡君之象。”京房《易傳》曰:“凡日蝕從上,失臣。”郗萌曰:“日蝕上,皆為責在君;其色青,則弱於任善,生怨患;赤則君無禮,不好學;黃則君欺其下,掩臣美;白則弱於誅惡,生仇讎;黑則簡宗廟、鬼神。”
《春秋感精符》にいう。日蝕が太陽の上部より開始するは、禍害は子嗣の身上に出づ。甘德はいう。およそ日蝕を發生すれば便ち兵事あり。日蝕の上部より起るは、道を失うの咎にして、君主に由って承當せしむ。京房はいう。日蝕の上部に在るは、君主の行事は虚僞にして、奸佞小人なるを明知しながら安然として任用し、因って尊卑は序を失い禮制は敗壞し、天譴は便ち尊位に居る人に歸責す。ゆえに上天は亡君の徵象を顯出す。京房《易傳》にいう。およそ日蝕の上部より起るは、君主の臣屬を失うを主とす。郗萌はいう。日蝕の上部に在るは、責任はみな君主に在り。氣色の青を發するは、君主の善人を任用するに怠く、因って怨恨禍患を滋生す。赤を發するは、君主の禮法に循わず學問を好まざるなり。黃を發するは、君主の下屬を欺瞞し臣子の美善を掩沒するなり。白を發するは、君主の奸惡を誅除するに怠く、因って仇敵を結下す。黑を發するは、則ち宗廟を怠慢し鬼神を輕忽するなり。
日蝕從中起六
甘氏曰:“日蝕從中央起,內亂,兵大起,更立太子。”京氏曰:“日蝕內者,君即朝臨政,厲心為治,不疑臣下;臣下以邪,亂君政,故天見亡臣之象;故臣當之。”京氏曰:“日蝕從中,中青赤外黃,國亡;又曰:中人為亂。”郗萌曰:“日蝕中,皆為內有伏謀;青則謀者止,赤則謀其事,黃則謀成者受誅,白則事覺,黑則逆謀成其事。”洪範曰:“日蝕貫日中央,上下竟而黑,臣弒君,從中成之刑也。”《荊州占》曰:“凡日蝕從中者,人君有娶於同姓。”
甘德はいう。日蝕が日輪の中央より開始するは、內亂を主として兵事は大いに起り、なほ太子を改立せんと要す。京房はいう。日蝕の內部より起るは、君主は朝に臨み政を理して精を勵し治を圖り臣下を猜疑せざるに、而して臣下は卻って邪僻の手段を用いて君主の政令を擾亂す。ゆえに上天は亡臣の徵象を顯出して、臣下に由って承當せしむ。京房はまたいう。日蝕の中央より起りて、中間は青赤にして外圍は黃を發するは、國家は將に亡びん。別の一説は內部の人の亂を作すなり。郗萌はいう。日蝕の中央に在るは、みな內部に陰謀の潛伏するを主とす。氣色の青を發するは、圖謀の人は將に中止せん。赤を發するは、その事はまさに謀劃の中に在り。黃を發するは、謀成したる後に主謀者は反って誅戮を受く。白を發するは、事情は敗露す。黑を發するは、則ち叛逆の陰謀は成事を得。洪範はいう。虧蝕が日輪の中央を貫穿して上下は通體黑を發するは、臣下の君を弑するを主として內部より釀成せるの刑禍なり。《荊州占》にいう。およそ日蝕の中央より起るは、君主の同姓の女子を娶るを主とす。
《荊州占》曰:“日蝕從中央始,國君遇賊。”《荊州占》曰:“日蝕從中起,君受兵;一曰所宿國有兵;一曰臣謀君。”《荊州占》曰:“日蝕中央空,主死,期三年;應以善事,則消災。”
《荊州占》にいう。日蝕が中央より開始するは、國君は亂賊に遭遇せん。同書はまたいう。日蝕の中央より起るは、君主は兵禍に遭受す。別の一説は太陽の居る所の星宿分野の國に兵事あるなり。再び一説は臣下の君主を圖謀するなり。同書はまたいう。日蝕して中央は空缺して環と成るは、君主は將に死して應期は三年なり。もし善政善事を以て天譴に回應し能わば、災禍は便ち消解すべし。
日蝕從下起七
甘氏曰:“日蝕從下者,王室女淫自恣,此臣下當有動,師眾行軍;又曰失於事,將當之。”《春秋感精符》曰:“日蝕從下起,妻害急。”京氏曰:“日蝕從下起,失民,人君疑;於賢者為不肖,不用其政教,故天見亡民之象也。以人君尊;天將亡君,必先喪其民;蝕者,侵削之意也。”京氏曰:“日蝕從下起,多死;一曰下人為譖。”
甘德はいう。日蝕が日輪の下部より開始するは、王室の女子の淫亂放縱を主とす。このとき臣下は將に異動ありて師を興し衆を動かして兵を出さん。別の一説は政事の上に失ありて將帥に由って承當せしむるなり。《春秋感精符》にいう。日蝕の下部より起るは、妻室より來るの禍害は急迫なり。京房はいう。日蝕の下部より起るは、君主の民心を失うなり。君主は猜疑を心存して賢者を不肖の人と看なして、彼らの政教を采用せ肯んぜず。ゆえに上天は亡民の徵象を顯出す。君主は至尊なるを以て、上天の一個の君主を亡ぼさんとするは、必定に先にその百姓を奪去せん。「蝕」は便ち侵奪削減の意思なり。京房はまたいう。日蝕の下部より起るは、死者衆多を主とす。別の一説は下面の人の讒を進め構陷するなり。
郗萌曰:“日蝕下,皆為責在民;青則民相譖,後有疾疫蟲災;赤則眾庶上,僭強乘弱,後有旱災;黃則失民,飭宮室,爭土疆,後有土功,皆奪主光,減年算;白則民相賊害,後有小兵;黑則小民多怨,後有水災,期三年也。”
郗萌はいう。日蝕の下部に在るは、責任はみな百姓に在り。氣色の青を發するは、百姓の彼此讒を進め構陷して、此の後に疫病と蟲災あらん。赤を發するは、庶民の僭越して上を犯し強者の弱者を欺凌して、此の後に旱災あらん。黃を發するは、民心を失いて君上は宮室を修飾し土地疆界を爭奪して、此の後に土木を大興す——これらはみな將に君主の光輝を奪去しその壽數を削減せん。白を發するは、百姓の相互殘害して、此の後に小規模の兵事あらん。黑を發するは、小民に怨恨多くして、此の後に水災ありて應期は三年なり。
日蝕後左右起周蝕四傍八
京氏曰:“日蝕,光清無雲,三日乃蝕;蝕已天鳴,蝕左右;此臣與君爭美尸大功。日,君也;所以有功者,我也;心生慕意,起之蝕也。後九年,臣謀君,六年成。”京氏曰:“日蝕左為噬嗑,火燒民。”京氏曰:“日蝕從傍起者,為兵從其方起,黎庶為亂。”郗萌曰:“日蝕左,皆為責在臣;青則臣專恩,赤則臣無禮於君,黃則臣侵君上,白則臣專法,黑則欺君,失臣。”京氏曰:“日蝕從右傍者,君親作惑,道虎狼之行。”
京房はいう。日蝕のとき天光は淸朗にして併せて雲翳なく、三天を過ぎてこそ虧蝕を發生す。蝕の後に天空は作響して、虧蝕は日の左右の兩側に出現す——これは臣子の君主と美を爭い大功を己有に據るの象なり。太陽は君主を象徵し、臣下は卻って功は盡く己に在りと自以て爲して、心中に覬覦の意を生出し、因ってあらんごとき日蝕を招來す。此の後九年に、臣下は君主を謀害し、六年の後に事は成る。京房はいう。日蝕の左邊に在るは、《噬嗑》卦に對應して、火災の百姓を焚燒するを主とす。京房はまたいう。日蝕の旁邊より起るは、兵禍のあの方位より興起し黎民百姓の亂を作すを主とす。郗萌はいう。日蝕の左邊に在るは、責任はみな臣下に在り。氣色の青を發するは、臣下の恩を施す權を獨攬するなり。赤を發するは、臣下の君主に對して禮なきなり。黃を發するは、臣下の君上を侵犯するなり。白を發するは、臣下の刑法を專擅するなり。黑を發するは、則ち君主を欺瞞して、君主は將に臣屬を失わん。京房はいう。日蝕の右邊より起るは、君主の親自に迷亂を製造して、行う所は虎狼の一般の暴虐の事なり。
京氏曰:“日蝕右,皆為賁;火燒諸侯,必有異災起。”郗萌曰:“日蝕右,皆為責在臣;青則佐公作惡,赤則佐公作福,黃則放其君,白則佐公作刑,黑則臣作威。”《天鏡》曰:“日蝕從右傍者,淫女暴為主君;當暴治丘冢,傷害人民,百姓怨。”甘氏曰:“日蝕從傍起,失於令,相當之。”
京房はいう。日蝕の右邊に在るは、みな《賁》卦に對應して、火の諸侯を焚くを主として、必定に異常の災禍興起せん。郗萌はいう。日蝕の右邊に在るは、責任はみな臣下に在り。氣色の青を發するは、輔佐大臣の惡を爲すなり。赤を發するは、輔佐大臣の擅自に恩賞を施與するなり。黃を發するは、その君を放逐するなり。白を發するは、輔佐大臣の擅自に刑罰を用いるなり。黑を發するは、臣下の擅自に威福を作すなり。《天鏡》にいう。日蝕の右邊より起るは、淫亂の女子の暴虐に君主の上に凌駕するを主とす。屆て將に工を大いに興して墳塚を修治し、人民を傷害して、百姓は怨恨せん。甘德はいう。日蝕の旁邊より起るは、政令の上に失ありて、宰相に由って承當せしむるなり。
《河圖》曰:“日青黑,以傍蝕之,臣之害。”(按洪範《日月變占》曰:“漢武元狩元年五月乙巳晦戶日有蝕之,從傍左,明年丞相公孫弘薨之應)《春秋感精符》曰:“日蝕傍者,臣欲作禍之應;殺君亡國,四夷入侵;遠期二十七年,中期二十九月,近期九月。”郗萌曰:“日月蝕,皆為責在妃:青則女疾,眾妾欺君,奪主榮,恣害爭寵,內患;赤則右夫人乘君損主:白則眾妾怨妒:黑則君內消,將絕嗣,卑妾得志,滅君德,失夫人。”《荊州占》曰:“日蝕四傍缺,諸侯王有死者,期在三年中。”
《河圖》にいう。太陽が青黑色を呈して旁して旁邊より蝕せらるるは、これは臣下の帶來する禍害なり。原書小注:洪範《日月變占》にいう、漢の武帝元狩元年五月乙巳晦日に日蝕を發生し、蝕は左側より起り、第二年に丞相公孫弘は去世せり。正にそれの應驗なり。《春秋感精符》にいう。日蝕の旁邊に在るは、臣下の亂を作し禍を肇めんと欲するの應徵にして、將に君を弑し國を亡ぼすの事あらんとし、四方の夷狄は入侵す。遠ければ應期二十七年、中は應期二十九個月、近ければ應期九個月なり。郗萌はいう。日月の蝕せらるるは、責任はみな妃嬪に在り。氣色の青を發するは、女子の病を生じて、衆妾は君主を欺瞞し正宮の榮寵を奪去して、肆意に加害して寵を爭い、內廷の患を釀成す。赤を發するは、右夫人の君上に凌駕して君主を損害するなり。白を發するは、衆妾の怨恨嫉妒するなり。黑を發するは、君主の宮闈の內に於て消損して、將に後嗣を斷絶せんとし、地位卑下の妾室は志を得て、君主の德行を泯滅し、正夫人は位を失う。《荊州占》にいう。日蝕して四邊にみな缺損あるは、諸侯王の中に死亡ありて、應期は三年の内に在り。
日蝕中分日蝕不盡日蝕三毁三復九
京房《易傳》曰:“諸侯越職征伐,與上分威.則日蝕中分。”《荊州占》曰:“日蝕中分,五年其國亡;一曰二年亡。”《荊州占》曰:“日蝕,有亡其國者;少半蝕,少半亡:半蝕,半亡。”甘氏曰:“日蝕過半,必有亡國,期一年。”甘氏曰:“日蝕不盡,有失地:一曰強國有逐相。”京氏曰:“日蝕不盡,相有出走者,期八十日。”董仲舒曰:“諸侯不承天子命,自相侵伐,則日蝕三毀三復。”(此仲舒日異對也。)
京房《易傳》にいう。諸侯が本分を越出して擅自に征伐し、天子と威權を分享すれば、便ち日蝕を出現して日輪は中より平分せらるるを出さん。《荊州占》にいう。日蝕して日輪は中分するは、五年の後にあの國家は滅亡す。別の一説は兩年にして便ち亡ぶなり。同書はまたいう。日蝕は國家の滅亡あるを主とす。蝕去して半に及ばざるは、國土の半に及ばざるを亡失す。蝕去して半なれば、國土の半を亡失す。甘德はいう。日蝕が半を超過するは、必ず亡國の事ありて、應期は一年なり。甘德はまたいう。日蝕して蝕盡ざるは、土地を喪失するを主とす。別の一説は強國の將に宰相を驅逐せんとするなり。京房はいう。日蝕が蝕盡ざるは、宰相の中に出逃するありて、應期は八十天なり。董仲舒はいう。諸侯が天子の命を奉ぜずして自相侵伐するは、便ち日蝕を出現して三次虧損し三次明を復す。原書小注:これは董仲舒の對策の中に日の變異を論ずるの話なり。
日蝕既十
《河圖》曰:“日蝕盡者,王位也:不盡者,大臣位也;近期三月,遠期三年。”《春秋感精符》曰:“日蝕既,則破陰謀,黜豪傑,備邊輔,工易號戶失天下,外填寇,內填下。”《春秋感精符》曰;“君行無常,公輔不德,夷強狄侵,萬事錯,則日蝕既。”《孝經內記》曰:“日朔蝕既,天絕;日摯濁既,地絕:先晦蝕既,人絕。”石氏曰:“日蝕盡,其國大人亡:不盡,相去。”京房《易傳》曰:“亡師,茲謂不御厥異;日蝕,其蝕既也。”
《河圖》にいう。日全蝕のは、君王の位に應ず。蝕して未だ盡きざるは、大臣の位に應ず。近ければ應期三個月、遠ければ應期三年なり。《春秋感精符》にいう。日全蝕を發生するは、便ち陰謀を揭破し權を擅くする豪強を罷黜し、邊防と輔弼の臣を整備すべし。もしただ一味に名號を更改し戶籍を變亂せば、便ち天下を失去せんとし、外に對しては寇敵を鎭撫し、內に對しては下民を安定せんと要す。《春秋感精符》はまたいう。君主の行事に常度なく、三公輔臣は德行を修めず、蠻夷は強橫にして狄人は入侵し、萬事は錯亂するは、便ち日全蝕を發生せん。《孝經內記》にいう。朔日に全蝕を發生するは、天道の斷絶なり。日色は沈濁にして全蝕するは、地道の斷絶なり。晦日の前に全蝕を發生するは、人道の斷絶なり。石申はいう。日全蝕のは、あの一分野の國家の大人物の死亡なり。蝕して未だ盡きざるは、則ち君臣の相離なり。京房《易傳》にいう。師を喪い衆を失う、これをその變異を抵禦し能わずと呼び、日蝕は便ち全虧に蝕到せん。
京房《易傳》曰:“君臣不通,茲胃亡厥,蝕三既。”京房《易傳》曰:“弒君獲位,茲謂逆厥,蝕既,先風雨,折木,日赤。”京氏曰:“日蝕,地坼。”董仲舒曰:“前事己大,後事將至者又大,則日蝕既。”董仲舒《災異對》曰:“人君自專祿,不封賜功臣,則日蝕既,而黑光反外照。”董仲舒《災異對》曰:“亂臣賊子欲作逆弒君竊位,則日蝕既,先風折樹。”董仲舒《災異對》曰:“人君妒賢嫉能,臣下謀上,則日蝕既:先雨雹,殺走獸。”
京房《易傳》にいう。君臣上下は相通ずること能わず、これを喪亡の象と呼び、日蝕は三次全虧に蝕到せん。京房《易傳》はまたいう。君主を弑殺して君位を取得する、これを大逆の象と呼び、日蝕は全虧にして、事先に必ず風雨ありて樹木を吹折し、太陽は赤を發す。京房はいう。日蝕の後、大地は開裂す。董仲舒はいう。前面のすでに發生せし事はすでに大にして、後面の將に到來せんとする事もまた大なれば、便ち日全蝕を發生す。董仲舒《災異對》にいう。君主が爵祿を獨占して、功ある臣に分封賞賜せ肯んぜざれば、便ち日全蝕を發生し、しかも黑色の光は反って外に向かって照射す。同書はまたいう。亂臣賊子が亂を作し君を弑して君位を竊取せんと欲すれば、便ち日全蝕を發生し、事先に大風ありて樹木を吹折す。同書はまたいう。君主が賢を妒み能を嫉みて、臣下は君上を圖謀すれば、便ち日全蝕を發生し、事先に冰雹を降下して走獸を打死せしむ。
《洛書》曰:“日蝕盡伐者,謂既也。伐者人君死,子代之;或臣篡殺。不盡者,日虧缺也。”(按洪範《天文日月變占》曰;‘春秋魯襄公二十四年七月甲子朔,日有食之,既,既、盡也,秦晉分也;後十二月,秦景公卒,其弟車自晉復於秦之應也。漢惠帝七年,夏五月丁卯,先晦一日,日有食之,既,既、盡也,亦周秦分野,陰匿始起而犯盛,其年八月,惠帝崩。呂后七年春,正月已丑晦,日有食之,既,既、盡也,在營室九度,為宮室,中呂后曰此為我也。
《洛書》にいう。日光の完全に侵奪せらるるを、便ち「既」と呼び、すなわち全蝕なり。「既」を發生するは、君主の死亡して兒子に由って接替するを主とし、あるいは臣下に篡位殺害せらる。蝕して盡きざるは、ただ日輪の虧缺あるのみ。原書小注:洪範《天文日月變占》にいう、《春秋》の魯の襄公二十四年七月甲子朔に日蝕を發生し、しかも「既」なり——「既」はすなわち盡なり——分野は秦・晉に屬す。此の後十二月に秦の景公は去世し、その弟公子鍼(底本は「车」と作る)は晉國より秦國に返回せり。正にそれの應驗なり。漢の惠帝七年夏五月丁卯、すなわち晦日の前一天に、日蝕を發生し、また「既」なり。分野は同じく周・秦に在り。陰氣は潛伏して始め起るも卻って正に盛んの陽氣を侵犯し能う。この年の八月に惠帝は駕崩せり。呂后七年春正月己丑晦に日蝕を發生し、同じく全蝕にして、位置は營室宿の九度に在り、營室は宮室を主とし、呂后は因ってこれは我の身上に應ずという。
明年,呂后崩,應也。)甘氏曰:“日蝕盡,天下大凶,有亡國:一日必更王,入主死:近期二年中不盡,有失地者中”京房《易傳》曰:“君誅殺失理,臣下有叛心,則日蝕盡而光散。”又曰:“君臣見災不改行,國將亡,則日蝕三盡也。”京房《妖占》曰:“日蝕盡,臣欲殺主:一曰歲有夷王起:一曰有喪。”(按韋昭《洞紀》曰:周桓王十一年七月日食既,十三年壬辰陳桓公鮑卒,弟陀殺兄子代立也。)京房《災異對》曰:“日蝕盡,天光露者,亡其邑。”
第二年に呂后は去世せり。正にそれの應驗なり。甘德はいう。日全蝕は、天下の大凶にして國家の滅亡あるなり。別の一説は必定に君王を更換して君主は死亡して、近ければ應期は兩年の内に在り。もし蝕して盡きざれば、則ち土地を喪失するあらん。京房《易傳》にいう。君主の誅殺が情理に合わざれば、臣下は便ち背叛の心を生出して、便ち日蝕は全虧にして光芒は潰散せん。またいう。君臣は災異を見てもなほ行爲を改變せざれば、國家は將に亡びんとし、便ち三次の日全蝕を出現せん。京房《妖占》にいう。日全蝕は、臣下の君主を殺害せんと欲するを主とす。別の一説はこの年に夷狄の王の興起あらん。再び一説は喪事あらん。原書小注:韋昭《洞紀》にいう、周の桓王十一年七月に日全蝕を發生し、桓王十三年壬辰に陳の桓公鮑は去世し、その弟陳佗は兄長の兒子を殺掉してその位を取代せり。京房《災異對》にいう。日全蝕して天光が反って外面より透露するは、城邑を喪失するを主とす。
京氏曰:“日蝕盡,日官不見直日者,其國有喪。”《荊州占》曰:“日蝕盡光,此謂帝之殃;三年之間,有國必亡。”
京房はいう。日全蝕のとき、天象を掌る日官がもし當値の日體を望見えざれば、あの一分野の國家に喪事あらん。《荊州占》にいう。日蝕が日光を吞盡したるは、これを帝王の禍殃と呼ぶ。三年の内に、必定に國家の滅亡あらん。
日蝕變色十一
京房《易傳》曰:“凡日蝕,其質赤黃黑而漸之者,明臣侵君也;日質赤黃而黑貫其中者,此人君無威,勢不行,為臣下所輕;故臣謀欲逐其君,居其劇也;黃,尚有中和之色也;故其咎也必覺,謀不行,君誅臣。當誅而不誅,則君必失其位。”京氏《易傳》曰:“日蝕,赤質而黑漸之者,此人君誅眾失理,民持兵去之;其咎欲殺。”
京房《易傳》にいう。およそ日蝕に、日體の本色は赤黃にして黑氣に逐漸に浸染せらるるは、分明に臣下の君主を侵犯するなり。日體が赤黃にして黑氣ありて其中を貫穿するは、これは君主に威嚴なく權勢は推行して動かず、臣下に輕視せらる。ゆえに臣下は君主を驅逐しその要位を取代せんと圖謀す。ただ黃色はなほ中和の氣を存するを以て、ゆえにこの場の咎禍は必定に察覺せられて、陰謀は得逞し能わず、君主は逆臣を誅殺するを得。もし誅すべきに誅せざれば、君主は必定に君位を失去せん。京房《易傳》にいう。日蝕のとき、日體が赤色を呈して黑氣に漸漸に浸染せらるるは、これは君主の衆人を誅戮するに情理に合わず、百姓は將に兵器を持して彼を背棄して去らん。その咎は君主の殺を嗜むに在り。
京氏《易傳》曰:“日蝕,赤質青黑漸之者,為三公誅眾失理,民亦持兵去,順受命,徵無道(闕××××××××)黑而貫其中,臣欲殺其君;不改,期在九年,必殺矣。”京房《易傳》曰:“臣有伏兵,將欲殺其君者,日變白;咎十日而去,則日蝕矣。白青者弱,赤者無知也;強臣所緣上下必由此矣。黃赤者,非臣所緣為也。”
京房《易傳》にいう。日蝕のとき、日體が赤色を呈して青黑の氣に漸漸に浸染せらるるは、三公の衆人を誅戮するに情理に合わず、百姓もまた兵器を持して背棄して去り、天命に順應して道なき人を討伐せんとす。此の處は底本に八字を殘缺す。およそ黑氣の日體の中を貫穿するは、臣下の君主を殺害せんと欲するなり。もし悔改めざれば、應期は九年の内に、必定に君を弑して手を得せん。京房《易傳》にいう。臣下が兵衆を埋伏して將に君主を殺害せんとするは、太陽は轉じて白色と爲らん。この一の咎徵が十天を過ぎてもなほ退去せざれば、便ち日蝕を發生せん。日色の白・青なるは、君主の柔弱を主とす。日色の赤なるは、君主の昏昧無知を主とす。強臣は內外を攀附し上下を勾結するを得て、必定にこれに由って來らん。日色の黃赤なるに至れば、便ち臣下の攀附して事を生ずるに能わざる所なり。
京氏曰:“日蝕,日光明,先青赤白黑而蝕,蝕黑貫白中,日明;此聖德之臣,行兵誅伐小人左右不義之臣,擅誅小人,天子所謂無命而征,與弒君同之蝕也;後五年殺。”京氏《易傳》曰:“酒無節,茲謂荒厥;蝕乍青、乍黑、乍赤、乍白。”京氏曰:“日青並蝕,惟命是爭,誅。”京氏曰:“日赤並蝕、自殺。”京氏曰:“日黃並蝕,其下得土。”
京房はいう。日蝕のとき日光は本來自ら明亮にして、先に青・赤・白・黑の幾種の顏色を歷て後に虧蝕し、蝕處に黑氣ありて白色の中に貫穿するも、日體は卻って依舊として明亮なり——これは聖德ある臣子ありて兵を出して君側の小人と不義の臣を誅討するなり。彼が擅自に小人を誅殺するは、便ち天子の説う所の王命を奉ぜずして擅自に征伐するにして、君を弑するのと同罪なり。ゆえにあらんごとき日蝕あり。此の後五年に彼は將に殺せられん。京房《易傳》にいう。飲酒に節制なきを、これを荒淫の咎と呼び、日蝕のときの顏色は忽ち青・忽ち黑・忽ち赤・忽ち白ならん。京房はいう。太陽が青を發して同時に蝕せらるるは、群下のただ君命權柄を爭奪するを主として、誅戮を受くべし。京房はいう。太陽が赤を發して同時に蝕せらるるは、人の自殺するあるを主とす。京房はいう。太陽が黃を發して同時に蝕せらるるは、その分野の下に於て土地を得るを主とす。
京氏曰:“日赤並蝕、自殺。”京氏曰:“日黃並蝕,其下得土。”京氏曰:“日黑並蝕、自殺。”《易傳》曰:“諸侯逆叛,更立法度,則蝕;失光蒤蒤,月形見也。”
西漢の易學家京房はいう。太陽が先に赤色を泛出して、隨即また日蝕を發生するは、人の自殺するあるを主とす。京房はいう。太陽が先に黃色を泛出して、隨即また日蝕を發生するは、日光の臨む所のあの片の分野は新たに土地を得ん。京房はいう。太陽が先に黑色を泛出して、隨即また日蝕を發生するは、人の自殺するあるを主とす。《易傳》(此の處は京房の一系の《易》に托名するの占候の書を指す)にいう。諸侯が叛逆して亂を作し擅自に別の一套の法度を立てれば、上天は便ち日蝕を以て警を示す。このとき日光は昏暗不明にして、隱隱約約として月輪の太陽を遮掩するの輪廓を露出す。
日蝕而珥有雲衝之十二
京房《妖占》曰:“以甲乙有二珥而蝕,東西南北有白雲沖之,天下有兵。”京氏曰:“日以甲乙有四珥而蝕,有白雲沖出四角,青雲交貫中央,天下有兵。”京氏《妖占》曰:“日以丙丁二珥而蝕,有黑雲沖出東南西北,天下有兵。”京氏《妖占》曰:“日以丙丁有四珥而蝕,下有黑雲沖出,天下有大水。”
京房《妖占》にいう。甲日・乙日に、太陽の兩側に各々一道の耳狀の短光氣を生出す、これがすなわち「珥」にして、同時にまた日蝕を發生し、東・西・南・北の四方に各々白雲ありて直に太陽を衝するは、天下の兵事を興起するを主とす。京房はいう。甲日・乙日に、太陽の四周に四道の「珥」を生出してまた日蝕を發生し、白雲は四角より衝出し、青雲は交叉して日輪の正中を貫穿するは、天下の兵事を興起するを主とす。京房《妖占》にいう。丙日・丁日に、太陽の兩側に兩道の「珥」を生出して日蝕を發生し、黑雲は東南西北の四方より衝出するは、天下の兵事を興起するを主とす。京房《妖占》にいう。丙日・丁日に、太陽の四周に四道の「珥」を生出して日蝕を發生し、日の下方に黑雲ありて衝出するは、天下の大水を發するを主とす。
京房《妖占》曰:“日以戊己有二珥而蝕,上有青雲沖出東南西北,人主有喪。”京房《妖占》曰:“日以戊己有四珥而蝕,有青雲沖,天下兵行。”京房《妖占》曰:“日以庚辛二珥而蝕從下始,又有赤雲沖出東南西北,三邑兵作。”京氏《易占》曰:“日以庚辛有四珥而蝕從上始,有赤雲出西方,天下有亂王。”
京房《妖占》にいう。戊日・己日に、太陽の兩側に兩道の「珥」を生出して日蝕を發生し、日の上方に青雲ありて東南西北の四面に向かって衝出するは、君主の家中に喪事あるを主とす。京房《妖占》にいう。戊日・己日に、太陽の四周に四道の「珥」を生出して日蝕を發生し、また青雲ありて直に日輪を衝するは、天下の將に兵を動かすを主とす。京房《妖占》にいう。庚日・辛日に、太陽の兩側に兩道の「珥」を生出して、日蝕は日輪の下緣より虧損を開始し、また赤雲ありて東南西北の四面に向かって衝出するは、三座の城邑の同時に兵を起こすを主とす。京房《易占》にいう。庚日・辛日に、太陽の四周に四道の「珥」を生出して、日蝕は日輪の上緣より虧損を開始し、赤雲は西方に出現するは、天下に將に亂を作し王を稱する人あらんを主とす。
京氏《妖占》曰:“日以庚辛有四珥而蝕從上始,有赤雲出西方,天下有亂王。”京氏《妖占》曰:“日以壬癸四珥而蝕,有黃雲沖出,天子亡。”京氏曰:“日四珥,蝕從上而下,天子起兵;從下面上,天子有大喪。”京氏曰:“日以春二珥而蝕從下始,大半邑有死主。”京房《妖占》曰:“日以春三珥而蝕從上始,大半天下邑有小兵,重以喪。”京氏《妖占》曰:“日以春四珥而蝕從下始,大半天下凶。”
京房《妖占》にいう。庚日・辛日に、太陽の四周に四道の「珥」を生出して、日蝕は日輪の上緣より虧損を開始し、赤雲は西方に出現するは、天下に將に亂を作し王を稱する人あらんを主とす(此の條は上の一條と文字全く同じく、原書は《易占》《妖占》の兩個の來源を併存す。ゆえに重出す)。京房《妖占》にいう。壬日・癸日に、太陽の四周に四道の「珥」を生出して日蝕を發生し、また黃雲ありて衝出するは、天子の死亡を主とす。京房はいう。太陽の四周に四道の「珥」ありて、日蝕が上緣より下緣に向かって虧損するは、天子の兵を發するを主とす。下緣より上緣に向かって虧損するは、天子の家に大喪あるを主とす。京房はいう。春季の裏に太陽の兩側に兩道の「珥」を生出して、日蝕は下緣より虧損を開始するは、大半の城邑の將に主君を死掉せんを主とす。京房《妖占》にいう。春季の裏に太陽の周圍に三道の「珥」を生出して、日蝕は上緣より虧損を開始するは、天下の大半の城邑に小規模の兵事ありて、しかも喪事を伴隨す。京房《妖占》にいう。春季の裏に太陽の周圍に四道の「珥」を生出して、日蝕は下緣より虧損を開始するは、天下の大半の地方の凶に遭うを主とす。
日蝕而暈珥彗虹蜺十三
《河圖》曰:“日蝕,而交暈貫日中;兩軍爭,後者勝,將死之。”《荊州占》曰:“日蝕,其所從為側,日蝕從中起而暈,其分必亡國。”京氏《妖占》曰:“日以春暈,三珥,而蝕從上始,天下有兵。”京氏《妖占》曰:“日以春暈,四珥,而蝕從下始,天下有大喪。”
《河圖》にいう。日蝕を發生のとき、兩重の光暈ありて交錯して日輪の當中を貫穿するは、兩軍の相爭うを主として、後に手を動かすの一方は勝ち、先に手を動かすの一方は主將は戰死せん。《荊州占》にいう。日蝕を占うには、それがどの一邊より虧を起すかを看るべし。あの一邊は便ち應ずる所の方位なり。もし日蝕が日輪の正中より虧を起りて四周にまた光暈を生ずれば、あればそれの對應する所の分野は必定要に國を亡ぼさん。京房《妖占》にいう。春季に太陽が光暈を生出して、また三道の「珥」ありて、日蝕は上緣より虧損を開始するは、天下の兵を興すを主とす。京房《妖占》にいう。春季に太陽が光暈を生出して、また四道の「珥」ありて、日蝕は下緣より虧損を開始するは、天下に大喪あるを主とす。
《洛書》曰:“日蝕,下有氣如彗星,諸侯失國,天子有憂,不改,不出十二年。”甘氏曰:“日蝕,有如虹在日上者,比近臣謀上,政不明不能見,不出五年。”京氏曰:“日蝕,轉為五色而蝕,白虹見日傍,光掩掩;此嫡讓庶之蝕也,後三年尊坐無處。”
《洛書》にいう。日蝕を發生のとき、日の下方に一股の雲氣ありて形は彗星の長尾を拖るがごときは、諸侯の封國を丟き天子の心中に憂あるを主とす。もし過を改め政を修め肯んぜざれば、應期は十二年を出でず。戰國の齊國の天文家甘德はいう。日蝕を發生のとき、日の上方に一道の彩虹のごとき氣あるは、これは親近の臣の黨を結びて君上を算計するの徵象にして、君主の政事は昏昧にしてこの層の陰謀を看出さず、應期は五年を出でず。京房はいう。日蝕を發生のとき、日色が接連として青・赤・黃・白・黑の五色を轉出して後に虧蝕し、白虹は太陽の旁邊に出現して、日光は遮遮掩掩・明暗定まらず。これは嫡子の庶子に位を讓るに迫られし日蝕にして、三年の後、尊位の上に坐る人は將に身を安んずる處なからん。
日蝕而有雲氣在日傍十四
京氏曰:“日蝕,有雲如坐人於上者,主安居、下臣安。”《洛書》曰:“日蝕,有黃雲,中有伏龍,周室以興,文王受命。”《洛書》曰:“日蝕,而傍有白虎守之,大臣謀死其君,主不出三月;一曰三年。”
京房はいう。日蝕を發生のとき、日の上方に一片の雲ありて、形狀は端坐する人のごときは、君主のその位に安居して下に在る群臣もまた各々その分に安んずるを主とす。《洛書》にいう。日蝕を發生のとき、黃色の雲を出現して、雲の中に一條の伏臥の龍形を隱現するは、これは周朝の將に興起せんとして周の文王の天命を承受するの祥兆なり。《洛書》にいう。日蝕を發生のとき、日旁に白虎のごとき雲氣ありて守るは、大臣のその君主を弑殺せんと圖謀するを主として、應期は三個月を出でず。別の一種の説は三年を出でず。
石氏曰:“日蝕、如白虎守日者,人君九族有伏,謀亂君政以自成;不救,不出五年,當有謀臣。”甘氏曰:“日蝕,有如白兔守日者,民當謀舉兵,威亂三州;其先見變不改,不出其年,兵行。”京氏曰:“日蝕,有如兔守日,政令不由君;或君不用賢,澤不下施;則高岸為谷,深谷為陵;發於沖。”
戰國の魏國の天文家石申はいう。日蝕を發生のとき、もし白虎のごとき氣ありて日旁に守るは、君主の九族の內に禍根を藏して、人ありて國政を謀亂して以て自己を成全せんとすることを説明す。もし禳救して政を修めんと設法せざれば、應期は五年を出でずして、一定に不軌を圖謀する權臣を出現せん。甘德はいう。日蝕を發生のとき、もし白兔のごとき氣ありて日旁に守るは、民間の將に起兵を謀劃して聲勢は三個の州を擾亂せんを主とす。先前にすでにこの種の變異を見るも卻って弦を改め張を更え肯んぜざれば、あれば當年を出でずして便ち兵を動かさんと要す。京房はいう。日蝕を發生のとき、兔子のごとき氣ありて太陽を守るは、政令の君主の手より出でざるを主とす。あるいは君主の賢才を任用せ肯んぜずして、恩澤は下に百姓に達する能わず。是にして高き崖岸は崩陷して深谷と爲り、深谷は壅塞して丘陵と爲り、天地はこれに因って形を變ぜん。應驗は日蝕の在る所の方位と正に相對衝するのあの一方に發生す。
石氏曰:“日蝕,有兔守之,民為亂,臣逆者;不出其年分,兵起。”甘氏曰:“日蝕,有如君鳥;《太公兵法》曰:‘兩鳥夾日,名為天雞守日,人君妻家謀奪君處,先數視君動靜,欲行其志;天先見變,戒之。’”《天鏡》曰:“日蝕,有鳥夾之,君當司謀防之急。”
石申はいう。日蝕を發生のとき、兔形の氣ありて守るは、百姓の亂を作し臣下の叛逆するを主として、この年を出でず・この一分野を出でずして、便ち兵を起こさんと要す。甘德はいう。日蝕を發生のとき、大鳥のごとき氣ありて出現す。《太公兵法》にいう。「兩團の鳥形の雲氣が一左一右に太陽を夾住するを、これを『天雞守日』と呼び、君主の妻族の君位を奪取せんと圖謀するを主として、彼らは先に屢次君主の動靜を窺看して、自己の野心を實現せんと欲す。上天は預めこの種の變異を顯出するは、便ち君主に警戒せんと欲するなり。」《天鏡》にいう。日蝕を發生のとき、鳥形の氣ありて左右に太陽を夾住するは、君主は應に趕緊にこの種の密謀を察覺して防範を加うべし。
日蝕而鳴震裂十五
京房《易傳》曰:“內臣外向,茲謂背厥蝕;蝕已巳且而地中鳴。”京氏曰:“日蝕盛中時,黑乃之從內(闕××××××)地中鳴;此京師諸侯叛,群下與外土諸侯交,亂法度之蝕;後人君亡國,臣伏其殃。”京氏曰:“日蝕,先地中鳴乃蝕,蝕左右居雲中,四方無雲,先大風三日;此宰相專,公謀反之蝕也。後三年,邪人謀反。”
京房《易傳》にいう。朝廷內の臣子の心は外藩に向かう、これを「背」と呼び、因って日蝕を招來す。日蝕過ぎてほどなく、地底下は鳴響を發せん。京房はいう。日蝕が正午の日光最も盛んのときに發生して、黑影は日輪の內側より生出す(此の處は底本に六字を闕く)、地底下は鳴響を發す。これは京師の諸侯の謀叛・下に在る群臣の外地諸侯と私相勾結して國家の法度を擾亂するの招致する所の日蝕なり。此の後に君主は國を亡び、臣子もまたこの場の災殃を伏受せんと要す。京房はいう。日蝕を發生のとき、先に地底鳴響して後にこそ虧蝕し、虧蝕の左右の兩邊はみな雲氣の中に處して、四方に卻って雲なく、事前にまた三天の大風を刮りしは、これは宰相の權を專らにし三公の謀反するの招致する所の日蝕なり。三年の後、奸邪の人は便ち謀反せんと要す。
京房《易傳》:“臣欲居主位,茲謂不和,厥蝕白青,四方赤,巳蝕地震。”京房《易傳》曰:“人君荒酒無節,則日蝕乍青、乍黑、乍赤,明日大雨,發蒙而寒;地震動,宮中有水。”京氏曰:“日蝕,後氛氛不解,地必震,不過旬中。”
京房《易傳》にいう。臣子が君主の位を占據せんと欲するを、これを「不和」と呼び、その應驗は日蝕のとき日色は白を泛び青を泛びて四周の天邊は赤を發し、日蝕過ぎて隨即地震せん。京房《易傳》にいう。君主が飲酒に沉溺して毫も節制なければ、便ち日蝕を招來して、日色は一會兒青・一會兒黑・一會兒赤なり。第二天に大雨を下り、雨後に霧氣は蒙蒙として天氣は寒に轉じ、同時に大地は震動して、宮中にもまた水を進入せり。京房はいう。日蝕の後に陰霾の氣が彌漫して散ぜざれば、あれば必定に地震ありて、十天の内を出でず。
京氏曰:“諸侯更制,茲謂叛;厥蝕三蝕三復,巳而風,地動。”京氏曰:“專制之蝕,光散左右,寇,三蝕三復,巳而風,明日地必動,是謂諸侯傳制之變也;後九年,殺。”京氏曰:“日蝕,地震;一日震裂,日白若中分,日(闕×××)然見而寒乃蝕;左右發四正,此方伯徵誅過職,威權上侵之蝕,二年殺。”
京房はいう。諸侯が擅自に朝廷の制度を更改するを、これを「叛」と呼ぶ。その應驗は日輪は三度虧損し三度圓を復して、蝕し盡くしたる後に風を起こし、接着して地動せん。京房はいう。專權擅政に屬する日蝕は、日光は左右の兩側に向かって散開して、寇亂あるを主として、日輪は三虧三復して、蝕し盡くしたる後に風を起こし、第二天に必定に地動す。これを諸侯の私自に政令を傳布するの變異と呼び、九年の後に殺戮の禍あらん。京房はいう。日蝕のときに地震を伴う。有一天に大地は震裂して、日色は白を發してあたかも中間より一を二に分かれたるがごとく、太陽(此の處は底本に三字を闕く)は忽然として顯現して天氣は寒に轉じ、隨後に虧蝕す。日輪の左右は東南西北の四正の位に向かって光氣を散出す。これは方伯一級の諸侯長官の征伐誅殺が本職の權限を超出して威權は君上を侵犯するの招致する所の日蝕にして、兩年の内に殺戮あらん。
日蝕而寒風雨雹雷十六
京房《易傳》曰:“同姓上侵,茲謂誣君厥蝕;四方有雲,中央無雲,其日大風。”京氏曰:“親伐之蝕,日體而寒時明,是不和,自舉兵。”京氏曰:“日蝕其質黃者,陽覺悟也;寒後九十日,必有誅者。”京氏曰:“日食巳而寒,飢,陰疾,多喪。”
京房《易傳》にいう。同姓宗室の臣が君上を侵犯するを、これを「誣君」と呼び、因って日蝕を招來す。その徵象は四周に雲ありて日輪の正中に雲なし、當天にまた大風を刮る。京房はいう。親族相攻に屬する日蝕は、日輪本身は寒氣人を逼りて時に明時に暗なり。これは骨肉不和の象にして、親族の自ら兵を起こすを主とす。京房はいう。日蝕のとき日の本色が黃を發するは、陽氣がなほ自ら覺醒し能うを説明す。天氣が寒に轉じたる後九十天に、一定に誅殺せらるる人あらん。京房はいう。日蝕が剛ち過ぎて天氣は寒に轉ずるは、饑荒を主として陰濕の疾は流行して、死喪衆多なり。
京氏曰:“日大寒,飢病非一處,蝕陽下平旦,蝕發於(闕××)對蝕從外,後中國,大飢;盜賊群君,夷狄動心,後九年諸侯亂。(闕×××)京氏曰:“日蝕,白氣先出,半天乃蝕,五色至大寒,黑貫日,有旋風,(闕××××××××××××××××××)
京房はいう。日蝕のとき天氣が奇寒なるは、饑荒と疾疫は一處のみに發生せず。虧蝕は日輪の陽に屬する下緣より起りて、時は天の剛ち亮せんとする平旦の時分に在り、蝕象は(此の處は底本に二字を闕く)の位に發して、それと相對衝するの一方は則ち外緣より蝕を起し、此の後に中原の地區は大いに饑荒に鬧ぐ。盜賊は成群して首領を擁立し、四邊の夷狄もまた覬覦の心を動かして、九年の後に諸侯は亂を作す。(此の處は底本に三字を闕く)京房はいう。日蝕を發生するに、先に白色の雲氣ありて升起して、半個の天空に彌漫してこそ虧蝕を開始し、日色は五色を現出して天氣は極寒と變じ、また黑氣ありて日輪を橫貫して併せて旋風を起こす、(此の處は底本に十八字を闕く)
京氏曰:“日食先炎風三日,乃食;蝕左右四方並有雲,濁,中央無雲,其日大寒,發於風;此同姓諸侯侵蝕也,後九年,殺。”京氏《易傳》曰:“宰相大臣,因專權日蝕,先大風,日食時,日居雲中,四方無雲也。(闕××××××)京氏曰:“日食,焱風雨七日,折木乃蝕既,此臣剝其君之蝕也;五年,五穀化為蟲。”
京房はいう。日蝕の前に先に三天の熱風を刮りて、然る後にこそ虧蝕す。虧蝕のとき日輪の左右と四方にみな雲ありて、雲色は渾濁にして、唯獨正中に雲なく、當天は奇寒にして、應驗は風に發す。これは同姓諸侯の君權を侵奪するの招致する所の日蝕にして、九年の後に殺戮あらん。京房《易傳》にいう。宰相大臣が權柄を專擅するに因って日蝕を招來し、事先に大風を刮りて、日蝕發生のとき日輪は雲の中に處して、四方に卻って雲なし。(此の處は底本に六字を闕く)京房はいう。日蝕の前に狂風暴雨は七天連下して樹木を吹折して、然る後に日全食を發生するは、これは臣子のその君を剝奪するの日蝕なり。五年の内に、五穀はみな蟲を生じて化盡せん。
京氏曰:“日蝕、為亂、為兵;巳蝕而風,是謂兵起;已蝕而雨,是為分殃;已蝕而霧,群豪聚;已蝕而飛烏不復其鄉。”京氏曰:“君疾善下謀下,茲謂亂;厥蝕既、先雨雹、殺走獸;赤質黃貫其中,此君不肯用賢,而任小人政教,君必逐。”京氏曰:“縱慾,茲謂不明,厥蝕先大雨三日,雨降而寒,既蝕。”京氏曰:“日蝕而雷,國亡。”
京房はいう。日蝕は禍亂を主として兵事を主とす。蝕し盡くしたる後に風を起こすを、これを兵起と呼ぶ。蝕し盡くしたる後に雨を下るは、これは災殃の各地に分散するなり。蝕し盡くしたる後に霧を起こすは、豪強の衆を聚るを主とす。蝕し盡くしたる後に飛鳥は再び自己の舊巢に回らず。京房はいう。君主が賢能を厭惡して臣下を算計するを好むを、これを「亂」と呼ぶ。その應驗は日全食を發生して、事先に冰雹を降下して走獸を打死せしむ。日の本色は赤紅にして黃氣ありて當中を橫貫するは、これは君主の賢人を任用せ肯んぜず政教を小人に交給するの象にして、君主は必ず驅逐せられん。京房はいう。君主が情欲を放縱するを、これを「不明」と呼び、その應驗は日蝕の前に先に三天の大雨を下り、雨後に寒に轉じて、隨即全食を發生す。京房はいう。日蝕のときに雷を打つは、國家の滅亡を主とす。
日蝕而星墜蝕盡晦而星見十七
京氏曰:“日蝕,星墜復上,此賦銂重數,下竭之蝕;九年殺。(闕×××××××××××)京房《易傳》曰:“人君貪殘重賦,日蝕而星墜前而下也。”
京房はいう。日蝕を發生のとき、星ありて墜落し下去してまた復升り上がるは、これは賦稅の繁重・屢次に加徵して民力を榨乾するの招致する所の日蝕なり。九年の内に殺戮の禍あらん。(此の處は底本に十一字を闕く)京房《易傳》にいう。君主が貪婪殘暴にして賦斂沈重なれば、便ち日蝕を出現して、併せて星ありて日前に墜落して下る。
韋昭《洞紀》曰:“周(闕×××)年日蝕盡晦(闕××××)年星又晝見(闕×××)年周貞定王崩,哀王時為太子,立三月,為弟叔殺之。叔自立為思王,五月後少為弟嵬復弒之,嵬立,是為考王。”
三國の吳國の史官韋昭は《洞紀》の裏にいう。周朝(此の處は底本に三字を闕く)年に日蝕を發生し、日光は全く吞盡せられて天色は夜晚のごとく黑し。(四字を闕く)年にまた星ありて白晝に出現す。(三字を闕く)年に周の貞定王は去世し、哀王は當時太子にして、位を繼ぐことこそ三個月に、便ち弟叔に殺掉せらる。叔は自立して思王と爲り、五個月を過ぎて、また弟嵬に弑殺せらる。嵬は位を即けば、これがすなわち周の考王なり。
日與月俱蝕十八
《洛書》曰:“日月俱蝕,有亡國;月先即陰國當之,日先即陽國當之,蝕陽男主受之;蝕陰女主受之。”魏氏曰:“日月俱蝕,國亡一月;三蝕,主亡。”
《洛書》にいう。日と月が同時に虧蝕するは、國家の滅亡あるを主とす。月が先に蝕せば、便ち陰に屬する國家に由って承當せしむ。日が先に蝕せば、便ち陽に屬する國家に由って承當せしむ。虧蝕が日輪の陽に屬する一側に在れば、男主に由って承當せしむ。虧蝕が陰に屬する一側に在れば、女主に由って承當せしむ。魏氏(三國の曹魏一系の星占家を指す)はいう。日月が同時に虧蝕するは、一個月の内に便ち國家の滅亡あらん。もし接連して三次虧蝕せば、君主の死亡を主とす。
開元占經 卷十
日占 六
日四時蝕一
《春秋左氏傳》曰:魯昭公二十一年秋七月壬午朔,日有蝕之,公問梓慎曰:“是何物也?禍福何也?”對曰:“二至二分,日有蝕之,不為災。日月之行也,分同道也,至相過也,其他月則為災,陽不克也;故常為水。”
《春秋左氏傳》に記載す。魯の昭公二十一年秋の七月壬午のこの一天は正に朔日にして、日蝕を發生せり。昭公は大夫梓慎に問うていう。「これは何の徵象なるか。禍を主とするか福を主とするか。」梓慎は回答していう。「冬至・夏至と春分・秋分のこの四個の節氣の上に日蝕を發生するは、災異と算せず。日と月の運行は、二分のときは同じく一條の軌道に在りて、二至のときは彼此に相過ぐるを以てなり。もし別の月分に日蝕を發生すれば、あれは便ち災異にして、陽氣の陰氣に敵し能わざるを説明す。ゆえに常常に水災と爲って應驗す。」
甘氏曰:“日者,人主之象,故王者服道:不道施德;不德日為之變。見道不明,德薄日為之無光,無德日乃盡蝕”“春蝕,大凶;又曰:國有女喪;夏蝕無年,又曰諸候王多死者;秋蝕,有兵戰勝;又曰主死,冬蝕有喪;一曰相死。”
甘德はいう。太陽は君主の象徴なり。ゆえに王と爲る人は天道に服膺せんと要す。道に合わざれば便ち趕緊に德政を施行すべく、德を修めざれば、太陽は便ち彼の爲に變異を顯出せん。もし道を見ること明らかならず德行は淺薄なれば、太陽は便ち彼の爲に光亮を失去せん。もし全然として德なければ、太陽は便ち彼の爲に整個として吞蝕せらる。甘德はまたいう。春天に日蝕を發生するは、大凶なり。一説は國中に女性の喪事あらん。夏天に日蝕を發生するは、一年は顆粒の收なし。一説は諸侯王に死者多し。秋天に日蝕を發生するは、兵事ありて取勝し得。一説は君主死せん。冬天に日蝕を發生するは、喪事あらん。一説は宰相死せん。
甘氏曰:“春丙丁,夏庚辛,秋壬癸,冬甲乙日蝕者,皆相死;諸蝕三日,有雨解之。”甘氏曰:“春以庚辛,夏壬癸,秋丙丁,冬戊己日蝕,皆臣弒君也;一曰:以德令除咎。”京氏曰:“日冬蝕,相死;不即有逐。”《荊州占》曰:“日夏蝕,陽為南國,陰為北國,是為禍國。”
甘德はいう。春季の丙日・丁日、夏季の庚日・辛日、秋季の壬日・癸日、冬季の甲日・乙日に日蝕を發生するは、みな宰相の死を主とす。およそこの一類の日蝕は、三日の内にもし雨を下れば、災咎は便ち化解すべし。甘德はいう。春季に庚日・辛日、夏季に壬日・癸日、秋季に丙日・丁日、冬季に戊日・己日に日蝕を發生するは、みな臣子の君主を弑殺するを主とす。別の一種の説は德政を颁布施行するの詔令を以て災咎を消除すべきなり。京房はいう。冬天に日蝕を發生するは、宰相の死を主とす。然らざれば便ち放逐せらるる人あらん。《荊州占》にいう。夏天に日蝕を發生するに、日輪の陽位は南方の國に應じ、陰位は北方の國に應ず。これは國家の爲に禍を招くの象なり。
日十二月蝕二
京房《易傳》曰:“正月日蝕,大臣出走,不然大臣一人死。”石氏曰:“正月日蝕,不見光,人多疾。”陳卓曰:“正月日蝕,齊大凶,五穀貴。”京房《易傳》曰:“二月日蝕,人主夫人死,不然大旱。”石氏曰:“二月日蝕,不見光,人多喪。”陳卓曰:“二月日蝕,魯大凶,豆貴、牛死。”
京房《易傳》にいう。正月に日蝕を發生するは、大臣の出奔逃亡を主として、然らざれば便ち一位の大臣の死去あらん。石申はいう。正月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、百姓の疾病多きを主とす。陳卓(三國の吳・西晉の際の天文學家にして、かつて甘德・石申・巫咸の三家の星官を總合せり)はいう。正月に日蝕を發生するは、齊地は大凶にして五穀の價は貴し。京房《易傳》にいう。二月に日蝕を發生するは、君主の夫人の死を主として、然らざれば便ち大旱なり。石申はいう。二月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、百姓の喪事多きを主とす。陳卓はいう。二月に日蝕を發生するは、魯地は大凶にして、豆價は騰貴して牛只は死亡せん。
京房《易傳》曰:“三月日蝕,有欲反者;近期三月,遠期三年。”石氏曰:“三月日蝕,不見光,水大出。”陳卓曰:“三月日蝕,楚大凶,絲錦布帛貴。”京氏《易傳》曰:“四月日蝕,人主有過,臣有憂。”石氏曰:“四月日蝕,不見光,天下大旱。”陳卓曰:“四月日蝕,宋大凶,牛食貴,六畜死。”
京房《易傳》にいう。三月に日蝕を發生するは、人の反叛を圖謀するあるを主として、近ければ三個月の内に應じ、遠ければ三年の内に應ず。石申はいう。三月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、大水泛濫を主とす。陳卓はいう。三月に日蝕を發生するは、楚地は大凶にして、絲・錦・布・帛はみな價を漲せん。京房《易傳》にいう。四月に日蝕を發生するは、君主に過失ありて臣下はこれに因って憂懼せんを主とす。石申はいう。四月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、天下の大旱を主とす。陳卓はいう。四月に日蝕を發生するは、宋地は大凶にして、牛の草料は價を漲して六畜は死亡せん。
京氏《易傳》曰:“五月日蝕,諸侯多死,期三年。”石氏曰:“五月日蝕,不見光,大旱,民飢。”陳卓曰:“五月日蝕,梁大凶,牛死、畜貴。”京房《易傳》曰:“六月日蝕,人主有謀,外國侵,土地分。”石氏曰:“六月日蝕,不見光,六畜貴。”陳卓曰:“六月日蝕,沛大凶,稻米穀粟貴。”
京房《易傳》にいう。五月に日蝕を發生するは、諸侯に死者多きを主として、應期は三年の内に在り。石申はいう。五月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、大旱を主として百姓は饑饉せん。陳卓はいう。五月に日蝕を發生するは、梁地は大凶にして、牛只は死亡して牲畜の價は貴し。京房《易傳》にいう。六月に日蝕を發生するは、君主に別の圖謀ありて外國は來犯して國土は分割せらるるを主とす。石申はいう。六月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、六畜の價貴きを主とす。陳卓はいう。六月に日蝕を發生するは、沛地は大凶にして、稻米と穀粟は價を漲せん。
京房《易傳》曰:“七月日蝕,有反者從內起,期三年。”石氏曰:“七月日蝕,不見光,其歲惡;又曰秦國惡之。”陳卓曰:“七月日蝕,陳大凶,繒大貴。京房《易傳》曰:“八月日蝕,大水敗城郭,天下更始,期三年。”石氏曰:“八月日蝕,不見光,兵大起。”陳卓曰:“八月日蝕,鄭大凶,兵起,兵革金貴。”
京房《易傳》にいう。七月に日蝕を發生するは、反叛者の朝廷內部より事を起こすあるを主として、應期は三年なり。石申はいう。七月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、この一年は年成好ならず。またいう、秦國はこれに因って殃に遭わんとす。陳卓はいう。七月に日蝕を發生するは、陳地は大凶にして、絲織の繒帛は價を大漲せん。京房《易傳》にいう。八月に日蝕を發生するは、大水の城郭を沖壞して天下は朝を改め代を換えて重たく局を開くを主として、應期は三年なり。石申はいう。八月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、大規模に兵を起こすを主とす。陳卓はいう。八月に日蝕を發生するは、鄭地は大凶にして、兵事興起し、兵器甲胄と金屬は價を漲せん。
京氏《易傳》曰:“九月日蝕,外主欲自立,不成,期一年。”石氏曰:“九月日蝕,不見光,布帛貴;又曰衛國大惡。”陳卓曰:“九月日蝕,韓大凶,衣鹽貴。”京氏《易傳》曰:“十月日蝕,奸臣有朝,二人親,一人遠陵君,君走。”石氏曰:“十月日蝕,不見光,六畜貴;又曰魏國魚鹽貴。”陳卓曰:“十月日蝕,秦大凶,魚鹽貴。”
京房《易傳》にいう。九月に日蝕を發生するは、外藩の主の自立して王と爲らんと欲するも成事し能わざるを主として、應期は一年なり。石申はいう。九月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、布帛の價漲するを主とす。またいう、衛國は大いに不利なりとす。陳卓はいう。九月に日蝕を發生するは、韓地は大凶にして、衣物と食鹽は價を漲せん。京房《易傳》にいう。十月に日蝕を發生するは、奸臣の朝廷に立つを主として、其中の兩人は親黨を結び、別の一人は遠處より君主を欺凌して、君主は逼られて出奔せん。石申はいう。十月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、六畜の價貴きを主とす。またいう、魏國は魚鹽價漲せんとす。陳卓はいう。十月に日蝕を發生するは、秦地は大凶にして、魚鹽は價を漲せん。
京房《易傳》曰:“十一月日蝕,王者亡地,子弒父。”石氏曰:“十一月日蝕,不見光,魚鹽貴;又曰趙國大惡。”陳卓曰:“十一月日蝕,燕大凶,魚鹽貴。”京氏《易傳》曰:“十二月日蝕,天下有兵,大臣欲自立,不成,夫人弒君也。”石氏曰:“十二月日蝕,不見光,穀粟貴;又日燕國牛死。”陳卓曰:“十二月日蝕,趙大凶,帛貴。”京房《易傳》曰:“日以十二月,正月蝕,破為兩以上,王者盡走。”
京房《易傳》にいう。十一月に日蝕を發生するは、王者の土地を喪失し兒子の父親を弑殺するを主とす。石申はいう。十一月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、魚鹽の價漲するを主とす。またいう、趙國は大いに不利なりとす。陳卓はいう。十一月に日蝕を發生するは、燕地は大凶にして、魚鹽は價を漲せん。京房《易傳》にいう。十二月に日蝕を發生するは、天下に兵事ありて大臣の自立せんと欲するも成事し能わざるを主として、君主は夫人に弑せらる。石申はいう。十二月に日蝕を發生して、太陽は全然として光を見ず、穀粟の價漲するを主とす。またいう、燕國は牛只死亡せんとす。陳卓はいう。十二月に日蝕を發生するは、趙地は大凶にして、帛價は上漲せん。京房《易傳》にいう。太陽が十二月と正月の裏に虧蝕して、日輪は破裂して兩塊以上と成るは、王者の盡數出逃するを主とす。
日六甲蝕三
甘氏曰:“甲乙日蝕,東夷侵;丙丁日蝕,南夷侵。”《春秋潛潭巴》曰:“甲子日蝕,有兵,狄強起。”京氏曰:“甲子日蝕,北夷欲殺中臣,有謀;不者大水,在東方。”《春秋潛潭巴》曰:“乙丑日蝕,大旱,大夫執綱。”京房曰:“乙丑日蝕,諸侯之臣欲弒其君,在西北,兵行不勝,後有小兵,五穀頗蟲傷。”
甘德はいう。甲日・乙日に日蝕を發生するは、東夷の入侵を主とす。丙日・丁日に日蝕を發生するは、南夷の入侵を主とす。漢代の《春秋》を解説するの緯書《春秋潛潭巴》にいう。甲子日に日蝕を發生するは、兵事ありて北狄の勢力は強盛して起るを主とす。京房はいう。甲子日に日蝕を發生するは、北方夷狄の朝中大臣を殺害せんと欲して暗中にすでに圖謀あるを主とす。然らざれば便ち大水を發して、事は東方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。乙丑日に日蝕を發生するは、大旱にして大夫の朝綱を把持するを主とす。京房はいう。乙丑日に日蝕を發生するは、諸侯の臣屬のその君を弑殺せんと欲するを主として、事は西北方に應じ、兵を出しても取勝し能わず、此の後に小規模の兵事ありて、五穀は頗る蟲害を受く。
《春秋潛潭巴》曰:“丙寅日蝕,蟲,久旱多水徵。”京氏曰:“丙寅日蝕,司待欲弒君,後有小旱,在東南。”《春秋潛潭巴》曰:“丁卯日蝕,旱,有兵。”京房曰:“丁卯日蝕,諸侯欲弒君,在北方,後有蝗蟲之殃。”《春秋潛潭巴》曰:“戊辰日蝕,地動,陰強。”京房曰:“戊辰日蝕,同姓近臣欲弒君,後有地動,變在東南。”
《春秋潛潭巴》にいう。丙寅日に日蝕を發生するは、蟲災を主として久旱の後にまた水患多きの徵兆なり。京房はいう。丙寅日に日蝕を發生するは、侍衛を掌る官の君主を弑殺せんと欲するを主として、此の後に小旱ありて、事は東南方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。丁卯日に日蝕を發生するは、旱災を主として兵事あらん。京房はいう。丁卯日に日蝕を發生するは、諸侯の君主を弑殺せんと欲するを主として、事は北方に應じ、此の後に蝗蟲の災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。戊辰日に日蝕を發生するは、地動を主として陰氣強盛なり。京房はいう。戊辰日に日蝕を發生するは、同姓の近臣の君主を弑殺せんと欲するを主として、此の後に地動ありて、變異は東南方に應ず。
《春秋潛潭巴》曰:“己巳日蝕,地動,火災數降。”京房曰:“己巳日蝕,婚家欲弒君,後有諸侯謀,後在西南。”《春秋潛潭巴》曰:“庚午日蝕,後火燒後宮,有兵行。”京房曰:“庚午日蝕。司徒欲弒其主,兵必行,後有大旱,在南方。”《春秋潛潭巴》曰:“辛未日蝕,大水湯湯。”京氏曰:“辛未日蝕,司空欲弒君,後有大蟲,在東方。”
《春秋潛潭巴》にいう。己巳日に日蝕を發生するは、地動を主として火災は屢屢降臨せん。京房はいう。己巳日に日蝕を發生するは、外戚姻親の家の君主を弑殺せんと欲するを主として、此の後に諸侯の合謀ありて、事は西南方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。庚午日に日蝕を發生するは、此の後に后宮を火燒して併せて兵事あらん。京房はいう。庚午日に日蝕を發生するは、司徒のその君主を弑殺せんと欲するを主として、必定に兵を動かし、此の後に大旱ありて、事は南方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。辛未日に日蝕を發生するは、大水の浩浩蕩蕩を主とす。京房はいう。辛未日に日蝕を發生するは、司空の君主を弑殺せんと欲するを主として、此の後に大蟲災ありて、事は東方に應ず。
《春秋潛潭巴》曰:“壬申日蝕,水盛陽潰,陰欲朔。”京氏曰:“壬申日蝕,諸候相弒,在東北方,後有小兵,寇盜並行。”《春秋潛潭巴》曰:“癸酉日蝕,連陰不解,淫雨數出,有兵。”京房曰:“癸酉日蝕,上強,天下謀,兵不出其年,大兵行始於西方。”《春秋潛潭巴》曰:“甲戌日蝕,草木不滋,王令不行。”京房曰:“甲戌日蝕,近臣欲弒君,反為戮辱,後有小時,在西南。”
《春秋潛潭巴》にいう。壬申日に日蝕を發生するは、水勢の旺盛にして陽氣の潰敗・陰氣の陽氣を壓倒せんと欲するを主とす。京房はいう。壬申日に日蝕を發生するは、諸侯の彼此弑殺するを主として、事は東北方に應じ、此の後に小規模の兵事ありて盜寇は一齊に出動せん。《春秋潛潭巴》にいう。癸酉日に日蝕を發生するは、陰雲の連日として散ぜず淫雨は屢降して併せて兵事あらん。京房はいう。癸酉日に日蝕を發生するは、上に在る者の強を恃み勢を逞にして天下は謀反の心を起こすを主として、兵を動かすことこの年を出でずして、大規模の用兵は西方より開始す。《春秋潛潭巴》にいう。甲戌日に日蝕を發生するは、草木の滋長し能わず王者の政令は行通わざるを主とす。京房はいう。甲戌日に日蝕を発生するは、近臣の君主を弑殺せんと欲するも反って自ら殺戮の辱を取るを主として、此の後に小さき時序の反常ありて、事は西南方に應ず。
《春秋潛潭巴》曰:“乙亥日蝕,陽不明,冬無冰。”京房曰:“乙亥日蝕,子欲弒父,身獲虜,後有陰雨;一曰日蝕陰,天下大亂。”《春秋潛潭巴》曰:“丙子日蝕,五月大霜。”京房曰:“丙子日蝕,諸侯欲相弒,兵必行,在東,後有大水。”《春秋潛潭巴》曰:“相丑日蝕,誅三公。”京氏曰:“丁丑日蝕,諸侯近臣欲弒其君,在西北方,後有小兵。”
《春秋潛潭巴》にいう。乙亥日に日蝕を發生するは、陽氣の明ならず冬天は冰を結ばざるを主とす。京房はいう。乙亥日に日蝕を發生するは、兒子の父親を弑殺せんと欲して自身は反って俘獲せらるるを主として、此の後に連綿の陰雨あらん。別の一種の説は日が陰氣に蝕せらるるは天下は大亂すとす。《春秋潛潭巴》にいう。丙子日に日蝕を發生するは、五月の裏に大霜を降るを主とす。京房はいう。丙子日に日蝕を發生するは、諸侯のあいだの互相弑殺するを主として必定に兵を動かし、事は東方に應じ、此の後に大水あらん。《春秋潛潭巴》にいう。「相丑」日に日蝕を發生するは、三公の誅せらるるを主とす(底本は「相丑」と作り、應に「丁丑」の訛ならん)。京房はいう。丁丑日に日蝕を發生するは、諸侯の近臣のその君を弑殺せんと欲するを主として、事は西北方に應じ、此の後に小規模の兵事あらん。
《春秋潛潭巴》曰:“戊寅日蝕,天下大風,無園果。”京氏曰:“戊寅日蝕,異姓近臣欲弒其君,後歲旱,土沸騰。”《春秋潛潭巴》曰:“己卯日蝕,地賊起,砂石踴,以有壅。”京氏曰:“己卯日蝕,東夷欲殺,後有大蟲。”《春秋潛潭巴》曰:“庚辰日蝕,慧星東出,在寇兵。”京氏曰:“庚辰日蝕,君易賢以剛。卒以自傷,後有水,在東北。”
《春秋潛潭巴》にいう。戊寅日に日蝕を發生するは、天下の大風を刮りて園中の果木は果實を結ばざるを主とす。京房はいう。戊寅日に日蝕を發生するは、異姓の近臣のその君を弑殺せんと欲するを主として、此の後に年成は乾旱して地氣は沸のごとく蒸騰せん。《春秋潛潭巴》にいう。己卯日に日蝕を發生するは、地下の盜賊の興起して砂石は涌出して因って壅塞を造成するを主とす。京房はいう。己卯日に日蝕を發生するは、東夷の凶を行い殺戮せんと欲するを主として、此の後に大蟲災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。庚辰日に日蝕を發生するは、彗星の東方より出現して寇兵は將に至らんを主とす。京房はいう。庚辰日に日蝕を發生するは、君主の剛暴の人を用いて賢者を替換して終に自らその身を傷るを主として、此の後に水災ありて、事は東北方に應ず。
《春秋潛潭巴》曰:“辛巳日蝕,妃謀王子,用兵。”京房曰:“辛巳日蝕,諸侯外親欲弒其君,兵行暴,至期沖,兵起西北。”《春秋潛潭巴》曰:“壬午日蝕,久雨旬望。”京氏曰:“壬午日蝕,三公與諸侯相賊,弱其君王,天應而蝕,三公失國,後旱且水。”《春秋潛潭巴》曰:“癸未日蝕,仁義不明。”京氏曰:“癸未日蝕,諸侯上侵,下臣欲弒其君,在東北,後有小蟲。”
《春秋潛潭巴》にいう。辛巳日に日蝕を發生するは、妃嬪の王子を算計して因って兵を動かすを主とす。京房はいう。辛巳日に日蝕を發生するは、諸侯の外戚のその君を弑殺せんと欲して兵を用いること凶暴にして、日蝕の位と相衝するの時節に到れば、兵事は西北方より起こるを主とす。《春秋潛潭巴》にいう。壬午日に日蝕を發生するは、久雨の十日より半月に延至するを主とす。京房はいう。壬午日に日蝕を發生するは、三公と諸侯の互相殘害して彼らの君王を削弱するを主として、上天は感應ありて日を虧蝕せしめ、三公は將に封國を失わんとし、此の後に先に旱して後に澇す。《春秋潛潭巴》にいう。癸未日に日蝕を發生するは、仁義の彰ならざるを主とす。京房はいう。癸未日に日蝕を發生するは、諸侯の君上を侵犯して下の臣子はその君を弑殺せんと欲するを主として、事は東北方に應じ、此の後に小蟲災あらん。
《春秋潛潭巴》曰:“甲申日蝕,蟲,四月大霜。”京房曰:“甲申日蝕,司馬大夫欲弒君,後有小水,在晉。”《春秋潛潭巴》曰:“乙酉日蝕,仁義不明,賢人消。”京氏曰:“乙酉日蝕,君弱臣強,司馬將兵反徵其主。”《春秋潛潭巴》曰:“丙戌日蝕,臣僧主,獄不理,多冤訟。”京氏曰:“丙戌日蝕,同姓近臣欲弒其君,後有大旱,火從天墮。”
《春秋潛潭巴》にいう。甲申日に日蝕を發生するは、蟲災を主として四月の裏に大霜を降せん。京房はいう。甲申日に日蝕を發生するは、司馬一級の大夫の君主を弑殺せんと欲するを主として、此の後に小水災ありて、事は晉地に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。乙酉日に日蝕を發生するは、仁義の彰ならず賢人の消退するを主とす。京房はいう。乙酉日に日蝕を發生するは、君弱く臣強くして、司馬は軍隊を統領して反ってその君主を討伐するを主とす。《春秋潛潭巴》にいう。丙戌日に日蝕を發生するは、臣子の君主を憎惡する(底本の「僧」は「憎」の訛なり)を主として、刑獄は審理し能わずして冤案訴訟は繁多なり。京房はいう。丙戌日に日蝕を發生するは、同姓の近臣のその君を弑殺せんと欲するを主として、此の後に大旱ありて、火は天上より墜落せん。
《春秋潛潭巴》曰:“丁亥日蝕,匿謀滿王室。”京氏曰:“丁亥日蝕,君臣無別,司馬牧民,司徒將兵,後有蟲在西北方。”《春秋潛潭巴》曰:“戊子日蝕,宮室內淫,必惑雄。”京房曰:“戊子日蝕,妻欲害夫,九族夷滅,後有大水,在東方。”《春秋潛潭巴》曰:“巳丑日蝕,臣伐其主,天下皆亡。”京房曰:“巳丑日蝕,婚家欲弒,後有小兵,在西方。”
《春秋潛潭巴》にいう。丁亥日に日蝕を發生するは、隱匿の陰謀の王室に充滿するを主とす。京房はいう。丁亥日に日蝕を發生するは、君臣の名分は明らかならずして、兵を掌る司馬は去って百姓を牧養し、民を掌る司徒は去って軍隊を統領して、職守は全く亂れて、此の後に蟲災ありて、事は西北方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。戊子日に日蝕を發生するは、宮闈の內に淫亂して必定に男寵に迷惑せらるるを主とす。京房はいう。戊子日に日蝕を發生するは、妻子の丈夫を謀害せんと欲するを主として、九族は誅滅せられ、此の後に大水ありて、事は東方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。己丑日に日蝕を發生するは、臣子のその主を討伐して天下はみな敗亡せんを主とす(底本の「巳丑」はすなわち「己丑」なり)。京房はいう。己丑日に日蝕を發生するは、外戚姻親の家の弑逆を行わんと欲するを主として、此の後に小規模の兵事ありて、事は西方に應ず。
《春秋潛潭巴》曰:“庚寅日蝕,誅相,大水,多死傷。”京房曰:“庚寅日蝕,臣欲將兵,誅過職,身被刑殺,後有小旱,在東南方。”《春秋潛潭巴》曰:“辛卯日蝕,臣伐其主。”京氏曰:“辛卯日蝕,天子微弱,諸侯誅兵,欲弒其主,卒反得其殃,後有小蟲,在東方。”《春秋潛潭巴》曰:“壬辰日蝕,河決海溢,久霜連陰。”京氏曰:“壬辰日蝕,諸侯欲弒其君,當誅,日復蝕之,後有大水在東方。”
《春秋潛潭巴》にいう。庚寅日に日蝕を發生するは、宰相の誅せられて大水を發し死傷衆多なりを主とす。京房はいう。庚寅日に日蝕を發生するは、臣子の兵を統べんと欲して誅戮は本職の權限を超出して自身は反って刑殺せられ、此の後に小旱ありて、事は東南方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。辛卯日に日蝕を發生するは、臣子のその主を討伐するを主とす。京房はいう。辛卯日に日蝕を發生するは、天子は衰微して、諸侯は擅自に兵を興して誅伐し彼らの君主を弑殺せんと欲するも、最終に反って自らその殃を受くを主として、此の後に小蟲災ありて、事は東方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。壬辰日に日蝕を發生するは、黃河の決口・海水の泛濫・久霜と連日の陰晦を主とす。京房はいう。壬辰日に日蝕を發生するは、諸侯のその君を弑殺せんと欲して罪は誅に當るべきを主として、太陽はこれに因って再度虧蝕して、此の後に大水ありて、事は東方に應ず。
《春秋潛潭巴》曰:“癸巳日蝕,在陽位者,權不行。”京氏曰:“癸巳日蝕,諸侯隔絕,轉相伐,兵稍出。”《春秋潛潭巴》曰:“甲午日蝕,大蟲,螟蝗興,主貪暴,民流亡。”京房曰:“甲午日蝕,南夷欲弒其君,後有大旱。”《春秋潛潭巴》曰:“乙未日蝕,天下多邪氣,鬱鬱蒼蒼。”京氏曰:“乙未日蝕,君責眾,庶暴虐,黎民背叛,後有地動。”
《春秋潛潭巴》にいう。癸巳日に日蝕を發生するは、陽位に居る人の權柄は行通わざるを主とす。京房はいう。癸巳日に日蝕を發生するは、諸侯の彼此隔絶して輾轉攻伐して兵事は漸漸に興起するを主とす。《春秋潛潭巴》にいう。甲午日に日蝕を發生するは、大蟲災を主として螟蟲蝗蟲は齊起して、君主は貪婪暴虐にして百姓は流離逃亡せん。京房はいう。甲午日に日蝕を發生するは、南夷の彼らの君主を弑殺せんと欲するを主として、此の後に大旱あらん。《春秋潛潭巴》にいう。乙未日に日蝕を發生するは、天下に邪僻の氣多くして郁郁蒼蒼として四野を籠罩するを主とす。京房はいう。乙未日に日蝕を發生するは、君主の衆人を苛責して庶民に暴虐を施行して黎民は背叛するを主として、此の後に地動あらん。
《春秋潛潭巴》曰:“丙申日蝕,諸侯相攻。”京氏曰:“丙申日蝕,君暴死,臣下橫恣,上下相賊,後有大水。”《春秋潛潭巴》曰:“丁酉日蝕,侯侵王。”京房曰:“丁酉日蝕,諸侯之臣,欲弒其主,身反獲傷,後有大兵,起西北。”《春秋潛潭巴》曰:“戊戌日蝕,有殃,主后死,天下諒陰。”京氏曰:“戊戌日蝕,婚家欲弒,後有旱,馬驂運。”
《春秋潛潭巴》にいう。丙申日に日蝕を發生するは、諸侯の互相攻伐するを主とす。京房はいう。丙申日に日蝕を發生するは、君主の暴死して臣下は橫行恣肆して上下は互相殘害するを主として、此の後に大水あらん。《春秋潛潭巴》にいう。丁酉日に日蝕を發生するは、諸侯の天子を侵犯するを主とす。京房はいう。丁酉日に日蝕を發生するは、諸侯の臣屬の彼らの主君を弑殺せんと欲して自身は反って傷を受くるを主として、此の後に大規模の兵事ありて西北方より興起せん。《春秋潛潭巴》にいう。戊戌日に日蝕を發生するは、災殃ありて君主の皇后は死去して天下はみなこれに因って喪に居るを主とす(「諒陰」はすなわち君主の喪を守りて政事を言わざるの制なり)。京房はいう。戊戌日に日蝕を發生するは、外戚姻親の家の弑逆を行わんと欲するを主として、此の後に旱災ありて、車を駕する驂馬は奔走して息まず。
《春秋潛潭巴》曰:“己亥日蝕,小人用事。”京氏曰:“己亥日蝕,主弱,小人持政,欲心成,天應日蝕,誡使精。”《春秋潛潭巴》曰:“庚子日蝕,君疑其男。”京氏曰:“辛丑日蝕,庶子欲弒嫡,卒不得,守臣征伐,後有大水。”《春秋潛潭巴》曰:“辛丑日蝕,主疑三公。”京氏曰:“辛丑日蝕,賢者離散,小人盛,常欲弒主。”
《春秋潛潭巴》にいう。己亥日に日蝕を發生するは、小人の權を當て事を用いるを主とす。京房はいう。己亥日に日蝕を發生するは、君主の衰弱して小人は朝政を把持して私欲は得逞するを主として、上天は感應して太陽を虧蝕せしめ、これは君主に警誡自省して精しくその政を修めんことを要するなり。《春秋潛潭巴》にいう。庚子日に日蝕を發生するは、君主の自己の兒子を猜疑するを主とす。京房はいう。辛丑日に日蝕を發生するは、庶出の子の嫡子を弑殺せんと欲するも終究として手を得能わずして、留守の臣は兵を起こして征討し、此の後に大水あらん(此の條は本來庚子の下に係るべきに、底本の干支はすでに錯亂せり)。《春秋潛潭巴》にいう。辛丑日に日蝕を發生するは、君主の三公を猜疑するを主とす。京房はいう。辛丑日に日蝕を發生するは、賢者の離散して小人は勢を得て、常常に弑君の心を存するを主とす。
《春秋潛潭巴》曰:“壬寅日蝕,天下若兵,大臣橫。”京房曰:“壬寅日蝕,諸侯欲弒主,反亡其國,在東南,後有小旱,在東南。”《春秋潛潭巴》曰:“癸卯日蝕,群鳥翔,禽入國,外伐內,主危亡。”京氏曰:“癸卯日蝕,諸侯非其天,子不順,司徒亡國,後有大蟲。”《春秋潛潭巴》曰:“甲辰日蝕,四騎脅。”京房曰:“甲辰日蝕,王后爵命絕,後有水。”
《春秋潛潭巴》にいう。壬寅日に日蝕を發生するは、天下の動盪すること用兵あるがごとくして大臣は專橫なりを主とす。京房はいう。壬寅日に日蝕を發生するは、諸侯の君主を弑殺せんと欲するも反って自己の封國を丟くを主として、事は東南方に應じ、此の後に小旱ありて、また東南方に在り。《春秋潛潭巴》にいう。癸卯日に日蝕を發生するは、群鳥の亂飛して禽鳥は國都に闖入して、外部の勢力は內部を討伐して君主に危亡の憂あるを主とす。京房はいう。癸卯日に日蝕を發生するは、諸侯の天子を天と爲さず臣子は順服せ肯んぜざるを主として、司徒の官は將に封國を丟かんとし、此の後に大蟲災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。甲辰日に日蝕を發生するは、四方の騎兵の進逼脅迫するを主とす。京房はいう。甲辰日に日蝕を發生するは、王后の封爵と冊命の斷絶せらるるを主として、此の後に水災あらん。
《春秋潛潭巴》曰:“乙巳日蝕,東國發兵。”京氏曰:“乙巳日蝕,諸侯上侵以自益,近臣盜竊以為積,天子不知,日為之蝕。”《春秋潛潭巴》曰:“丙午日蝕者,民多流亡。”京房曰:“丙午日蝕,親戚爭嗣,同姓欲弒其主,後有大旱,在南方。”《春秋潛潭巴》曰:丁未日蝕,王者崩。”京氏曰:“丁未日蝕,執政欲弒,司徒不肖,後有蟲,地震動。”
《春秋潛潭巴》にいう。乙巳日に日蝕を發生するは、東方の國の兵を發するを主とす。京房はいう。乙巳日に日蝕を發生するは、諸侯の君上を侵奪して以て自己を壯大し、近臣は公物を偷盜して以て私財を積聚して、天子は卻って茫然として知らず、太陽はこれに因って虧蝕するを主とす。《春秋潛潭巴》にいう。丙午日に日蝕を發生するは、百姓の大批に流離逃亡するを主とす。京房はいう。丙午日に日蝕を發生するは、親族の繼嗣の位を爭奪して同姓の人は彼らの主君を弑殺せんと欲するを主として、此の後に大旱ありて、事は南方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。丁未日に日蝕を發生するは、王者の去世するを主とす。京房はいう。丁未日に日蝕を發生するは、執政大臣の弑逆を行わんと欲して司徒はその職に稱せざるを主として、此の後に蟲災ありて併せて地震あらん。
《春秋潛潭巴》曰:“戊申日蝕,地動搖宮,外侵兵強。”京房曰:“戊申日蝕,臣欲弒君,意在王位,後必有小水。”《春秋潛潭巴》曰:“己酉日蝕,妃死子不葬,以內亂相怨疑。”京房曰:“己酉日蝕,西夷欲弒君,後有大兵,必西行。”《春秋潛潭巴》曰:“庚戌日蝕,臣相侵。”京氏曰:“瘐戌日蝕,司觀之卿欲殺,有小旱。”
《春秋潛潭巴》にいう。戊申日に日蝕を發生するは、地動して宮室を搖撼して外敵は入侵して兵勢は強盛なりを主とす。京房はいう。戊申日に日蝕を發生するは、臣子の君主を弑殺せんと欲して意は王位を奪取するに在りを主として、此の後に必ず小水災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。己酉日に日蝕を發生するは、妃嬪の死去してその子は安葬を得ずして、內亂に因って彼此怨恨猜疑するを主とす。京房はいう。己酉日に日蝕を發生するは、西方の夷狄の君主を弑殺せんと欲するを主として、此の後に大規模の兵事ありて必定に西に向かって兵を用いん。《春秋潛潭巴》にいう。庚戌日に日蝕を發生するは、臣子のあいだの互相侵奪するを主とす。京房はいう。庚戌日に日蝕を發生する(底本は「瘐戌」と作り、「庚戌」の訛なり)は、觀察天象を掌る卿官の殺戮を行わんと欲するを主として、小旱あらん。
《春秋潛潭巴》曰:“辛亥日蝕,子為雄。”京房曰:“辛亥日蝕,司馬之大夫欲弒君,反受其殃,後有蟲害。”《春秋潛潭巴》曰:“壬子日蝕,女謀王。”京氏曰:“壬子日蝕,諸侯同姓任政者,欲弒其君,大夫害。”《春秋潛潭巴》曰:“癸丑日蝕,水湯湯。”京氏曰:“癸丑日蝕,寇盜行,兵恐;君王目為不明。”
《春秋潛潭巴》にいう。辛亥日に日蝕を發生するは、兒子の雄を稱して父輩を壓過するを主とす。京房はいう。辛亥日に日蝕を發生するは、司馬屬下の大夫の君主を弑殺せんと欲するも反って自らその殃を受くるを主として、此の後に蟲害あらん。《春秋潛潭巴》にいう。壬子日に日蝕を發生するは、女子の王位を圖謀するを主とす。京房はいう。壬子日に日蝕を發生するは、諸侯の中の君主と同姓にして政務を執掌する人のその君を弑殺せんと欲するを主として、大夫はこれに因って害に遭わん。《春秋潛潭巴》にいう。癸丑日に日蝕を發生するは、大水の浩蕩を主とす。京房はいう。癸丑日に日蝕を發生するは、盜寇の橫行して兵事は人を驚恐せしめ、君王の眼目もまたこれに因って昏昧不明と爲らん。
《春秋潛潭巴》曰:“甲寅日蝕,雷擊殺人,骨肉爭功。”京氏曰:“甲寅日蝕,同姓大臣欲弒其君,後有旱。”《春秋潛潭巴》曰:“乙卯日蝕,雷不行,霜不行,殺草長人入宮。”京氏曰:“乙卯日蝕,必有專政欲殺,不出三年,身被其誅,後有大蟲。”《春秋潛潭巴》曰:“丙辰日蝕,山水淫淫。”京氏曰:“丙辰日蝕,帝命之極,武王乃得。”
《春秋潛潭巴》にいう。甲寅日に日蝕を發生するは、雷電の人を擊死して骨肉至親の功勞を爭奪するを主とす。京房はいう。甲寅日に日蝕を發生するは、同姓大臣のその君を弑殺せんと欲するを主として、此の後に旱災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。乙卯日に日蝕を發生するは、應に雷を打つときに雷は作さず應に霜を降るときに霜は下らず、本應に草木を肅殺すべき寒氣は反ってあの宮廷に闖入する人を長養するを主とす。京房はいう。乙卯日に日蝕を發生するは、必定に朝政を專擅する人ありて君主を殺害せんと圖謀し、三年を出でずして彼自身は反って誅戮せられ、此の後に大蟲災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。丙辰日に日蝕を發生するは、山洪の泛濫して止まざるを主とす。京房はいう。丙辰日に日蝕を發生するは、一姓帝王の天命のすでに盡頭に到るを主として、正に殷の紂の德を失いて周の武王の天下を得たるがごとし。
《春秋潛潭巴》曰:“丁巳日蝕,下有聚兵。”京房曰:“丁巳日蝕,天乃去惡依聖人,後有小兵。”《春秋潛潭巴》曰:“戊午日蝕,久旱谷不傷。”京氏曰:“戊午日蝕,有婚家執政,賊由妻始,後有旱。”《春秋潛潭巴》曰:“己未日蝕,失名王。”京氏曰:“己未日蝕,臣不安居,君陰謀,欲侵,後地大動。”
《春秋潛潭巴》にいう。丁巳日に日蝕を發生するは、下面に人ありて衆を聚めて兵を起こすを主とす。京房はいう。丁巳日に日蝕を發生するは、上天の惡人を拋棄して聖人に歸依せんとするを主として、此の後に小規模の兵事あらん。《春秋潛潭巴》にいう。戊午日に日蝕を發生するは、久旱にして穀物はなほ損を受けざるを主とす。京房はいう。戊午日に日蝕を發生するは、外戚姻親の家ありて朝政を把持して禍亂は君主の妻族より開始するを主として、此の後に旱災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。己未日に日蝕を發生するは、聲望ある君王を失去するを主とす。京房はいう。己未日に日蝕を發生するは、臣子のその位に安んじ能わずして、君主は暗中に別の圖謀ありて臣下を侵奪せんと欲するを主として、此の後に大地は劇烈に震動せん。
《春秋潛潭巴》曰:“庚申日蝕,夷狄內攘。”京氏曰:“庚申日蝕,骨肉相賊,後有水。”《春秋潛潭巴》曰:“辛酉日蝕,女謁且興。”京氏曰:“辛酉日蝕,昆弟相殺,更有國家,後有兵大行,三年不息。”《春秋潛潭巴》曰:“壬戌日蝕,群山崩。”京房曰:“壬戌日蝕,諸侯欲殺,在西南。”《春秋潛潭巴》曰:“癸亥日蝕,大人崩。”京氏曰:“癸亥日蝕,天下命終極,聖人更起,不可救止,後大雨水。”
《春秋潛潭巴》にいう。庚申日に日蝕を發生するは、夷狄の中原に侵入して騷擾するを主とす。京房はいう。庚申日に日蝕を發生するは、骨肉至親の互相殘害するを主として、此の後に水災あらん。《春秋潛潭巴》にいう。辛酉日に日蝕を發生するは、后宮女子の請托干政の風の將に興起せんとするを主とす。京房はいう。辛酉日に日蝕を發生するは、兄弟の互相殘殺して國家は主人を改換して、此の後に大規模に兵を用いて三年停まざるを主とす。《春秋潛潭巴》にいう。壬戌日に日蝕を發生するは、群山の崩塌するを主とす。京房はいう。壬戌日に日蝕を發生するは、諸侯の殺戮を行わんと欲するを主として、事は西南方に應ず。《春秋潛潭巴》にいう。癸亥日に日蝕を發生するは、尊位に居る大人の去世するを主とす。京房はいう。癸亥日に日蝕を發生するは、天下の氣數の終極に到って聖人は別行興起して勢は挽回し能わざるを主として、此の後に大雨洪水あらん。
日十二辰蝕四
《春秋感精符》曰:“日蝕寅卯辰,木域,招謀者太子也。日蝕申酉戌,金域,招謀者司馳。日蝕亥子丑,水域,招謀者司徒也。日蝕巳午未,火域,招謀者司空也。(按端謀人,卒難別,故以時類略其官位。南方、陽精也,為君,君城有異,雖子屬也。)”
《春秋感精符》にいう。日蝕が寅・卯・辰のこの三辰に發生するは、木の區域に屬して、この場の陰謀を招來するは太子なり。日蝕が申・酉・戌のこの三辰に發生するは、金の區域に屬して、陰謀を招來するは車馬馳驛を主管する官なり。日蝕が亥・子・丑のこの三辰に發生するは、水の區域に屬して、陰謀を招來するは司徒なり。日蝕が巳・午・未のこの三辰に發生するは、火の區域に屬して、陰謀を招來するは司空なり。(原書小注:究竟誰が謀劃するかを指實せんと要するは、終歸として分辨し難し。ゆえにただ時辰の五行類屬に按じて大略にその官位を推出す。南方は陽氣の精にして君主を象徵し、君主の都城にもし異象を見れば、たとい事は子輩に在るとも、またなほ君の身上に歸す。)
《孝經雌雄圖》曰:“子日日蝕者,燕國王死,期在五月、十一月。丑日日蝕,趙國王死,期在六月、十二月。寅日日蝕者,齊國王死,期在七月、正月。卯日日蝕者,魯國王死,期在八月、二月。辰日日蝕者,楚國王死,期在九月、三月。(魏氏曰越王死)巳日日蝕者,宋國王死,期在十月、四月。
《孝經雌雄圖》にいう。子日に日蝕を發生するは、燕國の王は死して應期は五月と十一月に在り。丑日に日蝕を發生するは、趙國の王は死して應期は六月と十二月に在り。寅日に日蝕を發生するは、齊國の王は死して應期は七月と正月に在り。卯日に日蝕を發生するは、魯國の王は死して應期は八月と二月に在り。辰日に日蝕を發生するは、楚國の王は死して應期は九月と三月に在り。(原書小注:魏氏は越の王死すという。)巳日に日蝕を發生するは、宋國の王は死して應期は十月と四月に在り。
午日日蝕者,梁國王死,期在五月、十一月。未日日蝕者,沛國王死,期在六月、十二月。申日日蝕者,陳國王死,期在七月、正月。酉日日蝕者,鄭國王死,期在八月、二月。魏氏曰吳國王死,戌日日蝕者,韓衛王死,期在九月、三月。亥日日蝕者,秦魏王死,期在十月、四月。”
午日に日蝕を發生するは、梁國の王は死して應期は五月と十一月に在り。未日に日蝕を發生するは、沛國の王は死して應期は六月と十二月に在り。申日に日蝕を發生するは、陳國の王は死して應期は七月と正月に在り。酉日に日蝕を發生するは、鄭國の王は死して應期は八月と二月に在り。魏氏は別の一説ありて、吳國の王死すと以爲す。戌日に日蝕を發生するは、韓國・衛國の王は死して應期は九月と三月に在り。亥日に日蝕を發生するは、秦國・魏國の王は死して應期は十月と四月に在り。以上は十二地支の値する日を列國に分配するなり。日蝕がどの一辰に落つれば、便ちどの一國の國君に死亡の應あると斷定して、應期は則ちあの一辰と相合・相衝するの兩個の月份を取る。
日在東方七宿蝕五
《黃帝占》曰:“日入角而蝕,將吏有憂,國門四闢,其邦凶。”甘氏曰:“日在角亢而蝕,戒之在於耕田之臣。”京氏曰:“日蝕角中,其國不安;一曰貴臣有憂;一曰主農官憂。”《春秋感精符》曰:“日蝕亢中、其邦君有憂。”石氏曰:“日蝕亢中,其謀在朝廷之臣有罪者。”
《黃帝占》にいう。太陽が角宿に行到して日蝕を發生する(角宿は東方蒼龍七宿の頭一宿なり)は、將領と官吏に憂患ありて、都城は四門洞開にして防守する人なく、あの邦國は將に凶に遭わんを主とす。甘德はいう。太陽が角宿・亢宿のあいだに於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは農耕を主管する臣子なり。京房はいう。日蝕が角宿の中に發生するは、あの國家は安寧を得ず。一説は顯貴の臣に憂あらん。一説は農事を主管する官員に憂あらん。《春秋感精符》にいう。日蝕が亢宿の中に發生するは、あの邦國の君主に憂あらん。石申はいう。日蝕が亢宿の中に發生するは、陰謀は朝廷の裏のあの身に罪責を負う臣子の身上に出づ。
《黃帝占》曰:“日月蝕氐中,天子疾崩。”石氏曰:“日蝕氐中,卿相讒諛,人君滅無辜。”甘氏曰:“日在氐房而蝕,戒之在三公、九卿、大夫,且有相譖誤主上,使過刑殺不辜者。”甘氏曰:“蝕氐中,大官惡之;一曰右宮惡之;王者復以赦除之。”
《黃帝占》にいう。日・月が氐宿の中に虧蝕するは、天子の病を患って去世するを主とす。石申はいう。日蝕が氐宿の中に發生するは、卿相の讒を進め諂媚して君主は因って無辜の人を殺害するを主とす。甘德はいう。太陽が氐宿・房宿のあいだに於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは三公・九卿と大夫にして、しかも人ありて彼此讒を進めて君上を誤導して、彼をして錯誤に罪なき人を刑殺せしめん。甘德はいう。日蝕が氐宿の中に發生するは、大官はこれに因って利ならず。一説は右宮はこれに因って利ならず。君王は再び一道の赦令を頒して以てこの場の災咎を消除すべし。
《雒書說徵示》曰:“淫色信讒,日以蝕房、參。”石氏曰:“日入房而蝕,王者憂昏亂,大臣專權,必有憂病。”郗萌曰:“日在房心則蝕,公卿大夫有黜者。”《春秋感精符》曰:“日在心而蝕,兵喪並起。”甘氏曰:“日在心而蝕,王者臣下相疑,不相信也。”
《雒書説徵示》にいう。君主が女色に沉溺して讒言を聽信すれば、太陽は便ち房宿と參宿の位置に於て虧蝕せん。石申はいう。太陽が房宿に行入して日蝕を發生するは、君王は政に憂って政事は昏亂して大臣は權柄を專擅して、君王は必ず憂愁と疾病あらんを主とす。漢代の星占家郗萌はいう。太陽が房宿・心宿の位に於て日蝕を發生するは、公卿大夫の中に罷黜せらるる人あらんを主とす。《春秋感精符》にいう。太陽が心宿に於て日蝕を發生するは、兵事と喪事の一齊に發生するを主とす。甘德はいう。太陽が心宿に於て日蝕を發生するは、君王と臣下の互相猜疑して彼此信任し能わざるを主とす。
甘氏曰:“日入心而蝕,政令失儀,禮度失繩,則為變甚;一曰君臣不相信,有疑惑。”《海中占》曰:“日蝕心度,兵喪併發,王者以赦除咎。”《春秋感精符》曰:“日蝕尾箕中,尊后有憂。”甘氏曰:“日在尾箕而蝕,將有疾風、飛車、發屋、折木,戒之於出入。”
甘德はいう。太陽が心宿に行入して日蝕を發生するは、政令は儀法を失い禮制は準繩を失うを主として、あればこの次の變異は格外嚴重なり。一説は君臣は互いに信任せず彼此心中に疑惑を存すとす。《海中占》にいう。日蝕が心宿の度數の上に發生するは、兵事と喪事の一齊に爆發するを主として、君王は赦令を頒布するに靠りて災咎を消除せんと要す。《春秋感精符》にいう。日蝕が尾宿・箕宿の中に發生するは、尊貴の皇后に憂患あるを主とす。甘德はいう。太陽が尾宿・箕宿に於て日蝕を發生するは、將に疾風ありて大作して、車を吹きて騰空と爲し屋頂を掀掉して樹木を吹折せんとし、出入行止の際に格外に警戒せんと要す。
日在北方七宿蝕六
《春秋感精符》曰:“日蝕入斗,將相有憂,其國飢凶。一曰兵大起。”甘氏曰:“日入斗度而蝕,其國反叛兵起。”甘氏曰:“日在牛而蝕,戒之在右夫人侄婦,且在祠禮求幸於主者。”《春秋感精符》曰:“日蝕須女,邦有女主憂,天下女工不為。”甘氏曰:“日在須女而蝕,戒之宮中,且有使巫祝禱祀以求貴幸者,戒之在於巫祝。”
《春秋感精符》にいう。太陽が南斗に行入して日蝕を發生するは、將相に憂患ありてあの國家は饑荒して凶に遭うを主とす。一説は大規模に兵を起こすなり。甘德はいう。太陽が斗宿の度數に進入して日蝕を發生するは、あの國家に人ありて反叛して兵を起こすを主とす。甘德はいう。太陽が牽牛宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは右夫人および彼女の侄女・兒婦の一輩の外戚女眷と、なほあの祭祀典禮を借着りて君主に寵を邀る人なり。《春秋感精符》にいう。日蝕が須女宿に發生するは、邦國の女主に憂ありて天下の紡織女紅の事は停頓して作らざるを主とす。甘德はいう。太陽が須女宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは宮闈の內にして、しかも人ありて巫祝を指使して祈禱祭祀して尊貴と寵幸を謀求せんとし、ゆえに提防せんとするは正にこれらの巫祝なり。
《黃帝占》曰:“日蝕虛中,其邦有崩喪,天下改服,期九十日。”甘氏曰:“日在虛危蝕,戒之在於主市租稅及繒帛刀劍金玉之臣。”(如少府是也。)甘氏曰:“日蝕危,必有兵喪,大臣薨,天下改服。”
《黃帝占》にいう。日蝕が虚宿の中に發生するは、あの邦國に崩逝喪葬の事ありて天下はみな喪服を改換して、應期は九十天なりを主とす。甘德はいう。太陽が虚宿・危宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは市場租税および繒帛・刀劍・金玉のこれら財貨を主管する臣子なり。(原書小注:少府のこの一類の官のごとし。)甘德はいう。日蝕が危宿に發生するは、必定に兵事と喪事ありて大臣は去世して天下は喪服を改換せん。
《黃帝占》曰:“日在營室離宮而蝕,出入無近妃色,趣任輔成功業。”《春秋感精符》曰:“日蝕營室,王者自將兵,天下擾動。”甘氏曰:“日在營室東壁而蝕,則陽消微,男道施而不能洩,陰道壞而不能化,故多有傷者敗。”後氏曰:“日在東壁而蝕,王者不從師友,失忠孝,故曰虧。文章圖書不用。”
《黃帝占》にいう。太陽が營室宿と離宮諸星の位に於て日蝕を發生するは、君王の起居出入は妃嬪女色を親近すべからずして、應に趕緊に輔佐の臣を任用して以て功業を成就すべきを主とす。《春秋感精符》にいう。日蝕が營室宿に發生するは、君王の親自に兵を統べて出征して天下は擾攘動盪するを主とす。甘德はいう。太陽が營室宿・東壁宿のあいだに於て日蝕を發生するは、あれば陽氣は消損衰微して、男道は施す所有るも宣泄し能わず、陰道は敗壞して化育し能わず。ゆえに傷を受け敗亡する人多し。后氏はいう。太陽が東壁宿に於て日蝕を發生するは、君王の師友の規諫に聽從せ肯んぜず忠孝の道に失あるを主とす。ゆえに「虧」と呼ぶ。典籍圖書もまた棄置して用いられず。
日在西方七宿蝕七
《春秋感精符》曰:“日蝕奎,南邦不寧,有白衣之會。”石氏曰:“日蝕奎,魯國凶,邦君不安。”甘氏曰:“日在奎婁而蝕,慎之在主邊境廄庫之臣;一曰慎在邊境得意之臣。”《春秋感精符》曰:“日蝕婁,則王者郊祠不時,天下不和,神靈不享,小臣不忠,責在大臣。”甘氏曰:“日在婁而蝕,戒之在聚斂之臣。”
《春秋感精符》にいう。日蝕が奎宿に發生するは、南方の邦國は安寧を得ずして將に白衣を身穿の喪事聚會あらんを主とす。石申はいう。日蝕が奎宿に發生するは、魯國は凶に遭いて邦國の君は安寧を得ざるを主とす。甘德はいう。太陽が奎宿・婁宿のあいだに於て日蝕を發生するは、謹慎に防範せんとするは邊境の馬廄と倉庫を主管する臣子なり。一説は邊境の上に於て志を得て權を專らにする臣子を提防せんと要すとす。《春秋感精符》にいう。日蝕が婁宿に發生するは、便ち君王の天を祭る郊祀が時に按って擧行せざるを説明して、天下は和睦せず神靈は祭品を享用せ肯んぜず、小臣は忠を盡くさず、而して責任は卻って大臣の身上に在り。甘德はいう。太陽が婁宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは橫徵聚斂する臣子なり。
《黃帝占》曰:“日在胃而蝕,王者食大絕或亡,主委輸之臣,有黜者。”《春秋感精符》曰:“日蝕胃,國王奉修宗廟,敬祀神靈,則害消。”石氏曰:“日蝕胃,國有憂,大臣誅;一曰主修郊廟,奉皇天,其咎消。”甘氏曰:“日在胃而蝕,戒之在主委輸之臣。”(如今大司農是也。)
《黃帝占》にいう。太陽が胃宿に於て日蝕を發生するは、君王の食用の大いに斷絶して甚だしきは匱乏して着なしを主として、轉運輸送を負責する臣子の中に罷黜せらるる人あらん。《春秋感精符》にいう。日蝕が胃宿に發生するに、もし國君が恭謹に宗廟を修治して虔敬に神靈を祭祀せば、災害は便ち消解し得。石申はいう。日蝕が胃宿に發生するは、國家に憂患ありて大臣は誅せらるるを主とす。一説は君主が郊祀と宗廟を修治して皇天を敬奉せば、災咎は便ち消除し得とす。甘德はいう。太陽が胃宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは轉運輸送を主管する臣子なり。(原書小注:今當の大司農のこの一類の官のごとし。)
《春秋感精符》曰:“日蝕昂,王宗謀國,同姓自立。”石氏曰:“日蝕昂,臣厄囹圄者解。”石氏曰:“日蝕昂,王者有疾。”甘氏曰:“日在昂畢而蝕,戒之在眾主獄之臣,有亂天子者。”《春秋感精符》曰:“日蝕畢,邊王死,邊軍自殺其將;若軍校尉誅,遠國謀亂。”石氏曰:“日蝕畢,天下主獄之臣有當黜者。”
《春秋感精符》にいう。日蝕が昴宿に發生するは、王室の宗親の國柄を圖謀して同姓の人は自立して君と爲るを主とす。石申はいう。日蝕が昴宿に發生するは、牢獄の裏に困る臣子の開釋を得るを主とす。石申はいう。日蝕が昴宿に發生するは、君王に病あるを主とす。甘德はいう。太陽が昴宿・畢宿のあいだに於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは衆多の刑獄を掌管する臣子にして、其中に人ありて天子を禍亂せん。《春秋感精符》にいう。日蝕が畢宿に發生するは、邊地の王の死して邊防軍の中の士卒は自己の將領を殺掉するを主とす。あるいは軍中の校尉は誅せられて、遠方の國は亂を作さんと圖謀す。石申はいう。日蝕が畢宿に發生するは、天下の刑獄を掌管する臣子の中に罷黜すべき人あるを主とす。
《春秋感精符》曰:“日蝕觜,臣殺主,慎之。”石氏曰:“日蝕觜,大將謀議。”甘氏曰:“日在觜參伐而蝕,戒之在將兵之臣。”(如今諸將軍校尉執金吾是也。)《春秋感精符》曰:“日蝕參,大臣有憂之臣自相戮,以外勝內,遠國強;王者修身,則日蝕不為災。”甘氏曰:“日在參伐而蝕,戒之在將帥之臣。”
《春秋感精符》にいう。日蝕が觜宿に發生するは、臣子の君主を謀殺するを主として、謹慎に防備せんと要す。石申はいう。日蝕が觜宿に發生するは、大將の暗中に密議するを主とす。甘德はいう。太陽が觜宿・參宿および伐星の位に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは兵を統べる臣子なり。(原書小注:今當の各位の將軍・校尉と執金吾のこの一類の官のごとし。)《春秋感精符》にいう。日蝕が參宿に發生するは、大臣は憂懼して臣子のあいだは自相殘殺して、外部の力量は內部を壓過して遠方の國は強盛なりを主とす。君王がもし身を修め省み能わば、この場の日蝕は便ち災と爲るに足らず。甘德はいう。太陽が參宿と伐星の位に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは軍隊を統率する將帥の臣なり。
日在南方七宿蝕八
甘氏曰:“日蝕東井,秦邦不臣;蝕不盡,謀不成;天下大早,民流千里。”甘氏曰:“日在東井,輿鬼蝕,戒之在供養之臣。”陳卓曰:“日蝕東井,其國內亂,苛法。”(《盛懸象說》曰:“晉咸和二年五月甲申朔,日有蝕之,在東井,女主之象,明年,皇太后以憂逼崩。)
甘德はいう。日蝕が東井宿に發生するは、秦地の臣服せ肯んぜざるを主とす。もし日蝕が虧盡ざれば、あれば圖謀もまた成功し能わず。天下は大旱にして百姓は千里之外に流亡せん。甘德はいう。太陽が東井宿・輿鬼宿の位に於て虧蝕するは、警戒せんとするは君主の膳食供養を掌管する臣子なり。陳卓はいう。日蝕が東井宿に發生するは、あの國家は內亂して法令は苛刻なりを主とす。(原書小注に《盛懸象説》を引く:晉の成帝咸和二年五月甲申朔日に日蝕を發生し、位置は東井宿に在り。これは女主の身上に應ずるの象なり。第二年に皇太后は果然として憂懼に逼られて去世せり。)
《春秋感精符》曰:“日蝕輿鬼,其國君不寧,臣下易服:一曰秦君當之;一曰皇后貴臣。”甘氏曰:“日蝕輿鬼,其國君不安:近期一年,遠期三年中”《春秋感精符》曰:“日蝕柳,王者以疾,不安宮室。”石氏曰:“日蝕柳,君廚官憂。”甘氏曰:“日在柳七星而蝕,戒之在門戶道橋之臣。”(若今衛尉是也)
《春秋感精符》にいう。日蝕が輿鬼宿に發生するは、あの國家の君主は安寧を得ず臣下は服色を改換するを主とす。一説は秦國の君が此の應を承當す。一説は皇后と顯貴の臣の身上に應ず。甘德はいう。日蝕が輿鬼宿に發生するは、あの國家の君主の安ならざるを主として、近ければ一年の内に應じ、遠ければ三年の内に應ず。《春秋感精符》にいう。日蝕が柳宿に發生するは、君王の病を患うるに因って宮室に安居し能わざるを主とす。石申はいう。日蝕が柳宿に發生するは、君主の膳食の官に憂あるを主とす。甘德はいう。太陽が柳宿・七星宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは門戶・道路・橋梁を掌管する臣子なり。(原書小注:今當の衛尉のこの一類の官のごとし。)
《春秋感精符》曰:“日蝕卯、七星,虧正陽,王者不賜衣裳;承天郊,退太常,放在獄,則無咎。”石氏曰:“日蝕柳七星,橋門之臣有黜者。”《春秋感精符》曰:“日蝕張,王者失禮,宗廟不親,急退太常,以延尉代之;不者不安,期在十二月與五月。”甘氏曰:“日在注張而蝕,戒之在主山澤汙池之臣。”(如今水衡也)
《春秋感精符》にいう。日蝕が柳宿・七星宿に發生する(底本の「卯」は「柳」の訛なり)は、正南方の陽位の虧損を受けしにして、君王の再び臣下に衣裳を賜給せざるを主とす。もし天意を承奉して郊祀を擧行して太常の官を罷免して罪ある人を獄中に放りて罪を治めれば、便ち災禍なからん。石申はいう。日蝕が柳宿・七星宿に發生するは、橋梁と門禁を掌管する臣子の中に罷黜せらるる人あらんを主とす。《春秋感精符》にいう。日蝕が張宿に發生するは、君王に禮度を失いて宗廟を親祭せ肯んぜざるを主として、應に趕緊に太常を罷免して廷尉を改用して彼に接替せしむべし。あらんごとくせざれば、國家は安寧を得ずして、應期は十二月と五月に在り。甘德はいう。太陽が注宿(柳宿の別名)・張宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは山林川澤と池沼を主管する臣子なり。(原書小注:今當の水衡都尉のごとし。)
《黃帝占》曰:“日蝕翼,王者退太常,以法官代之,有德則日蝕不為害,其歲旱。”石氏曰:“日蝕翼者,王者失禮,宗廟不親。”甘氏曰:“日蝕翼者,忠臣見譖言正者亡,不出其年。”甘氏曰:“日在翼軫而蝕,戒之在車駕之臣。”(如今太僕奉車騎馬是也)
《黃帝占》にいう。日蝕が翼宿に發生するは、君王の將に太常を罷免して執法の官を改用して彼に接替せしめんとするを主とす。君王にもし德あれば、この場の日蝕は便ち害と爲るに足らずして、ただこの一年は乾旱あらん。石申はいう。日蝕が翼宿に發生するは、君王に禮度を失いて宗廟を親祭せ肯んぜざるを主とす。甘德はいう。日蝕が翼宿に發生するは、忠臣の人に構陷せられて直言守正の人は身を死するを主として、應期は當年を出でず。甘德はいう。太陽が翼宿・軫宿に於て日蝕を發生するは、警戒せんとするは車駕を掌管する臣子なり。(原書小注:今當の太僕および奉車・騎馬のこの一類の都尉のごとし。)
《河圖聖洽符》曰:“日蝕軫,國有喪,以赦除其咎。”甘氏曰:“日蝕軫,貴臣亡。一日后不安,期百八十日。”《海中占》曰:“日蝕軫,王侯壽絕;王者以赦除咎則安:一曰其國有憂,必有喪事。”
《河圖聖洽符》にいう。日蝕が軫宿に發生するは、國中に喪事ありて赦令を頒布するに靠りてこの場の災咎を消除せんと要するを主とす。甘德はいう。日蝕が軫宿に發生するは、顯貴の臣の死亡を主とす。別の一説は此の後に皇后は安寧を得ずして、應期は一百八十天なり。《海中占》にいう。日蝕が軫宿に發生するは、王侯の壽命の斷絶するを主とす。君王がもし赦令を用いて災咎を消除せば、便ち平安に轉ずべし。別の一説はあの國家に憂患ありて必定に喪事を出さんとす。
救日蝕九
《春秋感精符》曰:“救日蝕,天子南面,秉圖書,察九野萌生者;絕始正本案類,敕下聞異,郡官修政,招賢進士,獨絕其萌,所以防塞之者;故日蝕、大水則鼓,用牲於社。言社者,陰之主:朱絲縈社,鳴鼓脅之也。”
《春秋感精符》にいう。日蝕を禳救するの辦法は、天子は南方に面向して端坐して、圖籍典冊を手持して、天下九州の內にまさに萌生せんとする禍端を省察す。源頭より斷絶し根本を端正して類に逐って稽查して、各地に異常を上報せんを下令して、郡縣長官は政務を整飭して、賢才を招納して士人を薦擧して、單に禍亂の苗頭を截斷するを以て、これがすなわち防堵の辦法なり。ゆえに日蝕と大水に遇えば、便ち鼓を擊ち、併せて社壇の上に犧牲を用いて祭祀す。社を祭るの所以は、社はすなわち陰氣の主なるに因る。紅色の絲繩を用いて社壇を纏繞して鼓を鳴らして聲討するは、正に陽威を以て陰氣を脅制するなり。
(按《左氏傳》曰:“莊公二十五年六月辛未朔,日有食之,鼓,用牲於社。非常也,惟正月之朔,日有食之,於是乎用幣於社,伐鼓於朝。秋大水,鼓,用牲於門,亦非常也。凡天災,有幣無牲。文公十五年六月辛丑朔,日有蝕之,天子不舉,伐鼓於社,諸侯用幣於社,伐鼓於朝,以昭事神訓,民事君示有等,威古之道也。)
(原書小注の按語に《左氏傳》を引いていう:魯の莊公二十五年六月辛未朔日に日蝕を發生し、鼓を擊ち、また社壇に犧牲を用いて祭祀せり。これは常禮に合わず。ただ正月の朔日に日蝕を發生するに、こそ社壇に幣帛を獻上して朝堂の上に鼓を擊つ。あの年の秋に大水を發して、また鼓を擊ち、併せて城門に犧牲を用いて祭祀せり。同じく常禮に合わず。およそ天災に屬するは、ただ幣帛を獻じて犧牲を用いず。魯の文公十五年六月辛丑朔日に日蝕を發生し、天子は盛饌を撤去して樂を擧げず、社壇に鼓を擊ち、諸侯は社壇に幣帛を獻じて朝堂に鼓を擊ち、この種の辦法を用いて神明に奉事するの教訓を昭示して、百姓をして君上に事奉するに尊卑の等有るを知らしむ。これは自古の相傳して以て威を立てるに足るの規矩なり。)
《春秋感精符》曰:“消變之道,案明壇南郊,日之將蝕,漸青黑,謹遣大將三公,如變所感之過,以告天曰:‘天子臣某,謹承皇戍,退避正居,思行愆誤,陽精有幣,巳政類素,正事去非,釋苛禁,不敢直命,遣臣欽喻,巳絕國害之謫近,以緒盡力宣文,思維表道,願得修政,以奉宗祖,追往翼今,勉開嘉紀,縱大揚精,以興日寶。
《春秋感精符》にいう。變異を消解するの辦法は、南郊に明壇を設起して、太陽の將に虧蝕せんとして日色が漸漸に青黑に轉ずるのとき、鄭重に大將と三公を派遣して、この次の變異の感應する所の過失に按じて、上天に向かって禱告していう:「天子の臣某某は、謹んで皇天の付托を承受して、すでに正殿正寢に退避出でて、自己の行事の過錯を反省して、陽精に向かって幣帛を獻上して、政令は一概に素朴に歸して、政事を端正して非法を革除して、苛刻の禁令を解除す。直接に君命を以て上達するを敢てせず、特に臣下を派遣して敬謹に陳說せしむ。すでにあの切近にして國家を危害するの謫罰の源を斷絶して、先業を接續して力を盡くして文教を宣揚して、大道を彰明せんを思求して、願わくは政事を修明して、以て宗廟祖先に奉祀して、既往を追補して當今を輔翼して、勉力して美好の紀元を開創して、廣大に陽精を弘揚して、以て太陽のこの一至寶を振興せん。」
歸報天子,三日就宮遣使,詔諸侯問過;舉名士,察奸理冤,督教化。不宣者,審以敕身,務佐為行,天子吉。”《春秋感精符》曰:“朔,日蝕,正臣陰,退后妃,以內過省已:蝕二日者,王侯蕃黜州輔,以暴恣自改,晦日蝕者,正近臣,退素食。”
禱告し畢って回りて天子に復命し、三天の後に天子は宮中に回りて、再び使臣を派遣して、詔を下して諸侯に各々の過失を查問せん。名望ある士人を擧薦して、奸惡を查察して冤獄を平理して、教化を督促す。およそ奉行宣布せ肯んぜざるあれば、便ち仔細に審察して自身を整飭して、務めて君上を輔助してこれらの事を做成せしめ、あらんごとくせば天子は便ち吉を得。《春秋感精符》にいう。朔日に日蝕を發生するは、臣下の陰私を端正して后妃を斥退して、宮闈の內の過失より自己を反省すべし。初二に虧蝕を發生するは、便ち王侯藩國と州郡の輔佐の官を黜退して、あの暴虐恣肆の人をして自ら過を改めしむべし。晦日に日蝕を發生するは、便ち近臣を端正して、併せて盛饌を撤去して素食を改食すべし。
《周禮地官司徒》曰:“救日蝕,則詔;王鼓。”(鄭玄曰:救日月食,王必親擊鼓。)《禮記昏義》曰:“男教不侯,陽事不得,謫見於天,日為之蝕。是故日蝕則天子素服,修六官之職,蕩天下陽事。”(鄭玄曰:“謫之言責也。”)
《周禮・地官司徒》にいう。日蝕を禳救するのとき、便ち詔命を下達して、王に由って親自に鼓を擊たしむ。(原書小注に鄭玄を引いていう:日蝕・月蝕を禳救するに、王は一定に親自に鼓を擊たんと要す。)《禮記・昏義》にいう。男子に對する教化は奉行し能わず、陽に屬する政事は治理を得ずれば、上天は便ち責罰の徵象を降下して、太陽はこれに因って虧蝕す。ゆえに日蝕に一遇すれば、天子は便ち素服を穿ちて、六官の職守を整飭して、天下の陽に屬する一面の弊政を掃除す。(原書小注に鄭玄を引いていう:「謫」はすなわち責罰の意思なり。)
《穀梁傳》曰:“日有食之,鼓;用牲於社。鼓,禮也,用牲,非禮也;天子救日蝕,置五麾,陳五兵,五鼓;諸侯置三麾,陳三兵,三鼓,大夫擊門:土擊杵。(言救日降殺多少之禮也,門取開合有陰陽之道,杵春粢盛之具,亦有上下陰陽之道也。)
《穀梁傳》にいう。日蝕を發生するは、鼓を擊ち、併せて社壇に犧牲を用いて祭祀せんと要す。鼓を擊つは禮に合えども、犧牲を用いるは則ち禮に合わず。天子が日蝕を禳救するに、五面の旌麾を設置して五種の兵器を陳列して五通の鼓を擊つ。諸侯は三面の旌麾を設置して三種の兵器を陳列して三通の鼓を擊つ。大夫は門戶を敲擊して、士人は木杵を敲擊す。(原書小注:これは日蝕を禳救するに身分の高低に按じて遞減するの禮數を講くなり。門を取って器と爲すは、門に開き合う有りて陰陽の道を含むを以てなり。杵は祭祀の米穀を舂搗するの器具にして、一起一落にして、また上下陰陽の道を含む。)
《星傳》曰:“日者德,月者刑,日蝕修德,月蝕修刑<,”洪範《天文》曰:“凡日蝕,改行修德,即災消除:不改,應在三年:三年不改,至六年:六年不改,至九年:九年而災成。”司馬彪《五行志》曰:“君道有虧,為陰所乘,故日蝕者,陽不克也。人君改修德其事,則咎害除。”
《星傳》にいう。太陽は德を主として、月亮は刑を主とす。日蝕すれば便ち德政を修明して、月蝕すれば便ち刑罰を修正せんと要す。洪範《天文》にいう。およそ日蝕に遇うに、もし行事を改變して德政を修明せば、災禍は隨即消除す。もし改めせ肯んぜざれば、應驗は三年の内に在り。三年改めざれば、便ち六年に延至す。六年改めざれば、便ち九年に延至す。第九年の上に到れば、災禍は便ち釀成せり。西晉の史家司馬彪の《五行志》にいう。君道に虧缺あるに、陰氣に陵せられて、ゆえに日蝕は便ち陽氣の陰氣に敵し能わざるなり。君主がもし弦を改め張を更えて德を修め事を治めば、災咎禍害は便ち消除し得。
京氏《對災異》曰:“人君驕溢,專明為陰所侵,則有日蝕之災;不救之,必有篡臣之萌;其救也,君懷謙虛,下賢受諫,位有德,祿有智,日蝕災消也。”京氏曰:“日蝕既,下謀上;救也,設七事,正圖書,修經術,改惡為化己隨賢,則國家安,社稷寧。”
京房《對災異》にいう。君主が驕矜自滿して聰明を獨攬して陰氣に侵奪せらるれば、便ち日蝕の災あらん。もし禳救を加えざれば、必定に篡逆の臣を萌生せん。禳救の法は、君主は謙虚を心懷いて、賢者に禮下して勸諫を接受して、德ある人をして位に居らしめ智ある人をして祿を食ましめれば、日蝕の災は便ち消解せり。京房はいう。日全食を發生するは、下に在る者の君上を圖謀するなり。禳救の法は七項の應對の事を設立して、圖籍典冊を端正して、經術を修明して、惡行を改掉して自身を化育して賢人に追隨せば、あれば國家は安定して社稷は太平ならん。
董仲舒《災異對》曰:“日蝕者,陰氣盛畜,漸奪君明,治道有失,臣專君政,出入為奸;則治道在上德不宣,下民常怨:當應析寵臣之勢,減玉食之權,無忽諫,言大惡,在於任賢;則災害不生也。”董仲舒曰:“日蝕者,邪臣蔽主之治,不有反臣,必胡亡國;退臣、絕陰、止權、平衡、以德消,則無害。”
西漢の董仲舒《災異對》にいう。日蝕のこの事は、陰氣の盛積して漸漸に君主の明察を奪去して、治國の道に失ありて、臣子は君主の權柄を專擅して、朝廷に進出して私を營り奸を作す。是にして治權は上の位に在るも德教は宣布し能わず、下面の百姓は常常に怨恨を心懷く。應對の法は寵臣の權勢を分解して、彼らの玉食を享用するの特權を削減して、勸諫を輕忽せず、大惡を指陳するを敢てして、而して根本はなほ賢人を任用するに在り。あらんごとくせば災害は便ち發生せず。董仲舒はいう。日蝕のこの事は、奸邪の臣の君主の治理を蒙蔽せしにして、反叛の臣を出現せずとも、また必定に外夷を引來して國を亡ぼさん。奸臣を斥退して陰邪を斷絶して專權を制止して權柄を持平して、德政を用いて其を消解せば、便ち害と成らず。
《荊州占》曰:“日蝕,審所始蝕之鄉,及星之野,以名之當者之國,吉凶在焉;是故聖主見變,則改身修行,親賢問老,與共憂之:則患可止,而福可致。故曰:有福將來,受之以危,則福為禍;將受之以德,則禍反為福:輒禳祠之去禍致福也。”
《荊州占》にいう。日蝕を發生するは、虧を起す方位および値する所の星宿分野を仔細に審察して、これに據って該にどの一國に承當せしむべきかを指明して、吉凶は便ちあそこに落つ。ゆえに聖明の君主は變異を見れば、便ち自身を改正して德行を修飭して、賢者を親近して年高德ある人を咨詢して、彼らと一同にこれに因って憂慮す。あらんごとくせば禍患は以て止めるべく福分は以て招來すべし。ゆえに説く。福の將に來らんとするに、もし驕慢危殆の心を以て其を承受せば、福は便ち禍に轉ず。もし德行を以て其を承受せば、禍は反って福に轉ず。是にして隨即禳除祭祀を擧行して、禍を去りて福を招かんと好す。
虞贄《決疑》曰;“凡救日蝕者,皆著幘以助陽:日將蝕,天子素服,避正殿,內外嚴警;太史靈臺,伺日有變,便伐鼓;聞鼓音,侍臣皆赤幘帶劍,則災異消。”
虞贊《決疑》にいう。およそ日蝕の禳救に參加する人は、みな頭巾を戴上して以て陽氣を助長せんと要す。太陽の將に虧蝕せんとするに、天子は素服を換穿して正殿を避開して、宮內宮外は嚴格に戒備す。太史は靈臺の上に守候して、一たび太陽に變あるを見れば、立刻に鼓を擂す。鼓聲を聽けば、侍從の臣は一律に赤色の頭巾を戴上して寶劍を佩帶して、あらんごとくせば災異は便ち消除し得。
開元占經 卷十一
月占 一
月名體
皇甫謐《年曆》曰:“月者,群陰之宗,光內影月以宵耀,名曰夜光。”《易說卦》曰:“坎為月。”《河圖帝覽嬉》曰:“月者,金之精。”《春秋感精符》曰:“月者,陰之精,地之理。”《廣雅》曰:“夜光謂之月。”《天宮書》曰:“太陰之精,上為月。月者,天地之陰,金之精也。”王子年《拾遺記》曰:“瀛洲水精為月。”
西晉の皇甫謐の《年曆》にいう。月亮は衆陰の氣の宗主にして、光華は內斂して影像を映出して、夜間に照耀す。ゆえに「夜光」と呼ぶ。《易・説卦》にいう。坎卦は月を象徵す。《河圖帝覽嬉》にいう。月亮は金の精華なり。《春秋感精符》にいう。月亮は陰氣の精にして大地の條理なり。《廣雅》にいう。「夜光」はすなわち月の別名なり。《天官書》(すなわち《史記・天官書》)にいう。太陰の精は上升して月と爲る。月亮は天地のあいだの陰氣にして、また金の精華なり。東晉の王嘉(字は子年)の《拾遺記》にいう。瀛洲の水精は凝結して月亮と成れり。
《禮記》曰:“月者,闕也。”范子《計然》曰:“月者,水也。”《淮南子》曰:“月者,天之使也;水氣之精者,為月。”《漢書李尋上疏》曰:“月者,從陰之長,妃后、大臣、諸侯之象。”張衡《靈憲》曰:“月者,陰精之宗,積而成象。兔蛤焉,陰之類,數偶也。並羿請不死之藥於西王母,娥竊之以奔月,遂託身於月,是謂蟾蜍。”《春秋演孔圖》曰:“蟾蜍,月精也。”
《禮記》にいう。「月」はすなわち虧缺の意思なり。范蠡の一系の傳う所の《計然》にいう。月は水に屬す。《淮南子》にいう。月亮は上天の使者にして、水氣の精華は凝聚して月亮と爲る。《漢書》の載する所の李尋の上疏にいう。月亮は陰氣に順從する者の當中の首長にして、妃后・大臣・諸侯の象徴なり。東漢の張衡《靈憲》にいう。月亮は陰精の宗主にして、陰氣は積聚して形象と爲る。月の中に兔と蛤蟆ありて、みな陰の一類に屬す。陰の數目は偶數なるを以てなり。當初に后羿は西王母に不死の藥を求め得しに、嫦娥はそれを偷食して奔騰して月に入りて、此より月の中に身を托す。これがすなわち所謂蟾蜍なり。《春秋演孔圖》にいう。蟾蜍は月の精魄なり。
楊泉《物理論》曰:“月陰之精,其形也圓,其質也清,稟日之光,而見其體;日不照,則謂之魄。故月望之日,日月相望,人居間,盡睹其明,故形圓也;二絃之日,日照其側,人觀其旁,故半照半魄也;晦朔之日,日照其表,人在其裹。故不見也。”
西晉の楊泉《物理論》にいう。月亮は陰氣の精にして、形體は圓なり、質地は淸なり、太陽の光を承受してこそその形體を顯出す。太陽の照到らざるあの部分を、便ち「魄」と呼ぶ。ゆえに望日に到れば、日と月は遙遙に相對して、人は正に兩者の中間に處して、その光を受くる一面を完整に看見し得。因って月形は圓なり。上弦・下弦のこの兩天に到れば、太陽は側面より其を照して、人は旁邊より觀看す。ゆえに一半是受照し一半是魄なり。晦日・朔日に到れば、太陽の照する所はその外に向かう一面にして、人は卻ってその內に向かう一側に處す。ゆえに月光を看見せず。
月行度二
四十分日之七百四十三奇一,則遲疾之一終而復始矣。月朔而晨見東方,謂之側匿,行遲也;月晦而夕見西方,謂之朓,行疾也;遲疾相通,謂之平;行一日十三度六十七分度之二十五半,二十七日一千三百四十分度之七百四十三奇一而周天矣。一年月十三周天,有閏之年則十四周天。與日合度,是為月朔。
(本條の句首は上文の數字に承接して、上半截は前の一段の內に在り)……四十分の日の七百四十三にまた奇零一、月亮の遲行と疾行の一個の周期は便ち此に到って終結して重たく開始す。月亮が朔日の淸晨に東方に出現するを、これを「側匿」と呼び、それの走ること慢きを説明す。月亮が晦日の傍晚に西方に出現するを、これを「朓」と呼び、それの走ること快きを説明す。遲と疾とを折中して通算するを、便ち「平」と呼ぶ。平行の速度は每天に十三度にまた六十七分の度の二十五半にして、二十七日にまた一千三百四十分の度の七百四十三零奇一を經過して、便ち天を一周を繞る。一年の內に月亮は天を十三周を繞り、閏月あるの年份は則ち十四周を繞る。月と日が同一度の上に會合するを、これがすなわち月朔なり。
日月相與東行;日行遲,而月行疾;二十九日一千三百四十分日之七百一十一則月周天復還及日,即二朔去之日數也。《春秋元命包》曰:“日月右行,周天二十三萬里。”
太陽と月亮は一同に東に向かって運行す。太陽は走ること慢くして、月亮は走ること快し。二十九日にまた一千三百四十分の日の七百一十一を經過して、月亮は天を一周を繞りたる後に重たく太陽に追上するを、これがすなわち前後の兩個の朔日の相隔するの日數なり。《春秋元命包》にいう。日と月はみな右に向かって運行して、天を一周を繞るの路程は二十三萬里なり。
《河圖》曰:“曰:“日、月、五星同道,過牽牛、女、虛、危、室、壁、奎、胃、昴,皆行其南,去之九尺;畢北七尺,觜、參北一丈三尺;貫井,出鬼南六尺;出柳北六尺;出七星、張北一丈三尺;出、翼、軫北一丈三天;貫角、亢,出氐南二尺;出房左右服間,出心北二尺,屋北十尺;出箕北六尺;貫斗至牛,此日、月、五星行常道也。”
《河圖》にいう。日・月と五星は同じく一條の軌道の上を走る。牽牛・須女・虛・危・營室・東壁・奎・胃・昴のこの幾宿を經過のとき、みなそれらの南邊より通過して、相距ること九尺なり。畢宿を過ぐるときはその北面に七尺にして、觜宿・參宿を過ぐるときはそれらの北面に一丈三尺なり。直に東井を貫きて、輿鬼の南の六尺の處より穿出す。柳宿の北の六尺より穿出す。七星・張宿の北の一丈三尺より穿出す。翼宿・軫宿の北の一丈三尺より穿出す(底本の「三天」は應に「三尺」と作るべし)。直に角宿・亢宿を貫きて、氐宿の南の二尺より穿出す。房宿の左右の兩服星のあいだより穿出して、心宿の北の二尺より穿出して、「屋」の北の十尺より穿出す。箕宿の北の六尺より穿出す。直に南斗を貫きて牽牛に到る。これがすなわち日・月・五星の運行の常道なり。
《洛書》曰:“日、月、五星,行歷左角內;行左亢外四尺;歷左右氐;外行房兩服間;行心內六尺;行尾內十八尺;行箕內十二尺;行斗柄中一尺;行牛中,行女外四尺;行虛外六尺,行危外十三尺;行室外十六尺,行壁外十三尺;行奎外十三尺;行婁外九尺;行胃外十一尺;行昴外五尺;歷畢左角;行觜內六尺;行參內十八尺;行井中;行鬼外十四尺;行柳內九天;行七星內十五尺;行張內十八尺;行翼內十六尺;行軫內十三尺。在上者為北,此日、月、五星之正道也。”
《洛書》にいう。日・月と五星は、左角星の內を經行す。左亢星の外を行ること四尺。氐宿の左右の兩星を經過す。外側より房宿の兩服星のあいだを行過す。心宿の內を行ること六尺。尾宿の內を行ること十八尺。箕宿の內を行ること十二尺。斗柄の中を行ること一尺。牽牛の正中より穿過す。須女の外を行ること四尺。虛宿の外を行ること六尺。危宿の外を行ること十三尺。營室の外を行ること十六尺。東壁の外を行ること十三尺。奎宿の外を行ること十三尺。婁宿の外を行ること九尺。胃宿の外を行ること十一尺。昴宿の外を行ること五尺。畢宿の左角を經過す。觜宿の內を行ること六尺。參宿の內を行ること十八尺。東井の正中より穿過す。輿鬼の外を行ること十四尺。柳宿の內を行ること九尺(底本の「九天」は應に「九尺」と作るべし)。七星の內を行ること十五尺。張宿の內を行ること十八尺。翼宿の內を行ること十六尺。軫宿の內を行ること十三尺。およそここに「在上」というはみな北面を指す。これがすなわち日・月・五星の運行の正道なり。
月行盈縮三
石氏曰:“明王在上,月行依道;若主不明,臣執勢,則月行失道。大臣用事,背公向私,兵刑失道,則月行乍南乍北;女主外威,擅權則或進退朓朒;皆君臣刑德不正之咎也。有不如常,隨事占其吉凶;月行疾,則君刑緩;行遲,則君刑急。月之與日,遲疾勢殊,而事勢異也。是故人君月有變,則省刑以德,恩從肆赦,故春秋有眚災友肆赦。”
石申はいう。英明の君王が位に在れば、月亮は便ち常道に依って運行す。もし君主は明ならず臣子は權勢を把持せば、月亮は便ち常道に偏離す。大臣が權を當て事を用いて、公義に背棄して私利に趨附して、兵刑の政は準則を失えば、月亮は便ち忽ち南に偏り忽ち北に偏る。女主が外戚の威勢を憑りて權を擅くすれば、月亮は便ち時に超前し時に落後して、「朓」と「朒」とを現出す。これらはみな君臣のあいだの刑罰と德教の端正ならざるの招致する所の過咎なり。およそ常度に合わざるあれば、便ち具體の情形に按じて吉凶を占斷す。月亮の走ること快きは、君主の用刑寬緩を説明す。走ること慢きは、君主の用刑嚴急を説明す。月亮と太陽とは、遲疾の勢は相反して、主とする所の事勢も便ち相反す。ゆえに君主は月象變異に一遇すれば、應に刑罰を減省して德政を施行して、恩澤を廣布して罪人を大赦すべし。因って《春秋》の裏に災眚に遇って寬赦するの記載あり(「眚災肆赦」の語は《尚書・舜典》に出づ)。
劉向《洪範傳》曰:“晦而月見西方,謂之朓;朔而月見東方,謂之側匿。朓則王侯其舒言、政緩,則陽行遲、陰行疾也。側匿則王侯其肅言、政急,則陽行疾、陰行遲也。舒者,臣驕而執政也。肅者,臣下恐懼太甚也。”
西漢の劉向《洪範傳》にいう。晦日にして月亮が西方に出現するを、これを「朓」と呼ぶ。朔日にして月亮が東方に出現するを、これを「側匿」と呼ぶ。「朓」を出現するは、王侯の行事は舒緩にして政令は鬆弛して、是にして陽は走ること慢くして陰は走ること快きを説明す。「側匿」を出現するは、王侯の行事は嚴肅にして政令は急迫して、是にして陽は走ること快くして陰は走ること慢きを説明す。所謂「舒」は、臣子の驕橫にして朝政を把持するなり。所謂「肅」は、臣下の畏懼するに過甚なるなり。
劉歆曰:“舒者王侯殿意專政,臣下促急,故月行疾也;肅者,王侯縮訥不任事,臣下馳縱,故行遲也。”《春秋運斗樞》曰:“主勢集於后族,群妃之黨,橫僭為害,則月盈。”京房《易飛候》曰:“月生八日當中,五日六日而中,有兵在列,大戰。”
劉歆はいう。所謂「舒」は、王侯の一味として自己の心意に按じて朝政を專斷して、臣下は逼られて急促となり、ゆえに月亮は走ること快し。所謂「肅」は、王侯の畏縮訥言にして事を任じ肯んぜずして、臣下は因って放縱馳騁して、ゆえに月亮は走ること慢し。《春秋運斗樞》にいう。君主の權勢は后族の手裏に集中して、衆妃嬪の黨羽は橫行僭越して朝廷を爲害せば、月亮は便ち格外に盈滿に顯れん。京房《易飛候》にいう。月亮は明を生ずる第八天に本應に正に中天に當るべきに、もし第五・第六天にすでに中天に到れば、軍隊の陣を列ねて將に大戰あらんを主とす。
《荊州占》曰:“月行疾,天下有急事。”又曰:“月行過急,奸邪起,月行不及度,多留事。”又曰:“入月五日,昏而月中,急兵大起,糴大貴。”又曰:大月八日昏中,小月七日昏中;過度有兵事,不及度有喪事。”
《荊州占》にいう。月亮の行度が偏りて快きは、天下に緊急の事あるを主とす。またいう。月亮の走ること過快なるは、奸邪の人の興起するを主とす。月亮の行度が常數に趕上せざるは、政事の多く滯留積壓するを主とす。またいう。本月の第五天に進入して、黃昏のときに月亮はすでに中天に在れば、緊急の兵事の大いに起るを主として、糧價は暴漲せん。またいう。大月の第八天の黃昏に中天に在り小月の第七天の黃昏に中天に在るは、これは常度なり。この度數を超過せば便ち兵事あり、この度數に達せざれば便ち喪事あらん。
月行陰陽四
京氏《對災異》曰:“人君好用佞邪,朝無忠臣,則月失其行。”班固《天文志》曰:“月失節度而妄行,出陽道,則旱風;出陰道,則陰雨。”京房《妖占》曰:“月行南為旱,行北為水;當道天門、駟之間,天下大安,五穀大得,人主延年益壽。”
京房《對災異》にいう。君主が奸佞邪僻の人を任用するを好めば、朝廷の裏に忠臣なく、月亮は便ちその固有の軌道に偏離せん。班固《漢書・天文志》にいう。月亮が節度を失いて胡亂に運行して、もし陽道に走出せば、便ち旱と風とを主とす。もし陰道に走出せば、便ち陰と雨とを主とす。京房《妖占》にいう。月亮が偏りて南に行けば旱を主とし、偏りて北に行けば水を主とす。もし正に天門と「天駟」(房宿の四星)のあいだの正道の上を走れば、天下の大いに安寧して五穀は大いに豐收して君主は延年益壽するを主とす。
《河圖帝覽嬉》曰:“月行一歲,不三出昴畢間,來年有兵。”郗萌曰:“月不道東西咸,必有賊。”京房《易飛候》曰:“月人八日,北向陰國,亡地;月不盡八日,北向陽國,亡地。”
《河圖帝覽嬉》にいう。月亮が運行して一年を滿して、もし曾て三次昴宿と畢宿のあいだより穿過せざれば、來年に兵事あらん。郗萌はいう。月亮が東咸・西咸の兩組の星の示す所の路徑に循って運行せざれば、必定に盜賊あらん。京房《易飛候》にいう。月亮が本月に進入の頭八天の裏に北方に偏向すれば、陰に屬する國家は土地を喪失せんと要す。月亮が本月の最後の八天の裏に北方に偏向すれば、陽に屬する國家は土地を喪失せんと要す。
月光明五
《易萌氣樞》曰:“臣道修,則月明有光。”《高宗占》曰:“月出如盛天下,且有主治也。”《尚書考靈曜》曰:“五政不失,日月光明;五政,謂四時及夏季之政也。”《禮緯含文嘉》曰:“君道尊而制命,即日月精明。”
《易萌氣樞》にいう。臣の爲の道は修明なれば、月亮は便ち明亮にして光華あらん。《高宗占》にいう。月亮が升起のとき光色は盛大にして天下を照臨せば、將に明主ありて出でて世を治めん。《尚書考靈曜》にいう。五政はみなその宜を失わざれば、日月は便ち光明す。所謂五政とは、春・夏・秋・冬の四時の政に再び季夏の政を加うるを指す。《禮緯含文嘉》にいう。君道は尊崇にして自ら號令を出す能わば、日月は便ち精純にして明亮せん。
《黃帝占》曰:“有道之國,日月過之即明,人君吉昌,人民安樂。”孫氏《瑞應圖》曰:“人君不假臣下以權,則日月揚光。”甘氏曰:“月經心,清明烈照,天主內明,必有延慶。”
《黃帝占》にいう。道ある國は、日月がその分野を經過すれば便ち格外に明亮して、君主の吉慶昌盛・百姓の安居快樂を主とす。孫氏《瑞應圖》にいう。君主が權柄を臣下に假借せざれば、日月は便ち光輝を揚げん。甘德はいう。月亮が心宿を經過のとき、淸朗明亮にして光焰は人を照す。これは上天の君主の內心を昭明ならしむるの徵象にして、必ず綿長の福慶あらん。
月變色六
《河圖帝覽嬉》曰:“日光如張炬火,所宿其國,立王亦立上卿。”京氏《妖占》曰:“月變色,青為飢與疫,赤為爭與兵,黃為德與喜,白為旱與喪,黑為水,民半死。”《京房占》曰:“君幼弱,月青色。”
《河圖帝覽嬉》にいう。月光が張開の火炬のごとく熾亮なるは、それの値宿する所のあの國家は將に王を立てまた上卿を立てんとす(底本は「日光」と作るも、本節の標目と文義に據って應に月光を指す)。京房《妖占》にいう。月亮が色を變じて、青を發すれば饑荒と疫病とを主とし、赤を發すれば爭鬥と兵事とを主とし、黃を發すれば德政と喜慶とを主とし、白を發すれば旱災と喪事とを主とし、黑を發すれば水災を主として、百姓は將に半を死掉せん。《京房占》にいう。君主が年幼にして力弱ければ、月色は便ち青を發せん。
京房《易飛候》曰:“月生八日,當玄兔色,上旬糴貴,無則上旬糴賤。不盡八日,色,下旬糴貴,無則豐,而下旬賤。”《荊州占》曰:“月赤如赭,大將死於野;又曰月赤如血,有死王。以宿占國。”
京房《易飛候》にいう。月亮は明を生ずる第八天に、色澤は應に玄兔のごとく黝黑なるべし。もし真に此の色を現せば、上旬の糧價は上漲し、此の色を見ざれば上旬の糧價は便宜なり。本月の末尾の第八天に到って此の種の顏色を現出せば、下旬の糧價は上漲す。此の色を見ざれば便ち豐年にして、下旬の糧價は便宜なり。《荊州占》にいう。月色の赤なること赭土のごときは、大將の野外に死するを主とす。またいう、月色の赤なること血のごときは、君王の死去あるを主とす。究竟どの一國に應ずるかは、月亮の値する所の星宿に按じて推斷す。
《荊州占》曰:“月生而色黃,主人受其殃;月二十八日,其色黃,攻地入,客受殃。”《河圖帝覽嬉》曰:“月入而黃,主人受殃;出而黃赤,客受其謫,赤三日不復,主人戰有勝。”《河圖帝覽嬉》曰:“月生三日,其中縵縵如絲布狀,其野虛;兵在內盡出,然外主人不勝。”
《荊州占》にいう。月亮が初生にして便ち黃色を現ずるは、守る方の將に殃に遭わんを主とす。本月の二十八日に到って月色が黃を發すれば、則ち敵境に攻入するの客方の將に殃に遭わん。《河圖帝覽嬉》にいう。月亮が落下のとき色黃なれば、守る方は殃を受く。升起のとき黃中に赤を帶ぶれば、客方は責罰を受く。赤色が連續して三天退かざれば、守る方は作戰して取勝し得。《河圖帝覽嬉》にいう。月亮が初生の第三天に、月輪の中は隱隱約約として一層の絲布を鋪くがごときは、あの片の分野は將に空虚ならんとす。境內の兵力は全部開拔出して、然るに外に在って作戰して、守る方は取勝し能わず。
月光盛七
郗萌占曰:“月初生盛,女主持政。”京氏《易飛候》曰:“月之光如張芒,所宿之國立君;三齊所宿之國,立將軍,上卿。”《荊州占》曰:“月上弦巳後盛,君無戕德,臣執權柄,人背君,尊其臣。”
郗萌の占辭にいう。月亮が剛ち明を生じて便ち光色盛大なるは、女主の朝政を執掌するを主とす。京房《易飛候》にいう。月光が張開の芒刺のごとく四射するは、それの値宿する所のあの國家は別に國君を立てんと要す。もし三度齊地の分野の國家に値せば、則ち將軍と上卿を別立せんと要す。《荊州占》にいう。月亮が上弦を過ぎたる以後に光色が格外に盛なるは、君主の德威は以て臣下を裁抑するに足らざるを説明して、臣子は權柄を把持して人心は君主に背離して去りてその臣子を尊奉す。
月無光八
《太公陰秘》曰:“君不明,臣不忠,故月無光;月不明見變,變不救,殃禍生,臣欲反,主失名。其救也;安百姓,用賢人,弱者扶,無則害。”
《太公陰祕》にいう。君主は明察ならず、臣子は忠を盡くさず、ゆえに月亮は光亮を失去す。月亮の明ならざるは便ち變異を顯出して、變異に遇上て禳救せ去れば、禍殃は隨即產生して、臣子は反を造らんと欲して君主は名位を失去す。禳救の辦法は、百姓を安撫して賢人を任用して弱小を扶助す。あらんごとくせざれば便ち害と成らんと要す。
《黃帝占用兵要訣》曰:“沉陰,日月俱無光,晝不見日,夜不見月,星皆有雲障之而不雨。此為君臣俱有陰謀,兩敵相當,陰相圖議也。若晝陰夜月出,君謀臣;夜陰晝日出,臣謀君,下逆上也。”
《黃帝占用兵要訣》にいう。陰氣は沈滯して開けず、日月はみな光亮を失いて、白天は太陽を見ず夜裏は月亮を見ず、星星もまた全く雲に遮られて卻ってまた雨を下さず。これは君と臣の雙方がみな各々陰謀を心懷きて、兩軍は對壘相持して暗中に彼此謀算するを説明す。もし白天は陰晦にして夜裏に月亮が出づれば、君主の臣子を算計するなり。もし夜裏は陰晦にして白天に太陽が出づれば、臣子の君主を算計するにして、下位者は將に上を犯して亂を作さんとす。
甘氏曰:“人君宰相,不從四時行令,刑罰不時,大臣奸謀,離賢蔽能,即日月無光,見瑕謫;不救,其國五穀不成,六畜不生,人民上下不從,盜賊並起。”《河圖帝覽嬉》曰:“日月無光,有亡國、死王,期不出五年。”《孝經內記圖》曰:“主驕慢,日月失明。”
甘德はいう。君主と宰相が四時の順序に依って政令を頒行せず、刑罰は時宜に合わず、大臣は暗中に奸謀して、賢者を疎遠して才能ある人を埋沒せば、日月は便ち光亮を失いて、瑕疵と譴責の徵象を現出す。もし禳救せざれば、あの國家は五穀は熟せず六畜は繁えず、上上下下の人心は服せずして、盜賊は一齊に興起せん。《河圖帝覽嬉》にいう。日月がみな光なきは、國家の滅亡・君王の身死あるを主として、應期は五年を出でず。《孝經內記圖》にいう。君主が驕橫傲慢なれば、日月は便ち光明を失去せん。
《京氏占》曰:“月大無光,國無王,民不安,天下有兵。”《京氏占》曰:“月昏無光,則淵涸山崩,王者惡之。”《河圖帝覽嬉》曰:“月大無光,主死士,戰不勝。”《高宗占》曰:“月大無光,城不降;月小無光,城降。”京氏《妖占》曰:“月無光,臣不作亂,教令不行,民飢國亡。”京氏《易飛候》曰:“月不光,貴人死。”《荊州占》曰:“月生無光,下有死王。”京房《易飛候》曰:“月生無光,君子徒凶。”
《京氏占》にいう。月輪が大に顯れて光なきは、國中に真正の君王なくして百姓は安寧を得ずして天下に兵事あるを主とす。《京氏占》にいう。月色が昏暗にして光なければ、便ち深淵は干涸して山嶺は崩塌して、君王はこれに因って利ならず。《河圖帝覽嬉》にいう。月輪が大にして光なきは、守る方の戰士は死傷して作戰は取勝し能わざるを主とす。《高宗占》にいう。月輪が大にして光なきは、圍まるる城池は投降せず。月輪が小にして光なきは、城池は便ち投降せん。京房《妖占》にいう。月亮が光亮を失うは、臣子は兵を起こして亂を作さずとも、教化政令は卻って行通わずして、百姓は饑饉して國家は敗亡せん。京房《易飛候》にいう。月亮が光を發せざるは、顯貴の人の死を主とす。《荊州占》にいう。月亮が初生にして便ち光なきは、下面に君王の死去あるを主とす。京房《易飛候》にいう。月亮が初生にして光なきは、君子の白きにも凶に遭うを主とす。
月兔不見九
《河圖帝覽嬉》曰:“月中無兔、蟾蜍,天下無官。”《荊州占》曰:“月中兔、蟾蜍不見,天下失女主,一曰宮女不安。”《河圖》曰:“蟾蜍去月,天下大亂。”《黃帝占》曰:“月望而月中蟾蜍不見者,月所宿之國,山崩,大水,城陷,民流亡,亦為失主;宮中必不安。”
《河圖帝覽嬉》にいう。月輪の中に玉兔と蟾蜍を見ざるは、天下に職に稱する官吏なきを主とす。《荊州占》にいう。月中の玉兔と蟾蜍が見えざるは、天下の女主を失去するを主とす。一説は宮中の女子は安寧を得ずとす。《河圖》にいう。蟾蜍が月亮を離去するは、天下の大亂を主とす。《黃帝占》にいう。望日に到って月中の蟾蜍が見えざるは、月亮の値宿する所のあの國家は山嶺は崩塌して大水は泛濫して城池は陷落して百姓は流亡するを主として、また君主を失去するを主とす。宮中は必定に安寧を得ず。
月中有離雲氣十
《荊州占》曰:“有雲如杵,長七尺,沖月所宿國,主君將死。”京房《易飛候》曰:“白雲如杵,長七尺,沖月所宿之國,人主死,杆柄中月,王后死;入月中,王后當之;月戴珥,主人來疾。”
《荊州占》にいう。一片の雲ありて形狀は木杵のごとく長さ七尺にして、直に月亮の値宿する所のあの國家を衝するは、あの國の君主の將に死去せんとするを主とす。京房《易飛候》にいう。白雲の形は木杵のごとく長さ七尺にして、直に月亮の値宿する所のあの國家を衝するは、君主の死を主とす。もし杵形の柄が端正に月輪を對すれば、王后の死を主とす。もし月輪の中に插入せば、便ち王后に由ってこの場の災禍を承當せしむ。月上に「珥」(月旁の耳狀の短光氣)を戴くは、守る方の將に急難に遭わんを主とす。
《河圖帝覽嬉》曰:“月始出時,有雲居其中,如禽獸狀,其名曰綦婁。甲乙見東方,受之;丙丁見南方,受之;戊己見中央,受之;庚辛見西方,受之;任癸見北方,受之;受者,受其害。”
《河圖帝覽嬉》にいう。月亮の剛ち升起のとき、雲ありて月輪の中に停りて、形狀は禽獸のごとく、その名を「綦婁」と呼ぶ。もし甲日・乙日に東方に見えば、便ち東方に由って承當せしむ。丙日・丁日に南方に見えば、便ち南方に由って承當せしむ。戊日・己日に中央に見えば、便ち中央に由って承當せしむ。庚日・辛日に西方に見えば、便ち西方に由って承當せしむ。壬日・癸日に北方に見えば、便ち北方に由って承當せしむ。所謂「承當」とは、すなわち其の帶來する所の禍害を承受するなり。
《荊州占》曰:“月下有氣,如人相隨者,是謂惡成。侯王有坐之者,有分國。”《荊州占》曰:“月中有雲,如人行者,臣害主;兩主爭,客勝;有三人,天維絕,主人必更。”《河圖帝覽嬉》曰:“月旁有白雲,大如杵者三,抵月,期六十日;外有戰,破軍,死將。”
《荊州占》にいう。月下に雲氣ありて、形狀は一人の一人に跟うがごときを、これを「惡成」と呼ぶ。侯王の中に人ありて罪に因って連坐するを主として、また國土の分割せらるるを主とす。《荊州占》にいう。月輪の中に雲ありて、形狀は行走の人のごときは、臣子の君主を謀害するを主とす。もし兩個の人形が相爭えば、客方は取勝す。もし三個の人形を出現せば、天地を維繫するの綱紀の斷絶を主として、守る方は一定に更換せんと要す。《河圖帝覽嬉》にいう。月旁に白雲ありて、粗大なること木杵のごときの共に三條にして、月輪を抵住して、應期は六十天なり。境外に戰事ありて軍隊は擊破せられ將領は戰死するを主とす。
《荊州占》曰:“月始出,有黑雲貫月,名曰激雲。不出三日,異雨有害人者,客且至。”《河圖帝覽嬉》曰:“月旁多赤雲,如人頭,大戰多;白為風,黑為雨。”《荊州占》曰:“有赤雲、黑雲交臨,月當其國,亡軍。”《河圖帝覽嬉》曰:“月旁有白雲一,黑雲二,蒼雲一,其大如厚布,抵貫月,圍城、拔邑。”
《荊州占》にいう。月亮が剛ち升起のとき、黑雲ありて月輪を橫貫するを、名づけて「激雲」という。三天を出でずして、反常の雨を下して人を傷ることあらんとし、客軍は將に到來せん。《河圖帝覽嬉》にいう。月旁に赤雲多くして、形狀は人頭のごときは、大戰の頻繁を主とす。白雲は風を主とし、黑雲は雨を主とす。《荊州占》にいう。赤雲と黑雲が交錯して籠罩して、月亮が正にどの一國に對せば、あの一國は將に師を喪わん。《河圖帝覽嬉》にいう。月旁に白雲一條・黑雲兩條・蒼雲一條ありて、みな粗大なること厚厚の布帛のごとくして、抵住して併せて月輪を貫穿するは、城を圍み邑を攻拔するの事あるを主とす。
《高宗占》曰:“青雲挾月,是謂賊害,王受其殃,歲為五穀不熟;赤去挾月,是謂仇賊;黃雲挾月,女主有戮死者,期不出三十日;白雲挾月,其國君遇賊;黑雲挾月,陰雨逾時。”
《高宗占》にいう。青雲が兩邊より月亮を夾住するを、これを「賊害」と呼び、君王の災殃を承受してこの一年は五穀熟せざるを主とす。赤雲が兩邊より月亮を夾住する(底本の「赤去」は應に「赤雲」と作るべし)を、これを「仇賊」と呼ぶ。黃雲が月亮を夾住するは、女主の一方に殺せらるる人ありて應期は三十天を出でざるを主とす。白雲が月亮を夾住するは、あの國家の君主の賊害に遭遇するを主とす。黑雲が月亮を夾住するは、陰雨連綿として時令を超過するを主とす。
《荊州占》曰:“月中有黑氣,大如桃若李,臣有蔽主明者。”京氏《易傳》曰:“有黑雲,狀如群羊豕,如飛烏,如鳴雞,在月及月旁。三日王日不雨,匈奴兵起。”京房《易傳》曰:“赤氣覆月如血光,大旱,人民飢千里。”《荊州占》曰:“常以十四日夜候月,中有氣,如飛烏;其野無居者。”
《荊州占》にいう。月輪の中に黑氣ありて、大小は桃子あるいは李子のごときは、臣子の君主の明察を蒙蔽するあるを主とす。京房《易傳》にいう。黑雲ありて、形狀は成群の羊と猪のごとく、飛鳥のごとく、啼叫の雞のごとくして、月輪の中あるいは月輪の旁邊に出現す。三天の内に王日は雨を下さざれば、匈奴は將に兵を起こさん。京房《易傳》にいう。赤氣は月亮を覆蓋して、一片の血光のごときは、大旱を主として方圓千里の內は百姓饑饉せん。《荊州占》にいう。通常は每月十四日の夜裏に月亮を守候して、もし月中に氣ありて形狀は飛鳥のごときは、あの片の分野は將に人の居住するなからん。
《尚書金櫃》曰:“視不明,聽不聰,則雲氣五色,蔽日月之明。無救,則群臣謀殺,關梁不通。其救,闢四門,求仁賢。”《春秋感精符》曰:“諸氣之出,皆歷日月旁,天子國君之害也。期如日蝕遠近之符。”《荊州占》曰:“凡諸氣,日月有變,不出兩日;大雨吉,大雨皆凶,小雨無益。”
《尚書金櫃》にいう。君主が看ること明白ならず聽くこと淸楚ならざれば、雲氣は便ち五色を現出して、日月の光明を遮蔽す。もし禳救を加えざれば、群臣は便ち弑殺を圖謀して、關隘橋梁は通行し能わず。禳救の辦法は四方の城門を敞開して、仁厚賢能の士を廣求す。《春秋感精符》にいう。各種の雲氣の出現するは、みな日月の旁邊より經過せんと要す。これは天子と國君に對するの危害なり。應期の遠近は、日蝕を占うに用いる所の期限の符驗と相同なり。《荊州占》にいう。およそ各種の雲氣の日月をして變異を發生せしむるは、應は、應驗は兩天を出でず。大雨は吉と爲り、大雨はまたみな凶と爲り、小雨は則ち補益する所なし(底本は此の處に兩説は自相牴牾して、應に訛奪あらん)。
月生牙齒爪足十一
《河圖》曰:“月生齒,主見期。(闕×××××××)《春秋文曜鉤》曰:“趙有君,尹吏,日月生齒,在畢宿;主見欺大,《星占》曰:子殺父,臣刺君,期歲二月,有兵患。”(宋均注曰:“月,太陰之精也,屬水,水生於金;畢、金精也,水齒之臣子殺逆之象也。畢又為邊兵,畢主八月,其沖則二月,兵患於此發也。)
《河圖》にいう。月亮が齒狀の光芒を生出するは、君主の死期の將に顯現せんとするを主とす。(此の處は底本に七字を闕く)《春秋文曜鉤》にいう。趙國に君ありて、また事を掌る尹吏ありて、日月は齒狀の光芒を生出して、位置は畢宿に在り。君上の大いに欺蒙せらるるを主とす。《星占》にいう。これは兒子の父親を殺し臣子の君主を刺殺するを主として、應期は當年の二月に在りて兵禍あらん。(原書小注に東漢の宋均を引いていう:月は太陰の精にして水に屬し、水は金に由って生ぜらる。畢宿は金の精にして、水にして齒を生ずるは、正に臣子の殺逆の象なり。畢宿はまた邊地の兵事を主として、畢宿は當値八月にして、それと相衝するは二月なり。ゆえに兵禍は二月に發作す。)
《荊州占》曰:“月生齒,人主有賊臣,王者偏左右,(闕××××)徐廣《歷記》曰:“隆安五年三月甲子,月生齒,在斗;占曰:‘月生齒,人主有賊臣,群下相賊(闕×××)《春秋感精符》曰:“月生齒,妻妾黜;外垂牙,主威歇。”
《荊州占》にいう。月亮が齒狀の光芒を生出するは、君主の身邊に加害を存心する臣子ありて、君王は左右の近臣を偏信するを主とす(此の處は底本に四字を闕く)。東晉・南朝の史家徐廣の《曆記》にいう。晉の安帝隆安五年三月甲子に、月亮は齒狀の光芒を生出して、位置は南斗に在り。占辭にいう:「月亮が齒を生ずるは、君主に加害を存心する臣子ありて、臣屬は彼此殘害するを主とす。」(此の處は底本に三字を闕く)《春秋感精符》にいう。月亮が齒を生ずるは、妻妾の廢黜せらるるを主とす。もし牙狀の光芒が外に向かって下垂すれば、君主の威權の衰歇を主とす。
《考異郵》曰:“諸侯謀叛,則月生爪牙。”《荊州占》曰:“月生爪牙,國君遇賊,又曰月爪所指,四方煩若,有土功事。”《洛書》曰:“陪臣執命,王公望風,其將叛謀公卿,群下並附,諸侯歸心;則月舉足垂牙。”《河圖秘證》曰:“帝淫泆,政不平,則月生足。”
《考異郵》にいう。諸侯が叛亂を圖謀すれば、月亮は便ち爪牙狀の光芒を生出せん。《荊州占》にいう。月亮が爪牙を生出するは、國君の賊害に遭遇するを主とす。またいう、月亮の爪の指す所の方向は、四方はこれに因って騷擾して寧ならずして、將に土木を興修するの役あらんとす。《洛書》にいう。陪臣が號令を把持して王公はただ人の顏色を看て事を行い、あの將に叛變せんとする人は公卿の位を謀取して、臣屬は一齊に彼らに依附して、諸侯もまたみな彼に歸心す。このとき月亮は便ち足を擡げて牙を垂下す。《河圖祕證》にいう。帝王が淫逸放蕩して政事は公平ならざれば、月亮は便ち足を生出せん。
《春秋緯》曰:“生足,君有過,后族擅權,月生足芒;有此類,則亡國也。”《荊州占》曰:“月生牙齒,天子有賊臣,群下自殘害。”郗萌曰:“月生爪牙,主賞罰不行,偏任兵起;招賢明,奪強國,兵勢則已。”《海中占》曰:“月生爪牙,人生偏,左右遇賊,有刺客;各在中分。”
《春秋緯》にいう。月亮が足を生ずるは、君主に過失あるなり。后族が權を擅くすれば、月亮は便ち芒を帶びたる足を生出す。この一類の徵象を出現すれば、便ち國を亡ぼさんと要す。《荊州占》にいう。月亮が牙齒を生出するは、天子の身邊に加害を存心する臣子ありて臣屬のあいだは自相殘害するを主とす。郗萌はいう。月亮が爪牙を生出するは、賞罰の施行し能わずして一方を偏信して兵事を引起すを主とす。もし賢明の士を招納して強國の氣焰を奪去し能わば、兵勢は便ち止息せん。《海中占》にいう。月亮が爪牙を生出するは、人事の偏頗して正ならずして、君主の左右の人は賊害に遭遇して刺客の出現あるを主とす。具體の應驗は各々月輪の左右中分の方位に按じて斷ず。
月生角芒刺十二
《春秋運斗樞》曰:“后族擅權,月生芒。”《洛書摘芒闢》曰:“月盈而生芒,後黨成輩,且害其主。”《春秋運斗樞》曰:“月垂芒,國亂憂在公;禍大作,兵敗北。”夏氏曰:“月上有黃芒,君福昌;一曰皇后有喜。”《荊州占》曰:“月生角,天下兵,國將受殃。”《河圖帝覽嬉》曰:“月生四日,月兩角刺如矛狀,其野有殺其君者,且廢之;其上角大者,君上勝;其下角大者,臣下勝。”
《春秋運斗樞》にいう。后族が權を擅くすれば、月亮は便ち芒刺を生出せん。《洛書摘芒辟》にいう。月輪が盈滿して芒刺を生出するは、后妃の黨羽の群黨を結成して將に彼女らの君主を謀害せんとするを主とす。《春秋運斗樞》にいう。月亮が芒刺を垂下するは、國家の動亂して憂患は公室に落つを主として、禍亂は大いに起りて兵を用いて敗北せん。夏氏はいう。月上に黃色の芒あるは、君主の福澤昌盛を主とす。一説は皇后に喜事あらん。《荊州占》にいう。月亮が角を生出するは、天下に兵事ありて國家は將に殃に遭わんを主とす。《河圖帝覽嬉》にいう。月亮は明を生ずる第四天に、月の兩角は矛のごとき刺を生出するは、あの片の分野に人ありてその君主を弑殺して彼を廢せんとするを主とす。上角の大なるは、君上は取勝す。下角の大なるは、臣下は取勝す。
《荊州占》曰:“月生刺,在一日,是謂賊;賊生中國。月二日生刺,是謂隱,其女子卒,有陰疾。月三日生刺,是謂內傷大陽,是謂天芒。月四日生刺,是謂不明,是謂蔽光。月五日生刺,是謂音蕩,當有訛言者。月六日生刺,是謂內虛,是謂去邑。
《荊州占》にいう。月亮が刺を生ずるに、もし初一に在れば、これを「賊」と呼び、盜賊の中原に產生するを主とす。初二に刺を生ずるを、これを「隱」と呼び、女子の猝死あるいは隱祕の疾を患うるあるを主とす。初三に刺を生ずるを、これを內裏より太陽を損傷すると呼び、また「天芒」と呼ぶ。初四に刺を生ずるを、これを「不明」と呼び、また「蔽光」と呼ぶ。初五に刺を生ずるを、これを「音蕩」と呼び、謠言を散布する人あらんを主とす。初六に刺を生ずるを、これを「內虛」と呼び、また「去邑」と呼び、主として城を棄て邑を離れんと要す。
月七日生刺,是謂有剝,其地弱。月八日生刺,是謂割地在分,民其當者,名曰禽獲陽平。月九日生刺,其地民飢,民以食,弱其世,以兵行。月十日生刺,陰始盛,主女子執朝政。月十一日生刺,是謂憂土居,老幼穴處。月十二日生刺,其地有以陰死者。
初七に刺を生ずるを、これを「有剝」と呼び、あの地方の力量の削弱せらるるを主とす。初八に刺を生ずるを、これを土地の割讓は應に本分野に在りて百姓に由って承當せしめ、名づけて「禽獲陽平」という。初九に刺を生ずるは、あの地方の百姓は饑饉して百姓は食を求めるに因って世業を衰弱せしめて、ただ兵を動かすを主とす。初十に刺を生ずるは、陰氣の強盛を開始して女子は朝政を執掌するを主とす。十一日に刺を生ずるを、これを居處に憂愁すると呼び、老人小孩はただ穴居す。十二日に刺を生ずるは、あの地方に人ありて陰私の事に因って死するを主とす。
月十三日生刺,是謂始強,得地。月十四日生刺,是謂不利,其女君傷下。月十五日生刺,是謂盛強,其強地多兵。月十六日生刺,是謂內弱,大臣殺其主。月十七日生刺,是謂威法,主有流兵。月十八日生刺,是謂君瘟,死。月十九日生刺,是謂陽衰陰治,女子執事。
十三日に刺を生ずるを、これを「始強」と呼び、土地を得るを主とす。十四日に刺を生ずるを、これを「不利」と呼び、女主の下に在る臣民を傷害するを主とす。十五日に刺を生ずるを、これを「盛強」と呼び、強盛のあの一方は兵事多きを主とす。十六日に刺を生ずるを、これを「內弱」と呼び、大臣のその君主を殺害するを主とす。十七日に刺を生ずるを、これを「威法」と呼び、流竄の兵衆あるを主とす。十八日に刺を生ずるを、これを君主の瘟疫に染上するを主として死亡を主とす。十九日に刺を生ずるを、これを陽氣の衰微して陰氣は政を當てて女子は事務を主持するを主とす。
月二十日生刺,是謂地有土功。月二十一日生刺,是謂千里外聚,其都有土功。月二十二日生刺,是謂始衰。貴人多死者。月二十三日生刺,是謂陰盛,女子為王。月二十四日生刺,是謂中有大謀。月二十五日生刺,是謂隱蔽,是謂佚殃。月二十六日生刺,是謂感,多憂在內謀。月二十七日生刺,是謂大飢。月二十八日生刺,是謂竟,城數政。月二十九日生刺,是謂內亂,是謂自伐。”
二十日に刺を生ずるを、これを地方は將に土木の役を興さんと呼ぶ。二十一日に刺を生ずるを、これを千里之外に人衆を聚集して都城は將に土木の役を興さんと呼ぶ。二十二日に刺を生ずるを、これを「始衰」と呼び、顯貴の人に死者多きを主とす。二十三日に刺を生ずるを、これを陰氣盛んなりと呼び、女子の王と爲るを主とす。二十四日に刺を生ずるを、これを宮禁の中に大きき圖謀あると呼ぶ。二十五日に刺を生ずるを、これを「隱蔽」と呼び、また「佚殃」と呼び、禍殃は潛伏して後に發す。二十六日に刺を生ずるを、これを「感」と呼び、憂患は多く內部の謀算より出づるを主とす。二十七日に刺を生ずるを、これを大饑荒と呼ぶ。二十八日に刺を生ずるを、これを「竟」と呼び、城邑の屢々政令を更改するを主とす。二十九日に刺を生ずるを、これを「內亂」と呼び、また「自伐」と呼び、自己が自己を攻伐す。
月大小十三
《荊州占》曰:“月初生小,而形廣大者,月有水災。”《海中占》曰:“月大而體小者,旱;有氣色非常,皆為皇后陰謀事。”
《荊州占》にいう。月亮が初生のとき形體は小なるも、而して光形は寬廣闊大に顯れるは、この個月に水災あるを主とす。《海中占》にいう。月輪は看れば大にして實體は卻って小なるは、旱災を主とす。もし更に反常の氣色あれば、みな皇后の一方に陰謀の事あるを主とす。
月分毁及墜下流十四
京氏《易妖占》曰:“月毀為三四五六,見天下亂。”《荊州占》曰:“月分為兩,國無道,君失天下。”《河圖占》曰:“地淪月散,必有立王。”京氏《易妖占》曰:“月自天墮,有道之臣亡。”京房《易妖占》曰:“月出地中,庶民為王公。”
京房《易妖占》にいう。月輪が碎裂して三塊・四塊・五塊・六塊と成るは、天下大亂の顯象なり。《荊州占》にいう。月亮が兩半に分かれるは、國家の道なきを主として君主は天下を喪失す。《河圖占》にいう。大地は沈淪して月輪は離散するは、必定に別の人ありて王と立てられん。京房《易妖占》にいう。月亮が天上より墜落するは、道ある臣の死亡を主とす。京房《易妖占》にいう。月亮が地中より升起するは、平民百姓の王公を做すを主とす。
月晝見十五
《易緯辨終篇》曰:“月晝見,隱謀合,國雄逃。”京房曰:“月晝見,必有亡國。”京氏《對災異》曰:“月若晝明者,奸邪並作,專明擅君之朝。”京房《對災異》曰:“月若晝明者,月為臣,日為君。臣以明續君黨,當在其時;不可與君用力,含穢以舒刑。
《易緯辨終篇》にいう。月亮が白天に出現するは、暗中の圖謀のすでに勾結成事して國中の豪傑は將に出逃せんとするを主とす。京房はいう。月亮が白天に出現するは、必定に國家の滅亡あらん。京房《對災異》にいう。月亮がもし白天にもなほ明亮なれば、奸邪の人の一齊に興起して聰明を獨攬して君主の朝廷を專擅するを主とす。京房《對災異》にいう。月亮がもし白天にもなほ明亮なれば——知るべし、月は臣にして日は君なり。臣子は自己の明を憑りて君主の黨羽を接續して、本來自己の應有の時分を守住るべく、君主と爭って能を逞しうるべからずして、而して應に污穢を含容して刑罰を寬舒すべし。
今晝明者,奸邪並作,專明擅君之朝。不救,則失其行而毀矣。其救也,出退強臣,斷奸佞,近直臣,親賢良,則月得其行,不可專明矣。”《洛書》曰:“月與大星並出,晝見,同謂爭明;大國弱,小國強,有立侯王者。”
如今に白天にもなほあらんごとく明亮なるは、便ち奸邪の人の一齊に興起して聰明を獨攬して君主の朝廷を專擅するなり。もし禳救を加えざれば、月亮は便ち常行を失うて虧毀に至らん。禳救の辦法は、強橫の臣を斥退して奸佞を斬斷して、正直の臣を親近して賢良の士を親附せば、あらんごとくせば月亮は便ちその常道に回りて、再び獨自に明を逞しうることなからん。《洛書》にいう。月亮が大星と一同に出現して白晝に見可なるを、これも同じく「爭明」と呼ぶ。大國は弱に轉じ小國は強に轉じて、人ありて侯王と立てらるるを主とす。
月當盈不盈十六
石氏曰:“月漢盈不盈,君侵臣,不則有旱災。”
石申はいう。月亮が盈滿すべきのときに到って卻って盈滿し起こさざる(底本の「汉」は應に「当」と作るべし)は、君主の臣下の名分權柄を侵奪するを主として、然らざれば便ち旱災あらん。
月當朔而不朔晦不盡十七
《荊州占》曰:“月當朔而不朔,國有大喪。月當晦而不盡,所宿國亡地。”
《荊州占》にいう。月亮が朔日に到って卻って合朔せず、すなわち太陽と同度せずして隱沒せざるは、國中に大喪あるを主とす。月亮が晦日に到って月光がなほ消盡せざるは、それの値宿する所のあの國家の將に土地を喪失せんとするを主とす。
月當弦不弦不當而弦十八
《荊州占》曰:“月生六日而弦,大臣為政,不用主命。”《荊州占》曰:“月生七日而弦,主人勝客;不勝,主人將死。”《荊州占》曰:“月未當弦而弦,是謂兵起;當弦不弦,國有大兵。”
《荊州占》にいう。月亮が明を生じてこそ第六天に到って便ち弦月と成るは、大臣の政務を把持して君主の命令を奉行せざるを主とす。《荊州占》にいう。月亮が明を生じて第七天に弦月と成るは、守る方が客方に勝つを主とす。もし取勝し能わざれば、守る方の主將は將に死去せん。《荊州占》にいう。月亮がまだ弦と成るべき日子に到らずして便ち弦と成るを、これを兵起と呼ぶ。弦と成るべき日子に到って卻って弦と成らざるは、國中に大規模の兵事あるを主とす。
《郗萌占》曰:“不當上弦而弦,國兵起。”《荊州占》曰:“未當下弦而弦,臣下多奸。”《荊州占》曰:“月生八日而弦,天下大安;八日而不弦,攻人城者不勝。”《河圖帝覽嬉》曰:“月十日不弦,以戰不勝,主將死;當弦弦也,是謂大安。”
《郗萌占》にいう。まだ上弦の日子に到らずして便ち弦と成るは、國中に兵を起こすを主とす。《荊州占》にいう。まだ下弦の日子に到らずして便ち弦と成るは、臣下に奸邪多きを主とす。《荊州占》にいう。月亮が明を生じて第八天に弦月と成るは、天下の大いに安寧するを主とす。第八天に到ってなほ弦と成らざるは、別人の城池を攻打するの一方の取勝し能わざるを主とす。《河圖帝覽嬉》にいう。第十天に到ってなほ弦と成らざるは、作戰して取勝し能わざるを主として主將は戰死せん。弦と成るべきときに正好に弦と成るを、これを便ち大安と呼ぶ。
月當望不望未當望而望十九
《荊州占》曰:“月十四日而望,主更令;期一年;十五日而望,主安久長,天下和,人民歌樂以行。”《河圖帝覽嬉》曰:“月未當望而望,是謂趣兵,以攻人城者大昌。當望不望,以攻人城者有殃,所宿之國,亡地。”
《荊州占》にいう。月亮が第十四天に滿望するは、君主の政令を更改して應期は一年なりを主とす。第十五天に滿望するは、安定長久にして天下は和睦して百姓は歌を載せ舞を載せて日子を過ごすを主とす。《河圖帝覽嬉》にいう。月亮がまだ望なるべき日子に到らずして滿望するを、これを「趣兵」と呼び、兵を用いるを催促するの象にして、別人の城池を攻打するの一方は大いに昌盛す。望なるべき日子に到って卻って滿望せざるは、別人の城池を攻打するの一方は將に殃に遭わんとして、月亮の値宿する所のあの國家は將に土地を喪失せん。
《荊州占》曰:“月十六日而望,主不昌,更立公王,期十年。”(此謂不依曆數而望,他皆仿此。)《易萌氣樞》曰:“月當滿不滿,君侵苫;當毀不毀,臣凌君,君侵臣,則大旱之災;臣湊君,則有兵水之難。大進月盈,則有人君之憂;縮,則有臣下之害。”
《荊州占》にいう。月亮が第十六天に到ってこそ滿望するは、君主の昌盛ならずして將に別に公王を立てて應期は十年なりを主とす。(原書小注:これは曆法の推す所の日數に依らずして滿望するを説くにして、その餘の各條はみなこの道理に照って看るべし。)《易萌氣樞》にいう。月亮が圓滿すべきに圓滿せざるは、君主の臣下を侵奪するなり。虧毀すべきに虧毀せざるは、臣子の君主を欺凌するなり。君主が臣下を侵奪すれば、便ち大旱の災あらん。臣子が君主に進逼すれば、便ち兵禍と水患あらん。月行が大いに超前して月輪は盈滿すれば、便ち君主の憂患あらん。月行が落後して收縮すれば、便ち臣下の禍害あらん。
《郗萌占》曰:“月行急,未當中而中,未當望而望,皆為急。兵大戰,軍破,將死,大臣執政,逼君,女主將有擅權,天下亂,易宗廟。”
《郗萌占》にいう。月亮の行度が急促にして、まだ中天に居るべきときに到らずしてすでに中天に到り、まだ望なるべきときに到らずしてすでに滿望するは、これらはみな「急」の象に屬す。大規模の交戰を主として軍隊は擊破せられ將領は戰死して、大臣は朝政を把持して君主を逼迫し、女主は將に權を擅くして天下は大亂して宗廟は主を易えん。
月當毁不毁未當缺不缺二十
《春秋漢含孳》曰:“妻怨成,無詘制之者,則月滿不虧,有女妃虐。”(宋均曰:不虧不缺也,虐若趙飛燕妒殺皇子。)《荊州占》曰:“月當毀不毀,陰事無形。”《黃帝占》曰:“月未當缺而缺,大臣滅,女主黜,諸侯世家絕。”
《春秋漢含孳》にいう。妻室の怨懟がすでに釀成して、また彼女を壓制し得る人なければ、月亮は便ち滿して虧れずして、女妃の暴虐を施行するあるを主とす。(原書小注に宋均を引いていう:所謂不虧とは、すなわち缺けざるなり。所謂暴虐とは、譬えば趙飛燕の嫉妒より出でて皇子を害死せしがごとし。)《荊州占》にいう。月亮が虧毀すべきに卻って虧毀せざるは、陰私の事の潛伏して形迹を露さざるを主とす。《黃帝占》にいう。月亮がまだ虧缺すべきときに到らずして虧缺するは、大臣の滅せられ女主は廢黜せられて、諸侯の世家は斷絶するを主とす。
月當出不出出而復沒二十一
《京房占》曰:“月當出而不出,有陰謀,有死王,天下亂。”《郗萌占》曰:“月生七日見者,天下有兵;十日見者,有大兵;十二日至十六日而後見者,天下有滅國。”《海中占》曰:“月出復沒,天下亂。”
《京房占》にいう。月亮が出るべきときに到って卻って出でざるは、陰謀ありて君王の死亡ありて天下は大亂するを主とす。《郗萌占》にいう。月亮が明を生じたる後に第七天に到ってこそ看見し得るは、天下に兵事あるを主とす。第十天に到ってこそ看見し得るは、大規模の兵事あるを主とす。十二日より十六日のあいだに到るまでこそ看見し得るは、天下に國家の滅亡あるを主とす。《海中占》にいう。月亮が出でたるの後にまた落ち下去するは、天下の大亂を主とす。
月再中反缺二十二
京氏曰:“月再中,帝王窮。”《荊州占》曰:“月望而西缺,望後東缺,名曰反月;臣下不奉法,制度侵奪主勢;無救,為湧水,兵起其沖;其救也,正刑罰,誅奸滑,任賢而稽疑,定謀事成,即月變為復矣。”
京房はいう。月亮が一夜の間に兩次中天に到達するは、帝王の氣數の窮盡するを主とす。《荊州占》にいう。望日の前に反って西邊より虧缺して望日の後に反って東邊より虧缺するを、これを「反月」と呼ぶ。臣下の法度を奉行せずして制度を借着りて君主の權勢を侵奪するを主とす。もし禳救を加えざれば、便ち大水を發して兵事はそれと相衝するの方位より起こらん。禳救の辦法は刑罰を端正して奸猾の徒を誅除して、賢人を任用して併せて疑難の事に詳細に稽考を加えて、謀議は旣に定まり事情は辦成せば、月亮の變異は便ち常道に復歸せり。
月失行及偃仰二十三
《郗萌占》曰:“月出非其所,行非其路,皆女主失行,姦通內外,陰國兵強,中國人飢,下欲僭權。”《海中占》曰:“月生正偃,天下有兵合,無兵主人凶。”京房《易飛候》曰:“正月有偃月,必有喜。”
《郗萌占》にいう。月亮が出づべからざる方位より升起して、走るはそれの行くべき路ならざるは、みな女主の行止端ならずして、宮內宮外に人ありて奸私に勾結して、陰に屬する國家は兵力強盛にして、中原地區の百姓は饑饉して、下位者は權柄を僭越せんと欲するを主とす。《海中占》にいう。月亮が初生のとき正に仰臥して兩角は上に朝いて仰瓦のごときは、天下に兵馬の會合あるを主とす。もし兵事なければ、守る方は將に凶に遭わん。京房《易飛候》にいう。正月の裏に仰臥の偃月を出現すれば、必定に喜事あらん。
月出異方二十四
黃帝曰:“月始生,見南方而蝕者,糴大貴。”《荊州占》曰:“月始生天中者,上謀下,其事不成。”
黃帝はいう。月亮が剛ち明を生ずるときに南方に出現して、しかも月蝕を發生するは、糧價の大漲を主とす。《荊州占》にいう。月亮が剛ち明を生じて便ち正に天頂に當たるの位置に出現するは、上の位に在る人の下面の人を算計するを主とするも、然るにこの事は辦成せず。
月並出及重累二十五
京房《易傳》曰:“君弱而婦強,為陰所乘,則月並出。”京氏曰:“月並出,為並明,天下有兩王立。又云相去二寸,臣作亂,滅其主。”《春秋運斗樞》曰:“主勢奪於后族,群妃之黨橫僭為害,則月盈,並若兩月連出,妃黨交萌,若照同力,排滅王公。”郗萌曰:“月並出,相重,當有急兵至。”
京房《易傳》にいう。君主が軟弱にして婦人は強橫にして、陰氣に欺凌せらるれば、便ち幾個の月亮の一同に升起するを出現せん。京房はいう。月亮が並出するを、「並明」と呼び、天下に兩個の王の並立するを主とす。またいう、兩月の相距ること二寸は、臣子の亂を作してその君主を滅掉するを主とす。《春秋運斗樞》にいう。君主の權勢が后族に奪去せられて、衆妃嬪の黨羽は橫行僭越して朝廷を爲害せば、月亮は便ち盈滿に顯れて、甚だしきは兩個の月亮の接連して出現するがごときは、これは妃黨の交相萌動して、髣彿として合力して照耀して王公を排擠消滅せんとするなり。郗萌はいう。幾個の月亮が並出してしかも彼此重疊するは、將に緊急の兵事の到來あらん。
《荊州占》曰:“三月並見,其分有立諸侯而亡女主,有竟兩月並出,天下治兵,異姓大臣爭朝,勢為害王者,選能授之。月重出,皆為異兵殘害,為天下亂者,將有亡天下之象。”
《荊州占》にいう。三個の月亮が同時に出現するは、あの片の分野の上に別に諸侯を立てて女主を失去するを主とす。もし始終として兩個の月亮の並出すれば、天下の軍備を整治して異姓大臣は朝中に權を爭い、その勢は以て君王を危害するに足りて、君王は應に才能ある人を選拔して重任を授くべきを主とす。月亮が重疊して出現するは、みな異軍の殘害を主として、天下を動亂せしむるの徵象にして、將に天下を喪失するの跡象あらん。
(案漢成帝建始元年八月戊午,辰漏未盡二刻,兩月重見,京氏《易傳》曰:“君弱婦強,為陰所乘,則兩月並見。其後趙飛燕為皇后,姊娣專寵,殺害皇子,成帝不能禁,後皆誅滅之應也。
(原書小注の按語:漢の成帝建始元年八月戊午、辰時の漏刻はなほ二刻を差して未だ盡きざるに、兩個の月亮の重疊して見可なるを出現せり。京房《易傳》にいう:君主が軟弱にして婦人は強橫にして、陰氣に欺凌せらるれば、便ち兩個の月亮の同時に出現あらん。此の後に趙飛燕は皇后と做りて、彼女の姊妹二人は寵幸を獨占して皇子を殺害して、成帝は禁止し能わず、最後に彼女らはみな誅滅せらる。これがすなわち當日の月象の應驗なり。
又按故太史令李淳風雲:隋大業九年正月二十七日,曉起東方,有二月見,相去二尺許,在箕斗之間,眾俱見之。俄而楊玄盛於黎陽起逆、朱變、管宗義殘賊江南,天下因此遂兵賊相繼,至於滅亡,此尤效。”)
また已故の太史令李淳風に按じて説く。隋の煬帝大業九年正月二十七日、拂曉に起きて東方を望むに、兩個の月亮の出現ありて、相距ること二尺左右にして、位置は箕宿と斗宿のあいだに在り。衆人はみな見えり。ほどなく楊玄感(底本は「杨玄盛」と作る)は黎陽に起兵して亂を作し、朱燮・管崇(底本は「朱变、管宗义」と作る)らは江南を殘害して、天下は此より兵禍と盜賊は接連して斷えず、隋朝の覆滅に到るまで、これは尤其顯明の應驗なり。)
《海中占》曰:“月兩弦中間,月光盛而眾多,或二三,或四五,及至十月並見,皆為天下分裂,天子失政,政在諸侯自立。”(諸月傍氣象皆與日占大同。)《春秋潛潭巴》曰:“十月並出,不必外,強猾出。”(宋均曰:月為大臣今如是,大臣必多爭,併為奸稱疾也。)
《海中占》にいう。上弦と下弦のあいだに、月光は盛大にして月亮は衆多に顯れて、あるいは兩三個、あるいは四五個、甚だしきは十個の月亮の同時に出現するに多くして、みな天下の分裂・天子の政柄を喪失して政權は自立門戶の諸侯の手裏に落つるを主とす。(原書小注:各種の月旁の氣象は、日を占うの條例と大體相同なり。)《春秋潛潭巴》にいう。十個の月亮が同時に出現するは、禍患は必ずしも外部より來らずして、而是に強橫奸猾の徒の出頭するなり。(原書小注に宋均を引いていう:月は大臣を象徴し、如今にこの種の月象を出現せば、大臣は必定に爭鬥多くして、一齊に奸を爲して托して病あると稱して出でず。)
《郗萌占》曰:“東方小月承大月,小國毀;大月承小月,大國伐之為主,客在西方。小月承大月,小邑勝;大月承小月,大邑勝。”《春秋運斗樞》曰:“小月承大月,群奸在宮,當此之時,主若贅旒。”(宋均注曰:喻見制、在下也)大月承小月,近臣起,讒人橫,陪臣執命,三公望鳳。”(宋均曰,望風者,陪臣見而事之也。)
《郗萌占》にいう。東方に小月ありて大月を托するは、小國の毁せらるるを主とす。大月が小月を托するは、大國の其を討伐して主宰と做るを主として、客軍は西方に在り。小月が大月を托するは、小城邑は取勝す。大月が小月を托するは、大城邑は取勝す。《春秋運斗樞》にいう。小月が大月を托するは、群奸の宮中に盤踞するを主として、この種のときに當りて、君主は便ち冠冕の上に垂挂する玉串のごとく徒らにその位あるのみ。(原書小注に宋均を引いていう:これは君主の人に受制して屈りて下位に居るを比喻す。)大月が小月を托するは、近臣の興起して讒を進める人は橫行して、陪臣は號令を把持して三公はただ人の顏色を看て事を行うを主とす(底本の「望凤」は應に「望風」と作るべし)。(原書小注に宋均を引いていう:所謂「望風」とは、すなわち陪臣の一たび面を露すれば、三公は便ち往きて彼を趨奉するなり。)
開元占經 卷十二
月占 二
月冠珥戴一
《黃帝占》曰:“月珥而冠者,天子大喜,或大風。”《荊州占》曰:“月珥且戴,不出百日,主有喜。”《帝覽嬉》曰:“月珥,期六十日,兵起。”京房《易傳》曰:“月珥,期三十日,兵起。”
《黃帝占》にいう。月旁に耳狀の「珥」を生出して、同時に月上にまた一道の弧形の氣ありてその上を覆壓して「冠」と爲るは、天子に大喜事ありて、あるいは大風を刮らんを主とす。《荊州占》にいう。月が旣に「珥」を生じて、また「戴」あるを、すなわち月輪の正上方に一道の短氣ありて平伏するは、一百天を出でずして、喜慶あるを主とす。《帝覽嬉》にいう。月が「珥」を生ずるは、應期六十天にして將に兵事興起せん。京房《易傳》にいう。月が「珥」を生ずるは、應期三十天にして將に兵事興起せん。
《帝覽嬉》曰:“月不暈而珥,人主有喜;兵在外,亦有喜。”《荊州占》曰:“月昏而珥者,兵半起;夜過半珥者,邊地恐。”《春秋運斗樞》曰:“主排公侯狡猾,起尊能主,則月珥兩。”
《帝覽嬉》にいう。月亮が光暈を生ぜずしてただ「珥」を生ずるは、君主に喜事あるを主とす。もし軍隊がまさに外に征戰せば、また喜事なり。《荊州占》にいう。黃昏のときに月亮が「珥」を生出するは、兵事は半を起こし了るを主とす。半夜を過ぎてこそ「珥」を生ずるは、邊境地區の人心は恐慌するを主とす。《春秋運斗樞》にいう。君主があの狡猾の公侯を排斥して、才能ある人を起用し尊崇して以て自己を輔佐せしめば、月亮は便ち左右に各々一道の「珥」を生ぜん。
《帝覽嬉》曰:“月珥:青、憂也,赤、兵起,黃、喜也;黑、失國,期皆不出三年。”《高宗占》曰:“月兩珥,十日雨;三珥,國喜;四珥,女主喪;又曰:人主諸侯立。”《荊州占》曰:“月珥,大水;又曰:“月四提,天子無妻,若國有喪;月六提,天子游天下。”(提猶珥也)《荊州占》曰:“月珥且戴,不出百日,有大喜。”
緯書《河圖帝覽嬉》にいう。月亮の兩旁に生出するの耳狀光氣を「珥」と呼び、珥の青色を呈するは憂患を主とし、赤色を呈するは兵事興起を主とし、黃色を呈するは喜慶を主とし、黑色を呈するは國土を喪失するを主とす。應驗の期限はみな三年を超過せず。《高宗占》にいう。月旁に同時に兩道の珥を出現するは、十天の内に雨あらん。三道の珥を出現するは、國家に喜事あらん。四道の珥を出現するは、君主の正妻に喪事あらん。別の一種の説は、君主の將に別に諸侯を立てんとす。《荊州占》にいう。月が珥を生ずるは、大水を主とす。またいう、月旁に四道の「提」を出現するは、天子は將に配偶なからんとし、あるいは國中に喪事あらん。月旁に六道の提を出現するは、天子は將に天下を巡游せん。(原書小注:「提」はすなわち「珥」の別名なり。)《荊州占》はまたいう。月旁に旣に珥を生じて上方にまた戴氣を頂起するは、一百天を出でずして、大いに喜慶の事あらん。
月背璚二
《春秋緯感精符》曰:“背璚以外圍月者,臣馳,縱叛逆,欲相殘賊,不和之氣也;天子偏左右。”《帝覽嬉》曰:“月不暈有四璚,臣有謀,不成。”京房《易傳》曰:“月背璚,其國有反者。”劉向《鴻範傳》曰:“月背璚,臣欲為邪也,其色青中赤外,有芒刺,為謀;此數見,即國凶。且背且抱為不和,有欲為忠,有欲為逆者也。”
《春秋緯・感精符》にいう。弧形の「背」氣と「璚」氣が外面より月亮を環圍するは、臣下の放縱馳騁して肆意に叛逆して彼此殘害せんと欲するを象徵して、君臣不和の氣なり。天子の權柄は偏りて左右の近臣の手中に落ちん。「璚」は「玦」と同じく、月旁の玉玦のごとく彎曲する光氣を指し、弧の背は月に朝いて外に向かって彎るを「背」と呼び、弧の口は月に朝いて環抱するを「抱」と呼ぶ。緯書《河圖帝覽嬉》にいう。月亮が暈を起こさずして、卻って四道の璚氣を生出するは、臣下に陰謀あるも、然るに事を謀ること成らず。京房《易傳》にいう。月が背璚を生ずるは、あの分野の邦國に反叛の人あらん。劉向《洪範傳》にいう。月が背璚を生ずるは、臣下の邪僻の事を爲さんと欲するなり。この種の光氣がもし裏青外赤にして芒刺を帶ぶれば、陰謀あるを主とす。屢次出現せば、國家に凶險あらん。旣に外に向かって背離するの「背」氣ありて、また內に向かって環抱するの「抱」氣あるは、君臣不和の象にして、臣子の當中に忠を盡くさんと欲するもあり、また叛逆せんと欲するもあり。
月と五星の合宿・同光・芒刺相陵 三
《荊州占》曰:“月與歲星,光明相逮,飢三年,糴貴,民流亡。”巫咸曰:“歲星與月同光,以其月月蝕,且以飢亡;一曰國以女樂亡。”《海中占》曰:“月與歲星同光,即有飢亡。”《黃帝占》曰:“月陵歲星,年多盜賊,刑獄煩。”京房《易傳》曰:“月與熒惑會,宿國王死。”《海中占》曰:“月與熒惑合,其國太子死,貴人復傷,凶;不可有為,若有內兵。”
《荊州占》にいう、月と歳星(木星)の光が互いに及び合い、交わり触れるのは、三年続きの飢饉があり、穀価が高騰して、民が流散逃亡する兆しである。殷代の占星家・巫咸がいう、歳星と月の光色が同じならば、その月に月蝕が起こり、かつ飢饉によって亡国する。別の一説には、その国は女楽に溺れて滅びるという。《海中占》にいう、月と歳星の光が同じならば、直ちに飢饉亡国の事がある。《黄帝占》にいう、月が歳星を陵逼する——「陵」とは上から欺き犯す意味である——その年は盗賊が多く、刑獄が煩わしい。京房《易伝》にいう、月と熒惑(火星)が会合すれば、会合した宿に対応する分野の国君が死ぬ。《海中占》にいう、月と熒惑が合すれば、その国の太子が死に、貴人もまた続けて傷を受ける、凶象である。このとき事を興してはならない、さもなくば内兵の乱がある。
《荊州占》曰:“月與五星熒惑合光,芒刺相及,其國有內亂,兵三年;又曰:“其國太子死,期三年。”巫咸曰:“月與熒惑同光,以其月月蝕,內有亂臣,且以飢亡。”《荊州占》曰:“月與填星合,芒刺相及,其國飢。”巫咸曰:“月與填星同光,以其月月蝕,且有以徭徙亡者。”京房《易傳》曰:“月與太白會宿,太子死。”《荊州占》曰:“月與太白聚合,宿其國,立太子,期不出一年。”《荊州占》曰:“月與太白合,其下兵大起。”巫咸曰:“太白與月同光,其月月蝕,且以兵亡。”
《荊州占》にいう、月と五星のうちの熒惑の光が合さり、芒刺が互いに及ぶのは、その分野の国に内乱があり、兵禍が三年続く。またいう、その国の太子が死に、期は三年である。巫咸がいう、月と熒惑の光が同じならば、その月に月蝕があり、朝廷の内に乱臣がいて、かつ飢饉をもって亡国する。《荊州占》にいう、月と填星(土星)が合し、芒刺が相及ぶのは、その国に飢饉がある。巫咸がいう、月と填星の光が同じならば、その月に月蝕があり、かつ徭役・徙民によって流亡する者がある。京房《易伝》にいう、月と太白(金星)が同じ宿に会すれば、太子が死ぬ。《荊州占》にいう、月と太白が一か所に聚合すれば、臨んだその国は太子を立てる、期は一年を出ない。《荊州占》にまたいう、月と太白が合すれば、その下に対応する所で兵事が大いに起こる。巫咸がいう、太白と月の光が同じならば、その月に月蝕があり、かつ兵禍をもって亡国する。
《荊州占》曰:“月與太白皆出,城守為賣城;聖主明王急便守城。”《河圖帝覽嬉》曰:“月與太白相過,月出其南,陽國受兵;月出其北,陰國受兵。”《海中占》曰:“太白出月右,陰國有謀;出左陽國有謀。月挾太白,諸侯將相謀不軌,太白出月下,芒相耀,君死民飢。”《荊州占》曰:“月戴太白,卒兵,期五日。”
《荊州占》にいう、月と太白がともに出れば、城を守る者が城を売って敵に降る。聖主明王はこの星象に遇えば、急いで守備を固めよ。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月と太白が互いに過ぎ行くとき、月がその南より出れば陽の国が兵を受け、月がその北より出れば陰の国が兵を受ける。《海中占》にいう、太白が月の右に出れば陰の国に謀があり、左に出れば陽の国に謀がある。月が太白を両脇から挟めば、諸侯と将相に不軌の謀がある。太白が月の下に出て、芒が相耀が合うのは、君死に民飢うる兆しである。《荊州占》にいう、月が太白を戴く——その形、冠を戴くがごとし——卒兵の禍があり、期は五日である。
《巫咸占》曰:“月不盡三日,候太白,出東方,在月南,中國勝;在月北,中國不勝。”《巫咸占》曰:“月入月三日,太白出西方,在月南,皆海國敗;在北,皆海國勝。”《荊州占》曰:“月入月三日,太白失行,而月在北,太白在南,秦戰不勝。”《荊州占》曰:“秋冬,入月三日,太白出西方,居月北者,君強;月南,君弱。”
《巫咸占》にいう、一か月が尽きて三日を残すのみのとき太白を候測する。太白が東方より出で、月の南にあれば中国が勝ち、月の北にあれば中国は勝てない。《巫咸占》にまたいう、月の初めの三日に太白が西方に出て、月の南にあれば、皆、海国が敗れ、北にあれば、皆、海国が勝つ。《荊州占》にいう、月の初めの三日に太白が行いを失い、月が北にあり太白が南にあれば、秦の地の戦いは勝てない。《荊州占》にまたいう、秋冬の二季に、月の初めの三日に太白が西方に出て、月の北に居れば君強く、月の南に居れば君弱い。
《荊州占》曰:“入月三日,月刺太白陽,大邑拔,小邑驅掠;刺太白陰,兵在外者,不及入,在內者,不及出。南方為陽,北方為陰。”《巫感占》曰:“辰星與月同光,其月月蝕,且以女樂亡。”《荊州占》曰:“辰星與月光相逮,其國水。”《海中占》曰:“月與辰星相遇,所合宿雨水,敗。”《帝覽嬉》曰:“月與辰星合宿,其國亡地,君王死。”《荊州占》曰:“月與辰星合,所宿之國,兵起。”
《荊州占》にいう、月の初めの三日に、月の芒角が太白の南(陽)を刺せば、大邑は抜かれ、小邑は駆掠される。太白の北(陰)を刺せば、外にある兵は入るに及ばず、内にある兵は出るに及ばない。これ以下は原書の自注である——南方を陽とし、北方を陰とする。《巫咸占》(源文は「巫感占」と作るが、「感」は「咸」の形近の誤りであろう)にいう、辰星(水星)と月の光が同じならば、その月に月蝕があり、かつ女楽に溺れて亡国する。《荊州占》にいう、辰星と月の光が相及ぶのは、その国に水災がある。《海中占》にいう、月と辰星が相遇すれば、合した宿に対応する所で雨水が災をなし、穀物が敗れる。《河図帝覧嬉》にいう、月と辰星が同じ宿に会すれば、その国は地を亡くし、君王が死ぬ。《荊州占》にいう、月と辰星が合すれば、宿したその国で兵が起こる。
月と五星の相犯蝕 四
《巫咸占》曰:“五星入月中,人主死;不出,臣死,非將即相也。近期一年,遠期三年。”《帝覽嬉》曰:“月犯五星,栗貴;二犯之,數貴。”《海中占》曰:“月貫五星,天子坐之。”《郗萌占》曰:“金火與月相近,其間六寸,天下有兵;間尺,天下憂兵;五尺無害。”《荊州占》曰:“五星入月中,其野有逐君,大臣賊主;月蝕五星,若薄若合,皆其分有災。”
《巫咸占》にいう、五星が月輪の中に入れば、人主が死ぬ。入って出てこなければ、死ぬのは臣であり、将でなければ即ち相である。近くは一年を期とし、遠くは三年を期とする。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が五星を犯せば、粟米の価が貴くなる。二度犯せば、価は度重ねて貴くなる。《海中占》にいう、月が五星を貫けば、天子がこの災咎を坐り受ける。後漢の占家・郗萌がいう、太白(金星)・熒惑(火星)と月とが近づき、その間が六寸なら天下に兵があり、間が一尺なら天下に兵の憂いがあり、五尺なら害なし。《荊州占》にいう、五星が月輪の中に入れば、その分野に君を逐う事があり、大臣が主を賊害する。月が五星を掩蝕し、あるいは迫り薄れ、あるいは同度に合すれば、いずれもその分野に災いがある。
《河圖帝覽嬉》曰:“歲星入月中,其國有逐相。”《春秋緯文曜鉤》曰:“歲星入月中,以妃黨之譖去。《黃帝占》曰:“歲星入月中,不出一旬,天下有大災,入君不平,天星墜,若雨霧,不出一年,糴什長,八不出,二年,天下亡徙為亂,若有野兵。”《海中占》曰:“歲星蝕月,有大喪,女主死,臣殺君,易位。”《荊中占》曰:“歲星入月中,大臣賊其主。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、歳星が月輪の中に入れば、その国に宰相を逐う事がある。《春秋緯・文曜鈎》にいう、歳星が月輪の中に入れば、宰相は后妃の党の讒言によって位を去る(源文この条は下引号を脱く)。《黄帝占》にいう、歳星が月輪の中に入れば、十日を出でずして天下に大災があり、君主の心は平らかならず、天に星が墜ち、あるいは雨のごとき濃霧が降る。一年を出でずして、穀価は十倍に上がる(「八不出」の三字、底本に訛脱の疑いあり)。二年を出でずして、天下に人の逃亡・遷徙して聚まり乱をなす者があり、あるいは草野より興る兵事がある。《海中占》にいう、歳星が月を掩蝕すれば、大喪があり、女主が死し、臣が君を弑してその位に代わる。《荊州占》(源文は「荊中占」と作る)にいう、歳星が月輪の中に入れば、大臣がその君主を賊害する。
《荊州占》曰:“月犯歲星,其國民飢死;一曰主死,期三年。”(按大興四年十二月丁亥,犯歲星,在房。占曰:其國兵饑民流亡;永昌元年,王敦率領江荊之眾來攻京都,六軍敗績不能有以拒戰,於是殺護軍,將軍周凱、尚書令刁協、縹騎軍戴淵,又鎮北將軍劉隗出奔,四月又殺湘州刺史譙王丞、鎮南將軍卓閏,闔十二月元帝崩。)《荊州占》曰:“月犯歲星,其國疾。”
《荊州占》にいう、月が歳星を犯せば、その国の百姓は餓死する。別の一説には国君が死に、期は三年であるという。これ以下は原書の小注である。東晋の元帝・大興四年十二月丁亥の日、月が歳星を犯し、位置は房宿にあった。占辞にいう、その国に兵兵禍・飢饉があり、百姓が流散逃亡する。永昌元年に至り、王敦が江州・荊州の兵衆を率いて京城に攻め入り、朝廷の六軍は潰敗して抗する力なく、ここに護軍将軍の周顗(源文は「周凱」と作る)・尚書令の刁協・驃騎将軍の戴淵を殺し、鎮北将軍の劉隗は出逃した。四月にまた湘州刺史・譙王の司馬承・鎮南将軍の甘卓(源文は「卓閏」と作る)を殺し、閏十二月に至り、晋の元帝が崩じた。《荊州占》にまたいう、月が歳星を犯せば、その国に疾疫が流行する。
《春秋緯元命包》曰:“歲星逆犯月,法令散。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯歲星,其國飢一年二年乘之,主死。”《荊州占》曰:“月乘歲星,相死。”《帝覽嬉》曰:“月蝕歲星,有流民,不出十二年,國飢亡。”司馬遷《天官書》曰:“月蝕歲星,其宿地飢若亡。”《帝覽嬉》曰:“月蝕歲星,其鄉大戰,大拔邑。”(按晉建,興三年正月乙卯,月掩歲星。在參,益州分也。六月鎮西將軍益州刺史周撫薨,十月梁州刺史入益州以叛,朱序率眾助刺史周楚討平之。)
《春秋緯・元命包》にいう、歳星が逆行して月を犯す——「逆行」とは惑星が退いて行くこと——国の法令が弛緩して散ずる。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が歳星を犯せば、その国は一年飢饉し。続けて二年、月がその上に乗れば、国君は死す。《荊州占》にいう、月が歳星の上に乗る——「乗」とは上から陵圧すること——宰相は死す。《河図帝覧嬉》にいう、月が歳星を掩蝕すれば、流民がある。十二年を出でずして、国は飢饉をもって滅亡する。司馬遷《史記・天官書》にいう、月が歳星を掩蝕すれば、在る宿に対応する所で飢饉あるいは亡国がある。《河図帝覧嬉》にまたいう、月が歳星を掩蝕すれば、その方に大戦があり、城邑が大挙して攻め抜かれる。これ以下は原書の小注である。東晋の建興三年正月乙卯の日、月が歳星を掩い、位置は参宿にあった。参宿は益州の分野である。その年の六月、鎮西将軍・益州刺史の周撫が亡くなった。十月に梁州刺史が益州に入って反し、朱序が衆を率いて刺史の周楚を助けてこれを討ち平らげた。
《荊州占》曰:“月蝕歲星,邦主無,人人相食。”《荊州占》曰:“月吞歲星,其國十二歲而敗。”《河圖帝覽嬉》曰:“熒惑入月中,憂在宮中,非賊乃盜也。有亂臣死相,若有戮者。”(按:《洪範傳》漢宣帝地節元年正月戊午夜,月食熒惑左角亢,亢為朝廷,憂在殿內,非其賊。有盜。有內亂、讒臣在傍,故將軍霍光妻與其子昆弟諸婿為待中諸曹,九卿太守皆謀反,伏誅。又晉太元十二年二月戊申熒惑入月,占曰:有亂臣死相,若有戮者;一曰女親為政。是時琅琊王輔政,王妃從兄國寶經姻暱受寵。又陳郡袁悅私媚苟進,交通主相,扇揚朋黨,十三年殺悅,是時主相有隙,亂皆興矣。)
《荊州占》にいう、月が歳星を掩蝕すれば、邦国は君主を失い、人は互いに食らう。《荊州占》にまたいう、月が歳星を呑没すれば、その国は十二年を過ぎて敗亡する。緯書《河図帝覧嬉》にいう、熒惑が月輪の中に入れば、憂患は宮禁の内に出る。外より来る賊寇ではなく、内部の窃盗である。朝中に作乱の臣・死すべき宰相がおり、あるいは人の誅戮せられる者がある。これ以下は原書の小注である。劉向《洪範五行伝論》によると、漢の宣帝・地節元年正月戊午の夜、月が熒惑を角宿・亢宿の間で掩食した。亢宿は朝廷を主るがゆえに、憂患は殿内にあり、外賊ではなく内盗であり、内乱・讒臣が側にいる象であった。その後、故大将軍・霍光の妻とその子・兄弟・諸女婿が侍中・諸曹を務め、九卿・太守まで謀反に参与して、処刑された。また東晋の太元十二年二月戊申、熒惑が月の中に入った。占辞にいう、乱臣あり・死すべき宰相あり、あるいは誅戮せられる人あり。別の一説には外戚・女方の親族が政を執るという。そのとき琅琊王が輔政し、王妃の従兄・王国宝が姻親によって寵を受けていた。また陳郡の袁悦が諂媚して進みを求め、君主と宰相に結びつき、朋党を煽動した。太元十三年に袁悦を殺した。このとき君主と宰相の間にはすでに嫌隙が生じており、禍乱はみなここより興った。
《海中占》曰:“熒惑入月中,臣以戰不勝,內臣死。”《荊州占》曰:“火星入月中,臣賊其主。”《黃帝占》曰:“熒惑蝕月,讒臣貴,後宮有害女主者。”《海中占》曰:“熒惑入月中,及近月七寸之內,主人惡之;一曰讒臣在傍,主用邪。”巫咸曰:“熒惑居河若守之,月數其出間,百日兵多移。”巫咸曰:“熒惑犯月,戰,小吏死。”
《海中占》にいう、熒惑が月輪の中に入れば、臣が出して戦っても勝てず、朝内の臣子は死す。《荊州占》にいう、火星(すなわち熒惑)が月輪の中に入れば、臣がその君主を賊害する。《黄帝占》にいう、熒惑が月を掩蝕すれば、讒言を進める臣が勢を得て貴くなり、後宮の中に女主を謀害する人がある。《海中占》にいう、熒惑が月輪の中に入り、あるいは月に近づいて七寸以内に至れば、本国の主に凶あり。別の一説には讒臣が君主の傍らにいて、君主は邪佞を任用するという。巫咸がいう、熒惑が天河の中に停まり、あるいは天河を守り去らなければ——「守」とは停駐して移らざる義——月をもってその出入の間隔を計れば、百日の内に軍隊に大規模な移防がある。巫咸がまたいう、熒惑が月を犯せば、戦事があり、下級の官吏はその中に死す。
《帝覽嬉》曰:“月犯熒惑,國內降貴人,兵死。”京氏《妖占》曰:“月犯熒惑,天下有女主憂。”《荊州占》曰:“月戰勝之國,大將斗而死。”《帝覽嬉》曰:“熒惑貫月,陰國可伐,期不出三年,其國亂,貴人兵死,近期不出五年,其國受兵,遠期不出十年,而以兵亂亡也。”《海中占》曰:“熒惑觸月,上角為相,下角為將,中央為主。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が熒惑を犯せば、国内に貴人が貶降せられ、人の兵禍に死する者がある。京房《妖占》にいう、月が熒惑を犯せば、天下に女主の憂いがある。《荊州占》にいう、月と火とが相闘えば、たとい勝を取る国といえども、大将は戦いの中に死す。《河図帝覧嬉》にいう、熒惑が月を貫けば、陰に属する邦国を討伐すべし。期は三年を出でず、その国は動乱し、貴人は兵禍に死す。近くは五年を出でず、その国は兵禍を受ける。遠くは十年を出でず、兵乱をもって滅亡する。《海中占》にいう、熒惑が月に触れる——「触」とは相抵じて及ぶこと——月の上角に触れれば宰相に災いあり、下角に触れれば大将に災いあり、正中に触れれば君主に災いあり。
司馬遷《天官書》曰:“月蝕熒惑,其宿地亂。”《海中占》曰:“月蝕熒惑,有白衣之事;又曰其國內敗,五年大兵。”《荊州占》曰:“月蝕熒惑,有死相。”《荊州占》曰:“月蝕火星,天下滅亡,期九年。《帝覽嬉》曰:“月蝕熒惑,其國以兵起,飢,又以亂亡。月以旦,相及太子當;晦以君當之。”劉向《洪範五行傳》曰:“月蝕熒惑在角、亢,憂在中宮,非賊而盜也;有內亂;一曰有死相,若戮者貴人,兵死讒臣在旁。”
司馬遷《史記・天官書》にいう、月が熒惑を掩蝕すれば、在る宿に対応する所で動乱が起こる。《海中占》にいう、月が熒惑を掩蝕すれば、丧事がある(「白衣の事」とは服喪の事である)。またいう、その国は内に敗乱し、五年の内に大兵がある。《荊州占》にいう、月が熒惑を掩蝕すれば、死すべき宰相がある。《荊州占》にまたいう、月が火星を掩蝕すれば、天下は滅亡し、期は九年である(源文この条は下引号を脱く)。《河図帝覧嬉》にいう、月が熒惑を掩蝕すれば、その国はそれによって兵事を興し、飢饉が発生し、また動乱をもって滅亡する。清晨に発したるは、宰相と太子とが承当する。月末晦日に発したるは、国君が承当する。劉向《洪範五行伝論》にいう、月が熒惑を角宿・亢宿に掩蝕すれば、憂患は中宮にあり、外賊ではなく内盗である。内乱がある。別の一説には、死すべき宰相あり、あるいは誅戮せられる貴人・兵禍に死する讒臣が君主の傍らにあるという。
《荊州占》曰:“月毀熒惑,急在臣下。”《黃帝占》曰:“月吞火,賊滅國。”《荊州占》曰:“月咽熒惑,其師破敗。”《河圖帝覽嬉》曰:“填星入月中,臣賊其主。”《黃帝占》曰:“填星入月中,不出四旬,有土功事,若貴人絕嗣,不出其年,王者當之。”《郗萌占》曰:“填星蝕月,女主凶,當黜者有喪。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯填星,為亡地,期不出十年,其國以飢亡;一曰天下且有大喪。”(按《洪範傳》漢成帝建始元年十一月乙卯,月蝕填星在輿鬼西北八九尺。其占為饑民流千里,後十五年,民人飢,函谷關逐食。)
《荊州占》にいう、月が熒惑を毀傷すれば、急難は臣下の身に落ちる。《黄帝占》にいう、月が火星を呑没すれば、賊寇は国を滅ぼす。《荊州占》にいう、月が熒惑を呑咽すれば、その軍は撃破せられる。緯書《河図帝覧嬉》にいう、填星(土星)が月輪の中に入れば、臣がその君主を賊害する。《黄帝占》にいう、填星が月輪の中に入れば、四十日を出でずして土木の事があり、あるいは貴人が後嗣を断絶する。当年を出でずして、君王はこの災咎を承当する。《郗萌占》にいう、填星が月を掩蝕すれば、女主に凶があり、廃黜すべき人に丧事がある。《河図帝覧嬉》にいう、月が填星を犯せば、土地を喪失するを主り、期は十年を出でず、その国は飢饉をもって滅亡する。別の一説には天下に大喪あらんという。これ以下は原書の小注である。劉向《洪範五行伝論》によると、漢の成帝・建始元年十一月乙卯、月が填星を輿鬼宿の西北八九尺の所で掩蝕した。占辞は飢民が千里に流亡せんと見た。十五年の後、百姓は飢饉し、函谷関を出て食に就いた。
《荊州占》曰:“月犯填星,其國貴人兵死,天下亂;一曰主死,先舉事者敗;若天下有大風。”巫咸曰:“月犯填星,女主敗。”(按魏青龍二年十月乙丑月犯填星。三年丙寅正月太后郭氏無疾乃忽崩。)
《荊州占》にいう、月が填星を犯せば、その国の貴人は兵禍に死し、天下は動乱する。別の一説には国君が死に、先に事端を発した方が敗れるという。あるいは天下に大風が刮ぐ。巫咸がいう、月が填星を犯せば、女主は敗亡する。これ以下は原書の小注である。曹魏の青龍二年十月乙丑、月が填星を犯した。三年正月丙寅、太后・郭氏は病むことなく、忽然として亡くなった。
《河圖帝覽嬉》曰:“月乘填星,地動,不乃天裂。”《河圖帝覽嬉》曰:“填星貫月,國內亂,期不出五年而亡。”《河圖帝覽嬉》曰:“月蝕填星,女主死,其國以伐亡,若以殺亡。”司馬遷《天官書》曰:“月蝕填星,女主死,其國以伐亡,若以殺亡。”司馬遷《天官書》曰:“月蝕填星,其宿地,下犯上。”班固《天文志》曰:“月蝕填星,民流千里。”《荊州占》曰:“月蝕填星,國女亂。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が填星の上に乗れば、地震があり、さもなくば天が裂ける。《河図帝覧嬉》にまたいう、填星が月を貫けば、国内は動乱し、期は五年を出でずして滅亡する。《河図帝覧嬉》にまたいう、月が填星を掩蝕すれば、女主は死し、その国は討伐を受けて亡び、あるいは殺戮をもって亡ぶ。司馬遷《史記・天官書》にいう、月が填星を掩蝕すれば、女主は死し、その国は討伐を受けて亡び、あるいは殺戮をもって亡ぶ。司馬遷《天官書》にまたいう、月が填星を掩蝕すれば、在る宿に対応する所で、下位の者が上位の者を犯す。班固《漢書・天文志》にいう、月が填星を掩蝕すれば、百姓は千里の外に流亡する。《荊州占》にいう、月が填星を掩蝕すれば、国中の女子が乱をなす。
《巫咸占》曰:“月不盡三日,候太白出東方,與月並準之,其間容一指,則八月有破軍,死將,主人不勝;容二指,期十三日,客軍不破主人亡地;容三指,期二十日,有破軍,死將,主人亡地;容四指,期八十日,客大敗;容五指,期三十日,軍起而不戰。”
《巫咸占》にいう、一か月が尽きて三日を残すのみのとき、太白が東方より出るを観測し、これを月と並べて間隔を比量する。その間に指一本の幅を容れれば、八月に軍隊が撃破せられ将は戦死し、主は勝てない。指二本を容れれば、期は十三日、客軍は撃破せられずして主は土地を失う。指三本を容れれば、期は二十日、軍隊の撃破せられ将の戦死する者があり、主は土地を失う。指四本を容れれば、期は八十日、客軍は大敗する。指五本を容れれば、期は三十日、軍隊は出るといえども交戦しない。
巫咸曰:“入月三日,修太白與並準之,其間容一指,軍在外,期十日,有破軍,死將,客勝;容二指,期十五日,破軍,死將,王人勝;容三指,期十八日,有破軍,死將,客軍大勝,主人亡地;容四指,期二十五日,客軍入境,主人不勝;容五指,期三十日,軍陣不戰。”
巫咸がいう、月の初めの三日に太白をつぶさに視察し、これを月と並べて間隔を比量する。その間に指一本の幅を容れれば、軍隊は外にあり、期は十日、軍隊の撃破せられ将の戦死する者があり、客方が勝つ。指二本を容れれば、期は十五日、軍隊は撃破せられ将は戦死し、主方が勝つ(源文の「王人」は「主人」と作るべし)。指三本を容れれば、期は十八日、軍隊の撃破せられ将の戦死する者があり、客軍は大勝し、主は土地を失う。指四本を容れれば、期は二十五日、客軍は国境に攻め入り、主は勝てない。指五本を容れれば、期は三十日、両軍は陣を列べて交戦しない。
《荊州占》曰:“太白與月交併,軍大戰,相去一寸,有拔城;二寸,有憂城;三寸,有憂軍。”《郗萌占》曰:“太白與月相去三寸,天子罷相。”《巫咸占》曰:“太白與月相近五寸,天下有憂兵;間五尺,天下無害。”
《荊州占》にいう、太白と月とが交錯して並行すれば、軍隊に大戦がある。両者の相去ること一寸ならば、城を抜かれる者あり。二寸ならば、城池が急を告ぐ。三寸ならば、軍隊が急を告ぐ。ここにいう寸・尺は地上の長さではなく、仰観する際に目測する両体の天空における間隔であり、間隔が狭いほど逼犯は急であり、占験もまた重い。《郗萌占》にいう、太白と月とが三寸を隔てれば、天子は宰相を罷免する。《巫咸占》にいう、太白と月とが近づいて五寸ならば、天下は兵事を憂懼する。隔たること五尺ならば、疎遠にして害なし。
《荊州占》曰:“太白東方始出,為低;在月南為得行;在月北為失行;其與月相過失行,月不盡一日,二日;二日,三月;三日,四月;四日,五月;五日,六月;六日,七月;七日,八月,八日,九月而起兵。”《荊州占》曰:“太白在西方以始入為低,在月北為得行;在月南為失行;其與月相過失行,月生一日,二月;二日,三月;三日,四月;四日,五月;五日,六月;六日,七月;七日,八月,八日,九月而起兵。”
《荊州占》にいう、太白が東方にあって剛に現れるとき、位置は低し。それが月の南にあるは常軌を循る行いであり、月の北にあれば常軌を失う。それが月と交錯して経過して行いを失うとき、もし月末に一日を残せば、応は次年の二月(源文は「二日」と作るが、下条の文例によって「二月」と作るべし)。二日を残せば、応は三月。三日を残せば、応は四月。四日を残せば、応は五月。五日を残せば、応は六月。六日を残せば、応は七月。七日を残せば、応は八月。八日を残せば、応は九月。期に至りて兵事が興る。《荊州占》にまたいう、太白が西方にあって剛に隠れんとするときを低しとする。それが月の北にあるは常軌を循る行いであり、月の南にあれば常軌を失う。それが月と交錯して経過して行いを失うとき、もし月初の第一日ならば、応は二月。第二日ならば、応は三月。第三日ならば、応は四月。第四日ならば、応は五月。第五日ならば、応は六月。第六日ならば、応は七月。第七日ならば、応は八月。第八日ならば、応は九月。期に至りて兵事が興る。
《荊州占》曰:“太白入月中不出,容將死;出者,主人將死;無軍,大將當之。”《帝覽嬉》曰:“太白入月中,將軍戮死;一曰臣謀主,不成;皆不出三年;又曰:必有內惡戰,不勝,亡地。”《海中占》曰:“太白入月中,有殺;不及九年;國以兵亡。”郗萌曰:“太白入月中,國失政,大人為亂,期三年;一曰大人當之。”《荊州占》曰:“太白入月中,無軍大將當之,兵死,期四十日;又軍出主人將死。”
《荊州占》にいう、太白が月輪の中に入って再び出てこなければ、その中に裹まれた将領は死す。太白が再び出てくれば、主方の将領は死す。国中に兵を出していなければ、大将がこの災咎を承当する。緯書《河図帝覧嬉》にいう、太白が月輪の中に入れば、将軍は誅殺せられて死す。別の一説には臣が君主を図りて事を謀れども成らずという。これらはみな三年の内に応ず。またいう、必ず内部の悪戦があり、作戦は勝たず、土地を喪失するという。《海中占》にいう、太白が月輪の中に入れば、殺戮の事がある。九年に及ばずして、国家は兵禍をもって滅亡する。郗萌がいう、太白が月輪の中に入れば、国家は政柄を喪失し、大位に居る者が起きて乱をなす、期は三年。別の一説には大位に居る者が災咎を承当するという。《荊州占》にいう、太白が月輪の中に入れば、国中に兵を出していなければ大将が承当し、兵禍に死す、期は四十日。軍隊すでに出動していれば、主方の将領は死す。
《河圖帝覽嬉》曰:“月弦,太白入月中,侯多死者。”《荊州占》曰:“太白入月中,其國有分國,立王。”《郗萌占》曰:“西方先起軍者,即太白與月相去三尺,有憂軍;相去二尺,有憂城;相去一尺,有拔城。”《郗萌占》曰:“月犯太白,將有兩心;戴太白,有卒兵。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月がまさに弦月の形のとき、太白が月輪の中に入れば、諸侯に死する者多し。《荊州占》にいう、太白が月輪の中に入れば、その国は分裂して新たな邦国を生じ、別に君王を立てる。《郗萌占》にいう、西方より先に兵を出す方は、太白と月の相去る遠近を視るべし。相去ること三尺ならば、軍隊が急を告ぐ。二尺ならば、城池が急を告ぐ。一尺ならば、城を抜かれる者あり。《郗萌占》にまたいう、月が太白を犯せば、将領は二心を抱く。月が太白を上方に戴くこと冠のごとくなれば、卒に起事する兵禍がある。
《帝覽嬉》曰:“月犯太白,強侯作難國,戰不勝,人君死,亡國。”(按:《宋書天文志》:青龍二年十一月戊寅,月犯太白,占曰:有君死,為兵。景初元年七月,公淵叛,三年正月,遣司懿討之,三年正月明帝崩。)《荊州占》曰:“月犯太白,強侯死;又曰大將有兩心;又曰太白與月相犯,國多寇盜。”《帝覽嬉》曰:“太白與月貫,期不出三年,國大危,戰敗,亡地,以女亂亡,期不出六年。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が太白を犯せば、強横の諸侯が本国に難を発し、作戦は勝てず、国君は死し、国家は滅亡する。これ以下は原書の小注である。沈約《宋書・天文志》によると、曹魏の青龍二年十一月戊寅、月が太白を犯した。占辞にいう、国君の死する者あり、兵事を主る。景初元年七月、公孫淵が反した。景初三年正月に至り司馬懿を遣わしてこれを討たしめた。同じくこの年の正月、魏の明帝が崩じた。《荊州占》にいう、月が太白を犯せば、強横の諸侯は死す。またいう、大将は二心を抱く。または太白と月とが互いに犯し合えば、国中に盗賊が多い。《河図帝覧嬉》にいう、太白と月とが相貫けば、期は三年を出でず、国家は大いに危殆となり、作戦は敗れ、土地を喪失する。若し女子の作乱によって亡国するときは、期は六年を出でない。
《帝覽嬉》曰:“月蝕太白,強國以戰敗。”班固《天文志》曰:“月蝕太白,其國以戰亡。”《郗萌占》曰:“月蝕太白,其年臣殺主,勝臣亦死。”《荊州占》曰:“月蝕太白,民靡散。”(按:晉興寧三年十月丙戌夜,月掩太白,在須女。占曰:天下民靡散。)
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が太白を掩蝕すれば、強国は戦敗をもって挫折を受ける。班固《漢書・天文志》にいう、月が太白を掩蝕すれば、その国は戦争をもって滅亡する。《郗萌占》にいう、月が太白を掩蝕すれば、この年に臣が君主を弑殺し、勝を得たその臣も後には死す。《荊州占》にいう、月が太白を掩蝕すれば、百姓は離散流亡する。これ以下は原書の小注である。東晋の興寧三年十月丙戌の夜、月が太白を掩い、位置は須女宿にあった。占辞にいう、天下の百姓は離散流亡する。
郗萌曰:“太白蝕月,易大將,刑死。”《海中占》曰:“太白居月中無光,名日月蝕太白,臣殺其至勝,皆其三年。”(崔鴻《春秋燕錄》曰:“正始三年秋八月太白入月中,冬十月戊辰,雲臨東堂,倖臣雜班姚仁懷劍執袋而入,稱有所啟。劍擊雲,雲以反拒仁,仁進而殺。)
郗萌がいう、太白が月を掩蝕すれば、大将を更換し、換えられたる者は刑戮に死す。《海中占》にいう、太白が月輪の中に処りて光芒なくば、これを「月蝕太白」と謂う。臣が君主を殺害して手に得るを主り、いずれも三年の内に応ず。これ以下は原書の小注である。崔鴻《十六国春秋・燕録》にいう、正始三年秋八月、太白が月の中に入った。冬十月戊辰、慕容雲が東堂に駕臨したところ、寵臣で雑班の姚仁が剣を懐に蔵し、袋を手に提げて入り、事を啓奏する有様と称し、すなわち剣を抜いて慕容雲を刺撃した。慕容雲は反手して姚仁を抵げたが、姚仁は前に進んでこれを殺した。
《帝鑑嬉》曰:“辰星入月中,賊臣欲殺主,不出三年,必有內惡戰,不勝,亡地。”《黃帝占》曰:“辰星入月中,不出三旬,內有匿謀,春夏有大水,秋冬有大雪,牛馬疾疫,穀貴。”(按《晉陽秋考》曰:“太元十三年十一月戊子,辰星八月在晉。濤水入石頭,春大水,冬大雪,物馬死,谷踴貴不出百日。)
《河図帝覧嬉》(源文は「帝鑑嬉」と作る)にいう、辰星が月輪の中に入れば、姦賊の臣は君主を殺害せんと欲す。三年を出でずして、必ず内部の悪戦があり、作戦は勝たず、土地を喪失する。《黄帝占》にいう、辰星が月輪の中に入れば、三十日を出でずして内部に隠匿の図謀があり、春夏に大水があり、秋冬に大雪があり、牛馬に疫病が発生し、穀価が騰貴する。これ以下は原書の小注である。孫盛《晋陽秋》の考訂にいう、太元十三年十一月戊子、辰星は八月に晋の分野にあった。後に江潮が石頭城に涌き入り、春に大水、冬に大雪があり、牲畜・馬匹が死亡し、穀価が暴騰した。いずれも百日を出でずして応験した。
《荊州占》曰:“辰星入月,刑事起。”《荊州占》曰:“辰星入月中,復出,君死;入不出,君臣皆死。”《帝覽嬉》曰:“月犯辰星,兵大起,上卿死,一曰廷尉在憂,期不出三年。”京房《妖占》曰:“月犯辰星,天下大水。”《海中占》曰:“辰星貫月,不出四年,有殃,內禍,匿謀。”
《荊州占》にいう、辰星が月の中に入れば、刑獄の事が興る。《荊州占》にまたいう、辰星が月輪の中に入り、随いで出てくれば、国君は死す。入りて出てこなければ、君臣ともに死す。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が辰星を犯せば、兵事が大いに起こり、上卿は死す。別の一説には刑獄を掌る廷尉が憂患に陥る、期は三年を出でない。京房《妖占》にいう、月が辰星を犯せば、天下に大水がある。《海中占》にいう、辰星が月を貫けば、四年を出でずして、災殃・内部の禍乱・隠匿の陰謀がある。
《荊州占》曰:“辰星貫月,國以女子內亂,期六年。”《巫咸占》曰:“辰星與月薄,所舍之宿,其主死,其國亡。”《帝覽嬉》曰:“月蝕辰星,其國以女亂亡,若水飢,期不出三年;又曰兵未起而飢,所當之國,其兵戰不勝。”京房《易傳》曰:“月蝕辰星,其國女以戰。”《郗萌占》曰:“辰星蝕月,大水。”
《荊州占》にいう、辰星が月を貫けば、その国は女子をもって内乱を生じ、期は六年である。《巫咸占》にいう、辰星と月とが迫近して相薄る——「薄」とは両体が相逼りほぼ相触れること——停留した宿に対応する所で、君主は死し、国家は亡ぶ。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が辰星を掩蝕すれば、その国は女子の作乱をもって滅亡し、あるいは水災・飢饉に遇う、期は三年を出でない。またいう、兵事いまだ興らざるに先だち飢饉を鬧がし、対応するその国は兵を出して作戦とも勝てない。京房《易伝》にいう、月が辰星を掩蝕すれば、その国は女子をもって戦事を起こす。《郗萌占》にいう、辰星が月を掩蝕すれば、大水を主る。
開元占經 卷十三
月占 三
月と列星の相犯
郗萌曰:“月宿東壁、營室、奎、婁胃,皆主水。為此星雨者,則沖月雨水甚,則水甚雨澤,入地一寸。至其報月,立水七寸,其潢流,絕車轍,溪谷溢。”又占曰:“月宿觜、參、井、鬼柳,皆主旱,以此星雨者,則沖月旱,雨甚者大旱,雨微者小旱。”《帝覽嬉》曰:“月犯列宿,其國有憂。”又曰:“列星貫月,陰國可伐也,期不出五年,其國受兵,不出十年中,國有內亂,大危。”
後漢の占家・郗萌がいう、月が東壁・営室・奎・婁・胃の諸宿に臨宿すれば、いずれも水を主る。これらの星宿の下で降雨するときは、それらと相冲する月に雨水が殊のほか多く、水勢は盛大にして、雨沢は地下一寸に滲み入る。応験の月に至りては、積水は立ちて七寸に達し、積潦は横流して車轍を冲断し、谿谷は漫溢す。郗萌がまた占うていう、月が觜・参・井・鬼・柳の諸宿に臨宿すれば、いずれも旱を主る。これらの星宿の下で降雨するときは、それらと相冲する月に干ばつがある。雨の大きければ大旱、雨の小さければ小旱である。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が二十八宿中の星宿を犯せば、その分野の国に憂患がある。またいう、列星が月を貫けば、陰に属する邦国を討伐すべし。期は五年を出でず、その国は兵禍を受ける。十年を出でざる中に、国内に内乱があり、処境は大いに危殆となる。
甘氏曰:“月蝕列宿,其國憂、星滅,天下有亡,國星復見,亡國復立,兵起大勝。”《高宗占》曰:“星入月中,將有大兵。”《海中占》曰:“星入月中,其國君有憂;一曰不出三年,臣勝其主。”京房《易傳》曰:“星入月中,大臣謀伐其主,主令不行。”《荊州占》曰:“星入月中,其國有喪;又曰有破軍。”又占曰:“月未中而星入之,有賊人為攻者,在東方,文者長,武者亡;月過中而星入之,有賊人為者,在西方,武者長,文者亡。”
戦国・斉の人・甘徳がいう、月が列宿を掩蝕すれば、その分野の国に憂患がある。星が蝕滅して見えなくなれば、天下に亡国の事がある。その星が再び現れれば、亡んだ国はまた復立し、兵を起こせば大いに勝を獲る。《高宗占》にいう、星が月輪の中に入れば、大規模の兵事あらん。《海中占》にいう、星が月輪の中に入れば、その国の君主に憂いあり。別の一説には、三年を出でずして臣がその君主を圧し越すという。京房《易伝》にいう、星が月輪の中に入れば、大臣はその君主を討伐せんと図り、君主の号令は行き通らない。《荊州占》にいう、星が月輪の中に入れば、その国に丧事がある。または軍隊の撃破せられる者がある。また占うていう、月いまだ中天に昇らざるに星がその中に入れば、作乱する人が兵を起こして進攻する、方位は東方にあり、文官は勢いを得て武官は敗亡する。月中天を過ぎて星がその中に入れば、作乱する人が事を起こす、方位は西方にあり、武官は勢いを得て文官は敗亡する。
《帝覽嬉》曰:“星出月陰,負海國有勝星出月下,芒角相歷者,君死入飢。”甘氏曰:“月犯列星,其國憂,若受兵殃。”《荊州占》曰:“月犯所宿之星,其國有軍將死。”京氏《妖占》曰:“星與月同光,臣不作亂,則人民非上。”《荊州占》曰:“月蝕列星不見者,其國亡,星還復見者,國復立。”又占曰:“星蝕月,其國相死。”京氏《妖占》曰:“月中有星,天下有賊,星多者,賊多。”《荊州占》曰:“列星居月中,無光,其國以飢亡。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、星が月の陰に属する側に現れれば、海に靠る邦国は勝を得る。星が月の下に現れ、芒角と月光とが交相掃うは、国君が死に人民飢饉するを主る。甘徳がいう、月が列星を犯せば、その分野の国に憂患があり、あるいは兵禍の殃を受ける。《荊州占》にいう、月がその臨宿する星を犯せば、その国に兵を帯びる将領の死する者ある。京房《妖占》にいう、星と月の光色が同じならば、臣は作乱せずとも、百姓も君上を非議する。《荊州占》にいう、月が列星を掩蝕して星がそれによって見えなくなれば、その国は滅亡する。星が後に再び現れれば、国家はまた復立する。また占うていう、星が月を掩蝕すれば、その国の宰相は死す。京房《妖占》にいう、月輪の中に星あれば、天下に賊寇あり。星多ければ賊寇もまた多し。《荊州占》にいう、列星が月輪の中に処りて光芒を失えば、その国は飢饉をもって滅亡する。
月、東方七宿を犯す
月、角を犯す 一
石氏曰:“月犯左角,大人憂,期六月。一曰大臣憂喪。”《海中占》曰:“月犯角,其國有憂。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯左角,左將戰死,期不出三年;犯右角,右將戰死。”《荊州占》曰:“月犯左角,大臣誅,天下決水,大獄;犯右角,兵起。”《河圖帝覽嬉》曰:“月乘左角,法官誅;乘右角,兵起。”《海中占》曰:“月出角南,國家多暴獄,治病驕恣。”
戦国・魏の人・石申がいう、月が左角星を犯せば、大位に居る人に憂いあり、期は六か月。別の一説には大臣に憂患・丧事があるという。角宿は左右二星に分かれ、東方蒼龍の二つの角であり、鄭国の分野に属し、兗州に対応する。《海中占》にいう、月が角宿を犯せば、その国に憂患がある。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が左角を犯せば、左軍の将領は戦死し、期は三年を出でない。右角を犯せば、右軍の将領は戦死する。《荊州占》にいう、月が左角を犯せば、大臣は誅殺せられ、天下に堤を決する大水があり、重大な獄案がある。右角を犯せば、兵事が興る。《河図帝覧嬉》にまたいう、月が左角の上に圧し乗れば、執法の官は誅せられる。右角に圧し乗れば、兵事が興る。《海中占》にいう、月が角宿の南に現れれば、国家に暴虐の獄案多く、政事を治めること驕横放恣である。
《荊州占》曰:“月出左角南三尺,多獄,五尺以上至丈所,天子明威。”又占曰:“月乘右角,后族家及將相,有坐法死者。”郗萌曰:“月乘左角為旱,右角為水。”又曰:“犯左角,左將軍死之;一曰天下有兵。”(按:魏正始七年七月丁丑,月犯左角。占曰:“月犯左角,天下有兵。左將軍死。”到嘉平元年正月甲午,大將軍曹爽誅,時太傳舞陽侯屯兵浮橋,積二年七月。咸熙二年閏月庚子,月犯左角,到大始四年十月,荊州刺史上言吳遣使持節施績領三萬人圍於鄉,右丞相萬彧領萬五千人圍直城,大將軍丁皋間、壽春義陽王率諸軍徇壽春兵起之應也。)
《荊州占》にいう、月が左角の南三尺の所に現れれば、獄訟が繁多する。五尺以上より一丈ほどまでに現れれば、天子の威令は昭明である。また占うていう、月が右角に圧し乗れば、皇后の宗族および将相の中に、法に犯して処刑せられる人あらん。郗萌がいう、月が左角に圧し乗れば旱を主り、右角に圧し乗れば水を主る。郗萌がまたいう、左角を犯せば、左将軍はこれをもって死す。別の一説には天下に兵事があるという。これ以下は原書の小注である。曹魏の正始七年七月丁丑、月が左角を犯した。占辞にいう、月が左角を犯せば、天下に兵事があり、左将軍は死す。嘉平元年正月甲午に至り、大将軍・曹爽が誅せられ、当時太傅・舞陽侯の司馬懿は洛水の浮橋に兵を屯していた。前後あわせて二年七か月を積して応験した。咸熙二年閏月庚子、月が再び左角を犯した。泰始四年十月に至り、荊州刺史が上奏していう、呉は持節の施績を遣わして三万人を領いて于郷を囲攻せしめ、右丞相の万彧は一万五千人を領いて直城を囲攻し、大将軍の丁奉(源文は「丁皋間」と作る)と寿春・義陽王とは各軍を率いて寿春を進取した。これすなわち兵起の応験である。
郗萌曰:“月貫左角,三年,太子死。”又占曰:“月蝕角,大人憂,期三年;一曰有獄事,都尉死;一曰天下大凶。”《巫咸占》曰:“月蝕角,天子憂,牢獄空,用赦當之,期九十日。”《荊州占》曰:“月蝕角,三年更赦。”《河圖帝覽嬉》曰:“角星貫月,三年,國君死。”《郗萌占》曰:“左角角入月中,不出其年,強國有喪;右角入月中,其君死三年。”
郗萌がいう、月が左角を貫けば、三年の内に太子は死す。また占うていう、月が角宿を掩蝕すれば、大位に居る人に憂いあり、期は三年。別の一説には獄訟の事があり、都尉は死す。さらに別の一説には天下に大凶あり。《巫咸占》にいう、月が角宿を掩蝕すれば、天子に憂いあり、牢獄はこれがために空しくなり、赦令を頒くをもってこの災咎を消解する、期は九十日。《荊州占》にいう、月が角宿を掩蝕すれば、三年の内に再び大赦がある。緯書《河図帝覧嬉》にいう、角星が月を貫けば、三年の内に国君は死す。《郗萌占》にいう、左角星が月輪の中に入れば、当年を出でずして強国に丧事あり。右角星が月輪の中に入れば、その国君は三年の内に死す。
月、亢を犯す 二
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯亢,兵起,不出三年。”《黃帝占》曰:“月犯亢,將軍亡其鼓,其國將死。”《海中占》曰:“月犯亢,亡地,其國有憂。”《荊州占》曰:“月犯亢,朝臣有事。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が亢宿を犯せば、兵事が興り、三年を出でない。亢宿には四星あり、角宿とともに鄭国の分野に属し、朝廷・宗廟を主る。《黄帝占》にいう、月が亢宿を犯せば、将軍はその戦鼓を失い、その国の将領は死す。《海中占》にいう、月が亢宿を犯せば、土地を喪失し、その国に憂患がある。《荊州占》にいう、月が亢宿を犯せば、朝廷の大臣に事故が出る。
郗萌曰:“月乘亢,左星,為水,右星為大兵。”(案魏正始九年正月辛亥,月犯亢南昌,占曰:“兵起,一曰將軍死。”到嘉平元年正月,廢大將軍曹爽等,十六日誅爽時,太傅動兵浮橋,積一年,魏喜平三年五月甲寅,月犯亢距星,到七月太尉王凌誅。到四年三月鎮將軍諸葛恪上言:賊朱異蟻聚,即誅,截死者三萬餘人,積十一月始應。)
郗萌がいう、月が亢宿に圧し乗れば、左の星に圧すは水を主り、右の星に圧すは大規模の兵事を主る。これ以下は原書の小注である。曹魏の正始九年正月辛亥、月が亢宿の南面の星を犯した。占辞にいう、兵事が興る。別の一説には将軍は死す。嘉平元年正月に至り、大将軍・曹爽らを廃黜し、十六日に曹爽を誅殺した。当時太傅・司馬懿は洛水の浮橋の上で兵を動かした。前後あわせて一年を積して応験した。魏の嘉平三年五月甲寅、月が亢宿の距星(一宿の中で経度を量度する標準の星)を犯し、七月に至り太尉・王凌が誅せられた。嘉平四年三月に至り、鎮東将軍・諸葛恪が上奏していう、賊将・朱異は蟻群のごとく聚集し、すなわち撃破して誅殺し、斬殺と溺死とで三万余人あり、前後あわせて十一か月を積してようやく応験した。
月、氐を犯す 三
韓楊曰:“月入氐,天下兵起。”《河圖帝覽嬉》曰:“犯氐,其國有軍將死;一曰將當之。”《荊州占》曰:“月犯氐,其國有軍,一曰其國有憂。”《海中占》曰:“月犯氐左星,郎中右將誅死;皆期三年。”《荊州占》曰:“月乘氐右星,天下有大兵,天子自將,兵天野。”(按魏嘉平三年四月戊子,月犯氐東北星,占曰:“將軍死。”五年二月癸丑,後將軍兗州刺史黃華薨。)《海中占》曰:“月蝕氐,氐星翳,一將死之,國有誅者。”
漢代の占家・韓楊がいう、月が氐宿に入れば、天下に兵事が興る。氐宿には四星あり、房・心の二宿とともに宋国の分野に属し、豫州に対応する。氐は天子の休息する宿宮である。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が氐宿を犯せば、その国に兵を帯びる将領の死する者あり。別の一説には将領がこの災咎を承当するという。《荊州占》にいう、月が氐宿を犯せば、その国に兵事あり。別の一説にはその国に憂患があるという。《海中占》にいう、月が氐宿の左の星を犯せば、郎中と右将軍とは誅殺せられて死す。いずれも期は三年。《荊州占》にいう、月が氐宿の右の星に圧し乗れば、天下に大規模の兵事があり、天子はみずから兵を領いて郊野に陳す。これ以下は原書の小注である。曹魏の嘉平三年四月戊子、月が氐宿の東北星を犯した。占辞にいう、将軍は死す。五年二月癸丑、後将軍・兗州刺史の黄華が亡くなった。《海中占》にいう、月が氐宿を掩蝕し、氐星が遮蔽せられれば、一員の将領がこれをもって死するを主り、国中に誅せられる人あり。
月、房を犯す 四
《帝覽嬉》曰:“月行中道,是謂安寧,天下和平,舉兵不吉;欲被其刑,逆天之道,辱以無名。”又曰:“月宿天廄中央,一軍罷歸,期不過三十日。”《郗萌占》曰:“月當天門、駟之間,五穀大得,人主益壽。”《河圖帝覽嬉》曰:“月行陽環,多少暴事;”又曰:“月宿天廄左間,將軍論老弱分,歸期不過三十日。”又曰:“月行陽,裹治驕恣;多暴獄及驚駭,內亂。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が房宿の中道を行くを、これを「安寧」と謂い、天下は和平である。このとき兵を興すは不吉であり、強いて兵を用いれば刑罰を受ける。それは天道に逆らうがゆえに、師出無名をもって屈辱を蒙る。またいう、月が天廐の正中に臨宿する——房宿の四星はまた天駟・天廐と謂う——一軍の罷兵して帰る者あり、期は三十日を超えない。《郗萌占》にいう、月がまさに天門と天駟の間に当たれば、五穀は大いに豊作し、君主は年を延し寿を益す。《河図帝覧嬉》にいう、月が陽環を行けば、暴虐の事多し。またいう、月が天廐の左間に臨宿すれば、将軍は老弱を裁汰する名分を議定し、返帰の期限は三十日を超えない。またいう、月が陽道の里を行く(源文の「裹」は「里」の形近の誤りであろう)、治事は驕横放恣にして、暴虐の獄案と驚擾と多く、また内乱が発生する。
又曰:“月行四表之南,陽人且錯,禍不可克。”又曰:“冬三月,月出房南,近小旱,遠大旱,期在沖;去房三尺曰近,五尺曰近。”《郗萌占》曰:“月宿房南,粟不美,稻不實。”又曰:“正月十九日,候月出房南,有兵,女主喪。”《荊州占》曰:“月出四表以南,人君有憂。”《河圖帝覽嬉》曰:“月行大陽,天下亂,人民啼哭,及天下大荒,禍不可禁,天下有兩心。”
《河図帝覧嬉》にまたいう、月が四表以南を行く——「四表」とは房宿の内外が月道を区画する四条の標界——南方の陽に属する人は錯乱せんとして、禍患は制服し難い。またいう、冬の三か月に月が房宿の南より出れば、距離近ければ小旱、距離遠ければ大旱、応はこれと相冲する月に至る。房宿を離れること三尺を近と謂い、五尺もまた近と称す(源文は両処とも「近」と作るが、後の「近」字は疑らく「遠」と作るべし)。《郗萌占》にいう、月が房宿の南に臨宿すれば、粟米は成育せず、稲は結実が飽満しない。またいう、正月十九日に観測して、月が房宿の南より出れば、兵事があり、君主の正妻に喪あり。《荊州占》にいう、月が四表以南を出て行けば、君主に憂いあり。《河図帝覧嬉》にいう、月が太陽道を行けば、天下は動乱し、人民は啼哭し、天下は大いに荒れ、禍患は禁止し難く、天下人は二心を抱く。
又曰:“月行陰間,多陰事,小起。”又曰:“月宿天廄右間,將軍伐,期不過三十日。”郗萌曰:“月出陽間,黍稷不為,菽美。”《河圖帝覽嬉》曰:“月行陰裡,權衡不得,後革時作,邊境不休。”又曰:“月行四表之北,陰人將革,禍不可克。”又曰:“冬三月,月出房北,近小水,遠大水,期在沖。”郗萌曰:“月行四表之北,水旱不時,民皆流食。”《荊州占》曰:“月行房北,帝有亂臣。”《河圖帝覽嬉》曰:“月行太陰,天下兵悉起,及內淫、流食。”《荊州占》曰:“月行太陰,民流亡。”
《河図帝覧嬉》にまたいう、月が陰間を行けば、隠晦の事多く、ただ小さく興るのみ。またいう、月が天廐の右間に臨宿すれば、将軍は兵を出して征伐せんとして、期は三十日を超えない。郗萌がいう、月が陽間より出れば、黍稷は成り立たず、豆はかえってよく成る。《河図帝覧嬉》にいう、月が陰里を行けば、権衡は准則を失い、皇后は屡屡変更し、辺境の戦事は息まない。またいう、月が四表以北を行けば、北方の陰に属する人は変乱せんとして、禍患は制服し難い。またいう、冬の三か月に月が房宿の北より出れば、距離近ければ小水、距離遠ければ大水、応はこれと相冲する月に至る。郗萌がいう、月が四表以北を行けば、水旱は時を失い、百姓はことごとく流亡して食を討つ。《荊州占》にいう、月が房宿の北を行けば、帝王の辺側に乱臣あり。《河図帝覧嬉》にいう、月が太陰道を行けば、天下の兵事は全面的に興り、また宮内の淫乱・百姓の流亡就食の事あり。《荊州占》にいう、月が太陰道を行けば、百姓は流散逃亡する。
《河圖帝覽嬉》曰:‘月犯房星,四足之蟲多死,期不出一年。”《海中占》曰:“房上第一星上相,次星次相,下第一星上將,次星次將也。”(按晉成康二年正月辛亥,月犯房南第二星,占曰:“將相有憂。”五年七月丞相王導,八月太尉郗鑑,六年正月徵西大將軍庚亮並薨也。)
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が房宿の星を犯せば、四本足の牲畜は多く死亡し、期は一年を出でない。《海中占》にいう、房宿は上より下へ、第一星は上相、第二星は次相、下の第一星は上将、その上の一星は次将である。これ以下は原書の小注である。東晋の成帝・咸康二年正月辛亥、月が房宿の南面の第二星を犯した。占辞にいう、将相に憂いあり。咸康五年七月に丞相・王導が亡くなり、八月に太尉・郗鑑が亡くなり、六年正月に征西大将軍・庾亮もあわせて亡くなった。
《荊州占》曰:“月犯房,為死亡,近之為辱將相,期三年。”(按:魏景初元年二月乙酉,月犯房第二星;房四星;股肱臣將相位也;占曰:“將相有憂,若死亡。”到十二月,司空陳群薨,到三年七月,司徒陳驕薨。積一年六月。)《黃帝占》曰:“月犯上將,上將誅;犯次將,次將誅;犯次相,次相誅;犯上相,上相誅。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯房心,天下有殃,主有憂。”
《荊州占》にいう、月が房宿を犯せば、死亡を主る。ただ逼近して未だ相犯さざるは、将相が辱めを受けるを主り、期は三年。これ以下は原書の小注である。曹魏の景初元年二月乙酉、月が房宿の第二星を犯した。房宿の四星は股肱の臣と将相との位次である。占辞にいう、将相に憂いあり、あるいは死亡の者あり。その年の十二月に至り、司空・陳群が亡くなった。景初三年七月に至り、司徒・陳矯が亡くなった。前後あわせて一年六か月を積した。《黄帝占》にいう、月が上将星を犯せば上将は誅せられ、次将星を犯せば次将は誅せられ、次相星を犯せば次相は誅せられ、上相星を犯せば上相は誅せられる。《河図帝覧嬉》にいう、月が房宿・心宿を犯せば、天下に災殃あり、君主に憂いあり。
《郗萌占》曰:“月犯房,有亂臣,期不出三年,臣伐其主,天下有亡國。”陳卓曰:“月犯房,有兵;又曰天下有殃,主憂。”郗萌曰:“月乘房,滅左右官,為有誅;伏甲者陳兵在宗廟中,天子不可出宮、下堂,又曰多暴事。”《河圖帝覽嬉》曰:“月行房心間,其旁有紅雲一,諸侯一王死。”郗萌曰:“月乘鉤鈐,大人憂火令。”《荊州占》曰:“月有中犯陵房星者,國君憂;色青憂喪;赤憂積尸成山;黑有將相誅;白芒角大哭。”郗萌曰:“月有中犯乘守房左驂,左服皆有夫人死,所中相誅。”
《郗萌占》にいう、月が房宿を犯せば、朝中に乱臣あり、期は三年を出でず、臣下はその君主を討伐し、天下に亡国の事あり。西晋の天文学家・陳卓がいう、月が房宿を犯せば、兵事あり。または天下に災殃あり、君主に憂いあり。郗萌がいう、月が房宿に圧し乗れば、左右両側の官星は掩滅せられ、人の誅せられる者あるを主る。甲士を埋伏する人が宗廟の中に兵を陳すれば、天子は宮を出るべからず、堂を下るべからず。またいう、暴虐の事多し。《河図帝覧嬉》にいう、月が房宿と心宿との間を行くとき、傍らに一片の紅雲が現れれば、一人の諸侯王が死去せん。郗萌がいう、月が鉤鈐星に圧し乗れば、大位に居る人は火政を憂うべし。《荊州占》にいう、月がまさに中に当たりて房宿星を侵犯凌逼すれば、国君に憂いあり。月色青く発すれば憂いは丧事にあり、赤く発すれば憂いは積屍の山を成すにあり、黒く発すれば将相の誅せられる者あり、白く発して芒角を帯ぶれば大哭の事あり。郗萌がいう、月がまさに中に当たりて房宿の左驂星・左服星を侵犯し・圧し乗り・留守すれば、いずれも夫人の死去する者あるを主り、冲犯せられたその一員は相応じて誅せられる。
又曰:“月犯鉤鈐,大臣有誤天子,不尊事天者,致火災於宗廟,天子崩,王者不宜出宮、下殿,有謀匿於宗廟中者;一曰犯鉤鈐駟,馬,駕將有行。”(按魏正始六年十二己巳月犯鉤鈐,占曰:王者憂,一曰有火災。到七年二月,熒乘黃廄,署屋延燒。又魏青龍三年十二月戊辰,月犯鉤鈐,王者憂,到景初二年十二月,明帝崩。積三年十一月。又案魏正始六年十二月己巳,月犯鉤鈐;占曰五星犯鉤鈐,皆主王者憂,一曰有火災。到七年二月,熒乘黃廄,延燒西掖門,到嘉平二年七月壬戌,皇后甄氏崩。積三年七月應。又案魏時火犯鉤鈐,皆為後崩也。)郗萌曰:“月守房,皆為人君無道。”又曰:“皆為天下諸侯謀相吞,道不同;又曰皆為胡發兵。”
郗萌がまたいう、月が鉤鈐星を犯せば、大臣の中に天子を耽误し上天を敬事せざる者あり、宗廟の火災を招致し、天子は崩ず。君王はこのとき宮を出で殿を下るに宜しからず。陰謀する者が宗廟の中に藏匿せん。別の一説には鉤鈐と天駟四馬の星を犯すは、車駕まさに出行せんとするを主る。これ以下は原書の小注である。曹魏の正始六年十二月己巳、月が鉤鈐を犯した。占辞にいう、君王に憂いあり。別の一説には火災あり。七年二月に至り、熒惑が黄廐星に圧し乗り、官署の房屋は続けざまに延焼した。また魏の青龍三年十二月戊辰、月が鉤鈐を犯し、君王に憂いあるを主った。景初二年十二月に至り、魏の明帝が崩じ、前後あわせて三年十一か月を積した。また考えるに、魏の正始六年十二月己巳、月が鉤鈐を犯した。占辞にいう、五星が鉤鈐を犯すはいずれも君王に憂いあるを主り、別の一説には火災あり。七年二月に至り、熒惑が黄廐に圧し乗り、火勢は西掖門に延焼した。嘉平二年七月壬戌に至り、皇后・甄氏が亡くなり、前後あわせて三年七か月を積して応験した。また考えるに曹魏の時、火星が鉤鈐を犯すは、いずれも皇后の死去に応じた。郗萌がいう、月が房宿を留守する——「守」とはその位に停駐して去らざること——いずれも君主の無道を主る。またいう、いずれも天下の諸侯が互いに呑併せんと図謀り、各々その道を行いて相合せざるを主る。またいう、いずれも胡人の兵を発するを主る。
月、心を犯す 五
班固《天文志》曰:“月犯心,其國有憂,若有大喪。”《摘亡闢》曰:“六月辛酉,月犯心,亡君之戒也。”郗萌曰:“月犯明堂星,大人憂。”《海中占》曰:“月犯心中央星,人主惡之;犯其前星,太子惡之,及失位,犯其後星,庶子惡之;皆應以善事。”郗萌曰:“月行出心以南,在外大將易。一曰無兵。太子事。”陳卓曰:“月行宿心而霧,山崩谷塞,一曰水深。”
班固《漢書・天文志》にいう、月が心宿を犯せば、その国に憂患があり、あるいは大喪がある。心宿の三星は氐・房とともに宋国の分野に属し、中央の大星は天王、前星は太子、後星は庶子であり、また明堂と称す。《摘亡辟》にいう、六月辛酉の日に月が心宿を犯すは、これ国君まさに亡びんとするの警戒である。郗萌がいう、月が明堂星を犯せば、大位に居る人に憂いあり。《海中占》にいう、月が心宿中央の大星を犯せば、君主はこの星象を悪む。その前の星を犯せば、太子に凶あり、また儲位を失わん。その後の星を犯せば、庶子に凶あり。これらはいずれも善政を推行して応じて消解すべし。郗萌がいう、月が心宿を出でて以南を行けば、外にある大将は更換せらる。別の一説には兵事なきにあらず、太子の方面の事であるという。陳卓がいう、月が心宿を行き経て天に大霧が起これば、山崩れ谷塞がる事あらん。別の一説には水深くして患をなすという。
《石氏占》曰:“月乘心,其國相死;月北出,其國旱,宗廟有焚者;月南出,其將相有起兵。”《荊州占》曰:“月犯乘心,大人凶,天下大旱,萬民災傷,近期三年,遠九年。”《石氏占》曰:“月合心星,其君死。”又曰:“犯大星,主遇賊害,國人為亂。”又占曰:“月犯心大星,女執行;又曰太子不立。”郗萌曰:“月犯心星,臣弒君;又曰滅其君,三年有憂賊臣。”
《石氏占》にいう、月が心宿に圧し乗れば、その国の宰相は死す。月が偏り北より出れば、その国は干ばつし、宗廟の焚き毀せられる者あり。月が偏り南より出れば、そこの将相は兵を起こす。《荊州占》にいう、月が心宿を侵犯して圧し乗れば、大位に居る人に凶あり、天下は大いに旱し、万民は災傷を受け、近くは三年を期とし、遠くは九年を期とす。《石氏占》にいう、月と心宿星とが同度に合すれば、その国君は死す。またいう、心宿の大星を犯すは、君主が賊害に遇うを主り、国人は乱をなす。また占うていう、月が心宿の大星を犯すは、女子が政令を執るを主る。またいう、太子は立て成らず。郗萌がいう、月が心宿の星を犯せば、臣は君主を弑殺する。またいう、その君主を滅ぼし、三年の内に賊臣を憂うべし。
《海中占》曰:“月犯心,有亂臣,天下有亡國;蝕心,國內亂,有大賊。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯心,亂臣在旁伐國,期不出三年,其下有亡國;又民伐其主,應之以善事,已殃除。”《海中占》曰:“月犯心中央星,人主敗,國有賊,人為亂。”(按魏甘露二年六月己酉,月犯心中央大星,景元元年五月,高貴鄉公敗。)
《海中占》にいう、月が心宿を犯せば、朝中に乱臣あり、天下に亡国の事あり。心宿を掩蝕すれば、国内は動乱し、大賊あり。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が心宿を犯せば、乱臣は君側にありて国家を討伐し、期は三年を出でず、その下に対応する所に亡国の事あり。また百姓がその君主を討伐するを主り、善政を推行して応ずれば、災殃は消除すべし。《海中占》にいう、月が心宿中央の大星を犯せば、君主は敗亡し、国中に賊あり、人の乱をなす者あり。これ以下は原書の小注である。曹魏の甘露二年六月己酉、月が心宿の中央大星を犯した。景元元年五月、高貴郷公・曹髦は兵敗して殺された。
郗萌曰:“月貴心,其國亂,臣弒君。”《石氏占》曰:“月貴心,其國政亂。”《海中占》曰:“月貫心,其國亂,臣弒君。”《石氏占》曰:“月貴心,其國政亂。”《海中占》曰:“月貴心,一年國君死,不則臣伐主。”
郗萌がいう、月が心宿を貫く——源文の「貴」は「貫」の形近の誤り、下同——その国は動乱し、臣は君主を弑殺する。《石氏占》にいう、月が心宿を貫けば、その国は政事混乱する。《海中占》にいう、月が心宿を貫けば、その国は動乱し、臣は君主を弑殺する。《石氏占》にいう、月が心宿を貫けば、その国は政事混乱する。《海中占》にいう、月が心宿を貫けば、一年の内に国君は死す、さもなくば臣下は君主を討伐する。以上の数条、底本に屡々重出す、いまその旧を並び存す。
《黃帝占》曰:“月貫心星,三年國內亂。”(按漢孝成帝陽朔元年七月壬子,月犯心星。占曰:“其國憂,若有喪。房心為宋,今為楚地,十月辛未,楚王芳薨,積四月應。又按王莽地皇元年正月,月犯心前星,為太子。是歲後,莽殺,太子臨之。黃初四年十二月丙子,月犯心大星。占曰:“犯心國憂,若有喪。七年五月丁巳,文帝崩。積二年六月。魏景初二年閏九月癸丑。月犯心大星,占曰:月犯中央星,其國有憂。若有大喪。到三年十二月,明帝崩,積一年四月。)
《黄帝占》にいう、月が心宿の星を貫けば、三年の内に国内は動乱する。これ以下は原書の小注である。漢の成帝・陽朔元年七月壬子、月が心宿の星を犯した。占辞にいう、その国に憂いあり、あるいは丧事あり。房宿・心宿はもともと宋国の分野、いまは楚地に属す。十月辛未、楚王が亡くなり、前後あわせて四か月を積して応験した。また考えるに王莽・地皇元年正月、月が心宿の前星を犯し、前星は太子を主る。この年の後、王莽は太子・王臨を殺した。魏の黄初四年十二月丙子、月が心宿の大星を犯した。占辞にいう、心宿を犯すは国家に憂いあるを主り、あるいは丧事あり。黄初七年五月丁巳、魏の文帝が崩じ、前後あわせて二年六か月を積した。魏の景初二年閏九月癸丑、月が心宿の大星を犯した。占辞にいう、月が中央大星を犯せば、その国に憂いあり、あるいは大喪あり。景初三年十二月に至り、魏の明帝が崩じ、前後あわせて一年四か月を積した。
月、尾を犯す 六
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯尾,君臣不和。”郗萌曰:“月犯尾,貴戚有誅者,其國有軍將死。”又曰:“在尾宿有變,後宮不安,妃后爭人君,子孫不吉,在宮中矣。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が尾宿を犯せば、君臣は不和となる。尾宿の九星は燕国の分野に属し、幽州に対応し、後宮の嬪妃の位次を主る。郗萌がいう、月が尾宿を犯せば、皇親国戚の中に誅殺せられる者があり、その国に兵を帯びる将領の死する者ある。またいう、尾宿の上に変異が現れれば、後宮は安寧を得ず、妃嬪と皇后とが君主の寵を争い、子孫は不吉で、禍端は宮中に出る。
月、箕を犯す 七
石氏曰:“月干犯箕度,君臣不和。”《含文嘉》曰:“月至箕,則風揚。”《春秋緯考異郵》曰:“月失行,離於箕者,風。”《春秋緯潛潭巴》曰:“月入箕中,其國有憂。”《黃帝占》曰:“月入箕,糴大貴。”郗萌曰:“月入箕,天下大亂,有兵,國君死之;又曰必赦,月在箕,踵期三十日;在口,期六十日。”
石申がいう、月が箕宿の宿度を干犯すれば、君臣は不和となる。箕宿の四星は尾宿とともに燕国の分野に属し、風を主り、また口舌を主る。礼緯《含文嘉》にいう、月が箕宿に行き至れば、風まさに揚がらんとす。《春秋緯・考異郵》にいう、月の運行が常度を失い箕宿に附麗するは、風の起こるを主る。《春秋緯・潜潭巴》にいう、月が箕宿の中に入れば、その国に憂患がある。《黄帝占》にいう、月が箕宿に入れば、穀価は大いに貴し。郗萌がいう、月が箕宿に入れば、天下は大いに乱れ、兵事があり、国君はこれをもって死す。またいう、必ず赦令があり、月が箕宿の踵——箕形の底部の窄まる一端——にあれば期は三十日、箕宿の口にあれば期は六十日である。
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯箕,有客讒人者。”《海中占》曰:“月犯箕,女主有憂。”郗萌曰:“月犯箕,其國有軍將死。”(按魏嘉平五年六月十二日庚辰,月犯箕,占曰:“軍將死。”到正元元年正月乙丑,鎮東將軍母丘儉反,正月甲辰,斬儉,積一年九月。又按魏甘露元年八月七日辛亥,月犯箕東北星,占曰:“犯箕東北星,軍將死。”到二年五月,徵東大將軍諸葛誕謀叛不就,後殺揚州刺史樂[糹休],積十月。)
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が箕宿を犯せば、外来の賓客が讒言を進める——箕宿はもともと口舌を主り、また賓客を主るがゆえに、讒譖と占す。《海中占》にいう、月が箕宿を犯せば、女主に憂いあり。郗萌がいう、月が箕宿を犯せば、その国に兵を帯びる将領の死する者ある。箕は燕の分野に属し、応ずる所は多く幽燕の一帯である。これ以下は原書の小注である。曹魏の嘉平五年六月十二日庚辰、月が箕宿を犯した。占辞にいう、軍中の将領は死す。正元元年正月乙丑に至り、鎮東将軍・毌丘倹が反し、正月甲辰に毌丘倹を斬った。前後あわせて一年九か月を積した。また考えるに魏の甘露元年八月七日辛亥、月が箕宿の東北星を犯した。占辞にいう、箕宿の東北星を犯せば、軍中の将領は死す。甘露二年五月に至り、征東大将軍・諸葛誕が謀反して成らず、後に揚州刺史の楽綝を殺した。前後あわせて十か月を積した。
月、北方七宿を犯す
月、南斗を犯す 一
郗萌曰:“月宿南斗風,一曰雨。”又曰:“月入南斗魁中,大人憂;一曰太子殃;又曰宮中有自賦者,期三十日。”《荊州占》曰:“月入南斗,兵起,有憂,不出三年。”京氏曰:“月以子丑申入南斗,後百八十二日赦,無餘囚。”
郗萌がいう、月が南斗に臨宿すれば、風の起こるを主る。別の一説には雨を降らすを主るという。南斗の六星は呉越の分野に属し、揚州に対応し、爵禄と寿命とを主る。郗萌がまたいう、月が南斗の魁中に入る——「魁」とは斗形の前の四星が成す斗身——大位に居る人に憂いあり。別の一説には太子に災殃あり。またいう、宮中に罪責を自ら陳する人あり、期は三十日。《荊州占》にいう、月が南斗に入れば、兵事が興り、憂患あり、三年を出でない。京房がいう、月が子の日・丑の日・申の日に南斗に入れば、この後百八十二日に赦令を頒き、牢中に余囚を留めない。
陳卓曰:“月犯入南斗魁,天下大赦;一曰兵起。”(按晉成帝咸和六年正月丙辰,月入南斗,占曰:“有兵,一曰有大赦。”是月石勒殺掠婁武進二縣,於是遣戌中州;明年湖賊又掠南沙海虞民,是年正月大赦,伐淮南討襄陽,平之。又咸和八年三日己巳。月入南斗、與六年占同。其年七月,石勒死,彭彪以譙石生、以長安郭權、以泰州並歸順,於是遣督護喬球率眾救彪;彪敗球退。又石季龍、石斌功滅生權,咸康元年正月大赦。)
陳卓がいう、月が南斗を犯して魁中に入れば、天下に大赦あらん。別の一説には兵事が興るという。これ以下は原書の小注である。東晋の成帝・咸和六年正月丙辰、月が南斗に入った。占辞にいう、兵事あり。別の一説には大赦あり。その月、石勒が婁県・武進の二県を殺掠し、朝廷はすなわち兵を派して中州を戍守せしめた。第二年、湖中の賊寇がまた南沙・海虞の百姓を劫掠した。この年の正月に大赦し、また兵を淮南に進めて襄陽を討伐し、彼らを平定した。また咸和八年三月己巳、月が南斗に入り、咸和六年の占辞と同じであった。この年の七月に石勒が死に、彭彪が譙地の石生・長安の郭権を帯同し、秦州をあわせて帰順した。朝廷はすなわち督護・喬球を派して衆を率い彭彪を救援せしめた。彭彪は戦敗し、喬球は兵を退いた。後に石季竜・石斌が石生と郭権とを攻め滅ぼし、咸康元年正月に大赦した。
《黃帝占》曰:“月以十月至四月南斗中,天下大赦,近期六十日,中期六月,遠期一年。”郗萌曰:“月一歲三入南斗口者,其歲有赦。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯南斗,大臣及將去。”《郗萌占》曰:“月犯南培魁,女主當之,不出三年。”《荊州占》曰:“月犯南斗,將軍死。”陳卓曰:“月犯南斗風,雨不時,大臣誅,不出三年。”郗萌曰:“月乘南斗,色惡蒼蒼,丞相死。”又占曰:“月變於南斗,亂臣有更天子之法令者。”《荊州占》曰:“月變於南斗,易相,近臣死。”
《黄帝占》にいう、月が十月より四月の間に南斗の中に入れば、天下に大赦あらん。近くは六十日を期とし、中は六か月、遠くは一年を期とす。郗萌がいう、月が一年の内に三度南斗の口に入るときは、この年に赦令あらん。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が南斗を犯せば、大臣と将領とは位を離れん。《郗萌占》にいう、月が南斗の魁を犯す(源文の「南培」は「南斗」と作るべし)、女主はこの災咎を承当し、三年を出でない。《荊州占》にいう、月が南斗を犯せば、将軍は死す。陳卓がいう、月が南斗を犯すは風の起こるを主り、風雨は時節に合わず、大臣は誅せられ、三年を出でない。郗萌がいう、月が南斗に圧し乗り、色が晦悪にして青蒼に発すれば、丞相は死す。また占うていう、月が南斗に変異を生ぜば、乱臣があって天子の法令を変更せん。《荊州占》にいう、月が南斗に変異を生ずるは、宰相を更換し近臣が死亡するを主る。
月、牽牛を犯す 二
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯牽牛,將軍奔,天下牛多死。”郗萌曰:“月犯牽牛,其國有憂,將軍亡其鼓;一曰有軍將死。”陳卓曰:“月犯牽牛星,道路不通,牛馬暴貴,天下有大誅,邦谷大貴,又曰月犯牽牛,軍亡;犯河鼓,戰。”郗萌曰:“月乘牽牛,天下有大水起。”又占曰:“月變於牽牛,犧牲事也;又曰四足之蟲疾。”《荊州占》曰:“月行犯若暈牽牛,天下馬多疾死。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が牽牛宿を犯せば、将軍は奔逃し、天下の牛は大量に死亡する。牛宿の六星は南斗とともに呉越の分野に属し、犠牲と関梁の事とを主る。郗萌がいう、月が牽牛を犯せば、その国に憂患があり、将軍はその戦鼓を失う。別の一説には兵を帯びる将領の死する者あるという。陳卓がいう、月が牽牛星を犯せば、道路は通ぜず、牛馬の価は暴騰し、天下に大規模の誅戮があり、邦国の穀価は大いに貴し。またいう、月が牽牛を犯すは軍隊の敗亡を主り、河鼓星を犯すは戦事あるを主る。郗萌がいう、月が牽牛に圧し乗れば、天下に大水が興る。また占うていう、月が牽牛に変異を生ずるは、祭祀・犠牲の事を主る。またいう、四本足の牲畜に疫病が発生する。《荊州占》にいう、月が運行して牽牛を犯し、あるいは月暈を結んで牽牛をその中に囲めば、天下の馬は大量に病みて死亡する。
月、女を犯す 三
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯須女,天下多女患。”陳卓曰:“月犯須女,將軍死,其國有憂。”《郗萌占》曰:“月變於須女,有兵不戰而降;又曰有嫁女娶女之事。”陳卓曰:“月宿須女,霧,大人死;一曰蟄蟲死。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が須女宿を犯せば、天下に女子をもって起こる禍患多し。須女の四星は斗・牛とともに呉越の分野に属し、布帛の裁制と嫁娶の事とを主る。陳卓がいう、月が須女を犯せば、将軍は死し、その国に憂患あり。《郗萌占》にいう、月が須女宿に変異を生ぜば、敵兵が交戦を待たずして来たり降す。またいう、嫁女・娶婦のごとき事あらん。陳卓がいう、月が須女に臨宿して天に大霧が起これば、大位に居る人は死す。別の一説には蛰伏の虫類が死するという。
月、虚を犯す 四
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯虛,空邑復起。”郗萌曰:“月犯虛,天下亂政,天下大虛,其國有憂,軍將死,有哭泣之事;又占曰:月變於虛,有土功事;又曰在外軍大飢。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が虚宿を犯せば、荒廃の城邑は再び興る。虚宿の二星は危宿とともに斉国の分野に属し、青州に対応し、宗廟の祭祀と哭泣の事とを主る。郗萌がいう、月が虚宿を犯せば、天下の政令は混乱し、天下は大いに空虚となり、その国に憂患があり、兵を帯びる将領は死し、哭泣の事あらん。郗萌がまた占うていう、月が虚宿に変異を生ぜば、土木の事あり。またいう、外にある軍隊は大飢饉を鬧がすという。
月、危を犯す 五
郗萌曰:“月行若犯危,有哭泣之事。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯危,治樓室屋者多。”《海中占》曰:“月犯危其國有憂。”郗萌曰:“月犯危,有軍將死。”陳卓曰:“月行所宿危而霧,兵起,士卒多死。”《荊州占》曰:“月有入危者,大亂。”(天下大亂也。)
郗萌がいう、月が運行して若し危宿を犯せば、哭泣の事あらん。危宿の三星は虚宿とともに斉国の分野に属し、房屋の営造と墳墓の事とを主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が危宿を犯せば、楼台屋室を営造する人が増える。《海中占》にいう、月が危宿を犯せば、その国に憂患あり。郗萌がいう、月が危宿を犯せば、兵を帯びる将領の死する者あらん。陳卓がいう、月の臨宿する危宿の上に大霧が起これば、兵事が興り、士卒の死亡多し。《荊州占》にいう、月の危宿に入る者あれば、大乱を主る(原書小注:天下の大乱をいう)。
月、室を犯す 六
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯營室,以亂;若亡地及宗廟毀,若起室者。”《海中占》曰:“月犯營室,其國有憂。”郗萌曰:“月犯營室,有宰相死。”《荊州占》曰:“月犯營室,兵起。”郗萌曰:“月變於營室,大臣為亂,兵在外,軍人見棄,敗。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が営室宿を犯せば、これによって乱を生ずるを主る。あるいは土地を喪失し宗廟は毀壊し、あるいは宮室を興建する事あり。営室の二星は東壁とともに衛国の分野に属し、并州に対応し、宮室の営造と土木の功とを主る。《海中占》にいう、月が営室を犯せば、その国に憂患あり。郗萌がいう、月が営室を犯せば、宰相の死する者あらん。《荊州占》にいう、月が営室を犯せば、兵事が興る。郗萌がいう、月が営室に変異を生ぜば、大臣は乱をなし、軍隊は外にあり、士卒は遺棄せられ、作戦は失敗する。
月、壁を犯す 七
郗萌曰:“月宿東壁,不雨則風。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯東壁,大亂,人民多死。”《海中占》曰:“月犯東壁,其國有憂。郗萌曰:“月犯東壁,兵在外,軍將死;一曰:有土功事。”郗萌曰:“月變於東壁,兵在外,軍人大驚,近臣去。”《海中占》曰:“月蝕東壁,其國有閉門事。”《石氏占》曰:“月蝕東壁,大臣戮亡,有文章者被執。”
郗萌がいう、月が東壁に臨宿すれば、雨降らざれば風刮がん。東壁の二星は営室とともに衛国の分野に属し、文章・図籍を主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が東壁を犯せば、大乱を主り、人民の死亡多し。《海中占》にいう、月が東壁を犯せば、その国に憂患あり(源文この条は下引号を脱く)。郗萌がいう、月が東壁を犯せば、軍隊は外にあり、兵を帯びる将領は死す。別の一説には土木の事ありという。郗萌がまたいう、月が東壁に変異を生ぜば、軍隊は外にあり、士卒は大いに驚擾し、近臣は位を離れる。《海中占》にいう、月が東壁を掩蝕すれば、その国に門を閉じて自守する事あり。《石氏占》にいう、月が東壁を掩蝕すれば、大臣は殺され、文才著述ある人は拘捕せられる。
月、西方七宿を犯す
月、奎を犯す 一
郗萌曰:“月入天庫,天下有兵起。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯奎,大亂,人多死者。”郗萌曰:“月犯奎,邊兵不安。”又曰:“有大水,敵人多死。”又占曰:“月犯若暈奎,其國大人有憂。”又占曰:“月蝕奎星,大將戰死,軍乏食。”《海中占》曰:“月蝕奎星,必有大戰,軍乏食。”郗萌曰:“月變於奎,有溝瀆事;一曰:女子事。”陳卓曰:“月宿奎而霧,有妖星見;或曰妖死;一曰:十日妖見君車。”
郗萌がいう、月が天庫に入る——奎宿はまた天庫と謂う——天下に兵事興ることあらん。奎宿の十六星は婁・胃とともに魯国の分野に属し、徐州に対応し、溝瀆と武庫とを主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が奎宿を犯せば、大乱を主り、人の死亡多し。郗萌がいう、月が奎宿を犯せば、辺境の駐軍は安寧を得ず。またいう、大水あり、敵人の死亡多し。また占うていう、月が奎宿を犯し、あるいは月暈を結んで奎宿をその中に囲めば、その国の大人物に憂いあり。また占うていう、月が奎宿の星を掩蝕すれば、大将は戦死し、軍中は糧を欠く。《海中占》にいう、月が奎宿の星を掩蝕すれば、必ず大戦あり、軍中は糧を欠く。郗萌がいう、月が奎宿に変異を生ぜば、渠を開き水を治める事あらん。別の一説には女子の方面の事であるという。陳卓がいう、月が奎宿に臨宿して天に大霧が起これば、妖星の現るる者あらん。あるいは妖異が死に致るともいい、別の一説には十日の内に妖異の象が君主の車駕に顕現するという。
月、婁を犯す 二
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯婁,多淫獵。”《海中占》曰:“月犯婁,國有憂。”《郗萌占》曰:“月犯婁,軍將死,民多移徙;又曰獄多冤死。”陳卓曰:“月犯乘婁,國君好愛婦女,遊獵無度。”黃帝曰:“月變於婁,有兵在外,不戰而和。”陳卓曰:“月行宿婁而霧多;有人死復生者。”《海中占》曰:“月蝕婁星,軍不戰,在外罷。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が婁宿を犯せば、荒淫・游猟の事多し。婁宿の三星は魯国の分野に属し、苑牧・犠牲と聚众の事とを主る。《海中占》にいう、月が婁宿を犯せば、国家に憂患あり。《郗萌占》にいう、月が婁宿を犯せば、兵を帯びる将領は死し、百姓の遷徙多し。またいう、牢獄の中に冤死の人多し。陳卓がいう、月が婁宿を侵犯して圧し乗れば、国君は婦女を貪恋し、游猟に節制なし。黄帝がいう、月が婁宿に変異を生ぜば、軍隊は外にあり、交戦せずとも議和を成すべし。陳卓がいう、月が婁宿を行き経て霧気甚だ濃ければ、人の死にて復た生くる者あらん。《海中占》にいう、月が婁宿の星を掩蝕すれば、軍隊は交戦せず、外にある駐軍は罷兵して還る。
月、胃を犯す 三
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯胃,倉庫散,若有令;一曰其國有變。”《荊州占》曰:“月犯胃、倉粟散。”《海中占》曰:“月犯胃,其國有憂。”郗萌曰:“月犯胃,鄰國有暴兵伐中國;一曰有軍將死;又曰以夷為憂,天下國無實。”《海中占》曰:“月犯乘胃,小國起兵,倉庫虛;一曰軍不戰,民多病傷有令。”《陳卓占》曰:“月宿胃而霧,死於孕,孝婦謀死。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が胃宿を犯せば、倉庫の中の儲積は発散せられ、あるいは相応の政令が頒き下さる。別の一説にはその国に変故あるという。胃宿の三星は魯国の分野に属し、天上の倉廩である。《荊州占》にいう、月が胃宿を犯せば、倉中の粟米は発散せんとす。《海中占》にいう、月が胃宿を犯せば、その国に憂患あり。郗萌がいう、月が胃宿を犯せば、隣国は暴虐の軍隊を派して中原の国を討伐せん。別の一説には兵を帯びる将領の死する者あるという。またいう、外族をもって憂患と為し、天下各国の倉廩は空虚なり。《海中占》にいう、月が胃宿を侵犯して圧し乗れば、小国は兵を起こし、倉庫は空虚なり。別の一説には軍隊は交戦せず、百姓は病傷多く、かつ政令の頒き下さる者あり。《陳卓占》にいう、月が胃宿に臨宿して天に大霧が起これば、人の生育に死する者あるを主り、孝順の婦人は謀害せられて死す。
月、昴を犯す 四
石氏曰:“月入昴中,胡王死。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯昴,天子破匈奴,不出五年,中若有白衣會。”《荊州占》曰:“月犯昂,以粟米為賤。”《河圖帝覽嬉》曰:“月行犯昴,北有赤白雲緣月,兵入匈奴,地有得;赤白雲不緣月,兵入無得,期不出三年。”《黃帝占》曰:“月乘昴,貴人有憂。”
石申がいう、月が昴宿の中に入れば、胡人の君王は死す。昴宿の七星は畢宿とともに趙国の分野に属し、冀州に対応し、また旄頭と名づけ、胡人と辺兵とを主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が昴宿を犯せば、天子は匈奴を撃破し、五年を出でずして中原に丧事の会あらん。《荊州占》にいう、月が昴宿を犯せば、粟米の価の賤しきを主る。《河図帝覧嬉》にいう、月が運行して昴宿を犯し、北面に赤白色の雲気が月を環繞すれば、兵を出して匈奴の地に入るに獲る所あらん。赤白色の雲が月を環繞せざれば、兵を出して入るも一獲なく、期は三年を出でない。《黄帝占》にいう、月が昴宿に圧し乗れば、貴人に憂いあり。
郗萌曰:“月乘昴,天下用法峻,一曰水滿野,五穀不收。”又占曰:“月合昴,有赦。”又占曰:“月行觸昂,匈奴擾擾。”又曰:“月生於昂,天下有赦。”《黃帝占》曰:“月變於昂,兵在外食絕。”郗萌曰:“月變於昂,國有喪。”《石氏占》曰:“月蝕昴,貴臣誅,貴女失勢。”《海中占》曰:“月蝕昂諸候黜,門戶臣有事,天下飢。”石氏曰:“月出昴北,天下有福,一曰胡王死。”
郗萌がいう、月が昴宿に圧し乗れば、天下の用法は厳峻なり。別の一説には大水が野を漫し、五穀収なくん。また占うていう、月と昴宿とが同度に合すれば、赦令あらん。また占うていう、月が運行して昴宿に触れれば、匈奴は騒動して安からず。またいう、月が昴宿の処より新生すれば、天下に赦令あらん。《黄帝占》にいう、月が昴宿に変異を生ぜば、外にある軍隊は糧食を断たん。郗萌がいう、月が昴宿に変異を生ぜば、国中に丧事あり。《石氏占》にいう、月が昴宿を掩蝕すれば、顕貴の大臣は誅せられ、顕貴の女子は勢いを失う。《海中占》にいう、月が昴宿を掩蝕すれば、諸侯は廃黜せられ、門戸を掌る臣子は事を出し、天下は飢饉す。石申がいう、月が昴宿の北に現れれば、天下に福あり。別の一説には胡人の君王は死すという。
郗萌曰:“月犯昴,其國有憂,將軍死;一曰胡不安。”(按魏正始元年四月二十七日戊午,月犯昴水頭第一星,其年十月庚寅、月犯昴北第四星。占曰:“月犯昴,胡不安,將軍死。”到二年六月,征西將軍趙[亻敢]上言,鮮卑大人阿炒兒等殺掠敦煌太守王延等。將兵斬首千一百級。冬十月,又討斬阿炒兒,唐首千級。三年正月,又斬鮮卑大師首六百級。討鮮卑斬首千餘級,八月丁巳,輕車將軍特進王忠薨,積三年四月應。)
郗萌がいう、月が昴宿を犯せば、その国に憂患あり、将軍は死す。別の一説には胡人は安分ならずという。昴はまた旄頭と名づけ、胡星であるがゆえに、下に挙ぐる験例はすべて鮮卑・匈奴の一路の辺事である。これ以下は原書の小注である。曹魏の正始元年四月二十七日戊午、月が昴宿の水頭第一星を犯した。この年の十月庚寅、月がまた昴宿の北面第四星を犯した。占辞にいう、月が昴宿を犯せば、胡人は安からず、将軍は死す。正始二年六月に至り、征西将軍・趙儼が上奏していう、鮮卑の首領・阿炒児らが敦煌太守の王延らを殺掠した。官軍は兵を領いて討伐し、首を斬ること一千一百級。この年の冬十月、また兵を出して阿炒児を斬殺し、首を斬ること一千級。三年正月、また鮮卑の大帥の首級六百を斬り、鮮卑を討伐して合計首を斬ること一千余級。八月丁巳、軽車将軍・特進の王忠が亡くなった。前後あわせて三年四か月を積して応験した。
月、畢を犯す 五
《詩》曰:“月離於畢,俾滂沱矣,謂大雨也。”《春秋緯考異郵》曰:“月失行,離於畢,則雨。”蔡氏《月令章句》曰:“月離者,所歷也。”班固《天文志》曰:“月入皆,則多雨。”郗萌曰:“月入畢,其國君大憂;又曰兵起,期一年,先起兵者有破亡;又曰與兩股齊,近期二十日,遠期六十日,有將死。”
《詩経・小雅・渐渐之石》にいう、「月が畢に離れば、滂沱たらしむ」とは、月が畢宿に附麗すれば大雨を降らすをいう。畢宿の八星は昴宿とともに趙国の分野に属し、辺兵と田猟とを主り、また雨を主る。《春秋緯・考異郵》にいう、月の運行が常度を失い畢宿に附麗すれば、雨を降らす。漢代の蔡邕《月令章句》にいう、いわゆる「離」とは、月の経歴する位次を指す。班固《漢書・天文志》にいう、月が畢宿に入れば、雨多し(源文の「入皆」は「入畢」と作るべし)。郗萌がいう、月が畢宿に入れば、その国君に大憂あり。またいう、兵事が興り、期は一年、先に兵を動かす方は撃破せられて敗亡す。またいう、月と畢口の両股とが斉しければ、近くは二十日を期とし、遠くは六十日、将領の死する者あらん。
劉向《洪範傳》曰:“月入畢中,將若相有一家事坐罪革起;一曰有女喪;一曰女主當之。”(按魏太和四年二月丁未,月加午在畢大星三月蜀劉升為丞相。諸葛亮將五萬人入天水,攻將軍賈魏副車騎將軍舒等三萬餘人,討之,斬首三萬餘人,投降者萬餘人。七月乙酉,大赦,六年正月甲戌,皇女暴薨,上及群臣皆為之服。五月甲戌,皇太子殿下薨。十一月壬寅,吳越賊將周賀於東萊牟平之內恣殺掠,與青州刺史程喜戰,射殺周賀,斬首四千餘級,又生擒八千餘人。青龍元年八月已未,大赦。二年三月庚寅,故漢帝山陽公崩,以天子禮葬之,諡曰獻帝。積三年六月應也。)
劉向《洪範五行伝論》にいう、月が畢宿の中に入れば、将軍あるいは宰相に一家の人が罪に坐して革職査弁せられる者あらん。別の一説には女子の丧事あり。さらに別の一説には女主がこの災咎を承当するという。これ以下は原書の小注である。曹魏の太和四年二月丁未、月が午位に加臨して畢宿の大星に正対した——「月加午」とは月が午の時位に行き至ることをいう。三月、蜀漢の劉升が丞相となった。諸葛亮は五万人を率いて天水に入り、将軍の賈魏と副車騎将軍の舒ら三万余人を攻撃し、官軍は彼らを討伐して首を斬ること三万余級、投降する者一万余人あり。七月乙酉に大赦した。六年正月甲戌、皇女が暴亡し、皇上と群臣とはみな彼女のために服喪した。五月甲戌、皇太子が亡くなった。十一月壬寅、呉国の賊将・周賀が東莱郡牟平県の境内で恣りに殺掠し、青州刺史の程喜と交戦し、射殺せられ、首を斬ること四千余級、また生擒すること八千余人。青龍元年八月己未に大赦した。二年三月庚寅、退位した漢朝の皇帝・山陽公が亡くなった——彼はすなわち曹丕に禅位した漢朝の末代の天子である——朝廷は天子の礼をもって安葬し、諡号を献帝とした。以上の諸事、前後あわせて三年六か月を積して応験した。
郗萌曰:“月入畢,有拘主,近期百日,中期十月,遠期一年;又曰小人自立;一曰小人罔上;一曰將相驚;又曰大赦,期三月;一曰在畢口,期六十日,赦,在踵,期三十日;又曰有土功;又曰有以弋獵事惑其君者。”石氏曰:“月居畢中,不出其年,女君死。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯畢,天子用法以誅罰急,貴人有死者。”京氏《妖占》曰:“月犯畢,天下有變令。”
郗萌がいう、月が畢宿に入れば、君主を拘禁する事あらん。近くは百日を期とし、中は十か月、遠くは一年。またいう、小人は自ら立ちて主と為す。別の一説には小人は君上を欺瞞す。さらに別の一説には将相は驚く。または大赦あり、期は三か月。別の一説には月が畢口にあれば六十日を期として赦令あり、畢踵にあれば三十日を期とす。または土木の事あり。または人の射猟の事をもってその君主を迷惑する者あり。石申がいう、月が畢宿の中に停留すれば、当年を出でずして女君は死す。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が畢宿を犯せば、天子は法を用いること誅罰に急にして、貴人の中に死亡の者あり。京房《妖占》にいう、月が畢宿を犯せば、天下に法令を変更する事あり。
《黃帝占》曰:“月犯畢,出其北,陰國有憂。”《海中占》曰:“月犯畢,南陽國有憂,一曰賊臣誅,不然邊有兵。”郗萌曰:“月行犯畢赤星,臣弒主;一曰乘畢赤星,將死。”又占曰:“月犯蝕畢,有小疾。”又曰:“合畢,天有下赦,合其陰,水;合其陽,風;又曰:月變於畢,邊境有事。”《黃帝占》曰:“月蝕畢,使邊者凶。”《郗萌占》曰:“月蝕畢,諸侯相謀。”又曰:“月入畢中而暈,人主生;一曰人主伐。”又占曰:“月入畢而聖人生;一曰人主伐。”
《黄帝占》にいう、月が畢宿を犯してその北面より出れば、陰に属する邦国に憂いあり。《海中占》にいう、月が畢宿を犯せば、南面の陽に属する邦国に憂いあり。別の一説には姦賊の臣は誅せられ、さもなくば辺境に兵事あり。郗萌がいう、月が運行して畢宿の赤星を犯せば、臣は君主を弑殺す。別の一説には畢宿の赤星に圧し乗れば、将領は死す。また占うていう、月が畢宿を侵犯して掩蝕すれば、小さな疾病あらん。またいう、畢宿と同度に合すれば、天下は赦令を頒かん。畢宿の陰に属する側に合すは水を主り、陽に属する側に合すは風を主る。またいう、月が畢宿に変異を生ぜば、辺境に事あり。《黄帝占》にいう、月が畢宿を掩蝕すれば、辺地に使いする人に凶あり。《郗萌占》にいう、月が畢宿を掩蝕すれば、諸侯は互いに図謀す。またいう、月が畢宿の中に入りて月暈を結べば、君主が降生す。別の一説には君主が兵を出して討伐する。また占うていう、月が畢宿に入りて聖人が降生す。別の一説には君主が兵を出して討伐する。
《荊州占》曰:“月蝕畢中,星居月中,不出其年,女主當之。”《石氏占》曰:“月蝕畢星,星居月中,不出其年,女主當之。”《石氏占》曰:“月蝕畢星,星居月中,不出其年,女主當之。”《石氏占》曰:“月蝕畢星,中有土功事,一曰:女主有憂。大臣繫囚者;一曰天下兵起,是謂小人國。”陳卓曰:“月行宿濁而霧,君使有道死於諸侯曰;一曰諸侯之使有道死者。”(濁者畢也。)《陳卓占》曰:“月犯附耳,兵起,若將相有喪憂,不即免退。”
《荊州占》にいう、月が畢宿の中を掩蝕し、星が月輪の内に処れば、当年を出でずして女主はこの災咎を承当す。《石氏占》にいう、月が畢宿の星を掩蝕し、星が月輪の内に処れば、当年を出でずして女主はこの災咎を承当す。この条、源文は一度重出し、文字全く同じ、いまその旧を並び存す。《石氏占》にまたいう、月が畢宿の星を掩蝕すれば、その中は土木の事あるを主る。別の一説には女主に憂いあり、大臣に拘系して獄に下さる者あり。さらに別の一説には天下に兵事興る、これを「小人之国」と謂う。陳卓がいう、月が濁宿を行き経て天に大霧が起これば、君主の使者は諸侯の国に道死せん(句末の「曰」の字は疑らく衍文)。別の一説には諸侯の派出した使者に途中に死する者あり、「道死」とは路上に死することである(原書小注:「濁」は即ち畢宿の別名である)。《陳卓占》にいう、月が附耳星を犯せば、兵事が興り、あるいは将相に喪憂あり、さもなくば免職退位せられん。
月、觜を犯す 六
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯觜觿,小將有死者。”《海中占》曰:“月犯觜觿,小戰;又曰小將吏多死。”郗萌曰:“月犯觜觿,下將畢叛。”《荊州占》曰:“月犯觜觿,道多死人。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が觜觿宿を犯せば、級別の低い将領に死亡の者あらん。觜觿の三星は参宿とともに魏国の分野に属し、葆旅・収斂の事を主る。《海中占》にいう、月が觜觿を犯せば、小規模の戦闘あらん。またいう、下級の将吏に死亡多し。郗萌がいう、月が觜觿を犯せば、属下の将領はみな叛離せん。《荊州占》にいう、月が觜觿を犯せば、道路上に死人多し。
月、参を犯す 七
郗萌曰:“月宿參,若宿伐,皆為風雨。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯參伐,有兵事,競城堡。”《海中占》曰:“月犯參,其國有憂;又曰國有兵事。”郗萌曰:“月犯參,有軍將死。”《海中占》曰:“月犯參右肩,右將戰死;犯左肩,左將戰死。”郗萌曰:“月犯右股,大將戰死;犯赤星,將誅。”石氏曰:“月犯乘參右股,五中占曰:“月蝕參伐,兵大起。”
郗萌がいう、月が参宿に臨宿し、あるいは参宿下方の伐星に臨宿すれば、いずれも風起こり雨降るを主る。参宿の七星は觜觿とともに魏国の分野に属し、辺城の将帥と斬刈・殺伐とを主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が参宿と伐星とを犯せば、兵事あり、各方は城堡を争奪せん。《海中占》にいう、月が参宿を犯せば、その国に憂患あり。またいう、国中に兵事あり。郗萌がいう、月が参宿を犯せば、兵を帯びる将領の死する者あらん。《海中占》にいう、月が参宿の右肩星を犯せば、右軍の将領は戦死し、左肩星を犯せば、左軍の将領は戦死す。郗萌がいう、月が右股星を犯せば、大将は戦死し、赤星を犯せば、将領は誅せらる。石申がいう、月が参宿の右股星を侵犯して圧し乗れば——ここに底本に脱文あり、占辞すでに残欠し、下に直接《五中占》の一条を接ぐ——《五中占》にいう、月が参宿と伐星とを掩蝕すれば、兵事は大いに起こる。
月、南方七宿を犯す
月、井を犯す 一
《郗萌占》曰:“月宿東井,雨;不雨則風。”《河圖帝覽嬉》曰:“月入東井,諸侯貴人多死。”《荊州占》曰:“月入東井,有兵。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯入東井中,其國君有憂。”《黃帝占》曰:“月犯東井,有水事,若水令。”
《郗萌占》にいう、月が東井に臨宿すれば、雨を降らすを主る。雨降らざれば風を刮がんとす。東井の八星は輿鬼とともに秦国の分野に属し、雍州に対応し、水事と法令とを主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が東井に入れば、諸侯・貴人に死亡多し。《荊州占》にいう、月が東井に入れば、兵事あらん。《河図帝覧嬉》にいう、月が東井を侵犯してその中に入れば、その国君に憂いあり。《黄帝占》にいう、月が東井を犯せば、水事あり、あるいは水利に関する政令を頒かん。
《郗萌占》曰:“月犯東井,軍將死。”(按魏青龍三年十一月己丑,月犯東井轅西第一星。占曰:“月犯東井,將死;一曰:國內有憂;一曰:有水令。”到十二月己卯,右將軍朱益薨。四年十二月癸巳,司空穎陰侯群薨。又景初元年九月壬申,詔曰:“今年雨過差,翼兗徐豫四州特劇。遇水溺沒死者,所在開倉救濟。”瘐辰,皇后毛氏崩。積二年十一月應。正始五年十一月壬申,月犯東井距星。六月癸酉,月犯東井南轅西頭第二星。占曰:“月犯東井,將死。”到七年十一月庚子,鎮北將軍呂昭薨。積二年,魏嘉平三年四月戌寅,月犯東井南轅西頭第二星,占曰:“月犯東北井,將死,一曰:有憂。”到七月壬戌,甄皇后崩,太尉王陵誅,積四年。)
《郗萌占》にいう、月が東井を犯せば、兵を帯びる将領は死す。東井の八星は分列して南北両轅と為り、轅ごとに四星あり、ゆえに下文は「南轅西頭第几星」によって定位す。「距星」とは一宿の中で宿度を起算するに用いるあの標準星である。これ以下は原書の小注である。曹魏の青龍三年十一月己丑、月が東井の轅西第一星を犯した。占辞にいう、月が東井を犯せば、将領は死す。別の一説には国内に憂いあり。さらに別の一説には水に関する政令あり。十二月己卯に至り、右将軍・朱益が亡くなった。四年十二月癸巳、司空・潁陰侯の陳群が亡くなった。また景初元年九月壬申に詔を下していう、今年は雨水が過量にして、冀・兗・徐・豫の四州は殊に甚だし(源文の「翼州」は「冀州」と作るべし)、水に没し溺死する者に遭い、各地は倉を開いて救済せよ、と。庚辰(源文は「瘐辰」と作る)、皇后・毛氏が亡くなった。前後あわせて二年十一か月を積して応験した。正始五年十一月壬申、月が東井の距星を犯した。六月癸酉、月が東井の南轅西頭第二星を犯した。占辞にいう、月が東井を犯せば、将領は死す。七年十一月庚子に至り、鎮北将軍・呂昭が亡くなった。前後あわせて二年を積した。魏の嘉平三年四月戊寅、月が東井の南轅西頭第二星を犯した。占辞にいう、月が東井を犯せば、将領は死す、別の一説には憂患あり。七月壬戌に至り、甄皇后が亡くなり、太尉・王凌(源文は「王陵」と作る)が誅せられた。前後あわせて四年を積した。
《黃帝占》曰:“月蝕東井,大臣有謀,皇后不安,五穀不登。”《陳卓》曰:“月行宿東井而霧,有水患。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯鉞,大臣誅。”郗萌曰:“月中犯乘鉞,兵起,斧鉞用。”
《黄帝占》にいう、月が東井を掩蝕すれば、大臣に陰謀あり、皇后は安寧を得ず、五穀は歉収す。陳卓がいう、月が東井を行き経て天に大霧が起これば、水患あらん。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が鉞星を犯す——鉞星は東井の前に附し、斬殺・刑戮を主る——大臣は誅せらる。郗萌がいう、月がまさに中に当たりて鉞星を侵犯し・圧し乗れば、兵事が興り、斧鉞の刑はまさに動用せんとす。
又曰:“月中犯乘鉞,若蝕鉞,為內亂。”(按魏正始四年十月七日十一月十四日,月犯乘守鉞,兵起。一曰斧鉞用,是月太傅舞陽侯上言:吳將諸葛恪屯據。遣眾軍討恪,恪棄城奔走。投水死者萬計。到五年三月己卯,大將曹爽率眾軍徵蜀,積六月應。又按魏嘉平五年,月暈犯鉞,兵起,一曰光祿夫夫張緝皆誅,九月車騎將軍郭準上言,姜維等攻隴西,斬首萬餘人,積十月應。)
郗萌がまたいう、月がまさに中に当たりて鉞星を侵犯し・圧し乗り、あるいは鉞星を掩蝕すれば、内乱を主る。これ以下は原書の小注である。曹魏の正始四年十月七日と十一月十四日、月が鉞星を侵犯し・圧し乗りかつ留守した。兵事の興るを主り、別の一説には斧鉞の刑まさに動用せんとす。その月、太傅・舞陽侯の司馬懿が上奏していう、呉将・諸葛恪は兵を屯し拠守す、と。朝廷は諸軍を派して諸葛恪を討伐し、諸葛恪は城を棄て奔逃し、水に投じて淹死する者数万をもって計えた。五年三月己卯に至り、大将軍・曹爽は諸軍を率いて蜀漢を征伐した。前後あわせて六か月を積して応験した。また考えるに魏の嘉平五年、月暈が鉞星を犯した。兵事の興るを主り、別の一説には光禄大夫・張緝らは一幷に誅せらる。九月、車騎将軍・郭淮が上奏していう、姜維らは隴西を進攻した。官軍は首を斬ること一万余人。前後あわせて十か月を積して応験した。
月、鬼を犯す 二
《郗萌占》曰:“月犯輿鬼,有軍將死。”陳卓曰:“月行宿輿鬼而霧,軍戰,主人敗。”又占曰:“月犯乘天尸,亂臣在內。”郗萌曰:“月有入輿鬼者,皆為財寶出。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯鬼,大臣有誅;一曰國有憂。”陳卓曰:“月犯鬼天尸,國君有憂,大亂,大臣誅。”
《郗萌占》にいう、月が輿鬼宿を犯せば、兵を帯びる将領の死する者あらん。輿鬼の四星は東井とともに秦国の分野に属し、祠祀と死喪とを主り、正中の白気を「積屍」と謂い、また天屍と称す。陳卓がいう、月が輿鬼を行き経て天に大霧が起これば、両軍は交戦し、主方は敗れる。また占うていう、月が天屍を侵犯して圧し乗れば、朝廷の内部に乱臣あり。郗萌がいう、月の輿鬼に進入する者あれば、いずれも財宝の散出することあらんを主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が鬼宿を犯せば、大臣の中に誅せらる者あり。別の一説には国家に憂患あり。陳卓がいう、月が鬼宿の天屍を犯せば、国君に憂いあり、天下は大いに乱れ、大臣は誅せらる。
又曰:“月入輿鬼乘質者,君貴人憂,金玉用,人民多病;從南入為男,從北入為女,從西入為老,棺木倍貴。”(按魏青龍二年二月辛卯,月犯輿鬼中央星,其年十二月甲子,復犯,輿鬼為天鑕,主斬殺。占曰:“民多病,大臣憂,又曰:國有憂。”三年正月辛巳,自冬涉春,節氣不和,因下詔曰:“連年疫疾,雕傷人民。”二月丁巳,文德皇后崩。四年五月乙卯,司徒樂平侯董昭薨。三年三月應。魏正始二年九月癸酉,月犯鬼西北星,主金玉。三年二月丁未,月犯鬼西南星,主布帛。占曰:“大臣憂,一曰:有錢金到。”八月丁巳,輕車將特進王忠薨。至四年甲子,上加服元,賜諸侯王公公卿校將軍以下錢各有差,一年五月應。又魏嘉平二年十月丙申,月犯鬼距星。五年三月一日,月犯鬼距星,如占。六年七月甄皇后崩,太尉王凌楚王彪有謀,妻子五歲以下皆誅,積十月應。)陳卓曰:“月蝕輿鬼,貴臣皇后有憂,天下不安,近期一年,遠期三年。”
陳卓がまたいう、月が輿鬼に入りてその中の質星(即ち積屍の気)に圧し乗れば、君主と貴人とに憂いあり、金玉の物は動用せられ、人民は病多し。月が南面より入れば男子に応じ、北面より入れば女子に応じ、西面より入れば老人に応じ、棺木の価は倍増して騰貴す。これ以下は原書の小注である。曹魏の青龍二年二月辛卯、月が輿鬼の中央星を犯し、この年の十二月甲子にまた一度犯した。輿鬼は天上の鑕砧にして、斬殺を主る。占辞にいう、百姓は病多く、大臣に憂いあり、または国家に憂いあり。三年正月辛巳、冬より春に至り節気は調和を失い、因りて詔を下していう、連年疫病あり、人民は凋傷す、と。二月丁巳、文徳皇后が亡くなった。四年五月乙卯、司徒・楽平侯の董昭が亡くなった。前後あわせて三年三か月を積して応験した。魏の正始二年九月癸酉、月が鬼宿の西北星を犯した。その星は金玉を主る。三年二月丁未、月が鬼宿の西南星を犯した。その星は布帛を主る。占辞にいう、大臣に憂いあり、別の一説には銭財・金帛の到来する者あり。八月丁巳、軽車将軍・特進の王忠が亡くなった。正始四年甲子に至り、皇上は加元服の礼を行い、諸侯王公・公卿・校尉・将軍以下の人に銭財を賜うこと各々等差あり。前後あわせて一年五か月を積して応験した。また魏の嘉平二年十月丙申、月が鬼宿の距星を犯した。五年三月一日、月がまた鬼宿の距星を犯した。いずれも占辞の言のごとく応験した。六年七月、甄皇后が亡くなり、太尉・王凌と楚王・曹彪とに陰謀あり、妻子児女の中の五歳以下の者までも皆誅殺せられた。前後あわせて十か月を積して応験した。陳卓がいう、月が輿鬼を掩蝕すれば、顕貴の大臣と皇后とに憂いあり、天下は安寧を得ず、近くは一年を期とし、遠くは三年を期とす。
月、柳を犯す 三
郗萌曰:“月入天庫,天下有起土。”《河圖帝覽嬉》曰:“月犯柳,有木功事。”又占曰:“月犯柳,其國有憂;又曰有軍將死。”石氏曰:“月犯乘柳,工匠興。”陳卓曰:“月行宿柳而霧,民多陰內之病;又鳥多死。”《石氏占》曰:“月蝕柳,王者以病,不安宮室。”《黃帝占》曰:“月蝕柳,大臣憂。”
郗萌がいう、月が天庫に入れば、天下に土を興し工を動かす事あらん。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が柳宿を犯せば、木工の営造の事あらん。柳宿の八星は周国の三河分野に属し、朱雀の口にして、草木と厨膳とを主る。《河図帝覧嬉》にまた占うていう、月が柳宿を犯せば、その国に憂患あり。またいう、兵を帯びる将領の死する者あり。石申がいう、月が柳宿を侵犯して圧し乗れば、工匠の事は興る。陳卓がいう、月が柳宿を行き経て天に大霧が起これば、百姓は隠秘の内症に患う者多し。またいう、鳥類は大量に死亡す。《石氏占》にいう、月が柳宿を掩蝕すれば、君王はこれをもって患い、宮室の中に安寧を得ず。《黄帝占》にいう、月が柳宿を掩蝕すれば、大臣に憂いあり。
月、七星を犯す 四
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯七星,兵在外戰。”《海中占》曰:“月犯七星,輕車戰。”《郗萌占》曰:“月犯七星,掌食臣有誅者,國有憂,將軍死。”《黃帝占》曰:“月行宿七星而霧,民分。”《郗萌占》曰:“月犯七星,臣為亂。”《石氏占》曰:“月蝕七星,君后大臣在暴憂,國大飢。”《海中占》曰:“月蝕七星,國相更政。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が七星宿を犯せば、軍隊は外に作戦す。七星はあわせて七顆、周国の三河分野に属し、朱雀の頸にして、急兵と衣裳・文繍とを主る。《海中占》にいう、月が七星を犯せば、軽車部隊の戦事あらん。《郗萌占》にいう、月が七星を犯せば、膳食を掌る臣子に誅せらる者あり、国家に憂患あり、将軍は死す。《黄帝占》にいう、月が七星を行き経て天に大霧が起これば、百姓は離散分裂す。《郗萌占》にいう、月が七星を犯せば、臣下は乱をなす。《石氏占》にいう、月が七星を掩蝕すれば、君主・皇后・大臣は急驟の憂患に陥り、国中は大飢饉す。《海中占》にいう、月が七星を掩蝕すれば、国相は政令を更改せん。
月、張を犯す 五
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯張,有飧客。”郗萌曰:“月犯張,將相死,其國有憂。”《黃帝占》曰:“月蝕張,貴臣失勢,皇后有憂,期七十日。”陳卓曰:“月宿張而霧,天子惡之。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が張宿を犯せば、食を設けて客を饗する事あらん。張宿の六星は周国の三河分野に属し、朱雀の嗉囔にして、珍宝・宗廟の用器と賓客の饗食とを主る。郗萌がいう、月が張宿を犯せば、将相は死し、その国に憂患あり。《黄帝占》にいう、月が張宿を掩蝕すれば、顕貴の大臣は勢いを失い、皇后に憂いあり、期は七十日。陳卓がいう、月が張宿に臨宿して天に大霧が起これば、天子はこの星象を悪む。
月、翼を犯す 六
《河圖帝覽嬉》曰:“月犯翼,飛蟲多死。”《海中占》曰:“月犯翼,其國有憂;一曰相傳令;一曰外夷有兵。”郗萌曰:“月犯翼,有軍將死;若北夷有兵。”又曰:“月犯翼,女主惡之。”《黃帝占》曰:“月蝕翼,忠臣見,譖言正事者亡,不出其年。”陳卓曰:“月行宿翼而霧,後惡之。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が翼宿を犯せば、飛ぶ虫類は大量に死亡す。翼宿の二十二星は軫宿とともに楚国の分野に属し、荊州に対応し、朱雀の双翼にして、楽府と遠方の賓客とを主る。《海中占》にいう、月が翼宿を犯せば、その国に憂患あり。別の一説には宰相が政令を伝布す。さらに別の一説には外族に兵事あり。郗萌がいう、月が翼宿を犯せば、兵を帯びる将領の死する者あらん。あるいは北方の外族に兵事あり。またいう、月が翼宿を犯せば、女主はこの星象を悪む。《黄帝占》にいう、月が翼宿を掩蝕すれば、忠臣は顕現するを得て、讒言をもって正事を干擾する人は敗亡し、当年を出でない。陳卓がいう、月が翼宿を行き経て天に大霧が起これば、皇后はこの星象を悪む。
月、軫を犯す 七
《海中占》曰:“月犯軫,兵車用,近期二年,遠期三年。”《郗萌占》曰:“月宿軫,風;又曰:月犯軫,其國有憂;一曰兵車出,近期一年,遠三年中。”班固《天文志》曰:“月入軫,則多風。”《黃帝占》曰:“月蝕軫,貴人亡,皇后不安,期有八十日者。”
《海中占》にいう、月が軫宿を犯せば、兵車は動用せんとす。近くは二年を期とし、遠くは三年を期とす。軫宿の四星は翼宿とともに楚国の分野に属し、車駕を主り、また風を主る。《郗萌占》にいう、月が軫宿に臨宿すれば、風の起こるを主る。またいう、月が軫宿を犯せば、その国に憂患あり。別の一説には兵車が出動し、近くは一年を期とし、遠くは三年の内である。班固《漢書・天文志》にいう、月が軫宿に入れば、風多し。《黄帝占》にいう、月が軫宿を掩蝕すれば、貴人は死亡し、皇后は安寧を得ず、期は八十日あるを以てす。
開元占經 卷十四
月占 四
月、石氏中宮を犯す 一
《海中占》曰:“月入攝提,聖人受制。一曰謀臣有側。”《郗萌占》曰:“月犯蝕大角,強國亡,戰不勝。一曰大人憂之,期三年;一曰大角貫月,天子惡之。”陳卓曰:“月犯大角,天下疾;又曰有水災;一曰月蝕大角,天子死,期十三年中。”郗萌曰:“月犯天牢,以獄不平。”貫索之別名
《海中占》にいう、月が摂提星に入れば、聖人は人に制せられるを要す。別の一説には謀臣の中に異志を心に抱く者あり。摂提の六星は大角の両側に分列し、時節を建立し諸紀を釐定するを主る。《郗萌占》にいう、月が大角星を侵犯して掩蝕すれば、強国は滅亡し、作戦は勝を得ず。別の一説には大位に居る人はこれをもって憂慮し、期は三年。さらに別の一説には大角が月を貫けば、天子はこの星象を悪む。大角の一星は天王の座位である。陳卓がいう、月が大角を犯せば、天下に疾疫あり。またいう、水災あり。別の一説には月が大角を掩蝕すれば、天子は死す、期は十三年の内にある。郗萌がいう、月が天牢星を犯せば、刑獄の不公を主る(原書小注:天牢は貫索の別名である)。
郗萌曰:“月犯織女,女主有誅,一曰人主有誅死。”石氏曰:“月犯守東西咸,女主因淫至禍,有陰謀;不通或咸,必有賊。”(按晉孝武帝大元二十一年四月,月犯東咸,吳郡內史欽發人戒嚴,吳興諸郡響應為賊也。)石氏曰:“月入天市中,大將死,或易政。”
郗萌がいう、月が織女星を犯せば、女主に誅せらる者あり。別の一説には君主に誅殺せられて死する者あり。石申がいう、月が東咸・西咸の両組の星を侵犯して留守すれば、女主は淫乱をもって禍患を招致し、また陰謀あり。若し両咸の間に気脉の通ぜざれば、必ず賊人あり。東咸・西咸は各々四星、房宿の上にあり、淫佚を防閑するを主る。これ以下は原書の小注である。東晋の孝武帝・太元二十一年四月、月が東咸を犯した。呉郡内史の欽は人馬を発して戒厳し、呉興の各郡は起きて呼応し、乱賊と為った。石申がいう、月が天市垣の中に入れば、大将は死し、あるいは政令を更改す。
《黃帝占》曰:“月入天市,有更幣之令。”《海中占》曰:“月入天市中,近臣有抵罪者。”《帝覽嬉》曰:“月行入天市,及有變留其中,女王憂,將若相有戮死於市者。郗萌曰:“月犯乘天市,粟貴。”石氏曰:“月犯候星,有憂。”石氏曰:“月犯帝座、宗星,人主有憂。”
《黄帝占》にいう、月が天市垣に入れば、銭幣を更改する政令あらん。《海中占》にいう、月が天市垣の中に入れば、近臣の中に罪を獲る者あり。天市垣の二十二星は、権衡度量と聚众交易とを主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が運行して天市垣に入り、およびその中に変異を生じ停留して去らざれば、女王に憂いあり、将軍あるいは宰相の中に市に処刑せらる者あらん(源文この条は下引号を脱く)。郗萌がいう、月が天市垣を侵犯して圧し乗れば、粟米の価は貴し。石申がいう、月が候星を犯せば、憂患あらん。石申がいう、月が帝座星・宗星を犯せば、君主に憂いあり。
石氏曰:“月犯宦者,侍人誅。”石氏曰:“月犯天江,大水關梁塞。”陳卓曰:“月犯建星,有臣相譖。”(按《宋書天文志》曰:“魏陳留王景元元年二月,月犯建星,後鍾會鄧艾破蜀,會譖艾,遂皆夷滅。”)郗萌曰:“月變於建星,有亂臣更天子之法令者;一曰易將相,近臣多死。”(按晉咸康三年九月戊子,月犯建星。占曰:易相,一曰大將死。五年丞相王導薨。庚戌代輔,以太尉郗鑑徵西大將軍庚亮並死也。)
石申がいう、月が宦者星を犯せば、宮中の侍人は誅せらる。石申がいう、月が天江星を犯せば、大水あり、関口・橋梁は阻塞せられん。陳卓がいう、月が建星を犯せば、臣子の互いに讒を進める者あらん。これ以下は原書の小注である。《宋書・天文志》にいう、曹魏の陳留王・景元元年二月、月が建星を犯した。後に鍾会・鄧艾が蜀漢を攻め破り、鍾会は讒を進めて鄧艾を誣き陥れ、果たして両人とも誅滅せられた。郗萌がいう、月が建星に変異を生ぜば、乱臣あって天子の法令を変更せん。別の一説には将相を更換し、近臣に死亡多し。これ以下は原書の小注である。東晋の咸康三年九月戊子、月が建星を犯した。占辞にいう、宰相を更換せんとす、別の一説には大将は死す。咸康五年、丞相・王導が亡くなった。庚戌、輔政を接替した太尉・郗鑑と征西大将軍・庾亮もあわせて亡くなった。
《黃帝占》曰:“月犯天弁,粟貴;一犯一貴,數犯數貴。”《黃帝占》曰:“月犯河鼓;左星,左將死;右星,右將死;一曰所中者誅;一曰有軍敗,亡其大將,有兵起。”《河圖占》曰:“月乘大陵,天下盡喪;星從,兵革起,死人如丘山,星希則無。”石氏曰:“月乘捲舌,天下多喪。”《黃帝占》曰:“月入五車、天庫,兵起,道不通。”(按《宋書天文志》曰:“宋武大明七年十二月,月犯五年,後二年帝后崩,大臣將相誅滅,皇子被害,皇后崩,四方兵起,遣諸軍鋒外討之。)石氏曰:“月犯五車,兵起移駕。”
《黄帝占》にいう、月が天弁星を犯せば、粟米の価は貴し。一度犯せば一度漲り、度々犯せば重ね重ね上がる。《黄帝占》にまたいう、月が河鼓星を犯し、左の星を犯せば左軍の将領は死し、右の星を犯せば右軍の将領は死す。別の一説には冲犯せられたその一員は誅せらる。さらに別の一説には軍隊の潰敗する者あり、その大将を失い、兵事が興る。《河図占》にいう、月が大陵星に圧し乗れば、天下は丧事に尽くん。若し星の大陵の中に随従する者あれば、則ち兵革が興り、死人は丘山のごとく堆積せん。星の稀少ならばこれらの事なし。石申がいう、月が巻舌星に圧し乗れば、天下に丧事多し。《黄帝占》にいう、月が五車と天庫とに入れば、兵事が興り、道路は通ぜず。これ以下は原書の小注である。《宋書・天文志》にいう、劉宋の孝武帝・大明七年十二月、月が五車を犯した。この後二年、皇帝は世を去り、大臣・将相は誅滅せられ、皇子は害に遇い、皇后は亡くなり、四方に兵が起こり、朝廷は諸軍を派して外に討伐せしめた。石申がいう、月が五車を犯せば、兵事が興り、車駕は遷移す。
《帝覽嬉》曰:“月行天淵中,臣逾主。”《黃帝占》曰:“月行天淵中,若犯之貴人死。”《黃帝占》曰:“月犯天關,有亂臣更天子之法,主關津者有罪,王者憂。”《黃帝占》曰:“月出天門中道,百姓安寧,歲美無兵。”《帝覽嬉》曰:“月乘天高,將死,外臣有誅者。”石氏曰:“月出天門中道之南,君惡之,大臣不附。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が天淵星の中を行けば、臣下は君主を逾越す。《黄帝占》にいう、月が天淵の中を行き、若しこれを犯せば、貴人は死す。《黄帝占》にまたいう、月が天関星を犯せば、乱臣あって天子の法度を変更し、関口・渡口を掌る人は罪を獲、君王に憂いあり。《黄帝占》にまたいう、月が天門の中道より出れば、百姓は安寧し、年成は豊美にして兵事なし。《河図帝覧嬉》にいう、月が天高星に圧し乗れば、将領は死し、外臣の中に誅せらる者あり。石申がいう、月が天門中道以南より出れば、君主はこの星象を悪み、大臣は帰附せんと肯んじない。
郗萌曰:“月犯南河戌,為中邦凶。”石氏曰:“月行南河戌中,四方兵起,有喪,若大旱,百姓數病。”《帝覽嬉》曰:“月行南河之南,兵旱並起,男子喪乃始。”劉向《洪範傳》曰:“月入南河戌,門民疾疫。”《黃帝占》曰:“月出天門中道之北,胡主死,天下多死。”石氏曰:“月行北河戌之間,冠帶國兵盡起,道不通。”《帝覽嬉》曰:“月行北河之北,兵水並起,女子喪乃始。”
郗萌がいう、月が南河戍星を犯せば、中原の邦に凶あるを主る。南河・北河は各々三星、東井の両側に挟まり、天上の関門である。石申がいう、月が南河戍の中を行けば、四方に兵が起こり、丧事あり、あるいは大旱し、百姓は屡屡病に患う。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が南河以南を行けば、兵禍と旱災とが併せ興り、男子の丧事はこれより始まる。劉向《洪範五行伝論》にいう、月が南河戍に入れば、民間に疫病の発生するを主る。《黄帝占》にいう、月が天門中道以北より出れば、胡人の君主は死し、天下に死亡多し。石申がいう、月が北河戍の間を行けば、衣冠礼楽の国は兵事が全面に興り、道路は通ぜず。《河図帝覧嬉》にいう、月が北河以北を行けば、兵禍と水災とが併せ興り、女子の丧事はこれより始まる。
郗萌曰:“月經南戌之南,刑法峻暴,誅伐不當,經北戌之北,以女、金錢、奢侈、貪色失治道,皆近期三年,中期六年,遠期九年而災至。”石氏曰:“月犯五諸侯,諸侯誅。”(按《宋書天文志》曰:宋孝武大明三年四月,月犯五諸侯,時竟陵王誕反,遣沈慶之領羽林兵戰屬城。)《帝覽嬉》曰:“月入軒轅,有亂臣,期不出三年。”《帝覽嬉》曰:“月行軒轅中,女主失勢,其所中以官名名之,一曰王官有不治者。”
郗萌がいう、月が南戍以南を経過すれば、刑法は厳峻暴虐にして誅罰は当を失うを主る。北戍以北を経過すれば、女色・金銭・奢侈・声妓の貪恋をもって治国の道を失うを主る。これらはいずれも近くは三年を期とし、中は六年、遠くは九年にして災禍が到来す。石申がいう、月が五諸侯星を犯せば、諸侯は誅せらる。これ以下は原書の小注である。《宋書・天文志》にいう、劉宋の孝武帝・大明三年四月、月が五諸侯を犯した。当時竟陵王・劉誕が反し、朝廷は沈慶之を派して羽林兵を率い所属の城邑で作戦せしめた。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が軒轅に入れば、朝中に乱臣あり、期は三年を出でない。《河図帝覧嬉》にまたいう、月が軒轅の中を行けば、女主は勢いを失う。それに冲犯せられたのはいずれの星か、その星の主る官名をもって指実す。別の一説には王官の中に職を失う者あり。
《海中占》曰:“月犯軒轅大星,女主當之。”(按晉安帝元興三年四月甲午,月押掩軒轅第二星,明年七月,永安皇后崩。又按晉孝武大元五年七月庚子月犯軒轅大星,九月癸未,皇后王氏崩。)《帝覽嬉》曰:“月犯軒轅左右角,臣有誅者。”《帝覽嬉》曰:“月犯女御星,女御有憂。”郗萌曰:“月犯御星,御僕死。”石氏曰:“月中犯乘軒轅大星,民大飢大流,太后宗有誅者,若有罪;中犯乘少星,民小飢小流,皇后宗有誅者,若有罪。”
《海中占》にいう、月が軒轅の大星を犯せば、女主はこの災咎を承当す。軒轅の十七星は后妃の位を主り、その中の大星は即ち女主の象である。これ以下は原書の小注である。東晋の安帝・元興三年四月甲午、月が軒轅の第二星を掩い、第二年七月に永安皇后が亡くなった。また考えるに東晋の孝武帝・太元五年七月庚子、月が軒轅の大星を犯し、九月癸未に皇后・王氏が亡くなった。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が軒轅の左右角星を犯せば、臣下の中に誅せらる者あり。《河図帝覧嬉》にまたいう、月が女御星を犯せば、女御に憂いあり。郗萌がいう、月が御星を犯せば、御仆は死す。石申がいう、月がまさに中に当たりて軒轅の大星を侵犯し・圧し乗れば、百姓は大飢饉・大流亡し、太后の一族の中に誅せらる者あり、あるいは罪を獲る者あり。まさに中に当たりて小星を侵犯し・圧し乗れば、百姓は小飢饉・小流亡し、皇后の一族の中に誅せらる者あり、あるいは罪を獲る者あり。
郗萌曰:“月乘軒轅端,臣子反,其事成。”《荊州占》曰:“月乘軒轅端,女主有散死亡去者。”郗萌曰:“月蝕軒轅,女主有憂,以官名名之。”石氏曰:“月入軒轅中,犯乘守之,有逆賊,有火災。”《巫咸占》曰:“月犯少微,處士有憂。”(按《續晉陽秋》曰:“會稽謝數、李慶緒隱若耶山,初,月犯少微,時戴達名著於敷,時人憂之,俄而敷死,會稽嘲曰:“吳中高士,便是求死不得也。)
郗萌がいう、月が軒轅の端星に圧し乗れば、臣子は謀反し、事は逞せんとす。《荊州占》にいう、月が軒轅の端星に圧し乗れば、女主の一方に離散・死亡・出走の人あり。郗萌がいう、月が軒轅を掩蝕すれば、女主に憂いあり。蝕せられたのがいずれの星か、その星の主る官名をもって指実す。石申がいう、月が軒轅の中に入り、これに侵犯・圧乗・留守を加えれば、叛逆の賊人あり、また火災あらん。《巫咸占》にいう、月が少微星を犯せば、処士に憂いあり。これ以下は原書の小注である。檀道鸞《続晋陽秋》にいう、会稽の謝敷・李慶緒は若耶山に隠居した。はじめ月が少微を犯し、当時戴逵の名声は敷に顕れたり、時人は彼のために憂い、まもなく敷は死した。会稽人は嘲りていう、呉中の高士、竟に一死を求めんと欲するも得るべからず、と(この段の人名、底本は訛脱あり、姑らくその旧を存す)。
《黃帝占》曰:“月入中,犯乘少微,女主憂;一曰宰相易。”《荊州占》曰:“月犯少微南第一星,諸處士憂;犯第二星,諸儀士憂;犯第三星,諸博士憂;犯第四星,諸大夫憂;易史官黜。”石氏曰:“月入中,犯乘守少微,皆為五官亂,宰相憂。”《荊州占》曰:“道太微,為宮中逆亂,政不行,又曰月行太微中,貴者失勢,必奪權勞所中,成刑以官命之。”
《黄帝占》にいう、月がその中に入りて少微星を侵犯し・圧し乗れば、女主に憂いあり。別の一説には宰相は更換せんとす。《荊州占》にいう、月が少微の南面第一星を犯せば、衆処士に憂いあり。第二星を犯せば、衆儀士に憂いあり。第三星を犯せば、衆博士に憂いあり。第四星を犯せば、衆大夫に憂いあり、史官は更換・黜退せられん。石申がいう、月がその中に入りて少微を侵犯し・圧し乗り・留守するは、いずれも五官の紊乱を主り、宰相に憂いあり。《荊州占》にいう、月が太微垣を行き経れば、宮中に叛逆の作乱あり、政令は行き通らずを主る。またいう、月が太微垣の中を行けば、顕貴の人は勢いを失い、必ず権柄・労位を奪い去られ、冲犯せられたその一員は刑を受け、同じくその主る官名をもって指実す。
《黃帝占》曰:“月行入太微中,皆為大臣有憂;一曰大臣死。”郗萌曰:“月入太微中,君弱臣強,四夷兵不制,有奸人來聽伺主之庭者;又曰有喪。”《荊州占》曰:“月入太微庭中,東出,大臣出令如主;入中華西門,出右掖門,必有反臣。”《荊州占》曰:“月犯太微庭,臣弒其主。”《海中占》曰:“月犯南門左右扉,將相有免墮者,期不出三年;左右扉者,執法也。”石氏曰:“月入太微庭,所中犯乘守者,皆為天子所誅,若有罪者。”
《黄帝占》にいう、月が運行して太微垣の中に入れば、いずれも大臣に憂いあるを主る。別の一説には大臣は死す。郗萌がいう、月が太微垣の中に入れば、君弱く臣強く、四方の外族の兵力は節制する術なく、姦人あって来たり君主の朝廷を窺聴・刺探せん。またいう、丧事あり。《荊州占》にいう、月が太微庭の中に入りて東面より出れば、大臣は号令を発すること君主のごとし。中華西門より入り右掖門より出れば、必ず反叛の臣あらん。《荊州占》にいう、月が太微庭を犯せば、臣はその君主を弑殺す。《海中占》にいう、月が南門の左右両扉を犯せば、将相の中に免職・罷黜せらる者あり、期は三年を出でない。いわゆる左右扉とは、即ち左執法・右執法の両星である。石申がいう、月が太微庭に入れば、およそそれに冲犯・圧乗・留守せられた星は、その主る人はみな天子に誅殺せられ、あるいは罪を獲ん。
《帝覽嬉》曰:“月入太微庭,所中犯乘守者,各以其官名之。”《春秋緯合誠圖》曰:“入華闕門者,臣不臣。”石氏曰:“月入太微中,乘東西門若左右掖門,而南出端門者,皆為臣弒君之候也。”《荊州占》曰:“月入天子宮者,為大臣者死。”《帝覽嬉》曰:“月入太微而出端門者,臣不臣。”石氏曰:“日入太微中,乘東西門若左右掖門,而南出端門者,皆為必有反臣;又曰入西門出東門,皆為人君不安,欲求賢佐;入中華西門,出中華東門,皆為臣出令;入太陰西門,出太陰東門,皆為天下大亂;有喪,若大水。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が太微庭に入れば、およそそれに冲犯・圧乗・留守せられた星は、各々その星の主る官名をもって指実す。《春秋緯・合誠図》にいう、華闕門に入るは、臣子が臣道を守らざるを主る。石申がいう、月が太微垣の中に入り、東門・西門あるいは左右掖門に圧し乗り、南面の端門より出れば、いずれも臣子が君を弑する徴候である。《荊州占》にいう、月が天子の宮に入るは、大臣たる人は死す。《河図帝覧嬉》にいう、月が太微に入りて端門より出れば、臣子が臣道を守らざるを主る。石申がいう、太陽が太微垣の中に入り、東門・西門あるいは左右掖門に圧し乗り、南面端門より出れば、いずれも必ず反叛の臣あるを主る。またいう、西門より入り東門より出れば、いずれも君主安からず、賢能の輔佐を訪求せんと欲するを主る。中華西門より入り中華東門より出れば、いずれも臣下が君主に代わりて号令を発するを主る。太陰西門より入り太陰東門より出れば、いずれも天下大いに乱れ、丧事あり、あるいは大水あるを主る。
郗萌曰:“月入古門而折出右掖門,皆為大臣假言之威而不從主命;月入西門,犯天庭,出端門,皆為大臣代主。”(按《宋志》晉恭帝元熙元年正月丙午,三月壬寅,五月丙申,七月己卯,皆月犯太微,二年六月三日,帝遜位於宋。”)《黃帝占》曰:“月行入及留太微中,為大臣有憂。”石氏曰:“月出東掖門,為將受命東南;出西掖門,為將受命西南。”《荊州占》曰:“東南為德事,西南為刑事,期以春夏。”《荊州占》曰:“月中犯乘守四輔,為臣失禮,輔臣有誅者。”
郗萌がいう、月が古門より入りて折れて右掖門より出れば、いずれも大臣が君命の威勢を仮借して君主の命令に遵わざるを主る。月が西門より入り、天庭を犯し、端門より出れば、いずれも大臣が君主に取代わるを主る。これ以下は原書の小注である。《宋書・天文志》によると、東晋の恭帝・元熙元年正月丙午・三月壬寅・五月丙申・七月己卯に、いずれも月が太微を犯すが発生した。二年六月三日、恭帝はすなわち帝位を劉宋に譲った。《黄帝占》にいう、月が運行して太微垣の中に入り、およびその中に停留して去らざれば、いずれも大臣に憂いあるを主る。石申がいう、月が東掖門より出れば、将領が命を受けて東南に出征するを主り、西掖門より出れば、将領が命を受けて西南に出征するを主る。《荊州占》にいう、東南は徳恵の事を主り、西南は刑殺の事を主り、期は春夏の両季にある。《荊州占》にまたいう、月がまさに中に当たりて四輔星を侵犯し・圧し乗り・留守すれば、臣下の礼を失うを主り、輔臣の中に誅せらる者あり。
《帝覽嬉》曰:“月行犯左右執法,皆為大臣有憂。”《春秋緯文曜鉤》曰:“月入太微軌道者,司出門守皆為天子所誅。”《帝覽嬉》曰:“月出黃帝座之北,禍之大;出其南,禍之小;若近之大臣謀亂,禍不成。”石氏曰:“月犯黃帝座,大人憂其中,黃帝座,大人易,天下亂。”《帝覽嬉》曰:“月犯黃帝座,天下大亂,存亡半。”《海中占》曰:“月犯黃帝座,有亂臣,人主惡之。”郗萌曰:“月犯黃帝座,臣子反弒其主,事成。”
緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が運行して左執法・右執法星を犯せば、いずれも大臣に憂いあるを主る。《春秋緯・文曜鈎》にいう、月が太微の軌道に入れば、出入門戸を主管し守衛する人はみな天子に誅殺せられん。《河図帝覧嬉》にいう、月が黄帝座の北より出れば、禍患は大なり。その南面より出れば、禍患は小なり。若しただ黄帝座に逼近するのみならば、大臣は作乱を図謀るも事は成らず。石申がいう、月が黄帝座を犯せば、大位に居る人に憂いあり。まさにその中に当たるは、黄帝座の主は更替し、天下は動乱す。《河図帝覧嬉》にいう、月が黄帝座を犯せば、天下は大いに乱れ、存亡は各々半を占めん。《海中占》にいう、月が黄帝座を犯せば、朝中に乱臣あり、君主はこの星象を悪む。郗萌がいう、月が黄帝座を犯せば、臣は反してその君主を弑殺し、事は逞せんとす。
郗萌曰:“月抵黃帝座,有土功事。”《黃帝占》曰:“月犯四帝座,天下有喪。”石氏曰:“月犯四帝座,若乘之,君憂。”《荊州占》曰:“月犯四帝座,諸侯凶。”甘氏曰:“月中犯乘守四帝座,天下亡。”石亡曰:“月中犯乘守屏星者,為君臣失禮,而輔臣有誅者,若免罷去。”《孝經內記》曰:“月入三臺中,君有大憂患,敗在臣下。”《黃帝占》曰:“月入三臺,大臣為天子,公族共弒君。”
郗萌がいう、月が黄帝座に抵る——「抵」とは触れ及びて未だ掩犯に至らざる——土木の事あらん。《黄帝占》にいう、月が四帝座を犯せば、天下に丧事あり。石申がいう、月が四帝座を犯し、あるいはその上に圧し乗れば、君主に憂いあり。《荊州占》にいう、月が四帝座を犯せば、諸侯に凶あり。甘徳がいう、月がまさに中に当たりて四帝座を侵犯し・圧し乗り・留守すれば、天下は滅亡す。石申(源文は「石亡」と作るが、当に「石氏」の訛ならん)がいう、月がまさに中に当たりて屏星を侵犯し・圧し乗り・留守するは、君臣の礼を失うを主り、輔臣の中に誅せらる者あり、あるいは免職・罷去せらる。孝経緯《孝経内記》にいう、月が三台の中に入れば、君主に大憂患あり、禍敗は臣下に出づ。《黄帝占》にいう、月が三台に入れば、大臣は天子を為さんとし、公族はともに君主を弑殺す。
月、石氏外官を犯す 二
郗萌曰:“月入庫樓,天下有兵起。”郗萌曰:“月宿羽林中,兵大起。”石氏曰:“月犯乘若中北落,皆為天下兵大起。”石氏曰:“月入天倉,主財寶出,憂臣在內,天下有兵。”石氏曰:“月犯天倉,有移五穀。”石氏曰:“月入天倉,市兵起。”《郗萌占》曰:“月行弧宿,臣逾主。”《郗萌占》曰:“月變於狼,陣兵不戰,一曰不起,如小戰;一曰有水事。”
郗萌がいう、月が庫楼星に入れば、天下に兵事の興ることあらん。庫楼の十星は角宿の南にあり、天上の武庫である。郗萌がいう、月が羽林軍星の中に臨宿すれば、兵事は大いに起こる。石申がいう、月が北落師門星を侵犯し・圧し乗り、あるいはまさにその中に当たれば、いずれも天下に兵事の大いに起こるを主る。石申がいう、月が天倉星に入れば、財宝は散出し、憂いを懐く臣子は朝内にあり、天下に兵事あり。石申がいう、月が天倉を犯せば、五穀を転運する事あらん。石申がいう、月が天倉に入れば、市上に兵事が興る。《郗萌占》にいう、月が弧矢星宿を行けば、臣下は君主を逾越す。《郗萌占》にいう、月が天狼星に変異を生ぜば、両軍は陣を列べて交戦せず。別の一説には根本から兵を起こさず、あるいは小規模の接戦あるのみ。さらに別の一説には水事あり。
月、甘氏中官を犯す 三
石氏曰:“月在天理,臣當坐,欲反者而入獄;一曰君有大憂。”《帝覽嬉》曰:“月乘天高,將死,外臣有誅者。”《黃帝占》曰:“月入五潢中者,皆為兵起,軍道不通,天下大亂,易政,一曰貴人死。”《黃帝占》曰:“月中犯乘守五潢,皆期二十日,兵起。”
石申がいう、月が天理星に処れば、臣子は罪を獲るべく、謀反せんと欲する人は獄に下さる。別の一説には君主に大憂あり。天理の四星は北斗の魁中にあり、貴人の牢を主る。緯書《河図帝覧嬉》にいう、月が天高星に圧し乗れば、将領は死し、外臣の中に誅せらる者あり。《黄帝占》にいう、月が五潢の中に入るは、いずれも兵事の興るを主り、行軍の道路は通ぜず、天下は大いに乱れ、政権を改易す。別の一説には貴人は死す。《黄帝占》にまたいう、月がまさに中に当たりて五潢を侵犯し・圧し乗り・留守すれば、いずれも二十日を期として応じ、兵事が興る。
郗萌曰:“月入咸池,暴兵起,期四十日。”郗萌曰:“月入咸池,有迷惑人主者。”《荊州者》曰:“月入咸池,天下大亂,人君死,易政,以入日占國。”郗萌曰:“月有不從天街者,皆為政令不行,不出其年,有兵;又曰行天街中,天下寧,百姓順;一曰行天街外,百姓凶。”
郗萌がいう、月が咸池星に入れば、暴虐の兵事の興ることあり、期は四十日。咸池の三星は五車の中にあり、魚囿・水沢を主る。郗萌がまたいう、月が咸池に入れば、君主を迷惑する人あらん。《荊州占》(源文は「荊州者」と作る)にいう、月が咸池に入れば、天下は大いに乱れ、君主は身を死し、政権を改易す。月の入るその日の日辰によって、いずれの国に応ずるかを推占すべし。郗萌がいう、月に天街を循りて行かざる者あれば、いずれも政令の行き通らざるを主り、当年を出でずして兵事あらん。またいう、天街の中を行けば、天下は安寧し、百姓は順服す。別の一説には天街の外を行けば、百姓に凶あり。
月、甘氏外官を犯す 四
《郗萌占》曰:“月行折威中,天子亡。”《甘氏占》曰:“月人哭星,女主崩。”《黃帝占》曰:“月入天積,即芻葉也財寶出,主憂臣在內。”
《郗萌占》にいう、月が運行して「折威」星の中に入れば、天子の亡故を主る。ここにいう「外官」とは、二十八宿以外にして四方に散布する星官を指し、紫微垣の一帯の「中官」と相対す。「甘氏外官」とは即ち戦国・斉の人・甘徳の一派に伝わるあの一套の外官星座系統で、本篇に占う折威・哭星・天積などはみなこの系統に属す。《甘氏占》にいう、月が「哭星」に入れば(底本は「入」を「人」に訛作す)、女主即ち後宮の主の崩逝を主る。哭星は虚宿の南にあり、「泣星」と並列し、もと喪哭の事を主る。《黄帝占》にいう、月が「天積」に入れば——原書の夾注に天積は即ち堆積の芻草と解す——財宝は流散して外に出づを主り、君主は心に憂懼を懐きて権臣は朝廷の内に盤踞す。
月、巫咸中外官を犯す 五
《郗萌占》曰:“月乘鍵閉星,大人憂。”《郗萌占》曰:“月犯乘鍵閉星,大臣大誤,天子不尊事天神,致火災於宗廟,天子崩;一曰王者不宜出宮、下殿,有偃兵於宗廟者。”
《郗萌占》にいう、月が「鍵閉」星の上に凌駕す——「乗」とは月体が上方より星体を圧し過ぎる——大人物に憂患あるを主る。鍵閉は巫咸の一派に伝わる星官にして、位は房宿の東北にあり、もと門戸の上の鎖鑰を象り、因りて宮禁の開閉の事を主る。いわゆる「巫咸中外官」とは、伝えいう殷代の巫咸一家に伝わる中官と外官の两套の星座を指す。紫微垣の一帯に北極を環拱する星官を中官と謂い、二十八宿以外のを外官と謂う。《郗萌占》にまたいう、月が鍵閉星を侵犯して凌駕す——「犯」とは月体が逼近して星と距ること一度以内に至るを指す——大臣が大錯を鋳成するを主り、天子は天神を虔敬に奉事する能わず、ついに宗廟は火災を蒙り、天子は崩ず。別の一説には、君王はこのとき宮門を走出り殿階を歩み下るに宜しからず、人の宗廟の裡に兵甲を埋伏して不軌を図謀る者あらん。
《黃帝占》曰:“月行天淵中,若犯之,貴人死;一曰臣逾主。”石氏曰:“月犯鈇鑕,有戮臣。”《黃帝占》曰:“月犯鈇鑕者,為大臣誅。”《郗萌占》曰:“月中犯乘守鈇鑕者,為鈇鑕用;一曰兵將有憂。”《石氏占》曰:“月行天廄,星天為兵歸;月行天廄,上不安。”
《黄帝占》にいう、月が運行して「天淵」星区の中に至り、若しまたこれを侵犯せば、顕貴の人の死亡を主る。別の一説には臣子が君上を僭越する。天淵は鱉星の東にあり、もと池沼・灌漑の事を主る。石氏がいう、月が「鈇鑕」星を犯せば、臣子の殺戮に遭う者あらん。鈇は斫刀、鑕は下に墊く砧板にして、合わせて腰斬の刑具なり。星はこれをもって名と為すがゆえに、刑戮を主る。《黄帝占》にいう、月が鈇鑕星を犯せば、大臣の誅殺せらるるを主る。《郗萌占》にいう、月が中に居りて鈇鑕星を侵犯し・凌駕し・停留して守候す——「守」とは月体がその星の近旁に淹留して多日去らざるを指す——鈇鑕のこの刑具まさに動用せられんとするを主る。別の一説には兵を領くる将領に憂患あり。《石氏占》にいう、月が運行して「天廐」に至る。この句、底本に訛脱あり、大意は兵馬まさに返るべしと謂う。月が運行して天廐に至れば、君上安からざるを主る。天廐は天上の馬廐にして、もと車馬・廐牧の事を主る。
開元占經 卷十五
月占 五
月暈 一
《石氏占》曰:“月傍有氣,圓而周匝黃白,名為暈。”巫咸曰:“月之暈者,臣專權之象。”《石氏占》曰:“月暈受衡,所在之國安。”甘氏曰:“月暈,戰兵不合,若軍罷。”《甘氏占》曰:“日月皆暈,戰兵不合。”(謂晝有日暈,夜有月暈也。)
《石氏占》にいう、月の傍らに雲気が生じ、形状は渾円にして月体を一週環繞し、顔色は黄白なれば、これを「暈」と謂う(月暈は実は月光が高空の氷晶雲を透過して折射して成る光環であるが、古人はこれを占候の緊要な徴象と視す)。巫咸がいう、月に暈が生ずるは、臣下が権柄を専擅するの象徴である。《石氏占》にいう、月暈がちょうど「衡」を承托す——衡は即ち北斗の第五星・玉衡——暈の対応する分野の国は安寧す。甘氏がいう、月に暈が生ずれば、交戦の双方は刃を接せず、あるいは軍隊はこれに就いて罷兵す。《甘氏占》にいう、日と月とがともに暈を生ずれば、交戦の双方は刃を接せず(原書小注:昼に日暈があり夜に月暈あり、日月の暈が一昼夜の内に同現することをいう)。
京房《易傳》曰:“凡月暈七日,無雨大風,兵作土功起。”《高宗占》曰:“月暈,明王自將兵。”《荊州占》曰:“月暈,赤有光;主起兵,城降。”《帝覽嬉》曰:“月暈,兵春起,不勝。”《荊州占》曰:“月終歲不暈,天下和親。”
京房《易伝》にいう、およそ月に暈が生じた後七日の内に、雨降らざれば大風を刮ぎ、かつ兵を興し衆を動かし、土木を大いに興作せん。《高宗占》にいう、月に暈が生ずるは、英明の君王がみずから軍隊を統率して出征するを主る。《荊州占》にいう、月に暈が生じ、暈は赤色を呈して光芒を帯ぶれば、兵を興して作戦するを主り、城池は攻め下されて投降す。《帝覧嬉》にいう、月に暈が生ずるは、兵事が春天に発動するを主り、出兵する方は勝を得ず。《荊州占》にいう、月が整たる一年に暈を生ぜざれば、天下太平を主り、各方は和睦して婚嫁往来す。
《荊州占》曰:“四孟月之七日,四仲月之八日,四季月之九日,皆當月暈。暈不以其日,不出三日有暴風甚雨。”石氏曰:“月以正月一日、二日暈,必有土功。”《荊州占》曰:“月春二暈者,其民好鬥,不有從民,歲必大惡,不出一年糧貴。”《石氏占》曰:“正月上旬一暈,樹木蟲;二暈,禾穀蟲,三暈震雷。”
《荊州占》にいう、四孟月(正月・四月・七月・十月)の初七、四仲月(二月・五月・八月・十一月)の初八、四季月(三月・六月・九月・十二月)の初九、これらの日はいずれも月暈が現るべきである。月暈が若しこれら有るべき日に現れざれば、三日を出でずして狂風暴雨あらん。石氏がいう、月が正月初一・初二に暈を生ぜば、必ず土木の興作あらん。《荊州占》にいう、月が春季に二度暈を生ずるは、この分野の百姓は勇を好み狠りに闘い、教令に順従するを肯んずる民衆なく、年成は必ず極めて悪く、一年を出でずして穀価騰貴せん。《石氏占》にいう、正月上旬に月が一度暈を生ぜば、樹木は虫を生じ、二度暈を生ぜば、禾稼・穀物は虫を生じ、三度暈を生ぜば、雷電の震撃あらんとす。
《荊州占》曰:“月暈四仲月之八日,四季月之九日,三日不雨,皆為月蝕。”《河圖帝覽嬉》曰:“同暈中赤外青,群臣親內;外赤中青,群臣內其身,外其心。”《荊州占》曰:“月暈四仲之八日,四季月之九日,三日下雨,皆為月蝕。”《河圖帝覽嬉》曰:“月暈中赤外青,群臣親內;外赤中青,群臣內其身,外其心。”
《荊州占》にいう、月暈が四仲月の初八・四季月の初九に現れ、この後三日雨降らざれば、いずれも月食あらんを主る。《河図帝覧嬉》にいう、同じ暈圏の裡に内層は赤色・外層は青色なれば、群臣が朝廷の内に親附するを主る。外層が赤色・内層が青色なれば、群臣は身は朝内に在りて心思は外にあり、貌合神離を主る。《荊州占》にいう、月暈が四仲月の初八・四季月の初九に現れ、この後三日雨降れば、いずれも月食あらんを主る。《河図帝覧嬉》にいう、月暈の内層が赤色・外層が青色なれば、群臣が内に親附するを主る。外層が赤色・内層が青色なれば、群臣は人は朝廷に在りて心は外方に向くを主る(底本ここに两条重出し、前条は「三日不雨」と作り、後条は「三日下雨」と作る。一字の差にして占義相反す。当に伝写の誤りあるべし、姑らく並び存す)。
《荊州占》曰:“一月五六七八九暈,天下有亡地者;十一暈,天下更政。”《帝覽嬉》曰:“五月中九暈以上者,道上有熱死者。”
《荊州占》にいう、一か月の内に月が暈を生ずること五次・六次・七次・八次・九次なれば、天下に封土を喪失する諸侯あるを主る。一か月の内に暈を生ずること多く十一次に至れば、天下は政令を改易し執政の人を更換するを主る。《帝覧嬉》にいう、五月の中に月が暈を生ずること九次を以て上なれば、暑気の酷烈を主り、道路上に熱に死せる人あり。
《荊州占》曰:“正月九日、十六日夜月暈者,其五月有令;十日暈者,三月有令;十一日暈者,其月大旱;十二日、十五日暈者,飛蟲多死;二十三日、二十四日暈者,五穀不成;二十五日、二十六日暈者,飛蟲多死;二十三日、二十四日暈者,五穀不成;二十五日、二十六日暈者,女枲貴。”《荊州占》曰:“月以庚戌暈,有救;以遲疾為期。”(謂暈疾亦疾,暈遲亦遲。)
《荊州占》にいう、正月初九・十六の夜に月が暈を生ずるは、当年五月に詔令の頒き下さるるを主る。初十に暈を生ずるは、三月に詔令あるを主る。十一日に暈を生ずるは、当月大旱するを主る。十二日・十五日に暈を生ずるは、飛虫の大量死亡を主る。二十三日・二十四日に暈を生ずるは、五穀の成熟せざるを主る。二十五日・二十六日に暈を生ずるは、飛虫の大量死亡を主る。二十三日・二十四日に暈を生ずるは、五穀の成らざるを主る。二十五日・二十六日に暈を生ずるは、婦女の績む麻枲の物の価格昂貴を主る(この条の後半、底本は重出して錯乱し、同じ日期と占辞とが両見して文字互いに異なり、当に伝抄の疊出による所致ならん。)。《荊州占》にいう、月が庚戌の日に暈を生ずるは、災異はなお挽救の余地あるを主る。応験の遅早は、暈気の結散の遅速をもって准とす(原書小注:暈の結ぶること速ければ応験もまた速く、暈の結ぶること慢ければ応験もまた慢なり、をいう)。
《荊州占》曰:“月正月甲乙日暈者,木貴,民人多病;丙丁日月暈者,旱,金錢輕;戊己日月暈者,歲美,小旱,田宅貴;庚辛日暈,赦;壬癸日暈者,多水。”
《荊州占》にいう、正月の裡に月が甲乙の日に暈を生ぜば、甲乙は木に属し、木材の価の貴きを主り、百姓に疾病多し。丙丁の日に暈を生ぜば、丙丁は火に属し、天旱を主り、金銭は貶値す。戊己の日に暈を生ぜば、戊己は土に属し、年成の美好を主り、略ば小旱あり、田地・房宅の価格は上漲す。庚辛の日に暈を生ぜば、庚辛は金に属し、金は刑殺を主るも、反りて朝廷の赦令を頒き下すを主る。壬癸の日に暈を生ぜば、壬癸は水に属し、雨水の氾濫を主る。
高宗《八節月暈占》曰:“月以立春四十六日內暈者,亦有兵;黑多水,蟲為災,逆賊生,民生子多怪。月以春分四十六日內暈者,赤為兵;黃白憂多蟲。月以立夏四十六日內暈者,赤少水;白旱,萬物不出者死,人民流亡;月以夏至四十六日內暈者,赤小水;黃白萬物化為白耳。月以立秋四十六內暈者,赤小白,明日甚雨,出黃羽異身,傷害五穀之心。謂螟螣之類也月以秋分四十六日內暈者,赤少黃白,大雷發,折木、殺人。月以立冬四十六日內暈者,赤重如蓋狀,明日甚霧;黑多冰霜,春多風。月以冬至四十六日內暈,赤大白,春多風,殺人。”
高宗《八節月暈占》にいう(「八節」とは立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至のこの八つの節気を指す):月が立春の後四十六日の内に暈を生ぜば、また兵事あるを主る。暈色が黒に偏すは雨水の多きを主り、虫害は災を成し、叛逆の賊は滋生し、百姓の生む孩子は畸形・怪異多し。月が春分の後四十六日の内に暈を生じ、暈色赤紅なれば兵事を主る。暈色黄白なれば憂患多く・虫害多きを主る。月が立夏の後四十六日の内に暈を生じ、暈色赤紅なれば雨水の少なきを主る。暈色白に発すれば天旱を主り、万物は長育出でずして枯死し、百姓は流離逃亡す。月が夏至の後四十六日の内に暈を生じ、暈色赤紅なれば水の少なきを主る。暈色黄白なれば万物は化生して白色の木耳・菌蕈の属を生ずるを主る。月が立秋の後四十六日の内に暈を生じ、暈色赤中に白を帯ぶれば、次日大雨を降らし、かつ黄翅・異形の虫子を生じ、五穀の心葉を傷害せん(原書小注:螟・螣の類の食苗の害虫をいう)。月が秋分の後四十六日の内に暈を生じ、暈色赤少なく黄白多ければ、大雷震発を主り、樹木を折断し人畜を撃殺せん。月が立冬の後四十六日の内に暈を生じ、暈色赤くして層層重畳して車蓋の形のごとくなれば、次日大霧を起こさん。暈色黒に偏すは氷霜の多きを主り、来春風多し。月が冬至の後四十六日の内に暈を生じ、暈色赤くして大片に白を泛べば、来春風多きを主り、風は能く人の性命を傷つけん。
京房《易傳》曰:“正月三暈,所宿國小飢,五暈,大飢。”
京房《易伝》にいう、正月の裡に月が三度暈を生ぜば、月が当夜所在する宿次に対応する分野の国に小飢饉あり。五度暈を生ぜば、則ち大飢饉あり。いわゆる「所宿」とは、月が当夜に停留するあの一宿を指す。二十八宿は各々地上の州国に分配し、これを分野と称す。
月重暈 二
《石氏占》曰:“月以十二月八日暈再重,大有風,兵起;三重,天下兵大亂。《石氏占》曰:“月暈再重,天下大風起。”《帝覽嬉》曰:“月暈三重,其外青,中濁不散,軍會聚。”《荊州占》曰:“月暈四重,以有亡國,死王者;五重,其國女主死;七重,天下易主;八重,天下有亡國。”(漢高祖七年月暈,圓參昴七重,占曰:畢昴間天街也,街北胡,街南中國。昴為匈奴,參為趙畢,為邊兵;是歲,高祖為冒頓單于所圍。)
《石氏占》にいう、月が十二月初八に両重の暈圏を生出せば、大風を主り、兵事が興る。三重を生出せば、天下の兵戈大いに乱るるを主る。《石氏占》にいう、月暈が両重なれば、天下に大風の刮り起こるを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が三重にして、最外の一層は青色を呈し、中間は渾濁にして散ぜざれば、軍隊の聚集会合を主る。《荊州占》にいう、月暈が四重なれば、国家の滅亡する者あり、君王の死去する者あるを主る。五重なれば、その分野の国の女主の死去を主る。七重なれば、天下が君主を更換するを主る。八重なれば、天下に国家の滅亡する者あるを主る(原書小注:漢の高祖七年に月が暈を生じ、暈圏は参宿・昴宿を囲んであわせて七重なり。占辞にいう、畢宿と昴宿との間は「天街」にして、天街以北は胡人に属し、天街以南は中原に属す。昴宿は匈奴を主り、参宿は趙地を主り、畢宿は辺境の兵事を主る。この年、漢の高祖は果たして白登に冒頓単于に囲困せられたり)。
《荊州占》曰:“月暈三重,赤雲貫之,其國破喪。”巫咸曰:“月五月中暈,有九重以上,道路大有熱死者。”《高宗占》曰:“月暈十重,天下更王。”京房《易傳》曰:“月暈十二重,天下半亡。”《帝覽嬉》曰:“月暈再重,倍在外私成於外,倍在內私成於內。”
《荊州占》にいう、月暈が三重にして、赤色の雲気が暈圏を横貫すれば、その分野の国の破敗・喪亡を主る。巫咸がいう、月が五月の中に暈を生じ、多く九重以て上に至れば、酷熱を主り、道路上に熱に死せる人が大量に現れん。《高宗占》にいう、月暈が十重なれば、天下が帝王を改換するを主る。京房《易伝》にいう、月暈が十二重なれば、天下の一半の土地の淪喪を主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が両重にして、加え出づるあの一重が外側にあれば、則ち私下の図謀は朝廷の外に成る。加え出づるあの一重が内側にあれば、則ち私下の図謀は宮禁の内に成る。
月交暈 三
《帝覽嬉》曰:“月色黃白交暈,一黃一赤所守之國受兵。”《高宗占》曰:“月交暈,赤有光,其國不出二年遇兵。”《石氏占》曰:“月交暈貫月,有事從貫擊者勝,殺將;有珥,有喜。”
《帝覧嬉》にいう、月が黄白二色の交錯する暈を生じ、一層は黄・一層は赤なれば、月の守候する分野の国が兵禍を遭受するを主る。いわゆる「交暈」とは、两道の暈気が彼此交錯し顔色相間することを指す。《高宗占》にいう、月が交暈を生じ、暈色赤紅にして光あれば、その分野の国は二年を出でずして兵事に遭遇するを主る。《石氏占》にいう、月が交暈を生じて暈気が月体を横貫すれば、若し戦事あらば、月を貫く気の方向に順いて進撃する方が勝を獲、かつ敵の主将を斬殺すること能う。暈の傍らに若しまた「珥」を生ぜば——月の傍の耳のごとき短小の光気——則ち喜慶の事あるを主る。
月連環暈 四
《荊州占》曰:“月暈連如環,為兩軍兵起,君爭地。”《石氏占》曰:“月暈一重,下缺不合,上有冠戴,傍有兩珥,白暈連環,貫珥接北斗,國有大兵,大戰流血,其地紛紜,不出一年憂。”
《荊州占》にいう、月暈が一環に一環を接して連綴して串を成せば、両軍が兵を興して交戦し、君主どうしは土地を争奪するを主る。《石氏占》にいう、月暈がただ一重にして、下方は残缺して合攏する能わず、上方に「冠」「戴」の気あり——冠は帽子のごとく月の上に覆い、戴は物件のごとく月の頂に頂く——両旁にまた两道の「珥」気あり、白色の暈圏は連なりて環状を成し、両珥を貫穿して一直に北斗に連接すれば、国家に大兵事あり、大戦は血を流し、あの一帯の地方は紛擾して寧からず、一年を出でずして憂患あらんを主る。
《石氏占》曰:“月暈如連環,重暈北斗魁前第一第二星,大臣下獄,流移一千里;又曰暈輔星,大臣下獄。”《荊州占》曰:“月暈如連環,有白虹干暈不及月,女貴人有陰謀亂。”
《石氏占》にいう、月暈の形は連環のごとく、重々の暈圏が北斗魁星中の最前の第一星「天枢」と第二星「天璇」とを套住すれば、大臣が獄に下され、一千里の外に流放遷徙せられんを主る。別の一説には、暈圏が北斗第六星の傍の「輔星」を籠罩すれば、同じく大臣の下獄を主る。《荊州占》にいう、月暈の形は連環のごとく、また白色の虹気が暈圏を干犯して月体に触及せざれば、女性の貴人が暗中に作乱を図謀ることあるを主る。
月暈五星 五
歳星
《甘氏占》曰:“月暈歲星,色不明,主人勝客,明、客勝主人。”巫咸曰:“月暈歲星,其國主死。”《荊州占》曰:“月暈歲星,糴貴,石千文,民相食。”《海中占》曰:“月暈歲星,其主病;重暈,囚死或大水;五暈,人主有病喪。”
《甘氏占》にいう、月暈が歳星を籠罩し、暈色が晦暗にして明らかならざれば、守方が客方に戦勝するを主る——占家は本土に拠守する方を「主人」と謂い、遠来進攻する方を「客」と謂う。暈色明亮なれば、則ち客方が主方に戦勝す(歳星は即ち木星にして、約十二年に天を一週し、毎年一度行き経るがゆえに名を得たり)。巫咸がいう、月暈が歳星を籠罩すれば、その分野の国の国君の死を主る。《荊州占》にいう、月暈が歳星を籠罩すれば、米価の騰貴を主り、一石は千文に売らんとし、百姓は飢えて人が人を食らう。《海中占》にいう、月暈が歳星を籠罩すれば、その国の国君の患病を主る。暈が両重を成せば、囚徒が獄中に死するを主り、あるいは大水を発す。暈が五重を成せば、君主に疾病・喪亡の事あるを主る。
《高宗占》曰:“月暈歲星,三復之,相出走,戰不勝,所宿國飢。”《荊州占》曰:“月暈歲星,三復之,人相擊,客不勝,所擊主人勝;五復之,國女主死。”《帝覽嬉》曰:“月暈四重華,五復之,所宿其國,主死;三復之,黜相;一曰客畔之,不合所攻,主人勝。”《帝覽嬉》曰:“月暈,回留歲星所守之國,歲大熟。石氏曰:“歲星與月合,在氐而暈,不出四十日,有德令。”
《高宗占》にいう、月暈が歳星を籠罩し、暈気が三度結成してまた三度散去する(占書はこれを「三復」と称す)、丞相の出逃を主り、作戦は勝を得ず、月の所在する宿次の分野の国に飢饉あり。《荊州占》にいう、月暈が歳星を籠罩し、三度反復すれば、双方が兵を交え相撃つを主り、客方は勝を得ず、攻撃せらるる主方は勝を獲る。五度反復すれば、その国の女主の死を主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が四重にして光華熾盛、五度反復すれば、月の所在する宿次のあの国の国君の死を主る。三度反復すれば、丞相の罷黜せらるるを主る。別の一説には、客方は背叛し、双方は交鋒せずして客方の図る所は成らず、主方は勝を獲る。《帝覧嬉》にいう、月暈が回繞して歳星に淹留すれば、歳星の守候する分野の国は当年五穀大いに熟せん。石氏がいう、歳星と月とが同度に合し、両者はちょうど氐宿に会してまた暈を生ぜば、四十日を出でずして、朝廷は恩を施す徳政の詔令を頒下せん。
熒惑
《巫咸占》曰:“月暈熒惑星,女主有憂,若有死亡。”《巫咸占》曰:“月暈熒惑星,其國主亡。”《荊州占》曰:“月暈熒惑,有兵在野,大戰歸,其國亡。”《荊州占》曰:“月暈赤者熒惑,三月兵起。”《海中占》曰:“月暈熒惑,三復之,國貴人相死。”
《巫咸占》にいう、月暈が熒惑星を籠罩すれば、女主に憂患あるを主り、あるいは死亡の事あり(熒惑は即ち火星にして、光色は熒熒として火に似、行度は進退定まらず、人を迷惑せしむ、故に名を熒惑と曰い、兵乱と喪禍とを主る)。《巫咸占》にいう、月暈が熒惑を籠罩すれば、その分野の国の国君の亡故を主る。《荊州占》にいう、月暈が熒惑を籠罩すれば、軍隊あって郊野に兵を陳し、大戦の後に班師し、该国は終に滅亡するを主る。《荊州占》にいう、月暈の中に赤色を呈するあの一顆は熒惑にして、三か月の内に兵事の発動するを主る。《海中占》にいう、月暈が熒惑を籠罩し、暈気が三度結成してまた散去すれば、その国の顕貴の人の相継いで死亡するを主る。
《海中占》曰:“月暈熒惑,五復之,主出走。”《荊州占》曰:“月暈熒惑,五復之,主死。”《帝覽嬉》曰:“月暈回熒惑,所守之國亡:又客兵入境,為寇掠。”《帝覽嬉》曰:“月暈回熒惑,其色惡不明,客敗,其色明如角,則客勝。”郗萌曰:“月暈胃熒惑,在其中天,下有兵發於魏國,不出一年,大赦。”
《海中占》にいう、月暈が熒惑を籠罩し、五度結散反復すれば、国君の出奔逃亡を主る。《荊州占》にいう、月暈が熒惑を籠罩し、五度反復すれば、国君の死を主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が熒惑を回繞すれば、熒惑の守候する分野の国の滅亡を主る。また客方の軍隊が境内に侵入し、四処に劫掠するを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が熒惑を回繞し、暈色悪濁にして明らかならざれば、客方の敗を主る。暈色明亮にして芒角を生出せば、則ち客方は勝を獲る。郗萌がいう、月暈が胃宿と熒惑とを籠罩し、まさに中天の位に当たれば、天下に兵事の魏地より発動するを主り、一年を出でずして、朝廷は大赦を頒行せん。
填星
《甘氏占》曰:“月暈填星,色不明,主人勝客;明,客勝主人。”《巫咸占》曰;“月暈填星,其國主死,一曰旱。”《高宗占》曰:“月暈填星,所在之國兵起,戰不勝。”《海中占》曰:“月暈填星,相死,若皇后死,不則亡地。”
《甘氏占》にいう、月暈が填星を籠罩し、暈色が晦暗にして明らかならざれば、守方が客方に勝るを主る。暈色明亮なれば、則ち客方が主方に勝る(填星は即ち土星にして、約二十八年に天を一週し、毎年一宿を填鎮す、故に名を填星と曰い、五行は土に属し、徳を主り・后妃と土功とを主る)。《巫咸占》にいう、月暈が填星を籠罩すれば、その分野の国の国君の死を主り、別の一説には天旱を主る。《高宗占》にいう、月暈が填星を籠罩すれば、填星の所在する分野の国が兵を興し、作戦は勝を得ざるを主る。《海中占》にいう、月暈が填星を籠罩すれば、丞相の死を主り、あるいは皇后の死、さもなくば国土を喪失せん。
《荊州占》曰:“月暈填星,五合五解,所宿國主當之。”《帝覽嬉》曰:“月暈回填星,所宿之國有德。”《帝覽嬉》曰:“月暈回填星,三復之,相死,天下土盡動,大起邑,屋大壞,女主有憂:五復之,主死。”
《荊州占》にいう、月暈が填星を籠罩し、暈気が五度合攏しまた五度解散すれば、月の所在する宿次の分野の国の国君がこの災応を承当するを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が填星を回繞すれば、月の所在する宿次の分野の国に徳政あるを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が填星を回繞し、三度結散反復すれば、丞相の死を主り、天下の土木の役は至る処に興動し、大規模に城邑を営建し、房屋は大量に倒壊し、女主に憂患あり。五度反復すれば、則ち国君の死を主る。
太白
《甘氏占》曰:“月暈太白,色不明,主人勝客,明,客勝主人。”《巫咸占》曰:“月暈太白,其國主死。”《荊州占》日:“月暈太白,與月合,其主死境外。”《荊州占》曰:“月暈太白,入暈其色惡,不明,則客敗,其色明而有角,客勝:其色如暈,與月合,人主憂從中宮起。”
《甘氏占》にいう、月暈が太白を籠罩し、暈色が晦暗にして明らかならざれば、守方が客方に勝るを主る。暈色明亮なれば、則ち客方が主方に勝る(太白は即ち金星にして、光色は最も白く最も亮く、晨に東方に見えて啓明と為し、昏に西方に見えて長庚と為す。五行は金に属し、兵戈・殺伐を主る)。《巫咸占》にいう、月暈が太白を籠罩すれば、その分野の国の国君の死を主る。《荊州占》にいう、月暈が太白を籠罩し、太白がまた月と同度に合すれば、その国の国君が国境の外に死するを主る。《荊州占》にいう、月暈が太白を籠罩し、太白が暈圏の中に入りて暈色が悪濁にして明らかならざれば、則ち客方の敗。暈色明亮にして芒角を生出せば、則ち客方の勝。暈色が太白の色と相同じく、また月と合すれば、君主の憂患が後宮の中より生ずるを主る。
《海中占》曰;“月暈太白,五復之,主死。”《荊州占》曰:“月暈太白,五復之,其國女主死。”《帝覽嬉》曰:“月暈太白,當其野者,國受兵,戰不勝;又曰所守之國,兵起。”《帝覽嬉》曰:“月暈太白,三復之,所宿國將若相死之;一曰客攻不合所攻,主客。”
《海中占》にいう、月暈が太白を籠罩し、五度結散反復すれば、国君の死を主る。《荊州占》にいう、月暈が太白を籠罩し、五度反復すれば、その国の女主の死を主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が太白を籠罩し、まさにある分野の上空に当たれば、その国が兵禍を遭受するを主り、作戦は勝を得る能わず。またいう、太白の守候する分野の国が兵を興す。《帝覧嬉》にいう、月暈が太白を籠罩し、三度反復すれば、月の所在する宿次の分野の国に、主将あるいは丞相がこの事に死するを主る。別の一説には、客方が進攻するも交鋒に及ばず、攻むる所は成らず、勝負はなお主客の間に在り。
辰星
《甘氏占》日:“月暈辰星,色不明,主人勝客:明,客勝主人。”巫咸曰:“月暈辰星,再合再解,其國敗,不出其年。”巫咸曰:“月暈辰星,其國主死。”《荊州占》曰:“月暈辰星,其國以水亡:又曰秋兵起。”《海中占》曰:“月暈辰星,在春,大旱:在夏,主死,在秋,大水:在冬,大喪。”
《甘氏占》にいう、月暈が辰星を籠罩し、暈色が晦暗にして明らかならざれば、守方が客方に勝るを主る。暈色明亮なれば、則ち客方が主方に勝る(辰星は即ち水星にして、日を距ること一辰の地に過ぎず、故に名を辰星と曰い、五行は水に属し、刑罰と水旱とを主る)。巫咸がいう、月暈が辰星を籠罩し、暈気が二度合攏しまた二度解散すれば、その分野の国の敗亡を主り、当年を出でず。巫咸がいう、月暈が辰星を籠罩すれば、その国の国君の死を主る。《荊州占》にいう、月暈が辰星を籠罩すれば、その国が水患をもって亡ぶるを主る。またいう、秋に兵を興すを主る。《海中占》にいう、月暈が辰星を籠罩し、春に現れれば大旱を主り、夏に現れれば国君の死を主り、秋に現れれば大水を主り、冬に現れれば大丧あるを主る。
《荊州占》曰;“月暈辰星,再合再解,所宿之國飢敗,期一年。”《高宗占》曰:“月暈辰星,三復之,國以水亡。”《荊州占》曰:“月暈辰星,五復之,其國女主死。”《帝覽嬉》曰:“月暈圍辰星,所守之國有大水。”《帝覽嬉》曰:“月暈回辰星,春夏民疾寒熱,秋兵起及水,冬主死,若有水憂。”《荊州占》曰;“月暈辰星、角、亢,回二重,如連環,不出三年,大臣大謀若誅。”
《荊州占》にいう、月暈が辰星を籠罩し、暈気が二度合攏しまた二度解散すれば、月の所在する宿次の分野の国が飢饉・敗亡するを主り、期限は一年の内にある。《高宗占》にいう、月暈が辰星を籠罩し、三度結散反復すれば、その国が水災をもって亡ぶるを主る。《荊州占》にいう、月暈が辰星を籠罩し、五度反復すれば、その国の女主の死を主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が辰星を囲えば、辰星の守候する分野の国に大水あるを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が辰星を回繞し、春夏には百姓が寒熱の疾を患うこと多きを主り、秋には兵を興し併せて水患あるを主り、冬には国君の死、あるいは水災の憂いあるを主る。《荊州占》にいう、月暈が辰星と角宿・亢宿とを籠罩し、暈圏が回繞して両重、形は連環のごときは、三年を出でずして、大臣に大きな図謀あり、あるいは誅戮に遭うを主る。
日暈列宿同占 六
郗萌曰:“月以正月、十二月暈角亢氐房心五星者,大赦;暈四星者,小赦。”《巫咸占》曰:“月暈角亢氐,蟲多死,天下土卒死。”陳卓曰:“月暈角亢,大將軍有憂。”《帝覽嬉》曰:“月暈回角亢,蟲多死。”石氏曰:“月暈氐房心,有德令。”郗萌日:“月暈氐房心,其地有役,”石氏曰:“月暈房心,帝國有兵,廟堂句氐宿,大赦:句三宿,小赦,五百里以下:句二宿,赦百里內。”
郗萌がいう、月が正月・十二月の裡に暈を生じ、角・亢・氐・房・心の五宿の星を一斉に暈の中に圏い入れれば、朝廷が大赦を頒行するを主る。ただその中の四宿を圏い住めるは、小赦を主る。《巫咸占》にいう、月暈が角・亢・氐の三宿を籠罩すれば、虫類の大量に死亡し、天下の士卒は死傷するを主る。陳卓がいう、月暈が角・亢の二宿を籠罩すれば、大将軍に憂患あるを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が角・亢を回繞すれば、虫類の大量死亡を主る。石氏がいう、月暈が氐・房・心の三宿を籠罩すれば、徳政の詔令あるを主る。郗萌がいう、月暈が氐・房・心を籠罩すれば、その分野の地に徭役の事あるを主る。石氏がいう、月暈が房宿と心宿とを籠罩すれば、京畿の国に兵事あるを主る。房・心は天上の明堂・廟堂にして、暈気が鈎のごとく氐宿を鈎住すれば、大赦を主る。三宿を鈎住すれば、小赦を主り、赦免の範囲は五百里以内にある。両宿を鈎住すれば、赦免の範囲はただ百里の内にあるのみ。
石氏曰;“月暈房箕,風地動。”石氏曰:“月暈心尾亢,骨蟲為害;一曰四足蟲;一曰不出其年,易政山崩,出五十里外。”石氏曰:“月以十一月暈心尾,麥有價。”《荊州占》曰:“月暈尾箕,分有疾凶。”石氏曰:“月暈箕斗,兵從東方北方來者勝,從南方來者不勝。”《帝覽嬉》曰:“正月月暈回箕,五穀不成。”巫咸曰:“月暈圍斗,五穀不成,大將易。”
石氏がいう、月暈が房宿と箕宿とを籠罩すれば、大風の起こり・地の震動するを主る(箕宿はもと風を主る、故に風と相応ず)。石氏がいう、月暈が心・尾・亢の三宿を籠罩すれば、骨骼ある虫豸の害を成すを主る。別の一説には四足の虫の害を成す。さらに別の一説には当年を出でずして、政令は更易し・山陵は崩塌し、五十里以外に波及せん。石氏がいう、月が十一月の裡に暈を生じ心宿・尾宿を籠罩すれば、麦価の上揚を主る。《荊州占》にいう、月暈が尾宿・箕宿を籠罩すれば、この分野に疾疫・凶咎あるを主る。石氏がいう、月暈が箕宿・斗宿を籠罩すれば、兵を用うるに東方・北方より来る一方の獲勝し、南方より来る一方は勝を得る能わずを主る。《帝覧嬉》にいう、正月の裡に月暈が箕宿を回繞すれば、五穀の成熟する能わざるを主る。巫咸がいう、月暈が南斗を囲えば、五穀成らず、大将は更換するを主る。
《帝覽嬉》曰:“月暈牽牛、須女,女子功絲,皆貴;一曰牛多暴死。”郗萌曰:“月暈虛危,有兵,謀不成,風起;又曰有喪。”石氏曰:“月暈虛危,兵革離,動宗廟。”《荊州占》曰:“月暈營室東壁,其地有謀不成;一曰風起;一曰大水且至;又曰寡婦嬰兒多死。”《帝覽嬉》曰:“月暈營室東壁,有大土功。”郗萌曰:“月暈奎婁,其地大病;一曰水蟲多死。”《帝覽嬉》曰:“月暈胃昂,民多腹之疾。”
《帝覧嬉》にいう、月暈が牽牛・須女の二宿を籠罩すれば、婦女の治める糸織の工と糸帛の価とがともに上漲するを主る。別の一説には、牛の暴死多きを主る(牽牛は牛畜を主り、須女は女工を主る、故に各々その類をもって相応ず)。郗萌がいう、月暈が虚宿・危宿を籠罩すれば、兵事あり、図謀は成功する能わず、大風は驟に起こるを主る。またいう、丧事あるを主る。石氏がいう、月暈が虚・危を籠罩すれば、兵甲は離散し、宗廟は驚動を受くるを主る。《荊州占》にいう、月暈が営室・東壁の二宿を籠罩すれば、この分野の地に図謀あって成らざるを主る。別の一説には風の起こるを主る。さらに別の一説には大水の至らんとするを主る。また別の一説には寡婦・嬰児の死多きを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が営室・東壁を籠罩すれば、大規模の土木工程あるを主る(営室・東壁はもと宮室と文章・図籍とを主る、故に土功に応ず)。郗萌がいう、月暈が奎宿・婁宿を籠罩すれば、この分野の地に疾病の大いに興るを主る。別の一説には、水中の虫の大量死亡を主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が胃宿・昴宿を籠罩すれば、百姓が腹部の疾病を患うこと多きを主る。
郗萌曰:“月暈昴及畢,有慶上賜下者;一曰有德令,無令則有兵起。郗萌曰:“月暈昴及畢,比有反者。”郗萌曰:“月暈昴畢參,赦者有善令,期六十日;又曰不出三年,人主憂,若有賜令。”郗萌曰:“月以太歲所在辰暈畢與五車及一星,小赦;二星,次赦;三星及五星,大赦。”郗萌曰:“月以十一月暈,五車及昴參其星皆入暈中,有大赦;其不盡入,有小赦,期在來年五月中。”
郗萌がいう、月暈が昴宿と畢宿とを籠罩すれば、慶典あり、君上が下臣に賞賜するを主る。別の一説には徳政の詔令あるを主り、若し詔令なければ、兵事の発動あるを主る。郗萌がいう、月暈が昴宿と畢宿とを籠罩すれば、相継いで人の反乱するを主る。郗萌がいう、月暈が昴・畢・参の三宿を籠罩すれば、赦免と善政の令とを主り、期限は六十日。またいう、三年を出でずして、君主に憂患あり、あるいは賞賜の詔令あり。郗萌がいう、月が太歳の所在するあの地支の辰に暈を生じ、畢宿と五車星の中の一顆の星とを圏い住めば、小赦を主る。二顆を圏い住めば、次一等の赦免を主る。三顆を圏い住めて五顆に至れば、大赦を主る。郗萌がいう、月が十一月の裡に暈を生じ、五車星と昴宿・参宿の諸星とがすべて暈圏の中に入れば、大赦あるを主る。若し全部入らざれば、則ち小赦を主り、期は来年五月の中に応ず。
石氏曰:“以正月上旬月暈昴畢參伐,有赦令。”《帝覽嬉》曰:“月暈回畢參觿,矢弓弩貴。”石氏曰:“月暈參井,水霜數至。”巫咸曰:“月暈圍井鬼。其年不和;一曰旱。”京房《易傳》曰:“月暈翼軫,軍在外戰,亡其偏將。”郗萌曰:“月暈軫角,先起兵者不勝;重開吉,重發兵者,兵死。”巫咸曰:“月暈軫角,赦期百二十日;一曰以四孟月暈軫角,皆為赦。”
石氏がいう、正月上旬に月が暈を生じ、昴・畢・参と参宿の下の伐星とを籠罩すれば、赦令あるを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が畢宿・参宿と觜觿とを回繞すれば、箭矢・弓弩の漲価を主る(觜觿は即ち觜宿にして、形は獣首の角のごとく、参宿と相接し、もと兵器の収斂を主る、故に弓矢に応ず)。石氏がいう、月暈が参宿・井宿を籠罩すれば、雨水と霜降とが頻々として至るを主る。巫咸がいう、月暈が井宿・鬼宿を囲えば、当年の陰陽の調わざるを主る。別の一説には天旱を主る。京房《易伝》にいう、月暈が翼宿・軫宿を籠罩すれば、軍隊が外にて作戦し、偏将一名を折損せんとす。郗萌がいう、月暈が軫宿・角宿を籠罩すれば、先に兵を発する一方は勝を得る能わず。暈圏が再度張開するは吉なり、再度出兵するは、兵士は死傷す。巫咸がいう、月暈が軫宿・角宿を籠罩すれば、赦令の応期は一百二十日にある。別の一説には、およそ四孟月の裡に月暈が軫・角を籠罩すれば、いずれも赦免を主る。
月暈東方七宿
月暈角 一
《石氏占》曰:“月暈左角,有軍,軍道不能。”石氏曰:“月暈右角,大將軍有病,歲偏民飢,角鱗蟲多死。”《黃帝占》曰:“月暈圍兩角,大水,期一年。”《石氏占》曰:“月角中而暈,王者喜。”石氏曰:“日暈左右角,大赦;暈一角,小赦;早乙為春,丙丁為夏,庚辛為秋,壬癸為冬。”
《石氏占》にいう、月暈が左角星を籠罩すれば、軍隊の出動あり、行軍の道路は通行する能わずを主る(角宿の両星、南は左角、北は右角、両星の間は「天門」と称す。左角は刑理を主り、右角は将帥を主る)。石氏がいう、月暈が右角星を籠罩すれば、大将軍の患病を主り、年成は偏枯して百姓は飢饉し、角あり鱗ある虫類の大量死亡するを主る。《黄帝占》にいう、月暈が左右両角を囲えば、大水を発するを主り、期は一年の内に応ず。《石氏占》にいう、月が角宿の中を行きて暈を生ぜば、君王に喜慶あるを主る。石氏がいう、月暈が左右両角を籠罩すれば、大赦を主る。ただその中の一角を籠罩するは、小赦を主る。応期の推算は、甲乙日に落ちれば春に属し、丙丁日に落ちれば夏に属し、庚辛日に落ちれば秋に属し、壬癸日に落ちれば冬に属す(底本この条「月」を「日」に訛作し、「甲乙」を「早乙」に訛作す)。
巫咸曰:“月暈角亢,有角蟲多死,天下士卒死;及角中央,王自將兵,不行百里,士遁亡,軍道不通;及右角,害大尉;及左角,獄大亂。”(後魏書曰:天興五年十月戊申,暈左角,時帝討姚興弟,平於乾闢,克之太史令姚崇奏;角蟲野死,上慮牛疾,乃命減諸輜玄。甲戊車駕北引,牛大疾,死者十八,自宮車所馭釐轄數百,同日斃於路側,尾相屬亦多死之徵也。)
巫咸がいう、月暈が角宿・亢宿を籠罩すれば、角ある虫の大量死亡と天下の士卒の死傷とを主る。暈気が両角の間の中央に及べば、君王の自ら兵を領くるを主り、行くこと百里に及ばずして士卒は逃散し、行軍の道路は通ぜず。右角に及べば、太尉の害を受くるを主る。左角に及べば、刑獄の大いに乱るるを主る(原書小注に《後魏書》を引く:天興五年十月戊申の日、月暈が左角に在り。当時道武帝はまさに後秦の姚興の弟・姚平を討ち、彼を柴壁に囲困して攻克したり。太史令が上奏していう、角ある牲畜はまさに野に暴死せんとす、と。皇上は牛疫を顧慮し、すなわち令を下して各処の輜重車輛を裁減せしめたり。甲戌の日、車駕は北に帰り、牛は果たして大批に病を得て、十分の八が死し、宮中の車駕の駆使する挽車数百乘もまた、同日に路傍に倒斃し、首尾相接せり。これまさに「多死」の応験なり。この注中の人名・地名と干支とは底本に訛字多し)。
《海中占》曰:“月暈角亢歲,民飢。”陳卓曰:“月暈角,大將有殃。”郗萌曰:“月暈角,有兵,百日罷,無兵,後百日起;又曰先起兵者,不勝;又曰暈右角,右將軍有殃;暈左角,左將軍有殃;又曰暈右角,臣倍主;暈左角,大臣謀,期三年。暈天門,十月、十二月諸侯有不通者;又曰乘若暈角,為水;又曰多風雨。”
《海中占》にいう、月暈が角宿・亢宿を籠罩すれば、年成の好からざるを主り、百姓は飢餓す。陳卓がいう、月暈が角宿を籠罩すれば、大将に災殃あるを主る。郗萌がいう、月暈が角宿を籠罩し、若し已に戦事あれば、百日の内に兵を罷め、若しまだ戦事なければ、百日の後に兵を興す。またいう、先に兵を発する一方は勝を得る能わず。またいう、暈が右角を籠罩すれば、右将軍に災殃あり、暈が左角を籠罩すれば、左将軍に災殃あり。またいう、暈が右角を籠罩するは、臣下が君上に背叛するを主り、暈が左角を籠罩するは、大臣が不軌を図謀るを主り、期は三年に応ず。暈が左右角の間の「天門」を籠罩すれば、十月・十二月の裡に諸侯の朝覲・往来を断絶するを主る。またいう、月体が角宿を凌乗しあるいは暈を生じて角宿を籠罩すれば、水災を主る。またいう、風雨多きを主る。
《荊州占》曰:“月暈圍左右角,天下有大兵,天子為軍自守,左右動搖非常,人主憂,臣弒君。”《荊州占》曰:“月以正月暈角,公子死;一曰將軍死,歲飢;又曰以正月十七日,月暈於角,天下赦;正月戊己,暈左角,有喪。”
《荊州占》にいう、月暈が左右両角を囲えば、天下に大規模の兵事あり、天子は軍隊を調集して自衛・守御し、左右の近臣は動揺・反常し、君主は憂懼し、甚だしきは臣下が君王を弑殺するの禍に至らんを主る。《荊州占》にいう、月が正月の裡に暈を生じ角宿を籠罩すれば、公子の死を主る。別の一説には将軍の死・年成の飢荒を主る。またいう、正月十七日に月暈が角宿を籠罩すれば、天下の大赦を主る。正月の戊日・己日に月暈が左角を籠罩すれば、丧事あるを主る。
《河圖帝覽嬉》曰:“月行天門,暈三重,天清淨,關梁不通,應之以善事。”(晉咸和三年,月暈左角,有赤白珥,禮約以問戴洋,洋曰:壹門當大戰,有賊亂。洋字國流,吳國人,頗識天文陰陽之數,約為豫州,洋為督護,約本胡後,洋遍遊公侯之門,莫不說重其所占候,並多神驗,事見晉史也。)
《河図帝覧嬉》にいう、月が左右角の間の「天門」を行き経て、三重の暈を生出し、天色が清朗・潔浄なれば、関隘・橋梁の阻塞不通を主り、善政をもって応対・消解すべし(原書小注:晋の成帝・咸和三年、月が左角に暈し、傍らに赤白両色の珥気あり。祖約はこの事をもって戴洋に問う。戴洋がいう、天門に当に大戦あるべく、賊寇の作乱する者あらん、と。戴洋は字は国流、呉郡の人にして、はなはだ天文・陰陽の数に通暁す。当時祖約は豫州刺史を任じ、戴洋は彼の督護を為す。戴洋は公侯の門を遍歴し、人々は皆彼の占候を推重し、神験多し。事は晋代の史書に見えたり。この注中の「天門」は「壹門」に訛作し、末句の「約本胡后」は文に脱誤あり)。
甘氏曰:“月入角而暈,大赦;不則日蝕,所蝕之宿,其邦不安。”《帝覽嬉》曰:“月暈左角,天子為軍自守;暈兩角,有軍,軍道不通,大龍見。”
甘氏がいう、月が角宿に入りて暈を生ぜば、大赦を主る。さもなくば則ち日食が発生し、日食の所在する宿次は、その分野の国は安寧を得ず。《帝覧嬉》にいう、月暈が左角を籠罩すれば、天子が軍隊を調集して自衛するを主る。暈が左右両角を籠罩すれば、軍隊の出動して行軍道路の通ぜざるあり、併せて大竜の現形するの異あるを主る。
月暈亢 二
石氏曰:“月暈圍亢,君有兵革之事,期三十日,遠三月。石氏曰:“月以秋一日三暈亢,大臣有死者,兵大戰水中,期三十八日;再暈,大雨雪水。”郗萌曰:“月暈亢,八十日罷;無兵,後八十日兵起;秋三月再暈亢,民移千里;三暈亢,有赦令;秋一月再暈亢,必冬雷而水;三暈亢,大臣有死者;一曰大戰三;冬暈亢,年有所不安,以赦解之。”
石氏がいう、月暈が亢宿を囲えば、君王に兵戈の事あるを主り、近きは三十日、遠きは三か月(亢宿は天子の内朝にして、疾疫と刑法とを主る)。石氏がいう、秋の裡に月が一日の中に三度暈を生じ亢宿を籠罩すれば、大臣に死亡する者あるを主り、軍隊は水中に大戦し、期は三十八日に応ず。暈を生ずること二度なれば、大雨・大雪・洪水の氾濫を主る。郗萌がいう、月暈が亢宿を籠罩し、若し已に戦事あれば、八十天内に兵を罷め、若しまだ戦事なければ、八十天後に兵を興す。秋季三か月の裡に二度暈を生じ亢宿を籠罩すれば、百姓の千里に遷徙するを主る。三度暈を生じ亢宿を籠罩すれば、赦令あるを主る。秋季一か月の内に二度暈を生じ亢宿を籠罩すれば、冬に必ず雷を打ち併せて水を発す。三度暈を生じ亢宿を籠罩すれば、大臣に死亡する者あるを主り、別の一説には大戦三場を主る。冬に暈を生じ亢宿を籠罩すれば、この年に不安の事あるを主り、赦免を用いて化解すべし。
《荊州占》曰:“月暈圍亢,王者自將,兵不過百里,期一月,遠三月。”《帝覽嬉》曰:“月暈亢,主自將兵,不行百里。”《海中占》曰:“月暈角亢,歲凶民飢。”《石氏占》曰:“月暈亢者,角蟲多死。”
《荊州占》にいう、月暈が亢宿を囲えば、君王の自ら兵を領くるを主り、兵の行くこと百里に過ぎず、近きは一か月、遠きは三か月。《帝覧嬉》にいう、月暈が亢宿を籠罩すれば、君主の自ら兵を統べるを主り、行くこと百里に至らずして折り返さん。《海中占》にいう、月暈が角宿・亢宿を籠罩すれば、年成の凶悪を主り、百姓は飢饉す。《石氏占》にいう、月暈が亢宿を籠罩すれば、角ある虫の大量死亡を主る。
月暈氐 三
《郗萌占》曰:“日暈氐,人多疾,以十一月、十二月暈左,天子有不安,以赦解之。”郗萌曰:“月暈圍氐,不出四十日,有治道之事。”《河圖帝覽嬉》曰:“月暈氐,大將誅,若水蟲多死。”
《郗萌占》にいう、月暈が氐宿を籠罩すれば、人の疾病多きを主る。十一月・十二月の裡に暈気が左側に偏すれば、天子に不安の事あるを主り、赦免をもって化解すべし(氐宿は天子の路寝・正室にして、后妃と疾疫とを主る。底本この条「月」を「日」に訛作す)。郗萌がいう、月暈が氐宿を囲えば、四十日を出でずして、道路を整治する工役あらん。《河図帝覧嬉》にいう、月暈が氐宿を籠罩すれば、大将の誅せらるるを主り、あるいは水中の虫の大量死亡するを主る。
月暈房 四
《河圖帝覽嬉》曰:“月暈房,行三軍而戰。”郗萌曰:“月暈房,太子座之,若財寶出,若穀貴;又曰月以三冬暈房,天子有所不安,以赦解之。”《荊州占》曰:“月暈,圍房四方,兵起野,有露骨不葬。”《荊州占》曰:“月暈,圍房心,其地大疫,水蟲多死。”《易緯是類謀》曰:“月珥指房,四方煩,若以土之功。”
《河図帝覧嬉》にいう、月暈が房宿を籠罩すれば、三軍を興動して開戦するを主る(房宿の四星は天子の明堂にして、また天駟と為り、車駕と政令の出づる所とを主る)。郗萌がいう、月暈が房宿を籠罩すれば、太子がこの応を承当するを主り、あるいは財宝は流散して外に出づ、あるいは穀価は騰貴す。またいう、月が冬季三か月の裡に暈を生じ房宿を籠罩すれば、天子に不安の事あるを主り、赦免を用いて化解すべし。《荊州占》にいう、月が暈を生じ、房宿の四星を囲えば、兵の郊野に起こるを主り、暴露の尸骨あって掩埋を得ざらん。《荊州占》にいう、月が暈を生じ、房宿と心宿とを囲えば、この分野の地に瘟疫の大いに興り、水中の虫の大量死亡するを主る。《易緯是類謀》にいう、月の傍らの珥気が房宿を指向すれば、四方の煩擾・不寧を主り、あるいは土木の役を興起せん。
月暈心 五
石氏曰:“月暈心,大戰、山崩、谷塞、水出五十里;一曰火。”《海中占》曰:“月暈圍心,人主有殃;又曰大旱。”《荊州占》曰:“日暈心,主憂;一曰將死;又曰軍進;又曰有兵,三十日罷,無兵,三十日兵起;又曰月以正月暈心,蠶不為繭;圍心將易,有主死;又曰赤地千地。”石氏曰:“月暈心,谷大貴。”《帝覽嬉》曰:“月暈心,不出其年,大失火。”
石氏がいう、月暈が心宿を籠罩すれば、大戦あり、山陵は崩塌し、谷道は壅塞し、大水は五十里に漫出するを主る。別の一説には火災を主る(心宿の三星、中央の大星は天王にして、前後の両星は太子と庶子と為り、五行は火に属す、故にその占は多く火と刑賞とに応ず)。《海中占》にいう、月暈が心宿を囲えば、君主に災殃あるを主る。またいう、大旱を主る。《荊州占》にいう、月暈が心宿を籠罩すれば、君主に憂いあるを主る(底本この条「月」を「日」に訛作す)。別の一説には将帥の死を主る。またいう、軍隊の進発を主る。またいう、若し已に戦事あれば、三十天内に兵を罷め、若しまだ戦事なければ、三十天後に兵を興す。またいう、月が正月に暈を生じ心宿を籠罩すれば、蚕の繭を結ばざるを主る。暈が心宿を囲えば、将帥は更易し、君主の死亡あるを主る。またいう、赤地千里を主る(底本「里」を「地」に訛作す)。石氏がいう、月暈が心宿を籠罩すれば、穀価の大いに漲るを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が心宿を籠罩すれば、当年を出でずして、大火災あらん。
郗萌曰:“月暈心,三日不陰不雨,不出三日,有大喪;又曰三日不風雨,不出三十日,有奇令。”石氏曰:“月一歲再暈,圍心;有大旱及大火,其將舉兵起;若國易相,期三年。”郗萌曰:“月暈心五重,其國女主死;再重,為有大喜。”《海中占》曰:“月暈圍心,中有赤雲,若白雲,大如杵,而貫月,大人當之,不然兵起。”郗萌曰:“月暈心三重,赤雲貫之,此謂之守,國破,喪戮侯王。”
郗萌がいう、月暈が心宿を籠罩し、この後三日陰らず雨降らざれば、則ち三日を出でずして大丧あらん。またいう、三日風刮らず雨降らざれば、則ち三十日を出でずして非常の詔令あらん。石氏がいう、月が一年の内に二度暈を生じ心宿を囲えば、大旱と大火とあるを主り、その地の将帥はまさに兵を起こさんとす。あるいはその国は丞相を更換し、期は三年に応ず。郗萌がいう、月暈が心宿を籠罩すること多く五重に至れば、その国の女主の死を主る。ただ両重のみならば、則ち大喜慶あるを主る。《海中占》にいう、月暈が心宿を囲い、暈の中に赤雲あるいは白雲あり、粗大は木杵のごとくにして月体を横貫すれば、大人物がこの災を承当するを主り、さもなくば則ち兵事の興起なり。郗萌がいう、月暈が心宿を三重に籠罩し、また赤雲ありてその間を貫穿すれば、これを「守」と謂い、国家の破敗・侯王の丧亡・殺戮に遭うを主る。
月暈尾 六
《東觀占》曰:“月暈尾,有益地者百里以上;又曰民多病寒熱;又曰風大至,若水。”石氏曰:“月暈尾,益地。”郗萌曰:“月暈天司空,其歲不登,有大水,在東方;又曰不出其年,有赦。”《荊州占》曰:“月暈圍尾,有益地者,百里以上;又曰民病寒熱,又曰大風至。”
《東観占》にいう、月暈が尾宿を籠罩すれば、封土を増拓する諸侯あり、得る所は百里以上を主る。またいう、百姓が寒熱の病を患うこと多きを主る。またいう、大風の到来を主り、あるいは水患あり(尾宿の九星は蒼竜の尾にして、また後宮・嬪妃の象と為る)。石氏がいう、月暈が尾宿を籠罩すれば、土地を開拓するを主る。郗萌がいう、月暈が「天司空」星を籠罩すれば、当年の庄稼の熟せざるを主り、大水あり、災応は東方に在り。またいう、当年を出でずして赦令あらん。《荊州占》にいう、月暈が尾宿を囲えば、封土を増拓する諸侯あり、得る所は百里以上を主る。またいう、百姓の寒熱の病を患うを主る。またいう、大風の到来を主る。
月暈箕 七
石氏曰:“月暈箕,五穀以風傷。”郗萌曰:“月暈司空,不出百里,必有守倉求食者,以千數。”《荊州占》曰:“月暈箕,大風發屋。有坐口舌死者。非夷穀貴,燕趙大飢。”《荊州占》曰:“月暈箕,歲星在其中,王者娉皇后、貴妾,不出百八十日。”
石氏がいう、月暈が箕宿を籠罩すれば、五穀の大風に損傷せらるるを主る(箕宿の四星は八方の風を主り、また口舌を主り、その分野は燕地に在り)。郗萌がいう、月暈が「司空」星を籠罩すれば、百里の内を出でずして、必ず糧倉を囲守して食物を乞う飢民あり、多くは千をもって計らん。《荊州占》にいう、月暈が箕宿を籠罩すれば、大風が屋頂を掀翻し、人ありて口舌の是非をもって罪を獲て死するを主る。四夷の外は穀価騰貴し、燕・趙の一帯は大いに飢う(この条の「非夷」は当に「四夷」の訛ならん)。《荊州占》にいう、月暈が箕宿を籠罩し、歳星がまさに暈圏の中に在れば、君王が皇后あるいは貴妾を迎娶するを主り、一百八十日を出でず。
月暈北方七宿 八
月暈斗 一
郗萌曰:“月暈南斗,大將死,民流千里,馬牛大病。”陳卓曰:“月暈南斗,大臣免,大將為亂,五穀不成。”《河圖帝覽嬉》曰:“月暈南斗,大將出。”
郗萌がいう、月暈が南斗を籠罩すれば、大将の死を主り、百姓は千里に流亡し、馬牛は大批に病を得ん(南斗は即ち斗宿の六星にして、形は酒を舀う斗のごとく、これ天廟にして、爵禄と寿命とを主り、北斗と分かちて生死を主どり、その分野は呉越に在り)。陳卓がいう、月暈が南斗を籠罩すれば、大臣の免職せらるるを主り、大将は兵を起こして作乱し、五穀は成熟する能わず。《河図帝覧嬉》にいう、月暈が南斗を籠罩すれば、大将が兵を領きて出征するを主る。
月暈牛 二
郗萌曰:“月暈乘牽牛,五穀不成。”《黃帝占》曰:“月暈牛,有軍曝血,將死。”《黃帝占》曰:“月暈牛,小兒多死,牛疫死;一曰馬多疫死。”《荊州占》曰:“月暈牛,牛羊貴。”
郗萌がいう、月が暈を生じ併せて牽牛の上に凌乗すれば、五穀の成熟する能わざるを主る(牽牛は即ち牛宿の六星にして、犠牲・牛畜と関梁・橋道の事とを主る)。《黄帝占》にいう、月暈が牛宿を籠罩すれば、軍隊ありて尸を暴し血を流し、主将は陣亡するを主る。《黄帝占》にいう、月暈が牛宿を籠罩すれば、小児の大量死亡を主り、牛は瘟疫に遭いて死す。別の一説には馬の疫に染まりて死すること多きを主る。《荊州占》にいう、月暈が牛宿を籠罩すれば、牛羊の価貴きを主る。
月暈女 三
《河圖帝覽嬉》曰:“月暈須女,必有軍曝血,將死。”郗萌曰:“月暈須女,寡婦多疾。有兵謀,謀不成。風起。”石氏曰:“月暈圍須女,兵進而不斗;一曰兵不戰而降,寡婦多死,有兵謀謀不成,風起。”《荊州占》曰:“月暈須女,布帛倍價。”《河圖帝覽嬉》曰:“月暈須女,兵起不斗;一曰民多去室宅;一曰絲貴。”
《河図帝覧嬉》にいう、月暈が須女を籠罩すれば、必ず軍隊ありて尸を暴し血を流し、主将は陣亡するを主る(須女は即ち女宿の四星にして、天上の少女なり、布帛の裁制と嫁娶の事とを主る)。郗萌がいう、月暈が須女を籠罩すれば、寡婦の病多きを主り、兵を興すの図謀あって謀は成らず、大風は驟に起こるを主る。石氏がいう、月暈が須女を囲えば、軍隊の進発して交戦せざるを主る。別の一説には、軍隊の戦わずして降し、寡婦の大量死亡し、兵を興すの図謀あって事を成す能わず、大風は驟に起こるを主る。《荊州占》にいう、月暈が須女を籠罩すれば、布帛の価格の翻倍するを主る。《河図帝覧嬉》にいう、月暈が須女を籠罩すれば、兵を興して交戦せざるを主る。別の一説には百姓の房舍を離棄すること大量なるを主る。さらに別の一説には生糸の価貴きを主る。
月暈虚 四
《黃帝占》曰:“月暈虛,兵起,大戰。”《郗萌占》曰:“月暈虛,民飢,有哭泣,蟄蟲死;一曰飛蟲多死;又曰兵起,月土功事。”《荊州占》曰:“月暈虛,有白衣聚,遠期百八十日;又曰宗廟動兵。”《帝覽嬉》曰:“月暈虛,民多去室宅者。”
《黄帝占》にいう、月暈が虚宿を籠罩すれば、兵を興し、大戦あるを主る(虚宿の二星は、宗廟・祭祀と哭泣・丧事とを主り、その分野は斉地に在り)。《郗萌占》にいう、月暈が虚宿を籠罩すれば、百姓の飢餓し、哭泣の声あり、蟄伏の虫豸は死去するを主る。別の一説には飛虫の大量死亡を主る。またいう、兵を興し、併せて土木・工役の事あるを主る。《荊州占》にいう、月暈が虚宿を籠罩すれば、白衣を穿く送丧の人の聚集するありを主り、遠き期は一百八十日に在り。またいう、宗廟の地に兵戈の興動するを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が虚宿を籠罩すれば、百姓の房舍を離棄すること大量なるを主る。
月暈危 五
《黃帝占》曰:“月暈危,有兵;一曰軍敗。”郗萌曰:“月暈危,其國主死,民多疾死,有兵謀,不成。”《荊州占》曰:“日暈危,有亂,謀天下,擾民,無所措。”《帝覽嬉》曰:“月暈危,軍所止,民多去宅者。”郗萌曰:“月正月暈危,民去室宅。”
《黄帝占》にいう、月暈が危宿を籠罩すれば、兵事あるを主る。別の一説には軍隊の敗績するを主る(危宿の三星は、天府・天市と架屋・蓋房の事とを主る)。郗萌がいう、月暈が危宿を籠罩すれば、その分野の国の国君の死を主り、百姓は病死多く、兵を興すの図謀あって成功する能わず。《荊州占》にいう、月暈が危宿を籠罩すれば、禍乱あり、人ありて天下を図謀り、百姓を擾動して、手足を措く所なからしむを主る(底本この条「月」を「日」に訛作す)。《帝覧嬉》にいう、月暈が危宿を籠罩すれば、軍隊の駐屯して前進せざるを主り、百姓の房舍を離棄すること大量なるを主る。郗萌がいう、月が正月に暈を生じ危宿を籠罩すれば、百姓の屋宅を離棄するを主る。
月暈室 六
《海中占》曰:“月暈室,大城圍屠。”郗萌曰:“月暈營室,為宮敗;又曰有蠻夷來。”《荊州占》曰:“月常以四月、七月、十月侯月,月暈玄宮,不出六十日,必有妄言驚聚百姓者;不然,不出九十日,天下有急事。”《帝覽嬉》曰:“月暈室,有喪。”
《海中占》にいう、月暈が室宿を籠罩すれば、大城の囲困せられ屠戮せらるるを主る(室宿は即ち営室の二星にして、天子の離宮なり、土木・営造を主り、その分野は衛地に在り)。郗萌がいう、月暈が営室を籠罩すれば、宮室の毀敗するを主る。またいう、蛮夷の入境して来たり犯すあるを主る。《荊州占》にいう、当に常に四月・七月・十月に月象を観察すべし。若し月暈が「玄宮」——営室の別名——を籠罩せば、六十日を出でずして、必ず人ありて妖言を造作し、百姓を驚動・聚集せん。さもなくば、九十日を出でずして天下に緊急の事あらん。《帝覧嬉》にいう、月暈が室宿を籠罩すれば、丧事あるを主る。
日暈壁 七
《海中占》曰:“月暈東壁,有大土功事。”《黃帝占》曰:“月暈於東壁,軍人敗。”郗萌曰:“月暈壁,民流亡;一曰見大龍;一曰婦兒多死者。”《荊州占》曰:“月暈壁,大亂,又曰月暈壁三重,國動兵大戰,不出一年。”《帝覽嬉》曰:“月暈壁,見龍,大敗。”
《海中占》にいう、月暈が東壁を籠罩すれば、大規模の土木工程あるを主る(壁宿の二星は東壁と称し、文章・図籍を主り、また営室とともに土功を主る。本篇の標目「日暈壁七」の「日」は「月」の訛なり)。《黄帝占》にいう、月暈が東壁を籠罩すれば、軍中の人の敗績するを主る。郗萌がいう、月暈が壁宿を籠罩すれば、百姓の流散・逃亡を主る。別の一説には大竜の現形あるを主る。さらに別の一説には婦人・小児の死亡多きを主る。《荊州占》にいう、月暈が壁宿を籠罩すれば、大乱を主る。またいう、月暈が壁宿を籠罩すること多く三重に至れば、国家の兵を興して大戦するを主り、一年を出でず。《帝覧嬉》にいう、月暈が壁宿を籠罩し、また竜形の異を見れば、大敗を主る。
月暈西方七宿 九
月暈奎 一
郗萌曰:“月暈奎,妖星出,大將戰死。”巫咸曰:“月暈奎。米貴。”《荊州占》曰:“月暈奎,兵大敗,土卒亡,魯國亡。”石氏曰:“月暈奎,兵大敗;一曰有兵令;一曰不出十日,妖星見。”《荊州占》曰:“月暈奎婁,絮大貴。”
郗萌がいう、月暈が奎宿を籠罩すれば、妖星の出現し、大将の戦死するを主る(奎宿の十六星は、天上の武庫にして、兵事と溝瀆とを主り、その分野は魯地に在り)。巫咸がいう、月暈が奎宿を籠罩すれば、米価の上漲を主る。《荊州占》にいう、月暈が奎宿を籠罩すれば、軍隊の大敗・士卒の傷亡し、魯国の滅亡するを主る(底本「士卒」を「土卒」に訛作す)。石氏がいう、月暈が奎宿を籠罩すれば、軍隊の大敗を主る。別の一説には徴兵の号令あるを主る。さらに別の一説には十日を出でずして妖星の出現あるを主る。《荊州占》にいう、月暈が奎宿・婁宿を籠罩すれば、糸綿の価格の大いに漲るを主る。
月暈婁 二
郗萌曰:“月暈婁,大人憂;一曰大人死;一曰蠶多死;糴苦,絮貴。四孟之月,暈,赦。”《荊州占》曰:“月暈婁,五日之內不雨,宰相疑,默事解。”郗萌曰:“月暈婁,盡圍三星,赦;若歲星過婁,在暈中大赦;期九十日。”《河圖帝覽嬉》曰:“月暈回婁,君和解。”
郗萌がいう、月暈が婁宿を籠罩すれば、大人物に憂いあるを主る。別の一説には大人物の死を主る。さらに別の一説には蚕の死多く、米価は堪え難く、糸綿は騰貴するを主る。若し四孟月の裡に暈を生ぜば、則ち赦免を主る(婁宿の三星は、苑牧・犠牲を主り、また聚众を主る)。《荊州占》にいう、月暈が婁宿を籠罩し、この後五日の内に雨降らざれば、宰相の猜疑を受くるを主り、沈黙・隠忍せざれば解脱する能わず。郗萌がいう、月暈が婁宿を籠罩し、婁宿の三星を全部暈の中に囲い入れれば、赦免を主る。若し歳星がちょうど婁宿を行き過ぎて暈圏の中に処れば、則ち大赦を主り、期は九十日に応ず。《河図帝覧嬉》にいう、月暈が婁宿を回繞すれば、君臣の和好し嫌隙を化解するを主る。
月暈胃 三
郗萌曰:“月暈胃,其國主死,天多陰雨,妊婦多死;一曰山崩;又曰盡圍三星,赦。”《荊州占》曰:“月暈圍胃,兵起,其國戰不勝,有破軍;一曰不戰山崩,若軍大歸,谷大貴。”郗萌曰:“月以四孟之月,三、四暈胃,赦。”《荊州占》曰:“月暈圍胃,兵大戰;一曰妊女多死。”《河圖帝覽嬉》曰:“月暈回胃,兵不戰。”
郗萌がいう、月暈が胃宿を籠罩すれば、その分野の国の国君の死を主り、天時は陰雨多く、妊婦の死亡多きを主る。別の一説には山陵の崩塌を主る。またいう、胃宿の三星を全部暈の中に囲い入れれば、赦免を主る(胃宿の三星は、天上の倉廩にして、五穀の積聚を主る)。《荊州占》にいう、月暈が胃宿を囲えば、兵を興すを主り、その国は作戦して勝を得る能わず、軍隊の撃破せらるるあり。別の一説には交戦せずして山崩し、あるいは大軍は班師し、穀価は大いに漲る。郗萌がいう、月が四孟月の裡に三度・四度暈を生じ胃宿を籠罩すれば、赦免を主る。《荊州占》にいう、月暈が胃宿を囲えば、大規模の交戦を主る。別の一説には妊婦の死多きを主る。《河図帝覧嬉》にいう、月暈が胃宿を回繞すれば、両軍の交戦せざるを主る。
月暈昴 四
《荊州占》曰:“月暈昴,其國主死;一曰貴人多死;一曰有兵,若暴令,近期三十日,遠百里坐流言者;又曰不出其年,天下有變;又曰水,無收,糴貴,民離其鄉;又曰有腹病,畜產多死。”《荊州占》曰:“月暈昴,開下飢。”京氏曰:“月以九月、十二月、十三日暈昴及五年,天下赦。”郗萌曰:“月暈昴,以甲午乙未及戊巳,必大赦,期三日;戊巳期六十日。”
《荊州占》にいう、月暈が昴宿を籠罩すれば、その分野の国の国君の死を主る。別の一説には顕貴の人の死多きを主る。さらに別の一説には兵事あり、あるいは厳苛・急暴の詔令あり、近きは三十日、遠くは百里以外に至りて人ありて流言をもって罪を獲ん。またいう、当年を出でずして天下に変故あり。またいう、水災を主り、粒収なく、米価は騰貴し、百姓は郷を離れて荒を逃る。またいう、人の腹疾を患い、牲畜の大量死亡するを主る(昴宿の七星は、また髦頭と称し、これ胡人の星にして、刑獄と丧事とを主る)。《荊州占》にいう、月暈が昴宿を籠罩すれば、天下の飢荒を主る(底本「天」を「開」に訛作す)。京房がいう、月が九月・十二月および十三日に暈を生じ昴宿を籠罩し、連続してこのごとくなれば、天下の赦免を主る。郗萌がいう、月暈が昴宿を籠罩し、若し甲午・乙未の日に逢えば、必ず大赦し、期は三日に応ず。若し戊・己の日に逢えば、期は六十日に応ず。
郗萌曰:“月暈昴,盡得七星,三月小赦。”石氏曰:“月暈昴,天下飢;一曰貴人多死;一曰糴貴。”郗萌曰:“月暈昴三重,不出五十日,赦。”巫咸曰:“月暈昴,食不絕;一曰兔多死。”石氏曰:“月一歲三圍昴,來年天下大赦,若弓絮貴。”《郗萌占》曰:“月暈昴,民憂疾;又曰一歲一暈,小赦;再暈,中赦;三暈,大赦;期並不出其年。”
郗萌がいう、月暈が昴宿を籠罩し、昴宿の七星を全部暈の中に圏い入れれば、三か月の内に小赦あるを主る。石氏がいう、月暈が昴宿を籠罩すれば、天下の飢荒を主る。別の一説には顕貴の人の死多きを主る。さらに別の一説には米価の騰貴するを主る。郗萌がいう、月暈が昴宿を籠罩すること多く三重に至れば、五十日を出でずして赦令あらん。巫咸がいう、月暈が昴宿を籠罩すれば、糧食の断絶せざるを主る。別の一説には兎の大量死亡を主る。石氏がいう、月が一年の内に三度昴宿を囲えば、来年の天下大赦を主り、あるいは弓弩と糸綿の価貴きを主る。《郗萌占》にいう、月暈が昴宿を籠罩すれば、百姓の疾病に憂うるを主る。またいう、一年の内に暈を生ずること一度なれば小赦を主り、二度なれば中等の赦免を主り、三度なれば大赦を主る。応期はいずれも当年を出でず。
月暈畢 五
郗萌曰:“月暈畢,無德令則民憂兵;又曰五穀大賤。”《荊州占》曰:“月暈畢,大赦;期三十日。”《郗萌占》曰:“月入畢中而暈,人主坐之,一曰人主代。”京房《對災異占》曰:“月三暈畢,天下中外俱赦。”《郗萌占》曰:“月暈,從畢兩角前圍之,不及本一星,主四月赦。”
郗萌がいう、月暈が畢宿を籠罩し、若し朝廷が徳政の詔令を頒かざれば、百姓はまさに兵禍に憂えんとす。またいう、五穀の価格の大跌するを主る(畢宿の八星は、形は兎を捕らる長柄の網のごとく、辺兵と狩猟とを主り、また雨を主る)。《荊州占》にいう、月暈が畢宿を籠罩すれば、大赦を主り、期は三十日に応ず。《郗萌占》にいう、月が畢宿の中に入りて暈を生ぜば、君主のこの応を承当するを主る。別の一説には君主の取代わらるるを主る。京房《対災異占》にいう、月が三度暈を生じ畢宿を籠罩すれば、天下の京畿と四方とが一斉に赦免するを主る。《郗萌占》にいう、月が暈を生じ、畢宿の両只の角尖の前方より囲りて来たり、根部のあの一顆の星に触及せざれば、四月の裡に赦令あるを主る。
月暈觜 六
《荊州占》曰:“月以正月暈觜觿,大赦。”郗萌曰:“月暈觜觿,有德令,女子多疾。”《荊州占》曰:“月暈觜觿,大赦;期三十日。”《河圖帝覽嬉》曰:“月回觜觿,道多死人,大將死;一曰弓弩貴。”
《荊州占》にいう、月が正月に暈を生じ觜觿を籠罩すれば、大赦を主る(觜觿は即ち觜宿の三星にして、形は獣首の觜角のごとく、参宿に緊接し、兵器の収斂と葆旅の事とを主る)。郗萌がいう、月暈が觜觿を籠罩すれば、徳政の詔令あり、女子の疾病を患うこと多きを主る。《荊州占》にいう、月暈が觜觿を籠罩すれば、大赦を主り、期は三十日に応ず。《河図帝覧嬉》にいう、月暈が觜觿を回繞すれば、道路上に死人多く、大将は陣亡するを主る。別の一説には弓弩の漲価を主る。
月暈参 七
郗萌曰:“月暈參,不出歲中,天下亂,其國戰,兵弱,地裂,人主有殃。”《荊州占》曰:“月暈參,其國客軍大恐,戰不勝。”郗萌曰:“月暈參頭,赦,期二十日;一曰暈二星,小赦;暈三星,大赦;沖為期。”石氏曰:“月暈伐,將軍死,貴人有誅者。”京房《易飛候》曰:“月暈參,其有兵則戰;無師,是年三操土功事。”
郗萌がいう、月暈が参宿を籠罩すれば、この一年を出でずして、天下は大いに乱れ、その分野の国は交戦して兵力は削弱し、土地は開裂し、君主に災殃あるを主る(参宿の七星は白虎の体にして、斬刈・殺伐を主る。その下の三小星は「伐」と称し、誅戮を主る)。《荊州占》にいう、月暈が参宿を籠罩すれば、その国の遠来進攻の客軍は大いに惊恐し、作戦は勝を得る能わずを主る。郗萌がいう、月暈が参宿の上端の頭三星を籠罩すれば、赦免を主り、期は二十日に応ず。別の一説には、暈が二顆の星を囲えば小赦を主り、三顆の星を囲えば大赦を主る。応期は月とその宿と相冲する日を取る。石氏がいう、月暈が伐星を籠罩すれば、将軍の死を主り、顕貴の人に誅殺せらるる者あり。京房《易飛候》にいう、月暈が参宿を籠罩し、若し已に戦事あれば則ち交鋒す。若し出兵なければ、この年に三度土木の工を興辦せん。
郗萌曰:“月暈伐,大人多死。”石氏曰:“月暈參,軍不勝,暈匝有雲潰暈,兵大起,在外大戰。”《荊州占》曰:“月暈伐,二百一十日有兵;若赦,有善令,不出五日雨。”郗萌曰:“月以正月、十一月、十二月暈參,其歲惡,虎狼群出,害人民。”《甘氏占》曰:“月以正月暈伐,二夜不出,三旬兵起。”
郗萌がいう、月暈が伐星を籠罩すれば、大人物の死多きを主る。石氏がいう、月暈が参宿を籠罩すれば、軍隊の勝を得る能わざるを主る。暈圏が已に合して一整匝を成したるに、また雲気ありて暈を冲散せば、兵事の大いに起こるを主り、境外に大戦あり。《荊州占》にいう、月暈が伐星を籠罩すれば、二百一十天の内に兵事あるを主る。若し赦免に逢えば、則ち善政の令あり、併せて五日を出でずして雨降らん。郗萌がいう、月が正月・十一月・十二月に暈を生じ参宿を籠罩すれば、この一年の年成の凶悪を主り、虎狼は成群して出没し、百姓を傷害せん。《甘氏占》にいう、月が正月に暈を生じ伐星を籠罩し、この後両夜再び現れざれば、三十天の内に兵事の興起するを主る。
月暈南方七宿
月暈井 一
《海中占》曰:“月暈東井,胡兵起。”郗萌曰:“月暈東井,天下有兵。”郗萌曰:“月暈東井,王者出遊,來年大旱;又曰後六月丙辰,大赦。”《荊州占》曰:“月暈東井,陰陽不和;又曰月暈圍東井,四夷求和。”郗萌曰:“月以十二月壬癸晏東井,大赦。”《巫咸占》曰:“三月暈東井,大水流。”
《海中占》にいう、月暈が東井を籠罩すれば、胡人の兵を興すを主る(東井は即ち井宿の八星にして、形は水井のごとく、水衡と法令とを主り、その分野は秦地に在り)。郗萌がいう、月暈が東井を籠罩すれば、天下に兵事あるを主る。郗萌がいう、月暈が東井を籠罩すれば、君王の出巡・遊幸するを主り、来年は大旱す。またいう、この後六月の丙辰の日に大赦あらん。《荊州占》にいう、月暈が東井を籠罩すれば、陰陽の調わざるを主る。またいう、月暈が東井を囲えば、四方の夷狄の求和するを主る。郗萌がいう、月が十二月の壬日・癸日に暈を生じ東井を籠罩すれば、大赦を主る(底本「暈」を「晏」に訛作す)。《巫咸占》にいう、三月の裡に月暈が東井を籠罩すれば、大水の横流するを主る。
月暈鬼 二
石氏曰:“月暈鬼,黍貴三倍。”甘氏曰:“月夏三暈鬼,大雨,五穀不成。”郗萌曰:“月以正月上旬暈鬼,赦;期三十日。”《海中占》曰:“月暈鬼,大旱。”《荊州占》曰:“月暈鬼,陣不戰。”郗萌曰:“月以一月再暈鬼,多死人。”郗萌曰:“月以夏三月暈鬼,一曰大霧;一曰大雹、大霜;一曰大雪;一曰大雨水;一曰大蟲;一曰大火。又曰二暈小水;一暈為寒。”
石氏がいう、月暈が鬼宿を籠罩すれば、黍価の三倍に漲るを主る(鬼宿の四星はまた輿鬼と称し、中央の白気一団は「積尸気」と称し、祠祀と死丧の事とを主る)。甘氏がいう、月が夏季に三度暈を生じ鬼宿を籠罩すれば、大雨を主り、五穀は成熟する能わず。郗萌がいう、月が正月上旬に暈を生じ鬼宿を籠罩すれば、赦免を主り、期は三十日に応ず。《海中占》にいう、月暈が鬼宿を籠罩すれば、大旱を主る。《荊州占》にいう、月暈が鬼宿を籠罩すれば、両軍の対陣して交戦せざるを主る。郗萌がいう、月が一か月の裡に二度暈を生じ鬼宿を籠罩すれば、死人の众多なるを主る。郗萌がいう、月が夏季三か月の裡に暈を生じ鬼宿を籠罩するは、一説には大霧を主り、一説には大氷雹・大霜を主り、一説には大雪を主り、一説には暴雨・洪水を主り、一説には虫災の大作を主り、一説には大火を主る。またいう、暈を生ずること二度なれば小水を主り、一度なれば寒冷を主る。
郗萌曰:“月以夏一月一暈鬼,為寒;再暈小水;三暈大水。”郗萌曰:“月以四月、七月、十月暈輿鬼中,出氣東行者,皆為老公多死;南行者,皆為丁壯多死;西行者,皆為老嫗多死;非行者,皆為少年多死;皆朝九十日。”
郗萌がいう、月が夏季の一か月の裡に暈を生じ鬼宿を籠罩すること一度なれば、天气の寒冷を主る。二度なれば、小水を主る。三度なれば、大水を主る。郗萌がいう、月が四月・七月・十月に暈を生じ輿鬼の中を籠罩し、暈の中より透出する気が東に行けば、いずれも老年男子の死多きを主る。南に行けば、いずれも壮年男子の死多きを主る。西に行けば、いずれも老年婦人の死多きを主る。方向を循らずして乱行するは、いずれも少年の死多きを主る。応期は一概に九十天の内に在り(末句の「非行」は当に「北行」の訛ならん、「朝」は「期」の訛なり)。
月暈柳 三
石氏曰:“月暈柳,秋木鬱,若有兵戰。”《巫咸占》曰:“月暈柳,三日有赦,大臣有死者;兵不戰,有水,民移。”
石氏がいう、月暈が柳宿を籠罩すれば、秋に草木の鬱結して暢びざるを主り、あるいは兵戈・戦事あり(柳宿の八星は朱雀の口にして、また「注」と名づけ、上天の厨膳と飲食の事とを主る)。《巫咸占》にいう、月暈が柳宿を籠罩すれば、三日の内に赦令あるを主り、大臣に死亡する者あり。両軍は交戦せず、水災あり、百姓は遷徙す。
郗萌曰:“月暈柳,有獄事;若其地旱,民多疾死;又曰月暈注,其地有禍,其歲中人多死者,老小哭泣道路;若飛蟲多死;又曰穀貴,人相食;又曰圍注不出三十日,有野兵圍城。”注即柳之別名。《巫咸占》曰:“月暈柳,有野兵。”郗萌曰:“月以正月、十月暈柳頭,赦;期三十日。”
郗萌がいう、月暈が柳宿を籠罩すれば、刑獄の事あるを主る。あるいはその分野の地は天旱し、百姓は病をもって死すること多し。またいう、月暈が「注」星を籠罩すれば、その地に禍患あるを主り、この一年中に人の死亡多く、老幼は道路に哭泣す。あるいは飛虫の大量死亡す。またいう、穀価の騰貴し、人相食むを主る。またいう、暈が注星を囲えば、三十日を出でずして、野戦の兵ありて城池を囲困せん。原書は明注す、「注」は即ち柳宿の別名なり、と。《巫咸占》にいう、月暈が柳宿を籠罩すれば、野戦の兵あるを主る。郗萌がいう、月が正月・十月に暈を生じ柳宿の頭部を籠罩すれば、赦免を主り、期は三十日に応ず。
月暈星 四
郗萌曰:“月暈七星,有獄事,其在有禍,若旱;一曰輕車戰。”《河圖帝覽嬉》曰:“月暈七星,輕兵戰;若飛蟲多死。”《石氏占》曰:“月以七月暈七星;月暈七星,民多夭傷,物再榮。”
郗萌がいう、月暈が七星宿を籠罩すれば、刑獄の事あり、所在の地に禍患あり、あるいは天旱するを主る。別の一説には軽車部隊の交戦するを主る(七星は即ち星宿の七星にして、朱雀の頸なり、急兵と盗賊とを主る)。《河図帝覧嬉》にいう、月暈が七星を籠罩すれば、軽装の兵卒の交戦するを主る。あるいは飛虫の大量死亡す。《石氏占》にいう、月が七月に暈を生じ七星を籠罩す。月暈が七星を籠罩すれば、百姓の夭亡・受傷多く、草木は一年の内に二度開花するを主る。
月暈張 五
《黃帝占》曰:“月暈張,天下大水。”《黃帝占》曰:“月暈張,飛鳥死;一曰海鳥亡。”郗萌曰:“月暈張,其地旱,若大人憂;一曰人相食。”《荊州占》曰:“月暈張,大水,魚行人道。”陳卓曰:“月暈張,五穀貴,若鹽貴。”《帝覽嬉》曰:“月圍張,飛蟲多死;一曰獄罪,人民不定。”
《黄帝占》にいう、月暈が張宿を籠罩すれば、天下の大水を主る(張宿の六星は朱雀の嗉嚢にして、珍宝・宗廟と天厨の飲食とを主る)。《黄帝占》にいう、月暈が張宿を籠罩すれば、飛鳥の死亡を主る。別の一説には海鳥の絶跡するを主る。郗萌がいう、月暈が張宿を籠罩すれば、その分野の地は天旱し、あるいは大人物に憂いあるを主る。別の一説には人相食むを主る。《荊州占》にいう、月暈が張宿を籠罩すれば、大水を主り、魚は人の行く大路に遊ぶ。陳卓がいう、月暈が張宿を籠罩すれば、五穀の価貴く、あるいは塩価の高漲するを主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が張宿を囲えば、飛虫の大量死亡を主る。別の一説には刑獄・罪案の繁興し、百姓は安定を得ざるを主る。
月暈翼 六
郗萌曰:“月暈犯翼,女主惡。”《黃帝占》曰:“月暈翼,士卒多遁走;一曰卒大聚。”陳卓曰:“月暈翼,士卒大盜;一曰卒勝大盜;一曰士卒勝;一曰春赦;一曰亡其將。”
郗萌がいう、月暈が翼宿を籠罩し併せて侵犯すれば、女主の凶悪の事に遭遇するを主る(翼宿の二十二星は朱雀の羽翼にして、楽府・倡優と遠方の賓客とを主る)。《黄帝占》にいう、月暈が翼宿を籠罩すれば、士卒の大批に逃散するを主る。別の一説には士卒の大規模に聚集するを主る。陳卓がいう、月暈が翼宿を籠罩すれば、士卒の大盗に淪るを主る。別の一説には士卒が大盗に戦勝するを主る。さらに別の一説にはただ士卒の獲勝するを作るのみ。さらに別の一説には春に赦免あるを主る。また別の一説には主将を折損するを主る。
郗萌曰:“月暈翼,春有赦;又曰旱,若大風傷。”《荊州占》曰:“月暈翼,兵起天下,庫兵出;一曰有軍,軍罷。”《巫咸占》曰:“月暈翼,大戰,民去室宅。”郗萌曰:“月以二月暈翼,至五月,赦;又曰月暈翼,有車馳、人走之事,貴人多反者。”
郗萌がいう、月暈が翼宿を籠罩すれば、春に赦免あるを主る。またいう、天旱を主り、あるいは大風に損傷せらるるを主る。《荊州占》にいう、月暈が翼宿を籠罩すれば、天下の兵を興し、武庫の中の兵器は取出され発放せらるるを主る。別の一説には已に軍隊あれば則ち兵を罷むを主る。《巫咸占》にいう、月暈が翼宿を籠罩すれば、大戦あり、百姓は屋宅を離棄するを主る。郗萌がいう、月が二月に暈を生じ翼宿を籠罩すれば、五月に至りて赦免あらん。またいう、月暈が翼宿を籠罩すれば、車馬の奔馳し・人衆の逃散するの事あり、顕貴の人に反叛する者多きを主る。
月暈軫 七
《春秋緯考異郵》曰:“月暈軫,諸侯滅兵。”《黃帝占》曰:“月暈軫,大將軍戰死,一曰亡其將;一曰罷軍,無軍。”郗萌曰:“月暈軫,兵起;先起兵者不勝。若大風傷歲。”陳卓曰:“月暈軫,歲小旱。”《荊州占》曰:“月一月而三暈軫,天下無懸車繫馬暈軫,有德令;以十二月暈軫,庫無懸車,廄無繫馬;一曰有軍則罷。”
《春秋緯考異郵》にいう、月暈が軫宿を籠罩すれば、諸侯の兵戈を止息するを主る(軫宿の四星は朱雀の尾にして、車駕と風とを主り、その分野は楚地に在り)。《黄帝占》にいう、月暈が軫宿を籠罩すれば、大将軍の戦死するを主る。別の一説には主将を折損するを主る。さらに別の一説には兵を罷め、再び軍隊なからんを主る。郗萌がいう、月暈が軫宿を籠罩すれば、兵を興し、先に兵を発する一方は勝を得る能わざるを主る。あるいは大風ありて年成を傷害せん。陳卓がいう、月暈が軫宿を籠罩すれば、この年に略ば旱情あるを主る。《荊州占》にいう、月が一か月の裡に三度暈を生じ軫宿を籠罩すれば、天下の車馬は尽く出でて武庫の中に挂くる車なく・馬廐の中に繋ぐ馬なからんを主る。暈が軫宿を籠罩するは、徳政の詔令あるを主る。十二月に暈を生じ軫宿を籠罩すれば、府庫の裡に閑置の車なく、馬廐の裡に拴えたる馬なきを主る。別の一説には、已に軍隊あれば則ちこれに就いて兵を罷むを主る。
開元占經 卷十六
月占 六
月暈石氏中官之 一
郗萌曰:“月暈攝提,大角在暈中,天下兵橫行不禁,諸侯分政,天下大亂。內興兵與上爭立者,以其時赦。”《黃帝占》曰:“月暈大角,人君侯王親戚憂服。”郗萌曰:“月暈大角,國家亡地。”郗萌曰:“月以正月三暈天平,大赦;一曰天下大敗,多盜。”(貫索別名。)《石氏占》曰:“月暈織女,兵滿天下。”《郗萌占》曰:“月暈天市,有兵。”
郗萌がいう、月暈が摂提星を籠罩し、大角星もまた暈圏の中に落ちれば、天下に兵戈の横行して禁止する法なく、諸侯は各々政権を分割し、天下は大いに乱るるを主る。国内に人ありて兵を興し君上と帝位を争奪するは、則ちこの時に赦免を頒行す(本巻に占うは石申一家に伝わる「中官」にして、即ち紫微・太微・天市の三垣と北斗の一帯に北極を環拱する星官なり、二十八宿以外の「外官」と相対す。摂提の六星は大角の両旁に挟まり、時節の建つを主る。大角は角宿の北にあり、天王の座位である)。《黄帝占》にいう、月暈が大角を籠罩すれば、君王・侯伯の親属に丧服の憂いあるを主る。郗萌がいう、月暈が大角を籠罩すれば、国家の土地を喪失するを主る。郗萌がいう、月が正月に三度暈を生じ「天平」を籠罩すれば、大赦を主る。別の一説には天下の大敗し・盗賊の众多なるを主る(原書小注:天平は貫索星の別名なり)。《石氏占》にいう、月暈が織女星を籠罩すれば、兵禍の天下に遍布するを主る。《郗萌占》にいう、月暈が天市垣を籠罩すれば、兵事あるを主る。
郗萌曰:“月暈津星,大將死,五穀不成,民流千里,牛馬大疫。”《荊州占》曰:“月暈津星,蛟龍見。”郗萌曰:“月暈津星之口,不出二旬,天下大赦。”郗萌曰:“月暈津星,有亂臣更天子之法令者。”《荊州占》曰:“月暈津星,天下大亂,亡。”陳卓曰:“月暈河鼓,大將出,將失計。”《荊州占》曰:“月暈,圍大陵前足,赦死罪;圍後足,赦小罪。”
郗萌がいう、月暈が天津星を籠罩すれば、大将の死を主り、五穀は熟せず、百姓は千里に流亡し、牛馬は大いに瘟疫に遭う(天津の九星は銀河を横断し、水を渡る津梁なり、故に名づく。月暈のこれに及ぶは、多く水事と道路とに応ず)。《荊州占》にいう、月暈が天津を籠罩すれば、蛟竜の現形するを主る。郗萌がいう、月暈が天津の津口の一端を籠罩すれば、二十日を出でずして、天下は大赦す。郗萌がいう、月暈が天津を籠罩すれば、乱臣ありて擅に天子の法令を更改するを主る。《荊州占》にいう、月暈が天津を籠罩すれば、天下の大いに乱れて滅亡に至るを主る。陳卓がいう、月暈が河鼓の三星を籠罩すれば、大将の出征するを主り、将帥は籌算に失す。《荊州占》にいう、月が暈を生じ、大陵星の前足を囲えば、死罪を赦免するを主る。後足を囲えば、軽罪を赦免するを主る。
郗萌曰:“月暈五車,其國女主惡之。”石氏曰:“月暈五車,圍一星,赦小罪;圍二星、三星、四星,赦次罪;圍五星,赦死罪。並暈畢、昴、大陵,必大赦。”《巫咸占》曰:“月暈五車,一柱,兵少出圍;二柱,兵半出圍;三柱,兵盡出。兵在外,暈一柱,兵少罷;二柱,兵半罷;三柱,兵盡罷。”
郗萌がいう、月暈が五車星を籠罩すれば、その分野の国の女主の凶事に遭遇するを主る(五車の五星は畢宿の北にあり、これ五帝の車舎にして、また五穀の豊歉と兵車とを主る)。石氏がいう、月暈が五車を籠罩し、その中の一星を囲えば、軽罪を赦免するを主る。両星・三星・四星を囲えば、次一等の罪を赦免するを主る。五星を俱全に囲えば、死罪を赦免するを主る。若し同時にまた畢宿・昴宿と大陵星とを籠罩せば、必ず大赦す。《巫咸占》にいう、月暈が五車を籠罩し、暈気が一根の柱状の気を生出せば、少量の兵を出して囲を解くを主る。両柱を生出せば、一半の兵力を出動して囲を解くを主る。三柱を生出せば、全軍は尽く出づ。若し軍隊が已に境外に在れば、暈が一柱を生ずるは、少量の罷兵を主り、両柱は、一半の罷兵を主り、三柱は、全軍の撤回を主る。
郗萌曰:“月暈五車,不及獄星,無赦:又曰月以正月暈五車,圍五星,有德令;以四月、七月、十月暈五車,有水,陰雨五十日:以十=月暈五車,五穀貴:又曰以十二月暈五車,期四月,有德令。”郗萌曰:“月一歲三暈天關,其年赦;又曰月暈無關,不出六月,有大喪,以其日占國;暈天關,民多疾。”(南北河之別名。)
郗萌がいう、月暈が五車を籠罩し、しかも五車の中の天獄星に触及せざれば、赦免なし。またいう、月が正月に暈を生じ五車を籠罩し、五顆の星を全部囲えば、徳政の詔令あるを主る。四月・七月・十月に暈を生じ五車を籠罩すれば、水災あり、陰雨は五十日連綿するを主る。十一月に暈を生じ五車を籠罩すれば、五穀の価貴きを主る(底本ここに月份は訛字を用う)。またいう、十二月に暈を生じ五車を籠罩すれば、期は四月に応じ、徳政の詔令あるを主る。郗萌がいう、月が一年の内に三度暈を生じ天関星を籠罩すれば、この年に赦免あり。またいう、月暈が天関を籠罩すれば、六か月を出でずして大丧あらん、暈を生ずるあの日の干支によって応ずる国を推占すべし。暈が天関を籠罩するは、百姓の疾病多きを主る(原書小注:天関は南河・北河の別名なり)。
《荊州占》曰:“月行宿天門,暈三重,氣青,關梁不通。”《帝覽嬉》曰:“月暈南北河戍,有雲貫之,起兵者勝。”郗萌曰:“月暈南北河戍,有土功。”《黃帝占》曰:“月暈軒轅,有女喪。”《荊州占》曰:“月暈軒轅,不出其月,有客來。”京房曰:“庚子夜,月暈軒轅,後甲子有大赦。”郗萌曰:“月暈圍軒轅,不出五十日,天下小赦。”
《荊州占》にいう、月が天門を行き経て停留し、三重の暈を生出し、暈気は青色を呈せば、関隘・橋梁の阻塞不通を主る。《帝覧嬉》にいう、月暈が南河・北河の戍守の星を籠罩し、また雲気ありて暈圏を横貫すれば、先に兵を発する一方の獲勝するを主る(南河・北河は各々三星、井宿の南北に挟まり、天上の関門のごとく、日月・五星の往来する通道を守衛す)。郗萌がいう、月暈が南河・北河の戍星を籠罩すれば、土木・工役あるを主る。《黄帝占》にいう、月暈が軒轅星を籠罩すれば、女子の丧事あるを主る(軒轅の十七星は七星宿の北にあり、形は騰竜のごとく、后妃の象なり)。《荊州占》にいう、月暈が軒轅を籠罩すれば、当月を出でずして、賓客の到来するあらん。京房がいう、庚子の日の夜に月暈が軒轅を籠罩すれば、この後の甲子の日に大赦あらん。郗萌がいう、月暈が軒轅を囲えば、五十日を出でずして、天下に小赦あらん。
《荊州占》曰:“月暈天庭,天子以兵自衛。”《巫咸占》曰:“月暈太微庭,天子發軍自衛,不入將軍之軍;又曰一二三軍庭,人主自衛。”郗萌曰:“月三暈紫微赦。”石氏曰:“月暈太微宮,天子以兵自守:三暈之,天子自臨兵行。”甘氏曰:“月一月三暈圍太微庭,天子座發軍,謀在軍中;一曰天子亡也,以大赦解之。”《京房占》曰:“月以庚子夜暈太微,至後甲子,有赦令。”郗萌曰:“月暈黃帝座,有赦令。”郗萌曰:“月暈文昌,赦。”《荊州占》曰:“月以正月三暈天牢,大赦。”
《荊州占》にいう、月暈が天庭を籠罩すれば、天子の兵を調べ自衛するを主る。《巫咸占》にいう、月暈が太微垣を籠罩すれば、天子の兵を発して自衛するを主り、将軍の統べる軍隊に併入せず。またいう、暈気の一重・両重・三重にして太微の庭に及ぶは、いずれも君主の自ら護衛するを主る(太微垣は翼・軫の北にあり、天子の南宮・朝廷にして、十二諸侯の府なり。紫微垣は北極にあり、天帝の居所なり)。郗萌がいう、月が三度暈を生じ紫微垣を籠罩すれば、赦免を主る。石氏がいう、月暈が太微宮を籠罩すれば、天子の兵を調べ自ら守るを主る。三度暈を生ずれば、天子の軍中に親臨して師を行くを主る。甘氏がいう、月が一か月の裡に三度暈を生じ太微の庭を囲えば、天子座星の主る君王の兵を発するを主り、謀議はすなわち軍中にて行わる。別の一説には天子に亡失の危あるを主り、大赦を用いて化解すべし。《京房占》にいう、月が庚子の日の夜に暈を生じ太微を籠罩すれば、この後の甲子の日に、赦令あらん。郗萌がいう、月暈が黄帝座を籠罩すれば、赦令あるを主る。郗萌がいう、月暈が文昌宮を籠罩すれば、赦免を主る。《荊州占》にいう、月が正月に三度暈を生じ天牢星を籠罩すれば、大赦を主る。
《巫咸占》曰:“月暈連環及北斗,天下大亂,國喪,民徙千里:不則有流亡、拔城,反地者,不出二年。”《黃帝占》曰:“月暈北斗,有喪,流民千里,糴貴,兵聚。甲乙期百二十日,丙丁期八十日:戊己期六十日;庚辛期四十日;壬癸期二十日皆行矣。一日兵大起,有益地者:一曰天下火,兵大起。”
《巫咸占》にいう、月暈が連なりて環状を成し一直に北斗に延及すれば、天下の大乱を主り、国に丧事あり、百姓は千里に遷徙す。さもなくば則ち流亡・逃散あり・城池は攻拔せられ・土地は反覆して主を易うの事あり、期は二年を出でずに応ず。《黄帝占》にいう、月暈が北斗を籠罩すれば、丧事あり、流民は千里に奔走し、米価は騰貴し、兵衆は聚集するを主る。若し甲乙日に暈を生ぜば、期は一百二十日に応じ、丙丁日は、期は八十日に応じ、戊己日は、期は六十日に応じ、庚辛日は、期は四十日に応じ、壬癸日は、期は二十日に応じ、いずれもこれに照らして応験せん。別の一説には兵事の大いに起こり、土地を開拓する者あるを主る。さらに別の一説には天下に火災あり、兵事の大いに起こるを主る。
《郗萌占》曰:“月暈北斗,再重如連環狀,不出三年,大臣有誅者;又曰暈北斗,有大喪,赦天下。”(按魏黃初四年十一月十七日有此,到七年五月,文帝崩,明帝即位,大赦天下。)陳卓曰:“月暈北斗、太微、大角,各得一星,兵大動,天下亂。不然,即水入城,傷人民,期三十日。”夏氏曰:“暈如連環,重暈北斗魁前第一星、第二星,大臣下獄,流移二千里;又曰暈輔星,大臣下獄。”石氏曰:“月暈一重,下缺不合,上有冠戴,旁有兩珥,白暈連環,貫珥,接北斗,國有大兵,大戰流血,其分亡地,不出一年。”
《郗萌占》にいう、月暈が北斗を籠罩し、両重の暈圏は形は連環のごときは、三年を出でずして、大臣に誅殺せらるる者あるを主る。またいう、暈が北斗を籠罩するは、大丧あるを主り、随いで天下を赦免せん(原書小注:考えるに魏の文帝・黄初四年十一月十七日にこの天象が出現し、黄初七年五月に至り、文帝は駕崩し、明帝が即位し、天下を大赦せり)。陳卓がいう、月暈が北斗・太微・大角を籠罩し、三処に各々一顆の星を囲えば、兵事の大いに動くを主り、天下は大いに乱る。さもなくば則ち大水が城中に灌入し、百姓を傷害し、期は三十日に応ず。夏氏がいう、暈圏の形は連環のごとく、重々の暈気が北斗魁星の最も前の第一星と第二星とを套住すれば、大臣の獄に下され、二千里以外に流放・遷徙せらるるを主る。またいう、暈が輔星を籠罩するは、大臣の下獄を主る。石氏がいう、月暈がただ一重のみにして、下方は残缺して合攏する能わず、上方に冠気・戴気あり、両旁に两道の珥気あり、白色の暈圏は連なりて環状を成し、両珥を貫穿して北斗に接到すれば、国家に大兵事あり、大戦は血を流し、あの分野は土地を喪失するを主り、期は一年を出でずに応ず。
月暈石氏外官 二
石氏曰:“月暈平星凶。”又曰:“月暈魚星,凶奪”石氏曰:“月暈九次,凶。”郗萌曰:“月以四月、七月、十月暈弧,兵起。”《荊州占》曰:“月暈狼星,狗多暴死。”
石氏がいう、月暈が平星を籠罩すれば、凶を主る(本節に占うは石申一家に伝わる「外官」にして、即ち二十八宿の外にして四方に散布する星官なり。平星の二星は庫楼の北にあり、平法・断獄を主る)。石氏がまたいう、月暈が魚星を籠罩すれば、凶禍の命を奪うを主る。石氏がいう、月暈が九次の星を籠罩すれば、凶を主る。郗萌がいう、月が四月・七月・十月に暈を生じ弧矢星を籠罩すれば、兵を興すを主る(弧矢の九星は狼星の東南にあり、形は弓を張り箭を搭うごとく、正しく天狼を指し、盗賊に備うるを主る)。《荊州占》にいう、月暈が天狼星を籠罩すれば、狗の大量に暴死するを主る。
月暈甘氏・中官 三
《荊州占》曰:“月宿天門,暈三重,氣青,關梁不通。”郗萌曰:“月暈天高,不出六月,必有大喪,以其日占邦。”石氏曰:“月暈月星,不出四年,有殃,內禍匿謀。”郗萌曰:“月暈天街,關梁不通。”
《荊州占》にいう、月が天門に停留し、三重の暈を生出し、暈気は青色を呈せば、関隘・橋梁の阻塞不通を主る(本節に占うは甘徳一家に伝わる中官の星座なり)。郗萌がいう、月暈が天高星を籠罩すれば、六か月を出でずして、必ず大丧あり、暈を生ずるあの日の干支によって応ずる邦国を推占すべし。石氏がいう、月暈が月星を籠罩すれば、四年を出でずして災殃あらん、これ宮禁の内の禍患と暗中の図謀とす。郗萌がいう、月暈が天街星を籠罩すれば、関隘・橋梁の阻塞不通を主る(天街の二星は畢宿・昴宿の間にあり、これ胡と中国との分界なり、故に関梁の往来を主る)。
月暈而珥冠戴抱背玦直虹蜺雲気 四
《帝覽嬉》曰:“月暈而珥,歲為平安。”《帝覽嬉》曰:“暈而兩珥,先起兵者有喜。”《帝覽嬉》曰;“月有雲,暈不合,外有四倍璚,外有謀不成。”甘氏曰:“月暈有虹、背、蜺、亂起,期百八十日。”《帝覽嬉》曰:“月暈,蜺雲乘之,以戰從蜺所住者,大勝。”石氏曰:“月暈,無精光,青赤暈、虹、蜺、背、璚,是謂大蕩,兵喪並起,王者以赦除。”
《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じて傍らにまた珥気あれば、この年の平安を主る(本篇に列うはいずれも月の傍らの雲気の種種の形状なり:「珥」は両耳のごとく月の傍に附き、「冠」は帽子のごとく月の上に覆い、「戴」は物件のごとく月の頂に頂き、「抱」は両手のごとく環抱して月に向かい、「背」は則ち気は彎わりて月体に背き、「玦」はまた「璚」と作る、缺口ある玉環のごとし、「直」は一道の豎立する気柱なり、「虹」「蜺」は則ち彎曲して橋のごとき彩気にして、虹は雄と為り、蜺は雌と為る)。《帝覧嬉》にいう、暈を生じて两道の珥気あれば、先に兵を発する一方に喜あるを主る。《帝覧嬉》にいう、月の傍に雲あり、暈圏は合攏する能わず、外囲に四道の背向する玦気あれば、外部の図謀の成功する能わざるを主る。甘氏がいう、月暈の外にまた虹・背・蜺の諸気の紛乱して併せ起これば、期は一百八十日に応ず。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、また蜱気の雲ありてその上に凌乗せば、作戦の時、蜱気の所在する方向に順いて進撃せば、大勝を獲るべし。石氏がいう、月が暈を生じて毫も光華なく、青赤色の暈圏と虹・蜱・背・玦の諸気と交雑すれば、これを「大蕩」と謂い、兵禍と丧事とが一斉に発生するを主り、君王は赦免を用いてこれを消除すべし。
《高宗占》曰:“月暈,有雲加之,兵入境,所宿國主有喪。”《帝覽嬉》曰:“月暈,有雲貫暈,左右吏死。”京房《易傳》曰:“月暈,有雲貫暈,不期年,所值國有喪。”《荊州占》曰;“月暈,有雲橫貫之,起兵者勝。”《帝覽嬉》曰:“月暈,有雲大如厚布,四貫暈,通月;不出其年,主人憂。”《帝覽嬉》曰:“月暈,有雲如厚布,若三若四,貫暈抵月,以戰勿當,當者破。”
《高宗占》にいう、月が暈を生じ、また雲気ありてその上を覆圧せば、敵兵の国境に侵入するを主り、月の所在する宿次の分野の国の国君に丧あり。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、雲気ありて暈圏を貫穿せば、左右の近侍の官の死亡を主る。京房《易伝》にいう、月が暈を生じ、雲気ありて暈圏を貫穿せば、一年に到らずして、月の値する分野の国に丧事あり。《荊州占》にいう、月が暈を生じ、雲気ありてその間を横貫せば、先に兵を発する一方の獲勝するを主る。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、雲気ありて粗大は厚布のごとく、四道は一斉に暈圏を貫穿して直ちに月体に通ぜば、当年を出でずして、守方の君主に憂患あらん。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、雲気ありて状は厚布のごとく、あるいは三道あるいは四道、暈圏を貫穿して月体に抵れ到れば、作戦の時、切に正面から迎撃すべからず、迎撃する一方は必ず敗れん。
《帝覽嬉》曰:“月暈,赤雲大如杵,有軍在外,萬人死其下。”《荊州占》曰:“月暈,有白雲出其中,東西竟天,萬氏受賜。”《帝覽嬉》曰:“月有白雲貫暈,其云大如杵,一端抵月,月之所直者,不出年中,國主女喪。”《高宗占》曰:“月暈,多白氣從外入,攻城城拔,得大將;多白氣從中出,主人勝。”《帝覽嬉》曰:“月暈,有白氣,廣可二三尺,而抵月,在東方,名嬰兒:攻人地者,亡其師。”
《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、赤色の雲気ありて粗大は木杵のごときは、軍隊の外に在るあり、上万の人がこの道の雲気の指す下に死するを主る。《荊州占》にいう、月が暈を生じ、白雲ありて暈の中より透出し、東西に整個の天空を横貫せば、万民の賞賜を受くるを主る。《帝覧嬉》にいう、月の傍に白雲ありて暈圏を貫穿し、雲気は粗大は木杵のごとく、一端は月体に抵住すれば、則ち月が当時正しく対する分野は、この一年を出でずして、その国の君主の后妃に丧あらん。《高宗占》にいう、月が暈を生じ、大片の白気が暈の外より内に侵入せば、城を攻むれば則ち城は攻下せられ、併せて敵方の大将を生擒する能うを主る。大片の白気が暈の中より外に透出せば、則ち守方の獲勝するを主る。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、白気ありて広さ約二三尺にして月体に抵住し、東方に出現するは、名を「嬰児」と曰い、他人の土地を進攻する一方が自らの軍隊を折損するを主る。
卓氏曰:“月暈,有雲貫暈,約月,不出其年,所直國有喪。”《荊州占》曰:“月暈,有白雲一,黑雲二,如布抵暈,有國城拔,邑將死。”《帝覽嬉》曰:“月暈,有青雲刺月,是謂賊害,主受其殃,為歲五穀不熟。有赤雲刺月,是謂仇賊;有黃雲圍月,有女主戮死者;期不出四十日。有白雲刺月,其國君遇賊;有黑雲貫月。乍一乍二乍三,其名曰衡,雲所宿國,主死,若將軍死。”
陳卓がいう、月が暈を生じ、雲気ありて暈圏を貫穿し併せて月体を纏束せば、この一年を出でずして、月の正しく対する分野の国に丧事あり。《荊州占》にいう、月が暈を生じ、一道の白雲・两道の黒雲ありて布帛のごとく暈圏に抵住せば、国家の城池の攻下せられ、城邑の主将は戦死するを主る。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、青雲ありて刺のごとく直ちに月体を指すは、これを「賊害」と謂い、君主の災殃を承受するを主り、この年は五穀熟せず。赤雲ありて月を刺すは、これを「仇賊」と謂う。黄雲ありて月体を囲えば、女主の殺せらるるあるを主り、期は四十日を出でずに応ず。白雲ありて月を刺せば、その国の国君の賊寇に遭遇するを主る。黒雲ありて月体を貫穿し、忽ち一道・忽ち两道・忽ち三道なるは、その名は「衡」と曰い、雲気の対応する分野の国は、国君は死し、あるいは将軍は死す。
月暈に流星の月暈中に出入する有り 五
《荊州占》曰:“月暈,有流星出其中,其國貴人有出走者;流星入其中,有大使入者。”《帝覽嬉》曰:“月暈,有流星橫貫月,度暈中者,諸侯皇后有亡失國者;又曰流星貫暈,不中月,出月右,如建鼓,右吏死:出月左,左吏死。”
《荊州占》にいう、月が暈を生じ、流星ありて暈の中より飞出すれば、その分野の国の顕貴の人に出奔・逃亡する者あるを主る。流星ありて暈の中に飞入せば、大使者の入境して来るあるを主る。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、流星ありて月体を横貫し暈圏の中を穿過せば、諸侯あるいは皇后に失国の禍あるを主る。またいう、流星が暈圏を貫穿して正しく月体に中らず、月の右側より飞出するは、その状は架けたる大鼓のごとく、右班の吏の死を主る。月の左側より飞出するは、左班の吏の死を主る。
《帝覽嬉》曰;“天下無雲,有流星過月下,若月上,其國有喜:一日兵出。”《荊州占》曰:“月暈,有流星從中出,其包蒼,其國憂;若赤,拔城:黃,益地:白,來年穀熟,黑,軍敗。”《帝覽嬉》曰:“月暈,有星出中國,貴人有出走者;有星從外入暈中,其國有大夫入者。”
《帝覧嬉》にいう、天上は一片に雲なく、流星ありて月の下あるいは月の上を掠過せば、その分野の国に喜慶あるを主る。別の一説には出兵を主る。《荊州占》にいう、月が暈を生じ、流星ありて暈の中より飞出し、星の色は青蒼なれば、その国に憂患あるを主る。若し赤色なれば、城池の攻拔せらるるを主る。黄色なれば、土地を開拓するを主る。白色なれば、来年の五穀の豊熟を主る。黒色なれば、軍隊の敗績するを主る。《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じ、星ありて暈の中より飞出せば、顕貴の人に出奔・逃亡する者あるを主る。星ありて暈の外より暈の中に飞入せば、その国に大夫の来たり帰附する者あるを主る。
月暈客星 六
《帝覽嬉》曰:“月暈,客星所宿主國憂。”《石氏占》曰:“月暈客星,星有月北,北國勝;星在月南,南國勝。”(他方準此)
《帝覧嬉》にいう、月が暈を生じて暈の中に客星あれば、客星の居する宿次の分野の国に憂患あるを主る(「客星」とはもとその星なくして忽然と出現し、一段の時日を過ぎてまた隠没する星を指し、新星・彗星の類のごとき、それ客のごとく暫く寓るがゆえに名づく)。《石氏占》にいう、月暈が客星を籠罩し、客星が月の北面に在れば、北方の国の獲勝するを主る。客星が月の南面に在れば、南方の国の獲勝するを主る(原書小注:その他の方位はこれに類推す)。
開元占經 卷十七
月占 七
候月蝕 一
京氏曰:“月生三日,無光魄,其必蝕。”京房《易飛候》曰:“孟月六日而暈,月蝕;仲月七日暈,月蝕;季月八日暈,其月蝕。”《易緯萌氣樞》曰:“候月盡蝕,視水中不見影者,月盡蝕。”
京房がいう、月の初生の第三日、若し毫も光輝と暗魄との分際なければ、この月は必ず月食が発生す(「候」とは預め測候し・推験するの意にして、本篇に講るはいかに月象よりまさに月食あらんを預知するかなり)。京房《易飛候》にいう、孟月の初六に暈を生ぜば、当月に月食あるを主る。仲月の初七に暈を生ぜば、当月に月食あるを主る。季月の初八に暈を生ぜば、当月に月食あるを主る。《易緯萌気枢》にいう、月全食を測候するの法は、水中の月影を察看するを是とす。若し水の裡に月影を照出さざれば、則ち月全食を主る。
月薄蝕 二
《帝覽嬉》曰:“月赤黃無光,曰薄;毀傷,曰蝕,皆不祥,善惡各有為其國。”京房《易傳》曰:“日月不交而蝕,曰薄。”孟康曰:“日月無光,曰薄。”《易豐卦》曰:“月盈則食。”《釋名》曰:“日月虧曰蝕;稍侵,虧如蟲食草木葉也。”《詩》曰:“彼月而食,則惟其常;此日而食,於何不藏。”
《帝覧嬉》にいう、月色が赤黄にして光輝を失うを、「薄」と謂う。月体が侵蝕・毀損せらるるを、「蝕」と謂う。両者はいずれも不祥の象にして、吉凶は各々応ずる所有り、異なる分野の国に分属す。京房《易伝》にいう、日月は併せて相掩い交會せざるに光色は晦暗なれば、則ち「薄」と謂う。孟康がいう、日月が光輝を失うを、「薄」と謂う。《周易・豊卦》の彖辞にいう、月は円満に極まれば則ち亏蝕せんとす。《釈名》にいう、日月の亏欠するを「蝕」と謂う。漸々に侵占せられて亏损するは、虫子が草木の葉子を啃食するがごとし。《詩経・小雅・十月之交》にいう、あの月の亏蝕するは、なお常に有る事と算うべし。この太陽の亏蝕するは、何等の不祥にして掩蔵す可からざるか、と。
班固《天文志》曰:古人有言曰:“天下太平,五星循度,無有逆行者,日不蝕朔,月不蝕望。”王充《論衡》曰:“王者,有至德之萌;日月無朔望之異。”(異謂蝕之)《京氏占》曰:“月與日相沖,分天下之半,循於黃道,鳥兔相沖,光盛威重,數盈理極,危亡之災,一時頓盡,遂使太陽,奪其光華,暗虛虧其體質;小潛則小虧,大驕則大滅,此理數之常數也。”
班固《漢書・天文志》にいう、古人にこの言あり:天下太平の時は、五星は各々自らの度数を循りて運行し、逆行・倒退するなく、太陽は朔日に亏蝕せず、月は望日に亏蝕せず、と。王充《論衡》にいう、君王に若し至高の德行の萌発あれば、日月は則ち朔日・望日に変異を出現せざらん(原書小注:いわゆる「異」とは、指していうは日月の亏蝕なり)。《京氏占》にいう、月と太陽とが正しく相対冲し、各々天下の一半を据え、同じく黄道を循りて行き、日中の金烏と月中の玉兎とは遥遥として相対す。この時、月光は最も盛んにして威勢は最も重く、盈満の数は已に尽き・消長の理は已に極まり、衰危・敗亡の災禍は便ち一時の間に傾瀉して下り、是において太陽は月の光華を奪い去り、地影の成す「暗虚」は月の形質を亏损す。亏くること小さきは略ば缺损あり、盈ること過満なるは便ち全然消失す。これ天理の常数の然らしむるなり。
《洛書》曰:“日月當用兵擊之。若安居,日月蝕不可出軍。日蝕之歲,不可出軍;月蝕之月,不可出軍。”甘氏曰:“無道之國,日月過之薄蝕,兵之所攻,國家壞亡,又以有喪。”《洪範傳》曰:“人君失序,國不明,臣不瞀亂,群陰蔽陽,則日月薄蝕;闇昧無光,四方蹐起,背璚縱橫,賊亂交爭,兵革並行。”
《洛書》にいう、日食・月食の時は、当に兵を出して応験の国を攻撃すべし。若し自ら守り安居せば、則ち日月の亏蝕の際は兵を出す可からず。日食の発生するあの年は、兵を出す可からず。月食の発生するあの月は、兵を出す可からず。甘氏がいう、無道の国は、日月がその分野を行き経る時に便ち薄蝕す。これ正に兵鋒の攻取すべき所にして、その国家は敗壊・滅亡し、併せて丧事あらん。《洪範伝》にいう、君主の政令は次序を失い、国政は清明ならず、臣下は昏乱し、衆陰の気は陽気を遮蔽すれば、日月は則ち薄蝕せん。天色は晦暗にして光なく、四方は局促して安からず、背気と玦気とは縦横に交錯し、賊寇・禍乱は交相に争闘し、兵戈は一斉に興起せん。
《春秋緯考異郵》曰:“麟龍鬥,日月蝕。”(按《淮南鴻烈》曰:麒麟斗,則日月蝕之。)《河圖帝覽嬉》曰:“月薄所宿,國主疾。”《春秋緯感精符》曰:“臣下大恣橫,則日月薄於晦。”《石氏曰》曰:“日蝕,其鄉有拔邑大戰。”《石氏占》曰:“師出門而月蝕,當其國之野,大敗;一曰軍死而後生。”《石氏占》曰:“月蝕三日,有雨事解,不占;一雲七日。”(其雨用戶雪必須普霈,如微不解。)
《春秋緯考異郵》にいう、麒麟と竜とが相闘えば、日月は則ち亏蝕せん(原書小注:考えるに《淮南鴻烈》にいう、麒麟が相闘えば、日月は則ちこれがために亏蝕す、と)。《河図帝覧嬉》にいう、月がある宿次にて薄蝕すれば、その分野の国の国君の患病を主る。《春秋緯感精符》にいう、臣下が極めて放肆・専横なれば、日月は則ち晦日に薄蝕せん。石氏がいう、月食の時、その分野の所在には城邑の攻拔せらるる大戦あらん(底本この条の書名と「日月」の二字とはいずれも訛字あり)。《石氏占》にいう、軍隊が剛に城門を出でて月食に遇上り、まさにその国の分野に当たれば、大敗を主る。別の一説には軍隊は先に死地に陥りて後に生を得ん。《石氏占》にいう、月食の後三日の内に雨降れば、災異はこれに随いて化解し、則ち占断するを必とせず。別の一説には七日の内なり(原書小注:下る所の雨あるいは雪は必ず普遍に沾足することを要す。若しただ零星の微雨のみならば、災異は併せて化解せず)。
《雒書雒罪級》曰:“月蝕既,不吉,刑法失命。”《荊州占》曰:“謀臣以直死,月為之數蝕。”《帝覽嬉》曰:“月蝕所宿國,貴人死。用兵者從月蝕之面攻城,取地。日亦然。”《荊州占》曰:“日月蝕,當其國,君王死。又,攻戰從蝕所擊之者,勝。”《尚書緯刑德放》曰:“當赦而不赦,月為之蝕。”董仲舒《對災異》曰:“臣行刑罰,執法不得其中;怨氣盛,並濫及良善,則月蝕。”
《雒書雒罪級》にいう、月が全部食い尽くさるるは、不吉の象にして、刑法が準則を失うを主る。《荊州占》にいう、出謀・画策の忠臣が直言をもって死すれば、月は則ちこのために屡屡亏蝕せん。《帝覧嬉》にいう、月食がある宿に発生すれば、その分野の国の顕貴の人の死を主る。兵を用うる一方は月食の始めて亏缺するあの一面より城を攻めれば、土地を奪取する可し。日食もまたこれに照らして弁理す。《荊州占》にいう、日食・月食がまさにある国の分野に当たれば、その国の君王の死を主る。また、交戦の時、亏蝕の方位に順いて進撃せば、勝を獲る可し。《尚書緯刑徳放》にいう、当に赦免すべきに赦免せざれば、月は則ちこのために亏蝕せん。董仲舒《対災異》にいう、臣下が刑罰を施行し、執法は持平する能わず、怨気は積盛し、株連して善良の人に殃及せば、則ち月食が発生せん。
《河圖帝覽嬉》曰:“月蝕所宿國,貴人死;又曰其鄉有拔邑大戰。”《易緯通卦驗》曰:“月蝕曰:“月蝕者,人君行適時時專受所致也。不救,則致水害,壞城。”《荊州占》曰:“月蝕,則失刑之國當之。”京房《易房》曰:“月蝕,失刑;所宿之國當之。”
《河図帝覧嬉》にいう、月食がある宿に発生すれば、その分野の国の顕貴の人の死を主る。またいう、その地に城邑の攻拔せらるる大戦あらん。《易緯通卦験》にいう、いわゆる月食とは、君主の行事が偏頗にして時々独断・専行するの招致する所なり。若し補救を加えざれば、則ち水災を招来し、城池を冲毀せん(底本この条「月蝕曰」の三字重出す、これ衍文なり)。《荊州占》にいう、月食が発生すれば、則ち刑罰の失当なるあの国に由りて災応を承当せしむ。京房《易伝》にいう、月食は刑罰の失当を主り、月の所在する宿次の分野の国に由りて承当す(底本の書名「易房」は「易伝」の訛なり)。
《帝覽嬉》曰:“兵常在內而月蝕,其國受殃;又曰兵未起而月蝕,所當之國起兵,戰不勝。”京房《易飛候》曰:“月當交而蝕,君子道長,小人道消。”夏氏曰:“月蝕出軍,軍折傷後有失。”《帝覽嬉》曰:“月滿而蝕,兩軍相當必戰,無軍兵必出,將死於野。”
《帝覧嬉》にいう、兵馬が一直に国内に駐在して月食が発生すれば、その国の災殃を承受するを主る。またいう、未だ兵を興さざるに月食が発生すれば、対応する国のまさに兵を起こさんとするを主るも、作戦は勝を得る能わず。京房《易飛候》にいう、月がまさに交食の期に当たりて果たして亏蝕すれば、君子の道の増長し・小人の道の消退するを主る。夏氏がいう、月食の時に兵を出せば、軍隊の折損・傷亡するを主り、事後にまた損失あり。《帝覧嬉》にいう、月が正しく円満の時に亏蝕が発生すれば、両軍の対塁して必ず交戦するを主る。若しもとより軍隊なからば、また必ず兵を出し、主将は郊野に死せん。
月蝕早晚 三
《帝覽嬉》曰:“月蝕以晨,相及太子當之;以夕,君當之。”
《帝覧嬉》にいう、月食が清晨のまさに旦ならんとする時に発生すれば、丞相と太子とに由りてこの災応を承当せしむ。傍晚・初夜の時に発生すれば、君主に由りてこの災応を承当せしむ(月食の早晚の同からずして応ずる人の別あるは、夜の初めは君に属し・夜の末は臣に属するが故なり)。
月蝕所起方 四
《荊州占》曰:“月蝕起南方,男子惡之;起北方,女子惡之;起東方,少者惡之;起西方,老者惡之。”《帝覽嬉》曰:“月未望而蝕,從上始而盡無光,天子坐之。”
《荊州占》にいう、月食が月体の南辺より亏缺し始むれば、男子の凶事に遭遇するを主る。北辺より始むれば、女子の凶事に遭遇するを主る。東辺より始むれば、年少の人の凶事に遭遇するを主る。西辺より始むれば、年老の人の凶事に遭遇するを主る。《帝覧嬉》にいう、月が未だ望日に到らざるに亏蝕が発生し、しかも上方より亏け起こり、全く光輝なきに至れば、天子のこの災応を承当するを主る。
《帝覽嬉》曰:“月蝕東方,其月中有惡風;月蝕西方,主人為客。”《帝覽嬉》曰:“月蝕從上始,謂之失道,國君當之,從下始,謂之失法,將軍當之;從傍始,謂之失令,相當之;又曰從上始為君親,從下始為赤子蝕,其陰為女蝕。”
《帝覧嬉》にいう、月食が東辺より亏け起これば、当月に悪風あるを主る。月食が西辺より亏け起これば、もとより拠守する主方が反りて遠出の客方と成るを主る。《帝覧嬉》にいう、月食が上方より亏け起こるを、「失道」と謂い、国君に由りて承当せしむ。下方より亏け起こるを、「失法」と謂い、将軍に由りて承当せしむ。旁側より亏け起こるを、「失令」と謂い、丞相に由りて承当せしむ。またいう、上方より亏け起こるは君主と宗親とに応じ、下方より亏け起こるは初生の嬰孩に応じ、背陰の一面より亏け起こるは則ち女子に応ず。
月蝕既及中分 五
《帝覽嬉》曰:“月蝕盡,女主當之。”《荊州占》曰:“月盡蝕,當其下者,君死;一曰有死相。”《河圖帝覽嬉》曰:“有軍在外而月蝕盡者,軍罷帥。”《荊州占》曰:“月蝕盡,有大戰,軍破、將死、拔邑、亡地;蝕不盡,軍破、將不死。”京房《妖占》曰:“以十五日蝕而盡,此謂毀亡,其君有喪,若水。”京房《易飛候》曰:“月蝕盡,則有亡國;不盡,有失地。”
《帝覧嬉》にいう、月が全部食い尽くさるれば、女主に由りてこの災応を承当せしむ(「蝕既」は則ち月全食、「中分」はちょうど亏蝕して一半なり)。《荊州占》にいう、月が全部食い尽くされ、まさにその下のあの分野に当たれば、国君の死を主る。別の一説には丞相の死亡あるを主る。《河図帝覧嬉》にいう、軍隊の外に在るありて月全食が発生すれば、軍隊の主帥を罷黜するを主る。《荊州占》にいう、月全食は、大戦あり、軍隊は撃破せられ・主将は陣亡し・城邑は攻拔せられ・土地は淪喪するを主る。若し食い尽くさざれば、則ち軍隊は破るるも主将は死せず。京房《妖占》にいう、十五日に月食が発生して全部食い尽くさるるは、これを「毀亡」と謂い、その国の国君に丧あり、あるいは水災あるを主る。京房《易飛候》にいう、月全食は、国家の滅亡するあるを主る。食して尽くさざれば、土地を喪失するを主る。
《荊州占》曰:“月蝕盡,大人憂,月曰糴貴,又曰豪族滅勢,家絕。”石氏曰:“月蝕不盡,光耀散,臣之象。”石氏曰:“月蝕盡,光耀亡,君之殃。”《刑德放》曰:“五刑當輕,反重虐酷,忽月蝕消既,行失繩墨,大水淫枯旱;其救之也,惟敬五刑,以成三德。”石氏曰:“月蝕中分,不出五分,國有憂,兵敗、軍亡。”
《荊州占》にいう、月全食は、大人物に憂患あるを主る。別の一説には米価の騰貴するを主る。またいう、豪門・大族の勢力の消亡し・家道の断絶するを主る。石氏がいう、月食して未だ尽きず、光輝はただ散乱するのみなるは、これ臣下の象なり。石氏がいう、月全食して光輝が尽く失わるるは、これ君主の災殃なり。《尚書緯刑徳放》にいう、五刑は本より軽かるべきに反りて苛重・残酷にして、忽然と月全食が発生するは、行事の準縄・法度を失うがためなり、まさに洪水の氾濫あるいは干旱の枯竭を招致せんとす。補救の法は、ただ恭敬・慎りて五刑を用い、剛・柔・正直のこの三徳を成就するをもってす、のみ。石氏がいう、月食がちょうど一半を亏け去り、亏损は十分の五に過ぎざれば、国家に憂いあり、兵を用いて敗れ、軍隊は覆亡するを主る。
月蝕変色 六
《荊州占》曰:“月蝕青色,人民多死者,五穀有傷,糴且大貴,望之下賤,皆不出一年,各為其國災;月蝕赤色者,君為客,不出其年;蝕黃色者,不出其年,有立諸侯為國者;月蝕白色,其國失地,若有喪。”
《荊州占》にいう、月食の時に月色が青を発すれば、百姓の死亡多く、五穀は受損し、米価はまさに大いに漲り、眼を瞬かすにまた跌落し下がるを主り、これらはいずれも一年を出でずして応験し、各々分野によって相応の国に帰属す。月食の時に月色が赤を発すれば、国君の出で居りて客と為るを主り、当年を出でずして応験す。月食の時に月色が黄を発すれば、当年を出でずして冊立せられて諸侯と為りて国を開く人あるを主る。月食の時に月色が白を発すれば、その国の土地を喪失するを主り、あるいは丧事あり。
《荊州占》曰:“月蝕盡者,糴貴,各為國。月已蝕而青者,為憂;月已蝕而赤者,為兵;月已蝕而黃者,為財;月已蝕而白者,為喪;月已蝕而黑者,為水。”(蕭子顯《齊書》曰:“永泰元年正月乙亥,月蝕,色赤如血,二日而大司馬王敬則舉兵反。)
《荊州占》にいう、月が食い尽くされれば、米価の騰貴するを主り、各々分野によって相応の国に帰す。月食過ぎて復た円にして月色が青を発すれば、憂患あるを主る。食後に色赤なれば、兵事あるを主る。食後に色黄なれば、財貨の利あるを主る。食後に色白なれば、丧事あるを主る。食後に色黒なれば、水災あるを主る(原書小注に蕭子顕《南斉書》を引く:斉の明帝・永泰元年正月乙亥の日、月食あり、月色は赤紅にして血のごとし、両日を過ぎて、大司馬・王敬則はすなわち兵を起こして反叛せり、と)。
月蝕而暈斗月併蝕 七
京房《易飛候》曰:“月暈蝕殃祥;得其日者吉,得其時者凶。”石氏曰:“月蝕而暈,其國君主惡之。”《荊州占》曰:“月暈而蝕,人相食。”石氏曰:“月斗薄而蝕,有軍必戰,無兵兵起。”石氏曰:“兩月並蝕,天下大亂。”
京房《易飛候》にいう、月暈と月食との主る禍福は、それの出現する時日を看るを要す。当有の日に応ずるは吉と為し、ただ当有の時辰に赶上るは凶と為す。石氏がいう、月食の時にまた暈圏を生出せば、その分野の国の国君の凶事に遭遇するを主る。《荊州占》にいう、月が先に暈を生じて後に亏蝕すれば、人相食の大飢饉を主る。石氏がいう、両月が相闘い・光色は薄暗にしてまた亏蝕すれば、已に軍隊あるは必ず交戦し、兵事なきもまた兵を興すを主る(「斗月」とは両月の併見して相薄するの異象を指す)。石氏がいう、両個の月が一同に亏蝕すれば、天下の大乱を主る。
月蝕雲気入月中又有風雨 八
《荊州占》曰:“月蝕,有氣從外來,入月中,主人凶,氣從中出,客凶,氣南行,南軍凶;北東西者亦然。”
《荊州占》にいう、月食の時、雲気ありて外面より侵来し・月体の中に進入すれば、拠守する一方の凶を主る。雲気が月体の中より外に透出すれば、遠来進攻の客方の凶を主る。雲気が南に向かいて行けば、南面の軍隊の凶を主る。北・東・西に向かいて行くも、またこれに照らして類推し、各々あの一方の軍隊の遭凶するを主る。
月一月再蝕 九
《帝覽嬉》曰:“軍在外,一月而再蝕,將還兵其國,戰不勝。”
《帝覧嬉》にいう、軍隊がまさに境外に在りて、一か月の内に接続して两度月食が発生すれば、将帥はまさに班師して国に帰るを主り、作戦は勝を得る能わず(一月に两食するはもと常理に非ず、古人はこれを極重の凶兆と視す)。
月未望而蝕 十
石氏曰:“月生三日而蝕盡,是謂大殃,國有喪。”甘氏曰:“月生十日至十四日而蝕,天下兵起。”(如望在十四,依垣占。)石氏曰:“十五日出而蝕,國破滅亡。”(如望在十五亦然。)
石氏がいう、月が初生の第三日にして全部食い尽くさるるは、これを「大殃」と謂い、国家に丧事あるを主る。甘氏がいう、月の初生の後の第十日より第十四日の間に亏蝕が発生すれば、天下の兵を興すを主る(原書小注:若しこの月の望日が正しく十四に落つれば、常法によって推占す)。石氏がいう、十五日に月の出づる時に亏蝕が発生すれば、国家の破敗・滅亡を主る(原書小注:若し望日が正しく十五に落つれば、またこのごとく推占す)。
月四時蝕 十一
京氏曰:“月春蝕,歲惡,將軍死,一曰有憂;夏蝕,旱,憂殺;秋蝕,羌兵起;冬蝕,其國飢,有女喪。”京房《易候》曰:“月春蝕,有憂;夏蝕,有兵起,民無有一月糧,糴貴。《荊州占》曰:“孟春月蝕,賤人當之;仲春蝕,貴人當之;季春蝕,人主當之。”
京房がいう、月食が春に発生すれば、年成の凶悪を主り、将軍は死亡し、別の一説にはただ憂患あるを主るのみ。夏に発生すれば、天旱を主り、刑殺に憂う。秋に発生すれば、西羌の兵の興起するを主る。冬に発生すれば、その国の飢饉し・女子の丧事あるを主る。京房《易候》にいう、月食が春に在れば、憂患あるを主る。夏に在れば、兵を興すを主り、百姓は一か月の口粮さえなく、米価は騰貴す。《荊州占》にいう、孟春月に月食が発生すれば、地位卑下の人に由りて災応を承当せしむ。仲春月に発生すれば、顕貴の人に由りて承当せしむ。季春月に発生すれば、君主に由りて承当せしむ。
《帝覽嬉》曰:“月春蝕東方,王死之;夏蝕南方,王死之;季夏蝕中央,王死之;秋蝕西方,王死之;冬蝕北方,王死之,國以謀亡。”《荊州占》曰:“月夏蝕南方,歲飢;秋蝕西方,兵起。”
《帝覧嬉》にいう、春に月食して月が正しく東方に在れば、君王がこれがために死するを主る。夏に月食して月が南方に在れば、君王がこれがために死するを主る。季夏に月食して月が中央に在れば、君王がこれがために死するを主る。秋に月食して月が西方に在れば、君王がこれがために死するを主る。冬に月食して月が北方に在れば、君王がこれがために死するを主り、国家は内部の図謀をもって亡ぶ(四時は各々一方に配し、蝕してその方位に当たれば、則ち災応は最も重し)。《荊州占》にいう、夏に月食して月が南方に在れば、年成の飢荒を主る。秋に月食して月が西方に在れば、兵を興すを主る。
月十二月蝕 十二
《荊州占》曰:“正月蝕,有災異蟲。一曰燕受災,期在七月之後。”《帝覽嬉》曰:“正月月蝕,賤人病,糴石二千;二月月蝕,貴人病,糴石二千;三月月蝕,人主當之,糴石四千;四月月蝕,人主當之;五月月蝕,年飢;六月月蝕,赤地千里;七月月蝕,有兵;八月月蝕,兵罷;九月月蝕,年飢;一曰有戰;十月月蝕,藏谷,一曰起軍;十一月月蝕,有喪,兵圍城夏,軍殺將;十二月月蝕,不盡,是謂當其數,不占。”
《荊州占》にいう、正月に月食が発生すれば、虫類の災異あるを主る。別の一説には燕地の災を受くるを主り、期は七月以後に応ず。《帝覧嬉》にいう、正月の月食は、地位卑下の人の患病を主り、米価は石あたり二千銭。二月の月食は、顕貴の人の患病を主り、米価は石あたり二千銭。三月の月食は、君主に由りて災応を承当せしめ、米価は石あたり四千銭。四月の月食は、君主に由りて承当せしむ。五月の月食は、年成の飢荒を主る。六月の月食は、赤地千里を主る。七月の月食は、兵事あるを主る。八月の月食は、兵を罷むを主る。九月の月食は、年成の飢荒を主り、別の一説には戦事あるを主る。十月の月食は、糧穀を囤積するを主り、別の一説には兵を興すを主る。十一月の月食は、丧事あり・敵兵は城を囲み・軍中は主将を誅殺するを主る。十二月に月食して食い尽くさざれば、これを正しくその常数に合すと謂い、占断するを必とせず。
《荊州占》曰:“正月月蝕,歲災。上旬蝕;旱,中旬蝕,蟲;下旬蝕,賤人死。”《荊州占》曰:“十二月月蝕,吳國受災,期六月;一曰有流民,盡乃以日辰占其野。”《荊州占》曰:“十二月月蝕,來年國有大事,小兵起。”
《荊州占》にいう、正月に月食が発生すれば、この年に災あるを主る。上旬に発生するは、旱を主る。中旬に発生するは、虫害を主る。下旬に発生するは、地位卑下の人の死亡を主る。《荊州占》にいう、十二月に月食が発生すれば、呉地の災を受くるを主り、期は六月に応ず。別の一説には流民あるを主り、食い尽くすの時を待ち、再び当日の干支によって応ずる分野を推占す。《荊州占》にいう、十二月に月食が発生すれば、来年に国家の大事あり、小規模の兵事の興起あるを主る。
月十干蝕 十三
《洛書》曰:“月以甲乙日蝕,年多魚;丙丁日蝕,年飢;一曰年穀收。戊己日蝕,無耕下田;庚辛日蝕,高田不入,凶;壬癸蝕,其歲和美。司馬遷《天官書》曰:“月蝕甲乙,四海之外,不占;丙丁,淮海,岱也,戊己、中州,河濟也;庚辛、華山以南;壬癸,恆山以北;月蝕皆將軍當之。”
《洛書》にいう、月食が甲乙日に発生すれば、この年に魚多きを主る。丙丁日に発生すれば、年成の飢荒を主り、別の一説には反りて年穀の収あるを主る。戊己日に発生すれば、低窪の下田は耕種する法なきを主る。庚辛日に発生すれば、高処の田地は粒も倉に入らず、年成は凶悪を主る。壬癸日に発生すれば、この年に風調り雨順ぐを主る。司馬遷《史記・天官書》にいう、月食が甲乙日に在れば、災応は四海の外に在り、占断するを必とせず。丙丁日に在れば、淮河・東海と泰山の一帯に応ず。戊己日に在れば、中原の腹地と黄河・済水の間に応ず。庚辛日に在れば、華山以南に応ず。壬癸日に在れば、恒山以北に応ず。およそ月食は、いずれも将軍に由りて災応を承当せしむ。
南方蝕 十四
《荊州占》曰:“蝕辰巳地,來年麥傷,春蟲;蝕千未地,禾稼少實,麥夏傷。”
《荊州占》にいう、月食が辰・巳の両個の方位の対する分野に発生すれば、来年の麦子の受損し・春に虫を生ずるを主る。月食が午・未の両個の方位の対する分野に発生すれば、禾稼の結実の稀少・麦子は夏に受損するを主る(本節の標目「南方蝕」とは、辰巳午未のこの一段の偏南の天区を指す。底本は「午」を「千」に訛作す)。
月行五星暈而蝕 十五
甘氏曰:“月行宿歲星而蝕,民相食,粟石千文,司農憂。”《荊州占》曰:“月暈歲星而蝕,天下大戰。”甘氏曰:“月行宿熒惑而蝕,天下破亡,有憂;期不出三年。”《荊州占》曰:“月犯熒惑,暈而蝕,天下破亡,失地,大將有憂,期不出三年。”《帝覽嬉》曰:“月犯熒惑,暈而蝕,天下破亡地,大將有憂;蝕盡者,王位也;不盡者,大臣位也;近期三月,遠期三年。”
甘氏がいう、月が運行して歳星と同宿の処に至りて亏蝕が発生すれば、百姓の飢餓して人相食むに至り・粟米は石あたり一千文・銭穀を掌る大司農はこれがために憂労するを主る。《荊州占》にいう、月暈が歳星を籠罩してまた月食が発生すれば、天下に大戦あるを主る。甘氏がいう、月が運行して熒惑と同宿の処に至りて亏蝕が発生すれば、天下の破敗・滅亡し・憂患ありを主り、期は三年を出でずに応ず。《荊州占》にいう、月が熒惑を侵犯し、既に暈を生じまた亏蝕すれば、天下の破敗・滅亡し・土地を喪失し・大将に憂患あるを主り、期は三年を出でずに応ず。《帝覧嬉》にいう、月が熒惑を侵犯し、既に暈を生じまた亏蝕すれば、天下の破敗・失地し・大将に憂患あるを主る。若し月が食い尽くさるれば、災応は王者の位に在り。食して尽くさざれば、災応は大臣の位に在り。近き期は三か月、遠き期は三年。
甘氏曰:“月行宿填星而蝕,其國以伐,飢亡。”《巫咸占》曰:“月當填星而蝕,其國有土功之事。”甘氏曰:“月行宿太白而蝕,強國戰,不勝亡城,大將有兩心;不出三年。”《荊州占》曰:“月宿太白,暈而蝕,其國有強兵,若戰而亡。”甘氏曰:“月行宿辰星而蝕,其國有女亂而亡國;期三年,若五年。”
甘氏がいう、月が運行して填星と同宿の処に至りて亏蝕が発生すれば、その国の征伐を遭うをもって飢饉・敗亡するを主る。《巫咸占》にいう、月が正しく填星に対して亏蝕が発生すれば、その国に土木・工役の事あるを主る。甘氏がいう、月が運行して太白と同宿の処に至りて亏蝕が発生すれば、強国の交戦し、勝を得る能わずして城池を丢失し、大将は二心を懐くを主り、期は三年を出でずに応ず。《荊州占》にいう、月と太白とが同宿し、既に暈を生じまた亏蝕すれば、その国の強兵を擁するも、あるいは交戦をもって覆亡せんとするを主る。甘氏がいう、月が運行して辰星と同宿の処に至りて亏蝕が発生すれば、その国の女子の作乱をもって国を亡ぼすを主り、期は三年に応じ、あるいは五年。
月在東方七宿而蝕 十六
石氏曰:“月蝕在角、亢,刑法之臣有當黜者。”《黃帝占》曰:“月入角而蝕,將使有憂,國門四閉,其邦凶。”陳卓曰:“月蝕於角,其君死。”甘氏曰:“月在亢中蝕,其君邦有憂。”《黃帝占》曰:“蝕在氐中,天子憂疾;一曰妃后憂疾。”石氏曰:“月在氐中蝕,大臣死,後惡之;一曰後宮惡之;王者復禮,以赦除之。”
石氏がいう、月食が角宿・亢宿に発生すれば、刑法を執掌する臣子の中に当に罷黜せらるべき者あるを主る(本篇は月食の所在する宿次によって分かちて占い、各宿の主る官職と災応とは同ならず)。《黄帝占》にいう、月が角宿に入りて亏蝕が発生すれば、将帥と使臣とに憂患あり、都城は四門緊閉し、その邦国に凶事あるを主る。陳卓がいう、月食が角宿に発生すれば、その分野の国の国君の死を主る。甘氏がいう、月が亢宿の中にて亏蝕すれば、その国の国君と邦国とに憂患あるを主る。《黄帝占》にいう、月食が氐宿の中に発生すれば、天子の疾病に憂うるを主る。別の一説には妃后の疾病に憂うるを主る。石氏がいう、月が氐宿の中にて亏蝕すれば、大臣の死し・皇后の凶事に遭遇するを主る。別の一説には後宮の凶事に遭遇するを主る。君王は当に礼制を重修し、併せて赦免をもって災応を消除すべし。
《荊州占》曰:“在氐、房蝕,主治耕之臣當有黜者。”石氏曰:“月在房而蝕,公卿大夫在憂,當有黜者。”石氏曰:“月在房蝕,王者有憂,皆亂大臣專政,必有憂病。”京氏《妖占》曰:“月蝕於房,天子有喪。”郗萌曰:“月蝕房心間,人主有兵害。”石氏曰:“月在心蝕,人主惡之,太子庶子有憂,三公有死者。”郗萌曰:“月蝕,臣伐主,內亂。”《荊州占》曰:“月在心蝕,三公諸候有當黜者。”
《荊州占》にいう、月食が氐宿・房宿に発生すれば、農耕を掌管する臣子の中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。石氏がいう、月が房宿にて亏蝕すれば、公卿・大夫に憂患あり、その中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。石氏がいう、月が房宿にて亏蝕すれば、君王に憂いあるを主り、いずれも大臣が朝綱を擾乱し・政柄を専擅するがためなり、必ず憂愁・疾病あらん。京房《妖占》にいう、月食が房宿に発生すれば、天子に丧あるを主る。郗萌がいう、月食が房宿と心宿との間に発生すれば、君主に兵戈の害あるを主る。石氏がいう、月が心宿にて亏蝕すれば、君主の凶事に遭遇するを主り、太子と庶子とに憂患あり、三公の中に死亡する者あらん。郗萌がいう、月が亏蝕すれば、臣下が君上を討伐し・内部に乱を生ずるを主る。《荊州占》にいう、月が心宿にて亏蝕すれば、三公と諸侯との中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。
甘氏曰:“月蝕尾、箕,后族有刑罪,若妾有坐者,后有憂。”石氏曰:“月在尾、箕而蝕,主御者及樂人有當黜者。”郗曰:“月蝕於箕,為風;一曰車騎發。”陳卓曰:“月宿箕而蝕,人相食。”
甘氏がいう、月食が尾宿・箕宿に発生すれば、外戚・后族に人ありて刑を獲て罪を定められ、あるいは嬪妾の中に連坐する人あり、皇后に憂患あるを主る(尾宿はもと後宮・嬪妃を主る、故に災応は后族に及ぶ)。石氏がいう、月が尾宿・箕宿にて亏蝕すれば、車駕を執掌する御者および楽工の中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。郗萌がいう、月食が箕宿に発生すれば、風の起こるを主る。別の一説には車騎の師の出動するを主る。陳卓がいう、月が箕宿に宿して亏蝕すれば、人相食の大飢饉を主る。
月在北方七宿而蝕 十七
甘氏曰:“月在南斗而蝕,將相有憂,飢、凶。”甘氏曰:“月入牽牛度而蝕,其國叛兵起。”甘氏曰:“月在須女而蝕,邦有女主憂,天下女功廢。”郗萌曰:“月在須女而蝕,宮中有巫咒詛禱祝以求,幸有當黜者。”《黃帝占》曰:“月蝕在虛而蝕,邦有崩喪,天下改服,期九十日。
甘氏がいう、月が南斗にて亏蝕すれば、将帥と丞相とに憂患あり、飢饉・凶年を主る。甘氏がいう、月が牽牛の度数の内に入りて亏蝕すれば、その分野の国に叛兵の興起するあるを主る。甘氏がいう、月が須女にて亏蝕すれば、邦国の女主に憂いあり、天下女子の紡織の功は荒廃するを主る。郗萌がいう、月が須女にて亏蝕すれば、宮中に巫術・咒詛・祷祝をもって寵幸を求取する人あり、その中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。《黄帝占》にいう、月食が虚宿に発生すれば、邦国に崩逝・丧亡の事あり、天下はこれがために丧服を改換するを主り、期は九十天に応ず(虚宿はもと哭泣・丧事を主る、故に災応はこのごとし。底本この句「月蝕在虚而蝕」は一の「蝕」字を衍し、末句は引号を脱去す)。
郗萌曰:“月蝕虛、危,民多去其室;一曰大戰。”郗萌曰:“月在虛、危而蝕,主刀,主刀劍衣履金玉之臣有當黜者。”甘氏曰:“月蝕危,不有崩喪,必有大臣薨,天下改服。”石氏曰:“月在危而蝕,刀劍之官憂;一曰月在虛、危而蝕,戒在衣履金玉之臣有黜者;一曰必有驚恐之事。”石氏曰:“月蝕危,不有病主,必有大喪,天下改服。”
郗萌がいう、月食が虚宿・危宿に発生すれば、百姓の屋室を離棄すること大量なるを主る。別の一説には大戦あるを主る。郗萌がいう、月が虚宿・危宿にて亏蝕すれば、刀剣・衣履と金玉・器物とを掌管する臣子の中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。甘氏がいう、月食が危宿に発生すれば、若し君王の崩逝ならざれば、必ず大臣の去世あり、天下はこれがために丧服を改換せん。石氏がいう、月が危宿にて亏蝕すれば、刀剣を掌管する官員に憂いあるを主る。別の一説には、月が虚宿・危宿にて亏蝕するは、警戒は衣履・金玉を掌管する臣子に罷黜せらるる者あるに在り。さらに別の一説には必ず人を驚恐せしむるの事あるを主る。石氏がいう、月食が危宿に発生すれば、若し君主の患病ならざれば、必ず大丧あり、天下はこれがために丧服を改換せん。
甘氏曰:“月在營室而蝕,為軍族士眾之潰。”石氏曰:“月蝕營室,大軍絕糧。”郗萌占曰:“月在營室而蝕,陰道毀,不能化生,有黜削之罪。”《玄冥占》曰:“月在東壁而蝕,大臣有戮,文章者執。”
甘氏がいう、月が営室にて亏蝕すれば、軍中の族属と士卒との潰散を主る。石氏がいう、月食が営室に発生すれば、大軍の糧草を断絶するを主る。《郗萌占》にいう、月が営室にて亏蝕すれば、陰柔の道の毀損し・生育・化成する能わざるを主り、罷黜・削奪の罪ある者あらん。《玄冥占》にいう、月が東壁にて亏蝕すれば、大臣の殺戮に遭い・文章・図籍を掌管する人は拘捕せらるるを主る(東壁はもと文章を主る、故に災応は文史の官に及ぶ)。
月在西方七宿而蝕 十八
石氏曰:“月在奎而蝕,有大臣憂,削凶;期九十日。”石氏曰:“月奎度中,魯國凶,一曰邦君不安,白衣之會。”《郗萌占》曰:“月在奎而蝕,主邊兵之臣有當黜者。”《海中占》曰:“月蝕於奎,大將軍有謀。”石氏曰:“月在奎、婁而蝕,主聚斂之臣有黜者。”甘氏曰:“月蝕婁,皇后犯危,大臣受誅。”《海中占》曰:“月蝕婁,其國有王事。”郗萌曰:“月宿婁而蝕,人相食。”
石氏がいう、月が奎宿にて亏蝕すれば、大臣に憂患あり、削奪に遭いて凶なるを主り、期は九十天に応ず。石氏がいう、月の亏蝕が奎宿の度数の中に在れば、魯国に凶事あるを主る。別の一説には邦国の君安からず、白衣を穿く送丧の聚会あるを主る。《郗萌占》にいう、月が奎宿にて亏蝕すれば、辺防・兵事を掌管する臣子の中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。《海中占》にいう、月食が奎宿に発生すれば、大将軍に図謀する所有るを主る。石氏がいう、月が奎宿・婁宿にて亏蝕すれば、賦税・聚斂を掌管する臣子に罷黜せらるる者あるを主る。甘氏がいう、月食が婁宿に発生すれば、皇后の危難に触犯し・大臣の誅戮を遭受するを主る。《海中占》にいう、月食が婁宿に発生すれば、その分野の国に王命・差役の事あるを主る。郗萌がいう、月が婁宿に宿して亏蝕すれば、人相食の大飢饉を主る。
《黃帝占》曰:“月在骨而蝕,王者相吞食,大邑亡主,大將亡軍;一曰委轄之臣有罪。”甘氏曰:“月在昴而蝕,皇后有憂;一曰虐吏憂。”郗萌曰:“月在昴而蝕,人相食。”石氏曰:“月在昴而蝕,大臣貴,女失職。”郗萌曰:“月在昴而蝕,人相食。”郗萌曰:“月在昴、畢而蝕,天下聚;又曰主獄之臣有黜者。”甘氏曰:“月蝕在畢,有邊使者凶,若邊國有臣誅,不出一年。”京房《妖占》曰:“月蝕在畢,天下有小兵。”郗萌曰:“月宿畢而蝕,人相食。”
《黄帝占》にいう、月が胃宿にて亏蝕すれば、諸王の互相に吞併し、大城邑は主人を失い、大将は軍隊を喪失するを主る。別の一説には命を受けて出使する臣子の罪を獲るを主る(底本「胃」を「骨」に訛作す)。甘氏がいう、月が昴宿にて亏蝕すれば、皇后に憂いあるを主る。別の一説には苛虐の官吏に憂いあるを主る。郗萌がいう、月が昴宿にて亏蝕すれば、人相食むを主る。石氏がいう、月が昴宿にて亏蝕すれば、大臣は顕貴にして、女子は本職を失うを主る。郗萌がいう、月が昴宿にて亏蝕すれば、人相食むを主る(この条、底本は重出す)。郗萌がいう、月が昴宿・畢宿にて亏蝕すれば、天下の人衆の聚集するを主る。またいう、刑獄を掌管する臣子に罷黜せらるる者あるを主る。甘氏がいう、月食が畢宿に発生すれば、辺地に出使する使者に凶事あるを主り、あるいは辺地の国に臣子の誅せらるる者あり、一年を出でず。京房《妖占》にいう、月食が畢宿に発生すれば、天下に小規模の兵事あるを主る。郗萌がいう、月が畢宿に宿して亏蝕すれば、人相食むを主る。
郗萌曰:“月在觜、參而蝕,主兵之臣當黜之。”甘氏曰:“月在觜蝕,主殺臣。”石氏曰:“月在參而蝕,旱,赤地千里,人民飢。”甘氏曰:“月在參而蝕,貴臣誅,大飢,人相食;一曰貴臣謀。”《海中占》曰:“月蝕於參,兵在外,大將死,其國有憂,天下更令。”
郗萌がいう、月が觜宿・参宿にて亏蝕すれば、兵権を執掌する臣子は当に罷黜せらるべきを主る。甘氏がいう、月が觜宿にて亏蝕すれば、君上の臣下を誅殺するを主る。石氏がいう、月が参宿にて亏蝕すれば、天旱を主り、赤地千里、百姓は飢饉す。甘氏がいう、月が参宿にて亏蝕すれば、顕貴の臣の誅せられ・大飢饉し・人相食むを主る。別の一説には顕貴の臣に図謀する所有るを主る。《海中占》にいう、月食が参宿に発生すれば、兵馬は外に在り・大将は陣亡し・その分野の国に憂患あり・天下は政令を更改するを主る。
月在南方七宿而蝕 十九
石氏曰:“月在井、鬼而蝕,主人主五祠之官憂。”甘氏曰:“月在東井而蝕,大臣誅,一曰大臣謀,皇后不安,五穀不登。”陳卓曰:“月在東井而蝕,其國內亂。”甘氏曰:“月在輿鬼而蝕,廢貴臣,后有憂,天下不安;期一年,遠三年。”
石氏がいう、月が井宿・鬼宿にて亏蝕すれば、君主に替わりて五種の祭祀を掌管する官員に憂いあるを主る(鬼宿はもと祠祀を主る、故に災応は祠官に在り)。甘氏がいう、月が東井にて亏蝕すれば、大臣の誅せらるるを主る。別の一説には大臣に図謀する所有り、皇后は安からず、五穀は歉収す。陳卓がいう、月が東井にて亏蝕すれば、その分野の国の内部に乱を生ずるを主る。甘氏がいう、月が輿鬼にて亏蝕すれば、顕貴の臣を廃黜し・皇后に憂いあり・天下は安からざるを主り、期は一年に応じ、遠くは三年に至る。
石氏曰:“月在柳而蝕,大臣有黜者。”甘氏曰:“月在柳而燭,主虞水官有當黜者。”郗萌曰:“月宿注而蝕,人相食。”注者柳之別名。”甘氏曰:“月在七星而蝕,正陽虧太陰星,大臣有暴誅,國大飢;又曰主詞事者憂黜。”郗萌曰:“月有七星而蝕,主道橋門戶之臣有當黜者。”
石氏がいう、月が柳宿にて亏蝕すれば、大臣に罷黜せらるる者あるを主る。甘氏がいう、月が柳宿にて亏蝕すれば、山沢と水利とを掌管する虞官・水官の中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る(底本「蝕」を「燭」に訛作す)。郗萌がいう、月が注星に宿して亏蝕すれば、人相食むを主る。原書は明注す、「注」は柳宿の別名なり、と。甘氏がいう、月が七星宿にて亏蝕するは、正陽の気が太陰の星を亏损するなり、大臣の骤然と誅戮に遭い・国家は大いに飢うるを主る。またいう、文書・辞訟を掌管する官員は罷黜せらるるに憂う。郗萌がいう、月が七星宿にて亏蝕すれば、道路・橋梁と門戸・関防とを掌管する臣子の中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。
甘氏曰:“月在張而蝕,貴人失勢,皇后有憂,期七十日。”郗萌曰:“月在張而蝕,人相食。”甘氏曰:“月在張而蝕,水衡虞人當有黜者。”甘氏曰:“月在翼而蝕,忠臣見譖言,清正者亡,不出其年。”郗萌曰:“月在翼而蝕,主車駕之臣有黜者。”甘氏曰:“月在軫而蝕,貴臣亡;一曰后不安,期百八十日。”郗萌曰:“月在軫而蝕,車騎發。”
甘氏がいう、月が張宿にて亏蝕すれば、顕貴の人は勢いを失い・皇后に憂いあるを主り、期は七十日に応ず。郗萌がいう、月が張宿にて亏蝕すれば、人相食むを主る。甘氏がいう、月が張宿にて亏蝕すれば、水利を掌管する水衡都尉と山沢を掌管する虞人との中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る。甘氏がいう、月が翼宿にて亏蝕すれば、忠臣の讒言の中傷に遭受し・清白・正直の人は敗亡するを主り、当年を出でず。郗萌がいう、月が翼宿にて亏蝕すれば、車駕を掌管する臣子に罷黜せらるる者あるを主る。甘氏がいう、月が軫宿にて亏蝕すれば、顕貴の臣の敗亡を主る。別の一説には皇后の安からざるを主り、期は一百八十日に応ず。郗萌がいう、月が軫宿にて亏蝕すれば、車騎の師の出動するを主る(軫宿はもと車駕を主る、故に災応は車騎に在り)。
月犯石氏中官而蝕 二十
《荊州占》曰:“月在建而蝕,后妃癙娣有當黜者。”石氏曰:“月在太微而蝕,有破國易王。”
《荊州占》にいう、月が建星にて亏蝕すれば、后妃と随嫁の娣媵との中にまさに罷黜せられんとする者あるを主る(建星の六星は南斗の北にあり、天子の旗鼓と都門となり)。石氏がいう、月が太微垣にて亏蝕すれば、国家の破亡し・君王の更替するの事あるを主る。
月在石氏外官而蝕 二十一
石氏曰:“月在弧、狼而蝕,主供養之官當黜者;一曰食者亡。”
石氏がいう、月が弧矢・天狼にて亏蝕すれば、君上の飲食・供養を掌管する官員は当に罷黜せらるべきを主る。別の一説には俸食を領受する人の敗亡するを主る(弧矢と天狼とはいずれも井宿の南に在り、石申一家に伝わる外官に属し、もと盗賊を備御し守衛するを主る)。
救月蝕 二十二
《海中占》曰:“月蝕,王者以救,除咎則安;又曰:月蝕,清刑明罰,敕法。”《周禮地官司徒》曰:“救月蝕,則詔王鼓。鄭玄曰:救日月食,王者必親擊鼓。《禮記婚義》曰:“婦教不修,陰事不得,謫見於天,月為之食。是故月蝕則後素服而修六宮之職,蕩天下之陰事。”《星傳》曰:“月者、刑也,月蝕修刑。”(鄭玄曰:救月蝕,王必親擊鼓也。)
《海中占》にいう、月食が発生すれば、君王は救護の礼を挙行し、災咎を消除すれば則ち安寧を得べし。またいう、月食の時は、当に刑獄を澄清し・賞罰を申明し・法度を整飭すべし。《周礼・地官司徒》にいう、月食を救うの礼を挙行すれば、則ち君王に告請して親しく鼓を撃たしむ。鄭玄の注:日食・月食を救護するは、君王は必ず親しく鼓を撃つ。《礼記・昏義》にいう、婦徳の教化の修まらず・陰に属する事務の常度を失えば、上天は則ち譴責の徴兆を降下し、月はこれがために亏蝕す。故に月食に一遇うや、皇后は則ち素服を穿き、六宮の職守を整粛し、天下の陰に属する事務を涤蕩す。《星伝》にいう、月は刑を主る、月食が発生すれば則ち刑政を整修すべし(原書小注:鄭玄がいう、月食を救護するは、君王は必ず親しく鼓を撃つ、と)。
開元占經 卷十八
五星占 一
五星所主 一
《春秋緯》曰:“天有五帝,五星為之使。”《荊州占》曰:“五星者,五行之精也;五帝之子,天使者,行於列舍,以司無道之國王者;施恩佈德,正直清虛,則五星順度,出入應時,天下安寧,禍亂不生;人君無德,信奸佞、退忠良、遠君子、近小人,則五星逆行、變色、出入不時、揚芒角、怒變為妖星、彗、孛、茀、掃、天狗、枉矢、天槍、天掊、攙雲、格澤,山崩地振,川竭雨血,眾妖所出,天下大亂,主死國滅,不可救也,餘殃不盡,為飢旱疾疫。”
《春秋緯》にいう、天上に五位の天帝あり、五星は則ち彼らの使者なり。《荊州占》にいう、五星は五行の精気の凝まる所にして、五帝の子・上天の使臣なり、二十八宿の次舎の間に運行して、もって無道の国を伺察す。君王若し恩を施し徳を布き、正直・清静・無為なれば、五星は則ち常度を順循し、出没は時節に応合し、天下は安寧し、禍乱は生ぜず。君王若し徳なく、奸佞を聴信し・忠良を斥退し・君子を疏远し・小人に親近せば、五星は則ち逆行・倒退し・顔色を改変し・出没は時を失い・芒角を揚げ、憤怒して化して妖星と為り、彗・孛・茀・掃・天狗・枉矢・天槍・天掊・攙雲・格沢の類のごとく、これに随いて山陵は崩塌し・大地は震動し、河川は枯竭し・天は血雨を降らし、種種の妖異は一斉に出現し、天下は大いに乱れ、君主は身を死し・国家は滅亡し、挽救する可きなし。余る所の災殃は尽きず、還って化して飢饉・旱災と疾疫とと為らん。
甘氏曰:“五星主兵,太白為主;五星主谷,歲星為主;五星主旱,煢惑為主;五星主土,填星為主;五星主水,辰星為主。五星木土以逆行為凶;火以鉤巳為凶;金以出入不時為凶;水以不效為凶;五凶並見,其年必惡。”
甘氏がいう、五星の中で兵事を主るは、太白を主と為す。穀物の収成を主るは、歳星を主と為す。旱涝を主るは、熒惑を主と為す。土功を主るは、填星を主と為す。水事を主るは、辰星を主と為す。失度に就いて言えば、木星・土星は逆行をもって凶と為し、火星は行が鉤曲の形を成し逗留して去らざるをもって凶と為し、金星は出没が時節に合わざるをもって凶と為し、水星は当に出ずべきに出でず・その期に応ぜざるをもって凶と為す。五種の凶象が一斉に出現すれば、この一年の年成は必ず悪劣ならん(底本「熒」を「煢」に訛作す)。
巫咸曰:“五星者,五勝也。十二辰、二十八宿舍於刑德;日為朱鳥,月為玄武,房心為青龍,參為白虎;常每向北斗、太一,審能知此,萬事盡畢。五星、二十八舍以王時,則王者之事也;以相時,則卿相之事;以囚時,則囚徒之事也;以廢時,則萬民之事也。
巫咸がいう、五星は即ち五行の相勝する気なり。十二辰と二十八宿とは、帰結するに「刑」と「徳」の両端に外ならず。日は朱鳥に属し、月は玄武に属し、房宿・心宿は青竜と為り、参宿は白虎と為り、しかも彼らはまた常に各々北斗と太一とを朝向す。能くこれらを審辨し清からしめば、占候の万事は皆完備せん。五星と二十八宿とは、若し五行の「王」の時に正当すれば、占う所は便ち王者の事なり。「相」の時に当たれば、占う所は公卿・宰相の事なり。「囚」の時に当たれば、占う所は囚徒の事なり。「廃」の時に当たれば、占う所は万民の事なり(王・相・囚・廃は五行が四時に随いて旺衰・遞嬗するの次第なり)。
五星各受制,而司無道之國;故審五星逆、順、變色、留守,觀其喜、怒、變色所加宿之左右、前後、遠近、疏數、害克、陰陽,及見五氣相賊王者,而救之轉禍為福,宗廟可得而保,社稷可得而有。”石氏《五星贊》曰:“五星更出司不祥,應節守道不為殃,月滿不入其事興,過時不出陰謀行;以星所守占其方、芒角變動非其常;審察五色別青黃,各以事類知其殃。”
五星は各々五行の制約を受け、而して分かちて無道の国を伺察す。ゆえに五星の逆行・順行・変色と留守とを審察するを要す——「留」とは行度が停住して進まざるを謂い、「守」とは淹留してある宿に多日去らざるを謂う——それらの喜と怒との情態を観察し、変色の時の加臨する宿次は左に在るか右に在るか・前に在るか後に在るか・相距るは遠きか近きか・聚散は疏か密か・彼此は相害するか相克するか・行く所は陰道か陽道かを見、五行の気がいかに互相に賊害するかを看清すに至る。君王はこれに拠りて補救を加えれば、則ち禍を転じて福と為すこと能く、宗廟は保たるべく、社稷は長く有るべし。石氏《五星賛》にいう、五星は番番に出没し、専ら不祥の事を司る。若し能く節候に応合し・各々常道を守れば、災殃と為らざらん。満月の時、当に入るべきに入らざれば、その事は必ずまさに興起せん。当に出ずべきの期を過ぎて出でざれば、陰謀はまさに暗中に進行す。星の守候する宿次によってその対応する方位を推占し、芒角の伸張と位置の移動とが常態に反するか否かを看、さらに仔細に青・黄・赤・白・黒の五色の分別を審察し、各々事類によってその主る災殃を推知すべし。
五星行度盈度失行 二
石氏曰:“五星不失行,則年穀豐昌。”《黃帝占》曰:“有道之國,五星過之不失其行,則人君吉昌,萬民安寧。”又曰:“出中道,天下太平;出陰道,旱;出陰道,多雨水。”《動聲儀》曰:“五音和,則五星如度。陳卓曰:“五星出陰道,多陰謀。”
石氏がいう、五星がその常行の度数を失わざれば、この年は五穀すなわち豊収・昌盛せん。《黄帝占》にいう、有道の国は、五星がその分野を経過して常度を失わざれば、君主の吉慶・昌盛し・万民の安寧するを主る。またいう、五星が黄道の正中の「中道」を行けば、天下の太平を主る。黄道以北の陽道を行けば、天旱を主る。黄道以南の陰道を行けば、雨水多きを主る(底本は両処併せて「陰道」と作る、前の一処は当に「陽道」の訛ならん)。《動声儀》にいう、宮・商・角・徵・羽の五音が諧和すれば、五星は則ち各々その度に合せん。陳卓がいう、五星が陰道を行けば、陰謀多きを主る。
石氏曰:“五星分天之中,積於東方,中國大利;積於西方,負海之國,用兵者利。”《春秋緯》曰:“五星早出為盈,盈者為客;晚出為縮,縮者為主人,禍發其沖。”《考靈耀》曰:“天失日月,遺其珠囊。”(珠五星也,遺囊者,盈縮失度也。)
石氏がいう、周天を当中に分かてば、五星が東方に聚集するは、中原の大いに利を得るを主る。西方に聚集するは、海を背くる辺遠の国の利あるを主り、兵を用うる一方は利を得ん。《春秋緯》にいう、五星が常度より提前して出現するを「盈」と謂い、盈は則ち客の位を取る。常度より延後して出現するを「縮」と謂い、縮は則ち主人の位を取る。災禍は則ちそれと相冲するあの方位の上に発作す。《考霊耀》にいう、上天若し日月を失わば、譬えば珠を盛る囊袋を丢却するがごとし(原書小注:珠が指すは五星なり、囊袋を丢却するとは、五星の盈縮・失度を謂う)。
《黃帝占》曰:“五星不出兩河間,必有不道之臣;一曰必有道不通。”《春秋緯》曰:“君臣有謀,心憤未言,精象動於物,五星錯於官。”郗萌曰:“五星不行天門、天闕間,皆為有喪。
《黄帝占》にいう、五星が南河・北河の両組の戍星の間より通過せざれば、必ず臣道を守らざる臣子あるを主る。別の一説には必ず道路の阻隔・不通あるを主る。《春秋緯》にいう、君と臣とが各々図謀を懐き、憤懣は心中に積みて口に出ださざれば、この股の精気の象は便ち万物に感動し、五星は則ち各々の官位の上に錯乱・失次せん。郗萌がいう、五星が天門・天闕の間より通行せざれば、いずれも丧事あるを主る(本分片の源文はここに止まる。末句、底本は下引号を脱去し、その下文は後の分片に属す)。
五星不道東西咸,皆為必有賊。五星行往天闕,不出其年,有兵。五星皆逆行,主且乘法臣且謀其主。”石氏曰:“五星行二十八舍裡七寸內者,及宿者,其國君死。五星舍二十八宿,王者誅,除其國。五星犯合宿中間星,其坐者在國中;犯南為男,犯北為女,東為少,西為老。五星逆行,去宿雖非七寸內而守之者,其國君被誅刑死,順而留下,疾病死。”
五星(歳星は即ち木星、熒惑は即ち火星、填星はまた鎮星と曰い即ち土星、太白は即ち金星、辰星は即ち水星)の運行は常道を循らず、忽ち偏りて東し忽ち偏りて西し、五星が全部このごとくなれば、則ち必ず盗賊の興起あらん。五星の運行が「天闕」——これ天門を象徴する星官なり——に趨向すれば、当年を出でずして兵事あらん。五星が一斉に「逆行」するは、即ち再び平常のごとく自ら西に向かい東に行かず、反りて倒退して西に移る、これ君主のまさに法度の上に凌駕せんとし・臣子のまさにその君主を図謀せんとするの徴象なり。以上はなお上文の占辞に承接す。石氏がいう、五星が二十八宿の内に運行し、逼近して七寸以内に至る、および正しく宿星の上頭に圧するは、あの一宿の分野の国君は死せんとす。五星が二十八宿の中に停宿すれば、王者はまさに誅戮を行い、併せてあの国家を鏟平せん。五星が侵犯してある宿の正中のあの一顆の星に會合すれば、罪を獲て連坐する人は則ち国都の中に出づ。犯す所は南に偏すれば男子に応じ、北に偏すれば女子に応じ、東に偏すれば年少者に応じ、西に偏すれば年長者に応ず。五星が逆行し、宿星を離るることなお七寸の近さに至らざるに、却って「守」を停めて彼処に去るを肯んぜざれば、あの一分野の国君は誅戮・刑死せられん。若し順行して宿星の下方に滞留せば、国君は便ち疾病に死せん。
郗萌曰:“五星並出,皆逆行,不出其年,天下遣五將,期五十日。”巫咸曰:“五星受制而出,司無道之國,變色而逆行,犯度列宿及中官,留守二十日以上,皆臣殺;滿六十日以上,王者殺;則彗、-出所過之鄉,其下有亂兵。故世亂感,則天文變;下侵上,則五星逆。五星逆守列宿,若已去之還復,居之繞環成勾己,乍大乍小,乍明乍晦,是謂絕紀,其禍愈甚。”
郗萌がいう、五星が同時に出現し、しかも皆逆行すれば、当年を出でずして、天下はまさに五路の将領を派出せん、期は五十日に応ず。巫咸がいう、五星は天命の節制を受けて顕現し、来たりて無道の国を伺察するなり。それらが本色を改変しまた倒行・逆走し、二十八宿の宿度および中宮の諸星官を冲犯し、いわゆる「留守」とは一処に停まり久滞して去らざるなり、滞留二十日以上のは、臣下の殺せらるるに応じ、六十日に満つ以上のは、王者の殺せらるるに応ず。この時彗星の類の妖星が出現すれば(ここ底本は一字を脱し、ただ一個の符号を存す)、およそそれらの掃過する所の下は、則ち乱兵あらん。故に人世の昏乱に感召する所有れば、天象は則ちこれに随いて変異す。下に在る者が上に在る者を侵凌すれば、五星は則ち逆行を出現す。五星が逆行してある宿を守り、若し已に離れてまた折り返り、盤桓してその間を繞れて勾曲の形を成し、忽ち大きく忽ち小さく・忽ち明るく忽ち暗くするは、これを「絶紀」と呼作す、即ち上天の綱紀の断絶なり、それの招致する禍患は格外に深重なり。
《海中占》曰:“五星不當歷列宿,絕列星;有分國貴人有獄,抵列舍其國有喪;以五色占其吉凶;黃為喜,赤為兵,白為喪,蒼為憂,黑為水。”董仲舒曰:“五星失行度者,臣非其人,賢不肖並立,臣亂於下,則星錯於上,進賢,退不肖,以救亡。”
《海中占》にいう、五星がもと経過すべからざるある宿次を径自に走り過ぎ、成列の星宿をことごとく抛き断絶せば、このごとくは、値する分野の国の貴人は官司を喫せん。若し径直に抵住してある宿舍に去らざれば、その国は丧事あらん。吉凶は五星の当時呈現する五種の顔色を看て判断するを要す:黄色は喜慶を主り、赤色は兵事を主り、白色は丧事を主り、青色は憂患を主り、黒色は水災を主る。董仲舒がいう、五星の運行が正常の度数を失うは、位に在る臣子が合適の人に非ざるがゆえなり、賢者と不肖者とが並び同進す。臣下が人間に作乱すれば、星辰は則ち天上に錯行す。補救の法は賢能を進用し・不肖を斥退し、この办法をもって危亡を挽救するなり。
《黃帝占》曰:“五星逆行變色,出入不時,則王者宜變俗更行,起毀宗廟,立無後,賑貧窮,恤孤寡,寬刑罰,賞有功,舉名士,禮賢者,順天道;四時發藏財物,虛府庫,薄賦斂,則日月五星,妖孽虹彗,不為禍害矣。”郗萌曰:“五星有逆行及變色,若非其常,則以聞於上;各以其事修其政。”
《黄帝占》にいう、五星が逆行し・変色し、出没は常時を按ぜざれば、王者は則ち当に風俗を改易し・政令を更張すべし:已に傾毀したる宗廟を重修し、嗣を絶てる人家に後を立て、貧窮の家を賑済し、孤児・寡婦を抚恤し、刑罰を放寛し、功ある人を賞賜し、名望ある士人を薦挙し、礼をもって賢者に相待し、凡事は天道に順応せよ。一年四季はいずれも庫蔵の財貨を散髪し出で、府庫を騰空し、賦税を減軽せよ。このごとくなれば、日月・五星の失常、および妖星・虹霓・彗星の類は、禍害を醸成せざらん。郗萌がいう、五星が逆行および変色を出現すれば、ただ平常の態に合わざれば、則ち奏報して君主に知らしむべし。然る後各々応ずる所の事によって相関の政務を整頓せん。
五星喜怒芒角変色冠珥 三
甘氏曰:“凡五星同色,天下偃兵,百姓安寧,歌舞以行,不見疾病,五穀大昌。”巫咸曰:“五星起怒,犯凌留守列舍,察其守犯,審其始留之日,觀其時氣有與五星相賊者,以決其事;視其色變,以知吉凶之情;又別其光芒所指,以知兵起所加之鄉;芒多而短者,謀而未成;芒少而長者,其謀已成;其氣專而上行,芒從一至四,是謂道極。
甘氏がいう、およそ五星が同一種の顔色を呈せば、天下は則ち兵戈を停息し、百姓は安寧し、歌舞は相隨い、疾疫を見ず、五穀は大いに豊ならん。巫咸がいう、五星の「起怒」とは、星光が転じて厲となり・鋒芒は外露するを指し、因りてある宿舍を冲犯し・凌逼し併せて停守す。この時、その守り犯す所はいずれの宿かを察看し、それの滞留を開始する日子を弄清し、さらに当令の時気の中にその星の五行と相克するものの有無を看て、これに拠りて応ずる所の事を判定す。それの顔色の変化を観察すれば、吉凶の実情を知る可し。さらにそれの光芒の指す方向を分辨すれば、兵事のまさにいずれの一方に加わらんとするかを知る可し。芒角の多くして短きは、陰謀の已に起こりて未だ逞まざるなり。芒角の少なくして長きは、その謀の已に手を得たるなり。若し星気が凝聚・専一にして上に向かい直ちに冲り、芒角は一根より四根に増すは、則ちこれを「道極」と謂い、変異の極処に至れるなり。
芒或指西,或指東,或指其南,或指其北;四芒己具,其下必有亡國之主,芒過四以上,未可救也。凡五星之起怒,芒角四達,其形未變,是謂誡兵;其星形變,而銳上,向下,大小狀如拔劍,是謂成形,不可救復;急堅甲勵兵,以待不祥。”《海中占》曰:“五星有三角者,兵息;有五角者,則兵行;以角多戰也。”
芒角あるいは西を指し、あるいは東を指し、あるいは南を指し、あるいは北を指す。四面の芒角が皆具備せば、その下方の値する分野に必ず亡国の君の出現せん。芒角が四根以上を超過せば、挽救する法なし。およそ五星の起怒、芒角が四面に向かい伸展して星体の形状はなお改変せざれば、これを「誡兵」と呼作し、上天の預め示警し・兵禍に防備せよと提醒するなり。若し星体の形状もまた変わり、上端は尖鋭にして鋒芒は下垂し、大小の形状は鞘を拔出する剣のごとくなれば、これを「成形」と呼作し、已に挽回に従うなく、ただ急いで甲胄を加固し・兵器を砥礪し、もってまさに到来せんとする不祥の事に応付するのみ。《海中占》にいう、五星が三根の芒角を生出するは、兵事の平息するを主る。五根の芒角を生出するは、兵事のまさに興起せんとす。芒角は多きほど、交戦は甚だし。
甘氏曰:“五星反羽,其下之國,不可久處;反羽者,光芒上大、下小,狀如反羽也。”郗萌曰:“五星之常,行刑即乘芒,上銳下大,色如其常;及其逆行,而反芒上向,狀如反羽。”《黃帝占》曰:“無道之國,五星過之即斗,狀如故炭,爭流而去;熒惑,太白,還而不離;妖星數見,徘徊不去;如此者,兵之所攻,國家滅亡,又以有喪。”
甘氏がいう、五星が「反羽」の状を呈すれば、その下方の値する国家は久しく住む可からず。いわゆる反羽とは、星の光芒の上端は粗大・下端は細小にして、形状は倒插する羽毛に象るを指す。郗萌がいう、五星の常態は、それが刑殺の象を行使する時は便ち芒角を駕し、芒角は上尖し下粗く、顔色はなお本色なり。その逆行する時に至りては、芒角は反りて上に朝し、形状は則ち倒插する羽毛のごとし。《黄帝占》にいう、無道の国は、五星がその分野を経過すれば則ち相闘い、星の色は焼き過ぎたる余炭のごとく晦暗にして、争うて流瀉して去らんとす。熒惑(火星)と太白(金星)とは盤旋・往返して去るを肯んぜず。妖星は屡屡出現し、徘徊して散ぜず。このごとくの象は、則ち兵禍のまさに攻打せんとする所にして、国家はまさに滅亡せんとし、しかもまた丧事を加えん。
《考靈耀》曰:“五政俱失五星色,明年穀不登。”石氏曰:“熒惑色黑,填星爭青,太白色赤,辰星色黃,歲星色白者,必敗;熒惑為水災,填星為土功、太白為兵災,辰星為大水。”甘氏曰:“五星日月爭光,臣有無道,與其主爭者。”巫咸曰:“吉凶憂患,各比色變言之;將有兵,金星變;將有水,水星變;明主聖王,候而司之,轉禍為福,使災不來。”
《考霊耀》にいう、五方の政事が全て失当なれば、五星は則ち一斉に本色を失い、来年の五穀は便ち豊収する能わざらん。石氏がいう、熒惑(火星)はもと赤にして転じて黒色と為り、填星(土星)はもと黄にして争いて青色を現じ、太白(金星)はもと白にして転じて赤色と為り、辰星(水星)はもと黒にして転じて黄色と為り、歳星(木星)はもと青にして転じて白色と為る——これらはいずれも己を克制するあの一色に勝されたるなり、必ず敗亡せん。熒惑の変色は水災を主り、填星の変色は土木の興動を主り、太白の変色は兵災を主り、辰星の変色は大水を主る。甘氏がいう、五星が日月と光を争うは、臣下に無道の人ありて、まさにその君主と相争うなり。巫咸がいう、吉凶・憂患は、いずれも各星の顔色の変化によって分かちて謂うを要す。まさに兵事あらんとすれば、金星は則ち変色す。まさに水患あらんとすれば、水星は則ち変色す。英明の君主・聖徳の王者は、能くこれらの徴兆を守候・伺察し、禍を転じて福と為し、災殃をして降臨に至らしめざらん。
巫咸曰:“五星變色,進退、逆順、喜怒,皆與時氣相應。至其象也,審明金不可以怒火之鄉,木不可以怒金之鄉,水不可以怒土之鄉,火不可以怒水之鄉,土不可以怒木之鄉。逆順進退,左右前後,五星皆同法。”《天官書》曰:“五星色:白圓,為喪、旱;赤圓,則中不平,為兵;青圓,為憂,水;黑圓,為疾,多死;黃圓,則吉。五星色:赤角犯我城,黃角地之爭,白角哭泣之聲,青角有兵憂,黑角則水。”
巫咸がいう、五星の変色、および前進・後退・逆行・順行・起怒・収斂は、いずれも当令の時気と相呼応す。これらの星象を占断するに至りては、看清すべし:金星は火の主る分野に起怒する可からず、木星は金の主る分野に起怒する可からず、水星は土の主る分野に起怒する可からず、火星は水の主る分野に起怒する可からず、土星は木の主る分野に起怒する可からず——それ皆己を克制する地界の上に走り到りて威を発するがゆえなり。逆順・進退・左右・前後は、五星は皆同一套の法則によって断ず。《天官書》にいう、五星の顔色は、白にして円なるは丧事・旱災を主り、赤にして円なるは国中の平ならず・兵事あるを主り、青にして円なるは憂患・水災を主り、黒にして円なるは疾疫・死者の众多を主り、黄にして円なるは則ち吉と為す。若し芒角を帯出するは:赤色の芒角は敵人の来たり我が城を犯すを主り、黄色の芒角は土地の争いを主り、白色の芒角は哭泣の声あるを主り、青色の芒角は兵事の憂いあるを主り、黒色の芒角は則ち水災を主る。
巫咸曰:“二十八舍各有國分,水旱之災皆相應;故旱之歲,其國火星赤,水星黑。五星守二十八宿,各以其色占以其害為禍敗;歲星守木星,其色白必敗;熒惑守火星,其色黑必敗;填星守土星,其色青必敗;太白守金星,其色赤必敗;辰星守水星,其色黃必敗。”
巫咸がいう、二十八宿は各々主る所の国土の分野あり、水災・旱災はいずれもこれと相応ず。故に旱の年に逢えば、あの一分野の対応する火星は赤を発し、水星は黒を発す。五星が二十八宿に停守するは、各々それの当時の顔色によって占断し、その受くる所の克害をもって禍敗を定む。歳星(木星)が木に属する星の上に守りて、星の色が却って白を発すれば、白は金に属し金は木を克す、必ず敗亡せん。熒惑(火星)が火に属する星の上に守りて、星の色が却って黒を発すれば、黒は水に属し水は火を克す、必ず敗亡せん。填星(土星)が土に属する星の上に守りて、星の色が却って青を発すれば、青は木に属し木は土を克す、必ず敗亡せん。太白(金星)が金に属する星の上に守りて、星の色が却って赤を発すれば、赤は火に属し火は金を克す、必ず敗亡せん。辰星(水星)が水に属する星の上に守りて、星の色が却って黄を発すれば、黄は土に属し土は水を克す、必ず敗亡せん。
郗萌曰:“五星變色者,太史公以關於上,上乃以修其身,平政決獄,寬刑罰,薄賦斂,去關市之稅,廢關津之禁,以利宣天地之氣,則以次行。”《孝經右秘》曰:“五星冠珥,臣下遂。”
郗萌がいう、五星が変色すれば、天文を掌る太史はこの事を上に通報し、君主は是に拠りて自身を修养し、政令を公平にし・獄訟を審断し、刑罰を放寛し、賦税を減軽し、関卡・集市の税收を免去し、関口・渡口の禁令を廃除し、これらの办法をもって天地の気を通利・宣散せば、五星は則ち次序に就いて常行を回復せん。《孝経右秘》にいう、五星に「冠珥」の出現す——星の両旁に耳のごとき光気を生出し・上方に冠のごとき光暈を戴く——これ臣下のその志を遂げるを得・事の成るの象なり。
五星所守列宿中外官 四
甘氏曰:“五星犯列宿,若入其國,官有殃。”巫咸曰:“五星守木星,有木異;守火星,有火異;守土星,有土異;守金星,有金異,屠城;守水星,有水異。二十八宿中外官者,各有金木水火土氣,五星守之,禍敗皆不相賊害為吉凶,以官名其事。
甘氏がいう、五星が二十八宿を侵犯し、若しある宿の主る国土の分野に進入せば、彼処の官員はまさに殃を受けんとす。巫咸がいう、五星が五行の木に属する星の上に停守すれば、則ち草木の方面の変異あり。火に属する星の上に守れば、則ち火の変異あり。土に属する星の上に守れば、則ち土の変異あり。金に属する星の上に守れば、則ち金の変異あり、還って屠城の禍あらん。水に属する星の上に守れば、則ち水の変異あり。二十八宿および中官・外官のこれらの星官は、各々金・木・水・火・土の五行の気を帯び、五星がその上に停守するは、禍なるか敗なるか、全く両者の五行の相賊害するか否かを看て以て吉凶を定め、併せてあの星官の名号によって応ずる所の事情を判断す。
歲星守木星,熒惑守火星,填星守土星,太白守金星,辰星守水星,是為五重守;並氣之象也;法曰並氣者,是謂重施過世,則民多疾疫,五穀不成,災害並生;一曰天下旱,萬物不成。歲星守火,熒惑守土,填星守金,太白守水,辰星守木,是謂五星守其子;陽不施之象。陽氣不足,故多水災,五穀不成。
歳星は木に属して木に属する星を守り、熒惑は火に属して火に属する星を守り、填星は土に属して土に属する星を守り、太白は金に属して金に属する星を守り、辰星は水に属して水に属する星を守る、これを「五重守」と謂い、同気の畳加する象なり。占法にいう、同気が相併ぶは、則ち同一種の気の重複して施加し・常度を超過するなり、是において百姓は疫病に染まること多く、五穀は熟せず、各種の災害は一斉に発生す。別の一説には天下の大旱し・万物は成熟する能わざるなり。歳星が火に属する星を守り、熒惑が土に属する星を守り、填星が金に属する星を守り、太白が水に属する星を守り、辰星が木に属する星を守る——これ各星が自らの生ずる所の一方を守りに行くにして、「五星守其子」と謂い、陽気の施化する能わざるの象なり。陽気は足らず、故に水災多く、五穀は熟せず。
歲星守土,熒惑守金,填星守水,太白守木,辰星守火,是謂守所勝,下之象也。法曰賦斂眾多,徭役繁數,下民屈竭,莫之能供,故下皆惡其上;則強凌弱,眾暴寡,故盜賊眾多,兵革並起;一曰人民相惡。”歲星守金,熒惑守水,填星守木,太白守火,辰星過土,是謂守所不勝,上之象也。法曰民臣隆盛,侵凌其上,君弱臣強,故奸臣賊子,謀殺其主。
歳星(木)が土に属する星を守り、熒惑(火)が金に属する星を守り、填星(土)が水に属する星を守り、太白(金)が木に属する星を守り、辰星(水)が火に属する星を守る——これ各星が自らの克つ所の一方を守りに行くにして、「守所勝」と謂い、上に在る者が下に在る者を欺圧するの象なり。占法にいう、賦税の徴収は過重にして、徭役は頻繁に断えず、下民の財力は枯竭し、再び供応するに力なく、因りて下面の人は皆上面の人を憎悪す。是に強きは弱きを欺凌し、多きは少なきを欺圧し、故に盗賊は叢生し、兵革は併せ起こる。別の一説には人民の彼此に仇恨するなり。歳星が金に属する星を守り、熒惑が水に属する星を守り、填星が木に属する星を守り、太白が火に属する星を守り、辰星が土に属する星を走り過ぐ——これ各星が己を克制する一方を守りに行くにして、「守所不勝」と謂い、下に在る者が上に在る者を凌逼するの象なり。占法にいう、民衆と臣子との勢力は強盛にして、彼らの君上を侵凌し、君は弱く臣は強し、因りて奸臣・賊子はその主を殺害せんことを図謀す。
歲星守水,熒惑守木,填星守火,太白守土,辰星守金,是謂五星守其母,陰氣不成之象。法曰氣不足,故旱;多火災,五穀不成;一曰萬物不成。”
歳星(木)が水に属する星を守り、熒惑(火)が木に属する星を守り、填星(土)が火に属する星を守り、太白(金)が土に属する星を守り、辰星(水)が金に属する星を守る——これ各星が己を生养する一方を守りに行くにして、「五星守其母」と謂い、陰気の物を成す能わざるの象なり。占法にいう、陰気は足らず、故に干旱す。火災は頻発し、五穀は熟せず。別の一説には万物は皆成熟する能わざるなり。
開元占經 卷十九
五星占 二
五星相犯 一
《易坤靈圖》曰:“王者有至德之萌,則五星若連珠。”(鄭玄曰:“謂聚一舍,以德得天下之象也。”)郗萌曰:“五星俱見,兵布野,期不出三年。”《春秋緯》曰:“帝有過失,既已命絕於天,則五星聚攝提,反衡亂不禁。五星聚,天子窮。”《荊州占》曰:“五星並聚,篡弒成。”《含神霧》曰:“五緯合,王更紀。”
《易坤霊図》にいう、王者に極高の德行の萌兆あれば、五星は則ち一串の連珠のごとく排列せん。原書小注に鄭玄を引いていう、いわゆる連珠とは、五星が同一の宿舍の中に聚集するを指し、これ徳行を憑にして天下を取得するの象なり、と。郗萌がいう、五星が同時に出現すれば、兵衆は原野に布满し、期は三年を出でずに応ず。《春秋緯》にいう、天子に過失あり、天命は已に断絶せば、五星は則ち摂提星の附近に聚集し、綱紀は反覆・錯乱して禁止するに由なからん。五星が聚集すれば、天子は則ち窮途に走り到らん。《荊州占》にいう、五星が一斉に聚合すれば、簒位・弑君の事はまさに逞せんとす。《含神霧》にいう、五大行星(古は「五緯」と称す、即ち歳星・熒惑・填星・太白・辰星)が會合すれば、帝王は則ち改元・易代し・紀年を重開せん。
《海中占》曰:“五星若合,是謂易行,有德受慶,改立天子,乃奄有四方,子孫藩昌;無德受罰,離其國家,減其宗廟,百姓離去滿四方。五星皆大,其事亦大;五星皆小,其事亦小。”(周將代殷,五星聚於房;齊桓將霸,五星聚於箕;漢高祖入秦,五星聚東井,齊則永終。侯伯本無更紀之事,是五星之聚,有不易行者矣。)
《海中占》にいう、五星若し一処に會合せば、これを「易行」と謂う、即ち天道の運行を改換するなり。徳ある人は因りて福慶を受け、改めて天子と為るに立てられ、是に四方を尽く有し、子孫は繁盛す。無徳の人は則ち懲罰を受け、自らの国家を離れ、宗廟は削減せられ、百姓は四散・流亡し、四方に遍布す。五星が皆大に顕れれば、応ずる所の事もまた大なり。五星が皆小に顕れれば、応ずる所の事もまた小なり。原書小注にいう、周のまさに殷商に取代わらんとする時、五星は房宿に聚まり。斉の桓公のまさに称霸せんとする時、五星は箕宿に聚まり。漢の高祖の関に入り秦を滅ぼす時、五星は東井に聚まりて、而して斉国の国運は此に就いて終結せり。諸侯・伯主はもとより改元・易代のこの事なく、見るべし、五星の聚合も、また併せて「易行」と応験せざるの例あることを。
《洛書雒罪級》曰:“五星一合,不言聖起合有謨。”《考異郵》曰:“五星聚於一宿,天下兵起。”《荊州占》曰:“五星合於一舍,其國主應縮,有德者昌,無德者亡,受其凶殃。五星畢聚於一舍,填星在其中,天下興兵。”《詩緯》曰:“五緯聚房,為義者受福,行惡者亡。”(《帝王世紀》曰:文王在豐,九州諸候咸至,五星聚於房。)
《洛書雒罪級》にいう、五星は一旦會合すれば、明らかに聖人の興起を言わずと雖も、その中に已に上天の謀劃を含有す。《考異郵》にいう、五星が同一の宿の中に聚集すれば、天下はまさに兵を興さん。《荊州占》にいう、五星が同一の宿舍に會合すれば、あの一分野の国主の気数は当に収縮・退譲すべし。徳あるは因りて昌盛し、無徳のは因りて敗亡し、それの帯来する凶殃を承受せん。五星が全部一舍に聚まりて、填星(土星)がその中に居れば、天下はまさに兵を動かさん。《詩緯》にいう、五星が房宿に聚まれば、義を行う人は福を受け、悪を作す人は敗亡せん。原書小注に《帝王世紀》を引いていう、周の文王が豊邑に在る時、九州の諸侯は全て来たり朝し、その時五星は房宿に聚まりき、と。
《海中占》曰:“五星合亢,為五穀頻不成。”郗萌曰:“五星聚於虛,天下之君,必有盟者;二星,則二國君;五星,則五國君;皆相見。”《考靈曜》曰:“帝起受終,五緯合軫。”《河圖》曰:“歲星帥五緯聚房,青帝起。”石氏曰:“歲星所在,五星皆從而聚於一舍,其下之國,可以義致天下。”
《海中占》にいう、五星が亢宿に會合すれば、五穀の連年に成熟する能わざるを主る。郗萌がいう、五星が虚宿に聚まれば、天下の君主の間に必ず會盟の事あらん。聚まるが両星なれば、則ち両国の君の會盟あり。聚まるが五星なれば、則ち五国の君の會盟あり、彼らは皆彼此相見るを要す。《考霊曜》にいう、帝王の興起し・前朝の禅譲を承受するは、五星は軫宿に會合す。《河図》にいう、歳星(木星)が其余の四星を率いて房宿に聚まれば、東方青帝の運の興起を主る。石氏がいう、歳星の所在する宿次に、其余の各星が皆随いて来たり同一の舍中に聚まれば、あの一分野の国家は仁義を憑にして天下を取得する可し。
《荊州占》曰:“歲星與火土金水五合同舍,相去三尺以外,七尺以內,相守十日以上,至四十日;天下兩主爭國,大帝易跡,近期三年,遠七年。”《運斗樞》曰:“歲星帥五精聚於東方七宿,蒼帝以仁良溫讓起,皆以所舍占國。”《春秋緯》曰:“五精入牛,從歲星聚;用兵遏亂,以義得天下。”
《荊州占》にいう、歳星(木星)と火・土・金・水の四星とが共に五星として同一の宿舍に會合し、彼此相距ること三尺以外・七尺以内にして、互相に「守」を停め対峙すること十天以上・四十天に至れば、則ち天下に両位の君主ありて国柄を争奪し、大帝の蹤跡は改換せんとす、近きは三年に応じ、遠きは七年に応ず。《運斗枢》にいう、歳星が五星の精を率いて東方の角・亢・氐・房・心・尾・箕の七宿に聚集するは、東方蒼帝の運の仁厚・善良・温和・謙譲を憑にして興起するを主る。究竟はいずれの国に応ずるか、皆聚まる所の宿次の分野によって占す。《春秋緯》にいう、五星の精が牛宿に進入するは、歳星に随いて聚まるなり、これ兵を用いて禍乱を遏止し・道義を憑にして天下を取得するを主る。
(班固《天文志》曰:漢高元年,有五星聚於東井,歷推之,從歲星也。此高皇帝受命之符,故客謂張耳曰:東井秦地,漢王入秦,五星從歲星聚,當以義取天下。秦王子嬰降於軹道,漢王以屬吏,曰寶器、婦女,任所取,閉宮封門,還軍將次於灞上,以候諸侯,與人民約法三章,人無不歸心者,可謂能行義矣。李奇注曰:歲星得其正度,其四星隨此常正行,故曰從也。孟康注曰:歲星先至,先至為主也。洪範《天文星辰變占》曰:客有齊人甘文卿者,善天文,後五年,高帝遂定天下。)
原書小注に班固《漢書・天文志》を引いていう、漢の高祖元年、五星ありて東井宿に聚まり、暦法をもって推算すれば、歳星に随いて聚まるなり。これ高皇帝の天命を承受するの符応なり。故に門客ありて張耳に對していう、東井は秦地の分野なり、漢王が関に入り秦を滅ぼし、五星は歳星に跟いて彼処に聚まる、彼は当に道義を憑にして天下を取得すべし、と。秦の王子嬰は軹道の旁に投降し、漢王は彼を官吏に交付して看管せしめ、宝器・婦女の類は衆人の取用に任するを宣布し、自らは令を下して宮門を閉鎖し・庫蔵に加封し、軍を撤して灞上に駐紮し、各路の諸侯を等候し、また百姓と約法三章し、人々は帰心せざるなし、これを以て能く義を行うと謂うべし。李奇は注を作してがいう、歳星の運行は正常の度数に合し、其余の四星はそれに跟いて一同に正行す、故に「従」と謂う、と。孟康は注を作してがいう、歳星は先に到り、先に到るは便ち主星なり、と。また《洪範天文星辰変占》を引いていう、当時客居する斉人・甘文卿あり、天文に精通す。此後五年、高帝は果たして天下を平定せり、と。
石氏曰:“熒惑所在,五星皆從而聚於一舍,其下之國,可以禮致天下。”《運斗樞》曰:“熒惑帥五精聚於南方七宿,赤帝以寬明多智略起。”黃帝曰:“填星與五星俱聚一舍,而填星亡焉,所舍國亡;填星在焉,大如狼星而黃,天下之兵雖合,其國不亡。”《運斗樞》曰:“填星帥五精聚於中央,黃帝以重厚賢聖起。”
石氏がいう、熒惑(火星)の所在する宿次に、其余の各星が皆随いて来たり同一の舍中に聚まれば、あの一分野の国家は礼制を憑にして天下を取得する可し。《運斗枢》にいう、熒惑が五星の精を率いて南方の井・鬼・柳・星・張・翼・軫の七宿に聚集するは、南方赤帝の運の寛厚・明達・智謀多きを憑にして興起するを主る。黄帝がいう、填星(土星)と其余の各星とが一同に一舍に聚まり、若し填星が随いて後に見えざれば、聚まる所の宿の分野の国家はまさに滅亡せん。若し填星がなお在りて、大小は天狼星のごとくにして色沢は黄亮なれば、則ち天下の兵馬は會合して逼り来たると雖も、あの国家もまた滅亡せざらん。《運斗枢》にいう、填星が五星の精を率いて中央に聚集するは、中央黄帝の運の敦厚・持重・賢明・聖徳を憑にして興起するを主る。
石氏曰:“填星所在,五星皆從而聚於一舍,其下之國,可以兵致天下;太白所在,五星皆從而聚於一舍,其下之國,可以重德致天下;太白所在,五星皆從而聚於一舍,其下之國,可以兵致天下。”《天官書》曰:“太白與五星相犯,大戰;出其南,南國敗;北其北,北國敗;行疾,武;不行,文。”
石氏がいう、填星(土星)の所在する宿次に、其余の各星が皆随いて来たり同一の舍中に聚まれば、あの一分野の国家は兵力を憑にして天下を取得する可し。太白(金星)の所在する宿次に、其余の各星が皆随いて来たり同一の舍中に聚まれば、あの一分野の国家は深厚の德行を憑にして天下を取得する可し。太白の所在する宿次に、其余の各星が皆随いて来たり同一の舍中に聚まれば、あの一分野の国家は兵力を憑にして天下を取得する可し。太白を起首とするこの两条の占辞は説法互いに異なり、底本はこのごとく重出す、姑らく併せ存す。《天官書》にいう、太白と其余の各星とが互相に侵犯せば、まさに大戦あらん。太白が相手方の南に出現すれば、南方の国は敗れ、相手方の北に出現すれば、北方の国は敗る。行度の快きは武を用うるを主り、停まりて走らざるは文を用うるを主る。
《運斗樞》曰:“太白帥五精聚於西方七宿,白帝以勇武誠信,多節義起。”《河圖》曰:“太白帥五緯聚參,白帝起。辰精帥五精聚於北方七宿,黑帝以清平、靜潔、通明起。”《春秋緯》曰:“五星從辰星,聚北方七宿,黑帝起,以宿占國。”《河圖》曰:“辰星帥五緯聚營室,黑帝起。”石氏曰:“辰星所在,五星皆從而聚於一舍,其下之國,可以法致天下。”
《運斗枢》にいう、太白(金星)が五星の精を率いて西方の奎・婁・胃・昴・畢・觜・参の七宿に聚集するは、西方白帝の運の勇武・誠信・節操・義気多きを憑にして興起するを主る。《河図》にいう、太白が其余の四星を率いて参宿に聚まれば、白帝の運は興起す。辰星(水星)の精が五星の精を率いて北方の斗・牛・女・虚・危・室・壁の七宿に聚集するは、北方黒帝の運の清明・公平・寧静・潔浄・通達・明察を憑にして興起するを主る。《春秋緯》にいう、其余の各星が辰星に随い、北方の七宿に聚まれば、黒帝の運は興起す、いずれの国に応ずるかは聚まる所の宿次の分野によって占すべし。《河図》にいう、辰星が其余の四星を率いて営室宿に聚まれば、黒帝の運は興起す。石氏がいう、辰星の所在する宿次に、其余の各星が皆随いて来たり同一の舍中に聚まれば、あの一分野の国家は法制を憑にして天下を取得する可し。
《考異郵》曰:“四表戒,五星薄,天下分爭,甲兵作。”郗萌曰:“五星一相牴觸,軍半破;再相牴觸,軍大破。五精星相薄,天下大戰,相去二三尺,破軍殺將,流血滂滂,天下饑荒。”《春秋緯》曰:“五星錯斗,臣挾兵,上下相持。”《合誠圖》曰:“五星斗,天子去;一曰國昏亂,憂在公侯。”
《考異郵》にいう、四方の辺表は告警し、五星は互相に迫近して相「薄」すれば、天下はまさに分裂・争闘し、甲胄・兵戈は興起せん。郗萌がいう、五星が彼此に抵触すること一度なれば、軍隊は一半を折損す。再度抵触すれば、軍隊は大敗す。五星の精が互相に迫近すれば、天下に大戦あり。相距ることただ二三尺なれば、則ち軍を破り将を殺し、血は滂沱として流れ、天下は飢荒せん。《春秋緯》にいう、五星が交錯して相闘うは、臣下の兵権を挟持し・上下は相持して下らざるの象なり。《合誠図》にいう、五星が相闘えば、天子はまさに位を離れて出走せん。別の一説には国政は昏乱し、憂患は公侯の身に落つ。
甘氏曰:“歲星、熒惑、填、太白四星與辰星斗,皆為戰;兵不在外;皆為在內。”郗萌曰:“五星斗,相貫牴觸,光耀相及,有兵大戰,覆軍殺將。”《荊州占》曰:“五星合斗,人走馬馳,九州鼎沸,棄其妻兒,五郡無主,夷狄為君;五星相與合斗,及列宿乘凌牴觸,磨靡及入貫,刺犯守勾巳環繞,所在之國,皆為兵喪,滅國之殃。”石氏曰:“五星主司人君諸侯大臣之過,五星合斗者,皆為謀反大臣當有誅者。”
甘氏がいう、歳星・熒惑・填星・太白のこの四星が辰星と相闘えば、いずれも戦事を主る。若し兵馬が境外に在らざれば、則ち皆境内に応ず。郗萌がいう、五星が相闘い、彼此に穿貫・抵触し、光芒は互相に触及せば、則ち兵事の大戦あり、全軍は覆没し・主将は殺せらるるに至らん。《荊州占》にいう、五星が會合して相闘えば、人は奔り馬は馳せ、九州は鼎中の水のごとく沸騰し、人々は妻児を抛下して逃亡し、五郡は主宰を失い、夷狄の人は国君と為る。五星が彼此に會合して相闘い、および二十八宿を乗凌し・抵触し、あるいは磨蹭・挨擦し・進みて穿入・貫通し、あるいは刺犯し・停守し・勾曲の形を繞れて環行して去らず——およそこれらの星象の所在する分野の国は、いずれも兵禍・丧乱あり・亡国の災殃あるを主る。石氏がいう、五星は君主・諸侯・大臣の過失を伺察するを主管す。五星が會合して相闘えば、いずれも謀反の大臣ありて当に誅せらるべきを主る。
四星相犯 二
《漢天文志》曰:“四星若合,是為大湯。(晉灼曰,湯猶盪滌也。)其君兵喪並起,君子憂,小人流。”(按《宋書》曰:始興九年,歲填災惑、太白聚東井,後歷五年至晉義熙十三年,相國劉裕入關,擒姚泓於長安,而秦亡。)《荊州占》曰:“四星若合於一舍,其國當王有德者繁昌,保有宗廟,無德者喪。”
《漢書・天文志》にいう、四星若し會合せば、これを「大湯」と呼作す。原書小注に晋灼を引いていう、湯は則ち蕩涤の義なり、と。これその国の君の兵禍と丧事とが一同に興起し、位に在る君子は憂愁し、下面の百姓は流亡するを主る。原書小注にいう、按ずるに《宋書》の記載に、始興九年、歳星・填星・熒惑(底本は「災惑」と作る)・太白が東井宿に聚まりき。此後五年を経過し、東晋の義熙十三年に至り、相国・劉裕は軍を率い関に入り、長安にて姚泓を擒獲し、後秦は因りて滅亡せり、と。《荊州占》にいう、四星若し同一の宿舍に會合せば、あの一分野の国は当に王者を出すべし。徳あるは因りて繁盛・昌隆し、宗廟・社稷を保住す。無徳のは則ち敗亡せんとす。
(按《宋書天文志》曰:晉孝懷帝永嘉六年七月,熒惑、歲星、填星、太白聚牛女之間,徘徊進退,是後兩郡傾覆,而元帝中興、揚土是其應也。安帝義熙三年二月癸亥、熒惑、填星、太白、辰星聚於奎婁,從填星也。奎婁魯分,是時慕容超僭號於齊,侵掠徐兗,連歲寇掠,至於淮泗,姚興譙縱,僭號秦蜀,盧循及魏,南北交侵。五年,高祖北殄鮮卑,九年又聚東井,秦分,十三年,高宗定關中,縱修群凶之徒,皆已剪滅,於是天人歸望,建國。舊條元熙二年受終納禪,皆其徵也。漢平帝元始四年星聚柳、張,各五日,柳、張,三河分,後有王莽赤眉之亂,而光武興,復於洛。晉懷帝永嘉六年四星聚牛、女,後劉聰石勒之亂,而遠帝興復楊土。漢獻帝初平元年,四星聚心,聚箕尾心,豫州分,後有董卓、李霍暴亂,黃中赤眉之憂,而魏武迎帝都,許遂以兗豫定京建安,二十二年,四星又聚;二十五年,而魏文受禪,此為四星二聚而易行矣。檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武太元十九年十月癸酉,太白、填星、熒惑、辰星合於氐,二十一年九月庚申,帝崩。)
原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の懐帝・永嘉六年七月、熒惑・歳星・填星・太白が牛宿と女宿との間に聚集し、往復・徘徊し・時に進み時に退きき。此後両郡は淪陷し、而して晋の元帝は中興し・揚州の地に立国せり、則ちその応験なり。晋の安帝・義熙三年二月癸亥の日、熒惑・填星・太白・辰星が奎宿・婁宿に聚まるは、填星に随いて聚まるなり。奎・婁は魯地の分野なり。当時慕容超は斉地にて僭りて帝号を称し、徐州・兖州を侵掠し、連年辺を寇し、一直に淮水・泗水の一帯に打ち至れり。姚興・譙縦は各々秦地・蜀地にて僭号す。盧循と北魏とはまた南北に交相に侵擾す。義熙五年、宋の高祖・劉裕は北に鮮卑を滅ぼす。九年、四星はまた東井に聚まる、あれは秦地の分野なり。十三年、関中を平定し、縦横に患と為る群凶の徒は全て剪除せられ、是において天意・人望は一斉に帰附し、建国するを得たり。旧有の条目は元熙二年に禅譲を受けと謂う、皆これらの星象の徴兆なり。漢の平帝・元始四年、衆星は柳宿・張宿に聚まり、各々五日停留せり。柳・張は三河の分野なり、此後王莽の漢を簒う・赤眉の起事の乱あり、而して光武帝は興起し、洛陽にて漢室を復興せり。晋の懐帝・永嘉六年に四星は牛・女に聚まり、此後劉聡・石勒の乱あり、而して元帝は揚州の地にて晋室を興復せり。漢の献帝・初平元年、四星は心宿に聚まり、また箕・尾・心に聚まる、あれは豫州の分野なり。此後董卓・李傕らの暴乱、および黄巾・赤眉の類の憂患あり、而して魏の武帝・曹操は漢の献帝を迎えて許昌に都を定め、是に兖州・豫州をもって根本と為し京畿を安定し、改元す
《荊州占》曰:“四星合斗,閉其關梁,女子運倉,天下半亡。”《文耀鉤》曰:“歲星與三星斗,九州謀王。”郗萌曰:“歲星、熒惑,陽也;太白、辰星,陰也;陽主中邦,陰主外邦,陽與陰合,中外邦相連以兵;陽與陽合,兵謀在國;陰與陽合,兵謀在外邦。熒惑在未申間,太白亦出酉;其出也,必有令。四星俱出,令大;二星俱出,令小;不然者,必有賞賜之事。”
《荊州占》にいう、四星が會合して相闘えば、関口・橋梁は皆封閉せられ、女子は駆りて倉糧を転運せしめられ、天下の丧亡は半を過ぎん。《文曜鈎》にいう、歳星とその他の三星とが相闘えば、九州の内に人ありて王を称せんことを図謀す。郗萌がいう、歳星・熒惑は陽に属し、太白・辰星は陰に属す。陽は中原の邦を主り、陰は域外の邦を主る。陽星と陰星とが會合すれば、中原と外邦とはまさに兵を連ねて交戦せん。陽星と陽星とが會合すれば、兵謀は本国の内に出づ。陰星と陽星とが會合すれば、兵謀は外邦に出づ。熒惑が未位と申位との間に行き到り、太白もまた酉位より出現し、それらがこのごとく出現すれば、必ず政令の頒き下さるるあらん。四星が同時に出現すれば、政令は重大なり。両星が同時に出現すれば、政令は軽小なり。若し政令を発布するに非ざれば、あれもまた必ず賞賜の事あらん。
《荊州占》曰:“歲星與太白、熒惑、辰星同合,相去三尺以外,留守七日以上,至二十日,天下兵起,國主絕嗣。天下三主鼎足,俱用兵,必有滅國,親戚內,自相賊;九州謀殺作兵,社稷危亡,宗廟毀滅,期百八十日,殘戮九年,乃更始。其守七寸以內,芒角七日以上,至四十日,天下滅亡。人民殄盡,行將易紀,宮殿飛流,期一年,災十年。”(火起為飛,水湧為流。)石氏曰:“熒惑與歲星、填星、太白會成勾巳,光不相及,主以攻者不救亂,三王九僑,二十一名,臣爭為主,更相殘賊。”
《荊州占》にいう、歳星と太白・熒惑・辰星とが一同に會合し、彼此相距ること三尺以外にして、滞留・停守すること七天以上・二十天に至れば、天下はまさに兵を興し、国主は後嗣を断絶せん。天下はまさに三位の君主ありて鼎足して立ち、一斉に兵を動かし、必ず国家の滅亡あり、親族の間は自ら相殘害せん。九州の内は謀殺は頻仍・兵戈は四起し、社稷は危亡し、宗廟は毀滅し、期は一百八十日に応じ、残殺は九年を延續して、始めて重ねて局を開かん。若し相守すること七寸以内にして、また芒角を生出し、七天以上に達し四十天に至れば、天下はまさに滅亡し、人民は死絶し、まさに改朝・换代せんとし、宮殿はあるいは火を起こしあるいは水に淹れられ、期は一年に応じ、災禍は十年を延續せん。原書小注にいう、火の起こるを「飛」と謂い、水の涌くを「流」と謂う、と。石氏がいう、熒惑と歳星・填星・太白とが會合し、勾曲の形を繞れ成し、彼此の光芒はまた互いに及ばざれば、則ち主動して進攻する一方は禍乱を平定する法なし。三王・九僑・二十一個の名号は併せ出で、臣子は争うて君主を為さんとし、彼此に残害せん。
三星相犯 三
《海中占》曰:“三星合其國,外有兵喪,人民數改立侯王。”(按班固《天文志》曰:孝文後六年四月乙巳,水、木、火三合於東井,是歲誅反者周殷長安市。其七年六月,文帝崩。孝景元年七月乙丑,金、木、水三合於張,其二年三月立皇子為王準陽、汝南、河間、臨江、長江、廣川也。)
《海中占》にいう、三星がある分野の国に會合すれば、境外に則ち兵禍と丧事とあり、人民は屡屡侯王を改立せん。原書小注にいう、按ずるに班固《漢書・天文志》の記載に、漢の文帝・後元六年四月乙巳の日、水星・木星・火星の三星は東井宿に會合せり。この年、長安市上にて謀反の周殷を誅殺す。後元七年六月、文帝は駕崩す。漢の景帝元年七月乙丑の日、金星・木星・水星の三星は張宿に會合せり。景帝二年三月、皇子を冊立して王と為し、淮陽・汝南・河間・臨江・長沙・広川などの地に分封せり、と。
班固《天文志》曰:“三星若合,是謂驚位,是謂絕行。(宋均曰:有兵喪故曰驚位,改立故曰絕行。)外有兵與喪,立王。”(按成帝河平二年十月下旬,填星在東井、軒轅南端大星尺餘,歲星在其西北尺所,熒惑在其西北二尺所,皆從西方來;填星貫輿鬼,先到;歲星次,熒惑亦貫輿鬼。十一月上旬,歲星、熒惑西去,填星皆西北逆行,其年十一月丁巳夜,郎王歆大逆不道,牂牁太守立捕殺歆。三年九月甲戌,東郡莊平男子俠丹闢,兄弟五人,群黨為盜,攻燔宮寺,綺縣長吏,盜取印綬,自稱將軍。三月辛卯,左將軍千秋卒,右將軍史丹為左將軍。四年四月戊申,梁王賀薨。)
班固《漢書・天文志》にいう、三星若し會合せば、これを「驚位」と謂い、また「絶行」と謂う。原書小注に宋均を引いていう、兵禍・丧事あるがゆえに、故に驚位と謂う。君王を改立せんとするがゆえに、故に絶行と謂う、と。これ境外に兵事と丧事とあり、併せて新王を別立するを主る。原書小注にいう、按ずるに漢の成帝・河平二年十月下旬、填星は東井宿に在り、軒轅座の南端の大星を距ること一尺余り、歳星は填星の西北一尺ほどに在り、熒惑は填星の西北二尺ほどに在り、皆西辺より行き来たれり。填星は輿鬼宿を穿過し、最先に到達し、歳星はこれに次ぎ、熒惑もまた輿鬼を穿過せり。十一月上旬、歳星・熒惑は西に向かい去り、填星もまた西北に向かい逆行せり。この年十一月丁巳の夜、郎官・王歆は大逆不道にして、牂牁太守は当に即ち王歆を捕殺せり。河平三年九月甲戌の日、東郡・荘平県の男子・侠丹らの兄弟五人、党羽を糾合して強盗を為し、官府・衙署を攻打・焚焼し、県中の長吏を残害し(「綺」の字、底本は疑わしく訛誤あらん)、官印・綬帯を盗取し、自ら将軍と称せり。三月辛卯の日、左将軍・千秋は去世し、右将軍・史丹は左将軍に改任せり。河平四年四月戊申の日、梁王・劉賀は去世せり、と。
司馬彪《天文志》曰:“考獻建安十八年秋,歲星、填星、熒惑俱入太微,逆行,皆守帝座百餘日,占曰:三星入太微,人主改政。二十五年正月,魏文帝受禪。”《荊州占》曰:“三星合於一舍,其國可復修德者強,無德者受殃,三星合斗,天下動。”《海中占》曰:“熒惑、填星、辰星近角合斗,女子為天下害,大臣殺主。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、漢の献帝・建安十八年秋、歳星・填星・熒惑が一斉に太微垣に進入し、皆逆行して、一同に帝座星の傍に停守すること百余日せり。占辞にいう、三星が太微に入れば、君主はまさに政体を更改せん、と。建安二十五年正月に至り、魏の文帝・曹丕は禅譲を受けたり。《荊州占》にいう、三星が同一の宿舍に會合せば、あの一分野の国家はなお転圜の余地あり。能く徳を修むるは則ち強盛し、無徳のは則ち殃を受けん。三星が會合して相闘えば、天下は動蕩す。《海中占》にいう、熒惑・填星・辰星が角宿の附近にて會合・相闘えば、女子ありて天下の害と成り、大臣は君主を殺害するを主る。
郗萌曰:“歲星與熒惑、太白斗,殺大將;近環之,貫之,殺邊將;又歲與熒惑、填星相合,與參會一合,君子過也。有亂相為水,為旱、為飢、火土功。熒惑與歲星若與辰星舍尾,皆為用事者當之,天下開牢、大赦。太白與木星、填星合其國,謀兵起,不戰。”
郗萌がいう、歳星と熒惑・太白とが相闘えば、大将の殺せらるるを主る。若し逼近してそれを環繞し・それを穿貫せば、辺将の殺せらるるを主る。また、歳星と熒惑・填星とが相會合し、併せて参宿と湊りて一処に會合するは、位に在る君子に過失あるなり。国中に乱あれば、宰相は承当すべく、あるいは水災に応じ、あるいは旱災に応じ、あるいは飢饉に応じ、あるいは火事と土木の役とに応ずべし。熒惑と歳星と、あるいは辰星と、同宿して尾宿に在れば、いずれも権を当て事を用うる人の災咎を承当するを主り、天下はまさに牢を開き囚を釈し・大赦を頒行せん。太白と木星(歳星)・填星とがある国の分野に會合するは、彼処に兵を興すの図謀あり、然るも交戦に至らざるなり。
《荊州占》曰:“歲星與太白、填星同舍,相去三尺以外,國有女喪,有白衣會,用兵不戰;相去七寸以內,名曰交芒;將軍與皇后為奸,謀殺其君;相守七日以至四十日,必成刑,期百八十日,國主應以善令,則無咎。歲星與熒惑、填星同間,相去三尺以外,各留七日以上至二十日,天下兵起,五穀大貴,人民相食,國分土地;其相去七寸以內,名曰交芒;天下大叛,弒君父,妻去其夫,期百八十日。
《荊州占》にいう、歳星と太白・填星とが同じく一個の宿舍に在り、彼此相距ること三尺以外なれば、国中に女子の丧あり・身に素服を穿く丧会あり・兵を動かすと雖も交戦せざるを主る。相距ること七寸以内に在れば、これを「交芒」と謂い、即ち両星の芒角の交接するなり、将軍と皇后との私通し・その君を殺害せんことを図謀るを主る。両星が相守すること七天にして四十天に至れば、必ず刑を動かし、期は一百八十日に応ず。この時国主若し能く善政・良令をもって回応せば、則ち災禍なからん。歳星と熒惑・填星とが同じく一処に在り、彼此相距ること三尺以外にして、各々滞留すること七天以上にして二十天に至れば、天下はまさに兵を興し、五穀の価格は暴漲し、人民は互相に残食し、国土は瓜分せられん。若し相距ること七寸以内に在れば、また「交芒」と謂い、天下の大挙して叛乱し・君父を弑殺し・妻子は丈夫を離棄するを主り、期は一百八十日に応ず。
太白與歲星、填星色赤為兵;黃為旱;蒼為春多死亡。歲星、熒惑、太白三星合於一舍,其國大亂,若相去一尺至三尺,守之七日以上至二十日,天下皆兵。填星與太白俱入熒惑中,天下且有大謀兵。木、金,火三星合斗,其分國絕嗣,三王鼎足而居,必有亡國,內親相賊,九州作亂,社稷滅亡,期百八十日,遠一年。太白與熒惑、辰星春斗,其歲旱;夏斗,不出三年,主易;秋斗,不留其年,兵起;冬斗,不出三年,有女喪。”
太白と歳星・填星とが相聚まり、星の色が赤を発すれば兵事を主り、黄を発すれば旱災を主り、青を発すれば春に死亡多きを主る。歳星・熒惑・太白の三星が同一の宿舍に會合すれば、あの一分野の国家はまさに大いに乱れん。若し彼此相距ること一尺より三尺に至り、相守すること七天以上にして二十天に至れば、天下は遍地に兵あらん。填星と太白とが一同に熒惑の星域の中に進入すれば、天下はまさに重大の興兵の図謀あらん。木星・金星・火星の三星が會合して相闘えば、あの一分野の国は後嗣を断絶し、三王は鼎足して拠り、必ず国家の滅亡あり、骨肉の至親は互相に残害し、九州は作乱し、社稷は滅亡せん、期は一百八十日に応じ、遠きは一年。太白と熒惑・辰星とが春に相闘えば、この年は干旱す。夏に相闘えば、三年を出でずして君主は更換す。秋に相闘えば、当年を出でずしてまさに兵を興さん。冬に相闘えば、三年を出でずして女子の丧あらん。
司馬彪《天文志》曰:“填星與太白辰星合宿,為國亡地,戰不勝。火、金、水俱在斗,有戮將,若死相。熒惑、太白、辰星俱在東井,內外有兵。木、金、火三量合軫,為白衣會也。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、填星と太白・辰星とが同一の宿に會合すれば、国家の土地を喪失するを主り、作戦は勝を得る能わず。火星・金星・水星が一同に斗宿に処れば、将領の殺せらるるあり、あるいは宰相の死去するを主る。熒惑・太白・辰星が一同に東井宿に処れば、境内・境外にいずれも兵事あるを主る。木星・金星・火星の三星が軫宿に會合すれば、身に素服を穿く丧会あるを主る。
二星相犯 四
《天文志》曰:“二星合,有小兵,小人愁,人君憂。”《海中占》曰:“二星相近者,其殃大,相遠者,其殃小,無傷。”《荊州占》曰:“二星若合,其國有兵,改立侯王,有德者興,無德者亡。”
《天文志》にいう、両星が會合すれば、小規模の兵事あり・下層の百姓は愁苦し・君主は憂慮するを主る。《海中占》にいう、両星の靠り合うこと近きは、災殃は大なり。相隔たること遠きは、災殃は小なり、甚だしきは傷害を構成せざるに至る。《荊州占》にいう、両星若し會合せば、あの一分野の国に兵事あり、侯王を改立せんとす。徳あるは因りて興起し、無徳のは因りて敗亡せん。
開元占經 卷二十
五星占 三
歳星與熒惑相犯 一
郗萌曰:“歲星、熒惑,陽也;太白、辰星,陰也。陰主外邦,陽主中邦;陽與陰合,中外邦相連以兵;陽與陽合,兵謀在國;陰與陰合,兵謀在外邦。”甘氏曰:“歲星干熒惑,為地動;熒惑干木星,蟄蟲冬出動,雷旱行,禾不成。”《荊州占》曰:“熒惑犯歲星,為戰。”(按《宋書天文志》曰:“晉大安三年正月熒惑犯歲星,七月衛將軍除賒率兵,奉帝伐成都,六軍敗績,賒擅兵逼乘輿。九月壬戌,又攻成都於鄴,鄴潰,成都由是衰亡;帝遷洛,張方又脅如長安也。)
郗萌がいう、歳星(木星)・熒惑(火星)は陽に属し、太白(金星)・辰星(水星)は陰に属す。陰は域外の邦を主り、陽は中原の邦を主る。陽星と陰星とが會合すれば、中原と外邦とはまさに兵を連ねて交戦せん。陽星と陽星とが會合すれば、兵謀は本国の内に出づ。陰星と陰星とが會合すれば、兵謀は外邦に出づ。甘氏がいう、歳星が熒惑を干犯すれば、地震を主る。熒惑が木星を干犯すれば、蟄伏の虫類の冬に土を出でて活動し・冬雷は震響し・旱気は流行し・禾稼は成熟する能わざるを主る。《荊州占》にいう、熒惑が歳星を侵犯すれば、戦事あるを主る。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、西晋・太安三年正月に熒惑は歳星を侵犯せり。七月、衛将軍・除賖(人名、底本の字に訛誤あり)は兵を率い天子を奉じて成都王を討伐し、六軍は大敗し、除賖は擅に兵を擁して天子の車駕を逼迫せり。九月壬戌の日、また鄴城にて成都王を進攻し、鄴城は潰敗し、成都王は此より衰亡せり。恵帝は洛陽に遷り、張方はまた彼を脅迫して長安に前往せしめたり、と。
《荊州占》曰:“熒惑犯歲星,冬雷鳴,蟄蟲行,人民驚恐;又曰:熒惑當出不出,謂之潛行;見而近歲星出其北,天下有急,出其南,有謀在中。”又曰“歲星與熒惑接芒於西方,諸侯君臣有憂,其明年春害農時;與歲星會於東方,日為之食,不出二年,宰相亂人主之計;不定、乍退,乍進;不出三年大兵起。歲星與熒惑同舍,相去三尺以內,相守七日以上至四十日,其國有反臣,五穀傷,百姓不安,期一年。”
《荊州占》にいう、熒惑が歳星を侵犯すれば、冬に雷を打ち・蟄伏の虫類は出でて爬行し・人民は惊恐するを主る。またいう、熒惑が当に出現すべきの時に到りて出現せざれば、これを「潜行」と謂う。それが出現の後に歳星に逼近し、若し歳星の北より出づれば、天下に急難あり。歳星の南より出づれば、国中に人ありて図謀す。またいう、歳星と熒惑とが西方にて芒角を相接すれば、諸侯の君臣に憂患あり、第二年の春はまさに農時を妨害せん。歳星と東方にて相會すれば、太陽はこれがために日食が発生し、二年を出でずして、宰相はまさに君主の謀劃を擾乱せん。若し両星の位置は定まらず・忽ち退き忽ち進めば、三年を出でずして大兵は興起せん。歳星と熒惑とが同じく一個の宿舍に在り、相距ること三尺以内にして、互相に停守すること七天以上にして四十天に至れば、あの一分野の国に反叛の臣あり、五穀は受損し、百姓は安からず、期は一年に応ず。
《天官書》曰:“木火合,為旱,為飢;戰,北軍困。歲星與熒惑合柳,歲星色赤,兵起;黃、白,五穀傷;黑,為憂;青而角赤,有兵起,期三十日,遠期六十日。歲星與熒惑合相,守國君大憂,近期二年,遠期三年而發。歲星與熒惑合於宿之陽,母子同鄉,其國寧;合於宿之陰,有兵起。歲星與熒惑合相,守其國,凶消;十日以上,大人作亂,期三年。木與火合,大臣匿謀,有反者,若主亡地,其國水。”
《天官書》にいう、木星と火星とが會合すれば、旱災を主り・飢饉を主る。若し交戦せば、則ち北面の軍隊は困窘せん。歳星と熒惑とが柳宿に會合し、歳星の色が赤なれば、則ち兵を興さんとす。色黄・色白なれば、五穀は受損す。色黒なれば、憂患を主る。色青にして芒角は赤を発せば、兵事の興起あり、期は三十日に応じ、遠きは六十日。歳星と熒惑とが會合して互相に停守すれば、国君に大憂あり、近きは二年に応じ、遠きは三年に応じて始めて発作す。歳星と熒惑とが宿の南面に會合するは、これ母と子とが同一の郷に同処するなり、あの一分野の国は安寧す。宿の北面に會合すれば、則ち兵事の興起あらん。歳星と熒惑とが會合して互相に停守し、若し本国の分野の上に守れば、凶禍は消解する可し。相守すること十天以上なれば、則ち大人物は作乱し、期は三年に応ず。木星と火星とが會合すれば、大臣は陰謀を暗藏し、人ありて謀反し、あるいは君主は土地を喪失し、あの国家に水災あらん。
司馬彪《天文志》曰:“歲星與熒惑合於虛,為喪。”石氏曰:“熒惑與攝提再合宿,相不死,出走。”《海中占》曰:“熒惑與木星合,為內亂,大臣謀主。”《荊州占》曰:“熒惑與歲星合,大臣匿謀,行,疾兵從之,戰不勝。熒惑與歲星合、同相守其分,走期三年。熒惑與攝提再合,有走主,謂東行合、西行又合,不出二年。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、歳星と熒惑とが虚宿に會合すれば、丧事を主る。石氏がいう、熒惑と摂提星とが两度同一の宿に會合すれば、宰相は死せずともまた出逃せんとす。《海中占》にいう、熒惑と木星(歳星)とが會合すれば、内乱を主り、大臣は君主を図謀す。《荊州占》にいう、熒惑と歳星とが會合すれば、大臣は陰謀を暗藏す。陰謀は一旦発動すれば、急兵はこれに随いて起こり、作戦は勝を得る能わず。熒惑と歳星とが會合し、また一同にある分野に停守すれば、彼処の人はまさに出逃せんとし、期は三年に応ず。熒惑と摂提とが两度會合すれば、出逃の君主あるを主る。いわゆる两度の會合とは、熒惑が東行する時に合うこと一度過ぎ・西行する時にまた合うこと一度を指し、応験は二年を出でず。
司馬彪《天文志》曰:“熒惑犯歲星為奸;臣謀,大將戮。”石氏曰:“熒惑與歲星合,其國若水。熒惑與歲星聚於一舍,熒惑在歲星之上,名曰子母同光,其國以大強,留百日,其國且重德致天下;在下亦然。”《海中占》曰:“熒惑木星斗,有夷狄之害,有弒大將。”《天官書》曰:“歲星與火合斗者,大臣弒其君、子弒其父。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、熒惑が歳星を侵犯すれば、奸邪の事あるを主る。臣下が逆らいを謀り、大将は殺せらるるなり。石氏がいう、熒惑と歳星とが會合すれば、あの一分野の国はまさに水患あらん。熒惑と歳星とが同一の宿舍に聚まり、熒惑が歳星の上方に在れば、これを「子母同光」と謂い、あの一分野の国家は因りて強大す。停留すること一百日なれば、あの国家はまさに深厚の德行を憑にして天下を取得せん。熒惑が歳星の下方に在れば、占断もまた同じきなり。《海中占》にいう、熒惑と木星(歳星)とが相闘えば、夷狄の害あり・大将の殺せらるるあるを主る。《天官書》にいう、歳星と火星とが會合して相闘えば、大臣のその君主を弑殺し・兒子のその父を弑殺するを主る。
《荊州占》曰:“熒惑與歲星斗,其名曰讒星,不出其年,強國有易相;又曰為內亂。”《文耀鉤》曰:“熒惑與木斗,夷狄肆害。”《荊州占》曰:“熒惑歲星合斗於夏,兵飢並起,其分相凶,不可舉兵,殃大將,一曰有病君。歲星食熒惑,不出三年而國亡。”《海中占》曰:“熒惑貫歲星,弒小將。”石氏曰:“熒惑與歲星相拂,天下有爭言。漢《天文志》曰:“熒惑與木斗,有病君,民飢歲惡。”《荊州占》曰:“熒惑守歲星,大赦。”
《荊州占》にいう、熒惑と歳星とが相闘うは、この種の星象を「讒星」と名づく、当年を出でずして強国は宰相を更換せんとす。別の一説には内乱を主る。《文曜鈎》にいう、熒惑と木星とが相闘えば、夷狄は肆行して害と為す。《荊州占》にいう、熒惑と歳星とが夏に會合して相闘えば、兵禍と飢饉とが一同に興起し、あの一分野の宰相に凶事あり、兵を発する可からず、主将に殃あらん。別の一説には国君の患病を主る。歳星が熒惑を吞食すれば、三年を出でずして国家は滅亡す。《海中占》にいう、熒惑が歳星を穿貫すれば、偏裨の小将の殺せらるるを主る。石氏がいう、熒惑と歳星とが互相に擦拂すれば、天下に争訟の言あるを主る。《漢書・天文志》にいう、熒惑と木星とが相闘えば、国君の患病し・百姓の飢饉し・年成の悪劣なるを主る。《荊州占》にいう、熒惑が歳星に停守すれば、大赦を頒行するを主る。
歳星與填星相犯 二
石氏曰:“地侯雌雄,所出之宿國,亡地;所入之宿國,得地。地侯為雌,歲星為雄。郗萌曰:“填星干木星,野有兵相攻。填星所在,歲星從之,伐者利。”《荊州占》曰:“歲星所在,填星從之,伐者不利;又曰歲星土星,皆出東方,夕入西方,百九十日皆正中者,兵發東方國勝,當入不入,反東行九十日正中者,當發兵主死,人民流亡。”
石氏がいう、「地侯」は填星(土星)の別名なり、それは歳星と雌雄を分かつ。填星の離れたるあの一宿は、その分野の国は土地を喪失し、それの進入したるあの一宿は、その分野の国は土地を獲得す。地侯は雌と為り、歳星は雄と為る。郗萌がいう、填星が木星(歳星)を干犯すれば、原野の上に兵馬ありて交攻す。填星の所在する位置に、歳星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐する一方は利あり。《荊州占》にいう、歳星の所在する位置に、填星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐する一方は利なし。またいう、歳星と土星とが皆東方より出現し、傍晚に西方に没し、一百九十日の内は皆正しく天中に当たるは、東方の国が兵を発せば勝を得ん。当に没すべき時に到りて没せず、反りて東行して九十日もなお正しく天中に当たるは、則ち兵を発する一方の主将はまさに死せんとし、人民は流亡せん。
《文曜鉤》曰:“填星與木星合,則變謀更事,主且失勢。”石氏曰:“地侯與攝提所合之宿,大戰不勝亡地主死。”甘氏曰:“歲星土星合,則為內亂。”(按《宋書天文志》曰:“惡光熙元年九月填星犯歲星,是時司馬越專權,終以無禮晉簡文帝。咸安二年正月己酉,歲星犯填星在須女,七月帝疾甚,詔桓溫曰:少子可輔則輔之,不可輔君自取之。顏侍中王坦之毀手詔,改使為王導輔政,故事溫聞之,大怒將誅坦之等,內亂之應也。安帝義熙七年丁卯,歲星犯填星,在參邊,時朱齡石克蜀,蜀民人尋反,又討滅之。)
《文曜鈎》にいう、填星と木星(歳星)とが會合すれば、則ち謀劃を改変し・辦する所の事を更換し、君主はまさに勢いを失わんとす。石氏がいう、地侯(填星)と摂提星とが會合するあの一宿は、その分野は大戦して勝を得る能わず、土地を喪失し、国主は死去す。甘氏がいう、歳星と土星とが會合すれば、内乱を主る。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の恵帝・光熙元年九月に填星は歳星を侵犯せり。当時司馬越は朝政を専擅し、終に君上に對して無礼なりき。晋の簡文帝・咸安二年正月己酉の日、歳星は填星を侵犯し、位置は須女宿に在りき。七月に簡文帝は病しく重し、詔を下して桓温に對していわく、小兒子は輔佐する可ければ彼を輔佐し、輔佐する可からざれば爾は自らこれに取代われ、と。侍中・王坦之は当に面してこの手詔を撕毀し、改めて王導に輔政せしむるに成り(ここ人名、底本は疑わしく訛誤あらん)。桓温は聞きての後に大怒し、王坦之らを誅殺せんことを打算す、則ちこれ内乱の応験なり。晋の安帝・義熙七年丁卯、歳星は填星を侵犯し、位置は参宿の旁に在りき。当時朱齢石は蜀地を攻克し、蜀地の民衆は随いて反叛し、朝廷はまた兵を出でて彼らを討平せり、と。
郗萌曰:“歲星填星合於張者,則太陽晝;太陽晝者,天必有變,不傷為政者,則害於民。又曰井泉高則平原出雲,歲不調和,貴人多內亂,有大水。又曰天下易令,民流千里,魚鱉死於陸,道民憂盜賊。又曰歲星與土星合,不過十日離;十日不離,天禍且降,不義者乃合之,其禍甚久。”《天官書》曰:“歲星與木合,亂飢生,勿用戰,必敗。”
郗萌がいう、歳星と填星とが張宿に會合すれば、則ち「太陽昼」の異象を出現せん。いわゆる太陽昼とは、白日の中に天上に必ず変異あるを謂い、若し執政の人に傷つかざれば、まさに百姓を危害せんとす。またいう、井中の泉水は上漲し・平原は雲気を升起し、年成は調わず、貴人の間に内乱多く、還って大水あらん。またいう、天下はまさに政令を更改し、百姓は千里に流亡し、魚鱉は陸地上に死し、路上の百姓は盗賊を憂懼せん。またいう、歳星と土星とが會合すれば、一般に十天を超過せずして分かれる。十天にしてなお分かれざれば、上天の災禍はまさに降り下さんとし、不義の人は正しくこれと相合し、あの禍患は拖えて甚だ久しからん。《天官書》にいう、歳星と木星とが會合すれば——歳星はもと即ち木星なり、この句の底本の文字は当に訛誤あるべし——禍乱と飢饉とが発生し、兵を用い作戦するを用うる勿れ、必ず失敗せん。
《荊州占》曰:“歲星與填星同舍,相去三尺以內,相守二十日以上至百九十二日,其國更主,立王。天下大爭,大臣相殘,王者易統,天下存亡半其守;夕逆行而復相守,以所近之宿位當之,相守一年,期三年。歲星填星合,以合日占其國;色蒼為水,赤為兵,黃為旱,白為喪。歲星與填星合,其國熟,若主吏死。
《荊州占》にいう、歳星と填星とが同じく一個の宿舍に在り、相距ること三尺以内にして、互相に停守すること二十日以上にして一百九十二日に至れば、あの一分野の国はまさに君主を更換し・新王を別立せん。天下は大いに争闘を起こし、大臣は互相に殺し合い、王者は正統を更換し、天下の存亡は各々半を占め、それらの相守する情形を看るに在り。若し傍晚に逆行してまた重ねて相守れば、則ちそれらの靠近する宿位の分野によって承当せしめ、相守すること一年に満てば、期は三年に応ず。歳星と填星とが會合すれば、會合の当日の日辰によって応ずる所はいずれの国かを占すべし。星の色が青を発すれば水災を主り、赤を発すれば兵事を主り、黄を発すれば旱災を主り、白を発すれば丧事を主る。歳星と填星とが會合すれば、あの一分野の国は庄稼が成熟し、あるいは事を主る官吏の死去するを主る。
填星與歲星合,相犯為內亂,不可舉用兵,土在木下,利為主人,土為木上,利為客。六十日不下,其國凶,失地。填星與歲星合一舍,歲星在下,填星在上,名曰雌雄間,客軍大破主人勝,在下六十日,不下,必有空邦徙主;填星為雌,歲星為雄。填星為歲星合,為飢、為旱、為兵,填星與歲星合,有軍在外,戰不勝,失地。”巫咸曰:“填星與歲星斗,不出其年,王者亡地,將軍死之。”
填星と歳星とが會合し、互相に侵犯するは内乱を主り、兵を発する可からず。土星が木星の下方に在れば、拠守する主人の一方に利あり。土星が木星の上方に在れば、遠来の客軍の一方に利あり。六十日を過ぎて填星がなお下移せざれば、あの一分野の国に凶事あり、まさに土地を喪失せん。填星と歳星とが同一の宿舍に會合し、歳星が下に在り・填星が上に在れば、これを「雌雄間」と謂い、客軍は大敗して主人は勝を取る。填星が下方に在ること六十日に満ち、若しなお下移せざれば、必ず国家の空虚・君主の遷徙するの事あらん。填星は雌と為り、歳星は雄と為る。填星と歳星とが會合すれば、飢饉を主り・旱災を主り・兵事を主る。填星と歳星とが會合し、若し軍隊の境外に在るあれば、作戦は勝を得る能わず、還って土地を喪失せん。巫咸がいう、填星と歳星とが相闘えば、当年を出でずして、王者は土地を喪失し、将軍はこれがために戦死せん。
《荊州占》曰:“歲星與填星斗,此謂離德,不出三月,必有亡國。歲星逢填星,曰斗;先作事者敗,兵起必受其殃。歲星填星數合斗,使客接道,冠蓋相望,其下國哭泣,期不出六十日。歲星填星斗,其色青為喪;赤為兵。白為旱;黑為水潦。填星與歲星合斗,有軍必戰,無軍起兵,土木交行,必有破傷。”
《荊州占》にいう、歳星と填星とが相闘うは、これを「離徳」と謂い、三か月を出でずして、必ず国家の滅亡するあらん。歳星が填星に遇上るを、「闘」と謂う。先に手を動かし事を行う一方は失敗し、兵を興せば必ず災殃を招来せん。歳星と填星とが屡屡會合して相闘えば、使者と賓客とは道に往来し、冠蓋は絡繹として相望み、あの一分野の国に哭泣の事あり、期は六十日を出でずに応ず。歳星と填星とが相闘い、星の色が青を発すれば丧事を主り、赤を発すれば兵事を主り、白を発すれば旱災を主り、黒を発すれば水涝を主る。填星と歳星とが會合して相闘えば、軍隊あれば則ち必ず交戦し、軍隊なきもまた兵を起こさんとす。土と木とが交錯して行くは、必ず破敗・傷損あらん。
歳星與太白相犯 三
巫咸曰:“太白犯木星,為飢。期三年。”(按《宋書天文志》曰:晉孝武太元十年十二月己丑,太白犯歲星,是時河朔禾一連。兵在外,冬大飢之應。)《荊州占》曰:“太白犯歲星,為旱,為兵,若環繞與之並光,有兵戰,破軍,殺將。”石氏曰:“太白與歲星相犯而有滅者,諸侯相滅所宿之國受之。”甘氏曰:“歲星干金星,軍再死再生,殺大將。”《荊州占》曰:“太白入木星次中,君賊死。”
巫咸がいう、太白(金星)が木星(歳星)を侵犯すれば、飢饉を主り、期は三年に応ず。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、東晋の孝武帝・太元十年十二月己丑の日、太白は歳星を侵犯せり。当時黄河以北は禾稼が歉収し、兵馬はまた境外に在り、正しく冬天の大飢饉の応験なりき、と。《荊州占》にいう、太白が歳星を侵犯すれば、旱を主り・兵を主る。若し歳星を環繞してそれと光芒を併耀せば、則ち兵戦あり、軍を破り将を殺さん。石氏がいう、太白と歳星とが互相に侵犯して一方の光芒の掩滅せらるるあるは、諸侯の間の互相に吞滅するを主り、所在する宿次の分野の国に由りて承受せん。甘氏がいう、歳星が金星を干犯すれば、軍隊は死して復た生き・反覆して再び三たびし、主将は殺せらるるを主る。《荊州占》にいう、太白が木星(歳星)の所在する星次の中に進入すれば、国君の賊人に殺せらるるを主る。
《海中占》曰:“太白出歲星北,客利;歲星出太白北,主人利。”《荊州占》曰:“太白環繞歲星,有亡主。”甘氏曰:“太白與歲星並,太白在南,歲星在北,名曰牝牡相承,五穀成熟;太白在北,歲星在南,年或有或無,歲不熟,飢。”(晉灼曰:歲星陽,太白陰,故曰牝牡;又曰太白在歲星南,以兵飢,在歲星北,以水飢,一曰有亡國。)
《海中占》にいう、太白が歳星の北に出現すれば、遠来の客軍は利あり。歳星が太白の北に出現すれば、拠守する主人は利あり。《荊州占》にいう、太白が歳星を環繞すれば、君主の敗亡を主る。甘氏がいう、太白と歳星とが並列し、太白が南に在り・歳星が北に在れば、これを「牝牡相承」と謂い、五穀は成熟す。太白が北に在り・歳星が南に在れば、年成は時に有り時に無く、庄稼は熟せず、飢饉を鬧す。原書小注に晋灼を引いていう、歳星は陽に属し、太白は陰に属す、故に牝牡と謂う。またいう、太白が歳星の南に在れば、兵禍に因りて飢ゆ。歳星の北に在れば、水患に因りて飢ゆ。別の一説には国家の滅亡するあるなり、と。
又曰:“歲星太白相去尺,若不能天下有兵,不出四旬中,戰。色青,則東方勝;赤,則南方勝;黃,即中央勝;白,則西方勝。黑,則北方勝。歲星所在,太白從之,伐者利,有功;太白所在,歲星從之,伐者不利,無功。歲星與太白相遇,有兵兵罷。太白與歲星過,木金也,命曰伐其野戰。入太白中,次中大將必死。太白歲星俱出東方,若併入西方,王者亡地。”
またいう、歳星と太白とが相距ること一尺にして、若し両星は相容るる能わざれば、天下はまさに兵事あり、四十日の内を出でずして交戦せん。星の色が青を発すれば、東方は勝を獲す。赤を発すれば、南方は勝を獲す。黄を発すれば、中央は勝を獲す。白を発すれば、西方は勝を獲す。黒を発すれば、北方は勝を獲す。歳星の所在する位置に、太白が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利あり、戦功を立つる能し。太白の所在する位置に、歳星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利なし、戦功なし。歳星と太白とが相遇うは、兵事ありと雖もまた兵を罷めん。太白と歳星とが相過ぐるは、これ木と金との相犯するにして、これを「伐」と謂い、その分野に野戦あるを主る。歳星が太白の中に進入し、星次の当中に進み入れば、大将は必ず死せん。太白と歳星とが一同に東方より出現し、あるいは一同に西方に没入すれば、王者は土地を喪失せん。
《洪範傳》曰:“金木舍於觜,為白衣之會。”《黃帝占》曰:“歲星與太白合,為飢、為疾、為內兵。”《文耀鉤》曰:“太白與木合光,大戰不勝,兵雖起,不成。”《天宮書》曰:“不斗,合相毀,野有破城。”《荊州占》曰:“歲星太白合光,所合之野、謀兵,其相環也,乍居西,乍居東,有逐相,兵起不戰。又曰歲星犯太白,為訴死,外將軍慎之;無將軍不出四十日拜將軍,期九十日。歲星與太白同光,殺大將,相去一尺,天下治兵,不出四十日。”
《洪範伝》にいう、金星と木星とが觜宿に同宿すれば、身に素服を穿く丧会あるを主る。《黄帝占》にいう、歳星と太白とが會合すれば、飢饉を主り・疾疫を主り・内部の兵乱を主る。《文曜鈎》にいう、太白と木星とが光芒を相合すれば、大戦して勝を得る能わず、兵事は興起すと雖も、また成就する能わざるなり。《天官書》にいう、両星が相闘わず、ただ會合して互相に毀損するは、原野の上に城池の攻破せらるるあるを主る。《荊州占》にいう、歳星と太白とが光芒を相合すれば、合する所の分野に興兵の図謀あり。両星が互相に環繞し、忽ち西に居り・忽ち東に居れば、宰相の駆逐せらるるを主り、兵事は起こるも交戦せざるなり。またいう、歳星が太白を侵犯すれば、人ありて訟に死するに至るを主り、外に在る将軍は謹慎すべし。国中に将軍なからば、四十日を出でずして則ち将を拝し、期は九十日に応ず。歳星と太白との光色が相同じければ、大将の殺せらるるを主る。相距ること一尺なれば、天下は兵備を整治し、四十日を出でず。
石氏曰:“太白與歲星合於一宿,西方凶;歲星出左有年,出右無年;合之日以知五穀之有無。”(陳卓曰:甲乙為麥,丙丁為黍,戌己為粟,庚辛為稻,壬癸為豆。)巫咸曰:“太白與木星合,有白衣之會,為水。”
石氏がいう、太白と歳星とが同一の宿に會合すれば、西方に凶事あり。歳星が太白の左辺に出現すれば、年成は好し。右辺に出現すれば、年成は好からず。會合のあの日の日辰より以て則ち五穀の豊歉を知る可し。原書小注に陳卓を引いていう、會合が甲乙日のは麦に応じ、丙丁日のは黍に応じ、戊己日のは粟に応じ、庚辛日のは稲に応じ、壬癸日のは豆に応ず、と。巫咸がいう、太白と木星(歳星)とが會合すれば、身に素服を穿く丧会あるを主り、また水患を主る。
《荊州占》曰:“歲星與太白合,為喪;歲星與太白同舍,相去三尺以內,七寸以外,金木不當同舍,七日以上,王者誅將軍,其歲星往犯太白,為誅死,國有將軍慎之,乘犯於外官之中,則外將軍慎之,乘犯於內官之中,內將軍慎之;其國無將軍而犯太白,不出四十日,拜將,期九十日。歲星與太合於西方,木在金位,命曰伐,其國凶,為白依之會;木在金北,年不熟。歲星與太白合,其分兵起。”
《荊州占》にいう、歳星と太白とが會合すれば、丧事を主る。歳星と太白とが同じく一個の宿舍に在り、相距ること三尺以内・七寸以外——金と木とはもと同じく一舍に処るべからず——七天以上に達すれば、王者はまさに将軍を誅殺せん。若し歳星が前去りて太白を侵犯すれば、人ありて誅せられて死するを主り、国中に将軍あるは則ち謹慎すべし。乗凌・冲犯が外官の諸星の中に発生すれば、則ち外任の将軍は謹慎すべし。内官の諸星の中に発生すれば、則ち内廷の将軍は謹慎すべし。あの国家に将軍なくして歳星が太白を犯せば、四十日を出でずして則ち将を拝し、期は九十日に応ず。歳星と太白とが西方に會合するは、木が金の位置に進入するにして、これを「伐」と謂い、あの一分野の国に凶事あり、素服の丧会あるを主る。木が金の北に在れば、年成は熟せず。歳星と太白とが會合すれば、あの一分野はまさに兵を興さん。
(按《宋書天文志》曰:魏明帝太和四年十一月壬戌,太白犯歲星,五年三月,諸葛亮以大眾寇天水,遣大將軍司馬懿拒,退之。惡元帝大興元年八月乙未,太白又犯歲星,三年六月丙辰,太白與歲星合。永昌元年三月,王敦率江荊之眾來次京都,大軍拒戰敗績,於是殺護將軍周凱,尚書令刁歷縹騎將軍戴淵又鎮北將軍劉隗出奔,四月又殺湘州刺史譙王承鎮南將軍甘卓。《晉陽秋》曰:孝武寧康二年二月丙申,太白犯歲星,太元元年九月,元帥符堅屠諒州,擄刺史西平侯張天錫。冬十月,車騎桓伊遣軍泛舟淮泗,以救諒州,又發二州員吏,移積流民,患置淮南。太元五年辛卯,歲星與太白相犯於東井,十二月元帥符堅圍襄陽。)
原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、魏の明帝・太和四年十一月壬戌の日、太白は歳星を侵犯せり。太和五年三月、諸葛亮は大軍を率い天水を進犯し、魏は大将軍・司馬懿を派して抵御し、彼を逼退せしめき。晋の元帝・大興元年八月乙未の日、太白はまた歳星を侵犯せり。大興三年六月丙辰の日、太白と歳星とは會合せり。永昌元年三月、王敦は江州・荊州の兵衆を率領して京城を進逼し、朝廷の大軍は迎戦して敗れ、是に護軍将軍・周顗・尚書令・刁協・驃騎将軍・戴淵を殺し、鎮北将軍・劉隗は出逃せり。四月にまた湘州刺史・譙王・司馬承・鎮南将軍・甘卓を殺せり、と。《晋陽秋》にいう、孝武帝・寧康二年二月丙申の日、太白は歳星を侵犯せり。太元元年九月、前秦の国主・苻堅は涼州を攻屠し、刺史・西平侯・張天錫を俘獲せり。この年の冬十月、車騎将軍・桓伊は軍隊を派して淮水・泗水を泛舟して前りて涼州を救援せしめ、また二州の属吏を徴発し、流民を遷移・聚集し、淮南に安置せり。太元五年辛卯、歳星と太白とが東井宿にて互相に侵犯せり。十二月、苻堅は襄陽を囲攻せり、と。
《荊州占》曰:“太白居歲星南,南國敗;居歲星北,北國敗。歲星出,隨太白於西方,相遠,天下無兵。太白與歲星合,未至,太白從歲星疾,主人急憂,失城;歲星從太白疾,客急。太白與歲星合,其國有謀兵;一曰金木合於一舍,其分有蝗;太白與木星會相去五尺,戰;三尺,有破軍;二尺,拔國;光芒相及,大亂;其分民飢,兵起。”
《荊州占》にいう、太白が歳星の南に居れば、南方の国は敗る。歳星の北に居れば、北方の国は敗る。歳星が出現し、太白に随いて西方に行き、両星の相距ること甚だ遠ければ、天下に兵事なし。太白と歳星とがまさに合せんとして未だ合せざるの時、若し太白が歳星を追趕して行くこと急なれば、拠守する主人の一方に緊急の憂患あり、まさに城池を失掉せんとす。若し歳星が太白を追趕して行くこと急なれば、遠来の客軍の一方は吃緊せん。太白と歳星とが會合すれば、あの一分野の国に興兵の図謀あり。別の一説には金と木とが同一の宿舍に會合すれば、あの一分野に蝗災あるなり。太白と木星とが相會し、相距ること五尺なれば、交戦を主る。相距ること三尺なれば、軍隊の撃破せらるるを主る。相距ること二尺なれば、城国の攻陷せらるるを主る。両星の光芒が互相に触及すれば、大乱を主り、あの一分野の百姓は飢饉し、兵事は興起せん。
司馬彪《天文志》曰:“歲星與太白斗,其野有破軍,國有內亂。”《荊州占》曰:“歲星與太白斗西方,八日兵起,不則八歲兵起,有流血其下。”《黃帝占》曰:“太白與歲星斗,強國易相。”石氏曰:“太白與歲星斗所在之國,有內亂。”《文耀鉤》曰:“太白與歲星斗,將軍殺;若軍在外,破軍、殺將;有夷狄害。”巫咸曰:“太白與歲星斗,名雄,無戈兵。太白與木星合斗,兵在外為亂。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、歳星と太白とが相闘えば、あの一分野に軍隊の撃破せらるるあり、国中に内乱あり。《荊州占》にいう、歳星と太白とが西方にて相闘えば、八日の内に兵を興す。若し八日に非ざれば、則ち八年の内に兵を興し、彼処はまさに血を流さんとす。《黄帝占》にいう、太白と歳星とが相闘えば、強国は宰相を更換せんとす。石氏がいう、太白と歳星とが相闘えば、所在の分野の国家に内乱あり。《文曜鈎》にいう、太白と歳星とが相闘えば、将軍は殺せらるる。若し軍隊が境外に在れば、則ち軍を破り将を殺し、還って夷狄の害と為るあり。巫咸がいう、太白と歳星とが相闘い、太白は雄星と称して、占して兵戈の事なきと為す。太白と木星(歳星)とが會合して相闘えば、軍隊の境外に在るはまさに作乱せんとす。
《荊州占》曰:“太白與歲星斗,相亂,有滅諸侯,人民離其鄉;一曰民多死者。歲星逢太白,曰斗,有土功,歲旱,天下大飢;先舉兵不勝,必受其殃。太白與歲星合斗於東方,有兵於外,必有戰鬥。於西方,必有亡國,死王,白衣之會。”
《荊州占》にいう、太白と歳星とが相闘い、彼此に擾乱すれば、諸侯の消滅せられ・人民は故郷を離るるを主る。別の一説には百姓の死亡の众多なり。歳星が太白に遇上るを、「闘」と謂い、土木の工の興動し・年成の干旱し・天下の大いに飢うるを主る。先に兵を発する一方は勝を得る能わず、必ず災殃を承受せん。太白と歳星とが東方にて會合して相闘えば、境外に兵あり、必ず戦闘の発生せん。西方にて會合して相闘えば、必ず国家の滅亡・君王の死去あり、還って身に素服を穿く丧会あらん。
歳星與辰星相犯 四
司馬彪《天文志》曰:“辰星犯歲星,為兵。”《荊州占》曰:“辰星與歲星合而犯之,為隕霜;若合而斗,其國亂。歲星與辰星合,相去七寸,則交芒相接,七日以上至二十日,天下民流水,泉湧出,期三年;一曰有女喪。”郗萌曰:“歲星干辰星,冬洩疾。”《荊州占》曰:“歲星掩辰星,客將死,期不出其年。”《黃帝占》曰:“歲星與辰星合,則為變謀而更事,國多水,民飢。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、辰星(水星)が歳星(木星)を侵犯すれば、兵事を主る。《荊州占》にいう、辰星と歳星とが會合してまたそれを侵犯すれば、降霜を主る。若し會合して相闘えば、あの一分野の国はまさに乱れんとす。歳星と辰星とが會合し、相距ること七寸なれば、両星の芒角は則ち交接・相触し、このごとく持続すること七天以上にして二十天に至れば、天下の百姓は流亡し、泉水は地面に涌出し、期は三年に応ず。別の一説には女子の丧あるなり。郗萌がいう、歳星が辰星を干犯すれば、冬に泄瀉の疾の流行するを主る。《荊州占》にいう、歳星が辰星を掩えば、遠来の客軍の将領はまさに死せんとし、期は当年を出でずに応ず。《黄帝占》にいう、歳星と辰星とが會合すれば、則ち謀劃を改変し・辦する所の事を更換し、あの国家は水患多く、百姓は飢饉せん。
《荊州占》曰:“歲星與辰星合舍,相去三尺,相守七日以上,其國君臣俱和,道德相生;期百八十日,有衣榮。歲星與辰星合,先起兵者凶,後起兵者吉。辰星與歲星合,其分有水,兵飢並起。”甘氏曰:“歲星與辰星合、斗,軍在外則有戰兵,兵不在外為內亂。”郗萌曰:“歲星辰星斗,滅之,殺大將;薄之、貫之,殺偏將。”《荊州占》曰:“歲星與免星斗,將軍死,期一年。”
《荊州占》にいう、歳星と辰星とが同一の宿舍に會合し、相距ること三尺にして、互相に停守すること七天以上なれば、あの一分野の国は君臣は和睦し、道徳は互相に滋生す。期は一百八十日に応じ、加官・進服の栄顕の事あらん。歳星と辰星とが會合すれば、先に兵を起こす一方は凶、後に兵を起こす一方は吉なり。辰星と歳星とが會合すれば、あの一分野に水患あり、兵禍と飢饉とが一同に興起せん。甘氏がいう、歳星と辰星とが會合し・相闘えば、軍隊が境外に在れば則ち戦事あり。兵馬が境外に在らざれば、則ち内乱に応ずべし。郗萌がいう、歳星と辰星とが相闘い、相手方の光芒を掩滅するは、大将の殺せらるるを主る。ただ迫近し・穿貫するは、偏将の殺せらるるを主る。《荊州占》にいう、歳星と兎星とが相闘えば、将軍はまさに死せんとし、期は一年に応ず。この書およそ「兎星」と称するは、皆辰星(水星)の別写なり。
開元占經 卷二十一
五星占 四
熒惑與填星相犯 一
巫咸曰:“熒惑犯填星,兵大起。(按《宋書天文志》曰:“晉穆帝昇平二年八月戊午,熒惑犯填星,三年十月,諸葛攸舟軍入河,敗績。”)《荊州占》曰:“熒惑與填星合而犯,大將軍為亂;若守之,女主凶,期三年。”司馬彪《天文志》曰:“熒惑犯填星,大人忌。”《春秋緯》曰:“熒惑干填星,大旱。”《荊州占》曰:“熒惑入填星中,將軍為亂。”《文耀鉤》曰:“主喜不失政,則熒惑與填星相扶。”
巫咸がいう、熒惑(火星)が填星(土星)を侵犯すれば、大挙して兵を興すを主る。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の穆帝・升平二年八月戊午の日、熒惑は填星を侵犯せり。升平三年十月、諸葛攸は水軍を率い黄河に進入して作戦し、大敗せり、と。《荊州占》にいう、熒惑と填星とが會合してまたそれを侵犯すれば、大将軍の作乱を主る。若し填星の旁に停守すれば、女主に凶あるを主り、期は三年に応ず。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、熒惑が填星を侵犯すれば、位尊き大人物は忌諱する所有り。《春秋緯》にいう、熒惑が填星を干犯すれば、大旱を主る。《荊州占》にいう、熒惑が填星の星域の中に進入すれば、将軍の作乱を主る。《文曜鈎》にいう、君主が善政を喜好して政道を失わざれば、熒惑と填星とは則ち互相に扶持して行かんとす。
《荊州占》曰:“熒惑去填星而復歸環繞之,不出六年,中國亡主;又曰為獄事。”石氏曰:“熒惑與填星會,主走出。”巫咸曰:“熒惑與土合,是謂內亂。”班固《天文志》曰:“土與水合為壅沮,(晉灼曰:水性壅而溺土,故曰壅沮,一曰壅填也。)不可舉事用兵;又曰國亡地。”郗萌曰:“熒惑與填星合,其國爭者坐之;又曰熒惑與填星環繞之,不出三年,天子失位;又曰熒惑與填星合,女子坐之。”
《荊州占》にいう、熒惑が填星を離れて之後また折り返りてそれを環繞せば、六年を出でずして、中原はまさに君主を失わんとす。別の一説には刑獄の事を主る。石氏がいう、熒惑と填星とが相會すれば、君主の出走を主る。巫咸がいう、熒惑と土星とが會合すれば、これを内乱と謂う。班固《漢書・天文志》にいう、土星と水星とが會合するを、「壅沮」と謂う。原書小注に晋灼を引いていう、水の性質は壅塞して能く土を淹没す、故に壅沮と謂い、別の一説に「壅填」と謂う、と。この時は事を挙げ兵を用うる可からず。またいう、国家の土地を喪失するを主る。郗萌がいう、熒惑と填星とが會合すれば、あの一分野の国の位を争う人はまさに罪を獲て連坐せんとす。またいう、熒惑と填星とが互相に環繞すれば、三年を出でずして、天子は位を失わん。またいう、熒惑と填星とが會合すれば、女子ありて罪を獲て連坐せん。
《文耀鉤》曰:“填星與火合,則大旱,陽行害;又曰火與土合,憂,主孽祥。”石氏曰:“填星與火合,大人惡之。”《海中占》曰:“填星與熒惑合,女子為天下害。”郗萌曰:“填星與熒惑合,為禍喪,其國不可舉事,用兵必受其殃。”(按司馬彪《天文志》曰:孝順帝漢安二年六月乙丑,熒惑光芒犯填星。明年八月,孝順帝崩,孝沖即位。明年正月,又崩。)
《文曜鈎》にいう、填星と火星とが會合すれば、則ち大いに旱して、陽気は過盛にして害と為る。またいう、火と土とが會合すれば、憂患を主り、妖孽の徴兆あるを主る。石氏がいう、填星と火星とが會合すれば、位尊き大人物はこの種の星象を厭惡す。《海中占》にいう、填星と熒惑とが會合すれば、女子ありて天下の害と成るを主る。郗萌がいう、填星と熒惑とが會合すれば、禍乱・丧亡を主り、あの一分野の国は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。原書小注にいう、按ずるに司馬彪《続漢書・天文志》の記載に、漢の順帝・漢安二年六月乙丑の日、熒惑の光芒は填星を侵犯せり。第二年八月、順帝は駕崩し、沖帝は即位せり。さらに一年を過ぎて正月、沖帝もまた駕崩せり、と。
《荊州占》曰:“填星與熒惑合,土在火上,他兵加之必有克;土在火下,各不動者,名曰子母同光,其國得地,猛強;若同上下,民有逆心,其分兵起,更王。”石氏曰:“地侯與熒惑所合宿,戰不勝,國飢。”(按《宋書天文志》曰:宋武大明五年正月,火土同在須女,占曰:女主惡之;三月孝穆皇后崩,此其應也。)
《荊州占》にいう、填星と熒惑とが會合し、土星が火星の上方に在れば、別国の兵馬が我に加わるも、必ず戦勝を得る能し。土星が火星の下方に在り、両星が各自動かざれば、これを「子母同光」と謂い、あの一分野の国家は土地を獲得し、勇猛・強盛ならん。若し上下の位置が相同じくして一処に挨れば、百姓に叛逆の心あり、あの一分野は兵を興し、まさに君王を更換せん。石氏がいう、地侯(填星)と熒惑とが會合するあの一宿は、その分野は作戦して勝を得る能わず、国中は飢饉せん。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、宋の孝武帝・大明五年正月、火星と土星とは同じく須女宿に在りき。占辞にいう、女主はこの種の星象を厭惡す、と。三月に孝穆皇后は去世せり、則ちこれその応験なり、と。
石氏曰:“熒惑從填星,聚於一舍,名曰大陽,其下國且有重德致天下,期在十年。”《文耀鉤》曰:“熒惑與土斗,則子弟亂。”巫咸曰:“填星與熒惑斗,不出其年,有亡國。”郗萌曰:“熒惑與土合斗,兵起,近期十五日,中期三十日,遠期六十日。”
石氏がいう、熒惑が填星に跟随し、同一の宿舍に聚まれば、これを「大陽」と謂い、あの一分野の国家はまさに深厚の德行を憑にして天下を取得せん、期は十年に応ず。《文曜鈎》にいう、熒惑と土星とが相闘えば、子弟の作乱を主る。巫咸がいう、填星と熒惑とが相闘えば、当年を出でずして、国家の滅亡するあらん。郗萌がいう、熒惑と土星とが會合して相闘えば、兵を興すを主り、近きは十五日に応じ、中なるは三十日に応じ、遠きは六十日に応ず。
《荊州占》曰:“填星與熒惑合斗,必有叛臣為亂,有兵起,期不出二年;又曰熒惑與填星斗,不出三年,有亡國。又曰熒惑與填星斗,王者亡地,將軍死之。又曰填星與熒惑合,相守,主以孽為憂,其下國失地,若有圍邑。又曰熒惑與填星相守,為憂喪。”石氏曰:“熒惑守填星,旱;一曰兵大起。”
《荊州占》にいう、填星と熒惑とが會合して相闘えば、必ず叛臣ありて作乱し、兵事の興起あり、期は二年を出でずに応ず。またいう、熒惑と填星とが相闘えば、三年を出でずして、国家の滅亡するあらん。またいう、熒惑と填星とが相闘えば、王者は土地を喪失し、将軍はこれがために戦死せん。またいう、填星と熒惑とが會合して互相に停守すれば、君主は庶出の子弟に因りて憂慮し、あの一分野の国は土地を喪失し、あるいは城邑の囲まるるあらん。またいう、熒惑と填星とが互相に停守すれば、憂患と丧事とを主る。石氏がいう、熒惑が填星に停守すれば、旱を主る。別の一説には大挙して兵を興すなり。
熒惑與太白相犯 二
《荊州占》曰:“熒惑與太白相犯,大戰;太白在熒惑南,南國敗;在熒惑北,北國敗。”《文耀鉤》曰:“熒惑從太白,軍憂;離之軍卻出太白之陰,有分軍出其陽,有偏將之戰當其行,太白逮之,破軍殺將。”《荊州占》曰:“熒惑太白相犯,為兵喪,為逆謀。”甘氏曰:“熒惑干太白,草木傷華妨政。”石氏曰:“熒惑與太白會,為鑠。”《荊州占》曰:“太白熒惑合,去之一尺,曰鑠;其下之國,不可舉事,用兵必受其殃。”《荊州占》曰:“熒惑入太白,將軍戮。”《海中占》曰:“與熒惑合,金從火,有兵罷;火從金,兵大起。”
《荊州占》にいう、熒惑(火星)と太白(金星)とが互相に侵犯すれば、大戦あるを主る。太白が熒惑の南に在れば、南方の国は敗る。熒惑の北に在れば、北方の国は敗る。《文曜鈎》にいう、熒惑が太白に跟随すれば、軍中に憂いあり。太白を離れれば則ち軍隊は退却す。熒惑が太白の陰面・即ち北辺に出づれば、則ち分かち出づるの偏師あり。陽面・即ち南辺に出づれば、則ち偏将の戦事ありてまさにその行に当たらん。太白がそれに追い着けば、軍を破り将を殺すを主る。《荊州占》にいう、熒惑と太白とが互相に侵犯すれば、兵禍・丧乱を主り、叛逆の陰謀を主る。甘氏がいう、熒惑が太白を干犯すれば、草木の花朵の受損するを主り、また政事を妨害す。石氏がいう、熒惑と太白とが相會するを、「鑠」と謂い、金の火に鎔かさるるの義を取る。《荊州占》にいう、太白と熒惑とが會合し、相距ること一尺なれば、則ち鑠と謂う。あの一分野の国家は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。《荊州占》にいう、熒惑が太白の中に進入すれば、将軍の殺せらるるを主る。《海中占》にいう、太白と熒惑とが會合し、金が火に跟随すれば、兵を罷むを主る。火が金に跟随すれば、大挙して兵を興すを主る。
(按張璠《漢紀》曰:初王師敗於河陽,欲浮河東,下太史令王立曰:春太白犯填星於斗,過天津熒惑又逆行,守北河,不犯也。由是遂渡北河,將自幟關東出,立又謂宋開鄧艾曰:太白守天關,與熒惑會,金火交,金革之象也,漢祚終矣,晉魏必有興者。後立數言於帝曰,天命有去就,五行不常恆,代火者土也,承漢者魏也,能安天下者曹姓,惟委任曹氏而已。公聞之語立曰:知公忠於朝延,然天道深遠,幸勿多言。)
原書小注にいう、按ずるに張璠《漢紀》の記載に、当初王師は河陽にて戦敗し、黄河を渡りて東に下らんと打算せり。太史令・王立がいう、この年の春に太白は斗宿にて填星を侵犯し、また天津星を越過し、熒惑もまた逆行して北河を守住せるも、却りて真に相犯せざりき、と。是に便ち北河を渡りて、幟関より東に向かい出行せんことを准備せり。王立はまた宋開・鄧艾に對していう、太白は天関星に停守し、熒惑と相會し、金と火とが交接す、これ兵戈の象なり、漢の国祚はまさに終結せんとし、晋・魏の間に必ず興起するあらん、と。後に王立は屡屡献帝に對していう、天命には去る有り就く有り、五行は恒久に変わらざるに非ず、火徳に取代わるは土徳にして、漢朝に承接するは魏なり、能く天下を安定するは曹姓なり、ただ曹氏を委任すれば則ち行けり、と。曹公は聞きての後に王立に對していう、あなたの朝廷に忠なるを知る、然るも天道は深遠なり、あなたに多く言わざるを希望す、と。
《荊州占》曰:“太白與熒惑遇,謂金入火,有兵兵罷,國安無禍。”《海中占》曰:“熒惑太白合,野有破軍,將死。”按班固《天文志》曰:“孝景后元年五月壬午,火金會合於輿鬼之東北,不至柳,出輿鬼北可五寸。丙戌地大動,鈴鈴然,民大疫死,棺貴至秋止。”司馬彪《天文志》曰:“孝殤延平元年正月丁酉,金火在婁,金火合,大人憂。是歲八月辛亥,孝殤帝崩。
《荊州占》にいう、太白と熒惑とが相遇うを、金の火に入ると謂い、兵事ありと雖もまた兵を罷め、国家は安定して禍患なし。《海中占》にいう、熒惑と太白とが會合すれば、原野の上に軍隊の撃破せられ・将領の戦死するを主る。按ずるに班固《漢書・天文志》にいう、漢の景帝・後元年五月壬午の日、火星と金星とは輿鬼宿の東北に會合し、柳宿には到らず、輿鬼の北の約五寸に出でたり。丙戌の日に大地は震動し、隆々として響き作し、百姓は大いに疫して死し、棺木は価を漲げ、秋に到りて始めて止息せり。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、漢の殤帝・延平元年正月丁酉の日、金星・火星は婁宿に在り、金・火は會合し、位尊き大人物に憂いあるを主る。この年の八月辛亥の日、殤帝は駕崩せり。
《荊州占》曰:熒惑與太白合,主人兵不勝;又曰所合國,野有殃;二旬四五日,兵過其野;三旬四五日,兵宿其野;三月不去,其國亡。”又曰:“熒惑與太白合同舍,其分有兵戰,相離則軍離。”(按檀道鸞《晉陽秋》曰:“孝武寧康二年十一月癸酉,太白掩熒惑,在營室。時桓石虔破氐賊姚萇於江。)又曰:“熒惑秋與太白合,其國不可以舉兵,反受其殃。”
《荊州占》にいう、熒惑と太白とが會合すれば、拠守する主人の一方は兵は勝つ能わず。またいう、會合する所の分野の国は、原野の上に殃禍あらん。両星が相守すること二十四五日なれば、則ち兵馬ありてあの片の原野を経過せん。相守すること三十四五日なれば、則ち兵馬ありてあの片の原野に駐紮せん。三か月にしてなお去らざれば、あの国家はまさに滅亡せん。またいう、熒惑と太白とが同一の宿舍に會合すれば、あの一分野に兵戦あり。両星が分離すれば、軍隊もまたこれに随いて散ず。原書小注にいう、按ずるに檀道鸞《晋陽秋》の記載に、晋の孝武帝・寧康二年十一月癸酉の日、太白は熒惑を掩い、位置は営室宿に在りき。当時桓石虔は江上にて氐族の賊首・姚萇を撃破せり、と。またいう、熒惑が秋に太白と會合すれば、あの一分野の国家は兵を発する可からず、否らずんば反りて災殃を承受せん。
《黃帝占》曰:“熒惑太白俱入斗,不出其年,國亂有憂;又曰熒惑入東井,太白隨之,兵喪並起。”郗萌曰:“熒惑入東井,太白隨之,將若相死;一曰君死,又曰糴貴。”《荊州占》曰:“熒惑入東井,太白隨之,道上多死人。”陳卓曰:“熒惑入東井,太白隨之,百川皆溢。”韓楊曰:“熒惑太白接,皆赤而芒,三十日舍天津,關河不渡,諸侯不通,其君死之。”
《黄帝占》にいう、熒惑と太白とが一同に斗宿に進入すれば、当年を出でずして、国内は動乱して憂患あり。またいう、熒惑が東井宿に進入し、太白が随い過ぎ行けば、兵禍と丧事とが一同に興起するを主る。郗萌がいう、熒惑が東井に進入し、太白が随い過ぎ行けば、将軍あるいは宰相の死去するを主る。別の一説には国君の死、さらに一説には米価の昂貴なり。《荊州占》にいう、熒惑が東井に進入し、太白が随い過ぎ行けば、道路上に死人多きを主る。陳卓がいう、熒惑が東井に進入し、太白が随い過ぎ行けば、百川の氾濫を主る。韓楊がいう、熒惑と太白とが相接し、両星ともに赤を発して芒角を帯び、三十日の内は皆天津星に宿すれば、関口と河渡との通ぜざるを主り、諸侯の間は相往来せず、あの一分野の国君はまさに死せんとす。
石氏曰:“熒惑與太白相隨西行,熒惑舍天門西,太白舍天門中;一曰舍天津,人主無出國。”《荊州占》曰:“太白從熒惑聚於一舍,熒惑在上,名曰乘太白,其歲多兵不用,其國將以武致天下,逆行兵起。”石氏曰:“熒惑太白所守之宿在東方,女勝男。”《海中占》曰:“熒惑太白中上出,破軍殺將,客勝。”
石氏がいう、熒惑と太白とが相随い西に向かい行き、熒惑は天門星の西に宿し、太白は天門星の中に宿す。別の一説には天津星に宿すと謂い、則ち君主は国を出でて遠行する勿れ。《荊州占》にいう、太白が熒惑に随いて同一の宿舍に聚まり、熒惑が上に在れば、これを「太白に乗る」と謂い、この年は兵事多しと雖も用いる所なく、あの一分野の国家はまさに武力を憑にして天下を取得せん。若し両星が逆行すれば、則ち兵事の興起あらん。石氏がいう、熒惑と太白との停守する所の宿次が東方に在れば、女子の男子に勝るを主る。《海中占》にいう、熒惑と太白とが当中より上に向かい冒出すれば、軍を破り将を殺し・遠来の客軍は勝を獲るを主る。
《荊州占》曰:“熒惑入太白中,五十日,將死。又曰熒惑與太白相入,入而不出,其國亂,有憂。又曰熒惑出太白之左,小戰;出太白右,去之三尺,軍小敗。”《黃帝兵法》曰:“熒惑出太白之陰,若不有分軍,必有他急,分大軍也。”《荊州占》曰:“熒惑所在,太白從之,伐不利,無功;太白所在,熒惑從之,伐者利,有功。”石氏曰:“熒惑往從太白,聚於一舍,太白為失明,熒惑赤色而光,環繞太白所守之國,大兵起。”
《荊州占》にいう、熒惑が太白の中に進入し、五十日なれば、将領の死を主る。またいう、熒惑と太白とが互相に侵入し、入りて去りて出でざれば、あの一分野の国はまさに乱れ、憂患あらん。またいう、熒惑が太白の左辺に出づれば、小規模の交戦を主る。太白の右辺に出で、相距ること三尺なれば、軍隊の小敗を主る。《黄帝兵法》にいう、熒惑が太白の北面に出づれば、若し兵を分かつに非ざれば、必ず別に急難あり、則ち大軍を分かち出でて応付することを要せん。《荊州占》にいう、熒惑の所在する位置に、太白が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利なし、戦功なし。太白の所在する位置に、熒惑が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利あり、能く戦功を立つ。石氏がいう、熒惑が前去りて太白に跟随し、同一の宿舍に聚まり、太白は因りて光明を失い、而して熒惑は色赤にして光あり、太白の守る所の分野の国に環繞せば、大挙して兵を興すを主る。
《荊州占》曰:“太白與熒惑遇,是謂金入火,有兵罷,無徭投,又曰太白在熒惑之上,所聚之國,且以義致天下;若在左右,名曰秋兵,其國必大敗。又曰熒惑在太白前後左右,成戰,客勝。又曰太白出熒惑之東,不出三月兵起;又曰太白居熒惑之後而相及,破軍殺將。又曰太白上居熒惑上,復下成熒惑下,有反者。”《宋武兵法》曰:“太白熒惑,一南一北,為死喪。”
《荊州占》にいう、太白と熒惑とが相遇うは、これを金の火に入ると謂い、兵事ありと雖もまた兵を罷め、徭役・徴発なし。またいう、太白が熒惑の上方に在れば、聚まる所の分野の国はまさに道義を憑にして天下を取得せん。若し太白が熒惑の左右に在れば、これを「秋兵」と謂い、あの国家は必ず大敗せん。またいう、熒惑が太白の前後・左右に在れば、戦事を形成するを主り、遠来の客軍は勝を獲る。またいう、太白が熒惑の東に出づれば、三か月を出でずして兵を興す。またいう、太白が熒惑の後に居りてそれに追及すれば、軍を破り将を殺すを主る。またいう、太白がもと熒惑の上方に在り、後にまた転じて熒惑の下方に到れば、人ありて謀反するを主る。《宋武兵法》にいう、太白と熒惑とが一南・一北に分列すれば、死亡・丧事を主る。
郗萌曰:“太白乘熒惑,軍敗;隨熒惑,軍憂。又曰熒惑太白合,而太白起角芒,而光居熒惑之上,其國且有用兵,三十日不去,天下三年兵起,六十日不去,下有空國,死主。”《荊州占》曰:“太白與熒惑相留,十日如去,有兵大戰;其不滿十日,有兵而不戰,期不出一年中。又曰熒惑環太白,大將死。”《文耀鉤》曰:“熒惑方行,太白環之,破軍殺將。”石氏曰:“熒惑薄太白,亡偏將。”
郗萌がいう、太白が熒惑を乗凌すれば、軍隊の敗れるを主る。熒惑に跟随すれば、軍中に憂いあるを主る。またいう、熒惑と太白とが會合して、太白が芒角を生出し、光芒は熒惑の上に居れば、あの一分野の国家はまさに兵を用いんとす。三十日にして離れざれば、天下は三年の内に兵を興さん。六十日にして離れざれば、その下に国家の空虚・君主の死去するあらん。《荊州占》にいう、太白と熒惑とが互相に滞留し、十天に満ちて始めて去れば、兵事の大戦あるを主る。十天に満たざれば、兵事ありと雖も交戦せず、期は一年の中を出でずに応ず。またいう、熒惑が太白を環繞すれば、大将の死を主る。《文曜鈎》にいう、熒惑がまさに行進するに、太白がそれを環繞せば、軍を破り将を殺すを主る。石氏がいう、熒惑が太白に迫近すれば、偏将を損失するを主る。
《荊州占》曰:“熒惑從太白下,上抵太白,不主,軍急不戰;又曰熒惑正抵太白,不去,客將死。又曰熒惑摩太白下,破軍,主將死。又曰熒惑摩太白,有數萬人戰,軍敗,人主死。又曰太白貫熒惑,亡偏將。”《春秋緯》曰:“熒惑與太白相逢而斗,勝太白,破軍殺將,熒惑破,人主弱,名聞海內。”《文耀鉤》曰:“熒惑與金斗,陰不制,又曰有戰兵,兵不在外,為在內。”
《荊州占》にいう、熒惑が太白の下より上に向かい太白に抵住すれば、自主する能わざるを主り、軍情は緊急なるも交戦せざるなり。またいう、熒惑が正面より太白に抵住して去らざれば、遠来の客軍の将領はまさに死せんとす。またいう、熒惑が太白の下方にて摩擦・挨蹭すれば、軍隊の撃破せられ・主将の戦死するを主る。またいう、熒惑が太白を摩擦すれば、数万人の交戦あり・軍隊は敗れ・君主は死すを主る。またいう、太白が熒惑を穿貫すれば、偏将を損失するを主る。《春秋緯》にいう、熒惑と太白とが相逢い相闘い、若し熒惑が太白に勝れば、軍を破り将を殺すを主る。若し熒惑が撃破せらるれば、君主の衰弱するを主り、然るもその名は却って海内に傳聞せん。《文曜鈎》にいう、熒惑と金星とが相闘えば、陰気の制約を受けざるを主る。またいう、戦事あるを主り、兵馬が境外に在らざれば、則ち境内に応ずべし。
(按《宋書天文志》曰:晉患帝永寧二年十月,熒惑太白斗於虛危,十二月,熒惑就太白於營室,初齊王礒定京教,因留輔政,遂專傲無君,是月,成都河間長沙王討之,礒又交戰攻焚宮闕。礒兵敗,夷滅又殺其兄上將軍實以下二十餘人也。)
原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の恵帝・永寧二年十月、熒惑と太白とは虚宿・危宿にて相闘えり。十二月、熒惑はまた営室宿にて太白に逼近せり。当初斉王・司馬冏は京城の乱を平定し、因りて留まりて輔政し、是に専擅・驕横にして君上を目にせず。この月、成都王・河間王・長沙王は一同に彼を討伐し、司馬冏はまた彼らと交戦し、宮闕を攻打・焚焼せり。司馬冏は兵敗れ誅滅せられ、還って彼の兄・上将軍・司馬寔以下二十余人を殺せり、と。
巫咸曰:“太白與熒惑斗,不出其年,兵起。又曰太白與熒惑春斗,歲旱,夏斗,不出其年,易相;科斗,不出其年兵起;冬斗,不出二年,有喪。”《荊州占》曰:“熒惑與太白相過而斗,不勝,有憂。又曰太白與熒惑斗,大將戰死。又曰熒惑與太白斗,諸侯王有喪,若離國,若多口舌,有內疾,人民尚伐,好戰,殺大將,歲大飢。又曰熒惑與太白斗,不出三年,易相。又曰春太白與熒惑斗,亡君之戒也。夏斗,不出三年,名山破;冬斗,不出其年,有大喪;一曰女喪。”
巫咸がいう、太白と熒惑とが相闘えば、当年を出でずしてまさに兵を興さん。またいう、太白と熒惑とが春に相闘えば、この年は干旱す。夏に相闘えば、当年を出でずして宰相を更換す。秋に相闘えば、当年を出でずして兵を興す。冬に相闘えば、二年を出でずして丧事あらん。《荊州占》にいう、熒惑と太白とが相過ぎて相闘い、勝を得る能わざる一方に憂患あり。またいう、太白と熒惑とが相闘えば、大将の戦死を主る。またいう、熒惑と太白とが相闘えば、諸侯王に丧事あり、あるいは封国を離れ、あるいは口舌の是非多く、別に内里の疾患あるを主る。人民は征伐を崇尚し・争戦を喜好し、主将は殺せられ、この年は大いに飢荒せん。またいう、熒惑と太白とが相闘えば、三年を出でずして宰相を更換す。またいう、春に太白と熒惑とが相闘うは、亡国の君の警戒なり。夏に相闘えば、三年を出でずして名山は崩壊す。冬に相闘えば、当年を出でずして大丧あり。別の一説には女子の丧なり。
郗萌曰:“熒惑守太白北,太子終若皇子終;守其南,劈人死若季子死;居東西,亦然,若相死,皆期三月。”《荊州占》曰:“太白與熒惑相守,其間容斧,血滿其野;其間容矛,有血流,久相守,血盈滿。”
郗萌がいう、熒惑が太白の北に停守すれば、太子の亡故あるいは皇子の亡故を主る。太白の南に停守すれば、寵幸を受くる人の死去あるいは幼子の死去するを主る(「劈人」は底本、疑わしく当に「嬖人」と作るべし)。東辺あるいは西辺に居れば、占断もまた同じきなり、あるいは宰相の死去するを主り、いずれも期は三か月の内に応ず。《荊州占》にいう、太白と熒惑とが互相に停守し、両星の間の空隙は一把の斧头を容れるを得れば、鮮血の原野に洒き满つるを主る。一支の長矛を容れるを得れば、血の流出するあるを主る。長く互相に停守すれば、血は則ち満地に流れ尽くさん。
熒惑與辰星相犯 三
劉向《洪範傳》曰:“火水合於斗,不可舉事,用兵必受其殃。”(按《洪範天文星辰變占》曰:漢景帝初元年十一月,熒惑與辰星合於斗,後三年,吳王濞變,七國同舉兵反漢,太尉周亞夫敗之。)
劉向《洪範伝》にいう、火星と水星とが斗宿に會合すれば、事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。原書小注にいう、按ずるに《洪範天文星辰変占》の記載に、漢の景帝・初元年十一月、熒惑(火星)と辰星(水星)とは斗宿に會合せり。三年の後、呉王・劉濞は難を発し、七国は一同に兵を起こして漢朝に反叛し、太尉・周亜夫は彼らを打敗りき、と。
《荊州占》曰:“熒惑與辰星秋合,有兵;冬合,有喪。又曰熒惑與免星合東方,免星白而火,兵在外,削地為和;又曰熒惑與辰星合,大水交行,其國不可以先起兵;合於東方,臣謀其主;合於西方,不出九十日,其國宮中有事。又曰熒惑與辰星合於尾、箕,其國大臣凶;春復為兵,秋冬為喪,凶。”郗萌曰:“熒惑與辰星在尾、箕相近,天下將大赦。又曰熒惑與辰星處虛北,冬雷雨水流,忌甲子。”
《荊州占》にいう、熒惑と辰星とが秋に會合すれば、兵事あるを主る。冬に會合すれば、丧事あるを主る。またいう、熒惑と兎星(この書およそ兎星と称するは、皆辰星・水星の別写なり)とが東方に會合し、兎星は色白にして火星は旁に在れば、兵馬の境外に在るを主り、まさに地を割きて和を求めんとす。またいう、熒惑と辰星とが會合すれば、大水の横流するを主り、あの一分野の国家は先に兵を起こす可からず。東方に會合すれば、臣下のその君を図謀するを主る。西方に會合すれば、九十日を出でずして、あの国家の宮中にまさに事あらん。またいう、熒惑と辰星とが尾宿・箕宿に會合すれば、あの一分野の大臣に凶あり。春に到ればまた兵事を主り、秋冬は則ち丧事を主り、いずれも凶なり。郗萌がいう、熒惑と辰星とが尾・箕の二宿の附近にて彼此に逼近すれば、天下はまさに大赦せんとす。またいう、熒惑と辰星とが虚宿の北に処れば、冬に雷鳴し雨降り・大水は流溢するを主り、甲子日を忌諱すべし。
石氏曰:“熒惑與辰星合,為水,必飢,舉事用兵有內亂。又曰熒惑與辰星相去三尺,大人當之;一曰天下大赦。又曰免星與熒惑會,冬為刑;他時為淬。(晉灼曰火入水故曰淬也。)其下之國,不可舉事,用兵必受其殃。”(《天官書》曰:為喪。)甘氏曰:“免星干火星,雨雹;上即妨太子嬖人,下即妨太尉司馬。”《荊州占》曰:“辰星與熒惑合而相守,水火亂行,國有兵喪;若不,有兵,疾疫流行。”(按班固《天文志》曰:孝景五年四月乙巳,水火合於參,其年四月,梁孝王死。)
石氏がいう、熒惑と辰星とが會合すれば、水患を主り、必ず飢饉を鬧し、事を挙げ兵を用うれば内乱に遇上らん。またいう、熒惑と辰星とが相距ること三尺なれば、位尊き大人物の災咎を承当するを主る。別の一説には天下の大赦なり。またいう、兎星(辰星)と熒惑とが相會すれば、冬に在れば刑戮を主り、別の季節に在れば「淬」を主る。原書小注に晋灼を引いていう、火は水の中に入る、故に淬と謂う、と。あの一分野の国家は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。原書小注またいう、《天官書》はこれを丧事を主ると為す、と。甘氏がいう、兎星が火星を干犯すれば、冰雹を下すを主る。上に在れば則ち太子と寵幸を受くる人とを妨害し、下に在れば則ち太尉・司馬のこれらの武職を妨害す。《荊州占》にいう、辰星と熒惑とが會合して互相に停守すれば、水火の乱行を主り、国中に兵禍・丧事あり。若しこのごとくならざれば、また兵事あり、併せて疫病は流行せん。原書小注にいう、按ずるに班固《漢書・天文志》の記載に、漢の景帝五年四月乙巳の日、水星と火星とは参宿に會合せり。この年の四月、梁の孝王は去世せり、と。
《荊州占》曰:“免星與熒惑合,其國大旱,赤地千里;又為飢,將行舉事大敗,有覆軍殺將。”陳卓曰:“免星與熒惑合,其國主出走。又曰熒惑所在,辰星從之,伐者利,有功;辰星所在,熒惑從之,伐者不利。又曰熒惑與辰星相過,是謂不祥,不可用兵,命曰自伐。一曰野有兵,不戰;兵在外,亦罷。”《文耀鉤》曰:“辰星牴觸熒惑,展轉復離而合,河漂山,天雨蛤,國主哭於宮。”
《荊州占》にいう、兎星(辰星)と熒惑とが會合すれば、あの一分野の国家は大旱し、赤地千里ならん。また飢饉を主り、将領が出行して事を挙げれば大敗し、全軍覆没・主将殺害の禍あらん。陳卓がいう、兎星と熒惑とが會合すれば、あの一分野の国主はまさに出逃せんとす。またいう、熒惑の所在する位置に、辰星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利あり、能く戦功を立つ。辰星の所在する位置に、熒惑が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利なし。またいう、熒惑と辰星とが互相に経過するは、これを不祥と謂い、兵を用うる可からず、「自伐」と名づけ、自ら自らを攻打するに等し。別の一説には原野の上に兵ありて交戦せざるなり。兵馬の境外に在るも、また兵を罷めん。《文曜鈎》にいう、辰星が熒惑に抵触し、輾転して分かれまた重ねて會合すれば、黄河の山陵を漂走し・天上より蛤蚌を落下するを主り、国主は宮中にて痛哭せん。
《荊州占》曰:“熒惑薄辰星,抵之、貫之,殺偏將。”《文耀鉤》曰:“熒惑與水斗,則以暴敗。”班固《天文志》曰:“火與水合,為北軍角。”《荊州占》曰:“火與水合斗,女子為天下害。又曰熒惑與辰星斗,相毀敗也,則有外後,不即內亂其國,斗東方,臣伐王;斗西方,期九十日,強國;宮中有亂。又曰熒惑與辰星斗;辰星滅,將死;又曰熒惑與辰星合斗,其國內亂,有兵起,其分凶。”
《荊州占》にいう、熒惑が辰星に迫近し、それに抵住し・それを穿貫せば、偏将の殺せらるるを主る。《文曜鈎》にいう、熒惑と水星とが相闘えば、暴虐に因りて敗亡するを主る。班固《漢書・天文志》にいう、火星と水星とが會合するは、北方の軍隊の角力の象なり。《荊州占》にいう、火と水とが會合して相闘えば、女子ありて天下の害と成るを主る。またいう、熒惑と辰星とが相闘い、彼此に毀損すれば、則ち外家の后妃ありて政に干る。若しこのごとくならざれば、則ちあの国家は内乱す。東方にて相闘えば、臣下の君王を攻伐するを主る。西方にて相闘えば、期は九十日に応じ、強国の宮中に乱あらん。またいう、熒惑と辰星とが相闘い、辰星の光芒の掩滅せらるるは、将領の死を主る。またいう、熒惑と辰星とが會合して相闘えば、あの国家は内乱し、兵事の興起あり、あの一分野に凶あらん。
開元占經 卷二十二
五星占 五
填星與太白相犯 一
石氏曰:“太白乾填星,敗殃五穀不熟,惟飢之亡。”《文耀鉤》曰:“填星與金合,則為白衣會。”《春秋緯》曰:“填星與金合,為水。”石氏曰:“地侯與太白合,所合之宿,國亡地。”《荊州占》曰:“填星與太白合,太白在填星南,名曰牝牡,年穀熟;在填星北,歲偏無飢。”又曰:“填星與太白合一舍,太白在上,填星在下,名曰並光,逆也,不出三年,有兵民流。”
石氏がいう、太白(金星)が填星(土星)を干犯すれば、破敗・災と成り・五穀は熟せずを主り、ただ飢饉と死亡とを落ち得るのみ。《文曜鈎》にいう、填星と金星とが會合すれば、身に素服を穿く丧会あるを主る。《春秋緯》にいう、填星と金星とが會合すれば、水患を主る。石氏がいう、地侯(填星の別名)と太白とが會合する、會合するあの一宿は、その分野の国は土地を喪失せん。《荊州占》にいう、填星と太白とが會合し、太白が填星の南に在れば、これを「牝牡」と謂い、年成は五穀成熟す。太白が填星の北に在れば、この年は偏えに地方ありてまさに餓えんとす。またいう、填星と太白とが同一の宿舍に會合し、太白が上に在り・填星が下に在れば、これを「併光」と謂い、逆乱の象なり、三年を出でずして、兵事あり、百姓は流亡せん。
又曰:“填星與太白合,在金北,去之七寸,母子同光,義讓而年,年穀登,人主壽。”又曰:“填星太白合,相守,為兵飢,疾疫,不出三年,有流民。”石氏曰:“填星與太白,俱入營室中,天下且有謀兵。”郗萌曰:“填星與太白合斗,光芒相接,相為亂。”甘氏曰:“太白與填星合,為疾,為內兵。”
またいう、填星と太白とが會合し、填星が金星の北に在り、相距ること七寸なれば、これを「母子同光」と謂い、人々の道義を講じ・能く謙譲し・而してまた年成好きを主り、五穀は豊登し、君主は長寿ならん。またいう、填星と太白とが會合して互相に停守すれば、兵禍・飢饉・疫病の流行を主り、三年を出でずして、流民あらん。石氏がいう、填星と太白とが一同に営室宿の中に進入すれば、天下はまさに興兵の図謀あらん。郗萌がいう、填星と太白とが會合して相闘い、光芒が互相に接触すれば、彼此に作乱するを主る。甘氏がいう、太白と填星とが會合すれば、疾疫を主り、内部の兵乱を主る。
(案《宋書天文志》曰:晉惠帝光熙元年十二月癸未,太白犯填星,是後河間王為東海王越所殺,明年正月,東海王越殺諸葛玖等,五月汲桑馮嵩,殺東燕王,八月苟= 大破汲桑。穆帝永和十二年七月丁卯,太白犯填星,在柳七度,其年八月,桓溫破姚襄於伊水定周之地。)
原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の恵帝・光熙元年十二月癸未の日、太白は填星を侵犯せり。此後河間王は東海王・司馬越の殺す所と為りき。第二年正月、東海王・司馬越は諸葛玖らを誅殺せり。五月に汲桑・馮嵩は東燕王を殺死せしめき。八月に苟晞は汲桑を大いに破りき(ここ人名、底本は残缺し、ただ一個の符号を留むるのみ)。晋の穆帝・永和十二年七月丁卯の日、太白は填星を侵犯し、位置は柳宿の七度に在りき。この年の八月、桓温は伊水にて姚襄を撃破し、周室の旧都の一帯を平定せり、と。
《荊州占》曰:“太白與填星合,填星色蒼,為眷多死,亦為兵,黃為旱。”又曰:“太白在填星北一尺,女主不用事;在填星南一尺,女主死。”又曰:“太白環繞填星,將治兵,必增土。”焦延壽曰:“填星與太白俱出,國得地。”《荊州占》曰:“填星、太白相近,數十日間不相去,有奸太后者。”《文耀鉤》曰:“主任恣,則太白觸填星。”《荊州占》曰:“填星干太白,水草木死。”《文耀鉤》曰:“太白觸填星,發大兵,相殘賊。”巫咸曰:“太白與填星斗,期九十日,其君憂,王者亡地,若有兵與喪,更立王公。”《荊州占》曰:“填星與太白合斗,臣謀主,有兵起,其國失地。”
《荊州占》にいう、太白と填星とが會合し、填星が青色を呈すれば、親眷の死亡多きを主り、また兵事を主る。黄色を呈すれば則ち旱災を主る。またいう、太白が填星の北一尺に在れば、女主の権を当て事を用うる能わざるを主る。填星の南一尺に在れば、女主の死を主る。またいう、太白が填星を環繞すれば、まさに兵備を整治し・必ず土工・城壘を増修せんとす。焦延夀がいう、填星と太白とが一同に出現すれば、国家の土地を獲得するを主る。《荊州占》にいう、填星と太白とが靠り合うこと甚だ近く、几十日も皆分かれざれば、人ありて太后と私通するを主る。《文曜鈎》にいう、君主が任性・放縦なれば、太白は則ち填星を触犯せんとす。《荊州占》にいう、填星が太白を干犯すれば、水中の草木の枯死を主る。《文曜鈎》にいう、太白が填星を触犯すれば、大挙して兵を発し・彼此に残害するを主る。巫咸がいう、太白と填星とが相闘えば、期は九十日に応じ、あの一分野の国君に憂いあり、王者は土地を喪失し、あるいは兵事と丧事とあり、まさに王公を別立せん。《荊州占》にいう、填星と太白とが會合して相闘えば、臣下の君主を図謀し・兵事の興起あるを主り、あの国家は土地を喪失せん。
填星與辰星相犯 二
《荊州占》曰:“填星干辰星,冬虹、雷行、夏寒、雨雹、隕霜。”甘氏曰:“水乾土,夏寒而雨雪,妨女主。”《荊州占》曰:“辰星犯填星,夏多寒霜,秋多淫雨,女主見放;一曰女主有憂。”石氏曰:“地侯與免星合於東方,免星色白而大,天下有兵於外,裂地相賂為和。”
《荊州占》にいう、填星が辰星を干犯すれば、冬に虹を出し・冬雷は震響し、夏は寒冷し・冰雹を下し・霜を降らすを主る。甘氏がいう、水が土を干犯すれば、夏の寒冷にして雪を降らすを主り、女主を妨害す。《荊州占》にいう、辰星が填星を侵犯すれば、夏に寒霜多く・秋に連綿の淫雨多く、女主は放逐せらるるを主る。別の一説には女主に憂いあるなり。石氏がいう、地侯(填星)と兎星(辰星)とが東方に會合し、兎星は色白にして形体大なれば、天下に兵事の境外に在るを主り、まさに地を割きて相贈りて以て和を求めんとす。
《五行傳》曰:“漢文帝后七年十一月戊戌,填星、辰星合於危,齊分;占曰:為壅沮,若得水,為懷所當之,國不可舉事,用兵必受其殃,將有覆軍。後三年,齊王舉兵應吳楚,吳楚敗而自殺之應也。”《天官書》曰:“土與水合,為壅斗,有覆軍,其國不可舉事;出亡地,入得地。”(謂所出宿所入宿也。)又曰:“土與水合,則變謀而更事。”
《五行伝》にいう、漢の文帝・後元七年十一月戊戌の日、填星・辰星は危宿に會合し、あれは斉地の分野なり。占辞にいう、これを「壅沮」と謂い、若しさらに水気に遇えば、応ずる所はまさに水に浸没せられんとす。あの国家は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受し、まさに全軍覆没の禍あらん。三年の後、斉王は兵を起こして呉・楚に応じ、呉・楚は兵敗れて斉王は自殺せり、則ちその応験なり。《天官書》にいう、土星と水星とが會合するを、「壅鬥」と謂い、全軍覆没あるを主り、あの国家は事を挙ぐる可からず。出ずれば土地を喪失し、入れば土地を獲得す。原書小注にいう、これはそれの離れたる宿と進入したる宿とに就いて謂うなり。またいう、土と水とが會合すれば、則ち謀劃を改変し・辦する所の事を更換せん。
《文耀鉤》曰:“免星與填星合,內亂飢,勿用戰。”石氏曰:“浼星與填星合,為壅沮,所當之國,不可舉事,用兵必受其殃。”甘氏曰:“免星志填星合,有敗軍,死將。”《海中占》曰:“辰星與填星合,在虛中,秋水出。”(案檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武太元五年七月丙子,辰星犯填星,冬十月,丹陽、平陵、義興水災,六年六月,揚、荊州,江大水。)郗萌曰:“曰:“辰星與填星合,有陰謀者。”又曰:“辰星與填星合虛中,齊國地動。”
《文曜鈎》にいう、兎星(辰星)と填星とが會合すれば、内乱と飢饉とを主り、兵を用い作戦するを用うる勿れ。石氏がいう、浼星(また辰星の別写なり)と填星とが會合するを、壅沮と謂い、応ずる所の国家は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。甘氏がいう、兎星と填星とが會合すれば、軍隊の敗績し・将領の戦死するを主る。《海中占》にいう、辰星と填星とが會合し、位置は虚宿の中に在れば、秋に大水を発するを主る。原書小注にいう、按ずるに檀道鸞《晋陽秋》の記載に、晋の孝武帝・太元五年七月丙子の日、辰星は填星を侵犯せり。この年の冬十月、丹陽・平陵・義興の一帯に水災発生せり。太元六年六月、揚州・荊州の長江は大水なりき、と。郗萌がいう、辰星と填星とが會合すれば、人ありて暗中に陰謀を搞するを主る。またいう、辰星と填星とが虚宿の中に會合すれば、斉地に地震の発生するを主る。
《荊州占》曰:“辰星出而與填星會,主令不行。”石氏曰:“辰星填星會者,國有土功田役,非法奸臣所為,誅之吉。”郗萌曰:“填星所在,辰星從之,伐者不利。”《荊州占》曰:“辰星所在,填星從之,伐者利,有功。”又曰:“填星與辰星為雌雄,俱入之宿,其國得地;俱出之宿,其國失地。”《黃帝占》曰:“填星與浼星;斗東方,臣代君斗西方,期九十日,強國,宮中有亂事。”《荊州占》曰:“填星與辰星合斗,軍在外,必戰;無軍,為內亂。”又曰:“辰星與填星合斗,其國有兵,水土相從,關梁不通,其分亂。”
《荊州占》にいう、辰星が出現して填星と相會すれば、君主の政令の行き通ぜざるを主る。石氏がいう、辰星と填星とが相會すれば、国中に土木の工程と田間の労役とあるを主り、これらは皆法度に合わず、奸臣の搞り出す所なり、彼らを誅除すれば則ち吉なり。郗萌がいう、填星の所在する位置に、辰星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利なし。《荊州占》にいう、辰星の所在する位置に、填星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利あり、能く戦功を立つ。またいう、填星と辰星とは雌雄を分かち、それらが一同に進入するあの一宿は、その分野の国は土地を獲得し、一同に離れるあの一宿は、その分野の国は土地を喪失せん。《黄帝占》にいう、填星と浼星(辰星)とが東方にて相闘えば、臣下の君主に取代わるを主る。西方にて相闘えば、期は九十日に応じ、強国の宮中に乱事あらん。《荊州占》にいう、填星と辰星とが會合して相闘えば、軍隊の境外に在るは必ず交戦し、軍隊なからば、則ち内乱に応ずべし。またいう、辰星と填星とが會合して相闘えば、あの一分野の国に兵事あり、水と土とは互相に追随し、関口・橋梁は通ぜず、あの一分野は動乱せん。
太白與辰星相犯 三
石氏曰:“太白乾辰星西方,有人;東方,大虛有殃,及匹夫。”甘氏曰:“辰星干太白,魚不為化。”《荊州占》曰:“太白出東方,辰星出其下,謂在太白東方;太白出西方,辰星出其後,謂在太白西方;太白、辰星,以初出為先後。”又曰:“太白出東方,辰星亦出東方,太白先出,辰星後出,辰星上過太白而去,臣倍其主者,不出其年。”又曰:“太白、辰星,同日出於東方,東方有兵,同日出於西方,西方有兵。”
石氏がいう、太白(金星)が西方にて辰星(水星)を干犯すれば、人ありて事を出すを主る。東方にて干犯すれば、大虚の一帯に殃禍あり、殃は平民・百姓に及ぶを主る。甘氏がいう、辰星が太白を干犯すれば、魚類の化生・繁育する能わざるを主る。《荊州占》にいう、太白が東方に出現し、辰星がその下方に出づとは、辰星が太白の東辺に在るを謂う。太白が西方に出現し、辰星がその後に出づとは、辰星が太白の西辺に在るを謂う。太白と辰星とは、最初の出現の早晚をもって先後を分かつ。またいう、太白が東方に出現し、辰星もまた東方に出現し、太白は先に出で・辰星は後に出で、而して辰星が上より太白を越過して去れば、臣子ありてその君主を背叛するを主り、応験は当年を出でず。またいう、太白と辰星とが同一天に東方に出現すれば、東方に兵事あり。同一天に西方に出現すれば、西方に兵事あり。
《天官書》曰:“辰星不出,太白為客,其出,太白為主人。”《荊州占》曰:“太白、辰星,更迭出入,以為主、客,太白出而辰星不出,太白為客,辰星出而太白不出,辰星為客;而金水俱不出,熒惑為客;無主人有兵,雖盛不合戰。”《黃帝兵法》曰:“太白與辰星俱出東方,西方國大敗;俱出西方,東方國大敗。若客、主人俱了,軍在東方,東方軍敗;在西方,西方軍敗;言其表面軍也,在表者,不善不獲,已軍堅守可也。”
《天官書》にいう、辰星が出現せざれば、太白は則ち遠来の客を充当す。辰星が出現せば、太白は則ち拠守する主人を充当す。《荊州占》にいう、太白と辰星とが交替して出没すれば、これに拠りていずれを主と為し・いずれを客と為すかを判定す。太白が出現して辰星が出でざれば、太白は客と為る。辰星が出現して太白が出でざれば、辰星は客と為る。金・水の二星が皆出でざれば、則ち熒惑をもって客と為す。若し客のみありて主人の一方なからば、兵ありと雖も、兵勢はさらに盛んなるも交戦せざらん。《黄帝兵法》にいう、太白と辰星とが一同に東方に出現すれば、西方の国は大敗す。一同に西方に出現すれば、東方の国は大敗す。若し客軍と主人との両方の形勢が皆已に分明なれば、軍隊が東方に在れば、東方の軍隊は敗れ、西方に在れば、西方の軍隊は敗る——これは暴露して外に在る軍隊を謂う。外露の地に処るは、善く戦わざれば一の獲る所もなく、自らの軍隊は堅守して出でざれば則ち可なり。
石氏曰:“辰星與太白俱出東方,皆赤而角、倍,海國大敗,中國大勝;其與太白俱出西方,皆赤而角,中國大敗,倍海國大勝。(倍海國,夷秋也。)一曰皆黑色,水國利。”《荊州占》曰:“太白、辰星俱郵東方,俱出西方,客主相見,有軍必戰,無軍起軍。”又曰:“太白出,辰星右走居太白前,主人小利,逐入之主大利;太白出,辰星左走居太白前,客小利,逐入之客大利;留有兵,兵罷。”
石氏がいう、辰星と太白とが一同に東方に出現し、皆赤を発して芒角を帯びれば、背海の国の大敗・中原の大勝を主る。それらが一同に西方に出現し、皆赤を発して芒角を帯びれば、中原の大敗・背海の国の大勝を主る。原書小注にいう、背海の国とは、夷狄を指す。別の一説には両星が皆黒色を呈するは、水に属する国家は利あり。《荊州占》にいう、太白と辰星とが一同に東方に出現し、あるいは一同に西方に出現すれば、主客の双方は相見え、軍隊あれば則ち必ず交戦し、軍隊なきもまた兵を起こさん。またいう、太白が出現し、辰星が右に向かい行きて太白の前に居れば、拠守する主人は小さく利あり、追趕・進逼する主人の一方は大いに利あり。太白が出現し、辰星が左に向かい行きて太白の前に居れば、遠来の客は小さく利あり、追趕・進逼する客軍の一方は大いに利あり。若し両星が滞留して動かざれば、兵事ありと雖もまた兵を罷めん。
又曰:“太白出辰星北,客利;辰星出太白北,主大利;並出東方利,以西伐;並出西方利,以東伐。”又曰:“太白出,辰星居其後,二十日兵起;辰星居其前,十五日兵罷;居其右,去之三尺,有軍必戰,客將死;居其左,兵闕一人吏死。”又曰:“辰星居太白前,則兵罷;居後,則兵起;居陽,則利客,居陰,則利主人。”石氏曰:“辰星居太白前,旬三日,軍罷;出太白後,兵起。”
またいう、太白が辰星の北に出づれば、遠来の客軍は利あり。辰星が太白の北に出づれば、拠守する主人は大いに利あり。両星が一同に東方に出現すれば、西に向かい征伐するに利あり。一同に西方に出現すれば、東に向かい征伐するに利あり。またいう、太白が出現し、辰星がその後に居れば、二十日の内に兵を興す。辰星がその前に居れば、十五日の内に兵を罷む。その右辺に居り、相距ること三尺なれば、軍隊あれば則ち必ず交戦し、客軍の将領はまさに死せんとす。その左辺に居れば、軍中に缺损あるを主り、一名の軍吏は死去せん。またいう、辰星が太白の前に居れば、則ち兵を罷めんとす。太白の後に居れば、則ち兵を興さんとす。陽面・即ち南辺に居れば、客軍に利あり。陰面・即ち北辺に居れば、主人に利あり。石氏がいう、辰星が太白の前に居ること十三日なれば、軍隊は解散す。太白の後に出づれば、則ち兵を興さんとす。
《荊州占》曰:“太白與辰星遇,太白避之,主人畏客;又曰天下有兵。太白在東方,辰星居其前而不去,十五日,若二十日而入,陰兵滅;不,大戰;辰星去,兵罷。又曰天下有兵。辰星在西方,居太白之前,十五日若二十日而入,陽兵滅,客去。”又曰:“天下無兵,辰星太白俱出西方,辰星居太白之前,相近,間可含劍,(蘇林曰:含音函,函容也,其間可容一劍也。)在酉北,陰國有兵謀;在酉南,陽國有兵謀;其不相近,兵官有滅者。”
《荊州占》にいう、太白と辰星とが相遇い、太白がそれを避譲すれば、拠守する主人の遠来の客を畏懼するを主る。またいう、天下に兵事あるを主る。太白が東方に在り、辰星がその前に居りて去らず、十五日あるいは二十日を過ぎて始めて没入せば、陰方の兵の消滅せらるるを主る。若し没入せざれば、則ち大戦あらん。辰星が去れば、則ち兵を罷む。またいう、天下に兵事あるを主る。辰星が西方に在り、太白の前に居り、十五日あるいは二十日にして没入せば、陽方の兵の消滅せられ・客軍の退去するを主る。またいう、天下に兵事なき時、辰星と太白とが一同に西方に出現し、辰星が太白の前に居り、両星の靠り合うこと甚だ近く、中間の空隙は一把の剣を容れるを得す。原書小注に蘇林を引いていう、「含」は函と読み、函は則ち容納なり、両星の間に一把の剣を容れるを得を謂う、と。若し酉位の北に在れば、陰方の国に用兵の図謀あり。酉位の南に在れば、陽方の国に用兵の図謀あり。若し両星が併せて靠近せざれば、則ち兵官の中に誅滅せらるる者あるを主る。
郗萌曰:“太白辰星在酉北,北國之事也;在酉南,南國之事也;正在酉,則中國之事也;正在卯,則陽國之事也。”《荊州占》曰:“有軍,太白辰星俱出一方,同面異宿,客主人來會,敵軍雖近,勢未戰,宿乃逐,不同合,各自罷。”又曰:“有軍,太白出東方,辰星出西方;若太白出西方,辰星出東方,格野雖有兵,軍不戰。”石氏曰:“辰星出而與太白不相從,雖有軍,不戰。”
郗萌がいう、太白と辰星とが酉位の北に在れば、北方の国の事に応ず。酉位の南に在れば、南方の国の事に応ず。正しく酉位に当たれば、中原の国の事に応ず。正しく卯位に当たれば、陽方の国の事に応ず。《荊州占》にいう、軍隊ある時、太白と辰星とが一同に同一方に出現し、朝向は相同じくして居る所の宿は同からざれば、主客の双方は前来りて會面し、敵軍は逼近すと雖も、形勢の上は未だ打ち起こさざらん。両星の宿次が相逐いて再び會合せざるに至れば、双方は則ち各々兵を罷めん。またいう、軍隊ある時、太白が東方に出現して辰星が西方に出現し、あるいは太白が西方に出現して辰星が東方に出現すれば、則ち対塁の原野の上に兵馬ありと雖も、軍隊も交戦せざるなり。石氏がいう、辰星が出現して太白と相随わざれば、軍隊ありと雖も、また交戦せざるなり。
《海中占》曰:“辰星與太早合東方,天下兵大起,盛而不戰,裂地相賂為利。”甘氏曰:“辰星與太白合,為變謀,為兵憂。”(班固《天文志》曰:孝景元年正月癸酉,金水合於婺女,其三年,吳楚、膠西、膠東、藺川、濟南、趙七國反,軍敗散走。又《宋書天文志》曰:孝武大明三年四月,金水合於西方,時竟陵王謀反,遣羽林軍攻戰,其應也。)
《海中占》にいう、辰星と太白とが東方に會合すれば、天下は大挙して兵を興し、兵勢は盛んなるも交戦せず、双方は地を割きて相贈りて以て利を求めん。甘氏がいう、辰星と太白とが會合すれば、謀劃の改変を主り、兵事の憂いを主る。原書小注に班固《漢書・天文志》を引いていう、漢の景帝元年正月癸酉の日、金星・水星は婺女宿に會合せり。景帝三年に至り、呉・楚・膠西・膠東・菑川・済南・趙の七国は反叛し、兵敗れて潰散・逃走せり、と。また《宋書・天文志》を引いていう、宋の孝武帝・大明三年四月、金星・水星は西方に會合せり。当時竟陵王は謀反し、朝廷は羽林軍を派して攻打せり、則ちこれその応験なり、と。
《荊州占》曰:“太白與辰星相去二尺若一尺,破軍殺將;其從前,大病;從旁,小病;與太白相薄,戰其先起兵,凶。”又曰:“辰星與太白不相近,三四尺於東方,辰星二十日不入,至三十日,東南國有兵,不戰;期至春、夏,有兵。”又曰:“辰星與太白不相近於西方,二十日至三十日,辰星不及,入西方,北國有兵。”
《荊州占》にいう、太白と辰星とが相距ること二尺あるいは一尺なれば、軍を破り将を殺すを主る。辰星が太白の前より靠り来たるは、大病を主る。旁より靠り来たるは、小病を主る。太白と互相に迫近するは、則ちいずれが先に兵を起こすかいずれが凶なり。またいう、辰星と太白とが東方にて相距ること三四尺にして併せて靠近せず、辰星は二十日も没入せず、三十日に至れば、東南方の国に兵事あり・然るも交戦せざるを主る。応期は春・夏に到りて、始めて兵事あらん。またいう、辰星と太白とが西方にて相距ること較遠にして靠近せず、二十日より三十日に至り、辰星は西方に没入するに及ばざれば、北方の国に兵事あるを主る。
又曰:“辰星與太白相近,三尺四尺於西方,二十日至三十日,軍戰;辰星相遠,不戰。”郗萌曰:“辰星隨太白於西方,天下無兵兵起,期六月,天下有兵,客利;相去間可四尺,客兵愈相遠,不戰;兵軍未解,辰星退而罷。”郗萌曰:“太白與辰星合,邊有兵。”(司馬彪《天文志》曰:孝殤元興元年,閏七月辛亥,水金二星合於一舍,其年遼東貊人反抄六縣發上谷漁陽右北平遼西馬桓討之。)
別の一条の占辞にいう、辰星(水星)と太白(金星)とが西方の天空にて互相に靠近し、相距ること三尺・四尺(古代の星占は「尺」をもって両星の視距を計り、一尺は約一度に合す)、二十日より三十日の内に、軍隊は則ち交戦せん。若し両星が彼此に遠離せば、則ち開戦せざらん。郗萌がいう、辰星が西方にて太白に随いて行けば、もと天下に戦事なきもまた戦事を興起せんとし、期は六か月の内に応ず。若し天下に已に戦事あれば、則ち来攻の客軍は利を得ん。両星の相距ること約四尺なれば、客軍の兵勢は愈々盛んなり。両星が彼此に愈々離れ愈々遠ければ、則ち交戦せず。戦事が未だ平息せざる時、辰星が退行すれば、兵事はこれに随いて停歇す。郗萌またいう、太白と辰星とが相合すれば、辺境に戦事あらん(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に、漢の殤帝・元興元年閏七月辛亥の日、水・金の二星は同一の宿に會合し、その年遼東の貊人は反叛し、六個の県を抄掠し、朝廷は上谷・漁陽・右北平・遼西の四郡の「馬桓」(当に即ち烏桓)の兵を徴発して前りて討伐せしめき、と)。
石氏曰:“太白辰星聚於一舍,天下小旱,其下之國,必以重德致天下,守之三十日,不去,其草木皆傷,五穀滅亡。”陳卓曰:“太白與辰星舍箕,用事者坐之。”《洪範傳》曰:“金水合婺女,有變謀,為兵憂。”《二十八宿山經注》曰:“太白辰星同守昴,不出百日,趙君為人所囚,大臣相戮。”
石氏がいう、太白と辰星とが同一の宿の中に聚集すれば、天下は小旱あらん。この一宿の対応する分野のあの国家は、必ず厚重の德行を憑にして天下を帰附せしむる能し。若し両星が停留・守候して三十日に満ちて去らざれば、則ち草木は皆受損し、五穀は絶収せん。陳卓がいう、太白と辰星とが箕宿に同宿すれば、権を当て事を用うる人は因りて罪を獲らんとす。《洪範伝》にいう、金星・水星が婺女(即ち女宿)に會合すれば、変乱の図謀あり、これ兵禍の憂いなり。《二十八宿山経注》にいう、太白と辰星とが一同に昴宿に守れば、一百日を出でずして、趙国の国君は人に囚禁せられ、大臣の間は互相に残殺せん——昴宿の分野は正しく趙地に在り、故に応験は趙国に落つ。
《荊州占》曰:“太白與辰星合,太白為主人,辰星為客,則有兵戰,客勝;若辰星環繞太白,大戰,主人偏將死,抵太月,主人大將死。”又曰:“太白出,辰星從之,急,相去一尺,兵起大戰,光芒相及,若摩之其下有數萬人戰,客勝,主人軍敗。”又曰:“辰星隨太白於西方,環繞居抵,太白居酉北,則陰國起兵;居酉南,則陽國起兵;期六月,兵在外則戰,客利。”
《荊州占》にいう、太白と辰星とが會合し、太白は拠守する主人の一方を代表し、辰星は来攻の客軍の一方を代表すれば、則ち戦事あり、客軍は勝を取らん。若し辰星が太白を環繞して運行せば、まさに大戦あり、主人の一方の偏将は陣亡せん。若し辰星が「太月」(当に「太白」の訛字ならん)に抵触せば、則ち主人の一方の主将は陣亡せん。またいう、太白が出現の後、辰星はその後に緊随して急速に相就き、相距ること一尺なれば、則ち兵を興して大戦せん。両星の光芒が互相に接触し、彼此に摩擦するがごとくなれば、則ちその分野の下に数万人ありて交戦し、客軍は勝を取り、主人の軍隊は潰敗せん。またいう、辰星が西方にて太白に随い、環繞して太白に抵近すれば:太白の位が正西・酉位の北に在れば、則ち陰方の国は兵を起こし。酉位の南に在れば、則ち陽方の国は兵を起こす。期は六か月に応じ、軍隊の已に外に在るは則ち開戦し、客軍は利を得ん。
石氏曰:“辰星來,抵太白不去,將死,正旗所出,破軍,殺將,客勝。(《天官書》曰:不出,客亡地也。)視旗所指,以命破軍。”又曰:“辰星摩太白左,大戰,主人與吏死;摩太白右,萬人戰,主人勝。”《文耀鉤》曰:“辰星摩太白,入相傾。”(宗伯曰:摩,謂光相及也;傾,壞敗也。)巫咸曰:“太白與浼星斗,不出其年。國臣反。”
石氏がいう、辰星が前来りて太白に抵近して久しく去らざれば、将帥は死せんとす。星芒は旗のごとく、旗芒の出づるあの一方は敵軍を撃破し・敵将を斬殺する能く、客軍は勝を取る(原書小注に《史記・天官書》を引いていう、旗芒が出でざれば、則ち客軍は土地を喪失するなり、と)。旗芒の指す方向を観察すれば、則ちこれに拠りていずれの一方の軍隊が撃破せらるるかを判定す。またいう、辰星が太白の左側を摩擦すれば、まさに大戦あり、主人の一方の将吏は陣亡せん。太白の右側を摩擦すれば、則ち上万人ありて交戦し、主人は勝を取る。《文曜鈎》にいう、辰星が太白を摩擦すれば、朝に入りて相と為る大臣の傾覆・敗亡を主る(原書小注:宗伯がいう、「摩」は両星の光芒の互相に接触するを指す。「傾」は毀壊・敗亡の義なり、と)。巫咸がいう、太白と「浼星」(即ち辰星)とが相闘えば、この一年を出でずして、国中の大臣はまさに反叛せんとす。
《天官書》曰:“太白與辰星斗,必有大戰,客勝,主人與吏死。”《荊州占》曰:“太白與辰星合斗,有軍在外,大戰流血;兵在外,則有內亂。”《春秋緯》曰:“辰星圍太白,若與斗,大戰;過太白,間可容劍,小戰;出太白,右軍急;青角,兵憂;黑角,水流。”甘氏曰:“辰星與太白合斗,亢旱。”
《史記・天官書》にいう、太白と辰星とが相闘えば、必ず大戦あり、客軍は勝を取り、主人の一方の将吏は陣亡せん。《荊州占》にいう、太白と辰星とが會合して相闘えば、若し軍隊の外に在るあれば、則ち大戦して血を流さん。軍隊が外に在ると同時に、国内は還って内乱を発生せん。《春秋緯》にいう、辰星が太白を囲繞し、あるいは太白と相闘えば、まさに大戦あらん。辰星が太白を越過し、両者の間の空隙はただ一柄の剣のごとき窄まりを容れるのみなれば、則ち小規模の戦闘あらん。辰星が太白の外より穿り出でれば、則ち右翼の軍隊の情勢は危急なり。星芒が青色を呈すれば、兵事の憂いを主る。星芒が黒色を呈すれば、則ち大水の横流あらん。甘氏がいう、辰星と太白とが會合して相闘えば、まさに厳重の旱災あらん。
《荊州占》曰:“辰星與太白相逢而斗,辰星不勝,燕、趙、代有憂。”又曰:“辰星與太白斗,其分有反臣,期不出三年。”又曰:“辰星與太白斗,太白分散,客軍勝;秦國有憂。若辰星分散,主人軍勝,燕、代有憂。”又曰:“太白環繞辰星,若與太白牴觸,一尺容劍,破軍殺將,主人勝。”
《荊州占》にいう、辰星と太白とが相遇いて争闘し、辰星は勝を得る能わざれば、燕・趙・代の三地に憂患あり。またいう、辰星と太白とが相闘えば、その対応する分野の内に反叛の臣あり、期は三年を超過せずに応ず。またいう、辰星と太白とが相闘い、若し太白の光芒が離散すれば、則ち客軍は勝を取り、秦国に憂患あり——太白の分野は正しく秦地に在り——。若し辰星の光芒が離散すれば、則ち主人の軍隊は勝を取り、燕・代の二地に憂患あり。またいう、太白が辰星を環繞し、あるいは両星が互相に抵触し、相距ること一尺、中間はただ一柄の剣を容れるのみなれば、則ち敵軍を撃破し・敵将を斬殺し、主人の一方は勝を取らん。
石氏曰:“免星入太白中,五日而出,反入而上出,破軍殺將,客勝;下出,客亡地三百里。”《荊州占》曰:“辰星入太白中復出,有君死。”又曰:“太白守辰星,其國君死。”又曰:“辰星從太白,相守,其間可含劍,有數萬人戰其下。”
石氏がいう、「兎星」(即ち辰星の別称)が太白の光芒の中に進入し、五日の後に穿り出づ。若し再度進入して上方より穿り出づれば、則ち敵軍を撃破し・敵将を斬殺し、客軍は勝を取る。若し下方より穿り出づれば、客軍はまさに三百里の土地を喪失せん。《荊州占》にいう、辰星が太白の中に進入して後また穿り出づれば、国君の死亡あるを主る。またいう、太白が辰星の旁に守候せば、あの分野の国の国君は死亡せん。またいう、辰星が太白に跟随し、両星が互相に守候し、その間の空隙はただ一柄の剣を容れるのみなれば、則ちその下の分野の地に数万人ありて交戦せん。
開元占經 卷二十三
歳星占 一
歳星名主 一
石氏曰:“歲星,他名曰攝提;一名重華;一名應星;一名經星。”《天官書》曰:“歲星一名紀星;又曰歲星;廟也。”《春秋緯》曰:“春精靈威仰神為歲星體,東方青龍之宿。”石氏曰:“歲星,木之精也,位在東方,青帝之子,歲行一次,十二年一周天,與太歲相應,故曰歲星。人主之象,主仁,主義,主德,主大司農,主次相,其國吳、齊,齊春日,甲乙其辰,寅卯所在之邦,有福。”
石氏がいう、歳星(則ち木星なり)に別の名ありて「摂提」と謂い、また「重華」と謂い、また「応星」と謂い、また「経星」と謂う。《史記・天官書》にいう、歳星はまた「紀星」と名づけ、また則ち歳星と謂い、天上の宗廟の象を主るの星なり。《春秋緯》にいう、春の精気・東方の帝「霊威仰」の神は、化して歳星の形体と為り、東方の青竜七宿に属す。石氏がいう、歳星は木の精気の凝まる所にして、方位は東方に在り、これ青帝の子なり。それは毎年一「次」(黄道十二次の一、星紀・玄枵の類のごとし)を経行し、十二年に天を一周し、紀年の太歳と一々相応ず、故に「歳星」と謂う。それは人君の象徴にして、仁を主管し・義を主管し・徳を主管し、職官の上は大司農と次相とに対応す。主る所の封国は呉国と斉国とにして、主る所の季節は春、日干は甲・乙、辰位は寅・卯なり。歳星の所在するあの邦国に福あらん。
石氏曰:“歲星主顏貌怒、喜,意所欲施行。”《合誠圖》曰:“歲星主含德。”《洪範五行傳》曰:“歲星者,於五常為仁、恩、德、孝、慈,於五事為貌、威、儀、舉、動,仁虧貌失,逆春令,則歲星為災。(案班固《天文志》曰:逆春令傷木氣,則罰見歲星。)雖主福德,見惡逆則怒,為殃更重。”
石氏がいう、歳星は人の容貌・神色の怒るか喜ぶか、および心中の推行せんとする事を主管す。《合誠図》にいう、歳星は含蓄・内藴の徳性を主管す。《洪範五行伝》にいう、歳星は五常の中にて仁・恩・徳・孝・慈に対応し、《尚書・洪範》の謂う所の「五事」の中にて容貌・威厳・儀節・挙止・動作に対応す。若し仁徳が亏损し・容貌が礼を失い、春季に応に行うべき政令に違逆せば、歳星は則ち災異を顕示せん(原書小注:按ずるに班固《漢書・天文志》にいう、春令に違逆すれば便ち木気を傷つけ、懲罰は則ち歳星の上に顕現す、と)。歳星は福徳を主管すると雖も、凶悪・悖逆の事に一見すれば則ち発怒し、降す所の災殃は却って更重なり。
《淮南子》曰:“東方木也,木入地而生也。其神太皞,(天神五帝,太皞主東方。)其佐勾芒,執規而治春,(規者,圓也)其神為歲星,其獸為青龍,其音角,其日甲乙。”《荊州占》曰:“歲星主春,農官也;其神上為歲星,主東維。”又曰:“主歲五穀。”又曰:“歲星主司天下諸侯人君之過。”《天鏡》曰:“歲星主春,蒼帝之子,為天佈德。”
《淮南子・天文訓》にいう、東方は木に属し、草木は土に入りて後萌生す。東方の神は太皞なり(原書小注:天神に五帝あり、太皞は東方を主管す)、彼を輔佐するは木官・勾芒にして、円規を執りて春季を治理す(原書小注:規は則ち円なり)、天上に対応する星は歳星、対応する神獣は青竜、対応する五音は角音、対応する日干は甲・乙なり。《荊州占》にいう、歳星は春季を主管し、これ天上の農官なり。その神は上は歳星に応じ、東方の一維を主管す。またいう、それは一年の五穀の収成を主管す。またいう、歳星は天下の諸侯と人君との過失を稽察するを主管す。《天鏡》にいう、歳星は春季を主管し、これ蒼帝の子にして、上天に代わりて徳沢を布施す。
石氏曰:“歲星所在之國,不可伐,可以伐人。”甘氏曰:“邦將有福,歲星留居之。”《淮南子》曰:“歲星之所居,五穀豐昌;其對為沖,歲乃有殃。”《荊州占》曰:“曰:“歲星所居之宿,其國樂,所去宿,其國飢;又曰所從野,有慶;所去,起兵。又曰:歲星居交順常,其國不可以加兵,可以伐無道之國,伐之必克。又曰歲星所留之舍,其國五穀成熟。”石氏曰:“歲星,君之象也。”《石氏占》曰:“歲星象主,色慾明潤。”
石氏がいう、歳星の所在する分野の国家は討伐する可からず、反りてその勢いを借りて別人を討伐する可し。甘氏がいう、一個の邦国がまさに福を得んとすれば、歳星は則ち停留・居守してその分野に在らん。《淮南子》にいう、歳星の居る所の処は、五穀は豊盛なり。それと正しく相對するあの一方を「衝」と謂い、あの一方はあの一年に則ち災殃あらん。《荊州占》にいう(原書ここに「曰」の字重出す):歳星の居る星宿は、その分野の国は安楽す。歳星の離れたる星宿は、その分野の国は飢饉す。またいう、歳星の往く所の分野に喜慶あり、離れる所の分野は兵を起こさん。またいう、歳星の交會・運行は順暢にして常度に合すれば、その分野の国はこれに對して兵を用うる可からず、然るもその勢いを借りて無道の国を討伐する可し、討伐は必ず勝を取らん。またいう、歳星の停留する宿舍は、その分野の国は五穀成熟す。石氏がいう、歳星は人君の象徴なり。《石氏占》にいう、歳星は既に君主を象徴すれば、星の色は明亮・潤沢をもって好しと為す。
歳星行度 二
《洪範五行傳》曰:“歲星以上元甲子歲,十一甲子朔旦冬至夜半甲子時,與日月五星俱起於牛前五度,順二十八宿右行,十二歲而一周天。”(案曆法歲星一見,三百六十三日而伏,三十五日一千三百三十分日之一千一百六十二奇四十五復見如初,一終三百九十八日一千三百四十分日之一千一百六十二奇四十五,眾家之說皆云十二年而一周天,唯此微為疏矣。)
《洪範五行伝》にいう、歳星は上元甲子のあの一年、即ち第十一の甲子の朔旦冬至・夜半甲子の時に、日・月と五星と一同に牛宿の前の五度より起算し、二十八宿の次序に順い自ら西に向かい東に(右行)運行し、十二年に天を一周す(原書小注:暦法によって推算すれば、歳星は一度顕現の後、三百六十三日を経て伏して見えず、再び三十五又一、三三十分の一、千一百六十二日零四十五小余を過ぎて、始めて重ねて先前のごとく出現す。一個の完整の會合周期は三百九十八又一、三四〇分の一、千一百六十二日零四十五小余なり。各家は皆十二年に天を一周すと謂い、ただこの推算に對照すれば、十二年の説は略しげに粗疏に嫌あり)。歳星の実際の周天は十二年より略しく短く、年深く日久しければ便ち提前して下一の星次に跨入す、これ則ち後文の謂う所の「超辰」にして、正しく「十二年一周天」のこの整数の説法が精密ならざるの縁故なり。
《河圖洛書》曰:“歲星日行十二分度之一,十二歲而周天,出東方以晨,入西方以昏。”甘氏曰:“歲星凡十二歲而周,皆三百七十日而夕入於西方,三十日復晨出於東方,視其進退左右,以占其妖祥。”甘氏曰:“歲星所居處,安靜中度,吉。”《天官書》曰:“歲星出,東行十二度百日而止,反逆行八度,百日復東行。”
《河図洛書》にいう、歳星は毎日十二分の一度を運行し、十二年に天を一周す。清晨に東方より升起し、黄昏に西方に没入す。甘氏がいう、歳星は総じて十二年に一周を繞行し、毎一回は皆三百七十日の後に黄昏の時に西方に没入し、三十日を隔ててまた清晨に東方より出現す。それの前進・後退と偏左・偏右との情形を観察し、もって吉凶・妖祥を占断す。甘氏またいう、歳星の居る位置は安定・平静にして常度に合するは、吉利の象なり。《史記・天官書》にいう、歳星は出現の後に東に向かい十二度を行き、一百日にして止まり、転じて八度を逆行し、再び一百日を過ぎてまた東行を回復す——この一進一退は、正しく行星の留・逆の常態なり。
巫咸曰:“歲星受制,則行柔惠;進群賢、封有功、出財貨、行賑貸、禁開闔、通障塞、無伐木。”《尚書緯》曰:“時五紀;氣在於春紀,可以觀農桑,禁斬伐,以安國家;如是,則歲星得度,五穀滋矣。政失於春,星不居其常。”《樂動聲儀》曰:“角度和調,則歲星常應太歲;月建以見,則發明至,為兵備。”(發明,金精烏也,金既克木,又兵象也。)
巫咸がいう、歳星が節制を受けて運行が度に合する時、人君は則ち当に柔和・恩惠の政令を施行すべし:衆多の賢才を進用し、功ある臣を分封し、財貨を散髪し、賑済・借貸し、隨意に関梁を開閉するを禁止し、阻塞の道路を疏通し、樹木を砍伐せざれ。《尚書緯》にいう、一年の時令は五紀に分かち、節気が正しく春紀に当たる時は、農桑を巡察し、砍伐を禁止し、もって国家を安定する可し。このごとく為せば、歳星の運行は則ち常度に合し、五穀もまたこれに随いて滋長す。若し春季の政令に失あれば、歳星は則ちその平常に応に在るべき位置に安居せざらん。《楽動声儀》にいう、角音の音律が和諧・調順なれば、歳星は則ち常に太歳と相応す。若し月建の神が顕現せば、則ち「発明」が出現し、預め兵事に防備するを要す(原書小注:発明とは、金の精気の化する烏なり、金は能く木を克し、また兵戈の象なり)。
《荊州占》曰:“歲星居舍,進退如度,其國有福;王者吉,奸邪息。”又曰:“人君治急,歲星行疾;緩者,行遲;刻者,行陰道;寬者,行陽道;和者,行中道。行陽道者,旱;行陰道者,水;行中道者,陰陽調和。又曰:歲星行正,則王者心正;行邪;則人主心邪。行正者,行黃道也;行邪者,失黃道也。又曰:君行寬,則歲星行陽道,多旱,王者外其心,憂在邊臣,封寵無功之人。”
《荊州占》にいう、歳星が当に居るべき宿舍に居り、進退は皆常度に合せば、その分野の国に福あり、君王は吉利にして、奸邪の事は平息せん。またいう、人君が政を治むること急切なれば、歳星は則ち行くこと快し。政を治むること寛緩なれば、歳星は則ち行くこと慢し。刻薄なれば、歳星は則ち陰道(黄道以北)を走る。寛厚なれば、歳星は則ち陽道(黄道以南)を走る。平和なれば、歳星は則ち中道を走る。陽道を走れば旱を主り、陰道を走れば水を主り、中道を走れば則ち陰陽は調和す。またいう、歳星の行くこと端正なれば、君王の心術の端正なるを説明す。行くこと偏斜なれば、人君の心術の正しからざるを説明す——いわゆる行正とは、則ち黄道を循りて行くを謂い、いわゆる行邪とは、則ち黄道に偏離するを謂う。またいう、人君の施政が過たりて寛縦なれば、歳星は則ち陽道を走り、旱災多からん。この時君王は心思は外に向かい、憂慮は皆辺地の臣の身に落ち、還って功労なき人に封賞・寵幸せん。
甘氏曰:“凡歲星所在,不可伐,假令歲星在寅,則其歲不可東北征,利西南;西南無年有亂民,是為歲星之沖,常受其凶也。十二歲皆放此。”《荊州占》曰:“歲星歲行一次,居二十八宿,與太歲應,十二歲而周天。太陰居維辰,歲星居維宿二,太陰居仲辰,歲星居仲宿三。”
甘氏がいう、およそ歳星の所在する分野は皆討伐する可からず。歳星が寅位に在るを仮設せば、あの一年は則ち東北方に向かい征伐する可からず、而して西南方に向かい兵を用うるに利あり。西南方はまさに年成好からず・民に乱事あらん、あそこは正しく歳星の「衝」の位にして、常に歳星の帯来する凶咎を承受するがゆえなり。十二年の中は皆これに照らして類推す。《荊州占》にいう、歳星は毎年一「次」を経行し、依次に二十八宿に居り、太歳の紀年に相応じ、十二年に天を一周す。太陰(即ち太歳)が四維の辰(丑寅・辰巳・未申・戌亥)に処る時、歳星は則ち維位の所轄する両宿に居る。太陰が四仲の辰(子午卯酉)に処る時、歳星は則ち仲位の所轄する三宿に居る。
《淮南子》曰:“太陰在四仲,則歲星守三宿;(太陰謂太歲也,四仲子午卯酉也,假令歲陰在卯,星守須女、虛、危,故曰三宿也。)太陰在四鉤,歲星行二宿;(四鉤,謂丑寅為一鉤,辰巳為一鉤,未申為一鉤,戍亥為一鉤。假令歲陰在寅,歲星在斗、牛,故曰二宿也。案惡灼曰:太陰在四孟、四季,則歲行二宿也。)二八十六,三四十二;故十二歲而行二十八宿,日行十二分度之一,歲行三十度十六分度之七,十二歲而周。”
《淮南子・天文訓》にいう、太陰が四仲の位に処れば、歳星は則ち三宿を守る(原書小注:太陰は則ち太歳なり。四仲は子・午・卯・酉を指す。歳陰が卯に在るを仮設せば、歳星は則ち須女・虚・危を守る、故にこれを三宿と謂う)。太陰が四鈎の位に処れば、歳星は則ち二宿を行く(原書小注:いわゆる四鈎とは、丑と寅とを一鈎と為し、辰と巳とを一鈎と為し、未と申とを一鈎と為し、戌と亥とを一鈎と為すを指す。歳陰が寅に在るを仮設せば、歳星は則ち斗・牛に在り、故にこれを二宿と謂う。また「悪灼」——当に晋灼ならん——に按ずるにいう、太陰が四孟・四季の位に在れば、歳星は則ち二宿を行く、と)。二に八を乗じて十六を得、三に四を乗じて十二を得、合わせて恰も二十八なり。故に十二年に正しく二十八宿を行遍す。歳星は毎日十二分の一度を行き、毎年三十又十六分の七度を行き、十二年に天を一周す。
《春秋緯》曰:“太陰在亥,歲星居角、亢;太陰在子,歲星居氐、房、心;太陰在丑,歲星居尾、箕;太陰在寅,歲星居斗、牽牛;太陰在卯,歲星居須女、虛、危,太陰在辰,歲星居營室、東壁;太陰在已,歲星居奎、婁;太陰在午,歲星居胃、昴、畢;太陰在未,歲星居觜、參、伐;太陰在申,歲星居東井、輿鬼;太陰在西,歲星居柳、九星、張;太陰在戍,歲星居翼、軫;運之常也。”
《春秋緯》にいう、太陰が亥に在れば、歳星は角・亢に居る。太陰が子に在れば、歳星は氐・房・心に居る。太陰が丑に在れば、歳星は尾・箕に居る。太陰が寅に在れば、歳星は斗・牽牛に居る。太陰が卯に在れば、歳星は須女・虚・危に居る。太陰が巳(原文は「已」と作る)に在れば、歳星は営室・東壁に居る——次序に按ずれば此れ当に辰位を承くべし。太陰が辰に在れば、歳星は営室・東壁に居る。太陰が巳に在れば、歳星は奎・婁に居る。太陰が午に在れば、歳星は胃・昴・畢に居る。太陰が未に在れば、歳星は觜・参・伐に居る。太陰が申に在れば、歳星は東井・輿鬼に居る。太陰が酉(原文は「西」と作る)に在れば、歳星は柳・七星(原文は「九星」と作る)・張に居る。太陰が戌に在れば、歳星は翼・軫に居る。これ則ち歳星の運行の常規なり。
甘氏曰:“歲星處一國,是司歲十二名攝提格之歲。(案李巡曰:“言萬物承陽而起,故曰攝格,格起也。孫炎曰:陽攝,特提攜萬物,使上至。)攝提格在寅,歲星在丑,以正月與建、斗、牽牛、婺女,(案《天官書》與斗、牽牛。石氏曰:在斗、牛,太初曆曰:在營室、東壁,《淮南鴻烈解》曰:太陽在寅,見效中攝提格,其雄為星、舍斗、牽牛。許慎注曰:太陰在天為雄、歲星;在地為太陰。)晨出於東方為日;十二月(宋《準南鴻烈解》曰:以十二月與之晨出東方,東井、輿鬼為對。許慎注曰:東井、輿鬼在未,斗、牽牛,在丑,故為對也。)夕入於西方,其名曰監德;其狀蒼蒼,若有光;其國有德,乃熱泰稷;其國無德,甲兵惻惻;其失次;將有天應,見於輿鬼,(《天官書》曰:應見杓。)其歲早水,而晚旱。(案《淮南鴻烈解》曰:攝提格之歲,早水晚旱,稻疾蠶不登,菽麥昌,民食四升。)
甘氏がいう、歳星がある一国の分野に居処するは、これ便ち当年を主管する十二歳名の一——摂提格の歳なり(原書小注:按ずるに李巡がいう、万物の陽気を承接して興起するを謂い、故に「摂格」と謂い、「格」は則ち興起なり。孫炎がいう、陽気は収摂し、特に意をもって万物を提携し、それらをして上に向かい生長せしむ、と)。摂提格は寅年に対応し、この時歳星は丑に在り、正月は建星・斗宿・牽牛・婺女と同処す(原書小注:按ずるに《史記・天官書》は「斗・牽牛と与に」と作る。石氏は斗・牛に在りと謂う。《太初暦》は営室・東壁に在りと謂う。《淮南鴻烈解》にいう、太陽が寅に在れば、その歳の名を摂提格と為し、その雄なる者は歳星にして、斗・牽牛に舍す。許慎の注にいう、天に在りて雄と為るは、則ち歳星にして、地に在れば則ち太陰と為る、と)。歳星は清晨に東方より升起し、十二月に到りて(原書小注:《淮南鴻烈解》にいう、十二月は太陰と一同に晨に東方に出で、東井・輿鬼と相對す。許慎の注にいう、東井・輿鬼は未に在り、斗・牽牛は丑に在り、故に両者は相對す、と)黄昏に西方に没入す。この一年の歳星の名を「監徳」と謂い、形状は蒼蒼然として、仿髴として自ら光華あるがごとし。若しその分野の国に徳あれば、黍稷は則ち成熟する能し(原文「乃熱泰稷」は、当に「乃熟黍稷」の訛ならん)。若し徳なからば、則ち甲兵は四起し・人心は惶惶たらん。若し歳星が失次すれば、即ち提前しあるいは落後してそれの応に在るべき星次にあらざれば、まさに上天の応験ありて輿鬼宿に顕現せんとす(原書小注:《天官書》は応験は斗柄の指す処に顕現すと謂う)。この一年は先に水災あり、後に旱災あり(原書小注:按ずるに《淮南鴻烈解》にいう、摂提格の年は先に水あり後に旱し、稲に病害あり、蚕の収成は好からず、豆・麦は茂盛し、百姓は每人毎日の口粮は四升なり、と)。
甘氏曰:“單閼之歲,(案李巡曰:日在卯,言陽氣推萬物而起,故曰單閼,單盡也,閼止也,孫炎曰:本單作殫,釋曰:殫猶中也,閼雍之拘,於此盡申也。)攝提格在卯,歲星在子,與虛危,(《天官書》曰:與婺女、虛、危。《漢書天文志》曰:太初曆在奎,婁。)晨出夕入,(《淮南子》曰:‘歲星舍婺女、虛、危,以十二月輿之晨出東方,柳、七星張翼對也。)其狀甚大,有光,若有小赤星附於其側,是謂同盟。兩國或昌或亡,死者不在其鄉,其失次,見於張,其名曰降入,周王受其殃,國斯反服,甲兵惻惻,其歲大水。(《淮南子》曰:單閼之歲,歲和,菽惡,蠶昌,民食五升。)
甘氏がいう、単閼の歳(原書小注:按ずるに李巡がいう、太歳が卯に在るは、陽気の万物を推動して興起せしむるを謂い、故に「単閼」と謂い、「単」は尽く、「閼」は止むなり。孫炎がいう、「単」はもと「殫」と写す、「殫猶中なり」と解し、先前に阻遏・拘束せられたる生気は、此に到りて完全に伸展す、と)。歳陰は卯位を指し(原文は前を承けて「摂提格在卯」と作る、摂提格はもと寅年の名なり、ここは汎く歳陰の指す辰を指す)、歳星は子に在り、虚・危と同処す(原書小注:《天官書》は婺女・虚・危と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は奎・婁に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は婺女・虚・危に舍し、十二月は太陰と一同に晨に東方に出で、柳・七星・張・翼と相對す、と)。それの形体は甚だ大にして光あり。若し一顆の小赤星ありてその旁に附せば、則ち「同盟」と謂い、両個の国家は一は昌え一は亡び、死者は還って自らの郷里に在らざるなり。若し歳星が失次すれば、応験は張宿に顕現し、この時それを「降入」と名づく、周王はまさに災殃を承受し、国人は因りて反叛して他人に帰服し、甲兵は四起し・人心は惶惶とし、この一年に大水あらん(原書小注:《淮南子》にいう、単閼の年は年成は調和し、豆類は歉収し、蚕事は興旺し、百姓は每人毎日の口粮は五升なり、と)。
甘氏曰:“執徐之歲,(案李巡曰:‘言蟄之物,皆敷舒而出,故曰執徐,執、蟄也,徐、舒也。’孫炎曰:‘勾者,畢達蟄伏之物,盡敷舒也。’)攝提在辰,歲星在亥,與營室、東壁,(《天官書》曰:以三月與營室東壁。《天文志》曰:太初曆在胃昂。)晨出、夕入,(《淮南子》:‘歲星合營室,東壁,以正月與之晨出東方,翼、軫為對。)其名為搏谷。(《天官書》曰:‘青章、甚韋也。’)其國有德,必數其狀;其失次、見於軫,(石氏曰失次杓。)其名曰青章、其國不利,治兵將有大喪,其歲早旱而晚水。”(《淮南子》曰:‘執徐之歲,早旱晚水,小飢,蠶開,麥熟,民食三升。)
甘氏がいう、執徐の歳(原書小注:按ずるに李巡がいう、蟄伏の生物が皆舒展して出づるを謂い、故に「執徐」と謂い、「執」は則ち蟄、「徐」は則ち舒なり。孫炎がいう、卷曲の嫩芽は全て通達し、蟄伏の物は尽数に舒展す、と)。歳陰は辰位を指し、歳星は亥に在り、営室・東壁と同処す(原書小注:《天官書》は三月は営室・東壁と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は胃・昴に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は営室・東壁に合し、正月は太陰と一同に晨に東方に出で、翼・軫と相對す、と)。この一年の歳星の名を「搏穀」と謂う(原書小注:《天官書》はこれを「青章」と称し、その色は甚だ柔潤なり)。その分野の国若し徳あれば、歳星は必ず屡屡祥善の状を顕出せん。若し歳星が失次すれば、応験は軫宿に顕現し(原書小注:石氏は失次すれば則ち斗柄の指す所に応ずと謂う)、この時それを「青章」と名づく、その分野の国は利あらず、兵を出で軍を治めばまさに大丧あらん、この一年は先に旱して後に水ならん(原書小注:《淮南子》にいう、執徐の年は先に旱し後に水し、略しく飢饉あり、蚕事は開張し、麦子は成熟し、百姓は每人毎日の口粮は三升なり、と)。
甘氏曰:“大荒落之歲,(李巡曰:‘言萬物皆熾茂,而大出,霍然落落,故曰荒落。’孫炎曰:‘物長大荒無落莫者也。’)攝提在巳,歲星在戍,與奎、婁、胃(《天官書》曰:以四月與奎、婁、胃。《漢天文志》曰:太初曆在伐也。)晨出夕伏,(《淮南子》曰:‘歲星舍奎,婁,以二月之晨,出東方,角、亢為對也。)其名曰路嶂,(《天官書》謂之跰踵。)其狀熊,色有光,其國兵,其君增地,其失次,見於亢,其名曰清明;其下出賊、死主,是歲不可西北征,利東西;東南無軍,有亂民,將有兵作於其旁,執殺其主。”(《淮南子》曰:‘大荒落之歲,有小兵,蠶登,麥昌、菽疾,民食二升也。)
甘氏がいう、大荒落の歳(原書小注:李巡がいう、万物が皆熾盛・繁茂して大量に長出し、枝叶は疏朗にして落落落たるを謂い、故に「荒落」と謂う。孫炎がいう、万物は長大して茂盛・荒衍し、零落・蕭索の象なし、と)。歳陰は巳位を指し、歳星は戌に在り、奎・婁・胃と同処す(原書小注:《天官書》は四月は奎・婁・胃と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は伐星に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に隠伏す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は奎・婁に舍し、二月の清晨に東方に出で、角・亢と相對す、と)。この一年の歳星の名を「路嶂」と謂う(原書小注:《天官書》はこれを「跰踵」と称す)。それは形状は雄壮にして熊のごとく、色の中に光を帯び。その分野の国に兵事あり、その君主は然るも土地を増拓する能し。若し歳星が失次すれば、応験は亢宿に顕現し、この時それを「清明」と名づく、その分野の下は盗賊を出し・君主を死なしむ。この一年は西北方に向かい征伐する可からず、而して東西の両方に兵を用うるに利あり。東南方は軍旅なきと雖も、却って作乱の民あり、まさに兵禍ありてその近旁に発作し、甚だしきはその国君を擒殺するに至らん(原書小注:《淮南子》にいう、大荒落の年は小規模の兵事あり、蚕事は豊収し、麦子は茂盛し、豆類に病害あり、百姓は每人毎日の口粮は二升なり、と)。
甘氏曰:“敦牂之歲,(太陰在午,歲名攙抑。郭璞曰:郭牂。《淮南子注》曰:‘則郎切。’升巡曰:‘言萬物皆茂狀,猗移其枝,故曰敦牂;敦茂也,牂狀也。’孫炎曰:萬物茂狀也。)攝提在午,歲星在酉,與畢、昴(《天官書》曰:‘以五月與胃、昴、畢。《天文志》曰:‘太初曆在井,輿鬼也。’)晨出夕入,(《淮南子》曰:“歲星舍胃、昴,以三月輿之晨出東方,氐、房心,為對。’)其名曰啟明;(《天官書》曰:‘開明,一曰天津。’石氏曰:‘名聲明。’)其狀熊熊,若有光,天下偃兵,唯利二立王,不利治兵,其失次見於房。(石氏曰:失次杓。)其名曰不祥,孽及殷王,禍及四鄉;其歲早旱、晚水。”(《淮南子》曰:‘攙搶之歲,歲大旱,蠶登稻疾,菽麥昌,禾為民食二升。’)
甘氏がいう、敦牂の歳(原書小注:太陰が午に在れば、歳名はまた「攙抑」と作る。郭璞がいう、「郭牂」と読む、《淮南子注》は注音を「則郎切」と為す。李巡がいう、万物が皆茂盛・壮大にして、枝条は婀娜・披離するを謂い、故に「敦牂」と謂い、「敦」は茂、「牂」は壮なり。孫炎がいう、則ち万物の茂盛・壮大の義なり、と)。歳陰は午位を指し、歳星は酉に在り、畢・昴と同処す(原書小注:《天官書》は五月は胃・昴・畢と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は東井・輿鬼に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は胃・昴に舍し、三月は太陰と一同に晨に東方に出で、氐・房・心と相對す、と)。この一年の歳星の名を「啓明」と謂う(原書小注:《天官書》は「開明」と作る、一の名「天津」。石氏は名を「声明」と謂う)。それは光焔は熊熊として、仿髴として自ら光華あるがごとし。天下は兵戈を偃息し、ただ君王を冊立するに利あり、兵を治め征伐するに利あらず。若し歳星が失次すれば、応験は房宿に顕現し(原書小注:石氏は失次すれば則ち斗柄の指す所に応ずと謂う)、この時それを「不祥」と名づく、妖孽は殷王に波及し、禍患は四方に遍し。この一年は先に旱して後に水ならん(原書小注:《淮南子》にいう、攙揄の年は大いに旱し、蚕事は豊収して稲に病害あり、豆・麦は茂盛し、百姓は每人毎日の口粮は二升なり、と)。
甘氏曰:“協洽之歲,(李巡曰:‘在未言陰陽,欲合,萬物和合;故曰協洽,和也。’孫炎曰:物生和洽,含英秀也。)攝提在未,歲星在申,與觜觿、參伐,(《天官書》曰:‘以六月與觜、觿參。”天文志曰:‘在張七星。’)晨出夕入,(《淮南子》曰:歲星舍觜觿、參,以四月與之晨出東方、尾、箕為對。)其名曰張列,(《天官書》曰:‘長列。’)其狀昭昭,若有光,其色若赤,無有他祥,唯利行兵,徵於四方,仇人不敢治,民其失次,見於箕;其名曰不疑,小民有子,持頭相期。”(《淮南子》曰:‘協洽之歲,有小兵,蠶登,稻昌,菽麥不為民食,三升。’)
甘氏がいう、協洽の歳(原書小注:李巡がいう、太歳が未に在るは、陰陽のまさに交合せんとし・万物の和合するを謂い、故に「協洽」と謂い、「協」は則ち和なり。孫炎がいう、万物は生長・和洽し、秀美の英華を藴含す、と)。歳陰は未位を指し、歳星は申に在り、觜觿・参・伐と同処す(原書小注:《天官書》は六月は觜觿・参と同処すと謂う。《漢書・天文志》は張・七星に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は觜觿・参に舍し、四月は太陰と一同に晨に東方に出で、尾・箕と相對す、と)。この一年の歳星の名を「張列」と謂う(原書小注:《天官書》は「長列」と作る)。それは明亮・昭然として、仿髴として光あり、色沢は赤に偏し、他の異兆なし、ただ兵を興すに利あり、四方を征伐し、仇敵はそれと難を為すを敢えてせず。若し歳星が失次すれば、応験は箕宿に顕現し、この時それを「不疑」と名づく、小民は孩子を生み下ろし、父子は相約して性命をもって相守せん(原書小注:《淮南子》にいう、協洽の年は小規模の兵事あり、蚕事は豊収し、稲子は茂盛し、豆麦は成らず、百姓は每人毎日の口粮は三升なり、と)。
甘氏曰:“涒灘之歲,(郭璞曰:涒音湯昆切,灘音湯干切,李巡曰:言萬物皆脩其精氣,故曰涒灘,孫炎曰:涒灘物吐秀,傾垂之貌也。)攝提在申,歲星在未,與東井、與輿,(《天官書》曰:‘以七月與東井,輿鬼;’《漢天文志》曰:‘太初曆在翼、軫也。’)晨出夕入,(《淮南子》曰:‘歲星舍東井、輿鬼,以五月與之晨出東方,斗、牽牛為對。’)其名曰大晉,其狀昭昭,白色有光,有國其亡,亦不在其鄉,其失次見於牽牛,其名曰小章,不利治兵,其國有誅,必害其王;歲小水雨。”(《淮南子》曰:‘涒灘之歲,歲和小雨行,蠶登菽麥昌,民食三升。’)
甘氏がいう、涒灘の歳(原書小注:郭璞の注音、「涒」は湯昆切と読み、「灘」は湯干切と読む。李巡がいう、万物が皆収斂・整飭して自らの精気を整えるを謂い、故に「涒灘」と謂う。孫炎がいう、涒灘は万物の秀穂を吐出して低垂するの様子なり、と)。歳陰は申位を指し、歳星は未に在り、東井・輿鬼と同処す(原書小注:《天官書》は七月は東井・輿鬼と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は翼・軫に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は東井・輿鬼に舍し、五月は太陰と一同に晨に東方に出で、斗・牽牛と相對す、と)。この一年の歳星の名を「大晋」と謂い、それは明亮・昭然として、白色にして光あり。ある国家は因りて滅亡し、死者もまた自らの郷里に在らざるなり。若し歳星が失次すれば、応験は牽牛宿に顕現し、この時それを「小章」と名づく、兵を治むるに利あらず、その分野の国に誅戮の事あり、必ず国君に祸害を及ぼさん。この一年は小水・小雨あらん(原書小注:《淮南子》にいう、涒灘の年は年成は調和し、小雨は時に適し、蚕事は豊収し、豆・麦は茂盛し、百姓は每人毎日の口粮は三升なり、と)。
甘氏曰:“作愕之歲,(《淮南子》曰:‘作愕或作噩。’孫炎曰:‘愕音咢。”李巡曰:‘在西,言萬物墜落,故曰作愕。作索也,愕茂也。’孫炎曰:‘作愕者,物落而枝起之貌。’)攝提在西,歲星在午,與柳、七星、張,(《淮南子》曰:‘歲星在柳,七星張。’《天官書》曰:‘以八月,與柳、七星、張。”《漢天文志》曰:‘太初曆在亢。’)晨出夕入,(以六月與之晨出東方,須女、虛、危為對也。)其名為長王,其狀作有芒,有國其昌,書有四方,享獻之祥;其失次見於虛,(《天官書》曰:‘應見危。’石氏曰:‘失次杓。”)其名曰大章;有旱而昌,或為之殃,必有其鄉,其歲有火,有女喪、民疾。”(《淮南子》曰:‘作愕之歲,有大兵,民疾,蠶不登,菽麥無穗,民食五升也。’)
甘氏がいう、作愕の歳(原書小注:《淮南子》は「作愕」あるいは「作噩」と写すと謂う。孫炎がいう、「愕」は「咢」と読む。李巡がいう、太歳が酉に在るは、万物の凋落するを謂い、故に「作愕」と謂い、「作」は索然、「愕」は茂なり。孫炎がいう、作愕は果実の墜落して枝条の挺起するの様子なり、と)。歳陰は酉位を指し(原文は「西」と作る)、歳星は午に在り、柳・七星・張と同処す(原書小注:《淮南子》は歳星は柳・七星・張に在りと謂う。《天官書》は八月は柳・七星・張と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は亢宿に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:六月は太陰と一同に晨に東方に出で、須女・虚・危と相對す)。この一年の歳星の名を「長王」と謂い、形状は芒刺を帯び。ある国家は因りて昌盛し、四方には皆文書の往来あり、これ納貢・進献の吉兆なり。若し歳星が失次すれば、応験は虚宿に顕現し(原書小注:《天官書》は応験は危宿に顕現すと謂う。石氏は失次すれば則ち斗柄の指す所に応ずと謂う)、この時それを「大章」と名づく、旱情ありと雖もなお興旺する能く、あるいは反りてその殃を受くるも、皆必ずその分野の郷に落ちん。この一年は火災あり・女子の丧あり・百姓は疾病多からん(原書小注:《淮南子》にいう、作愕の年は大規模の兵事あり、百姓は生病し、蚕事は収せず、豆・麦は穂を結ばず、百姓は每人毎日の口粮は五升なり、と)。
甘氏曰:“閹茂之歲,(李巡曰:‘言萬物皆蔽昌,故曰閹茂,閹,蔽也;茂,冒也。”孫炎曰:‘霜閹茂物,使俱落也。’)攝提在戍,歲星在巳,在翼、軫。(《天官書》曰:‘以九月與翼、軫、《漢天文志》曰:‘太初曆在氐、房、心也。’)晨出夕入,(《淮南子》曰:‘歲星舍翼、軫、以九月與之晨出東方,營室、壁為對。’其名為天睢,其狀白色,大明,其色若青,國有大疾;其失次見於東壁,(石氏曰:‘失次杓。’)其國士卿相謫,民人各直刺,無有仇謫,鬼神書壁;其名曰天侈,其歲有小水,有女喪。”(《淮南子》曰:‘閹茂之歲,小熟有兵,蠶不登,麥不為,菽昌,民食七知。’)
甘氏がいう、閹茂の歳(原書小注:李巡がいう、万物が皆遮蔽・覆蓋せらるるを謂い、故に「閹茂」と謂い、「閹」は遮蔽、「茂」は覆冒なり。孫炎がいう、霜気は茂盛の物を掩蔽し、それらをして一斉に凋落せしむ、と)。歳陰は戌位を指し、歳星は巳に在り、翼・軫に処る(原書小注:《天官書》は九月は翼・軫と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は氐・房・心に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は翼・軫に舍し、九月は太陰と一同に晨に東方に出で、営室・東壁と相對す、と)。この一年の歳星の名を「天睢」と謂い、形色は白を発して甚だ明亮なり。若しその色が青に偏せば、則ち国中に大疫あらん。若し歳星が失次すれば、応験は東壁宿に顕現し(原書小注:石氏は失次すれば則ち斗柄の指す所に応ずと謂う)、その分野の国は士人・卿相は互相に責讓し、百姓は各々直言・譏刺し、もと仇怨なきもまた嫌隙を生じ、甚だしきは鬼神ありて墻壁の上に字跡を書写するの類の怪異に至らん。この時それを「天侈」と名づく、この一年は小水災あり・女子の丧あらん(原書小注:《淮南子》にいう、閹茂の年は収成は略しく薄くして兵事あり、蚕事は収せず、麦子は成らず、豆類は茂盛し、百姓は每人毎日の口粮は七升なり——原文「七知」は当に「七升」と作るべし、と)。
甘氏曰:“大淵獻之歲,’(李巡曰:‘言萬物落於亥,大小深藏屈近陽,故曰淵獻。淵藏也,獻近也。’孫炎曰:‘獻萬物於大深,謂蓋藏也。’)攝提在亥,歲星在辰,與軫、角、亢。(《天官書》曰:‘以十月與角亢。’《漢天文志》曰:‘太初曆在尾、箕。’)晨出夕入,(《淮南子》曰:‘歲星舍角、亢以十月與之晨出東方,奎、婁為對也。’)其名為大皇,(《天官書》曰:‘大章。’)其狀色玄青,天下不寧,有歸為政;星若耀而陰出,是謂正平,利起軍旅,其帥必武,有德將,四國海內盡服;其失次見於婁,其名屏營,天下盡驚。”(《淮南子》曰:‘大淵獻之歲,有大兵,大熟蠶、蕃、菽、麥,不蟊賊,民食三升。’)
甘氏がいう、大淵献の歳(原書小注:李巡がいう、万物の亥位にて凋落し、大大小小は皆深藏して、屈伏して陽気に親近するを謂い、故に「淵献」と謂い、「淵」は蔵、「献」は近なり。孫炎がいう、万物を極深の処に献納するは、則ち収蔵の義なり、と)。歳陰は亥位を指し、歳星は辰に在り、軫・角・亢と同処す(原書小注:《天官書》は十月は角・亢と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は尾・箕に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は角・亢に舍し、十月は太陰と一同に晨に東方に出で、奎・婁と相対す、と)。この一年の歳星の名を「大皇」と謂う(原書小注:《天官書》は「大章」と作る)。それは色は深青を作し、天下の安寧ならざるを主り、帰附するあって執政する人あらん。若し星光が耀いて陰位より出現すれば、これを「正平」と謂い、師を興し衆を動かすに利あり、主帥は必ず勇武にして、また徳ある将あり、四方の国・海内の人は皆帰服せん。若し歳星が失次すれば、応験は婁宿に顕現し、この時それを「屏営」と名づく、天下は皆これがために驚懼せん(原書小注:《淮南子》にいう、大淵献の年は大規模の兵事あり、蚕事は大いに熟して繁盛し、豆・麦は豊収し、蟊賊の虫を生ぜず、百姓は每人毎日の口粮は三升なり、と)。
甘氏曰:“困敦之歲,(郭璞曰:‘敦音頓。”李巡曰:‘太子言陽氣皆混,萬物芽孽,故曰困敦。’孫炎曰:‘困敦混沌也,萬物初萌,混沌於黃泉之下。’)攝提在子,歲星在卯、與氐、房(《天官書》曰:“以十一月與氐、房、心。”《漢天文志》,曰:‘太初曆有建星、牽牛。’)晨出夕入,(《淮南子》曰:‘歲星舍氐,房、心,以九月與之晨出東方、胃、昴、畢為對也。’)其名為天泉,其狀玄色,甚明;江池其昌,不利起兵,其失次見於昴,其名曰赤章,其國有喪,不在其王,在水而昌。”(《淮南子》曰:‘困敦之歲,大霧起,大水出,蠶登,稻疾,菽麥昌,民食三升也。’)
甘氏がいう、困敦の歳(原書小注:郭璞がいう、「敦」は「頓」と読む。李巡がいう、太歳が子に在るは、陽気が皆還って混沌にして未だ分かれず、万物は才だに萌芽せんとするを謂い、故に「困敦」と謂う。孫炎がいう、困敦は則ち混沌にして、万物は初めて萌え、混混沌沌として黄泉の下に伏す、と)。歳陰は子位を指し、歳星は卯に在り、氐・房と同処す(原書小注:《天官書》は十一月は氐・房・心と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は建星・牽牛に定むと謂う)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は氐・房・心に舍し、九月は太陰と一同に晨に東方に出で、胃・昴・畢と相對す、と)。この一年の歳星の名を「天泉」と謂い、その色は深黒にして極めて明亮なり。江河・池沼は因りて興旺し、兵を起こすに利あらず。若し歳星が失次すれば、応験は昴宿に顕現し、この時それを「赤章」と名づく、その分野の国に丧事あるも、然るも国君の身に落ちず。およそ水と相関の行業は反りて興旺せん(原書小注:《淮南子》にいう、困敦の年は大霧興起し、大水は氾濫し、蚕事は豊収し、稲に病害あり、豆・麦は茂盛し、百姓は每人毎日の口粮は三升なり、と)。
甘氏曰:“赤奮若之歲,(李巡曰:‘言陽氣奮迅,萬物而起,不若其性,故曰赤奮,若陽也,奮迅也,若順也。’孫炎曰:‘物萌,色赤,奮動,順其性,而氣始芽也。’)攝提在丑,歲星在寅,與心、尾、箕,(《天官書》曰:‘以十二月與尾,箕。’《漢天文志》曰:‘太初曆在婺女、虛、危,又曰:甘氏、太初曆所以不同者,以星盈縮,在前後所見也,其四星亦各如此者也。’)晨出夕入,(《淮南子》曰:‘歲星舍尾、箕,以十月與之晨出東方,觜觿、參為對。’)其名為天昊,黯然黑色、甚明侯王有慶,其失次見於參,其名洋;有國其虛,其歲早水。”(《淮南子》曰:‘赤奮若之歲,有小兵、早水,蠶不出,稻小疾,菽不為,麥昌,民食三升。”)
甘氏がいう、赤奮若の歳(原書小注:李巡がいう、陽気の奮発・迅疾にして、万物を鼓動して興起せしめ、順いその本性に遂わざるなきを謂い、故に「赤奮若」と謂い、「赤」は陽を指し、「奮」は奮迅、「若」は順なり。孫炎がいう、万物は初めて萌え、その色は赤を発し、奮然として動き、各々その性に順い、生気は始めて萌芽す、と)。歳陰は丑位を指し、歳星は寅に在り、心・尾・箕と同処す(原書小注:《天官書》は十二月は尾・箕と同処すと謂う。《漢書・天文志》は《太初暦》は婺女・虚・危に定むと謂い、またいう、甘氏と《太初暦》との同からざる所以は、歳星の運行に盈あり縮あり・出現の時間に先有り後有りにして、其余の四星の情形も各々このごとし、と)。歳星は清晨に升起し・黄昏に没入す(原書小注:《淮南子》にいう、歳星は尾・箕に舍し、十月は太陰と一同に晨に東方に出で、觜觿・参と相對す、と)。この一年の歳星の名を「天昊」と謂い、色沢は黯黒にして極めて明亮なり、侯王に喜慶の事あらん。若し歳星が失次すれば、応験は参宿に顕現し、この時それを「洋」と名づく、ある国家は因りて空虚す。この一年は早く水災あらん(原書小注:《淮南子》にいう、赤奮若の年は小規模の兵事あり、早く水災あり、蚕は糸を出さず、稲に小病害あり、豆類は成らず、麦子は茂盛し、百姓は每人毎日の口粮は三升なり、と)。
歳星相王休囚死 三
石氏曰:“歲星之相也,從立冬,冬至盡;其色精明,無芒角。”甘氏曰:“歲星之王也戶立春至春之盡,其色比左角大而蒼,有精光,而內實;仲春時有芒角。歲星之休也,從立夏至仲夏,無興明而赤黃。歲星之囚也,從仲夏至夏之盡,及四季王時,其包當青黑,止而不行。歲星之死也,從立秋.至秋之盡,其色黑而細小不明,此歲星之常也,天下大昌。
五行の旺衰は相・王(旺)・休・囚・死の五個の階段に分作す:木は冬に相と為り(生を受けて旺を待つ)、春に王と為り、夏に休と為り(功を成して退く)、長夏・四季の月に囚と為り、秋に死と為る(金に克せらるるがゆえ)。歳星は木に属す、故にその色沢は四時に随いてこれに依りて消長す。石氏がいう、歳星が「相」の階段に処るは、立冬より冬至の終了するこの一段に至るなり。この時その顔色は精純・明亮にして、芒角なし。甘氏がいう、歳星が「王」の階段に処るは、立春より春季の終了に至るなり。この時その顔色は角宿の左星より大にして蒼青、光華は精湛にして内里は充実し、仲春に到れば芒角を生出せん。歳星が「休」の階段に処るは、立夏より仲夏に至るなり。この時それは再び興盛・明亮せず、転じて赤黄色と為る。歳星が「囚」の階段に処るは、仲夏より夏季の終了に至り、および四季の月の土旺・用事の時なり。この時その外囲は当に青黒にして、停滞して前行せざるべし。歳星が「死」の階段に処るは、立秋より秋季の終了に至るなり。この時その顔色は黒を発し、細小にして明亮ならず。以上は歳星の四時の常態にして、常態に合せば則ち天下は大いに昌盛せん。
當其相也而有王色,主弱臣強:有休色,相免,有囚色,相囚,有死色,相死。所留之舍,其國大強,行中度,天下和;其休,相有逆謀,不成。當其王而有相色,主弱臣強:有休色,人主有疾病之憂;有囚色,大赦;有死色,有大喪。其進舍也,有德令:其退舍也,有還令;其所守之舍,其下有逆德。
歳星はもと「相」の時節に処るべきに却って「王」の顔色を顕出せば、君は弱く臣は強きを主る。「休」の顔色を顕出せば、宰相は罷免せらるる。「囚」の顔色を顕出せば、宰相は囚繋せらるる。「死」の顔色を顕出せば、宰相は身を死す。それの停留する宿舍は、その分野の国は十分に強盛なり。運行が常度に合せば、天下は和睦す。若し休色を顕せば、則ち宰相は悖逆の図謀を懐くも、事を成す能わざるなり。歳星はもと「王」の時節に処るべきに却って「相」の顔色を顕出するも、また君は弱く臣は強きを主る。「休」の顔色を顕出せば、人君に疾病の憂いあり。「囚」の顔色を顕出せば、まさに大赦あらん。「死」の顔色を顕出せば、まさに大丧あらん。歳星が一舍を前進すれば、恩を施し徳を布くの詔令あらん。一舍を後退すれば、成命を收回の詔令あらん。それの守候するあの一宿は、その分野の下に道徳に悖逆するの事あらん。
當其休也而有王色,所居之舍,其國受兵;有相色,其國大臣誅傷;有囚色,草木傷;有死色,禾豆不入,稻芋半傷。當其囚也而有王色,政令不行,下反其上,主聽不聰;有相色,臣下專政,六月有霜;有休色,所謀不成:有死色,誅故貴公卿:所居之舍,其國有禍喪。當其死也而有王色,則秋榮華,有相色,枯木復生;有休色,有土功:有囚色,有大喪。”《荊州占》曰:“歲星王時,當有芒角:若無芒角者,王者無成,勢在臣下。”
歳星はもと「休」の時節に処るべきに却って「王」の顔色を顕出せば、それの居る所の宿舍は、その分野の国はまさに兵禍を遭受せん。「相」の顔色を顕出せば、その国の大臣は誅戮・傷残せらるる。「囚」の顔色を顕出せば、草木は受損す。「死」の顔色を顕出せば、禾穀・豆類は顆粒も収せず、稲子と芋头ともまた損傷は半を過ぐ。歳星はもと「囚」の時節に処るべきに却って「王」の顔色を顕出せば、政令は推行して下らず、下位の者は上位の者に反抗し、君主の聴聞は明ならず。「相」の顔色を顕出せば、臣下は朝政を専擅し、六月の里に霜を降らさん。「休」の顔色を顕出せば、図謀する所の事は成る能わず。「死」の顔色を顕出せば、旧日の顕貴の公卿を誅殺せん。それの居る所の宿舍は、その分野の国に禍患・丧亡あらん。歳星はもと「死」の時節に処るべきに却って「王」の顔色を顕出せば、秋の里に草木は反りて花を開かん。「相」の顔色を顕出せば、枯木は重ねて芽を発せん。「休」の顔色を顕出せば、まさに土木の功を興さん。「囚」の顔色を顕出せば、まさに大丧あらん。《荊州占》にいう、歳星が「王」の時節に在れば、当に芒角を生出すべし。若し芒角なからば、君王は一事も成さず、権勢は臣下の手裏に落つを説明す。
歳星変色芒角 四
甘氏曰;“候歲星以春、甲、乙,此王氣當如其常色,變則失所也。”甘氏曰:“歲星如左角之狀,其色蒼,十二芒;蒼比伐左肩,赤比心,黃比(闕)大角,黑比奎大星。”巫咸曰:“歲星色青白如灰,主有憂;期五月,兵獄大起,青多為獄,白多為兵,青白等,兵獄並起。”《海中占》曰:“歲星色黃,得地。”《焦貢》曰:“歲星主歲,色黃澤,有年;赤而黑,無年。”《天官書》曰:“歲星色黃赤而沉,所居野大穰。”
甘氏がいう、歳星を観測するは春季に在り・甲日・乙日に在りて行うを要す、この時木気は正しく旺盛に当たり、星の色は当にその平常の本色に合すべし、一旦変異すれば、則ちそれの本位を失えりを説明す。甘氏またいう、歳星の形色は角宿の左星のごとき様にして、顔色は蒼青にして、十二道の芒あり。蒼色を論ずれば参宿の伐星の旁の左肩星に比ぶ可く、赤色を論ずれば心宿の大星に比ぶ可く、黄色を論ずれば(ここ原書は一字を缺く)大角星に比ぶ可く、黒色を論ずれば奎宿の大星に比ぶ可し——これ恒星をもって標準と為して行星の顔色を比対するの办法なり。巫咸がいう、歳星が青白色を呈して灰のごときは、憂患あるを主り、期は五か月に応じ、兵事と刑獄とが大いに起こらん。青色多ければ則ち刑獄を主り、白色多ければ則ち兵事を主り、青白が相當すれば則ち兵事・刑獄は一斉に発生す。《海中占》にいう、歳星の色黄なれば、土地を得るを主る。《焦貢》にいう、歳星は年成を主管し、色黄にして潤沢なれば、則ち好収成あり。色赤にして黒を帯びれば、則ち収成なし。《史記・天官書》にいう、歳星の色は黄赤にして光は沈めば、それの所在する分野の田野は大いに豊収す。
《荊州占》曰:“君有德,則歲星潤澤,光明;君無德,則歲星細小,不明。歲星黃赤潤澤,立竿見影,大熟;人主有喜。歲星始,正月受歲,色赤黃潤,所居之野,大穰;其色黃白,有爵祿之賞也;色正白,人主死,草野素服,諸侯皆戒,當有兵謀,不成;色白而圓,瘁而不光,期三十日,有喪。
《荊州占》にいう、君主に徳あれば、歳星は則ち潤沢・光明す。君主に徳なければ、歳星は則ち細小・晦暗す。歳星の色は黄赤にして潤沢し、明亮にして竿を立つれば則ち影子を照出するに至れば、大豊収を主り、人君に喜慶の事あらん。歳星が一年の始・正月にて一歳の政を接受する時、色は赤黄にして潤沢なれば、それの所在する分野の田野は大いに豊収す。色黄白なれば、則ち爵位・俸禄の封賞あらん。色純白なれば、則ち人君は死し、郷野の人は皆素服を穿き、諸侯は皆戒備し、まさに用兵の図謀あらんも、成功する能わざるなり。色白にして形円なり、光沢は枯槁にして明亮ならざれば、期は三十日に応じ、丧事あらん。
歲星色青白,是其常色,赤則主有憂;色黃,有喜;色白,為旱喪;色黑,多疾病,一曰有水災;歲星色青黑,期六十日,有喪。歲星色黃白,歲穰。歲星色青,圓,為憂;赤,圓,黑,圓,病,不出三十五日,大喪,改服。歲星在春,其色當蒼黃而潤澤,其變而白,秋有喪;變而赤者,夏有兵。歲星赤黃而動,期九十日,兵,若喪:色赤黑,侯王憂。歲星失色而黃,女后持政,期百八十日。失色而青黑,不出百八十日,有大喪。”
歳星が青白色を呈するは、これその常色なり。赤に転ずれば則ち憂患あるを主る。色黄なれば、喜慶あり。色白なれば、旱災と丧事とを主る。色黒なれば、疾病多く、一説には水災を主る。歳星の色青黒なれば、期は六十日に応じ、丧事あらん。歳星の色黄白なれば、この一年は豊収す。歳星の色青にして形円なれば、憂いを主る。色赤にして形円・色黒にして形円なれば、疾病を主り、三十五日を出でずして大丧あり、まさに服色を更換せんとす。歳星が春季に在れば、その色はもと蒼黄にして潤沢なるべし。若し変じて白色と為れば、秋に丧事あり。変じて赤色と為れば、夏に兵事あり。歳星の色は赤黄にして揺動・不定なれば、期は九十日に応じ、兵事あるいは丧事を主る。色赤黒なれば、侯王に憂いあり。歳星が本色を失いて黄に転ずれば、女后の政を当てるを主り、期は一百八十日に応ず。本色を失いて青黒に転ずれば、一百八十日を出でずして、大丧あらん。
《黃帝占》曰:“歲星在東方之宿,色當青色;白而角,有怒;色赤,有兵:色黑,有喪:色黃白,歲大熟。歲星在北方之宿,色當黑白:白而角,有兵;色青,有憂;色白,有怒;色黃白,歲大熟。歲星在西方之宿,色當白,色赤而角,皆為有兵;青為憂,黑為喪,赤有怒,色黃白,歲大熟。歲星在南方之宿,,色當赤;色白而有角,兵:青有憂,若怒:色黑有喜,色黃白,歲大熟。”
《黄帝占》にいう、歳星が東方の七宿に行き到れば、星の色は当に青を発すべし。若し色白にして芒角あれば、震怒の事あるを主る。色赤なれば、兵事あり。色黒なれば、丧事あり。色黄白なれば、この一年は大いに豊収す。歳星が北方の七宿に行き到れば、星の色は当に黒白相兼すべし。若し色白にして芒角あれば、兵事あり。色青なれば、憂患あり。色白なれば、震怒の事あり。色黄白なれば、この一年は大いに豊収す。歳星が西方の七宿に行き到れば、星の色は当に白を発すべし。色赤にして芒角あれば、皆兵事あるを主る。色青は憂いを主り、色黒は丧を主り、色赤は怒を主る。色黄白なれば、この一年は大いに豊収す。歳星が南方の七宿に行き到れば、星の色は当に赤を発すべし。色白にして芒角あれば、兵事を主る。色青は憂いを主り、あるいは震怒を主る。色黒なれば則ち喜慶あり。色黄白なれば、この一年は大いに豊収す。これは歳星の行く所の方位の宿をもって本色の標準と為し、さらにそれの変色するか否かを看て以て吉凶を断ずるなり。
《文曜鉤》曰:“歲星色赤,有角:所居之國昌,人主以武強戰,無芒角,不勝。色赤黃,以反德,豐穰;君臣和合。色青白而赤耀,其國有乖離之謀,大臣發計,主有憂懼。”《鉤命決》曰:“天子失和,則黃龍不見,歲星五角。”巫咸曰:“歲星赤黃角,國有喜。”《海中占》曰:“歲星色蒼黃,吉:赤芒澤,有子孫,喜,立王;黃得地;白,有兵;黑,有德令。”
《文曜鈎》にいう、歳星の色赤にして芒角あれば、それの所在する分野の国家は昌盛し、人君は武力を憑にして強戦・取勝する可し。若し芒角なからば、則ち勝を取る能わざるなり。色赤黄なれば、これ徳性に返帰するの象にして、豊収を主り、君臣は和睦す。色青白にして赤光の閃耀を透出せば、その分野の国に離心・背徳の図謀あり、大臣は陰謀を発動し、君主は因りて憂懼せん。《鈎命決》にいう、天子が中和の政を失えば、黄竜は則ち出現せず、歳星は五道の芒角を生出せん。巫咸がいう、歳星が赤黄にして芒角あれば、国中に喜慶あり。《海中占》にいう、歳星の色蒼黄なれば、これ吉兆なり。赤芒にして潤沢なれば、子孫を生し・喜事あり・君王を冊立するを主る。色黄は土地を得るを主り、色白は兵事あるを主り、色黒は徳を布くの詔令あるを主る。
《荊州占》曰:“歲星東行,前芒短者,欲留之象;不出七日,留。正見南方,芒指卯、酉、子、午者,此王者正也;指西維者,不正也。歲星西行,前芒短者,欲留;不出三日,留。歲星失色,白耀耀圓而揚赤芒,王者誅大臣,期九十日。歲星色青而角,有水功事。歲星色赤,角,則犯我城。歲星角,人主有怒。歲星一角,七寸,外射者;大使、大臣出,期九十日;三角,兵誅,期六十日。歲星三角、芒;傷近臣,誅內將相,期百八十日。歲星五角,王者自出將,兵期百八十日。
《荊州占》にいう、歳星が東行する時、前方の星芒は短に変ずるは、まさに留止せんとするの徴象にして、七天を出でずして則ち停下して動かざらん。歳星が正しく南方に見え、芒角が卯・酉・子・午のこの四正の位を指向するは、君王の政令の端正なるの象なり。西維(西南・西北の維角)の位を指向すれば、則ち端正ならざるなり。歳星が西行する時、前方の星芒は短に変ずるも、同じくまさに留止せんとし、三天を出でずして則ち停下せん。歳星が本色を失い、白光は耀眼・形体は渾円にして赤芒を揚げれば、君王はまさに大臣を誅殺せん、期は九十日に応ず。歳星の色青にして芒角あれば、まさに水を治する工役あらん。歳星の色赤にして芒角あれば、則ち敵兵ありて我が方の城池を進犯せん。歳星が芒角を生出せば、人君に震怒の事あらん。歳星がただ一道の芒角を生じ・長さ七寸にして外に向かい直射せば、則ち大使・大臣ありて出行し、期は九十日に応ず。三道の芒角を生ぜば、則ち兵禍・誅戮あり、期は六十日に応ず。歳星が三角に芒を帯びれば、近臣を傷つけ・朝内の将相を誅殺せんとし、期は一百八十日に応ず。歳星が五道の芒角を生ぜば、君王は親ら出征して将と為り、兵事は期一百八十日に応ず。
歲星留,不行而芒角有長者,是星欲行,候隨;芒角所指,如是從之;其芒南者,星入外宿,王者欲遣大使之邊國,期九十日;芒北入中宿者,是王者在外,欲還也;不出四十日;芒在東者,欲順行也,不出七日;行,是天子欲出,不過五十日,則王者出宮;其芒在西者,欲逆行也;不出七十日,逆行;不出四十日,王者誅大臣。
歳星が留まりて行かず、却って一道の芒角ありて長に変ずるは、これ星のまさに移動せんとするの先兆にして、観測する時はそれに跟いて看るを要す。芒角の指すはいずれの一方か、星は則ちいずれの一方に向かい走る。芒角の南を指すは、これ星のまさに外宿に進入せんとし、君王はまさに大使を派遣して辺地の国に前往せしめんとし、期は九十日に応ず。芒角が北を指してまさに中宿に入らんとするは、これ君王が正しく外面に在りて返回せんことを想い、四十日を出でずして則ち帰り来たらん。芒角が東に在るは、これまさに順行せんとし、七天を出でずして則ち動かん。一旦動き起これば、則ち天子の出行せんことを想うにして、五十日を超過せずして君王は便ち宮を出でん。芒角が西に在るは、これまさに逆行せんとし、七十日を出でずして逆行を開始し、また四十日を出でずして君王はまさに大臣を誅殺せん。
歲星芒邪、角不正;則王者心不正,外邪以應外臣;內邪以應后夫人。歲星有芒、無角;則王者心平,天下安寧,期百八十日。歲星變色,人主有怒;若有芒,角黑,有水;青角,有兵;白角,死喪;若無芒角,有軍戰,不勝。歲星七角又芒者,王者與四方戰,期不出一年。歲星九角又芒者,殺賢人,誅邊將,期一年。”石氏曰:“歲星色白角,哭泣之聲。歲星木用事王東方、無芒角,是王者內弱,威不使臣也。五寸以內曰芒,五寸以上至九寸,曰角。”《天官書》曰:“歲星角,迎角而戰者,不勝。”
歳星の芒は偏斜し・角は端正ならざるは、君王の心術の正しからざるを説明す。斜めに外に向かうは、外朝の臣の身に応ず。斜めに内に向かうは、后妃・夫人の身に応ず。歳星に芒ありて角なきは、君王の心地の平和にして、天下は安寧するを説明し、期は一百八十日に応ず。歳星が変色すれば、人君に震怒の事あり。若し既に芒あり、角はまた黒色を呈せば、水災を主る。青色の角は、兵事を主る。白色の角は、死丧を主る。若し既に芒なくまた角なければ、則ち軍隊ありて交戦して勝を得る能わざらん。歳星が七道の角を生じまた芒を帯びれば、君王はまさに四方と交戦せんとし、期は一年を出でずに応ず。歳星が九道の角を生じまた芒を帯びれば、賢人を殺害し・辺将を誅戮せんとし、期は一年に応ず。石氏がいう、歳星の色白にして角あれば、哭泣の声あらん。歳星が正しく木気の用事し・東方に王と為る時に芒角なからば、君王の内里の虚弱にして、威権は臣下を指使して動かさざるを説明す。芒と角との分別は長短に在り:五寸以内を「芒」と謂い、五寸以上より九寸に至るを「角」と謂う。《史記・天官書》にいう、歳星に角あれば、その角を迎えて出戦する一方は勝を得る能わず、と。
歳星盈縮失行 五
《五行傳》曰:“歲星超舍而前,為盈;退舍而後,為縮;盈其國有兵;縮其國有憂。”《荊州占》曰:“歲星超舍而前,過其所當舍,而宿以上一舍、兩舍、三舍,謂之羸;侯王不寧,不乃天裂;不乃地動。歲星退舍,而後以一舍、二舍、三舍,謂之縮;侯王有戚,其所去,宿國有憂,三年;有兵,若山崩,地動。”《雒書雒罪極》曰:“歲星當居不居,未當去而去,不言,主酷暴。”《詩緯》曰:“歲星無光,進退無常,此仁道失類之應。”《文曜鉤》曰:“歲星所居久,其國有德厚,人主有福,不可加以兵。”
《五行伝》にいう、歳星が応に在るべき宿舍を越過して前へ往くを、「盈」と謂い、後の宿舍に退回るを、「縮」と謂う。盈なれば、則ちその分野の国に兵事あり。縮なれば、則ちその分野の国に憂患あり。《荊州占》にいう、歳星が舍を越えて前行し、それの当に止宿すべき位置を超過して、一舍・両舍・三舍を多く出づるを、これを「贏」と謂い、侯王の安寧を得ざるを主り、天の裂開するか、則ち地の震動するかならん。歳星が舍を退きて落後して一舍・二舍・三舍するを、これを「縮」と謂い、侯王に憂戚あるを主る。それの離れたるあの一宿は、その分野の国に三年の憂患あり、あるいは兵禍あり、あるいは山崩・地動あらん。《雒書雒罪極》にいう、歳星が当に居守すべきに居守せず、離るべからざるに却って離れるは、占辞は肯んじて明言せず、政令の酷烈・暴虐を主る。《詩緯》にいう、歳星が光沢を失去し、進退に常度なきは、これ仁道の失守・同気の相応ずるの験證なり。《文曜鈎》にいう、歳星が一処に停留すること久しきは、その分野の国は徳沢が深厚にして、人君に福あり、これに對して兵を用うる可からず。
石氏曰:“歲星主仁,仁失者,罰出變見於歲星,歲星盈縮,故曰罰出,此失政也;言歲星所以盈縮之宿,乃以仁失,逆春氣之所致也。以其宿,命其國,聖人觀歲星的盈縮之宿,以知仁失之國也。”
石氏がいう、歳星は仁徳を主管し、仁徳に亏あれば、懲罰は則ち変異の形式をもって歳星の上に顕現す。歳星はあるいは超前して盈と為り、あるいは落後して縮と為る、故にこれを「罰出」と謂い、これ政事に失あるの表現なり。いわゆる歳星の盈縮の所在するあの一宿は、正しく人間の仁徳に失あり・春気に違逆して始めて招致するなり。それの所在する宿に按じて対応する分野の国を指認すれば、聖人は歳星の盈縮の落ちて在る星宿を観察して、則ちいずれかの国家が仁徳を失えりを知る能う。
石氏曰:“其國失義,失春政,則歲星羸縮,羸則其下之國有兵,不居;復縮,則其下之國有憂,其將死,國傾敗。又曰歲星當居不居,未當去而去,若居之;又南北東西翔之,搖動不留,名曰六排,皆陰驚其陽,臣下勝其主,人主有大憂,三公之禍,相以所之宿名其官,不舍者懦,強邦去之者,嬖妃;雄動搖者,勢不亡,期在衡。
石氏がいう、一国が道義を失去し・春季に応に行うべき政令を失せば、歳星は則ち贏縮して度を失う:贏なれば、その分野の国に兵事あり、星もまた肯んじて安居せず。転じて縮と為れば、その分野の国に憂患あり、その将帥は死亡し、国家は傾覆・敗亡せん。またいう、歳星が当に居守すべき所を居守せず、離るべからざるに却って離れ、あるいはその位に居守すると雖も、却又々南々北・忽東忽西と飄忽に遊移し、揺動して肯んじて停留せざるを、これを「六排」と謂う。これらは皆陰気の陽気を驚動し、臣下が君主に壓過し、人君に大憂あり、三公に禍あり。いずれかの輔相の身に応ずるに至っては、則ち歳星の往く所の宿の主る官職に按じて指認す。星の肯んじて舍に安まざるは、その人は怯懦なり。強盛の邦より離れ去るは、嬖寵の妃子に応ず。雄健に揺動するは、その勢いは敗亡に至らず、期は斗衡の指す時に落ちて応ず。
(案《左傳》曰:‘魯襄公二十八年,梓慎曰:‘今茲宋鄭其飢乎。’杜預注曰:‘梓慎魯大夫也,’傳曰:‘歲在星紀,而淫於玄枵。’注曰:‘歲,歲星也。星紀在丑、斗牛之次,玄枵在於,虛危之次,明年當在玄枵,今已在玄枵,淫行失次也。’傳曰:‘蛇乘龍,’注曰:‘蛇,玄武之宿,虛危之星,龍,歲星木也,木為青龍,大次出虛危下,為蛇所乘也。’
(原書小注:按ずるに《左伝》の記載に、魯の襄公二十八年、梓慎がいう、今年宋国・鄭国は恐らく飢饉を鬧かさんとす。杜預の注にいう、梓慎は魯国の大夫なり。《左伝》にいう「歳は星紀に在りて、玄枵に淫す」、杜注にいう、「歳」は則ち歳星なり。星紀は丑位に属し、これ斗・牛の所在する星次にして、玄枵は子位に属し、これ虚・危の所在する星次なり。歳星はもと明年に行きて玄枵に至るべきに、如く今已に玄枵に進入せり、これ則ち次を越えて行きて・応に在るべき星次を失えりなり。《左伝》にいう「蛇は龍に乗る」、杜注にいう、蛇は玄武の宿を指し、則ち虚・危の星なり。龍は歳星を指し、歳星は木に属し、木は青龍と為る。青龍はもと自らの星次に在るべきに、如く今却って虚・危の下に出現す、故に蛇に乗せられて上に在りと謂う。
傳曰:‘龍,宋鄭之星也。’注曰:‘歲星本位在東方,東方房心為宋,角亢為鄭,故以龍為宋鄭之星,’傳曰:‘宋鄭必飢,玄枵,虛中也。’注曰:‘玄枵三宿,虛星在其中也。’傳曰:‘玄枵,耗名也,土虛而民耗,不飢何為。鄭裨灶曰:今茲王及楚子皆將死,歲星棄其次,而旅於明年之次,以害鳥帑,周楚惡之。’
小注は続けていう:《左伝》にいう「龍は宋・鄭の星なり」、杜注にいう、歳星の本位は東方に在り、東方の房・心の両宿は宋国の分野、角・亢の両宿は鄭国の分野なり、故に青龍をもって宋・鄭の星と看作す。《左伝》にいう「宋・鄭は必ず飢えん、玄枵は虚中なり」、杜注にいう、玄枵は三宿を包含し、虚宿は正しく当り中に在り。《左伝》にいう、玄枵は耗竭の名にして、土地は空虚にして百姓は耗損す、飢饉を鬧かさざればまた如何せん、と。鄭国の裨竈がいう、今年周王と楚子とは皆まさに死去せんとす、歳星が自らの応に在るべき星次を丢きて、客居して明年の星次の上に至り、南方の朱鳥の尾部を妨害するがゆえなり、周・楚の両国は皆これがために殃を遭らんとす、と。
注曰:‘旅,客處也,歲星棄星紀之次,客在玄枵,歲星所在,其圖有福,失次於此,禍沖在南,南為朱鳥,鳥尾曰帑。鶉火鶉尾,周楚之分,故周王楚子受其咎。’經曰:‘十有二月,甲寅、天王崩,乙未、楚子昭卒,往年,宋鄭皆飢,則梓慎之占,各有其驗也。’)
小注は最後にいう:杜注の解釈に、「旅」は客居の義なり。歳星は星紀の次を丢きて、玄枵に客居す。およそ歳星の所在する分野はもと福あるべきに、如く今ここに次を失えば、禍患は便ちそれと相沖する南方に落つ。南方は朱鳥にして、鳥の尾部を「帑」と謂い、鶉火・鶉尾は正しく周と楚との分野なり、故に周王と楚子とはこの場の咎殃を承受せり。《春秋》の経文の記載に、十二月甲寅の日、周の天王は駕崩し、乙未の日、楚の子昭は去世せり。而して前の一年宋・鄭の両国は皆飢饉を鬧かせり。見るに梓慎の占断は各々皆応験を得たり、と)。
又曰:“歲星去其舍,之他舍;所去失地,所之得地。歲星所居,而徙搖前後左右,人主不安。歲星不得其宿,其國必亡君。”又曰:“歲星修仁,順則喜,逆則怒。”甘氏曰:“歲星所處而不處,其國乃亡;既已處之,又東西去之,其國凶,不可舉事,用兵。歲星出入,不當其次,有天妖見其沖;所去國凶,所之國昌。”《荊州占》曰:“歲星當出不出,而去;其次凶。”《淮南子》曰:“歲星當居而不居,越而之他處,主死,國亡。”
またいう、歳星がもとの宿舍を離れて別の宿舍に前往すれば、それに離れられたる分野は土地を失去し、それに前往せられたる分野は土地を得る。歳星は一処に停留すと雖も、却って前後・左右に遷移・揺動すれば、人君は安寧を得ざらん。歳星が各々その応に在るべき宿を得る能わざれば、その分野の国は必ず国君を失去せんとす。またいう、歳星は仁徳の修明をもって職と為し、人事が和順なればそれは則ち歓喜し、人事が悖逆なればそれは則ち発怒す。甘氏がいう、歳星が当に居処すべき所を居処せざれば、その分野の国はまさに滅亡せんとす。已に居処して下りて、却又々東々西として離れ去れば、その分野の国は凶険にして、大事を舉辦する可からず、兵を動かす可からず。歳星の出没が応に在るべき星次に合せざれば、則ち天妖ありてそれと相沖する方位に顕現せん。それに離れられたる国家は凶、それに前往せられたる国家は昌なり。《荊州占》にいう、歳星が当に出現すべき時に出現せず、反りて離れ去れば、それの主るあの一星次は凶なり。《淮南子》にいう、歳星が当に居守すべきに居守せず、本位を越えて他処に跑り至れば、国君の死・国家の亡を主る。
京氏曰:“樂不興,則歲失行。人君不行仁恩;破胎傷孕。春殺無辜,則星失度;不救,則弟殺兄,臣弒君。”班固曰:“政緩則歲不行,急則過分,逆則占。”郗萌曰:“歲星當移而不移,民有憂;諸侯四流,行不用其道,則凶。”《荊州占》曰:“歲星當居不居,其國失地;未當居而居,其國得地,期九十日。
京氏がいう、礼楽が興らざれば、歳星は則ち常行を失う。人君が仁愛・恩惠を施行せず、胎孕を毀破し・孕育の物を傷害し、春に無辜の人を誅殺すれば、星は則ち常度を失う。さらに挽救を加えざれば、則ち弟弟の兄長を殺し・臣子の君主を弑するの事を出現せん。班固がいう、政事が寛緩なれば、歳星は則ち遅滞して前進せず。政事が急切なれば、それは則ち応に行くべき度分を超過す。政事が悖逆なれば、則ちこれに拠りて占断す。郗萌がいう、歳星が当に移動すべきに移動せざれば、百姓に憂いあり。諸侯が四散・流亡し、運行がその常道を循らざれば、則ち凶兆なり。《荊州占》にいう、歳星が当に居守すべきに居守せざれば、その分野の国は土地を失去す。居守すべからざるに居守せば、その分野の国は土地を得、期は九十日に応ず。
歲星當居其國之宿,而終宿不居其野,亡。歲星未當居而居之,當去而不去,既已去復還居之,皆為有福。歲星行不至所當舍之宿,其國凶。”又曰:“不行其宿,其國必亡君。歲星行不至所當舍之宿,其國凶。”又曰:“不行其宿,其國必亡君。歲星居之安國,安居之;不安國不安。歲星一東一西,害侯王,人主不安;一南一北,害於泰稷,侯王憂;移而北,旱;移而南,大水。”又曰:“南北為貴賤,東西為妖祥。”
歳星はもとある国の分野の宿に居守すべきに、始終として肯んじてあの片の分野に居守せざれば、その国は滅亡す。歳星が居守すべからざるに居守し、離るべきに離れず、已に離れてまた帰り来りて居守するは、これらは皆福あるを主る。歳星が運行してそれの当に止舍すべきあの一宿に到らざれば、その分野の国は凶なり。またいう、それの応に在るべき宿に行き至らざれば、その分野の国は必ず国君を失去す。歳星が運行して当に止舍すべきあの一宿に到らざれば、その分野の国は凶なり。またいう、それの応に在るべき宿に行き至らざれば、その分野の国は必ず国君を失去す(以上の二句は原書に重出す)。歳星の居守して能く国家を安定せしむるは、国家は則ち安し。能く安定せしめざるは、国家は則ち安ならず。歳星が忽ち東に忽ち西にすれば、侯王を妨害し、人君は安ならず。忽ち南に忽ち北にすれば、黍稷の収成を妨害し、侯王に憂いあり。北に向かい移れば、旱を主る。南に向かい移れば、大水を主る。またいう、南北の偏移は貴賤を主り、東西の偏移は妖祥を主る。
《鴻範傳》曰:“佃獵不當,飲食不享,出入不時,及有奸謀;則歲星逆行,變色。”《春秋緯》曰:“好害盛德,則歲星逆行。春政亂者,奪民時,獵野獸,則歲星逆行。”石氏曰:“歲星順行列宿者,天德喜也;所守犯中外官皆吉。有暴貴者,星逆行,不欲犯列宿中外官者,皆誅。歲星逆行,其國不可以興兵;星順,兵宜進;星逆,兵宜退。”《巫咸占》曰:“歲星亂行,五穀不實,草木秋英。”《天鏡》曰:“歲星逆行,不軌;為殃賊。”焦氏曰:“歲星逆三月,二月有害;乃行三舍以上,則為害。”郗萌曰:“歲星之行,當遲而疾,失一次以上至二次,則人主驚走,社稷危亡,天下兵起,民去其土,死者如兵陵。”
《鴻範伝》にいう、田猟が法度に合せず、飲食が祭享の礼に合せず、出入が時節に按らず、および心に奸謀を懐けば、歳星は則ち逆行し・変色せん。《春秋緯》にいう、盛徳の人を戕害するを喜好すれば、歳星は則ち逆行す。春季の政令が紊乱し、百姓の農時を侵奪し、野獣を濫猟せば、歳星もまた逆行す。石氏がいう、歳星が順行して列宿を経過するは、天徳の歓喜の象にして、それの守る所・犯す所の中官・外官の諸星は皆吉にして、還って驟然顕貴する人あらん。星若し逆行せば、則ち更に列宿と中官・外官とを侵犯するに宜しからず、およそそれに犯されたるは、対応する人は皆誅せらるべし。歳星が逆行する時は、その分野の国は兵を興す可からず。星が順行すれば、兵は前進に宜し。星が逆行すれば、兵は退守に宜し。《巫咸占》にいう、歳星の運行が紊乱すれば、五穀は結実せず、草木は秋に到りて反りて花を開かん。《天鏡》にいう、歳星が逆行するは、軌道を循らざるにして、妖を興し乱を作すを主る。焦氏がいう、歳星が逆行して三月に到れば、二月に已に害あり。若し逆行が三舍を超過せば、則ち禍害と為らん。郗萌がいう、歳星の運行はもと遅緩なるべきに却って急速にして、一次を超前して以上より两次に至れば、人君は則ち驚惶・奔走し、社稷は危亡し、天下は兵を起こし、百姓は故土を離れ、死者は堆積して戦後の丘陵のごとくならん。
《荊州占》曰:“歲星犯守錯逆,其國殃咎;若守之滿六十日,災必應。歲星變色、亂行,主無福。”(案《宋書天文志》曰:“晉簡文咸安二年五月,歲星表色如太白,占曰:進退如度,奸邪息,變色亂行,主無福。歲星自於仲夏,當細小而明,此其失常也。又為臣強,七月帝疾甚,詔桓溫曰:少子可輔者,輔之,如不可輔,君自取之。賴侍中王坦之毀手詔,使如王尊輔政事,溫聞之大怒,將誅坦之等,是月帝崩。)
《荊州占》にいう、歳星が侵犯・居守して錯乱・逆行せば、その分野の国に災殃・咎害あり。若し居守して六十日に満てば、災禍は必ず応験せん。歳星が変色・乱行すれば、君主は福なし(原書小注:按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の簡文帝・咸安二年五月、歳星の外呈する顔色は白きこと太白のごとし。占辞にいう、進退が度に合すれば則ち奸邪は平息し、変色・乱行すれば則ち君主は福なし。歳星は仲夏に本と細小にして明亮なるべきに、この時却って常態を失い、また臣下の強盛を主る。七月、簡文帝は病重く、詔を下して桓温に對していう、小児は輔佐する可ければ則ち彼を輔佐し、若し輔佐する可からざれば、汝は自ら帝位を取れ、と。幸いに侍中・王坦之がこの道の手詔を毀壊して、改めて桓温をして「王尊」——当に王導の訛ならん——に依りて輔政の旧例に行事せしめたるに頼る。桓温は聞き聞いた後大いに怒り、王坦之らを誅殺せんと打算せり。則ちこの月、皇帝は駕崩せり、と)。
王者不行春令,興土功,作宮室,築城隍,治溝瀆,而奪民時;百姓怨嗟,則歲星盈當縮,順而逆;水旱不時,當出不出,變為妖慧,所見之邦,大兵起,國破主亡。王者行義,起宗廟,立無後,賑貧窮,存孤寡,省刑獄,賞有功,舉隱伏,禮賢良,發庫藏,罷徭役,寬賦斂,則星順度,無咎矣。
君王が春季に応に行うべき政令を施行せず、反りて大いに土木を興し、宮室を営造し、城池・壕塹を修築し、溝渠を開鑿し、因りて百姓の農時を侵奪し、百姓は怨声道に載れば、歳星は則ち当に盈すべき時に反りて縮し・当に順行すべき時に反りて逆行す。水旱は時を失い、当に出現すべき時に出現せず、変じて妖異の彗孛の象と為り、それの出現する邦国は大兵興起し、国は破れ君は亡ぶ。君王が仁義を施行し、宗廟を興建し、嗣を絶てる人家のために後を立て、貧窮を賑濟し、孤寡を撫恤し、刑獄を減省し、功あるを賞賜し、隠居して未だ仕えざる士を挙用し、賢良を礼遇し、府庫を打ち開きて賑給し、徭役を罷除し、賦税を寛減せば、歳星は則ち度に順いて行き、災禍あることなからん。
人君宰相之治也,春不勸農民耕種,通溝渠,治城郭,而奪民時,百姓怨謗,則歲星盈縮,逆行變色;而天雨不時,有大旱與水;其無救,即天掊出,出則殃起,主農官及用事者憂。君行急,則歲星行陰道,行陰道,多水潦,王者內其心,恩在親威,功臣不錄。歲星行疾而遲,不及其次至二次,人主暗昏,國絕嗣,女后持政,大夫不服,民賊不禁。
人君と宰相とが国政を治理して、春に農民の耕種を勧勉せず・溝渠を疏通せず・城郭を修治せず、反りて農時を侵奪し、百姓は怨憤・毀謗すれば、歳星は則ち盈縮・失度し・逆行・変色せん。天時の雨水は序を失い、大旱あるいは大水を出現す。若し補救を加えざれば、「天掊」の気はまさに出現せんとし、一出現すれば災殃はこれに随いて起こり、農事を主管する官員と権を当て事を用うる人とに皆憂患あらん。君王が施政急切なれば、歳星は則ち陰道を走る。陰道を走れば則ち水涝多く、この時君王は心思は内に向かい、恩沢はただ親戚に及ぶのみにして、功臣は錄用を得る能わざらん。歳星はもと行くこと快きべきに行くこと慢くして、それの応に在るべき星次に趕き上げる能わず、以致って落後して两次の多きに至れば、人君の昏昧・不明・国家の嗣を絶ち・女后の政を当て・大夫の服せず・民を害する賊の禁止し止まらざるを主る。
歲星逆行,變色,其國逐功臣,殺太子,人主以妾為妻,內亂親戚。歲星逆行,不可以戰,色其所去國,五穀皆貴。君治逆,則歲星逆,逆行入陰道者,內事逆,逆行入陽道者,外事逆;君治逆不止,則星逆行不止。”《海中占》曰:“主好陰謀,侵凌諸侯,急兵革;則歲星逆行。”
歳星が逆行して変色せば、その分野の国は功臣を駆逐し・太子を殺害し、人君は妾をもって妻と為し、親族との間に内乱を発生せん。歳星が逆行する時は出戦する可からず。それの離れ去るあの分野の国を看れば、五穀は皆価を漲さん。君王が政を治むること悖逆なれば、歳星は則ち逆行す。逆行して陰道に進入するは、宮内の事の悖逆なり。逆行して陽道に進入するは、外朝の事の悖逆なり。君王の悖逆が止まざれば、星の逆行もまた止まざるなり。《海中占》にいう、君主が陰謀を喜好し、諸侯を欺凌し、急いで兵革を動用すれば、歳星は則ち逆行せん。
歳星昼見 六
甘氏曰:“歲星晝見,臣謀其主,國相有憂及死,有白衣事。”(《宋書天文志》曰:“晉惠帝永寧二年四月癸酉,歲星晝見。占曰:為臣強。初齊王冏定京都,因留輔政,遂專傲無君。十二月,成都、河間、長沙王乂討之,交戰及焚宮闕,國兵敗,夷滅之,殺其兄上軍將軍萛以下二十餘人。)《晉陽秋》曰:“孝武太元十一年六月甲午,歲星晝見,在胃。占曰:‘魯有兵,臣強。’十二月,慕容釗寇河東,崔遼使子寇、陳穎、朱序遣討之,釗走渡河。”
甘氏がいう、歳星が白昼に見ゆるは、臣子の君主を図謀し・国相に憂患あり甚だしきは死亡し・「白衣の事」ありて則ち丧事あるを主る(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、晋の恵帝・永寧二年四月癸酉の日、歳星は白昼に見ゆ。占辞にいう、これは臣下の強盛の象なり。当初斉王・司馬冏は京都を平定し、因りて朝中に留まりて輔政し、ここにおいて専横・傲慢にして君上を目に置かざりき。十二月、成都王・河間王と長沙王・司馬乂とは兵を起こして彼を討伐し、双方は交戦して宮闕を焚燒し、斉王の軍隊は戦敗れて、その族を夷滅せられ、彼の兄・上軍将軍・司馬萛以下二十余人を連れて一併に殺されき、と)。《晋陽秋》にいう、孝武帝・太元十一年六月甲午の日、歳星は白昼に見え、位は胃宿に在り。占辞にいう、魯地に兵事あり、臣下は強盛す。この年十二月、慕容釗は河東を侵擾し、崔遼はその子を派して陳穎・朱序らと奉命して前往りて討伐せしめ(この句の原書の文字には訛脱あり)、慕容釗は敗走して黄河を渡りて去れり。
歳星変異大小 七
《龍魚河圖》曰:“夫歲星主德慶,其神下為大乙之神。”巫咸曰:“歲星下為壯男,止於田野。”《漢武故事》曰:“西王母遣使謂上曰:“求仙而先殺戮,吾與帝絕矣;又致三桃,食此可得極壽;使至之日,東方朔死。上疑之,問;使者曰:‘朔是木帝精,為歲星下游人中,以觀天下,非陛下臣也。’上厚葬之。一本云:朔死,乘雲飛去,仰望大霧,望之不知所在。朔在漢朝,天上無歲星。”
《龍魚河図》にいう、歳星は徳沢と喜慶とを主管し、それの星神が人間に下降するは則ち太乙の神なり。巫咸がいう、歳星が人間に下降して強壮の男子に化作し、田野の間に止息す。《漢武故事》にいう、西王母は使者を派して漢武帝に對していう、仙を求め道を問いて而して先に殺戮を行うは、我は皇帝と此より往来を断絶す、と。使者はまた三枚の仙桃を送り来りて、食らえば寿数を極尽する可しと謂う。使者の到来するあの日、東方朔は死せり。武帝は心に疑惑を生じて、追問して縁由を問えば、使者がいう、東方朔はもと木帝の精気の化する所にして、歳星の下降して人間を遊歴し・借りて以て天下を観察するなり、併せて陛下の臣子に非ざるなり、と。武帝はここにおいて彼を厚葬せり。別の一种の本子にいう、東方朔は死後雲に乗りて飛去し、人々は仰ぎ望みて一片の大霧を見て、再看すれば則ち彼の何処に在るかを知らざりき。東方朔の漢朝に在るあれらの年里に、天上は歳星を見ざりき、と。
《二十八宿山經注》曰:“歲星為四慧,出於奎、婁,則邦豐熟,和平。”《考靈耀》曰:“政失於春,負星滿偃,不居春常。”石氏曰:“歲星德也,人主之象;其角反動,乍小乍大,若色數變,人主有怒。”又《天官書》曰:“人主有憂。”巫咸曰:“歲星大其常,且賦斂不常,民飢。歲星小,民且多疾,牛馬疫死。”《天官書》曰:“歲星大,即為嘉。”《荊州占》曰:“歲星始出大,而日愈小者,所居之國耗。歲星始出小,而日愈大者,所居之國利。歲星行宿,大而明,內實,天下安寧;小而內虛,其國不安,主有憂。”
《二十八宿山経注》にいう、歳星が化して四道の彗芒と為り、奎宿・婁宿に出現せば、則ち邦国は五穀豊熟・天下和平ならん。《考霊耀》にいう、春季の政令に失あれば、歳星は則ち気を負いて偃伏し、その春に応に在るべき常位に安居せざらん。石氏がいう、歳星は徳を主り、人君の象徴なり。それの芒角が反常に顫動し、忽ち小に忽ち大にし、あるいは顔色が屡屡変化すれば、人君に震怒の事あらん。《史記・天官書》は則ちこれは人君に憂いあるを主ると謂う。巫咸がいう、歳星が平常より大なるは、賦税・徴斂に常法なきを主り、百姓は飢困す。歳星が平常より小なるは、百姓の疾病多く・牛馬の瘟疫に遭いて死するを主る。《天官書》にいう、歳星が大に顕れるは、則ち嘉美の兆なり。《荊州占》にいう、歳星の初出の時大にして、後に一日比じて一日小さければ、それの所在する分野の国家は損耗す。歳星の初出の時小にして、後に一日比じて一日大きければ、それの所在する分野の国家は利を得る。歳星が列宿を経行して、形体は大にして明亮・内里は充実なれば、天下は安寧す。形体は小にして内里空虚なれば、その分野の国は安ならず、君主に憂いあり。
歳星流與列星畫入
甘氏曰:“歲星流,主死,失地。”巫咸曰:“歲星沉浮,國亡,有土功爭;又曰有憂,沉,數日不見,國亡;乍見乍不見,國憂喪。”《天官書》曰:“歲星出,如浮而沉,其國有土功;如沉而浮,其野亡;浮者見之,沉者伏之。”《荊州占》曰:歲星變色,逆行,相凌而斗;舍合留;舍環守;其國無道。”
甘氏がいう、歳星が流移して定まらざれば、君主の死亡・国家の土地を失去するを主る。巫咸がいう、歳星が忽ち沈み忽ち浮かぶは、国家の滅亡を主り、土木の工程の争いあり。一説には憂患あるを主る。それが沈み下りて連なる数日見えざれば、国家は滅亡す。忽ち隠れ忽ち現るれば、国に憂患・丧事あり。《史記・天官書》にいう、歳星が出現する時、看すに似て浮起して後に沈降せば、その分野の国に土木の功あり。看すに似て沈伏して後に浮起せば、その分野の地は滅亡す——いわゆる浮とは、顕現するを指し、いわゆる沈とは、隠伏して見えざるを指す。《荊州占》にいう、歳星が変色・逆行し、他星と相凌して争闘い、あるいは同舍して相合し停留し、あるいは一舍の内にて環繞・守候するは、皆その分野の国の政治の無道を主る。
歳星穰気自暈 九
《黃帝占》曰:“歲星生氣而為青穰者,明日大寒小雨;見此者,賁魚鹽貴,不出三旬。”《孝經內記》曰:“歲星生氣為青穰者,明日大寒小雨;見此者魚鹽大貴,不出三旬,皆可再倍;貴不過二十日止,所見之國,傷苗少實。天下有一歲十飢見者,不出其年,富民從其故鄉,王者不安,大臣坐事,不出二年,天下無布,練貴縑絮四倍,萬民大寒。”郗萌曰:“歲星出,穰長三尺;三日雨,若不雨,大霧。”甘氏曰:“歲星自暈,有喪。”
《黄帝占》にいう、歳星が雲気を生出して青色の「穰気」(星の旁に蒸騰して禾穰のごとき気)を結成すれば、第二天に則ち大寒にして小雨あらん。この種の天象を見れば、魚・塩の価銭は漲さんとし、三十日を出でずして応験せん。《孝経内記》にいう、歳星が気を生じて青穰を結成するは、第二天は大寒にして小雨あり。この種の天象を見れば、魚塩は大いに漲価し、三十日を出でずして、価銭は皆一倍を翻る能し。この種の漲価は二十日を過ぎずして停止す。それの顕現するあの分野の国は、禾苗は傷つけられて結実少なからん。天下若し一年の内に十回饑饉の象を出現せば、この一年を出でずして、富戸は則ち故郷を離れ、君王は安寧を得ず、大臣は事に因りて罪を獲らん。二年を出でずして、天下は布の用うる無く、練帛は価を漲し、縑・絮の価銭は四倍に漲り、万民は厳寒に苦しまん。郗萌がいう、歳星が出現し、穰気の長さ三尺なれば、三天の内に雨を降らさん。若し雨を降らさざれば、則ち大霧を起こさん。甘氏がいう、歳星が自ら光暈を生出すれば、丧事あるを主る。
開元占經 卷二十四
歳星占 二
歳星犯東方七宿
歳星犯角 一
石氏曰:“歲星犯左角,天下之道皆不通;犯右角,天下王使絕滅。”《荊州占》曰:“歲星犯角,天下有兵,將相有憂;犯右角,右將憂。”石氏曰:“歲星入角,天下有兵;其行疾,六十日;行遲,百二十日,遠百八十日。”《黃帝占》曰:“歲星出中道,天下太平;出陽道,旱;出陰道,多雨。”陳卓曰:“歲星出陰道,多陰謀。”甘氏曰:“歲星逆行入角,人主出入不時,若有急事,千里之行;一曰女子多死。”《孝經右秘》曰:“歲星在角,天下大病。”
角宿は東方の蒼龍七宿の首にして、左角・右角の二星は天門のごとく、その分野は鄭地に在り。石氏がいう、歳星が左角を侵犯すれば、天下の道路は皆通暢せず。右角を侵犯すれば、天下の君王の使者は断絶せん。《荊州占》にいう、歳星が角を犯せば、天下に兵事あり、将相に憂いあり。右角を犯せば、右将に憂いあり。石氏がいう、歳星が角宿に進入すれば、天下に兵事あり。歳星の行くこと快ければ、期は六十日に応ず。行くこと慢ければ、期は一百二十日に応じ、遠ければ一百八十日なり。《黄帝占》にいう、歳星が中道を走れば、天下は太平す。陽道(黄道以南)を走れば、旱を主る。陰道(黄道以北)を走れば、多雨を主る。陳卓がいう、歳星が陰道を走れば、陰謀の事多からん。甘氏がいう、歳星が逆行して角宿に進入せば、人君の出入に定時なく、あるいは緊急の事故ありて、千里の行を作すを要す。一説には女子の死多きを主る。《孝経右秘》にいう、歳星が角宿に停まれば、天下大疫す。
石氏曰:“歲星乘左角,法官誅;乘右角,大將軍死。”郗萌曰:“歲星乘左角,為旱;乘右角,為水,為兵。”《荊州占》曰:“歲星乘右角,為后族家,若將相有坐法死者。”郗萌曰:“歲星居角,歲大熟。”又占曰:“歲星守角,為中兵;留兩角間,關梁不通,軍有興國,延邊城,境不通。”石氏曰:“歲星出入,留舍角,角為天田,歲星來入守之,其國五穀大熟,絲綿為平民大樂;守之百日不下,國有兵。”
石氏がいう、歳星が左角を凌乗すれば、刑法を掌る官員は誅せらるる。右角を凌乗すれば、大将軍は死せん。郗萌がいう、歳星が左角を凌乗すれば、旱を主る。右角を凌乗すれば、水災を主り・兵事を主る。《荊州占》にいう、歳星が右角を凌乗すれば、后妃の族家に応じ、あるいは将相ありて法令に触犯して以て死せん。郗萌がいう、歳星が角宿に居守すれば、この一年は大いに豊収せん。別の一条の占辞にいう、歳星が角を守れば、京師の内に兵あるを主る。左右の両角の間に停留せば、則ち関卡・橋梁は通ぜず、軍隊は国中に興起し、辺城に蔓延し、辺境の交通は断絶せん。石氏がいう、歳星が出入して角宿に留宿すれば——角宿の旁に「天田」の星あり、農事を主る——歳星が前来りて入守すれば、その分野の国は五穀大いに熟し、絲綿は価平らかにして、百姓は大いに安楽せん。若し守候して一百日にして去らざれば、その国は則ち兵事あらん。
又占曰:“歲星守角中,五穀成熟,歲平安樂;守之百日,兵起。”又占曰:“歲星守右角十六日,君命眾子。”又占曰:“歲星守左角七日,朝去國有憂;去一尺七寸,天下同心。”甘氏曰:“歲星守角,王者大赦,忠臣用。”《海中占》曰:“歲星守左右角,其色黃白,小旱;民小厲。其逆行,即旱;其還,立雨;糴如故。又占曰:歲星犯左右角,逆行為旱,五穀不收。又占曰:歲星守角,一南一北,宜黍與稷。”
別の一条の占辞にいう、歳星が両角の中に守れば、五穀は成熟し、年成は平安・歓楽なり。若し守すること一百日に満てば、則ち兵事の興起あらん。またいう、歳星が右角を守ること十六日なれば、君主はまさに衆位の王子に授命・封職せんとす。またいう、歳星が左角を守ること七天して早晨に去れば、その国に憂いあり。一尺七寸を離れれば、則ち天下は同心せん。甘氏がいう、歳星が角を守れば、君王は天下を大赦し、忠臣は任用せられん。《海中占》にいう、歳星が左右角を守り、星の色黄白なれば、小旱を主り、百姓に軽微の疫病あらん。それ若し逆行せば、隨いて乾旱す。それ若し回還せば、立刻に雨を降り、粮価は旧に照らす。別の一条の占辞にいう、歳星が左右角を侵犯し、逆行は旱を主り、五穀は収せず。またいう、歳星が角を守り、一會兒南に偏し一會兒北に偏すれば、黍と稷とを種るに宜し。
郗萌曰:“歲星守左右角,赦。一曰過十餘日,有赦不盡。又占曰:歲星守角處,其北五穀不收。又占曰:“歲星守角,政事急,有千里之行。又占曰:歲星守角為兵,傷大臣。”《荊州占》曰:“歲星守右角,有大德令,期八十日。又占曰:歲星守右角處,其北五穀半收;守左角處,其南及守天田,有大水,五穀不成,大飢,人相食。”石氏曰:“歲星犯乘守左角,七日以上,天下大赦;守右角,賢士用,期七十日。”郗萌曰:“歲星逆乘陵左右角,其為日蝕,國有憂。又占曰:歲星犯天庭,臣為亂。又占曰:歲星守犯陵右角,為禍咎。又占曰:歲星舍,若食角,女子多死。”
郗萌がいう、歳星が左右角を守れば、赦免を主る。一説には十数日を過ぎて、赦令ありと雖も赦は徹底せざるなり。別の一条の占辞にいう、歳星が角を守りてその北に偏せば、五穀は収せず。またいう、歳星が角を守れば、政事は急迫にして、千里の行あらん。またいう、歳星が角を守れば兵事を主り、大臣を傷つくるを会せん。《荊州占》にいう、歳星が右角を守れば、大いに恩徳を布くの詔令あり、期は八十日に応ず。別の一条の占辞にいう、歳星が右角を守りてその北に偏せば、五穀はただ半を収む。左角を守りてその南に偏し、および天田の星に守れば、皆大水あるを主り、五穀は成らず、大饑饉、人は人を食らわん。石氏がいう、歳星が侵犯・凌乗あるいは左角を守候すること七天以上なれば、天下は大赦す。右角を守れば、則ち賢士は任用せられ、期は七十日に応ず。郗萌がいう、歳星が逆行・凌乗・欺陵して左右角するは、日食の発生し・国に憂患あるを会せん。別の一条の占辞にいう、歳星が天庭の星を侵犯すれば、臣下は乱を作す。またいう、歳星が侵犯・守候・欺陵して右角するは、禍患・咎害を主る。またいう、歳星が角宿に止舍し、あるいは角星を掩食せば、女子の死多きを主る。
歳星犯亢 二
石氏曰:“歲星犯亢,天子之座則敗於君。又曰:歲星數入亢,其國疾疫。”巫咸曰:“歲星入亢歲有旱,絲綿貴;若守之三十日以上,有兵起,其年飢,人相食。”郗萌曰:“歲星入亢,行疾,國君受弔;有大飛蟲,驚動人心,期在百五十日。其行遲,至難期二百五十日中。又占曰:歲星逆行亢,其君不親政事,朝延多非其人。”石氏曰:“歲星經亢朝鄭,國有兵。”《春秋圖》曰:“歲星之亢,其年大熟,絲絮大貴。”
亢宿は蒼龍七宿の第二宿にして、天子の朝廷を主り、分野もまた鄭地に在り。石氏がいう、歳星が亢宿を侵犯すれば、亢宿は天子の宝座を象徴し、君主は因りて受損せん。またいう、歳星が屢々亢宿に進入すれば、その分野の国に疫病あらん。巫咸がいう、歳星が亢宿に進入せば、この一年に旱情あり、絲綿は価を漲さん。若し守候して三十日以上なれば、則ち兵事の興起あり、あの一年は饑饉、人は人を食らわん。郗萌がいう、歳星が亢宿に進入して、若し行くこと快ければ、国君はまさに弔唁を接受せんとす。また大批の飛虫ありて人心を驚動し、期は一百五十日に在りて応ず。若し行くこと慢ければ、則ち遅く至りて二百五十日の内を要せん。別の一条の占辞にいう、歳星が亢宿にて逆行すれば、国君は政事を親理せず、朝廷の上は多くは職に称わざる人なり。石氏がいう、歳星が亢宿を経過して鄭地の分野に朝向せば、あの国は兵事あらん。《春秋図》にいう、歳星が亢宿に行き到れば、この一年は大いに豊収し、絲絮は大いに価を漲さん。
郗萌曰:“歲星入亢,或東或西,去亢一尺若三尺,地大動,期戊己食時。”陳卓曰:“歲星乘亢右星,穀物滅左星,天下有奇令。又占曰:歲星舍亢,為歲小有水。”《黃帝占》曰:“歲星舍亢,南地動。”郗萌曰:“歲星出入留舍亢六十日,不下十月,有兵進來,守之,兵不用;國有名者死,退而守之,有客上來者,期十月。又占曰:歲星有留延中,為天下憂。”
郗萌がいう、歳星が亢宿に進入して、あるいは東に偏しあるいは西に偏し、亢宿を離れること一尺あるいは三尺なれば、大地震ありて、期は戊日・己日の食時(早飯の時分)に在りて応ず。陳卓がいう、歳星が亢宿の右星を凌乗すれば、穀物は受損す。左星を掩滅せば、天下は非常の詔令あらん。別の一条の占辞にいう、歳星が亢宿に止舍せば、この一年は略しく水患あらん。《黄帝占》にいう、歳星が亢宿に止舍せば、南方に地震あらん。郗萌がいう、歳星が出入・留宿して亢宿に在ること六十日に達し、かつ十か月の久しきに下らざれば、敵兵の進犯あらん。若しそれが守りて動かざれば、兵事は反りて発動せざらん。国中に名望ある人の死亡あらん。若しそれが退行して後に守候せば、則ち遠客の到来あり、期は十か月に応ず。別の一条の占辞にいう、歳星が久留・延宕して亢宿の中に在るは、天下の憂患なり。
石氏曰:“歲星守亢,年大熟,天下有大令,國有忠臣;若守之去一尺七寸,星隕。又占曰:歲星守亢下,田豐魚十倍。又占曰:歲星過亢處,其南,其歲地動;處其東,狗生妖;處其北,米大貴,有多徙;處其西,馬生妖;守東,羊生妖若狗生妖也。又占曰:歲星守亢,有小兵。”
石氏がいう、歳星が亢宿を守れば、この一年は大いに豊収し、天下に重大の詔令あり、国中は忠臣を出さん。若し守候の後に一尺七寸を離れ去れば、隕星の墜落するを会せん。別の一条の占辞にいう、歳星が亢宿の下に守れば、田地は豊収し、魚産は十倍に増至せん。またいう、歳星が亢宿を越過してその南辺に停まれば、この一年に地震あり。その東辺に停まれば、狗は怪胎を生出せん。その北辺に停まれば、米価は大いに漲り、百姓は遷徙多からん。その西辺に停まれば、馬は怪胎を生出せん。東辺に守れば、則ち羊は怪胎を生じあるいは狗は怪胎を生ぜん。またいう、歳星が亢宿を守れば、小規模の兵事あらん。
《海中占》曰:“歲星守亢,為地動。又占曰:歲星守亢,王者有德令,禾稼熟。又曰封侯有小話,國君受弔,飛蟲六畜,生非其類,為妖;有小賊,民多流亡,期百五十日,若一年。又曰居亢,歲旱。”郗萌曰:“歲星守亢,天子大令,國用忠臣,其守七日以上至四十日,國徵大賢,王者更政號,期百五十日;一曰大赦,使行九州。”陳卓曰:“歲星犯天府,邊臣為亂。”郗萌曰:“歲星守亢左星,為瞧旱不生;一曰多蟲蝗;守右星,五穀以水傷敗;一曰大兵,百二十日。”又曰:“歲星守亢十日而去,國大豐,穰庫倉餘。”《黃帝占》曰:“歲星逆行,守亢,為中兵。”甘氏曰:“歲星犯守亢,逆行,失兵明色,王不用事。”
《海中占》にいう、歳星が亢宿を守れば、地震を主る。別の一条の占辞にいう、歳星が亢を守れば、君王は徳を布くの詔令を発布し、禾稼は成熟せん。またいう、侯を封ずるの事に小小の議論ありて、国君はまさに弔唁を接受せんとす。飛虫と六畜とが本類に合わざる怪胎を生出するは、皆妖異なり。また小股の盗賊ありて、百姓は流亡多く、期は一百五十日に応じ、あるいは一年なり。またいう、歳星が亢宿に居守すれば、この一年は乾旱す。郗萌がいう、歳星が亢を守れば、天子は重大の詔令を頒下し、国家は忠臣を任用せん。若し守候すること七天以上より四十日に至れば、国家は大賢を徴召し、君王は政令・名号を更改し、期は一百五十日に応ず。一説には大赦を主り、使を遣わして九州を通行せしむ。陳卓がいう、歳星が天府の星を侵犯すれば、辺地の臣は乱を作す。郗萌がいう、歳星が亢宿の左星を守れば、焦旱にして草木の生ぜざるを主り、一説には虫蝗多きを主る。右星を守れば、五穀は水に淹壊せられ、一説には大兵を主り、期は一百二十日に応ず。またいう、歳星が亢宿を守ること十日にして去れば、国家は大いに豊収し、府庫・倉廩に余粮あらん。《黄帝占》にいう、歳星が逆行して亢宿を守れば、京師の内に兵あるを主る。甘氏がいう、歳星が侵犯・守候して亢宿しまた逆行せば、兵象と星色とは皆光明を失去し、君王は権を当て事を理する能わざらん。
歳星犯氐 三
石氏曰:“歲星犯氐,國無儲。”《荊州占》曰:“歲星犯氐左星,左中郎將誅死;犯右星,右中郎將誅死,皆期三年。”郗萌曰:“歲星入氐,不出其年,有赦。又占曰:歲星逆行氐,其君治宮室過制度。”《黃帝占》曰:“歲星之氐,其歲熟,賤人有病。”郗萌曰:“歲星乘氐之右星,天下有大水,大兵;乘氏之左星,天子有自將兵於野。”《海中占》曰:“歲星居氐,五穀以旱傷。”郗萌曰:“歲星處氐西,歲多飢傷;北,有小賊,貴人多徙,牛多死,其肉殺人,南,觀多死,民多寒熱疾。”
氐宿は蒼龍七宿の第三宿にして、天子の内宮・寝殿を象徴し、分野は宋地に在り。石氏がいう、歳星が氐宿を侵犯すれば、国家は儲蓄なし。《荊州占》にいう、歳星が氐宿の左星を侵犯すれば、左中郎将は誅殺せらるる。右星を侵犯すれば、右中郎将は誅殺せられ、期は皆三年に応ず。郗萌がいう、歳星が氐宿に進入せば、この一年を出でずして赦令あらん。別の一条の占辞にいう、歳星が氐宿にて逆行すれば、国君は宮室を営造して応有の制度を超過せん。《黄帝占》にいう、歳星が氐宿に行き到れば、この一年は豊収し、地位卑賤の人に疾病あらん。郗萌がいう、歳星が氐宿の右星を凌乗すれば、天下に大水・大兵あらん。氐宿の左星を凌乗すれば、天子はまさに親ら兵を領して野外に出征せんとす。《海中占》にいう、歳星が氐宿に居守せば、五穀は旱に因りて受損せん。郗萌がいう、歳星が氐宿の西に停まれば、この一年は饑饉・損傷多からん。北辺に停まれば、小股の盗賊あり、貴人は遷徙多く、牛は死多く、それの肉を食らえば人を毒殺せん。南辺に停まれば、宮観・楼台は毀壞多く、百姓は寒熱の疾を患うる多からん。
石氏曰:“歲星出入留舍氐者,天庫之星也;其國有急令,其歲則太平;還而守之,其國以兵致天下。又占曰:“歲星守氐,孽妾有喜者;或與月合在氐,而暈不出,四十日有千令。又占曰:歲星守氐,王者立后,期八十日。”甘氏曰:“歲星守氐,君有喜,若拜後,不出九十日;又曰皇后喜。”巫咸曰:“歲星守氐,國大飢,人民流亡。又占曰:歲星守氐,為民多疾病。”郗萌曰:“歲星守氐南,其年地動。又占曰:歲星守氐,逆行;其君不居其宮。”
石氏がいう、歳星が出入・留宿して氐宿に在れば——氐宿はまた天庫の星なり——その分野の国に緊急の詔令あり、あの一年は却って太平なり。若し歳星が回還して再来りて守候せば、その国はまさに武力を憑にして天下を帰附せしめんとす。別の一条の占辞にいう、歳星が氐宿を守れば、庶出の妾室に喜あり。あるいは歳星と月亮とが氐宿に同會して光暈が散ぜざれば、四十日の内に重大の詔令あらん。またいう、歳星が氐を守れば、君王は皇后を冊立し、期は八十日に応ず。甘氏がいう、歳星が氐を守れば、君主に喜慶あり、あるいは皇后を冊拜し、九十日を出でず。またいう、皇后に喜あるを主る。巫咸がいう、歳星が氐を守れば、国中は大いに饑饉し、百姓は流亡す。別の一条の占辞にいう、歳星が氐を守れば、百姓の疾病多きを主る。郗萌がいう、歳星が氐宿の南に守れば、この一年に地震あり。またいう、歳星が氐を守りて逆行せば、国君はその宮中に安居する能わざらん。
《荊州占》曰:“歲星守氐,諸侯人君有來入宮者,其行疾,期六十日;其行遲,百二十二日。”(案《宋書天文志》曰:宋後廢帝元徽三年十月丙戍,歲星入氐,五年七月,廢帝隕、安成王入纂皇統,後三年,齊受禪。)又占曰:“歲星守氐,為后夫人憂;謂東行反還,去兩星二尺,期一百二十日;去兩星一尺,期六十日;與兩星齊,期二十日;以赦解之。”陳卓曰:“歲星守氐,五穀蟲蝗,萬物不成。”《海中占》曰:“歲星守犯氐,成鉤已環繞之,其國飢,人君失時,政令不行。”。
《荊州占》にいう、歳星が氐宿を守れば、諸侯あるいは国君ありて前来りて宮に入らん。歳星の行くこと快ければ、期は六十日に応じ、行くこと慢ければ、期は一百二十二日に応ず(原書小注:按ずるに《宋書・天文志》の記載に、宋の後廃帝・元徽三年十月丙戌の日、歳星は氐宿に進入せり。元徽五年七月、後廃帝は弑せられ、安成王は入りて帝位を継ぎ、此より後三年、蕭斉は禅譲を接受せり、と)。別の一条の占辞にいう、歳星が氐を守れば、后妃・夫人に憂いあるを主る。指す所は歳星の東行の後また折回りて、氐宿の両星を離れること二尺なれば、期は一百二十日に応ず。両星を離れること一尺なれば、期は六十日に応ず。両星と併斉すれば、期は二十日に応ず。大赦をもって以て化解する可し。陳卓がいう、歳星が氐宿を守れば、五穀は虫蝗を生じ、万物は成らざらん。《海中占》にいう、歳星が守候・侵犯して氐宿し、行跡は曲がりて鉤のごとくしてその間に環繞せば、その分野の国は饑饉し、人君は農時を錯失し、政令は推行して下らざらん。
歳星犯房 四
石氏曰:“歲星犯房,太子之身,居其所避之,九十日。”郗萌曰:“歲星入房三道,為天子有子。又占曰:歲星入房,十日成鉤已者,為天子惡之,以赦解之;又曰為后夫人喪,過房東行,復還反也。又占曰:歲星入房,更令;期百二十日。”《荊州占》曰:“歲星入房,五穀豐,治太平,民無疾殃,有德令,期四月。”
房宿の四星はまた天駟と称し、これ天子の政を布くの明堂にして、四星の間に南・中・北の三条の通道あり、分野は宋に属す。石氏がいう、歳星が房宿を侵犯すれば、太子本人の身に応ず。歳星がその位に居れば、太子は当に回避すべし、期は九十日に応ず。郗萌がいう、歳星が房宿の三道の間に進入すれば、天子の子を生むを主る。別の一条の占辞にいう、歳星が房宿に進入し、十日の内に行跡が曲がりて鉤のごときは、天子の厭惡する所の天象にして、大赦をもって以て化解する可し。一説には后妃・夫人に丧あるを主り、指す所は歳星が房宿を越過して東行の後また折返して来たるなり。またいう、歳星が房宿に進入せば、政令の更改を主り、期は一百二十日に応ず。《荊州占》にいう、歳星が房宿に進入せば、五穀は豊収し、政治は太平にして、百姓は疾病・災殃なく、徳を布くの詔令あり、期は四か月に応ず。
郗萌曰:“歲星居房南,歲多旱,五穀以旱傷;居房北,多水,五穀以水傷;又曰在房北,為大水,其國舟楫相望。又占曰:歲星處房南,民多寒熱病,處房北,牛多死,其肉殺人;東,馬多死;西,飢傷。”《黃帝占》曰:“歲星舍房,玄色不明,有喪;又曰大水。”郗萌曰:“歲星與房合,兵戰滿野;又曰有白衣之會。”《荊州占》曰:“歲星中犯陵房,國君憂,色青、憂喪;色赤、憂兵,積尸成山;色黑、有將相朱;色白,有芒角,大哭。”
郗萌がいう、歳星が房宿の南に居れば、この一年は旱多く、五穀は旱に因りて受損せん。房宿の北に居れば、水多く、五穀は水に因りて受損せん。またいう、歳星が房宿の北に在れば、大水を主り、その分野の国は船只は往来して相望まん。別の一条の占辞にいう、歳星が房宿の南に停まれば、百姓は寒熱の病を患うる多からん。房宿の北に停まれば、牛は死多く、それの肉を食らえば人を毒殺せん。東辺に停まれば、馬は死多からん。西辺に停まれば、饑饉の傷あらん。《黄帝占》にいう、歳星が房宿に止舍し、色沢は深黒にして明亮ならざれば、丧事あるを主る。一説には大水を主る。郗萌がいう、歳星と房宿とが相合すれば、兵戦の遍野を主る。一説には丧事の聚會あらん。《荊州占》にいう、歳星が中間より侵犯・欺陵して房宿すれば、国君に憂いあり。星の色青なれば、憂いは丧事に在り。色赤なれば、憂いは兵事に在り、屍を積みて山と成さん。色黒なれば、将相に誅戮の禍あらん。色白にして芒角を帯びれば、挙国の大哭を主る。
《黃帝占》曰:“歲星守房,七日不出,有崩王;十五日不出,兵大起。”石氏曰:“歲星守房,有白衣會,發男也。”又占曰:“歲星守房,其國多禍殃,吏民相傷,大臣將滿道而行。”又占曰:“歲星守房,為大人憂,以赦解之。”又占曰:“歲星守房,在南,牛馬無馯縻。又占曰:歲星守房,五穀豐熟。”甘氏曰:“歲星守房,天下和平。”《海中占》曰:“歲星守房,他國有獻馬者,魚鹽十倍。”
《黄帝占》にいう、歳星が房宿を守りて七天離れざれば、君王の駕崩あらん。十五日離れざれば、兵事は大いに起こらん。石氏がいう、歳星が房宿を守れば、丧事の聚會あり、還って男丁を徴発せん。別の一条の占辞にいう、歳星が房宿を守れば、その分野の国は禍殃多く、官吏と百姓とは互相に傷害し、大臣は路に満ちて奔走せん。またいう、歳星が房宿を守れば、貴人に憂いあるを主り、大赦をもって以て化解する可し。またいう、歳星が房宿を守りて南辺に偏せば、牛馬は羈絆・籠頭を用いずとも走失せざるなり。またいう、歳星が房宿を守れば、五穀は豊熟せん。甘氏がいう、歳星が房宿を守れば、天下は和平す。《海中占》にいう、歳星が房宿を守れば、別国に前来りて馬を献ずる者あり、魚塩の価銭は十倍に漲らん。
郗萌曰:“歲星守房,天倉,倉虛空。”又占曰:“歲星守房,為人主,無下堂。”又占曰:“歲星守房,為天下諸侯相謀,慮道不通。”又占曰:“歲星守房,為邊兵發。”又占曰:“歲星守房,為大飢,人相食,死者不葬。”又占曰:“歲星守房,大赦。”(案《宋書天文志》曰:魏景元四年十月,歲星守房,占曰:將相有憂。明年正月,大尉鄧艾,司徒鍾會並誅滅。特赦益士,咸熙二年秋,又大赦。)《荊州占》曰:“歲星守房,王者心平,百姓得情。”《荊州占》曰:“歲星守房,有反臣,大人喪,天下易王。”
郗萌がいう、歳星が房宿を守れば、房宿はまた天倉を主り、倉廩の空虚を主る。別の一条の占辞にいう、歳星が房宿を守れば、人君の身に応じ、君主は殿堂を走下るに宜しからず。またいう、歳星が房宿を守れば、天下の諸侯の互相に図謀し・謀慮の通行する能わざるを主る。またいう、歳星が房宿を守れば、辺地の兵を興すを主る。またいう、歳星が房宿を守れば、大饑饉を主り、人は人を食らい、死者は埋葬する人なからん。またいう、歳星が房宿を守れば、大赦を主る(原書小注:按ずるに《宋書・天文志》の記載に、魏の景元四年十月、歳星は房宿を守り、占辞にいう将相に憂いあり、と。第二年正月、太尉・鄧艾・司徒・鍾會は一併に誅滅せられ、朝廷は特に蜀地の人を赦免し、咸熙二年の秋に到りて、また大赦を行えり、と)。《荊州占》にいう、歳星が房宿を守れば、君王は心地平和にして、百姓は実情を上達する能くす。《荊州占》またいう、歳星が房宿を守れば、反叛の臣あり、貴人に丧あり、天下は君王を更換せん。
《黃帝占》曰:“歲星行房南,若犯守之,為大旱;行房北,犯守之,為大水。”《東官候》曰:“歲星守房,去復還,色不明,成鉤已,國有喪,白衣之會。”郗萌曰:“歲星中犯乘守房右驂,若右服,其大人,死所中,將相誅。”(案司馬彪《天文志》曰:孝明永平十六年正月丁丑,歲星犯房右驂,北第一星不見,辛巳乃見,房右驂為貴臣,歲星犯之,見誅。是後司徒邵穆與阜陵王延交通逆謀,自殺。)
《黄帝占》にいう、歳星が房宿の南を経行し、若しまた侵犯・守候すれば、大旱を主る。房宿の北を経行して侵犯・守候すれば、大水を主る。《東官候》にいう、歳星が房宿を守り、離れの後また返回し、星の色明ならず、行跡は曲がりて鉤のごときは、国に丧事あるを主り、丧事の聚會あらん。郗萌がいう、歳星が中間より侵犯・凌乗・守候して房宿の右驂星し、あるいは右服星(房の四星は駕車の馬のごとく、内の両星は服と為り、外の両星は驂と為る)すれば、貴人の身に応じ、犯中せられたるあの顆の星の主る人は死去し、将相は誅せられん(原書小注:按ずるに司馬彪《続漢書・天文志》の記載に、漢の明帝・永平十六年正月丁丑の日、歳星は房宿の右驂を侵犯し、北面の第一星は隠没して見えず、辛巳の日に到りて始めて重ねて出現せり。房宿の右驂は貴臣を象徴し、歳星がそれを侵犯せば、貴臣は則ち誅せられんとす。此より後司徒・邵穆は阜陵王・劉延と暗中に往来し・不軌を図謀し、事発れて自殺せり、と)。
郗萌曰:“歲星逆留犯守乘陵房左右驂,主崩,臣有陰謀,逆行乘陵中道,天子失位而亡,順行乘陵中道,天下平和。”又占曰:“歲星不入房中正道,其君不居明堂;一曰不敬明堂。”韓陽曰:“歲星犯房、鉤鈐,王者憂。”郗萌曰:“歲星犯乘鉤鈐,大臣有誤,天子不尊事天者,致火災於宗廟中,王者不宜出宮下殿,有謀匿於宗廟中者。”《海中占》曰:“歲星守鉤鈐,天下飢三年。”《荊州占》曰:“歲星守鉤鈐,去之三寸,王者失政,宮門不開,近臣起亂。”
郗萌がいう、歳星が逆行・留止・侵犯・守候・凌乗・欺陵して房宿の左右の驂星すれば、君主の駕崩を主り、臣下は陰謀を心懐く。若し逆行して中道を凌乗せば、天子は位を失いて亡ぶ。若し順行して中道を凌乗せば、天下は反りて平和せん。別の一条の占辞にいう、歳星が房宿の中間の正道を走らざれば、国君の肯んじて明堂に居らざるを説明す。一説には明堂に對して恭敬せざるなり。韓陽がいう、歳星が房宿と鉤鈐(房宿の附近の両顆の小星)とを侵犯すれば、君王に憂いあり。郗萌がいう、歳星が侵犯・凌乗して鉤鈐すれば、大臣に過失あり。天子の能く恭謹に上天に事奉せざれば、則ち宗廟の起火を招致し、君王は宮を出で殿を下るに宜しからず、人ありて宗廟の中に藏匿せんと図謀するがゆえなり。《海中占》にいう、歳星が鉤鈐を守れば、天下は饑饉すること三年ならん。《荊州占》にいう、歳星が鉤鈐を守り、随い後に三寸を離れれば、君王は政柄を失去し、宮門は開かず、近臣は禍乱を発動せん。
歳星犯心 五
石氏曰:“歲星近心,七寸以內,有暴貴者;不出百八十日。”《仰觀占》曰:“歲星犯心,所當之國,戰不勝;一曰將軍鬥死。”《海中占》曰:“歲星犯心天子星,王者絕嗣;犯太子,太子不利,犯庶子,庶子不利。”石氏曰:“歲星經心,清明烈照,天下內奉明王,帝必延年。”《黃帝占》曰:“歲星至心,正不失道,天下和平,軌道失綱,災變生。”《東宮候》曰:“歲犯,犯庶子星,庶子有憂,不出百八十日。”郗萌曰:“歲星不入明堂正道,其君不敬明堂;一曰不居明堂。”
心宿の三星:中央の一顆の大星は天王にして、則ち天子星なり、また明堂と称す。前の一顆は太子を主り、後の一顆は庶子を主る。分野は宋地に在り。石氏がいう、歳星が心宿に靠近して七寸以内に至れば、驟然顕貴する人ありて、一百八十日を出でずして応験せん。《仰観占》にいう、歳星が心宿を侵犯すれば、対応する分野の国は出戦して勝を得る能わず。一説には将軍の戦死を主る。《海中占》にいう、歳星が心宿の天子星を侵犯すれば、君王は嗣を絶たん。太子星を侵犯すれば、太子は利ならず。庶子星を侵犯すれば、庶子は利ならず。石氏がいう、歳星が心宿を経過して、清亮・明浄にして光照は強烈なれば、天下は皆心を帰し聖明の君王を奉戴し、皇帝は必ず延年を得ん。《黄帝占》にいう、歳星が心宿に行き到りて、端正にして常道を失わざれば、天下は和平す。若し軌道・綱紀を失えば、災異・変故は則ち発生せん。《東宮候》にいう、歳星が庶子星を侵犯すれば、庶子に憂いあり、一百八十日を出でず。郗萌がいう、歳星が明堂の正道を走らざれば、国君の明堂に對して恭敬せざるを説明す。一説には肯んじて明堂に居らざるなり。
郗萌曰:“歲星入心,天下諸侯有慶賞之事,期九十日。”《荊州占》曰:“歲星入角、守氐之心,滿二十日以上,期不出一年之中,且有立王;其所行者,無不利也;行疾,則治肅;行遲,則失職。”石氏曰:“歲星乘心北,其國旱,室廟有焚者;南出,行疾,有兵起。”石氏曰:“歲星乘心北,其國旱,室廟有焚者;南出,行疾,有兵起。”石氏曰:“歲星乘心,其國相死。”《海中占》曰:“歲星居心,多旱,五穀以旱傷。”又占曰:“歲星合心,玄色不明,有喪。”
郗萌がいう、歳星が心宿に進入せば、天下の諸侯に慶賀・賞賜の事あり、期は九十日に応ず。《荊州占》にいう、歳星が角宿に進入し・氐宿と心宿とを守候して、二十日以上に満てば、期は一年の中を出でずに応じ、まさに君王を冊立するの事あらん。およそこの時の行う所の事は、順利ならざるなからん。歳星の行くこと快ければ、政治は則ち整粛す。行くこと慢ければ、則ち官守の職を失うなり。石氏がいう、歳星が心宿の北を凌乗すれば、その分野の国は乾旱し、屋宇・宗廟に失火の者あらん。南辺より出でて行くこと快ければ、則ち兵事の興起あらん(この条の原書は重出すること一次す)。石氏またいう、歳星が心宿を凌乗すれば、その分野の国の宰相は死亡す。《海中占》にいう、歳星が心宿に居守すれば、旱多く、五穀は旱に因りて受損せん。別の一条の占辞にいう、歳星と心宿とが相合し、色沢は深黒にして明亮ならざれば、丧事あるを主る。
《齊伯五星占》曰:“歲星出入留舍心之上,春夏糴貴;秋冬平價,二十日不下;冬兵大起,負海大敗,六十日不下,天下有急令。”《春秋緯》曰:“歲星守心,天子有慶賜。”《援神契》曰:“歲星守心,年穀豐。”石氏曰:“歲星守心,王者得天心;陰陽和,天下大豐,五穀成熟,有慶賜,賢士用,皆有令德。”巫咸曰:“歲量守心,有火異。又占曰:歲星守心,萬物五穀不成,吳楚其齊倍。”
《斉伯五星占》にいう、歳星が出入・留宿して心宿の上に在れば、春夏の両季は粮価は上漲し、秋冬の両季は粮価は持平す。若し二十日離れざれば、冬に兵事は大いに起こり、海に瀕する国は大敗せん。六十日離れざれば、天下は緊急の詔令あらん。《春秋緯》にいう、歳星が心宿を守れば、天子に慶賀・賞賜あらん。《援神契》にいう、歳星が心宿を守れば、年成・穀物は豊収せん。石氏がいう、歳星が心宿を守れば、君王は天心に合し、陰陽は調和し、天下は大いに豊収し、五穀は成熟し、慶賀・賞賜あり、賢士は任用せられ、人人皆美徳あらん。巫咸がいう、歳星が心宿を守れば、火災の類の異変あらん。別の一条の占辞にいう、歳星が心宿を守れば、万物と五穀とは成らず、呉・楚の地の物価は平常に比べて倍に翻らん。
郗萌曰:“歲星守天司空,貴人多病死。又占曰:歲星守天司空,土功起。又占曰:歲星守心東,馬多死,其肉殺人;守心西,萬物不成,多飢傷;守心南,多寒熱病;守心北,牛多死,其肉殺人。”《荊州占》曰:“歲星守心,七日以上至七十二日,名曰母覆其子;陰陽和平,王者得天心,忠士皆用,四夷服,天下安。”《黃帝占》曰:“歲星逆行守心,環繞成鉤已,為大人忌之,期六月,故赦以解之。”甘氏曰:“歲星犯守心,內禮臣欲謀主,若旱,有土功;春夏糴貴,秋冬糴賤,若守之六十日不下,有急令。”
郗萌がいう、歳星が天司空の星を守れば、貴人は病死多からん。別の一条の占辞にいう、歳星が天司空を守れば、まさに土木の功を興さん。またいう、歳星が心宿の東に守れば、馬は死多く、それの肉を食らえば人を毒殺せん。心宿の西に守れば、万物は成らず、饑饉の傷多からん。心宿の南に守れば、寒熱の病多からん。心宿の北に守れば、牛は死多く、それの肉を食らえば人を毒殺せん。《荊州占》にいう、歳星が心宿を守ること七天以上より七十二日に至るを、これを「母その子を覆う」と謂い、陰陽の和平・君王の天心に合し・忠貞の士の皆任用せられ・四方の夷族の帰服し・天下の安定を主る。《黄帝占》にいう、歳星が逆行して心宿を守り、環繞・盤旋して行跡は曲がりて鉤のごときは、貴人の忌諱する所の天象にして、期は六か月に応ず、故に大赦をもって以て化解するを要す。甘氏がいう、歳星が侵犯・守候して心宿すれば、宮内の礼を掌る臣の君主を図謀せんとするを主る。あるいは旱情を主り、土木の工程あり。春夏は粮価貴く、秋冬は粮価賤し。若し守候して六十日離れざれば、緊急の詔令あらん。
石氏曰:“歲星犯乘守心,大凶。”郗萌曰:“歲星犯乘守心明堂,為大人憂,近期十月,遠期三年。”又占曰:“歲星犯乘守心明堂,為內亂,臣欲殺主,有亡國,近期一年、二年、三年,遠期二十八年。”又占曰:“歲星犯乘守太子星者,太子憂,不死則去。”又占曰:“歲星犯乘守太子星,女主勢行。”石氏曰:“歲星中犯乘太子位,太子憂;犯少子位,少子憂。”又占曰:“歲星中犯乘守心明堂,在陽為燕,在陰為外。”巫咸曰:“歲星中犯乘守心明堂,為大戰,不勝,將軍鬥死。”郗萌曰:“歲星中犯乘守心明堂,為萬民備火,近期一年,中期三年,遠期九年;一曰天下旱。”又占曰:“歲星犯乘心明堂,大臣當之。”《海中占》曰:“歲星留逆犯守乘陵心者,王宮內賊亂,臣下有謀易主者;天子權在宗家,得勢大臣。”
石氏がいう、歳星が侵犯・凌乗・守候して心宿するは、大凶なり。郗萌がいう、歳星が侵犯・凌乗・守候して心宿の明堂の大星すれば、貴人に憂いあるを主り、近きは期十か月に応じ、遠きは三年なり。別の一条の占辞にいう、歳星が侵犯・凌乗・守候して心宿の明堂すれば、内乱を主り、臣子は君主を殺さんとし、亡国の禍あり、近きは期一年・二年・三年に応じ、遠きは二十八年なり。またいう、歳星が侵犯・凌乗・守候して太子星すれば、太子に憂いあり、死せずともまた廃黜・出外せられん。またいう、歳星が侵犯・凌乗・守候して太子星すれば、女主の権勢は通行せん。石氏がいう、歳星が中間より侵犯・凌乗して太子の位すれば、太子に憂いあり。少子の位を侵犯せば、少子に憂いあり。またいう、歳星が中間より侵犯・凌乗・守候して心宿の明堂し、星が陽位に在れば燕地に応じ、陰位に在れば外邦に応ず。巫咸がいう、歳星が中間より侵犯・凌乗・守候して心宿の明堂すれば、大戦ありて勝を得る能わざるを主り、将軍は戦死せん。郗萌がいう、歳星が中間より侵犯・凌乗・守候して心宿の明堂すれば、万民は火災に防備するを要し、近きは期一年に応じ、中は三年、遠きは九年なり。一説には天下の大旱を主る。またいう、歳星が侵犯・凌乗して心宿の明堂すれば、大臣の身に応ず。《海中占》にいう、歳星が留止・逆行・侵犯・守候・凌乗・欺陵して心宿すれば、王宮の内に奸賊ありて乱を作すを主り、臣下に君主を更換せんと図謀する者あり。天子の権柄は宗室の家と勢を得たる大臣との手裏に落つるを主る。
歳星犯尾 六
石氏曰:“歲星入尾,天下諸侯有慶賀之事,期九十日。”巫咸曰:“歲星入尾,王者賜後宮,立太子;若后族有升顯者,不出百八十日。”《東官侯》曰:“歲星入尾,妄為嫡臣,專政賣權,災為起。”郗萌曰:“歲星逆行而宿尾,天子淫佚。”又占曰:“歲星處尾旁,旱、水。”又占曰:“歲星舍尾處,其東冬龍馬多死;處其北,牛多死,肉殺人;處其西,傷谷,處其南,民多寒熱,政急。”
尾宿の九星は蒼龍の尾にして、後宮の嬪妃を主り、分野は燕地に在り。石氏がいう、歳星が尾宿に進入せば、天下の諸侯に慶賀の事あり、期は九十日に応ず。巫咸がいう、歳星が尾宿に進入せば、君王は後宮を賞賜し、太子を冊立せん。あるいは后妃の族人の中に昇遷・顕貴ある者ありて、一百八十日を出でざらん。《東官侯》にいう、歳星が尾宿に進入せば、僭妄にして自ら嫡子の位に居る臣子ありて、朝政を專擅し・権柄を出賣し、災禍は此より起こらん。郗萌がいう、歳星が逆行して尾宿に止宿すれば、天子の淫逸・放縦を主る。別の一条の占辞にいう、歳星が尾宿の近旁に停まれば、旱を主りあるいは水を主る。またいう、歳星が尾宿に止舍してその東辺に停まれば、冬に龍馬は死多からん。その北辺に停まれば、牛は死多く、肉を食らえば人を毒殺せん。その西辺に停まれば、穀物は受損せん。その南辺に停まれば、百姓は寒熱を患うる多く、政令は急迫せん。
《海中占》曰:“歲星出入留舍尾,五十日不下,天下一國有大臣亡者。”《齊伯五星占》曰:“歲星出入留舍尾,尾者,燕之星也;其國則以義致天下,三十日不下,大亂。”《河圖》曰:“歲星守尾三十日,有反逆殺上者,兵起車馳。”甘氏曰:“歲星守尾,人民為變,大臣作亂,有反逆,從大將家起;若中有讒諛臣,期二十日,若卿當之。”又占曰:“歲星守尾,谷大貴,人民歸食。”又占曰:“歲星守尾三十日,王者立貴后夫人,若生太子,欲封寵后族。”
《海中占》にいう、歳星が出入・留宿して尾宿に在り、五十日離れざれば、天下に一個の国家の大臣ありてまさに死亡せんとす。《斉伯五星占》にいう、歳星が出入・留宿して尾宿に在れば——尾宿は燕地の分野の星なり——その国は能く道義をもって天下を帰附せしめん。若し三十日離れざれば、則ち大乱あらん。《河図》にいう、歳星が尾宿を守ること三十日なれば、反叛・上を弑する人あり、兵事は興起し、兵車は奔馳せん。甘氏がいう、歳星が尾宿を守れば、百姓は変を生じ、大臣は乱を作し、反叛の事ありて大将の家より発起せん。若し朝中に讒を進み諂諛する臣子あれば、期は二十日に応じ、あるいは公卿の身に応ず。別の一条の占辞にいう、歳星が尾宿を守れば、穀価は大いに漲り、百姓は他処に奔投して食を求めん。またいう、歳星が尾宿を守ること三十日なれば、君王は尊貴の后妃・夫人を冊立し、あるいは太子を生み下ろし、后妃の族人を封賞・寵幸せんと欲せん。
郗萌曰:“歲星守尾,為用事者當之,天下牢開,大赦。”巫咸曰:“歲星守尾,旱。”郗萌曰:“歲星守尾,成鉤已,夫人女君死亡。”《玄冥占》曰:“歲星守尾,王者賜後宮,立太子。”甘氏曰:“歲星入尾而守之,人主以嬪為後,政在臣下,期四十日。”郗萌曰:“歲星犯守尾,為女主,夫人、妃后惡之。”又占曰:“歲星留逆犯守乘陵尾,皇后有珠玉簪珥惑天子者,誣讒大起;后相貴臣誅,宮人出走,兵起宮門。”
郗萌がいう、歳星が尾宿を守れば、権を当て事を用うる人の身に応じ、天下の牢獄は開釋し、大赦を実行せん。巫咸がいう、歳星が尾宿を守れば、旱を主る。郗萌がいう、歳星が尾宿を守りて行跡が曲がりて鉤のごときは、夫人・女君の死亡を主る。《玄冥占》にいう、歳星が尾宿を守れば、君王は後宮を賞賜し、太子を冊立せん。甘氏がいう、歳星が尾宿に進入して併せて守候して去らざれば、人君は嬪妃を立てて皇后と為し、政柄は臣下の手中に落ち、期は四十日に応ず。郗萌がいう、歳星が侵犯・守候して尾宿すれば、女主の身に応じ、夫人・妃后は皆この種の天象を厭惡せん。別の一条の占辞にいう、歳星が留止・逆行・侵犯・守候・凌乗・欺陵して尾宿すれば、皇后の珠玉・簪珥の飾をもって天子を迷惑し・誣告・讒言の大いに起こるを主る。此より後宰相と貴臣とは誅せられ、宮人は出逃し、兵禍は宮門の内に発生せん。
歳星犯箕 七
《春秋緯》曰:“歲星犯箕中,天下大亂,兵大起。”郗萌曰:“歲星犯箕,女主宮人有憂。”郗萌曰:“歲星犯箕,為天下大赦。”石氏曰:“歲星入箕,天下大成,其中有一星,民莫處其室養者,星在箕南,旱;在北,有水;箕踵者,歲熟。”巫咸曰:“歲星入箕中,伺其出日而數之,皆如期二十日,兵發,伺始入處數之,率一日,期十日,軍罷。”
箕宿の四星は形は簸箕のごとく、風を主り、また口舌を主り、分野は燕地に在り。《春秋緯》にいう、歳星が箕宿の中を侵犯すれば、天下は大乱し、兵事は大いに起こらん。郗萌がいう、歳星が箕宿を侵犯すれば、女主と宮人とに憂いあらん。郗萌またいう、歳星が箕宿を侵犯すれば、天下の大赦を主る。石氏がいう、歳星が箕宿に進入せば、天下は大いに収成あらん。箕宿の中に別に一星あり、百姓の人も安居して室に在るなく・以て生を養う無きを主る。星が箕宿の南に在れば、旱を主る。箕宿の北に在れば、水を主る。箕踵(箕口の後跟の処)に在れば、年成の豊熟を主る。巫咸がいう、歳星が箕宿の中に進入し、それの出づる日を守候して計数すれば、皆二十日を期と為し、兵事は発動せん。再びそれの最初の進入の処より起算して、大約して一日にして、十日を期と為せば、軍隊は解散せん。
郗萌曰:“歲星入箕,糴價三倍。”又占曰:“歲星入箕,中行病,宮中有口舌相讒事,期五十日,若百二十日。”《荊州占》曰:“歲星入箕,盜大起,多鬥死者,歲不熟。”石氏曰:“歲星出箕,谷大貴,天下大旱,飢死過半。”郗萌曰:“歲星逆行,入箕中,其君淫佚。”《春秋圖》曰:“歲星之箕,年多風。”郗萌曰:“歲星出入留舍箕,箕者,燕之星也,歲星守之,其國以武致天下;六十日不下,其燕且有為致天下也。又曰:歲星居箕,多旱。”
郗萌がいう、歳星が箕宿に進入せば、粮価は三倍に漲らん。別の一条の占辞にいう、歳星が箕宿に進入し、宿中に行き到れば疾病を主り、宮中に口舌・相讒の事あり、期は五十日に応じ、あるいは一百二十日なり。《荊州占》にいう、歳星が箕宿に進入せば、盗賊は大いに起こり、闘毆して致死する人多く、年成は好からざらん。石氏がいう、歳星が箕宿より出づれば、穀価は大いに漲り、天下は大いに旱し、餓死する人は半を超えん。郗萌がいう、歳星が逆行して箕宿の中に進入せば、その国の君は淫逸・放縦せん。《春秋図》にいう、歳星が箕宿に行き到れば、この一年は風多からん。郗萌がいう、歳星が出入・留宿して箕宿に在れば——箕宿は燕地の分野の星なり——歳星がそれを守候せば、その国は能く武力をもって天下を帰附せしめん。若し六十日離れざれば、燕地はまさに作為ありて天下を取得せんとす。またいう、歳星が箕宿に居守せば、旱多からん。
《春秋緯》曰:“歲星守天司空,歲水。”甘氏曰:“歲星守箕,多惡風,有旱災,其國大飢,人相食。”郗萌曰:“歲星守箕東,歲熟;南,小穰熟;北,大穰;西,飢。”郗萌曰:“歲星守箕,貴人多死病。”又占曰:“歲星守箕,為其歲水。”又占曰:“歲星守箕,則多土功。”又占曰:“歲星守司空,大臣衛守。”《東官候》曰:“負星留守箕七日以上,去之七尺以內,貴女有尊進者。”
《春秋緯》にいう、歳星が天司空の星を守れば、この一年に水患あらん。甘氏がいう、歳星が箕宿を守れば、悪風多く、また旱災あり、その分野の国は大いに饑饉し、人は人を食らわん。郗萌がいう、歳星が箕宿の東に守れば、年成は豊熟す。南辺に守れば、略しく豊収あり。北辺に守れば、大いに豊収す。西辺に守れば、則ち饑饉せん。郗萌またいう、歳星が箕宿を守れば、貴人は病に因りて死する多からん。別の一条の占辞にいう、歳星が箕宿を守れば、この一年に水患あらん。またいう、歳星が箕宿を守れば、土木の工程多からん。またいう、歳星が天司空の星を守れば、大臣はまさに宿衛・守護の職を担任せんとす。《東官候》にいう、歳星(原文は「負星」と作る)が箕宿に留守して七天以上にして、離れる時に七尺以内なれば、貴族の女子の尊崇・進用を得るあるを主る。
開元占經 卷二十五
歳星占 三
歳星犯北方七宿
歳星犯南斗 一
石氏曰:“歲星犯南斗,為赦。”《北官候》曰:“歲星逆行,犯南斗,其君賞賜非其人。”《海中占》曰:“歲星入南斗中,死者甚眾。”郗萌曰:“歲星入志南斗,天下受爵祿,近期六十日,遠期百二十日。”《荊州占》曰:“歲星入南斗中,水不可當。”陳卓曰:“歲星入南斗魁中,有殃。一曰歲旱,一曰斗為宰相,歲星入斗二十日以上,卿相有憂,太后惡之。又曰:逆行入斗中,必有亡國死王。”
南斗の六星は北方の玄武七宿の首にして、爵禄を主り、また宰相を主り、分野は呉越に在り。石氏がいう、歳星が南斗を侵犯せば、赦免を主る。《北官候》にいう、歳星が逆行して南斗を侵犯せば、その君主は賞賜すべからざる人を賞賜せり。《海中占》にいう、歳星が南斗の中に進入せば、死する人は甚だ多からん。郗萌がいう、歳星が南斗に進入せば、天下に人ありて爵位・俸禄を接受し、近きは期六十日に応じ、遠きは一百二十日なり。《荊州占》にいう、歳星が南斗の中に進入せば、水勢は大にして抵当する能わざらん。陳卓がいう、歳星が南斗の魁星の中に進入せば、災殃あらん。一説にはこの一年の乾旱を主る。一説には南斗は宰相を象徴し、歳星が斗に入ること二十日以上なれば、公卿・宰相に憂いあり、太后はこの種の天象を厭惡せん。またいう、歳星が逆行して斗中に進入せば、必ず国家の滅亡・君王の身死あらん。
《北官候》曰:“歲入南斗,必有受祿增爵者。”石氏曰:“歲星經南斗,吳國稻梁大熟。”《春秋緯》曰:“歲星入南斗,五穀絲麻價平。”《海中占》曰:“歲星居南斗,五穀以旱傷。”郗萌曰:“歲星居南斗,河戍間道不通。又曰:歲星處南斗北,不利兒子;處斗西,歲多飢傷,民多死;處斗南,多病寒熱。
《北官候》にいう、歳星が南斗に進入せば、必ず人ありて俸禄を得・爵位を増加せん。石氏がいう、歳星が南斗を経過せば、呉地の稲と粱とは大いに豊収せん。《春秋緯》にいう、歳星が南斗に進入せば、五穀と絲麻との価銭は平穏ならん。《海中占》にいう、歳星が南斗に居守せば、五穀は旱に因りて受損せん。郗萌がいう、歳星が南斗に居守せば、河戍(南斗の附近の星、河梁・関隘を主る)の間の道路は通ぜざらん。またいう、歳星が南斗の北に停まれば、子嗣に利あらざらん。南斗の西に停まれば、この一年は饑饉・損傷多く、百姓は死多からん。南斗の南に停まれば、寒熱の疾多からん。
又曰:歲星處南斗北,歲早水、晚旱。”《北官候》曰:“歲星處南斗西,虎狼入國;一曰民多死;處南斗南,多亡狗。”郗萌曰:“歲星年南斗,旗不用,眾有天下。”《荊州占》曰:“曰:“歲星入南斗二十日以上,至二百四十日,主者用德,忠臣升位。”
またいう、歳星が南斗の北辺に停まれば、この一年は前期は水多く・後期は旱に転ぜん。《北官候》にいう、歳星が南斗の西辺に停まれば、虎狼は国境に闖入せんとす。別の一説には百姓の死亡の甚だ多きなり。南斗の南辺に停まれば、走失する狗多からん。郗萌がいう、歳星が南斗に臨めば(「年」は当に「在」の形訛ならん)、軍旗は動かすを用いず、人心を得る一方は天下を擁有する可し。《荊州占》にいう、歳星が南斗に進入すること二十日以上、一直して二百四十日に至れば、執政する人は徳政を施行し、忠臣は提拔を得ん。南斗の六星は天官の中にて爵禄・寿数と宰輔の位とを主り、分野は呉越に属す、故にこの一宿の占語は多く朝廷の用人と年景の水旱とに囲繞して謂う。
郗萌曰:“歲星舍南斗,處其北,牛多死,其肉殺人;處其東,馬多死。又曰:歲星出入留舍南斗,六十日不下,天下大流亡;退而守之,其國有兵,客大破。”《考異郵》曰:“歲星守南斗,君臣乖倍。”石氏曰:“歲星守南斗魁,失道者死。又曰:歲星守南斗,天下大飢,人相食。”《荊州占》曰:“歲星守財斗,君臣俱明,天下更年,五禮更興。”
郗萌がいう、歳星が南斗に入宿して斗宿の北側に偏せば、牛は大批に死亡し、牛肉は還って人を毒殺する能し。斗宿の東側に偏せば、馬は大批に死亡せん。またいう、歳星が南斗の一帯に出没・停留・入宿して、六十日も還って離れざれば、天下は大批の流亡を出現せんとす。若しそれが退行して南斗を「守」れば、あの分野の国家に戦事あり、来犯の客軍は打たれて大敗せん。《考異郵》にいう、歳星が南斗を守れば、君臣の間は乖違・背離せん。石氏がいう、歳星が斗魁を守住すれば、則ち南斗の前のあの幾顆の斗形を構成する星にして、正道に背离する人は命を送らんとす。またいう、歳星が南斗を守れば、天下は大いに饑饉し、人は人を食らうに至らん。《荊州占》にいう、歳星が南斗を守れば(原文は「財斗」と作る、「財」は「南」の訛字なり)、君と臣とは皆清明にして、天下は元を改め紀を易え、吉・凶・軍・賓・嘉の五种の礼制は重ねて振興せん。
《感精符》曰:“歲星逆行入南斗,守魁中,大臣國相逆,天下叛離,不同心,君臣不和;順行而守南斗,既去而復還,居之不久,易其色,常光明,天下同心,君臣和義。”《北官候》曰:“歲星逆行,守南斗,其國且有兵;一曰有軍來者;一曰客軍大敗。”郗萌曰:“歲星舍木,退而守南斗,其國且有兵,客軍大敗。”(牽牛為木星也。)巫咸曰:“歲星入南斗者,留守斗所守之國,當誅。”《春秋圖》曰:“歲星犯南斗而守之,大臣逆謀,其國有兵,年大飢,人相食,歲大惡。”郗萌曰:“歲星犯南斗,百日兵用,大臣死。”陳卓曰:“歲星犯守南斗,有赦。”
《感精符》にいう、歳星が逆行して南斗に進入し、斗魁の中に守れば、大臣と国相とは悖逆の心を懐き、天下は離叛し、人心は斉ならず、君臣は和を失わん。若是れ順行して南斗を守り、離れの以後また折り返り来りて、停留すること久しからず、星の色は変換して常に光明を保てば、則ちそれは天下の同心・君臣の和睦・義を守るの徴象なり。《北官候》にいう、歳星が逆行して南斗を守れば、あの国家はまさに戦事あらん。別の一説には軍隊の開来するあり。還って一説には来犯の客軍の大敗するなり。郗萌がいう、歳星が木に属する星位に入宿し、退行して南斗を守れば、あの国家はまさに戦事あり、客軍は大敗せん。原書小注にいう、牽牛は則ち木星の属する位次なり。巫咸がいう、歳星が南斗に進入し、停留・守候せば、斗宿の主るあの国家は当に誅を受くべし。《春秋図》にいう、歳星が南斗を侵犯して併せてそれを守住せば、大臣は叛逆を図謀し、あの国家に戦事あり、当年は大いに饑饉し、人は人を食らい、年景は極めて壞れん。郗萌がいう、歳星が南斗を犯せば、一百日の内に兵革を動用し、大臣は死亡せん。陳卓がいう、歳星が侵犯して併せて南斗を守住せば、赦令あらん。
歳星犯牽牛 二
郗萌曰:“歲星入牽牛,為天下牛車有行。”又曰:“歲星入牽牛,諸侯有失期者。”《荊州占》曰:“歲星入牽牛,歲多水,虎狼害人,民人凍死,臣謀其主,民飢;貴人多死,小兒多死。”石氏曰:“歲星行牽牛,越貢獻金銀。”郗萌曰:“歲星逆行牽牛,其君不愛親戚。”《春秋圖》曰:“歲星之牽牛、筋、皮,革大貴。”《玉曆》曰:“歲星之牽牛,歲水,民飢,有自賣者。”
郗萌がいう、歳星が牽牛に進入せば、天下の牛車は皆奔走・出行せん。またいう、歳星が牽牛に進入せば、諸侯の裏に人ありて朝會の期限を誤らん。《荊州占》にいう、歳星が牽牛に進入せば、この一年は水患多く、虎狼は人を傷つけ、百姓は凍死せられ、臣下は君主を図謀し、民衆は餓に挨がん。顕貴の人は死多く、小孩子は死多からん。石氏がいう、歳星が牽牛を経行せば、越地は朝廷に金銀を進貢せん。郗萌がいう、歳星が牽牛にて逆行せば、あの君主は親族を愛護せざるなり。《春秋図》にいう、歳星が牽牛に到れば、筋・皮・革の一類の貨物の価格は暴漲せん。《玉暦》にいう、歳星が牽牛に到れば、この一年は水を発し、百姓は饑饉し、人ありて身を賣りて活を求めん。牽牛の一宿は天官の中にて関卡・橋梁・犠牲・祭品と牛馬の牲畜とを主り、分野は呉越に属す、故に占語は多く牛車・皮革・水旱と関梁の事とを謂う。
郗萌曰:“歲星乘牽牛,為天下有大水。”郗萌曰:“歲星乘牽牛,為人相棄於道。”又占曰:“歲星居牽牛,多旱;一曰居牽牛南三尺,旱。”《海中占》曰:“歲星舍牽牛,殺虎、狼入國,一曰守牛西,虎狼多入邑中者。”
郗萌がいう、歳星が牽牛を凌乗せば、天下はまさに大水を発せんとす。郗萌またいう、歳星が牽牛を凌乗せば、親人の道路に相棄てるの惨状を出現せん。別の一条の占語にいう、歳星が牽牛に居止せば、旱多からん。別の一説には牽牛以南の三尺の処に居るは、旱を主る。《海中占》にいう、歳星が牽牛に入宿せば、粛殺の気は虎狼に随いて国境に進入せん。別の一説には牛宿の西側に守るは、虎狼は大量に城邑の中に竄入せん。「乗」は自ら上より凌壓し、「居」はその位に停駐し、「舍」はその中に入宿す、三者は軽重に別あり、故に応験も各々相同じからず。
郗萌曰:“歲星出入留舍牽牛,三十日不下,天下大臣且有死者,致天斧鉞之中;九十日不下,大將出,客兵來,期不出三年。”《孝經章句》曰:“歲星守天關,在其北,民流死;在西,民以風災死,若虎狼入國;在其南,狗多狂、亡;在其東,不利嬰兒。”
郗萌がいう、歳星が牽牛に出没・停留・入宿して、三十日も還って離れざれば、天下の大臣はまさに死亡するあらん、刑戮・斧鉞の下に落ちん。九十日も還って離れざれば、大将は出征し、客軍は来犯し、期は三年を出でずに応ず。《孝経章句》にいう、歳星が天関を守れば——牽牛はまた天関と謂い、関卡・橋梁を主る——その北側に偏せば、百姓は流離して死せん。西側に偏せば、百姓は風災に因りて死し、あるいは虎狼は国境に闖入せん。その南側に偏せば、狗は発狂多く・走失多からん。その東側に偏せば、嬰児に利あらざるなり。
石氏曰:“歲星守牽牛,三十日至九十日,天下和平,道德明,四夷朝中國。”又曰:“歲星守牽牛,農人死於野,陰陽不和。”巫咸曰:“歲星守牽牛,馬、五穀多傷。”《海中占》曰:“歲星守牽牛,臣謀君,糴貴,三月乃復。”郗萌曰:“歲量守牽牛,為穀貴。”又曰:“歲星守牽牛東,春牛大癘;一曰居南,夏牛大癘。”
石氏がいう、歳星が牽牛を守ること三十日より九十日に至れば、天下は太平し、道徳は昌明し、四方の夷狄は皆来りて中国を朝拜せん。またいう、歳星が牽牛を守れば、農夫は田野に倒斃し、陰陽の二気は失調せん。巫咸がいう、歳星が牽牛を守れば、馬匹と五穀とは受損多からん。《海中占》にいう、歳星が牽牛を守れば、臣下は君主を図謀し、粮を買うの価銭は上漲し、三か月の後に始めて回復せん。郗萌がいう、歳星(原文は「歳量」と作る、「量」は「星」の訛字なり)が牽牛を守れば、穀価は昂貴せん。またいう、歳星が牛宿の東側に守れば、春に牛群は大疫す。別の一説には南側に居るは、夏に牛群は大疫す。
陳卓曰:“歲星守牽牛南,五穀以水傷;守牛東,萬物不成,饑民流亡,六畜若牛多死病,大臣有謀事;守牛北,民寒凍死;守牛西,地氣發洩,歲多水。”《文曜鉤》曰:“歲星犯守牽牛,大臣謀其主,大人有戮死者,火犯眾火宮,火大起,道路不通。”甘氏曰:“歲星犯牽牛,留守之,為破軍殺將。”陳卓曰:“歲星犯牽牛,貴人多喪,諸侯失明。”
陳卓がいう、歳星が牛宿の南側に守れば、五穀は水に淹壊せられん。牛宿の東側に守れば、万物は長成せず、饑民は流亡し、六畜は特に牛は大量に病死し、大臣に陰謀の事あらん。牛宿の北側に守れば、百姓は寒を受け凍死せん。牛宿の西側に守れば、地気は外泄し、この一年は水多からん。《文曜鈎》にいう、歳星が侵犯して併せて牽牛を守住せば、大臣は君主を図謀し、権貴は殺戮せらるる者あらん。若し火星がさらに衆火の宮を侵犯せば、則ち大いに火災を起こし、道路は阻断して通ぜざらん。甘氏がいう、歳星が牽牛を侵犯して又々停留・守候せば、軍隊の撃破せられ・将領の斬殺せらるるを主る。陳卓がいう、歳星が牽牛を犯せば、貴人は丧事多く、諸侯は明察の能を失去せん。
歳星犯須女 三
甘氏曰:“歲星入須女,有進美女者,大人有慶;若有女喜,立后,拜太子,期三十日;若九十日,宮人有受賜者。”《北官候》曰:“歲星入須女,諸侯有賀天子以美女,期三十日,若九十日。”石氏曰:“歲星須女,越貢獻金銀。”郗萌曰:“歲星居須女,宮中有水災,一日五穀有水傷。”《玄冥占》曰:“歲星居須女,歲多水。”《荊州占》曰:“歲星留須女二十日,布帛大貴,期四十日。”巫咸曰:“歲星宿須女而逆行,其君不務農桑令。”
甘氏がいう、歳星が須女に進入せば、人ありて美女を進献し、尊貴の人に喜慶あらん。あるいは女子の方面の喜事ありて、皇后を冊立し・太子を冊封し、期は三十日に応ず。若し九十日に到れば、宮人の中に賞賜を受くる者あらん。《北官候》にいう、歳星が須女に進入せば、諸侯は美女を用いて天子に道賀し、期は三十日に応じ、あるいは九十日なり。石氏がいう、歳星が須女に到れば、越地は金銀を進貢せん。郗萌がいう、歳星が須女に居止せば、宮中は水災を発生し、別の一説には五穀は水に淹壊せらるるなり。《玄冥占》にいう、歳星が須女に居止せば、この一年は水多からん。《荊州占》にいう、歳星が須女にて停留すること二十日なれば、布帛の価格は暴漲し、期は四十日に応ず。巫咸がいう、歳星が須女に入宿して又々逆行せば、あの君主は肯んじて力を尽くして農を勧め桑を勧むの政令を推行せざるなり。須女は則ち女宿にして、布帛の裁制・嫁娶・婚配と織作の事とを主り、故にこの一宿の占辞は多く后妃・女工と布帛の貴賤とを講ず。
《黃帝占》曰:“歲星出入留舍須女,而守犯至三十日不下,小有有慶;五十日不下,更立侯王;六十日不下,兵起於野,冬入在春也。”郗萌曰:“歲星出入留舍須女,不出二年,天下用兵。”《黃帝占》曰:“歲星守須女,糴石三百,民有自賣者。”《春秋圖》曰:“歲星守須女,絲麻大貴。”石氏曰:“歲星守須女,國邑飢;一曰有喪,一曰大水,且主有女喪。”
《黄帝占》にいう、歳星が須女に出没・停留・入宿して、侵犯・守候して三十日に到りて還って離れざれば、小さく喜慶あり。五十日も還って離れざれば、別に侯王を立てん。六十日も還って離れざれば、郊野は戦事を興起せん——若是れ冬に進入したるは、応験は則ち来年の春に落つ。郗萌がいう、歳星が須女に出没・停留・入宿せば、二年を出でずして、天下は兵を動かさん。《黄帝占》にいう、歳星が須女を守れば、米価は一石三百銭に漲り、百姓に身を賣りて活を求むる者あらん。《春秋図》にいう、歳星が須女を守れば、絲と麻とは価格暴漲せん。石氏がいう、歳星が須女を守れば、国都・城邑は饑饉を鬧かさん。別の一説には丧事あり、還って一説には大水を発し、而且して君主はまさに女眷の丧に遭遇せんとす。
郗萌曰:“歲星舍須女東,不利兒子;舍其南,多亡狗,狗多嗥;舍其西,虎狼入邑,民多風雷死;舍其北,多寒凍死;一曰多鼠。”巫咸曰:“歲星守須女,三日以上至二十日,去之一尺(《荊州占》曰:“去之三尺。”)以外,王者欲發財寶;若發女工伎,不出七十日。”
郗萌がいう、歳星が女宿の東側に入宿せば、子女に利あらず。南側に入宿せば、走失する狗多く、狗は常に夜嗥せん。西側に入宿せば、虎狼は城邑に竄入し、百姓は風雷に打ち死せらるる多からん。北側に入宿せば、寒を受けて凍死する多からん。別の一説には老鼠の災と為るなり。巫咸がいう、歳星が須女を守ること三天以上より二十日に至り、女宿と相距ること一尺(原書小注に《荊州占》を引いて「相距ること三尺」と作る)以外なれば、帝王はまさに庫蔵の財宝を開発せんとす。あるいはまさに女紅の技芸に擅長する人を徴調せんとし、七十日を出でずして則ち応験せん。
巫咸曰:“歲星守須女,為萬物不成。又曰:歲星守須女,寡婦多死;一曰大人有慶。”《海中占》曰:“歲星守須女,有嫁娶布帛之事。”郗萌曰:“歲星守須女,為后夫人有變;一曰妾為主。”又曰:“歲星守須女,谷不成熟。”《玄冥占》曰:“歲星守須女,國大飢。”陳卓曰:“歲星逆行,留犯守陵女,天子及大臣有疾,女有奇政令。”
巫咸がいう、歳星が須女を守れば、万物は長成せざらん。またいう、歳星が須女を守れば、寡婦は死亡多からん。別の一説には尊貴の人に喜慶あるなり。《海中占》にいう、歳星が須女を守れば、嫁娶と布帛との方面の事あらん。郗萌がいう、歳星が須女を守れば、皇后・夫人の地位はまさに変故を生ぜんとす。別の一説には姫妾が正室の位を奪うなり。またいう、歳星が須女を守れば、穀物は成熟する能わざらん。《玄冥占》にいう、歳星が須女を守れば、国中は大いに饑饉せん。陳卓がいう、歳星が逆行し、停留・侵犯して併せて須女(原文は「陵女」と作る、これ「須女」の訛字なり)を守住せば、天子と大臣とは病あり、女子のあの一辺は反常の政令を出さんとす。
歳星犯虚 四
甘氏曰:“歲星入虛,天下大虛。”巫咸曰:“歲星入虛中,伺其出日而數之,二十日皆為兵發,伺始入處之率,一曰期十日,軍罷。”郗萌曰:“歲星入虛,為天下大亂,政急,大人憂,有德令。”《荊州占》曰:“歲星入虛,百二十日以上,有功臣封立侯國,邑其犯乘,守其東西南北,宰相有重誅者,必有德令。”
甘氏がいう、歳星が虚宿に進入せば、天下は空虚・匱乏せん。巫咸がいう、歳星が虚宿の中に進入し、それの出づるあの日より起算して、二十日の上は皆兵を興すを主る。再びそれの当初の進入の位置に照らして推せば、別の一説には期十日に応じて軍隊は解散す。郗萌がいう、歳星が虚宿に進入せば、天下は大乱し、政令は苛急にして、尊貴の人に憂患あり、随い後に恩を施すの徳令を頒下せん。《荊州占》にいう、歳星が虚宿に進入すること一百二十日以上なれば、功ある臣は侯を封じ国を建て・食邑を賜うの賞賜を得ん。若しそれが侵犯・凌乗し、あるいは虚宿の東西南北のいずれかの一側に守れば、宰相の中に重刑・誅戮に遭う者あり、続いて必ず徳令を頒下せん。虚宿は天官の中にて宗廟の祭祀・哭泣・丧事と虚耗とを主り、分野は斉地に属す、故にこの一宿の占語は多く丧服・宗廟と饑饉とを謂う。
郗萌曰:“歲星逆行虛,其君簡祭祀。”石氏曰:“歲星經虛,齊國多美女。”《春秋圖》曰:“歲星之虛,五穀大熟。”郗萌曰:“歲星居虛,歲多水,五穀以水傷。又曰:歲星出入舍虛,一歲乃下,更元年。”《齊伯五星占》曰:“歲星出入留舍虛,十日不下天下苦。”
郗萌がいう、歳星が虚宿にて逆行せば、あの君主は祭祀に對して怠慢・簡略なり。石氏がいう、歳星が虚宿を経行せば、斉地は美女を多出す——虚宿の分野は正しく斉国なり。《春秋図》にいう、歳星が虚宿に到れば、五穀は大いに熟せん。郗萌がいう、歳星が虚宿に居止せば、この一年は水多く、五穀は水に淹壊せられん。またいう、歳星が虚宿に出没・入宿して、整整と一年を過ぎて始めて離れば、元を改め年号を換えんとす。《斉伯五星占》にいう、歳星が虚宿に出没・停留・入宿して、十日も還って離れざれば、天下は苦しみを受けん。
《孝經章句》曰:“歲星守虛,在東,民多暴死;守其北,不占;在其西,其歲少雨;在其南,王者宮中有憂;宰相之家坐,棄市。”石氏曰:“歲星守虛,七日以上,盡三十日,王者起宗廟,修陵,家有白衣之會,不出九十日。”甘氏曰:“歲星失色守虛,天子改服,不出六十日。”
《孝経章句》にいう、歳星が虚宿を守りて東側に偏せば、百姓は暴死多からん。北側に守れば、占断を作さず。西側に偏せば、この一年は雨水は稀少なり。南側に偏せば、帝王の宮中に憂患あり、宰相の家は罪を獲て、処死せられ屍を棄てて市に在らん。石氏がいう、歳星が虚宿を守ること七天以上より三十日に至れば、帝王はまさに宗廟を興建し・陵墓を修治し、家に丧服を穿くの聚會あり、九十日を出でずして応験せん。甘氏がいう、歳星が正常の光色を失いて虚宿を守れば、天子はまさに丧服を改換せんとし、六十日を出でずして応験せん。
郗萌曰:“歲星守虛,天下兵大起。又曰:歲星守虛,君將離散,其卒多死亡。”又曰:“歲星守虛,食貴,民自賣。”又曰:“歲星守虛,三月以上,有裂土受爵者。”巫咸曰:“歲星入虛,留守之二十日不下,有立諸侯;六十日不下,國有死亡;百日不下,改年號,大臣戮死,期二年。”
郗萌がいう、歳星が虚宿を守れば、天下は大挙して兵を興さん。またいう、歳星が虚宿を守れば、君主と将帥とは心を離れ徳を離れ、士卒は大量に死亡せん。またいう、歳星が虚宿を守れば、粮食は昂貴し、百姓は身を賣りて活を求めん。またいう、歳星が虚宿を守ること三か月以上なれば、地を割き爵を受くる人あらん。巫咸がいう、歳星が虚宿に進入し、停留・守候して二十日も還って離れざれば、諸侯を冊立せんとす。六十日も還って離れざれば、国中に死丧あらん。一百日も還って離れざれば、年号を改換し、大臣は殺され、期は两年に応ず。いわゆる「裂土受爵」は、郡県の地を分割して功臣を封賞するを謂う。虚宿はもと虚耗と丧哭とを主り、故に歳星の守ること愈々久しければ、応験は則ち冊封より死丧と改元とに転向し、日数は愈々長ければ、災変は愈々重し。
《海中占》曰:“歲星犯虛而守之,王者以凶改服,有白衣之會,不出六十日,天下飢;又民流千里,君臣離散。”(《宋書天文志》曰:惡惠帝永寧元年七月,歲星守虛、危,二年十二月,成都河間長沙王乂討齊王冏,交戰攻焚宮闕,冏兵敗夷滅,乂殺其兄上將軍蹇以下二十餘人,大安二年,成都改長沙,於是公私飢困,百姓力屈。)
《海中占》にいう、歳星が虚宿を侵犯して併せてそれを守住せば、帝王は凶事に因りて丧服を改換し、丧服を穿くの聚會あり、六十日を出でずして、天下は饑饉を鬧かさん。還って百姓の千里に流亡し・君臣の離散するの局面を出現せん。原書小注に《宋書・天文志》を引いていう、晋の恵帝・永寧元年七月、歳星は虚・危の二宿を守れり。二年十二月、成都王・河間王と長沙王・司馬乂とは斉王・司馬冏を討伐し、交戦の中に宮闕を焚燒し、司馬冏は兵敗れて族を滅せられ、司馬乂はその兄・上将軍・司馬蹇以下二十余人を殺せり。太安二年、成都王はまた転じて長沙王を攻打し、ここにおいて公家・私家は皆飢困に陷入し、百姓は力尽き財竭せり、と。
歳星犯危 五
郗萌曰:“歲星入危,政在臣下,期在四十日中。”《荊州占》曰:“歲星入危,三月以上,有受爵土者。又曰:歲星入危,天下大亂,若賊臣起。”《春秋圖》曰:“歲星之危,民不寧處。”石氏曰:“歲星舍色南,雨血膏王室。”郗萌曰:“歲星出入留舍危,六十日不下,國君死之。”
郗萌がいう、歳星が危宿に進入せば、政柄は臣下の手裏に落ち、期は四十日の内に在りて応ず。《荊州占》にいう、歳星が危宿に進入すること三か月以上なれば、人ありて爵位と土地とを封ぜられん。またいう、歳星が危宿に進入せば、天下は大乱し、あるいは乱臣ありて乱を作さん。《春秋図》にいう、歳星が危宿に到れば、百姓は安居を得ざらん。石氏がいう、歳星が危宿の南側に入宿せば(原文「色」は「危」の訛字なり)、天上は血雨を落下し、王室を沾汚せん。郗萌がいう、歳星が危宿に出没・停留・入宿して、六十日も還って離れざれば、国君はまさに此に因りて死せんとす。危宿は天官の中にて屋宇・宮室と土木の営造とを主り、また墳墓・哭泣を主り、分野は斉地に属す、故にこの一宿の占辞は多く土功と丧哭とを講ず。
石氏曰:“歲星守危,三月;若二十日,諸侯兵起。”甘氏曰:“歲星守危,立諸侯,天子更宮室,民多土功,若有哭泣事。”又曰:“歲星守危,民不寧。”巫咸曰:“歲星守危,徭役煩,賦斂眾,下屈竭,莫能俱不,惡其上,強凌弱,兵起。”又曰:“歲星守危,為多盜賊,人民相惡。”
石氏がいう、歳星が危宿を守ること三か月、あるいはただ二十日なれば、諸侯は皆兵を興さん。甘氏がいう、歳星が危宿を守れば、まさに諸侯を冊立し、天子は宮室を改建し、百姓は大いに土木の工程を興し、あるいは哭丧の事あらん。またいう、歳星が危宿を守れば、百姓は安寧を得ざらん。巫咸がいう、歳星が危宿を守れば、徭役は煩重にして、賦税は繁多し、下面の民力は枯竭し、一樣も應付して来る能わず、ここにおいて上位に在る人を怨恨し、強者は弱者を欺凌し、戦事はこれに随いて起こらん。またいう、歳星が危宿を守れば、盗賊は衆多にして、百姓は彼此に仇恨せん。
《海中占》曰:“歲星守危,國有兵憂;一曰兵並起。”郗萌曰:“歲星守危,多雨,為來歲損。”又曰:“歲星守危,為大人蓋屋事。”郗萌曰:“歲星守危,處其東,民多飢死。”《玉曆》曰:“歲星守危,七日以上,去之四尺外,財王者治宗廟,高宮闕,不出四十日。”
《海中占》にいう、歳星が危宿を守れば、国中に兵事の憂いあり。別の一説には各処が同時に兵を起こすなり。郗萌がいう、歳星が危宿を守れば、雨水は過多にして、来年の収成に損及せんとす。またいう、歳星が危宿を守れば、貴人の屋舍を営造するの事を主る。郗萌がいう、歳星が危宿を守りてその東側に偏せば、百姓は餓死する多からん。《玉暦》にいう、歳星が危宿を守ること七天以上、危宿と相距ること四尺以外なれば、帝王は随いて宗廟を修治し・宮闕を加高し(「財」はここに「才」に通じ、随うの義なり)、四十日を出でずして応験せん。
郗萌曰:“歲星守危,其君簡祭祀。”《玄冥占》曰:“歲星入危,守之百日不下,穀貴。”《玄冥占》曰:“歲星入危,守之三十日不下,諸侯兵起;六十日不下,其國亡;百日不下,穀貴,客軍將死。”郗萌曰:“歲星守墳墓,為人主有哭泣之聲。”
郗萌がいう、歳星が危宿を守れば、あの君主は祭祀に對して怠慢・簡略なり。《玄冥占》にいう、歳星が危宿に進入し、守候して一百日も還って離れざれば、穀価は昂貴せん。《玄冥占》またいう、歳星が危宿に進入し、守候して三十日も還って離れざれば、諸侯は兵を興さん。六十日も還って離れざれば、あの国家は滅亡せん。一百日も還って離れざれば、穀価は昂貴し、来犯の客軍の主将は戦死せん。郗萌がいう、歳星が墳墓の星を守れば——危宿の下に墳墓の四星あり——君主の家に哭泣の声あらん。
歳星犯営室 六
石氏曰:“歲星犯營室;犯陽、為陽有急;犯陰、為陰有急。”郗萌曰:“歲星犯營室,有土功之事。”《黃帝占》曰:“歲星入營室,過而去,人主有慶賜之事,天下當有受爵祿者。”郗萌曰:“歲星逆行營室,其君用兵不時;一曰其君不還。”《春秋圖》曰:“歲星之營室,田宅大賤。”
石氏がいう、歳星が営室を侵犯し、陽に属するあの一顆に犯り至れば、陽方に急難あり。陰に属するあの一顆に犯り至れば、陰方に急難あり。郗萌がいう、歳星が営室を犯せば、土木の営造の事あらん。《黄帝占》にいう、歳星が営室に進入し、経過して則ち走り開けば、君主に慶賞・賜与の事あり、天下は当に人ありて爵禄を封ぜられん。郗萌がいう、歳星が営室にて逆行せば、あの君主は兵を用うること時宜に合せざるなり。別の一説にはあの君主は出でて回り来る能わざるなり。《春秋図》にいう、歳星が営室に到れば、田地・房宅の価銭は大いに跌せん。営室は則ち室宿にして、宮室の営造・軍粮の儲備と土木の功とを主り、分野は衛地に属す、故にこの一宿の占辞は多く宮殿・土功と田宅とを講ず。
郗萌曰:“歲星處營室東壁,半赦;其去陽之陰,天下喜,牢中虛。”又曰:“歲星處營室東壁北,入月不移,有兵七十日罷。”又曰:“歲星處營室東,食貴;處南,春食賤;處西南,馬牛賤。”《海中占》曰:“歲星宿營室東,民多徙去;處其北,民有憂。”《北官候》曰:“歲星舍營室,不順正道,其君吏不選者。”
郗萌がいう、歳星が営室と東壁との間に停まれば、部分の赦免あらん。それ若し陽位を離れて陰位に向かい移れば、天下は歓喜し、牢獄はこれがために一空せん。またいう、歳星が営室・東壁の北側に停まり、進入して一か月も還って移動せざれば、戦事ありて、七十日の後に兵を罷めん。またいう、歳星が営室の東側に停まれば、粮価は上漲せん。南側に停まれば、春に粮価は便宜なり。西南側に停まれば、馬牛は便宜なり。《海中占》にいう、歳星が営室の東側に入宿せば、百姓は他に遷徙して去る多からん。北側に停まれば、百姓に憂患あらん。《北官候》にいう、歳星が営室に入宿して正常の軌道を循らざれば、あの君主は官吏を任用して揀選を加えざるなり。
郗萌曰:“歲星出入留舍營室,八十日不下,其地半動;九十日不下,有急令;一曰大將出。”《齊伯五星占》曰:“歲星出入留舍營室,主危。又曰:歲星守之,其國有急令。”《春秋緯》曰:“歲星守營室,天下皆以飢為憂。”《春秋緯》曰:“歲星守營室,其國有急令。”
郗萌がいう、歳星が営室に出没・停留・入宿して、八十日も還って離れざれば、あの一帯の地方は一半の震動を発生せん。九十日も還って離れざれば、まさに緊急の政令を頒下せんとす。別の一説には大将の出征す。《斉伯五星占》にいう、歳星が営室に出没・停留・入宿すれば、君主に危難あるを主る。またいう、歳星が営室を守住せば、あの国家は緊急の政令あらん。《春秋緯》にいう、歳星が営室を守れば、天下は皆饑饉のために愁えん。《春秋緯》またいう、歳星が営室を守れば、あの国家に緊急の政令あらん。
《孝經內記》曰:“歲星守營室,在其東,有喜事,期四十日應;在其北,民憂,期三十日;在其西,期四月、五月,糴貴,及黍貴十倍,有銅弊之事;在其南,不占。”石氏曰:“歲星守營室,人君施,不加親戚;宮中有火災,人君不安。”巫咸曰:“歲星守營室,為民多病疾。”
《孝経内記》にいう、歳星が営室を守りて東側に偏せば、喜慶の事あり、期は四十日に応ず。北側に偏せば、百姓に憂患あり、期は三十日に応ず。西側に偏せば、四月・五月に応じ、米価は上漲し、連ねて黍価もまた十倍に翻漲し、還って銅銭の幣制の敗壞するの事を出現せん。南側に偏せば、占断を作さず。石氏がいう、歳星が営室を守れば、君主は施与ありと雖も、却って自家の親族に加及せず。宮中に火災発生し、君主は坐立安からざらん。巫咸がいう、歳星が営室を守れば、百姓は疾病を生ずる多からん。同じく一個の「守」の字にして、偏する所の方位の同からざるに因りて喜・憂・貴・不占の四种の断法を分出す、これ《孝経内記》の一系の四方に按じて吉凶を定むるの体例なり。
《海中占》曰:“歲星守營室,三日以上,王者去正殿,居省室,布恩德,赦有罪,則無咎。”郗萌曰:“歲星守營室,為土功事,糴貴。”又曰:“歲星守營室南,有遷王;一曰立后。”又曰:“歲星守營室,為大人忌,以赦令解之。又曰:歲星守營室,為宮中女有夭死者。”又曰:“歲星守營室中,為后夫人憂。”
《海中占》にいう、歳星が営室を守ること三天以上なれば、帝王は当に正殿を離れ、偏室に退居して自省し、広く恩徳を布き、罪ある人を赦免し、こすれば則ち災禍あらざらん。郗萌がいう、歳星が営室を守れば、土木の工程の事を主り、米価は上漲せん。またいう、歳星が営室の南側に守れば、遷都の王あらん。別の一説には皇后を冊立す。またいう、歳星が営室を守れば、これ権貴の忌諱する所にして、赦令を用いて以て化解するを要す。またいう、歳星が営室を守れば、宮中に女子ありて夭亡せん。またいう、歳星が営室の正中に守れば、皇后・夫人に憂患あらん。「省室」は正殿の外の便殿にして、此に避居し・徳を布き罪を赦すは、帝王の自ら貶めて以て天変に応ずるの旧法なり。
《玄冥占》曰:“歲星守營室,其年國有得地。”《帝覽嬉》曰:“歲星近守營室,三日以上,王者避正殿,入省室;二十日以上至七十日,王者自整三軍,御賊;天下兵車行。”石氏曰:“歲星犯守營室,君有德者得地歸,與民爵。”郗萌曰:“歲星犯守營室,宮中有夭死,大人皆有土功之事。”《荊州占》曰:“歲星犯守營室,為女有宗廟事,以赦解之。”
《玄冥占》にいう、歳星が営室を守れば、この一年国家は土地を獲得する能くす。《帝覧嬉》にいう、歳星が逼近して営室を守ること三天以上なれば、帝王はまさに正殿を避け、偏室に退入せんとす。停留して二十日以上より七十日に至れば、帝王はまさに親ら三軍を整頓し、賊寇を抵禦し、天下は兵車を出動せんとす。石氏がいう、歳星が侵犯して併せて営室を守住せば、徳ある君主は土地の帰附を得て、併せて百姓に爵位を賜与せん。郗萌がいう、歳星が犯・守して営室すれば、宮中に人ありて夭亡し、権貴らは皆土木の工程を興辦せん。《荊州占》にいう、歳星が犯・守して営室すれば、女子のあの一辺は宗廟の祭祀の事あらん、赦令を用いて以て化解す。この条は前に引く《海中占》の「正殿を去り・省室に居る」と用意相同じく、見るに避殿・布徳・大赦は営室に変ある時の通用の攘解の法なり。
歳星犯東壁 七
《北官候》曰:“歲星入東壁三月,天下男子有慶賀,君受爵祿。”郗萌曰:“歲星逆行東壁,其君決獄不以時,赦令不明。”石氏曰:“歲星居東壁,五穀以水傷。”《春秋圖》曰:“歲星舍東壁,人心不寧。”郗萌曰:“歲星舍東壁北,民憂,期二十五日。”
《北官候》にいう、歳星が東壁に進入すること三か月なれば、天下の男子は喜慶ありて賀す可く、君主は爵禄を封ぜられん。郗萌がいう、歳星が東壁にて逆行せば、あの君主は案を判ずること時節に按らず、赦令もまた明白ならざるなり。石氏がいう、歳星が東壁に居止せば、五穀は水に淹壊せられん。《春秋図》にいう、歳星が東壁に入宿せば、人心は安寧を得ざらん。郗萌がいう、歳星が東壁の北側に入宿せば、百姓に憂患あり、期は二十五日に応ず。東壁は則ち壁宿にして、文章・図籍を主り、また営室と同じく宮室の墻垣の象と為る、故に占辞は常に文士・赦令と営建とに渉る。
又曰:“歲星出入留舍東壁,五十日不下,大人當之;九十日不下,土功大起;百日不下,國空有徙王。”又曰:“歲星出入留舍東壁,人民流亡,不歸其鄉;三十日不下,五穀貴。”甘氏曰:“歲星守東壁,王者有堯舜之治,四海同心。”
またいう、歳星が東壁に出没・停留・入宿して、五十日も還って離れざれば、災の応は権貴の身に落つ。九十日も還って離れざれば、土木の工程は大いに興る。一百日も還って離れざれば、国庫は空虚にして、遷都の王あらん。またいう、歳星が東壁に出没・停留・入宿せば、百姓は流亡して、家郷に回る能わざらん。三十日も還って離れざれば、五穀は昂貴せん。甘氏がいう、歳星が東壁を守れば、帝王は唐堯・虞舜のごとき治績あり、四海の内は同心に帰附せん。
郗萌曰:“歲星守東壁,人君施不加親戚,宮中有火災,人君不安。”又曰:“歲星守東壁,諸侯相謀。”又曰:“歲星守東壁,為大人衛守。”又曰:“歲星守東壁,為天下兵起;一曰秋兵起。”又曰:“歲星守東壁,為有土功事。”又曰:“歲星守東壁,為歲多晚水。”
郗萌がいう、歳星が東壁を守れば、君主の施恩は自家の親族に及ばず、宮中に火災発生し、君主は坐立安からざらん。またいう、歳星が東壁を守れば、諸侯の間は互相に図謀せん。またいう、歳星が東壁を守れば、権貴のために衛兵を増設して戍守するを主る。またいう、歳星が東壁を守れば、天下は兵を興さん。別の一説には秋に兵を興す。またいう、歳星が東壁を守れば、土木の工程の事あらん。またいう、歳星が東壁を守れば、この一年の後期は水多からん。壁宿は既に宮室の墻垣を主り、また図書・文籍を主る、故に火災・営造・宿衛のこの幾類の応験は皆その名下に帰す。
《荊州占》曰:“歲星守東壁,去之九寸,守四十日至百四十日,王者好文章,天下舉用文士,不出百八十日。”陳卓曰:“歲星守東壁,天下大赦。”《玄冥占》曰:“歲星守東壁,天下大興,有聖主朝延,君臣天下同心。”《河圖》曰:“歲星逆行守東壁,若成勾已,其君教令不明,人心不寧,木能害土故也。”
《荊州占》にいう、歳星が東壁を守り、相距ること九寸にして、守候して四十日より一百四十日に至れば、帝王は文章を喜好し、天下は文士を推挙・任用し、一百八十日を出でずして応験せん。陳卓がいう、歳星が東壁を守れば、天下は大赦す。《玄冥占》にいう、歳星が東壁を守れば、天下は大いに興盛にして、聖明の君主ありて朝に臨み、君臣と天下人とは同心なり。《河図》にいう、歳星が逆行して東壁を守り、若是れ勾曲の形を走り成して停住せば、あの君主の教令は明ならず、人心は安ならず——これは木の能く土を克するの縁故なり。いわゆる「成勾已」は、歳星の逆行の軌跡が屈曲して鉤のごとくして滞留して進まざるを謂い、古人はこれを凶象と視たり。
開元占經 卷二十六
歳星占 四
歳星犯西方七宿
歳星犯奎 一
郗萌曰:“歲星入奎,其年五穀以蟲為害。居其南,春糴賤,牛馬繒帛皆賤;居其西,糴貴,凡物皆貴。民不安。”《海中占》曰:“歲星潤澤,出奎,有善令,變色入奎,有偽令來者;若出奎,有偽令,出使者。”《帝覽嬉》曰:“歲星之奎,有喜慶之事,若有赦令。”石氏曰:“歲星居奎,五穀以水傷;處奎中,有土功之事。”
郗萌がいう、歳星が奎宿に進入せば、この一年は五穀は虫害に遭わん。それが奎宿の南側に居れば、春に米価は便宜にして、牛馬と絲織品とは皆便宜なり。西側に居れば、米価は昂貴し、各種の物品は皆価を漲し、百姓は安寧を得ざらん。《海中占》にいう、歳星が色沢潤美にして奎宿より出づれば、善政の令あらん。色を変えて奎宿に進入せば、假冒の詔令の伝来するあらん。若是れ変色して奎宿より出づるも、また偽令ありて、併せて使者を派出せん。《帝覧嬉》にいう、歳星が奎宿に到れば、喜慶の事あり、あるいは赦令を頒下せん。石氏がいう、歳星が奎宿に居止せば、五穀は水に淹壊せられん。奎宿の中に停まれば、土木の工程の事あらん。奎宿は溝渠・水道を主り、また武庫・兵事を主り、分野は魯地に属す。
郗萌曰:“歲星處奎中,有白衣之會。”《海中占》曰:“歲星處奎中,小赦。”《帝覽嬉》曰:“歲星舍奎南,牛馬繒布帛賤;舍其北,八月兵起,七十二日罷,或至三歲乃罷。”《海中占》曰:“歲星舍奎處其南,春食賤;處其東,糴乍賤乍貴,民移徙,不安;處其西,四月、五月食貴;處其北,民憂。”
郗萌がいう、歳星が奎宿の中に停まれば、丧服を穿くの聚會あらん。《海中占》にいう、歳星が奎宿の中に停まれば、小規模の赦免あらん。《帝覧嬉》にいう、歳星が奎宿の南側に入宿せば、牛馬と絲綿・布帛とは便宜なり。北側に入宿せば、八月に兵を興し、七十二日に兵を罷め、あるいはまさに拖到して三年に至って始めて罷めん。《海中占》にいう、歳星が奎宿に入宿してその南側に停まれば、春に粮価は便宜なり。東側に停まれば、米価は忽ち賤く忽ち貴く、百姓は遷徙して安ならず。西側に停まれば、四月・五月は粮価上漲せん。北側に停まれば、百姓に憂患あらん。
《齊伯五星占》曰:“歲星出入留舍奎,有小旱晚多水雨,居左右者不占,其中者,外客軍且來矣。”《黃帝占》曰:“歲星守奎北,夷來降。”《洛書》曰:“歲石氏曰:“歲星守奎,大飢。”甘氏曰:“歲星守奎,其國道興,王者至仁行,忠臣並進,天下三年而平。”
《斉伯五星占》にいう、歳星が奎宿に出没・停留・入宿せば、先に小旱ありて後期は雨水多からん。それが奎宿の左右の両側に居るは占断を作さず、正中に居るは、境外の客軍は則ち来らんとす。《黄帝占》にいう、歳星が奎宿の北側に守れば、夷狄は前来りて帰降せん。《洛書》にいう、歳——ここ底本に脱文あり、《洛書》の一条はただ一個の「歳」の字を残して便ち石氏の説に接す。石氏がいう、歳星が奎宿を守れば、大饑饉せん。甘氏がいう、歳星が奎宿を守れば、あの国家の治道は興盛し、帝王は至仁の政を施行し、忠臣は一斉に進用を得て、天下は三年の内に太平に帰せん。
《海中占》曰:“歲星守奎,執法吏多死。”《海中占》曰“歲星守奎,逆行,旱,五穀耗;其順行,色潤澤,即星守天庫,多獄貴人。”又曰:“歲星守天庫,以飢起兵,若有客軍。”又曰:“歲星守奎,為有溝瀆事;一曰有水事。”
《海中占》にいう、歳星が奎宿を守れば、法度を執掌する官吏は死亡多からん。《海中占》またいう、歳星が奎宿を守りて逆行せば、天は旱し、五穀は歉収せん。若是れ順行して、星の色潤沢なれば、則ち星が天庫を守るに等しく、牢獄の裏に関押せらるる貴人は甚だ多からん。またいう、歳星が天庫の星を守れば、饑饉に因りて兵を起こし、あるいは客軍ありて来犯せん。またいう、歳星が奎宿を守れば、溝を開き渠を修するの事あらん。別の一説には水患の事あるなり。
《荊州占》曰:“歲星守奎,王者憂之;一曰大人當之。”又曰:“歲星逆行守奎,女子多死。”《河圖》曰:“歲星入奎中而守之,國有匿謀,有兵起,人主有憂;若大臣當之。”甘氏曰:“歲星逆行入奎而守之,其君好攻戰,兵甲不息,人民流亡,不安其居。”
《荊州占》にいう、歳星が奎宿を守れば、帝王はこれがために憂慮せん。別の一説には災の応は権貴の身に落つ。またはいう、歳星が逆行して奎宿を守れば、女子は死亡多からん。《河図》にいう、歳星が奎宿の中に進入して併せてそれを守住せば、国中に隠秘の陰謀あり、戦事の興起あるを会し、君主に憂患あらん。あるいは災の応は大臣の身に落つ。甘氏がいう、歳星が逆行して奎宿に進入して併せてそれを守住せば、あの君主は攻戦を喜好し、甲兵は停まらず、百姓は流亡して、安居する能わざらん。奎宿は西方の白虎の首にして、もと兵庫・武備を主り、歳星が逆行してそれを守れば、故に諸家は皆国に隠謀あり・攻戦は休まざると断ず。
歳星犯婁 二
《荊州占》曰:“歲星入婁,國有聚人,若有喪,期一年。”《海中占》曰:“歲星入居婁中,小赦。”《春秋圖》曰:“歲星之婁,牛馬大賤。”郗萌曰:“歲星居婁,五穀以水傷,歲多水。”《海中占》曰:“歲星處婁南,春食賤,牛馬繒帛賤;處其北,八月兵起,七十二日罷,遠期三年。”郗萌曰:“歲星處婁北,有奪地之君;處東,金器貴。”《海中占》曰:“歲星舍婁、胃,去婁、舍奎,有赦。”
《荊州占》にいう、歳星が婁宿に進入せば、国中に衆を聚むるの事あり、あるいは丧事あり、期は一年に応ず。《海中占》にいう、歳星が進入して併せて婁宿の中に停まれば、小規模の赦免あらん。《春秋図》にいう、歳星が婁宿に到れば、牛馬の価銭は大いに跌せん。郗萌がいう、歳星が婁宿に居止せば、五穀は水に淹壊せられ、この一年は水多からん。《海中占》にいう、歳星が婁宿の南側に停まれば、春に粮価は便宜にして、牛馬と絲織品ともまた便宜なり。北側に停まれば、八月に兵を興し、七十二日に兵を罷め、遠きは三年に要到せん。郗萌がいう、歳星が婁宿の北側に停まれば、人の土地を奪うの君主あらん。東側に停まれば、金属の器物の価貴からん。《海中占》にいう、歳星が婁宿・胃宿に入宿し、婁宿を離れて奎宿に入宿せば、赦令あらん。婁宿は苑囿・牧養と祭祀の犠牲とを主り、また衆を聚め兵を興すを主り、分野は魯地に属す。
《河圖聖治符》曰:“歲星守婁,天下赦。”石氏曰:“歲星守婁,三十日不下,天下平;九十日不下,國有兵,穀貴。”甘氏曰:“歲星守婁,王者承天得度,天下安平。”巫咸曰:“歲星守婁,王者承天位,天下安寧,有慶賀,有兵罷。”司馬彪曰:“歲星守婁,為兵為匿謀。”《海中占》曰:“歲星守婁中,又暈之,大赦;期九十日。”
《河図聖治符》にいう、歳星が婁宿を守れば、天下は大赦す。石氏がいう、歳星が婁宿を守りて三十日も還って離れざれば、天下は太平す。九十日も還って離れざれば、国中に戦事あり、穀価は上漲せん。甘氏がいう、歳星が婁宿を守れば、帝王は天命を承受して法度に合し、天下は安定・太平せん。巫咸がいう、歳星が婁宿を守れば、帝王は天子の位を承継し、天下は安寧し、喜慶ありて賀す可く、戦事もまたこれに随いて停息せん。司馬彪がいう、歳星が婁宿を守れば、兵事を主り、また暗中の図謀を主る。《海中占》にいう、歳星が婁宿の中に守り、また光暈ありてそれを環繞せば、天下は大赦し、期は九十日に応ず。婁宿はもと衆を聚むるを主り、故に同じく一個の「守」の字にして、既に天を承け位を得・天下の安平と断ず可く、また国中に兵あり・穀価の上漲と断ず可し、全て停留の日数と星色とが如何なるを看るに在り。
巫咸曰:“歲星守婁,民多疾疫。”郗萌曰:歲星守婁,有土功之事;一曰大熱。”又曰:“歲星守婁,歲多獄貴人。”又曰:“歲星守婁,有死君,歲大飢。”又曰:“歲星守婁,有白衣之會。”《荊州占》曰:“歲星守婁東,有徙民;守其北,有兵;守其西,不占;守其陰,牢空,天下有慶賀。”
巫咸がいう、歳星が婁宿を守れば、百姓は疫病を生ずる多からん。郗萌がいう、歳星が婁宿を守れば、土木の工程の事あらん。別の一説には天気の酷熱す。またいう、歳星が婁宿を守れば、この一年に獄に下る貴人は甚だ多からん。またいう、歳星が婁宿を守れば、国君の去世するありて、当年は大いに饑饉せん。またいう、歳星が婁宿を守れば、丧服を穿くの聚會あらん。《荊州占》にいう、歳星が婁宿の東側に守れば、百姓の遷徙するあり。北側に守れば、戦事あり。西側に守れば、占断を作さず。背陰の一面に守れば、牢獄は空虚にして、天下に喜慶ありて賀す可し。「その陰に守る」とは婁宿の背光の一側に守るを指し、前の守東・守北・守西と併列して、四方に按じて分断するの旧例に属す。
又曰:“歲星守婁,有德令,牛馬多死,苑囿空虛。”《玄冥占》曰:“歲星守婁,去之五尺以外,守之十五日以上,至三十日,王者出祀四海、山川、百神,不出九十日。”《西官候》曰:“歲星守婁南,春糴賤,牛馬又賤,皆在歲月中;守其東,一貴一賤;守其中,有白衣之會,又有小赦。”
またいう、歳星が婁宿を守れば、恩を施すの徳令を頒下せんとすも、牛馬は大批に死亡し、苑囿は変じて空虚とならん。《玄冥占》にいう、歳星が婁宿を守り、相距ること五尺以外にして、守候して十五日以上より三十日に至れば、帝王はまさに出行して四海・山川と百神とを祭祀せんとし、九十日を出でずして応験せん。《西官候》にいう、歳星が婁宿の南側に守れば、春に米価は便宜にして、牛馬もまた便宜なり、皆応はこの一年の内に在り。東側に守れば、物価は忽ち貴く忽ち賤し。正中に守れば、丧服を穿くの聚會あり、また小規模の赦免あらん。婁宿はもと苑囿と犠牲とを主り、故に《玄冥占》はそれを四海・山川の祭祀に繫げ、《西官候》は則ちそれを牛馬と穀価とに繫ぐ、各々その本宿の主る所の事に就いて以て説を立つ。
《玄冥占》曰:“歲星守婁,六畜大貴,其國尤甚。”《海中占》曰:“歲星逆行守婁;甚其君牢吏,獄斷不以時,人多怨訟,若有赦令。”《感精符》曰:“歲星入婁,犯守之,有白衣眾聚;三十日不下,其國有兵;九十日不下,必有大喪,期三年。”
《玄冥占》にいう、歳星が婁宿を守れば、六畜の価銭は暴漲し、婁宿の分野のあの国家は尤其に厲しからん。《海中占》にいう、歳星が逆行して婁宿を守れば、あの君主の手下の獄吏は苛刻・太甚にして、案を断ずること時限に按らず、人々は怨恨・訴訟多く、随い後あるいは赦令あらん。《感精符》にいう、歳星が婁宿に進入し、侵犯して併せてそれを守住せば、大批の丧服を穿く人の聚集あらん。三十日も還って離れざれば、あの国家に戦事あり。九十日も還って離れざれば、必ず大丧あり、期は三年に応ず。
歳星犯胃 三
郗萌曰:“歲星犯胃,為天下谷不實;以食為憂。”石氏曰:“歲星經胃、昴、畢,趙水澇,魚行人道。”《春秋圖》曰:“歲星之胃,其年早霜。又曰:歲星處胃北,八月兵起,七十二日罷,遠三年。”郗萌曰:“歲星處胃中,有白衣之會;處其南,男子疾,一曰牛馬賤;處其東,民移徙不定,若食貴。又曰:歲星舍胃,是謂去陽之陰;有喜,牢空。”
郗萌がいう、歳星が胃宿を侵犯せば、天下の穀粒は長じて飽満せず、人々は飯を食らうのために愁えん。石氏がいう、歳星が胃・昴・畢の三宿を経行せば、趙地は水涝し、魚は人の歩く路に遊ばん。《春秋図》にいう、歳星が胃宿に到れば、この一年は霜の下ること早からん。またいう、歳星が胃宿の北側に停まれば、八月に兵を興し、七十二日に兵を罷め、遠きは三年を要せん。郗萌がいう、歳星が胃宿の中に停まれば、丧服を穿くの聚會あらん。南側に停まれば、男子は病を生じ、別の一説には牛馬は便宜なり。東側に停まれば、百姓は遷徙して定まらず、あるいは粮価上漲せん。またいう、歳星が胃宿に入宿するは、これを陽位を離れて陰位に入ると謂い、喜事あるを主り、牢獄は一空せん。胃宿は天官の中にて倉廩・積穀を主り、分野は趙地に属す。
《荊州占》曰:“歲星宿之逆行胃,其君不愛五穀。”《齊伯五星占》曰:“歲星入留守胃,國家即妄動土功,事不祥,小人且亡絲綿布帛,有急令。”郗萌曰:“歲星出入留舍胃,兵起,不用;一曰大人有憂;一曰十月小旱。”《巫咸占》曰:“歲星守胃,為兵災,萬物不成。”
《荊州占》にいう、歳星が入宿して胃宿にて逆行せば、あの君主は五穀を愛惜せざるなり。《斉伯五星占》にいう、歳星が進入して併せて停留・守候して胃宿すれば、国家は則ち軽率に大いに土木を興し、事は吉利ならず、小民はまさに絲綿・布帛を失掉せんとし、還って緊急の政令あらん。郗萌がいう、歳星が胃宿に出没・停留・入宿せば、兵事は興ると雖も却って真に動用せざるなり。別の一説には権貴に憂患あり。還って一説には十月に小旱あり。《巫咸占》にいう、歳星が胃宿を守れば、兵災を主り、万物は長成せざらん。
《黃帝占》曰:“歲星守胃,國以無義失幣;有水旱事。”甘氏曰:“歲星守胃,王者順天德,中畿國昌。”《海中占》曰:“歲星守胃,歲大熱;一曰五穀大熟。”郗萌曰:“歲星守胃,趙兵伐中國。”《荊州占》曰:“歲星守胃,三尺以外,守入二十日,王者開倉廩,大賦天下,轉運不出百八十日。”
《黄帝占》にいう、歳星が胃宿を守れば、国家は道義に合わざるに因りて財貨を損失せん。還って水旱の事あらん。甘氏がいう、歳星が胃宿を守れば、帝王は上天の徳に順応し、京畿の内は国運昌盛せん。《海中占》にいう、歳星が胃宿を守れば、この一年は天気酷熱す。別の一説には五穀の大いに熟するなり。郗萌がいう、歳星が胃宿を守れば、趙国は兵を出して中原を討伐せん。《荊州占》にいう、歳星が胃宿を守り、相距ること三尺以外にして、守候して進入すること二十日なれば、帝王はまさに粮倉を打ち開き、天下に向かい大挙して賑給し、粮食の轉運は一百八十日を出でざらん。胃は上天の倉廩なり、故にこの幾条は吉凶を断ずると無論、落脚する処は皆倉儲・賑濟と穀価との上に在り。
《甄曜度》曰:“歲星入胃,犯守之國,有更令,大人有憂;若有禍殃,必有土功。”郗萌曰:“歲星犯守胃,鄰國有暴兵伐中國者。”《荊州占》曰:“歲星犯胃國,有變更之令,期四月;又曰天下獄空。”陳卓曰:“歲星犯守胃,天下無人。”
《甄曜度》にいう、歳星が胃宿に進入し、およそそれに侵犯・守住せられたる国家は、政令を更改し、権貴に憂患あらん。若し禍殃の降臨するあらば、必ず土木の工程を伴わん。郗萌がいう、歳星が犯・守して胃宿すれば、隣国に暴兵をもって中原を討伐する者あらん。《荊州占》にいう、歳星が胃宿の分野の国家を侵犯せば、変更の令あり、期は四か月に応ず。またいう、天下の牢獄はこれがために一空せん。陳卓がいう、歳星が犯・守して胃宿すれば、天下の人口は凋敝せん。
歳星犯昴 四
《甄曜度》曰:“歲星入昴,胡兵入國,有土功,若有赦令。”郗萌曰:“歲量入昴,天下有白衣之會,期六十日;遠百二十日。”郗萌曰:“歲星入昴中,小赦。”《西官候》曰:“歲星入昴,為金寶貴。”《春秋圖》曰:“歲星之昴,棺木大貴。”郗萌曰:“歲星乘昴,若出北者,為陰國憂;若外,王死。”
《甄曜度》にいう、歳星が昴宿に進入せば、胡人の軍隊は国境に闖入し、土木の工程あり、あるいは赦令を頒下せん。郗萌がいう、歳星(原文は「歳量」と作る、「量」は「星」の訛字なり)が昴宿に進入せば、天下に丧服を穿くの聚會あり、期は六十日に応じ、遠きは一百二十日なり。郗萌またいう、歳星が昴宿の中に進入せば、小規模の赦免あらん。《西官候》にいう、歳星が昴宿に進入せば、金銀・宝貨は価貴からん。《春秋図》にいう、歳星が昴宿に到れば、棺木の価銭は暴漲せん。郗萌がいう、歳星が昴宿を凌乗し、若し北面より出づれば、陰方の国に憂いあるを主る。若是れ外辺に出づれば、君王はまさに死せんとす。昴宿はまた髦頭・天獄と謂い、胡兵と刑獄・丧事とを主り、分野は趙地に属す。
郗萌曰:“歲星居昴、畢間,赤色,大旱;一曰其國有大殃。”又曰:“歲星處昴南,男子病,歲旱早,水晚;處昴北,多暴雨;處昴東,徙民。”又曰:“歲星留之逆行昴,其君殺不辜。”《荊州占》曰:“歲量舍昴處南,有土功,民多口舌。”
郗萌がいう、歳星が昴宿と畢宿との間に停まり、赤色を呈すれば、天下は大旱す。別の一説にはあの国家に大いなる禍殃あるなり。またいう、歳星が昴宿の南側に停まれば、男子は病を生じ、この一年は前期乾旱・後期水多からん。昴宿の北側に停まれば、暴雨多からん。昴宿の東側に停まれば、百姓は遷徙せん。またいう、歳星が停留して昴宿にて逆行せば、あの君主は濫りに無辜を殺すなり。《荊州占》にいう、歳星(原文は「歳量」と作る)が昴宿に入宿して南側に停まれば、土木の工程あり、百姓は口舌の是非多からん。
郗萌曰:“歲星入留舍昴,五十日不下,必有死君,期三歲;若有死將,期四月。”又曰:“歲星出入留舍昴,其年早霜。”《齊伯五星占》曰:“歲星出入留舍昴,胡人以出,其國無兵,禾豆耗,布帛貴。”《黃帝占》曰:“歲星守昴東,糴大貴,三月復;守北,其國有德令。”
郗萌がいう、歳星が進入・停留・入宿して昴宿し、五十日も還って離れざれば、必ず国君の死去するあり、期は三年に応ず。若是れ主将の死亡すれば、期は四か月に応ず。またいう、歳星が昴宿に出没・停留・入宿せば、この一年は霜の下ること早からん。《斉伯五星占》にいう、歳星が昴宿に出没・停留・入宿せば、胡人は此より出動すも、あの国家は併して戦事なく、禾稼・豆類は歉収し、布帛は価貴からん。《黄帝占》にいう、歳星が昴宿の東側に守れば、米価は大いに漲り、三か月の後に回復せん。北側に守れば、あの国家は恩を施すの徳令あらん。
《孝經章句》曰:“歲星守昴在其南,糴一貴一賤,其月土功,有死君,變其政;在其東,金器刀劍貴;在其北,有別離之國,奪地之君,若死;在其西,不占。”甘氏曰:“歲星守昴,王者有德令。昴者,天之囚室,歲星近之,下獄之臣皆有解者,不出四十日。”
《孝経章句》にいう、歳星が昴宿を守りて南側に偏せば、米価は忽ち貴く忽ち賤く、当月に土木を興起し、国君の去世するありて、政局はこれに随いて更改せん。東側に偏せば、金属の器皿と刀剣とは価貴からん。北側に偏せば、分離する邦国・地を奪うの君主あり、あるいは人ありて死亡せん。西側に偏せば、占断を作さず。甘氏がいう、歳星が昴宿を守れば、帝王は恩を施すの徳令を頒下せん。昴宿は上天の牢獄にして、歳星がそれに靠近せば、獄に下る臣子は皆開釋を得、四十日を出でずして応験せん。
巫咸曰:“歲星守昴,大飢;為萬物不成。又曰:歲星守昴,大旱;多火災,若有兵。”《海中占》曰:“歲星守昴,天倉實。”郗萌曰:“歲星守昴,夷狄勝中國。又曰:歲星守昴北,多暴雨。”又曰:“歲星守昴東,行至天天高復反,至五車邊,兵發;一曰為赦令。”石氏曰:“歲星入,若守天獄,天下獄虛。”
巫咸がいう、歳星が昴宿を守れば、大いに饑饉し、万物は長成せざらん。またいう、歳星が昴宿を守れば、大旱にして、火災多く、あるいは戦事あらん。《海中占》にいう、歳星が昴宿を守れば、天倉の星の主る粮仓は充実せん。郗萌がいう、歳星が昴宿を守れば、夷狄は中原に戦勝せん。またいう、歳星が昴宿の北側に守れば、暴雨多からん。またいう、歳星が昴宿の東側に守り、天高の星に行き到りて後に折り返り、五車の星の旁に走り至れば、兵事は発動せん。別の一説には赦令を主る。石氏がいう、歳星が進入しあるいは天獄の星を守住せば、天下の牢獄は一空せん。天獄は正しく昴宿の別名にして、天高・五車もまた皆昴・畢の近旁に在り、故に郗萌は歳星のこの一帯の行度を用いて以て兵事と赦令とを推斷す。
《河圖》曰:“歲星犯守昴,大臣有坐法死者,津關吏憂,人民飢多,食草實。”郗萌曰:“歲星中犯乘守昴,為兵,北征於狄;一曰近臣為亂;一曰白衣之會。”甘氏曰:“歲星守昴,王者失禮,陷於刑;大赦除咎。”郗萌曰:“歲星中犯乘守昴,天下有福;一曰近臣為亂。”
《河図》にいう、歳星が侵犯して併せて昴宿を守住せば、大臣の中に刑法に触犯して死する者あり、渡口・関卡の官吏に憂患あり、餓に挨ぐる百姓は甚だ多く、ただ草籽を食らいて以て日を度る能くすのみ。郗萌がいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して併せて昴宿を守住せば、兵事を主り、北に向かい狄人を征討せん。別の一説には近臣の乱を作す。還って一説には丧服を穿くの聚會なり。甘氏がいう、歳星が昴宿を守れば、帝王は礼を失うの処あり、刑罰の中に陥り、大赦を頼りて以て咎殃を消除するを要す。郗萌がいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して併せて昴宿を守住せば、天下に福あらん。別の一説には近臣の乱を作すなり。
歳星犯畢 五
《黃帝占》曰:“歲星犯畢,出其北,為陰國有憂;出其南,為陽國有憂。”《聖洽符》曰:“歲星入畢口,將相憂,大人當之;期不出百八十日。”石氏曰:“歲星入畢中,邊有兵。”巫咸曰:“歲星入畢中,各伺其出日而數之,期二十日為兵發。伺始入處之率,一日期十日,為軍罷。”
《黄帝占》にいう、歳星が畢宿を侵犯し、それの北面より出づれば、陰方の国に憂いあるを主る。それの南面より出づれば、陽方の国に憂いあるを主る。《聖洽符》にいう、歳星が畢宿の口部に進入せば、将相は憂懼し、災の応は権貴の身に落ち、期は一百八十日を出でずに応ず。石氏がいう、歳星が畢宿の中に進入せば、辺境に戦事あらん。巫咸がいう、歳星が畢宿の中に進入せば、各々それの出づるあの日より起算して、期は二十日の上に兵事発動す。再びそれの当初の進入の位置に照らして推せば、別の一説には期十日に応じて軍隊は解散す。畢宿は辺兵と田猟とを主り、また雨沢を主り、分野は魏・趙の地に属す。
郗萌曰:“歲星入畢,為其國易主。”又曰:“歲星入畢中,邊有憂兵。”《西官候》曰:“歲星入畢中,八十日若有百四十日,人君謀兵,大起。”石氏曰:“歲星出畢陽,則旱;出華陰,則水;為政令不行。”郗萌曰:“歲星逆行畢,其君畋獵不時,若徙倚不明,其君不敬祠。”《春秋圖》曰:“歲星之畢,有德令。”
郗萌がいう、歳星が畢宿に進入せば、あの国家はまさに君主を換えんとす。またいう、歳星が畢宿の中に進入せば、辺境に兵患の憂いあらん。《西官候》にいう、歳星が畢宿の中に進入すること八十日あるいは一百四十日なれば、君主は兵を用うるを謀劃し、大規模に発動せん。石氏がいう、歳星が畢宿の南面より出づれば、則ち乾旱す。華山の北のあの一帯より出づれば、則ち水を発し、政令もまた推行して下らざらん。郗萌がいう、歳星が畢宿にて逆行せば、あの君主は田猟すること時節に按らず、あるいは徘徊・猶疑して心志は明ならず、而且して祭祀に對して恭敬ならざるなり。《春秋図》にいう、歳星が畢宿に到れば、恩を施すの徳令あらん。
郗萌曰:“歲星居畢、昴間,色赤,大旱,國有大殃在王;一曰在民。”又曰:“歲星處畢北,其歲有赦令;有別離之國,奪地之君;一曰歲星處畢南,有土功,男子多疾;早旱,晚水;處畢東,多暴雨,金器刀劍貴。”
郗萌がいう、歳星が畢宿と昴宿との間に停まり、顔色は紅を發せば、大旱にして、国に大いなる禍殃あり、君王の身に応ず。別の一説には百姓の身に応ず。またいう、歳星が畢宿の北側に停まれば、この一年に赦令あり、分離する邦国・地を奪うの君主あらん。別の一説には歳星が畢宿の南側に停まるは、土木の工程あり、男子は病多く、前期乾旱・後期水多からん。畢宿の東側に停まれば、暴雨多く、金属の器皿と刀剣とは価貴からん。
又曰:“歲星出入留舍畢二十日,其國有以武致天下;絲絮布帛大貴,雨百斤千。”《荊州占》曰:“歲星出入留舍畢,三十日不下,人民流亡,不反故鄉。”《春秋圖》曰:“歲星守畢,王者出遊獵;不出四十日,兵車行。”石氏曰:“歲星守畢中,國大赦,王賜夷狄,若有德令;一曰糴大貴。”
またいう、歳星が畢宿に出没・停留・入宿すること二十日なれば、あの国家は武力を憑にして天下を取得せんとす。絲綿・布帛の価銭は暴漲し、百斤は千銭に賣らるるを要せん。《荊州占》にいう、歳星が畢宿に出没・停留・入宿して、三十日も還って離れざれば、百姓は流亡して、故郷に回る能わざらん。《春秋図》にいう、歳星が畢宿を守れば、帝王はまさに出外して遊猟せんとす。四十日を出でずして、兵車は出動せん。石氏がいう、歳星が畢宿の中に守れば、国中は大赦し、帝王は夷狄を賞賜し、あるいは恩を施すの徳令を頒下せん。別の一説には米価の大いに漲るなり。
巫咸曰:“歲星守畢,為大旱,多水災。”郗萌曰:“歲星守畢,萬物不成,國以飢亡。”《玉曆》曰:“歲星入畢,留守之三十日不下,人君有謀,大兵起,有攻戰,客軍敗,人民流亡,不反其鄉,期一年。”陳卓曰:“歲星犯守畢,年穀小豐。”《西官候》曰:“歲星犯守畢,軍亂國,有赦令,王者有賜夷狄,若有謀兵,期八十日,若二百四十日。”陳卓曰:“歲星犯畢、附耳,兵起,若將相有喪,憂也;若不,即免退。”
巫咸がいう、歳星が畢宿を守れば、大旱を主り、また水災多からん。郗萌がいう、歳星が畢宿を守れば、万物は長成せず、国家は饑饉に因りて滅亡せん。《玉暦》にいう、歳星が畢宿に進入し、停留・守候して三十日も還って離れざれば、君主は謀劃する所有り、大挙して兵を興し、攻戦を発生し、客軍は戦敗れ、百姓は流亡して家郷に回る能わず、期は一年に応ず。陳卓がいう、歳星が犯・守して畢宿すれば、この一年は穀物は略しく豊収あらん。《西官候》にいう、歳星が犯・守して畢宿すれば、軍隊は国中にて乱を作し、随い後に赦令あり、帝王は夷狄を賞賜し、あるいは兵を用うるを謀劃し、期は八十日に応じ、あるいは二百四十日なり。陳卓がいう、歳星が畢宿と附耳の星とを侵犯せば、戦事は興起し、あるいは将相に丧ありて、人をして憂懼せしめん。若是れこのごとくならざれば、則ち免職・退位せらるるなり。附耳の一星は畢宿の下に在り、讒言を聴察するを主り、また畢宿と同じく辺兵を主る、故に陳卓は両者を一処に合して占断す。
歳星犯觜觽 六
石氏曰:“歲星犯觜觽,萬物不成。”石氏曰:“歲星犯觜觽,其國兵起,天下動移。”郗萌曰:“歲星入觜觽中,伺其出日而數之,期二十日,兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”郗萌曰:“歲星入觜觽,五穀更貴更賤,歲一旱一水,天氣不和調;一曰有兵。”
石氏がいう、歳星が觜觽を侵犯せば、万物は長成せざらん。石氏またいう、歳星が觜觽を侵犯せば、あの国家は戦事を興起し、天下は動蕩・遷移せん。郗萌がいう、歳星が觜觽の中に進入し、それの出づるあの日より起算して、期は二十日の上に兵事発動す。再びそれの当初の進入の位置に照らして推せば、別の一説には期十日に応じて軍隊は解散す。郗萌またいう、歳星が觜觽に進入せば、五穀は時に貴く時に賤く、この一年は一旱一涝して、天気は調和を失せん。別の一説には戦事あるなり。觜觽は白虎の首にして、葆聚・収斂と三軍の偵候の事とを主り、分野は魏地に属す。
郗萌曰:“歲星入觜觽,多盜賊。”又曰:“歲星逆行觜觽,其國君誅罰不當。”《春秋圖》曰:“歲星之觜觽,兵器大貴。”《洪範傳》曰:“歲星舍觜觽,為白衣之會。”郗萌曰:“歲星入留觜觽,六十日不下,禾豆半傷,九十日不下,侯王見功。”又曰:“歲星出入留舍觜觽,二百日不下,客軍大敗,主人大勝;一曰山林空。”
郗萌がいう、歳星が觜觽に進入せば、盗賊は甚だ多からん。またいう、歳星が觜觽にて逆行せば、あの国君は誅罰を施行してその当を得ざるなり。《春秋図》にいう、歳星が觜觽に到れば、兵器の価銭は暴漲せん。《洪範伝》にいう、歳星が觜觽に入宿せば、丧服を穿くの聚會あるを主る。郗萌がいう、歳星が進入して併せて觜觽に停留して、六十日も還って離れざれば、禾稼・豆類は一半を損傷せん。九十日も還って離れざれば、侯王は功業を顕現せん。またいう、歳星が觜觽に出没・停留・入宿して、二百日も還って離れざれば、客軍は大敗し、主軍は大勝せん。別の一説には山林のこれがために一空するなり。「入留」は進入しての後滞留して動かざるを謂い、「出入留舍」のあの反復・出没するに同じからず、故に両者の記する所の日数と応験の軽重ともまた各々分別あり。
石氏曰:“歲星守觜觽,三日以上,王者大將軍出兵在道。”石氏曰:“歲星守觜觽,國有反者,民疫,天下大飢。又曰:歲星守觜觽西方,客動侵地,欲為君主,崇禮以制義,則國安。”又曰:“歲星守觜觽,君臣和同。”《荊州占》曰:“歲星守觜觽,妖怪起,丁壯多暴死。”《玄冥占》曰:“歲星守觜觽,大臣且亡。”(魏時木守觜觽,後諸葛公亡。)
石氏がいう、歳星が觜觽を守ること三天以上なれば、帝王の大将軍は已に兵を領して路に上れり。石氏またいう、歳星が觜觽を守れば、国中に谋反する人あり、百姓は疫病を生じ、天下は大いに饑饉せん。またいう、歳星が觜觽の西方に守れば、客軍は出動して土地を侵奪し、自ら立ちて君と為らんと欲せん。この時若能く礼制を尊崇し・義をもって裁断せば、国家は則ち安定する能し。またいう、歳星が觜觽を守れば、君臣は和睦・同心せん。《荊州占》にいう、歳星が觜觽を守れば、妖異・怪事は頻出し、壮年の男子は暴死多からん。《玄冥占》にいう、歳星が觜觽を守れば、大臣はまさに死亡せんとす。原書小注にいう、魏国の時木星は觜觽を守り、後に諸葛公は去世せり。小注の謂う所の「諸葛公」は、指す所は当に魏と対峙する蜀漢の丞相・諸葛亮ならん。
《齊伯五星占》曰:“歲星守觜觽,六十日,五穀傷;九十日兵起。”石氏曰:“歲星犯守觜觽,不出一旬,民病瘧。”《海中占》曰:“歲星犯守觜觽,不出一旬,必有偵候之事;農夫不耕,天子皇后俱崩,期甲辰日。”《玉曆》曰:“歲星犯守觜觽三十日,五穀傷,其國大飢,民多餓,天下大疫,農夫不耕,婦女不績。”
《斉伯五星占》にいう、歳星が觜觽を守ること六十日なれば、五穀は受損す。九十日に到れば則ち戦事を興起せん。石氏がいう、歳星が侵犯して併せて觜觽を守住せば、十日を出でずして、百姓は瘧疾を患わん。《海中占》にいう、歳星が犯・守して觜觽すれば、十日を出でずして、必ず偵察・候望の軍情あらん。農夫は耕作する能わず、天子と皇后とは一同に去世し、期は甲辰の日に在りて応ず。《玉暦》にいう、歳星が犯・守して觜觽すること三十日なれば、五穀は受損し、あの国家は大いに饑饉し、百姓は餓に挨ぐる多く、天下は大疫し、農夫は田を耕さず、婦女は紡織せざらん。三家の記する所は六十日・十日より三十日に由り、日数は各々相同じからず、而して穀傷・民疫・軍情の三事は軽重相い因る、彼此に参看する可し。
歳星犯参 七
石氏曰:“歲星犯參,水旱不時。”《聖洽符》曰:“歲星入參,天子更佈政,宰相不安,期六月。”郗萌曰:“歲星逆行參,其君誅罰不當。”又曰:“歲星逆行,若留上衡中,為兵革起。”《黃帝占》曰:“歲星處參東,若處伐東,多走民,多暴雨;處參西,若處伐西,多流民,從東方來,處參北,若伐北,衡水。”
石氏がいう、歳星が参宿を侵犯せば、水旱は時令に合せざらん。《聖洽符》にいう、歳星が参宿に進入せば、天子は重ねて政令を頒布し、宰相の位置は穩ならず、期は六か月に応ず。郗萌がいう、歳星が参宿にて逆行せば、あの君主は誅罰を施行してその当を得ざるなり。またいう、歳星が逆行し、あるいは上衡の中に停留せば、兵革の興起を主る。《黄帝占》にいう、歳星が参宿の東側に停まり、あるいは伐星の東側に停まれば、逃亡する百姓多く、暴雨多からん。参宿の西側に停まり、あるいは伐星の西側に停まれば、流民多く、東方より涌来せん。参宿の北側に停まり、あるいは伐星の北側に停まれば、横流の水を主る。参宿は白虎の身にして、斬殺・征伐を主り、分野は魏地に属す。
郗萌曰:“歲星處參南,若處伐南,為易君;一曰大人多寒熱之疾;處參北,國有易相;處參東,若伐東,晚稼不成;處參西,若伐西,產子者多死;一曰老人多死。”《荊州占》曰:“歲星處參,所近者,是王者欲封為遠國君也,期一年。”郗萌曰:“歲星宿參,若宿伐者,為有反臣中兵也。”
郗萌がいう、歳星が参宿の南側に停まり、あるいは伐星の南側に停まれば、君主を更換するを主る。別の一説には権貴は寒熱の病を患うる多からん。参宿の北側に停まれば、国家は宰相を更換せん。参宿の東側に停まり、あるいは伐星の東側に停まれば、晚熟の莊稼は収成せざらん。参宿の西側に停まり、あるいは伐星の西側に停まれば、産婦と嬰児とは死亡多からん。別の一説には老人の死多きなり。《荊州占》にいう、歳星が参宿に停まれば、それの靠近するあの一位は、正しく帝王が封じて遠方の国君と為さんと打算する人にして、期は一年に応ず。郗萌がいう、歳星が参宿に入宿し、あるいは伐星に入宿せば、叛臣ありて軍中に藏れるを主る。
《荊州占》曰:“歲星入參,七日以上至七十日,王者欲出之他國,不出百八十日。”石氏曰:“歲星守參,國有反者,五穀更貴。”又曰:“歲星守參,天下農夫不耕。”又曰:“歲星守參,有赤星出參中,邊有兵。”甘氏曰:“歲星守參,其歲大疫,五者恐疫,木入金,其君危。”
《荊州占》にいう、歳星が参宿に進入すること七天以上より七十日に至れば、帝王は別の国家に出行せんと想い、一百八十日を出でずして成行せん。石氏がいう、歳星が参宿を守れば、国中に谋反する人あり、五穀の価銭は更に貴からん。またいう、歳星が参宿を守れば、天下の農夫は肯んじて田を耕さざらん。またいう、歳星が参宿を守り、若し赤色の星ありて参宿の中に出現せば、辺境に戦事あらん。甘氏がいう、歳星が参宿を守れば、この一年は大疫にして、五方の人は皆疫に染まるを怕れん。木に属する歳星が金に属する星宿に進入すれば、あの君主の処境は危険なり。
《荊州占》曰:“歲星守參,多雨歲惡。”巫咸曰:“歲星守參,萬物不成,民大飢。”《海中占》曰:“歲星守參,多盜賊,高田貴,下田賤,其年樹木多爛。”郗萌曰:“歲星守參,晚稼不成。”《春秋圖》曰:“歲星入參,犯守之,其國以兵致天下;退而守之,士卒有驚,若離散,五穀貴;一曰水火為敗。”郗萌曰:“歲星入參、守伐,天下有兵驚,不足傷民,天下受兵事。”
《荊州占》にいう、歳星が参宿を守れば、雨多く、年景は好からざらん。巫咸がいう、歳星が参宿を守れば、万物は長成せず、百姓は大いに飢えん。《海中占》にいう、歳星が参宿を守れば、盗賊は衆多にして、高処の田地は価貴く、低処の田地は価賤く、この一年は樹木は腐爛多からん。郗萌がいう、歳星が参宿を守れば、晚熟の莊稼は収成せざらん。《春秋図》にいう、歳星が参宿に進入し、侵犯して併せてそれを守住せば、あの国家は兵力を憑にして天下を取得せん。若是れ退行してそれを守住せば、士卒は驚擾し、あるいは潰散し、五穀は価貴からん。別の一説には水火の敗亡を造成するなり。郗萌がいう、歳星が参宿に進入して伐星を守住せば、天下に兵事の驚擾あり、還って百姓を傷害するに至らざるも、天下はまさに兵役の事を承受せんとす。
開元占經 卷二十七
歳星占 五
歳星犯南方七宿
歳星犯東井 一
《黃帝占》曰:“歲星入東井,軍在外,歲星進,兵退;歲星退,兵進。”郗萌曰:“歲星犯東井,一南一北,侯王憂;又曰害於黍稷。”《黃帝占》曰:“歲星犯東井,留二十日以上,易正朔。”又曰:“天下有土功,川瀆之事,期十月,若十一月。”又曰:“居其東,五穀不成;居其南,國君病,諸侯多死;居其西者,及兒子多死;居其北,有改令。”
《黄帝占》にいう、歳星が東井に進入し、軍隊は正しく外面に在りて作戦し、歳星が前進すれば、我軍は則ち退き。歳星が後退すれば、我軍は則ち進まん。郗萌がいう、歳星が東井を侵犯し、忽ち南に忽ち北にと移動せば、侯王に憂いあらん。またいう、黍稷を傷害せんとす。《黄帝占》にいう、歳星が東井を侵犯し、停留して二十日以上なれば、まさに正朔・暦法を更改せんとす。またいう、天下に土木の工程と河川・溝渠の事とあり、期は十月に応じ、あるいは十一月なり。またいう、それが東井の東側に居れば、五穀は長成せざらん。南側に居れば、国君は病を生じ、諸侯は死亡多からん。西側に居れば、小孩子に至りてもまた死多からん。北側に居れば、政令を更改せん。東井は則ち井宿にして、水事と法令・刑罰とを主り、分野は秦地に属す。
《黃帝占》曰:“歲星出入留舍東井,三十日,天下一國有水者。”陳卓曰:“歲星在東井,兵起,近期一年,遠五年。”《黃帝占》曰:“歲星中犯東井,人君有戮者。”陳卓曰:“歲星犯守東井,王者法令急,多獄事,其年大水,民飢,天下改令。”郗萌曰:“歲星中犯乘東井,其國內外有兵起。”
《黄帝占》にいう、歳星が東井に出没・停留・入宿すること三十日なれば、天下は一個の国家ありて水を発せんとす。陳卓がいう、歳星が東井に処れば、戦事を興起し、近きは期一年に応じ、遠きは五年なり。《黄帝占》にいう、歳星が正中より東井を侵犯せば、君主はまさに人を殺さんとす。陳卓がいう、歳星が侵犯して併せて東井を守住せば、帝王の法令は苛急にして、獄訟は繁多し、この一年は大水を発し、百姓は饑饉し、天下は政令を更改せん。郗萌がいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して東井すれば、あの国家は内外皆戦事を興起せん。「中犯」は星体の正中より掩い過ぐるを謂い、辺を擦りて過ぐるの「犯」よりも重く、故に応験は直ちに君主の人を殺すに指す。
(案孝武帝政和二年四月乙卯,歲星在東井,占曰:‘兵起,近期一年,遠五年。’到三年正月,匈奴入五原、酒泉,殺兩都尉。三月遣將軍廣利七萬人出五原,御史大夫高成將兵三萬人出河西,重合保馬通將四萬騎出酒泉,與虜賊,多斬首,廣利敗匈奴,積三年。又案魏甘露三年三月庚子,歲星順行,犯東井距星,占曰:‘兵起’。到景元元年己丑,太后令曰:‘昔日立東海王子齔,悖逆不道,自陷大禍,以民禮葬之。’京師嚴兵,積二年三月。)
原書小注の考證にいう、漢武帝・征和二年(原文は「政和」と作る)四月乙卯、歳星は東井に処り、占辞にいう「戦事を興起し、近きは期一年に応じ、遠きは五年」と。三年正月に到り、匈奴は五原・酒泉に侵入し、両名の都尉を殺せり。三月、朝廷は将軍・李広利を派して七万人を率いて五原より出で、御史大夫・商丘成は兵三万人を率いて河西より出で、重合侯・馬通は四万の騎兵を率いて酒泉より出で、敵と交戦し、斬首は甚だ多く、李広利もまた曽て匈奴を撃敗し、前後して三年を暦せり。また魏の甘露三年三月庚子を考るに、歳星は順行し、東井の距星を侵犯し、占辞にいう「戦事を興起す」と。景元元年己丑に到り、太后は下令していう、「当日の立てられし東海王の子は年紀幼小にして、悖逆・不道にして、自ら大禍に陥れり、則ち平民の礼に依りて彼を安葬せよ」と。京師は随いて戒厳し、前後して二年三か月を暦せり。
《荊州占》曰:“歲星去東井七寸,七日以上至一百五十日,則王者用法,大臣修度,天下和平。”石氏曰:“歲星守東井,河溢。”甘氏曰:“歲星守東井,法令急,多獄事,其年大赦。”《黃帝占》曰:“歲星守東井,歲大飢,人民疾病。”《黃帝占》曰:“歲星守東井南,男子多寒熱病。”
《荊州占》にいう、歳星が東井に距ること七寸にして、七天以上より一百五十日に至れば、則ち帝王は法に依りて治め、大臣は法度を遵守し、天下は太平せん。石氏がいう、歳星が東井を守れば、黄河は泛濫せん。甘氏がいう、歳星が東井を守れば、法令は苛急にして、獄訟は繁多し、この一年は大赦あらん。《黄帝占》にいう、歳星が東井を守れば、この一年は大いに饑饉し、百姓は病を生ぜん。《黄帝占》またいう、歳星が東井の南側に守れば、男子は寒熱の病を患うる多からん。同じく東井を守るにして、石氏は河水の泛濫と断じ、甘氏は法令の苛急にして終に大赦に帰すと断じ、《黄帝占》は饑饉・疾疫と断ず、見るに井宿は兼ねて水事と刑獄との両端を管る。
郗萌曰:“歲星守東井,大人多病,若有喪;守其北,多暴雨。又曰:歲星守東井,若將相死;一曰君死;又曰糴貴。”石氏曰:“歲星守東井,旱。”《荊州占》曰:“歲星守東井,道上多死人。”《黃帝占》曰:“歲星守東井,水。”郗萌曰:“歲星守東井,百物五穀不成;久守之,金錢易。”陳卓曰:“歲星守東井,百川皆溢。”
郗萌がいう、歳星が東井を守れば、権貴は病多く、あるいは丧事あらん。その北側に守れば、暴雨多からん。またいう、歳星が東井を守れば、あるいは将相の死亡せん。別の一説には君主の死亡す。またいう、米価の上漲す。石氏がいう、歳星が東井を守れば、天は旱す。《荊州占》にいう、歳星が東井を守れば、路上の死人は甚だ多からん。《黄帝占》にいう、歳星が東井を守れば、水患を主る。郗萌がいう、歳星が東井を守れば、百物と五穀とは皆長成せざらん。久しくそれを守れば、銭財はまさに主を易え流散せんとす。陳卓がいう、歳星が東井を守れば、百川は皆泛濫せんとす。諸家はここに衆説紛紜にして、あるいは旱を主り、あるいは水を主り、あるいは穀貴・人亡を主る、正しく井宿の兼ねて水と法との两重の含義有るがゆえに、占者は須く星色・日数と守る所の方位とを合して推斷すべし。
郗萌曰:“歲星入,若守東井,有士功事。又曰:歲星入犯乘守東井,留三日以上,其歲諸侯當之。”《感精符》曰:“五精入東井,從歲星聚,殺白而發黃,神奉絕,用兵卒亂,以義得天下。”石氏曰:“歲星逆行東井,有兵;一曰歲星守東井,有兵。”
郗萌がいう、歳星が進入しあるいは東井を守住せば、土木の工程の事あらん。またいう、歳星が進入・侵犯・凌乗して併せて東井を守住し、停留して三天以上なれば、この一年の災の応は諸侯に由りて承当せらるべし。《感精符》にいう、五星の精は皆東井に進入し、歳星に随いて聚合し、白色の粛殺の気は退去して黄色を發すれば、神明の奉祀は断絶し、兵を用いて士卒は潰乱し、最終に義をもって天下を取得せん。石氏がいう、歳星が東井にて逆行せば、戦事あらん。別の一説には歳星が東井を守るは、戦事あるなり。
(案《宋書天文志》曰:“晉永興二年九月,歲星守東井,占曰:有兵,井又秦分也。是年荀睎破公師蕃,張方破范陽王虓,關西諸將攻河間,王顒顒奔走,東海王迎殺之。”)郗萌曰:“歲星逆行東井,其君出入不時。”陳卓曰:“歲星逆行東井,山川壅寒。”又曰:“歲星中犯乘守東井若鉞,人君有戮死者。”又曰:“歲星環繞鉞,諸侯誅;一曰赦。”
原書小注の考證に《宋書・天文志》を引いていう、晋の永興二年九月、歳星は東井を守り、占辞にいう戦事あり、而して井宿はまた秦地の分野なり。この一年荀晞は公師藩を撃破し、張方は范陽王・司馬虓を撃破し、関西の諸将は河間王を進攻し、司馬顒は出逃し、東海王は彼を迎え回る途中にて殺せり。郗萌がいう、歳星が東井にて逆行せば、あの君主は出入に定時なきなり。陳卓がいう、歳星が東井にて逆行せば、山川は壅塞して通ぜざらん。またいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して併せて東井あるいは鉞星を守住せば、君主はまさに人を殺さんとす。またいう、歳星が鉞星を環繞せば、諸侯は誅せらるる。別の一説には赦令あるなり。鉞の一星は東井の前に附し、斬殺の刑を主り、故に歳星がそれを環繞すれば便ち諸侯の誅を受くるに応ず。
(案魏武帝甘露二年八月壬年,歲星犯鉞,其年九月庚寅,歲星逆行井鉞,到三年,徵東將軍諸葛誕誅,積六月應。)《黃帝占》曰:“歲星入鉞,大臣誅,一曰歲星入鉞,賢相死。”郗萌曰:“歲星干鉞者,為斧鉞用。”又曰:“歲星中犯乘守鉞,其國內亂,兵起。”
原書小注の考證にいう、魏の甘露二年八月の壬某日(原文の干支に訛あり)、歳星は鉞星を侵犯せり。同年九月庚寅、歳星は井宿の鉞星のあの処にて逆行せり。三年に到り、征東将軍・諸葛誕は誅せられ、前後して六か月を暦て応験せり。《黄帝占》にいう、歳星が鉞星に進入せば、大臣は誅せらるる。別の一説には歳星が鉞に入るは、賢明の宰相の死去するなり。郗萌がいう、歳星が鉞星を干犯せば、斧鉞の刑を動用するを主る。またいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して併せて鉞星を守住せば、あの国家は内乱し、戦事は興起せん。
歳星犯輿鬼 二
郗萌曰:“歲星入輿鬼,相誅。”巫咸曰:“歲星入輿鬼,為十日以上,金錢大散於諸侯;期六十日,若十月。”石氏曰:“木入輿鬼,大臣誅;一曰亂臣在內。”
郗萌がいう、歳星が輿鬼に進入せば、宰相は誅せらるる。巫咸がいう、歳星が輿鬼に進入すること十天以上なれば、大量の金銭は諸侯に散賜せられ、期は六十日に応じ、あるいは十月なり。石氏がいう、木星が輿鬼に進入せば、大臣は誅せらるる。別の一説には乱臣は則ち朝廷の内に在るなり。輿鬼は則ち鬼宿にして、祠祀・鬼神と死丧の事とを主り、宿中の積尸気はまた天尸と謂い、分野は秦地に属す、故にこの一宿の占辞は多く誅戮・大丧と金銭を散賜するとを講ず。
(案漢孝武帝后元二年十月戊午,歲星在輿鬼中,占曰:大臣有誅者;一曰有金錢之賜令,近期一年,遠五年。到昭帝始元二年二月,賜諸侯王,列侯進宗宣,金錢各有差。七月賜天下民牛酒,到四年六月,復賜丞相以下至郎吏,錢帛各有差。延尉李種有罪,棄市。在期內如占說。又案漢宣帝元康二年六月,歲星入輿鬼,到四年三月乃出,占曰:歲星入輿鬼,滿數十日,金錢帛之施諸侯;一曰大臣誅;一曰歲樂糴石三四十錢,一曰有大喪,近期一年,遠五年。其月詔賜天下將吏二千石,諸宗室高年錢帛,男子爵女子牛酒,是比年豐穀石五錢,大司馬衛將軍張安世薨,到神爵蓋寬饒有罪自殺。又案魏甘露四年四月甲申,木犯輿鬼東南星,東南星主兵,占曰:木入輿鬼,大臣有誅者,金錢之令,到景元元年五月,尚書王經伏誅,到六月,當逆鄉公即位,賜天下民爵,積一年二月也。)
原書小注の考證にいう、漢武帝・后元二年十月戊午、歳星は輿鬼の中に処り、占辞にいう大臣に誅せらるる者あり、と。別の一説には金銭を賞賜するの詔令あり、近きは期一年に応じ、遠きは五年なり。昭帝・始元二年二月に到り、諸侯王と列侯とを賞賜し、金銭は各々等差あり。七月に天下の百姓に牛肉と酒とを賞賜せり。四年六月に到り、また丞相以下より郎吏に至るまでを賞賜し、銭帛は各々等差あり。廷尉・李種は罪を犯し、処死せられ屍を棄てて市に在り。これらは皆応期の内に落ち、占辞と相合す。また漢宣帝・元康二年六月を考るに、歳星は輿鬼に進入し、四年三月に到りて始めて出づ、占辞にいう、歳星が輿鬼に入ること数十日に満てば、金銭・布帛はまさに諸侯に施与せんとす。別の一説には大臣の誅せらるる。又一説には年成は和楽にして、米価は一石ただ三四十銭に値す。還って一説には大丧あり、近きは期一年に応じ、遠きは五年なり。その月便ち詔を下して天下の二千石の将吏と宗室の中の高年の人とに銭帛を賞賜し、男子は爵を賜い・女子は牛酒を賜えり。此より後連年豊収し、穀価は一石ただ五銭に値せり。大司馬衛将軍・張安世は去世せり。神爵年間に到り、蓋寛饒は罪を獲て自殺せり。また魏の甘露四年四月を考るに
石氏曰:“木犯守鬼、積尸,邦有兵;犯南星,王有疾,崩,若戮死者;近布帛發佈帛,近金錢發金錢,近馬發馬,近兵發兵;七寸以內為近。其守之三日以上,所發明審也。”又曰:“歲星逆行,出鬼陽,男坐之;陰,女坐之;出鬼左,貴女坐之;右,為貴人坐之;抵其中央,君坐之。”
石氏がいう、木星が侵犯して併せて鬼宿と積尸気とを守住せば、国中に戦事あらん。鬼宿の南星を侵犯せば、君王は病を生じ・駕崩し、あるいは殺戮せらるる者あらん。それが布帛を主る星に靠近せば則ち布帛を發放し、金銭を主る星に靠近せば則ち金銭を發放し、馬を主る星に靠近せば則ち馬を發し、兵器を主る星に靠近せば則ち兵器を發す。相距ること七寸以内を算して靠近と為す。それが守候して三天以上なれば、發放する所の物類は則ち格外に明白・確鑿なり。またいう、歳星が逆行し、鬼宿の陽位より出づれば、男子は罪を獲ん。陰位より出づれば、女子は罪を獲ん。鬼宿の左辺より出づれば、貴婦は罪を獲ん。右辺より出づれば、貴人は罪を獲ん。直ちに鬼宿の正中に抵れば、君主は罪を獲ん。
郗萌曰:“歲星去五諸侯,入輿鬼,諸侯世子有疾死者;期六十日。去天高,入輿鬼,不出百二十日,大人惡之。”石氏曰:“歲星出入留舍輿鬼,五十日不下,有大喪;六十日不下,國相不明;百日不下,民半死。”
郗萌がいう、歳星が五諸侯の星を離れて輿鬼に進入せば、諸侯の嫡子に病死する者あり、期は六十日に応ず。それが天高の星を離れて輿鬼に進入せば、一百二十日を出でずして、権貴はこれがために憂懼・厭惡せん。石氏がいう、歳星が輿鬼に出没・停留・入宿して、五十日も還って離れざれば、大丧あらん。六十日も還って離れざれば、国相は昏昧・不明ならん。一百日も還って離れざれば、百姓は一半を死掉せん。
郗萌曰:“歲星舍輿鬼東北,麻豆成,稻不成;舍東南,豆麥熟,有渴死人;舍西南,萬民多喪;舍西北,黍稷成,麥不成,早蠶不熟,晚蠶熟;舍中,歲樂,石三四錢。”《黃帝占》曰:“歲星處輿鬼南,有易君;處其北,國易相;處其西,殺老人;一曰殺妊子者。”
郗萌がいう、歳星が輿鬼の東北に入宿せば、麻と豆とは長じること好く、稲子は収成せざらん。東南に入宿せば、豆麦は成熟すも、却って渇死する人あらん。西南に入宿せば、万民は丧亡多からん。西北に入宿せば、黍稷は長成し、麦子は収成せず、早蚕は繭を結ばず、晚蚕は繭を結ばん。正中に入宿せば、年成は和楽にして、米価は一石ただ三四銭ならん。《黄帝占》にいう、歳星が輿鬼の南側に停まれば、まさに君主を更換せんとす。北側に停まれば、国家は宰相を更換せん。西側に停まれば、老人は殺されん。別の一説には孕婦を殺害するなり。
甘氏曰:“歲星犯輿鬼,人君必有所戮。”巫咸曰:“歲量守輿鬼,天子賜諸侯金錢。”郗萌曰:“歲星守輿鬼,五穀多傷,民以飢死者無數;又曰多狂病死者。”《海中占》曰:“歲星守輿鬼,角動,有殺主者;色黑,誅死不成。”石氏曰:“歲星犯天尸,國有兵,王者病疾;一曰人君有戮死者。”《海中占》曰:“木守鬼,出其北,旱;出其南,雨、水,五穀熟。”
甘氏がいう、歳星が輿鬼を侵犯せば、君主は必ず人を殺さんとす。巫咸がいう、歳星(原文は「歳量」と作る)が輿鬼を守れば、天子は諸侯に金銭を賞賜せん。郗萌がいう、歳星が輿鬼を守れば、五穀は受損多く、百姓の餓死するは其の数を計る可からず。またいう、狂疾に因りて死する人は甚だ多からん。《海中占》にいう、歳星が輿鬼を守り、星の芒は抖動せば、人ありてまさに君主を弑殺せんとす。星の色は黑を發せば、あの場の誅殺は得逞する能わざらん。石氏がいう、歳星が天尸の星を侵犯せば、国中に戦事あり、帝王は病を生ぜん。別の一説には君主のまさに人を殺さんとするなり。《海中占》にいう、木星が鬼宿を守り、それの北面より出づれば、天は旱す。南面より出づれば、雨水多く、五穀は成熟せん。天尸は則ち鬼宿の中央の積尸の気にして、死丧を主る。須く星芒の抖動するや否や・星色の黑を發するや否やを合して看て、始めて能くあの場の誅殺の成ると成らざるとを斷定せん。
郗萌曰:“歲星逆行輿鬼,其君不聰明,用財奢浮過度,治衰。”《荊州占》曰:“歲星逆行輿鬼,其君不聰於事。”《荊州占》曰:“歲星入輿鬼,財寶出。”《荊州占》曰:“歲星入輿鬼,亂臣在內,有屠城。”郗萌曰:“歲星乘質,斧鉞用。”《荊州占》曰:“歲星乘質,君貴人憂,金玉用,人民多疾;從南入,為男;從北入,為女;從西入,為老人;從東入,為丁壯;若棺木倍價。”
郗萌がいう、歳星が輿鬼にて逆行せば、あの君主は明察せず、用度は奢靡・浮華にして節制なく、治績は衰敗せん。《荊州占》にいう、歳星が輿鬼にて逆行せば、あの君主は事を処するに明察たるを足らざるなり。《荊州占》またいう、歳星が輿鬼に進入せば、府庫の財宝はまさに流散して出去せんとす。《荊州占》またいう、歳星が輿鬼に進入せば、乱臣は則ち朝廷の内に在り、屠城の惨事あらん。郗萌がいう、歳星が質星を凌乗するは、則ち鬼宿の正中の積尸の気にして、斧鉞の刑を動用するを主る。《荊州占》にいう、歳星が質星を凌乗せば、君主と貴人とに憂いあり、金玉の器はまさに動用せられ、百姓は病多からん。南辺より進入したるは、男子に応ず。北辺より進入したるは、女子に応ず。西辺より進入したるは、老人に応ず。東辺より進入したるは、壮年の人に応ず。棺木の価銭はまさに一倍を翻上せんとす。
司馬彪《天文志》曰:“歲星入輿鬼,為死喪。”《荊州占》曰:“歲星干犯守輿鬼者,皆為天下有大喪;陽為後,左為天子;右為貴臣,又隨所守主物;王者發之,不出七十日。”石氏曰:“歲星守輿鬼,為大人有祭祀事。”郗萌曰:“歲星守輿鬼,大人以命終。又曰:歲星守輿鬼西南,皆為秦漢有反臣,以赦解之。”
司馬彪《天文志》にいう、歳星が輿鬼に進入せば、死丧を主る。《荊州占》にいう、歳星が干犯して併せて輿鬼を守住せば、皆天下に大丧あるを主る。陽位に応ずるは皇后に属し、左辺に応ずるは天子に属し、右辺に応ずるは貴臣に属し、還ってそれの守る所のあの顆の星の各々主管する所の何たるを看るを要す。帝王は此に拠りて財物を發放し、七十日を出でざらん。石氏がいう、歳星が輿鬼を守れば、権貴に祭祀の事あるを主る。郗萌がいう、歳星が輿鬼を守れば、権貴は寿終して亡らん。またいう、歳星が輿鬼の西南に守れば、皆秦・漢の旧地に叛臣あるを主り、赦令を用いて以て化解するを要す。守る所の方位は分かちて皇后・天子と貴臣とに配属す、これ石氏の一派の方位に按じて主を分かつの通例なり。
歳星犯柳 三
郗萌曰:“歲星入天庫,以飢起兵;一曰五穀收入。”石氏曰:“歲星入柳,諸侯有慶賀,天下安寧,五穀豐熟,不出其年,民人歌舞而行。”又曰:“歲星處柳東,晚稚不成;處其南,有易君;處其西,殺老人;一曰殺妊子;一曰民族,處其北,貴人徙;一曰國易相。”又曰:“歲星處柳南,地必動;處其西,民疾,歲大水;一曰大人坐。”
郗萌がいう、歳星が天庫の星に進入せば、饑饉に因りて兵を起こさん。別の一説には五穀は収めて倉中に入るを得るなり。石氏がいう、歳星が柳宿に進入せば、諸侯に喜慶ありて賀す可く、天下は安寧し、五穀は豊熟し、この一年を出でずして、百姓は則ち歌い舞いて以て出行せん。またいう、歳星が柳宿の東側に停まれば、晚熟の莊稼は収成せざらん。南側に停まれば、まさに君主を更換せんとす。西側に停まれば、老人は殺され、別の一説には孕婦を殺害し、還って一説には族類を傷及するなり。北側に停まれば、貴人は遷徙し、別の一説には国家の宰相を更換するなり。またいう、歳星が柳宿の南側に停まれば、一定に地震を発生せん。西側に停まれば、百姓は病を生じ、この一年は大水を発し、別の一説には権貴の罪を獲るなり。柳宿は朱雀の喙にして、草木と厨膳・飲食とを主り、分野は周地に属す。
甘氏曰:“歲星守柳,貴臣得地,有德令,不出九十日。”石氏曰:“歲星守柳,人飢。”巫咸曰:“歲星守柳,多水災,萬物五穀不成。”郗萌曰:“歲星守柳,多獄;不然,獄空。又曰:守天相,政事急,民有千里之行。”陳卓曰:“歲星逆行柳陰,女主坐之;逆行柳中,其君坐之;若逆行柳陽,男坐之;若逆行柳左右,坐貴親。”
甘氏がいう、歳星が柳宿を守れば、貴臣は封地を得て、恩を施すの徳令を頒下せんとし、九十日を出でざらん。石氏がいう、歳星が柳宿を守れば、人々は餓に挨がん。巫咸がいう、歳星が柳宿を守れば、水災多く、万物と五穀とは皆長成せざらん。郗萌がいう、歳星が柳宿を守れば、獄訟は繁多せん。否ならば則ち牢獄の一空するなり。またいう、歳星が天相の星を守れば、政事は苛急にして、百姓はまさに千里の跋涉の行あらんとす。陳卓がいう、歳星が逆行して柳宿の陰位に在れば、女主は罪を獲ん。逆行して柳宿の正中に在れば、あの君主は罪を獲ん。若是れ逆行して柳宿の陽位に在れば、男子は罪を獲ん。若是れ逆行して柳宿の左右の両辺に在れば、則ち貴戚・親族は罪を獲ん。
郗萌曰:“歲星與柳合,同光,其國將大強。”《荊州占》曰:“歲星與熒惑合柳,歲星色赤,兵起,黃、白,五穀傷;黑為憂;青而角赤,兵起;近期三十日,遠六十日。”郗萌曰:“歲星守柳,有反臣中兵也。”《海中占》曰:“歲星居柳,歲和熟。”又曰:“歲星出入留舍柳,九十日不下,將軍出。”又曰:“歲星行柳,其君不敬祭祀。”
郗萌がいう、歳星と柳宿とが會合し、光色相同じければ、あの国家はまさに十分に強盛ならんとす。《荊州占》にいう、歳星と熒惑とが柳宿にて會合し、歳星が赤色を呈せば、戦事を興起せん。黄色・白色を呈せば、五穀は受損せん。黑色を呈せば、憂患を主る。青色を呈して星芒が赤を發すれば、また戦事を興起せん。近きは期三十日に応じ、遠きは六十日なり。郗萌がいう、歳星が柳宿を守れば、叛臣ありて軍中に藏るるあらん。《海中占》にいう、歳星が柳宿に居止せば、年成は調和・豊熟せん。またいう、歳星が柳宿に出没・停留・入宿して、九十日も還って離れざれば、将軍は出征せん。またいう、歳星が柳宿を経行せば、あの君主は祭祀に對して恭敬ならざるなり。
歳星犯七星 四
《荊州占》曰:“歲星入七星,五穀多傷,天下盜賊起。期一年。”陳卓曰:“歲星出入留舍七星,其國有以義致天下。”郗萌曰:“歲星居七星,歲和同。又曰:歲星處七星,民疾;處其西,歲水。”陳卓曰:“歲星犯七星,天子憂兵,功臣受封。”甘氏曰:“歲星守七星,皇天以%王者,其邦獲五福,九十年。”
《荊州占》にいう、歳星が七星に進入せば、五穀は受損多く、天下は盗賊が四起し、期は一年に応ず。陳卓がいう、歳星が七星に出没・停留・入宿せば、あの国家は道義をもって天下を取得せんとす。郗萌がいう、歳星が七星に居止せば、年成は調和せん。またいう、歳星が七星に停まれば、百姓は病を生ぜん。その西側に停まれば、この一年は水を発せん。陳卓がいう、歳星が七星を侵犯せば、天子は兵事のために憂慮し、功ある臣は封を受けん。甘氏がいう、歳星が七星を守れば、上天は此をもって帝王を嘉佑す——ここ底本に闕文あり、原書はただ一個の符号を留下す——あの邦国は五福を獲得し、国を享くること九十年ならん。七星は則ち星宿にして、朱雀の頸にして、衣裳・文繍と緊急の事とを主り、分野は周地に属す。
陳卓曰:“歲星與七星同光者,以粟當錢。”巫咸曰:“歲星守七星,旱,多火災,萬物五穀不成,有兵飢。”《海中占》曰:“木犯七星,使者滿道,子弒父,臣弒主。”《荊州占》曰:“曰:“歲星犯七星,王者敬天,宗廟有禮,天下和平。”郗萌曰:“歲星逆行七星,其君衣服不法。”
陳卓がいう、歳星と七星とが光色相同じければ、粟米を用いて銭幣に抵充する可し。巫咸がいう、歳星が七星を守れば、天は旱し、火災多く、万物と五穀とは皆長成せず、兵事と饑饉とあらん。《海中占》にいう、木星が七星を侵犯せば、使者の往来は道路に挤滿し、兒子は父を弑殺し、臣子は君主を弑殺せん。《荊州占》にいう、歳星が七星を侵犯せば、帝王は上天を敬奉し、宗廟の祭祀は礼制に合し、天下は太平せん。郗萌がいう、歳星が七星にて逆行せば、あの君主の服飾は法度に合せざるなり。「粟をもって銭に当つ」は、市面上に直ちに粟米を拿して銭幣に折抵するを謂い、見るに銭貨は短缺して穀物は有余なり。
《荊州占》曰:“歲星逆行七星,處其南,地伏動;處其西,大人坐之;處其北,貴人徙。”《黃帝占》曰:“木犯七星,逆臣為亂。”郗萌曰:“歲星逆行七星,地動。”《黃帝占》曰:“木守七星,為反臣也;一曰夏物不成。”石氏曰:“木守七星,有兵。”郗萌曰:“歲星守七星,反臣中兵也。”甘氏曰:“歲星入七星,有君置太子者。”郗萌曰:“歲星留守七星,天下大憂,憂中央。”
《荊州占》にいう、歳星が七星にて逆行し、その南側に停まれば、地面は隠隠と震動せん。西側に停まれば、権貴は罪を獲ん。北側に停まれば、貴人は遷徙せん。《黄帝占》にいう、木星が七星を侵犯せば、叛臣は乱を作さん。郗萌がいう、歳星が七星にて逆行せば、地震を発生せん。《黄帝占》にいう、木星が七星を守れば、叛臣あるを主る。別の一説には夏の作物の長成せざるなり。石氏がいう、木星が七星を守れば、戦事あらん。郗萌がいう、歳星が七星を守れば、叛臣ありて軍中に藏るるあらん。甘氏がいう、歳星が七星に進入せば、君主ありてまさに太子を冊立せんとす。郗萌がいう、歳星が停留・守候して七星すれば、天下は大いに憂慮し、憂うる所は正しく朝廷の中枢に在り。この一段の裏《黄帝占》・石氏と郗萌とは皆星宿の変を叛臣に繫ぐ、星宿は朱雀の頸項にして、頸項は制せられれば則ち首尾は相い顧みる能わず、恰も叛逆の象に合すればなり。
歳星犯張 五
石氏曰:“歲星入張,天子有慶賀之事,天下大樂,谷大豐。”《荊州占》曰:“歲星入張,不出一年,天子有慶賀之事,天下大樂。”巫咸曰:“歲星入張星,多火災,萬物五穀不成。”郗萌曰:“歲星出入留張舍,三十日不下,有兵;六十日不下,更立侯王。”石氏曰:“歲星守張,民人病疫;一曰其歲民多心腹疾。”
石氏がいう、歳星が張宿に進入せば、天子に喜慶の事あり、天下は大いに歓楽し、穀物は大いに豊収せん。《荊州占》にいう、歳星が張宿に進入せば、一年を出でずして、天子に喜慶の事あり、天下は大いに歓楽せん。巫咸がいう、歳星が張宿に進入せば、火災多く、万物と五穀とは皆長成せざらん。郗萌がいう、歳星が張宿に出没・停留・入宿して、三十日も還って離れざれば、戦事あらん。六十日も還って離れざれば、別に侯王を立てん。石氏がいう、歳星が張宿を守れば、百姓は疫病を患わん。別の一説にはこの一年百姓は心腹の疾を患うる多きなり。張宿は朱雀の嗉嚢にして、天厨の饗食と珍宝・器物とを主り、分野は周地に属す。
郗萌曰:“歲星民張,歲和熟。”甘氏曰:“歲星守張,其國大豐,守之一年;七年昇平,君臣同心。”又曰:“歲星處張南,地必動,若六畜貴;處張西,其歲水。”《荊州占》曰:“歲星守張,四十日至百二十日,陰陽和,群臣忠良,王者吉。”郗萌曰:“歲星守張,政事急,民有千里之行;一曰貴人死。”
郗萌がいう、歳星が張宿に居れば(原文「民」の字に訛あり)、年成は調和・豊熟せん。甘氏がいう、歳星が張宿を守れば、あの国家は大いに豊収せん。若し守ること一年に満てば、七年の太平する可く、君臣は同心ならん。またいう、歳星が張宿の南側に停まれば、一定に地震を発生し、あるいは六畜は価貴からん。張宿の西側に停まれば、この一年は水を発せん。《荊州占》にいう、歳星が張宿を守ること四十日より一百二十日に至れば、陰陽は調和し、群臣は忠良にして、帝王は吉利せん。郗萌がいう、歳星が張宿を守れば、政事は苛急にして、百姓はまさに千里の跋涉の行あらんとす。別の一説には貴人の死亡するなり。
《荊州占》曰:“歲星逆行張,其君衣服不法。”郗萌曰:“歲星逆行張,其君用樂淫佚。”又曰:“歲星守張,有反臣中兵也。”《荊州占》曰:“歲星與墳星合於張,歲不和,貴人多內喪;一曰大水,六年。”郗萌曰:“歲星與墳星合於張,天下有變,不傷為政者,則害於民;一曰民憂盜賊,若功臣受封。”又曰:“後且大旱。”《荊州占》曰:“歲星與墳合守張,天下易令,民流千里。”
《荊州占》にいう、歳星が張宿にて逆行せば、あの君主の服飾は法度に合せざるなり。郗萌がいう、歳星が張宿にて逆行せば、あの君主は声楽に耽り・逸楽を放縦せん。またいう、歳星が張宿を守れば、叛臣ありて軍中に藏るるあらん。《荊州占》にいう、歳星と墳星とが張宿にて會合せば、年成は和せず、貴人は内室の丧多からん。別の一説には大水を發し、患と為ること六年なり。郗萌がいう、歳星と墳星とが張宿にて會合せば、天下に變故あり、若し執政する人を傷及せざれば、則ち百姓を禍害せんとす。別の一説には百姓は盗賊に憂え、あるいは功ある臣の封を受くるなり。またいう、此より後まさに大旱あらんとす。《荊州占》にいう、歳星と墳星とが會合して張宿を守れば、天下は政令を更改し、百姓は千里に流亡せん。墳星は每に張宿と相犯し、占辞は總じて内室の丧・大水と流亡とを離れず、見るにこの星はもと丧葬の事を主る。
歳星犯翼 六
石氏曰:“歲星入翼,五穀風傷。期一年。”郗萌曰:“歲星出入留舍翼,六十日不下,地亡六十里。”石氏曰:“歲星出入留舍翼,且有急事徵召。”郗萌曰:“歲星居翼,歲和熟。”石氏曰:“歲星守翼,有兵若大水;一曰川枯不通。”甘氏曰:“歲星守翼,聖臣代主。”《荊州占》曰:“歲星守民辦,王道大興,王者得天心,將相忠良,不出九十日,文術大用。”
石氏がいう、歳星が翼宿に進入せば、五穀は風に吹損せられ、期は一年に応ず。郗萌がいう、歳星が翼宿に出没・停留・入宿して、六十日も還って離れざれば、国土は六十里を喪失せん。石氏がいう、歳星が翼宿に出没・停留・入宿せば、まさに急事の徵召あらんとす。郗萌がいう、歳星が翼宿に居止せば、年成は調和・豊熟せん。石氏がいう、歳星が翼宿を守れば、戦事ありあるいは大水あらん。別の一説には河川の乾涸して通ぜざるなり。甘氏がいう、歳星が翼宿を守れば、聖徳の臣は君主に取代らん。《荊州占》にいう、歳星が翼宿を守れば(原文は「守民辦」と作る、字に訛脱あり)、王道は大いに興盛し、帝王は天心を得て、将相は忠良にして、九十日を出でずして、文治の術は大いに重用を受けん。翼宿は朱雀の羽翼にして、楽府・倡優と遠方より来るの客とを主り、分野は荊楚に属す。
郗萌曰:“歲星守翼南,六畜貴。”《海中占》曰:“歲星守翼,處其東,魚監瓦器貴;處其南,車貴;處其西,不占;處其北,五穀不成。”郗萌曰:“歲星逆行翼,其君用樂淫泆,若失火。”甘氏曰:“歲星入翼,有海客。”郗萌曰:“歲星入翼,四海有急,國憂。”石氏曰:“歲星守翼,萬物不成。”石氏曰:“歲星守翼,人民流亡。”
郗萌がいう、歳星が翼宿の南側に守れば、六畜は価貴からん。《海中占》にいう、歳星が翼宿を守りてその東側に停まれば、魚鹽と陶瓦の器皿とは価貴からん。南側に停まれば、車輛は価貴からん。西側に停まれば、占断を作さず。北側に停まれば、五穀は長成せざらん。郗萌がいう、歳星が翼宿にて逆行せば、あの君主は声楽に耽り・荒淫・放縦し、あるいは火災を發生せん。甘氏がいう、歳星が翼宿に進入せば、海を渡りて遠より来るの客あらん。郗萌がいう、歳星が翼宿に進入せば、四海の内に急難あり、国家は憂患せん。石氏がいう、歳星が翼宿を守れば、万物は長成せざらん。石氏またいう、歳星が翼宿を守れば、百姓は流亡して所を失わん。
歳星犯軫 七
郗萌曰:“歲星入軫,天下多喪。”《荊州占》曰:“歲星入軫,邦有將死。期六年。”陳卓曰:“歲星入軫兵,大起。”《荊州占》曰:“歲星在軫,王者憂疾,不出九十日。”巫咸曰:“歲星入軫中,伺其出而數之,期二十日為兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”郗萌曰:“歲星舍軫,七日不移,赦。”
郗萌がいう、歳星が軫宿に進入せば、天下は丧事多からん。《荊州占》にいう、歳星が軫宿に進入せば、国中に大将の死亡あり、期は六年に応ず。陳卓がいう、歳星が軫宿に進入せば、兵事は大いに起こらん。《荊州占》にいう、歳星が軫宿に処れば、帝王は疾病のために憂慮し、九十日を出でざらん。巫咸がいう、歳星が軫宿の中に進入し、それの出づる時より起算して、期は二十日の上に兵事発動す。再びそれの当初の進入の位置に照らして推せば、別の一説には期十日に応じて軍隊は解散す。郗萌がいう、歳星が軫宿に入宿し、七天移動せざれば、赦令あらん。軫宿は車駕と風とを主り、また死丧を主り、分野は荊楚に属す。
《黃帝占》曰:“歲星處軫東,耀貴;處軫西,有女喪,有水。”《海中占》曰:“歲星犯守軫,天子養孤老、不平,大臣背叛,師旅起,車騎盡發。”《荊州占》曰:“歲星干犯過軫,大臣戮死。”甘氏曰:“歲星守胃,國主疾,王者修宗廟,赦三百里內,則災消。”
《黄帝占》にいう、歳星が軫宿の東側に停まれば、光耀して顕貴せん。軫宿の西側に停まれば、女子の丧あり、併せて水患あらん。《海中占》にいう、歳星が侵犯して併せて軫宿を守住せば、天子の孤老を撫養するの政令は均平なる能わず、大臣は背叛し、軍旅は興起し、車騎は全部出動せん。《荊州占》にいう、歳星が干犯して軫宿を経過せば、大臣は殺されん。甘氏がいう、歳星が軫宿を守れば(原文は誤りて「守胃」と作る)、国君は病を生じ、帝王は宗廟を修治し、国都の三百里以内の罪人を赦免せば、災禍は則ち消解する能くす。
巫咸曰:“歲星守軫,民多疾病。”《海中占》曰:“歲星守軫,主庫者有罪。”郗萌曰:“歲星守軫,有土功事,若旱;萬物不成,民飢。”《黃帝占》曰:“歲星守軫南,六畜皆貴。”郗萌曰:“歲星守軫背,五穀不成。”《荊州占》曰:“歲星逆行軫,失火。”郗萌曰:“歲星逆行軫,其君持喪服,不謹;若貴親生之。”又曰:“木守軫,川楫不通也。”
巫咸がいう、歳星が軫宿を守れば、百姓は疾病を生ずる多からん。《海中占》にいう、歳星が軫宿を守れば、府庫を掌管する人は罪を獲ん。郗萌がいう、歳星が軫宿を守れば、土木の工程の事あり、あるいは天は旱せん。万物は長成せず、百姓は饑饉せん。《黄帝占》にいう、歳星が軫宿の南側に守れば、六畜は皆価を漲さんとす。郗萌がいう、歳星が軫宿の背後に守れば、五穀は長成せざらん。《荊州占》にいう、歳星が軫宿にて逆行せば、火災を發生せん。郗萌がいう、歳星が軫宿にて逆行せば、あの君主は丧服を身に著けて恭謹ならざらん。あるいは貴戚・親族にこの過失あらん。またいう、木星が軫宿を守れば、河川・舟楫は通ぜざらん。軫宿の旁に長沙の一星あり、また左轄・右轄の二星あり、皆車行と相関す、故に車駕・道路と舟楫の通塞の応は、皆この一宿の名下に帰す。
開元占經 卷二十八
歳星占 六
歳星犯石氏中官
歳星犯攝提 一
《海中占》曰:“歲星犯攝提,臣謀其君,若主出走,有兵起。期一年。”
《海中占》にいう、歳星が攝提を侵犯せば、臣下はその君主を図謀し、あるいは君主は出奔・逃亡し、還って戦事を興起し、期は一年に応ず。攝星は共に六星にして、分列して大角の左右の両旁に在り、時節を建立し・暦数を厘正するを主り、これ天子の號令の發出する所なり、故に歳星がそれを犯せば便ち君臣の互相に図謀するを主る。
歳星犯大角 二
《海中占》曰:“歲星守大角,臣謀主者,有兵起,人主憂,王者戒慎左右,期不出百八十日,遠一年。”
《海中占》にいう、歳星が大角を守れば、臣下ありて君主を図謀し、戦事を興起せんとし、君主はこれがために憂慮せん。帝王は当に左右の近臣に對して格外に戒備・謹愼すべく、期は一百八十日を出でずに応じ、遠きは一年なり。大角は天王の座位にして、両組の攝提の星の間に処り、これ帝王の朝廷の象徴なり、故に歳星がそれを守れば上下の猜疑を主る。
歳星犯梗河 三
巫咸曰:“歲星守梗河,國有謀兵,四夷兵起,來侵中國,邊境有憂。”
巫咸がいう、歳星が梗河を守れば、国中に兵を用うるを謀劃するの事あり、四方の夷狄は兵を興して前来りて中原を侵犯し、辺境に憂患あらん。梗河の三星は大角の北に在り、胡人の兵馬を主り、また天子の矛戟の一類の兵器の象徴なり、故にこの一星は專ら辺境の警訊に応ず。
歳星犯招搖 四
《聖洽符》曰:“歲星犯招搖,邊兵大起,敵人為寇;若守之,敵人敗,敵人死:期不出二年。”《荊州占》曰:“歲星入招搖,兵起,馬多死。”
《聖洽符》にいう、歳星が招搖を侵犯せば、辺境は大挙して兵を興し、敵人は前来りて劫掠せん。若し歳星がそれを守住せば、敵人は反りて戦敗れ、敵方の主将は死亡し、期は两年を出でずに応ず。《荊州占》にいう、歳星が招揺に進入せば、戦事は興起し、馬匹は大量に死亡せん。招揺の一星は梗河の北面に在り、胡人の兵馬と四方の夷狄の動静とを主る。
歳星犯玄戈 五
《聖洽符》曰:“歲星守犯玄戈,邊兵大起,突厥為寇;若守之,突厥敗,若其主死,期不出三年。”
《聖洽符》にいう、歳星が守住して併せて玄戈を侵犯せば、辺境は大挙して兵を興し、突厥は前来りて劫掠せん。若し歳星がそれを守住せば、突厥は反りて戦敗れ、あるいは彼らの君主は死亡し、期は三年を出でずに応ず。玄戈の一星は招揺の北に在り、同じく北方の兵事を主る。この条は直ちに突厥に説き到る、見るにこれ唐人の当時の辺情に依りて増改したる占語なり。
歳星犯天槍 六
巫咸曰:“歲星犯天槍,邊夷兵起,機槍大用,防戍有憂;若誅邊臣,期不出年。”
巫咸がいう、歳星が天槍を侵犯せば、辺地の夷狄は兵を興し、弩機・長槍の一類の兵器は大量に動用せられ、辺防を戍守する将士に憂患あらん。あるいは朝廷はまさに邊将を誅殺せんとし、期は一年を出でずに応ず。天槍の三星は北斗の斗柄の端の北面に在り、これ上天の兵器の象なり。
歳星犯天棓 七
巫咸曰:“歲星守天棓,邊夷兵起,機槍大用,防戌有憂;若誅邊臣,期不出年。”
巫咸がいう、歳星が天棓を守れば、辺地の夷狄は兵を興し、弩機・長槍の一類の兵器は大量に動用せられ、辺防を戍守する将士に憂患あらん。あるいは朝廷はまさに邊将を誅殺せんとし、期は一年を出でずに応ず。天棓の五星は女床の北に在り、また天子の先駆の兵器なり、占辞は上の一条の天槍と完全相同す、見るにこの両組の星は同じく辺兵を主る。
歳星犯女床 八
《荊州占》曰:“歲星犯女床,凶。”甘氏曰:“歲星守女床,兵起,宮中若妃后暴誅者,期百八十日,遠一年。”
《荊州占》にいう、歳星が女床を侵犯せば、凶を主る。甘氏がいう、歳星が女床を守れば、戦事は興起し、宮中にはあるいは妃嬪・皇后の突然誅殺せらるる者あり、期は一百八十日に応じ、遠きは一年なり。女床の三星は紀星の東北に在り、後宮の御女の位次を主り、故にこの一星の占辞は專ら宮闈の変に応ず。
歳星犯七公 九
《黃帝占》曰:“歲星守七公,為民飢,君不安。”石氏曰:“歲星犯守七公,輔臣有謀,議臣相疑,若有誅者,主人有憂。”
《黄帝占》にいう、歳星が七公を守れば、百姓は餓に挨ぎ、君主は安寧を得ざらん。石氏がいう、歳星が侵犯して併せて七公を守住せば、政を輔く大臣は図謀を心懐き、参議の臣子は彼此に猜疑し、あるいは人ありて誅せられ、君主はこれがために憂慮せん。七公の七星は招揺の東に在り、これ天子の三公の象徴にして、得失を議論するを主り、故に歳星がそれを犯せば、応験は輔弼の大臣の身に落つ。
歳星犯貫索 十
巫咸曰:“歲星犯守貫索,天下亂,兵大起,有獄事,貴人有死者。”石氏曰:“歲星入天平中犯乘守者,以獄為亂,多不平。”
巫咸がいう、歳星が侵犯して併せて貫索を守住せば、天下は大乱し、大挙して兵を興し、獄訟の事あり、貴人の中に死亡の者あらん。石氏がいう、歳星が天平の中に進入して侵犯・凌乗・守候せば、獄訟に因りて禍乱を生じ、判決は多く不公あらん。貫索の九星はまた連索・天牢と謂い、罪人を拘捕・系押するを主る。天平は則ち曲直を衡量するの象徴なり、故にこの両条の占辞は皆刑獄の上に応ず。
歳星犯天紀 十一
《文曜鉤》曰:“歲星犯守天紀,倖臣執權,有兵起,王者有憂。”
《文曜鈎》にいう、歳星が侵犯して併せて天紀を守住せば、寵幸を受くる近臣は権柄を把持し、戦事を興起せんとし、帝王はこれがために憂慮せん。天紀の九星は貫索の東に在り、万物のために綱紀を立て・是非を辨理するを主る。この星に変あれば、便ち綱紀の紊乱・権柄の旁落して寵幸の人の手裏に至るを主る。
歳星犯天織 十二
《黃帝占》曰:“歲星守織女,天下有女憂,有兵起,不出其年。”
《黄帝占》にいう、歳星が織女を守れば、天下に女子の方面の憂患あり、還って戦事を興起し、この一年を出でずして則ち応験せん。標目の稱する所の「天織」は則ち織女なり。織女の三星は天紀の東端に在り、これ天女の象徴にして、瓜果・絲帛と珍宝とを主り、故にそれが凌犯せられれば多く女事の上に応ず。
歳星犯天市 十三
郗萌曰:“歲星入天市中,五官有憂;一日赦。”巫咸日:“歲星入天市,諸侯有戮者,將相凶,期百八十日,若一年。”郗萌曰:“歲星入天市,諸侯有戮者;一日弊易。”《海中占》曰:“歲星入天市,五官有憂,若市驚;一日易市。”石氏曰:“歲星守天市,諸侯相謀,若國有兵憂。”郗萌曰:“歲星守天市,五穀大貴。”
郗萌がいう、歳星が天市の中に進入せば、五官の職に憂患あらん。別の一説には赦令あるなり。巫咸がいう、歳星が天市に進入せば、諸侯の中に殺戮せらるる者あり、将相は凶に遭い、期は一百八十日に応じ、あるいは一年なり。郗萌がいう、歳星が天市に進入せば、諸侯の中に殺戮せらるる者あらん。別の一説には銭幣の貶損・市易の変更するなり。《海中占》にいう、歳星が天市に進入せば、五官の職に憂患あり、あるいは市集は驚乱せん。別の一説には市場を改易するなり。石氏がいう、歳星が天市を守れば、諸侯は彼此に図謀し、あるいは国中に兵患の憂いあらん。郗萌がいう、歳星が天市を守れば、五穀の価銭は暴漲せん。天市垣は共に二十二星にして、権衡・度量と衆を聚めて交易するの事とを主り、故に占辞は多く市易と諸侯とを謂う。
歳星犯帝座 十四
石氏曰:“歲星犯帝座.,為臣謀主,有逆亂事。”《玄冥》曰:“歲星犯帝座,為臣謀主,天下亂,兵大起,不出年。”
石氏がいう、歳星が帝座を侵犯せば、臣下の君主を図謀するを主り、叛逆・作乱の事あらん。《玄冥》にいう、歳星が帝座を侵犯せば、臣下は君主を図謀し、天下は大乱し、大挙して兵を興し、一年を出でずして則ち応験せん。帝座の一星は天市垣の正中に居り、これ天子の座位なり、故におよそ五星の凌犯有れば、占辞は皆直ちに君臣の名分に指す。
歳星犯候星 十五
《海中占》曰:“歲星犯守候星,陰陽不和,五穀傷,人大飢,有兵起。”
《海中占》にいう、歳星が侵犯して併せて候星を守住せば、陰陽の二気は失調し、五穀は受損し、人々は大いに饑饉を鬧かし、還って戦事を興起せん。候星の一顆は帝座の東北に在り、陰陽を伺察し・気候を観望するを主り、故にそれが凌犯せられれば、先ず寒暑の序を失うと年成の歉収との上に応ず。
歳星犯宦者 十六
甘氏曰:“歲星犯宦者,左右輔臣誅,若戮死,期不出年。”
甘氏がいう、歳星が宦者を侵犯せば、君主の左右の輔弼の臣は誅せられ、あるいは殺戮に遭いて死し、期は一年を出でずに応ず。宦者の四星は帝座の西南に在り、君主の左右に侍奉する近侍の官を主り、故に応験は近臣の身に落つ。
歳星犯宗正 十七
石氏日:“歲星犯守宗正,左右群臣多死,若更政令,人主有憂。”
石氏がいう、歳星が侵犯して併せて宗正を守住せば、君主の左右の群臣は死亡多く、あるいはまさに政令を更改せんとし、君主はこれがために憂慮せん。宗正の二星は帝座の東南に在り、これ宗室の大夫の象徴にして、皇族の事務を掌管す。
歳星犯宗人 十八
石氏日產歲星犯守宗人,親族貴人有憂,若有死者;一日人主親宗有離絕者。”
石氏がいう、歳星が侵犯して併せて宗人を守住せば、皇親・貴戚に憂患あり、あるいは人ありて死亡せん。別の一説には君主の近親の宗族の中に往来を断絶し・離析して出去する者あるなり。宗人の四星は宗正の東に在り、親疎・遠近を記錄し・昭穆の次序を排列するを主る。原文「石氏日产」の中の「产」の字は、「曰」の下の引号の訛奪なり。
歳星犯宗星 十九
甘氏曰:“歲星犯守宗星,宗室之臣,有分離者。”
甘氏がいう、歳星が侵犯して併せて宗星を守住せば、宗室の出身の臣子の中に、分離・析出する者あらん。宗星の二星は候星の東に在り、宗廟の祭享の事を主り、宗正・宗人と同じく一類に属す、故に三条の占辞は皆宗族の聚散に囲繞して謂う。
歳星犯東西咸 二十
石氏曰:“歲星犯守東西咸,為有臣不從令、有陰謀。”
石氏がいう、歳星が侵犯して併せて東咸・西咸を守住せば、臣子ありて肯んじて政令に聽從せず、暗中に陰謀を懐くを主る。東咸・西咸は各々四星にして、分列して房宿の南北の両辺に在り、これ淫佚を防閑するの門戸の象なり、故にここに星象の変あれば、多く内外の私通と臣下の密謀とを主る。
歳星犯天江 二十一
巫咸曰:“歲星犯守天江,下有水;若入之,大水齊城郭,人民飢亡,左其鄉。”
巫咸がいう、歳星が侵犯して併せて天江を守住せば、地上に水患あらん。若しそれが天江の中に進入せば、大水はまさに城墻と斉平に漲り至らんとし、百姓は饑饉に因りて死亡し、已むを得ず井郷を背く(原文「左其鄉」の「左」は「去」の一類の字の訛写にして、則ち離去の意なり)。天江の四星は尾宿の北に在り、太陰の気を主り、また水を主り、故にこの一星は專ら水災に応ず。
歳星犯建星 二十二
陳卓曰:“歲星入建星,臣相譖。”石氏曰:“歲星入建星,諸侯有謀入關者,期六十日,若百五十日。”《文曜鉤》曰:“歲星守建星,關梁不通,天下大飢,人相食,期二年。”石氏曰:“歲星守建星,糴貴,人相食。”《海中占》曰:“歲星守建星,旱,死者甚眾,民大耗。”郗萌曰:“歲星守建星,天下多暴貴;一曰牛貴。”
陳卓がいう、歳星が建星に進入せば、臣子の間は互相に讒を進め誣陷せん。石氏がいう、歳星が建星に進入せば、諸侯の中に関に入らんと図謀する者あり、期は六十日に応じ、あるいは一百五十日なり。《文曜鈎》にいう、歳星が建星を守れば、関卡・橋梁は阻断して通ぜず、天下は大いに饑饉し、人は人を食らうに至り、期は两年に応ず。石氏がいう、歳星が建星を守れば、米価は上漲し、人は人を食らわん。《海中占》にいう、歳星が建星を守れば、天は旱し、死する人は極めて多く、民力は大いに耗損せん。郗萌がいう、歳星が建星を守れば、天下の物価は多く暴漲せん。別の一説には牛価の上漲するなり。建星の六星は南斗の北に在り、これ天子の都関にして、関梁の出入を主り、故に占辞は多く関津と粮価とを謂う。
郗萌曰:“歲星守建星,天下之人,有相食者以百數;一歲不發;三年乃發,三年不發,六年乃發;六年不發,九年乃發;郡國有坐之。”又占曰:“歲星守建星,為臣謀其主。”又占曰:“歲星守建星,地氣洩,貴人多死。”又占曰:“歲星守建星,歲水,民飢,有自賣者。”
郗萌がいう、歳星が建星を守れば、天下は人が相い食らうこと百を以て計せん。若し一年の内に發作せざれば、三年の上に發作す。三年發作せざれば、六年の上に發作す。六年發作せざれば、九年の上に終に發作せんとし、郡国の中は總じてこのために罪を獲る者あらん。別の一条の占語にいう、歳星が建星を守れば、臣下のその君主を図謀するを主る。又一条の占語にいう、歳星が建星を守れば、地気は外泄し、貴人は死亡多からん。再び一条の占語にいう、歳星が建星を守れば、この一年は水を發し、百姓は饑饉し、人ありて身を賣りて活を求めん。
歳星犯天弁 二十三
甘氏曰:“歲星犯天弁,若守之,則囚徒兵起;一日不穀不成,糴大貴,人民飢。”
甘氏がいう、歳星が天弁を侵犯し、あるいはそれを守住せば、則ち牢中の囚徒はまさに乱を作し兵を起こさんとす。別の一説には莊稼は長成せず、米価は暴漲し、百姓は餓に挨ぐるなり。天弁の九星は建星の北に在り、これ市場の交易を掌管する官吏の象なり、故にそれが凌犯せられればまた粮価と年成との上に応ず。
歳星犯河鼓 二十四
《齊伯五星占》曰:“歲星犯河鼓大將,若左右將有誅者,若守之,將有罪;以五色占之。”石氏曰:“歲星入守河鼓,諸侯之將出,大兵起,旗鼓用,人主憂,期一年。”
《斉伯五星占》にいう、歳星が河鼓の中央のあの顆の大将の星を侵犯し、あるいは左将・右将の両星を侵犯せば、人ありて誅せられん。若し歳星がそれを守住せば、将帥はまさに罪を獲んとす。具體の応験は還って歳星の呈する所の青・赤・黄・白・黒の五色に按じて判斷するを要す。石氏がいう、歳星が進入して併せて河鼓を守住せば、諸侯の将帥は出動し、大挙して兵を興し、旗鼓は斉しく鳴り、君主は憂慮し、期は一年に応ず。河鼓の三星は牽牛の北に在り、軍鼓・征伐の事を主る。
歳星犯離珠 二十五
石氏曰:“歲星犯離珠,宮中有事,若有亂宮者;若宮中人有罪黜者。”
石氏がいう、歳星が離珠を侵犯せば、宮中に事を出し、あるいは人ありて宮禁を擾乱せん。あるいは宮中の人に罪を獲て貶黜せらるる者あらん。離珠の五星は須女の北に在り、これ後宮の御女の佩ぶる珠玉の象徴なり、故にこの一星は專ら宮掖の事に応ず。
歳星犯匏瓜 二十六
《聖洽符》曰:“歲星守犯匏瓜,天下有憂,若有遊兵,各果責;一曰魚鹽貴,價十倍,不出其年。”
《聖洽符》にいう、歳星が守住して併せて匏瓜を侵犯せば、天下に憂患あり、あるいは到る処に遊蕩する散兵あり、各地は皆責罰を追究せんとす。別の一説には魚・鹽は価貴く、平常の十倍に漲り至り、この一年を出でずして則ち応験せん。匏瓜の五星は離珠の北に在り、後宮の用うる所の果実・蔬菜を主り、故に占辞は魚鹽・果蔬の貴賤に牽連す。
歳星犯天津 二十七
《海中占》曰:“歲星犯天津關,道絕不通,有兵起;若關吏有憂。”郗萌曰:“歲星守天津者,皆革也。”
《海中占》にいう、歳星が天津を侵犯せば、関津は断絶して通ぜず、戦事を興起せんとす。あるいは関を守る官吏に憂患あらん。郗萌がいう、歳星が天津を守れば、一概に変革を主る。天津の九星は銀河を横断し、これ水を渡るの橋梁・津渡の象なり、故にそれに変あれば便ち道路・関梁の通塞の上に応ず。
歳星犯螣蛇 二十八
甘氏曰:“歲星守螣蛇,天子前驅凶;若奸臣有誅,前驅為害。”
甘氏がいう、歳星が螣蛇を守れば、天子の前導・先鋒は凶に遭わん。あるいは奸臣は誅せられて、而して前導を担任する人は反りて禍害と成らん。螣蛇の二十二星は営室の北に在り、これ水虫の象にして、水中の物と妖異の事とを主る。
歳星犯王良 二十九
石氏曰:“歲星守王良,為有兵。”《齊伯五星占》曰:“歲星犯守王良,天下有兵,諸侯放強臣謀主,期不出年。”
石氏がいう、歳星が王良を守れば、戦事あるを主る。《斉伯五星占》にいう、歳星が侵犯して併せて王良を守住せば、天下に戦事あり、諸侯は放縦・不法にして、強横の臣は君主を図謀し、期は一年を出でずに応ず。王良の五星は奎宿の北に在り、王良はもと古の善く車を駕する人にして、この星は天子の車騎を主り、故に凌犯せられれば多く兵車・戎事の上に応ず。
歳星犯閣道 三十
石氏曰:“歲星犯閣道絕漢者,為九州異政,各主其王,天下有兵,期二年。”
石氏がいう、歳星が閣道を侵犯して銀河を横断せば、九州の政令は各々その是を行い、各自にその君王を尊奉し、天下に戦事あり、期は两年に応ずるを主る。閣道の六星は王良の近旁に在り、これ天子の車駕の紫宮に出入するの複道なり。この道の犯せらるるは、正しく上下の往来の阻隔し・政の多門より出づるを象徴す。
歳星犯附路 三十一
石氏曰:“歲星守附路,大僕乃罪,若有誅;一曰馬多死,道無乘馬者。”
石氏がいう、歳星が附路を守れば、太僕はまさに罪を獲んとし、あるいは誅せられん。別の一説には馬匹の大量に死亡し、路上に馬を騎る人を見ざるなり。附路の一星は閣道の旁に在り、これ閣道の輔路にして、車馬の政と相関す、故に応験は輿馬を掌管する太僕の身に落つ。
歳星犯天大将軍 三十二
郗萌曰:“歲星入天將軍者,吉。”石氏曰:“歲星守犯天將軍,為大將死,若誅。”
郗萌がいう、歳星が天大将軍に進入せば、吉を主る。石氏がいう、歳星が守住して併せて天大将軍を侵犯せば、大将の死亡しあるいは誅せらるるを主る。天大将軍の十一星は婁宿の北に在り、正中のあの顆の大星は便ち大将にして、其の余は偏将と吏士と為る、故にここに星象の変あれば、直ちに軍中の主帥に応ず。
歳星犯大陵 三十三
石氏曰:“歲星入大陵,國有大喪,大臣有誅,若戮死:人民死者大半,皆不出其年。”《荊州占》曰;“歲星乘大陵,天下盡喪,死人如嶽。”
石氏がいう、歳星が大陵に進入せば、国中に大丧あり、大臣は誅せられ、あるいは殺戮に遭いて死せん。百姓は大半を死掉し、これらは皆この一年を出でずして便ち応験せん。《荊州占》にいう、歳星が大陵を凌乗せば、天下は到る処丧事あり、死人は堆積して山岳のごとく成らん。大陵の八星は胃宿の北に在り、これ陵墓・積尸の象徴にして、その中に別に積尸の一星あり、故にこの一処は專ら死丧に応ず。
歳星犯天船 三十四
郗萌曰:“歲星守天船,皆革也。”《聖洽符》曰:“歲星入守天船,兵大起,舟船用,有亡國,期不出年。”
郗萌がいう、歳星が天船を守れば、一概に変革を主る。《聖洽符》にいう、歳星が進入して併せて天船を守住せば、大挙して兵を興し、舟船はまさに動用せられ、国家の滅亡するあらん、期は一年を出でずに応ず。天船の九星は大陵の北・銀河の中に在り、水を渡ると舟楫の事とを主り、故にそれに変あれば便ち水戦と漕運との上に応ず。
歳星犯卷舌 三十五
石氏曰:“歲星乘捲舌,天下多喪。”又占曰:“歲星入守捲舌,有佞臣謀其君,以口舌為害,人主有憂。”
石氏がいう、歳星が卷舌を凌乗せば、天下は丧事甚だ多からん。別の一条の占語にいう、歳星が進入して併せて卷舌を守住せば、奸佞の臣ありてその君主を図謀し、一張の嘴を憑にして是非を搬弄して禍害を造成し、君主はこれがために憂慮せん。卷舌の六星は昴宿の北に在り、口舌・讒言を主り、故に占辞は專ら讒佞の小人に応ず。
歳星犯五車 三十六
石氏曰:“歲星犯五車,大早,若有喪;一曰犯庫星,兵起北方,若西方,犯倉星,穀貴,若有水。”《海中占》曰:“歲星入五車,兵大起,車騎行,五穀不成,天下民飢:若軍絕糧。”郗萌曰:“歲星入五車,向其傍,糴石三百;當其門,糴石五百;入其中,糴千錢。”
石氏がいう、歳星が五車を侵犯せば、大旱す(原文「大早」は「大旱」の訛字なり)、あるいは丧事あらん。別の一説には五車の中の庫星を侵犯するは、北方に兵を興し、あるいは西方に兵を興す。若し倉星を侵犯せば、穀価は上漲し、あるいは水患あらん。《海中占》にいう、歳星が五車に進入せば、大挙して兵を興し、車騎は出動し、五穀は長成せず、天下の百姓は饑饉せん。あるいは軍中は粮草を断絶せん。郗萌がいう、歳星が五車に進入し、それの旁に靠近せば、米価は一石三百銭ならん。それの門戸に正しく当たれば、米価は一石五百銭ならん。それの中間に深入すれば、米価はまさに一千銭に要到せん。五車の五星は畢宿の東北に在り、天子の兵車を主り、その中にまた分列して庫・倉などの星ありて粮械を主る。
《荊州占》曰:“歲星入五車庫,天下兵起:一曰若有水。”《孝經右秘》曰:“歲星入五車,王義絕,亂帝家。”石氏曰:“歲星中犯乘五車,若入天庫,以飢起兵。”《荊州占》曰:“歲星入五車中,犯乘守天庫星,水飢兵起。”
《荊州占》にいう、歳星が五車の中の庫星に進入せば、天下は兵を興さん。別の一説には水患あらん。《孝経右秘》にいう、歳星が五車に進入せば、帝王は道義を断絶し、皇家を攪乱せん。石氏がいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して五車し、あるいは天庫の星に進入せば、饑饉に因りて兵を起こさんとす。《荊州占》にいう、歳星が五車の中に進入し、侵犯・凌乗して併せて天庫の星を守住せば、水災・饑饉と戦事とは一斉に興起せん。
歳星犯天閼 三十七
石氏曰:“歲星守天闋,臣謀主,若大臣有不道者;有兵起,期二年。”郗萌曰:“星守天闋,為貴人多死。”《海中占》曰:“歲星守犯天闋,道絕,天下相疑,有闋梁之令。”
石氏がいう、歳星が天閼を守れば、臣下は君主を図謀し、あるいは大臣の中に事を行うこと道義に合わざる者あらん。戦事を興起せんとし、期は两年に応ず。郗萌がいう、歳星が天閼を守れば、貴人は死亡多からん。《海中占》にいう、歳星が守住して併せて天閼を侵犯せば、道路は断絶し、天下は互相に猜疑し、関梁を封閉するの政令あらん。天閼は則ち天関にして、畢宿と東井との間に在り、これ日月・五星の往来の門戸にして、関梁の通塞を主る。
(案《宋書,天文志》曰:晉康帝建元元年,歲星犯天闋,安西將軍庾翼與兄水書曰:歲星犯天闋,占雲;闋梁當混塞,比來江東無他,故江道亦不艱,而石唐頻年閉關,夫關閉不通信使,此復是天公憒憒,無皂白之徵。)石氏曰:“歲星守天闋,歲水,民飢,有自賣者。”郗萌曰:“歲星行不從天闋,不出其年,有兵。”
原書小注の考證に《宋書・天文志》を引いていう、晋の康帝・建元元年、歳星は天閼を侵犯せり。安西将軍・庾翼は兄・庾冰(原文は「兄水」と作る、「水」は「冰」の訛字なり)に書を与えていう、歳星が天閼を犯すは、占辞は関梁の当に阻塞すべきを講ず。近來江東は併して別の変故なく、故に長江の水道もまた艱険ならず、倒さに北方の石氏の政権(原文は「石唐」と作る、字に訛あり)は連年関を閉ぐ、と。関口は一封ぜられれば、信使に連なりても皆通ぜず、これまた老天の糊塗と算す可く、給出するの徴兆は黑白を分かつ能わざるなり。石氏がいう、歳星が天閼を守れば、この一年は水を發し、百姓は饑饉し、人ありて身を賣りて活を求めん。郗萌がいう、歳星の運行が天閼の常道を循らざれば、この一年を出でずして、戦事あらん。
歳星犯南河・北河戍 三十八
石氏曰:“歲星行南河戍中,為四方兵起,百姓疾病。”《黃帝占》曰:“歲星乘南河戍,若出南河南,為中。”石氏曰;“歲星守南河,蠻夷兵起,邊戍有憂;若有旱災,人民飢。”郗萌曰:“歲星守天高,天下赦。歲星逆行天高,其君齋戒不謹。”
石氏がいう、歳星が南河戍の中を経行せば、四方の兵を興すを主り、百姓は病を生ぜん。《黄帝占》にいう、歳星が南河戍を凌乗し、あるいは南河の南面より出づれば、応験は中原に落つ。石氏がいう、歳星が南河を守れば、蛮夷は兵を興し、辺境の戍卒に憂患あらん。あるいは旱災ありて、百姓は餓に挨がん。郗萌がいう、歳星が天高の星を守れば、天下は大赦す。歳星が天高の星にて逆行せば、あの君主は斎戒の恭謹たるを足らざるなり。南河・北河は各々三星にして、分列して東井の南北に在り、これ上天の関門にして、辺塞を防禦するを主る。
《黃帝占》曰:“歲星若留止守南河戍,為百姓疾病;一曰為旱。歲星行南河戍中,若留止南河戍,皆為喪。歲星出北河,若乘北河戍,為女喪。”《黃帝占》曰:“歲星乘北河戍,若出北河戍北,外國王死。”
《黄帝占》にいう、歳星若し南河戍に停留・驻守せば、百姓の病を生ずるを主る。別の一説には乾旱を主る。歳星が南河戍の中を経行し、あるいは南河戍に停留すれば、皆丧事を主る。歳星が北河より出で、あるいは北河戍を凌乗せば、女子の丧を主る。《黄帝占》またいう、歳星が北河戍を凌乗し、あるいは北河戍の北面より出づれば、外邦の君王はまさに死せんとす。南北の両河は一南一北にして東井を夾住す、故に同じく一顆の歳星にして、出入の方位は相同じからず、応験は便ち分かちて百姓・女子と外邦の王とに属す。
《玄冥占》曰:“歲星守北河,朔方兵動:若守之三十日不下,北兵敗:若北主死,天下大水,人民飢,期不出二年。”巫咸曰;“歲星守北河,大臣有憂,若邊臣有罪,若有戮死者。”郗萌曰:“歲星經南河之南,刑法復暴,誅伐不當:經北戍之北,以女子、金錢、貪色、奢侈、失治道;近期三年,中期六年,遠期九年,而災至。”
《玄冥占》にいう、歳星が北河を守れば、北方の朔方の一帯は兵馬を調動せん。若し守候して三十日も還って離れざれば、北方の軍隊は敗績せん。あるいは北方の主は死亡し、天下は大水を發し、百姓は饑饉し、期は两年を出でずに応ず。巫咸がいう、歳星が北河を守れば、大臣に憂患あり、あるいは邊将は罪を獲、あるいは殺戮せられて死する者あらん。郗萌がいう、歳星が南河以南を経行せば、刑法は重ねて殘暴と為り、誅殺・征伐はその当を得ざらん。北河戍以北を経行せば、則ち女色・金銭・貪淫・奢侈に因りて治国の道を喪失せん。近きは三年、中は六年、遠きは九年にして、災禍は則ち到来せんとす。
《黃帝占》曰:“歲星出北河戍間,若留守北,若居南戍間,若守兩間,為天下有難,起道不通。”《荊州占》曰:“歲星守兩河間,天下乖離,道路不通。”郗萌曰:“歲星有不行入天闋間,為喪。”
《黄帝占》にいう、歳星が北河戍の間より出で、あるいは停留して北辺に守り、あるいは南戍の間に居り、あるいは南北の両河の当中に守れば、皆天下に難あり・道路は阻断して通ぜざるを主る。《荊州占》にいう、歳星が南北の両河の間に守れば、天下は乖違・離散し、道路は通ぜざらん。郗萌がいう、歳星が常道を循らずして天閼の間に進入せば、丧事を主る。
歳星犯五諸侯 三十九
石氏曰:“歲星犯五諸侯,若守之,兵大將,將七出,諸侯有憂,若有死者,”巫咸日:“歲星入五諸侯,伺其出日而數之,若二十日,兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”
石氏がいう、歳星が五諸侯を侵犯し、あるいはそれを守住せば、まさに兵を興し将を拜し、将帥は屡屡出征せんとす(原文は「将七出」と作る、「七」の字に訛あり)、諸侯に憂患あり、あるいは人ありて死亡せん。巫咸がいう、歳星が五諸侯に進入し、それの出づるあの日より起算して、若し二十日に到れば、兵事は発動せん。再びそれの当初の進入の位置に照らして推せば、別の一説には期十日に応じて軍隊は解散す。五諸侯の五星は東井以北に在り、これ諸侯の封を受け位に列するの象徴なり。
《玄冥占》曰:“歲星守北諸侯,臣有謀主者;若議臣不忠,若有罪黜.,期一年。”石氏日:“歲星中犯乘守五諸侯,兵死,期三年。”郗萌曰:“歲星中犯乘守五諸侯,為所中乘守者誅,若有殃,期三年,兵發。”
《玄冥占》にいう、歳星が北面の諸侯の星を守れば、臣下ありて君主を図謀せん。あるいは参議の臣子は忠ならず、あるいは罪を獲て貶黜せらるる者あり、期は一年に応ず。石氏がいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して併せて五諸侯を守住せば、人ありて兵事に死するを主り、期は三年に応ず。郗萌がいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して併せて五諸侯を守住せば、それに犯され・乗ぜられ・守られたるあの一位はまさに誅せられ、あるいは禍殃に遭遇し、期は三年に応じて兵事は発動せん。
歳星犯積水 四十
巫咸曰:“歲星犯守積水,其國有水災,物不成,魚鹽貴:一曰以水為敗,糴大貴,人民飢,期二年。”
巫咸がいう、歳星が侵犯して併せて積水を守住せば、あの国家に水災あり、作物は長成せず、魚鹽は価貴からん。別の一説には水に因りて敗亡を致し、米価は暴漲し、百姓は餓に挨ぎ、期は两年に応ず。積水の一星は北河の西北に在り、水を蓄えて以て釀造・祭享に供するを主り、故にそれが凌犯せられれば專ら水患と魚鹽の貴賤とに応ず。
歳星犯積薪 四十一
甘氏曰:“歲星守積薪,天下大旱,五穀不登,人民飢亡。”
甘氏がいう、歳星が積薪を守れば、天下は大旱し、五穀は歉収し、百姓は饑饉に因りて死亡せん。積薪の一星は積水の東に在り、庖厨に供する柴薪を主り、積水と恰も一水一火の對を成す、故にこの一星の犯せらるるは反りて旱災の上に応ず。
歳星犯水位 四十二
郗萌曰:“歲星犯水位,大水:一曰出其南,大旱。”石氏曰:“歲星犯守水位,天下以水為害,津關不通;一曰大水入城郭,傷人民,皆不出其年。”
郗萌がいう、歳星が水位を侵犯せば、大水を發するを主る。別の一説にはそれが水位の南面より出づるは、大旱を主る。石氏がいう、歳星が侵犯して併せて水位を守住せば、天下は水患の害を受け、渡口・関卡は通ぜざらん。別の一説には大水は城郭に灌入して、百姓を傷害し、これらは皆この一年を出でずして則ち応験せん。水位の四星は東井以東に在り、水衡と河渠・溝洫の事とを主る。
歳星犯軒轅 四十三
郗萌曰:“歲星出東陵,有青龍出左右,若宮中者。”石氏曰:“歲星在軒轅中,有以女子請人君者。”《黃帝占》曰:“歲星行軒轅中,犯女主,女主失勢,(失勢者,憂喪也。)列大夫有放逐者,五官有不治者,色悴為憂,為疾,其所中犯乘守者,誅:若有罪。歲星中犯女主者,皆為女主當之,其守犯女主,女主有憂。”
郗萌がいう、歳星が東陵より出づれば、青龍の気ありてそれの左右に出現し、あるいは宮中に出現せん。石氏がいう、歳星が軒轅の中に処れば、人ありて女子を借りて君主に向かい請託せんとす。《黄帝占》にいう、歳星が軒轅の中を経行し、女主の星を侵犯せば、女主は勢を失わん(原書小注:いわゆる失勢は、則ち憂患と丧事とあるなり)。列位の大夫の中に放逐せらるる者あり、五官の中に職を失い治めざる者あらん。星の色は枯槁・憔悴すれば憂患を主り・疾病を主る。およそそれに正中より侵犯・凌乗・守住せられたるあの一位は、まさに誅殺せられ、あるいは罪を獲んとす。歳星が正中より女主の星を侵犯せば、一概に女主に由りて承当せん。それが守住して併せて女主の星を侵犯せば、女主は便ち憂患あらん。軒轅の十七星は七星の北に在り、これ黄龍の体にして、后妃の位を主る。
(案《宋書天文志》曰:宋元嘉十四年七月辛卯,歲星入軒轅,其後皇后袁氏崩。)《荊州占》曰:“歲星守軒轅,女后有以子諍者。”巫咸曰:“歲星行犯守軒轅,女主失政,若失勢:一日大臣當之,若有黜者,期二年。”
原書小注の考證に《宋書・天文志》を引いていう、宋の元嘉十四年七月辛卯、歳星は軒轅に進入し、此より後皇后・袁氏は去世せり。《荊州占》にいう、歳星が軒轅を守れば、皇后はまさに兒子の事のために人と争執せんとす。巫咸がいう、歳星が経行・侵犯して併せて軒轅を守住せば、女主は執政の権を喪失し、あるいは勢を失わん。別の一説には災の応は大臣の身に落ち、あるいは貶黜せらるる者あり、期は两年に応ず。
《玉曆》曰:“歲星犯守軒轅,女主有憂,其君失政,威令不行,後宮不安,期一年。”(司馬彪《天文志》曰:考桓延熹七年八月庚申。歲星犯軒轅大星,八年二月癸亥,皇后鄧氏坐執左道,廢,遷於祠宮,死。)
《玉暦》にいう、歳星が侵犯して併せて軒轅を守住せば、女主に憂患あり、あの君主は政柄を失去し、威令は推行して下らず、後宮は安寧を得ず、期は一年に応ず。原書小注に司馬彪《天文志》を引いていう、漢の桓帝・延熹七年八月庚申を考るに、歳星は軒轅の大星を侵犯せり。八年二月癸亥、皇后・鄧氏は左道・巫蠱を行うに因りて罪を獲て、廢黜せられ、祠宮に遷往し、随い後死去せり、と。
石氏曰:“歲星入軒轅中,犯乘守之,有逆賊,有火災。歲星犯乘守軒轅太民星,大飢,大流,太后宗有誅者,若有罪;中犯乘守少民星,小飢,小流,皇后宗有誅者,若有罪。”《荊州占》曰:“歲星中犯乘守軒轅左右角,皆為大臣當之。”
石氏がいう、歳星が軒轅の中に進入し、侵犯・凌乗して併せてそれを守住せば、叛逆の賊人あらんとし、また火災あらん。歳星が侵犯・凌乗して併せて軒轅の太民の星を守住せば、大饑饉・大批の流亡を主り、太后の一族の中に誅せらるる者あり、あるいは罪を獲る者あらん。正中より侵犯・凌乗して併せて少民の星を守住せば、小饑饉・小批の流亡を主り、皇后の一族の中に誅せらるる者あり、あるいは罪を獲る者あらん。《荊州占》にいう、歳星が正中より侵犯・凌乗して併せて軒轅の左角・右角の両星を守住せば、一概に大臣に由りて災の応を承当せん。
歳星犯少微 四十四
石氏曰:“歲星入少微,君當求賢佐:不求賢佐,則失威奪勢矣。歲星犯守少微,名士有憂,王者任用小人,忠臣被害,有死者。”《黃帝占》曰:“歲星入犯乘守少微,宰相易。歲星入中犯乘守少微,女主憂。”石氏曰;“歲星入中犯乘守少微,五官亂,宰相有憂。”
石氏がいう、歳星が少微に進入せば、君主は当に賢能の輔佐を訪求すべし。賢佐を訪求せざれば、則ち威権は旁落し・勢力は奪わるるに至らんとす。歳星が侵犯して併せて少微を守住せば、名望ある士人に憂患あり、帝王は小人を任用し、忠臣は迫害を受け、甚だしきは被害して死する者に至るあらん。《黄帝占》にいう、歳星が進入・侵犯・凌乗して併せて少微を守住せば、宰相はまさに更換せんとす。歳星がその中に深入して侵犯・凌乗・守住して少微すれば、女主に憂患あらん。石氏がいう、歳星がその中に深入して侵犯・凌乗・守住して少微すれば、五官は紊乱し、宰相に憂患あらん。少微の四星は太微垣の西に在り、これ處士と議士との位次なり、故に專ら賢才の進退・用舍に応ず。
歳星犯太微 四十五
《帝覽嬉》曰:“歲星行犯太微左右執法,為大臣有憂。”郗萌曰:“歲星犯左右執法,執法者誅,若有罪。”
《帝覧嬉》にいう、歳星が行き経て太微垣の左執法・右執法の二星を犯すのは、大臣に憂患がある兆しである。郗萌はいう、歳星が左執法・右執法を犯すのは、執法の職にある者が誅されるか、あるいは罪を得る兆しである。太微垣は天子の南宫の朝廷であり、左右の執法は端門の両側に分かれて居り、人間界ではそれぞれ廷尉と御史大夫に対応する。
(班固《天文志》曰:袁帝元壽元年十一月,歲星入太微,逆行干右執法,二年十月戊寅,高安侯董賢免大司馬位,歸第自殺。司馬彪《天文志》曰:“考桓延熹九年十月癸酉,歲星犯左執法,十一月戊午,歲星入犯左執法,其九年十一月,荊州刺史李隗等皆棄市,至永康元十二月,太傅陳蕃,大將軍寶武等皆枉死也。)
原書小注は班固《天文志》を引いていう、漢の哀帝元寿元年十一月(原文は「袁帝」と作るが「哀帝」の誤字である)、歳星が太微に入り、逆行して右執法を干犯した。二年十月戊寅、高安侯の董賢が大司馬の位を免ぜられ、邸に帰って自殺した。また司馬彪《天文志》を引いていう、漢の桓帝延熹九年十月癸酉に歳星が左執法を犯し、十一月戊午に歳星が太微に入ってまた左執法を犯した。この年の十一月に荊州刺史の李隗らは皆処刑されて屍を市に弃てられ、永康元年十二月に至って太傅の陳蕃・大将軍の竇武らも皆冤罪を受けて死んだ。
《荊州占》曰;“歲星道從太微西蕃北南方星間入,致南蕃東方星間南出道中,西蕃直坐入者,非道也。歲星以壬子日慎入太微天廷中,天子所使也:不以壬子日入,非天子使。”郗萌曰:“歲星當太微門,為受制;當左執法,為受事左執法;當右執法,受事右執法;守太微門,三日以下為受制;三日以上為兵,為賊,為亂,為飢。”
《荊州占》にいう、歳星すなわち木星は「太微垣」への出入りに正道と非正道の区別がある。太微垣の西藩のやや北寄り・南方の諸星の間から入り、南藩東側の諸星の間から南へ抜け出るのは正道を行くものであり、西藩から帝座の方位へまっすぐ切り込むのは正道ではない。歳星が「壬子」の日にゆっくり太微天廷の中に入るのは天子の命を奉じて行う象であり、壬子の日に入らなければ天子に遣わされたものではない。郗萌はいう、歳星が太微垣の南門に正対するのは天子の制命を受ける兆し、「左執法」星に正対するのは左執法から政事を受ける兆し、「右執法」星に正対するのは右執法から政事を受ける兆しである。もし太微門に留まり守るなら、守ること三日以内はなお受命の象にすぎず、三日を超えれば兵事・盗賊・動乱・飢饉に応じる。
《荊州占》曰:“歲星出東掖門為相,受命東南,出德事也;出西掖門為將,受命西南,出刑事也;期以春夏。”《齊伯占》曰:“歲星入太微,執道而出,王者有福,諸侯有受賜爵封者。”《黃帝占》曰:“歲星入天廷,色白潤澤,為期百八十日,有谷:歲星東行入太微廷中,出東門,天下有急兵;若守,將相御史大臣有死者:若入端門守廷,大禍至:入南門出東門,國大旱:若入南門逆行出西門,有大水;逆入東門出西門,大國破亡:若順入西蕃而留不去,楚國凶殃。”
《荊州占》にいう、歳星が太微垣の「東掖門」から抜け出るのは丞相に応じ、東南の方で命を受けて恩恵を施し徳を布く事を行い、「西掖門」から抜け出るのは将帥に応じ、西南の方で命を受けて刑殺・征伐の事を行う。応験の時期は春夏の二季にある。《斉伯占》にいう、歳星が太微垣に入って正道に沿って穿ち出れば、君王に福慶があり、諸侯の中に爵位と封邑を賜る者が出る。《黄帝占》にいう、歳星が天廷すなわち太微垣に入り、星の色が白く潤いがあれば、百八十日を期として年成の収穫がある。歳星が東へ順行して太微廷の中に入り東門から出れば、天下に緊急の兵事がある。もし滞在して去らなければ、将相・御史の級の大臣の中に死ぬ者が出る。「端門」から入って廷中に守れば大禍が間もなく臨み、南門から入って東門から出れば国に大旱があり、南門から入って逆行して西門から出れば大水があり、逆行して東門から入り西門から出れば大国が破れて滅び、順行して西藩に入ったまま去らなければ楚の地に凶殃がある。
《合誠圖》曰:“歲星入華闕門者,為臣殺之、候之。”石氏曰:“歲星入太微中華東西門,若左右掖門,而南出端門者,必有反臣。歲星入太微西門出東門,為人君不安,欲求賢佐:有入中華西門出中華東門,為臣出令:有入太陰西門出太陰東門,為天下大亂,有喪,若大水。”
《合誠図》にいう、歳星が太微垣の「華闕門」に入るのは、臣下が弑逆を行う兆しであり、厳重に備え候すべきである。石氏はいう、歳星が太微垣の「中華東門」「中華西門」あるいは左掖門・右掖門から入り、南へ向かって端門から出れば、必ず叛臣が現れる。歳星が太微の西門から入り東門から出るのは、人君の心中が安らかでなく賢能の士を求めて自らを輔けさせようとする象であり、「中華西門」から入り「中華東門」から出るのは政令が臣下の手から出る象であり、「太阴西門」から入り「太阴東門」から出れば天下大いに乱れ、喪事があるか、あるいは大水の災いがある。
郗萌曰:“歲星入太微西門,犯天廷,出端門,皆為大臣伐主;入西門而初出右掖門,皆為大臣假主之威而不從主命。歲星入西華門出端門,為臣詐稱詔。”《荊州占》曰:“歲星入太陰西門若端門出東門;貴者奪威勢。歲星與五星俱會太微宮中,成勾己而光不相及者,三王九侯亡:一曰名臣爭為主,更相殘賊。歲月入太微天廷出端門,臣不臣。歲星入太微宮,為天下大驚:一曰有兵。歲星入天廷,國不安其宮。”
郗萌はいう、歳星が太微の西門から入って天廷を犯し端門から出るのは、いずれも大臣が君主を攻伐する兆しであり、西門から入って先ず右掖門から出るのは、いずれも大臣が君主の威権を借りて事を行い君命に従わない兆しである。歳星が「西華門」から入って端門から出るのは臣下が詔書を偽造する兆しである。《荊州占》にいう、歳星が「太阴西門」または端門から入って東門から出れば、権貴の者の威勢が奪われる。歳星がその他の諸星とともに太微宮の中に会し、行度が曲がって「鉤己」の形を成し互いの光芒が接しないのは、三王九侯が敗亡する兆しであり、もう一説には名望ある重臣が争って君主の座を求め互いに殺し合うとする。歳星が太微天廷に入って端門から出れば、臣子は臣道を守らない(この句は底本が「歳星」を「歳月」と誤る)。歳星が太微宮に入れば天下は大いに震動し、もう一説には兵事があるとする。歳星が天廷に入れば、国家は自らの宮室に安んじることができない。
司馬彪《天文志》曰:“歲星入太微,人主改政。”巫咸曰:“歲星逆行入太微天廷中,為大臣有誅;若諸侯戮死,期二年。”石氏曰:“歲星逆行太微之中,及出入左右掖門,為有逆謀,天子有命,將征伐之事:一曰大赦可以解其患。歲星逆行入太陽東門,若入中華門,入主改政,非次,天下不安。”
司馬彪《天文志》にいう、歳星が太微垣に入れば君主は政令を更改する。巫咸はいう、歳星が逆行して太微天廷の中に入るのは大臣が誅殺される兆しであり、あるいは諸侯が処刑され、期限は二年である。石氏はいう、歳星が太微垣の中で逆行し、あるいは左掖門・右掖門から出入りするのは叛逆の企てがある兆しであり、天子は命令を下して征伐の事を興す。もう一説には大赦を頒行すればこの禍患を解き消せるとする。歳星が逆行して「太阳東門」から入るか「中華門」から入れば、君主は政令を更改し、しかも常規の次序に従わず、天下は安寧を得ない(この句は底本が「人主」を「入主」と誤る)。
郗萌日:“歲星逆行入左掖門,為臣劫其主;有入東華門,至黃帝座,出西門,為臣欲謀主;不成。”《玉曆》曰:“歲星逆行入太微,強臣凌主,諸侯兵起。”《荊州占》曰:“歲星主東方,南逆行入太微東南隅星之北,為南方,入二星之北,為東方。”
郗萌はいう、歳星が逆行して左掖門から入るのは臣下が君主を劫持する兆しであり、もし「東華門」から入って「黄帝座」まで行き着き西門から出れば、臣下が君主を害しようとするが謀って成らない兆しである。《玉暦》にいう、歳星が逆行して太微垣に入れば、強横な臣子が君主を陵し、諸侯は兵を興す。《荊州占》にいう、歳星は本来東方を主るが、もし南へ逆行して太微垣の東南角の星の北に進めば南方に応じ、あの二つの星の北に進めば東方に応じる。
《黃帝占》曰:“歲星留於太微,守三十日以上,為必有兵革,天下大赦。”《荊州占》曰:“歲星入太微從右,二十日以上,人主大不安,有大憂。”(案《宋書天文志》曰:魏貴初五年,歲星入太微,逆行積百四十幾日乃出,至—匕年五月,文帝崩,明帝即位,大赦天下。)
《黄帝占》にいう、歳星が太微垣に滞留して三十日以上守れば必ず戦事があり、続いて天下に大赦がある。《荊州占》にいう、歳星が右から太微垣に入って二十日以上留まれば、君主は極めて安らかでなく大きな憂患がある。以下は原書小注の按語で、《宋書・天文志》を引いていう、魏の黄初五年(底本は「黄初」を「貴初」と誤る)、歳星が太微垣に入り、逆行して累計百四十余日を経てようやく穿ち出た。黄初七年(底本はここで字形を「—匕年」と誤脱する)五月に魏の文帝曹丕が逝去し、魏の明帝曹叡が即位して天下を大赦した。
《荊州占》曰:“歲星入太微,從右入七日以上,為人主憂。”(司馬彪《天文志》曰:考桓延熹九年正月壬辰,歲星入太微中,五十八日出端門,永康元年十二月丁丑,桓帝崩。)歲星道南蕃入留止南門,為大臣有憂。歲星留太微廷中,為天下大憂;中央留十日以上,皆為天下有亡徒為兵者。”
《荊州占》にいう、歳星が右から太微垣に入って七日以上留まるのは君主に憂患がある兆しである。以下は原書小注で、司馬彪《天文志》を引いていう、漢の桓帝延熹九年(底本は「孝桓」を「考桓」と誤る)正月壬辰の日、歳星が太微垣の中に入り、五十八日後に端門から穿ち出た。永康元年十二月丁丑の日に至って桓帝は逝去した。歳星が南藩を取って入って南門に留まるのは大臣に憂患がある兆しである。歳星が太微廷の中に滞留するのは天下に大いなる憂いがある兆しであり、太微垣の中央に十日以上留まるのはいずれも天下に逃亡の徒が集まり結んで兵乱となる兆しである。
陳卓曰:“歲星入太微,犯左,左執法將相執法者有憂,若死亡;近期一年,遠五年。”《荊州占》曰:“歲星入太微天廷,所中犯乘守者,殺;若有罪,各以守官名之。歲星食太微東西蕃,四輔臣有誅者,若君臣失禮。”
陳卓はいう、歳星が太微垣に入って左側を衝犯するのは、「左執法」の主る将相と執法の官に憂患があり死に至ることもある兆しで、近ければ一年以内、遠ければ五年以内に応じる。《荊州占》にいう、歳星が太微天廷に入り、それが正中・衝犯・凌乗・守候した星の主る者は殺され、あるいは罪を得るのであり、それぞれ守る星の対応する官名によって誰に応じるかを判定する。歳星が太微垣の東藩と西藩を侵蝕するのは、「四輔」の大臣の中に誅殺される者が出るか、あるいは君臣の間に礼数を失する兆しである。
歳星犯黄帝座 四十六
石氏曰:“歲星犯黃帝座,改正易王,天下亂,存亡半。”又占曰:“歲星逆來犯黃帝座,王者惡之,禍成矣,期三年。”郗萌曰:“歲星干犯黃帝座,非其主立,天下不安。”《荊州占》曰;“歲星入黃帝座,其色白者,為有赦。”又占曰:“歲星逆行入太微天廷中,為諸侯將有戮上者。至黃帝座而成,不至黃帝座而還,有謀不成,以其入日占國。”又占曰:“歲星中黃帝座,為大人易,天下大亂。”又占曰:“歲星觸黃帝座,主賊,”《黃帝占》曰:“守黃帝座,大人憂。”
「黄帝座」は太微垣の正中にある大きな星で、天子その人を象徴する。石氏はいう、歳星が黄帝座を衝犯するのは正朔を改正し君王を換え、天下が大いに乱れて残る者と滅びる者が半々となる兆しである。また一条の占辞にいう、歳星が逆行して来て黄帝座を衝犯するのは君王が最も忌む天象で、禍事はすでに醸成されており、期限は三年である。郗萌はいう、歳星が黄帝座を干犯すれば、立つべきでない者が君主に立てられて天下は安寧を得ない。《荊州占》にいう、歳星が黄帝座に入り星色が白く発すれば、赦令を頒く兆しである。また一条の占辞にいう、歳星が逆行して太微天廷の中に入れば、諸侯の中に君上を殺害する者が出る。もし黄帝座まで行き着けばその事は成し遂げられ、黄帝座に至らずに折り返せば陰謀は成らず、太微に入った日の値する分野によってどの国に応じるかを推し断する。また一条の占辞にいう、歳星が黄帝座を正中するのは大人すなわち君主が更易し天下が大いに乱れる兆しである。また一条の占辞にいう、歳星が黄帝座に触れるのは賊寇がある兆しである。《黄帝占》にいう、歳星が黄帝座を守候するのは大人に憂患がある兆しである。
歳星犯四帝 四十七
石氏曰:“歲星犯守四帝,臣謀主:去之一尺,事不成。”《玉曆》曰:“歲星入太微,犯四帝,闢憂君也。”甘氏曰:“歲星中犯乘守四帝座,天下亡。”
「四帝座」は太微垣の中で黄帝座の四周に環衛する四つの星で、それぞれ東・南・西・北四方の帝座を象徴する。石氏はいう、歳星が四帝座を衝犯または守候するのは臣下が君主を図る兆しであり、歳星が四帝座から一尺ほど離れればその事は成らない。《玉暦》にいう、歳星が太微垣に入って四帝座を衝犯すれば、人君はこのために憂い惧れる。甘氏はいう、歳星が四帝座を正中・衝犯・凌乗または守候すれば、天下は敗亡しようとしている。
歳星犯屏星 四十八
甘氏曰:“歲星犯守屏星,君臣失禮,下而謀上:一曰大臣有戮死者。”石氏曰:“歲星中犯乘守屏星,為君臣失禮,而輔臣有誅者,若免罷去。”
「屏星」は遮蔽・障隔の象を取り、太微垣の天子座の前に列なって御座の前の屏風のようである。甘氏はいう、歳星が屏星を衝犯または守候するのは君臣の間に礼数を失し、下位に居る者が上位の者を図る兆しであり、もう一説には大臣の中に処刑される者が出るとする。石氏はいう、歳星が屏星を正中・衝犯・凌乗または守候するのは君臣が礼を失い、輔政の大臣の中に誅殺される者が出るか、あるいは免職・罷黜される兆しである。
歳星犯郎位 四十九
甘氏曰;“歲星犯守郎位,輔臣有謀,左右宿衛者為亂,王者宜備之。”
「郎位」は太微垣の内で郎官を象徴する一組の星であり、郎官は天子の左右に宿衛して顧問と差遣に備える近侍の臣である。甘氏はいう、歳星が郎位を衝犯または守候するのは、輔政大臣が密かに謀を抱き、君主の身辺で宿衛を務める者が乱を起こす兆しであり、君王はあらかじめ備えるべきである。
歳星犯郎将 五十
巫咸曰:“歲星犯守郎將,命曰陵;陵則將有誅,若將憂;一曰大臣為亂,誠慎左右。”《荊州占》曰:“歲星犯乘守郎將,具有以符節為奸者。”又占曰:“歲星中犯乘守郎,將必有不還之使,”
「郎将」は郎官の宿衛を統領する武職であり、その星は郎位のそばにある。巫咸はいう、歳星が郎将を衝犯または守候する天象は「陵」と呼ばれ、ひとたび陵となれば将帥が誅殺されるか将帥に憂患があり、もう一説には大臣が乱を起こすので君主は必ず身辺の近臣を慎み防ぐべきである。《荊州占》にいう、歳星が郎将を衝犯・凌乗または守候するのは、符節をたよりに私を営み姦を為す者がある兆しである。また一条の占辞にいう、歳星が郎将を正中・衝犯・凌乗または守候すれば、必ず外に出使して生きて帰れない使臣が出る。
歳星犯常陳 五十一
甘氏曰:“歲星犯守常陳,守衛有謀,兵起宮中,天子自出行,誅:期百八十日,遠一年。”
「常陳」は太微垣の北にあり、全部で七星、天子の近衛武士が列陣して警蹕する象である。甘氏はいう、歳星が常陳を衝犯または守候するのは宿衛を務める者に陰謀があり、兵乱が宮禁の中に起こり、天子が自ら出て誅討を行う兆しである。期限は百八十日、遠ければ一年である。
歳星犯三台 五十二
《玉曆》曰:“歲星入犯上臺司命,近臣有罪,若有誅:一曰近臣有逃走者,以五色占:色黃,當日無故:青黑,憂死喪,期一年。”郗萌曰:“歲星犯守上臺,改年易紀,太尉死,不則天子惡之;中臺,司徒病;下臺,司空。期百日,若七十日,丙子日。”《文曜鉤》曰:“歲星犯守中臺,司中奸臣有謀,若誅者,中公當之。”巫咸曰:“歲星犯守下臺,司祿近臣有罪,若出走,黑死者。
「三台」は全部で六星、二つずつ並んで上台・中台・下台に分かれ、三公の位を象徴する。《玉暦》にいう、歳星が上台に進犯するのは、上台は一に「司命」ともいい、近臣が罪を得るか誅殺される兆しであり、もう一説には近臣の中に逃亡する者が出るとし、星の五色によって占い断ずることができる——星色が黄に発せば当日は事故なく、青黒なら死喪に憂いがあり、期限は一年である。郗萌はいう、歳星が上台を衝犯または守候するのは改元・換紀、太尉の死亡、さもなければ天子がその事を悪む兆しであり、中台を衝犯すれば司徒が病み、下台を衝犯すれば司空に応じる。期限は百日または七十日で、丙子の日に応じる。《文曜鉤》にいう、歳星が中台を衝犯または守候するのは、中台は一に「司中」ともいい、姦臣に陰謀があるか誅殺される者があり、中公の位に居る者がそれを負う兆しである。巫咸はいう、歳星が下台を衝犯または守候するのは、下台は一に「司禄」ともいい、近臣が罪を得るか出逃するか、あるいは横死する者がある兆しである(底本の「黒死者」の「黒」は誤字と疑われ、この条の引文末は下引号も脱している)。
歳星犯相星 五十三
石氏曰:“歲星犯相星,輔臣凶。”
「相星」は北斗の魁星の南にあり、天子を輔佐する丞相を象徴する。石氏はいう、歳星が相星を衝犯するのは、政を輔ける大臣に凶禍がある兆しである。
歳星犯太阳守 五十四
甘氏曰:“歲星犯守太陽守,大臣戮死:若有誅,謀不出年。”
「太阳守」一星は北斗の魁星の下・相星の西にあり、兵権を掌る大臣と大将を象徴する。甘氏はいう、歳星が太阳守を衝犯または守候するのは大臣が処刑されるか、あるいは誅戮される者がある兆しであり、この陰謀は一年を出ずして発作する。
歳星犯天牢 五十五
《海中占》曰:“歲星犯守天牢,王者以獄為弊,貴人多係者。”
「天牢」六星は北斗の魁星の下にあり、貴人を拘繫する牢獄の象である。《海中占》にいう、歳星が天牢を衝犯または守候するのは、君王が刑獄の事によって害を受け弊が生じ、貴人の中に囚われ繋がれる者が多い兆しである。
歳星犯文昌 五十六
石氏曰:“歲星入文昌,天下兵起,其君不安,若有走主。”
「文昌」六星は北斗の魁星の前に列なり、天子の六府の象で文治と選挙・号令を主る。石氏はいう、歳星が文昌に入れば天下に兵事が興り、そこの国君は安寧を得ず、出奔・逃亡する君主さえ出る。
歳星犯北斗 五十七
《聖洽符》曰:“歲星入北斗口中,天下大亂,改政易王,國有大喪,期三年。”巫咸曰:“歲星入北斗,若守之,貴臣受殃。”郗萌曰:“歲星入守北斗,貴人有繫。”《荊州占》曰:“歲星守北斗,天子惡之。”《荊州占》曰:“歲星守北斗,不出一年,其歲大水;一曰大赦。”
「北斗」七星は天帝の乗る車駕で、中央を運って四方に臨み制し、号令・爵禄・生殺を主る。《聖洽符》にいう、歳星が北斗の魁星の囲む斗口の中に入れば、天下は大いに乱れ、政令を改め換え君王を更易し、国に大喪があり、期限は三年である。巫咸はいう、歳星が北斗に入るか留まり守れば、顕貴の大臣は殃を受ける。郗萌はいう、歳星が北斗に入って守候するのは貴人が拘繫されて獄に入る兆しである。《荊州占》にいう、歳星が北斗を守候するのは天子が忌む天象である。《荊州占》はまたいう、歳星が北斗を守候して一年を出ず、この年に大水があり、もう一説には大赦を行うとする。
歳星犯紫微宮 五十八
《海中占》曰:“歲星入長垣,天子以兵自衛,強臣凌主;一曰叛臣被誅,若戮死;期不出百八十日。”《玄冥占》曰:“歲星入紫微宮,奸臣有謀,兵起宮中,天下亂,人主憂,期二年。”巫咸曰:“歲星守紫微宮,民莫處其室宅,流移去其鄉。”
「紫微宮」すなわち紫微垣は天帝の居する宮城で、左右二つの垣墻が城のごとく合い抱くので長垣ともいう。《海中占》にいう、歳星が長垣に入れば、天子は兵を用いて自らを衛り、強横な臣子が君主を陵し、もう一説には叛臣が誅されるか処刑され、期限は百八十日を出ない。《玄冥占》にいう、歳星が紫微宮に入れば姦臣が密かに謀を抱き、兵乱が宮禁の中に起こり、天下は動乱し君主は憂愁し、期限は二年である。巫咸はいう、歳星が紫微宮を守候すれば、百姓は自らの屋宅に安んじることができず、流亡・迁徙して故郷を離れる。
歳星犯北極鉤陳 五十九
石氏曰:“歲星犯守北極,主星必有大喪,若有反臣。”《玉曆》曰:“歲星犯守太子星,太子憂,若有罪;犯守庶子,庶子憂,若有罪。”《荊州占》曰;“歲星中犯乘守北極主星,為大人憂。”《黃帝占》曰:“歲星犯守鉤陳,後宮亂,兵起宮中,倖臣謀,主者憂。”
「北極」五星は紫微宮の中にあり、順に太子・帝星(すなわち主星)・庶子・後宮・天枢で、天子の一家の象徴である。「鉤陳」六星は北極を環繞し、後宮と宿衛を主る。石氏はいう、歳星が北極を衝犯または守候すれば、主星の応じる君主は必ず大喪があるか叛臣が現れる。《玉暦》にいう、歳星が太子星を衝犯または守候すれば太子に憂患があるか罪を負い、庶子星を衝犯または守候すれば庶子に憂患があるか罪を負う。《荊州占》にいう、歳星が北極の主星を正中・衝犯・凌乗または守候するのは大人に憂患がある兆しである。《黄帝占》にいう、歳星が鉤陳を衝犯または守候すれば、後宮に乱が生じ兵変が宮禁の中に起こり、寵幸を受ける近臣が不軌を図り、君主はこれを憂う。
歳星犯天一 六十
石氏曰:“歲星犯守天一,倖臣有謀,人主憂。”
「天一」一星は紫微宮門の外・右星の南にあり、天帝の神霊で戦闘を主り人の吉凶を知る。石氏はいう、歳星が天一を衝犯または守候するのは、寵幸を受ける近臣が密かに謀を抱き、君主がこれを憂う兆しである。
歳星犯太一 六十一
石氏曰:“歲是生犯守太一,倖臣有謀,有兵起,人主憂。”
「太一」一星は天一の南にあり、これも天帝の神霊で十六神を使い、風雨・水旱と兵革・飢饉を知ることを主る。石氏はいう、歳星が太一を衝犯または守候するのは(底本は「歳星」の二字を「歳是生」と誤る)、寵幸を受ける近臣が密かに謀を抱き兵事が興る兆しであり、君主はこれを憂う。
開元占経 巻二十九
歳星占 七
歳星犯石氏外官 一
歳星犯庫楼 一
《黃帝占》曰:“歲星犯庫樓,兵出;一曰:民飢、舉兵。”巫咸曰:“歲星入庫樓,其國以飢起兵;若有旱災,期不出年。”
「庫楼」十星は角宿の南にあり、天上の兵庫と望楼で兵甲・器械を主る。《黄帝占》にいう、歳星が庫楼を衝犯するのは兵を発して出征する兆しであり、もう一説には百姓が飢饉して兵を起こすとする。巫咸はいう、歳星が庫楼に入れば、その国は飢饉のために兵を興し、あるいは旱災に遭い、期限は一年を出ない。
歳星犯南門 二
《荊州占》曰:“歲星守南門,王者出畋獵,不出三十日。”石氏曰:“歲星犯守南門,夷兵起;若路不通。”
「南門」二星は庫楼の南にあり、天上の外門で守衛と四夷往来の道路を主る。《荊州占》にいう、歳星が南門を守候するのは君王が外出して田猟する兆しで、三十日を出ずに応じる。石氏はいう、歳星が南門を衝犯または守候すれば四夷の兵が興り、あるいは道路が塞がり通じない。
歳星犯平星 三
石氏曰:“歲星犯平星、凶。”甘氏曰:“歲星守平星,執政臣憂;若有罪誅者,期一年。”
「平星」二星は庫楼の北にあり、刑法を平理することを主る廷尉執法の象である。石氏はいう、歳星が平星を衝犯するのは凶を主る。甘氏はいう、歳星が平星を守候するのは政柄を執る大臣に憂患があるか、あるいは罪を得て誅される者が出る兆しで、期限は一年である。
歳星犯騎官 四
甘氏曰:“歲星犯守騎官,有兵起,馬多發,若多死。”
「騎官」二十七星は氐宿の南にあり、天子の騎兵武官である。甘氏はいう、歳星が騎官を衝犯または守候するのは兵事が興る兆しで、戦馬が大批に徴発されるか、あるいは戦馬が大批に死亡する。
歳星犯積卒 五
石氏曰:“歲星入積卒,若守之,兵大起,士卒大行,若多死,期二年。”
「積卒」十二星は房宿の南にあり、集まり屯駐する士卒を象徴する。石氏はいう、歳星が積卒に入るか留まり守れば、兵事が大いに起こり、士卒が大規模に開拔して出征するか、あるいは傷亡が多く、期限は二年である。
歳星犯亀星 六
《海中占》曰:“歲星犯龜星,天下有水旱之災;守陽則旱,守陰則水。”
「亀星」五星は尾宿の南にあり、占卜と水中の介甲の物を主る。《海中占》にいう、歳星が亀星を衝犯すれば天下に水災・旱災があり、亀星の南面(陽位)に守れば旱し、北面(陰位)に守れば澇す。
歳星犯守傅説 七
石氏曰:“歲星犯守傅說,王者簡宗廟,廢五祀,後宮凶;一曰有絕嗣,期不出三年。”
「傅説」一星は尾宿の後にあり、伝えるところでは殷の高宗の賢相傅説が死んで化したもので、後宮の子嗣と祭祀の事を主る。石氏はいう、歳星が傅説を衝犯または守候するのは、君王が宗廟を怠慢し、門・戸・井・竈・中霤という五つの常祀を廃し、後宮に凶事がある兆しであり、もう一説には子嗣が断絶し、期限は三年を出ない。
歳星犯魚星 八
甘氏曰:“歲星犯守魚星之陽,為大旱,魚行人道;犯守魚星之陰,為大水,魚鹽貴。”
「魚星」一星は尾宿の後の天河の中にあり、陰湿の事と水中の鱗介の物を主る。甘氏はいう、歳星が魚星の南面を衝犯または守候するのは大旱の兆しで、河は干上がり水は浅く、魚はあえて人の行く道を歩む。魚星の北面を衝犯または守候するのは大水の兆しで、魚と塩の価が騰貴する。
歳星犯杵星 九
《海中占》曰:“歲星入杵星,若守之,天下有急發米之事,不出其年。”
「杵星」三星は箕宿の南にあり、臼星と相配する舂米の杵で、糧食の加工を主る。《海中占》にいう、歳星が杵星に入るか留まり守れば、天下に糧米を急いで調発する事があり、当年を出ずに応じる。
歳星犯鱉星 十
《黃帝占》曰:“歲星守鱉星,為有白衣之會。”石氏曰:“歲星守鱉星,有白衣若聚眾,若大水。”巫咸曰:“歲星守鱉星,國有水旱之災,守陽則旱,守陰則水。”
「鱉星」十四星は南斗の南にあり、水中の介甲の族を主る。《黄帝占》にいう、歳星が鱉星を守候するのは「白衣の会」、すなわち喪事を営んで衆が集まる兆しである。石氏はいう、歳星が鱉星を守候するのは喪服の事か衆が集まる事があり、あるいは大水を発する兆しである。巫咸はいう、歳星が鱉星を守候すれば国に水災・旱災があり、南面(陽位)に守れば旱し、北面(陰位)に守れば澇す。
歳星犯九坎 十一
石氏曰:“歲星守九坎,天下旱,名水不水,五穀不登,人民大飢;一曰:之陰大水,之陽大旱。”
「九坎」九星は牽牛の南にあり、溝渠・水塘の象で疎導と蓄泄を主る。石氏はいう、歳星が九坎を守候すれば天下に大旱があり、名ある江河は涸れて水と成さず、五穀は成熟せず百姓は大いに飢える。もう一説には、歳星が九坎の北面に行けば大水を発し、南面に行けば大旱を発する。
歳星犯敗臼 十二
石氏曰:“歲星守敗臼,民不安,其室憂,失其釜甑;若流移,去其鄉。”
「敗臼」四星は虚宿・危宿の南にあり、破敗した舂臼で凶災・飢饉を主る。石氏はいう、歳星が敗臼を守候すれば百姓は安寧を得ず、家ごとに憂いがあり、飯を炊く鍋と飯を蒸す甑さえ保てず、あるいは流亡・迁徙して故郷を離れる。
歳星犯羽林 十三
《海中占》曰:“歲星入守羽林,有兵起,若有逆行,變色成鉤已,天下大兵,關梁不通,不出其年。”郗萌曰:“歲星入守羽林,有反臣中兵起也。”《玄冥占》曰:“歲星入守羽林,諸侯悉發兵,強臣謀主,王者憂,期二年。”(案《宋天文志》曰:晉安帝義熙五年五月戊戍,歲星入羽林,是年四月,高祖討鮮卑,西虜攻安定,姚略自以大眾救之,六年二月,鮮卑滅。)
「羽林」四十五星は営室の南にあり、天子の禁衛軍で天軍ともいう。《海中占》にいう、歳星が羽林に入って守候するのは兵事が興る兆しであり、もしさらに逆行・変色し、蟠曲して「鉤己」の形を成せば、天下は大いに干戈を動かし関隘・橋梁が断絶して通ぜず、当年を出ずに応じる。郗萌はいう、歳星が羽林に入って守候するのは叛臣があり、兵変が内部から起こる兆しである。《玄冥占》にいう、歳星が羽林に入って守候すれば、諸侯は皆兵を発し、強横な臣子が君主を図り、君王はこれを憂う。期限は二年である。以下は原書小注の按語で、《宋書・天文志》を引いていう、晋の安帝義熙五年五月戊戌の日、歳星が羽林に入った。この年の四月、宋の高祖劉裕が南燕の鮮卑を征討し、西の敵虏が安定を攻め、姚略は自ら大軍を率いて救援に赴いた。義熙六年二月に至って鮮卑は滅ぼされた。
石氏曰:“歲星入天軍,諸侯悉發甲兵;一曰興兵者吉。”郗萌曰:“歲星犯守天軍為兵起,有破軍死將。”
石氏はいう、歳星が天軍すなわち羽林軍の星に入れば、諸侯は皆甲士・兵器を調発し、もう一説には自ら兵を興す側が吉であるとする。郗萌はいう、歳星が天軍を衝犯または守候するのは兵事が興る兆しで、軍隊が撃破され将領が陣亡する事がある。
歳星犯北落 十四
石氏曰:“歲星與北落相貫,牴觸,光芒相及,有兵大戰,破軍殺將,伏尸流血,不可當也。期百八十日,若一年;又守北落,亦為兵起。”
「北落」すなわち北落師門は一星、羽林軍の南にあり、軍営の北門である。石氏はいう、歳星と北落が互いに貫き相抵触して光芒が交じり合うのは、大規模な兵戦があり、軍隊が撃破され将領が殺され、屍が野に横たわり血が川を成し、锋芒は鋭くて当たるべからずという兆しである。期限は百八十日または一年である。また、歳星が北落を守候するのも同じく兵事が興る兆しである。
歳星犯土司空 十五
《海中占》曰:“歲星守土司空,其國以土起兵;若有土功之事,天下旱。”郗萌曰:“歲星守土司空,多土功事。”
「土司空」一星は奎宿の南にあり、土木の営造と堤防・溝洫を主る。《海中占》にいう、歳星が土司空を守候すれば、その国は土地の争いのために兵を起こし、あるいは土木を興建する工役があり、天下は干旱する。郗萌はいう、歳星が土司空を守候するのは土木の工役が繁多な兆しである。
歳星犯天倉 十六
《黃帝占》曰:“歲星入天倉中,主財寶出,主憂,亂臣在內,天下有兵,而倉庫之戶俱開,主人勝客,客事不成,期二十日中而發。”巫咸曰:“歲星入天倉,若守之,天下有轉粟之事,歲惡民飢。”《齊伯占》曰:“歲星守天倉,諸侯有發粟之事,兵起;星若當戶守之,將受命,不為主用。”
「天倉」六星は婁宿の南にあり、穀物を儲蓄する倉廩である。《黄帝占》にいう、歳星が天倉の中に入るのは庫蔵の財宝が流出し、君主に憂患があり、乱を為す臣子が朝廷の内に在り、天下に兵事があって倉庫の門戸はすべて敞く兆しである。交戦すれば主方が客方に勝ち、客方の図る事は成らない。期限は二十日以内に発作する。巫咸はいう、歳星が天倉に入るか留まり守れば、天下に糧米を転運する事があり、年成は悪く百姓は飢饉する。《斉伯占》にいう、歳星が天倉を守候すれば諸侯に倉を開き糧を発する事があり兵事が興り、もし歳星が倉門に正対して守れば、将帥は君命を受けたにもかかわらず君主の用に肯んじない。
歳星犯天囷 十七
石氏曰:“歲星入天囷,天下兵起,囷倉儲積之物皆發用;一曰:御物多有出者,庫藏空虛,期二年。”
「天囷」十三星は胃宿の南にあり、円形の穀倉である。石氏はいう、歳星が天囷に入れば天下に兵事が興り、囷倉に儲積した物資はすべて調発されて用いられ、もう一説には御用の物品が大量に流出して府庫が空虚となり、期限は二年である。
歳星犯天廩 十八
石氏曰:“歲星犯守天廩,天下亂,大飢,粟散出。”甘氏曰:“歲星入守天廩,天下有兵,歲大飢,倉粟散出,不出其年。”
「天廩」四星は昴宿の南にあり、御用の糧米を儲蓄する倉廩である。石氏はいう、歳星が天廩を衝犯または守候すれば天下は動乱して大いに飢饉し、倉中の粟米は散発される。甘氏はいう、歳星が天廩に入って守候すれば天下に兵事があり年成は大いに飢え、倉中の粟米が散発されて当年を出ずに応じる。
歳星犯天苑 十九
甘氏曰:“歲星入守天苑,牛羊禽獸多疾疫,若守之,二十日兵起,馬多死,其國憂。”
「天苑」十六星は昴宿・畢宿の南にあり、天子が牲畜・禽獣を牧養する苑囿である。甘氏はいう、歳星が天苑に入って守候すれば牛羊・禽獣に疫病が多く生じ、もし長く守候すれば二十日以内に兵事が興り、馬匹が大量に死亡し、その国に憂患がある。
歳星犯参旗 二十
《海中占》曰:“歲星守參旗,兵大起,弓弩用,士將出行;一曰弓弩貴。”
「参旗」九星は参宿の西北にあり、天旗ともいい、弓弩・旌旗の象である。《海中占》にいう、歳星が参旗を守候すれば兵事が大いに起こり、弓弩が用をなし、士卒・将帥は出征して遠く行き、もう一説には弓弩の価が騰貴するとする。
歳星犯玉井 二十一
《黃帝占》曰:“歲星入玉井,為強國失地;其出之強國得地。”巫咸曰:“歲星入玉井,國有水憂;若以為水敗水,物不成,期不出年。”
「玉井」四星は参宿の左足の下にあり、水泉を主る。《黄帝占》にいう、歳星が玉井に入るのは強国が土地を喪う兆しであり、歳星が玉井から穿ち出るのは強国が土地を得る兆しである。巫咸はいう、歳星が玉井に入れば国に水患の憂いがあり、あるいは水によって害を受け水に冲毀され、作物は成熟せず、期限は当年を出ない(底本の「若以為水敗水」の句は誤りと重複があり、義は水をもって害と為すということである)。
歳星犯天屏 二十二
甘氏曰:“歲星入守天屏星,諸侯有謀,若大臣有戮死者。”
「天屏」二星は玉井の南・天厠の近くにあり、遮蔽・障隔の象を取る。甘氏はいう、歳星が天屏星に入って守候するのは、諸侯が密かに謀を抱くか、あるいは大臣の中に処刑される者が出る兆しである。
歳星犯天厠 二十三
《黃帝占》曰:“歲星入守天廁,為大臣有戮者。”《甄耀度》曰:“歲星入守天廁星,天下大飢,人相食,死者大半,期二年。”
「天厠」四星は屏星の東・参宿の南にあり、疾疫と五穀の豊歉を察することを主る。《黄帝占》にいう、歳星が天厠に入って守候するのは大臣の中に殺される者が出る兆しである。《甄耀度》にいう、歳星が天厠星に入って守候すれば、天下は大いに飢え、人は互いに殺し食い、死ぬ者が半ばを過ぎ、期限は二年である。
歳星犯軍市 二十四
石氏曰:“歲星入守軍市,兵大起,大將出;若以飢兵起。”
「軍市」十三星は参宿の東南にあり、軍中で交易する集市である。石氏はいう、歳星が軍市に入って守候すれば兵事が大いに起こり、大将が出征し、あるいは飢饉のために兵乱が興る。
歳星犯野鶏 二十五
甘氏曰:“歲星入犯守野雞,其國凶,必有死將,軍營敗,兵士散走。”
「野鶏」一星は軍市の中にあり、変異・怪祥を主る。甘氏はいう、歳星が野鶏に入り・衝犯しまたは守候すれば、その国に凶禍があり、必ず陣亡する将領が出て、軍営は潰敗し、兵士は四散して逃走する。
歳星犯狼星 二十六
郗萌曰:“歲星守犯狼星,大人免。”石氏曰:“歲星入守犯狼星,野獸死。”《荊州占》曰:“歲星守犯狼星,大將出行,其國有兵;一曰有死將。”《玉曆》曰:“歲星犯守狼星,大將出,天下多兵,盜賊起,人主憂。”
「狼星」すなわち天狼は一星、東井の東南にあり、色は白くて芒があり、侵掠・劫奪を主る。郗萌はいう、歳星が狼星を守候・衝犯するのは大人が罷免される兆しである。石氏はいう、歳星が狼星に入り・守候し・衝犯するのは野獣が死亡する兆しである。《荊州占》にいう、歳星が狼星を守候・衝犯するのは大将が出征して遠く行く兆しで、その国に兵事があり、もう一説には陣亡する将領が出るとする。《玉暦》にいう、歳星が狼星を衝犯または守候するのは大将が師を出し、天下に兵事が頻繁で盗賊が四方に起こり、君主がこれを憂う兆しである。
歳星犯天弧星 二十七
《荊州占》曰:“歲星守弧,貴人多死,若將當貴人伐。”《荊州占》曰:“歲星守弧,大將有千里之行,國驚。”
「天弧」すなわち弧矢九星は狼星の東南にあり、弓を張って狼を射る状を成し、盗賊への防備を主る。《荊州占》にいう、歳星が弧星を守候するのは貴人に死亡が多いか、あるいは将帥がある貴人を征討しに行く兆しである。《荊州占》はまたいう、歳星が弧星を守候するのは大将に千里遠征の行があり、国を挙げて震動する兆しである。
歳星犯天稷 二十八
《海中占》曰:“歲星犯守天稷,有旱災,五穀不登,歲大飢;一曰五穀出。”
「天稷」五星は七星宿の南にあり、農事を主管する農正の象である。《海中占》にいう、歳星が天稷を衝犯または守候するのは旱災があり、五穀が成熟せず年成が大いに飢える兆しであり、もう一説には五穀が外に流れ散出するとする。
歳星犯甘氏外官 二
歳星犯四輔 一
《荊州占》曰:“歲星中犯乘守四輔星,君臣失禮,輔臣有誅者。”
「四輔」四星は北極枢星を環抱し、天子を輔佐する四人の重臣を象徴する。《荊州占》にいう、歳星が四輔星を正中・衝犯・凌乗または守候するのは、君臣の間に礼数を失し、輔政の大臣の中に誅殺される者が出る兆しである。
歳星犯日星 二
《荊州占》曰:“歲星守日星,王者得忠臣,陰陽平;守之二十日至四十日不去,王者與天同心,四夷和平,五穀大豐。”
「日星」は太陽を象徴する一星で、君德の明を代表する。《荊州占》にいう、歳星が日星を守候するのは君王が忠臣を得て陰陽が調和し均平となる兆しであり、もし二十日から四十日守候して去らなければ、君王の心意は上天と合し、四方の夷狄は和睦して事なく、五穀は大いに豊収となる。
歳星犯天田 三
《荊州占》曰:“歲星守天田,五穀豐,不出年中。”
「天田」二星は京畿の内の田畝を主り、天子が自ら籍田を耕す象である。《荊州占》にいう、歳星が天田を守候するのは五穀が豊収する兆しで、この一年を出ずに応じる。
歳星犯平道 四
甘氏曰:“歲星守平道,天下治,隱士外不出一年。”
「平道」二星は角宿の两星の間にあり、天子が出行する馳道である。甘氏はいう、歳星が平道を守候するのは天下が太平に安治し、隠居の士が出て官を為す兆しで、一年を出ずに応じる(底本の「隠士外」の「外」は「出」と作るべきである)。
歳星犯酒旗 五
《荊州占》曰:“歲星守酒旗,天下大酺,有酒肉財物賜,若爵宗室。”
「酒旗」三星は軒轅の右角の南にあり、宴饗・酒食を主る。《荊州占》にいう、歳星が酒旗を守候するのは、朝廷が特に天下に聚飲の大酺を許し、酒肉・財物の賞賜があるか、あるいは宗室の子弟に爵位を加封する兆しである。
歳星犯天高 六
《黃帝占》曰:“歲星逆行天高,其君齋戒不謹;一曰守天高,赦。”
「天高」四星は畢宿の南にあり、登臨して遠望する台榭の象である。《黄帝占》にいう、歳星が天高で逆行するのは、そこの国君が斎戒・祭祀を恭謹に足りない兆しであり、もう一説には歳星が天高を守候すれば赦令を頒行しようとするとする。
歳星守天潢 七
《黃帝占》曰:“歲星入天潢,為天下大亂,易政;一曰貴人死。”《黃帝占》曰:“歲星入天潢,為運道不通,兵起。”郗萌曰:“歲星失度入天潢中,為人主以水為害;若以井為害;以見入之日占其及與其官。”《黃帝占》曰:“歲星中犯乘守天潢,期二十日,兵起。”
「天潢」五星は五車の中にあり、天上の津渡・橋梁で水上の通行を主る。《黄帝占》にいう、歳星が天潢に入るのは天下が大いに乱れ政令を改め換える兆しであり、もう一説には貴人が死亡するとする。《黄帝占》はまたいう、歳星が天潢に入るのは漕運の道路が塞がり通ぜず兵事が興る兆しである。郗萌はいう、歳星が行度を失って天潢の中に入るのは君主が水によって害を受けるか、あるいは井によって害を受ける兆しであり、それが天潢に入った日の干支によって禍事の及ぶ範囲と応じる官職を推し断する。《黄帝占》はまたいう、歳星が天潢を正中・衝犯・凌乗または守候すれば、期限は二十日で兵事が興る。
歳星犯咸池 八
甘氏曰:“歲星入咸池,有兵喪,天子且以火敗,失忠臣,若旱;一曰大水,道不通,貴人死,以入日占國。”郗萌曰:“歲星入咸池,為有以迷惑人主者;一曰大旱,歲飢。”郗萌曰:“歲星入咸池北,大水;出咸池南,旱。”《荊州占》曰:“歲星入咸池,天下大亂,人君死,易政;以入日占其國。”
「咸池」三星は五車の中・天潢の南にあり、魚陂・水沼の象で、伝えるところではまた太陽が沈んで洗浴する所である。甘氏はいう、歳星が咸池に入るのは兵事と喪事があり、天子が火災によって損を受け忠臣を失うか、あるいは旱災に遭う兆しであり、もう一説には大水を発して道路が通ぜず貴人が死亡し、それが入った日辰によってどの国に応じるかを推し断するとする。郗萌はいう、歳星が咸池に入るのは君主を迷惑させる者がある兆しであり、もう一説には大旱で年成が飢饉するとする。郗萌はまたいう、歳星が咸池の北面に入るのは大水を主り、咸池の南面から穿ち出るのは干旱を主る。《荊州占》にいう、歳星が咸池に入れば天下は大いに乱れ国君は死亡し政令を改め換え、それが入った日辰によってどの国に応じるかを推し断する。
歳星犯天街 九
郗萌曰:“歲星當天街,為諸侯自立為王;一曰大水。”郗萌曰:“歲星留止逆行天街中,為兵革起。”石氏曰:“歲星犯守天街,及徘徊亂行,主弱臣強,道隔絕,天下不通。”郗萌曰:“歲星不從天街,為政令不行,不出其年,有兵。”
「天街」二星は昴宿と畢宿の間にあり、華夏と四夷の分界で道路・関梁を主る。郗萌はいう、歳星が天街に正対するのは諸侯が自立して王となる兆しであり、もう一説には大水があるとする。郗萌はまたいう、歳星が天街の中に留まり進まず後に逆行するのは兵革が興る兆しである。石氏はいう、歳星が天街を衝犯または守候し、あるいはそこで徘徊して乱行するのは、君が弱く臣が強く、道路が隔絶して天下が通行できない兆しである。郗萌はまたいう、歳星が天街に循わずに行くのは政令が推行できず、当年を出ずに兵事がある兆しである。
歳星犯甘氏外官 三
歳星犯哭泣 一
甘氏曰:“歲星犯哭泣,有大喪。”(案《宋天文志》曰:孝武太元二年一年六月辛已,歲星犯哭泣星,占曰:有哭泣事,是年九月,孝武帝崩。)
「哭」「泣」は各二星、虚宿の南にあり、喪亡・哭泣の事を主る。甘氏はいう、歳星が哭泣星を衝犯するのは大喪がある兆しである。以下は原書小注の按語で、《宋書・天文志》を引いていう、晋の孝武帝太元二十一年(底本は「二十一年」を「二年一年」と誤る)六月辛巳の日、歳星が哭泣星を衝犯し、占辞は哭泣の事があるといい、この年の九月に孝武帝は逝去した。
歳星犯鈇鑕 二
《荊州占》曰:“歲星犯天鈇鑕,五日以上,臣有謀。又曰:“歲星犯鈇鑕,誅國相。”郗萌曰:“歲星中犯乘守鈇鑕,為鈇鑕用;一曰兵將有憂。”
「鈇鑕」は人を斬る鍘刀と下に敷く砧板であり、その星は亢宿の南にあって刑戮を主る。《荊州占》にいう、歳星が天鈇鑕を衝犯して五日以上留まるのは臣下が密かに謀を抱く兆しである。またいう、歳星が鈇鑕を衝犯するのは国相を誅殺する兆しである。郗萌はいう、歳星が鈇鑕を正中・衝犯・凌乗または守候するのは刑具が用をなす兆しであり、もう一説には兵を帯びる将領に憂患があるとする。
歳星犯芻藁 三
《黃帝占》曰:“歲入主天積中,主財寶出,憂臣在內。”(天積芻藁也。)
「芻藁」六星は天囷の南にあり、積み重ねて牛馬に餌やりする草料である。《黄帝占》にいう、歳星が天積の中に入るのは(底本はこの句の「歳星入」を「歳入主」と誤る)、庫蔵の財宝が流出し、憂慮させる臣子が朝廷の内に在る兆しである。原書小注にいう、天積は芻藁の別名である。
歳星犯軍井 四
《荊州占》曰:“歲星入軍井,三日以上,其歲大水。”
「軍井」四星は玉井の東南にあり、軍中で水を汲む井で行軍の飲水を主る。《荊州占》にいう、歳星が軍井に入って三日以上留まれば、この年に大水を発する。
歳星犯天狗 五
《荊州占》曰:“歲星入天狗北,夷大飢來歸,鄰國多土功。”
「天狗」七星は狼星の北にあり、門戸を守御し盗賊を防備することを主る。《荊州占》にいう、歳星が天狗の北面に入るのは、夷狄が大飢饉を鬧して帰附して来るか、隣国が土木の工役を大いに興す兆しである。
歳星犯天廟 六
《黃帝占》曰:“歲星入天廟,若守皆為廟事;一曰為凶,憂。”《荊州占》曰:“歲星入天廟,有廟殘之事,吏不去,死。”
「天廟」十四星は張宿の南にあり、天子の宗廟である。《黄帝占》にいう、歳星が天廟に入るかそこで守候するのは、いずれも宗廟の祭祀の事を主り、もう一説には凶を主り憂を主るとする。《荊州占》にいう、歳星が天廟に入るのは宗廟が毀損・残破する事がある兆しで、廟を守る官吏が引退しなければ死亡する。
歳星犯巫咸外官 四
歳星犯土司空 一
《荊州占》曰:“歲星守入土司空,有土徭之事。”
「土司空」は土木の営造を主り、巫咸の一家もこれを外官に列する。《荊州占》にいう、歳星が土司空を守候して入るのは、土木の徭役を徴発する事がある兆しである。
歳星犯鍵閉 二
《荊州占》曰:“歲星犯守乘鍵閉星,大臣有誤天子尊事天者,天子不宜出宮下殿,有匿兵於宗廟中者。”《荊州占》曰:“歲星守健閉,王者出國,不出七十日。”
「鍵閉」一星は房宿の東北にあり、鍵は門閂、閉は鎖鑰で、関鍵の門戸を主る。《荊州占》にいう、歳星が鍵閉星を衝犯・守候または凌乗するのは、大臣が天子の天を尊び神に事える礼儀に差しつかえが出た兆しで、天子は宮を出て殿を下るべきではない——人が兵器を宗廟の中に藏匿しているからである。《荊州占》はまたいう、歳星が鍵閉を守候するのは(底本は「鍵」を「健」と誤る)、君王が出行して京を離れる兆しで、七十日を出ずに応じる。
歳星犯天淵 三
郗萌曰:“歲星守天淵,海水出,江河決溢,若海魚出。”
「天淵」十星は鱉星の東南にあり、灌漑の溝渠・深池である。郗萌はいう、歳星が天淵を守候するのは海水が上に湧き、江河が決口して氾濫するか、あるいは海魚が内地に游び出て来る兆しである。
歳星犯天厩 五
《荊州占》曰:“歲星入天廄中,十日以上,馬有食變。”《黃帝占》曰:“歲星守天廄,為災之事,人主以馬為憂,不則馬死。”
「天厩」十星は室宿の北にあり、天子が車馬を畜養する厩苑である。《荊州占》にいう、歳星が天厩の中に入って十日以上留まれば、馬匹の草料の供給に変故が出る。《黄帝占》にいう、歳星が天厩を守候するのは災異の事があり、君主が馬匹のために憂うか、さもなければ馬匹が死亡する兆しである。
開元占経 巻三十
熒惑占 一
熒惑名主 一
《黃帝占》曰:“熒惑一曰赤星。”《廣雅釋天篇》曰:“熒惑一日罰星,或曰執法。”《荊州占》曰:“熒惑居東,為懸息;西方,為天理;南方,為熒惑;其行無常,司無道之國。”吳龔《天官書》曰:“熒惑,火之精,其位在南方,赤帝之子,方伯之象也。為天候,主歲成敗,司察妖孽,東西南北,無有常,出則有兵,入則兵散,周旋止息,乃為死喪。”
「熒惑」は火星である。五星の中でそれは色が赤く火のごとく、行度が熒熒と定まらず人を惑わせるのでこの名を得て、兵戈・喪亡・禍乱を主る。《黄帝占》にいう、熒惑はまた「赤星」ともいう。《広雅・釈天篇》にいう、熒惑はまた「罰星」ともいい、あるいは「執法」と呼ぶ者もいる。《荊州占》にいう、熒惑は東方に処るとき「懸息」といい、西方に処るとき「天理」といい、南方に処るときに始めて「熒惑」という。それは運行に常度がなく、もっぱら無道の国を伺い察する。呉の龔《天官書》にいう、熒惑は火の精気の結んだもので、方位は南方に属し、赤帝の子で方伯・諸侯の象徴である。それは上天の斥候を務め、年成の豊歉を主管し、妖異・孽禍を伺い察し、東西南北に游行して定まらず、現れれば兵事があり、隠伏すれば兵事は消散する。もし盤旋して往復し留まって去らなければ、死喪の禍があろうとしているのである。
《詩緯含神霧》曰:“熒惑司實。”《春秋緯》曰:“熒惑主候守。”《春秋緯》曰:“熒惑主禮成,天意;禮失,則妾為妻,支為嗣,精感類應,則熒惑逆見,變怪。”石氏曰:“熒惑主憂,主南維,主於火日,主丙丁,主禮,禮失者,罰出熒惑之逆行是也,此失夏政也。以其所守之舍,命其國。”
《詩緯・含神霧》にいう、熒惑は名実が相副するかどうかを主管する。《春秋緯》にいう、熒惑は伺候・守望を主管する。《春秋緯》はまたいう、熒惑は礼制の成就を主り、礼制が天意に合えば安らかであり、礼制が敗壊すれば妾を以て妻とし傍支を以て嫡嗣とするような僭乱の事が現れ、精気は感召し同類は相応じて、熒惑は逆行して現れ、種々の変異・怪象を示す。石氏はいう、熒惑は憂患を主り、南方の天維を主り、火行の日を主り、天干の丙・丁を主り、礼を主る。礼制が敗壊すれば、上天の責罰は熒惑の逆行として表れ、これは夏季の政令が失当な兆しである。それが守候する星宿の分野によって、どの国に応じるかを断定すべきである。
石氏曰:“熒惑者,天子之禮也,東西南北無有常,五月而出。”石氏曰:“熒惑主大鴻臚,主死喪。”巫咸曰:“熒惑者,太白之雄也,五星之伯也,其色赤,勝太白。”巫咸曰:“熒惑主憂患,過、惡、禍、福,所由坐也。”
石氏はいう、熒惑は天子の礼制を代表し、東西南北に游行して常度なく、五か月隠伏して後に現れる。石氏はまたいう、熒惑は賓客・礼儀を掌る大鸿臚の官を主り、死喪を主る。巫咸はいう、熒惑は太白金星の雄配で、五星の中の伯長であり、その色は赤く、気勢は太白に勝る。巫咸はまたいう、熒惑は憂患を主り、人間の過失・罪悪・災禍と福慶は、すべてそれによって坐実し定断される。
《洪範五行傳》曰:“熒惑於五常為禮,辨上下之節於五事,為視明察善惡之事也;禮虧視失逆夏令,則熒惑為旱災、為飢、為疾、為亂、為死喪、為賊、為妖言大怪也。”班固《天文志》曰:“逆夏令,傷火氣,罰見熒惑。”
《洪範五行伝》にいう、熒惑は仁義礼智信という五常の中で「礼」に対応し、上下・尊卑の節度を分かち辨えるのに用いられ、貌・言・視・聴・思という五事の中で「視」に対応し、眼力の明察・善悪の辨別の事を主る。礼制が損なわれ視聴が明を失い夏季の時令に逆らえば、熒惑は旱災・飢饉・疾疫・動乱・死喪・賊寇および妖言・大怪として応験を表す。班固《天文志》にいう、夏令に逆らえば火気を傷つけ、上天の責罰は熒惑に顕現する。
《淮南天文間詁鴻烈》曰:“南方火也,其帝祝融、其佐朱明,執衡而治夏;衡平地其神為熒惑,其獸為朱雀,其音徵,其日丙丁。又曰:“出入無常,辨其變,其色時見、時匿。”班固《天文志》曰:“熒惑天子理也。故曰:雖有明天子,必視熒惑所在。”郗萌曰:“熒惑為司馬。”
《淮南鴻烈》の《天文》篇にいう、南方は火に属し、その天帝は祝融、輔佐は朱明で、衡器を手に執って夏季を治める。衡は平正を主り、その神は熒惑であり、その獣は朱雀、その音は五音の中の徵、その日は丙・丁である。またいう、熒惑の出没に常度はなく、その変化を仔細に分かち辨えよ——その色は時に顕現し時に隠没する。班固《天文志》にいう、熒惑は天子の治理を代表する。ゆえにいう、聖明の天子が位にあっても、必ず熒惑のある位置を察しなければならない。郗萌はいう、熒惑は兵を掌る司馬の官を主る。
《荊州占》曰:“熒惑火之精,其神上為熒惑,其國荊楚。又曰:“主吳越以南。”《荊州占》曰:“熒惑,天一候者,司萬物之變。”《荊州占》曰:“熒惑上承天一,下主司天下人臣之過,司驕、司奢、司禍、司賊、司飢、司荒、司死、司喪、司正、司直、司兵、司亂、司惑,災殃無不主之。”《荊州占》曰:“王者禮義,熒惑不留其國;凶殃,熒惑罰之。”
《荊州占》にいう、熒惑は火の精気で、その神が天に昇れば熒惑星となり、対応する分野は荊楚の地である。またいう、それは呉越以南の区域を主る。《荊州占》にいう、熒惑は天一の神の斥候で、万物の変異を主管する。《荊州占》にいう、熒惑は上は天一の命を承け、下は天下の臣子の過失を伺い察することを主管し、驕縦を管し、奢侈を管し、禍患を管し、賊寇を管し、飢餓を管し、荒歉を管し、死亡を管し、喪事を管し、端正を管し、正直を管し、兵戈を管し、禍乱を管し、迷惑を管し、一切の災殃でそれの管掌に帰さないものはない。《荊州占》にいう、君王が礼義を講じれば、熒惑はその国境に滞留しない。国に凶殃があれば、熒惑は来てそれを責罰する。
韓楊曰:“熒惑之為言;熒惑以像讒賊,進退無常,不可為極。”韓楊曰:“熒惑,火行之星,其理也,主諸侯。”韓楊曰:“熒惑為天一候,犯、逆、留,隱其雷鳴,臣子主社稷、傾五精、並聚弒成刑、出西反,明主不,熒受命興起,天下平,變色失行,所留者亡,所抵有兵。韓楊曰:“熒惑修禮,順則喜,逆則怒。”
韓楊はいう、いわゆる「熒惑」とは熒熒と惑乱する義を取り、讒を進め人を害する姦賊を象徴するのに用い、進退に常がなく準則とすることができない。韓楊はまたいう、熒惑は五行の火に属する星で、治理を主り、諸侯を主る。韓楊はまたいう、熒惑は天一の神の斥候を務め、ひとたび衝犯・逆行・久留があれば、雷声が隠伏して鳴らなくなり、臣子が社稷の権を擅り執り五星の常序を傾覆し、徒党を聚めて弑を行い刑戮の禍を醸成する兆しとなる。それが西方から逆に出れば、聖明の君主も自ら安んじることが難しい(この段は底本の文字に脱誤があり、語意は全く通じない)。熒惑が命を受けて興れば天下は太平であり、色を変え行を失えば、それが滞留する分野は敗亡し、それが抵触する分野には兵がある。韓楊はまたいう、熒惑は礼制の修明を主り、礼が順なればそれは喜び、礼が逆なればそれは怒る。
石氏曰:“熒惑躁急、促疾,主南方,從巳至未,南方夏氣所治位也;盛陽在上,微陰在下,尊卑承養物禮也;言失夏政,封錫逆天,則熒惑有變。”韓楊曰:“熒惑入列宿,其國有殃。”韓楊曰:“熒惑所止,為其國君死。”《海中占》曰:“熒惑法使行無常。”
石氏はいう、熒惑は性情が躁急で行動が迫促し、南方を主り、方位は巳から未に及び、これは南方の夏気の主治する位置である。この時、盛陽が上にあり微陰が下にあり、ちょうど尊卑が相承え万物を長養する礼序に合う。これは、ひとたび夏季の政令が失当となり封賞・賜与が天道に逆らえば、熒惑に変異が現れると言うのである。韓楊はいう、熒惑がある星宿に入れば、その分野の国に災殃がある。韓楊はまたいう、熒惑が留まって去らない所は、その国の国君が死ぬ。《海中占》にいう、熒惑は使者の職に倣い、運行に常度がない。
熒惑行度 二
《洪範五行傳》曰:“熒惑以上元甲子歲,十一月甲子朔旦,冬至夜半甲子時,與五星俱起於牛前五度,順行二十八宿右旋二歲一周天也。”(案《曆法》:熒惑一終七百七十九日一千三百四十分日之一千二百二十奇六十二歲強一周天)
《洪範五行伝》にいう、熒惑は上元甲子の年に、十一月甲子の日の初一の清晨、冬至夜半の甲子の時刻にあたり、残りの四星とともに牽牛宿の前五度の位置から起こり、順次に二十八宿を経行して右に旋回し、約二年で天を一周する。以下は原書小注の按語で、暦法によって推算すると:熒惑が一つの完全な会合周期を終えるのは七百七十九日また千三百四十分の千二百二十日で、二年余りで天を一周する(底本はここに記す年数に誤字がある)。
《樂動聲儀》曰:“徵音和調,則熒惑日行四十二分度之一,伏五月得其度,不反明從海,則動應致焦明,至則有雨,備以樂和之。”
《楽動声儀》にいう、五音の中の徵音は火に属し、徵音が調和すれば熒惑は毎日四十二分の一度を行き、五か月隠伏して常度に合する。もし常に循って明に返りその道に順うことができなければ、感動の下に「焦明」という水鳥の瑞を招き、それが至れば雨水があり、音楽を用いてこれらをすべて調和し感応すべきである(底本の「不反明従海」の句に脱誤がある)。
《春秋文耀鉤》曰:“熒惑東行急、一日行一度半,其行東西南北疾,兵各聚其下,主以煩穢,若自恣招禍,謀用戰,順之勝,逆之敗。”石氏曰:“熒惑行率變百五十六日,而行八十三度。”(舊《四分》及《景初》象家準法皆同。)
《春秋文耀鉤》にいう、熒惑が東へ行くのが急なときは一日に一度半を行く。それが東・西・南・北のいずれへ行くにしても速ければ、兵衆はそれぞれそれが臨む分野の下に聚集し、君主はこれによって煩擾し穢される。もし君主が放縦・自恣して禍患を招き兵を用いることを謀るなら、熒惑の指す方向に順えば勝ち、逆らえば敗れる。石氏はいう、熒惑の運行の常率は変行ごとに百五十六日で、その間に八十三度を行き過ぎる。原書小注にいう、旧《四分暦》および《景初暦》の各家の推歩の準則は皆これと同じである。
甘氏曰:“熒惑之東行也。急則一日一夜行七寸半,其益此則行疾,疾則兵聚於東方;熒惑之西行疾,則兵聚於西方;其南、其北,為有死喪;其南,丈夫之喪;其北,女子之喪。”甘氏曰:“熒惑法東方,修緯及常,十六舍而止;逆行西,運動以成章,舍一舍半。”
甘氏はいう、熒惑が東へ運行するとき、速いときは一昼夜に七寸半を行き、この数を超えれば行疾という。行疾なれば兵衆は東方に聚集する。熒惑が西へ行くのが速ければ兵衆は西方に聚集し、それが南または北に偏して行くのは死喪の事がある兆しである——南に偏すれば男子の喪を主り、北に偏すれば女子の喪を主る。甘氏はまたいう、熒惑は東方の道に倣い、経緯の常度に循って行き、十六の星舍を過ぎて止まる。逆行して西へ向かうときは、一動一止して自ら章法を成し、退行ごとに一舍から一舍半である。
巫咸曰:“熒惑休入常不得過五月而出,遠八月而出,受制則舉賢良,賞有功,主封侯,出財貨,行賑貸。”《荊州占》曰:“熒惑日行一尺以上,期五月至十五月而廢;五寸以上,期十五月至二十五月而廢;三寸以上,期二十五月至三十月而廢;一寸以上,期三十月至五十月廢;諸廢期月或皆為日。”
巫咸はいう、熒惑が隠伏して日の下に入るとき、常度では五か月を超えずに再び出るべきであり、最も遅くて八か月で再び出る。それがもし命を受けて行うなら、人間は賢良を挙げ功ある者を賞し、君主は列侯を封じ財貨を出し賑済・貸借を施行すべきである。《荊州占》にいう、熒惑が毎日一尺以上行けば、応期は五か月から十五か月の間に廃敗し、毎日五寸以上行けば応期は十五か月から二十五か月の間に廃敗し、三寸以上行けば応期は二十五か月から三十か月の間に廃敗し、一寸以上行けば応期は三十か月から五十か月の間に廃敗する。以上の各条のいう応期の月数は、あるいは日数で計算してもよい。
《荊州占》曰:“熒惑順行而其國有道。”又曰:“熒惑出東方,行順,即其國吉。”《尚書緯》曰:“氣在初夏,其紀熒惑,是謂發氣之陽,可以毀消金銅,與氣同光,使民備火,皆清室堂,是謂敬天之明,必勿行武,與季夏相輔、初是夏之時、衣赤、與季夏同期;如是則熒惑順利、甘雨時矣。”
《荊州占》にいう、熒惑が順行すれば、その国は有道の国である。またいう、熒惑が東方に現れて順行すれば、その国は吉利である。《尚書緯》にいう、時気が初夏に至れば、紀を主るのは熒惑であり、これを陽気を発揚するといい、その勢は金銅を熔毀するに足る。人はこの火気とその明を同じくし、百姓に火災を防備させ、屋室・堂舎をすべて掃除し浄めるべきであり、これを上天の明德を敬奉するという。この時は武を用いること勿れ、季夏の月と相輔相成せよ。初夏の時節は赤色の衣を穿ち、季夏と同じ節候を取る。よくこれを行えば、熒惑は運行が順調となり、甘美の雨水も時に従って降る。
熒惑王相休囚死 三
甘氏曰:“熒惑之相也,從立春至春之盡,其色則當精明,無角芒。”《甘氏占》曰:“熒惑之王也,從立夏以至夏之盡,其色如赤,則當比心大星而精明;仲夏之時,有芒角。”甘氏曰:“熒惑之休也,從仲夏以至夏之盡,及四季王時,其色則當無精明,黑、黃。”甘氏曰:“熒惑之囚也,從立秋以至秋之盡,其色則當青、白,止不行。”甘氏曰:“熒惑之死也,從立冬以至冬之盡,其色則當細小、黃、黑,而不明,此熒惑色之常也;其色和,經天下,和平。”
火星は五行の寄旺によって王・相・休・囚・死の五種の気象に分かれる。甘氏はいう、熒惑が「相」の位に処るのは立春から春季の終了までで、この時その色は精純に明亮で芒角を帯びないはずである。《甘氏占》にいう、熒惑が「王」の位に処るのは立夏から夏季の終了までで、この時その色は赤く、心宿の大星のように精亮に比すべきであり、仲夏の時節に至れば芒角を帯びる。甘氏はいう、熒惑が「休」の位に処るのは仲夏から夏季の終了までおよび四季の土旺が用事する時で、この時その色はさほど精明でなく黒と黄に偏するはずである。甘氏はいう、熒惑が「囚」の位に処るのは立秋から秋季の終了までで、この時その色は青と白に発し、留まって行かないはずである。甘氏はいう、熒惑が「死」の位に処るのは立冬から冬季の終了までで、この時その色は細小で黄と黒に発して明亮でないはずである。以上は熒惑の顔色の常態であり、顔色が調和して天空を経行すれば、天下は和平である。
甘氏曰:“當其相也,而有王色,所居之國受殃;有休色,讒臣誅國,相免;有囚色,國有捕囚,及於將相;有死色,大臣誅傷;其留守也,其國兵起;其進舍也,有蟲蝗,五穀傷;其退守也,赤地千里。”
甘氏はいう、熒惑がちょうど「相」の位の時節にあって「王」の位の顔色を現せば、それが臨む国は殃を受ける。「休」の位の顔色を現せば、讒を進める臣子が誅され国相が免職する兆しである。「囚」の位の顔色を現せば、国に逮捕・囚禁の事があり、しかも将相に波及する。「死」の位の顔色を現せば、大臣が誅殺され傷害される。この時それが停留して守候すれば、その国は兵事を興す。前に進んで次の星舍に入れば蝗虫が害を為して五穀が損を受け、後ろに退いて守れば赤地千里となる。
甘氏曰:“當其王也,而有相色,蔽主聰;有休色,政令不行;有囚色,讒臣用事,王路不通,有死色,則有大喪;其留守也,不可舉事、用兵;其進舍也,其國不祥;其退舍也,有旱殃。”
甘氏はいう、熒惑がちょうど「王」の位の時節にあって「相」の位の顔色を現せば、君主の聴聞を蒙蔽する者がある兆しである。「休」の位の顔色を現せば政令は推行できない。「囚」の位の顔色を現せば讒を進める臣子が権を当て事を用い、王廷に通じる道路は塞がる。「死」の位の顔色を現せば大喪がある。この時それが停留して守候すれば、大事を興してはならず兵を動かしてはならない。前に進んで次の星舍に入ればその国は吉でなく、後ろに退いて一舍に戻れば旱災の殃がある。
甘氏曰:“當有休色,而有王色;所居之舍,其國受禍;有相色,國亂,百官不從;有囚色,有小兵;有死色,盜賊橫行,訛言,廟堂有火災,所居之舍,其國受殃;其進舍也,災傷;其退舍也,利舌危。”
甘氏はいう、熒惑が「休」の位の顔色を現すべき時節にあって「王」の位の顔色を現せば、それが居する星舍の対応する国は禍を受ける。「相」の位の顔色を現せば国は動乱し百官は号令を聴かない。「囚」の位の顔色を現せば小規模の兵事がある。「死」の位の顔色を現せば盗賊が横行し、訛言が四方に起こり、宗廟・朝堂に火災が発生し、それが居する星舍の対応する国は殃を受ける。この時それが前に進んで次の星舍に入るのは災害・損傷を主り、後ろに退いて一舍に戻れば口舌の利が危殆を招く。
甘氏曰:“當其囚也,而有王色,大臣逃亡;有相色,臣下毀傷;有休色,使者冠蓋相望;有死色,白衣成行,丁男從,獨有老公,所守之舍,道路不通;其進舍也,兵殃;其退舍也,談言訩訩。”
甘氏はいう、熒惑がちょうど「囚」の位の時節にあって「王」の位の顔色を現せば、大臣が逃亡する兆しである。「相」の位の顔色を現せば、臣下は詆毀され損傷を受ける。「休」の位の顔色を現せば、使者の往来が絶えず、車蓋・冠帯が前後に相眺望される。「死」の位の顔色を現せば、喪を送る白衣が行列を成し、壮丁は皆徴調されて軍に随い、家には老翁だけが残り、それが守る星舍の対応する所は道路が通じない。この時それが前に進んで次の星舍に入れば兵禍の殃があり、後ろに退いて一舍に戻れば議論が紛紛として人心が喧擾する。
甘氏曰:“當其死色而有王也,宗廟不享;有相色,大臣攝行;有休色,是謂不詳,宗廟失火,邊有侵地;有囚色,丁壯多死,以兵所留;舍其國,君遂亡;開其府庫,出其甲兵,四十餘日破亡;其進舍也,數多微風;其退舍也,流水蕩蕩。”
甘氏はいう、熒惑が「死」の位の顔色を現すべき時節にあって「王」の位の顔色を現せば、宗廟の祭享が断絶する兆しである。「相」の位の顔色を現せば、大臣が君権を代行する。「休」の位の顔色を現せば、これを不祥といい、宗廟に失火し辺境の土地が侵奪される。「囚」の位の顔色を現せば、壮丁が大量に死亡し、みな兵事によって外に滞留する。それが停舍する所の対応する国は、国君が終に敗亡し、ひとたび府庫を開き甲兵を発せば、四十余日で破亡しようとする。この時それが前に進んで次の星舍に入るのは微風が頻りに起こる兆しであり、後ろに退いて一舍に戻れば大水が弥漫して奔流する。
熒惑光色芒角 四
甘氏曰:“候熒惑以夏,丙丁,此王氣,當如其常色,變則失所也。”郗萌曰:“熒惑色變,一見一伏,求之所,不可得,奎之目,辰之心,參之右肩,龍之左角,畢之右股,此五星也,類此色,即熒惑也。”《荊州占》曰:“熒惑色以畢右星為正;一曰比心中央星。”《推度災》曰:“熒惑黑圓,為水喪。”《春秋緯》曰:“主亂虛而侵殺,則熒惑光益大。”
甘氏はいう、熒惑を観候するには夏季に、丙丁の日にせよ——この時はそれの旺気であり、顔色は常態に合うはずであり、一変すれば本位を失ったことを示す。郗萌はいう、熒惑は顔色が多く変わり、忽ち現れ忽ち隠伏し、それを求めようとしても見つからない。この時は幾つかの恒星をもって比較照合できる——奎宿の目星・辰星(心宿)の中央の大星・参宿の右肩の星・蒼龍の左角の星・畢宿の右股の星、この五つの星の顔色を標準とすることができ、これらと同類の赤色がすなわち熒惑の本色である。《荊州占》にいう、熒惑の顔色は畢宿の右のあの星を標準とし、もう一説には心宿中央のあの大星に比照するとする。《推度災》にいう、熒惑が色黒く形円なるのは水災と喪事を主る。《春秋緯》にいう、君主が政を乱して内里が空虚となり、また侵奪・殺伐を行えば、熒惑の光はいよいよ大いに盛んとなる。
甘氏曰:“熒惑色赤黃也、發疾;黑青、發難;黃若赤,一歲內發白色,期二年;青色、期三年;黑色、期四年至五年;以星行尺寸深淺,為廣大小期應。”《荊州占》曰:“熒惑一赤一黃,王公有禍,士女降;候星若無光,先起兵者必敗。”
甘氏はいう、熒惑が顔色赤黄なら発作は速く、顔色黒青なら発作は難渋する。顔色が黄または赤なら一年以内に発作し、顔色が白なら応期二年、顔色が青なら応期三年、顔色が黒なら応期四年から五年である。星の行く度数の尺寸の遠近・顔色の深浅によって、応験の範囲の大小と遅速を判定すべきである。《荊州占》にいう、熒惑が忽ち赤く忽ち黄なるのは王公に禍があり、士人と婦女が降服して辱を受ける兆しである。観候するとき星光が暗淡として芒がなければ、先に兵を動かした側は必ず敗れる。
巫咸曰:“熒惑如炬火,亡人怒,君子洙洙,小人搶搶,不有亂臣,則有大喪;亡期其使,吏欺其主;使之不殺,哀孤恤寡,則止。”《海中占》曰:“熒惑色赤,國有憂;厚白、則國有憂;薄蒼,即天下多喪,其國尤甚。”
巫咸はいう、熒惑が火炬のように明るいのは、逃亡して外にある者が心に憤怒を懐き、君子は惶惶として安らかでなく、小人は急遽に倉皇とする兆しである。乱臣が現れるか大喪が発生するのであり、敗亡はそれが遣わした使者に応じ、官吏は君主を欺瞞する。この応験が殺戮とならないようにするには、孤児を哀れみ寡婦を撫恤せねばならず、そうすれば災禍は止まる。《海中占》にいう、熒惑の顔色が赤紅なら国に憂いがあり、白が厚ければ国にも憂いがあり、蒼色にして稀薄なら天下に喪事が頻りに多く、それが臨むあの国はなおさら甚だしい。
郗萌曰:“熒惑之常色赤而黃,有喪期六十日。”又曰:“熒惑色赤光而澤也,期不出二年,兵喪並起。”郗萌曰:“熒惑出色黃,所居宿有土功事。”
郗萌はいう、熒惑の常色は赤の中に黄を帯び、もし常態を離れれば喪事があり、応期は六十日である。またいう、熒惑の顔色が赤紅で光芒が潤沢なら、応期は二年を出ず、兵事と喪事がともに発生する。郗萌はまたいう、熒惑が現れるとき顔色が黄に発せば、それが居する星宿の対応する所に土木の工役の事がある。
郗萌曰:“熒惑夏三月出南方,色赤而逆行,乃有害萌,火光之妖且見;觀之有德,而降之以福;觀之逆德,而降之以禍;幾降禍,流水湯湯,乃為之祠於祝融及南海之神。
郗萌はいう、熒惑が夏の三か月に南方に現れ、顔色が赤紅でかつ逆行すれば、禍害がここに萌生し、火光の類の妖異が現れようとする。上天は人君を観察する——德に合すれば福を降し、德に逆らえば禍を降す。禍事がまさに降臨し大水が湯湯として奔流する時は、このために火神祝融と南海の神に祭祀して禳解すべきである。
春見,為之修德,賞有功,論有勞,遷有善,任有能;夏見,為之寬政令,薄賦斂,賜爵祿,行賞罰,視以佐陽德;大暑乃至,時雨乃行,百姓乃豐,五穀乃登,甘雨和風乃至,草木以明零落,民不夭疾,帝乃延壽,是謂德。秋見,為之修吉初,逐有罪,誅有過;冬見,為之開閉,大赦。此四者,所以應天之明神也。”
熒惑が春に現れたなら、このために德政を修明し、功ある者を賞し、労ある者を評定し、善良な者を抜擢し、才ある者を任用すべきである。夏に現れたなら、このために政令を緩め、賦税を軽減し、爵位・俸禄を賜い、賞罰を分明にして、これらの措置をもって陽德を輔助する。これを成し遂げれば、大暑の気は期のごとく至り、時雨は節に従って降り、百姓は富足し、五穀は成熟し、甘雨・和風が随って来て、草木は時序に依って枯栄し凋落し、百姓は夭亡・疾疫に遭わず、君王はこれによって年を延ばす——これを有德という。熒惑が秋に現れたなら、このために善政を修挙し、罪ある者を駆逐し、過ある者を惩处すべきである。冬に現れたなら、このために開閉に節を設け、大赦を頒行すべきである。この四つの措置は、いずれも上天の神明に応えるために用いられる。
《荊州占》曰:“熒惑出,色赤怒,逆行為兵,成鉤以戰,凶有圍軍。”《荊州占》曰:“熒惑色大而盛,先起者亡,後起者晶。”《荊州占》曰:“勞惑色赤,為大兵,旱,秋有火災。”《荊州占》曰:“熒惑色變為黃,有德。”《荊州占》曰:“熒惑秋出,色黃,兵而和。”《荊州占》曰:“熒惑色黃白,不出,其年喪起。”
《荊州占》にいう、熒惑が現れて顔色が赤く怒るがごとく、また逆行を加えれば兵事がある兆しであり、行度が盤曲して鉤状を成せば戦争があり、凶は軍隊が囲まれることである。《荊州占》にいう、熒惑が色大きく気盛んなれば、先に兵を動かした側は敗亡し、後に兵を動かした側は昌盛する。《荊州占》にいう、熒惑の顔色が赤紅なら(底本は「熒」を「労」と誤る)、大規模な兵事・旱災を主り、秋に火災がある。《荊州占》にいう、熒惑の顔色が黄に変わるのは德慶がある兆しである。《荊州占》にいう、熒惑が秋に現れて顔色が黄に発せば、兵事があっても終には和解する。《荊州占》にいう、熒惑の顔色が黄白なら、当年を出ずに喪事が発生する。
《荊州占》曰:“熒惑色黑圜,為疾、為喪。”《荊州占》曰:“熒惑色白,為飢、為兵。”《荊州占》曰:“熒惑春色赤,百姓有憂;冬色白,大臣多辱。”《荊州占》曰:“熒惑白圜而光,其野病旱。”《荊州占》曰:“熒惑色變正白者,冬有喪;色變而赤者,秋有兵。”《荊州占》曰:“熒惑失色,有兵從之,人主憂。”
《荊州占》にいう、熒惑が色黒く形円なるのは疾疫を主り喪事を主る。《荊州占》にいう、熒惑の顔色が白に発するのは飢饉を主り兵事を主る。《荊州占》にいう、熒惑が春に赤色を呈すれば百姓に憂患があり、冬に白色を呈すれば大臣は多く屈辱を受ける。《荊州占》にいう、熒惑が白く円くかつ光があれば、それの対応する分野に疾病と旱災がある。《荊州占》にいう、熒惑の顔色が純白に変われば冬に喪事があり、顔色が赤紅に変われば秋に兵事がある。《荊州占》にいう、熒惑が本色を失えば、それに随って兵事があり、君主はこれを憂う。
《荊州占》曰:“熒惑黃而不明,即變其色,時不昌,春不生,夏不榮,秋不實,冬不藏;四時皆變其色,不出其年,君主有以女樂亡者。”《荊州占》曰:“熒惑如炬火,有亂臣亡,期使吏欺其主,少勝長,下勝上,婦勝姑,子勝父,君令不行。”
《荊州占》にいう、熒惑が黄に発して明亮でなく、随いて顔色を変えれば、四時の気は昌順せず——春は万物が生じず、夏は草木が栄えず、秋は果実を結ばず、冬は収蔵できない。もし四季すべて顔色を変えれば、当年を出ずに、女楽に沉溺して亡国する君主が出る。《荊州占》にいう、熒惑が火炬のように明るいのは、乱臣があって敗亡する兆しで、応期は使者と官吏が君主を欺瞞する時である。年少が年長に勝り、在下が在上に勝り、嫁が姑に勝り、子が父に勝り、君主の号令は行き通らない。
《荊州占》曰:“熒惑色青圓,為水,為憂,為飢;一曰色青者多雨。”《荊州占》曰:“熒惑色蒼黑,蒼多黑少有喪,蒼少黑多有水,蒼黑喪水並起,皆期六十日,或三年。”《荊州占》曰:“熒惑出而色正黑,所守國有水殃,期六十日。”
《荊州占》にいう、熒惑が色青く形円なるのは水災を主り憂患を主り飢饉を主り、もう一説には顔色が青に発するのは多雨を主るとする。《荊州占》にいう、熒惑の顔色が蒼黒で、蒼色多く黒色少なければ喪事があり、蒼色少なく黒色多ければ水災があり、蒼黒が相い当たれば喪事と水災がともに発生し、応期はいずれも六十日または三年である。《荊州占》にいう、熒惑が現れて顔色が純黒なら、それが守候する国に水患の殃があり、応期は六十日である。
《詩緯》曰:“賢者退,小人進而讒言侈,陰賊行而天下昏,熒惑數出,干主位,赤而芒為火兵,黑而圓為水喪,止舍為其邦,疾則事急,留則殃重。”《春秋緯》曰:“熒惑主怒,則角擾動及繞圜之,若芒前後左右,主令無常,各以其類,亂虛而侵,殺則光為火。”
《詩緯》にいう、賢者が排斥されて退き、小人が進み得て讒言が横行し、陰険・残害の事が盛行して天下が昏乱すれば、熒惑はたびたび現れて君主の星位を干犯する。それが色赤くして芒を帯びれば火災と兵災を主り、色黒く形円なれば水災と喪事を主り、どの星舍に停まればその分野の邦国に応じ、行くのが速ければ事が緊急なことを示し、滞留して去らなければ災殃が深重なことを示す。《春秋緯》にいう、熒惑は発怒を主り、ひとたび怒れば角芒の擾動を生じ、しかも環状に繞行する。もし芒角が前後左右にあれば、君主の号令に常がないことを主り、各々芒角の指す類によって応験する。国政が昏乱して空虚となり外敵が侵奪し、ひとたび殺伐を動かせば、その光は火のごとく熾盛となる。
甘氏曰:“熒惑色赤而芒角,其怒也;昭昭然明大,則軍戰,其國亦戰。”甘氏曰:“熒惑芒,名正旗;旗所指,破軍殺將,正旗而伐之,大勝。”郗萌曰:“熒惑環繞宿,其長戮,其同光死,其光若外附不同光,主出走。赤芒,南方國利之;白芒,西方國利之;黑芒,北方國利之;青芒,東方國利之;黃芒,中國利之。”
甘氏はいう、熒惑の顔色が赤紅で芒角を生ずるのは、それが怒る姿であり、もし明るく晃晃として大きくなれば、軍隊が交戦する兆しで、それの対応する国も戦をする。甘氏はまたいう、熒惑の芒を「正旗」といい、旗芒の指す方向では軍隊が撃破され将領が殺され、正旗の指すに順って討伐すれば大勝を獲る。郗萌はいう、熒惑がある星宿を環繞して運行すれば、その分野の長官は誅戮される。その宿の星と光色が同じなればその人は死に、その光が外に浮附してその宿と光色が異なれば、その人は出逃する兆しである。芒の色が赤なら南方の国に利し、白なら西方の国に利し、黒なら北方の国に利し、青なら東方の国に利し、黄なら中原の国に利する。
又占曰:“熒惑色正黑、多芒,所居之野有妖惑者。”司馬遷《天官書》曰:“熒惑白色,有哭泣之聲。”《荊州占》曰:“熒惑色正白,無芒,所居多有女喪;色正白而多芒,所居宿有男喪。”《荊州占》曰:“熒惑始出,蒼,多芒,所居宿其國有妖而飢。”又占曰:“熒惑始出,色赤而芒,軍在外大戰,無軍起。”又占曰:“熒惑出色,黃多芒,所居宿,其國有憂主,期百二十日。”
また一条の占辞にいう、熒惑の顔色が純黒で芒角が众多なれば、それが臨む分野に妖言で衆を惑わす者がある。司馬遷《天官書》にいう、熒惑が白色を呈すれば哭泣の声がある。《荊州占》にいう、熒惑の顔色が純白で芒を帯びなければ、それが臨む所に女子の喪事が多く、顔色が純白で芒角が众多なれば、それが居する星宿の対応する所に男子の喪事がある。《荊州占》にいう、熒惑が初めて現れたとき色蒼くして芒角が众多なれば、それが居する星宿の対応する国に妖異の事がありかつ飢饉を鬧す。また一条の占辞にいう、熒惑が初めて現れたとき色赤くして芒を帯びれば、軍隊が外で大いに戦う兆しであり、もしもともと軍隊がなくても軍隊を興す。また一条の占辞にいう、熒惑が現れて顔色が黄に発して芒角が众多なれば、それが居する星宿の対応する国に君主を憂えさせる事があり、応期は百二十日である。
又占曰:“熒惑生芒,為主憂。”又占曰:“角則兵起。”又占曰:“熒惑成鉤已繞環,有芒角,如鋒刃,人主無出宮下殿,有伏兵。”又占曰:“熒惑角,則主怒。”又占曰:“熒惑出而有角,行疾用武,行遲用文。”又占曰:“熒惑色青而角,來年之春,草木五穀肅;一曰色青而角,有兵憂。”
また一条の占辞にいう、熒惑が光芒を生ずるのは君主に憂いがある兆しである。また一条の占辞にいう、角芒を生じれば兵事が興る。また一条の占辞にいう、熒惑の行度が盤曲して鉤己の形を成し環状に繞り、また芒角を帯びて鋭利なること刀刃のごときときは、君主は決して宮を出て殿を下るべきではない——伏兵がいるからである。また一条の占辞にいう、熒惑に角があれば君主が発怒する兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が現れて角を帯び、行くのが速ければ武を動かすべきであり、行くのが緩ければ文を修めるべきである。また一条の占辞にいう、熒惑が色青くして角を帯びれば、来年の春に草木と五穀が粛殺されて長せず、もう一説には色青く角を帯びるのは兵事の憂いがある兆しとする。
熒惑盈縮失行 五
韓楊曰:“熒惑出列宿之南,為孽;出列宿之北,復入,為盈;逆,為縮;如是者,其下必有伏尸腐肉。”甘氏曰:“熒惑,政緩則不出,急則不入,違道則占。”《尚書緯》曰:“政失於夏,則熒惑逆行。”《什圖徵》曰:“聖王正律曆;不正,則熒惑出入無常,占為大凶。”
韓楊はいう、熒惑が列宿の南面に行き出るのは妖孽を主り、列宿の北面に行き出てまた折り返して来るのを「盈」といい、逆行して倒退するのを「縮」という。これらの情形が現れれば、それが臨む所は必ず伏尸が地に遍く腐肉が狼藉する。甘氏はいう、熒惑の応は、政令が遅緩なれば出るべきに出ず、政令が急迫なれば入るべきに入らず、およそ常道に背くものはみなこれに拠って占い断ずる。《尚書緯》にいう、夏季の政令が失当なれば熒惑は逆行する。《什図徴》にいう、聖明の君王は律呂・暦法を校正すべきである。律暦が正しくなければ、熒惑は出没に常がなく、占断は大凶である。
《春秋緯》曰:“熒惑主有謀氣,事未施行,則見怡其妖祥,反道二舍以上,居之三月,有淫佚;五月,受夷狄之兵,王以讒言致非;祥七月半,亡地;九月大半,亡地;因與宿俱入、俱出,國絕祀。”《文耀鉤》曰:“熒惑留其宿陰,四旬,太子死;三旬,重臣消。”《鉤命決》曰:“天子失義不德,則白虎不出,熒惑逆行。”
《春秋緯》にいう、熒惑は人間の謀慮の気を主り、事がまだ施行に付されないうちに、それは先に妖異の兆を顕現する。それが道に背いて行って二つの星舍を超え、三か月停留するのは淫佚の事がある兆しであり、五か月停留するのは夷狄の兵禍を受け君王が讒言を聴き入れて過失を招く兆しであり、七か月半停留するのは土地を喪う兆しであり、九か月半停留するのも土地を喪う兆しである。もしそれが在る星宿とともに隠没しともに現れれば、その国の宗祀は断絶しようとする。《文耀鉤》にいう、熒惑が居する星宿の北面に滞留して四十日なれば太子が死に、三十日なれば重臣が消亡する。《鉤命決》にいう、天子が義を失い德なくなれば、白虎の瑞は現れず、熒惑は逆行する。
石氏曰:“其國失禮,失夏政,則熒惑逆行。熒惑所留久也,三年而發,亡五百里;其中也,三百里;其殺也,四百里。居其陰,萬家邑,拔;千家邑,驅掠。居其陽,成家邑,驅掠;千家邑,拔。遠去而復還居之,甚憂,隘其從陰之陽,亡地三百里;(《荊州占》二百里。)從陽之陰,亡地二百里;(《荊州占》百里三百里。)從前之後,亡地二百里;從後之前,凶地三百里留。
石氏はいう、一国が礼制を敗壊し夏季の政令が失当なれば、熒惑は逆行する。熒惑の滞留が久しければ、三年の後に発作して五百里の疆土を喪う。もし単にその宿を正中するなら三百里を喪い、もし殺伐の象を成せば四百里を喪う。それがその宿の北面に居れば、万户の邑は攻め抜かれ、千戸の邑は駆掠される。それがその宿の南面に居れば、大邑は駆掠され、千戸の邑は攻め抜かれる。それが遠く離れてまた折り返って居守すれば、憂患は極めて重く、处境は窘迫する。それが北面から南面に転ずれば土地三百里を喪い(原書小注:《荊州占》は二百里と作る)、南面から北面に転ずれば土地二百里を喪い(原書小注:《荊州占》は一百里・三百里と作る)、前から後に転ずれば土地二百里を喪い、後から前に転ずれば、凶は三百里以内の滞留の地に及ぶ。
其前六日不從,主首子死;留其陰旬二日,嬖人死;留其前一月,季子死;(《荊州占》太子死。)留其後二月,(《荊州占》二日。)不從,王后死,(《荊州占》季子死。)留其後,二旬,相死;留其陰五月,(《荊州占》一日。)上卿死,(《荊州占》王后死。)其前二旬,(《荊州占》一日。)太子死。”
それがその宿の前に六日停まって随行しなければ、君主の長子が死ぬ兆しである。その宿の北面に十二日滞留すれば、寵幸を受ける近侍が死ぬ兆しである。その宿の前に一か月滞留すれば幼子が死ぬ兆しである(原書小注:《荊州占》は太子が死ぬと作る)。その宿の後に二か月滞留して随行しなければ(原書小注:《荊州占》は二日と作る)、王后が死ぬ兆しである(原書小注:《荊州占》は幼子が死ぬと作る)。その宿の後に二十日滞留すれば国相が死ぬ兆しである。その宿の北面に五か月滞留すれば(原書小注:《荊州占》は一日と作る)、上卿が死ぬ兆しである(原書小注:《荊州占》は王后が死ぬと作る)。その宿の前に二十日滞留すれば(原書小注:《荊州占》は一日と作る)、太子が死ぬ兆しである。
巫咸曰:“熒惑出東方若西方,留遲者,天崇也;強國之王死之。”又曰:“留一月以上,為憂、為喪、為飢、為兵。熒惑之行東西南北,名曰失行,主用事者必且失其位,使之不然,殺不孝者以當失行,如此則止。
巫咸はいう、熒惑が東方または西方に現れて滞留・遅緩して進まないのは、上天が崇重の戒を示すものであり、強国の君王はこれによって死ぬ。またいう、一か月以上滞留するのは憂患を主り喪事を主り飢饉を主り兵事を主る。熒惑が忽ち東・忽ち西・忽ち南・忽ち北と乱行するのを「失行」といい、権を当て事を用いる者が必ずその位置を失う兆しである。これをこのように至らしめないためには、不孝の人を誅殺して今回の失行に抵当せねばならず、こうして災禍が止まるのである。
熒惑東行疾,名曰狡;狡者止,相且死。西行疾,名曰猶;猶者起,且有死將。南行疾,名曰讒;(《荊州占》曰:變其常,南行客三舍,名曰讒。)讒且有男喪。北行疾,名曰賊;賊且有女喪。熒惑靜居,不行,名曰營;且有殃。熒惑南去列宿間,客三舍,期百二十日;倍之,君不治,政在臣下使之然,不然,遷;不治復冤,冤止奸詐,如此則止。”
熒惑が東へ行くのが速いのを「狡」といい、狡象がひとたび停まれば国相が死ぬであろう。西へ行くのが速いのを「猶」といい、猶象がひとたび起これば、陣亡する将領が出る。南へ行くのが速いのを「讒」といい(原書小注は《荊州占》を引いていう:常度を変えて南へ三つの星舍を越え行くのを讒という)、讒象がひとたび現れれば、男子の喪事が出る。北へ行くのが速いのを「賊」といい、賊象がひとたび現れれば、女子の喪事が出る。熒惑が静止して動かないのを「営」といい、営象がひとたび現れれば災殃が出る。熒惑が南へ本位を離れ、列宿の間に行き至り、三つの星舍を越えれば応期は百二十日である。もし倍して越えれば、君主が政事を理せず大権が臣下に落ちた所致であり、さもなければ迁徙の事がある。政事を修めなければ冤情は再び現れ、冤情を平息し奸詐を遏止してのみ災禍は止まる。
京房《妖占》曰:“君多虛飾,則熒惑失道。”郗萌曰:“主行重賦斂,奪民時,大宮室,高臺榭事;則熒惑逆行,霜露肅殺五穀,民多病溫疫,擾軫。熒惑從北往南,是謂持水入於火,不出三年,國有大喪亂,兵起南方;熒惑妄行,一東、一西、一南、一北,主有吉凶;赤為兵,白為喪,黃為喜,青為憂,黑為水。”
京房《妖占》にいう、君主が虚浮の文飾を多くすれば、熒惑は常道を失う。郗萌はいう、君主が横征・暴斂し、百姓の農時を侵奪し、宮室を大いに興し台榭を高く築けば、熒惑は逆行し、霜露は五穀を粛殺し、百姓は多く温疫を患い、人心は扰攘して悲痛する。熒惑が北から南へ行くのは、これを「水を持って火に入る」といい、三年を出ずに国に大喪・大乱があり、兵事は南方から起こる。熒惑が胡乱に運行して忽ち東・忽ち西・忽ち南・忽ち北するのは、人間に吉あり凶ある兆しである。それが色赤なら兵を主り、色白なら喪を主り、色黄なら喜慶を主り、色青なら憂患を主り、色黒なら水災を主る。
《元命包》曰:“妾為妻,支為嗣,精感類應,則熒惑逆行變怪。”郗萌曰:“熒惑逆行變色,人主簡宗廟,去禱祠,廢祭祀,逆天時,變妾為妻。熒惑逆行變色,為棄法律,殺太子,逐功臣。熒惑出而逆行變色,以內淫亂,犯親戚。熒惑而逆留守宿者,所主貨物皆貴。熒惑以庚辛日留,天下有大喪,有兵。”班固《天文志》曰:“熒惑所守,為亂、賊、喪、兵,守之久,其國絕嗣。”
《元命包》にいう、妾を以て妻とし傍支を以て嫡嗣とすれば、精気は感召し同類は相応じて、熒惑は逆行して怪異を顕す。郗萌はいう、熒惑が逆行して色を変えるのは、君主が宗廟を怠慢して祷祀を廃し祭祀を停罷し、天時に逆らい、妾を正して妻とする兆しである。熒惑が逆行して色を変えるのは、法律を拋棄し、太子を殺害し、功臣を駆逐する兆しである。熒惑が現れて逆行・変色するのは、宮闈の内が淫乱し親族を侵犯する兆しである。熒惑が逆行してある星宿を滞留・守候すれば、その星宿の主る貨物はみな価格が騰る。熒惑が庚日・辛日に滞留すれば、天下に大喪があり兵事がある。班固《天文志》にいう、熒惑の守候する分野は動乱・賊寇・喪亡と兵禍を主り、守ることが久しければ、その国は子嗣が断絶する。
《荊州占》曰:“王者不順禮遺德,不求賢舉隱,驕慢自恣,不順五常,耽於女色,妻妾為政,邪臣在位,殺戮無辜,陵弱暴強,星則為之逆行;出不以時,變為妖彗,蚩尤之旗,格澤之氣,起兵大戰,主死將亡,伏尸流血;王者行禮,起宗廟,禮山川,存孤恤寡,薄賦輕徭,星順度;可以除咎。”
《荊州占》にいう、君王が礼制を遵わず德行を拋棄し、賢才を訪求せず隠逸の士を挙用せず、驕縦・傲慢に放任・自恣し、五常の道に順わず、女色に沉溺し、妻妾に政事を干渉させ、邪佞の臣が高位に居り、無辜を殺戮し、弱小を欺凌して暴虐・強横であれば、熒惑はこのために逆行し、出没が時節に合わず、さらに妖彗・「蚩尤之旗」・「格沢」といった怪気を変生させ、それに随って兵を興して大いに戦い、君主は死に将帥は亡び、屍は横たわり血は流れる。反対に、君王が礼制を施行し宗廟を修建し、礼をもって山川に祭祀し、孤児を撫存し寡婦を体恤し、賦税・徭役を軽減すれば、熒惑は順行して度に合い、災咎を消除するに足る。
《荊州占》曰:“熒惑變色、失行,所留者亡,所抵者兵。熒惑逆行變色,人君宰相之治,推擇不以德賢,聖隱蔽,而不肖者進;遠忠臣而近讒諛;一曰人君宰相之治,驕恣不從五行,妻不政,賢者伏匿,讒臣亂治,逐功臣,誅不辜,即熒惑逆行變色。
《荊州占》にいう、熒惑が色を変え行を失えば、それが滞留する分野は敗亡し、それが抵触する分野には兵がある。熒惑が逆行・変色するのは、君主と宰相が政を治めるにあたり、人材の選抜が德才を準とせず、聖賢が埋没・遮蔽されて不肖の徒が進用を得、忠臣を疏外して讒佞・阿諛の人に親しんだ所致である。もう一説には、君主と宰相が政を治めるにあたり驕縦・放肆で、五行の序に順わず、妻室が政を干渉して正しくなく、賢者は隠匿して出ず、讒臣が政治を擾乱し、功臣を駆逐し、無辜を誅殺すれば、熒惑は逆行・変色するとする。
熒惑變其常,東行客三舍,名曰縮星,縮星出,有死相。熒惑交其常,東行客三舍,名曰馳星,馳星出,有死將。(韓楊曰:東行疾,名曰馳星,有死將。)熒惑變其常,南行客三舍,名曰賊星,賊星出賊,將起;又為旱。熒惑逆行,色赤而怒,有兵。
熒惑が常度を変えて東へ三つの星舍を越え行くのを「縮星」といい、縮星がひとたび出れば国相の死亡がある。熒惑が常度を錯乱して東へ三つの星舍を越え行くのを「馳星」といい、馳星がひとたび出れば将領の陣亡がある(原書小注:韓楊はいう、東へ行くのが速いのを馳星という、将領の陣亡がある兆しである)。熒惑が常度を変えて南へ三つの星舍を越え行くのを「賊星」といい、賊星がひとたび出れば盗賊が起ころうとし、また旱災を主る。熒惑が逆行して色が赤く怒るがごときは、兵事がある兆しである。
熒惑逆行,環繞屈曲,成鉤已,至三舍;名山崩、大川竭,若守之三日不下,其分國凶,有大喪。熒惑逆行至五舍,大臣謀反諸侯王也。熒惑逆行,必有破軍死將,國君若寄生;又曰夷將為王,敢誅者昌,不敢誅者亡;當此之時,趣立九候,置三王,取與必當,無逆天殃。
熒惑が逆行して環繞・盤曲して鉤己の形を成し、一直に三つの星舍まで退くのは、名山が崩塌し大川が枯竭する兆しである。もしそこに守って三日去らなければ、その分野の国に凶禍があり大喪があろう。熒惑が逆行して五つの星舍まで退くのは、大臣と諸侯王が謀反する兆しである。熒惑が逆行すれば、必ず軍隊が撃破され将領が陣亡し、国君は苟且に生を偸むほかなく、もう一説には夷狄の人が王を称しようとし、敢えて誅討する側は昌盛し、敢えて誅討しない側は敗亡するとする。この時に当たっては、速やかに九位の諸侯を分封し三位の王者を設置し、予奪を必ず得当にせねばならず、さすれば天意に逆らわず災を招かない。
熒惑當出不出,天下有兵,民流亡;當入不入,所在其國有殃。熒惑往來疾者,期不過九十日;遲者,不過三年;熒惑留二十日乃占;熒惑不動,兵不戰,有誅將。熒惑逆行二舍半,有火災;一曰有女喪;一曰為大水。熒惑、太白,東西南北行之,而復居其處,天下為四國謀者,其行也,同時馳。
熒惑が現れるべきに現れなければ、天下に兵事があり百姓は流亡する。隠没すべきに隠没しなければ、それが在る分野の国に災殃がある。熒惑の往来が行くの速きは応期が九十日を超えず、行くの緩きは三年を超えない。熒惑の滞留は二十日に満ちて初めてこれに拠って占い断ずることができる。熒惑が停まって動かなければ、両軍は交戦せずとも将領が誅される者がある。熒惑が逆行して二舍半なれば火災がある兆しであり、もう一説には女子の喪事があり、また一説には大水があるとする。熒惑が太白とともに東西南北へ游走し、後にまた各自が元の所に帰るのは、天下に四方の国のために謀を画し策を献ずる者がいる兆しであり、それらが運行するときは同時に疾馳するのである。
熒惑出東方,其行順;則其國不凶,其逆行一舍,其國有兵,戰破,亡地,其色悴小,其國君有憂。熒惑行失度,而妄出宿間,天下作兵;熒惑東,則兵東;西,則兵西;南,則兵南;北則兵北。熒惑東西害侯王、一南一北為死喪。熒惑失行西北,是謂水,利於火,有兵兵罷,天下大旱;存孤老,廩鰥寡,天下並並附,則熒惑順度。熒惑春夏而失道南行,疾;為旱、為兵,在陽國;秋冬而失道北行,疾;為火入水,必有破軍殺將。”
熒惑が東方に現れて運行が順調なれば、その国は凶でない。それが一つの星舍を逆退すれば、その国に兵事があり交戦して敗れ土地を喪う。その顔色が憔悴して細小なれば、その国君に憂患がある。熒惑が運行に度を失い、胡乱に星宿の間に出没すれば天下は兵を興し、熒惑が東に偏すれば兵事は東方にあり、西に偏すれば兵事は西方にあり、南に偏すれば兵事は南方にあり、北に偏すれば兵事は北方にある。熒惑が忽ち東・忽ち西するのは侯王に害を為し、忽ち南・忽ち北するのは死喪を主る。熒惑が失行して西北方に至るのを、これを水といい、反って火德に利があり、兵があっても罷兵するが天下は大旱する。この時、孤児・老人を撫存し、鰥夫・寡婦を賑済すれば、天下は紛紛として帰附し、熒惑も順度を回復する。熒惑が春夏に道を失って南へ行きしかも行くのが速ければ、旱災を主り兵事を主り、南方陽位の国に応じる。秋冬に道を失って北へ行きしかも行くのが速ければ、これを火が水に入るといい、必ず軍隊が撃破され将領が殺される。
甘氏曰:“熒惑出入、進、退以戰;背之大勝,迎之大敗。”《荊州占》曰:“熒惑順宿南行疾,有男喪。”又曰:“讒人將起。因宿北行疾,有女喪,賊將起。
甘氏はいう、熒惑の出没・進退の際に兵を用いて戦うには、それの方向を背けて打てば大勝し、それの方向を迎えて打てば大敗する。《荊州占》にいう、熒惑が星宿に順って南へ行くのが速ければ、男子の喪事がある兆しである。またいう、讒を進める人がまさに勢を得ようとすることをも主る。熒惑が星宿に循って北へ行くのが速ければ、女子の喪事があり、盗賊が起ころうとする。
熒惑正乘列舍,守之十日以上,其分內亂;二十日以上,相走;六十日主死;九十日殃及子孫。熒惑止留,三日以上,國則憂,相不死出走;十日以上,主大憂;一月至三月,三月至六月,殃及子孫。去之丈、傷五穀;去之七尺,傷人民;去之四五尺,傷吏;去之二三尺,傷卿相;去之一尺;傷主。
熒惑が正しくある星舍の上に圧して守候して十日以上なれば、その分野の内部に乱が生じる。二十日以上なれば国相が出逃する。六十日なれば君主が死ぬ。九十日なれば災殃は子孫に及ぶ。熒惑が停まり滞留して三日以上なれば、国に憂患があり国相は死なずとも出逃する。十日以上なれば君主に大いなる憂いがある。一か月から三か月、三か月から六か月なれば、災殃は子孫に及ぶ。それが守る星と相距ること一丈なら五穀を傷し、相距ること七尺なら百姓を傷し、相距ること四五尺なら官吏を傷し、相距ること二三尺なら公卿・宰相を傷し、相距ること一尺なら君主その人を傷つける。
熒惑出西方若東方,甚疾,至宿留二十日以上,及為留即去之;若復反其所留之宿,其君當之。”(《海中占》曰:國君死。)之所宿者,天子惡之;四孟之月,侯王受之;四仲之月,大臣受之;四季之月,小臣受之。
熒惑が西方または東方に現れて行くのが極めて速く、ある宿に至って二十日以上滞留し、ひとたび滞留の象を成して即座にまた去る。もしそれが再び折り返ってもとの滞留したあの星宿に帰れば、その分野の国君はこの災禍を承当する(原書小注は《海中占》を引いていう:国君が死ぬ)。それが停宿する分野は、天子がこの天象を忌む。正月・四月・七月・十月という四孟の月に応ずるものは侯王が承当し、四仲の月に応ずるものは大臣が承当し、四季の月に応ずるものは小臣が承当する。
熒惑順行,留守宿二十日以上,與逆行不滿十日等;順行留守三十日以上,與逆行留守宿十五日等;順行留守宿四十日,與逆行留守宿二十日等,順行留守百日,與逆行五十日等;熒惑所守,其國宰相死。
熒惑が順行して滞留・守候して一宿に二十日以上なれば、その応験は逆行・滞留して十日に満たないものに相当する。順行・滞留・守候三十日以上なれば逆行・滞留・守候十五日に相当し、順行・滞留・守候四十日なれば逆行・滞留・守候二十日に相当し、順行・滞留・守候百日なれば逆行・滞留五十日に相当する。要するに熒惑の守候する分野は、その国の宰相が死ぬのである。
熒惑與宿星舍守之,其國大人死,守之久五年而發者,亡地五百里;期二年而發者,亡地二百里;期一年而發者,亡地百里。熒惑所守之分,其國凶;守之速,殃小;守之久,殃大;去而復還守之,或前、或後、或左、或右,殃殊重,不可救;國破,主死,流血城市。
熒惑が在る星宿と同じく一舍に居して守候すれば、その国の大人が死ぬ。守候が久しくて五年の後に発作するものは土地五百里を喪い、応期二年で発作するものは土地二百里を喪い、応期一年で発作するものは土地一百里を喪う。熒惑の守候する分野は、その国に凶禍がある。守るのが短促なれば災殃は小さく、守るのが長久なれば災殃は大きい。離れ去った後にまた折り返って守候し、あるいは前に、あるいは後に、あるいは左に、あるいは右にあれば、災殃は格別に深重で挽救する術がなく、国家は破敗し君主は死亡し、血は城池・街市に流れる。
熒惑逆行守星者,為飢;(即其年早飢也。)復還順行,黃色而至,糴為反賤。”韓楊曰:“熒惑東西南北疾,謀用戰,順之勝,逆之敗。”《漢天文志》曰:“熒惑順宿東行疾,則兵聚於東方;西行疾,則兵聚於西方。”
熒惑が逆行してある星を守候するのは飢饉を主る(原書小注:当年に早々と飢饉を鬧すということである)。もしそれがまた転じて順行に返り黄色を帯びて来れば、糧価は反って転じて賤くなる。韓楊はいう、熒惑が東西南北へ行くのが速い時、兵を用いることを謀って戦うには、それの方向に順えば勝ち、それの方向に逆らえば敗れる。《漢書・天文志》にいう、熒惑が星宿に順って東へ行くのが速ければ兵衆は東方に聚集し、西へ行くのが速ければ兵衆は西方に聚集する。
韓楊曰:“熒惑乍東乍西,受者國大憂;居之久者,三歲;中、二歲;近、一歲,殃至。熒惑逆而西行,則不殺;為王敢誅者昌;不敢誅者亡。當此之時,趣立九侯,置三王,取與必當,無逆天殃。熒惑出於北方,不出其年,起兵;熒惑還北方,其兵不還,有憂。熒惑春出南方,有喪;不然,當小旱飢。熒惑春出於南方,群君不憂。
韓楊はいう、熒惑が忽ち東・忽ち西と游走すれば、この天象を受ける国に大いなる憂いがある。それが停留するのが久しければ三年以内に災殃が至り、中ばなれば二年、近ければ一年である。熒惑が逆退して西へ行けば殺伐に至らず、君王として敢えて誅討する側は昌盛し、敢えて誅討しない側は敗亡する。この時に当たっては、速やかに九位の諸侯を分封し三位の王者を設置し、予奪を必ず得当にせねばならず、さすれば天意に逆らわず災を招かない。熒惑が北方に現れれば、当年を出ずに兵を興す。熒惑が折り返って北方に至れば、出征した軍隊は帰って来られず、憂患がある兆しである。熒惑が春に南方に現れるのは喪事がある兆しであり、さもなくとも小旱と飢饉があるべきである。熒惑が春に南方に現れれば、衆君主は反って憂うるに及ばない。
熒惑凡行二十八宿,已去復還反,其國君死之;熒惑正乘其國之宿,星留三日,以戰,大將死;留五日,君破亡地;留十日,其君死,國無兵。而熒惑正乘其宿,星留十日,內亂起,絕宿;星從南之北,從北之南,其國貧;一曰所居久者,其野有兵。”
熒惑が二十八宿を遍く行き、およそすでに離れ去ってまた折り返って来たものは、その分野の国君が死ぬ。熒惑が正しくある国の属する星宿の上に圧して三日滞留すれば、この時交戦すれば大将が陣亡し、五日滞留すれば国君は敗亡して失地し、十日滞留すればその国君は死亡し国に用いる兵なし。熒惑が正しくある宿の上に圧して十日滞留すれば、内乱が起こり宗祀は断絶する。それが南から北へ、北から南へと穿行すれば、その国は貧困し、もう一説にはそれが居留するのが久しければその分野に兵事があるとする。
《荊州占》曰:“熒惑所居久者,其野有兵;入其星三日,其野有憂;過三日,其憂大。”韓楊曰:“熒惑常行,其留不行從宿居,入宿又守之,其國當舉兵戰鬥,殺將亂事,家室破殘,父子相扶於流亡;又曰熒惑行絕道,正乘宿,留二十日以上至五十日,破軍殺將。
《荊州占》にいう、熒惑が居留の久しい分野には兵事があり、ある星に入って三日なればその分野に憂いがあり、三日を超えれば憂患はいよいよ大きい。韓楊はいう、熒惑が本来のごとく常に運行し、忽然として滞留して進まずある宿に随いて居止し、その宿に入ってまた守候して去らなければ、その国はまさに兵を興して戦い、将を殺して政事は大いに乱れ、家室は破敗・残破し、父子は扶え合って逃亡する。またいう、熒惑の行度が常道を截断して正しくある宿の上に圧し、二十日以上滞留して五十日に至るのは、軍隊が撃破され将領が殺される兆しである。
熒惑之行無常,東行守宿十日為留,其環所久宿者,殃其國,宰相死。熒惑東行四十日,行三舍以上,謹守其反日;不行日;數之百八十日,女孽出。”班固《天文志》曰:“熒惑逆行一舍、二舍;為不祥。”韓楊曰:“熒惑西行,行三舍以上,謹守其反日,數之百八十日,兵起,不然天妖出。”韓楊曰:“熒惑逆行而留,其國逆凶;順行而留,其國順凶。”石氏曰:“熒惑逆行,還復故道,名曰燒跡,其災重。”
熒惑の運行に常度なく、東へ行ってある宿を守ること十日に満てば「留」と算する。それがある宿を環繞して久しく居すれば、その国に禍を及ぼし宰相が死亡する。熒惑が東へ四十日行き、三つの星舍以上を越えれば、それが頭を掉して折り返る日、および停まって行かない日を仔細に記憶し、この日から数えて百八十日に満てば、女子が乱を為す妖孽が出現する。班固《天文志》にいう、熒惑が逆行して一舍あるいは二舍なれば不祥を主る。韓楊はいう、熒惑が西へ行って三つの星舍以上を越えれば、それが頭を掉して折り返る日を仔細に記憶し、ここから数えて百八十日に満てば兵事が興り、さもなければ天象の妖異が出現する。韓楊はまたいう、熒惑が逆行して後に滞留すれば、その国の凶禍は悖逆より来り、順行して後に滞留すれば、その国の凶禍は因循より来る。石氏はいう、熒惑が逆行した後にまたもとの軌道に帰るのを、これを「焼迹」といい、それがもたらす災禍は格別に深重である。
熒惑昼見反明 六
甘氏曰:“熒惑書見,臣謀主。”韓楊曰:“熒惑出西方而逆行,是為反明,天下更王,國憂,受者亡;其南若北,為死喪;南為丈夫,北為女子。”《洛書》曰:“熒惑反明,邦命更王。熒惑反明,相掠所滅。熒惑反明,不言紀更。”《尚書緯》曰:“熒惑反明,白帝亡。”
「昼見」は昼間に見えることであり、「反明」は本来晨に東方に出るべきが反って昏に西方に出ることである。甘氏はいう、熒惑が昼間に現れるのは(底本は「昼」を「書」と誤る)、臣下が君主を図る兆しである。韓楊はいう、熒惑が西方に現れてまた逆行するのは、これがすなわち反明であり、天下が君王を更換し国に憂患があり、この象を受ける側は敗亡する兆しである。それが南または北に偏すれば死喪を主り、南に偏すれば男子に応じ、北に偏すれば女子に応じる。《洛書》にいう、熒惑が反明すれば国運は君王を改め換える。熒惑が反明すれば、互いに劫掠して覆滅に至る。熒惑が反明すれば、紀元は宣告を待たずして自ら改まる。《尚書緯》にいう、熒惑が反明するのは西方・白帝の一系が敗亡する兆しである。
《春秋緯》曰:“赤帝之世,有過則熒惑出,冠守、見萌以淫亂,失時則反明;有此類,則亡引也。”《文耀鉤》曰:“熒惑反明,主以悖更殘物之過亡,天下更紀,易其主。”(《元命包》曰:“殷紂無道,熒惑反明。”宋均注曰:反出西方也。)《天官書》曰:“熒惑反明,主命惡之。”《荊州占》曰:“熒惑反明,怒氣結。”
《春秋緯》にいう、赤帝が運を当てる世にあって、人君に過失があれば熒惑が現れ、凌冠して守候し、淫乱の事によって端倪を顕す。時序を失えば反明が現れる。この類の天象があれば、敗亡に由頭がある。《文耀鉤》にいう、熒惑が反明するのは、君主が悖乱に更張して万物を残害する過失によって敗亡し、天下は紀元を改め換えその主を更易する兆しである。原書小注にいう、《元命包》に「殷の紂は無道なり、熒惑反明す」とあり、宋均が注を作って、反明とは反って西方に現れることだという。《天官書》にいう、熒惑の反明は、君主の命数が最もそれを忌む。《荊州占》にいう、熒惑の反明は、怨怒の気が鬱結した所致である。
韓楊曰:“熒惑所止舍而數之七舍,而數為日七月,而入於西方;伏行五舍,為日五日,而得出於東方,其反出西方,是謂反明;天下更政,所宿其國伐。熒惑入西方,反出為反明;天下更王。熒惑有三反明,三吐舌;以威咎殺太子,以妾為妻。”京氏曰:“禮經不用,熒惑反明。”
韓楊はいう、熒惑が停まったあの星舍から数え起こし、七つの星舍に数え満ち、日数に折合して七か月で、それは西方に没する。隠伏して五つの星舍を行き、五日の数に折合すれば、東方に再び出ることを得る。もしそれが反って西方から現れれば、これを反明といい、天下が政令を改め換え、それが宿留するあの国は征伐を受ける兆しである。熒惑が西方に没して反ってまた西方から出れば、これが反明であり、天下が君王を更換する兆しである。熒惑には三種の反明の象と三種の吐舌の象があり、君主が威刑・罪責をもって太子を殺害し、妾を正して妻とする兆しである。京氏はいう、礼経が廃棄されて用いられなければ、熒惑は反明する。
熒惑変異吐舌 七
《龍魚河圖》曰:“夫熒惑主司非,其精下為風伯之神。”巫咸曰:“熒惑下為童男,止於都市。”(《搜神紀》曰:“吳地草創之,信不堅固,邊屯守將質其兩女子,名曰保質。童子少年以類相與嬉遊者,日有十數。鳳皇三年三月、有一異兒、長四尺餘,年可六七歲,衣青,未從群嬉,諸兒莫之哀也;皆問‘爾誰家兒,今日忽來?’答曰:‘見爾群嬉樂,故來耳。’詳而視之,眼有光芒,焰焰若火,諸兒畏之,重問其故,兒乃答曰:‘爾惡我乎,我乃熒惑星也,將有一言告爾,天下歸司馬氏。’
《龍魚河図》にいう、熒惑は是非を伺い察することを主管し、その精気が地に降れば風伯の神となる。巫咸はいう、熒惑は人間に降って男童に化し、都市の中に停留する。以下は原書小注で、《捜神記》を引いていう、孫呉が国を立てた初め、人心の信義は固くなく、辺地に屯戍する守将はみな二人の娘を送って人質とし、「保質」と称した。ともに游戯する孩童・少年は毎日十数人いた。呉の末帝鳳凰三年三月、一人の奇異な子どもがおり、身の丈四尺余り、年齢を見れば約六七歳、青衣を着て、かつて皆に随って遊んだことがなく、衆の子どもも彼を憐れむ者がいなかった。皆が彼に問うた:「お前は誰の家の子か、今日どうして忽然と来たのか。」彼は答えた:「お前たちが群れて嬉戯するのを見て、だから来た。」彼を仔細に眺めれば、眼の中に光芒を射出して閃閃として火のごとく、子どもたちはみな彼を惧れ、再三にわたり縁故を追問して、やっとあの子は答えた:「お前たちは私を悪むのか。私は熒惑星だ。一言お前たちに告げることがある——天下はまさに司馬氏に帰さんとする。」
諸兒大驚,或走告大人,馳往觀之:兒曰:‘爾舍去乎。’竦身而躍,即已化矣。仰而視之,若引匹練以登天,大人來有備及見馬,飄飄漸高;有頃而沒。時吳政峻急,莫敢害也。後五年而蜀亡,六年而晉興,至是而吳滅於司馬氏矣。”一書云:“熒惑卒不見,下地為人、衣韋衣、若白衣,乃使民多妖言。”)
子どもたちは大いに驚き、ある者は走って大人に告げ、大人は急いで駆けつけて見た。その子はいう:「お前たちは退け。」身を竦めてひと躍し、即座に形を変えて去った。仰ぎ見れば、あたかも一匹の白練を牽いて青天に直上するようで、大人が駆けつけたとき尚お見るに及び、ただ彼が飄々としてますます高く昇り、片刻の後に消失するのを見た。当時、呉国の政令は厳峻・急迫で、彼を害し加えようとする者はいなかった。この後五年に蜀漢が滅び、六年に晋朝が興り、後に至って呉国は果たして司馬氏に滅ぼされた。原書小注はまた別の書を引いていう、熒惑が忽然として見えなくなれば、それは地に降って人形に化し、熟皮衣または白衣を着て、こうして百姓の中に妖言を四方に起こすのである。
京房《對災異》曰:“熒惑作變,為華州人君之禍也。弟於東,骨肉慾,暮近北,邊國謀入;於西,則兵大起,蠻貊戰;入斗,則大臣叛;住東西,萬民病,不救之,則致日食,既下謀上;其救也,設七政、爭正圖書;修經術,改惡為善;則安矣。”《運斗樞》曰:“人君政亂,朝多讒臣,則熒惑吐舌。”
京房《対災異》にいう、熒惑に変異が発生するのは、華夏諸州の君主の禍患である。それが東方に偏して低ければ骨肉の親属に非分の欲がある兆し、黄昏時に北方に近ければ辺地の国が入侵を図る兆し、西方にあれば兵事が大いに起こり蛮貊が来て戦う兆し、北斗に入れば大臣が叛乱する兆し、東西の間に停住すれば万民が病を生ずる兆しである。補救を加えなければ日食を招き至り、それは在下の者が在上の者を図るものである。補救の法は:日月・五星・七政の事を修明し、図書・典籍を端正に講求し、経術を修習し、悪を改め善に従うこと——こうすれば平安である。《運斗枢》にいう、人君の政事が昏乱し朝中に讒臣が多ければ、熒惑は舌を吐く。
京氏曰:“人君無禮法,輕薄房室,外行慢易遇下,不理賦斂,奪民時;則熒惑失度,吐舌為度,逆度作怪,以誡人君;不救則大旱,中火燔宮殿;其救也,追功、祿爵,位賢德,養幼孤,廩鰥寡;則熒惑還度,天心得矣。”韓楊曰:“熒惑吐舌,狀如星也;其舌上,則主憂,下則民愁。”《運斗樞》曰:“陽越度,陰失符,則熒惑生足。”(宋均曰:陽、君也、陰、臣也。)石氏曰:“熒惑生足,故主殃;新主易。”
京氏はいう、人君が礼法を守らず、房闈の事を軽慢し、外で傲慢・軽忽に臣下に対し、賦税の征斂を整治せず、百姓の農時を侵奪すれば、熒惑は運行に度を失い、吐舌の形態を以て現れ、常度に逆らって怪象を作し、以て人君を警誡する。補救を加えなければ大旱となり、その間に火災があって宮殿を焼く。補救の法は:功労を追録し、俸禄・爵位を頒給し、賢德ある者を位に居らせ、幼児・孤児を撫養し、鰥夫・寡婦を賑済すること——こうすれば熒惑は常度を回復し、また天心に合う。韓楊はいう、熒惑が舌を吐くとき、その舌状の気は形が星芒のようであり、舌が上に向けば君主に憂いがある兆し、舌が下に向けば百姓が愁苦する兆しである。《運斗枢》にいう、陽が法度を超越し陰が符信を失えば、熒惑は「足」を生ずる。原書小注は宋均を引いていう、陽は君を指し陰は臣を指す。石氏はいう、熒惑が足を生ずるのは、それゆえに災殃を主り、新たな君がまさに更立されようとする。
巫咸曰:“熒惑大而赤,東西南北行,非常也;一曰有謀,兵起。熒惑失其常,吏且棄其法,諸侯亂其政。”《荊州占》曰:“熒惑始出大,而日愈小者,其國不利;始出小,而日愈大者,其國利。熒惑赤角,卒多不出,秋兵起。”
巫咸はいう、熒惑がまた大きくまた紅く、東西南北に乱行するのは常態ではなく、もう一説には陰謀があり兵事が興るとする。熒惑が常度を失えば、官吏は法令を廃棄し、諸侯は政事を擾乱する。《荊州占》にいう、熒惑が初めて現れたとき大きく、後に日ごとに小さくなればその国は不利であり、初めて現れたとき小さく、後に日ごとに大きくなればその国は利がある。熒惑が赤色の角を生ずれば、士卒は多く兵を按して出ず、秋に至って兵事が起こる。
又曰:“熒惑赤大,昭然而芒,其野有兵。熒惑大而赤角,有兵,兵出有功,戰客利;背之者大勝;逆之者大敗。勞惑色赤,大而角,軍大驚。”巫咸曰:“熒惑小名曰進賊;萬物相暴,從為賊;不有死王,必有滅國;使之不然,哀老弱,憐孤寡。”郗萌曰:“熒惑出東方,反行以西,有小星,擊之即去;所宿之國受兵。”
またいう、熒惑が赤くて大きく、明るく晃晃として光芒を帯びれば、それの対応する分野に兵事がある。熒惑が大きくて赤角を生ずれば兵事がある兆しで、兵を出せば功を立てることができ、客軍が戦えば利があり、それの方向を背けて打てば大勝し、それの方向を迎えて打てば大敗する。熒惑が色赤く、また大きくて角を帯びれば(底本は「熒」を「労」と誤る)、軍中が大いに驚擾する兆しである。巫咸はいう、熒惑が小さくなるのを、これを「進賊」といい、万物が互いに凌暴し、それに随って起こるのは賊寇であり、君王の死去があるか、必ず国家の覆滅がある。これをこのように至らしめないためには、老弱を哀れみ孤寡を体恤せねばならない。郗萌はいう、熒惑が東方に現れ、また反って西へ行き、そばに小星があってそれを一撞撃して去るならば、それが宿留する国は兵禍を受ける。
《荊州占》曰:“兩敵相當,熒惑當其日而大,以其大之日利;當其日而小,以其小之日不利。上旬為陽國,中旬為中國,下旬為陰國。星大赤,則兵出有功;小赤,則無功;皆以其日占國。熒惑貫小星,殺小將。
《荊州占》にいう、両軍が対壘する際、熒惑がどの日に大きく見えるか、その大きい日に出戦すれば利があり、どの日に小さく見えるか、その小さい日に出戦すれば利がない。上旬は陽位の国に応じ、中旬は中原の国に応じ、下旬は陰位の国に応じる。星が大きくて赤なれば兵を出して功を立てることができ、小さくて赤なれば兵を出して功なし——いずれも当日の干支によってどの国に応じるかを推し断する。熒惑がそばの小星を貫穿するのは、偏裨の小将を殺す兆しである。
熒惑之陰,有小星,去四寸以內,諸侯陰謀。熒惑之陽,有小星,去四寸以內、諸侯有小兵。熒惑之傍,有小星兩,其一在南,一在北,皆四寸以內、諸侯從。熒惑之傍,有小星兩,其一在東,一在西,皆四寸以內,諸侯橫。熒惑小而赤角,兵出無功。”
熒惑の北面に小星があって相距ること四寸以内ならば、諸侯が密かに謀を図る兆しである。熒惑の南面に小星があって相距ること四寸以内ならば、諸侯に小規模の兵事がある兆しである。熒惑のそばに二つの小星があって一つは南に一つは北にあり、ともに四寸以内ならば、諸侯が合従して相従う兆しである。熒惑のそばに二つの小星があって一つは東に一つは西にあり、ともに四寸以内ならば、諸侯が連横する兆しである。熒惑が小さくて赤角を生ずれば、兵を出して功を立てることができない。
熒惑躍而沈浮与列星闘 八
《荊州占》曰:“熒惑躍而沉浮,主用心悼憤。熒惑守列舍,浮跳不安;人主心邪,無剛政。”韓楊曰:“熒惑有宿星斗,不出三年,臣背其主,熒惑變色,逆行相凌而斗會舍還,其國無道。若與宿同光,國君出走。”
《荊州占》にいう、熒惑が跳躍・閃爍して忽ち沈み忽ち浮くのは、君主が心中に悲傷・憤懣する兆しである。熒惑がある星舍を守候するとき浮動・跳躍して安定しないのは、君主の心術が正からず政令が剛断できない兆しである。韓楊はいう、熒惑が在る星宿の星と相闘すれば、三年を出ずに臣子はその君主に背叛する。熒惑が色を変え、逆行して他の星と相凌ぎ相闘い、一舍に会して後に折り返れば、その国は無道の国である。もしそれが在る星宿と光色が同じならば、国君が出逃する兆しである。
熒惑穰気暈彗 九
《黃帝占》曰:“熒惑生氣,如為赤穰者,明日大暑,至夕時而大雨。熒惑出穰氣,長一丈,有百日旱。”《孝經內記》曰:“熒惑黑赤,氣為赤穰者,不出五月,有賊;三十日,有兵;五十日,旱,魚鹽貴,二倍自止。”
「穰気」は星のそばに蓬松として禾秆が堆積したごとき雑気である。《黄帝占》にいう、熒惑が気を生ずるに、形が赤色の穰堆のごときとき、翌日には酷熱して夕方に至って大雨が降る。熒惑が穰気を発して長さ一丈に至れば、百日の旱情を主る。《孝経内記》にいう、熒惑の顔色が黒の中に赤を帯び、生ずる気が赤色の穰堆状を成せば、五か月を出ずに賊寇があり、三十日に兵事があり、五十日に旱災があり、魚と塩の価格が騰貴して、二倍に漲れば自ら止まる。
甘氏曰:“兩軍相當,而雲掩熒惑,必有覆軍,若將死;其出入進退以戰,背之大勝,迎之大敗。”郗萌曰:“兩軍相當,雲厚掩熒惑,必有逐軍。”巫咸曰:“熒惑白暈,大臣背其主;其角也,兵;氣赤色也,國有憂。”郗萌曰:“熒惑出彗東南維,其下受亡地,不出三年。”
甘氏はいう、両軍が対壘する際、雲気が熒惑を遮蔽すれば、必ず軍隊が覆没するかあるいは将領が陣亡する。それが出没・進退する時に戦うには、それの方向を背けて打てば大勝し、それの方向を迎えて打てば大敗する。郗萌はいう、両軍が対壘する際、厚い雲が熒惑を遮蔽すれば、必ず軍隊が追撃・駆逐される。巫咸はいう、熒惑の外囲に白色の暈があれば、大臣がその君主に背叛する兆しである。暈に角が生ずれば兵事を主り、気が赤色を呈すれば国に憂いがある兆しである。郗萌はいう、熒惑が東南方の天維に彗状の気を放てば、それが臨む分野は土地を喪い、三年を出ずに応じる。
開元占経 巻三十一
熒惑占 二
熒惑犯東方七宿
熒惑犯角 一
《荊州占》曰:“熒惑犯左角,都尉死之。”《陳卓占》曰:“熒惑犯角,赦期一月。”石氏曰:“熒惑犯左右角,大人憂;一曰有兵,大臣為亂。”甘氏曰:“熒惑入左角,有大赦;入右角,兵大起。”《黃帝占》曰:“熒惑出角,中道,天下太平;出陽道,旱;陰道,多雨。”陳卓曰:“熒惑出角陰道,多陰道。”郗萌曰:“熒惑出入天門間,宮門移。”又占曰:“熒惑逆行角,失火。”
角宿の两星は蒼龍の角であり、また天上の関門で、左角は刑法を理し、右角は兵を統べる将帥を主り、両角の間を「天門」という。《荊州占》にいう、熒惑が左角を衝犯するのは、都尉がこれによって死ぬ兆しである。《陳卓占》にいう、熒惑が角宿を衝犯するのは赦を頒く兆しで、応期は一か月である。石氏はいう、熒惑が左角・右角を衝犯するのは大人に憂いがある兆しであり、もう一説には兵事があり大臣が乱を為すとする。甘氏はいう、熒惑が左角に入れば大赦があり、右角に入れば兵事が大いに起こる。《黄帝占》にいう、熒惑が角宿の正中の天門から穿ち出れば天下は太平であり、南面の陽道から穿ち出れば旱を主り、北面の陰道から穿ち出れば多雨を主る。陳卓はいう、熒惑が角宿の陰道から穿ち出るのは陰雨の気が偏盛な兆しである。郗萌はいう、熒惑が天門の間を進出するのは宮門が移る兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が角宿で逆行するのは火災が発生する兆しである。
《荊州占》曰:“熒惑逆行角中,成勾已,若環繞之,人主憂,有兵喪,若關梁不通,期六月。”郗萌曰:“熒惑起角,刺如鋒刃,經角間;三十日而三留之,人主無下殿出宮,廓廟間有伏陣兵。”又曰:“熒惑赤色、光芒,居天門中,三十日,天下有大徵發,男年十五至耄老,三年乃止;或曰三月。”
《荊州占》にいう、熒惑が角宿の中で逆行し、盤曲して鉤己の形を成すか、あるいは角宿を環繞して行くのは、君主に憂いがあり兵事と喪事があり、あるいは関隘・橋梁が阻斷して通ぜない兆しで、応期は六か月である。郗萌はいう、熒惑が芒角を生じて鋭利なること刀鋒のごとく、両角の間を穿行し、三十日の間に三度そこに滞留すれば、君主は決して殿を下り宮を出るべきではない——廊廟の間に埋伏して陣を成す兵がいるからである。またいう、熒惑が赤色を呈して光芒を帯び、天門の中に停まれば、三十日以内に天下に大規模の徴発があり、十五歳の男子から耄耋の老人まで徴して、三年にして止まる。ある人は三か月ともいう。
郗萌曰:“熒惑起芒角,赤色而光,守天門中,二十日飢;一曰小旱。又曰:熒惑過兩角,多雨。”《荊州占》曰:“熒惑成鉤已,環繞角,有芒如鋒刃,天子失位。”郗萌曰:“熒惑乘左角,為旱;乘右角,為兵,為水。”又曰:“乘陵左右角者,為日蝕,國有大變。”石氏曰:“熒惑乘右角,后族家若將相有坐法死者。”又占曰:“熒惑與角合,韓相出走。”
郗萌はいう、熒惑が芒角を生じて赤色にして光があり、天門の中に守れば、二十日以内に飢饉を鬧し、もう一説には小旱であるとする。またいう、熒惑が両角を越えれば多雨を主る。《荊州占》にいう、熒惑が盤曲して鉤己の形を成し、角宿を環繞して行き、芒角が鋭利なること刀鋒のごときは、天子が位を失う兆しである。郗萌はいう、熒惑が左角を凌乗するのは旱を主り、右角を凌乗するのは兵事を主り水災を主る。またいう、左右の両角を凌乗・欺圧するのは日食を主り、国に大きな変故がある。石氏はいう、熒惑が右角を凌乗するのは、外戚・后族の家あるいは将相の中に刑法に犯して死ぬ者がある兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が角宿と相合するのは、韓国の国相が出逃する兆しである。
《河圖》曰:“熒惑居角陽,其國有喜;居陰,有憂。”郗萌曰:“熒惑居角亢間及太微宮,臣有請兵於天子者;若去復還,居角亢之間,天子聽之,兵且起。”又占曰:“熒惑大反行,留角,國受殃及加兵。”又曰:“色黑為疾、為死,青為水、為飢。”又占曰:“熒惑反行,留角三十日,萬家邑拔,千家邑虜;既居之,南北去之,其邑不可用兵;進為兵,退為喪。”
《河図》にいう、熒惑が角宿の南面に処れば、その国に喜慶があり、北面に処れば憂患がある。郗萌はいう、熒惑が角宿と亢宿の間および太微宮の中に処るのは、臣子が天子に出兵を請う兆しであり、もしそれが離れて後に折り返って来て、なお角亢の間に処れば、天子はこれに応え、兵事はまさに興ろうとする。また一条の占辞にいう、熒惑が大幅に折り返して行き、角宿に滞留すれば、その国は殃を受けかつ兵を加えられて討伐される。またいう、それが色黒なれば疾疫を主り死亡を主り、色青なれば水災を主り飢饉を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が折り返って行き、角宿に三十日滞留すれば、万户の邑は攻め抜かれ千戸の邑は俘掠され、すでにここに居留してまた南あるいは北へ離れ去れば、それらの城邑に兵を用いるべからず。それが前進すれば兵事を主り、後退すれば喪事を主る。
《荊州占》曰:“熒惑行廷中,不止;有大獄。”巫咸曰:“熒惑舍天門,人主絕祀。”郗萌曰:“熒惑舍天門中,大赦;又曰:入天門,出復反之,天下大亂;守,反者,事大。”《春秋文曜鉤》曰:“奪民時,熒惑守左角。”《海中占》曰:“熒惑守左角,有喪;色白,為兵,黃為土功;赤為旱;青、憂,黑死。”郗萌曰:“熒惑守左角,臣謀其主。”
《荊州占》にいう、熒惑が天廷の中を運行して停まらないのは、大きな獄訟がある兆しである。巫咸はいう、熒惑が天門に停宿するのは、君主の宗祀が断絶する兆しである。郗萌はいう、熒惑が天門の中に停宿するのは大赦を頒行する兆しであり、またいう、それが天門に入って出て行った後にまた折り返って来れば天下は大いに乱れ、もし守候して去らずかつ折り返れば事はいよいよ大きい。《春秋文耀鉤》にいう、君主が百姓の農時を侵奪すれば、熒惑は左角を守候する。《海中占》にいう、熒惑が左角を守候するのは喪事がある兆しであり、それが色白なら兵事を主り、色黄なら土木工役を主り、色赤なら旱災を主り、色青なら憂患を主り、色黒なら死亡を主る。郗萌はいう、熒惑が左角を守候するのは、臣下がその君主を図る兆しである。
《荊州占》曰:“熒惑守左角,兵起,將軍死之,期六十日,若六月。”又曰:“縑繒倍價。”《黃帝占》曰:“熒惑守右角,有兵起,期三月,將死。”又占曰:“熒惑守左右角,左右校尉都尉若相當之,或戮死。”又占曰:“熒惑守兩角間,若軫道絕,出其陰,陰伐利,戰勝,取其將。”又占曰:“熒惑守角,三十日其後憂。”
《荊州占》にいう、熒惑が左角を守候するのは兵事が興る兆しで、将軍がこれによって死に、応期は六十日または六か月である。またいう、細絹・繒帛の価格は一倍に漲るであろう。《黄帝占》にいう、熒惑が右角を守候するのは兵事が興る兆しで、応期は三か月、将領が死亡する。また一条の占辞にいう、熒惑が左右の両角を守候するのは、左右の校尉・都尉あるいはこれと相当する官員が殃を受け、処刑されるに至ることもある兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が両角の間に守候して、もし軫宿に通じる道路が断絶し、それが北面から穿ち出るならば、陰位に処る側が討伐に利があり、勝ちを得て相手の将領を擒獲できる。また一条の占辞にいう、熒惑が角宿を守候すれば、三十日後に憂患がある。
又占曰:“熒惑守角,出其南,多病;出其北,多死;行右,中國有殃;行左,負海國有殃。”又占曰:“熒惑貫若守左右角,大戰。”《洛書》曰:“熒惑守角,下土逆謀,兵乃出。”《春秋緯》曰:“熒惑守角,若反行,留角二十日,相死。”石氏曰:“熒惑守天門中,二十日,國有大喪,若大臣受謀。期一年。”
また一条の占辞にいう、熒惑が角宿を守候して、角宿の南面から穿ち出れば疾病が流行する兆し、北面から穿ち出れば死者が众多な兆し、右に偏して行けば中原の国に災殃があり、左に偏して行けば瀕海の国に災殃がある。また一条の占辞にいう、熒惑が左右の両角を貫穿または守候するのは大戦がある兆しである。《洛書》にいう、熒惑が角宿を守候するのは、地上の国に叛逆の図謀があり、ここにおいて兵を興す兆しである。《春秋緯》にいう、熒惑が角宿を守候するか、あるいは折り返して行き、角宿に二十日滞留すれば国相が死亡する兆しである。石氏はいう、熒惑が天門の中に二十日守るのは、国に大喪があるか、あるいは大臣が人に算計される兆しで、応期は一年である。
又占曰:“熒惑守左角,左將軍憂;守右角,右將軍憂,去復還,守之二十日,將軍戮死。”又占曰:“熒惑居守角三月,有殃;五月,受兵;七月,其野亡。”又占曰:“熒惑守角,霸者爭土,農者爭犁,聖人出,二十日大貴。”又占曰:“熒惑入天門,已去復反,守天門,關梁不通,進以善事,則亡。”
また一条の占辞にいう、熒惑が左角を守候すれば左将軍に憂いがあり、右角を守候すれば右将軍に憂いがあり、離れ去って後にまた折り返って来て二十日守候すれば、将軍は処刑される。また一条の占辞にいう、熒惑が居留守候して角宿に三か月あれば災殃があり、五か月あれば兵禍を受け、七か月あればその分野は敗亡する。また一条の占辞にいう、熒惑が角宿を守候するのは、覇を称える諸侯が土地を争い、農を務める百姓が耕犁を争奪し、聖人が運に応じて出て、二十日以内に地位が大いに尊貴となる兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が天門に入り、すでに離れ去ってまた折り返って来て、天門を守って去らないのは関隘・橋梁が通ぜない兆しであり、この時もし善政を以て天に進献すれば、敗亡に至らない。
甘氏曰:“熒惑守角,忠臣誅,國政危。”又占曰:“熒惑守左角,延尉有憂;守右角,太尉有憂。”《海中占》曰:“熒惑守左右角,其色黃白,小旱,民小厲。”又占曰:“熒惑守左右角,逆行為旱;還立雨,為五穀不收。”又占曰:“熒惑守角,貴人子有繫者;去獄之天牢,貴人子赦。”又占曰:“熒惑起芒角,赤色而光,久守天門,王者絕嗣;各以占其國。”
甘氏はいう、熒惑が角宿を守候するのは忠臣が誅され国政が危殆な兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が左角を守候すれば廷尉に憂いがあり(底本は「廷」を「延」と誤る)、右角を守候すれば太尉に憂いがある。《海中占》にいう、熒惑が左右の両角を守候して顔色が黄白なら、小旱を主り百姓はやや疫癘がある。また一条の占辞にいう、熒惑が左右の両角を守候して逆行すれば旱を主り、折り返った後に即座に降雨すれば五穀の歉収を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が角宿を守候するのは、貴人の子弟に拘繫されて獄に入る者がある兆しであり、もしそれが牢獄の星を離れて天牢に移り向かえば、貴人の子弟は赦を獲る。また一条の占辞にいう、熒惑が芒角を生じて赤色にして光があり、長く天門に守れば、君王が子嗣を断絶する兆しであり、各々分野に拠ってどの国に応じるかを分かち推し断する。
郗萌曰:“熒惑守左角,若右角,去復還之,天子行誅伐,期年中。”又占曰:“熒惑守左角,左將軍;右角,右將軍;守角前,前將軍;守角後,後將軍;一周五將軍發。”又占曰:“熒惑守角,讒臣欲進,政事急,有千里之行。”又曰:“將軍有亂,有兵兵罷。又曰大旱。”
郗萌はいう、熒惑が左角または右角を守候し、離れ去って後にまた折り返って来るのは、天子が誅討・征伐の事を行う兆しで、応期は一年以内にある。また一条の占辞にいう、熒惑が左角を守候すれば左将軍に応じ、右角を守候すれば右将軍に応じ、角宿の前に守れば前将軍に応じ、角宿の後に守れば後将軍に応じ、繞行して一周すれば五位の将軍がみな発動する。また一条の占辞にいう、熒惑が角宿を守候するのは、讒を進める臣子が進用しようと欲し、政事が急迫して千里遠行の事がある兆しである。またいう、将軍の中に変乱があり、兵事があっても終には罷兵する。またいう、大旱を主る。
又曰:“熒惑守角,為中兵大臣;留兩角間,將興國,廷開梁,邊境不通。”又占曰:“熒惑守東關,赦期一月。”《荊州占》曰:“熒惑守天陳,大飢,太后族人有受誅者。”又曰:“以夏三月中守角,若出角入角,中外不通。”
またいう、熒惑が角宿を守候するのは禁中の兵権を掌る大臣に応じ、両角の間に滞留するのは興起する国があろうとする兆しで、朝廷は橋梁を開通するが辺境は反って阻隔して通じない。また一条の占辞にいう、熒惑が東関の星を守候するのは赦を頒く兆しで、応期は一か月である。《荊州占》にいう、熒惑が天陳を守候するのは大飢饉を主り、太后の族人の中に誅殺される者がある。またいう、夏の三か月に角宿を守候するか、あるいは角宿から出てまた角宿に入るのは、朝廷の内外で音信が通じない兆しである。
《二十八宿山經注》曰:“熒惑守角亢,其色赤,不出三年,則韓國王死。”《黃帝占》曰:“熒惑守角,西為父母,後為妻,前為子,東為身;如此者,臣弒君;近一年,中二年,運五年。”石氏曰:“熒惑守犯凌左角,為禍咎。”
《二十八宿山経注》にいう、熒惑が角宿・亢宿を守候して顔色が赤紅なら、三年を出ずに韓国の国君は死ぬであろう——角亢は韓の分野である。《黄帝占》にいう、熒惑が角宿を守候するのは方位によって分かれ応じる——西辺は父母に応じ、後辺は妻室に応じ、前辺は子嗣に応じ、東辺は自身に応じる。この天象が現れれば臣下が君主を弑殺する兆しであり、近ければ一年、中ばなれば二年、遠ければ五年である(底本は「遠」を「運」と誤る)。石氏はいう、熒惑が左角を守候・衝犯・欺凌するのは、禍患・災咎がある兆しである。
熒惑犯亢 二
《黃帝占》曰:“熒惑入亢,有芒角,犯凌之,當有白衣之會,糴大貴。”郗萌曰:“熒惑入亢,天子廷有兵,有水。”《東官候》曰:“熒惑入右亢,謂北星也天下有白衣之期,五穀不熟。”石氏曰:“熒惑數入亢,其國疾病疫。”郗萌曰:“熒惑入亢,成鉤已,環繞之,有亡國,必有臣謀主。”(案《宋書天文志》曰:魏喜平三年十月癸未,熒惑犯亢南星,正元三年二月,李豐等謀亂,誅。)
亢宿四星は角宿の東にあり、天子の内朝で疏廟ともいい、疾疫と刑法を主る。《黄帝占》にいう、熒惑が亢宿に入り、芒角を帯びてそれを衝犯・欺凌するのは、喪服の聚会の事があろうとする兆しで、糧価は大いに騰る。郗萌はいう、熒惑が亢宿に入るのは天子の朝廷に兵変があり水災がある兆しである。《東官候》にいう、熒惑が右亢に入るとは、亢宿の北面のあの星を指し、天下に喪服の期があり五穀が成熟しない兆しである。石氏はいう、熒惑がたびたび亢宿に入れば、その国は疾病・瘟疫が流行する。郗萌はいう、熒惑が亢宿に入り、盤曲して鉤己の形を成してそれを環繞するのは、国家の滅亡があり、必ず臣子が君主を図る兆しである。以下は原書小注の按語で、《宋書・天文志》を引いていう、魏の嘉平三年(底本は「嘉」を「喜」と誤る)十月癸未の日、熒惑が亢宿の南面の星を衝犯し、正元年間二月に至って李豊らが乱を謀り、誅殺された。
石氏曰:“熒惑十二月入龍宿,成鉤已,若環繞之,天子朱廷。”《荊州占》曰:“熒惑逆行亢,主成咸,非其人。”陳卓曰:“熒惑乘亢右星,為大兵,為水,為穀貴。”郗萌曰:“熒惑乘滅亢左星,為大人憂;乘右星,為天下奇令。”《春秋緯》曰:“熒惑與亢合、主命凶。”《河圖》曰:“熒惑居亢陽,其國有喜;居陰、有憂。”
石氏はいう、熒惑が十二月に蒼龍の宿に入り、盤曲して鉤己の形を成すか、あるいはそれを環繞して行くのは、天子の朝廷が血色に染まる兆しである。《荊州占》にいう、熒惑が亢宿で逆行するのは、成就する事が得るべきでない人の手に落ちる兆しである。陳卓はいう、熒惑が亢宿の右辺の星を凌乗するのは、大規模な兵事を主り水災を主り穀価の騰貴を主る。郗萌はいう、熒惑が亢宿の左辺の星を凌乗し掩滅するのは大人に憂いがある兆しであり、右辺の星を凌乗するのは天下に異乎寻常の号令が現れる兆しである。《春秋緯》にいう、熒惑が亢宿と相合するのは、君主の命数に凶がある兆しである。《河図》にいう、熒惑が亢宿の南面に処ればその国に喜慶があり、北面に処れば憂患がある。
《荊州占》曰:“熒惑留亢,天子惡之。”郗萌曰:“熒惑留廷中,為天下大憂,或曰為焦旱,物不生,多蟲蝗起。”又占曰:“熒惑舍亢,為歲有小水。”《黃帝占》曰:“熒惑以八月守亢,兩將相當,在東南,期一歲。”(石氏曰:期歲中。)又曰:“平地出水,橋樑不通,河內將相憂。”
《荊州占》にいう、熒惑が亢宿に滞留するのは、天子がこの天象を忌む。郗萌はいう、熒惑が天廷の中に滞留するのは天下に大いなる憂いがある兆しであり、ある人は焦灼する旱情で作物が生せず蝗虫が大量に起こると主るともいう。また一条の占辞にいう、熒惑が亢宿に停宿するのは、この年に小さな水災がある兆しである。《黄帝占》にいう、熒惑が八月に亢宿を守候するのは、両方の将帥が対壘し、事は東南方に在り、応期は一年である(原書小注:石氏は応期が一年の中にあるという)。またいう、平地に大水が湧き出て橋梁が断絶して通ぜず、河内一帯の将相に憂患がある兆しである。
甘氏曰:“熒惑守亢,天下大樂,民得封爵,期不出年。”甘氏曰:“熒惑守亢東,天下州占;守西,木果不實。”又占曰:“熒惑守亢,五穀不熟,民死之。”又曰:“守疏廟,有土事;又守天門,有憂。”巫咸曰:“熒惑守亢,小臣為亂,臣疾疫。”又曰:“兵大起,天下旱,萬物不成。”
甘氏はいう、熒惑が亢宿を守候するのは天下が大いに歓楽し、百姓が封賞・爵位を獲る兆しで、応期は当年を出ない。甘氏はまたいう、熒惑が亢宿の東辺を守候すれば天下の各州はみなこれに拠って占い断じ、西辺を守候すれば樹木が果実を結ばない兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が亢宿を守候するのは五穀が熟せず百姓がこれによって死亡する兆しである。またいう、疏廟を守候すれば土木の事があり、また天門を守候すれば憂患がある兆しである。巫咸はいう、熒惑が亢宿を守候するのは小臣が乱を作し、臣子の間に疫病が流行する兆しである。またいう、兵事が大いに起こり天下が干旱して万物が成熟しない兆しである。
《海中占》曰:“熒惑守亢,天下有白衣之會,天子易政,道路不通。”《海中占》曰:“熒惑地亢,成鉤已而環繞之,三十日,天子自將兵,國易主。”郗萌曰:“熒惑守亢,環繞之成鉤已,天子惡之,期六月若十月。”又占曰:“熒惑守亢,大將有喜,守亢左左,將軍有喜。”
《海中占》にいう、熒惑が亢宿を守候するのは、天下に喪服の聚会の事があり、天子が政令を更改し、道路が通じない兆しである。《海中占》はまたいう、熒惑が亢宿に抵及して(底本は「抵」を「地」と誤る)、盤曲して鉤己の形を成してそれを環繞すれば、三十日以内に天子は自ら兵を帯び、国家は君主を更換する。郗萌はいう、熒惑が亢宿を守候してそれを環繞し盤曲して鉤己の形を成すのは、天子がこの天象を忌み、応期は六か月または十か月である。また一条の占辞にいう、熒惑が亢宿を守候するのは大将に喜慶がある兆しであり、亢宿の左辺を守候するのは将軍に喜慶がある兆しである(底本は「左」の字が重出する)。
又占曰:“熒惑守亢,五穀以水傷敗。”又占曰:“熒惑守亢,為天下大旱,多火災;逆行為失火。”《黃帝占》曰:“熒惑守亢,西為父母,後為妻,前為子,東為身;如此者,臣弒主,近一年,中二年,遠五年。”郗萌曰:“熒惑守亢,貴人病亡;一曰留十日,後忌。”又占曰:“熒惑守亢,天子有祠廟之事;又曰天下病頭。”
また一条の占辞にいう、熒惑が亢宿を守候するのは五穀が水に淹れられ損壊する兆しである。また一条の占辞にいう、熒惑が亢宿を守候するのは天下に大旱があり火災が頻発する兆しであり、もし逆行すれば失火を主る。《黄帝占》にいう、熒惑が亢宿を守候するのは方位によって分かれ応じる——西辺は父母に応じ、後辺は妻室に応じ、前辺は子嗣に応じ、東辺は自身に応じる。この天象が現れれば臣下が君主を弑殺する兆しであり、近ければ一年、中ばなれば二年、遠ければ五年である。郗萌はいう、熒惑が亢宿を守候するのは貴人が病死する兆しであり、もう一説には十日滞留し、この後は多く忌むべきことがあるとする。また一条の占辞にいう、熒惑が亢宿を守候するのは天子に祠祀・宗廟の事がある兆しであり、またいう、天下の人が多く頭疾を患う兆しである。
《荊州占》曰:“熒惑色黑守亢旬日,水萬里不測;二旬,有沒王;三旬,澤海;又曰赦。”《東官候》曰:“熒惑守亢,國糴貴,芒角犯凌,有白衣之眾暴聚,麻麥載倍價。”又占曰:“熒惑守亢,大人憂之,若水船急,若民憂,非一國也,政危;守之三十日,民多疾。”
《荊州占》にいう、火星が黒色を呈して「亢」宿に滞留・守候して十日に満てば、大水があろうとして万里に綿延して深浅は測り知れない。二十日停留すれば国君の殞没する者があり、三十日停留すれば陸地は沈んで湖沢・大海となり、もう一説には赦令があろうとする。「亢」は東方蒼龍七宿の第二宿で、朝廷の礼法と疾疫を主る——ゆえに火星がこれに臨めば多く水旱・疾疫に応じる。《東官候》にいう、火星が亢宿を守候すれば一国の糧価が騰貴し、もし星芒が鋭利で亢宿を侵犯・逼凌すれば、素服を身に着けた喪家の衆が驟然と聚集し、麻と麦の価格は一倍に翻る。また一条の占辞にいう、火星が亢を守れば、上位に居る大人がこれを憂い惧れ、その急迫なること水の上で船に乗って険に遭うがごとし、あるいは百姓に憂患があって受累するのは一つの諸侯国に止まらず、政局はこれによって危殆となる。もし守候して三十日に満てば、民間に疾病が多く生じる。
又占曰:“熒惑入守亢,天子有所治宗廟之事,赦解之。”《黃帝占》曰:“熒惑逆行,守亢,為中兵。”郗萌曰:“熒惑犯守亢,逆行不順,失其明色,大政不用。”郗萌曰:“熒惑犯守亢,天下病斗。”《東官候》曰:“熒惑犯守亢,二十日而去,五穀不登,大人憂,亂臣在朝,忠臣不進。”
また一条の占辞にいう、火星が入って亢宿を守候すれば、天子に宗廟を整治する事があり、赦令を頒布して以て化解できる。《黄帝占》にいう、火星が逆行して亢宿を守候するのは、中原の腹地に兵戈が興る兆しである。郗萌はいう、火星が侵犯して亢宿を守候し、行度が逆乱して順わず、またそれが本应有的な明亮の光色を失ったのは、朝廷の大政が推行できない象である。郗萌はまたいう、火星が亢宿を犯守すれば、天下の人は争い相残する患に苦しむ。《東官候》にいう、火星が亢宿を犯守して二十日の後に去れば、五穀は成熟せず、上位に居る大人に憂いがあり、乱を為す臣が朝に当たり事を用い、忠貞の臣は却って進用を得ない。
熒惑犯氐 三
《荊州占》曰:“熒惑犯氐左星,左中郎將誅死;右星,右中郎將誅死;皆期三年。”甘氏曰:“熒惑入天子宮,天子失其宮。郗萌曰:“熒惑守亢,還入氐中,三十日,大人當之,其遠氐者,將大病;在氐南行,國有小喪;在其陽者,男;在其陽者,女。”
《荊州占》にいう、火星が「氐」宿の左星を侵犯すれば、宮廷の宿衛を掌る左中郎将が誅殺されて死に、右星を侵犯すれば右中郎将が誅殺されて死に、両者の応験の期限はいずれも三年以内にある。甘氏はいう、火星が天子の宮室の宿——氐宿はもと天子の後宮の寝居・休息の所である——に入れば、天子はその宮室を失うであろう。郗萌はいう、火星が先に亢宿に守候し、回頭してまた氐宿の中に入り三十日停留すれば、災咎は上位に居る大人に応じる。もし火星が氐宿より遠く離れれば、将帥は大病を生じ、もし氐宿の南で運行すれば、国に小さな喪事があり、氐宿の陽位(南面)に現れるものは男子に応じる。末句は底本になお「在其陽者」と作って女に係るが、当に「在其陰者」の訛り、すなわち陰位(北面)に現れるものは女子に応じる。
甘氏曰:“熒惑入氐,留守二十日,不下,當有賊臣有內;下,有反者。(案班固《天文志》曰:孝宣地節元年正月辛酉,熒惑入氐,其四年將軍霍禹、范明友及奉車霍山諸昆弟嬪婚為侍中,諸曹九卿郡守皆謀反伏誅,其應也。)三十日不下,其國兵起,人主當之,氐為天子之宮,罰星入之,不祥之徵,所守之國,其君死之。”
甘氏はいう、火星が氐宿に入り二十日停留・守候して下りて去ろうとしなければ、奸賊の臣が宮禁の内に潜伏しているはずである。もし果たして下りて去れば、兵を起こして反叛する者がある。(原書小注:班固《漢書・天文志》の記載に拠れば、漢宣帝地節元年正月辛酉の日、火星が氐宿に入り、地節四年に至って将軍霍禹・范明友および奉車都尉霍山ら霍氏一門の兄弟が姻親の関係を凭みて侍中となり、諸曹・九卿・郡守とともに謀反して誅殺された——これがすなわちあの天象の応験である。)もし三十日なお下らなければ、その分野の国は兵事が興り、災咎は君主に応じる——氐宿はもと天子の宮室であり、火星は刑罰を主る星であり、刑罰の星が天子の宮室に侵入するのは不吉祥の兆であり、およそそれが守候する国は、国君がこれによって死ぬであろう。
石氏曰:“熒惑入氐,留二十日,有一國君繫飢死,若毒死者。”郗萌曰:“熒惑入天門,至氐前時退,人主無出廓廟間,無出國,無之遠宮,其間有伏陣之兵。”《荊州占》曰:“熒惑入氐宿,留之二十日,在發卒戰;近期三十日,中期六十日,遠期百日。”
石氏はいう、火星が氐宿に入り二十日停留すれば、ある国君が囚繫されて餓死するか、あるいは毒殺されるであろう。郗萌はいう、火星が「天門」(角宿両星の間の通道)に入り、氐宿の前に行き至ってまた後退すれば、君主は廓廟の間を出て歩くべからず、国都を離れるべからず、遠方の離宮に往くべからず——この一路に列陣の兵士が埋伏しているからである。《荊州占》にいう、火星が氐宿に入りそこに二十日停留すれば、士卒を征発して作戦する事があろう。近ければ三十日に応じ、中ばなれば六十日、遠ければ百日である。
又占曰:“熒惑以戊辰歲,鉤已入氐,犯西南東北星,光合者,到巳己歲,大將軍誅,大赦天下。”又占曰:“熒惑出東方,若西方,留氐者,天子軍也;去復還居之,天子坐之。”巫咸曰:“熒惑逆行氐,失火;一曰守氐,多火災。”《荊州占》曰:“熒惑逆行氐,地動。”
また一条の占辞にいう、火星が戊辰の年に「鉤己」の勢(先に順し後に逆し、往復して鉤のごとき曲折の行度)を以て氐宿に入り、氐宿の西南と東北の两星を侵犯し、星光がこれと相合すれば、巳己(当作り己巳)の年に至って大将軍が誅殺され、随いて天下に大赦がある。また一条の占辞にいう、火星が東方または西方に現れて氐宿に停留するのは、天子が自ら軍を統べる兆しであり、もし離れ去って後にまた帰って氐宿を占拠すれば、天子はこれによって罪を獲て累を受ける。巫咸はいう、火星が氐宿で逆行するのは火災が発生する兆しであり、もう一説には火星が氐宿を守れば火災が頻発するとする。《荊州占》にいう、火星が氐宿で逆行するのは地震を主る。
郗萌曰:“熒惑乘氐之左星,天子自將兵於野,一曰天下有大水、大兵。”又占曰:“熒惑出入留舍氐,五十日不下,天下大疾;一曰二十日不下,五月有病。”《荊州占》曰:“熒惑出入留舍氐十日,其君當之。”《黃帝占》曰:“熒惑守氐,成鉤己者,大人憂。”(甘氏曰:赦,期六日。)
郗萌はいう、火星が氐宿の左星の上に凌乗すれば、天子は自ら兵を領いて郊野に出征し、もう一説には天下に大水災と大兵災があるとする。また一条の占辞にいう、火星が氐宿に出入・停留・止宿して五十日下りて去らなければ天下に大疫があり、もう一説には二十日去らなければ五月に病患が多いとする。《荊州占》にいう、火星が氐宿に出入・停留・止宿すること十日に達すれば、災咎はその分野の国君に応じる。《黄帝占》にいう、火星が氐宿を守候して「鉤己」の曲折の形に走れば、上位に居る大人に憂いがある。(原書小注:甘氏はいう、赦令があるはずで、応期は六日。)
石氏曰:“熒惑守氐,大人憂,若強國當之;若主有繫者,餓而死;若近臣憂,非一國也,政不安;一曰天下有兵,一曰大國憂。”《春秋緯文曜鉤》曰:“熒惑與氐星合,失地一百里。”石氏曰:“熒惑守氏,去一旬復還,有大兵起,二月有亡地。”又占曰:“熒惑逆行守氐,大臣謀反,其事成。”
石氏はいう、火星が氐宿を守候すれば上位に居る大人に憂いがあり、あるいは強国からこの災咎を承受するか、あるいは君主の身辺に囚禁された人がいて獄中に餓死しようとするか、あるいは近侍の臣に憂いがあって受累するのは一国に止まらず、政局が動盪して安からず、もう一説には天下が兵を興し、また一説には大国に憂いがあるとする。《春秋緯・文曜鉤》にいう、火星が氐宿の諸星と相合するのは土地一百里を喪う兆しである。石氏はいう、火星が氐宿を守候し(底本は「氏」と作る、「氐」の形訛である)、十日離れて後にまた折り返って来れば、大兵が興ることがあろうとして二か月以内に失地の事がある。また一条の占辞にいう、火星が逆行して氐宿を守候すれば、大臣が反叛を図り、しかも事は成し遂げられる。
甘氏曰:“熒惑守氐,大臣相譖,主大戰。”巫咸曰:“熒惑守氐,君有疾,有兵起,所守國其君惡之。”(案《案書天文志》曰:武帝永初二年六月乙酉,熒惑犯氐,景平元年廬陵王義真廢,王領豫州也。)《海中占》曰:“熒惑守氐,國亂,有反臣,近臣有憂;有兵,期六月,不出六十日,赦,不遍天下;歲春旱,晚水;不出其年,人相食。”
甘氏はいう、火星が氐宿を守候すれば、大臣の間で互いに讒毀・攻訐し、大戦がある兆しである。巫咸はいう、火星が氐宿を守候すれば、国君は疾病を生じ兵事が興り、守るその分野の国の国君が最もこの天象を忌む。(原書小注:《案書天文志》に拠れば——「案書」は当に「宋書」の訛り——宋武帝永初二年六月乙酉の日、火星が氐宿を侵犯し、景平元年に至って廬陵王劉義真が廃黜され、彼は当時ちょうど豫州刺史を領していた。)《海中占》にいう、火星が氐宿を守候すれば、国内が動乱して叛臣が現れ、近侍の臣に憂いがあり、兵事があり応期は六か月である。六十日を出ずして赦令があるが、赦免の範囲は天下に及ばず、その年の春は乾旱で入秋以後はまた雨水が多く、当年を出ずして人が人を食う惨状が現れよう。
《黃帝占》曰:“熒惑出氐,復還守之,強國之君惡之。”郗萌曰:“熒惑守氐,地震動;又曰有土功事;又曰守二十日,相死,親近戮死者;西北之夷來。又曰:守氐色黑,國家有小喪。”《荊州占》曰:“熒惑守氐,天子惡之。”(案《宋書天文志》曰:武帝永初二年六月乙酉,熒惑犯氐,三年五月,宮車晏駕。)
《黄帝占》にいう、火星が氐宿を出て随いてまた折り返ってそれを守候するのは、強国の国君が最もこの象を忌む。郗萌はいう、火星が氐宿を守候するのは地震を主り、またいう土木の工程を興建することがあり、またいう守候して二十日に満てば宰相は死ぬべきであり、君主の親近の人に殺戮される者があり、西北方の夷狄が入寇するであろう。またいう、氐宿を守って星色が黒に発すれば国家に小さな喪事がある。《荊州占》にいう、火星が氐宿を守候するのは天子が最もこの象を忌む。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に拠れば、宋武帝永初二年六月乙酉の日、火星が氐宿を侵犯し、永初三年五月に至って武帝が駕崩した。「宮車晏駕」は臣子が君主の死を諱み言う言い方である。)
郗萌曰:“熒惑守氐,西為父母,後為妻,前為子,東為身;如此者,臣弒君;近期一年,中二年,遠五年。”《荊州占》曰:“熒惑守氐,成鉤已者,強國之君死之;王者憂,貴人有飢死囚繫者;謂東行反之,還去兩星二尺,期百二十日;去兩星齊,期二十日,以赦解之。
郗萌はいう、火星が氐宿を守候して氐宿の西に位するものは父母に応じ、その後に位するものは妻室に応じ、その前に位するものは子嗣に応じ、その東に位するものは自身に応じる。このような天象が現れれば臣下が君主を弑殺する兆しであり、近ければ一年に応じ、中ばなれば二年、遠ければ五年である。《荊州占》にいう、火星が氐宿を守候して「鉤己」の形に走れば、強国の国君はこれによって死ぬであろう。王者に憂いがあり、顕貴の人の中に囚禁されて餓死する者があろう。ここにいうのは火星がもと東へ行きて後にまた折り返って来て、退く時氐宿の两星より約二尺に距たり、応期は百二十日である。もし退いて两星と並び斉すれば応期は二十日で、大赦を以て化解できる。
又占曰:熒惑守氐,去復反、守之,其色黃白,與兩星齊,期十日;去兩星尺,期六十日,有赦。又占曰:熒惑色赤若黃,以九月守氐,六十日有奪地死王;期一年。”
また一条の占辞にいう、火星が氐宿を守候し、離れて後にまた返って来て守候し、星色が黄白を呈して氐宿の两星と並び斉するものは応期十日であり、两星より一尺に距たるものは応期六十日で、赦令があるはずである。また一条の占辞にいう、火星が赤色または黄色を呈して九月のうちに氐宿を守候すれば、六十日以内に土地を奪占し国王が身死する事があり、総じての応期は一年である。
熒惑犯房 四
《洛書》曰:“熒惑犯房,亡君之夷。”《文曜鉤》曰:“熒惑犯房宿,將軍為亂,王者惡之。”《荊州占》曰:“熒惑守犯凌房,國君憂;色青,憂喪;赤、憂兵,積尸成山;黑、右將相誅;白、芒角,大哭。”
《洛書》にいう、火星が「房」宿を侵犯するのは、国君が敗亡し疆土が夷平される象である。房宿四星は天子が政を布く明堂であり、また車駕と将相の位次を象徴する——ゆえに火星がこれを犯すのは最も凶険である。《文曜鉤》にいう、火星が房宿を侵犯すれば将軍が乱を作し、王者は最もこの象を忌む。《荊州占》にいう、火星が房宿を守候・侵犯・逼凌すれば国君に憂いがあり、星色が青に発すれば憂いは喪事に在り、赤に発すれば憂いは兵事に在り、屍を積んで山のごとくならんとし、黒に発すれば右方の将相が誅され、白に発して鋒芒・棱角を生ずれば、国を挙げて大哭する。
(司馬彪《天文志》曰:孝和永元五年九月,火犯房北第一星,為相,六年正月,司徒丁鴻薨。《宋書天文志》曰:魏明帝太和五年五月,熒惑犯房,占曰:房四星,股肱將相位也,五月星犯守之,將相有憂。七月,車騎將軍張郃追諸葛亮,為亮所言,十二月,太尉華歆死。晉成帝咸康八年六月熒惑犯房上第二星,占曰:次相憂。建元二年,車騎將軍江州刺史庚冰薨,是時驃騎將軍何充居內,冰為次相也。)
原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載にいう、漢和帝永元五年九月、火星が房宿の北面第一星を侵犯し、この星は宰相の位を主る——永元六年正月に至って司徒丁鴻が去世した。《宋書・天文志》の記載にいう、魏明帝太和五年五月、火星が房宿を侵犯し、占辞にいう、房宿四星は股肱・将相の位次で、五月に火星が犯してこれを守れば将相に憂いがある——当年七月、車騎将軍張郃が諸葛亮を追撃して諸葛亮に害され(底本は「為亮所言」と作る、「言」の字は当に訛誤がある)、十二月に太尉華歆が去世した。晋成帝咸康八年六月、火星が房宿の上数第二星を侵犯し、占辞にいう、次相に憂いがある——建元二年に至って車騎将軍・江州刺史庾冰が去世し、当時驃騎将軍何充が朝中で政を輔け、庾冰はちょうど次相の位に居った。
郗萌曰:“熒惑入房,天子之宮,大臣有反者,天子之宮,大臣有反者,天子憂,期六月。”又曰:“有白衣之會。”又占曰:“熒惑入房,天下有喪。”又占曰:“熒惑入房三道,為天子有子。”石氏曰:“熒惑入房,馬貴;出房,馬賤。”郗萌曰:“熒惑出房北,主也;出其南,諸臣也;處之,憂甚;行,除憂,無故。”
郗萌はいう、火星が房宿に入るとき、房宿は天子の宮廷であり、大臣の中に謀反する者があり、天子はこれを憂い懼れ、応期は六か月である。(「天子之宮、大臣有反者」の一句は底本に重出し、伝抄の衍文である。)またいう、素服を身に着けた喪事の聚会があろう。また一条の占辞にいう、火星が房宿に入れば天下に喪がある。また一条の占辞にいう、火星が房宿の三つの通道(房宿四星の間の南間・中道・北間)に入るのは、天子が子を得る兆しである。石氏はいう、火星が房宿に入れば馬価が騰貴し、房宿を出れば馬価は低賤となる。郗萌はいう、火星が房宿の北面から出るものは君主に応じ、南面から出るものは群臣に応じ、停駐して去らないものは憂患が深重であり、引き続き前行するものは憂患が解除され平安無事である。
《海中占》曰:“熒惑行房南,旱;若守之,為喪;行房北,為水;若守之,為兵。”郗萌曰:“熒惑逆行房,失火;若地動。”《春秋演孔圖》曰:“堯恆視熒惑所在,在房;則改法蠲令。”(宋均曰:房為天子明堂,政教有門,故改法蠲令也。)
《海中占》にいう、火星が房宿の南を行経するのは旱を主り、もし南面に守候すれば喪事を主り、房宿の北を行経するのは水災を主り、もし北面に守候すれば兵事を主る。郗萌はいう、火星が房宿で逆行するのは火災が発生する兆しで、あるいは地震を主る。《春秋演孔図》にいう、帝尭はつねに火星の在る位置を観察し、火星がひとたび房宿に至れば、法度を更改し煩苛の政令を蠲免した。(原書小注:宋均はいう、房宿は天子の明堂で、政令・教化はここより出入して門があり、ゆえに火星が房に臨む時は法度を改め煩令を免ずるのだ。)
又占曰:“熒惑磨心環房,不留正舍,往來彷徉,人主無下殿,遠宮闕,有伏兵。”《洛書》曰:“熒惑鉤已房,主命凶。”《玉曆》曰:“熒惑逆行房,成鉤已,大人憂,臣弒其君,凶;(郗萌曰:期不出六十日也。)下有反者,大兵起。”《文曜鉤》曰:“熒惑與房合,車馳人走。”(宋均曰:熒惑與房合,為諸侯所逐也。)
また一条の占辞にいう、火星が心宿に貼って磨行し房宿を繞って盤旋し、本位に安んじて止宿しようとせず、来来去去徘徊して定まらなければ、君主は殿堂を歩み下りるべからず、宮門・闕楼を遠ざけるべし——路上に埋伏の兵士がいるからである。《洛書》にいう、火星が房宿で「鉤己」の形に走れば、君主の性命は凶険である。《玉暦》にいう、火星が房宿で逆行して「鉤己」の形に走れば、上位に居る大人に憂いがあり、臣下がその君を弑殺して大凶である(原書小注:郗萌はいう、応期は六十日を出ない)。下に反叛する者があり、大兵が興る。《文曜鉤》にいう、火星が房宿と相合すれば、車馬は奔馳し人衆は逃散する。(原書小注:宋均はいう、火星が房宿と相合するのは、天子が諸侯に駆逐される象である。)
郗萌曰:“熒惑與太白合房,哭泣者多,堂空。”甘氏曰:“熒惑貫房中央,天下無兵;出房南,為男憂;出其北,女憂。”郗萌曰:“熒惑入房,留二十日,主出走;留十五日,主戰;近期三十日,遠三月。”石氏曰:“熒惑出中道,留也,天下有夷;期三月、四月;天下大赦。”《荊州占》曰:“熒惑出入房中道,良馬用,天下兵滿野,將相為盜,大臣有憂。”
郗萌はいう、火星が金星と房宿で会合すれば、哭泣する人が众多で明堂がこれに一空となる。甘氏はいう、火星が房宿の正中央から穿ち過れば天下に兵事なく、房宿の南面から出るものは憂いが男子に在り、北面から出るものは憂いが女子にある。郗萌はいう、火星が房宿に入り二十日停留するのは君主が出奔する兆しで、十五日停留するのは戦事がある兆しであり、近ければ三十日に応じ遠ければ三か月である。石氏はいう、火星が房宿の中道から出て停留すれば、天下に夷滅される国があり、応期は三か月から四か月で、随いて天下に大赦がある。《荊州占》にいう、火星が房宿の中道に出入すれば、良馬が征用され、天下に兵が郊野に満ち、将相は盗賊に淪落し、大臣に憂いがある。
《黃帝占》曰:“熒惑守房,十日不去,山崩。”又占曰:“熒惑守房,大臣為亂,王圍於野,天下作兵,五年而止。”石氏曰:“熒惑守房,天下更政。”《黃帝占》曰:“熒惑守房,有兵與喪;居之三月,其邦有殃;五月、受兵;十月、其野亡。”又占曰:“熒惑守房,貴人疾。又占曰:“熒惑守房三日、五日,天子車駕有驚。”
《黄帝占》にいう、火星が房宿を守候して十日去ろうとしなければ、山崩・地陥を主る。また一条の占辞にいう、火星が房を守れば大臣が乱を作し、君王は郊野に囲困され、天下は大挙して兵を興し、五年を過ぎてようやく平息できる。石氏はいう、火星が房を守れば天下は政令を更改する。《黄帝占》にいう、火星が房を守れば兵事もあり喪事もあり、房宿を占拠して三か月なればその邦国に災殃があり、五か月に至れば兵禍を受け、十か月に至ればその分野の地は滅亡する。また一条の占辞にいう、火星が房を守れば顕貴の人が病を生ずる。また一条の占辞にいう、火星が房を三日・五日守れば、天子の車駕は驚を受けるであろう——房宿四星はもと駕車の馬に比され、ゆえに災応は乗輿の上に落ちる。
又占曰:“熒惑行房南,犯守之,為大旱;行北,犯守,為大水,在宋地。”又占曰:“熒惑守房,入之成鉤已,天子失宮,期六十日。”《春秋緯說題辭》曰:“房心木位,熒惑守之,燒弒;陽類相滅,子代位。”
また一条の占辞にいう、火星が房宿の南を行経して侵犯・守候するのは大旱を主り、北面を行経して犯守するのは大水を主り、災は宋国の分野に応じる。また一条の占辞にいう、火星が房を守り深くその中に入って「鉤己」の形に走れば、天子は宮室を失い応期は六十日である。《春秋緯・説題辞》にいう、房宿・心宿は東方の木の位次に属し、火星がそこに守候するのは焚焼と弑逆の象であり、同じく陽類にして互いに残滅し、子が父の君位に代わることになろう。
石氏曰:“熒惑守房,火近於木,子火滅其母,十日不去,國有喪;(郗萌曰有崩主。)十五日不去,兵大起;二十日不去,臣弒君,子殺父,(郗萌曰臣叛其君,子去其父也。)民去邦邑,陰陽相剋,天下大動;期不出一年。”
石氏はいう、火星が房宿を守候するのは火が木に逼近することであり、五行に拠れば木は火を生じ、火はもと木の子であるが、今や子の火が反ってそれを生んだ母の木を滅ぼした。十日去らなければ国に喪事があり(原書小注:郗萌はいう、君主の崩殂があるであろう)、十五日去らなければ大兵が興り、二十日去らなければ臣下が君を弑し子が父を殺し(原書小注:郗萌はいう、これは臣がその君に叛き子がその父を離れる象である)、百姓は自分の城邑を離棄し、陰陽は相互に克伐し、天下は大いに乱れ、応期は一年を出ない。
石氏曰:“熒惑守房,為大飢,人相食,死者不葬。”又占曰:“熒惑守房,為良馬出廄。”又占曰:“熒惑守房左,絲絮貴;其守陰間星,將有喜。”郗萌曰:“熒惑逆而西行,守房十日,成鉤已,大臣弒其主,期不出六十日。”
石氏はいう、火星が房を守るのは大飢饉を主り、人は人を食い、死んだ人は安葬できない。また一条の占辞にいう、火星が房を守るのは良馬が馬廐から牽き出されて徴調される兆しである。また一条の占辞にいう、火星が房宿の左側を守候すれば、糸・綿・絮・帛の価が貴く、守候して「陰間」の星(房宿北面两星の間)にあれば、将帥に喜慶の事がある。郗萌はいう、火星が逆行して西に向かい房宿を十日守候して「鉤己」の形に走れば、大臣がその君主を弑殺し、応期は六十日を出ない。
石氏曰:“熒惑行不出房中央,其年有氐守房,王者惡之,天下更政、易王,若將反逆者,從近君起;以赦令解之。”甘氏曰:“熒惑守房,去復還,成鉤已,若環繞之,國有崩喪,戴麻天下,將大亂。諸侯起霸,天子失其宮,期六月。”巫咸曰:“熒惑守房,多水災。”《海中占》曰:“熒惑守房三日,鬼火夜行,人民大恐,多死喪。”
石氏はいう、火星の運行が終始房宿の中央を離れず、この年また氐宿の星が房を守るとき、王者は最もこの象を忌み、天下は政令を更改し君王を更換し、あるいは兵を起こして反叛する者があり、しかも君主の身辺の親近の人から先に難を発する。当に赦令を以て化解すべきである。甘氏はいう、火星が房を守り、離れて後にまた返って「鉤己」の形に走るか、あるいは房宿を環繞して盤旋すれば、国に崩殂・喪亡の事があり、天下の人はみな麻服を戴して孝をし、大いなる乱があろう。諸侯が起こって覇を称え、天子はその宮室を失い、応期は六か月である。巫咸はいう、火星が房を守れば水災が多い。《海中占》にいう、火星が房を三日守れば、鬼火が夜間に游行し、百姓は大いに恐慌して死喪が众多である。
郗萌曰:“熒惑以九月守房,車騎蓋野;斯後,年;父子盡給軍事,無得留家者。”又占曰:“熒惑守房,土功興;留三十日,地大動,大兵起。”又占曰:“熒惑守房、心,赦成;鉤已者,水成;已者火。”又占曰:“熒惑守房間,直心而留守房,天下大亂;東方大得;西方大失。”又占曰:“熒惑守房北,燕趙負殃;守中央,魯衛負殃。”又占曰:“熒惑守房,為胡兵發。”
郗萌はいう、火星が九月に房宿を守候すれば、兵車・騎卒が天を遮り野に蓋う。この後年々このごとくで、父子ともに徴されて軍役に供し、家に留まることができる者がない(「斯後、年」の句は底本に脱字がある)。また一条の占辞にいう、火星が房を守れば土木の工程が興り、三十日停留すれば大地が震動し大兵が興る。また一条の占辞にいう、火星が房宿・心宿を守候すれば赦令が頒成を得て、「鉤己」の形に走るものは水を主り、「己」の形のみ成すものは火を主る。また一条の占辞にいう、火星が房宿の諸星の間に守り、正しく心宿に対して停留して房を守れば、天下は大いに乱れ、東方は大いに得る所有り、西方は大いに失う所有り。また一条の占辞にいう、火星が房宿の北面を守れば、燕・趙の地が災殃を承受し、中央を守候すれば魯・衛の地が災殃を承受する。また一条の占辞にいう、火星が房を守るのは胡人の軍隊が発動する兆しである。
《荊州占》曰:“熒惑守房,期一年,大臣盜國寶,大兵起於後宗,其芒角犯凌留三十日以上,大臣凶;一曰秦燕趙大凶。”《二十八宿山經注》曰:“房心星宿暗黑,熒惑守之,二百日止,則音聲,萬民相聲,大水、魚、鹽、五穀貴,百姓愁若。”
《荊州占》にいう、火星が房を守れば応期一年、大臣は国家の宝器を盗窃し、大兵は后族・宗室の中より興る。もしそれが芒角鋭利に房宿を侵犯・逼凌して三十日以上停留すれば大臣に凶があり、もう一説には秦・燕・趙の三地が大凶であるとする。《二十八宿山経注》にいう、房宿・心宿の星光が昏暗して黒に発し、火星がそこに守候して二百日に至って止まれば、喧嚷の声が起こり、万民は互いに呼号し、大水が災を成し、魚・塩と五穀がみな価貴く、百姓は愁苦する(「愁若」はすなわち「愁苦」である)。
郗萌曰:“熒惑犯中,乘守房左驂左服,為君死,所中將誅;有中犯乘守房右驂右服,為夫人死,所中相誅。”又占曰:“熒惑留逆犯守乘凌房左右驂,主崩,臣有陰謀;逆往乘凌中道,天子失位而亡;順行乘凌中道,天下和平。”韓楊曰:“熒惑犯房、鉤鈐,王者憂。”
郗萌はいう、火星が正中に衝犯・凌乗して房宿の左驂・左服(房宿四星は駕車の四馬に比され、外側の两星を驂・内側の两星を服とする)を守候するのは、国君の死を主り、衝犯されたその将帥は誅殺されるべきである。もし正中に衝犯・凌乗・守候して房宿の右驂・右服に及べば夫人の死を主り、衝犯された宰相は誅殺されるべきである。また一条の占辞にいう、火星が停留・逆行・侵犯・守候して房宿の左右の驂星を凌圧すれば、君主は崩殂し臣下は心に陰謀を懐く。逆行して来て中道を凌圧するものは天子が位を失って亡び、順行して中道を凌圧するものは天下が和平する。韓楊はいう、火星が房宿と鉤鈐の二星を侵犯すれば、王者に憂いがある。
(案《宋書天文志》曰:晉穆帝昇平三年三月乙酉,熒惑逆行,犯鉤鈐,五年穆帝廟。禮道驚《晉陽秋》曰:孝武大元十九年十一月甲申,熒惑犯鉤鈐,二十一年九月庚申,帝崩。《宋書天文志》曰:宋武大明二年十一月庚戍,熒惑犯房及鉤鈐,壬子又犯鉤鈐,占曰:有兵。其年索虜寇歷下,遣羽林軍討破之。)
原書小注:《宋書・天文志》の記載に拠れば、晋穆帝升平三年三月乙酉の日、火星が逆行して鉤鈐星を侵犯し、升平五年に至って穆帝が駕崩して廟を立てられた(底本「五年穆帝廟」は当に一「崩」の字を脱す)。檀道鸞《晋陽秋》(底本「礼道驚」は「檀道鸞」の訛り)の記載にいう、晋孝武帝太元十九年十一月甲申の日、火星が鉤鈐を侵犯し、太元二十一年九月庚申の日に至って孝武帝が駕崩した。《宋書・天文志》の記載にいう、宋孝武帝大明二年十一月庚戌の日、火星が房宿および鉤鈐を侵犯し、壬子の日にまた鉤鈐を侵犯し、占辞にいう、兵事があろうとする——当年、北魏(南朝は索虜と称す)が暦下を進犯し、朝廷は羽林軍を遣わして討伐し彼らを撃破した。
郗萌曰:“熒惑犯乘鉤鈐,大臣有誤天子,不尊事天者,致火災於宗廟;王者不宜出宮、下殿;有謀匿於宗廟中者。”石氏曰:“熒惑逆行至鉤鈐,天子侍臣俱亡。《春秋緯》曰:“出行不節,則熒惑守房、鉤鈐。劉向《洪範》曰:“鉤鈐,天子御也,熒惑守之,不大僕則奉車;不黜,則死。”(《洪範》曰:漢宣帝本始元年,熒惑守房,其後六年,奉東都尉霍山舉家謀反,誅滅。)郗萌曰:“熒惑過鉤鈐,大赦;若有德令。”
郗萌はいう、火星が鉤鈐星(房宿のそばの二つの小星で、門戸の鎖鑰のごとく、天子の車駕の関鍵を主る)を侵犯・凌乗するのは、大臣が天子を貽誤して上天に恭敬に奉事できず、宗廟が火災を受けるに至った所致である。王者は宮を出るべからず殿を下るべからず、宗廟の中に陰謀を蔵匿する者がある。石氏はいう、火星が逆行して鉤鈐に至れば、天子の侍従の臣はみな亡故するであろう。《春秋緯》にいう、君主の出行が節度に合わなければ、火星は房宿と鉤鈐を守候する。劉向《洪範五行伝》にいう、鉤鈐は天子の車駕・御事を主り、火星がそれを守候すれば、太仆が事を出すか奉車都尉が事を出すかで、これらの人が罷黜されなければ死ぬであろう。(原書小注:《洪範》にいう、漢宣帝本始元年、火星が房を守り、この後六年、奉車都尉霍山が全家で謀反し誅滅された。)郗萌はいう、火星が鉤鈐を越えるのは大赦を主り、あるいは徳政を施行する詔令がある。
熒惑犯心 五
《黃帝占》曰:“熒惑犯心,戰不勝國,大將鬥死;一曰主亡。”《海中占》曰:“熒惑犯心,天子王者絕嗣;犯太子,太子不得代;犯庶子,庶子不利。”又占曰:“熒惑犯心,必有飢餓死者。”郗萌曰:“熒惑犯心,有謀臣;不即有死王。”《文曜鉤》曰:“熒惑入心前後星,相戮中野。”郗萌曰:“熒惑入心,大臣有反者,天子憂之,期六月。”
《黄帝占》にいう、火星が「心」宿を侵犯すれば、交戦する一方は勝つことができず、大将は戦って死に、もう一説には君主が身亡するとする。心宿三星は、中央の大星が天王の位、前の一星が太子、後の一星が庶子であり、火星はまた兵を主り喪を主り乱を主り疾疫を主る罰星である——ゆえに「熒惑守心」は歴来最も凶なる天象と見做され、以下の諸条の応験は多く君主の存亡に牽連する。《海中占》にいう、火星が心宿を侵犯すれば天子・王者は後嗣を断絶し、前の太子星を侵犯すれば太子は位を継ぐことができず、後の庶子星を侵犯すれば庶子は利あらず。また一条の占辞にいう、火星が心を犯せば必ず飢餓して死ぬ人がある。郗萌はいう、火星が心を犯せば、図謀して軌ならざる臣子が現れるであろう、さもなければ君王の死去があるであろう。《文曜鉤》にいう、火星が心宿の前後の二星の間に入れば、骨肉は郊野に互いに残殺しあうであろう。郗萌はいう、火星が心宿に入れば大臣の中に反叛する者があり、天子はこれを憂い懼れ、応期は六か月である。
《黃帝占》曰:“熒惑經心,清明烈照,天下內奉,王帝必延年。”郗萌曰:“熒惑入角,道逆行,進退,欲留氐亢,因復少進,繞心與房,不留止舍,往來紡徉,可三十日。”又曰:“因以東西有憂;南北有喪。”《春秋演孔圖》曰:“熒惑在心,則縞素麻衣。”(宋均曰:熒惑在心,海內之殃,海內亡主,故素縞麻衣。)
《黄帝占》にいう、火星が心宿を経て光色が清朗・明亮にして照耀するに力あれば、天下は皆帰附・奉戴しに来て、帝王は必ず年を延び寿を益する——これは本篇に稀なる吉占である。郗萌はいう、火星が角宿に入り黄道上で逆行し、忽ち進み忽ち退き、さも氐宿・亢宿に停留せんとするようで、即座にまたやや前進して心宿と房宿を繞って盤旋し、本位に安んじて止宿しようとせず、来回徘徊すること約三十日。またいう、これによって東西の方向に憂患があり、南北の方向に喪事がある。《春秋演孔図》にいう、火星が心宿に停まれば、天下はまさに白色の喪服・麻衣を穿たんとする。(原書小注:宋均はいう、火星が心宿にあるのは四海の内の災殃で、海内はまさに君主を失わんとする——ゆえに素縞・麻衣を着るのだ。)
郗萌曰:“熒惑廻心,若去之,復還反之,二日,大赦。”石氏曰:“熒惑乘心,其國相死。”又占曰:“熒惑犯蝕乘心右星,太子有憂,若不立;一曰不死即去。”《洛書》曰:“熒惑居心陽,其國有喜;居陰,有憂。”郗萌曰:“熒惑入心,留二十日,主病;三十日,疾困群臣,亦然。”陳卓曰:“熒惑留心,近臣為亂。”
郗萌はいう、火星が心宿を回繞するか、あるいは離れて後にまた折り返って来れば、二日以内に大赦があるはずである。石氏はいう、火星が心宿を凌乗すれば、その分野の国の宰相が死ぬであろう。また一条の占辞にいう、火星が心宿の右星を侵犯・掩蝕・凌乗すれば、太子に憂いがあるか、あるいは储君に立てられないかで、もう一説には死なずとも廃黜されて出走するとする。《洛書》にいう、火星が心宿の陽位(南面)に居ればその国に喜慶があり、陰位(北面)に居れば憂患がある。郗萌はいう、火星が心宿に入り二十日停留すれば君主は病を生じ、三十日停留すれば君主の病勢は沈重で、群臣の处境もまた同じである。陳卓はいう、火星が心宿に停留すれば、近侍の臣が乱を作す。
石氏曰:“熒惑舍心,貴人振旅,天下大兵;若色玄不明,喪。”司馬彪《天文志》曰:“金火俱在心,為大朝。”《黃帝占》曰:“熒惑宿心,色青、有喪;然赤、有兵;宿心東,為齊越;西、為秦鄭;(甘氏曰:泰觀為中。)南、荊宋;北、衛趙;(甘氏曰:燕趙。)中為魏魯。”
石氏はいう、火星が心宿に止宿すれば、顕貴の人は軍を整えて出征し、天下に大兵がある。もし星色が黑暗で明からざれば、喪事を主る。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、金星と火星とが同じく心宿にあれば、大朝会がある兆しである。《黄帝占》にいう、火星が心宿に宿して星色が青に発するものは喪事を主り、星色が赤紅で燃焼するがごときものは兵事を主り、心宿の東に宿するものは斉・越に応じ、西に在るものは秦・鄭に応じ(原書小注:甘氏はいう、秦の地は当に中央を以て論ずべき)、南に在るものは荊・宋に応じ、北に在るものは衛・趙に応じ(原書小注:甘氏はいう、燕・趙である)、中央に在るものは魏・魯に応ずる。
《文曜鉤》曰:“熒惑與心合,主死;不死出走;又曰易帝。”郗萌曰:“熒惑起角芒,如劍刃,經兩角間,進退不留止,磨心以行,有伏陣兵。”甘氏曰:“熒惑貫心,天下民飢。”郗萌曰:“熒惑與心斗,天下暴喪,期三年。”《洛書》曰:“熒惑守心,成鉤己,不言王命;凶。”《春秋緯》曰:“熒惑守心,海內哭。”
《文曜鉤》にいう、火星が心宿と相合すれば、君主は死ぬべきであり、死なずとも出奔し、またいう帝王を更換するであろう。郗萌はいう、火星が芒角を生じて鋭利なること剣刃のごとく、角宿両星の間を経て忽ち進み忽ち退いて停駐しようとせず、心宿に貼って磨蹭して運行するのは、列陣の伏兵がある兆しである。甘氏はいう、火星が心宿を貫穿すれば、天下の百姓は飢饉する。郗萌はいう、火星が心宿と相闘すれば(两星が逼近して光芒が交侵するを「闘」という)、天下に暴亡の喪があり、応期は三年である。《洛書》にいう、火星が心宿を守候して「鉤己」の形に走れば、王命は宣行できず大凶である。《春秋緯》にいう、火星が心を守れば、四海の内は一片の哭声となる。
(案班固《天文志》曰:漢高帝十二年春,熒惑守心,四月宮車晏駕。韋昭曰:凡初崩為晏駕者,臣子之心,猶謂宮車當駕而出也。《宋書天文志》曰:晉武帝太康八年三月,熒惑守心,永熙元年四月乙酉,武帝薨。光熙元年九月丁末,熒惑守心,十一月,惠帝崩。)
原書小注:班固《漢書・天文志》の記載に拠れば、漢高帝十二年春、火星が心を守り、四月に至って高帝が駕崩した。韋昭は解釈していう、およそ剛に崩逝して「晏駕」と称するのは臣子の心情に出で、なおただ宮車が遅れて駕出するのみと当てて、直に君主がすでに死んだと言うに忍びない。《宋書・天文志》の記載にいう、晋武帝太康八年三月、火星が心を守り、永熙元年四月乙酉の日に至って武帝が去世した。晋恵帝光熙元年九月丁未の日、火星が心を守り、十一月に至って恵帝が駕崩した。
石氏曰:“熒惑守心,大人易政,主動其宮。”(案《史記》曰:宋景公時,熒惑守心,子韋曰:禍當君,雖然可移於宰相。公曰:相、吾之股肱,所與治國家。曰:可移於民。公曰:民死,寡人將誰為君。子韋曰:可移於歲飢。公曰:歲飢,民困,民誰以我為君。子韋曰:天居高而聽卑,君有至德之言,天必三賞。君熒惑果徙三舍,行七星,星當一年,君壽延二十一年。)
石氏はいう、火星が心を守れば、上位に居る大人は政令を更改し、君主はその宮室の中から遷動するであろう。(原書小注:《史記・宋微子世家》の記載に拠れば、宋景公が位に在るとき、火星が心を守り、星官の子韋はいう、災禍は君上に応じるが、宰相の身に転移させることができる。景公はいう、宰相はわが股肱であり、わがとともに国家を治める者である。子韋はいう、百姓の身に転移できる。景公はいう、百姓がみな死んだら、われは誰に国君を為すのか。子韋はいう、年成に転移してそれに飢饉を鬧させることができる。景公はいう、年成が飢饉して百姓が困苦すれば、百姓はまだ誰を国君と認めるのか。子韋はいう、上天は高きに居るが能く下の声を聞く——君上はこの三句の最も德ある言葉を説き出された、上天は必ず三度あなたに賞賜するであろう。火星は果たして三舍を移り離れ、一舍は七星、一星は一年に折合し、景公はこれによって寿を延ばすこと二十一年であった。)
《海中占》曰:“火守心,色赤,有兵,臣謀其主;黑、主死;白,謀臣有賜爵者;青,大人有憂。”石氏曰:“熒惑守心,天子走,失位;入心,必見血;其國庫兵出,天下士半死,五月大旱,二十日不下,天子有令,有憂;布大貴。”《雒書雒罪級》曰:“熒惑守心,有必有逆臣起。”石氏曰:“熒惑守心時,王將軍為亂。”
《海中占》にいう、火星が心を守って星色が赤紅なれば兵事があり臣下がその君主を図る兆しであり、星色が黒に発すれば君主は死ぬべきであり、星色が白に発すれば謀議の臣の中に爵位を賜わる者があり、星色が青に発すれば上位に居る大人に憂いがある。石氏はいう、火星が心を守れば天子は出奔して君位を喪失する。火星が心宿に深入すれば必ず血光を見るであろう。その国の武庫の中の兵器はすべて発出され、天下の士卒は半ば死に、五月に大旱し、火星が二十日下りるのを肯ぜず、天子はまさに詔令を下し、詔は憂懼の辞を帯び、布帛の価銭は大いに騰る。《雒書雒罪級》にいう、火星が心を守れば必ず叛逆の臣が事を起こす。石氏はいう、火星が心を守るとき、王室の将軍が乱を作す。
甘氏曰:“熒惑守心,大臣為變,謀其主,諸侯皆起。”又占曰:“熒惑守心,成鉤已及環繞之,天子失其宮,期六月。”巫咸曰:“熒惑守心,萬物不成,土功興;一曰歲水。”《海中占》曰:“熒惑守心,天下大吟,居之三月,有殃;五月,受兵;十月,其野亡。”石氏曰:“熒惑守心,成鉤已,期三月,大臣反;攻戰不將軍死。”
甘氏はいう、火星が心を守れば、大臣は変乱を発動してその君主を図り、諸侯は紛紛として兵を起こす。また一条の占辞にいう、火星が心を守って「鉤己」の形に走るか、あるいは心宿を環繞して盤旋すれば、天子はその宮室を失うであろう、応期は六か月である。巫咸はいう、火星が心を守れば万物は成熟せず土木の工程が興り、もう一説には当年に雨水が多いとする。《海中占》にいう、火星が心を守れば天下の人は痛苦・呻吟し、心宿を占拠して三か月なれば災殃があり、五か月なれば兵禍を受け、十か月なればその分野の地は滅亡する。石氏はいう、火星が心を守って「鉤己」の形に走れば応期は三か月で、大臣が反叛し、ひとたび攻戦すれば将軍は戦死を免れない(「不」の字は疑わしく衍文)。
《海中占》曰:“熒惑守心,南為水,北為旱。”又占曰:“熒惑守心,民流亡。”郗萌曰:“熒惑守心,南有小男喪;守北,有小女喪。”又曰:“以十月守心北,不出其歲,國有大喪;以十月守心,期六十日,有辱主;一曰皆起兵。”又占曰:“熒惑守心,為侵陽;守心上下星,名倖臣;驂乘者有事。”
《海中占》にいう、火星が心を守るとき、南面に在れば水災を主り北面に在れば旱災を主る。また一条の占辞にいう、火星が心を守れば百姓は流離・逃亡する。郗萌はいう、火星が心宿の南面を守候すれば幼男の喪があり、北面を守候すれば幼女の喪がある。またいう、十月に心宿の北面を守候すれば、当年を出ずに国に大喪があり、十月に心を守れば応期六十日で君主に辱め及ぶ事があろう。もう一説には南北両処とも兵を起こすことを主るとする。また一条の占辞にいう、火星が心を守るのは陽位を侵犯する象であり、心宿の上下の两星を守候すれば寵幸を受ける近臣に応じ、君主の車駕に陪乗する人が事を出すであろう。
《黃帝占》曰:“熒惑守心,大人惡之。”郗萌曰:“熒惑守心,有反者,從太子起;一曰九卿為害。”又曰:“大國兵四起,天子軍破。”又曰:“二十日,相死。”又曰:“守心,留十日,后死。”又曰:“守心三十日,有女喪。”郗萌曰;“熒惑守心房間,三十日地動。”又占曰:“熒惑守心,有反者,從宗家。”
《黄帝占》にいう、火星が心を守るのは、上位に居る大人が最もこの象を忌む。郗萌はいう、火星が心を守れば反叛する者があろうとして、しかも太子のところより難を発す——心宿の前の一星は正しく太子の位であり、ゆえにこの説がある。もう一説には九卿が害を為すとする。またいう、大国が四面より兵を興し、天子の軍隊は撃破される。またいう、二十日守候すれば宰相は死ぬべきである。またいう、心を守って十日停留すれば皇后は死ぬべきである。またいう、心を守って三十日に満てば女子の喪がある。郗萌はいう、火星が心宿と房宿の間に守れば、三十日以内に地震がある。また一条の占辞にいう、火星が心を守れば反叛する者があろうとして、しかも宗室の家より難を発す。
(案《宋書天文志》曰:晉元康九年六月,熒惑守心,八月入羽林,後二年,趙王廢惠帝,為太上皇,俄而三王起兵,討趙王倫,倫悉起中軍,兵相拒,累月也。)《荊州占》曰:“熒惑守心,色黑,有兵必敗。”陳卓曰:“熒惑守心,期三十日,彗星出王都,西南指。”《玄冥占》曰:“熒惑守心,為飢。”(案袁宏《漢紀》曰:安帝永初元年五月戊寅,熒惑逆行,守心,三年三月,京都飢,人相食。)
原書小注:《宋書・天文志》の記載に拠れば、晋恵帝元康九年六月、火星が心を守り、八月にまた羽林塁に入った。この後二年、趙王司馬倫が恵帝を廃黜し彼を尊して太上皇とし、まもなく斉王・成都王・河間王の三王が兵を起こして司馬倫を討伐し、司馬倫は傾巣して中軍を調発して相抗し、双方は好き数か月対峙した。《荊州占》にいう、火星が心を守って星色が黒に発すれば、ひとたび兵事があれば必ず失敗する。陳卓はいう、火星が心を守れば応期三十日で、彗星が王都の上空に現れ、彗尾は西南を指向するであろう。《玄冥占》にいう、火星が心を守るのは飢饉を主る。(原書小注:袁宏《後漢紀》の記載に拠れば、漢安帝永初元年五月戊寅の日、火星が逆行して心を守り、永初三年三月に至って京城で飢饉を鬧し、人は人を食った。)
《春秋緯說題辭》曰:“熒惑守心,主死,天下大潰。”《黃帝占》曰:“熒惑逆行而西,守心二十日,大臣為亂。”(袁宏《漢紀》曰:安帝永初元年五月戊寅,熒惑逆行,守心,司空周章謀,誅鄧騭兄弟,廢太后,及上立平原王為帝,事發覺,自殺。)
《春秋緯・説題辞》にいう、火星が心を守れば君主は死ぬべきで、天下はこれに随って土崩・瓦解する。《黄帝占》にいう、火星は本来順行して東進すべきが、今や逆行して西に向かいまた心宿を守候して二十日に達するのは、大臣が乱を作す兆しである。(原書小注:袁宏《後漢紀》の記載にいう、漢安帝永初元年五月戊寅の日、火星が逆行して心を守った。ちょうどこの同一天象の下で、司空周章が外戚の鄧騭兄弟を誅殺し臨朝の鄧太后を廃黜し、かつ安帝を廃して平原王を改めて皇帝に立てんと密謀し、事が敗露して周章は自殺した。これは正しく「大臣為乱」一条の実例である。)
石氏曰:“熒惑逆行守心,哭泣涔涔,主命惡之,國有大喪與兵,(案司馬彪《天文志》曰:孝靈中平三年四月,熒惑逆行守心,後三年,而靈帝崩。)國易政。”郗萌曰:“熒惑逆行守心,旱,失火。”陳卓曰:“熒惑逆而行心,地震。”《黃帝占》曰:“熒惑逆行守心,環繞成鉤己,皆為大人忌,期六月,以赦解之。”石氏曰:“熒惑逆行守心中央大星,有白衣之會。”
石氏はいう、火星が逆行して心を守れば、哭声は絶えず涕涙は涔々として、君主の性命は最もこの象を忌み、国に大喪もあり兵事もあり(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に拠れば、漢霊帝中平三年四月、火星が逆行して心を守り、この後三年、霊帝が駕崩した)、国家はこれによって政令を更改する。郗萌はいう、火星が逆行して心を守るのは旱を主り火災を主る。陳卓はいう、火星が逆行して心宿を経るのは地震を主る。《黄帝占》にいう、火星が逆行して心を守り、環繞・盤旋して「鉤己」の形に走るのは、みなこれ上位に居る大人の忌むところであり、応期は六か月で、赦令を以て化解できる。石氏はいう、火星が逆行して心宿中央の大星を守候すれば、素服を挙げて喪を為す聚会があろう。
巫咸曰:“熒惑犯乘守心明堂,大臣當之;在陽為燕,在陰為胡,一曰有火異。”郗萌曰:“熒惑中犯乘守心明常,為萬民備火,近期一年,中期三年,遠期九年;一曰旱。”又占曰:“熒惑中犯乘守庶子,女主勢行。”又占曰:“熒惑中犯乘守蝕心右星,為庶子有憂,若死。”
巫咸はいう、火星が心宿の明堂(心宿中央の大星は天王の位で、また明堂と称す)を侵犯・凌乗して守候すれば、災咎は大臣の身に応じ、陽位に在るものは燕の地に応じ、陰位に在るものは胡の地に応じ、もう一説には火災の異があるとする。郗萌はいう、火星が正中に衝犯・凌乗して心宿の明堂(底本は「明常」と作る、すなわち「明堂」)を守候すれば、万民はみな火患に防備せねばならず、近ければ一年に応じ、中ばなれば三年、遠ければ九年である。もう一説には旱を主るとする。また一条の占辞にいう、火星が正中に衝犯・凌乗・守候して庶子星に及べば、女主の権勢は朝に行われるを得る。また一条の占辞にいう、火星が正中に衝犯・凌乗・守候し心宿の右星を掩蝕すれば、庶子に憂いがあり、身死に至ることもある。
又占曰:“熒惑中犯乘守太子星,天心明堂星,有大喪。”又曰:“中國有小憂;一曰宋憂。”又曰:“中犯乘守太子星,天天大赦。”又占曰:“熒惑中犯乘守心明堂,成鉤已,為大人憂,近期十月,遠期三年,以赦令解之。”《海中占》曰:“熒惑留逆犯守乘凌心星,王者宮中亂,臣下有謀易立天子者,權在宗家得勢大臣。”
また一条の占辞にいう、火星が正中に衝犯・凌乗・守候して太子星、および天心・明堂の星に及べば、大喪があろう。またいう、中原の国に小さな憂患があり、もう一説には宋国に応じるとする。またいう、正中に衝犯・凌乗・守候して太子星に及べば天下に大赦がある(底本は「天天」と一字を重出す)。また一条の占辞にいう、火星が正中に衝犯・凌乗・守候して心宿の明堂に及び「鉤己」の形に走れば、上位に居る大人に憂いがあり、近ければ十か月に応じ遠ければ三年で、赦令を以て化解できる。《海中占》にいう、火星が停留・逆行・侵犯・守候・凌圧して心宿の諸星に及べば、王者の宮中に動乱が発生し、臣下に天子を改立せんと図る者があり、大権は宗室の家と勢を得た大臣の手に落ちる。
熒惑犯尾 六
《文曜鉤》曰:“熒惑入尾三月,客兵聚。”郗萌曰:“熒惑入尾,宮中有讒諛之臣。”又占曰:“熒惑入尾箕,九州當之;甲乙日入,東方有咎,丙丁日入,南方有咎;戊已日入,中央有咎;庚辛日入,西方有咎;壬癸日入,北方有咎。”
《文曜鉤》にいう、火星が「尾」宿に入って三か月なれば、外来の客軍が聚集する。尾宿九星は後宮の嬪妃の居る所の位であり、また燕の地の分野に属す——ゆえに火星が尾を犯すのは多く後宮と嬪御の事に応じる。郗萌はいう、火星が尾宿に入れば、宮中に讒佞・阿諛の臣子が現れる。また一条の占辞にいう、火星が尾宿・箕宿に入れば天下の九州はみなその咎を承受し、甲日・乙日に入るものは東方に災咎があり、丙日・丁日に入るものは南方に災咎があり、戊日・己日に入るものは中央に災咎があり、庚日・辛日に入るものは西方に災咎があり、壬日・癸日に入るものは北方に災咎がある——これは十天干を五方に配して応験の地を分派するものである。
《荊州占》曰:“熒惑入尾,縑帛貴,將相人民,離其城郭。”《東官侯》曰:“熒惑入尾,後宮不憂,後惡之;一曰倖臣亂宮。”郗萌曰:“熒惑逆行尾者,失火;一曰大水。”《荊州占》曰:“熒惑逆行尾,其君淫溢。”郗萌曰:“熒惑在尾,與辰星相近,天下牢開,大赦。”《文曜鉤》曰:“熒惑繞尾踟躕,則以妾為妻。”
《荊州占》にいう、火星が尾宿に入れば、細絹・繒帛の価が貴く、将相と百姓はみな自分の城邑を離れるであろう。《東官侯》にいう、火星が尾宿に入れば後宮は安寧を得ず、皇后は最もこの象を忌み、もう一説には寵を受ける近臣が宮闈を擾乱するとする。郗萌はいう、火星が尾宿で逆行するものは火災を主り、もう一説には大水を主るとする。《荊州占》にいう、火星が尾宿で逆行すれば、その国君は淫佚に度を過ごす。郗萌はいう、火星が尾宿にあって水星と相靠近すれば、天下の牢獄は囚徒を開釈して大赦があろう。《文曜鉤》にいう、火星が尾宿を繞って徘徊して前まらなければ、妾室を正妻に扶すことを主り、嫡庶の序はこれによって顛倒する。
《荊州占》曰:“熒惑入尾犯乘之,天有有戰兵。”《河圖》曰:“熒惑居尾陽,其國有喜;居陰,有憂。”《黃帝占》曰:“熒惑留尾箕,臣下淫亂。”郗萌曰:“熒惑舍司空三日,馬多死;一曰牛多死;一曰芻大貴。”齊伯曰:“熒惑出入留舍尾,其國且無人,兵雖起,不用;吉。其國繕城郭。”
《荊州占》にいう、火星が尾宿に入ってかつそれを侵犯・凌乗すれば、天下に戦事・兵災があろう(底本は「天有有戦兵」と作る、前の一「有」は当に「下」)。《河図》にいう、火星が尾宿の陽位に居ればその国に喜慶があり、陰位に居れば憂患がある。《黄帝占》にいう、火星が尾宿・箕宿に停留すれば臣下は淫乱する。郗萌はいう、火星が司空星に三日止宿すれば馬匹が多く死に、もう一説には牛が多く死に、また一説には草料の価が貴くなるとする。斉伯はいう、火星が尾宿に出入・停留・止宿すれば、その国はまさに人煙が稀少となり、兵事は興るが用いられず——これは反って吉象である。その国は城郭を修繕して自ら守るであろう。
石氏曰:“熒惑守尾,歲多妖祥。”甘氏曰:“熒惑守尾,皇后恐。”又曰:“人民為變國、易政,兵始動。”巫咸曰:“熒惑守尾,天下大飢,人相食;一曰留十日,後忌。”巫咸曰:“熒惑守尾,下凌上,君弱臣強,奸臣賊子謀弒其主,人民多死喪。”又曰:“後宮干政。”又曰:“以十月守尾中央,六十日天下發兵,車騎行,守端三十日,發士卒。”
石氏はいう、火星が尾宿を守候すれば、当年に妖異・怪兆が多い。甘氏はいう、火星が尾を守れば皇后はこれを恐れて安からず。またいう、百姓は変乱を発動し、国家は政令を更改し、兵事は萌動を始める。巫咸はいう、火星が尾を守れば天下に大飢饉があり人が人を食うに至り、もう一説には十日停留して皇后は当に忌むべしとする。巫咸はまたいう、火星が尾を守るのは、これは下位に在る者が上位に在る者を凌逼するもので、君は弱く臣は強く、奸臣・賊子はその君主を弑殺せんと図り、百姓に死喪が多い。またいう、後宮が朝政を干渉す——尾宿はもと后妃の位であり、ゆえに災応は屡々宮闈に落ちる。またいう、十月に尾宿の中央を守候すれば六十日以内に天下は兵を発して兵車・騎卒は開動し、尾宿の末端を三十日守候すれば士卒を征発するであろう。
又占曰:“熒惑守尾,人君為憂,大臣作亂者,反逆從大將家起,期二十日。”郗萌曰:“熒惑守尾,天下稱兵。”又占曰:“熒惑守尾,二十日,宮中匿謀,嬪妾有讒後者;一曰滿二日,光明相及,為女主。”
また一条の占辞にいう、火星が尾を守れば、人君はこれを憂慮し、大臣の中に乱を作す者があり、反叛は大将の家より発し、応期は二十日である。郗萌はいう、火星が尾を守れば天下は兵を挙げて相攻す。また一条の占辞にいう、火星が尾を守って二十日に満てば、宮中に陰謀が蔵匿され、嬪妃・姫妾の中に讒言を進めて皇后を中傷する者があり、もう一説にはただ二日に満ちて火星と尾宿とが光芒を相接すれば、災応は女主の身に落ちるとする。
《荊州占》曰:“熒惑守九江,赤地千里,人民浪亡,穀貴三倍,藥草再倍,布貴。臣有毒弒其君,大臣反守尾,宮中匿謀,後妾相妒,三公九卿奸,大將有反。”《玄冥占》曰:“熒惑守尾,後宮有相害者,期百二十日。”又曰:“熒惑守尾,舟船相望。”郗萌曰:“熒惑守尾、箕,九卿當之,期二十日。”
《荊州占》にいう、火星が九江星(尾宿の下の九江四星で、水道・舟楫を主る)を守候すれば、千里は赤地で寸草も生えず、百姓は四方に流亡し、穀価は三倍に漲り、薬草は二倍に漲り、布帛も貴い。臣下は毒薬を用いてその君主を弑殺し、大臣は反って尾宿の位を拠守し、宮中は陰謀を蔵匿し、后妃と姫妾は互いに嫉妬し、三公・九卿は邪佞に事を用い、大将に反叛する者がある。《玄冥占》にいう、火星が尾を守れば後宮の中に互いに残害する者があり、応期は百二十日である。またいう、火星が尾を守れば舟船の往来は相望して絶えず。郗萌はいう、火星が尾宿・箕宿を守候すれば災咎は九卿の身に応じ、応期は二十日である。
《春秋緯》曰:“熒惑逆行守尾,久者有兵起,車騎聚於道,大臣宮人為亂。國易政。”郗萌曰:“熒惑犯守尾,為女主夫人妃后惡之。”又占曰:“熒惑留逆犯守乘凌尾,皇后有以珠玉簪珥惑天子者,誣讒大起,后相貴臣誅,宮人出走,兵起宮門。”
《春秋緯》にいう、火星が逆行して尾宿を守候して停留が久しければ兵事が興り、兵車・騎卒は道路上に聚集し、大臣と宮人はともに乱を作し、国家は政令を更改する。郗萌はいう、火星が尾宿を侵犯・守候すれば、女主・夫人・妃嬪・皇后は最もこの象を忌む。また一条の占辞にいう、火星が停留・逆行・侵犯・守候・凌圧して尾宿に及べば、皇后の中に珠玉・簪珥の飾を用いて天子を迷惑する人があり、誣告・讒毀の風が大いに起こり、皇后と宰相および顕貴の臣は誅され、宮人は出逃し、兵戈は宮門の内に起こる。
熒惑犯箕 七
《春秋緯》曰:“熒惑犯箕,女主、宮人有憂。”郗萌曰:“熒惑惑犯箕,天下國相擊,男不得耕,女不得織,牛馬大死。”《春秋緯》曰:“熒惑入箕,主失位。”又曰:“天下大亂,兵起。”(案《宋書天文志》曰:晉永康元年八月,熒惑入箕,明年趙王纂位,改元年,尋為大兵所滅。)
《春秋緯》にいう、火星が「箕」宿を侵犯すれば、女主と宮人に憂いがある。箕宿四星は形が簸箕のごとく、後宮の嬪妃の府であり、また口舌を主り八方の風気を主る——ゆえに火星が箕を犯すのは多く口舌・讒譖と風雨の時を失うことに応じる。郗萌はいう、火星が箕宿を侵犯すれば(底本は「熒惑惑」と一字を重出す)、天下の諸国は互いに攻撃し、男子は耕種できず女子は紡織できず、牛馬は大批に死亡する。《春秋緯》にいう、火星が箕宿に入れば君主はその位を喪失する。またいう、天下は大いに乱れ兵事が興る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に拠れば、晋恵帝永康元年八月、火星が箕宿に入り、第二年に趙王司馬倫が帝位を簒奪して年号を更改したが、まもなく討伐の大軍に滅ぼされた。)
石氏曰:“熒惑入箕,箕中一星,民莫處其室;養者,星在箕南;旱在箕北;有年在箕踵者,歲熟。”巫咸曰:“熒惑入箕中,伺其出日而數之;期二十日,兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”《荊州占》曰:“熒惑入箕,盜大起,多鬥死者,歲不熟。”又占曰:“熒惑入箕,后族有口舌事,期六月;入箕中,倉粟出。”
石氏はいう、火星が箕宿に入り、もし箕宿の中の一星の位にのみ当たれば、百姓は自分の屋室に安居できないであろう。蓄養・生息を主るのは火星が箕宿の南に在るときであり、旱を主るのは箕宿の北に在るときであり、豊年を主るのは「箕踵」(箕口に対面する底部)の処に在るときで、当年五穀が成熟する。巫咸はいう、火星が箕宿の中に入れば、それが出る日に留意して日数を計算せよ——応期は二十日で兵事が発動し、またそれが当初入った位置に依って推算して、一日入れば応期十日に折合し、期に至って軍隊は解散する。《荊州占》にいう、火星が箕宿に入れば盗賊が大いに起こり、闘殴して致死する人が多く、年成は熟さない。また一条の占辞にいう、火星が箕宿に入れば后族の家に口舌・是非があり応期は六か月であり、箕宿の中に深入するものは倉儲の粟米が発放されるであろう。
石氏曰:“熒惑出箕,谷大貴,天下大旱,飢死。”郗萌曰:“熒惑出天梁,守箕,大赦。”又占曰:“熒惑逆行箕,失火,諸侯相謀。”《春秋圖》曰:“熒惑之箕,有小赦。”郗萌曰:“熒惑舍箕,用事者坐之。”又占曰:“熒惑舍司空,三十日,牛車大出,馬牛大死,芻大貴;又曰留守箕,後宮干政,若有憂;又曰臣下淫亂。”
石氏はいう、火星が箕宿を出れば穀価は大いに騰り、天下は大旱し、餓死する人がある。郗萌はいう、火星が天梁星から出て箕宿を守候すれば、大赦を主る。また一条の占辞にいう、火星が箕宿で逆行するのは火災を主り、諸侯の間で互いに図り謀る。《春秋図》にいう、火星が箕宿に行き至れば、小規模の赦免がある。郗萌はいう、火星が箕宿に止宿すれば、権を当て事を用いる人はこれによって罪を獲るであろう。また一条の占辞にいう、火星が司空星に三十日止宿すれば、牛車は大批に調出され馬牛は大批に死亡し草料の価銭は騰貴する。またいう、停留して箕宿を守候すれば後宮が朝政を干渉するか、あるいは憂患があり、さらにいう臣下が淫乱する。
又占曰:“熒惑出入留舍箕,天下有兵事,君臣屬騎相速,吏民相攻,其國失地二百里;又曰禾豆不成。”《黃帝占》曰:“熒惑守箕左,歲惡,天下勞。”又占曰:“熒惑守箕,燕王有疾;一曰內變。”《文曜鉤》曰:“熒惑守箕,主恐;又曰人民飢糟糠;又曰其國更市。”又占曰:“熒惑守箕,天下分離,臣子謀,咎在人主自恣。”
また一条の占辞にいう、火星が箕宿に出入・停留・止宿すれば天下に兵事があり、君臣は各自が騎従を率いて彼此に招引し相逼し、官吏と百姓は互いに攻殺し、その国は土地二百里を喪失し、またいう禾穀・豆類は成熟しないとする。《黄帝占》にいう、火星が箕宿の左側を守候すれば年成は悪劣で天下は労苦する。また一条の占辞にいう、火星が箕を守れば燕王はまさに病を生じ、もう一説には宮内に変があるとする。《文曜鉤》にいう、火星が箕を守れば君主は恐懼し、またいう百姓は飢餓して糟糠を食うほかなく、さらにいうその国は市集を遷改するであろう。また一条の占辞にいう、火星が箕を守れば天下は分崩・離析し、臣子は不軌を図るが、禍根は君主自らが恣意に妄为するに在る。
《孝經緯》曰:“熒惑守箕,多土功事,小旱;雨澤霜露不時,歲為中。”《荊州占》曰:“熒惑十月守箕,天下大赦;守箕前,其國惡;守後,糴貴三倍。”石氏曰:“熒惑守箕主惡。”《海中占》曰:“熒惑守箕,大旱。”《海中占》曰:“熒惑以十月守箕,名曰火入水,萬民飢死,穀價五倍,天下大赦。”
《孝経緯》にいう、火星が箕を守れば土木の工程は繁多し、やや旱情があり、雨水・霜露はいずれも時令に合わず、年成は中等に属する。《荊州占》にいう、火星が十月に箕宿を守候すれば天下に大赦があり、箕宿の前部を守候するものはその国に凶があり、後部を守候するものは糧価が三倍に漲る。石氏はいう、火星が箕を守れば君主に凶がある。《海中占》にいう、火星が箕を守るのは大旱を主る。《海中占》はまたいう、火星が十月に箕宿を守候するのを、これを「火が水に入る」という——十月は亥を建てて水に属し、火に属する熒惑がその中に侵入して水火が相犯す——万民は飢餓して死に、穀価は五倍に漲り、天下はこれに随いて大赦する。
郗萌曰:“熒惑守箕,貴臣亂其國,主有淫事;一曰攻急。”又占曰:“熒惑守箕,貴人多病死;一曰主恐;又曰地動;守三月,彗星出。”又占曰:“熒惑守箕,歲水。”又占曰:“熒惑守箕、若留止箕口中,兵起,有兵罷。”《荊州占》曰:“熒惑守箕,有大淫事,九卿當之,若狐狢有憂。”
郗萌はいう、火星が箕を守れば顕貴の臣はその国を擾乱し、君主は淫乱の事があり、もう一説には攻戦が緊急であるとする。また一条の占辞にいう、火星が箕を守れば顕貴の人は多く病死し、もう一説には君主が恐懼し、またいう地震を主り、守候して三か月に満てば彗星が現れよう。また一条の占辞にいう、火星が箕を守れば当年に雨水が多い。また一条の占辞にいう、火星が箕を守るか、あるいは箕口の中に停留すれば、兵事が興り随いてまた罷兵の事がある。《荊州占》にいう、火星が箕を守れば大きな淫乱の事があり災咎は九卿の身に応じ、あるいはいう狐貉の類(一には北方の狐貉を衣る辺地の部族を指す)に憂いがあるとする。
《黃帝占》曰:熒惑守箕中守之,天下兵起,吏民相攻,士卒半死,人民流亡,不居其鄉,其國失地。”巫咸曰:“熒惑守箕,去復還守之,貴臣有誅亂主者。國有土功之急,貴人多死,大水萬里,澤為海,橋樑不通。”郗萌曰:“熒惑入箕中,若守箕,宮中口舌之事;倉穀出,三月、六月。”又占曰:“熒惑守箕,去復還守之,天下飢,期不出三年中。”《荊州占》曰:“熒惑入箕守之,若犯乘箕,牛馬多疾,北夷來降。”
《黄帝占》にいう、火星が箕宿を守候し深くその中に入ってこれを守れば、天下に兵が起こり、官吏と百姓は互いに攻殺し、士卒は半ば死に、百姓は流亡して故郷に安んじて居ることができず、その国は土地を喪失する。巫咸はいう、火星が箕を守り離れて後にまた帰って守候すれば、顕貴の臣の中に乱主を誅殺する人がある。国に緊急の土木工役があり顕貴の人は多く死に、大水は万里に綿延し沼沢は泛れて大海となり橋梁は通ぜない。郗萌はいう、火星が箕宿の中に入るかあるいは箕宿を守候すれば、宮中に口舌・是非があり、倉中の穀米は発放されて三月・六月に応ずる。また一条の占辞にいう、火星が箕を守り離れて後にまた帰って守候すれば天下は飢饉し、応期は三年以内を出ない。《荊州占》にいう、火星が箕宿に入ってこれを守候するかあるいは箕宿を侵犯・凌乗すれば、牛馬は多く疾病を生じ、北方の夷狄は来て帰降する。
開元占経 巻三十二 熒惑占 三
熒惑犯北方七宿
熒惑犯南斗 一
石氏曰:“熒惑犯南斗,為赦;又曰破軍殺將。”《海中占》曰:“熒惑犯南斗,且有反臣,道路不通,丞相有事。”(案司馬彪《天文志》曰:孝順永和二年八月庚子,熒惑犯南斗,明年五月,吳郡太守羊珍等起兵反,殺吏民,燒宮室,太守王衡拒殺珍等,又江賊蔡伯流等數百人,攻廬陵、九江、燒滅城郭,殺都尉。)
石氏はいう、火星が「南斗」を侵犯するのは赦令を主り、またいう軍隊が撃破され将領が斬殺されることを主る。南斗六星は天廟で、爵禄と寿命を主り呉越の分野に属す——ゆえに以下の諸条の応験は多く呉越の地と丞相・将相の位に牽渉する。《海中占》にいう、火星が南斗を犯せば、反叛の臣があろうとして道路は阻絶して通ぜず、丞相は事を出すであろう。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に拠れば、漢順帝永和二年八月庚子の日、火星が南斗を侵犯し、第二年五月、呉郡の人羊珍らが兵を起こして反叛し官吏・百姓を殺害し官府・宮室を焚焼し、太守王衡が抵抗して羊珍らを斬殺した。また江上の盗賊蔡伯流ら数百人が廬陵・九江を攻打し、城郭を焼き毀り都尉を殺死した。)
《聖洽符》曰:“熒惑入南斗口,將相有謀反者。”石氏曰:“熒惑入南斗,三月,吳王死;二月,王后死;一月,相死。不死出走;又曰大國之臣,外內謀大亂。”
《聖洽符》にいう、火星が南斗の斗口に入れば、将相の中に反叛を図る人がある。石氏はいう、火星が南斗に入って三か月に歴るものは呉王が死ぬべきであり、二か月のものは王后が死ぬべきであり、一か月のものは宰相が死ぬべきである。これらの人は死なずとも外に出奔し、またいう大国の臣子は内外に結託して大乱を図るであろうとする。
(案《宋書天文志》曰:吳王赤鳥十三年五月,熒惑北至,逆行入南斗,犯魁第二星而東,大元二年月權薨,是時王陵謀立楚王彪。晉太安二年正月,熒惑入南斗,七月右衛將軍陳纁率眾奉帝伐成都王,大軍敗績,兵逼乘輿。九月王又攻成都王於鄴,鄴兵潰,成都由是衰亡,帝還洛,張方又脅如長安,時天下盜賊群起,張昌尤甚。)
原書小注:《宋書・天文志》の記載に拠れば、呉大帝赤烏十三年五月、火星は北行し逆行して南斗に入り、斗魁の第二星を衝犯して後に東へ去った。太元二年に至って孫権が去世し、当時魏国の王凌は楚王曹彪を改立せんと密謀していた。晋恵帝太安二年正月、火星が南斗に入った。七月、右衛将軍陳眕が衆を率いて恵帝に奉じて成都王司馬頴を討伐したが大軍は戦敗し、兵鋒は直に皇帝の車駕に逼った。九月、また鄴城で成都王を進攻し、鄴城の兵衆は潰散し、成都王はこれより衰亡した。恵帝は洛陽に帰ったが、張方はまた彼を脅迫して西に長安に遷らせた。当時天下の盗賊は蜂起し、その中で張昌をもって最も猖獗とした。
甘氏曰:“熒惑入南斗中,國大亂,兵大起。”(司馬彪《天文志》曰:孝順嘉平元年十月,熒惑入南斗中,其十一月,會稽賊詐昭聚眾,自稱大將軍,昭父坐為越王,攻破郡縣也。)熒惑入南斗口中,大臣反被誅者,若將相出走。”
甘氏はいう、火星が南斗の中に入れば、国家は大いに乱れ大兵が興る。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載にいう、漢順帝嘉平元年十月、火星が南斗の中に入り、当年十一月、会稽の盗賊許昭が衆を聚めて反を造り、自ら大将軍を称し、またその父を推尊して越王とし、郡県を攻破した。)火星が南斗の斗口の中に入れば、大臣は反叛して誅殺されるか、あるいは将相が出奔する。
郗萌曰:“熒惑入南斗,國飢;熒惑入南斗口中,立太子;期不出百二十日。熒惑入南斗,天下受爵祿,期六十日;若九十日熒惑逆行,三芒,入鬥口中,必有亡國,死主。”《玉曆》曰:“逆行,角,入鬥口中,必有大喪。”郗萌曰:“熒惑行南斗,有土功事。”《海中占》曰:“熒惑逆行南斗,怒動大明,天下大驚。”
郗萌はいう、火星が南斗に入れば国に飢饉があり、火星が南斗の斗口の中に入れば太子を冊立することを主り、応期は百二十日を出ない。火星が南斗に入れば天下の人は爵位・俸禄を賜わるを受け、応期は六十日である。もし九十日を過ぎても火星がなお逆行して三道の鋒芒を生じて斗口の中に入れば、必ず亡国の禍・身死の君がある。《玉暦》にいう、火星が逆行して角芒を生じ斗口の中に入れば、必ず大喪がある。郗萌はいう、火星が南斗を行経すれば、土木の工程の事があろう。《海中占》にいう、火星が南斗で逆行して光色が暴怒して格別に明亮なれば、天下は大いに震驚する。
郗萌曰:“熒惑過南斗,出斗上,行疾,天子憂,出斗下,行疾,臣有憂。”《春秋緯》曰:“熒惑入南斗,先潦、後大旱。”郗萌曰:“熒惑留南斗,無功者賞。”甘氏曰:“熒惑舍南斗之西,木果不實。”《海中占》曰:“熒惑舍南斗,環繞成鉤已,大尉、上卿、宰相死。”郗萌曰:“熒惑舍南斗之東,天下大戰,一曰守三十日,若君憂。”
郗萌はいう、火星が南斗を経て、斗の上方から出て行度が迅疾なるものは天子に憂いがあり、斗の下方から出て行度が迅疾なるものは臣下に憂いがある。《春秋緯》にいう、火星が南斗に入れば、先に水澇があり随いて大旱に転ずる。郗萌はいう、火星が南斗に停留すれば、功労なき人が反って賞を受ける——南斗はもと爵禄を主り、ゆえに災応は賞賜の失当に落ちる。甘氏はいう、火星が南斗の西に止宿すれば、樹木は果実を結ばない。《海中占》にいう、火星が南斗に止宿して環繞・盤旋して「鉤己」の形に走れば、太尉・上卿・宰相は死ぬべきである。郗萌はいう、火星が南斗の東に止宿すれば天下に大戦があり、もう一説には三十日守候してその国君に憂いがあるとする。
《玉曆》曰:“熒惑出、入、留、舍斗魁之中,五日不下,天下有兵將;軍國易政,改元;不出一年,有兵事。”《黃帝占》曰:“熒惑守南斗百日,五穀出,婦女轉漕,若有諸侯客來見天子者。熒惑守南斗,糴貴;又曰七日以上,太子疾;十二日以上,庶子當之;又曰去復還守之,吳越有憂,期不出三年。”
《玉暦》にいう、火星が斗魁の中に出・入・停留・止宿して五日下りるのを肯ぜなければ、天下に兵を擁する将帥が現れようとして、軍国は政令を更改し年号を改換し、一年を出ずして兵事がある。《黄帝占》にいう、火星が南斗を百日守候すれば、倉中の五穀は発放され、婦女までも転運・漕糧に参与し、あるいは諸侯・賓客が来て天子に朝見する。火星が南斗を守れば糧価は騰貴し、またいう七日以上守候すれば太子は病を生じ、十二日以上なれば災咎は庶子の身に落ち、またいう離れて後にまた帰って守候すれば呉越の地に憂いがあり、応期は三年を出ない。
《河圖》曰:“熒惑守南斗,宰相坐之,有兵罷。熒惑逆行,守南斗,山崩;又曰兵車合,國君為帥。”石氏曰:“熒惑守南斗,百二日,大赦。”巫咸曰:“熒惑入南斗,若留守,所守之國當誅。”《五行傳》曰:“熒惑與斗,晨出東方,因留守斗,其國絕嗣。”
《河図》にいう、火星が南斗を守候すれば宰相はこれによって罪を獲るべく、随いて罷兵の事がある。火星が逆行して南斗を守候するのは山崩を主り、またいう兵車が会合して国君が自ら統帥を充てるとする。石氏はいう、火星が南斗を百二日守るのは大赦を主る。巫咸はいう、火星が南斗に入るかあるいは停留・守候すれば、守るその分野の国は誅伐を受くべきである。《五行伝》にいう、火星と南斗とが同じく在り、清晨に東方に現れて即座に南斗を停留・守候すれば、その国は後嗣を断絶するであろう。
(《漢書》景帝元年七月丙戍、熒惑在斗,晨出東方,留守斗。後三年,吳王濞率七國舉反、漢太尉周亞夫敗之,滅國之應。)熒惑守南斗,為亂、為賊、為喪、為兵,守之久,其國絕嗣。”(漢武帝元鼎中,熒惑守南斗,是時南越王趙嬰齊、將入朝漢,其相呂嘉不願內屬,乃殺其王及王太后,舉兵反漢,遣六將軍將兵誅之,遂滅其國,置交州為七郡也。)
原書小注:《漢書》の記載にいう、漢景帝元年七月丙戌の日、火星は南斗に在り、清晨に東方に現れ南斗を停留・守候した。この後三年、呉王劉濞が七国を率いて兵を起こして反叛し、漢の太尉周亜夫がこれを撃破した——これがすなわち「滅国」の一占の応験である。正文は続けていう、火星が南斗を守るのは乱を主り賊を主り喪を主り兵を主り、守候が久しければその国はすなわち後嗣を断絶する。(原書小注:漢武帝元鼎年間、火星が南斗を守った。当時南越王趙嬰斉はまさに漢廷に入朝せんとしていたが、その丞相呂嘉は内地に帰附することを愿わず、すなわち南越王と王太后を殺して兵を起こし漢に反いた。漢朝は六位の将軍を派遣して兵を領して討伐し、ついに南越を滅ぼし、交州を設置して七郡に分けた。)
《海中占》曰:“熒惑守南斗、旱、多火災。”郗萌曰:“熒惑守南斗,留二十日,大人憂;守三十日,有德令。”郗萌曰:“熒惑以十月守南斗三十日,民介冑不出,一百日,其國有亡兵。熒惑守南斗,有內變,期一年。熒惑守南斗,地動;嬰兒多疾死,關梁不通;留二十日以上出復;大人憂,期五月。”陳卓曰:“熒惑守南斗,五穀不成,期百二十日;又曰熒惑守南斗,且有廢臣,天下大亂,道路不通;一曰上官吏死。”
《海中占》にいう、火星が南斗を守るのは旱を主り火災が多い。郗萌はいう、火星が南斗を守って二十日停留すれば上位に居る大人に憂いがあり、三十日守候すれば徳政を施行する詔令があろう。郗萌はまたいう、火星が十月に南斗を守候して三十日に満てば、百姓は甲を披き盔を戴いて門を出るを敢えてせず、百日に満てばその国に師を喪い卒を亡ぶ事がある。火星が南斗を守れば宮廷の内部に変があり応期は一年である。火星が南斗を守るのは地震を主り、嬰児は多く病死し関隘・橋梁は通ぜず、二十日以上停留して後に出てまた返るものは、上位に居る大人に憂いがあり応期は五か月である。陳卓はいう、火星が南斗を守れば五穀は成熟せず応期は百二十日であり、またいう火星が南斗を守れば廃黜される臣子があろうとして天下は大いに乱れ道路は通ぜず、もう一説には上級の官吏は死ぬべきであるとする。
熒惑犯牽牛 二
郗萌曰:“熒惑犯牽牛,其國之君,必有外其大臣。”陳卓曰:“熒惑犯牽牛,臣謀主。”石氏曰:“熒惑入牽牛中四月,越主死。”巫咸曰:“熒惑入牽牛,糴大貴。”《二十八宿山經注》曰:“熒惑入留牽牛,三日不出,越王為強兵所逐。”陳卓曰:“熒惑入牽牛三月,若四月,齊王死;一曰晉王當之。”
郗萌はいう、火星が「牽牛」を侵犯すれば、その分野の国の君主は必ずその大臣を疏远・排斥するであろう。牽牛六星は関梁・津渡と犠牲・祭祀の事を主り、また呉越の分野に属す——ゆえに下文は屡々越王・牛馬と祭牲に応ずる。陳卓はいう、火星が牽牛を犯せば臣下は君主を図る。石氏はいう、火星が牽牛の中に入って四か月に満てば、越国の君主は死ぬべきである。巫咸はいう、火星が牽牛に入れば糧価は大いに騰る。《二十八宿山経注》にいう、火星が牽牛に入って停留して三日出て来なければ、越王は強兵に駆逐されるであろう。陳卓はいう、火星が牽牛に入って三か月あるいは四か月なれば斉王は死ぬべきであり、もう一説には災咎は晋王の身に落ちるとする。
郗萌曰:“熒惑乘牽牛,為天下有大水起,穀貴,人相棄於道。”《挺輔占》曰:“牽牛為令天下者,熒惑居陽,則喜;居陰,則憂。”《海中占》曰:“熒惑出入留舍牽牛,春旱、秋水;一曰關梁不通。”齊伯曰:“熒惑出入留舍牽牛,三十日不下,薪蒿有急,牛且大貴;進行十度以上,至三十度;不出百六十日,客兵來。”
郗萌はいう、火星が牽牛を凌乗するのは、天下にまさに大水が起こり穀価は騰貴し、人々は道路上で互いに抛弃しあう兆しである。《挺輔占》にいう、牽牛は天下に号令する事を主り、火星がその陽位に居れば喜があり、陰位に居れば憂いがある。《海中占》にいう、火星が牽牛に出入・停留・止宿すれば、春は乾旱し秋は水多く、もう一説には関隘・橋梁が通ぜないとする。斉伯はいう、火星が牽牛に出入・停留・止宿して三十日下りるのを肯ぜなければ、柴草は短缺して告急し牛価はまさに大いに騰らんとする。もしそれが十度以上前行して三十度に至るまでならば、百六十日を出ずに外来の客軍が打って来るであろう。
《黃帝占》曰:“熒惑守牽牛,民為亂,貴人多死。”石氏曰:“熒惑守牽牛,民餓,有自賣者。”巫咸曰:“熒惑守牽牛,為多火災;又曰牛大疫,多有死者,災非一國,牛貴十倍(石氏曰三倍),道無行牛;一曰當有稅牛之役。”《海中占》曰:“熒惑守牽牛,為旱。熒惑守牽牛,有急行;又曰歲多雨露。”
《黄帝占》にいう、火星が牽牛を守候すれば、百姓は起こって乱を作し、顕貴の人は多く死亡する。石氏はいう、火星が牽牛を守れば、百姓は飢餓して身を売って奴となる者があるに至る。巫咸はいう、火星が牽牛を守れば火災が多く、またいう牛群に大疫があり死ぬる者が甚だ多く、災を受けるのは一国に止まらず、牛価は十倍に漲り(原書小注:石氏は三倍という)、道路上に歩行する牛を見ず、もう一説には牛税を徴収し牛力を徴調する労役があろうとする。《海中占》にいう、火星が牽牛を守るのは旱を主る。またいう火星が牽牛を守れば緊急の行軍があろうとし、さらにいう当年に雨露は頻りに多いとする。
郗萌曰:“熒惑十月守牽牛,不十日,兵大起。熒惑守牽牛,若有殺畜產事。熒惑守牽牛,有犧牲之事;有反逆者從中起,有走軍死將;期一年。”(案《宋書天文志》曰:晉成親咸康元年六月乙亥火犯牽牛中央星,建元二年,征西將軍庚亮薨。)
郗萌はいう、火星が十月に牽牛を守候して十日に至らざれば、大兵が興る。火星が牽牛を守れば、あるいは牲畜を屠宰し家産を損耗する事があろう。火星が牽牛を守れば、犠牲を用いて祭祀する事があろうとして、また反叛する者が内部より難を発し、潰逃の軍隊・戦死の将領があり、応期は一年である。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に拠れば、晋成帝咸康元年六月乙亥の日、火星が牽牛の中央の星を侵犯し、建元二年に至って征西将軍庾亮が去世した。)
《荊州占》曰:“熒惑入守牽牛三十日以上,人相食。”《北官候》曰:“熒惑守牽牛二十日以上,有反逆者,牛車用;期四十日,若七十日。”《聖洽符》曰:“熒惑入守牽牛,歲大水,津河不通,五穀大傷,其歲不中。”郗萌曰:“熒惑入牽牛中,出守牽牛之南,有大赦,期二十日。”
《荊州占》にいう、火星が牽牛に入って三十日以上守候すれば、人が人を食う惨状が現れよう。《北官候》にいう、火星が牽牛を二十日以上守れば、兵を起こして反叛する者があろうとして、牛車は大量に徴調されて軍運に充てられ、応期は四十日または七十日である。《聖洽符》にいう、火星が牽牛に入って守候すれば、当年に大水を発し、渡口・河道は断絶して通ぜず、五穀は大いに損傷を受け一年の収成はみな様子ならず——牽牛はもと関梁・津渡を主り、ゆえに災応は河道・舟車の上に落ちる。郗萌はいう、火星が先に牽牛の中に入り、また出て牽牛の南面を守候すれば、大赦があろうとして応期は二十日である。
《荊州占》曰:“熒惑以春二月、三月留牽牛相守者,芻蒿貴,至八月止。”又占曰:“熒惑犯守牛大星,臣謀主,諸侯將兵,大人憂之,其國亂,人民飢。”甘氏曰:“熒惑犯牽牛,留守之,有破軍殺將。”《海中占》曰:“熒惑犯守牽牛,諸侯多疾。”
《荊州占》にいう、火星が春の二月・三月に牽牛に停留して守候して去らなければ、草料・柴蒿の価は貴く、八月に至るまでして止まる。また一条の占辞にいう、火星が牽牛の大星を侵犯・守候すれば、臣下は君主を図り、諸侯は兵を擁して自ら重んじ、上位に居る大人はこれを憂慮し、その国は動乱して百姓は飢饉する。甘氏はいう、火星が牽牛を侵犯して停留・守候すれば、軍隊が破られ将が殺される事があろう。《海中占》にいう、火星が牽牛を侵犯・守候すれば、諸侯は多く疾病を生ずる。
熒惑犯須女 三
《帝覽嬉》曰:“熒惑犯須女,若守之三十日不下,女主有病者,若府藏中有甲兵;十日不下,主后有死者,期百八十日。”石氏曰:“熒惑入須女中,旬,主后死。”郗萌曰:“熒惑入須女,留二十日,為天子受女之慶;近期三十日,遠期四月。熒惑入須女,糴貴,石三百,人有自賣,不出縣邑,有死者。熒惑入守,妃貴人女子多死者。”
《帝覧嬉》にいう、火星が「須女」を侵犯し、もし三十日守候して下りるのを肯ぜなければ、女主は病を生ずるか、あるいは府庫の中に甲兵が暗藏され、もし十日下らなければ君主と皇后の中に死去する者があり、応期は百八十日である。須女四星はまた婺女と称し、布帛・嫁娶と女工の事を主る——ゆえに占われる所は多く后妃・女子と糸麻・布帛に応ずる。石氏はいう、火星が須女の中に入って十日に満てば皇后は死ぬべきである。郗萌はいう、火星が須女に入って二十日停留するのは、天子が女を納れて妃と為す喜慶がある兆しで、近ければ三十日に応じ遠ければ四か月である。火星が須女に入れば糧価は騰貴して石ごとに三百銭に漲り、身を売って奴となる者があり、まだ本県・本邑を出ないうちに途中に死ぬ。火星が須女に入って守候すれば、妃嬪・貴人と女子は多く死去する。
《荊州占》曰:“熒惑入須女,有帛貴,天子內美女;不然甲兵起。”郗萌曰:“熒惑出須女中,主也;出段女兩傍,諸臣也;留為憂。”《春秋緯》曰:“熒惑之須女,不求女。”郗萌曰:“熒惑在須女,逆行至牛,復還女,倏去倏還,為千里無稼牆。”《河圖》曰:“熒惑居須女陽,有吉;居陰,有憂。”
《荊州占》にいう、火星が須女に入れば、布帛の価は貴く、天子はまさに美女を宮中に納れんとする。さもなければ甲兵が興る。郗萌はいう、火星が須女の正中から出るものは君主に応じ、須女の両旁から出るものは(底本「段女」は「須女」の訛り)群臣に応じ、停留して去らないものは憂患を主る。《春秋緯》にいう、火星が須女に行き至れば、婚配の女を求むべからず。郗萌はいう、火星が須女にあって逆行して牽牛に至り、また折り返って須女に帰り、忽ち去り忽ち帰るのは、千里の内に収穫すべき庄稼なき兆しである(「稼牆」はすなわち「稼穡」)。《河図》にいう、火星が須女の陽位に居れば吉があり、陰位に居れば憂いがある。
郗萌曰:“熒惑舍須女,蠶不得。熒惑出入留舍須女,五十日不下,天下有民大恐,其國開庫、出兵,加於吳越城。”熒惑留須女,有反逆者,徒女者諸夫人家起。”齊伯曰:“熒惑出入留須女,十日不下,刀劍大貴。”《黃帝占》曰:“熒惑以十二月守須女之西南,奸人入邑。守其北百日,有諸侯稼女絕國者。”
郗萌はいう、火星が須女に止宿すれば、蚕事は収成を得られない。火星が須女に出入・停留・止宿して五十日下りるのを肯ぜなければ、天下の百姓は大いに恐慌し、その国は武庫を開き兵を発し、呉越の城邑に兵を加えるであろう。火星が須女に停留すれば、反叛する者があって、変乱は諸夫人の家より発す(「徒女」は当に「徙女」、後宮の女寵の遷易を指す)。斉伯はいう、火星が須女に出入・停留して十日下りるのを肯ぜなければ、刀剣の価銭は大いに騰る。《黄帝占》にいう、火星が十二月に須女の西南方を守候すれば、奸人が城邑に潜入する。その北面を百日守候すれば、諸侯が女を嫁がせて亡国に至る事があろう(「稼女」はすなわち「嫁女」)。
《黃帝占》曰:“熒惑守須女,皇后疾,宮中有火災。”《文曜鉤》曰:“熒惑守須女,人主以媵為後,以妾為妻,若有獻女者。”氏氏曰:“熒惑守須女,王者發佈帛;守二十日、絲綿布帛大貴。”陳卓曰:“熒惑守須女,大人不安,五穀不登,民多病疾。”甘氏曰:“熒惑守須女,國飢、糴貴,民有自賣者。”巫咸曰:“熒惑守須女,邦有女子喪,主後也;又曰宮女有憂,牛角大貴。”
《黄帝占》にいう、火星が須女を守候すれば、皇后は病を生じ、宮中に火災がある。《文曜鉤》にいう、火星が須女を守れば、君主は陪嫁の媵妾を立てて皇后とし、妾室を正妻に扶すか、あるいは女子を進献する者がある。石氏(底本は「氏氏」と作る、当に「石氏」の訛り)はいう、火星が須女を守れば、王者は布帛を発放して賑済するべく、二十日守候すれば糸・綿・布・帛の価銭は大いに騰る。陳卓はいう、火星が須女を守れば、上位に居る大人は安寧を得ず、五穀は豊収せず、百姓は病に多い。甘氏はいう、火星が須女を守れば、国に飢饉があり糧価は騰貴し、百姓に身を売って奴となる者がある。巫咸はいう、火星が須女を守れば国に女子の喪事があり皇后に応じ、またいう宮女に憂患があり牛角の価銭は大いに騰る。
郗萌曰:“熒惑守須女,後、夫人有憂,大人不安。熒惑守須女,女子為天下政;一曰女子為亂,法令更行;疾、無憂;國有稼女娶婦事,臣下衣服奢侈;守三十日,其君憂。熒惑守須女北,國大水,人民處木上。”《荊州占》曰:“熒惑守須女,色青,有女喪,宮女有憂;黑,女多死;黃白,吉。”
郗萌はいう、火星が須女を守れば、皇后と夫人に憂いがあり、上位に居る大人は安寧を得ない。火星が須女を守れば、女子はまさに天下の政務を主持戒せんとし、もう一説には女子が乱を作し法令がこれに随って更改し、もし行度が迅疾に過ぎれば憂患なし。国に女を嫁がせ婦を娶る事があり、臣下の衣着・服飾は奢侈に趨り、三十日守候すればその国君に憂いがある。火星が須女の北面を守候すれば、国に大水を発し、百姓は樹木の上に棲身するほかない。《荊州占》にいう、火星が須女を守って星色が青に発すれば女子の喪があり宮女に憂いがあり、黒に発すれば女子は多く死に、黄白色を呈すれば吉である。
《海中占》曰:“熒惑犯守須女,多妖祥,大臣當之。”《荊州占》曰:“熒惑守犯乘須女二十日,大人婦女有反逆者,從女起,若有女喪;其年糴三倍,人民多死。”陳卓曰:“熒惑留逆犯守乘凌須女,天子及大臣有變,必有奇令。”
《海中占》にいう、火星が須女を侵犯・守候すれば、妖異の兆が多く、災咎は大臣の身に応じる。《荊州占》にいう、火星が須女を守候・侵犯・凌乗して二十日なれば、貴人と婦女の中に起こって反叛する者があり、変乱は女子より端を発するか、あるいは女子の喪がある。その年、糧価は三倍に漲り、百姓は多く死ぬ。陳卓はいう、火星が停留・逆行・侵犯・守候・凌圧して須女に及べば、天子と大臣はまさに变故があって、必ず非常の令を頒出するであろう。
熒惑犯虚 四
《黃帝占》曰:“熒惑入虛東;一曰居其左右,君恐失火。”《荊州占》曰:“君有大事。”《文曜鉤》曰:“熒惑入虛,咎中毀傷。”石氏曰:“熒惑入虛中三月,齊王死;入旬、相死;不死出走。”巫咸曰:“熒惑入虛中,伺其出日而數之,期三十日,為兵發,伺始入處之變,一曰期十日,軍罷。”
《黄帝占》にいう、火星が「虚」宿の東に入る。もう一説には虚宿の左右に居れば、国君は火災の発生を心配するべきであるとする。虚宿二星は廟堂の祭祀と哭泣・喪事を主り、また斉の地の分野に属す——ゆえに下文の応験は多く斉国と死喪に在る。《荊州占》にいう、国君はまさに大事があろう。《文曜鉤》にいう、火星が虚宿に入れば、災咎は毀傷・損敗に在る。石氏はいう、火星が虚宿の中に入って三か月に満てば斉王は死ぬべきであり、十日に満てば宰相は死ぬべきで、死なずとも出奔する。巫咸はいう、火星が虚宿の中に入れば、それが出る日に留意して日数を計算せよ——応期は三十日で兵事が発動し、またそれが当初入った処の変化を見よ。もう一説には応期十日で軍隊は解散するとする。
郗萌曰:“熒惑入虛,逐功臣,一曰牛車貴。”《荊州占》曰:“熒惑入虛,天下有變,諸侯有死者,有罷軍破將,天下更政令,期一年。”陳卓曰:“熒惑在虛東,東藩旱;在虛南,楚地旱;在虛西,廬江旱;在虛北,遼東、遼西旱。”郗萌曰:“熒惑入虛成鉤已;天下大亂,政急,大人憂,以戰不勝;一曰有德令。”
郗萌はいう、火星が虚宿に入るのは功ある臣を駆逐する兆しであり、もう一説には牛車の価が貴くなるとする。《荊州占》にいう、火星が虚宿に入れば、天下に変故があり、諸侯の中に死去する者があり、遣散される軍隊と撃破される将領があり、天下は政令を更改し、応期は一年である。陳卓はいう、火星が虚宿の東にあれば東方の藩国は乾旱し、虚宿の南にあれば楚の地は乾旱し、虚宿の西にあれば廬江一帯は乾旱し、虚宿の北にあれば遼東・遼西は乾旱する。郗萌はいう、火星が虚宿に入って「鉤己」の形に走れば、天下は大いに乱れ政令は苛急し、上位に居る大人に憂いがあり、ひとたび交戦すれば勝つことができない。もう一説には徳政を施行する詔令があるとする。
《春秋緯》曰:“熒惑留虛,有以喪徭。”郗萌曰:“熒惑留虛,群臣不尊敬祭祀,女主不謹。熒惑留虛三十日,其君臣憂。熒惑舍天,天府,天下喜,賜諸侯王。”又曰:“舍天府門中央,天下赦。”齊伯曰:“熒惑出入留舍虛之間,憂在齊,其國治城郭,兵來期不出十年中,敗。”
《春秋緯》にいう、火星が虚宿に停留すれば、喪事によって徭役が興るであろう。郗萌はいう、火星が虚宿に停留すれば、群臣は恭敬に祭祀を奉行することができず、女主は行事に謹慎でない。火星が虚宿に三十日停留すれば、そこの君臣はともに憂いがある。火星が天府の星に止宿すれば(底本「舍天,天府」、「天」の字が重出す)、天下に喜慶があり、朝廷は諸侯王を賞賜するであろう。またいう、天府門の正中に止宿すれば天下に大赦がある。斉伯はいう、火星が虚宿一帯に出入・停留・止宿すれば、憂患は斉の地に落ち、その国は城郭を修治するであろう。敵兵が来て犯す応期は十年以内を出ず、終に敗亡する。
《黃帝占》曰:“熒惑守虛,赤地千里,人相食。熒惑守虛,大臣為亂,百姓多疾。”《聖洽符》曰:“熒惑守虛,百二十日以上,諸侯增土地,將有慶賜爵封者。”《春秋圖》曰:“熒惑守虛,五穀大貴,吏民死解。”石氏曰:“熒惑守虛,將軍及兵發起,天下更令。”
《黄帝占》にいう、火星が虚宿を守候すれば、千里の内は赤地で寸草も生えず、人が人を食うに至る。またいう、火星が虚を守れば大臣が乱を作し、百姓は多く疾病を生ずる。《聖洽符》にいう、火星が虚を百二十日以上守れば、諸侯はまさに自分の土地を増広し、朝中に慶賞を受け爵を賜わり封ぜられる者があろう——これは虚宿の諸占の中に稀なる吉辞である。《春秋図》にいう、火星が虚を守れば、五穀の価銭は大いに騰り、官吏と百姓は死傷・離散する。石氏はいう、火星が虚を守れば、将軍と軍隊はみな開抜・出動し、天下は法令を更改する。
(《晏子春秋》曰:熒惑守虛,期年不去,公問晏子曰:孰當之?晏子曰:齊當之,公不悅曰:天下大國十二,齊何以獨當之?晏子曰:廬齊分野,且天下之殃,固於富強,為善不用,出政不行,賢人使遠,讒人反昌、百姓疾怨,是以列舍無次,熒惑逆行。公曰可去乎?對曰:出冤聚之獄,使反田張;散百官之財,施之民矣;巖孤寡而敬老人,若能是者,惡可去,何獨孽乎,公曰:善。行之三日,而熒惑遷。)
原書小注:《晏子春秋》の記載にいう、火星が虚宿を守候して満一年去ろうとしなかった。斉景公が晏子に問うていう、この災咎は誰が承当すべきか。晏子はいう、斉国が承当すべきです。景公は不興がっていう、天下の大国は十二ある、なぜ偏に斉国が承当するのか。晏子はいう、虚宿はもともと斉国の分野です(底本は「廬斉分野」と作る、「廬」の字は当に訛誤がある)。しかも天下の災殃はもともと先に富強の国に加わる——よい諫言が採納されず、頒下の政令が推行せず、賢人が疏远・外放され、讒を進める小人が反って得志・昌盛し、百姓が怨恨し疾苦する——ゆえに列宿は次序を失い火星は逆行するのです。景公はいう、それを去らせることができるか。晏子は答えていう、冤獄に積滞する囚人を放ち出して帰って田を耕させ、百官の聚斂した財貨を散発して百姓に施与し、孤寡を撫恤し老人を敬養せよ。もしこの数事を成し遂げられれば、熒惑の退去はもちろんのこと、どんな災孽が消解できないことがあろうか。景公はいう、善し。照り行って三日、火星は果たして本位を移り離れた。この一条は前の宋景公が三度善言を出して熒惑が舍を徙した故事と相呼応し、いずれも古人が徳を修めて災を弭める典型の説である。
郗萌曰:熒惑守虛、危,有土功事;九十日,天下亂,歲大飢。”甘氏曰:“熒惑守危,以人民為變,天下大水。”郗萌曰:“熒惑守危,以民流多死;一曰女子多死。”《玉曆》曰:“熒惑守危,以水火入,多疾疫,若有土功,修治陵廟,期不出年。”
郗萌はいう、火星が虚宿・危宿を守候すれば、土木の工程があろうとして、九十日に満てば天下は動乱し、当年に大飢饉を鬧す。甘氏はいう、火星が危宿を守候すれば、百姓はこれによって変乱を発動し、天下に大水を発する。郗萌はいう、火星が危を守れば、百姓は流離して所を失い死亡が多く、もう一説には女子が多く死ぬとする。《玉暦》にいう、火星が危を守れば、水火の災が一並びに侵入し疫病を多く生じ、あるいは土木工役があって陵墓と宗廟を修治するべく、応期は当年を出ない——危宿の下に別に墳墓の四星があり、ゆえに占辞は常に陵廟の修造を離れない。
《黃帝占》曰:“熒惑入虛而犯守之,天子自將兵,流血滿野,必有死國,死王,期三年。”郗萌曰:“熒惑犯守虛,有土功之事;一曰合於虛,土功當舉。”石氏曰:“熒惑犯守虛,天下有變更令者;百姓多疾,歲旱,不熟,赤地千里,穀糴踴貴,菽粟三倍。”(《荊州占》曰:十倍。)
《黄帝占》にいう、火星が虚宿に入ってそれを侵犯・守候すれば、天子はまさに自ら兵を領いて出征し、流血は野に遍く、必ず滅亡の国・身死の君王があり、応期は三年である。郗萌はいう、火星が虚宿を犯守すれば、土木の工程の事があろうとして、もう一説には虚宿と相合すれば土木の役は当に興るべしとする。石氏はいう、火星が虚宿を犯守すれば、天下に法令を更改する者があり、百姓は病に多く、年成は乾旱し五穀は熟さず、千里は赤地で穀価は飛騰し、豆類と粟米は三倍に漲る。(原書小注:《荊州占》は十倍という。)
熒惑犯危 五
《荊州占》曰:“熒惑犯危,天下大亂。”《黃帝占》曰:“熒惑入危,大赦天下。”石氏曰:“熒惑入危,賊臣起。熒惑入危中三月,齊王死;不死出走。”郗萌曰:“熒惑入危中,天下有變更之令;又曰入天府,天子臨府事。”《黃帝占》曰:“熒惑入危,越會亡。”
《荊州占》にいう、火星が「危」宿を侵犯すれば、天下は大いに乱れる。危宿三星は屋室の営造と墳墓の事を主り、なお斉の地の分野に属す——ゆえに下文は屡々土功・蓋屋と哭泣を説く。《黄帝占》にいう、火星が危宿に入るのは天下に大赦を主る。石氏はいう、火星が危宿に入れば奸賊の臣が事を起こす。火星が危宿の中に入って三か月に満てば斉王は死ぬべきで、死なずとも出奔する。郗萌はいう、火星が危宿の中に入れば、天下に更改・変易の詔令があり、またいう天府の星に入れば天子はまさに府庫の事に親臨する。《黄帝占》にいう、火星が危宿に入れば、越の地の都会は敗亡するであろう。
郗萌曰:“熒惑逆行危,其君簡祭祀。熒惑入危,留之;以過復還,留之;大人當之。熒惑留危,群臣不敬宗祀。熒惑舍天府,天子賜諸候王;舍門中,天下赦。熒惑出入舍危,其國繕城郭,而起兵。”巫咸曰:“熒惑出入留舍危,國中大亂,吏民相攻。熒惑守危,大國有憂,人民為變國易政,不出其年;天下大疾,死者不葬。熒惑守危,國為政者。”
郗萌はいう、火星が危宿で逆行すれば、その国君は祭祀を怠慢する。火星が危宿に入って停留し、すでに越えた後にまた折り返って来て再び停留すれば、災咎はいずれも上位に居る大人の身に落ちる。火星が危宿に停留すれば、群臣は恭敬に宗廟の祭祀を奉事することができない。火星が天府の星に止宿すれば、天子は諸侯王を賞賜するであろう。府門の中に止宿すれば天下に大赦がある。火星が危宿に出入・止宿すれば、その国は城郭を修繕し兵を起こすであろう。巫咸はいう、火星が危宿に出入・停留・止宿すれば、国は大いに乱れ官吏と百姓は互いに攻殺する。火星が危を守れば、大国に憂いがあり、百姓は変乱を発動し、国家は政令を更改し、当年を出ずに天下は大疫して死者は埋葬する人なし。火星が危を守れば、災咎は国政を執掌する人の身に落ちる。
《黃帝占》曰:“熒惑守危,大臣為亂。”《文曜鉤》曰:“熒惑守危,民多疾疫,歲旱不熟,天下大飢,兵起。”《海中占》曰:“熒惑守危,春旱,秋多水災。”郗萌曰:“熒惑守危,大人變常。熒惑守危,賓客有事,死。熒惑守危,宮地震裂。熒惑守危,為大人蓋屋事。”
《黄帝占》にいう、火星が危宿を守候すれば、大臣が乱を作す。《文曜鉤》にいう、火星が危を守れば、百姓は多く疫病に染まり、年成は乾旱して庄稼は熟さず、天下は大飢饉して兵事はこれに随って興る。《海中占》にいう、火星が危を守れば、春は乾旱し秋は水災が多く、一年の内に水旱が交替する。郗萌はいう、火星が危を守れば、上位に居る大人は挙動が常度に背く。火星が危を守れば、賓客は事に因って罪を獲て死ぬであろう。火星が危を守れば、宮殿の地基は震裂して開く。火星が危を守るのは、上位に居る大人のために屋宇を営造する事を主る——危宿はもと宮室の営建を主り、ゆえに屡々土木に応ずる。
《荊州占》曰:“熒惑守危,南方有兵;諸侯有死者,庫室有繕者。”陳卓曰:“熒惑守危,宮多火災。”《北官候》曰:“熒惑守危,有土功,飢兵起。諸候相謀。”石氏曰:“熒惑守危,守之三十日不下,有立宮廟哭泣之事;六十日不下,國易政。”
《荊州占》にいう、火星が危を守れば、南方に兵事があり、諸侯の中に死去する者があり、武庫と宮室は修繕を加えるべきである。陳卓はいう、火星が危を守れば、宮中に火災が多い。《北官候》にいう、火星が危を守れば、土木の工程があろうとして、飢饉と兵事がともに興り、諸侯の間で互いに図り謀る。石氏はいう、火星が危を守って三十日下りるのを肯ぜなければ、宮室・宗廟を営建し哀を挙げて哭泣する事があろうとし、六十日に守ってなお下らなければ、その国は政令を更改し朝局を変更するであろう。
《荊州占》曰:“熒惑入危,乘守二十日,若九十日;東方兵起,國有死者,歲旱不熟,糴十倍,民食草木,嫁妻賣子,牛羊倍價。熒惑乘危,天下大亂。”《北官候》曰:“熒惑入危,留守三十日,若九十日;天下易政,咎以入日占。”
《荊州占》にいう、火星が危宿に入り、凌乗・守候して二十日あるいは九十日なれば、東方に兵が興り、国に死人があり、年成は乾旱して熟さず、糧価は十倍に漲り、百姓は草木を食って日を度り、妻を売り子を鬻ぎ、牛羊の価銭は翻倍する。火星が危宿を凌乗すれば天下は大いに乱れる。《北官候》にいう、火星が危宿に入って三十日または九十日停留・守候すれば、天下は政令を更改し、具体的な災咎はそれが入ったあの日の干支に拠って推占するべきである。
《黃帝占》曰:“熒惑入危,諸侯王謀,大兵起,天下易變;若有土功;守上星,為人民死;守中星、諸侯死;守下星,大臣死;期百八十日。”郗萌曰:“熒惑守墳墓,為人主有哭泣聲。”
《黄帝占》にいう、火星が危宿に入れば、諸侯王は不軌を図り、大兵が興り天下は変易するか、あるいは土木の工程がある。危宿の上の一星を守候するものは百姓の死亡を主り、中間の一星を守候するものは諸侯が死ぬべきであり、下の一星を守候するものは大臣が死ぬべきである——応期は百八十日。郗萌はいう、火星が墳墓の星(危宿の南の墳墓四星)を守候するのは、君主の家に哭泣の声が伝わり出る兆しである。
熒惑犯営室 六
郗萌曰:“熒惑犯營室者,犯陽,為陽有急犯陰,為陰有急。”石氏曰:“熒惑犯營室,以賤人為役。熒惑入營室中,入三月,衛君死;入五月,相死;不死出走。”《荊州占》曰:“熒惑犯乘營室,諸侯相攻,大戰,糴倍。”甘氏曰:“熒惑入營室,大臣匿謀。”巫咸曰:“熒惑入營室,臣伐主,一曰有兵,兵罷。”
郗萌はいう、火星が「営室」を侵犯するに、その陽位を犯せば陽の一方に急難があり、その陰位を犯せば陰の一方に急難がある。営室二星はまた定星と名づけ、天子の離宮・別館で、土木の営造の事を主り衛の地の分野に属す——ゆえに下文は屡々衛君・宮室と土功に応ずる。石氏はいう、火星が営室を犯せば、貧賤の人を役使して労役を服させんとする。火星が営室の中に入って三か月に満てば衛国の国君は死ぬべきであり、五か月に満てば宰相は死ぬべきで、死なずとも出奔する。《荊州占》にいう、火星が営室を侵犯・凌乗すれば、諸侯は互いに攻伐して大戦があり、糧価は翻倍する。甘氏はいう、火星が営室に入れば、大臣は陰謀を暗藏する。巫咸はいう、火星が営室に入れば臣下は君主を討伐し、もう一説には兵事があり随いてまた罷兵するとする。
郗萌曰:“熒惑入營室壁中,有惡謀。熒惑入營室中,賊臣起,非盜乃客,期六十日。”《荊州占》曰:“熒惑入營室,齊國有兵,諸侯若民多死,歲不收,期十月。”《聖洽符》曰:“熒惑入營室,齊國有兵,諸侯若民多死,歲不收,期十月。”《聖洽符》曰:“熒惑逆行營室,成鉤己,天子失宮殿,大臣為亂,兵大起。”
郗萌はいう、火星が営室と東壁の間に入れば、悪毒の陰謀がある。火星が営室の中に入れば、奸賊の臣が事を起こし、内盗でなければ外来の客兵で、応期は六十日である。《荊州占》にいう、火星が営室に入れば、斉国に兵事があり、諸侯あるいは百姓は多く死亡し、年成に収穫なく、応期は十か月である。《聖洽符》にいう、火星が営室に入れば、斉国に兵事があり、諸侯あるいは百姓は多く死亡し、年成に収穫なく、応期は十か月である。(この条は上に引く《荊州占》の文字と全く同じで、底本は重出す。)《聖洽符》にいう、火星が営室で逆行して「鉤己」の形に走れば、天子は宮殿を失い、大臣は乱を作し、大兵が興る。
石氏曰:“熒惑逆行營室,環繞之,三十日有破國;六十日不下,有崩王,吳太子死;期一年,中二年,遠三年。”石氏曰:“熒惑逆行,以犯營室,臣謀兵起。”《河圖》曰:“熒惑居營室,兩軍相據當相和;不相合,有殃罰。”《荊州占》曰:“熒惑經營室中,諸候兵相謀。”
石氏はいう、火星が営室で逆行して環繞・盤旋すれば、三十日以内に攻破される国があり、六十日下りるのを肯ぜなければ崩殂する君王があろうとして呉国の太子は死ぬべきである。近ければ応期一年、中ばなれば二年、遠ければ三年。石氏はまたいう、火星が逆行して営室を侵犯すれば、臣下は不軌を図り兵事が興る。《河図》にいう、火星が営室に居すとき、両軍が相持して対壘するものは講和すべきであり、もし講和できなければ災殃の懲罰を受けるであろう。《荊州占》にいう、火星が営室の中を経れば、諸侯は兵を擁して互いに図り謀る。
《洛書》曰:“熒惑入營室,留守之,大人有憂,臣有陰欲殺主者;後宮有大變,期不出年。”《黃帝占》曰:“熒惑入營室中,天子宮也;留二十日已上,天子惡之。”郗萌曰:“天子失位也。期不出十月中,其經之大臣伐主。”《海中占》曰:“熒惑入營室,留二十日,天子死,守其南,赤色怒,赤而環之成鉤己,乃有咎,不然,無咎,必察喜怒,以決吉凶。”
《洛書》にいう、火星が営室に入って停留・守候すれば、上位に居る大人に憂いがあり、臣下に暗く君主を弑殺せんと欲する者があり、後宮はまさに大きな变故があって応期は当年を出ない。《黄帝占》にいう、火星が営室の中に入れば——営室は正しく天子の宮室である——二十日以上停留すれば天子は最もこの象を忌む。郗萌はいう、これは天子が位を失う象で、応期は十か月以内を出ず、もしただ経過して停留しなければ、大臣が君主を討伐することに応ずる。《海中占》にいう、火星が営室に入って二十日停留すれば天子は死ぬべきであり、営室の南を守候して星色が赤紅で怒を帯び、赤紅の中にまた環繞して「鉤己」の形を成して初めて真に災咎があり、そうでなければ災禍はない。要するに星色の和悦と暴怒を細察してこそ吉凶を判定できる。
《元命包》曰:“熒惑守營室,群妃斗。”《文曜鉤》曰:“熒惑守營室,專於妻妃。”石氏曰:“熒惑守營室,天子為軍,自守王者,有水災,糴貴。”又曰:“守三月,王者崩,及立王。”甘氏曰:“熒惑守營室,客燒主人;將軍凶,不有誅,必有逆兵;主將去之,有禍;又曰人民為變;守之三十日以上,天子死。”
《元命包》にいう、火星が営室を守候すれば、衆妃嬪は寵を争って互いに争闘する。《文曜鉤》にいう、火星が営室を守れば、君主は妻妃一人に偏寵する。石氏はいう、火星が営室を守れば、天子は軍旅を整頓し自ら拠守するべく、王者はまさに水災に遭遇し糧価は騰貴する。またいう、三か月守候すれば王者は崩殂し、随いて別に新君を立てる。甘氏はいう、火星が営室を守れば、客軍は主人の居所を焚焼し、将軍に凶があって誅殺されずとも必ず叛軍に遇い、主帥が軍を棄てて去れば同じく禍患があり、またいう百姓はまさに変乱を発動し、三十日以上守候すれば天子は死ぬべきである。
巫咸曰:“熒惑守營室,旱,五穀不成,多火災。”《海中占》曰:“熒惑守營室,人民疾疫,多死亡。”郗萌曰:“熒惑守營室,人君攻宮室,為土功事;又曰以正月守營室,三月;若五月,有大旱之災,天下大飢。”石氏曰:“熒惑入,若守天宮四十日,諸候轉粟千里,各虛。”
巫咸はいう、火星が営室を守るのは旱を主り五穀は成熟せず火災を多く発する。《海中占》にいう、火星が営室を守れば、百姓は疫病に遭遇して死亡が众多である。郗萌はいう、火星が営室を守れば、人君は宮室の営造を大いに興して土木の工程に従事し、またいう正月に営室を守候すれば三月あるいは五月に至って大旱の災があり天下は大飢饉を鬧す。石氏はいう、火星が天宮に入るかあるいは守候して四十日なれば(天宮はすなわち営室、天子の離宮・別館である)、諸侯は千里に糧食を転運して接済し、各地の倉儲はこれによってみな空となる。
《文曜鉤》曰:“熒惑入守犯營室,以內淫近色,及天殃,皆不以命終,王者惡之。”郗萌曰:“熒惑犯守營室中,皆有土功事。”《黃帝占》曰:“熒惑守離宮正東,為父,守正西,為母;守正北,為妻,守正南,為子;守舍星,為身;其焰赫赫,其國離易;期三年、遠五年,兵起。”
《文曜鉤》にいう、火星が営室に入り・守候し・侵犯するのは、宮内の淫佚と女色への親しみによって上天の災殃を招き寄せたもので、これらの人はいずれも寿終・正寝できず、王者は最もこの象を忌む。郗萌はいう、火星が営室の中を侵犯・守候するのは、いずれも土木の工程の事を主る。《黄帝占》にいう、火星が離宮(営室の両旁の離宮六星)の正東を守候すれば父に応じ、正西を守れば母に応じ、正北を守れば妻子に応じ、正南を守れば兒子に応じ、本舍の星を守候するものは自身に応ずる。もしそれの火焰が赫赫として逼人ならば、その国は離散・変易するであろう。応期は三年、遠ければ五年で、兵事が興る。
熒惑犯東壁 七
《春秋圖》曰:“熒惑入東壁,百九十日,且服勞。”《文曜鉤》曰:“熒惑入東壁,大臣為謀,人主自將兵,賊臣內起,天子以兵自守。”石氏曰:“熒惑入東壁中三月,衛君死;入五月,相死;不死出走。”甘氏曰:“熒惑入東壁,有匿謀。”
《春秋図》にいう、火星が「東壁」に入って百九十日なれば、百姓はまさに労役を服せんとする。東壁二星は文章・図籍を主り、天下の文庫で、営室と同じく衛の地の分野に属す。《文曜鉤》にいう、火星が東壁に入れば、大臣は不軌を図り君主は自ら兵を領き、奸賊の臣は内部より事を起こして天子はただ軍隊を以て自衛するほかない。石氏はいう、火星が東壁の中に入って三か月に満てば衛国の国君は死ぬべきであり、五か月に満てば宰相は死ぬべきで、死なずとも出奔する。甘氏はいう、火星が東壁に入れば、暗藏する陰謀がある。
郗萌曰:“熒惑入東壁,九州當之。甲乙日入東方,有咎,丙丁日入南,有咎;戊已日入中央,有咎;庚辛日入西方,有咎,壬癸日入並方,有咎。熒惑入東壁,民疾。”《荊州占》曰:“熒惑入東壁,大臣有謀殺者。”《北官候》曰:“熒惑入東壁,天下以食為憂。”《海中占》曰:“赤星入營室、東壁,大臣凌主。”《河圖》曰:“熒惑入東壁,兩軍相據,當相和;不相和,有殃罰。”
郗萌はいう、火星が東壁に入れば天下の九州はみなその咎を承受する。甲日・乙日に入るものは東方に災咎があり、丙日・丁日に入るものは南方に災咎があり、戊日・己日に入るものは中央に災咎があり、庚日・辛日に入るものは西方に災咎があり、壬日・癸日に入るものは北方に災咎がある(底本「并方」は当に「北方」)。火星が東壁に入れば百姓は病を生ずる。《荊州占》にいう、火星が東壁に入れば、大臣の中に人を殺さんと図る者がある。《北官候》にいう、火星が東壁に入れば、天下は糧食を以て憂いとする。《海中占》にいう、赤色の星すなわち熒惑が営室・東壁に入れば、大臣は君主を凌逼する。《河図》にいう、火星が東壁に入れば、両軍が相持して対壘するものは講和すべきであり、もし講和できなければ災殃の懲罰を受けるであろう。
郗萌曰:“熒惑出入留舍東壁,三十日不下,五穀貴,民流亡,不居其鄉;六十日不下,兵至其國。”《黃帝占》曰:“熒惑守東壁,言政事者誅,術士不相隱藏,內外相譖以相勝,正三軍,亦大起兵。”巫咸曰:“熒惑入東壁,歲不熟,萬物不成。”《海中占》曰:“熒惑守室壁,宮失火,一曰旱,五穀不成;一曰兵民多死。”
郗萌はいう、火星が東壁に出入・停留・止宿して三十日下りるのを肯ぜなければ、五穀は価貴く百姓は流亡して故郷に安んじて居ることができず、六十日下らなければ兵禍はその国に打ち至る。《黄帝占》にいう、火星が東壁を守候すれば、進言して政事を議論する人は反って誅戮され、方術の士はもはや彼此に隠諱せず、朝廷の内外は互いに讒毀して勝を求め、三軍を整粛し、また大挙して兵を興す。巫咸はいう、火星が東壁に入れば、年成は熟さず万物は実を成すことができない。《海中占》にいう、火星が営室と東壁を守候すれば宮中に失火し、もう一説には旱を主り五穀は成らず、また一説には士卒・百姓は多く死ぬとする。
郗萌曰:“熒惑守東壁,為天下兵起,一曰伏兵起;又曰大人衛守,又為多水,若歲晚水,或西方有憂。熒惑守東壁三十日,其君憂;二十日,大赦。熒惑守東壁,為有土功事。熒惑守東壁,其光潤澤,大吉,熒惑守東壁三十日不下,三年兵起。”
郗萌はいう、火星が東壁を守候するのは天下の興兵を主り、もう一説には伏兵が事を起こし、またいう上位に居る大人は宿衛の戒備を加強すべきであり、さらに水の多いことを主るか、あるいは当年入秋以後に水患があり、あるいは西方に憂いがある。火星が東壁を三十日守ればその国君に憂いがあり、二十日守れば大赦がある。火星が東壁を守るのは土木の工程の事を主る。火星が東壁を守って光色が温潤にして沢あれば大吉である。火星が東壁を三十日守って下りるのを肯ぜなければ、三年以内に兵事が興る。
《荊州占》曰:“熒惑守東壁,人主自將兵,糴石至千;又曰文章者傷。”郗萌曰:“熒惑守東壁,諸侯相謀。”陳卓曰:“熒惑守東壁,王者大災。”《北官候》曰:“熒惑守東壁,守其南,主后死;過其西,天子死;守其北,諸侯死;守其東,大人自將兵。熒惑守東壁,臣下不明。”
《荊州占》にいう、火星が東壁を守れば、君主は自ら兵を領き、糧価は石ごとに千銭に漲り、またいう文章・図籍を掌る人が損傷を受ける——東壁はもと天下の文章の府であり、ゆえに文事に応ずる。郗萌はいう、火星が東壁を守れば、諸侯の間で互いに図り謀る。陳卓はいう、火星が東壁を守れば王者に大災がある。《北官候》にいう、火星が東壁を守ってその南面を守候すれば君主と皇后は死ぬべきであり、その西面を越えれば天子は死ぬべきであり、その北面を守候すれば諸侯は死ぬべきであり、その東面を守候すれば上位に居る大人はまさに自ら兵を領せんとする。火星が東壁を守れば、臣下は昏昧で明らかならず。
巫咸曰:“熒惑入東壁,留守之,有土功。”郗萌曰:“熒惑留守東壁,臣下弄法;二十日以上,賊臣起,期十月。”《荊州占》曰:“熒惑逆行,守乘壁,女王自恐;一曰民多疾。”齊伯曰:“熒惑逆行,守東壁,成鉤己,有大兵加於衛,其國無以待之;若三月不下,衛王死,不則出走。”
巫咸はいう、火星が東壁に入って停留・守候すれば、土木の工程の興作があろう。郗萌はいう、火星が東壁を停留・守候すれば、臣下は文を舞い法を弄して律令を曲解し、二十日以上守候すれば奸賊の臣が事を起こし、応期は十か月である。《荊州占》にいう、火星が逆行して東壁を守候・凌乗すれば、女王は心中に自ら恐懼を感じ、もう一説には百姓に病が多いとする。斉伯はいう、火星が逆行して東壁を守候して「鉤己」の形に走れば、大軍が衛国に兵を加えんとしてその国は抵当する力なく、もし三か月下りるのを肯ぜなければ衛王は死ぬべきで、さもなければ出奔する。
開元占経 巻三十三 熒惑占 四
熒惑犯西方七宿
熒惑犯奎 一
《黃帝占》曰:“熒惑入奎中,民多疾。又曰:“亂臣弒其主。”《文曜鉤》曰:“熒惑入奎,主偏阿誅,不決。”石氏曰:“熒惑入奎中,三月,魯主死及國相死;不死出走。”《北官候》曰:“熒惑入奎,成勾巳及環繞之,天子災宮殿,期六月。”
《黄帝占》にいう、火星が「奎」宿の中に入れば、百姓に病が多い。またいう、乱臣がその君主を弑殺する。奎宿十六星は形が鞋底のごとく、天上の武庫で、兵戈・甲冑と溝渠・水道を主り魯の地の分野に属す——ゆえに下文は屡々魯国と庫兵・水事に応ずる。《文曜鉤》にいう、火星が奎宿に入れば、君主は偏私・阿党して刑賞・誅罰は猶予・決断できない。石氏はいう、火星が奎宿の中に入って三か月に満てば魯国の君主と国相は死ぬべきで、死なずとも出奔する。《北官候》にいう、火星が奎宿に入って「鉤己」の形に走りかつ環繞・盤旋すれば、天子の宮殿はまさに火災に遭わんとして応期は六か月である。
《海中占》曰:“熒惑潤澤出奎,有喜令;其變色入奎,有偽令;來者若出奎,有偽令,出使者。”巫咸曰:“熒惑從婁逆行至奎,有兵起。”甘氏曰:“熒惑入奎,環繞之,三十日,相死;三月不行,其國王死;不死,出走,期三年。”石氏曰:“熒惑入奎,留二十日以上,大臣有匿謀,若國有伏賊,期八十日,若九月。”
《海中占》にいう、火星の光色が温潤にして沢ありて奎宿から出れば、喜ぶべき詔令があろう。もし顔色を変えて奎宿に入れば、詐偽の号令があり、来るときあるいは奎宿から出るものも詐偽の令を主り、併せて使者が派出される。巫咸はいう、火星が婁宿から逆行して奎宿に至れば、兵事が興るであろう。甘氏はいう、火星が奎宿に入って環繞・盤旋して三十日に歴るものは宰相が死ぬべきであり、三か月前行するのを肯ぜなければその国の国王は死ぬべきで、死なずとも出奔し、応期は三年である。石氏はいう、火星が奎宿に入って二十日以上停留すれば、大臣は陰謀を暗藏するか、あるいは国に奸賊が潜伏し、応期は八十日または九か月である。
郗萌曰:“熒惑留奎,臣不專權;一曰霸者爭言。”《孝經章句》曰:“熒惑舍奎,有兵起,其民有自賣於縣邑者,歲為下。”齊伯曰:“熒惑出入留舍奎,天下且爭言者,不且有伏士出者,其國兵至,加於魯之城,其國無以得之。”
郗萌はいう、火星が奎宿に停留すれば、臣下は大権を独攬することができず、もう一説には覇を称える諸侯が争い進言するとする。《孝経章句》にいう、火星が奎宿に止宿すれば、兵事が興るであろうとして、そこの百姓に県邑の中で身を売って奴となる者があり、年成は下等に属する。斉伯はいう、火星が奎宿に出入・停留・止宿すれば、天下に争い進言する人があろうとして、さもなければ潜伏する死士が出動する。その国に兵禍が至り魯国の城邑に兵を加え、その国は応じる力がない。
《黃帝占》曰:“熒惑守奎,農夫不得耕。”《春秋圖》曰:“熒惑守奎,天下有叛者。”《感精符》曰:“熒惑守奎,庫兵當起,車騎用,國有死君,歲多獄事。”石氏曰:“熒惑守奎,兵起,北夷侵邊;一曰粟有補於民。”甘氏曰:“熒惑至奎,其國相譖,天下懷憂,父子不相信,君隔臣蔽;又曰民多疾。熒惑守奎,搖動、進退,為赦;又曰天下有水,民多死。”
《黄帝占》にいう、火星が奎宿を守候すれば、農夫は耕種できない。《春秋図》にいう、火星が奎を守れば、天下に叛乱する人がある。《感精符》にいう、火星が奎を守れば、武庫の中の兵器はまさに動用せんとして車馬・騎卒はこれに随って徴発され、国に死去の君主があり、当年に刑獄の事が繁多である。石氏はいう、火星が奎を守れば、兵事が興り北方の夷狄は辺境を侵擾し、もう一説には粟米を発放して百姓を補助するとする。甘氏はいう、火星が奎宿に行き至れば、その国の人は互いに讒毀し、天下は心に憂懼を懐き、父子の間で相信じることができず、君主は隔絶され臣下は蒙蔽され、またいう百姓に病が多い。火星が奎を守って閃爍・揺動して忽ち進み忽ち退くものは赦令を主り、またいう天下に水災があり百姓は多く死ぬとする。
巫咸曰:“熒惑守奎,天下大水。”《海中占》曰:“熒惑守奎,其國坐之,三十日不下,其君憂。”郗萌曰:“熒惑守奎,多獄:關梁不通;又曰女淫。熒惑以二月守奎,百日多出盜;又曰女子多乳死者。熒惑守奎,為溝瀆事;一曰有水事。”《荊州占》曰:“熒惑守奎,為王者憂;一曰大人當之。熒惑守奎,兵起,車騎滿野,貴人多病,若有死者,菽粟貴;一曰歲大熟。”
巫咸はいう、火星が奎を守れば天下に大水がある。《海中占》にいう、火星が奎を守ればその国はこれによって罪を獲るべく、三十日下りるのを肯ぜなければその国君に憂いがある。郗萌はいう、火星が奎を守れば、刑獄は繁多し関隘・橋梁は通ぜず、またいう女子が淫乱する。火星が二月に奎を守れば、百日以内に盗賊が多出し、またいう女子は分娩によって死ぬ者が多いとする。火星が奎を守るのは溝渠・水道の事を主り、もう一説には水患があるとする。《荊州占》にいう、火星が奎を守るのは王者に憂いがある兆しであり、もう一説には災咎は上位に居る大人の身に落ちるとする。火星が奎を守れば、兵事が興り車騎は郊野に遍布し、顕貴の人は病が多くあるいは死去する者があり、豆類・粟米は価貴く、もう一説には反って年成が大熟するとする。
《西官候》曰:“熒惑守奎,二十日以上,大臣有謀;國有兵,若有死王,兵加於魯國之地,期一年。熒惑守奎,其國諸貴為孽,國有大賊,謀在近臣;近期三月,遠期九月。熒惑守奎,兵官當之,期百二十日。”又曰:“熒惑以二月守奎,多盜賊,來二千石,多調役之事。”石氏曰:“熒惑守奎,色正明、留二十日以上,下有兵。”《荊州占》曰:“熒惑逆行,守奎,女子多暴死。”
《西官候》にいう、火星が奎を二十日以上守れば、大臣は不軌を図り、国に兵事がありあるいは身死の君王があり、兵禍は魯国の地に加わり応期は一年である。火星が奎を守れば、その国の衆顕貴は乱を作し妖を為して、国に大奸賊があり、陰謀は近侍の臣の身に出て、近ければ三か月に応じ遠ければ九か月である。火星が奎を守れば、災咎は兵を掌る官の身に落ち応期は百二十日である。またいう、火星が二月に奎を守れば、盗賊は众多で二千石の郡守に到任・更替があろうとして、徴調・労役の事が頻繁である。石氏はいう、火星が奎を守って星色が純正・明亮にして二十日以上停留すれば、下に兵事があろう。《荊州占》にいう、火星が逆行して奎宿を守候すれば、女子に暴死する者が多い。
熒惑犯婁 二
石氏曰:“熒惑入婁中三月,魯主死;入旬,相死,不死出走。熒惑入婁而守之,天下有聚眾,兵大起,車騎用,必有死君、走相,天下不熟,飢非一國;若山林有大盜,路不通;期一年,遠二年。”甘氏曰:“熒惑入婁,國有兵,人民多死。”《荊州占》曰:“熒惑入婁,天下有聚眾,晚期四十日,遠期二百四十日,兵大起,車騎用。”
石氏はいう、火星が「婁」宿の中に入って三か月に満てば魯国の君主は死ぬべきであり、十日に満てば宰相は死ぬべきで、死なずとも出奔する。婁宿三星は苑牧・犠牲を主りまた衆を聚めることを主り、なお魯の地の分野に属す——ゆえに下文は屡々聚衆・庫兵と牛馬を説く。火星が婁宿に入って守候して去らなければ、天下に衆を聚めて事を起こす者があり、大兵が興り、車馬・騎卒は徴発され、必ず身死の国君・出奔の宰相があり、天下の庄稼は熟さず飢饉を鬧すのは一国に止まらず、あるいは山林の中に大盗が現れ道路は通ぜず、応期は一年、遠ければ二年である。甘氏はいう、火星が婁宿に入れば国に兵事があり百姓は多く死ぬ。《荊州占》にいう、火星が婁宿に入れば天下に衆を聚める者があり、遅ければ四十日に応じ遠ければ二百四十日で、大兵が興り車馬・騎卒は徴発される。
《西官候》曰:“熒惑起芒角而入婁,國且有焚燒倉庫之災。”石氏曰:“熒惑逆行入婁,成勾巳,國有焚燒倉廩庫之災;若逆行至奎,大兵起,臣謀者,將軍為成,期不出年。”《荊州占》曰:“熒惑留婁,獄多奸。”郗萌曰:“熒惑出入留舍婁中守之,色赤而光明,胡人為凶。”《齊伯五星占》曰:“熒惑出入留舍婁,其國必有名者死。”
《西官候》にいう、火星が芒角を生じて婁宿に入れば、その国に倉庫を焚焼する火災があろう。石氏はいう、火星が逆行して婁宿に入って「鉤己」の形に走れば、国に倉廩・府庫が焚焼される災禍があり、もし逆行して奎宿に至れば大兵が興り、臣下は不軌を図って将軍によって事を成し遂げ、応期は当年を出ない。《荊州占》にいう、火星が婁宿に停留すれば、牢獄の中に奸弊が多い。郗萌はいう、火星が婁宿の中に出入・停留・止宿して守候して去らず、星色が赤紅にして光亮なれば、胡人に凶がある。《斉伯五星占》にいう、火星が婁宿に出入・停留・止宿すれば、その国に必ず知名の士の死去する者がある。
石氏曰:“熒惑守婁,即庫兵動,民多死。熒惑守婁,為有白衣之會。”甘氏曰:“熒惑守婁,有大臣不當其位,損常制亂政者;又日有水殃民,多疾。”巫咸曰:“熒惑守婁中,民病,民病,大水,金銀貴。熒惑守婁,旱,為多火災,五穀貴。”
石氏はいう、火星が婁宿を守候すれば、武庫の中の兵器はまさに動用せんとして百姓は多く死ぬ。火星が婁を守れば、素服を穿ち喪を挙げる聚会があろう。甘氏はいう、火星が婁を守れば、大臣にその位に称えず常法を破壊し政令を擾乱する者があり、またいう水災があって百姓に殃を及ぼし疾病を多く生ずる。巫咸はいう、火星が婁宿の中を守候すれば、百姓は病を生じ(底本は「民病」の二字が重出す)、大水が災を成し金銀は価貴い。火星が婁を守るのは旱を主り火災が多く五穀の価は貴い。
郗萌曰:“熒惑守婁,有兵,北夷侵邊,道不通;又曰關梁不通,霸者爭立;又曰大赦天下;又曰北主死;又曰牛多死,牛大貴。熒惑以二月守婁百日,多山盜;一曰女多乳死。熒惑守婁之南,大赦。”
郗萌はいう、火星が婁を守れば、兵事があり北方の夷狄は辺境を侵擾し道路は通ぜず、またいう関隘・橋梁は阻絶して覇を称える諸侯は争い自立し、またいう天下に大赦を主り、またいう北方の主は死ぬべきであり、さらにいう牛は大批に死亡して牛価は大いに騰る。火星が二月に婁宿を百日守候すれば、山中の盗賊は众多であり、もう一説には女子は分娩によって死ぬ者が多いとする。火星が婁宿の南面を守候するのは大赦を主る。
《荊州占》曰:“熒惑守婁,歲大飢,若收財物。”陳卓曰:“熒惑守婁,二十日以上,宮中大臣死,期八十日。”《玉曆》曰:“熒惑守奎、婁,有名人死,民多疾。”《百二十占》曰:“熒惑守婁,車騎發,有死軍;一日貴人當獄事。”《海中占》曰:“熒惑入若守婁,天子受賀,期三十日,遠八月。”郗萌曰:“熒惑入守婁,其國坐之,一曰守三十日,其君憂。”
《荊州占》にいう、火星が婁を守れば、当年に大飢饉を鬧し、あるいは朝廷はまさに民間に財物を征斂せんとする。陳卓はいう、火星が婁を二十日以上守れば、宮中の大臣は死ぬべきで応期は八十日である。《玉暦》にいう、火星が奎宿・婁宿を守候すれば、名望ある人が死去し百姓は多く疾病を生ずる。《百二十占》にいう、火星が婁を守れば、車馬・騎卒は出動して全軍覆没する者があり、もう一説には顕貴の人に官司を食う者があるとする。《海中占》にいう、火星が婁宿に入るかあるいは守候すれば、天子は群臣の朝賀を受け、応期は三十日、遠ければ八か月——これは婁宿の諸占の中に得難い吉辞である。郗萌はいう、火星が婁宿に入って守候すれば、その国はこれによって罪を獲るべく、もう一説には三十日守候してその国君に憂いがあるとする。
熒惑犯胃 三
郗萌曰:“熒惑犯胃,為天下谷無實,以食為憂。熒惑犯胃,為國有暴兵伐中國者。”石氏曰:“熒惑入胃,主死;入三旬,王后死。”甘氏後:“熒惑入胃,二十日,天下有兵亂,倉粟出。”郗萌曰:“熒惑入天府,法令更。”《荊州占》曰:“熒惑入胃,國有匿謀,其事不行。熒惑以三月入胃,進退犯凌百日以上,天下倉廩不實,國有大兵,流血千里。”
郗萌はいう、火星が「胃」宿を侵犯するのは、天下の穀物が空殻で実なく、人々が飯を食うことを以て憂いとする兆しである。胃宿三星は天上の倉廩で、五穀の積儲を主り趙の地の分野に属す——ゆえに下文の応験は多く倉儲・糧価と趙の地に在る。火星が胃を犯すのは、強暴の軍隊が中原の国を討伐する兆しである。石氏はいう、火星が胃宿に入れば君主は死ぬべきであり、三十日に満てば王后は死ぬべきである。甘氏はいう(底本は「甘氏後」と作る、「后」は「曰」の訛り)、火星が胃宿に入って二十日なれば天下に兵乱があり、倉中の粟米は発放されるであろう。郗萌はいう、火星が天府の星に入れば、法令はまさに更改があろう。《荊州占》にいう、火星が胃宿に入れば、国に暗藏する陰謀があるが、ただしその事は成し遂げられない。火星が三月に胃宿に入り、忽ち進み忽ち退いて侵犯・逼凌して百日以上なれば、天下の倉廩は空虚となり国に大兵があり、流血は千里である。
《二十八宿山經》曰:“熒惑黃黑繞環胃、昴、畢,憂多疾死。”《春秋圖》曰:“熒惑之胃,賤人當有封者。”石氏曰:“熒惑舍於胃,天下大飢,有轉粟之令。”《黃帝占》曰:“熒惑守胃,糴大貴。”《河圖》曰:“熒惑守胃,其年旱,饑民多疫疾,倉粟不出。”《文曜鉤》曰:“熒惑守胃,其國貴人戮死,賤人當貴;一曰大人有入牢獄者。”
《二十八宿山経》にいう、火星が黄黒の色を呈して胃宿・昴宿・畢宿を環繞すれば、人をして憂懼せしめ病死する人が多い。《春秋図》にいう、火星が胃宿に行き至れば、出身微賤の人の中に封賞を得る者があるはずである。石氏はいう、火星が胃宿に止宿すれば、天下は大飢饉で朝廷は粟米を転運する命令を下達するべきである。《黄帝占》にいう、火星が胃宿を守候すれば、糧価は大いに騰る。《河図》にいう、火星が胃を守れば、その年は乾旱して飢民の中に疫病を多く生じ、倉中の粟米は却って発放されようとしない。《文曜鉤》にいう、火星が胃を守れば、その国の顕貴の人は殺され微賤の人は反って顕貴となり、もう一説には上位に居る大人に牢獄に投ぜられる者があるとする。
石氏曰:“熒惑守胃,其年旱飢,民多疾,王者行仁,則大吉。(甘氏曰:王者行仁,則熒惑去也。)以火克金,以仁教義,天下無咎。熒惑守胃,天下藏府有火災。”甘氏曰:“熒惑守胃,有水殃。”《海中占》曰:“熒惑守胃,三十日,其君憂。”郗萌曰:“熒惑守胃,大臣不愛百,一曰牢獄空。”《荊州占》曰:“熒惑守胃,銅貴。”
石氏はいう、火星が胃を守れば、その年は乾旱・飢饉して百姓は病に多い。王者もし仁政を施行すれば、反って大吉である。(原書小注:甘氏はいう、王者が仁政を施行すれば火星は退去する。)胃宿は西方の金に属し熒惑は南方の火に属し、これは火を以て金を克することである。もし仁徳を以て刑義を化導できれば、天下に災禍はない。火星が胃を守れば、天下の府庫はまさに火災に遭わんとする。甘氏はいう、火星が胃を守れば水災の禍がある。《海中占》にいう、火星が胃を三十日守ればその国君に憂いがある。郗萌はいう、火星が胃を守れば大臣は百姓を愛惜せず(底本は「百」の下に一「姓」の字を脱す)、もう一説には牢獄がこれに一空となるとする。《荊州占》にいう、火星が胃を守れば、銅の価銭は騰貴する。
《西官候》曰:“熒惑守胃,若其中星眾者,則粟聚;星少,粟散。”石氏曰:“熒惑入胃而守之,三十日不下,趙地大急,人民半死,大兵起,客軍敗,主人勝,期不出一年。”巫咸曰:“熒惑入,若守胃,東出、民擾。”郗萌曰:“熒惑入,若守胃,牛疾。熒惑入,或守胃,若天倉,四十日旱。”陳卓曰:“熒惑入犯守胃,貴人有死者;若貴人子繫獄。”《聖洽符》曰:“熒惑逆行守胃,天下有急兵,人民飢,倉廩用,有賦斂之憂,若有火災。”
《西官候》にいう、火星が胃を守るとき、もし胃宿の中の星が多く密に見えれば粟米は積聚し、星が稀少に見えれば粟米は散失する。石氏はいう、火星が胃宿に入って守候して去らず三十日下りるのを肯ぜなければ、趙の地は形勢が危急となり、百姓は半ば死に、大兵が興り、来て犯す客軍は戦敗し本地の主軍は勝を獲る。応期は一年を出ない。巫咸はいう、火星が胃宿に入るかあるいは守候して東方から現れるものは、百姓は騒動して安からず。郗萌はいう、火星が胃宿に入るかあるいは守候すれば、牛は疾病を生ずる。火星が胃宿および天倉の星に入るかあるいは守候すれば、四十日以内に旱情がある。陳卓はいう、火星が胃宿に入り・侵犯し・守候すれば、顕貴の人の中に死去する者があり、あるいは顕貴の人の子弟が牢獄に関ぜられる。《聖洽符》にいう、火星が逆行して胃宿を守候すれば、天下に緊急の兵事があり、百姓は飢饉し、倉廩の中の儲糧は動用され、また横征・暴斂の憂いがあり、あるいは火災が発生する。
熒惑犯昴 四
巫咸曰:“熒惑犯昴,若入之,中國有邊警;匈奴大出,四夷兵起,國有憂。”(案《晉書天文志》曰:晉成帝咸和六年十一月,熒惑守胃、昴,八年七月,石勒死,石虎自立,多所殘滅,是時雖勒、虎僭號,而其強帝占昴,不關太微,紫微宮。)
巫咸はいう、火星が「昴」宿を侵犯するかあるいはその中に入れば、中原に辺境の警報があろうとして、匈奴は大挙して出動し四方の夷狄は兵を興し、国に憂いがある。昴宿七星はまた髦頭と称し、胡人の星で、刑獄と辺兵を主り趙の地の分野に属す——ゆえに昴を犯すは多く胡兵と獄事に応ずる。(原書小注:《晋書・天文志》の記載に拠れば、晋成帝咸和六年十一月、火星が胃宿・昴宿を守候し、咸和八年七月に至って石勒が死去し石虎が自立して殺戮・残滅することが甚だ多かった。当時石勒・石虎は帝号を僭称したが、彼らの強盛はただ昴宿の占辞に応ずるのみで、太微垣・紫微宮とは関わりなし。)
《文曜鉤》曰:“充法律,熒惑入昴,天子有急令。”郗萌曰:“熒惑入昴,天下大安,無兵,有兵亦罷;四月、五月大赦,近期十五日,遠期三十日,赦;又曰不可為害;一日貴人多戮死。”巫咸曰:“熒惑入昴、畢中,一入一出,即有大兵,可立而待。”郗萌曰:“熒惑逆行入昴,成勾巳,天下大赦,期八十日。”
《文曜鉤》にいう、昴宿は刑罰・法律を職掌し、火星が昴宿に入れば天子はまさに緊急の詔令を下達せんとする。郗萌はいう、火星が昴宿に入れば、天下は大いに安定して兵事なく、たとえ兵事あっても罷休し、四月・五月に大赦があり、近ければ十五日遠ければ三十日に赦令があり、またいう禍害を成すに至らず、もう一説には顕貴の人は多く殺戮されて死ぬとする。巫咸はいう、火星が昴宿・畢宿の中に入って一進一出すれば、即座に大兵があり、立って待つだけで見ることができる。郗萌はいう、火星が逆行して昴宿に入って「鉤己」の形に走れば、天下は大赦し、応期は八十日である。
《洛書》曰:“熒惑入昴,二十日不下,國有大眾,甲兵大起,將軍有出者;(巫咸曰:期六十日,遠六月。)歲大,人飢。”《海中占》曰:“熒惑入昴,留二十日以上,牛馬多疾。”郗萌曰:“熒惑留昴,典吏多為奸者。”甘氏曰:“熒惑舍昴,天下多大賊。”郗萌曰:“熒惑舍昴,天下多賦斂。”
《洛書》にいう、火星が昴宿に入って二十日下りるのを肯ぜなければ、国に大批の人馬を集結し甲兵は大挙して興り、将軍が兵を領いて出征する者があり(原書小注:巫咸はいう、応期六十日、遠ければ六か月)、年成は大いと算するが百姓はなお飢えたままである。《海中占》にいう、火星が昴宿に入って二十日以上停留すれば、牛馬は多く疾病を生ずる。郗萌はいう、火星が昴宿に停留すれば、刑獄を主管する吏員は多く作奸・犯科する。甘氏はいう、火星が昴宿に止宿すれば、天下に大盗が横行する。郗萌はいう、火星が昴宿に止宿すれば、天下の賦税・征斂は繁重である。
巫咸曰:“熒惑出入留昴,赤色而光,因犯以行,邊地多警,不出三月,軍起,在其西北八百里。”《齊伯占》曰:“熒惑出入留舍犯昴,多有立屋室,且有兵。”《黃帝占》曰:“熒惑以春三月守昴,夏旱;夏守,秋旱;秋守,冬旱;冬守、春旱。熒惑守天獄,赦。”
巫咸はいう、火星が昴宿に出入・停留して星色が赤紅にして光あり、一辺は侵犯し一辺は前行すれば、辺地に警報が多く、三か月を出ずに軍隊が興り、地点は昴宿の分野の西北八百里の処にある。《斉伯占》にいう、火星が昴宿に出入・停留・止宿してかつそれを侵犯すれば、屋宇を営造する事が多く、しかもまさに兵事があろうとする。《黄帝占》にいう、火星が春三月に昴宿を守候すれば夏は乾旱し、夏に守候すれば秋は乾旱し、秋に守候すれば冬は乾旱し、冬に守候すれば春は乾旱する。火星が天獄の星(昴宿は刑獄を主り、ゆえにまた天獄と称す)を守候するのは赦令を主る。
《河圖》曰:“君苛政擾,民苦其誅,愁氣布,則熒惑守昴,六月大怪。”《孝經章句》曰:“熒惑守昴,天下多獄,其政煩,雨澤不時,歲為中。”巫咸曰:“火犯守昴,四夷兵起。”甘氏曰:“熒惑守昴,無罪者誅。”
《河図》にいう、君主の政令が苛刻で民を擾し、百姓は誅求に苦しみ、愁苦の気が弥漫すれば、火星は昴宿を守候し、六月に大きな怪異が現れる。《孝経章句》にいう、火星が昴を守れば、天下の刑獄は繁多し政令は煩苛で、雨水は時令に合わず、年成は中等に属する。巫咸はいう、火星が昴宿を侵犯・守候すれば、四方の夷狄は兵を興す。甘氏はいう、火星が昴を守れば、罪過なき人が反って誅殺される。
(案《石虎列傳》曰:十一年冬,熒惑守昴五十餘日,不移,太史令趙攬奏:昴、趙分也,熒惑舍留分,其王惡之,宜以朝寵貴大臣姓王者當之,虎於是假以他罪誅中書王浚,欲以消咎,於是議者進以宋景三吐仁君之言,熒惑退舍,夫修短分定,命不可延,而殺人求福,不亦悖乎。)
原書小注:《石虎列伝》の記載に拠れば、建武十一年冬、火星が昴宿を守候して五十余日も移動しなかった。太史令趙攬は奏していう、昴宿は趙国の分野であり、火星が本国の分野の内に滞留するのは、その国王が最もこの象を忌み、当に朝中の寵を受ける顕貴の大臣のうち王を姓とする人にこの災咎を承当せしめるべきである。石虎はここにおいて他の罪名を借りて中書王浚を誅殺し、これを以て災を消さんとした。当時議論する人はすなわち宋景公が三度仁君の言を出して火星が因而に舍を退いた旧事を挙げて勧諫した。思うに寿数の長短はもと定分あり、性命は強いて延ばせるものではなく、人を殺して福を求めるとは、あに甚だしく荒謬ならざるや。
巫咸曰:“熒惑守昴,天下多火災,萬物不成,人民疾,多死。”《海中占》曰:“熒惑守昴,邊境不寧。熒惑守昴,憂在大人。”郗萌曰:“熒惑守昴,大人為亂,天下謀主,大將出反,國政不安;一曰多獄事,大將有囚者;又曰地裂山崩;又曰守一二日,相死;火以夏三月守昂,至秋糴貴。熒惑守昴,男子有急;一曰女子有急。熒惑守昴,當有津河發事。熒惑以二月守昴百日,其國有流民。”
巫咸はいう、火星が昴を守れば、天下に火災を多く発し、万物は実を成すことができず、百姓は病を生じて死去する者が甚だ多い。《海中占》にいう、火星が昴を守れば、辺境は安寧を得ない。またいう、火星が昴を守れば、憂患は上位に居る大人の身に落ちる。郗萌はいう、火星が昴を守れば、上位に居る大人が乱を作し、天下の人は君主を図り、大将は兵を出して反叛し、国政は安定を得ず、もう一説には刑獄の事が繁多で大将の中に囚禁される者があり、またいう地は裂け山は崩れ、またいう一二日守候すれば宰相は死ぬべきであり、火星が夏三月に昴を守れば秋に至って糧価は騰貴する。火星が昴を守れば、男子に急難があり、もう一説には女子に急難があるとする。火星が昴を守れば、渡口・河道にまつわる事端があろう。火星が二月に昴を百日守れば、その国に流民が現れる。
《荊州占》曰:“熒惑守昴東,齊越負兵;守其南,荊宋負兵;守其西,秦鄭負兵;守其北,燕趙負兵。熒惑守昴星,色大而黃,馬牛貴。”《西官候》曰:“熒惑守昴,兔多死,春三月旱,牛馬皆死。熒惑守昴,大將有外出者,若憂,旱;野有流血,大將死,士卒病。”
《荊州占》にいう、火星が昴宿の東面を守候すれば、斉・越の两地が兵禍を承受し、その南面を守れば荊・宋の两地が兵禍を承受し、その西面を守れば秦・鄭の两地が兵禍を承受し、その北面を守れば燕・趙の两地が兵禍を承受する。火星が昴宿の諸星を守候して形体が大きく色が黄なれば、馬牛は価貴い。《西官候》にいう、火星が昴を守れば、兎は大批に死亡し、春三月は乾旱して牛馬はみな死に去るであろう。火星が昴を守れば、大将の中に出征して外にある者があり、あるいは憂患があり旱情があり、郊野の上に血流れ地に遍く、大将は戦死し士卒は病を生ずる。
《百二十占》曰:“熒惑守昴,且有急令,諸侯謀,道不通,陽為中國,陰為四夷,若陰圖有憂。”石氏曰:“熒惑若以三月守昴,皆百二十日,其國有白衣之聚。”巫咸曰:“熒惑守昴,以去後反守之,有臣為天子破匈奴者,期三年。”《荊州占》曰:“熒惑若守昴北,主突厥王死。”(《宋書天文志》曰:晉成帝咸和八年七月,火入昴,是月石勒死。)
《百二十占》にいう、火星(熒惑)が昴宿に停留・守候すれば、朝廷はまさに緊急の詔令を頒下せんとして、諸侯は暗に図り謀り、道路は阻隔して通ぜない。昴宿の南は陽であり中原の国に応じ、昴宿の北は陰であり四方の夷狄に応じ、もし火星が走るのが陰道ならばその一方に憂患がある。石氏はいう、火星もし三月のうちに昴宿を守り、およそ百二十日に満てば、その分野の国に孝服を穿つ喪聚があるであろう。巫咸はいう、火星が昴宿を守って先に離れて後にまた折り返ってそれを守れば、天子に代わって匈奴を撃破する臣子があり、応験の期限は三年である。《荊州占》にいう、火星もし昴宿の北に守れば、突厥の王が死ぬであろうと主る。原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、晋成帝咸和八年七月、火星が昴宿に入り、ちょうど当月、後趙の石勒が死去した。
《春秋圖》曰:“熒惑經昴畢之間,而守之三十日不出,即馬踴其足,群凶相續,婦兒哀哭,無所止屬,民食不足,人相食。”《西官候》曰:“熒惑犯守昴中,民疾病;一日赦獄,訟疑出囚。”郗萌曰:“熒惑中犯乘守昴,兵北征匈奴;又曰為天下有禍;一曰逆臣為亂。”
《春秋図》にいう、火星が昴宿と畢宿の間を経行して停留・守候が三十日に満ちてなお出て行かなければ、兵馬は騰踏して蹄足は寧らず、各種の凶禍が連なり接して来り、婦人・小児は悲しみの声に痛哭し、流離して所を失い身を安んずる処なく、百姓は糧食が足らず、人が人を食う惨事に至る。《西官候》にいう、火星が侵犯して昴宿の中に守れば、百姓は多く疾病を生じ、もう一説には牢獄を赦免して案情の可疑な囚人を放ち出すべきであるとする。郗萌はいう、火星が昴宿の正中から逼近して侵犯しその上を凌駕して停留・守候すれば、軍隊はまさに北に上って匈奴を征伐せんとし、また一説には天下にまさに禍難があろうとし、また一説には叛逆の臣が起こって乱を作すとする。
熒惑犯畢 五
《黃帝占》曰:“熒惑犯畢右角,大戰;犯畢左角,小戰。熒惑犯畢出其北,為陰國有憂;出其南,陽國有憂。”《海中占》曰:“熒惑犯畢,國有畋獵之事。”《黃帝占》曰:“熒惑入畢中,國君有衛守。”《文曜鉤》曰:“熒惑入畢而出之,有赦令;一曰有德令,爵祿之事,期一百八十日。”
畢宿は西方白虎七宿の一つで、分野は趙の地・冀州に属し、辺境の兵事と天子の田猟を主管する。《黄帝占》にいう、火星(熒惑)が畢宿の右角を侵犯すれば、大戦があろうとし、畢宿の左角を侵犯すれば、小規模の戦事である。火星が畢宿を犯してその北面から穿ち出れば陰方の国に憂患があり、その南面から穿ち出れば陽方の国に憂患がある。《海中占》にいう、火星が畢宿を侵犯すれば、国に田猟の事があろう。《黄帝占》にいう、火星が畢宿の中に入れば、国君の身辺に護衛・戍守を加設する。《文曜鉤》にいう、火星が畢宿に入ってまたその中から穿ち出れば、赦免の命令が頒下され、もう一説には恩を施す徳令を頒行し封爵・授禄の事を弁理し、応験の期限は百八十日である。
巫咸曰:“熒惑入畢,將相憂;一曰國相亂。熒惑入畢中,各伺其出日而數之,二日期二十日,為兵發;伺如入處之率,一日期十日,軍罷。”郗萌曰:“熒惑入畢中,有女主喪。熒惑入畢中,有大赦令,期十五日,若三十日將若相憂,若其國有白衣之聚,期不出一年。熒惑入畢,為憂兵,其國易主。”《玉曆》曰:“熒惑入畢,將相有咎。”
巫咸はいう、火星が畢宿に入れば、将帥と宰相に憂患があり、もう一説には国の輔政の事が紊乱する。火星が畢宿の中に入れば、各々それが出る日を守候して推算すべきである——中に二日停留すれば応期はすなわち二十日で、期に至って兵事が発動し、またそれが入った処の比率に照らして守候して、一日停留すれば応期十日で、期に至って軍隊は解散する。郗萌はいう、火星が畢宿の中に入れば、女主の喪事があろう。火星が畢宿の中に入れば、大赦の詔令があろうとして応期は十五日である。もし三十日なれば将帥あるいは宰相に憂いがあり、あるいはその分野の国に孝服を穿つ喪聚があり、応験は一年を出ない。火星が畢宿に入るのは兵事の憂いを主り、その国は君主を更換するであろう。《玉暦》にいう、火星が畢宿に入れば、将帥・宰相はまさに災禍に遭わんとする。
郗萌曰:“熒惑出畢中央,主也;出旁,臣也;其行徐,憂;其行疾,無故。”石氏曰:“熒惑出畢陽、則旱;出陰,則水;為政令不行。”《五行傳》曰:“熒惑行畢至昴,為死喪。”(案漢文帝七年,熒惑東行,行畢陽,還畢東北、西而逆行至昴南,而東行。後四年,趙王與七國謀反,北連匈奴,誅死之應。)
郗萌はいう、火星が畢宿の正中から穿ち出るものは君主の身に応じ、畢宿の旁から穿ち出るものは臣下の身に応じ、それの行度が遅緩なれば憂患を主り、行度が迅疾なれば事故を生じない。石氏はいう、火星が畢宿の南面の陽道から出れば乾旱し、北面の陰道から出れば水澇して政令もまた推行し難い。《五行伝》にいう、火星が畢宿より昴宿に行き至るのは死亡・喪事を主る。原書小注の按語にいう、漢文帝七年、火星は東行して畢宿の南面を走り、また畢宿の東北に帰り、再び西に逆行して昴宿の南に至り、然る後に転じて東行した。この後四年、趙王が呉楚ら七国と合謀して反を造り、北面に匈奴と勾結し、ついに誅殺されて死んだ——正しくこの天象の応験である。
《河圖》曰:“熒惑在畢,畢天空也,不可為人客,為人客者殃罰。”《春秋緯》曰:“熒惑在畢,有德令。”郗萌曰:“熒惑與畢合,並光,主必亡。熒惑留畢昴間,天下道路塞,關梁不通。熒惑入畢中,留二十日以上,兵起,期四十日,若三月。”《西官候》曰:“熒惑留畢,臣獵不當。”甘氏曰:“熒惑舍畢,其國多枉刑。”
《河図》にいう、火星が畢宿に在るとき、畢宿は天上の空虚の位で、この時客軍を為して人を攻伐すべからず——客軍を為す一方は殃を受け罰せられる。《春秋緯》にいう、火星が畢宿に在れば、恩を施す徳令があろう。郗萌はいう、火星が畢宿と相合して両者の光芒が一処に併されば、君主は必ず敗亡する。火星が畢宿と昴宿の間に滞留すれば、天下の道路は壅塞し関隘・橋梁は通ぜない。火星が畢宿の中に入って二十日以上滞留すれば兵事が興り、応験の期限は四十日または三か月である。《西官候》にいう、火星が畢宿に滞留すれば、臣下の田猟は法度に合わない。甘氏はいう、火星が畢宿に止宿すれば、その分野の国に冤枉の刑罰が多い。
郗萌曰:“熒惑舍畢口六十日,貴人誅死;一日貴臣有夷族者;一曰貴臣有餓死者。熒惑舍畢之口,其國滅無後。熒惑舍畢,輔太子,奉蕃國。熒惑入舍畢,邊有兵。熒惑出入舍留畢左右,明年小旱;又曰明年天下有失地之君。”齊伯曰:“熒惑出留舍畢中,軍起三年;若居其左右,兵起其野,禾豆不入,歲小旱,必有失土之君。”
郗萌はいう、火星が畢宿の口部に止宿して六十日に満てば、貴人は誅殺されて死に、もう一説には顕貴の臣に滅族に遭う者があり、また一説には顕貴の臣に餓死する者があるとする。火星が畢宿の口中に止宿すれば、その国は覆滅して後嗣なし。火星が畢宿に止宿するのは、太子を輔立し藩属の国に奉事する兆しである。火星が畢宿に入って止宿すれば、辺境に兵事がある。火星が畢宿の左右に出入・止宿・滞留すれば、第二年に小旱があり、また一説には第二年に天下に国土を喪失する君主があるとする。斉伯はいう、火星が畢宿の中に出入・滞留・止宿すれば、兵事は三年に継続し、もしその左右に居留すれば、兵事はその分野の郊野に興り、禾稼・豆穀は倉廩に収められず、当年にやや旱情があり、必ず土地を失う君主がある。
《春秋緯》曰:“熒惑守畢口,即馬馳人走,天下有急兵,國有敗傷,人民流亡。”《文曜鉤》曰:“畋獵不時,熒惑逆守畢。”《甄曜度》曰:“熒惑守畢,將相有憂白衣之會。”(郗萌曰:“期在歲中。”案《宋書天文志》曰:熒惑守畢,占曰:萬民飢,後大官多喪,公主薨亡、天子舉哀,相繼歲大旱,民飢。)
《春秋緯》にいう、火星が畢宿の口部に守れば、人馬は奔馳・逃散し、天下に緊急の兵事があり、国家は敗績・傷損に遭い、百姓は流離・逃亡する。《文曜鉤》にいう、君主の田猟が時令に依らなければ、火星は逆行して来て畢宿を守る。《甄曜度》にいう、火星が畢宿を守れば、将帥・宰相に憂いがあり併せて孝服を穿つ喪会がある。原書小注は郗萌を引いていう、応験はすなわち当年の内に在る。また《宋書・天文志》に拠れば、火星が畢宿を守り、占辞にいう、万民は飢饉し、その後大官に多く喪事があり、公主が薨逝して天子はこれに哀を挙げ、続けて連年に大旱し百姓は飢餓した。
石氏曰:“熒惑守畢,天子虐,國多枉刑。”甘氏曰:“熒惑守畢,邊兵大驚,侵凌中國,倉穀出,又曰敵兵起。”郗萌曰:“熒惑守畢,不出二十日,若三十日大赦;一曰成勾已,赦;一曰環繞之,赦。熒惑守畢,有亡國;又曰天下多盜;一曰大帥將兵,期二十日,邑驅掠。熒惑守畢,太歲子午卯酉有兵。熒惑守畢,三十日,其君憂;若以四月守畢踵,大人憂之。”
石氏はいう、火星が畢宿を守れば、天子は暴虐を施行し国に冤枉の刑罰が多い。甘氏はいう、火星が畢宿を守れば、辺境の守軍は大いに驚擾し、外敵は中原を侵凌し、倉廩は倉を開いて糧を放つべく、また一説には敵軍が兵を興すとする。郗萌はいう、火星が畢宿を守れば、二十日を出ずあるいは三十日で大赦があろう。もう一説には火星が往返して勾曲の形を成せば赦し、また一説には繞行して一周すれば赦するとする。火星が畢宿を守れば、亡国の事があろう。またいう天下の盗賊が众多であり、また一説には大帥が兵を統べて出征し応期二十日で城邑は駆逐・劫掠に遭うとする。火星が畢宿を守れば、太歳が子・午・卯・酉の年に行至るに兵事がある。火星が畢宿を守って三十日に満てば、その国の君主に憂いがあり、もし四月のうちに畢宿の柄脚に守れば、貴人はこれを憂い懼れる。
石氏曰:“熒惑守畢,有大兵,大師為亂。”郗萌曰:“熒惑以四月守畢百日,匈奴有降王;三十日,男子有齎爵命,若有赦令。熒惑入畢,已去復還守之,諸侯女子貴臣有誅者,期不出三年。”
石氏はいう、火星が畢宿を守れば、大規模の戦争があろうとして、兵を統べる大帥が起こって乱を作す。郗萌はいう、火星が四月のうちに畢宿を守って百日に満てば、匈奴に帰降する王があろうとし、三十日に満てば男子に爵位・任命を賜う者があり、あるいは赦令が頒下される。火星が畢宿に入り、すでに離れてまた折り返って来てそれを守れば、諸侯・女子および顕貴の臣の中に誅殺される者があり、応験は三年を超えない。
《荊州占》曰:“熒惑守畢,有走君。熒惑守畢踵,人民駭走,去家千里,兒婦啼哭,無所觸抵;留一月,大兵連薄,留二月,二年戰;留三月,三年戰;三月以上,易政。熒惑入畢,去復還守之,有吏臣為天子破匈奴者,期三年。熒惑逆守畢,兵大起,馬頓蹄,牛運其角,婦兒碌碌、無所止屬;萬民去其處,飢於菽粟,人相食,若其國下不安。其留二十日以上,貴人當有掠者,期七十日,越地凶。”
《荊州占》にいう、火星が畢宿を守れば、出逃する国君があろう。火星が畢宿の柄脚に守れば、百姓は驚駭・奔逃して家を離れること千里、婦人・小児は号哭して奔投する処なし。火星が一か月滞留すれば大軍は連なり逼近し、二か月滞留すれば二年の戦を打ち、三か月滞留すれば三年の戦を打ち、三か月を超えれば政権は更易する。火星が畢宿に入り離れて後にまた折り返って来てそれを守れば、官吏の臣が天子に代わって匈奴を撃破する者があり、応期は三年である。火星が逆行して畢宿を守れば、兵事は大いに起こり、馬蹄は困頓し牛角は低垂し、婦人・小児は倉皇に奔忙して身を安んずる処なく、万民は井郷を背いて豆穀・糧食を缺き、人が人を食うに至り、その国の上下はみな安寧ならず。火星が二十日以上滞留すれば、顕貴の人の中に当に虜掠される者があり、応期は七十日で、越の地に凶禍がある。
《河圖》曰:“熒惑入畢,留守之六十日不下,有女主之喪,大臣諸侯相謀,邊兵起,若有戰,期一年。”陳卓曰:“熒惑犯附耳,為兵起,若將相有喪憂,不即免退。”
《河図》にいう、火星が畢宿に入って滞留・守候が六十日に満ちてなお退け下らなければ、女主の喪事があり、大臣と諸侯は互いに図り謀り、辺境は兵を興しあるいは戦事が発生し、応験の期限は一年である。陳卓はいう、火星が畢宿のそばの附耳星を侵犯するのは兵事の興起を主り、あるいは将帥・宰相に喪事・憂患があり、たとえ死なずとも免職・退位せねばならない。
熒惑犯觜觽 六
石氏曰:“熒惑犯觜觽,其國兵起,天下動移。”甘氏曰:“熒惑入觜中,天下有善政。”郗萌曰:“熒惑入觜觽,伺其出日而數之,期二十日,兵發,伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”甘氏曰:“熒惑出觜觽間,天下亂;西方大得,東方大失。”(《西官候》曰:東方吉,西方凶。)
觜觽は西方白虎七宿の一つで、白虎の首に居り、分野は魏の地・益州に属し、葆守・収斂と聚蔵・倉廩の事を主管する。石氏はいう、火星(熒惑)が觜觽を侵犯すれば、その分野の国は兵事を興し天下は動盪・遷徙する。甘氏はいう、火星が觜觽の中に入れば、天下に清明の善政がある。郗萌はいう、火星が觜觽に入れば、それが出る日を守候して推算すべきである——応期は二十日で、期に至って兵事が発動し、またそれが当初入った処の比率に照らして守候して、一日停留すれば応期十日で、期に至って軍隊は解散する。甘氏はいう、火星が觜觽の間から穿ち出れば天下は大いに乱れ、西方は大いに得る所有り東方は大いに失う所有り。原書小注は《西官候》を引いていう、東方は吉利で西方は凶険である。
《春秋圖》曰:“熒惑之觜觽,大臣且有憂。”石氏曰:“熒惑以觜觽合趙,相死。”郗萌曰:“熒惑以觜觽合;無光,主必亡。”《荊州占》曰:“熒惑守觜觽,誅罷不行。熒惑出入留舍觜觽,君臣將兵。”《黃帝占》曰:“熒惑守觜觽,將軍反,天子之軍破,牛馬有急行。”《黃帝占》曰:“熒惑守觜觽、參、國有喪,期六十日,若糴貴。”《文曜鉤》曰:“逐功臣;熒惑守觜、參。”
《春秋図》にいう、火星が觜觽に行き至れば、大臣はまさに憂患があろうとする。石氏はいう、火星が觜觽の処で趙の分野と相会すれば、宰相は死ぬべきである。郗萌はいう、火星が觜觽の処でこれと相合して觜觽が光色を失えば、君主は必ず敗亡する。《荊州占》にいう、火星が觜觽を守れば、誅すべき罷むべきがみな執行し下せない。火星が觜觽に出入・滞留・止宿すれば、君主と臣下はともに兵を統べるであろう。《黄帝占》にいう、火星が觜觽を守れば、将軍は反叛し天子の軍隊は撃破され、牛馬はこれに急行・奔走する。《黄帝占》はまたいう、火星が觜觽と参宿を守れば、国に喪事があり応期は六十日で、あるいは糧価が騰貴する。《文曜鉤》にいう、功ある臣を駆逐すれば、すなわち火星が觜宿・参宿を守るこの天象に応ずる。
石氏曰:“熒惑守觜觽、西方客動,侵地欲為;君王崇禮以制義,則國安;一曰西羌兵起。熒惑守觜觽,君臣和同。”甘氏曰:“熒惑守觜觽,萬物不生,天下愁悲。”巫咸曰:“熒惑守觜觽,旱,多大災,五穀不成,天子不可動兵。“巫咸曰:“熒惑守觜觽,有石墮其野者,一曰有怪石,以入日占何國。熒惑守觜觽,穀貴;入之,石二百;不入,石一百。”
石氏はいう、火星が觜觽を守れば、西方の客軍は挙動する所有り、土地を侵奪して作為せんと欲す。君王もし礼制を尊崇し義を以て裁断すれば、国家はすなわち安定を得る。もう一説には西羌が兵を興すとする。またいう火星が觜觽を守れば、君臣は和睦して心を同じくする。甘氏はいう、火星が觜觽を守れば、万物は生長できず天下は愁苦・悲傷する。巫咸はいう、火星が觜觽を守れば、天は旱して大災が多く五穀は熟さず、天子は兵を動かすべからず。巫咸はまたいう、火星が觜觽を守れば、隕石がその分野の郊野に墜落する者があり、もう一説には怪異の石が現れ、火星の入宿の日辰に拠ってどの国に応じるかを占断するとする。火星が觜觽を守れば穀価は騰貴し、もし宿中に入れば石ごとに二百に漲り、入らなければ石ごとに百である。
《海中占》曰:“熒惑守觜觽,其國有憂。”郗萌曰:“熒惑守觜觽、參,棄法律;又曰小民多傷。熒惑犯守觜觽,不出三十日,有兵。熒惑守觜觽,國易政,天下多不孝子,父子相鬥,鐵器貴,一曰禾貴。”《西官候》曰:“熒惑守虎首,一日為十日以上,天下兵起,斧鉞用。”
《海中占》にいう、火星が觜觽を守れば、その分野の国に憂患がある。郗萌はいう、火星が觜觽と参宿を守れば、法律は廃棄されて用いられず、またいう小民に傷亡が多いとする。火星が侵犯して觜觽を守れば、三十日を出ずに兵事がある。火星が觜觽を守れば、国家は政令を更改し、天下に不孝の子が多く、父子は相争闘し、鉄器は価貴く、もう一説には禾穀が価貴いとする。《西官候》にいう、火星が虎首すなわち觜觽に守れば、一日を以て十日以上に算して天下は兵を興し、斧鉞・刑殺の具は用場に派せられる。
齊伯曰:“熒惑守觜觽,害國之君,將兵入於秦之域矣,六畜大疫,山谷盡空。”《春秋圖》曰:“熒惑守觜觽,有兵起,將為亂、若有急令,天下斧鉞在用,不出百八十日。”《黃帝占》曰:“熒惑守觜觽,野多反者,斧鉞用。”郗萌曰:“熒惑守觜觽而守之,六十日,其國有喪,大臣有誅,被逐者;萬物不生,天下飢,谷大貴。”
斉伯はいう、火星が觜觽を守れば、国君を危害し、兵鋒はまさに秦の地の境内に入らんとし、六畜は大いに瘟疫を起こし、山谷の間は人畜ともに空となる。《春秋図》にいう、火星が觜觽を守れば、兵事の興起があり将帥はまさに乱を作さんとし、あるいは緊急の詔令が頒下され、天下はまさに斧鉞・刑殺を動用しており、応験は百八十日を出ない。《黄帝占》にいう、火星が觜觽を守れば、郊野に反叛の人が多く、斧鉞・刑殺の具は用場に派せられる。郗萌はいう、火星が觜觽に至ってそこに守候して六十日に満てば、その国に喪事があり、大臣の中に誅殺される者・放逐される者があり、万物は生長できず天下は飢饉し穀価は大いに騰る。
熒惑犯参 七
《黃帝占》曰:“熒惑犯參,有大將反者;兵大連精,四方相射,王者不安,轉徙宮室。”石氏曰:“熒惑犯參左肩,大戰;星角明大,天下之兵卒起而強;微細,天下兵弱。”《說題辭》曰:“熒惑入參,主威下,國廢。”《文曜鉤》曰:“熒惑入伐,有兵戰,守之五日以上,大將死。”郗萌曰:“熒惑入參若伐,天子憂市;一曰君失市。”
参宿は西方白虎七宿の末で、分野は魏の地・益州に属し、斬殺・刈除を主り、白虎の身でありまた将軍の征伐を主る。宿中の三小星は名を「伐」といい、もっぱら兵戈・誅罰を主る。《黄帝占》にいう、火星(熒惑)が参宿を侵犯すれば、大将の反叛があろうとして、兵馬は大批に連結し精鋭で、四方は交り射戦し、君王は安寧を得ず宮室を遷移するべきである。石氏はいう、火星が参宿の左肩の星を侵犯すれば、大戦があろうとし、もし星芒が明亮・粗大なれば天下の兵卒は驟起して強盛し、星芒が微細なれば天下の兵力は衰弱する。《説題辞》にいう、火星が参宿に入れば、君主の威権は下移し国家は敗廃する。《文曜鉤》にいう、火星が伐星に入れば、兵戦があろうとして、五日以上守候すれば大将は死ぬべきである。郗萌はいう、火星が参宿あるいは伐星に入れば、天子は市易の事に憂慮し、もう一説には君主が市易への掌控を失うとする。
《春秋緯》曰:“熒惑逆入參,成勾巳,天下大亂,天子失度,大人憂;若環繞之,王命惡,若有大喪,期一年,遠三年。”《荊州占》曰:“熒惑逆入參,必有一國之君餓,若戮死者。”《春秋圖》曰:“熒惑入參,將有憂。”郗萌曰:“熒惑南至參,將必有下獄者。”甘氏曰:“熒惑舍伐,不出三旬,大赦。”
《春秋緯》にいう、火星が逆行して参宿に入り、往返して勾曲の形を画けば、天下は大いに乱れ、天子の挙措は法度を失い、貴人に憂いがある。もし繞行して一周すれば、君王の命数は不吉で、あるいは大喪があり、応期は一年、遠ければ三年である。《荊州占》にいう、火星が逆行して参宿に入れば、必ず一国の君に飢餓する者があり、あるいは殺されて死ぬ。《春秋図》にいう、火星が参宿に入れば、将帥はまさに憂患があろう。郗萌はいう、火星が南行して参宿に至れば、将帥の中に必ず獄に下される者がある。甘氏はいう、火星が伐星に止宿すれば、三十日を出ずに大赦があろう。
郗萌曰:“熒惑宿參若伐,直橫者為有反臣中兵。熒惑入參一月,相死;二月,后死,三月,君死。”《西官候》曰:“熒惑入參,留二十日以上,兵戰出;期七十二日,若十月,若有喪,小兒多傷。”郗萌曰:“熒惑逆行,若留止衡中,為兵軍起。熒惑出入留舍參中,天子宮中兵起。”《黃帝占》曰:“熒惑守參多霜雹。”
郗萌はいう、火星が参宿あるいは伐星に止宿して、ちょうど横列する三星の処に当たれば、反叛の臣が朝中に兵を動かす兆しがある。火星が参宿に入って一か月に満てば宰相は死に、二か月に満てば皇后は死に、三か月に満てば君主は死ぬ。《西官候》にいう、火星が参宿に入って二十日以上滞留すれば、兵馬は出て戦い、応期は七十二日または十か月で、あるいは喪事があり小児に傷亡が多い。郗萌はいう、火星が逆行するか、あるいは滞留して参宿の横列する三星の中に停まれば、兵馬の起事を主る。火星が参宿の中に出入・滞留・止宿すれば、天子の宮廷の内に兵変が興る。《黄帝占》にいう、火星が参宿を守れば、霜雹を多く降らせる。
《河圖》曰:“熒惑以四月守參,其國兵起,兵起宮中,戰有功,若封侯者;五月守之,在人有憂下獄者。”《孝經章句》曰:“熒惑守參,兵大殺,千里之行,淮主亦驚,牛馬多死,雨澤不時,歲為下。”石氏曰:“熒惑守參,大將軍反,天子之軍破,牛馬急行,麥大貴,人相食。”甘氏曰:“熒惑守參,王者不安,徒宮室。”
《河図》にいう、火星が四月のうちに参宿を守れば、その分野の国は兵を興し、兵変は宮廷の内に発生し、作戦して功があり、あるいは功によって侯に封ぜられる者がある。もし五月のうちにそれを守れば、憂懼して獄に下される者がある。《孝経章句》にいう、火星が参宿を守れば、兵戈は大肆に殺戮し、行軍は千里で、淮上の君長までもこれに震驚し、牛馬は大批に死亡し、雨水は時節に拠らず降り、年成は下等に属する。石氏はいう、火星が参宿を守れば、大将軍は反叛し天子の軍隊は撃破され、牛馬は急行・奔走し、麦価は大いに騰り人が人を食うに至る。甘氏はいう、火星が参宿を守れば、君王は安寧を得ず宮室を遷徙するべきである。
巫咸曰:“熒惑守參,有怪石墮其野,以入內占。熒惑守參,旱,多火災,萬物五穀不成,其國有憂。”《海中占》曰:“熒惑守伐五日,人主死。”郗萌曰:“熒惑守參足下五日,糴暴賤;二十日以上,糴大賤;三十日,有赦,一曰四月守參,三十日,赦。熒惑守參,為大人當之。”《荊州占》曰:“熒惑以四月守參,天下金貴。”
巫咸はいう、火星が参宿を守れば、怪石がその分野の郊野に墜落する者があり、それが宿内に入った日辰に拠って占断する。火星が参宿を守れば、天は旱して火災が多く、万物と五穀は成熟せず、その国に憂患がある。《海中占》にいう、火星が伐星を守って五日に満てば、君主は死ぬべきである。郗萌はいう、火星が参宿の足部の下に守って五日に満てば、糧価は驟然に低落し、二十日以上なれば糧価は大いに跌き、三十日なれば赦令があり、もう一説には四月のうちに参宿を守って三十日に満てば赦があるとする。火星が参宿を守れば、貴人によってこの災咎を承当する。《荊州占》にいう、火星が四月のうちに参宿を守れば、天下の金価は騰貴する。
郗萌曰:“熒惑守伐,百二十日成勾巳。若環繞之,大人惡之,若有憂,期六月。”《荊州占》曰:“熒惑守參,白虎兵起,鐵鉞用。”陳卓曰:“火守伐,天下更正朔。”《西官候》曰:“火守伐,燕王當死;其留二十日以上,大人惡之,期六十日,若秦地凶。”甘氏曰:“熒惑守參,有赤星出參中,邊有兵。”
郗萌はいう、火星が伐星を守れば、百二十日のうちに往返して勾曲の形を画く。もし繞行して一周すれば、貴人はこれを悪兆とし、あるいは憂患があり、応期は六か月である。《荊州占》にいう、火星が参宿を守れば、白虎の主る西方は兵を興し、鉄鉞・刑殺の具は用場に派せられる。陳卓はいう、火星が伐星を守れば、天下は正朔・暦法を更改するべきである。《西官候》にいう、火星が伐星を守れば、燕王は死ぬべきであり、それが二十日以上滞留すれば、貴人はこれを悪兆とし、応期は六十日で、あるいは秦の地に凶禍がある。甘氏はいう、火星が参宿を守るとき、もし赤色の星が参宿の中に現れれば、辺境に兵事がある。
石氏曰:“熒惑以四月守參,火入舍,金錢發。熒惑入參,守之二十日以上,兵起於野,將軍出戰,有死將,石隕其野,多反者。熒惑與龍星並見參中,天子更政,有戮死臣。熒惑與彗星若妖星見參伐,天子更政;妖星一名望能。”郄萌曰:“熒惑經參,能見參伐,大國君為臣所謀。熒惑與彗星見參,大國君不吉。”
石氏はいう、火星が四月のうちに参宿を守り、火星が宿に入り舍に止まれば、金銭・財貨はこれに流散・動用される。火星が参宿に入って二十日以上守候すれば、兵事は郊野に起こり、将軍は師を出して戦い、将領の戦死する者があり、隕石はその分野の郊野に墜落し、反叛する人が甚だ多い。火星と蒼竜の星がともに参宿の中に現れれば、天子は政令を更改し、誅殺される臣子がある。火星と彗星あるいは妖星がともに参宿・伐星の処に現れれば、天子は政令を更改する——妖星はまた望能と作る。郄萌はいう、火星が参宿を経て、参宿・伐星とともに顕現し得れば、大国の君は臣下に図り謀られる。火星と彗星がともに参宿に現れれば、大国の君は吉利ならず。
開元占経 巻三十四
熒惑占 五
熒惑犯南方七宿
熒惑犯東井 一
《黃帝占》曰:“熒惑犯東井,小有兵。”(案《宋書天文志》曰:安帝義熙九年二月丙午,熒惑填星皆犯東井,十三年三月,索頭大眾緣河為寇,高祖討之。奔退,其別帥跋嵩交戰,大破之,嵩殲馬,復攻關中,八月擒宏也。)
東井はすなわち井宿で、南方朱雀七宿の首であり、分野は秦の地・雍州に属し、水泉・法令と天子の庭を主る。《黄帝占》にいう、火星(熒惑)が東井を侵犯すれば、小規模の兵事があろう。原書小注は《宋書・天文志》に拠っていう、晋安帝義熙九年二月丙午、火星と土星(填星)がともに東井を侵犯し、義熙十三年三月に至って、索頭の部衆が黄河一帯に沿って入寇し、宋高祖劉裕は兵を発して討伐し、敵軍は奔逃・退走し、その別部の主帥跋嵩が来て交戦し大いに敗れ、跋嵩は戦馬を折損した。この後また関中を進攻し、八月に姚泓を擒獲した。
陳卓曰:“熒惑犯東井,群臣有以家事坐罪者。”(案《宋書天文志》曰:魏高貴鄉公正元二年十二月戊午。熒惑犯東井北轅西頭第一星,甘露元年。諸葛誕族滅。宋孝武大明二年三月辛未,熒惑入東井,其年四月,海陵王休茂為雍州刺史,五年,休茂反誅。)
陳卓はいう、火星が東井を侵犯すれば、群臣の中に家門の私事に牽連して罪を獲る者があろう。原書小注は《宋書・天文志》に拠っていう、魏の高貴郷公正元二年十二月戊午、火星が東井の北面の一列星のうち西端の第一顆を侵犯し、甘露年間に至って、諸葛誕が寿春で兵を挙げて失敗し、全族が誅滅された。また、宋孝武帝大明二年三月辛未、火星が東井に入り、当年四月、海陵王劉休茂は雍州刺史に出任し、大明五年に至って、休茂は兵を起こして反を謀り誅殺された。
《黃帝占》曰:“熒惑以春入東井、有赦。”《文曜鉤》曰:“熒惑東井,失道行陽,天下大旱,有火災,若內亂,期不出三。”石氏曰:“熒惑入東井,兵起,若旱,其國亂,有兵兵止,無兵兵起,大臣當之。(案《宋書天文志曰》晉成帝咸康元年八月戊戍,熒惑入東井,是年夏,發眾列戍,加王,遵司馬,以備胡賊也。)熒惑入東井,必先軍起役有令。熒惑角氣,行疾,入東井,十日相死;三十日主終,後命惡之。”
《黄帝占》にいう、火星が春季に東井に入れば、赦令があろう。《文曜鉤》にいう、火星が東井に行き至って常道を偏離し南面の陽道を走れば、天下は大旱し、火災があろうとして、あるいは内乱が発生し、応験は三年を出ない。石氏はいう、火星が東井に入れば、兵事が興るかあるいは乾旱し、その分野の国は動乱し、もと兵事あれば兵事は止息し、もと兵事なければ兵事は発動し、大臣によってこの災咎を承当する。原書小注は《宋書・天文志》に拠っていう、晋成帝咸康元年八月戊戌、火星が東井に入り、当年夏、民衆を徴発して営を列ねて戍守し、王号を加封し、司馬の職を遵用して、胡賊に備えるに用いた。石氏はまたいう、火星が東井に入れば、必ず先に軍事が興り、随いて後に征役の令を下す。火星の星芒が気を吐き行度が迅疾にして東井に入れば、十日以内に宰相は死に、三十日に君主は終亡し、皇后の命数もまた不吉である。
《黃帝占》曰:“熒惑入東井,牛大疫,兵器鉞大貴。”石氏曰:“熒惑入東井中,海水出,水暴下。”甘氏曰:“熒惑入東井,有逃主;又曰四百人貴一人。”巫咸曰:“熒惑入東井中,國有遁主。熒惑入東進,貴人不安其位,一國大旱。”
《黄帝占》にいう、火星が東井に入れば、牛群は大いに瘟疫を起こし、兵器と斧鉞の類の価銭は大いに騰る。石氏はいう、火星が東井の中に入れば、海水は泛濫して岸に上がり、大水は驟然として傾瀉して下る。甘氏はいう、火星が東井に入れば、出逃する君主があろうとし、またいう四百人の中に一人が貴を得るとする。巫咸はいう、火星が東井の中に入れば、国に逃遁する君主がある。火星が東井に入れば(底本は「東進」と作る、「東井」の形近の誤りである)、貴人はその位に安んじて居ることができず、一国は大旱する。
郗萌曰:“熒惑入東井,國失火。(案《宋書天文志》曰:景帝四年七月癸未,火入東井,行陰,後二年,有栗氏事,後未央東關火災,《洪範天文星辰復占》曰:未央門火災。)熒惑入東井,太白隨之,糴貴,道上多死人。熒惑入東井,先起兵者,大將戮死,期六十日。熒惑逆行東井,貴人死傷,若失火。”
郗萌はいう、火星が東井に入れば、国中に火災が発生する。原書小注は《宋書・天文志》に拠っていう、漢景帝四年七月癸未、火星が東井に入って走るは北面の陰道であった。この後二年、栗姫一族の事変が発生し、後に未央宮の東関に火が起こり、《洪範天文星辰復占》は未央宮門の失火という。郗萌はまたいう、火星が東井に入り太白金星が後に随い従えば、糧価は騰貴し道路上に餓死する人が多い。火星が東井に入って、先に兵を動かす一方は大将が殺されて死に、応期は六十日である。火星が逆行して東井に至れば、貴人は死傷し、あるいは火災が発生する。
《海中占》曰:“熒惑入東井,角動,赤黑色,大人當之,以水起兵,其環繞之,事必成;其留二十日,色赤黃,大人增地;黑、憂,奪地。”司馬彪《天文志》曰:“熒惑入東井中口,大臣有誅者。”石氏曰:“熒惑正過東井中,南出者,天下有易王業者。”《海中占》曰:“熒惑過東井上二丈者,軍將必當去其兵,歸必有病事。”
《海中占》にいう、火星が東井に入って星芒が閃動し色が赤黒を作れば、貴人によってこの災咎を承当し、水事によって起兵せんとする。もしそれが繞行して一周すれば、図る事は必ず成功する。それが二十日滞留して光色が赤黄なれば、貴人は土地を増広し、光色が黒に発すれば憂患があり、土地は人に奪い去られる。司馬彪《天文志》にいう、火星が東井の正中の口部に入れば、大臣の中に誅殺される者がある。石氏はいう、火星が端直に東井の中を穿って南面から出れば、天下に王業を更換する事がある。《海中占》にいう、火星が東井の上方二丈の処を越えれば、兵を領く将領は必ず兵権を交出し、帰って来て以後必ず疾病の事がある。
《黃帝曰》曰:“熒惑去北戍至東井,干一星,將軍有野死不葬者;干二星,中倖臣有市死者;北戍者,北河也。”《春秋圖》曰:“熒惑之東井,有從白衣之封為侯者。”《海中占》曰:“熒惑舉東進北戌,去戌三丈,當復發千人以上;去戌二丈,復發萬人;去戌一丈,門開,道無行人,若其留戍下六十日,天下大赦。”
《黄帝曰》にいう、火星が北戍を離れて行って東井に至り、その中の一顆の星を衝犯すれば、将軍の中に荒野に暴死して収葬する人なき者があり、二顆の星を衝犯すれば、宮中の近幸の臣に市に処死される者がある——いわゆる北戍はすなわち北河星である。《春秋図》にいう、火星が東井に行き至れば、平民百姓よりして侯に封ぜられる者があろう。《海中占》にいう、火星が東井の北戍一帯に昇って北戍に距ること三丈なれば、まさにさらに千人以上を征発せんとし、北戍に距ること二丈なればさらに一万人を征発し、北戍に距ること一丈なれば、関門は大いに開き道上に行人を見ない。もしそれが北戍の下に滞留して六十日に満てば、天下は大赦する。
晉灼曰:“熒惑留東井中三十日,天下大水,人主以身游水。熒惑西方守東井、輿鬼,去復還反之,強國君忌之。”《海中占》曰:“熒惑入東井,留三十日以上,既去復還,居之若環繞成勾巳者,國君有憂,若重有喪;期九十日,若一年。”郗萌曰:“熒惑出入留舍東井,三十日不下,必有破國死王。”《河圖》曰:“熒惑在西方若東方,守東井,有男喪。”
晋灼はいう、火星が東井の中に滞留して三十日に満てば、天下は大水を発し、君主は身を親しく水を渉って行くべきである。火星が西方にあって東井・輿鬼を守り、離れて以後また折り返って来れば、強国の君主はこの天象を忌諱すべきである。《海中占》にいう、火星が東井に入って三十日以上滞留し、離れた後また折り返りそこに居留し、あるいは繞行して勾曲の形を成せば、国君に憂いがあり、あるいは連なり喪事があり、応期は九十日または一年である。郗萌はいう、火星が東井に出入・滞留・止宿して三十日なお退か去らなければ、必ず国家の敗亡・君王の身死の事がある。《河図》にいう、火星があるいは西方にあるいは東方にあって東井を守れば、男子の喪事があろう。
石氏曰:“熒惑以十二月守東井,且憂火。熒惑守東井,名水有絕者,大魚死,國大旱。熒惑守東井,如炬火,兵起。”甘氏曰:“熒惑守東井,貴相戮。熒惑以五月守東井六十日,東海決溢,水出。”巫咸曰:“熒惑守東井間,有逐王。”
石氏はいう、火星が十二月のうちに東井を守れば、まさに火災のために憂慮せんとする。火星が東井を守れば、名ある大川に断流・枯竭する者があり、大魚は死去し、国中は大旱する。火星が東井を守って光色が熾烈にして火炬のごときなれば、兵事が興る。甘氏はいう、火星が東井を守れば、顕貴の宰相は殺される。火星が五月のうちに東井を守って六十日に満てば、東海は決口・漫溢して大水が涌出する。巫咸はいう、火星が東井の間に守れば、駆逐される君王があろう。
郗萌曰:“熒惑守東井,為萬物不成,久守之,金錢易。熒惑守東井南,主后死,守其西,太子死;守其北,諸侯有死者。熒惑守日月之門,國內亂,以其日占國。熒惑守東井,大人憂。”(案《宋書天文志》曰:晉元帝大興三年十月乙亥,熒惑在東井,永熙元年十二月,元帝崩。)陳卓曰:“熒惑守東井,天下不安。”郗萌曰:“熒惑守東井,天子為軍自守。熒惑守東井,百川溢。”
郗萌はいう、火星が東井を守るのは万物の成熟せざるを主り、もし長久に守候して去らなければ、銭幣の制度は変更するべきである。火星が東井の南に守れば、君主と皇后は死ぬべきであり、それの西に守れば太子は死に、それの北に守れば諸侯の中に死去する者がある。火星が日月出入の門戸すなわち東井一帯に守れば、国内は動乱し、当日の日辰に拠ってどの国に応じるかを占断する。火星が東井を守れば、貴人に憂いがある。原書小注は《宋書・天文志》に拠っていう、晋元帝大興三年十月乙亥、火星が東井に在り、永熙元年十二月に至って元帝は駕崩した。陳卓はいう、火星が東井を守れば、天下は安寧を得ない。郗萌はまたいう、火星が東井を守れば、天子は軍隊を調集して自衛するべきである。火星が東井を守れば、百川は漫溢・泛濫する。
《黃帝占》曰:“熒惑入東井,留守井中,天子有火災。”《感精符》曰:“熒惑逆行守東井,成勾巳,天子坐之,天下兵起,守之二十日以上,相惡之,四十日以上,人主當之;先起殃,後起昌。”《甄曜度》曰:“熒惑入東井而守之,二十日以上,其國有大兵起,有大喪;三十日不下,有逃走相,破軍殺將,其國失地,不出期年,遠二年。”
《黄帝占》にいう、火星が東井に入って井宿の中に滞留・守候すれば、天子のところに火災がある。《感精符》にいう、火星が逆行して東井を守り往返して勾曲の形を画けば、天子はこの災咎を承当し、天下は兵事を興す。二十日以上守候すれば宰相はこれを悪兆とし、四十日以上なれば君主によって承当し、先に兵を動かす一方は殃に遭い後に兵を動かす一方は昌盛する。《甄曜度》にいう、火星が東井に入ってそこに守候して二十日以上なれば、その分野の国に大兵事の興起があり併せて大喪があり、三十日なお退か去らなければ、逃亡する宰相があり、軍隊は潰敗し将領は誅殺され、その国は土地を喪失し、応験は一年を出ず遠ければ二年である。
石氏曰:“熒惑入若守東井,河決,有水令。熒惑入,若守東井,二十日以上,宮中以火為敗,若內亂,臣當之。”郗萌曰:“熒惑入,若守東井。為土功事。熒惑犯乘守入東井中,以日占,臨其時者,辱也;留三日以上,占其大臣當之,期三月,若一年、三年、三年、遠五年。
石氏はいう、火星が東井に入るかあるいは守れば、黄河は決口し、朝廷は治水の政令を頒下するべきである。火星が東井に入るかあるいは守って二十日以上に満てば、宮中は火災によって損を受け、あるいは内乱が発生し、臣下によってこの災咎を承当する。郗萌はいう、火星が東井に入るかあるいは守るのは土木を興修する事を主る。火星が侵犯し・その上を凌駕し・守候してかつ東井の中に入るのは、当日の日辰に拠って占断し、ちょうどその時辰に当たる一方は辱を受けるべきである。三日以上滞留すれば、大臣が災咎を承当すると占断し、応期は三か月、あるいは一年・三年、遠ければ五年である。
《洛書》曰:“熒惑守鉞,兵大起,臣謀主,斧鉞用,將相有戮死者。”(案《宋書天文志》曰:魏高貴鄉公甘露元年七月乙卯、熒惑犯井鉞,三年,諸葛誕夷滅。《晉陽秋》曰:安帝隆安元年八月乙巳,熒惑守井鉞,二年八月,以譙王尚之弟充之為振威將軍,守蕪湖,以備庚楷等,由是內外騷動,王恭慮禍難,復密要殷仲堪桓玄同會京師,玄等皆響,遣石顯鍾堪在蕪湖、朝廷震駭。)
《洛書》にいう、火星が東井のそばの鉞星を守れば、兵事は大いに起こり、臣下は君主を図り謀り、斧鉞・刑殺の具は用場に派せられ、将帥・宰相の中に殺されて死ぬ者がある。原書小注は《宋書・天文志》に拠っていう、魏の高貴郷公甘露元年七月乙卯、火星が井鉞を侵犯し、甘露三年に至って諸葛誕は夷滅された。《晋陽秋》にいう、晋安帝隆安元年八月乙巳、火星が井鉞を守り、隆安二年八月、譙王司馬尚之の弟司馬充之を振威将軍に任命して蕪湖を戍守せしめ、庾楷らに備えるに用いた。これによって朝廷の内外は騒動し、王恭は禍難の臨頭を憂慮し、また暗に殷仲堪・桓玄に約請してともに京師に会師せんとし、桓玄らはみな兵を起こして応じ、石顕・鍾堪を派遣して蕪湖に進駐せしめ、朝廷はこれに震駭した。
石氏曰:“熒惑犯守鉞,大臣有誅,斧鉞用,有兵起,一曰執法者誅,不出其年。”郗萌曰:“熒惑中犯乘守鉞,斧鉞用,為其國內亂,兵起;一曰執法者誅。”
石氏はいう、火星が侵犯して鉞星を守れば、大臣の中に誅殺される者があり、斧鉞・刑殺の具は用場に派せられ、兵事の興起があり、もう一説には法令を掌る官員が誅せられ、応験は当年を出ないとする。郗萌はいう、火星が正中から逼近して侵犯しその上を凌駕して鉞星を守候すれば、斧鉞・刑殺の具は用場に派せられ、その分野の国の内乱の発生を主り兵事が興り、もう一説には法令を掌る官員が誅せられるとする。
熒惑犯輿鬼 二
《黃帝占》曰:“熒惑犯輿鬼,皇后憂失勢。”《帝覽嬉》曰:“熒惑犯輿鬼,為國有憂,大臣誅。(案司馬彪《天文志》曰:孝明永平十三年閏月丁亥,火犯輿鬼其十二月,楚王英與顏忠等造作妖書謀反,英自殺,忠等皆伏誅。)
輿鬼はすなわち鬼宿で、分野は秦の地・雍州に属し、祠祀・鬼神と死喪の事を主り、宿中に積尸気があり、もっぱら死亡に応ずる。《黄帝占》にいう、火星(熒惑)が輿鬼を侵犯すれば、皇后は憂懼して勢を失う。《帝覧嬉》にいう、火星が輿鬼を侵犯するのは国に憂患がある兆しで、大臣は誅せられる。原書小注は司馬彪《天文志》に拠っていう、漢明帝永平十三年閏月丁亥、火星が輿鬼を侵犯し、当年十二月、楚王劉英が顔忠らと妖書を偽造して反を図り謀り、劉英は自殺し顔忠らはみな処死された。
甘氏曰:“熒惑犯輿鬼,執法者戮。”(司馬《天文志》曰:延禧七年八月庚戍,熒惑犯鬼質星,八月二月,太僕南鄉侯左勝,以罪賜死,弟中常侍上蔡侯綰等自殺,宗親侍中比陽侯鄧康,河南尹鄧萬等皆係,萬等死,康等免官,桂陽太守任胤等背散走皆棄市,九年七月乙未,熒惑行鬼中,犯質星,十一月,太原太守劉瓚,南陽太守成瑨,皆坐殺無罪,尚書郎孟璫坐受金漏言,皆棄市,永康元年十二月,桓帝崩。)
甘氏はいう、火星が輿鬼を侵犯すれば、法令を掌る官員は殺される。原書小注は司馬彪《天文志》を引いていう、漢桓帝延熹七年八月庚戌、火星が鬼宿の質星すなわち積尸気を侵犯し、その後太僕南郷侯左勝は罪によって死を賜わり、その弟中常侍上蔡侯左綰らは自殺し、宗親侍中比陽侯鄧康・河南尹鄧万らはみな拘係され、鄧万らは死に鄧康らは免官され、桂陽太守任胤らは陣に臨んで潰散・逃走し、みな処死されて棄市された。延熹九年七月乙未、火星は鬼宿の中を行り質星を侵犯し、十一月、太原太守劉瓚・南陽太守成瑨はみな罪なき人を擅に殺したことで罪を獲り、尚書郎孟璫は金銭を収受し機密を泄漏したことで罪を獲り、一併に棄市された。永康元年十二月に至って桓帝は駕崩した。
《荊州占》曰:“熒惑犯輿鬼,忠臣戮死,皆不出一年中。”甘氏曰:“熒惑入輿鬼,犯積尸,天下兵大起,戰流血,有沒軍死將。(《宋書天文志》曰:晉安帝義熙十四年七月甲辰,熒惑犯輿鬼,占曰:秦有兵,十五年,西虜寇長安,雍州刺史朱齡石諸軍陷沒。)三十日不下,國有大喪,人民流亡,死者大半,期三年。”
《荊州占》にいう、火星が輿鬼を侵犯すれば、忠臣は殺されて死に、いずれも一年以内に応験する。甘氏はいう、火星が輿鬼に入り宿中の積尸気を侵犯すれば、天下の兵事は大いに起こり、交戦して血を流し、全軍覆没・将領戦死の事があろう。原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、晋安帝義熙十四年七月甲辰、火星が輿鬼を侵犯し、占辞にいう秦の地に兵事ありと。義熙十五年に至って、西面の胡虜は長安に進犯し、雍州刺史朱齢石の率いる諸軍は陥没した。甘氏は続けていう、火星が三十日停留してなお退か去らなければ、国に大喪があり、百姓は流離・逃亡し、死者は半ばを過ぎ、応期は三年である。
《黃帝占》曰:“熒惑入輿鬼,有兵喪,金玉用,有大赦;及留守之,物貴,天下大疾疫;其留二十日以上,兵大起,多戰死者,為宗廟神明事,若民多痾疾,若有女喪,期十月。”(司馬《天文志》曰:孝桓建和元年八月壬寅,熒惑犯輿鬼,質和平元年十二月甲寅,梁太后崩。《宋書天文志》曰:晉成帝咸和九年三月巳酉,熒惑入輿鬼,占曰:兵在西北,有沒軍死將,四月鎮西將軍郭權始以秦州婦從,尋為石斌所滅,徒其眾於青徐。)
《黄帝占》にいう、火星が輿鬼に入れば、兵事と喪事があり、金玉の物は動用され、大赦があろう。それが滞留・守候するに及べば、物価は騰貴し天下は大いに瘟疫を起こす。それが二十日以上滞留すれば、兵事は大いに起こり戦死する人が甚だ多く、宗廟・祭祀・神明の事を主り、あるいは百姓に疾病を多く生じ、あるいは女子の喪事があり、応期は十か月である。原書小注は司馬彪《天文志》を引いていう、漢桓帝建和元年八月壬寅、火星が輿鬼と質星を侵犯し、和平元年十二月甲寅に至って梁太后は駕崩した。《宋書・天文志》にいう、晋成帝咸和九年三月己酉、火星が輿鬼に入り、占辞にいう兵事は西北にあり全軍覆没・将領戦死の事ありと。四月、鎮西将軍郭権は初め秦州を以て帰附したが、まもなく石斌に滅ぼされ、その部衆は青州・徐州一帯に遷徙された。
《春秋緯》曰:“熒惑入輿鬼,主以內亂,淫泆。”《孝經章句》曰:“熒惑入輿鬼,主坐之。”(司馬《天文志》曰:孝質本初元年三月癸丑,熒惑入輿鬼,閏月一日,孝質帝為梁冀鳩,而崩。)石氏曰:“熒惑入輿鬼中,旬主后死;七日,相死,四月、主死。熒惑入輿鬼,斧鑕用,其星視動頡頡然,是謂王府國家不安。故則物不欲聚也;皆以入日命其國。”
《春秋緯》にいう、火星が輿鬼に入れば、君主は内乱と荒淫・放縦によって禍を招く。《孝経章句》にいう、火星が輿鬼に入れば、君主によってこの災咎を承当する。原書小注は司馬彪《天文志》を引いていう、漢質帝本初元年三月癸丑、火星が輿鬼に入り、閏月初一、質帝は梁冀に毒酒を以て害死された。石氏はいう、火星が輿鬼の中に入って十日に満てば君主と皇后は死に、七日に満てば宰相は死に、四か月に満てば君主は死ぬ。火星が輿鬼に入れば、斧鑕の刑具は用場に派せられる。その星は見るに閃爍して定まらず上下に頡頏し、これを王家の府庫と国家が安寧を得ざると作し、ゆえに財物は積聚すべからず。これらはいずれも火星の入宿の日辰に拠ってどの国に応じるかを断定する。
巫咸曰:“熒惑入輿鬼,將相有誅者。”(《宋書天文志》曰:晉成帝咸和九年三月已亥,熒惑入輿鬼,犯積尸,四月鎮西將軍雍州刺史郭權始以秦州歸從,守為石虎所滅,從其眾於青徐也。)劉向《洪範》曰:“熒惑入輿鬼,大賊在大人之側。”(《宋書天文志》曰:晉安帝元興元年七月戍寅、熒惑在東井,又犯輿鬼積尸,二年,桓玄篡位,遷帝於潯陽。)
巫咸はいう、火星が輿鬼に入れば、将帥・宰相の中に誅殺される者がある。原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、晋成帝咸和九年三月己亥、火星が輿鬼に入り宿中の積尸気を侵犯し、四月、鎮西将軍・雍州刺史郭権は初め秦州を以て朝廷に帰附したが、すぐに石虎に攻滅され、彼の部衆は青州・徐州一帯に遷された。劉向《洪範》にいう、火星が輿鬼に入れば、大奸賊がすなわち貴人の身辺に潜伏している。原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、晋安帝元興元年七月戊寅、火星が東井に在りまた輿鬼の積尸気を侵犯し、元興二年に至って桓玄は帝位を簒奪し、安帝を尋陽に遷徙して安置した。
《海中占》曰:“熒惑入輿鬼中央星,可四五日,大人當之。”郗萌曰:“熒惑入輿鬼,為大人卒事,以命終也。熒惑守柳,入輿鬼,人相食。”《荊州占》曰:“熒惑入輿鬼,為亂臣在內,有屠城。”陳卓曰:“熒惑入輿鬼,有金錢令。”(《宋書天文志》曰:明帝泰始三年六月,熒惑犯輿鬼,九月,以皇后六宮衣服金釵雜物則北征將士也,有火災。)
《海中占》にいう、火星が輿鬼の正中のあの星に入っておよそ四五日なれば、貴人によってこの災咎を承当する。郗萌はいう、火星が輿鬼に入るのは貴人の猝然たる遭事を主り、寿命の告終に至る。火星が先に柳宿を守って後に輿鬼に入れば、人が人を食う惨事があろう。《荊州占》にいう、火星が輿鬼に入るのは朝廷の内に乱臣ありを主り、併せて屠城の禍がある。陳卓はいう、火星が輿鬼に入れば、銭財・金玉に関する政令があろう。原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、宋明帝泰始三年六月、火星が輿鬼を侵犯し、九月、皇后六宮の衣服・金釵などの雑物を取り出して北征の将士に賞賜し、その間にまた火災が発生した。
齊伯曰:“熒惑入鬼中,大臣有誅,兵大起,白骨滿野。”(《五行傳》曰:漢宣帝本始四年,熒惑入輿鬼,天質,後三年霍氏謀反之應也。)郗萌曰:“熒惑留輿鬼,臣下不明。”《南官候》曰:“熒惑留輿鬼,君臣疾病,逆行,失火;女主用財大奢,過度。”
斉伯はいう、火星が鬼宿の中に入れば、大臣の中に誅殺される者があり、兵事は大いに起こり白骨は郊野に遍布する。原書小注は《五行伝》を引いていう、漢宣帝本始四年、火星が輿鬼に入り天質に逼近し、この後三年、霍氏が反を謀り、正しくこの天象の応験である。郗萌はいう、火星が輿鬼に滞留すれば、臣下は昏昧で明らかならず。《南官候》にいう、火星が輿鬼に滞留すれば、君臣ともに疾病があり、もし逆行すれば火災があり、女主の用度は奢靡で法度を超出する。
郗萌曰:“熒惑舍輿鬼中十餘日,出輿鬼又舍南河二十日、三十日,因南行,國有的小男喪,正月初見者,七月吉凶發;正月、七月孟,長男坐之;九月初見者,三月吉凶發;九月、三月季,少男坐之。熒惑舍輿鬼中央,十餘日出輿鬼,又舍北河二十日、三十日,北行;邦有小女喪;十月初見者,四月吉凶發;十月、四月孟、長女坐之;十二月初見者,六月吉凶發;六月、十二月季,少女坐之。
郗萌はいう、火星が輿鬼の中に止宿して十余日、輿鬼を出てまた南河星に止宿して二十日・三十日、随いて南に行けば、国中に年幼の男子の喪事があろう。正月のうちに初めてこの天象を見た者は、七月のうちに吉凶が応験する——正月・七月は四孟の月に属し長子によってこの災咎を承当する。九月のうちに初めて見た者は三月のうちに吉凶が応験する——九月・三月は四季の月に属し幼子によって承当する。火星が輿鬼の正中に止宿して十余日後に輿鬼を出て、また北河星に止宿して二十日・三十日、随いて北に行けば、国中に年幼の女子の喪事があろう。十月のうちに初めて見た者は四月のうちに吉凶が応験する——十月・四月は四孟の月に属し長女によって承当する。十二月のうちに初めて見た者は六月のうちに吉凶が応験する——六月・十二月は四季の月に属し幼女によって承当する。
熒惑舍輿鬼中三十日至五十日,天下有大喪;十一月見,五月應之;他放此。熒惑舍輿鬼中央,多霜露,風雨不時。熒惑舍輿鬼西北,婦人多妊子而死者。舍中央,小兒多死;一曰萬民多病頭,目痛;舍東北,長年多死;一曰必有流水。舍東南,老人多死。”
火星が輿鬼の中に止宿して三十日から五十日なれば、天下に大喪事があり、十一月のうちにこの天象が現れれば五月のうちに応験し、その余の月份はみなこの例に照らして推算する。火星が輿鬼の正中に止宿すれば、霜露は特に多く風雨は時節に合わない。火星が輿鬼の西北に止宿すれば、婦人に懐孕して死ぬ者が多い。正中に止宿すれば小児は多く死に、もう一説には万民に頭病・眼目疼痛を患う者が多いとする。東北に止宿すれば年長の人が多く死に、もう一説には必ず洪水が発生するとする。東南に止宿すれば老人が多く死ぬ。
齊伯曰:“熒惑出入留舍輿鬼,五十日不去,國傷水,邑空。”《黃帝占》曰:“熒惑守輿鬼,女主病;留十日不去,國傷水,邑空。”《黃帝占》曰:“熒惑守輿鬼,女主病;留十日,諸侯王夫人當之;留二十日,太子夫人當之;東去,病在孔竅不利;南去,在頭;西去,平凡在手足;北去,病在陰。熒惑守輿鬼東南七日,少年病;守十日,老人病。熒惑守輿鬼中央,大人憂。”
斉伯はいう、火星が輿鬼に出入・滞留・止宿して五十日なお去らなければ、国中は水患に傷られ城邑は空虚となる。《黄帝占》にいう、火星が輿鬼を守れば女主は病を生じ、十日滞留して去らなければ、国中は水患に傷られ城邑は空虚となる。《黄帝占》はまたいう、火星が輿鬼を守れば女主は病を生じ、十日滞留すれば諸侯王の夫人によって承当し、二十日滞留すれば太子の夫人によって承当する。火星が東に去れば病は耳目口鼻などの孔竅の通利せざるにあり、南に去れば病は頭部にあり、西に去ればおおむね病は手足にあり、北に去れば病は下体にある。火星が輿鬼の東南を守って七日に満てば年軽い人は病を生じ、十日に満てば老年の人は病を生ずる。火星が輿鬼の正中に守れば、貴人に憂いがある。
石氏曰:“熒惑守輿鬼,貴相戮。熒惑守輿鬼,大人有祭祀之事。”巫咸曰:“熒惑守輿鬼,有兵兵罷,多水災,萬物五穀不成。熒惑守輿鬼,人君貴人憂,鈇鉞用。”郗萌曰:“熒惑守輿鬼,去復還居之,大國君不吉。”《海中占》曰:“熒惑守輿鬼,出其南,水;其北、旱。”(巫咸曰:守北水,守南旱。)
石氏はいう、火星が輿鬼を守れば、顕貴の宰相は殺される。火星が輿鬼を守れば、貴人に祭祀の事がある。巫咸はいう、火星が輿鬼を守れば、もと兵事あれば兵事は罷息し、水災が多く万物と五穀は成熟せず。火星が輿鬼を守れば、君主と貴人に憂いがあり、鉄鉞・刑殺の具は用場に派せられる。郗萌はいう、火星が輿鬼を守って離れた後また折り返って来てそこに居留すれば、大国の君は吉利ならず。《海中占》にいう、火星が輿鬼を守ってその南面から出れば水を主り、その北面から出れば旱を主る。原書小注は巫咸を引いていう、北辺に守れば水を主り南辺に守れば旱を主る——上の一説とちょうど相反する。
郗萌曰:“熒惑守輿鬼,執法吏有過罪者;一曰主死,民多疾喪,棺木麻布貴;一曰牛馬貴。熒惑守輿鬼東北,男子兵相殺;守東南,萬民多死;守西北,以赦令解之。熒惑守輿鬼,在南,有男喪:在北,有女喪。熒惑守輿鬼,有土功事,若有德令。熒惑守輿鬼北七十日,好病;守南七十日,男子疾;熒惑經歷輿鬼中,東行還守西北角,有逐王來降;其後匈奴大敗北地。”(班固《天文志》曰:熒惑守輿鬼,為火變有喪,漢孝武六年,熒惑守輿鬼,其歲高園有火災,賓太后崩。)
郗萌はいう、火星が輿鬼を守れば、執法の官吏の中に過を犯して罪を獲る者があり、もう一説には君主は死に百姓は病に多く喪に多く棺木と麻布は価貴く、また一説には牛馬が価貴いとする。火星が輿鬼の東北を守れば、男子の間で兵刃が相殺し、東南を守れば万民は多く死に、西北を守れば赦令を以て消解できる。火星が輿鬼を守って南辺にあれば男子の喪事があり、北辺にあれば女子の喪事がある。火星が輿鬼を守れば、土木の工程の事があろうとして、あるいは恩を施す徳令が頒下される。火星が輿鬼の北に守って七十日に満てば人は多く病を生じ、南辺に守って七十日に満てば男子は病を患う。火星が輿鬼の中を経行して東行した後また帰って来てその西北角を守れば、駆逐された王が来て帰降する者があろう。この後匈奴は北地に大敗した。原書小注は班固《天文志》を引いていう、火星が輿鬼を守るのは火災の変を主り併せて喪事ありと。漢武帝建元六年、火星が輿鬼を守り、当年高園に火災が発生し、賓太后(すなわち竇太后)は駕崩した。
《荊州占》曰:“熒惑守輿鬼東北星,棺木貴;守東南星,五穀貴;守西南星,金錢貴,守西北星,鐵器、魚鹽皆百倍。”《玉曆》曰:“熒惑守輿鬼,秦有疾病,金玉貴。”石氏曰:“熒惑守輿鬼,必大赦,期六十日;入鬼巳去,復還守之,大赦。熒惑出西方,若東方,出入輿鬼,守成勾巳,尊者失宗廟,期六十日,若百八十日。”
《荊州占》にいう、火星が輿鬼の東北のあの星を守れば棺木は価貴く、東南のあの星を守れば五穀は価貴く、西南のあの星を守れば金銭は価貴く、西北のあの星を守れば鉄器と魚塩はいずれも百倍に漲る。《玉暦》にいう、火星が輿鬼を守れば、秦の地に疾疫があり金玉は価貴い。石氏はいう、火星が輿鬼を守れば、必ず大赦があり応期は六十日で、鬼宿に入ってすでに離れ去りまた折り返って来てそれを守っても、また大赦であろう。火星があるいは西方から出るいは東方から出て輿鬼に出入し、守候して勾曲の形を画成すれば、尊貴の人は宗廟・社稷を失うべく、応期は六十日または百八十日である。
《春秋緯》曰:“熒惑逆行,守輿鬼,成輿鬼,成勾巳,王者惡之,兵起,財帛金錢散,將軍有戰死者;若有火災,期不出年。”郗萌曰:“熒惑入輿鬼,去復還守之,期不出三年中。熒惑入若守輿鬼,為多憂,財空出,亂,臣在內,若大臣謀,有干鉞乘質者,君人憂,金玉用,民多疾,從南入,為男;北人,為女;西入,為老;東入,為丁壯。”
《春秋緯》にいう、火星が逆行して輿鬼を守り鬼宿に往返して勾曲の形を画けば、君王はこれを悪兆とし、兵事が興り財帛・金銭は耗散し、将軍の中に戦死する者があり、あるいは火災が発生し、応験は当年を出ない。郗萌はいう、火星が輿鬼に入って離れた後また折り返って来てそれを守れば、応験は三年を超えない。火星が輿鬼に入るかあるいは守るのは、憂患の众多・財貨の徒らに流散を主り、動乱が発生し乱臣はすなわち朝廷の内にあり、あるいは大臣に図り謀る所有る。もし火星が鉞星を衝犯し質星を凌駕すれば、君主に憂いがあり金玉の物は動用され、百姓は病に多い。火星が南面から入れば男子に応じ、北面から入れば女子に応じ、西面から入れば老人に応じ、東面から入れば壮年の人に応ずる。
《河圖》曰:“熒惑入輿鬼,犯守之,天下白徒聚,土功興。”《荊州占》曰:“熒惑干犯守輿鬼,隨所守物,王者發之,不出七十日;天下有大喪,陽為人君;陰為皇后,左為太子;右為貴臣。”《荊州占》曰:“熒惑經輿鬼中,犯乘積尸者,兵在西北,有沒軍死將;久留守之,天子有喪;其以十二月主守之,下賤多死,有土功事,有德令。”
《河図》にいう、火星が輿鬼に入って侵犯し守候すれば、天下の白衣の徒は聚集し土木の工程が興る。《荊州占》にいう、火星が衝犯して輿鬼を守れば、それが守るあの星に対応する事物に拠り、君王はこれのために挙動を発動し、応験は七十日を出ない。天下に大喪があり、南面は陽に属し君主に応じ、北面は陰に属し皇后に応じ、東辺は左で太子に応じ、西辺は右で顕貴の臣に応ずる。《荊州占》はまたいう、火星が輿鬼の中を経行して積尸気を侵犯し凌駕すれば、兵事は西北にあり全軍覆没・将領戦死の事があり、長久に滞留・守候すれば天子に喪がある。もし十二月のうちにそれを守れば、下層の貧賤の人は多く死に、土木の工程の事があろうとして併せて恩を施す徳令がある。
熒惑犯柳 三
《河圖》曰:“熒惑犯柳,當有謀;臣不從王命。”石氏曰:“熒惑犯柳,有木功事;若名木見伐者。”郗萌曰:“熒惑犯注,色赤,三芒,天下有亡王;若死將。”《黃帝占》曰:“熒惑入注,大人御守。”《甄曜度》曰:“熒惑入注而去之,天下安,大歸其鄉,有兵兵止,萬民安樂,貴人吉,安其社稷,以六月守注百二十日,其國人飢,旱。”
柳宿はまた「注」と名づけ、朱雀の口喙で、分野は周の地・三河に属し、草木の生長と厨膳・饗食の事を主る。《河図》にいう、火星(熒惑)が柳宿を侵犯すれば、陰謀があろうとして臣下は君王の命令に聴従しない。石氏はいう、火星が柳宿を侵犯すれば、木材の営造の事があろうとして、あるいは名ある大樹が人に砍伐される。郗萌はいう、火星が注宿を侵犯して顔色が赤に発し三道の星芒を射出すれば、天下に敗亡の君王があり、あるいは陣亡の将領がある。《黄帝占》にいう、火星が注宿に入れば、貴人は厳加に防守するべきである。《甄曜度》にいう、火星が注宿に入って後に離れ去れば、天下は安定し百姓は大批に故郷に帰り、もと兵事あれば兵事は止息し、万民は安楽し貴人は吉利で社稷は安穏である。もし六月のうちに注宿を守って百二十日に満てば、その分野の国人は飢饉し天は旱する。
巫咸曰:“熒惑入柳,諸侯有慶賀之事,天下大樂。”郗萌曰:“熒惑入柳,國有觴客之事,一日、五日,宮中觴。”《南官侯》:“熒惑入柳,麻貴,在後年,又曰:入注,天下安。”郗萌曰:“熒惑行柳,失火。”《春秋圖》曰:“熒惑之柳,天下憂四夷。”郗萌曰:“熒惑入注,留二十日以上,有負海之客。”《荊州占》曰:“熒惑留柳,供養者非其人。”
巫咸はいう、火星が柳宿に入れば、諸侯に慶賀の事があり天下は十分に歓楽する。郗萌はいう、火星が柳宿に入れば、国に酒宴を設け客を饗す事があり、あるいは一日、あるいは五日、宮中は酒を摆するべきである。《南官侯》にいう、火星が柳宿に入れば、麻価は騰貴し第二年に応じ、またいう火星が注宿に入れば天下は安定する。郗萌はいう、火星が柳宿を経行すれば、火災があろう。《春秋図》にいう、火星が柳宿に行き至れば、天下は四方の夷狄の患に憂える。郗萌はいう、火星が注宿に入って二十日以上滞留すれば、瀕海の地の賓客の到来があろう。《荊州占》にいう、火星が柳宿に滞留すれば、供養・飲食を掌る者は職に称えざる人である。
郗萌曰:“熒惑以三月舍注下,芒赤色,怒左右,倚兩傍;冬地大動,民大恐;兵大起,三年乃止。”《春秋圖》曰:“熒惑出入留舍柳,三十日不下,天下有急令;天子大憂,將有誅者,其國之中,必有敗,土功事大起。”郗萌曰:“熒惑出入留舍柳,將有訛言者,其國必敗。”
郗萌はいう、火星が三月のうちに注宿の下に止宿して星芒が赤紅にして左右に怒射し両側に偏倚すれば、冬に至って大地は震動し百姓は極めて恐慌し、兵事は大いに起こって三年にしてやっと止息する。《春秋図》にいう、火星が柳宿に出入・滞留・止宿して三十日なお退か去らなければ、天下に緊急の詔令があろうとして、天子は大いに憂慮し将帥の中に誅殺される者があり、その分野の国の内に必ず敗亡の事があり、土木の工程は大いに興る。郗萌はいう、火星が柳宿に出入・滞留・止宿すれば、まさに訛言を散布する人があろうとして、その国は必ず敗壊する。
《黃帝占》曰:“熒惑守柳,侯王不寧。”《文曜鉤》曰:“熒惑六月守柳,其國失地,人民以飢流亡。”石氏曰:“熒惑守柳,有兵,逆臣在側。”石氏曰:“熒惑守柳,為反臣中外兵,以赦令解之。熒惑守柳,天下旱,多火災,萬物五穀不成,糴大貴。”巫咸曰:“熒惑守柳,天下大旱,羊貴。”
《黄帝占》にいう、火星が柳宿を守れば、諸侯・君王は安寧を得ない。《文曜鉤》にいう、火星が六月のうちに柳宿を守れば、その分野の国は土地を喪失し、百姓は飢饉によって流亡する。石氏はいう、火星が柳宿を守れば、兵事があり叛逆の臣はすなわち君主の身辺に在る。石氏はまたいう、火星が柳宿を守るのは反叛の臣が朝廷の内外に兵を動かす兆しであり、赦令を以て消解できる。火星が柳宿を守れば、天下は乾旱し火災が多く、万物と五穀は成熟せず糧価は大いに騰る。巫咸はいう、火星が柳宿を守れば、天下は大旱し羊価は騰貴する。
郗萌曰:“熒惑守注三十日以上,萬家邑拔,千家邑擄;退居之,南北去之,其邑不可舉事,用兵反受其殃。”郗萌曰:“熒惑守注,官有治官之事,民多疾疫;一曰宮有大火。熒惑守柳南,聖人在南國。”《荊州占》曰:“熒惑熒迫守柳,宮門閉。”陳卓曰:“熒惑守注三十日,其君憂。”《百二十占》曰:“熒惑守柳,讒臣亂,若有兵。”《黃帝占》曰:“熒惑犯守柳,有導主為非,亂其國事者;若天子以飲食為害,不安社稷。”
郗萌はいう、火星が注宿を三十日以上守れば、万戸の城邑は攻抜され千戸の城邑は虜掠される。もし火星が退行してそこに居留し、あるいは南に向かい北に向かい離れ去れば、あの城邑は大事を興挙すべからず、兵を用いれば反って殃に遭う。郗萌はまたいう、火星が注宿を守れば、官府に官吏を整粛する事があり百姓は多く疫病を生じ、もう一説には宮中に大火が発生するとする。火星が柳宿の南に守れば、聖人が南方の国に出る兆しがある。《荊州占》にいう、火星の光焰が逼近して柳宿を守れば、宮門は閉鎖するべきである。陳卓はいう、火星が注宿を守って三十日に満てば、その国の君主に憂いがある。《百二十占》にいう、火星が柳宿を守れば、讒佞の臣が乱を作し、あるいは兵事がある。《黄帝占》にいう、火星が侵犯して柳宿を守れば、君主を導引して非を為し歹を作し国政を擾乱する人があろうとして、あるいは天子は飲食の事によって害を受け、社稷は安寧を得ない。
熒惑犯七星 四
郗萌曰:“熒惑犯七星,臣為亂。”《南宮侯》曰:“熒惑犯近七星三日以上,所近犯者誅。”《文曜鉤》曰:“並味沉湎,熒惑入注,侯星。”(宋均曰:注侯七星也。)甘氏曰:“熒惑入七星,必有君置太子者。”巫咸曰:“熒惑入七星,必有觴客事。”郗萌曰:“熒惑留七星,為天下大憂,憂中央。”
七星はすなわち星宿でまた天都と呼び、分野は周の地・三河に属し、緊急の兵事・衣裳文繍と盗賊の患を主る。郗萌はいう、火星(熒惑)が七星を侵犯すれば、臣下は乱を作す。《南宮侯》にいう、火星が逼近して七星を侵犯して三日以上なれば、それが逼近・侵犯したあの星の主る人は誅殺されるべきである。《文曜鉤》にいう、君主が味を兼ね食を厚くし酒色に沈湎すれば、火星は注宿・侯星に入る。原書小注は宋均を引いていう、いわゆる注・侯はすなわち七星である。甘氏はいう、火星が七星に入れば、君主は必ず太子を冊立するべきである。巫咸はいう、火星が七星に入れば、必ず酒宴を設け客を饗す事がある。郗萌はいう、火星が七星に滞留するのは天下に大憂ありを主り、憂患は中央の朝廷に出る。
《聖洽符》曰:“熒惑舍七星,人民趣舍,安桑蠶,寧其土。”郗萌曰:“熒惑出入留舍七星,國失地,天下大亂;若臣下衣服失度。”齊伯曰:“熒惑出入留舍七星周,國多男女喪,失城,有水,天下決江,歲多土功,大亂,更為元年。”郗萌曰:“熒惑逆行七星,地動,若失火。”石氏曰:“熒惑與七星合,國君惡之。”郗萌曰:“熒惑與七星合光,大人必有疾者。”
《聖洽符》にいう、火星が七星に止宿すれば、百姓は各々帰趨・止息する所を得て、安心して蚕桑に従事し本土に安居する。郗萌はいう、火星が七星に出入・滞留・止宿すれば、国家は土地を喪失し天下は大いに乱れ、あるいは臣下の衣着・服飾は法度を逾越する。斉伯はいう、火星が出入・滞留・止宿して七星を一周を繞れば、国中に男女の喪事が多く、城池は守りを失い水患が発生し、天下の江河は決口し、当年に土木を多く興し、大乱の後は改元して元年を重ね立てるべきである。郗萌はいう、火星が逆行して七星に至れば、地震するかあるいは失火する。石氏はいう、火星が七星と相合すれば、国君はこれを悪兆とする。郗萌はいう、火星と七星が光芒を相合すれば、貴人の中に必ず病を生ずる者がある。
《黃帝占》曰:“熒惑守七星,有兵,若獵車騎;又曰:社稷傾亡,宮中生荊棘,又曰:治宮室之事。”《黃帝占》曰:“熒惑守七星四十日,其君憂。”《河圖》曰:“熒惑守七星,二陽同居,其歲枯旱,五穀不成;若守之百日,三年不雨,王者退火官伐之,則災消。”
《黄帝占》にいう、火星が七星を守れば、兵事がありあるいは田猟の車馬が出動し、またいう社稷は傾覆・敗亡して宮中に荆棘が生え長ずるとし、またいう宮室を興修するべきであるとする。《黄帝占》はまたいう、火星が七星を守って四十日に満てば、その国の君主に憂いがある。《河図》にいう、火星が七星を守れば、陽に属する二つが一処に同じくし、当年は枯槁・乾旱して五穀は熟さず、もし守候して百日に満てば、三年雨が降らないであろう。君王もし火を掌る官を貶退し責罰を加えれば、災禍はすなわち消除できる。
郗萌曰:“熒惑守七星,為反臣中兵也。”《甄曜度》曰:“熒惑守七星,民有憂,萬物不成,天下有水。”石氏曰:“熒惑守七星,地動。”巫咸曰:“熒惑守七星,白魚貴。”《海中占》曰:“熒惑守七星,人主有憂,津橋不通。”
郗萌はいう、火星が七星を守るのは反叛の臣が朝廷の内に兵を挙げて乱を作す兆しである。《甄曜度》にいう、火星が七星を守れば、百姓に憂患があり万物は成熟せず天下に水災が発生する。石氏はいう、火星が七星を守れば、地震の変があろう。巫咸はいう、火星が七星を守れば、白魚の類の水産の価銭は騰貴する。《海中占》にいう、火星が七星を守れば、君主に憂いがあり、渡口・橋梁は阻斷して通ぜず、行旅・商賈は往来することができない。
郗萌曰:“熒惑守七星三旬以上,大凶,天下有憂,期一年。熒惑守七星,曝巫於市,金鼓不行,百鬼不響。熒惑守七星,為臣中外兵,以德令解,謂赦令也,熒惑守七星,為國有大徭,民苦。”《南官侯》曰:“熒惑守天都,民有憂,大水為災。”
郗萌はいう、火星が七星を三十日以上守れば、大いに凶険で天下に憂患があり応期は一年である。火星が七星を守れば、巫者を市上に曝晒して雨を求め、鐘鼓の楽は停止して奏せず、衆鬼神もまた来て応答しない。火星が七星を守るのは臣下が朝廷の内外に兵を動かす兆しであり、恩を施す徳令を以て消解できる——いわゆる徳令はすなわち赦令である。火星が七星を守るのは国に沉重の徭役ありを主り、百姓は困苦する。《南官侯》にいう、火星が天都すなわち七星を守れば、百姓に憂患があり大水が災を成す。
《感精符》曰:“熒惑入七星,若犯守之,人主有憂,大臣有誅,必有大客,貴人有繫者;若守五十日,民多死,不出其年,人主行急令。”郗萌曰:“熒惑入若守七星,有觴客之事。”《南官候》曰:“熒惑入,若守七星,大人有疾者,若國有徭。”
《感精符》にいう、火星が七星に入るかあるいは侵犯・守候すれば、君主に憂いがあり大臣の中に誅殺される者があり、必ず身分尊貴の賓客の到来があり、顕貴の人の中に拘係される者がある。もし守候して五十日に満てば、百姓は多く死に応験は当年を出ず、君主は緊急の政令を施行するべきである。郗萌はいう、火星が七星に入るかあるいは守れば、酒宴を設け客を饗す事があろう。《南官候》にいう、火星が七星に入るかあるいは守れば、貴人の中に病を患う者があり、あるいは国に徭役の事がある。
熒惑犯張 五
石氏曰:“熒惑入張,大亂兵起,六月干之國空。”巫咸曰:“熒惑入張,國有觴客之事。”郗萌曰:“熒惑入張,貴人安其社稷,其歲男子小憂。熒惑出張中,旱。”陳卓曰:“熒惑出張,種大貴。”郗萌曰:“熒惑逆行張,地動若失火。”陳卓曰:“熒惑逆行張,功臣當之。”石氏曰:“熒惑逆行乘張,大亂兵起。”
張宿は朱雀の嗉嚢で、分野は周の地・三河に属し、天子の珍宝・厨膳と宗廟の衣服を主り、また遠方の賓客の接待を主る。石氏はいう、火星(熒惑)が張宿に入れば、大乱の中に兵事が興り、六月のうちにそれを衝犯すれば、その分野の国は人物が一空となる。巫咸はいう、火星が張宿に入れば、国に酒宴を設け客を饗す事がある。郗萌はいう、火星が張宿に入れば、貴人はその社稷を安んずることを得て、当年に男子にやや憂患がある。火星が張宿の中から出れば、乾旱を主る。陳卓はいう、火星が張宿から出れば、種子の価銭は大いに騰る。郗萌はいう、火星が逆行して張宿に至れば、地震するかあるいは失火する。陳卓はいう、火星が逆行して張宿に至れば、功ある臣によって災咎を承当する。石氏はいう、火星が逆行して張宿を凌駕すれば、大乱の中に兵事が興る。
《春秋圖》曰:“熒惑之張,天下霜。”巫咸曰:“熒惑之張,三十日不下,其君憂,有兵起。”石氏曰:“熒惑與張星會,所在之國,不可舉事,用兵必受其殃。”《河圖》曰:“熒惑居張,絕糧道。”郗萌曰:“熒惑留張,臣下衣服失度。”《黃帝占》曰:“熒惑守張,大將有千里驚,大水,五穀貴;一曰土功作役不時,百姓怨謗。”
《春秋図》にいう、火星が張宿に行き至れば、天下に霜を降らせる。巫咸はいう、火星が張宿に行き至って三十日なお退か去らなければ、その国の君主に憂いがあり、兵事の興起があろう。石氏はいう、火星が張宿と相会すれば、所在の分野の国は大事を興挙すべからず、兵を用いれば必ず殃に遭う。《河図》にいう、火星が張宿に居留すれば、糧道は断絶する。郗萌はいう、火星が張宿に滞留すれば、臣下の衣着・服飾は法度を逾越する。《黄帝占》にいう、火星が張宿を守れば、大将に千里以外の驚変があり、大水を発し五穀は価貴く、もう一説には土木の工程と労役が時令に合わず百姓は怨恨し毀謗するとする。
《春秋緯》曰:“殘陰,則熒惑守張。”《考異郵》曰:“熒惑守張,諸侯謀反。”《孝經章句》曰:“熒惑守張,政不平,民多訴訟,黃葭貴,雨澤不時,谷水不通,歲為下。”石氏曰:“熒惑守張,天下必有歸兵;一曰鳳凰下,以其守日占之知何國,火主禮故也。熒惑守張,五穀貴,大人不恤,政事危急,民飢,有千里行者。”
《春秋緯》にいう、陰柔の属を殘害すれば、火星はすなわち張宿を守る。《考異郵》にいう、火星が張宿を守れば、諸侯は反叛を図り謀る。《孝経章句》にいう、火星が張宿を守れば、政令は公ならず百姓に訴訟が多く、黄蘆は価貴く雨水は時節に拠らず降り、川谷・水道は通ぜず、年成は下等に属する。石氏はいう、火星が張宿を守れば、天下に必ず帰附し来降する軍隊があり、もう一説には鳳凰が降臨し、それが守候した日辰に拠って占断すればすなわちどの国に応じるかを知る——これは火星が礼を主るがゆえである。火星が張宿を守れば、五穀は価貴く貴人は体恤を加えず、政事は危急で百姓は飢餓し、千里に遠行して荒を逃れる人がある。
郗萌曰:“熒惑守張者,為有臣中兵也。”石氏曰:“熒惑守張,兵起,女主用事,宮中生荊棘。熒惑守張,天下大飢,國倉空。”巫咸曰:“守張,國必有大客遠來者。”甘氏曰:“熒惑非其次守張,當去不去,其色大赤,其國舉兵;從留得其次,不為災殃。”《海中占》曰:“熒惑守張,功臣當有封者。”
郗萌はいう、火星が張宿を守るのは朝中に兵を動かす臣下ありを主る。石氏はいう、火星が張宿を守れば、兵事が興り女主は政事を把持し、宮中に荆棘が生え長ずる。火星が張宿を守れば、天下は大飢饉で国家の倉廩は空虚である。巫咸はいう、火星が張宿を守れば、国中に必ず尊貴の賓客が遠方より前来する。甘氏はいう、火星が応に処るべき次舍にあらずして来て張宿を守り、離れ去るべきときに離れ去らず、顔色が赤紅で甚だしければ、その分野の国は兵を起こすべく、もし滞留した後なお応ある次舍に帰れば、災殃を成さない。《海中占》にいう、火星が張宿を守れば、功ある臣の中に当に封を受ける者があるべし。
郗萌曰:“熒惑守張,天子有兵事。熒惑以六月守張六十日,歲穰熟,其歲民有慶賜事。熒惑守張,國治宗廟,期二十日。熒惑守張,為反臣中外兵,以德令解,謂赦令也。”《南官侯》曰:“熒惑入張而守之,天下大亂,大人憂,兵大起,若有急,弓甲聚其地,其將亡。”
郗萌はいう、火星が張宿を守れば、天子に兵事がある。火星が六月のうちに張宿を守って六十日に満てば、年成は豊熟し当年に百姓に慶賞・賜予を受ける事がある。火星が張宿を守れば、国家は宗廟を修治するべく応期は二十日である。火星が張宿を守るのは反叛の臣が朝廷の内外に兵を動かす兆しであり、恩を施す徳令を以て消解できる——いわゆる徳令はすなわち赦令である。《南官侯》にいう、火星が張宿に入ってそこに守候すれば、天下は大いに乱れ貴人に憂いがあり、兵事は大いに起こり、あるいは緊急の事があり、弓矢・甲冑はその分野の地に聚集し、そこの将帥は敗亡するべきである。
《海中占》曰:“熒惑犯張若守之,天下有兵,宮門當閉,男子有急,女子不安,五穀不成,民大飢;一曰火居張,人絕糧。”《荊州占》曰:“熒惑犯若守張,宮門當閉,大將被甲兵。”
《海中占》にいう、火星が張宿を侵犯するかあるいはそれを守候すれば、天下に兵事があり宮門は閉鎖すべきであり、男子は急難に遭遇し女子は安寧を得ず、五穀は成熟せず百姓は大いに飢餓する。もう一説には火星が張宿に居留すれば、人々は糧食を断絶するとする。《荊州占》にいう、火星が侵犯するかあるいは張宿を守れば、宮門は閉鎖すべきであり、大将は身に甲冑を披り兵を執って戦に備えるべきである。
熒惑犯翼 六
《荊州占》曰:“熒惑犯入翼,車騎無極,四海大兵,民當何所息,萬民飢愁,當何所食。”石氏曰:“熒惑入翼四月,楚主死,旬相死;不死,出走。”郗萌曰:“熒惑入翼,四海有急,國憂。”陳卓曰:“熒惑翼中,將軍為亂。”《南官候》曰:“熒惑入翼,魚鹽貴,水蟲倍價。”
翼宿は朱雀の両翼で、分野は楚の地・荊州に属し、天子の楽府・歌舞と四方の遠客を主る。《荊州占》にいう、火星(熒惑)が侵犯して翼宿に入れば、車馬・兵騎は奔走して止まず、四海の内は大いに干戈を動かし、百姓はまさにどこに身を安んずるか、万民は飢餓・愁苦してまさに何を以て飢えに充てんか。石氏はいう、火星が翼宿に入って四か月に満てば楚の地の君主は死ぬべきであり、十日に満てば宰相は死に、たとえ死なずとも出逃するべきである。郗萌はいう、火星が翼宿に入れば、四海に急難があり国に憂患がある。陳卓はいう、火星が翼宿の中にあれば、将軍は乱を作す。《南官候》にいう、火星が翼宿に入れば、魚塩は価貴く水産の物の価銭は翻倍する。
郗萌曰:“熒惑逆行翼,不出其年,大軍起,天下大憂。”《荊州占》曰:“熒惑逆行翼,邪臣亂朝延,忠臣不可以進。熒惑逆行翼,失火。”郗萌曰:“熒惑入翼,留二十日以上,大人有病,一曰守三十日,其君憂。熒惑入翼,留二十日以上,國有白服之朝,期百三十日中,若人有病,若國大徭,民若以勞。”
郗萌はいう、火星が逆行して翼宿に至れば、応験は当年を出ず、大軍が興起し天下は大いに憂懼する。《荊州占》にいう、火星が逆行して翼宿に至れば、奸邪の臣は朝廷を擾乱し忠臣は進用することができない。火星が逆行して翼宿に至れば、火災があろう。郗萌はいう、火星が翼宿に入って二十日以上滞留すれば、貴人は病を生じ、もう一説には三十日守候してその国の君主に憂いがあるとする。火星が翼宿に入って二十日以上滞留すれば、国に満朝孝服を着る喪事があり、応験は百三十日以内で、あるいは人に病を生じ、あるいは国に徭役を大いに興して百姓はこれに労苦する。
《南官侯》曰;“熒惑留翼,臣下淫佚;逆行色赤,失火;一曰大亂,臣亂朝延。”郗萌曰:“熒惑出入留舍翼,使者有急事,兵起,不用於外地;逆行之,不出九年,必有軍起,天下亡矣。”《甄曜度》曰:“熒惑守翼,王者微弱,臣不順命;若大人有病,天下有憂。”
《南官侯》にいう、火星が翼宿に滞留すれば、臣下は荒淫・放縦し、もし逆行して顔色が赤に発すれば失火し、もう一説には天下は大いに乱れ臣子は朝廷を擾乱するとする。郗萌はいう、火星が翼宿に出入・滞留・止宿すれば、使者は身に緊急の事を負い兵事は興起するが、境外に用いるに及ばず、もしそれが逆行すれば、九年を出ずに必ず軍事の興起があり天下はこれに随いて敗亡する。《甄曜度》にいう、火星が翼宿を守れば、君王は衰微・軟弱で臣下は命令に聴従せず、あるいは貴人は病を生じ天下に憂患がある。
《孝經章句》曰:“熒惑守翼,先水後旱,布縷大貴,人病頭首,雨澤不時。”石氏曰:“熒惑守翼,若大旱,魚鹽五穀貴,萬物不成。熒惑守翼,天下修兵。”甘氏曰:“熒惑守翼,王者軟弱,臣不從令;忠心奉天,則熒惑退。”郗萌曰:“熒惑守翼,為反臣中外兵;以德令解,謂赦令也。”
《孝経章句》にいう、火星が翼宿を守れば、先に水災を発して後に旱災に遭い、布匹・糸縷の価銭は大いに騰り、人は頭部の病を患う者が多く、雨水は時節に拠らず降る。石氏はいう、火星が翼宿を守れば、大旱があろうとして魚塩と五穀は価貴く万物は成熟しない。火星が翼宿を守れば、天下はいずれも兵備を整治している。甘氏はいう、火星が翼宿を守れば、君王は軟弱で臣下は政令に服従せず、もし君王が忠誠の心を以て天道に奉順すれば、火星はすなわち退去するであろう。郗萌はいう、火星が翼宿を守るのは反叛の臣が朝廷の内外に兵を動かす兆しであり、恩を施す徳令を以て消解できる——いわゆる徳令はすなわち赦令である。
陳卓曰:“熒惑守翼,川谷不通,多資賊,人民相惡。”《玉曆》曰:“熒惑守翼,有急事,若大風。”《南官侯》曰:“熒惑守翼,歲飢,民流千里,有亡國;穀貴,蛇龍見。熒惑守翼,佞臣亂政,其歲多風雨,車騎聚,天下大飢。熒惑以十月守翼五十日,甲兵卒車騎軍屯輕將行五十日而罷;卒有功而錫金者。”
陳卓はいう、火星が翼宿を守れば、川谷・水道は通ぜず、盗賊は資養して群を成し、百姓は互いに仇恨する。《玉暦》にいう、火星が翼宿を守れば、緊急の事がありあるいは大風が刮り起こる。《南官侯》にいう、火星が翼宿を守れば、年成は飢饉して百姓は千里に流亡し、亡国の事があろうとして、穀価は騰貴し蛇竜の類の怪異が出現する。火星が翼宿を守れば、佞臣は朝政を擾乱し、当年に風雨が多く、車馬・兵騎は聚集し天下は大飢饉する。火星が十月のうちに翼宿を守って五十日に満てば、甲士・卒伍と車騎の軍は屯聚し、軽装の将領は師を出して五十日にして後に罷兵し、士卒の中に功を立てて金帛を賜わる者がある。
《百二十占》曰:“熒惑守翼,大旱,色赤,亂且至,人民流;一曰有海國客獻神鳥也。”《感精符》曰:“熒惑逆行守翼,邪臣為亂,忠臣不立,不出其年,兵大起,王者憂也。”《文曜鉤》曰:“熒惑犯翼,若守之,天下大亂,車騎無極,大兵起,四海匈匈,然於無命。”
《百二十占》にいう、火星が翼宿を守れば、天は大旱し、もし顔色が赤に発すれば動乱はまさに来臨せんとして百姓は流離して所を失い、もう一説には海外の国の賓客が来て神鳥を進献するとする。《感精符》にいう、火星が逆行して翼宿を守れば、奸邪の臣は乱を作し忠臣は足を立てることができず、応験は当年を出ず、兵事は大いに起こり君王はこれに憂慮する。《文曜鉤》にいう、火星が翼宿を侵犯するかあるいはそれを守候すれば、天下は大いに乱れ車馬・兵騎は奔走して止まず、大兵が興起し四海の内は喧擾して安からず、性命を保全するに由なきに至る。
熒惑犯軫 七
《春秋緯》曰:“熒惑入軫中,兵大起。”石氏曰:“熒惑入軫中四月,楚主死,入旬,相死;不死,出走。”甘氏曰:“熒惑入軫,有負海客。”巫咸曰:“熒惑入軫中,伺其出日而數之,期二十日,皆為兵發,伺始入處之率;一日期十日軍罷。”郗萌曰:“熒惑入軫,大水,田宅貴;若車貴。”陳卓曰:“熒惑入軫,國有大喪;若將軍死。”
軫宿は南方朱雀七宿の末で、分野は楚の地・荊州に属し、車駕・兵騎・風候と死喪の事を主る。《春秋緯》にいう、火星(熒惑)が軫宿の中に入れば、兵事は大いに起こる。石氏はいう、火星が軫宿の中に入って四か月に満てば楚の地の君主は死ぬべきであり、十日に満てば宰相は死に、たとえ死なずとも出逃するべきである。甘氏はいう、火星が軫宿に入れば、瀕海の地の賓客の到来があろう。巫咸はいう、火星が軫宿の中に入れば、それが出る日を守候して推算すべきである——応期は二十日で期に至っていずれも兵事が発動し、またそれが当初入った処の比率に照らして守候して、一日停留すれば応期十日で期に至って軍隊は解散する。郗萌はいう、火星が軫宿に入れば、大水を発し田地・房宅は価貴く、あるいは車価が騰貴する。陳卓はいう、火星が軫宿に入れば、国に大喪事があり、あるいは将軍が身死する。
《南官侯》曰:“熒惑入軫、兵益;水旱為害,人民擾動,妖言無實,國政數改,士卒勞苦。”石氏曰:“熒惑出軫南,民多病;出其北,民多死。”郗萌曰:“熒惑出軫陰,兵出軫陽;乍西乍東,遠去之遊,其國小憂;去而復還,其國大憂,近期一年,中期二年,遠期三年,熒惑行軫左,負海有殃;行軫右,中國有殃。”
《南官侯》にいう、火星が軫宿に入れば、兵事は増多し、水旱は害を為して百姓は騒動して安からず、妖妄の言は紛起して実拠なく、国家の政令は屡々更改し、士卒は労苦する。石氏はいう、火星が軫宿の南面から出れば百姓は病に多く、それの北面から出れば百姓は死に多い。郗萌はいう、火星が軫宿の陰道から出れば、兵事はすなわち軫宿の陽道から出る。それが忽ち西に忽ち東にして遥かに離れ去って遊蕩すれば、その分野の国はやや憂患がある。離れ去った後また折り返って来れば、その国は大いに憂患があり、近ければ一年、中ばなれば二年、遠ければ三年に応験する。火星が軫宿の左辺を行れば瀕海の地は殃に遭い、軫宿の右辺を行れば中原の国は殃に遭う。
石氏曰:“熒惑逆行軫,失火。”《文曜鉤》曰:“熒惑逆行至軫,名曰逕天,其下之國,當有敗者,大將有憂,士卒擾動,人民苦役,多有死者。”郗萌曰:“熒惑守角間若至軫,道絕不通;出其南,多病;出北,多死;出其陰,陰伐利,戰勝取將;出其陽,陽伐利,戰勝取將。”
石氏はいう、火星が逆行して軫宿に至れば、火災があろう。《文曜鉤》にいう、火星が逆行して軫宿に到達するのを、これを「逕天」と作す——それが臨照する分野の国に当に敗亡する者があるべく、大将に憂いがあり士卒は騒動し、百姓は労役に困り死亡が多い。郗萌はいう、火星が角宿の間に守るかあるいは軫宿に行き至れば、道路は断絶して通ぜず、その南面から出れば疾病を多く生じ、北面から出れば死亡が多く、陰道から出れば陰に属する一方は征伐に利あって勝を得て相手方の将領を擒獲し得、陽道から出れば陽に属する一方は征伐に利あって、また勝を得て相手方の将領を擒獲し得る。
《河圖》曰:“熒惑在軫,不可為人客;為人客者有殃,罰當死。”石氏曰:“熒惑與軫合而並光,主必亡。”巫咸曰:“熒惑守軫,旱;川枯不通,國多火災,萬物五穀不成。”郗萌曰:“熒惑與軫斗,諸侯當有奪地者。”《黃帝占》曰:“熒惑以十月軫三十日,車騎發,其居軫中也;天下盡給軍事,無得居家者。”
《河図》にいう、火星が軫宿に在れば、客軍を為して人を攻伐すべからず——客軍を為す一方は殃に遭い罰を受けて死に至る。石氏はいう、火星が軫宿と相合して光芒が一処に併されば、君主は必ず敗亡する。巫咸はいう、火星が軫宿を守れば、天は旱して河川は枯竭して通ぜず、国中に火災が多く万物と五穀は成熟しない。郗萌はいう、火星と軫宿が相争闘すれば、諸侯の中に当に土地を奪い去られる者があるべし。《黄帝占》にいう、火星が十月のうちに軫宿に行き至って三十日に満てば、車騎は出動し、もしそれが軫宿の中に居留すれば、天下の人はみな軍需を供給して家に安んじて居る能く者なし。
《春秋圖》曰:“熒惑守軫,繞環及已去復還,守之成勾巳,天下兵潰,主起命惡之;大臣欲謀其君,大人有憂,不出年。”石氏曰:“熒惑守軫,青絳帛枲,其物皆貴,其國有兵之災。”石氏曰:“熒惑守軫,有兵,天子車駕凶;若有病,若大臣戮死。”
《春秋図》にいう、火星が軫宿を守って一周を繞行し、およびすでに離れ去りまた折り返って来て、守候して勾曲の形を画成すれば、天下の兵馬は潰敗し、君主の命数はこれを悪兆とし、大臣はその君主を図り謀らんと欲し、貴人に憂いがあり、応験は当年を出ない。石氏はいう、火星が軫宿を守れば、青色・絳色の糸帛と麻枲の類、物価はいずれも騰貴し、その分野の国に兵災がある。石氏はまたいう、火星が軫宿を守れば、兵事があり天子の車駕に凶険があり、あるいは疾病があり、あるいは大臣が殺されて死ぬ。
郗萌曰:“熒惑守軫,兵戰將有功;期不出三年。熒惑守軫,為反臣中外兵,以德令解,謂赦令也;一曰水。”《荊州占》曰:“熒惑守軫,將軍大敗。”《河圖》曰:“熒惑入軫,若守之,其國有喪,將軍為亂,兵草大起,人主惡之,必有亡國,期不出二年;王者以赦除占,則災消。”《南官侯》曰:“熒惑干犯軫,大臣戮死。”
郗萌はいう、火星が軫宿を守れば、兵馬は交戦し将帥はまさに戦功があろうとして、応験は三年を出ない。火星が軫宿を守るのは反叛の臣が朝廷の内外に兵を動かす兆しであり、恩を施す徳令を以て消解できる——いわゆる徳令はすなわち赦令である。もう一説には水災を主るとする。《荊州占》にいう、火星が軫宿を守れば、将軍は大敗する。《河図》にいう、火星が軫宿に入るかあるいはそれを守候すれば、その分野の国に喪事があり将軍は乱を作し、兵戈は草草に大いに起こり、君主はこれを悪兆とし、必ず国家の敗亡があり、応験は二年を出ない。君王もし赦免の政を以てこの占象を禳除すれば、災禍はすなわち消解できる。《南官侯》にいう、火星が軫宿を衝犯すれば、大臣は殺されて死ぬ。
開元占経 巻三十五
熒惑占 六
熒惑犯石氏中官 上
熒惑犯摂提 一
《洛書》曰:“熒惑入攝提,鉤巳,帝必亡。”《百二十占》曰:“熒惑入攝提,兵聚一國;若大臣有誅,人主憂;期百八十日。”巫咸曰:“熒惑入,若犯攝提,坐大臣,成刑。”石氏曰:“熒惑出,若入攝提,大臣誅,兵滿野。”《黃帝占》曰:“熒惑與攝提合,相走去。”郗萌曰:“熒惑守左攝提,左校兵作;右攝提,右校兵作。”
摂提六星は大角の両旁に分列し、石氏中官に属し、正を建つ時節・群臣の統摂を主り、百官を糾察する象である。《洛書》にいう、火星(熒惑)が摂提に入って往返して勾曲の形を画けば、帝王は必ず敗亡する。《百二十占》にいう、火星が摂提に入れば、兵馬は一国の内に聚集し、あるいは大臣の中に誅殺される者があり君主に憂いがあり、応期は百八十日である。巫咸はいう、火星が摂提に入るかあるいは侵犯すれば、大臣は罪によって法に坐り、終に用刑に至る。石氏はいう、火星が摂提に出るいは摂提に入れば、大臣は誅せられ兵馬は郊野に布満する。《黄帝占》にいう、火星が摂提と相合すれば、宰相は走り出て位を離れるべきである。郗萌はいう、火星が左摂提を守れば左校の軍隊は事を起こし、右摂提を守れば右校の軍隊は事を起こす。
熒惑犯大角 二
郗萌曰:“熒惑舍大角東、西,必有立侯。”《海中占》曰:“熒惑守大角,臣謀主者有兵起急,人主憂;王者誡慎左右,期不出百八十日,遠一年。”郗萌曰:“熒惑守大角,有亡國;一曰守三日,天下大哭。”《玄冥》曰:“熒惑犯守大角,臣謀君,子謀父,天下兵起,王者惡之,若有大喪,近期一年,中二年,遠三年。”
大角一星は両摂提の間に在り、天王の座位で帝王の象である。郗萌はいう、火星が大角の東辺あるいは西辺に止宿すれば、必ず諸侯を冊立するべきである。《海中占》にいう、火星が大角を守れば、君主を図り謀る臣下があり、緊急の兵事はこれに随って興起し君主に憂いがあり、君王は警誡し左右の近臣を慎防すべきで、応験は百八十日を出ず遠ければ一年である。郗萌はいう、火星が大角を守れば、亡国の事があろうとして、もう一説には三日守候して天下は哀を挙げて大哭するとする。《玄冥》にいう、火星が侵犯して大角を守れば、臣子は君主を図り謀り兒子は父を図り謀り、天下は兵を興し君王はこれを悪兆とし、あるいは大喪があり、近ければ一年、中ばなれば二年、遠ければ三年に応験する。
熒惑犯梗河 三
巫咸曰:“熒惑犯守梗河、國有謀兵,四夷兵起,來侵中國,邊境有憂。”
梗河三星は大角の北にあり、天上の矛盾の器を象り、胡兵を主りまた喪兵の事を主る。巫咸はいう、火星(熒惑)が侵犯して梗河を守れば、国中に兵を興さんと図り謀る人があり、四方の夷狄は兵を起こし、来て中原を侵犯し、辺境はこれに憂患がある。
熒惑犯招揺 四
《聖洽符》曰:“熒惑犯招搖,邊兵大起,敵人為寇;若守之,敵人敗,若敵主死,不出二年。”《荊州占》曰:“熒惑入犯招搖,回紇兵起,侵犯中國,若防守之,兵自退,主其國有憂,期三年。”又占曰:“熒惑入若守招搖,旗幟起。”又占曰:“熒惑守歷招搖星者,遠夷有內相殺者,若邊將有不請於上,而誅夷狄者。”
招揺一星は梗河の北にあり、胡兵を主り、天上にてもっぱら兵事を主る星である。《聖洽符》にいう、火星が招揺を侵犯すれば、辺境の兵事は大いに起こり敵人は来て寇を為し、もし火星がそこに守候すれば、敵人は敗北するか、あるいは敵方の君主が身死し、応験は二年を出ない。《荊州占》にいう、火星が入って招揺を侵犯すれば、回紇は兵を起こし中原を侵犯し、もし厳加に防守できれば敵兵は自ずから退去するが、ただしその分野の国に憂いがある兆しで、応期は三年である。また一条の占辞にいう、火星が入るかあるいは招揺を守れば、旗幟を竪立し師を興し衆を動かす事があろう。また一条の占辞にいう、火星が守候して招揺星を歴経すれば、遠方の夷狄は内部で互いに残殺するか、あるいは辺将が朝廷に先に請示せずに擅りに夷狄を誅討する。
熒惑犯玄戈 五
《春秋緯》曰:“熒惑守戈之陽,以左右占其方;合則主居媵客,天下有議,女令橫行。”石氏曰:“熒惑守玄戈,亂於邑。”《春秋緯》曰:“熒惑逆行守玄戈,以妾為妻。”《聖洽符》曰:“熒惑犯守玄戈,邊兵大起,敵人為患;若守之,敵人敗,若敵王死,期不出二年。”
玄戈一星は招揺の北にあり、また胡兵と辺境の事を主る。《春秋緯》にいう、火星が玄戈の南を守れば、それが左に偏るか右に偏るかに拠ってどの一方に応じるかを占断し、もし玄戈と相合すれば、主人が陪嫁・賓客の位に反居する兆しで、天下は紛紛として議論し、女子は号令を発して横行・忌憚なし。石氏はいう、火星が玄戈を守れば、城邑の中に動乱が発生する。《春秋緯》にいう、火星が逆行して玄戈を守れば、妾を以て妻と為し嫡庶が顛倒する事があろう。《聖洽符》にいう、火星が侵犯して玄戈を守れば、辺境の兵事は大いに起こり敵人は禍患となり、もし火星がそこに守候すれば、敵人は敗北するか、あるいは敵方の君王が身死し、応験は二年を出ない。
熒惑犯天槍 六
巫咸曰:“熒惑守天槍,邊夷兵起、機槍大用,防戍有憂,若誅邊臣,期不出年。”《荊州占》曰:“熒惑守天槍,多梟民;一曰鈇大鉞用。”
天槍三星は北斗の斗柄の端の東面にあり、天上の兵器で、辺を防ぎ寇を禦ぐことを主る。巫咸はいう、火星(熒惑)が天槍を守れば、辺地の夷狄は兵を起こし、弩機・長槍は大量に動用され、辺防を戍守する事は人をして憂慮せしめ、あるいは辺を守る臣を誅殺するべく、応験は当年を出ない。《荊州占》にいう、火星が天槍を守れば、凶悍で不法の民が多く、もう一説には鉄斧・大鉞の類の刑殺の具が用場に派せられるとする。
熒惑犯天棓 七
《黃帝占》曰:“熒惑犯天棓,兵四起。”巫咸曰:“熒惑犯天棓,邊夷兵起,機槍大用、防戍有憂、若誅邊臣,期不出年。”
天棓五星は女床の北にあり、これも天上の兵器で、棍棒の属を象り、折衝・御侮と非常への防備を主る。《黄帝占》にいう、火星が天棓を侵犯すれば、四方の兵事は一斉に興起する。巫咸はいう、火星が天棓を侵犯すれば、辺地の夷狄は兵を起こし、弩機・長槍は大量に動用され、辺防を戍守する事は人をして憂慮せしめ、あるいは辺を守る臣を誅殺するべく、応験は当年を出ない。
熒惑犯女床 八
《荊州占》曰:“熒惑犯床,凶。又曰:熒惑守女床、後宮奸謀。”甘氏曰:“熒惑犯守女床,兵起宮中;若妃后有暴誅者,期百八十日,遠一年。”
女床三星は天紀星の東北にあり、後宮の御女・嬪妃の位を主る。《荊州占》にいう、火星が女床を侵犯するのは凶を主る。またいう火星が女床を守れば、後宮の中に奸邪の図謀がある。甘氏はいう、火星が侵犯して女床を守れば、兵変は宮中に発生するか、あるいは妃嬪・皇后の中に驟然と誅殺される者があり、応期は百八十日、遠ければ一年である。
熒惑犯七公 九
石氏曰:“熒惑犯七公,群臣有疑議。”《黃帝占》曰:“熒惑守七公,為民飢,君子安。”石氏曰:“熒惑守七公,有亂疾之事。”石氏曰:“熒惑犯七公,輔臣有議,臣相疑;若有誅者,人主有憂。”《玄冥占》曰:“熒惑犯守七公,天下亂,有兵起,大臣當,國有憂。”
七公七星は招揺の東面にあり、天子の七位の輔臣を象り、政事を議論し得失を匡正することを主る。石氏はいう、火星が七公を侵犯すれば、群臣の間に疑難・争議がある。《黄帝占》にいう、火星が七公を守るのは百姓の飢饉を主るが、位に在る君子は安然として事なし。石氏はいう、火星が七公を守れば、変乱と疾疫の事がある。石氏はまたいう、火星が七公を侵犯すれば、輔政の臣は議論が紛起し臣子は彼此に猜疑し、もしその中に誅殺される者があれば、君主にも憂患がある。《玄冥占》にいう、火星が侵犯して七公を守れば、天下は動乱し兵事の興起があり、大臣によってこの災咎を承当し、国に憂いがある。
熒惑犯貫索 十
石氏曰:“熒惑入天牢中,犯乘守者,以獄為亂,多不平。”《荊州占》曰:“熒惑入天牢,天下有賊。又占曰:熒惑入天牢,大水、期一年;一曰旱、期一年;一曰歲飢、人相食。”《黃帝占》曰:“熒惑入天牢,赦;其守天牢二十日,赦;以丑未日侯之。”
貫索九星はまた天牢と呼び、七公の前にあり、刑獄・囚系の事を主る。石氏はいう、火星が天牢の中に入ってそれを侵犯しその上を凌駕し守候すれば、牢獄の政に因って変乱が生じ判決は多く不公である。《荊州占》にいう、火星が天牢に入れば、天下に盗賊がある。また一条の占辞にいう、火星が天牢に入れば、大水を発して応期は一年で、もう一説には乾旱で応期は一年、また一説には当年に飢饉して人が人を食うに至るとする。《黄帝占》にいう、火星が天牢に入れば、赦免があろう。それが天牢を守って二十日に満ても、また赦であろう。丑日・未日に守候して占験するべきである。
《荊州占》曰:“熒惑舍貫索,有國滅,無後。又占曰:熒惑干貫索,天下赦;守二十日,小赦;三十日,大赦。”《洛書》曰:“熒惑守天牢,獄冤囚多。”《荊州占》曰:“熒惑守天牢,名水有絕者,若大魚死。又占曰:熒惑守天牢十月,大赦,遠期八十日。”巫咸曰:“熒惑守貫索,天下亂,兵大起,多有獄事,人有死者。”
《荊州占》にいう、火星が貫索に止宿すれば、国家の滅亡して後嗣なき者があろう。また一条の占辞にいう、火星が貫索を衝犯すれば、天下に赦があり、二十日守候すれば小赦、三十日守候すれば大赦である。《洛書》にいう、火星が天牢を守れば、牢獄の中に冤を含む囚人が甚だ多い。《荊州占》にいう、火星が天牢を守れば、名ある大川に断流・枯竭する者があり、あるいは大魚が死去する。また一条の占辞にいう、火星が十月のうちに天牢を守れば、大赦があろうとして、遠ければ応期八十日である。巫咸はいう、火星が貫索を守れば、天下は動乱し兵事は大いに起こり、牢獄の訟案が多く、これに因って命を喪う人がある。
熒惑犯天紀 十一
石氏曰:“熒惑犯天紀,天下國相攻。”郗萌曰:“熒惑舍天紀星西,人相食;東、五穀不實;北、木果實;南、天下州戰。”巫咸曰:“熒惑守天紀,天下國相繫。”石氏曰:“熒惑守天紀,君不安,有饑民。”《文曜鉤》曰:“熒惑守天紀,倖臣執權,有兵起,王者有憂。”甘氏曰:“熒惑犯守天紀,天下亂,山崩地動,人主不安,人亡國,期二年。”
天紀九星は貫索の東面にあり、万事を紀綱し万物を条理することを主り、また九卿の職に当たる。石氏はいう、火星が天紀を侵犯すれば、天下の各国は互いに攻伐する。郗萌はいう、火星が天紀星の西辺に止宿すれば、人が人を食う惨事があろうとし、東辺に止宿すれば五穀は実を結ばず、北辺に止宿すれば樹木は多く果実を結び、南辺に止宿すれば天下の各州は交戦する。巫咸はいう、火星が天紀を守れば、天下の各国は互いに牽連・拘係する。石氏はいう、火星が天紀を守れば、君主は安寧を得ず飢餓する百姓がある。《文曜鉤》にいう、火星が天紀を守れば、近幸の臣は権柄を把持し兵事の興起があり、君王に憂いがある。甘氏はいう、火星が侵犯して天紀を守れば、天下は動乱し山は崩れ地は震い、君主は安寧を得ず、逃亡する人があり国の敗亡があり、応期は二年である。
熒惑犯織女 十二
《黃帝占》曰:“熒惑入織女,兵起,十年乃解北方。又占曰:熒惑入織女,人主政一家族之;一曰政一國族之。”郗萌曰:“熒惑入東橋,二十日兵起。”《玉曆》曰:“熒惑入織女,天下有女喪,產乳多死;一曰絲綿布帛大貴。”《黃帝占》曰:“熒惑犯守織女,天下有女憂,有兵起急,不出其年。”《海中占》曰:“熒惑入犯守織女,有大兵起,十年乃罷,若貴女有憂。”
織女三星は天紀の東端にあり、天上にて女工を主る官で、瓜果・糸帛と珍宝を主る。《黄帝占》にいう、火星が織女に入れば、兵事が興起して十年にしてやっと北方に解除する。また一条の占辞にいう、火星が織女に入れば、君主の刑政は一家一族を誅滅するほどに厳酷であり、もう一説には一国の族を誅滅するとする。郗萌はいう、火星が東橋に入れば、二十日後に兵事が興起する。《玉暦》にいう、火星が織女に入れば、天下に女子の喪事があり婦人の生産に死亡が多く、もう一説には糸綿・布帛の価銭が大いに騰るとする。《黄帝占》にいう、火星が侵犯して織女を守れば、天下の女子に憂いがあり緊急の兵事が興起し、応験は当年を出ない。《海中占》にいう、火星が入り・侵犯して織女を守れば、大兵事が興起して十年にしてやっと罷息し、あるいは顕貴の婦女に憂いがある。
熒惑犯天市垣 十三
《黃帝占》曰:“熒惑入天市,成鉤巳,反環繞之,天下惡,期十月。”石氏曰:“熒惑入天市,都邑有兵。”甘氏曰:“熒惑入天市,幣亂,人民憂;一曰錢幣亂。”《海中占》曰:“熒惑入天市,天子失廷,期六月。”郗萌曰:“熒惑入天市,名曰受谷,糴大貴。”又占曰:“熒惑入天市中,為將凶;一曰五官有憂;一曰赦。”
天市垣二十二星は、天上の都市で、権衡・聚衆と市易・銭幣の事を主る。《黄帝占》にいう、火星が天市に入って往返して勾曲の形を画き、また反復して一周を繞行すれば、天下に悪事があり応期は十か月である。石氏はいう、火星が天市に入れば、都城の中に兵事がある。甘氏はいう、火星が天市に入れば、貨幣は紊乱して百姓は憂苦し、もう一説には銭法が敗壊するとする。《海中占》にいう、火星が天市に入れば、天子は朝廷を失い応期は六か月である。郗萌はいう、火星が天市に入るのを、これを「受谷」と作し、糧価は大いに騰る。また一条の占辞にいう、火星が天市の中に入るのは将帥に凶ありを主り、もう一説には五官の職に憂いがあり、また一説には赦令を行うべきであるとする。
《荊州占》曰:“熒惑入天市之中,大飢。”《玉曆》曰:“熒惑入天市中,為將相凶,人民有憂。”郗萌曰:“熒惑當天市門而止,糴貴再倍;若入市門中,糴五倍;更入廷則守之,糴貴十倍;人民大飢。”又占曰:“熒惑居天市,民訟。”石氏曰:“熒惑起,角芒長,色如雞血,三十日舍天市,臣謀其主。”
《荊州占》にいう、火星が天市の中に入れば、天下は大飢饉する。《玉暦》にいう、火星が天市の中に入るのは将帥・宰相に凶ありを主り、百姓に憂いがある。郗萌はいう、火星が正しく天市の門に対して停住すれば、糧価は二倍に漲り、もし市門の中に入れば糧価は五倍に漲り、さらに市廷に入ってそこに守候すれば、糧価は十倍に漲り百姓は大いに飢餓する。また一条の占辞にいう、火星が天市に居留すれば、百姓は争訟して休まない。石氏はいう、火星が昇るとき星芒が長く尖鋭にして顔色が鶏血のごとく殷紅で、天市に止宿して三十日に満てば、臣下はその君主を図り謀る。
《黃帝占》曰:“熒惑守天市,天下兵起。”劉向《洪範傳》曰:“熒惑守天市、必戮臣不忠者。”郗萌曰:“熒惑守天市垣,若入之,皆為闢亂;若天下名市移及失火;若有暴買立市;皆大臣坐之。”《玄冥占》曰:“熒惑守天市垣,若入之,皆為天下亂,名人受誅,人主憂,期一年。”郗萌曰:“熒惑入若守天市,必有大臣戮。”郗萌曰:“熒惑入若守天市,皆為更幣;一曰幣易。”
《黄帝占》にいう、火星が天市を守れば、天下は兵事を興す。劉向《洪範伝》にいう、火星が天市を守れば、必ず不忠の臣を誅殺するべきである。郗萌はいう、火星が天市垣を守るかあるいはその中に入れば、いずれも法度の敗壊して変乱を生ずるを主り、あるいは天下の名ある市集の遷移および火災に遭遇があり、あるいは強買・強売して擅りに市肆を設立する人があり、これらはいずれも大臣によって罪責を承当する。《玄冥占》にいう、火星が天市垣を守るかあるいはその中に入れば、いずれも天下の動乱を主り知名の人は誅殺に遭い、君主に憂いがあり応期は一年である。郗萌はいう、火星が天市に入るかあるいは守れば、必ず大臣の殺される者がある。郗萌はまたいう、火星が天市に入るかあるいは守れば、いずれも銭幣を更改するを主り、もう一説には幣制が変易するとする。
熒惑犯帝座 十四
石氏曰:“熒惑犯帝座,有逆亂事。”《玄冥占》曰:“熒惑犯帝座,為臣謀主,天下亂,兵大起急,不出年。”石氏曰:“熒惑犯天廷,兵大起,有自立主者;若有徒王,期百八十日,若一年。”
帝座一星は天市垣の中にあり、天帝の座位で君主の象である。石氏はいう、火星が帝座を侵犯すれば、叛逆して乱を作す事があろう。《玄冥占》にいう、火星が帝座を侵犯するのは臣下が君主を図り謀る兆しで、天下は動乱し緊急の兵事は大いに起こり、応験は当年を出ない。石氏はいう、火星が天廷を侵犯すれば、兵事は大いに起こり自ら立って君と為る人があり、あるいは遷徙される君王があり、応期は百八十日または一年である。
熒惑犯候星 十五
《聖洽符》曰:“熒惑守候星,天下飢,兵草起,國有憂,期二年。”《海中占》曰:“熒惑犯守候星,陰陽不和,五穀傷,人大飢,有兵起。”
候一星は帝座の東北にあり、陰陽を伺察し気候を観望することを主り、天子の耳目の官である。《聖洽符》にいう、火星が候星を守れば、天下は飢饉し兵戈は草草として起こり、国に憂いがあり応期は二年である。《海中占》にいう、火星が侵犯して候星を守れば、陰陽は調わず五穀は損を受け、人々は大いに飢餓し兵事の興起がある。
熒惑犯宦者 十六
甘氏曰:“熒惑犯守宦者,左右輔臣有誅,若戮死,期不出年。”
宦者四星は帝座の西南にあり、君主の起居に侍奉する内官・近侍を主る。甘氏はいう、火星(熒惑)が侵犯して宦者星を守れば、君主の左右の輔弼・近臣の中に誅せられる者があり、あるいは殺されて死に、応験は当年を出ない。
熒惑犯斗星 十七
郗萌曰:“熒惑守市斗,糴石五百,守斗中,糴石千。石氏曰:“熒惑守斗,斗斛之事,倉吏不平。”
斗五星は天市垣の中にあり、米を量る斗を象り、衆物を聚集し量器を平準することを主る。郗萌はいう、火星(熒惑)が天市中の斗星を守れば、糧価は石ごとに五百に漲り、斗星の中に守れば石ごとに千に漲る。石氏はいう、火星が斗星を守るのは、斗斛・量器の事に岔子が出て、倉を管する官吏の称量が不公である兆しである。
熒惑犯宗正 十八
石氏曰:“熒惑犯守宗正,左右群臣多死;若更政令,人主有憂。”
宗正二星は帝座の東南にあり、宗室の大夫の官で、皇族の事務を掌管する。石氏はいう、火星が侵犯して宗正を守れば、君主の左右の群臣に死亡が多く、あるいは政令を更改するべく、君主に憂患がある。
熒惑犯宗人 十九
石氏曰:“熒惑犯宗人,親族貴人有憂,若有死者;一曰人親宗有離絕者。”
宗人四星は宗正の東面にあり、宗室の礼儀と譜系の親疎を掌管する。石氏はいう、火星が宗人を侵犯すれば、皇親・宗族の中の貴人に憂患があり、あるいは死去する者があり、もう一説には親族・宗支の間に往来を断絶し恩義が離散する者があるとする。
熒惑犯宗星 二十
甘氏曰:“熒惑犯宗星,宗室之臣有分離者。”《玄冥占》曰:“熒惑觸抵宗星,宗中倖臣有誅者,期二年。”
宗二星は候星の東面にあり、宗室の象で、宗廟の祭祀の事を主る。甘氏はいう、火星が宗星を侵犯すれば、宗室の臣の中に分崩・離散する者がある。《玄冥占》にいう、火星が宗星を触撞・抵犯すれば、宗室の中の寵を受ける近臣に誅殺される者があり、応期は二年である。
熒惑犯東西咸 二十一
陳卓曰:“熒惑犯東西咸,當去不去,賊臣有謀,不出一年。”石氏曰:“熒惑守東西咸,先樂後憂。”又占曰:“熒惑守咸星,女主憂誅,若貴女有戮死,期二年。”郗萌曰:“熒惑守東西咸,大戰。”《荊州占》曰:“熒惑守東西咸,憂兵。”石氏曰:“熒惑犯東西咸者,為有臣不從令,有陰謀。”
東咸・西咸は各四星で、房宿の上に分列し、淫佚を防閑する門戸で、内宮の防禁を主る。陳卓はいう、火星が東咸・西咸を侵犯して離れ去るべきときに離れ去らなければ、奸賊の臣に図り謀る所有り、応験は一年を出ない。石氏はいう、火星が東咸・西咸を守れば、先に歓楽があり後に憂患がある。また一条の占辞にいう、火星が咸星を守れば、女主は憂懼して誅に遭い、あるいは顕貴の婦女に殺されて死ぬ者があり、応期は二年である。郗萌はいう、火星が東咸・西咸を守れば、大戦があろう。《荊州占》にいう、火星が東咸・西咸を守れば、兵事のために憂える。石氏はいう、火星が東咸・西咸を侵犯するのは、政令に聴従せず暗に別に図り謀る臣下ありを主る。
熒惑犯天江 二十二
石氏曰:“熒惑守天江,必有立王;一曰賊起水中。”(案韋昭《洞記》曰:漢靈帝中平三年,熒惑守天江,江夏兵遇南陽,反殺太守,岑頡太尉張廷克也。)巫咸曰:“熒惑犯守天江,天下有水,若入之,大水齊城郭,人民飢亡,去其鄉。”(案《宋書天文志》曰:晉穆帝昇平三年七月乙酉,熒惑犯天江,四年五月,天下大水。)
天江四星は尾宿の北にあり、太陰の水を主り、天上の江河で、もっぱら水事を候す。石氏はいう、火星が天江を守れば、必ず新たに立てられる君王があり、もう一説には水上に起こる賊寇があるとする。原書小注は韋昭《洞記》に拠っていう、漢霊帝中平三年、火星が天江を守り、江夏の軍隊は南陽に変故に遭遇し、反って太守を殺し、岑頡と太尉張廷はみなこれに因って害された。巫咸はいう、火星が侵犯して天江を守れば、天下に水患があり、もしその中に入れば、大水は城郭と相い斉しく漲り、百姓は飢饉・流亡して故郷を離れる。原書小注は《宋書・天文志》に拠っていう、晋穆帝升平三年七月乙酉、火星が天江を侵犯し、升平四年五月に至って天下に大水があった。
熒惑犯建星 二十三
《聖洽符》曰:“熒惑犯建星,臣謀其主,若大臣不親其君,上下相疑,有兵起,王者有憂。”郗萌曰:“熒惑犯建星,嬰兒多死,大臣相諧。”《黃帝占》曰:“熒惑入建星,人臣有走者。”甘氏曰:“熒惑入建星,津河水大,若出,關梁不通。”郗萌曰:“熒惑入建星,人主謀,兵罷;出建星,軍乃戰。”石氏曰:“熒惑入建星,留二十日巳上,諸侯謀反,期百十二日。”
建六星は南斗の北面にあり、天上の都関で、日月・五星の往来の中道であり、旗鼓・兵事と関梁・津渡を主る。《聖洽符》にいう、火星が建星を侵犯すれば、臣下はその君主を図り謀るか、あるいは大臣と君主が相親附せず上下は互いに猜疑し、兵事の興起があり君王に憂いがある。郗萌はいう、火星が建星を侵犯すれば、嬰児に夭折が多く、大臣の間で互いに勾結し附和する。《黄帝占》にいう、火星が建星に入れば、臣子の中に出逃する者がある。甘氏はいう、火星が建星に入れば、津渡・河道の水勢は大いに漲り、もしその中から出れば、関隘・橋梁は阻斷して通ぜない。郗萌はいう、火星が建星に入れば、君主に別の謀劃があり兵事は罷息し、建星から出れば軍隊はやっと交戦する。石氏はいう、火星が建星に入って二十日以上滞留すれば、諸侯は反叛を図り謀り、応期は百一十二日である。
甘氏曰:“熒惑舍建星,有置主。”郗萌曰:“熒惑舍建星,馬大貴。”《荊州占》曰:“熒惑舍星建星,人民起蠶桑以作婦,各安其土,天下大樂。”《黃帝占》曰:“熒惑色青,守建星北,天下有辱王,西去,天下有女主治者。”又占曰:“熒惑守建星三十日,天下有水。”
甘氏はいう、火星が建星に止宿すれば、別に君主を擁立するであろう。郗萌はいう、火星が建星に止宿すれば、馬匹の価銭は大いに騰る。《荊州占》にいう、火星が建星に止宿すれば、百姓は蚕桑の業を興弁し、婦女は各々その職を尽くし、人々は本土に安居し天下は十分に歓楽する。《黄帝占》にいう、火星の顔色が青に発して建星の北に守れば、天下に屈辱を蒙る君王があり、もしそれが西に向かって離れ去れば、天下にすなわち女主が国政を執掌する者が現れる。また一条の占辞にいう、火星が建星を守って三十日に満てば、天下に水患が発生する。
石氏曰:“熒惑守建星三十日,色赤,大旱,赤地千里,民流滿道;星色青黑,則有女君憂。”郗萌曰:“熒惑守建星,宰相坐之。”又占曰:“熒惑守旗,附三十日,兵起。”又占曰:“熒惑守建星,地氣洩,貴人多死。”《荊州占》曰:“熒惑守建星,歲水,民飢,有自賣者。”《玄冥占》曰:“熒惑守建星,諸侯有謀,若大臣有戮死者,期百八十日。”
石氏はいう、火星が建星を守って三十日に満ち、顔色が赤紅なれば、天下は大旱し千里の内は寸草も生えず、流民は道路に塞満する。もし星色が青黒なれば、女君の憂患があろう。郗萌はいう、火星が建星を守れば、宰相によってこの災咎を承当する。また一条の占辞にいう、火星が天旗の類の星を守って附着して去らず三十日に満てば、兵事が興起する。また一条の占辞にいう、火星が建星を守れば、地気は外泄して貴人に死亡が多い。《荊州占》にいう、火星が建星を守れば、当年に水澇が災を成し百姓は飢饉し、身を売って活を求める人がある。《玄冥占》にいう、火星が建星を守れば、諸侯は暗に謀があり、あるいは大臣の中に殺されて死ぬ者があり、応期は百八十日である。
熒惑犯天弁 二十四
甘氏曰:“熒惑犯天弁,若守之,則囚徒起兵;一曰五穀不成,糴大貴,人民飢。”
天弁九星は建星の北面にあり、集市の官長で、市易・列肆の事を掌管する。甘氏はいう、火星が天弁を侵犯するかあるいはそれを守候すれば、囚徒が兵を起こして乱を作すことがあろうとして、もう一説には五穀が熟さず糧価は大いに騰り百姓は飢餓するとする。
熒惑犯河鼓 二十五
巫咸曰:“熒惑犯河鼓,大將死;犯左右將,左右將死。”《黃帝占》曰:“熒惑守河鼓,軍食絕。”《文曜鉤》曰:“熒惑守河鼓三十日,大將出必有戰,守左將、左將憂;守右將、右將憂;去疾;軍罷疾;去遲,軍罷遲;期不出年。”郗萌曰:“熒惑居河鼓中,若守之日,因數出入其間百日,兵大起。”
河鼓三星は牽牛の北面にあり、中央の大星は大将軍、左右の両星は左将・右将で、天上の軍鼓を象り兵鼓・号令を主る。巫咸はいう、火星が河鼓を侵犯すれば大将は死ぬべきであり、左将・右将の両星を侵犯すれば左将・右将はすなわち死ぬ。《黄帝占》にいう、火星が河鼓を守れば、軍中は糧食が断絶する。《文曜鉤》にいう、火星が河鼓を守って三十日に満てば、大将が師を出せば必ず戦事があり、左将星を守れば左将に憂いがあり、右将星を守れば右将に憂いがある。火星の去るが速ければ軍隊の解散も速く、去るが慢ければ軍隊の解散も慢い——応験は当年を出ない。郗萌はいう、火星が河鼓の中に居留するかあるいはそれを守候し、随いて屡々この数星の間に出入して百日に満てば、兵事は大いに起こる。
熒惑犯離珠 二十六
石氏曰:“熒惑犯離珠,宮中有事,若亂宮者;若宮人有罪黜者。”《海中占》曰:“熒惑犯離珠宮,人有憂;若兵起宮中,若有誅,期二年。”《黃帝占》曰:“熒惑守離珠,有憂;行徐,憂甚,行疾,無故。”
離珠五星は須女の北面にあり、女子の佩戴する珠玉を象り、後宮の嬪御の服御の物を主る。石氏はいう、火星が離珠を侵犯すれば、宮中に事故があり、あるいは宮闈を擾乱する人があり、あるいは宮人の中に罪を獲て斥退される者がある。《海中占》にいう、火星が離珠の宮を侵犯すれば、人に憂患があり、あるいは宮中に兵変が興り、あるいは誅せられる人があり、応期は二年である。《黄帝占》にいう、火星が離珠を守れば、憂患があり、それの行度が遅緩なれば憂患は深重で、行度が迅疾なれば事故を生じない。
熒惑犯匏瓜 二十七
郗萌曰:“熒惑入匏瓜中,主人攻,一邑殘之;星出匏瓜,天下有遊兵,不戰。”甘氏曰:“熒惑犯守匏瓜二十日,狗群譁,雞夜鳴,天下盡驚,若有兵,期百八十日,若一年。”《聖洽符》曰:“熒惑犯守匏瓜,天下有憂,若有遊兵,名果貴;一曰魚鹽貴,價十倍,不出期年。”
匏瓜五星は離珠の北面にあり、後宮の蔵する果実を主り、また陰謀の事を主る。郗萌はいう、火星が匏瓜の中に入れば、主人の一方は進攻を発動し一つの城邑がこれに因って残破し、火星が匏瓜から出れば、天下に遊蕩して定まらぬ散兵があるが、交戦はしない。甘氏はいう、火星が侵犯して匏瓜を守って二十日に満てば、群狗は吠え叫び喧嘩し鶏は夜に啼鳴し、天下は尽く驚擾し、あるいは兵事があり、応期は百八十日または一年である。《聖洽符》にいう、火星が侵犯して匏瓜を守れば、天下に憂患があり、あるいは游兵が出現し、名貴の果品は価銭が騰貴し、もう一説には魚塩が価貴く十倍に漲り、応験は一年を出ないとする。
熒惑犯天津 二十八
《海中占》曰:“熒惑犯天津,關道絕,不通;有兵起,若關吏有憂。”郗萌曰:“熒惑犯天津五日,國相出走。”又占曰:“熒惑入漢中,大亂,大旱,大殘;以其所近舍四方,中央死而不葬,易世立王。”郗萌曰:“熒惑入漢中,為將相貴人有渡江事,一曰貴人溺死。”
天津九星は銀河の上に横跨し、天上の渡口で、四瀆・津梁と舟車の往来を主る。《海中占》にいう、火星が天津を侵犯すれば、関隘・道路は断絶して通ぜず、兵事の興起があり、あるいは関を守る官吏に憂いがある。郗萌はいう、火星が天津を侵犯して五日に満てば、国中の宰相は出走する。また一条の占辞にいう、火星が銀河の中に入れば、天下は大いに乱れ大旱し大いに残破に遭い、それが臨近して止宿する方位に拠って四方を分占し、もし中央に在れば、人は死しても安葬を得ず、朝代を改めて別に新王を立てるべきである。郗萌はいう、火星が銀河の中に入るのは、将帥・宰相と貴人に江を渡る事ありを主り、もう一説には貴人が溺水して死ぬとする。
又占曰:“熒惑色青,若蒼,二十日,舍天津中,必有亡海、失江;天下備道路,修橋樑。”又占曰:“熒惑赤芒而守天津三十日,關梁不通,不可以渡,人主有憂;若諸侯兵起,有亡國,期一年,遲二年。”石氏曰:“熒惑守天津,兵船大貴。”《聖洽符》曰:“熒惑入天津,去復還守之,津道不通,諸侯起兵,天下亂,期三年。”
また一条の占辞にいう、火星の顔色が青に発するかあるいは蒼白で、二十日に満ちて天津の中に止宿すれば、必ず海道の失守・江防の喪失の事があり、天下は道路を整治し橋梁を修繕するべきである。また一条の占辞にいう、火星が赤色の星芒を帯びて天津を守って三十日に満てば、関隘・橋梁は阻斷して通ぜず水を渡ることができず、君主に憂いがあり、あるいは諸侯が兵を起こし国家の敗亡があり、応期は一年、遅ければ二年である。石氏はいう、火星が天津を守れば、兵船の価銭は大いに騰る。《聖洽符》にいう、火星が天津に入って離れ去った後また折り返って来てそれを守れば、渡口・水道は通ぜず、諸侯は兵を起こし天下は動乱し、応期は三年である。
熒惑犯螣蛇 二十九
石氏曰:“熒惑犯螣蛇,魚鹽貴。”甘氏曰:“熒惑守螣蛇,天子前驅凶,若奸臣有謀,前驅為害。”《海中占》曰:“熒惑入守螣蛇,天子憂前驅為害;若因水為敗,期不出年。”
螣蛇二十二星は営室の北面にあり、水虫の神で、水中の怪異を主り、また天子の前導・護衛を主る。石氏はいう、火星(熒惑)が螣蛇を侵犯すれば、魚塩は価貴い。甘氏はいう、火星が螣蛇を守れば、天子の前導・護衛に凶険があり、あるいは奸臣が暗に図り謀り、前駆の士は反って禍害となる。《海中占》にいう、火星が入って螣蛇を守れば、天子は前導・護衛が禍害となることを憂慮し、あるいは水患に因って敗損に遭い、応験は当年を出ない。
熒惑犯王良 三十
巫咸曰:“熒惑入王良,人主墮墜,以車為敗,馬多死,關道不通。”郗萌曰:“熒惑入王良,車騎貴。又占曰:熒惑入天橋,赦。”又占曰:“熒惑舍王良,地動。”石氏曰:“熒惑三十日舍王良,將亡,一曰將士皆亡,車騎行。”
王良五星は奎宿の北面にあり、天子の車騎の御者で、車馬と橋梁の事を主る。巫咸はいう、火星が王良に入れば、君主は車を墜として傷を摔け、車駕に因って事を敗し、馬匹は大批に死亡し、関隘・道路は通ぜない。郗萌はいう、火星が王良に入れば、車馬は価貴い。また一条の占辞にいう、火星が天橋に入れば、赦令があろう。また一条の占辞にいう、火星が王良に止宿すれば、地震が発生する。石氏はいう、火星が王良に止宿して三十日に満てば、将帥は敗亡し、もう一説には将士はみな敗亡し車騎はこれに随って出動するとする。
《文曜鉤》曰:“熒惑守王良,津橋不可渡,並諸侯不通;守之三十日,大兵起,車騎行,期二年。”《春秋緯》曰:“熒惑守王良,兵馬起。”郗萌曰:“熒惑守王良,天下大水,道不通。”郗萌曰:“熒惑守天馬,天子馬多死者。”《齊伯占》曰:“熒惑守王良,天下有兵,諸侯相攻,強臣謀主,期不出年。”
《文曜鉤》にいう、火星が王良を守れば、渡口・橋梁は通行できず、諸侯の間の往来さえも阻隔して通ぜない。守候して三十日に満てば、大兵が興起し車騎は出動し、応期は二年である。《春秋緯》にいう、火星が王良を守れば、兵馬はこれに興起する。郗萌はいう、火星が王良を守れば、天下は大水を発し道路は通ぜない。郗萌はまたいう、火星が王良の近旁の天馬星を守れば、天子の養う馬匹は多く死亡する。《斉伯占》にいう、火星が王良を守れば、天下に兵事があり諸侯は互いに攻伐し、強横の臣は君主を図り謀り、応験は当年を出ない。
熒惑犯閣道 三十一
巫咸曰:“熒惑守閣道,閣道中有伏兵,臣有謀主者;若宮中兵起,期百八十日,若一年。”《荊州占》曰:“熒惑守閣道,中有伏兵,人主當藏房中,或備女兵。”石氏曰:“熒惑犯守閣道而絕漢者,為九州異政,各主其王,天下有兵,期二年。”
閣道六星は王良の前にあり、天子が紫宮から別宮に通ずる複道で、鑾輿の巡幸の通路を主る。巫咸はいう、火星が閣道を守れば、閣道の中に兵馬が埋伏し、君主を図り謀る臣子があり、あるいは宮中に兵変が興り、応期は百八十日または一年である。《荊州占》にいう、火星が閣道を守れば、その中に伏兵があり、君主は当に内室に深藏すべく、あるいは予め女兵を安排して防衛する。石氏はいう、火星が侵犯して閣道を守り銀河を横断すれば、九州が各々その政を行い各々自家の王を擁立する兆しで、天下に兵事があり、応期は二年である。
熒惑犯附路 三十二
石氏曰:“熒惑守附路,太僕有罪,若有誅,一曰馬多死,道無乘馬者。”
附路一星は閣道の南面にあり、閣道の旁道で、車駕の出行の副路を主る。石氏はいう、火星(熒惑)が附路を守れば、車馬を掌る太僕は罪を獲るかあるいは誅せられ、もう一説には馬匹が大批に死亡して道上に騎馬の人を見ないとする。
熒惑犯天将軍 三十三
郗萌曰:“熒惑入天大將軍,興軍者吉。”《荊州占》曰:“熒惑舍天大將軍,有陰謀。”石氏曰:“熒惑守天大將軍,軍吏不安,飢為敗。”巫咸曰:“熒惑守天大將軍三十日,天下有兵,大將出行,期一年。”《荊州占》曰:“熒惑守天大將軍,兵大起,將軍行。”石氏曰:“熒惑守犯天大將軍,為大將軍死,若誅。”
天将軍十二星は婁宿の北面にあり、中央の大星は天上の大将、四周の小星は吏士で、征伐・威武の事を主る。郗萌はいう、火星が天大将軍に入れば、兵を興し衆を動かす一方は吉利である。《荊州占》にいう、火星が天大将軍に止宿すれば、陰謀があろう。石氏はいう、火星が天大将軍を守れば、軍中の官吏は安寧を得ず、糧を缺き飢餓することに因って敗に至る。巫咸はいう、火星が天大将軍を守って三十日に満てば、天下に兵事があり大将は師を出し、応期は一年である。《荊州占》にいう、火星が天大将軍を守れば、兵事は大いに起こり将軍は出行する。石氏はいう、火星が守候して天大将軍を侵犯するのは、大将軍の身死あるいは誅せられるを主る。
熒惑犯大陵 三十四
石氏曰:“熒惑入大陵,國有大喪,大臣誅,若戮死者大半;皆不出年。”《荊州占》曰:“熒惑入大陵,女主宗室有誅者。”又占曰:“熒惑入大陵,天下盡喪,死人如丘山。”《玉曆》曰:“熒惑入守大陵,天子崩;若倖臣有死者,大人當;之期二年。”
大陵八星は胃宿の北面にあり、陵墓・丘塚を主り、宿中に積尸の星がありもっぱら死喪に応ずる。石氏はいう、火星が大陵に入れば、国に大喪があり大臣は誅せられ、あるいは殺されて死ぬ者が半ばを過ぎるほどに多い——これらはいずれも当年を出ずに応験する。《荊州占》にいう、火星が大陵に入れば、女主と宗室の中に誅殺される者がある。また一条の占辞にいう、火星が大陵に入れば、天下は尽く喪事で、死人は積み重なって丘陵・山岡のごとし。《玉暦》にいう、火星が入って大陵を守れば、天子は駕崩し、あるいは寵を受ける臣の中に死去する者があり、貴人によってこの災咎を承当し、応期は二年である。
熒惑犯天船 三十五
巫咸曰:“熒惑入天船,諸侯有自立者,有兵起,若關津不通,人主憂。”郗萌曰:“熒惑守天船,不出三年,樓船大作,五穀大貴。”《玄冥占》曰:“熒惑守天船,天下有兵,若有喪,守之三十日,有亡國。”《聖洽符》曰:“熒惑入守天船,兵大起,舟楫用,有亡國,期不出年。”
天船九星は大陵の北面にあり、銀河の中に居り、水を渡り険を済す事と舟航の事を主る。巫咸はいう、火星が天船に入れば、諸侯の中に自ら立って君と為る者があり兵事の興起があり、あるいは関隘・渡口は阻塞して通ぜず、君主に憂いがある。郗萌はいう、火星が天船を守れば、三年を出ずに楼船を大造するべく、五穀の価銭は大いに騰る。《玄冥占》にいう、火星が天船を守れば、天下に兵事があり、あるいは喪事があり、守候して三十日に満てば、国家の敗亡があろう。《聖洽符》にいう、火星が入って天船を守れば、兵事は大いに起こり舟楫・水軍は用場に派せられ、国家の敗亡があり、応験は当年を出ない。
熒惑犯巻舌 三十六
郗萌曰:“熒惑入捲舌,國有佞臣謀其君,以口舌為害,人主有憂。”石氏曰:“熒惑乘捲舌,天下多喪。”《春秋緯》曰:“熒惑守捲舌,天下多亂,謀國君,以口舌之害,起寇。”石氏曰:“熒守捲舌,有讒言亂主明口,口舌作。”《文曜鉤》曰:“熒惑入捲舌,若守之,天下大旱,有兵起;讒臣亂主,其國有憂,期不出年。”
巻舌六星は昴宿の北面にあり、人の口舌を象り、もっぱら讒佞の臣と流言の禍を占う。郗萌はいう、火星が巻舌に入れば、国に佞臣があってその君主を図り謀り、口舌を以て是非を搬弄して害を為し、君主に憂いがある。石氏はいう、火星が巻舌の上に凌駕すれば、天下に喪事が多い。《春秋緯》にいう、火星が巻舌を守れば、天下に乱事が多く、国君を図り謀る人があり、口舌の禍に因って寇兵を招来する。石氏はいう、火星が巻舌を守れば、君主の清明の耳目を蒙蔽する讒言があり、口舌の是非が興起する。《文曜鉤》にいう、火星が巻舌に入るかあるいはそれを守候すれば、天下は大旱し兵事の興起があり、讒佞の臣は君主を迷惑し、その分野の国に憂いがあり、応験は当年を出ない。
熒惑犯五車 三十七
石氏曰:“熒惑犯五車,大旱,若有喪;一曰犯庫星,兵起西北方,若西方;犯倉星,穀貴,若有水。”《黃帝占》曰:“熒惑入五車、大旱;一曰留不去,大旱。”《海中占》曰:“熒惑入五車,兵大起,車騎行,五穀不成,天下民飢,若軍絕糧。”巫咸曰:“熒惑入五車,天下亂,大兵起,其國大旱,人民飢亡;若有赦,期百八十日。”
五車五星は畢宿の東北にあり、天子の五種の兵車で、また五穀・倉廩を主り、その間に天庫・天倉・天獄などの星が分列する。石氏はいう、火星が五車を侵犯すれば、天下は大旱し、あるいは喪事があり、もう一説には庫星を侵犯すれば、兵事は西北方に起こるかあるいは西方に起こり、倉星を侵犯すれば、穀価は騰貴するかあるいは水患が発生するとする。《黄帝占》にいう、火星が五車に入れば、天下は大旱し、もう一説には滞留して去らなければ、これすなわち大旱であるとする。《海中占》にいう、火星が五車に入れば、兵事は大いに起こり車騎は出動し、五穀は熟さず天下の百姓は飢餓し、あるいは軍中が糧を断つ。巫咸はいう、火星が五車に入れば、天下は動乱し大兵が興起し、その分野の国は大旱し百姓は飢餓・流亡し、あるいは赦令があり、応期は百八十日である。
郗萌曰:“熒惑入五車,大旱;以所近,占四方、中央。”又占曰:“熒惑入五車,赦,必先軍起,後有令。”又占曰:“熒惑以春入五車,赦。”韓楊曰:“熒惑出入五車,貴人溺死。”郗萌曰:“熒惑至五車,兵在外者有功,得地五百里。”
郗萌はいう、火星が五車に入れば、天下は大旱し、それが臨近するあの星に拠って四方と中央の応験を分別して占断する。また一条の占辞にいう、火星が五車に入れば、赦令があろうが、必ず先に軍事が興起し、随いて後に赦命を下す。また一条の占辞にいう、火星が春季に五車に入れば、赦令があろう。韓楊はいう、火星が五車に出入すれば、貴人は溺水して死ぬ。郗萌はいう、火星が五車に行き至れば、外にあって征戦する軍隊は戦功があり、五百里の土地を開拓し得る。
《黃帝占》曰:“熒惑過畢口,直五車一月,兵連戰一歲;留二月,兵連戰二歲;留三月,兵連戰三歲;若其留土車,兵在外有小功,得地百五十日,留水車,當以水為難。”郗萌曰:“熒惑出五車東,東西留二十日以上,卿死之;去之復還,其國君死之;有大赦。”又占曰:“熒惑舍五車西南,萬民多死。”
《黄帝占》にいう、火星が畢宿の口部を越えて五車に正対して一か月に満てば、兵馬は連年に交戦して一年、二か月滞留すれば連戦二年、三か月滞留すれば連戦三年である。もしそれが土車星に滞留すれば、外にある軍隊はやや小功があり、百五十日路程の土地を得られ、水車星に滞留すれば、まさに水患に因って困厄に遭わんとする。郗萌はいう、火星が五車の東に出て東西の両側に二十日以上滞留すれば、公卿はこれに因って死に、離れ去った後また折り返って来れば、その国の君主はこれに因って死に、併せて大赦があろう。また一条の占辞にいう、火星が五車の西南に止宿すれば、万民に死亡が多い。
《黃帝占》曰:“熒惑守五車星,五穀大貴,人相食。”郗萌曰:“熒惑守五車,必易帝王;天下有以車之名官者,大敗;有車器之怪。”又占曰:“熒惑守五車,格、休留十日,有大喪。”又占曰:“熒惑守五車二十日,有喪;以入日占何國。”又占曰:“熒惑守五車,格、休、右軍大發;一曰大赦。”《黃帝占》曰:“熒惑入五車中,犯乘守天倉星,下轉,菽粟大貴。”又占曰:“熒惑入五車中,犯乘守天倉星,以食起兵。”《荊州占》曰:“熒惑入五車中,犯乘守天庫星,兵起,亂十年。”
《黄帝占》にいう、火星が五車星を守れば、五穀の価銭は大いに騰り人が人を食うに至る。郗萌はいう、火星が五車を守れば、必ず帝王を更換するべく、天下のおよそ車を以て名とする官職はいずれも大敗し、併せて車馬・器具の方面の怪異が出現する。また一条の占辞にいう、火星が五車を守って格星・休星の処に十日滞留すれば、大喪があろう。また一条の占辞にいう、火星が五車を守って二十日に満てば、喪事があり、それが入宿の日辰に拠ってどの国に応じるかを占断する。また一条の占辞にいう、火星が五車を守って格星・休星の処にあれば、右軍は大挙して出動し、もう一説には大赦があるとする。《黄帝占》にいう、火星が五車の中に入って天倉星を侵犯し凌駕し守り、下に向かって運行すれば、豆穀の価銭は大いに騰る。また一条の占辞にいう、火星が五車の中に入って天倉星を侵犯し凌駕し守れば、糧食の事に因って起兵するであろう。《荊州占》にいう、火星が五車の中に入って天庫星を侵犯し凌駕し守れば、兵事が興起し動乱は十年に継続する。
熒惑犯天関 三十八
《海中占》曰:“熒惑入入天關,左右必有置立關塞之事;一曰必有逆兵不順者。”石氏曰:“熒惑守天關,道路不通,多盜賊,弟攻兄,子攻父,臣攻君。”
天関一星は五車の南面にあり、天上の関門で、辺塞・関隘と道路の開閉を主る。《海中占》にいう、火星が天関に入れば、君主の左右に必ず関塞を設置する事があり、もう一説には必ず命令に服従せざる叛逆の兵があるとする。石氏はいう、火星が天関を守れば、道路は阻塞して通ぜず盗賊は众多で、弟は兄を攻撃し子は父を攻撃し臣子は君主を攻撃する。
郗萌曰:“熒惑守天關,大臣有不道者。”又占曰:“熒惑守天關二十日,若四十日,天下大赦。”又占曰:“熒惑守天關,必有一國之王不朝者,車有急行。”《荊州占》曰:“熒惑守天關,為有兵;關梁不通。”《玄冥占》曰:“熒惑守天關,若以七月、十月守之,二十日、若三十日,必有大赦,期不出年。”
漢代の占家郗萌はいう、火星「熒惑」が停駐して「天関」星のそばに守候すれば(天関一星は畢宿と觜宿の間にあり、日月・五星の出入に必ず経る門戸である)、朝中に悖逆・無道の大臣ありを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が天関を守ること二十日に達するかあるいは四十日に達すれば、天下はまさに大赦を頒行せんとする。また一条の占辞にいう、熒惑が天関を守れば、必ずある一国の君王が朝覲に来ず、併せて車駕の倉促に出行する事がある。《荊州占》にいう、熒惑が天関を守るのは兵事ありを主り、関隘・橋梁は阻斷され往来は通ぜない。《玄冥占》にいう、熒惑が天関を守るに、もし七月あるいは十月に来て守り、二十日あるいは三十日守候すれば、必ず大赦があり、応期は当年を出ない。
《帝覽嬉》曰:“熒惑逆行,守天關,車騎有急行,兵大起,士卒滿野,期九十日。”《雒書摘亡闢》曰:“熒惑逆行,守天關,東方兵起。”《荊州占》曰:“熒惑入天關留止守焉,不出百日,天下兵悉起,州州戰。”《海中占》曰:“熒惑守犯天關,道絕;天下相疑,有關梁之令。”郗萌曰:“熒惑行,不從天關,不出其年,有兵。”
《帝覧嬉》にいう、熒惑が倒退・逆行して天関を守るのは、車馬・騎兵に緊急の調発があり兵事が大規模に興起し、士卒は原野に布満する兆しで、応期は九十日である。《雒書摘亡辟》にいう、熒惑が逆行して天関を守るのは、東方の兵事の興起を主る。《荊州占》にいう、熒惑が天関の星区に入り、滞留して去らずそこに守候すれば、百日を出ずに天下の兵はすべて起こり、州と州は互いに攻戦する。《海中占》にいう、熒惑が既に守りまた天関を衝犯するのは、道路の断絶を主り、天下の人は彼此に猜疑し、朝廷は関隘・橋梁を封鎖する命令を下達するべきである。郗萌はいう、熒惑が運行するとき天関に循らずして過ぎれば、この一年を出ずに兵事があろう。
熒惑犯南北河戍 三十九
《黃帝占》曰:“熒惑行南河戍中,若留止守南河戍為旱。”石氏曰:“熒惑行南河戍中,若留止者,為四方兵起,百姓疾病。”郗萌曰:“熒惑行南河戍中,若留止守南河戍,皆為兵。”又占曰:“熒惑經南河戍之南,行法峻暴,誅罰不當;經北河戍之北,以女子金錢、貪色、奢侈、失治道;近期三年,中期六年,遠期九年而災至。”
《黄帝占》にいう、火星「熒惑」が行って南河三星の戍守の内に入るか、あるいは滞留して南河戍を守候すれば、天下の大旱を主る。戦国の魏国の天文家石申はいう、熒惑が行って南河戍の中に入るか、あるいはそこに停留して去らなければ、四方の兵事の興起を主り、百姓は多く疾病を生ずる。郗萌はいう、熒惑が行って南河戍の中に入るか、あるいは滞留して南河戍を守候すれば、いずれも兵事を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が南河戍の南辺を経れば、執法が苛刻・残虐で刑罰・誅戮が失当である兆しで、北河戍の北辺を経れば、君上が女色・銭財を貪戀し生活が奢侈して治国の道を喪失する兆しである——近ければ三年、中ばなれば六年、遠ければ九年に災禍が至る。南河・北河は各三星で、東井の南北両側を夾み、古人はこれを「南戍」「北戍」と称し、天上の関梁で、中国と胡の地の分界である。
《荊州占》曰:“熒惑中犯乘守南河戍,天下兵盡起。”《黃帝占》曰:“熒惑乘南河戍,若出南河,為中國兵。”又占曰:“熒惑舍南河戍二十日,若三十日,國有男喪。”《海中占》曰:“熒惑舍南闕下,飢。”《黃帝占》曰:“熒惑蝕南河戍西星,有兵;蝕南河戍東星,天下州戰。”巫咸曰:“熒惑過南河戍之西星,木果不實。”
《荊州占》にいう、熒惑が正しく衝き・侵犯し・凌駕しそして南河戍を守候するのは、天下の兵がすべて起こる兆しである。《黄帝占》にいう、熒惑が南河戍の上に凌駕するか、あるいは南河から穿ち出れば、中原の国に兵事ありを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が南河戍に寄宿して二十日に達するかあるいは三十日なれば、国中に男子の喪事ありを主る。《海中占》にいう、熒惑が南面の闕門の下に寄宿するのは飢饉を主る。《黄帝占》にいう、熒惑が南河戍の西星を掩蝕すれば兵ありを主り、南河戍の東星を掩蝕すれば天下の各州が互いに攻戦するを主る。巫咸はいう、熒惑が南河戍の西星を越えれば、樹上の果実が結ばない兆しである。
郗萌曰:“熒惑守南河戍間,大國君重不吉,子代。”又占曰:“熒惑守南河戍,女主憂,若多旱災。”石氏曰:“熒惑守南河,蠻夷兵起邊戍,有憂;若有旱災,人民飢。”《玉曆》曰:“熒惑守南河戊,以火為害;一曰邊寇入境。”《文曜鉤》曰:“熒惑逆行,犯守南河,有男主之喪;若犯乘守南戍,天下兵盡起;一曰家相擊;一曰州戰;一曰飢。”
郗萌はいう、熒惑が南河戍の両星の間に守れば、大国の君の処境は極めて不吉で、その子によって君位を接替するであろう。また一条の占辞にいう、熒惑が南河戍を守るのは、后妃の類の女主に憂患ありを主り、あるいは旱災が頻発する。石申はいう、熒惑が南河を守るのは、蛮夷が辺地の戍所で兵を起こし辺境に憂いありを主り、あるいは旱災に遭遇して百姓は飢餓する。《玉暦》にいう、熒惑が南河戍を守れば(源文は「戊」と作る、「戍」の形近の訛りである)、火を以て害を成すを主り、もう一説には辺地の賊寇が国境に侵入するとする。《文曜鉤》にいう、熒惑が倒退・逆行して南河を衝犯し守候するのは、男性の君主の喪事ありを主り、もし南戍を衝犯・凌駕・守候すれば天下の兵がすべて起こるを主り、もう一説には各家族が互いに攻撃し、もう一説には各州が互いに攻戦し、もう一説には飢饉が発生するとする。
郗萌曰:“熒惑入北河戍,從西入六十日,有喪;從東入五十日,有兵。”《荊州占》曰:“熒惑入北河,守戍西,留上焉,不出,即天下兵悉起。”《荊州占》曰:“熒惑入北河戍,大臣有盜賊者。”郗萌曰:“熒惑北至北戍,去北戍三丈,當復發千人以上;去北戍二丈,復萬人以上;去北戍一丈,城閉,道無人行。”又占曰:“熒惑守北河戍,環繞之,主突厥主死。”
郗萌はいう、熒惑が北河戍に入って西辺から入るものは六十日以内に喪事があり、東辺から入るものは五十日以内に兵事がある。《荊州占》にいう、熒惑が北河に入って戍星の西側に守り、そこに滞留して去ろうとしなければ、天下の兵はすべて起こるであろう。《荊州占》はまたいう、熒惑が北河戍に入るのは、大臣の中に盗賊の勾当を為す人ありを主る。郗萌はいう、熒惑が北行して北戍に到達し、北戍に距ること三丈なれば、当にさらに千人以上を征発すべく、北戍に距ること二丈なればさらに一万人以上を征発し、北戍に距ること一丈なれば、城門は緊閉し道路上に行人なし。また一条の占辞にいう、熒惑が北河戍を守ってそれを繞り盤旋して環を成せば、突厥の君長の死亡を主る。
《黃帝占》曰:“熒惑入若舍河戍,天下有覆獄移擊;二曰大臣誅。”郗萌曰:“熒惑舍北河戍三十日,有女喪。”《文曜鉤》曰:“熒惑守北河邊,兵大起,來侵境;若守之二十日,其國有憂。”郗萌曰:“熒惑守北戍間,大國女主重不吉。”又占曰:“熒惑失度,守陰門若陰陽,皆為諸侯奸。”《荊州占》曰:“熒惑守北河戍,有兵兵罷,無兵兵起;一曰水。”《玄冥占》曰:“熒惑守北河三十日不下,天下大水,人民飢,期不出年,若二年。”
《黄帝占》にいう、熒惑が河戍に入るかあるいは寄宿すれば、天下に翻案・重審し案を移し判を改める事ありを主り、もう一説には大臣が誅せられるとする。郗萌はいう、熒惑が北河戍に寄宿して三十日に達すれば、女子の喪事ありを主る。《文曜鉤》にいう、熒惑が北河の一側に守れば、兵事の大いに起こるを主り敵人は来て辺境を侵犯し、もし二十日守候すればあの一国に憂患がある。郗萌はいう、熒惑が北戍の両星の間に守れば、大国の女主の処境は極めて不吉である。また一条の占辞にいう、熒惑が運行して常度を失い陰門あるいは陰陽の位に守れば、いずれも諸侯が奸謀を心に懐くを主る。《荊州占》にいう、熒惑が北河戍を守れば、もと兵あれば兵事はすなわち停息し、もと兵なければすなわち兵事を興起し、もう一説には大水を発するとする。《玄冥占》にいう、熒惑が北河を守って三十日に達して退け下らなければ、天下の大水を主り百姓は飢饉し、応期は一年を出ず、あるいは二年である。
郗萌曰:“熒惑出北河戍北,若守北河戍,環繞之,邊境將帥有不請於上,而伐夷狄之君者,勝之。”巫咸曰:“熒惑守若舍北河戍之西者,人相食;蝕北戍之東星,五穀無實。”《黃帝占》曰:“熒惑留止守北河戍,不出百日,天下兵悉起。”又占曰:“熒惑守若蝕北戍之東星,有兵。”郗萌曰:“熒惑守輿鬼,逆行守北河,有女子喪。”又占曰:“熒惑舍兩河中,留二十日,關河不渡,諸侯不通。”
郗萌はいう、熒惑が北河戍の北面から穿ち出るか、あるいは北河戍を守候してそれを繞り盤旋して環を成せば、辺境の将帥に朝廷に命を請わず擅りに兵を出して夷狄の君を討伐し、しかも勝を取る者ありを主る。巫咸はいう、熒惑が北河戍の西星を守候するか寄宿すれば、人が相食する大荒を主り、北戍の東星を掩蝕すれば五穀が実を結ばないを主る。《黄帝占》にいう、熒惑が滞留して北河戍を守候すれば、百日を出ずに天下の兵はすべて起こる。また一条の占辞にいう、熒惑が北戍の東星を守候するか掩蝕すれば、兵事ありを主る。郗萌はいう、熒惑が輿鬼星を守候してまた逆行して北河を守りに行けば、女子の喪事ありを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が南北両河の間に寄宿して二十日停留すれば、関口・河川は渡越できず諸侯の間は音問が断絶するを主る。
《黃帝占》曰:“熒惑守南北河三十日,諸川皆溢。”《文曜鉤》曰:“熒惑守兩河,兵起,天下因悲。”司馬遷《天官書》曰:“熒惑守南北河,谷不登。”郗萌曰:“熒惑守兩河戍間百日,天下中隔不通。”《荊州占》曰:“熒惑守兩河間,天下乖離,道路不通。”
《黄帝占》にいう、熒惑が南河・北河を守って三十日に達すれば、各条の河流はいずれも泛濫・漫溢せんとするを主る。《文曜鉤》にいう、熒惑が南北の両河を守れば、兵事の興起を主り天下はこれに因って悲苦に陥る。司馬遷《史記・天官書》にいう、熒惑が南河・北河を守れば、穀物の歉収を主る。郗萌はいう、熒惑が両河戍の間に守って百天に達すれば、天下が中間より隔絶され南北は往来できないを主る。《荊州占》にいう、熒惑が両河の間に守れば、天下の人心は離散・乖違し道路は阻塞して通ぜぬを主る。
石氏曰:“熒惑久守天闕門,主絕祀,以入日占國。”郗萌曰:“熒惑守天闕門中三十日,有大喪。”又占曰:“熒惑守日月之門,國內亂,以其日占國。”又占曰:“熒惑入天高,先軍起,後有赦。”又占曰:“熒惑守衡星,大國女主有憂。”《黃帝占》曰:“熒惑入天高中,留二十日,小赦;三十日,大赦。”郗萌曰:“熒惑不行天門,天闕門為有喪。”又占曰:“熒惑逆行天高中,必在破軍死將,亡國去王。”
石申はいう、熒惑が長久に天闕門(南北両河の間の門戸で、日月・五星はこれより出入する)に守れば、君主が宗廟の祭祀を断絶したを主り、どの国に応じるかは熒惑が門に入ったあの日の干支に拠って推断する。郗萌はいう、熒惑が天闕門の中に守って三十日に達すれば、大喪ありを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が日月出入の門を守れば、国内の変乱を主り、当日の干支に拠ってどの国に応じるかを推断する。また一条の占辞にいう、熒惑が天高星に入れば、先に軍興があり随いて赦令を頒行する。また一条の占辞にいう、熒惑が衡星を守れば、大国の女主に憂患ありを主る。《黄帝占》にいう、熒惑が天高星の中に入って二十日停留すれば小赦を行い、三十日停留すれば大赦を行う。郗萌はいう、熒惑が運行して天門を走らず天闕門を走れば、喪事ありを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が天高星の中で逆行すれば、必ず軍隊の撃破・将領の戦死、国家の敗亡・君王の出走に応ずる。
熒惑犯五諸侯 四十
巫咸曰:“熒惑入五諸侯,伺其出日而數之,皆二十日,兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”《文曜鉤》曰:“主軟弱,憒愚,則熒惑守五諸侯。”郗萌曰:“熒惑守五諸侯,諸侯有奪地、斬死者。”石氏曰:“熒惑犯五諸侯,諸侯有奪地、斬死者。”
巫咸はいう、熒惑が五諸侯星に入れば(五諸侯五星は東井の北にあり、諸侯の入朝・会見と糾察・挙劾の事を主る)、それが出るあの日を守候してこれより数え起こし、一律に二十日を限とし、期に至って兵事が発動し、またそれが当初入った位置に拠って折算して、一日停留すれば応期十日で、期に至って軍隊は罷散する。《文曜鉤》にいう、君主が軟弱で昏聵・愚昧なれば、熒惑はすなわち来て五諸侯を守る。郗萌はいう、熒惑が五諸侯を守れば、諸侯の中に封地を削奪され斬首・処死される人ありを主る。石申はいう、熒惑が五諸侯を衝犯すれば、諸侯の中に封地を削奪され斬首・処死される人ありを主る。
石氏曰:“熒惑犯五諸侯,若守之,兵大起,將士出,諸侯有憂,若有兵死者,期三年。”(案《宋書天文志》曰:晉太興三年十二月巳亥,熒惑居五諸侯南,踟躕留止三十日。永昌元年三月,王敦攻京師,六軍敗績於是殺周頭刁協戴淵等。)《海中占》曰:“熒惑犯五侯,其國有兵,車騎出行;若貴臣有殃,若有死者。”《玉曆》曰:“熒惑逆行,犯守五諸侯,秦國不以興兵,先起亡,後起昌。”郗萌曰:“熒惑中犯乘守五諸侯,為所中犯乘守者誅,若有殃期,三年兵發。”
石申はいう、熒惑が五諸侯を衝犯するかあるいは五諸侯を守候すれば、兵事の大いに起こるを主り将士は出征し、諸侯に憂いがあり、あるいは兵刃に死する人があり、応期は三年である。(原書小注の按語は《宋書・天文志》を引いていう、東晋元帝太興三年十二月己亥、熒惑は五諸侯の南に停り徘徊・逗留して三十日。永昌元年三月に至って、王敦が兵を挙げて京師建康を進攻し、朝廷の六軍は大敗し、ここにおいて周顗・刁協・戴淵らが殺された。)《海中占》にいう、熒惑が五諸侯を衝犯すれば、その一国に兵事ありを主り車馬・騎兵は出動し、あるいは顕貴の大臣が殃に遭い、あるいは身死する人がある。《玉暦》にいう、熒惑が逆行して五諸侯を衝犯し守候すれば、秦の地の国は先に兵を動かすべからずを主り、先に兵を動かす一方は敗亡し後に兵を動かす一方は昌盛する。郗萌はいう、熒惑が正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して五諸侯に及べば、それに衝犯・凌守されたあの一位の諸侯は誅に遭うかあるいは殃に遭い、応期は三年以内に兵事が発動する。
開元占経 巻三十六
熒惑占 七
熒惑犯石氏中宮 下
熒惑犯積水 四十一
巫咸曰:“熒惑入積水,大臣誅。熒惑守積水,有大名水出,出入定有水兵。”甘氏曰:“熒惑守積水,兵起,國有水災。”《荊州占》曰:“熒惑入積水,若守之,大小兵起。”巫咸曰:“犯守積水,水物不成,魚鹽貴。一曰以水為敗,糴大貴;民飢,期二年。”
巫咸はいう、熒惑が「積水」星に入れば(積水一星は東井の北にあり、泉水を蓄積し酒醴の祭祀を供給することを主り、水物の儲備の象徴である)、大臣の誅せられるを主る。熒惑が積水を守れば、著名の大川が泛濫して出る者があり、熒惑の一進一出の間に必ず水患と兵事を伴う。戦国の斉国の天文家甘徳はいう、熒惑が積水を守れば、兵事の興起を主り国中に水災が発生する。《荊州占》にいう、熒惑が積水に入るかあるいは積水を守候すれば、大大小小の兵事はいずれも興起するを主る。巫咸はいう、熒惑が衝犯して積水を守候すれば、水中に産する物が長成できず魚と塩の価格は昂貴であるを主る。もう一説には水に因って災を成し米価は大いに騰り百姓は飢餓し、応期は二年である。
熒惑犯積薪 四十二
巫咸曰:“熒惑守積薪,大旱,江河易道,若火事。”石氏曰:“熒惑守積薪,大旱,為火事;庖官以火為憂。”郗萌曰:“熒惑守積薪,多火災,若火事,旱,兵起。”甘氏曰:“熒惑犯守積薪,天下大旱,五穀不登,民飢亡。”
巫咸はいう、熒惑が「積薪」星を守れば(積薪一星は積水の東にあり、柴薪・炭火を儲備し膳食・庖厨の取用を供することを主る)、大旱を主り江河は改道するか、あるいは火災が発生する。石申はいう、熒惑が積薪を守れば、大旱を主り火災に応じ、膳食を掌る庖官は火事のために愁えるべきである。郗萌はいう、熒惑が積薪を守れば、火災の頻発を主り、あるいは火事に応じ、天は旱し兵が起こる。甘徳はいう、熒惑が衝犯して積薪を守候すれば、天下の大旱を主り五穀は歉収し百姓は飢餓・流亡する。
熒惑犯火位 四十三
《荊州占》曰:“熒惑守水位,下田不治。”石氏曰:“熒惑犯守水位,天下以水為害,津關不通;一曰大水入城郭傷人民,皆不出二年。”
《荊州占》にいう、熒惑が「水位」星を守れば(水位四星は東井の東北にあり、水利・渠堰を掌管する都水の官を象徴する——本条の標目は「火位」と作る、当に「水位」の形近の訛りであろう)、低窪の田地は耕治することができないを主る。石申はいう、熒惑が衝犯して水位を守候すれば、天下が水に因って災を成すを主り渡口・関隘は阻斷して通ぜず、もう一説には大水が城郭に灌ぎ入り百姓を傷害するとし、両説とも応期は二年を出ない。
熒惑犯軒轅 四十四
《荊州占》曰:“熒惑犯軒轅、女御,天子僕死。熒惑犯軒轅,所中以官名名之,皆成刑。”(《黃帝占》曰:“成刑者憂喪。”)《文曜鉤》曰:“熒惑入軒轅,主以后妃黨之過亡;一曰用事女當惑之;又曰:曰有白衣兵,期在百三十日。”《荊州占》曰:“熒惑入軒轅,中其端門中而東,大臣出令。”《雒書》曰:“熒惑犯若勾巳軒轅,妃后內亂。”《文曜鉤》曰:“熒惑展轉軒轅中,遠後愛媵。”《春秋緯》曰:“專於妻妃,則熒惑展轉軒轅中。”
《荊州占》にいう、熒惑が軒轅星と女御星を衝犯すれば(軒轅十七星は七星の北にあり、形は騰竜のごとく、黄帝の神・后妃の象で、女御はその中の御女を主管する星である)、天子の近侍・僕従の死亡を主る。熒惑が軒轅を衝犯して、それに衝犯されたのがどの一顆であれ、その星の配する官名を以て指認し、いずれも刑戮に応ずる。(原書小注は《黄帝占》を引いていう、いわゆる「成刑」は、憂患・喪事ありを指す。)《文曜鉤》にいう、熒惑が軒轅に入れば、君主が后妃・親党の過失によって亡ぶを主り、もう一説には権を当にし事を用いる女子がこのために迷惑し害を受けるべきであり、またいう白衣を服する喪兵の事があり、応期は百三十日に在る。《荊州占》にいう、熒惑が軒轅に入って正しくその端門を衝いて後に東に行けば、大臣が擅りに号令を発するを主る。《雒書》にいう、熒惑が軒轅を衝犯するか、あるいは軒轅の間に盤曲して「勾巳」の形を成せば、妃后が宮中に乱を作すを主る。《文曜鉤》にいう、熒惑が軒轅の星間に輾転・往复すれば、君主が皇后を疏远して媵妾を寵愛するを主る。《春秋緯》にいう、君主がある一位の妻妃に偏寵すれば、熒惑はすなわち軒轅の星間に輾転・往复する。
《黃帝占》曰:“熒惑行軒轅中,犯女主;女主失勢,(失勢者,憂喪也。)列大夫有放逐者;五官有不法者;色悴,為憂,為疾,其所中犯乘守者誅,若有罪。”《黃帝占》曰:“熒惑中女御,為女主當之。”石氏曰:“熒惑在軒轅中,有女子謀人君者。”郗萌曰:“熒惑留軒轅,率留一日為十日久以率推之,其在軒轅四方,中央各為其方。”
《黄帝占》にいう、熒惑が軒轅の星の中を行走してその中の女主の大星を衝犯すれば、女主が勢を失うを主る(原書小注:いわゆる「失勢」は、すなわち憂患・喪亡の事あり)——朝列の中の大夫に放逐される者があり、五官の属に法度を触犯する者があり、星色もし憔悴・晦暗なれば、すなわち憂愁を主り疾病を主る。熒惑に正しく衝かれ・衝犯され・凌駕され・守候されたあの星の配する人は誅せられるか、あるいは罪を獲る。《黄帝占》はまたいう、熒惑が正しく女御星を衝けば、女主によってこの凶咎を承当すべきである。石申はいう、熒惑が軒轅の中に処れば、君主を図り謀る女子ありを主る。郗萌はいう、熒惑が軒轅に滞留すれば、おおむね一日停留を以て十日に折合するを准とし、この比率に拠って応期の遠近を推算し、それが軒轅の東西南北の四方に停るか正中に停るかによって、各自に対応するあの一方に応験する。
《黃帝占》曰:“熒惑守軒轅,期五月,兵起。”《元命包》曰:“熒惑守軒轅,貴妾爭。”《春秋緯》曰:“熒惑守貴房側,主亂於色。”石氏曰:“熒惑守軒轅,宮中有放者,期百二十日內赦。”《海中占》曰:“熒惑守軒轅,十五日以上,大兵起,宮人不安,天下亂,國易政,期三年。”
《黄帝占》にいう、熒惑が軒轅を守れば、応期は五か月で兵事が興起する。《春秋元命包》にいう、熒惑が軒轅を守れば、寵を受ける姫妾が互いに争闘するを主る。《春秋緯》にいう、熒惑が尊貴の房闈の一側に守れば、君主が女色に心志を擾乱されるを主る。石申はいう、熒惑が軒轅を守れば、宮中に放逐される人があり、応期は百二十日以内に赦令が頒下されよう。《海中占》にいう、熒惑が軒轅を守って十五日以上に達すれば、大規模の兵事の興起を主り、宮中の人は惶惶として安からず、天下は大いに乱れ国家は政令を更改し、応期は三年である。
郗萌曰:“熒惑守軒轅,女主惡之。(《宋天文志》曰:前廢帝永光元年九月丁西,熒惑入軒轅在女主大星北、明年昭太后崩也。)熒惑守軒轅,天下有慶賀事。赦類也。”(《晉陽秋》曰:“孝武寧康元年七月乙未,火犯軒轅,大星,二年正月癸未,大赦天下。)
郗萌はいう、熒惑が軒轅を守れば、女主は最もこの天象を忌諱する。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、南朝宋の前廃帝永光元年九月丁酉、熒惑が軒轅に入り、位置は女主の大星の北にあり、第二年に昭太后は去世した。)熒惑が軒轅を守れば、また天下に慶賀に値する事ありを主り、赦宥の類の吉応に属する。(原書小注は孫盛《晋陽秋》を引いていう、東晋孝武帝寧康元年七月乙未、火星が軒轅の大星を衝犯し、寧康二年正月癸未に至って、朝廷は天下を大赦した。)
《荊州占》曰:“熒惑守犯軒轅,地動,又曰御女有誅者。”石氏曰:“熒惑守軒轅,守衛有誅者。”《河圖》曰:“熒惑入軒轅中,復還守,應以善事則已。”《文曜鉤》曰:“熒惑逆行,守軒轅大星,環繞之若成勾巳,天下大亂,后妃當誅,宮破主亡,易其王,期百八十日,遠一年。”
《荊州占》にいう、熒惑が守候して軒轅を衝犯すれば、地震を主り、またいう宮中の御女に誅殺される者あり。石申はいう、熒惑が軒轅を守れば、宿衛の臣に誅殺される者ありを主る。《河図》にいう、熒惑が軒轅の中に入り、去ってまた返りてこれを守れば、ただ君主が善政・善事を以て応えれば、災咎はこれに就いて消解する。《文曜鉤》にいう、熒惑が逆行して軒轅の大星を守り、それを繞り盤旋して環を成すか、あるいは盤曲して「勾巳」の形を成せば、天下の大乱を主り后妃は当に誅せられ、宮室は破敗し君主は敗亡し、君王を改換し、応期は百八十日、遠ければ一年である。
巫咸曰:“熒惑行,犯守軒轅,女主失政,若失勢;一曰大臣當之,若有黜者;期二年。”《荊州占》曰:“熒惑犯乘,守軒轅,主命惡之。”石氏曰:“熒惑入軒轅中乘守之,有逆賊,若水災。熒惑中犯乘守軒轅太民星,大飢,大流,皇太后族有誅者,若有罪;中犯乘守少民星,小飢、小流,皇后之族有誅者,若有罪。”
巫咸はいう、熒惑が運行して軒轅を衝犯・守候すれば、女主が主政の権を喪失するかあるいは勢を失うを主り、もう一説には大臣によってこの凶咎を承当し、あるいは罷黜される人があり、応期は二年である。《荊州占》にいう、熒惑が軒轅を衝犯・凌駕し守候すれば、君主の性命がこの天象に忌まれるを主る。石申はいう、熒惑が軒轅の中に入って凌駕・守候すれば、叛逆の賊臣ありを主り、あるいは水災が発生する。熒惑が正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して軒轅の太民星に及べば、大飢饉・百姓の大批の流亡を主り、皇太后の一族に誅せられる人があり、あるいは罪を獲る人がある。正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して少民星に及べば、小飢饉・小規模の流亡を主り、皇后の一族に誅せられる人があり、あるいは罪を獲る人がある。
熒惑犯少微 四十五
郗萌曰:“熒惑犯少微,賢士有讓善者。”石氏曰:“熒惑入少微,君當求賢佐,不求賢佐,則失威嚴,奪勢矣。”石氏曰:“熒惑犯守少微,名士有憂,五者任用小人,忠臣被害,有死者。”《黃帝占》曰:“熒惑入犯乘守少微,宰相易。熒惑中犯乘守少微,女主憂。”石氏曰:“熒惑入中犯乘守少微,五官亂,宰相有憂。”
郗萌はいう、熒惑が少微星を衝犯すれば(少微四星は太微垣の西南にあり、処士・隠逸と在野の賢者を主る)、賢士の中に賢能を推譲し功を争うを肯ぜざる人ありを主る。石申はいう、熒惑が少微に入れば、君主は当に賢能の輔臣を訪求すべく、もし賢を求めるを肯ぜなければ、威厳を失い権勢は人に奪い去られる。石申はいう、熒惑が衝犯して少微を守候すれば、名望ある士人が憂に遭うを主り、君上は小人を任用し忠臣は陥害を受け、甚だしきは身死する人に至る(源文「五者」は当に「主者」の訛り)。《黄帝占》にいう、熒惑が少微に入り・衝犯し・凌駕し・守候すれば、宰相の更換を主る。熒惑が正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して少微に及べば、女主に憂いありを主る。石申はいう、熒惑が入って正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して少微に及べば、五官の属の紊乱を主り、宰相に憂患がある。
熒惑犯太微 四十六
郗萌曰:“熒惑犯太微,天下不安。”(《宋書天文志》曰:明帝泰始二年四月壬午,熒惑入太微。犯右執法,其年四方反叛,內兵大出,六師親戎,昭太后後崩,撫軍將軍殷孝祖為南賊所殺。尚書右僕射蔡興宗以熒惑犯右執法自解,不許,後失淮北四州地。彭城、兗州併為虜所沒。)
郗萌はいう、熒惑が太微垣を衝犯すれば、天下の安寧を得ざるを主る。太微垣は天子が政を布く朝庭で、垣中の左執法は廷尉を象徴し右執法は御史大夫を象徴し、ゆえにおよそ熒惑の入犯は、占辞は多く執法の大臣の身に応ずる。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、南朝宋明帝泰始二年四月壬午、熒惑が太微に入り右執法星を衝犯した。この年、四方の州郡は紛紛として叛乱し、京師の兵は大挙して出動し天子は自ら六軍を統領した。昭太后は随いて去世し、撫軍将軍殷孝祖は南方の叛軍に殺された。尚書右僕射蔡興宗は熒惑が右執法を衝犯したことを以て解職して咎を避けることを請うたが、朝廷は許さず、後に果たして淮北の四州の地を失い、彭城・兗州は一併に北方の敵軍に占没された。)
《帝覽嬉》曰:“熒惑行犯太微左右執法,大臣有憂。”(《宋書天文志》曰:晉成帝咸康四年五年戊戌,熒惑犯右執法,五年七月庚申,丞相王導薨。武帝永初三年九月癸卯,熒惑經太微犯右執法,已未犯左執法。元嘉三年徐羨之及傳亮謝晦悉誅,十六年九月熒惑犯右執法,明年大將軍義康出,徒豫章。誅其黨。《晉陽秋》曰:太元十二年五月丙午,熒惑出端門,犯左執法。十三年正月丙午,左將軍謝玄薨戊辰,冠軍將軍桓石虎薨。)
《帝覧嬉》にいう、熒惑が経行して太微垣の左執法・右執法の両星を衝犯すれば、大臣に憂患ありを主る——左執法は廷尉の職に配し、右執法は御史大夫の職に配し、ゆえに下文の挙げる験例は多く丞相・僕射の級の重臣の身に応ずる。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、東晋成帝咸康四年・五年戊戌日、熒惑が右執法を衝犯し、咸康五年七月庚申、丞相王導は去世した。宋武帝永初三年九月癸卯、熒惑が太微を経て右執法を衝犯し、己未日にまた左執法を衝犯した。元嘉三年、徐羨之と傅亮・謝晦は全く誅殺された。元嘉十六年九月、熒惑が右執法を衝犯し、第二年に大将軍劉義康は外放して豫章に遷り、その党羽もまた誅除された。また《晋陽秋》を引いていう、東晋太元十二年五月丙午、熒惑が端門から穿ち出て左執法を衝犯し、十三年正月丙午、左将軍謝玄は去世し、戊辰日、冠軍将軍桓石虔は去世した。)
巫咸曰:“熒惑犯太微門右,大將死,門左,小將死。”(《晉陽秋》曰:孝武寧康元年九月癸巳,火入太微、掩西蕃上將,二年正月巳酉,北中郎將徐兗二州刺史刁彝薨,《宋書天文志》曰:晉成帝咸康六年三月甲寅,熒惑順行,犯上將星,四月丁丑,又犯右執法,是時何充為執法。有遣,命避其咎。明年求為中書令,建元二年。庚水死、皆大將執政之應也。是歲正月、征西將軍庚亮薨。穆帝昇平四年八月丙辰,熒惑犯太微西上將星、五年正月北中部郎將郗曇薨。宋前廢帝永興元年熒惑入太微,犯西上將星,其年太宰江夏王義恭尚書令,柳元景僕、射顏師伯等並誅,太尉沈慶之薨,廬陵王敬先、南平王敬猷,南康侯敬淵並賜死。司馬彪《天文志》曰:孝桓延熹八年五月壬午,熒惑入太微,犯右執法,九年九月辛亥,熒惑入太微西門,積五十八日九年十一月,太原守劉瓚荊州刺史李隗等皆棄市。永康元年十二月,太傅陳蕃、大將軍竇武、尚書令尹勳,黃門令山水等皆枉死。)
巫咸はいう、熒惑が太微門の右側を衝犯すれば大将の死を主り、門の左側を衝犯すれば小将の死を主る——太微垣の東西両垣は南より北へ向かって各々上将・次将・次相・上相を列し、左右の応ずる将秩はもと高下の分があり、ゆえに占辞は大将・小将を分けていう。(原書小注は《晋陽秋》を引いていう、東晋孝武帝寧康元年九月癸巳、火星が太微に入り西垣の上将星を掩い、寧康二年正月己酉、北中郎将・徐兗二州刺史刁彝は去世した。また《宋書・天文志》を引いていう、東晋成帝咸康六年三月甲寅、熒惑が順行して上将星を衝犯し、四月丁丑にまた右執法を衝犯した。当時何充は正しく執法の任に居り、人は彼に外放してこの災咎を躲开するよう勧め、第二年に彼はすなわち中書令に出任することを請うた。建元二年に至って庾冰は身死した——これらはいずれも大将と執政の大臣がこの象に応験した例である。この年正月、征西将軍庾亮は去世した。穆帝升平四年八月丙辰、熒惑が太微の西上将星を衝犯し、升平五年正月、北中郎将郗曇は去世した。南朝宋の前廃帝永光元年、熒惑が太微に入り西上将星を衝犯し、この年、太宰江夏王劉義恭・尚書令柳元景・僕射顔師伯らは一併に誅せられ、太尉沈慶之は去世し、廬陵王劉敬先・南平王劉敬猷・南康侯劉敬淵はみな死を賜わった。また司馬彪《続漢書・天文志》を引いていう、東漢桓帝延熹八年五月壬午、熒惑が太微に入り右執法を衝犯し、延熹九年九月辛亥、熒惑が太微の西門に入り、前後に累計して五十八日。九年十一月、太原太守劉瓆・荊州刺史李暠らはみな処決されて棄市された。永康元年十二月、太傅陳蕃・大将軍竇武・尚書令尹勲・黄門令山冰らはみな冤を含んで死んだ。)
郗萌曰:“熒惑犯左右執法,左右執法者,誅若有罪。”陳卓曰:“熒惑犯太微東南陬星,天下大飢,近期一年,遠期五年。”《荊州占》曰:“熒惑道,從太微西蕃北南方星間入,到南蕃東方星間出道;中西蕃直出入者,非道也。”甘氏曰:“熒惑常以十月、十一月入太微天庭受制,而出行列宿,司天道之國,罰無道之君,失禮之臣,若犯左相,左相誅;犯右相,右相誅,守宮三旬,必有赦,期六十日。”
郗萌はいう、熒惑が左執法・右執法を衝犯すれば、左右執法の職を担任する人が誅せられるかあるいは罪を獲るを主る。晋代の天文家陳卓はいう、熒惑が太微垣の東南角上の星を衝犯すれば、天下の大飢饉を主り、近ければ応期一年、遠ければ応期五年である。《荊州占》にいう、熒惑の運行する正道は、太微の西垣の偏北のあの南方の星の間より入り、再び南垣の偏東のあの星の間より穿ち出るものである。もし径直に西垣の正中から出入すれば、それはすなわちそれの走るべき正道ではない。甘徳はいう、熒惑は通常十月・十一月に太微の天庭に入って天子の命を受け、然る後に出て二十八宿を巡行し、天下の道ある国を考察し、道なき君と礼を失する臣を懲罰する。もしそれが左相星を衝犯すれば左相は誅せられ、右相星を衝犯すれば右相は誅せられ、もし太微宮に守って三十日に達すれば、必ず赦令があり、応期は六十日である。
《玄冥占》曰:“熒惑常以十月丙子入太微宮七日,受制而出,行列宿,司無道之國,七日以上成災,如占。”《文曜鉤》曰:“熒惑以戊子日順入太微庭中,受使於天子,不為咎,非其日,災殃如占。”郗萌曰:“熒惑當太微門,為受制;當左執法,為受事左執法;當右執法,為受事右執法;守太微門三日以下為受制;三日以上為兵、為賊、為亂、飢。”
《玄冥占》にいう、熒惑は通常十月丙子日に太微宮に入り、七日停留して天子の命を受けて後に出て、二十八宿を巡行し、道なき国を考察する。もし逗留が七日を超えれば、すなわち災禍を醸成して、占辞のいうところに拠って応験する。《文曜鉤》にいう、熒惑が戊子日に順行して太微庭の中に入るのは、天子の差遣を奉ずるもので災咎と算せず、もしこの日でなくて入れば、災殃はすなわち占辞に拠って応験する。郗萌はいう、熒惑が正しく太微門に対するは、天命を接受するものであり、正しく左執法に対するは、左執法のところより職事を領受するものであり、正しく右執法に対するは、右執法のところより職事を領受するものである。太微門に守ること三日以内は、なお天命を接受すると算し、三日を超えれば、すなわち兵事を主り賊寇を主り変乱を主り飢饉を主る。
《荊州占》曰:“熒惑出東掖門,為相受命東南出,德事也,出西掖門,為將受命西南出,刑事也,期以春夏。”《黃帝占》曰:“熒惑入天庭,色白潤澤,為期百八十日,有赦。”《帝覽嬉》曰:“熒惑入太微,而出端門者,臣不臣。”(司馬彪《天文志》曰:“孝桓就壽元年八月已己,熒惑入守太微二十一日,出端門,為亂臣。是時梁氏專政。)
《荊州占》にいう、熒惑が東掖門から穿ち出れば、丞相が命を受けて東南に出行するを象徴し、徳を施す事に属し、西掖門から穿ち出れば、将帥が命を受けて西南に出行するを象徴し、刑を用いる事に属し、応期は春夏の間に在る。《黄帝占》にいう、熒惑が天庭(すなわち太微垣)に入って星色が潔白にして光沢あれば、応期は百八十日で赦令があろう。《帝覧嬉》にいう、熒惑が太微に入って端門より穿ち出れば、人臣の臣道を守らざるを主る。(原書小注は司馬彪《続漢書・天文志》を引いていう、東漢桓帝建寿元年八月己巳、熒惑が太微に入って併せて二十一日守候し、然る後に端門から穿ち出で、占して乱臣ありと為した。当時は正しく外戚の梁氏が朝政を専擅していた。)
《聖洽符》曰:“熒惑入太微庭中央,帝族相攻伐,天子憂;若守端門,臣謀弒君;若留止門外,大臣戮死。熒惑入太微庭中,天倉閉,婦女不得食,天下饑荒。”郗萌曰:“熒惑入天庭,在屏南出門,扉左,左將死;出門扉左,右將死;直出無為。”《合誠圖》曰:“熒惑入華闕門,臣殺之候也。熒惑入庭中,臣多逆,不軌。”(司馬彪《天文志》曰:孝靈光和五年四月,熒惑在太微中守屏,占曰:熒惑入太微,為亂臣,是時中常侍趙忠、張讓、郭勝,孫璋等並奸亂也。)
《聖洽符》にいう、熒惑が太微庭の正中に入れば、帝室の宗族が自ら相攻伐し天子は憂懼するを主り、もし端門に守れば、臣下が君を弑することを謀劃するを主り、もし門外に停留して進まなければ、大臣が殺されるを主る。熒惑が太微庭の中に入れば、天倉が封閉し婦女は食物を得られず天下は飢饉を鬧すを主る。郗萌はいう、熒惑が天庭に入り屏星の南にて門を穿って出るとき、もし門扇の左辺に偏すれば左将の死を主り、もし門を出るとき門扇の左側に靠れば右将の死を主り、もし筆直に穿ち出れば、すなわち応験する所なし。《合誠図》にいう、熒惑が中華の闕門に入れば、人臣が弑殺する徴候である。熒惑が庭中に入れば、臣下に悖逆・不軌の挙が多いを主る。(原書小注は司馬彪《続漢書・天文志》を引いていう、東漢霊帝光和五年四月、熒惑が太微の中にて屏星を守候し、占辞にいう、熒惑が太微に入れば乱臣ありを主ると。当時、中常侍趙忠・張譲・郭勝・孫璋らは正しくともに権を専らにして乱を作していた。)
石氏曰:“熒惑入太微中華東西門,若左右掖門,而南出端門者,為必有反臣。熒惑入太微西門,出東門,臣謀其主,人君不安,欲求賢佐,有入中華西門,出中華東門,為臣出令;有入太陰西門,出太陰東門,為天下大亂;有喪,若水大。熒惑若入中華西門,天子憂之;若出中華東門,天下大亂,兵大起,期不出二年。”
石申はいう、熒惑が太微の中華東門あるいは中華西門から入るか、あるいは左右の掖門から入って、南に向かい端門より穿ち出れば、必ず反叛の臣がある。熒惑が太微の西門から入り東門より穿ち出れば、臣下が君主を図り謀るを主り、君主は席に坐して安からず賢能の輔佐を急ぎ訪求し、もし中華西門から入り中華東門より穿ち出れば、人臣が擅りに号令を発するを主り、もし太陰西門から入り太陰東門より穿ち出れば、天下の大乱を主り喪事があり、あるいは大水を発する。熒惑もし中華西門から入れば、天子はこれに憂慮し、もし中華東門より穿ち出れば、天下の大乱・兵事の大いに起こるを主り、応期は二年を出ない。
甘氏曰:“熒惑出太微天庭中,有立王;若徙王。”郗萌曰:“熒惑出天庭中,當道而為勾巳天庭,天下更紀。”(《宋天文志》曰:“晉安帝義熙十四年十月癸已熒惑入太微,犯西蕃上將,仍順行至左掖門。留二十日,乃逆行,元熙元年三月五日,出西蕃上將西三尺許。又陡還入太微時填星在太微,繞填星成勾巳。其年四月二十七日丙戍。從端門出,占曰:熒惑填星勾巳天庭,天下更紀。二年六月,晉帝遜位。高祖入宮也。)
甘徳はいう、熒惑が太微の天庭の中より穿ち出れば、主に新王を冊立するか、あるいは旧王を遷徙するべきである。郗萌はいう、熒惑が天庭の中より穿ち出て、ちょうど道を行って天庭の裡に盤曲して「勾巳」の形を成せば、天下が朝代を改め紀元を重ね定めるを主る。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、東晋安帝義熙十四年十月癸巳、熒惑が太微に入り西垣の上将星を衝犯し、続いて順行して左掖門に至り、二十日停留してやっと転じて逆行と為した。元熙元年三月五日、西垣の上将星の西の三尺ほどに退出し、随いて後に忽然として折り返して太微に入った。当時、土星「填星」は正しく太微の中に在り、熒惑は填星を繞り盤曲して「勾巳」の形を成した。この年四月二十七日丙戌、熒惑は端門から穿ち出た。占辞にいう、熒惑と填星が天庭の中に盤曲して勾巳を成せば、天下は改元・易代するべしと。元熙二年六月に至って、晋恭帝は位を退き国を譲り、宋高祖劉裕は入って宮中に居った。)
郗萌曰:“熒惑入太微西門,犯天庭、出端門,為臣伐主,入西門,而折出右掖門,為大臣假主之威,而不從主命。熒惑入西華門,出端門,為臣詐稱詔。熒惑入太微端門,出東門,為貴者奪威勢。”《荊州占》曰:“熒惑出門微南門,執法用大事;出械掖門,大臣誅。”(司馬彪《天文志》曰:孝安延光二年八月巳亥,熒惑出太微端門,是時大將軍耿寶中常侍江京等譖太子乳母王男,廚監邴吉等,殺之,徙其父母妻子日南也,九月丁酉,廢太子為濟陰王。)
郗萌はいう、熒惑が太微の西門から入り天庭を衝犯して端門より穿ち出れば、人臣が君主を討伐するを主り、西門から入って折れて右掖門より穿ち出れば、大臣が君主の威権を借用して君命に聴従せざるを主る。熒惑が西華門から入り端門より穿ち出れば、人臣が詔書を假造するを主る。熒惑が太微の端門から入り東門より穿ち出れば、権貴が君主の威勢を奪い去るを主る。《荊州占》にいう、熒惑が太微の南門から穿ち出れば、執法の官が重大な案件を処置するを主り、掖門から穿ち出れば、大臣が誅せられるを主る。(原書小注は司馬彪《続漢書・天文志》を引いていう、東漢安帝延光二年八月己亥、熒惑が太微の端門から穿ち出た。当時、大将軍耿宝・中常侍江京らは太子の乳母王男と厨監邴吉らを誣陥して彼らを殺し、また彼らの父母・妻子を日南に流放した。九月丁酉、太子は廃されて済陰王と為った。)
《荊州占》曰:“熒惑入太微宮,為天下驚,一曰有兵。熒惑入天庭,國不安其宮。熒惑入太微庭中,主命無期。熒惑入天庭,君子惡之,又曰大臣死。熒惑入太微,色白無芒,天下大亂,一曰天下大飢。”
《荊州占》にいう、熒惑が太微宮に入れば、天下の震動・驚擾を主り、もう一説には兵事ありとする。熒惑が天庭に入れば、国君が宮中に安んじて居るを得ざるを主る。熒惑が太微庭の中に入れば、君主の寿命の逆料し難きを主る。熒惑が天庭に入れば、位に在る君子は最もこの天象を忌諱し、またいう大臣の死亡を主る。熒惑が太微に入って星色が白に発して芒角なければ、天下の大乱を主り、もう一説には天下の大飢饉とする。
《黃帝占》曰:“熒惑東行入太微庭,出東門,天下有爭兵,(《宋書天文志》曰:安帝義熙十年五月癸卯,熒惑順行入太微,十一月林邑寇交州刺史杜慧度距戰於九真,大敗之。)若守將相丞御史大臣有死者;若入端門,守天庭,大禍至,入南門,出東門,國大旱;若入南逆行,出西南門,有大水,逆行入東門,出西門,大國破亡,若順入西蕃,而留不去,楚國凶殃。”
《黄帝占》にいう、熒惑が東に向かって行って太微庭に入り、再び東門より穿ち出れば、天下に争戦の兵ありを主る。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、東晋安帝義熙十年五月癸卯、熒惑が順行して太微に入り、十一月に林邑国が入寇し、交州刺史杜慧度は九真に迎撃してそれを大いに敗った。)もしそれが将星・相星・丞星・御史星を守候すれば、大臣の中に死亡する者ありを主り、もし端門から入って天庭を守住すれば、大禍はまさに到來せんとし、南門から入り東門より穿ち出れば、国中の大旱を主り、南面から入って逆行し西南門より穿ち出れば、大水を発するを主り、逆行して東門から入り西門より穿ち出れば、大国の破敗・滅亡を主り、もし順行して西垣に入り滞留して去らなければ、楚の地の国に凶殃ありを主る。
巫咸曰:“熒惑逆行入太微天庭中,為大臣有誅,若諸侯戮死,期二年。”石氏曰:“熒惑逆行太微之中,及出左右掖門者,有逆謀,天子有命將征伐之事,一曰大赦可以解其患。”郗萌曰:“熒惑逆行,入左掖門,為臣劫其主。”(《宋書天文志》曰:晉安帝元興三年正月戊戍,熒惑逆行犯太微西垣,占曰:天子戰于野,上相死,是年二月丙辰,殺桓玄等,桓循劫帝如江陵。)
巫咸はいう、熒惑が逆行して太微の天庭の中に入れば、大臣が誅せられるかあるいは諸侯が殺されるを主り、応期は二年である。石申はいう、熒惑が太微の中で逆行して併せて左右の掖門より穿ち出れば、人に叛逆を図り謀る者ありを主り、天子はまさに将帥を任命して兵を出し征討する事があろうとして、もう一説には大赦を頒行すればこの場の禍患を化解できるとする。郗萌はいう、熒惑が逆行して左掖門に入れば、人臣が君主を脅持するを主る。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、東晋安帝元興三年正月戊戌、熒惑が逆行して太微の西垣を衝犯し、占辞にいう、天子はまさに野外にて作戦し上相は身死せんと。この年二月丙辰、桓玄らは殺され、後に桓振がまた安帝を脅持して江陵に遷った。)
《荊州占》曰:“熒惑逆行入太微天庭中,為諸侯將有殺上者;至黃座而成,不至黃座而還,有謀不成,以其日入占國。熒惑逆行天庭中不止,有大獄。”郗萌曰:“熒惑入太微宮中,至屏而留,有兵在中。”郗萌曰:“熒惑入天庭中,留十日以上,赦。”
《荊州占》にいう、熒惑が逆行して太微の天庭の中に入れば、諸侯・将帥の中に君上を弑殺せんとする人ありを主り、もしそれが黄帝座に行き至ってやっと停ればその事は必ず成り、もし黄帝座に至らずして折り返れば、すなわち陰謀は成らず、どの国に応じるかはそれが入ったあの日の干支に拠って推断する。熒惑が天庭の中に逆行して止まらなければ、大きな獄訟の事ありを主る。郗萌はいう、熒惑が太微宮の中に入って屏星に行き至ってすなわち停まれば、宮中に兵変ありを主る。郗萌はいう、熒惑が天庭の中に入って十日以上停留すれば、赦令があろう。
《荊州占》曰:“熒惑道南蕃,入留止南門,為大臣有憂。(司馬彪《天文志》曰:光武中元,二年八月丁巳,火犯太微西南角星,相去二寸,太微西南星,為將相、後太尉趙熹,李訴等免官。)熒惑入太微,若從右入,七日以上,為人主有憂。(司馬彪《天文志》曰:孝桓永康元年正月庚寅,熒惑逆行入太微東門,留百日,出端門,其年十二月丁丑。桓帝崩。《宋書天文志》曰:晉簡文咸安元年十二月辛卯,熒惑逆行入大太微二年三月不退。是時帝憂桓玄之逼,常懷憂慘,十二月帝崩也。)熒惑入天庭中二十日以上,延尉坐之,期六月。熒惑留太微庭中,為天下大憂;中央留十日以上,為天下有亡徒為兵者。”
《荊州占》にいう、熒惑が南垣に道を取り、入って来て後に南門に停留すれば、大臣に憂患ありを主る。(原書小注は司馬彪《続漢書・天文志》を引いていう、東漢光武帝中元二年八月丁巳、火星が太微の西南角上の星を衝犯し、相距ること二寸。太微の西南の星は将相を象徴し、後に太尉趙熹・李䜣らはみな免官された。)熒惑が太微に入り、もし右辺から入って七日以上停留すれば、君主に憂患ありを主る。(原書小注は司馬彪《続漢書・天文志》を引いていう、東漢桓帝永康元年正月庚寅、熒惑が逆行して太微の東門に入り、百天停留してやっと端門から穿ち出た。この年十二月丁丑、桓帝は駕崩した。また《宋書・天文志》を引いていう、東晋簡文帝咸安元年十二月辛卯、熒惑が逆行して太微に入り、二年三月に至ってもなお退か去らず、当時簡文帝は桓氏の逼迫を憂慮し常に心に憂戚を懐き、十二月に便ち駕崩した。)熒惑が天庭の中に入って二十日以上停留すれば、廷尉が罪を獲て連坐するを主り、応期は六か月である。熒惑が太微庭の中に滞留すれば、天下に大憂ありを主り、正中に停って十日以上なれば、天下に逃亡の人が聚まって兵と為す者ありを主る。
《黃帝占》曰:“熒惑守太微垣門外之左,延尉有事;守門外之右,丞相御史有事。熒惑守端門中二十日,臣謀反,主出走,期不出百二十日。”(《宋書天文志》曰:“晉海西公太和六年,閏月,熒惑守端門十一月,桓玄廢帝。)甘氏曰:“熒惑守角亢,反守太微,臣有謀兵天子者。”《春秋緯》曰:“熒惑守太微,王者惡之。”
《黄帝占》にいう、熒惑が太微垣門外の左側に守れば、廷尉に事ありを主り、門外の右側に守れば、丞相・御史に事ありを主る。熒惑が端門の中に守って二十日に達すれば、人臣が反を謀り君主が出逃するを主り、応期は百二十日を出ない。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、東晋海西公太和六年閏月、熒惑が端門を守り、十一月に至って桓氏はすなわち皇帝を廃黜した。)甘徳はいう、熒惑が先に角宿・亢宿を守り、頭を回らしてまた太微を守れば、人臣の中に天子に向かって兵を挙げる図謀ありを主る。《春秋緯》にいう、熒惑が太微を守るは、王者の深く忌む所と為す。
郗萌曰:“熒惑守太微,諸侯及三公謀其上,鈇鑕用,必有斬臣;又曰女主不吉。”(《宋書天文志》曰:晉元康三年四月,熒惑守太微六十日後,賈后陷殺太子,而趙王廢后,又殺之,斬張華,裴顯遂纂位,廢帝為大上皇,天下從此構亂連禍也。)《玄冥占》曰:“熒惑入太微,無所犯守,順度而行,出左右掖門,所之野,天子謀之。”
郗萌はいう、熒惑が太微を守れば、諸侯と三公が君上を図り謀るを主り斧鑕の刑具は用場に派せられ、必ず大臣の斬られる者あり、またいうこれは女主に対して吉利ならず。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、西晋元康三年四月、熒惑が太微を六十日守り、後に賈后が計を設けて太子を害死させ、趙王司馬倫は賈后を廃して併せて彼女を殺し、また張華・裴頠を斬り、すぐに帝位を簒奪して晋恵帝を廃して太上皇と為し、天下はこれより禍乱が連なった。)《玄冥占》にいう、熒惑が太微に入って衝犯せず守候もせず、ただ常度に依って順行して左右の掖門より穿ち出れば、それの前往する分野を、天子は正しくそこのために籌謀しているのである。
《黃帝占》曰:“熒惑干太微,留守三日以上,為必有兵革,天下赦。”《合誠圖》曰:“熒惑入太微,陵犯留止,後三年,必有喪。”《荊州占》曰:“熒惑入太微天庭,所犯乘守者,若有罪,各以守官名之。熒惑食太微東西蕃,四輔輔臣有誅者。”
《黄帝占》にいう、熒惑が太微を衝撞して滞留・守候すること三日以上なれば、必ず戦事があり、随いて後に天下は赦令を頒行する。《合誠図》にいう、熒惑が太微に入って欺凌・衝犯してまた停留して去らなければ、この後三年以内に必ず喪事がある。《荊州占》にいう、熒惑が太微の天庭に入って、およそそれに衝犯・凌駕・守候された星は、対応する人がすなわち罪を獲て、各々あの星の配する官名に拠って指認する。熒惑が太微の東垣・西垣の星を掩食すれば、四輔の位の輔臣に誅せられる者ありを主る。
熒惑犯黄帝座 四十七
石氏曰:“熒惑犯黃帝座,改政易王,天下亂,存亡半。”甘氏曰:“熒惑入中華門,犯帝座,天下亂,賊臣害主,破宮;期九十日。”《荊州占》曰:“熒惑犯黃帝座,大臣戮死。”《玉曆》曰:“熒惑入太陰西門,犯黃帝座,天子宮破國滅絕嗣,不出二年。”甘氏曰:“熒惑中黃帝座,臣殺其主。”《雒罪級》曰:“熒惑入黃帝座,不吉;強臣弒主。”甘氏曰:“熒惑入黃帝座,大人戮死,朝廷有哭。”
石申はいう、熒惑が黄帝座を衝犯すれば(黄帝座一星は太微垣の正中に居り、天子本人の象徴である)、政令を改換し君王を更易するを主り、天下は大いに乱れ存する者と亡ぶる者は各々半ばを占める。甘徳はいう、熒惑が中華門から入って帝座を衝犯すれば、天下の大乱を主り賊臣は君主を謀害し宮室は攻破され、応期は九十日である。《荊州占》にいう、熒惑が黄帝座を衝犯すれば、大臣が殺されるを主る。《玉暦》にいう、熒惑が太陰西門から入って黄帝座を衝犯すれば、天子の宮室の破敗・国家の覆滅・後嗣の断絶を主り、二年を出ない。甘徳はいう、熒惑が正しく黄帝座を衝けば、人臣が君主を弑殺するを主る。《雒罪級》にいう、熒惑が黄帝座に入れば不吉で、強横の大臣が君を弑するを主る。甘徳はいう、熒惑が黄帝座に入れば、尊貴の人が殺されるを主り朝廷の上に哭声がある。
郗萌曰:“熒惑入天庭直出,期十日,入蕃期二十日,去出尺,期十日,用赦。”《荊州占》曰:“熒惑入帝座,其色白者,為有赦。熒惑入天庭,至黃帝座,有赦。”《荊州占》曰:“熒惑近黃帝座北,諸侯徙,天子辱;若中黃帝座,為大人傷。”甘氏曰:“熒惑近黃帝座,大臣謀,為亂不成。熒惑觸黃帝座,主亡。”《黃帝占》曰:“熒惑守黃帝座,為大人憂。”
郗萌はいう、熒惑が天庭に入ってまた径直に穿ち出れば、応期は十日で、垣墻の内に入れば応期は二十日で、離れ去るとき一尺ほど出れば、応期十日で、期に至って赦宥を施行する。《荊州占》にいう、熒惑が帝座に入って星色が白に発するものは、赦令ありを主る。熒惑が天庭に入って黄帝座に行き至れば、赦令ありを主る。《荊州占》にいう、熒惑が黄帝座の北面に靠近すれば、諸侯の遷徙・天子の辱められるを主り、もし正しく黄帝座を衝けば、尊貴の人が傷害を受けるを主る。甘徳はいう、熒惑が黄帝座に靠近すれば、大臣が心に図謀を懐くを主るが、乱を作すことは成功しない。熒惑が黄帝座に触れれば、君主の敗亡を主る。《黄帝占》にいう、熒惑が黄帝座を守れば、尊貴の人に憂いありを主る。
熒惑犯四帝 四十八
《玉曆》曰:“熒惑入太微,犯四帝,臣有謀,若被誅。”石氏曰:“熒惑犯守四帝,臣謀主,去之一尺,事不成。”石氏曰:“熒惑犯乘守四帝坐,闢憂。”(闢君也。)甘氏曰:“熒惑中犯乘守四帝坐,天下亡。”
《玉暦》にいう、熒惑が太微に入って四帝座を衝犯すれば(黄帝座の四周に蒼帝・赤帝・白帝・黒帝の四座があり、合わせて四帝と称す)、人臣が心に図謀を懐くかあるいは誅せられる人ありを主る。石申はいう、熒惑が衝犯して四帝座を守候すれば、人臣が君主を図り謀るを主り、もしそれが一尺遠く離れれば、事はすなわち成し遂げられない。石申はいう、熒惑が衝犯・凌駕し・守候して四帝座に及べば、君主に憂いありを主る。(原書小注:「辟」はすなわち君主である。)甘徳はいう、熒惑が正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して四帝座に及べば、天下の敗亡を主る。
熒惑犯屏星 四十九
郗萌曰:“熒惑入太微宮中,至屏而留,為有兵在中。”(《宋書天文志》曰:宋明帝泰始二年正月甲午,熒惑逆行,在屏而南,其年四方及叛,內兵大出,六卿親戎。)甘氏曰:“熒惑犯守屏星,君臣失禮,下謀上,一曰大臣有戮死者。”石氏曰:“熒惑中犯乘守屏星,為君臣失禮,而輔臣有誅者,若免罷去。”
郗萌はいう、熒惑が太微宮の中に入って屏星に行き至ってすなわち停留し下れば、宮禁の内に兵変ありを主る。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、南朝宋明帝泰始二年正月甲午、熒惑が逆行して位置は屏星の南にあり、この年四方の州郡は叛乱し京師の兵は大挙して出動し六卿は自ら兵を領いた。)甘徳はいう、熒惑が衝犯して屏星を守候すれば(屏星は太微垣の内にあり、帝座を遮蔽する屏障で、君臣の間の礼隔を象徴する)、君臣の間で礼数を失うを主り下位の者が上位の者を図り謀り、もう一説には大臣の中に殺される者ありとする。石申はいう、熒惑が正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して屏星に及べば、君臣が礼を失するを主り輔政の臣に誅せられる者があり、あるいは免職・罷黜される。
熒惑犯郎位 五十
甘氏曰:“熒惑犯守郎位,輔臣有誅,左右宿衛者為亂,王者宜備之。”
甘徳はいう、熒惑が衝犯して郎位星を守候すれば(郎位十五星は太微の帝座の東北にあり、君主に侍衛する郎官を象徴する)、輔政の臣に誅せられる者ありを主り、君主の左右で宿衛を担任する人が乱を作さんとし、王者は当に予め防備すべきである。
熒惑犯郎将 五十一
巫咸曰:“熒惑守郎將,曰凌,凌則將有誅,若將有憂;一曰大臣為亂,戒慎左右。”《荊州占》曰:“熒惑犯乘守郎將,且有以符節為奸者。熒惑中犯乘守郎將,必有不還之使。”
巫咸はいう、熒惑が郎将星を守れば(郎将一星は郎位の北にあり、郎官を統率する虎賁中郎将を象徴する)、これを「凌」と作す——凌犯すればすなわち将領の誅せられるを主るかあるいは将領に憂いがあり、もう一説には大臣が乱を作し君主は身辺の近侍を警惕すべきであるとする。《荊州占》にいう、熒惑が衝犯・凌駕し・守候して郎将に及べば、人に符節に憑藉して奸邪の事を干す者があろう。熒惑が正しく衝き・衝犯し・凌駕し・守候して郎将に及べば、必ず出使して帰って来ない使臣がある。
熒惑犯常陳 五十二
甘氏曰:“熒惑犯守常陳,守衛有謀,兵起宮中,天子自出行,誅,期百八十日,遠一年。”
甘徳はいう、熒惑が衝犯して常陳星を守候すれば(常陳七星は帝座の北にあり、形は天子の護衛・儀仗のごとく、宿衛・武備を主る)、守衛を担任する人が心に図謀を懐くを主り、宮中に兵変が発生し天子は自ら出面して処置し誅戮を施行し、応期は百八十日、遠ければ一年である。
熒惑犯三台 五十三
《玉曆》曰:“熒惑入犯上臺司命,近臣有罪,若有誅,一曰近臣有逃去者,以五色占:黃白、無故;青黑,憂死喪;期一年。”郗萌曰:“熒惑犯守上臺,宮中禁門燔,太尉病,天子惡之,犯守中臺,司徒、公族、皇后忌;犯守下臺,司空為庶人;皆期百七十二日。”《文曜鉤》曰:“熒惑犯守中臺,司中奸臣有謀,若有誅者,中公當之。”巫咸曰:“熒惑犯守下臺,司祿近臣有罪,若出走;色黑者死。”
《玉暦》にいう、熒惑が入って上台の司命二星を衝犯すれば(三台六星は上・中・下の三階に分かれ、上台は名を司命、中台は名を司中、下台は名を司禄といい、三公の位に分配する)、近臣が罪を獲るかあるいは誅せられるを主り、もう一説には近臣の中に逃亡する者があり、さらに熒惑の五色に拠って分辨する——黄・白色を呈するものは事なし、青・黑色を呈するものは憂愁・死喪を主り、応期は一年である。郗萌はいう、熒惑が衝犯して上台を守候すれば、宮中の禁門が失火し太尉は病を生じ、天子はこの象を忌諱するを主り、衝犯・守候して中台に及べば、司徒・宗室の公族と皇后はまさに忌を犯さんとし、衝犯・守候して下台に及べば、司空は平民に貶められ、これらの数種の応期はいずれも百七十二日である。《文曜鉤》にいう、熒惑が衝犯して中台を守候すれば、司中の位に奸臣の図謀ありを主るかあるいは誅せられる人があり、中台の配する公卿によって承当する。巫咸はいう、熒惑が衝犯して下台を守候すれば、司禄の位の近臣が罪を獲るかあるいは出逃し、もし熒惑の星色が黒に発すれば、あの人はすなわち死ぬべきである。
《黃帝占》曰:“熒惑守三臺三十日,天下大亂,兵起宮中,大臣戮死;若守三臺間,尤甚急,期百八十日。”郗萌曰:“熒惑守三臺三日以上,三公有戮死者。熒惑守三能之中央百二十日,三公皆謀,害國。熒惑入天柱,天下有慶賀之事。熒惑居天柱,兵起,三年乃止。熒惑留繫天柱,地大動,兵大起。”《春秋緯》曰:“天下奮擊,臣子相譖,三公專恣;則熒惑流而觸能。”
《黄帝占》にいう、熒惑が三台を守って三十日に達すれば、天下の大乱を主り宮中に兵変が発生し大臣は殺され、もし三台の各階の空隙の間に守れば、情勢は殊に緊急で、応期は百八十日である。郗萌はいう、熒惑が三台を守って三日以上なれば、三公の中に殺される者ありを主る。熒惑が三台の正中に守って百二十日に達すれば(「三能」はすなわち三台の別名である)、三公が同じく事を謀り国家を危害するを主る。熒惑が天柱星に入れば、天下に慶賀に値する事ありを主る。熒惑が天柱に停居すれば、兵事の興起を主り三年にしてやっと平息する。熒惑が滞留して天柱のそばに糾纏すれば、大地の震動を主り兵事は大いに起こる。《春秋緯》にいう、天下が互いに攻撃し臣子の間で彼此に誣告し三公が権を専らにして恣肆なれば、熒惑はすなわち流移して過って三台を触犯する。
熒惑犯相星 五十四
石氏曰:“熒惑犯相星,輔臣凶。熒惑守相星三十日,大臣為亂,天下兵起,人主有憂。”
石申はいう、熒惑が相星を衝犯すれば(相一星は北斗の南にあり、天子を輔佐する丞相を象徴する)、輔政の臣が凶に遭うを主る。熒惑が相星を守って三十日に達すれば、大臣が乱を作すを主り天下は兵事を興起し君主に憂患がある。
熒惑犯太陽守 五十五
石氏曰:“熒惑犯守太陽守,執御臣憂,內將軍有死者,期九十日。”甘氏曰:“熒惑犯守太陽守,大臣戮死,若有誅,期不出年。”
石申はいう、熒惑が衝犯して太陽守星を守候すれば(太陽守一星は相星の西にあり、大臣・大将の守御の職を主る)、君主のために轡を執り車を駕る近臣に憂いありを主り、宮内の将軍の中に死亡する者があり、応期は九十日である。甘徳はいう、熒惑が衝犯して太陽守を守候すれば、大臣が殺されるを主るかあるいは誅せられる人があり、応期は当年を出ない。
熒惑犯天牢 五十六
《荊州占》曰:“熒惑入天獄,貴人多枉死者。”石氏曰:“熒惑入天牢,若守之二十日。名人有繫者;一曰若有赦,期不出百八十日。《海中占》曰:“熒惑犯守天牢,王者以獄為蔽,一曰貴臣多下獄,若有叛臣篡獄殺君,不出二年。”
《荊州占》にいう、熒惑が天獄(すなわち天牢、六星は北斗の魁の下にあり、貴人を关押する牢獄の象である)に入れば、顕貴の人に冤を含んで死する者が多いを主る。石申はいう、熒惑が天牢に入るかあるいは二十天守候すれば、名望ある人が拘係されて獄に入るを主り、もう一説には赦令があろうとして応期は百八十日を出ないとする。《海中占》にいう、熒惑が衝犯して天牢を守候すれば、王者が刑獄の事に蒙蔽されるを主り、もう一説には顕貴の大臣は多く獄に下され、あるいは叛臣が牢獄を劫奪し君主を弑殺し、二年を出ないとする。
熒惑犯文昌宮 五十七
《黃帝占》曰:“熒惑入文昌宮,庭中有兵,天下有耗,土空民飢。”《春秋緯》曰:“熒惑入文昌庭,守二十日以上,必有兵,君不康。”石氏曰:“熒惑入文昌,天下大亂,王者憂,亡期一年。”《荊州占》曰:“熒惑守文昌,天下大亂,不出其年。”郗萌曰:“熒惑入司命,近臣有抵罪者。熒惑三十日舍司祿,民大疾,舍司命,小童疾。”
《黄帝占》にいう、熒惑が文昌宮に入れば(文昌六星は北斗の魁の前にあり、分かれて上将・次将・貴相・司命・司中・司禄の六府の職を主る)、朝庭の中に兵事が発生するを主り、天下は耗損し土地は荒空し百姓は飢餓する。《春秋緯》にいう、熒惑が文昌の庭に入って二十日以上守候すれば、必ず兵事があり君主は安寧を得ない。石申はいう、熒惑が文昌に入れば、天下の大乱を主り王者に憂いがあり、敗亡の応期は一年である。《荊州占》にいう、熒惑が文昌を守れば、天下の大乱を主り当年を出ない。郗萌はいう、熒惑が司命星に入れば、近臣の中に罪に抵え罰を受ける者ありを主る。熒惑が司禄星に寄宿して三十天なれば、百姓の大疫を主り、司命星に寄宿すれば、幼童が病を生ずるを主る。
熒惑犯北斗 五十八
郗萌曰:“熒惑入北斗魁,天下多獄,廷尉坐之。熒惑入守北斗,貴人有繫者。”甘氏曰:“熒惑守北斗,天下大亂,諸侯皆起兵,王者有憂。”郗萌曰:“熒惑守北斗,有移徙民,宮宅賤。”《玉曆》曰:“熒惑守衡星,有女喪,若貴女有殃;有兵兵罷,無兵兵起。”《雄圖三光占》曰:“熒惑入北斗魁中而守之十日,天下大亂,易其王,天子死,五都亡,期二年,遠三年。”
郗萌はいう、熒惑が北斗の斗魁に入れば(北斗は前の四星を魁と為し後の三星を杓と為し、魁の中はすなわち天理・貴人の獄の在る所である)、天下の獄訟の繁多を主り廷尉はこれに因って罪を獲て連坐する。熒惑が入って北斗を守候すれば、顕貴の人に拘係される者ありを主る。甘徳はいう、熒惑が北斗を守れば、天下の大乱を主り諸侯は一斉に兵を起こし王者に憂いがある。郗萌はいう、熒惑が北斗を守れば、百姓の遷徙・流移を主り房屋・宅第は価を跌く。《玉暦》にいう、熒惑が衡星を守れば(北斗の第五星は名を玉衡という)、女子の喪事ありを主るかあるいは顕貴の女子が殃に遭い、もと兵事あれば停息しもと兵事なければ興起する。《雄図三光占》にいう、熒惑が斗魁の中に入って併せて十天守候すれば、天下の大乱を主り君王を更換し天子は死亡し五方の都邑は残破し、応期は二年、遠ければ三年である。
《春秋緯》曰:“熒惑入北斗杓頭,為政令猶豫。”《海中占》曰:“熒惑抵北斗杓頭星,女主政令猶豫,若女主用事,期一年。”齊伯曰:“熒惑舍北斗西,人相食;舍其東,五穀無實;舍其南,果無實,舍其北而之東,天下大兵戰。”郗萌曰:“熒惑繫輔星,有死相,若夷之。”巫咸曰:“熒惑與北斗斗,有徙王、移都邑,宮室破壞,人民去其鄉,不出年。”
《春秋緯》にいう、熒惑が北斗杓の頂端に入れば、朝廷の政令が遅疑して決せざるを主る。《海中占》にいう、熒惑が北斗杓頭の星に抵触すれば、女主が号令を発して猶豫・反復するを主るか、あるいは女主によって権を当にし事を用い、応期は一年である。斉伯はいう、熒惑が北斗の西辺に寄宿すれば、人が相食する大荒を主り、それの東辺に寄宿すれば、五穀が実を結ばぬを主り、それの南辺に寄宿すれば、果実が結ばぬを主り、それの北辺に寄宿して後に東に行けば、天下に大戦ありを主る。郗萌はいう、熒惑が輔星に糾纏すれば(輔星は玉衡のそばにあり、丞相を象徴する)、丞相の死亡を主るかあるいは誅夷される。巫咸はいう、熒惑が北斗と相争闘すれば、君王を遷徙し都城を改換するを主り宮室は毀壊し百姓は郷土を離れ、当年を出ない。
熒惑犯紫微宮 五十九
石氏曰:“熒惑入紫微宮中,大臣有謀,兵宮中,天下大亂,人民傍徨,背棄其鄉,逃走四方,期不出二年,遠三年。”《荊州占》曰:“熒惑入紫微宮,天下邑裂,大夫多死者,一為天下有亡國,天下無人,一曰帝有亂臣;一曰天下大亂;又曰從陰入有死王。”
石申はいう、熒惑が紫微宮の中に入れば(紫微垣は天帝の居処で、人間の宮禁を象徴する)、大臣が心に図謀を懐くを主り宮中に兵変が発生し天下は大いに乱れ、百姓は彷徨して依るべきなく郷土を抛ちて四方に逃奔し、応期は二年を出ず遠ければ三年である。《荊州占》にいう、熒惑が紫微宮に入れば、天下の城邑が分崩・離析するを主り大夫に死亡が多く、もう一説には天下に亡国の禍あり境内の人烟は断絶し、もう一説には皇帝の身辺に乱臣あり、もう一説には天下の大乱であり、またいうもし陰位の一側から入れば、君王の死亡ありを主る。
《帝覽嬉》曰:“熒惑守紫微宮中,天下諸侯伐其主,主以驕暴失帝位。”巫咸曰:“熒惑守紫微宮,民莫處其家宅,流移去其鄉。”《荊州占》曰:“內亂。”(《宋書天文志》曰:“晉孝懷永嘉三年正月庚子,熒惑犯紫微,占曰:當有野死之王,又為火燒宮。是時太吏令高堂沖奏;乘輿宜遷幸,不然必無洛陽。後帝崩於平陽。)
《帝覧嬉》にいう、熒惑が紫微宮の中に守れば、天下の諸侯がその君主を討伐するを主り、君主は驕横・暴虐に因って帝位を丢くす。巫咸はいう、熒惑が紫微宮を守れば、百姓が自己の家中に安んじて居ることができず流散・遷徙して故郷を離れるを主る。《荊州占》にいう、宮廷の内部の変乱を主る。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、西晋懐帝永嘉三年正月庚子、熒惑が紫微を衝犯し、占辞にいう、当に荒野に死する君王があるべく、また宮室を火焼するを主ると。当時、太史令高堂冲は上奏して、皇帝の車駕は当に他処に遷往すべく、さもなければ一定して洛陽を保ち得ないといった。後に懐帝は果たして平陽に死んだ。)
熒惑犯北極鉤陳 六十
《黃帝占》曰:“熒惑入紫宮,犯北極中央大星,為不道,臣殺其君,子害其父,賊臣破國,天下大亂,期不出九十日。”《春秋緯》曰:“熒惑犯北極左星,支為嗣。”郗萌曰:“熒惑犯北極中央大星,帝有亂臣,應以善事巳。”巫咸曰:“火入北極,天下亂,兵大起,聚於一國;若出之疾,兵還罷。”《荊州占》曰:“火入天樞,國家有變,一為天下之兵聚一國。”《雄圖三光占》曰:“火入北極,天子憂;若犯抵之,天子死,後宮亂,不出三年。”
《黄帝占》にいう、熒惑が紫宮に入って北極五星の中央のあの大星を衝犯すれば(北極の中央の大星はすなわち天樞で、天帝の座・帝王の象である)、悖逆・無道の事ありを主り臣はその君を殺し子はその父を害し、賊臣は国家を顛覆し天下は大いに乱れ、応期は九十日を出ない。《春秋緯》にいう、熒惑が北極の左星を衝犯すれば、旁支が大統に入継するを主る。郗萌はいう、熒惑が北極の中央大星を衝犯すれば、皇帝の身辺に乱臣ありを主るが、ただ善政を以て相応えれば、災咎はこれに就いて止息する。巫咸はいう、火星が北極に入れば、天下の大乱を主り兵事は大いに起こりある一国に聚集し、もしそれが速やかに退出すれば、兵事は随いて即座に罷散する。《荊州占》にいう、火星が天樞に入れば、国家に変故の発生を主り、もう一説には天下の兵はみな一国に聚集するとする。《雄図三光占》にいう、火星が北極に入れば、天子に憂いがあり、もし北極を衝犯・抵触すれば、天子の死亡を主り後宮は大いに乱れ、三年を出ない。
《黃帝占》曰:“火出天樞,兵盛於四野。”《荊州占》曰:“火舍天樞下三月,芒赤色怒,地大動,民大恐,兵起不已,三年乃止。”甘氏曰:“火犯北極,若守之,大臣謀主,若耀刺北極,為殺太子,期百二十日。”《荊州占》曰:“火守天樞,大人憂;一曰天子女多死。”郗萌曰:“火犯太子星,太子憂死,犯庶子星,庶子憂死;一曰中犯北極星,主有大憂;一為有大喪;一為有反相。”《荊州占》曰:“火守鉤陳,人主憂。”黃帝曰:“火犯鉤陳,後宮亂,兵起宮中,倖臣謀主,王者有憂。”
《黄帝占》にいう、火星が天樞から穿ち出れば、兵威が四野に盛行するを主る。《荊州占》にいう、火星が天樞の下に寄宿して三か月なり、光芒が赤紅にして怒張すれば、大地の震動を主り百姓は極度に恐慌し兵事は連なり絶えず、三年にしてやっと停止する。甘徳はいう、火星が北極を衝犯するかあるいはそれを守り、もし光芒が直ちに北極を刺せば、太子が殺されるを主り、応期は百二十日である。《荊州占》にいう、火星が天樞を守れば、尊貴の人に憂いありを主り、もう一説には天子の女児に死亡が多いとする。郗萌はいう、火星が太子星を衝犯すれば、太子が憂懼して死するを主り、庶子星を衝犯すれば、庶子が憂懼して死するを主り、もう一説には正しく北極星を衝けば君主に大憂あり、もう一説には大喪あり、もう一説には反叛の相ありとする。《荊州占》にいう、火星が鉤陳を守れば、君主に憂いありを主る。黄帝はいう、火星が鉤陳を衝犯すれば(鉤陳六星は紫微宮の中にあり、後宮と禁兵の象である)、後宮の大乱を主り宮中に兵変が発生し、寵幸の臣は君主を図り謀り、王者に憂患がある。
熒惑犯天一 六十一
石氏曰:“火犯天一,倖臣有謀,有兵起,人主憂。”齊伯曰:“火守天一,臣弒其主。餘殃為水災。”
石申はいう、火星が天一星を衝犯すれば(天一一星は紫微宮門外の右側にあり、天帝の神で、戦闘・人の吉凶を知ることを主る)、寵を受ける臣が心に図謀を懐くを主り兵事の興起があり、君主は憂懼する。斉伯はいう、火星が天一を守れば、人臣が君主を弑殺するを主り、余の禍殃は水災に応ずる。
熒惑犯太一 六十二
石氏曰:“火犯守太一,倖臣有謀,有兵起,人主憂。”
石申はいう、火星が衝犯して太一星を守候すれば(太一一星は天一の南にあり、これも天帝の神で、十六神を使い風雨・水旱・兵革の事を知ることを主る)、寵を受ける臣が心に図謀を懐くを主り兵事の興起があり、君主は憂懼する。
開元占経 巻三十七
熒惑占 八
熒惑犯石氏外官 一
熒惑犯庫楼 一
《黃帝占》曰:“熒惑犯天庫,兵車出庫,所指兵往也。”石氏曰:“熒惑入天庫,有兵;火守庫,兵起,亂十年。”郗萌曰:“熒惑入天庫,騎官兵起,期三年中,一曰天下有驚,若歲旱。”又占曰:“熒惑赤色,角三芒,三十日舍天庫,國有急,五諸侯悉發甲兵。”《玄冥》曰:“熒惑守庫樓,兵車大出,守之一月,兵亂十年乃罷。”《海中占》曰:“熒惑逆行守天庫,兵起,未罷;若順行,乃罷。以其遠近、東西南北,其日占之。”
《黄帝占》にいう、熒惑が天庫を衝犯すれば(庫楼十星は角宿の南にあり、兵車・武庫の象である)、兵車が府庫より開き出るを主り、熒惑の光芒がどの一方に指向すれば、兵はどの一方に開往する。石申はいう、熒惑が天庫に入れば、兵事ありを主り、火星が庫楼を守れば、兵事の興起を主り動乱は十年。郗萌はいう、熒惑が天庫に入れば、騎官の兵が事を起こすを主り応期は三年以内に在り、もう一説には天下は驚震し、あるいは当年に乾旱する。また一条の占辞にいう、熒惑が赤色を呈し芒角が三道に分れて天庫に寄宿して三十日に達すれば、国家に緊急の軍情ありを主り五方の諸侯はみな兵を発し甲を披く。《玄冥》にいう、熒惑が庫楼を守れば、兵車の大批の出動を主り、もし一か月守候すれば、兵乱は十年継続してやっと停息する。《海中占》にいう、熒惑が逆行して天庫を守れば、兵事が興起して罷休できぬを主り、もし転じて順行と為れば、兵事はやっと停止し、さらにそれが庫楼に距る遠近および東西南北のどの一方に在るかに拠り、当日の干支を配合して推断する。
熒惑犯南門 二
郗萌曰:“熒惑,天候也,主發兵,常舍於南門;其出,色赤白而大,東西南北非其常,謀國兵起,其入則兵入,其所行而留止,兵隨而攻之。”又占曰:“熒惑居處無常,入時不得,求之南門中。”石氏曰:“熒惑若守南門,兵車大起。”又占曰:“熒惑入守南門,天下戰其北也。”又占曰:“熒惑犯南門,邊夷兵起,若道路不通。”
郗萌はいう、熒惑は上天の斥候で、兵を発する事を主管し、常に南門に寄宿する(南門二星は庫楼の南にあり、天上の外門である)。それが出現するときもし星色が赤白にして形体が粗大で、出没の方位が東西南北にいずれも常度に合わなければ、人に国を謀る者・兵事の興起ありを主り、それが退入するとき、兵もまた随って内入し、それが運行してどこに至って停まれば、兵はどこに跟至って攻撃を発する。また一条の占辞にいう、熒惑が行止に定まる処なく、出現すべき時節に至ってそれを見出だせなければ、すなわち南門星の近くに至ってそれを尋ねよ。石申はいう、熒惑もし南門を守れば、兵車の大批の出動を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が入って南門を守候すれば、天下がそれの北方にて交戦するを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が南門を衝犯すれば、辺地の夷人が起兵するかあるいは道路が阻斷して通して通ぜぬを主る。
熒惑犯平星 三
石氏曰:“熒惑守平星,兵起,且以亂亡。”又占曰:“熒惑犯平星,凶。”甘氏曰:“熒惑守平星,執政臣憂,若有罪誅者,期一年。”又占曰:“熒惑守平星,有獄出疑囚。”
石申はいう、熒惑が平星を守れば(平二星は庫楼の北にあり、法を平らかにし獄を断ずる官を象徴する)、兵事の興起を主り、併せて動乱に因って亡ぶべし。また一条の占辞にいう、熒惑が平星を衝犯すれば、凶を主る。甘徳はいう、熒惑が平星を守れば、政を執る大臣に憂いありを主り、あるいは人に罪を獲て誅せられる者があり、応期は一年である。また一条の占辞にいう、熒惑が平星を守れば、獄中においてあの罪証の可疑の囚人を開釈せんとするを主る。
熒惑犯騎官 四
石氏曰:“熒惑入騎官,若守之,兵大起,車騎用,將軍出,若騎士憂。”郗萌曰:“熒惑守騎官,不出二十日,赦天下。”甘氏曰:“熒惑守騎官,有兵馬多發,若多死。”
石申はいう、熒惑が騎官に入るか(騎官二十七星は氐宿の南にあり、天子の親兵・騎士の象である)、あるいは騎官を守候すれば、兵事の大いに起こるを主り車馬・騎兵はみな動用され、将軍は出征し、あるいは騎士に憂いがある。郗萌はいう、熒惑が騎官を守れば、二十天を出ずに天下を大赦せんとする。甘徳はいう、熒惑が騎官を守れば、大批に兵馬を征発するかあるいは兵馬が大量に死亡するを主る。
熒惑犯積卒 五
石氏曰:“熒惑入積卒,若守之,兵大起,士卒大行,若多死,期二年。”《玄冥占》曰:“熒惑犯守積卒,主失位,天下亂,兵大起,期百二十日。”石氏曰:“熒惑犯守積卒,主失位,天下凶。”
石申はいう、熒惑が積卒に入るか(積卒十二星は房宿の南にあり、士卒を聚集する象である)、あるいは積卒を守候すれば、兵事の大いに起こるを主り士卒は大挙して開抜し、あるいは死傷が众多で、応期は二年である。《玄冥占》にいう、熒惑が衝犯して積卒を守候すれば、君主の位を失うを主り天下は大いに乱れ兵事は大いに起こり、応期は百二十日である。石申はいう、熒惑が衝犯して積卒を守候すれば、君主の位を失うを主り天下は凶に遭う。
熒惑犯亀星 六
甘氏曰:“熒惑守龜星,天下大水;去之疾,則旱,萬物不成,人民飢。”石氏曰:“熒惑守龜星,兵起,兵在外,再守龜,兵罷。”又占曰:“熒惑守龜星,有白衣聚,以入日占何國。”《海中占》曰:“熒惑犯守龜星,天下有水旱之災;守陽則旱,守陰則水。”
甘徳はいう、熒惑が亀星を守れば(亀五星は尾宿の南にあり、亀は水物、ゆえに水事と卜筮を主る)、天下の大水を発するを主り、もしそれが速やかに離れ去れば、すなわち転じて旱と為り万物は成熟できず百姓は飢餓する。石申はいう、熒惑が亀星を守れば、兵事の興起を主り、もし兵がすでに外に在り、熒惑が再び来て亀星を守れば、兵事はすなわち罷休する。また一条の占辞にいう、熒惑が亀星を守れば、喪服を身に着る人の聚集ありを主り、それが宿に入ったあの日の干支に拠ってどの国に応じるかを推断する。《海中占》にいう、熒惑が衝犯して亀星を守候すれば、天下に水旱の災ありを主り、亀星の陽面に守ればすなわち旱し、陰面に守ればすなわち澇す。
熒惑犯伝説 七
石氏曰:“熒惑犯守傳說,王者簡守廟,廢五祀,後宮凶;一曰有絕嗣君,期不出二年。”
石申はいう、熒惑が衝犯して傅説星を守候すれば(傅説一星は尾宿の後にあり、殷の高宗の賢相傅説が死後に天に昇り星と為った義を取り、祭祀と後嗣を主る)、王者が宗廟の守護を怠慢し門戸・中霤・井・竈・行など五種の常祀を廃棄するを主り、後宮は凶に遭い、もう一説には後嗣を断絶する君主あり、応期は二年を出ない。
熒惑犯魚星 八
石氏曰:“熒惑守魚星,在其陽旱,在其陰水。”巫咸曰:“熒惑守魚星,火暴出,天下旱,五穀不成,人民大飢,期不出年。”甘氏曰:“熒惑犯守魚星之陽,為大旱,魚行人道;之陰,為大水,魚鹽貴。”
石申はいう、熒惑が魚星を守れば(魚一星は尾宿の後・河中にあり、陰陽・水族の事を主る)、魚星の陽面に停ればすなわち旱を主り、陰面に停ればすなわち澇を主る。巫咸はいう、熒惑が魚星を守れば、火災の突発を主り天下は大旱し五穀は熟さず百姓は大いに飢え、応期は当年を出ない。甘徳はいう、熒惑が衝犯して魚星の陽面を守候すれば、大旱を主り河は干からび水は涸れて魚が人の行く路上を走り得るほどに至り、陰面に守れば、大水を主り魚と塩の価格は昂貴である。
熒惑犯杵星 九
《玉曆》曰:“熒惑守杵星,國有急兵,有賦米之事;若有軍糧之急。”《海中占》曰:“熒惑入杵星,若守之,天下有急發米之事,不出其年。”
《玉暦》にいう、熒惑が杵星を守れば(杵三星は箕宿の北にあり、臼星と相配し、米を舂き供給する事を主る)、国中に緊急の軍情ありを主り民間に向かって米糧を徴収するべく、あるいは軍糧が告急する。《海中占》にいう、熒惑が杵星に入るかあるいは杵星を守候すれば、天下に緊急に米糧を調発する事ありを主り、当年を出ない。
熒惑犯亀星 十
郗萌曰:“熒惑入龜星,天下大水;去,則旱。”《黃帝占》曰:“熒惑守龜星,為有白衣之會。”巫咸曰:“熒惑守龜星,國有水旱之災;守陽則旱,守陰則水。”《玄冥占》曰:“熒惑入守龜星,王者有易水,若大旱,魚行人道。”
郗萌はいう、熒惑が亀星に入れば、天下の大水を発するを主り、もしそれが離れ去れば、すなわち転じて旱と為る。《黄帝占》にいう、熒惑が亀星を守れば、服喪して聚会する事ありを主る。巫咸はいう、熒惑が亀星を守れば、国中に水旱の災ありを主り、陽面に守ればすなわち旱し、陰面に守ればすなわち澇す。《玄冥占》にいう、熒惑が入って亀星を守候すれば、王者がまさに水道を改易するかあるいは大旱に遭遇するを主り、河は干からび水は涸れて魚が人の行く路上を走り得るほどに至る。
熒惑犯九坎 十一
石氏曰:“熒惑守九坎,天下旱,名水不流,五穀不成,人民大飢;一曰之陽,大旱;之陰,有水。”甘氏曰:“熒惑守九坎,其國大旱,若大火之變,期百八十日。”石氏曰:“熒惑犯守九坎,凶。”
石申はいう、熒惑が九坎を守れば(九坎九星は牛宿の南にあり、坎は溝渠が水を蓄え灌漑する事を主る)、天下の大旱を主り名ある大川は断流し五穀は熟さず百姓は大いに飢え、もう一説にはそれが九坎の陽面に行き至れば大旱を主り、陰面に行き至れば水澇を主るとする。甘徳はいう、熒惑が九坎を守れば、あの一国の大旱を主り、あるいは大きな火災が発生し、応期は百八十日である。石申はいう、熒惑が衝犯して九坎を守候すれば、凶を主る。
熒惑犯敗臼 十二
石氏曰:“熒惑守敗臼,民不安其室,憂失其釜甑;若流移,去其鄉。”又占曰:熒惑守敗臼,飢喪。”
石申はいう、熒惑が敗臼を守れば(敗臼四星は虚宿・危宿の南にあり、臼はすでに破敗し、炊爨の断絶・家室の保たれぬ象である)、百姓が自己の屋に安んじて居ることができず憂愁して鍋竈・炊具さえも保ち得ぬを主り、あるいは四処に流亡して郷土を離れる。また一条の占辞にいう、熒惑が敗臼を守れば、飢饉と喪亡を主る。
熒惑犯羽林 十三
《荊州占》曰:“熒惑入羽林之宮二十日,天子當之。”郗萌曰:“熒惑經過羽林中,天子為軍自守。”《荊州占》曰:“熒惑舍羽林之宮,兵大起。”《黃帝占》曰:“熒惑守羽林,大赦。”石氏曰:“熒惑守羽林,馬有行,期三十日。”又占曰:“熒惑芒角赤色,守天軍三十日,大國有急,諸侯悉發兵甲;一曰興兵者亡。”
《荊州占》にいう、熒惑が羽林の宮に入って二十日に達すれば(羽林四十五星は営室の南にあり、天子の禁軍の象で、また天軍と称す)、天子が身を以てこの凶咎を承当する。郗萌はいう、熒惑が羽林の中を経過すれば、天子がまさに軍隊に拠って自衛するを主る。《荊州占》にいう、熒惑が羽林の宮に寄宿すれば、兵事の大いに起こるを主る。《黄帝占》にいう、熒惑が羽林を守れば、大赦を主る。石申はいう、熒惑が羽林を守れば、戦馬の出動を主り応期は三十日である。また一条の占辞にいう、熒惑の芒角が張揚し星色が赤紅で、天軍を守って三十日に達すれば、大国に緊急の軍情ありを主り諸侯はみな甲を披き兵を発し、もう一説には先に兵を興す一方は敗亡するとする。
又占曰:“熒惑守羽林,兵起,期六十日;火經羽林,臣欲弒主。”(《宋書天文志》曰:晉孝武太元元年九月,熒惑犯哭泣星。入羽林,占曰:中軍兵起,三年六月,熒惑又守羽林。占曰:禁兵起,四年六月,兗州刺史謝安,謝玄擊氏賊,大破之,餘皆走,十四年十二月,熒惑入羽林,十五年,翟遼據司兗,眾軍屢討弗克,鮮卑又跨略並冀。安帝義熙四年十月戍子,熒惑入羽林,五年高祖討鮮卑,是後南北軍旅運轉不息。宋文帝元嘉十三年十二月戊子,熒惑入羽林,後三年,廢大將軍彭城王義康及其黨與犯,所收掩皆羽林兵出也。)
また一条の占辞にいう、熒惑が羽林を守れば、兵事の興起を主り応期は六十日で、火星が羽林を経過すれば、人臣が君を弑せんと欲するを主る。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、東晋孝武帝太元元年九月、熒惑が哭泣星を衝犯し、随いて羽林に入り、占辞にいう、中軍はまさに起兵せんと。太元三年六月、熒惑がまた羽林を守り、占辞にいう、禁軍はまさに起兵せんと。太元四年六月、兗州刺史謝玄は謝安の命を奉じて氐族の敵兵を迎撃し、それを大いに敗り残部は逃散した。太元十四年十二月、熒惑が羽林に入り、十五年、翟遼は司州・兗州に占拠し、朝廷の各路の軍隊は屡々征討するもいずれも勝ち得ず、鮮卑はまた境を跨ぎ并州・冀州を侵掠した。安帝義熙四年十月戊子、熒惑が羽林に入り、五年、宋高祖劉裕は鮮卑を征討し、これより南北両面の軍旅の調運は停歇なし。宋文帝元嘉十三年十二月戊子、熒惑が羽林に入り、これより三年、朝廷は大将軍彭城王劉義康を廃黜し併せてその党羽を治罪し、收捕を担当したのはいずれも出動した羽林の兵であった。)
《聖洽符》曰:“熒惑入羽林守之二十日以上,臣欲弒主,大人當之,期九十日。”(案《荊州占》曰:“漢二年熒惑入羽林,起角三芒守之三十日,國有負兵,秦以之亡也入。)《海中占》曰:“熒惑入守羽林,入有兵起;若逆行變色成勾已,天下大兵,關梁不通,急不出其年。”郗萌曰:“熒惑入守羽林,有叛臣中兵也。”
《聖洽符》にいう、熒惑が羽林に入って併せて二十日以上守候すれば、人臣が君を弑せんと欲するを主り尊貴の人によってこの凶咎を承当し、応期は九十日である。(原書小注は《荊州占》を引いていう、漢二年に熒惑が羽林に入り、芒角が三道に張出して三十日守候し、国中に背叛の兵ありを主り、秦朝はすなわちこれに因って亡んだ。)《海中占》にいう、熒惑が入って羽林を守候すれば、入るや否や兵事の興起があり、もしそれが逆行・変色して盤曲して「勾巳」の形を成せば、天下に大兵ありを主り関隘・橋梁は阻斷して通ぜず、急なれば当年を出ない。郗萌はいう、熒惑が入って羽林を守候すれば、叛臣が禁軍を操縦するありを主る。
《元命苞》曰:“熒惑守羽林,若壘城,謀在司馬將軍為亂。”《荊州占》曰:“熒惑入天軍,凶。”又占曰:“熒惑入天軍,兵敗不可用,國更殘也。”郗萌曰:“熒惑犯守天陣,為兵起,有破軍死將。”甘氏曰:“熒惑入壘壁陣,在司馬,內將軍為亂,宮中兵起。”郗萌曰:“熒惑入壘城,有兵起。”
《春秋元命苞》にいう、熒惑が羽林を守るかあるいは塁壁の城を守れば、図謀は司馬と将軍の身に出るを主り彼らはまさに乱を作さんとする。《荊州占》にいう、熒惑が天軍に入れば、凶を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が天軍に入れば、軍隊の敗績して再用に堪えぬを主り国家はいよいよ残破する。郗萌はいう、熒惑が衝犯して天陣を守候すれば、兵事の興起を主り軍隊の破れる・将領の戦死する事あり。甘徳はいう、熒惑が塁壁陣に入れば(塁壁陣十二星は羽林の北にあり、軍営・塁壁の象である)、司馬と宮内の将軍によって乱を作すを主り宮中に兵変が発生する。郗萌はいう、熒惑が塁城に入れば、兵事の興起ありを主る。
熒惑犯北落師門 十四
石氏曰:“熒惑守北落師門,為兵大起;舍軍門,兵起。”《玄冥占》曰:“熒惑入守北落師門、兵大起,將軍出境,士卒大行。”石氏曰:“熒惑與北落師門相貫,牴觸光芒相及,有兵大戰;破軍殺將,伏尸流血,不可當也;期百八十日,若一年。”
石申はいう、熒惑が北落師門を守れば(北落師門一星は羽林の南にあり、軍営の北面の大門で、京師の外囲の門戸と為る)、兵事の大いに起こるを主り、軍門星に寄宿すれば、また興兵を主る。《玄冥占》にいう、熒惑が入って北落師門を守候すれば、兵事の大いに起こるを主り将軍は境を出て作戦し士卒は大挙して開抜する。石申はいう、熒惑と北落師門が彼此に貫穿し互相に抵触して光芒が相接すれば、大戦ありを主り、軍隊は破られ将領は殺され、屍は地に横たわり血は河を流れ、その勢いは鋭く当たるべからず——応期は百八十日、あるいは一年である。
熒惑犯土司空 十五
《海中占》曰:“熒惑守土司空,其國以土起兵,若有土功之事,天下旱。”郗萌曰:“熒惑守土司空,備大臣。”
《海中占》にいう、熒惑が土司空を守れば(土司空一星は奎宿の南にあり、土木・工役を掌管する司空の官を象徴する)、あの一国が土地の争いに因って起兵するを主り、あるいは土木を興修する工役があり、天下は大旱する。郗萌はいう、熒惑が土司空を守れば、君主はまさに大臣を防備するを主る。
熒惑犯天倉 十六
《黃帝占》曰:“熒惑入天倉中,主財寶出,主憂,臣在內,天下有兵,而倉庫之戶開;主人勝客,客事不成,期二十日中而發。”石氏曰:“熒惑出入天倉,天下谷聚一邦。”郗萌曰:“熒惑近天倉,天下大旱,天下轉粟,期其年中;一曰期三年;一曰千倉敗,天下飢。”《春秋圖》曰:“熒惑經天倉,去而不守,其歲惡,糴大貴,倉大出。”
《黄帝占》にいう、熒惑が天倉の中に入れば(天倉六星は婁宿の南にあり、糧を儲える倉で、穀物の積儲を主る)、国庫の財宝は散出せんとするを主り君主に憂いがあり、臣下は内に盤踞し、天下に兵事があり、しかも倉庫の門戸は打ち開かれる——このとき主方は客方に勝ち、客方の図る所は成らず、応期は二十天以内に発動する。石申はいう、熒惑が天倉に出入すれば、天下の穀物が一つの邦国に聚集するを主る。郗萌はいう、熒惑が天倉に靠近すれば、天下の大旱を主り各処は糧食を転運し、応期は当年の内に在り、もう一説には応期三年、もう一説には众多の糧倉が敗壊して天下は飢饉するとする。《春秋図》にいう、熒惑が天倉を経過して過ぎて停留・守候しなければ、この一年の年成が悪劣で米価は飛騰し倉中の存糧は大量に放出されるを主る。
石氏曰:“熒惑守天倉三十日,有轉粟之事。”《黃帝占》曰:“熒惑守天倉,天下轉粟千里,糴貴。”《海中占》曰:“熒惑守天倉,天下有兵,若有出粟。”郗萌曰:“熒惑守天倉,已去復反,天大飢,人相食,不出五年。”《玄冥占》曰:“熒惑逆行守天倉,天下大飢,人相食,期二年,遠三年。”
石申はいう、熒惑が天倉を守って三十日に達すれば、糧食を転運する事ありを主る。《黄帝占》にいう、熒惑が天倉を守れば、天下は千里の外より粟米を調運するを主り、糧を買う価銭は高く居りて下がらない。《海中占》にいう、熒惑が天倉を守れば、天下に兵事ありを主り、あるいは倉を開きて存糧を放出するべし。郗萌はいう、熒惑が天倉を守ってすでに離れ去ってまた折り返って帰れば、天下の大飢饉を主り人が人を食う地步に餓え、応期は五年を出ない。《玄冥占》にいう、熒惑が逆行して天倉を守れば、天下の大飢饉を主り人は相食し、応期は二年、遠ければ三年である。この数条はいずれも倉中の粟米の聚散を以て占と為し、あるいは転運、あるいは放賑、あるいは空竭で、軽重・深浅は各々同じからざる有りである。
熒惑犯天囷 十七
石氏曰:“熒惑入天囷,天下兵起,國倉儲積之物皆發出:一曰御物多有出者,庫藏空虛,期二年。”郗萌曰:“熒惑守天囷二十日,粟出佈於民,歲大飢。”(案《宋書天文志》曰:晉孝武太元二十年六月熒惑入天囷。隆安九年王恭舉兵,朝廷殺之。及王國寶王緒,是後連歲大旱,人民大飢也。)《玉曆》曰:“熒惑守天囷,兵起,王者財寶皆出用,庫藏中虛耗,人主不安,其國有憂,期百八十日,遠一年。”
石申はいう、熒惑が天囷に入れば(天囷十三星は胃宿の南にあり、囷は円形の穀倉で、御廩の積儲を主る)、天下の兵事の興起を主り国倉の中に儲積した物資は全く放出すべく、もう一説には御用の物が多く支出されて府庫はこれに因って空虚となり、応期は二年である。郗萌はいう、熒惑が天囷を守って二十日に達すれば、倉を開きて粟米を百姓に散らすを主り、この一年は大飢饉を鬧す。(原書小注は《宋書・天文志》を引いていう、東晋孝武帝太元二十年六月、熒惑が天囷に入り、隆安年間に王恭が兵を挙げ、朝廷は彼を殺し、連帯して王国宝・王緒を殺した。これより連年に大旱して百姓は大いに飢えた。)《玉暦》にいう、熒惑が天囷を守れば、兵事の興起を主り王者の財宝は全く支用され府庫の中は空虚・耗竭し、君主は坐しても立っても安からず、あの一国に憂患があり、応期は百八十日、遠ければ一年である。
熒惑犯天廩 十八
《黃帝占》曰:“熒惑守天廩,有兵起,天下粟聚於一國,若有運粟之事。”甘氏曰:“熒惑入守天廩,天下有兵,歲大飢,倉粟散出,不出其年。”石氏曰:“熒惑犯守天廩,天下亂粟散出。”
《黄帝占》にいう、熒惑が天廩を守れば(天廩四星は昴宿の南にあり、黍稷を儲備して祭祀を供する倉である)、兵事の興起ありを主り天下の粟米は一つの国家に聚集し、あるいは糧食を転運する事がある。甘徳はいう、熒惑が入って天廩を守候すれば、天下に兵事ありを主り年成は大いに飢え倉中の粟米は散放し出て、当年を出ない。石申はいう、熒惑が衝犯して天廩を守候すれば、天下の大乱を主り粟米は散出する。
熒惑犯天苑 十九
巫咸曰:“熒惑入天苑,天下以馬起兵;若守之,牛馬禽獸多死。”石氏曰:“熒惑入守天苑,牛馬羊禽獸多疾疫,若守之二十日,天下兵起,馬多死,其國憂。”
巫咸はいう、熒惑が天苑に入れば(天苑十六星は昴宿・畢宿の南にあり、天子が禽獣を牧養する苑囿である)、天下が馬匹の故に因って起兵するを主り、もし天苑を守候すれば、牛馬・禽獣の大量の死亡を主る。石申はいう、熒惑が入って天苑を守候すれば、牛・馬・羊および各種の禽獣は多く疫病に染まるを主り、もし二十日守候すれば、天下の兵事の興起を主り馬匹は大量に死亡し、あの一国に憂いがある。
熒惑犯参旗 二十
石氏曰:“熒惑入參旗,邊縣兵起。”石氏曰:“熒惑守天弓,天下亂,兵大起,人民驚恐,其國憂,若三十日守之,必有國亡。”陳卓曰:“熒惑守參旗,下謀上。”郄萌曰:“熒惑守參旗,兵大起,弓弩用,士將出行;一曰弓矢貴。”
石申はいう、熒惑が参旗に入れば(参旗九星は参宿の西にあり、また天弓と名づく、弓弩と辺地の警備を主る)、辺境の州県に兵事の興起ありを主る。石申はいう、熒惑が天弓を守れば、天下の大乱を主り兵事は大いに起こり百姓は驚恐し、あの一国に憂いがあり、もし三十日守候すれば、必ず国家の滅亡あり。陳卓はいう、熒惑が参旗を守れば、下位の者が上位の者を図り謀るを主る。郗萌はいう、熒惑が参旗を守れば、兵事の大いに起こるを主り弓弩は用場に派せられ将士は出征し、もう一説には弓箭の価格が昂貴であるとする。
熒惑犯玉井 二十一
《黃帝占》曰:“熒惑入玉井,為強國失地;其出之,強國得地。”巫咸曰:“熒惑入玉井,國有水憂,若以水為敗,水物不成,期不出年。”《荊州占》曰:“熒惑守玉井,多大水,有溺死者。”《齊伯五星占》曰:“熒惑守玉井,天下大水,溝瀆溢流,殺人民,期百八十日。”
《黄帝占》にいう、熒惑が玉井に入れば(玉井四星は参宿の左足の下にあり、水を取る井で、水泉を主る)、強国が土地を喪失するを主り、それが玉井より退出すれば、すなわち強国が土地を獲得するを主る。巫咸はいう、熒惑が玉井に入れば、国中に水患の憂いありを主り、あるいは水に因って災を成し水中の物は長成できず、応期は当年を出ない。《荊州占》にいう、熒惑が玉井を守れば、大水の頻発を主り溺死する人がある。《斉伯五星占》にいう、熒惑が玉井を守れば、天下の大水を主り溝渠・水道は漫溢・横流して百姓を淹死させ、応期は百八十日である。
熒惑犯屏星 二十二
郗萌曰:“熒惑留舍屏星三日,民疾疫。”石氏曰:“熒惑守屏星二十日,臣謀主;若貴臣有誅;若戳死,期一年。”甘氏曰:“熒惑守天屏二十日,國移。”又占曰:“熒惑入守屏星,諸侯有謀,若大臣戮死者。”
郗萌はいう、熒惑が滞留して屏星に寄宿して三天なれば(この屏星二星は玉井の南にあり、参宿の域に属し、太微垣内の屏星と名は同じくして位は異なる)、百姓に疫病の流行ありを主る。石申はいう、熒惑が屏星を守って二十日に達すれば、人臣が君主を図り謀るを主り、あるいは顕貴の大臣が誅せられ、あるいは殺され、応期は一年である。甘徳はいう、熒惑が天屏を守って二十日に達すれば、国都の遷移を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が入って屏星を守候すれば、諸侯が心に図謀を懐くを主り、あるいは大臣の殺される者がある。
熒惑犯天厠 二十三
《黃帝占》曰:“熒惑守天廁,國移,若易名。”石氏曰:“熒惑守廁中,有賊兵。”郗萌曰:“熒惑守天廁,糴貴。”又占曰:“熒惑守廁矢,矢圊之間有伏,謀反,貴人驚於圊廁。”《甄曜度》曰:“熒惑入守廁星,天下大飢,人相食,死者大半,期二年。”甘氏曰:“熒惑入守廁星,有謀臣在廁中,王者警備之。”
《黄帝占》にいう、熒惑が天厠を守れば(天厠四星は屏星の東にあり、疾病を観察し年成の豊歉を弁別することを主る)、国都の遷移を主り、あるいは国号を改換する。石申はいう、熒惑が厠星の中に守れば、賊兵ありを主る。郗萌はいう、熒惑が天厠を守れば、米価の昂貴を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が天厠と天矢の両星を守れば、厠溷の間に人を埋伏して反叛を図り謀る者ありを主り、顕貴の人はまさに如厠のときに驚を受けんとする。《甄曜度》にいう、熒惑が入って厠星を守候すれば、天下の大飢饉を主り人は相食し死者は半ばを過ぎ、応期は二年である。甘徳はいう、熒惑が入って厠星を守候すれば、不軌を図り謀る臣子が厠中に蔵れているを主り、王者は警戒・防備を加えるべきである。
熒惑犯天矢 二十四
《海中占》曰:“熒惑守矢星,天下旱,五穀不成,人民大飢,多疾死,期不出年。”《荊州占》曰:“熒惑守矢星,貴人有疾。”
《海中占》にいう、熒惑が天矢星を守れば(天矢一星は天厠の下にあり、天厠と相配し、これも疾疫を候察する象である)、天下の乾旱を主り五穀は熟さず百姓は大いに飢え多くは疾病に因って死に、応期は当年を出ない。《荊州占》にいう、熒惑が天矢星を守れば、顕貴の人が病を患うを主る。
熒惑犯軍市 二十五
《荊州占》曰:“熒惑入守軍市,兵大起,將軍出,若以飢兵起。”《雄圖三光》曰:“熒惑入軍市,若守之,軍大飢,將離散,士卒亡,期不出年。”
《荊州占》にいう、熒惑が入って軍市を守候すれば(軍市十三星は参宿の東南にあり、軍中の交易の市で、軍資の供給を主る)、兵事の大いに起こるを主り将軍は出征し、あるいは飢饉に因って起兵する。《雄図三光》にいう、熒惑が軍市に入るかあるいは軍市を守候すれば、軍中が大いに糧荒を鬧すを主り将帥は離散し士卒は逃亡し、応期は当年を出ない。
熒惑犯野鶏 二十六
甘氏曰:“熒惑入犯守野雞,其國凶,必有死將,軍營敗,兵士散走。”
甘徳はいう、熒惑が入り・衝犯して野鶏星を守候すれば(野鶏一星は軍市の中にあり、変怪と野味の供を主る)、あの一国が凶に遭うを主り必ず将領の戦死する者があり、軍営は潰敗し兵士は四散して奔逃する。
熒惑犯狼星 二十七
《春秋緯》曰:“熒惑守狼弧,諸侯相攻。”《海中占》曰:“熒惑守狼星,四夷兵,來侵中國,弓矢大貴,王者有憂;一曰夷將有死者。”郗萌曰:“熒惑守狼弧,小有憂;其成鉤已若環繞之,大人憂;期六月。”又占曰:“熒惑守狼弧,狄自反其主。”
《春秋緯》にいう、熒惑が狼星と弧矢を守れば(狼一星は東井の東南にあり、侵掠を主り、弧矢九星は狼星の東南にあり、形は弓を張りて狼を射るがごとく、盗賊を備えるを主る)、諸侯の互いに攻伐するを主る。《海中占》にいう、熒惑が狼星を守れば、四方の夷狄の兵が来て中国を侵犯するを主り弓箭の価格は暴騰し王者に憂いがあり、もう一説には夷人の将領に戦死する者ありとする。郗萌はいう、熒惑が狼星と弧矢を守れば、ただ小さな憂患があるのみ、もしそれが盤曲して「勾巳」の形を成すかあるいは環状を繞り成せば、すなわち尊貴の人に憂いありを主り応期は六か月である。また一条の占辞にいう、熒惑が狼弧を守れば、狄人が自らその君長に反叛するを主る。
郗萌曰:“熒惑守狼,有小令,出大水。”《荊州占》曰:“熒惑守狼,天下發兵;一曰其國有兵。”又占曰:“熒惑守狼星,狗大貴,不即多死,狼,天狗也。”石氏曰:“熒惑入守狼,野獸死。”甘氏曰:“熒惑犯守狼星,將軍出,有千里之行,天下皆兵,盜賊縱橫,若有死將,期二年。”
郗萌はいう、熒惑が狼星を守れば、朝廷が小さな政令を頒布するを主り併せて大水を発するべし。《荊州占》にいう、熒惑が狼星を守れば、天下の兵を発するを主り、もう一説にはあの一国に兵事ありとする。また一条の占辞にいう、熒惑が狼星を守れば、狗の価銭は大いに騰り、さもなければすなわち狗は大批に死亡する——狼星はもと天上の狗なればなり。石申はいう、熒惑が入って狼星を守候すれば、野獣の死亡を主る。甘徳はいう、熒惑が衝犯して狼星を守候すれば、将軍の出征を主り千里の遠行があり天下は地に遍く兵で、盗賊は横行し、あるいは将領の戦死する者があり、応期は二年である。
熒惑犯弧星 二十八
巫咸曰:“熒惑守弧星,兵大起,將軍出行,弓弩大貴,國多盜賊,民不安,期百八十日,遠一年。”郗萌曰:“熒惑守弧星,人民飢,食茹粟,谷大貴。”又占曰:“熒惑以五月守弧星六十日,其邦有兵戰。”《荊州占》曰:“熒惑守弧星,貴人多死,若將當代貴人。”又占曰:“熒惑守弧星,大將有千里之行,國政驚;一曰車騎兵出。”
巫咸はいう、熒惑が弧矢星を守れば、兵事の大いに起こるを主り将軍は出征し弓弩の価格は暴騰し、国中の盗賊は众多で百姓は安寧を得ず、応期は百八十日、遠ければ一年である。郗萌はいう、熒惑が弧星を守れば、百姓の飢餓を主り野菜を取って糙米に拌えて飢えを充たすのみ、穀価は飛騰する。また一条の占辞にいう、熒惑が五月に弧星を守って六十日に達すれば、あの邦国に戦事ありを主る。《荊州占》にいう、熒惑が弧星を守れば、顕貴の人に死亡が多いを主り、あるいは顕貴の者の位置に取代する人があろう。また一条の占辞にいう、熒惑が弧星を守れば、大将に千里の遠征ありを主り国家の政局は震動し、もう一説には車騎の兵が出動するとする。
熒惑犯天稷 二十九
《海中占》曰:“熒惑犯守天稷,有旱災,五穀不登,歲大饑饉;一曰五穀散出。”
《海中占》にいう、熒惑が衝犯して天稷を守候すれば(天稷五星は七星の南にあり、稷は百穀の長で、農事・年成を主る)、旱災ありを主り五穀は歉収しこの一年は大いに飢饉を鬧し、もう一説には倉中の五穀が散放し出るとする。
熒惑犯甘氏中官 二
熒惑犯四輔 一
《荊州占》曰:“熒惑犯四輔星,君臣失禮,輔臣有誅。”
《荊州占》にいう、熒惑が四輔星を衝犯すれば(四輔四星は北極の枢星を環抱し、天子を輔佐する四位の近臣を象徴する)、君臣の間で礼数を失うを主り輔政の臣に誅せられる者がある。
熒惑犯五帝内座 二
《荊州占》曰:“熒惑入紫微宮中,犯五帝內座,大臣弒主。”
《荊州占》にいう、熒惑が紫微宮の中に入って五帝内座を衝犯すれば(五帝内座五星は華蓋の下・紫微宮内にあり、天帝が内廷に設ける坐位である)、大臣が君主を弑殺するを主る。
熒惑犯造父 三
郗萌曰:“熒惑入造父中,車馬貴。”又占曰:“熒惑舍造父,水大出。”《黃帝占》曰:“熒惑守造父,材官騎士出,馬動兵起。”
郗萌はいう、熒惑が造父星の中に入れば(造父五星は伝舎の南にあり、周穆王の御者造父の名を取り、車馬と駕御の官を主る)、車馬の価格の昂貴を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が造父に寄宿すれば、大水の暴発を主る。《黄帝占》にいう、熒惑が造父を守れば、材官と騎士の出動を主り馬匹は調動し兵事は興起する。
熒惑犯杵臼 四
郗萌曰:“熒惑守杵臼星,國有舂米軍旅之事。”又占曰:“熒惑守天杵,即大溝瀆多水。”
郗萌はいう、熒惑が杵臼星を守れば(杵三星・臼四星は虚宿の北にあり、米を舂き糧を備える象である)、国中に米を舂き糧を備え師を出し兵を用いる事ありを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が天杵を守れば、大きな溝渠・水道は大水に漲満するを主る。
熒惑犯司命 五
郗萌曰:“熒惑守司命,多暴死者;司命主百鬼,與輿鬼同候。”
郗萌はいう、熒惑が司命星を守れば(この司命二星は虚宿の北にあり、過失を挙発し責罰を施行することを主り、文昌宮中の司命と同一処にあらず)、人に暴亡する者が甚だ多いを主る——司命は衆鬼の事を掌管するがゆえに、輿鬼星と合わせて験看するべきである。
熒惑犯天鶏 六
郗萌曰:“熒惑舍天雞三十日,旱;又曰雞夜鳴,天下盡驚。”
郗萌はいう、熒惑が天鶏星に寄宿して三十日に達すれば(天鶏二星は狗国の北にあり、晨を司り暁を報ずることと異禽の類を主る)、天の旱を主り、またいう人間の鶏は夜に啼叫し天下の人はこれに驚恐する。
熒惑犯市楼 七
郗萌曰:“熒惑犯市樓,天下易弊。”又占曰:“熒惑乘市樓,天下有所發,期不出三年。”
郗萌はいう、熒惑が市楼を衝犯すれば(市楼六星は天市垣の中にあり、市易を掌管する官署で、度量と銭幣を主る)、天下の貨幣の更改を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が市楼の上に凌駕すれば、天下に大きな征発の事ありを主り応期は三年を出ない。
熒惑犯日星 八
郗萌曰:“熒惑犯日星,為大戰。”
郗萌はいう、熒惑が日星を衝犯すれば(日一星は房宿の北にあり、太陽の精気の寄る所で、陽徳と君象を主る)、大規模の戦事の発生を主る。
熒惑犯亢池 九
郗萌曰:“熒惑犯亢池,海大魚死。”
郗萌はいう、熒惑が亢池を衝犯すれば(亢池六星は亢宿の北にあり、水を渡り舟を行し賓客を迎送する事を主る)、海中の大魚が成批に死亡するを主る。
熒惑犯天田 十
郗萌曰:“熒惑守天田,五穀不成,黍貴。”《荊州占》曰:“熒惑守天田,旱。”又占曰:“熒惑守天田,人主犯禮,有災。”
郗萌はいう、熒惑が天田を守れば(天田二星は角宿の北にあり、天子が親ら耕す畿内の田で、農事を主る)、五穀の熟さぬを主り黍米の価は貴い。《荊州占》にいう、熒惑が天田を守れば、乾旱を主る。また一条の占辞にいう、熒惑が天田を守れば、君主が礼制に違背し因って災禍を招来するを主る。
熒惑犯天門 十一
《荊州占》曰:“熒惑入天門,去復還,關梁不通。”又占曰:“熒惑舍天門,進退前後,凶,兵大起;熒惑守天門,國絕祀;各以其日占。”
《荊州占》にいう、熒惑が天門に入り(天門二星は角宿の南にあり、天子が出入する外門である)、去ってまた返り来れば、関隘・橋梁の阻斷して通通ぜぬを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が天門に寄宿して忽ち進み忽ち退き時に前に時に後にすれば、凶を主り兵事は大いに起こり、熒惑が天門を守れば、国家の宗廟の祀を断絶するを主る——これらはみな各々当日の干支に拠ってどの国に応じるかを推断する。
熒惑犯平道 十二
甘氏曰:“熒惑入守平道,天下兵亂。”
甘徳はいう、熒惑が入って平道を守候すれば(平道二星は角宿の両星の間にあり、天子の車駕が行幸する御道である)、天下に兵乱の発生するを主る。
熒惑犯進賢 十三
《宋書天文志》曰:“宋孝武孝建元年十月乙丑,熒惑犯進賢星,時吏部尚書謝莊表解職。”
《宋書・天文志》にいう、南朝宋孝武帝孝建元年十月乙丑、熒惑が進賢星を衝犯し(進賢一星は平道の西にあり、卿大夫が賢能を挙薦することを主る)、当時吏部尚書謝荘はまさに表を上り職務の解除を請うていた。
熒惑犯酒旗 十四
《春秋文曜鉤》曰:“飲食失度,熒惑徘徊酒旗。”《荊州占》曰:“熒惑守酒旗,天下大酺,有酒肉財物賜,若爵宗室。”
《春秋文曜鉤》にいう、君主が飲食・宴楽に節制なければ、熒惑はすなわち酒旗星の近くに徘徊して去らず(酒旗三星は軒轅の右角の南にあり、宴飲・酺食の事を主る)。《荊州占》にいう、熒惑が酒旗を守れば、天下がまさに大いに聚り飲宴するを主り朝廷は酒肉・財物を賞賜し、あるいは宗室の子弟に爵位を加封する。
熒惑犯諸王 十五
《春秋緯》曰:“熒惑入諸王星,主以妃黨縱恣,為天下所謀。”又占曰:“熒惑入諸王星,下不信上,王者微。”
《春秋緯》にいう、熒惑が諸王星に入れば(諸王六星は諸侯・宗室の過失を考察することを主る)、君主が妃嬪の親党を縦容して放肆・専横ならしめ因って天下の人に算計されるを主る。また一条の占辞にいう、熒惑が諸王星に入れば、下位の者が君上を信任せぬを主り王者の威権は衰微する。
熒惑犯天高 十六
郗萌曰:“熒惑入天高,先軍起,後有赦。”《荊州占》曰:“熒惑入天高,有奇令;又曰入天高中十日,成鉤已,有贖罪之令。”《荊州占》曰:“熒惑入天高,留二十日,小赦;三十日十赦。”郗萌曰:“熒惑逆行天高中,必有破軍死將、亡國去王。”《蓬萊占》曰:“熒惑守左高,反者不勝;守右高,反者勝。”
郗萌はいう、熒惑が天高に入れば(天高四星は畢宿の東南にあり、台観より遠望する象である)、先ず軍興ありを主り、随いて後に赦令を頒行する。《荊州占》にいう、熒惑が天高に入れば、非常の令の下達ありを主り、またいう天高の中に入って十天、盤曲して「勾巳」の形を成せば、資を納めて罪を贖うを許す政令ありを主る。《荊州占》にまたいう、熒惑が天高に入って二十日停留すれば、小赦を行い、三十日停留すれば、すなわち大赦を行う。郗萌はいう、熒惑が天高の中にて逆行すれば、必ず軍隊の破れる・将領の戦死するに応じ、国家は滅亡し君王は出走する。《蓬莱占》にいう、熒惑が天高の左星を守れば、造反の一方は勝ち能わず、右星を守れば、造反の一方は勝を得る。
熒惑犯礪石 十七
郗萌曰:“熒惑入礪石,邊卒兵起。”《黃帝占》曰:“熒惑舍礪石二十日,諸侯開庫,發兵。”
郗萌はいう、熒惑が礪石に入れば(礪石四星は五車の西にあり、兵刃を磨礪する磨石で、武備を主る)、辺地の戍卒が起兵するを主る。《黄帝占》にいう、熒惑が礪石に寄宿して二十日に達すれば、諸侯が武庫を打開して兵を発して出動するを主る。
熒惑犯積屍 十八
甘氏曰:“熒惑守積尸,大人當之。”
甘徳はいう、熒惑が積屍星を守れば(積屍一星は大陵の中にあり、屍骨の堆積する象で、死喪を主る)、この凶咎は尊貴の人によって承当される。
熒惑犯五潢 十九
《黃帝占》:“熒惑入五潢,為天下大亂,易政;一曰貴人死。”郗萌曰:“熒惑舍五潢,有兵,車騎行。”《黃帝占》曰:“熒惑入五潢,為運道不通,兵起。”郗萌曰:“熒惑舍五潢,牛馬多疾死,腐爛道傍。”
《黄帝占》にいう、熒惑が五潢に入れば(五潢五星は五車の中にあり、五帝が車駕を停める所で、兼ねて水沢・陂池を主る)、天下の大乱・政令の更改を主り、もう一説には顕貴の人が死亡するとする。郗萌はいう、熒惑が五潢に寄宿すれば、兵事ありを主り車馬・騎兵は出行する。《黄帝占》にいう、熒惑が五潢に入れば、転運の道路が阻塞して通ぜぬを主り兵事は興起する。郗萌はいう、熒惑が五潢に寄宿すれば、牛馬の大量に病死するを主り屍体は道路の両旁に腐爛する。
巫咸曰:“熒惑入五潢中,大亂,大旱,大殘,以其近占四方殃,死而不葬,易世立王。”陳卓曰:“熒惑守五潢,賊起水中;一曰有淫雨。”《黃帝占》曰:“熒惑中犯乘守五潢,期二十日,兵起。”
巫咸はいう、熒惑が五潢の中に入れば、大乱・大旱・大規模の残破を主り、それがどの一顆に靠近するかに拠って四方のどの一処が殃に遭うかを推断し、そのとき人は死しても埋葬する人なく、まさに改朝换代して新王を另立せんとする。陳卓はいう、熒惑が五潢を守れば、盗賊が水上より事を起こすを主り、もう一説には久雨が災を成すとする。《黄帝占》にいう、熒惑が正衝・衝犯・凌駕・守候して五潢すれば、応期は二十日で兵事は興起する。
熒惑犯咸池 二十
《黃帝占》曰:“熒惑入咸池中,天下大旱。”甘氏曰:“熒惑入咸池,因行其中不止,是謂致兵,諸侯兵起,天不亂。”甘氏曰:“熒惑入咸池,有兵喪,天子且以大敗,失忠臣,若旱;一曰大水,道通,貴人死;以入日占國。”郗萌曰:“熒惑入咸池,為有以迷惑人主者;一曰地動出搖。”
《黄帝占》にいう、熒惑が咸池の中に入れば(咸池三星は五車の中・天潢の南にあり、伝える所は太陽の沐浴する処で、また魚を養う囿と為す)、天下の大旱を主る。甘徳はいう、熒惑が咸池に入って接いでその中を往来して停まらざるを、これを「致兵」と呼び、諸侯の起兵を主り天下は安からず。甘徳にまたいう、熒惑が咸池に入れば、兵事と喪事ありを主り天子はまさに大敗して忠臣を失うかあるいは旱に遭い、もう一説には大水を発し水道は暢通し顕貴の人は死亡し、それが入ったあの日の干支に拠ってどの国に応じるかを推断する。郗萌はいう、熒惑が咸池に入れば、人に邪佞を以て君主を迷惑する者ありを主り、もう一説には地震が揺動するとする。
熒惑犯天街 二十一
郗萌曰:“熒惑舍天街中央,大赦;一曰當天街,為諸侯自立為王;一曰大水。熒惑留止,若逆行天街中,為兵草起。熒惑不從天街者,為政令不行,不出其年,有兵。”
郗萌はいう、熒惑が天街の正中に寄宿すれば(天街二星は畢宿と昴宿の間にあり、日月・五星の出入する通道で、また華夏と夷狄の分界である)、大赦を主り、もう一説には正しく天街に当たれば諸侯が擅自に称王し、もう一説には大水を発するとする。熒惑が滞留して去らずあるいは天街の中にて逆行すれば、兵戈・草莽の乱の興起を主る。熒惑が天街に循って行かずんば、政令の推行せられぬを主り当年を出ずして兵事あり。
《文曜鉤》曰:“熒惑守天街,政塞奸出,上下相疑,四方隔絕。無通時。”郗萌曰:“熒惑犯天街,國絕祀,以入日占國。”石氏曰:“熒惑犯守天街,及徘徊亂行,主弱臣強,道路隔絕,天下不通。”
《文曜鉤》にいう、熒惑が天街を守れば、政事の壅塞して奸邪の滋生するを主り上下は互いに猜疑し四方は彼此に隔絶し、往来して通問する時なし。郗萌はいう、熒惑が天街を衝犯すれば、国家の宗廟の祀を断絶するを主り、それが入ったあの日の干支に拠ってどの国に応じるかを推断する。石申はいう、熒惑が衝犯して天街を守候しおよびそこにて徘徊して乱行すれば、君主の孱弱にして臣下の強横なるを主り道路は隔たれて断たれ天下は通行できず。
熒惑犯甘氏外官 三
熒惑犯狗星 一
郗萌曰:“熒惑舍狗星三十日,旱。又曰狗群嗅,天下人盡驚。”
郗萌はいう、熒惑が狗星に寄宿して三十日に達すれば(狗二星は南斗の魁の前にあり、守御と吠盗を主る)、天の旱を主り、またいう人間の狗は成群に四処に嗅聞し天下の人はこれに驚恐する。
熒惑犯狗国 二
《荊州占》曰:“熒惑守狗國,外夷為變。”
《荊州占》にいう、熒惑が狗国を守れば(狗国四星は建星の東南にあり、鮮卑・烏丸・沃沮の類の東北の外族を象徴する)、外族の夷人に変乱の発生するを主る。
熒惑犯哭星 三
《晉陽秋》曰:“孝武太元年九月癸亥,熒惑犯哭星,二年八月,徵西大將軍桓豁薨,十月尚書令王彪之薨。”
《晋陽秋》にいう、東晋孝武帝太元元年九月癸亥、熒惑が哭星を衝犯し(哭二星は虚宿の南にあり、泣星と相併び、喪哭の事を主る)、太元二年八月に征西大将軍桓豁が去世し、十月に尚書令王彪之が去世した。
熒惑入八魁 四
《荊州占》曰:“熒惑守八魁,兵大起。”
《荊州占》にいう、熒惑が八魁を守れば(八魁九星は北落師門の西北にあり、羅網を張設して禽獣と盗賊を捕捉する象である)、兵事の大いに起こるを主る。
熒惑犯鈇鑕 五
《荊州占》曰:“熒惑犯鈇鑕五月以上,臣有謀者。”石氏曰:“熒惑入鈇鑕,若其星動搖,鈇鑕用。”郗萌曰:“熒惑乘守鈇鑕,為鈇鑕用,將有憂。”
《荊州占》にいう、熒惑が鈇鑕星を衝犯して五か月以上なれば(「鈇」は斧、「鑕」は身の下に墊える砧板で、合わせて腰斬の刑具を成し、星象は斬戮の義を取る)、人臣の中に心に図謀を懐く者ありを主る。石申はいう、熒惑が鈇鑕に入り、もしあの幾顆の星が揺動・閃爍すれば、鈇鑕の類の刑具がまさに用場に派せられるを主る。郗萌はいう、熒惑が凌駕して鈇鑕を守候すれば、まさに斬刑を動用し将帥に憂いありを主る。
熒惑犯天庚 六
郗萌曰:“熒入天庚中,大旱,粟貴,發用。”
郗萌はいう、火星が天庚の中に入れば(天庚すなわち天庾、三星は天倉の南にあり、倉廩の中に堆積した穀物を主る)、大旱を主り粟米は昂貴で官府はまさに倉を開きて存糧を支用せんとする。
熒惑犯芻藁 七
《黃帝占》曰:“黃惑入芻藁中,主敗寶出,亂臣在內。”
《黄帝占》にいう、熒惑が芻藁の中に入れば(芻藁六星は天苑の西にあり、牛馬を養う草料の積である——源文の「黄惑」は当に「熒惑」の訛とすべし)、君主の敗落・府庫の珍宝の外流を主り乱臣はすなわち朝廷の内に在り。
熒惑犯九州殊口 八
《荊州占》曰:“熒惑守九州殊口,九州兵起。”
《荊州占》にいう、熒惑が九州殊口を守れば(九州殊口六星は狼星の東北にあり、四方の夷狄の語言を伝訳し九州各地の方音を弁別することを主る)、九州各地に兵事の興起するを主る。
熒惑犯天節 九
《荊州占》曰:“熒惑守天節,持節臣有奸謀,若使臣死。”
《荊州占》にいう、熒惑が天節を守れば(天節八星は畢宿の下にあり、使臣の持する符節を象徴する)、手に符節を持つ臣子が心に奸謀を懐くを主り、あるいは出使の臣子が身死する。
熒惑犯九游 十
石氏曰:“熒惑守九游,日食星墜,天下大亂;若入九游,兵起。”
石申はいう、熒惑が九游を守れば(九游九星は玉井の西南にあり、天子の兵旗の上の九条の旒飾で、軍旅・旌旗を主る)、日蝕・星辰の隕落の発生を主り天下は大いに乱れ、もし九游に入れば、兵事の興起を主る。
熒惑犯軍井 十一
《荊州占》曰:“熒惑入軍井三日以上,其歲大水。”
《荊州占》にいう、熒惑が軍井に入って三日以上なれば(軍井四星は玉井の南にあり、軍中が水を取る井である)、この一年に大水を発するを主る。
熒惑犯水府 十二
《荊州占》曰:“熒惑入水府,有謀臣;一曰逆行水府,天下大水。”郗萌曰:“熒惑守水府,天下洪水。”
《荊州占》にいう、熒惑が水府に入れば(水府四星は参宿の東にあり、堤防・溝渠を掌管する水官を象徴する)、心に図謀を懐く臣子ありを主り、もう一説には水府の中にて逆行すれば天下に大水を発するとする。郗萌はいう、熒惑が水府を守れば、天下に洪水の発生するを主る。
熒惑犯天狗 十三
《荊州占》曰:“熒惑入天狗,兵謀,北夷大飢,來歸。鄰國多土功;若守之,為兵謀。”
《荊州占》にいう、熒惑が天狗に入れば(天狗七星は狼星の北にあり、財物を守衛して盗賊を備えるを主る)、兵を用いる図謀ありを主り北方の夷人は大いに飢饉を鬧して来て帰附し、隣国は多く土木・工役を興し、もし熒惑が天狗を守れば、同じく兵を用いる図謀ありを主る。
熒惑犯天廟 十四
《黃帝占》曰:“熒惑入天廟,若守,為廟有事;一曰為凶,憂。”《荊州占》曰:“熒惑入天廟,有廟殘之事;吏不去,則死。”
《黄帝占》にいう、熒惑が天廟に入るか(天廟十四星は張宿の南にあり、天子の祖廟の象徴である)、あるいは天廟を守候すれば、宗廟の裏にまさに事の出るを主り、もう一説には凶を主り憂いを主るとする。《荊州占》にいう、熒惑が天廟に入れば、宗廟に毁損・残破の事ありを主り、廟を管する官吏はもし早く任を離れざれば、すなわち死するべし。
熒惑犯巫咸中外官 四
熒惑犯長垣 一
郗萌曰:“熒惑入長垣,敵人入中國;出長垣,則出。”《玉曆》曰:“熒惑入長垣,若守之,匈奴入漢國。敵人四夷若皆出,期一年。”
郗萌はいう、熒惑が長垣に入れば(長垣四星は少微の西南にあり、天下の界域・藩籬で、辺塞と四夷の出入を主る)、敵人の中原に侵入するを主り、熒惑が長垣より退出すれば、敵人もまた退き出る。《玉暦》にいう、熒惑が長垣に入るかあるいは長垣を守候すれば、匈奴の漢地に侵入するを主り、四方の夷狄の敵がもし一斉に出動すれば、応期は一年である。
熒惑犯土司空 二
《荊州占》曰:“熒惑守土司空,有兵;又曰守入土司空,有土徭之事。”
《荊州占》にいう、熒惑が土司空を守れば(この星は前の石氏外官に列した土司空と名は同じく職は同じで、いずれも土木・工役を掌管する司空の官を象徴する)、兵事ありを主り、またいう守候して土司空に入れば、民力を征発して土木を興修する徭役ありを主る。
熒惑犯鍵閉 三
郗萌曰:“熒惑犯乘鍵閉星,大臣有謀,天子不尊事天者,致火災於宗廟,王者不宜出宮下殿,有匿兵於宗廟中者。”(《宋書》云:“晉穆帝昇平三年正月壬辰,熒惑犯鍵閉,占曰:人主憂,五年正月,穆帝崩。”)
郗萌はいう、熒惑が衝犯して鍵閉星を凌駕すれば(鍵閉一星は房宿の東北にあり、「鍵」は門の闩・「閉」は鎖鑰で、門戸・管籥を主る)、大臣が心に図謀を懐くを主り、天子もし敬みて上天に奉事せざれば、すなわち宗廟の火災を招来し、このとき王者は宜しく宮門を出で殿階を歩み下るべからざる——人が宗廟の裏に兵を埋伏せしめたるなり。(原書小注は《宋書》を引いていう、東晋穆帝升平三年正月壬辰、熒惑が鍵閉を衝犯し、占辞にいう、君主に憂いあり。升平五年正月に至りて穆帝は駕崩した。)
熒惑犯天柱 四
《荊州占》曰:“熒惑守天柱,兵鼓起。”
《荊州占》にいう、熒惑が天柱を守れば(天柱五星は紫微宮の内・下台の北にあり、教令を建立し法度を懸示することを主る)、戦鼓の擂り響き兵事の興起を主る。
熒惑犯天淵 五
《荊州占》曰:“熒惑入天淵,大旱,出焦枯;若守之,海水出,江河決溢,若海魚出。”
《荊州占》にいう、熒惑が天淵に入れば(天淵十星はまた天泉・天海と名づき、鱉星の東南にあり、溝渠を灌漑する事を主る)、大旱を主り草木は焦枯し、もし天淵を守候すれば、海水の漲り上りて漫出するを主り江河は決口・泛濫し、あるいは海中の魚は水面より躍り出る。
熒惑犯鈇鑕 六
《黃帝占》曰:“熒惑入鈇鑕,為大臣誅。”《推度覽》曰:“大臣戮亡,熒惑環鈇鑕。”《荊州占》曰:“火犯鈇鑕,兵起。”
《黄帝占》にいう、熒惑が鈇鑕に入れば、大臣の誅せられるを主る。《推度覧》にいう、大臣が殺されて身を亡ぼすは、熒惑が鈇鑕を繞りて盤旋して環を成すに因るなり。《荊州占》にいう、火星が鈇鑕を衝犯すれば、兵事の興起を主る。
熒惑犯天廐 七
《荊州占》曰:“熒惑入天廄十日以上,廄馬有食變。”石氏曰:“熒惑出入天廄,天下廄有憂,長吏敗;若干天廄,兵起。”《黃帝占》曰:“守天廄,為廄災之事;人主以馬為憂,不即馬疾。”郗萌曰:“熒惑守天廄災三十日,騎馬出。”
《荊州占》にいう、熒惑が天廐に入って十日以上なれば(天廐十星は室宿の北にあり、天子の馬廐と伝駅の象である)、廐中の馬が飼料・草秣の上にて変故を出すを主る。石申はいう、熒惑が天廐に出入すれば、天下の馬廐に憂患ありを主り主管の長吏は事を敗り、もし天廟を衝撞すれば、兵事の興起を主る。《黄帝占》にいう、熒惑が天廐を守れば、馬廐がまさに火災の類の禍事に遭うを主り、君主は馬匹を以て愁え、さもなければすなわち馬匹が病を生ずる。郗萌はいう、熒惑が天廐を守る災が三十日に達すれば、騎兵と馬匹の出動を主る。
開元占経 巻三十八
填星占 一
填星名主 一
石氏曰:“填星,其神雷公,決星名曰卿魄。”《荊州占》曰:“填星,常晨出東方,夕伏西方;其行,歲填一宿,故名填星。”石氏曰:“填星,主季夏、主中央、主土;於日主戊巳,是謂黃帝之子,主德。女主之象,定受而不受者為失,填,其下之國可伐也,德者不可伐也;其一名地侯。”(案《服食經》曰:雄黃,填星之精也。)
石申はいう、填星(すなわち土星、また鎮星と称す)の配する神は雷公で、占決に用うるにそれはまた一つの名を「卿魄」という。《荊州占》にいう、填星は常に清晨に東方より升り起こり、晩には西方にて隠伏し、それの運行する規律は一年に一宿を鎮填し、ゆえに「填星」と呼ぶ。石申はいう、填星は時令の上にては季夏を主り、方位の上にては中央を主り、五行の上にては土を主り、日辰の上にては戊日・己日を主りて黄帝の子と称されて徳行を掌管し、それはまた女主の象徴である。およそ命に於て当に承くべくして肯んじて承けざるを、これを「失」と呼ぶ。填星の鎮臨する処、それの下方に対するあの国家は討伐すべし、ただし彼の国もし徳あらば、すなわち討伐すべからず。填星はまた一つの名を「地侯」という。(原書小注は《服食経》を引いていう、雄黄は填星の精気の結する所である。)
《淮南子》曰:“中央土也,其帝黃帝,其佐后土,執繩而制四方,繩直也;其神為填星,其獸黃龍,其音宮,其日戊巳。”《春秋緯》曰:“填星主德;德失,則宮室高,臺榭繁;故填星縮、火燒門;動,則水決江河破、凶。”《文曜鉤》曰:“填星主德以正常,德失則罰出填星,二十四徽,以效存亡。”《合誠圖》曰:“填星,主正紀綱。”甘氏曰:“填星;主太常,主周梁,(《海中占》曰:周梁、中國也。)邦有德,填星當也。”
《淮南子》にいう、中央は土に属し、それを主管する天帝は黄帝で、輔佐する神は后土で、彼らは手に準縄を執って四方を統制する——謂う所の「縄」は、正直の義を取る、対応する星神は填星、対応する神獣は黄龍、対応する楽音は宮音、対応する日辰は戊日・己日。《春秋緯》にいう、填星は徳行を主管し、徳行は一旦喪失すれば、すなわち宮室を高く建て台榭を煩く修め、ゆえに填星が運行して退縮すれば、火が宮門を焼くに応じ、填星が揺動・不定すれば、洪水が堤を決し江河が岸を潰すに応じ、凶を主る。《文曜鉤》にいう、填星は徳行を主管して常道を端正し、徳行が喪失すれば、懲罰はすなわち填星より発出し、二十四种の徴象を憑って国家の存亡を験証す。《合誠図》にいう、填星は朝廷の綱紀を端正することを主管する。甘徳はいう、填星は太常の官を主管し、周・梁の一帯の分野を主管する(原書小注は《海中占》を引いていう、周・梁とはすなわち中原のことを指す)、邦国に徳あれば、填星はすなわちその上に鎮臨するべし。
巫咸曰:“填星之德厚,安危存亡之機。填星所宿者,其國安,大人有喜,增土。”《五行傳》曰:“填星於五常為信,言行不二;於五事為思,心寬容受諫;若五常、五事皆失,填星為變動、為土功、為女主、為山崩、為地動。”吳龔《天官星占》曰:“填星所居國有德,不可以兵加也。”班固《天文志》曰:“填星者,信也,思也;仁義禮智以信為主,貌言視聽以心為正;故四星皆失,填星乃為之動。”郗萌曰:“填星,主祭祀鬼神宮及太常。”《荊州占》曰:“填星,土之精,主四季。填星,主司天下女主之過;女主邪,填星邪;女主正,填星正。”石氏曰:“填星正,女主正紀綱。”
巫咸はいう、填星の徳性は深厚で、安危・存亡に関わる枢機である。填星の宿する所の鎮する所に在れば、あの一国は安寧し尊貴の人は喜慶があり、また疆土を増添する。《五行伝》にいう、填星は仁・義・礼・智・信のこの五常の中にて「信」に属し、講ずる所は言と行とが一のごとし、貌・言・視・聴・思のこの五事の中にて「思」に属し、講ずる所は心胸の寛容にして勧諫を聴き入れ得るなり、もし五常・五事ともに荒廃すれば、填星はまさに変動を現じ、土木・工役・女主の専権・山崩・地震の上に応ずべし。呉龔《天官星占》にいう、填星の停留する分野は、あの一国に徳あれば、それに対して兵を用うべからず。班固《漢書・天文志》にいう、填星は「信」を象徴しまた「思」を象徴し、仁・義・礼・智の四者は信を以て根本と為し、貌・言・視・聴の四者は心思を以て準則と為し、ゆえに必ず歳星・熒惑・太白・辰星の四星が皆常度を失うを待って、填星はこれに動を為す。郗萌はいう、填星は鬼神を祭祀する廟宮および太常の官を主管する。《荊州占》にいう、填星は土の精気で、四季の季月を主管し、填星は専ら天下の女主の過失を稽察することを司り、女主が邪僻ならば填星の運行はすなわち偏邪し、女主が端正ならば填星の運行はすなわち端正である。石申はいう、填星の運行が端正なれば、女主が内廷の綱紀を整粛したを説明す。
填星行度 二
《五行傳》曰:“填星以上元甲子歲,十一月朔旦冬至夜半甲子時,與日月五星俱起於牛前五度,順行二十八宿,右旋,歲一宿,二十八宿而周天。”(案《曆法》:填星一年平行十二度十一萬六千四百三十二分度之四萬六千二百七十一,二十九而百六十八日千九百七十六分日之十一百三十七而周天,是三百八十三年而十三周天。)
《五行伝》にいう、填星は上元甲子のあの年、十一月初一の清晨に恰も冬至に逢い夜半にまた甲子時に値して、日・月および五星と一同に牽牛宿の前五度より起算し、依次に順行して二十八宿し、向右に旋転し、一年に一宿を鎮填し、二十八宿を走り満てばすなわち天を一周る。(原書小注は暦法に拠って推算していう、填星は一年に平均して十二度又十一万六千四百三十二分度の四万六千二百七十一を行り、二十九年又一百六十八日又一千九百七十六分日の一千一百三十七を経て天を一周り、これに照らして推算すれば三百八十三年に天を十三周る。この段の数字は源文に訛脱あり、姑く照録する。)
《淮南子》曰:“填星以甲寅元始建斗,(甲寅元始,歷起之年也;建斗,填星起於斗也。)日行二十八分度之一,歲行十二度百一十二分度之五,二十八歲而周天。”《春秋緯》曰:“填星出,百二十日,反逆;西行百二十日,東行;見三百三十日而入,入三十日復出東方,運之常也;守度持節為紀綱,順之吉,逆之凶。”《荊州占》曰:“填星出東方三百三十日,而夕伏西方三十日,而復晨見東方。”
《淮南子》にいう、填星は甲寅元年より起算し、起点は斗宿に建て(原書小注、「甲寅元始」は暦法の起算するあの年、「建斗」は填星が南斗より起行するを説く)、それは毎日に二十八分の一度を行り、毎年に十二度又一百一十二分の五度を行り、二十八年に天を一周る。《春秋緯》にいう、填星は出現の後に百二十日を行りて、転じて逆行と為り、西に向かって百二十日を退行し、また転じて東に行き、前後に三百三十日を顕現して後に隠伏し、三十日を隠伏して再び東方より出現し、これはそれの運行の常度である。それが度数を守りて節律を持定すれば、すなわち天下の綱紀——それに順えばすなわち吉、それに逆らえばすなわち凶。《荊州占》にいう、填星は東方に三百三十日を出現し、然る後に晩に於て西方に三十日を隠伏し、随いてまた清晨に於て東方に重新して見ゆ。
《尚書緯》曰:“氣在於季夏,其紀填星,是謂大靜;無立兵,立兵命曰犯命;奪人一畝,償以千里;殺人不當,償以長子;不可起土功,是謂犯天之常,滅德之光。可以居正殿安處,舉有道之人,與之慮國;人以順式時利,以布大德,修禮義;不可以行武事,可以赦罪;人與德相應,其禮衣黃,是謂順陰陽,奉天之常也。如是則填星得度,其地無災。”
《尚書緯》にいう、節気が季夏に行き至れば、事を主るは填星で、これを「大静」と呼ぶ。このとき兵を興すべからず、兵を興せばすなわちこれを天命に違犯すと呼ぶ——人の一亩の土地を奪えば、将来には千里を以て償還し、一人を錯殺せば、将来には自己の長子を以て償還す、また土木を興修すべからず、あれを上天の常道を触犯し徳行の光輝を熄滅すと呼ぶ。この時は正殿に安居し有道の人を挙用して彼らと同じく国事を籌画するに宜しく、時令の宜に順応して広く大徳を布きて礼義を整飭し、武力を動用すべからず罪人を赦免すべく、人事が徳行に相応し、穿する礼服は黄色を用うるを以て、これこそ陰陽に順応し上天の常道を奉行すと呼ぶ。能くこうすれば、填星は常度に合し、あの片の土地上には災禍あらざるべし。
《動聲儀》曰:“宮音和調,填星如度不逆,則鳳凰至。”巫咸曰:“填星受制,則養老、存鰥寡、行饘粥,施思澤,事賓客。”郗萌曰:“填星用事,務招錄賢聖,擇廉平,勸民耕農,實倉庫,治城郭,通溝渠,奉天祠,修治社稷,數問牢獄,察勉失職,務安百姓;如是,則填星不盈縮,不逆行變色。”《荊州占》曰:“填星順行而明,其國有厚德。填星行中道,陰陽和調。”皇甫謐《年曆》曰:“甘石、太初曆所民記星出不同者,以星盈縮在前,各錄後所見也;填星之精,凡六十三變。”
《動声儀》にいう、宮音が諧和・調暢すれば、填星は常度に依りて逆行せず、鳳凰はすなわち飛来する。巫咸はいう、填星が天命を承けて当値する時節は、老人を奉養し鰥寡を撫恤し稠粥・薄粥を施舍し、広く恩沢を施して賓客を礼待すべし。郗萌はいう、填星が令を当りて事を用うる時節は、必ず賢聖の士を招納・録用し清廉・公平の官吏を選抜し、百姓に耕作・農桑を勧勉して倉庫を充実し、城郭を修治し溝渠を疏通し、上天の祠祀を恭奉して社稷・壇廟を整修し、常に牢獄を過問し、あの失職の人を考察し併せて勉励し、力を尽くして百姓を安定せよ——能くこうすれば、填星は時に速く時に遅くせず、また逆行・変色せざるべし。《荊州占》にいう、填星が順行して併せて明亮なれば、あの一国に深厚の徳政あるを説明し、填星が中道の上を行えば、陰陽の調和するを説明す。皇甫謐《年暦》にいう、甘徳・石申の两家と《太初暦》とが記する星辰の出没の時刻は各々相同じからざるは、星体はもとより盈縮・快慢が先にあり、各家はただ各々自己の後に観測したる所を記したなり、填星の精気の変化は、一共に六十三種ある。
填星相王休囚死 三
《荊州占》曰:“填星之相也,從立夏至仲夏時,其色大如精明,無芒角。填星,土也,位在中央,王於四季,其星從孟夏至仲夏時,色當赤而微小;及季夏王時,其色比北極中央大星,赤黃而光明,有芒角。
《荊州占》にいう、填星が「相」の段階に処るは、立夏より仲夏に至るで、このときそれの星色は明浄にして神ありて形体はやや大きく、芒角を張らず——「相・王・休・囚・死」は五行家が用いて五星の四時中の盛衰を分判する五つの段階である。填星は土に属し方位は中央に居り、四季の各々の末月にて「王」を当てる——それが孟夏より仲夏に至るこの一段は、星色は当に赤を発して形体はやや小さくあるべく、季夏に王を当てる時節に至りては、星色は北極の中央の大星に比照すべく、赤黄を呈して明亮にして併せて芒角を張出す。
填星之囚也,從立冬至仲冬比奎大星,黃白而光明有芒。填星其囚也,從立冬至仲冬,其色青而細小。赤黑,止而不行;(甘氏云:如小不明也。)至季冬王時,色當比左角青黃而光明有芒。填星之死也,從立春至仲春,其色白而細小不明,至季春時,色當比參左肩;而黃白光明有芒。”
填星が秋令のあの一階段に処るは、奎宿の大星に比照すべく、黄白色を呈して明亮にして芒あり(この句は上下文に依りて当に「填星之休也、従立秋至仲秋」と作すべし、源文は誤って重出して「囚」と「立冬至仲冬」と為す)。填星が「囚」の段階に処るは、立冬より仲冬に至り、星色は青を発して形体は細小し、あるいは赤黒の色を呈して滞留して前に進まず(原書小注は甘氏を引いていう、細小にして不明亮なるがごとき様とする)、季冬に王を当てる時節に至りては、星色は当に角宿の左星に比照すべく、青黄を呈して明亮にして芒あり。填星が「死」の段階に処るは、立春より仲春に至り、星色は白を発し形体は細小にして不明亮で、季春の時節に至りては、星色は当に参宿の左肩のあの一顆星に比照すべく、黄白を呈して明亮にして芒あり。
甘氏曰:“當其相也,而有王色;主弱、女主用事;有休色,有土功;有囚色、女主不昌;有死色,貴人多喪。
甘徳はいう、填星が正しく「相」の段階に当たるにしかし「王」の時の星色を現出せば、君主の孱弱にして女主が権を当り事を用うるを主り、「休」の時の星色を現出せば、まさに土木・工役を興起せんとするを主り、「囚」の時の星色を現出せば、女主の昌盛できぬを主り、「死」の時の星色を現出せば、顕貴の人に喪亡多きを主る。
所留守舍,其國有女徵,其進舍也及退舍,皆為土功憂事。當其王也,而有相色,則女主宗強;有休色,政在公卿;有囚色,女主不昌;有死色、女主族不祥。其所留之舍,有德厚,其進舍也,其國得土,其退舍也,則失土。當其休也,而有王色,臣下縱橫;有相色、女主請謁行,有囚色,女主宗族有誅傷;死色重,有女喪。所留之舍,其國民流亡;其進舍也及退舍,其國受殃。當其囚也,而有王色,有政令,四時不和,多風雨災,五穀不成,盜賊起,野多囚人;有相色,臣下為謀,謀及司空;有休色,女主與妾訟;有死色,國有土功。所留之舍,其國是當,其進舍也,絕嗣復興;其退舍也,有哭音。
填星はすなわち土星で、また鎮星と呼び、二十八年に天を一周り、徳教を主り土功を主り中央と季夏の気を主る。それが停留・守候するあの一宿は、対応する分野の国に女子に関わる徴兆の現れるべし、それが一宿を前進しあるいは一宿を後退すれば、いずれも土木・工程上の憂患を主る。填星の気が正しく「王」(令に当たりて最も旺)の時に当たるにして星色がしかし「相」(次に旺)の色を現出せば、後宮の主の母族は強盛し、「休」(気勢すでに退く)の色を現出せば、政柄は公卿の手に落ち、「囚」(制を受けて通ぜず)の色を現出せば、後宮の主は昌盛できず、「死」(気尽きたり)の色を現出せば、後宮の主の宗族に不祥の事あり。それが停留するあの一宿は、その国の徳沢は深厚で、それが一宿を前進すればその国は土地を獲得し、それが一宿を後退すればその国は土地を喪失する。填星の気が正しく「休」の時に当たるにして星色が反って「王」色を現出せば、臣下は縦恣・専擅し、反って「相」色を現出せば、後宮の主の請託・干求は通行を得、「囚」色を現出せば、後宮の主の宗族に誅戮される人あり、「死」色が濃重なれば、すなわち女子の喪事あり。それが停留するあの一宿は、その国の百姓は流散・逃亡し、それが一宿を前進しあるいは後退すれば、その国はいずれも禍殃を受くべし。填星の気が正しく「囚」の時に当たるにして星色が反って「王」色を現出せば、すなわち政令は頻出し四時の節候は調を失い風雨の災は多く、庄稼は熟さず盗賊は興起し野外は繫囚の人多し、「相」色を現出せば、臣下は暗中に結謀し謀議は土木を主管する司空に牽連し、「休」色を現出せば、後宮の主は姫妾と争訟し、「死」色を現出せば、国中は土木を興作す。それが停留するあの一宿は、その国は正しくその衝に当たり、それが一宿を前進すれば、断絶の後嗣は重新して振興し、それが一宿を後退すれば、すなわち哭泣の声あり。
當其死也,而有王色,下勝上,枯木復生,臣專政;有相色、地洩,其藏從地中;出有休色,五穀暴貴,人臣散亡;有囚色、必有霜雹;所留之舍,尤凶;其進舍也、地動,若有蛇怪;其守舍也,有移徙澤。”
填星の気が正しく「死」の時に当たるにして星色が反って「王」色を現出せば、すなわち下位の者が上位の者を圧倒し枯死の樹木は重新して萌発し、臣子は国政を専擅す、「相」色を現出せば、地気は外泄し地下に埋藏されたる物は土中より顕露出て来、「休」色を現出せば、五穀の価格は暴騰し臣僚は離散・逃亡し、「囚」色を現出せば、必ず霜災・雹災あり。それが停留するあの一宿は、凶象はことさらに深重で、それが一宿を前進すれば、地震あるかあるいは蛇類の怪異の現れあり、それが本宿を守りて移らざれば、すなわち水沢を遷移し陂池を改動する事あり。
填星光色芒角 四
甘氏曰:“候填星,以季夏戊己;此王氣,色當如其常;色變,則失所也。”郗萌曰:“填星色有常,黃比參右肩。”《荊州占》曰:“填星常色,如北極明星;赤比角星;黑比奎明星。”《黃帝占》曰:“填星色白多為獄;一曰有素服,天下不安。填星色黃而光輝,輝大,更宮室,有土功事。填星色黃,大無光,女主得意;一曰女主年中有忿爭。”《禮斗威儀》曰:“君乘土而王,其政太平,則填星黃而暉多。”《詩緯》曰:“填星華,此奢侈不節,王政之失。”
甘氏はいう、填星を観候するには、季夏(六月)および天干の土に属する戊日・己日に於て行うべし——このとき正しく土気の最も旺なる「王気」の時で、星色は当にそれの平常の黄色を保持すべく、星色もし変異あらば、すなわちそれが本位の常態を失うを説明す。郗萌はいう、填星は固定の本色ありて、あの種の黄色は参宿の右肩(参宿の右上のあの顆星)に比照して判定すべし。《荊州占》にいう、填星の正常の顔色は、明亮の程度は北極の明星に比するがごとく、赤く発する時は角宿の星に比照すべく、黒く発する時は奎宿の明星に比照すべし。《黄帝占》にいう、填星の色が白にして白気の偏多ければ、刑獄の事を主り、もう一説には素服を穿ちて喪を挙ぐる人あろうとし天下は安寧を得ず。填星の色が黄にして光輝煥発し光輝盛大なれば、宮室を改建し土木・工程ありを主る。填星の色が黄にして形体は大と雖も光沢なければ、後宮の主は心のままに意を得、もう一説には後宮の主がこの一年中に忿争の事あろうとす。《礼斗威儀》にいう、君主が土徳を承けて王と称り政治清平なれば、填星はすなわち色黄にして光輝充盈す。《詩緯》にいう、填星の光華の過盛なるは、これは奢侈・無度にして節制を加えず、王政の失当の徴象である。
《海中占》曰:“填星光明,歲熟;其所守國安,大人有喜,增地。”郗萌曰:“填星赤華也,期九十日,兵起。填星春色蒼,歲善,大熟。填星色青黃,其國有憂。填星赤色,光而澤也,不出其年,兵起。填星色赤,飢期三年;色青黃,有憂;色青白、期不出五月,兵若獄大起,青多為兵,白多為獄,青白等兵獄並起;色青黑,六十六日有喪,皆所在之宿名其國。”《天官書》曰:“填星色青圓,憂病;一曰憂水;青角有兵憂。填星色白圓,有喪;若星赤圓,有兵;黃圓,則吉。”
《海中占》にいう、填星が光明・潤亮なれば、年成は豊熟し、それが守するあの一宿に対応する国は安定し大人物は喜慶あり国土は増広す。郗萌はいう、填星が赤く発して光華を外揚すれば、期限は九十天で戦事の興起あろう。填星が春に蒼青の色を現出せば、年景は良好で大豊収す。填星が青中に黄を帯びた色を呈せば、あの国家に憂患あり。填星が赤色を呈し光亮にして潤沢なれば、この一年を出ずして兵事は興起す。填星の色が赤なれば、飢饉を主り期限は三年で、色が青黄なれば憂患あり、色が青白なれば期限は五か月を出ず兵禍あるいは牢獄の災は大いに起こり、青気多ければ兵禍を主り白気多ければ牢獄を主り、青白が相等しければ兵禍と牢獄は併せて発生し、色が青黒なれば六十六天以内に喪事あり——以上はいずれも填星の所在する星宿に拠って応験する国家を指定す。《天官書》にいう、填星の色が青にして形円なれば、憂いは疾病に在り、もう一説には憂いは水患に在り、青にして芒角を帯びれば兵事の憂いあり。填星の色が白にして形円なれば、喪事あり、もし星色が赤にして形円なれば兵事あり、黄にして形円なればすなわち吉と為る。
《荊州占》曰:“填星居之分久而光明,人主吉昌。填星色,春青、夏赤、秋白、冬黑,色順四時,其國強,女主昌。填星色黑圓,多疾若水;黑而小,國有死王;赤為兵;白為喪;黃則吉。填星色黑黃圓,女主吉,有喜;赤圓,女主凶。填星色以黃潤澤,即國有慶。”《海中占》曰:“填星色白、芒澤,有子孫喜,立王。”郗萌曰:“填星赤,有芒,其野謀兵。”《荊州占》曰:“填星芒,邪乳失色,女主心不正。填星色赤芒,有兵若火。填星三黃芒,發主盛,其國強;三黑芒,其國亡。”
《荊州占》にいう、填星が長久に或る分野に停在してまた光明・潤沢なれば、君主は吉慶・昌盛す。填星の顔色は、春は青を現し夏は赤を現し秋は白を現し冬は黒を現し、星色が四時の気に順応すれば、その国は強盛し後宮の主は昌栄す。填星の色が黒にして形円なれば、疾病多くあるいは水患あり、黒にして形体細小なれば、国中に君王の死亡あり、色が赤なれば兵事を主り、色が白なれば喪事を主り、色が黄なればすなわち吉。填星の色が黒黄にして形円なれば、後宮の主は吉利にして喜慶あり、色が赤にして形円なれば、後宮の主に凶あり。填星の色が黄にして潤沢なれば、国中にすなわち喜慶の事あり。《海中占》にいう、填星の色が白にして芒光潤沢なれば、子孫に喜ありを主り王嗣を冊立するべし。郗萌はいう、填星の色が赤にして芒刺あれば、あの分野に兵を興さんと謀る人あり。《荊州占》にいう、填星の芒光が歪斜・偏出し本色が晦失すれば、後宮の主は心術正しからず。填星が赤色の芒角を現出せば、兵事あるいは火災あり。填星が三道の黄色の芒角を発出せば、君主の気勢は興盛しその国は強大し、三道の黒色の芒角を発出せば、その国はまさに亡びんとす。
《天官書》曰:“填星兩黑角,水;青角,憂有兵;白角,哭泣之聲,赤角,犯我城;黃角,地之爭。”《荊州占》曰:“填星七角,又有芒,女主專政,妄誅。填星出其角,為旱。填星在四方宿,當如其方色,吉;失色而角,表為憂;赤為旱;白為兵;黑有死喪。填星失色,五角、即有戰;若色黃而有九芒,有大水,不乃天裂地動。填星黑角,則水;赤角、有兵,若旱;黃角,有土功事。”
《天官書》にいう、填星が両道の黒色の芒角を現出せば、水患を主り、青色の芒角を現出せば憂いは兵事に在り、白色の芒角を現出せば哭泣の声あろう、赤色の芒角を現出せば敵人が来て我が方の城邑を侵犯し、黄色の芒角を現出せばすなわち土地の争いあり。《荊州占》にいう、填星が七道の芒角を現出しまた光芒が四射すれば、後宮の主は朝政を専擅し濫りに誅戮を加える。填星が芒角を発出すれば、旱を主る。填星が四方の各宿に行き至れば、星色は当に所在の方位の色に相応すべし(東は青・南は赤・西は白・北は黒)、こうあれば吉と為り、もし本色を失いてまた芒角を生出せば、外に現るは憂患の象で、赤色は旱を主り、白色は兵を主り、黒色は死喪あり。填星が色を失いまた五道の芒角を生出せば、すなわち戦事あろう、もし色が黄にして九道の芒光を生出せば、大水あろう、さもなければすなわち天裂・地震す。填星が黒色の芒角を現出せば、水を主り、赤色の芒角を現出せば兵事ありあるいは旱を主り、黄色の芒角を現出せば土木・工程の事あり。
填星盈縮失行 五
甘氏曰:“填星失次,而上二舍三舍,是謂大盈;有王命不成,不乃大水。失次而下二舍,是謂縮;女后有威,其歲不復,不乃天裂,若地動。”甘氏曰:“填星緩,則不逮;急,當過舍;逆則占。”班固《天文志》曰:“填星盈,為主不寧;縮有軍不復。”《荊州占》曰:“填星退舍為縮,所次之國凶。”《黃帝占》曰:“填星見東方,一歲行二舍,吏民相將縮,所次之國凶。”
甘氏はいう、填星の運行が応に至るべき宿次を離れて向前に両宿・三宿を超出すを、これを「大盈」(行度の大幅の超前)と呼び、君王の命令の推行して成らぬを主り、さもなければすなわち大水を発す。応に至るべき宿次を離れて両宿を落後するを、これを「縮」(行度の落後)と呼び、後宮の主の威権の過重なるを主りあの一年の局面は恢復し難く、さもなければすなわち天は開裂しあるいは地震す。甘氏にまたいう、填星が走ること遅緩なれば、すなわち応に至るべき位置に赶えず、走ること急速なれば、すなわち応に至るべき宿次を越過し、もし逆行の現出あらば、すなわちこれに拠って占断せよ。班固《漢書・天文志》にいう、填星の行度が超前すれば、君主の安寧を得ぬを主り、行度が落後すれば、兵を出して外に在りて帰返能わざるを主る。《荊州占》にいう、填星が前の一宿に退回するを「縮」と呼び、それが停次するあの一分野の国に凶あり。《黄帝占》にいう、填星が東方に見えて一年の内に両宿を行り過ぎれば、官吏と百姓は相率いて退縮して前に進まず、それが停次するあの一分野の国に凶あり。
《黃帝占》曰:“填星見東方,一歲行二舍,吏民相將至退地,諸侯有失邑者。填星西行一舍以上,吏棄法令,民棄其君,子去其父離其鄉里,渡於河海,動地而起矣。填星逆行,天下更王。”《洛書》曰:“填星盈縮,下士逆謀,兵乃生。填星盈縮,地動搖宮;有此類,則亡引也。填星盈縮,九州騷動,四方相賊。”《漢含孳》曰:“陽弱臣逆,則填星盈縮,(陽者,君也)王者禮、義、德、殺、刑盡失,填星乃動而盈;王者以貪擾不寧,大水出。”《文耀鉤》曰:“填星南西行,為畋獵恣;南西者,南多西少也。”《論語識》曰:“填星盈動。國門闔。”
《黄帝占》にいう、填星が東方に見えて一年の内に両宿を行り過ぎれば、官吏と百姓は相率いて別処に退往し、諸侯の中に封邑を丢失する人あり。填星が西に向かって一宿以上を行り過ぎれば、官吏は法令を抛棄し百姓は君主を背棄し、児子は父親を離れ郷里を離れ、江河・大海を渡り、天下は動揺して変乱は四起す。填星が逆行すれば、天下はまさに君王を更換せんとす。《洛書》にいう、填星の行度が或いは超前し或いは落後すれば、下層の士人は叛逆を図謀し兵禍はこれに於て産生す。填星が盈縮・失度すれば、地震は宮室を揺動し、この類の徴象の出現あれば、国祚はすなわち牽引を断たる。填星が盈縮・失度すれば、九州は震動して安からず四方は互いに残害す。《漢含孳》にいう、陽道が衰弱し臣下が悖逆すれば、填星はすなわち盈縮・失度を現出す(原書小注、ここに謂う所の「陽」は、君主を指す)、君王が礼・義・徳・殺・刑の五つの方面にて全て失当すれば、填星はすなわち躁動して行度は超前し、君王が貪求に因って天下を扰攘して安寧ならしめざれば、すなわち大水の泛濫あろう。《文耀鉤》にいう、填星が西南方に偏向して運行すれば、君主の田猎を放縦するを主り、謂う所の「南西」は、南に偏する成分は多く西に偏する成分は少なきを説く。《論語識》にいう、填星の行度が超前して躁動すれば、国都の城門はまさに閉塞せんとす。
石氏曰:“填星失次,進則亡地;退則有喪。填星所居久者,其國有德厚,不可以軍;如所居易者(徐廣曰:易猶輕速也)國,其德薄,可侵以土地。填星所居之國吉,未當居而居之,已去而復還居之,其國得地,不乃得女;當居不居,既已居之,又東西去之,國失土,不乃失女;不可舉事用兵,不有土事,若女子之憂,其國可伐;居之久,福祿厚;居之易,福祿薄。”
石氏はいう、填星の運行が正常の宿次を失い、向前に超行するは土地を喪失するを主り、向后に退行するは喪事ありを主る。填星が或る一宿に停留すること久しければ、あの分野の国は徳沢深厚にしてそれに対して兵を用うべからず、もしそれが或る国の分野の上に停留すること軽忽・短促なれば(原書小注、徐広はいう、「易」とはすなわち軽捷・快速の意)、あの国家は徳沢淺薄にしてその土地を侵奪すべし。填星の居する所の宿に対応する国家は吉と為り——本より停留すべからざるに停留したかあるいはすでに離れてまた折り返って来て停留すれば、あの国家は土地を得べく、さもなければすなわち女子を得べし、本より停留すべきに停留せざるかあるいはすでに停留して定まりてまた東に西に移走すれば、あの国家は土地を喪失し、さもなければすなわち女子を失う。このとき事を興し兵を動かすべからず、否らばすなわち土木の役あるいは女子の方面の憂患あらざるなく、この国家は討伐すべきなり。填星の停留すること久しければ、福禄は深厚し、停留すること短促なれば、福禄は淺薄なり。
巫咸曰:“填星,盈、失次、退地;白有喪;角為爭;大為得地;小為失地。填星之居宿國,五歲若六歲、四歲,其君強固,安其所;去者,其君憂也。填星亂行,人主且失地,使之不然;無淫亂於樂,無見諸侯客,無出遊,如是則止。”《海中占》曰:“填星去宿,天子不立后;去宿南數十尺,女主不用事,若大水;去其宿北數十尺,女主當之,若大旱;主好畋獵,走狗馳馬,出入不時,賜與不當,則填星失宿;民多病,歲多大風,黍稷無實。”
巫咸はいう、填星の行度が超前し応に在るべき宿次を離れ本位を退失するは、いずれも失行の象で、星色が白を発すれば喪事を主り、芒角を生出すれば争闘を主り、星体が大と変ずれば地を得を主り、星体が小と変ずれば地を失を主る。填星が或る国の分野の宿の上に停りて、五年あるいは六年・四年の久しきに歴れば、あの国君は強盛・穏固にしてその位を安享し、一旦填星が離れ去れば、あの国君にすなわち憂患あり。填星の運行が錯乱すれば、君主はまさに土地を喪失せんとし、それをこうあらしめざるを欲せば、声色・娯楽に沉溺せざること、諸侯・賓客を接見せざること、外出して游荡せざること——こうすれば災禍はすなわち止息す。《海中占》にいう、填星が本宿を離れれば、天子は皇后を冊立できず、本宿を離れて南に数十尺なれば、後宮の主は権を当て事を用うる能わず、あるいは大水あり、本宿を離れて北に数十尺なれば、後宮の主はまさに災禍を承当し、あるいは大旱あり。君主が田猎を愛好し狗を縦し馬を馳せて出入に時節を拠らず賞賜が法度に合わざれば、填星はすなわち本宿を失い、ここに於て百姓は病多く年内は大風多く黍稷は籽実を結ばざるべし。
京房曰:“人君內無仁義,外多華飾,則填星失度,東西叛逆;不救,必憂霜雪;其救也,治社稷明常,近方直,親厚重之人,災消矣。”(《荊州占》曰:不救,有雷雹、山崩、地坼之災也。)郗萌曰:“人君宰相,簡鬼神,廢禱祀,毀宗朝、社稷,即填星逆行,色變,地動。填星逆行,有白衣之會;逆行一舍,為水。填星超舍而前,東行一歲二舍,諸侯有歸國者。填星逆行二舍,有兵,六十日大赦。填星逆行三舍,有兵,六十日大赦,填星逆行三舍,為政者死。以季夏戊子日侯填星,其色變,行不如常,行失也。”《淮南子》曰:“填星一宿,當居而不居,其國亡地;未當居而居之,其國增地,歲熟。”
京房はいう、君主が内心に仁義なく外表に文飾を多く加えれば、填星はすなわち運行して度を失い忽ち東に忽ち西にして常道を悖逆す、補救を加えざれば、必ず霜雪の災を憂慮すべし。補救の弁法は——社稷の祀を整治し常法を彰明し、方正・耿直の士を親近し敦重の人を親厚にせば、災禍はすなわち消除す。(原書小注、《荊州占》にいう、補救を加えざれば、雷雹・山崩・地裂の災あろう。)郗萌はいう、君主と宰相が鬼神を怠慢し禱祀を廃止し宗廟と社稷を毁壊すれば、填星はすなわち逆行・変色し併せて地震が発生す。填星が逆行すれば、喪事の聚会あろう、一宿を逆行すれば、水患を主る。填星が本宿を越えて向前に行き、東に向かって一年に両宿を行り過ぎれば、諸侯の中に本国に回帰する人あり。填星が両宿を逆行すれば、兵事あり六十天以内に大赦す。填星が三宿を逆行すれば、兵事あり六十天以内に大赦し、填星が三宿を逆行すれば、政を当てる人は死亡す。季夏の戊子の日に填星を観候し、もしそれが星色を改変し運行が常度に合わざれば、あれはすなわち失行なり。《淮南子》にいう、填星が或る一宿に在りて、本より停留すべきに停留せざれば、あの分野の国は土地を喪失し、本より停留すべからざるに停留せば、あの国家は土地を増広し年成は豊熟す。
《荊州占》曰:“人君、宰相、大臣,治宮室,為臺榭,內淫溢,夫婦無別,淫女用事,褻群神而簡宗廟;則填星逆行,變色,殃至地動;無救,則枉矢出,民疫飢。女主淫溢者,填星逆行入陰;外淫溢者,逆行入陽;逆行入陰,旱;入陽、水;逆行十五度以上,女主坐亡之。填星逆行不執,為殃、為賊。填星盈出,其色蒼白,喪。王者德重,填星居之;女主德薄,填星離宿;一曰當居不居,其國以水亡。填星應居之而去,其分饑荒,流滿四方;若居之而不安,不可興土功,不可舉大眾。
《荊州占》にいう、君主・宰相・大臣が大いに宮室を興し台榭を営造し、宮内に淫佚が過度にして男女・夫妻の間に分別を守らず淫邪の女子が権を当て事を用い、衆神を褻慢して宗廟を怠慢せば、填星はすなわち逆行・変色し殃咎は地震に発展す。もし補救を加えざれば、すなわち「枉矢」(形は箭矢の飛行するがごとき流星)の射出ありて、百姓は瘟疫と飢饉を遭受す。もし是れ後宮の主の淫佚なれば、填星はすなわち逆行して陰道(黄道の北)に入り、もし是れ外朝の淫佚なれば、すなわち逆行して陽道(黄道の南)に入る。逆行して陰道に入れば、旱を主り、陽道に入れば、水を主る。逆行が十五度以上なれば、後宮の主はまさにこれに因って罪を獲りて亡ぶべし。填星が逆行して常軌を守らざれば、殃禍を主り賊乱を主る。填星の行度が超前して出で、星色が蒼白なれば、喪事を主る。君王の徳行が厚重なれば、填星はすなわちその分野に安居し、後宮の主の徳行が淺薄なれば、填星はすなわち本宿を離れる。もう一説には、填星が該に停留すべくして停留せざれば、あの国家は水患に因って亡びんとす。填星が本より停留すべきにしかし離れ去れば、あの分野は飢饉に遭遇し流民は四方に散布し、もしそれが停留して定まるもしかし安定せざれば、すなわち土木を興すべからず大規模に民衆を征発すべからず。
填星亂行,王者無德,女主不仁,淫放外遊,出入無度;此惡之所致,人君修德以禳之,則可無咎。填星行舍,居其南、居其北;若去之疾,其分不可用兵,必受殃;若居之而去,更反守之,分增地。填星離宿一丈,之陽,女主不用事;去宿一丈,之陰,女主死。填星行順道,陰陽和;若不順道,去舍南北若一丈,女主不治;一曰王者不立后。
填星の運行が錯乱するは、是れ君王の徳を欠き後宮の主が仁ならず淫縦・放荡して外出して游乐し出入に節度なきに因る、これは悪行の招来する所で、君主が徳行を修養してこれを禳除せば、すなわち禍患を遭わざるべし。填星が或る宿に行き至りて、或いは宿の南に偏居し或いは宿の北に偏居し、もしそれが離れ去ること甚だ急なれば、あの分野は兵を用うべからず、兵を用いれば必ず禍殃を受け、もしそれが離れ去るの後にまた折り返って来て此の宿を守れば、あの分野は土地を増広す。填星が本宿を離れて一丈、陽道(南の辺)に偏向すれば、後宮の主は権を当てるを得ず、本宿を離れて一丈、陰道(北の辺)に偏向すれば、後宮の主は死亡す。填星が正道に順って運行すれば、陰陽の気は調和し、もし正道に順わざれば、本宿の南北に偏離すること約一丈なれば、後宮の主は事を主る能わず、もう一説には君王が皇后を冊立せざるとする。
填星失次,上次二舍,大水出;上三舍,則天裂、地陷;逆一舍巳上,吏出,人民棄妻子,去其邑;星東行二舍,分失地;星若亂行,人主失土;無淫放,無出遊,無興宮室,則可以免。填星行失次,逆一舍至二舍,其國饑荒,人民流亡,去其鄉。填星主土,以填四方,其行於列客所干,年不入。填星出北方,宿中舉兵者不利;出東方,利用兵國強;出南方,宿下有兵者亡地;出西方,宿兵起。填星逆行入陰,內事逆;行入陽,外事逆。”
填星が応に至るべき宿次を失い、両宿を超前すれば、すなわち大水の泛濫あり、三宿を超前すれば、すなわち天の開裂・地の陥落あろう、一宿以上を逆行すれば、官吏は出走し百姓は妻児を抛ちて自己の城邑を離れ、填星が東に向かって両宿を行り過ぎれば、あの分野は土地を喪失し、填星もし運行が錯乱せば、君主は国土を喪失す。ただ淫縦・放荡せざること、外出して游乐せざること、大いに宮室を興せざることさえすれば、すなわち災禍を免るべし。填星が運行して次を失い、一宿より両宿に至るを逆行すれば、あの分野の国は飢饉し百姓は流亡して故郷を離れる。填星は土徳を主り、用いて四方を鎮填す、それが運行するときもし列宿と客星とに干犯されば、年成はすなわち收穫なし。填星が北方より出ずれば、あの一宿の分野の中にて兵を起こす一方は不利で、東方より出ずれば、兵を用うるに利ありてその国は強盛し、南方より出ずれば、あの一宿の下にて兵を起こす一方は土地を喪失し、西方より出ずれば、あの一宿の分野に兵事の興起あり。填星が逆行して陰道に入れば、宮内の事は悖乱し、行きて陽道に入れば、外朝の事は悖乱す。
填星昼見経天 六
甘氏曰:“填星晝見,臣謀君,女主憂,上相死。填星經天而逆行,天下更政,地大動。”巫咸曰:“填星不經天,經天更封。”《荊州占》曰:“填星起左角,逆行至軫,是經天;其下國當者亡地,戰不勝。”
甘氏はいう、填星が白昼に於て見え得れば、臣下の君主を図謀するを主り後宮の主に憂患ありて首輔の大臣は死亡す。填星が「経天」(白昼に見えて併せて天頂を横過し、古人は大異と視る)してまた逆行すれば、天下はまさに政権を改換せんとし、また大きな地震が発生せんとす。巫咸はいう、填星は常理に拠りては経天せざるなり、一旦経天せば、すなわち封国を改易せんとす。《荊州占》にいう、填星が左角より起こり逆行して軫宿に至るを、これをすなわち経天と呼び、それの下方に正対する所の分野の国は土地を喪失し作戦して勝を得能わず。
填星変異生足大小傍有小星 七
《龍魚河圖》曰:“夫填星主得土之慶,其星下為虛星之神。”巫咸曰:“填星下為杜嫗,止於空城。”(黃石公《三略》曰:初張良遇神老於路,則脫履,命良取之,良跪而進之,老曰:年少可教。與良三期,而後付三略焉,良受書,老告之曰:後穀城見有黃石,乃是吾也,遂號曰黃石焉,然則黃石填星之精,黃者填之色也,石者星之質也,填為土德,漢為火行,子以王事告其母也,神老杜嫗同,故備其說。)
《龍魚河図》にいう、填星は土地を得の喜慶を主掌し、この星が人間に降りて来ればすなわち虚星の神なり。巫咸はいう、填星が人間に降りて「杜嫗」と化し、空城の中に棲止す。(原書小注、黄石公《三略》に記載す、当初張良は路上にて一位の神異の老人に遇い、老人は故意に鞋を橋の下に脱落して張良に命じて取りに行かしめ、張良は跪きて奉還し、老人はいう、「若年の者は教え得べし」と。張良と三期を約して後、然る後に《三略》を彼に交付した。張良がこの書を受けるに、老人は彼に告げていう、後日に谷城に於て黄石を見る、あれはすなわち我なり。ここに於て号を黄石公と称す。これを看れば、黄石はすなわち填星の精気の化する所——黄とは、填星の顔色で、石とは、星体の質地である。填星は土徳に属し漢朝は火行に属し、火は土の子と為り、ゆえにこれを児子が王業の事を母親に稟告すると説く。神異の老人と「杜嫗」は同一回事なり、ゆえにこの一説を併せて此に備録す。)
《荊州占》曰:“填星失色生足,女主退,若被罪。”《黃帝占》曰:“填星大如狼星而黃,天下之兵雖會,其國不亡。填星始出大,而日愈小,所在國不利;始出小,而日愈大,所在國利。”巫咸曰:“填星大,人主將昌、地廣,民人惶惶;繫心而行,不憂其家,乃憂其王。”《易緯》曰:“土令廢,填消食於戊己以春月。”巫咸曰:“填星小,人主有憂;使之不然,無聽鼓鍾之音,民人有罪者釋之;如是,則止;不者,民多死,有土功,失地。”《荊州占》曰:“填星細微,女主失勢。”《黃帝占》曰:“填星旁有小星守填星,臣欲弒主,小星入填星中,事立決;小星去,臣利;填星往復小星,主得臣;見東方,東方有之;見西方,西方有之;見南方,南主有之;見北方,北方有之;皆以所在之宿名其國。”
《荊州占》にいう、填星が本色を失い下方に脚のごとき芒尾を生出せば、後宮の主は廃退されあるいは罪を獲る。《黄帝占》にいう、填星が大きさ天狼星のごとくにして顔色が黄を発すれば、天下の兵馬は会集すと雖も、あの分野の国もまた滅亡せざるべし。填星が剛に出現するとき形体が大きく、此の後に一日比べて小さきは、それが所在する国家は不利で、剛に出現するとき小さく、此の後に一日比べて大ききは、それが所在する国家は利あり。巫咸はいう、填星の形体が大に変ずれば、君主はまさに昌盛して疆土は広大にしてしかも百姓は惶惶として安からず、彼らは心思をみな国事に繫いで奔走し自家を憂うるに暇なきまでしてただ彼らの君王を憂うるのみ。《易緯》にいう、土徳の政令が廃弛すれば、填星はすなわち土に属する戊日・己日・春季の月份の裏にて虧損・隠没す。巫咸はいう、填星の形体が小に変ずれば、君主に憂患あり、それをこうあらしめざるを欲せば、すなわち鐘鼓の楽を聴賞せざること、百姓の中の罪ある人を赦放すること、こうすれば災禍はすなわち止息し、さもなければ、百姓の死亡多く土木の役を興起し土地を喪失す。《荊州占》にいう、填星が細小・微弱なれば、後宮の主は権勢を失う。《黄帝占》にいう、填星の傍らに小星あって填星を守れば、臣下の君を弑せんと欲するを主り、小星が填星の中に入れば、その事は立刻に決行し、小星が離れ去れば、臣下に対して利あり、填星が反って小星に靠近すれば、君主の臣下を收服するを主る。この種の天象が東方に於て見えれば、事は東方に応じ、西方に於て見えれば、事は西方に応じ、南方に於て見えれば、事は南方に応じ、北方に於て見えれば、事は北方に応ず——いずれも填星の所在する星宿に拠って応験する国家を指定す。
填星流動与列星斗 八
《離書》曰:“填星動溢,地侯之災;山崩裂。填星動盛,不吉,天下亂畔。”《元命包》曰:“填星動,則水決江,海破山,命曰:地侯躍天,雨絲絲;偽言咄咀,民作船;主急去,地吐泉,魚御勉。(宋均曰:一作龜、《晉陽秋》曰:孝武大元三年七月乙亥,填星搖,三年六月,大水。)《春秋緯》曰:“黃星動,海水浮,三公及左右謀。”《鉤命決》曰:“天水失信,則玄龜不見,填星大動。”石氏曰:“禮、德、義、刑、殺盡失,則填星為之動。填星動搖、離舍,使者交接道路。”《荊州占》曰:“填星動,女主有怒,若有怨。”郗萌曰:“填星變色逆行,相凌而斗,會客環守,其國無道。”《荊州占》曰:“填星與列舍斗,不出其年,分亡地、死將。”
《離書》にいう、填星が動揺して光を溢れ出すは、「地侯」(土星は地を主るがゆえに地侯と称す)の災で、山崩・地裂あろう。填星の動揺すること甚だしければ、不吉で天下にまさに叛乱あらんとす。《元命包》にいう、填星が動揺すれば、すなわち江水の決口・海水の山を破るあらん、その占辞を呼んでいう、地侯の星は天に躍動し細雨は絲々として下り、訛言は喧嚷して休まず百姓は忙しく船を造り、君主は急ぎて出走し地下は泉水を涌き出し魚類さえも自安し難し、と。(原書小注、宋均はいう、「魚」は一本に「亀」と作す。《晋陽秋》に記載す、晋孝武帝太元三年七月乙亥、填星が揺動し、第三年六月に大水が発生した。)《春秋緯》にいう、黄星(すなわち填星)が動揺すれば、海水は上漲して漂溢し三公と君主の左右の近臣に陰謀あり。《鉤命决》にいう、上天と水徳とが信守を失えば、玄亀はすなわち出現せず填星は大幅に動揺す。石氏はいう、礼・徳・義・刑・殺の五者が全て失当すれば、填星はすなわちこれに因って動揺す。填星が動揺・不定にして本宿を離れれば、道路の上にはまさに往来に奔走して命を伝える使者あらん。《荊州占》にいう、填星が動揺すれば、後宮の主に怒気ありあるいは心に怨恨を懐く。郗萌はいう、填星が色を変え逆行し別の星と互いに欺凌・争闘し、また客星と会同して環繞・守候すれば、あの国家の政治は無道なり。《荊州占》にいう、填星が所在の宿の列星と相斗えば、この一年を出ずしてあの分野は土地を喪失し将領を折損す。
填星穰気暈彗 九
《洛書》曰:“黃帝起,填星珥魚。”(氣如魚形,在填星旁。)《黃帝占》曰:“填星旁有雲如狗狀,有土功,期一月。”《孝經內記》曰:“填星生氣而為黃穰者,明日大溫,旦霧夕雨,見此者,不出五日,五穀賤,所見之國尤甚;不出三旬,中民多疾病,亦死。”《荊州占》曰:“填星出穰氣,長四丈。”(一曰雨土。)巫咸曰:“填星自暈,有土功,有喪。”郗萌曰:“填星出彗,所居下國,受兵亡地,不出一年。”
《洛書》にいう、黄帝が興起したとき、填星の傍らに魚形の珥気あり。(原書小注、あの種の雲気は形状が魚のごとくにして填星の傍らに出現した。)《黄帝占》にいう、填星の傍らに形状が狗のごとき雲気あれば、土木・工程ありを主り期限は一か月。《孝経内記》にいう、填星が雲気を生出して黄色の「穰気」(禳除の気)を呈せば、次日に天気は大いに暖かく早上は霧を起こし晩には雨を降し、この種の天象を見れば、五天を出ずして五穀の価は賤く、この象の現れたる分野の国はことさらに明顯で、三十天を出ずして境内の百姓は疾病を多く生じまたこれに因って死亡する者もあり。《荊州占》にいう、填星が穰気を発出すれば、長さは四丈に達す。(原書小注、もう一説には天上より塵土を落下すとする。)巫咸はいう、填星が自身より光暈を生出せば、土木・工程ありを主り喪事あり。郗萌はいう、填星が彗状の芒気を生出せば、それが臨する下方の国は、兵禍を遭受し土地を喪失し、一年を出ざらん。
開元占経 巻三十九
填星占 二
填星犯東方七宿
填星犯角 一
《黃帝占》曰:“填星犯左角,大戰。一曰軍死。”郗萌曰:“填星入角亢,去左角三尺若一尺,與角並出左角一寸,期丙丁日中,地動。”《春秋圖》曰:“填星逆行角中,王后有異喜。”郗萌曰:“填星逆行角,女主出入不時。”石氏曰:“填星在左角,失行至房,侯王皇帝,出入不時,王者有所誅。”《春秋圖》曰:“填星之角,天下有徙家,為二千石者。”《荊州占》曰:“填星起右角,之左角,尉理受執;填星乘右角,后族家若將相有坐法死者。”
《黄帝占》にいう、填星が角宿の左角星を侵犯せば、大戦あろう。もう一説には軍隊の覆没するとする。郗萌はいう、填星が角・亢の一帯に入りて、左角に距ること三尺あるいは一尺にして、また角星と併列して左角に露出すること一寸なれば、期限は丙日・丁日の正午に在りて地震が発生せんとす。《春秋図》にいう、填星が角宿の中にて逆行すれば、王后に非常の喜あり。郗萌はいう、填星が角宿にて逆行すれば、後宮の主の出入は時節に合わず。石氏はいう、填星が左角に在りて運行が度を失いて一直に房宿に行き至れば、侯王と皇帝の出入は時節を拠らず君王はまさに誅殺する所有らん。《春秋図》にいう、填星が角宿に臨めば、天下に家室を遷徙する人ありて、いずれも二千石の一級の高官なり。《荊州占》にいう、填星が右角より起こりて左角に行き向かえば、刑獄を掌る官吏は拘捕されるべく、填星が右角を凌乗すれば、后族の家あるいは将相の中に法に犯して死する人あり。
郗萌曰:“填星乘右角,為旱;乘左角,為水,為兵。填星留西角間,軍與國廷間邊境不通。填星逆乘凌左右角,其為日食,國有大變。填星出入天門中,兵在外罷。填星宿角不明者,女主少子。”《孝經緯》曰:“帝誠孝,填角並。”《黃帝占》曰:“填星出中道,天下太平;出陽道,旱;陰道、多雨。”陳卓曰:“填星出陰道,多陰謀。”《荊州占》曰:“填星出入留舍角,六十日不下,天下多暴獄;七十日不下,天下有急令;八十日不下,一國有急事。”
郗萌はいう、填星が右角を凌乗すれば、旱を主り、左角を凌乗すれば、水を主りまた兵事を主る。填星が角宿の西側の間に滞留すれば、軍中と朝廷の間・辺境の上の道路は阻絶して通ぜず。填星が逆行して左右の両角を凌犯せば、すなわち日食ありて国中に大きな変故あらん。填星が「天門」(左右両角の間の空隙)の中にて出入すれば、外に在る軍隊はまさに罷兵せんとす。填星が角宿に入宿して光色不明なれば、後宮の主は子嗣稀少なり。《孝経緯》にいう、帝王が誠心を尽くして孝なれば、填星はすなわち角宿と併行して相合す。《黄帝占》にいう、填星が黄道の中道を行けば、天下は太平し、陽道(南に偏する一側)を行けば、旱を主り、陰道(北に偏する一側)を行けば、雨多し。陳卓はいう、填星が陰道を行けば、陰謀多し。《荊州占》にいう、填星が角宿の一帯にて出没・停留・入宿して六十天離れざれば、天下は濫施の獄訟多く、七十天離れざれば、天下に緊急の詔令あり、八十天離れざれば、或る一国に緊急の事あり。
石氏曰:“填星守角,萬物不成。填星守左角,天門,多直人。填星守右角,天子好遊獵,國亡。填星守天門中,國弱,四夷侵。”甘氏曰:“填星守角星,后有喜。”巫咸曰:“填星守角,為水,為兵。”《海中占》曰:“填星守角,五穀多傷,人民流亡。填星守左角、右角,其色潤澤,即歲大熟;其逆行,從一宿得二宿,穀貴一倍;從二宿得三宿,三倍;其還立賤。填星左右角,其色黃,小旱,民小厲;其逆行,即旱;其退,立雨。”
石氏はいう、填星が角宿を守れば、万物は成熟できず。填星が左角と天門を守れば、世上に正直の人多し。填星が右角を守れば、天子は游猎を貪好し国家はまさに亡びんとす。填星が天門の中に守れば、国勢は衰弱し四方の夷狄は来て侵す。甘氏はいう、填星が角宿の諸星を守れば、皇后に喜あり。巫咸はいう、填星が角宿を守れば、水を主りまた兵事を主る。《海中占》にいう、填星が角宿を守れば、五穀は多く損傷を受け百姓は流散・逃亡す。填星が左角・右角を守りて星色潤沢なれば、この一年はすなわち大豊収し、もしそれが逆行して一宿より両宿に退れば、穀価は一倍に上漲し、両宿より三宿に退れば、三倍に上漲し、それが順行に回復するを待ちて、穀価は立刻に下跌す。填星が左右角に在りて星色が黄を発すれば、小旱ありて百姓に小さな疫病あり、もしそれが逆行せば、すなわち旱あり、それが退行し終るを待ちて、立刻に雨を降す。
郗萌曰:“填星守角,將有憂;一曰有土功之事。填星守左角,更政令;填星守角,為中兵大臣也。”《玉曆》曰:“填星守角,天子微弱,賢人為輔臣。”郗萌曰:“填星出角若守角,兵起西方。”甘氏曰:“填星犯守角,強臣不伏,若更政令。”郗萌曰:“填星守犯凌右角,為有禍咎。”
郗萌はいう、填星が角宿を守れば、将帥に憂患あり、もう一説には土木・工程の事ありとする。填星が左角を守れば、まさに政令を更改せんとし、填星が角宿を守れば、京師の内部にて兵を動かすを主り事は大臣の身に応ず。《玉暦》にいう、填星が角宿を守れば、天子の勢力は微弱にして賢人によりて輔政の臣に出任せしめらる。郗萌はいう、填星が角宿より出でるかあるいは角宿を守れば、兵事は西方より興起す。甘氏はいう、填星が侵犯して併せて角宿を守れば、強横の臣子は肯んじて服従せず、あるいはまさに政令を更改せんとす。郗萌はいう、填星が守候・侵犯して併せて右角を凌迫すれば、禍患・咎殃ありを主る。
填星犯亢 二
郗萌曰:“填星犯亢,廷臣為亂,諸侯當有失國者。”石氏曰:“填星數入亢,其國疾疫。”甘氏曰:“填星逆行亢,女主治政;一曰徙倚亢前後,女主非其人,若賤人女暴貴。”郗萌曰:“填星逆行亢,女主干朝事。”《荊州占》曰:“填星倚亢前後,春夏為水,秋冬為水。”《春秋圖》曰:“填星之亢,天下有大喪。”
郗萌はいう、填星が亢宿を侵犯せば、朝廷の臣は乱を作し諸侯の中に封国を丢失する人あろう。石氏はいう、填星が屢々亢宿に入れば、あの分野の国は疫病を流行す。甘氏はいう、填星が亢宿にて逆行すれば、後宮の主は朝政を執掌し、もう一説にはそれが亢宿の前後にて徘徊・移動すれば、後宮の主は合適の人選にあらずあるいは出身の低賤の女子が驟然に顕貴するを主るとす。郗萌はいう、填星が亢宿にて逆行すれば、後宮の主は朝廷の事を干預す。《荊州占》にいう、填星が亢宿の前後に倚れば、春夏の時は水患を主り秋冬の時もまた水患を主る。《春秋図》にいう、填星が亢宿に臨めば、天下に大喪事あり。
郗萌曰:“填星合亢,為歲小有水。填星乘滅亢右星,為大人憂。為天下有奇令。填星出入留舍亢,其國以歲致天下,一曰有失地之君,天下憂。”齊伯曰:“填星出入留舍亢,其國有兵起,果實大賤,賤人之女暴貴。”《春秋圖》曰:“填星守亢,去一尺若七尺,四夷附中國。”
郗萌はいう、填星が亢宿と相合すれば、この一年はやや水患あり。填星が凌乗して併せて亢宿の右側の星を掩滅せば、大人物に憂いありを主り天下はまさに異常の政令を現出せんとす。填星が亢宿の一帯にて出没・停留・入宿すれば、あの分野の国は年成の豊収を倚って天下の人心を招徠し、もう一説には土地を丢失する君主ありて天下はみな憂患ありとす。斉伯はいう、填星が亢宿の一帯にて出没・停留・入宿すれば、あの国家に兵事の興起ありて果実の価は賤く、出身の低賤の女子は驟然に顕貴す。《春秋図》にいう、填星が亢宿を守りて相距ること一尺あるいは七尺なれば、四方の夷狄は中原に帰附す。
石氏曰:“填星守亢,五穀傷,民流亡。填星守亢,四海且安居,貴禮義。填星守亢,色青有兵,黃有土功,白義,黑客事。”甘氏曰:“填星守亢,旱,有土功,天下必有得地之君,其國以歲致天下。”巫咸曰:“填星守亢,為土功;又曰旱,傷在南方,萬物不成,多火災,民疾疫,有中兵。”《海中占》曰:“填星守亢北,水在北方。”
石氏はいう、填星が亢宿を守れば、五穀は損を受け百姓は流亡す。填星が亢宿を守れば、四海はまさに安居するを得べく世風は礼義を崇尚す。填星が亢宿を守りて、星色が青を発すれば兵事あり、黄を発すれば土木・工程あり、白を発すれば義を興す事を主り、黒を発すれば客兵の来犯する事を主る。甘氏はいう、填星が亢宿を守れば、旱を主り土木・工程ありて天下に必ず土地を獲得する君主ありて、あの国家は年成の豊収を倚って天下の人心を招徠す。巫咸はいう、填星が亢宿を守れば、土木・工程を主り、またいう旱を主りて損傷は南方に発生し万物は成熟できず火災多く百姓は疫病を流行し京師の内部に兵事あり。《海中占》にいう、填星が亢宿の北面に守れば、水患は北方に発生す。
郗萌曰:“填星守亢,人民田宅賤;一曰人民大亡,五穀以水傷敗。填星守亢,為焦,旱不生草;一曰多蟲蝗。”《黃帝占》曰:“填星逆行守亢,為中兵。”《聖洽符》曰:“填星入守亢,為民多疫,物不成,五穀傷,民流亡。”郗萌曰:“填星乘亢右星,為水;乘左星,為大兵,穀貴。填星乘若守亢右星,為水,若糴大貴;乘左星,為兵。”《海中占》曰:“填星守若舍亢,為五穀頗不成。”甘氏曰:“填星犯守亢,逆行不順,失明,其邑大政不用。”
郗萌はいう、填星が亢宿を守れば、百姓の田地・房産の価は賤し、もう一説には百姓が大量に流亡し五穀は水災に因って毁壊するとす。填星が亢宿を守れば、焦枯の象を主り天は旱して草を長せず、もう一説には虫災・蝗災多しとす。《黄帝占》にいう、填星が逆行して亢宿を守れば、京師の内部にて兵を動かすを主る。《聖洽符》にいう、填星が入って併せて亢宿を守れば、百姓は疫病多く作物は成らず五穀は損を受け百姓は流亡す。郗萌はいう、填星が亢宿の右側の星を凌乗すれば、水を主り、左側の星を凌乗すれば、大規模の兵事を主り穀価は上漲す。填星が亢宿の右星を凌乗しあるいは守れば、水を主りあるいは米を買う価銭は大いに騰り、左星を凌乗すれば、兵事を主る。《海中占》にいう、填星が亢宿を守住しあるいは入宿せば、五穀は頗る熟さざるあり。甘氏はいう、填星が侵犯して併せて亢宿を守りて逆行して常軌に循わず光色は晦暗なれば、あの城邑の大政・方針は採用されざるべし。
填星犯氐 三
《荊州占》曰:“填星犯氐左星,左中郎將誅死,犯右星,右中郎將誅死,期三年。”陳卓曰:“填星入氐中,期三十日,彗星出王邑,西南指。”郗萌曰:“填星逆行氐,女主不居宮。”《春秋圖》曰:“填星入氐,果實大賤,賤人女暴貴。”
《荊州占》にいう、填星が氐宿の左側の星を侵犯せば、左中郎将は誅殺され、右側の星を侵犯せば、右中郎将は誅殺され、期限は三年。陳卓はいう、填星が氐宿の中に入れば、期限は三十天で彗星ありて王都の上空に出現して彗尾は西南を指向せんとす。郗萌はいう、填星が氐宿にて逆行すれば、後宮の主は宮中に安居できず。《春秋図》にいう、填星が氐宿に入れば、果実の価は賤く出身の低賤の女子は驟然に顕貴す。
郗萌曰:“填星徙倚前後於氐,女主非其人。填星乘氐之右星,天下有大水;乘氐之左星,天子自將兵於野。填星出入留舍氐,天下用兵,期不出四年,更立侯王。填星出入留舍氐,必有亡地者。”《黃帝占》曰:“填星守氐,皇后有拜賀太子;一曰賤人女有暴貴者,若有土功之事。黃星守氐,有赦令。”
郗萌はいう、填星が氐宿の前後にて徘徊・移動すれば、後宮の主は合適の人選にあらず。填星が氐宿の右側の星を凌乗すれば、天下に大水あり、氐宿の左側の星を凌乗すれば、天子はまさに親ら兵を領して野外に出征せんとす。填星が氐宿の一帯にて出没・停留・入宿すれば、天下は兵を動かし期限は四年を出ずして侯王を改立せんとす。填星が氐宿の一帯にて出没・停留・入宿すれば、必ず土地を喪失する人あり。《黄帝占》にいう、填星が氐宿を守れば、皇后はまさに太子を冊立して賀を受くる事あらん、もう一説には出身の低賤の女子の中に驟然に顕貴する者ありあるいは土木・工程の事ありとす。黄星(すなわち填星)が氐宿を守れば、赦令を頒下せんとす。
石氏曰:“填星守氐,有德令。填星守氐,即歲安;色赤,有分土裂地之君,四夷不服,天下大疫。填星守氐,國有大賢。填星守氐,有土功之事。填星守氐,田宅大貴;一曰有赦。”甘氏曰:“填星守大星,皇后有賀。”郗萌曰:“填星守氐,太子有智慧,九州清。填星守氐,天下必有亡國,死王。”
石氏はいう、填星が氐宿を守れば、恩を施す政令を頒下せんとす。填星が氐宿を守れば、この一年はすなわち安定し、もし星色が赤を発すれば、すなわち地を割り土を裂く諸侯ありて四方の夷狄は服せず天下は大疫す。填星が氐宿を守れば、国中に大賢の人出現す。填星が氐宿を守れば、土木・工程の事あり。填星が氐宿を守れば、田地・房産の価格は大いに騰り、もう一説には赦令ありとす。甘氏はいう、填星が氐宿の大星を守れば、皇后に喜慶・受賀の事あり。郗萌はいう、填星が氐宿を守れば、太子は聡慧にして九州は清平す。填星が氐宿を守れば、天下に必ず滅亡の国家・死去の君王あり。
《荊州占》曰:“填星守氐,為后夫人憂,謂東行反還,去氐兩星二尺,期百二十日;去兩星尺,期六十日;與兩星齊,期二十日;以赦解之。”《荊州占》曰:“填星守氐,奸臣有謀。”《二十八宿山經注》曰:“填星色青,守氐四十日,鄭國王死,更立人君。”《海中占》曰:“填星入守氐,必有亡城者;天下用兵,期不出三年,更立侯王;八十日不下,野有萬人之眾。”
《荊州占》にいう、填星が氐宿を守れば、皇后・夫人に憂いありを主り、指すはそれが東行しの後にまた折り返って来るこの種の情形——氐宿の両星に距ること二尺なれば期限は百二十天、両星に距ること一尺なれば期限は六十天、両星と併斉すれば期限は二十天、赦令を以て化解すべし。《荊州占》にまたいう、填星が氐宿を守れば、奸臣は暗中に謀あり。《二十八宿山経注》にいう、填星の色が青にして氐宿を守ること四十天なれば、鄭国の君王は死去し新君を另立す。《海中占》にいう、填星が入って併せて氐宿を守れば、必ず失守の城邑ありて、天下は兵を動かし期限は三年を出ずして侯王を改立せんとし、八十天離れざれば、野外はまさに万人に上る軍衆を聚集せんとす。
填星犯房 四
石氏曰:“填星犯房,天下相誅。”《荊州占》曰:“填星犯房右服,為秦魏;左服,為楚;右驂,為齊;左參,為趙。”郗萌曰:“填星犯房,成勾已,為后夫人喪。填星入房三道,為天子有子。填星入房十日,成勾已者,天子惡之,以赦解之。”《聖洽符》曰:“填星逆行房,成勾已,女主自恣若淫泆。”石氏曰:“填星到房心,皆正不失儀,失儀則為變。填星在右角,失行至房,侯王、皇帝,出入不時,王者有所誅。”《春秋圖》曰:“填星之房,倉穀豐。”《援神契》曰:“填星舍房,符命道興。”
石氏はいう、填星が房宿を侵犯せば、天下は互いに誅戮す。《荊州占》にいう、填星が房宿の右服星を侵犯せば、事は秦・魏に応じ、左服星を侵犯せば、事は楚に応じ、右驂星を侵犯せば、事は斉に応じ、左驂星を侵犯せば、事は趙に応ず(房宿四星は車を駕する四匹馬のごとく、内に居る両星は服・外に居る両星は驂と為す)。郗萌はいう、填星が房宿を侵犯して星迹が屈曲して「勾巳」の形を成せば(先ず順行し後に停留し再び逆行して軌迹は一つの巳字のごとし)、皇后・夫人に喪ありを主る。填星が房宿の三条の通道に入れば、天子が子を生ずるを主る。填星が房宿に入って十天にして勾巳の形を形成せば、天子はこの種の天象を悪み、赦令を以て化解すべし。《聖洽符》にいう、填星が房宿にて逆行して勾巳の形を形成せば、後宮の主は放縦・自恣するかあるいは淫佚す。石氏はいう、填星が房宿・心宿に行き至れば、いずれも端正にして常儀を失わざるべく、常儀を失えばすなわち変異なり。填星が右角に在りて運行が度を失いて一直に房宿に行き至れば、侯王・皇帝の出入は時節を拠らず君王はまさに誅殺する所有らん。《春秋図》にいう、填星が房宿に臨めば、倉中の穀物は豊足す。《援神契》にいう、填星が房宿に入宿せば、符命の説と道術は興起す。
石氏曰:“填星舍房,更起土功,宮室數移,多殃禍。填星守房左,二國交易;守房右,世多鰥寡人。守房左右,去復還,庶子乘國。應去而守房,其國有殃。”甘氏曰:“填星守房,國有女主喜。”巫咸曰:“填星守房,有獻馬者;若有土功事,起宮室者。填星守房,貴人多死者。填星守房,地動,多旱,民疾疫;一曰民多疾。”《海中占》曰:“填星守房,為土功。”
石氏はいう、填星が房宿に入宿せば、重新して土木・工程を興起し宮室は屢々遷移して禍殃多し。填星が房宿の左側を守れば、両国の間は互市・交易し、房宿の右側を守れば、世上に鰥夫・寡婦多し。房宿の左右を守りて離れ去るの後にまた折り返って来れば、庶出の子はまさに国政の上に凌駕せんとす。本より離れ去るべきにしてなお房宿を守れば、あの国家に禍殃あり。甘氏はいう、填星が房宿を守れば、国中の後宮の主に喜あり。巫咸はいう、填星が房宿を守れば、人に馬匹を進献する者あり、あるいは土木・工程ありて宮室を興建す。填星が房宿を守れば、貴人は死亡多し。填星が房宿を守れば、地震あろう旱多く百姓は疫病を流行し、もう一説には百姓は疾病を多く生ずとす。《海中占》にいう、填星が房宿を守れば、土木・工程を主る。
郗萌曰:“填星守房,大赦,其國有兵;一曰主無下堂;又為天下諸侯相謀慮,道不通;又為敵兵發,一雲南為旱,北為水,並在宋地。”填星守房,為大飢,人相食,死者不葬。”《荊州占》曰:“填星守房,有反逆,臣大人喪,天下易主。”(《宋書天文志》曰:晉光熙元年九月巳亥、填星守房,心,占曰:土守房,多禍喪,守心,國內亂,天下赦,是時司馬越專權,十一月,惠帝崩、懷帝即位,大赦天下。)
郗萌はいう、填星が房宿を守れば、まさに大赦あらんとしてあの国家に兵事あり、もう一説には君主は宜しく殿堂を歩み下るべからずとし、また天下の諸侯が彼此に猜忌・謀算して道路は阻隔して通ぜぬを主り、また敵兵の発動を主る。別に一説あり——填星が南に偏すれば旱を主り北に偏すれば水を主り、いずれも宋国の分野に応ず。填星が房宿を守れば、大飢饉を主り人は人を食い死者は埋葬する人なし。《荊州占》にいう、填星が房宿を守れば、叛逆の事ありて臣子と大人物は喪に遭い天下は君主を更換す。(原書小注、《宋書・天文志》に記載す、晋恵帝光熙元年九月己亥、填星が房宿・心宿を守り、占辞にいう、土星が房を守れば、禍事・喪事多く、心を守れば、国内は動乱し天下は大赦す。当時司馬越は朝権を専擅し、十一月に恵帝は去世して懐帝が即位し天下を大赦した。)
《黃帝占》曰:“填星行房南,若守之,為大旱;行房北,犯守之,為大水。”郗萌曰:“填星逆行守房,女主出入自恣;一曰女主干政。”《荊州占》曰:“填星入房,留居之,有失國君;進而守之,其國有兵;退而守之,其國有慶。填星中犯凌房,國君憂;色青,憂喪;色赤,憂兵,積尸成山;色黑,有將相誅;色白,有芒角,大哭。”《海中占》曰:“填星入房,若犯之,有失地君,其國有兵,若女主憂。”
《黄帝占》にいう、填星が房宿の南を行くかあるいはそこに守れば、大旱を主り、房宿の北を行きて侵犯して併せてそこに守れば、大水を主る。郗萌はいう、填星が逆行して房宿を守れば、後宮の主の出入は放縦・自恣し、もう一説には後宮の主が朝政を干預すとす。《荊州占》にいう、填星が房宿に入って併せて停留・居止せば、国家を丢失する君主あろう、前進してそれを守れば、あの国家に兵事あり、後退してそれを守れば、あの国家に喜慶あり。填星が正中より侵犯・凌迫して房宿すれば、国君に憂いあり、星色が青を発すれば憂いは喪事に在り、星色が赤を発すれば憂いは兵事に在りて屍体は山のごとく堆積し、星色が黒を発すれば将相の誅せられる者あり、星色が白を発して併せて芒角を生出せば、大哭の事あろう。《海中占》にいう、填星が房宿に入るかあるいは房宿を侵犯せば、土地を喪失する君主ありてあの国家に兵事ありあるいは後宮の主に憂いあり。
郗萌曰:“填星中犯乘守房左驂,若左服,皆為其君死,所中將誅。填星中犯乘守右驂,若右服,皆為大人死;所中相誅。”陳卓曰:“填星中犯乘守房南二星,君死;北二星,大人死。”郗萌曰:“填星留逆犯守乘房左右驂,主崩,臣有陰謀,逆行,乘凌中道,太子失位而亡;順行,乘凌中道,天下和平。”韓楊曰:“填星犯鉤鈐,王者憂。”郗萌曰:“填星犯乘鉤鈐,大臣有謀,天子不尊事天者,致火災於宗廟;王者不宜出宮下殿,有謀匿於廟中者。”《黃帝占》曰:“填星守鉤鈐,王者失天下。”
郗萌はいう、填星が正中より侵犯・凌乗して併せて房宿の左驂星あるいは左服星を守住せば、いずれもあの国家の君主の死亡を主り衝犯せし所に対応する将領はまさに誅殺さるべし。填星が正中より侵犯・凌乗して併せて右驂星あるいは右服星を守住せば、いずれも大人物の死亡を主り衝犯せし所に対応する丞相はまさに誅殺さるべし。陳卓はいう、填星が正中より侵犯・凌乗して併せて房宿の南辺の両星を守住せば、国君は死し、北辺の両星を守れば、大人物は死す。郗萌はいう、填星が停留・逆行・侵犯・守候・凌乗して房宿の左右の驂星すれば、君主の駕崩を主り臣下は暗に陰謀あり、もし逆行して房宿の中道を凌迫せば、太子は位を失いて亡び、もし順行して中道を凌迫せば、天下は和平す。韓楊はいう、填星が鉤鈐(房宿の附座の星)を侵犯せば、君王に憂いあり。郗萌はいう、填星が侵犯・凌乗して鉤鈐すれば、大臣は暗中に謀あり、天子が能く上天を敬事せざれば、すなわち宗廟の火災を招致し、君王は宜しく宮を出で殿を下るべからず、人が宗廟の中に陰謀を蔵匿せるなり。《黄帝占》にいう、填星が鉤鈐を守れば、君王はまさに天下を失わんとす。
填星犯心 五
《海中占》曰:“填星犯天王,王者絕嗣;犯太子,太子不得代;犯庶子,庶子不利。”郗萌曰:“填星入心,大臣有喜。填星逆行心,女主怨望;一曰女主干政。”《黃帝占》曰:“填星至房心,皆正不失其道,天下和平;軌道失繩,災變。填星經心,清明列照,天下內奉明王,帝必延年。填星之心,主贊明,其國安泰,人主有增地,天下太平,太子有慶。”郗萌曰:“填星在心,多雨澤,歲熟。”巫咸曰:“填星在心,主人親賢。”石氏曰:“填星乘心,其國相死。”《黃帝占》曰:“填星居心,人主任賢。”
《海中占》にいう、填星が心宿の「天王」星を侵犯せば(心宿の中央の大星で天子を象徴す)、君王は後嗣を断絶し、太子星(心宿の前星)を侵犯せば、太子は継位できず、庶子星(心宿の後星)を侵犯せば、庶子は不利なり。郗萌はいう、填星が心宿に入れば、大臣に喜あり。填星が心宿にて逆行すれば、後宮の主は心に怨恨を懐き、もう一説には後宮の主が朝政を干預すとす。《黄帝占》にいう、填星が房宿・心宿に行き至れば、いずれも端正にして常道を失わず天下は和平し、もし軌道が準縄に偏離せば、すなわち災変あり。填星が心宿を経過して清朗・明亮にして光照は四布せば、天下はみな内心より聖明の君王を尊奉し帝王は必ず延年を得。填星が心宿に臨めば、聖明を輔賛するを主りあの国家は安泰にして君主は土地を増広し天下は太平し太子に喜慶あり。郗萌はいう、填星が心宿に在れば、雨水多く滋潤して年成は豊熟す。巫咸はいう、填星が心宿に在れば、君主は賢人を親近す。石氏はいう、填星が心宿を凌乗すれば、あの国家の丞相は死亡す。《黄帝占》にいう、填星が心宿に居れば、君主は賢才を任用す。
《聖洽符》曰:“填星犯乘凌心,為內亂,臣欲弒主,有失地君;近期十月,中期一年,遠期二年。”《荊州占》曰:“填星犯乘心,大人凶;近期三年,遠期九年。”郗萌曰:“填星中犯乘凌心,天下大赦。”石氏曰:“填星中犯乘凌太子位,太子憂;少子位,少子憂。填星犯食心左星,為天子因后有憂。”《海中占》曰:“填星出入留舍心,二十日不下,且有急令;三十日不下,有名人死者;四十日不下,其國大空,民亡,去其室堂。”
《聖洽符》にいう、填星が侵犯・凌乗・逼迫して心宿すれば、国内の動乱を主り臣下は君を弑せんと欲し土地を喪失する君主あり、最近の期限は十か月、中等の期限は一年、最遠の期限は二年。《荊州占》にいう、填星が侵犯・凌乗して心宿せば、大人物に凶あり、近い期限は三年、遠い期限は九年。郗萌はいう、填星が正中より侵犯・凌乗・逼迫して心宿せば、天下はまさに大赦あらんとす。石氏はいう、填星が正中より侵犯・凌乗して太子星の位次すれば、太子に憂いあり、少子星の位次を侵犯せば、少子に憂いあり。填星が侵犯して併せて心宿の左辺の星を掩食せば、天子が皇后に因って憂患あるを主る。《海中占》にいう、填星が心宿の一帯にて出没・停留・入宿して二十天離れざれば、まさに緊急の詔令あらんとし、三十天離れざれば、名望ある人は死去し、四十天離れざれば、あの国家は大いに空虚にして百姓は逃亡して自己の房舍を離れる。
《感精符》曰:“填星守心,為旱,若有火災。”石氏曰:“填星守心,萬物不成;一曰義士多烈節、庸夫立義。填星守心,色黃無故,青黑旱飢死。”甘氏曰:“填星守心,聖主天下太平,若天子有慶。”巫咸曰:“填星守心,其國內亂,若有土功事;一曰民多疾病;又云有火。”郗萌曰:“填星守心,國安;大人有喜,增地;一雲太子反。”陳卓曰:“填星守心,太子、庶子凶;色光明,黃吉,有廢賜之事。”甘氏曰:“填星逆行守心,成勾巳,若環繞之,其國內亂,天子惡之;赦解之,期六月。”
《感精符》にいう、填星が心宿を守れば、旱を主りあるいは火災あり。石氏はいう、填星が心宿を守れば、万物は成熟できず、もう一説には義士は剛烈の節操多く平庸の人もまた起ちて義を行うとす。填星が心宿を守りて星色が黄を発すればすなわち平安・無事で、色が青・色が黒なればすなわち旱災・飢饉ありて死亡に致る。甘氏はいう、填星が心宿を守れば、聖明の君が位に在り天下は太平するを主り、あるいは天子に喜慶あり。巫咸はいう、填星が心宿を守れば、あの国家は内乱しあるいは土木・工程の事あり、もう一説には百姓は疾病を多く生じ、また一種の説には火災あろうとす。郗萌はいう、填星が心宿を守れば、国家は安定し大人物に喜ありて土地を増広し、別の一種の説には太子が反を謀るとす。陳卓はいう、填星が心宿を守れば、太子・庶子に凶あり、もし星色が光明にして黄色を呈せば吉と為して廃黜と賞賜の事あろう。甘氏はいう、填星が逆行して心宿を守りて勾巳の形を形成するかあるいは心宿を環繞して行けば、あの国家は内乱し天子はこの種の天象を悪み、赦令を以て化解すべく期限は六か月。
郗萌曰:“填星犯乘守心,明堂,為內亂;臣欲弒主,有亡國;近期十月,中期一年,遠期三年;又曰大臣當之。填星犯乘太子者,太子憂,不死則去;犯乘守明堂,大人憂,近期十月,遠三年。”郗萌曰:“填星犯乘守心右星,為庶子憂。”《東官候》曰:“填星犯乘心、明堂,萬民備火。”巫咸曰:“填星中犯乘守心,明堂,為戰不勝,將軍鬥死。”郗萌曰:“填星中犯乘守明堂,為旱,若備火。”石氏曰:“填星中犯守明堂,大臣當之;在陽為燕,在陰為越。”《海中占》曰:“填星留逆犯守乘凌心,王者宮內戰亂,臣下有謀易立天子,權在宗家得勢大臣。”
郗萌はいう、填星が侵犯・凌乗して併せて心宿すなわち「明堂」を守住せば(心宿三星はまた明堂と称す)、国内の動乱を主り臣下は君を弑せんと欲し国家の滅亡あり、近い期限は十か月、中等は一年、遠いは三年、またいう事は大臣の身に応ず。填星が侵犯・凌乗して太子星すれば、太子に憂いありて死せずともまた廃去さるべく、侵犯・凌乗して併せて明堂を守住せば、大人物に憂いありて近い期限は十か月・遠いは三年。郗萌にまたいう、填星が侵犯・凌乗して併せて心宿の右辺の星を守住せば、庶子に憂いありを主る。《東官候》にいう、填星が侵犯・凌乗して心宿・明堂すれば、万民は須らく火災を防備すべし。巫咸はいう、填星が正中より侵犯・凌乗して併せて心宿・明堂を守住せば、作戦して勝たぬを主り将軍は戦死す。郗萌はいう、填星が正中より侵犯・凌乗して併せて明堂を守住せば、旱を主りあるいは須らく火災を防備すべし。石氏はいう、填星が正中より侵犯して併せて明堂を守住せば、事は大臣の身に応じ、陽道に在れば燕地に応じ、陰道に在れば越地に応ず。《海中占》にいう、填星が停留・逆行・侵犯・守候・凌乗・逼迫して心宿せば、君王の宮内に戦乱が発生し臣下は別に天子を立てんと図謀し権柄は宗室の家と勢を得た大臣の手裏に落つ。
填星犯尾 六
《黃帝占》曰:“填星逆行入尾、箕,妾為女主;若星色黃,後宮有喜,若立后。”《渾儀》曰:“填星出入尾,必有大將出征,魚鹽大貴。填星與火入尾,縑布大貴,則將相人民去其城郭。填星宿尾,逆行而變色,女多進者。”郗萌曰:“填星出入留舍尾,魚鹽貴至六倍。”齊伯曰:“填星出入留舍尾,必有大將出者;而加於齊矣,其國無以持之。”石氏曰:“填星守尾,禽獸多暴百姓。填星守尾,若角動,更姓易政,天下不安其處。”
《黄帝占》にいう、填星が逆行して尾宿・箕宿に入れば、姫妾はまさに升って後宮の主と為らんとし、もし星色が黄を発すれば、後宮に喜慶ありあるいはまさに皇后を冊立せんとす。《渾儀》にいう、填星が尾宿に出没すれば、必ず大将の出征ありて魚と塩の価銭は大いに騰る。填星が熒惑(火星)と一同に尾宿に入れば、細絹と布匹の価銭は大いに騰り将相と百姓はみな自己の城郭を離れるべし。填星が尾宿に入宿して逆行してまた顔色を改変せば、宮に進献する女子は多し。郗萌はいう、填星が尾宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、魚・塩の価銭は貴しきこと六倍に至る。斉伯はいう、填星が尾宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、必ず大将の出征ありてしかも禍事は斉国の身に加わりあの国家は支撐する力なし。石氏はいう、填星が尾宿を守れば、禽獣は多く来て百姓を侵害す。填星が尾宿を守りてもし芒角が揺動せば、すなわち改朝换代して政令を変易し天下の人は本土に安居できず。
巫咸曰:“填星守尾,兵起。”《海中占》曰:“填星守尾,高田不得食;下田荒,人民飢。”郗萌曰:“填星守尾,大臣誅。”《玄冥占》曰:“填星守尾,後貴人有喜,若立后。”石氏曰:“填星犯尾,有兵起,國多盜賊;一曰天下旱,人民飢。”郗萌曰:“填星犯守尾,為夫人、女主、后妃惡之。填星留逆犯守乘陵尾,皇后有以珠玉簪珥惑天子者;巫讒大起,后相貴臣誅,宮人出走,兵起宮門。”
巫咸はいう、填星が尾宿を守れば、兵事は興起す。《海中占》にいう、填星が尾宿を守れば、高処の田地は顆粒の収なく、低処の田地は荒廃して百姓は飢餓す。郗萌はいう、填星が尾宿を守れば、大臣は誅殺さる。《玄冥占》にいう、填星が尾宿を守れば、皇后と貴人に喜ありあるいはまさに皇后を冊立せんとす。石氏はいう、填星が尾宿を侵犯せば、兵事の興起ありて国中に盗賊多し、もう一説には天下は大旱して百姓は飢饉すとす。郗萌はいう、填星が侵犯して併せて尾宿を守れば、夫人・後宮の主・后妃はみなこの種の天象を悪む。填星が停留・逆行・侵犯・守候・凌乗・逼迫して尾宿せば、皇后の中に珠玉の簪珥を以て天子を迷惑する人ありて、巫蠱・讒言は大いに起こり皇后・丞相と顕貴の大臣は誅殺され宮人は出逃し兵禍は宮門に発生す。
填星犯箕 七
《春秋緯》曰:“填星犯箕,若入宮中,天下大亂,兵大起。”郗萌曰:“填星犯箕,女主有憂;一曰為天下大赦;又曰大亂。”巫咸曰:“填星入箕中,伺其出而數之,如期二十日,兵發,伺始入而處之率,一日期十日,軍罷。”《荊州占》曰:“填星入箕,盜大起,多鬥死者;歲不熟。”石氏曰:“填星入箕,天下大亂;其中有一星,民莫處其室養者;星在箕南,旱;在箕北,有風;在箕踵,歲熟,不者,不熟。”《百二十占》曰:“填星之箕,丘陵且發。”郗萌曰:“填星合箕,用事坐之。”石氏曰:“填星出箕,谷大貴,天下旱,飢死過半。”郗萌曰:“填星出入流舍箕,年多蟲蝗。”
《春秋緯》にいう、填星が箕宿を侵犯するかあるいは宮垣の中に入れば、天下は大いに乱れ兵事は大いに起こる。郗萌はいう、填星が箕宿を侵犯せば、後宮の主に憂いあり、もう一説には天下にまさに大赦あらんとし、また説には天下の大いに乱れるありとす。巫咸はいう、填星が箕宿の中に入れば、それが出る日を守候して天数を計算し、期に到ること二十天にして兵事は発動し、それが始めて進入した時より常率に拠って推算し、進入一日は十天の期限に折算し、期満すればすなわち軍隊は罷兵す。《荊州占》にいう、填星が箕宿に入れば、盗賊は大いに起こり打闘して致死する人多く、年成は熟さず。石氏はいう、填星が箕宿に入れば、天下は大いに乱れ、箕宿の中にもし別に一顆の星出現せば、百姓に誰か家に安んじて処りて親を奉養する能わざるなく、星が箕宿の南辺に在れば、旱を主り、箕宿の北辺に在れば、大風あり、箕踵(箕宿の底部)に在れば、年成は豊熟し、箕踵に在らざれば、すなわち熟さず。《百二十占》にいう、填星が箕宿に臨めば、丘陵はまさに崩裂して開発せんとす。郗萌はいう、填星が箕宿と相合せば、権を当て事を用うる人はまさにこれに因って罪を獲らんとす。石氏はいう、填星が箕宿より出でれば、穀価は大いに騰り天下は大旱して餓死する人は半ばを過ぐ。郗萌はいう、填星が箕宿の一帯にて出没・流転・入宿せば、この一年は虫災・蝗災多し。
石氏曰:“填星守箕,若角動、色黑,有土功;其色青,有兩軍相當,先起兵者敗,中起兵者昌,後起兵者亡。”巫咸曰:“填星守箕,有火災,兵起,五穀萬物不成。”《海中占》曰:“填星守箕,有大喪,有土功事。”郗萌曰:“填星守箕,人主有謀,二十日不下,兵大起,若有火災。”《東官候》曰;“填星出入箕,留守之,九十日,民入流亡,兵大起,期一年;多雨蟲,必有空國、死王;谷水至,小人專政矣。”《海中占》曰:“填星出入舍守箕,兵大起。”
石氏はいう、填星が箕宿を守りてもし芒角が揺動して星色が黒を発せば、土木・工程あり、もし星色が青を発せば、両軍の対峙あろう先に兵を動かす一方は失敗し中途にて兵を動かす一方は昌盛し最後に兵を動かす一方は滅亡す。巫咸はいう、填星が箕宿を守れば、火災ありて兵事は興起し五穀・万物は成熟できず。《海中占》にいう、填星が箕宿を守れば、大喪事ありて土木・工程の事あり。郗萌はいう、填星が箕宿を守れば、君主は暗中に謀劃ありて二十天離れざれば兵事は大いに起こるかあるいは火災あり。《東官候》にいう、填星が箕宿に出没して停留・守候してそこに在りて九十天に至れば、百姓は流亡し兵事は大いに起こり期限は一年で、雨水・虫害多く必ず空虚の国家・死去の君王ありて山谷の洪水は到来し小人は国政を専擅す。《海中占》にいう、填星が箕宿に出没・入宿・守候せば、兵事は大いに起こる。
開元占経 巻四十
填星占 三
填星犯北方七宿
填星犯南斗 一
石氏曰:“填星犯南斗,為大赦。”郗萌曰:“填星犯行入南斗,且失地;使之不然,無淫於樂,無見諸侯客,無出遊,如此即止。”又曰:“入庫以喪,起兵國中。填星入南斗,天下受爵祿,期六十日,若九十日。”陳卓曰:“填星出南斗,兵起四方,若西南。”郗萌曰:“填星逆行南斗,地動。(《宋書天文志》曰:晉孝懷永喜三年,填星久南斗,其年地動。)填星逆行南斗,女主賞賜不當。”
石氏はいう、填星が南斗を侵犯せば、大赦を主る。郗萌はいう、填星が侵犯して併せて南斗に行き入れば、まさに土地を喪失せんとし、それをこうあらしめざるを欲せば、すなわち享楽に沉溺せざること・諸侯・賓客を接見せざること・外出して游荡せざること、こうすれば災禍はすなわち止息す。またいう、填星が天庫に入れば(斗宿は天庫と為す)喪事を帯来して国中に兵禍を興起す。填星が南斗に入れば、天下の人は爵位・俸禄を受くるを得、期限は六十天あるいは九十天。陳卓はいう、填星が南斗より出でれば、四方は兵を興しあるいは事は西南方に応ず。郗萌はいう、填星が南斗にて逆行せば、地震あろう。(原書小注、《宋書・天文志》に記載す、晋懐帝永嘉三年、填星が長久に南斗に停り、あの年に地震が発生した。)填星が南斗にて逆行せば、後宮の主の賞賜は法度に合わず。
《黃帝占》曰:“填星守南斗,先水、後旱,若守之一旬,名水有溢者;不然,則有暴水出。”郗萌曰:“填星居南斗,河戍間道不通。”《北官候》曰:“填星處南斗,不用眾,有天下。填星與太白舍南斗,抵斗、若兩大宰相為亂。”郗萌曰:“填星出入留舍南斗之間,二十日不下,有大喪。”齊伯曰:“填星出入留舍南斗,二十日不下,有喜;三十日不下,民人無事;五十日不下,彗星出;六十日不下,民人憂;九十日不下,天下用兵。”
《黄帝占》にいう、填星が南斗を守れば、先ず水災あり後に旱災あり、もし守候して十天に満てば、すなわち著名の江河の泛濫・漫溢あろう、さもなければ、また暴発の洪水あろう。郗萌はいう、填星が南斗に居れば、河戍の一帯の道路は阻塞して通ぜず。《北官候》にいう、填星が南斗に処れば、大軍を動用するに及ばずして天下を擁有するを得べし。填星が太白(金星)と一同に南斗に入宿して直に斗宿に抵るかあるいは、すなわち两位の宰輔大臣の乱を作すを主る。郗萌はいう、填星が南斗の間にて出没・停留・入宿して二十天離れざれば、大喪事あろう。斉伯はいう、填星が南斗の一帯にて出没・停留・入宿して二十天離れざれば、喜慶あり、三十天離れざれば、百姓は平安・無事で、五十天離れざれば、彗星の出現あろう、六十天離れざれば、百姓に憂いあり、九十天離れざれば、天下は兵を動かす。
《春秋緯》曰:“填星守斗,王者封賞諸侯;若上官吏有受賜者。”石氏曰:“填星守斗,國多義士。”郗萌曰:“填星守南斗,地裂;一曰山崩,天子失制,天下大赦。”《荊州占》曰:“填星守斗,大臣逆奸民,賊子欲殺其主;又曰:在陽,田宅賤;在陰,田宅貴。”石氏曰:“填星逆行守斗,女主賞淫泆;一曰奸臣賊子欲謀君。”巫咸曰:“填星失次守斗,所守之國當誅。”《聖洽符》曰:“填星入鬥口而守之,人民有背主者,天下壅蔽。在陽,為天子;在陰,為諸侯;期不出一年。”郗萌曰:“填星不入南斗道,女主嫡子不代。”
《春秋緯》にいう、填星が斗宿を守れば、君王はまさに諸侯を封賞せんとし、あるいは上層の官吏が賞賜を受くるあり。石氏はいう、填星が斗宿を守れば、国中に義士多し。郗萌はいう、填星が南斗を守れば、地裂あろう、もう一説には山崩して天子は控馭の力を失い天下は大赦すとす。《荊州占》にいう、填星が斗宿を守れば、大臣は悖逆し奸民は患と為り賊子は君主を殺害せんと欲す、またいう、填星が陽道に在れば田地・房産の価は賤く、陰道に在れば田地・房産の価は貴し。石氏はいう、填星が逆行して斗宿を守れば、後宮の主は淫佚の人を賞賜し、もう一説には奸臣・賊子が君主を謀害せんと欲すとす。巫咸はいう、填星が正常の宿次を失いて斗宿を守れば、それが守する分野の国は該当に討伐・誅戮さるべし。《聖洽符》にいう、填星が斗口に入って併せてそこに守れば、百姓の中に君主を背棄する人ありて天下は閉塞して通ぜず。填星が陽道に在れば事は天子に応じ、陰道に在れば事は諸侯に応じ、期限は一年を出ず。郗萌はいう、填星が南斗の正道に循って行かざれば、後宮の主の生する所の嫡子は継位できず。
填星犯牽牛 二
郗萌曰:“填星入牽牛,為天下牛車有行;一曰有盜賊。”陳卓曰:“填星逆行牽牛,女主為奸、為賊。”《春秋圖》曰:“填星之牛,天下求皮革筋角。”郗萌曰:“填星乘牽牛,為天下有大水起;又為人相乘於道。填星出入留舍牽牛,有失地之君。”《春秋圖》曰:“填星守牛,二十日不下,大人有疾,牛馬多疫疾而死。”石氏曰:“填星守牽牛,諸侯多忠烈;一曰大赦,天下有急。守牛南,為天子;牛北,為吳。”
郗萌はいう、填星が牽牛に入れば、天下の牛車はみな奔走して出行せんとし、もう一説には盗賊ありとす。陳卓はいう、填星が牽牛にて逆行せば、後宮の主は奸を行い悪を作して害を為すこと賊のごとし。《春秋図》にいう、填星が牛宿に臨めば、天下は皮革・筋角の類の軍需の物を征求す。郗萌はいう、填星が牽牛を凌乗せば、天下はまさに大水の興起あらんとし、また人々が道路の上にて互いに践踏・欺凌するを主る。填星が牽牛の一帯にて出没・停留・入宿せば、土地を喪失する君主あり。《春秋図》にいう、填星が牛宿を守って二十天離れざれば、大人物は病を生じ牛馬は多く瘟疫に因って死す。石氏はいう、填星が牽牛を守れば、諸侯の中に忠烈の士多し、もう一説には大赦ありて天下に緊急の事ありとす。牛宿の南に守れば、事は天子に応じ、牛宿の北に守れば、事は呉地に応ず。
郗萌曰:“填星守牽牛,貴人憂。”《海中占》曰:“填星守牽牛,為牛多疾;一曰兵起凶,關東尤,雨雪,大人疾,民人疫。”郗萌曰:“填星守牽牛,為穀貴;又曰:山崩、地裂、冬雷,疾病;奸臣賊子謀弒其主,有急令;一曰湧水出。”陳卓曰:“填星守牛,鹽貴。”石氏曰:“填星犯守牛,有土功事。”甘氏曰:“填星犯牛,留守之,為破軍殺將。”
郗萌はいう、填星が牽牛を守れば、貴人に憂いあり。《海中占》にいう、填星が牽牛を守れば、牛が疾病を多く生ずるを主り、もう一説には兵事が興起して凶ありて関東地区はことさらに深重で天は雨雪を降し大人物は病を患い百姓は瘟疫を遭うとす。郗萌はいう、填星が牽牛を守れば、穀価の上漲を主り、またいう、山崩・地裂・冬に雷を打つあろう疾病を多く生じ、奸臣・賊子は君を弑せんと謀り緊急の詔令あり、もう一説には地下より大水を涌出すとす。陳卓はいう、填星が牛宿を守れば、塩価は上漲す。石氏はいう、填星が侵犯して併せて牛宿を守れば、土木・工程の事あり。甘氏はいう、填星が牛宿を侵犯してまた停留・守候してそこに在れば、軍隊の潰敗・将領の殺さるるを主る。
填星犯須女 三
《荊州占》曰:“填星入須女,天子有大喜。”陳卓曰:“填星逆行須女,主不親事。”《荊州占》曰:“填星犯乘須女,人民相惡,有女喪。”《荊州占》曰:“填星守須女,逆行色不明,女主不親桑。”齊伯曰:“填星出入留舍須女,其國得以強,且以武致天下;三十日不下,國有失地之君;五十日不下,且有亡王,走王;民人歸其故鄉。”
《荊州占》にいう、填星が須女に入れば、天子に大喜あり。陳卓はいう、填星が須女にて逆行せば、君主は政事を親理せず。《荊州占》にいう、填星が侵犯・凌乗して須女せば、百姓は互いに憎悪して女子の喪事あり。《荊州占》にいう、填星が須女を守りて逆行して星色不明なれば、後宮の主は采桑の礼を親行せず。斉伯はいう、填星が須女の一帯にて出没・停留・入宿せば、あの国家は強盛するを得てまさに武力を憑って天下に号令せんとし、三十天離れざれば国中に土地を喪失する君主あり、五十天離れざればまさに滅亡の君王・出逃の君王あらんとして、百姓は自己の故郷に回帰す。
《春秋緯》曰:“填星守須女,後宮有喜,賤女暴貴;若後官專政,女謁橫行。”石氏曰:“填星守須女,多姣女,朝臣幸。”巫咸曰:“填星守須女,世多姣好;一曰貴女與賤人交。”《海中占》曰:“填星守須女,陰山水出,廬宅壞,天下多土功事。”郗萌曰:“填星守須女,為大水且至。”陳卓曰:“填星逆行,留犯守凌須女,天子及大臣有變,必有奇政令。”
《春秋緯》にいう、填星が須女を守れば、後宮に喜慶ありて出身の低賤の女子は驟然に顕貴し、あるいは後宮が朝政を専擅して女子の請託・干求に倚る風は横行す。石氏はいう、填星が須女を守れば、世上に美貌の女子多く朝中の臣は寵幸を蒙受す。巫咸はいう、填星が須女を守れば、世上に姣好の女子多し、もう一説には顕貴の女子と低賤の人とが私通すとす。《海中占》にいう、填星が須女を守れば、陰山の一帯は洪水が暴発して房舍は毁壊し天下に土木・工程の事多し。郗萌はいう、填星が須女を守れば、大水のまさに来到せんとするを主る。陳卓はいう、填星が逆行してまた停留・侵犯・守候・凌迫して須女せば、天子と大臣に変故ありて必ず反常の政令あろう。
填星犯虚 四
巫咸曰:“填星入虛中,伺其出日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處率,一日軍罷。”郗萌曰:“填星入虛,有德令,大人憂,天下大虛,天下亂,政急。填星逆行虛、危,其時天下宗廟及諸侯血食有官者盡罷。”《荊州占》曰:“填星逆行虛,君臣不尊敬祭祀,女主不謹。”《春秋圖》曰:“填星之虛,有大憂。”郗萌曰:“填星舍天府門中央,赦。”“填星出入留舍虛中,且有急令行;木當至而至,有客兵,不過五日而去;當至不至,其國且用兵。”
巫咸はいう、填星が虚宿の中に入れば、それが出る日を守候して天数を計算し期限は二十天にして兵事の発動を主り、それが始めて進入した時より常率に拠って推算し、進入一日毎に一段の期限に折算し、期満すればすなわち軍隊は罷兵す。郗萌はいう、填星が虚宿に入れば、恩を施す政令を頒下せんとして大人物に憂いあり天下は大いに空虚にして天下は動乱し政令は苛急なり。填星が虚宿・危宿にて逆行せば、あの時天下の宗廟および諸侯の血食の祭祀を享受し職守ある祠官はみな罷廃されるべし。《荊州占》にいう、填星が虚宿にて逆行せば、君臣は祭祀を敬重せず後宮の主の行事は謹まず。《春秋図》にいう、填星が虚宿に臨めば、大きな憂患あり。郗萌はいう、填星が入宿して天府門の正中に在れば、赦令あろう。填星が虚宿の中にて出没・停留・入宿せば、まさに緊急の詔令を推行せんとして、歳星(木星)が本より到来すべきにして果たして到来せば、客兵の来犯ありて五天を過ぎずして退去す、本より到来すべきにしてしかし到らざれば、あの国家はまさに兵を動かさんとす。
《文曜鉤》曰:“填星守虛,土壅水,有土功事;若宮女有死亡之憂。”石氏曰:“填星守虛之中,水且為急進而守之,有客兵,斧鑕將用;一曰世俗遊讒,高談雅論。”巫咸曰:“填星守虛,宮人多有病虐死者;若水雨不時,天下大旱,多風,粟貴;一曰有兵災,為水災,萬物不成,谷敗。”《海中占》曰:“填星守虛,人民不安,多妖言。”郗萌曰:“填星守虛,大臣有欲危宗廟者。填星守天府,必有亡國、死主;又曰天下賜喜。”石氏曰:“填星逆行守虛,其君簡祭祠。”《海中占》曰:“填星入虛,犯守之,當有急令;星行疾而入,必有客兵,斧鑕用,不出其年。”
《文曜鉤》にいう、填星が虚宿を守れば、土は水道を壅塞して土木・工程の事あり、あるいは宮女に死亡の憂いあり。石氏はいう、填星が虚宿の中に守れば、水患はまさに急難を成さんとし、もしそれが進んで虚宿を守住せば、客兵の来犯ありて斧鑕の類の刑具はまさに動用せんとし、もう一説には世俗は游談・讒毀・高談・闊論を盛行すとす。巫咸はいう、填星が虚宿を守れば、宮人に瘧疾を得て死する者多し、あるいは雨水は時節に合わず天下は大旱して風多く粟価は上漲し、もう一説には兵災あり水災ありて万物は成らず穀物は敗壊すとす。《海中占》にいう、填星が虚宿を守れば、百姓は安寧を得ず妖妄の言多し。郗萌はいう、填星が虚宿を守れば、大臣の中に宗廟を危害せんと欲する人あり。填星が天府星を守れば、必ず滅亡の国家・死去の君主あり、またいう天下に賞賜の喜事ありとす。石氏はいう、填星が逆行して虚宿を守れば、あの位の国君は祭祀を怠慢す。《海中占》にいう、填星が虚宿に入って侵犯して併せてそれを守れば、該当に緊急の詔令あり、星の行くこと急速にして虚宿に入れば、必ず客兵の来犯ありて斧鑕・刑具は動用しこの一年を出ず。
填星犯危 五
《荊州占》曰:“填星入危,天下大亂,若賊臣死。”郗萌曰:“填星逆行危,女主事先有不謹;一曰齋戒不謹。”《春秋圖》曰:“填星之危,黍大熟,民有憂。”“填星出入留舍危,其國破亡矣;必有流血,國空虛,有死王,期二年;一曰中外有急;未當至而至,國有客兵,不出五日而去;當去而不去,其國且用兵。”《河圖》曰:“填星守危,去之一尺,皇后有憂;若貴女有死者。”《文曜鉤》曰:“填星守危,人民有憂。”
《荊州占》にいう、填星が危宿に入れば、天下は大いに乱れあるいは奸賊の臣は死刑に処せらる。郗萌はいう、填星が危宿にて逆行せば、後宮の主は此の前の行事に謹まざる処あり、もう一説には斎戒が謹まざるとす。《春秋図》にいう、填星が危宿に臨めば、黍子は大豊収するも百姓はしかし憂患あり。填星が危宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、あの国家はまさに破敗・滅亡せんとして必ず流血の事ありて国中は空虚にして君王の死去する者あり期限は二年、もう一説には朝廷の内外はみな急難ありとす。填星が該に危宿に到るべからざるにしかし到れば、国中に客兵の来犯ありて五天を出ずして退去し、該に離れ去るべくしてしかし離れ去らざれば、あの国家はまさに兵を動かさんとす。《河図》にいう、填星が危宿を守りて相距ること一尺なれば、皇后に憂いあり、あるいは顕貴の女子に死亡する者あり。《文曜鉤》にいう、填星が危宿を守れば、百姓に憂患あり。
石氏曰:“填星守犯,若角動,色黃黑,以與功構架屋事;一曰天下弋獵,事在天子。”《海中占》曰:“填星守犯,兵起南方;一曰野物入國庫,人君戮,有土功,為旱,五穀不實,民人不安寧,民流亡,且有疾。”郗萌曰:“填星守危,為大人蓋屋事;一曰民多兵。”《荊州占》曰:“填星守危,民多病癱疽者,小有兵。”郗萌曰:“填星逆行守危,其君簡祭祀。”甘氏曰:“填星犯守危,皇后憂疾,兵喪併發,國且有大戰;工匠大用。”《海中占》曰:“填星入危,留守之,其國破亡,有流血,將軍戰死,亡地五百里,必有徙王,期三年。”郗萌曰:“填星守墳墓,為人主有哭泣之聲。”
石氏はいう、填星が守候・侵犯して危宿せば、もし芒角が揺動して星色が黄黒なれば、すなわち工を興し梁を架け屋を蓋うべく、もう一説には天下は射猎に従事して事は天子の身に応ずとす。《海中占》にいう、填星が守候・侵犯して危宿せば、兵事は南方より興起し、もう一説には野獣が国家の府庫に闖入して君主はまさに人を殺し土木・工程ありて旱を主り五穀は実を結ばず百姓は安寧を得ず流散・逃亡してしかも疾病を多く生ずとす。郗萌はいう、填星が危宿を守れば、大人物が房屋を蓋造する事を主り、もう一説には百姓は兵禍を多く遭うとす。《荊州占》にいう、填星が危宿を守れば、百姓は癰疽の類の病を多く患いやや兵事あり。郗萌はいう、填星が逆行して危宿を守れば、あの位の国君は祭祀を怠慢す。甘氏はいう、填星が侵犯して併せて危宿を守れば、皇后は疾病を憂慮して兵禍と喪事は一同に発生し国中にまさに大戦あらんとして工匠は大量に征用さる。《海中占》にいう、填星が危宿に入って停留・守候してそこに在れば、あの国家は破敗・滅亡して流血の事ありて将軍は戦死し五百里の土地を喪失し必ず遷徙の君王ありて期限は三年。郗萌はいう、填星が墳墓(虚・危の間の墳墓四星)を守れば、君主に哭泣の声ありを主る。
填星犯営室 六
石氏曰:“填星犯營室;犯陽,為陽不急;犯陰,為陰有急。”《荊州占》曰:“填星犯營室,宮中有變,土功事興。”《春秋圖》曰:“填星之室,田宅大貴。”巫咸曰:“填星居營室,關梁不通,出入操持符節,貴人多死。”郗萌曰:“填星宿室而逆行,則女子自恣。”《北官候》曰:“填星出入留舍營室中,六十日不下,土功事大起。”《河圖》曰:“填星守營室,邦君有喜,賜其贊祿,有封土者。”石氏曰:“填星守營室,東壁,天下不安,百姓易處,人主徙宮,有工匠之事;一曰守室。色黃白,宮女有分離賜邑而去者。”
石氏はいう、填星が営室を侵犯し、陽道の一側を侵犯せば、外朝の事は緊迫せぬを主り、陰道の一側を侵犯せば、宮内の事に急難ありを主る。《荊州占》にいう、填星が営室を侵犯せば、宮中に変故ありて土木・工程は興起す。《春秋図》にいう、填星が室宿に臨めば、田地・房産の価格は大いに騰る。巫咸はいう、填星が営室に居れば、関隘・橋梁は阻斷して通ぜず出入はみな手に符節を持して査験を受け貴人は死亡多し。郗萌はいう、填星が室宿に入宿してまた逆行せば、女子はすなわち放縦・自恣せんとす。《北官候》にいう、填星が営室の中にて出没・停留・入宿して六十天離れざれば、土木・工程は大いに興る。《河図》にいう、填星が営室を守れば、封国の君に喜ありて輔賛の職と俸禄を賞賜され土地を封じ得る人あり。石氏はいう、填星が営室・東壁を守れば、天下は安からず百姓は住処を遷移し君主は宮室を遷徙して工匠の営造の事あり、もう一説には室宿を守りて星色が黄白なれば、宮女の中に離散され遣出され邑地を賜りて離れ去る者ありとす。
甘氏曰:“填星守營室,國有軍;若有爵封增國。”《海中占》曰:“填星守營室南,則主賜金錢。”郗萌曰:“填星守營室,為大人忌,以赦令解之;一曰后夫人憂。”齊伯曰:“填星守營室,三十日不下,土功大起,王者作宮室。”郗萌曰:“填星犯守營室,宮中有夭死,大人皆在土功之事。”《荊州占》曰:“填星犯守室,為女有宗廟事,以赦解之。”《春秋圖》曰:“填星逆行,留守室,天下不寧,貴族不相信,親戚離,公侯不相敬,下欲謀上。”
甘氏はいう、填星が営室を守れば、国中に軍事あり、あるいは人に封爵を受けて封国を増広せしめる者あり。《海中占》にいう、填星が営室の南面に守れば、君主が金銭を賞賜するを主る。郗萌はいう、填星が営室を守るは、大人物の忌む所で、赦令を以て化解すべし、もう一説には皇后・夫人に憂いありとす。斉伯はいう、填星が営室を守って三十天離れざれば、土木・工程は大いに興り君王は宮室を営造す。郗萌はいう、填星が侵犯して併せて営室を守れば、宮中に夭亡の人ありて大人物はみな土木・工程の事に忙しし。《荊州占》にいう、填星が侵犯して併せて室宿を守れば、女子に宗廟の方面の事ありを主り赦令を以て化解すべし。《春秋図》にいう、填星が逆行して停留・守候して室宿せば、天下は安寧を得ず貴族の間は互いに信任せず親戚は離散し公侯の間は互いに敬重せず下位の者は上位の者を図謀せんと欲す。
填星犯東壁 七
郗萌曰:“填星逆行東壁,女主干治。”《春秋圖》曰:“填星東壁,民大煩。”郗萌曰:“填星出入留舍東壁,九十日不下,帝王且有起;一曰有徙王;一曰有喪兵。”石氏曰:“填星守東壁,遠國獻珍寶。”巫咸曰:“民多疾。”郗萌曰:“填星守東壁,為大人衛守;又有土功之事,又為天下兵起;一曰狄兵起;又為多水;一曰歲晚水,一曰圖書與文章進,士用人主之廷,天下大豐,人民順。”
郗萌はいう、填星が東壁にて逆行せば、後宮の主は政務を干預す。《春秋図》にいう、填星が東壁に臨めば、百姓は大いに煩擾す。郗萌はいう、填星が東壁の一帯にて出没・停留・入宿して九十天離れざれば、まさに帝王の興起あらんとし、もう一説には遷徙の君王ありとし、また一説には喪事と兵事ありとす。石氏はいう、填星が東壁を守れば、遠方の国は来て珍宝を進献す。巫咸はいう、百姓は疾病を多く生ず。郗萌はいう、填星が東壁を守れば、大人物が衛隊を設置して守護するを主り、また土木・工程の事あり、また天下の兵を興すを主り、もう一説には北狄が兵を興し、また水患多きを主り、もう一説にはこの一年の後期に水ありとし、また一説には図書と文章が進献せられ士人は君主の朝廷に任用され天下は大豊収して百姓は順服すとす。
《百二十占》曰:“填星守壁,且有易市。”《聖洽符》曰:“填星入壁而守之,歲大旱,民多病,萬物不成。”甘氏曰:“填星逆行守東壁,成勾已,其國必有大兵政之事;六十日不下,有立王。”郗萌曰:“填星逆行,守東壁,旱、民多病,萬物不成;一曰女主自恣。”
《百二十占》にいう、填星が壁宿を守れば、まさに市集の遷移・変易の事あらんとす。《聖洽符》にいう、填星が壁宿に入って併せてそこに守れば、この一年は大旱して百姓は病多く万物は成熟できず。甘氏はいう、填星が逆行して東壁を守りて勾巳の形を形成せば、あの国家に必ず大規模の兵事と政務あり、六十天離れざれば、新君の擁立されるあろう。郗萌はいう、填星が逆行して東壁を守れば、旱・百姓の病多きを主り万物は成熟できず、もう一説には後宮の主が放縦・自恣すとす。
開元占経 巻四十一
填星占 四
填星犯西方七宿
填星犯奎宿 一
郗萌曰:“填星入奎,以喪起兵。一曰國有水事。”《海中占》曰:“填星潤澤出奎,有善令;其變色入奎,有偽令來者;若出奎,有偽令,出使者。”郗萌曰:“填星逆行奎,女主為賊;若舍奎,四夷皆服,來朝中國。”《荊州占》曰:“填星舍奎國,有德令。”石氏曰:“填星出入留舍奎,大水,不通行。”《黃帝占》曰:“填星出奎,女主攝政,國有女喜,若有女貴。”郗萌曰:“填星出奎,兵起東方。”《荊州占》曰:“填星出入留舍奎,其國大亂,更為元年。”
郗萌はいう、填星が奎宿に入れば、喪事に因って兵を興すあろう。もう一説には国中に水患の事ありとす。《海中占》にいう、填星が光色潤沢にして奎宿より出でれば、善政の令あろう、それが顔色を変えて奎宿に入れば、偽造の詔命の伝わり来るあろう、もし色を変えて奎宿より出でれば、偽造の詔命が使者を派して送出されるあろう。郗萌はいう、填星が奎宿にて逆行せば、後宮の主は害を為すこと賊のごとく、もし奎宿に入宿せば、四方の夷狄はみな帰服して中原に朝見するを来たす。《荊州占》にいう、填星が奎宿に入宿して対応する国家は、恩を施す政令を頒下せんとす。石氏はいう、填星が奎宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、大水あろう道路は通ぜず。《黄帝占》にいう、填星が奎宿より出でれば、後宮の主は朝政を代行し国中に女子の喜事ありあるいは女子の顕貴する者あり。郗萌はいう、填星が奎宿より出でれば、兵事は東方より興起す。《荊州占》にいう、填星が奎宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、あの国家は大いに乱れてまさに改元して年を重新して紀せんとす。
《黃帝占》曰:“填星守奎,有名者死。”石氏曰:“填星守奎,天子戒在邊境,不可遠將兵,凶。”郗萌曰:“填星宿奎,地動。”石氏曰:“填星守奎,色黃黑,有土功之事。”巫咸曰:“填星守奎,有兵災,萬物不成。”《荊州占》曰:“填星守奎,王者憂之;一曰大人當之。”
《黄帝占》にいう、填星が奎宿を守れば、名望ある人は死去す。石氏はいう、填星が奎宿を守れば、天子は当に辺境を戒備すべく軍隊を遠征せしむべからず、あれは凶あり。郗萌はいう、填星が奎宿に入宿せば、地震あろう。石氏はいう、填星が奎宿を守りて星色が黄黒なれば、土木・工程の事あり。巫咸はいう、填星が奎宿を守れば、兵災ありて万物は成熟できず。《荊州占》にいう、填星が奎宿を守れば、君王はこれを以て憂慮し、もう一説には事は大人物の身に応ずとす。
填星犯婁 二
《海中占》曰:“填星之婁,五穀豐熟,人民息,天下安。填星出入留舍婁,天下且起兵;一曰外國兵來,入邊。”陳卓曰:“填星守婁,有亡國者。”石氏曰:“填星守婁,天下國土同心,天子優賞賢士。”郗萌曰:“填星守婁者,皆為有白衣之會;一曰天子或在邊境,不可遠將兵,凶。”《荊州占》曰:“填星守婁,逆不去,有奸臣謀主。”巫咸曰:“填星逆行守婁,三十日不下,女主出入不時,女主竭行;若守之久,九十日不下,有奸臣謀主。”《荊州占》曰:“填星出入守婁,六十日不下,用兵三年;至十月小旱;秋有兵,禾稼不成,歲有小霜。”
《海中占》にいう、填星が婁宿に臨めば、五穀は豊収・成熟して百姓は休養・生息を得天下は安定す。填星が婁宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、天下はまさに兵を興さんとし、もう一説には外国の軍隊が前を来りて辺境に侵入すとす。陳卓はいう、填星が婁宿を守れば、滅亡の国家あろう。石氏はいう、填星が婁宿を守れば、天下の諸国は上下同心にして天子は賢士を優厚に賞賜す。郗萌はいう、填星が婁宿を守れば、いずれも喪事の聚会ありを主り、もう一説には天子は或いは身が辺境に在りて軍隊を遠征せしむべからずあれは凶ありとす。《荊州占》にいう、填星が婁宿を守りて逆行して離れ去らざれば、奸臣が君主を図謀するあり。巫咸はいう、填星が逆行して婁宿を守って三十天離れざれば、後宮の主の出入は時節に合わず行事は竭蹶してその常度を失い、もし守候すること久しく九十天離れざれば、奸臣が君主を図謀するあり。《荊州占》にいう、填星が婁宿に出没・守候して六十天離れざれば、三年を用いて兵を用い、十月に至りて小旱あり、秋に兵事ありて庄稼は成熟できず年内に軽霜の災あり。
填星犯胃 三
石氏曰:“填星犯胃、臣為亂。”郗萌曰:“填星在胃陽,女主不用事;居其陰,女主死。”又曰:“犯胃,為天下谷無實,以食為憂。”石氏曰:“填星之胃,天下有德令,當有封爵者。”郗萌曰:“填星出入留舍胃,九十日不下,客軍大敗,天下小憂,兵不用。填星舍胃,開倉廩,賜貧窮。”
石氏はいう、填星が胃宿を侵犯せば、臣下は乱を作す。郗萌はいう、填星が胃宿の陽道の一側に在れば、後宮の主は権を当て事を用うる能わず、陰道の一側に居れば、後宮の主は死亡す。またいう、胃宿を侵犯せば、天下の穀物の実を結ばぬを主り人々は口糧を愁う。石氏はいう、填星が胃宿に臨めば、天下に恩を施す政令ありて該当に人の封爵を受ける者あらんとす。郗萌はいう、填星が胃宿の一帯にて出没・停留・入宿して九十天離れざれば、来犯の客軍は大敗し天下はやや憂患あるも兵を動かすに及ばず。填星が胃宿に入宿せば、倉廩を開啓して貧窮の人を賑済せんとす。
石氏曰:“填星守胃,白帝;金人將來獻騶虞;一曰歲谷大貴。動搖,有兵。填星守胃,赤黃,天子自將兵甲而出,其國以亡。”“填星守胃,天子無蓄積;一曰有德令。”巫咸曰:“填星守胃,多水災;又為兵災,萬物不成。”《玉曆》曰:“填星逆行守胃,若成勾已,天下有兵;六十日不下,士卒大飢,軍大敗;九十日不下,鄰國有暴兵,來伐中國,期不出年。”巫咸曰:“填星犯守胃,天下倉有繕者當有殃罰。”
石氏はいう、填星が胃宿を守れば、事は西方の白帝に応じ、西方の金位の人はまさに前を来りて騶虞の類の瑞獣を進献せんとし、もう一説にはこの一年に穀価は大いに騰るとす。もし星体が動揺せば、兵事あり。填星が胃宿を守りて星色が赤黄なれば、天子は親ら甲兵を率いて出征しあの国家はこれに因って滅亡す。填星が胃宿を守れば、天子に積蓄なし、もう一説には恩を施す政令ありとす。巫咸はいう、填星が胃宿を守れば、水災多し、また兵災を主り万物は成熟できず。《玉暦》にいう、填星が逆行して胃宿を守りてもし勾巳の形を形成せば、天下に兵事あり、六十天離れざれば士卒は大いに飢困して軍隊は大敗し、九十天離れざれば隣国に強兵ありて来て中原を討伐し期限は一年を出ず。巫咸はいう、填星が侵犯して併せて胃宿を守れば、天下の糧倉はおよそ修繕の事あるものは、主管する人は該当に殃罰を受くべし。
填星犯昴 四
《聖洽符》曰:“填星入昴,敵人為亂;若其王死,將軍出,兵當有流血,兵起東北,不出其年。”郗萌曰:“土星入昴中,地動、水溢、宗廟壞。填星逆行昴,女主飲食過度。”石氏曰:“填星守昴,天下人民貧不得飽;又為民多疾;一曰多火災,為旱。”甘氏曰:“皇后憂失勢,王者以赦除咎。”石氏曰:“守昴、有土功。”巫咸曰:“填星守昴,萬物五穀不成。”
《聖洽符》にいう、填星が昴宿に入れば、敵人は乱を作し、あるいはあの国家の君王は死去して将軍は出征し兵事はまさに流血あらんとし兵事は東北方より興起してこの一年を出ず。郗萌はいう、土星が昴宿の中に入れば、地震・大水の泛濫・宗廟の毁壊あろう。填星が昴宿にて逆行せば、後宮の主の飲食は度なし。石氏はいう、填星が昴宿を守れば、天下の百姓は貧困して飽くことを食えず、また百姓の病多きを主り、もう一説には火災多く旱を主るとす。甘氏はいう、皇后は権勢を失うを憂慮し君王は赦令を用いて咎殃を消除す。石氏はいう、昴宿を守れば、土木・工程あり。巫咸はいう、填星が昴宿を守れば、万物と五穀はいずれも成熟できず。
石氏曰:“填星出入守昴,外人多為亂。一歲不下,大將出兵,三年乃止;守西北方,百里流血。”《玉曆》曰:“填星犯守昴,居其南,男子多死;居其北,有女喪;居其東,六畜死;居其西,兵起,國有憂。”郗萌曰:“填星中犯守昴,天下有福;一曰土星居北,為國家憂,若北主死;又曰兵北征於狄;一曰為白衣之會。”
石氏はいう、填星が昴宿に出没・守候せば、外族の人は多く乱を作し、一年に満ちて離れざれば、大将は兵を出して三年にしてやっと停止し、填星が西北方に守れば、百里の流血の禍あろう。《玉暦》にいう、填星が侵犯して併せて昴宿を守りて、昴宿の南に居れば、男子は死亡多く、昴宿の北に居れば、女子の喪事あり、昴宿の東に居れば、六畜は死亡し、昴宿の西に居れば、兵事は興起して国中に憂いあり。郗萌はいう、填星が正中より侵犯して併せて昴宿を守れば、天下に福あり、もう一説には土星が北面に居れば国家に憂いありを主りあるいは北方の主は死亡す、またいうまさに北に向かって狄人を征討せんとす、また一説には喪事の聚会を主るとす。
填星犯畢 五
《黃帝占》曰:“填星犯畢,出其北,陰國有憂。”郗萌曰:“填星犯畢,有兵謀,期八十日,若八月。”巫咸曰:“填星入畢中,伺其入日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處之率,一日期十日,為兵罷。”郗萌曰:“填星入畢者,為其國易王,其入畢口中,大人當之;又曰地大動,水溢。又曰入畢中為憂有兵;若出奎入畢,大亂;若舍畢口,諸侯夷滅,一曰大人當之,兵起;一曰不戰;填星出入留舍畢中,八十日不下,兵起;居野而不用,客軍死之;若守畢口,君御守。”
《黄帝占》にいう、填星が畢宿を侵犯して畢宿の北面より出でれば、陰国(北方の国)に憂いあり。郗萌はいう、填星が畢宿を侵犯せば、兵を興すの図謀ありて期限は八十天あるいは八月に応ず。巫咸はいう、填星が畢宿の中に入れば、それが入る日を守候して天数を計算し期限は二十天にして兵事の発動を主り、それが始めて進入した時より常率に拠って推算し進入一日は十天の期限に折算し期満すればすなわち兵事は罷休す。郗萌はいう、填星が畢宿に入れば、あの国家が君王を更換するを主り、それが畢口の中に入れば、事は大人物の身に応じ、またいう大地震・洪水の泛濫あろう。またいう畢宿の中に入れば兵事の憂いありを主り、もし奎宿より出でてまた畢宿に入れば、天下は大いに乱れ、もし畢口に入宿せば、諸侯は剿滅され、もう一説には事は大人物の身に応じて兵事は興起し、また一説には交戦せざらんとす。填星が畢宿の中にて出没・停留・入宿して八十天離れざれば、兵事は興起し、軍隊は野外に駐在して動用せず来犯の客軍は自ら覆滅を取り、もし填星が畢口を守れば、君主はまさに親ら防守せんとす。
石氏曰:“填星守畢,人君為下所制,赦令不行。”甘氏曰:“填星守畢,邊有軍者降,王侯受賀;若有大戰。”(《宋書天文志》曰:晉安義熙六年九月丁丑,填星犯畢,九年三月,林邑王范明達將萬餘人入冠,九真太守杜慧度拒破之,朱齡石滅蜀。)巫咸曰:“填星守畢,徭役賦斂煩眾,卑者竭,尊者盈,下惡其上,強凌弱,兵並起。”郗萌曰:“土星逆行畢,女主數遊,弋獵不當。”陳卓曰:“填星守附耳,兵起;若將相有憂,若喪,不即免退。”
石氏はいう、填星が畢宿を守れば、君主は下層に挟制されて赦令は推行できず。甘氏はいう、填星が畢宿を守れば、辺境の上の敵軍は前を来りて投降し王侯は賀を受くる、あるいは大戦あり。(原書小注、《宋書・天文志》に記載す、晋安帝義熙六年九月丁丑、填星が畢宿を侵犯し、九年三月に林邑王范明達は一万余人を率いて入侵し、九真太守杜慧度は抵御して彼を撃破し、朱齢石はまた蜀地を平滅した。)巫咸はいう、填星が畢宿を守れば、徭役・賦税は繁重にして民を扰らし卑下の者は捜刮されて一空にして尊貴の者は私嚢を盈満し下位の者は上位の者を憎悪し強者は弱者を欺凌し兵禍は一斉に興起す。郗萌はいう、土星が畢宿にて逆行せば、後宮の主は屢々出游して射猎は度なし。陳卓はいう、填星が附耳(畢宿の傍の附耳星)を守れば、兵事は興起し、あるいは将相に憂いありあるいは喪事ありて、もし即座に官を免じて引退せざれば、すなわち禍を避け難し。
填星犯觜觽 六
石氏曰:“填星犯觜觽,其國兵起,天下動移。”郗萌曰:“土星守觜觽,民人數亡。”《黃帝占》曰:“填星入觜觽中,有兵。”郗萌曰:“填星入觜中,伺其出日而數之,期二十日,兵發;伺始入處之率,一日期十日,兵罷。”石氏曰:“填星守觜,國有叛者。”巫咸曰:“有兵災,為水,萬物五穀不成。”
石氏はいう、填星が觜觽を侵犯せば、あの国家は兵事を興起して天下は動盪・遷移す。郗萌はいう、土星が觜觽を守れば、百姓は屢々流亡す。《黄帝占》にいう、填星が觜觽の中に入れば、兵事あり。郗萌はいう、填星が觜宿の中に入れば、それが出る日を守候して天数を計算し期限は二十天にして兵事は発動し、それが始めて進入した時より常率に拠って推算し進入一日は十天の期限に折算し期満すればすなわち兵事は罷休す。石氏はいう、填星が觜宿を守れば、国中に叛乱の人あり。巫咸はいう、兵災ありて水患を主り万物と五穀はいずれも成熟できず。
石氏曰:“民流不安,去其國宅,一曰君和同;又曰西方客動,侵地;君王崇禮以制義,則國安。”《黃帝占》曰:“土星犯守觜,國有土功事。”甘氏曰:“土守觜,天下安寧。”巫咸曰:“有兵災,為水;一曰為萬物不成,五穀不盈。”郗萌曰:“女主喜怒不常,土星逆行觜、參。”《荊州占》曰:“填星守觜觽,所出之宿,其國亡地;所入之宿,其國得地。”
石氏はいう、百姓は流散して安からず自己の家国・房舍を離れ、もう一説には君臣は和睦・同心し、またいう西方の客兵が発動して来て土地を侵占し、君王が礼制を崇尚して事宜を裁断せば、国家はすなわち安定す。《黄帝占》にいう、土星が侵犯して併せて觜宿を守れば、国中に土木・工程の事あり。甘氏はいう、土星が觜宿を守れば、天下は安寧す。巫咸はいう、兵災ありて水患を主り、もう一説には万物は成熟できず五穀は倉に盈たずとす。郗萌はいう、後宮の主が喜怒は常なくば、土星はすなわち觜宿・参宿の間にて逆行す。《荊州占》にいう、填星が觜觽を守れば、それが出で去るあの一宿は対応する国は土地を喪失し、それが入るあの一宿は対応する国は土地を獲得す。
填星犯参 七
石氏曰:“填星犯參,國有叛者。”郗萌曰:“填星逆行,若留止衡中者,為兵革起。”《西官候》曰:“填星舍參,國有行,城郭兵備。”郗萌曰:“土宿參伐,高田賤,下田貴。”石氏曰:“填星守參,天下有大喪。填星犯守參,大臣有出國使者。”又曰:“守參有赤星出參中,邊有兵。”甘氏曰:“填星守參,大人出使,天下治城,奸臣謀主,有外兵。”《海中占》曰:“土星守參,軍破國亡。”郗萌曰:“填星守參,若角動,赤黑色,觸破參中央星,臣子弒其君父,填星守參,為後,夫人當之。”
石氏はいう、填星が参宿を侵犯せば、国中に叛乱の人あり。郗萌はいう、填星が逆行するかあるいは参宿の中間の三星(すなわち玉衡)の中に停留せば、兵革の事の興起を主る。《西官候》にいう、填星が参宿に入宿せば、国中に出行の事ありて城郭の上は兵備を加強すべし。郗萌はいう、土星が参宿と伐星に入宿せば、高処の田地の価は賤く低処の田地の価は貴し。石氏はいう、填星が参宿を守れば、天下に大喪事あり。填星が侵犯して併せて参宿を守れば、大臣の中に外国に出使する人あり。またいう、参宿を守りて赤色の星ありて参宿の中より出現せば、辺境に兵事あり。甘氏はいう、填星が参宿を守れば、大人物は出使して外に在り天下は城池を修治し奸臣は君主を図謀し外来の兵禍あり。《海中占》にいう、土星が参宿を守れば、軍隊は潰敗して国家は滅亡す。郗萌はいう、填星が参宿を守りてもし芒角が揺動して赤黒の色を呈し衝触して併せて参宿の中央の星を衝破せば、臣子が君父を弑殺するを主り、填星が参宿を守れば、事は皇后と夫人の身に応ず。
開元占経 巻四十二
填星占 五
填星犯南方七宿
填星犯東井 一
郗萌曰:“填星出東井,兵起東北。”《黃帝占》曰:“填星入東井,有賜爵祿事。”石氏曰:“填星入東井,大人憂。”(《宋書天文志》曰:青龍三年七月己丑,填星犯東井距星,四年三月癸卯,在參,又還犯之,景元初年九月,皇后毛氏崩,三年正月,明帝崩。)《荊州占》曰:“填星入東井,天下無主。”《五行傳》曰:“填星當在觜、參,而去東井,亡地。”(《漢天文志》曰:“景帝中元元年,土星當在觜、參,而居東井,觜、參,梁分也。後四年梁孝王死。景帝以其子為王也。”)
郗萌はいう、填星が東井より出でれば、兵事は東北方より興起す。《黄帝占》にいう、填星が東井に入れば、爵位・俸禄を賞賜する事あり。石氏はいう、填星が東井に入れば、大人物に憂いあり。(原書小注、《宋書・天文志》に記載す、魏青龍三年七月己丑、填星が東井の距星を侵犯し、四年三月癸卯、それはすでに参宿に行き至りてまた折り返って来て東井を侵犯した。景初元年九月、皇后毛氏は去世し、三年正月、魏明帝は去世した。)《荊州占》にいう、填星が東井に入れば、天下に君主なし。《五行伝》にいう、填星は本より觜宿・参宿に在るべきに、離れて東井に到れば、土地の喪失を主る。(原書小注、《漢書・天文志》にいう、漢景帝中元元年、土星は本より觜宿・参宿に在るべきにしかし東井に居った、觜宿・参宿は梁国の分野である。此の後四年に梁孝王は去世し、景帝は彼の児子を立てて梁王と為した。)
甘氏曰:“填星守東井,其歲五穀不登。”石氏曰:“填星宿東井,逆行,女主齋戒不謹敬;若出入留餘東井,三十日不下水,且大出,流殺人。”郗萌曰:“填星守東井,民多疾。”《黃帝占》曰:“填星宿東井,為萬物不成;久守之,金錢易。”《黃帝占》曰:“填星守東井,為水災。或犯守在東井;守其陽,旱;守其陰,水。若國君受誅,以其留守日占國。”石氏曰:“填星守東井,為旱,赤地千里,不出九十日,有赦。”郗萌曰:“填星守東井,為土功事。”甘氏曰:“填星守東井,大壅水。”
甘氏はいう、填星が東井を守れば、この一年は五穀は歉収す。石氏はいう、填星が東井に入宿してまた逆行せば、後宮の主の斎戒は恭謹ならず、もしそれが東井の一帯にて出没・停留して三十天離れざれば、水勢はまさに大いに漲って人を沖走・淹死せんとす。郗萌はいう、填星が東井を守れば、百姓は疾病を多く生ず。《黄帝占》にいう、填星が東井に入宿せば、万物の成熟できぬを主り、長久にそこに守れば、金銭の価値は変動す。《黄帝占》にまたいう、填星が東井を守れば、水災を主る。時にそれが侵犯して併せて東井に守る——陽道の一側に守れば、旱を主り、陰道の一側に守れば、水を主る。もし国君が誅戮を遭受せば、すなわち填星の停留・守候の日に拠ってどの国に応じるかを占断せよ。石氏はいう、填星が東井を守れば、旱を主り赤地は千里にして九十天を出ずして赦令あろう。郗萌はいう、填星が東井を守れば、土木・工程の事を主る。甘氏はいう、填星が東井を守れば、大規模の水を壅ぐ工程あろう。
石氏曰:“填星出入留舍東井,六十日不下,兵起,必有破國,死王。填星守井鉞,大臣有誅,斧鉞用,若兵起;”(《宋書天文志》曰:魏明帝青龍三年六月丁未,填星犯井鉞,四年閏月乙巳,復犯井鉞,景初元年,公孫淵叛,司馬懿討滅之。晉穆帝永和十年正月癸酉,填星掩鉞星,十二年十一月,齊城陷,執段龕,殺三千餘人。安帝義熙八年十二月癸卯,填星犯井、鉞。九年三月,誅諸葛長民,西虜正橫安定,咸克之。)《黃帝占》曰:“填星入井、鉞,王者惡之;一曰大臣誅。”郗萌曰:“填星犯鉞,人君人戮死者。”
石氏はいう、填星が東井の一帯にて出没・停留・入宿して六十天離れざれば、兵事は興起して必ず破敗の国家・死去の君王あり。填星が井鉞(東井の傍の鉞星)を守れば、大臣に誅殺される者ありて斧鉞の刑は動用され、あるいは兵事は興起す。(原書小注、《宋書・天文志》に記載す、魏明帝青龍三年六月丁未、填星が井鉞を侵犯し、四年閏月乙巳、再び井鉞を侵犯した。景初元年、公孫淵が反叛し、司馬懿が討伐して平滅した。晋穆帝永和十年正月癸酉、填星が鉞星を掩住し、十二年十一月、斉城が陥落して段龕を擒獲し三千余人を殺した。晋安帝義熙八年十二月癸卯、填星が東井と鉞星を侵犯し、九年三月、諸葛長民を誅殺し、西方の胡虜はまさに安定に横行するもいずれも攻克された。)《黄帝占》にいう、填星が東井と鉞星に入れば、君王はこの種の天象を悪み、もう一説には大臣が誅殺されるとす。郗萌はいう、填星が鉞星を侵犯せば、君主はまさに人を処死せんとす。
填星犯輿鬼 二
甘氏曰:“填星犯輿鬼,人君必有所戮。”《黃帝占》曰:“填星犯鬼鑕,人君有戮死者。”甘氏曰:“填星犯天尸,皇后憂失勢。”《黃帝占》曰:“填星入輿鬼,有兵。”石氏曰:“填星入輿鬼,大臣有誅者。”郗萌曰:“填星入輿鬼中央,天下有疫;守西南星,西南病;守東南星,東南病;守東北星,東北病;守西北星,西北病。填星入鐵鑕,王者惡之。”《荊州占》曰:“填星入輿鬼,國有戮死者,一曰戮王。”《南官候》曰:“填星入鬼,王者戮大臣;若將相若九親臣當之。”司馬彪《天文志》曰:“填星入鬼,國有大喪。”《南官候》曰:“填星入輿鬼,君謀其臣。”
甘氏はいう、填星が輿鬼を侵犯せば、君主は必ず誅殺する所有らん。《黄帝占》にいう、填星が鬼鑕(輿鬼の中央の積屍気、また鑕星と称す)を侵犯せば、君主の治下に処死される人あり。甘氏はいう、填星が天屍(輿鬼の中央の積屍星)を侵犯せば、皇后は権勢を失うを憂慮す。《黄帝占》にいう、填星が輿鬼に入れば、兵事あり。石氏はいう、填星が輿鬼に入れば、大臣に誅殺される者あり。郗萌はいう、填星が輿鬼の中央に入れば、天下に瘟疫あり、西南のあの顆星を守れば西南方に疫病あり、東南のあの顆星を守れば東南方に疫病あり、東北のあの顆星を守れば東北方に疫病あり、西北のあの顆星を守れば西北方に疫病あり。填星が鉄鑕(すなわち鑕星)に入れば、君王はこの種の天象を悪む。《荊州占》にいう、填星が輿鬼に入れば、国中に処死される人ありて、もう一説には殺されるは君王なりとす。《南官候》にいう、填星が鬼宿に入れば、君王は大臣を誅殺し、あるいは事は将相・九族の親の臣子の身に応ず。司馬彪《天文志》にいう、填星が鬼宿に入れば、国中に大喪事あり。《南官候》にいう、填星が輿鬼に入れば、君主はその臣子を図謀す。
《黃帝占》曰:“填星逆行,犯輿鬼,女主用財奢淫過度;若女主貴親有憂。”郗萌曰:“填星舍輿鬼中央,赦。”《南官候》曰:“填星出入留舍與鬼,五十日不下,必有大疾,大旱,棺木貴,絲綿布亦貴。”《海中占》曰:“填星守輿鬼;出其東,水;出其北,旱。”石氏曰:“填星守輿鬼,大人憂,宗廟改;一曰主死;又為大人有祭祀之事。”巫咸曰:“填星守輿鬼,後宮有憂;若旱,萬物不成,有土功事。”郗萌曰:“填星守輿鬼,天下賜喜。”石氏曰:“填星守輿鬼,色黃潤,大人增地;不則太子當之。”郗萌曰:“填星守輿鬼西南,為秦漢有叛臣,以赦令解之。”
《黄帝占》にいう、填星が逆行して輿鬼を侵犯せば、後宮の主の用度は奢侈・淫靡にして節制なく、あるいは後宮の主の顕貴の親属に憂いあり。郗萌はいう、填星が輿鬼の中央に入宿せば、赦令あろう。《南官候》にいう、填星が輿鬼の一帯にて出没・停留・入宿して五十天離れざれば、必ず大疫・大旱ありて棺木の価は貴く絲綿と布匹もまた価を騰げる。《海中占》にいう、填星が輿鬼を守りてそれの東面より出でれば、水を主り、それの北面より出でれば、旱を主る。石氏はいう、填星が輿鬼を守れば、大人物に憂いありて宗廟はまさに改建せんとし、もう一説には君主の死亡す、また大人物に祭祀の事ありを主る。巫咸はいう、填星が輿鬼を守れば、後宮に憂いあり、あるいは旱を主り万物は成らず土木・工程の事あり。郗萌はいう、填星が輿鬼を守れば、天下に賞賜の喜事あり。石氏はいう、填星が輿鬼を守りて星色が黄にして潤沢なれば、大人物は土地を増広し、否らば事は太子の身に応ず。郗萌はいう、填星が輿鬼の西南方を守れば、秦・漢の地に叛臣ありを主り赦令を以て化解すべし。
《百二十占》曰:“填星守輿鬼,大人當之。(《宋書天文志》曰:晉安帝義熙十年七月庚辰,填星犯輿鬼,遂守之,九月又犯鬼,十四年高祖還彭城,受宋公,明年,安帝崩,母弟琅邪王踐祚,是曰恭帝也。)填星入,若守輿鬼,為主憂財寶出,亂臣在內;若大臣誅,有干鉞乘鑕者,君貴人憂;金玉用,民多疾;南入、為男;北入、為女;西入、為老人;東入、為丁壯;棺木倍價。”《荊州占》曰:“填星守天尸,隨所守,王者廢之,不出七十日,其天下國有大喪;陽、為人君;陰、為皇后;左;為太子;右、為貴臣。”
《百二十占》にいう、填星が輿鬼を守れば、事は大人物の身に応ず。(原書小注、《宋書・天文志》に記載す、晋安帝義熙十年七月庚辰、填星が輿鬼を侵犯し接いでそれを守り、九月にまた鬼宿を侵犯した。十四年、高祖劉裕は彭城に回り宋公に封ぜられ、第二年、安帝は去世して彼の同母弟琅邪王が即位し、これがすなわち恭帝である。)填星が輿鬼に入るかあるいは守れば、君主の財宝の外流を憂慮するを主り乱臣はすなわち朝廷の内に在り、あるいは大臣は誅されて人に斧鉞を触犯し身は刑鑕に伏する者あり君主と貴人に憂いあり、金玉の物は動用され百姓は疾病を多く生じ、南面より入れば事は男子に応じ、北面より入れば事は女子に応じ、西面より入れば事は老人に応じ、東面より入れば事は壮年の人に応じ、棺木の価銭は一倍に騰る。《荊州占》にいう、填星が天屍を守れば、それが守する位置に随いて定めよ——君王が或人を廃黜せんとすれば、七十天を出ずしてあの分野の国家に大喪事あり、陽位に在れば事は君主に応じ、陰位に在れば事は皇后に応じ、左に在れば事は太子に応じ、右に在れば事は顕貴の臣に応ず。
填星犯柳 三
甘氏曰:“填星犯柳,若不以正道而入之,其國有旱,不則有大災;若逆行入之,地大動,名山崩。”《荊州占》曰:“填星入注,貴人有喜。”石氏曰“填星犯柳,有木功事;若名木見伐者;若宿柳,不旱即水。”郗萌曰“填星出入留舍柳,有急令,丹青貴。”石氏曰:“填星守柳,天子戒飲食,食官欲殺主。”甘氏曰:“填星守柳,君臣和同,天下道與。”郗萌曰:“填星守柳,萬物五穀不成,大飢,民多疾疫;一曰為叛臣中兵也;以德令解之。”《海中占》曰:“填星守柳,宮中大亂以相驚;若有土國事。”郗曰:“填星守柳,女主不祭祀;一曰多水災。”
甘氏はいう、填星が柳宿を侵犯してもし正道に循らずして柳宿に入れば、あの国家に旱ありて、さもなければすなわち大災あり、もし逆行して柳宿に入れば、大地震ありて名山は崩場す。《荊州占》にいう、填星が注(柳宿はまた「注」と名づく)に入れば、貴人に喜あり。石氏はいう、填星が柳宿を侵犯せば、木を伐りて営造する事あり、あるいは名ある樹木が砍伐され、もし柳宿に入宿せば、旱ならざればすなわち澇なり。郗萌はいう、填星が柳宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、緊急の詔令ありて丹砂・青雘の類の顔料の価は貴し。石氏はいう、填星が柳宿を守れば、天子はまさに飲食を戒慎し、膳食を掌る官員は君主を害死せんと欲す。甘氏はいう、填星が柳宿を守れば、君臣は和睦・同心して天下の正道は通行す。郗萌はいう、填星が柳宿を守れば、万物と五穂はいずれも成熟できず大飢饉して百姓は疫病に多く染み、もう一説には叛臣と京師の内部の兵変ありて恩を施す政令を以て化解すべし。《海中占》にいう、填星が柳宿を守れば、宮中は大いに乱れて彼此に驚擾し、あるいは土木・邦国の事あり。郗萌はいう、填星が柳宿を守れば、後宮の主は祭祀の礼を行わず、もう一説には水災多しとす。
填星犯七星 四
甘氏曰:“填星入七星,為人君有事,置太子。填星出入留舍七星,其國五穀大貴;守五十日不下,有兵起,倍海國大敗。”郗萌曰:“填星留七星者天下大憂;憂中央。填星宿七星,不入其道,水;一曰旱。”《黃帝占》曰“填星守七星,王道與,天下治;又曰大人有喜。”郗萌曰:“填星守七星人主出不還;一曰有德令。”石氏曰:“填星守七星有遷王;一曰有立后。”郗萌曰:“填星守七星,為叛臣中兵也;以德令解之。填星守七星,人主出,必不還;必有立后,從王;一曰有赦,若逆行七星,女主衣服不法。”
甘氏はいう、填星が七星(星宿の七顆の星)に入れば、君主に大事ありを主りまさに太子を冊立せんとす。填星が七星の一帯にて出没・停留・入宿せば、あの国家は五穀の価格は大いに騰り、守候して五十天離れざれば、兵事の興起ありて浜海の国は大敗す。郗萌はいう、填星が七星に停留せば、天下に大憂ありて、憂う所は中央の地なり。填星が七星に入宿してしかしそれが応に行くべき正道に循わざれば、水を主り、もう一説には旱を主るとす。《黄帝占》にいう、填星が七星を守れば、王道は通行して天下は大治す、またいう大人物に喜ありとす。郗萌はいう、填星が七星を守れば、君主は出行して帰返能わず、もう一説には恩を施す政令ありとす。石氏はいう、填星が七星を守れば、遷徙の君王あろう、もう一説には皇后を冊立する事ありとす。郗萌はいう、填星が七星を守れば、叛臣と京師の内部の兵変を主り恩を施す政令を以て化解すべし。填星が七星を守れば、君主は出行して必ず帰り来らず、必ず皇后を冊立して君王に随従する事あり、もう一説には赦令ありとす。もしそれが七星にて逆行せば、後宮の主の衣着・服飾は法度に合わず。
填星犯張 五
《黃帝占》曰:“填星入張,天下大通去關梁,宗室煌煌。”郗萌曰:“填星出張東,舍二尺以上,國失地。填星出張,兵起北方。”巫咸曰:“填星在張,天下安,關梁通。”石氏曰:“填星留舍張,陰陽不和,民流千里,魚鱉死陸道,民憂疾賊。”郗萌曰:“填星出入留舍張,兵甲盡出,其秋冬仲月,土功事大起。”甘氏曰:“填星守張,天下大通去關梁;一曰天下和平,宮女有大喜。”郗萌曰:“填星守張,有叛臣中兵。”巫咸曰:“填星守張三日,其事微;守之三十日,其事巨;大國諸侯謀慮,大臣伏法死。填星守張,多盜賊,人民相惡,兵並起。”《南官候》曰:“填星守張,兵大起;一曰有土功。”石氏曰:“逆行張,女主亂朝。”郗萌曰:“女主飲食過度。”
《黄帝占》にいう、填星が張宿に入れば、天下は大いに暢通して関卡・橋梁の盤査を撤除し宗室は興盛・顕耀す。郗萌はいう、填星が張宿の東面より出でて本宿を離れること二尺以上なれば、あの国家は土地を喪失す。填星が張宿より出でれば、兵事は北方より興起す。巫咸はいう、填星が張宿に在れば、天下は安定して関卡・橋梁は暢通す。石氏はいう、填星が停留・入宿して張宿に在れば、陰陽の気は調和せず百姓は千里に流亡して魚鱉は陸路に死し百姓は疾病と盗賊を憂慮す。郗萌はいう、填星が張宿の一帯にて出没・停留・入宿せば、兵甲は全部出動して秋冬両季の仲月に至りて土木・工程は大いに興る。甘氏はいう、填星が張宿を守れば、天下は大いに暢通して関卡・橋梁の盤査を撤除し、もう一説には天下は和平して宮女に大喜ありとす。郗萌はいう、填星が張宿を守れば、叛臣と京師の内部の兵変あり。巫咸はいう、填星が張宿を守ること三天なれば、事情は軽微で、守候すること三十天なれば、事情は重大で、大国の諸侯は暗中に謀劃し大臣は法に伏して死す。填星が張宿を守れば、盗賊多く百姓は互いに憎悪して兵禍は一斉に興起す。《南官候》にいう、填星が張宿を守れば、兵事は大いに起こり、もう一説には土木・工程ありとす。石氏はいう、填星が張宿にて逆行せば、後宮の主は朝政を擾乱す。郗萌はいう、後宮の主の飲食は度なし。
填星犯翼 六
《黃帝占》曰:“填星逆行翼,女主亂朝。填星在翼,大臣誅。”石氏曰:“填星守翼,有叛臣中兵也,若有土功事;一曰萬物不成。”郗萌曰:“填星守翼,有兵。”甘氏曰:“填星守翼,王者承德,君臣賢明,六合同風,天下和平,禮樂大與;若守一年,豐;一曰女主有喜者。”巫咸曰:“填星守翼,多水災,五穀不成。”《南官候》曰:“填星守翼,后夫人有喜。”
《黄帝占》にいう、填星が翼宿にて逆行せば、後宮の主は朝政を擾乱す。填星が翼宿に在れば、大臣は誅殺さる。石氏はいう、填星が翼宿を守れば、叛臣と京師の内部の兵変ありあるいは土木・工程の事あり、もう一説には万物は成熟できずとす。郗萌はいう、填星が翼宿を守れば、兵事あり。甘氏はいう、填星が翼宿を守れば、君王は天徳を承受して君臣はみな賢能・明智にして天下の四方は風教は一致して天下は和平し礼楽は大いに興り、もし守候して一年に満てば、年成は豊収し、もう一説には後宮の主に喜ありとす。巫咸はいう、填星が翼宿を守れば、水災多く五穀は成熟できず。《南官候》にいう、填星が翼宿を守れば、皇后・夫人に喜あり。
填星犯軫 七
巫咸曰:“填星入軫中,伺其出日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處之率,一曰期十日,軍罷。”郗萌曰:“填星逆行軫,女主持喪不謹。填星出入留舍軫,六十日不下,必有大旱六月;一日不出年,河海盡空;一曰不出三年,必有大喪。”石氏曰:“填星守軫中,兵大起。”甘氏曰:“填星守軫,土功大起,國有白衣之會,必有亡地,不出其年。”《荊州占》曰:“填星守軫,后有憂。”齊伯曰:“填星入軫,若守之,兵大起,有憂國;河當竭,天下大旱,禾稼死傷,人民大飢,期二年。”石氏曰:“填星逆行軫,女主貴親坐之。”郗萌曰:“填星起左角,逆行至軫,其下國,戰不勝。”
巫咸はいう、填星が軫宿の中に入れば、それが出る日を守候して天数を計算し期限は二十天にして兵事の発動を主り、それが始めて進入した時より常率に拠って推算し進入一日は十天の期限に折算し期満すればすなわち軍隊は罷兵す。郗萌はいう、填星が軫宿にて逆行せば、後宮の主は喪に居りて謹まず。填星が軫宿の一帯にて出没・停留・入宿して六十天離れざれば、必ず長さ六か月の大旱あり、もう一説には一年を出ずして江河・湖海は全く涸干し、また一説には三年を出ずして必ず大喪事ありとす。石氏はいう、填星が軫宿の中に守れば、兵事は大いに起こる。甘氏はいう、填星が軫宿を守れば、土木・工程は大いに興り国中に喪事の聚会ありて必ず土地を喪失してこの一年を出ず。《荊州占》にいう、填星が軫宿を守れば、皇后に憂いあり。斉伯はいう、填星が軫宿に入るかあるいはそれを守れば、兵事は大いに起こりて憂慮せしめる国家ありて黄河はまさに枯竭せんとして天下は大旱して庄稼は枯死し百姓は大いに飢饉して期限は二年。石氏はいう、填星が軫宿にて逆行せば、後宮の主の顕貴の親属はまさにこれに因って罪を獲らんとす。郗萌はいう、填星が左角より起こりて逆行して軫宿に至れば、それの下方に対する所の分野の国は、作戦して勝を得能わず。
開元占経 巻四十三
填星占 六
填星犯石氏中官
填星犯大角 一
《海中占》曰:“填星犯守大角,臣謀主者有兵起,人主憂;王者戒慎左右,期不出百八十日,遠一年。”
《海中占》にいう、填星が侵犯して併せて大角を守れば(大角星は摂提の間にありて天王の座位を象る)、臣下に君主を図謀する者ありて因って兵事は興起し君主に憂いあり、君王は当に身辺の近臣を戒備・謹慎すべく期限は百八十天を出ず最遠は一年。
填星犯梗河 二
巫咸曰:“填星犯守梗河,國有謀心,四夷兵起,來侵中國,邊境有憂。”
巫咸はいう、填星が侵犯して併せて梗河を守れば(大角の北面の梗河三星は胡兵と矛盾の事を主る)、国中に人の図謀の心を懐く者ありて四方の夷狄は兵を興して来て中原を侵犯し辺境に憂患あり。
填星犯招揺 三
《聖洽符》曰:“填星犯招搖,兵大起,敵人為寇;若守之,敵人敗;若其王死,期不出二年。”《荊州占》曰:“填星守招搖,旗幟廢不用。”
《聖洽符》にいう、填星が招揺を侵犯せば(北斗の杓端の外側の招揺星は胡兵の事を主る)、兵事は大いに起こり敵人は来て寇掠し、もし填星がそれを守れば、敵人は失敗し、あるいはあの国家の君王は死去して期限は二年を出ず。《荊州占》にいう、填星が招揺を守れば、軍中の旗幟は廃棄して用いず。
填星犯玄戈 四
《聖洽符》曰:“填星犯守玄戈,邊兵大起,敵人為寇;若守之,敵人敗;若其王死,期不出二年。”
《聖洽符》にいう、填星が侵犯して併せて玄戈を守れば(招揺の北面の玄戈一星は北方の兵事を主る)、辺境の兵事は大いに起こり敵人は来て寇掠し、もし填星がそれを守れば、敵人は失敗し、あるいはあの国家の君王は死去して期限は二年を出ず。
填星犯天槍 五
巫咸曰:“填星守天槍,邊夷兵起,機槍大用,防戍有憂;若誅邊臣,期不出年。”
巫咸はいう、填星が天槍を守れば(北斗の斗魁の傍の天槍三星は兵器を象る)、辺地の夷狄は兵を興して機弩・長槍の類の兵器は大量に動用され戍守・辺防の処に憂患あり、あるいは辺を守る臣を誅殺せんとして期限は一年を出ず。
填星犯天棓 六
巫咸曰:“填星犯守天棓,邊夷兵機槍大用,防戍憂;若誅邊臣,期不出年。”
巫咸はいう、填星が侵犯して併せて天棓を守れば(紫微垣の東側の天棓五星は棍棒の類の兵器を象る)、辺地の夷狄の兵器と機弩・長槍は大量に動用され戍守・辺防の処に憂患あり、あるいは辺を守る臣を誅殺せんとして期限は一年を出ず。
填星犯女床 七
《荊州占》曰:“填星犯女床,凶。”甘氏曰:“填星犯守女床,兵起宮中;若后妃有暴誅者,期百八十日,遠一年。”
《荊州占》にいう、填星が女床を侵犯せば(天紀の北面の女床三星は後宮の嬪御を主る)、凶と為る。甘氏はいう、填星が侵犯して併せて女床を守れば、兵禍は宮中より発起し、あるいは后妃の中に人の驟然に誅殺される者ありて期限は百八十天・最遠は一年。
填星犯七公 八
石氏曰:“填星犯七公,群公有疑議。”《黃帝占》曰:“填星守七公,為饑民,君不安。”石氏曰:“填星守七公,輔臣相疑;若有誅者,人主有憂。”
石氏はいう、填星が七公を侵犯せば(貫索の西面の七公七星は三公の道を論ずる位を象る)、衆の公卿の間に疑慮・争議あり。《黄帝占》にいう、填星が七公を守れば、百姓の飢饉を主り君主は安寧を得ず。石氏はいう、填星が七公を守れば、輔政の大臣は彼此に猜疑し、もし人の誅殺される者あれば、君主もまた憂患あり。
填星犯貫索 九
石氏曰:“填星入貫索中犯乘守者,以獄為亂,多不平。”巫咸曰:“填星守犯貫索,天下亂,兵大起,多獄事,貴人有死者。”
石氏はいう、填星が貫索(また天牢と名づき刑獄・囚繫を主る)の中に入りてまた侵犯・凌乗・守候してそれせば、すなわち刑獄の事に因って乱を生じて案を断ずること不公多し。巫咸はいう、填星が守候して侵犯して貫索せば、天下は動乱して兵事は大いに起こり牢獄の事多く貴人に処死される者あり。
填星犯天紀 十
《文曜鉤》曰:“填星犯守天紀,倖臣執權,有兵起,王者有憂。”
《文曜鉤》にいう、填星が侵犯して併せて天紀を守れば(貫索の東面の天紀九星は綱紀・法度と聴訟を主る)、寵幸を受くる近臣は大権を執掌して兵事の興起ありて君王に憂患あり。
填星犯織女 十一
《黃帝占》曰:“填星犯守織女,天下有女憂,有兵起,不出其年。”
《黄帝占》にいう、填星が侵犯して併せて織女を守れば(天市垣の東北の織女三星は婦功と絲帛の事を主る)、天下に女子に関する憂患ありて兵事の興起ありてこの一年を出ず。
填星犯天市 十二
石氏曰:“填星入天市,將相凶,糴大貴;若女主有憂;又曰填星入天市中,相不死,使於皇道。”郗萌曰:“填星入,若守天市,糴大賤;一曰大貴。”又占曰:“填星入天市中,王宮有憂;一曰赦。”石氏曰:“填星守天市,有訟事入市,必有戮主;留百日,失大將。”又占曰:“填星逆行,入天市,驚;一曰將相凶。”
石氏はいう、填星が天市(天市垣は衆を聚めて交易することを主る)に入れば、将相に凶ありて米を買う価銭は大いに騰り、あるいは後宮の主に憂いあり、またいう填星が天市の中に入れば丞相は死に至らざると雖もまた皇家の駅道に遣われて出使するべしとす。郗萌はいう、填星が天市に入るかあるいは守れば、米を買う価銭は大いに跌き、もう一説には大いに騰るとす。また一条の占辞にいう、填星が天市の中に入れば、王宮に憂いあり、もう一説には赦令あろうとす。石氏はいう、填星が天市を守れば、訴訟ありて市中に鬧げて必ず事を主る者の処死されるあろう、百日停留せば、大将を折損せんとす。また一条の占辞にいう、填星が逆行して天市に入れば、驚擾の事あろう、もう一説には将相に凶ありとす。
填星犯帝座 十三
《玄冥占》曰:“填星犯帝座,為臣謀主,天下亂,兵大起,不出年。”
《玄冥占》にいう、填星が帝座を侵犯せば(天市垣の中の帝座一星は天帝の居する位を象る)、臣下の君主を図謀するを主り天下は動乱して兵事は大いに起こり一年を出ず。
填星犯候星 十四
《海中占》曰:“填星守候星,陰陽不和,五穀傷,人大飢,有兵起。”
《海中占》にいう、填星が候星を守れば(帝座の東北の候一星は陰陽を伺察して気候を観望することを主る)、陰陽の気は調和せず五穀は損を受け人々は大いに飢饉を鬧して兵事の興起あり。
填星犯宦者 十五
甘氏曰:“填星犯守宦者,左右輔臣有誅戮者,期不出年。”
甘氏はいう、填星が侵犯して併せて宦者を守れば(帝座の西南の宦者四星は宮中の侍奉の人を主る)、君主の左右の輔佐の臣に誅殺される者ありて期限は一年を出ず。
填星犯宗正 十六
石氏曰:“填星犯守宗正,左右群臣多死,若更政令,人主有憂。”
石申《石氏星経》にいう、土星(填星)が「宗正」星を侵犯して停留せば、君王の身辺の近臣は連なりて死去す、あるいは朝廷は政令を変更して君主はこれを以て心を憂う。宗正はもと皇族の属籍を掌管する官職で、天上の宗正星はこれに相応じ、ゆえにこの一象の災応は宗室の近臣と朝令の更張のこの両件事の上に落つ。
填星犯宗人 十七
石氏曰:“填星犯宗人,親族貴人有憂,若有死者;一曰人主宗親有離絕者。”
石氏はいう、土星が「宗人」星を侵犯せば、皇親・国戚の中の顕貴は憂患に遭遇し甚だしきは人がこれに因って命を喪う、別の一種の説には、君主の宗族・親属の裏に属籍を削去され往来を断絶される人の出現あるべしとす。宗人星は天上に於て宗族の譜牒と親疏の次第を主り、この星が犯を受け、ゆえに災応は尽く親族の一頭に在り。
填星犯宗星 十八
甘氏曰:“填星犯守宗星,宗室之臣有分離者。”
甘徳《甘氏星経》にいう、土星が「宗星」を侵犯して停留せば、宗室の出身の大臣の中に外放されて分置され彼此に離散する人あろう。宗星は宗廟の祭祀のときの班列の次序を主り、土星が久しくその上に踞るは、正しく宗族の聚合の象が破壊を遭う徴兆である。
填星犯東西咸 十九
石氏曰:“填星守犯東西咸,為臣不從令,有陰謀。”
石氏はいう、土星が停留して「東咸」「西咸」のこの両組の星を侵犯すれば、臣下が肯んじて君命を奉行せず暗中に別に図謀あるを主る。東咸・西咸は房宿の両旁に分列し、宮門の左右の門戸のごとく、本職は淫佚を防閑して内外を隔絶するで、門戸の星が犯を受け、ゆえに臣子の陽奉・陰違して私に相結謀するの上に応ず。
填星犯天江 二十
巫咸曰:“填星守犯天江,天下有水;若入之,大水齊,城郭損,民飢亡,去其鄉。”
巫咸はいう、土星が停留して「天江」星を侵犯すれば、天下にまさに水患あらんとし、もし土星が径直に天江の星区の内に進入せば、あれはすなわち大水が一斉に泛濫して内城・外郭は一併に衝壊され百姓は飢餓・死亡してただ井郷に背きて鄉を離れるを得べし。天江は江河・水道を主る星官で、ゆえにそれが犯を受けて専ら水災に応ず。
填星犯建星 二十一
《陳卓占》曰:“填星犯建星,大臣相譖。”甘氏曰:“填星守建星,女主有謀,兵起宮中;女主有黜者,期不出年中。”《海中占》曰:“填星守建星,田宅大貴;一曰在陽,賤;在陰,貴。”
《陳卓占》にいう、土星が「建星」を侵犯せば、大臣の間は互いに讒を進めて構陷す。甘徳はいう、土星が建星の上に停留せば、後宮の女主は暗中に謀ありて兵変は宮禁の内より発難し、また后妃の廃黜される者あろう応期は当年の中を出ず。《海中占》にいう、土星が建星に停留せば、田地・房宅の価格は大いに騰り、別の一種の説には、土星が建星の南の陽位を行けば、田宅はすなわち賤く、その北の陰位を行けば、田宅はすなわち貴しとす。建星は旗鼓と関梁を主り号令と門禁の象で、ゆえにこの象は既に宮廷の変に応じまた田宅・貨殖の貴賤の起落に応ず。
填星犯天弁 二十二
甘氏曰:“填星犯天弁,若守之,則囚徒起兵;一曰五穀不成,粟大貴,民飢。”
甘徳はいう、土星が「天弁」星を侵犯するかあるいはそれの上頭に停留せば、まさに囚徒の乱を作して起兵するあらんとし、別の一種の説には五穀は歉収して粟米の価格は暴騰して百姓は飢饉に陥るとす。天弁は市集の官長の星で市易と貨財を主り、ゆえにそれが犯を受けて物価の騰貴と獄囚の変を生ずの両端に応ず。
填星犯河鼓 二十三
《海中占》曰:“填星入河鼓,大將有受賜地者,期百八十日,遠一年。”《黃帝占》曰:“填星中犯河鼓大將,若左右將,有誅;其犯守之,為誅;若有罪,以五色占之。”
《海中占》にいう、土星が「河鼓」三星に入れば、まさに大将の封を受け土地を賜らるるあらんとして応期は百八十天・遅ければ一年。《黄帝占》にいう、土星が正面より河鼓の中間の大将星を衝犯するかあるいはそれの左右の両顆の将星を衝犯せば、将帥の誅殺されるを主り、土星が侵犯してその上に停留せば、同じく誅戮を主り、至る所は究竟は処死かあるいは僅かに罪を獲るかは、須らく土星の呈する青・赤・黄・白・黒の五色に拠って分辨すべし。河鼓三星は軍鼓と主将を象徴し、ゆえに吉凶は全く将帥の身に落つ。
填星犯離珠 二十四
石氏曰:“填星犯離珠,宮中有事;若有亂宮者;若宮人有罪黜者。”
石氏はいう、土星が「離珠」星を侵犯せば、宮掖の中にまさに事の出るべく、あるいは人に宮内にて乱を作し内廷を穢乱する者あり、あるいは宮人に罪を獲って斥退・駆逐される者あり。離珠は女主の佩戴する珠飾の星で後宮の物に属し、ゆえに災応はいずれも宮闈の内に落つ。
填星犯匏瓜 二十五
《聖洽符》曰:“填星犯守匏瓜,天下有憂;若有遊兵,名果貴;一曰魚鹽貴,價十倍,不出其年。”
《聖洽符》にいう、土星が「匏瓜」星を侵犯して停留せば、天下にまさに憂患あらんとし、あるいは四処に流窜する散兵・游勇の現れ名貴の果品の価銭は騰貴し、別の一種の説には魚と塩は価を騰げて平日の十倍に騰り応験は当年を出ずとす。匏瓜は瓜果の種植を主りまた後宮と相関し、ゆえにこの象は専ら物産の貴賤に応ず。
填星犯天津 二十六
郗萌曰:“填星犯天津,關道絕不通,有兵起;若關吏有憂;若守有兵革。”《黃帝占》曰:“填星出天津中,天下大水有溢者;若天下有急。”
郗萌はいう、土星が「天津」星を侵犯せば、関隘と道路は阻斷して通ぜずまさに戦事の興起あらんとし、あるいは関を守る官吏は憂患に遭遇し、あるいは土星がその上に停留せば、兵戈の乱を主る。《黄帝占》にいう、土星が天津の九星の中間より穿ち出れば、天下にまさに大水の漫溢あらんとし、あるいは天下に緊急の事変が発生す。天津は銀河を横跨して渡口・津梁の象で、ゆえにこの象は兼ねて関津の阻絶と洪水の泛濫に応ず。
填星犯螣蛇 二十七
甘氏曰:“填星守螣蛇,天子前驅凶;若奸臣有謀,前驅為害。”
甘徳はいう、土星が「螣蛇」星の上に停留せば、天子の前を為して道を開く先鋒はまさに凶険あらんとし、あるいは奸邪の臣が暗中に謀劃して前導・護駕の人さえも反って禍害と為る。螣蛇は飛蛇・水虫の象で本より怪異を主り、ゆえにこの象は多く扈従・近衛の変故の上に応ず。
填星犯王良 二十八
石氏曰:“填星守王良,為有兵。”齊伯曰:“填星守犯王良,天下有兵,諸侯相攻,強臣謀主,期不出年。”
石氏はいう、土星が「王良」星の上に停留せば、戦事ありを主る。斉伯はいう、土星が停留して王良を侵犯せば、天下にまさに兵禍を起こさんとして諸侯は彼此に攻伐し勢力の強横なる臣子は君位を図謀して応期は当年を出ず。王良は天子の馭手の星で車馬の馳駆を主り、この星が一旦乱れれば、すなわち車騎・征戦の事に対応す。
填星犯閣道 二十九
石氏曰:“填星犯守閣道而絕漢者,為九州異政,各主其土,天下兵,期二年。”
石氏はいう、土星が「閣道」の諸星を侵犯して停留して銀河を横断して過れば、九州が各々その政を行して互いに統属せず各々一方の土地に拠って自ずから主張を作し天下はこれに因って兵を興すを主り応期は二年。閣道は紫宮より営室に通ずる復道で本より王者の出入・往来の通路、この路が土星に阻絶せられ、正しく政令が四方に貫通できぬを象徴す。
填星犯附路 三十
石氏曰:“填星守附路,大僕有罪,若誅;一曰馬多死,道無乘馬者。”
石氏はいう、土星が「附路」星の上に停留せば、車駕を掌管する太僕はまさに罪を獲り甚だしきは処死に至らんとし、別の一種の説には馬匹は大量に死亡して路上に再び騎馬の人を見ざるべしとす。附路は閣道の傍の輔道の星で車駕の行止を主り、ゆえにそれの変異は馬を掌る官と車馬の本身に応ず。
填星犯天大将軍 三十一
郗萌曰:“填星入天大將軍,與軍者吉。”石氏曰:“填星犯守天大將軍,為大將困;若有死者。”
郗萌はいう、土星が「天大将軍」の星区に入れば、軍事に参与する人は反って吉利なり。石氏はいう、土星が侵犯して天大将軍の上に停留せば、大将が困境に陥るを主り甚だしきは人がこれに因って命を喪う。天大将軍は天上の兵衆を統領し、ゆえに同一の星象が軍に従う者と主将の身の上にて吉凶は各々異なり、占候のときは当に分かちて看待すべし。
填星犯大陵 三十二
石氏曰:“填星入大陵,國有喪,大臣有誅,若戮死;人民死者半,皆不出其年。”
石氏はいう、土星が「大陵」の星区に入れば、国中にまさに喪事あらんとして大臣は誅されて甚だしきは屍を陳べて衆に示す極刑を遭り、百姓の死亡は半ばを過ぎ、これらはいずれも当年の内に応験す。大陵は屍を積み葬を聚める星で本より死喪を主り、土星がその中に進入し、ゆえに災応は格外に惨重なり。
填星犯巻舌 三十四
石氏曰:“填星乘捲舌,天下可喪。”又占曰:“填星入守捲舌,國有佞臣謀其君,以口捲舌,為人主有憂。”
石氏はいう、土星が上より「巻舌」星を凌圧せば、天下にまさに喪亡の事あらんとす。また一条の占辞にいう、土星が入って巻舌の中に停留せば、国内に奸佞の臣ありてその君主を謀算し一張の巧嘴を憑って是非を翻覆し君主はこれに因って憂患に身を纏わる。巻舌は本より口舌・讒譖を主り、ゆえにこの象は言語にて構陷する禍に応ず。
填星が五車を犯す 三十五
石氏曰:“填星犯五車,大旱,若有喪;一曰犯庫星,兵起北方,若西方;犯倉星,穀貴,若有水。”《海中占》曰:“填星入五車,兵大起,車騎行,五穀不成,天下民飢,若軍絕糧。”郗萌曰:“填星守天庫,以喪起兵國中。”
石氏はいう、土星が「五車」星を犯すのは、大旱魃があるか、あるいは丧事がある兆しである。もう一説には、土星が五車の中の「庫星」を犯すのは、兵事が北方から起こるか、あるいは西方から起こる。その中の「倉星」を犯せば、穀価が騰貴するか、あるいは水災が起こる。《海中占》にいう、土星が五車に入るのは、兵禍が大いに起こり、車騎が出動し、五穀が実らず、天下の民が飢饉に陥るか、あるいは軍中で糧が絶える兆しである。郗萌はいう、土星が「天庫」に留まるのは、国の中で丧事によって兵が起こる兆しである。五車はもともと兵車と倉廩を主る星官なので、この象は軍旅と年穀の二事に兼ねて応じるのである。
又占曰:“填星舍五車中央,大旱;又多蟲,在燕、伐。”又占曰:“填星舍五車東北、六畜蕃息,繒帛大賤;一曰天下多凶;舍東南,高田收,下田不收;又萬民多疾,無死者,民反壽;舍西南,布若棺槨並貴;舍西北,天下安寧。”又占曰:“填星守昴,東行至天高,復反五車;為邊兵發,有赦令。”
別の占辞にいう、土星が五車の中央に止宿するのは、大旱魃を主る。また虫害が多く、災いの及ぶ所は燕の地と伐星が主る分野である。さらに別の占辞にいう、土星が五車の東北角に止宿するのは、六畜が蕃殖して栄え、繒帛の値が大いに下がる兆しである。もう一説には天下に凶事が多い。東南角に止宿すれば、高い所の田は収穫があり、低い所の田は一粒も取れない。また百姓に疾病が多いが、死に至らず、かえって高寿を得る。西南角に止宿すれば、布と棺椁がいっしょに値上がりする。西北角に止宿すれば、天下は安寧で事なし。さらに別の占辞にいう、土星が昴宿に留まり、東へ行って「天高」星に至り、それからまた五車へ折り返すのは、辺境で兵が発し、同時に朝廷から赦令が下る兆しである。
填星が天関を守る 三十六
石氏曰:“填星行天關中,每至柳楊,當去不去,徘徊亂行,光色盛怒,見其妖祥,中國隔絕,道路不通。”郗萌曰:“填星守天關,貴人多死。”巫咸曰:“填星守天關,王者壅蔽,信使不達,若關梁不通。”郗萌曰:“填星行不從天關,不出其年,有兵。”
石氏はいう、土星が「天関」星の中を運行し、柳・楊あたりの位置に行き至るたびに、去るべきなのに去らず、往復徘徊して行度が乱れ、光色が盛烈に怒るがごとく、このような妖異の徴象を現すならば、中原と四方は隔絶し、道路は通じなくなる。郗萌はいう、土星が天関に留まるのは、貴人に死亡が多い兆しである。巫咸はいう、土星が天関に留まるのは、君王が壅蔽され、使者の音信が入ってこられないか、あるいは関隘・橋梁が阻まれて通じない兆しである。郗萌はまたいう、土星の運行が天関を循って過ぎないのは、応験はその年を出ず、戦事がある。天関は日月五星が出入りする門戸であり、この門にひとたび滞碍があれば、その応じる所はすべて隔絶・壅塞の事に尽きるのである。
填星が南北河を犯す 三十七
《黃帝占》曰:“填星乘南河戍,若出南河南,為中國。”石氏曰:“填星守南河,蠻夷兵起,邊城有憂;若旱災,人民飢。”《黃帝占》曰:“填星行南河戍中,若留止守之,為有喪。”《黃帝占》曰:“填星行南河戍中,若留止守之,為旱;一曰為有疾在民。”郗萌曰:“填星行南河戍中,若留止守之,為有喪。”
《黄帝占》にいう、土星が上から「南河戍」を凌圧するか、あるいは南河の南から穿ち出るのは、その応験は中原の国に落ちる。石氏はいう、土星が南河に留まるのは、四方の蛮夷が兵を起こし、辺境の城邑が憂患に遭うか、あるいは旱災が起こり百姓が飢饉する兆しである。《黄帝占》にいう、土星が南河戍の中を運行するか、あるいは滞留してその上を守候するのは、丧事を主る。《黄帝占》はまたいう、土星が南河戍の中を運行するか、あるいは滞留してその上を守候するのは、旱魃を主る。もう一説には百姓の中に疾病が流行する。郗萌はいう、土星が南河戍の中を運行するか、あるいは滞留してその上を守候するのは、丧事を主る。南河・北河は井宿の両側に並び立ち、さながら南北二つの関戍のごとく、華夏と夷狄の分界なので、この星官の占辞は多く中原と四夷とに分けて言うのである。
《黃帝占》曰:“填星出北河戍北,若乘之,為王死。”郗萌曰:“填星出河戍北,若乘之,為有女喪。”又占曰:“填星守北河戍西,五穀無實。”又占曰:“填星失度,守陰門若陽門,皆為諸侯奸。”《玄冥占》曰:“北主死,天下大水,人民飢,期不出二年之內。”
《黄帝占》にいう、土星が「北河戍」の北から穿ち出るか、あるいは上からこれを凌圧するのは、君王の死亡を主る。郗萌はいう、土星が河戍の北から穿ち出るか、あるいは上からこれを凌圧するのは、女眷の喪を主る。別の占辞にいう、土星が北河戍の西に留まるのは、五穀が実らない兆しである。また別の占辞にいう、土星の運行が常度を失い、陰門または陽門に留まるのは、いずれも諸侯が奸謀を抱く兆しである。《玄冥占》にいう、北方の主が死亡し、天下に大水が発し、百姓が飢え、応期は二年を出ない。北河は陰門と称し、南河は陽門と称し、天上の南北二つの関口なので、この象は君主と諸侯の存亡に落ちるのである。
郗萌曰:“填星經南河戍之南,刑法峻暴,誅伐不當;經北河戍之北,以女子、金錢、貪色、奢侈,失治道,期三年。”又占曰:“填星守南北河戍,賜爵祿,不出六十日,有赦;一曰有土功事。”《黃帝占》曰:“填星出北河戍間,若留守北戍;若居南河戍間,若守南戍;為天下有難起,道路不通。”
郗萌はいう、土星が南河戍の南を経過するのは、刑法が厳酷・暴虐で、誅殺・征伐が当を失する兆しである。北河戍の北を経過するのは、君王が姫妾・財貨・女色と奢侈に溺れ、それによって治国の道を失う兆しで、応期は三年である。別の占辞にいう、土星が南河戍・北河戍に留まるのは、朝廷が爵位・俸禄を頒賜し、六十日を出ずして赦令がある兆しである。もう一説には土木の工役を興すことになる。《黄帝占》にいう、土星が北河戍の間から穿ち出るか、あるいは滞留して北戍を守候するか、あるいは南河戍の間に入るか、あるいは留まって南戍を守候する――これらはいずれも天下に禍難が興起し、道路が通じない兆しである。
填星が五諸侯を犯す 三十八
石氏曰:“填星犯五諸侯,若守之,兵大起,將士出,諸侯有死者。”巫咸曰:“填星入五諸侯,伺其出日而數之,二十日,兵發;伺其入處之率,一日期十日,軍罷。”石氏曰:“填星中犯乘守五諸侯,兵死,期三年。”郗萌曰:“填星中犯乘守五諸侯,為所中乘守者,諸侯有殃;期三年,兵發。”
石氏はいう、土星が「五諸侯」を犯すか、あるいはその上に留まるのは、兵禍が大いに起こり、将士が出征し、諸侯の中に死亡する者がある兆しである。巫咸はいう、土星が五諸侯に入ったら、その出て行く日を睨んでその日から数え、二十日後に兵を発する。またその滞留した所の进度に照らして推算し、土星がその中に一日留まれば、十日を期とし、期が至れば軍隊は解散する。石氏はいう、土星が正面から冲犯・凌圧して五諸侯に留まるのは、士卒が戦陣に死ぬ兆しで、応期は三年である。郗萌はいう、土星が正面から冲犯・凌圧して五諸侯に留まるのは、冲され圧されたその一つが主る諸侯に災殃がある。応期は三年で、期が至れば兵事が発動する。
填星が積水を犯す 三十九
巫咸曰:“填星犯守積水,其國有水災,萬物不成,魚鹽貴,一曰以水為敗,糴大貴,人民飢,期二年。”
巫咸はいう、土星が「積水」星を犯してその上に留まるのは、その分野の国に水災があり、万物が成熟せず、魚と塩が値上がりする兆しである。もう一つの説には、水患によって敗亡に至り、糧を買う値が暴騰し、百姓が飢え、応期は二年である。積水星は水を蓄え漿を貯えることを主るので、この象の応じる所はすべて水患と糧価にある。
填星が積薪を犯す 四十
甘氏曰:“填星守積薪,天下旱,五穀不登,人民飢亡。”
甘徳はいう、土星が「積薪」星に留まるのは、天下に大旱魃があり、五穀が歉収し、百姓が飢えて死ぬ兆しである。積薪は柴薪を積み重ねた象で、火の用に属する。土星が久しくその上に踞るので、旱魃の虐げと年成の不登に応じるのである。
填星が水位を犯す 四十一
石氏曰:“填星守犯水位,天下水為害,津關不通;一曰大水入城郭,傷人民,不出二年。”
石氏はいう、土星が「水位」星に留まりかつ犯すのは、天下に水患が災いを成し、渡口と関卡が阻まれて通じない兆しである。もう一つの説には、大水が城郭に灌ぎ込み、百姓を淹れ傷つけ、応験は二年を出ない。水位の四星は輿鬼・柳宿の北に列なり、水衡の官と水量の漲落を主る。この星が犯を受けるので、洪澇にそのまま応じるのである。
填星が軒轅を犯す 四十二
《黃帝占》曰:“填星行軒轅中,犯女主,女主失勢;(失勢者,憂喪也。)列大夫有放逐者;五官有治者。色悴,為憂,為疾;其所中犯乘守者誅;若有罪。”石氏曰:“填星在軒轅中,有以女子謀人君者。”又占曰:“填星守軒轅,天下大赦。”
《黄帝占》にいう、土星が「軒轅」星群の中を運行し、その中の女主星を犯すのは、女主が権勢を失う兆しである(原書小注:いわゆる失勢とは、憂患と喪亡に遭うことである)。朝列の大夫には放逐される者があり、五官の職には追及されて罪に問われる者がある。もし土星の光色が枯暗ならば、憂愁を主り、疾病を主る。およそそれに正面から冲犯され、凌圧され、留守されたその星が主る人は、皆誅されるか、あるいは罪を得る。石氏はいう、土星が軒轅の中に留まるのは、女子を借りて君主を計る者がある兆しである。別の占辞にいう、土星が軒轅に留まるのは、天下に大赦が行われる兆しである。
甘氏曰:“填星守軒轅,天下大亂,後宮破散,改政易王;人主以赦除咎,期三年。”《黃帝占》曰:“填星守犯女主,女主當之;中犯女,主女主憂。”巫咸曰:“填星行犯守軒轅,女主失政,若失賊;一曰大臣當之,若出黜者,期二年。”(《宋書天文志》曰:晉穆帝昇平二年十二月辛卯,填星犯軒轅大星,三年十月,豫州刺史謝萬入朝,眾潰而歸,除名為民,十一月,司徒會稽王以二鎮敗,求自貶三等也。)
甘徳はいう、土星が軒轅に留まるのは、天下が大いに乱れ、後宮が離散して壊れ、政令が更改し君王が易位する兆しである。君主は赦免を頒行して灾咎を消解し、応期は三年である。《黄帝占》にいう、土星が女主星に留まりかつ犯すのは、灾いは女主が当たる。正面から女主星を冲犯すれば、女主の憂愁を主る。巫咸はいう、土星が運行して軒轅を犯し留まるのは、女主が主政の権を失うか、あるいは乱賊に遭う兆しである。もう一説には灾いは大臣が当たり、あるいは貶斥・罷黜される者があり、応期は二年である。(原書小注が《宋書・天文志》を引いていう、晋の穆帝升平二年十二月辛卯の日、土星が軒轅大星を犯した。升平三年十月、豫州刺史の謝万が入朝し、率いる部曲は潰散して帰り、名籍を除かれて平民に貶められた。十一月、司徒会稽王は二か所の軍鎮の敗績によって、自ら請うて三等を降級した。)
石氏曰:“填星中犯乘守軒轅大民星,大飢大流,太后宗有誅者,若有罪;中犯乘守少民星,小飢小流,皇后宗有誅者,若有罪。”石氏曰:“填星入軒轅中,犯乘守之,有逆賊,若火災。”
石氏はいう、土星が正面から冲犯・凌圧して軒轅の「大民」星に留まるのは、大飢饉・大々的な流亡を主り、太后の一族に誅される者があるか、あるいは罪を得る。正面から冲犯・凌圧して「少民」星に留まるのは、小飢饉・小規模の流亡を主り、皇后の一族に誅される者があるか、あるいは罪を得る。石氏はまたいう、土星が軒轅の中に入り、犯し、凌圧し、その上に留まるのは、叛逆の賊があるか、あるいは火災が発生する兆しである。軒轅は后妃と黄龍の体を象徴するので、この象の応じる所はすべて宮闈と宗戚に尽きる。
填星が少微を犯す 四十三
石氏曰:“填星入少微,君當求賢佐;不求賢佐,則失威奪勢矣。”石氏曰:“填星犯守少微,名士有憂;王者任用小人,忠臣被害,有死者。”《黃帝占》曰:“填星入中犯乘守少微,為宰相易;又曰為女主有憂。”石氏曰:“填星入中犯乘守少微,為五官亂,宰相有憂。”
石氏はいう、土星が「少微」星区に入るのは、君主は賢能の輔佐を訪求すべきである。もし賢佐を求めなければ、威信が失われ権勢を奪われる。石氏はまたいう、土星が少微を犯してその上に留まるのは、名望ある士人が憂患に遭う兆しである。君王が小人を任用すれば、忠臣が陥れられ、さらにはこれによって身が死する者さえある。《黄帝占》にいう、土星がその中に入り、冲犯・凌圧して少微に留まるのは、宰相が更換される兆しである。またいう、女主に憂患がある。石氏はいう、土星がその中に入り、冲犯・凌圧して少微に留まるのは、五官の職守が混乱し、宰相に憂いがある。少微の四星は処士と隠逸の賢を主るので、この象はもっぱら用人の得失に応じる。
填星が太微を犯す 四十四
陳卓曰:“填星犯太微,女主持政,大夫執綱。”《荊州占》曰:“填星入太軌道,吉;輕道者,入西門,出東門;若左右掖門,行不留也;不執道者,謂有所犯守也。”石氏曰:“填星出東掖門,為相受命,東南出德事也;出西掖門,為將受命,西南出刑事也。期以春夏。”
陳卓はいう、土星が「太微」垣を犯すのは、女主が朝政を執り、大夫が綱紀を把持する兆しである。《荊州占》にいう、土星が太微に入って正軌に循って運行するのは吉である。いわゆる「軽道」とは、それが西門から入り東門から出るか、あるいは左右掖門を経由し、一路行きて滞留しないことをいう。いわゆる「不執道」とは、それが垣中の諸星に対して侵犯・停留することをいう。石氏はいう、土星が東掖門から出て行くのは、宰相が命を受け、東南方から出発して施恩・布徳の事を行う。西掖門から出て行くのは、将帥が命を受け、西南方から出発して刑戮・征伐の事を行う。応期は春夏の二季にある。
《荊州占》曰:“填星入太微宮,皆為天子大驚;一曰有兵;又曰入天庭,不安。”《黃帝占》曰:“填星入天庭,色白潤澤,為期百八十日,有赦。”《荊州占》曰:“填星道西番,入留止南門者,皆為大臣有憂。”石氏曰:“填星入太微中華東西門,若左右掖門,而南出端門者,為有大臣叛。”郗萌曰:“填星入太微,有德令。”
《荊州占》にいう、土星が太微宮に入るのは、いずれも天子が大いに驚擾される兆しである。もう一説には兵事がある。またいう、土星が天庭に入るのは、朝廷が安寧を得ない兆しである。《黄帝占》にいう、土星が天庭に入り、光色が白く潤沢ならば、百八十日を期として赦令が頒行される。《荊州占》にいう、土星が西藩に沿って一路来て、入った後に南門に滞留するのは、いずれも大臣に憂患がある兆しである。石氏はいう、土星が太微の中華東門・中華西門から、あるいは左右掖門から入り、南面の端門から出るのは、大臣の叛変がある兆しである。郗萌はいう、土星が太微に入るのは、恩を施す徳政の号令がある兆しである。
石氏曰:“填星入西門,出東門,皆為人君不安,欲求賢佐;入中華西門,出中華門間,為臣出令;入太陰西門,出太陰東門,皆為天下大亂;有喪,若大水。”《春秋緯合誠圖》曰:“填星入中華闕門者,為臣殺主之候。”
石氏はいう、土星が西門から入り東門から出るのは、いずれも君主が心中安らかでなく、賢能の輔佐を訪求しようとする兆しである。中華西門から入り、二つの中華門の間から出るのは、号令が臣下から発せられる兆しである。太陰西門から入り太陰東門から出るのは、いずれも天下が大いに乱れる兆しである。丧事があるか、あるいは大水が発する。《春秋緯・合誠図》にいう、土星が中華闕門に入るのは、臣子が君主を弑殺する先の兆しである。
《黃帝占》曰:“填星東行入太微廷,出東門,天下有兵,急;若守將、相丞、御史、大臣有死者;若入端門守廷,大禍至;入南門,出東門,國大旱;若入南門,南行出西門,國有大水;逆行入東門,出西門,大國破亡;若順入西蕃,而留不去,楚國凶殃。”
《黄帝占》にいう、土星が東へ運行して太微朝廷に入り、再び東門から出るのは、天下に兵があり、形勢が危急である兆しである。あるいは辺を守る将領・丞相・御史と朝中の大臣に死亡する者がある。もしそれが端門から入って朝廷の内に滞留するならば、大禍が臨頭する。南門から入り東門から出るのは、国の中に大旱魃がある。もし南門から入って南へ行き西門から出るならば、国の中に大水が発する。逆行して東門から入り西門から出るのは、大国が破敗・滅亡する。もし順行して西藩に入り滞留して去らないならば、楚の地に凶殃がある。
郗萌曰:“填星入西門,犯天庭,出端門,皆為大臣伐主;入西門,西折出右掖門,皆為大臣假主之威,而不從主命。”石氏曰:“填星逆行太微之中,及出門左右掖門者,有逆謀;天子有命將征伐之事;一曰大赦可以解其患也。”郗萌曰:“填星當左右執法,為受事;守太微門三日以下,為受制;三日以上,為兵、為賊、為亂、為飢。”
郗萌はいう、土星が西門から入り、天庭を犯し、再び端門から出るのは、いずれも大臣が君主を討伐する兆しである。西門から入り、西へ一折して右掖門から出るのは、いずれも大臣が君主の威権を借りて事を行いながら、君主の命令に聴き従わない兆しである。石氏はいう、土星が太微の中で逆行し、および垣門または左右掖門から出るのは、叛逆の図謀がある兆しである。天子に将帥を任命して兵を出し征討する事がある。もう一説には大赦を頒行すればこの禍患を化解できる。郗萌はいう、土星がちょうど左執法・右執法の位に当たるのは、政事を受理する兆しである。太微門に留まること三日に満たなければ、詔命を奉受する兆しである。三日を超えれば、兵を主り、賊を主り、乱を主り、飢を主る。
《荊州占》曰:“填星中犯左右執法,執法者誅,若有罪。”《荊州占》曰:“填星入太微,從右入七日以上,皆為人主憂。”巫咸曰:“填星逆行,入太微天庭中,為大臣有誅;若諸侯戮死;期二年。”石氏曰:“填星入太微廷,所中犯乘守者,皆為天子所誅,若有罪。”石氏曰:“填星守太微宮,必有破國、易世、改王。”
《荊州占》にいう、土星が正面から左執法・右執法を冲犯するのは、執法の官が誅されるか、あるいは罪を得る兆しである。《荊州占》はまたいう、土星が太微に入り、右から入って七日以上留まるのは、いずれも君主に憂いがある兆しである。巫咸はいう、土星が逆行して太微天庭の中に入るのは、大臣が誅されるか、あるいは諸侯が処刑される兆しで、応期は二年である。石氏はいう、土星が太微朝廷に入り、およそそれに正面から冲犯され、凌圧され、留守されたその星が主る人は、皆天子に誅殺されるか、あるいは罪を得る。石氏はまたいう、土星が太微宮に留まるのは、必ず国破・易代・君王更換の事が発生する。
(案《宋書天文志》曰:晉安帝義熙十四年八月癸酉,填星太微中。犯右執法,因留太微,積二百餘日乃去,是年高祖受宋公,恭帝元年七月,受宋王二年三月庚午。填星犯太微,六月晉帝遜位,高祖入宮。)《荊州占》曰:“填星有留太微廷中,皆為天下大憂;中央留十日以上,皆為天下有亡徒為兵者。”《黃帝占》曰:“填星干太微,留守三十日以上,必為有革,天下大赦。”
(原書小注:《宋書・天文志》の記載を調べるに、晋の安帝義熙十四年八月癸酉の日、土星が太微の中を行き、右執法を犯し、このまま太微に滞留し、累計二百余日にして去った。この年、宋の高祖劉裕は宋公に封ぜられ、恭帝元年七月、また宋王に封ぜられた。二年三月庚午の日、土星が再び太微を犯し、六月、晋帝は位を退き国を譲り、高祖は宮中に入り居した。)《荊州占》にいう、土星が太微朝廷の中に滞留するのは、いずれも天下に大憂患がある兆しである。正中に十日以上滞留するのは、いずれも天下に流亡の徒が聚まって兵となる兆しである。《黄帝占》にいう、土星が太微を冲犯し、滞留・守候すること三十日以上ならば、必ず変革の事があり、天下に大赦が行われる。
郗萌曰:“填星逆行,入左掖門,皆為臣劫其主;又入東門,至黃帝座,出西門,皆為臣欲弒主,不成。”陳卓曰:“填星逆行執法四輔,若還繞守之,所守者有憂;若死亡,近期一年,遠期五年。”
郗萌はいう、土星が逆行し、左掖門から入るのは、いずれも臣下がその君主を劫持する兆しである。また東門から入り、行って黄帝座に至り、再び西門から出るのは、いずれも臣下に弑君の意があるが、ただ得逞しない兆しである。陳卓はいう、土星が逆行して執法と四輔の諸星に至るか、あるいは回環して繞行しその間に留まるのは、それに守候されたその星が主る人に憂患があり、さらにはこれによって死亡し、近ければ一年、遠ければ五年で応験する。
填星が黄帝を犯す 四十五
石氏曰:“填星犯黃帝座,改政易王,天下亂,存亡半;期三年。”石氏曰:“填星入太微,干黃帝座,其女主執政,用威勢。”《荊州占》曰:“填星入黃帝座,其色白者,為有赦。”又占曰:“填星觸黃帝座星,賊死。”《黃帝占》曰:“填星守黃帝座,為人主憂。”
石氏はいう、土星が「黄帝座」を犯すのは、政令が更改し君王が易位し、天下が大いに乱れ、存する者と亡ぶ者が半々となる兆しで、応期は三年である。石氏はまたいう、土星が太微に入り黄帝座を冲犯するのは、女主が朝政を執り、威権・勢力を濫用する兆しである。《荊州占》にいう、土星が黄帝座に入り、光色が白く発するのは、赦令がある兆しである。別の占辞にいう、土星が黄帝座星に触れるのは、乱賊が身を死する兆しである。《黄帝占》にいう、土星が黄帝座に留まるのは、君主に憂いがある兆しである。黄帝座は太微垣の中枢で、天子の位を象徴するので、それが犯を受ければそのまま人君の安危に応じる。
《荊州占》曰:“填星逆行入太微天廷中者,為諸侯將有弒主者,至黃帝座而成;不至黃帝座而還,有謀不成;以其入日占國。”《洛書摘亡闢》曰:“填星逆行黃帝座,亡君之戒。”
《荊州占》にいう、土星が逆行して太微天庭の中に入るのは、諸侯の中に君を弑する人が現れる兆しである。土星がずっと行って黄帝座に至れば、弑逆の事が成就する。もし黄帝座に及ばず折り返せば、それは陰謀が得逞しなかったのである。どの国に応じるかは、それが天庭に入った日の値する分野を見て推断する。《洛書摘亡辟》にいう、土星が逆行して黄帝座に至るのは、君主が亡びようとしている警戒の兆しである。
填星が四帝座を犯す 四十六
石氏曰:“填星犯守四帝座,臣謀主;去之一尺,事不成。又占曰:填星中犯乘守四帝座,闢憂。”甘氏曰:“填星中犯乘守四帝座,天下亡。”
石氏はいう、土星が「四帝座」を犯しその上に留まるのは、臣下が君主を図謀する兆しである。もし土星がそれを離れてすでに一尺の遠さがあれば、謀事は成就できない。別の占辞にいう、土星が正面から冲犯・凌圧して四帝座に留まるのは、君主に憂いがある兆しである。甘徳はいう、土星が正面から冲犯・凌圧して四帝座に留まるのは、天下に亡国の禍がある兆しである。四帝座は黄帝座の四つ傍らに列なり、四方の帝を分かち主るので、この象はそのまま君権の安危に応じる。
填星が屏星を犯す 四十七
甘氏曰:“填星犯守屏星,君臣失禮,謀上;一曰大臣有戮死者。”石氏曰:“填星中犯乘守屏星,為君臣失禮,而輔臣有誅者;若免罷去。”
甘徳はいう、土星が「屏星」を犯しその上に留まるのは、君臣の間で礼節を失い、臣下が君上を図謀する兆しである。もう一つの説には、大臣の中に処刑される者がある。石氏はいう、土星が正面から冲犯・凌圧して屏星に留まるのは、君臣が礼を失い、輔政の臣に誅される者があるか、あるいは免職・罷黜されて去る。屏星は内外を遮蔽する障屏の象で、屏障がひとたび失守すれば、君臣の名分もまた乱れるのである。
填星が郎位を犯す 四十八
甘氏曰:“填星犯守郎位,輔臣有謀,左右宿衛者為亂,王者宜備之。”
甘徳はいう、土星が「郎位」の諸星を犯しその上に留まるのは、輔政の臣が暗に謀を抱き、君主の左右で宿衛する人が乱を作そうとしている兆しで、君王はあらかじめ防備すべきである。郎位は宿衛・侍従の官星で、帝座の側に環列する。この星に変があれば、禍患は肘腋の間に出るのである。
填星が郎将を犯す 四十九
巫咸曰:“填星犯守郎將者,命曰凌,凌則將有誅,若將憂;一曰大臣為亂,戒慎左右。”《荊州占》曰:“填星中犯乘守即將,必有不還之使。”
巫咸はいう、土星が「郎将」星を犯しその上に留まるのは、この情形を「凌」と称する。ひとたび凌を成せば、将帥が誅されるか、あるいは将帥が憂患に遭う兆しである。もう一つの説には、大臣が乱を作し、君主は身辺の人に対して格別に警惕・謹慎すべきである。《荊州占》にいう、土星が正面から冲犯・凌圧してこの将星に留まるのは、必ず外に出使して一たび去って返らない使臣がある。
填星が常陳を犯す 五十
甘氏曰:“填星犯守常陳,守衛有謀;近起宮中,天子自出行,誅,期百八十日,遠一年。”
甘徳はいう、土星が「常陳」星を犯しその上に留まるのは、宿衛の士が暗に謀を抱く兆しである。禍乱は近く宮禁の内から発し、天子は自ら宮を出て巡行し、手を下して誅除せざるを得ず、応期は百八十日、遅ければ一年である。常陳の七星は天子の護衛武士の象で、この星が犯を受けるので、変故は禁軍の中に生じるのである。
填星が三台を犯す 五十一
《玉曆》曰:“填星入犯上臺,司命近臣有罪,若有誅;一曰近臣有逃走者。以五色:黃、白,無咎;青、黑,憂、死喪,期一年。”巫咸曰:“填星犯守下臺,司祿近臣有罪,若出走;色黑者死。”
《玉暦》にいう、土星が入って三台の中の「上台」を犯すのは、司命の職の近臣が罪を得て、さらには誅される兆しである。もう一つの説には、近臣の中に逃亡する者がある。土星の五色によって分かち辨えるべきである。黄色・白色を呈するのは、災禍がない。青色・黒色を呈するのは、憂患と死喪を主り、応期は一年である。巫咸はいう、土星が「下台」を犯しその上に留まるのは、司禄の職の近臣が罪を得るか、あるいは外に出逃する兆しである。土星の色が黒く発するのは、その人が死ぬ。
填星が相星を犯す 五十二
石氏曰:“填星犯相星,輔臣凶。”
石氏はいう、土星が「相星」を犯すのは、輔政の大臣に凶険がある兆しである。相星はただ一つで、北斗の南に位し、もっぱら宰輔の位を主る。土星がこの星に逼り犯すので、凶咎はそのまま当朝の宰相の身に落ちる。
填星が太陽守を犯す 五十三
甘氏曰:“填星守犯太陽守,大臣戮死;若有誅,期不出年。”
甘徳はいう、土星が「太陽守」星に留まりかつ犯すのは、大臣が処刑されるか、あるいは誅戮に遭う兆しで、応期はその年を出ない。太陽守は北斗魁の傍にあり、大臣と将軍の守御の職を主る。この星が土星に据えられるので、重臣の生死に応じるのである。
填星が天牢を犯す 五十四
《海中占》曰:“填星犯天牢,王者以獄為弊;貴人多有擊者。”
《海中占》にいう、土星が「天牢」星を犯すのは、君王が刑獄の事に困らされて弊政を生じる兆しである。貴人の中には拘捕され拷掠される者が多い。天牢の六星は北斗魁の下にあり、貴人を収繫する牢獄を主るので、それが犯を受ければもっぱら囚禁の事に応じる。
填星が文昌を犯す 五十五
石氏曰:“填星入文昌,天下兵起,其臣不安,若有走主。”《荊州占》曰:“填星入文昌,國安。”
石氏はいう、土星が「文昌」六星に入るのは、天下に兵が興り、臣子が安寧を得られず、あるいは君主を背き捨てて出逃する者がある兆しである。《荊州占》にいう、土星が文昌に入るのは、国家が安定する兆しである。文昌は文治と六府の職を主る。二家の占辞は吉凶が相反するので、まさに星色の明晦と行度の遅速を参看して定奪すべきである。
填星が北斗を犯す 五十六
郗萌曰:“填星入守北斗中,貴人擊。”
郗萌はいう、土星が「北斗」魁の中に入り留まるのは、貴人が拘捕・撃辱を受ける兆しである。北斗は天帝の車駕で、中央に運して四方を臨制し、号令の出づる所である。土星が久しくその中を占めるので、顕貴の人が真っ先にその冲に当たるのである。
填星が紫宮を犯す 五十七
巫咸曰:“填星守紫宮,民莫處其室宅,流移亡其鄉。”又占曰:“填星入紫宮,王者益地,一天下有喜;一曰主敬妃后。”又占曰:“填星入紫宮中,若守之,女主用事,誅大臣;期六十日,有赦。”
巫咸はいう、土星が「紫宮」の内に留まるのは、百姓が自分の屋舎に安居することができず、流離・迁徙して故郷を失う兆しである。別の占辞にいう、土星が紫宮に入るのは、君王が疆土を増広し、天下がともに喜びを得る兆しである。もう一説には君主が妃后を格別に敬重する。さらに別の占辞にいう、土星が紫宮の中に入るか、あるいはその間に留まるのは、女主が権を当て事を用い、大臣を誅殺する兆しで、応期は六十日、期が至れば赦令がある。紫宮は天帝の居処なので、一つの星がその中に入れば、吉凶はいずれも至尊に関わるのである。
填星が北極を犯す 五十八
《甄曜度》:“填星乘守中犯北極主星,有大喪;若犯妃后星,女主有殃;一曰大人當之。”《黃帝占》曰:“填星犯守鉤陳,後宮亂,兵起宮中,倖臣王者憂。”
《甄曜度》にいう、土星が凌圧・停留し正面から「北極」の主星を冲犯するのは、大喪を主る。もし犯したのがその中の妃后星ならば、女主が殃に遭う兆しである。もう一つの説には、災いは君主本人が当たる。《黄帝占》にいう、土星が「鉤陳」を犯しその上に留まるのは、後宮が淫乱し、兵変が宮禁の中から起こり、寵幸の臣がその中から事を生じ、君王がこれに憂える兆しである。
填星が天一を犯す 五十九
石氏曰:“填星犯天一,倖臣有謀;有兵起,人主憂。”
石氏はいう、土星が「天一」星を犯すのは、寵幸を受ける近臣が暗に図謀する兆しである。兵事が興起し、君主がこれに憂える。天一星は紫宮門の外にあり、天帝の神主で、戦闘を主り、人の吉凶を知ることができる。この星が犯されるので、近幸の変と干戈の驟起に応じるのである。
填星が太一を犯す 六十
石氏曰:“填星守太一,倖臣有謀;兵起,人主憂。”
石氏はいう、土星が「太一」星に留まるのは、寵幸を受ける近臣が別に図謀を持つ兆しである。兵事が興起し、君主がこれに憂心する。太一は天一と並んで紫宮門の外に列なり、天帝の別名の神で、十六神を役使し風雨・水旱を知ることができることを主る。土星が久しくその上に踞れば、君側の患と兵革の憂いがあわせて現れるのである。
開元占経 巻四十四
填星占 七
填星が石氏外官を犯す 一
填星が庫楼を犯す 一
郗萌曰:“填星入庫樓,兵出。”又占曰:“填星入天庫,以舉兵,大吉。”
郗萌はいう、土星が「庫楼」諸星に入るのは、軍隊が出動する兆しである。別の占辞にいう、土星が「天庫」に入り、この時に兵を興すのは大いに吉利である。庫楼の十星は角宿の南にあり、兵車と武庫の象である。土星がその中に入って吉を占めるのは、まさに土星が徳を主り、厚重を主る本性に合い、出兵に備えあれば師出に功があるのである。
填星が南門を犯す 二
石氏曰:“填星犯守南門,邊兵起;若道路不通。”
石氏はいう、土星が「南門」二星を犯しその上に留まるのは、辺境に兵が興るか、あるいは道路が阻塞して通じない兆しである。南門は庫楼の南にあり、天上の外門で、辺を守る関口の象である。この門が犯されるので、辺警と道路の断絶に応じる。
填星が平星を犯す 三
石氏曰:“填星犯平星,凶。”甘氏曰:“填星犯平星,執政臣憂;若有罪,誅者期一年。”
石氏はいう、土星が「平星」を犯すのは、凶を主る。甘徳はいう、土星が平星を犯すのは、朝政を執掌する大臣に憂患があるか、あるいは罪を得て、誅殺される応期は一年である。平星の二星は庫楼の北にあり、刑法の平允を司る官を主る。この星が犯を受けるので、災いの応は権を当て法を持つ人の身に帰する。
填星が騎官を犯す 四
甘氏曰:“填星犯守騎官,有兵起,馬多發;若多死。”
甘徳はいう、土星が「騎官」諸星を犯しその上に留まるのは、兵事が興起し、馬匹を大々的に徴発するか、あるいは馬匹が大量に死亡する兆しである。騎官の二十七星は氐宿の南に列なり、天子の騎兵禁衛の象なので、この象の応じる所はすべて戎馬の事に尽きる。
積卒を犯す 五
石氏曰:“填星入積卒,若守之,兵大起,士卒大行;若多死,期二年。”
石氏はいう、土星が「積卒」星区に入るか、あるいはその上に留まるのは、兵禍が大いに起こり、士卒が大挙して出発するか、あるいは死者が多数となる兆しで、応期は二年である。積卒の十二星は房宿の南にあり、兵卒を屯聚する象である。土星がこれに臨めば、征役と死傷が相次いで来る。
填星が亀星を犯す 六
《海中占》曰:“填星犯守龜星,天下有水旱之災;守陽,則旱;守陰,則水。”
《海中占》にいう、土星が「亀星」を犯しその上に留まるのは、天下に水旱の災がある兆しである。亀星の南側の陽位に留まれば旱魃を主り、北側の陰位に留まれば水を主る。亀はもともと卜筮で神に通ずる物であり、その星は尾宿の南にあるので、この星の占う所はまさに天時の水旱の両端に落ちる。
填星が傅説を犯す 七
石氏曰:“填星犯守傅說,王者宗廟廢五祀,後宮凶;一曰有絕嗣君,期不出二年。”
石氏はいう、土星が「傅説」星を犯しその上に留まるのは、君王の宗廟が荒廃し五祀が修められず、後宮に凶事がある兆しである。もう一つの説には、子嗣を絶つ君主が現れ、応期は二年を出ない。傅説はもともと殷の高宗武丁が得た賢相で、伝える所では死後に身を星に託して尾宿に附したという。この星は後嗣と祭祀を主るので、その変異は宗廟と継嗣に応じるのである。
填星が魚星を犯す 八
石氏曰:“填星犯守魚星,凶。”甘氏曰:“填星守魚星之陽,為人旱,魚行人道;守陰,為大水,魚鹽貴。”
石氏はいう、土星が「魚星」を犯しその上に留まるのは、凶を主る。甘徳はいう、土星が魚星の南側の陽位に留まるのは、人間に大旱魃があり、水が涸れて魚が人の行く道路にまで泳ぎ上がるほどになる兆しである。北側の陰位に留まるのは、大水が発し、魚と塩の値が騰貴する兆しである。魚星は尾宿の後ろ、天河の中にあり、水族の象なので、もっぱら水旱を主る。
填星が杵星を犯す 九
《荊州占》曰:“填星入杵星,若守之,天下有急發米之事,不出其年。”
《荊州占》にいう、土星が「杵星」に入るか、あるいはその上に留まるのは、天下に米糧を緊急に調達・割り振る事があり、応験はその年を出ない。杵は臼と対になり、糧を舂く器具の象である。この星に変があれば、倉儲の食糧の急調に応じるのである。
填星が鼈星を犯す 十
《黃帝占》曰:“填星守鱉星,為有白衣之會。”巫咸曰:“填星守鱉星,國有水旱之災;守陽,則旱;守陰,則水。”
《黄帝占》にいう、土星が「鼈星」に留まるのは、「白衣の会」がある、すなわち丧事を執り行う兆しである。巫咸はいう、土星が鼈星に留まるのは、国の中に水旱の災がある。南側の陽位に留まれば旱魃を主り、北側の陰位に留まれば水を主る。鼈星は南斗の南にあり、亀星と同じく介甲の水族に属するので、その占辞もまた水・旱の二途に分かれる。
填星が九坎を犯す 十一
石氏曰:“填星守九坎,天下旱,河水不流,五穀不登,人民大飢;一曰之陽大旱,之陰有水。”
石氏はいう、土星が「九坎」諸星に留まるのは、天下に大旱魃があり、河水が断流し、五穀が歉収し、百姓が大いに飢える兆しである。もう一つの説には、土星が九坎の陽位に行けば大旱魃を主り、陰位に行けば水災を主る。九坎は牛宿の南にあり、溝渠に水を蓄える象で、坎は八卦の中でまさに水である。この星が土星に守られるのは、ちょうど水土が相制し旱澇が調を失する徴兆である。
填星が敗臼を犯す 十二
郗萌曰:“填星守敗臼,民不安其室,憂失其釜甑;若流移去其鄉。”
郗萌はいう、土星が「敗臼」星に留まるのは、百姓が自分の屋室に安居できず、鍋・釜・甑・甗といった炊具を失うことを愁え、さらには流離・迁徙して故郷を離れる兆しである。臼は米を舂く器具で、臼がすでに破敗すれば炊爨の事は論ずるところがない。ゆえにこの象はまっすぐ民生の飢困と流亡を指すのである。
填星が羽林を犯す 十三
郗萌曰:“填星入羽林,為叛臣中兵也。”《海中占》曰:“填星入守羽林,有兵起;若逆行變色,成勾巳,天下大兵,關梁不通,不出其年。”石氏曰:“填星人天軍,以喪兵起。”郗萌曰:“填星犯守天軍,為兵起,有破軍死將。”
郗萌はいう、土星が「羽林」諸星に入るのは、叛臣が禁軍の中で乱を作す兆しである。《海中占》にいう、土星が羽林に入り留まるのは、兵事が興起する兆しである。もしそれが逆行ししかも色を変え、行跡が屈曲して盤繞して「勾巳」の形を成すならば、天下に大いに干戈が動き、関隘・橋梁が阻まれて通じず、応験はその年を出ない。石氏はいう、土星が「天軍」に入るのは、丧事によって兵が起こる兆しである。郗萌はいう、土星が天軍を犯しその上に留まるのは、兵禍が興起し、軍隊の潰敗・将領の戦死がある兆しである。羽林の四十五星は営室の南にあり、天子の禁衛たる羽林軍の象なので、その変異は必ず兵事に応じる。
填星が北落師門を犯す 十四
石氏曰:“填星守北落師門,為兵起。”又占曰:“填星與北落師門相貫牴觸,光芒相及,有兵大戰,破軍殺將,伏尸流血,不可當也;期百八十日,若一年。”
石氏はいう、土星が「北落師門」に留まるのは、兵事が興起する兆しである。別の占辞にいう、土星と北落師門が互いに貫き抵触し、光芒が交じり触れ合うのは、大戦があり、軍隊が潰敗し将領が殺され、あたり一面に横死体が遍らず血流が河を成し、来勢は鋭く当たるべからずを主る。応期は百八十日、あるいは一年である。北落師門は天軍の営塁の大門で、この門が犯されれば、兵象もまた最も凶烈となる。
填星が土司空を犯す 十五
《海中占》曰:“填星守土司空,其國以土起兵;若有土功之事,天下旱。”
《海中占》にいう、土星が「土司空」星に留まるのは、その分野の国が土地を争って兵を起こすか、あるいは土木の工役を興し、天下がこれに伴って乾旱する兆しである。土司空は邦土と営造を掌り、土星自体もまた土功を主る。二者は同気相求なので、築作と旱情に応じるのである。
填星が天倉を犯す 十六
《黃帝占》:“填星入天倉戶中,主財寶出;君憂臣在內;天下有兵,而倉庫之戶俱開;主人勝,客事不成;期二十日中而發。”《荊州占》曰:“填星守天倉,天下飢粟出。”
《黄帝占》にいう、土星が「天倉」の倉門の中に入るのは、財貨・宝物が外流する兆しである。君主が憂え、臣下が内で権を当てる。天下に兵事があり、倉と庫の門戸がいっしょに開く。主方が勝ちを取り、客方は事を謀って成らず、応期は二十日以内に発動する。《荊州占》にいう、土星が天倉に留まるのは、天下に飢饉が起こり、倉を開いて糧を放つほかない兆しである。天倉の六星は婁宿の南にあり、穀を貯える所である。土星がこれに臨むので、倉廪の盈虚・出納に応じるのである。
填星が天囷を犯す 十七
石氏曰:“填星入天囷,天下兵起,囷倉儲積之物皆發用;一曰御物多有出者,庫倉空;期二年。”
石氏はいう、土星が「天囷」に入るのは、天下に兵が興り、囷倉に貯え蓄積した物資がすべて調発され使用される兆しである。もう一つの説には、御用に供する物品に流出が多く、府庫・倉廪がこれによって一空となる。応期は二年である。天囷の十三星は胃宿の南にあり、円形の穀倉の象で、天倉と同類で分かち主るので、この象もまた貯積の耗散に応じる。
填星が天廩を犯す 十八
石氏曰:“填星守天廩,天下大亂。”又占曰:“填星入守天廩,天下有兵,歲大飢,倉粟散;不出其年。”又占曰:“填星犯守天廩,天下亂,粟散,不出年。”
石氏はいう、土星が「天廩」に留まるのは、天下が大いに乱れる兆しである。別の占辞にいう、土星が天廩に入り留まるのは、天下に兵があり、年成が大飢饉で、倉中の粟米が散発されて一空となる兆しである。応験はその年を出ない。さらに別の占辞にいう、土星が天廩を犯し留まるのは、天下が大いに乱れ、粟米が散じ尽くし、その年を出ずして分かる。天廩の四星は昴宿の南にあり、御糧を蓄積することを主る。ひとたび土星に久しく踞られれば、貯糧は留まっていられないのである。
填星が天苑を犯す 十九
石氏曰:“填星入守天苑,牛羊禽獸多疾疫;若守之二十日,天下兵起,馬多死,其國憂。”
石氏はいう、土星が「天苑」に入り留まるのは、牛羊と禽獣に疫病が多く染まる兆しである。もし留まること満二十日ならば、天下に兵が興り、馬匹が大量に死亡し、その分野の国に憂患がある。天苑の十六星は昴宿・畢宿の南にあり、犠牲と馬牛を畜養する苑囿の象なので、それが犯を受ければもっぱら六畜の疾疫・死傷に応じる。
填星が参旗を犯す 二十
《海中占》曰:“填星守參旗,兵大起,弓弩用,士將出行;一曰弓矢貴。”
《海中占》にいう、土星が「参旗」諸星に留まるのは、兵禍が大いに起こり、弓弩が用に上がり、士卒と将領が外に出征する兆しである。もう一つの説には、弓と箭の値が騰貴する。参旗の九星は参宿の西にあり、またの名を天旗・天弓といい、弓弩の用を主るので、その変異はすべて軍械と征伐に応じる。
填星が玉井を犯す 二十一
《黃帝占》曰:“填星入玉井,強國失地,其出之,強國得地。”巫咸曰:“填星入玉井,國有水憂;若以水為敗,水物不成,期不出年。”
《黄帝占》にいう、土星が「玉井」に入るのは、強国が土地を失う兆しである。土星が玉井から出るのは、強国が土地を得る兆しである。巫咸はいう、土星が玉井に入るのは、国の中に水患の憂いがあるか、あるいは水によって敗亡に至り、水中に産する物が成熟せず、応期はその年を出ない。玉井の四星は参宿の左足の下にあり、水を取る井の象徴なので、この象は兼ねて疆土の得失と水事の成敗を主る。
填星が屏星を犯す 二十二
甘氏曰:“填星入屏,諸侯有謀,若大臣有戰死者;一為疫。”
甘徳はいう、土星が「屏星」に入るのは、諸侯が図謀を抱くか、あるいは大臣に戦場で戦死する人がある兆しである。もう一つの説には瘟疫が発生する。ここの屏星は玉井の南にあり、太微垣の中の屏星と同名で位置を異にし、遮蔽・掩蔵の象を取る。土星がその中に入るので、陰謀が隠れて彰らず、疫気が暗に流行する応があるのである。
填星が厠星を犯す 二十三
《黃帝占》曰:“填星守天廁,為大臣有戮。”
《黄帝占》にいう、土星が「天厠」星に留まるのは、大臣が誅戮を受ける兆しである。天厠の四星は屏星の東にあり、もともと穢悪の所である。尊貴の官と汚下の星が相值するのは、まさに大臣が羞を蒙り戮を受ける徴象である。
填星が軍市を犯す 二十四
石氏曰:“填星入守軍市,兵大起,將軍出;若以飢兵起。”
石氏はいう、土星が「軍市」に入り留まるのは、兵禍が大いに起こり、将軍が出征するか、あるいは飢饉によって兵乱を激起する兆しである。軍市の十三星は参宿の東南にあり、軍中で互市・貿易する所である。この星に変があれば、軍需と糧秣がこれに伴って動揺する。
填星が野鶏を犯す 二十五
甘氏曰:“填星入軍市,犯守野雞,其國凶;必有死將,軍營敗,兵士散走。”
甘徳はいう、土星が軍市に入り、またその中の「野鶏」星を犯して留まるのは、その分野の国に凶事がある兆しである。必ず将領の戦死があり、軍営が潰敗し、士兵が四散して奔逃する。野鶏の一星は軍市の中に居り、軍中に畜われる禽で、もともと変怪を主るので、それが犯を受ける応験は格別に惨烈である。
填星が狼星を犯す 二十六
石氏曰:“填星守狼星,野獸死。”《荊州占》曰:“填星守犯狼星,大將出行,其國有兵;一曰有死將。”
石氏はいう、土星が「狼星」に留まるのは、野獣に死亡が多い兆しである。《荊州占》にいう、土星が狼星に留まりかつ犯すのは、大将が出征し、その分野の国に兵事がある兆しである。もう一つの説には将領の戦死がある。狼星の一つは東井の東南にあり、色は白く芒角があり、侵掠を主る将星なので、この象は兼ねて田猟と征戦に応じる。
填星が甘氏中官を犯す 二
填星が四輔を犯す 一
《荊州占》曰:“填星犯乘守四輔星;君臣失禮,輔臣有誅者。”
《荊州占》にいう、土星が「四輔」星を侵犯・凌圧しその上に留まるのは、君臣の間で礼数を失い、輔政の臣に誅される人がある兆しである。四輔の四星は北極を挟み輔け、股肱の大臣が至尊を拱衛する象を成す。この星が犯されれば、君臣の間の分際もまたこれに伴って敗壊する。
填星が酒旗を犯す 二
《荊州占》曰:“填星守酒族,天下大酺,有酒肉財物賜若爵宗室。”
《荊州占》にいう、土星が「酒旗」星(原文は「酒族」と作る)に留まるのは、天下に大いに酺宴を開き聚飲し、朝廷が酒肉・財物を賞賜するか、あるいは宗室に爵位を加封する兆しである。酒旗の三星は軒轅右角の南にあり、宴饗・酒食の礼を主る。土星が久しくその上に踞るので、普天の歓宴・宗親への賞賚の応があるのである。
填星が天高を犯す 三
《荊州占》曰:“填星守天高,有大赦。”
《荊州占》にいう、土星が「天高」星に留まるのは、朝廷が大赦を頒行する兆しである。天高の四星は畢宿の北にあり、台観・楼榭の象で、君王が登臨して遠望する所である。土星がここに停駐するのは、まさに寛厚の徳が下に万民に及ぶので、赦宥を主るのである。
填星が天潢を犯す 四
《黃帝占》曰:“填星入天潢,兵起;運道不能。”《黃帝占》曰:“填星入天潢,為天下大亂;一曰貴人死。”巫咸曰:“填星出入天潢中,大亂、大旱,民死不葬,改世易主;以所入占四方中央。”郗萌曰:“填星失度,留潢中,為人主以水為害,若以井為害,以入日占其國。”《黃帝占》曰:“填星中犯乘守天潢,期二十日,兵起。”
《黄帝占》にいう、土星が「天潢」に入るのは、兵事が興起する兆しである。漕運の水路は通行できない。《黄帝占》はまたいう、土星が天潢に入るのは、天下が大いに乱れる兆しである。もう一説には貴人が死亡する。巫咸はいう、土星が天潢の中を出入り往来するのは、大乱・大旱を主り、百姓が死して葬り収める者なく、改朝・换代して君主が姓を易える。どこに応じるかは、それが入った方位に按じて東西南北と中央を分けて占う。郗萌はいう、土星の運行が常度を失い、天潢の中に滞留するのは、君主が水によって害を受けるか、あるいは井によって害を受ける兆しで、それが入った日に按じてどの国かを推占する。《黄帝占》にいう、土星が正面から冲犯・凌圧して天潢に留まるのは、応期は二十日で、期が至れば兵が起こる。天潢の五星は五車の中にあり、渡口・舟梁の象なので、この星の変は兼ねて水事と漕運を主る。
填星が咸池を犯す 五
甘氏曰:“填星入咸池,有兵喪,天子且以火為敗,失忠臣,若旱;一曰大水,道不通,貴人死;以入日占國。”郗萌曰:“填星入咸池,女子為亂若迷惑人主者。”
甘徳はいう、土星が「咸池」に入るのは、兵事と丧事がある兆しで、天子は火災によって挫折し、忠臣を失うか、あるいは旱情に遭う。もう一つの説には大水が発し、道路が通じず、貴人が死亡する。どの国に応じるかは、それが入った日に按じて推占する。郗萌はいう、土星が咸池に入るのは、女子の作乱があるか、あるいは美色をもって君主を惑わす兆しである。咸池の三星は五車の中にあり、伝える所では日が落ちて沐浴する所で、水に属して宴溺に近いので、その占辞は多く女禍と水火の災に関わる。
填星が天街を犯す 六
郗萌曰:“填星當天街,為諸侯自立為王;一曰大水。”石氏曰:“填星犯天街,徘徊亂行,主弱臣強,道路隔,令不行,不出其年,有兵。”又占曰:“填星留止,若逆行天街中者,皆為兵革起。”
郗萌はいう、土星がちょうど「天街」の位に当たるのは、諸侯が自立して王となる兆しである。もう一つの説には大水が発する。石氏はいう、土星が天街を犯し、往復徘徊して行度が错乱するのは、君が弱く臣が強く、道路が隔絶し、政令が推行できず、その年を出ずして兵事がある兆しである。別の占辞にいう、土星が滞留して去らないか、あるいは天街の中で逆行するのは、いずれも兵戈の乱が興起する兆しである。天街の二星は昴宿と畢宿の間にあり、中原と四夷が往来する通衢である。この道がひとたび乱れれば、内外の秩序もまた崩壊する。
填星が甘氏外官を犯す 三
填星が鈇鑕を犯す 一
《荊州占》曰:“填星犯鈇鑕五日以上,臣有謀者。”郗萌曰:“填星乘守鈇鑕,為鈇鑕用;一曰將有憂。”
《荊州占》にいう、土星が「鈇鑕」星を犯すこと五日以上ならば、臣下の中に不軌を図謀する人がある兆しである。郗萌はいう、土星が鈇鑕を凌圧しその上に留まるのは、鍘刀と砧板のごとき刑具が用に上がる兆しである。もう一つの説には将帥に憂患がある。鈇鑕はもともと腰斬に用いる刑具で、その星は天市垣の傍にある。土星がこれに臨めば、殺伐の政が施行されるのである。
填星が芻藁を犯す 二
《黃帝占》曰:“填星入芻藁中,主財寶出,憂巨在內。”
《黄帝占》にいう、土星が「芻藁」の中に入るのは、財貨・宝物が外流し、重大な憂患が朝廷の内に潜伏する兆しである。芻藁の六星は天苑の西にあり、牲口の草料を積み置く所で、国家が畜養する資である。ここが土星に占拠されるので、耗散と内憂の応があるのである。
填星が軍井を犯す 三
郗萌曰:“填星入軍井三日以上,其歲大水,國多土功。”
郗萌はいう、土星が「軍井」に入ること三日以上ならば、この年に大水が発し、国の中に土木の工役が多く興る。軍井の四星は玉井の南にあり、軍中で水を汲む井である。井はもともと水に属し、土星は土功を主る。両相凑り合うので、水患と営造の役が同時に応験する。
填星が水府を犯す 四
郗萌曰:“填星守水府,天下洪水。”
郗萌はいう、土星が「水府」星に留まるのは、天下に洪水が発する兆しである。水府の四星は東井の西にあり、堤防・溝渠・津梁を掌管する官署の象である。土星が長くその上に踞れば、水官が職を失い、氾濫がこれに伴って至るのである。
填星が天廟を犯す 五
《黃帝占》曰:“填星入天廟,若守,為廟人事;一曰為凶憂。”《荊州占》曰:“填星入天廟,若守,有廟殘之事,不去則死。”
《黄帝占》にいう、土星が「天廟」に入るか、あるいはその上に留まるのは、宗廟の中の祝史のごとき執事の人に事が起こる兆しである。もう一つの説には凶険・憂患がある。《荊州占》にいう、土星が天廟に入るか、あるいはその上に留まるのは、宗廟が毀損する事があり、土星が遅々として去らなければ、人の死亡を主る。天廟の十四星は張宿の南にあり、天子が祖先を祭享する廟堂である。土星は土功と礼制を主り、この星が犯を受けるので、祀典の廃壊に応じるのである。
填星が巫咸中外官を犯す 四
填星が土司空を犯す 一
《荊州占》曰:“填星守入土司空,有土徭之事。”
《荊州占》にいう、土星が「土司空」星に留まり入るのは、民力を徴発して土木を興办する徭役の事がある兆しである。土司空は土を主る官で、土星もまた土を主る精である。両者が相值すれば、土を動かし役に服す事は自ずと応験する。
填星が鍵閉を犯す 二
郗萌曰:“填星犯守鍵閉星,大臣有誤天子不尊事天者;天子不宜出宮下殿,有匿兵於宗廟中者。”(案《宋書天文志》曰:魏齊王正始九年七月癸丑,填星犯鍵閉,明年年駕謁陵司馬懿奏誅曹輿等,天子野宿,是其失勢之驗也。)
郗萌はいう、土星が「鍵閉」星を犯しその上に留まるのは、大臣が国事を貽誤し、天子が虔敬に上天を奉事することができなくなる兆しである。天子はこの時、宮を出て殿を下るべきではない。人が兵甲を宗廟の中に藏匿しているからである。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を調べるに、魏の斉王曹芳正始九年七月癸丑の日、土星が鍵閉を犯した。翌年、天子の車駕が城を出て陵を謁し、司馬懿が奏上して曹輿(すなわち曹爽)らを誅殺し、天子は郊野に露宿するほかなかった。これはまさに君主が権勢を失う応験である。)鍵閉の一星は房宿の東北にあり、門閂・鎖鑰の象で、宮門の管籥を主る。この星が犯されるので、禍端は門禁の厳ならざるところから起こるのである。
填星が天淵を犯す 三
《荊州占》曰:“填星填星守天淵,海水出,江海決溢;若海魚出。”
《荊州占》にいう、土星が「天淵」に留まるのは(原文は「填星」の二字が重出する)、海水が上涌し、江河と大海が決口して氾濫するか、あるいは深海の魚が水面に浮かび出る兆しである。天淵の十星は鼈星の東南にあり、灌漑・蓄水の深い池の象である。土星がここに停まれば、水はまず壅塞し、しかる後に潰決する。
填星が鈇鑕を犯す 四
《荊州占》曰:“填星犯鈇鑕,誅諸侯。”《黃帝占》曰:“填星入鈇鑕,為大臣誅。”《荊州占》曰:“填星犯守鈇鑕,兵起。”
《荊州占》にいう、土星が「鈇鑕」を犯すのは、諸侯を誅殺する兆しである。《黄帝占》にいう、土星が鈇鑕に入るのは、大臣が誅される兆しである。《荊州占》はまたいう、土星が鈇鑕を犯しその上に留まるのは、兵事が興起する兆しである。前の甘氏外官にすでに鈇鑕の一条を列ねたが、ここで巫咸家がまた別に一条を立てた。占う所は同じく刑戮であり、ただ誅を受ける対象が将帥から諸侯と大臣に推し及んだのである。
填星が天廐を犯す 五
《荊州占》曰:“填星入天廄十日以上,廄馬有食變。”《黃帝占》曰:“填星守天廄,為有災事,天子以馬為憂;不即馬疾。”
《荊州占》にいう、土星が「天廐」に入ること十日以上ならば、廐中の馬匹が草料・飲食の上で変故を出す。《黄帝占》にいう、土星が天廐に留まるのは、災禍の事があり、天子が馬匹の事に愁える兆しである。そうでなければ馬が疾病を生ずる。天廐の十星は閣道の北にあり、天子が馬を養う所なので、この星の変異はもっぱら廐牧の事に応じる。
開元占経 巻四十五
太白占 一
太白名主 一
石氏曰:“太白者,大而能白,故曰太白。一曰殷星;一曰大正;一曰營星;一曰明星;一曰觀星;一曰太衣;一曰大威;一曰太皞;一曰終星;一曰大相;一曰大囂;一曰爽星;一曰大皓;一曰序星。上公神出東方,為明星。”
石氏はいう、太白という星は体形が大きく光色が白いので、「太白」と呼ばれる(すなわち今日いう金星である)。それに別の種々の名がある。殷星といい、大正といい、営星といい、明星といい、観星といい、太衣といい、大威といい、太皥といい、終星といい、大相といい、大囂といい、爽星といい、大皓といい、序星という。それは上公の神で、東方の天空に現れる時、人はこれを「明星」と称する。
《荊州占》曰:“出東方,為啟明。”郭璞曰:“太白晨見東方,為啟明。”《爾雅》曰:“明星,謂之啟明。”《詩》曰:“東有啟明,西有長庚。”鄭玄曰:“日既入,謂明星為長庚。”《荊州占》曰:“太白出東北,為觀星;出東方若東南,為明星;出西方,為太白也。”吳龔《天官星占》曰:“太一位在西方,白帝之子,大將之象,一名天相;一名大臣;一名太皓。”
《荊州占》にいう、東方に現れるのを「啓明」という。郭璞はいう、太白が清晨に東方に見えるのを啓明という。《爾雅》にいう、明星を啓明と称す。《詩経・小雅・大東》にいう、東に啓明があり、西に長庚がある。鄭玄が解釈していう、太陽が落ちた後、この明星を「長庚」と呼ぶ。《荊州占》はまたいう、太白が東北方に現れるのを観星といい、東方または東南方に現れるのを明星といい、西方に現れて初めて太白という。呉龔《天官星占》にいう、太白(原文は「太一」と作る)の方位は西方にあり、白帝の子で、大将を象徴し、一名を天相、一名を大臣、一名を太皓という。
石氏曰:“太白主秋,主西維,主金,主兵;於日庚辛;主殺,殺失者,罰出太白;太白之失行,是失秋政者也;以其舍命國。”甘氏曰:“太白主大將,主秦鄭。”巫咸曰:“太白主兵革誅伐,正刑法。”《五行傳》曰:“太白者,西方金精也。於五常為義,舉動得宜;於五事為言,號令民從;義虧言失,逆秋令,則太白為變動、為兵、為殺。”班固《天文志》曰:“逆秋令、傷金氣,罰見太白。”
石氏はいう、太白は秋季を主管し、西方を主管し、五行の中の金を主管し、兵事を主管する。天干に配すれば庚・辛に属する。それは殺伐を主り、およそ殺伐が当を失せば、天罰は太白から顕れる。太白の運行が常度を失うのは、まさに秋政に失がある表れである。災いの応がどの国に落ちるかは、それがどの宿に止宿するかを見て断定する。甘徳はいう、太白は大将を主り、秦国と鄭国の分野を主る。巫咸はいう、太白は兵戈・誅伐を主り、刑法の校正を主る。《五行伝》にいう、太白は西方金気の精華である。五常の中では「義」に対応し、挙動が宜に合えばすなわち義である。五事の中では「言」に対応し、号令がひとたび出て百姓が従えばすなわち言がその正を得たのである。ひとたび義に亏损があり、言語が当を失い、秋の時令に逆らえば、太白は変動し、兵を主り、殺を主る。班固《漢書・天文志》にいう、秋令に逆らい金気を傷つければ、天罰は太白に顕れる。
石氏曰:“太白司兵喪姦凶,不禁不祥,或出東方,或出西方。”《荊州占》曰:“太白出東方,色黃而明,旱;黃而不明,此常色也。太白出西方,其高而色正白,旱;若色青白,此其正色也;即變其常,以五色占。”
石氏はいう、太白は兵事・丧事と奸邪・凶悪の徴を掌管し、およそ不祥であって禁止しきれないものは皆その管轄に帰する。それは時に東方に現れ、時に西方に現れる。《荊州占》にいう、太白が東方に現れ、色が黄で明るいのは、旱魃を主る。黄であって甚だ明るくないのは、これはその平常の色で、これに拠って占うに足らない。太白が西方に現れ、位置が高く色が純白なのは、旱魃を主る。もし青白色を呈するのは、これはそのあるべき正色である。ひとたび色が常態を改めれば、青・赤・黄・白・黒の五色に分かれて推占する。
太白行度 二
《洪範傳》曰:“太白以上元甲子歲,十一月甲子朔旦冬至夜半甲子時,與日月五星俱起於牛前五度,順行二十八宿,右遊一歲而周天。”(案曆法,太白一終,凡五百八十三日一千三百四十分日之一千二百二十九奇,九星行過一周天,二百一十八度一千二百一十九奇,是二百六十七年而百六十七終也,星平行日行,一度一周天也。)
《洪範伝》にいう、太白は上元甲子の年、十一月甲子の日の清晨が月朔で、あいまって冬至に当たり、夜半また甲子の時に値り、太陽・月亮およびその余の五星とともに牵牛宿の前五度の位置から起こり、順次に二十八宿を経行し、右へ游行して一年で天を一周する。(原書小注:暦法に按じて推算すれば、太白の一周期は合わせて五百八十三日また一千三百四十分の一千二百二十九日有余。この星が一周天を行き過ぎるのは、二百一十八度また一千二百十九分有余である。この通りに推算すれば、二百六十七年でちょうど百六十七の周期を完成する。星は平均の速度に按じて運行し、毎日一度を行き、積み満ちればすなわち一周天である。)
石氏曰:“太白出東方,高三舍,命曰明星柔;上又高三舍,命曰大囂剛。其出東方也,行星九舍,為百二十三日而反;反又百二十日,行星九舍,入;又伏行百二十三日,行星十二舍,昏出西方也,高三舍,命曰太白柔;上又三舍,命曰大囂剛。其出西方也,行星九舍,為百二十三日而反;反又百二十日,行星九舍而入;入又伏行星二舍,為日十五日,晨東方,出營室,入角;出角入畢;出畢,入箕;出箕,入柳;出柳,入營室。其出西方也,出營室,入角;盡如出東方之數。”
石氏はいう、太白が東方に現れ、高まること三舎で、この状態を「明星柔」と呼ぶ。さらに上へ高まること三舎で、「大囂剛」と呼ぶ。それが東方に現れた時、九舎を経行し、百二十三日を歴て折り返す。折り返した後さらに行くこと百二十日で、また九舎を経て隠没する。この後、伏行すること百二十三日、十二舎を経行し、黄昏時に西方に現れ、高まること三舎で「太白柔」と呼ぶ。さらに上へ三舎で「大囂剛」と呼ぶ。それが西方に現れた時、九舎を経行し、百二十三日を歴て折り返す。折り返した後さらに行くこと百二十日で、九舎を経て隠没する。隠没した後また伏行すること二舎、時を十五日として、すなわち清晨に東方に見える。その出没の次第は、営室から出て角宿に隠れ入り、角宿から出て畢宿に隠れ入り、畢宿から出て箕宿に隠れ入り、箕宿から出て柳宿に隠れ入り、柳宿から出て再び営室に帰る。それが西方に現れた時も、同じく営室から出て角宿に入り、すべての日数は東方に出た時と同じである。
甘氏曰:“太白以攝提格之歲;正月與營室晨出於東方亢、氏;出東方為日八歲二百二十二日,而復與營室晨出於東方。太白之居左也,其恆二百三十日;其遲也,二百四十日。其居右也,順行二百四十日:其速二百三十日,從左過右也;其又百三十日、其速九十日而見,從右過左也;其又三十日、其速十日而見,從右適左;其又三十日、其速十日而見。”
甘徳はいう、太白は摂提格(寅)の年、正月に営室宿とともに清晨東方の亢宿・氐宿あたりに現れる。それが東方に現れた日から数えて、八年と二百二十二日を経て、また営室とともに清晨東方に出る。太白が左辺に居る時、常規は二百三十日。行くのが遅い時は二百四十日。それが右辺に居て順行する時は二百四十日。行くのが速い時は二百三十日で、これは左辺から右辺へ過ぎるのである。この後さらに百三十日、速い時は九十日を経て復た見え、これは右辺から左辺へ過ぎるのである。さらに三十日、速い時は十日を経て復た見え、これは右辺から左辺へ転ずるのである。さらに三十日、速い時は十日を経て、また一度復た見える。
《荊州占》曰:“太白凡見東方二百三十日,而伏不見四十六日,名少罰。太白與歲星為雄、雌;出於東方、四方高三舍,為太白柔;又高三舍,為太白剛;用兵象也。剛則入地深,吉;淺,凶;柔則入地淺、吉;深、凶。”
《荊州占》にいう、太白は東方で合わせて二百三十日見え、その後隠伏して見えないこと四十六日で、この情形を「少罰」と呼ぶ。太白と木星(歳星)は互いに雌雄を成し、一剛一柔が相配する。それが東方あるいは四方に現れ、高まること三舎で「太白柔」と呼び、さらに高まること三舎で「太白剛」と呼ぶ。これらは皆兵を用いる取象である。剛に逢う時は、敵境に深く入るのを吉とし、浅く嘗めて即止めるのを凶とする。柔に逢う時は、浅く進むのを吉とし、深く入ればかえって凶となる。
石氏曰:“太白出百二十日乃極,乃極,退也,未滿此日便至極,疾也。東方以辰巳為極;西方以申未為極。太白出以辰戌,入以丑未,出入必以風;太白當期而出,其國昌。”《荊州占》曰:“太白出入如度,天下昌。”
石氏はいう、太白は現れて後百二十日を要して極処に升り、極処に到ればすなわち回退を始める。もしこの日数に満たずしてすでに極処に到れば、それは行くのが速すぎるのである。東方では辰・巳の方位を極処とし、西方では申・未の方位を極処とする。太白は通例、辰の日・戌の日に現れ、丑の日・未の日に隠没し、出没の際には必ず風の起こるのを伴う。太白が期に按じて出れば、それが主る分野の国は昌盛する。《荊州占》にいう、太白の出没が皆常度に合えば、天下は昌盛する。
石氏曰:“太白出則出兵,入則入兵,戰則有勝;用兵象太白,吉;反之,凶。”《荊州占》曰:“太白已入而未出,先起兵者,國破亡,禍及一世。”
石氏はいう、太白が現れた時に兵を出し、太白が隠没した時に兵を収めれば、このように交戦すれば勝ちを得ることができる。兵を用いるに太白の行止に法を取るのは吉であり、その道に反して行うのは凶である。《荊州占》にいう、太白がすでに隠没していまだ復た出ないこの間に、先に兵を動かした者の国は破敗・滅亡し、禍患は一代の人に延び及ぶ。
石氏曰:“太白兵象也,行疾,用兵疾,吉;遲,凶。行遲,用兵遲,吉;疾,凶。太白行疾,前用兵者善;行遲,後用兵者善;太白所居久,其鄉利;所居易,其鄉凶。太白出高,用兵,深吉淺凶;出卑,淺吉深凶。”
石氏はいう、太白は兵事の象である。それが行くのが速い時は、兵を用いるのも速くすべきで吉である。遅緩ならば凶。それが行くのが遅い時は、兵を用いるのも遅緩にすべきで吉である。速を求めれば凶。太白が行くのが速ければ、先んじて兵を動かす方が優に立ち、行くのが遅ければ、後れて兵を動かす方が優に立つ。太白がある分野に留まることが久しければ、その方に利があり、停留が短暫で軽々しく移り去れば、その方に凶がある。太白の現れる位置が高ければ、兵を用いて深入するのを吉とし浅進を凶とし、現れる位置が低ければ、浅進を吉とし深入を凶とする。
《荊州占》曰:“太白之出西方也,在酉南、則為楚;在酉北,則為秦、齊、燕。”石氏曰:“太白出西方,出酉,秦勝楚;出申,楚勝秦。”《荊州占》曰:“太白出入西方,其國伐;宋勝韓,韓勝趙,趙勝魏。”石氏曰:“太白伏,外有軍,則罷;將起兵,則止;國勿攻戰。太白進退,主候兵。”《荊州占》曰:“太白所抵之國,凶。”
《荊州占》にいう、太白が西方に現れ、位置が酉の南辺にあれば、主る所は楚の地である。酉の北辺にあれば、主る所は秦・斉・燕の三地である。石氏はいう、太白が西方に現れ、酉の位から出れば秦が楚に勝ち、申の位から出れば楚が秦に勝つ。《荊州占》にいう、太白が西方で出没するのは、その分野の国が討伐に遭う兆しである。当時の列国相制の形勢に就いていえば、宋が韓に勝ち、韓が趙に勝ち、趙が魏に勝つ。石氏はいう、太白が隠伏する時、外にすでに駐軍があれば撤回すべきであり、まさに起兵しようとする者は手を止めるべきである。挙国して攻戦すべきではない。太白の進退は、まさに兵機を候察する憑拠である。《荊州占》にいう、太白の光芒が抵触したその国は、凶を主る。
石氏曰:“太白不見,不宜出軍;若有客來挑,軍可應;先動,破軍殺將,必有積尸。太白出所直之辰,從其色而角,勝;其色害者,敗。太白所直之辰,其直之者,國為得位,得位者,戰勝。太白出東方也,為德,舉事,左之近之,吉;右之背之,凶。太白出西方也,為刑,舉事,右之背之,吉;左之近之,凶。太白入東方,未出西方,其六十五日為陽;其六十五日為陰;以此時出兵,雖勝有殃,得地必復歸之;陽為中國,陰為負海國。”
石氏はいう、太白が見えない時は兵を出すべきではない。もし敵方が来て挑戦すれば応戦してよいが、先んじて発動すれば軍隊が潰敗し将領が殺され、必ず屍が山のごとく積まれる。太白が値する時辰・方位に現れ、色がその方位と相順しまた芒角を生ずるのは、勝ちを主る。色がその方位と相克・相害するのは、敗を主る。太白が値する時辰・方位で、およそそれと相當するその国を「得位」と呼び、得位の方は交戦すれば必ず勝つ。太白が東方に現れるのは徳に属する。事を挙げる時に左へそれに近づけば吉、右へそれに背けば凶。太白が西方に現れるのは刑に属する。事を挙げる時に右へそれに背けば吉、左へそれに近づけば凶。太白が東方に隠れ入り、いまだ西方から現れないこの間は、前の六十五日を陽とし、後の六十五日を陰とする。この時に兵を出せば、勝ちを得ても災殃があり、奪い得た土地は必ずなお帰還しなければならない。陽が主るのは中原の国で、陰が主るのは海に臨む国である。
巫咸曰:“太白受制,則修城郭,繕藩垣、審群禁,節兵甲,敬百官,誅不法。太白入西方,未出東方,其十五日為陽;其十五日為陰;名曰行天命。以此時出兵,其國亡。”《荊州占》曰:“太白出西方,常出申酉之間,失行而北走,是謂反坐;有破軍,有屠城,在北方。”
巫咸はいう、太白が克制を受けた時は、城壁の外郭を修し整え、藩籬・垣壁を繕い治め、各項の禁令を審らかに明らめ、兵甲の用を節制し、百官を敬重し、法度を守らない人を誅除すべきである。太白が西方に隠れ入り、いまだ東方から現れないこの間は、前の十五日を陽とし、後の十五日を陰とし、これを「天命を行う」と呼ぶ。この時に兵を出せば、その国は必ず亡ぶ。《荊州占》にいう、太白が西方に現れ、本当は常に申・酉の間に出るべきなのに、常道を失って北へ奔走するのを「反座」といい、軍隊の潰敗があり、城を屠る禍があり、北方に応じる。
《天官書》曰:“太白出卯南,南方勝北方;出卯北,北方勝南方;正在卯,東國勝;出酉北,北方勝南方;出酉南,南方勝北方;正在酉,西國勝。”《荊州占》曰:“太白遠日為兵深,其將強;近日為兵淺,其將弱。太白伏也,出兵有殃。”《魏武帝兵法》曰:“太白巳出高,賊深入人境,可擊,必勝;去勿追,雖見其利,必有後害。”
《史記・天官書》にいう、太白が卯の位の南に現れれば南方が北方に勝ち、卯の位の北に現れれば北方が南方に勝ち、ちょうど卯の位に当たれば東方の国が勝つ。酉の位の北に現れれば北方が南方に勝ち、酉の位の南に現れれば南方が北方に勝ち、ちょうど酉の位に当たれば西方の国が勝つ。《荊州占》にいう、太白が太陽から遠ければ、兵を用いて深入することを主り、その将領は強悍である。太陽に近ければ、兵を用いて浅く嘗めることを主り、その将領は軟弱である。太白が隠伏する時に兵を出せば、災殃がある。《魏武帝兵法》にいう、太白がすでに現れて位置が高ければ、敵寇が我が境内に深く入り、出撃してよく、必ず勝ちを得ることができる。敵人が退走しても追撃してはならない。たとえ眼前に便宜が見えても、後日必ず禍害を留める。
《荊州占》曰:“太白以仲冬出東方,若西方,以伐利。太白始出東南維,在日月之陽,陽國之將傷,在其陰利;始出東北維,在日月之陰,陰國凶;在陽吉。出西南維,在日月之陽,陽國凶;在其陰吉。出西北維,在日月之陰,陰國之將傷,在其陽利。”又曰:“出日北維,匈奴有兵相攻。”
《荊州占》にいう、太白が仲冬十一月に東方あるいは西方に現れ、この時に兵を興して討伐するのは利がある。太白が初めて東南維に出て、もし日月の陽位に居れば陽方の国の将領が傷を受け、陰位に居れば利がある。初めて東北維に出て、もし日月の陰位に居れば陰方の国に凶があり、陽位に居れば吉。西南維に出て、日月の陽位に居れば陽方の国に凶、陰位に居れば吉。西北維に出て、日月の陰位に居れば陰方の国の将領が傷を受け、陽位に居れば利がある。またいう、太白が太陽の北維に出れば、匈奴の内部で兵馬が互いに攻め殺すことがある。
《荊州占》曰:“太白出西方,上行不至未而反,陰國強,陽國敗,戰不勝。太白出,見西方,上至未,將橫行,大強;備四方。又曰:出西方,上至未,有霸;一曰陰國霸。太白出西方,上不得過申,至之地,大臣有憂;一曰將奪君位。南至未丁之地,大將有憂,群臣獄;人主治獄。
《荊州占》にいう、太白が西方に現れ、上行してまだ未の位に到らずして折り返すのは、陰方の国が強盛し、陽方の国が敗北し、交戦して勝ちを得ることができない兆しである。太白が西方に現れ、一路上行して未の位に到るのは、天下を横行して勢力が極めて強い人が現れ、四方は皆意を加えて戒備すべきである。またいう、西方に出て上行し未の位に至れば、覇を称える国が現れる。もう一説には陰方の国が覇を称える。太白が西方に現れ、上行して申の位を越えることができないのは、およそそれが到る所の分野で、大臣に憂患がある。もう一説には将帥が君位を簒奪する。もし南へ行って未の位と丁の位の間に到れば、大将に憂患があり、群臣が繋がれて獄に入り、君主が自ら案件を審理する。
太白始出東方,西方之國不可以舉兵。始出西方,東方之國不可以舉兵,破軍殺將,其國大破敗。辰星不出,太白獨出東方,有德令;獨出西方,正在酉,西方兵起,不戰;獨出戌,敵兵起,不戰。
太白が剛く東方に現れたなら、西方の国家は兵を興してはならない。剛く西方に現れたなら、東方の国家は兵を興してはならない。さもなくば軍隊が潰敗し将領が殺され、その国家は大敗して亏輸する。水星(辰星)が出ず、太白だけが単独で東方に現れるのは、朝廷が仁徳の号令を頒行する兆しである。単独で西方に現れてちょうど酉の位に当たるのは、西方に兵事があるが、交戦に至らない。単独で戌の位に現れるのは、敵方が兵を興すが、やはり交戦に至らない。
太白入東方,未出西方,西方北方以舉兵,身死國亡。太白入西方,未出東方,東方南方以舉兵,身死國亡。太白入西方,未東方,東方南方以舉兵,雖勝,得地復歸之,主不血食,殃及三世,將死。
太白が東方に隠れ入りいまだ西方から現れない時に、西方と北方の国家がこの時に兵を興すのは、兵を主る者が身を死に国家が滅亡する兆しである。太白が西方に隠れ入りいまだ東方から現れない時に、東方と南方の国家がこの時に兵を興すのは、同じく身が死し国が亡ぶ。太白が西方に隠れ入りまだ東方に見えない時に、東方と南方の国家がこの時に兵を興せば、たとえ勝ちを得ても、奪い得た土地は帰還しなければならず、君主の宗廟は血食の祭を絶たれ、災殃は三代に波及し、将帥は身を死する。
凡出軍在外,必視太白;太白西,與之西;東,與之東;短,與之短;長,與之長;陰,與之陰;陽,與之陽;翕,與之翕;張,與之張;善馴其道,以戰大勝;當前戰者,軍破將死。太白在陽,陽國利,其以陽時,出於陽重利,在行不失,中國勝。太白在陰,陽國利,其以閒時,出於陰重利。”
およそ兵を出して外にある時は、必ず太白を観察しなければならない。太白が西に偏れば、それに随って西へ行き、東に偏れば、それに随って東へ行く。その芒が短ければ、行軍の路程もまた短く、その芒が長ければ、路程もまた長い。それが陰位に居れば、陰道を取り、陽位に居れば、陽道を取る。それが斂聚すれば兵勢を収縮し、それが舒張すれば兵勢を展開する。その行度に善く順うならば、作戦すれば大勝を得ることができる。もし正面からそれと相抵して戦うならば、軍隊は覆没し将領は身を死する。太白が陽位に居れば陽方の国に利があり、もしまた陽に属する時令に逢い陽位に現れれば、利の上に利を加えるので、行軍さえ常道を失わなければ、中原の国は必ず勝つ。太白が陰位に居れば陽方の国はなお利があり、もし閑静の時に逢い陰位に現れれば、同じく利の上に利を加える。
太白王相休囚死 三
《荊州占》曰:“太白之相也,從季夏至夏盡,及四季王時,其色黃白,精明無芒。太白之王也,從立秋至秋之盡,其色比狼星而光明;仲秋之時,有芒角。太白之休也,從立冬以至冬之盡,其色不精,明而無光。太白之囚也,從立春以至春之盡,其色青黃,而無光明。太白之死也,從立夏以至夏之盡,其色赤黑,細小而不明。”
《荊州占》にいう、太白が「相」の段階に処するのは、季夏六月から夏季の終わりまで、および四季の各月で土旺が事を用いる時で、その時その色は黄白で、光華が精純で芒を出さない。太白が「王」の段階に処するのは、立秋から秋季の終わりまでで、その時その色は狼星に比すべきほど格外に明るい。仲秋八月に至れば、さらに芒角を生ずる。太白が「休」の段階に処するのは、立冬から冬季の終わりまでで、その時その色はもはや精純でなく、明るいようで光采がない。太白が「囚」の段階に処するのは、立春から春季の終わりまでで、その時その色は青の中に黄を帯び、全く光明がない。太白が「死」の段階に処するのは、立夏から夏季の終わりまでで、その時その色は赤黒で、星体は細小で明るくない。
甘氏曰:“當其相也而有王色,主弱將強;有休色,將不兵;有囚色,將誅,不成;有死色,將誅傷;所留之舍,其國兵,其進舍也,是趣兵;其退舍也,兵出不成。當其王也,而有相色,主弱;將權勢縱橫天下,有謀專行君事;有囚色,所囚者有罷徒之令;有死色,大將死,不葬;所留之舍,其國兵起;其進舍也,其下之國,兵歸之;其退舍也,兵弱不用。
甘徳はいう、太白がちょうど「相」に当たるのに「王」の色を現すのは、君が弱く将が強い兆しである。「休」の色を現すのは、将帥が兵権を掌らない兆しである。「囚」の色を現すのは、将帥が誅されようとして事が果たされない兆しである。「死」の色を現すのは、将帥が誅傷される兆しである。それがどの宿に滞留すれば、その分野の国に兵事がある。それが前へ進舎するのは、兵の発を促す象である。それが退舎すれば、兵は出ても成功できない。太白がちょうど「王」に当たるのに「相」の色を現すのは、君主が軟弱で、将帥の権勢が天下に縦横し、異図を抱いて擅りに君権を行使する兆しである。「囚」の色を現すのは、囚繫された人が徒衆を赦放する詔令に遇う兆しである。「死」の色を現すのは、大将が戦死して屍骨が安葬を得ない兆しである。それがどの宿に滞留すれば、その分野の国が兵を興す。それが前へ進舎すれば、その下に臨む国に軍隊が帰して来る。それが退舎すれば、兵力は疲弱して施し用いる所がない。
當其休也,而有王色,野多賊兵;有相色,野多兵;入人民,亂未央;有囚色,攻牢墓,囚人勢橫;有死色,從軍死,不葬;其所守之舍,有逐將,死王;其進舍也,武吏縱橫,文吏為虎狼,天下大赦。當其囚也,而有王色,大將反成;有相色。下犯其上;有休色,野多暴兵,盜賊並起;有死色,妖言多,不祥;所留之舍,不可舉事用兵;其進舍也,歲多雹霜,萬物不成;其退舍也,秋冬無霜雪。當其死也,而有王色,流水湯湯;有相色,野火煌煌;有休色,金幣不行;有囚色,國多虎狼;其留守也,野獸食人;其進舍也,白刃鏘鏘;其退舍也,兵不成行。”
太白がちょうど「休」に当たるのに「王」の色を現すのは、郊野の間に盗賊の兵が多い兆しである。「相」の色を現すのは、郊野に兵が多く、兵禍が百姓に波及し、動乱に尽きる所がない兆しである。「囚」の色を現すのは、牢獄を劫掠し墳墓を盗発する人があり、囚徒の気焔が横行する兆しである。「死」の色を現すのは、軍に従う人が戦死して屍骨が掩埋を得ない兆しである。それがどの宿に守れば、将帥が駆逐され君王が死亡する。それが前へ進舎すれば、武官が横行して忌憚なく、文官もまた虎狼のごとくなり、その後天下に大赦がある。太白がちょうど「囚」に当たるのに「王」の色を現すのは、大将が反叛して事を成す兆しである。「相」の色を現すのは、下位の者が上位の者を犯す兆しである。「休」の色を現すのは、郊野に暴虐の兵が多く、盗賊がいっしょに興起する兆しである。「死」の色を現すのは、妖言が四方に起こり、兆頭が不祥な兆しである。それがどの宿に滞留すれば、そこでは大事を興挙し兵戈を動かしてはならない。それが前へ進舎すれば、この年に冰雹・寒霜が多く降り、万物が成熟できない。それが退舎すれば、秋冬の二季に霜雪が見えない。太白がちょうど「死」に当たるのに「王」の色を現すのは、洪水が浩蕩として奔流する兆しである。「相」の色を現すのは、野火が熊々として蔓延する兆しである。「休」の色を現すのは、金玉・銭幣が流通できない兆しである。「囚」の色を現すのは、国の中に虎狼の患が多い兆しである。それが留守して去らなければ、野獣が人を傷つけ人を食らう。それが前へ進舎すれば、白刃が相接し殺声が鏗鏘たる。それが退舎すれば、軍隊は渙散して列を成すことができない。
太白光色芒角 四
《荊州占》曰:“秋三月,太白出西方,當白而不白,逆行;必有金石之妖,且見隕星墜為石,石之所下,寇至其野,凶;山崩地裂,出水無火,而金自燔;天雨血,高臺自壓;見此二者,國有大喪,及為祠蓐收西海之神命,及為役,命兵,令勤事,試車馬,警邊境,修邊地。”
《荊州占》にいう、秋季の三か月に、太白が西方に現れ、本当は潔白であるべきなのに白くなく、しかも逆行する。このようであれば必ず金石の類の妖異が現れ、また陨星が地に墜ちて石塊と化すのが見え、石が落ちたその田野に寇兵が到来して凶を主る。このほかまた山が崩れ地が裂け、泉水が湧き出るのに火気がなく、金属が自ら燃焼し、天から血雨が降り、高台が故なく自ら坍塌する。この二類の異象を見れば、国の中に大喪があり、西方の神蓐収と西海の神を祭祀して天命を祈請し、同時に労役を徴発し、将に命じて兵を治め、臣民に督してそれぞれその職に勤ませ、車馬を検閲し、辺境を警戒し、辺地の防務を修繕すべきである。
甘氏曰:“候太白以秋庚辛,此王氣,色當如其常,色變則失所也。”石氏曰:“太白赤比心,黃比參右肩,蒼比參左肩、黑比天豕之右目。”《荊州占》曰:“太白赤比心,白比狼星、織女星,黃比左角。”班固《天文志》曰:“黃比參左肩,青比參右肩,黑比右角。”《天官書》曰:“黑奎大星也,此太白之常色也;一書云青比左角也。”
甘徳はいう、太白を候察するには、秋季の庚の日・辛の日に、この時まさにその気運が旺に当たる時で、色は常態を保つべきである。色がひとたび変われば、すなわち本位を失ったのである。石氏はいう、太白が赤く発すれば心宿の色に比照し、黄く発すれば参宿の右肩星に比照し、蒼く発すれば参宿の左肩星に比照し、黒く発すれば天豕(奎宿)の右目星に比照する。《荊州占》にいう、太白が赤く発すれば心宿に比照し、白く発すれば狼星と織女星に比照し、黄く発すれば角宿の左星に比照する。班固《漢書・天文志》にいう、黄く発すれば参宿の左肩に比照し、青く発すれば参宿の右肩に比照し、黒く発すれば角宿の右星に比照する。《史記・天官書》にいう、黒く発すれば奎宿の大星に比照すべきである。以上は太白のあるべき常色である。また別の一書に、青く発すれば角宿の左星に比照すべきとある。
石氏曰:“太白色猛赤,次白而蒼,若悴而不光,是謂失色;雖得地位,擊之必克;其大而圓,黃而澤,可以為好事;其圓大怒而赤,天下兵降而不戰。太白色白圓、明潤,吉;黃圓和,黑圓憂,青圓小憂。”《荊州占》曰:“太白青圓,為水。”
石氏はいう、太白の色が猛烈に赤く発し、その次は白の中に蒼を帯び、もし枯槁して光沢がなければ、これを「失色」と呼ぶ。この時、敵方がたとえ有利の地位を占めていても、それを攻撃すれば必ず勝ちを得ることができる。その星体が大きく円く、色が黄で潤沢ならば、吉慶の事を興办してよい。それが円大で気色が暴怒して赤く発すれば、天下の兵は風に望んで帰降し交戦するまでもない。太白の色が白く、体が円く、明るく潤沢なのは吉である。色が黄で円いのは和平を主る。色が黒で円いのは憂患を主る。色が青で円いのは小さな憂患を主る。《荊州占》にいう、太白の色が青で円いのは水災を主る。
巫咸曰:“太白赤,東西南北行,非常色;此有謀國,兵起。太白失色,國失兵,將亡。太白光明,見影,歲熟,戰勝。”《海中占》曰:“太白光明,見影;戰當太白者,將軍增爵,主增壽。”
巫咸はいう、太白が赤く発し、東西南北へ乱行するのは、これはその平常あるべき色ではない。この時、人が他国を図謀し、兵事が起ころうとしている。太白が本色を失うのは、国家が兵力を喪失し、将帥が敗亡する兆しである。太白の光明が大いに盛んで、人影を照らし出すほど明るいのは、年成が豊熟し、作戦に勝利する兆しである。《海中占》にいう、太白が光明で人影を照らし出すことができる。交戦の時に太白が臨む方に当たれば、将軍は爵位を加封され、君主もまた寿算を増延する。
郗萌曰:“太白當效而出、色黃為土,中央利,有土功事,有軍;一曰有德令,其國利。太白光如張蓋,所在之國有立王;揚光見影、歲大熟。太白色圓而悴,期不出六十日,有大喪。太白色黃黑,軍在外者罷;有謀者,以雨厭之。”
郗萌はいう、太白が期に按じて応験して出て、色が黄く発して土に属するのは、中央に利があり、土木の事を興し、また軍事行動もある兆しである。もう一説には朝廷が徳政の号令を頒下し、その分野の国が利を得る。太白の光芒が車の蓋を張り開いたようであれば、それが臨む国は君王を冊立する。光焰が四に射して人影を照らし見るほどならば、年成が大熟する兆しである。太白の体が円くて気色が枯槁ならば、応期は六十日を出ず、大喪がある。太白の色が黄く黒を帯びれば、外に駐屯する軍隊が撤回する兆しである。もし図謀を抱く人があれば、一場の雨によって消解・圧伏される。
《荊州占》曰:“太白始出,色黃,其國吉;赤,有兵而不傷其國;色白,歲熟;色黑,有水。太白始生,未可擊;色隆,未可擊;色衰,未可擊;色死,急擊勿置;不急擊,客將為主人。
《荊州占》にいう、太白が初めて出て、色が黄く発すれば、その分野の国は吉利である。赤く発すれば、兵事はあってもその国を傷つけるに至らない。色が白ならば、年成の豊熟を主る。色が黒ならば、水患を主る。太白が剛く現れたばかりでは出撃してはならない。光色がまさに盛んでは出撃してはならない。光色が剛く減衰したばかりでも出撃してはならない。光色が枯死するに及んで、急いで攻めて遅誤してはならない。もし時に及んで出撃しなければ、客方がかえって主方となる。
太白其狀,炎然而上,則有兵大起,下則有天狗,所下其野流血;出無時,則易其政;太白色正蒼,有兵;青,有憂;太白色蒼黑,期不出六十日,中有喪,若憂;黑多,為水;蒼黑等,水兵並起。太白蒼白而靜,天下厭兵。太白色蒼白,期不出六十日,中有喪,若憂。
太白の形状が火焰のごとく騰々として上へ向かうのは、兵禍が大いに起こる兆しである。もし焰勢が下に垂れれば、天狗星が墜落し、墜落した所の原野に血が流れて河を成す。それの出没に定時がないのは、政令が更改する兆しである。太白の色が純蒼なのは、兵がある兆しである。青く発するのは、憂いがある兆しである。太白の色が蒼の中に黒を帯びれば、応期は六十日を出ず、その間に丧事があるか、あるいは憂患がある。黒色が偏り多ければ、水災を主る。蒼と黒が半々ならば、水患と兵禍がいっしょに発生する。太白が蒼白で安じんとしていれば、天下が戦争を厭弃する兆しである。太白の色が蒼白ならば、応期は六十日を出ず、その間に丧事があるか、あるいは憂患がある。
太白始出,色白、其國歲熟;又曰秦利。太白色黑,芒澤,有子孫,喜立王。太色白赤白而潤,有喜。太白始出,色黃,其國吉;黃白,和同;色赤,來年有兵,戰勝;又曰楚利;又曰始出色赤,而淳得地。”巫咸曰:“太白色黑,秋水尚可春破師。”《海中占》曰:“太白色赤,淳得食;白、淳有喜;蒼,憂;蒼黑,為死。”《荊州占》曰:“太白色白而無角,將不勝。”巫咸曰:“太白色黃,有角,其國疫;又色白,旱。”《荊州占》曰:“太白色黑,燕利。”
太白が初めて出て、色が白く発すれば、その分野の国は年成が豊熟する。もう一説には秦の地に利がある。太白の色が黒で芒角が潤沢ならば、子孫の慶があり、君王を冊立する喜事がある兆しである。太白の色が白く微かに赤を帯びて光潤ならば、喜慶がある兆しである。太白が初めて出て、色が黄く発すれば、その分野の国は吉利である。黄白が相兼ねれば、上下が和同する兆しである。色が赤く発すれば、来年に兵があり、交戦して勝利する。またいう、楚の地に利がある。さらに説があり、初出の色が赤で、一味純赤ならばすなわち地を得る。巫咸はいう、太白の色が黒ならば、秋に水が盛んになり、春に至ってなお敵軍を撃破できる。《海中占》にいう、太白の色が赤で純ならば、食禄を得る兆しである。色が白で純ならば、喜事がある兆しである。色が蒼ならば、憂いを主る。蒼の中に黒を帯びれば、死亡を主る。《荊州占》にいう、太白の色が白で芒角を生ぜなければ、将帥が勝ちを得ることができない兆しである。巫咸はいう、太白の色が黄で芒角があれば、その分野の国に瘟疫が流行する。もし色が白ならば、旱魃を主る。《荊州占》にいう、太白の色が黒ならば、燕の地に利がある。
《甘氏占》曰:“太白色白,五芒出,早為月食,晚為彗星及天矢;將發於無道之國。”郗萌曰:“太白常形,行則垂芒,上銳下大;色如常,止。”《荊州占》曰:“太白蒼芒,有喪憂。”甘氏曰:“太白獨行,赤則武也,可以戰;白而芒,則文也,不可以戰;若行疾者,武也;不行者,文也。”《海中占》曰:“太白十二芒鉤,不可以戰。”京氏曰:“尚書微,則太白垂芒。”
《甘氏占》にいう、太白の色が白で五道の芒を放つならば、応じるのが早ければ月食に見え、応じるのが遅ければ彗星と天矢の類の妖星に見える。禍事は無道の国から発端する。郗萌はいう、太白の平常の形状は、運行する時に下へ芒を垂れ、上端が尖鋭で下端が粗大である。色さえ往時のごとくであれば、安然として事なし。《荊州占》にいう、太白が蒼色の芒を生ずれば、丧事と憂患がある兆しである。甘徳はいう、太白が単独で運行し、色が赤ければすなわち武に属し、出戦してよい。色が白で芒を生じればすなわち文に属し、出戦してはならない。行くのが速いのは武に属し、停まって動かないのは文に属する。《海中占》にいう、太白が十二道の鉤曲した芒を生ずれば、交戦してはならない。京房はいう、尚書の職が衰微して振るわなければ、太白は芒角を垂れる。
《荊州占》曰:“太白見一芒,兵起不用;見二芒,戰攻;見三芒,天下皆兵起;見四芒,諸侯死境;見五芒,天下更制王國;一曰立邦。太白十芒,皆鉤,不戰而受地。太白所在之鄉,視芒而日增長,如行過維,此大人之氣也,不可不備。”
《荊州占》にいう、太白が一道の芒を現せば、兵は興っても動用に至らない。二道の芒を現せば、交戦・攻伐を主る。三道の芒を現せば、天下のあちこちで兵が興る。四道の芒を現せば、諸侯が封疆に死する兆しである。五道の芒を現せば、天下は王国の建制を改めて划定する。もう一説には新たな邦国を立てる。太白が十道の芒を現してすべて鉤曲するのは、交戦するまでもなく土地を受納する兆しである。太白が臨むその方で、もしその芒が日ごとに増長し、また四維の位を行き過ぎるのは、大人物が崛起する気象で、あらかじめ防備しないわけにはいかない。
石氏曰:“太白青角,有木事;黑角,有水事;白角,有喪;赤角,有戰。”石氏曰:“太白赤角,用兵敢戰,吉;不敢戰,凶;順角所指擊之,吉;逆之,凶。”《荊州占》曰:“太白大,王光有角,將暴虐,為民賊;所往者,民苦之;所去者,民不治。”巫咸曰:“太白赤而有角,將勝;赤而無角,將不勝。”《荊州占》曰:“太白四角者,赦。”《海中占》曰:“太白有五角,立將帥;六角,有取國地;七角,伐王。”
石氏はいう、太白が青色の芒角を生ずれば、木作の事がある兆しである。黒色の芒角ならば、水事がある兆しである。白色の芒角ならば、丧事がある兆しである。赤色の芒角ならば、戦事がある兆しである。石氏はまたいう、太白が赤色の芒角を生ずれば、兵を用いる時に敢えて交戦するのを吉とし、交戦を敢えてしなければ凶とする。芒角の指す方向に順って出撃するのを吉とし、それに逆らって出撃すれば凶とする。《荊州占》にいう、太白の星体が碩大で光焰が極めて盛んで芒角を生ずるのは、将帥が暴虐で、百姓を残害する賊となる兆しである。彼の到る所では百姓が深くその苦しみを受け、彼が去った後も百姓は治められることを得ない。巫咸はいう、太白が赤く発して芒角があれば、将帥が勝ち取る兆しである。赤く発して芒角がなければ、将帥が勝たない兆しである。《荊州占》にいう、太白が四道の芒角を生ずれば、赦令を頒行する兆しである。《海中占》にいう、太白が五道の芒角を生ずれば、将帥を冊立する兆しである。六道の芒角ならば、別国の土地を奪う兆しである。七道の芒角ならば、君王を討伐する兆しである。
《荊州占》曰:“太白過宿,有角長,取地長;角短,取地短。太白過宿,有角外指,其國得地;內指,其國失地;期一年。太白居實,有德;居虛,無德;行勝色,(晉灼曰:太白行得度,勝有色也。)色勝位,有位勝無位;有色勝無色;行得,盡勝之。(晉灼曰:行應天度,雖有色,得位,行盡勝之;行重而色位輕,星經得字作德。)
《荊州占》にいう、太白が某宿を経過する時、芒角が長ければ、奪う土地もまた広い。芒角が短ければ、奪う土地もまた狭い。太白が某宿を経過する時、芒角が外に向かえば、その分野の国は地を得る。内に向かえば、その国は地を失う。応期は一年。太白が星宿の充実の処に居れば、徳ありを主る。空虚の処に居れば、徳なきを主る。軽重に就いていえば、行度は星色に勝る(原書小注:晋灼はいう、太白の運行が常度に合えば、すなわちそれが顕す色に勝る。)。星色はまた居する位に勝る。位あるは位なきに勝り、色あるは色なきに勝る。行度が当を得たものは、すなわち一概にその余の各項を圧倒する。(原書小注:晋灼はいう、運行が天度に合えば、たとえ色を兼ねまたその位を得ても、行度はなお全面的に勝る。これは行度の分量が重く、色と位の分量が軽いというのである。《星経》の中の「得」の字は「徳」と作る。)
出於辰之南,鄭得位;行不失,勝;行失,敗;色黃而赤,大而角,勝;蒼、小,敗。出於辰卯間,宋得位;行不失,勝;行失,敗;色黃而赤,大而角,勝;黑小,敗。出於寅卯間,衛得位;行不失,勝;行失,敗;色黃,大而角,勝;蒼小、敗。出於寅之北,趙得位;行不失,勝;行失,敗;色黃而華,大而角,勝;蒼小,敗。
太白が辰の位の南に現れれば、鄭国が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。行度が常を失えば、敗を主る。色が黄の中に赤を帯び、星体が大で芒角あるは、勝ちを主る。色が蒼で星体が小なるは、敗を主る。辰・卯の間に現れれば、宋国が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。失えば、敗を主る。色が黄で赤を帯び、体が大で角あるは、勝ちを主る。色が黒で体が小なるは、敗を主る。寅・卯の間に現れれば、衛国が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。失えば、敗を主る。色が黄で体が大で角あるは、勝ちを主る。色が蒼で体が小なるは、敗を主る。寅の位の北に現れれば、趙国が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。失えば、敗を主る。色が黄で光華があり、体が大で角あるは、勝ちを主る。色が蒼で体が小なるは、敗を主る。
出於午未間,吳越得位;行不失,勝;行不失,敗;色蒼廉,赤大而角,勝;黃小,不勝,廉亦敗。出於申之南,楚得位;行不失,勝;行失,敗;色赤、大而角,勝;赤小、敗。出於申酉間,漢得位;行不失,勝;行失,敗;色大而角,勝;赤小,敗。出於酉戍間,齊得位;行失,勝;行失,敗;色蒼大而角,勝;白小,敗。出於戍之北,燕得位;行不失,勝;行失,敗;色黑大而角,勝;黃小,敗。”
太白が午・未の間に現れれば、呉越が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。行度が常を失えば、敗を主る。色が蒼で棱があり、赤で体が大で芒角あるは、勝ちを主る。色が黄で体が小なるは勝ちを得ることができず、ただ棱があって角なきも同じく敗を主る。申の位の南に現れれば、楚国が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。失えば、敗を主る。色が赤で体が大で角あるは、勝ちを主る。色が赤で体が小なるは、敗を主る。申・酉の間に現れれば、漢が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。失えば、敗を主る。星体が大で角あるは、勝ちを主る。色が赤で体が小なるは、敗を主る。酉・戌の間に現れれば、斉国が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。失えば、敗を主る。色が蒼で体が大で角あるは、勝ちを主る。色が白で体が小なるは、敗を主る。戌の位の北に現れれば、燕国が得位である。行度が常を失わなければ、勝ちを主る。失えば、敗を主る。色が黒で体が大で角あるは、勝ちを主る。色が黄で体が小なるは、敗を主る。この段の呉越と斉の二条の中、「行不失」「行失」がそれぞれ一か所重出するのは、底本の伝写の誤りと思われ、今は前後の文例に按じてこれを読む。
班固《天文志》曰:“太白所直之辰,其國為得位;得位者,戰勝;所有之辰,順其色,白角者勝;其色害者,敗。”(晉灼曰:鄭色黃而赤,蒼小敗,宋色黃而赤,黑小敗,楚色赤,黑小敗;燕色黑,黃小敗;皆大角勝。)
班固《漢書・天文志》にいう、太白が値する時辰・方位は、それと相當するその国がすなわち「得位」となる。得位の方は交戦して勝利する。それが処する時辰・方位の上で、色がそれと相順じ、色が白で芒角あるは、勝ちを主る。色がそれと相克・相害するは、敗を主る。(原書小注:晋灼はいう、鄭は黄の中に赤を帯びるを以て吉とし、色が蒼で体が小なれば敗。宋は黄の中に赤を帯びるを以て吉とし、色が黒で体が小なれば敗。楚は赤色を以て吉とし、色が黒で体が小なれば敗。燕は黒色を以て吉とし、色が黄で体が小なれば敗。この数か家は皆星体が大で芒角あればすなわち勝ち取る。)
《荊州占》曰:“太白之色赤也,將者勝;其白無角,不勝;其剛也,破軍殺將;其柔也,勝不殺將;太白赤而角者,武也,戰,不戰凶。太白之色赤,澤而有角,命曰大旗;旗長,取地長;旗短,取地短。”《文曜鉤》曰:“太白青角,棺槨貴。”《荊州占》曰:“太白黃而角,有土功;色白而角,文,不可以戰,一曰哭泣之聲;色黑而角,大水有兵,在外戰,吉;不戰,凶。”《元命包》曰:“太白高下進退應兵,名舒疾;左右角曜,兵官驚慎,武將斥武臣。”
《荊州占》にいう、太白の色が赤く発するのは、将帥が勝ち取る兆しである。色が白で芒角なきは、勝ちを得ることができない兆しである。それが剛の状態に処するのは、軍隊が潰敗し将領が殺される兆しである。柔の状態に処するのは、勝ちを得ることはできても将を殺すに至らない。太白が赤く発して芒角あるは、武象に属し、交戦に宜しく、戦わなければかえって凶となる。太白の色が赤で、光潤で芒角あるは、これを「大旗」と呼ぶ。旗が長ければ、奪う土地は広い。旗が短ければ、奪う土地は狭い。《文曜鉤》にいう、太白が青色の芒角を生ずれば、棺椁が値上がりする。《荊州占》にいう、太白の色が黄で芒角あるは、土木の功を興す兆しである。色が白で芒角あるは、文象に属し、交戦してはならない。もう一説には哭泣の声を聞くことになる。色が黒で芒角あるは、大水と兼ねて兵事を主り、外で交戦するのを吉とし、戦わなければ凶とする。《元命包》にいう、太白の位置の高低と行度の進退は、兵を用いる舒緩と急疾に対応し、これを「舒疾」と呼ぶ。それの左右両側の芒角が閃耀するのは、兵を主掌する官が驚懼・戒慎し、武将が武臣を斥退する兆しである。
開元占経 巻四十六
太白占 二
太白盈縮失行 一
石氏曰:“日方南,太白居其南;日方北,太白居其北,曰盈;侯王不寧,用兵進,吉;退,凶。日方南,太白居其北;日方北,太白居其南,曰縮;侯王憂,用兵退,吉;進,凶;遲,吉;疾,凶。”(日方南謂夏至後也,日方北謂冬至後也。)
石氏はいう、太陽がまさに南へ行く時、太白は太陽の南に居る。太陽がまさに北へ行く時、太白は太陽の北に居る。これを「盈」と呼ぶ。諸侯王が安寧を得られない兆しで、兵を用いる時は進攻を吉とし、退守を凶とする。反対に、太陽がまさに南へ行くのに太白がその北に居り、太陽がまさに北へ行くのに太白がその南に居る。これを「縮」と呼ぶ。諸侯王に憂患がある兆しで、兵を用いる時は退守を吉とし、進攻を凶とし、遅緩を吉とし、急進を凶とする。(原書小注:いわゆる「日方南」とは、夏至以後に太陽が南行することを指し、「日方北」とは、冬至以後に太陽が北行することを指す。)
《元命包》曰:“太白贏,則將相謀;太白縮,則后族患;圓而不行,我侍為君。”《荊州占》曰:“太白出於巳,殺大將;出於未,陽國傷。”《春秋緯文耀鉤》曰:“太白躍,沉浮,主代提,天下更紀,世有名師。”(宋均曰:主德不一,則攝提代移,更紀,授有令名,能天下師表者也。)
《元命包》にいう、太白が盈進するのは、将相が図謀を抱く兆しである。太白が縮退するのは、后族が禍患を生ずる兆しである。星体が円満で滞留して行かないのは、近侍の臣が君位に僭居する兆しである。《荊州占》にいう、太白が巳の位に現れるのは、大将を殺す兆しである。未の位に現れるのは、陽方の国が損を受ける兆しである。《春秋緯・文耀鉤》にいう、太白が跳躍して定まらず、忽ち沈み忽ち浮かぶのは、摂提星が位を移し更代し、天下が元を改め紀を換え、世間に名望ある師表の人物が現れる兆しである。(原書小注:宋均はいう、君主の徳行が専一でなければ、摂提の位は移り換わる。いわゆる「更紀」とは、天命を美名あり天下の師表に堪える人に授けることである。)
《荊州占》曰:“太白見東方,上至巳,皆更政;出西方,順行過巳,不及午,有霸國;及午,陰國令天下。”(案班固《天文志》曰:三年秋,太白出西方,有光,幾中乍北乍南,過期乃入,是時項羽為楚王,而漢已定三秦,與相距滎陽,幾中是秦地戰將勝而漢國將興也。晉灼注曰:幾中近踰未地也。)
《荊州占》にいう、太白が東方に見え、上行して巳の位に到るのは、いずれも政令が更改する兆しである。西方に現れ、順行して巳の位を越えてまだ午の位に到らないのは、覇を称える国がある兆しである。午の位に到れば、陰方の国が天下に号令する。(原書小注:班固《漢書・天文志》の記載を調べるに、漢三年の秋、太白が西方に現れ、光芒が閃耀し、ほぼ中天に抵るかのごとく、忽ち北に偏り、忽ち南に偏り、常期を超えてから隠れ入った。当時、項羽は楚王となり、漢はすでに三秦を平定し、双方は滎陽で相持していた。いわゆる「几中」は、まさに秦の地で戦い勝たんとし、漢室が興らんとする応験である。晋灼が注を作っていう、「几中」とは未の位に接近してやや越えることをいう。)
郗萌曰:“太白出戌入未,是謂犯地行刑,絕天維,國大小暴,兵將多傷。”《荊州占》曰:“太白行小失道,其將為奸;行大失道,其將為大奸,其國將坐之,逆行尤甚。”石氏曰:“其國失殺秋政,則太白失行。”巫咸曰:“太白出西方,失道有過,八月不盡九月至,一日期三月。”
郗萌はいう、太白が戌の位から出て未の位に隠れ入るのを「犯地行刑」といい、天維の綱を断ち切るもので、国家の大小を問わず皆暴虐に遭い、士卒と将領に傷亡が多い兆しである。《荊州占》にいう、太白の運行がやや常道を離れれば、将帥が奸を行う兆しである。大幅に常道を離れれば、将帥は大奸の徒で、その国はこれによって罪を得て連坐し、もし逆行ならば、害はなおさら甚だしい。石氏はいう、一国がもし秋季の殺伐を主る政令を失えば、太白はすなわち運行が常を失う。巫咸はいう、太白が西方に現れ、常道を離れて過失があるのは、八月尽きざる時、九月至らんとする時に端倪を見る。それが道を失うこと一日に、すなわち三か月を応期とする。
又占曰:“太白失行而南,是謂金入火,有兵兵罷;不出三年,國有男喪,若有兵。”(《魏武帝兵法》曰:不有破軍,必有屠城,北國當之。)《荊州占》曰:“太白失行而北,金入水,災大兵起。”(案《宋書天文志》曰:“晉惠帝光熙元年四月,太白失行,自翼入尾箕,占曰:太白失行而北,是謂反生,不有破軍,必有屠城。五月汲桑攻鄴,魏郡太守馬嵩出戰,大敗桑,遂害東燕王騰,殺萬餘人,焚燒,魏時宮室皆盡也。)
別の占辞にいう、太白が常道を失って南に偏行するのを「金入火」といい、まず兵事があり、その後兵事が平息する兆しである。三年を出ずして、国の中に男子の喪があるか、あるいは再び兵を用いる。(原書小注が《魏武帝兵法》を引いていう、軍隊の潰敗でなければ、必ず城を屠る禍があり、北方の国に応じる。)《荊州占》にいう、太白が常道を失って北に偏行するのを「金入水」といい、災禍と大規模の戦乱が興起する兆しである。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を調べるに、晋の恵帝光熙元年四月、太白の運行が常を失い、翼宿から尾宿・箕宿に入った。占辞にいう、太白が行を失して北に偏るのを「反生」といい、軍隊の潰敗でなければ、必ず城を屠ることがある。その年五月、汲桑が鄴城を進攻し、魏郡太守の馬嵩が出戦して汲桑に大敗され、汲桑はここに東燕王司馬騰を殺害し、万余人を屠戮し、火を放って焼き、曹魏時代に建てられた宮室は尽く灰燼と化した。)
《荊州占》曰:“太白出,至其國之日而獨不見,其兵弱;若有此,可擊,必能得其將。”《荊州占》曰:“太白出東方,失行而北,中國敗;失行而南,倍海國敗。”石氏曰:“太白出西方,失行,倍海之國敗;(《天文志》曰:夷狄敗)其出東方,失行,中國敗。”《荊州占》曰:“太白有不見三日,有亡國敗師。”又占曰:“太白一南一北、九侯皆伏。”又占曰:“太白一東一西,害於侯王。”(謂有免侯王也。)
《荊州占》にいう、太白が出るべき時に、ある国を主るべきその日に到ってかえって見えないのは、その国の兵力が衰弱する兆しである。この情形に遇えば、進攻してよく、必ずその将領を俘獲することができる。《荊州占》はまたいう、太白が東方に現れ、常道を失って北に偏るのは、中原の国が敗北する兆しである。道を失して南に偏れば、海に臨む国が敗北する兆しである。石氏はいう、太白が西方に現れて運行が常を失えば、海に臨む国が敗北する兆しである(原書小注:《漢書・天文志》はここを「夷狄敗」と作る)。それが東方に現れて運行が常を失えば、すなわち中原の国が敗北する兆しである。《荊州占》にいう、太白がつづけて三日見えないのは、亡国・敗師の事がある兆しである。別の占辞にいう、太白が忽ち南し忽ち北するのは、九方の諸侯がいっしょに蟄伏して隠忍する兆しである。さらに別の占辞にいう、太白が忽ち東し忽ち西するのは、為害が諸侯王の身に落ちる。(原書小注:これは諸侯王が免黜されることがあるというのである。)
又占曰:“太白在東方,以始出為位,在月南為得行,在月北為失行;不有破軍,必有屠城;與月相過失行,月不盡,一日;二月,二日;三月,三日;四月,四日;五月,五日;六月,六日;七月,七日;八月,八日;九月,九日,而兵起。”《荊州占》曰:“太白出西方,下行一舍,如下北;兵將當有戮者。”郗萌曰:“太白出東方,若西方,過營室,強國君有興者;不及營室,而反還入,強國有敗者。”
別の占辞にいう、太白が東方にあり、それが初めて出た位置を本位として、月亮の南にあれば行度が当を得たとし、月亮の北にあれば行度が常を失したとする。ひとたび常を失せば、軍隊の潰敗でなければ、必ず城を屠る禍がある。それが月亮と交錯して過ぎ、行度が常を失すのは、応期は月份に按じて逓推する。正月のうちに発生すれば、一日後に応験する。二月ならば、二日。三月ならば、三日。四月ならば、四日。五月ならば、五日。六月ならば、六日。七月ならば、七日。八月ならば、八日。九月ならば、九日、期が至れば兵事が興起する。《荊州占》にいう、太白が西方に現れ、下へ行って一舎を経るのは、下へ北に偏するがごときで、士卒と将領の中に誅戮される人がある兆しである。郗萌はいう、太白が東方あるいは西方に現れ、営室宿を越えるのは、強国の君に振興の勢いがある兆しである。営室に至らずして折り返し隠れ入れば、強国に敗亡の事があろうとする兆しである。
《海中占》曰:“主好聽讒,廢直大臣,女子為政,刑法誅殺,不以道理;則太白逆行,天鳴地坼,歲多暴風,大水,庶民負子而逃,孕多死,麥豆不收。”劉向《洪範》曰:“好戰功,輕百姓,飾城郭,侵邊境,是謂不艾;厥極憂,時生蟊,則太白變色,逆行。”郗萌曰:“太白逆行,變色;簡宗廟,廢禱祀,去祭祀,逆天行。”《荊州占》曰:“太白逆行,失常,有兵革。”
《海中占》にいう、君主が讒言を聴き信じることを好み、正直の大臣を罷黜し、女子に朝政を干預させ、刑法を施行し誅殺して道理に合わなければ、このように太白はすなわち逆行し、天空に鳴響を発し、大地が裂開し、一年の中に暴風が多く刮ぎ大水が多く発し、百姓は子を負って逃亡し、妊婦に死亡が多く、麦と豆類は皆収穫がない。劉向《洪範五行伝》にいう、戦功を貪求し、百姓を軽賤し、ひたすら城郭を修飾し、辺境を侵擾するのを「不艾」と呼び、すなわち休止を知らないのである。その終極の後果は憂患で、その時蟊虫の災が生じ、ここに太白が色を変えて逆行する。郗萌はいう、太白が逆行し色を改変するのは、宗廟を怠慢し、祷告を廃棄し、祭祀を撤除し、上天の運行の道に逆らったからである。《荊州占》にいう、太白が逆行し常態を失うのは、兵戈の乱がある兆しである。
又占曰:“王者失於秋政,則太白逆行,變色,揚芒,與他星含斗,環繞犯乘,變為妖星,彗掃其害庭,國破主死,天下皆兵,王者修德赦罪,存孤恤寡,薄賦省徭,可得無咎。”《荊州占》曰:“太白始出,逆行;不可以逆戰,大凶,敗亡。”《荊州占》曰:“太白出東方,逆行,不至巳而返,陽國強、陰國敗,戰不勝;一曰陽國有興者。”《荊州占》曰:“太白東方逆行,過巳不至午,有霸國;及午,陽國令天下;一曰陽國霸。”石氏曰:“太白出西方,逆行至四正,西方之國吉;出東方,逆行至四正,東方之國吉。”
別の占辞にいう、君王が秋季の政令の上で失があれば、太白はすなわち逆行し、色を変え、芒角を放射し、別の星と互いに啣接して争闘し、回環して繞行して侵犯・凌圧し、進んで妖星と変作し、彗星のごとく天庭で横に掃いて為害し、国破れ君亡び、天下に遍く干戈を主る。この時君王がもし徳を修養し、罪人を赦免し、孤児を撫養し寡婦を周済し、賦税を軽減し徭役を削減すれば、禍患に遭わないですむ。《荊州占》にいう、太白が剛く現れたかと思えばすぐ逆行する。この時それを迎えて作戦してはならない。さもなくば大凶で、敗亡が随う。《荊州占》はまたいう、太白が東方に現れて逆行し、巳の位に至らずして折り返すのは、陽方の国が強盛し、陰方の国が敗北し、交戦して勝ちを得ることができない兆しである。もう一説には陽方の国に興起する人がある。《荊州占》はさらにいう、太白が東方で逆行し、巳の位を越えてまだ午の位に到らないのは、覇を称える国がある兆しである。午の位に到れば、陽方の国が天下に号令する。もう一説には陽方の国が覇を称える。石氏はいう、太白が西方に現れ、逆行して子・午・卯・酉の四正の位に到れば、西方の国は吉。東方に現れ、逆行して四正の位に到れば、東方の国は吉。
《文曜鉤》曰:“太白當出不出,陰匿留,主沉湎,大臣有謀。”石氏曰:“太白當出不出,當入不入,是謂失舍;不有破軍,必有死王亡國。”(案《天官書》曰:必有國君之墓。又《宋書天文志》曰:晉武帝咸寧四年九月,太白當見不見,是時羊祜表請伐吳,上許之,五年十一月兵出,太白始夕見西方,太康元年三月大破吳軍,孫皓面縛請死,吳國遂亡,應之。)
《文曜鉤》にいう、太白が現れるべきなのに現れず、隠匿・滞留して幽暗の処にあるのは、君主が酒色に沈湎し、大臣が暗に謀を抱く兆しである。石氏はいう、太白が出るべきなのに出ず、入るべきなのに入らないのを「失舎」と呼ぶ。軍隊の潰敗でなければ、必ず君王が身を死に国家が滅亡する。(原書小注:《史記・天官書》を調べるに、必ず国君の墳墓を一座添えるとある。また《宋書・天文志》の記載に、晋の武帝咸寧四年九月、太白が現れるべきなのに現れなかった。当時、羊祜が表を上げて東呉を討伐することを請い、武帝がこれを許した。咸寧五年十一月に兵を出し、太白はやっと傍晩に西方に現れた。太康元年三月に呉軍を大破り、孫皓が両手を反縛りにして出降して死を請い、呉国はここに滅亡し、まさにこの象に相応した。)
《荊州占》曰:“太白未當入而入,天下聚糧。”石氏曰:“太白當出而不出,當入而不入,天下偃兵,兵在外而入。”(《荊州占》曰:有軍則罷。)《文曜鉤》曰:“太白不當出而出,主躁臣熾,軍破主死,兵馬滋。”《荊州占》曰:“太白當出而出,外有急兵;出南方,南方急;出北方,北方急。”石氏曰:“太白出東方,為東方入為東方;出西方,為西方入為南方。又曰:所居久,其國利。”《荊州占》曰:“居宿如度,其鄉利;易,其鄉凶。”(蘇林注《漢書天文志》曰:疾,過也;一說易鄉爾出入。晉灼曰:上言易而出易,言疾過是。)
《荊州占》にいう、太白が隠れ入るべきでないのに隠れ入るのは、天下が糧食を聚斂する兆しである。石氏はいう、太白が出るべきなのに出ず、入るべきなのに入らないのは、天下が兵を息め戦を罷め、外に在る軍隊が撤回する兆しである。(原書小注が《荊州占》を引いていう、駐軍があればすなわち解散すべきである。)《文曜鉤》にいう、太白が現れるべきでないのに現れるのは、君主が躁動し、臣下の気焔が囂張し、軍隊が潰敗し君主が身を死し、兵馬の事が日に滋長する兆しである。《荊州占》にいう、太白が期に按じて出るのは、外部に緊急の兵事がある。南方から出れば、南方が告急する。北方から出れば、北方が告急する。石氏はいう、太白が東方に出れば、その応は東方にある。隠れ入る時もなお東方に応じる。西方に出れば、その応は西方にある。隠れ入る時はすなわち南方に応じる。またいう、それがある処に留まることが久しければ、その分野の国に利がある。《荊州占》にいう、太白が宿に居ることが常度に合えば、その方に利がある。軽々しく遷移すれば、その方に凶がある。(原書小注:蘇林が《漢書・天文志》に注していう、「疾」はすなわち「過」の義である。もう一説には「易郷」はそれの出入りに常がないことを指す。晋灼はいう、上文にすでに「易」を講じ、出没また軽易なるは、まさに「疾過」の義である。)
甘氏曰:“太白政緩,則不出;急,則不入;逆,則凶。”又占曰:“太白未及其時而出,不及其時而入,天下舉兵,所當國亡;以時出而不出,時未入而入,天下偃兵,野有兵者,所當之國大凶。”巫咸曰:“太白可出不出,國且有謀;可入不入,國有置兵;當入不入,過二十日,天下有兵事。”又占曰:“太白可入不入,國且置侯,未可入而入,野有寇。”又占曰:“太白出西方,黃昏而出,陰國之兵強。”
甘徳はいう、政事が寛緩ならば、太白はすなわち時に按じて現れない。政事が急迫ならば、太白はすなわち時に按じて隠れ入らない。政令が悖逆ならば、すなわち凶を主る。別の占辞にいう、太白が時に及ばないのに現れ、時に及ばないのに隠れ入るのは、天下に兵が興り、応じるその国が滅亡する兆しである。出るべき時に出ず、入るべきでない時にかえって入るのは、天下が兵を息める兆しで、もし郊野になお駐軍があれば、応じるその国は大凶。巫咸はいう、太白が出べきなのに出ないのは、国の中に陰謀があろうとする兆しである。入べきなのに入らないのは、国の中に軍隊を屯置しようとする兆しである。入るべきなのに入らず、二十日を超えれば、天下に兵事がある。別の占辞にいう、太白が入べきなのに入らないのは、国の中に諸侯を分封しようとする兆しである。入るべきでないのに入ったのは、郊野に寇盗がある兆しである。さらに別の占辞にいう、太白が西方に現れ、黄昏の時分に現れるのは、陰方の国が兵力盛強である兆しである。
《天官書》曰:“太白暮食而出,小弱;夜半而出,中弱;雞鳴而出,大弱;是陰陷於陽。”巫咸曰:“太白在東方,平旦而出,東方南方以舉兵,天下不能當;平明而出,東方陽國之兵強;雞嗚而出,其國大弱;黃昏而出,中弱,是謂陽陷於陰。”石氏曰:“太白未當出而出,當入而不入,天下起兵,有破國。”
《史記・天官書》にいう、太白が傍晩の食事の時分に現れるのは、小弱を主る。夜半に現れるのは、中等程度の弱を主る。鶏鳴の時分に現れるのは、大弱を主る。これを陰が陽に陷入ったと呼ぶ。巫咸はいう、太白が東方にあり、天が剛く明けた時に現れれば、東方と南方がこの時に兵を興し、天下に抵当できる者がいない。黎明の時に現れれば、東方の陽国の兵力が盛強である。鶏鳴の時に現れれば、その国が大いに衰弱する。黄昏の時に現れれば、中等程度の弱を主り、これを陽が陰に陷入ったと呼ぶ。石氏はいう、太白が現れるべきでないのに現れ、隠れ入るべきなのに隠れ入らないのは、天下が兵を起こし、国家の破亡がある兆しである。
巫咸曰:“太白未當出東方而出東方,色黃白,曰重華;吏民讙譁,事擾不治,民不得耕織,或騷動不得食,使之無然,聽訟得其理,則止。非重華色而重華,人民作為不祥。”
巫咸はいう、太白が東方に現れるべきでないのに東方に現れ、色が黄白なのを「重華」と呼ぶ。官吏と百姓が喧嘩・鼓噪し、事務が紛擾して治めようがなく、百姓が安心して耕し織ることができず、さらには騒動して飯が食べられなくなるまでになる兆しである。それをこのようにならないようにするには、ただ訴訟の聴断を情理に合わせれば、乱象は自ずと止息する。もし色が重華の色でないのに強いて重華として占うならば、かえって百姓の挙動をして不祥を招かしめる。
巫咸曰:“太白未可下而下東方,色黃而不明,名曰少歲;少歲亂行,人民驚惶於野,若牧牛羊;使之不然,斷執死罪以下釋之,如此則止。非少歲色而少歲,其歲飢,百鬼不喜。”
巫咸はいう、太白が降るべきでないのに東方で降り、色が黄く発して明るくないのを「少歳」と呼ぶ。少歳が行度を错乱するのは、百姓が野外で驚慌して奔竄し、駆り立てられる牛羊のごとくなる兆しである。それをこのようにならないようにするには、すでに死罪以下に定められた囚犯を審断して赦放すれば、このようにすれば乱象は自ずと止息する。もし色が少歳の色でないのに強いて少歳として占うならば、この年にかえって飢饉が起こり、百神もまた肯んじて悦納しない。
巫咸曰:“太白未可出西方而出西方,色白者名曰太白;有聚卒;使之不然,止工作,無聚眾,縱市三旬,以當有卒聚,如此則止。非太白色而太白,有兵。”巫咸曰:“太白未可出而出,國且有謀,過二十日,天下有兵事。”
巫咸はいう、太白が西方に現れるべきでないのに西方に現れ、色が純白なのをすなわち「太白」の変と呼ぶ。兵卒が聚集する兆しである。それをこのようにならないようにするには、土木の工役を停め、人衆を聚集せず、市集を三十日放開し、用いて兵卒聚集の応に抵当すれば、このようにすれば乱象は自ずと止息する。もし色が太白の色でないのに強いて太白として占うならば、兵事がある。巫咸はまたいう、太白が現れるべきでないのに現れるのは、国の中に陰謀があろうとする兆しで、二十日を超えれば、天下に兵事がある。
巫咸曰:“太白未可下而下西方,色青白,名曰白肖;白肖亂行,且有甲兵搶攘,民惶惶,徭役以行,百神不享;使之無然,死人於市者勿葬,吏民三月,帶劍佩刀操兵,以當有兵,如此則止。非白肖色而白肖,有喪。”
巫咸はいう、太白が降るべきでないのに西方で降り、色が青白なのを「白肖」と呼ぶ。白肖が行度を错乱するのは、甲兵の紛擾・搶攘があり、百姓が惶惶として安らかでなく、徭役が頻繁に徴発され、百神が肯んじて祭品を歆享しない兆しである。それをこのようにならないようにするには、およそ市で処刑された人はしばらく埋葬を予めず、官吏と百姓は三か月の内に刀剣を佩び兵器を手に執り、用いて兵象に抵当すれば、このようにすれば乱象は自ずと止息する。もし色が白肖の色でないのに強いて白肖として占うならば、丧事がある。
《海中占》曰:“太白出,不上不下,留桑榆門,(晉灼曰:行遲而下也。)病其下國。”(巫咸曰:兵其下國。)班固《天文志》曰:“太白上而疾,未盡期,日過參天,(晉灼曰:參天者三分天過其一,此戍酉之間也)病其封國。”《荊州占》曰:“太白出王羸,百六十日,而上過參天,主尊,令行,民治,無盜賊,少徭賦。”《荊州占》曰:“太白出,上百六十日,不能參天;主卑、令不行,民亂,多盜賊,倍徭賦。”又占曰:“太白未滿日參天,其國亡。”又占曰:“太白以其時出陽,四十日不動,先起兵者,不利。”甘氏曰:“邦將亂謀,太白往守之。”
《海中占》にいう、太白が現れた後、升らず降らず、桑榆の間の低空の門戸の処に滞留するのは(原書小注:晋灼はいう、これは行度が遅緩で位置が偏低いのである。)、その下に臨む国に患がある兆しである。(原書小注:巫咸はいう、これはその国に兵事があるのである。)班固《漢書・天文志》にいう、太白が上行して速度が速すぎ、まだ期限に到らず、一日の内に「参天」の位を越えるのは(原書小注:晋灼はいう、参天とは天を三つに分かちその中の一つを超えること、すなわち戌・酉の間である。)、それが臨む封国に患がある兆しである。《荊州占》にいう、太白が現れる時に星勢が旺盛で形体が清瘦で、百六十日を歴て上行して参天の位を越えるのは、君主が尊崇され、政令が通行し、百姓が治められ、盗賊なく、徭役・賦税が軽省である兆しである。《荊州占》はまたいう、太白が現れた後、上行すること満百六十日にしてなお参天の位に够らないのは、君主が卑弱で、政令が行われず、百姓が乱を作し、盗賊が多く、徭役・賦税が加倍する兆しである。別の占辞にいう、太白があるべき日数に満たずして参天の位に到れば、その国は滅亡する。さらに別の占辞にいう、太白が時に按じて陽位に現れ、四十日停まって動かなければ、この時先んじて起兵する方は不利である。甘徳はいう、一国に禍乱・陰謀があろうとすれば、太白はすなわち前へ行ってその分野の上に守候する。
《荊州占》曰:“太白夕出西方,其旦昏當午,道無行人,其下之國,兵起不利,期六月。”《荊州占》曰:“太白夕出西方,其昏正月而還,有失地之君,期九十日。”石氏曰:“太白已出三日而復微入,三日乃復盛出,是謂懦而伏,其下之國,有軍,其眾敗,其將死。”石氏曰:“太白入三日而復微出,三日乃復盛入,其下國有憂,其師有糧遺人食,有兵草遣人用之;士卒雖眾,將軍為人所虜。”(班固《天文志》云:其下之國憂師,師雖眾,敵人食其糧,用其兵,虜其師。)
《荊州占》にいう、太白が傍晩西方に現れ、清晨から黄昏までずっとちょうど午の位に当たり、路上に行人を見ないのは、その下に臨む国が兵を興して利なき兆しで、応期は六か月。《荊州占》はまたいう、太白が傍晩西方に現れ、黄昏の時に正月が主る位に行って折り返すのは、土地を喪失する君主がある兆しで、応期は九十日。石氏はいう、太白がすでに現れること三日にしてまた微かに隠没し、さらに三日を過ぎてから重ねて盛出するのを「懦而伏」と呼び、その下の国にもし軍隊があれば、その衆は必ず敗れ、その将は必ず死する兆しである。石氏はまたいう、太白が隠れ入ること三日の後また微かに露出し、さらに三日を過ぎてから徹底的に隠れ入るのは、その下の国に憂患があり、軍中の糧食は他人に留めて食わせ、兵器・軍械は他人に交じて用いさせる兆しである。士卒は多くても、将軍はなお人に俘虜される。(原書小注:班固《漢書・天文志》にいう、その下の国は軍隊のために憂え、軍隊は多くても、敵人はその糧を食い、その兵を用い、その師を俘する。)
《文曜鉤》曰:“太白已入,三日復出,師憂將慮,主大遇。”(宋均曰:大遇,如衛卜追敵師,有夫出征而喪其雄,遇獲敵將也。遇或為愚。)《荊州占》曰:“太白巳出三日而復入,(《天文志》曰:復微也。)入三日而復出,(《天文志》曰:復盛也。)是謂逆伏,其下之國,有敗軍死將,不出其年;今日入,明日出,其君死之。”《荊州占》曰:“太白出西方,三日而反入,其將軍虜。”石氏曰:“太白入七日復出,相死;入十日復出,將軍戰死;入又復出,人君死。”
《文曜鉤》にいう、太白がすでに隠れ入り、三日の後また出るのは、軍隊が憂懼し将領が憂慮するが、君主には大きな際遇がある兆しである。(原書小注:宋均はいう、いわゆる「大遇」とは、衛国が敵軍を追撃することを占い、繇辞に丈夫出征してその雄を喪うとあるのに、結果はかえって敵方の主将を擒獲したがごときである。「遇」の字はある本は「愚」と作る。)《荊州占》にいう、太白がすでに現れること三日の後また隠れ入り(原書小注:《漢書・天文志》にいう、これは重ねて微暗に帰るのである。)、隠れ入ること三日の後また現れる(原書小注:《漢書・天文志》にいう、これは重ねて盛明に帰るのである。)、これを「逆伏」と呼び、その下の国に軍隊の潰敗・将領の陣亡があり、応験はその年を出ない。もし今日隠れ入り明日また出れば、その国の君主は死ななければならない。《荊州占》にいう、太白が西方に現れ、三日後すなわち折り返し隠れ入るのは、その将軍が俘される兆しである。石氏はいう、太白が隠れ入ること七日後また出るのは、宰相が死する兆しである。隠れ入ること十日後また出るのは、将軍が戦死する兆しである。隠れ入った後また反復して出没するのは、君主が死する兆しである。
《荊州占》曰:“太白不滿其日數入,入而復出,入一日,十日而兵死;入五日,五十日而兵死;入十日,百日而兵死;當其日,以命其國。”《荊州占》曰:“太白已出,高二三丈,乍入乍見;如此三日、四日;不過五日,必有大戰。”《兵勢要秘術》曰:“太白出三日而復入,入三日乃出,其國有軍,軍敗,所謂出國;若是已國,戒勿動,有挑戰,勿應之;唯戒勿動;密嚴可也;軍出乃為動耳。”《文曜鉤》曰:“陰卑俯軍,相圖先戰,敗將見誅;又曰:上覆下,下復上,將反,天下駭擾。”《荊州占》曰:“太白不出一年,強國之君當之;不出二年,強國之君死之。”
《荊州占》にいう、太白があるべき日数に満たずして隠れ入り、隠れ入った後また出る。隠れ入ること一日ならば、十日後に士卒が戦死する。隠れ入ること五日ならば、五十日後に士卒が戦死する。隠れ入ること十日ならば、百日後に士卒が戦死する。それが隠れ入った日に値する分野に按じれば、すなわちどの国に応じるかを断定できる。《荊州占》はまたいう、太白がすでに現れ、高さ二三丈ほどで、忽ち隠没し忽ちまた見える。このように三日・四日続き、多くても五日を過ぎず、必ず大戦が発生する。《兵勢要秘術》にいう、太白が現れること三日の後また隠れ入り、隠れ入ること三日の後さらに現れるのは、それが臨む国に軍隊がありその軍隊が潰敗する兆しで、これは兵を発して境を出る方を言うのである。もし本国に応ずれば、すなわち戒備して軽挙妄動せず、敵人が来て挑戦しても応戦せず、ただ謹んで守り動かず、秘密裏に戒厳すればよい。ひとたび兵を出せば、あれはすなわち「動」である。《文曜鉤》にいう、陰気が卑下して軍旅に俯臨し、双方が互いに図謀し争って先んじて開戦し、敗方の将領は誅殺される。またいう、上に在る者がかえって下に居り、下に在る者がかえって上に居るのは、将帥が反叛し、天下が驚駭・騒擾する兆しである。《荊州占》にいう、太白が一年出なければ、災いは強国の君が当たる。二年出なければ、強国の君は死ななければならない。
太白経天昼見 三
石氏曰:“凡太白不經天,若經天,天下革政,民更主,是謂亂紀,人民流亡。”(孟康曰:謂出東入西,出西入東也,太白陰星,出東當伏東,出西當伏西,過午為經天。晉灼曰:日陽也,日出則星亡;晝上午上為經天也。)石氏曰:“太白經天,見午上,秦國王,天下大亂。”
石氏はいう、太白は通常は「経天」しない。ひとたび経天すれば、天下は政令を変革し、百姓は君主を更換する。これを「乱紀」と呼び、百姓は流離・逃亡する。(原書小注:孟康はいう、いわゆる経天とは、東方から出て西方に隠れ入るか、あるいは西方から出て東方に隠れ入ることを指す。太白は陰星に属し、東方から出ればすなわち東方に伏没すべきで、西方から出ればすなわち西方に伏没すべきで、午の位を越えればすなわち経天と呼ぶ。晋灼はいう、太陽は陽に属し、日出で後に衆星は隠没して見えない。白昼のうちに午の位の上に升るのを、これを経天と呼ぶ。)石氏はいう、太白が経天し、午の位の上に現れるのは、秦の地が王を称え、天下が大いに乱れる兆しである。
《荊州占》曰:“太白晝見於午,名曰經天,是謂亂紀;天下亂,改政易王,人民流亡,棄其子,去其鄉里。”(案《宋書天文志》曰:宋後廢帝元微五年五月戊申,太白晝見午上,光明異常,宋順帝升明元年九月丁亥,太白在翼,晝見,經天,占曰:吏姓,後一年齊受禪之驗。)
《荊州占》にいう、太白が白天に午の位に現れるのを「経天」と呼び、これがいわゆる「乱紀」である。天下が大いに乱れ、政令が更改し君王が姓を易え、百姓が流離・逃亡し、自分の子を抛て故郷・里閭を離れる兆しである。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を調べるに、宋の後廃帝元徽五年五月戊申の日、太白が白昼に午の位の上に現れ、光亮が尋常と異なった。宋の順帝升明元年九月丁亥の日、太白が翼宿を行き、白昼に見えしかも経天し、占辞にいう、姓を更換する兆し(原文は「吏姓」と作る)とあり、翌年蕭斉が禅を受け宋に代わり、まさにその応験である。)
《荊州占》曰:“太白夕見,過午亦曰經天,有連頭斬死人,陰國兵強,王天下;女主用事,陽國不利。”《春秋元命包》曰:“殺失則攻戰刑;故太白逆經天,屠君父,外夷徵。”《京房對災異》曰:“人君薄恩無義,懦弱不勝任,則太白失度,經天則變;不救,則四邊大動,蠻貊侵也。”
《荊州占》にいう、太白が傍晩現れ、午の位を越えるのもまた経天と呼び、相つづいて斬首・処決することを主り、陰方の国は兵力が盛強で、天下に王を称しようとする。女主が政柄を執掌し、陽方の国は不利である。《春秋元命包》にいう、殺伐が当を失すれば干戈を動かし刑戮を用いる。ゆえに太白が逆行して経天するのは、君父を屠戮し、外族が入って征討する兆しである。《京房対災異》にいう、君主が寡恩で義なく、懦弱でその任に勝えなければ、太白はすなわち常度を失う。ひとたび経天すれば、すなわち大変である。もし補救を加えなければ、四方の辺境は大いに乱れ、蛮貊が機に乗じて入侵する。
《春秋文曜鉤》曰:“太白經天,主失樞。”《春秋緯》曰:“彗守角,太白經天;金精之國虛,謀殺作兵。”《春秋漢含孳》曰:“陽弱臣逆,則太白經天。”(陽弱,君宗弱;不堪為主也。)《孝經鉤命訣》曰:“天子失兵,則太白經天。”《洛書洛罪級》曰:“太白經天,不日桀侯代政。”
《春秋文曜鉤》にいう、太白が経天するのは、君主が中枢の権を失う兆しである。《春秋緯》にいう、彗星が角宿に守り、太白が経天するのは、金精が主る国が空虚になり、人が殺戮を図謀し戦事を挑発する兆しである。《春秋漢含孳》にいう、陽気が衰弱し臣下が悖逆なれば、太白はすなわち経天する。(原書小注:いわゆる陽弱とは、君主の宗室が衰弱して天下の主となるに足らないことをいう。)《孝経鉤命訣》にいう、天子が兵権を失えば、太白はすなわち経天する。《洛書洛罪級》にいう、太白が経天するのは、数日を出ずして桀骜の諸侯が朝政に代わる兆しである。
巫咸曰:“太白晝見,而經天爭明;而兵起,天下驚,強國弱,女主有名。”《天官書》曰:“太白晝見經天,強國弱,弱國強,女主昌也。”巫咸曰:“太白當戶,其百八十日蚩尤出,兵且起,大將在野。”巫咸曰:“太白上中,天下有一主之命。”又占曰:“太白不發中而中;孟月見之,侯王當之;仲月見之,大將軍當之;季月見之,小民當之。”又占曰:“太白不當過中,是謂絕綱,四國兵起。”
巫咸はいう、太白が白昼に見え、経天して太陽と光を争う。この時兵事が興起し、天下が震驚し、強国が弱に転じ、女主が声名を顕赫とする。《史記・天官書》にいう、太白が白昼に見えて経天するのは、強国が弱に転じ、弱国が強に転じ、女主が昌盛する兆しである。巫咸はいう、太白がちょうど門戸の位に当たるのは、百八十日後に蚩尤旗の類の妖気が現れ、兵事が起ころうとし、大将が野外に屯駐する兆しである。巫咸はまたいう、太白が上升して中天に至るのは、天下に君主を更換する天命がある兆しである。別の占辞にいう、太白は本当は中天に到るべきでないのに中天に到った。孟月に見れば、災いは諸侯王が当たる。仲月に見れば、大将軍が当たる。季月に見れば、小民が当たる。さらに別の占辞にいう、太白は本当は中天を越えるべきでないのに越えれば、これを「絶綱」と呼び、四方の国がいっしょに兵を興す兆しである。
《春秋緯運斗樞》曰:“太白赤芒,世有過,為大臣三公所乘,則太白經天,有此類,則亡引也。”《荊州占》曰:“太白經天,海內悲泣;九州搖動,奮兵負糧。”《春秋緯考異郵》曰:“陪臣行毒,諸謁向尊,則太白經天,主命凶。”
《春秋緯・運斗枢》にいう、太白が赤色の芒を放つのは、世道に過失があり、君権が大臣・三公に凌駕されたのである。このように太白はすなわち経天し、この一類の徴象が現れるのは、国祚に延々と続く望みがないのである。《荊州占》にいう、太白が経天するのは、海内に哀声が哭泣し、九州が動盪し、人々が奮起して兵を執り、糧秣を負う兆しである。《春秋緯・考異郵》にいう、陪臣が毒政を施行し、各路の請託・鑚営の徒が皆至尊の位を指向すれば、太白はすなわち経天し、君主の命運が凶険である兆しである。
《荊州占》曰:“太白再經天,一入中宮,天下更王,國破主絕,期不出三年。”(案班固《天文志》曰:秦二世即位,太白再經天,因以張楚並興,兵相跆藉,秦遂以亡。蘇林曰:跆音臺,登躡也,或作蹈。)
《荊州占》にいう、太白が二度経天し、そのうち一度が中宮紫微垣に入るのは、天下が君王を更換し、国家が破亡し君統が断絶する兆しで、応期は三年を出ない。(原書小注:班固《漢書・天文志》の記載を調べるに、秦の二世が即位した年、太白が二度経天し、その後陳勝の立てた「張楚」などの勢力がいっしょに興起し、兵馬が互いに践踏し、秦朝はここに滅亡した。蘇林はいう、「跆」は台と読み、踩踏の義で、「蹈」と作るものもある。)
《荊州占》曰:“太白晨出東方,過食時而明,有兵,期四十日;若至日中而明,兵起將行,期三月。”《荊州占》曰:“太白晨出東方而中乃明,亡地之君在東方;若東北方,期六十日。”又占曰:“太白見東方,上至午,將奪君。”又曰:“陽國王當位者受之。”又占曰:“太白見東方,至丙巳之間,小將死;過午,有起霸者。”
《荊州占》にいう、太白が清晨東方に現れ、早飯の時分を過ぎてもなお明亮なのは、兵事がある兆しで、応期は四十日。もし正午に至ってなお明亮ならば、兵が起こり将帥が出征する兆しで、応期は三か月。《荊州占》はまたいう、太白が清晨東方に現れ、中天に至るまで明亮なのは、土地を喪失する君主が東方に出る兆しである。あるいは東北方に出て、応期は六十日。別の占辞にいう、太白が東方に見え、上行して午の位に到るのは、将帥が君位を奪う兆しである。またいう、この災いは陽方の国の中でその位に当たる君王が受け承ける。さらに別の占辞にいう、太白が東方に見え、丙の位と巳の位の間に行き到るのは、偏裨の小将が死亡する兆しである。午の位を越えれば、覇を称える者が興起する。
《荊州占》曰:“太白出,高至巳午之間;士卒勞,有不利軍者,難以得功也。”又占曰:“太白出西方,上至未,陰國有霸者;若過未及午,陰國王令天下;一曰至午者,陰國王者,當其位者受之。”陳卓曰:“太白從西方,若東方,上至午,皆為有兵。”《荊州占》曰:“太白上至午未間,天下易王,陽國兵強,當其位者受之。”又占曰:“太白始出辰巳間,為荊楚,正巳殺大將;出午,天下有亡國;出午未間,天下亡王者昌。”
《荊州占》にいう、太白が現れ、高さ巳の位と午の位の間に至るのは、士卒が疲敝し、軍中に不利の事があり、戦功を立て難い兆しである。別の占辞にいう、太白が西方に現れ、上行して未の位に到るのは、陰方の国に霸主が現れる兆しである。もし未の位を越えて午の位に到れば、陰方の国の君王が天下に号令する。もう一説には午の位に行き到れば、陰方の国が王を称え、その位に当たる人が受け承ける。陳卓はいう、太白が西方からまたは東方から上行して午の位に到るのは、いずれも兵事がある兆しである。《荊州占》にいう、太白が上行して午の位と未の位の間に到るのは、天下が君王を更換し、陽方の国が兵力盛強で、その位に当たる人が受け承ける兆しである。別の占辞にいう、太白が初めて辰の位と巳の位の間に出るのは、主る所は荊楚の地で、ちょうど巳の位に当たれば大将を殺す。午の位に出れば、天下に国家の覆亡がある。午の位と未の位の間に出れば、天下に覆亡する国はあるが、起ち上がって王を称える人は昌盛する。
《荊州占》曰:“太白晝見,與日爭光,是謂經天,大亂十年,人民流亡,去其鄉;女主昌,執政;近日國,必有喪;日中而見,事必然。”司馬彪《天文志》曰:“太白晝見經天,為兵喪,在大人。”(案檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武太元三年九月,太白晝見在角,五年九月癸未,皇后王氏崩,十二年六月癸卯,太白晝見經天在柳,十月庚午,太白晝見在斗,十三年正月、內左將軍康樂公謝玄薨,十四年妖賊鄧黎稱號皇丘,劉牢之滅之。)
《荊州占》にいう、太白が白昼に見え、太陽と光輝を争うのをすなわち「経天」と呼び、大乱十年を主り、百姓が流離・逃亡して井郷を背き離れ、女主が昌盛して朝政を執掌する。太陽に近づく所が主るその国は、必ず丧事がある。もし正午の時分に見れば、事は必ず応験する。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、太白が白昼に見えて経天するのは、兵禍と丧事を主り、災いの応は大人物の身に落ちる。(原書小注:檀道鸞《晋陽秋》の記載を調べるに、晋の孝武帝太元三年九月、太白が白昼に角宿に現れた。太元五年九月癸未の日、皇后王氏が薨去した。太元十二年六月癸卯の日、太白が白昼に見えて経天し、位は柳宿にあった。十月庚午の日、太白が白昼に斗宿に現れた。十三年正月、内左将軍康楽公謝玄が薨去した。十四年、妖賊の鄧黎が皇丘で僭号して王を称え、劉牢之に剿滅された。)
甘氏曰:“太白晝見,天子有喪,天下更王,大亂,是謂經天,有亡國,百姓皆流亡。”(案司馬彪《天文志》曰:孝安永初元年六月辛丑,太白晝見,經天,延光元年三月癸巳、鄧太后崩,孝順永和五年四月戊午,太白晝見,其六年,大將軍梁商薨。九江丹陽賊周生馬勉等起兵,攻沒郡縣,梁氏又專權於漢廷,孝順漢安二年正月巳亥,太白晝見,七月甲申太白晝見,明年順帝崩,孝沖即位,明年正月又崩,韋昭《洞紀》曰:桓帝元嘉元年二月,太白晝見,永興元年二月,太白晝見,其年夏月,河水溫,漂殺人,百姓飢窮,流移道路,數十萬戶。《宋書天文志》曰:魏黃初四年六月甲申,太白晝見,五年十月乙卯。太白又晝見,時孫權受魏爵號,而稱兵拒守,七年五月,文帝崩,八月,吳國江夏,冠襄陽,魏江夏太守,文聘固守得全,將軍司馬懿救襄陽,斬吳將張霸。晉惠永康元年三月,太白晝見,占曰:為不臣。晉孝武太元七年十一月,太白晝見在斗中,八年四月甲子,太白又晝見在參,九年六月,皇太后褚氏崩也。)
戦国の星占家甘徳はいう、「太白」はすなわち金星で、五行は金に属し、天象の中で兵戈を主り刑殺を主る。清晨に東方に見えるのを「啓明」と呼び、黄昏に西方に見えるのを「長庚」と呼ぶ。白昼に日光が空に当たる時、本当は星辰を見るべきでないのに、金星が大白天に顕れ出るのは、天子に丧事があろうとし、天下が君王を改換し、天下が大いに乱れる徴兆で、この種の天象を「経天」と呼び、亡国の禍がある兆しで、百姓は皆流離・逃亡する。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に按じるに、漢の安帝永初元年六月辛丑の日、金星が白昼に現れ、天空を横に貫いた。延光元年三月癸巳の日に至り、鄧太后が崩じた。漢の順帝永和五年四月戊午の日、金星が白昼に現れた。第六年に至り、大将軍梁商が薨去し、九江・丹陽の乱民周生・馬勉らが起兵し、郡県を攻陥し、梁氏はまた漢廷で大権を独攬した。順帝漢安二年正月己亥の日、金星が白昼に現れた。七月甲申の日、金星がまた白昼に現れた。翌年順帝が崩じ、沖帝が即位し、さらに一年の正月に沖帝もまた崩じた。韋昭《洞紀》にいう、桓帝元嘉元年二月、金星が白昼に現れた。永興元年二月、金星が白昼に現れ、その年夏、黄河の水が熱く変わり、漂没して人を淹死させ、百姓は飢餓・困窘し、道路に流亡する者が数十万户あった。《宋書・天文志》にいう、曹魏黄初四年六月甲申の日、金星が白昼に現れた。五年十月乙卯の日、金星がまた白昼に現れ、当時孫権はすでに魏国の封じた爵位・名号を受けていたが、兵を挙げて抗拒して服さなかった。七年五月、魏文帝が崩じた。八月、呉国が江夏を進攻し襄陽を侵擾し、魏国の江夏太守文聘は堅守して保全を得、将軍司馬懿は馳せて襄陽を援け、呉の将張覇を斬った。晋の恵帝永康元年三月、金星が白昼に現れ、占辞はいう、これは臣下が臣道を守らない象である。晋の孝武帝太元七年十一月、金星が白昼に南斗宿の中に現れた。八年四月甲子の日、金星がまた白昼に参宿に現れた。九年六月、皇太后褚氏が薨去した。)
《荊州占》曰:“太白晝見,名曰昭明,強國弱,弱國霸,兵大起,期不出年。”(案《宋書天文志》曰:晉孝武太元七年十一月,太白晝見在斗,八年四月甲子太白又晝見在參,是月,桓沖徵沔漠,楊亮伐蜀,並拔城略地,八月苻堅自將兵,號百萬,九月攻沒壽陽,十月劉牢之破堅將梁成,斬之,殺獲萬餘人,謝玄等又破堅於肥水,斬其弟融,堅大眾奔潰,九年八月,謝玄出屯彭城,經略中州,十年八月,苻堅為其將姚萇所殺,十一年二月戊申,太白又晝見在東井,十二年慕容垂冠東阿,翟遼冠河上,姚萇假號安定,苻登自立隴上,呂光竊據涼,十二年十月庚午,太白晝見,又在斗,自是慕容垂,翟遼,姚萇,苻登,慕容永並阻兵爭強,十四年正月,彭城妖賊又稱號於皇丘,劉牢之攻破,滅之,三月張道破合鄉,圍太山,向欽之擊走之,是年翟遼又攻榮陽、侵略陳項,於時政事多弊、治道陵遲也。)
《荊州占》にいう、金星が白昼に現れるのは、この天象に別の名目があって「昭明」と呼び、強国が弱に転じ弱国が覇を称え、大規模の戦事が起ころうとする兆しで、応験の期限は一年を超えない。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に按じるに、晋の孝武帝太元七年十一月、金星が白昼に南斗宿に現れた。八年四月甲子の日、金星がまた白昼に参宿に現れた。まさにその月、桓沖が兵を出して沔水一帯に至り、楊亮が蜀の地を討伐し、皆城池を攻下し土地を奪取した。八月、前秦の苻堅が自ら兵を統べ、百万と号した。九月に寿陽を攻陥した。十月に劉牢之が苻堅の部将梁成を撃破しこれを斬り、殺し俘ること一万余人。謝玄らはまた淝水で苻堅を大敗させ、苻堅の弟苻融を斬り、苻堅の大軍は潰散して奔逃した。九年八月、謝玄が兵を出して彭城に屯駐し、中原を経営した。十年八月、苻堅はその部将姚萇に殺された。十一年二月戊申の日、金星がまた白昼に東井宿に現れた。十二年、慕容垂が東阿を進犯し、翟遼が黄河沿いを進犯し、姚萇が安定で僭称し、苻登が隴上で自立し、呂光が涼州を竊拠した。十二年十月庚午の日、金星が白昼に現れ、また南斗宿にあった。これより慕容垂・翟遼・姚萇・苻登・慕容永は皆兵を擁して割拠し、強を争い勝を闘った。十四年正月、彭城の妖賊がまた皇丘で僭称し、劉牢之が兵を出して攻破し消滅した。三月に張道が合郷を攻破し、太山を囲困し、向欽之が出撃して彼を逐い走らせた。この年、翟遼はまた滎陽を進攻し、陳郡・項城を侵掠した。あの時期、朝政に弊が多く、治国の道は日に衰敗していた。)
巫咸曰:“太白晝見,是謂陰明,來年強國有喪。”(宋孝武太元二十年七月,太白連晝見在太微,二十一年三月,太白連晝見在羽林,二十一年七月武帝崩。)司馬彪《天文志》曰:“太白晝見,為強臣爭。”(《宋書天文志》曰:魏明帝青龍三年十月壬申,太白晝見在尾,歷二百餘日,恆見,占曰:尾為燕,燕臣強,有兵。四年三月巳巳,太白與月俱在丙晝見,積二百八十餘日,是時公孫淵自立為燕王,署置百官發兵距,司馬懿討滅之。韋昭《洞記》曰:漢安帝永初二年正月,太白晝見,漢陵河陽失殺,三千五百七十人,五月旱,三年京師人相食。司馬彪《天文志》曰:孝順永和三年三月壬子,太白晝見,六月丙午,太白晝見,八月乙卯,太白晝見,閏月乙卯,太白晝見。太白,將軍之官,又為西州晝見,陰盛與君爭明,此時將軍梁商父子秉勢,故太白常晝見。)
巫咸はいう、金星が白昼に現れるのを「陰明」と呼び、陰に属する星があえて陽光の下で明を逞しくする意で、来年に強国に丧事がある兆しである。(原書小注、この条は「宋孝武」と題するが紀年に「太元」を用い、太元は実は晋の孝武帝の年号である。太元二十年七月、金星がつづけて白昼に太微垣に現れた。二十一年三月、金星がつづけて白昼に羽林に現れた。二十一年七月、武帝が崩じた。)司馬彪《続漢書・天文志》にいう、金星が白昼に現れるのは、強横の臣が君上と権を争う兆しである。(原書小注:《宋書・天文志》にいう、魏の明帝青龍三年十月壬申の日、金星が白昼に尾宿に現れ、二百余日を歴てずっと見え、占辞はいう、尾宿は燕の地に対応し、燕の地の臣子の勢力が盛強で兵事があろうとする象である。四年三月己巳の日、金星と月亮がともに丙の位に白昼に現れ、累計二百八十余日。当時公孫淵が自立して燕王となり、百官を設置し兵を発して抗拒し、司馬懿が兵を出して討伐し彼を滅した。韋昭《洞紀》にいう、漢の安帝永初二年正月、金星が白昼に現れ、漢陵・河陽一帯で喪乱・死傷が三千五百七十人あり、五月に大旱魃があり、三年に京城に人が人を食う惨状が現れた。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、漢の順帝永和三年三月壬子の日、金星が白昼に現れた。六月丙午の日、金星が白昼に現れた。八月乙卯の日、金星が白昼に現れた。閏月乙卯の日、金星が白昼に現れた。金星は天官の中で将軍の職で、また西方の州を主る。それが白昼に顕れるのは、陰気が盛んに過ぎて君主と明を争おうとするのである。当時ちょうど将軍梁商父子が権柄を把持していたので、金星はいつも白昼に現れた。)
太白変異大小傍に小星あり 四
巫咸曰:“太白下,為壯公止於山林。”(案《風俗通》云:東立朔者,太白星精,黃帝時為風后,堯時為務成子,周時為老聃,在越為范蠡,在齊為鴟夷,言其神聖,能興王霸之業,變化無常。《列仙傳》及《漢武故事》並云:朔是歲星精。應劭云:是太白精。)《荊州占》曰:“太白赤圓,大而光,期不出九十日,大兵起。”石氏曰:“太白圓大,怒而赤,天下有兵,盛而不戰。”巫咸曰:“太白出而大,兵革將興,旌旗相望,兩敵相當,大將行。”甘氏曰:“太白獨行赤,則十五日戰,從芒之所指而擊者勝。”《荊州占》曰:“太白大而芒角,色青白,若芙蓉,置竿有影,歲大熟,主壽,將益祿,以戰勝守固。”
巫咸はいう、金星の位置が低く垂れるのは、壮健で有為の公侯が山林の間に隠止する兆しである。(原書小注:《風俗通》に按じるに、東方朔は金星の精で、黄帝の時に風后と化身し、堯の時に務成子と化身し、周の時に老聃と化身し、越国では范蠡であり、斉国では鴟夷子皮であって、これは彼が神明・聖異で、王覇の功業を成し遂げ、変化に定形がないというのである。《列仙伝》と《漢武故事》は皆東方朔は木星の精とし、応劭はすなわち金星の精とする。)《荊州占》にいう、金星が色赤く形が円く、体が大で光があるのは、期限が九十日を超えず、大規模の戦事が興起しようとする。石申はいう、金星が円大で、光色が赤怒して人を逼るのは、天下に兵事があるが、兵勢は盛んであっても真には交手しない。巫咸はいう、金星が顕れて形体が碩大なのは、兵革の事が興らんとし、両軍の旌旗が遥かに相望み、敵対双方が勢均力敵で、大将が出征しようとしている。甘徳はいう、金星が独自で運行して色が赤ければ、すなわち十五日内に戦事があり、それの芒角が指す方向に順って出撃する方が勝利する。《荊州占》にいう、金星が碩大で芒角を帯び、色が青白で、芙蓉花のごとく鮮潔で、竿を立てれば影を照らし出せるのは、その年に五穀が大熟し、君主が長寿で、将帥が俸禄を増し、兵を用いれば戦は勝ちを得て守は牢固である兆しである。
《荊州占》曰:“太白當效而出,色白,西方利。”《荊州占》曰:“太白當效而出,色黑,北方利。”又占曰:“太白當效而出,色赤,為兵不足傷。”《荊州占》曰:“太白色白,又曰白甚,春有喪。”又占曰:“太白始出,赤而大,其年有兵。”又占曰:“太白色赤,有憂;又曰其色赤,國失兵,將死。”甘氏曰:“太白始出大而後小,其國兵弱;始出小而後大,其國兵強。”《荊州占》曰:“太白出小而後大,大兵起;東方為陽國,西方為陰國;又曰始出微細不明,後大而光者,戰兵初弱、後勝。”《荊州占》曰:“太白始出大而後小,出東方,為陽國;出西方,為陰國;又曰始出大而生光,後小不明,戰,兵初勝後亡。”
《荊州占》にいう、金星が応験すべき時に至って顕現し色が白いのは、西方に利がある。《荊州占》にいう、金星が応験すべき時に顕現し色が黒いのは、北方に利がある。また一つの占辞にいう、金星が応験すべき時に顕現し色が赤いのは、兵事が起きても傷損を及ぼすに足りないことを主る。《荊州占》にいう、金星の色が白いのは、別の説では白すぎるのは、春に喪事があることを主る。また一つの占辞にいう、金星が初出の時に色赤く形大きいのは、その年に兵事がある。また一つの占辞にいう、金星の色が赤いのは、憂患があることを主る。またいう、星色が赤いのは、国家が兵力を折損し将帥が死亡することを主る。甘徳がいう、金星が初出の時に大きく後に小さくなるのは、その国の兵力が弱い。初出の時に小さく後に大きくなるのは、その国の兵力が強い。《荊州占》にいう、金星が初出の時に小さく後に大きくなるのは、大規模な戦事の興起を主る。東方に出れば属陽の国に応じ、西方に出れば属陰の国に応じる。またいう、初出の時に細微にして明らかでなく後に大きくなって光を放つのは、交戦する時に兵力が初めは弱く後に勝つ。《荊州占》にいう、金星が初出の時に大きく後に小さくなるのは、東方に出れば属陽の国に応じ、西方に出れば属陰の国に応じる。またいう、初出の時に碩大にして光を生じ後に小さくなって明らかでないのは、交戦する時に初めは勝ち後に敗亡する。
巫咸曰:“太白出小,有城其將不能守,有兵而不戰。”又占曰:“太白微小不明,天下盜賊多,不明亮者,所居之國尤甚。”《荊州占》曰:“太白小,色黑、角短、歲熟;一曰飢旱;主卑,將軍辱,戰不勝。”石氏曰:“太白小,以角動,兵起。”郗萌曰:“太白小,以角動,不出三年,中央兵起。”巫咸曰:“太白出西方,小而圓,(《荊州占》曰:“或小而高。”)敢戰,吉;不敢戰,凶。西方北方以舉兵,天下不能當;黃昏出,陰國之兵強。”巫咸曰:“太白傍有小星,數寸若尺,期八日,邊城有功。”《荊州占》曰:“太白色赤小以動;天下出兵,大將失地,以歸之,兵起。”巫咸曰:“太白夕出西方,以八月四日侯之,傍有小星附之,若去之尺餘至二尺,客軍大敗,有死將;軍在外傍有小星,去之尺,軍罷。”
巫咸がいう、金星が顕現する時に形体が細小なのは、城を守る将が城を守りきれず兵衆があっても出戦できないことを主る。また一つの占辞にいう、金星が細微にして明らかでないのは、天下に盗賊が多いことを主る。星光がとりわけ晦暗な時は、それが対応する分野の国の盗患が最も甚だしい。《荊州占》にいう、金星が形小さく色黒く芒角が短いのは、年成の豊熟を主る。別の説では飢饉と干ばつを主る。また君主の地位が卑弱で将軍が辱められ交戦して勝てないことを主る。石申がいう、金星が形小さく芒角をもって揺動するのは、兵事の興起を主る。郗萌がいう、金星が形小さく芒角をもって揺動するのは、三年を出でず中原地区に兵事が興る。巫咸がいう、金星が西方に現れ形小さく円いのは(原書小注が《荊州占》を引いていう、「形小さく位置が高い」と作るのもある)、この時あえて交戦すれば吉であえて交戦しなければ凶。西方・北方がこの時に兵を挙げれば天下に抵当できる者がない。黄昏時に顕現すれば属陰の国の兵力が強盛である。巫咸がいう、金星の傍らに小星が相伴い、距離が数寸から一尺ほどのは、期限八日で辺城に戦功があろう。《荊州占》にいう、金星が色赤く形小さく揺動するのは、天下が兵を出し大将が土地を失って他人に帰附し、続いて兵事が興ることを主る。巫咸がいう、金星が夕方に西方に現れ、八月四日のこの日にそれを観測し、もし傍らに小星が依附して距離が一尺余から二尺ならば、客方の軍隊の大敗と将領の戦死を主る。軍隊が外にある時、金星の傍らに小星があって距離が一尺ならば、軍隊が兵を罷め解散することを主る。
太白の流動と列星との斗 五
郗萌曰:“太白流,國有兵將死。”石氏曰:“太白動搖,進退左右,用兵吉,靜凶。太白圍,以靜用兵,靜吉;躁凶。”《荊州占》曰:“太白大而角,搖居不安,東西南北,乍上乍下,如欲驚者,其年有喪,大小必至。”郗萌曰:“太白與宿星斗,不出一年,有失國之君;將失位。”《荊州占》曰:“太白與列星斗,兵弱,為客有利。”
郗萌がいう、金星が流移して定まらないのは、国家に兵事があり将帥が死亡しようとすることを主る。石申がいう、金星の光体が動揺し、忽ち進み忽ち退き、忽ち左に忽ち右にするのは、この時主動して兵を用いれば吉で、兵を按して動かなければかえって凶。金星の四周に光暈が環囲するのは、静をもって動を制するように兵を用い、静守は吉で躁進は凶である。《荊州占》にいう、金星が碩大で芒角を帯び揺動して安らかでなく、忽ち東に忽ち西に、忽ち南に忽ち北に、忽ち上に忽ち下にして、驚きを受けたような様子なのは、その年に喪事があり大喪であれ小喪であれ必ず到来することを主る。郗萌がいう、金星が二十八宿の宿星と相犯して斗すようなのは、一年を出でず国土を失う君主があろう。将帥もまた職位を失う。《荊州占》にいう、金星が列宿の星と相斗するのは、本方の兵力が弱く客方(遠くから来て進攻する一方)に利があることを主る。
太白の穰気・暈・彗 六
《黃帝占》曰:“太白生為氣而白穰,明日大風,發屋折木,道上無厭,不出五日,粟大貴五倍,不出年中,有兵;歲多大霧,傷五穀,婦人多災傷其子者,不過十月而止。”《黃帝占》曰:“太白生穰,氣長三丈;若六丈,大風雨,兵起,所指處,天下民主俱驚。”(丈或作尺。)《孝經右秘》曰:“太白垂冠,天下亂,臣下叛。”甘氏曰:“太白之為雲,如林、如杖、如杵,皆兵喪俱起,期二月。”巫咸曰:“太白白暈,天下赦,有喪,有喜;不出二十日,且失國,失兵。”郗萌曰:“太白出彗西南維,中國民受兵、亡地,不出二年。”石氏曰:“太白出帚西北維,胡狄受兵,不出一年,亡地。”石氏曰:“太白出帚西南維,候中國民,為多受兵、亡地,不過一年。”
《黄帝占》にいう、金星が雲気を生じて白色の「穰」の状を呈するのは(穰とは一縷一縷の蓬散して禾稈のような気)、翌日に大風が吹き屋根を翻し樹木を折り、路上に安んじる人がなく、五日を出でず粟米の価格が五倍に暴騰し、この年を出でず兵事が発生する。この年にはまた多く大雾が起き五穀を損傷し、婦人は多く災禍に遭って己の子を傷つけ、この状況は十月に至ってやっと止む。《黄帝占》にいう、金星が穰気を生じ気の長さが三丈のは、もし六丈に長じれば大風大雨と兵事の興起を主り、気の指す所では天下の百姓と君主が皆驚恐する。(原書小注:「丈」はある本子では「尺」と作る。)《孝経右秘》にいう、金星の上方に冠状の雲気が垂覆するのは、天下の大乱と臣下の反逆を主る。甘徳がいう、金星が化生する雲気で、形状が樹林のよう、手杖のよう、木杵のようなのは、みな兵事と喪事がともに発生することを主り、期限は二箇月である。巫咸がいう、金星の外囲に白色の光暈があるのは、天下の大赦を主り、喪事があり、また喜事もある。二十日を出でず、国土を喪失し兵力を折損しようとする。郗萌がいう、金星が西南方位に彗状の気を生ずるのは、中原の百姓が兵禍に遭い土地を喪失することを主り、二年を出でず応験する。石申がいう、金星が西北方位に箒状の気を生ずるのは、胡人・狄人が兵禍に遭うことを主り、一年を出でず土地を喪失しようとする。石申がいう、金星が西南方位に箒状の気を生ずるのは、占候するのは中原の百姓で、彼らが多く兵禍に遭い土地を喪失することを主り、一年を超えず応験する。
開元占経 巻四十七
太白占 三
太白の東方七宿を犯す
太白の角宿を犯す 一
《黃帝占》曰:“太白犯左角,大戰不勝,將軍死。”《海中占》曰:“太白犯右角,將軍有憂,若兵起;一曰有旱災。”石氏曰:“太白入左角,天子憂,諸侯用事。太白逆行左角間,有刺客,天子明慎之。”《黃帝占》曰:“太白乘左角,群臣有謀不成,其以家坐罪。”(案《宋書天文志》曰:魏嘉平五年六月戊午,太白犯角。正元元年,李豐等謀亂,悉誅之。)郗萌曰:“太白乘左角,為水、兵。”石氏曰:“太白乘左角,天子游獵,冬吉。太白俠左角,大臣退,國亡。”郗萌曰:“太白犯守角,道路不通。”《黃帝占》曰:“太白守右角,五穀不成,歲大水。”
《黄帝占》にいう、金星が角宿の左角星を侵犯するのは、大戦して勝てず将軍が戦死することを主る。《海中占》にいう、金星が右角星を侵犯するのは、将軍に憂患がありあるいは兵事を興すことを主る。別の説では旱災を主る。石申がいう、金星が左角に入るのは、天子に憂いがあり諸侯が権を専らにして事を用いることを主る。金星が左角の間で逆行するのは、刺客があることを主り、天子は明察して慎み備えるべきである。《黄帝占》にいう、金星が左角を凌乗するのは、群臣が暗に図謀して成し遂げられず、彼らは家族を連累してともに罪を得ることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を按ずるに、魏の嘉平五年六月戊午日に金星が角宿を侵犯し、正元元年に李豊らが乱を謀り、すべて誅殺された。)郗萌がいう、金星が左角を凌乗するのは、水災と兵事を主る。石申がいう、金星が左角を凌乗するのは、天子が外出して遊猟し、冬であれば吉である。金星が左角を夾持するのは、大臣が斥退され国家が滅亡することを主る。郗萌がいう、金星が角宿を侵犯し留守するのは、道路が通じないことを主る。《黄帝占》にいう、金星が右角を留守するのは、五穀が熟さずその年に大水を発することを主る。
石氏曰:“守左角上,臣陵其主;守左角下,奴婢大賤。太白守左角上一尺,邊境不寧;二尺,憂,百姓亡其俗;一曰七寸,國危亡也。太白守左角下,芒成,民不民,主不主。太白守左角,芒不成,兵不用;芒成,所向無前。太白守左角,去復還,臣欲為亂。太白守左角,為填星所干,國有忠將。”又曰:“太白守左角,為歲星所干,福德。”又曰:“太白守左角,為辰星所干,龍下淵池。”又曰:“太白守左角,為天狗所干,六畜蕃息。”石氏曰:“太白守左角,為枉矢所干,四夷有弓矢事。”
石申がいう、金星が左角の上に留守するのは、臣下が君主を欺凌することを主る。左角の下に留守するのは、奴婢の身価が大いに下がることを主る。金星が左角以上一尺の処に留守するのは、辺境が安寧を得ないことを主る。距離が二尺ならば憂患があり百姓が元来の風俗を失うことを主る。別の説では距離が七寸ならば国家が危亡することを主る。金星が左角の下に留守して芒角が長成するのは、百姓が百姓らしくなく君主が君主らしくないことを主る。金星が左角に留守して芒角が形を成さなければ、兵器は動用する必要がない。芒角が長成すれば、兵を用いて向かう所敵がない。金星が左角に留守して離れた後また返るのは、臣下が乱を作そうとすることを主る。金星が左角に留守して土星(填星)に干犯されるのは、国中に忠貞の将領が出ることを主る。またいう、金星が左角に留守して木星(歳星)に干犯されるのは、福徳の慶があることを主る。またいう、金星が左角に留守して水星(辰星)に干犯されるのは、竜が深潭に降ることを主る。またいう、金星が左角に留守して天狗星に干犯されるのは、六畜が繁殖して興旺することを主る。石申がいう、金星が左角に留守して枉矢星に干犯されるのは、四方の夷族に弓矢を動用する戦事があることを主る。
石氏曰:“太白守左角,為孛星所干,皇后有子。”又曰:“太白守左角,為彗星所干,皇后有知臣心。”又曰:“太白守左角,為流星所干,國少好妻。”又曰:“太白守左角,為鉤陳所干,大廚賜食;皆謂太白守左角也。太白守右角一尺,十六日,太子驕溢。太白守右角,厥多佞臣,國君親小人。”巫咸曰:“太白守角,國都圍;一曰大人自將兵於野,民多疾疫。”《海中占》曰:“太白守左角、右角,其色黃白,小旱,民小厲;其逆行,即旱;其還,立雨;糴如敵。”郗萌曰:“太白守角三十日,大赦。”《海中占》曰:“太白守角,為兵,西北行,其色黃,大臣增地;赤也,臣欲反其主。太白犯守左角,大人自將兵於野,臣有謀主者。”巫咸曰:“太白犯守左右角,居熒惑之後,及而共犯之,有大戰,破軍殺將;若犯守左右角,熒惑從之,所犯不成。”郗萌曰:“太白入角、亢間,有貴客來。”
石申がいう、金星が左角に留守して孛星に干犯されるのは、皇后が子を生むことを主る。またいう、金星が左角に留守して彗星に干犯されるのは、皇后が臣下の心意を察知することを主る。またいう、金星が左角に留守して流星に干犯されるのは、国中に賢好の妻室が少ないことを主る。またいう、金星が左角に留守して鉤陳星に干犯されるのは、大厨が飲食を賜うことを主る。以上講う所はみな金星が左角に留守する占験である。金星が右角に一尺留守して十六日を経るのは、太子が驕縱放肆することを主る。金星が右角に留守するのは、朝中に諂佞の臣が多く国君が小人を親近することを主る。巫咸がいう、金星が角宿に留守するのは、国都が包囲されることを主る。別の説では大人が自ら兵を領して野外で作戦し百姓が多く疫病を生ずることを主る。《海中占》にいう、金星が左角・右角に留守して色が黄白のは、小さな旱を主り、百姓に軽微な疫病がある。金星がもし逆行すれば干ばつになり、もし回還して順行すれば直ちに雨が降る。糧価は敵国と相當する。郗萌がいう、金星が角宿に留守して三十日に満つるのは、大赦があることを主る。《海中占》にいう、金星が角宿に留守するのは、兵事を主る。もし西北方に向かって運行して色が黄ならば、大臣が封地を増やすことを主る。色が赤ならば臣下が君主に反逆しようとすることを主る。金星が左角を侵犯し留守するのは、大人が自ら兵を領して野外で作戦し、臣下に君主を図謀する者があることを主る。巫咸がいう、金星が左右角を侵犯し留守して火星(熒惑)の後に処り、火星に追いついてともに角宿を侵犯するのは、大戦があり軍隊が撃破され将領が殺されることを主る。もし金星が左右角を侵犯し留守して火星がただ後に随うだけならば、犯す所の凶事は応験しない。郗萌がいう、金星が角宿と亢宿の間に入るのは、貴客の到来を主る。
太白の亢を犯す 二
《黃帝占》曰:“太白入亢,中國有兵;若行疾犯陵而有芒角,朝廷貴世有戮者,期百日,遠八月。”石氏曰:“太白數入亢,其國疾病。”《海中占》曰:“太白入亢、有喪。”陳卓曰:“太白犯天府,廷臣為亂。”郗萌曰:“太白出入留舍亢,鄭國多亡民,更為無年,五穀不成;一曰五穀多霜死。”《黃帝占》曰:“太白守亢,為兵,大人自將兵於野。”石氏曰:“太白守亢、收斂國兵,以備北方。”(案《宋書天文志》曰:宋明帝泰始五年十月丙申、太白犯亢,時淮北地常緣淮立重戍,以備防北虜也。)
《黄帝占》にいう、金星が亢宿に入るのは、中原に兵事があることを主る。もし運行が迅疾で亢宿を侵犯凌圧してしかも芒角を帯びるならば、朝廷の貴戚世家の中に誅戮される者があり、近き期限は百日、遠きは八箇月である。石申がいう、金星が屢々亢宿に入るのは、その国に疾病が多く生ずることを主る。《海中占》にいう、金星が亢宿に入るのは、喪事があることを主る。晋代の天文家陳卓がいう、金星が天府星を侵犯するのは、朝廷の臣が乱を作すことを主る。郗萌がいう、金星が亢宿に出入して停留するのは、鄭の地に逃亡の百姓が多く年成が転じて欠収となり五穀が熟さないことを主る。別の説では五穀が多く霜に凍死することを主る。《黄帝占》にいう、金星が亢宿に留守するのは、兵事を主り、大人が自ら兵を領して野外で作戦する。石申がいう、金星が亢宿に留守するのは、国中の兵力を収攏し用いて北方に備えることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を按ずるに、宋の明帝泰始五年十月丙申日に金星が亢宿を侵犯し、当時淮北一帯は常に淮水に沿って重兵を設けて戍守し、用いて北方の敵虜に備えていた。)
郗萌曰:“太白乘亢左星,為水;右星,為火、為兵、有奇令、有收族者。”巫咸曰:“太白守亢,國君有憂,其下有水。”《荊州占》曰:“太白守亢,有奸吏,有兵,牛馬用行,宿北兵,期六十日。”郗萌曰:“太白守亢,為焦旱不生;一曰多蟲蝗;一曰大旱,牛馬用。太白守亢,有亡國,天下不通,人君憂水;又曰五穀以水傷。”《東官候》曰:“太白守亢,兵行疾;有芒角犯陵,期百日;行遲,期八月。”《黃帝》曰:“太白逆行守亢,為兵。”甘氏曰:“太白守犯亢,逆行不順,失其明色,大政不用。”
郗萌がいう、金星が亢宿の左星を凌乗するのは、水災を主る。右星を凌乗するのは、火災・兵事を主り、非常の政令があり抄没される宗族がある。巫咸がいう、金星が亢宿に留守するのは、国君に憂患がありその属地に水患があることを主る。《荊州占》にいう、金星が亢宿に留守するのは、奸猾の官吏があり兵事があり牛馬が徴調され駆使されることを主る。亢宿の北に宿れば北方に兵があることを主り、期限は六十日である。郗萌がいう、金星が亢宿に留守するのは、焦旱して草木が生えないことを主る。別の説では蝗虫が災を成すことを主る。別の説では大旱を主り、牛馬が徴用される。金星が亢宿に留守するのは、亡国の禍があり天下の道路が通じず君主が水患を憂うることを主る。またいう、五穀が水災で損を受ける。《東官候》にいう、金星が亢宿に留守するのは、兵事を主る。運行が迅疾でしかも芒角を帯びて侵犯凌圧するのは、期限百日である。運行が遅緩なのは、期限八箇月である。《黄帝》にいう、金星が逆行して亢宿に留守するのは、兵事を主る。甘徳がいう、金星が亢宿に留守し侵犯し、逆行して順行せずその本有の明るい光色を失うのは、重大な政令が推行できないことを主る。
太白の氐を犯す 三
《荊州占》曰:“太白犯氐左星,左中郎將誅死;犯右星,右中郎將誅;皆期三年。”石氏曰:“太白入氐,天下大役;一曰有兵。”《荊州占》曰:“太白入氐,芒角犯陵,王者亡地,有大兵,期四月。”郗萌曰:“太白乘氐之左星,天子有子,兵將於野;乘氐之右星,天下大水、大兵。”石氏曰:“太白臨氐,霜雨不時。”《黃帝占》曰:“太白守氐,國君有憂變,北君失邑。”石氏曰:“太白守氐,天下大役,無兵兵起,有兵兵罷。”
《荊州占》にいう、金星が氐宿の左星を侵犯するのは、左中郎将が誅殺されることを主る。右星を侵犯するのは、右中郎将が誅殺されることを主る。応験の期限はみな三年である。石申がいう、金星が氐宿に入るのは、天下に大規模な労役があることを主る。別の説では兵事があることを主る。《荊州占》にいう、金星が氐宿に入り芒角を帯びて侵犯凌圧するのは、君王が土地を喪失し大きな兵事があることを主り、期限は四箇月である。郗萌がいう、金星が氐宿の左星を凌乗するのは、天子が子を得て兵将が野外で作戦することを主る。氐宿の右星を凌乗するのは、天下に大水・大兵があることを主る。石申がいう、金星が氐宿に逼臨するのは、霜雨が時節に合わないことを主る。《黄帝占》にいう、金星が氐宿に留守するのは、国君に憂患の変故があり北方の君が城邑を喪失することを主る。石申がいう、金星が氐宿に留守するのは、天下に大きな労役があることを主る。もともと兵がなければ兵が起き、もともと兵があれば兵を罷める。
《荊州占》曰:“太白守氐,國有喪,君大哭。”甘氏曰:“太白守氐,與兩星齊,將軍受賀,大臣受拜,遠人蒙恩;又曰:期十日而赦。”巫咸曰:“太白守氐,國有大憂,王者失地。”《海中占》曰:“太白守氐,有兵不行在西南。”石氏曰:“太白入氐,守之,兵加其國。”郗萌曰:“太白入氐、守之;春糴大貴。”(案《宋書天文志》曰:明帝泰始二年十月辛巳,太白入氐,其年春,彭城穀貴,民飢。)石氏曰:“太白入氐,犯守之,其國大亂,大人有憂,君失地,糴大貴。”《荊州占》曰:“太白守氐,房大飢,六畜多死。”
《荊州占》にいう、金星が氐宿に留守するのは、国中に喪事があり君主が声を放って痛哭することを主る。甘徳がいう、金星が氐宿に留守して氐宿の二星と並斉するのは、将軍が慶賀を受け大臣が封拝を受け遠方の人が恩沢を蒙ることを主る。またいう、期限十日以内に赦令があろう。巫咸がいう、金星が氐宿に留守するのは、国に大きな憂いがあり君王が土地を喪失することを主る。《海中占》にいう、金星が氐宿に留守するのは、兵があって出動せず事は西南方に応じることを主る。石申がいう、金星が氐宿に入り留守するのは、兵禍がその国の頭上に加えられることを主る。郗萌がいう、金星が氐宿に入り留守するのは、春に糧価が大いに漲ることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を按ずるに、宋の明帝泰始二年十月辛巳日に金星が氐宿に入り、その年春に彭城の穀価が高騰し百姓が飢えた。)石申がいう、金星が氐宿に入り侵犯し留守するのは、その国が大乱し大人に憂患があり君主が土地を喪失し糧価が大いに漲ることを主る。《荊州占》にいう、金星が氐宿に留守するのは、房宿の対する分野が大飢饉となり六畜が多く死ぬことを主る。
太白の房を犯す 四
《援神契》曰:“太白合表,四夷合從;合表為行中道也。”郗萌曰:“太白入房,天子以微誅。”郗萌曰:“太白逆行,犯房,成勾巳,為大人憂;以赦解之。”石氏曰:“太白到房心,皆正不失儀,失則為變。”《荊州占》曰:“太白守犯陵房,國君有憂;色青憂喪;色赤憂兵,積尸成山;色黑,有將相誅;色赤,有芒角,大喪。”《黃帝占》曰:“太白守房,國有大喪,大臣有戰死者。”(案《宋書天文志》曰:宋孝武大明八年十月,太白守房,丹陽尹顏師伯、豫章王子尚並誅,明年昭太后崩。)
《孝経援神契》にいう、金星が「表」と相合するのは、四方の夷族が連合して帰附することを主る。いわゆる「合表」とは、金星が黄道正中の軌道を行くことである。郗萌がいう、金星が房宿に入るのは、天子が暗に人を誅することを主る。郗萌がいう、金星が逆行して房宿を侵犯し往来して屈曲し環繞して「勾巳」の形を成すのは、大人に憂患があり赦令を用いて化解すべきことを主る。石申がいう、金星が房宿・心宿に運行するのは、みな端正して常度を失わず、常度を失えば変異である。《荊州占》にいう、金星が房宿を留守・侵犯・凌圧するのは、国君に憂患があることを主る。星色が青ければ憂いが喪事にあり、星色が赤ければ憂いが兵事にあり死体が山のように積み重なり、星色が黒ければ将相に誅殺される者があり、星色が赤くて芒角を帯びれば大喪があることを主る。《黄帝占》にいう、金星が房宿に留守するのは、国に大喪があり大臣の中に戦死する者があることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を按ずるに、宋の孝武帝大明八年十月に金星が房宿に留守し、丹陽尹顔師伯が豫章王劉子尚とともに殺され、第二年に昭太后が去世した。)
又曰:“太白守房南,天子有良友輔,亦為旱;守房北、天子有良友,亦為水。”石氏曰:“太白守房,為良馬出廄;太白守房,左去還復,太子去復還其國,多廢立天子;守房,右去復還,(闕)”又曰:“太白守房,臣盜君命。”甘氏曰:“太白守房,臣脅君。”又曰:“太白守房,兵車滿野,中國有殃,貴女用事,王者失位,期二年。”巫咸曰:“太白守房,國有變令,兵四起,大臣當之,國相為亂;又曰:旱,多火災,萬物五穀不成。”郗萌曰:“太白守房,為人主無下堂;又曰有奸謀。”
またいう、金星が房宿の南に留守するのは、天子に賢良の朋友の輔佐があることを主り、また旱を主る。房宿の北に留守するのは、天子に賢良の朋友があることを主り、また水を主る。石申がいう、金星が房宿に留守するのは、良馬が厩から出ることを主る。金星が房宿に留守して左に離れまた返るのは、太子が出走して後また本国に帰ることを主り、その間に天子の廃立が多い。房宿に留守して右に離れまた返るのは、ここに底本の闕文がある(原書はすなわち一「闕」字を注す)。またいう、金星が房宿に留守するのは、臣下が君主の号令を窃取することを主る。甘徳がいう、金星が房宿に留守するのは、臣下が君主を脅迫することを主る。またいう、金星が房宿に留守するのは、兵車が原野に満ち中原に禍殃があり、寵を得た女子が権を専らにして事を用い君王が帝位を失うことを主り、期限は二年である。巫咸がいう、金星が房宿に留守するのは、国家が政令を変更し兵が四方に起き事は大臣の身に応じ国相が乱を作すことを主る。またいう、旱災を主り火災が多く万物・五穀が成熟しない。郗萌がいう、金星が房宿に留守するのは、君主が宮中に困守して殿堂を下らないことを主る。またいう、奸謀があることを主る。
《荊州占》曰:“太白守房,國易政;又曰守天馬,天子馬多死。”又曰:“太白守房,天下易王,大人有憂,反逆臣。”(案《宋書天文志》曰:晉安帝元興二年八月癸丑,太白犯房北第二星,十二月桓玄篡位,遷帝於當陽。又宋後廢帝元微三年八月巳巳,太白犯房北頭第二星,四年七月、建平王擄京口,反時廢主,兇暴無廢,五年七月殞。)郗萌曰:“太白、辰星守房,土功大起,布枲大貴,將相失位。”《荊州占》曰:“太白守房,六畜多死。”(《宋書天文志》曰:宋明帝泰始二年十一月癸巳、太白犯房,明年牛多死者,詔大官停宰牛。)
《荊州占》にいう、金星が房宿に留守するのは、国家が政令を更改することを主る。またいう、金星が天馬星に留守するのは、天子の馬が多く死ぬことを主る。またいう、金星が房宿に留守するのは、天下が君王を更換し大人に憂患があり叛逆の臣が現れることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を按ずるに、晋の安帝元興二年八月癸丑日に金星が房宿の北面第二星を侵犯し、十二月に桓玄が帝位を簒奪し安帝を当陽に遷した。また、宋の後廃帝元徽三年八月己巳日に金星が房宿の北頭第二星を侵犯し、四年七月に建平王が京口を拠守して起兵し、当時の廃帝は凶狠殘暴で忌憚がなく、五年七月に殺された。)郗萌がいう、金星が水星とともに房宿に留守するのは、土木工程が大いに興り布匹と麻枲の価格が大いに漲り将相が職位を失うことを主る。《荊州占》にいう、金星が房宿に留守するのは、六畜が多く死ぬことを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、宋の明帝泰始二年十一月癸巳日に金星が房宿を侵犯し、第二年に牛が大量に死亡し、皇帝が詔を下して太官に牛を宰ることを停止させた。)
《考異郵》曰:“太白犯房,王失德。”韓揚曰:“太白犯房,大臣當之。”(晉成帝咸康四年九月,太白犯房上相,五年七月庚申,相王遵薨。)石氏曰:“太白逆行,守房,群臣戴麻鏘鏘。”《黃帝占》曰:“太白行房南,若犯守之,為大旱;行房北,犯守之,為大水。”郗萌曰:“太白出入房,霜雨不時,人飢於食,牛馬多死。”石氏曰:“太白犯守房,為天下相誅。”《海中占》曰:“太白入鉤鈐。王室大亂。”《文曜鉤》曰:“太白入鉤鈐,主德移。”石氏曰:“太白犯房、鉤鈐,王者憂。”
《春秋考異郵》にいう、金星が房宿を侵犯するのは、君王が徳を失うことを主る。韓揚がいう、金星が房宿を侵犯するのは、事は大臣の身に応ずる。(原書小注:晋の成帝咸康四年九月に金星が房宿の上相星を侵犯し、五年七月庚申日に宰輔王遵が去世した。)石申がいう、金星が逆行して房宿に留守するのは、群臣が頭に喪麻を戴き哭声が相和して絶えないことを主る。《黄帝占》にいう、金星が房宿の南を行経し、もし侵犯して留守するならば大旱を主る。房宿の北を行経して侵犯し留守するならば大水を主る。郗萌がいう、金星が房宿に出入するのは、霜雨が時を失い人々が糧を欠いて飢え牛馬が多く死ぬことを主る。石申がいう、金星が房宿を侵犯し留守するのは、天下が互いに誅殺することを主る。《海中占》にいう、金星が鉤鈐星に入るのは、王室の大乱を主る。《春秋文曜鈎》にいう、金星が鉤鈐星に入るのは、君主の徳位が他人に転移することを主る。石申がいう、金星が房宿と鉤鈐星を侵犯するのは、君王に憂いがあることを主る。
太白の心を犯す 五
《海中占》曰:“太白入心,有白衣之眾,又為喪。”甘氏曰:“太白犯心,三寸以內,帝怯於兵,將軍亡,劍戟上殿,群臣巡走。”《海中占》曰:“太白犯心,天子立后絕嗣;犯太子,在子不得代;犯庶子,庶子不利。”石氏曰:“太白經心,清明烈照,天下內奉明王,帝必延年。”郗萌曰:“太白犯食心左星,為太子有憂若立。”《荊州占》曰:“太子不死則去;一曰女主失勢。”《荊州占》曰:“太白犯守心,君后走藏。”郗萌曰:“太白犯心、糴貴。”石氏曰:“太白舍心,玄色不明,有喪。太白中犯乘陵守心;太子位,太子憂;小子位,小子憂。”
《海中占》にいう、金星が心宿に入るのは、白衣を身に着けた人群が聚集することを主り、また喪事を主る。甘徳がいう、金星が心宿を侵犯し距離が三寸以内のは、皇帝が兵事で怯懦となり将軍が身を亡くし剣戟を持つ者が殿堂に闖入し群臣が倉皇として奔走することを主る。《海中占》にいう、金星が心宿を侵犯するのは、天子の立てた皇后が子嗣を絶つことを主る。心宿の太子星を侵犯するのは、太子が帝位を継げないことを主る。庶子星を侵犯するのは、庶子に不利である。心宿は合わせて三星で中央の大星は天王の位で別名「明堂」、前の星は太子、後の星は庶子である。石申がいう、金星が心宿を経過し光色が清朗にして明亮で熱烈に照耀するのは、天下人が朝中でともに聖明の君王を戴き皇帝は必ず延年することを主る。郗萌がいう、金星が心宿の左星を侵犯し侵蝕するのは、太子に憂患がありあるいは太子が冊立を得ることを主る。《荊州占》にいう、太子は死ぬか出走するかであり、別の説では女主が勢いを失うことを主る。《荊州占》にいう、金星が心宿を侵犯し留守するのは、君主と皇后が奔逃し藏匿することを主る。郗萌がいう、金星が心宿を侵犯するのは、糧価が昂貴であることを主る。石申がいう、金星が心宿に宿留し暗黒の色を呈して光芒が明らかでないのは、喪事があることを主る。金星が中から侵犯・凌乗・逼圧・留守して心宿に及ぶのは、太子星位に落ちれば太子に憂いがあり、庶子星位に落ちれば庶子に憂いがある。
《摘亡闢》曰:“太白守心,大山崩;後九年,大飢。”《黃帝占》曰:“太白守心,天下有大怪,國有大喪;一曰天下有大蟲。”巫咸曰:“太白守心,君弱臣強;奸臣賊子,謀殺其主。”石氏曰:“太白守心,兵騎滿野,為中國殃;有軍在外,客軍大敗,其年飢,蝗蟲敗殺;一曰哭聲吟吟,戴麻鏘鏘。”《海中占》曰:“太白守心,不出一年,有大兵,多禍殃,在貴人傍。”巫咸曰:“太白守心,有火異。”郗萌曰:“太白守心,國王有死者;又曰:有奸謀;又曰:天子亡,敗物。”
《春秋摘亡辟》にいう、金星が心宿に留守するのは、大山が崩壊することを主る。此の後九年に大飢饉がある。《黄帝占》にいう、金星が心宿に留守するのは、天下に大きな怪異があり国中に大喪があることを主る。別の説では天下に大きな虫の災があることを主る。巫咸がいう、金星が心宿に留守するのは、君主が軟弱で臣下が強横で奸臣賊子がその君主を殺害しようと図謀することを主る。石申がいう、金星が心宿に留守するのは、兵馬が原野に満ち中原の禍殃となることを主る。もし軍隊が外にあれば客方の軍隊が大敗しその年に飢饉が起き蝗虫が害を為して禾を傷める。別の説では哭声が呜咽して絶えず人々が頭に喪麻を戴き哀声が相和することを主る。《海中占》にいう、金星が心宿に留守するのは、一年を出でず大きな兵事があり多く禍殃がありしかも貴人の身辺で発生することを主る。巫咸がいう、金星が心宿に留守するのは、火災の変があることを主る。郗萌がいう、金星が心宿に留守するのは、国王の中に死亡する者があることを主る。またいう、奸謀があることを主る。またいう、天子が死亡し器物が毀敗することを主る。
《黃帝占》曰:“太白逆行守心、哭者吟吟、戴麻鏘鏘,有大喪;若大臣當之,近期一年,中二年,遠三年。”《黃帝占》曰:“太白逆行守心,環繞成勾巳,為大人忌;故赦以解之,期六月。”郗萌曰:“太白退守心,客軍大飢。”巫咸曰:“太白中犯乘守心,為戰不勝,將軍鬥死。”郗萌曰:“太白中犯乘守心明堂,為萬民備火,近期一年,中期三年,遠明九年;一曰,為旱;又曰:兵戈四起,國相為亂;一曰:大臣當之。”(案後漢孝靈帝中平六年八月丙寅,太白犯心前星,戊辰,犯心中大星,其日未暝四刻,大將軍何進於省中為諸黃門所殺,己巳,車騎將軍何苗為進部曲吳匡所殺。)又曰:“太白出入留舍心,三十日不下,國兵大起,在八月、九月。”
《黄帝占》にいう、金星が逆行して心宿に留守するのは、哭泣する人が呜咽して止まず頭に喪麻を戴き哀声が相和し大喪があることを主る。もし事が大臣の身に応じるならば近き期限は一年、中は二年、遠きは三年である。《黄帝占》にいう、金星が逆行して心宿に留守し往返して環繞して「勾巳」の形を成すのは、大人の忌むところで、ゆえに赦令を用いて化解すべきであり期限は六箇月である。郗萌がいう、金星が退行して心宿に留守するのは、客方の軍隊が大いに飢饉を起こすことを主る。巫咸がいう、金星が中から侵犯・凌乗・留守して心宿に及ぶのは、交戦して勝てず将軍が搏斗して死ぬことを主る。郗萌がいう、金星が中から侵犯・凌乗・留守して心宿中央の「明堂」の大星に及ぶのは、万民が火災を防備すべきことを主り、近き期限は一年、中は三年、遠きは九年である。別の説では旱災を主る。またいう、兵戈が四起し国相が乱を作す。別の説では事は大臣の身に応ずる。(原書小注:後漢の霊帝中平六年八月丙寅日に金星が心宿の前星を侵犯し、戊辰日に心宿の中央大星を侵犯し、その日の天黑前四刻に大将軍何進が宮禁の中で衆黄門宦官に殺され、己巳日に車騎将軍何苗が何進の部曲呉匡に殺された。)またいう、金星が心宿に出入して停留し三十日離れないのは、国家の兵事が大いに起きることを主り、時は八月・九月である。
太白の尾を犯す 六
石氏曰:“太白犯尾,人民為變,國易政。”甘氏曰:“太白守尾,宮人有罪者。”巫咸曰:“太白守尾,有亂,多火災,五穀不成。”郗萌曰:“太白守尾,天下大蟲,軍無糧,大將鏘鏘,滿道不行。”又曰:“守尾近,女主去;遠,女主廢。”巫咸曰:“太白守尾,人民為變,國易主,不然皇后去,若太后去;一曰宮人死之。”郗萌曰:“太白抵司空,出入,君惡之。”《東官候》曰:“太白守若入尾,兵大起,民多妖言,期三年。”巫咸曰:“太白出入留舍尾、兵起於野,將士滿道,不行。”(所謂不行,國乏糧。)郗萌曰:“太白出入留舍尾,春糴貴;一曰更為無年。太白留逆犯守乘凌尾,皇后有珠玉簪珥惑天子者,誣讒大起,后相貴人誅,宮人出走,兵起宮門。”
石申がいう、金星が尾宿を侵犯するのは、百姓に変乱が発生し国家が政令を更改することを主る。甘徳がいう、金星が尾宿に留守するのは、宮中の女官に罪を得る者があることを主る。巫咸がいう、金星が尾宿に留守するのは、変乱があり火災が多く五穀が熟さないことを主る。郗萌がいう、金星が尾宿に留守するのは、天下に大きな虫の災があり軍中が糧を欠き大将の兵甲が鏗鏘として響き道路に満ち溢れて前行できないことを主る。またいう、尾宿に近い処に留守するのは、女主が出走することを主る。遠い処では女主が廃されることを主る。巫咸がいう、金星が尾宿に留守するのは、百姓に変乱が発生し国家が君主を更換することを主る。さもなければ皇后が位を離れるかあるいは太后が位を離れる。別の説では宮人がこのために死ぬことを主る。郗萌がいう、金星が司空星に抵触してその間に出入するのは、君主がこの天象を悪むことを主る。《東官候》にいう、金星が尾宿に留守しあるいは入るのは、兵事が大いに起き民間に妖言が多く期限は三年である。巫咸がいう、金星が尾宿に出入して停留するのは、兵事が野外に起き将士が道路に満ち溢れて行進できないことを主る。(原書小注:いわゆる「不行」とは、国中が糧を欠くためである。)郗萌がいう、金星が尾宿に出入して停留するのは、春に糧価が昂貴であることを主る。別の説では年成が転じて欠収となることを主る。金星が尾宿に停留・逆行・侵犯・留守・凌乗・逼圧するのは、皇后の中に珠玉の簪珥をもって天子を迷惑させる者がおり誣陷・讒毀の事が大いに起き皇后・国相と貴人が誅され宮人が出逃し兵禍が宮門に起きることを主る。
太白の箕を犯す 七
石氏曰:“太白犯箕,天下大飢。”郗萌曰:“太白犯箕,女民莫處其室養者;星在箕南,旱;在箕北,有軍。”巫咸曰:“太白入箕中,伺其出日而數之,皆期二十日,兵發;伺始入處之率,一日軍罷。”《荊州占》曰:“太白入箕中,人主自備,下有兵。”郗萌曰:“太白在箕中,天下州戰;若入箕中,有赦。”甘氏曰:“太白出入留舍箕,五日不下,天下大恐,其時多蟲,五穀不熟,燕國且以義致天下,若有赦。”
石申がいう、金星が箕宿を侵犯するのは、天下の大飢饉を主る。郗萌がいう、金星が箕宿を侵犯するのは、婦女・百姓で家中に安居して児女を養育できる者がないことを主る。金星が箕宿の南にあるのは、旱を主る。箕宿の北にあるのは、軍事があることを主る。巫咸がいう、金星が箕宿の中に入るのは、それが出る日を観察して推算し、みな二十日を期として兵事の発動があろう。さらにそれが入り始めた位置に按じて比率を推算し、一日が軍隊の罷散に対応する。《荊州占》にいう、金星が箕宿の中に入るのは、君主が自ら戒備し下に兵事があることを主る。郗萌がいう、金星が箕宿の中にあるのは、天下の各州が交戦することを主る。もし箕宿の中に入れば赦令があることを主る。甘徳がいう、金星が箕宿に出入して停留し五日離れないのは、天下が大いに驚恐しその時虫害が多く五穀が熟さず燕の地がまさに道義を凭えて天下を号呌しあるいは赦令があろう。
《黃帝占》曰:“太白守箕,大人衛守。”巫咸曰:“太白守箕,多土功事;一曰民疾疫。”《海中占》曰:“太白守箕,天下有兵;若角動,天下無所定。”郗萌曰:“太白守箕,歲水,萬物不成,糴貴,德令不行。”又曰:“守箕口,執政者為亂。”《東官候》曰:“太白守箕,兵起;一歲,國增地,必得國。”石氏曰:“太白逆行,守箕,成勾巳,兵起,大臣為亂,天下有憂,王當之,期一年。”郗萌曰:“提箕出入,人君惡之,一曰更政。太白與熒惑相隨而變,熒惑舍天門,凶;太白舍天津中,人主無出門,若之遠宮。”
《黄帝占》にいう、金星が箕宿に留守するのは、大人が宿衛の守御を加強することを主る。巫咸がいう、金星が箕宿に留守するのは、土木工程が多いことを主る。別の説では百姓が疫病を生ずることを主る。《海中占》にいう、金星が箕宿に留守するのは、天下に兵があることを主る。もし芒角が揺動すれば天下に安定する処がないことを主る。郗萌がいう、金星が箕宿に留守するのは、その年に水災があり万物が成らず糧価が昂貴で恩徳の政令が行き渡らないことを主る。またいう、箕宿の口部に留守するのは、執政する人が乱を作すことを主る。《東官候》にいう、金星が箕宿に留守するのは、兵事の興起を主る。一年の内に国家が土地を増やし必ず別国を取得する。石申がいう、金星が逆行して箕宿に留守し環繞して「勾巳」の形を成すのは、兵事の興起と大臣の作乱と天下に憂患があり事は君王の身に応じることを主り、期限は一年である。郗萌がいう、金星が箕宿を挟持してその間に出入するのは、君主がこの天象を悪むことを主り、別の説では政令を更改することを主る。金星が火星と相随って変異を生じ、火星が天門星に宿るのは、凶。金星が天津星の中に宿るのは、君主が出門せずあるいは遠い処の宮室に遷るべきことを主る。
開元占経 巻四十八
太白占 四
太白の北方七宿を犯す
太白の南斗を犯す 一
石氏曰:“太白犯南斗,為赦。”(案《宋書天文志》曰:晉康帝建元二年閏月乙酉,太白犯南斗,九月康帝崩,太子立,大赦。《晉陽秋》曰:孝武帝寧康二年九月甲子,太白犯斗第五星,三月丁未,大赦天下也。)石氏曰:“太白去南斗七寸,陰乘陽,小人在位。”巫咸曰:“太白入南斗中,國更政令。”石氏曰:“太白入斗,大人御守,有兵兵罷,將軍為亂;守魁二十日,大赦。”甘氏曰:“太白入南斗、將軍戮死,國易政,期三年。”(司馬彪《天文志》曰:永元五年五月九日,金入南斗魁中,為大將軍死,至六年十二月,車騎將軍鄧鴻坐追虜失利,下獄死。)
石申がいう、金星が南斗を侵犯するのは、赦令があることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を按ずるに、晋の康帝建元二年閏月乙酉日に金星が南斗を侵犯し、九月に康帝が駕崩し太子が即位して天下を大赦した。《晋陽秋》にいう、孝武帝寧康二年九月甲子日に金星が南斗の第五星を侵犯し、三月丁未日に天下を大赦した。)石申がいう、金星が南斗に距ること七寸のは、陰が陽を凌乗し小人が高位を窃据することを主る。巫咸がいう、金星が南斗の中に入るのは、国家が政令を変更することを主る。石申がいう、金星が南斗に入るのは、大人が守御を加強しもともと兵があれば兵を罷め将軍が乱を作すことを主る。斗魁に二十日留守するのは、大赦を主る。甘徳がいう、金星が南斗に入るのは、将軍が処死され国家が政令を更改することを主り、期限は三年である。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に、永元五年五月九日に金星が南斗の魁中に入り大将軍の死を主り、六年十二月に至って車騎将軍鄧鴻が敵虜を追撃して失利し罪を得て下獄して死んだ。)
《海中占》曰:“太白入南斗,將相有黜者;一曰有被殺者。”(司馬彪《天文志》曰:“孝安延光四年九月甲子,太白入南斗口中,侍中黃門孫程等合謀,追尉衛顯等立太子保為天子,是為孝順帝。)郗萌曰:“太白入南斗,不出三十日,有大兵,丞相死;又曰入斗,外國使見主;出斗,主遣使至外國;皆期三十日。太白入南斗,留舍斗中,十日不下,匈奴入於所守之國;進者必有兵,退者家久長。太白入南斗,天下來爵祿,期六十日,若九十日。”(《宋書天文志》曰:“晉穆帝昇平四年九月壬午,太白入南斗口,犯第四星,五年五月,哀帝立,大赦,賜爵祿。)
《海中占》にいう、金星が南斗に入るのは、将相の中に罷黜される者があることを主る。別の説では殺される者があることを主る。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に、漢の安帝延光四年九月甲子日に金星が南斗の斗口の中に入り、侍中・黄門孫程らが合謀して衛尉閻顕らを追治して太子劉保を擁立して天子と為した。これがすなわち漢の順帝である。)郗萌がいう、金星が南斗に入るのは、三十日を出でず大きな兵事があり丞相が死亡することを主る。またいう、金星が斗に入るのは、外国の使者が来て君主を朝見することを主る。斗から出るのは、君主が使者を派遣して外国に行かせることを主る。期限はみな三十日である。金星が南斗に入り斗中に停留し十日離れないのは、匈奴が斗宿に対応する国家に侵入することを主る。金星が前進すれば必ず兵事があり、後退すれば家国が長久である。金星が南斗に入るのは、天下に爵禄が降下することを主り、期限は六十日、あるいは九十日である。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、晋の穆帝升平四年九月壬午日に金星が南斗の斗口に入り第四星を侵犯し、五年五月に哀帝が即位して天下を大赦し爵禄を賜与した。)
《荊州占》曰:“太白星入南斗中,將軍戮辱,不出三十日,有赦;去復還,將死之。”《文曜鉤》曰:“太白守南斗,威爍。”陳卓曰:“太白入南斗,有喪;一曰君死,不則病。”(《宋書天文志》曰:晉穆帝昇平四年九月壬午,太白入南斗,犯第四星,五年五月,穆帝崩。)郗萌曰:“太白居南斗河戍間,道不通。”《黃帝占》曰:“太白守斗,大人當之,國易政。”甘氏曰:“太白失次守斗,所守者誅。”巫咸曰:“太白守南斗,執政為變;太白留守斗,所以之國當誅;太白犯守南斗,國有兵事,大臣有反者,有名之人誅。”(《宋書天文志》曰:吳太平元年九月壬辰,太白犯南斗,其明年,諸葛誕反,又明年孫綝廢亮。晉元帝大興元年七月,太白犯南斗,三年九月,太白又犯南斗,永昌元年三月,王敦率江荊之眾,來攻京都,六軍拒戰,敗績。於是殺護軍將軍周凱,尚書令刁協,驃騎將軍戴淵等。)石氏曰:“太白犯斗,留守之,破軍殺將。”
《荊州占》にいう、金星が南斗の中に入るのは、将軍が戮を受け辱めを受けることを主り、三十日を出でず赦令がある。もし離れてまた返れば将軍がこのために死ぬことを主る。《春秋文曜鈎》にいう、金星が南斗に留守するのは、威勢が灼灼として人を逼ることを主る。陳卓がいう、金星が南斗に入るのは、喪事があることを主る。別の説では君主が死亡し死ななくても病むことを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、晋の穆帝升平四年九月壬午日に金星が南斗に入り第四星を侵犯し、五年五月に穆帝が駕崩した。)郗萌がいう、金星が南斗と河戍星の間に処るのは、道路が通じないことを主る。《黄帝占》にいう、金星が南斗に留守するのは、事は大人の身に応じ国家が政令を更改することを主る。甘徳がいう、金星が運行して常次を失い南斗に留守するのは、それが留守する分野の中の人が誅されることを主る。巫咸がいう、金星が南斗に留守するのは、執政する人に変故が発生することを主る。金星が南斗に停留し守候するのは、それが往く所の国家は誅を受けるべきことを主る。金星が南斗を侵犯し留守するのは、国中に兵事があり大臣の中に反逆する者があり名望の人が誅されることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、呉の太平元年九月壬辰日に金星が南斗を侵犯し、第二年に諸葛誕が反逆し、さらに一年に孫綝が孫亮を廃黜した。晋の元帝大興元年七月に金星が南斗を侵犯し、三年九月に金星がまた南斗を侵犯し、永昌元年三月に王敦が江州・荊州の兵衆を率いて京城に来攻し、六軍が抵禦して作戦して敗績し、そこで護軍将軍周顗(原書は「周凱」と作る)・尚書令刁協・驃騎将軍戴淵らが殺された。)石申がいう、金星が南斗を侵犯して停留し守候するのは、軍隊が撃破され将領が殺されることを主る。
太白の牽牛を犯す 二
《海中占》曰:“太白入牽牛,為天下牛車有急行。”郗萌曰:“太白入牽牛,留守之,大臣為亂。”陳卓曰:“太白入牽牛,留守之,大人死,將軍失其眾,關梁不通,民飢;有自賣者。”石氏曰:“太白去牽牛一尺,六畜貴。”《海中占》曰:“太白提牽牛出入,萬物死。太白出入留舍牽牛,三十日不下,牛大貴。”《荊州占》曰:“太白出入留舍牽牛,五十日不下,軍出,至越城下。”《黃帝占》曰:“太白守牽牛,吳越兵起,牛多死;十日不下,牛大貴。”(《宋書天文志》曰:宋前廢帝永光元年正月丁酉,太白掩牽牛,明年廣州刺史袁墨遠等反。)
《海中占》にいう、金星が牽牛宿に入るのは、天下の牛車に緊急の調運があることを主る。郗萌がいう、金星が牽牛宿に入り停留し守候するのは、大臣が乱を作すことを主る。陳卓がいう、金星が牽牛宿に入り停留し守候するのは、大人が死亡し将軍が部衆を失い関隘・橋梁が通じず百姓が飢餓して身を売って活を求める者があることを主る。石申がいう、金星が牽牛宿に距ること一尺のは、六畜の価が貴いことを主る。《海中占》にいう、金星が牽牛宿を挟持してその間に出入するのは、万物が死亡することを主る。金星が牽牛宿に出入して停留し三十日離れないのは、牛価が大いに漲ることを主る。《荊州占》にいう、金星が牽牛宿に出入して停留し五十日離れないのは、軍隊が出動して直ちに越の地の城下に抵ることを主る。《黄帝占》にいう、金星が牽牛宿に留守するのは、呉越の地に兵事が興り牛が多く死亡することを主る。十日離れなければ牛価が大いに漲ることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、宋の前廃帝永光元年正月丁酉日に金星が牽牛宿を掩蔽し、第二年に広州刺史袁墨遠らが反逆した。)
《海中占》曰:“太白犯守牽牛,諸侯不通。”陳卓曰:“太白犯守牽牛,將軍凶。”石氏曰:“太白守天鼓,有急令。”《海中占》曰:“太白守天閒,二十日,大赦。”石氏曰:“太白守牛北,人民流死;在其西,虎狼入邑;在其南,多亡狗;在其東,小兒多死。”巫咸曰:“太白守牽牛,為五穀不成。”《海中占》曰:“太白守牽牛,其國兵起,期六十日;又曰妖言無巳。”《荊州占》曰:“太白守牽牛,有兵謀,萬人多死。”《海中占》曰:“太白守牽牛,為犧牛疾疫。”甘氏曰:“太白犯守牽牛,國有大兵,將軍為亂;大人憂,國易政。太白犯牽牛,留守之,為有破軍殺將。”
《海中占》にいう、金星が牽牛宿を侵犯し留守するのは、諸侯の間が互いに往来しないことを主る。陳卓がいう、金星が牽牛宿を侵犯し留守するのは、将軍に凶禍があることを主る。石申がいう、金星が天鼓星に留守するのは、緊急の政令があることを主る。《海中占》にいう、金星が天閑星に留守して二十日のは、大赦を主る。石申がいう、金星が牽牛宿の北に留守するのは、百姓が流亡・死亡することを主る。その西にあるのは、虎狼が城邑に入ることを主る。その南にあるのは、狗が多く走失することを主る。その東にあるのは、小児が多く死ぬことを主る。巫咸がいう、金星が牽牛宿に留守するのは、五穀が熟さないことを主る。《海中占》にいう、金星が牽牛宿に留守するのは、その国が兵事を興すことを主り、期限は六十日である。またいう、妖言が流伝して止まないことを主る。《荊州占》にいう、金星が牽牛宿に留守するのは、兵を用いる図謀があり上万人が死亡することを主る。《海中占》にいう、金星が牽牛宿に留守するのは、祭祀に用いる犧牛が瘟疫に遭うことを主る。甘徳がいう、金星が牽牛宿を侵犯し留守するのは、国中に大きな兵事があり将軍が乱を作し大人に憂いがあり国家が政令を更改することを主る。金星が牽牛宿を侵犯して停留し守候するのは、軍隊が撃破され将領が殺されることを主る。
太白の須女を犯す 三
陳卓曰:“太白犯須女,布帛貴,軍起。”《玉曆》曰:“太白去須女一尺而守之;一夫十婦,天下女多男少。”齊伯曰:“太白出入留舍須女,其國棺貴;三十日不下,國有兵。”石氏曰:“太白守須女,王者發佈帛絲,庫藏珍寶出。”石氏曰:“太白守若入女中,倖臣與女亂,妃黨謀王;太白守須女,為有女喪。”巫咸曰:“太白守須女,為萬物不成。”《海中占》曰:“太白守須女,兵起鏘鏘,東北行,有嫁女娶婦之事。”郗萌曰:“太白守須女,為后夫人有變;一曰妾為主。”《百二十占》曰:“太白守須女,妃謀主,兵發於內。”《荊州占》曰:“太白守須女,天下多寡女。”《北官候》曰:“太白入須女,留守,有女喪,大臣謀主。”東卓曰:“太白逆行,留守犯陵須女。天子及大臣有疾女,有奇政令。”
陳卓がいう、金星が須女宿を侵犯するのは、布帛の価が貴く軍事が興起することを主る。《玉暦》にいう、金星が須女宿に距ること一尺にして留守するのは、一の男子が十の婦人を配し天下が女多く男少ないことを主る。斉伯がいう、金星が須女宿に出入して停留するのは、その国に棺木の価が貴いことを主る。三十日離れなければ国中に兵事がある。石申がいう、金星が須女宿に留守するのは、君王が布帛・絲綿を散布し庫蔵の珍宝が宮外に流出することを主る。石申がいう、金星が須女宿に留守しあるいは中に入るのは、寵を受ける近臣と宮女が淫乱し妃嬪の党羽が君王を図謀することを主る。金星が須女宿に留守するのは、女子の喪事があることを主る。巫咸がいう、金星が須女宿に留守するのは、万物が成熟できないことを主る。《海中占》にいう、金星が須女宿に留守するのは、兵甲が鏗鏘として起きることを主る。もし東北方に向かって運行すれば、女を嫁がせ婦を娶る事があることを主る。郗萌がいう、金星が須女宿に留守するのは、皇后・夫人に変故が発生することを主る。別の説では姫妾が正室に代わって主母となることを主る。《百二十占》にいう、金星が須女宿に留守するのは、妃嬪が君主を図謀し兵事が宮内から発動することを主る。《荊州占》にいう、金星が須女宿に留守するのは、天下に寡居の婦人が多いことを主る。《北官候》にいう、金星が須女宿に入り停留し守候するのは、女子の喪事があり大臣が君主を図謀することを主る。東卓がいう、金星が逆行し停留し守候し侵犯凌圧して須女宿に及ぶのは、天子と大臣の家に病む女子があり反常の政令があろうことを主る。
太白の虚を犯す 四
《文曜鉤》曰:“太白入虛,天子以微誅。”巫咸曰:“太白入虛中,伺其出日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處。”《海中占》曰:“太白入虛不出,九十日,有大赦,遍天下,天下欲從。太白提虛出入,大臣謀主,政急。”郗萌曰:“太白提虛出入,大臣多就詔獄者;又曰多土功,民流亡。”石氏曰:“太白去虛一尺,稻梁貴十倍。”郗萌曰:“太白出入留舍虛,五十日不下,其國若有疾事。”
《春秋文曜鈎》にいう、金星が虚宿に入るのは、天子が暗に人を誅することを主る。巫咸がいう、金星が虚宿の中に入るのは、それが出る日を観察して推算し二十日を期として兵事の発動があろう。同時にまたそれが入り始めた位置を察見せよ。《海中占》にいう、金星が虚宿に入って出ず九十日に満つるのは、大赦があり天下に遍及し天下人が皆帰附を願うことを主る。金星が虚宿を挟持してその間に出入するのは、大臣が君主を図謀し政事が厳急であることを主る。郗萌がいう、金星が虚宿を挟持してその間に出入するのは、大臣に詔獄に投入される者が多いことを主る。またいう、土木工程が多く百姓が流亡する。石申がいう、金星が虚宿に距ること一尺のは、稻米・高粱の価が十倍に漲ることを主る。郗萌がいう、金星が虚宿に出入して停留し五十日離れないのは、その国に疾疫の事があるようであることを主る。
石氏曰:“太白守虛,國多孤寡。”甘氏曰:“太白守虛,母覆其子,太子承號之眾當封賞拜賜者。”巫咸曰:“太白守虛,為民多疾疫;一曰天下大亂,一曰萬物不成,又曰太白守虛,有兵兵罷;又曰太白守虛,天子將兵,流血滿野,農人荷戟;一曰有兵災。”《荊州占》曰:“太白芒角守虛,大臣謀君。”《海中占》曰:“太白守虛,兵起東北,敵人出;楚吳亦然。”郗萌曰:“太白在虛中為彗,如劍形,虛國發兵。”
石申がいう、金星が虚宿に留守するのは、国中に孤児・寡婦が多いことを主る。甘徳がいう、金星が虚宿に留守するのは、母がその子を庇護し太子の名下に名號を承ける属衆の中に封賞・拝賜を受けるべき者があることを主る。巫咸がいう、金星が虚宿に留守するのは、百姓に疫病が多く生ずることを主る。別の説では天下の大乱を主る。別の説では万物が成らないことを主る。またいう、金星が虚宿に留守しもともと兵があれば兵を罷める。またいう、金星が虚宿に留守するのは、天子が自ら兵を領し血が野に流れ満ち農夫までも戈戟を扛起することを主る。別の説では兵災があることを主る。《荊州占》にいう、金星が芒角を帯びて虚宿に留守するのは、大臣が君主を図謀することを主る。《海中占》にいう、金星が虚宿に留守するのは、兵が東北に起き敵人が出動することを主る。楚の地・呉の地もまたこのようである。郗萌がいう、金星が虚宿の中に彗状の気を生じ形が利剣のようなのは、虚宿の分野の国が兵を発することを主る。
太白の危を犯す 五
《北官候》曰:“太白入危,有兵兵罷,無兵兵起,多火災;一曰旱,五穀不成。”郗萌曰:“太白提天府出入,大臣謀主,政急。”石氏曰:“太白守危,去之一尺,諸侯無忠者,以讒言相謗,若有黜者。”郗萌曰:“太白守危,賓客有以事死。”甘氏曰:“太白守危,將軍凶,去公門,災消;國有憂。”《荊州占》曰:“太白守危,民多瘡疽之病。”《百二十占》曰:“太白犯守危,大臣為亂,天下有兵。”《玄冥占》曰:“太白入危,犯守之,天下有急事,兵大起,國有憂,有兵加於齊國之城。”郗萌曰:“太白與危斗,不出其年,國有反臣。太白守墳墓,為人主有哭泣之聲。”
《北官候》にいう、金星が危宿に入るのは、もともと兵があれば兵を罷めもともと兵がなければ兵が起き火災が多いことを主る。別の説では旱を主り五穀が熟さない。郗萌がいう、金星が天府星を挟持してその間に出入するのは、大臣が君主を図謀し政事が厳急であることを主る。石申がいう、金星が危宿に留守し距ること一尺のは、諸侯の中に忠誠な者がなく彼此に讒言をもって誹謗しあるいは罷黜される者があることを主る。郗萌がいう、金星が危宿に留守するのは、賓客の中に事によって死ぬ者があることを主る。甘徳がいう、金星が危宿に留守するのは、将軍に凶禍があり公門を離れれば災禍を消解できることを主る。国中に憂患がある。《荊州占》にいう、金星が危宿に留守するのは、百姓が瘡疽の病に患う者が多いことを主る。《百二十占》にいう、金星が危宿を侵犯し留守するのは、大臣が乱を作し天下に兵事があることを主る。《玄冥占》にいう、金星が危宿に入り侵犯し留守するのは、天下に緊急の事があり兵事が大いに起き国中に憂患があり兵禍が斉国の城池に加えられることを主る。郗萌がいう、金星が危宿と相犯して斗すようなのは、この年を出でず国中に反逆の臣があることを主る。金星が墳墓星に留守するのは、君主の家に哭泣の声があることを主る。
太白の営室を犯す 六
郗萌曰:“太白犯營室陽,陽有急;犯陰,陰有急。太白晨出東方,上至營室而反遠,復入東方;其出西方,若出東方,過營室,強國君有興者;不及營室而反,強國有敗者。”石氏曰:“太白去營室一尺,威令不行。”甘氏曰:“太白入營室,犯之,天下兵滿野,人主威令不行,六十日不下,將軍死之。”齊伯曰:“太白出入留舍營室,五十日不下,衛國將困;一歲不去,將軍死之。”
郗萌がいう、金星が営室宿の陽位を侵犯するのは、属陽の一方に急難があることを主る。陰位を侵犯するのは、属陰の一方に急難があることを主る。金星が清晨に東方に現れ上に運行して営室宿に至って後頭を掉して遠ざかり再び東方に現れるのは、それが西方に現れようと東方に現れようと、営室宿を越えたならば強国の君の中に興盛する者があることを主る。もし営室宿に至らずに折返すならば強国の中に敗亡する者があることを主る。石申がいう、金星が営室宿に距ること一尺のは、威厳の号令が推行できないことを主る。甘徳がいう、金星が営室宿に入りそれを侵犯するのは、天下の兵が原野に満ち君主の威令が推行できないことを主る。六十日離れなければ将軍がこのために死ぬことを主る。斉伯がいう、金星が営室宿に出入して停留し五十日離れないのは、衛国がまさに困境に陥ることを主る。一年離れなければ将軍がこのために死ぬことを主る。
石氏曰:“太白守營室,太子及妃后與臣謀,兵起於內。”郗萌曰:“太白守營室,君有殃。”石氏曰:“太白守營室,有兵罷,國士安。”郗萌曰:“太白守營室壁中,期六十日,天下金賤。”甘氏曰:“太白守營室,天下軍起,兵甲滿野,大兵乘水,欲攻王侯之國,不出四十日。”《荊州占》曰:“太白守營室,為大人忌,以赦令解之。”《北官候》曰:“太白入營室而守之,太子及妃后退俱謀,兵起於宮中,期百八十日。”
石申がいう、金星が営室宿に留守するのは、太子と妃后が臣下とともに密謀し兵事が宮内から興ることを主る。郗萌がいう、金星が営室宿に留守するのは、君主に禍殃があることを主る。石申がいう、金星が営室宿に留守するのは、兵事が罷息を得て国中の士人が安定することを主る。郗萌がいう、金星が営室宿と東壁宿の間に留守して期限六十日のは、天下の金価が低賤であることを主る。甘徳がいう、金星が営室宿に留守するのは、天下の軍隊が興起し兵甲が原野に満ち大軍が水勢に借りて進攻し王侯の封国を攻打しようとすることを主り、四十日を出でず。《荊州占》にいう、金星が営室宿に留守するのは、大人の忌むところで赦令を用いて化解すべきである。《北官候》にいう、金星が営室宿に入りその中に留守するのは、太子と妃后が宮内に退居してともに謀劃し兵事が宮中に起きることを主り、期限は百八十日である。
太白の東壁を犯す 七
郗萌曰:“太白出入留舍東壁,五十日不下,大人當之。”石氏曰:“太白去東壁一尺,諸侯用命。”《黃帝占》曰:“太白守東壁,文武並行,術士用兵,大人當之,其國亡。”石氏曰:“太白守東壁,為有兵災。”甘氏曰:“太白守壁,天下有軍不戰。”巫咸曰:“太白守東壁,旱、多火災。”郗萌曰:“太白守東壁,為天下兵起;一曰狄兵起。”《百二十占》曰:“太白守犯東壁,且有兵喪。”石氏曰:“太白犯守東壁,天下有兵不戰。”石氏曰:“太白守東壁,兵發於內,太子及妃后與人民謀。”
郗萌がいう、金星が東壁宿に出入して停留し五十日離れないのは、事は大人の身に応ずる。石申がいう、金星が東壁宿に距ること一尺のは、諸侯が命を聴いて效力することを主る。《黄帝占》にいう、金星が東壁宿に留守するのは、文治と武功がともに施行され方術の士が用兵に参与し事は大人の身に応じその国がまさに滅亡することを主る。石申がいう、金星が東壁宿に留守するのは、兵災があることを主る。甘徳がいう、金星が東壁宿に留守するのは、天下に軍隊があって交戦しないことを主る。巫咸がいう、金星が東壁宿に留守するのは、旱を主り火災が多い。郗萌がいう、金星が東壁宿に留守するのは、天下に兵事が興起することを主る。別の説では狄人が兵を興すことを主る。《百二十占》にいう、金星が東壁宿を留守し侵犯するのは、まさに兵事と喪事があろう。石申がいう、金星が東壁宿を侵犯し留守するのは、天下に軍隊があって交戦しないことを主る。石申がいう、金星が東壁宿に留守するのは、兵事が宮内から発動し太子と妃后が民衆と合謀することを主る。
開元占経 巻四十九
太白占 五
太白の西方七宿を犯す
太白の奎を犯す 一
《荊州占》曰:“太白入奎中,大水橫流,不出百八十日。”郗萌曰:“太白入天庫,兵起西方。”《海中占》曰:“太白出奎,起兵於國外。太白潤澤出奎,有善令;變色入奎,有偽令來者;若出奎,有偽令,出使者。”石氏曰:“太白守奎,外夷入。”《海中占》曰:“太白守奎,出復入,糴貴,人流,食貴。”石氏曰:“太白守奎,五十日不下,大水。有兵且戰;一歲不下,三歲有兵。”甘氏曰:“太白守奎,大霜。”《海中占》曰:“太白守奎,以水起兵國中。”巫咸曰:“太白守奎,萬物不成,民疾病。”
《荊州占》にいう、金星が奎宿の中に入るのは、大水が横流して氾濫することを主り、百八十日を出でず。郗萌がいう、金星が天庫星に入るのは、兵が西方に起きることを主る。《海中占》にいう、金星が奎宿から出るのは、国境の外に兵を興すことを主る。金星が光沢にして潤潔に奎宿から出るのは、善政の号令があることを主る。光色を改変して奎宿に入るのは、仮託の命令が伝来することを主る。もし奎宿から出るならば仮託の命令がありしかも使者を派出することを主る。石申がいう、金星が奎宿に留守するのは、外族が入侵することを主る。《海中占》にいう、金星が奎宿に留守して出てまた入るのは、糧価が昂貴で人民が流亡し食物が騰貴することを主る。石申がいう、金星が奎宿に留守し五十日離れないのは、大水があり兵がまさに交戦することを主る。一年離れなければ三年の内に兵事がある。甘徳がいう、金星が奎宿に留守するのは、大きな霜を降らすことを主る。《海中占》にいう、金星が奎宿に留守するのは、水患によって国中に兵を興すことを主る。巫咸がいう、金星が奎宿に留守するのは、万物が成らず百姓が病むことを主る。
《海中占》曰:“太白守奎,兵起,凶;一曰聖人出;一曰徭大起。”郗萌曰:“太白守奎,有匿謀,不過歲中;又曰大將軍戰死;若戮死,期九十日,國有流民;又曰赦。”《荊州占》曰:“太白守奎,為王者憂;一曰大人當之。”《玉曆》曰:“太白入奎,若守之,水泉湧出;五十日不下,秦且開庫,發兵加魯城;有兵戰,國多流民。”石氏曰:“太白守奎,外國兵來入,有軍不戰;一曰水潦為害,傷五穀。”甘氏曰:“太白犯守奎,外兵來入國;若去奎一尺。四夷共治中國,期二年。”《文曜鉤》曰:“太白垂芒守奎,天下柝擊。”
《海中占》にいう、金星が奎宿に留守するのは、兵事の興起を主り、凶。別の説では聖人が世に出ることを主る。別の説では徭役が大いに興ることを主る。郗萌がいう、金星が奎宿に留守するのは、隠秘の図謀があり一年の内を超えないことを主る。またいう、大将軍が戦死することを主る。もし処死されるならば期限九十日で国中に流亡の百姓がある。またいう、赦令があることを主る。《荊州占》にいう、金星が奎宿に留守するのは、君王に憂いがあることを主る。別の説では事は大人の身に応ずる。《玉暦》にいう、金星が奎宿に入りあるいはその中に留守するのは、水泉が噴涌して出ることを主る。五十日離れなければ秦国がまさに武庫を開き兵を発して魯国の城池を進攻し兵が交戦し国中に流民が多いことを主る。石申がいう、金星が奎宿に留守するのは、外国の軍隊が入侵し軍隊があって交戦しないことを主る。別の説では水澇が害を為し五穀を損傷することを主る。甘徳がいう、金星が奎宿を侵犯し留守するのは、外来の軍隊が国境に入ることを主る。もし奎宿に距ること一尺ならば四方の夷族が共同して中原を統治することを主り、期限は二年である。《春秋文曜鈎》にいう、金星が芒角を垂れて奎宿に留守するのは、天下が柝を敲いて戒厳することを主る。
太白の婁を犯す 二
郗萌曰:“太白犯婁,有眾聚發事。”《玉曆》曰:“太白順行之婁,子離其母,其政和平,國有喜。”石氏曰:“太白經婁,四夷遠去。太白去婁一尺,爵祿貴。太白出入留舍婁,外國兵來入。”齊伯曰:“太白出入留舍婁,天下大兵起,秦國以發兵,必有兵加於魯之城。”《黃帝占》曰:“太白守婁,小旱,萬物不成。”郗萌曰:“太白守婁,有兵,期四十日;又曰有大令。”石氏曰:“太白守婁,赦。”甘氏曰:“太白守婁,子守其母,天子至孝,將有德。”《荊州占》曰:“太白守婁,為聚眾兵起,三軍行;天下多飢,豕大貴。”石氏曰:“太白守犯婁,其鄉吉;天下和平,將軍有喜。”
郗萌がいう、金星が婁宿を侵犯するのは、衆を聚めて事を起こすことがあることを主る。《玉暦》にいう、金星が順行して婁宿に至るのは、息子が母を離れ政事が和平で国中に喜慶があることを主る。石申がいう、金星が婁宿を経過するのは、四方の夷族が遠く退去することを主る。金星が婁宿に距ること一尺のは、爵位・俸禄が貴重にして得難いことを主る。金星が婁宿に出入して停留するのは、外国の軍隊が入侵することを主る。斉伯がいう、金星が婁宿に出入して停留するのは、天下に大規模な兵事が興起し秦国がこれにより兵を発し必ず兵禍が魯国の城池に加えられることを主る。《黄帝占》にいう、金星が婁宿に留守するのは、小さな旱を主り万物が成らない。郗萌がいう、金星が婁宿に留守するのは、兵事があることを主り期限は四十日。またいう、重大な政令があることを主る。石申がいう、金星が婁宿に留守するのは、赦令があることを主る。甘徳がいう、金星が婁宿に留守するのは、息子がその母を守る象で天子が極めて孝順であり将帥に徳行があることを主る。《荊州占》にいう、金星が婁宿に留守するのは、衆を聚めて兵を起こし三軍が出動し天下に飢饉が多く猪価が大いに漲ることを主る。石申がいう、金星が婁宿に留守し侵犯するのは、それが対応する処が吉利で天下が和平し将軍に喜慶があることを主る。
太白の胃を犯す 三
甘氏曰:“太白犯胃,色赤,五十日不下,其國大敗,有亡主,期不出年。”《海中占》曰:“太白入胃中,守之,有喪。”《黃帝占》曰:“太白守胃,二十日,兵大起,流血。”石氏曰:“太白守胃,五十日,兵大起,其鄉有轉谷百里,百姓飢,國大亂。”甘氏曰:“太白守胃,大臣執忠,天子奉其祀,四海安寧。”巫咸曰:“太白守胃,民疾病,若流亡;一曰民小流。”又曰:“太白守胃,為有兵災,萬物不成。”郗萌曰:“太白出入留舍胃,五十日不下,天下大亂,百姓飢,其國必敗。”
甘徳がいう、金星が胃宿を侵犯し色が赤く五十日離れないのは、その国が大敗し君主が敗亡することを主り期限は一年を出でず。《海中占》にいう、金星が胃宿の中に入り留守するのは、喪事があることを主る。《黄帝占》にいう、金星が胃宿に二十日留守するのは、兵事が大いに起き血を流すことを主る。石申がいう、金星が胃宿に五十日留守するのは、兵事が大いに起きその一帯は百里の外から糧食を転運し百姓が飢餓し国家が大乱することを主る。甘徳がいう、金星が胃宿に留守するのは、大臣が忠貞を秉持し天子が祭祀を奉行し四海が安寧することを主る。巫咸がいう、金星が胃宿に留守するのは、百姓が病むかあるいは流亡することを主る。別の説では百姓が小規模に流亡することを主る。またいう、金星が胃宿に留守するのは、兵災があり万物が成らないことを主る。郗萌がいう、金星が胃宿に出入して停留し五十日離れないのは、天下が大乱し百姓が飢餓しその国が必ず敗亡することを主る。
《海中占》曰:“太白守胃,有德令,兵革不用,有兵兵不用。”陳卓曰:“太白犯守胃,將為亂;國以無義亡。”《太公決事》曰:“太白守胃,五十日不下,兵見,百里流血,後月赦。”郗萌曰:“太白守胃,有仁令;一曰天下大赦。”《西官候》曰:“太白守胃,色赤如火,兵起見血流;一曰青黃有德令。”《文曜鉤》曰:“太白貫胃,倉廩虛,邊兵結,四夷侵,禍謀成。”《黃帝占》曰:“太白逆行守胃,成勾已;其國君死,大臣有誅;若去之一尺,燕趙大飢,人相食,期百八十日。”《孝經右秘》曰:“歲將大惡,金加胃。”
《海中占》にいう、金星が胃宿に留守するのは、恩を施す政令があり兵革は動用する必要がなくもともと兵があっても動用しないことを主る。陳卓がいう、金星が胃宿を侵犯し留守するのは、将帥が乱を作し国家が道義を行わないために滅亡することを主る。《太公決事》にいう、金星が胃宿に留守し五十日離れないのは、兵事が出現し百里の内に血を流し此の後一箇月以内に赦令があることを主る。郗萌がいう、金星が胃宿に留守するのは、仁を施す政令があることを主る。別の説では天下の大赦を主る。《西官候》にいう、金星が胃宿に留守し色が赤く火のようなのは、兵が起きて血流を見ることを主る。別の説では光色が青黄で恩を施す政令があることを主る。《春秋文曜鈎》にいう、金星が胃宿を貫穿するのは、倉廩が空虚で辺境の戦事が連結して断えず四方の夷族が入侵し禍乱の陰謀が逞しくなることを主る。《黄帝占》にいう、金星が逆行して胃宿に留守し環繞して「勾巳」の形を成すのは、その国の君主が死亡し大臣の中に誅される者があることを主る。もし距ること一尺ならば燕趙の地が大飢饉となり人が人を食い期限は百八十日である。《孝経右秘》にいう、年成がまさに大きく壊れようとする時、金星はすなわち胃宿に加臨する。
太白の昴を犯す 四
《文曜鉤》曰:“太白入昴,天子以歲誅。”陳卓曰:“太白犯昴,旱,大暑。”(《宋書天文志》曰:晉成帝咸康元年二月巳亥,太白犯昴,六月旱。)陳卓曰:“太白犯昴,兵起;近期一年,遠期五年。”(《宋書天文志》曰:晉成帝咸康元年二月己亥,太白犯昴,四月,石虎偵騎至歷陽,朝廷慮其哨眾復至,加司徒王導大司馬治兵動眾,又遣慈湖牛渚鹿湖三戍,五月乃罷,是時湖賊又圍襄陽,庾亮拒而退之。)石氏曰:“太白入昴,天下亂,兵大起,期五十日。”(《宋書天文志》曰:晉惠帝大安二年,太白入昴,是年冬,成都河間攻洛陽,二年正月,東海王越執長沙王乂、張方及。晉康帝建元二年正月壬午,太白又入昴,是年石虎殺其太子邃及其妻子徒屬二百餘人,又遣將劉寧,寇沒狄道,又使將張舉將萬屯荊東,以備慕容皇光。)
《春秋文曜鈎》にいう、金星が昴宿に入るのは、天子が年に按じて人を誅することを主る。陳卓がいう、金星が昴宿を侵犯するのは、旱を主り酷暑である。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、晋の成帝咸康元年二月己亥日に金星が昴宿を侵犯し、六月に大旱があった。)陳卓がいう、金星が昴宿を侵犯するのは、兵事の興起を主る。近き期限は一年、遠き期限は五年である。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、晋の成帝咸康元年二月己亥日に金星が昴宿を侵犯し、四月に石虎の偵察騎兵が歴陽に到達し、朝廷はその哨探の部衆が再来することを案じ司徒王導に大司馬を加授して軍隊を整治し人馬を調動し、また兵を派遣して慈湖・牛渚・鹿湖の三処に駐守させ、五月に至ってやっと撤除した。当時湖中の賊寇がまた襄陽を囲攻し、庾亮が兵を出して抵禦して彼らを逼退した。)石申がいう、金星が昴宿に入るのは、天下の大乱と兵事の大起を主り期限は五十日である。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、晋の恵帝太安二年に金星が昴宿に入り、その年の冬に成都王・河間王が洛陽を進攻し、二年正月に東海王司馬越が長沙王司馬乂と張方らを擒獲した。晋の康帝建元二年正月壬午日に金星がまた昴宿に入り、その年に石虎がその太子石邃および石邃の妻児・属衆二百余人を殺し、また将領劉寧を派遣して狄道を進犯・攻陥させ、また将領張挙に一万人を帯びさせて荊東に屯駐させ用いて慕容皝に備えた。)
郗萌曰:“太白入昴中,大赦,近期十五日,遠期三十日;太白行疾,期近;行遲,期遠。”又占曰:“太白入昴中,大赦,期九十日。”《玉曆》曰:“太白入昴中,大擾,國易政,有流血千里;主命惡之,不出其年。”石氏曰:“太白去昴一尺,賤人貴。”郗萌曰:“太白奔昴,若出北者,為陰國有憂。”《黃帝占》曰:“太白犯昴,若舍昴;留四五日不去,即大臣有死者。”又占曰:“太白出入留舍在昴北,有女喪;在昴南。有男喪。”又占曰:“太白守昴,四夷有兵事。”(司馬彪《天文志》曰:孝章帝建初元年正月丁巳,太白在昴西一尺,昴為邊兵,是時蠻夷陳縱等叛漢。)
郗萌がいう、金星が昴宿の中に入るのは、大赦を主り近き期限は十五日、遠き期限は三十日である。金星の運行が迅疾ならば期限は近く、運行が遅緩ならば期限は遠い。また一つの占辞にいう、金星が昴宿の中に入るのは、大赦を主り期限は九十日である。《玉暦》にいう、金星が昴宿の中に入るのは、大乱があり国家が政令を更改し千里に血を流す禍があることを主る。君主の性命もまたそれに威脅を受け、この年を出でず。石申がいう、金星が昴宿に距ること一尺のは、地位の低賤な人が顕貴を得ることを主る。郗萌がいう、金星が昴宿に急趨しもし昴宿の北に出れば属陰の国家に憂いがあることを主る。《黄帝占》にいう、金星が昴宿を侵犯しあるいは昴宿に宿留して四五日停留して離れないのは、大臣の中に死亡する者があることを主る。また一つの占辞にいう、金星が昴宿の北に出入して停留するのは、女子の喪事があることを主る。昴宿の南にあるのは、男子の喪事があることを主る。また一つの占辞にいう、金星が昴宿に留守するのは、四方の夷族に戦事があることを主る。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に、漢の章帝建初元年正月丁巳日に金星が昴宿以西一尺の処にあり、昴宿は辺境の兵事を主り、当時蛮夷の陳縦らが漢朝を背叛した。)
《春秋元命苞》曰:“太白守昴,政絕。”石氏曰:“太白守昴,兵從門闖入,人主出走;一曰胡兵入,且亡國,若有謀主之變;居其北,則四夷有毒霜早降,歲有疾癘;一曰胡不安,期六十日,當有自來王。”甘氏曰:“太白守昴,將軍下獄。”《海中占》曰:“太白守昴,將軍有聚眾。”石氏曰:“太白守昴,有更令,若有大赦,期百八十日。”巫咸曰:“太白守昴,國易政,大人當之。”巫咸曰:“太白逆行守昴,擾,有兵起,民多有恨獄者;一曰大臣有獄死。”又占曰:“太白入昴,若居昴北,若犯乘守,北主死。”郗萌曰:“太白與昴斗,不出其年,有反臣。”又占曰:“太白中犯乘守昴,為兵,北征於邊。”《荊州占》曰:“太白犯乘守昴,有角,兵大起,天下流血千里,民多疾。”
《春秋元命苞》にいう、金星が昴宿に留守するのは、政令の断絶を主る。石申がいう、金星が昴宿に留守するのは、兵衆が城門から闖入し君主が出逃することを主る。別の説では胡兵が入侵し亡国しようとしあるいは君主を図謀する変故があることを主る。金星が昴宿の北に処れば、四方の夷族の地に毒霜が早く降りその年に疫病が流行する。別の説では胡人が安寧せず期限六十日で自ら前から来て帰附する王があろう。甘徳がいう、金星が昴宿に留守するのは、将軍が下獄されることを主る。《海中占》にいう、金星が昴宿に留守するのは、将軍が部衆を聚集することを主る。石申がいう、金星が昴宿に留守するのは、更改の政令がありあるいは大赦があることを主り期限は百八十日である。巫咸がいう、金星が昴宿に留守するのは、国家が政令を更改し事は大人の身に応ずることを主る。巫咸がいう、金星が逆行して昴宿に留守するのは、動乱があり兵事が興起し百姓の中に冤を含んで入獄する者が多いことを主る。別の説では大臣に獄中で死ぬ者があることを主る。また一つの占辞にいう、金星が昴宿に入りあるいは昴宿の北に処りあるいは侵犯・凌乗・留守して昴宿に及ぶのは、北方の主が死亡することを主る。郗萌がいう、金星が昴宿と相犯して斗すようなのは、この年を出でず反逆の臣があろう。また一つの占辞にいう、金星が中から侵犯・凌乗・留守して昴宿に及ぶのは、兵事を主り北に向かって辺境まで征伐すべきである。《荊州占》にいう、金星が昴宿を侵犯・凌乗・留守して芒角を帯びるのは、兵事が大いに起き天下に血が千里に流れ百姓に疾病が多く生ずることを主る。
太白の畢を犯す 五
《黃帝占》曰:“太白犯畢,出北,陽國有憂。”石氏曰:“太白犯畢左角,大戰不勝,將軍死。”《太公決事占》曰:“太白犯畢口,大兵起,一歲罷。”《西官侯》曰:“太白犯畢右角。敵兵大戰。”(按司馬彪《天文志》曰:孝明永平十六年四月癸未,太白犯畢,畢為邊兵。後北匈奴入雲中,至咸陽,使者高弘發三郡兵追討,無所得,太僕蔡彤坐不進,下獄。)石氏曰:“太白入畢口,為大人當之,國危。”石氏曰:“太白入畢口。有女喪。”《西官候》曰:“期百二十日,遠期十月;一曰將相當之,若有憂,大人惡之。”(《天文志》曰:孝安永初三年五月丙寅,太白入畢口中,延光元年三月癸巳,鄧太后崩,五月庚辰,太后兄車騎將軍鄧鯫等七侯皆免官自殺之驗也。)
《黄帝占》にいう、金星が畢宿を侵犯し北面に出るのは、属陽の国家に憂いがあることを主る。石申がいう、金星が畢宿の左角を侵犯するのは、大戦して勝てず将軍が戦死することを主る。《太公決事占》にいう、金星が畢宿の口部を侵犯するのは、大きな兵事が興起し一年の後に罷息することを主る。《西官候》にいう、金星が畢宿の右角を侵犯するのは、敵兵が大挙して交戦することを主る。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載を按ずるに、漢の明帝永平十六年四月癸未日に金星が畢宿を侵犯し、畢宿は辺境の兵事を主る。後に北匈奴が雲中に侵入し咸陽に至り、使者高弘が三郡の兵力を征発して追撃・討伐して一獲なく、太仆蔡彤が進兵を肯んぜずして罪を得て下獄された。)石申がいう、金星が畢宿の口部に入るのは、事は大人の身に応じ国家が危険であることを主る。石申がいう、金星が畢宿の口部に入るのは、女子の喪事があることを主る。《西官候》にいう、期限は百二十日、遠き期限は十箇月。別の説では事は将相の身に応じあるいは憂患があり大人の悪むところである。(原書小注:《天文志》の記載に、漢の安帝永初三年五月丙寅日に金星が畢宿の口中に入り、延光元年三月癸巳日に鄧太后が去世し、五月庚辰日に太后の兄の車騎将軍鄧鮦ら七位列侯がみな官を免ぜられ自殺した。これがすなわち応験である。)
石氏曰:“太白入昴,近陽星,大將出征,立功,有光榮。”石氏曰:“太白入畢口,與兩股齊,期四十日,兵起;入直一星,期十日,兵起;守之五日,期三日,兵起;若有人以獵惑人君者也。”郗萌曰:“太白出入留舍畢不下,一國有憂,兵起北方;出入留舍六十日不下,天下有立王;百日不下,不越四年中,王侯有大喪。”巫咸曰:“太白入畢中。各伺其出日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處之率,一日期十日,為軍罷。”郗萌曰:“太白入畢口不出,民人走,有狄奪國;又曰大赦,近期十五日,遠期三十日;太白行疾,期近;行遲,期遠。”
石申がいう、金星が昴宿に入り陽星に靠近するのは、大将が出征して功を立て光栄を享くることを主る。石申がいう、金星が畢宿の口中に入り畢宿の両股と並斉するのは、期限四十日で兵事が興起する。入って後その中の一星に正対すれば期限十日で兵事が興起する。それに五日留守すれば期限三日で兵事が興起する。また人が田猟をもって君主を迷惑させることを主る。郗萌がいう、金星が畢宿に出入して停留して離れないのは、一国に憂いがあり兵が北方に起きることを主る。出入して停留し六十日離れないのは、天下に新立の君王があることを主る。百日離れなければ四年の内を超えず王侯に大喪がある。巫咸がいう、金星が畢宿の中に入るのは、各々それが出る日に按じて推算し二十日を期として兵事の発動があろう。さらにそれが入り始めた位置に按じて比率を推算し一日が十日に対応し軍隊の罷散を主る。郗萌がいう、金星が畢宿の口中に入って出ないのは、百姓が奔逃し狄人が国土を奪取することを主る。またいう、大赦を主り近き期限は十五日、遠き期限は三十日。金星の運行が迅疾ならば期限は近く、運行が遅緩ならば期限は遠い。
《西官候》曰:“太白入畢,人主守衛將相有亂者,人主當之;犯左角,大兵戰,左右將死;乘陵其上,邊將軍死。”《太公決事占》曰:“太白出東方,入畢口,車馬貴,易政。”石氏曰:“太白出畢陽,則旱;出畢陰,則為政令不行。”石氏曰:“太白出畢一尺,國豐。”《西官侯》曰:“太白抵天,都尉出入天下;有兵驚民離,主亦驚。”《文曜鉤》曰:“太白貫畢,倉廩虛,邊後繕,四夷侵,禍謀成。”《石氏占》曰:“太白守畢傍,有兵。”石氏曰:“太白守畢,天子虛,國多枉刑。”甘氏曰:“太白守畢,大將有功,大臣使出。”巫咸曰:“太白守畢,諸侯兵起,一歲罷;又曰為水,萬物五穀不成。”
《西官候》にいう、金星が畢宿に入るのは、君主の守衛の将相の中に乱を作す者があり事は君主の身に応ずることを主る。畢宿の左角を侵犯するのは、大軍が交戦し左右の将領が戦死することを主る。畢宿の上に凌乗し逼圧するのは、辺地の将軍が戦死することを主る。《太公決事占》にいう、金星が東方に現れて畢宿の口中に入るのは、車馬の価が貴く政令を更改することを主る。石申がいう、金星が畢宿の南に出れば旱を主る。畢宿の北に出れば政令が推行できないことを主る。石申がいう、金星が畢宿に離ること一尺の処に出るのは、国中の豊収を主る。《西官候》にいう、金星が天星に抵触するのは、都尉が天下に往来して奔走することを主る。兵禍があって百姓が驚散し君主もまた驚きを受ける。《春秋文曜鈎》にいう、金星が畢宿を貫穿するのは、倉廩が空虚で辺境が此の後整備・戒備すべきを主り四方の夷族が入侵し禍乱の陰謀が逞しくなる。《石氏占》にいう、金星が畢宿の傍らに留守するのは、兵事があることを主る。石申がいう、金星が畢宿に留守するのは、天子が空虚で国中に冤枉の刑罰が多いことを主る。甘徳がいう、金星が畢宿に留守するのは、大将に功があり大臣が命を奉じて出使することを主る。巫咸がいう、金星が畢宿に留守するのは、諸侯が兵を興し一年の後に罷息することを主る。またいう、水災を主り万物・五穀が成熟しない。
《西官侯》曰:“太白守畢柄,有兵,邑益強;一曰大臣出使。”又曰:“太白入畢,守之,將軍謀反,大將出從,竟立功名,國易政,期不出二年。”《玄冥占》曰:“太白入畢而守之,將軍為亂,國君守衛,大臣當之,改朔易令。”郗萌曰:“太白犯守畢,有大兵,民多死。”郗萌曰:“太白犯守畢,有急令;一曰相死,邊境不安。”《黃帝占》曰:“太白犯守畢左股,邊夷兵起,左將軍戰死;若犯守右股,右將軍戰死,不出其年。”《海中占》曰:“太白犯守附耳,國有讒亂之臣在主側,以畋獵惑主者,若相有喜。”陳卓曰:“太白犯附耳,兵將相憂喪也;若不即免退。”
《西官候》にいう、金星が畢宿の柄部に留守するのは、兵事があり城邑がいっそう強盛になることを主る。別の説では大臣が出使することを主る。またいう、金星が畢宿に入り留守するのは、将軍が謀反し大将が兵を出して従い終に功名を建立し国家が政令を更改することを主り期限は二年を出でず。《玄冥占》にいう、金星が畢宿に入りその中に留守するのは、将軍が乱を作し国君が守衛を加強し事は大臣の身に応じ暦朔を改換し号令を変更することを主る。郗萌がいう、金星が畢宿を侵犯し留守するのは、大きな兵事があり百姓が多く死ぬことを主る。郗萌がいう、金星が畢宿を侵犯し留守するのは、緊急の政令があることを主る。別の説では国相が死亡し辺境が安寧しないことを主る。《黄帝占》にいう、金星が畢宿の左股を侵犯し留守するのは、辺地の夷族が兵を興し左将軍が戦死することを主る。もし右股を侵犯し留守すれば右将軍が戦死しこの年を出でず。《海中占》にいう、金星が附耳星を侵犯し留守するのは、国中に讒を進め乱を作す臣子が君主の身辺におり田猟をもって君主を迷惑させることを主る。あるいは国相に喜慶があることを主る。陳卓がいう、金星が附耳星を侵犯するのは、兵事および将相の憂患・喪亡を主る。さもなければ将相が直ちに職を免ぜられ退位する。
太白の觜觽を犯す 六
石氏曰:“太白犯觜觽,萬物不成。”石氏曰:“太白犯觜觽,其國兵起,天下移動。”甘氏曰:“太白犯觜觽,大臣為亂,大臣當之,國易政,兵起,觽鉞用,期九十日。”郗萌曰:“太白入觜觽中,有兵。”郗萌曰:“太白出入留守觜觽,地數裂,兵且起,大人當之。”《黃帝占》曰:“太白守觜觽,時節不調,當溫反寒,當寒反溫;當雨反晴,當晴反雨。”石氏曰:“太白守觜觽,不出三十日,有將軍叛;天子之軍破,牛馬有急行。”石氏曰:“太白守觜觽,西方客動,侵地,欲為君王;崇禮以制義,則國安。”《荊州占》曰:“太白守觜觽,天下兵。”石氏曰:“太白守觜觽,君臣和同。”甘氏曰:“太白守觜觽,四夷和合,天下咸寧。”巫咸曰:“太白守觜觽,為萬物不成;一曰民多疫,大臣有變。”《西官侯》曰:“太白犯守觜觽,天下兵起,人民相謀。”
石申がいう、金星が觜觽宿を侵犯するのは、万物が成らないことを主る。石申がいう、金星が觜觽宿を侵犯するのは、その国が兵事を興し天下が動盪・遷徙することを主る。甘徳がいう、金星が觜觽宿を侵犯するのは、大臣が乱を作し事は大臣の身に応じ国家が政令を更改し兵事が興起し斧鉞・刑戮の事が動用されることを主り期限は九十日である。郗萌がいう、金星が觜觽宿の中に入るのは、兵事があることを主る。郗萌がいう、金星が觜觽宿に出入し留守するのは、土地がたびたび開裂し兵事がまさに起き事は大人の身に応ずることを主る。《黄帝占》にいう、金星が觜觽宿に留守するのは、時令・節気が失調することを主る。暖かいべき時にかえって寒く、寒いべき時にかえって暖かく、雨の降るべき時にかえって晴れ、晴れるべき時にかえって雨が降る。石申がいう、金星が觜觽宿に留守するのは、三十日を出でず将軍の叛変があり天子の軍隊が撃破され牛馬に緊急の調運があることを主る。石申がいう、金星が觜觽宿に留守するのは、西方の客方が兵を興し土地を侵奪し自ら君王と為ろうとすることを主る。この時礼制を崇尚し義をもって裁断すれば国家は安定できる。《荊州占》にいう、金星が觜觽宿に留守するのは、天下に兵があることを主る。石申がいう、金星が觜觽宿に留守するのは、君臣が和睦して同心することを主る。甘徳がいう、金星が觜觽宿に留守するのは、四方の夷族が和睦して帰附し天下が皆安寧を得ることを主る。巫咸がいう、金星が觜觽宿に留守するのは、万物が成らないことを主る。別の説では百姓に疫病が多く生じ大臣に変故があることを主る。《西官候》にいう、金星が觜觽宿を侵犯し留守するのは、天下に兵事が興起し百姓が互いに図謀することを主る。
太白の参を犯す 七
《太公決事占》曰:“太白犯參左股,戰大勝。”郗萌曰:“太白犯參右股,戰不勝,將軍死。”《海中占》曰:“犯參,有大兵,將行。”《西官侯》曰:“太白犯參右肩,有戰,右將憂;犯守左肩,亦有戰,左將憂,若大臣當之,將軍有死者。”《荊州占》曰:“太白抵參,出入,天下驚;抵天都尉,出入,天下發兵。”石氏曰:“太白逆行,若留止衡中,兵革起。”《荊州占》曰:“太白宿參若宿伐,為反臣中兵也。”齊伯曰:“太白出入留舍參,名將死,天下大亂,兵起而不用,人民流亡,不居其鄉;不出年,山谷亦空。”
《太公決事占》にいう、金星が参宿の左股を侵犯するのは、交戦して大勝することを主る。郗萌がいう、金星が参宿の右股を侵犯するのは、交戦して勝てず将軍が戦死することを主る。《海中占》にいう、金星が参宿を侵犯するのは、大きな兵事があり将帥が出征することを主る。《西官候》にいう、金星が参宿の右肩を侵犯するのは、戦事があり右将に憂いがあることを主る。左肩を侵犯し留守するのは、また戦事があり左将に憂いがありあるいは事は大臣の身に応じ将軍の中に死亡する者があることを主る。《荊州占》にいう、金星が参宿に抵触してその間に出入するのは、天下の驚恐を主る。天都尉星に抵触してその間に出入するのは、天下が兵を発することを主る。石申がいう、金星が逆行しあるいは「衡」の中に停留するのは(衡とは参宿の当中に横列する三星で古く衡石と称す)、兵革の興起を主る。《荊州占》にいう、金星が参宿に宿留しあるいは伐星に宿留するのは、反逆の臣が国中で兵を動かすことを主る。斉伯がいう、金星が参宿に出入して停留するのは、名将が死亡し天下が大乱し兵があっても施用できず百姓が流亡して故郷に安居できないことを主る。一年を出でず山谷の中までも空しく人煙がない。
石氏曰:“太白守參,有兵;天子之軍破,牛馬有急行。”巫咸曰:“太白守參,大臣為變。”石氏曰:“太白守參,有赤星出中,邊有兵。”郗萌曰:“太白守參,天下不安;國大危,大憂,若糴貴。”甘氏曰:“太白守參,將軍出外降邊,兵大戰。”巫咸曰:“太白守參,國有反臣。”《海中占》曰:“太白守參,若大水,在西邊。”石氏曰:“太白守犯參伐,大臣為亂,車騎人皆急,兵起。”郗萌曰:“太白守伐衛尉,若國將當之,期五月。”
石申がいう、金星が参宿に留守するのは、兵事があることを主る。天子の軍隊が撃破され牛馬に緊急の調運がある。巫咸がいう、金星が参宿に留守するのは、大臣に変故が発生することを主る。石申がいう、金星が参宿に留守するのは、紅色の星が参宿の中から顕れ辺境に兵事があることを主る。郗萌がいう、金星が参宿に留守するのは、天下が安寧を得ず国家が大いに危険で大きな憂患がありあるいは糧価が昂貴であることを主る。甘徳がいう、金星が参宿に留守するのは、将軍が境を出て辺地を降服させ大規模に交戦することを主る。巫咸がいう、金星が参宿に留守するのは、国中に反逆の臣があることを主る。《海中占》にいう、金星が参宿に留守するのは、あるいは大水を主り西辺で発生する。石申がいう、金星が参宿の伐星を留守し侵犯するのは、大臣が乱を作し車馬・騎兵が人々緊急に調動され兵事が興起することを主る。郗萌がいう、金星が伐星と衛尉星に留守するのは、あるいは事は一国の将領の身に応じ期限は五箇月である。
開元占経 巻五十
太白占 六
太白の南方七宿を犯す
太白の東井を犯す 一
《海中占》曰:“太白犯東井,人主浮船。”石氏曰:“太白犯東井,將軍惡之。”(宋檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武太元五年五月丁酉,太白犯東井、八月己巳,領軍將軍新除太常韓伯卒,安帝元年三月丙辰、太白犯東井、後將軍王國寶於獄賜死、又左將軍王緒斬於市也。)石氏曰:“太白入東井中,大人衛守,國君失政,大臣為亂,兵大起。”(案《晉書天文志》曰:晉永康二年二月,太白出西方,逆行入東井,是時齊王冏起兵討趙王倫,倫滅冏,擁兵不朝,專權淫侈,明年誅死。車頻《秦書》曰:符生壽光三年二月、太白犯東井、太史奏曰:必有暴兵,生日星入井者,必將渴耳,何怪也。時長安謠曰:百里望空城,蔚蔚一何青,瞎兒不知法,仰目不見星。其年符法殺生,而堅代立,是其應也。)
《海中占》にいう、金星が東井宿を侵犯するのは、君主が船に乗って出行することを主る。石申がいう、金星が東井宿を侵犯するのは、将軍の悪む天象である。(原書小注:宋人檀道鸞《晋陽秋》にいう、晋の孝武帝太元五年五月丁酉日に金星が東井宿を侵犯し、八月己巳日に領軍将軍・新任太常韓伯が去世した。安帝元年三月丙辰日に金星が東井宿を侵犯し、後将軍王国宝が獄中で死を賜り左将軍王緒もまた鬧市で斬首された。)石申がいう、金星が東井宿の中に入るのは、大人が宿衛の守御を加強し国君が政柄を失い大臣が乱を作し兵事が大いに起きることを主る。(原書小注:《晋書・天文志》の記載を按ずるに、晋の永康二年二月に金星が西方に現れ逆行して東井宿に入り、当時斉王司馬冏が起兵して趙王司馬倫を討伐し、司馬倫が消滅した後に司馬冏は兵を擁して朝せず権柄を専擅し荒淫・奢侈し第二年に誅殺された。車頻《秦書》にいう、前秦の苻生寿光三年二月に金星が東井宿を侵犯し、太史が上奏して必ず暴乱の兵事があるといい、苻生がいうには星が「井」の中に入るのは水を飲もうとするだけで何か怪しむことがあろうか。当時長安に流伝した歌謡にいう、「百里望空城、蔚蔚一何青、瞎児不知法、仰目不見星」と。その年に苻法が苻生を殺し、而るに苻堅が彼に代わって自立した。これがすなわち応験である。)
郗萌曰:“太白入東井中,先起兵者大敗,天下大水。”(《宋書天文志》曰:晉穆帝昇平三年六月,太白犯東井,四年五月,天下大水之驗也。)郗萌曰:“太白出東方,入咸池,東下行入東井,下不忠,有謀上者。”《荊州占》曰:“太白入東井,將軍有戮死者。”《玉曆》曰:“太白入東井,失道行陽,先起者亡,後發者昌。”郗萌曰:“太白入東井,出入諸侯;兵驚、政急、民流。”《南官侯》曰:“太白入東井,留二十日以上,天下更政,若六畜疾。又曰兵大起,天下易正朔。”(謂留井中)《黃帝占》曰:“太白入東井,為水。”
郗萌がいう、金星が東井宿の中に入るのは、先に兵を起こした一方が大敗し天下に大水を発することを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載に、晋の穆帝升平三年六月に金星が東井宿を侵犯し、四年五月に天下に大水があった。これがすなわち応験である。)郗萌がいう、金星が東方に現れ咸池星に入り東に下行して東井宿に入るのは、下の人が忠でなく君上を図謀する者があることを主る。《荊州占》にいう、金星が東井宿に入るのは、将軍の中に処死される者があることを主る。《玉暦》にいう、金星が東井宿に入り常道を失って陽位を行くのは、先に手を動かした一方が滅亡し後に発動した一方が昌盛することを主る。郗萌がいう、金星が東井宿に入り諸侯星の間に出入するのは、兵事が驚擾し政事が厳急で百姓が流亡することを主る。《南官候》にいう、金星が東井宿に入り二十日以上停留するのは、天下が政令を更改しあるいは六畜が病むことを主る。またいう、兵事が大いに起き天下が正朔を更換することを主る。(原書小注:これは金星が井宿の中に停留することをいう。)《黄帝占》にいう、金星が東井宿に入るのは、水災を主る。
石氏曰:“太白守東井,為旱。”石氏曰:“太白守東井,十日不下,大臣坐之;三十日不下,神水出,歲多土功。”郗萌曰:“太白守東井、一東一西、一南一北,男子不得耕,女子不得織。”巫咸曰:“太白守東井,邑君失政,大人當之,大臣為盜,有誅者。”又占曰:“太白守東井,為萬物不成,若失火。”郗萌曰:“太白守東井,兵起東南。”石氏曰:“太白入若守東井中,大臣為盜。”郗萌曰:“太白犯乘守井、鉞,為其國內亂兵起。”《黃帝占》曰:“太白入犯井、鉞,為臣誅。”郗萌曰:“太白入若犯鉞,將誅。”石曰:“太白犯守鉞,有兵起,不出其年。”
石申がいう、金星が東井宿に留守するのは、旱を主る。石申がいう、金星が東井宿に留守して十日離れないのは、大臣がこれにより罪を得ることを主る。三十日離れなければ神異の水が涌出しその年に土木工程が多いことを主る。郗萌がいう、金星が東井宿に留守して忽ち東に忽ち西に忽ち南に忽ち北にするのは、男子が耕種できず女子が紡織できないことを主る。巫咸がいう、金星が東井宿に留守するのは、城邑の君が政柄を失い事は大人の身に応じ大臣が盗盗の事を為し誅殺される者があることを主る。また一つの占辞にいう、金星が東井宿に留守するのは、万物が成らずあるいは火災が発生することを主る。郗萌がいう、金星が東井宿に留守するのは、兵が東南に起きることを主る。石申がいう、金星が東井宿の中に入りあるいは留守するのは、大臣が盗盗の事を為すことを主る。郗萌がいう、金星が井宿と鉞星を侵犯・凌乗・留守するのは、その国が内乱して兵が起きることを主る。《黄帝占》にいう、金星が井宿と鉞星に入り侵犯するのは、臣下が誅されることを主る。郗萌がいう、金星が鉞星に入りあるいは侵犯するのは、将帥が誅されることを主る。石申がいう、金星が鉞星を侵犯し留守するのは、兵事の興起がありこの年を出でず。
太白の輿鬼を犯す 二
甘氏曰:“太白犯輿鬼、質,將戮。”(司馬彪《天文志》曰:“孝安永初三年六月癸酉、太白入輿鬼,為將凶、後中郎將任尚坐賊侵,其年檻車徵棄市也。)《荊州占》曰:“太白入輿鬼,將誅。”陳卓曰:“太白入輿鬼,兵革起。”石氏曰:“太白犯天尸,將軍有憂,其主廢。”齊伯曰:“太白犯入輿鬼,以罪斬大臣,(案司馬彪《天文志》曰:孝桓延熹八年五月癸酉,六月壬戌,太白行入輿鬼,九年十一月,太原郡守劉瓚等坐殺無辜,荊州刺史李隗為賊所拘,皆葉市。永康元年十二月、大將軍寶武、尚書令尹勳,黃門令山冰等皆枉死也。)若五十日不下,且有大喪。”石氏曰:“太白入輿鬼西北,婦人多兵死。”
甘徳がいう、金星が輿鬼宿およびその中間の「質」星(すなわち積尸気)を侵犯するのは、将帥が殺されることを主る。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》にいう、漢の安帝永初三年六月癸酉日に金星が輿鬼宿に入り将帥に凶があることを主り、後に中郎将任尚が侵吞・劫掠して罪を得てその年に囚車で押解されて京に帰り棄市で処刑された。)《荊州占》にいう、金星が輿鬼宿に入るのは、将帥が誅されることを主る。陳卓がいう、金星が輿鬼宿に入るのは、兵革の興起を主る。石申がいう、金星が天尸星を侵犯するのは、将軍に憂いがありその君主が廃されることを主る。斉伯がいう、金星が輿鬼宿を侵犯し入るのは、罪名に按じて大臣を斬ることを主る(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載を按ずるに、漢の桓帝延熹八年五月癸酉日・六月壬戌日に金星が運行して輿鬼宿に入り、九年十一月に太原郡守劉瓚らが無辜を殺害して罪を得て荊州刺史李隗が賊人に拘執され、みな鬧市で処刑された。永康元年十二月に大将軍竇武・尚書令尹勲・黄門令山冰らがみな冤を含んで死んだ)。もし五十日離れなければ大喪があろう。石申がいう、金星が輿鬼宿の西北部に入るのは、婦人が多く兵禍に死ぬことを主る。
郗萌曰:“太白入輿鬼,為大人卒,事以命終。”(案司馬彪《天文志》曰:“孝質本初元年四月辛巳,太白入輿鬼、閏月一日、孝質帝為梁冀所鴆之驗。)《郗萌占》曰:“太白入輿鬼,歲惡,婦人多懷子而死者。”《荊州占》曰:“太白入輿鬼,亂臣在內,有屠城。”(案檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武太元二年四月戊戌,太白入輿鬼,四年二月,襄陽城陷,四月,魏興城崩,五月,彭超攻陷盱眙城。)《南官候》曰:“太白入輿鬼、犯積尸,國有大喪;大兵起,將軍有戰,人多死,白骨滿野,無有葬者;期二年。”郗萌曰:“太白舍輿鬼東北,天下多梟死者;一曰有兵。”郗萌曰:“太白舍輿鬼中央,左右群臣有伏劍,若吞藥而死者。”
郗萌がいう、金星が輿鬼宿に入るのは、大人が猝死し事が性命をもって終わることを主る。(原書小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載を按ずるに、漢の質帝本初元年四月辛巳日に金星が輿鬼宿に入り、閏月初一日に質帝が梁冀に毒殺された。これがすなわち応験である。)《郗萌占》にいう、金星が輿鬼宿に入るのは、年成が悪劣で婦人に身孕を懐いて死ぬ者が多いことを主る。《荊州占》にいう、金星が輿鬼宿に入るのは、乱臣が朝内におり屠城の禍があることを主る。(原書小注:檀道鸞《晋陽秋》の記載を按ずるに、晋の孝武帝太元二年四月戊戌日に金星が輿鬼宿に入り、四年二月に襄陽城が陥落し四月に魏興城が崩毀し五月に彭超が盱眙城を攻陥した。)《南官候》にいう、金星が輿鬼宿に入り積尸気を侵犯するのは、国に大喪があり大きな兵事が興起し将軍が参戦し死人が多く白骨が野に遍くして収葬する人がないことを主り期限は二年である。郗萌がいう、金星が輿鬼宿の東北部に宿留するのは、天下に梟首で処死される者が多いことを主る。別の説では兵事があることを主る。郗萌がいう、金星が輿鬼宿の中央に宿留するのは、君主の左右の群臣の中に伏剣して自殺しあるいは薬を呑んで死ぬ者があることを主る。
郗萌曰:“太白出入留舍輿鬼,五十日不下,民大疾,死而不收。”(案《宋書天文志》曰:孝武孝建三年四月戊戌,太白犯輿鬼,明年夏,京邑疾疫。明帝泰始四年六月壬寅、太白又犯輿鬼、其年普天下大半疾疫也。)《南官候》曰:“太白出入留舍輿鬼,五十日不下,國兵起,開庫發卒。”石氏曰:“太白守輿鬼,有兵災;若旱,多火災,萬物五穀不成。”郗萌曰:“太白守輿鬼傍,萬民當之。”石氏曰:“太白守輿鬼,大人有祭祀之事。”《海中占》曰:“太白守輿鬼,出其南,水;出其北,旱。”《南官候》曰:“太白久守輿鬼,病在女主;其留二十日以上,有喪;期八月。”
郗萌がいう、金星が輿鬼宿に出入して停留し五十日離れないのは、百姓が大いに疾病を生じ死んでも屍を収める人がないことを主る。(原書小注:《宋書・天文志》の記載を按ずるに、宋の孝武帝孝建三年四月戊戌日に金星が輿鬼宿を侵犯し、第二年夏に京城に疫病が発生した。明帝泰始四年六月壬寅日に金星がまた輿鬼宿を侵犯し、その年に普天下の大半の処で疫病が発生した。)《南官候》にいう、金星が輿鬼宿に出入して停留し五十日離れないのは、国中に兵が起き武庫を開き士卒を征発することを主る。石申がいう、金星が輿鬼宿に留守するのは、兵災があることを主る。あるいは旱を主り火災が多く万物・五穀が成熟しない。郗萌がいう、金星が輿鬼宿の傍らに留守するのは、事は万民の身に応ずる。石申がいう、金星が輿鬼宿に留守するのは、大人に祭祀の事があることを主る。《海中占》にいう、金星が輿鬼宿に留守しその南面に出れば水を主りその北面に出れば旱を主る。《南官候》にいう、金星が長く輿鬼宿に留守するのは、疾病が女主の身に応ずることを主る。それが二十日以上停留すれば喪事があり期限は八箇月である。
《玉曆》曰:“太白行守輿鬼,成勾巳,若環繞之,國有死王,大臣有戮者;五十日不下,人民死者大半。”《郗萌占》曰:“太白入若守輿鬼,為主憂,財寶出,亂臣在內,若大臣謀,有干鉞棄質者,君貴人憂,金玉用,民多疾;南入為男,北入為女,西入為老人,東入為丁壯;棺木倍貴。”《荊州占》曰:“太白乾犯守輿鬼,隨所守,王者發之,不出七十日,其下國有大喪;陽為人君;陰為皇后;左為太子;右為貴臣。”郗萌曰:“太白輿鬼斗,不出其年,有反臣。”
《玉暦》にいう、金星が運行して輿鬼宿に留守し環繞して「勾巳」の形を成しあるいは一周を繞行するのは、国中に君王の死亡があり大臣の中に処死される者があることを主る。五十日離れなければ百姓が大半死ぬことを主る。《郗萌占》にいう、金星が輿鬼宿に入りあるいは留守するのは、君主に憂いがあり財宝が流出し乱臣が朝内におりあるいは大臣に陰謀があり斧鉞に触犯して屍を刑場に棄てられる者があり君主と貴人に憂いがあり金玉が動用され百姓に疾病が多く生ずることを主る。金星が南面から入れば男子に応じ北面から入れば女子に応じ西面から入れば老人に応じ東面から入れば壮年人に応じる。棺木の価格は倍にして上漲する。《荊州占》にいう、金星が輿鬼宿を干犯し留守するのは、それが留守する部位に随って異なり君王はこれに拠って相応の処置を発布し七十日を出でずその下に対応する国家に大喪がある。陽位は君主に応じ陰位は皇后に応じ左は太子に応じ右は貴臣に応ずる。郗萌がいう、金星が輿鬼宿と相犯して斗すようなのは、この年を出でず反逆の臣があろう。
太白の柳を犯す 三
《南官候》曰:“太白犯柳,有木功事;若名木見伐者。”郗萌曰:“太白入柳、天庫,兵起西北方;又曰大人守禦。”《南官候》曰:“太白入注,兵大起,有益地者。”《海中占》曰:“太白逆行入柳,成鉤巳,下刑上,臣謀主,民有怨仇,多暴死。”《春秋文曜鉤》曰:“殘百姓,誅名臣,則太白入柳。”石氏曰:“太白去柳一尺,國有專臣,專命無忌。”《荊州占》曰:“太白提天相出入,有陰謀。”《南官候》曰:“太白逆乘注,下刑上,民多怨仇暴死者。”又占曰:“太白抵柳,出入,陰謀其主,諸侯應其急。”
《南官候》にいう、金星が柳宿を侵犯するのは、木材で营造する工程があることを主る。あるいは名貴の樹木が砍伐される。郗萌がいう、金星が柳宿・天庫星に入るのは、兵が西北方に起きることを主る。またいう、大人が守御を加強することを主る。《南官候》にいう、金星が注星に入るのは(柳宿は別名「注」)、兵事が大いに起き土地を增添する者があることを主る。《海中占》にいう、金星が逆行して柳宿に入り環繞して「勾巳」の形を成すのは、下の人が上の人に刑を加え臣下が君主を図謀し百姓の間に怨仇を結び暴死する者が多いことを主る。《春秋文曜鈎》にいう、百姓を残害し名望の臣子を誅殺すれば金星はすなわち柳宿に入る。石申がいう、金星が柳宿に距ること一尺のは、国中に権を専らにする臣子がおり独断専行して忌憚がないことを主る。《荊州占》にいう、金星が天相星を挟持してその間に出入するのは、陰謀があることを主る。《南官候》にいう、金星が逆行して注星を凌乗するのは、下の人が上の人に刑を加え百姓に怨を結んで暴死する者が多いことを主る。また一つの占辞にいう、金星が柳宿に抵触してその間に出入するのは、人が暗中に君主を図謀し諸侯がその急難を救応しようとすることを主る。
甘氏曰:“太白守柳,將軍受賀,王者封臣。”石氏曰:“太白守柳,戰大勝,大得地。”《海中占》曰:“太白守柳,兵大起,一歲罷,若小旱,傷五穀。”《南官候》曰:“太白守柳,為反臣中外兵,以德令解之。”《南官候》曰:“太白守柳,兵起,一歲大益也。”郗萌曰:“太白守柳,敵不安。”齊伯曰:“太白守柳,秦兵且至,無王者。”巫咸曰:“太白犯守注,有急兵;若有變更之令,下陵上,君弱臣強,奸臣賊子謀殺其主。”郗萌曰:“太白守柳,人民多狂。”《荊州占》曰:“太白迫守柳、大將軍出。”
甘徳がいう、金星が柳宿に留守するのは、将軍が慶賀を受け君王が臣下を分封することを主る。石申がいう、金星が柳宿に留守するのは、交戦して大勝し大量に土地を取得することを主る。《海中占》にいう、金星が柳宿に留守するのは、兵事が大いに起き一年の後に罷息することを主る。あるいは小さな旱を主り五穀を損傷する。《南官候》にいう、金星が柳宿に留守するのは、反逆の臣が内外を勾結して兵を興し恩を施す政令を用いて化解すべきことを主る。《南官候》にいう、金星が柳宿に留守するのは、兵事が興起し一年の内に大いに增益することを主る。郗萌がいう、金星が柳宿に留守するのは、敵方が安寧を得ないことを主る。斉伯がいう、金星が柳宿に留守するのは、秦兵がまさに到来し国中に真の王者がいないことを主る。巫咸がいう、金星が注星を侵犯し留守するのは、緊急の兵事があることを主る。あるいは変更の政令があり下の人が上の人に凌駕し君主が軟弱で臣下が強横で奸臣賊子がその君主を殺害しようと図謀する。郗萌がいう、金星が柳宿に留守するのは、百姓に狂疾を発する者が多いことを主る。《荊州占》にいう、金星が柳宿に逼近し留守するのは、大将軍が出征することを主る。
太白の七星を犯す 四
郗萌曰:“太白犯七星,臣為亂。”甘氏曰:“太白入七星,有君置太子者。”郗萌曰:“太白出七星,太子且立。”石氏曰:“太白去七星一尺,國致七十二人。”郗萌曰:“太白提天都,出入,歲旱惡。”《荊州占》曰:“太白經七星,民非吾民;一曰當有詐為王者。”郗萌曰:“太白犯守七星,兵大起,曝巫移市。”又占曰:“太白留七星中央,為天下大憂。”齊伯曰:“太白出入留舍七星,三十日不下,兵且起;六十日不下,必有破國、亡王、死將;八十日不下,三年兵起,期在春;一曰有急令、期不出年。”
郗萌がいう、金星が七星宿を侵犯するのは、臣下が乱を作すことを主る。甘徳がいう、金星が七星宿に入るのは、君主が太子を冊立することがあることを主る。郗萌がいう、金星が七星宿から出るのは、太子がまさに冊立されることを主る。石申がいう、金星が七星宿に距ること一尺のは、国家が七十二位の賢人を招致することを主る。郗萌がいう、金星が天都星を挟持してその間に出入するのは、その年に旱情が厳重であることを主る。《荊州占》にいう、金星が七星宿を経過するのは、百姓がもはや本国の百姓でなくなることを主る。別の説では王と詐称する者があろうことを主る。郗萌がいう、金星が七星宿を侵犯し留守するのは、兵事が大いに起き巫師を曝して雨を求め集市を遷移して災を禳ぐべきことを主る。また一つの占辞にいう、金星が七星宿の中央に停留するのは、天下に大きな憂いがあることを主る。斉伯がいう、金星が七星宿に出入して停留し三十日離れないのは、兵事がまさに起きることを主る。六十日離れなければ必ず国家が破滅し君王が敗亡し将帥が戦死する。八十日離れなければ三年の内に兵が起き時は春である。別の説では緊急の政令があり期限は一年を出でず。
《黃帝占》曰:“太白守七星,不出二十日,有兵。”又占曰:“太白守七星,二十日以上,有急兵。”石氏曰:“太白守七星,兵渡津橋者,大凶。”甘氏曰:“太白守七星,將軍納忠,國君有德。”巫咸曰:“太白守七星,兵大起;又為水,萬物五穀不成。”郗萌曰:“太白守七星,國失政,大人當之。”郗萌曰:“太白守七星,戰大勝,天子益地。”《荊州占》曰:“太白守七星,七日以上,至三十日,大將軍出。”又占曰:“太白守七星,車騎滿野;又曰行天都,王者憂。”《南官候》曰:“太白守七星,為反臣中外兵,以德令解之。”
《黄帝占》にいう、金星が七星宿に留守するのは、二十日を出でず兵事がある。また一つの占辞にいう、金星が七星宿に二十日以上留守するのは、緊急の兵事がある。石申がいう、金星が七星宿に留守するのは、軍隊が渡口・橋梁を渡越し大凶であることを主る。甘徳がいう、金星が七星宿に留守するのは、将軍が忠言を進献し国君に徳行があることを主る。巫咸がいう、金星が七星宿に留守するのは、兵事が大いに起きることを主る。また水災を主り万物・五穀が成熟しない。郗萌がいう、金星が七星宿に留守するのは、国家が政柄を失い事は大人の身に応ずることを主る。郗萌がいう、金星が七星宿に留守するのは、交戦して大勝し天子が土地を增添することを主る。《荊州占》にいう、金星が七星宿に留守するのは、七日以上から三十日までで大将軍が出征することを主る。また一つの占辞にいう、金星が七星宿に留守するのは、車馬・騎兵が原野に満ちることを主る。またいう、金星が天都星に運行するのは、君王に憂いがあることを主る。《南官候》にいう、金星が七星宿に留守するのは、反逆の臣が内外を勾結して兵を興し恩を施す政令を用いて化解すべきことを主る。
太白の張を犯す 五
《春秋文曜鉤》曰:“太白入張,天子以微誅。”巫咸曰:“太白乘犯張,三日以上至七日,將軍內反,賊臣在側。”郗萌曰:“太白提張出入,相自擅,陰謀其主。”《荊州占》曰:“太白提張出入,諸侯應其急。”石氏曰:“太白守張,春旱。”郗萌曰:“太白出入留舍張,兵起於其國。”甘氏曰:“太白守張,其國有兵,謀不成,天下以空發兵;一曰後起,不行。”巫咸曰:“太白守張,必有大水,多水災,萬物五穀不成,民憂食。”《南官候》曰:“太白守張,為反臣中外兵,以德令解之。”《百二十占》曰:“太白守張,先旱後水。”石氏曰:“太白犯守張,兵革滿四野;必有亡國,天下易政。”巫咸曰:“太白守張,下凌上,君弱臣強,奸臣賊子,謀殺其主。”郗萌曰:“太白犯守張,人民多狂。”
《春秋文曜鈎》にいう、金星が張宿に入るのは、天子が暗に人を誅することを主る。巫咸がいう、金星が張宿を凌乗し侵犯し三日以上から七日までのは、将軍が朝内で反逆し人を害する臣子が君主の身辺にいることを主る。郗萌がいう、金星が張宿を挟持してその間に出入するのは、国相が権を擅にして自ら専らにし暗中に君主を図謀することを主る。《荊州占》にいう、金星が張宿を挟持してその間に出入するのは、諸侯がその急難を救応しようとすることを主る。石申がいう、金星が張宿に留守するのは、春旱を主る。郗萌がいう、金星が張宿に出入して停留するのは、兵事がそれが対応する国家に起きることを主る。甘徳がいう、金星が張宿に留守するのは、その国に兵事があり図謀が成し遂げられず天下が徒に兵を興すことを主る。別の説では後に発動した一方が兵を出せないことを主る。巫咸がいう、金星が張宿に留守するのは、必ず大水があり水災が多く万物・五穀が成熟せず百姓が食に愁うことを主る。《南官候》にいう、金星が張宿に留守するのは、反逆の臣が内外を勾結して兵を興し恩を施す政令を用いて化解すべきことを主る。《百二十占》にいう、金星が張宿に留守するのは、先に旱して後に澇することを主る。石申がいう、金星が張宿を侵犯し留守するのは、兵革が四野に満ち必ず国家が滅亡し天下が政令を更改することを主る。巫咸がいう、金星が張宿に留守するのは、下の人が上の人に凌駕し君主が軟弱で臣下が強横で奸臣賊子がその君主を殺害しようと図謀することを主る。郗萌がいう、金星が張宿を侵犯し留守するのは、百姓に狂疾を発する者が多いことを主る。
太白の翼を犯す 六
《荊州占》曰:“太白入翼,天下兵塞。”郗萌曰:“太白出入留舍翼,大風將至;一曰其國不平,若大水出。”《海中占》曰:“太白去翼一尺,(翼,陽也;太白,金,陰也)陰來附陽,秦朝楚。”郗萌曰:“太白舍翼,有客;一曰舍左翼,旱。”《黃帝占》曰:“太白舍右翼,兵起。”郗萌曰:“太白犯守翼,其國失地。”石氏曰:“太白守翼,為萬物不成,人民流亡。”石氏曰:“太白守翼三日以上,大臣不臣;一曰大臣為亂。”巫咸曰:“太白守翼,有反臣中兵也。”郗萌曰:“太白守翼,四夷兵大起,五穀傷風,民多疫。”《玉曆》曰:“太白守翼,有急事,若有大風。”齊伯曰:“太白守翼,臣不承令,人主有憂。”《百二十占》曰:“太白守翼,有兵在西方。”《黃帝占》曰:“太白守翼,易代,臣行主命。”
《荊州占》にいう、金星が翼宿に入るのは、天下の兵禍が壅塞することを主る。郗萌がいう、金星が翼宿に出入して停留するのは、大風がまさに到ることを主る。別の説ではそれが対応する国家が安定せずあるいは大水を発することを主る。《海中占》にいう、金星が翼宿に距ること一尺のは(原書小注:翼宿は陽に属し金星の五行は金に属して陰に属す)、陰が来て陽に依附し秦国が楚国を朝会することを主る。郗萌がいう、金星が翼宿に宿留するのは、遠客の到来があることを主る。別の説では左翼に宿留すれば旱を主る。《黄帝占》にいう、金星が右翼に宿留するのは、兵事の興起を主る。郗萌がいう、金星が翼宿を侵犯し留守するのは、その国が土地を喪失することを主る。石申がいう、金星が翼宿に留守するのは、万物が成らず百姓が流亡することを主る。石申がいう、金星が翼宿に三日以上留守するのは、大臣が臣道を守らないことを主る。別の説では大臣が乱を作すことを主る。巫咸がいう、金星が翼宿に留守するのは、反逆の臣が国中で兵を動かすことを主る。郗萌がいう、金星が翼宿に留守するのは、四方の夷族の兵事が大いに起き五穀が風に損傷され百姓に疫病が多く生ずることを主る。《玉暦》にいう、金星が翼宿に留守するのは、緊急の事がありあるいは大風があることを主る。斉伯がいう、金星が翼宿に留守するのは、臣下が号令を奉行せず君主に憂いがあることを主る。《百二十占》にいう、金星が翼宿に留守するのは、西方に兵事があることを主る。《黄帝占》にいう、金星が翼宿に留守するのは、改朝换代し臣下が君主の命令を代行することを主る。
太白の軫を犯す 七
石氏曰:“太白守軫,其國兵起,得地。”《海中占》曰:“太白犯軫、將軍為亂,其國兵起,臣欲謀君,賊人謀貴人,后死;一曰去之一尺,天下大飢,期不出百八十日。”巫咸曰:“太白入軫中,伺其出日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”《黃帝占》曰:“太白犯守軫,兵起西方。”郗萌曰:“太白出入留舍軫;(軫分,為楚府廷;太白,秦國之星也)主金行軫,客兵來過楚矣,必有死主。”
石申がいう、金星が軫宿に留守するのは、それが対応する国家が兵事を興し土地を取得することを主る。《海中占》にいう、金星が軫宿を侵犯するのは、将軍が乱を作しその国が兵事を興し臣下が君主を図謀しようとし歹人が貴人を図謀し皇后が死亡することを主る。別の説では距ること一尺で天下の大飢饉を主り期限は百八十日を出でず。巫咸がいう、金星が軫宿の中に入るのは、それが出る日を観察して推算し二十日を期として兵事の発動があろう。さらにそれが入り始めた位置に按じて比率を推算し一日が十日に対応し軍隊の罷散を主る。《黄帝占》にいう、金星が軫宿を侵犯し留守するのは、兵が西方に起きることを主る。郗萌がいう、金星が軫宿に出入して停留するのは(原書小注:軫宿の分野は楚国の官府・朝廷で金星は秦国の属する星)、金に属する秦の地の星が軫宿に行き到り客方の軍隊がまさに楚の地に打ち到り必ず君主の死亡があることを主る。
《黃帝占》曰:“太白守軫,將軍為亂,車騎出。”甘氏曰:“太白守軫,將軍有憂。”《海中占》曰:“太白守軫,兵車,四夷兵大起。”《南官候》曰:“太白守軫,兵大起,有亡地千里,恐有大喪。”又占曰:“太白守軫,兵謀欲起,人有代上之符;入軫中,兵起,國易政,及有自來侯王,受命於王者;男子有功,封爵之慶;士卒有遠征之役,諸侯應之;魏以位禪晉,時太白入軫中,及留度進過於午之間,二十餘日,晉代吳之二年,太白入軫。”
《黄帝占》にいう、金星が軫宿に留守するのは、将軍が乱を作し車馬・騎兵が出動することを主る。甘徳がいう、金星が軫宿に留守するのは、将軍に憂いがあることを主る。《海中占》にいう、金星が軫宿に留守するのは、兵車が出動し四方の夷族の兵事が大いに起きることを主る。《南官候》にいう、金星が軫宿に留守するのは、兵事が大いに起き千里の土地を喪失し恐らくまた大喪があることを主る。また一つの占辞にいう、金星が軫宿に留守するのは、兵を用いる図謀がまさに発動し人が君上に代わる符命を懐くことを主る。金星が軫宿の中に入るのは、兵が起き国家が政令を更改ししかも自ら行って来て帰附する侯王がおり王者から冊命を受け男子が功勲を建立し封爵の喜慶があり士卒に遠征の労役があり諸侯が兵を出して応ずることを主る。曹魏が帝位を晋に禅譲した時、金星はすなわち軫宿の中に入りしかも停留し行度が前進して午位の間に至り二十余日を歴した。晋朝が呉国に代わった前の二年に金星がまた軫宿に入った。
《荊州占》曰:“太白守軫,將軍有疾。”《玄冥占》曰:“太白入守軫中央,兵起,國易政,亡地千里;若有大喪,士卒有遠征之役,吳楚當受其兵,期二年。”郗萌曰:“太白起左角,逆行至軫,國亡地。”
《荊州占》にいう、金星が「軫宿」に停留して離れ去らないのは、兵を統べる将軍が病に患うことを主る。《玄冥占》にいう、金星が軫宿の正中に侵入し停駐するのは、兵戈が興起し国家が政令を更改し千里の疆土を喪失することを主る。あるいは国喪が発生し士卒が遠征の役を担い呉・楚一帯が真先にこの兵禍を承受し応験の期限は二年である。郗萌がいう、金星が「左角」——角宿の左の一星——から行き起こり逆行して軫宿に到達するのは、国家が土地を喪失することを主る。
開元占経 巻五十一・太白占七
太白の石氏中官を犯す
太白の摂提を犯す 一
《聖洽符》曰:“太白入犯攝提,兵起滿野,強臣謀主。若守衛臣有謀,期二年。”
《聖洽符》にいう、金星が「摂提」に侵入し冒犯するのは——摂提の六星は大角星の左右両側に分列し時節を建立し暦令を頒布する星官である——兵戈が四起して原野に遍き強横の臣子が君位を図謀することを主る。もし金星が摂提に停駐して離れ去らなければ宿衛の近臣が異図を心に懐き応験の期限は二年である。
太白の大角を犯す 二
郗萌曰:“太白守大角,兵大用,有國亡。”《荊州占》曰:“太白守大角,兵大動。”《文曜鉤》曰:“太白守犯大角,天下亂,大兵起,強臣謀主,若貴人被戮,期一年。”《海中占》曰:“太白犯守大角,臣謀主,有兵起,人主憂,王者戒慎左右;期不出百八十日,遠一年。”
郗萌がいう、金星が「大角」に停駐して去らないのは——大角の一星は摂提の間にあり天王の帝廷の座である——大規模に兵を用い国家の滅亡があろうことを主る。《荊州占》にいう、金星が大角に停駐するのは、兵事が大いに動くことを主る。《文曜鈎》にいう、金星が大角に停駐し冒犯するのは、天下の大乱と大軍の興起と強横の臣が君位を図謀しあるいは顕貴の人が殺戮に遭うことを主り応験の期限は一年である。《海中占》にいう、金星が大角を冒犯し停駐するのは、臣下が君主を謀害し兵事が興起し君主がこのため憂愁することを主り、王と為る者は身辺の近臣に対して格外に戒備して慎むべきである。応験の期限は近ければ百八十日を出でず遠ければ一年である。
太白の埂河を犯す 三
巫咸曰:“太白犯守梗河,國有謀兵,四夷兵起,來侵中國,邊境有憂。”
巫咸がいう、金星が「梗河」を冒犯し停駐するのは——梗河の三星は大角の北にあり胡人の兵馬と矛盾の類の兵器を主る。本条の標目は原書が「埂河」と作り通行本は「梗河」と作りここの引文と一致する——国中に兵を起こすことを謀劃する人があり四方の夷狄が兵を興し来て中原を侵擾し辺境地帯に憂患があろうことを主る。
太白の招摇を犯す 四
《聖洽符》曰:“太白犯招搖,邊兵大起,敵人為寇;若守之,敵兵敗,若其王死,期不出三年。”《荊州占》曰:“太白守招搖,旗幟起。”甘氏曰:“太白入守招搖。天下兵大起,非一國,遠夷為亂,欲侵中國,人主有憂,期一年。”
《聖洽符》にいう、金星が「招摇」を冒犯するのは——招摇の一星は北斗の杓端の外にあり梗河と同じく胡兵を主る——辺地の戦事が大いに起き敵人が入侵して寇と為すことを主る。もし金星がその上に停駐して去らなければ敵兵が敗績しあるいは敵国の君王が身を死し応験の期限は三年を出でず。《荊州占》にいう、金星が招摇に停駐するのは、旌旗が竪立し軍隊が開拔することを主る。甘氏がいう、金星が招摇に入り停駐するのは、天下が大規模に兵を興ししかも一国だけでなく遠方の夷狄が乱を作し中原を侵犯しようと企み君主がこのため憂慮することを主り応験の期限は一年である。
太白の玄戈を犯す 五
《聖洽符》曰:“太白犯守玄戈,為邊兵大起,敵人為寇;若守之,敵人敗;若其王死,期不出二年。”
《聖洽符》にいう、金星が「玄戈」を冒犯し停駐するのは——玄戈の一星は招摇の北にあり兵戈に義を取り同じく辺兵を主る——辺地が大規模に兵を興し敵人が入侵して劫掠することを主る。もし金星が久しく留まって去らなければ敵方が戦敗しあるいは敵国の王が身を死し応験の期限は二年を出でず。
太白の天槍を犯す 六
巫咸曰:“太白犯守天槍,邊兵起,槍大用,防戍有憂;若誅邊臣,期不出年。”
巫咸がいう、金星が「天槍」を冒犯し停駐するのは——天槍の三星は北斗の魁の北面にあり長槍の類の兵器を象徴する——辺地が兵を興し槍矛が大量に使用に投入され戍辺の防務に憂患があろうことを主る。あるいは辺地の臣将が誅戮に遭い応験の期限は一年を出でず。
太白の天棓を犯す 七
巫咸曰:“太白犯守天棓,邊夷起,機棓大用,防戍有憂;若誅邊臣,期不出年。”
巫咸がいう、金星が「天棓」を冒犯し停駐するのは——天棓の五星は女床の北にあり棓はすなわち棍棒の類の兵器である——辺地の夷狄が事を起こし弩機・棍棒などの器械が大量に動用され戍守の辺防に憂患があろうことを主る。あるいは辺地の臣将が誅され応験の期限は一年を出でず。
太白の女床を犯す 八
《荊州占》曰:“太白犯女床,凶;若守女床,宮有變害;若被誅。”甘氏曰:“太白守犯女床,兵起宮中,若后有誅,期百八十日,遠一年。”
《荊州占》にいう、金星が「女床」を冒犯するのは——女床の三星は紀星の東側にあり後宮の嬪妃・御女を主る——凶を主る。もし金星が女床に停駐して去らなければ宮中に変故の禍害があろう。あるいは人がこれにより誅殺される。甘氏がいう、金星が女床に停駐し冒犯するのは、兵変が宮廷の内に発生しあるいは皇后の一党が誅戮に遭うことを主り応験の期限は百八十日で遠ければ一年である。
太白の七公を犯す 九
石氏曰:“太白犯七公,群臣有誅。”《黃帝占》曰:“太白守七公,為飢;君不安。”石氏曰:“太白犯守七公,輔臣有誅,議臣相疑;若有誅者,人主有憂。”甘氏曰:“太白犯守七公,兵革大起,大臣有誅;若有戮死者,期不出年。”
石氏がいう、金星が「七公」を冒犯するのは——七公の七星は招摇の東にあり天子の三公・宰輔を象徴し政事を議論する官である——群臣の中に誅される人があることを主る。《黄帝占》にいう、金星が七公に停駐するのは、飢饉を主り君主が安寧を得ない。石氏がいう、金星が七公を冒犯し停駐するのは、輔政の大臣が誅され朝政を参議する臣子が彼此に猜疑することを主る。もし果たして誅される人があれば君主もまたこのため憂愁しよう。甘氏がいう、金星が七公を冒犯し停駐するのは、兵戈が大いに起き大臣の中に誅される人があることを主る。もし殺され身を死する人が現れれば応験の期限は一年を出でず。
太白の貫索を犯す 十
巫咸曰:“太白犯守貴索,天下亂,兵起,多有獄事,貴人有死者。”石氏曰:“太白入貫索中,犯乘守,以獄為亂。”《玄冥占》曰:“太白犯守天牢,以獄起兵,大人憂。”
巫咸がいう、金星が「貴索」を冒犯し停駐するのは——ここの「貴索」はすなわち本条の標目の称する「貫索」で貫索の九星は形が連環のようで天上の牢獄である——天下の大乱と兵禍の興起と訟獄の事の頻繁と顕貴の人の中に死亡する者があることを主る。石氏がいう、金星が貫索の中に入りあるいは冒犯・凌乗・停駐してその間にあらば、刑獄が冤濫なために禍乱を釀成することを主る。《玄冥占》にいう、金星が「天牢」を冒犯し停駐するのは、獄訟によって兵事を引き起こし上位に居る大人物がこれを憂えることを主る。
太白の天紀を犯す 十一
《荊州占》曰:“太白守天紀,有兵亂。”石氏曰:“太白守天紀,倖臣執權,有兵起,王者有憂;若犯守,大臣為亂,兵起宮中;若有大旱之災,人民大飢。”
《荊州占》にいう、金星が「天紀」に停駐するのは——天紀の九星は貫索の東にあり綱紀・法度を主り万物の是非を判理する——兵乱があることを主る。石氏がいう、金星が天紀に停駐するのは、寵幸を受ける近臣が権柄を把持し兵事が興起し王と為る者に憂患があろうことを主る。もし金星が冒犯しかつ停駐すれば大臣が乱を作し兵変が宮禁の中に起きる。あるいは大旱の災が発生し百姓が厳重な飢饉に陥る。
太白の織女を犯す 十二
巫咸曰:“太白守織女,后有誅者。”《黃帝占》曰:“太白犯守織女,天下有女憂,有兵起,不出其年。”
巫咸がいう、金星が「織女」に停駐するのは——織女の三星は天紀の東にあり天帝の女で瓜果・絲帛と珍宝を主る——皇后の一系に誅される人があることを主る。《黄帝占》にいう、金星が織女を冒犯し停駐するのは、天下の女子に憂患があろうことを主りしかも兵事が興起し応験はその年を出でず。
太白の天市垣を犯す 十三
《海中占》曰:“太白入天市,國有謀兵,將相有戮死者,期百八十日。”郗萌曰:“太白入天市中,五官有憂;一曰將有憂;一曰大臣戮,若糴貴。”《文曜鉤》曰:“太白入居守天市中,驚國,有謀兵,鐵鉞用,後大起,期不出三年。”巫咸曰:“太白入天市而守之,相坐之,有兵起,貴人有憂;若誅,期二年。”郗萌曰:“太白入,若守天市,諸侯貴人,必有戮者;一曰更幣。”
《海中占》にいう、金星が「天市垣」に入るのは——天市垣の二十二星は環列して墻のようで天子が諸侯を聚集し貨貿を通行する都市で権衡と交易を主る——国中に兵を起こすことを謀劃する人があり将相の中に殺され身を死する人があることを主り応験の期限は百八十日である。郗萌がいう、金星が天市垣の中に入るのは、五官の職に居る人に憂いがあることを主る。別の説では将帥に憂いがある。さらに別の説では大臣が殺されるかあるいは糧価が騰貴する。《文曜鈎》にいう、金星が天市垣の中に入り停居するのは、国を挙げて震驚し人が兵を興すことを図謀し斧鉞・刑殺が頻々と施され此の後大乱が興起することを主り応験の期限は三年を出でず。巫咸がいう、金星が天市垣に入りその中に停留するのは、宰相がこのため罪を得て連坐し兵禍が興起し顕貴の人が憂懼することを主る。もし誅されるに至れば応験の期限は二年である。郗萌がいう、金星が天市垣に入りあるいは停駐するのは、諸侯・貴人の中に必ず殺される者があることを主る。別の説では銭幣の制度を更改しようとする。
太白の帝座を犯す 十四
《海中占》曰:“太白犯帝座,大臣為亂,強臣謀主,有兵;期不出年。”石氏曰:“太白犯帝座,有逆亂事。”
《海中占》にいう、金星が「帝座」を冒犯するのは——帝座の一星は天市垣の正中に居り天帝の坐する位である——大臣が乱を作し強横の臣が君主を図謀ししかも兵事があることを主る。応験の期限は一年を出でず。石氏がいう、金星が帝座を冒犯するのは、叛逆して乱を作す事が発生することを主る。
太白の候星を犯す 十五
石氏曰:“太白犯守候星,諸侯起兵,有千里之行,政令急,民多苦。”《海中占》曰:“太白犯守候星,陰陽不和,五穀傷,人民大飢,有兵起。”
石氏がいう、金星が「候星」を冒犯し停駐するのは——候の一星は帝座の東北にあり職は陰陽を伺察し雲気を观望することにある——諸侯が兵を起こし千里の遠征の役があり政令が苛急で百姓が多く困苦を受けることを主る。《海中占》にいう、金星が候星を冒犯し停駐するのは、陰陽が失調し五穀が損を受け百姓が大飢饉に陥りしかも兵事が興起することを主る。
太白の宦者を犯す 十六
石氏曰:“太白守宦者,凶。”甘氏曰:“太白犯宦者,左右輔臣有謀,若戮死,期不出年。”
石氏がいう、金星が「宦者」に停駐するのは——宦者の四星は帝座の西南にあり宮禁に侍奉する内臣である——凶を主る。甘氏がいう、金星が宦者星を冒犯するのは、君主の身辺の輔弼の臣が暗中に図謀しあるいは殺戮に遭って死ぬことを主り応験の期限は一年を出でず。
太白の斗星を犯す 十七
石氏曰:“太白守斗星者,凶。”
石氏がいう、金星が「斗星」に停駐して離れ去らないのは——この斗は天市垣の内の斗五星を指し軽重を称量し量器を平準することを主り北斗・南斗と区別がある——凶险の象である。
太白の宗正を犯す 十八
石氏曰:“太白守宗正,左右群臣多死者;若更政令,人主有憂。”
石氏がいう、金星が「宗正」に停駐するのは——宗正の二星は帝座の東南にあり宗室の事務を掌管する官である——君主の左右の群臣に死亡が多いことを主る。あるいは政令が頻繁に変更し君主がこのため憂愁する。
太白の宗人を犯す 十九
石氏曰:“太白犯宗人,親族貴人憂,若有死者;一曰主親有離絕。”
石氏がいう、金星が「宗人」を冒犯するのは——宗人の四星は宗正の東にあり宗室の礼儀と親疏の次序を掌管する——皇親・宗族の中の貴人が憂懼しあるいはその中に死亡する人があることを主る。別の説では君主の親属の間に乖離・決裂して往来を断絶する事があろう。
太白の宗星を犯す 二十
甘氏曰:“太白犯守宗星,宗室之臣,有分離者。”《玄冥占》曰:“太白觸抵宗星,倖臣有誅者,期二年。”
甘氏がいう、金星が「宗星」を冒犯し停駐するのは——宗の二星は候星の東にあり宗室の支属を象徴する——宗室の出の臣子の中に分離・疏遠される人があることを主る。《玄冥占》にいう、金星が宗星に触撞し抵犯するのは、寵を受ける近臣の中に誅される人があることを主り応験の期限は二年である。
太白の東咸・西咸を犯す 二十一
石氏曰:“太白守東西咸,女主憂誅,若貴女有戮死,期二年。”《荊州占》曰:“太白守東西咸,憂兵起。”石氏曰:“太白守犯東西咸者,為臣不從令,有陰私。”
石氏がいう、金星が「東咸」「西咸」に停駐するのは——東咸・西咸は各四星で房宿の上に夾処し淫佚を防閑する門戸である——女主が憂懼して誅されあるいは身分の尊貴な女子が殺され身を死することを主り応験の期限は二年である。《荊州占》にいう、金星が東咸・西咸に停駐するのは、兵事の興起を憂えることを主る。石氏がいう、金星が東咸・西咸に停駐し冒犯するのは、臣下が君命を奉行せず暗中に別の隠私の勾当があることを主る。
太白の天江を犯す 二十二
陳卓曰:“太白守天江,暴水為害,不出其年。”巫氏曰:“太白犯守天江,天下有水;若入之,水齊城郭,人飢亡,去其鄉。”(《宋書天文志》:晉穆帝永和十一年八月巳未,太白犯天江,占曰:河津不通,昇平元年,慕容遂臨漳有幽並青冀之地,緣河諸將漸奔散,津河隔絕矣。)
陳卓がいう、金星が「天江」に停駐するのは——天江の四星は尾宿の北にあり江河と津渡を主る——暴漲の洪水が災を成すことを主り応験はその年を出でず。巫氏がいう、金星が天江を冒犯し停駐するのは、天下に水患が発生することを主る。もし金星が天江の中に侵入すれば大水が城郭と斉しくなり百姓が飢饉のために流亡し止むを得ず故郷を離れる。原書小注が《宋書・天文志》を引く——晋の穆帝永和十一年八月巳未日に金星が天江を冒犯し占辞に黄河の津渡が通じなくなろうといい、升平元年に至って慕容氏が臨漳を拠有し幽・并・青・冀の諸州の地を占取し黄河に沿って布防する各路の将領が相ついで潰散・奔逃し黄河の津渡はこれより断絶した。
太白の建星を犯す 二十三
陳卓曰:“太白犯建星,大臣相譖。”郗萌曰:“太白入建星,外國使來見主;出建星,主遣使至國,期皆三十日。”《黃帝占》曰:“太白守建星,滿二十日,必大赦。”巫咸曰:“太白入建星,若守之,兵起,關道不通;若有外國使來者,期一年。”
陳卓がいう、金星が「建星」を冒犯するのは——建星の六星は南斗の北にあり天上の都関で旗鼓と門戸を象徴する——大臣の間が互いに讒毀することを主る。郗萌がいう、金星が建星に入るのは、外国の使者が来て君主を朝見することを主る。金星が建星を離れるのは、君主が使者を派遣して他国に出使させることで、二つの状況の応験の期限はみな三十日である。《黄帝占》にいう、金星が建星に停駐して二十日に満てば必ず大赦を頒行する。巫咸がいう、金星が建星に入りあるいはその中に停駐するのは、兵事が興起し関隘・道路が阻断して通じないことを主る。あるいは外国の使者が到来し応験の期限は一年である。
太白の天弁を犯す 二十四
甘氏曰:“太白犯天弁,若守之,則囚徒兵起;一曰五穀不成,糴大貴,人民飢。”
甘氏がいう、金星が「天弁」を冒犯するのは——天弁の九星は建星の北にあり集市を掌管する官吏の戴く弁冕で市肆の交易を主る——あるいは進んでその中に停駐すれば囚徒が暴動し兵禍が興起することを主る。別の説では五穀が欠収し糧を籴う価格が暴騰し百姓が飢荒に陥る。
太白の河鼓を犯す 二十五
《黃帝占》曰:“太白犯河鼓,大將若左右將有誅者,若有罪,以五色占之。”石氏曰:“太白入河鼓,兵大起,大將出;若守之,所犯之將誅,期二年。”郗萌曰:“太白守河鼓,兵起,期六十日。”
《黄帝占》にいう、金星が「河鼓」を冒犯するのは——河鼓の三星は牽牛の北にあり中央の大星は大将軍で左右の両星はそれぞれ左将・右将である——大将あるいは左右の将領の中に誅される人がありあるいは罪を得る人があり、究竟いずれの人に応ずるかは金星の呈する五色に按じて推断すべきことを主る。石氏がいう、金星が河鼓に入るのは、大規模に兵を興し主将が出征することを主る。もし金星が停駐して去らなければ冒犯されたその将領が誅殺され応験の期限は二年である。郗萌がいう、金星が河鼓に停駐するのは、兵事が興起することを主り応験の期限は六十日である。
太白の離珠を犯す 二十六
石氏曰:“太白犯離珠,宮中有事;若有亂宮者,宮人有罪黜者。”巫咸曰:“太白犯離珠。有兵起,後宮凶,女主有憂。”
石氏がいう、金星が「離珠」を冒犯するのは——離珠の五星は須女の北にあり女主の用いる珠玉の飾物である——宮中に事が出ることを主る。あるいは人が宮闈を淫乱し宮人の中に罪によって貶黜される者がある。巫咸がいう、金星が離珠を冒犯するのは、兵事が興起し後宮が凶に遭い女主がこれを憂えることを主る。
太白の匏瓜を犯す 二十七
《玄冥占》曰:“太白守匏瓜,人主誅邑族;若有兵;一曰王者以果賜諸侯。”《聖洽符》曰:“太白犯守匏瓜,天下有憂;若有遊兵,名果貴;一曰魚鹽貴,價十倍,不出其年。”
《玄冥占》にいう、金星が「匏瓜」に停駐するのは——匏瓜の五星は離珠の北にあり後宮の進める果実・菜蔬を主る——君主が采邑の族を誅戮することを主る。あるいは兵事がある。別の説では王者が珍果を諸侯に賞賜しようとする。《聖洽符》にいう、金星が匏瓜を冒犯し停駐するのは、天下に憂いがあることを主る。あるいは流竄して劫掠する散兵が現れ名貴の果品の価格が上揚する。別の説では魚と鹽が値上がりし価銭が十倍に高出し応験はその年を出でず。
太白の天津を犯す 二十八
《海中占》曰:“太白犯天津,關道絕不通,有兵起;若關吏憂。”《文曜鉤》曰:“太白入天津,兵起大亂,以其所近,四方中央,死而葬,易政立王。”齊伯曰:“太白守天津,兵起,有亡國,期一年,遠二年。”石氏曰:“太白有赤芒,而守天津三十日,關道不度,人主有憂,若諸侯。”
《海中占》にいう、金星が「天津」を冒犯するのは——天津の九星は銀河を横跨し水を渡る津梁・橋渡である——関隘・道路が断絶して通じず兵禍が興起することを主る。あるいは関津を掌る官吏に憂いがある。《文曜鈎》にいう、金星が天津に入るのは、兵を興して大乱しそれが靠近する星位が四方に属するか中央に属するかに按じて禍事がいずれの地に応ずるかを推断しその間に死亡と喪葬がありしかも政権を改易し別に君王を立てることを主る。斉伯がいう、金星が天津に停駐するのは、兵事が興起し国家の滅亡があろうことを主り応験の期限は一年で遠ければ二年である。石氏がいう、金星が赤色の芒角を帯びて天津に停駐して三十日に長く及ぶのは、関隘・渡口が通行を得ず君主に憂いがありあるいは諸侯の身に応ずることを主る。
太白の螣蛇を犯す 二十九
甘氏曰:“太白守螣蛇,天子前螣凶,奸臣有謀,前螣為害。”《玄冥占》曰:“太白守螣蛇,諸侯若先螣者;一曰以水為災,水物不成。”
甘氏がいう、金星が「螣蛇」に停駐するのは——螣蛇の二十二星は営室の北にあり水中の飛ぶ能くする神蛇である——天子の座前の螣蛇の位が凶を呈し奸臣が暗中に図謀し前螣の位が害を為すことを主る。《玄冥占》にいう、金星が螣蛇に停駐するのは、諸侯の中に先んじて事を興す人があることを主る。別の説では大水が災を成し水中の産する物が成熟しない。
太白の王良を犯す 三十
《帝覽嬉》:“太白入王良,人主以車為弊,馬多死,關津不通,國有憂。”石氏曰:“太白守王良,為兵。”《海中占》曰:“太白守王良,三十日,大將亡;一曰主將皆大亡,兵起,車騎行,期百八十日,遠一年。”郗萌曰:“太白守天馬,天子馬多死者。”齊伯曰:“太白犯守王良,天下有兵,諸侯相恐,強臣謀主,期不出年。”
《帝覧嬉》にいう、金星が「王良」に入るのは——王良の五星は奎宿の北にあり王良は古の御に善い能手でその中の四星は天馬で一星は策鞭である——君主が車駕によって損を受け馬匹が大量に死亡し関隘・津渡が通じず国家に憂いがあることを主る。石氏がいう、金星が王良に停駐するのは、兵事を主る。《海中占》にいう、金星が王良に停駐して三十日に達するのは、大将の死亡を主る。別の説では君主と将帥がともに大喪に遭い兵事が興起し車馬・騎兵が出動し応験の期限は百八十日で遠ければ一年である。郗萌がいう、金星が「天馬」に停駐するのは、天子の馬匹に死亡が多いことを主る。斉伯がいう、金星が王良を冒犯し停駐するのは、天下に兵があり諸侯が彼此に驚恐し強横の臣が君主を図謀することを主り応験の期限は一年を出でず。
太白の積水を犯す 四十一
巫咸曰:“太白犯守積水,其國有水災,水物不成,魚鹽貴;一曰以水為敗,糴大貴,人民飢,期二年。”
巫咸がいう、金星が「積水」を冒犯し停駐するのは——積水の一星は北河の西北にあり水を蓄えて祭祀の酒醴の用に供することを主る——その分野の国に水災が発生し水中の産する物が成熟せず魚と鹽の価格が昂貴であることを主る。別の説では水によって敗を致し糧価が暴騰し百姓が飢饉し応験の期限は二年である。本巻の標目の序號は「三十」から直ちに「四十一」に接する。原書がこのようで中間に脱条はない。
太白の積薪を犯す 四十二
甘氏曰:“太白犯守積薪,天下大旱,五穀不登,人民飢亡。”
甘氏がいう、金星が「積薪」を冒犯し停駐するのは——積薪の一星は積水の東にあり炊爨の用に供する柴薪を主る——天下の大旱と五穀の欠収と百姓の飢餓・流亡を主る。
太白の水位を犯す 四十三
甘氏曰:“太白犯守水位,天下以水為害,津關不通;一曰大水入城郭,傷人民,期不出二年。”
甘氏がいう、金星が「水位」を冒犯し停駐するのは——水位の四星は東井の東にあり水衡の政を主る——天下が水患を受け津渡・関隘が通じないことを主る。別の説では洪水が城郭に灌入し百姓を傷害し応験の期限は二年を出でず。
太白の軒轅を犯す 四十四
《荊州占》曰:“太白犯軒轅,女御;天子僕死。”《文曜鉤》曰:“太白入軒轅,四猾起。”石氏曰:“太白入軒轅中,犯乘之,有逆賊,若火災。”《黃帝占》曰:“太白出東陵,必有白龍出左右宮;若行軒轅中,犯女主,女主失勢,憂喪也;列大夫有放逐者,五官有不治者;色悴為憂,為疾,其所中犯乘守者誅,若有罪。”
《荊州占》にいう、金星が「軒轅」を冒犯するのは——軒轅の十七星は七星の北にあり形が黄龍の体のようで后妃の主でありその中の大星はすなわち女主の皇后である——女御の属に応ずることを主る。天子の僕御の官が死亡する。《文曜鈎》にいう、金星が軒轅に入るのは、四方の奸猾の徒が事を起こすことを主る。石氏がいう、金星が軒轅の中に入りしかもその星を冒犯・凌乗するのは、叛逆の賊人がありあるいは火災が発生することを主る。《黄帝占》にいう、金星が「東陵」——東方の陵位——から出れば必ず白色の龍気が左右の宮から涌出する。もし金星が軒轅の中を行経して女主の星を沖犯すれば女主は勢権を失い憂愁と喪事があろう。列位の大夫の中に放逐される者があり五官の職に居る者に職を失い事を理しない者がある。金星の色沢が枯憔ならば憂を主り疾病を主り、それに射中され冒犯され凌乗され停駐されたその星に対応する人が誅されあるいは罪を得る。
《荊州占》曰:“太白行軒轅端,貫出其中而東,大臣出令。”石氏曰:“太白在軒轅中,有以女請人君者。”《黃帝占》曰:“太白中女主,女主當之;其守犯女主,女主有憂。”(《宋書天又志》曰:魏青龍四年七月七日甲寅,太白犯軒轅大星,景初元年,皇后毛氏崩,晉成帝咸康六年六月七日,太白犯軒轅大星,七年三月皇后杜氏崩。安帝義熙六年八月壬午,太白犯軒轅大星,七年八月,皇后王氏崩。宋文帝元嘉十六年八月朔,日犯軒轅,明年皇后袁氏崩。)
《荊州占》にいう、金星が軒轅の端首に行き到りその中を貫穿して再び東に行き出るのは、大臣が権を越えて号令を発することを主る。石氏がいう、金星が軒轅の中に停まるのは、人が女子をもって君主に請託する者があることを主る。《黄帝占》にいう、金星が女主の星を射中すれば応験はすなわち女主の身に落ちる。金星が女主の星を停駐し冒犯すれば女主に憂いがある。原書小注が《宋書・天文志》を引く——原書の「天又志」は「天文志」の訛——魏の青龍四年七月七日甲寅に金星が軒轅の大星を冒犯し景初元年に至って皇后毛氏が去世し、晋の成帝咸康六年六月七日に金星が軒轅の大星を冒犯し七年三月に皇后杜氏が去世し、晋の安帝義熙六年八月壬午に金星が軒轅の大星を冒犯し七年八月に皇后王氏が去世し、宋の文帝元嘉十六年八月初一に太陽が軒轅を冒犯し第二年に皇后袁氏が去世した。
《聖洽符》曰:“太白守軒轅,兵大起,憂宮中;若有女喪,各以其所犯占之,期一年。”《帝覽嬉》曰:“太白守軒轅大星,若環繞之,皇后有急,若憂誅;一曰天下易王,女主有殃。”《荊州占》曰:“太白守軒轅、女御有誅者。”巫咸曰:“太白行犯守軒轅,女主失政,若失勢;一曰大臣當之,若有黜者,期二年。”
《聖洽符》にいう、金星が軒轅に停駐するのは、大規模に兵を興し憂患が宮中に出ることを主る。あるいは女子の喪事が発生し各々金星の冒犯する具体的な星位に按じていずれの人に応ずるかを推断し応験の期限は一年である。《帝覧嬉》にいう、金星が軒轅の大星に停駐しあるいはそれを繞って盤桓・回環するのは、皇后に急難がありあるいは憂懼して誅されることを主る。別の説では天下が君王を改易し女主が殃に遭う。《荊州占》にいう、金星が軒轅に停駐するのは、女御の類の宮嬪の中に誅される者があることを主る。巫咸がいう、金星が軒轅を行経し冒犯し停駐するのは、女主が干政の権を喪失しあるいは勢位を失うことを主る。別の説では大臣の身に応じあるいは罷黜される者があり応験の期限は二年である。
(司馬彪《天文志》曰:光武建武九年七月乙卯,金星犯軒轅大星,十月己丑,又犯之。軒轅者,後宮之官,大星者,後宮之皇后,金犯之,為失勢。是時郭后已失勢見踈,後廢為中山太后。孝和元年四月乙酉,金星犯軒轅東北二尺,四年,寶氏被誅,太后失勢。孝垣永壽二年八月戊午,太白犯軒轅大星,為皇后,後二年四月,懿獻後以憂死。)《荊州占》曰:“太白中犯,守軒轅左角,為大臣當之。”
原書小注が司馬彪《天文志》すなわち《続漢書・天文志》を引く——漢の光武帝建武九年七月乙卯に金星が軒轅の大星を冒犯し十月己丑にまた一たび冒犯した。軒轅は後宮の官を主りその中の大星はすなわち後宮の皇后で金星がそれを冒犯するのは皇后が勢いを失うことを主る。当時郭皇后はすでに寵を失い疏遠され後に廃居して中山王太后と為った。漢の和帝元年四月乙酉に金星が軒轅の東北二尺の処を侵犯し第四年に竇氏の一族が誅され太后が勢権を失った——原書の「宝氏」は「竇氏」の訛。漢の桓帝永寿二年八月戊午に金星が軒轅の大星を冒犯しこの星は皇后を主り二年後の四月に懿献皇后が憂憤によって死んだ——原書の「孝垣」は「孝桓」の訛。《荊州占》にいう、金星が軒轅の左角を射中し冒犯し停駐するのは、大臣の身に応ずることを主る。
太白の少微を犯す 四十五
石氏曰:“太白入少微,君當求賢佐;不求賢佐,則失奪勢。太白犯守少微,名士有憂;王者任用小人,忠臣被害,有死者。”《黃帝占》曰:“太白入中犯乘少微,為宰相易,女主有憂。”石氏曰:“太白入中犯乘守少微,為五官亂,宰相憂。”
石氏がいう、金星が「少微」に入るのは——少微の四星は太微垣の西にあり処士・議士と博士の位で賢才を薦挙することを主る——君主は賢能の輔佐を訪求すべきことを主る。もし賢を求めなければ勢権を喪失し人に位を奪われる。金星が少微を冒犯し停駐するのは、名望の士人が憂に遭うことを主る。王と為る者が小人を任用すれば忠臣が害を受け甚だしきは人がこのため命を喪う。《黄帝占》にいう、金星が少微の中に入りその星を冒犯・凌乗するのは、宰相が更換し女主に憂いがあることを主る。石氏がいう、金星が少微の中に入り冒犯・凌乗しその間に停駐するのは、五官の職が紊乱し宰相に憂いがあることを主る。
太白の太微を犯す 四十六
《春秋緯》:“太白犯太微,主受期命奪號,滅沖為期。”(《宋書天文志》曰:晉熙帝建武元年六月丁卯,太白犯太微,占曰:王者惡之。七月熙帝崩於寇廷也。)《帝賢嬉》曰:太白行犯太微左右執法。為大臣有憂。”(司馬彪《天文志》曰:孝安元初元年閏月已未,太白犯太微左執法,建光元年五月,太后兄車騎將軍隲等七侯皆免官自殺。《宋書天文志》曰:晉成帝咸康四年九月,太白犯左執法。五年七月庚申,丞相王導薨。安帝義熙六年九月甲寅,太白犯左執法。八年九月,兗州刺史劉蕃,尚書僕射琨夥誅也。)
《春秋緯》にいう、金星が「太微」を冒犯するのは——太微垣の十星は東西の両蕃に分列し天子の南宮朝廷・五帝の座・十二諸侯の府である——君主が既定の期限内に名號を奪去されることを主り応験の期は対沖の位が沖滅するときをもって推定する。原書小注が《宋書・天文志》を引く——晋の熙帝建武元年六月丁卯に金星が太微を冒犯し占辞に王と為る者の忌悪するところといい、その年七月に熙帝が寇廷で死んだ——「熙帝」は当に「恵帝」の訛であるべし。《帝賢嬉》——すなわち前文に屢々引く《帝覧嬉》——にいう、金星が太微垣の左執法・右執法の二星を行経し冒犯するのは、大臣に憂いがあることを主る。原書小注が司馬彪《天文志》を引く——漢の安帝元初元年閏月已未日に金星が太微の左執法を冒犯し建光元年五月に至って太后の兄の車騎将軍鄧騭ら七位列侯がみな官を免ぜられ自殺した。また引く《宋書・天文志》——晋の成帝咸康四年九月に金星が左執法を冒犯し第五年七月庚申に丞相王導が去世し、晋の安帝義熙六年九月甲寅に金星が左執法を冒犯し八年九月に至って兗州刺史劉藩・尚書僕射謝混がともに誅された——原書の「劉蕃」「琨伙」はみな形近の訛である。
石氏曰:“太白入太微庭,所中犯乘守者,為天子所誅;若有罪,太白犯左右執法,左右執法者誅;若有罪。”郗萌曰:“太白犯天府,庭臣為亂。”《荊州占》曰:“太白道,從太微西蕃北南方星間入,到南蕃東方星間南出,道也;中西蕃直坐入者,非道也。太白以庚子日順入太微天庭中,天子所使也;不以庚子日,非天子使。太白入太微軌道,吉;軌道者,入西門,出東門,若左右掖門,行不留也;不軌道者,謂有所犯守也。”
石氏がいう、金星が太微の宮庭に入り、およそそれに射中され冒犯され凌乗され停駐されたその星は、その主るところの人が便ち天子に誅殺されあるいは罪を得る。金星が左執法・右執法を冒犯すれば、左右執法の職を任じる大臣が誅されあるいは罪を得る。郗萌がいう、金星が「天府」を冒犯するのは、朝廷の臣が乱を作すことを主る。《荊州占》にいう、金星の運行の常道は太微垣の西蕃の偏北の南方の諸星の間から入り、南蕃の東方の諸星の間に行き到って南に穿出することで、これを「道」を走ると呼ぶ。もし西蕃の正中から帝座に対して直ちに闖入すれば常道ではない。金星が庚子の日に順行して太微の天庭の中に入るのは、天子の派遣したところである。庚子の日に入らなければ天子の使者ではない。金星が太微に入り軌道に循うのは吉。いわゆる軌道に循うとは西門から入り東門から出るかあるいは左右の掖門から出入し一路行き去り滞留しないことをいう。いわゆる軌道に循わないとは垣内の諸星に冒犯する所有り停駐する所有ることをいう。
郗萌曰:“太白當太微門,為受制;當在左執法,受事左右執法;守太微門三日以下,為受制;三日以上,為兵、為賊、為亂、為飢。”石氏曰:“太白出東掖門,為相受命;東南出,德事也;出西掖門,為將受命;西南出,刑事也;期以春夏。太白入太微,出左掖門,大將軍出,東南伐;出右掖門,大將軍出,西南伐;皆不出其年。”
郗萌がいう、金星が太微垣の門口に正対するのは、君命を承受することを主る。左執法の位に正対すれば左右執法から政事を領受する。金星が太微門に停駐して三日以内ならば君命を承受することを主る。三日を超えれば兵禍を主り盗賊を主り動乱を主り飢饉を主る。石氏がいう、金星が東掖門から出るのは、宰相が任命を領受することを主る。もし東南方に偏って出れば主るところは徳を布き恵を施す事である。金星が西掖門から出るのは、将帥が任命を領受することを主る。もし西南方に偏って出れば主るところは刑殺の事で応験の時令は春夏である。金星が太微に入り左掖門から出るのは、大将軍が師を出し東南に向かって征伐することを主る。右掖門から出るのは、大将軍が師を出し西南に向かって征伐することを主る。二つの状況はともにその年の内に応験する。
《黃帝占》曰:“太白入天庭,色白潤澤,為期百八十日,有赦。”《帝覽嬉》曰:“太白入太微,而出端門;臣不臣。”《洛書》曰:“太白入左右掖門,出太陽東門,強臣暴誅;若入端門,庭守十日,臣欲害君,期不十日。”《春秋圖》曰:“太白入西華門,出東華門,大臣作亂,謀其主;若諸侯不從王命,期百八十日,若一年。”
《黄帝占》にいう、金星が天庭に入り色が潔白にして光潤ならば、百八十日を期としてその間に赦令があろう。《帝覧嬉》にいう、金星が太微に入りまた端門——太微垣の南面の両執法の間の正門——から穿出するのは、臣子が臣道を守らないことを主る。《洛書》にいう、金星が左右の掖門から入り太陽の東門から出るのは、強横の臣が驟に誅戮されることを主る。もし端門から入り庭中に十日停駐すれば臣下に君主を加害する心があり応験の期限は十日に及ばない。《春秋図》にいう、金星が西華門から入り東華門から出るのは、大臣が乱を作し君主を加害しようと図謀することを主る。あるいは諸侯が王命に服従せず応験の期限は百八十日あるいは一年である。
石氏曰:“太白入太微庭,中華東西門,若左掖門,而南出端門者,為必有反臣。太白入西出東門,皆為人君不安,欲求賢佐;有入中西華門,出中華東門,為臣有不令;有入太陰西門,出太陰東門,皆為天下大亂,有喪,若大水。”甘氏曰:“太白入太陰西門,出東門,天下大亂,主死,破宮;若有大水,期一年。”
石氏がいう、金星が太微の宮庭に入り中華東門・中華西門を経過しあるいは左掖門を経過し再び南に向かって端門から穿出するのは、必ず反逆の臣があることを主る。金星が西辺から入り東門から出るのは、みな君主が安寧を得ず賢能の輔佐を訪求しようとすることを主る。中華西門から入り中華東門から出るものがあるのは、臣下が号令を遵わないことを主る。太陰西門から入り太陰東門から出るものがあるのは、みな天下の大乱を主り喪事がありあるいは洪水が発生する。甘氏がいう、金星が太陰西門から入り東門から出るのは、天下の大乱と君主の身死と宮室の破敗を主る。あるいは大水が発生し応験の期限は一年である。
(司馬彪《天文志》曰:王莽地皇四年秋,太白在太微中,燭地如月光,太白為兵,太微為天庭,太白贏而北入太微,是兵將天子庭也。是時王莽遣二公之兵至昆陽,已為光武所破,莽又拜九人為將軍,至華陰,皆為漢將劉畢李崧所破,進攻京師,十月戊申,漢兵自宣平城門入,二月己酉,城中少年子弟數千人起兵攻莽,商人杜昊殺莽漸臺之上,校尉公寶斬莽首,大兵蹈公庭之中,仍以更始入長安,居前殿,皆以火入宮庭者。)
原書小注が司馬彪《天文志》を引く——王莽の地皇四年秋に金星が太微垣の中に停まり地を照らして月色のように明るかった。金星は兵戈を主り太微垣は天子の宮庭で金星の行度が超前して偏北して太微に入るのは、兵禍がまさに天子の宮庭に攻め入ろうとする兆である。当時王莽は両位の大司の軍隊を派出して昆陽に開かせたがすでに光武帝劉秀に撃破され、王莽はまた九人を拝任して将軍と為し華陰に進んだが全て漢将の劉畢・李崧に撃破され、漢軍は随いて京師に進攻した。十月戊申日に漢兵が宣平城門から攻め入り、二月己酉日に城中の少年子弟数千人が起兵して王莽を攻打し、商人杜昊が漸台の上で王莽を殺し、校尉公宝がその首級を砍り、大軍が公庭の中に踏み入った。随いて更始帝が長安に入り未央宮の前殿に住んだ——これらはみな兵火が宮庭に攻め入る占辞に応じたものである。
郗萌曰:“太白入太微西門,犯天庭,出端門,為大臣伐主;入西門,而折出右掖門,為大臣假主之威,而不從主命;太白入西華門,出端門東門,詐稱詔。太白入太微西門,若入端門,出東門,為貴者奪勢。太白入太微中,臣相殺,國有憂。”《荊州占》曰:“太白主西方北方,入太微西南陽星之南,為西方;入二星之北,為北方;皆臣殺主之候也。犯帝座星,臣勝;不犯、不勝;視其所止留之宿國,以知其所誅。”
郗萌がいう、金星が太微の西門から入り天庭を冒犯し再び端門から出るのは、大臣が君主を攻伐することを主る。西門から入りまた折れて右掖門から出るのは、大臣が君主の威権を仮借して事を行い君命を遵奉しないことを主る。金星が西華門から入り端門あるいは東門から出るのは、人が詔令を仮伝する者があることを主る。金星が太微の西門から入りあるいは端門から入り東門から出るのは、顕貴の人が勢権を奪去されることを主る。金星が太微の中に入るのは、臣子が彼此に相殺し国家に憂いがあることを主る。《荊州占》にいう、金星は西方と北方を主り、それが太微垣の西南の陽星の南面から入れば西方に応じ、この両星の北面から入れば北方に応じる——両者とも臣下が君主を弑殺する徴候である。それが帝座の星を冒犯すれば臣下が勝を得、冒犯しなければ臣下は勝を得られない。さらにそれがどの宿の対応する分野の国に停留するかを見れば誅戮がいずれの処に応ずるかを知ることができる。
《荊州占》曰:“太白入太微西蕃第一星,行至東蕃第一星,東下去;太微者,天子庭也;太白行其中,宮門當閉,大將軍被甲,守兵大臣伏誅,左右有罪者。”(司馬彪《天文志》曰:孝靈帝建寧元年六月,太白在西方入太微,犯西蕃南頭星,其年八月,太傅陳蕃,大將軍寶武謀,欲盡誅諸宦者,其年九月辛亥,中常侍曹節,長樂五官吏朱瑀覺之,先矯制殺蕃等,家屬徒日南。)
《荊州占》にいう、金星が太微垣の西蕃の第一星に入り一路行って東蕃の第一星に至り再び東に下行して離れ去る。太微垣は天子の宮庭で金星がその中を行経すれば宮門は関閉すべきであり大将軍は甲を披いて戒備すべきで、さもなければ守兵と大臣が誅殺され君主の左右に罪を得る人がある。原書小注が司馬彪《天文志》を引く——漢の霊帝建寧元年六月に金星が西方から太微に入り西蕃の南頭の一星を冒犯し、その年八月に太傅陳蕃と大将軍竇武が計を定め宦官をことごとく誅尽しようとし、その年九月辛亥日に中常侍曹節・長楽宮の五官吏朱瑀がこの謀を察覚し先んじて詔命を仮伝して陳蕃らを殺し、家が日南郡に流された——原書の「宝武」は「竇武」の訛、「徒」は「徙」の訛である。
《荊州占》曰:“太白入太微宮,為天下驚;一曰有兵。太白入天庭,國不安其宮。太白入太微中,近臣起兵;入庭中,丞相、御史誅。”《北官候》曰:“太白入太微天庭,天子自將兵,大臣謀立,若有誅者。”《黃帝占》曰:“太白東行入太微庭中,出東門,天下有急兵,若守將、相、丞相、御史,大臣有死者;若入端門守庭,大禍至;入南門,出東門,國大旱;入南門,逆行出西門,國有大水;逆入東門,出西門,大國破亡;若順入西蕃,而留不去,楚國凶殃。”
《荊州占》にいう、金星が太微宮に入るのは、天下の震驚を主る。別の説では兵事がある。金星が天庭に入るのは、国家が宮室の中で安寧を得ないことを主る。金星が太微の中に入るのは、近臣が兵を起こすことを主る。庭中に入れば丞相・御史が誅される。《北官候》にいう、金星が太微の天庭に入るのは、天子が自ら兵を統べ大臣が密かに別の新君を立てることを謀りあるいは人が誅されることを主る。《黄帝占》にいう、金星が東に行き太微の庭中に入り再び東門から出るのは、天下に緊急の兵事がありあるいは将・相・丞相・御史などの星位に停駐すれば大臣の中に死亡する人があることを主る。もし端門から入り庭中に停駐すれば大禍がまさに至ろうとする。南門から入り東門から出るのは、国中の大旱を主る。南門から入り逆行して西門から出るのは、国中の大水を主る。逆行して東門から入り西門から出るのは、大国が破敗して滅亡することを主る。もし順行して西蕃に入り滞留して去らなければ楚の地の国に凶殃がある。
巫咸曰:“太白逆行入太陽東門,出西門,有反臣欲伐其主,期九十日。太白逆行入太微天庭中,為大臣有誅;若諸侯戮死,期二年。”石氏曰:“太白逆行入左掖門,為大臣劫其主。太白逆行於太微之中,及出左右掖門,為有逆謀,天子有命將征伐之事;一曰大赦可以解其患。”《荊州占》曰:“太白逆行入太微天庭中,為諸侯將有殺者;若至黃帝座而謀成,不至黃帝座而遠,有謀不成;以其入日占國。”
巫咸がいう、金星が逆行して太陽の東門から入り西門から出るのは、反逆の臣が君主を攻伐しようと欲することを主り応験の期限は九十日である。金星が逆行して太微の天庭の中に入るのは、大臣が誅されあるいは諸侯が殺され身を死することを主り応験の期限は二年である。石氏がいう、金星が逆行して左掖門から入るのは、大臣が君主を脅持することを主る。金星が太微の中で逆行しおよび左右の掖門から出るのは、叛逆の図謀があり天子に将帥を任命して兵を出し征討する事があろうことを主る。別の説では大赦を頒布すればこの禍患を化解できる。《荊州占》にいう、金星が逆行して太微の天庭の中に入るのは、諸侯に殺される者があろうことを主る。もし黄帝座に行き至ればその陰謀は便ち逞しくなり、もし黄帝座に至らずなお遠ければ図謀は成し遂げられない。さらにそれが入った日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断する。
《玉曆》曰:“太白逆行入太微,強臣凌主,天下大亂,諸侯皆兵起。太白留太微庭中,天下大憂;中央留十日以上,為天下亡徒為兵者。太白道南蕃入,留止南門,為大臣有憂。”(司馬彪《天文志》曰:太白贏而北入太微,大兵將入天子之庭,出太微,宮中有兵。)《荊州占》曰:“太白從右入七日以上,為主有憂。”
《玉暦》にいう、金星が逆行して太微に入るのは、強横の臣が君主を欺凌し天下が大乱し諸侯が各処に皆兵事を興すことを主る。金星が太微の庭中に滞留するのは、天下の大憂を主る。中央に十日を超えて停留すれば天下の亡命・逃徒が紛紛として聚まり兵衆と為ることを主る。金星が南蕃を取って入り南門に停留して去らないのは、大臣に憂いがあることを主る。原書小注が司馬彪《天文志》を引く——金星の行度が超前して偏北して太微に入るのは、大軍がまさに天子の宮庭に攻め入ろうとすることを主る。金星が太微から出れば宮中に兵変がある。《荊州占》にいう、金星が右側から入り七日を超えて停留するのは、君主に憂いがあることを主る。
《感精符》曰:“太白入端門而守之,大臣謀叛,將軍伐主,外臣陵內,天下大亂,期二年。”《黃帝占》曰:“太白乾太微,留守二十日以上,為必有兵革,天下大赦。”《春秋緯》曰:“太白入太微庭,其陵犯留焉三十日,必有喪。”《荊州占》曰:“太白入太微天庭中,犯乘守者殺,若有罪,各以守宦名名之。(《宋書天文志》曰:晉慧帝大安二年秋,太白守太微,成都河間攻洛陽,三年正月,東海王越執長沙王乂,張方又殺之。)太白食,若中犯秉守太微東西蕃、四輔,為君失禮,輔臣有誅者。”
《感精符》にいう、金星が端門に入りその中に停駐するのは、大臣が謀反し将軍が君主を攻伐し外臣が内朝を欺凌し天下が大乱することを主り応験の期限は二年である。《黄帝占》にいう、金星が太微を干犯し滞留・停駐して二十日を超えるのは、必ず兵戈の事があり続いて天下が大赦することを主る。《春秋緯》にいう、金星が太微の宮庭に入りその中で欺凌・冒犯し滞留して三十日に達すれば必ず喪事がある。《荊州占》にいう、金星が太微の天庭の中に入りおよそそれに冒犯され凌乗され停駐された星は、その主るところの人が便ち殺されあるいは罪を得、各々それが停駐したその星の官名に按じていずれの人に応ずるかを指認する。原書小注が《宋書・天文志》を引く——晋の恵帝太安二年秋に金星が太微に停駐し成都王・河間王が洛陽を進攻し、第三年正月に東海王司馬越が長沙王司馬乂を拘執し張方がまた彼を殺した——原書の「慧帝」は「恵帝」の訛、「大安」はすなわち「太安」。金星が虧食を発生しあるいは太微垣の東蕃・西蕃と四輔の諸星を射中し冒犯し持守するのは、君主が礼数に失し輔政の臣の中に誅される者があることを主る。
太白の土司空を犯す 十一
《聖洽符》曰:“太白守土司空,邦君有死者。”《海中占》曰:“太白守土司空,其國以土起兵;若有土功之事,天下旱。”石氏曰:“太白守土司空,有兵喪;天下憂水。”
《聖洽符》にいう、金星が「土司空」に停駐するのは——土司空の一星は奎宿の南にあり土木の营造の事を主る——一国の君の中に死亡する者があることを主る。《海中占》にいう、金星が土司空に停駐するのは、当該分野の国が土地を争って兵を起こすことを主る。あるいは土木工程を興辦し天下が大旱する。石氏がいう、金星が土司空に停駐するのは、兵禍と喪事があることを主る。天下は水患を憂えるべきである。按:本条の「土司空十一」より始まり下文の「太白の天厩を犯す七」に至るまでの一大段は、底本が巻五十一の末に重出し、巻五十二「太白占八」の載する所と全く同じである。ここは源文に依り実録し删并を加えない。
太白の天倉を犯す 十二
《黃帝占》曰:“太白入天倉中,主財寶出,主憂臣在內,天下有兵而倉庫之戶俱開;主人勝,客事不成,期二十日而發。”《荊州占》曰:“太白守天倉,天下飢,粟出。”齊伯曰:“太白守天倉,諸侯有發粟之事,有兵起;星若當戶守之,將受命,不為主用。”石氏曰:“太白入守天倉,有兵起,食粟散出;一曰年穀不登,人民飢。”郗萌曰:“太白中犯乘守天倉,四夷人相食,期三歲,兵起西方,若北方。”
《黄帝占》にいう、金星が「天倉」の中に入るのは——天倉の六星は婁宿の南にあり穀物を貯蔵する倉廩である——府庫の財宝が流散して出ることを主り君主が憂慮し臣下が宮内に伏処し天下が兵を興して倉庫の門戸がすべて開く。主方が勝を得て客方が事を謀って成らず応験の期限は二十日で事が発する。《荊州占》にいう、金星が天倉に停駐するのは、天下が飢饉し倉粟が外に運ばれることを主る。斉伯がいう、金星が天倉に停駐するのは、諸侯に倉を開いて糧を放つ挙がありしかも兵事が興起することを主る。もしこの星が倉門に正対して停駐すれば将帥は任命を受けても君主の用に肯んじない。石氏がいう、金星が天倉に入り停駐するのは、兵事が興起し储糧が散発され出ることを主る。別の説では年成が欠収し百姓が飢餓する。郗萌がいう、金星が天倉を射中し冒犯し凌乗し停駐するのは、四方の夷狄の人が飢困して人相食むに至ることを主り応験の期限は三年で兵事は西方あるいは北方に起きる。
太白の天囷を犯す 十三
石氏曰:“太白入天囷,天下兵起,囷倉儲積之物發用;一曰御物多有出者,庫藏空虛,期二年。”《海中占》曰:“太白入天囷,天下兵起,儲侯謀,囷倉庫藏有破者。”(《宋書天文志》曰:晉孝武大元二年四月壬申,太白入天.,占曰:為飢,陸安元年,王恭舉兵,協朝遷,內外戒嚴,出國寶以謝之,又水旱,民飢。)
石氏がいう、金星が「天囷」に入るのは——天囷の十三星は胃宿の南にあり円形の穀倉で積貯を主る——天下が兵を興し囷倉の中に储積する物資が支取・動用されることを主る。別の説では御用の物が大量に流出し府庫がこれに空虚となり応験の期限は二年である。《海中占》にいう、金星が天囷に入るのは、天下が兵を興し諸侯に図謀する所有り囷倉と府庫に攻破されるものがあることを主る。原書小注が《宋書・天文志》を引く——晋の孝武帝太元二年四月壬申に金星が天囷に入った——底本はここにわずかに一「天」字を存し次の一字は漫漶して「.」と作る——占辞に飢饉を主るといい、隆安元年に至って王恭が起兵して朝廷を脅迫し京城の内外が戒厳し朝廷は王国宝を交出して彼に謝罪し、また水旱の災に逢い百姓が飢饉した。原書の「陸安」は「隆安」の訛、「朝遷」は「朝廷」の訛である。
太白の天廩を犯す 十四
石氏曰:“太白守天廩,天下大飢。”甘氏曰:“太白入守天廩,天下有兵,歲大飢,倉粟散,不出其年。”《玉曆》曰:“太白入守天廩,兵起滿野,天下粟出,給軍糧;一曰糴貴。”石氏曰:“太白犯守天廩,天下亂,粟散出。”
石氏がいう、金星が「天廩」に停駐するのは——天廩の四星は昴宿の南にあり黍稷を貯蓄して祭饗に供することを主る——天下の大飢饉を主る。甘氏がいう、金星が天廩に入り停駐するのは、天下に兵事があり年成が大いに飢え倉中の糧食が散じ尽くすことを主り応験はその年を出でず。《玉暦》にいう、金星が天廩に入り停駐するのは、兵戈が四起して原野に遍くし天下の糧食が皆調出され用いて軍糧に供することを主る。別の説では糧を籴う価銭が騰貴する。石氏がいう、金星が天廩を冒犯し停駐するのは、天下の大乱と储糧の散発・流失を主る。
太白の天苑を犯す 十五
《荊州占》曰:“太白入天苑,出兵犯外夷。”《荊州占》曰:“太白守天苑,兵起馬死。”石氏曰:“太白入守天苑,牛羊禽獸多疾疫;若守之二十日,天下兵起,馬多死,其國憂。”(漢班固《天文志》曰:“漢孝武元鼎五年,太白入天苑,占曰:將以馬超兵也,一曰馬將以軍而死耗,其年以天馬,故誅大宛馬大死天軍。)《玄冥占》曰:“太白守天苑,邊境兵起,王者出兵,徵外夷,天下馬發。”
《荊州占》にいう、金星が「天苑」に入るのは——天苑の十六星は昴・畢の南にあり天子が禽獣・犠牲を畜養する苑囿である——兵を出して外族を征討することを主る。《荊州占》にまたいう、金星が天苑に停駐するのは、兵事が興起し馬匹が死亡することを主る。石氏がいう、金星が天苑に入り停駐するのは、牛羊・禽獣に疾疫に染まるものが多いことを主る。もし二十日停駐すれば天下が兵を興し馬匹が大量に死亡し当該分野の国に憂いがある。原書小注が漢の班固《天文志》を引く——漢の武帝元鼎五年に金星が天苑に入り占辞にまさに馬のために兵を興さんとすといい、別の説では馬匹が軍に随って征戦して死亡・耗損しようという。その年はまさに天馬を求取する故に大宛を誅伐し馬匹と軍士が大量に死亡した——この段の小注の文字は多く訛脱があり大意はこのようである。《玄冥占》にいう、金星が天苑に停駐するのは、辺境に兵が興り王者が師を出して外族を征討し天下が馬匹を征発することを主る。
太白の参旗を犯す 十六
《文曜鉤》曰:“太白守參旗,九州騷動,天下皆兵,弓不下弦,矢不舍筈,其國不寧,王者有憂。”《海中占》曰:“太白守參族,兵大起,弓弩,將士出行;一曰弓矢貴。”
《文曜鈎》にいう、金星が「参旗」に停駐するのは——参旗の九星は参宿の西にあり別名を天旗といい弓弩の張設を主る——九州が騒動し天下に遍く皆兵があり弓弦が終日解かず箭括が弦口を離れず该国が安寧を得ず王と為る者に憂いがあることを主る。《海中占》にいう、金星が参旗に停駐するのは——原書は「参族」と作りすなわち参旗の訛——大規模に兵を興し弓弩が斉い将士が出征することを主る。別の説では弓箭の価格が昂貴である。
太白の玉井を犯す 十七
《黃帝占》曰:“太白入玉井,為強國失地;其出之,強國得地。”巫咸曰:“太白入玉井,國有水憂;若以水為敗,水物不成,期不出年。”《感精符》曰:“太白入守玉井,水兵大起,若以水為變,魚鹽十倍。”
《黄帝占》にいう、金星が「玉井」に入るのは——玉井の四星は参宿の左足の下にあり水漿を取って庖厨に供することを主る——強国が土地を喪失することを主る。金星が玉井から出れば強国が土地を獲得することを主る。巫咸がいう、金星が玉井に入るのは、国中に水患の憂いがあることを主る。あるいは水によって敗を致し水中の産する物が成熟せず応験の期限は一年を出でず。《感精符》にいう、金星が玉井に入り停駐するのは、水戦が大いに起きあるいは水によって変故が生じ魚鹽の価銭が十倍に漲ることを主る。
太白の屏星を犯す 十八
甘氏曰:“太白入屏星,為大臣戮;若疾。”《玄冥占》曰:“太白入守屏星,諸侯有謀;若有大臣有戮死者。”
甘氏がいう、金星が「屏星」に入るのは——屏の二星は玉井の南にあり遮蔽・障隔を主る——大臣が殺されることを主る。あるいは病に染まる。《玄冥占》にいう、金星が屏星に入り停駐するのは、諸侯が暗中に図謀する所有ることを主る。あるいは大臣の中に殺され身を死する人がある。
太白の天厠を犯す 十九
《黃帝占》曰:“太白犯天廁,為大臣戮者。”郗萌曰:“太白守廁星,國多疾疫,兵飢並起,人主有憂。”《甄曜度》曰:“太白入守天廁。天下大飢,人相食,死者大半,期二年。”
《黄帝占》にいう、金星が「天厠」を冒犯するのは——天厠の四星は屏星の東にあり疾病を観察することを主る——大臣の中に殺される者があることを主る。郗萌がいう、金星が天厠の星に停駐するのは、国中に疾疫が流行し兵禍と飢饉が一斉に発生し君主に憂いがあることを主る。《甄曜度》にいう、金星が天厠に入り停駐するのは、天下の大飢饉と人相食し死者が半ばを過ぐることを主り応験の期限は二年である。
太白の天矢を犯す 二十
《帝覽嬉》曰:“太白守天矢,貴人多有疾而病死者;一曰民多以飢死。”
《帝覧嬉》にいう、金星が「天矢」に停駐するのは——天矢の一星は天厠の南にありすなわち天屎で疫癘を候察することを主る——顕貴の人に病に患って死ぬ者が多いことを主る。別の説では百姓が多く飢餓によって死ぬ。
太白の軍市を犯す 二十一
《荊州占》曰:“太白守軍市,以飢兵起。”石氏曰:“太白入守軍市,兵大起,大將軍出,若以飢兵起;一曰天下亂,四夷兵起,道路不通;一曰大軍飢,絕其糧,兵士逃亡,期二年。”
《荊州占》にいう、金星が「軍市」に停駐するのは——軍市の十三星は参宿の東南にあり軍中が互市・貿易する所で軍糧・営壘を主る——飢饉によって兵事を興すことを主る。石氏がいう、金星が軍市に入り停駐するのは、大規模に兵を興し大将軍が出征しあるいは飢饉によって兵を起こすことを主る。別の説では天下が大乱し四方の夷狄が兵を興し道路が阻断して通じない。また別の説では大軍が飢え糧道が切断され兵士が逃散し応験の期限は二年である。
太白の野鶏を犯す 二十二
甘氏曰:“太白入軍市,犯守野雞,其國凶,有死將,軍營敗,兵士散。”
甘氏がいう、金星が軍市に入りその中の「野鶏」を冒犯し停駐するのは——野鶏の一星は軍市の中にあり変怪の兆を主る——当該分野の国に凶事があり将帥が陣亡し軍営が潰敗し兵士が離散することを主る。
太白の狼星を犯す 二十三
《感精符》曰:“太白守狼星,車騎出滿野;守二十二日,將相有死者。”石氏曰:“守白守狼星,野獸死。”郗萌曰:“太白提狼星,而出入守之,車騎兵出,大將有千里之行。”《荊州占》曰:“太白守狼,敵兵起。太白犯守狼星,大將出行,其國有兵;一曰有兵,將死。”齊伯曰:“太白犯守狼星,兵大起,士卒行,天下凶,諸侯相攻,多賊盜。”(《宋書天文志》曰:晉惠帝永興二年四月丙子,太白犯狼星,是年苟破公師,藩張方破莊陽王號,關西諸將攻河間,王&&奔走東海,王遂而殺之也。)
《感精符》にいう、金星が「狼星」に停駐するのは——狼の一星は東井の東南にあり色白く芒角があって侵掠・劫奪を主る——車騎・兵馬が出動して原野に満ちることを主る。二十二日停駐に満てば将相の中に死亡する者がある。石氏がいう、金星が狼星に停駐するのは、野獣が死亡することを主る——原書の「守白」は「太白」の訛。郗萌がいう、金星が狼星に逼近しその間に出入して停駐して去らないのは、車騎の兵が出動し大将に千里の遠征の行があることを主る。《荊州占》にいう、金星が狼星に停駐するのは、敵兵が興起することを主る。金星が狼星を冒犯し停駐するのは、大将が師を出し该国に兵事があることを主る。別の説では兵事がありしかも将帥が陣亡する。斉伯がいう、金星が狼星を冒犯し停駐するのは、大規模に兵を興し士卒が遠行し天下が凶を呈し諸侯が互いに攻伐し盗賊が多いことを主る。原書小注が《宋書・天文志》を引く——晋の恵帝永興二年四月丙子に金星が狼星を冒犯し、この年に苟晞が公師藩を撃破し張方が長沙一系の王号を攻破し関西の諸将が河間王を進攻し某王が東海王の処に奔逃し東海王が終に彼を殺した——この段の小注の人名は訛脱が甚だしく底本に併せて両処の墨釘があり、姑くその大意を存す。
太白の弧星を犯す 二十四
《荊州占》曰:“太白守弧星,弓弩矢貴,大將軍有千里之行,民多死者。”《玄冥占》曰:“太白守弧星,臣有謀主者,庫兵盡用,關梁四塞,津道不通,期二年。”
《荊州占》にいう、金星が「弧星」に停駐するのは——弧の九星は狼星の東南にあり形が弓を張り矢を搭えるようで天上の弓弩で盗賊を防備することを主る——弓弩・箭矢の価格が昂貴で大将軍に千里の遠征の行があり百姓に死亡が多いことを主る。《玄冥占》にいう、金星が弧星に停駐するのは、臣下に君主を図謀する者があり武庫の中の兵器が数を傾けて取り出され関隘・橋梁が四処に封鎖され津渡・道路が阻断して通じないことを主り応験の期限は二年である。
太白の稷星を犯す 二十五
《海中占》曰:“太白犯天稷,有旱災,五穀不登,歲大飢,五穀散出。”
《海中占》にいう、金星が「天稷」を冒犯するのは——天稷の五星は七星の南にあり農正の官を主り稼穡の神を象徴する——旱災が発生し五穀が欠収し年成が大いに飢え倉中の五穀が散発・流出することを主る。
太白の甘氏中官を犯す 二
太白の四輔を犯す 一
《荊州占》曰:“太白犯乘守輔星,君臣失禮,輔臣有誅者。”
《荊州占》にいう、金星が「輔星」を冒犯・凌乗し停駐するのは——本条の標目は「四輔」と作り四輔の四星は北極の枢星を環抱し職は帝極を輔佐し政令を頒授することにある。引文の称する輔星は北斗の第六星開陽の傍らの一颗の小星を指し同じく輔弼の義を主る——君臣の間に礼数を失い輔政の臣の中に誅される者があることを主る。
太白の天厨を犯す 二
《荊州占》曰:“太白犯天廚,大官事誅。”石氏曰:“太白守天廚,大官吏死。”
《荊州占》にいう、金星が「天厨」を冒犯するのは——天厨の六星は紫微宮の東北にあり盛饌の飲食を主る——太官の一署が事によって罪を得て誅されることを主る。石氏がいう、金星が天厨に停駐するのは、膳食を掌る太官の属吏が死亡することを主る。
太白の鼓旗を犯す 三
石氏曰:“太白守鼓旗,兵革起。”
石氏がいう、金星が「鼓旗」に停駐するのは——鼓旗の諸星は河鼓の側にあり軍中の戦鼓と旌旗を象徴する——兵戈・甲冑の事が興起することを主る。
太白の天田を犯す 四
《文曜鉤》曰:“發大兵相殘賊,則太白入天田。”《荊州占》曰:“太白守天田,五穀傷。”
《文曜鈎》にいう、人間が大挙して兵を発し彼此に残殺・劫掠すれば天上にはすなわち金星が「天田」に侵入する星象が現れる——天田の二星は角宿の北にあり京畿の内の農田を主る。《荊州占》にいう、金星が天田に停駐するのは、五穀が損を受けることを主る。
太白の天門を犯す 五
《荊州占》曰:“太白舍天門中,人主無出邦門之遠廊廣門,大有伏兵。”
《荊州占》にいう、金星が「天門」の中に止宿するのは——天門の二星は角宿の南にあり外朝の門戸である——君主が国门を走出してはならず廊廡・広門のような処まで遠行してはならないことを主る。あそこには大量の兵衆が埋伏しているからである。
太白の平道を犯す 六
甘氏曰:“太白入守平道,天下兵亂。”
甘氏がいう、金星が「平道」に入り停駐するのは——平道の二星は角宿の間に夾在し道路を平治し公正にして偏らないことを主る——天下に兵乱が発生することを主る。
太白の酒旗を犯す 七
《文曜鉤》曰:“太白犯酒旗,三公九鄉謀。”《荊州占》曰:“太白守酒旗,天下大酺,有酒肉財物;若爵宗室。”
《文曜鈎》にいう、金星が「酒旗」を冒犯するのは——酒旗の三星は軒轅の右角の南にあり宴饗・酺食を主る——三公・九卿に別の図謀があることを主る。原書の「九郷」は「九卿」の訛。《荊州占》にいう、金星が酒旗に停駐するのは、天下に酺を賜り聚飲し酒肉・財物を賞賜しあるいは宗室の子弟に爵位を加封することを主る。
太白の天高を犯す 八
《黃帝》曰:“太白以四月從東方來入天高,留三十日,民受賜;留五十日,兵起宮中。”郗萌曰:“太白入天高,成勾已,天下有憂。太白舍天高中,有奇令。”
《黄帝》にいう、金星が四月に東方から行き来して「天高」に入るのは——天高の四星は畢宿の南にあり登臨して观望する台榭である——三十日停留すれば百姓が賞賜を獲得することを主る。五十日停留すれば兵変が宮中に起きることを主る。郗萌がいう、金星が天高に入り行度が屈曲して鈎巳の形を成すのは、天下に憂いがあることを主る。金星が天高の中に止宿するのは、非常の政令を頒下することを主る。
太白の礪石を犯す 九
《荊州占》曰:“太白守礪石,兵起,以入日占國。”
《荊州占》にいう、金星が「礪石」に停駐するのは——礪石の四星は五車の西にあり鋒刃を磨礪する磨石で兵器の修整を主る——兵事が興起することを主り金星が礪石に入った日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断する。
太白の積尸を犯す 十
石氏曰:“太白守積尸,大人當之。”
石氏がいう、金星が「積尸」に停駐するのは——積尸の一星は鬼宿の中にあり気が雲のようで雲でなく星のようで星でなく死喪と祠祀を主る——その応験は上位に居る大人物の身に落ちる。
太白の天潢を犯す 十一
《黃帝》曰:“太白入天潢中,天下大亂,易政;一曰貴人死;又曰兵起,軍起,道不通。”郗萌曰:“太白失度,留天潢,為人主憂,以水為害;若以井為害,以入日占其國。”
《黄帝》にいう、金星が「天潢」の中に入るのは——天潢の五星は五車の中にあり津梁・橋渡を主る——天下の大乱と政権の改易を主る。別の説では顕貴の人が死亡する。また別の説では兵事が興起し軍旅が出動し道路が阻断して通じない。郗萌がいう、金星が行度を失い天潢に滞留するのは、君主に憂いがあり水によって災害を成すことを主る。あるいは井泉によって禍害を生じ、それが入った日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断する。
太白の咸池を犯す 十二
《黃帝》曰:“太白入咸池中犯乘守之,在喪。”《春秋緯》曰:“太白入咸池,天下亂,易政,人君惡之。”石氏曰:“君死,皆以入日占其國。”甘氏曰:“太白入咸池,有兵喪,天子且以大敗失忠臣;若旱;一曰大水,道不通;貴人死,以入日占國。”石氏曰:“太白入天井,大臣為亂,國家易政令。”郗萌曰:“太白入咸池中,犯乘守之,若糴貴;一曰為有迷惑人主者。”《荊州占》曰:“太白中犯乘守咸池,大兵起,百萬人以上。”
《黄帝》にいう、金星が「咸池」の中に入りしかもその星を冒犯・凌乗・停駐するのは——咸池の三星は五車の中・天潢の南にあり魚囿の利を主る——喪事があることを主る。《春秋緯》にいう、金星が咸池に入るのは、天下の大乱と政権の改易を主り君主の忌悪するところと為す。石氏がいう、君主の身死を主りみな金星が入った日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断する。甘氏がいう、金星が咸池に入るのは、兵禍と喪事があり天子がまさに大敗によって忠臣を失うことを主る。あるいは旱災に遭う。別の説では大水を発して道路が通じない。顕貴の人が死亡し入った日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断する。石氏がいう、金星が「天井」に入るのは——天井もまた五車の内にあり咸池と同じく水事を主る——大臣が乱を作し国家が政令を更改することを主る。郗萌がいう、金星が咸池の中に入りその星を冒犯・凌乗し停駐するのは、あるいは糧価が騰貴する。別の説では人が君主を蛊惑し迷乱させる。《荊州占》にいう、金星が咸池を射中し冒犯し凌乗し停駐するのは、大規模に兵を興し動員の人数が百万以上であることを主る。
太白の天街を犯す 十三
郗萌曰:“太白當天街,為諸侯自立為主;一曰大水,若留止逆行其中,為兵革起。”《荊州占》曰:“太白守天街,兵塞道。”《文曜鉤》曰:“太白犯守天街,徘徊亂行,主弱臣強,道路絕,天下不通。”《荊州占》曰:“太白不行天街,為政令不行,不出其年,有兵。”
郗萌がいう、金星が「天街」に正対するのは——天街の二星は畢・昴の間にあり華夏と胡地の分界で昴以西は胡で畢以東は中国である——諸侯が自立して君と為ることを主る。別の説では大水を発し、もし金星がその中に滞留しあるいはその間に逆行すれば兵戈の興起を主る。《荊州占》にいう、金星が天街に停駐するのは、兵衆が道路を堵塞することを主る。《文曜鈎》にいう、金星が天街を冒犯し停駐し徘徊・往復して行度が錯乱するのは、君が弱く臣が強く道路が断絶し天下が通行できないことを主る。《荊州占》にいう、金星が天街を経行しないのは、政令が推行し下らないことを主り応験はその年を出でずしかも兵事がある。
太白の甘氏外官を犯す 三
太白の狗星を犯す 一
石氏曰:“太白守狗星,守衛之臣作亂。”
石氏がいう、金星が「狗星」に停駐するのは——狗の二星は南斗魁の前にあり戸戸を吠守し非常を警戒することを主る——宿衛を担任する臣子が乱を作すことを主る。
太白の狗国を犯す 二
《荊州占》曰:“太白順行守狗國,出兵討鮮卑,烏丸;逆守之,其國為亂。”
《荊州占》にいう、金星が順行して「狗国」に停駐するのは——狗国の四星は建星の東南にあり鮮卑・烏丸・沃沮一帯の東北の諸族に対応する——朝廷が兵を出して鮮卑・烏丸を討伐することを主る。もし逆行してその上に停駐すればそれらの部族の国が自ら乱を作す。
太白の天田を犯す 三
郗萌曰:“太白提天田。出入大水;一曰五穀霜死。”
郗萌がいう、金星が「天田」に逼近するのは——この天田の九星は牛宿の南にあり京畿以外の農田を主り前の甘氏中官の天田二星とは同じ処ではない——洪水が氾濫して出現することを主る。別の説では五穀が霜凍に遭って枯死する。
太白の哭泣を犯す 四
《宋書天文志》曰:“晉孝武太元四年十一月,太白犯哭星,占曰:天子有哭泣事。九月癸未,皇后王氏崩。孝武大明三年十月,太白犯哭泣,後六宮多喪,公主薨,天子舉哀;歲大旱,民飢。”
《宋書・天文志》にいう、晋の孝武帝太元四年十一月に金星が「哭星」を冒犯した——哭の二星・泣の二星はともに虚宿の南にあり喪事の哭泣を主る——占辞に天子にまさに哭泣の事があろうといい、九月癸未日に至って皇后王氏が去世した。宋の孝武帝大明三年十月に金星が哭・泣の二星を冒犯し此の後六宮に喪事が多く公主が亡故し天子がこれに挙哀し、その年にまた大旱に逢い百姓が飢饉した。
太白の八魁を犯す 五
《荊州占》曰:“太白守八魁,兵大起。”
《荊州占》にいう、金星が「八魁」に停駐するのは——八魁の九星は天苑の南にあり禽獣を捕捉する羅網の機具で羅禁を張設することを主る——大規模に兵を興すことを主る。
太白の鈇鑕を犯す 六
《荊州占》曰:“太白犯鈇鑕五日以上,臣有謀主者。太白犯鈇鑕,誅執法之官。”郗萌曰:“太白犯乘鈇鑕,為鈇鑕用;一曰將有憂。”
《荊州占》にいう、金星が「鈇鑕」を冒犯するのは——鈇鑕の五星は墳墓の北にあり鈇鑕はすなわち腰斬に用いる刀と砧で斬刈・殺戮を主る——五日以上停留すれば臣下に君主を図謀する者があることを主る。金星が鈇鑕を冒犯するのは、刑法を執掌する官員が誅されることを主る。郗萌がいう、金星が鈇鑕を冒犯し凌乗するのは、刑戮の具が頻々と動用されることを主る。別の説では将帥に憂いがある。
太白の芻藁を犯す 七
《黃帝》曰:“太白入芻藁中,主寶出;憂臣在內。”
《黄帝》にいう、金星が「芻藁」の中に入るのは——芻藁の六星は天苑の西にあり牲畜を養う乾草・飼料である——君主の珍宝が流散して出ることを主る。憂患は朝内の臣子の身に出る。
太白の九州殊口を犯す 八
《荊州占》曰:“太白守九州殊口,九州兵起。”
《荊州占》にいう、金星が「九州殊口」に停駐するのは——九州殊口の六星は狼星の北にあり職は四方の異族の言語を通訳することにありゆえに「殊口」と名づく——九州の各地に皆兵事が興起することを主る。
太白の天節を犯す 九
《荊州占》曰:“太白守天節,大將以兵出。”
《荊州占》にいう、金星が「天節」に停駐するのは——天節の八星は畢宿の下にあり使臣の手持する符節を象徴する——大将が命を奉じて兵を領して出征することを主る。
太白の軍井を犯す 十
《荊州占》曰:“太白入軍井三日以上,其歲大小。”
《荊州占》にいう、金星が「軍井」に入るのは——軍井の四星は玉井の東南・参宿の左足の下にあり軍中が水を取る井を主る——三日以上停留すればまさにその年の年成の豊歉の大小がどうかを見るべきである。この句の底本の文字に脱誤があり占辞が足らず、大意はこれにより歳収の豊歉を推断するを謂う。
太白の天狗を犯す 十一
《荊州占》曰:“太白入天狗,北夷大飢,來歸;鄰國多土功。”
《荊州占》にいう、金星が「天狗」に入るのは——天狗の七星は狼星の北にあり守御・防備し盗賊を警斥することを主る——北方の夷狄が大飢饉に遭い前から来て帰附し隣近の国が大いに土木工程を興すことを主る。
太白の天紀を犯す 十二
《荊州占》曰:“太白守天紀,天下兵悉。”
《荊州占》にいう、金星が「天紀」に停駐するのは——この天紀は甘氏外官に属し前の石氏中官の貫索の東の天紀九星とは同じ処ではない——天下の兵衆が尽数出動することを主る。句末の「悉」字は疑わしく「起」の訛で義は兵事の興起を謂う。
太白の天廟を犯す 十三
《黃帝》曰:“太白入一廟,若守之,為廟有事;一曰為凶,憂。”又曰:“太白入守天廟,有廟殘之事;吏不去死。”
《黄帝》にいう、金星が「天廟」に入りあるいはその中に停駐するのは——天廟の十四星は張宿の南にあり天子が祖先を祭祀する宗廟である。原書の「一廟」は「天廟」の訛——宗廟にまさに事故があろうことを主る。別の説では凶を主り憂を主る。またいう、金星が天廟に入り停駐するのは、宗廟が毀損の事に遭うことを主る。廟を掌る官吏は一死を免れない。
太白の巫咸外官を犯す 四
太白の長垣を犯す 一
《感精符》曰:“太白入長垣,三公九卿主,兵大起,天下亂,王者有憂。”
《感精符》にいう、金星が「長垣」に入るのは——長垣の四星は少微の西にあり辺界の垣墻・藩籬のようで四夷の入侵の事を主る——三公・九卿が君権を把持し大規模に兵を興し天下が大乱し王と為る者に憂いがあることを主る。
太白の土司空を犯す 二
《荊州占》曰:“太白入土司空,有大徭之事。”
《荊州占》にいう、金星が「土司空」に入るのは——この土司空は巫咸外官に属し土木の营造と徒役の征発を掌る——朝廷にまさに大規模に徭役を征発する事があろうことを主る。
太白の鍵閉を犯す 三
郗萌曰:“太白犯乘鍵閉星,大臣有悞天子不尊事天者,致大災於宗廟,天子崩;一曰王者不宜出宮下殿,有匿兵於宗廟中者。”
郗萌がいう、金星が「鍵閉」の星を冒犯し凌乗するのは——鍵閉の一星は房宿の東北にあり門戸上の鎖鑰・門閂で関防の啓閉を主る——大臣の中に天子を欺誤し天子をして虔敬に天に事えられざる者があり以て宗廟が大災に遭い天子が駕崩することを主る。別の説では王と為る者は宮門を走出して殿階を歩み下るべきでない。人が兵器を宗廟の中に藏匿しているからである。
太白の天桴を犯す 四
《荊州占》曰:“太白守天桴,兵鼓起。”
《荊州占》にいう、金星が「天桴」に停駐するのは——天桴の四星は河鼓の下・左旗の末端にあり桴はすなわち鼓を撃つに用いる槌である——戦鼓が擂響し兵事が興起することを主る。
太白の天淵を犯す 五
《荊州占》曰:“太白守天淵,海水出,江河決;若海魚出。”
《荊州占》にいう、金星が「天淵」に停駐するのは——天淵の十星は鼈星の東南・南斗の下にあり溝渠を灌溉し水を蓄える沢を主る——海水が泛漲して岸に上り江河が決口することを主る。あるいは深海の魚が浮現して出る。
太白の斧鑕を犯す 六
郗萌曰:“太白中犯乘守斧鑕,為斧鑕用;一曰兵將有憂。”《黃帝》曰:“太白入斧鑕,為大臣用。”《荊州占》曰:“太白犯守斧鑕,兵起。” 郗萌曰:“太白入斧鑕,大將誅。”《荊州占》曰:“太白犯斧鑕,誅執法之臣。”
郗萌がいう、金星が「斧鑕」を射中し冒犯し凌乗し停駐するのは——斧鑕はすなわち前文の鈇鑕で斧と砧板で行刑の器具であり巫咸外官が別にこの名を立てる——斧鑕の刑が頻々と動用されることを主る。別の説では兵を領する将帥に憂いがある。《黄帝》にいう、金星が斧鑕に入るのは、刑罰が大臣に施されることを主る。《荊州占》にいう、金星が斧鑕を冒犯し停駐するのは、兵事の興起を主る。郗萌がいう、金星が斧鑕に入るのは、大将が誅されることを主る。《荊州占》にいう、金星が斧鑕を冒犯するのは、刑法を執掌する臣子が誅されることを主る。
太白の天厩を犯す 七
《荊州占》曰:“太白入天廄,十日以上,廄馬有食變。太白守天廄,為廄災之事,人主以馬為憂;不則馬疾。”郗萌曰:“太白守天廄三十日,騎馬出。”
《荊州占》にいう、金星が「天厩」に入るのは——天厩の十星は閣道の北にあり車馬と伝駅を主る——十日以上停留すれば厩中の馬匹が草料の上に変故を出すことを主る。金星が天厩に停駐するのは、馬厩に災禍が発生し君主が馬匹を憂慮することを主る。さもなければ馬匹が病に染まる。郗萌がいう、金星が天厩に停駐して三十日に達するのは、騎兵と戦馬が出動することを主る。
開元占経 巻五十二・太白占八
太白の石氏外官を犯す 一
太白の庫楼を犯す 一
郗萌曰:“太白入庫樓三日,兵起尤甚。一曰兵起西北方。若舍之三十日,諸侯兵悉發,大將出。”《玉曆》曰:“太白守庫樓,兵起將軍出,車騎偏野。”
郗萌がいう、金星が「庫楼」に入るのは——庫楼の十星は角宿の南にあり兵車・器械を屯放する武庫と望楼である——三日停留すれば兵事が興起してしかも格外に惨烈であることを主る。別の説では兵が西北方に起きる。もし金星がその中に止宿して三十日に達すれば諸侯の軍隊が全部出動し大将が出征する。《玉暦》にいう、金星が庫楼に停駐するのは、兵を興し将軍が師を出し車馬・騎兵が原野に満ちることを主る。
太白の南門を犯す 二
石氏曰:“太白犯守南門,邊夷兵起,若道路不通。”
石氏がいう、金星が「南門」を冒犯し停駐するのは——南門の二星は庫楼の南にあり天上の外門で守御を主る——辺地の夷狄が兵を興しあるいは道路が阻断して通じないことを主る。
太白の平星を犯す 三
石氏曰:“太白犯平星,凶。”《文曜鉤》曰:“太白歷平星,主命傾。”甘氏曰:“太白守平星,執政臣憂,若有罪,誅期一年。”
石氏がいう、金星が「平星」を冒犯するのは——平星の二星は庫楼の北にあり廷尉の官を象徴し公平に獄を断ずることを主る——凶を主る。《文曜鈎》にいう、金星が平星を経歴するのは、君主の性命が傾危を主る。甘氏がいう、金星が平星に停駐するのは、政柄を執掌する大臣に憂いがありあるいは罪を得、誅される期限は一年である。
太白の騎官を犯す 四
甘氏曰:“太白犯守騎官,有兵起,馬多發,若多死。”石氏曰:“太白入騎官,若守之,兵大起,車騎用,將軍出;若騎士憂。”郗萌曰:“太白入守騎官,不出二十日,赦天下。”
甘氏がいう、金星が「騎官」を冒犯し停駐するのは——騎官の二十七星は氐宿の南にあり天子の宿衛の騎士である——兵事が興起し馬匹が大量に征発されあるいは大量に死亡することを主る。石氏がいう、金星が騎官に入りあるいはその中に停駐するのは、大規模に兵を興し車騎が使用に投じられ将軍が師を出すことを主る。あるいは騎士に憂いがある。郗萌がいう、金星が騎官に入り停駐するのは、二十日を出でずまさに天下を大赦せんとする。
太白の積卒を犯す 五
石氏曰:“太白入積卒,若守之,兵大起,士卒大行;若多死,期二年。”《玄冥占》曰:“太白犯守積卒,主失位,天下亂,兵大起,期百二十日。”
石氏がいう、金星が「積卒」に入りあるいはその中に停駐するのは——積卒の十二星は房宿・心宿の南にあり聚集する士卒で衛士の戍守を主る——大規模に兵を興し士卒が大批に開抜することを主る。あるいは傷亡が衆多で応験の期限は二年である。《玄冥占》にいう、金星が積卒を冒犯し停駐するのは、君主が君位を失い天下が大乱し大規模に兵を興すことを主り応験の期限は百二十日である。
太白の鼈星を犯す 六
《黃帝占》曰:“太白守鱉星,為有白衣之會。”巫咸曰:“太白犯守鱉星,天下有水旱之災;守陽則旱,守陰則水。”
《黄帝占》にいう、金星が「鼈星」に停駐するのは——鼈の十四星は南斗の南にあり水中の介甲の虫を主る——白衣を穿き挙喪の集会がありすなわち国中が喪事を辦することを主る。巫咸がいう、金星が鼈星を冒犯し停駐するのは、天下に水旱の災が発生することを主る。南辺の陽に属する位置に停駐すれば旱し、北辺の陰に属する位置に停駐すれば涝す。
太白の九坎を犯す 七
石氏曰:“太白守九坎,天下旱,名水不流,五穀不登,人民大飢;一曰之陽,大旱;之陰,有水;又曰犯守九坎,凶。”
石氏がいう、金星が「九坎」に停駐するのは——九坎の九星は牽牛の南にあり溝渠を疏導し水利を蓄泄することを主る——天下の大旱と名ある江河の断流・不行と五穀の欠収と百姓が大飢饉に陥ることを主る。別の説では金星が南辺の陽に属する位に偏すれば大旱を主り北辺の陰に属する位に偏すれば水災を主る。またいう、金星が九坎を冒犯し停駐するのは凶象と為す。
太白の敗臼を犯す 八
石氏曰:“太白守敗臼,民不安其室,失其釜甑;若流移去其鄉。”
石氏がいう、金星が「敗臼」に停駐するのは——敗臼の四星は虚・危の南にあり破敗した舂米の臼で凶年・飢饉を主る——百姓が家中で安居を得ず飯を炊く鍋甑さえ保てないことを主る。あるいは流亡・遷徙し故郷を離れる。
太白の羽林を犯す 九
郗萌曰:“太白入羽林,有反臣中兵也;(《宋書天文志》曰:宋明帝泰始元年十二月已已,太白入羽林,占曰:兵動。明年羽林兵出,誅太宰江夏王義恭,尚書令柳元景,僕射顏師伯等。明年會稽太守尋陽王子房,廣州刺史袁靈遠。雍州刺史袁頭,青州刺史沈文秀並反。)太白經過羽林中,天子為軍自守。”《黃帝占》曰:“太白守羽林,兵起,期六十日。”石氏曰:“太白守羽林,為有馬行,期三十日。”《甄曜度》曰:“太白入守羽林,兵大起,大將軍出行,臣謀其主,若有喪,期二年。”
郗萌がいう、金星が「羽林」に入るのは——羽林の四十五星は営室の南にありまた天軍と称して天子を護衛する禁旅である——反逆の臣が兵権を掌握することを主る。原書小注が《宋書・天文志》を引く——宋の明帝泰始元年十二月已已日に金星が羽林に入り占辞に兵事の発動を主るといい、第二年に羽林軍が出動して太宰江夏王劉義恭・尚書令柳元景・僕射顔師伯らを誅殺した。また一年を過ぎ会稽太守尋陽王劉子房・広州刺史袁霊遠・雍州刺史袁顗・青州刺史沈文秀が一同に反逆した——原書の「袁頭」は当に「袁「袁顗」の訛であるべし。金星が羽林の中を経行して穿過するのは、天子が自ら軍を率いて自衛することを主る。《黄帝占》にいう、金星が羽林に停駐するのは、兵事の興起を主り応験の期限は六十日である。石氏がいう、金星が羽林に停駐するのは、車馬の出行の事があることを主り応験の期限は三十日である。《甄曜度》にいう、金星が羽林に入り停駐するのは、大規模に兵を興し大将軍が師を出して遠行し臣下が君主を図謀しあるいは喪事があることを主り応験の期限は二年である。
《海中占》曰:“太白入守羽林,兵起,若逆行變色,成勾已,天下大兵,關梁不通,不出其年。”《荊州占》曰:“太白入天軍,大將軍在外。”石氏曰:“太白入天軍中,為兵起;一曰入天軍留守,若變色逆行,成勾已,為兵起急。”《郗萌占》曰:“太白犯天軍,為兵起,有破軍死將。太白入天壘,天下有兵,期二十日,若百二十日。”石氏曰:“太白入守壘壁陣,天下兵起,左右倖臣為亂,期四十日,若百二十日。”
《海中占》にいう、金星が羽林に入り停駐するのは、兵事の興起を主る。もしまた逆行しまた色を改め行度が屈曲して鈎巳の形を成せば、天下が大いに干戈を動し関隘・橋梁が通じないことを主り応験はその年を出でず。《荊州占》にいう、金星が「天軍」に入るのは——天軍はすなわち羽林の別名——大将軍が兵を領して外にあることを主る。石氏がいう、金星が天軍の中に入るのは、兵事の興起を主る。別の説では天軍に入って滞留・停駐しもしさらに変色して逆行し屈曲して鈎巳の形を成せば兵事が来ること急迫である。《郗萌占》にいう、金星が天軍を冒犯するのは、兵事が興起し軍隊の潰敗・将領の戦死があろうことを主る。金星が「天壘」に入るのは——天壘城の十三星は虚宿の南にあり軍営の壁壘を象徴する——天下に兵事があることを主り応験の期限は二十日あるいは百二十日である。石氏がいう、金星が「壘壁陣」に入り停駐するのは——壘壁陣の十二星は羽林の北にあり陣を列して屯守する営壘である——天下が兵を興し君主の左右の幸臣が乱を作すことを主り応験の期限は四十日あるいは百二十日である。
太白の北落を犯す 十
石氏曰:“太白入守北落,亦為兵大合軍門。”《海中占》曰:“太白守北落,天下有兵,夷狄入塞,來侵中國,將士出。”石氏曰:“太白與北落相貫,牴觸,有光芒相及,為兵戰,覆軍殺將,伏尸流血,不可當也;期百八十日,若一年。”
石氏がいう、金星が「北落」に入り停駐するのは——北落師門の一星は羽林の南にあり天軍の営壘の大門である——また大軍が営門の前に集結することを主る。《海中占》にいう、金星が北落に停駐するのは、天下に兵事があり夷狄が辺塞を越え前から来て中原を侵犯し将士が出征することを主る。石氏がいう、金星と北落が彼此に貫穿し互相に抵牾して光芒が交じり触れ合うのは、兵戎が交戦し全軍が覆没し主将が殺され尸が野に横たわり血が川を成しその勢い鋭く当たるべからずを主る。応験の期限は百八十日あるいは一年である。
太白の土司空を犯す 十一
《聖洽符》曰:“太白守土司空,邦君有死者。”《海中占》曰:“太白守土司空,其國以土起兵;若有土功之事,天下旱。”石氏曰:“太白守土司空,有兵喪;天下憂水。”
《聖洽符》にいう、金星が土司空に停駐するのは、諸侯の国君の中に死亡する者があることを主る。《海中占》にいう、金星が土司空に停駐するのは、当該分野の国が土地を争奪するために兵を起こすことを主る。あるいは土木を興修し天下が旱に遭う。石氏がいう、金星が土司空に停駐するのは、兵禍と喪事が併せ至ることを主る。天下は水患を担憂すべきである。本条より始まり巻末の「太白の天厩を犯す七」的一段に至るまで、前の巻五十一の末の載する所と重複し底本に両見する。ここは源文に依り実録する。
太白の天倉を犯す 十二
《黃帝占》曰:“太白入天倉中,主財寶出,主憂臣在內,天下有兵而倉庫之戶俱開;主人勝,客事不成,期二十日而發。”《荊州占》曰:“太白守天倉,天下飢,粟出。”齊伯曰:“太白守天倉,諸侯有發粟之事,有兵起;星若當戶守之,將受命,不為主用。”石氏曰:“太白入守天倉,有兵起,食粟散出;一曰年穀不登,人民飢。”郗萌曰:“太白中犯乘守天倉,四夷人相食,期三歲,兵起西方,若北方。”
《黄帝占》にいう、金星が天倉の中に入るのは、庫蔵の財宝が外流し君主が憂懼して臣下が宮内に蟄居し天下が兵を起こして倉庫の門戸が尽く開くことを主る。据守する一方が勝を得て来犯する一方は事を謀って成らず二十日の内に事が便ち発作する。《荊州占》にいう、金星が天倉に停駐するのは、天下が飢饉し倉粟が運出されることを主る。斉伯がいう、金星が天倉に停駐するのは、諸侯が倉を開き賑済ししかも兵事があることを主る。もしこの星が倉門に正しく挡り停駐すれば将帥は命を受けても君の用に肯んじない。石氏がいう、金星が天倉に入り停駐するのは、兵を興し口糧が散じ尽くして外流することを主る。別の説では年穀が熟さず百姓が飢える。郗萌がいう、金星が天倉を射中し冒犯し凌乗し停駐するのは、四方の夷狄が飢困して人相食の地歩に至ることを主り応験の期限は三年で兵は西方あるいは北方に起きる。
太白の天囷を犯す 十三
石氏曰:“太白入天囷,天下兵起,囷倉儲積之物發用;一曰御物多有出者,庫藏空虛,期二年。”《海中占》曰:“太白入天囷,天下兵起,儲侯謀,囷倉庫藏有破者。”(《宋書天文志》曰:晉孝武大元二年四月壬申,太白入天.,占曰:為飢,陸安元年,王恭舉兵,協朝遷,內外戒嚴,出國寶以謝之,又水旱,民飢。)
石氏がいう、金星が天囷に入るのは、天下が兵を起こし円倉の中の積储が取出され動用されることを主る。別の説では御用の器物が大批に流出し府庫がこれに一空となり応験の期限は二年である。《海中占》にいう、金星が天囷に入るのは、天下が兵を起こし諸侯が異図を心に懐き円倉と府庫に攻破されるものがあることを主る。原書小注が《宋書・天文志》を引く——晋の孝武帝太元二年四月壬申に金星が天囷に入った——底本はここの第二字が残缺——占辞に飢饉を主るといい、隆安元年に至って王恭が起兵して朝廷を脅制し内外が戒厳し朝廷は王国宝を交出して彼に謝罪し其の後また水旱に逢い百姓が飢餓した。
太白の天廩を犯す 十四
石氏曰:“太白守天廩,天下大飢。”甘氏曰:“太白入守天廩,天下有兵,歲大飢,倉粟散,不出其年。”《玉曆》曰:“太白入守天廩,兵起滿野,天下粟出,給軍糧;一曰糴貴。”石氏曰:“太白犯守天廩,天下亂,粟散出。”
石氏がいう、金星が天廩に停駐するのは、天下の大飢を主る。甘氏がいう、金星が天廩に入り停駐するのは、天下に兵があり年成が大いに飢え倉中の存糧が散じ尽くし応験はすなわちその年の内にあることを主る。《玉暦》にいう、金星が天廩に入り停駐するのは、兵戈が野に遍く天下の糧食が皆调出され軍糧に充てられることを主る。別の説では米価が騰貴する。石氏がいう、金星が天廩を冒犯し停駐するのは、天下の大乱と糧食の散失・外流を主る。
太白の天苑を犯す 十五
《荊州占》曰:“太白入天苑,出兵犯外夷。”《荊州占》曰:“太白守天苑,兵起馬死。”石氏曰:“太白入守天苑,牛羊禽獸多疾疫;若守之二十日,天下兵起,馬多死,其國憂。”(漢班固《天文志》曰:“漢孝武元鼎五年,太白入天苑,占曰:將以馬超兵也,一曰馬將以軍而死耗,其年以天馬,故誅大宛馬大死天軍。)《玄冥占》曰:“太白守天苑,邊境兵起,王者出兵,徵外夷,天下馬發。”
《荊州占》にいう、金星が天苑に入るのは、師を興して塞に出て外族を進犯することを主る。《荊州占》にまたいう、金星が天苑に停駐するのは、兵を起こししかも馬匹が死亡することを主る。石氏がいう、金星が天苑に入り停駐するのは、牛羊・禽獣の疫病が流行することを主る。もし停駐が二十日に満てば天下が兵を起こし馬に倒斃が多くその分野の国に憂患がある。原書小注が漢の班固《天文志》を引く——漢の武帝元鼎五年に金星が天苑に入り占辞にまさに馬のために兵を動かさんとすといい、別の説では馬匹がまさに軍に随って死傷・耗損せんとす。その年はまさに天馬を求取する故に大宛を征討し馬と軍士がともに損折が甚だ重かった——この段の小注は伝写が訛脱し文義が尽く通じるべからず。《玄冥占》にいう、金星が天苑に停駐するのは、辺境に兵が起き王者が兵を発して外族を征討し天下が馬匹を征調することを主る。
太白の参旗を犯す 十六
《文曜鉤》曰:“太白守參旗,九州騷動,天下皆兵,弓不下弦,矢不舍筈,其國不寧,王者有憂。”《海中占》曰:“太白守參族,兵大起,弓弩,將士出行;一曰弓矢貴。”
《文曜鈎》にいう、金星が参旗に停駐するのは、九州が震動して安まず天下に到る処兵馬があり弓が弦を解かず矢が括を離れずその国が安寧を得ず王と為る者が憂心することを主る。《海中占》にいう、金星が参旗に停駐するのは、大挙して兵を興し弓弩が斉く張られ将士が出征することを主る。別の説では弓箭が騰貴する——原書の「参族」は「参旗」の形近の訛。
太白の玉井を犯す 十七
《黃帝占》曰:“太白入玉井,為強國失地;其出之,強國得地。”巫咸曰:“太白入玉井,國有水憂;若以水為敗,水物不成,期不出年。”《感精符》曰:“太白入守玉井,水兵大起,若以水為變,魚鹽十倍。”
《黄帝占》にいう、金星が玉井に入るのは、強国が疆土を丢失することを主る。金星が玉井を退出すれば強国が地を拓くことを主る。巫咸がいう、金星が玉井に入るのは、国中が水患を憂えることを主る。あるいは水によって失敗し水中の出る物が成熟せず応験はすなわちその年にある。《感精符》にいう、金星が玉井に入り停駐するのは、水上の戦事が大いに起きあるいは水によって変が生じ魚鹽の価が十倍に漲ることを主る。
太白の屏星を犯す 十八
甘氏曰:“太白入屏星,為大臣戮;若疾。”《玄冥占》曰:“太白入守屏星,諸侯有謀;若有大臣有戮死者。”
甘氏がいう、金星が屏星に入るのは、大臣が戮に遭うことを主る。あるいは病に患う。《玄冥占》にいう、金星が屏星に入り停駐するのは、諸侯が心に陰謀を存することを主る。あるいは大臣の中に殺され身を死する人がある。
太白の天厠を犯す 十九
《黃帝占》曰:“太白犯天廁,為大臣戮者。”郗萌曰:“太白守廁星,國多疾疫,兵飢並起,人主有憂。”《甄曜度》曰:“太白入守天廁。天下大飢,人相食,死者大半,期二年。”
《黄帝占》にいう、金星が天厠を冒犯するのは、大臣の中に殺される者があることを主る。郗萌がいう、金星が厠星に停駐するのは、国中に瘟疫が盛行し兵禍と飢饉が同時に発生し君主がこれを憂懼することを主る。《甄曜度》にいう、金星が天厠に入り停駐するのは、天下が大いに飢え人が相残り食い死亡が半ばを過ぐることを主り応験の期限は二年である。
太白の天矢を犯す 二十
《帝覽嬉》曰:“太白守天矢,貴人多有疾而病死者;一曰民多以飢死。”
《帝覧嬉》にいう、金星が天矢に停駐するのは、貴人の中に病に染まり亡ぶ者が多いことを主る。別の説では百姓が多く飢餓によって死ぬ。天矢はすなわち天屎で一星が天厠の南にありもと疫病を候察する星官である。
太白の軍市を犯す 二十一
《荊州占》曰:“太白守軍市,以飢兵起。”石氏曰:“太白入守軍市,兵大起,大將軍出,若以飢兵起;一曰天下亂,四夷兵起,道路不通;一曰大軍飢,絕其糧,兵士逃亡,期二年。”
《荊州占》にいう、金星が軍市に停駐するのは、飢饉によって兵事を激起することを主る。石氏がいう、金星が軍市に入り停駐するのは、大挙して兵を興し大将軍が師を出しあるいは飢饉によって兵を起こすことを主る。別の説では天下が動乱し四方の夷狄が兵を挙げ道路が断絶する。また別の説では大軍が糧を断たれて飢え兵士が潰逃し応験の期限は二年である。
太白の野鶏を犯す 二十二
甘氏曰:“太白入軍市,犯守野雞,其國凶,有死將,軍營敗,兵士散。”
甘氏がいう、金星が軍市に入り野鶏の一星を冒犯し停駐するのは、その分野の国が凶に遭い将領が陣亡し軍営が攻破され兵士が潰散することを主る。野鶏は軍市の中に居りもと変怪を候主する星である。
太白の狼星を犯す 二十三
《感精符》曰:“太白守狼星,車騎出滿野;守二十二日,將相有死者。”石氏曰:“守白守狼星,野獸死。”郗萌曰:“太白提狼星,而出入守之,車騎兵出,大將有千里之行。”《荊州占》曰:“太白守狼,敵兵起。太白犯守狼星,大將出行,其國有兵;一曰有兵,將死。”齊伯曰:“太白犯守狼星,兵大起,士卒行,天下凶,諸侯相攻,多賊盜。”(《宋書天文志》曰:晉惠帝永興二年四月丙子,太白犯狼星,是年苟破公師,藩張方破莊陽王號,關西諸將攻河間,王&&奔走東海,王遂而殺之也。)
《感精符》にいう、金星が狼星に停駐するのは、車騎が巢を傾けて出で郊野に遍くすることを主る。二十二日停駐すれば将相の中に死亡する者がある。石氏がいう、金星が狼星に停駐するのは、野獣が死亡することを主る——原書の冒頭の「守白」は「太白」の訛。郗萌がいう、金星が狼星に迫近しその間に進出入して停駐して去らないのは、車騎の兵が出動し大将に千里の遠征があることを主る。《荊州占》にいう、金星が狼星に停駐するのは、敵兵が来犯することを主る。金星が狼星を冒犯し停駐するのは、大将が師を出しその国に兵事があることを主る。別の説では兵事がありしかも主将が戦死する。斉伯がいう、金星が狼星を冒犯し停駐するのは、大挙して兵を興し士卒が遠征し天下が凶を呈し諸侯が互いに攻伐し盗賊が蜂起することを主る。原書小注が《宋書・天文志》を引く——晋の恵帝永興二年四月丙子に金星が狼星を冒犯し、この年に苟晞が公師藩を撃破し張方が長沙王一系の名號を攻破し関西の諸将が河間王を進攻し某王が東海王の処に出奔し終に殺害された——この注の人名は多く訛れ中に両処の墨釘があり、姑く梗概を存す。
太白の弧星を犯す 二十四
《荊州占》曰:“太白守弧星,弓弩矢貴,大將軍有千里之行,民多死者。”《玄冥占》曰:“太白守弧星,臣有謀主者,庫兵盡用,關梁四塞,津道不通,期二年。”
《荊州占》にいう、金星が弧星に停駐するのは、弓弩・箭矢が騰貴し大将軍に千里の征があり百姓に死傷が衆多であることを主る。《玄冥占》にいう、金星が弧星に停駐するのは、臣下に君主を図謀する者があり武庫の兵器が全部取り出され関カ・橋梁が処処に封閉され津渡・道路が通じないことを主り応験の期限は二年である。弧の九星は狼星の東南にあり形が弓を引いて狼に向かうようで天上の弓矢である。
太白の稷星を犯す 二十五
《海中占》曰:“太白犯天稷,有旱災,五穀不登,歲大飢,五穀散出。”
《海中占》にいう、金星が天稷を冒犯するのは、旱災が発生し五穀が熟さず年成が大いに飢え倉储の糧食が流散して出ることを主る。天稷の五星は七星の南にあり農事の官を主り稼穡の神の在る所である。
太白の甘氏中官を犯す 二
太白の四輔を犯す 一
《荊州占》曰:“太白犯乘守輔星,君臣失禮,輔臣有誅者。”
《荊州占》にいう、金星が輔星を冒犯・凌乗し停駐するのは、君臣の間に礼数を乖違し輔弼の臣の中に誅される人があることを主る。四輔の四星は北極を環衛し職は帝極を佐助し政令を頒行することにありゆえに人間の輔相をもってこれに当てる。
太白の天厨を犯す 二
《荊州占》曰:“太白犯天廚,大官事誅。”石氏曰:“太白守天廚,大官吏死。”
《荊州占》にいう、金星が天厨を冒犯するのは、太官が事によって罪を得て誅されることを主る。石氏がいう、金星が天厨に停駐するのは、太官の属吏が死亡することを主る。天厨の六星は紫微宮の東北にあり天子の飲食・盛饌を掌る。
太白の鼓旗を犯す 三
石氏曰:“太白守鼓旗,兵革起。”
石氏がいう、金星が鼓旗に停駐するのは、甲兵の事が発動することを主る。鼓旗の諸星は河鼓に附し軍中が鼓を擂き旗を竪て進退を号令する具を象徴しゆえに金星がこれを犯せば兵戎に応ずる。
太白の天田を犯す 四
《文曜鉤》曰:“發大兵相殘賊,則太白入天田。”《荊州占》曰:“太白守天田,五穀傷。”
《文曜鈎》にいう、人間が大軍を興発し彼此に残害・劫掠すれば天上には便ち金星が天田に侵入する星象をもってこれに応ずる。《荊州占》にいう、金星が天田に停駐するのは、五穀が害を受けることを主る。天田の二星は角宿の北にあり京畿の籍田である。
太白の天門を犯す 五
《荊州占》曰:“太白舍天門中,人主無出邦門之遠廊廣門,大有伏兵。”
《荊州占》にいう、金星が天門の中に止宿するのは、君主が国门を出て遠行してはならずそれらの長廊・大門の所在に行ってはならないことを主る。あそこには重兵が埋伏を布いているからである。天門の二星は角宿の南にあり外朝の門戸である。
太白の平道を犯す 六
甘氏曰:“太白入守平道,天下兵亂。”
甘氏がいう、金星が平道に入り停駐するのは、天下が兵戈に扰乱されることを主る。平道の二星は角宿の間に夾処し道路を平治し偏颇するところなき義を取る。
太白の酒旗を犯す 七
《文曜鉤》曰:“太白犯酒旗,三公九鄉謀。”《荊州占》曰:“太白守酒旗,天下大酺,有酒肉財物;若爵宗室。”
《文曜鈎》にいう、金星が酒旗を冒犯するのは、三公・九卿に別の図謀があることを主る——原書の「九郷」は「九卿」の訛。《荊州占》にいう、金星が酒旗に停駐するのは、天下に酺を賜り聚飲し酒肉・財物を頒下しあるいは宗室に爵位を封授することを主る。酒旗の三星は軒轅の右角の南にあり宴饗・酺食の政を主る。
太白の天高を犯す 八
《黃帝》曰:“太白以四月從東方來入天高,留三十日,民受賜;留五十日,兵起宮中。”郗萌曰:“太白入天高,成勾已,天下有憂。太白舍天高中,有奇令。”
《黄帝》にいう、金星が四月に東方から行き来して天高に入り三十日滞留するのは、百姓が賞賜を蒙受することを主る。五十日滞留すれば宮中に兵変が発生することを主る。郗萌がいう、金星が天高に入り行度が屈折して鈎巳の状を成すのは、天下に憂いがあることを主る。金星が天高の中に止宿するのは、常例に循わない号令を頒布することを主る。天高の四星は畢宿の南にあり高く登って遠く望む台榭である。
太白の礪石を犯す 九
《荊州占》曰:“太白守礪石,兵起,以入日占國。”
《荊州占》にいう、金星が礪石に停駐するのは、兵事の興起を主り金星が礪石に入ったその日の日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断できる。礪石の四星は五車の西にあり刀鋒を砥礪する磨石である。
太白の積尸を犯す 十
石氏曰:“太白守積尸,大人當之。”
石氏がいう、金星が積尸に停駐するのは、その応験は上位に居る大人物の身に落ちる。積尸の一星は鬼宿の中にあり望めば雲気のようで死喪と祭祀の事を主る。
太白の天潢を犯す 十一
《黃帝》曰:“太白入天潢中,天下大亂,易政;一曰貴人死;又曰兵起,軍起,道不通。”郗萌曰:“太白失度,留天潢,為人主憂,以水為害;若以井為害,以入日占其國。”
《黄帝》にいう、金星が天潢の中に入るのは、天下の大乱と政権の更易を主る。別の説では貴人が死亡する。また別の説では兵事が興起し軍旅が調発され道路が通じない。郗萌がいう、金星が行度を失い天潢に滞留するのは、君主に憂いがあり水が災害を成すことを主る。あるいは井泉が禍を致し、それが入った日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断できる。天潢の五星は五車の中にあり橋梁・津渡を主る。
太白の咸池を犯す 十二
《黃帝》曰:“太白入咸池中犯乘守之,在喪。”《春秋緯》曰:“太白入咸池,天下亂,易政,人君惡之。”石氏曰:“君死,皆以入日占其國。”甘氏曰:“太白入咸池,有兵喪,天子且以大敗失忠臣;若旱;一曰大水,道不通;貴人死,以入日占國。”石氏曰:“太白入天井,大臣為亂,國家易政令。”郗萌曰:“太白入咸池中,犯乘守之,若糴貴;一曰為有迷惑人主者。”《荊州占》曰:“太白中犯乘守咸池,大兵起,百萬人以上。”
《黄帝》にいう、金星が咸池の中に入り冒犯・凌乗しその間に停駐するのは、喪事があることを主る。《春秋緯》にいう、金星が咸池に入るのは、天下の動乱と政権の更易を主り君主の忌悪するところと為す。石氏がいう、君主の死亡を主りみな金星が入った日辰に按じていずれの国に応ずるかを推断する。甘氏がいう、金星が咸池に入るのは、兵禍と喪事が併せ見え天子がまさに一場の大敗によって忠臣を失うことを主る。あるいは旱に遭う。別の説では大水を発して道路が通じない。貴人が死亡し入った日に按じていずれの国に応ずるかを推断する。石氏がいう、金星が天井に入るのは、大臣が乱を作し国家が政令を更改することを主る——天井もまた五車の中にあり咸池と同じく水事を主る。郗萌がいう、金星が咸池の中に入り冒犯・凌乗しその間に停駐するのは、あるいは米価が騰貴する。別の説では人が君主を蛊惑する。《荊州占》にいう、金星が咸池を射中し冒犯し凌乗し停駐するのは、大挙して兵を興し動員が百万人以上であることを主る。咸池の三星は五車の中・天潢の南にあり魚囿・水沢の利を主る。
太白の天街を犯す 十三
郗萌曰:“太白當天街,為諸侯自立為主;一曰大水,若留止逆行其中,為兵革起。”《荊州占》曰:“太白守天街,兵塞道。”《文曜鉤》曰:“太白犯守天街,徘徊亂行,主弱臣強,道路絕,天下不通。”《荊州占》曰:“太白不行天街,為政令不行,不出其年,有兵。”
郗萌がいう、金星が天街に正対するのは、諸侯が自立して君と為ることを主る。別の説では大水を発する。もし金星がその中に滞留しあるいは逆行すれば兵戈の興起を主る。《荊州占》にいう、金星が天街に停駐するのは、兵衆が道路を阻塞することを主る。《文曜鈎》にいう、金星が天街を冒犯し停駐し往復・徘徊して行度が錯乱するのは、君が弱く臣が強く道路が断絶し天下が通行を得ないことを主る。《荊州占》にいう、金星が天街に循わず行くのは、政令が壅塞して施行できないことを主り応験はその年を出でずしかも兵事がある。天街の二星は畢・昴の間にあり中国と胡地の分界である。
太白の甘氏外官を犯す 三
太白の狗星を犯す 一
石氏曰:“太白守狗星,守衛之臣作亂。”
石氏がいう、金星が狗星に停駐するのは、守衛の職を担任する臣子が難を発して乱を作すことを主る。狗の二星は南斗魁の前にあり犬が能く戸戸を吠守し非常を警覚する義を取る。
太白の狗国を犯す 二
《荊州占》曰:“太白順行守狗國,出兵討鮮卑,烏丸;逆守之,其國為亂。”
《荊州占》にいう、金星が順行して狗国に停駐するのは、中原が兵を出して鮮卑・烏丸を討伐することを主る。もし逆行してその上に停駐すればそれらの部族の国が自ら乱を作す。狗国の四星は建星の東南にあり東北方の鮮卑・烏丸・沃沮の諸部に配属する。
太白の天田を犯す 三
郗萌曰:“太白提天田。出入大水;一曰五穀霜死。”
郗萌がいう、金星が天田に逼近するのは、洪水が氾濫して進退に常なきことを主る。別の説では五穀が霜凍に遭って枯死する。この天田の九星は牛宿の南にあり畿外の田を主り甘氏中官の角北の天田二星とは名は同じで位が異なる。
太白の哭泣を犯す 四
《宋書天文志》曰:“晉孝武太元四年十一月,太白犯哭星,占曰:天子有哭泣事。九月癸未,皇后王氏崩。孝武大明三年十月,太白犯哭泣,後六宮多喪,公主薨,天子舉哀;歲大旱,民飢。”
《宋書・天文志》にいう、晋の孝武帝太元四年十一月に金星が哭星を冒犯し占辞に天子にまさに哭泣の事があろうといい、九月癸未日に至って皇后王氏が去世した。宋の孝武帝大明三年十月に金星が哭・泣の二星を冒犯し此の後六宮が相ついで喪を辦し公主が亡故し天子が自ら挙哀し、その年にまた大旱に逢い百姓が飢困した。哭の二星・泣の二星は併せ虚宿の南にあり喪亡・哀哭を主る。
太白の八魁を犯す 五
《荊州占》曰:“太白守八魁,兵大起。”
《荊州占》にいう、金星が八魁に停駐するのは、大挙して兵を興すことを主る。八魁の九星は天苑の南にあり禽獣を捕捉する羅網の機阱で禁捕の事を張設することを主りゆえに征伐に応ずる。
太白の鈇鑕を犯す 六
《荊州占》曰:“太白犯鈇鑕五日以上,臣有謀主者。太白犯鈇鑕,誅執法之官。”郗萌曰:“太白犯乘鈇鑕,為鈇鑕用;一曰將有憂。”
《荊州占》にいう、金星が鈇鑕を冒犯して五日を超えるのは、臣下に君主を図謀する者があることを主る。金星が鈇鑕を冒犯するのは、執法の官が誅されることを主る。郗萌がいう、金星が鈇鑕を冒犯し凌乗するのは、腰斬の刑が屢々施用されることを主る。別の説では将帥に憂いがある。鈇鑕の五星は墳墓の北にあり鈇は斧刃で鑕は砧板でともに行刑の具である。
太白の芻藁を犯す 七
《黃帝》曰:“太白入芻藁中,主寶出;憂臣在內。”
《黄帝》にいう、金星が芻藁の中に入るのは、君主の宝貨が流散して外に在ることを主る。憂患はすなわち朝内の臣子の身に出る。芻藁の六星は天苑の西にあり牲畜を養う青草と乾秸である。
太白の九州殊口を犯す 八
《荊州占》曰:“太白守九州殊口,九州兵起。”
《荊州占》にいう、金星が九州殊口に停駐するのは、九州の各地が一斉に兵を興すことを主る。九州殊口の六星は狼星の北にあり四方の異族の殊異な口音を通訳することを職掌しゆえにその変は九州と外夷の間に応ずる。
太白の天節を犯す 九
《荊州占》曰:“太白守天節,大將以兵出。”
《荊州占》にいう、金星が天節に停駐するのは、大将が節を持して兵を領して出征することを主る。天節の八星は畢宿の下にあり使臣の執る旌節を象徴し命を奉じて出使し専ら征する信である。
太白の軍井を犯す 十
《荊州占》曰:“太白入軍井三日以上,其歲大小。”
《荊州占》にいう、金星が軍井に入り三日以上停留すれば便ちこれによりその年の年成の豊歉の大小を推断する。この句の底本の占辞は未完で文に脱字がある。軍井の四星は玉井の東南・参宿の左足の下にあり軍旅が水を汲む用を主る。
太白の天狗を犯す 十一
《荊州占》曰:“太白入天狗,北夷大飢,來歸;鄰國多土功。”
《荊州占》にいう、金星が天狗に入るのは、北方の夷狄が大飢饉に遭い前から来て帰附・内属し隣近の国はすなわち土木の役を大いに興すことを主る。天狗の七星は狼星の北にあり守御・戒備し盗賊を逐捕することを主る。
太白の天紀を犯す 十二
《荊州占》曰:“太白守天紀,天下兵悉。”
《荊州占》にいう、金星が天紀に停駐するのは、天下の兵衆が尽く出ることを主る。句末の「悉」字は疑わしく当に「起」と作るべきで兵事の興起を謂う。この天紀は甘氏外官に属し石氏中官の貫索の東の天紀九星とは同じ処ではない。
太白の天廟を犯す 十三
《黃帝》曰:“太白入一廟,若守之,為廟有事;一曰為凶,憂。”又曰:“太白入守天廟,有廟殘之事;吏不去死。”
《黄帝》にいう、金星が天廟に入りあるいはその中に停駐するのは、宗廟に事故があることを主る。別の説では凶を主り憂を主る——原書の「一廟」は当に「天廟」と作るべし。またいう、金星が天廟に入り停駐するのは、宗廟が毀損の事に遭うことを主る。廟事を執掌する官吏は一死を免れない。天廟の十四星は張宿の南にあり天子が祖先を祭享する所である。
太白の巫咸外官を犯す 四
太白の長垣を犯す 一
《感精符》曰:“太白入長垣,三公九卿主,兵大起,天下亂,王者有憂。”
《感精符》にいう、金星が長垣に入るのは、三公・九卿が君主の事を代わり大挙して兵を興し天下が動乱し王と為る者に憂いがあることを主る。長垣の四星は少微の西にあり辺地の垣墻のようで胡夷の侵擾の事を主る。
太白の土司空を犯す 二
《荊州占》曰:“太白入土司空,有大徭之事。”
《荊州占》にいう、金星が土司空に入るのは、朝廷に大いに徭役を興す事があることを主る。この土司空は巫咸外官に属し营造と力役の征発を掌りゆえにその変は徒役の繁興に応ずる。
太白の鍵閉を犯す 三
郗萌曰:“太白犯乘鍵閉星,大臣有悞天子不尊事天者,致大災於宗廟,天子崩;一曰王者不宜出宮下殿,有匿兵於宗廟中者。”
郗萌がいう、金星が鍵閉の星を冒犯し凌乗するのは、大臣の中に天子を貽誤し天子をして上天を敬奉することができざる者があり因而に大災を招いて宗廟に降り天子が駕崩することを主る。別の説では王と為る者は宮禁を出離し殿階を走り下るべきでない。人が兵刃を宗廟の中面に蔵しているからである。鍵閉の一星は房宿の東北にあり門上の鎖鑰と門閂で関防の啓閉を主る。
太白の天桴を犯す 四
《荊州占》曰:“太白守天桴,兵鼓起。”
《荊州占》にいう、金星が天桴に停駐するのは、戦鼓が敲響し兵事が発動することを主る。天桴の四星は河鼓の下・左旗の末にあり桴はすなわち鼓を撃つ木槌で河鼓と相配して軍中の号令を主る。
太白の天淵を犯す 五
《荊州占》曰:“太白守天淵,海水出,江河決;若海魚出。”
《荊州占》にいう、金星が天淵に停駐するのは、海水が上漲・漫溢し江河が堤を決することを主る。あるいは深海の魚が水面に浮き出る。天淵の十星は鼈星の東南・南斗の下にあり溝渠を灌溉し水を蓄える深池を主る。
太白の斧鑕を犯す 六
郗萌曰:“太白中犯乘守斧鑕,為斧鑕用;一曰兵將有憂。”《黃帝》曰:“太白入斧鑕,為大臣用。”《荊州占》曰:“太白犯守斧鑕,兵起。” 郗萌曰:“太白入斧鑕,大將誅。”《荊州占》曰:“太白犯斧鑕,誅執法之臣。”
郗萌がいう、金星が斧鑕を射中し冒犯し凌乗し停駐するのは、斧鑕の刑が頻々と施用されることを主る。別の説では兵を領する将に憂いがある。《黄帝》にいう、金星が斧鑕に入るのは、刑戮が大臣に加えられることを主る。《荊州占》にいう、金星が斧鑕を冒犯し停駐するのは、兵事の興起を主る。郗萌がいう、金星が斧鑕に入るのは、大将が誅されることを主る。《荊州占》にいう、金星が斧鑕を冒犯するのは、刑法を執掌する臣子が誅されることを主る。斧鑕は前の甘氏外官の鈇鑕と同じ物で名が異なりともに行刑の斧と砧である。
太白の天厩を犯す 七
《荊州占》曰:“太白入天廄,十日以上,廄馬有食變。太白守天廄,為廄災之事,人主以馬為憂;不則馬疾。”郗萌曰:“太白守天廄三十日,騎馬出。”
《荊州占》にいう、金星が天厩に入り十日以上停留するのは、馬厩の中の馬匹が草料・飲食の上に変故を出すことを主る。金星が天厩に停駐するのは、馬厩に災禍が発生し君主が馬匹を担憂することを主る。さもなければ馬匹が病に罹る。郗萌がいう、金星が天厩に停駐して三十日に満つるのは、騎兵・戦馬が出動することを主る。天厩の十星は閣道の北にあり車馬・伝駅の事を掌る。
辰星占一
辰星の名主 一
郗萌曰:“辰星七名:小、武星、天兔、安周、細爽星、能星、鉤星。”《荊州占》曰:“辰星一曰句星;一曰鼎星;一曰小霜;一曰音黃;一曰歲咸,吳龍。”《天官星占》曰:“辰星、北方之位,黑帝之子,宰相之象。一名安調;一名細極;一名能星;一名鉤星,一名伺星。辰主德,常行四種。”張楫《廣雅釋天篇》曰:“謂之爨星。”
郗萌がいう、水星に七つの名号がありそれぞれ小・武星・天兎・安周・細爽星・能星・鈎星である。《荊州占》にいう、水星はまた句星と叫ばれまた鼎星と叫ばれまた小霜と叫ばれまた音黄と叫ばれまた歳咸・呉龍と叫ばれる。《天官星占》にいう、水星は北方の位に居り黒帝の子で宰相を象徴する。その別名に安調・細極・能星・鈎星・伺星がある。水星は徳を主り常に四仲の月に運行して顕現する——原書の「四种」は当に「四仲」と作るべきですなわち仲春・仲夏・仲秋・仲冬。張揖《広雅・釈天篇》にいう、水星はまた爨星と叫ばれる。
《鴻範五行傳》曰:“辰星者,北方水精也;於五常為智,揚攉貪道;於五事為聽,不惑是非,智虧、聽失,逆冬令,則辰星為變怪,為水災,為四時不和。”(班固《天文志》曰:逆冬令,傷水氣,則罰見辰星。)《淮南子》曰:“北方水也,其帝顓頊,其佐玄冥,執權而治冬,其神為辰星,其獸玄武,其音羽,其日壬癸。”
《洪範五行伝》にいう、水星は北方の水気の精華である。五常の中に配して「智」に属し総括していえば智徳が一たび虧ければ貪冒の道に流れる。五事の中に配して「聴」に属し聴覚が聡明なれば是非に迷惑されない。倘若智徳に虧があり聴聞が聡を失い冬季の政令に違逆すれば水星はすなわち変異・怪象を顕し水災を招致し四時を失調させる。原書小注が班固《天文志》を引く——冬令に違逆して水気を傷つければ上天の懲罰はすなわち水星に顕現する。《淮南子》にいう、北方は水に属しそこの天帝は顓頊で輔佐の神は玄冥で彼らは権衡の柄を執掌して冬季を治理しその星神はすなわち水星でその配属の獣は玄武でその五音は羽でその日辰は壬・癸である。
《荊州占》曰:“辰星者,太陰之精,黑帝之子,立冬主北維,其國燕趙;於日壬癸;其位卿相。”又曰:“人君之象;天子執政,主刑;刑失者,罰出辰星之易是也。”《合誠圖》曰:“星主正常。”巫咸曰:“辰星主調和陰陽,節四時,效其萬物。辰星修,順之則喜,逆之則怒。”班固《天文志》曰:“辰星殺伐之氣,斗之象也。”《五行志》曰:“辰星為蠻夷。”
《荊州占》にいう、水星は太陰の気の精華で黒帝の子で立冬の時に北方の維を主りその主る分野の国は燕・趙である。日辰に配して壬・癸と為し朝位の上では公卿・宰相を象徴する。またいう、それもまた君主の象徴である。天子が政柄を執掌し水星が刑罰を主り刑罰が一たび失当すれば上天の懲罰はすなわち水星の変異を借りて顕示される。《合誠図》にいう、この星は正しく常道を端することを主る。巫咸がいう、水星は陰陽を調和し四時を節制し万物を験成することを主る。水星の徳は修整して序あることにありそれに順えば歓喜しそれに違えば震怒する。班固《天文志》にいう、水星は殺伐の気を帯びて北斗の象徴である。《五行志》にいう、水星は四方の蛮夷に対応する。
《荊州占》曰:“辰星主內謀,天下有急,一時憂出。辰星主刑罰,王者殺無辜,好暴逆,簡宗廟,重徭役,逆天時,則辰星伏而不效。主恩寬,赦有罪,輕徭役、賦斂;賑貧窮,調陰陽,和四時,則星效於四仲,天下和平,災害不生。”
《荊州占》にいう、水星は宮廷内部の謀議を主り、天下に一たび緊急の事があれば一つの時季を出でず憂患が便ち顕露する。水星は刑罰を主る。王と為る者が無辜を濫殺し暴虐・悖逆を好み宗廟の祭祀を怠慢し徭役を加重し天時に違背すれば、水星はすなわち潜伏・隠没して時に按じて顕現しない。君主がもし恩徳が寛厚で罪人を赦免し徭役・賦斂を軽減し貧窮を賑済し陰陽を調理し四時を燮和すれば、水星は便ち時に按じて四仲の月に顕現し天下が太平し災害が生じない。
《荊州占》曰:“辰星主刑獄;法官及廷尉人君宰相之治,重刑罰,惰法令,殺無罪,戮不辜,棄正法,貨賂上流;則辰星不效度,不時節,法官憂。”《荊州占》曰:“有軍於野,辰星為偏將之象;無軍於野,辰星為刑事之象。辰星主德,燕趙代以北,宰相之象。”石氏贊曰:“辰星效四時,和陰陽。”
《荊州占》にいう、水星は刑獄の事を主る。法官・廷尉および君主・宰相の治政がもし刑罰が苛重で法令が廃弛し無罪の人を殺害し清白の士を誅戮し正当の法度を拋棄し賄賂の風が朝廷に上行すれば、水星は常度に按じて顕現せず出没が時節に合わず掌法の官が因而に憂いがある。《荊州占》にまたいう、野外に軍隊が交戦する時は水星は偏裨の将を象徴し、野外に軍事がない時は水星は刑獄の事を象徴する。水星は徳を主り燕・趙・代以北の地に配し人事の上では宰相を象徴する。石氏の賛辞にいう、水星は四時に按じて応験・顕現し陰陽の気を燮和する。
辰星の行度 二
《洪範五行傳》曰:“辰星以上元甲子歲,十一月甲子朔旦,冬至夜半甲子時,與日月五星俱起牽牛前五度,右行,迅疾,常與日月相隨,見於四仲,以正四時,歲一周天。(案《曆法》:辰星夕見西方,三十日而伏,二十二日而晨見東方,而伏,伏入三十三日,一千五百四十分日之一千一百六十八奇六十六,復夕見西方,如初;一終凡一百一十五日一千一百七十八奇六十六,星行度數亦如之,是七十七年而二百四十九終也,星平行日一度,一年周天,舊說皆云辰星效四仲,以為謬矣。)
《洪範五行伝》にいう、水星は上元甲子のその年の十一月甲子日の清晨の朔旦・冬至の夜半の甲子時に、日・月と五星とともに牽牛宿の前五度から起算し右に順行し行度は迅疾で常に日月に伴随してともに運行し四仲の月に出現してもって四時を校正し一年で天を一周する。原書小注が《暦法》に按じて推算する——水星は夕方に西方に出現し三十日後に隠伏し、二十二日後に清晨に東方に出現し随いてまた隠伏し、隠伏して入って三十三日と千五百四十分の千一百六十八日強を経て再び一たび夕方に西方に出現し起初の如くである。一つの完整の周期は計して百十五日と千百七十八分強で星体の行く度数もまたこれと相当しゆえに七十七年でちょうど二百四十九個の周期を走り満たす。もし平行で計算すれば水星は毎日一度を行き一年で天を一周する。旧説はみな水星が四仲の月にのみ応験すると講じるがこの説法は誤りである。
丞相之象,一歲一周,出以四仲,天下和平;不出四仲、災變生;人民大飢,谷不榮;陰陽錯亂,國家傾;冬溫夏寒,害傷人。”《洛書》曰:“春分二日,辰星在奎,晨見東方,十八日而晨入東方;夏至二日,辰星在井,晨見東方,十八日而晨入東方;秋分二日,辰星在氐,昏出西方,十九日而昏入西方;冬至二日,辰星在女,昏出西方,十九日而昏入西方。”
水星は丞相の象徴で一年に天を一周し、もし四仲の月に按時に出現すれば天下はすなわち太平・和睦し、四仲に按じて出現しなければ災変が発生する——百姓が大いに飢え穀物が繁茂できず陰陽が錯乱し国家が傾危し冬に反って暖く夏に反って冷たく人身を傷害する。《洛書》にいう、春分の後の第二天に水星は奎宿にあり清晨に東方に出現し十八日後に清晨に東方に没入する。夏至の後の第二天に水星は井宿にあり清晨に東方に出現し十八日後に清晨に東方に没入する。秋分の後の第二天に水星は氐宿にあり黄昏に西方に出現し十九日後に黄昏に西方に没入する。冬至の後の第二天に水星は女宿にあり黄昏に西方に出現し十九日後に黄昏に西方に没入する。
《春秋緯》曰:“辰星出四仲,為初紀春分,夕出;夏至,夕出;秋分,夕出;冬至,晨出;其出常自辰戌入丑未。”《淮南子》曰:“辰星正四時,常以二月春分效奎、婁;(效,見也)以五月夏至,效東井、輿鬼;以八月秋分,效角、亢;以十一月冬至,效斗、牛;出以辰戌,入以丑未;出二旬,而復入;晨候之東方,夕候之西方。”
《春秋緯》にいう、水星が四仲の月に出現するのは一紀の開端と為す——春分に傍晚に出現し夏至に傍晚に出現し秋分に傍晚に出現し冬至に清晨に出現する。それが出現する方位は常に辰・戌にあり隠没する方位は常に丑・未にある。《淮南子》にいう、水星は四時を校正し常に二月の春分に奎宿・婁宿に応験する——原書小注、「效」はすなわち顕現の意である。五月の夏至に東井・輿鬼に応験し八月の秋分に角宿・亢宿に応験し十一月の冬至に斗宿・牛宿に応験する。それは辰・戌の位から出現し丑・未の位から隠没し出現して二十日後に重ねて隠入する。清晨は東方に行ってそれを观候し傍晚は西方に行ってそれを观候する。
石氏曰:“辰星仲春春分,暮出奎、胃東五舍,為齊;仲夏夏至,暮出東井、輿鬼、柳東七舍,為楚;仲秋秋分,暮出角、亢、氐、房東四舍,為漢中;仲冬冬至,晨出東方,與尾、箕、斗、牛俱出西方,為中國。”甘氏曰:“辰星是正四時;春分效婁;夏至效輿鬼;秋分效亢;冬至效牽牛。其出東方也,行星四舍,為日四十八日,其數二十日,而反入於西方。”
石氏がいう、水星は仲春の春分の時に傍晚に奎宿・胃宿以東の五宿の内に出現しその分野は斉の地である。仲夏の夏至の時に傍晚に東井・輿鬼・柳宿以東の七宿の内に出現しその分野は楚の地である。仲秋の秋分の時に傍晚に角・亢・氐・房以東の四宿の内に出現しその分野は漢中である。仲冬の冬至の時に清晨に東方に出現しまた尾・箕・斗・牛の諸宿とともに西方に出現しその分野は中国である。甘氏がいう、水星の職守は四時を校正することである——春分は婁宿に応験し夏至は輿鬼に応験し秋分は亢宿に応験し冬至は牽牛に応験する。それが東方に出現する時は四宿の地を歴行し期は四十八日でその中に顕現する数は二十日で随いて転じて西方に没入する——この数の底本に訛があり姑くその旧を存す。
皇甫謐《年曆》曰:“辰星春分立卯之月,夕效於奎、婁;(宋均曰:常以二月春分見婁)夏至立午之月,夕效於東井;秋分立酉之月,夕效於角、亢;(宋均曰:見角亢)冬至立子之月,晨效於斗牛;出以辰戌,入以丑未。(宋均曰:二旬入,晨候之東,夕候之西。)其星將出,必先陰風,辰之情也。”
皇甫謐《年暦》にいう、水星は春分の在る建卯の月に傍晚に奎宿・婁宿に顕現する——原書小注が宋均を引く、常に二月の春分に婁宿に見える。夏至の在る建午の月に傍晚に東井に顕現する。秋分の在る建酉の月に傍晚に角宿・亢宿に顕現する——原書小注が宋均を引く、角・亢に見える。冬至の在る建子の月に清晨に斗宿・牛宿に顕現する。辰・戌の位から出現し丑・未の位から隠没する——原書小注が宋均を引く、二十日後に隠入し清晨は東方に观候し傍晚は西方に观候する。この星はまさに出現する前に必ず先ず陰雲と風を起こす。これは水星の本性が然らしめる。
巫咸曰:“辰星出四仲,以正四時;出孟,天下大亂,更王。(班固《天文志》曰:漢高之時,辰星出四孟,後二年,漢滅楚也。)出四季,彗星出,有敗國;一曰諸侯不反命。”《尚書緯》曰:“文政失於冬,辰星不效其節。”《孝經援神契》曰:“辰星出仲,德和柔。”
巫咸がいう、水星が四仲の月に出現するのはもって四時を校正する。もし四孟の月に出現すれば天下の大乱と君王の改換を主る。原書小注が班固《天文志》を引く——漢の高祖の時に水星が四孟の月に出現し二年の後に漢は便ち楚を滅ぼした。もし四季の月に出現すれば彗星がそれに随って出現し国家の敗亡があろう。別の説では諸侯がもはや天子に復命しない。《尚書緯》にいう、文治の政が冬季に失当すれば水星はそれが有るべき時節に按じて顕現しない。《孝経援神契》にいう、水星が四仲の月に出現するのは、徳教が和順・柔美であることを主る。
巫咸曰:“辰星出,常不見,山海且有聚卒,辰星受制,則閉門合,無通客,斷罰殺當罪,節關梁,禁流徙。”郗萌曰:“太白不出,辰星獨出西方,兵起不戰,辰星入,兵罷。”《荊州占》曰:“太白不出,辰星獨出東方,天下有兵,罷;無兵,有德令。”
巫咸がいう、水星が本より出現すべきなのに常に見えないのは、山林・海隅の間にまさに兵卒が聚集しようとすることを主る。水星がすでに抑制を受けたならば人事の上で戸戸を関閉し賓客を通じず刑罰を断決しその罪に当たる者を処死し関隘・橋梁の往来を節制し百姓の流徙を禁止すべきである。郗萌がいう、金星が出現せず水星だけが単独に西方に出現するのは、兵を興しても交戦せず水星が隠没するを待って兵事が便ち停息することを主る。《荊州占》にいう、金星が出現せず水星だけが単独に東方に出現し、もし天下にまさに兵事があれば兵事は便ち罷息し、もし本より兵事がなければまさに恵を施す徳政の号令を頒下せんとする。
辰星の相・王・休・囚・死 三
《荊州占》曰:“辰星之相也,從立秋以至秋之盡,其色即當精明,無芒角,不搖光。辰星之王也,從立冬以至冬之盡,其色則當比奎大星,而青白有精光,冬至之時有芒角。辰星之休也,從立春以至春之盡,其色則當無精光,微小而蒼黃。辰星之囚也,從立夏以至夏之盡,其色即當赤黑而不明。
《荊州占》にいう、水星は水に属し金が水を生ずるゆえに立秋から秋末に至るまでがその「相」の時でこの時その色は当に精純にして明亮で芒角なく光芒が閃動しない。冬季は水気が令に当たるゆえに立冬から冬末に至るまでがその「王」の時でこの時その色は当に奎宿の大星と比較し得べく青白にして精光を帯び冬至に至って還って芒角を現出する。水が木を生じ母気が退居するゆえに立春から春末に至るまでがその「休」の時でこの時それは当に精光なく星体が微小にして蒼黄の色を呈する。夏季は火が旺え水が克を受けるゆえに立夏から夏末に至るまでがその「囚」の時でこの時その色は当に赤黒にして明亮でない。
辰星之死也,從仲夏以至夏之盡,及四季,其色則當赤,細小,微不明;又辰星之死也,從仲夏以至夏之盡,及四季,不行,有囚色;秋不下霜,有死色;禾稼不成,雷電不藏;其留守也,其國破亡;其進舍也,與五星舍,其下有殃;其退舍也,五星及之,不可舉事用兵。”
土が水を克するゆえに仲夏から夏末に至るまでおよび辰戌丑未の四季の月は水星の「死」の時でこの時その色は当に赤を発し星体が細小で微弱にして明亮でない。またいう、水星が死の時に処し仲夏から夏末に至るまでおよび四季の月にもしそれが停行して動かなければ囚色を現出したのであり、秋に霜が降らなければ死色を現出したのであり、これにより禾稼が成熟せず雷電が收藏すべき時節に到ってなお止息しない。この時それがもし滞留・停駐すればその分野の国はまさに破敗・滅亡し、それがもし前進して一宿し五星と同じく一宿に処すればその下の国に禍殃があり、それがもし後退して一宿し五星がまたそれに追及すればすなわち大事を興挙し兵戈を動用すべからずである。
甘氏曰:“當其王也,而有相色,大臣專政,令不行;有休色,冬不水;有囚色,冬無霜雪;有死色,冬有霧,日不明,雷電行;其留守也,其國不詳;其進舍也,與五星合,天下有謀;其退舍也,五星及之,不可舉事,用兵。
甘氏がいう、水星が当に「王」の時なのに「相」の時の色を現出するのは、大臣が朝政を専擅し君令が推行し下らないことを主る。「休」の時の色を現出するのは、冬に雨雪が降らないことを主る。「囚」の時の色を現出するのは、冬に霜雪がないことを主る。「死」の時の色を現出するのは、冬に霧が多く日光が昏暗で雷電が反常に発作することを主る。この時それがもし滞留・停駐すればその分野の国は不吉であり、もし前進して一宿して五星と相合すれば天下に暗中に図謀する人があることを主り、もし後退して一宿して五星が追及すれば大事を興挙し兵戈を動用すべからずである。
當其休也,而有王色,是謂不祥,人主弊,臣下縱橫;有相色,將相君臣不和;有囚色,夏不雨,天旱;有死色,六月大疫,傷貴人,有土功;其留守也,其國多小兒喪;其進舍也,五星合,其下有水災;其退舍也,五星及之,不可舉事,用兵。
水星が当に「休」の時なのに「王」の時の色を現出するのは、これを不祥と呼び君主が蔽を受けて困弊し臣下が横行・无忌であることを主る。「相」の時の色を現出するのは、将相と君臣の間が不和であることを主る。「囚」の時の色を現出するのは、夏に雨が降らず天時が乾旱であることを主る。「死」の時の色を現出するのは、六月に大疫が発生し貴人を傷ししかも土木の工役があることを主る。この時それがもし滞留・停駐すればその分野の国に幼儿の夭亡が多く、もし前進して一宿して五星と相合すればその下の国に水災があり、もし後退して一宿して五星が追及すれば大事を興挙し兵戈を動用すべからずである。
當其囚也,而有王色,則夏雨雪霜,蟄蟲生,雷電行;有相色,秋有暴兵;有休色,流水湯湯;有死色,有暴獄,大臣受殃;其進舍也,與五星合,有德令;其退舍也,五星及之,其下之國,不可舉事,用兵。
水星が当に「囚」の時なのに「王」の時の色を現出すれば、便ち夏に雪が降り霜が落ち蟄伏する虫豸が反常に土より出で雷電が頻々と発作する。「相」の時の色を現出するのは、秋に突発の兵禍があることを主る。「休」の時の色を現出するのは、流水が浩蕩・泛溢することを主る。「死」の時の色を現出するのは、暴濫の獄訟が発生し大臣が禍殃を蒙受することを主る。この時それがもし前進して一宿して五星と相合すれば恵を施す徳政の号令を頒下することを主り、もし後退して一宿して五星が追及すればその下の国は便ち大事を興挙し兵戈を動用すべからずである。
當其死也,而有王色,貴人疾疫;有相色,臣下疾疫;有休色,庶人疫;有囚色,大旱;其進舍也,與五星合,其年不登,政令重,使者相望;其退舍也,五星及之,其下之國,有兵不成。”
水星が当に「死」の時なのに「王」の時の色を現出するのは、貴人が疫病に染まることを主る。「相」の時の色を現出するのは、臣下が疫病に染まることを主る。「休」の時の色を現出するのは、平民・百姓が疫に遭うことを主る。「囚」の時の色を現出するのは、大旱を主る。この時それがもし前進して一宿して五星と相合すればその年の年成が欠収し政令が繁重・苛急で往来して命を伝える使者が道に絡繹と絶えないことを主り、もし後退して一宿して五星が追及すればその下の国はすなわち兵を挙げても成し遂げられない。
五星の光色・芒角 四
甘氏曰:“候辰星以冬壬癸,此王氣色,當如其常,色變則失所也。”《荊州占》曰:“辰星色比織女大星,為正色;青比左角,赤比參右肩,黑比亢,此辰星之常色也。”《禮斗威儀》曰:“居水而王,辰星揚光。”
甘氏がいう、水星を观候するには冬季の壬・癸の日に要す。その時はまさにそれが王に当たる気色で色は当に常態に合すべく色が一たび変わればすなわち本位を失う。《荊州占》にいう、水星の色は織女の大星に比し得べきをもって正色と為す。青を発する時は角宿の左星に比べ、赤を発する時は参宿の右肩に比べ、黒を発する時は亢宿に比べる——これらは皆水星の常色である。《礼斗威儀》にいう、水徳が運に当たり王と為る時に水星は光芒が煥発する。
《春秋緯》曰:“辰星之效也,其色春青黃;夏赤白若赤黃;秋青白,國有德令;冬黃而不明,皆無傷也。則變厥也,其時不昌;辰星當效而出,色白為旱;黃為福,又為五穀熟;赤為兵;黑為水;青為疫。”
《春秋緯》にいう、水星が時に按じて顕現する時、春は青黄の色を呈し夏は赤白あるいは赤黄の色を呈し秋は青白の色を呈して国に徳政の号令があり冬は黄色を呈して甚だ明亮でない——これらはみな妨害する所なし。もし色が反常して変異すればその季節は便ち昌盛できない。水星が顕現すべき時に到って出現し色が白を発すれば旱を主り黄を発すれば福を主りまた五穀の豊熟を主り赤を発すれば兵を主り黒を発すれば水を主り青を発すれば瘟疫を主る。
石氏曰:“其國失刑,失冬政,則辰星易色。辰星在東方,其色赤,中國勝;其出西方而赤,倍海國勝;天下無兵於外而赤,則兵起。辰星其色黃而小,出而易處,天下之災變而不義美矣。辰星之制也,仲夏五月而出,則當赤黑色;今反青黑,其時多水;晚出為帚星,必有空國。”巫咸曰:“辰星四時皆變其色,不出其年,君以女憂亡;一曰以女樂亡。”《荊州占》曰:“辰星正旗而出,破軍殺將,視旗所指,順而擊之,大勝。”石氏曰:“辰星芒角為毀,則君蔽,期九年,奸與三九二十七年,亂不禁。”
石氏がいう、一国の刑罰が失当で冬季の政令が失宜なれば水星は便ち顔色を改変する。水星が東方にありて色が赤を発するのは、中原が勝を得ることを主る。西方に出現して赤を発するのは、海を背く一帯の国が勝を得ることを主る。天下の境外に本より兵事がないのにそれが赤を発すれば兵事がまさに起きようとする。水星の顔色が黄を発して星体が細小で出現の後また位置を改換するのは、天下の災変がまさにこれより不善に転じようとすることを主る。水星の常制に按ずれば仲夏の五月に出現するには当に赤黒の色であるべし。今反って青黒の色を呈すればその時節に水患が多い。もし遅遅として才だに出現して形が掃帚の星のようならば必ず国がこれに空虚となる者がある。巫咸がいう、水星が四季に皆本色を改変するのは、応験がその年を出でず君主がまさに女色の禍によって亡ぼうとすることを主る。別の説では女楽に沉溺して亡ぶ。《荊州占》にいう、水星が端正して旗の如く出現するのは、軍を破り将を殺すことを主り旗芒の指す方向を觀察しその指向に順って攻撃すれば大勝を獲得できる。石氏がいう、水星が芒角を現出するのは毀敗の象で君主が蒙蔽されることを主り期を九年と為し奸邪が滋長して再び三倍を加え二十七年に至れば禍乱は禁絶できない。
辰星の盈縮・失行 五
《春秋緯》曰:“辰星其時宜效而不效,為失律,天下有兵不出,兵在外不戰。辰星三時不出,兵甲大起;四時不出,天下更政。”《元命包》曰:“刑失,則簡宗廟,廢祭祀,故辰星不以時出,當寒反溫,四時錯政。”
《春秋緯》にいう、水星が顕現すべき時節に到って顕現しないのは、これを常律を失うと呼び天下に軍隊あれども出動せず軍隊がすなわち外にあれども交戦しないことを主る。水星が三つの時季連ねて出現しないのは、兵甲が大いに起きることを主る。四つの時季とも出現しないのは、天下が政権を更改することを主る。《春秋元命包》にいう、刑罰が一たび失当すれば便ち宗廟を怠慢し祭祀を荒廃する。ゆえに水星が時節に按じて出現せず寒冷すべき時に反って温暖で四時の政令が錯乱する。
《春秋緯》曰:“辰星失其時而出,當寒反溫,當溫反寒,政反清濁、同倫也。”《考靈曜》曰:“政失於冬,辰星不效其鄉。”《孝經鉤命》曰:“失信則辰星縮,天下大水,歲不豐熟。”
《春秋緯》にいう、水星が時節に按じずして出現すれば便ち冷たいべき時に反って暖かく暖かいべき時に反って冷たい。これは政令の清濁が顛倒し善悪が分かれず同列に一等される故である。《尚書考霊曜》にいう、政令が冬季に失当すれば水星はそれが処すべき方位の上に顕現しない。《孝経鈎命決》にいう、君主が信義を失えば水星の行度は便ち縮退し天下に大水を発し年成が豊熟できないことを主る。
石氏曰:“辰星當出而不出,謂之擊;卒伏而待,兵大起,豪傑發。”甘氏曰:“辰星政緩則不出,急則不入,非時則占。邦將大飢,辰星出不以時。”
石氏がいう、水星が出現すべきなのに出現しないのはこのような情形を「撃」と呼びそれが猝然として潜伏して時機を待つのは、大規模に兵を興し豪傑の士が勢いに乗じて起きることを主る。甘氏がいう、政令が寛緩なれば水星は便ち出現せず政令が急迫なればそれは遅遅として隠没を肯んじない。およそ時節に合わない出没はみなこれに拠って占断すべきである。国家にまさに大飢饉があろうとする時に水星は便ち時に按じて出現しない。
巫咸曰:“辰星一時不出,其時不和,兵起;二時不出,二時不和,一曰名水大出;三時不出,三時不和,兵甲大起;四時不出,天下大飢,有決水流,殺人民;一曰有孛星出於東方。
巫咸がいう、水星が一つの時季出現しないのは、その時季の気候が失和ししかも兵事が興起することを主る。二つの時季出現しなければ二つの時季が失和し別の説では名ある江河が大水に泛漲する。三つの時季出現しなければ三つの時季が失和し兵甲が大いに起きる。四つの時季とも出現しなければ天下の大飢饉を主り堤防が決口し洪水が横流して百姓を淹死させる。別の説では孛星が東方に出現する。
辰星春不見,期百八十日,大風發屋折木,秋不實,不見婁,長稼傷,乃見彗星。辰星夏不見,期百六十日,旱;冬則不藏,不見輿鬼,中稼傷,乃見月食。
水星が春に出現しないのは、百八十日を期としてまさに大風が屋頂を掀翻し樹木を吹折し秋に作物が結実できないことを主る。もし婁宿に顕現すべきなのに見えなければすでに長成した庄稼が損を受け随いて還って彗星が出現する。水星が夏に出現しないのは、百六十日を期として乾旱を主り冬に至ってはすなわち蟄蔵すべき者が蟄蔵できないことを主る。もし輿鬼に顕現すべきなのに見えなければ中熟の庄稼が損を受け随いて還って月食が出現する。
辰星秋不見,期百八十日,有兵不見亢,稚稼傷。辰星冬不見,期百八十日,陰雨六十日,有流民,夏則不長,不見牽牛,民大流;辰星上出四孟,天下亂;一曰天下更王。”
水星が秋に出現しないのは、百八十日を期として兵事があることを主る。もし亢宿に顕現すべきなのに見えなければ晩熟の庄稼が損を受ける。水星が冬に出現しないのは、百八十日を期として連綿の陰雨六十日を主り百姓が流離・失所し夏に至って庄稼が生長できないことを主る。もし牽牛に顕現すべきなのに見えなければ百姓がまさに大批に流亡せんとする。水星が常位を越出して四孟の月に現るのは、天下の大乱を主る。別の説では天下が君王を改換する。
《洪範五行傳》曰:“辰星出孟,易王之表也;漢高三年,辰星出四孟;後二年,漢滅楚也。”
《洪範五行伝》にいう、水星が四孟の月に出現するのは君王を改易する徴表である。漢の高祖三年に水星が四孟の月に出現し二年を過ぎて漢朝は便ち項羽の楚国を滅ぼした。
“辰星一時而再見,兵起;其行右,兵右行,行左,兵左行;有兵兵罷;一曰辰星一時再出,色赤而角。不出其年中而兵起。辰星亂行,流水湯湯,兵革搶搶;使之不殺,治溝渠,通水道;如此則止。辰星出天南,大潦;出北,大旱。”
水星が一つの時季の内に両度出現するのは、兵事の興起を主る。それが右に行けば兵馬は便ち右に開抜し左に行けば兵馬は便ち左に開抜し、もし原本すでに兵事があれば兵事は罷息する。別の説では水星が一季の内に両度出現し顔色が赤を発して芒角を帯びればすなわちその年を出でず兵を興す。水星の運行が錯乱するのは、流水が浩蕩・泛濫し兵戈が扰攘・紛起することを主る。それをして殺傷を造成しないに至らしめんとすれば溝渠を修治し水道を疏通すべきでこのようすれば災禍は便ち止息できる。水星が天の南方に出現するのは大涝を主り北方に出現するのは大旱を主る。
《海中占》曰:“辰星出四孟,為月食;出四季,彗星。主好破壞名山,雍塞大川,通谷,名水,則辰星不出;歲大旱,草木不長,禽獸牛馬不蕃,五穀不滋,民多病,體癰疽。辰星逆行一舍,以其時水出。”
《海中占》にいう、水星が四孟の月に出現するのは月食を主り四季の月に出現するのは彗星の出現を主る。君主がもし名山を毀壊し大川・通谷と著名の水道を壅塞することを好めば水星は便ち出現を肯んじない。随いて年成が大旱し草木が生長できず禽獣・牛馬が繁殖できず五穀が滋育できず百姓に病が多く身上に癰疽が生ずる。水星が逆行して一宿すればすなわちその時節に大水が涌出する。
《京房對災異》曰:“人君內無仁義,外多華飾,則辰星失度,不救,必有逆主之謀;其救也,明刑、慎罰、審法,心中無縱,功治城郭;可以聘士來賢,廣恩行惠,則災消矣。”
《京房対災異》にいう、君主が内裏に仁義の実なく外表に虚華の粉飾が多ければ水星は便ち行度を失常する。もし补救を加えなければ必ず人が君主に反叛を図謀する者がある。补救の弁法は刑典を申明し罰を審慎に用い法度を詳察し内心に放縱せず併せて城郭を興工・修治しさらに士人を延聘し賢者を招徠し恩沢を広く布き恵政を施行すれば災異はすなわち消解する。
《荊州占》曰:“辰星出,不待其時;當水反旱,當旱反水。辰星不以時效者,用刑罰不中,辰星一時不效,其時不和;二時不效,風雨不適;三時不效,水旱不調;四時不效,王者憂綱紀,天下饑荒,人民流亡,去其鄉。
《荊州占》にいう、水星が出現して有るべき時節を待たないのは、便ち水の多いべき時に反って乾旱し乾旱すべき時に反って水が多い。水星が時に按じて顕現しないのは刑罰が用い不当なためである。水星が一つの時季顕現しないのは、その時季の気候が失和する。二つの時季顕現しなければ風雨が節令に合わない。三つの時季顕現しなければ水旱が調剤を失う。四つの時季とも顕現しなければ王と為る者は綱紀が敗壊するを憂え天下が飢饉し百姓が流亡して故郷を離棄する。
辰星不效四仲,則春多苦雨,夏多悽風;當溫反寒,當寒反溫;陰陽不和,五穀不成。辰星出四季,有破軍。”巫咸曰:“辰星出四季,敗國。”
「辰星」はすなわち水星でありそれは太陽から最も近く常に晨昏の際に地平線に貼り付いて出没し常年日光の裏に隠伏する。ゆえに古人はそれが出現すべき時に出現するか否か・隠伏すべき時に隠伏するか否かを占験の第一の大事と看作する。それは刑罰を主り北方と冬季を主り后妃と庶子を主る。本条は上文に承接して続けていう、水星がもし春分・夏至・秋分・冬至の値する「四仲」の月に按期に応験できなければ春はすなわち陰冷・苦雨が多く夏はすなわち凄厲の寒風が多く温暖すべき時に反って寒冷で寒冷すべき時に反って温暖であり陰陽の二気が調和を失い五穀がこれにより成熟できない。水星がもし辰・未・戌・丑のこの「四季」の月に出現すれば軍隊が撃破される者があることを主る。巫咸がいう、水星が四季の月に出現するのは国家の敗亡の徴候である。
《荊州占》曰:“辰星春不見,期百日,必有暴風疾雨,而傷苗稼;夏不見,為旱、飢,期九十日,有流民;秋不見,期六十日,大水;冬不見,五穀不藏,人民流亡;四時俱不見,河海決波。仲女為妖彗,見於二十八宿;各以其舍,命其國。辰星縮,天子失卒,臣害作。辰星亂行,甲兵鏘鏘,上見四孟,改政易王;見於四仲,陰陽和,五穀成;下見四季,寇賊相望,政失綱。辰星變色而逆,其國殃;留守環繞不去,其國大凶,無道。水星一南一北,寒於禾稷,侯王有憂。辰星行諸列宿,失道;乘陽為水,乘陰為旱。”
《荊州占》にいう、水星が春季に出現すべきなのに出現しないのは、応期を百日として必ず暴風・急雨が禾苗・庄稼を傷害する。夏季に出現しないのは、旱災と飢饉を主り応期を九十日として流亡の百姓があろう。秋季に出現しないのは、応期を六十日として大水を主る。冬季に出現しないのは、五穀が倉に収められず百姓が流散・逃亡する。四季とも出現しないのは、江河・湖海が堤を決し波を翻す。水星はもと后妃・庶子の類の陰柔の象を主り一たび妖異の彗形に変じて二十八宿の中に出現すればすなわちそれが停留する星宿の分野に按じて応験がいずれの諸侯国にあたるかを判定する。水星の行度が遅緩・退缩するのは、天子が兵卒を喪失し臣下が乱を作して害を為すことを主る。水星の運行が錯乱すればすなわち甲冑・兵器が鏗鏘と響き兵事がまさに起きようとする。それが上に寅・巳・申・亥の「四孟」の月に出現するのは、政令を改換し君王を更易することを主る。「四仲」の月に出現するのは、すなわち陰陽が調和し五穀が豊熟する。下に「四季」の月に出現するのは、すなわち盗賊が四起して道に相望じ朝政が綱紀を失う。水星が顔色を変じまた逆行するのは、その分野の国に禍殃がある。停留・環繞して某宿を守住して久しく去らないのは、その国が大凶で国君が道なきの応験である。水星が忽ち南に忽ち北にするのは、禾稷が寒に遭い害を受け諸侯王に憂患がある。水星が列宿の間を運行して常道を偏離し北面の「陽道」を壓臨すれば水災を主り南面の「陰道」を壓臨すれば旱災を主る。
石氏曰:“辰星出孟月,天子尊師習兵,有殺謀。”郗萌曰:“辰星出西丁未間,天下大旱,赤地千里。”
石申がいう、水星が寅・巳・申・亥のこの四つの「孟月」に出現するのは、天子が軍師を尊崇し兵事を演習し暗中に別に誅殺の謀劃があることを主る。郗萌がいう、水星が西方の丁位と未位の間に出現するのは、天下の大旱と土地の焦裂し千里の内に寸草が生えないことを主る。
辰星の昼見・経天 六
石氏曰:“辰星晝見,其國不亡則大亂。”《荊州占》曰:“辰星經天,凶。”
「昼見」は星が白天に太陽と同時に見えるをいい「経天」は星が白昼に中天を横过するをいう。水星はもと光が弱くまた常に日光の中に隠伏するのに白天に竟然としてそれが見えるのは極めて反常の天象である。石申がいう、水星が白昼に出現するのは、それが対応する分野の国は滅亡でなければ大乱である。《荊州占》にいう、水星が白天に中天を横过するのは凶を主る。
辰星の変異・生足・大 七
《龍魚河圖》曰:“天辰之氣,主司災;其精下為先農之神。”巫咸曰:“辰星下為女子,止於都津。”石氏曰:“辰星之為雲,如曲流水,災期四月。”《春秋緯》曰:“辰星生足,故主走,新主入。”
《竜魚河図》にいう、天上の辰星の気は専ら災異を管しその精気が人間に下降すればすなわち「先農」の神と為る。巫咸がいう、水星の精が人間に下降して女子に化し都城の渡口に停留する。石申がいう、水星の気が雲形に化成し形が一道の弯曲の流水のようで災禍の応期は四箇月の内にある。《春秋緯》にいう、水星の傍らに附着する光芒が生じ形状が脚のようであるのはこれを「生足」と呼び旧の君主の出走と新の君主の入立を主る。
石氏曰:“辰星始出東方而大,天下有兵。”巫咸曰:“辰星失其常,賊入且昌,社稷傾,亡事行,修鼓革,男女更,治事不治。”《荊州占》曰:“辰星出東方,白而大,有兵於外解;色黃,國有福,五穀熟;色赤,旱,為兵;色黑,為水;青,為憂;白,喪。”
石申がいう、水星が剛に東方から出現する時に形体が特別に大きいのは、天下に兵事があることを主る。巫咸がいう、水星が常度を失い盗賊が侵入してしかも日に日に猖盛となり国家・社稷が傾覆し行う所が皆亡国の事で戦鼓・皮革を修治して兵戎に備えることに忙しく男女の位次が錯乱・更易し政事は表面は治まって実際はその治を得ないことを主る。《荊州占》にいう、水星が東方に出現し色白にして形が大きいのは、境外の兵事が解散を得ることを主る。顔色が黄を発すれば国家に福があり五穀が豊熟する。顔色が赤を発すれば旱を主りまた兵を主る。顔色が黒を発すれば水災を主る。顔色が青を発すれば憂患を主る。顔色が白を発すれば喪事を主る。
巫咸曰:“辰星小而失常,主近無益之臣妾,內亂,兵起。”《天官書》曰:“辰星黃而小,出而易處,天下之文,變而不善矣。”巫咸曰:“辰星小而動。兵小起;大動,兵大起。”《文曜鉤》曰:“辰星小而色黃,地大動。”《荊州占》曰:“辰星始出東方,小而不明,天子有無益事。辰星小而色黃,當雨反旱,當旱反雨。”
巫咸がいう、水星の形体が細小にして常度を失うのは、君主が国に益なき臣妾・近習を親近し内部に乱を生じ兵禍が興起することを主る。《史記・天官書》にいう、水星が色黄にして形が小さく出現の後また位置を改換するのは、天下の文教・制度がまさに変壊せんとすることを主る。巫咸がいう、水星の形が小さく微微と晃動するのは、兵事が小さく起きる。晃動が甚だしければ兵事が大きく起きる。《文曜鈎》にいう、水星の形が小さく色が黄なるは、大地が震動することを主る。《荊州占》にいう、水星が初めて東方に出て形が小さく明亮でないのは、天子が無益の事を為すことを主る。水星の形が小さく色が黄なるは、雨が降るべき時に反って乾旱し乾旱すべき時に反って雨が降ることを主る。
辰星の流と列宿の合斗 八
巫咸曰:“辰星流,君臣倍,有反事;一曰流若明,明信有事。”石氏曰:“辰星流出,天下有大水,太子、御史,諸官多死。”
巫咸がいう、水星が流移して定まらないのは、君臣が互相に背離し反叛の事があることを主る。別の説では水星が流移して光色が明亮なればすなわち応験する事は確実に信ずべし。石申がいう、水星が流散して出るのは、天下に大水があり太子・御史および各級の官員に死亡が多いことを主る。
《荊州占》曰:“辰星與宿合東方,臣伐主。”巫咸曰:“辰星與宿合,若關西方,期六月,強國宮中有事。”班固《天文志》曰:“辰星與他星過而斗,(晉灼曰:妖星,彗、孛之屬也。)一曰五星;天下大亂,出於房心間,地動。”
いわゆる「合」は両星が同度に相会するをいい、いわゆる「斗」は彼此に逼近して相争う如くなるをいう。《荊州占》にいう、水星と列宿が東方で相合するのは、臣下が君主を討伐することを主る。巫咸がいう、水星と列宿が相合しもし西方に関渉すれば応期を六箇月として強国の宮廷の中に変故があろう。班固《漢書・天文志》にいう、水星と別の星が相経過して彼此に逼近し争闘するのは(原書小注、晋灼がいう、ここの「他星」は妖星を指し彗星・孛星の類である)別の説では五星を指す——天下の大乱を主りもし房宿・心宿の間に発生すればすなわち地震がある。
辰星の穰気・暈・彗 九
《黃帝占》曰:“辰星生氣而為黑穰,明日大霧,暮時大雨;不出六十日,所在宿獨大水。”《孝經內記》曰:“辰星生氣而為黑穰者,不出六十日,牛馬羊皆貴三倍。”《荊州占》曰:“辰星出穰氣一丈,大水。”
「穰気」の原文は「穰」と作り星の傍らに涌起する一団の気を指し星体の変異の一種である。《黄帝占》にいう、水星が気を生出して黒色の穰気と為るのは、第二天に大霧があり傍晚に大雨がある。六十日を出でずそれが在るその一宿の分野の地に単独に大水が発する。《孝経内記》にいう、水星が気を生じて黒色の穰気と為るのは、六十日を出でず牛・馬・羊の価銭がみな三倍に漲る。《荊州占》にいう、水星が涌出する穰気が一丈に高达するのは、大水を主る。
《孝經右秘》曰:“辰星冠珥,帝不明;三月之中,正陽滅弱;下力強,陰制政,反蔽陽;佞人出,世有兵。辰星冠珥,王失土。”巫咸曰:“辰星白暈,邊有兵;其失色,兵,其國凶。辰星白暈,邊有水、兵,患三年乃止。”
「冠」は星の上方に生出する短気で帽のようであり「珥」は星の両旁に生出する短気で耳飾のようであり「暈」は星体を環繞する光圈である。《孝経右秘》にいう、水星に冠あり珥あるは、帝王が明ならざるを主る。三箇月の内に純正の陽気が衰滅・減弱し下位の者の勢力が強盛となり陰気が朝政を挟制して反って陽気を遮蔽し奸佞の人が進用を得て世間に兵禍がある。水星に冠あり珥あるは、君王が土地を喪失することを主る。巫咸がいう、水星の外に白色の暈環があるのは、辺境に兵事があることを主る。暈環が本色を失うのは、兵の起こることを主りその分野の国に凶禍がある。水星に白暈あるは、辺境に水患と兵禍があり為害が三年して乃ち止むことを主る。
郗萌曰:“辰星出彗東北,不出三月,兵聚其下。”(司馬彪《天文志》曰:光武建帝三十年閏月甲午,水在東井二十度,生白氣,東南指,焰長五尺,為彗,東北行至紫宮西潘工,白氣為喪,有焰作彗,彗,所以除積,紫宮天子之宮,彗加其蕃,除宮之象,後三年,光武崩。)
郗萌がいう、水星が東北方に彗状の芒尾を生出するのは、三箇月を出でず兵衆がそれが応ずる分野の下に聚集しよう。(原書小注、司馬彪《続漢書・天文志》にいう、光武帝建武三十年閏月甲午日に水星が東井宿の二十度上に白気を生出し東南を指向し光焰の長さ五尺で彗状を形成し東北に行って紫微宮の西藩に至った。白気は喪事を主り白気が光焰を生出して彗形を成し彗星はもって積秽を掃除するもので紫宮は天子の宮廷で彗気が宮垣の上に加臨するのはまさに宮室を清掃する象で三年の後に光武帝が駕崩した。)
開元占経 巻五十四・辰星占二
辰星の東方七宿を犯す
辰星の角を犯す 一
《黃帝占》曰:“辰星出中道,天下太平;出陽道,旱;出陰道,多雨,多陰謀;乘左角為旱;乘右角為水、兵,小戰。乘右角,將相,若后家族有坐法死者。近角合斗,女子為天下害,大臣殺主。留兩角間,關梁不通,軍有寡,國庭邊境不通。守角,王者刑罰急,國有帝者,天下大亂;又為水災,一曰多水災;一曰五穀不成;又曰大水滂滂,民往來舟船相望。守左右角,黑為水;赤為旱;青為憂;白為喪。守角中央,為大臣憂。”
角宿の二星は東方の蒼龍の角で左角と右角の間はすなわち天門で黄道が中から通過する。《黄帝占》にいう、水星が黄道の正中の「中道」の上を走るのは、天下の太平を主る。北面の「陽道」に偏するのは、旱を主る。南面の「陰道」に偏するのは、多雨と多くの陰謀を主る。左角星を壓臨するのは旱を主る。右角星を壓臨するのは水災と兵事を主り小規模の戦闘がある。右角を壓臨するのは、将相あるいは皇后の家族の中に法を犯して処死される人があることを主る。角宿に逼近してそれと相迫するのは、女子が天下に禍を為す者があり大臣が君主を弑殺することを主る。左右の両角の間に停留するのは、関隘・橋梁が通じず軍中の兵員が短缺し国都・朝廷と辺境の音信が隔絶することを主る。角宿を守住するのは、君王の刑罰が苛急で国中に別に帝と称する人があり天下が大乱することを主る。また水災を主り一説では水災が多く一説では五穀が熟さずまた洪水が浩蕩して百姓の往来は船に頼るのみで船隻が水上に相望むという。左角あるいは右角を守るのは、星の色が黒を発すれば水を主り赤を発すれば旱を主り青を発すれば憂を主り白を発すれば喪を主る。両角の正中に守るのは、大臣に憂いがあることを主る。
辰星の亢を犯す 二
辰星舍亢,歲小水,焦旱不至。辰星數入亢,其國疫病。乘亢左星,萬物不成,五穀貴。乘右星,為大兵,有奇令。乘若守亢左星,為水;乘右星,為大兵,為有擊者;逆乘滅右星,為大人憂。守亢,多盜,賊、兵並起,人民相惡。逆行守亢,為中央。入亢而犯守之,名曰陰閉三光,大水滂滂,無有立牆。
亢宿の四星は角宿の東にあり天子の内朝で疾疫と刑法を主る。水星が亢宿に停舍するのは、その年に小水災があり焦灼の旱情は到来しないことを主る。水星が屢々亢宿に入るのは、その分野の国に瘟疫があることを主る。亢宿の左辺の星を壓臨するのは、万物が成らず五穀が価貴なるを主る。右辺の星を壓臨するのは、大きな兵事があり朝廷に非常の詔令があることを主る。亢宿の左星を壓臨あるいは守住するのは水を主る。右星を壓臨するのは大兵を主り攻撃の事があることを主る。逆行して壓臨し右星を掩滅するのは、貴人に憂いがあることを主る。亢宿を守住するのは、盗匪が衆多で賊寇と兵禍が一斉に興起し百姓が彼此に仇恨することを主る。逆行して亢宿を守るのは、応験は中央の地にある。亢宿に入りまた冒犯しその中に守留するのは「陰閉三光」と呼ばれすなわち陰気が日月星の三光を閉塞するのであり洪水が浩蕩して立つことのできる一堵の墻さえ留めないことを主る。
辰星の氐を犯す 三
辰星入氐犯守,貴臣暴憂,法官有獄事。乘氐右星,天下有大水,大兵;天子有自將兵於野。守氐,其下七日有水,守十八日,有兵大起,遠九十日。守氐,多惡風,天下大旱,谷不成;天下大疫,國易政。守氐,多為水災。
氐宿の四星は亢宿の東にあり天子の休憩する所でまた后妃を主る。水星が氐宿に入り冒犯し守留するのは、顕貴の大臣が突如として憂患に遭い刑法を掌る官員に訟獄の事があることを主る。氐宿の右辺の星を壓臨するのは、天下に大水があり大きな兵があり天子がまさに自ら兵を領して野外に出征せんとすることを主る。氐宿を守住するのは、その分野の下に七日の内に水があることを主る。十八日守り足れば兵事が大いに起き遠ければ九十日に応ずる。氐宿を守るのは、また悪風が多く天下が大旱し穀物が熟さないことを主る。天下が大疫し国家が政令を更改する。氐宿を守るのは、また多く水災を主る。
辰星の房を犯す 四
郗萌曰:“辰星入房三道,為天子有子。入房十日,成勾已,為天子忌之,以赦解之。守房,人民多暴死者;又為良馬出廄;或有暴誅,大臣相害,乘天下,道不通;一曰天下水起,不則有兵。守鉤鈴,地裂;若山崩。
房宿の四星は氐宿の東にあり天子が政を布く明堂で四星を車を駕る四匹の馬に比し星間に上・中・下の三条の通道があり傍らに別に鈎鈐の二星がある。郗萌がいう、水星が房宿の上中下の三道に入るのは、天子が子を生ずることを主る。房宿に入り十日し留・逆により「勾巳」のような曲折の軌跡を走出するのは、天子が当に忌諱あるべきことを主り大赦をもって化解する。房宿を守住するのは、百姓に暴死する者が多いことを主る。また良馬が厩を出ることを主る。あるいは突然の誅戮があり大臣が互相に残害し天下を凌壓し道路が通じない。一説では天下に水を発しさもなければ兵禍がある。房宿の傍らの鈎鈐二星を守住するのは、地が裂くことを主る。あるいは山が崩れる。
辰星犯守房,馬大貴,若大赦。入守房心間,地動。守房,為人主無下堂;又曰東去而復遠,成勾已,為后夫人有喪;一曰為大飢,人相食,死者不葬;又曰守南,以水起兵。守房,為天下諸侯相謀,慮道不通;一曰天下易王,大人喪,有反逆臣。
水星が房宿を冒犯し守住するのは、馬価が大貴しあるいは大赦があることを主る。房宿と心宿の間に入り守るのは、地震を主る。房宿を守るのは、君主が殿堂を走り下るべからずを主る。またいう、水星が東に行き去り其の後また行き愈々遠く「勾巳」の曲折の状を走出するのは、皇后・夫人に喪事があることを主る。一説では大飢饉を主り人が人を食い死者に埋葬する人がない。またいう、房宿の南辺に守るのは、水患によって兵を起こすことを主る。房宿を守るのは、天下の諸侯が互相に図謀し思慮が阻隔し道路が通じないことを主る。一説では天下が君王を更換し貴人に喪があり反逆の臣子が出現する。
逆行守房心,天子被藥酒死;一曰宮人食糟糠。犯房,谷大貴,大飢;犯若守房,有白衣之會;一曰為天下相誅;若犯左右驂,大人中相誅。犯房,奸臣有謀。
水星が逆行して房宿・心宿を守住するのは、天子が毒酒によって害死することを主る。一説では宮中の人が酒糟・米糠を食するの余あるを主る。房宿を冒犯するのは、穀価が大貴し大きな飢饉があることを主る。房宿を冒犯しあるいは守住するのは、白衣を穿く喪事の集会があることを主る。一説では天下が互いに誅殺することを主る。もし房宿の左右両側の驂星を冒犯すれば貴人が朝中で互いに誅殺することを主る。房宿を冒犯するのは、奸臣が暗中に図謀があることを主る。
辰星留逆犯守乘陵房左右驂,若左右服,皆為主崩;臣有謀,陰所中將謀;逆行乘陵中道,天子失位而亡;順行乘陵中道,天下和平。辰星犯乘鉤鈐,大臣有悞天子不尊事天者,致大災於宗廟;王者不宜出宮下殿,有謀匿於宮廟中者。犯鉤鈐,王者憂。中犯乘陵房星者,國君憂;色青,憂喪;赤、憂積尸成山;黑,有將相誅;白芒角,大哭。”
水星が房宿の左驂・右驂あるいは左服・右服に(房宿の四星は車を駕る四馬に比され外側の両星を驂といい内側の両星を服という)停留し逆行し冒犯し守留し凌壓するのは、みな君主の駕崩を主る。臣下に陰謀があり暗中に人に中傷されてまさに謀逆を生ぜんとする。逆行して房宿の中道を凌壓するのは、天子が位を失い亡ぶことを主る。順行して中道を凌壓すればすなわち天下が和平する。水星が鈎鈐の二星を冒犯・凌壓するのは、大臣が君主を耽誤し君主をして恭敬に天に事えること能わざる者があり因而に宗廟の大災を招致することを主る。君王は宮廷を走出し殿堂を歩み下るべきでない。図謀する人が宮廟の中に藏匿しているからである。鈎鈐を冒犯するのは、君王に憂いがあることを主る。正中から房宿の諸星を冒犯・凌壓するのは、国君に憂いがあることを主る。星の色が青を発すれば憂う所は喪事であり赤を発すれば憂う所は屍体が山の如く積まれることであり黒を発すれば将相に誅される者があることを主り白を発して芒角を生出すれば大哭の事があることを主る。
辰星の心を犯す 五
辰星犯天子,王者絕嗣;犯太子,不得代;犯庶子,庶子不利。辰星經心,清明烈照,天下內奉明王,帝心延年。合心,玄色不明,有喪。
心宿の三星で中央のその大星を「天王」と称しまた天子星と叫ばれ前面の一星は太子で後面の一星は庶子で三星は合わせて「明堂」と称す。水星が中央の天子星を冒犯するのは、君王が後嗣を断絶することを主る。前面の太子星を冒犯するのは、太子が継位できないことを主る。後面の庶子星を冒犯するのは、庶子が不利を主る。水星が心宿を経過して光色が清明で照耀が強烈なのは、天下が皆朝内に賢明の君王を奉戴し帝王の心が延年を得ることを主る。心宿と相合して星色が暗黑にして明ならざるは、喪事があることを主る。
守心,以水滅火,三日不去,主服女藥,大臣相戮,山川大潰,水溢滂滂;一曰大人以外兵死;色黃,增地;色白,有義於天下;一曰陰侵於陽,臣謀其主;又曰天下大敗,易王;一曰大臣弒主。
水星が心宿を守住するのは——心宿は火に属し水星は水に属しこれは水をもって火を滅す象である——三日停留して離れ去らないのは、君主が婦人の進める薬を服食し大臣が互相に殺戮し山川が大規模に崩壊し洪水が浩蕩・漫溢することを主る。一説では貴人が外来の兵禍に死ぬことを主る。星色が黄を発すれば疆土を增益することを主る。星色が白を発すれば義徳が天下に施されることを主る。一説ではこれは陰気が陽気を侵犯するので臣下が君主を図謀する。またいう、天下の大敗と君王の更換を主る。一説では大臣が君主を弑殺することを主る。
逆行守房心,天子被藥酒死;一曰官人食糟糠,辰星中犯乘守心,明堂,大人憂,大臣當之;在陽、為燕;在陰,為胡;期十月、遠三年。逆行犯心、明堂、環繞成勾已,為大人憂;期六月,若遠三年,赦以解之。
水星が逆行して房宿・心宿を守住するのは、天子が毒酒によって害死することを主る。一説では宮中の人が酒糟・米糠を食するの余あるを主る。水星が正中から心宿・明堂を冒犯・凌壓・守住するのは、貴人に憂いがあり応験は大臣の身に落ちることを主る。陽位に発生すれば燕の地に応じ陰位に発生すれば胡の地に応じ応期は十箇月で遠ければ三年である。逆行して心宿・明堂を冒犯しその傍を環繞して「勾巳」の曲折の状を走出するのは、貴人に憂いがあることを主り応期は六箇月で遠ければ三年で大赦をもって化解できる。
辰星中犯乘守心、明堂,皆為內亂,臣欲殺主,有亡國;近期十月,中期一年,遠期二十八年;又曰大臣當之。留逆犯守乘陵心星者,宮內賊亂,臣下有謀易王;權在宗家及得勢大臣。
水星が正中から心宿・明堂を冒犯・凌壓・守住するのは、みな内乱を主り臣下が君主を殺害しようと欲し亡国の禍がある。近ければ応期は十箇月で中は一年で遠ければ二十八年である。またいう、応験は大臣の身に落ちる。心宿の諸星を停留・逆行・冒犯・守留・乗凌するのは、宮廷内部の賊乱を主り臣下が君王を更換することを図謀し権柄が宗室と勢いを得た大臣の手裏に落ちる。
辰星の尾を犯す 六
辰星入尾,天下大水,江河決溢,魚鹽貴三倍。辰星入九江,天下多水。守尾者,為大人女君惡之。辰星守尾,大飢,人相食,民異其國;君子賣衣,小人賣子,妃后亂。
尾宿の九星は東方の蒼龍の尾でまた後宮の嬪妃の次序を象徴しその傍に九江星がある。水星が尾宿に入るのは、天下の大水と江河の決口・漫溢と魚と鹽の価銭が三倍に漲ることを主る。水星が九江星に入るのは、天下に水が多いことを主る。尾宿を守住するのは、貴人と女主がみなこの天象を厭悪することを主る。水星が尾宿を守るのは、大飢饉を主り人が人を食い百姓が他国に流散し君子は衣裳を変売し小民は児女を売却し妃嬪・皇后が淫乱する。
守尾,執政得事;又曰以水起兵,其年必成;一曰疾病。守尾、箕,後宮有省者;一曰後宮有罪廢者。守尾,為用事者當之,天下牢開,大赦;一曰天下大水,萬物不成,民多疾疫。留逆犯守乘陵尾,皇后以珠王簪珥惑天子者;誣讒大起,后相貴臣誅,宮人出走,兵起宮門。
尾宿を守るのは、政を執る人が事を辦して手を得ることを主る。またいう、水患によって兵を起こしその年は必ず事を成す。一説では疾病を主る。尾宿・箕宿を守住するのは、後宮に裁減される人があることを主る。一説では後宮に罪を得て廃される人がある。尾宿を守るのは、応験が権を当て事を用いる人の身に落ち天下の牢獄が打開し大赦を実行することを主る。一説では天下に大水があり万物が成らず百姓に疫病を生ずる者が多い。尾宿を停留・逆行・冒犯・守留・乗凌するのは、皇后が珠玉・簪珥の類の服飾をもって天子を迷惑し誣陷・讒毀の風が大いに起き皇后・丞相と顕貴の大臣が誅され宮人が出逃し兵禍が宮門から発することを主る。
辰星の箕を犯す 七
辰星犯箕,河水大溢;若入箕中,伺其出日而數之,皆期三十日,兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。若入箕,天下大赦;一曰牢開;一曰大人當之。守箕,皆為其歲水;一曰皆為女主憂;合箕,用事者坐之。
箕宿の四星は東方の蒼龍の末にあり形が簸箕のようで風を主りまた口舌の是非を主る。水星が箕宿を冒犯するのは、河水が大いに漲り漫溢することを主る。もし箕宿の中に入ればすなわちそれが出る日を守候して推算しみな三十日を期として兵事が発動する。さらにそれが始めて入った位置に按じて折算し入ること一日をすなわち十日を期として軍隊が罷散する。もし箕宿に入れば天下の大赦を主る。一説では牢獄が打開することを主る。一説では応験が貴人の身に落ちる。箕宿を守住するのは、みなその年に水があることを主る。一説ではみな女主に憂いがあることを主る。箕宿と相合するのは、権を当て事を用いる人がこれにより罪を得るべきである。
出箕,谷大貴,天下大旱飢,死過半。守箕,中國有大兵,執政者當之;若守之七日以內,禍災起,若有疾風解之。守箕,若角動,色黑,貴者有棄損,自戮死,守箕,歲大旱,大災,萬物不成。
箕宿の中から出るのは、穀価が大貴し天下が大旱・大飢し死者が半ばを過ぐることを主る。箕宿を守るのは、中原に大きな兵事があり応験が政を執る人の身に落ちることを主る。もし七日以内に守留すれば災禍が興起しもし疾風に適逢すれば化解できる。箕宿を守るのは、もし星の芒角が閃動し顔色が黒を発すれば顕貴の人に棄置・貶損される者があり甚だしきは自殺して死ぬことを主る。箕宿を守るのは、その年の大旱と大きな災があり万物が成らないことを主る。
開元占経 巻五十五・辰星占三
辰星の北方七宿を犯す
辰星の南斗を犯す 一
石氏曰:“辰星犯南斗,為赦。”巫咸曰:“辰星入南斗口中,大臣誅;一曰不用眾而有天下。”郗萌曰:“辰星入南斗,天下受爵祿;期六十日,若九十日。”《文曜鉤》曰:“辰星之南斗,天下大水,五穀傷,人民飢。辰星居南斗河戍間,道不通。”
南斗の六星は北方の玄武の首にあり天上の爵禄の府でまた寿命を主る。石申がいう、水星が南斗を冒犯するのは、大赦を主る。巫咸がいう、水星が南斗の斗口の中に入るのは、大臣が誅されることを主る。一説では大衆を動用せずして天下を取得できる。郗萌がいう、水星が南斗に入るのは、天下の人が爵位・俸禄を授与されることを主る。応期は六十日あるいは九十日。《文曜鈎》にいう、水星が南斗に到るのは、天下の大水と五穀が傷を受け百姓が飢餓することを主る。水星が南斗と天河の戍星の間に停まるのは、道路が通じないことを主る。
《黃帝占》曰:“辰星守斗,有兵;赤而角,天下敗;白而大,裂地,相賂為和;黑而小,其國亡。”石氏曰:“辰星守南斗,在北,民凍死;在西,虎狼多入邑;在南,狗多死;在東,女子多死。”劉向《洪範傳》曰:“辰星守南斗,不可舉事;用兵必受其殃。”
《黄帝占》にいう、水星が南斗を守住するのは、兵事があることを主る。星色が赤を発して芒角を生ずれば天下の敗亡を主り色白にして形が大きければ土地を割裂し財貨をもって相賄賂して講和することを主り色黒にして形が小さければその分野の国が滅亡することを主る。石申がいう、水星が南斗を守り斗の北辺に守るのは、百姓が凍死することを主る。西辺に守れば虎狼が常に城邑に闖入することを主る。南辺に守れば狗に死が多いことを主る。東辺に守れば女子に死が多いことを主る。劉向《洪範伝》にいう、水星が南斗を守るのは、大事を興辦すべからずを主る。兵を用いれば必ず禍殃を遭受する。
甘氏曰:“辰星守南斗,若角動,色青黑,萬民大死,橋樑不通,天下水起。辰星失次守南斗,所守者誅。”郗萌曰:“守南斗,有兵;易正朔。”陳卓曰:“辰星守南斗,萬物不成,五穀傷。”石氏曰:“辰星犯南斗,留守之,破軍殺將。”司馬彪《天文志》曰:“辰星犯南斗,有戮將;若有死相。”
甘徳がいう、水星が南斗を守りもし星の芒角が閃動し顔色が青黒なれば万民に死亡が大批で橋梁が通じず天下に水を発することを主る。水星が正常の次序を失して南斗を守るのは、それが守るその一分野の人が誅されることを主る。郗萌がいう、南斗を守るのは、兵事があることを主る。暦法・正朔を更改すべきである。陳卓がいう、水星が南斗を守るのは、万物が成らず五穀が傷を受けることを主る。石申がいう、水星が南斗を冒犯し停留して守るのは、軍隊が撃破され将領が殺されることを主る。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、水星が南斗を冒犯するのは、将領が殺される者がありあるいは丞相が死亡することを主る。
辰星の牽牛を犯す 二
郗萌曰:“辰星乘牽牛,為人相棄於道。”陳卓曰:“辰星乘牽牛,穀貴;天下大水。”巫咸曰:“辰星守牽牛,為五穀不成。”《感精符》曰:“辰星守牽牛,國以水為敗,犧牲疫,牛多死。”《春秋緯》曰:“辰星守牽牛,牛先賤,後貴。”
牽牛はすなわち牛宿で六星あり祭祀に用いる犠牲を主りまた関梁・橋渡を主る。郗萌がいう、水星が牽牛を凌壓するのは、人々が道路上で彼此に棄すてることを主る。陳卓がいう、水星が牽牛を凌壓するのは、穀価が貴く天下に大水があることを主る。巫咸がいう、水星が牽牛を守るのは、五穀が熟さないことを主る。《感精符》にいう、水星が牽牛を守るのは、国家が水患によって敗れ祭祀に用いる牲畜が疫を生じ牛が大量に死亡することを主る。《春秋緯》にいう、水星が牽牛を守るのは、牛価が先ず賤く後に貴いことを主る。
石氏曰:“辰星守牽牛,水湧為敗,大牛多死。辰星守牽牛,民有自賣者;歲多水災,萬物不成,五穀傷;一曰地氣洩,貴人多死。”甘氏曰:“辰星守牽牛,有犧牲之事;若使人以四足蟲為虎來者;色青、有病;色黑、有死喪。”《海中占》曰:“辰星守牽牛,歲多水;民歸兵陵,齊燕尤甚。”
石申がいう、水星が牽牛を守るのは、大水が涌起して災を成し大牛が大批に死亡することを主る。水星が牽牛を守るのは、また百姓に身を売って奴と為る者があることを主る。その年に水災が多発し万物が成熟できず五穀が傷を受ける。一説ではこれは地気が外泄する徴候で貴人に死亡が多い。甘徳がいう、水星が牽牛を守るのは、祭祀に牲を用いる事があることを主り牛宿が本より犠牲を主ればこそである。あるいは人が四足の虫獣を誤認して老虎と為して前から来て報訊する。星色が青を発すれば疾病があることを主る。星色が黒を発すれば死喪があることを主る。《海中占》にいう、水星が牽牛を守るのは、その年に水が多いことを主る。百姓が迫られて兵営に投附し高地に逃げ上って水を避け斉の地・燕の地一帯が尤其に厳重である。
郗萌曰:“辰星守牽牛,民人死喪;一曰穀貴,民多流亡。”《荊州占》曰:“辰星守牽牛,關梁不通。”陳卓曰:“辰星守牽牛,臣謀其主。”甘氏曰:“辰星犯牽牛,留守之,為有破軍殺將。”陳卓曰:“辰星犯牽牛,湧水出。”
郗萌がいう、水星が牽牛を守るのは、百姓に死亡して喪があることを主る。一説では穀価が昂貴で百姓が大批に流亡する。《荊州占》にいう、水星が牽牛を守るのは、関隘・橋梁が通じないことを主りこれは正しく牛宿が本より関梁・津渡を主るに応ずる。陳卓がいう、水星が牽牛を守るのは、臣下が君主を図謀することを主る。甘徳がいう、水星が牽牛を冒犯し停留して守るのは、軍隊が撃破され将領が殺されることを主る。陳卓がいう、水星が牽牛を冒犯するのは、涌水が暴発して出て水患を釀成することを主る。
《北官候》曰:“辰常以冬朝牽牛,當朝不朝,名曰失律;二時不朝,名曰失政;三時不期,五穀不登。”郗萌曰:“辰星急過牽牛一度,過水一動;二度,過水二動;二度,過水三動;四度,過水四動;五度,過水小出;六度,過水大出,地為之動。”
《北官候》にいう、水星は北方と冬季を主るゆえに常に冬季に牽牛に朝会し来るべき朝会に来ず朝会しないのを「失律」と呼び二つの時節に来て朝会しないのを「失政」と呼び三つの時節に期を失して至らないのは五穀が成熟できないことを主る。郗萌がいう、水星が急速に牽牛を経過して一度すれば水は便ち一次動き二度を経過すれば水が両度動きまた二度を過ぎれば水が三度動き四度を経過すれば水が四度動き五度を経過すれば水が略々涌出し六度を経過すれば水が大量に涌出し大地もまた随いて震動する。
辰星の須女を犯す 三
《黃帝占》曰:“辰星守須女,其國當有娶婦、嫁女之事,若他國來貢女者;一曰兵起,大臣當之。”石氏曰:“辰星守須女,為有女喪。”巫咸曰:“辰星守須女,為萬物不成。”《海中占》曰:“天下水雨,無濟者,至關東盡然。”郗萌曰:“為后夫人有變妾為主;一曰為大水且至,若守須女南,其地數被火;守其北,數被水。”
須女はすなわち女宿で四星あり布帛・嫁娶を主りまた女工の事を主る。《黄帝占》にいう、水星が須女を守るのは、その分野の国に当に妻を娶り女を嫁がせる事がありあるいは別国が前から来て女子を進貢することを主る。一説では兵事の興起を主り応験は大臣の身に落ちる。石申がいう、水星が須女を守るのは、女子の喪事があることを主る。巫咸がいう、水星が須女を守るのは、万物が成らないことを主る。《海中占》にいう、天下に雨水が災を成し渡るべき処なく函谷関以東に至るまでみなこのようである。郗萌がいう、皇后・夫人に変故があり妾室が正室に升ることを主る。一説では大水がまさに至ろうとしもし須女の南辺に守ればその一帯は屢々火災に遭い北辺に守れば屢々水災に遭う。
石氏曰:“辰星犯守須女,女主御世,天下大赦,其國驚水,國大亂。”《荊州占》曰:“天下多寡女;若子死,繒帛貴。”陳卓曰:“天下有雨災,萬物不成,國飢,民多疾。”陳卓曰:“辰星逆行留犯守陵須女,天子及大臣有變,必有奇政令。”
石申がいう、水星が須女を冒犯し守住するのは、女主が朝に臨み天下を統御し天下が大赦を実行しその国に水患の驚擾があり国中が大乱することを主る。《荊州占》にいう、天下に寡居の婦女が多いことを主る。もし子女に死亡があればすなわち絲織・繒帛の価銭が昂貴する。陳卓がいう、天下に雨災があり万物が成らず国中が飢饉し百姓に病が多いことを主る。陳卓がいう、水星が逆行・停留・冒犯・守留・凌壓して須女するのは、天子と大臣に変故があり必定に非常の政令があろうことを主る。
辰星の虚を犯す 四
《洛書》曰:“辰星犯虛,大臣為謀主,有兵起,其國必敗。”甘氏曰:“辰星犯虛,其邦多水災。”《洛書》曰:“辰星躍入虛,有兵起。”《文曜鉤》曰:“辰星躍入虛,得所欲。”巫咸曰:“辰星入虛中,伺其出日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”
虚宿の二星は北方にあり喪事・哭泣を主りまた廟堂の祭祀を主る。《洛書》にいう、水星が虚宿を冒犯するのは、大臣が謀乱の主使と為り兵事が興起しその分野の国が必定に敗亡することを主る。甘徳がいう、水星が虚宿を冒犯するのは、その邦国に水災が多いことを主る。《洛書》にいう、水星が跳躍して虚宿に入るのは、兵事が興起することを主る。《文曜鈎》にいう、水星が躍入して虚宿するのは、求める事が如願できることを主る。巫咸がいう、水星が虚宿の中に入りそれが出る日を守候して推算し二十日を期として兵事が発動する。さらにそれが始めて入った位置に按じて折算し入ること一日をすなわち十日を期として軍隊が罷散する。
郗萌曰:“辰星入虛,為有德。”《春秋緯》曰:“辰星之虛,兵起;大水出。”郗萌曰:“辰星在虛東,春水;虛南,夏水;虛西,秋水,虛北,冬雷、雨水。”《黃帝占》曰:“辰星守虛,雨水常降,流溢滂;其國失綱,人民流亡。”石氏曰:“辰星守虛,國內亂;一曰政急,天下大亂;天下虛,大人憂。”
郗萌がいう、水星が虚宿に入るのは、国家に徳政があることを主る。《春秋緯》にいう、水星が虚宿に到るのは、兵事が興起し大水が暴発して出ることを主る。郗萌がいう、水星が虚宿の東にあるは、春に水があることを主る。虚宿の南にあるは、夏に水があることを主る。虚宿の西にあるは、秋に水があることを主る。虚宿の北にあるは、冬に雷を打ち雨を降らし水を発することを主りこれは四方に按じて四時に配して分判する。《黄帝占》にいう、水星が虚宿を守るのは、雨水が常に降り泛濫・漫溢しその分野の国が綱紀を失い百姓が流亡することを主る。石申がいう、水星が虚宿を守るのは、国内が動乱することを主る。一説では政令が苛急で天下が大乱する。また「虚」の字の義を取り天下が空虚で貴人に憂いがあることを主る。
甘氏曰:“辰星守虛,若角動,青色,臣有欺君者;有兵,有喪於國內。”《海中占》曰:“辰星守虛,有兵災;丁壯行徭,妻子獨居,萬室虛;一曰春旱秋水,五穀不成。”郗萌曰:“辰星守虛,有武臣誅,國必亡;一曰中山水出,人民無所居,從山而處,災生日並見。”《荊州占》曰:“辰星犯乘虛,若冬守其陽,色赤黃,旱;萬物不成,亂兵起。”
甘徳がいう、水星が虚宿を守りもし星の芒角が閃動し顔色が青を発すれば臣子が君主を欺瞞する者があることを主る。兵事があり国内に喪がある。《海中占》にいう、水星が虚宿を守るのは、兵災があることを主る。壮丁が全て徭役に服するに徴され妻子が独自に家を守り万戸の人家が空空蕩蕩である。一説では春が乾旱して秋が水涝し五穀が成熟できない。郗萌がいう、水星が虚宿を守るのは、武臣に誅される者があり国家が必定に滅亡することを主る。一説では中山一帯に水を発し百姓に居住する処なく止むを得ず山に依って居し災異が日食と一同に出現する。《荊州占》にいう、水星が虚宿を冒犯・凌壓しもし冬にその陽位に守り星色が赤黄なれば旱を主る。万物が成熟できず乱兵が興起する。
辰星の危を犯す 五
《荊州占》曰:“辰星犯入危,奸臣謀主;一曰天下大亂,若賊臣起。”巫咸曰:“辰星之危,霖雨百日,其國大水,五穀不成,人民飢。”石氏曰:“辰星守危,糴大貴;天下起兵,兵大發。”
危宿の三星は虚宿の東にあり天府・天市と屋宇の营造を主り傍らにまた墳墓の四星がある。《荊州占》にいう、水星が危宿を冒犯し入るのは、奸臣が君主を図謀することを主る。一説では天下が大乱しあるいは賊臣が興起する。巫咸がいう、水星が危宿に到るのは、連綿の大雨百日とその分野の国に大水を発し五穀が熟さず百姓が飢餓することを主る。石申がいう、水星が危宿を守るのは、糧を買う価銭が大貴し天下が兵を興し兵事が大いに起きることを主る。
甘氏曰:“辰星守危,大臣有戮刑,法官有憂;一曰皇后憂病,兵喪並起。”《海中占》曰:“辰星守危,天下兵大發。”郗萌曰:“其國破危;一曰為大人蓋屋事;若逆行守危,其君簡祭祀。”陳卓曰:“辰星犯守危,國多水災。”郗萌曰:“辰星守墳墓,為人主有哭泣之事。”
甘徳がいう、水星が危宿を守るのは、大臣が殺戮の刑に遭い法を掌る官員に憂いがあることを主る。一説では皇后が憂愁して病を生じ兵禍と喪事が一同に発生する。《海中占》にいう、水星が危宿を守るのは、天下の兵事が大いに起きることを主る。郗萌がいう、その分野の国が破敗・危亡することを主りこれは「危」の字に就いて義を取る。一説では貴人に屋宇を営建する事があることを主り危宿が本より屋を架することを主ればこそである。もし逆行して危宿を守ればその国君が祭祀を怠慢することを主る。陳卓がいう、水星が危宿を冒犯し守住するのは、国中に水災が多いことを主る。郗萌がいう、水星が危宿の傍らの墳墓四星を守住するのは、君主に哭泣の事があることを主る。
辰星の営室を犯す 六
郗萌曰:“辰星犯營室,為土功事;犯陽、陽有急;犯陰,陰有急。”《黃帝占》曰:“辰星入營室,天下兵乘水欲攻王侯之國,不出百二十日。”《春秋圖》曰:“辰星之營室,天下徭役,民不寧其處。”甘氏曰:“辰星守營室,其色青,宮中女多有死者,大人憂;一旬,三月相近;三旬,五月國君死。”
営室はすなわち室宿で二星あり天子の離宮で宮室の営建と土木の功を主る。郗萌がいう、水星が営室を冒犯するのは、土木工程の事があることを主る。その陽位を冒犯すれば陽方に急難があり陰位を冒犯すれば陰方に急難がある。《黄帝占》にいう、水星が営室に入るのは、天下の軍隊が船に乗り水勢を借りて王侯の国を攻打しようとすることを主り百二十日を出でず。《春秋図》にいう、水星が営室に到るのは、天下が大いに徭役を興し百姓が安居できないことを主る。甘徳がいう、水星が営室を守り星色が青を発するのは、宮中の女子に死亡が多く貴人に憂いがあることを主る。十日守れば応期は三箇月と相近く三十日守れば五箇月の内に国君が死去する。
巫咸曰:“辰星守營室,多水災,五穀不成。”郗萌曰:“徭役起;一曰后夫人憂,有大喪;一曰守營室東壁北,關梁不通;又曰守營室,為大人忌,以赦令解之。”《玄冥》曰:“辰星守營室,大兵乘船;大水欲入侯王之國,不出四十日。”《百二十占》曰:“天下諸侯發動於西北。”《聖洽符》曰:“犯守營室中,女有夭死者,大人有土功之事。”
巫咸がいう、水星が営室を守るのは、水災が多発し五穀が成熟できないことを主る。郗萌がいう、徭役が興起することを主る。一説では皇后・夫人に憂患があり大喪がある。一説では営室・東壁の北面に守るのは関隘・橋梁が通じないことを主る。またいう、営室を守るのは貴人の忌諱する天象で赦令をもって化解できる。《玄冥》にいう、水星が営室を守るのは、大軍が船に乗って来ることを主る。大水がまさに侯王の国に淹入しようとし四十日を出でず。《百二十占》にいう、天下の諸侯が西北方から兵事を発動することを主る。《聖洽符》にいう、営室の中を冒犯し守るのは、女子に夭折して死ぬ者があり貴人に土木・工程の事がありこれはなおも室宿が本より宮室の营造を主るに応ずる。
辰星の東壁を犯す 七
陳卓曰:“辰星犯東壁,王者刑急法深,朝廷憂愁,國有蓋藏保守之事。”《春秋圖》曰:“辰星之東壁,天下和平。”石氏曰:“守東壁,國有大喪;一曰大水;又曰兵革起。”
東壁はすなわち壁宿で二星あり文章・図籍を主りまた土木の营造を主る。陳卓がいう、水星が東壁を冒犯するのは、君王の刑罰が苛急で法令が深刻で朝廷の上下が憂愁し国中に封蔵・守備の事があることを主る。《春秋図》にいう、水星が東壁に到るのは、天下の和平を主る。石申がいう、東壁を守るのは、国中に大喪があることを主る。一説では大水を主る。またいう、兵革が興起する。
郗萌曰:“辰星守東壁,為大人衛守;一曰為天下兵起;又曰秋兵起,亦云有土功事;又曰為多水;一曰歲晚水。”《春秋圖》曰:“辰星入東壁而守之,奸臣有謀。”《玉曆》曰:“逆行守東壁,大水出,橋樑不通,舟船用,民大飢。”
郗萌がいう、水星が東壁を守るのは、貴人が宿衛・守備を加強することを主る。一説では天下に兵事が興起することを主る。またいう、秋に兵が起きあるいはまた土木・工程の事があると謂う。またいう、水が多いことを主る。一説では年成が尽きようとする時に水がある。《春秋図》にいう、水星が東壁に入りその中に守留するのは、奸臣が暗中に図謀があることを主る。《玉暦》にいう、逆行して東壁を守るのは、大水が暴発し橋梁が冲断されて通じず往来は舟船に依頼するのみで百姓が大いに飢饉することを主る。
開元占経 巻五十六・辰星占四
辰星の西方七宿を犯す
辰星の奎を犯す 一
石氏曰:“辰星入奎,有決漏之事,名水有絕。”《海中占》曰:“辰星潤澤出奎;有差令;變色入奎,有為令來者;出奎,有為令出使者。”《春秋圖》曰:“辰星之奎,天下賤人出貴女。”《黃帝占》曰:“辰星守奎,奸臣賊子謀弒其主。”
奎宿の十六星は西方の白虎の首で溝渠・水利を主りまた武庫の兵事を主る。石申がいう、水星が奎宿に入るのは、堤防が決口・渗漏する事があり著名な河流に断流があることを主る。《海中占》にいう、水星が光潤・明沢して奎宿に出るのは、差使を派遣する政令があることを主る。色を変えて奎宿に入るのは、命を奉じて前来する人があることを主る。奎宿から出るのは、命を奉じて出使する人があることを主る。《春秋図》にいう、水星が奎宿に到るのは、天下の卑賤の家に貴女を生ずることを主る。《黄帝占》にいう、水星が奎宿を守るのは、奸臣・賊子が君主を弑殺することを図謀することを主る。
《河圖》曰:“有大水之災;又曰大臣下獄。”《聖洽符》曰:“有溝瀆之事於國外。”石氏曰:“外國之王,入御中國;一雲天下多愁;一曰山水潰出。”巫咸曰:“多火災,為旱,萬物不成,有兵災。”郗萌曰:“有水事。”《荊州占》曰:“王者憂之,大人當之。”
以下の各家はなおも水星が奎宿を守犯するに就いて立論する。《河図》にいう、大水の災があることを主る。またいう、大臣が牢獄に下される。《聖洽符》にいう、国境の外に溝を開き渠を通ずる事があることを主りこれは正しく奎宿が本より溝瀆を主るに応ずる。石申がいう、外国の君王が進入して中原を統治することを主る。一説では天下の人が多愁苦する。一説では山洪が潰決して出る。巫咸がいう、火災が多く旱を主り万物が成熟できず兵災があることを主る。郗萌がいう、水患の事があることを主る。《荊州占》にいう、君王がこれを憂慮し応験が貴人の身に落ちることを主る。
辰星の婁を犯す 二
《聖洽符》曰:“辰星之婁,其國任能,賢人當用,良才得達。”甘氏曰:“辰星守婁,若角動,赤黑色,臣有爭祿而起兵者。”巫咸曰:“多火災。”郗萌曰:“為白衣之會;又曰外國之主,入御中國。”《天文志》曰:“辰星守婁,為兵;為匿謀。”
婁宿の三星は奎宿の東にあり苑牧と祭祀の犠牲を主りまた衆を聚め兵を興すことを主る。《聖洽符》にいう、水星が婁宿に到るのは、その国が能人を任用し賢者が進用を得優良の人才が顕達を得ることを主る。甘徳がいう、水星が婁宿を守りもし星の芒角が閃動し顔色が赤黒なれば臣子が禄位を争奪して兵を起こす者があることを主る。巫咸がいう、火災が多いことを主る。郗萌がいう、白衣を穿く喪事の集会があることを主る。またいう、外国の君主が進入して中原を統治する。《天文志》にいう、水星が婁宿を守るのは、兵事を主り暗中の図謀を主る。
郗萌曰:“有兵兵罷,無兵兵起。”《荊州占》曰:“有兵,犧牲多死。”陳卓曰:“多水災,萬物五穀不成。”《百二十占》曰:“且有水出。”陳卓曰:“犯守婁,刑罰劇急。”《洽書》曰:“逆行守婁,歲有水;若有蝗蟲,犧牲多死,萬物不成。”甘氏曰:“辰星入婁,犯守之,王者刑法急,大臣當誅,必有下獄者。”
郗萌がいう、原本兵事あるは兵事がすなわちここに罷息し原本兵事なきは兵事が反って興起する。《荊州占》にいう、兵事があり祭祀に用いる牲畜が大量に死亡することを主りこれは婁宿が本より犠牲を主るに応ずる。陳卓がいう、水災が多発し万物・五穀がみな成熟できないことを主る。《百二十占》にいう、まさに大水が暴発して出ようとする。陳卓がいう、婁宿を冒犯し守住するのは、刑罰が劇烈・苛急であることを主る。《洽書》にいう、逆行して婁宿を守るのは、その年に水があることを主る。あるいは蝗虫が災を成し祭祀の牲畜が大量に死亡し万物が成熟できない。甘徳がいう、水星が婁宿に入り冒犯しその中に守留するのは、君王の刑法が苛急で大臣が当に誅さるべく必定に人が牢獄に関ぜ込められる者があることを主る。
辰星の胃を犯す 三
郗萌曰:“辰星犯胃,天下谷無實,以飢為憂;一曰為亂。”《春秋圖》曰:“辰星之胃,布帛賤。”《黃帝》曰:“辰星守胃,且有兵令;一曰國主當之。”《黃帝》曰:“有兵國以無義失弊;又曰大飢、失政;一曰有陰兵,夷狄勝中國。”甘氏曰:“辰星守胃,若角動,色赤白,以水兵起,無名而窮;又有立侯王,若旱,五穀不成。”
胃宿の三星は婁宿の東にあり天上の倉廩・厨蔵で穀物を積聚することを主る。郗萌がいう、水星が胃宿を冒犯するのは、天下の穀物が結実せず飢饉を愁うべきことを主る。一説では動乱を主る。《春秋図》にいう、水星が胃宿に到るのは、布帛が価賤なることを主る。《黄帝占》にいう、水星が胃宿を守るのは、まさに兵を徴する号令があろうことを主る。一説では応験が国君の身に落ちる。《黄帝占》にまたいう、兵事があり国家が道義に合わざるによって敗壊することを主る。またいう、大飢饉と政令の失当を主る。一説では暗中に調動する兵があり夷狄が中原に戦勝する。甘徳がいう、水星が胃宿を守りもし星の芒角が閃動し顔色が赤白なれば水患によって兵を起こし師が名なきを出て終に困窮に帰することを主る。また人が侯王と立てられる者がありあるいは旱があり五穀が熟さないことを主る。
巫咸曰:“辰星守胃,多火災,為旱;萬物不成,有兵。”《海中占》曰:“民人大飢,亂。”《荊州占》曰:“逆行守胃,天下有兵,倉穀空虛。”《雌雄圖三光占》云:“辰星犯胃,母子同死;國立后王,且有急令,國主當之。”陳卓曰:“若犯守胃,國主不寧。”《荊州占》曰:“辰星守胃,穀貴;傷火災。”
巫咸がいう、水星が胃宿を守るのは、火災が多く旱を主ることを主る。万物が成熟できず兵事がある。《海中占》にいう、百姓が大いに飢饉し随いて動乱することを主る。《荊州占》にいう、逆行して胃宿を守るのは、天下に兵があり倉中の穀物が空虚であることを主りこれは胃宿が本より倉廩を主るに応ずる。《雌雄図三光占》にいう、水星が胃宿を冒犯するのは、母子が一同に死亡し国中が皇后と储君を冊立しまさに緊急の詔令があろうことを主り応験は国君の身に落ちる。陳卓がいう、もし胃宿を冒犯し守住すれば国君が安寧を得ないことを主る。《荊州占》にいう、水星が胃宿を守るのは、穀価が昂貴することを主る。また火災の傷を受ける。
辰星の昴を犯す 四
石氏曰:“辰星犯乘昴,且有亡國,有謀主之變;若行其北,西夷有毒霜早降,歲有疾癘。”《荊州占》曰:“辰星犯乘昴,夷狄之兵起,為民害。”郗萌曰:“辰星乘昴,若出北者;為陰國有憂,若北主死。”郗萌曰:“入昴中,有三丈之水,五穀不成,大飢。”《春秋圖》曰:“辰星之昴,民且從之陵。”
昴宿の七星は胃宿の東にありまた「旄頭」と叫ばれ西方の胡人を主りまた牢獄の事を主る。石申がいう、水星が昴宿を冒犯・凌壓するのは、まさに亡国の禍があり君主を図謀する変乱があろうことを主る。もし昴宿の北面を行けば西方の夷人の地に毒霜が提早に降下しその年に疫病が流行することを主る。《荊州占》にいう、水星が昴宿を冒犯・凌壓するのは、夷狄の兵事が興起し百姓を為害することを主る。郗萌がいう、水星が昴宿を凌壓しもしその北面に出現すれば陰に属する北方の国に憂いがありあるいは北方の君主が死去することを主る。郗萌がいう、昴宿の中に入るのは、三丈の深き大水があり五穀が熟さず大飢饉することを主る。《春秋図》にいう、水星が昴宿に到るのは、百姓がまさに高陵に逃げ上って難を避けんとすることを主る。
石氏曰:“辰星留二十日,若六十日守昴,中國開門,有大客;國政大危,易政令;若自來之王。”《黃帝占》曰:“辰星守昴,兵起,破散,民流亡。”《洛書》曰:“大水決溢,為民害,傷五穀。”石氏曰:“夷狄勝中國,若五穀不成,民大飢。”甘氏曰:“守昴,若角動,其謀者在北方,大將之家,外戚之親,以星入日占期。”甘氏曰:“辰星守昴,執法臣誅。”
石申がいう、水星が二十日停留しあるいは六十日停留して昴宿を守るのは、中原が関門を開放し遠来の大賓客があり国政が極めて危険で政令を更改すべくあるいは自ら前来して帰附する王があることを主る。《黄帝占》にいう、水星が昴宿を守るのは、兵事が興起し軍隊が潰敗・離散し百姓が流亡することを主る。《洛書》にいう、大水が堤を決し漫溢して百姓を為害し五穀を傷ることを主る。石申がいう、夷狄が中原に戦勝しあるいは五穀が成熟できず百姓が大いに飢饉することを主る。甘徳がいう、昴宿を守りもし星の芒角が閃動すればすなわち図謀して乱を作す人が北方にあり大将の家あるいは外戚の親属の中に出で水星がこの宿に入った日辰をもって応期を推算できることを主る。甘徳がいう、水星が昴宿を守るのは、執法の臣が誅されることを主りこれは昴宿が本より獄事を主るに応ずる。
郗萌曰:“天下失綱,有兵;一曰起中野;又曰多水災;又曰守畢昴。東行至天高,復反至五車,為近兵發,有赦。”《感精符》曰:“逆行守昴,有兵,大臣有坐法死者;一曰冤獄,失理。”《荊州占》曰:“逆行守昴環繞,兵起。”郗萌曰:“犯若守昴,為白衣之會。”《雌雄圖三光占》曰:“犯守昴,夷狄之兵起,國失政;一曰有陰兵。”郗萌曰:“中犯乘守昴,為兵北征。”
郗萌がいう、天下が綱紀を失し兵事があることを主る。一説では兵が郊野の中に起きる。またいう、水災が多いことを主る。またいう、畢宿・昴宿を守り東に行って天高星に至りまた折り返して五車星に回るのは、近処にまさに兵事が発動し大赦があろうことを主る。《感精符》にいう、逆行して昴宿を守るのは、兵があり大臣の中に法を犯して死する者があることを主る。一説では冤獄があり案を断ずるに失当である。《荊州占》にいう、逆行して昴宿を守り併せて環繞して去らないのは、兵の起こることを主る。郗萌がいう、昴宿を冒犯しあるいは守住するのは、白衣を穿く喪事の集会があることを主る。《雌雄図三光占》にいう、昴宿を冒犯し守住するのは、夷狄の兵事が興起し国家の政令が失当であることを主る。一説では暗中に調動する兵がある。郗萌がいう、正中から昴宿を冒犯・凌壓・守住するのは、兵を興して北征することを主る。
辰星の畢を犯す 五
《黃帝占》曰:“辰星犯畢,出其北,為陰國有憂;出其南,陽國有憂。”郗萌曰:“辰星犯畢,若入之,兵起於外,狄可憂。”《荊州占》曰:“犯乘畢,邊兵起。”巫咸曰:“入畢中,各伺其出日而數之,期二十日為兵發;伺始入處之率,一日期十日,為軍罷。”《海中占》:“入畢中,有兵;一曰歲熟。”郗萌曰:“有憂;一曰其國易主。”
畢宿の八星は形が兎を捕う長柄の網のようで辺境の兵事と田猟を主りまた雨水を主る。《黄帝占》にいう、水星が畢宿を冒犯しその北面から出るのは、陰に属する国に憂いがあることを主る。その南面から出るのは、陽に属する国に憂いがあることを主る。郗萌がいう、水星が畢宿を冒犯しあるいはその中に入るのは、兵事が境外に起き北狄の一方が憂うべきに値することを主る。《荊州占》にいう、畢宿を冒犯・凌壓するのは、辺境に兵が起きることを主る。巫咸がいう、畢宿の中に入り各自それが出る日を守候して推算し二十日を期として兵事が発動する。さらにそれが始めて入った位置に按じて折算し入ること一日をすなわち十日を期として軍隊が罷散する。《海中占》にいう、畢宿の中に入るのは、兵があることを主る。一説ではその年が豊熟する。郗萌がいう、憂患があることを主る。一説ではその分野の国が君主を更換する。
石氏曰:“出畢陽,則旱;出畢陰,則水;為政令不行。”《春秋圖》曰:“辰星之畢,有大赦。”《黃帝占》曰:“辰星守畢,山崩民流。”《聖洽符》曰:“川河大盛,民多死亡。”《春秋圖》曰:“子歸母,天下安寧,若有赦。”巫咸曰:“辰星守畢,邊有以水起兵者。”石氏曰:“山水潰,河大溢,潦大至。”
石申がいう、畢宿の陽位から出ればすなわち旱を主る。その陰位から出ればすなわち水を主る。また政令が推行できないことを主る。《春秋図》にいう、水星が畢宿に到るのは、大赦があることを主る。《黄帝占》にいう、水星が畢宿を守るのは、山が崩れ百姓が流亡することを主る。《聖洽符》にいう、江河の水勢が大いに漲り百姓に死亡が多いことを主る。《春秋図》にいう、畢宿は本より雨を主り水星がここに到れば儿子が母親の身辺に回るが如く母子が相得ゆえに天下の安寧あるいは大赦を主る。巫咸がいう、水星が畢宿を守るのは、辺境に人が水患によって兵を起こす者があることを主る。石申がいう、山洪が潰決し河水が大いに漲り漫溢し積潦が大量に涌来することを主る。
甘氏曰:“辰星守畢,民多疾病,死亡。”巫咸曰:“有水災,萬物不成。”郗萌曰:“野人為亂。”陳卓曰:“犯附耳,為兵起;若將相有喪憂也,不則免退。”郗萌曰:“守畢,急謀兵,期八十日;若八月。”
甘徳がいう、水星が畢宿を守るのは、百姓に疾病を生ずる者と死亡が多いことを主る。巫咸がいう、水災があり万物が成熟できないことを主る。郗萌がいう、郷野の人が衆を聚めて乱を作すことを主る。陳卓がいう、畢宿の傍らの附耳星を冒犯するのは、兵事が興起しあるいは将相に喪事・憂患がありさもなければ職を免ぜられ位を退くことを主る。郗萌がいう、畢宿を守るのは、朝廷が急ぎ兵事を謀劃し応期は八十日であることを主る。あるいは八月に応ずる。
辰星の觜觽を犯す 六
石氏曰:“辰星犯觜,其國兵起,天下動移。”《荊州占》曰:“犯乘觜,憂水兵之災。”郗萌曰:“入觜中,伺其出日而數之,期二十日,兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”石氏曰:“守觜,西方客動,侵地,欲為君王;崇禮以制義,則國安。”
觜觽はすなわち觜宿で三星あり形が小さく一処に聚まり西方の白虎の口で收斂・聚蔵を主る。石申がいう、水星が觜宿を冒犯するのは、その分野の国に兵が起き天下が動蕩・遷移することを主る。《荊州占》にいう、觜宿を冒犯・凌壓するのは、水患と兵禍の災を憂慮することを主る。郗萌がいう、觜宿の中に入りそれが出る日を守候して推算し二十日を期として兵事が発動する。さらにそれが始めて入った位置に按じて折算し入ること一日をすなわち十日を期として軍隊が罷散する。石申がいう、觜宿を守るのは、西方の外来の勢力に挙動が有り土地を侵奪し自立して君王と為らんと欲することを主る。もし礼制を崇尚し義をもって裁断すれば国家は便ち安定できる。
甘氏曰:“守觜,子歸母,君臣和同。”巫咸曰:“為萬物不成;一曰旱,五穀不成,大人憂;又曰不出百日,天下大飢。”巫咸曰:“多火災。”《海中占》曰:“守觜中,有兵。”郗萌曰:“守觜,萬物五穀不成;一曰天子不可動眾行兵;又曰有反臣,不出百日,天下水,趙國尤其。”
甘徳がいう、觜宿を守るのは、儿子が母親の身辺に回るが如く母子が相安じゆえに君臣が和睦し同心することを主る。巫咸がいう、万物が成熟できないことを主る。一説では乾旱を主り五穀が熟さず貴人に憂いがある。またいう、百日を出でず天下が大いに飢饉する。巫咸がいう、火災が多発することを主る。《海中占》にいう、觜宿の中に守るのは、兵事があることを主る。郗萌がいう、觜宿を守るのは、万物・五穀がみな成熟できないことを主る。一説では天子は大衆を発動して兵を用いてはならない。またいう、反逆の臣があり百日を出でず天下に大水を発し觜宿の分野の在る趙の地一帯が尤其に厳重である。
辰星の参を犯す 七
甘氏曰:“辰星犯乘參,貴臣黜。”《荊州占》曰:“國有水、兵。”《春秋圖》曰:“之參,兵大起。”巫咸曰:“留止衡,兵革起;守參,貴臣黜。”郗萌曰:“逆行若留止衡中,為兵革起。”《黃帝占》曰:“辰星守伐,星移南,敵入塞;星移北,敵出塞。”石氏曰:“守參,且有水、兵;一曰有反者,國有憂。”
参宿の七星は斬刈・殺伐と辺境の兵事を主り中央の三星が横列して「衡」と称し衡の下の三颗の小星を「伐」と称す。甘徳がいう、水星が参宿を冒犯・凌壓するのは、顕貴の大臣が罷黜されることを主る。《荊州占》にいう、国中に水患があり兵事があることを主る。《春秋図》にいう、水星が参宿に到るのは、兵事が大いに起きることを主る。巫咸がいう、衡星に停留するのは、兵革が興起することを主る。参宿を守るのは、顕貴の大臣が罷黜されることを主る。郗萌がいう、逆行しあるいは衡星の中に停留するのは、兵革が興起することを主る。《黄帝占》にいう、水星が伐星を守り星位が南に移るのは、敵人が塞に入ることを主る。星位が北に移れば敵人が塞から出ることを主る。石申がいう、参宿を守るのは、まさに水患・兵事があろうことを主る。一説では反叛の人があり国中に憂いがある。
班固《天文志》曰:“辰星與參出南方,為旱;若大臣誅。”石氏曰:“守參,天子不可以將兵動眾,國有反臣;一曰有赦,若出參中,邊有兵。”巫咸曰:“水災,萬物不成。”《海中占》曰:“守伐,衛尉當之。”郗萌曰:“守參,若守伐,為有反臣中兵,一曰為后夫人當之;一曰內亂。”《春秋圖》曰:“逆行守參,邊將有憂;一曰外夷動。”《聖洽符》曰:“入參犯守之,不出其年,有兵起,若拔邑;先起兵者破亡,後起兵者昌。”
班固《漢書・天文志》にいう、水星と参宿が一同に南方に出現するのは、旱を主る。あるいは大臣が誅される。石申がいう、参宿を守るのは、天子が兵を領して大衆を発動すべからずを主り国中に反逆の臣があることを主る。一説では大赦があることを主りもし参宿の中から出れば辺境に兵事があることを主る。巫咸がいう、水災を主り万物が成熟できない。《海中占》にいう、伐星を守るのは、応験が宮門の屯兵を掌管する衛尉の身に落ちる。郗萌がいう、参宿を守りあるいは伐星を守るのは、反逆の臣が朝内に兵を起こす者があることを主る。一説では応験が皇后・夫人の身に落ちる。一説では内乱を主る。《春秋図》にいう、逆行して参宿を守るのは、辺を守る将領に憂いがあることを主る。一説では外族が異動する。《聖洽符》にいう、参宿に入り冒犯しその中に守留するのは、その年を出でず兵事が興起しあるいは城邑が攻拔される者がある。先に手を動かして兵を起こした一方は破敗・滅亡し後に兵を起こして応戦した一方は昌盛する。
開元占経 巻五十七・辰星占五
辰星の南方七宿を犯す
辰星の東井を犯す 一
《文曜鉤》曰:“辰星入東井,蠻夷君憂,有死者;若邊兵起,期不出年。”郗萌曰:“辰星入東井,軍在外;星進兵退;星退兵進。”《河圖》曰:“辰星出入東井,有暴兵;馬當貴。”《荊州占》曰:“辰星出入東井,有亂臣。”《黃帝》曰:“辰星守東井,為水。”
東井はすなわち井宿で八星あり天上の水を主る「水衡」でまた法令を主る。《文曜鈎》にいう、水星が東井に入るのは、蛮夷の君に憂いがあり死亡する人があることを主る。あるいは辺境に兵が起き応期はその年を出でず。郗萌がいう、水星が東井に入るのは、軍隊が外にあることを主る。星が前に進めば兵は後退し星が後に退けば兵は前進する。《河図》にいう、水星が東井に出入するのは、突発の兵事があることを主る。馬価が当に貴し。《荊州占》にいう、水星が東井に出入するのは、乱臣があることを主る。《黄帝占》にいう、水星が東井を守るのは、水を主る。
(《天文志》曰:光武建武三十年閏月甲午,水在東井二十度,生白氣,東南指,焰長五尺,為彗,東北行至紫宮西藩工,五月甲子不見,凡見三十一日,水常以夏至後效東井,閏月在四月,尚未當見而見,是躁而進也,東井為水衡,水出之為大水,是歲五月及明年,郡國大水,壞城郭,傷禾稼,殺人民也。)
(原書小注:《天文志》にいう、光武帝建武三十年閏月甲午日に水星が東井宿の二十度上に白気を生出し東南を指向し光焰の長さ五尺で彗状を形成し東北に行って紫微宮の西藩に至った。五月甲子日にもはや見えず前後に共に三十一日出現した。水星は常規に按じて夏至以後に東井に応験すべきでこの年の閏月は四月にあり本よりまだ出現すべき時に当たらないのに出現した。これは躁動して提前して行進したのである。東井は水を主る水衡で水がここから出ればすなわち大水と為りこの年五月および第二年に各郡国が大水し城郭を冲壊し庄稼を傷害し百姓を淹死させた。)
《感精符》曰:“辰星守東井,去之七寸,七日已上至十五日,王者誅大臣;期不出百八十日。”石氏曰:“守東井,其年早旱,晚水;一曰天下大水;又曰法臣相戮;一曰入其中,王者易,更政。”甘氏曰:“守東井若角動,色赤黑,以水起兵。色黃潤澤,天子有善令;若色變,大人憂,天下有名水絕;所謂絕者,逆行而入之。”
《感精符》にいう、水星が東井を守りそれを離れること七寸で七日を守候して以上十五日に至るのは、君王が大臣を誅殺することを主る。応期は百八十日を出でず。石申がいう、東井を守るのは、その一年が前期は乾旱で後期は水涝することを主る。一説では天下に大水がある。またいう、執法の臣が互相に殺戮する。一説では井宿の中に入れば君王が更替し政令を改易することを主る。甘徳がいう、東井を守る時もし星の芒角が閃動し顔色が赤黒なれば水患によって兵を起こすことを主る。顔色が黄を発して潤沢なれば天子に善政の令があることを主る。もし顔色が変異すれば貴人に憂いがあり天下に著名な河流が断流する者があることを主る。いわゆる断流とは水星が逆行して東井に入るを指す。
郗萌曰:“辰星久守東井,為金錢易,萬物五穀不成;一曰守東井,胡兵起,五穀霜死,其國尤甚,歲大惡。辰星入犯秉守東井三日以上,蠻夷君當之,死期三月,若一年、二年、三年。”石氏曰:“犯東井,守錢大臣誅,鈇鋮用,有兵起。”《荊州占》曰:“守東井,道上多死人。”陳卓曰:“守東井,百川皆溢。”
郗萌がいう、水星が久しく東井を守住するのは、銭幣の制度が変易し万物・五穀がみな成熟できないことを主る。一説では東井を守るのは胡人の兵が起き五穀が霜に凍死しその分野の国が尤其に厳重で年成が極めて壊れることを主る。水星が東井に進入・冒犯・執持・守留して三日以上するのは、応験が蛮夷の君の身に落ち死亡の応期は三箇月あるいは一年・二年・三年である。石申がいう、東井を冒犯するのは、銭穀を掌管する大臣が誅され斧鉞の刑具が動用され兵事が興起することを主る。《荊州占》にいう、東井を守るのは、道路上に死人の暴露が多いことを主る。陳卓がいう、東井を守るのは、百川がみな漫溢して災を成すことを主る。
辰星の輿鬼を犯す 二
《河圖》曰:“辰星犯輿鬼,為國有憂,大臣誅。”石氏曰:“有兵;一曰犯天質,兵起。”郗萌曰:“犯輿鬼,亂臣在內。”《黃帝》曰:“犯輿鬼、質,執法者誅。”《南官侯》曰:“犯天尸,貴臣有罪;犯四星,天子發之。”郗萌曰:“入犯輿鬼,執法者有戮死,若兵起,將軍有憂,人多死。”《甄曜度》曰:“入輿鬼,犯積尸,大臣有誅、斧鑕用,貴人有犯罪者,若戮死。”
輿鬼はすなわち鬼宿で四星あり中央に一団の白気があり「積尸気」と叫ばれまた「天尸」「質星」と称し祠祀と死喪を主る。《河図》にいう、水星が輿鬼を冒犯するのは、国家に憂いがあり大臣が誅されることを主る。石申がいう、兵があることを主る。一説では天質星を冒犯すれば兵の起きることを主る。郗萌がいう、輿鬼を冒犯するのは、乱臣がすなわち朝内に在ることを主る。《黄帝占》にいう、輿鬼と質星を冒犯するのは、執法の人が誅されることを主る。《南官侯》にいう、天尸を冒犯するのは、顕貴の大臣が罪を獲ることを主る。鬼宿の四星を冒犯するのは、天子が自ら発落することを主る。郗萌がいう、輿鬼に入り冒犯するのは、執法の人が殺されあるいは兵が起き将軍に憂いがあり死人が甚だ多いことを主る。《甄曜度》にいう、輿鬼に入り積尸気を冒犯するのは、大臣が誅され斧鑕の刑具が動用され貴人の中に犯罪の者がおり甚だしきは処死に至ることを主る。
郗萌曰:“辰星入輿鬼,為大人卒,事以命終。”《荊州占》曰:“亂臣在內,有屠滅。”《天文志》曰:“為死喪,一曰大臣有死。”陳卓曰:“蠻夷之君有誅。”《春秋圖》曰:“辰之鬼,天下有疫病。”郗萌曰:“守輿鬼,月食;若五穀不成。”《春秋圖》曰:“守犯輿鬼,金錢發用,民多痛耳目。”石氏曰:“守輿鬼,有兵死者;一曰王者崩;一曰大人有祭祀之事。”《海中占》曰:“守輿鬼,出其南、水,出其北、旱。”
この一組はなおも水星が鬼宿に入犯する応験を講ずる。郗萌がいう、水星が輿鬼に入るのは、貴人が猝然として死去し事が性命をもって終わることを主る。《荊州占》にいう、乱臣がすなわち朝廷の内に在り屠戮・滅族の事があることを主る。《天文志》にいう、死喪を主り一説では大臣の中に死亡する者がある。陳卓がいう、蛮夷の君が誅殺されることを主る。《春秋図》にいう、水星が鬼宿に到るのは、天下に瘟疫が流行することを主る。郗萌がいう、輿鬼を守るのは、月食が出現するかあるいは五穀が成熟できないことを主る。《春秋図》にいう、輿鬼を守住し冒犯するのは、銭幣が大量に支用され百姓に耳目の疼痛の疾を患う者が多いことを主る。石申がいう、輿鬼を守るのは、人が兵禍に死する者があることを主る。一説では君王が駕崩する。一説では貴人に祭祀の事がありこれは正しく鬼宿が本より祠祀を主るに応ずる。《海中占》にいう、輿鬼を守りその南辺から出れば水を主り北辺から出れば旱を主る。
郗萌曰:“守輿鬼三月,后夫人疾;二十日,太子夫人疾;十日,諸國王夫人病。守輿鬼,西南為秦漢、有反臣兵事;以赦令解之。守輿鬼、質星,鈇鉞用。守輿鬼,有喪;右為主人,左為客;一雲五月大水,蝗蟲。”《海中占》曰:“守入鬼,大人憂。”
郗萌がいう、輿鬼を三箇月守るのは、皇后・夫人に病があることを主る。二十日守れば太子・夫人に病があることを主る。十日守れば各諸侯王の夫人に病があることを主る。輿鬼を守り西南の方位は秦の地と漢中一帯に応じ反臣が兵を興す事がある。赦令をもって化解できる。輿鬼と質星を守るのは、斧鉞の刑具が動用されることを主る。輿鬼を守るのは、喪事があることを主る。右辺は主人の一方に応じ左辺は客方に応じる。一説では五月に大水があり蝗虫が害を為す。《海中占》にいう、鬼宿を守住し入るのは、貴人に憂いがあることを主る。
郗萌曰:“入若守輿鬼,為主憂、財寶出;若大臣有謀。秉賢者,君貴人憂,金玉用,民疾;南入、為男;北入、為女;西入、為老;東入,為壯;棺木貴。”《荊州占》曰:“千犯守輿鬼,隨所守,王者發之;不出七十日,天下有喪;陽,為人君;陰,為皇后;左、為太子;右、為貴臣。(《天文志》曰:“孝順漢安二年七月甲申、辰星犯輿鬼,明年八月,順帝崩,孝沖即位,明年正月崩。)
郗萌がいう、輿鬼に入りあるいは守るのは、君主に憂いがあり財宝が外流しあるいは大臣に陰謀があることを主る。もし賢者の位を執持すれば国君と貴人に憂いがあり金玉の器が動用され百姓が病を生ずることを主る。南面から入れば男子に応じ北面から入れば女子に応じ西面から入れば老人に応じ東面から入れば壮年人に応じ棺木が価貴なる。《荊州占》にいう、輿鬼を干犯・守住すればすなわちそれが守る部位に随い君王が自ら発落する。七十日を出でず天下に喪事がある。陽位にあれば君主に応じ陰位にあれば皇后に応じ左辺にあれば太子に応じ右辺にあれば顕貴の大臣に応ずる。(原書小注:《天文志》にいう、漢の順帝漢安二年七月甲申日に水星が輿鬼を冒犯し第二年八月に順帝が駕崩し冲帝が即位しまた一年を過ぎて正月に冲帝もまた駕崩した。)
辰星の柳を犯す 三
石氏曰:“辰星犯柳,有木功事;若名木見伐者。”《海中占》曰:“入天庫,以水起。”《荊州占》曰:“入注,下刑上,子訟父,民多仇;粟貴、大旱、馬貴。”《春秋圖》曰:“辰星之柳,天下米貴,馬貴;先潦後旱。”《黃帝占》曰:“歲不收。”
柳宿の八星はまた「注」と名づき南方の朱雀の口喙で厨膳の飲食を主る。石申がいう、水星が柳宿を冒犯するのは、木工の营造の事がありあるいは名貴の樹木が砍伐されることを主る。《海中占》にいう、天庫に入るのは、水患によって事を起こすことを主る。《荊州占》にいう、注宿に入るのは、下位の人が反って上位の人を刑罰し儿子が父親を控告し百姓に仇怨を結ぶ者が多く粟価が貴く大旱し馬価が貴いことを主る。《春秋図》にいう、水星が柳宿に到るのは、天下に米価が貴く馬価が貴く先に涝して後に旱することを主る。《黄帝占》にいう、その年に颗粒の収穫なしを主る。
甘氏曰:“王者賜客,若國有貴客。”郗萌曰:“為反臣中外兵,以德令解之;一曰舟船相望,在於北方;若處其陽,大旱,又死喪;處其陰,大水,為災傷。”《玄冥占》曰:“貴臣得地,後有德令;不出九十日。”郗萌曰:“辰星守柳注,藥在酒食中,忌,不可食之。”
甘徳がいう、君王が賓客を賞賜しあるいは国中に貴客が来ることを主る。郗萌がいう、反逆の臣が内外の兵を勾結する者があり施徳の政令をもって化解できることを主る。一説では舟船が首尾相望ち事は北方に応ずる。もし柳宿の陽位に処れば大旱を主りまた死喪がある。陰位に処れば大水を主り災傷を釀成する。《玄冥占》にいう、顕貴の大臣が封地を得て此の後に恩を施す詔令があり九十日を出でないことを主る。郗萌がいう、水星が柳宿(注宿)を守住するのは、酒食の中に毒薬があり必須に忌避し食用すべからずを主る。
辰星の七星を犯す 四
郗萌曰:“辰星犯七星,臣為亂。”甘氏曰:“入七星,有君置太子者。”《春秋圖》曰:“辰星之七星,天下勞,多流亡。”郗萌曰:“留七星,為天下大憂。”(憂中兵也)石氏曰:“守七星,民多疾;一曰民流千里;又曰兵內起;若守二十日以上,有水。”
七星はすなわち星宿で共に七顆あり朱雀の頸項で急兵を主りまた衣裳の文繍を主る。郗萌がいう、水星が七星を冒犯するのは、臣下が乱を作すことを主る。甘徳がいう、七星に入るのは、国君がまさに太子を冊立せんとすることを主る。《春秋図》にいう、水星が七星に到るのは、天下が労苦し流亡が多いことを主る。郗萌がいう、七星に停留するのは、天下に大憂があることを主る。(原書小注:憂う所は内部の兵事である。)石申がいう、七星を守るのは、百姓に疾病が多いことを主る。一説では百姓が千里に流亡する。またいう、兵事が内部から興起する。もし二十日以上守留すれば水があることを主る。
甘氏曰:“守七星,若角動,天下有兵,三年乃解;又曰萬物不成。”《海中占》曰:“大臣凶,貴人有罪,若法官有憂。”郗萌曰:“為反臣中外兵,以德令解之;一曰大水為災。”(此《荊州占》也)巫咸曰:“犯七星三日以上,賊臣在側;若有叛臣,皆九十日;應之以善令,則無咎。”
甘徳がいう、七星を守りもし星の芒角が閃動すれば天下に兵があり三年して乃ち解除できることを主る。またいう、万物が成らない。《海中占》にいう、大臣に凶禍があり貴人が罪を獲あるいは法を掌る官員に憂いがあることを主る。郗萌がいう、反逆の臣が内外の兵を勾結する者があり施徳の政令をもって化解できることを主る。一説では大水が災を成す。(原書小注:この条は《荊州占》に出ずる。)巫咸がいう、七星を冒犯して三日以上するのは、賊臣がすなわち君主の身辺に在ることを主る。あるいは叛臣がありみな九十日の内に応ずる。善政の令をもって対応すれば災禍を招来しない。
辰星の張を犯す 五
《春秋圖》曰:“辰星之張,有賢人在下,當為卿相。”石氏曰:“守張,天下大水,兵起;若守而角動,有臣傷其君;色赤,有兵出,其君傷,諸侯之臣,起於宮中,從庖廚奉牢之間是也;其色黑,食中有藥,不可食;大人有憂。”
張宿の六星は朱雀の嗉嚢で珍宝と宗廟が用いる衣物を主りまた天子が賓客を宴饗することを主る。《春秋図》にいう、水星が張宿に到るのは、賢人が下位に身処し当に公卿・宰相に抜擢さるべき者があることを主る。石申がいう、張宿を守るのは、天下に大水があり兵が起きることを主る。もし守留して星の芒角が閃動すれば臣子が国君を傷害する者があることを主る。星色が赤を発すれば兵の出動があり国君が傷を受け乱を作すのは諸侯の臣属で事は宮廷の中に発しすなわち厨膳を掌り牲牢を供する人の中間に出ずることを主る。星色が黒を発すれば飲食の中に毒薬があり食用すべからずを主る。貴人に憂いがある。
甘氏曰:“守張,貴臣專國,天下不寧。”巫咸曰:“萬物五穀不成。”郗萌曰:“為反臣中外兵,以德令解之。謂赦令也。又曰夏麥不收,大飢;一曰民多喪、病,又多鬥訟。”《南官候》曰:“天下大飢。”《百二十占》曰:“且有更令。”郗萌曰:“入張,若守之,水入火,為逆理犯上,天下不安;下謀上,多鬥訟,若多疾。”
甘徳がいう、張宿を守るのは、顕貴の大臣が国政を専擅し天下が安寧を得ないことを主る。巫咸がいう、万物・五穀が熟さないことを主る。郗萌がいう、反逆の臣が内外の兵を勾結する者があり施徳の政令をもって化解できいわゆる徳令はすなわち赦令である。またいう、夏の麦子が収められず大きな飢饉がある。一説では百姓に喪事が多く疾病が多くまた争闘・訴訟が多い。《南官候》にいう、天下の大飢を主る。《百二十占》にいう、まさに政令を更改する事があろう。郗萌がいう、張宿に入りあるいはその中に守留するのは——張宿は南方の火に属しこれは水が火に侵入するので——常理に違逆し尊上を冒犯し天下が安からぬことを主る。下位の者が上位の者を図謀し争闘・訴訟が多くあるいは疾病が多い。
辰星の翼を犯す 六
《玉曆》曰:“辰星入翼中,兵大起。”《春秋圖》曰:“辰星之翼,有賢在民間,當用。”石氏曰:“守翼,水入火,逆理;貴臣有憂,若大臣有戮,又曰水旱之災;星入其度,當位者退之,以消天怒,王者以赦除咎;又曰守翼,為萬物不成;一曰為人民流亡;又曰監鐵大貴四倍,牛馬行。”
翼宿の二十二星は朱雀の翅膀で楽舞・歌吹を主りまた遠方より来朝する賓客を主る。《玉暦》にいう、水星が翼宿の中に入るのは、兵事が大いに起きることを主る。《春秋図》にいう、水星が翼宿に到るのは、賢才が民間に有り当に任用を加うべき者があることを主る。石申がいう、翼宿を守るのは、水が火に侵入し常理に違逆し顕貴の大臣に憂いがありあるいは大臣が殺されることを主る。またいう、水旱の災を主る。水星が翼宿に入るのは度数が位に当たる官員は当に引退すべくもって上天の震怒を消解し君王はすなわち大赦をもって災咎を除去する。またいう、翼宿を守るのは万物が成らないことを主る。一説では百姓が流亡する。またいう、鹽・鐵の価銭が大いに漲って四倍し牛馬が道を奔走する。
甘氏曰:“守翼,大水,兵起;色白、京師起;色黃,事成;色青黑,死事。”巫咸曰:“為旱。”《海中占》曰:“有兵災,若大水在北方,五穀不成。”郗萌曰:“多火災;一曰火在北方;又曰為反臣中外兵,以德解之。”《荊州占》曰:“近臣,為有亡國,飢歲,民流千里;若地龍見。”
甘徳がいう、翼宿を守るのは、大水があり兵事が興起することを主る。星色が白を発すれば兵事が京師に起きることを主る。星色が黄を発すれば事が辦り成ることを主る。星色が青黒なれば死喪の事があることを主る。巫咸がいう、旱を主る。《海中占》にいう、兵災がありあるいは北方に大水があり五穀が成熟できないことを主る。郗萌がいう、火災が多発することを主る。一説では火災が北方に出る。またいう、反逆の臣が内外の兵を勾結する者があり施徳の政令をもって化解できることを主る。《荊州占》にいう、応験が君主の近臣の身に落ち亡国の禍があり年成が飢饉し百姓が千里の外に流亡しあるいは地龍の類の怪異が出現することを主る。
陳卓曰:“王者有疾,期不出年中。”《二十八宿山經注》曰:“辰星一年不出,出於翼軫,主死。”《玄冥占》曰:“守翼,若有誅者。”《玉曆》曰:“有急事,若有大風。”陳卓曰:“犯守翼,天下大荒。”班固《天文志》曰:“辰星與翼見西方,大臣誅。”
陳卓がいう、君王が病を生じ応期はその年の内を出でないことを主る。《二十八宿山経注》にいう、水星はもと常に日光の中に伏しもし整整と一年とも出現せず一たび出現すればすなわち翼宿・軫宿に在れば死亡があることを主る。《玄冥占》にいう、翼宿を守るのは、人が誅殺される者があることを主る。《玉暦》にいう、緊急の事がありあるいは大風があることを主る。陳卓がいう、翼宿を冒犯し守住するのは、天下の大荒を主る。班固《漢書・天文志》にいう、水星と翼宿が一同に西方に出現するのは、大臣が誅されることを主る。
辰星の軫を犯す 七
石氏曰:“辰星入軫中,為大兵起。”巫咸曰:“伺其出日而數之,期二十日,為兵發;伺始入處之率,一日期十日,軍罷。”《黃帝占》曰:“守軫,天下大疾,貴者多死;一曰國有喪。”《天文志》曰:“守犯軫,為白衣之會。”石氏曰:“守軫,萬物五穀不成。”郗萌曰:“守軫,為反臣中外兵,以德令解之,又執法貴臣凶,車騎用。”
軫宿の四星は朱雀の尾羽で車駕・騎乗を主りまた風を主る。石申がいう、水星が軫宿の中に入るのは、大規模の兵事が興起することを主る。巫咸がいう、それが出る日を守候して推算し二十日を期として兵事が発動する。さらにそれが始めて入った位置に按じて折算し入ること一日をすなわち十日を期として軍隊が罷散する。《黄帝占》にいう、軫宿を守るのは、天下の大疫と顕貴の人に死が多いことを主る。一説では国中に喪事がある。《天文志》にいう、軫宿を守住し冒犯するのは、白衣を穿く喪事の集会があることを主る。石申がいう、軫宿を守るのは、万物・五穀が熟さないことを主る。郗萌がいう、軫宿を守るのは、反逆の臣が内外の兵を勾結する者があり施徳の政令をもって化解できることを主りまた執法の顕貴の大臣に凶禍があり車馬・騎兵が動用されることを主る。
《玉曆》曰:’天下疾疫,人多死;其死,災多在北方。”《南官候》曰:“戚臣凶。”《甄曜度》曰:“入軫及守犯之,有兵必大戰,有破軍殺將於其野,人心驚駭;守過二十日以上,光明色大,有數十萬人戰,流血積尸殃;不則大水,有山河崩決,百姓流波之災;五穀傷敗,人民飢死;期二年。”
《玉暦》にいう、天下に瘟疫があり人に死亡が多く死亡と災害は多く北方に発生することを主る。《南官候》にいう、外戚の臣に凶禍があることを主る。《甄曜度》にいう、軫宿に入りおよびそれを守留・冒犯するのは、兵事があり必定に大戦が発生しまさにその一分野の郊野の上に軍隊が撃破され将領が殺され人心が驚駭することを主る。守留が二十日以上を超え光色が明亮にして形体が大きく変われば数十万人が交戦し血が流れて河を成し屍体が堆積して災を成すことを主る。さもなければ大水であり山崩・河決があり百姓が漂没の災に遭う。五穀が傷敗し百姓が飢餓して死する。応期は二年である。
開元占経 巻五十八・辰星占六
辰星の石氏中官を犯す
辰星の大角を犯す 一
《海中占》曰:“辰星守大角,臣謀主;有兵起,人主憂,王者戒慎左右;期不出百八十日,遠一年。”
大角は摂提の二星の間の一颗の大星で天王の座位と為り帝王の尊を象徴する。《海中占》にいう、水星が大角を守住するのは、臣下が君主を図謀し兵事が興起し君主に憂患があり君王は当に身辺の近侍を厳加に戒備・謹慎すべきことを主る。応期は百八十日を出でず遠ければ一年である。
辰星の梗河を犯す 二
巫咸曰:“辰星守梗河,國有謀兵,四夷兵起,來侵中國,邊境有憂。”
梗河の三星は大角の北にあり胡人の兵事を主り天上の矛戟・干戈の象である。巫咸がいう、水星が梗河を守住するのは、国中に兵事を謀劃する人があり四方の夷狄が兵を興し前から来て中原を侵犯し辺境に憂患があることを主る。
辰星の招摇を犯す 三
《聖洽符》曰:“辰星犯招搖,邊兵大起,四夷為寇;若守之,夷人敗,若夷主死;期不出二年。”
招摇の一星は梗河の北にあり北斗の斗柄の末端と相応し胡人の兵事を主る。《聖洽符》にいう、水星が招摇を冒犯するのは、辺境の兵事が大いに起き四方の夷狄が前来して劫掠することを主る。もしその上に守留すればすなわち夷人が敗亡しあるいは夷人の君主が死去し応期は二年を出でず。
辰星の玄戈を犯す 四
《聖洽符》曰:“辰星犯玄戈,邊兵大起,侵掠為寇;若守之,夷主死;期不出二年。”
玄戈の一星は招摇の北にあり兵器中の戈に名を取りまた北方の夷人の兵事を主る。《聖洽符》にいう、水星が玄戈を冒犯するのは、辺境の兵事が大いに起き敵寇が前来して侵擾・劫掠することを主る。もしその上に守留すれば夷人の君主が死去することを主り応期は二年を出でず。
辰星の天槍を犯す 五
辰星犯天槍,夷兵起,機槍大用,防戌有憂;若誅邊臣,期不出年。
天槍の三星は北斗の斗柄の東北にあり天上の兵器の象である。水星が天槍を冒犯するのは、夷狄が兵を興し弩機・長槍が大量に動用され戍辺・防守の事が人を憂慮させることを主る。あるいは辺地の大臣が誅され応期はその年を出でず。
辰星の天棓を犯す 六
巫咸曰:“辰星犯天棓,夷兵起,機槍大用,防戌有憂;若誅邊臣,期不出年。”
天棓の五星は女床の北にあり形狀が一本の棍棒のようで同じく天上の兵器の象である。巫咸がいう、水星が天棓を冒犯するのは、夷狄が兵を興し弩機・長槍が大量に動用され戍辺・防守の事が人を憂慮させることを主る。あるいは辺地の大臣が誅され応期はその年を出でず。
辰星の女床を犯す 七
《荊州占》曰:“辰星犯女床,凶。”甘氏曰:“犯守女床,兵起宮中,若后妃有暴誅者,期百八十日,遠一年。”
女床の三星は天紀星の東北にあり後宮の御女の類の人を主る。《荊州占》にいう、水星が女床を冒犯するのは、凶を主る。甘徳がいう、女床を冒犯し守住するのは、兵事が宮中から興起しあるいは后妃の中に突然誅殺される人があり応期は百八十日で遠ければ一年である。
辰星の七公を犯す 八
《黃帝占》曰:“辰星守七公,為飢;民居不安。”石氏曰:“犯守七公,輔臣有謀議,臣相疑,若人主有憂。”
七公の七星は招摇の東にあり天子を輔佐する三公の位を象徴する。《黄帝占》にいう、水星が七公を守住するのは、飢饉を主り百姓が安居できない。石申がいう、七公を冒犯し守住するのは、輔政の大臣に別の図謀・議論があり群臣が互相に猜疑しあるいは君主に憂患があることを主る。
辰星の貫索を犯す 九
《荊州占》曰:“辰星入天牢,天下有賊;又曰水,期一年;一曰旱,期一年;又曰歲飢,人相食;一曰大赦,期百二十日。”巫咸曰:“犯守貫索,天下兵大起,多有獄事,貴人有死者。”石氏曰:“入天牢中,犯乘守者,以獄多為亂,不出年。”
貫索の九星は連環して繩索の如くまた「天牢」と叫ばれ刑獄の囚繫を主る。《荊州占》にいう、水星が天牢に入るのは、天下に賊寇があることを主る。またいう、水災を主り応期は一年である。一説では旱災を主り応期は一年である。またいう、年成が飢饉し人が人を食うことを主る。一説では大赦を主り応期は百二十日である。巫咸がいう、貫索を冒犯し守住するのは、天下の兵事が大いに起き訟獄の事が甚だ多く貴人の中に死亡する者があることを主る。石申がいう、天牢の中に入り冒犯・凌壓・守留してその上にあらば、牢獄の案件が多すぎるによって乱を生ずることを主り応期はその年を出でず。
辰星の天紀を犯す 十
《文曜鉤》曰:“辰星犯守天紀,倖臣執權,有兵,王者有憂。”
天紀の九星は貫索の東にあり綱紀・法度を掌管し訴訟を聴理することを主る。《文曜鈎》にいう、水星が天紀を冒犯し守住するのは、寵幸を受ける近臣が権柄を把持し兵事があり君王に憂患があることを主る。
辰星の織女を犯す 十一
《黃帝占》曰:“辰星犯守織女,天下有女憂,兵起,不出其年。”
織女の三星は天紀の東にあり天上の女工を主る官で瓜果・絲帛と珍宝を掌管する。《黄帝占》にいう、水星が織女を冒犯し守住するのは、天下の女子に憂患があり兵事が興起し応期はその年を出でないことを主る。
辰星の天市垣を犯す 十二
石氏曰:“辰星入天市,大臣有誅。”郗萌曰:“辰星入天市中,皆為將相凶;一曰五官有憂;一曰赦;又曰辰星入若守天市,蠻夷之君戮;又曰為驚;一曰更市。”
天市垣の二十二星は環列して墻垣の如く天上の都市で権衡・度量と衆を聚めた交易を主る。石申がいう、水星が天市に入るのは、大臣が誅されることを主る。郗萌がいう、水星が天市の中に入るのは、みな将相に凶禍があることを主る。一説では五官の長に憂いがある。一説では大赦を主る。またいう、水星が天市に入りあるいは守るのは蛮夷の君が殺されることを主る。またいう、驚擾を主る。一説では市集を更換する。
辰星の帝座を犯す 十三
石氏曰:“辰星犯帝座,為臣謀主,有逆亂事。”《玄冥占》曰:“為臣謀主,天下亂兵大起,不出年。”
帝座の一星は天市垣の中にあり天帝の座位で人間の君主を象徴する。石申がいう、水星が帝座を冒犯するのは、臣下が君主を図謀し叛逆・作乱の事があることを主る。《玄冥占》にいう、臣下が君主を図謀し天下に乱兵が大いに起き応期はその年を出でないことを主る。
辰星の候星を犯す 十四
《海中占》曰:“辰星犯守候星,陰陽不和,五穀傷,人民大飢,有兵起。”
候星の一星は帝座の東北にあり天上の伺察を担当する官で陰陽を観測し時令の変化を守候することを主る。《海中占》にいう、水星が候星を冒犯し守住するのは、陰陽が調を失し五穀が傷を受け百姓が大飢し兵事が興起することを主る。
辰星の宦者を犯す 十五
甘氏曰:“辰星犯宦者,輔臣有誅;若戮死,期不出年。”
宦者の四星は帝座の西南にあり天上の君主に侍奉する内官である。甘徳がいう、水星が宦者を冒犯するのは、輔政の大臣が誅されあるいは殺されて死し応期はその年を出でないことを主る。
辰星の宗正を犯す 十六
石氏曰:“辰星犯守宗正,左右群臣多死;若更政令,人主有憂。”
宗正の二星は帝座の東南にあり天上の宗室の事務を掌管する官である。石申がいう、水星が宗正を冒犯し守住するのは、君主の左右の群臣に死亡が多くあるいは政令を更改し君主に憂患があることを主る。
辰星の宗人を犯す 十七
石氏曰:“辰星犯宗人,親族貴人有憂,若有死者;一曰人主親宗有離絕者。”
宗人の四星は宗正の東にあり宗室の親属の礼儀と班次を主管する。石申がいう、水星が宗人を冒犯するのは、宗族・親戚の中の貴人に憂患がありあるいは死亡する者があることを主る。一説では君主の親族・宗室の中に離散・断絶する者がある。
辰星の宗星を犯す 十八
甘氏曰:“辰星犯宗星,宗室之人,有分離者。”
宗星の二星は候星の東にあり宗室の子弟を代表する。甘徳がいう、水星が宗星を冒犯するのは、宗室の中の人に分離・散落する者があることを主る。
辰星の東西咸を犯す 十九
石氏曰:“辰星犯東西咸,為臣不從令,有陰謀。”
東咸・西咸は各四星あり房宿の上方に分列し淫佚を防閑する門戸で宮中の禁令を主る。石申がいう、水星が東咸・西咸を冒犯するのは、臣下が号令に服従せず暗中に別の陰謀があることを主る。
辰星の天江を犯す 二十
《黃帝占》曰:“辰星入天江,大水決城郭。”陳卓曰:“暴水為害,不出其年。”巫咸曰:“犯守天江,天下有水;若入之,大水齊城郭,人民飢,去其鄉。”
天江の四星は尾宿の北にあり天上の江河で水事を主る。《黄帝占》にいう、水星が天江に入るのは、大水が城郭を冲決することを主る。陳卓がいう、暴発の洪水が災を成し応期はその年を出でないことを主る。巫咸がいう、天江を冒犯し守住するのは、天下に水患があることを主る。もしその中に入れば大水が高さ城郭と相斉しく百姓が飢餓し家郷を離れて逃亡することを主る。
辰星の建星を犯す 二十一
陳卓曰:“辰星犯建星,大臣相譖。”《百十二占》曰:“辰星出建星,中國有水旱,五穀不成,人民飢,不出年。”郗萌曰:“守建星,地氣洩,貴人多死;一曰臣謀其主。”《荊州占》曰:“犯建星,歲水,人飢,有自賣者。”
建星の六星は南斗の北にあり天上の都関で旌旗と謀議を主る。陳卓がいう、水星が建星を冒犯するのは、大臣が互いに讒を進め誣陷することを主る。《百十二占》にいう、水星が建星に出るのは、中原に水旱の災があり五穀が熟さず百姓が飢餓し応期はその年を出でないことを主る。郗萌がいう、建星を守住するのは、地気が外泄し貴人に死が多いことを主る。一説では臣下が君主を図謀する。《荊州占》にいう、建星を冒犯するのは、その年に水を発し百姓が飢餓し身を売って活を求める者があることを主る。
辰星の天弁を犯す 二十二
甘氏曰:“辰星犯天弁,若守之,則囚徒起兵;一曰五穀不成,糴大貴,人民飢。”
天弁の九星は建星の北にあり天上の市官の長で集市の貿易を掌管する。甘徳がいう、水星が天弁を冒犯しあるいはその上に守留するのは、囚徒が兵を起こして乱を作すことを主る。一説では五穀が熟さず糧を買う価銭が大貴し百姓が飢餓する。
辰星の河鼓を犯す 二十三
齊伯曰:“辰星犯河鼓,大將若左右將,將有誅;若守之,將有罪,以五色占之。”甘氏曰:“辰星入河鼓,大將出用兵。”
河鼓の三星は牽牛の北にあり中央の大星は大将を象徴し左右の両星は左将・右将を象徴し軍中の鼓角と征伐を主る。斉伯がいう、水星が河鼓を冒犯するのは、大将あるいは左将・右将の中に誅される者があることを主る。もしその上に守留すれば将領が罪を獲ることを主り星の五種の顔色に按じて分別に推占できる。甘徳がいう、水星が河鼓に入るのは、大将が出征して兵を用いることを主る。
辰星の離珠を犯す 二十四
石氏曰:“辰星犯離珠,宮中有事,若有亂宮者;若宮人有罪黜者。”
離珠の五星は須女の北にあり後宮の嬪妃が佩する珠玉の象である。石申がいう、水星が離珠を冒犯するのは、宮中に変故がありあるいは宮闈を擾乱する人がありあるいは宮人の中に罪を獲て貶黜される者があることを主る。
辰星の匏瓜を犯す 二十五
辰星犯匏瓜三十日,狗夜嗥,雞鳴;天下盡驚。”《聖洽符》曰:“犯守匏瓜,天下有憂,若有遊兵,名果貴;一曰魚鹽貴十倍,不出其年。”
匏瓜の五星は離珠の北にあり後宮を主りまた果実・蔬菜を主る。水星が匏瓜を三十日冒犯するのは、狗が夜に嗥叫し鶏もまた乱鳴し天下の人が尽く皆驚恐することを主る。《聖洽符》にいう、匏瓜を冒犯し守住するのは、天下に憂患がありあるいは流動の兵衆があり名貴の果品が価銭昂貴であることを主る。一説では魚と鹽の価銭が十倍に漲り応期はその年を出でず。
辰星の天津を犯す 二十六
《海中占》曰:“辰星犯天津,關道不通,有兵起,若關吏有憂。”郗萌曰:“守天津,兵革起。”
天津の九星は銀河の上に横に跨り天上の渡口の橋梁で四方の渡水の往来を主る。《海中占》にいう、水星が天津を冒犯するのは、関隘・道路が通じず兵事が興起しあるいは関を守る官吏に憂患があることを主る。郗萌がいう、天津を守住するのは、兵革が興起することを主る。
辰星の螣蛇を犯す 二十七
甘氏曰:“辰星守螣蛇,天子前驅凶;若奸臣有謀,前驅為害。”
螣蛇の二十二星は営室の北にあり天上の水虫の象で天子の前導を充当する。甘徳がいう、水星が螣蛇を守住するのは、天子の前導の儀衛に凶禍がありあるいは奸臣に別の図謀があり前導の人が反って禍害と成ることを主る。
辰星の王良を犯す 二十八
石氏曰:“辰星守王良,為有兵。”齊伯曰:“辰星犯守王良,天下有兵,諸侯相攻,強臣謀主,期不出年。”
王良の五星は奎宿の北にあり王良は古代の車を駕ること善き人でこの星は車騎を主りまた天子の車駕を主る。石申がいう、水星が王良を守住するのは、兵事があることを主る。斉伯がいう、水星が王良を冒犯し守住するのは、天下に兵があり諸侯が互相に攻伐し強横の臣子が君主を図謀し応期はその年を出でないことを主る。
辰星の閣道を犯す 二十九
石氏曰:“辰星犯閣道,絕漢者,為九州異政,各主其主,天下有兵,期二年。”
閣道の六星は王良の北にあり天子が紫微宮から別宮に通ずる複道で天河を横絶する。石申がいう、水星が閣道を冒犯し天河を横絶するのは、九州の政令が各々相同じからず各自その君主に聴命し天下に兵があり応期は二年であることを主る。
辰星の附路を犯す 三十
石氏曰:“辰星守附路,太僕有罪,若有誅;一曰馬多死,道無乘者。”
附路の一星は閣道の南にあり閣道の傍らの輔路である。石申がいう、水星が附路を守住するのは、車馬を掌管する太僕が罪を獲あるいは誅されることを主る。一説では馬匹が大量に死亡し道路上に騎乗の人を見ない。
辰星の天将軍を犯す 三十一
郗萌曰:“辰星入天將軍,興軍者吉。”石氏曰:“守天將軍,為大將死,若誅。”
天将軍の十二星は婁宿の北にあり中央の大星は大将を象徴し周囲の小星は吏士を象徴する。郗萌がいう、水星が天将軍に入るのは、兵を発し師を興す一方が吉利であることを主る。石申がいう、天将軍を守住するのは、大将が死亡しあるいは誅されることを主る。
辰星の大陵を犯す 三十二
石氏曰:“辰星入大陵,國有大喪,大臣有誅,若戮死;人民死者大半,不出其年。”《荊州占》曰:“辰星入大陵、積尸,天下盡喪,死人如丘山;星眾,兵起;星稀、無兵。”
大陵の八星は胃宿の北にあり陵墓・喪葬を主りその中の一颗を「積尸」と叫ぶ。石申がいう、水星が大陵に入るのは、国中に大喪があり大臣が誅されあるいは殺されて死し百姓の死亡が半ばを過ぐることを主り応期はその年を出でず。《荊州占》にいう、水星が大陵・積尸に入るのは、天下が尽く喪事で死人が山の如く堆積することを主る。積尸の処に星点が稠密なれば兵の起きることを主り星点が稀疏なればすなわち兵事なし。
辰星の天船を犯す 三十三
郗萌曰:“辰星守天船,革也。”《聖洽符》曰:“入天船或守之,兵大起,舟船用,有亡國,期不出年。”
天船の九星は大陵の北にあり銀河の中に横たわり渡水・行船を主る。郗萌がいう、水星が天船を守住するのは、天下に変革があることを主る。《聖洽符》にいう、天船に入りあるいはその上に守留するのは、兵事が大いに起き舟船が大量に動用され国家の滅亡する者あり応期はその年を出でないことを主る。
辰星の巻舌を犯す 三十四
石氏曰:“辰星乘捲舌,天下多喪;又曰守捲舌,國有佞臣謀其君,以口舌為害,人主有憂。”
巻舌の六星は昴宿の北にあり口舌・讒佞の事を主る。石申がいう、水星が巻舌を凌壓するのは、天下に喪事が多いことを主る。またいう、巻舌を守住するのは国中に奸佞の臣が君主を図謀し口舌をもって是非を搬弄して害を為し君主に憂患があることを主る。
辰星の五車を犯す 三十五
石氏曰:“辰星犯五車,大旱,若有喪;一曰犯庫星,兵起北方,若西方;犯倉星,穀貴;若有水。”《元命包》曰:“入五車,則水開。”(班固《天文志》曰:大水。)《海中占》曰:“兵大起,車騎行,五穀不成,天下民飢,若軍絕糧。”《黃帝占》曰:“入五車中犯乘守天庫,以水潦起兵。”
五車の五星は畢宿の北にあり天子の五種の兵車でまた五穀の倉廩を主り星群の中に別に天庫・天倉などの星がある。石申がいう、水星が五車を冒犯するのは、大旱を主りあるいは喪事があることを主る。一説では庫星を冒犯すれば兵が北方に起きあるいは西方に起きる。倉星を冒犯すれば穀価が貴くあるいは水がある。《元命包》にいう、五車に入ればすなわち水路が開通する。(原書小注:班固《漢書・天文志》にいう、大水を主る。)《海中占》にいう、兵事が大いに起き車馬・騎兵が出動し五穀が熟さず天下の百姓が飢餓しあるいは軍隊が糧草を断絶することを主る。《黄帝占》にいう、五車の中に入り天庫星を冒犯・凌壓・守住するのは、水涝によって兵を起こすことを主る。
辰星の天関を犯す 三十六
石氏曰:“辰星行天關中,每至抑揚,當去不去,徘徊亂行,光色隆怒,見其妖祥,中國隔絕,道路不通。”《文曜鉤》曰:“守天關,天下大水,津樑不通,人民飢,有自賣,期一年。”石氏曰:“行天關,為臣謀主。”郗萌曰:“辰星守天關者,皆為貴人多死。”《海中占》曰:“辰星守犯天關,道絕,天下相疑關梁之令。”
天関の一星は五車の南にあり日月・五星が出入する門戸でまた辺境の関隘を象徴する。石申がいう、水星が天関の中を運行して每每忽ち高く忽ち低く去るべきなのに去らず徘徊・往復して常度を乱り光色が熾盛して怒るが如く妖異の徴兆を顕現するのは、中原が隔絶され道路が通じないことを主る。《文曜鈎》にいう、天関を守住するのは、天下に大水があり渡口・橋梁が通じず百姓が飢餓し身を売って活を求める者があり応期は一年であることを主る。石申がいう、天関に運行するのは、臣下が君主を図謀することを主る。郗萌がいう、水星が天関を守るのは、みな貴人に死が多いことを主る。《海中占》にいう、水星が天関を守住し冒犯するのは、道路が断絶し天下の人が関卡・橋梁の禁令を彼此に猜疑することを主る。
辰星の南北河を犯す 三十七
《黃帝占》曰:“辰星乘南河戍,若出南,皆為中國。”石氏曰:“守南河,蠻夷兵起,邊戍有憂;若有旱滅,人民飢;又曰留守南戍,中方兵起。”《黃帝占》曰:“辰星出北河戍間,若留守北戍;若居南戍間;若守兩戍間;為天下有難起,道不通。”《荊州占》曰:“守兩河戍間,天下乖離。”郗萌曰:“失度守陰門、若陽門,為諸侯奸;又曰不行天門天關間,為喪。”
南河・北河は各三星あり東井の南北両側に分列し天上の関門でまた南戍・北戍と称し日月・五星が両者の中間から通行する。《黄帝占》にいう、水星が南河戍を凌壓しあるいはその南辺から出るのは、みな中原に応験することを主る。石申がいう、南河を守るのは、蛮夷が兵を興し辺境の戍守に憂いがあることを主る。あるいは旱災があり収穫を断絶させ百姓が飢餓する。またいう、南戍に停留・守住するのは中原に兵が起きることを主る。《黄帝占》にいう、水星が北河戍の間に出あるいは停留して北戍を守るかあるいは南戍の間に居あるいは両戍の中間に守るのは、みな天下に禍難が興起し道路が通じないことを主る。《荊州占》にいう、南北の両河戍の間に守るのは、天下が乖違・離散することを主る。郗萌がいう、常度を失して陰門あるいは陽門を守るのは、諸侯が奸を為すことを主る。またいう、天門・天関の間から通行しないのは喪事があることを主る。
辰星の五諸侯を犯す 三十八
石氏曰:“辰星犯五諸侯,若守之,兵大起,將士出,諸侯有憂,若有死者。”巫咸曰:“辰星入五諸侯,伺其出之日而數之,二十日兵起發;伺始入處之率,一日軍罷。”石氏曰:“守犯乘守五諸侯,諸侯兵死,期三年。”
五諸侯の五星は東井の北にあり帝室の五位の諸侯を象徴し過失を糾察・挙劾することを主る。石申がいう、水星が五諸侯を冒犯しあるいはその上に守留するのは、兵事が大いに起き将士が出征し諸侯に憂患がありあるいは死亡する者があることを主る。巫咸がいう、水星が五諸侯に入りそれが出る日を守候して推算し二十日後に兵事が発動する。さらにそれが始めて入った位置に按じて折算し一日後に軍隊が罷散する。石申がいう、五諸侯を守住・冒犯・凌壓するのは、諸侯が兵禍に死することを主り応期は三年である。
辰星の積水を犯す 三十九
石氏曰:“辰星守積水,旱。”巫咸曰:“犯守積水,其國有水災,水物不成,魚鹽貴,一曰以水為敗,糴大貴,人民飢,期二年。”
積水の一星は北河の西にあり清水を蓄積して祭祀の酒醴の用に供することを主る。石申がいう、水星が積水を守住するのは、旱を主る。巫咸がいう、積水を冒犯し守住するのは、その分野の国に水災があり水中の物産が成熟できず魚鹽が価貴なることを主る。一説では水患によって敗亡し糧を買う価銭が大貴し百姓が飢餓し応期は二年である。
辰星の積薪を犯す 四十
甘氏曰:“辰星犯守積薪,天下大旱,五穀不登,人民飢亡。”
積薪の一星は輿鬼の東にあり柴薪を儲備して庖厨の用に供することを主る。甘徳がいう、水星が積薪を冒犯し守住するのは、天下の大旱と五穀の歉収と百姓の飢餓・逃亡を主る。
辰星の水位を犯す 四十一
石氏曰:“辰星犯守水位,天下以水為害,津關不通;一曰大水入城郭,浸傷人民,皆不出二年。”
水位の四星は東井の東にあり水衡・水利の事を主る。石申がいう、水星が水位を冒犯し守住するのは、天下が水によって災を成し渡口・関隘が通じないことを主る。一説では大水が城郭に灌入し百姓を淹没・傷害しみな二年の内に応ずる。
辰星の軒轅を犯す 四十二
《黃帝占》曰:“辰星行軒轅,中犯女主,女主失勢,憂喪也。(《宋書天文志》曰:晉穆帝昇平四年六月辛亥,辰星犯軒轅,五年五月,帝崩、哀帝立,褚後失勢。孝武太元五年,七月丙子,辰星犯軒轅,占曰:女主當之,九月癸未,皇后王氏崩。安帝隆安三年五月辛未,辰星犯軒轅大星,四年七月,太皇后李氏崩也。)列大夫有放逐者,五官不治,色悴,為憂,為疾;其所中犯乘守者,若有罪。”
軒轅の十七星は七星の北にあり蜿蜿として騰龍の如く后妃の象でその中の最も亮い大星は女主を代表し両傍の諸星は妃嬪・御女を代表する。《黄帝占》にいう、水星が軒轅を行経し正中から女主星を冒犯するのは、女主が権勢を失し憂愁・喪亡の事があることを主る。(原書小注:《宋書・天文志》にいう、晋の穆帝升平四年六月辛亥日に水星が軒轅を冒犯し升平五年五月に穆帝が駕崩し哀帝が即位し褚太后がこれにより勢を失った。晋の孝武帝太元五年七月丙子日に水星が軒轅を冒犯し占辞が応験は女主の身に在るといいその年九月癸未日に皇后王氏が去世した。晋の安帝隆安三年五月辛未日に水星が軒轅の大星を冒犯し隆安四年七月に太皇太后李氏が去世した。)また列位の大夫の中に放逐される者があり五官の職事が廃弛し星色が憔悴して光なく憂愁を主り疾病を主る。およそそれに正中から冒犯・凌壓・守留されたその星が代表する人はあるいはまさに罪を獲ようとする。
石氏曰:“辰星在軒轅中,有以女子請人君者。”巫咸曰:“辰星行犯守軒轅,女主失勢;一曰大人當之,若有黜者;期二年。”石氏曰:“入軒轅中犯乘守之,有逆賊;若火災。”又曰:“犯守軒轅太民星,大流,太后宗有誅者,若有罪;中犯乘守小民星,小飢小流;皇后宗有誅者,若有罪。”
石申がいう、水星が軒轅の中にあるのは、人が女子を拿して進献して君主に請託する者があることを主る。巫咸がいう、水星が運行して軒轅を冒犯し守住するのは、女主が権勢を失することを主る。一説では応験が貴人の身に落ちあるいは貶黜される者がある。応期は二年である。石申がいう、軒轅の中に入り冒犯・凌壓・守留するのは、叛逆の賊人がありあるいは火災があることを主る。またいう、軒轅の中の太民星を冒犯し守住するのは、大批の流亡と太后の一族の中に誅される者あるいは罪を獲る者があることを主る。正中から小民星を冒犯・凌壓・守住するのは、小飢饉・小規模の流亡を主る。皇后の一族の中に誅される者あるいは罪を獲る者がある。
辰星の少微を犯す 四十三
石氏曰:“辰星入少微,君當求賢佐,不求賢佐,則失威奪勢者矣。”又曰:“犯守少微,名士有憂,王者任用小人,忠臣被害,有死;又曰五官亂,宰相易,有兵憂矣。”
少微の四星は太微垣の西にあり処士・議士と博士の位で賢才を選抜することを主る。石申がいう、水星が少微に入るのは、君主が当に賢能の輔佐を訪求すべくもし賢佐を訪求しなければすなわち威権を喪失し人に勢位を奪われる事が出現することを主る。またいう、少微を冒犯し守住するのは、名望ある士人が憂に遭い君王が小人を任用し忠臣が陥害され甚だしきは人が身死することを主る。またいう、五官の職事が錯乱し宰相が更換し兵事の憂いがある。
石氏曰:“辰星入,中犯乘守少微,宰相易;一曰女主憂,不出其年。”《帝覽嬉》曰:“行犯左右執法,為大臣有憂。”郗萌曰:“犯左右執法,執法者誅,若有罪;又曰犯天庭,臣為亂。”
石申がいう、水星が少微に入り正中から冒犯・凌壓・守留してその上にあらば宰相が更換することを主る。一説では女主に憂いがあり応期はその年を出でず。《帝覧嬉》にいう、太微垣の左執法・右執法の二星を運行・冒犯するのは、大臣に憂いがあることを主る。郗萌がいう、左右の執法を冒犯するのは、執法の官が誅されあるいは罪を獲ることを主る。またいう、天庭を冒犯するのは臣下が乱を作すことを主る。
辰星の太微を犯す 四十四
《荊州占》曰:“辰星道;從太微西藩北南方星間入,到南方東方星間南出道;中西藩直坐入者,非道也。”《春秋圖》曰:“辰星若以立秋後七十二日得壬子,入太微朝見,當此之時,陰氣隆盛,陽氣潛藏,不欲穿池,決溝渠,犯之冬雷。”《荊州占》曰:“辰星以壬子日順入太微,天子所使也;不以壬子日,非天子使也。”
太微垣は天子の南宮の朝廷で東西の両藩から囲まれ南面の正中は端門で両傍は左右の掖門で垣内に五帝座・天庭と左右の執法の諸星がある。《荊州占》にいう、水星が太微を行経するは一定の通道があり太微垣の西藩の北面・南方の星の間から入り南方と東方の星の間に到って南に出るがこれ乃ち正道である。もし西藩の帝座を正対する処から入れば正道に合わない。《春秋図》にいう、水星がもし立秋後七十二日に壬子日に遇い太微に入って天子に朝見し正当この時陰気が隆盛し陽気が潜蔵し池塘を開挖し溝渠を疏決するに宜しからず触犯すればすなわち冬に雷を打つ。《荊州占》にいう、水星が壬子日に順行して太微に入るは天子の派遣する所である。壬子日に入らざるはすなわち天子の派遣する所でない。
郗萌曰:“辰星當太微門,為受制;當左執法,為受事左執法;當右執法,為受事右執法守;太微門三日以下為受制,三日以上,為兵、為賊、為亂、為飢。”《荊州占》曰:“辰星出東掖門,為相受命;東南出德事也。出西掖門為將受事,西南出刑事也;期以春秋。”《黃帝占》曰:“辰星入天庭,色白潤澤,為期百八十日,有赦。”巫咸曰:“辰星入太陰門西,出太陰門東,後宮破,右有大水,期百二十日。”《合誠圖》曰:“辰星入華闕門,為臣弒之候也。”
郗萌がいう、水星が太微垣の門を正対するのは、天子の制命を承受することを主る。左執法星を正対すれば左執法から職事を領受することを主り右執法星を正対すれば右執法から職事を領受することを主る。太微門に三日以下守れば制命を承受することを主りもし三日以上守ればすなわち兵事を主り賊寇を主り動乱を主り飢饉を主る。《荊州占》にいう、水星が東掖門から出るのは、丞相が命を受けることを主る。東南から出れば徳政を施行する事である。西掖門から出れば将帥が命を受け西南から出れば刑殺の事である。応期は春季あるいは秋季に在る。《黄帝占》にいう、水星が天庭に入り星色が潔白・潤沢なれば応期は百八十日で大赦がある。巫咸がいう、水星が太陰門の西辺から入り太陰門の東辺から出るのは、後宮が破敗し右方に大水があり応期は百二十日であることを主る。《合誠図》にいう、水星が華闕門に入るはこれは臣下が君を弑する徴候である。
石氏曰:“辰星入太微中華東西門;若左右掖門,而南出端門,必有反臣;若入西門出東,為人君不安,欲求賢佐;有入中華西門,出中華東門,為臣出令;入太陽西,出太陰東門,為天下大亂,有喪,若大水。”郗萌曰:“入太微西門,犯天庭,出端門,為大臣伐主;入西門,折出右掖門,為大臣假主之威而不從主命;入西華門,南出端門,為臣詐稱詔;入太微,若入端門出東門,貴者奪勢。”
石申がいう、水星が太微垣の中華東門・中華西門あるいは左右の掖門から入り南に端門から出れば必定に反逆の臣がある。もし西門から入り東門から出れば君主が安寧を得ず賢能の輔佐を訪求しようと欲することを主る。中華西門から入り中華東門から出る者があれば臣下が擅自に号令を発布することを主る。太陽門の西辺から入り太陰門の東辺から出れば天下の大乱と喪事がありあるいは大水があることを主る。郗萌がいう、太微の西門から入り天庭を冒犯し端門から出るのは、大臣が君主を討伐することを主る。西門から入り折れて右掖門から出れば大臣が君主の威勢を假借して君主の命令に遵わないことを主る。西華門から入り南に端門から出れば臣下が詔命を詐称することを主る。太微に入りあるいは端門から入り東門から出れば顕貴の人が権勢を奪われることを主る。
《荊州占》曰:“辰星入太微宮,天下有聖女子出燕代;若有大水,傷人民,期三十日。”(《天文志》曰:“孝桓永壽元年七月巳未,辰星入太微中,八十日去,出左掖門,是歲洛水溢至津門,南陽大水。)
《荊州占》にいう、水星が太微宮に入るのは、天下に聖徳の女子が燕の地・代の地一帯に出ずることを主る。あるいは大水があり百姓を傷害し応期は三十日である。(原書小注:《天文志》にいう、漢の桓帝永寿元年七月巳未日に水星が太微の中に入り八十日後に離れ去り左掖門から出た。この年に洛水が暴漲し洛陽の津門に漫ぎ南陽一帯が大水を発し正しく占辞と相合した。)
《荊州占》曰:“辰星入太微天庭,出端門,臣不臣;入太微宮,為天下大驚;一曰有兵;又曰入天庭,國不安其宮;又曰辰星見太微,天子當之。”陳卓曰:“辰星入太微,天子之宮,群臣相殺。”(《宋書天文志》曰:“晉永寧元年七月,辰星入太微,初齊王冏定京都,因留輔政,遂專權無君,是月成都王穎,河間王顯,長沙王乂討之,冏乂交戰,攻焚宮關,冏兵敗,夷滅乂殺其兄,上將軍寔以下二十餘人,大安二年成都攻長沙,於是公私飢困,百姓力屈也。)
《荊州占》にいう、水星が太微・天庭に入り端門から出るのは、臣下が臣道を守らないことを主る。太微宮に入れば天下が大いに驚駭することを主る。一説では兵事がある。またいう、天庭に入れば国家の宮室が安寧を得ない。またいう、水星が太微に出現すれば応験は天子の身に落ちる。陳卓がいう、水星が太微に入るは——太微は天子の宮廷で——群臣が互相に残殺することを主る。(原書小注:《宋書・天文志》にいう、晋の永寧元年七月に水星が太微に入った。当初斉王司馬冏が京城を平定し因而に留まって政を輔けここにおいて権柄を専擅し君主を目に無くこの月に成都王司馬頴・河間王司馬顒・長沙王司馬乂が兵を起こして彼を討伐し司馬冏と司馬乂が交戦し宮門を攻打・焚焼し司馬冏が兵敗して誅され宗族が夷滅され司馬乂がまた彼の兄長および上将軍司馬寔以下二十余人を殺した。太安二年に成都王が長沙王を進攻しここにおいて公家も私家もみな飢困に陥り百姓が力竭した。)
齊伯曰:“辰星入左右掖門而東出,天下有憂,若入端門而守天庭,強臣奪主位。”《黃帝占》曰:“辰星東行,入太微庭,出東門,天下有急兵;若守,將相丞相御史大臣有死者;若入端門、守庭,大禍至;入南門出東門,國大旱;若入南門逆行出西門,國大亂;逆行入東門,出西門,大國破亡;若順入西藩而不留去;楚國凶殃。”巫咸曰:“辰星逆行,入太微天庭中,為大臣有誅,若諸侯戮死,期二年。”石氏曰:“辰星逆行於太微中,及出左右掖門者,有逆謀,天子有命將征伐之事;一曰大赦可以解其患也。”
斉伯がいう、水星が左右の掖門から入り東に出るのは、天下に憂患があることを主る。もし端門から入り天庭を守住すれば強横の臣子が君位を奪取することを主る。《黄帝占》にいう、水星が東に行き太微庭に入り東門から出るのは、天下に緊急の兵事があることを主る。もし守留して去らなければ将相・丞相・御史などの大臣の中に死亡する者があることを主る。もし端門から入り天庭を守住すれば大禍が頭に臨むことを主る。南門から入り東門から出れば国中の大旱を主る。もし南門から入り逆行して西門から出れば国中の大乱を主る。逆行して東門から入り西門から出れば大国が破亡することを主る。もし順行して西藩に入り停留せずして離れ去れば楚国に凶殃があることを主る。巫咸がいう、水星が逆行して太微・天庭の中に入るのは、大臣が誅されあるいは諸侯が殺されて死し応期は二年であることを主る。石申がいう、水星が太微の中で逆行しおよび左右の掖門から出るのは、叛逆の陰謀があり天子に将帥を任命して出征・討伐する事があることを主る。一説では大赦をもってこの禍患を解除できる。
辰星の黄帝座を犯す 四十五
石氏曰:“辰星犯黃帝座,改政易王,天下亂,存亡半。”
黄帝座はすなわち太微垣の五帝座の中央の那颗の大星で天子の正位である。石申がいう、水星が黄帝座を冒犯するのは、政令を更改し君王を更易し天下が大乱し存と亡が各々半ばを占めることを主る。
辰星の四帝を犯す 四十六
甘氏曰:“辰星犯乘守四帝座,天下亡;又曰臣謀主,去之一尺,事不成。”
四帝座は黄帝座を環繞する青帝・赤帝・白帝・黒帝の四位の座である。甘徳がいう、水星が四帝座を冒犯・凌壓・守住するのは、天下が滅亡することを主る。またいう、臣下が君主を図謀するを主る。但しもしそれを離れること一尺の遠あれば図謀する所の事は成功できない。
辰星の屏星を犯す 四十七
甘氏曰:“辰星犯守屏星,君臣失禮,下謀上。”
屏星の四星は太微垣の端門の内にあり内外を遮蔽する屏障で礼制上の隔別を主る。甘徳がいう、水星が屏星を冒犯し守住するのは、君臣の間が礼数を失し下位の者が上位の者を図謀することを主る。
辰星の郎位を犯す 四十八
甘氏曰:“辰星犯守郎位,輔臣有謀,左右宿衛者為亂,王者宜備之。”
郎位の十五星は帝座の東北にあり宮中に宿衛・侍従する郎官の位である。甘徳がいう、水星が郎位を冒犯し守住するのは、輔政の大臣に別の図謀があり左右の宿衛の人が乱を作し君王は当に防備を加うべきことを主る。
開元占経 巻五十九・辰星占七
辰星の石氏外官を犯す 一
辰星の庫楼を犯す 一
郗萌曰:“辰星入庫樓,以水起兵,亦大水。”《荊州占》曰:“入天庫,鈇鉞用,大臣誅。”
庫楼の十星は角宿の南にあり天上の兵庫と楼台で兵車・器械を主る。郗萌がいう、水星が庫楼に入るのは、水患によって兵を起こすことを主りまた大水を発することを主る。《荊州占》にいう、天庫に入るのは、斧鉞の刑具が動用され大臣が誅されることを主る。
辰星の南門を犯す 二
石氏曰:“辰星犯守南門,邊夷兵起,若道路不通。”
南門の二星は庫楼の南にあり天上の外門で辺関の守御を主る。石申がいう、水星が南門を冒犯し守住するのは、辺地の夷人が兵を興しあるいは道路が通じないことを主る。
辰星の平星を犯す 三
石氏曰:“辰星犯平星,凶。”甘氏曰:“犯守平星,執政臣憂,若有罪誅者,期一年。”
平星の二星は庫楼の北にあり法度を評議し刑獄を審断することを主管する天官である。石申がいう、水星が平星を冒犯するのは、凶を主る。甘徳がいう、平星を冒犯し守住するのは、政を執る大臣に憂いがありあるいは罪を獲て誅される者があり応期は一年であることを主る。
辰星の騎官を犯す 四
甘氏曰:“辰星犯守騎官,有兵起,馬多發,若多死。”
騎官の二十七星は氐宿の南にあり天子の騎兵の宿衛の官である。甘徳がいう、水星が騎官を冒犯し守住するのは、兵事が興起し馬匹が大量に徴発されあるいは大量に死亡することを主る。
辰星の積卒を犯す 五
石氏曰:“辰星入積卒,若守之,兵大起,士卒大行,若多死,期二年。”《玄冥占》曰:“犯積卒,主失位,天下亂,兵大起,期百八十日。”
積卒の十二星は房宿の南にあり聚集した士卒を象徴する。石申がいう、水星が積卒に入りあるいはその上に守留するのは、兵事が大いに起き士卒が大挙して出行しあるいは大量に死亡し応期は二年であることを主る。《玄冥占》にいう、積卒を冒犯するのは、君主が権位を失し天下が大乱し兵事が大いに起き応期は百八十日であることを主る。
辰星の亀星を犯す 六
《海中占》曰:“辰星犯守龜星,天下有水旱之災;守陽,即旱;守陰,即水。”
亀星の五星は尾宿の南にあり水中の霊亀を象徴し占卜と水事を主る。《海中占》にいう、水星が亀星を冒犯し守住するのは、天下に水旱の災があることを主る。陽位に守ればすなわち旱を主り陰位に守ればすなわち水を主る。
辰星の傅説を犯す 七
石氏曰:“辰星犯守傅說,王者簡宗廟,廢五祀,後宮凶;一曰有絕嗣君,期不出二年。”
傅説の一星は尾宿の後にあり殷の高宗の賢相傅説に名を取り祭祀と嗣を求めることを主る。石申がいう、水星が傅説を冒犯し守住するのは、君王が宗廟を怠慢し五祀の礼を廃棄し後宮に凶事があることを主る。一説では後嗣を断絶する君主があり応期は二年を出でず。
辰星の魚星を犯す 八
石氏曰:“辰星犯守魚星,凶。”甘氏曰:“犯過魚星之陽,為大旱,魚行人道;之陰,為大水,魚鹽貴。”
魚星の一星は尾宿の南・天江の側にあり水中の游魚を象徴する。石申がいう、水星が魚星を冒犯し守住するのは、凶を主る。甘徳がいう、魚星の陽位を冒犯・経過するのは、大旱を主り水が干涸して連魚も人の行く路の上を歩かざるを得ない。その陰位を経過すれば大水を主り魚と鹽の価銭が昂貴する。
辰星の杵星を犯す 九
《海中占》曰:“辰星入杵星,若守之,天下有急發之事,不出其年。”
杵星の三星は箕宿の南にあり臼星と相配し米を舂き糧を備えることを主る。《海中占》にいう、水星が杵星に入りあるいはその上に守留するのは、天下に緊急の徴発の事があり応期はその年を出でないことを主る。
辰星の鼈星を犯す 十
《黃帝占》曰:“辰星守鱉星,有白衣之會。”巫咸曰:“國有水旱之災;守陽,則旱;守陰、則水。”
鼈星の十四星は南斗の南にあり水中の甲虫を象徴する。《黄帝占》にいう、水星が鼈星を守住するのは、白衣を穿く喪事の集会があることを主る。巫咸がいう、国中に水旱の災があることを主る。陽位に守ればすなわち旱を主り陰位に守ればすなわち水を主る。
辰星の九坎を犯す 十一
石氏曰:“辰星守九坎,天下旱,名水不流,五穀不登,人民大飢;一曰之陽,大旱;之陰,大水。”石氏曰:“犯守九坎,凶。”
九坎の九星は牽牛の南にあり九処の溝渠の水坎を象徴し灌漑・溝洫の事を主る。石申がいう、水星が九坎を守住するのは、天下が乾旱し著名な河流が断流して通じず五穀が歉収し百姓が大飢することを主る。一説ではその陽位に到れば大旱を主りその陰位に到れば大水を主る。石申がいう、九坎を冒犯し守住するのは、凶を主る。
辰星の敗臼を犯す 十二
石氏曰:“辰星守敗臼,民不安其室,憂失其釜甑,若流移,去其鄉。”
敗臼の四星は虚宿・危宿の南にあり破敗の舂臼の象で凶災・飢饉を主る。石申がいう、水星が敗臼を守住するのは、百姓が家室に安居できず鍋甑の炊具を失うに憂愁しあるいは流離・遷徙し故郷を離れることを主る。
辰星の羽林を犯す 十三
郗萌曰:“辰星入羽林,有反臣中兵。”巫咸曰:“入羽林,天下兵起,四夷入國,人主憂;一曰其國以水為憂。”《荊州占》曰:“熒惑與辰星俱入天庫,軍凶;若有水災。”郗萌曰:“犯守天陣,為兵起,有破軍死將。”《海中占》曰:“入犯守羽林,有兵起;若逆行變色,成勾已,天下大兵,關梁不通,不出其年。”
羽林の四十五星は営室の南にあり天子の禁衛の軍でまた「天軍」「天陣」と叫ばれる。郗萌がいう、水星が羽林に入るのは、反逆の臣が朝内に兵を起こす者があることを主る。巫咸がいう、羽林に入るのは、天下に兵が起き四方の夷狄が国境に侵入し君主に憂いがあることを主る。一説ではその分野の国が水患を憂いとする。《荊州占》にいう、火星と水星が一同に天庫に入るのは、軍隊に凶禍がありあるいは水災があることを主る。郗萌がいう、天陣を冒犯し守住するのは、兵が起き軍隊が撃破され将領が戦死する者があることを主る。《海中占》にいう、羽林に進入・冒犯・守住するのは、兵事が興起することを主る。もし逆行して併せて顔色を変え「勾巳」のような曲折の軌跡を走出すれば天下に大兵があり関隘・橋梁が通じず応期はその年を出でないことを主る。
辰星の北落を犯す 十四
石氏曰:“辰星守北落,亦為兵大合,女子兵起;若與北落相貫,牴觸,光相及,有兵大戰,破軍殺將,伏尸流血,不可當也;期百八十日,若一年。”甘氏曰:“守北落,斧鑕用,大臣有誅、期不出年。”
北落はすなわち北落師門で一星が羽林の南にあり天軍の営門で非常を伺察し寇盗を防備することを主る。石申がいう、水星が北落を守住するのは、また兵衆が大規模に集結し連女子も起きて兵を当てることを主る。もし北落星と相貫穿・相抵觸して光芒が彼此に相接すれば大戦があり軍隊が撃破され将領が殺され屍を横たえ血を流しその勢いは抵当すべからずを主る。応期は百八十日あるいは一年である。甘徳がいう、北落を守住するのは、斧鑕の刑具が動用され大臣の中に誅される者があり応期はその年を出でないことを主る。
辰星の土司空を犯す 十五
《海中占》曰:“辰星守土司空,其國以土起兵;若有土功之事,天下旱。”
土司空の一星は奎宿の南にあり土木・工程と水土の政を掌管する官である。《海中占》にいう、水星が土司空を守住するのは、その分野の国が土地の争いによって兵を起こすことを主る。あるいは土木・工程の事があり天下が乾旱する。
辰星の天倉を犯す 十六
齊伯曰:“辰星守天色,諸侯有發粟之事,有兵起;星若當戶守之,將受命,不為主用。”《荊州占》曰:“辰星入天倉中,主財寶出,主憂亂臣在內,天下有兵,而倉庫之戶俱開;主人勝,客事不成;期二十日中而發。”郗萌曰:“入若天倉,為粟發用。”《黃帝》曰:“守天倉,大水。”《荊州占》曰:“守天倉,天下飢,粟出。”
天倉の六星は婁宿の南にあり穀物を儲蔵する倉廩の象である。斉伯がいう、水星が天倉を守住するのは(源文ここに「天色」と作る)、諸侯に倉を開き糧を放つ事があり兵事が興起することを主る。星がもし倉門を正対して守留すれば将帥は命を受けるも君主に用いられないことを主る。《荊州占》にいう、水星が天倉の中に入るのは、財宝が外流し君主が乱臣がすなわち朝内に在るを憂慮し天下に兵があり而も倉庫の門戸が全て打ち開かれることを主る。主人の一方が取勝し客方の事が成らない。応期は二十日の内に発動する。郗萌がいう、天倉に入るのは、糧食が発放・動用されることを主る。《黄帝占》にいう、天倉を守住するのは、大水を主る。《荊州占》にいう、天倉を守住するのは、天下が飢饉し倉粟が外調されることを主る。
辰星の天囷を犯す 十七
石氏曰:“辰星入天囷,天下兵起,囷倉儲積之物皆發用;一曰御物多有出者,庫藏空虛,期二年。”
天囷の十三星は胃宿の南にあり円形の穀倉の象で糧米を儲積することを主る。石申がいう、水星が天囷に入るのは、天下に兵が起き囷倉の中に儲積の物資が全て発放・動用されることを主る。一説では宮廷の御用の物に流出する者が多く府庫が空虚で応期は二年である。
辰星の天廩を犯す 十八
石氏曰:“辰星犯天廩,天下亂,粟散出。一曰天下大飢。”
天廩の四星は昴宿の南にあり祭祀に用いる穀物を儲放する倉廩である。石申がいう、水星が天廩を冒犯するのは、天下が動乱し倉粟が散発・外流することを主る。一説では天下の大飢を主る。
辰星の天苑を犯す 十九
石氏曰:“辰星入天苑,牛羊禽獸多疾疫。若守之二十日,天下兵起,馬多死,其國憂。”
天苑の十六星は昴宿・畢宿の南にあり天子が牛馬・禽獣を牧養する苑囿である。石申がいう、水星が天苑に入るのは、牛羊・禽獣に疫病を生ずる者が多いことを主る。もし二十日守留すれば天下に兵が起き馬匹が大量に死亡しその分野の国に憂患があることを主る。
辰星の参旗を犯す 二十
《海中占》曰:“辰星守參旗,兵大起,弓弩用,士將出行。一曰弓矢貴。”
参旗の九星は参宿の西にありまた「天旗」と叫ばれ弓弩を主管する府庫である。《海中占》にいう、水星が参旗を守住するのは、兵事が大いに起き弓弩が動用され将士が出征することを主る。一説では弓箭が価銭昂貴する。
辰星の玉井を犯す 二十一
《黃帝占》曰:“辰星入玉井,為強國失地;其出之,強國得地。”巫咸曰:“辰星入玉井,國有大水,憂;若以水為敗,水物不成,期不出年。”
玉井の四星は参宿の左足の下にあり水漿を取りて厨膳に供することを主る。《黄帝占》にいう、水星が玉井に入るのは、強国が土地を喪失することを主る。その中から出れば強国が土地を獲得することを主る。巫咸がいう、水星が玉井に入るのは、国中に大水の憂いがありあるいは水患によって敗亡し水中の物産が成熟できず応期はその年を出でないことを主る。
辰星の屏星を犯す 二十二
甘氏曰:“辰星入守屏星,諸使有謀;若大臣有戮死者。”甘氏曰:“入天屏,為大臣戮;若疫。”
ここの屏星の二星は玉井の南・厠星の北にあり太微垣内の屏星と名は同じくして処は同じからず厠溷を遮蔽する屏障である。甘徳がいう、水星が屏星に入り守住するのは、諸位の使臣に別の図謀がありあるいは大臣の中に殺されて死する者があることを主る。甘徳がいう、天屏に入るのは、大臣が殺されあるいは瘟疫が流行することを主る。
辰星の厠星を犯す 二十三
《黃帝占》曰:“辰星犯廁,為大臣有戮者。”《甄曜度》曰:“入守廁星,天下大飢,人民相食,死者大半,期二年。”
厠星の四星は屏星の東にあり天上の圊厠で疾病と穢汚を主る。《黄帝占》にいう、水星が厠星を冒犯するのは、大臣の中に殺される者があることを主る。《甄曜度》にいう、厠星に入り守住するのは、天下の大飢饉と百姓が人を食い死者が半ばを過ぐることを主り応期は二年である。
辰星の軍市を犯す 二十四
石氏曰:“辰星入守軍市,兵大起,大將軍出;若以飢兵起。”
軍市の十三星は参宿の南にあり軍中が交易する集市である。石申がいう、水星が軍市に入り守住するのは、兵事が大いに起き大将軍が出征しあるいは飢饉によって兵を興すことを主る。
辰星の野鶏を犯す 二十五
甘氏曰:“辰星入犯守野雞,其國凶,必有死將;軍營敗,兵士散走。”
野鶏の一星は軍市の中にあり変異・怪事を主り軍中の警候の象である。甘徳がいう、水星が野鶏に進入・冒犯・守住するのは、その分野の国に凶禍があり必定に将領が陣亡し軍営が潰敗し兵士が四散・奔逃することを主る。
辰星の狼星を犯す 二十六
石氏曰:“辰星入守狼星,野獸死。”《聖洽符》曰:“辰星犯守狼星,天下多奸盜,有兵起,其國以水為憂。”《荊州占》曰:“守狼星,大將出,其國有兵;一曰死將。”
狼星の一星は参宿の東南にあり色が白く芒角があり侵掠・劫奪を主る。石申がいう、水星が狼星に入り守住するのは、野獣が死亡することを主る。《聖洽符》にいう、水星が狼星を冒犯し守住するのは、天下に奸邪・盗賊が多く兵事が興起しその分野の国が水患を憂いとすることを主る。《荊州占》にいう、狼星を守住するのは、大将が出征しその国に兵事があることを主る。一説では将領が陣亡する者がある。
辰星の弧星を犯す 二十七
《荊州占》曰:“辰星守弧星,大將有千里之行,國政驚。”
弧星の九星は狼星の東南にあり形狀が一張の弯弓のようで正しく狼星を対し盗賊を防備することを主りまた弓矢を主る。《荊州占》にいう、水星が弧星を守住するのは、大将に千里の遠征の行があり国家の政局が震動・驚擾することを主る。
辰星の稷星を犯す 二十八
《海中占》曰:“辰星守天稷,有旱災,五穀不登,歲大飢;一曰五穀散出。”
天稷の五星は七星の南にあり農正の官で農耕の百穀を主る。《海中占》にいう、水星が天稷を守住するのは、旱災があり五穀が歉収しその年に大飢饉することを主る。一説では倉中の五穀がまさに散発され出ようとする。
辰星の甘氏中官を犯す 二
辰星の四輔を犯す 一
《荊州占》曰:“辰星中犯乘守四輔星,君臣失禮,輔臣有誅者。”
四輔の四星は北極の枢星の傍に環繞し天子を輔佐する四位の大臣を象徴する。《荊州占》にいう、水星が正中から四輔星を冒犯・凌壓・守住するのは、君臣の間が礼数を失し輔政の大臣の中に誅される者があることを主る。
辰星の平道を犯す 二
甘氏曰:“辰星入守平道,天下兵亂。”
平道の二星は角宿の両星の間にあり天子が出行するに経る御道である。甘徳がいう、水星が平道に入り守住するのは、天下の兵禍・動乱を主る。
辰星の酒旗を犯す 三
《荊州占》曰:“辰星守酒旗,天下大酺,有肉財物賜;若爵宗室。”
酒旗の三星は軒轅の南にあり宴饗・酒食の事を主る。《荊州占》にいう、水星が酒旗を守住するのは、天下が大いに酒宴を擺し聚飲し酒肉・財物の賞賜がありあるいは宗室の子弟に爵位を加封することを主る。
辰星の天高を犯す 四
郗萌曰:“辰星舍入天高,有奇令。”
天高の四星は畢宿の南にあり遠方の雲気・物象を観望する高台である。郗萌がいう、水星が天高に停舍し入るのは、朝廷に非常の詔令があることを主る。
辰星の積尸を犯す 五
石氏曰:“辰星守積尸,大人當之。”
積尸はすなわち輿鬼の中央の那団の白気で甘氏がこれを別立して一星官と為し死喪と祭祀を主る。石申がいう、水星が積尸を守住するのは、その応験が貴人の身に落ちることを主る。
辰星の天潢を犯す 六
《黃帝占》曰:“辰星入天潢中者,為起軍道不通,天下大亂,國易政;一曰貴人死,若中犯乘守之,皆期二十日,兵起。”郗萌曰:“辰星失度,留天潢中,為人主以水為害;若以井為害,以日入占其國;若出乘天潢,赦;期百二十日內。”
天潢の五星は五車の中にあり天上の池沼と渡口で橋梁・津渡を主る。《黄帝占》にいう、水星が天潢の中に入るのは、兵を発して道路が通じず天下が大乱し国家が政令を更改することを主る。一説では貴人が死亡する。もし正中から冒犯・凌壓・守留してその中にあればみな二十日を期として兵事が興起する。郗萌がいう、水星が常度を失し天潢の中に停留するのは、君主が水患によって害を受けあるいは井水によって害を生ずることを主りそれが入った日辰をもってどの国に応ずるかを推占できる。もし出て来て天潢を凌壓すれば大赦を主り応期は百二十日の内にある。
辰星の咸池を犯す 七
郗萌曰:“辰星入咸池,為有迷惑人主者。”《荊州占》曰:“若入咸池,天下大亂,人君死,易政;以入日占國。”甘氏曰:“有兵喪,天子且以大敗,失忠臣,若旱;一曰大水,道不通,貴人死;以入日占國。”《文曜鉤》曰:“大水。”郗萌曰:“大人憂,若出乘之,赦;期百二十日內。”
咸池の三星は天潢の南にあり魚鼈の居る水池で相传えまた太陽が降落する処である。郗萌がいう、水星が咸池に入るのは、人が君主を迷惑する者があることを主る。《荊州占》にいう、もし咸池に入れば天下の大乱と国君の死亡と政令の更改を主る。それが入った日辰をもってどの国に応ずるかを推占する。甘徳がいう、兵禍・喪事があり天子がまさにこれにより大敗し忠臣を失いあるいは旱があることを主る。一説では大水を主り道路が通じず貴人が死亡する。それが入った日辰をもってどの国に応ずるかを推占する。《文曜鈎》にいう、大水を主る。郗萌がいう、貴人に憂いがあることを主りもし出て来てその上を凌壓すれば大赦を主り応期は百二十日の内にある。
辰星の天街を犯す 八
郗萌曰:“辰星不從天街者,為政令不行,不出其年,有兵;當天街者,為諸侯自立為王;一曰大水;若留止逆行天街中,為兵革起。”石氏曰:“犯守天街,徘徊亂行,主弱臣強,道路隔絕,天下不通。”
天街の二星は畢宿・昴宿の間にあり日月・五星が通行する大道でまた華夏と夷狄の分界である。郗萌がいう、水星が天街を循って通行しないのは、政令が推行できず応期はその年を出でず兵事があることを主る。正当に天街の位にあれば諸侯が自立して王と為ることを主る。一説では大水を主る。もし天街の中に停留しあるいは逆行すれば兵革が興起することを主る。石申がいう、天街を冒犯し守住し徘徊・往復して常度を乱るのは、君が弱く臣が強く道路が隔絶し天下が通行できないことを主る。
辰星の甘氏外官を犯す 三
辰星の八魁を犯す 一
《荊州占》曰:“辰星犯守八魁,兵大起。”
八魁の九星は天苑の西にあり禽獣を捕捉する網罟の象で逃亡する人を收捕することを主る。《荊州占》にいう、水星が八魁を冒犯し守住するのは、兵事が大いに起きることを主る。
辰星の鈇鉞を犯す 二
《荊州占》曰:“辰星犯守鈇鉞,兵起。”《黃帝》曰:“入鈇鉞,為大臣誅。”
鈇鉞の三星は南斗の北にあり行刑に用いる斧鉞で斬殺の事を主る。《荊州占》にいう、水星が鈇鉞を冒犯し守住するのは、兵の起きることを主る。《黄帝占》にいう、鈇鉞に入るのは、大臣が誅されることを主る。
辰星の芻藁を犯す 三
《黃帝占》曰:“辰星入芻藁中,主財寶出,憂臣在內。”
芻藁の六星は天苑の西にあり牲畜の飼草の儲備の象である。《黄帝占》にいう、水星が芻藁の中に入るのは、財宝が外流し君主が奸臣がすなわち朝内に在るを憂慮することを主る。
辰星の九州殊口を犯す 四
《荊州占》曰:“守九州殊口、九州兵起。”
九州殊口の六星は狼星の東南にあり九州の各地の異なる方言を通訳することを主る。《荊州占》にいう、九州殊口を守住するのは、九州の各地に兵事が興起することを主る。
辰星の軍井を犯す 五
《荊州占》曰:“辰星入軍井三日以上,其歲大水。”
軍井の四星は玉井の東南にあり軍中が水を汲む井である。《荊州占》にいう、水星が軍井に入って三日以上するのは、その年に大水を発することを主る。
辰星の水府を犯す 六
《荊州占》曰:“辰星守水府,臣謀主,入之,水流入邑。”
水府の四星は東井の西にあり水利・堤防を主管する官である。《荊州占》にいう、水星が水府を守住するのは、臣下が君主を図謀することを主る。その中に入れば大水が城邑に流入することを主る。
辰星の天狗を犯す 七
《荊州占》曰:“入天狗,北夷大飢,來鄰國,多士功;若守之,為兵謀。”
天狗の七星は狼星の北にあり盗賊を守御し非常を伺察することを主る。《荊州占》にいう、水星が天狗に入るのは、北方の夷人が大飢饉し前来して隣近の国家に食を就くことを主り土木の工役が多い。もしその上に守留すれば兵を用いる図謀があることを主る。
辰星の天廟を犯す 八
《黃帝占》曰:“入若守,為廟有事;一曰為凶、憂。”《荊州占》曰:“為有廟殘之事,吏不去則死。”
天廟の十四星は張宿の南にあり天子が先祖を祭祀する宗廟である。《黄帝占》にいう、入りあるいはその上に守留するのは、宗廟に事故があることを主る。一説では凶禍・憂患を主る。《荊州占》にいう、宗廟が残毁する事があり主管の官吏が職を離れなければすなわち死することを主る。
辰星の巫咸中外官を犯す 四
辰星の土司空を犯す 一
《荊州占》曰:“守入土司空,有土徭之事;一曰守之,有兵。”
ここの土司空は巫咸の立つ所の星官で前の石氏外官の中の土司空と名は同じく同じく土功の事を主る。《荊州占》にいう、土司空を守住し入るのは、土木の徭役の事があることを主る。一説ではその上に守留すれば兵があることを主る。
辰星の鍵閉を犯す 二
郗萌曰:“犯乘大臣,有謀天子不尊事;王者不宜出宮下殿,有匿兵於宗廟中者。”
鍵閉の一星は房宿の東北にあり門戶の鎖鑰で關閉と防守を主る。郗萌がいう、大臣の位を冒犯・凌壓するのは、人が図謀する者があり天子をしてその事を尊奉すること能わざらしめることを主る。君王は宮廷を走出し殿堂を歩み下るべきでない。人が兵器を宗廟の中に藏匿しているからである。
辰星の天泉を犯す 三
《荊州占》曰:“守之,海水出,江河決溢,若海魚出。”
天泉の十星は鼈星の東にありまた「大海」と叫ばれ灌漑の溝渠を主る。《荊州占》にいう、天泉を守住するのは、海水が上涌し江河が決口・漫溢しあるいは海中の魚が游出することを主る。
辰星の鈇鑕を犯す 四
《荊州占》曰:“犯之五日以上,臣有謀者。”郗萌曰:“犯守,為鈇鑕用;一曰兵將有憂。”
鈇鑕の五星は天倉の西南にあり腰斬に用いる刑具で誅戮を主る。《荊州占》にいう、それを五日以上冒犯するのは、臣下の中に図謀して乱を作す者があることを主る。郗萌がいう、冒犯しその上に守留するのは、鈇鑕の刑具が動用されることを主る。一説では兵を帯びる将領に憂患がある。
辰星の天廄を犯す 五
《荊州占》曰:“入之十日以上,廄馬有食變。”郗萌曰:“守之三十日,騎馬出。”《黃帝占》曰:“守之,為災廄之事,人主以馬為憂,不即為疾。”
天廄の十星は東壁の北にあり天子が馬を養う馬廄で車駕と駅伝を主る。《荊州占》にいう、その中に入って十日以上するのは、廄中の馬匹が飼料の上に変故を出ずることを主る。郗萌がいう、三十日守留すれば騎兵が出動することを主る。《黄帝占》にいう、その上に守留するのは、馬廄が災害の事を発生し君主が馬匹を愁えさもなければすなわち馬が疾病を生ずることを主る。
開元占経 巻六十・東方七宿占一
角 一
《春秋緯》曰:“列宿二十八,是日月五星之所由,吉凶之所由兆也。故石氏薄贊皆始於角,而終於軫,今如舊次。東方七神之宿,為少陽,攝提建節,青華葉流,蒼帝靈威仰,協助所因乘也。角二星,天關也;其間,天門也;其內,天庭也。故黃道經其中,日月五星之所行也。
《春秋緯》にいう、二十八宿は日月・五星が運行するに経由する位置でまた吉凶・禍福が徴兆を顕現する処である。ゆえに石氏の星占の讃辞はみな角宿から始まり軫宿に終結し今に仍おもねて原來の次序に依る。東方の七宿は「少陽」の位に属し摂提星が節候を建立し青色の光華が枝葉の如く流布し蒼帝の霊威仰がここに依乘する所の時令を協助する。角宿の二星はすなわち天上の関口である。両星の間は天門であり天門の内は天庭である。ゆえに黄道が中間から経過しあれは日月・五星が運行する路徑である。
角主兵;一曰維首;一曰天陳;一曰天相。左角為天田,為獄、為理,主刑;南三度曰太陽道。右角為尉、為將,主兵;北三度曰太陰道。右角蓋天之三門,獨房之四表也;萬理之所由,禍福之源始也;故三光軌道,從之則吉,干僻牴觸則凶也。”
角宿は兵事を主る。一名は「維首」であり一名は「天陳」であり一名は「天相」である。左角は天田でまた獄と為り理と為り刑罰を主る。その南面の三度を「太陽道」と叫ぶ。右角は都尉と為り将帥と為り兵事を主る。その北面の三度を「太陰道」と叫ぶ。右角は上天の三門を覆蓋し独り房宿の四表を占める。これは万般の条理の由って出ずる所・禍福の起始する所である。ゆえに日月星の三光の運行の軌道はそれに順えばすなわち吉でそれを冒犯・抵觸すればすなわち凶である。
石氏曰:“角二星,十二度。”(劉向《洪範傳》曰:與古度同。)度距左角先,去極九十一度,在黃道外度,金星也;(《巫咸占》同)春夏為木,秋冬為金。兩角之間是中道。鄭之分野,角,一名天田;一名天根。右角為尉,左角為獄。角者,天之府庭者也,天門者,左右角之間,天道之所治也;陽氣之所升也;臣之象也。”郗萌曰:“右角為天庭,左角為天田。又曰角亢秋獄,角為龍角。”
石申がいう、角宿の二星は十二度を占める。(原書小注:劉向《洪範伝》にいう、古時の度数と相同じ。)度数は先ず左角から起算し北極を距ること九十一度で黄道の外に位し金星の類に属する。(原書小注:《巫咸占》はこれと相同じ。)春夏の時は木に属し秋冬の時は金に属す。両角の間はすなわち中道である。角宿は鄭国の分野であり角は一名「天田」であり一名「天根」である。右角は都尉と為り左角は獄と為る。角宿は上天の府庭である。いわゆる天門はすなわち左右の両角の間に在りあれは天道の運行が主管する所でありまた陽気の上昇する通路でありまた臣子の象徴である。郗萌がいう、右角は天庭で左角は天田である。またいう、角宿・亢宿は秋天の刑獄を主り角は蒼龍の角である。
《二十八宿山經》曰:“角山與亢山相連、在韓金門山中;山中有憂變,則星應於上;星若有變,則山應於下;角亢星神,常居其上。”(君臣和同,山星無異,麒麟、鳳凰、芝草、醴泉,四時降矣。)
《二十八宿山経》にいう、角宿が対応する角山と亢宿が対応する亢山は彼此に相連なり韓国の境内の金門山の中に坐落する。地上の山に若し人を憂懼せしめる変異が出現すれば天上の星はすなわち随いて感応を顕出する。天上の星が若し先に変化を起こせば地下の山もまた随いて回応する。角・亢の二宿の星神は長年にわたりこの両座の山上に駐在する。これは天上の星宿と地上の山川を一々に配属し両者が互相に感応することを認定する講法である。原書の小注が補充していう、君主と臣下が和睦し同心する時は山と星がみな異常を出さず麒麟・鳳凰・霊芝・甘美の泉水のこれらの祥瑞は一年四季とも人間に降臨する。
《黃帝占》曰:“視兩角星明,王道大治;其星微小,不明,王道失政、輔臣不言。角星左蒼、右黃正色也,吉;其色白也,凶;王者大行,百八十日,災應,遠不出一年、二年。角星明而潤澤,朝臣有次第;兩角微小而不明,天下有兵,德令不行;亂,角垂芒。角星明大,王道太平。
《黄帝占》にいう、角宿の左右の両颗の星を観察し若しみな明亮なれば王道が大行し天下が大治することを説明する。若し両星が細小・昏暗なれば王道が準縄を失し輔政の大臣が敢えて進言しないことを説明する。角宿の左星が蒼青色を呈し右星が黄色を呈するはこれはそれらの本有の正色で吉を主る。若し白色に転成すればすなわち凶兆で君王にまさに大きな挙動があり百八十日の内に災禍がすなわち応験し最遠も一二年を出でない。角星が明亮にして潤沢の光を帯びれば朝中の群臣が各々位次に安んじ井然的と秩序ある。両星が細小・昏暗なれば天下にまさに兵事があり君主の徳政の号令が推行して下らない。世道が一たび乱れれば角星はすなわち「垂芒」する——星の傍に下垂して芒刺の如き光気を拖出する——これは正しく変乱の象である。角星が明亮・碩大なればすなわち王道が太平である。
角為天將之官,兩角之間,三光之道也;南三度,太陽道;北三度,太陰道;日月五星,出入中道,天下太平。出陽,多旱;多陰,多雨;有陰謀。乘左角,法官謀;南三尺,獄理多冤。兩角不明,天下有兵;右角赤明,天下有兵;左角赤明,天下平。
角宿は天上の将帥を主管する星官である。左右の両角の間の那条の通路は正しく日・月・五星のこの「三光」が運行するに経る軌道である。南に偏する三度を「太陽道」と叫び北に偏する三度を「太陰道」と叫ぶ。日・月と五星がみな中間の正道から出入すれば天下はすなわち太平する。若し南辺の陽道に偏出すれば旱情が多く若し北辺の陰道に偏在すれば淫雨が多く人間もまた陰謀が多い。行星が角宿の左星に「乗」ずる——すなわち上方からその位を圧臨して過ぐる——刑法を主管する官員にまさに図謀があらんとする。行星が角宿以南の三尺の処を行けば獄訟の審理に冤情を生ずる者が多い。左右の両角がともに明亮ならざれば天下にまさに刀兵を起こさんとする。右角が紅に発して明亮なれば天下にまさに刀兵を起こさんとする。左角が紅に発して明亮なれば天下が反って安定する。
日月五星,天之三明也,皆從角所行;行陽道,道其陽;不從其行,歲大水,有兵;二十八宿皆同。角星明大潤澤,賢者在朝廷,蒼帝德行,天門為開。角主為兵;動內五寸,國中兵起;動外五寸,邊兵起,左右動搖,非其常;人主憂,臣弒君,各以日占。”
日・月と五星は合わせて天上の「三明」と称し運行するに都要に角宿のこの道の門戸から経過する。南に偏する陽道を走ればすなわち陽道の象に依って推断する。若し常道を循らずして行けばその年に大水を発しまた兵事もあらん——この条の通例は二十八宿に一体に適用する。角星が明亮・碩大にして潤沢なれば賢才が朝に職に在ることを説明し東方の蒼帝の徳沢が流行し天門がこれが為に敞開することを主る。角宿はまた兵事を主る。星体が内側に向かって移動すること五寸すれば国内に兵を起こし外側に向かって移動すること五寸すれば辺境に兵を起こす。左右に揺動して定まらず常態を失えば君主にすなわち憂患があり甚だしきは臣下が君主を弑殺する。至るに応験がいつにあるかは要に変異が発生したその一日の干支に按じて分別に推占する。
亢 二
石氏曰:“亢四星,九度,(在黃道內五度半)春夏為火,秋冬為水;(《五星占》曰:亢火也。)亢北四尺是中道。”(鄭之分野。)石氏曰:“亢者,廟也;亢者,天帝廟宮,亢為天府。”
石申がいう、亢宿は四颗の星から組成され周天の上に九度を横に跨る。原書小注:この四星は黄道以北の五度半の処に位する。亢宿の五行の属性は季節に随いて変換し春夏は火に配し秋冬は水に配す。原書小注が《五星占》を引いていう、亢は火に属す。亢宿以北の四尺は日月・五星が運行する「中道」である。原書小注:亢宿の分野は鄭国に在る——いわゆる「分野」とはすなわち天上の星宿と地上の州国を一々に対応せしめ星宿が変異を顕出すればすなわち配する所の地域の吉凶を預示する。石申がまたいう、亢は宗廟で天帝の廟宮でまた「天府」と叫ぶすなわち天上の府庫である。
《海中占》曰:“亢,三光也;三公之事。下者,地也;中央者,丞相也;主享祠。一曰亢為疏廟;一名天庭,主火與疾;故亢龍多疾。亢星齊明,宗廟有敬,朝廷有序;星不明,則輔臣失次,君令不行。亢星不明,王者內亂;星明大,輔臣納忠,天下平安。”郗萌曰:“亢星明大,民無疾疫。”
《海中占》にいう、亢宿は日月星の「三光」に関聯し三公の一級の重臣の事務を主る。四星の中の下に偏する一颗は土地を象徴し中に居る一颗は丞相を象徴し祭祀・享献の事を掌る。別の一説に亢は「疏廟」すなわち正廟の外に別立する廟である。また名づけて「天庭」といい火災と疾疫を主る。ゆえに《周易・乾卦》の上九「亢龍有悔」のこの「亢」もまた多く病患と相連なる。亢宿の四星が「斉明」——亮度が均等で一同に明亮——なれば宗廟が敬奉を受け朝廷に秩序がある。星が若し明ならざれば輔政の臣は便ち班次が錯乱し君主の号令が行って下らない。亢星が明ならざれば君王の宮廷の内に禍乱があらん。星が若し明亮・碩大なれば輔臣が忠言を進献し天下が平安する。郗萌がいう、亢星が明亮・碩大なれば百姓は疫病に遭わない。
石氏曰:“亢星垂芒,為亂錯。亢星離落位,有天子動旗,而卒戰于野;亢為疾,國有疾,占在亢。秋分,視亢不見,五穀盡傷,糴將二倍。”石氏曰:“亢為朝廷,總領四海,故置平星以統理。”《海中占》曰:“亢為朝廷布政宮。”
石申がいう、亢星が「垂芒」すなわち星の傍に垂れて芒刺状の光気を出ずるはこれは綱紀が錯乱する象である。亢星が「離落位」すなわち諸星が散開し本來の位次を脱出するは天子がまさに旌旗を動用して師を興し兵卒が郊野で交戦するを主る。亢宿は疾病を主り国中に一旦疫疾が流行すればすなわち亢宿の星象の上から推占する。秋分の時節に到り本より当に亢宿を見るべきなのに見えざれば五穀が尽く損傷を被り糧価がまさに一倍上漲せんとする。石申がまたいう、亢は朝廷で四海を総領するゆえにその近傍に「平星」のこの一星官を設けて統理を輔助する。《海中占》にいう、亢宿は朝廷が政令を頒布する宮殿である。
氐宿 三
石氏曰:“氐四星,十五度。(古十七度)距西南星先至,去極九十四度。(在黃道內一度)春夏為金,秋冬為水。(《五星入宿占》:氐,木也。)氐南二尺是中道。(宋之分野)氐,天子行宮也,一名天廟;一名天府。
石申がいう、氐宿は四颗の星から組成され十五度を横に跨る。原書小注:古度は十七度を作る。本宿の距度を量るは西南の那颗の星を起点と為しそれが最も先に中天に到達する。この星は北天極を距ること九十四度である。原書小注:黄道以北の一度に位する。氐宿は春夏は金に配し秋冬は水に配す。原書小注が《五星入宿占》を引いていう、氐は木に属す。氐宿以南の二尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:氐の分野は宋国に在りすなわち今の河南・商丘一帯である。氐宿は天子が出行する時に駐蹕する行宮で一名「天廟」であり一名「天府」である。
前二大星,嫡;後二星,妾;前星,皇后貴族府;其星欲明,臣奉法度,邦君安寧;當大而小,其位臣失勢;其星動,其臣出。”《海圖》曰:“氐,宿宮,後女之貴府,出入路寢之宿。氐星發,即在土功事;氐為天庭,氐主疫。”
四星の中で前面の两颗の大星は嫡妻の正室を象徴し後面の两颗は妾媵を象徴する。前面の星はまた皇后と貴戚の府第である。これらの星は明亮を以て好しと為し明亮なれば臣下が法度を遵奉し国君が安寧する。本より大なるべきが反って小なればその位に居る臣子はまさに勢を失わんとする。星が若し移動して安からざればその位の臣子は便ち外出して位を離れん。《海図》にいう、氐は「宿宮」すなわち帝王が安寝する宮で皇后と後宮の女眷の尊貴の府第でありまた天子が正寝に出入するに値する星宿である。氐星が若し「発」すればすなわち光芒が張発して外露しすなわち土木を興す事の上に応ずる。氐はまた「天庭」で併せて疫病を主る。
《二十八宿山經》曰:“氐山在鄭白馬山東,氐星神,常居其上。氐星明大,則民無出門之徭,馬無汗勞。氐主徭役,氐動者,徭役起。氐為宿,路寢所止,故置庫樓,以捍咎,氐為宿宮,休解之房。”
《二十八宿山経》にいう、氐宿が対応する氐山は鄭国の白馬山の以東にあり氐宿の星神は常年に山上に駐在する。氐星が明亮・碩大なれば百姓は便ち遠出して役に服する苦しみなく馬匹もまた奔走して汗するを必としない。氐宿は徭役を主り氐星が一たび動けば徭役はまさに興起せんとする。氐は帝王が安寝する処で正寝の所在であるゆえにその傍らに「庫楼」の諸星を設けてもって災咎を抵当する。氐は既に安寝の宮であればすなわち衣を解いて休息する房舎である。
房宿 四
石氏曰:“房四星,鉤鈐二星,五度。(古七度)距房西南第二星,去極一百八度。(在黃道外一度弱)春夏為水,秋冬為火。(又曰:房,土星也。)房兩服之間是中道。(宋分野)房為天府;一曰天馬;或曰天駟;一名天旗;一名天廄;一名天市;一名天街;一名天燕;一名天倉;一名天表;一名天龍。
石申がいう、房宿は本身が四星あり別に「鈎鈐」の二星を附し本宿は五度を横に跨る。原書小注:古度は七度を作る。量度は房宿の西南の第二星を距星と為しこの星は北天極を距ること百八度である。原書小注:黄道以南の一度稍弱の処に在る。房宿は春夏は水に配し秋冬は火に配す。原書小注がまたいう、房は土に属す。房宿の四星は併列して車を駕る馬の如く中に居る两颗を「両服」と叫び両服の間は正しく日月・五星が運行する中道である。原書小注:房の分野は宋国に在る。房宿はまた「天府」と称しあるいは「天馬」「天駟」と叫ばれまた「天旗」「天廄」「天市」「天街」「天燕」「天倉」「天表」「天龍」などの許多の別名がある。
房為天子明堂,王者歲始佈政之堂;房為天馬,主車驚;房為四表,表者桀也。”石氏曰:“天道,四表之間,三光之正路,人天之定位也。”(天廟者,房也:房者,關也,日月之行,常出其中,不出其中,為不道;不道者,政令不行。石氏曰:房主宿,街南二星,君位也;北二星,夫人之位也;房主財寶;房動外,財寶出;動內,財寶入。)
房宿は天子の明堂ですなわち君王が毎年の歳首に政令を頒布する殿堂である。房宿はまた天馬で車馬の驚逸の事を主る。房宿はさらに「四表」で「表」はすなわち竪立した標杆である。石申がいう、いわゆる天道はすなわち四表の間に在りあれは日月・五星の正路でありまた天上・人間が各々その位に安んずる準則である。原書小注:天廟はすなわち房宿である。房はまた関口で日月の運行が例に照らしてこの道の関口の中間から通過し若し中間から走らざればすなわち「不道」と叫び不道なればすなわち朝廷の政令が推行して開かない。小注がまた石申の話を引いていう、房宿は帝王の安寝を主り天街以南の两颗の星は君主の位で以北の两颗の星は夫人の位である。房宿は財宝を主り星が外に向かって移動すれば財宝が外流し内に向かって移動すれば財宝が進来する。
《二十八宿山經》曰:“房山在宋地,與心山相連;房心星神,常居其上;房心二宿動搖。則房心之山崩;國有走主。填星色黑,出入七十日以上,房心山崩,下伐上也;其星不明,則山有音聲,人民擾擾,五穀貴。
《二十八宿山経》にいう、房宿が対応する房山は宋国の境内にあり心宿が対応する心山と相連なる。房・心の両宿の星神は常年にこの両座の山上に駐在する。房・心の二宿の星が若し揺動して定まらざれば房山・心山はまさに崩塌し国中に出奔・逃亡する君主があらん。土星(古は「填星」と称す)が顔色を黒に転じこの一帯に出入・停留して七十日以上するもまた房山・心山の崩塌を主り人事の上は以下が上を犯し臣属が君主を討伐するに応ずる。房・心の星が若し明亮ならざれば両山は異響を発出し百姓が惶惶として安からず五穀が騰貴する。
房心星暗黑,火星守之二百日,房心山則音聲,萬民相驚,大水,魚鹽五穀貴,百姓愁;若星色赤,赤地千里;房心不見,帝無教;房星欲明,群臣奉忠,天下道興。鉤鈐,天子御也。鉤鈐相去疏者,天下且赦,相去數者,天子急,多暴令關閉。鉤鈐去房,不驚;鉤鈐離房,法令。王者至孝,則鉤鈐明。昆弟有親親之思,則鉤鈐不離房;鉤鈐去房,欲其近也;近則天下同心,遠則天下不和;房主開閉,以其蓄藏之所由也。”
房・心の星が昏暗にして黒を発しまた火星(熒惑)がここに「守」——停留・守候して二百日に達する——房山・心山は便ち声響を発出し万民が互相に驚擾し大水を発し魚鹽と五穀がみな貴く百姓が愁苦する。星色が若し赤に転ずれば赤地千里の大旱を主る。房・心の二宿が隠没して見えざるは君主が教化を施さない象である。房星は明亮を以て好しと為し明亮なれば群臣が忠貞を奉行し天下の治道が興盛する。鈎鈐の二星は天子が車馬を駕馭する器具を象徴する。鈎鈐が彼此の相距が疎遠なれば天下にまさに大赦があらんとする。相距が緊密なれば天子の政令が急迫で厳厲の禁令と關閉・封鎖が多い。鈎鈐が稍稍房宿を偏離するは驚くに足らず鈎鈐が明らかに房宿を脱離すればすなわち法令の変更に関わる。君王が極尽して孝道なれば鈎鈐は便ち明亮する。兄弟の間に親愛の念を存すれば鈎鈐はすなわち房宿を離れない。鈎鈐が房宿を離れる時人々は總じてそれが近くなるを希望する。近ければすなわち天下が同心し遠ければすなわち天下が不和する。房宿は関口の開と閉を主り財貨の儲蔵・出入が都要にこの道の関口を経由すればこそである。
心宿 五
石氏曰:“心三星,五度。(古十二度)距前第二星,去極一百八度半。在黃道外三度半。春夏為木,秋冬為水。”(又曰:心星,火也。)北四尺是中道。(宋之分野)心為天相;一名大辰;一名大火;一名天司空。心者,宣氣也;心為大丞相。”
石申がいう、心宿は三颗の星から組成され五度を横に跨る。原書小注:古度は十二度を作る。前面の第二颗の星を距星と為しこの星は北天極を距ること百八度半で黄道以南の三度半に位する。心宿は春夏は木に配し秋冬は水に配す。原書小注がまたいう、心星は火に属す。心宿以北の四尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:心の分野は宋国に在る。心宿は天上の相位で一名「大辰」であり一名「大火」であり一名「天司空」である。「心」は宣布・発散して陽気の義を取る。心宿は大丞相を象徴する。
石氏曰:“心三星,帝座;大星者,天子也。心者,木中火;故其色赤,為天關梁。心三星,星當曲,天下安;直南昌,天子失計。心為明堂,中大星天王位,前後小星,子屬;以開德發陽。不欲直,直王失勢,期九十日,地動,主客,天子以弱亡。”
石申がいう、心宿の三星は帝王の座位でその中の最大の一颗はすなわち天子である。心は東方の木位の中に所含する火に属しゆえに顔色が紅を発し天上の関口と橋梁である。心宿の三星は弯曲の形に排成するを以て常と為し形が曲れば天下が安寧する。若し三星が直線に連なり南に向かって顕揚すればすなわち天子の謀算が失当である。心宿は明堂で中に居る大星は天王の位で前後の两颗の小星は太子・庶子の一輩に属し徳沢を開啓し陽気を発揚するに用いる。三星は直線に排成するに宜しからず一旦直線を成せば君王はまさに勢を失し応期は九十日の内に地震があらんとし主国と客国が交兵し天子が勢弱によって亡ぶことを主る。
《爾雅》曰:“大火,謂之大辰;房心尾也。主天下之賞罰;主天下之急;故天下變動,則心星見不詳。明堂旁多小星,天子憂弱子未處,天子威令不出閣,天下乖爭無君,伯八九。心星直,心星變,色黑,大人有憂,民血流。心星滅,則主泣血,後奔逃,強國起。
《爾雅》にいう、大火はまた大辰と叫ばれ房・心・尾のこの一帯の星宿を指す。心宿は天下の賞と罰を掌り天下の急難を掌るゆえに人間に一たび変動があれば心星はすなわち不祥の象を顕出する。明堂——すなわち心宿——の傍に若し許多の小星が聚集すれば天子が幼子がまだ妥当に安置せられぬを憂慮し天子の威権の号令が宮門を出る能わず天下が乖違・紛争して形同く君無きを主り一方に称覇する諸侯が多くて八九家に至る。心星が直線に排成し星象が変を生じて顔色が黒に転ずれば貴人に憂患があり百姓が血を流すことを主る。心星が隠滅して見えざればすなわち君主がまさに哭泣して泣血に至り后妃が出奔・逃亡し強隣が勢いに乗じて起きるを主る。
心星消,江河為害;期九年,天子滅。心星動,國有急,心星動搖,若角芒者,天下大兵。心星離移,有流民;心前後星皆光明赤黃者,太子、庶子,各有賜賀之事。心三星明大,則天下同慶,鄉風被澤。”太史公曰:“心三星,上星太子星,星不明,太子不得代;下星庶子星,星明,庶子代後,心動者,國有憂。”
心星の光芒が消減すれば江河がまさに水患を成さんとし応期は九年で天子が覆滅する。心星が移動して安からざれば国家に急難がある。心星が揺動して定まらずまた尖角・芒刺の如き光を生出せば天下にまさに大戦があらんとする。心星が本位を脱離して移徙すれば流亡の百姓が出現する。心宿の前後の両星がみな光明にして赤黄の色を呈すれば太子と庶子が各々賜を獲・賀する喜事を有る。心宿の三星が明亮・碩大なれば天下は便ち一同に慶賀し四方が化に向かい恩沢を蒙受する。太史公司馬遷がいう、心宿の三星の中で上面の一颗は太子星でこの星が明ならざれば太子は継位できず下面の一颗は庶子星でこの星が明亮なれば庶子がまさに太子を取代して立たんとし心星が移動して安からざれば国中にすなわち憂患がある。
尾宿 六
石氏曰:“尾九星,十八度。(古九度)距東第二星先至,去極百三十四度。(在黃道外十五度少)春夏為火,秋冬為水。(又曰水星)尾北十尺是中道。(燕之分野)尾一名后族;一名天廁;一名天狗;一名天司空;一名天雞。
石申がいう、尾宿は九颗の星から組成され十八度を横に跨る。原書小注:古度は九度を作る。東辺の第二颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること百三十四度である。原書小注:黄道以南の十五度稍弱に位する。尾宿は春夏は火に配し秋冬は水に配す。原書小注がまたいう、水に属す。尾宿以北の十尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:尾の分野は燕国に在りすなわち今の河北の北部一帯である。尾宿は一名「后族」であり一名「天厠」であり一名「天狗」であり一名「天司空」であり一名「天鶏」である。
尾者,後宮之場也;妃后之府也;上第一星,後也;第三星旁一星,相去一寸,名神宮;解衣之內室,說虞之堂;一曰天矢,一曰天九江。尾者,邊臣也,又曰通溜宮,尾市也,天復船也。尾第一星,嫡妃也;第三星,夫人也;次五星,嬪妾星;欲均明,大小相承,則後宮有序,多子孫。”
尾宿は後宮の場所で妃嬪と皇后の府第である。最も上の第一颗の星は皇后を代表する。第三颗の星の傍に別に一颗の小星があり相距すること約一寸で名づけて「神宮」といいあれは衣を寛げ休憩する内室・娯楽・歓愉の殿堂である。尾宿はまた「天矢」と叫ばれまた「天九江」と叫ばれる。尾宿は辺地を戍守する臣子を象徴しまた「通溜宮」と叫ばれまた「尾市」と称しさらに天上の覆蓋の船に比す。尾宿の第一星は嫡妃で第三星は夫人でその余の五颗は嬪妾の星である。これらの星は亮度が均斉し大小が依次に相承えるを以て好しと為しこのようであればすなわち後宮の尊卑に序があり子孫が衆多である。
《二十八宿山經》曰:“尾山與箕山相連,在燕九都山西,尾箕星神,常居其上。尾主水,又主君臣,尾動者,君臣不和,心有事。尾,天子之九子也。騰躍坼絕,不居其所,天下大亂,君臣不和。
《二十八宿山経》にいう、尾宿が対応する尾山と箕宿が対応する箕山は彼此に相連なり燕国の九都山の以西にあり尾・箕の両宿の星神は常年に山上に駐在する。尾宿は水事を主りまた君臣の関係を主り尾星が一たび動けばすなわち君臣が不和で彼此に心に芥蒂を存する象である。尾宿の九星はまた天子の九人の儿子を象徴する。これらの星が若し跳躍して定まらず彼此に裂散・断絶し本位に安処せざれば天下の大乱と君臣の失和を主る。
尾星明大,皇后有喜;不明微細,皇后有憂,及疫;尾星疏遠,皇后失勢;尾星明,五穀大熟,則民不煩擾;其星不明,五穀大傷;尾星離徙而直,皇后失勢;其星就聚,有大水。君臣不和,則占於尾。”
尾星が明亮・碩大なれば皇后に喜慶の事がある。星光が昏暗・細弱なれば皇后に憂患がありまた疫病が流行する。尾宿の諸星が彼此に疏散・拉開すれば皇后が勢を失う。尾星が明亮なれば五穀が大熟し百姓が煩擾を受けない。星が若し明ならざれば五穀が大いに損傷を受ける。尾星が本位を脱離して移徙して直線に排成すれば皇后が勢を失う。諸星が内に向かって挤聚して一団を成せばまさに大水があらんとする。およそ君臣の不和の事に遇えばすなわち尾宿の上に到って推占する。
箕宿 七
石氏曰:“箕四星。十一度。(古十度又十一度四分之一)度距西北星先至,去極百一十八度。(在黃道外五度少)春夏為金,秋冬為土。(人曰:金星也。)箕北六尺,是中道也。(燕之分野)箕星一名風星;月宿之,必大風。(箕星為風,東北之星也。)
石申がいう、箕宿は四颗の星から組成され十一度を横に跨る。原書小注:古度は十度を作りまた十一・四分の一度を作る者もある。量度は西北の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること百十八度である。原書小注:黄道以南の五度稍弱に位する。箕宿は春夏は金に配し秋冬は土に配す。原書小注:人にそれが金に属すといえる者がある。箕宿以北の六尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:箕の分野は燕国に在りすなわち今の河北の北部である。箕星はまた「風星」と名づき月亮が一旦箕に入宿すれば必定に大風を刮起する。原書小注:箕星は風を主り東北方位の星である。
一名天陣,一名狐星,主狐貉,一名風口;一名天后也。為天貉府廷,天雞也,主時,金星也。箕斗,天子之冠服也,並後宮別府也,二十七世婦,八十一御女妾;別宮四者,女相也;故尾、箕主百二十妃;尾者,蒼龍之末也,直寅,主八風之始。箕後星動,幾揚箕,王致客。箕庫也;一曰天司空,箕為寄客。”
箕宿はまた「天陣」と名づきまた「狐星」と名づき狐・貉の一類の走獣を主る。又名は「風口」であり又名は「天后」である。それは天上の貉族の府廷でまた天鶏と称し時令を主司し五行は金に属す。箕宿と南斗が合わせて天子の冠冕・衣服を象徴し同時にまた後宮の別院である。宮中に二十七位の世婦・八十一位の御女・姫妾があり別に四星が別宮と為り女官の長を象徴する。ゆえに尾・箕の両宿は合わせて百二十位の妃嬪を主る。尾宿は東方の蒼龍の末尾でその位は地支の寅に当たり八方の風の起始を主る。箕宿の後面の星が移動し形狀が簸箕を揚擧するが如きは君王が賓客を招徠することを主る。箕はまた府庫である。一説ではそれは「天司空」でまた寄居する客人を象徴する。
《爾雅》曰:“析木謂之津,箕、斗之間,漢津也;一曰天市,主八風。箕為風,又箕主蠻夷;箕動者,蠻夷有使來;箕舌一星,芒動則大風,不出三日。箕舌動,如致風揚沙。箕星居河邊,歲大惡;若中河而居,天下食人。”
《爾雅》にいう、十二次の中の「析木」はまた「津」と叫ばれ箕宿と南斗の間は正しく銀河の渡口である。一説では箕は「天市」で八方の風を主る。箕宿は風を主りまた四方の蛮夷を主る。箕星が移動すればすなわち蛮夷の使者が前来すること有る。箕宿の「箕舌」の一星は芒角が閃動すればまさに大風を刮き三日を出でず必ず応ずる。箕舌が動揺すれば沙を巻く狂風を招来する。箕星が若し銀河の辺に靠ればその年の年成が極めて壊れる。若し正しく銀河の当中に処れば天下が人相食の地步に至るまで飢饉する。
《易緯是類謀》曰:“太山失金雞,西嶽亡玉羊,箕星明大,即國無讒賊;箕中少星,則糴貴。箕者,人之精也,故天下安樂即星眾。不安、即星少。箕星離徙,天下大不安,民移徙其處,星不明,天下五穀傷;其星明,谷大熟;其就聚細微,天下憂食,箕中欲其多星。”石氏曰:“尾箕主後宮妃后府,故置傅說,衍子孫。”
《易緯是類謀》にいう、東岳の泰山が金鶏を失い西岳の華山が玉羊を亡くするはみな災異の兆である。箕星が明亮・碩大なれば国中に讒を進め構陷する徒がない。箕宿の中に小星が稀少なれば糧価は便ち上漲せんとする。箕宿は人間の民庶の精気の凝聚であるゆえに天下が安楽の時は星はすなわち繁多で天下が不安の時は星はすなわち稀少である。箕星が本位を脱離して移徙すれば天下が大いに安寧せず百姓もまた井を背き郷に遷徙する。星が若し明ならざれば天下の五穀が損を受ける。星が若し明亮なれば穀物が大熟する。諸星が内に向かって挤聚してしかも細弱なれば天下が糧食を憂える——總じて箕宿の中は星が多きを以て好しと為す。石申がいう、尾・箕の両宿は後宮の妃后の府第を主るゆえに傍らに「傅説」の一星を設けて子孫の繁衍を主る。
開元占経 巻六十一・北方七宿占二
南斗占 一
石氏曰:“南斗六星、二十六度四分度之一,(甘氏同。《洪範傳》古二十二度。《淮南子》無四分之一。)度距魁第四星先至,去北極百一十六度。(在黃道外十二度半,舊曆有四分度之一,在斗度中,後推校知度少為多,今曆不三百四分度之一七五在營室一度之末。)春夏為水,秋冬為金。(《巫咸釋五星入宿言凶占》曰:諸斗,木星也。)日月五星常貫之為中道。”(吳之分野)
石申がいう、南斗は六颗の星から組成され二十六・四分の一度を横に跨る。原書小注:甘徳の記す所は相同じく《洪範伝》は古度二十二度を作り《淮南子》の記す所にその四分の一度ない。量度は斗魁の第四星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること百十六度である。原書小注:黄道以南の十二度半に在り旧暦は四分の一度を多出し斗宿の度数の内に算入し後來推算・校験して乃ち知る原來は少きを算して多きと為した——この下の小注の文字に訛脱があり大意は今暦の余分が不足して営室の一度の末尾に落つ。南斗は春夏は水に配し秋冬は金に配す。原書小注が《巫咸釈五星入宿言凶占》を引いていう、およそ斗宿は木に属す。日月・五星は常に南斗の中間から貫穿して過ぐるこれはすなわち中道である。原書小注:南斗の分野は呉国に在りすなわち今の江蘇の南部一帯である。
《黃帝占》曰:“南斗;一名鈇鉞。”《春秋佐助期》曰:“南斗主爵祿,神名帙瞻,姓拒終。”石氏曰:“南斗魁第一星、主吳;第二星、主會稽;第三星,主丹陽;第四星、主豫章;第五星、主廬江;第六星、主九江。”郗萌曰:“南斗六星,一名天庫;知之使人不妄。”
《黄帝占》にいう、南斗はまた「鈇鉞」と名づきすなわち腰斬に用いる刑具でそれが刑殺を主る義を取る。《春秋佐助期》にいう、南斗は爵位・俸禄を掌管し星神の名を帙瞻と叫び姓を拒終とする。石申がいう、南斗の斗魁の第一星は呉の地を主り第二星は会稽を主り第三星は丹陽を主り第四星は豫章を主り第五星は廬江を主り第六星は九江を主る——これは一宿の内の各星をさらに細分して具体の郡国に至る分野の法である。郗萌がいう、南斗の六星はまた「天庫」と名づきその道理を懂得すれば人の行事を狂妄・錯乱に至らしめざるを得る。
《北官候》曰:“南斗;一名天府、天關;一名天機;一名天同;天子旗也。斗北二星,天府廷,中央二星,相也。南二星,天庫樓也,天梁也。斗西大星,天關也,天子正旗也,士官也;六星欲均明,天下安寧。”韓揚曰:“南斗第一星,上將;第二星,相;第三星,妃;第四星,太子;第五星,第六星,天子。”
《北官候》にいう、南斗はまた「天府」「天関」と名づきまた「天機」「天同」と名づきまた天子の旌旗でもある。斗宿の北辺の両星は天府の廷で中間の両星は丞相を象徴し南辺の両星は天庫楼でまた天梁と叫ばれる。斗宿の西辺の大星は天関で天子の正旗と為りまた士人の官を主る。六星は亮度が均斉なるを以て好しと為し均明なれば天下が安寧する。韓揚がいう、南斗の第一星は上将を象徴し第二星は丞相を象徴し第三星は妃嬪を象徴し第四星は太子を象徴し第五星と第六星は天子を象徴する。
《荊州占》曰:“南斗,太宰位也。”《聖洽符》曰:“南斗者,天子之廟,主紀天子壽命之期。”甘氏曰:“南斗,天子壽命之期也;故曰:將有天下之事,占於南斗也。”《二十八宿山經》曰:“斗山在吳陽羨山南,斗星之神,常居其上。”
《荊州占》にいう、南斗は太宰の位次である。《聖洽符》にいう、南斗は天子の宗廟で天子の寿命の期限を掌記する。甘徳がいう、南斗は天子の寿命の長短に関わるゆえにいう、およそまさに天下の大局に関係する事あらんとすればみな南斗の上に到って推占する。《二十八宿山経》にいう、南斗が対応する斗山は呉国の陽羨山の以南にあり斗宿の星神は常年にこの山上に駐在する。
甘氏曰:“南斗主兵,斗動者,兵起。南斗星明大,爵祿行,天下安寧,將相同心,其星不明,大小失次,芒角動搖,則王者失政,天下多憂。”郗萌曰:“南斗星明,五穀大熟,其臣得勢而親近,治道和平,風雨順時;斗星不明,五穀不收,移徙位直其臣逐,風雨不節天下病。”《石氏贊》曰:“斗主爵祿,褒賢達士,故曰直;建星以成輔,又曰斗;主爵祿功德祥歲,周受分,和陰陽。”
甘徳がいう、南斗は兵事を主り斗星が一たび動けばまさに兵を起こさんとする。南斗の諸星が明亮・碩大なれば爵禄が頒行を得て天下が安寧し将帥と宰相が同心する。星が若し明ならず大小が錯乱して次第を失しまた芒角を生出して揺動・不定なればすなわち君王の政令が失当で天下に憂患が多い。郗萌がいう、南斗星が明亮なれば五穀が大熟し臣子が勢を得て親近を受け治道が平和し風雨が時に応ずる。斗星が明ならざれば五穀が歉収し星位が移徙して直線に排成すればその位の臣子はまさに放逐されんとし風雨が節を失し天下が病困する。《石氏賛》にいう、南斗は爵位・俸禄を主り賢者を褒揚し士人を薦達するゆえにそれを称して「直」と為す。傍らに建星が事を成すを輔助しまた斗の系統に帰入する。南斗は爵禄・功徳と年成の豊歉を主り周遍に名分を授予し陰陽を調和する。
牽牛占 二
石氏曰:“牽牛六星,八度。(古九度)度距中央大星光至,去極百一十度。(在黃道內四度)春夏為木,秋冬為火。(巫咸曰:木星也。)日月五星常貫牽牛中道也。(吳之分野)《佐助期》曰:“牽牛主關梁,神名略緒熾,姓蠲除。”《北官候》曰:“牽牛一名天鼓;一名天關;牛第一兩星如連李,名即路,一名聚火。”
石申がいう、牽牛は六颗の星から組成され八度を横に跨る。原書小注:古度は九度を作る。量度は中央の那颗の大星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること百十度である。原書小注:黄道以北の四度に位する。牽牛は春夏は木に配し秋冬は火に配す。原書小注が巫咸を引いていう、それは木に属す。日月・五星は常に牽牛の中間から貫穿して過ぐるあれはすなわち中道である。原書小注:牽牛の分野は呉国に在る。《佐助期》にいう、牽牛は関隘・橋梁を掌管し星神の名を略緒熾と叫び姓を蠲除とする。《北官候》にいう、牽牛は一名「天鼓」であり一名「天関」である。牛宿の最も前の两颗の星は連綴して両枚の李子の如く名づけて「即路」といいまた「聚火」と名づく。
石氏曰:“牽牛六星,天府也;日月七政所王者,即察政;視牛星明大,次第相承,王道大昌,天下安寧。牛星不明其常色,其歲五穀不成,牛多災凶。”甘氏曰:“牽牛上二星,主道路,次南星,主關梁;次南三星,主南越;故動搖變色,從而占之。”
石申がいう、牽牛の六星は天上の府庫である。日・月と五星は合わせて「七政」と称し君王がこれに據って政事を省察する。牛宿の諸星が明亮・碩大で依次に相承えるを看るは便ち王道が大昌し天下が安寧する象である。牛星が若し本有の常色を失して昏暗なればその年に五穀が熟さず牛もまた災病が多い。甘徳がいう、牽牛の上面の両星は道路を主りその次の南に偏する一星は関隘・橋梁を主りさらに南に往く三星は南越の地を主る。ゆえにこれらの星に一たび揺動あるいは変色あればすなわちそれらが各自の主る所の事に依って推占する。
郗萌曰:“天鼓星怒者,馬貴。”《天官書》曰:“牽牛為犧牲。”宋均曰:“牽牛為牛角。”《月食占》曰:“牽牛為冬獄。”《二十八宿山經》曰:“牛山與女山相連,各法其星形;牽牛須女星神,常居其上。”
郗萌がいう、天鼓の星光の色が暴張して怒るが如くなれば馬価はまさに騰貴せんとする。《史記・天官書》にいう、牽牛は祭祀に用いる犠牲を象徴する。宋均がいう、牽牛は牛角を象徴する。《月食占》にいう、牽牛は冬季の刑獄である。《二十八宿山経》にいう、牛宿が対応する牛山と須女宿が対応する女山は彼此に相連なり両山の形勢は各々本宿の星形を仿照し牽牛と須女の星神は常年に山上に駐在する。
《黃帝占》曰:“牽牛大星亡,大牛死;小星亡,小牛死疫;中央大星不明而黃者;天下芻大貴十倍;牽牛星直,糴平;曲,糴貴,牛中央大星左右出,不明,大將心不正,牛大貴;後星前近中央大星者,牛貴,遠牛賤;前星左右者,前將心不正;後星左右出者,後將心不正。所謂前者,星南星也;後者,星北星也。牽牛不與織女星直者,天下陰陽不和。”
《黄帝占》にいう、牽牛の大星が隠没して見えざれば大牛はまさに死せんとする。小星が隠没して見えざれば小牛はまさに疫病に死せんとする。中央の那颗の大星が昏暗にして黄を泛ばせば天下の草料の価銭はまさに十倍貴しとならんとする。牽牛の諸星が直線に排成すれば糧価が平穏である。曲折の形に排成すれば糧価が上漲する。牛宿の中央の大星が左右に偏出して明亮ならざれば大将の心術が不正で牛価が大いに漲ることを主る。後面の星が前に向かって中央の大星に靠近すれば牛価が貴く離るること遠ければ牛価が賤い。前面の星が左右に偏出すれば前軍の将の心術が不正である。後面の星が左右に偏出すれば後軍の将の心術が不正である。ここに謂う所の「前」は南に偏する星を指し「後」は北に偏する星を指す。牽牛が若し織女星と相対して一直線を成さざれば天下の陰陽が和を失う。
《黃帝》曰:“牽牛遠漢者,天下牛大貴;其入漢中者,天下牛多死。”甘氏曰:“牽牛動,牛災,四方皆然。”郗萌曰:“牽牛明大,關梁通利。牽牛主大豆,始出色黃,豆賤也;赤,豆蟲也;色青,豆貴。”
《黄帝占》にいう、牽牛が銀河に遠離すれば天下の牛価が大いに漲る。牽牛が銀河の中に入れば天下の牛に病死が多い。甘徳がいう、牽牛が移動して安からざればすなわち牛の災疫があり四方はみなこのようである。郗萌がいう、牽牛が明亮・碩大なれば関隘・橋梁が暢通して阻無き。牽牛はまた大豆の収成を主る。星が初出の時に色が黄なれば豆価が便宜で色が赤なれば豆子が虫を生じ色が青なれば豆価が上漲する。
《荊州占》曰:“牽牛後星前近中央星者,諸侯以四足為弊。色青;道病;色黑;死不至。牽牛星明,牛貴;細微不明,牛賤。”石氏曰:“牽牛生於列澤之邑,以主越國,為府廷。”《百二十占》曰:“將有犧牲之事,占於牽牛。”《石氏贊》曰:“牽牛主關梁、七政;故置九坎,通水道;又曰牽牛險陰,主關梁;中星高,下牛多殃。”
《荊州占》にいう、牽牛の後面の星が前に向かって中央の大星に靠近すれば諸侯はまさに牛馬のこの類の四足の牲畜によって困を受けんとする。星色が青を発すれば牲畜が途中に病を生ずる。星色が黒を発すれば死亡の事はしかもまだ発生に至らない。牽牛星が明亮なれば牛価が貴く細弱・昏暗なれば牛価が賤い。石申がいう、牽牛の気は列沢の邑に生じ因而に越国を主り越の地の府廷である。《百二十占》にいう、およそまさに祭祀に牲を献ずる事あらんとすればすなわち牽牛の上に到って推占する。《石氏賛》にいう、牽牛は関隘・橋梁と七政を主るゆえに傍らに「九坎」の諸星を設けてもって水道を疏通する。またいう、牽牛は地勢が険要にして陰に属し関梁を主る。中間の星の位置が偏高なれば下方の牛に災殃が多い。
須女占 三
石氏曰:“須女四星,十二度。(古十度)距西度距西南第一星先至,去極百六度。(在黃道內八度)春夏為水,秋冬為火。(《巫咸占》曰:須女,水星也。)須女南九尺,是中道。”(越之分野)《佐助期》曰:“須女星布帛,名色舒,姓終梨時。”《北官候》曰:“須女,一名天少府;一名天女;一名務女;一名臨官女。”
石申がいう、須女は四颗の星から組成され十二度を横に跨る。原書小注:古度は十度を作る。量度は西南の第一星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し(「距西度」の三字は伝抄に衍出した重文と為す)この星は北天極を距ること百六度である。原書小注:黄道以北の八度に位する。須女は春夏は水に配し秋冬は火に配す。原書小注が《巫咸占》を引いていう、須女は水に属す。須女以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:須女の分野は越国に在りすなわち今の浙江一帯である。《佐助期》にいう、須女の星は布帛を主り星神の名を色舒と叫び姓を終梨時とする。《北官候》にいう、須女は一名「天少府」であり一名「天女」であり一名「務女」であり一名「臨官女」である。
《聖洽符》曰:“須女者,主娶婦嫁女也。”巫咸曰:“須女,天女也;天府天市斗也。”郗萌曰:“須女、主麻;其色白者,麻為色;黃,不為色;青,麻蟲。”《黃帝》曰:“須女星欲明,明則士女有緒,國富民殷。”郗萌曰:“須女星明大,則女工昌;不明,則法令易,詩書滅絕。”
《聖洽符》にいう、須女は妻を娶り女を嫁がせる事を掌管する。巫咸がいう、須女はすなわち天上の女子で兼ねて天府・天市と斗の性質を有す。郗萌がいう、須女は麻の収成を主る。星色が白を発すれば麻は色を上る能し色が黄なれば麻は色を上らざる色が青なれば麻はまさに虫を生ぜんとする。《黄帝占》にいう、須女の星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち男女の婚配が各々頭緒を有し国家が富足し百姓が殷実する。郗萌がいう、須女星が明亮・碩大なれば紡織・女紅が興盛する。星が若し明ならざれば法令が屡屡更改し詩書・文教が断絶する。
《玄冥》曰:“須女星明,天下大豐,女工有儲,國充富;星不明,天下虛,藏不足。”甘氏曰:“須女動,則嫁娶;將有嫁娶,占於須女。”《石氏贊》曰:“須女主布帛,裁置之;故置雜珠為藏府。又曰:須女,珍物寶所藏,故主布帛,奉給主。”
《玄冥占》にいう、須女星が明亮なれば天下が大豊収し織作に余存があり国庫が充実・富足する。星が若し明ならざれば天下が空虚で府庫の積蔵が足らない。甘徳がいう、須女星が一たび動けばすなわち嫁娶の事がある。およそまさに嫁娶を行わんとすれば便ち須女の上に到って推占する。《石氏賛》にいう、須女は布帛を主り裁剪・安置の事を掌るゆえに傍らに「雑珠」の諸星を設けて收蔵の府と為す。またいう、須女は珍宝・財物が貯蔵する所在であり因而に布帛を主り供奉して君主を給養する。
虚宿占 四
石氏曰:“虛二星,十度,(古十四度)度距南星先至,去極一百四度。(在黃道內八度)春夏為水,秋冬為金。(巫咸曰:虛,金星也。)虛南九尺,是中道。”(齊之分野)《佐助期》曰:“虛危為禮堂,虛神名開陽。”《聖洽符》曰:“虛、危,天益也。”《孝經內記》曰:“虛,府廷也。”
石申がいう、虚宿は两颗の星から組成され十度を横に跨る。原書小注:古度は十四度を作る。量度は南に偏する那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること百四度である。原書小注:黄道以北の八度に位する。虚宿は春夏は水に配し秋冬は金に配す。原書小注が巫咸を引いていう、虚は金に属す。虚宿以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:虚の分野は斉国に在りすなわち今の山東一帯である。《佐助期》にいう、虚・危の両宿は天上の礼堂で虚宿の星神の名を開陽と叫ぶ。《聖洽符》にいう、虚・危の二宿は天道を增益する義を有す。《孝経内記》にいう、虚は天上の府廷である。
《北官候》曰:“虛主哭泣諒喑之事,一名天軍市;一名臨宮;一名天府;一名鄉中,黃鐘宮也:一名兌宮;一名申宮。”郗萌曰:“虛者生於牛山之中,以為齊國府廷。”《爾雅》曰:“北陸,虛也。(注曰:北陸,虛星名也。)一名天府,主邑居;主廟堂;主祭祀;主祀禱之事。”
《北官候》にいう、虚宿は哭泣および「諒喑」——君主が居喪の期間に静默して政事を言わない——のこの一類の事を主り一名「天軍市」であり一名「臨宮」であり一名「天府」であり一名「郷中」であり十二律の黄鐘の宮に配しまた「兌宮」と叫ばれまた「申宮」と叫ばれる。郗萌がいう、虚宿の気は牛山の中に生じ因而に斉国の府廷と為る。《爾雅》にいう、「北陸」はすなわち虚宿である。原書小注:北陸は虚星の名号である。虚はまた「天府」と名づき城邑の居処を主り廟堂を主り祭祀を主り祈祷の事を主る。
《黃帝》曰:“虛二星,主墳墓冢宰之官。十一月,萬物盡,於虛星主之,故虛星死喪。”甘氏曰:“虛主喪事,動則有喪。”郗萌曰:“虛危併為一體,主觴客之事;中有六星不欲明見也,明見,則神龜用事。將有哭泣之事,則占於虛。”
《黄帝占》にいう、虚宿の両星は墳墓を主りまた冢宰のこの一官職を主る。十一月に万物が凋尽しこの一節令は虚星が主管するゆえに虚星は死喪の事を主る。甘徳がいう、虚宿は喪事を主り星が一たび移動すればすなわち喪がある。郗萌がいう、虚・危の両宿は合わせて一体と為り宴飲・待客の事を主る。宿の中に六颗の小星がありそれらが顕現・明亮するを希望しない一旦明亮・可見なればすなわち神亀が事に当たり卜筮が頻興の象である。およそまさに哭泣の事あらんとすればすなわち虚宿の上に到って推占する。
《二十八宿山經》曰:“虛山、危山相連,在齊臣首山中坐,虛危星神,常居其上。”郗萌曰:“虛星動搖,有井田之法;虛星不明,天下大旱。”《荊州占》曰:“虛危中,有六星不欲明見,明見則有大喪;近期一年,中期二年,遠期三年。”
《二十八宿山経》にいう、虚宿が対応する虚山と危宿が対応する危山は彼此に相連なり斉国の臣首山の中に坐落し虚・危の両宿の星神は常年に山上に駐在する。郗萌がいう、虚星が揺動して定まらざればまさに井田の類の地を画し田を分ける法令を推行せんとする。虚星が明ならざれば天下が大旱する。《荊州占》にいう、虚・危の中のあの六颗の小星は顕現・明亮するに宜しからず一旦明亮・可見なればすなわち大喪がある。近ければ一年に応じ中は二年に応じ遠ければ三年に応ずる。
危宿占 五
石氏曰:“危三星,墳墓四星,十七度。(古九度)度距西南星先至,去極九十九度。(在黃道內九度太)春夏為水,秋冬為火。(巫咸曰:危,土星也。)危南九尺,是中道。(齊之分野)《佐助期》曰:“虛、危,為禮堂,神名推長,姓呂賈王。”《北官候》曰:“危,一名天府;一名天市。”巫咸曰:“危為百姓市,又為架構。”
石申がいう、危宿の三星は別に墳墓の四星を附し本宿は十七度を横に跨る。原書小注:古度は九度を作る。量度は西南の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十九度である。原書小注:黄道以北の九度余に位する。危宿は春夏は水に配し秋冬は火に配す。原書小注が巫咸を引いていう、危は土に属す。危宿以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:危の分野は斉国に在る。《佐助期》にいう、虚・危の両宿は礼堂で危宿の星神の名を推長と叫び姓を呂賈王とする。《北官候》にいう、危は一名「天府」であり一名「天市」である。巫咸がいう、危は百姓が交易する市集でまた房屋の架構を主る。
《黃帝占》曰:“危主廟堂;上視危星,以主室。危星主柱,主蓋屋,以成帝宮,以教天下;其星明,則天下安寧。”甘氏曰:“危主架屋,星動,則有架屋之事。”郗萌曰:“危星動搖,移徙天下,謀作不解;其星不明,客有誅者。”《玄冥占》曰:“危動搖不明,天子作宮殿,民有土功事。”
《黄帝占》にいう、危宿は廟堂を主る。頭を擡げて危星を観看すればこれに據って宮室の事を推断できる。危星は屋柱を主り屋頂を覆蓋することを主りもって帝王の宮室を建成し併せてこれをもって天下に垂範する。この星が明亮なれば天下はすなわち安寧する。甘徳がいう、危宿は屋宇を架設することを主り星が一たび移動すればすなわち房屋を营造する事がある。郗萌がいう、危星が揺動して定まらざれば天下の人が遷徙・流移し営作の謀劃が糾纏して決せられない。星が若し明ならざれば客居・外来の人の中に誅殺される者があらん。《玄冥占》にいう、危星が揺動にして昏暗なれば天子はまさに宮殿を营造し百姓はまさに土木の役に服せんとする。
石氏曰:“虛危主廟堂,祀考妣,故置墳墓,識先祖塋域。虛、危五星,為祠堂;墳墓四星,祠祀享。”郗萌曰:“危為發屋之事,為蓋屋;將有蓋屋之事,則占於危。”《石氏贊》曰:“墳墓四星,主悲涼也。”
石申がいう、虚・危の両宿は廟堂を主り已故の父親と母親を祭祀するゆえに傍らに「墳墓」の諸星を設けてもって先祖の墓域を標識する。虚・危は合わせて五颗の星で天上の祠堂である。墳墓の四星はすなわち祭祀・享献を主る。郗萌がいう、危宿は屋頂を掀き去ることと屋頂を覆蓋する事に関わる。およそまさに屋を蓋う挙あらんとすればすなわち危宿の上に到って推占する。《石氏賛》にいう、墳墓の四星は悲涼・哀戚の情を主る。
営室占 六
石氏曰:“營室二星,離宮六星,十六度。(古二十度)度距南星先至,去極八十五度。(在黃道內十八度半)春夏為水,秋冬為土。(巫咸曰:營室,木星也。)室南九尺,是中道。(衛之分野)《佐助期》曰:“營室主軍市之糧,神名玄耀登,姓婁方。”皇甫謐《年曆》:“營室;一名休官。”《地軸占》曰:“營室;一名鮧[魚俞]。”《北官候》曰:“營室:一名玄冥;一名天官;大人之宮。”
石申がいう、営室の両星は別に離宮の六星を附し本宿は十六度を横に跨る。原書小注:古度は二十度を作る。量度は南に偏する那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること八十五度である。原書小注:黄道以北の十八度半に位する。営室は春夏は水に配し秋冬は土に配す。原書小注が巫咸を引いていう、営室は木に属す。室宿以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:営室の分野は衛国に在りすなわち今の河南の北部一帯である。《佐助期》にいう、営室は軍中が市易する糧儲を主り星神の名を玄耀登と叫び姓を婁方とする。皇甫謐《年暦》にいう、営室は一名「休官」である。《地軸占》にいう、営室は一名「鮧」——この字は底本に魚旁に俞を加える方式で標出する。《北官候》にいう、営室は一名「玄冥」であり一名「天官」で尊貴の人の宮室である。
郗萌曰:“營室,西壁也。”《爾雅》曰:“營室,謂之定。”(郭璞曰:定,正也。)巫咸曰:“營室,為天庫。”宋均曰:“營室,為舌俞角。”《天官書》曰:“營室,為清廟。”《廣雅》曰:“營室,曰豕。”《聖洽符》曰:“營室二星,天子廟;又曰攝提宮;府廷也。”《二十八宿山經》曰:“營室山在城山東南,與東壁山相連,室壁星神,常居其上。”
郗萌がいう、営室は西辺の壁宿に連ねていうのである。《爾雅》にいう、営室は「定」と叫ぶ。原書小注が郭璞を引いていう、定はすなわち端正である——古人が定星が昏れて正中する季節に動工して宮室を营造した因而に名を得た。巫咸がいう、営室は天上の府庫である。宋均がいう、営室は舌俞角である。《史記・天官書》にいう、営室は清静の宗廟である。《広雅》にいう、営室は「豕」と称す。《聖洽符》にいう、営室の両星は天子の宗廟でまた摂提宮と叫ばれまた府廷である。《二十八宿山経》にいう、営室が対応する営室山は城山の東南にあり東壁山と相連なり室・壁の両宿の星神は常年に山上に駐在する。
《黃帝》曰:“營室二星,主軍糧;離宮六星,主隱藏;營室,三軍所立,外有羽林以衛帝;其星欲明,明則國昌,動搖則兵出。”甘氏曰:“營室動,有土功事。”郗萌曰:“離宮一星不具,憂子。”郗萌曰:“營室,一星小不明,禱祀不實,鬼神不享;一曰國家多疫。”
《黄帝占》にいう、営室の両星は軍糧を主り離宮の六星は隠蔽・藏匿を主る。営室は三軍が営を札り寨を立てる地で外に羽林の諸星があって帝座を護衛する。これらの星は明亮を以て好しと為し明亮なれば国運が昌盛し揺動して定まらざればすなわち兵を出さんとする。甘徳がいう、営室星が一たび動けばすなわち土木・工程がある。郗萌がいう、離宮の六星に若し一颗が残欠・不全なれば子嗣を憂愁することを主る。郗萌がまたいう、営室の中に一星が細小・昏暗あれば祈祷・祭祀が誠実ならざるを説明し鬼神が来て歆享しない。別の一説では国中に疫病が多いことを主る。
郗萌曰:“將有土功之事,則占於營室。營室二星亡,則輔臣病死。營室東壁四星,四輔也。欲其正,中有二星,二舍也;欲其實正猶方,實其旁多小星也。”又《荊州占》曰:“四輔不正,則輔臣不忠,越職賣權;二舍不實,則宮女淫,出入不常,適螣相踰,君不悉御,後宮女怨曠去心。”《荊州占》曰:“離宮者,天子之別宮也;主隱藏止息之所也。”《石氏贊》曰:“營室主軍糧,以廩士;故置羽林省道理,又曰營室二星,主軍糧。”
郗萌がいう、およそまさに土木の事あらんとすればすなわち営室の上に到って推占する。営室の両星が隠没して見えざれば輔政の大臣がまさに病死せんとする。営室と東壁が合わせて四星と成り天子の「四輔」を象徴し位置が端正なるを以て好しと為す。当中に別に両星があり両処の館舎を象徴しそれらが充実・端正にして方整なるを希望しいわゆる充実とはすなわち傍らに小星の拱聚が多きである。《荊州占》にまたいう、四輔が端正ならざれば輔臣はすなわち不忠で権を越え勢を攬り職権を出売する。両舎が充実ならざれば宮中の女子はすなわち淫乱で出入が無常で正妻と妾媵が彼此に僭越し君主が一々に臨御する能わず後宮の女子は便ち怨曠・離心を生ずる。《荊州占》にいう、離宮は天子の別宮で隠蔽して休息する処所を主る。《石氏賛》にいう、営室は軍糧を主りもって士卒を給養するゆえに傍らに羽林の諸星を設けて道路の事理を省察する。またいう、営室の両星は軍糧を主る。
東壁占 七
石氏曰:“東壁二星,九度。(古十五度)度距南星先至,去極八十六度。(在黃道內十二度半)春夏為金,秋冬為水。(巫咸曰:東壁,土星也。)東壁南九尺,為中道。(衛之分野)《佐助期》曰:“東壁主文章,神名瞻工,姓刑孫王。”《北官候》曰:“東壁,一名天池;一名天術。”巫咸曰:“東壁為天梁。”
石申がいう、東壁は两颗の星から組成され九度を横に跨る。原書小注:古度は十五度を作る。量度は南に偏する那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること八十六度である。原書小注:黄道以北の十二度半に位する。東壁は春夏は金に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、東壁は土に属す。東壁以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:東壁の分野は衛国に在る。《佐助期》にいう、東壁は文章の著述を主り星神の名を瞻工と叫び姓を刑孫王とする。《北官候》にいう、東壁は一名「天池」であり一名「天術」である。巫咸がいう、東壁は天梁である。
《孝經章句》曰:“東壁,市也;又曰天市。”《聖洽符》曰:“東壁,主土功之事。”《黃帝占》曰:“東壁失色,大小不同,則王者好武,經士不用,圖書隱藏,天下咸愚。”《甘氏占》曰:“東壁主土;星動,則土功事興。東壁星明大,王者明道,術學大興,國有君子。”
《孝経章句》にいう、東壁は市集でまた天市と叫ばれる。《聖洽符》にいう、東壁は土木・工程の事を主る。《黄帝占》にいう、東壁が本有の顔色を失し両星が大小が一ならざれば君王が兵を用いるを偏好し経に通ずる士人が任用を獲ず図籍・典册が藏匿されて彰されず天下の人がみな愚昧に陥ることを説明する。《甘氏占》にいう、東壁は土を主り星が一たび動けば土木・工程はまさに興起せんとする。東壁星が明亮・碩大なれば君王が治道を申明し学術が大いに興盛し国中に君子が出る。
郗萌曰:“東壁,離徙作治田就聚,以田宅為憂;一曰將有土功之事,占於東壁。”石氏曰:“東壁主文章圖書府,故置壘壁,以衛後。”《石氏贊》曰:“東壁,主文章萬物,犯壁,本鄉。”《洪範傳》曰:“北方七宿,九十九度;今九十八度四分度之一。”
郗萌がいう、東壁の諸星が本位を脱離して移徙するのは、人々が田畝を興修し聚居して邑を成し併せて田宅の事によって憂慮することを主る。別の一説ではおよそまさに土木の事あらんとすればすなわち東壁の上に到って推占する。石申がいう、東壁は文章・図籍の府庫を主るゆえに傍らに「塁壁」の諸星を設けてもって後宮を護衛する。《石氏賛》にいう、東壁は文章と万物を主る。行星が東壁を「犯」すればすなわち七寸以内に逼近して相侵し応験は本宿が主る所の地域に在る。《洪範伝》にいう、北方の七宿は合わせて九十九度で今測れば九十八・四分の一度である。
開元占経 巻六十二・西方七宿占三
奎宿 一
石氏曰:“奎十六星,十六度,(古十二度)度距西南大星先至,去極七十度,(在黃道內十四度少)春夏為金,秋冬為水。”(巫咸曰:奎,金星也。)奎南九尺,是中道。”(魯之分野)《佐助期》曰:“奎主武庫兵,神名列常,姓均劉方。”《西官候》曰:“奎,一名天庫;一名天邊偏將軍;武庫,軍庫也。奎者,天之玄冥也,溝瀆陂池,江河漢也,其木榆也,其物牛筋革,奎金星也。”
石申がいう、奎宿は十六颗の星から組成され十六度を横に跨る。原書小注:古度は十二度を作る。量度は西南の那颗の大星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること七十度である。原書小注:黄道以北の十四度稍弱に位する。奎宿は春夏は金に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、奎は金に属す。奎宿以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:奎の分野は魯国に在りすなわち今の山東の南部である。《佐助期》にいう、奎は武庫の中の兵器を主り星神の名を列常と叫び姓を均劉方とする。《西官候》にいう、奎は一名「天庫」であり一名「天辺偏将軍」である。いわゆる武庫はすなわち軍中の府庫である。奎は天上の玄冥の水神で溝渠・陂塘・江河と銀漢を主る。配属する樹木は楡で配属する物産は牛筋・皮革で奎の五行は金に属す。
《矢官書》曰:“奎曰封豕,一名天豕。”《詩緯》曰:“奎為女令。”《聖洽符》曰:“奎者,溝瀆也。”《孝經章句》曰:“奎,府廷也。”巫咸曰:“奎為天庫;又曰奎婁,春獄。”郗萌曰:“將有溝瀆之事,則占於奎;其西南大星,所謂天豕目者也;亦曰大將,故欲其明也。”
《天官書》にいう、奎は「封豕」と叫ぶすなわち大猪で一名「天豕」——底本ここに「天官書」を訛じて「矢官書」と作る。《詩緯》にいう、奎は女子の政令を主る。《聖洽符》にいう、奎はすなわち溝渠である。《孝経章句》にいう、奎は府廷である。巫咸がいう、奎は天庫である。またいう、奎・婁の両宿は春季の刑獄である。郗萌がいう、およそまさに溝渠を開鑿する事あらんとすればすなわち奎宿の上に到って推占する。その西南の方の那颗の大星はすなわちいわゆる「天豕之目」でまた大将と称しゆえにそれが明亮なるを希望する。
《玄冥占》曰:“奎大星,大將軍;其欲明,而行列兩頭免近河,以候水兵。芒角動搖進退,國必用兵;或曰有赦令。”《二十八宿山經》曰:“奎山、婁山相連,奎婁星神,常居其上。”《黃帝》曰:“奎星芒角動搖,國必有兵,不出年中。”《河圖》曰:“帝淫溢,政不平,則奎有兵。”
《玄冥占》にいう、奎宿の大星は大将軍を象徴しそれが明亮なるを希望し而も全宿の排列の両端は銀河に靠近するを避くべきでこれに據って水患と兵事を候察できる。この星が芒角を生出し揺動・不定にして進退が常なきは国家は必定に兵を動かす。または人に赦令を発布することを主るともいう。《二十八宿山経》にいう、奎山と婁山は彼此に相連なり奎・婁の両宿の星神は常年に山上に駐在する。《黄帝占》にいう、奎星の芒角が揺動すれば国中に必ず兵事がありその年を出でずまさに応験せんとする。《河図》にいう、帝王が荒淫・放縦で政事が公ならざれば奎宿はすなわち兵象を顕出する。
《文曜鉤》曰:“奎星直朝九年,主弒,天下無文法,兵官營壘不寧。”甘氏曰:“奎星動,有溝瀆之事。””郗萌曰:“奎頭大星,色黃,忽然不明者,將軍叛王也,非其舊,故黃也。”《荊州占》曰:“奎中星明者,水大出。”《石氏贊》曰:“奎主軍;兵禁不明,故置軍以領之;又曰:奎主庫兵,秉統制政功以成。”
《文曜鈎》にいう、奎星が直線に連なり朝廷を正対して長きこと九年なれば弑逆の禍があり天下に成文の法度なく武官と営塁がみな安寧を得ないことを主る。甘徳がいう、奎星が移動すればすなわち溝渠を開鑿する事がある。郗萌がいう、奎宿の前端の大星が色を黄に転じ忽然として昏暗と変ずれば将軍が君王を背叛することを説明する。黄色はそれの本有の色にあらず反常して黄を発して乃ちこれを占と為す。《荊州占》にいう、奎宿の中間の星が明亮なれば大水が暴発することを主る。《石氏賛》にいう、奎は軍旅を主る。兵禁が明ならざるゆえに別に軍星を設けてそれを統領する。またいう、奎は府庫の兵器を主り執掌・統摂し制度と政事がこれにより成就する。
婁宿占 二
石氏曰:“婁三星,十二度。(古十五度)度距中央星先至,去極八十度。(在黃道內十二度)春夏為水,秋冬為火。(巫咸曰:婁,水星也。)婁南九尺,是中道。(魯之分野)《佐助期》曰:“婁主苑牧,神名及方,姓臺衛。”《黃帝》曰:“婁主宗廟五祀;一名天府,郊太牢也。”
石申がいう、婁宿は三颗の星から組成され十二度を横に跨る。原書小注:古度は十五度を作る。量度は中央の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること八十度である。原書小注:黄道以北の十二度に位する。婁宿は春夏は水に配し秋冬は火に配す。原書小注が巫咸を引いていう、婁は水に属す。婁宿以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:婁の分野は魯国に在る。《佐助期》にいう、婁は苑囿の畜牧を主り星神の名を及方と叫び姓を台衛とする。《黄帝占》にいう、婁は宗廟と五種の常祀を主る。また「天府」と名づき郊祭に用いる太牢の犠牲を掌る。
《西官候》曰:“婁,一名密官;一名國市;一名天廟。庫婁者,天獨祿車也,主為聚眾之事。其木,柱也;其物,鉛、錫、銀、黃金、石。”《聖洽符》曰:“婁者,聚眾也。”《孝經章句》曰:“婁,市也。”巫咸曰:“婁為天獄。”郗萌曰:“有聚眾之事,則占於婁。”《海中占》曰:“天子孝,則婁星明大,天下太平。”
《西官候》にいう、婁は一名「密官」であり一名「国市」であり一名「天廟」である。庫婁のこの一組の星は天上の禄米を専載する車で人衆を聚集する事を主る。それが配属する木材は柱材で配属する物産は鉛・錫・銀・黄金と玉石である。《聖洽符》にいう、婁の意思はすなわち人衆を聚合する。《孝経章句》にいう、婁は市集である。巫咸がいう、婁は天獄である。郗萌がいう、およそ人衆を聚集する事あればすなわち婁宿の上に到って推占する。《海中占》にいう、天子が孝道を篤行すれば婁星はすなわち明亮・碩大で天下が太平する。
郗萌曰:“婁星直,有執主之命者就聚,國大不安;一曰星明大,則賦斂時。”《玄冥占》曰:“婁星明,則王者郊祀,天享之;天子明,臣子多忠孝,王者多子孫,天下和平;婁不明大,小失色,不修五祀。”《石氏贊》曰:“婁主苑牧,給享祀,故置天倉以養之。婁主苑牧,有掩斂蓋藏,以春營。”
郗萌がいう、婁宿の諸星が直線に排成するのは、君命を手に握る人が聚拢して党を結び国家が大いに安からぬことを主る。別の一説では星が若し明亮・碩大なれば賦税の徴収が時節に合乎る。《玄冥占》にいう、婁星が明亮なれば君王が郊祀を挙行し上天がその祭を歆享する。天子が聖明なれば臣子に忠孝が多く君王の子孫が衆多で天下が和平する。婁星が明亮・碩大に夠わざれば星形が細小にして本色を失し五祀が荒廃して修められざるを説明する。《石氏賛》にいう、婁は苑囿の畜牧を主り祭祀の所需を供給するゆえに傍らに「天倉」の諸星を設けて牲畜を蓄養する。婁は苑牧を主り收斂・蔵納の義を含有し春季に経営する。
胃宿占 三
石氏曰:“胃三星,十四度。(古十一度)度距西南星先至,去極八十二度。在黃道內十二度。春夏為木,秋冬為水,(巫咸曰:胃,金星也。)胃南九尺,是中道。”(趙之分野,《淮南子》、《洪範傳》曰:魏分。)《佐助期》曰:“胃主稟倉,神名稽覽,姓研骨白。”《西官候》曰:“胃,一名天中府;一名密官,為兵,為喪。”(金星也)
石申がいう、胃宿は三颗の星から組成され十四度を横に跨る。原書小注:古度は十一度を作る。量度は西南の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること八十二度で黄道以北の十二度に位する。胃宿は春夏は木に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、胃は金に属す。胃宿以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:胃の分野は趙国に在り《淮南子》と《洪範伝》はすなわち魏国に分属するという。《佐助期》にいう、胃は糧倉を主り星神の名を稽覧と叫び姓を研骨白とする。《西官候》にいう、胃は一名「天中府」であり一名「密官」であり兵事を主り喪事を主る。原書小注:金に属す。
《聖洽符》曰:“胃者,倉稟也。”《孝經章句》曰:“胃者,庫也。”《天官書》曰:“胃者,天庫。”《百二十占》曰:“胃為天府,藏也。”郗萌曰:“將有倉囷之事,占於胃。”《二十八宿山經》曰:“胃山、昴山,東與畢山相連,在趙常山中央,其山最高大,胃、昴、畢之神,常居其上。”
《聖洽符》にいう、胃はすなわち倉廩である。《孝経章句》にいう、胃は府庫である。《史記・天官書》にいう、胃は天庫である。《百二十占》にいう、胃は天府すなわち儲蔵の処所である。郗萌がいう、およそまさに倉囷を修建する事あらんとすればすなわち胃宿の上に到って推占する。《二十八宿山経》にいう、胃宿が対応する胃山と昴宿が対応する昴山は東に向かって畢宿が対応する畢山と相連なりみな趙国の常山の中部に在りこの一帯は山勢が最も高大で胃・昴・畢の三宿の星神は常年に山上に駐在する。
甘氏曰:“胃動,有輸運之事;胃星明者,王者郊天得福,天下和平;星不明,大小失位。”《海中占》曰:“胃星明大,王者須祀,則壽命長,子孫昌。”郗萌曰:“胃星明大,倉稟實;胃星離徙,倉穀不出;其星就聚,谷大貴,民流於道。”《荊州占》曰:“胃中星眾者,谷聚;星少,谷散。”《石氏贊》曰:“胃主倉稟五穀基,故置天囷以盛之。”又曰:“胃宿三星,主倉稟,陰收積聚,(一雲萬物積聚)知入藏。”
甘徳がいう、胃星が移動すればすなわち転運・輸送の事がある。胃星が明亮なれば君王が上天を郊祭して福を得て天下が和平する。星が若し明ならざれば諸星が大小錯乱してその本位を失する。《海中占》にいう、胃星が明亮・碩大なれば君王がただ礼に依って祭祀すれば便ち寿命が長久で子孫が昌盛する。郗萌がいう、胃星が明亮・碩大なれば倉廩が充実する。胃星が本位を脱離して移徙すれば倉中の穀が発放を得ない。諸星が内に向かって挤聚すれば穀価が大いに漲り百姓が道路に流亡する。《荊州占》にいう、胃宿の中に星が多ければ穀物が聚積し星が少なければ穀物が散失する。《石氏賛》にいう、胃は倉廩を主り五穀の根基であるゆえに傍らに「天囷」の諸星を設けて盛貯する。またいう、胃宿の三星は倉廩を主り陰に属して収斂・積聚する——原書小注:一本は万物が積聚するを作る——入庫・貯蔵の事を掌管する。
昴宿占 四
石氏曰:“昴七星,十一度。(古十五度)度距西南第一星先,去極七十四度。(在黃道內四度少)春夏為火,秋冬為金。(巫咸曰:昴,火星也。)昴南九尺,是中道。”(趙之分野。《淮南子》曰:魏分。)《佐助期》曰:“昴主獄事,神名敖,姓金,宋趙勝。”《西官候》曰:“昴,一名武,一名天廚,一名天路;胡星。主兵、主喪;其一星亡,邦有兵,水星也。”
石申がいう、昴宿は七颗の星から組成され十一度を横に跨る。原書小注:古度は十五度を作る。量度は西南の第一星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること七十四度である。原書小注:黄道以北の四度稍弱に位する。昴宿は春夏は火に配し秋冬は金に配す。原書小注が巫咸を引いていう、昴は火に属す。昴宿以南の九尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:昴の分野は趙国に在り《淮南子》にいう魏国に分属する。《佐助期》にいう、昴は刑獄の事を主り星神の名を敖と叫び姓を金とし一作は宋人の趙勝とする。《西官候》にいう、昴は一名「武」であり一名「天厨」であり一名「天路」であり胡人の星で兵事を主り喪事を主る。その中の一颗の星が隠没して見えざれば国中にすなわち兵事があり五行は水に属す。
甘氏曰:“昴,茅也。”郗萌曰:“昴有一星大,名黃星;其星明者,天下安,不明者,天下大凶。”巫咸曰:“昴井,天耳目。”《黃帝》曰:“昴星,天牢獄也;王者承天,以利獄事,以檢淫奢;其星不欲明,明則天下多獄者。”《春秋緯》曰:“昴為旄頭,房衡位,主胡星,陰之象。”
甘徳がいう、昴はすなわち茅でその叢聚の義を取る。郗萌がいう、昴宿の中に一颗の特別に大きい星があり名づけて黄星という。この星が明亮なれば天下が安定する。明亮ならざれば天下が大凶である。巫咸がいう、昴宿と東井は上天の耳と目である。《黄帝占》にいう、昴星は天上の牢獄である。君王が天意を秉承しこれに據って獄訟を妥当に処理し淫佚・奢靡を検束する。この星は明亮するに宜しからず明亮なればすなわち天下に獄に下る人が多い。《春秋緯》にいう、昴は「旄頭」で房宿の衡量の位に処し胡人の星を主り属陰の象徴と為る。
《聖洽符》曰:“昴者,白衣。(巫咸曰:昴為白衣聚。)又曰:胡聚。”《孝經章句》曰:“昴,市府廷也。”郗萌曰:“將有白衣之會,則占於昴。”《爾雅》曰:“西陸,昴也;一曰天獄。”石氏曰:“天街者,昴、畢之間,陰陽之所分,中國之境界。”(《天官書》曰:陰、陰國,陽、陽國,孟康曰:陰、西南維,河山以北國也;陽、河山以南國也。)
《聖洽符》にいう、昴は白衣の事を主る。原書小注が巫咸を引いていう、昴は白衣が聚集する象——白衣はすなわち喪服でゆえに喪聚を主る。またいう、胡人の聚集を主る。《孝経章句》にいう、昴は市集と府廷である。郗萌がいう、およそまさに喪事の聚会あらんとすればすなわち昴宿の上に到って推占する。《爾雅》にいう、「西陸」はすなわち昴宿である。一説ではそれは天獄である。石申がいう、いわゆる「天街」は昴・畢の両宿の間に在り陰陽の分界の処でありまた中原の疆域の界限である。原書小注が《天官書》を引いていう、天街の一側は陰で陰国に属し一側は陽で陽国に属す。孟康が解釈していう、陰は西南の一隅を指しすなわち黄河と華山以北の邦国で陽は黄河と華山以南の邦国を指す。
《元命包》曰:“帝位明,即昴星光大。”甘氏曰:“昴星明,天下多犯獄;昴星動搖,必有大臣下獄;又曰:有白衣之會;又曰:昴星大而數動,盡跳者,胡兵大起,不出年中;又曰昴一大星跳躍,餘皆不動者,胡欲侵犯邊境;期年中,或三年。”
《元命包》にいう、帝位が光明なれば昴星はすなわち光芒が盛大である。甘徳がいう、昴星が明亮なれば天下に刑獄を触犯する人が多い。昴星が揺動して定まらざれば必定に大臣に獄に下る者がある。またいう、喪事の聚会があらん。またいう、昴星が変大して屡屡跳動し七星が尽く皆跳躍すれば胡人の軍隊がまさに大挙して起きその年を出でずまさに応験せんとする。またいう、昴宿の中に一颗の大星が跳躍してその余の諸星が動かざるは胡人が辺境を侵犯しようと欲する象で応期は一年の内にあるいは遅く三年に至る。
郗萌曰:“昴星明大,則牢獄平;昴星皆明,與奎星等者,水滿天下。昴七星,黃道起。昴有一星亡者,多兵為喪。”《五官書》曰:“白帝行德,畢、昴為之圍;圍三暮,德乃成;不暮及圍不合,德不成。”《石氏贊》曰:“昴主獄事,典治囚,故置捲舌,以慎疑。昴主獄事,繫凌淫化,伐所犯,謀是當。”
郗萌がいう、昴星が明亮・碩大なれば牢獄の事の処置が公平である。昴宿の諸星がみな明亮で亮度が奎星と相当なれば大水が天下に漫溢することを主る。昴宿の七星は黄道が起算する処である。昴宿の中に一颗の星が隠没して見えざれば兵事が多く而も喪があることを主る。《五官書》にいう、西方の白帝が徳政を施行する時畢・昴の両宿は光気に環繞されて囲と成る。連なり囲すること三箇の夜晚にして徳政は乃ち成就する。若し三夜に満たざるかあるいは環繞する気が合攏する能わざれば徳政は便ち成就できない。《石氏賛》にいう、昴は刑獄の事を主り囚を治めるを掌管するゆえに傍らに「巻舌」の諸星を設けてもって疑獄を慎重に対待する。昴は獄事を主りおよそ拘繫・欺凌・淫乱の事はみなそれにより化裁し犯する所の罪を討伐し謀断が乃ち得当と算ずる。
畢宿占 五
石氏曰:“畢八星,附耳一星,(附耳,主聽察也)十七度。(古十五度)度距左股第一星先至,去極七十八度。(在黃道外六度太)春夏為金,秋冬為水。(巫咸曰:畢,火星;附耳,水星也。)畢北七尺,是中道。”(趙之分野,王者執畢前驅,即其象也。一曰囚車,今掩免者曰:畢亦其義也。故主弋鼠。其大星曰天高。一曰邊將邦外候也。《淮南子》曰:魏分野。)
石申がいう、畢宿の八星は別に「附耳」の一星を附す——原書小注:附耳は聴察を主る——本宿は十七度を横に跨る。原書小注:古度は十五度を作る。量度は左股の第一星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること七十八度である。原書小注:黄道以南の六度余に位する。畢宿は春夏は金に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、畢は火に属し附耳は水に属す。畢宿以北の七尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:畢の分野は趙国に在る。君王が出行する時に人が長柄の畢網を執って前に道を開くは正しくこの宿に取象する。一説では畢は囚車に像る。今天に謂う所の「掩免」はすなわち網を用いて罩いる意思で畢もまたこの層の含義を取るゆえにそれは鼠類の小獣を射猟することを主る。宿の中の大星を「天高」と叫ぶ。一説ではそれは辺将を象徴し国境の外の哨望である。《淮南子》にいう、畢の分野は魏国に属す。
《佐助期》曰:“畢主邊兵,神名扶骨,姓傳兒候。”皇甫謐曰:“一名天耳,一名天目;一名風口。”《西官候》曰:“畢,一名濁;一名天罡;一名天都尉;主制候四方。”《聖洽符》曰:“畢者揚兵;一曰清池宮。”《河圖》曰:“畢為天罡也。”《孝經章句》曰:“畢府廷也。”巫咸曰:“畢為天獄。”
《佐助期》にいう、畢は辺防の兵事を主り星神の名を扶骨と叫び姓を伝児候とする。皇甫謐がいう、畢は一名「天耳」であり一名「天目」であり一名「風口」である。《西官候》にいう、畢は一名「濁」であり一名「天罡」であり一名「天都尉」であり節制し併せて四方を候察することを主る。《聖洽符》にいう、畢は兵威を張揚することを主る。一説ではそれは清池宮である。《河図》にいう、畢はすなわち天罡である。《孝経章句》にいう、畢は府廷である。巫咸がいう、畢は天獄である。
郗萌曰:“畢主山河以南中國也;中國於四海內,則在東南為陽,陽則曰歲星、熒惑、填星;占於街南。”《春秋緯》曰:“畢罕車,為邊兵,主弋獵,陽微掇,故置附耳在大星旁,司天下搖動,讒臣亂主。”《春秋緯》曰:“畢為邊界天街,主守備外國;故立附耳,以聞不祥。”郗萌曰:“將有田獵之事,則占於畢。”
郗萌がいう、畢宿は華山・黄河以南の中原の地を主る。中原は四海の内に東南に偏居し陽に属し陽に属すればすなわち歳星・熒惑・填星の管轄に帰し推占する時は天街以南の天区を看る。《春秋緯》にいう、畢宿はまた「罕車」と叫ばれ辺防の軍隊を主り射猟を主る。陽気がなお微しく而も收拾する所あらんを須とするゆえに大星の傍らに附耳の一星を設けて専ら天下の動揺・不安および讒臣が主を乱る事を監察するを司る。《春秋緯》にまたいう、畢は辺界の上の天街で外邦を守備することを主るゆえに附耳を設立してもって不祥の事を聴聞する。郗萌がいう、およそまさに田猟の事あらんとすればすなわち畢宿の上に到って推占する。
《黃帝》曰:“畢左股大星,邊將也;主邊邦胡狄,候五帝三王壘外域,其國倍叛,其星耀芒;其星欲明,明則遠夷來貢;失其色,大小不如其故,則邊境還自亂,中國不寧;天以畢罪掃奸雄,平通外域。”《西官候》曰:“畢大星,邊將軍也;星動,有芒角,邊將有急。”
《黄帝占》にいう、畢宿の左股の大星は辺将を象徴し辺地の胡狄の諸部を主り歴代の帝王の為に塞外を候望する哨兵と為る。あれらの邦国が若し背叛すればこの星はすなわち芒角を閃耀する。この星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち遠方の夷人が前来して朝貢する。若し本色を失し大小が従前に如かざれば辺境は便ち自ら乱れ起き中原が安寧を得ない。上天が畢宿を用いて罪を問い奸雄を掃除し域外を平定・通達する。《西官候》にいう、畢宿の大星は辺関の将軍である。この星が移動して芒角を生出すれば辺将に急難がある。
《百二十占》曰:“畢主弋獵,為陽國;昴為陰國,日月五星出陽國,即有水;入陰國,即旱,上教不行。”《黃帝》曰:“其國背叛,畢星耀芒。”《元命包》曰:“畢星光大,色度和同,天下太平,國號未央。”郗萌曰:“畢星動搖,有讒臣,畢一星亡,為喪;一曰為兵,畢中星出,國內亂;一曰國無主;畢星明大,則邊無近遠,夷貢來王廷中;畢離移,天下獄大亂;其星就聚,法令大酷;其明,太平;不明,天下謀為亂。”
《百二十占》にいう、畢は射猟を主り陽国に属す。昴は陰国に属す。日月・五星が陽国の分に行き到ればすなわち水患がある。陰国の分に行入ればすなわち旱災があり君上の教化が推行して開かない。《黄帝占》にいう、主る所の邦国が背叛すれば畢星はすなわち芒角を閃耀する。《元命包》にいう、畢星の光芒が盛大で顔色と度数がみな調和・一致すれば天下が太平し国祚が綿長・無尽である。郗萌がいう、畢星が揺動して定まらざれば朝中に讒臣がある。畢宿に一星が隠没すれば喪事を主り別の一説では兵事を主る。畢宿の中間の星が本位に偏出すれば国内が動乱し一説では国中に主なし。畢星が明亮・碩大なればすなわち論ずるに遠近の辺地なく夷人がみな王庭に来て進貢する。畢宿が本位を脱離して移動すれば天下の獄訟が大乱する。諸星が内に向かって挤聚すれば法令が極めて厳酷である。星が明なれば天下が太平し星が明ならざれば天下に人が図謀して乱を作す者あり。
《列宿說》曰:“畢星動者,邊城有兵起。”石氏曰:“附耳著畢,司街候邪。”巫咸曰:“附耳,火官也。”《黃帝》曰:“附耳搖動,有田之事。”《洛書》曰:“附耳角動,讒賊將起。”《春秋緯》曰:“附耳明,賊動。(宋均曰:賊盛也。)中國微,邊兵驚,外國交斗連年,大將虜,主敗失,附耳搖動,非其處,有亂臣在側者;一曰主憂愁。”《論語讖》曰:“附耳明,盜賊令。”
《列宿説》にいう、畢星が移動すれば辺城にすなわち兵事が発生する。石申がいう、附耳は畢宿の傍らに附着し専ら天街の守望・邪悪を伺察することを司る。巫咸がいう、附耳は火を掌る官である。《黄帝占》にいう、附耳が揺動すれば田猟の事がある。《洛書》にいう、附耳が芒角を生出して動揺すれば讒を進めて害を為す徒がまさに興起せんとする。《春秋緯》にいう、附耳が明亮なれば賊寇が活動する。原書小注が宋均を引いていう、これは賊の勢いが旺盛なるを謂う。中原が衰微し辺地の駐軍が驚を受け外邦が連年交戦し大将が俘われ君主が失敗して地を喪う。附耳が揺動して本位に居らざれば乱臣がすなわち君側に在るを説明する。別の一説では憂愁を主る。《論語讖》にいう、附耳が明亮なれば盗賊が横行する。
郗萌曰:“附耳入畢口,直一星,期四十日;直二星,期三十日;直三星,期二十日;直四星,期十日;直五星,期七日;直六星,期三日,兵起。附耳入畢中,為兵革;入深大,附耳縮結,王命興,輔佐出。附耳動,兵大起,邊兵尤甚。”《石氏贊》曰:“畢主邊兵,備夷謀,故置天弓以射之。畢為天街,主邊兵,守備境界,知暴橫。附耳移動,讒邪行。”
郗萌がいう、附耳が畢宿の口内に入り一颗の星と正対すれば応期は四十日で两颗の星と正対すれば応期は三十日で三颗の星と正対すれば応期は二十日で四颗の星と正対すれば応期は十日で五颗の星と正対すれば応期は七日で六颗の星と正対すれば応期は三日——みな兵を起こすことを主る。附耳が畢宿の中に入れば兵革の禍を主る。深入すること甚だ多くて附耳が收縮・糾結すればすなわち王命が興起し輔佐の臣が出て事に任ずる。附耳が移動すれば兵事が大いに起き辺地の戦事が尤も厳重である。《石氏賛》にいう、畢は辺防の軍隊を主り夷狄の図謀を防備するゆえに傍らに「天弓」の諸星を設けてもってそれを射御する。畢は天街で辺兵を主り疆界を守備し暴横の事を察知する。附耳が移動すれば讒邪の徒が横行を得るを説明する。
觜觽占 六
石氏曰:“觜觽三星,一度。(古六度)度距西南星先至,去極八十四度。(直黃道外十二度太)春夏為水,秋冬為土。(巫咸曰:觜,金星也。)觜北三尺,是中道。(晉魏之分野,《淮南子》曰:趙分。)《西官候》曰:“觜觽主斬刈,左足一名白虎將;一名天將,斧鉞;白虎首主外軍,其外梁也;其內魏也;其木楊,其物錢金器、礬石,金星也。”
石申がいう、觜觽は三颗の星から組成されただ一度を横に跨る。原書小注:古度は六度を作る。量度は西南の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること八十四度である。原書小注:正当に黄道以南の十二度余に在る。觜觽は春夏は水に配し秋冬は土に配す。原書小注が巫咸を引いていう、觜は金に属す。觜宿以北の三尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:觜の分野は晋・魏の地に在り《淮南子》にいう趙国に分属する。《西官候》にいう、觜觽は斬殺・刈除を主りその左足は一名「白虎将」であり一名「天将」であり斧鉞の刑を象徴する。白虎の首は境外の軍隊を主り外に在っては梁の地に応じ内に在っては魏の地に応ずる。配属する木は楊で配属する物産は銭幣・金器と礬石で五行は金に属す。
《聖洽符》曰:“觜觽、參伐,天市梁也。”石氏曰:“觜觴者,內主樑,外主巴漢;一曰觜觽者,三軍之候也。”巫咸曰:“觜為寶貨,又為天貨。”《天官書》:“小三星隅置,曰觜觽,為白虎首,主葆旅之事。”(如淳曰:關中俗謂:桑榆藥生曰葆,晉灼曰:葆,菜也,野生謂之旅。)
《聖洽符》にいう、觜觽と参・伐は天市の橋梁である。石申がいう、觜觽は内に在っては梁の地を主り外に在っては巴・漢の一帯を主る。別の一説では觜觽は三軍の哨望である。巫咸がいう、觜は宝貨でまた天貨と叫ばれる。《史記・天官書》にいう、三颗の小星が三角に呈列して「觜觽」と叫ばれ白虎の首で「葆旅」の事を主る。原書小注が如淳を引いていう、関中一帯の俗語に桑樹・楡樹の間に自生する薬草を「葆」と叫び晋灼がいう、葆は菜で野生するを「旅」と叫ぶ——合わせて野生の草木・菜蔬を指す。
《列宿說》曰:“觜觽動,葆旅起,將有葆旅之事,則占於觜。”《二十八宿山經》曰:“觜觽山與參山相連,在魏天山西南,觜參星神,常居其上。”甘氏曰:“觜觽三星,行軍府藏也;其星欲明,明則國盈,軍有儲;其星不明,不以出軍行將,天下軍士無食,王者將出,必察其星。”
《列宿説》にいう、觜觽が移動すれば野生の草木・菜蔬は便ち滋生し起きる。およそまさに葆旅を採集する事あらんとすればすなわち觜宿の上に到って推占する。《二十八宿山経》にいう、觜觽が対応する觜觽山と参宿が対応する参山は彼此に相連なり魏国の天山の西南に在り觜・参の両宿の星神は常年に山上に駐在する。甘徳がいう、觜觽の三星は行軍する時の府庫・倉儲である。これらの星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち国用が充盈し軍中に積儲がある。星が若し明ならざればすなわち兵を出し将を派するに宜しからずさもなければ天下の軍士に糧を食すべきがない。君王がまさに出征せんとすれば必定に先ずこの星を観察する。
《百二十占》曰:“觜大鳧,其星明,則盜賊眾。”石氏曰:“觜星動明,寇戎發,盜群行。”郗萌曰:“觜星近參左股,臣有謀其君者,若主之命,奪主之藏;近右股,大臣謀伐其主,若有大命。觜星明,大將得勢。”《石氏贊》曰:“觜參主葆旅,收斂;故置參伐以相助。”
《百二十占》にいう、觜宿はまた大鳧と称しこの星が明亮なれば盗賊は便ち多い。石申がいう、觜星が移動にして明亮なれば寇兵が興起し盗匪が群を成して出没する。郗萌がいう、觜星が参宿の左股に靠近するのは、臣子がその君を図謀する者がありあるいは君命を假託して君主の庫蔵を奪取することを主る。右股に靠近すれば大臣がその君を討伐することを図謀する者がありあるいは重大の詔命が下達することを主る。觜星が明亮なれば大将が勢を得る。《石氏賛》にいう、觜・参の両宿は野生の草木の採収を主り収斂の事に属するゆえに参・伐の諸星を設けて傍らに相助ける。
参宿占 七
石氏曰:“參十星,十度。(古度同)度距中央西星先至,去極九十四度半少。(在黃道外二十三度半)春夏為水,秋冬為土。(巫咸曰:參,金星也。)參北十三尺,是中道。”(晉魏之分野,《左氏傳》子產曰:昔高辛氏有二子,伯曰閼伯,季曰實沈,不相能,尋干戈以相征伐。注曰:尋,用也,傳曰:后帝不藏,注曰:后帝,克也,傳曰:遷閼伯於商丘,主辰,注曰:商丘宋地,主祀辰星大火也。傳曰:商人是因,辰為商星,遷實沈於大夏,主參。《淮南鴻烈》曰:趙分。)
石申がいう、参宿は十颗の星から組成され十度を横に跨る。原書小注:古度と相同じ。量度は中央の西に偏する那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十四度半稍弱である。原書小注:黄道以南の二十三度半に位する。参宿は春夏は水に配し秋冬は土に配す。原書小注が巫咸を引いていう、参は金に属す。参宿以北の十三尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:参の分野は晋・魏の地に在る。《左伝》に子産の話を載せていう、従前に高辛氏に二人の儿子があり長子を閼伯と叫び次子を実沈と叫び両人が合わず干戈を動用して互相に征伐した。注文にいう、「尋」は動用の意思である。伝文に「后帝不臧」といい注文が「后帝」を解釈する——底本は「克」を作り当に「尭」の字の訛べし。伝文にいう、閼伯を商丘に遷して大辰を主祀せしめた。注文にいう、商丘はすなわち後來の宋の地で主る所は辰星の大火である。伝文にまたいう、商人がこの祭祀を沿襲したゆえに辰はまた商星と叫ばれる。実沈を大夏に遷して参星を主祀せしめた。《淮南鴻烈》にいう、参の分野は趙国に属す。
《佐助期》曰:“參伐主斬刈,神名虛圖,姓祖及。”《黃帝》曰:“參應七將也,中央三小星,曰伐,天之都尉也,主胡、鮮卑、戎、狄之國,故不欲其明也。”《孝經章句》曰:“參伐,市府廷也;又為天尉。”巫咸曰:“參為衡。”石氏曰:“參伐,一名鍾龍。”
《佐助期》にいう、参・伐の両組の星は斬殺・刈除を主り星神の名を虚図と叫び姓を祖及とする。《黄帝占》にいう、参宿は七位の将領に対応する。中央のあの三颗の小星を「伐」と叫び天上の都尉で胡・鮮卑・戎・狄の諸国を主りゆえにそれが明亮せざるを希望する。《孝経章句》にいう、参・伐は市集と府廷でまた天尉である。巫咸がいう、参は権衡である。石申がいう、参・伐はまた「鐘龍」と名づく。
《天官書》曰:“參為白虎,三星直也,為衡;右下有三星,銳曰罰。”(晉灼曰:星邪列為銳。)為斬刈事,其外四星,左右扇股也。參一名伐,一曰大辰,一曰天市,一曰鈇鉞,又為天獄。”《彗星要占》曰:“參者,天之市也;伐者,天之都尉也;天之車騎也;與狼狐同精,天之候蜀也;主南夷戎之國,一曰晉地。”
《史記・天官書》にいう、参は白虎で三星が一直線に排成すればすなわち権衡である。右下方に別に三颗の星が斜列して「罰」と叫ばれる。原書小注が晋灼を引いていう、星が斜く排列するをすなわち「鋭」と叫ぶ。参は斬殺・刈除の事を主りその外囲の四颗の星は白虎の左右両側の肩と股である。参はまた「伐」と名づき一名「大辰」であり一名「天市」であり一名「鈇鉞」でありまた天獄である。《彗星要占》にいう、参は天上の市集で伐は天上の都尉でありまた天上の車騎である。それは天狼・野鶏の諸星と気を同じくして相応し上天が蜀の地に派往する哨望で南方の夷戎の国を主り一説では晋の地を主る。
《玉曆》曰:“參中央星,主命;左星,主左司馬;右星,主右司馬;左臂,主天門;右臂,主天獄。”《西官候》曰:“參左大星,左將軍也;右大星,右將軍也;中央三星,三將軍;又三小星,小將軍也;主胡、鮮卑、越野諸君王也,其星動搖,兵起。”《聖洽符》曰:“參者,白虎宿也;足入井中,名曰滔足,虎不得動,天下無兵;足出井外,虎得放逸,縱暴為害,天下兵起。”
《玉暦》にいう、参宿の中央の那颗の星は寿命を主り左辺の星は左司馬を主り右辺の星は右司馬を主る。左臂は天門を主り右臂は天獄を主る。《西官候》にいう、参宿の左辺の大星は左将軍で右辺の大星は右将軍で中央の三星は三位の将軍で別の三颗の小星は小将軍である。それらは胡人・鮮卑と越の地の曠野の中の各位の君王を主りこの星が揺動すればすなわち兵を起こさんとする。《聖洽符》にいう、参は白虎の宿である。虎足が井宿の中に伸入するを「滔足」と叫び虎が動弾を得ざれば天下は便ち戦事なし。虎足が井の外に伸出すれば虎が放縦を得て肆暴して害を為し天下にまさに兵を起こさんとする。
《命元苞》曰:“參主斬刈,所以行罰也;又主權衡,所以平理也;又主邊城九驛,故不欲其動也;參,白虎之體也;其星三列,三將也;東北星曰左肩,主左將軍;西北星曰右肩,主右將軍;東南星曰左足,主後將軍;西南星曰右足,主偏將軍。”
《命元苞》にいう、参は斬殺・刈除を主りもって刑罰を施行する。また権衡を主りもって持平・処断する。また辺城の九処の駅を主るゆえにそれが移動せざるを希望する。参は白虎の身体で三星が併列して三位の将領を象徴する。東北の那颗の星を左肩と叫び左将軍を主る。西北の那颗の星を右肩と叫び右将軍を主る。東南の那颗の星を左足と叫び後将軍を主る。西南の那颗の星を右足と叫び偏将軍を主る。
《黃帝占》曰:“參星,天右將軍也;天市石武,金性剛強,斬刈平時,參應七將;其中三星,列三將也;右肩右足,右將也,左肩左足,左將也;白虎性有怒,左足下有井星,動而陷之,以節其勢;凡七將明大,天下之兵精,衛帝有方,茂明、芒角又張,赤耀橫射,三軍駭動,帝自躬甲。”
《黄帝占》にいう、参星は天上の右将軍である。それは天市に属して性が堅石の如き武で金性が剛強で斬殺・刈除と時局の平定を主り参宿は七位の将領に対応する。その中に三星が併列して三位の主将を象徴する。右肩と右足は右将に属し左肩と左足は左将に属す。白虎の性情は怒ること易し左足の下方に井星を設け虎が一たび動けばすなわちその中に陥落してもってその気勢を節制する。およそ七将の星がみな明亮・碩大なれば天下の軍隊が精鋭で帝王を護衛するに方あり。若し光芒が過度に熾盛で芒角がまた張揚して開き赤色の光焰が横射すればすなわち三軍が驚動し帝王がまさに自ら甲を披いて陣に上がらんとする。
郗萌曰:“參為橫衡,不正,天下傾。”《百二十占》曰:“參為將軍,常以夏三月視參,兩足進前,兵起;若退卻,兵罷國寧;又視參兩星動搖,則兵起,子有憂;一曰蟲苗。”《易緯》曰:“參無頭,國分兵疆。”《聖洽符》曰:“參伐者,衣冠衡石,天子之師也。”《春秋緯》曰:“參伐滅絕,臣弒君,子弒父。”
郗萌がいう、参宿は横たわる秤衡で衡が端正ならざれば天下はまさに傾覆せんとする。《百二十占》にいう、参は将軍を象徴し常に夏季の三箇月に参宿を観察する。両足が前に進めば兵を起こすことを主る。若し後に退けば兵を罷め国家が安寧することを主る。また参宿の両星が揺動するを看ればすなわち兵を起こさんとし子嗣に憂患がある。別の一説では禾苗が虫を生ずるを主る。《易緯》にいう、参宿に頭なければ国家が分裂して兵力が逞強する。《聖洽符》にいう、参・伐は衣冠の礼制と権衡の法度を象徴し天子の軍隊である。《春秋緯》にいう、参・伐が熄滅・断絶するは臣下が君を弑し儿子が父を弑することを主る。
石氏曰:“參左足不入井中,兵大起,參星不欲動,動則兵起;其星不具,其軍亡地;星失其色,其軍散敗;蹉跌不常,王臣不忠,外其心。參中央星差南,胡人入塞;復正,胡人出。”
石申がいう、参宿の左足が井宿の中に伸入せざれば兵事が大いに起きる。参星は移動するに宜しからず一たび動けばすなわち兵を起こさんとする。諸星が残欠・不全なればその支の軍隊がまさに土地を喪失せんとする。星が本色を失すればその支の軍隊がまさに潰散・敗亡せんとする。星位が顛躓して常を失えば君王の臣子が不忠で心思が外に向かうことを主る。参宿の中央の星が南に偏すれば胡人が辺塞に入侵せんとする。正位に回復すれば胡人は便ち退出する。
郗萌曰:“參星移,名曰失天,客伐主人;明動者,兵軍大起;參兩肩外向而大者,兵外疆;其內向而大者,兵內疆。參左股亡,則東方、南方不可舉兵;右股亡,則西方、北方不可舉兵。參左足入玉井中,兵大起,天下大水;若其有喪,山石為怪。
郗萌がいう、参星が位を移すを「失天」と叫び客軍が主国を討伐することを主る。星が明亮にして移動すれば大軍が興起することを主る。参宿の両肩が外に向かって張開して変大すれば兵威が外に在って強盛である。内に向かって收攏して変大すれば兵威が内に在って強盛である。参宿の左股が隠没して見えざれば東方と南方は兵を用いるべからず。右股が隠没して見えざれば西方と北方は兵を用いるべからず。参宿の左足が玉井星の中に伸入すれば兵事が大いに起き天下に大水を発する。もしまた喪事を伴えば山石にもまた怪異が出現する。
參為天刑,主伐;星大,則兵起;進退迫居,及客番息,皆為刑急。參星明者,大將執勢,奪去威權,天下變易。參星不明,大將疾。參星離處,大將逐;就聚,大將誅戮。參中央星差北,胡人北。”《荊州占》曰:“參星芒角動搖,邊候有急,天下兵起。參肩細微,天下兵弱。”石氏曰:“參四足,有進者,將出;有退者,無功失勢;進者,謂移北也;退者,謂南也。”
参は上天の刑罰で征伐を主る。星が変大すればすなわち兵を起こさんとする。星が進退・逼近してその位に安からずおよび客星が傍らに滋生・繁息するはみな刑罰が急迫なるを主る。参星が明亮なれば大将が権勢を掌握し君主の威権を奪去し天下の政局が変更する。参星が明ならざれば大将に病がある。参星が本位を脱離すれば大将が放逐される。諸星が内に向かって挤聚すれば大将が誅戮に遭う。参宿の中央の星が北に偏すれば胡人が北に向かって退去する。《荊州占》にいう、参星の芒角が揺動すれば辺地の哨所に急情があり天下に兵を起こす。参宿の両肩が細弱・昏暗なれば天下の兵力が衰弱する。石申がいう、参宿の四足は前に進む者有れば将領が出征することを主り後に退ぐ者有れば功なくして勢を失することを主る。いわゆる「進」は北に移るを指しいわゆる「退」は南に移るを指す。
《春秋緯》曰:“伐有角,黃芒,天子滅。”《春秋緯》曰:“數世絕,則伐生角。”《合誠圖》曰:“伐有角,諸侯之寢排門閣。”甘氏曰:“參伐動者,有斬伐之事。”巫咸曰:“伐,水宮也。”郗萌曰:“參伐星明大,則斬刈行。伐三星去,疏則法令緩,數則法令急。伐三星不欲明,明與參等者,天下大臣皆謀去,其君是謂不理。伐星大,則兵起。”
《春秋緯》にいう、伐星が芒角を生出し黄色の光芒を泛出するは天子の滅亡を主る。《春秋緯》にまたいう、国祚が数世にして絶えれば伐星はすなわち角を生ぜんとする。《合誠図》にいう、伐星が角を生ずれば諸侯の寝宮にまさに人に門を推き闖入せられんとする。甘徳がいう、参・伐が移動すればすなわち斬伐・誅戮の事がある。巫咸がいう、伐は水官である。郗萌がいう、参・伐の星が明亮・碩大なれば斬殺の事はまさに施行せんとする。伐宿の三星の彼此の距離は疎なればすなわち法令が寛緩で密なればすなわち法令が急迫である。伐宿の三星は明亮するに宜しからずもし亮くして参星と相当なればすなわち天下の大臣がみな離去を図謀しその位の君主は国を治めること能わずと称すべし。伐星が変大すればすなわち兵を起こさんとする。
《百二十占》曰:“伐星移南,胡山塞;移北,胡山塞。”《石氏贊》曰:“參伐斬刈,陰氣孳,故置玉井,以給廚。參伐主斬刈,摧傷九州,合謀自敗失。”劉向《洪範傳》曰:“西方八十三度,今八十度。”
《百二十占》にいう、伐星が南に移れば胡の地の山塞に事あり。北に移れば胡の地の山塞は同じく事あり。《石氏賛》にいう、参・伐は斬殺・刈除を主り陰気がこれにより滋長するゆえに傍らに「玉井」の諸星を設けてもって庖厨に供給する。参・伐は斬殺・刈除を主り九州を摧折・傷損し善からぬを図謀すればすなわち自ら敗亡を取る。劉向《洪範伝》にいう、西方の七宿は合わせて八十三度で今測れば八十度である。
開元占経 巻六十三・南方七宿占四
東井占 一
石氏曰:“東井八星,鉞一星,三十三度。(古二十九度)度距北南轅西頭第一星先至,去極七十度。(在黃道外二度半)春夏為火,秋冬為水。(巫咸曰:東井,水星也。)日月五星行貫井,是中道;秦之分野。”《黃帝占》曰:“東井,天府法令也,天讒也,一名東陵,一名天井,一名東井,一名天關,一名天闕,一曰天之南門,三光之正道。
石申がいう、東井の八星は別に「鉞」の一星を附し本宿は三十三度を横に跨る。原書小注:古度は二十九度を作る。量度は南北の両轅の西端の第一星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること七十度である。原書小注:黄道以南の二度半に位する。東井は春夏は火に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、東井は水に属す。日月・五星が井宿を穿行・貫通するあれはすなわち中道である。東井の分野は秦国に在りすなわち今の陝西一帯である。《黄帝占》にいう、東井は天府の法令でありまた天上の讒口である。一名「東陵」であり一名「天井」であり一名「東井」であり一名「天関」であり一名「天闕」であり一説では上天の南門で日月・五星が運行する正道である。
行不出其中,為天下無道;三光行經其中,不得留守。東井主水,用法清平如水,王者心正,得天理;則井星正行位,主法制著明;左垣四星,四輔也;右垣四星,以輔赤帝;井中六星,主水衡;其星明大,水橫流。”
日月・五星の運行が若し井の中から通過せざれば天下に道なきの象である。三光が井の中を行経するもまた滞留・守候すべからず。東井は水を主り「法を用うるに清明・公平なること水の如し」の義を取る。君王が心地を端正にして天理に合すれば井星はすなわち運行・守位が端正で法度・制度が昭然として彰明することを主る。左辺の一列の四星は天子の四輔で右辺の一列の四星は南方の赤帝を輔佐する。井宿の中の六颗の星は水衡の官を主る。これらの星が若し明亮・碩大なれば大水が横流することを主る。
《孝經章句》曰:“東井為天渠。”巫咸曰:“東井為天亭、天候;又曰井鬼夏獄。”《廣雅》曰:“東井曰鶉首。”《玉曆》曰:“東井曰天齊。”齊伯曰:“東井、天渠也;主於員山,又為其國市。”何法盛《懸象說》曰:“井,女主之象也。”《百二十占》曰:“東井為天池。”《二十八宿山經》曰:“東井、輿鬼山,在秦火山南;井鬼星神,常居其上。”
《孝経章句》にいう、東井は天上の溝渠である。巫咸がいう、東井は天亭・天候である。またいう、井・鬼の両宿は夏季の刑獄である。《広雅》にいう、東井は「鶉首」と叫ぶ。《玉暦》にいう、東井は「天斉」と叫ぶ。斉伯がいう、東井はすなわち天渠で員山一帯を主りまたあの一方の市集である。何法盛《懸象説》にいう、井は女主の象徴である。《百二十占》にいう、東井は天池である。《二十八宿山経》にいう、東井山と輿鬼山は秦国の火山の南にあり井・鬼の両宿の星神は常年に山上に駐在する。
《聖洽符》曰:“井、鉞星大而明,斧鉞且用,兵起。”《易緯》曰:“鉞星明,主自逋,諸侯亂。”石氏曰:“東井墮,天下湧水。井、鉞去,則水滿。”甘氏曰:“用法平,王者心正,則井星明,行位直。鉞星明,則臣多犯罪者。”《海中占》曰:“井鉞一星,司淫奢;其星不欲明,明則斧鉞用,以斬伏誅之臣。”
《聖洽符》にいう、井宿と鉞星が碩大にして明亮なれば斧鉞の刑がまさに動用され兵事がまさに起きる。《易緯》にいう、鉞星が明亮なれば人が自ら逃亡し諸侯が乱を作すことを主る。石申がいう、東井星が墜落すれば天下に大水が涌出する。井星と鉞星が位を離れればすなわち水勢が瀰漫する。甘徳がいう、法を用うるに公平で君王が心地端正なれば井星はすなわち明亮で運行・守位が端直である。鉞星が明亮なれば臣子の中に罪を犯す者が多い。《海中占》にいう、井鉞のこの一颗の星は淫佚・奢靡の事を専司する。この星は明亮するに宜しからず明亮なればすなわち斧鉞が動用しもって法に伏し当に誅すべき臣子を斬殺する。
焦延壽曰:“天鉞星不與井齊,則大臣有斬者,以欲然也。”郗萌曰:“斧鑕用,王命興,輔佐出。”《石氏贊》曰:“東井,主水衡,以平時故;置鉞星,斬淫奢。東井八星,主水衡;井者像法,水法水平定,執性不淫,故主衡。”
焦延寿がいう、天鉞星が井宿と平斉せざれば大臣の中に斬殺される者があることを主るそれが既に躍躍として用いようと欲する勢いを露出せばこそである。郗萌がいう、斧鑕が動用すれば王命がこれに随いて興起し輔佐の臣が出て事に任ずる。《石氏賛》にいう、東井は水衡の官を主りその持平なる故を取る。傍らに鉞星を設けてもって淫佚・奢靡を斬除する。東井の八星は水衡を主る。「井」は法度に取象し水の法則は水平・安定で本性を執守して淫溢せざるゆえに権衡を主る。
輿鬼占 二
石氏曰:“輿鬼五星,四度。(古五度)度距西南先至,去極六十八度。(在黃道內太)春夏為火,秋冬為水。(巫咸曰:鬼,土星。)輿鬼南六尺,是中道。秦之分野。”郗萌曰:“弧射狼,誤中參左肩,輿尸於鬼;鬼之言歸也。”《南官候》曰:“輿鬼,一名天鈇鑕;一名天訟;主察奸,天目也。”
石申がいう、輿鬼は五颗の星から組成され四度を横に跨る。原書小注:古度は五度を作る。量度は西南の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること六十八度である。原書小注:黄道以北の稍多に位する。輿鬼は春夏は火に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、鬼は土に属す。輿鬼以南の六尺は日月・五星が運行する中道である。輿鬼の分野は秦国に在る。郗萌がいう、弧矢星が天狼を射て誤って参宿の左肩に中たり于是に尸首を鬼宿の上に載せた。「鬼」は「帰」の意思を取り人が死することを帰と叫ぶ。《南官候》にいう、輿鬼は一名「天鈇鑕」であり一名「天訟」であり姦邪を察覚することを主り上天の眼睛である。
《孝經章句》曰:“輿鬼為夏獄;又曰天金玉府也;又名天匱、天壙;其星明,則兵起而戰,不用節;無兵,兵雖在外,不戰。”《黃帝占》曰:“輿鬼南星,(石氏曰:南二尺一星。)積布帛;西星,(石氏曰:西二尺一星。)積金玉;北星,(石氏曰:北二尺一星。)積銖錢;東星,(石氏曰:東二尺一星。)積馬;中央星,積尸。”
《孝経章句》にいう、輿鬼は夏季の刑獄である。またいう、それは天上の金玉の府庫である。また名づけて「天匱」「天壙」という。この星が明亮なればまさに兵を起こして交戦し兵を用うるに節制なし。星が若し明ならざれば便ち兵事なくたとえ軍隊がすでに境外に在るもまた開戦せざらん。《黄帝占》にいう、輿鬼の南辺の星——原書小注が石申を引いていう、南面の二尺の処の那一颗を指す——布帛を積聚することを主る。西辺の星——小注:西面の二尺の処の那一颗——金玉を積聚することを主る。北辺の星——小注:北面の二尺の処の那一颗——銭財を積聚することを主る。東辺の星——小注:東面の二尺の処の那一颗——馬匹を積聚することを主る。中央の那一颗は積尸を主る。
石氏曰:“鬼東北一星,主積馬;東西一星,主積兵;西南一星,主積布帛;西北一星,主積金玉;此四星有變,則占其所主也;中央色白、如粉絮者,所謂積尸氣也;一曰天尸,故主死喪,主祠事也;一曰鈇鑕,故主法,主誅斬。”
石申がいう、鬼宿の東北の那颗の星は馬匹を積聚することを主り東西の那颗は兵器を積聚することを主り西南の那颗は布帛を積聚することを主り西北の那颗は金玉を積聚することを主る。この四颗の星に一旦変異あればすなわち各自の主る所の事に按じて推占する。中央の顔色が白を発し状が粉絮の如き那一団はすなわちいわゆる「積尸気」である。輿鬼は一名「天尸」でゆえに死喪を主りまた祭祀の事を主る。一名「鈇鑕」でゆえに刑法を主り誅戮・斬殺を主る。
郗萌曰:“輿鬼中者,為鑕;鬼星章明,人民更相請召,五穀熟成。”《玉曆》曰:“輿鬼為天尸,朱雀頸;中星如粉絮,鬼為疫害。”《南官候》曰:“輿鬼者,天廟;主神祭祀之事。其國,秦也;其木,楊也;其物,馬牛羊虎也。”
郗萌がいう、輿鬼の中央の那一団は「鑕」ですなわち腰斬に用いる砧板である。鬼星の光彩が顕明なれば百姓が互相に延請して往来し五穀が成熟する。《玉暦》にいう、輿鬼は天尸で朱雀の頸部に処る。中間の星が状が粉絮の如きの時は鬼宿はすなわち疫病が害を為すを主る。《南官候》にいう、輿鬼は天上の宗廟で神霊の祭祀の事を主る。対応する国は秦で配属する木は楊で配属する物産は馬・牛・羊・虎である。
郗萌曰:“輿鬼星明大,歲熟;不明,民大散;其星移徙,民大愁,政令急。輿鬼星皆動,其色瞳瞳,望之若有光,上賦斂重數,徭役繁多,萬民悲怨,不出五年,身死家亡,又曰見此災後,連年大水,秦國尤甚。輿鬼、質星,欲其忽忽不明;不明則安,明則兵起,斧鉞且用。”《石氏贊》曰:“輿鬼視明,察奸謀;故置五諸侯,以刺之。輿鬼五星,主視明;從陰視陽,不失精。”
郗萌がいう、輿鬼星が明亮・碩大なれば年成が豊熟する。明ならざれば百姓が大批に離散する。諸星が位を移せば百姓が大いに愁苦し政令が急迫である。輿鬼の諸星がみな動いており顔色が朦朧として朧々で望んで光あるが如くして分明ならざれば君上の賦斂が沈重にして頻繁で徭役が繁多で万民が悲憤・怨恨して五年を出でずまさに身死・家亡せんとすることを説明する。またいう、この種の災象が出現した後は連年に大水を発し秦の地が尤も厳重である。輿鬼と質星はみなそれらが隠約・昏暗なるを希望する。明ならざれば安寧し明亮なればすなわち兵を起こし斧鉞の刑がまさに動用せんとする。《石氏賛》にいう、輿鬼の視察は分明で姦謀を察知する能しゆえに傍らに「五諸侯」の諸星を設けて刺探する。輿鬼の五星は明察を主り暗処から明処を観察して精微の処を遺漏せざる。
柳占 三
石氏曰:“柳八星,十五度。(古十八度)度距西頭第三星先至,去極七十七度。(在黃道外十二度)春夏為水,秋冬為火。(巫咸曰:“柳,土星。)柳北六尺,是中道。”(周之分野)《南官候》曰:“柳,天府也,一名天相;一名天大將軍,天少府也;其國、狄也;其木、桑也;其物、羊豕也。”
石申がいう、柳宿は八颗の星から組成され十五度を横に跨る。原書小注:古度は十八度を作る。量度は西端の第三星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること七十七度である。原書小注:黄道以南の十二度に位する。柳宿は春夏は水に配し秋冬は火に配す。原書小注が巫咸を引いていう、柳は土に属す。柳宿以北の六尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:柳の分野は周の地に在りすなわち今の洛陽一帯である。《南官候》にいう、柳は天府で一名「天相」であり一名「天大将軍」でありまた天少府と叫ばれる。対応する国は狄で配属する木は桑で配属する物産は羊と猪である。
《爾雅》曰:“咮,謂之柳;柳、鶉火也;一曰注,音相近也。”《聖洽符》曰:“注者,木功也。”《孝經章句》曰:“柳,天庫也。”巫咸曰:“柳為木官,主工匠;又曰:柳為天庫。”《天官書》曰:“柳為鳥注,主草木。”齊伯曰:“柳者,生於道澤之山。為其國府庭也。”郗萌曰:“將有木功,則占於柳。”
《爾雅》にいう、「咮」はすなわち柳宿である。柳は十二次の中の鶉火に属す。また「注」と作る両字の読音が相近ければこそ。《聖洽符》にいう、注は木工の事を主る。《孝経章句》にいう、柳は天庫である。巫咸がいう、柳は木を掌る官で工匠を主る。またいう、柳は天庫である。《史記・天官書》にいう、柳は朱鳥の喙で草木を主る。斉伯がいう、柳宿の気は道沢の山に生じあの一方の府廷である。郗萌がいう、およそまさに木工の营造の事あらんとすればすなわち柳宿の上に到って推占する。
《二十八宿山經》曰:“柳山、七星山、張山;皆相連,在周嵩高山東北;柳、七星、張星神,常居其上。”《黃帝占》曰:“柳者,朱雀頸也;主卿相大臣之廚。凡八星,以防詐偽;其星欲明,明則大臣重鎮;以防不虞;其不明,王者失令,宮室不安。”《春秋緯》曰:“參、注滅絕,臣弒君,子弒父。”
《二十八宿山経》にいう、柳山・七星山・張山は彼此に相連なりみな周の地の嵩高山の東北に在り柳・七星・張の三宿の星神は常年に山上に駐在する。《黄帝占》にいう、柳は朱雀の脖頸で卿相の大臣の膳食を主る。合わせて八颗の星でもって詐欺・作偽を防範する。これらの星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち大臣が穏重に鎮守し意外の変に防備する能し星が若し明ならざれば君王の政令が失当で宮室が安寧を得ざる。《春秋緯》にいう、参宿と柳宿が熄滅・断絶するは臣下が君を弑し儿子が父を弑することを主る。
郗萌曰:“柳星位直,天下謀伐主;其星就聚,兵滿國;其星不明,德弊離;其星明,國安昌。注星明,廚養具。注舉首,王命興,輔佐良。”《石氏贊》曰:“柳主上食,和味滋;故置天稷,以祭祀。柳主上食,長養形仁以行恩,成其名。”
郗萌がいう、柳宿の諸星が直線に排成して正対すれば天下に人が図謀して君主を討伐する者あり。諸星が内に向かって挤聚すれば兵馬が国中に充満する。星が若し明ならざれば徳沢が衰败・離散する。星が若し明亮なれば国家が安定・昌盛する。柳星が明亮なれば庖厨の供養が斉備する。柳宿が首を昂げて上擧すれば王命が興起し輔佐の臣が賢良である。《石氏賛》にいう、柳は君王の膳食を進献することを主り滋味を調和するゆえに傍らに「天稷」の諸星を設けてもって祭祀に供する。柳は食を進むを主り万物を長養し仁徳の形を以て恩沢を施行しその名分を成就する。
七星占 四
石氏曰:“七星七度。(古十三度)度距中央大星先至,去極九十度。(在黃道外二十一度少)春夏為火,秋冬為水。(巫咸曰:七星,水星也)七星北十三度,是中道。”(周之分野)《黃帝占》曰:“七星,赤帝也;一名天庫,一名天御府。於午火隆,入中宮,德於上星;主衣裳、帝冠、被服、繡之屬。”
石申がいう、七星のこの一宿は七度を横に跨る。原書小注:古度は十三度を作る。量度は中央の那颗の大星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十度である。原書小注:黄道以南の二十一度稍弱に位する。七星は春夏は火に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、七星は水に属す。七星以北の十三度は日月・五星が運行する中道である。原書小注:七星の分野は周の地に在る。《黄帝占》にいう、七星は南方の赤帝に属し一名「天庫」であり一名「天御府」である。それは午位に当たり火気が隆盛で気が中宮に入り徳沢が上面の星に施される。衣裳・帝王の冠冕・服飾および刺繍の一類の事物を主る。
皇甫謐曰:“七星、一名延頸。”《南官候》曰:“七星,一名天員,天府也;主保葆旅之事。”《玉曆》曰:“七星,一名天河。”《百二十占》曰:“七星,為員官;一名津橋。”宋均曰:“注,候七星也。”《聖洽符》曰:“七星者,倍海也。”巫咸曰:“七星,為賜貨;又天廷。”《天官書》曰:“七星頸為天員官,主急事。”郗萌曰:“七星,為天帝守諸群盜賊。”《列宿占》曰:“七星,主兵。”
皇甫謐がいう、七星は一名「延頸」である。《南官候》にいう、七星は一名「天員」で天府で野生の草木・菜蔬を守護する事を主る。《玉暦》にいう、七星は一名「天河」である。《百二十占》にいう、七星は員官で一名「津橋」である。宋均がいう、いわゆる「注」は七星を候察する意思である。《聖洽符》にいう、七星は背海の地を主る。巫咸がいう、七星は財貨を賞賜することを主りまた天廷である。《史記・天官書》にいう、朱雀の頸はすなわち七星で天員官で緊急の事を主る。郗萌がいう、七星は天帝に替わって群盗・賊寇を看守する。《列宿占》にいう、七星は兵事を主る。
《黃帝占》曰:“七星正,主陽,朱雀心也;星主衣裳,鳥之翅也,以覆鳥身,以主衣裳也;其星欲明,明則王道大昌,君子家不穩,賢人不逃藏;其星不明,中輔逃亡,賢良不處,天下虛空;王者開四門,則七星光澤,天援綱紀。”
《黄帝占》にいう、七星は正位に居り陽気を主り朱雀の心である。この星は衣裳を主り鳥の翅膀の如くでもって鳥身を覆蓋し因而に衣裳を主る。これらの星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち王道が大いに昌盛し君子が家に安居せざるに安んぜずして仕に出るを願い賢人がもはや隠匿・逃避せざる。星が若し明ならざれば中枢の輔臣が逃亡し賢良の士が安処を得ず天下が空虚である。君王が四方の門を広く開き賢を招き諫を納れれば七星はすなわち光潤・沢あり上天もまた人間の綱紀を扶持する。
甘氏曰:“七星動者,兵起。”郗萌曰:“七星大,則麻熟成。七星明,執政者平;不明,天子疾。七星離,天下易政,家殊計。”《石氏贊》曰:“七星主衣裳,蓋身軀;故置軒轅裁制之。又曰德歸好,性信有成,故以衣裳屬七星。”
甘徳がいう、七星が移動すればまさに兵を起こさんとする。郗萌がいう、七星が変大すれば麻は便ち成熟する。七星が明亮なれば執政の人が事を処するに公平である。明ならざれば天子に疾病がある。七星が彼此に散開すれば天下が政令を変更し各家が各々打算を有して同心する能わざる。《石氏賛》にいう、七星は衣裳を主りもって身軀を遮蓋するゆえに傍らに「軒轅」の諸星を設けて裁剪・制作する。またいう、徳沢が美善に帰し性情が誠信にして成就あるゆえに衣裳の事を七星に帰属する。
張宿占 五
石氏曰:“張六星,十八度。(古十三度)度距應前第一星先至,去極九十七度。(在黃道外二十六度半)春夏為木,秋冬為水。(巫咸曰:張,水星也。)張北十三尺,是中道。”(周之分野)《南官候》曰:“張為天府也,一名御府,寶文王神之藏也,一名天王,被服也,一名天倡,其星明,即天子昌。”
石申がいう、張宿は六颗の星から組成され十八度を横に跨る。原書小注:古度は十三度を作る。量度は応前の第一星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十七度である。原書小注:黄道以南の二十六度半に位する。張宿は春夏は木に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、張は水に属す。張宿以北の十三尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:張の分野は周の地に在る。《南官候》にいう、張は天府で一名「御府」で珍宝・典籍と王者の神明が貯蔵する処である。一名「天王」で服飾を主る。一名「天倡」である。この星が明亮なれば天子はすなわち昌盛する。
齊伯曰:“張者,生於江水之山,為天庫;一曰生於道釋之山,為周庫;又為都官。”《黃帝占》曰:“張,天府也,朱雀嗉也;主帝之珠玉寶,宗廟所用,天王內官衣服;其輔帝中宮內,張外翼以衛帝宮。”《聖洽符》曰:“張者,主酒食。”
斉伯がいう、張宿の気は江水の山に生じ天庫である。別の一説では道釈の山に生じ周の地の府庫でまた都官である。《黄帝占》にいう、張は天府で朱雀の嗉嚢の部位に処り帝王の珠玉・珍宝・宗廟に用いる礼器および天王の内官の衣服を主る。それは内に在っては帝座が居る所の中宮を輔佐し外に在ってはすなわち翅翼を張開してもって帝宮を護衛する。《聖洽符》にいう、張は酒食を主る。
《孝經章句》曰:“張為天相,王者珍寶物,宗廟所用;其西四星,四輔也;帝宮內翼、外張;以匡帝宮。”《天官書》曰:“張嗉為廚,主觴客。”《南官候》曰:“張者為廚,主觴客之事;其木,梧桐;其物,粟,雞、狗、羊皮;其國,周也。”《列宿說》曰:“張主賞與;星動者,有賞與之事。”
《孝経章句》にいう、張は天相で君王の珍宝・器物と宗廟に用いる物を主る。その西辺の四颗の星は四輔である。帝宮の内に翼宿あり外に張宿ありもって帝宮を匡護する。《史記・天官書》にいう、朱雀の嗉嚢はすなわち張宿で庖厨で宴で宴飲・賓客を主る。《南官候》にいう、張は庖厨で宴飲・賓客の事を主る。配属する木は梧桐で配属する物産は粟および鶏・狗と羊皮である。対応する国は周である。《列宿説》にいう、張は賞賜・給与を主る。この星が移動すればすなわち賞賜の事がある。
《黃帝占》曰:“張星明大,則王者行五禮,得天下之中;其不明,修禮退金官,以木官代之,則星光明。”《海中占》曰:“張星不明,王者少子孫。”郗萌曰:“張星明大,則廚養具;若張星不明,多病者、移徙者;天下有逆民就聚者;有兵。”《石氏贊》曰:“張主賜客;賓主嬉,故近(一本雲故置之)少微,禮義時。張主長養,位盛陽;人君向治,統綱紀。”
《黄帝占》にいう、張星が明亮・碩大なれば君王が吉・凶・軍・賓・嘉の五礼を施行し天下の中正を得る。星が若し明ならざればまさに礼制を修明し金に属する官を罷退し木に属する官に改用すべく星は便ち再び光明を放たんとする。《海中占》にいう、張星が明ならざれば君王の子孫が稀少である。郗萌がいう、張星が明亮・碩大なれば庖厨の供養が斉備する。若し張星が明ならざればすなわち病人が多く遷徙する人が多く天下に叛民が聚集しさらに兵事があらん。《石氏賛》にいう、張は賓客に宴を賜うことを主り賓主が歓洽するゆえに「少微」の諸星に靠近する——原書小注:一本は「故置之」と作る——礼義を時宜に合わしむ。張は生長・養育を主り位は陽気の極盛の処に当たる。人君はこれにより治平に趨り綱紀を総攬する。
翼宿占 六
石氏曰:“翼二十二星,十八度。(古十三度)度距中央西星先至,去極九十九度。(在黃道外二十度半)春夏為金,秋冬為土。(巫咸曰:翼,金星也)翼北十二尺,是中道。”(楚之分野)《南官候》曰:“翼主天昌,五樂八佾也;一名化宮;一名天都市;一名天徐,以和五音。”
石申がいう、翼宿は二十二颗の星から組成され十八度を横に跨る。原書小注:古度は十三度を作る。量度は中央の西に偏する那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十九度である。原書小注:黄道以南の二十度半に位する。翼宿は春夏は金に配し秋冬は土に配す。原書小注が巫咸を引いていう、翼は金に属す。翼宿以北の十二尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:翼の分野は楚国に在る。《南官候》にいう、翼は天下の昌盛を主り五種の楽舞と天子の八佾の舞を象徴する。一名「化宮」であり一名「天都市」であり一名「天徐」でありもって五音を調和する。
石氏曰:“翼,天樂府也,主輔;翼以衛太微宮。法九州之位。入為將士相,繩直有例;內外小星四十六,官各隨其度,小臣之象也。”《聖洽符》曰:“翼者,賓客也。”《孝經章句》曰:“翼者,市也。”《百二十占》曰:“翼為天倡,倍海也,天旗天都也,其國,楚;其木,茱萸也;其物轅干也,奴婢、毛羽、節器也。”
石申がいう、翼は天上の楽府で輔佐の職を主りもって太微宮を護衛しその布列は九州の方位に取法する。朝廷に列入すればすなわち将・士・相と為り縄墨の如く端直にして条例あり。宿内・宿外に合わせて四十六颗の小星があり各官が居る所の度次に依って排列し小臣の象徴である。《聖洽符》にいう、翼は賓客を主る。《孝経章句》にいう、翼は市集である。《百二十占》にいう、翼は天倡で背海の地を主りまた天旗・天都でもある。対応する国は楚で配属する木は茱萸で配属する物産は車轅の木杆および奴婢・毛羽と符節の器物である。
《黃帝占》曰:“翼和五音,調笙律;五輔,以衛太微宮,九州之位;入為宰相,其星明,則帝德明;王者納賢徵聖,有進言之慶;禮樂大興,天下和平;其星不明,天子有憂,將有負海之客,禮樂不和,律呂不調。”
《黄帝占》にいう、翼は五音を調和し笙管の音律を校正する。それは五輔の一と為り太微宮を護衛し布列は九州の方位に合する。朝に入ればすなわち宰相と為る。この星が明亮なれば帝王の徳行はすなわち昭明する。君王が賢才を延納し聖哲を徴召すれば臣下が進言・献策する喜慶があり礼楽が大いに興盛し天下が和平する。星が若し明ならざれば天子に憂患がありまさに海浜の遠方からの客人があり礼楽が和を失し十二律呂が調諧する能わざらん。
巫咸曰:“翼,天羽翼,又為負海。”《天官書》曰:“翼為羽翮,主遠客。”《二十八宿山經》曰:“翼山、軫山相連,在楚門山中央最高,翼、軫星神,常居其上。”郗萌曰:“將有負海之事,則占於翼也。”《列宿說》曰:“翼主蠻夷,其星動,則蠻夷來見天子者。”
巫咸がいう、翼は天上の羽翼でまた背海の地を主る。《史記・天官書》にいう、翼は鳥の羽翮で遠方の来客を主る。《二十八宿山経》にいう、翼山と軫山は彼此に相連なり楚国の門山の中部に在り地勢が最も高く翼・軫の両宿の星神は常年に山上に駐在する。郗萌がいう、およそまさに浜海の遠方の事あらんとすればすなわち翼宿の上に到って推占する。《列宿説》にいう、翼は四方の蛮夷を主りこの星が移動すればすなわち蛮夷が前来して天子を朝見する。
《黃帝占》曰:“翼星光芒明,帝臣群聖,三王清徹,聖賢有期,集會之慶,禮樂大興,天下和平。”郗萌曰:“翼明大,則四夷賓服,翼星從天子;舉兵征伐,其星就聚,天下相伐;其星明,旗用,其星不明,天下無憂。”《石氏贊》曰:“翼主天倡;以戲娛,故近太微,並尊嬉。翼二十二星,主天倡,建旗秉節,物滿張。”
《黄帝占》にいう、翼星の光芒が明亮なれば帝王の臣子の群賢が畢集し三王の道が清明・通徹し聖賢が期に応じて出で会聚の喜慶があり礼楽が大いに興盛し天下が和平する。郗萌がいう、翼星が明亮・碩大なれば四方の夷人が賓服し翼星が天子に随従して師を出して征伐する。諸星が内に向かって挤聚すれば天下が互相に攻伐する。星が明なれば旌旗がまさに動用せんとする。星が明ならざれば天下は便ち憂患なし。《石氏賛》にいう、翼は天倡を主り歌舞の娯楽を事と為すゆえに太微垣に靠近し一同に尊貴の歓娯を承接する。翼宿の二十二星は天倡を主り旌旗を樹起し符節を執掌し万物が充盈・張揚する。
軫宿占 七
石氏曰:“軫四星,長沙一星,轄二星,十七度。(古十六度)度距西北星先至,去極九十九度。(在黃道外十五度少)春夏為木,秋冬為土。(巫咸曰:軫,金星也。)軫北十三尺,是中道。”(楚之分野)《南官候》曰:“軫,一名天志,主風、死喪;東小星,轄;西小星,轄膏;軫同合,邊兵起;膏去軫二尺,所進近軫,名為天膏;轄者,車騎發,膏轄反;故車騎罷,遠兵息。”
石申がいう、軫宿の四星は別に長沙の一星・轄の二星を附し本宿は十七度を横に跨る。原書小注:古度は十六度を作る。量度は西北の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十九度である。原書小注:黄道以南の十五度稍弱に位する。軫宿は春夏は木に配し秋冬は土に配す。原書小注が巫咸を引いていう、軫は金に属す。軫宿以北の十三尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:軫の分野は楚国に在る。《南官候》にいう、軫は一名「天志」で風を主り死喪を主る。東辺の小星を「轄」と叫びすなわち車軸の頭の銷釘である。西辺の小星を「轄膏」と叫びすなわち車軸の上の潤滑の油である。轄と軫が一処に合すれば辺地にまさに兵を起こさんとする。膏星が軫を距ること二尺で若し前移して軫宿に靠近すればすなわち「天膏」と叫ぶ。轄星が顕現すれば車騎が出動する。膏と轄が各々原処に返回すれば車騎は便ち兵を収め遠方の戦事が平息する。
《聖洽符》曰:“軫者,車事也。”《孝經章句》曰:“軫、府廷也;車也。”巫咸曰:“軫,天庫;楚國星也;會稽也;軫,天子政朝也。”《南官候》曰:“軫者,天員府也;其國楚也;漢江荊湘衡也;其木、松柏弓;其物、青枲帛也。”齊伯曰:“軫者,生於蒙山,長為楚之國,為府廷。”《黃帝占》曰:“軫,主察凶災,冢宰之臣;四輔也。”《天官書》曰:“軫主風。”
《聖洽符》にいう、軫は車馬の事を主る。《孝経章句》にいう、軫は府廷でありまた車である。巫咸がいう、軫は天庫で楚国の星でまた会稽に応ずる。軫はまた天子が政を聴く朝堂である。《南官候》にいう、軫は天員府である。対応する国は楚で兼ねて漢水・長江・荊州・湘水・衡山一帯に及ぶ。配属する木は松柏と弓材で配属する物産は青麻と布帛である。斉伯がいう、軫宿の気は蒙山に生じ長成して楚国の星と為り楚の地の府廷である。《黄帝占》にいう、軫は凶災を察知することを主り冢宰の臣でありまた四輔である。《史記・天官書》にいう、軫は風を主る。
《黃帝》曰:“軫者,以候王者壽命,故置長沙一星,主延期;轄二星,主侯王;左轄為同姓;右轄為異姓;長沙、轄星欲明,明則壽命長,天下不亡也;細微,亡;不見七日,其位王侯當之。”《天官書》曰:“長沙星不欲明,明與四星等若五星,入軫中;兵大起。”
《黄帝占》にいう、軫宿はもって君王の寿命を候察するゆえに傍らに長沙の一星を設けて寿数を延長することを主る。轄の二星は諸侯王を主り左轄は同姓の諸侯を代表し右轄は異姓の諸侯を代表する。長沙と轄星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち寿命が長久で天下が覆亡に至らざる。星が若し細弱なれば死亡を主る。連続して七日見えざればすなわち王侯の身に応ずる。《史記・天官書》にいう、長沙星は明亮するに宜しからずもし亮くして軫宿の四星と相当し五颗の星が一同に軫宿の中に入るが如くなればまさに兵事が大いに起きんとする。
郗萌曰:“軫北小星,去軫數寸者,轄也;轄明,與四星等,若轄進退,兵大起,軫南小星,去軫二尺者,膏也;轄進膏博軫,是謂天亡,膏三日,車騎發;轄膏各反其處,車騎罷;有兵而轄遠軫者,兵罷。”《百二十占》曰:“軫為天車,車失轄,則傾。”
郗萌がいう、軫宿の北面の那颗の小星で軫を距ること数寸のはすなわち轄である。轄星が明亮して四星と相当するかあるいは轄星が進退・位を移すかはみな兵事が大いに起きることを主る。軫宿の南面の那颗の小星で軫を距ること二尺のはすなわち膏である。轄星が前進し膏星が軫宿に迫近するこれを「天亡」と叫び膏星がこのよう三日なれば車騎はまさに出動せんとする。轄と膏が各々本位に退回すれば車騎は便ち兵を収める。すでに戦事ありて轄星が軫宿に遠離すればすなわち兵事が罷息する。《百二十占》にいう、軫は天上の車で車が轄銷を失せばまさに傾覆せんとする。
郗萌曰:“軫星明大,則車駕備。軫星及長沙星明,天子內佐親強。軫星移徙,天子憂謀兵;其星就聚,兵大起。軫星流,不正,又無一星,如車無轄,國主憂。將有軍出入,則占於軫。軫轄舉,南蠻侵。”《列宿說》曰:“轄星動,車騎用。”石氏曰:“轄二星,不欲明,明則轁;車行罔,轄欲進,相去七寸;相去一尺以外皆凶。”
郗萌がいう、軫星が明亮・碩大なれば車駕が斉備する。軫星と長沙星がみな明亮なれば天子の内廷の輔佐が親近にして強固である。軫星が位を移せば天子が兵を用いる謀を憂う。諸星が内に向かって挤聚すれば兵事が大いに起きる。軫星が流散して正ならずまた一颗の星を缺けば車に轄銷なきが如く国君に憂患あり。およそまさに軍隊が出入あらんとすればすなわち軫宿の上に到って推占する。軫宿の轄星が上擧すれば南方の蛮族が入侵する。《列宿説》にいう、轄星が移動すれば車騎はまさに動用せんとする。石申がいう、轄の二星は明亮するに宜しからず明亮なればすなわち車軸が滞渋し車行が受阻する。轄星は稍稍前進するに宜しく軫と相距ること七寸を以て好しと為し相距ること一尺以外はみな凶象である。
郗萌曰:“軫星明,兵大起。”《百二十占》曰:“轄星動搖三月,車馬大凶。”《黃帝占》曰:“長沙明,則主壽長。”《洛書》曰:“長沙明,下大臣逆謀,兵乃生。”《春秋緯》曰:“長沙左轄中星,不欲明;明與四星等,兵大起。”石氏曰:“長沙星明,王者保慶,子孫昌。”巫咸曰:“長沙明,天子壽豐。”
郗萌がいう、軫星が明亮なれば兵事が大いに起きる。《百二十占》にいう、轄星が連続して三箇月揺動すれば車馬が大凶である。《黄帝占》にいう、長沙星が明亮なれば君王の寿命が長久なるを主る。《洛書》にいう、長沙星が明亮なれば下面の大臣に叛逆の謀があり兵禍がこれに随いて生ずる。《春秋緯》にいう、長沙と左轄の当中の星は明亮するに宜しからずもし亮くして軫宿の四星と相当なれば兵事が大いに起きる。石申がいう、長沙星が明亮なれば君王が福慶を安享し子孫が昌盛する。巫咸がいう、長沙星が明亮なれば天子の寿数が豊厚である。
石氏曰:“軫,主死喪,知凶災;故設長沙,以延期。”石氏曰:“軫四星,主死喪,建時立節,威嚴莊,春王小終,季夏殃。”巫咸曰:“長沙,木官也。長沙一星,主囚亡。”《洪範傳》曰:“南方一百七度。今一百十二度。”
石申がいう、軫は死喪を主り凶災を察知する能しゆえに傍らに長沙の一星を設けてもって寿期を延續する。石申がまたいう、軫宿の四星は死喪を主り時令・節度を確立し威儀が厳整・荘重である。春季は王気と為るも略々終尽を見て季夏に到ればすなわち災殃がある。巫咸がいう、長沙は木官である。長沙の一星は囚繫と逃亡の事を主る。《洪範伝》にいう、南方の七宿は合わせて百七度で今測れば百十二度である。
開元占経 巻六十四・分野略例
宿次分野 一
角、亢,鄭之分野,自軫十二度至氐四度,於辰在辰,為壽星。三月之時,萬物始達於地,春氣布養萬物,各盡於其天性,不罹天天,故曰壽星。(《爾雅》曰:“壽星,角亢也。鄭玄《注月令》曰:“仲秋者,日月會於壽星,一名庫營。”皇甫謐曰:“壽星,一名天庫,一名天翼,一名天正。”《天官書》曰:“角亢氐兗州。”《淮南子》曰:“角亢,鄭也。”費直《周易分野》曰:“自軫七度至氐十一度,為壽星。”蔡伯喈《月令章句》曰:“自軫六度至亢八度,謂之壽星之次,鄭之分野,曰鄭星,得角亢也。”)
角・亢の二宿は鄭国の分野で、轄する天区は軫宿十二度から氐宿四度まで、十二辰では辰の位に配され、「寿星」の次と呼ばれる。三月の時節、万物は地を破って芽生え始め、春気が布散して万物を養い、それぞれが生まれつきの性分を尽くして夭折の害に遭わないので「寿星」と呼ぶ——原文は「不罹天天」で、後の「天」の字は「夭」に当たる。原書小注:《爾雅》にいう、寿星とは角・亢である。鄭玄の《月令》注にいう、仲秋に日月が寿星で会し、一に「庫営」ともいう。皇甫謐はいう、寿星は一に「天庫」、一に「天翼」、一に「天正」ともいう。《天官書》にいう、角・亢・氐は兗州に対応する。《淮南子》にいう、角・亢は鄭である。費直の《周易分野》にいう、軫宿七度から氐宿十一度までを寿星とする。蔡邕の《月令章句》にいう、軫宿六度から亢宿八度までを寿星の次といい、鄭国の分野で、鄭星と称して角・亢の二宿を得たものである。
穎川之文城、定陵、襄城、隸陽、穎陰、長社、陽曜、郟,(八縣,穎川郡,秦置。)東接汝南,西接弘農,特得新安、宜陽,(二縣屬弘農郡,漢武帝置。)皆韓之分野。(《韓世家》曰:韓氏,姬之苗裔也,韓武子事晉,得封於韓也。)《詩風》陳鄭之國,與韓同星分也。(《陳世家》曰:陳本太昊之虛也,周武王克殷,求舜後,得媯滿封之於陳,以奉舜祀,為胡公,淮陽國之陳縣,則其地也。)
潁川郡の文城・定陵・襄城・隷陽・潁陰・長社・陽曜・郟——原書小注:この八県は潁川郡に属し、秦が置いた——東は汝南に接し、西は弘農に接し、さらに新安・宜陽を兼ねる——小注:この二県は弘農郡に属し、漢の武帝が置いた——いずれも韓国の分野である。原書小注:《史記・韓世家》にいう、韓氏は姫姓の末裔で、韓武子が晋に仕えて韓に封じられた。《詩経》国風の陳・鄭の二国は、韓国と同じ星野に属する。原書小注:《陳世家》にいう、陳はもと太昊氏の旧墟である。周の武王が殷を滅ぼした後、舜の後裔を尋ね求め、嬀満を得て陳の地に封じて舜の祭祀を奉じさせた。これが胡公である。漢代の淮陽国の陳県がその地である。
鄭國,今河南之新鄭是也,(新鄭縣也,河南郡,秦三川郡也,漢高帝改名焉。)本高辛氏之火正,祝融之虛,(重黎為帝營高辛氏居太正,甚有功,能光融天下,帝營命曰祝融,祝大也,融明也。)及成皋、滎陽,(二縣也,屬河南郡戶也。)穎川之嵩陽城,(二縣也)皆鄭之分也。(《鄭世家》曰:周宣王封庶弟友于鄭,是為桓公也。)屬兗州。(《尚書禹貢》曰:齊河惟兗州,《周官》曰:河東曰兗州,《未央分野》曰:鄭治穎川,從滎陽南至梁山,東至龍山,今為穎川。)
鄭国は今日の河南の新鄭である——原書小注:すなわち新鄭県で、河南郡に属する。河南郡はもと秦の三川郡で、漢の高帝が改めて名づけた——そこはもともと高辛氏の火正の旧地、祝融の故墟である。原書小注:重黎が帝嚳高辛氏のもとで火正を務め、功績が大きく、天下に明るく融和を及ぼすことができたので、帝嚳は「祝融」の名を賜った。「祝」は大、「融」は明である——文中の二箇所の「帝営」はいずれも「帝嚳」に当たる。また成皋・滎陽——小注:この二県は河南郡に属する——および潁川の嵩陽・城——小注は二県とするが、おそらく嵩高・陽城の二県で、伝写に脱誤がある——もいずれも鄭国の分野である。原書小注:《鄭世家》にいう、周の宣王が庶弟の友を鄭に封じた。これが鄭桓公である。この一帯は州域では兗州に属する。原書小注:《尚書・禹貢》にいう、済水と黄河の間が兗州である。《周官》にいう、黄河の東を兗州という。《未央分野》にいう、鄭国の治所は潁川にあり、滎陽から南は梁山まで、東は龍山まで、現在は潁川に属する。
氐、房、心,宋之分野;自氐五度至尾九度;於辰在卯,為大火;東方為木,心星在卯,火出木心,故曰大火。(《爾雅》曰:大辰,房心尾也,大火謂之辰也。《語》曰:參辰,亦曰參商,謂參星與心星也,已釋於魏次注中。鄭玄注《禮記月令》曰:季秋者,曰月會於大火,斗建戍之辰也。《周禮》曰:大火一名味;一名天馬。皇甫謐曰:大火一名天相;一名天府。《天官書》曰:房心豫州。《淮南子》曰:氐房心,宋也。費直曰:自氐十一度至尾八度,為大火。蔡氏曰:自亢八度至尾四度謂之大火之次。《未央分野》曰:家星得房心,今為梁也。)
氐・房・心の三宿は宋国の分野で、轄する天区は氐宿五度から尾宿九度まで、十二辰では卯の位に配され、「大火」と呼ばれる。東方は木に属し、心星がちょうど卯の位に当たり、火は木の心から生じるので「大火」と呼ぶ。原書小注:《爾雅》にいう、大辰とは房・心・尾で、大火を辰ともいう。俗にいう「参辰」は「参商」ともいい、参星と心星を指し、魏地の星次の注文ですでに解釈した。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、季秋に日月が大火で会し、斗柄が戌を指す月である。《周礼》にいう、大火は一に「味」、一に「天馬」ともいう。皇甫謐はいう、大火は一に「天相」、一に「天府」ともいう。《天官書》にいう、房・心は豫州に対応する。《淮南子》にいう、氐・房・心は宋に属す。費直はいう、氐宿十一度から尾宿八度までを大火とする。蔡邕はいう、亢宿八度から尾宿四度までを大火の次という。《未央分野》にいう、家星は房・心を占め、現在は梁の地に属する。
梁(泰碭郡,漢高帝改為梁國也。)楚(漢高帝置楚周,宣帝以為彭城郡也。)山陽郡(漢景帝分梁國置。)東平(漢景帝分梁國置濟東國,宣帝改為東平國也。)濟陰(漢景帝分梁國為濟陰國。)東郡之須昌、壽張,(二縣也,壽張本名壽良,漢光武避叔諱,改為壽張也。)
この分野に属する郡国には、梁——原書小注:もと秦の碭郡で、漢の高帝が改めて梁国とした——、楚——小注:漢の高帝が楚国を設置し、漢の宣帝が彭城郡と改めた——、山陽郡——小注:漢の景帝が梁国から分けて設置した——、東平——小注:漢の景帝が梁国から分けて済東国とし、宣帝が東平国と改称した——、済陰——小注:漢の景帝が梁国を分けて済陰国とした——があり、さらに東郡の須昌・寿張の二県——小注:寿張はもとの名を寿良といい、漢の光武帝が叔父の名を避けて寿張と改称した——がある。
皆宋之分野。周分微子於宋,今之睢陽是也。(睢陽縣屬梁國,周成王封紂庶兄微子於宋,以奉殷祀。)本陶唐火正閼伯之虛也。(閼伯、高辛氏之長子也,居商丘也。)濟陰定陶(定陶縣也,屬濟陰國。)《詩風》曹國是也。(周武王封弟叔振鐸於曹,定陶縣是也。)屬豫州。(《尚書禹貢》荊河惟豫州,《周官》河南曰豫州,《未央分野》曰:宋治下蔡、淮陽、從南恆至濟、漢水、沛郡、濟陽、太行、東海,今為梁也。)
以上の各地はいずれも宋国の分野に属する。周が微子を宋に分封した。すなわち今日の睢陽一帯である。(原書小注:睢陽県は梁国に隷属する。周の成王が商の紂王の庶兄である微子を宋の地に封じて、殷商の宗廟の祭祀を承奉させた。)ここはもともと陶唐氏の時代に火を掌る官であった閼伯が居した故墟である。(原書小注:閼伯は高辛氏帝嚳の長男で、商丘に住んでいた。)済陰郡の定陶(原書小注:定陶は県名で、済陰国に隷属する。)は、《詩経・国風》にいう曹国である。(原書小注:周の武王が弟の叔振鐸を曹国に封じた。すなわち定陶県一帯である。)この一帯は九州では豫州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「荆河惟豫州」、《周官》にいう、黄河の南を豫州という。《未央分野》にいう、宋国は下蔡・淮陽を統轄し、南恒から済水・漢水まで、および沛郡・済陽・太行・東海一帯に及び、現在は梁の地である。)
尾、箕,燕之分野;自尾十度至南斗十一度,於辰在寅,為析木。尾東方木宿之末;斗、北方水宿之初;次在其間,隔別水木,故曰析木。(《爾雅》曰:析木謂之津、箕斗之間、漢津也。鄭玄注《月令》曰:孟冬者,日月會於析木,而斗建,亥之辰也。《周禮》曰:析木之津,一名天昭,一名漢津。皇甫謐曰:析木,一名天丞相;一名天司空,一名天家子;一名天津。《天宮書》曰:尾箕,幽州。《淮南子》曰:尾箕,燕也。費直曰:自尾九度至南斗九度,為析木之津。蔡氏曰:自尾四度至南斗六度,謂之析木之次。《未央》曰:燕星得尾箕也。)
尾宿・箕宿は燕国の分野である。尾宿十度から南斗十一度までのこの天区は、十二辰では「寅」に配され、星次を「析木」という。尾宿は東方の木性の星宿の末尾であり、南斗は北方の水性の星宿の初めであり、析木という星次はちょうど両者の中間に挟まって、水・木の二類の星宿を隔てているので「析木」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、析木はまた「津」ともいい、箕宿と斗宿の間にあり、天漢の渡しである。鄭玄の《月令》注にいう、孟冬十月に日月が析木で会し、斗柄は亥の位を指す。《周礼》にいう、析木の津は一に「天昭」、一に「漢津」ともいう。皇甫謐はいう、析木は一に「天丞相」、一に「天司空」、一に「天家子」、一に「天津」ともいう。《天官書》にいう、尾・箕は幽州に対応する。《淮南子》にいう、尾・箕は燕に属す。費直はいう、尾宿九度から南斗九度までが析木の津である。蔡邕はいう、尾宿四度から南斗六度までを析木の次という。《未央》にいう、燕国の分星は尾宿・箕宿である。)
周武王定殷,封召公於燕;其後三十六世,與六國並稱王。(王易王也)東有漁陽,右北平,遼東,遼西;西有上谷,代郡,(六郡、並秦置。)雁門,(郡,秦置。)南得涿郡之易、容城,范陽、北新城,故涿縣良鄉、新昌。(八縣也,涿郡秦置。)勃海之安次,(安次,縣也,勃海漢高帝置。)皆燕之分也,屬幽州。(周分翼州、置幽州。《周官》曰:東北曰幽州。《爾雅》曰:燕,幽州,《未央》曰:幽州治薊,南至積石,東至恆山,今為上谷,漁陽,右北平,遼東、遼西,涿郡也。)
周の武王が殷商を平定した後、召公を燕の地に分封した。その後三十六代を伝え、燕国は残りの六国とともに王号を僭称した。(原書小注:ここでいう「王」とは王と称することである。)燕国の東には漁陽・右北平・遼東・遼西があり、西には上谷・代郡(原書小注:以上の六郡はいずれも秦が設置した。)、雁門(原書小注:雁門は郡で、秦が設置した。)があり、南には涿郡の易県・容城・范陽・北新城、および旧涿県・良鄉・新昌(原書小注:全部で八県。涿郡は秦が設置した。)を得て、さらに勃海郡の安次(原書小注:安次は県名。勃海郡は漢の高帝が置いた。)がある。これらの地はいずれも燕国の分野に属し、九州では幽州に隷属する。(原書小注:周が冀州の地を分けて幽州を設けた。《周官》にいう、東北の方を幽州という。《爾雅》にいう、燕の地が幽州である。《未央》にいう、幽州の治所は薊にあり、南は積石まで、東は恒山まで、現在は上谷・漁陽・右北平・遼東・遼西・涿郡一帯である。)
南斗牽牛,吳越之分野;自南斗十二度至須女七度,於辰在世,為星紀;星紀者,言其統紀萬物,十二月之位,萬物之所終始,故曰星紀也。(《爾雅》曰:星紀,斗、牽牛也。鄭玄注《月令》曰:仲冬者,日月會於星紀,建子之辰也。皇甫謐《年曆》曰:星紀,一名天津;一名天府;一名天苟;一名天雞。《天官書》曰:斗,江湖,牽牛,婺女,柳州。《淮南子》曰:斗,吳越也,高誘注《呂氏春秋》曰:斗、吳也,牛、越也。費直曰:自南斗十度、至須女五度,為星紀。蔡氏《月令章句》曰:自南斗六度至須女二度,謂之星紀之次。《未央》曰:吳越星、得牛斗。)
南斗宿・牽牛宿は呉・越両国の分野である。南斗十二度から須女七度までのこの天区は、十二辰では「丑」の位に当たり(底本は「世」としており、「丑」の字の誤りであろう)、星次を「星紀」という。「星紀」とは、万物の紀綱を総べ統べ、十二月の方位にあり、万物が終わりまた始まるところなので「星紀」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、星紀とは斗宿と牽牛宿である。鄭玄の《月令》注にいう、仲冬十一月に日月が星紀で会し、斗柄は子の位を指す。皇甫謐の《年暦》にいう、星紀は一に「天津」、一に「天府」、一に「天苟」、一に「天鶏」ともいう。《天官書》にいう、斗宿は江湖を主り、牽牛・婺女は揚州に対応する(底本は「柳州」と誤る)。《淮南子》にいう、斗宿は呉越に属す。高誘の《呂氏春秋》注にいう、斗宿は呉に属し、牛宿は越に属す。費直はいう、南斗十度から須女五度までが星紀である。蔡邕の《月令章句》にいう、南斗六度から須女二度までを星紀の次という。《未央》にいう、呉越の分星は牛宿・斗宿である。)
今之會稽、九江、(二郡,秦置。)丹陽、(秦為漳郡、漢武改為丹陽。)豫章、(漢高帝置)廬江、(漢文帝分淮南置)廣陵、六安、(漢武帝改江都國為廣陵國,分衡山,立六安國也。)臨淮、(郡、漢武帝置也。)皆吳之分也。(《史記、吳世家》曰:吳太伯、周太王之長子也。與弟仲雍讓國於季,乃奔荊蠻之地,斷髮文身,荊蠻義而歸之,自號句吳國,武王克殷,求太伯仲雍之後,得仲雍曾孫周章,封之於吳也。)
今日の会稽・九江(原書小注:この二郡はいずれも秦が設置した。)、丹陽(原書小注:秦には鄣郡と呼ばれ、漢の武帝が丹陽と改名した。)、豫章(原書小注:漢の高帝が設置した。)、廬江(原書小注:漢の文帝が淮南国の地を分けて設置した。)、広陵・六安(原書小注:漢の武帝が江都国を広陵国と改め、また衡山の地を分けて六安国を設けた。)、臨淮(原書小注:臨淮は郡で、漢の武帝が設置した。)は、いずれも呉国の分野に属する。(原書小注:《史記・呉世家》にいう、呉の太伯は周の太王の長男で、弟の仲雍とともに君位を末弟の季歴に譲り、そこで荊蛮の地に逃れて、髪を短く切り、身に文身を刻んだ。荊蛮の人々はその義行に感服して帰服しに来たので、太伯は自ら句呉国と号した。周の武王が商を滅ぼした後、太伯・仲雍の後人を尋ね、仲雍の曾孫の周章を見つけて、正式に呉の地に封じた。)
今之蒼梧、鬱林、合浦,交趾、九真、日南、南海,皆越之分也。(《越世家》曰:越之先,夏少康之庶子,封會稽,曰無餘,以奉禹祀,十有餘世,微弱為民,禹祀中絕,千有餘載,後有子,生而能言,我無餘之苗裔也,越人尊以為君、號曰無餘王也,至孫允常,越復興焉。)並屬揚州。(《禹貢》曰:淮海惟揚州,《周官》曰:東南曰揚州,《未央》曰:吳越北至大江,南至山,東至海,西至洞庭。)
今日の蒼梧・鬱林・合浦・交趾・九真・日南・南海は、いずれも越国の分野に属する。(原書小注:《史記・越世家》にいう、越国の祖先は夏の少康の庶子で、会稽に封じられ、無余と号して大禹の祭祀を承奉した。十数代を伝えた後、子孫は衰微して庶民に落ち、大禹の祭祀は千余年も中断した。後に一人の子がいて、生まれるとすぐ言葉を話し、自ら無余の後裔と称したので、越人は彼を尊奉して君主とし、無余王と号した。その孫の允常に伝わると、越国は再び興隆した。)呉・越の二地は九州ではいずれも揚州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「淮海惟揚州」。《周官》にいう、東南の方を揚州という。《未央》にいう、呉越の地は北は長江まで、南は山地まで、東は大海まで、西は洞庭まで及ぶ。)
須女、虛,齊之分野;自須女八度至危十五度,於辰在子,為玄枵也;玄者黑,北方之色;枵者,耗也;十一月之時,陽氣在下,陰氣在上、萬物幽死,未有生者,天地空虛,故曰玄枵也。(鄭玄注《月令》曰:季冬者,日月會於玄枵,斗建世之辰也。《周禮》曰:玄枵、一名天一,顓頊之虛。皇甫謐曰:玄枵,一名婺女;一名少府;一名河鼓;一名天機。《天官書》曰:虛、危,青州。《淮南子》曰:虛危,齊也。費直曰:自須女六度至危十三度,為玄枵。蔡氏曰,自須女二度至危十度,謂之玄枵之次。《未央》曰:齊星得虛危。)
須女宿・虚宿は斉国の分野である。須女八度から危宿十五度までのこの天区は、十二辰では「子」に配され、星次を「玄枵」という。「玄」は黒色で、北方の色に属する。「枵」は耗損して空虚の意である。十一月のとき、陽気は下に潜伏し、陰気は上に弥漫し、万物は幽閉されて死に絶え、生長するものが一つもなく、天地は一片の空虚となるので「玄枵」と呼ぶ。(原書小注:鄭玄の《月令》注にいう、季冬十二月に日月が玄枵で会し、斗柄は丑の位を指す(底本は「世」とする)。《周礼》にいう、玄枵は一に「天一」ともいい、顓頊の故墟である。皇甫謐はいう、玄枵は一に「婺女」、一に「少府」、一に「河鼓」、一に「天機」ともいう。《天官書》にいう、虚・危は青州に対応する。《淮南子》にいう、虚・危は斉に属す。費直はいう、須女六度から危宿十三度までが玄枵である。蔡邕はいう、須女二度から危宿十度までを玄枵の次という。《未央》にいう、斉国の分星は虚宿・危宿である。)
東有菑川、(漢文帝分齊國為藩川國)東萊、(郡,漢高帝置。)琅邪、(郡,秦置。)高密、(漢宣帝改膠西國為高密國)膠東、(漢高帝分齊為膠東國)南有太山、(郡,漢高帝置。)城陽、(漢文帝分齊國立城陽國)北有千乘、(漢高帝立為國)得清河以南,勃海之高樂、高城、重合、陽信、西有濟南,(漢文帝分濟國立濟南國)平原、(漢高帝置)皆齊之分也;(《齊世家》曰:齊太公望,佐周武王、而王乃封太公於齊,武王崩,成王命齊國東至於海,西至於河,南至於穆陵,北至於無棣,而都營丘也。)屬青州。(《禹貢》海岱惟青州,《周官》曰:東曰青州、《爾雅》曰:齊曰營州、則青州也,《未央》曰:齊治營,依於營丘、北至燕、西至九河、南至藺水,東至海。)
斉の地の東には菑川(原書小注:漢の文帝が斉国の地を分けて菑川国とした。)、東萊(原書小注:東萊は郡で、漢の高帝が設置した。)、琅邪(原書小注:琅邪は郡で、秦が設置した。)、高密(原書小注:漢の宣帝が膠西国を高密国と改めた。)、膠東(原書小注:漢の高帝が斉国の地を分けて膠東国とした。)があり、南には太山(原書小注:太山は郡で、漢の高帝が設置した。)、城陽(原書小注:漢の文帝が斉国の地を分けて城陽国を設立した。)があり、北には千乘(原書小注:漢の高帝が封国として立てた。)があり、また清河以南および勃海郡の高楽・高城・重合・陽信を得て、西には済南(原書小注:漢の文帝が済国の地を分けて済南国を設立した。)、平原(原書小注:漢の高帝が設置した。)がある。これらの地はいずれも斉国の分野に属する。(原書小注:《史記・斉世家》にいう、斉の太公呂望は周の武王を輔佐し、武王は太公を斉の地に封じた。武王が亡くなると、成王は斉国の疆界を定め、東は大海まで、西は黄河まで、南は穆陵まで、北は無棣までとし、営丘に都を建てた。)斉の地は九州では青州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「海岱惟青州」。《周官》にいう、東の方を青州という。《爾雅》にいう、斉の地を営州といい、すなわち青州である。《未央》にいう、斉国の治所は営にあり、営丘に依拠し、北は燕の地まで、西は九河まで、南は藺水まで、東は大海まで及ぶ。)
危、室、壁,衛之分野,自危十六度至奎四度、於辰在亥,為諏訾,諏訾嘆息也。十月之時,陰氣始盛,陽氣伏藏,萬物失歲養育之氣、故哀愁而歡、悲嫌無陽,故曰諏訾。(諏訾者,古諸侯也,帝嚳娶諏訾氏女,生摯,堯兄也。《爾雅》曰:諏訾曰營室東壁也,一曰豕韋,夏氏之御龍氏國也,《左傳》曰:萇弘對周景王曰:蔡侯弒其君之歲,歲在豕韋也。鄭玄注《月令》曰:孟春者,日月會於諏訾,而斗建寅之辰也。《周禮》曰:諏訾:一名豕韋,一名顓頊,一名諏訾,一名天府,一名北陵,一名卿中。《天官書》曰:營室、東壁,幷州。《淮南子》曰:營室,東壁也。費直曰:自危十四度至奎一度,為諏訾。蔡氏曰:自危十度至東壁八度,謂之豕韋之次。《未央》曰:衛星得營室東壁也。)
危宿・室宿・壁宿は衛国の分野である。危宿十六度から奎宿四度までのこの天区は、十二辰では「亥」に配され、星次を「諏訾」という。「諏訾」とは嘆息の意である。十月のとき、陰気が盛んになり始め、陽気は潜伏して収蔵され、万物は一年の養育生長の気を失い、そこで哀愁し悲嘆して、陽気の存しないことを恨むので「諏訾」と呼ぶ。(原書小注:諏訾はもと古代の諸侯で、帝嚳が諏訾氏の女を娶り、摯を生んだ。これが堯の兄である。《爾雅》にいう、諏訾とは営室・東壁の二宿で、また「豕韋」ともいい、夏の御龍氏の封国である。《左伝》に記す、萇弘が周の景王に答えていう、蔡侯が君を弑した年、歳星はちょうど豕韋に行っていた。鄭玄の《月令》注にいう、孟春正月に日月が諏訾で会し、斗柄は寅の位を指す。《周礼》にいう、諏訾は一に「豕韋」、一に「顓頊」、一に「諏訾」、一に「天府」、一に「北陵」、一に「卿中」ともいう。《天官書》にいう、営室・東壁は并州に対応する。《淮南子》にいう、并州に対応するのは営室・東壁である。費直はいう、危宿十四度から奎宿一度までが諏訾である。蔡邕はいう、危宿十度から東壁八度までを豕韋の次という。《未央》にいう、衛国の分星は営室・東壁である。)
今東郡、(秦置)魏郡、(漢高帝置之)黎陽河內郡(漢高帝置,本殷之舊都,周既克殷,分其畿內為三國,《詩風》鄘鄰,衛國是也。)野王朝歌、皆衛之分也。衛為翟人所滅,文公徙封楚丘,後三十年,子成公遷於帝丘,今濮陽是也,屬幷州。(周分冀州、置幷州,《周官》曰:正北曰幷州,今分野無幷州所部郡縣,幷州凡九郡,悉在燕趙秦次中,未詳也。《未央》曰:衛置濮陽,其地從王水以東至沛,今為東郡也。)
今日の東郡(原書小注:秦が設置した。)、魏郡(原書小注:漢の高帝が設置した。)、黎陽および河内郡(原書小注:河内郡は漢の高帝が置いた。もと殷商の旧都で、周が商を滅ぼした後、商都の畿内の地を三つの封国に分けた。《詩経・国風》の鄘風・衛風が詠んだのはこの一帯である。)、および野王・朝歌は、いずれも衛国の分野に属する。衛国はかつて狄人に攻め滅ぼされ、衛の文公は楚丘に封を移し、三十年後、その子の成公はまた帝丘に移った。すなわち今日の濮陽である。衛の地は九州では并州に隷属する。(原書小注:周が冀州の地を分けて并州を設けた。《周官》にいう、正北の方を并州という。現在のこの分野体系には并州の轄する郡県が列されていない。并州は全部で九郡で、すべて燕・趙・秦のいくつかの星次の中に帰せられており、その理由は詳かでない。《未央》にいう、衛国の治所は濮陽に設けられ、その地は王水の東から沛まで、現在は東郡である。)
奎、婁,魯之分野,自奎五度至胃六度,於辰在戌,為降婁,降下婁曲也。陰生於午,與陽俱行至八月,陽遂下;九月陽微,剝卦用事,陽淨剝盡;陽在上,萬物枯落,捲縮而死,故曰降婁。(《爾雅》曰:降婁,奎婁也。鄭玄注《月令》曰:仲春者,日月會於降婁,而斗建卯之辰也,《周禮》曰:降婁一名清明。皇甫謐曰:降婁一名天官。《天官書》曰:降婁,魯徐州。《淮南子》曰:奎、婁,魯地。費直曰:自奎二度至胃三度,謂之降婁之次。《未央》曰:魯星得奎婁。)
奎宿・婁宿は魯国の分野である。奎宿五度から胃宿六度までのこの天区は、十二辰では「戌」に配され、星次を「降婁」という。「降」は降り下がること、「婁」は巻き縮むことである。陰気は午の月に生じ、陽気とともに運行して八月に至ると、陽気は次第に沈下する。九月になると陽気は衰微し、《剥》卦が当令し、陽気はほとんど剥落し尽くして、ただ一陽が上位に居るのみとなり、万物は枯れ凋落して巻き縮んで死ぬので「降婁」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、降婁とは奎宿・婁宿である。鄭玄の《月令》注にいう、仲春二月に日月が降婁で会し、斗柄は卯の位を指す。《周礼》にいう、降婁は一に「清明」ともいう。皇甫謐はいう、降婁は一に「天官」ともいう。《天官書》にいう、降婁は魯の地の徐州に対応する。《淮南子》にいう、奎・婁は魯の地である。費直はいう、奎宿二度から胃宿三度までを降婁の次という。《未央》にいう、魯国の分星は奎宿・婁宿である。)
東至東海、(郡,漢高置)南有泗水、(泗水國,漢武帝分東海郡立也)至淮、得臨淮之下,相睢、陵僮、取慮,皆魯之分也。周成王以少昊之虛曲阜,封周公子伯禽為魯侯,以為周公主也;(《魯世家》曰:周武王克殷,封弟周公旦於少吳之虛,周公佐武王,不就封,武王崩,成王命周公子伯禽代居國,是為魯公也。)屬徐州。(《禹貢》曰:海岱及淮、惟徐州,《爾雅》曰:齊東曰徐州,而周罷徐合青,漢武復置徐州。《未央》曰:東至溫水,西至滎陽,北至代,南至江。)
魯の地は東は東海郡まで及ぶ(原書小注:東海は郡で、漢の高帝が設置した。)。南には泗水国(原書小注:泗水国は漢の武帝が東海郡の地を分けて設立した。)があり、淮水にまで達し、また臨淮郡の下相・睢陵・僮・取慮などの県を得た。これらはいずれも魯国の分野に属する。周の成王は少昊の故墟である曲阜一帯を、周公の子の伯禽に封じて魯侯とし、周公の後嗣として祭祀を主催させた。(原書小注:《史記・魯世家》にいう、周の武王が商を滅ぼした後、弟の周公旦を少昊の故墟に封じた。周公は武王を輔佐するために留まり、封国に赴いて就位しなかった。武王が亡くなると、成王は周公の子の伯禽に父に代わって封国を治めさせた。これが魯公である。)魯の地は九州では徐州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「海岱及淮惟徐州」。《爾雅》にいう、斉の地の東を徐州という。周はかつて徐州を廃して青州に併せ、漢の武帝が改めて徐州を設置した。《未央》にいう、魯の地は東は温水まで、西は滎陽まで、北は代まで、南は長江まで及ぶ。)
胃、昴,趙之分野,自胃七度至畢十一度,於辰在酉,為大梁;梁強也,八月之時,白露始降,萬物於是堅成而強,故曰大梁。(《爾雅》曰:大梁,昴也。鄭玄注《月令》曰:季春日月會於大梁,斗建辰之辰也。《注同禮》曰:大梁一名太陽,一名西陵。皇甫謐曰:大梁一名耕田,一名天倉,一名天獄,一名大軍,一名偏將軍。《天官書》曰:昴畢,冀州。《淮南子》曰:昴畢,魏也。費直曰:自胃四度至畢八度,為大梁。蔡氏曰:自胃一度至畢二度,為大梁之次。《未央》曰:趙星得參伐他。)
胃宿・昴宿は趙国の分野である。胃宿七度から畢宿十一度までのこの天区は、十二辰では「酉」に配され、星次を「大梁」という。「梁」は強健の義である。八月のとき白露が降り始め、万物はこれによって堅実に成熟して強壮となるので「大梁」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、大梁とは昴宿である。鄭玄の《月令》注にいう、季春三月に日月が大梁で会し、斗柄は辰の位を指す。《周礼》にいう、大梁は一に「太陽」、一に「西陵」ともいう。皇甫謐はいう、大梁は一に「耕田」、一に「天倉」、一に「天獄」、一に「大軍」、一に「偏将軍」ともいう。《天官書》にいう、昴・畢は冀州に対応する。《淮南子》にいう、昴・畢は魏に属す。費直はいう、胃宿四度から畢宿八度までが大梁である。蔡邕はいう、胃宿一度から畢宿二度までが大梁の次である。《未央》にいう、趙国の分星は参宿・伐星を兼ねて得る。)
趙本晉地,分晉得趙國;(漢高帝以邯鄲郡為趙國)北有信都、(漢高帝立)真定、(國,漢武帝立)常山、(郡、漢高帝置。本因山為名恆山郡,漢文帝諱恆,故改曰常山也。)又得涿郡之高陽、鄭州鄉,(二縣也。涿郡,漢高帝立。)東有廣平、(國,漢武帝立。)鉅鹿、(郡,漢高帝置。)清河,(國,漢文帝分趙國立。)又得勃海之東平、舒中、武邑、文安、東州、城平、童武,(六縣也,漢置河以北也)南至浮水,(水名,一作漳水。)繁陽、內黃、斥丘,(三縣,屬魏郡,高帝置。)西有太原、(郡,秦置。)定襄、(郡,漢高置。)雲中、(秦置)五原、(秦九原郡,漢武帝改。)朔方、(漢武帝開置)上黨、(秦置)本韓之別郡,元韓近趙,後卒降趙,皆得之自趙,夙後九世,稱侯四世,敬侯徙都邯鄲,後三世有武靈王,五世為秦所滅。
趙国はもと晋国の土地で、三家が晋を分けた後に趙国ができた。(原書小注:漢の高帝が邯鄲郡を趙国と改めた。)趙の地の北には信都(原書小注:漢の高帝が設立した。)、真定(原書小注:真定は封国で、漢の武帝が設立した。)、常山(原書小注:常山は郡で、漢の高帝が設置した。もと山に因んで恒山郡と名づけられたが、漢の文帝劉恒の名を避けて常山と改称した。)があり、また涿郡の高陽・鄭州郷(原書小注:この二県である。涿郡は漢の高帝が立てた。)を得た。東には広平(原書小注:広平は封国で、漢の武帝が設立した。)、鉅鹿(原書小注:鉅鹿は郡で、漢の高帝が設置した。)、清河(原書小注:清河は封国で、漢の文帝が趙国の地を分けて設立した。)があり、また勃海郡の東平・舒中・武邑・文安・東州・城平・童武(原書小注:これらの県はいずれも漢朝が黄河以北に設置した。)を得た。南には浮水(原書小注:浮水は水名で、一説に漳水である。)まで及び、および繁陽・内黄・斥丘(原書小注:この三県は魏郡に隷属し、漢の高帝が設置した。)があり、西には太原(原書小注:太原は郡で、秦が設置した。)、定襄(原書小注:定襄は郡で、漢の高帝が設置した。)、雲中(原書小注:秦が設置した。)、五原(原書小注:秦には九原郡と呼ばれ、漢の武帝が改名した。)、朔方(原書小注:漢の武帝が開拓して設置した。)、上党(原書小注:秦が設置した。)がある。上党はもと韓国の別属の一郡で、韓国が趙国に近かったため、後にとうとう趙国に降って帰属したので、これも併せて趙の地と算える。趙氏は趙夙以降九代を伝え、侯と称してさらに四代を経て、敬侯が邯鄲に都を遷し、その後三代で武霊王が出て、さらに五代を伝えて秦に滅ぼされた。
(《趙世家》曰:趙氏之先,帝顓頊之苗裔,伯益之後也,又虞舜妻子,姚姓之女賜姓贏氏,歷夏殷,世為諸侯,後造父為周穆王御,而西巡狩,而偃王反繆王,日馳千里,還攻徐,破之,乃賜造父趙城,由此為趙氏。)屬冀州。(《禹貢》曰:冀州既載壺口,治梁及歧《周官》曰:河內曰冀州,《未央》曰:趙治邯鄲,北至常山,代郡。)
(原書小注:《史記・趙世家》にいう、趙氏の祖先は帝顓頊の後裔、伯益の子孫である。虞舜がかつて姚姓の女をその家に嫁がせ、嬴氏の姓を賜った。夏・商の二代を経て、代々諸侯となった。後に造父が周の穆王のために車を御し、穆王の西巡に従い、ちょうど徐偃王が乱を起こしたところ、造父は車を駆って一日に千里を行き、穆王を載せて戻って徐国を討ち、徐人を打ち破った。穆王はそこで趙城を造父に賜い、趙氏の姓はこれに由来する。)趙の地は九州では冀州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう、冀州の治水は壺口から始め、さらに梁山と岐山を治めた。《周官》にいう、黄河以内を冀州という。《未央》にいう、趙国の治所は邯鄲にあり、北は常山・代郡まで及ぶ。)
畢、觜、參,魏之分野,自畢十二度至東井十五度,於辰在申,為實沈;言七月之時,萬物極茂,陰氣沈重,降實,萬物故曰實沈。(高卒氏有二子,伯曰閼伯,季曰實沈,而不相能,后帝不藏,遷閼伯於商丘,主辰,商人是因,故為商星;遷實沈於大夏,主參,唐人是因,故參為唐星,至周武王感靈夢,而生叔虞,成王時唐有亂,周公滅唐,成王因戲而封虞於唐河,汾之東方百里,太原郡之晉陽縣是也,實沈參之辰也,因名次焉。鄭玄注《禮記月令》曰:孟夏者,日月會於實沈,斗建已之辰。《周禮》曰:實沈一名不疑,皇甫謐曰:實沈一名大唐,一名中尉,一名天路,一名天溝,一名天京,一名旄頭。《天官書》曰:觜觴,參、益州。《淮南子》曰:觜觴、參,趙也。鄭玄注《周禮保章氏》曰:實沈,晉也。費直曰:自畢九度至東井十一度,為實沈。蔡氏曰:自畢六度至東井十度為實沈之次。《未央》曰:魏星得胃,昴、畢也。)
畢宿・觜宿・参宿は魏国の分野である。畢宿十二度から東井十五度までのこの天区は、十二辰では「申」に配され、星次を「実沈」という。これは七月のとき万物がきわめて茂盛で、陰気が重く沈み降りて、果実が熟れ落ちることをいうので「実沈」と呼ぶ。(原書小注:高辛氏に二子がおり、長子を閼伯、幼子を実沈といい、二人は互いに相容れなかった。帝堯はこれによって閼伯を商丘に遷し、辰星の祭祀を主らせた。商人がこれに沿い襲ったので、辰星はまた商星ともいう。実沈を大夏に遷し、参星の祭祀を主らせた。唐人がこれに沿い襲ったので、参星は唐の星である。周の武王のとき、霊夢に感応して叔虞を生み、成王のとき唐国に変乱が起こり、周公が唐国を滅ぼすと、成王は一句の戯言に乗じて叔虞を唐の地に封じた。すなわち河水・汾水の東の方百里、太原郡の晋陽県である。実沈はまさに参星の値する辰であり、星次はこれによって名を得た。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、孟夏四月に日月が実沈で会し、斗柄は巳の位を指す。《周礼》にいう、実沈は一に「不疑」ともいう。皇甫謐はいう、実沈は一に「大唐」、一に「中尉」、一に「天路」、一に「天溝」、一に「天京」、一に「旄頭」ともいう。《天官書》にいう、觜・参は益州に対応する。《淮南子》にいう、觜・参は趙に属す。鄭玄の《周礼・保章氏》注にいう、実沈は晋に属す。費直はいう、畢宿九度から東井十一度までが実沈である。蔡邕はいう、畢宿六度から東井十度までが実沈の次である。《未央》にいう、魏国の分星は胃・昴・畢である。)
自高陵(縣也,屬益州。)以東,盡河東、(郡,秦置。)河內、(漢高帝置)南有陳留、(郡,漢武帝置。)汝南、之邵陵、隱強、新汲,(秦置)及西華、長平、穎川、之舞陽、郾許、鄢陵、河南之開封、中牟、陽武、酸棗,(酸棗、縣,屬陳留,縣,則為重見也。)皆魏之分也。
高陵(原書小注:高陵は県で、益州に隷属する。)から東へ、河東(原書小注:河東は郡で、秦が設置した。)、河内(原書小注:漢の高帝が設置した。)の全域まで及ぶ。南には陳留(原書小注:陳留は郡で、漢の武帝が設置した。)、汝南郡の邵陵・隠強・新汲(原書小注:秦が設置した。)、および西華・長平、潁川郡の舞陽・郾・許・鄢陵、河南郡の開封・中牟・陽武・酸棗(原書小注:酸棗は県で、陳留に隷属する。ここに再び現れるのは重複して著録したものである。)がある。これらの地はいずれも魏国の分野に属する。
(《魏世家》曰:畢公高之兵也,與周同姓,高佐同武王,得封於畢,更為畢氏,後封其苗裔曰畢萬,事晉獻公從伐霍耿,魏滅之,獻公以魏封萬魏,河東郡之永安縣是也,武子子悼子,徙治霍,霍平陽郡之永安縣是也,悼子子昭子,徙安邑河東之安邑縣,是昭子孫獻子與趙鞅共謀,祁羊舌氏,分其地、獻子曾孫恆子與趙韓滅智伯桓子,孫文侯,時,魏為強大,周烈王賜命為諸侯,文侯子武侯,與趙韓滅晉,分其地,故參為魏之分野也。)屬益州,(漢武帝改梁州,為益州,非魏地,益州地盡在秦楚次中,為甚略,未詳其旨,《未央》曰:晉治太原,從魏以西至襄治之,今為河東、河內、上黨、雲中。)
(原書小注:《史記・魏世家》にいう、魏氏は畢公高の後代で、周王室と同姓である。畢公高は周の武王を輔佐し、畢の地に封じられ、そこで改めて畢を氏とした。後にその後裔の畢万が封を受け、晋の献公に仕え、軍に従って霍・耿・魏の三国を討って滅ぼしたので、献公は魏の地を畢万に封じた。すなわち河東郡の永安県である。畢万の子が魏武子で、武子の子の悼子は霍に治を遷した。霍は平陽郡の永安県にある。悼子の子の昭子はまた安邑に遷した。すなわち河東郡の安邑県である。昭子の孫の献子は趙鞅と合謀して、祁氏・羊舌氏の封地を分割した。献子の曾孫の桓子はまた趙・韓の両家と共に智伯を滅ぼした。桓子の孫の文侯が位にあったとき、魏国は強盛となり、周の烈王が正式に諸侯に冊命した。文侯の子の武侯は趙・韓とともに晋国を滅ぼして晋の地を分けたので、参宿が魏国の分野となった。)魏の地は九州では益州に隷属する。(原書小注:漢の武帝が梁州を益州と改称したが、益州はもと魏の地ではない。益州の地面はすべて秦・楚の二つの星次の中に帰せられており、ここでいうのはきわめて疎略で、趣意が明らかでない。《未央》にいう、晋国の治所は太原にあり、魏の地から西は襄一帯までみなその管轄に帰し、現在は河東・河内・上党・雲中である。)
東井、輿鬼、秦之分野,自東井十六度至柳八度,於辰在未,為鶉首,南方七宿,其形象鳥,以井為冠,以柳為口;鶉鳥也,首,頭也,故曰鶉首。(《爾雅》曰:咮謂之柳,鄭玄注《禮記月令》曰:仲夏者日月會於鶉首,斗建午之辰也,《周禮》曰:鶉首一名小章,皇甫謐曰:鶉首一名天祿,一名天子市,一名白虎將,一名斧鉞,《天官書》曰:東井輿鬼,雍州,《淮南子》曰:東井、輿鬼,秦也,費直曰:自東井十二度,至柳四度,為鶉首,蔡氏曰:自東井十度,至柳四度,謂之鶉首,《未央》曰:秦星得東井輿鬼也。)
東井宿・輿鬼宿は秦国の分野である。東井十六度から柳宿八度までのこの天区は、十二辰では「未」に配され、星次を「鶉首」という。南方の七宿は全体の形が一羽の鳥のようであり、井宿を鳥の冠とし、柳宿を鳥の嘴とする。「鶉」は鳥の名、「首」は頭である。ゆえに「鶉首」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、鳥の嘴を「咮」といい、指すのは柳宿である。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、仲夏五月に日月が鶉首で会し、斗柄は午の位を指す。《周礼》にいう、鶉首は一に「小章」ともいう。皇甫謐はいう、鶉首は一に「天禄」、一に「天子市」、一に「白虎将」、一に「斧鉞」ともいう。《天官書》にいう、東井・輿鬼は雍州に対応する。《淮南子》にいう、東井・輿鬼は秦に属す。費直はいう、東井十二度から柳宿四度までが鶉首である。蔡邕はいう、東井十度から柳宿四度までを鶉首という。《未央》にいう、秦国の分星は東井・輿鬼である。)
自弘農故關以西,(故關、古函谷關也弘家郡、漢武帝置。)京兆、扶風、馮翊、(並秦內史,漢武帝分為三輔。)北地、上郡、(二郡,秦置。)西河、安定、天水、(三郡,漢武帝置。)隴西、(秦置)南有巴郡、蜀郡、(二郡,秦置。)廣漢、(漢置)犍為、(漢武帝置)武都,西北有金城、(漢置)武威、(本休屠王地也)張掖、(本昆耶王地)酒泉、敦煌、(敦煌本屬酒泉,漢武帝置。)又西有牂牁、越巂、益州,皆秦也。(三郡,並漢武帝開置。)
弘農郡の故関から西へ(原書小注:故関はすなわち古代の函谷関。弘農郡は漢の武帝が置いた。)、京兆・扶風・馮翊(原書小注:この三か所はもと秦代の内史の轄地で、漢の武帝が分けて三輔とした。)、北地・上郡(原書小注:この二郡は秦が設置した。)、西河・安定・天水(原書小注:この三郡は漢の武帝が設置した。)、隴西(原書小注:秦が設置した。)がある。南には巴郡・蜀郡(原書小注:この二郡は秦が設置した。)、広漢(原書小注:漢代に設置した。)、犍為(原書小注:漢の武帝が設置した。)、武都がある。西北には金城(原書小注:漢代に設置した。)、武威(原書小注:もと匈奴の休屠王の地面である。)、張掖(原書小注:もと匈奴の昆邪王の地面である。)、酒泉・敦煌(原書小注:敦煌はもと酒泉に隷属し、漢の武帝が分けて郡とした。)がある。さらに西には牂牁・越巂・益州がある。これらはみな秦の地である。(原書小注:この三郡はいずれも漢の武帝が開拓して設置した。)
秦之分也,(《秦世家》曰:秦之先曰非子,與趙同姓,伯益之十六世孫也,為周孝王養馬,甚息,孝王封為附庸,邑之於秦,號曰秦贏,天水之隴縣,則其地也,秦贏曾孫曰秦仲、周宣王使伐西戎,為戎所殺,宣王復命仲子莊公與四弟伐戎,破之,賜仲大駱之地,於是居大丘,扶風之槐裡縣是也。)屬雍州。(《禹貢》曰黑水西河惟雍州,《周官》曰:正西曰雍州,漢武帝改為涼州,《未央》曰:秦治機陽,又治咸陽,今為長安,北地從華山,西至隨神流沙,今為三輔,巴蜀、漢中、隴西,北地,上郡也。)
以上はすべて秦国の分野と算える。(原書小注:《史記・秦本紀》にいう、秦の祖先を非子といい、趙氏と同姓で、伯益の第十六代の孫である。彼は周の孝王のために馬を養い、馬がきわめてよく繁息したので、孝王は彼を附庸に封じ、秦の地をその采邑とし、秦嬴と号した。天水郡の隴県がその地である。秦嬴の曾孫を秦仲といい、周の宣王は彼を派遣して西戎を討たせたが、戎人に殺された。宣王はまた秦仲の子の荘公と四人の弟に西戎を討たせ、戎人を打ち破り、先祖の大駱の封地を賜った。そこで大丘に定住した。すなわち扶風郡の槐里県である。)秦の地は九州では雍州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「黒水西河惟雍州」。《周官》にいう、正西の方を雍州という。漢の武帝が涼州と改称した。《未央》にいう、秦国の治所はまず櫟陽にあり、また咸陽に遷り、現在は長安である。北地一帯は華山から始まり、西は随神・流沙まで、現在は三輔・巴蜀・漢中・隴西・北地・上郡である。)
柳、七星、張,周之分野,自柳九度至張十七度,於辰在午,為鶉火,南方為火,言五月之時,陽氣始隆,火星昏中,在七星朱鳥之處,故曰鶉火。(《爾雅》曰:柳、鶉火也,柳、七星、張,南方之中宿也,故曰火。《周禮》曰:鳥與七遊,象以鶉大也。鄭玄注《禮記月令》曰:季夏者、日月會於鶉火,斗建未之辰也。《周禮》曰:天井一名致方。注《天官書》曰:七星、張、三河。《淮南子》曰:七星、張,周也。費直曰:自柳五度至張十二度,為鶉火。蔡氏曰:自柳三度至張二十度,謂之鶉火之次。《未央》曰:周星得注張。)
柳宿・七星・張宿は周王室の分野である。柳宿九度から張宿十七度までのこの天区は、十二辰では「午」に配され、星次を「鶉火」という。南方は五行で火に属する。これは五月のとき陽気が隆盛になり始め、大火の星が黄昏時にちょうど南天に当たり、その位置が七星朱鳥の居るところにあるので「鶉火」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、柳宿がすなわち鶉火である。柳・七星・張は南方七宿の中段なので「火」と称する。《周礼》にいう、旗に鳥を画き七旒を繋ぐのは、鶉に象を取ったものである。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、季夏六月に日月が鶉火で会し、斗柄は未の位を指す。《周礼》にいう、天井は一に「致方」ともいう。《天官書》にいう、七星・張は三河に対応する。《淮南子》にいう、七星・張は周に属す。費直はいう、柳宿五度から張宿十二度までが鶉火である。蔡邕はいう、柳宿三度から張宿二十度までを鶉火の次という。《未央》にいう、周の分星は注宿(すなわち柳宿)と張宿である。)
今之河南雒陽、穀城、平陽、偃師、鞏維氏(北七縣,屬河南郡。)並周分也。(《周世家》曰:周之先曰棄、秦生有神怪,長好稼穡,為舜播植百穀,舜封之於邰,扶風是也,號曰後,稷姓,為姬氏,曾孫公劉、國於分扶風是也,十世孫曰太王,為狄所侵,遷於歧挾風之美陽是也,大王孫,文王有聖德,周室方隆,從都於酆、酆在京兆之杜縣、文王子武王,滅商,徙都於鎬,鎬在京兆之長安縣,武王子成王營雒邑都河南郡之河南縣是也,或雲成王居雒邑,六世孫懿王,遷大丘也。)
今日の河南郡の雒陽・穀城・平陽・偃師・鞏・維氏(すなわち緱氏)(原書小注:以上の七県は河南郡に隷属する。)一帯は、いずれも周の分野に属する。(原書小注:《史記・周本紀》にいう、周の祖先を棄といい、生まれたとき神異の兆があり、長じて農事を好み、虞舜のために百穀を播いた。舜は彼を邰に封じた。すなわち扶風一帯で、后稷と号し、姓を姫氏とした。その曾孫の公劉が豳に国を建てた。これも扶風の境内にある。第十代の孫を太王といい、狄人に侵されたため岐に遷った。すなわち扶風の美陽である。太王の孫の文王は聖徳があり、周室はまさに興隆していたので、酆に都を遷した。酆は京兆の杜県にある。文王の子の武王が商を滅ぼし、鎬に都を遷した。鎬は京兆の長安県にある。武王の子の成王が雒邑を営建した。すなわち河南郡の河南県である。成王本人が雒邑に居したという説もある。第六代の孫の懿王はまた犬丘に遷った。)
屬三河。(河南、河內、河東三郡是也,案周之將亡,惟河南一郡,故以為周分野,其河內河東,乃在魏次中,未詳周分野稱三河之謂矣,《未央》曰:周治洛陽,西至華山。東至榮澤,少室,北至河南。至濮水,今為河東、陳留。)
周の地は漢代の建置では三河に帰属する。(原書小注:三河とは河南・河内・河東の三郡を指す。按すれば、周朝が亡びようとしたとき河南の一郡しか残っていなかったので、これをもって周の分野とした。河内・河東の二郡はかえって魏の星次の中に列せられている。それゆえ周の分野がなぜ「三河」と称されるのか、その道理は明らかでない。《未央》にいう、周の治所は洛陽にあり、西は華山まで、東は滎沢・少室まで、北は河南まで、濮水にまで延びており、現在は河東・陳留一帯である。)
翼、軫,楚分野,自張十八度至軫十一度,於辰在已,為鶉尾;南方朱雀七宿,以軫為尾,故曰鶉尾。(鄭玄注《禮記月令》曰:孟秋者,日月會於鶉尾,斗建申之辰。《周禮》曰:鶉尾一名鳥帑。皇甫謐曰:鶉尾一名鳥注,一名天根,一名旄,一名柳。《天官書》曰:翼軫到。《淮南子》曰:翼楚也。費直曰:自張十三度至軫六度為鶉尾。蔡氏曰:自翼十二度,至軫六度,為鶉尾之次。《未央》曰:楚星得翼軫也。)
翼宿・軫宿は楚国の分野である。張宿十八度から軫宿十一度までのこの天区は、十二辰では「巳」に配され(底本は「巳」を「已」と作る)、星次を「鶉尾」という。南方の朱雀七宿は軫宿をもって鳥の尾とするので「鶉尾」と呼ぶ。(原書小注:鄭玄の《礼記・月令》注にいう、孟秋七月に日月が鶉尾で会し、斗柄は申の位を指す。《周礼》にいう、鶉尾は一に「鳥帑」ともいう。皇甫謐はいう、鶉尾は一に「鳥注」、一に「天根」、一に「旄」、一に「柳」ともいう。《天官書》にいう、翼・軫は荊州に対応する(底本は「翼軫到」と誤る)。《淮南子》にいう、翼宿は楚に属す。費直はいう、張宿十三度から軫宿六度までが鶉尾である。蔡邕はいう、翼宿十二度から軫宿六度までが鶉尾の次である。《未央》にいう、楚国の分星は翼宿・軫宿である。)
今之南郡、(秦置)江陵、(江陵即南郡,所部縣,即重見矣)江夏、(漢高帝置)零陵、(郡,漢武帝置。)桂陽、武陵、(二郡,漢高帝置。)長沙,(郡,秦為郡,漢高帝改為國。)及江中、(秦置)汝南,(漢高帝置)皆楚之分也。周成王先師鬻熊之曾孫。熊繹,於荊蠻為楚子,居丹陽,後十餘世,至熊通,號武王、浸以強大,後五世,有莊王,並有江漢之間,吞陳蔡縣,申息服隨唐,後十世頃,王徙於東焉。
今日の南郡(原書小注:秦が設置した。)、江陵(原書小注:江陵はもと南郡の轄する県で、ここは重複して著録したものである。)、江夏(原書小注:漢の高帝が設置した。)、零陵(原書小注:零陵は郡で、漢の武帝が設置した。)、桂陽・武陵(原書小注:この二郡は漢の高帝が設置した。)、長沙(原書小注:長沙は秦には郡で、漢の高帝が封国と改めた。)、および江中(原書小注:秦が設置した。)、汝南(原書小注:漢の高帝が設置した。)は、いずれも楚国の分野に属する。周の成王のとき、先王の師であった鬻熊の曾孫の熊繹が、荊蛮の地で楚子に封じられ、丹陽に定住した。その後十数代を伝えて熊通に至り、自ら武王と号して国勢は次第に強盛となった。さらに五代を経て荘王が出て、長江・漢水の間の地を兼併し、陳・蔡を呑み滅ぼし、申・息・随・唐などの国を従えた。また十代を伝えて頃襄王に至り、ようやく国都を東に遷した。
(《楚世家》曰:鬻熊,祝融之苗裔也,姓芊氏,丹陽,今南郡之枝江縣是也,武子文王,都於郢,江陵是也,莊王曾孫昭王、為吳所破,吳兵入郢,昭王奔隨,楚大夫申句胥求救於秦,秦乃救楚,大敗吳師,闔廬弟夫梁王反,自立為王、闔廬班師,昭王乃得反國,更都於郡南郡,鄭縣是也。)屬荊州。(《禹貢》曰:荊及衡陽惟荊州,《周官》曰:正南曰荊州,《未央》曰:楚治,南至九江、北至淮水,東至海、西至魚腹山,今為淮陽、汝陽、廬江、長沙、南海,故楚治南郢也。)
(原書小注:《史記・楚世家》にいう、鬻熊は祝融の後裔で、芊姓である。丹陽は今日の南郡の枝江県である。武王の子の文王は郢に都を建てた。すなわち江陵である。荘王の曾孫の昭王は呉国に敗れ、呉兵が郢都に攻め入ると、昭王は随国に逃げ奔った。楚の大夫の申包胥が秦国に赴いて救いを求め、秦国はそこで兵を出して楚を救い、呉軍を大いに破った。ちょうど呉王闔廬の弟の夫概が叛いて自ら王と立ったので、闔廬はやむを得ず兵を引き揚げ、昭王はようやく国に帰ることができて、南郡の鄀県に都を改めた。底本のここの文字には誤りがある。)楚の地は九州では荊州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「荆及衡陽惟荊州」。《周官》にいう、正南の方を荊州という。《未央》にいう、楚国の轄境は南は九江まで、北は淮水まで、東は大海まで、西は魚腹山まで、現在は淮陽・汝陽・廬江・長沙・南海一帯で、旧時楚国の治所は南郢にあった。)
月の主する国 二
《荊州占》曰:“正月,周;二月,徐;三月,荊;四月,鄭;五月,晉;六月,衛;七月,秦;八月,宋;九月,齊;十月,魯;十一月,吳越;十二月,燕趙。”
《荊州占》にいう、月は一年十二か月の中でそれぞれ一つの邦国の休咎を主る——正月は周を主り、二月は徐を主り、三月は荊を主り、四月は鄭を主り、五月は晋を主り、六月は衛を主り、七月は秦を主り、八月は宋を主り、九月は斉を主り、十月は魯を主り、十一月は呉・越を主り、十二月は燕・趙を主る。占候するときはまずその月の月が行く宿度と光色・芒角を見て、いったん異常があらわれたら、災祥はその月の主る邦国に応ずる。
日辰の占邦 三
石氏曰:“甲、為齊;乙、為東海;(司馬遷、班固並以甲乙日月不占;晉灼注曰:海外遠甲乙日、時,故不占之。)丙、為楚;丁、為南蠻;(司馬遷、班固並以丙丁為江淮海岱)戊、為魏;(一雲戊為韓。司馬遷、班固並以戊已為中州,河濟也。)已、為韓;(一雲已為魏)庚、為秦;辛、為西夷;(司馬遷、班固。並以庚辛為華以西)壬、為燕;(司馬遷、班固、並以壬為趙。《淮南子》;壬為衛。)癸、為北夷。(司馬遷、班固並以壬癸為常山北。《淮南子》癸為趙。)
石氏はいう、十干を邦国に配して占験する——甲日は斉を主り、乙日は東海を主る(原書小注:司馬遷・班固はいずれも甲・乙の両日は占を立てないとする。晋灼の注にいう、海外は遼遠で、甲乙の値する日も時もその外にあるので占わない。)。丙日は楚を主り、丁日は南蛮を主る(原書小注:司馬遷・班固はいずれも丙・丁を江淮・海岱一帯に配する。)。戊日は魏を主る(原書小注:一説に戊は韓を主る。司馬遷・班固はいずれも戊・己を中州、すなわち河・済の間に配する。)。己日は韓を主る(原書小注:一説に己は魏を主る。)。庚日は秦を主り、辛日は西夷を主る(原書小注:司馬遷・班固はいずれも庚・辛を華山以西に配する。)。壬日は燕を主る(原書小注:司馬遷・班固はいずれも壬を趙に配し、《淮南子》は壬を衛に配する。)。癸日は北夷を主る(原書小注:司馬遷・班固はいずれも壬・癸を常山以北に配し、《淮南子》は癸を趙に配する。)。
石氏曰:“子,為周;丑,為翟;(一雲丑魏翟梁)寅,為趙;(《淮南子》荊州並以寅為楚)卯,為鄭;辰,為晉;(班固、劉表、韓揚並以辰為邯鄲,一雲辰為趙也。)已,為衛;午,為秦;未,為中山;(一雲宋)申,為齊;(一雲申為晉魏。《荊州占》申為晉。)酉,為魯;戌,為趙;(班固云:戌為趙。《荊州》云:戌為吳。)亥、為燕。”
石氏はいう、十二支を邦国に配して占験する——子日は周を主る。丑日は翟を主る(原書小注:一説に丑は魏・翟・梁を主る。)。寅日は趙を主る(原書小注:《淮南子》と《荊州占》はいずれも寅を楚に配する。)。卯日は鄭を主る。辰日は晋を主る(原書小注:班固・劉表・韓揚はいずれも辰を邯鄲に配し、一説に辰は趙を主る。)。巳日は衛を主る。午日は秦を主る。未日は中山を主る(原書小注:一説に未は宋を主る。)。申日は斉を主る(原書小注:一説に申は晋・魏を主る。《荊州占》は申を晋に配する。)。酉日は魯を主る。戌日は趙を主る(原書小注:班固は戌は趙を主るといい、《荊州占》は戌は呉を主るという。)。亥日は燕を主る。おおよそ天象の変異がどの日辰にあらわれたかで、災祥をその日辰の主る邦国に繋げる。
災変の期応 四
巫咸曰:“五星之合,金星以金日,木星以木日,水星以水日,火星以火日,土星以土日。月期十二辰,候其災之變,以其殺時;甲乙日,應在金;丙丁日,應在水;戊已日、應在木;庚辛日、應在火;壬癸日、應在土;五星皆同法也。歲星主木也,日以甲乙;熒惑火也,日以丙丁;填星土也,日以戊已;太白金也,日以庚辛;辰星水也,日以壬癸。二十八舍以十二子,故金應在火,木應在金,水應在土,火應在水,土應在木;故木期十二日、十二月、十二歲;火期四十三日、四十三月、四十三歲;土期二十八日、二十八月、二十八歲;金期八日、八月、八歲;水期十日、十月、十歲;又曰:五星守二十八舍,左為春應,右為秋應;前為夏應;後為秋應;其法隨氣所制前後。”
巫咸はいう、五星が相合する応期を推算するには、金星は金に属する日を取り、木星は木に属する日を取り、水星は水に属する日を取り、火星は火に属する日を取り、土星は土に属する日を取る。月の応期は十二辰に推し求め、災変を候察するにはそれを克制する時令を見る——甲・乙の日に起こった変異は金に属する日に応じ、丙・丁の日の変異は水に属する日に応じ、戊・己の日の変異は木に属する日に応じ、庚・辛の日の変異は火に属する日に応じ、壬・癸の日の変異は土に属する日に応ずる——五星はみな同一の推法を用いる。歳星は木に属し甲乙の日に配し、熒惑は火に属し丙丁の日に配し、填星は土に属し戊己の日に配し、太白は金に属し庚辛の日に配し、辰星は水に属し壬癸の日に配する。二十八宿はさらに十二支に配して推算する。ゆえに金の災応は火に落ち、木の災応は金に落ち、水の災応は土に落ち、火の災応は水に落ち、土の災応は木に落ちる。このため木の期限は十二日・十二か月または十二年、火の期限は四十三日・四十三か月または四十三年、土の期限は二十八日・二十八か月または二十八年、金の期限は八日・八か月または八年、水の期限は十日・十か月または十年である。またいう、五星が二十八宿に留守するとき、星が宿の左にあれば春に応じ、右にあれば秋に応じ、前にあれば夏に応じ、後にあれば秋に応ずる。この前後左右の判法は、そのときの節気の主る方位に随って定める。
石氏曰:“凡五星行犯列合,前為春應;後為秋應;左為冬應;右為夏應;假令春以東為前,西為後,北為左,南為右;夏以南為前,北為後,東為左,西為右;秋以西為前,東為後,南為左,北為右;冬以北為前,南為後,西為左,東為右。”
石氏はいう、およそ五星が運行して列宿を侵犯し列宿と相合するとき、星が犯した宿の前方にあれば災は春に応じ、後方にあれば秋に応じ、左方にあれば冬に応じ、右方にあれば夏に応ずる。いわゆる前後左右は固定の方位ではなく、季節に随って転ずる。春は東を前とし、西を後とし、北を左とし、南を右とする。夏は南を前とし、北を後とし、東を左とし、西を右とする。秋は西を前とし、東を後とし、南を左とし、北を右とする。冬は北を前とし、南を後とし、西を左とし、東を右とする。星がどの方にあるかを判定するには、当の季節のこの一揃いの方位に照らして見る。
宋均曰:“災祥見在正月則應在七月;災祥見在二月,則應在八月;災祥見在三月,則應在九月;災祥見在四月,則應在十月;災祥見在五月,則應在十一月;災祥見在六月,則應在來年四月,災祥見在十一月,則應在來年五月;災祥見在十二月,則應在十二月;災祥見在七月,則應在來年正月;災祥見在八月,則就在來年二月;災祥見在九月,則應在來年三月;災祥見在十月,則應在來年四月;災樣見十一月,則應在來年五月;災祥見在十二月。則應在來年六月。”
宋均はいう、災祥が正月にあらわれたら七月に応験し、二月にあらわれたら八月に応験し、三月にあらわれたら九月に応験し、四月にあらわれたら十月に応験し、五月にあらわれたら十一月に応験し、六月にあらわれたら翌年四月に応験し、十一月にあらわれたら翌年五月に応験し、十二月にあらわれたら十二月に応験し、七月にあらわれたら翌年正月に応験し、八月にあらわれたら翌年二月に応験し、九月にあらわれたら翌年三月に応験し、十月にあらわれたら翌年四月に応験し、十一月にあらわれたら翌年五月に応験し、十二月にあらわれたら翌年六月に応験する。大体は半年隔てを期とする。六月・十一月・十二月の三条は前後二見して応期が一致しないが、底本の原文はそのままこのようになっている。
《荊州占》曰:“甲乙日有變,期百二十日;丙丁日有變,期八十日;戊已日有變,期六十日,庚辛日有變,期四十日;壬癸日有變,期二十日。”
《荊州占》にいう、天象が甲・乙の日に変異したら、応験の期限は百二十日。丙・丁の日に変異したら期限八十日。戊・己の日に変異したら期限六十日。庚・辛の日に変異したら期限四十日。壬・癸の日に変異したら期限二十日。これは十干の配する五行の旺衰・長短によって応期の緩急を定めたもので、日干が後になるほど応験は速く来る。
順逆の略例 五
巫咸曰:“五星之行,東行為順,西行為逆。”韓公賓注《靈憲》曰:“當東反西,則逆。”石氏曰:“日行五寸、一尺,為平行;日行一寸、二寸,為遲。”甘氏曰:“逆日,遲。”韓公賓注《靈憲》曰:“五星之行,近日則遲。”石氏曰:“日行一度,為疾。”韓公賓曰:“五星之行,遠日則速。”石氏曰:“未應去而去,為出;未當來而來,為入。”甘氏曰:“同形為入。日月五星與宿星同舍,為合。”
巫咸はいう、五星の運行で、西から東へ行くのを「順」といい、東から西へ行くのを「逆」という。韓公賓の張衡《霊憲》注にいう、本来東行すべきなのに反って西行するのが「逆」である。石氏はいう、一日に五寸から一尺を行くのを「平行」といい、一日に一寸・二寸しか行かないのを「遅」という。甘氏はいう、逆行するときは行度は必ず遅緩である。韓公賓の《霊憲》注にいう、五星の運行は、太陽に近いときは歩みが遅い。石氏はいう、一日に一度を満たして行けるのを「疾」という。韓公賓はいう、五星の運行は、太陽から遠いときは歩みが速い。石氏はいう、ある宿を離れるべきでないのに離れたのを「出」といい、ある宿に入るべきでないのに入ってきたのを「入」という。甘氏はいう、二つの星が形色を同じくして一か所に並ぶのも「入」である。日・月・五星が列宿の星と同じ一舎に処るのを「合」という。
石氏曰:“芒角相及,同光,為合。”巫咸曰:“諸舍精相沓,為合。”《荊州占》曰:“相去一尺內,為合。”孟康曰:“合,同舍也。”石氏曰:“星光曜相逮,為合。”郗萌曰:“留三日,為合。”孟康曰:“合宿也,入宿度,為舍。”甘氏曰:“共行在一宿,為舍。”石氏曰:“行度所居,為舍。”甘氏曰:“闕為宿。”石氏曰:“留二十日以上,為宿;宿猶守也。”甘氏曰:“行所當至,過二十一日,色潤澤,為居。”石氏曰:“以度至而不去,為居。”
石氏はいう、二つの星の芒角が接し光色が一致するのを「合」という。巫咸はいう、各宿の星精が一か所に重なるのを「合」という。《荊州占》にいう、二つの星が一尺以内の距離にあるのを「合」という。孟康はいう、いわゆる「合」とは同じ一舎に在ることである。石氏はいう、二つの星の光焰が互いに届くのを「合」という。郗萌はいう、三日留まって動かないのも「合」である。孟康はいう、「合」とは合宿である。星がある宿の度数の内に入るのを「舎」という。甘氏はいう、二つの星が同行して一宿の内にあるのを「舎」という。石氏はいう、行度が駐まり停まるところが「舎」である。甘氏はいう、星が隠れ欠けて見えないのを「宿」という。石氏はいう、二十日以上留まるのを「宿」といい、「宿」の意味は「守」に近い。甘氏はいう、行くべき位置に行き着き、二十一日を超えて去らず、色もまた光沢が潤うのを「居」という。石氏はいう、度数に及んでいるのに去ろうとしないのを「居」という。
石氏曰:“不東不西,為留。”郗萌曰:“住不移,為留。”石氏曰:“居之不去,為守。”甘氏曰:“徘徊不去其度,為守。”《文耀鉤》曰:“留不去,為守。”郗萌曰:“二十日以上,為守;東西正當,為中。”甘氏曰:“在上而下,為乘。”石氏曰:“五星入度,經過宿星,光耀犯之,為犯。”郗萌曰:“五星所犯,木火土水同度,去之七寸,為犯;太白一尺以內,為犯。”韋昭曰:“自下往觸之,為犯。”甘氏曰:“未當入度,經入為侵。”甘氏曰:“在下犯上,為陵。”石氏曰:“在上犯下,為陵。”
石氏はいう、東行も西行もしないのを「留」という。郗萌はいう、止まって再び動かないのを「留」という。石氏はいう、そこに留まって去ろうとしないのを「守」という。甘氏はいう、もとの度の上を往き来して徘徊し去らないのを「守」という。《文曜鉤》にいう、滞留して去らないのを「守」という。郗萌はいう、二十日以上留まるのを「守」といい、東西の方位が正しく相対するのを「中」という。甘氏はいう、一つの星が上にあって下方の星に圧しかかるのを「乗」という。石氏はいう、五星がある宿の度数に入り、宿中の星を経て、光芒をもってそれに迫るのを「犯」という。郗萌はいう、五星の相犯には分寸の限界がある——木・火・土・水の四星は犯される星と同度で、七寸以内に距るのを「犯」とし、太白は星光が大きいので一尺以内でも「犯」とする。韋昭はいう、下から上がってそれに触れるのを「犯」という。甘氏はいう、まだある宿の度数に入るべきでないのにそのまま闖入するのを「侵」という。甘氏はいう、下位に処る星が上位の星を犯すのを「陵」という。石氏はいう、上位に処る星が下位の星を圧し欺くのも「陵」という。
郗萌曰:“星圍宿,周廻一匝,為環。不周,曰繞。”石氏曰:“東西為勾。”甘氏曰:“去而復還,為勾。”郗萌曰:“星行如勾,為勾。”石氏曰:“南北為已。”甘氏曰:“再勾、為已。”郗萌曰:“星行如已字,為已。”石氏曰:“西入東出,為貫。”甘氏曰:“在下相侵,為貫。在傍,為刺。”郗萌曰:“直至為抵。星相觸而止,為觸。”甘氏曰:“相切為磨。”石氏曰:“相至為磨。”甘氏曰:“去之寸,為靡。星相滅,為抵。”
郗萌はいう、一つの星がある宿を巡ってちょうど一周するのを「環」といい、一周に満たないのを「繞」という。石氏はいう、東西の方向で折り返すのを「勾」という。甘氏はいう、離れてからまた折り返して戻るのを「勾」という。郗萌はいう、星の行跡が鉤の形のようであるのを「勾」という。石氏はいう、南北の方向で折り返すのを「巳」という。甘氏はいう、二度折り返すのを「巳」という。郗萌はいう、星の行跡が「巳」の字のようであるのを「巳」という。石氏はいう、西から入って東から出るのを「貫」という。甘氏はいう、下から突き刺して通り過ぎるのを「貫」といい、傍から刺し通るのを「刺」という。郗萌はいう、まっすぐ目の前に衝き当たるのを「抵」といい、二つの星がぶつかって停まるのを「触」という。甘氏はいう、互いに切り擦れ合うのを「磨」という。石氏はいう、ぴったり寄り添い合うのを「磨」という。甘氏はいう、距ることただ一寸のを「靡」といい、二つの星が相掩して光が滅するのを「抵」という。
巫咸曰:“兩體相著,為薄。”甘氏曰:“不於晦朔者,為薄。”(雖非日月同宿,陰氣隆奄者為薄日光也。)石氏曰:“不交而食,曰薄。”《帝鑑嬉》曰:“赤黃無光,為薄。”孟康曰:“日月無光,曰薄。”京房曰:“日月赤黃為薄。”韋昭曰:“氣往迫之,為薄。”石氏曰:“相陵,為斗。”甘氏曰:“倚視,離而復合,合復離;為斗。”韋昭曰:“星相擊,為斗。”
巫咸はいう、二つの天体が貼り合わさるのを「薄」という。甘氏はいう、晦日・朔日でないのに起こる亏蝕の類を「薄」という。(原書小注:日月が同宿で相掩するのでなくとも、陰気が濃く遮掩して日光を淡くするのも「薄」とする。)石氏はいう、日月が交わっていないのに亏蝕があらわれるのを「薄」という。《帝鑑嬉》にいう、日月が赤黄の色を呈して光輝がないのを「薄」という。孟康はいう、日月が光芒を失うのを「薄」という。京房はいう、日月の色が赤黄となるのが「薄」である。韋昭はいう、気が逼ってきてそれを遮蔽するのを「薄」という。石氏はいう、二つの星が互いに圧し欺くのを「斗」という。甘氏はいう、斜めに倚り望み合い、分かれては合い、合っては分かれるのを「斗」という。韋昭はいう、二つの星が互いに衝撃するのを「斗」という。
郗萌曰:“邊侵,為食。”京氏曰:“相侵之食,日體三毀三復,行異處,是為相侵食也;三分日取一也。”韋昭曰:“虧毀曰食。”石氏曰:“光五寸以內,為芒。”巫咸曰:“光一尺以內,為角;歲星七寸以上,謂之角。”郗萌曰:“色非其常,為變。光耀搖豔,為動。”甘氏曰:“潤澤和順,為喜。”石氏曰:“五星光芒隆,謂之怒。”郗萌曰:“壯大色強,為怒。”
郗萌はいう、縁から侵蝕して入るのを「食」という。京房はいう、いわゆる相侵の食とは、日面が三度亏损して三度復円し、行止が常の処にないことで、これを相侵食という。亏损の分量はおよそ日面の三分の一である。韋昭はいう、亏损して欠けるのを「食」という。石氏はいう、星光が射し出ること五寸以内を「芒」という。巫咸はいう、光が射し出ること一尺以内を「角」といい、歳星の光が七寸以上射し出ればこれを「角」と称する。郗萌はいう、色が平常と異なるのを「変」といい、光焰が揺らぎ瞬くのを「動」という。甘氏はいう、色沢が潤美で柔和なのを「喜」という。石氏はいう、五星の光芒が盛んで人を逼るのを「怒」という。郗萌はいう、星体が壮大で色が濃烈なのを「怒」という。
石氏曰:“超舍而前,謂之贏。”《七曜》曰:“超舍而前,過其所當舍之宿,以上一舍、二舍、三舍;謂之贏。”《易萌氣樞》曰:“大進曰贏。”班固曰:“出為贏。”石氏曰:“退舍而復,為縮。”《七曜》曰:“退舍,以下一舍、二舍、三舍;謂之縮。”《易萌氣樞》曰:“大退,曰縮。”班固曰:“晚出為縮。”甘氏曰:“相近,為就聚。”甘氏曰:“相遠,為離徒。”石氏曰:“星月相近,俱隆明,為同光。”巫咸曰:“凡五星入月中,星不見,為月食星;星見,為星食月。”
石氏はいう、停駐すべき舎を越えて前へ行くのを「贏」という。《七曜》にいう、舎を越えて前行し、停駐すべき宿を超えて、一舎・二舎ないし三舎も多く出るのを「贏」という。《易萌気枢》にいう、行度が大いに進むのを「贏」という。班固はいう、あらわれるのが早いのが「贏」である。石氏はいう、一舎を退いてからまた行くのを「縮」という。《七曜》にいう、舎を退いて後れ、一舎・二舎ないし三舎も遅れるのを「縮」という。《易萌気枢》にいう、行度が大いに退くのを「縮」という。班固はいう、あらわれるのが遅いのが「縮」である。甘氏はいう、二つの星が互いに寄り添い近づくのを「就聚」という。甘氏はいう、二つの星が互いに遠ざかり離れるのを「離徒」という。石氏はいう、星と月が相近づき、両者が同じように明るく盛大なのを「同光」という。巫咸はいう、およそ五星が月輪の中に入って、星が隠没して見えなくなるのを「月食星」といい、星が依然として見えるのを「星食月」という。
開元占経 巻六十五
石氏中官占 上一
摂提占 一
石氏曰:“攝提六星,夾大角;(入角八度少,去北極五十九度半,在黃帝道內三十二度太。)一名環樞,一名天樞,一名闕丘,一名致法,一名三老,一名天鈇,一名天獄,一名天楯;一名天武;一名天兵。星東西三三而居,形似鼎足,常東向,天子吉昌。若北向,即大人失位,聖人更制,天下有事,期三十日,兵出,復三十日,兵罷。若攝提北向,向格而治,十日而令出,其反故位,十日而兵罷。”
石氏はいう、摂提は全部で六つの星があり、両側に分かれて列なって大角星を中間に挟んでいる。(原書小注:その位は角宿八度余りにあり、北極から五十九度半、黄道以内三十二度余りにある。)摂提は一に「環枢」、一に「天枢」、一に「闕丘」、一に「致法」、一に「三老」、一に「天鈇」、一に「天獄」、一に「天楯」、一に「天武」、一に「天兵」ともいう。この六つの星は東西の両側に三つずつ排列し、形は鼎の三足のようであり、星芒は常に東方を指して、天子の吉慶・昌盛を主る。もし星芒が転じて北方を指せば、大人が権位を失い、聖人が別に法度を立て、天下に変故があらわれることを主り、期限は三十日以内に兵が出て、さらに三十日を過ぎて兵が罷む。もし摂提が北を指すのは、抗格が用事する象で、十日以内に詔令が発せられ、それがもとの方位に回复するのを待てば、十日以内に兵事は平息する。
《天官書》曰:“攝提者,直斗杓所指,以建時,故曰攝提格。”巫咸曰:“攝提三星,如鼎足,左右角,西南向,主易姓。”《樂緯葉圖徵》曰:“攝提為楯,以其夾捧帝席也。”《合誠圖》曰:“攝提主九卿。”《洛書》:“攝提移,政更權。”《帝覽嬉》曰:“仁道不行,攝提失衡。”《含文嘉》曰:“王者敬師長,有尊,則攝提如列;無則反折。”(宋均注曰:師者所以教人為君也,長者所以教納人為長也,大角為帝席,攝提六星攜紀綱,以輔大角,師長象也,如列者,如鼎足,俱東向。)
《史記・天官書》にいう、摂提は北斗の斗柄の指す方向に正対し、それをもって時節を標定するので、紀年に「摂提格」の名がある。巫咸はいう、摂提は左右各三つの星で、形は鼎足のようであり、大角の両側に分居する。もし星芒が転じて西南に向けば、改朝・姓の改まることを主る。《楽緯・叶図徴》にいう、摂提は盾のごときもので、帝席を挟み護り拱衛するからである。《合誠図》にいう、摂提は九卿の位を主管する。《洛書》にいう、摂提が位を移せば、朝政の権柄は取り換えられる。《帝覧嬉》にいう、仁道が行えなければ、摂提は平正を失う。《含文嘉》にいう、君王が師長を敬い尊崇の心を存すれば、摂提は整然と列なり、もしそうできなければ、反折して序を失う。(原書小注:宋均の注にいう、「師」とは人に君主の道を教える者、「長」とは人に長位に居る道を教える者である。大角は帝席であり、摂提の六星は綱紀を執掌して大角を輔衛するのだから、まさに師長の象である。いわゆる「如列」とは、鼎足のように列なって、そろって東方を向くことである。)
《春秋緯》曰:“攝提,斗攜角,以接下化,而東向,令乖行,則天下更紀,王者滅。”《文曜鉤》曰:“代提天下更紀,世有名師。”(宋均曰:主德不一,則攝提代移更紀,授有令名為天下師表者也。)《援神契》曰:“攝提遠度,主接靈。”
《春秋緯》にいう、摂提は上は北斗を承け、下は大角を携えて、政令・教化を下方に伝え布く。それは本来東方を向くべきもので、もし指し示しが乖錯すれば、天下は紀元を改め換え、君王に滅亡の禍があらわれる。《文曜鉤》にいう、摂提が移易すれば、天下は紀元を更改し、世間に名高い宗師があらわれる。(原書小注:宋均はいう、君主の徳が専一でなければ、摂提は位を移して紀元を更换させ、天命は美名があり天下の師表に堪える者に転じ授けられる。)《援神契》にいう、摂提が本来の度数から遠ざかるのは、神霊と相接することを主る。
石氏曰:“攝提色慾黃而潤澤,溫溫不明,天下安;明大者,三公恣,天子弱,鈇鉞用。”《元命包》曰:“攝提反衡,天下大亂,易姓與。”(宋均曰:反衡,謂不東向也。)《春秋緯》曰:“攝提移向北,王者以過見滅;攝提疏潤,大夫僣差。”焦延壽曰:“攝提星近大角,若不居其故,近戚有謀賊王者。”《石氏贊》曰:“攝提六星攜紀綱;建時立節伺機祥。”
石氏はいう、摂提の色は黄で潤沢なのをよしとし、光色が柔和でさほど明るくなければ、天下は安定する。もし明るく盛大であれば、三公が専恣して天子の勢いは弱まり、斧鉞を用いて刑を行うことがあらわれる。《元命包》にいう、摂提が方向を反すれば、天下は大いに乱れ、改朝して姓の改まる事がある。(原書小注:宋均はいう、いわゆる「反衡」とは、東方を向かないことである。)《春秋緯》にいう、摂提が移動して北方を指せば、君王は過失によって覆滅する。摂提の星光が疎散して凝聚しなければ、大夫が僭越して分を逾える。焦延寿はいう、摂提が大角に近づき、もとある位置になければ、近親の外戚が君王を害しようと図謀する。《石氏賛》にいう、摂提の六星は綱紀を執掌し、時令を標定して節候を立て、吉凶の兆を伺い察るために用いられる。
大角占 二
石氏曰:“大角一星,在攝提間;(入亢二度半,去極五十八度,在黃道內三十四度少。)一名格;一名漢星。”《詩緯》曰:“大角,一曰帝筵,成統理。”《紀曆樞》曰:“大角為天棟,以正紀綱;一曰大角為火,以其赤明也。”《春秋緯》曰:“大角為坐候;一曰大角為帝席,以布神厚德。”又曰:“大角者,天王帝筵也。”
石氏はいう、大角はただ一つの星で、摂提の六星の間に位置する。(原書小注:その位は亢宿二度半にあり、北極から五十八度、黄道以内三十四度余りにある。)大角は一に「格」、一に「漢星」ともいう。《詩緯》にいう、大角はまた「帝筵」ともいい、成就して天下の政を統理することを主る。《紀暦枢》にいう、大角は天の棟梁で、綱紀を正すために用いられる。あるいはいう、大角は火に属し、その色が赤く明るいからである。《春秋緯》にいう、大角は天子の座処の候星である。あるいはいう、大角はすなわち帝席で、神明の厚德を敷布するために用いられる。またいう、大角はすなわち天王の帝筵である。
甘氏曰:“大角者,棟星也;其星光澤明大,揚芒奮角,強臣伏誅,天下安寧;芒之所指,兵所從往者,吉。”石氏曰:“大角,天棟也;明則天子威行。”《雒罪級》曰:“棟星亡,不吉,王失號。”《尚書緯》曰:“棟星亡,罪深重,誅。”《春秋緯》曰:“大角不見,蒼帝失勢。”《含文嘉》曰:“王者敬諸父有差,則大角光明以揚。”(宋均曰:諸父,伯仲叔季也;角堅剛而居帝前,帝敬諸父,感天,故應之也。)《鉤命決》曰:“赤滅亂,棟星去。”《論識》曰:“棟星亡,主曠之。”
甘氏はいう、大角は天の棟梁の星である。この星が光沢明大で芒角を揚げていれば、強横な臣が法に伏し誅を受け、天下は安寧することを主る。芒角の指す方向は、すなわち兵を出して進む方向で、出師は利がある。石氏はいう、大角は天棟で、それが明るければ天子の威勢が行われることを示す。《雒罪級》にいう、棟星が隠没するのは不吉の象で、君王は名号を失う。《尚書緯》にいう、棟星が隠没するのは、罪悪が深重で誅戮を受けるべき兆である。《春秋緯》にいう、大角が見えなくなれば、蒼帝は権勢を失う。《含文嘉》にいう、君王が諸父に対し親疎に応じてそれぞれ敬を尽くせば、大角は光明して高く揚がる。(原書小注:宋均はいう、「諸父」とは伯・仲・叔・季の各位の長輩を指す。角星は堅剛で帝座の前に位し、君王が諸父を敬うと天に感動するので、天がこれをもって応ずるのである。)《鉤命決》にいう、赤徳が覆滅し天下が乱離すれば、棟星は去る。《論識》にいう、棟星が隠没すれば、君主の位は空缺しようとしている。
石氏曰:“大角,貴人象也,主帝座;光潤明大,則吉;光不明者,若有他色;青憂,赤兵,黑疾,白喪。大角不明,王者失天心,強臣凌主,天下有憂;秦之亡也,攝提不動,而大角亡去。”焦延壽曰:“大角星,角起揚光,若近天帝;左右有以席薦害主者。”
石氏はいう、大角は貴人の象で、帝座を主管する。それが光沢潤美で明るく盛大なら吉兆である。もし光色が明るくなく、あるいは別の色が雑じっていれば、青色は憂患を主り、赤色は兵事を主り、黒色は疾疫を主り、白色は喪亡を主る。大角が明るくないのは、君王が天心を失い、強臣が君主を凌逼し、天下に憂いがある兆である。かつて秦朝が亡びようとしたとき、摂提は凝然として動かず、大角は隠没して見えなかった。焦延寿はいう、大角星が角芒を立て、光焰を揚発して、あたかも天帝に迫るようであれば、君王の身辺に席荐に侍する便利に乗じて君主を害する者がいることを主る。
郗萌曰:“大角變色,有芒角,大動;不出三月,兵大起。大角數動,人主好遊,不居其宮,馳騁天下。(《晉陽秋》曰:孝武太元二年七月乙亥,大角搖。三年二月乙巳,作新宮,帝及二年移會稽。)大角不明,則天子耗衰。棟星明大,天子輔強。”《荊州占》曰:“棟星亡,王者死。”韓楊曰:“大角動搖,主不安,臣下有惡事劫主者。”(《宋天文志》曰:安帝隆安五年七月癸亥,大角星散搖,五色,元興二年,桓玄纂位,遷帝潯陽。)《石氏贊》曰:“大角帝席,色慾明,光隆潤澤,德合同。”
郗萌はいう、大角が色を変え、芒角を射出して、動揺が激しければ、三か月を出ずに大挙して兵を起こす。大角がしきりに動揺するのは、君主が遊楽を貪り好み、宮中に安居しようとせず、天下にあちこち駆け巡ることを主る。(原書小注:《晋陽秋》に記す、晋の孝武帝太元二年七月乙亥に大角星が動揺し、三年二月乙巳に新宮を営建した。皇帝はその前年に会稽に移駐したことがあった。)大角が明るくなければ、天子の国力は衰耗する。棟星が明るく盛大なら、天子の輔臣は強盛である。《荊州占》にいう、棟星が隠没すれば、君王は死亡する。韓揚はいう、大角が動揺すれば、君主は安寧を得ず、臣下に凶悪の謀があり君主を劫制する。(原書小注:《宋書・天文志》に記す、晋の安帝隆安五年七月癸亥に、大角星は光が涣散し動揺して、五色を現した。元興二年、桓玄が位を篡奪し、皇帝を尋陽に遷した。)《石氏賛》にいう、大角は帝席で、色は明るいのをよしとし、光輝が隆盛で潤沢ならば、君徳が天道と合することを示す。
梗河占 三
石氏曰:“梗河三星,大角北。”(西星入亢八度,去極三十八度,在黃道內四十九度。)郗萌曰:“天矛者,天子之兵也。”《黃帝占》曰:“梗河三星,天鋒;天之劍戟,主於罰戮;其星如常明而不動,邊寇寧,天下安;星若明大,芒角動搖,邊夷兵起,胡人為亂,王者有憂。”《荊州占》曰:“梗河,天楯;(晉灼曰名天蠶)玄戈,天矛也。相近相向,大安。”
石氏はいう、梗河は三つの星から成り、大角星の北面にある。(原書小注:西の一星は亢宿八度にあり、北極から三十八度、黄道以内四十九度にある。)郗萌はいう、天矛はすなわち天子の兵器である。《黄帝占》にいう、梗河の三星は天上の鋒刃、天の剣戟で、刑罰・誅戮を主掌する。この諸星がつねどおり明るく動揺しなければ、辺境の寇警は安寧し天下は太平である。もし星色が明大で、芒角を射出して動揺すれば、辺地の夷狄が兵を起こし、胡人が乱をなし、君王に憂患があらわれる。《荊州占》にいう、梗河は天の盾牌であり(原書小注:晋灼はその名を天蚕という。)、玄戈は天の長矛である。両者が互いに近づき彼此相対すれば、天下は大いに安んずる。
石氏曰:“梗河三星,天矛也;梗者遞也,河者擔也;士卒更遞,擔持天矛,以行也;在斗杓頭,主殺,所向無前也;主胡兵,芒角大,則四裔不清,邊兵大起。”《黃帝》曰:“梗河主喪,陰十日不見,國有喪;以初不見日,占之男女。梗河末男,本女;天不陰,梗河亡不見,視二十八宿星嬴縮;若在北斗傍,所見之宿,其國若諸侯有喪。”
石氏はいう、梗河の三星はすなわち天矛である。「梗」は更に迭り輪換する意、「河」は担荷する意で、士卒が入れ替わり天矛を担いで前行する象を取ったものである。それは北斗斗柄の前端に位して、殺伐を主り、向かうところ敵なしである。梗河はまた胡人の兵事を主り、芒角が粗大であれば、四方の辺地は清静でなく、辺境で大いに兵を用いる。《黄帝占》にいう、梗河は喪事を主る。陰天に遭って十日連続でそれが見えなければ、国中に喪があり、それが最初に隠没した日の干支によって、死者が男か女かを占断できる。梗河の末端の一星は男を主り、本端の一星は女を主る。もし天が陰でもないのに梗河が隠没して見えなければ、二十八宿の行度が進んでいるか後れているかを察する。もし隠没したところが北斗に近ければ、それのある一宿を見て、その宿の主る邦国あるいは諸侯に喪事があるであろう。
石氏曰:“梗河亡三日不見,國有謀兵,若諸侯有死者;七日不見,國有大喪;以其初不見之日,以占其國。梗河,天矛也;亡不見,即有所藏;所藏之國,宿有謀兵,不然有喪,求於二十八宿,若斗;則是以見之日知其期。”《荊州占》曰:“天矛星不欲明大,明大兵起。”石氏曰:“梗河三星,天矛鋒。”
石氏はいう、梗河が隠没して三日見えなければ、国中に兵変を図謀する者があり、あるいは諸侯の中に死ぬ者がある。隠没して七日見えなければ、国家に大喪がある。それが最初に隠没した日に拠って、どの邦国に応ずるかを占断する。梗河はすなわち天矛で、それが隠没して見えないのは、蔵匿するものがあることを示す。蔵匿されたその邦国には、きっと以前から兵事を謀る者があったか、さもなければ喪事がある。具体的にどこに応ずるかは、二十八宿の中で推し求めるか、あるいは斗宿を準として、それが再びあらわれた日によって応験の期限を推知する。《荊州占》にいう、天矛の星は明るく盛大であるべきではなく、明るく盛大であれば兵を起こす。石氏はいう、梗河の三星はすなわち天矛の鋒刃である。
招揺占 四
石氏曰:“招搖一星,梗河北。”(入氐二度半、去極四十度太,在黃道內五十七度強。)《黃帝》曰:“招搖,尚羊也;(吳龔《天官星占》曰:常陽)尚羊者,懸以匡也;一名矛楯,胡星也;與梗河、玄戈,列從北斗柄端,抵大角;近北斗者玄戈,次曰招搖;星明大,赤角而動,胡兵大起,四夷主昌,中國亡。又曰:其俱明,胡利。”
石氏はいう、招揺はただ一つの星で、梗河の北面にある。(原書小注:その位は氐宿二度半にあり、北極から四十度余り、黄道以内五十七度強にある。)《黄帝占》にいう、招揺はまた「尚羊」ともいう(原書小注:呉龔の《天官星占》はこれを「常陽」と称する。)。いわゆる「尚羊」とは、高く上に懸って以て天下を匡正する義を取ったものである。それはまた「矛楯」とも名づき、胡人の事を主る星である。招揺は梗河・玄戈とともに北斗斗柄の末端から順に排列して下り、大角にまで至る。北斗に近いのは玄戈で、その次が招揺である。この星が明るく盛大で、赤色の芒角を射出して動揺すれば、胡人が大挙して兵を出し、四夷の君が興盛して、中原が損を受けることを主る。またいう、この諸星がともに明るければ、胡人に利がある。
《黃帝占》曰:“招搖為矛,攝提大楯。相當,兵大起,大戰。”《春秋緯》曰:“斗端有兩星,一內為招搖,一外為楯,天鋒主兵用,若動,兵大行。”《荊州占》曰:“招搖,南夷也。”巫咸曰:“矛、楯,兵星,金官也。”《黃帝占》曰:“招搖欲與梗河星相直,則胡常來受命,貢獻於中國;不相直,則胡人叛戾。招搖明而不正,胡不來受命;斗末之星,招搖之間,名為天庫;招搖離其處,名曰開庫,開庫兵發。招搖星欲明而微小,則王者威令行四夷。”
《黄帝占》にいう、招揺は長矛で、摂提は大盾である。両者が正しく相対当すれば、大挙して兵を興し大戦が起こることを主る。《春秋緯》にいう、北斗の柄端に二つの星があり、内側にあるのは招揺、外側にあるのは盾星で、ともに天鋒に属し、兵器の動用を主る。それらがひとたび動揺すれば、兵事が大いに行われる。《荊州占》にいう、招揺は南方の夷人を主る。巫咸はいう、矛・楯はいずれも兵星で、金の官に属する。《黄帝占》にいう、招揺は梗河星と正しく相対直するのをよしとし、そうであれば胡人は常に来て命を聴き、中原に進貢する。両者が相対直しなければ、胡人はたちまち叛離する。招揺が明るくても位置が正しくなければ、胡人は命を受けに来ない。北斗の末端の星と招揺の間の一片の天区を「天庫」と名づける。招揺がもとの位を離れるのを「開庫」といい、開庫すれば兵を発する。招揺の星は明るくて形体が微小なのをよしとし、そうであれば君王の威令が四夷に行われる。
《春秋緯》曰:“矛楯動,兵四行,臣子謀,妄姦通,弒君弒父,九州振。”《春秋緯》曰:“楯動搖,若角,大兵起,天下弒主,害於中發,四方並興,王者行德、納賢、正度。”又曰:“臣主爭伐相誅,則矛楯角躍相扦。”焦延壽曰:“招搖亡去,國兵起,主遇賊。”
《春秋緯》にいう、矛・楯の二星が動揺すれば、兵事が四方に起こり、臣子は異図を懐き、邪妄の人は暗に結託し、ついには君を弑し父を弑するに至り、九州が震動する。《春秋緯》にまたいう、盾星が動揺し、さらに芒角を射出すれば、大挙して兵を興し、天下に君主を弑殺する事があり、禍害は内部から発作し、四方がいっせいに騒動する。このような天象に遇ったら、君王は徳政を施行し、賢才を進用し、法度を端正すべきである。またいう、臣と君が互いに攻伐し誅戮すれば、矛・楯の二星は角芒が跳動し、彼此抵拒する。焦延寿はいう、招揺が隠没して位を離れれば、国中に兵が起こり、君主は賊害に遭う。
《天官書》曰:“招搖星赤角,胡兵大起,不來受命;星大亦然。”《荊州占》曰:“招搖奮,光明動,天子強。招搖色青,有憂;赤白而明者,天子有怒;黃白光澤,天下安靜;小而黑,軍破國亡;又曰:色黑為弱。”《荊州占》曰:“矛楯動,近臣恣,庶雄謀。”《石氏贊》曰:“招搖、玄戈,主胡兵;芒角變動,兵革行。”
《史記・天官書》にいう、招揺星が赤色の芒角を射出すれば、胡人が大挙して兵を出し、命を受けに来ようとしないことを主る。星体が大きくなるのも同様の応験である。《荊州占》にいう、招揺が奮い起こり、光芒が明るく閃動すれば、天子は強盛である。招揺の色が青ければ憂患があり、色が赤白で明るければ天子は怒り、色が黄白で潤沢ならば天下は安静し、星形が小さく色が黒ければ軍隊は潰敗し国家は危亡する。またいう、色が黒いのは衰弱を示す。《荊州占》にいう、矛・楯の二星が動揺すれば、近臣が専恣し、草野の豪雄が不軌を図謀する。《石氏賛》にいう、招揺と玄戈は胡人の兵事を主り、ひとたび芒角が変異して動揺すれば、戦乱が興起する。
玄戈占 五
石氏曰:“玄戈一星,在招搖北。”(入氐一度,去極三十二度半,在黃道內五十三度半。)《黃帝占》曰:“玄戈,主北夷;玄戈,招搖雌也,星欲小微;小微,則王者吉,天下安寧;其星明而大,則胡夷單于動,兵大起。”甘氏曰:“玄戈主胡兵,星若小動,兵小動;大動,兵大起,胡人入境。”
石氏はいう、玄戈はただ一つの星で、招揺の北面にある。(原書小注:その位は氐宿一度にあり、北極から三十二度半、黄道以内五十三度半にある。)《黄帝占》にいう、玄戈は北方の夷狄を主る。玄戈は招揺の雌配の星で、陰に属し、星形は細小で暗弱なのをよしとする。細小で暗弱であれば、君王は吉利で天下は安寧する。この星がもし明るく盛大であれば、胡夷の単于が挙動をなし、大挙して兵を興す。甘氏はいう、玄戈は胡人の兵事を主る。この星がもし小幅に動揺すれば、胡兵は小さく動作し、大幅に動揺すれば、大挙して兵を興し、胡人が辺境に侵入する。
《樂緯》曰:“玄戈,宮也。戊子候之,宮亂則荒,其君驕,不聽諫,佞在側;宮和,利致鳳凰,頌聲作。”《荊州占》曰:“玄戈,小數動,後而大動,則兵大起。”石氏曰:“玄戈星赤,天下有兵。”
《楽緯》にいう、玄戈は五音のうち「宮」の声に対応し、戊子の日にそれを候察する。宮声が錯乱すれば、政事は荒廃し、その君主は驕縦で、諫諍を聴納しようとせず、諂佞の人が側に侍立する。宮声が和諧すれば、鳳凰を招き致すことができ、頌揚の声が興る。《荊州占》にいう、玄戈がまず小幅にしきりと動揺し、後に転じて大動となれば、大挙して兵を興す。石氏はいう、玄戈の星色が赤くなれば、天下に兵事がある。
天槍占 六
石氏曰:“天槍三星,在北斗杓東。”(西星入氐太,去極二十八度太,在黃道內七十一度。)《黃帝占》曰:“天槍,一名天鉞,三星鼎足形,在北斗柄端。其狀忽然不明,明大則斧鉞用;一曰有兵,小不明,則兵罷。”石氏曰:“天槍三星,主帝伏兵,槍者,今之槍也,以竹為之,銳其頭,以捶地,鋒外向,以槍人;星溫溫而不明,則吉;若光明,則伏兵行。”
石氏はいう、天槍は三つの星から成り、北斗斗柄の東面にある。(原書小注:西の一星は氐宿一度余りにあり、北極から二十八度余り、黄道以内七十一度にある。)《黄帝占》にいう、天槍は一に「天鉞」ともいい、三つの星が鼎足の形に排し、北斗の柄端に位置する。その形状が忽然として晦暗に変わる。もし明るく盛大であれば、斧鉞を用いて刑を行い、一説には兵事があるという。もし星が小さく明るくなければ、兵事は停息する。石氏はいう、天槍の三星は帝王の伏兵を主る。いわゆる「槍」とは、今日用いる槍で、竹をもって作り、頭を削り尖らせて、地に挿し立て、鋒刃を外に向けて人を刺すために用いる。この星の光色が温和で明るくなければ吉兆である。もし光焰が明るければ、伏兵が出動する。
巫咸曰:“槍,金官也。”《黃帝》曰:“槍三星,備非常,若今之機槍也;其星溫而不明,則王者吉;其星明大,則兵起斧鑕用。”石氏曰:“左槍、右棓,天之武備也;攻城襲邑,當視槍星;大而明,若有叛而自歸者,其國不可出兵,星小而明,兵可出,城可襲。”
巫咸はいう、槍星は金の官に属する。《黄帝占》にいう、槍の三星は非常の変に備えるために設けられたもので、たとえれば今日の機関銃のようなものである。この星の光色が温和で明るくなければ、君王は吉利である。この星が明るく盛大であれば、兵を興し、斧鑕を用いて刑を行う。石氏はいう、左は槍、右は棓で、いずれも天上の武備である。およそ城を攻め邑を襲おうとするときは、まず槍星を見るべきである。星が大きく明るいか、あるいは先に叛離して後に自ら帰附するような情形があらわれたら、その国家に兵を出してはならない。星が小さく明るければ、兵を出してよく、城邑を襲い取ることができる。
《荊州占》曰:“天槍,一星不具所見而兵起。”《黃帝》曰:“天槍星動搖,若角,大兵起,天下弒主,害以中發。”《荊州占》曰:“天槍揚光,天降喪亂。”《石氏贊》曰:“槍棓八星,備非常。”
《荊州占》にいう、天槍の三星のうち一つが殘缺していて、ひとたびあらわれれば兵を興す。《黄帝占》にいう、天槍の星が動揺し、さらに芒角を射出すれば、大挙して兵を興し、天下に君主を弑殺する事があり、禍害は内部から発作する。《荊州占》にいう、天槍の光芒が揚発すれば、上天はまさに喪乱を降さんとする。《石氏賛》にいう、槍・棓は合わせて八つの星で、いずれも非常の変に備えるために設けられたものである。
天棓占 七
石氏曰:“天棓(蘇林曰:打棓之棓。)五星,在女床東北。”(柄星入箕八度半,去極三十二度,在黃道內七十一度。)郗萌曰:“天棓者,先驅也。”石氏曰:“天棓五星,天之武備也;棓者,大杖;所以打賊也;皆所以禁暴橫,備不虞也。”
石氏はいう、天棓(原書小注:蘇林はいう、この字は打棓の「棓」と読む。)は全部で五つの星で、女床の東北面にある。(原書小注:柄端の一星は箕宿八度半にあり、北極から三十二度、黄道以内七十一度にある。)郗萌はいう、天棓は天子の前駆である。石氏はいう、天棓の五星は天上の武備である。「棓」とは大きな棍棒で、盗賊を撃ち撲るために用いるものである。これらの星はみな強暴横行を禁絶し、意外の変に備えるために用いられる。
《黃帝占》曰:“天棓五星,天之武備也;以防不虞。其星不明而靜,則天下無兵;其星明大,動搖,則兵大起,五仗用。”石氏曰:“天棓,一星不見,其國兵起。”郗萌曰:“天棓星,微細則吉;變明則凶,有憂。”《荊州占》曰:“天棓,一星不見,天下有大兵。”
《黄帝占》にいう、天棓の五星は天上の武備で、意外の変に備えるために用いられる。この諸星が明るくなく安静であれば、天下に兵事はない。この諸星が明るく盛大で動揺すれば、大挙して兵を興し、五種の兵仗はいずれも動用される。石氏はいう、天棓の五星の中に一つ見えなくなれば、その国家は兵を興す。郗萌はいう、天棓の星が細微で暗弱なのは吉兆である。転じて明るくなれば凶兆で、憂患がある。《荊州占》にいう、天棓の五星の中に一つ見えなくなれば、天下に大規模な戦事がある。
女床占 八
石氏曰:“女床三星,在天紀北。(西星入箕三度,去極五十度,在黃道內五十六度。)女床,後宮御也,眾妾所居宮也;侍皇后,隨從以時御見者。”《黃帝》曰:“女床星,後宮御也,嬪妾所居宮也;其星欲明,大小相承,如其故;則后妃安,宮人吉;星若微小不明,非其常處,嬪妾不安,其宮有憂。”
石氏はいう、女床は三つの星から成り、天紀の北面にある。(原書小注:西の一星は箕宿三度にあり、北極から五十度、黄道以内五十六度にある。)女床は後宮の侍御の象で、衆妾の居る宮室であり、皇后に侍奉して次序に従い番に入り御する人々を指す。《黄帝占》にいう、女床の星は後宮の侍御の象で、嬪妾の居る宮室である。この諸星は明るく、大小が順序に従って相承し、つねどおりであればよく、そうであれば后妃は安寧し、宮人は吉利である。星がもし細小で暗弱か、あるいは平常の位置になければ、嬪妾は安寧を得ず、その宮中に憂患がある。
郗萌曰:“女床者,主女藏。”石氏曰:“女床星不明,則吉;明,則宮女恣。女床星動,不吉。”焦延壽曰:“女床星舒,妾代女主,不乃死。”《荊州占》曰:“女床星無故不見,女子多疾。”韓揚曰:“女床非其故,則後宮有憂。”石氏曰:“女床主女事,行列微靖,吉;亂明動,不吉。”《石氏贊》曰:“女床三星,待後宮。”
郗萌はいう、女床は女子の私蔵を主管する。石氏はいう、女床の星が明るくないのは吉兆で、明るければ、宮女は恣縦になる。女床の星が動揺するのは不吉である。焦延寿はいう、女床の星の光焰が舒散すれば、姫妾が女主の地位に取って代わることを主り、さもなければ女主が身死する。《荊州占》にいう、女床の星が故なく隠没して見えなければ、女子に疾病が多い。韓揚はいう、女床が常態に合わなければ、後宮に憂患がある。石氏はいう、女床は女子の事を主管し、行列が細微で安静であれば吉利で、錯乱・明亮・動揺はいずれも不吉である。《石氏賛》にいう、女床の三星は、後宮に侍奉する象徴である。
七公占 九
石氏曰:“七公七星,招搖東。”(西星入氐四度半,去極三十九度少,在黃道內五十九度半強。)《黃帝》曰:“七公,一名天紀。七公主議疑,天之輔助,七政之象,評議之臣;其星大而齊明,議人有忠,王者安;其星大小有差,微而不明,議者不同,決事不從,人主有憂。”石氏曰:“七公,天之相也,三公廷尉之象也;上星、上公也;次星、中公也;明則七輔強。”
石氏はいう、七公は全部で七つの星で、招揺の東面にある。(原書小注:西の一星は氐宿四度半にあり、北極から三十九度余り、黄道以内五十九度半強にある。)《黄帝占》にいう、七公は一に「天紀」ともいう。七公は疑難の事務の評議を主管し、上天の輔弼で、七政の道を象徴する。すなわち評議を負う大臣である。この七つの星が大きくそろって明るければ、評議に与る者は忠誠で、君王は安寧する。この七つの星の大小が参差して暗弱で明るくなければ、評議する者は各々己が説を執り、事情を裁断して一致を得られず、君主に憂患がある。石氏はいう、七公は天の輔相で、三公と廷尉を象徴する。上の一星は上公、次は中公である。星が明るければ、七人の輔臣は強く力がある。
《海中占》曰:“七公,七輔也;上星、上公;次星、次公;下星、下公;各以其次第齊明,輔臣居其常職;其星不明者,各以其次,輔臣有黜,若有罪,期不出年。”郗萌曰:“七公,主七政,別善惡。”石氏曰:“七公主議疑,天之相理,謂三公,左輔右弼,前疑後丞之官,平議疑獄,斷折刑法,欲詳審也;星大小不明,議事者不從也。”《石氏贊》曰:“七公七星,議欲詳。”
《海中占》にいう、七公とは七人の輔臣である——上の星は上公、中の星は次公、下の星は下公である。それぞれ次第に従ってそろって明るければ、輔臣はいずれも本職に安居する。どの星か明るくなければ、その次第に照らして推断し、相応するその輔臣は罷黜されるか、あるいは罪を得て、期限は一年を出ない。郗萌はいう、七公は七政を主管し、善悪を分辨する。石氏はいう、七公は疑難の事務の評議を主管し、天の輔相の理で、三公および左輔・右弼・前疑・後丞のこれらの官職を指し、疑難の獄案を平議し刑法を裁断し、もっぱら詳密で審慎であることを求める。諸星の大小がそろわず明るくなければ、評議の事が一致を得られないことである。《石氏賛》にいう、七公の七星は、評議はもっぱら周詳を求める。
貫索占 十
石氏曰:“貫索九星,(《天官書》曰:“勾圜一十五星,屬杓,曰賊人之牢。案:貫索為賊人之牢,止有九星,未詳遷所云十五星所以在七公前。上右星入尾半度,去極五十九度少,在黃道內三十七度。)在七公前。”《黃帝占》曰:“天牢者,賊人之牢也,天下獄律也;一名連索;一名天受;一名天圍。”《論讖》曰:“貫索,主天牢。”郗萌曰:“貫索,而逮獄之法律也;天牢,主天子之疾病憂患。”《春秋緯》:“貫索,賊人之牢;中星實,則囚多;虛、則開出。”
石氏はいう、貫索は全部で九つの星(原書小注:《史記・天官書》にいう、勾圜は十五星で、斗柄に隷属して「賊人之牢」と呼ばれる。按すれば、貫索が賊人之牢として九つの星しかないのに、司馬遷のいう十五星がなぜ七公の前に列せられるか、その義は明らかでない。右上一星は尾宿半度にあり、北極から五十九度余り、黄道以内三十七度にある。)であり、七公の前面に位置する。《黄帝占》にいう、天牢は盗賊・罪人を収め関する牢獄で、天下の刑獄・律法の象徴であり、一に「連索」、一に「天受」、一に「天囲」ともいう。《論讖》にいう、貫索は天牢を主管する。郗萌はいう、貫索とは逮捕して獄に繋ぐ法律である。天牢はまた天子の疾病・憂患を主る。《春秋緯》にいう、貫索は賊人の牢獄である。圏中の星が密実ならば、囚人は多く、圏中が空虚ならば、囚人は開釈されて獄を出る。
石氏曰:“貫索北開,名曰牢戶;其星間闊,則戶開,必有赦;若星狹而不開,牢中有憂,貴人當之。”《黃帝占》曰:“常以四時候天牢,其口星開披,天下赦;不赦,逆人,主憂,開市不利。”
石氏はいう、貫索は北面に一か所の缺口を留めており、名を「牢戸」という。諸星の間が広ければ、すなわち牢戸が敞開しており、必ず赦令がある。もし星の距が緊狭で敞開しなければ、牢中に憂患があり、貴人に応ずる。《黄帝占》にいう、四季に応じて時に天牢を候察すべきである。牢口の星が両辺に分かれれば、天下に大赦がある。もし赦令が下されなければ、叛逆の人が乱を起こし、君主は憂慮し、市を開いて貿易するのも順調でなくなる。
《黃帝占》曰:“天牢中央大星,牢監也;左右徙倚,不居其處,若不見,大赦,期十八日。天牢中常有繫星三,以甲子、丙子、戊子、庚子、壬子暮視之;其一星去,有善事;其二星去,有賜令爵祿之事;三星盡去,人主德,令赦天下。甲子,期八十一日;丙子,期七十二日;戊子,期六十日;庚子,期八十日;壬子,期六十二日而赦。”
《黄帝占》にいう、天牢中央の大星は獄監である。それが左右に移動してもとの処に安居せず、あるいは隠没して見えなければ、大赦があり、期限は十八日である。天牢の中には常に三つの「繋星」があり、甲子・丙子・戊子・庚子・壬子のこれらの日の夕方に観察すべきである。その中の一つの星が去れば、よい事があり、二つの星が去れば、爵禄を賜授する詔令があり、三つの星がすべて去れば、君主は徳政を施行し、令を下して天下を大赦する。もし甲子の日に観測すれば期限は八十一日、丙子の日なら期限七十二日、戊子の日なら期限六十日、庚子の日なら期限八十日、壬子の日なら期限六十二日で、それから赦令が頒下される。
《黃帝》曰:“天牢中星,不欲眾,眾則囚多;其中星稀,則囚少;其中無星,天下無罪人,其國安。連索直而抵織女,天下有急布帛之徵。”石氏曰:“貫索入漢中,人相食,兵起。天牢口所向開門者,兵所往,期六月。”焦延壽曰:“貫索星戶開,左右星入牢中,有貴人自索,守者不復,必凶、兵、死。”
《黄帝占》にいう、天牢の中の星は多いのを宜とせず、多ければ囚人が多く、圏中の星が疎ならば囚人が少なく、圏中に一つの星もなければ、天下に罪人なく国家は安定する。連索が一本の線のように真直ぐに織女を指せば、天下に布帛を緊急に徴発する事がある。石氏はいう、貫索が天漢の中に侵入すれば、人が相食み、兵事が興起することを主る。天牢の缺口がどの方角に向かって開くか、それがすなわち兵鋒の向かう方角で、期限は六か月である。焦延寿はいう、貫索の牢戸が敞開して、左右の星が牢の中に入れば、貴人が自ら囹圄に陥ることを主り、看守する人は帰って来られず、必ず凶事・兵禍と死亡がある。
郗萌曰:“天牢直若角,赦,以午未候之。天牢旁有此星,以至開閉;天牢已開,天下大赦。此星閉而赦;此星以開,不赦,為不慎;順,天牢空,更立元年;不行德令,天雨沙石,期三年。”《天官書》曰:“赦帝行德,天牢為之空。”《荊州占》曰:“天牢中多星,則多係囚;九星,天下獄煩;八星,奸人入;七星,小赦;六星、五星,大赦。天牢斧鑕動搖,非其故,斧鑕用。”《石氏贊》曰:“貫索九星,禁暴橫。”
郗萌はいう、天牢の諸星が端直に排列し、若しまた芒角を射出すれば、赦令があることを主り、午・未の二つの時刻に候察できる。天牢のそばにこのような一つの星があって、牢門の開閉を管掌する——天牢がすでに開けば天下に大赦があり、この星が閉じているときに赦令を下すのは合宜で、この星がすでに開いているのに赦令を下さないのは不謹慎である。もし天意に順応できれば、天牢の中に一つの星もなければ、改元すべきで、徳政を施行しなければ、上天は沙石の雨を降らせ、期限は三年である。《史記・天官書》にいう、君主が徳を施して赦を下せば、天牢はそれがために空虚となる。《荊州占》にいう、天牢の中に星が多ければ、繋押される囚人が多く、九つの星があれば天下の刑獄は煩苛で、八つの星ならば奸人が入獄し、七つの星ならば小赦があり、六つまたは五つの星ならば大赦がある。天牢の中の斧鑕の星が揺動して常態に合わなければ、斧鑕を動用して刑を行う。《石氏賛》にいう、貫索の九星は、強暴横行を禁絶することを主る。
天紀占 十一
石氏曰:“天紀九星,在貫索東。”(西星入尾五度,去極五十一度半,在黃道內五十六度太。)《黃帝》曰:“天紀,天緯也,主正理冤訟。星齊明,王法正直,無有偏黨,天下綱紀。”《論讖》曰:“天紀星,以表九州定圖位。天紀星,主歷、音律。”《黃帝》曰:“天紀星敗絕,山崩易政,有饑民,君不安。”
石氏はいう、天紀は全部で九つの星で、貫索の東面にある。(原書小注:西の一星は尾宿五度にあり、北極から五十一度半、黄道以内五十六度余りにある。)《黄帝占》にいう、天紀はすなわち天の経緯で、公正に冤屈と訴訟を処理することを主管する。これらの星がいっせいに明亮すれば、王法が公正平直で、偏私・党附なく、天下の綱紀は井然とする。《論讖》にいう、天紀の星は九州を標示し、輿図の方位を厘定するために用いられ、天紀の星はまた暦法と音律を主管する。《黄帝占》にいう、天紀の星が残敗断絶すれば、山崩・政令の更易を主り、飢民があらわれ、君主は安寧を得ない。
石氏曰:“天紀絕,天下大亂,主凶。天紀星明,天下多詞訟者;亡,則政理壞。”焦延壽曰:“天紀星與女床合,王者妻姑姨以淫亡;若以女謁失位。”郗萌曰:“紀星入漢中,人相食。”班固《天文志》曰:“紀星散者,山崩;不則有喪。”《荊州占》曰:“紀星散絕,不山崩,則主死;又曰紀星馳散,則國綱紀亂。”《石氏贊》曰:“天紀九星,理怨訟。”
石氏はいう、天紀が断絶すれば、天下は大いに乱れ、君主に凶険がある。天紀の星が明亮すれば、天下に訴訟する人が多く、天紀が隠没すれば、政務・法度が敗壊する。焦延寿はいう、天紀の星が女床と相合すれば、君王の妻室・姑姨が淫乱のために敗亡するか、あるいは女子の請託による干政によって地位を失うことを主る。郗萌はいう、天紀の星が天漢の中に侵入すれば、人が相食むことを主る。班固《漢書・天文志》にいう、天紀の星の光が涣散すれば、山崩を主り、そうでなければ喪事がある。《荊州占》にいう、天紀の星が散乱断絶すれば、山崩でなければ君主の死亡である。またいう、天紀の星が四散奔驰すれば、国家の綱紀が紊れようとする。《石氏賛》にいう、天紀の九星は、冤屈と訴訟を処理することを主る。
織女占 十二
石氏曰:“織女三星,在天紀東端。”(大星入斗十一度,去極五十二度,在黃道內六十三度太。)郗萌曰:“織女一名東橋。”《荊州占》曰:“織女一名天女,天子之女也;在牽牛西北,鼎足居,星足常向牽牛、扶筐,牽牛、扶筐星亦常向織女之足,不如其故,布帛倍其價,若有喪。”(班固《天文志》曰:織女。杜預曰:星占之織女,處女也,天孫女也。案:織女七夕有渡河之期,似非處女之稱。)
石氏はいう、織女は三つの星から成り、天紀の東端にある。(原書小注:大星は斗宿十一度にあり、北極から五十二度、黄道以内六十三度余りにある。)郗萌はいう、織女は一に「東橋」ともいう。《荊州占》にいう、織女は一に「天女」ともいい、天子の娘である。それは牽牛の西北にあり、三星は鼎足の形に排し、星の足は常に牽牛と扶筐に向かい、牽牛・扶筐の星も常に織女の足端に向かう。もし常態に合わなければ、布帛の価格が倍に騰がるか、あるいは喪事がある。(原書小注:班固《漢書・天文志》はそれを織女と称す。杜預はいう、星占の織女は処女で、天帝の孫娘である。按すれば、織女には七夕に河を渡り相見ゆる期約があるので、処女と称すべきでないようである。)
石氏曰:“織女主經緯絲制之事,大聖皇聖之母,二小星者,太子、庶子位也;三星俱明,天下和平。”《詩紀曆樞》曰:“織女內正紀綱。”《合誠》曰:“織女,天女也;主瓜果、收藏、珍寶,以保神明,成衣立紀,故齊制成文繡,應天道。”巫咸曰:“織女,天水官也。”郗萌曰:“織女大長秋也。”
石氏はいう、織女は絲帛を紡織し、衣物を裁制する事務を主管する。大星は大聖・皇聖の母を象徴し、二つの小星は太子と庶子の位次である。三星がいっせいに明亮すれば天下は和平である。《詩紀歴枢》にいう、織女は内において綱紀を端正する。《合誠図》にいう、織女はすなわち天女で、瓜果・收藏と珍宝を主管し、神明を保守し、衣服を製して法度を確立するために用いられる。ゆえに整斉と文繍を織りなして、まさに天道に合する。巫咸はいう、織女は天上の水を掌る官である。郗萌はいう、織女は宮中の大長秋の職に相当する。
《黃帝》曰:“織女主絲帛五彩之府,大星後兩小星,太子之位,三星齊明,天下和平,絲綿採帛賤;星若不明,主后有憂,絲綿繒帛貴。織女大星怒而角者,布帛貴。”《黃帝》曰:“織女,一星亡,兵起,女子為侈;織女不居其處,若更天下,以女為憂。”
《黄帝占》にいう、織女は絲帛と五彩の府庫を主管する。大星の後の二つの小星は太子の位である。三星がいっせいに明亮すれば天下は和平で、絲綿・彩帛は廉価である。星がもし明亮でなければ、皇后に憂患があることを主り、絲綿・繒帛は高価となる。織女の大星の光色が怒張して芒角を射出すれば、布帛は値上がりする。《黄帝占》にまたいう、織女の三星の中に一つが隠没すれば、兵を興し、女子の風気は奢侈に趨り、織女がもとの位置に在らなければ、天下に更迭がありそうで、憂患は女子から起こるであろう。
石氏曰:“織女之道與貫索相直,布帛賤,不相直,天下有急,布帛貴。織女主絲帛之事,與扶筐為妃,其足常向扶筐,即吉;不則絲帛有變,其一足亡也,女病;或曰兵起。”
石氏はいう、織女の行く道が貫索と正しく相対直すれば、布帛は廉価で、両者が相対直しなければ、天下に急難があって布帛は高価となる。織女は絲帛の事を主管し、扶筐と配って匹偶となり、その星の足が常に扶筐に向かえば吉利で、さもなければ絲帛の行情が生変する。三星の中に一足を欠けば、女子に病があることを主り、あるいは兵を興すことを主るともいう。
焦延壽曰:“織女星入漢,婦人皆水行,後亦然。”郗萌曰:“織女晨見東方,赤精明,女工善;不精明,女工惡;常以十月朔,六七日視之。”郗萌曰:“織女星非故,山搖地動,若牛疾。”陳卓曰:“王者至孝,神祗咸喜,則織女三星俱明,天下和平。”《石氏贊》曰:“織女三星保神明,收藏珍寶以奉王。”
焦延寿はいう、織女の星が天漢に侵入すれば、婦人はみな水を渉って行くことを主り、皇后も同様である。郗萌はいう、織女が清晨に東方にあらわれ、色が赤く精光が明亮すれば、女紅は興隆し、もし精光が明亮でなければ女紅は衰敗する。通常は十月初一および初六・初七のこらの日にそれを観察する。郗萌にまたいう、織女の星が常態に合わなければ、山揺れ地動くことを主るか、あるいは牛に疫が生じる。陳卓はいう、君王がきわめて孝順であれば、天神・地祇がみな歡び、織女の三星はいっせいに明亮し、天下は和平である。《石氏賛》にいう、織女の三星は神明を保守し、珍宝を收藏して君王に奉養する。
天市垣占 十三
石氏曰:“天市垣,二十二星。(張衡《渾儀》曰:天市二十二星帝座前有一耳。)在房心東北。(門右星入尾太,去極九十四度少,在黃道內一度少。)郗萌曰:“天市垣星,一名天府;一名長城。”巫咸曰:“天市,五帝之治水官也。”郗萌曰:“天市者,天子之市也。”
石氏はいう、天市垣は全部で二十二の星がある。(原書小注:張衡《渾儀》にいう、天市二十二星、帝座の前にもう一つの星がある。)それは房宿・心宿の東北方にある。(原書小注:市門の右の一星は尾宿一度余りにあり、北極から九十四度強、黄道以内一度強にある。)郗萌はいう、天市垣の星は一に「天府」、一に「長城」ともいう。巫咸はいう、天市は五帝の手下の治水を掌る官である。郗萌はいう、天市はすなわち天子の市場である。
《詩緯》曰:“天市,主聚眾。”《春秋緯》曰:“天市,主權衡。”《荊州占》曰:’天市西北大星,南方相去三尺所,名曰天曹。”石氏曰:“市者,四方所樂,帝都之邦,主王之坐;故帝座在市中,聖主之明候也。”郗萌曰:“天市之垣,天之旗幟也;欲其大明,明則糴賤。”
《詩緯》にいう、天市は衆を聚集することを主る。《春秋緯》にいう、天市は軽重を称量する権衡の事を主掌する。《荊州占》にいう、天市の西北のあの大星の、南に三尺ほど離れたところを「天曹」と名づける。石氏はいう、集市は四方の人が集うを楽しむところで、帝都のある邦で、君王の坐処を主る。ゆえに帝座は市の中に設けられ、これは聖明の君主の明験の候である。郗萌はいう、天市のこの一重の垣墻は天上の旗幟で、十分に明亮するのをよしとし、明亮すれば、穀価は廉価となる。
石氏曰:“天市垣二十二星,主西方邊國;門左星,宋也;次星,衛;次星,燕;次星,東海;次星,徐;次星,太山;次星,齊;次星,河中;次星,九河;次星,趙;次星,魏;次星,中山;次星,河間;市門右一星,韓;次星,楚;次星,梁,次星,巴;次星,蜀;次星,秦;次星,周;次星,鄭;次星,晉也。其星光芒,即其國有謀也;若星色微小,其國邑弱,王者修德以扶之。”
石氏はいう、天市垣の二十二星は、西方の辺地邦国を主管する。市門の左の第一星は宋を主り、その次は衛、その次は燕、その次は東海、その次は徐、その次は太山、その次は斉、その次は河中、その次は九河、その次は趙、その次は魏、その次は中山、その次は河間を主る。市門の右の第一星は韓を主り、その次は楚、その次は梁、その次は巴、その次は蜀、その次は秦、その次は周、その次は鄭、その次は晋を主る。どの星か光芒を外に射出せば、それが主るあの邦国に不軌を図謀する人があるのであり、もし星色が暗弱細小であれば、その邦国の城邑が衰弱しているので、君王は徳政を修めてそれを扶持すべきである。
《黃帝》曰:“天市垣星不明,市中星簡,其歲虛、五穀傷、糴大貴,人民飢。天市中,星次其明潤澤,眾蕃可以積貯;市中星不明,市少,可以發出貯積。”《含文嘉》曰:“王者於族人有次序,則天市正明。(宋均注曰:王者於親疏有次序,族者非一人也,天市之應明,所感多。)
《黄帝占》にいう、天市垣の星が明亮でなく、市の中の星が稀少であれば、この年は空乏し、五穀が損を受け、穀価は大いに騰貴し、百姓は飢饉する。天市の中の諸星が次第に明亮潤沢であれば、物産は繁盛し、積み囤えて儲備できる。市の中の星が明亮でなく、市面が蕭条すれば、貯積した穀物を発放すべきである。《含文嘉》にいう、君王が同族の人に対し親疎に序があるように遇すれば、天市は端正明亮する。(原書小注:宋均の注にいう、君王が親疎にそれぞれ次第をもって臨み、同族の人は一人にとどまらないので、天市はそれに応じて明亮する——感応する人が多いことを説明する。)
石氏曰:“天市星明,則市吏急,商人無利;星微小,則吏弱,商人多利。天市中星眾明,則歲實;星稀,則歲不實,虛也。”郗萌曰:“天市星明大,則糴賤;不明,則糴貴。天市中多小星,民富足。”《石氏贊》曰:“天市二十二星,為外臣。”
石氏はいう、天市の星が明亮すれば、市を管する官吏は催逼苛厳で、商人は利を図ることができず、星色が暗弱細小ならば、官吏は軟弱で、商人はかえって多くの利を得る。天市の中の衆星が明亮すれば、年成は豊実で、星が稀少ならば、年成は豊実でなく、空乏の象である。郗萌はいう、天市の星が明亮盛大であれば、穀価は廉価で、明亮でなければ、穀価は高価である。天市の中に小星が多ければ、百姓は富足する。《石氏賛》にいう、天市の二十二星は、外臣の象徴である。
帝座占 十四
石氏曰:“帝座一星,在市中,侯星西。”(入尾十五度半,去極七十一度少,在黃道內三十九度。)《黃帝占》曰:“帝座、天廷也;人主象也。”石氏曰:“帝座,天位也;帝座,天之貴神也;執陰陽之銳,秉殺生之府,總萬化之原,保存亡之機,和陰陽之氣,應四時之分。帝座星色慾明光而潤澤,則天子吉,威令行;微小,則凶;星亡,則王者有憂,大人當之,天下亂,有兵起,期二年。”《石氏贊》曰:“帝座一星,尊時行。”
石氏はいう、帝座はただ一つの星で、天市垣の中、候星の西面にある。(原書小注:その位は尾宿十五度半にあり、北極から七十一度強、黄道以内三十九度にある。)《黄帝占》にいう、帝座はすなわち天廷で、君主の象徴である。石氏はいう、帝座は上天の尊位で、天上の貴神である。それは陰陽の鋒鋭を握り、生殺の権柄を掌り、万物変化の本原を総攬し、存亡の枢機を保守し、陰陽の気を調和し、四季の分際に応合する。帝座の星は、色沢は明亮して潤沢なのをよしとし、そうであれば天子は吉利で威令が推行される。星色が暗弱細小ならば凶兆である。この星が隠没すれば、君王に憂患があり、大人に応じ、天下は乱離し、兵事が興起し、期限は二年である。《石氏賛》にいう、帝座の一星は、位は尊く時に従って運行する。
候星占 十五
石氏曰:“侯一星,帝座東。”(入箕二度半,去極七十三度太,在黃道內三十八度少。)巫咸曰:“候星,土官也。”石氏曰:“候星以候陰陽,伺遠國夷狄,以知謀徵。候星主時變,貨財安靜,吉;候星明,萬國同風,王道通利,輔臣強也;微小不明,則王道不通,輔臣弱;星移,主不安;期不出年。若星亡,主失位,期不出年。”《荊州占》曰:“候星明大,則四夷開;候星微細,則國安。”《石氏贊》曰:“候星在東,司陰陽。”
石氏はいう、候星はただ一つで、帝座の東面にある。(原書小注:その位は箕宿二度半にあり、北極から七十三度余り、黄道以内三十八度強にある。)巫咸はいう、候星は土に属する官である。石氏はいう、候星は陰陽を候察し、遠方の邦国と夷狄の動静を窺伺して、それらの図謀の兆候を予知するために用いられる。候星は時令の変化を主り、貨物・財賄が安穏して乱れなければ吉利である。候星が明亮すれば、万国の風教は同じくし、王道は暢通順利で、輔臣は強く力があり、星色が暗弱細小で明るくなければ、王道は暢通できず、輔臣は軟弱である。この星が移位すれば、君主は安寧を得ず、期限は一年を出ず、もしこの星が隠没すれば、君主は権位を失い、期限も一年を出ない。《荊州占》にいう、候星が明亮盛大であれば、四方の夷狄は外に拓いて侵擾しようとし、候星が細微であれば、国家は安定する。《石氏賛》にいう、候星は東方に位し、陰陽の候察を司ることを主る。
宦者占 十六
石氏曰:“宦者四星,在帝座西。(南星入尾十二度,去極七十二度半,在黃道內三十八度。)宦者星,常侍黃門左右,小臣侍從之官,常侍市中帝座也。宦者,刑餘人,在座西;微,吉;明,凶。”郗萌曰:“宦者星,非其常,宦者官有憂;宦者,刑人也,有刑人於市。”《石氏贊》曰:“宦者在西,侍主傍。”
石氏はいう、宦者は全部で四つの星で、帝座の西面にある。(原書小注:南の一星は尾宿十二度にあり、北極から七十二度半、黄道以内三十八度にある。)宦者の星はすなわち常侍・黄門のたぐいの近侍で、君主の左右で職務に就く小臣・侍従の官で、年じゅう天市の中の帝座に侍奉する。宦者はみな刑余の人なので、帝座の西に位する。星色が暗弱ならば吉利で、星色が明亮ならば凶険である。郗萌はいう、宦者の星が常態に合わなければ、宦官のこの官署に憂患があり、宦者は刑を受けた人で、市の上で刑を処される人があることを主る。《石氏賛》にいう、宦者は西面に位し、君主のそばに侍立する。
斗星占 十七
石氏曰:“斗五星,在宦者西南。”(第一星入尾十度少,去極七十二度,在黃道內二十五度。)郗萌曰:“斗者,主也,署物散也,其星明,吉;不明,凶;若其星亡,歲飢,或其星仰出,天下升斛不平;覆,則歲稂。又斗星不明,谷不成,歲大飢,人相食。”《石氏贊》曰:“南有斗星,主平量。”
石氏はいう、斗は全部で五つの星で、宦者の西南方にある。(原書小注:第一星は尾宿十度強にあり、北極から七十二度、黄道以内二十五度にある。)郗萌はいう、「斗」とはすなわち主管で、量器をもって財物を分派する事を主管する。これらの星が明亮すれば吉利で、明亮でなければ凶険で、もしこの星が隠没すれば、年成は飢荒となる。あるいはまたこの星が仰ぎ向いていれば、天下の升・斗・斛の度量は公平でなく、もし翻覆して下を向けば、年成は多くの莠草を生じて歉収となる。このほか斗星が明亮でなければ、穀物は熟さず、年成は大飢で、人相食むに至る。《石氏賛》にいう、南面に斗星があり、公平な量度を主掌する。
宗正星占 十八
石氏曰:“宗正二星,在帝座東南。(南星入箕二度,去極八十四度,在黃道內二十七度半。)宗正,主宗人,小宗之象也。”《黃帝》曰:“宗正,帝宗也,主萬物之名,品類於市;其星非其故處,帝宗后族多有黜者,若多死。”
石氏はいう、宗正は全部で二つの星で、帝座の東南方にある。(原書小注:南の一星は箕宿二度にあり、北極から八十四度、黄道以内二十七度半にある。)宗正は宗室の子弟を主管し、小宗の象徴である。《黄帝占》にいう、宗正はすなわち帝王の宗族で、万物の名号・品類を市の上で辨别することを主管する。この二つの星がもとの位置に在らなければ、帝王の宗族と后族の中に罷黜される人が多くあるか、あるいは死去する人が多いであろう。
石氏曰:“宗者,主也;正者,政也;主政萬物之名於市中;星非其故,吏不去則死,及更號令。宗星失色,宗正有事。宗正星明大,帝宗強大;星不明,帝宗弱也。”《石氏贊》曰:“宗正二星,宗大夫。”
石氏はいう、「宗」とはすなわち主、「正」とはすなわち政である。宗正の星は市の中で万物の名号の政務を主管する。この星が常態に合わなければ、この職事を掌る官吏は免職されなければ死去し、号令を更改しなければならない。宗星が本来の色を失えば、宗正の官署に事故がある。宗正の星が明亮盛大であれば、帝王の宗族は強盛で、この星が明亮でなければ、帝王の宗族は衰弱する。《石氏賛》にいう、宗正の二星は、宗族大夫の象徴である。
宗人星占 十九
石氏曰:“宗人四星,在宗正東。”(南星入箕七度半,去極八十五度,在黃道內二十八度。)《元命包》曰:“宗人,主先人;以時祠享。”石氏曰:“宗人主恩享,大宗之象,敦穆親親。”《含文嘉》曰:“族人有序,則宗人倚文正明。”
石氏はいう、宗人は全部で四つの星で、宗正の東面にある。(原書小注:南の一星は箕宿七度半にあり、北極から八十五度、黄道以内二十八度にある。)《元命包》にいう、宗人は先人への祭祀を主管し、時節に応じて獻享する。石氏はいう、宗人は恩義の祭享を主管し、大宗の象徴で、敦厚和睦し親族を親愛する義を取ったものである。《含文嘉》にいう、族人が相処するに次序があれば、宗人の星は文理に依って端正明亮する。
《黃帝》曰:“宗人星明,如其故;宗室有序,人主吉昌;若動搖,不如其常,則宗人不和,王者親屬有變;若宗族貴人多死者。”石氏曰:“宗人星離絕,有大怪鳥見。”《石氏贊》曰:“宗人四星,錄親疏。”
《黄帝占》にいう、宗人の星が明亮し常態のごとくであれば、宗室に次序があり、君主は吉慶昌盛する。もし揺動して定まらず常態に合わなければ、宗人の間が和睦せず、君王の親属に変故があるか、あるいは宗族の中の貴人に死亡が多い。石氏はいう、宗人の星が離散断絶すれば、大怪鳥があらわれることがある。《石氏賛》にいう、宗人の四星は、親疎の次第を記録することを主る。
宗星占 二十
石氏曰:“宗星二星,在宗人北。”(南星入箕九度,去極七十九度,在黃道內二十三度太。)《元命包》曰:“宗星主先人祠享。”石氏曰:“宗星,主別親疏,宗室之象也,皆帝輔血脈之臣也。”《黃帝占》曰:“宗星明而相近,帝相親,后族有序;其星不明,而相遠,則帝親后族相簡,若有謀者,王者有憂。”《石氏贊》曰:“宗星二星,恩不殊。”
石氏はいう、宗星は全部で二つで、宗人の北面にある。(原書小注:南の一星は箕宿九度にあり、北極から七十九度、黄道以内二十三度余りにある。)《元命包》にいう、宗星は先人への祠祭・獻享を主管する。石氏はいう、宗星は親疎を分别することを主り、宗室の象徴で、指すところはいずれも帝王と血脈を連ね、王室を輔翼する臣属である。《黄帝占》にいう、宗星が明亮して彼此近づけば、帝王と宗親は相親み睦み、后族も井然として序がある。この二つの星が明亮でなく彼此疎遠であれば、帝王の親族と后族は互いに怠慢し、あるいは不軌を図謀する人があって、君王はまさに憂患を受けようとする。《石氏賛》にいう、宗星の二つは、恩義に厚薄の分け隔てなきことを主る。
東咸・西咸占 二十一
石氏曰:“東咸四星,在房東北;(南星入心二度,去極一百三度,在黃道內二度少。)西咸四星,在房北。”《黃帝》曰:“東西咸,一名大明,在房東西,各四星而列,熒惑道也,不道輒還之。”石氏曰:“東咸西咸八星者,房戶之扇,常為帝之前屏,以表障後宮,以防奸私也。”
石氏はいう、東咸は四つの星で房宿の東北方にあり、(原書小注:南の一星は心宿二度にあり、北極から百三度、黄道以内二度強にある。)西咸は四つの星で房宿の北面にある。《黄帝占》にいう、東咸・西咸は一に「大明」ともいい、房宿の東西両側に分列し、各々四つの星が一列に排し、熒惑の運行が経る道である。熒惑がもしこの道に循わなければ、折り返して戻る。石氏はいう、東咸・西咸のこの八つの星は、房宿の門戸の両扇の門板で、常に帝王の前の屏障として、後宮を遮蔽し奸私の事を防範するために用いられる。
郗萌曰:“東西咸,日月之道也;日月五星不以道,必有賊。”《荊州占》曰:“東西咸者,房戶也;星明如列表間,天子吉,子孫蕃滋。”石氏曰:“東西咸四星,在房東北,主日行;色明、吉;不明、凶。”
郗萌はいう、東咸・西咸は日月の運行する軌道で、日・月・五星がもしこの道に循わずして行けば、必ず賊乱の事がある。《荊州占》にいう、東咸・西咸はすなわち房宿の門戸で、諸星が明亮して、門表の間に整斉と排列する様子のようであれば、天子は吉利で、子孫は繁衍昌盛する。石氏はいう、東咸のこの四つの星は房宿の東北にあり、太陽の運行を主る。星色が明亮すれば吉利で、明亮でなければ凶険である。
《海中占》曰:“東咸、西咸,星明而行列,王者威令,行,妃后守其宮;其星微小,而不行列,若亡不見,人主威弱,女主自恣,奢淫無度,防守者憂;若宮人有罪,一曰貴女有黜者。”焦延壽曰:“東咸星,上近鉤鈐十日,則有讒賊臣入害主者;西咸星前近,上若有角搖起,明動十日,有人以知天數入為害者。”《石氏贊》曰:“東咸西咸防泆淫。”
《海中占》にいう、東咸・西咸の諸星が明亮して行を成して排列すれば、君王の威令は推行され、妃后は各々己の宮室を守る。これらの星がもし暗弱細小で排列が散乱し、さらには隠没して見えなければ、君主の威権は衰弱し、女主は放縦自恣で、奢侈淫佚に節制なく、宮禁の守衛を司る人に憂患があり、あるいは宮人が罪を得るか、一説には貴婦人の中に廃黜される者があるという。焦延寿はいう、東咸の星が上に鉤鈐に逼近して十日に及べば、讒を進め害を行う臣子が入宮して君主を加害することがあり、西咸の星が前に在って逼近し、上に向かって芒角を射出し揺動明亮して十日に及べば、天数に通暁するのを憑って入宮して害をなす人がある。《石氏賛》にいう、東咸・西咸は淫佚の事を防範することを主る。
天江星占 二十二
石氏曰:“天江四星,在尾北。”(南星入尾六度少,去極一百一十一度,在黃道外二度半。)《黃帝》曰:“天江星如常,微小,則陰陽和,水旱調;其星明大,天下大水,江海溢流,五穀不熟,民人以水飢,若其星微,若參差不齊,馬貴;一曰馬多死。”
石氏はいう、天江は全部で四つの星で、尾宿の北面にある。(原書小注:南の一星は尾宿六度強にあり、北極から百十一度、黄道以外二度半にある。)《黄帝占》にいう、天江の星が常態のごとくで光色が微小であれば、陰陽は調和し、水旱は宜しきを得る。これらの星が明亮盛大であれば、天下に大水が起こり、江海は泛濫横流し、五穀は熟さず、百姓は水災によって飢饉する。もしこれらの星が細弱か、あるいは参差していれば、馬の価格は騰貴し、一説には馬が多く死するという。
石氏曰:“天江星中河而動,則兵起,如流沙,死人若亂麻,以人渡河;如其星不見,則津樑不通;又曰其星不欲明,動搖,則大水出,沒城邑,大道不通。”郗萌曰:“天江星不欲明河中,而居河中者,大兵起,車騎滿野,道不通。”石氏曰:“天江四星,主太陰,其星明,大水不禁。”
石氏はいう、天江の星が天河の中間で揺動すれば、兵を興し、兵勢は流沙のように漫巻して、死人は乱麻のごとく多く、死体を踏んで河を渡るほどになる。もしこれらの星が隠没して見えなければ、津渡・橋梁は通じない。またいう、これらの星は明亮すべきでなく、ひとたび揺動すれば、大水が暴発して城邑を淹没し、大路は通じなくなる。郗萌はいう、天江の星は天河の中に顕明であるべきでなく、もし真に河中に居れば、大挙して兵を興し、車馬・騎兵が原野に満ち、道路は阻絶する。石氏はいう、天江の四星は太陰の事を主り、この星が明亮すれば、大水は遏止できない。
建星占 二十三
石氏曰:“建星在南斗北。”(西星入斗七度少,去極一百一十三度少,在黃道內一度。)黃帝曰:“建星者,一名天旗;一名天關。”巫咸曰:“建星,土官也。”郗萌曰:“建星,天之都關也,為謀事,為天鼓,為天馬。南二星,天庫也;中央二星,市也,鈇鑕也;上二星,旗也,天府庭也;斗建之間,三光道也。”
石氏はいう、建星は南斗の北面にある。(原書小注:西の一星は斗宿七度強にあり、北極から百十三度強、黄道以内一度にある。)《黄帝占》にいう、建星は一に「天旗」、一に「天関」ともいう。巫咸はいう、建星は土に属する官である。郗萌はいう、建星は上天の総関門で、謀議の事を主り、また天鼓を兼ね、また天馬を兼ねる。南の二星は天庫で、中の二星は集市でありまた鈇鑕の刑具で、上の二星は旗幟でありまた天府の庭である。斗宿と建星の間の天区は、日・月・星の三光の運行する道である。
《海中占》曰:“斗建者,陰陽始終之門,大政昇平之所,起律曆之本原也。”郗萌曰:“箕星與建星之間,日月五星之下道也。”《詩雅度覽》曰:“建星動,勞未央。”焦延壽曰:“建星,一星不具,若與斗合一月,闢亡;二星合十日,亡;三星合三日,亡,病也。”
《海中占》にいう、斗建は陰陽が終わりて復た始まる門戸で、大政太平のところであり、また律暦推算の本原である。郗萌はいう、箕宿と建星の間は、日・月・五星の運行する下道である。《詩雅度覧》にいう、建星が揺動すれば、労役は尽きることがない。焦延寿はいう、建星の中に一つ残欠して全からざる星があり、もしそれが斗宿と相合すること一か月ならば、君主は亡失の禍を受けようとし、二つの星が相合して十日ならば、また亡失を主り、三つの星が相合して三日ならば、亡失を主るか、あるいは疾病を主る。
《荊州占》曰:“建星欲其相對列,則天下安;若下相類,天下亂,人主憂。”石氏曰:“建星明大,則大臣忠孝,帝承天心;不明大,小不齊,則王者失道,忠臣不用。”《石氏贊》曰:“建星六星,為斗承,主國日月行失繩。”
《荊州占》にいう、建星は彼此相対して列を成すのをよしとし、そうであれば天下は安定する。もし上下の星形が彼此雷同して錯乱すれば、天下はまさに動乱し、君主に憂いがある。石氏はいう、建星が明亮盛大であれば、大臣は忠誠孝順で、帝王は上に天心を承ける。もし明亮盛大でなく、星形の大小が参差していれば、君王は正道を失い、忠臣は任用されない。《石氏賛》にいう、建星の六つは、南斗の承接で、国家の日月の運行が準繩を失うかどうかを主る。
天弁星占 二十四
石氏曰:“天弁九星,在建星北。”(西星入斗六度太,去極九十度太,在黃道內一十七度太。)石氏曰:“天弁九星,在天市垣外,天下市官之長也,主市中列肆諸價入在市籍者,商稅還,方持物來,皆當貴其租稅。其星明大,由市物盛興;其星不明,則萬物衰耗。”
石氏はいう、天弁は全部で九つの星で、建星の北面にある。(原書小注:西の一星は斗宿六度余りにあり、北極から九十度余り、黄道以内十七度余りにある。)石氏にまたいう、天弁の九星は天市垣の外に位し、天下の市官の首長で、市中の各家の店舗の物価、および市籍に登録された商戸を主管する。商税を収納し、貨主が貨を運んで来たばかりのときは、いずれも値に照らして租税を課取すべきである。これらの星が明亮盛大であれば、市面上の貨物は興盛し、これらの星が明亮でなければ、万物は衰敗耗損する。
《黃帝》曰:“天弁星欲明大,則天下安寧,萬物興隆,珠玉珍物賤;其星不明,天下空虛,萬物衰惡,五穀不成,珍物貴。”《樂緯》曰:“弁星,羽也,壬子候之,羽亂惻危,其財匱,百姓枯渴,為旱。”石氏曰:“天弁星主恭儉,明吉;不明凶。”焦延壽曰:“天弁星近建星,若明大動搖,天下有女樂見,人主為害者。”《石氏贊》曰:“天弁九星知市珍,其星明大萬物興。”
《黄帝占》にいう、天弁の星は明亮盛大なのをよしとし、そうであれば天下は安寧し、万物は興隆し、珠玉・珍宝は廉価である。これらの星が明亮でなければ、天下は空虚で、万物は衰敗し、五穀は熟さず、珍宝は高価となる。《楽緯》にいう、弁星は五音のうち「羽」の声に対応し、壬子の日にそれを候察する。羽声が錯乱すれば、憂危の事があり、財用は匱乏し、百姓は枯竭困頓し、さらに旱災が起こる。石氏はいう、天弁の星は恭敬・倹約を主り、明亮すれば吉利で、明亮でなければ凶険である。焦延寿はいう、天弁の星が建星に近づき、もし明亮盛大にして揺動すれば、天下に女楽があらわれ、君主はそれによって害を受ける。《石氏賛》にいう、天弁の九星は市の上の珍貨を掌管し、この星が明亮盛大であれば、万物は興旺する。
河鼓星占 二十五
石氏曰:“河鼓三星,旗九星,在牽牛北。”(大星入南斗二十二度太,碼極八十五度,在黃道內二十八度太。)《黃帝》曰:“河鼓,一名天鼓,一名三武;一名三將軍也;中央星,大將也;左星,左將軍;右星,右將軍;皆天子將也。”
石氏はいう、河鼓は三つの星、旗は九つの星で、いずれも牽牛の北面にある。(原書小注:大星は南斗二十二度余りにあり、北極から八十五度、黄道以内二十八度余りにある。)《黄帝占》にいう、河鼓は一に「天鼓」、一に「三武」、一に「三将軍」ともいう。中の一星は大将、左の一星は左将軍、右の一星は右将軍で、いずれも天子麾下の将領である。
郗萌曰:“河鼓,一名提鼓,一名天董;一名天廄。”巫咸曰:“河鼓,金官也。”《天官書》曰:“河鼓大星,上將也。”《合誠圖》曰:“河鼓備,主軍鼓,主斧鉞,主外關州,又主軍喜怒。”
郗萌はいう、河鼓は一に「提鼓」、一に「天董」、一に「天廐」ともいう。巫咸はいう、河鼓は金に属する官である。《史記・天官書》にいう、河鼓の大星は上将である。《合誠図》にいう、河鼓の諸星がそろえば、軍中の戦鼓を主り、斧鉞の刑戮を主り、外囲の関塞・州郡を主り、また軍中の喜怒の気象を主る。
《赫連圖》曰:“河鼓怒黑,命成矣。”石氏曰:“河鼓旗揚而舒者,大將出,不可逆,當隨旗之指而擊之,大勝。”石氏曰:“河鼓旗星明者,則旗幟出,以日占其國;其星若戾,將軍政亂,士卒強,將相凌;若旗星不正,有兵。”《黃帝》曰:“河鼓星曲,失計奪勢。”
《赫連図》にいう、河鼓の三星が怒れる黒色を現せば、用兵の令はすでに定まり、更改しない。石氏はいう、河鼓に属する旗星が高く揚がってまた舒展するのは、大将の出征の兆で、逆らってその鋒鋭に当たってはならず、旗星の指す方位に沿って兵を発し攻撃すべきで、大いに勝つことができる。石氏にまたいう、河鼓の旗星が明亮すれば、旗幟を掲げる軍事行動があり、占験するにはその日の干支の配する分野に拠ってどの国に応ずるかを判断する。もし旗星が歪斜乖違であれば、将軍の治軍に方なく政令が混乱し、士卒は驕悍で制し難く、将領と輔相の間は互いに欺凌することを説明する。もし旗星の位置が端正でなければ、天下に戦事があるであろう。《黄帝》にいう、河鼓の星形が弯曲して直ならずであれば、主将の謀劃は失当で、兵権は人に奪われることを主る。
石氏曰:“河鼓不正,若變色,皆為兵憂將免;其星動若怒,皆為兵馬或將出;又河鼓欲正直而明大,黃潤澤,則無兵,大將吉。”又曰:“三武易次,兵起。”郗萌曰:“天鼓之星怒者,馬貴;一名元鼓。”《石氏贊》曰:“河鼓鼓旗建音聲,設守險陰知謀徵,旗星差戾亂相凌。”
石氏はいう、河鼓の諸星の排列が正しくなく、あるいは星色に変化が生じれば、いずれも兵事に憂患があり主将が罷免されることを主る。星体が揺動するか怒りの芒角を現せば、いずれも兵馬の調動・将領の出征を主る。河鼓はもとより端正笔直で、明亮碩大で、色沢は黄潤光潔であるべきで、そうであれば天下に戦事なく、大将は吉利である。石氏にまたいう、河鼓の三星はまた「三武」と号し、三星が彼此位次を換えれば、戦事が興起する。郗萌はいう、天鼓(すなわち河鼓)の星が怒色を現せば、馬匹の価格は騰貴する。この一つの星官にはまた「元鼓」という名がある。《石氏賛》にいう、河鼓の一官は鼓と旗を掌り、号令を発し声威を樹立する処で、それを設けたのは険要を守衛し、暗に敵方の謀劃と征伐を察知するためである。旗星がひとたび歪斜乖違すれば、すなわち綱紀紊乱・上下相凌の徴象である。
離珠星占 二十六
石氏曰:“離珠五星,在須女北。”(北星入須女初,去極九十四度,在黃道內二十度。)郗萌曰:“離珠、女子之星也。”石氏曰:“離珠星者,御後宮離袿衣也;環珮玉珠,后夫人之盛飾也;主進王后之衣服也。”
石氏はいう、離珠は全部で五つの星で、位置は二十八宿の須女宿の北にある。原書の小注にいう、離珠の最北のあの星は須女宿の起始度に入り、北天極から九十四度、黄道以内二十度にある。郗萌はいう、離珠は女子を象徴する星である。石氏はいう、離珠のこの一つの星官は、後宮の穿用する「離袿衣」——すなわち垂れ下がる裾飾りのある礼服——を主管し、環佩と玉珠は王后と衆夫人の盛飾の飾物で、離珠はもっぱら王后の衣服を進献することを管掌する。
《黃帝》曰:“離珠星明,如其常,則宮人妃后安身;其星不明,易其故,則宮人不安。”石氏曰:“離珠非其故,後宮亂;從危之陽,天旱;危之陰,大水,五穀不登;離珠明大,則後宮昌;失色不明,則後勢任子不顯,所近不正。”《石氏贊》曰:“離五星、御後宮。”
《黄帝》にいう、離珠の諸星が明亮して平常と同じであれば、宮中の女官・妃嬪と王后はみなその位に安居できる。もし星光が暗淡してもとの常態を変えれば、宮人は安寧を得ない。石氏はいう、離珠が常態を失えば、後宮は乱れを出す。星体が危宿の南面の陽位に偏向すれば、天下は大旱し、危宿の北面の陰位に偏向すれば、大水があり五穀は歉収する。離珠が明亮碩大であれば、後宮は興盛し、星色が黯淡して明るくなければ、王后の権勢と彼女の倚重する子嗣はいずれも顕達できず、彼女に親近する人の行事も端正でない。《石氏賛》にいう、離珠の五星は、職は後宮に侍奉するに在り。
匏瓜星 二十七
石氏:“匏瓜星五星,在離珠北。”(西星入須女少,去極七十一度半,在黃道內三十三度。)《黃帝》曰:“匏瓜,一名天鳥,一名天雞,其四星,劍鐔之形;其星明大,如其故,則果物皆實,歲熟;星若不明,非其常,果物皆惡,歲不登;有大水,川道不通。”
石氏はいう、匏瓜は全部で五つの星で、位置は離珠の北にある。原書の小注にいう、匏瓜の最西のあの星は須女宿少半度に入り、北天極から七十一度半、黄道以内三十三度にある。《黄帝》にいう、匏瓜はまた「天鳥」ともいい、また「天鶏」ともいい、その中の四つの星は剣の柄の護手(剣鐔)の形に排する。これらの星が明亮碩大で旧観のごとくであれば、瓜果のたぐいはみな結実し、年成は豊収する。星光がもし暗淡して常態を失えば、果実はいずれもよく育たず、年成は歉収し、さらに大水が発して河道は阻塞されて通じない。
石氏曰:“匏瓜者,一名天匏,一名天雞;匏瓜大,則歲熟;星微,則歲惡。”《黃帝占》曰:“匏瓜星,主後宮;匏瓜,天雞也,主司中;所以和五味。”《元命包》曰:“匏瓜,主陰謀。”郗萌曰:“天子果園,為獻食者。”《星官訓》曰:“匏瓜,大瓜也;性內、文明而有子,美盡在內。”
石氏はいう、匏瓜のこの一つの星官は、また「天匏」とも称し、また「天鶏」とも称す。匏瓜の星体が碩大であれば、年成はよく、星光が微弱であれば、年成は悪い。《黄帝占》にいう、匏瓜は後宮の事を主管する。匏瓜はすなわち天鶏で、「司中」の職を掌り、ゆえに酸・苦・甘・辛・鹹の五味を調和できる。《春秋元命包》にいう、匏瓜は隠秘の謀劃を主管する。郗萌はいう、匏瓜は天子の果園で、食物を進献することを司る星官である。《星官訓》にいう、匏瓜はすなわち大きな瓠瓜で、それは性が内に斂まり、外表は文采明麗で腹中に子があり、美好なところはすべて裏に蔵されている。
《黃帝》曰:“匏瓜星明,則野瓜甘露生;庖廚後宮官多子孫;星不明,後失勢;又其星非其故,則山搖。”石氏曰:“匏瓜非其故,則山谷多水,天下不通。”焦延壽曰:“匏瓜星不見,若不正、動搖,皆為有賊人主者;若以果實為敗。”《石氏贊》曰:“匏瓜五星,司謀忠。”
《黄帝》にいう、匏瓜の諸星が明亮すれば、野生の瓜類は繁茂し、甘露が降り生ずる。膳食を掌る庖厨の官と後宮の女官はみな多くの子孫を得る。星光が明るくなければ、王后はまさに勢いを失う。これらの星がもし常態を失えば、さらに山体の震動がある。石氏はいう、匏瓜が常態を失えば、山谷の中に水患が氾濫し、天下の道路は阻絶する。焦延寿はいう、匏瓜の諸星が隠没して見えないか、あるいは位置が歪斜して揺動して定まらなければ、いずれも人があって君主に加害を図謀することを主り、また瓜果のたぐいが歉収・敗壊することをも主る。《石氏賛》にいう、匏瓜の五星は、職は謀議を司りて忠貞を守持する。
天津星占 二十八
石氏曰:“天津九星,在須女北河中。”(西北星入斗二度,去極四十九度,在黃道內四十九度少。)《黃帝占》曰:“天津者,一名天潢,一名潢中,一名巨潢,一名江星,一名水王柱,一名格星,一名潢星,一名天津;天津有潢四星,在危之北,居漢。”郗萌曰:“天潢者,天津也,一名天漢。”《元命包》曰:“天潢,主河梁,所以度神,通四方也。”又曰:“天潢一星,天子都船也。”
石氏はいう、天津は全部で九つの星で、須女宿の北の天河の中に位置する。原書の小注にいう、天津の西北のあの星は南斗宿二度に入り、北天極から四十九度、黄道以内四十九度少半にある。《黄帝占》にいう、天津のこの一つの星官は、また「天潢」ともいい、また「潢中」ともいい、また「巨潢」ともいい、また「江星」ともいい、また「水王柱」ともいい、また「格星」ともいい、また「潢星」ともいい、本名は天津と称す。天津の内に別に天潢の四星があって、危宿の北にあり、天河の中に居る。郗萌はいう、天潢はすなわち天津で、また「天漢」とも称す。《春秋元命包》にいう、天潢は河上の橋梁を主管し、神霊が河を渡り四方を貫通するためのところである。またいう、天潢の一星は、天子の舟船を統轄する官署である。
《黃帝占》曰:“天津有變,水賊稱王,水道不通。”石氏曰:“天津處,河溢;天津覆水,水滔天;天津亡,河水為害,天下不通。”石氏曰:“天津亡,津道不通;天津張,天下安。”郗萌曰:“天潢星不具,天下津河關道絕不通。”《石氏贊》曰:“天津九星,通厄窮。”
《黄帝占》にいう、天津の諸星に変異が生じれば、水上の盗匪が僭号して王を称し、水路は阻塞されて通じない。石氏はいう、天津の星が停滞して移らなければ、河水は氾濫し、天津が傾覆して水を倒せば、洪水は滔天し、天津が隠没消亡すれば、河水が患をなし、天下の交通は断絶する。石氏にまたいう、天津が隠没すれば、渡口と津梁の道路は通じず、天津の星が張布して舒展すれば、天下は安寧する。郗萌はいう、天潢の諸星が残欠して全からなければ、天下の渡口・河道と関隘はすべて阻絶して通じない。《石氏賛》にいう、天津の九星は、職は厄難困窮のところを疏通するに在り。
螣蛇星占 二十九
石氏曰:“螣蛇二十二星,在營室北。(螣星入營室一度半,去極五十一度,在黃道內五十三度少。)螣蛇、天蛇也,主水蟲;又螣蛇,蛇之牡也,與龜鱉交,水蟲之長也;水中之蟲,皆屬螣蛇。”
石氏はいう、螣蛇は全部で二十二の星で、営室宿の北に位置する。原書の小注にいう、螣蛇の星は営室宿一度半に入り、北天極から五十一度、黄道以内五十三度少半にある。螣蛇はすなわち天上の蛇で、水中の虫類を主管する。螣蛇はまた蛇の中の雄性で、亀鱉と交配でき、水族の首領である。およそ水中の虫類は、すべて螣蛇の統属に帰する。
《黃帝》曰:“螣蛇星明,水蟲茂,魚鹽賤;星不明,則水蟲衰耗,魚鹽貴。”石氏曰:“螣蛇星移南,則軍兵起;移北,大水;若星明,不安;微,則安。”《石氏贊》曰:“螣蛇之星,主水蟲。”
《黄帝》にいう、螣蛇の諸星が明亮すれば、水中の虫魚は繁盛し、魚と鹽の価格は廉価である。星光が暗淡ならば、水族は衰敗耗損し、魚鹽の価格は高価となる。石氏はいう、螣蛇の星が南に移動すれば、軍隊が兵を興し、北に移動すれば、大水があり、星光が過度に明亮であれば、天下は安寧を得ず、星光が微弱であれば、かえって安定する。《石氏賛》にいう、螣蛇のこの一つの星官は、水中の虫類を主管する。
王良星占 三十
石氏曰:“王良五星,在奎北。”(居河中,西星入壁半度,去極四十二度半,在黃道內五十七度。)郗萌曰:“王良、一名天津;一名王濟。”(案《荊州占》云:王良,或占車騎,或占津樑,且古安通用故二字,並依舊本。)《元命包》曰:“天騎四星,在漢中;一名天駟,傍一名,王良;主天馬。”郗萌曰:“王良,一名天馬。”
石氏はいう、王良は全部で五つの星で、奎宿の北にある。原書の小注にいう、王良は天河の中に位し、最西のあの星は壁宿半度に入り、北天極から四十二度半、黄道以内五十七度にある。郗萌はいう、王良はまた「天津」ともいい、また「王済」ともいう。原書の小注にいう、《荊州占》の講法を査するに、王良はときに車馬・騎乗を占い、ときに渡口・橋梁を占うのに用いられ、しかもこの二字は古来一向に通用するので、いずれも旧本に照らして原様を保留する。《春秋元命包》にいう、天騎の四星は天河の中にあり、また「天駟」とも名づき、そばのあの一つは王良と名づき、天上の馬匹を主管する。郗萌はいう、王良にはまた「天馬」という名がある。
《黃帝占》曰:“王良,主御風雨,水道,主河梁。”《河圖》曰:“王良為天橋。”巫咸曰:“王良,天子道橋之度水之官。”郗萌曰:“王良者,天子奉車。”郗萌曰:“王良策馬,前與馬等,後與馬等。”《荊州占》曰:“王良為西橋,故或占車騎;或占津樑。”
《黄帝占》にいう、王良は風雨と水道の駕御を主管し、また河上の橋梁をも主管する。《河図》にいう、王良は天上の橋である。巫咸はいう、王良は天子の手下で道路・橋梁、渡水通行を掌る官である。郗萌はいう、王良はすなわち天子のために車を駕し御を奉ずる人である。郗萌にまたいう、王良が馬に策する象は、策星が前に在って馬星と斉平であり、後に在っても馬星と斉平である。《荊州占》にいう、王良は西方の橋で、ゆえにときにそれをもって車馬・騎乗を占い、ときにそれをもって渡口・橋梁を占う。
《黃帝》曰:“駟馬參差,不行列,天下安;若駟馬齊行,王良舉策,天子自臨兵,國不安。”《黃帝》曰:“王良發者,河水出。”《河圖》曰:“王良策馬,此皆諸侯聖雄並起,期不出九年,天下之兵擾。”《考靈曜》曰:“王良策馬,狼弧張,咄咀害,出血將將。”(王良傍一星,名策,策馬謂有光芒也。張猶明也,咄咀大星名也,血將將,兵起死傷以眾也。)
《黄帝》にいう、駟馬の四星が参差して行列を成さなければ、天下は安定する。もし四馬が頭をそろえて並進し、王良がまた馬鞭を挙げれば、それはすなわち天子が自ら兵を統べて陣に臨むので、国家は安寧を得ない。《黄帝》にまたいう、王良の星が発動すれば、黄河の水はまさに氾濫する。《河図》にいう、王良が鞭を挙げて馬に策すれば、これはすべて諸侯と豪傑がいっせいに興起することを予示し、期限は九年を出ず、天下は兵禍に攪擾されるであろう。《考霊曜》にいう、王良が馬に策すれば、天狼・弧矢の二星は張明し、咄咀の星が害をなし、流血の多さは連なりて一片となる。原書の小注にいう、王良のそばに一つの星があって「策」と名づく。いわゆる「策馬」とはこの星が光芒を発することを指す。「張」とはすなわち明亮の意で、「咄咀」は一つの大星の名で、「血将将」とは戦事が興起し死傷が衆多であることをいう。
《含文嘉》曰:“天子乘舟,得其所,貴賤不相逾僭,則王良附路星明,常在河中,天子壽昌,萬民無疫癘之殃。”《論讖》曰:“王良策馬,野骨曝。”石氏曰:“王良星移,則有兵,以東西南北處所在,王良星不具;津河道不道。王良策馬,車騎滿野,天下大亂,兵大起,明君出;期不出三年。”
《礼緯含文嘉》にいう、天子が船に乗って出行するのがすべて礼制に合し、貴賤上下が互いに僭越しなければ、王良と附路の二星は明亮し、常に天河の中に居り、天子は長寿で国運は昌隆し、万民にも瘟疫の災殃がない。《論讖》にいう、王良が馬に策すれば、荒野に白骨が暴露する。石氏はいう、王良の星が移位すれば、戦事があり、それが東西南北のどの方位に移ったかに拠って兵の起こるところを判断する。王良の諸星が残欠して全からなければ、渡口と河道は通じない。王良が馬に策すれば、車騎は郊野に塞がり満ち、天下は大いに乱れ、戦事は大いに起こり、その後に聖明の君主が出現する。期限は三年を出ない。
《海中占》曰:“駟馬不動,天子安營。”焦延壽曰:“天駟星前與閣道相近,有江河之變。”郗萌曰:“王良正,馬疾病。王良與馬齊,天子有疾馬。”《荊州占》曰:“王良與馬齊,天下有急。”郗萌曰:“王良向造父,馬賤。”《赫連圖》曰:“王良策馬,北夷制號。”(宋均曰:策星在王良傍,若移在王良前,居馬後,是謂策馬。)
《海中占》にいう、駟馬の四星が安静に動かなければ、天子は営中に安坐して、師を興す必要がない。焦延寿はいう、天駟の星が前に向かって閣道の星と相接近すれば、江河に変故があるであろう。郗萌はいう、王良の星が端正に位に当たれば、馬匹に疾病が生じ、王良が馬星と斉平であれば、天子の馬匹に病がある。《荊州占》にいう、王良が馬星と斉平であれば、天下に緊急の事がある。郗萌はいう、王良が造父の星に向かえば、馬価は低賤である。《赫連図》にいう、王良が馬に策すれば、北方の夷狄はまさに号を建て令を発するであろう。原書の小注に宋均を引いていう、策星は王良のそばにあり、もし王良の前に移って馬星の後に居れば、これを「策馬」という。
石氏曰:“王良星常在漢中,則吉;不可移動,移動則有兵。王良駟馬動搖,天子欲出;小動、小出;大動、大出;千里駟馬。有芒角,天子兵期二年;王者必有所在,惟意有所想,未發顏色,王良星。”《石氏贊》曰:“王良五星,知王莊。”
石氏はいう、王良の星が常に天河の中に居れば吉利で、移動すべきでなく、ひとたび移動すれば兵事がある。王良と駟馬が揺動すれば、天子はまさに出行する。小幅に揺動すれば小規模に出行し、大幅に揺動すれば大規模に出行し、車駕は千里を遠行できる。星体が芒角を発すれば、天子に兵事があり、期限は二年である。君王は心中に必ず別に図るところがあり、ただ意念はなお盤算の中にあって、いまだ辞色に形さず、これらはみな王良の星の動静を見て推知する。《石氏賛》にいう、王良の五星は、君王の行止の荘重な威儀を予知できる。
開元占経 巻六十六
石氏中官
閣道星占 三十一
石氏曰:“閣道六星,(司馬遷《天官書》云:後六星,絕漢抵營室,曰閣道。案圖薄,營室北有螣蛇二十二星,其閣道止六星,恐由子長之謬矣。)在王良東北。”(南星入奎五度,去極四十三度少。在黃道內五十八度少。)巫咸曰:“閣道,水官也。”石氏曰:“閣道形如飛閣之狀,從紫微北門出,至河上,天子法駕乘其行,神乘也。”石氏曰:“閣道,王良旗也;一名紫宮旗;在王良傍,而抵紫宮垣,旗動搖,不如其故,旗所指者,兵所起。”《春秋緯》曰:“閣道,所以捍沖,難滅諸咎。”
石氏はいう、閣道は全部で六つの星である。原書の小注にいう、司馬遷《史記・天官書》が講じるに、王良の後の六星は横に天河を絶って直に営室宿に抵り、閣道と呼ばれる。星図簿録を査するに、営室宿の北に別に螣蛇の二十二星があり、しかるに閣道は六星のみで、《天官書》のこの一か所はおそらく司馬子長の疏誤であろう。閣道は王良の東北方にある。原書の小注にいう、閣道の最南のあの星は奎宿五度に入り、北天極から四十三度少半、黄道以内五十八度少半にある。巫咸はいう、閣道は水の官に属する。石氏はいう、閣道の形状は凌空に架けた複道・飛閣のようで、紫微垣の北門から通じ出て、まっすぐに天河の辺りにまで伸び、天子の法駕はそれに沿って出行し、神霊の乗ずる通道である。石氏にまたいう、閣道は王良の旗で、また「紫宮旗」ともいい、それは王良のそばにあって、一端が紫宮の垣墻に抵り当たり、旗星が揺動して常態を失えば、旗の指す方向がすなわち戦事の発生する処である。《春秋緯》にいう、閣道は衝撃を抵当し、諸種の災咎を消解するために用いられる。
《黃帝占》曰:“閣道,天子御道也;絕漢,直紫宮,後名曰閣道。其星明,行列正直,人主吉,天下安;其星動搖,不如其故;若星不具,則天子津道不通,有謀臣;閣道星,主道星,天子私出入。王者別宮以候,近出星明大,則王者聖明,四方大通;若星不具,天子道津不通。”焦延壽曰:“閣道星與紫宮藩星同行,闢溺河梁;若王者宮闕道有害者。”《石氏贊》曰:“閣道六星,神所乘。”
《黄帝占》にいう、閣道は天子専用の御道で、それは横に天河を絶ち、直に紫宮に通じ、後世はこれを閣道と呼んだ。これらの星が明亮し排列が整斉笔直であれば、君主は吉利で天下は安定する。星体が揺動し旧観を失い、あるいは星数が残欠して全からなければ、天子の津渡・道路は通暢せず、朝中に図謀を懐く臣子がある。閣道は道路を主管する星で、天子の私出入もそれの主管に帰する。君王が別宮に住むときはそれに憑って占候し、もし出行が遠からず星光が明亮碩大であれば、君王が聖明で四方の道路が大いに暢通することを説明し、もし星数が残欠すれば、天子の道路と渡口は通じない。焦延寿はいう、閣道の星が紫宮の藩垣の星と同じ方向に運行すれば、河梁で溺れる患を免除でき、さもなければ君王の宮闕の道路上に禍害がある。《石氏賛》にいう、閣道の六星は、神霊の乗行する通道である。
附路星占 三十二
石氏曰:“附路一星,在閣道兩傍。”(入奎三度,去極四十三度,在黃道內五十七度。)郗萌曰:“附路,一名王濟之太僕;一名伯樂;一名就父。”《論讖》曰:“附路,主掃除。”郗萌曰:“附路,主御風雨。”石氏曰:“附路以通道,若閣道;道壞當從附路,道備,豫不虞,以候災害;故曰備路。”
石氏はいう、附路はただ一つの星で、閣道の両側にある。原書の小注にいう、附路は奎宿三度に入り、北天極から四十三度、黄道以内五十七度にある。郗萌はいう、附路はまた「王済の太僕」ともいい、また「伯楽」ともいい、また「就父」ともいい、いずれも馬を相し御するに善なる名号である。《論讖》にいう、附路は道路の清掃を主管する。郗萌はいう、附路は風雨の駕御を主管する。石氏はいう、附路の用いるところは道路を通行させることで、作用は閣道と同じである。閣道がひとたび損壊すれば、改めて附路を行き、道路に備えあれば、意外を予防でき、また以て災害を占候するので、また「備路」ともいう。
《禮緯》曰:“附路明,天子壽昌,萬民無疫病之殃。”《論識》曰:“附路亡,道塗塞。”石氏曰:“附路星芒,則車騎滿野。”郗萌曰:“附路正,馬車騎滿野,天下大亂,期十月。王良,駟馬也;正馬,謂移在駟馬之前。”《石氏贊》曰:“附路一星,備敗傷。”
《礼緯》にいう、附路の星が明亮すれば、天子は長寿で国運は昌隆し、万民に瘟疫の災殃がない。《論識》にいう、附路の星が隠没消亡すれば、道路はまさに堵塞する。石氏はいう、附路の星が芒角を発すれば、車馬・騎兵が郊野に塞がり満ちる。郗萌はいう、附路が馬星の真正面に移れば、車騎は郊野に塞がり満ち、天下は大いに乱れ、期限は十か月である。王良の配するところはすなわち駟馬の四星で、いわゆる「正馬」とは、附路が駟馬の前に移ることを指す。《石氏賛》にいう、附路の一星は、道路の敗壊・損傷に備えるために設けられたものである。
天将軍占 三十三
石氏曰:“天將十一星,在婁北。”(大星入奎十五度半,去極六十度少強,在黃道內二十九度少。)巫咸曰:“天將軍,金官也。”郗萌曰:“天將軍者,天所以將,率忠正之群士而自衛者。”石氏曰:“天將軍者,天之大將軍也;中大星,大將也;外衛,小吏士也;大將星動搖,兵起,大將出。”
石氏はいう、天将軍は全部で十一の星で、婁宿の北にある。原書の小注にいう、その中の大星は奎宿十五度半に入り、北天極から六十度少半強、黄道以内二十九度少半にある。巫咸はいう、天将軍は金の官に属する。郗萌はいう、天将軍は上天が兵衆を統率するために用いる星官で、それは忠誠正直な将士を統領して天廷を護衛する。石氏はいう、天将軍はすなわち天上の大将軍で、中に居るあの大星は大将本人で、外囲に拱衛する諸星は低階の将吏・兵士である。大将の星が揺動すれば、戦事が興起し、大将は出征する。
《黃帝占》曰:“天將軍小星動搖,不具,兵發。”又占曰:“天將軍星欲明,安靜,天下無兵,大將安寧;其星不明,搖動,天下大兵,大將出行。”《海中占》曰:“天將軍星動搖,天子自將兵出。”郗萌曰:“天將軍旗陳直揚者,所指者勝,所背者負;旗者,左右星也。”《石氏贊》曰:“天將軍十一星,主武兵。”
《黄帝占》にいう、天将軍の小星が揺動するか、あるいは星数が残欠して全からなければ、兵を興す。また一条の占辞にいう、天将軍の諸星は明亮安静なのをよしとし、そうであれば天下に戦事なく、大将は平安無事である。星光が暗淡して揺動して定まらなければ、天下に大戦があり、大将は出行して征伐する。《海中占》にいう、天将軍の星が揺動すれば、天子はまさに自ら兵を率いて出征する。郗萌はいう、天将軍の旗星が排布して挺り直く、揚げ挙がって起これば、旗の指す一方は勝ちを得て、旗の背く一方は敗れる。いわゆる旗とは、大将の星の左右のあれらの星である。《石氏賛》にいう、天将軍の十一星は、武事・兵戎を主管する。
大陵星占 三十四
石氏曰:“大陵八里,在胃北。”(北星入婁六度少,去極四十三度少,在黃道內四十度少。)石氏曰:“大陵,一名積京;其星明,藩國多有大喪,民多疾病,諸侯有喪。”
石氏はいう、大陵は全部で八つの星で、胃宿の北にある(源文はここに「八里」と作るが、「八星」の訛りであるべく、なお底本に依って録存する)。原書の小注にいう、大陵の最北のあの星は婁宿六度少半に入り、北天極から四十三度少半、黄道以内四十度少半にある。石氏はいう、大陵はまた「積京」ともいう。これらの星が明亮すれば、各藩属の国に大喪が多く、百姓に疾病が多く生じ、諸侯の家に喪事がある。
石氏曰:“大陵中有積尸星,明則有大喪,死人如丘山。”甘氏曰:“大陵喪墓,積尸隨居。”郗萌曰:“積京者,大陵也;捲舌之口也;大陵曲而北向,捲舌曲而南向,相為牝牡。”郗萌曰:“積京中星眾,則粟聚,星少,則粟散。”《石氏贊》曰:“大陵八星,主崩喪。”
石氏はいう、大陵の中に積尸の星があり、積尸が明亮すれば大喪があり、死者は丘陵・山岡のごとく堆積する。甘氏はいう、大陵は丧葬・墳墓を象徴し、積尸の星はすなわちその中に随附する。郗萌はいう、いわゆる積京とは大陵で、すなわち巻舌の口部である。大陵は弯曲して北に向かい、巻舌は弯曲して南に向かい、両者は一雌一雄で、互いに配偶をなす。郗萌にまたいう、積京の中の星数が衆多であれば、穀穀は積聚し、星数が稀少であれば、穀穀は散失する。《石氏賛》にいう、大陵の八星は、死亡・丧葬の事を主管する。
天船星占 三十五
石氏曰:“天船九星,在大陵北河中。”(北星入婁九度,去極四十三度半,在黃道內四十三度少。)郗萌曰:“天船九星,一名王船;中有四星,常欲均明,即天下大安;不明,移處,消小不見,天下有兵,若有喪。”
石氏はいう、天船は全部で九つの星で、大陵の北の天河の中にある。原書の小注にいう、天船の最北のあの星は婁宿九度に入り、北天極から四十三度半、黄道以内四十三度少半にある。郗萌はいう、天船の九星はまた「王船」ともいう。その中に四つの星があって、常に亮度の均斉なのをよしとし、そうであれば天下は大いに安定する。もし星光が暗淡し、本位を離れ、縮小して隠没して見えないに至れば、天下に戦事があるか、あるいは喪事がある。
石氏曰:“天船主水旱之事,一名天更。”《黃帝占》曰:“天船主帝王濟渡之官,常居漢中。”郗萌曰:“天船,天將軍兵船也。”石氏曰:“天船常在漢中;不明,天下兵起,津河不通,川水大出,舟船用。”焦延壽曰:“舟星頭四星,常在漢中,將以水戰不成;若有沒國,水大出。”《石氏贊》曰:“船九星,濟不通。”
石氏はいう、天船は水災と旱災の事を主管し、また「天更」ともいう。《黄帝占》にいう、天船は帝王の渡河を主管する官で、常に天河の中に居る。郗萌はいう、天船はすなわち天将軍の用いる兵船である。石氏はいう、天船が常に天河の内に居るのを正とし、星光が暗淡すれば、天下はまさに兵を興し、渡口と河道は通じず、江河の水は暴漲し、舟船に頼って通行するほかない。焦延寿はいう、船星の前頭の四つの星は、常に天河の中に居り、もし位を離れれば、将領は水戦を発動しようと企てて成功できず、また国家が淹没され、洪水が大いに発することをも主る。《石氏賛》にいう、天船の九星は、職は通ぜざるところを渡済するに在り。
巻舌占 三十六
石氏曰:“捲舌六星,在昴北。”(北星入胃十度少,去極五十六度,在黃道內四十一度太。)《黃帝占》曰:“卷星,一名勝舌;一名左舌;一名積京;一名積薪。”《春秋合誠圖》曰:“捲舌,主口語。”石氏曰:“捲舌主利口,明大,則利口用事。”
石氏はいう、巻舌は全部で六つの星で、昴宿の北にある。原書の小注にいう、巻舌の最北のあの星は胃宿十度少半に入り、北天極から五十六度、黄道以内四十一度太半にある。《黄帝占》にいう、巻舌の星はまた「勝舌」ともいい、また「左舌」ともいい、また「積京」ともいい、また「積薪」ともいう。《春秋合誠図》にいう、巻舌は言談・口舌を主管する。石氏はいう、巻舌は伶牙俐歯の人を主管し、星光が明亮碩大であれば、すなわち巧言善弁の徒が権を当て事を用いる。
石氏曰:“捲舌星欲微小不明;明大,多讒言,下多讒,口舌作也。”石氏曰:“捲舌星曲如舌,即吉;舌直,天下多口舌之害。”《聖洽符》曰:“捲舌動,其中星眾,兵大起,多口舌;捲舌安靜,其中星希,則國寧,無兵。”
石氏はいう、巻舌の星は細小暗淡なのをよしとする。ひとたび明亮碩大となれば、讒言は多く、下の讒を進める人が群を成し、口舌の争いはこれより起こる。石氏にまたいう、巻舌の諸星が舌形のごとく弯曲していれば、吉利で、舌形が伸直すれば、天下に口舌の招く禍害が多い。《聖洽符》にいう、巻舌が揺動して、その中の星数がまた多ければ、大戦が興起し、口舌の紛争が断えず、巻舌が安静に動かず、その中の星数が稀少であれば、国家は安寧し、戦事がない。
郗萌曰:“捲舌星藩盛,天下多口舌,民多疾死;一日兵起,人死如丘山。”郗萌曰:“捲舌星動,兵大起,多口舌;星希,則無兵。”郗萌曰:“捲舌星出守,不居漢中,天下盡為口舌妄言。”《石氏贊》曰:“捲舌六星,知讒謗。”
郗萌はいう、巻舌の諸星が繁密旺盛であれば、天下に口舌の争いが多く、百姓は疾病によって死する者が多い。別の一つの説は戦事が興起し、死者は丘陵・山岡のごとく堆積するという。郗萌にまたいう、巻舌の星が揺動すれば、大戦が興起し、口舌の紛争が衆多で、星数が稀少であれば、戦事がない。郗萌にまたいう、巻舌の星が位を離れて外に出て他処に留守し、天河の中に居らなければ、天下は至るところ口舌を搬弄し胡言乱語する風気となる。《石氏賛》にいう、巻舌の六星は、讒言と毀謗を予知できる。
五車星占 三十七
石氏曰:“五車五星,三柱九星;凡十四星,在畢東北。”(西星入畢三度,去極六十三度,在黃道內十度太。)石氏曰:“五車,一名天庫;一名天倉;凡五星,在畢昴北,大陵東;其西北端一大星,曰天庫,天庫將,畢也,秦也,太白也,其神名曰令尉;次東北星,名曰獄,燕趙也,辰星也;其神名曰風伯;次東星,名曰天倉,天倉,衛魯也,其神名曰雨師;次東南星,名曰司空,楚也,鎮星也,其神名曰雷公;次西南星,名曰鄉,鄉,韓、魏也,熒惑也,其神名曰豐隆。”
石氏はいう、五車はそれ自体五つの星、別に三柱の九つの星があって、合計十四で、畢宿の東北に位置する。原書の小注にいう、五車の最西のあの星は畢宿三度に入り、北天極から六十三度、黄道以内十度太半にある。石氏にまたいう、五車はまた「天庫」ともいい、また「天倉」ともいう。五つの星は畢宿・昴宿の北、大陵の東にある。西北端のあの大星を天庫といい、天庫は将領の職に配し、畢宿に対応し、分野は秦の地に属し、五星の中では太白に配し、主るところの神の名は令尉という。続いて東北の一星は名を獄といい、分野は燕・趙に属し、辰星に配し、主るところの神の名は風伯という。さらに東の一星は名を天倉といい、分野は衛・魯に属し、主るところの神の名は雨師という。さらに東南の一星は名を司空といい、分野は楚に属し、鎮星に配し、主るところの神の名は雷公という。さらに西南の一星は名を郷といい、分野は韓・魏に属し、熒惑に配し、主るところの神の名は豊隆という。
石氏曰:“五車中,有三柱;(晉灼曰:柱解音注)三星鼎足居;柱一名休格;一名旗。”郗萌曰:“五車一名咸池;一名為五潢;一名為重華;居豐隆也。”《天文志》曰:“三淵者,五車柱也。”《黃帝占》曰:“五車者,五帝之座。”巫咸曰:“五車,天子五兵,水官。”郗革曰:“五車,天子大澤也,主輕車。”
石氏はいう、五車の中に三柱がある。原書の小注に晋灼を引いていう、「柱」の字の解釈は音注に見る。三柱は各々三星で、鼎の三足のように分かれ立つ。柱はまた「休格」ともいい、また「旗」ともいう。郗萌はいう、五車はまた「咸池」ともいい、また「五潢」ともいい、また「重華」ともいい、雷神・豊隆の居るところである。《天文志》にいう、いわゆる「三淵」とは、すなわち五車の三柱である。《黄帝占》にいう、五車は五方の天帝の座位である。巫咸はいう、五車は天子の五種の兵器を象徴し、水の官に属する。郗革はいう、五車は天子の大沢で、軽捷の戦車を主管する。
石氏曰:“五車,西北大星,大豆;東北星、稻也;東南星,麻也;正南星,粟也;西北、麥也。”甘氏曰:“五車星,五穀各有所主分野,其星動搖變色,其國有後,五穀大貴,人民飢亡,隨(闕)決吉凶。”郗萌曰:“五車主五穀;一車主蕡,蕡麻也;一車主麥;一車主赤黑豆;一車主黍;一車主稻米。”《黃帝占》曰:“五車三柱,星動,期三十日,車騎發。”
石氏はいう、五車の中で、西北の大星は大豆を主り、東北の星は稲を主り、東南の星は麻を主り、正南の星は粟を主り、西北の星は麦を主る。甘氏はいう、五車の諸星の主る五穀には各々対応する分野があり、ある星が揺動して色を変えれば、その一分野の国に後患があり、五穀の価格は暴騰し、百姓は飢餓して死亡し、続いて(底本はここに闕文あり)吉凶を判定する。郗萌はいう、五車は五穀を主管する。一車は蕡を主り、蕡とはすなわち麻で、一車は麦を主り、一車は赤豆・黒豆を主り、一車は黍を主り、一車は稲米を主る。《黄帝占》にいう、五車と三柱の諸星が揺動すれば、期限三十日以内に、車騎はまさに出動する。
《禮緯含文嘉》曰:“天子觀天文,察地理,和陰陽,揆星度,原神明之變,獲福於無方,得靈臺之視,則五車三柱均明,不離其常,川原陸澤,年豐穰。”(宋均注曰:天子考察天氣,若祥填見,赤星之薐者也,所以獲福穰災、五車主五穀、為民穰災得民福,民無飢寒之困,故五車星均明,以應之也。)
《礼緯含文嘉》にいう、天子が天象を観測し、地理を考察し、陰陽を調和し、星辰の度数を推算し、神明変化の本原を推究し、各方各面から福祐を取り得、霊台の観象の正しい結論を得れば、それならば五車と三柱は亮度が均斉で常度を離れず、川流・原野・陸地・湖沢はみな各々その位に安んじ、年成は豊饒である。原書の小注に宋均の注を引いていう、天子が天時・気象を考察して、もし祥瑞の気が出現すれば、すなわち赤色の星辰が稜芒を放つ様子で、これに憑って福を獲得し災を禳除できる。五車は五穀を主管し、百姓のために災害を禳除して福祐を求め、百姓に飢寒の苦しみを受けさせないので、五車の諸星の亮度が均斉なのは、まさにこれと相応するのである。
《春秋元命包》曰:“五車三柱,象天下之車;一柱不見,三分一車行;二柱不見,三分二車行;三柱不見,天子自將兵。”《文曜鉤》曰:“咸池中三柱不具,兵革起。”石氏曰:“五車中,一柱出若不見,兵少半出;二柱出若不見,兵大半出;三柱盡出若不見,兵盡出;柱入而兵入。柱外出,不與天庫相近者,軍出,穀貴,轉谷千里;柱外出一月,穀貴,期一歲;出二月,穀貴六倍,期二歲;出三月,穀貴九倍,期三歲;出三月不入,穀貴十倍。”
《春秋元命包》にいう、五車と三柱は天下の車乗を象徴する。一柱が隠没して見えなければ、全国の三分の一の車輛が出動し、二柱が隠没して見えなければ、三分の二の車輛が出動し、三柱がすべて隠没して見えなければ、天子は自ら兵を率いて出征する。《文曜鈎》にいう、咸池(すなわち五車)の中の三柱が残欠して全からなければ、兵禍はまさに興起する。石氏はいう、五車の中で、一柱が位を離れて外に出るか隠没して見えなければ、出動する兵力は半ばに及ばず、二柱が位を離れて外に出るか隠没して見えなければ、出動する兵力は半ばを過ぎ、三柱がすべて位を離れて外に出るか隠没して見えなければ、兵力は全部出動する。柱星が本位に回帰すれば、軍隊もまた回師する。柱星が外に移り出て天庫の星と相近づかなければ、軍隊が出動し、穀価は上騰し、千里に転運して糧食を運ぶ。柱星が外出して一か月満てば、穀価は上騰し、応期は一年で、外出して二か月満てば、穀価は六倍に騰り、応期は二年で、外出して三か月満てば、穀価は九倍に騰り、応期は三年で、外出して三か月経ってもなお位に回らなければ、穀価は十倍に騰るであろう。
石氏曰:“五車柱外出,不居兩星之間者,天下大水,木大貴;柱倒立者,就車行,土大貴;轉土千里。”石氏曰:“五車星欲其均明,闊狹有常,五車天庫星,中河而不見,天下有積尸,人不可度河,河不通,即有軍。”石氏曰:“五車明大,若星繁眾,兵革大起。”
石氏はいう、五車の柱星が外に移り出て両星の間に居らなければ、天下に大水があり、木材の価格は暴騰する。柱星が倒れ豎れて立てば、車輛がまさに駛動する象で、土木の工の価格は暴騰し、千里に転運して土石を運ぶ。石氏にまたいう、五車の諸星は亮度が均斉で間隔の疎密が常度に合するのをよしとする。五車の中の天庫の星がもし天河の中に淪入して隠没して見えなければ、天下に尸骸が堆積し、人は河を渡ることができず、河道は通じず、つづいて兵事がある。石氏にまたいう、五車の星が明亮碩大であるか、あるいは周囲の星点が繁密衆多であれば、兵禍は大いに起こる。
石氏曰:“五車休出庫者,甲兵強,輕車騎出;休出倉者,大車出,婦女挽糧;休格所指者,車從之。”石氏曰:“五車倉星不見,其所臨之軍,必絕食,大窮而亡。”郗萌曰:“五車旗不見,天下大風,發屋折木。”又占曰:“五車休,旗動,四夷畔。”又占曰:“五軍休,格反,抵大星,兵起天下,先兵者勝。”
石氏はいう、五車の休格の星が天庫の一側から移り出れば、甲士・兵器は強盛で、軽車・騎兵が出動し、天倉の一側から移り出れば、大車が出動し、婦女もまた車を牽いて糧を運ぶ。休格の指す方向に、車駕はそれに随ってそこへ開往する。石氏にまたいう、五車の中の天倉の星が隠没して見えなければ、それに対応するあの軍隊は必ず糧を断ち、困窮きわまりて覆亡する。郗萌はいう、五車の旗星が隠没して見えなければ、天下に大風が起こり、屋舎を掀き翻し、樹木を折り断つ。また一条の占辞にいう、五車の休格が移位し旗星が揺動すれば、四方の夷狄はまさに反叛する。また一条の占辞にいう、五車の休格が反向して行き、大星に抵り当たれば、天下はまさに兵を興し、先に手を動かす一方が勝ちを得る。
《荊州占》曰:“五車柱倒立,占軍行。”石氏曰:“五車星俱明,五穀豐;一星不明,則其谷不升。”又占曰:“五車星失色,赤地三千里,不生。”石氏曰:“五車星有不見,其國飢,有兵憂。”《石氏贊》曰:“五車三柱欲均明,主谷豐耗知敗傷。”
《荊州占》にいう、五車の柱星が倒れ豎れて立つのは、軍隊の行止を占断するために用いる。石氏はいう、五車の諸星がみな明亮すれば、五穀は豊収する。その中の一つの星が明るくなければ、それが主るあの一種の穀物はよく育たず収穫できない。また一条の占辞にいう、五車の星が正常な色を失えば、赤地三千里、寸草も生えない。石氏はいう、五車の諸星に隠没して見えないものがあれば、対応するあの一国は飢饉を鬧かし、さらに兵事の憂いがある。《石氏賛》にいう、五車と三柱は亮度が均斉なのをよしとし、それらは穀物の豊収と耗損を主管し、また敗亡・損傷を予知できる。
天関星占 三十八
石氏曰:“天關星在五車南,參西北。”(入觜初度,去極七十三度半,在黃道外二度太。)郗萌曰:“天關,天門也;在黃道中,日月不出其中行,必有一國之主不朝者;一曰柱不道者,五星不出其中,臣必有不道者。”
石氏はいう、天関の星は五車の南、参宿の西北にある。原書の小注にいう、天関は觜宿の起始度に入り、北天極から七十三度半、黄道以外二度太半にある。郗萌はいう、天関はすなわち天上の門戸で、それは正に黄道の上に当たり、日月の運行がもしこの門の中から通過しなければ、必ず一国の君が朝覲に来ない。別の一つの説は、柱星が道を失い、五星の運行がこの門の中から通過しなければ、臣下に必ず理に背き妄為する人があるという。
《黃帝占》曰:“日月五星不出天關中者,必有叛臣,不從君命,若主不道,臣謀君,有兵起。”石氏曰:“天關星芒角,有兵。”焦延壽曰:“天關星不在,若與五車星舍,大將披甲,國門閉。”《天官書》曰:“黑帝行德,天關為之動。”石氏曰:“天關星欲大明,明大,則王道平通。”《石氏贊》曰:“天關一星,道所從。”
《黄帝占》にいう、日月と五星の運行が天関の中から通過しなければ、必ず叛臣があって君命を聴かず、あるいは君主の行事が道なく、臣子が君主に加害を図謀し、戦事が興起するであろう。石氏はいう、天関の星が芒角を発すれば、兵事がある。焦延寿はいう、天関の星が位を離れて本処に在らず、あるいは五車の諸星と同じく一舎に居れば、大将はまさに甲を披って戦に備え、国都の城門もまた閉鎖する。《史記・天官書》にいう、北方の黒帝が恩徳を施行すれば、天関の星はそれがために震動する。石氏はいう、天関の星は明亮碩大なのをよしとし、明亮碩大であれば王道が平正で通達することを表示する。《石氏賛》にいう、天関の一星は、日月・五星の運行が必ず経る通道である。
南北河戍占 三十九
石氏曰:“南河北河,六星;夾東井。”(東河中央,入井十七度少,去極八十度,在黃道外十四度。)《春秋緯》曰:“井鉞北,曰北河;南,曰南河;兩河天關門,為關梁也。”
石氏はいう、南河と北河は合計六つの星で、東井宿の南北両側に分列し、井宿を中に挟んでいる。原書の小注にいう、東の一つの河戍の中央のあの星は、井宿十七度少半に入り、北天極から八十度、黄道以外十四度にある。《春秋緯》にいう、井宿の鉞星の北を北河といい、南を南河という。両河は合わせてすなわち天上の関門で、関隘・橋梁の作用を起こす。
《黃帝占》曰:“南河戍,名曰南紀,陽門,南宮,南高,南關,越門。”《黃帝占》曰:“南北河戍,一名天高;一名天亭;兩河戍間為天道。”郗萌曰:“南河戍,一名南藏;北河戍,一名北藏;一名天門。”《黃帝占》曰:“北河戍名曰北橫;陰門,北宮,北高,北關,胡門。”
《黄帝占》にいう、南河戍はまた「南紀」「陽門」「南宮」「南高」「南関」「越門」ともいう。《黄帝占》にまたいう、南北の河戍は合わせて「天高」と称し、また「天亭」ともいい、二つの河戍の間の空き間はすなわち「天道」である。郗萌はいう、南河戍はまた「南蔵」ともいい、北河戍はまた「北蔵」ともいい、また「天門」ともいう。《黄帝占》にいう、北河戍はまた「北横」ともいい、ほかに「陰門」「北宮」「北高」「北関」「胡門」などの名号がある。
《黃帝占》曰:“南河戍為權,北河戌為衡;權不正則天傾,所謂不正者,南河戍南五尺。”《黃帝占》曰:“南北河戍為天街,天街流相抵,天下大亂,親離也。”巫咸曰:“南北戍,北門,水官也。”石氏曰:“天關者,河戍也。主中國之難,此皆天之度,以昭示人也。”郗萌曰:“兩河戍,與戍俱為帝關。”
《黄帝占》にいう、南河戍は秤の錘にたとえ、北河戍は秤の杆にたとえる。秤の錘が正しくなければ、天は傾側し、いわゆる正しくないとは、南河戍が南に五尺偏移したことを指す。《黄帝占》にまたいう、南北の河戍は天上の街道で、天街の星が流動して互いに抵触すれば、天下はまさに大いに乱れ、親族は離散する。巫咸はいう、南北の両戍は北面の門戸で、水の官に属する。石氏はいう、いわゆる天関とは、すなわち河戍である。それは中原地区の患難を主管し、これらはみな上天の設けた法度で、世人に昭示するために用いられる。郗萌はいう、二つの河戍は、戍守する諸星とともに、みな天帝の関隘である。
又占曰:“兩戍間為天門;日月五星常出其門中,經行吉;不得久留守馬,日月五星不出其中者,為王失道,行其南,以刑法舉錯,不當失道;行其北,以女及財物金錢失道;近期三年,中期六年,遠期九年。”
また一条の占辞にいう、両戍の間はすなわち天門で、日月と五星は常にこの門の中から通過し、これに順って運行すれば吉利である。ただしここに長く滞留して守候すべきでない。日月・五星がもし門の中から通過しなければ、すなわち君王が正道に背いたのである。門の南から経過するのは、刑法の措置が失当で正道に背いたのであり、門の北から経過するのは、女色および財物・金銭の事によって正道に背いたのである。応験の期限は、近くは三年、中ほどは六年、遠くは九年である。
韓揚曰:“南北戍者,天門也;兩戍間,為天道;日月五星常出南北戍間。出北,旱。”《黃帝占》曰:“兩河星欲明,大小如其故,則天下安寧,四夷來朝;其星不明,若動搖不於其常,則邊兵大動,交侵中國,人主有憂。”
韓揚はいう、南北の両戍はすなわち天門で、両戍の間は天道で、日月と五星は常に南北の両戍の間から通過する。もし偏り出て北戍の外に出れば、天下は干ばつする。《黄帝占》にいう、南北の両河の星は明亮し大小が旧観のごとくなのをよしとし、そうであれば天下は安寧し、四方の夷狄はみな朝貢に来る。星光が暗淡するか、あるいは揺動して定まらず常態を失えば、辺境の戦事は大規模に爆発し、四夷は交々中原を侵犯し、君主はこれがために憂慮する。
郗萌曰:“北河戍下多小星,有民不治,將不明,多失職。”《黃帝占》曰:“日月五星行不出天道間,必有不道之臣;一曰必有道不通。”石氏曰:“南戍主夷狄,北戍主中國;兩戍之間,天關門。”石氏曰:“南北河星不具,道不通,一曰大水。”《石氏贊》曰:“兩河六星,知逆邪。”
郗萌はいう、北河戍の下方に小星が密布すれば、百姓が管治に服さず、将領は昏昧で明らかでなく、官吏には失職が多い。《黄帝占》にいう、日月・五星の運行が天道の間から通過しなければ、必ず理に背き妄為する臣子があり、別の一つの説は必ず道路が阻絶して通じないという。石氏はいう、南戍は夷狄の事を主管し、北戍は中原の事を主管し、両戍の間はすなわち天上の関門である。石氏にまたいう、南北両河の星が残欠して全からなければ、道路は通じず、別の一つの説は大水が発するという。《石氏賛》にいう、両河の六星は、悖逆・邪僻の事を予知できる。
五諸侯占 四十
石氏曰:“五諸侯五星,在東井北,近北河。”(西星入井二度,去極五十七度,在黃道內二度少。)《黃帝占》曰:“五諸侯,主帝心;一曰帝師,二曰帝友,三曰三公,四曰博士,五曰太史;此五者,為帝定疑也。”巫咸曰:“五諸侯,士官。”
石氏はいう、五諸侯は全部で五つの星で、東井宿の北にあり、北河に近い。原書の小注にいう、五諸侯の最西のあの星は井宿二度に入り、北天極から五十七度、黄道以内二度少半にある。《黄帝占》にいう、五諸侯は天帝の心意を主管する。第一の星は帝師、第二は帝友、第三は三公、第四は博士、第五は太史という。この五種の人の職責は、天帝のために疑難を決断することである。巫咸はいう、五諸侯は土の官に属する。
石氏曰:“五諸侯五星,在北戍之南,東西列,東端第一星,齊也;西端一星,秦也;其餘星,皆為諸國。”《春秋緯元命包》曰:“五諸侯主刺舉,戒不虞。”《援神契》曰:“五諸侯主危傾,此皆諸侯之職也。”石氏曰:“王諸侯者,使發摘奸謀,司察陰私伏匿之事。”
石氏はいう、五諸侯の五つの星は、北戍の南にあり、東西の方向に一列に排する。東端の第一は斉国に対応し、西端の一つは秦国に対応し、残りの各星はそれぞれ他の諸侯の国に対応する。《春秋緯元命包》にいう、五諸侯は検挙・弾劾を主管し、意外の変に警戒する。《援神契》にいう、五諸侯は傾危を扶救することを主管し、これらはみな諸侯が尽くすべき職分である。石氏はいう、いわゆる君王を輔佐する諸侯とは、かれらに奸邪の図謀を掲発させ、隠秘に潜蔵する事を稽查させるのである。
《春秋緯》曰:“五諸侯,理陰陽,舉外害,察得失,九州之外使。五星之變逆出,名罰,第一曲歲,其次如位;故以上天,禍從中起。”《禮緯含文嘉》曰:“五禮修備,則五諸侯星正行,光明,不相凌侵;五禾五水,應以大豐。”
《春秋緯》にいう、五諸侯の職分は陰陽を調理し、外から来る禍害を掲挙し、政事の得失を考察し、九州の外の使臣に充当する。五星に変異が生じ逆行して外に出るのを「罰」と呼び、第一の星はその年の曲折不順に応じ、残りの各星は居る位次によって類推する。これらの変異は上は天に応じ、禍患は朝廷の内部から生起する。《礼緯含文嘉》にいう、吉・凶・軍・賓・嘉の五種の礼制が修治され完備すれば、五諸侯の諸星は運行が端正・光明で、彼此相凌犯せず、五穀と五方の水土は、大豊収をもってこれに応ずる。
《黃帝占》曰:“五諸侯星,欲均大小齊明,則王吉昌,天下太平,其臣皆忠;星若差戾,搖動不明,則輔臣不忠,王者不安,天下有憂。”《春秋緯元命包》曰:“五諸侯生角,禍在中。”《春秋緯元命包》曰:“五諸侯星流四去,外牧傷,天子避宮,公卿逃。”
《黄帝占》にいう、五諸侯の諸星は大小が均斉でいっせいに明亮するのをよしとし、そうであれば君王は吉利昌盛し、天下は太平で、臣下はみな忠を尽くす。諸星がもし参差乖違し揺動して明亮でなければ、輔佐の臣は忠ならず、君王は安寧を得ず、天下に憂患がある。《春秋緯元命包》にいう、五諸侯の星が芒角を長じれば、禍乱は朝廷の内に出る。《春秋緯元命包》にまたいう、五諸侯の星が四方に流散して去れば、外に在って一方を牧守する諸侯は損傷を受け、天子は正宮を避離することを迫られ、公卿・大臣は乱に入って出逃する。
石氏曰:“五諸侯星,明大潤澤,大小齊同者,吉;諸侯忠良,王道大興;細微者,凶。”郗萌曰:“五諸侯星當明,即天下大治,安昌;不明,若不見者,天下之貴人有謀其主者,不出三年而發。”韓揚曰:“五諸侯糾戒,見亂相屠。”《石氏贊》曰:“五諸侯星,主議疑。”
石氏はいう、五諸侯の諸星が明亮碩大で色沢が潤潔し、大小が整斉画一であれば、吉利で、諸侯は忠誠賢良で、王道は大いに興盛する。諸星が細小微弱であれば、凶である。郗萌はいう、五諸侯の諸星は明亮すべきで、明亮すれば天下は大いに治まり、安定昌盛する。もし明亮でなく、さらには隠没して見えなければ、天下の顕貴の中に君主に加害を図謀する人があり、三年を出ずして発作する。韓揚はいう、五諸侯は糾察・警戒の職を掌り、ひとたび星象が常を失えば、乱が起こり互いに屠戮するのを見る。《石氏賛》にいう、五諸侯の星は、疑難の事を議決することを主管する。
積水星占 四十一
石氏曰:“積水一星,在北河西星北。”(入井十三度,去極五十五度,在黃道內十二度太。)石氏曰:“積水一星,一名聚水;積聚美水,以給酒官之旗。”巫咸曰:“積水之官。”
石氏はいう、積水はただ一つの星で、北河の西のあの星の北面にある。原書の小注にいう、積水は井宿十三度に入り、北天極から五十五度、黄道以内十二度太半にある。石氏はいう、積水の一星はまた「聚水」ともいい、その職分は上好の泉水を蓄積し、酒官の旗星に供給して酒を醸造するのに用いる。巫咸はいう、これは蓄水を掌る官星である。
《黃帝占》曰:“積水一星,給酒旗積水者,甘泉也;擬於醪釀,以待賓客;其星欲明,天下安,養宴之禮行;其星不明,人主不安,五穀不登,養宴禮廢,徭役殷煩,人民憂。”石氏曰:“積水星明大,動搖,天下水河海溢流,津道不通。”《石氏贊》曰:“積水星,給酒旗。”
《黄帝占》にいう、積水の一星は、酒旗の星に用水を供給する。積むところは甘美の泉水で、醪酒を醸造し、以て賓客を款待するのに備える。この星は明亮するのをよしとし、明亮すれば天下は安定し、宴饗・養老の礼が施行される。星光が明るくなければ、君主は安寧を得ず、五穀は歉収し、宴饗の礼は廃弛し、徭役は繁重で、百姓は憂苦する。石氏はいう、積水の星が明亮碩大にしてまた揺動して定まらなければ、天下の江河・湖海はまさに氾濫漫流し、渡口・道路は阻塞されて通じない。《石氏賛》にいう、積水の一星は、職は酒旗に用水を供給するに在り。
積薪星占 四十二
石氏曰:“積薪一星,在積水東南。”(入井二十一度半,去極六十一度半,在黃道內十度太。)石氏曰:“積薪,聚薪也;聚薪以給享祀。”《黃帝占》曰:“積薪所以給庖廚,以燎熟飲食;其星欲明,明則王者安,五穀熟;其星不明,則庖廚空虛,天下旱,歲不登,人民飢,王者有憂。”
石氏はいう、積薪はただ一つの星で、積水の東南方にある。原書の小注にいう、積薪は井宿二十一度半に入り、北天極から六十一度半、黄道以内十度太半にある。石氏はいう、積薪はすなわち柴薪を堆聚することで、柴薪を聚積するのは祭祀の用に供応するためである。《黄帝占》にいう、積薪は厨房に供給するために用いられ、それに依って火を焼いて飲食を煮熟させる。この星は明亮するのをよしとし、明亮すれば君主は安泰で、五穀は成熟する。星光が明るくなければ、厨房は空っぽのごとくで、天下は干ばつし、年成は歉収し、百姓は飢餓し、君王はこれがために憂慮する。
石氏曰:“積薪與積水,相去五尺以內,天下太平,五穀成;若相去一丈以外,天下饑荒,人民流亡,去其鄉。”石氏曰:“積薪明大,則人君增庖廚。”石氏曰:“積薪星明大,禘嘗察;星不明,君臣不和,百祀不享。”《石氏贊》曰:“積薪一星,主給庖。”
石氏はいう、積薪と積水の両星の相距が五尺以内であれば、天下は太平で、五穀は豊成する。もし相距が一丈以外であれば、天下に飢荒があり、百姓は流離して処を失い、井郷を背いて離れる。石氏にまたいう、積薪が明亮碩大であれば、君主はまさに厨膳を拡充する。石氏にまたいう、積薪の星が明亮碩大であれば、禘祭と嘗祭のごとき大祭はみな潔敬明察に挙行でき、星光が明るくなければ、君臣は和睦せず、各種の祭祀はいずれも神霊に享用されない。《石氏賛》にいう、積薪の一星は、厨膳に供給する事を主管する。
水位星占 四十三
石氏曰:“水位四星,在東井東,南北列。”(南星入井十九度半,去極七十二度半,在黃道外三度太。)《黃帝占》曰:“水位,主水官也;其星微小,如其故,則陰陽和,雨澤以時,天下安;其星明大,大水橫流,溝渠溢滿,五穀死傷,民以水飢。”
石氏はいう、水位は全部で四つの星で、東井宿の東にあり、南北の方向に一列に排する。原書の小注にいう、水位の最南のあの星は井宿十九度半に入り、北天極から七十二度半、黄道以外三度太半にある。《黄帝占》にいう、水位は水を掌る官を主管する。これらの星が細小暗淡で旧観のごとくであれば、陰陽は調和し、雨水は時に応じて降り、天下は安定する。星光が明亮碩大であれば、大水が横流し、沟渠は漫溢し、五穀は水に淹れて死し、百姓は水災によって飢える。
石氏曰:“水位星,主水衡,衡平象水,澤平而後流,澤不壅塞也;星明大,則兵水興。”焦延壽曰:“水位星上近北戍,國沒為河,不乃有滔天之水,以日占國。”《石氏贊》曰:“水位四星,瀉溢流。”
石氏はいう、水位の星は水衡の職を主管する。秤の杆が平正なのはちょうど水面のようで、湖沢は注いで満ち平らかになって後に外に流れ、そうであれば水沢は壅塞しない。これらの星が明亮碩大であれば、兵禍と水患はいっしょに興起する。焦延寿はいう、水位の星が上に向かって北戍に靠近すれば、国土が沈没して河道となることがあり、そうでなくても滔天の洪水があり、発生した当日の干支の配する分野に拠ってどの国に応ずるかを判断する。《石氏賛》にいう、水位の四星は、水の宣泄と漫溢・奔流を主管する。
軒轅星占 四十四
石氏曰:“軒轅十七星,在七星北。”(大星入張太,去極七十一度,在黃道內一度少。)《詩推度災》曰:“黃龍在內,正土職也;一曰陳陵,二曰權星,主雷雨之神。”
石氏はいう、軒轅は全部で十七の星で、七星宿の北にある。原書の小注にいう、軒轅の大星は張宿太半度に入り、北天極から七十一度、黄道以内一度少半にある。《詩推度災》にいう、黄龍は内位に居り、土徳の職分を端正する象徴である。軒轅の第一の名号は「陳陵」、第二の名号は「権星」といい、雷雨の神を主管する。
石氏曰:“軒轅一名昏昌宮,而龍蛇形;凡十七星,南端明者,女主也,母也;女主北六尺,一星,夫人也,屏也,上將也;北六尺、一星,次夫人也,妃也,次將也;北六尺一星,次妃也;其次,皆次妃也;女主南三尺,星不明者,女御也;御西南丈所一星,大明也,太后宗也;御東南丈所一星,少明也,皇后宗也。”
石氏はいう、軒轅はまた「昏昌宮」ともいい、形状は竜蛇の蜿蜒のようで、全部で十七の星である。南端のあの明亮なのは女主、すなわち母后である。女主から北へ六尺の一つの星は夫人で、また屏星とも称し、また上将の位に当たる。さらに北へ六尺の一つの星は次夫人、すなわち妃で、また次将の位に当たる。さらに北へ六尺の一つの星は次妃である。これより後の各星は、すべて次妃の列に属する。女主から南へ三尺のあの明亮でない星は女御である。女御の西南一丈ほどの一つの星は、光度が比較的大きく、太后の宗族を代表する。女御の東南一丈ほどの一つの星は、光度が比較的小さく、皇后の宗族を代表する。
郗萌曰:“軒轅,女主之廷也,一名天柱。”《荊州占》曰:“軒轅前大星明,一曰天關,主陰關。”《淮南鴻烈》曰:“軒轅,帝妃之舍也。”巫咸曰:“軒轅,天子后妃之庭,主土官也。”
郗萌はいう、軒轅は女主の臨朝する殿廷で、また「天柱」ともいう。《荊州占》にいう、軒轅の前方の大星が明亮で、この星はまた「天関」ともいい、陰門の関隘の事を主管する。《淮南鴻烈》にいう、軒轅は帝王の妃嬪の居所である。巫咸はいう、軒轅は天子の后妃の宮庭で、土官の職を主管する。
《黃帝占》曰:“軒轅十七星,主后妃黃龍之體,以應主;南第一星,皇后也;次北一星,三夫人;又北一星,九嬪也;次北一星,二十七世婦;其次北一星,八十一御女;西南六尺,一星,太后宗也;東星六尺,一星,皇后宗也;后妃星南一尺,一星小者,皇子也;次南二尺,一星,女史也;其星主雷雨風霜霧露,虹霓背瓊抱珥,此軒轅之變氣,皆應主之祥。”
《黄帝占》にいう、軒轅の十七星は后妃の事を主管し、形体は黄龍の状をなし、以て君主に応合する。南端の第一の星は皇后で、北へ一つの星は三夫人で、さらに北へ一つの星は九嬪で、さらに北へ一つの星は二十七世婦で、さらに北へ一つの星は八十一御女である。西南六尺のところの一つの星は太后の宗族を代表し、東の六尺のところの一つの星は皇后の宗族を代表する。后妃の星から南へ一尺のところのあの比較的小さい星は皇子で、さらに南へ二尺の一つの星は女史である。これらの星は雷・雨・風・霜・霧・露、および虹霓と日のそばの背気・璚気・抱気・珥気を主管し、およそこれらはみな軒轅の顕す変異の気で、すべて君主の身に応ずる吉凶の兆である。
石氏曰:“軒轅星,王后以下所居宮也,一曰帝南宮,中央土神,女主之象也;女主之位,黃帝之舍也。”《禮緯含文嘉》曰:“諸舅有儀,則軒轅東西角大張。”《孝經(闕)契》曰:“軒轅列明,後女爭譽。”石氏曰:“軒轅屏星去,無君臣之義。”
石氏はいう、軒轅の星は王后以下の衆多の妃嬪の居る宮室で、また「帝南宮」ともいい、中央土徳の神に属し、女主の象徴である。女主の居る位次は、すなわち黄帝の居所である。《礼緯含文嘉》にいう、外戚の諸舅の挙止が儀礼に合すれば、軒轅の東西両端の角は大幅に張り開く。《孝経(闕)契》にいう、軒轅の諸星がいっせいに明亮すれば、后妃の間は争って声誉を博する。石氏はいう、軒轅の屏星が位を離れて去れば、君臣の間は応有の名分・道義を失う。
石氏曰:“軒轅星如其故,色黃而潤澤,則天下和,年大豐。”石氏曰:“軒轅移外,民流亡,從胡人;移其內,民人大飢,胡人來。”焦延壽曰:“軒轅星動有搖,若相就;皆為后夫人之宗,有死喪,若卑伐尊者。”
石氏はいう、軒轅の諸星が旧観のごとくで、色が黄く潤沢であれば、天下は和睦し、年成は大いに豊かである。石氏にまたいう、軒轅が外に向かって移位すれば、百姓は流離逃亡し、胡人に投奔し、内に向かって移位すれば、百姓は大いに飢饉を鬧かし、胡人は来て侵擾する。焦延寿はいう、軒轅の諸星が揺動して定まらないか、あるいは彼此靠近して相就けば、いずれも后妃・夫人の宗族に喪亡の事があることを主るか、あるいは卑をもって尊に犯し、下をもって上に伐つ事情の発生がある。
又占曰:“女御星去后星遠,有賤星迫近之,有賞賜事;其東西至大民、少民;王者娶,不以次;淫佚不用道理,以下賤為正也。”郗萌曰:“軒轅角振,后族敗,振動也。”《荊州占》曰:“軒轅欲小,小黃明也;消小不見,皇貴妃不安;黑色,大凶。”石氏曰:“軒轅星合,為百二十妃大小相次,後宮多子孫;不明,有暴憂。”《石氏贊》曰:“軒轅龍體,主后妃。”
また一条の占辞にいう、女御の星が皇后の星からとても遠いのに、卑賤の小星がそれに迫近すれば、賞賜の事がある。この象が東西両側に大民・少民の二星にまで延び及べば、君王の妻を娶るが次序に従わず、荒淫放縦で道理に循わず、出身の低賤な人を正室に立てることを主る。郗萌はいう、軒轅の角が振動すれば、后族はまさに敗落する。いわゆる「振」とはすなわち揺動である。《荊州占》にいう、軒轅の諸星は細小なのをよしとし、細小にして色が黄く明浄なのが最良である。もし縮小して隠没して見えないに至れば、皇貴妃は安寧を得ず、星色が黒に発すれば、大いに凶である。石氏はいう、軒轅の諸星が聚合するのは、百二十人の妃嬪が尊卑・大小によって順次排列することを象徴し、後宮は多くの子孫を得る。星光が明るくなければ、突如其来の憂患がある。《石氏賛》にいう、軒轅は形は竜体のようで、后妃の事を主管する。
少微星占 四十五
石氏曰:“少微四星,在太微西,南北列。”(南星入張十度半,去極七十度半,在黃道內三度半弱。)韓楊曰:“天官圖簿,少微四星,謂第一處士;第二博士;第三義士;第四大夫也。”
石氏はいう、少微は全部で四つの星で、太微垣の西にあり、南北の方向に一列に排する。原書の小注にいう、少微の最南のあの星は張宿十度半に入り、北天極から七十度半、黄道以内三度半弱にある。韓楊はいう、天官の星図簿録の記載に拠れば、少微の四星は、第一は処士を代表し、第二は博士を代表し、第三は義士を代表し、第四は大夫を代表する。
(別書云:有五星,南端一星主真人,老子、許由也;第二星處士,孔子也;第三星工士、奚仲、魯班也;第四星術士,定鐘律,師曠也;第五星能士,力舉九千鈞也。又《天官書》曰:廷蕃西有墮星五。案圖簿,止有四星。且韓楊又云異聞,今故兼錄也。)
原書の小注にいう、別に他の書に少微は五つの星であると講じるものがあり、南端の一つは真人を主り、老子・許由のような人物で、第二は処士を主り孔子のごときで、第三は工士を主り奚仲・魯班のごときで、第四は術士を主り鐘律を厘定した師曠のごときで、第五は能士を主り九千鈞の重物を挙げられる。このほか《史記・天官書》にいう、太微廷藩の西に「堕星」五つがあるとする。星図簿録を査するに、ここには四つの星しかない。これに韓楊の言を加えればまた別の一種の異聞に属するので、いま数種の説をいっしょに収録しておく。
《文曜鉤》曰:“少微,士大夫位也;一名處士。”巫咸曰:“處士,水官也。”石氏曰:“少微,伏戲之廷。”巫咸曰:“少微,天子副主;或曰博士官;一曰主衛掖門。”《黃帝占》曰:“少微,主藝能之士;若聞如孔子,巧如魯班,道術之士,悉皆主之。”
《文曜鈎》にいう、少微は士大夫の位次で、また「処士」ともいう。巫咸はいう、処士の星は水の官に属する。石氏はいう、少微は伏羲の殿廷である。巫咸はいう、少微は天子の副貳の主で、あるいはそれは博士の官であるともいい、また一説には宮中の掖門の守衛を主管するという。《黄帝占》にいう、少微は技芸・才能ある人を主管し、孔子のように博聞多識で、魯班のように心思が巧妙で、および各種の道術に精通する人は、すべてそれの主管に帰する。
《黃帝占》曰:“少微星明而行列,王者任賢良,舉隱逸才用,天下安;其不明,微而不見,賢良不出,術士潛藏,人主不安。”《春秋緯》曰:“大夫專權,則兵陵地坼;少微纖昧。”
《黄帝占》にいう、少微の諸星が明亮して排列が整斉であれば、君王は賢良を任用し、隠居して仕えぬ才俊を起用し、天下は安定する。星光が明るくなく、微弱して見えないに至れば、賢良の士は出仕を肯んぜず、方術の士は隠匿潜蔵し、君主は安寧を得ない。《春秋緯》にいう、大夫が権柄を独攬すれば、兵禍が相凌ぎ大地が裂け、このとき少微の星は纖細で晦暗である。
石氏曰:“少微星明大而黃潤澤,則賢士舉,而忠臣用。”石氏曰:“少微星微小,則賢士退,而忠臣廢。”巫咸曰:“少微星非其故,女主有憂。”巫咸曰:“處士明,王命興,輔佐出。”焦延壽曰:“少微星近太微,若一星獨前,入太微西門,胡主有謀,賊闢。”《石氏贊》曰:“少微四星,逸士位。”
石氏はいう、少微の諸星が明亮碩大で色が黄く潤沢であれば、賢士は挙薦を獲得し、忠臣は任用を得る。石氏にまたいう、少微の諸星が細小微弱であれば、賢士は退隠し、忠臣は廃棄され用いられない。巫咸はいう、少微の諸星が常態を失えば、女主に憂患がある。巫咸にまたいう、処士の星が明亮すれば、君王の政令は興挙し、輔佐の臣は時に応じて出る。焦延寿はいう、少微の星が太微垣に近づき、もしその中の一つの星が独りで前行して太微の西門に入れば、胡人の主に図謀があり、盗賊が横行して除辟を加えなければならない。《石氏賛》にいう、少微の四星は、隠逸の士の位次である。
太微星占 四十六
石氏曰:“太微十星,(案司馬遷《天官書》,班固《天文志》並匡星,未詳其占。)在翼軫北。”門右星入翼九度,去極七十六度半,在黃道內二度太也。吳龔《天官星占》曰:“太微者,天關也;南門關千里,分為左右掖。”
石氏はいう、太微は全部で十の星である。原書の小注にいう、司馬遷《史記・天官書》と班固《漢書・天文志》を査するに、いずれも「匡星」をいっしょに計入するが、その占辞を詳載しない。太微は翼宿・軫宿の北に位置する。門の右のあの星は翼宿九度に入り、北天極から七十六度半、黄道以内二度太半にある。呉龔《天官星占》にいう、太微はすなわち天上の関隘で、南門のこの一つの関は一開一閉が千里の遠さに牽動し、両側は左掖門と右掖門に分かれる。
郗萌曰:“太微之宮,天子之廷,上帝之治,五帝之座也;(案張衡《靈憲》曰:“太微為五帝之庭。)名曰保舍,十二諸侯之府也;其外蕃,九卿也;軒轅為權,太微為衡。”
郗萌はいう、太微の宮は天子の朝廷で、上帝の施政する処であり、また五方の天帝の座位である。原書の小注にいう、張衡《霊憲》が講じるに、太微は五帝の庭院であると。太微はまた「保舎」とも名づき、十二諸侯の官府で、それの外囲の藩垣は、すなわち九卿を象徴する。軒轅は秤の錘にたとえ、太微は秤の杆にたとえる。
(案《續晉陽秋》曰:桓溫入蜀,聞有善星者,後有大志,遂致之,夜獨執其手,於星下問國社之修短,星人曰:太微、紫微、文昌三宮,氣候如此,決無憂虞,五十年外不論耳,溫不悅,遺絹一疋,錢五千,星人詣習鑿齒,曰:受旨自裁,乞命為標揭棺木。鑿齒問其故,星人曰:賜絹令我自縊,乞錢買棺,故知之耳。鑿齒曰:君幾誤死,君亦知星宿有不覆之義乎,絹以戲君,線供資糧,是聽君去耳,星人喜,以此言詣溫,溫嘆曰:君三十年看儒書,不如一詣習主簿。)
原書の小注にいう、《続晋陽秋》の記載を査するに、桓温が蜀に入ったとき、星占に精なる人がいると聞き、ちょうどそのときかれは不軌の大志を懐いていたので、この人を招き寄せた。夜に独りその手を握り、星光の下で国家・社稷の長短の気数を問うた。星占者はいう、太微・紫微・文昌の三宮の星気はかくのごとくで、憂うべきところは決してなく、五十年以外の事は論じるに及ばない、と。桓温は喜ばず、絹一疋・銭五千を贈った。星占者は習鑿歯に見えに行っていう、わたしは自ら尽きよとの旨意を奉じ、ただ先に棺木を標記する名号を留めてほしいと求めるのみである、と。習鑿歯はかれにどうして分かるかと問い、星占者はいう、絹を賜ったのはわたしに首を吊らせることで、銭を与えたのはわたしに棺を買わせることで、ゆえに知る、と。習鑿歯はいう、あなたは危うく枉死しかけた。あなたは星宿にも「一切を覆い尽くさぬ」道理があることを知らないのか。あの絹はあなたと戯れたのであり、銭はあなたに旅費を供したのであり、意はただあなたの去るに任せるのみである、と。星占者は大いに喜び、この言葉を桓温に告げ、桓温は感嘆していう、あなたは三十年儒書を読んだが、習主簿のもとへ一度行くに及ばない、と。
《淮南鴻烈》曰:“微者,主朱鳥也。”(許慎曰:“大風之鄉,朱鳥。)《孝經緯》曰:“太微,天廷,帝以紀錄出圖;五星並設,神錄集謀,故置將相,輔佐執法,郎位,少微以議疑。”巫咸曰:“太微,天子常侍,土官也。”
《淮南鴻烈》にいう、太微は南方の朱鳥の事を主管する。原書の小注に許慎を引いていう、大風の出ずる方位は、まさに朱鳥の居るところである。《孝経緯》にいう、太微は上天の朝廷で、天帝はここで簿籍を登録し図讖を頒出し、五星はいっしょに布列し、衆神は彙集して謀議する。ゆえに将・相の位を設け、また輔佐・執法・郎位および少微の諸星を設け、以て疑難を商議・決断する。巫咸はいう、太微は天子の常侍近臣で、土の官に属する。
《黃帝占》曰:“太微,天子之宮。西蕃四星,南北列,南端第一星,為上將;北間,為太陽西門;門北一星,為次將;北間,為中華西門;門北一星,為次相;北間,為太陰西門;門北一星,為次相;北間,為中華東門;門北一星,為次將;北間,為太陰東門;北端一星,為上相。東藩四星,南北列,南端第一星,為上相;北間,為太陽東門;北端一星,為上將。南蕃兩星,東西列,其西星,為右執法;其東星,為左執法,廷尉尚書之象,兩執法之間,太微天廷端門也;右執法西間,為右掖門;左執法之東,為左掖門。帝有四部將軍相,有十,帝之所尊貴者,為上將相,不以廷尉、尚書為例。”
《黄帝占》にいう、太微は天子の宮殿である。西面の藩垣の四つの星は南北の方向に排列する。南端の第一は上将で、その北の空き間は太陽西門で、門北の一つの星は次将で、さらに北の空き間は中華西門で、門北の一つの星は次相で、さらに北の空き間は太陰西門で、門北の一つの星は次相で、さらに北の空き間は中華東門で、門北の一つの星は次将で、さらに北の空き間は太陰東門で、最北端の一つの星は上相である(この段の東西藩の門名と星位は底本の中で互いに竄乱しており、なお原文に依って録存する)。東面の藩垣の四つの星もまた南北に排列する。南端の第一は上相で、北面の空き間は太陽東門で、最北端の一つは上将である。南面の藩垣の二つの星は東西に排列し、西の一つは右執法で、東の一つは左執法で、廷尉と尚書を象徴する。両執法の間は、すなわち太微天廷の端門で、右執法の西側の空き間は右掖門で、左執法の東側は左掖門である。天帝の手下に四部の将軍と丞相があって、合計十位である。天帝の最も尊崇するのは上将と上相で、廷尉・尚書をこの等級の内に算入しない。
《洛書》曰:“太微西蕃將,執威誅不順;東蕃相,執美拒侯王。”《春秋元命包》曰:“太微,權政所在。”又曰:“太微為天廷,理法平辭,監升授德,列宿受符,諸神考節,舒情稽疑也;南蕃二星,東星曰左執法,廷尉之象也;西星曰右執法,御史大夫之象也;執法,所以舉刺凶奸者也;兩星之間,南端門也;左執法之東,左掖門也;右執法之西,右掖門也;東蕃四星,南第一星,曰上相,上相之北,東門也;第二星,曰次相,次相之北,中華門也;第三星,曰次將,次將之北,太陰門也;第四星、曰上將;所謂四輔也。
《洛書》にいう、太微の西藩は将位で、威刑を掌握し、服従しない人を誅討する。東藩は相位で、美徳を秉持し、驕横の侯王に抵御する。《春秋元命包》にいう、太微は権柄・政令のあるところである。またいう、太微は上天の朝廷で、ここで法度を整治し、辞訟を平允にし、考課して升進し徳位を授与し、列宿はここで符命を領受し、衆神はここで節度を考定し、情実を抒陳し疑難を稽查する。南藩の二つの星——東の一つは左執法といい、廷尉を象徴し、西の一つは右執法といい、御史大夫を象徴する。執法の官は凶悪・奸邪の徒を検挙弾劾するために用いられる。両星の間は南端門で、左執法の東は左掖門、右執法の西は右掖門である。東藩の四つの星——南より第一は上相といい、上相の北は東門、第二は次相といい、次相の北は中華門、第三は次将といい、次将の北は太陰門、第四は上将——これがいわゆる「四輔」である。
西蕃四星,南第一星,曰上將;上將之北,西門也;第二星,曰次將;次將之北,中華門也;第三星,曰次相,次相之北,太陰門也;第四星、曰上相;亦為四輔也。”《春秋緯》曰:“天廷微,序五統三,立法式,成章匡。衛星為蕃臣,西星將位,東星為相位,中執法,南兩星端門。旁左右掖門,五諸侯王。”
西藩の四つの星——南より第一は上将といい、上将の北は西門、第二は次将といい、次将の北は中華門、第三は次相といい、次相の北は太陰門、第四は上相——この四つもまた「四輔」と称する。《春秋緯》にいう、上天の朝廷たる太微は、五行を序列し三統を統摂し、法式を確立し、章程・規矩を成就する。護衛の諸星は藩屏の臣で、西辺の星は将位、東辺の星は相位、中間は執法の星、南面の二つの星は端門を構成する。端門の両旁は左右の掖門で、別に五諸侯の王がその間に列する。
開元占経 巻六十七
石氏中官
三台占 五十三
石氏曰:“三臺六星,兩兩而居。起文昌,列抵太徵。”(兩臺北星入井三十度太,去極三十度少,在黃道內二十八度少也。)《黃帝占》曰:“三能(蘇氏曰:能音臺。)者,三公之位也;諸侯,農人也;一名天柱,太一之舍道也;文昌之庭也;在下名曰天奇。”
石氏はいう、三台は全部で六つの星で、二つずつ対をなして排列し、文昌から始まってまっすぐ太微垣まで排する。原書の小注にいう、両台の中の北寄りのあの星は井宿三十度太半に入り、北天極から三十度少半、黄道以内二十八度少半にある。《黄帝占》にいう、三能(原書小注に蘇氏を引いていう、「能」は「台」と読む)は三公の位次で、また諸侯と農人をも象徴する。それはまた「天柱」ともいい、太一の往来して居る通道で、また文昌の庭院であり、下界では「天奇」と称する。
《黃帝占》曰:“三能,近文昌宮者,曰太尉,司命,為孟;次星曰司徒,司中,為仲;次星為司空,司祿、為季。”《黃帝占》曰:“泰階,天之三階也;上階上星,為天子;下星,為女主;中階上星,為諸侯、三公;下星為卿大夫;下階上星,為士,為庶民,所以和陰陽而理萬物。”
《黄帝占》にいう、三能の中で、文昌宮に近い一対を太尉といい、また司命とも称して位は長に居る。その次の一対を司徒といい、また司中とも称して位は中に居る。さらにその次の一対を司空といい、また司禄とも称して位は末に居る。《黄帝占》にまたいう、泰階はすなわち上天の三級の階段である。上階の上星は天子を代表し、下星は女主を代表する。中階の上星は諸侯と三公を代表し、下星は卿大夫を代表する。下階の上星は士を代表し、下星は庶民を代表する。この三級の階段を設けたのは、陰陽を調和し万物を治理するためである。
又占曰:“三臺大間中,相去十六度,為平過,為太滅,為損。小間中相去太半度,為平過,為奢減,為迫。”又占曰:“知三能者,使人不病癘;夫妻俱視三能,使人離;三能雖尊;臣之位也。”又占曰:“司祿,主人君之爵祿。”
また一条の占辞にいう、三台の各対の間の大きな間隔は、相距が十六度をもって常度平正とし、超えれば太過消減で、虧損である。各対の両星の間の小さな間隔は、相距が太半度をもって常度平正とし、超えれば奢張・減損で、足りなければ迫近である。また一条の占辞にいう、三能の星理を知る人は、人に疫病を患わせないことができる。夫婦の二人が同時に三能を仰観すれば、かえって人を分離させる。三能は尊貴ではあるが、終竟は人臣の位次である。また一条の占辞にいう、司禄の星は君主の授与する爵位と俸禄を主管する。
《禮含文嘉》曰:“三臺為天階,太一躡以上下;一曰天階。”《春秋緯》曰:“三能在前,參稽正緒。”《春秋緯元命包》曰:“魁下六星,兩兩而北,曰三能,主德,聞德宣符之;西近文昌二星,曰上臺,為司命,主壽;次二星,中臺,為司中,主宗室;東二星,曰下臺,為司祿,主兵。”
《礼緯含文嘉》にいう、三台は上天の階段で、太一の神がそれを踏んで上下に往来する。ゆえにまた「天階」ともいう。《春秋緯》にいう、三能は前に列して、人に参験・稽考させ、綱紀の端緒を端正させるために供する。《春秋緯元命包》にいう、北斗の魁星の下方の六つの星は、二つずつ北に向かって排列し、三能と呼ばれ、徳行を主管し、徳音を聞いて符命を宣布できる。西寄りで文昌に近い二つを上台といい、すなわち司命で、寿数を主管する。続いての二つを中台といい、すなわち司中で、宗室を主管する。東の二つを下台といい、すなわち司禄で、兵事を主管する。
《論讖》曰:“上臺上星,主兗豫;下星、主荊揚;中臺上星,主樑雍;下星,主冀州;下臺上星,主青州;下星,主徐州;星非其故,以占其邦。”巫咸曰:“三能,天子六階;六階,土官也。”郗萌曰:“三能主爵,為天倉。”司馬遷《天官書》曰:“三能、三衡者,天庭也。”
《論讖》にいう、上台の上星は兖州・豫州を主り、下星は荊州・揚州を主る。中台の上星は梁州・雍州を主り、下星は冀州を主る。下台の上星は青州を主り、下星は徐州を主る。どの星か常態を失えば、それに拠って対応する邦国を占断する。巫咸はいう、三能は天子の六級の階段で、この六級の階段は土官に属する。郗萌はいう、三能は爵位を主管し、また天倉の職に当たる。司馬遷《史記・天官書》にいう、三能と三衡は、いずれも上天の朝廷である。
《荊州占》曰:“司命主兵,間六尺有兵。”又占曰:“司命、司中、祿星,天子定見安危之府也;萬民壽之主也。”《黃帝占》曰:“司命、司中、司祿,星色青黑,天下多憂。”又占曰:“司中主宗室,間六尺,主亂政急,骨肉親疏遠,宗室不和附,人君不安,兵起。”
《荊州占》にいう、司命は兵事を主管し、両星の間距が六尺にまで張り開けば戦事がある。また一条の占辞にいう、司命・司中・司禄の三星は、天子がこれに拠って安危を判定する官府で、また万民の寿命の主宰である。《黄帝占》にいう、司命・司中・司禄の三星の星色が青黒であれば、天下に憂患が多い。また一条の占辞にいう、司中は宗室を主管し、両星の間距が六尺に張り開けば、政局が混乱急迫し、骨肉の至親が疎遠になり、宗室が和睦せず帰附を肯んぜず、君主は安寧を得ず、戦事が興起することを主る。
《黃帝占》曰:“公侯背叛,率部動兵,則中階上星其色赤;夷狄侵邊,境內騷運,則中階下星疏而橫,其色白:卿大夫廢正向邪,作奸營私,則下星垂而疏,其色赤;避尊比下,興眾同位,則星迫而下,色白。”《黃帝占》曰:“士庶民不從法令,犯刑為賊,則下階上星其色赤;星去本就末,淫侈相起,則閽人橫,其色白;令行法勝,委命聽從,則星迫而下,其色白。”
《黄帝占》にいう、公侯が背叛して部屬を率いて兵を興せば、中階の上星は赤色を呈する。夷狄が辺境を侵犯し、境内が動蕩して安らかでなければ、中階の下星は疎遠にして横斜し、白色を呈する。卿大夫が正道を捨てて邪僻に趨り、私を営み弊を舞えば、下星は低く垂れて疎離し、赤色を呈する。尊者を避けて去り下位に親附し、党衆を糾集して上位の者と比肩すれば、星は迫近して下に沈み、白色を呈する。《黄帝占》にまたいう、士人と庶民が法令に遵従せず、法を犯して盗をなせば、下階の上星は赤色を呈する。星が本位を離れて末位に趨れば、淫侈の風が交々興起し、門を守る小吏さえ横行无忌で、星は白色を呈する。政令が通行し法度が勝ちを得て、人々が聴命服従すれば、星は迫近して下に、白色を呈する。
又占曰:“上能不具,春不得耕;中能不具,夏不得芸;下能不具,秋不得獲。”又占曰:“三階平,則陰陽和,風雨時,五穀豐,禎祥應,天下太平;三階不平,則陰陽不和,風雨不時,百靈不享,災異並生,百姓不寧。”
また一条の占辞にいう、上台が残欠して全からなければ、春に耕種することができず、中台が残欠して全からなければ、夏に田を耘り草を除くことができず、下台が残欠して全からなければ、秋に収穫することができない。また一条の占辞にいう、三級の階段が平正であれば、陰陽は調和し、風雨は時に応じ、五穀は豊登し、祥瑞は応験し、天下は太平である。三級の階段が平正でなければ、陰陽は失調し、風雨は時を失い、各方の神霊は祭祀を歆享しようとせず、災異はいっせいに発生し、百姓は安寧を得ない。
《黃帝占》曰:“天子剛猛好兵,滅後殺嗣,則上階上星其色赤;循宮廣囿,肆其聲色,則上階奢而橫;溫懦柔弱,誅罰不行,則上階迫,其色白;朋黨比周,度逾適易,則上階下星其色白;妃嬪尊榮,讒言進用,則上階下星奢而橫,其色白;恃寵肆欲,懷邪作亂,則星高而仰,其色赤。”
《黄帝占》にいう、天子が剛暴凶猛で用兵を好み、皇后を廃黜し子嗣を殺害すれば、上階の上星は赤色を呈する。宮墻に沿って苑囿を拡建し、声色の欲を放縦すれば、上階は張りが過度に寛く横斜する。性情が温呑懦弱で、誅すべき罰すべきもいずれも施行しなければ、上階は迫近して収緊し、白色を呈する。朝中で党を結び私を営み彼此勾連し、法度が随意に逾越更改されれば、上階の下星は白色を呈する。妃嬪の地位が尊崇され栄寵を受け、讒言が進用を得られれば、上階の下星は張りが過度に寛く横斜して白色を呈する。寵を恃みて肆意に欲を縦じ、邪念を懐いて乱をなすを図れば、星は高く抬って上に仰ぎ、赤色を呈する。
《黃帝占》曰:“人主有綱,臣下有紀,賦斂惟省,刑罰用輕,則上階為之蹙;諸侯納貢,朝聘有禮,三公盡忠,卿大夫無私,則中階為之比;庶民奉化,閨門和穆,予給以時,徭役有序,下階為之密蹙;比密者相近也。”
《黄帝占》にいう、君主が大綱を持守し、臣下が法紀に遵循し、賦税の徴斂が倹省を務め、刑罰が軽く施用されれば、上階はこれがために収緊して靠攏する。諸侯が時に貢を納め、朝覲・聘問がみな礼数に合い、三公が忠誠を竭くし、卿大夫が私情を徇らなければ、中階はこれがために并列して貼近する。庶民が教化を奉行し、家門の内が和睦融洽し、給養が時に発放され、徭役が序をもって按排されれば、下階はこれがために緊密に靠攏する。いわゆる「比」「密」とは、いずれも彼此が相近づくの意である。
《黃帝占》曰:“人主徭役肆意縱慾,崇飭臺榭,數奪農時,上階為之奢;諸侯盛,車服上僭,三公專權,卿大夫貪誇,則中階為之疏;(案王隱《晉書》曰:張華少子建曉仰占云:中臺坼、內懼;遂勸華遜位,華言今惟修德以應之耳,檀道鸞《晉陽秋》曰:張華死後,中臺遂坼。大元中,還陰斂正,中國以謝太傳祖德之所致也。《宋書天文志》云:晉惠永康元年三月,中臺星坼,是日賈后殺太子,趙王倫尋廢殺後,及張華又廢帝自立,於是三王並起,操據天權也。)士庶民去本趨末,不務農桑,豪侈相凌,竟為狡猾;則下階為之闊奢;疏闊者,階相遠也。”
《黄帝占》にいう、君主が濫りに徭役を興し恣いに欲を縦じ、高台・楼榭を大修し、しきりに農時を侵奪すれば、上階はこれがために張り開き寛くなる。諸侯の勢力が強盛で、車馬・服飾が本分を僭越し、三公が権柄を専擅し、卿大夫が貪婪で誇詐すれば、中階はこれがために疎遠に散開する。原書の小注にいう、王隠《晋書》の記載を査するに、張華の小児子張建は仰いで星象を観る術に通暁し、中台の星が裂けて内裏は畏るべしと言い、ここに張華に位を辞し退くよう勧めた。張華はいう、いまはただ徳を修めて以て対応するのみである、と。檀道鸞《晋陽秋》にいう、張華が死して後、中台は果たして裂けた。太元年間に、陰気が位に帰り綱紀が改めて端正されると、中原の人はこれを謝太傅の祖先の積徳の致すところと認めた。《宋書・天文志》にいう、晋の恵帝永康元年三月、中台の星が裂け、その日に賈后が太子を殺害し、趙王司馬倫がほどなく賈后を廃黜し殺し、その後張華もまた廃され、司馬倫は自ら立って帝となり、ここに三王がいっせいに兵を起こし、朝廷の大権を把持した。士人・庶民が本を捨て末に逐い、農桑に従事しようとせず、豪奢を互いに攀比し欺凌し、争って奸猾の手段を弄すれば、下階はこれがために張り拡がり奢散する。いわゆる「疏」「濶」とは、いずれも階段が彼此に引き離れるの意である。
《洛書》曰:“三能橫通,天下嘿嘿,後十二年,山大崩,亡主之符也。”《尚書中侯》曰:“中能垂,公輔謀。”《尚書中侯》曰:“天能有變,厥為災,土淪山崩,谷溜滿,川枯。”
《洛書》にいう、三能が横斜に貫通すれば、天下は沈悶して声なく、噤として寒蝉のごとく、これより後十二年に、大山の崩壊があり、これは君主がまさに亡ぶ符応である。《尚書中侯》にいう、中台が低垂すれば、三公の輔相は暗中に謀劃している。《尚書中侯》にまたいう、天上の三能に変異が生じれば、災を成し、土地は陥落し山岳は崩塌し、谷の中の積水は漫溢し、河川はかえって乾枯する。
《禮含文嘉》曰:“王者得禮之制,不傷財,不害民,君臣和集,草木昆蟲,各蒙正則,則三臺為齊明,不闊不狹,如其度。”(宋均注曰:君臣制度、宮室車旗多少,各有科品,則應之也。)《禮緯含文嘉》曰:“殯喪之禮,各以其時,變制革禮之差,各制之宜,三臺平正,有德星出入其間矣。”
《礼緯含文嘉》にいう、君王が礼の法度を掌握し、財力を耗損せず、百姓を損害せず、君臣が和睦して聚合し、草木・昆虫が各々正常の生養の法則を蒙れば、それならば三台は亮度が整斉で、寛からず窄まらず、ちょうど常度に合する。原書の小注に宋均の注を引いていう、君臣の制度・宮室・車旗の多寡は、各々等級・品秩があり、品秩に合すればこれと相応する。《礼緯含文嘉》にまたいう、殯殮・丧葬の礼が各々その時節に按じて挙行され、変通の制度・更革の礼数の差等が各々処置して宜しきを得れば、三台は平正で、徳星があってそれらの間を出入りするであろう。
《春秋緯》曰:“三公擅恣,非其人,則山崩,三臺移,鼎折足。”《春秋緯》曰:“三能色齊,君臣和;不齊,大乖。”《春秋緯》曰:“三能色亂,天子不賢。”甘氏曰:“三臺以明,行列齊,等相類,則君臣和,吉而治臻。”
《春秋緯》にいう、三公が専擅恣肆して、任じるところがその人にあらざれば、山崩があり、三台は移位し、譬えば鼎が足を折ったようである。《春秋緯》にまたいう、三能の星色が整斉ならば、君臣は和睦し、星色が整わなければ、君臣は大いに乖違する。《春秋緯》にまたいう、三能の星色が錯乱すれば、天子は賢明でない。甘氏はいう、三台が明亮し、排列が整斉で、彼此の等次が相当であれば、君臣は和睦し、吉祥で治世が到来する。
甘氏曰:“三臺色黃,天下謀德;色赤,謀兵;色黑,在憂;色白,為喪;色白,為疾;三臺不直,天下失謀。”甘氏曰:“三能流相抵者,諸侯為亂,天子不見,有亡主;以其日占其國。”甘氏曰:“司中星坼搖若合,赦。”甘氏曰:“司祿星其坼者,凶,主者當之。”焦延壽曰:“三能星搖動,皆為有謀。”
甘氏はいう、三台の色が黄ならば、天下の謀議するは徳政で、色が赤ならば、謀議するは兵事で、色が黒ならば、憂患の中に処り、色が白ならば、喪事を主り、色が白はまた疾疫をも主る。三台の排列が直ならずであれば、天下は主張と謀略を失う。甘氏にまたいう、三能の星が流動して互いに抵触すれば、諸侯はまさに乱をなし、天子は面を露すことができず、さらには君主の敗亡さえある。発生した当日の干支の配する分野に拠ってどの国に応ずるかを判断する。甘氏にまたいう、司中の星が裂けて揺動するかあるいは相合すれば、大赦があるであろう。甘氏にまたいう、司禄の星が裂ければ、凶を主り、それが主る人に応ずる。焦延寿はいう、三能の諸星が揺動すれば、いずれも人があって暗に図謀することを主る。
郗萌曰:“三能之上星疏者,變從上家起;中星疏者,變從中家起;下星疏者,變從下家起;所謂變起者,反逆之事。”又占曰:“司命、司中、司祿星,欲其赤黃,萬民奮壯,所為數利。”《荊州占》曰:“三能一疏一數,宗廟咎責,亡孝悌仁義也;五府不順,此三公之過也。”
郗萌はいう、三能の上星が疏散すれば、変故は上層の人家から発し、中星が疏散すれば、変故は中層の人家から発し、下星が疏散すれば、変故は下層の人家から発する。いわゆる変故とは、叛逆の事を指す。また一条の占辞にいう、司命・司中・司禄の三星は、赤黄色を呈するのをよしとし、そうであれば万民は振奮強壮で、為す事はしばしば利を得る。《荊州占》にいう、三能が一辺は疎で一辺は密であれば、宗廟の祭は責罰を受ける——これは孝悌・仁義を喪失した故である。五府の政務が順でない——これは三公の過失である。
又占曰:“三能不齊等,三公不相信。”又占曰:“三能色不齊,君臣奪走。黑為喪。”《荊州占》曰:“三能一星去,天下危;二星去,天下亂;三星去,天下不治。”《荊州占》曰:“三能色黃澤,赦。”又占曰:“三能黃澤有光,民安壽。”又占曰:“司命、司中、司祿,欲其大,淳而澤,天子多推恩。”《石氏贊》曰:“三臺六星三公位,其色齊明德洋溢。”
また一条の占辞にいう、三能の大小が相等しくなければ、三公の間は互いに信任しない。また一条の占辞にいう、三能の星色が整斉でなければ、君臣の間はまさに争奪し離散し、星色が黒に発すれば喪事を主る。《荊州占》にいう、三能の中の一つの星が位を離れれば、天下は危殆で、二つの星が位を離れれば、天下は大いに乱れ、三つの星が位を離れれば、天下は治めるに及ばない。《荊州占》にまたいう、三能の色が黄く潤沢であれば、大赦があるであろう。また一条の占辞にいう、三能の色が黄く潤沢で光輝があれば、百姓は安寧長寿する。また一条の占辞にいう、司命・司中・司禄の三星は、碩大で純浄にして潤沢なのをよしとし、そうであれば天子は恩沢を多く施す。《石氏賛》にいう、三台の六星は三公の位次で、星色が整斉明亮するのは、すなわち徳沢の洋溢する象徴である。
相星占 五十四
石氏曰:“相一星,在北斗南。”(入翼五度,去極三十一度半,在黃道內三十七度也。)《黃帝占》曰:“相星,天丞相也;大臣象也,主衣服之章。”《黃帝占》曰:“相星明大,則天子明,忠臣興;相星亡;則輔臣黜,若有誅。”石氏曰:“相星明,吉;不明,凶。”焦延壽曰:“相星亡,相死;不死,出走。”《石氏贊》曰:“相在斗南,集眾事。”
石氏はいう、相星はただ一つで、北斗の南にある。原書の小注にいう、相星は翼宿五度に入り、北天極から三十一度半、黄道以内三十七度にある。《黄帝占》にいう、相星はすなわち天上の丞相で、大臣の象徴で、衣冠服飾の等級・章紋を主管する。《黄帝占》にまたいう、相星が明亮碩大であれば、天子は聖明で、忠臣は興起する。相星が隠没消亡すれば、輔政の臣は罷黜されるか、あるいは誅戮に遭う。石氏はいう、相星が明亮すれば吉利で、明亮でなければ凶である。焦延寿はいう、相星が隠没すれば、丞相はまさに死し、死しなくても出逃するであろう。《石氏賛》にいう、相星は北斗の南にあり、諸種の政務を総攬彙集する。
太陽守星占 五十五
石氏曰:“太陽一星,在相西南。”(入張十三度少,去極三十五度半,在黃道內三十九度也。)《黃帝占》曰:“太陽守,輔臣象也;所以守衛天主之宮,備守諸門;其星明,則主人威伏四方,天下安,王者致符瑞。”石氏曰:“太陽守星明,吉;不明,不吉。”焦延壽曰:“太陽守星北近斗,居七星行間,以入日闢煞亡。”陳卓曰:“太陽守星非其常,天下兵起,中國不安,大臣誅。”《石氏贊》曰:“太陽守在西,設武備。”
石氏はいう、太陽守はただ一つの星で、相星の西南にある。原書の小注にいう、それは張宿十三度少半に入り、北天極から三十五度半、黄道以内三十九度にある。《黄帝占》にいう、太陽守は輔政大臣の象徴で、職は天帝の宮室を守衛し、各処の門戸を戒備把守するに在る。この星が明亮すれば、君主の威勢は四方を懾服でき、天下は安定し、君王は祥瑞・符命を招来する。石氏はいう、太陽守の星が明亮すれば吉利で、明亮でなければ不吉である。焦延寿はいう、太陽守の星が北に向かって北斗に靠近し、北斗七星の行列の間に居れば、太陽のある日に拠って推算し、誅戮・傷亡の事があることを主り、禳避を加えなければならない。陳卓はいう、太陽守の星が常態を失えば、天下はまさに兵を興し、中原は安寧を得ず、大臣は誅殺に遭う。《石氏賛》にいう、太陽守は西方に居り、武備を設立するために設けられた星である。
天牢星占 五十六
石氏曰:“天牢六星,在北斗魁下。”(東星入張一度少,去極二十六度半,在黃道內四十四度太也。)《黃帝占》曰:“天牢、貴人之牢也,在北斗魁下,所以禁暴橫。”《春秋合誠圖》曰:“天牢主守將。”郗萌曰:“天牢,天子疾病之憂患。”
石氏はいう、天牢は全部で六つの星で、北斗の魁星の下にある。原書の小注にいう、天牢の東のあの星は張宿一度少半に入り、北天極から二十六度半、黄道以内四十四度太半にある。《黄帝占》にいう、天牢は貴人を関押する牢獄で、北斗の魁星の下に位し、暴虐・横行の徒を禁止するために用いられる。《春秋合誠図》にいう、天牢は将領を看守することを主管する。郗萌はいう、天牢は天子の疾病の憂患を主る。
《黃帝占》曰:“天牢中星眾,貴人多下獄;星希,天下安,無罪人。”石氏曰:“天牢中無星,天下安寧;有星;賢主傷。”焦延壽曰:“天牢星明大動搖,闢拘繫;一星明,主侯有繫者。”司馬遷《天官書》曰:“赤帝行德,天牢為之空。”石氏曰:“天牢與貫索通占。”《石氏贊》曰:“天牢六星,禁暴去惡。”
《黄帝占》にいう、天牢の中に星点が衆多であれば、顕貴の人は多く下獄され、星点が稀少であれば、天下は安定し、罪を得る人がない。石氏はいう、天牢の中に星がなければ、天下は安寧し、裏に星があれば、賢明の君主は損傷を受ける。焦延寿はいう、天牢の星が明亮碩大にして揺動すれば、人が拘囚され獄に繋がれることを主り、禳避を加えなければならず、その中の一つの星が明亮すれば、諸侯の中に囚禁される人があることを主る。司馬遷《史記・天官書》にいう、南方の赤帝が恩徳を施行すれば、天牢はそれがために空虚となる。石氏はいう、天牢と貫索の両星官の占辞は通用できる。《石氏賛》にいう、天牢の六星は、職は暴虐を禁絶し邪悪を除去するに在り。
文昌星占 五十七
石氏曰:“文昌六星。”(一本七星,案陸績《渾天圖》曰:“文昌中有一星在司祿內,名為主祿,統名為七星。西星入井十五度太,去極二十五度太,在黃道內四十三度半也。)司馬遷《天官書》曰:“斗魁戴匡六星,曰文昌宮。”(晉灼曰:似戴,故曰戴匡也。)
石氏はいう、文昌は全部で六つの星である。原書の小注にいう、別の一種の本は七星と作る。陸績《渾天図》の講じるを査するに、文昌の中に一つの星があって司禄の内にあり、主禄と名づき、合わせて総じて七星と称す。文昌の最西のあの星は井宿十五度太半に入り、北天極から二十五度太半、黄道以内四十三度半にある。司馬遷《史記・天官書》にいう、北斗の魁星の上に筐形の六つの星を頂き、これを文昌宮という。原書の小注に晋灼を引いていう、形状は物を頂くようであるので、「戴匡」と称す。
《黃帝占》曰:“文昌,六府之宮也;在斗魁前,經緯天下,文德之宮;六府,謂金木水火土穀,從斗魁;第一星,為上將,建威武;第二星,為次將,臨左右;第三星,為貴相,主文理;第四星,為司命,主賞功進賢;第五星,為司中。(班固《天文志》云:司祿。)主司過詰咎;第六星,司祿、佐理寶。”(《天文志》曰:司命。)
《黄帝占》にいう、文昌は六府の官署で、北斗の魁星の前に位し、天下を経緯し、文徳の居る宮である。いわゆる六府とは、金・木・水・火・土・穀の六項を指し、いずれも北斗の魁星に追随する。第一星は上将で、威武を樹立し、第二星は次将で、左右を統摂し、第三星は貴相で、文書・条理を主管し、第四星は司命で、功労を賞賜し賢才を進用することを主管し、第五星は司中(原書小注にいう、班固《漢書・天文志》はここに司禄と作る)で、過失を稽查し罪咎を追究することを主管し、第六星は司禄で、府庫・財宝の管理を輔助する。原書の小注にいう、《天文志》はここでは司命と作る。
《洛書》曰:“文昌,主六府寇。”《春秋緯元命包》曰:“文昌主集計禍福也。天道,文者,精所聚;昌者,揚天紀;輔弼並居,成天象。”《春秋緯》曰:“文昌宮為六府,以布升度,明天道;上將招威,次將輔主,貴相宣德,司命進官,司中滅咎,司祿賞善,佐理揚寶,六名執權,守隸四海之府,土官也。”
《洛書》にいう、文昌は六府の寇盗の事を主管する。《春秋緯元命包》にいう、文昌は禍福の彙集・統計を主管する。天道からいえば、いわゆる「文」とは精気の聚まるところであり、いわゆる「昌」とは上天の綱紀を発揚することである。輔星と弼星はともにその側に居り、共に天象を構成する。《春秋緯》にいう、文昌宮はすなわち六府で、昇降の度数を布列し天道を彰明するために用いられる。上将は威厳を招致し、次将は君主を輔佐し、貴相は徳教を宣揚し、司命は官員を進用し、司中は災咎を消除し、司禄は善行を賞賜し、佐理の官は財宝を発揚する。この六つの名号は各々一つの権柄を執り、四海の内の官府を統轄し、土官に属する。
巫咸曰:“文昌,天子司祿之府,土官。”陳卓曰:“文昌,一星上將,大將軍也;二曰次將,尚書也;三曰貴相,太常也;四曰司中,司隸也;五曰司怪,太史也;六曰大理,廷尉也。”
巫咸はいう、文昌は天子の禄位を掌る官府で、土官に属する。陳卓はいう、文昌の第一星は上将で、人間の大将軍に相当し、第二星は次将といい尚書に相当し、第三星は貴相といい太常に相当し、第四星は司中といい司隸に相当し、第五星は司怪といい太史に相当し、第六星は大理といい廷尉に相当する。
《黃帝占》曰:“文昌宮者,天府離宮也;文昌宮,三能屬軒轅,相與為體。星明大齊同,則王者致太平;星不明,道術隱藏。王者求賢,則星明。”《黃帝占》曰:“文昌星黃潤澤光,萬民安,青黑微,多所害。”
《黄帝占》にいう、文昌宮は天府の離宮で、文昌宮と三能はともに軒轅の一系に属し、彼此結びついて一体となる。諸星が明亮碩大で整斉画一であれば、君王は太平を招致できる。星光が明るくなければ、道術の士は隠匿して身を蔵す。君王が賢を求めること渇くがごとければ、これらの星は明亮する。《黄帝占》にまたいう、文昌の星の色が黄く潤沢で光があれば、万民は安寧し、色沢が青黒で微弱であれば、禍害が多い。
又占曰:“司命主滅不祥,其星黃澤有光,萬民安;蒼,為天下多有憂。”焦延壽曰:“文昌星動搖,不如故,三公誅,不乃后死。”陳卓曰:“文昌星明,大小齊等,天瑞臻。”《石氏贊》曰:“文昌在西,則六府治。”
また一条の占辞にいう、司命は不祥の事を消滅することを主管し、この星の色が黄く潤沢で光輝があれば、万民は安寧し、色沢が青に発すれば、天下に憂患が多い。焦延寿はいう、文昌の諸星が揺動してもとの様子でなければ、三公は誅戮に遭い、そうでなくてもこの後に死去する。陳卓はいう、文昌の諸星が明亮して大小が相等しければ、上天の祥瑞が到来する。《石氏賛》にいう、文昌は西方に居り、六府の政は治まるを得る。
北斗星占 五十八
石氏曰:“北斗七星,輔一星,在太微北。(第五星入井十三度,去極十一度太,極星入張初,去極十八度少,在黃道內九十八度也。)《黃帝占》曰:“北斗為帝車,運於中央,臨制四方,(《漢書天文志》曰:四海。吳龔《天文星占》曰:四卿也。)分別陰陽,建於四時,均立五行,移應節度,定諸紀綱,太一之事也;配於二十八宿,天所以發其時,地所以成萬物,諸侯屬焉。”
石氏はいう、北斗は七つの星で、別に輔星が一つあり、太微垣の北に位置する。原書の小注にいう、第五星は井宿十三度に入り、北天極から十一度太半、極星は張宿の起始度に入り、北天極から十八度少半、黄道以内九十八度にある。《黄帝占》にいう、北斗は天帝の車駕で、天の中央に運転し、高く臨んで下を制して四方を統御し(原書小注にいう、《漢書・天文志》はここに「四海」と作り、呉龔《天文星占》は「四卿」と作る)、陰陽を区分し、四時を建立し、五行を平均して確立し、移転に随って節令・度数に応合し、諸種の綱紀を厘定する——これはみな太一の神の職事である。北斗はまた二十八宿と相配し、上天はそれに依って時令を発動し、大地はそれに依って万物を成就し、諸侯もまたみなそれに帰属する。
《春秋緯元命包》曰:“斗為帝令,出號佈政,授度四方,故置輔星,以佐功為;斗為人君之象,而號令之主也。”《兵法》曰:“北斗,名長史,小字大方,能知者,便不畏白刃。”巫咸曰:“北斗,天子受命之使,士官也。”
《春秋緯元命包》にいう、北斗は天帝の号令で、号令を発布し政教を頒行し、度数を四方に授与する。ゆえにまた輔星を設けてそれを襄助して功業を成就させる。北斗は人間の君主の象徴で、また号令の主宰である。《兵法》にいう、北斗はまた長史と名づき、小名は大方といい、それに通暁できる人は、陣に臨んでも刀鋒を惧れない。巫咸はいう、北斗は天子の天命を承け受ける使者で、士官に属する。
《河圖》曰:“北斗魁第一星,開樞、受樞;受樞至四星,屬魁,為璇璣;第二星,提執序;第三星,璣耀緒;第四星,權拾取,第五星,玉衡拒;第六星,開陽紀,輔星紀;第七星,搖光吐;搖光主玉衡,屬杓,為玉衡。(案《春秋緯元命包》曰:玉衡北繩。注曰:直杓、故曰玉繩也。《舜典》曰:璇璣玉衡,以齊七政。巫咸曰:七政者,日月木火土金水星是也。)
《河図》にいう、北斗の魁中の第一星は、職は枢機を開啓し枢機を承受するに在る。受枢から下って第四星まで数えて、いずれも魁に属し、合わせて「璇璣」と称す。第二星の職は提挈し次序を執守するに在る。第三星の職は光耀を顕発せしめ緒理を乱らざらしめるに在る。第四星の職は権衡・取舍するに在る。第五星の玉衡の職は拒守するに在る。第六星の開陽の職は綱紀に在り、輔星も同じく職は綱紀に在る。第七星の揺光の職は吐納するに在る。揺光は玉衡の一系に統属し、斗杓に帰し、また玉衡とも称す。原書の小注にいう、《春秋緯元命包》の「玉衡北縄」というを査するに、注文はそれが正しく斗杓に対するので「玉縄」と呼ぶという。《尚書・舜典》にいう、「璇璣玉衡、以て七政を斉える」と。巫咸はいう、いわゆる七政とは、すなわち日・月と木・火・土・金・水の五星である。
《洛書》曰:“北斗,魁第一,曰天樞;第二、璇星;第三、璣星,第四、權星;第五、玉衡;第六、開陽;第七、搖光。第一至第四為魁,第五至第七為杓,合為斗。杓陰布陽,故稱北斗。開陽重寶,故置輔。”《易斗中》曰:“北斗第一曰破軍,第二曰武曲,第三曰廉,第四曰文曲,第五曰祿存;第六曰巨門,第七曰貪狼。”
《洛書》にいう、北斗の中で、魁の第一星を天枢といい、第二を璇星といい、第三を璣星といい、第四を権星といい、第五を玉衡といい、第六を開陽といい、第七を揺光という。第一から第四のこの四つは魁を構成し、第五から第七のこの三つは杓を構成し、合わせてはじめて斗となる。斗杓は陰に属して陽気を布散するので、北斗と称する。開陽の一星は職任が貴重なので、そのそばに別に輔星を設ける。《易斗中》にいう、北斗の第一星を破軍といい、第二を武曲といい、第三を廉といい、第四を文曲といい、第五を禄存といい、第六を巨門といい、第七を貪狼という。
石氏曰:“北斗第一星曰正星,主陽,主德,天子之相也;第二曰法星,主陰,主刑,女主之位也;第三曰令星,主福;第四曰伐星,主天理,伐無道;第五曰殺星,主中央,助四旁,殺有罪;第六星危星,主天倉五穀;第七曰部星,一曰應星,主兵。”
石氏はいう、北斗の第一星を正星といい、陽気を主り、徳教を主り、天子の象徴である。第二星を法星といい、陰気を主り、刑罰を主り、女主の位次である。第三星を令星といい、福祐を主管する。第四星を伐星といい、上天の常理を主管し、道なき人を討伐する。第五星を殺星といい、中央を主管し、四方を輔助し、罪ある人を誅殺する。第六星を危星といい、天倉と五穀を主管する。第七星を部星といい、また応星ともいい、兵事を主管する。
《淮南鴻烈間詁》曰:“斗杓為小歲。(歲之言越歷十二辰而行。)正月建寅,月後左行,行十二辰,咸池為太歲;二月建卯,月徙右行四仲,終而復始。太歲,迎者辱,順者強,左者喪,右者昌;小歲,東南即生,西北即煞,不可迎也,而可順也,不可左也,而可右也,其此之謂也。”
《淮南鴻烈間詁》にいう、斗杓の指すところを「小歳」と称す。原書の小注にいう、いわゆる「歳」とは、十二辰を越歴して運行することを指す。正月に斗建は寅に在り、月に随って左に順行し、十二辰を遍く行く。咸池の主るところはすなわち「太歳」と称す。二月に斗建は卯に在り、月に随って右に転行し、四仲の位を歴て、周して復た始まる。太歳に対していえば、それに迎うは辱を受け、それに順うは強盛し、その左に居るは喪に遭い、その右に居るは昌隆する。小歳に対していえば、東南方に在れば生気のあるところで、西北方に在れば殺気のあるところで、それに迎って行くべからず、ただそれに順って行くべく、そ左に居るべからず、ただその右に居るべし——講じるところはまさにこの理である。
又曰:“北斗之神,有雌雄,十一月建於子,月後一辰,雄左行,雌右行,五月合午,謀刑;(刑為煞,故薺麥死也。)十一月合子,謀德。(德為生,問射于振末。)”《詩含神霧》曰:“七政天斗,上一星,天位,二主地,三主火,四主水,五主土,六主木,七主金。”
《淮南鴻烈間詁》にまたいう、北斗の神は雌雄の二種に分かれ、十一月に斗建は子に在り、これより後毎月一辰を挪移し、雄神は左に行き、雌神は右に行き、五月に至って雌雄は午の位に会合し、ともに刑殺を謀る。原書の小注にいう、刑とはすなわち殺で、ゆえにこのとき薺菜と麦はかえって枯死する。十一月に至って雌雄は子の位に会合し、ともに生徳を謀る。原書の小注にいう、徳とはすなわち生で、その義は「振末」の説より推求すべし。《詩含神霧》にいう、天上の北斗は七政を主り、最上の一つの星は天位に当たり、第二は地を主り、第三は火を主り、第四は水を主り、第五は土を主り、第六は木を主り、第七は金を主る。
《春秋緯》曰:“正星,主營室、東壁、奎、婁;法星,主胃、昴、畢、觜觽;令星、主參、東井、輿鬼,主柳;伐星,主七星、張、翼、軫;煞星,主角、亢、氐、房;危星,主心、尾、箕、南斗;部星,主牽牛、須女、虛、危。”
《春秋緯》にいう、正星は営室・東壁・奎・婁の四宿を主管し、法星は胃・昴・畢・觜觽の四宿を主管し、令星は参・東井・輿鬼を主管し、兼ねて柳宿を主り、伐星は七星・張・翼・軫の四宿を主管し、煞星は角・亢・氐・房の四宿を主管し、危星は心・尾・箕・南斗の四宿を主管し、部星は牽牛・須女・虚・危の四宿を主管する。北斗の七星はこのようにして二十八宿を分け領して余すところがない。
石氏曰:“北斗第一星,主日;第二星,主月;第三星、主熒惑;第四星、主辰星;第五星、主填星;第六星,主歲星;第七星,主太白。”《黃帝占》曰:“北斗第一星,主秦;第二星、主楚;第三星,主樑;第四星,主吳;第五星,主趙;第六星,主燕;第七星,主齊。”
石氏はいう、北斗の第一星は太陽を主り、第二星は太陰・月亮を主り、第三星は火星・熒惑を主り、第四星は水星・辰星を主り、第五星は土星・填星を主り、第六星は木星・歳星を主り、第七星は金星・太白を主る。《黄帝占》にいう、北斗の第一星は秦の地を主り、第二星は楚の地を主り、第三星は梁の地を主り、第四星は呉の地を主り、第五星は趙の地を主り、第六星は燕の地を主り、第七星は斉の地を主る。
《春秋緯》曰:“北斗,杓攜龍角,(孟康注《天文志》:攜,連也。)衡殷南斗,魁枕參首。用昏建者杓,華山以西南;(孟康傳曰:第七星法太白,杓斗之尾,為孤陰位,在西方,故主西南也。)夜半建者衡,以殷中州河濟之間;平旦建者魁,海岱以東北也。”(孟康傳曰:斗魁第一星,法於日,主齊,魁斗之首陽也,又用其在明陽與明德,在東房,故主東北齊也。)
《春秋緯》にいう、北斗の杓端は蒼竜の角宿に牽連し(原書小注にいう、孟康の《漢書・天文志》注が講じるに、「携」とはすなわち相連なること)、衡星は正しく南斗の中に当たり、魁星はすなわち参宿の頭部に枕する。黄昏時に斗杓の指すをもって斗建を定め、華山より以西南の一帯を主る(原書小注にいう、孟康の解説が講じるに、第七星は太白に取法し、斗杓の末尾で、孤陰の位に処り、西方に居るので、西南を主ると)。夜半に衡星の指すをもって斗建を定め、中州の黄河と済水の間を主る。清晨に魁星の指すをもって斗建を定め、海岱より以東北の一帯を主る。原書の小注にいう、孟康の解説が講じるに、斗魁の第一星は太陽に取法し、斉の地を主り、魁斗の首で陽気の聚まるところで、またそれが明陽と明徳の位に居り東房に在るので、東北の斉の地を主る。
《春秋緯文曜鉤》曰:“華岐以北,龍門積石,西至三危之野,雍州屬魁星;太行以東至碣石、王屋,砥桂、冀州,屬璇星;三河、雷澤、東至海岱以北,兗青之州,屬璣星;蒙山以東,至羽山南,至江、會稽,震澤,徐揚之州,屬權星;大別以東,至雲澤、九江、衡山,荊州,屬衡星;荊山西南,至岷山,北距鳥鼠,梁州,屬陽星;外方熊耳以東,至泗水、陪尾,豫州,屬杓星。”陸績《渾圖》曰:“魁星,第一星,主徐州;第二星,主益州;第三星,主冀州;第四星,主荊州;第五星,主兗州;第六星,主揚州;第七星,主豫州。”
《春秋緯文曜鈎》にいう、華山・岐山より北、竜門・積石を経て、西は三危の曠野に至る、この一片の雍州の地は魁星に属す。太行山より東、碣石・王屋に至り、および砥柱・桂嶺の一帯の冀州は、璇星に属す。河東・河内・河南の三河と雷沢、東は海岱より以北、兖州・青州の一帯は、璣星に属す。蒙山より東、羽山の南に至り、長江・会稽・震沢にまで至る、徐州・揚州の一帯は、権星に属す。大別山より東、雲夢沢・九江・衡山に至る、荊州の一帯は、衡星に属す。荊山より西南、岷山に至り、北は鳥鼠山に至る、梁州の一帯は、陽星に属す。外方山・熊耳山より東、泗水・陪尾山に至る、豫州の一帯は、杓星に属す。陸績《渾天図》にいう、魁星の中で、第一星は徐州を主り、第二星は益州を主り、第三星は冀州を主り、第四星は荊州を主り、第五星は兖州を主り、第六星は揚州を主り、第七星は豫州を主る。
皇甫謐《年曆》曰:“斗者,天樞也;天有七紀,故斗有七星;星間相去七度百二十分,曜各百里,周七千里;分得日月五星,九州之地;自一至四曰魁,自五至七曰杓;一曰樞星,太白主之,雍州屬焉;二曰璇星,填星主之,冀州屬焉;三曰璣星,熒惑主之,青兗州屬焉;四曰權星,辰星主之,徐揚州屬焉;五曰玉衡,歲星主之,荊州屬焉;六曰闓陽,日主之,梁州屬焉;七曰搖光,月主之,豫州屬焉。
皇甫謐《年暦》にいう、北斗はすなわち天の枢紐である。上天に七種の綱紀があるので、北斗に七つの星がある。星と星の間の相距は七度百二十分で、各星の光耀は各々百里を覆い、一周を繞行して共に七千里である。それらはそれぞれ日月・五星と九州の地に対応する。第一から第四を魁と称し、第五から第七を杓と称す。第一の星は枢星といい、太白がこれを主り、雍州はそれの統属に帰する。第二の星は璇星といい、填星がこれを主り、冀州はそれの統属に帰する。第三の星は璣星といい、熒惑がこれを主り、青州・兖州はそれの統属に帰する。第四の星は権星といい、辰星がこれを主り、徐州・揚州はそれの統属に帰する。第五の星は玉衡といい、歳星がこれを主り、荊州はそれの統属に帰する。第六の星は闓陽といい、太陽がこれを主り、梁州はそれの統属に帰する。第七の星は揺光といい、月亮がこれを主り、豫州はそれの統属に帰する。
搖光,一名杓,或曰招搖;以昏候之,左旋於天,月建一辰,晝夜一周,日月會焉;故孟春建寅,日月會於豕韋;仲春建卯,會於降婁;季春建辰,會於大梁;孟夏建巳,會於實沈,仲夏建午,會於鶉首;季夏建未、會於鶉火;孟秋建申,會於鶉尾;仲秋建酉,會於壽星;季秋建戌,會於大火;孟冬建亥,會於析木;仲冬建子,會於星紀;季冬建丑,會於玄枵。”
揺光はまた杓ともいい、ある人はまたそれを招揺とも呼ぶ。黄昏時にそれを観測すれば、それが天に随って左に旋り、毎月一辰を移建し、一昼夜に一周を繞行し、日月もまた相応の星次で会合するのを見る。ゆえに孟春に斗建は寅に在り、日月は豕韋の次に会し、仲春に斗建は卯に在り、降婁に会し、季春に斗建は辰に在り、大梁に会し、孟夏に斗建は巳に在り、実沈に会し、仲夏に斗建は午に在り、鶉首に会し、季夏に斗建は未に在り、鶉火に会し、孟秋に斗建は申に在り、鶉尾に会し、仲秋に斗建は酉に在り、寿星に会し、季秋に斗建は戌に在り、大火に会し、孟冬に斗建は亥に在り、析木に会し、仲冬に斗建は子に在り、星紀に会し、季冬に斗建は丑に在り、玄枵に会す。
《黃帝占》曰:“北斗七星,名曰七神;神各主四宿,而衛太一之宮。其星欲明大,潤澤,相類,七政齊明;則天子吉,大臣昌;其星不明,王者弱,大臣有殃;星搖動,不出百八十日,天下盡兵,多有死者。”
《黄帝占》にいう、北斗の七星は「七神」と称する。各位の神は各々四宿を主管し、共に太一の神の宮室を護衛する。これらの星は明亮碩大で色沢が潤潔し、彼此相い称するのをよしとし、七政がいっせいに明亮すれば、天子は吉利で、大臣は興盛する。星光が明るくなければ、君王は勢い弱く、大臣は禍殃を受けようとし、諸星が揺動して定まらなければ、百八十日を出ずして、天下は全面的に兵を興し、死傷は衆多である。
又占曰:“北斗魁第一星,為天道;六甲主五子,甲子、丙子、戊子、庚子、壬子,五子者,氣之始也。魁星建除主建萬物。甲子木,春始王,所以通達根莖;丙子火,夏始王,所以通成花葉;戊子土,季夏始王,主萬物肌膚;庚子金,秋始王,煞萬物;壬子水,冬始王,主舍凍定根。故魁星為歲星,其位甲子;故天子不尊鬼神,幼稚多弱,則魁星不明;不明,則歲星不光;不光,則萬物少稚不昌,天潤不盈,魁星不澤,列地封虛財而不賞,王道所後及,皆思其下紀也。”
また一条の占辞にいう、北斗の魁の第一星は天道を象徴する。六甲の中で五つの子日を主管し、すなわち甲子・丙子・戊子・庚子・壬子で、この五つの子日は気の開端である。魁星は建除十二神の中で「建」を主り、万物の生発を主管する。甲子は木に属し、春に始まり旺に当たるので、根茎を通達せしめることができる。丙子は火に属し、夏に始まり旺に当たるので、花葉を長成せしめることができる。戊子は土に属し、季夏に始まり旺に当たるので、万物の肌膚・形体を主管する。庚子は金に属し、秋に始まり旺に当たるので、万物を粛殺する。壬子は水に属し、冬に始まり旺に当たるので、收藏・封凍して根本を穏固にすることを主管する。ゆえに魁星は歳星に配し、位は甲子に在る。もし天子が鬼神を敬奉せず、年幼稚弱で政令が綿軟であれば、魁星は明亮せず、魁星が明るくなければ、歳星に光なく、歳星に光なければ、万物は幼小で昌盛できず、上天の潤沢は充盈できない。魁星が光沢を失えば、君主は土地を分封しながら財貨を虚耗して真に賞を行うことができず、王道の推し及ぼすところは滞って進まず、みな下の綱紀の廃弛に帰咎する。
《黃帝占》曰:“北斗第二星,為地道;六甲主乙丑、乙亥、丁丑、丁亥、己丑、己亥、辛丑、辛亥、癸丑、癸亥,建除主除閉。物無不除;除陳發新,地道自虐;故天使萬物,皆得盛合寧;故第二星為太白,其位後主諸侯,故天子教令顯,數發,土功發,壞沒山林,不受藏,則第二星不明,則太白無光,無光則名術士不昌,藩臣不忠,地澤不藏,藩臣多疾。”
《黄帝占》にいう、北斗の第二星は地道を象徴する。六甲の中で乙丑・乙亥・丁丑・丁亥・己丑・己亥・辛丑・辛亥・癸丑・癸亥のこれらの日を主管し、建除十二神の中で「除」と「閉」を主る。およそ物は旧を除かざるなきものなく、陳腐を除去し新物を生発する——地道はもとより自己を耗損することをもって万物を成全する。ゆえに上天が万物を役使するも、みな興盛聚合して各々安寧を得る。第二星は太白に配し、その位は後に在って諸侯を主る。もし天子が教令を張揚してしきりに頒発し、土木の工を大いに興し、山林を毀壊湮没せしめ、地力に休養・收藏を得させなければ、第二星は明亮せず、第二星が明るくなければ、太白に光なく、太白に光なければ、名ある方術の士は顕達できず、藩屏の臣は忠を尽くさず、地沢は蘊蔵できず、藩臣には疾病が多く生ずる。
《黃帝占》曰:“北斗第三星,為人道;六甲主丙寅、甲戌、戊寅、丙戌、庚寅、戊戌、壬寅、庚戌、甲寅、壬戌,建除主滿開。天下能承天理物,設上定下,夫婦升進,而定家道,故第三星主熒惑,百姓不進為退,過則第三星不明,不明則即熒惑無光,無光則百姓罷死役,士多避過亡匿,智士退,賢人避。”
《黄帝占》にいう、北斗の第三星は人道を象徴する。六甲の中で丙寅・甲戌・戊寅・丙戌・庚寅・戊戌・壬寅・庚戌・甲寅・壬戌のこれらの日を主管し、建除十二神の中で「満」と「開」を主る。天下の人は天意を承奉し万物を治理でき、上に在る者の名位を確立し、下に在る者の本分を安頓し、夫と婦はみな各々進益を得、以て家道を安定する。第三星は熒惑に配し、百姓がもし上進できずかえって退堕し、過失が積累すれば、第三星は明亮せず、第三星が明るくなければ、熒惑はこれに随って光なく、熒惑に光なければ、百姓は命を致す労役に疲敝し、士人は多く罪責を逃避して隠匿して身を蔵し、智謀ある人は退隠し、賢徳ある人は避けて出ない。
《黃帝占》曰:“北斗第四星,為四時;六甲主丁卯、癸酉、己卯、乙酉、辛卯、丁酉、癸卯、己酉、乙卯、辛酉,建除主平四時。四時,萬物之節度數也,故第四星為辰星,其位為司徙。故天子出令,教化不順四時,春行秋政,夏行冬政,秋行春政,冬行夏政,四時不和,不明則辰星無光,無光則歲雕殺,五穀不盛,萬物不昌,百姓夭喪,上下不相親,司徙非其人。”
《黄帝占》にいう、北斗の第四星は四時を象徴する。六甲の中で丁卯・癸酉・己卯・乙酉・辛卯・丁酉・癸卯・己酉・乙卯・辛酉のこれらの日を主管し、建除十二神の中で「平」を主り、四時を平斉することを掌る。四時は万物運行の節度と法数で、ゆえに第四星は辰星に配し、その位は司徒の職に相当する。もし天子が政令を頒布し教化を施行するに四時に順応せず、春に秋令を推行し、夏に冬令を推行し、秋に春令を推行し、冬に夏令を推行すれば、四時は失調する。第四星が明るくなければ、辰星はこれに随って光なく、辰星に光なければ、年成は凋零粛殺し、五穀はよく育たず、万物は昌盛できず、百姓は夭折・喪亡し、上下は相親附せず、司徒の職は任ずる人にあらざるとなる。
《黃帝占》曰:“北斗第五星,為首德,六甲主戊辰、壬申、庚辰、甲申、壬辰、丙申、甲辰、戊申、丙辰、庚申,建除主定成。音者,五氣之和,五宮之政,制樂之節,皆在於是;故第五星為填星,其為天子中宮;故天數更日曆,損宗廟,歷衣服,遠親離疏,戮辱父兄,蕃臣以兵,上下相欺。”
《黄帝占》にいう、北斗の第五星は首要の徳行を象徴する。六甲の中で戊辰・壬申・庚辰・甲申・壬辰・丙申・甲辰・戊申・丙辰・庚申のこれらの日を主管し、建除十二神の中で「定」と「成」を主る。音律は五気の調和の産物で、宮・商・角・徴・羽の五音の政教、および楽律を制作する節度は、いずれもこれに係る。ゆえに第五星は填星に配し、天子の中宮を象徴する。もし暦日をしきりに更改し、宗廟を怠慢し、衣冠・服制を随意に変更し、親族を疎遠にし至亲を離棄し、父兄を殺戮凌辱し、藩臣が兵をもって相向かえば、上下はまさに互いに欺瞞するであろう。
《黃帝占》曰:“北斗第六星,為法星;六甲主己巳、辛未、辛巳、癸未、癸巳、乙未、乙巳、丁未、丁巳、己未,建除主執危。法律者,所以善善而惡惡也;故死者不可生,刑者不可息;故第六星為月,其位主天理;天子出令,法苛刻,誅不正,威煞用刑,則第六星不明,不明則月不光,不光則執政不察,盜賊並起。”
《黄帝占》にいう、北斗の第六星は法星である。六甲の中で己巳・辛未・辛巳・癸未・癸巳・乙未・乙巳・丁未・丁巳・己未のこれらの日を主管し、建除十二神の中で「執」と「危」を主る。法律の作用は、善良を褒揚し邪悪を憎悪することである。人はひとたび死せば復た生きること能わず、身はひとたび刑を受ければ復た原に復ることがない。ゆえに第六星は月亮に配し、その位は上天の常理を主管する。もし天子が令を頒するに、法条が苛刻で、誅戮が当を得ず、威勢を専ら恃んで刑殺を濫用すれば、第六星は明亮せず、第六星が明るくなければ、月亮はこれに随って光なく、月亮に光なければ、執政者は昏昧で察せず、盗賊はいっせいに興起する。
《黃帝占》曰:“北斗第七星,為部星;六甲庚午、壬午、丙午、戊午、甲午,建除主破收,主兵,主天四瀆。瀆者,江河淮濟之水,故第七星主日,其位主司馬,不敬諸神江河淮濟,則第七星不明;不明則日無光,則海水出,流煞百姓,則其年有兵,司馬將軍而行,萬民不昌,司馬與士卒俱凶。”
《黄帝占》にいう、北斗の第七星は部星である。六甲の中で庚午・壬午・丙午・戊午・甲午のこれらの日を主管し、建除十二神の中で「破」と「収」を主り、兵事を主管し、また天上の四涜をも主管する。いわゆる四涜とは、すなわち長江・黄河・淮水・済水である。第七星は太陽に配し、その位は司馬の職に相当する。もし江・河・淮・済の諸位の水神を敬奉しなければ、第七星は明亮せず、第七星が明るくなければ、太陽はこれに随って光なく、太陽に光なければ、海水はまさに漫溢し、冲流して百姓を淹死させ、その年にも戦事があり、司馬は軍を率いて出征し、万民は昌盛を得ず、司馬と士卒はいずれも凶険に遭う。
《河圖》曰:“璣四星,紀日蝕微;玉衡三星,紀天倫山崩。”《洛書》曰:“開樞受微,逆天失度,提旋序微,地道失理,機耀渚微,人民冤結,政乖失常,權拾取微,江河涸竭,水失道,玉衡樞微,音節災紀;開陽紀微,律曆鍾呂,昧失理,搖光吐微,星辰政度失序。”
《河図》にいう、璣などの四星の光芒が微弱なのは、日蝕がまさに至る紀験で、玉衡などの三星の光芒が微弱なのは、天倫が序を失い山岳が崩塌する紀験である。《洛書》にいう、開枢・受枢の星が微弱なのは、すなわち天時に違逆し常度を失却することで、提星・旋星の次序が微かに乱れるのは、すなわち地道が条理を失うことで、璣星の光耀が微弱ならば、百姓はすなわち冤屈鬱結し、政事は乖違して常軌を失い、権星の拾取の職が微弱ならば、江河は乾涸枯竭し、水流はその故道を失い、玉衡の枢機が微弱ならば、音律・節度はすなわち災異の紀験となり、開陽の綱紀が微弱ならば、律暦・鐘呂の学はすなわち昏昧にして条理を失い、揺光の吐納が微弱ならば、星辰運行の政令・度数はまさに序を失う。
《詩含神霧》曰:“七政星不明,各為其政不行。”《尚書璇璣鈐》曰:“北斗第一星變色,微赤不明,六日而日蝕。”《禮記斗威儀》曰:“君乘土而王,其政太平;則宮室黃大,其餘六星,暉光四起。”(宮,北斗魁星也。)《春秋演孔圖》曰:“八政不中部,則王綱紀起,失常。”《春秋元命包》曰:“衡之拔起,三公后妃恣,君如贅旒。”
《詩含神霧》にいう、七政の諸星が明亮でなければ、各々の主るその政事は推行することができない。《尚書璇璣鈐》にいう、北斗の第一星が色を変え、微紅を呈して明亮しなければ、六日の後に日蝕がある。《礼記斗威儀》にいう、君主が土徳を承けて王と称し、政治が太平であれば、それならば宮星は色が黄く碩大で、残りの六星は光輝を四方に射る。原書の小注にいう、ここの「宮」とは、北斗の魁星を指す。《春秋演孔図》にいう、八項の政務が所属の部位に合わなければ、君王の綱紀は挙げられても、常軌を失うであろう。《春秋元命包》にいう、衡星が拔然として高く起きるのは、すなわち三公と后妃が恣意に権を専らにし、君主は旒旆の上の贅飾に形同じく、虚位を有するのみである。
《春秋緯文曜鉤》曰:“王者失執偏任,臣下擅任;則衡撥起,柳失制,拔者,陽星戾,戾則日蝕,心消,江河為害,期九年;天子無威,王者舒濡,臣併為政,則衡匡移側,不停匡者,陰星進,進則山谷滿,極星亡,日不見,期八年;中國無君主,天大下亂,王者貪恣,開利門,賈百姓,朝以貨財為榮,無仁義之廉,則璣星低,低者,樞璣星下移,移則山躍參差,天投石,蝗蟲為害,奎星息,期九年;主試天下,無文法,兵官榮,王者不用仁義為政,則佞臣熾,哲人消,群奸之害,以圓為方,以欺為忠,朝廷閉塞,天下蔽壅,則杓仰,仰者,杓星上句,移而高,則山崩,龍群吟,飛火,泉踴,彗入斗,辰守房,天庫虛,狼狐張,期八年;五伯起,帝王亡,後黨嬉,(宋均曰:嬉,盛也。)讒賊興,群官之政,以私害公,則魁星反而擾衡。”
《春秋緯文曜鈎》にいう、君王が操柄を失い一方を偏信すれば、臣下はすなわち権を擅りにして自ら専らにし、ここに衡星は撥然として起き、柳宿は節制を失う。いわゆる「拔」とは、陽星が乖戾することで、乖戾すれば日蝕があり、心宿は黯淡し、江河は患をなし、応期は九年である。天子に威厳がなく、行事が拖沓で軟弱で、群臣がともに政務を把持すれば、ここに衡星の匡廓は偏移して側傾し、動蕩して定まらない。いわゆる「匡」の偏移とは、陰星の侵進で、陰星が侵進すれば山谷は填満し、極星は隠没し、太陽は見えず、応期は八年である。中原に真の君主なく、天下は大いに乱れ、君王は貪婪恣肆で、牟利の門を広く開き、百姓を貨物として売買し、朝廷は財貨を聚斂することを栄とし、仁義・廉恥がなければ、ここに璣星は低垂する。いわゆる「低」とは、枢星と璣星が下に移動することで、一たび移動すれば山体は跳躍して参差不斉となり、天上より石が落ち、蝗虫が害をなし、奎星は止息し、応期は九年である。君主が一己の好悪を凭えて天下を考較し、成文の法度なく、武官が独り栄寵を享け、君王が仁義をもって政を施さなければ、ここに奸佞の臣は熾盛し、明哲の士は消退し、群奸は害をなし、円を指して方と為し、欺詐を以て忠誠と為し、朝廷は閉塞し、天下は壅蔽し、ここに斗杓は上に仰ぐ。いわゆる「仰」とは、杓星が上に勾曲して位を移し升高することで、一たび升高すれば山は崩れ、群龍は悲吟し、飛火は四に窜り、泉水は暴涌し、彗星は斗宿に侵入し、辰星は房宿に滞留し、天庫は空虚にして、狼星と狐星は張明し、応期は八年である。五霸が興起し、帝王が敗亡し、后党の勢いが盛んで(原書小注に宋均を引いていう、「嬉」とはすなわち盛んの意)、讒佞の賊が風を興し浪を作し、衆官が政を為して私をもって公を害すれば、ここに魁星は反転して衡星を攪擾する。
《春秋運斗樞》曰:“王者承度、行義、郊天、事神不敬,廢禮,文不從經圖,則樞星不明,主病目舌若喉,此類見;主以逆天自恣,為三公名侯所謀,舉土功,立州侯,失德逆時,害謀顯惡,問仰左官,隨意已虜符,則璇星不明,主鮮落,若偏枯,近臣恣,將相謀;主以逆陰失符,德義少殘,百姓家獄慘毒,吏巧邪暴,設變害舒,失民命,懷冤抑,則璣星不明,主病心腹若眩疽,太尉謀;主以逆人倫,誅符命,到禁切,愚喜怒,動失時,則橫星不明;若主庳蹶逆,以無禁誅,遠雅頌,若倡優奢,政偽度,毀讒則嬉,則玉衡不明;主若痿蹙,以迷或誅,德弊任過,官多尸祿,爵賞逆符,不修斗度,房表之樞,法令數更,以苛相杓,則開陽星不明;主若鬲疽,以不聰明誅,廢江淮,不省山瀆之祠,州士之位,不應天符,斬伐無度,壞山絕渠,威德四弱,外國遠州,搖光不明。主若腫痂痔痛,備失樞。”《孝經援神契》曰:“王者德至於天,則斗極明。”
《春秋運斗枢》にいう、君王が天度を承受し道義を施行しながら、天を祭り神に事えるに恭敬せず、礼制を廃棄し、文教が経典・図法に遵わなければ、それならば枢星は明亮せず、君主は眼・舌あるいは咽喉の疾を患い、この類の征応が顕現する。君主が天道に違逆し放縦自恣し、三公と名ある侯伯に図謀され、土木を大いに興し、濫りに州侯を立て、徳を失い時令に違逆し、事を謀って人を傷つけ悪行を顕露し、左右の佞臣に計を問いこれに仰仗し、随意に符信を授与すれば、それならば璇星は明亮せず、君主は容色が枯槁し、あるいは半身偏枯し、近臣は恣肆し、将相は暗中に図謀する。君主が陰道に違逆し符命を失却し、徳義が残缺し、百姓は家ごとに惨酷の獄訟に陥り、官吏は巧詐邪暴で、変故を設置し寛舒の政を傷害し、民命を戕害し、人に冤屈を懐抱せしめれば、それならば璣星は明亮せず、君主は心腹の疾あるいは眩暈・癰疽を患い、太尉は中より図謀する。君主が人倫に違逆し、符命を承け受ける人を誅戮し、禁令が苛切に逼迫し、喜怒が昏昧で常なく、挙動が時宜に違失すれば、それならば横星は明亮しない。君主が卑陋にして顛躓し、挙措が悖逆で、禁ずべきを禁じず誅すべきを誅せず、雅頌の正声を疎遠にし、倡優を寵幸し奢靡に度なく、政令が虚偽で度を失い、毀謗・讒言がかえって彼を欣悦せしめれば、それならば玉衡は明亮せず、君主は痿弱して蜷缩し、迷惑によりて誅戮に遭う。徳行が敗壊し過ある人を任用し、官員に白く俸禄を食む尸位の者が多く、爵賞が符命に違背し、斗度の法を修明せず、房宿の表す枢機が失守し、法令はしきりに更改し、苛細をもって相駆迫すれば、それならば開陽星は明亮せず、君主は膈間の癰疽を患い、聡ならず明ならずによりて誅戮に遭う。江淮の祭を廃棄し、山川・四涜の祠祀を省視せず、州士の位次が天符に応ぜず、斬伐に度なく、山陵を毀壊し溝渠を断絶し、威徳は四面に衰弱し、外国と遠州は離心すれば、それならば揺光は明亮せず、君主は腫瘍・痂癬・痔痛の疾を患う——これは防備が枢要を失ったがためである。《孝経援神契》にいう、君王の徳行が上は天に達すれば、北斗と北極星は明亮する。
《援神契》曰:“天子不事祠名山,不敬鬼神,則斗第一星不明;數起土功,壞決山陵,逆地理,不從諫,則第二星不明;天子不愛百姓,則第三星明;發號施令,不從四時,則第四星不明;用樂聲淫泆,則第五星不明;用文法深刻,則第六星不明;不省江河淮濟之祠,則第七星不明。”
緯書《孝経援神契》にいう、天子がもし時に按じて名山を祭祀せず、鬼神に敬意を存せざれば、北斗の第一星は光明を失う。もししきりに土木を大興し、山陵を挖い壊し地脈を破決し、大地の紋理に違背し、また臣下の諫諍を聴き入れなければ、第二星は光明を失う。天子がもし百姓を愛惜せざれば、第三星は異常に発亮する。号令を発布するに四季の時序に循わなければ、第四星は光明を失う。淫靡・放蕩の楽声に耽れば、第五星は光明を失う。法律・条文の使用が過度に苛刻に深文すれば、第六星は光明を失う。長江・黄河・淮水・済水のこの四つの大川の祭祀を真剣に省視しなければ、第七星は光明を失う。
《孝經內記》曰:“兩北斗夜見者,天子易後當起。”石氏曰:“北斗第四星,名照明,大動,天子兵強國安,其微小,色若青黑,軍破國亡。”石氏曰:“七政星明者,其國昌;不明者,其國有殃。”石氏曰:“北斗七星,欲其明大,潤澤相類;不相類者,治亂。”又占曰:“北斗一星亡,天下必有大事,若有大變。”
《孝経内記》にいう、夜に天上に同時に二つの北斗が現われるのは、天子がまさに皇后を更换せんとするを示し、この事はまさに発生せんとする。石氏はいう、北斗の第四星は「照明」と名づき、それが光芒大いに動けば、天子の兵力が強盛で国家が安定することを主る。もしそれが細小微弱に変じ、顔色が青黒であれば、軍隊の潰敗・国家の滅亡を主る。石氏にまたいう、北斗の七星は総じて「七政」と称し、七政が明亮すれば、その国は昌盛し、七政が晦暗であれば、その国は災殃がある。石氏にまたいう、北斗の七星は明亮碩大であるべく、光沢は彼此相似ているべきである。もし七星の光色が参差不斉であれば、政治の混乱を主る。また一条の占辞にいう、北斗の中に一つの星が隠没して見えなければ、天下に必ず大事が出るか、あるいは重大な変故がある。
又占曰:“正星有變、其宮有憂若死;法星有變,女主當之若死;令星有變、火官有憂若死;伐星有變,水官有憂若死;煞星有變,土官有憂若死;危星有變,木官有憂若死;部星有變,金官有憂,若死。”甘氏曰:“衡星分明,則法令從;微細,則法令不行;衡星相疏,法令緩;相去數,法令急。”
また一条の占辞にいう、北斗の七星には各々専名がある。第一星の「正星」に変異が現われれば、それの主る官署に憂患があり、さらには人が死亡する。第二星の「法星」に変異が現われれば、女主が承当し、あるいは死喪がある。第三星の「令星」に変異が現われれば、火を掌る官に憂患がありさらには死亡する。第四星の「伐星」に変異が現われれば、水を掌る官に憂患がありさらには死亡する。第五星の「煞星」に変異が現われれば、土を掌る官に憂患がありさらには死亡する。第六星の「危星」に変異が現われれば、木を掌る官に憂患がありさらには死亡する。第七星の「部星」に変異が現われれば、金を掌る官に憂患があり、さらには死亡する。甘氏はいう、斗中の「玉衡」の一星の光色が分明であれば、法令は遵行を得る。玉衡が細小暗弱であれば、法令は推行できない。玉衡と旁星の相距が疏濶であれば、法令は寛緩で、彼此が靠って緊密であれば、法令は厳急である。
又占曰:“北斗自暈,破軍,北斗消,天下君臣相背。”巫咸曰:“北斗明星,王者治。”郗萌曰:“北斗杓為北高,主急事,馳馬兵驚;常以春三月候北斗魁第一星者,曰應星,色赤,大赦;色白,有喜。”郗萌曰:“北斗旁多星,則國家安。”又占曰:“北斗前移,外胡人北移,內胡人南。”巫咸曰:“王者逆道,則北斗不明。”
また一条の占辞にいう、北斗自身が光暈を生出すれば、軍隊が撃破されることを主り、北斗の星光が消減すれば、天下の君臣が心を離れ背き向かうことを主る。巫咸はいう、北斗の諸星が明亮するのは、君王の政治が清明の象である。郗萌はいう、北斗の斗柄を「杓」と呼び、北方の高処に指向し、緊急の事を主り、快馬の奔馳・兵事の驚擾がある。通常は春季の三ヶ月に斗魁の中の第一星を観候し、この星はまた「応星」と呼び、それが色紅であれば、大赦があることを主り、それが色白であれば、喜慶の事があることを主る。郗萌にまたいう、北斗の周囲に小星が衆多であれば、国家は安定する。また一条の占辞にいう、北斗が整体として前に移動すれば、外に居る胡人は北に遷徙し、内に居る胡人は南に遷徙する。巫咸はいう、君王が逆行倒施して正道に違背すれば、北斗は明亮しない。
《瑞應圖》曰:“王者孝行溢,則斗溳精者,精光不隕也。”《荊州占》曰:“北斗星盛動搖者,不出百日中,天下盡以兵革死。”《荊州占》曰:“北斗中多小星者,民怨上,天下多訟法者:無星,二十日有赦。”又占曰:“北斗亡,不相反害,必有伐主。”
《瑞応図》にいう、君王の孝行が充盈四溢すれば、北斗は精気に涵潤する。いわゆる「涢精」とは、その精光が終始墜落・虧損しないを指す。《荊州占》にいう、北斗の星光が熾盛にして揺動して定まらなければ、百日を出ずして、天下の人は大批に兵革の禍に死するであろう。《荊州占》にまたいう、北斗の中に多くの小星が夾雑すれば、百姓が上位の者を怨恨することを主り、天下に争訟・訴法の事が多い。もし斗中に小星が一つもなければ、二十日の内に赦令がある。また一条の占辞にいう、北斗に星が隠没して見えず、もし諸星が彼此に相互に侵害しなければ、それは必ず君主を討伐する事が現われる。
《荊州占》曰:“北斗第一星不明,御史大夫非其人也;第二星不明,大司農非其人也;第三星不明,少府非其人也;第四星不明,光祿非其人也;第五星不明,鴻臚非其人也;第六星不明,廷尉非其人也;第七星不明,執金吾非其人也。”
《荊州占》にいう、北斗の七星は各々一つの朝廷の要職に配し、星が暗ければこの位子上の人が職に称わぬを表示する。第一星が明亮でなければ、御史大夫が人を用い誤ったのである、第二星が明亮でなければ、大司農が人を用い誤ったのである、第三星が明亮でなければ、少府が人を用い誤ったのである、第四星が明亮でなければ、光禄勲が人を用い誤ったのである、第五星が明亮でなければ、大鴻臚が人を用い誤ったのである、第六星が明亮でなければ、廷尉が人を用い誤ったのである、第七星が明亮でなければ、執金吾が人を用い誤ったのである。
《荊州占》曰:“北斗魁第一星,主陽,主德,天子之象也,萬國之始也;即有變,日應之,使其官有憂,若有死亡;正星色赤,有兵,不出月中;色白,為水,若揚光。色赤,無利,春至夏,馬牛金石物貴;夏至秋,黍麥貴;秋至冬,粟黍麥魚鹽貴;冬至春,薪菜貴,而糴賤。”
《荊州占》にいう、北斗の斗魁の第一星は、陽気を主り、徳教を主り、天子の象徴で、また万国の開端である。一旦それに変異があれば、太陽はこれと相応じ、それの主る官署に憂患を有せしめ、さらには人が死亡する。この「正星」が紅色に転じれば、兵事があることを主り、一ヶ月の内を出ずして発生する。白色に転じれば、水災を主り、あるいは光芒が外に揚がる。それが色紅のとき諸事は利あらず——春より夏に入ると、馬・牛と金属・石料の類の物が騰貴し、夏より秋に入ると、黍と麦が騰貴し、秋より冬に入ると、粟・黍・麦および魚・鹽が騰貴し、冬より春に入ると、柴薪と蔬菜が騰貴し、買い入れる糧食の価銭はかえって低落する。
《荊州占》曰:“北斗第二星,主陰,主刑,而生萬物,女主位也;即有變,月應之,無救,大人一子為憂,女主官當之者死;法星色赤,有兵無救,期一歲,若二歲,兵罷;色青,三日有兵,期三月,若四月;色青不復,有暴疾之君;色青白,有白衣之會,期三月;色黃黑,更弊;色黑,有大水,期三年中,其有,期三月中;色黑白,郭壞之,有暴水,若大風,期六月中。”
《荊州占》にいう、北斗の第二星は、陰気を主り、刑罰を主り、また万物を生養し、女主の星位である。一旦それに変異があれば、月亮はこれと相応じ、救い挽回する由なければ、貴人の一人の子に憂患があり、女主およびこの職を主掌する官員が災禍を承当して死する。この「法星」が紅に転じれば、兵事があって救い挽回する由なきを主り、応期は一年で、あるいは二年の後に兵事がやっと止息する。青に転じれば、三日の内にすなわち兵事があり、応期は三ヶ月あるいは四ヶ月である。青色が久しく復原しなければ、国君が急病を得ることを主る。色が青くして白を帯ぶれば、喪事の会があることを主り、応期は三ヶ月である。色が黄くして黒を帯ぶれば、弊政を更改することを主る。色が黒であれば、大水があることを主り、応期は三年の内で、もしすでに兆候が現われていれば、応期は三ヶ月の内にある。色が黒くして白を帯ぶれば、城郭が毀壊され、暴漲の洪水があるか、あるいは大風があって、応期は六ヶ月の内にあることを主る。
《荊州占》曰:“北斗第三星,變色青黑,變更法令,天下不安,赤黃有兵;其變白,為一月,而兵罷。”又占曰:“北斗第四星,色青若赤,大臣有憂;黃,君有喜。”又占曰:“北斗第五星,色青,米粟貴;赤,菽貴;赤黑,麥貴;白,禾黍貴;黑,糴賤。”《荊州占》曰:“北斗第六星,色青,有離國;赤,有兵。”
《荊州占》にいう、北斗の第三星が青黒色に変じれば、法令が更改せんとすることを主り、天下は安寧を得ない。赤黄色に変じれば、兵事があることを主る。白色に変じれば、一ヶ月の後に兵事は平息する。また一条の占辞にいう、北斗の第四星が青色あるいは紅色を呈すれば、大臣に憂患があり、黄色を呈すれば、国君に喜慶がある。また一条の占辞にいう、北斗の第五星が青色を呈すれば、米と粟の価が貴く、紅色を呈すれば、豆類の価が貴く、紅の中に黒を帯ぶれば、麦の価が貴く、白色を呈すれば、稲禾と黍の価が貴く、黒色を呈すれば、買い入れる糧価は便宜である。《荊州占》にいう、北斗の第六星が青色を呈すれば、諸侯が本国に背离することを主り、紅色を呈すれば、兵事があることを主る。
又占曰:“北斗第七星,一名應星,主兵;即有憂,太白應之,金官有憂若死;色赤,死,有兵,期一歲,其春也,有喜;色青,有移徙民;色黃,有君益地;色白,有憂;色黑,有水。”
また一条の占辞にいう、北斗の第七星はまた「応星」とも呼ばれ、兵事を主る。一旦それが憂象を現わせば、太白星はこれと相応じ、金を掌る官に憂患がありさらには死亡する。それが色紅であれば、死喪・兵事があることを主り、応期は一年で、もし春に応ずれば、かえって喜慶を主る。色が青であれば、百姓が遷徙流移することを主り、色が黄であれば、国君が疆土を増拓することを主り、色が白であれば、憂患があることを主り、色が黒であれば、水災があることを主る。
《文曜鉤》曰:“輔星匡危。”(孟康曰:在北斗第六星旁。)《春秋合誠圖》曰:“輔星主旋明。”《援神契》曰:“輔星正,矯不平。”《荊州占》曰:“輔星,丞相之象也。”《雒罪級》曰:“輔星微,公宰弱,無良羽。”《春秋緯》曰:“輔星小,天子佐消,七政毀,輔乃亡。”《春秋緯》曰:“輔星明近,則輔臣親厚;疏小,則輔臣微弱,無道。”
緯書《春秋文曜鈎》にいう、輔星の職任は危局を匡正することである。原書の小注に孟康を引いていう、輔星は北斗の第六星のそばに在る。《春秋合誠図》にいう、輔星は斗柄が旋転する時の光明を主掌する。《孝経援神契》にいう、輔星が端正であれば、不公不平の事を矯治できる。《荊州占》にいう、輔星は丞相の象徴である。《雒罪級》にいう、輔星が細微であれば、三公・宰輔は衰弱し、君主の身辺に得力の羽翼がない。《春秋緯》にいう、輔星が小さく変じれば、天子の輔佐の力は消損し、北斗の七政が毀敗すれば、輔星もこれに随って隠没する。《春秋緯》にまたいう、輔星が明亮して北斗に貼近すれば、輔政大臣は君主と親厚で、輔星が疏遠にして細小であれば、輔政大臣は微弱無力で、政道は敗壊する。
郗萌曰:“輔星明,則王者夾輔佐出。”郗萌曰:“輔星遠斗星五六寸,相不死,出走。”《荊州占》曰:“輔星近斗,一寸、二寸,臣欲迫脅主。”又占曰:“輔星不見,相死。”又占曰:“輔星北,則黃瑞降,子孫蕃昌。”又占曰:“斗星明,輔星不明,主強臣弱。”又占曰:“輔星明,斗星不明,臣強主弱。”又占曰:“輔星大而明,主奪攻。”又占曰:“輔星不明,相不死,則免。”
郗萌はいう、輔星が明亮すれば、王者の左右を夾輔する賢臣が出現するであろう。郗萌にまたいう、輔星が北斗の諸星を離れること五六寸の遠さがあれば、丞相は死せずとも、出奔・逃亡するであろう。《荊州占》にいう、輔星が北斗に貼近してわずか一寸・二寸であれば、臣下が君主を脅迫せんとすることを主る。また一条の占辞にいう、輔星が隠没して見えなければ、丞相は死するであろう。また一条の占辞にいう、輔星が北面に偏すれば、黄色の祥瑞が降臨し、子孫が繁盛昌隆することを主る。また一条の占辞にいう、北斗が明亮して輔星が明亮でなければ、君強く臣弱しを主る。また一条の占辞にいう、輔星が明亮して北斗が明亮でなければ、臣強く君弱しを主る。また一条の占辞にいう、輔星がまた大きくまた亮やかであれば、君権が奪われ人に攻取されるを主る。また一条の占辞にいう、輔星が明亮でなければ、丞相は死せずとも免職される。
又占曰:“輔星欲小明,小明,則相明。”又占曰:“輔星合斗星,十日,兵起。”又占曰:“輔星明大,與斗星合,兵起,臣強主弱。”又占曰:斗輔星去,丞相去。”《孝經右秘》曰:“大夫不信,斗輔亡。”郗萌曰:“輔星入斗中,相繫。”《荊州占》:“輔星入斗中,輔臣有誅者。”
また一条の占辞にいう、輔星はやや小さくして明亮なのを宜しとし、それが小さくして明亮であれば、丞相は賢明である。また一条の占辞にいう、輔星が北斗の諸星と相合すれば、十日の内に兵事の興起がある。また一条の占辞にいう、輔星がまた亮やかでまた大きく、かつ北斗と相合すれば、兵事の興起を主り、臣強く君弱しとなる。また一条の占辞にいう、北斗と輔星が相い離れ去れば、丞相はまさに離職する。《孝経右秘》にいう、大夫が信義を講ぜざれば、北斗と輔星は隠没するであろう。郗萌はいう、輔星が斗魁の中に侵入すれば、丞相は拘繋され下獄される。《荊州占》にいう、輔星が斗魁の中に侵入すれば、輔政大臣の中に誅殺される人があるであろう。
《荊州占》曰:“輔星生翌,天子驚,大將謀。”《春秋緯》曰:“輔星生翌,不出三年,主誅臣為王。”又占曰:“邪臣挾私,擅國符,輔生翌。”又占曰:“九卿阿黨,排擠正直,驕奢侈害,則江河潰決,斗輔生角,輔遠陽,大臣無德,邦必立王。”《石氏贊》曰:“北斗七星,廩授輔相,(一本云:輔養。一本云:輔爭。)近臣見微意。”
《荊州占》にいう、輔星のそばに羽翼の形状の光芒が生出すれば、天子は驚き、大将に異謀があるであろう。《春秋緯》にいう、輔星に羽翼状の光芒が生出すれば、三年を出ずして、臣下は君主を誅殺して自ら立って王となる。また一条の占辞にいう、奸邪の臣が私意を懐いて、擅自に国家の符信を把持すれば、輔星は羽翼状の光芒を生出すであろう。また一条の占辞にいう、九卿が党を結び偏私し、正直の士を排擠し、驕横奢侈して害をなせば、江河に潰堤決口があり、北斗と輔星に芒角が生じ、輔星は陽位を遠離する。これは大臣が徳なきの象で、その国は必ず別に新王を立てる。《石氏賛》にいう、北斗の七星は糧廩のごときもので、職任を輔相の臣に授与する(原書小注:一種の本は「輔養」と作り、もう一種の本は「輔争」と作る)。近臣は星象の細微のところより天意を窺見できる。
紫微垣星占 五十九
石氏曰:“紫微垣十五星。西蕃七,東蕃八。在北斗北。”(右星入軫十度,去極九十度半,在黃道內五十六度太。)《荊州占》曰:“紫微宮,紫北也;宮,中也;一名天營,一名長垣,又曰日旗。”《樂什圖》曰:“天宮,紫微宮也。”《春秋合誠圖》曰:“紫宮者,太一之常座。”(郗萌曰:太一之常舍也。)巫咸曰:“紫宮者,天子之常居,土官也。”張衡《靈憲》曰:“紫宮為皇極之居。”《春秋元命苞》曰:“紫宮,吐陽合陰。”
石氏はいう、紫微垣は全部で十五の星で、西面の一列の藩垣が七つ、東面の一列の藩垣が八つ、位置は北斗の北面に在る。原書の小注がその座標を記す:西側のあの星は軫宿十度に入り、北天極から九十度半、黄道以内五十六度又四分の三にある。《荊州占》にいう、いわゆる「紫微宮」の「紫」はその位が北方に在るを取り、「宮」はその中央に居るを取る。それはまた「天営」とも呼ばれ、また「長垣」とも呼ばれ、また「日旗」とも呼ばれる。《楽什図》にいう、天上の宮室とは、すなわち紫微宮である。《春秋合誠図》にいう、紫宮は天帝の神「太一」が常に安坐する所在である。原書の小注に郗萌を引いていう、これは太一が常に止宿する居所である。巫咸はいう、紫宮は天子の固定した居処で、五行において土官に属する。張衡《霊憲》にいう、紫宮は至高の皇権の居る地である。《春秋元命苞》にいう、紫宮は陽気を吐納して陰気を涵合する。
《淮南天文閒詁》曰:“紫宮,執斗而佐還,日行一度,以周於天;日冬至駿狼之山;駿狼之山,冬至所止也;日移一度,行百八十二度八分度之五而夏至牛首之維;牛首之維,夏至之所至;反覆三百六十五度四分度之一,而成一歲。”《詩含神霧》曰:“紫宮主出度。”
《淮南天文閒詁》にいう、紫宮は北斗を握持して天体の運転を輔助し、太陽は毎日一度を行進し、これに凭って周天を繞行する。冬至のこの日に太陽は「駿狼の山」に到達し、駿狼の山はすなわち冬至日に太陽の止まるところである。これより後、太陽は毎日一度を移動し、行くこと百八十二度又八分の五に満つれば、すなわち夏至日に太陽のある「牛首の維」に到達し、牛首の維はすなわち夏至日に太陽の到るところである。このように往復して一周して共に三百六十五度又四分の一度で、すなわち一つの整年を構成する。《詩含神霧》にいう、紫宮は暦度の頒行を主掌する。
《聖洽符》曰:“紫宮以戊子日侯之,宮亂則荒,其君驕奢,不聽諫,奸佞在側;紫宮和而正,則致鳳凰,頌聲作。”石氏曰:“紫宮之星,均皆明,大小有常。”郗萌曰:“紫宮星不盛,即士耗,亡妻子。”又占曰:“紫宮旗直者,天子出,自將兵;紫宮開,兵起。”《荊州占》曰:“紫宮星盛,即吉昌,內輔強。”《石氏贊》曰:“紫微宮中十五星,備蕃臣。”
《聖洽符》にいう、紫微宮を観候するには戊子のこの日を選ぶべし。紫宮の星象が散乱すれば、人間の政事は荒廃し、その君主は驕横奢侈で諫言を聴き入れず、身辺にはことごとく奸佞の小人である。紫宮の星象が和諧端正であれば、鳳凰を招来し、頌揚の声がこれに随って興起する。石氏はいう、紫宮の諸星は一律に明亮すべく、大小は各々常度があるべきである。郗萌はいう、紫宮の諸星が盛んでなければ、士人はまさに耗損し、妻子児女を喪失する事があるであろう。また一条の占辞にいう、紫宮のそばの旗星が挺直していれば、天子が出行し自ら兵を統えるを主り、紫宮の藩垣が開豁であれば、兵事の興起を主る。《荊州占》にいう、紫宮の諸星の光が盛んであれば、すなわち吉慶昌隆で、宮内の輔弼の臣は強健である。《石氏賛》にいう、紫微宮の中の十五の星は、天帝の身辺の完備した藩衛の臣である。
北極鉤陳占 六十
石氏曰:“北極五星,鉤陳六星,皆在紫微宮中。”(鉤陳六星,入東壁八度太,去極十一度半,在黃道內八十四度。)《黃帝占》曰:“北極者,一名天極;一名北辰。(《論語》曰:譬如北辰,眾星拱。共謂北極也。)紫宮,天聖主也,三公也;在北斗前。”(北極紐星,天之樞也,天運無輟,而旋星不移也。)
石氏はいう、北極の五星と鉤陳の六星は、いずれも紫微宮の内に在る。原書の小注が鉤陳の座標を記す:鉤陳の六星は東壁宿八度又四分の三に入り、北天極から十一度半、黄道以内八十四度にある。《黄帝占》にいう、北極はまた「天極」とも呼ばれ、また「北辰」とも呼ばれる。原書の小注に《論語》を引いていう、譬えば北辰はその所に居って衆星が環拱す、「共」とはすなわち環拱の意で、いうところはまさに北極である。北極は紫宮に処り、上天の神聖な主宰で、また兼ねて三公を象し、位は北斗の前に在る。原書の小注にいう、北極の紐星は天の枢軸で、天体は運転して永く歇まらず、そしてこの旋転中心に居る星は終始位を移さない。
《黃帝占》曰:“天樞,天一坐也。”吳龔《天官星占》曰:“北辰者,一名天一,名西秋。”《春秋緯》曰:“北極星,其一明大者,太一之光,含元氣,以斗布賞開,命元節序神明,流精生一,以立黃帝。”《春秋緯》曰:“道起於元一為貴,故太一為北極天帝位。”司馬遷《天官書》曰:“天極星,其一星,太一常居也,旁三星,三公,或曰子屬。”《廣雅》曰:“北辰回曜魄。”
《黄帝占》にいう、天枢はすなわち天一の神の坐する位次である。呉龔《天官星占》にいう、北辰はまた「天一」とも呼ばれ、また「西秋」とも呼ばれる。《春秋緯》にいう、北極の諸星の中のあの最も明るく大きなものは、太一の神の光輝で、それは元気を涵含し、北斗に凭って賞賜を布施し万物を開啓し、元気を頒命し節序を排定し神明を統御し、精気を流布して「一」を生出し、これをもって黄帝の統を確立する。《春秋緯》にまたいう、大道は「元一」より起こってこれを以て貴しとする。ゆえに太一は北極に居り、すなわち天帝の位次である。司馬遷《天官書》にいう、天極星の中のあの一つの星は、太一の常に居るところで、そのそばの三つの星は三公を象徴し、ある人はまた天子の子嗣・宗属を象徴するという。《広雅》にいう、北辰は回旋して曜魄の精を運転する。
《黃帝占》曰:“北極,太一之座也;第一星,主月,太子也;謂第一星者,最赤明者也。”《黃帝占》曰:“極星盛,人君吉昌;不明,人君耗。”《禮緯》曰:“天子正珪瑁,則北辰列齊。”《春秋緯》曰:“北極,主出度。”又占曰:“極星亡,期八年,中國無君王,天下大亂。”《春秋緯運斗樞》曰:“王者承度、行義、郊天、事神不敬,廢禮,文不從經圖,則樞星不明。”《孝經緯》曰:“德至天,則斗星極明,甘露下。”
《黄帝占》にいう、北極は太一の神の座位で、その中の第一星は月を主り、太子を象徴する。いわゆる第一星とは、すなわち最も紅く最も亮いあの一つである。《黄帝占》にまたいう、北極の諸星が光盛であれば、君主は吉慶昌隆し、北極が明亮でなければ、君主はまさに耗損する。《礼緯》にいう、天子が圭瑁の礼を端正すれば、北辰の諸星は排列して斉整となる。圭瑁とは朝会のとき天子の執る所で、以て諸侯の圭を合験する玉器である。《春秋緯》にいう、北極は暦度の頒行を主掌する。また一条の占辞にいう、北極星が隠没して見えなければ、応期は八年で、中原はまさに君王なく、天下は大いに乱れる。《春秋緯運斗枢》にいう、君王が天度を秉承し道義を施行しても、天を郊祀し神明に奉事するに心が敬を存せず、礼制を廃棄し、典章が経図の旧法に遵わなければ、枢星は明亮しない。《孝経緯》にいう、徳行が上は天に達すれば、北斗の諸星は極めて明亮し、甘露もこれに随って降下する。
石氏曰:“北極星明大,數動搖,主好出遊;色青,微滅,皆凶。”《荊州占》曰:“北極出斗,去地三丈,大星獨居,無位出,天下大亂,易姓,人相食。”又占曰:“北極中央星不明,去疏,主不用事;左星不明,太子有憂;右星不明,庶子有憂。”《荊州占》曰:“天樞,大端指心,小端指參。故用兵者順行偕天樞;則左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武。蒼龍,白虎,朱雀七星,玄武虛危。”
石氏はいう、北極星がまた亮やかでまた大きく、かつしきりに揺動すれば、君主が外に出て巡遊することを好むを主る。星色が青に発するか、あるいは微弱にしてまさに滅せんとするは、いずれも凶象である。《荊州占》にいう、北極が北斗を離れ、地面より三丈を距り、ただ大星が独り居留まり、残りの星は位を失って出るは、天下の大乱・王朝の易姓・人の相食するを主る。また一条の占辞にいう、北極の正中の一星が明亮でないか、あるいは位を離れて疎遠であれば、君主が政事を親ら理しないを主る。左辺の一星が明亮でなければ、太子に憂患があり、右辺の一星が明亮でなければ、庶子に憂患がある。《荊州占》にいう、天枢の指すところは、大の一端は心宿に指向し、小の一端は参宿に指向する。ゆえに兵を用うる人が天枢の指向に順って行軍すれば、すなわち左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後に玄武を得る。蒼龍・白虎・朱雀は各々七宿を以て象とし、玄武はすなわち虚・危の二宿を主とする。
《春秋緯》曰:“上精為鉤陳者,鉤陳也,害土,立萬物度數;以(闕)陳。”《樂什圖》曰:“鉤陳,後宮也。”《合誠圖》曰:“鉤陳,大帝之正妃也;大帝之常居也。”巫咸曰:“鉤陳,天子護陳將軍,水宮也。”郗萌曰:“鉤陳者,後宮也。”司馬遷《天官書》曰:“後勾四星;末大星,正妃;餘三星,後宮之屬。”《荊州占》曰:“鉤陳,天子大司馬。”又占曰:“鉤陳者,黃龍之位也。”
《春秋緯》にいう、上天の精気が凝結して成るものがすなわち鉤陳で、鉤陳の気は土徳を克制し、万物のために法度と数紀を確立する。以下の原書に闕文があり、ただ一つの「陳」の字のみ残る。《楽什図》にいう、鉤陳は後宮を象徴する。《春秋合誠図》にいう、鉤陳は天帝の正妃で、また天帝の常に居止する所でもある。巫咸はいう、鉤陳は天子の護陳将軍で、五行において水宮に属する。郗萌はいう、鉤陳はすなわち後宮である。司馬遷《天官書》にいう、北極の後に勾曲して排列する四つの星の、末端のあの大きな星は正妃で、残りの三つは後宮の嬪御に属する。《荊州占》にいう、鉤陳は天子の大司馬である。また一条の占辞にいう、鉤陳は黄龍の居る位次である。この一星官は諸家の説が一ならず、あるいは以て後宮の妃嬪と為し、あるいは以て宿衛の将帥と為す。帰するところはいずれも天帝を環護する象である。
《荊州占》曰:“鉤陳四守,太一之所妃也。”《黃帝占》曰:“鉤陳四守,星盛,人君吉昌;不明盛,人君耗。”石氏曰:“鉤陳星,欲其光明耀美,天子左右強;若細色黑,左右弱。”郗萌曰:“鉤陳星盛,天子之輔強;小微,即輔弱。又占曰:“鉤陳星去,不見,女主惡之。”《荊州占》曰:“主不用諫,佞人在位,則鉤陳星不明。”《石氏占》曰:“北極五星最為尊,鉤陳大星配輔臣。”
《荊州占》にいう、鉤陳の四星は四方を環守し、太一の神に配する妃位である。《黄帝占》にいう、鉤陳は四面に環守し、諸星が光盛であれば、君主は吉慶昌隆し、もし明盛に足らなければ、君主はまさに耗損する。石氏はいう、鉤陳の諸星は光明耀美であるべく、そうであれば天子の左右の近臣は強健で、もし細小にして色が黒ければ、左右の近臣は衰弱する。郗萌はいう、鉤陳の諸星が光盛であれば、天子の輔臣は強健で、細小暗弱であれば、輔臣は衰弱する。また一条の占辞にいう、鉤陳の星が位を離れ隠没して見えなければ、女主にとって大いに不利である。《荊州占》にいう、君主が諫諍を納れず、佞人が高位を窃据すれば、鉤陳の星は明亮しない。《石氏占》にいう、北極の五星は最も尊貴で、鉤陳の大星は輔弼の臣の地位と相配する。鉤陳はすでに後宮の正妃を象し、また宿衛の近臣を象す。ゆえに上に列する占辞は多く君主の左右の強弱について説を立てる。
天一星占 六十一
石氏曰:“天一星,在紫宮門外右星南,與紫宮門右星同度。”(南星入軫十度,去極十度半,在黃道內七十四度半。)韓楊曰:“天一星,名曰北斗主。其星明,則王者治;不明者,王道逆,則斗主不明,七政之星,應而變色。”《黃帝占》曰:“天一星,地道也;欲其小有光,則陰陽和,萬物成;天一星大而明盛,水旱不調,五穀不成,天下大飢,人民流亡,去其鄉。”《黃帝占》曰:“天一星,明澤光潤,則天子吉。”石氏曰:“天一星,欲明而有光,則陰陽和,萬物成。”又占曰:“天一星亡,則天下亂,大人去。”《荊州占》曰:“天一之星盛,人君吉昌。”《石氏贊》曰:“天一太一,主承神也。”
石氏はいう、天一星は紫宮門外の西側のあの星の南面に在り、紫宮門の右星と同一度上に処る。天一は天帝に属する尊神で、南辺の太一と相い対して列す。原書の小注がその座標を記す:南面のあの星は軫宿十度に入り、北天極から十度半、黄道以内七十四度半にある。韓楊はいう、天一星はまた「北斗主」とも名づく。この星が明亮すれば、君王の治理は軌道に乗る。この星が明るくなければ、すなわち王道は悖逆し、北斗の主はこれに随って明を失い、北斗の七政の諸星もまたこれに応じて色を変じる。《黄帝占》にいう、天一星は地道に属する。それは形体が小さくして光あるべく、そうであれば陰陽は調和し万物は成熟する。もし天一星がまた大きくまた明盛であれば、水旱が調を失い五穀が熟せず天下に大きな飢饉が闊き、百姓は流亡して家郷を離れるを主る。《黄帝占》にまたいう、天一星が明浄にして光沢潤潔であれば、天子はすなわち吉利である。石氏はいう、天一星は明亮して光あるべく、そうであれば陰陽は調和し万物は成熟する。また一条の占辞にいう、天一星が隠没して見えなければ、天下はまさに動乱し、貴人は位を離れて去る。《荊州占》にいう、天一の星の光が盛んであれば、君主は吉慶昌隆する。《石氏賛》にいう、天一と太一はいずれも天帝の身辺の神で、天神に承奉する事を主掌する。
太一星占 六十二
石氏曰:“太一一星,在天一星南,相近。”(入軫十度,去極十度,在黃道內七十四度半也。)《祖暅占》曰:“太一,赤,天帝神也;主使十六神,知風雨、水旱、兵革、饑饉、疾疫,災害所在之國。”石氏曰:“天一星明,吉;不明,不吉。”《合誠圖》曰:“太一離其位而乘斗,後九十日,兵必起。”《荊州占》曰:“太一星失其位,則天子有所之未反。”又占曰:“太一之居,左文而右武,後極而前行,四帝方旁,眾神為輔;文武不明,輔乃不強。”
石氏はいう、太一はただ一つの星で、天一星の南辺に在り、両星は相近い。原書の小注がその座標を記す:軫宿十度に入り、北天極から十度、黄道以内七十四度半にある。《祖暅占》にいう、太一は色が紅く、天帝の神で、それは十六位の神祇を統轄役使し、風雨・水旱・兵革・飢饉・瘟疫、および災害がいずれの国家に落ちるかを掌知する。石氏はいう、天一星が明亮するを吉とし、明亮せざるを不吉とする。《春秋合誠図》にいう、太一が本位を離れて北斗の上に凌駕すれば、これより後九十日に、必ず兵事の興起がある。《荊州占》にいう、太一星が本位を失えば、天子が出行して外に在ってまだ返らざるを主る。また一条の占辞にいう、太一の居する所は、左辺は文に属し、右辺は武に属し、後ろは北極、前は行道、四方の天帝は旁側に分列し、衆神は輔佐に充当する。もし文武の両方が明るくなければ、輔佐の力もまた強からず。
開元占経 巻六十八
石氏外官
庫楼占 一
石氏曰:“庫樓十星,五柱十五星,衡四星,凡二十九星,左角南。”(西北星入軫少,去極百四十度,在黃道外二十一度太,庫樓一曰天庫,兵車之府也,其大六星,庫也;西四星,樓也;旁十五星,三三而聚者,柱也;中央小星,衡也。)巫咸曰:“天庫,金官也。”《春秋元命苞》曰:“天庫,主陳兵。”《黃帝占》曰:“五車外庫者,芒角明大,星多蕃眾,則兵大起,車騎多用;庫樓所指者兵,所指者兵所往,人能知;庫樓者,使人不忘。”
石氏はいう、庫楼は十の星、五柱は十五の星、衡は四の星、合計二十九の星で、位は左角星の南面に在る。原書の小注がその座標と構成を記す:西北のあの星は軫宿少許に入り、北天極から百四十度、黄道以外二十一度又四分の三にある。庫楼はまた「天庫」とも呼ばれ、兵車を存放する府庫で、その中の大きな六つの星は庫、西辺の四つの星は楼、そばの十五の星は三つごとに聚まって一組を成して柱、中央の小星はすなわち衡である。巫咸はいう、天庫は五行において金官に属する。《春秋元命苞》にいう、天庫は兵甲を陳列することを主掌する。《黄帝占》にいう、五車の外の庫星は、もし芒角が明亮碩大で星数が繁多衆盛であれば、兵事が大いに起き車騎が大量に徴調されるを主る。庫楼の指す方位はすなわち兵事のあるところで、また兵馬の往く方向でもあり、人はこれに拠って予知できる。庫楼の用は、すなわち人に武備を忘れさせないことである。
《洛書》曰:“庫樓兵動,害及胡;一曰戎馬驚。”《洛書》曰:“庫無星,下土臣逆,謀兵乃生。”《春秋緯》曰:“天庫虛,諸侯謀反;一曰中州謀兵四合。”《春秋考異郵》曰:“王者謀伐四夷,則庫兵動。”又占曰:“庫樓五柱皆動,五將盡行;五柱生角若芒,多公及具無處車馬。”石氏曰:“庫樓及五柱皆不見,兵車盡出,天子自將兵。”焦延壽曰:“天樓星上近柱,王者樓殿有飛不如其處,若有天火燒之者。”郗萌曰:“天庫主遠兵,星搖者,其將行;星皆動,將盡行。”郗萌曰:“天庫星眾,則藏善散,若皆去;則兵起。”《石氏贊》曰:“庫樓之官兵所藏,其中欲實,惡虛空。”
《洛書》にいう、庫楼に兵動の象があれば、禍害は胡人に波及し、もう一説は胡地の戎馬が驚くという。《洛書》にまたいう、庫の中に星がなければ、下方国土の臣子が叛逆し、兵を謀る事がまさに発生するを主る。《春秋緯》にいう、天庫が空虚であれば、諸侯は反叛を図謀し、もう一説は中州に兵を謀る事があって四面に囲合するという。《春秋考異郵》にいう、君王が四方の夷狄を征伐することを謀劃すれば、庫中の兵星はすなわち動く象がある。また一条の占辞にいう、庫楼の五柱がいっせいに揺動すれば、五位の将領はいずれも出征する。五柱に芒角あるいは光刺が生じれば、公侯が衆多で車馬に安置する所なきを主る。石氏はいう、庫楼と五柱がいずれも隠没して見えなければ、兵車は全部出動し、天子は自ら兵を統える。焦延寿はいう、天楼星の上端が柱星に逼近すれば、君王の楼殿に飛挙して位を失う変があり、あるいは天火の焚焼に遭うを主る。郗萌はいう、天庫は遠方の兵事を主掌し、星が揺動すれば、その将領はまさに出行し、諸星がいずれも揺動すれば、衆将はいずれも出征する。郗萌にまたいう、天庫の星数が衆多であれば、儲蔵は散発に便で、もし諸星がいずれも離去すれば、兵事の興起を主る。《石氏賛》にいう、庫楼のこの官署は兵器の蔵するところで、当に充実すべく、最も空虚を忌む。
南門星占 二
石氏曰:“南門二星,在庫樓南。”(右星入軫十四度,去極百三十度,在黃道外二十一度太。)《春秋緯》曰:“角南兩大星,曰南門。”(南門,天之外門也。)《黃帝占》曰:“南門星欲明,執法吉,人主昌;吉星若不明,非其故,則臣不忠,若有兵起,王者憂。”石氏曰:“南門中有小星三芒者,則兵車出。”《石氏贊》曰:“南門二星,主守兵。”
石氏はいう、南門は二つの星で、庫楼の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西側のあの星は軫宿十四度に入り、北天極から百三十度、黄道以外二十一度又四分の三にある。《春秋緯》にいう、角宿の南の二つの大星は、すなわち南門と呼ぶ。原書の小注にいう、南門は上天の外門である。《黄帝占》にいう、南門星は明亮なのを宜しとし、そうであれば執法の官は吉利で、君主は昌盛する。この吉星がもし明亮でなく常態を失えば、臣下の不忠を主り、あるいは兵事が興起し、君王に憂患がある。石氏はいう、南門の当中に三道の芒刺を帯びた小星が現われれば、兵車の出動を主る。《石氏賛》にいう、南門の二星は、兵備の守衛を主る。
平星占 三
石氏曰:“平星二星,在庫樓北。”(西星入軫十四度,去極百度,在黃道外十一度太也。)《春秋合誠圖》曰:“平星,主廷平。”《論讖》曰:“平星,主法。”《黃帝占》曰:“平星,欲其明而正直,大小齊同而明,君臣和,政令行;其星不明,差戾不正,君臣不和,政法荒亂。”石氏曰:“平星欲齊等,廣狹有常,高下不差,則天下治,萬物成。”《石氏贊》曰:“平星執法正紀綱,其星差戾政亂荒。”郗萌曰:“平星主天下之獄事,若今廷尉之象。”
石氏はいう、平星は二つで、庫楼の北面に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は軫宿十四度に入り、北天極から百度、黄道以外十一度又四分の三にある。《春秋合誠図》にいう、平星は廷尉平という断獄の官を主掌する。《論讖》にいう、平星は法律を主掌する。《黄帝占》にいう、平星は明亮にして端正なのを宜しとし、両星の大小が整斉一致してまた明亮であれば、君臣の和睦・政令の通行を主る。この星がもし明亮でなく、参差して偏斜して端正でなければ、君臣の不和・政令法度の荒廃紊乱を主る。石氏はいう、平星は彼此斉等であるべく、間距は宽窄に常があり、高低は相偏差せず、そうであれば天下は大治し万物は成熟する。《石氏賛》にいう、平星は法度を執掌し綱紀を整粛し、この星が参差乖戾すれば、政事は荒乱する。郗萌はいう、平星は天下の獄訟の事を主掌し、譬えば当今の廷尉という職の星象のようである。
騎官星占 四
石氏曰:“騎官二十七星,在垣南。”(西行北星入,亢四度太,去極百一十五度半,在黃道外十九半也。)石氏曰:“騎官,一名輕能;星眾,天下安;星少,騎士畔。”(騎官者,今虎賁也。)石氏曰:“房南眾星曰騎官將軍;騎官主宿衛;一曰騎官,金官也。”《黃帝占》曰:“騎官者,宿衛帝宮,以防不虞;其星常眾而明,王者後宮吉,天下安;其星微少,若芒不見,守衛憂兵大起,騎乘出。”《荊州占》曰:“騎官星眾,則騎出;一曰星無故皆去,則騎官東守衛王。”
石氏はいう、騎官は二十七の星で、星垣の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西行の北面のあの星は亢宿四度又四分の三に入り、北天極から百十五度半、黄道以外十九度半にある。石氏はいう、騎官はまた「軽能」とも名づく。この官の星数が衆多であれば、天下は安定し、星数が稀少であれば、騎士はまさに叛離する。原書の小注にいう、騎官はすなわち当今の虎賁の武士である。石氏にまたいう、房宿の南の一片の星を騎官将軍と呼ぶ。騎官は宿衛を主掌し、ある人は騎官は五行において金官に属するという。《黄帝占》にいう、騎官の職任は天帝の宮室を宿衛し、以て意外の変に備える。これらの星が常に衆多にして明亮であれば、君王の後宮は吉利で、天下は安寧する。もし星光が微弱稀少であるか、あるいは芒角が隠没して見えなければ、守衛の憂い・兵事の大起・騎兵の出動を主る。《荊州占》にいう、騎官の星数が衆多であれば、騎兵の出動を主り、もう一説はこれらの星が故なくいっせいに位を離れれば、騎官はまさに東に向かって君王を守衛するという。
積卒星占 五
石氏曰:“積卒十二星,在房心南。”(西星入氐十三度太,去極百二十四度少,在黃道外二十一度少也。)石氏曰:“積卒一名衛士,芒角動,聚兵事;一曰積卒,兵官,金官也。”郗萌曰:“積卒者,士也,積士也者,所以衛卒暴。”巫咸曰:“積卒,兵官,金官也。”《黃帝占》曰:“積卒主守衛明堂,其星欲微小而明,則天子吉,其國安昌;若明大動搖,則君臣不寧,朝廷有兵;一曰積卒主守衛。”《春秋合誠圖》曰:“積卒主衛尉。”石氏曰:“積卒一星亡,兵少半;出二星,亡兵大半;出三星,亡兵盡出。”《海中占》曰:“積卒不如其故,兵其微細,若不見,兵車盡出,士卒滿野。”《石氏贊》曰:“積卒十二星掃明堂。”
石氏はいう、積卒は十二の星で、房宿・心宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は氐宿十三度又四分の三に入り、北天極から百二十四度又四分の一、黄道以外二十一度又四分の一にある。石氏はいう、積卒はまた「衛士」とも名づき、それが芒角に変動あれば、兵事の聚集を主る。ある人は積卒は兵官で、五行において金官に属するという。郗萌はいう、積卒はすなわち士卒で、士卒を聚積する用は、仓卒の暴乱を防衛することである。巫咸はいう、積卒は兵官で、五行において金官に属する。《黄帝占》にいう、積卒は明堂を守衛することを主掌し、これらの星は細小にして明亮なのを宜しとし、そうであれば天子は吉利で国家は安定昌盛する。もし星光が明大にして揺動すれば、君臣が安寧を得ず朝廷に兵事のあるを主る。もう一説は積卒は専ら守衛を主るという。《春秋合誠図》にいう、積卒は衛尉の職を主掌する。石氏はいう、積卒が一つの星を隠没すれば、出兵は半に足らず、二つの星を隠没すれば、出兵は大半を超え、三つの星を隠没すれば、兵力は全数出動する。《海中占》にいう、積卒が平常に如かず、星光が微細で、さらには隠没して見えなければ、兵車が全部出動し士卒が原野に布満するを主る。《石氏賛》にいう、積卒の十二星は、明堂のために道を清め洒掃して、以て宿衛に備える。
亀星占 六
石氏曰:“龜五星,在尾南。”(頭尾入尾十二度,去極百三十一度,在黃道外二十一度。)《黃帝占》曰:“龜星,一名連珠,贊神明;其星明,則君臣和好,奉祀神明嶽瀆;其星不明,則上下乖離,臣逆於君,不事鬼神,其國不安,主有憂。”《黃帝占》曰:“龜星不居漢中,川有易者。”石氏曰:“龜星常居漢中,吉;星明,君臣和;不明,即乖。”又占曰:“龜星常居漢中,則陰陽和,雨澤時;星若不居漢中,有易水;一曰天下水,早物不成。”《石氏贊》曰:“龜星在東,贊神明。”
石氏はいう、亀星は五つで、尾宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:首尾の一列は尾宿十二度に入り、北天極から百三十一度、黄道以外二十一度にある。《黄帝占》にいう、亀星はまた「連珠」とも名づき、職は神明を輔賛するに在る。この星が明亮すれば、君臣の和睦を主り、山岳・江河の諸神の祭祀を敬奉できる。この星が明亮でなければ、上下の乖違離散を主り、臣子は君主に悖逆し、鬼神に祭事せず、その国家は安寧を得ず、君主に憂患がある。《黄帝占》にまたいう、亀星が天漢の中に居らざれば、河川はまさに道を改める。石氏はいう、亀星が常に天漢の中に居るを吉とし、星が明亮すれば君臣は和睦し、明亮でなければ君臣は乖離する。また一条の占辞にいう、亀星が常に天漢の中に居れば、陰陽は調和し雨水は時に応じ、この星がもし天漢の中に居らざれば、河水の道を改めるがあり、もう一説は天下に水患があり、作物は早く枯れて成熟できるないという。《石氏賛》にいう、亀星は東方に在り、職は神明を輔賛するに在り。
傅説星占 七
石氏曰:“傅說一星,在尾後。”(入尾十二度太,去極百二十度半,在黃道外十三度太。)《黃帝占》曰:“傅說星,主後宮,祈神明,保子孫;文章祝說,以求福慶;其星明,則後宮吉,子孫昌;其星不明,或若不見;則後宮人多疾,子孫凶,多有死者。”《春秋元命苞》曰:“傅說主祝章,巫官也;章,請號之聲也。傅說,蓋女巫也,主王后之內祭祀,以祈子孫,廣司胤嗣。”石氏曰:“傅說星亡,社稷無主。”石氏曰:“傅說星明大,則吉;不明者,天一多禱祠。”焦延壽曰:“傅說星入尾,天下有祝詛人主者,若有巫醫之害;以入日占國。”郗萌曰:“傅說星光明,王命興,輔佐出。”《荊州占》曰:“傅說星明大,王者多子孫;一曰傅說主祝章。”
石氏はいう、傅説はただ一つの星で、尾宿の後に在る。傅説はもとは殷の高宗・武丁の賢相で、旧説は彼が死して後天に升り星宿と化し、尾宿のそばに附するという。原書の小注がその座標を記す:尾宿十二度又四分の三に入り、北天極から百二十度半、黄道以外十三度又四分の三にある。《黄帝占》にいう、傅説星は後宮を主掌し、神明に祈禱して、子孫を保佑し、祝禱の辞章を用いて福慶を求取する。この星が明亮すれば、後宮は吉利で、子孫は昌盛する。この星が明亮でないか、あるいは隠没して見えなければ、後宮の人は病が多く、子孫に凶事があり、死亡が多い。《春秋元命苞》にいう、傅説は祝章を主掌し、巫祝の官である。いわゆる「章」とは、すなわち祈請呼号の声である。傅説はおそらく女巫を指し、王后の宮内の祭祀を主掌し、以て子孫を祈求し、後嗣を広く衍らせる。石氏はいう、傅説星が隠没して見えなければ、国家社稷には主人なきとなる。石氏にまたいう、傅説星が明亮碩大であれば吉利で、明亮でなければ、天一の神に多く禱祀すべきである。焦延寿はいう、傅説星が尾宿に侵入すれば、天下に君主を呪詛する人あるを主り、あるいは巫医の作祟の害がある。それが侵入する日辰に拠って推占していずれの国に応ずるかを見る。郗萌はいう、傅説星の光が明ければ、王命の興盛を主り、輔佐の臣が出現する。《荊州占》にいう、傅説星が明亮碩大であれば、君主の子孫は衆多で、もう一説は傅説は祝章を主掌するという。
魚星占 八
石氏曰:“魚一星,在尾後河中。”(入尾十四度,去極百二十二度在黃道外十二度也。)《黃帝占》曰:“魚星,一名據星;一名蒙星;忽然不明而在,則魚多;星亡,則魚少。”《黃帝占》曰:“魚星,主雲旗,其星忽然不明,如雲常居漢中,微而不明,則陰陽和,風雨時;其星明而動搖,則陰陽不調,雨澤不時,有大水。”《春秋元命苞》曰:“魚星主雲旗,統陰事,調和雲雨之期。”
石氏はいう、魚星はただ一つで、尾宿の後の天河の中に在る。原書の小注がその座標を記す:尾宿十四度に入り、北天極から百二十二度、黄道以外十二度にある。《黄帝占》にいう、魚星はまた「拠星」とも名づき、また「蒙星」とも名づく。それが忽然として暗く変じてもなお原所に留まれば、魚産の豊多を主る。この星が隠没して見えなければ、魚産の稀少を主る。《黄帝占》にまたいう、魚星は雲旗を主掌し、この星が忽然として明亮でなく、雲気のごとく常に天漢の中に留まり、微弱にして明らかでなければ、陰陽の調和・風雨の時に応ずるを主る。この星が明亮して揺動すれば、陰陽の失調・雨水の時令に合わざるを主り、大水があるであろう。《春秋元命苞》にいう、魚星は雲旗を主掌し、陰に属する事務を統領し、雲雨の到来する時節を調和する。
《黃帝占》曰:“魚星常居河旁;中河而處,則兵起,期七月;常在河東,近箕。”石氏曰:“魚星大而明,則陰陽和。”又曰:“魚星動搖,則水暴出。”又曰:“魚星出河,大魚死;一曰旱。”《海中占》曰:“魚星中河而居,而明大,天下大水,津道塞;若微小,出河,中外天下大旱,五穀不成。”焦延壽曰:“魚星明,則河海水皆出。”班固《五行志》曰:“魚星中河而處,車騎滿野。”《石氏贊》曰:“漢中魚星知雲行。”
《黄帝占》にいう、魚星は常に天河のそばに居る。もし天河の正中に居れば、兵事の興起を主り、応期は七ヶ月である。それは平常は天河の東辺に在り、二十八宿の箕宿に近い。石氏はいう、魚星が碩大にして明亮であれば、陰陽の調和を主る。またいう、魚星が揺動すれば、大水の暴漲して出るを主る。またいう、魚星が天河を移出すれば、大魚の死亡を主り、もう一説は干ばつを主るという。《海中占》にいう、魚星が天河の正中に居ってまた明亮碩大であれば、天下に大水が発し、渡口の道路が阻塞するを主る。もしそれの星光が微小にして天河を移出すれば、中原と四方天下の大旱を主り、五穀は熟さない。焦延寿はいう、魚星が明亮であれば、江河・湖海の水がいずれも漲溢して出るを主る。班固《五行志》にいう、魚星が天河の正中に居れば、車騎が原野に布満するを主る。《石氏賛》にいう、天漢の中の魚星は、雲気の行止と雨水の来去を予知できる。
杵星占 九
石氏曰:“杵三星,在箕南。”(北星入箕一度太,去極百三十二度半,在黃道外二十一度太。)巫咸曰:“杵臼,土官也。”《黃帝占》曰:“杵星明而動,天下有兵,杵臼用事,軍糧急;其星微小,天下安寧而無兵。”石氏曰:“天杵臼動,則民失其釜甑,大去其鄉;杵縱則民足食,橫則民飢。”石氏曰:“天杵臼星不具,民賣釜甑。”甘氏曰:“杵臼星明,則天下安,五穀成,杵臼用,其年豐;星若不明,歲大惡,五穀不成,杵臼不用;一曰杵在箕南,給庖舂。”
石氏はいう、杵は三つの星で、箕宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:北辺のあの星は箕宿一度又四分の三に入り、北天極から百三十二度半、黄道以外二十一度又四分の三にある。巫咸はいう、杵臼は五行において土官に属する。《黄帝占》にいう、杵星が明亮して揺動すれば、天下に兵事があり、杵臼が用場に派し、軍糧が告急するを主る。この星が細小であれば、天下の安寧と兵事なきを主る。石氏はいう、天上の杵臼が揺動すれば、百姓はまさに鍋釜・甑甗を失い、大批に家郷を離れる。杵星が縦に排列すれば、百姓は豊衣足食し、横に排列すれば、百姓はまさに飢える。石氏にまたいう、天上の杵臼の星数が全からなければ、百姓はまさに鍋釜・甑甗を売変する。甘氏はいう、杵臼の星が明亮すれば、天下は安定し、五穀は成熟し、杵臼は用うるところがあり、その年は豊収である。この星がもし明亮でなければ、年成は極めて悪く、五穀は熟せず、杵臼もまた用場に派さない。もう一説は杵は箕宿の南に在り、厨下の舂米の用に供給するという。
鼈星占 十
石氏曰:“鱉十四星,在南斗。”(右星入南斗一度,去極百二十九度半,在黃道外十四度也。)《黃帝占》曰:“鱉星常居漢中,微而不明,則天下和,雨澤時;其星若不居漢中,則陰陽不和,天下旱。”石氏曰:“鱉一星去,有白衣之會;二星去,有大喪;以去日占國。”班固《天文志》曰:“鱉星不居漢中,有易川者。”《石氏贊》曰:“鱉星為水蟲,太陰也。”
石氏はいう、鼈星は全部で十四の星で、南斗の一帯に在る。南斗はすなわち二十八宿中の斗宿である。原書の小注がその座標を記す:西側のあの星は南斗一度に入り、北天極から百二十九度半、黄道以外十四度にある。《黄帝占》にいう、鼈星が常に天漢すなわち銀河の中に居り、微弱にして明亮でなければ、天下の和平・雨水の時に応ずるを主る。この星がもし天漢の中に居らざれば、陰陽の不和・天下の干ばつを主る。石氏はいう、鼈星が一つを離去すれば、喪事の会あるを主り、二つを離去すれば、大喪あるを主る。それが離去する日辰に拠って推占していずれの国に応験するかを見る。班固《天文志》にいう、鼈星が天漢の中に居らざれば、河川がまさに道を改めるを主る。《石氏賛》にいう、鼈は水中の虫で、太陰の象に属する。
九坎星占 十一
石氏曰:“九坎九星,在牽牛南。”(西南星入斗十四度半,去極百三十六度,在黃道外十九度太。)巫咸曰:“九坎,水官也。”《荊州占》曰:“九坎九星,主水旱之事。”《黃帝占》曰:“九坎,主通水泉。星明,則陰陽調和,百川通流,皆注於海;星若不明,百泉不通,河海枯竭,天下大旱,人民饑饉,國有憂。”石氏曰:“微,吉;明,不吉。”《石氏贊》曰:“九坎九星水泉通。”
石氏はいう、九坎は九つの星で、牽牛の南面に在る。「坎」とは低く陥って水を蓄えるところで、九坎はすなわち溝洫・水泉を以て象とする。原書の小注がその座標を記す:西南のあの星は南斗十四度半に入り、北天極から百三十六度、黄道以外十九度又四分の三にある。巫咸はいう、九坎は五行において水官に属する。《荊州占》にいう、九坎の九星は、水旱の事を主掌する。《黄帝占》にいう、九坎は水泉を疏通することを主掌する。この星が明亮であれば、陰陽の調和・百川の暢流を主り、すべて匯注して海に入る。この星がもし明亮でなければ、衆泉の不通・江河湖海の枯竭・天下の大旱・百姓の飢饉・国家の憂患あるを主る。石氏はいう、九坎の星光は微弱を吉とし、明亮すればかえって不吉である。《石氏賛》にいう、九坎の九星は、水泉の通暢を主る。
敗臼星占 十二
石氏曰:“敗臼四星,在虛危南。”(西南星入須女十度,去極百三十一度少,在黃道十九度。)《荊州占》曰:“敗臼四星,主正治之事。”《黃帝占》曰:“敗臼,主殃凶。其星微而不明,溫溫然,則主者吉,人民安;星明而動搖者,人主有憂,疾多災凶,人民愁苦,天下不安,多死喪。”石氏曰:“敗臼一星不具,民賣釜甑,去其處;一曰敗臼四星,主凶災。”
石氏はいう、敗臼は四つの星で、虚宿・危宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西南のあの星は須女宿十度に入り、北天極から百三十一度又四分の一、黄道十九度にある。《荊州占》にいう、敗臼の四星は、匡正・治理の事を主掌する。《黄帝占》にいう、敗臼は災殃・凶禍を主掌する。この星が微弱にして明亮でなく、光色が温潤和緩であれば、君主の吉利・百姓の安寧を主る。この星が明亮して揺動すれば、君主に憂患あり、疾病と災凶が頻仍で、百姓は愁苦し、天下は安寧を得ず、死喪が衆多であるを主る。石氏はいう、敗臼の星数が全からなければ、百姓はまさに鍋釜・甑甗を売変し、原住の処を離れる。もう一説は敗臼の四星は専ら凶災を主るという。
羽林星占 十三
石氏曰:“羽林四十五星;壘壁陣十二星;凡五十七星,在營室南。”(四星入危四度太,去極百二十度太,在黃道外十三度太也。)郗萌曰:“羽林一名材官;一名天南庫;一名單于軍;又主翌王。”《春秋合誠圖》曰:“危南有眾星,曰:羽林,為天軍;又羽林軍,水官也。”《元命苞》曰:“羽林主軍騎。”《黃帝占》曰:“羽林星,三三而居,行列相隨,守衛之官也。其星實而眾明,王者吉,其國安;星希而不明,若動,兵士出;星若亡不見;天下兵盡出。”
石氏はいう、羽林は四十五の星、塁壁陣は十二の星、合計五十七の星で、営室の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:その中の四つの星は危宿四度又四分の三に入り、北天極から百二十度又四分の三、黄道以外十三度又四分の三にある。郗萌はいう、羽林はまた「材官」とも名づき、また「天南庫」とも名づき、また「単于軍」とも名づき、また君王を翼衛することを主掌する。《春秋合誠図》にいう、危宿の南の一片の星を羽林と呼び、上天の軍隊である。羽林軍は五行において水官に属する。《春秋元命苞》にいう、羽林は軍中の騎兵を主掌する。《黄帝占》にいう、羽林の諸星は三つごとに聚まって一処をなし、行列は相随い、守衛の官である。これらの星が密実にして遍く明亮であれば、君王は吉利で国家は安定する。星光が稀疏にして明亮でないか、あるいは揺動すれば、兵士の出征を主る。これらの星がもし隠没して見えなければ、天下の兵力が全数出動するを主る。
郗萌曰:“羽林星不欲動,動即有兵,不出六十日,兵車發,有所之而起。又曰:不出三十日有兵。”又曰:“羽林中無星,天下兵盡出;一曰大將軍發,若大赦。”《春秋元命苞》曰:“壘城在軍位。”郗萌曰:“壘城鉞,主斬矛。”又曰:“陣星備武,急非其故,兵起,有破軍殺將。”《石氏贊》曰:“羽林眾星主翼王。”《石氏贊》曰:“壘壁陣十二星,為營壅。”
郗萌はいう、羽林の諸星は揺動するを宜しとせず、一たび揺動すればすなわち兵事があり、六十日を出ずして、兵車は発動し、出師してある地に往く挙がある。またいう、三十日を出ずしてすなわち兵事がある。またいう、羽林の中に星が一つもなければ、天下の兵力が全数出動するを主り、もう一説は大将軍の出師、あるいは大赦があるという。《春秋元命苞》にいう、塁城は軍陣の位次の上に処る。郗萌はいう、塁城の鉞星は、斬伐・矛戟の事を主掌する。またいう、陣星は武備の象徴で、一旦急変して常を失えば、兵事の興起を主り、軍隊の潰敗・将領の殺害があるであろう。《石氏賛》にいう、羽林のこの一片の星は、君王を翼衛するを主る。《石氏賛》にまたいう、塁壁陣の十二星は、軍営の壁塁である。
北落星占 十四
石氏曰:“北落一星,在羽林西南。”(入危九度,去極百三十度太,在黃道外二十三度半。)郗萌曰:“羽林西南有大赤星,狀如大角,天軍之門也,名曰北落,一名師門。”(北者,宿在北也;落者,天軍之北落也,師者,眾也;門者,軍門也。)《春秋合誠圖》曰:“北落主非常。”《黃帝占》曰:“北落師門,星明大,士卒昌,大將軍強;星微小,若亡不見,天下兵,大將出行,其國不寧,主有憂。”《春秋元命苞》曰:“北落角者,兵起。”《文曜鉤》曰:“北落亡角,有軍。”《石氏贊》曰:“北落師門一星,主候兵。”
石氏はいう、北落はただ一つの星で、羽林の西南に在る。原書の小注がその座標を記す:危宿九度に入り、北天極から百三十度又四分の三、黄道以外二十三度半にある。郗萌はいう、羽林の西南に一つの紅色の大星があり、形状は大角星に似て、天軍の門戸で、名を北落と呼び、また師門とも呼ぶ。原書の小注が解釈する:いわゆる「北」とは、その宿位が北方に在るがためであり、いわゆる「落」とは、天軍の北面の営落であり、「師」とは衆多の意であり、「門」とはすなわち軍門である。《春秋合誠図》にいう、北落は非常の変を主掌する。《黄帝占》にいう、北落師門の星が明亮碩大であれば、士卒の昌盛・大将軍の強健を主る。星光が微小で、さらには隠没して見えなければ、天下に兵あり、大将は出征し、その国家は安寧を得ず、君主に憂患あるを主る。《春秋元命苞》にいう、北落に芒角が生出すれば、兵事の興起を主る。《春秋文曜鈎》にいう、北落が芒角を失えば、軍事あるを主る。《石氏賛》にいう、北落師門のこの一星は、兵事の動静を観候するを主る。
土司空星占 十五
石氏曰:“土司空一星,在奎南。”(入壁七度太,去極百二十度少,在黃道外二十四度也。)《春秋合誠圖》曰:“司空主土城。”石氏曰:“土司空星大,天下安,又曰色黃明則吉;一曰知禍殃。”《黃帝占》曰:“土司空星明而黃潤,則天下安吉,王者吉;其星不明,若亡不見,其國有喪,若土功之事,若有旱災。”
石氏はいう、土司空はただ一つの星で、奎宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:壁宿七度又四分の三に入り、北天極から百二十度又四分の一、黄道以外二十四度にある。《春秋合誠図》にいう、司空は土木・城池の事を主掌する。石氏はいう、土司空星が碩大であれば、天下は安定する。またそれが色黄にして明亮であれば吉利という。もう一説はこの星は禍殃を予知できるという。《黄帝占》にいう、土司空星が明亮して黄潤であれば、天下の安定吉慶・君王の吉利を主る。この星が明亮でなく、さらには隠没して見えなければ、その国家に喪事あり、あるいは土木を興す役あり、あるいは旱災あるを主る。
天倉星占 十六
石氏曰:“天倉六星,在婁南。”(南星入奎四度太,去極百二十度,在黃道外十八度。)郗萌曰:“天倉者,天司農也。”《黃帝占》曰:“天倉,主倉府之藏也;天倉中星眾,穀粟聚其中,積儲實;其中星希少,倉中虛耗,無儲積,粟散出。”石氏曰:“天倉戶開,則歲大熟,粟聚倉;戶閉,歲谷不登,天下民飢。”《黃帝占》曰:“天下有兵,而倉庫之戶俱開,主人勝客,客事不成,期二十日發。”石氏曰:“天倉中星小眾盛,則粟聚,歲實;星希,歲耗;谷散倉,則天下亂,若大飢。”郗萌曰:“天倉星不具,道不通。”《黃帝占》曰:“天倉不見,其所臨軍分絕倉,大窮而亡。”《石氏贊》曰:“天倉六星。”
石氏はいう、天倉は六つの星で、婁宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:南辺のあの星は奎宿四度又四分の三に入り、北天極から百二十度、黄道以外十八度にある。郗萌はいう、天倉はすなわち上天の司農の官である。《黄帝占》にいう、天倉は倉庫・府蔵を主掌する。天倉の当中に星数が衆多であれば、穀粟がその中に聚積し儲備は充実するを主る。当中の星数が稀少であれば、倉中は空虚耗竭し、積儲なく、糧食は散失流出するを主る。石氏はいう、天倉の門戸が開啓すれば、その年は大熟し、粟米は倉廩に聚満する。門戸が閉合すれば、年穀は歉収し、天下の百姓は飢える。《黄帝占》にいう、天下に兵事があって、しかも倉庫の門戸がいずれも敞開していれば、主方が客方に戦勝するを主り、客方の事は成らず、応期は二十日の内に発動する。石氏はいう、天倉の当中に小星が衆多で光盛であれば、粟米の聚積・年成の充実を主る。星数が稀疏であれば、年成は耗損する。穀粟が倉外に散出すれば、天下の動乱を主り、あるいは大飢饉がある。郗萌はいう、天倉の星数が全からなければ、道路は通暢しない。《黄帝占》にいう、天倉が隠没して見えなければ、それが対応するあの軍隊の分野は糧倉が断絶し、極度の困窘に陥って覆亡するであろう。《石氏賛》にいう、天倉は全部で六つの星である。
天囷星占 十七
石氏曰:“天囷十三星,在胃南。”(東北入胃六度少,去極九十六度半,在黃道外十四度少。)《黃帝占》曰:“天囷主御糧,百庫之藏也。在野曰囷,在邑曰倉;一曰:圓曰囷,方曰倉。囷星欲明,其中星眾,百庫之藏實滿;其星不明,囷中星簡,庫藏空虛;若多散出,天下不安,其國有憂。”石氏曰:“天囷星明,則吉;微,則凶。”郗萌曰:“天囷見,即天下囷倉實;不見,即皆虛。”石氏曰:“天囷十三星,給御糧者也。”
石氏はいう、天囷は十三の星で、胃宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:東北のあの星は胃宿六度又四分の一に入り、北天極から九十六度半、黄道以外十四度又四分の一にある。《黄帝占》にいう、天囷は供御の糧食を主掌し、各類の府庫・儲蔵の象徴である。野外に設くを「囷」と呼び、城邑に設くを「倉」と呼ぶ。もう一説は円形のを囲と呼び、方形のを倉と呼ぶという。囷星は明亮なのを宜しとし、当中に星数が衆多であれば、各類の府庫・儲蔵が充実豊満するを主る。この星が明亮でなく、囷中の星数が簡少であれば、庫蔵の空虚を主る。もし糧食が大量に散出すれば、天下が安寧を得ず、その国家に憂患あるを主る。石氏はいう、天囷星が明亮すれば吉利で、微弱であれば凶である。郗萌はいう、天囷が見えれば、天下の囷倉は充実し、見えざれば、いずれも空虚である。石氏はいう、天囷の十三星は、御糧を供給する星官である。
天廩星占 十八
石氏曰:“天廩四星,在昂南。”(南星入胃十一度少,去極九十度,在黃道外九度太。)《春秋合誠圖》曰:“天廩,主廩倉。”巫咸曰:“天廩,一名天廥,主廩藏會計之事,其星齊明,則年豐國繞,人民安,王者吉;其星小而不明,歲惡,藏虛;人民飢;一曰臣受君祿。”《黃帝占》曰:“天廩星欲其明而盈實,則歲熟多粟;星黑而希,則歲敗腐矣。”
石氏はいう、天廩は四つの星で、昴宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:南辺のあの星は胃宿十一度又四分の一に入り、北天極から九十度、黄道以外九度又四分の三にある。《春秋合誠図》にいう、天廩は糧廩・倉儲を主掌する。巫咸はいう、天廩はまた「天廥」とも名づき、倉儲と会計の事を主掌する。これらの星が一律に明亮であれば、その年は豊収で国用は富饒し、百姓は安寧し、君王は吉利である。これらの星が細小にして明亮でなければ、年成は悪く、庫蔵は空虚で、百姓は飢える。もう一説はこの星は臣下が君主の俸禄を領受するを主るという。《黄帝占》にいう、天廩星は明亮して盈満充実なのを宜しとし、そうであれば年穀は成熟し粟米は充足する。星色が黒に発して稀疏であれば、その年は敗壊腐爛する。
天苑星占 十九
石氏曰:“天苑十六星,在昴畢南。”(東北星入畢二度太,去極百一十四度,在黃道外四十八度少。)巫咸曰:“天苑,金官也。”郗萌曰:“天苑,天子之苑也。”石氏:“天苑,天囷也,主馬牛羊非其故。若星不具,有斬死吏。”《黃帝占》曰:“天苑,主苑牧犧牲,牛羊之屬。其星行列齊明,苑中星眾,則畜牲蕃息,多饒野獸;其星微小,不明,若不見;苑中星希,則畜牧,不孳牛羊,野多死。”郗萌曰:“天苑星非其故,若不具,有斬刈之事。”《石氏贊》曰:“天苑十六星,主牛羊。”
石氏はいう、天苑は十六の星で、昴宿・畢宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:東北のあの星は畢宿二度又四分の三に入り、北天極から百十四度、黄道以外四十八度又四分の一にある。巫咸はいう、天苑は五行において金官に属する。郗萌はいう、天苑は天子の苑囿である。石氏はいう、天苑は天囷と同類で、馬・牛・羊がその常態を失う事を主掌する。もし星数が全からなければ、官吏の斬殺されるあるを主る。《黄帝占》にいう、天苑は苑中に犠牲を牧養することを主掌し、すなわち牛・羊の類の牲畜である。これらの星の行列が整斉明亮し、苑中に星数が衆多であれば、牲畜の繁衍・生息を主り、野獣もまた豊饒衆多である。これらの星が細小で明亮でなく、さらには隠没して見えず、苑中の星数が稀疏であれば、畜牧が旺盛ならず、牛・羊が孳生せず、野外に死亡多きを主る。郗萌はいう、天苑星がその常態を失うか、あるいは星数が全からなければ、斬殺・刈戮の事あるを主る。《石氏賛》にいう、天苑の十六星は、牛・羊を主掌する。
参旗星占 二十
石氏曰:“參旗九星,在參西;一名天弓。”(南星入畢九度半,去極九十三度,在黃道外十三度半也。)郗萌曰:“天弓九星不具,天下大赦,為兵赦,非無故自赦也;一名參旗;一曰天府。”《春秋緯》曰:“參旗在參西,勾曲九星。三處:一曰天旗;二曰天苑;三曰九游,以宣威,明開緒。”巫咸曰:“天弓,金官也。”《春秋緯》曰:“天旗,司五星之變;日月過之,熒惑守,日蝕星,天下亂。”郗萌曰:“天弓主司兵弩之事,其星動搖,有以迷惑主者。”
石氏はいう、参旗は九つの星で、参宿の西面に在り、また「天弓」とも名づく。原書の小注がその座標を記す:南辺のあの星は畢宿九度半に入り、北天極から九十三度、黄道以外十三度半にある。郗萌はいう、天弓の九つの星の星数が全からなければ、天下の大赦を主り、これは兵事のために行う赦免で、故なく自ら赦免するのではない。この星はまた参旗とも名づき、また天府とも呼ぶ。《春秋緯》にいう、参旗は参宿の西に在り、勾曲して排列する九つの星で、三処に分かれる。第一を天旗と呼び、第二を天苑と呼び、第三を九游と呼び、用いて威厳を宣布し開創の端緒を彰明する。巫咸はいう、天弓は五行において金官に属する。《春秋緯》にまたいう、天旗は五星の変異を稽察することを主掌する。日月がそれを経過し、熒惑がその間に守留するか、あるいは日食の星が現われれば、天下の動乱を主る。郗萌はいう、天弓は兵器・弓弩の事を主掌し、この星が揺動すれば、君主を迷惑する人あるを主る。
《黃帝占》曰:“參旗星不欲明,微小而直,王者安,天下無兵;明而曲狀,如張弓,天下不寧,兵大起,人民憂。”《禮含文嘉》曰:“王者制度有科,物應以宜,則參旗弓行。”(宋均注曰:弓行者,參旗星行列紆曲,似弓也。)《易緯》曰:“旗星明振,主自消,諸侯亂。”《禮緯》曰:“天子至卿士,旗旒中禮,制度有科,則參旗弓行,正齊均平。”石氏曰:“參旗不明,吉;明,有白衣會;一曰邊寇動,兵起;弓弩射,士發。”石氏曰:“參旗九星,不欲張。”
《黄帝占》にいう、参旗星は明亮するを宜しとせず、それが細小にして排列が平直であれば、君主の安泰・天下に兵事なきを主る。もし明亮して形状が彎曲して、張き開いた弓のごとければ、天下が安寧を得ず兵事大いに起き百姓が憂苦するを主る。《礼含文嘉》にいう、君王の典章・制度が分明で等次あれば、万物は各々その宜しきを得てこれと相応じ、参旗はすなわち彎弓の状を作して排列する。原書の小注に宋均を引いていう、いわゆる「弓行」とは、参旗の諸星の行列が紆曲して、形状が一張の弓に似るを指す。《易緯》にいう、旗星が明亮振揚すれば、君主が自ら消損し諸侯が乱をなすを主る。《礼緯》にいう、上は天子より下は卿士に至るまで、旌旗の旒飾がいずれも礼数に合い、典章・制度が分明で等次あれば、参旗はすなわち彎弓の状を作して排列し、端正斉整にして均衡平和である。石氏はいう、参旗は明亮せざるを吉とし、明亮すれば、喪事の会あるを主る。もう一説は辺境の寇盗の妄動・兵事の興起・弓弩の発射・兵士の出動を主るという。石氏にまたいう、参旗の九星は、張きて弓のごとくなるを宜しとしない。
玉井星占 二十一
石氏曰:“玉井四星,在參左足下。”(西南星入畢十二度少,去極百二十度太,在黃道外五十度少也。)巫咸曰:“玉井,水官。”《春秋緯》曰:“玉井,主軍敵。”《論讖》曰:“玉井、主粥廚。”《黃帝占》曰:“玉井星微小,如其故,則陰陽和,雨澤時,五穀成,天下安;其星明而動搖;有大水,五穀不成,人民大飢,國不寧。”郗萌曰:“玉井動搖,有水,不出二年。”《石氏贊》曰:“玉井四星,主水漿。”
石氏はいう、玉井は四つの星で、参宿の左足の下に在り、四星が囲合して形は一口の井のごとく、因って名を得た。原書の小注がその座標を記す:西南のあの星は畢宿十二度又四分の一に入り、北天極から百二十度又四分の三、黄道以外五十度又四分の一にある。巫咸はいう、玉井は五行において水官に属する。《春秋緯》にいう、玉井は軍中の敵情を主掌する。《論讖》にいう、玉井は粥食・庖厨を主掌する。《黄帝占》にいう、玉井星が細小で、平常のごとくであれば、陰陽の調和・雨水の時に応ずる・五穀の成熟・天下の安定を主る。この星が明亮して揺動すれば、大水あり、五穀熟せず、百姓は大いに飢え、国家は寧からざるを主る。郗萌はいう、玉井が揺動すれば、水災あるを主り、二年を出ずして応験するであろう。《石氏賛》にいう、玉井の四星は、水浆の類の飲食の物を主掌する。
屏星占 二十二
石氏曰:“屏星在玉井南。”(北星入觜太,去極百一十八度,在黃道外四十六度太。)《春秋緯》曰:“天屏主上疾。”石氏曰:“天屏星不具,人多疾。”《石氏贊》曰:“屏星在南,為屏風。”
石氏はいう、屏星は玉井の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:北辺のあの星は觜宿四分の三度に入り、北天極から百十八度、黄道以外四十六度又四分の三にある。《春秋緯》にいう、天屏は君上の疾病を主掌する。石氏はいう、天屏の星数が全からなければ、人に疾病多きを主る。《石氏賛》にいう、屏星は南方に在り、遮挡に用いる屏風と為る。
厠星占 二十三
石氏曰:“廁四星,在屏東。”(西北星入參三度少,去極一百一十五度,在黃道外四十四度半。)郗萌曰:“廁星主觀天下疾病。”《黃帝占》曰:“天廁星欲黃赤,黃赤而明,吉;蒼黑,凶。”石氏曰:“廁星不具,貴人多病,一曰夭,一曰陷廁。”石氏曰:“廁星青黑,主有腰下之疾;黃吉,白凶,黑死,皆為貴人。”又曰:“黃澤者,歲熟。”《玉曆》曰:“廁星欲溫溫然明潤澤,則王者無疾病;出入不時,星若微小不見,人主帶病,腹腸之疾,若人民多疫。”《石氏贊》曰:“廁星在車,名自彰。”
石氏はいう、厠は四つの星で、屏星の東面に在る。原書の小注がその座標を記す:西北のあの星は参宿三度又四分の一に入り、北天極から百十五度、黄道以外四十四度半にある。郗萌はいう、厠星は天下の疾病を察看することを主掌する。《黄帝占》にいう、天厠星は黄紅色を以て宜しとし、黄紅にして明亮であれば吉利で、青蒼にして黒に発せば凶である。石氏はいう、厠星の星数が全からなければ、貴人に病多きを主る。もう一説は夭亡を主り、さらにもう一説は厠中に墜陥するを主るという。石氏にまたいう、厠星が青黒色を呈すれば、腰部以下の疾病あるを主る。色黄を吉とし、色白を凶とし、色黒は死を主り、応験する所はいずれも貴人の身に在る。またいう、色が黄くして潤沢であれば、年穀の成熟を主る。《玉暦》にいう、厠星は光色が温潤明浄なのを宜しとし、そうであれば君王に疾病なし。もしそれが出没して時令に合わざるか、あるいは星光が微小にして隠没に至れば、君主が病に染み、腸腹の疾を患い、あるいは百姓に瘟疫多きを主る。《石氏賛》にいう、厠星は車星の一帯に附して、名号は自ずから彰顕す。
天矢星占 二十四
石氏曰:“天矢一星,在廁南。”(入參七度,去極百二十三度,在黃道外五十三度也。)石氏曰:“天矢星,主候吉凶,色黃即吉,青白,黑凶。”《黃帝占》曰:“天矢星明,萬物有命。”《黃帝占》曰:“天矢星微,萬物流;星不具,多疾病;星亡,萬民大瘠。”又占曰:“常以春秋分候矢星,明黃而潤澤,則天下人民無疾病,王者安;其星不明,色青黑,天下人民有腰腸之病,其國飢,人民餓死。”《黃帝占》曰:“天矢色黃,為貴人吉;青白,願貴人疾;黑,貴人死;期三年。”石氏曰:“秋分候天矢,星亡,萬民大亂。”《荊州占》曰:“天矢星亡,萬民多死。”《石氏贊》曰:“天矢星在南,色慾黃。”
石氏はいう、天矢はただ一つの星で、厠星の南面に在る。「矢」はここでは「屎」に通じ、前の厠星と配して一組の星象を成す。原書の小注がその座標を記す:参宿七度に入り、北天極から百二十三度、黄道以外五十三度にある。石氏はいう、天矢星は吉凶を観候するを主り、色が黄なれば吉で、青・白・黒の三色はいずれも凶である。《黄帝占》にいう、天矢星が明亮すれば、万物は各々その命を得る。《黄帝占》にまたいう、天矢星が微弱であれば、万物は流散し、星数が全からなければ、疾病多きを主り、この星が隠没して見えなければ、万民は大量に瘦病する。また一条の占辞にいう、通常は春分・秋分に天矢星を観候し、それが明黄にして潤沢であれば、天下の百姓に疾病なく、君主は安泰である。この星が明亮でなく青黒の色を呈すれば、天下の百姓はまさに腰腸の病を患い、その国家は飢饉が閙ぎ、百姓は餓死する。《黄帝占》にいう、天矢の色が黄であれば、貴人の吉利を主り、色が青くして白を帯ぶれば、貴人の生病を主り、色が黒であれば、貴人の死亡を主り、応期は三年である。石氏はいう、秋分に天矢を観候して、この星が隠没して見えなければ、万民は大いに乱れる。《荊州占》にいう、天矢星が隠没して見えなければ、万民に死亡多し。《石氏賛》にいう、天矢星は南方に在り、顔色は黄を以て宜しとす。
軍市星占 二十五
石氏曰:“軍市星,在參東南。”(西星入井三度少,去極百十度,在黃道外三十一度。)石氏曰:“軍市十三星,水官也。”石氏曰:“軍市星眾,則軍有餘糧;星少,即軍飢。”巫咸曰:“軍市,水官也。”
石氏はいう、軍市星は参宿の東南に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は井宿三度又四分の一に入り、北天極から百十度、黄道以外三十一度にある。石氏はいう、軍市は全部で十三の星で、五行において水官に属する。石氏にまたいう、軍市の星数が衆多であれば、軍中に余糧があり、星数が稀少であれば、軍中はまさに飢える。巫咸はいう、軍市は五行において水官に属する。
野鶏星占 二十六
石氏曰:“野雞一星,在軍市中。”(入井八度,去極百一十一度,在黃道外四十二度太。)《黃帝占》曰:“野雞,大將也;主屯營軍之號令,警急設備;其星明大,則主將猛,士卒強;其不明,主將弱,兵士離散。”石氏曰:“野雞安靜,吉;芒角,凶。”《荊州占》曰:“野雞,野將也;主兵。”又占曰:“野雞出市,天下有兵,諸侯相攻。”《石氏贊》曰:“野雞一星,主野邦。”
石氏はいう、野鶏はただ一つの星で、軍市の中に在る。原書の小注がその座標を記す:井宿八度に入り、北天極から百十一度、黄道以外四十二度又四分の三にある。《黄帝占》にいう、野鶏は大将を象徴し、屯駐・営塁の号令、および警急の時の戒備を主掌する。この星が明亮碩大であれば、将領の勇猛・士卒の強健を主る。この星が明亮でなければ、将領の怯弱・兵士の離散を主る。石氏はいう、野鶏が安定して動かざるを吉とし、芒角を生出すを凶とする。《荊州占》にいう、野鶏は在野の将領で、兵事を主掌する。また一条の占辞にいう、野鶏が軍市を移出すれば、天下に兵あり、諸侯は彼此攻伐するを主る。《石氏賛》にいう、野鶏のこの一星は、在野の邦国を主掌する。野鶏は軍市の中に居る。ゆえに上に列する占辞は多く軍旅の屯戍・糧秣の供応と関連する。
狼星占 二十七
石氏曰:“狼一星,在參東南。”(入井十三度,去極百六度,太。在黃道外四十二度少也。)《黃帝占》曰:“狼星,一名夷將;其星色慾黃白,無光芒,不動搖,天下寧,兵不起;其星色赤而大,光芒四張,動搖變色,天下亂,大兵起,盜賊起於道路,人主不安,百姓憂苦。”《荊州占》曰:“狼星,秦、南夷也;名曰候,一名天紀,一曰天陵。狼者,賊盜;弧者,天弓,備盜賊也。故弧射狼,矢端直者,狼不敢動搖,則無盜賊而兵不起;動搖明大,多芒變色,不如常,胡兵大討。”
石氏はいう、狼はただ一つの星で、参宿の東南に在る。原書の小注がその座標を記す:井宿十三度に入り、北天極から百六度又四分の三、黄道以外四十二度又四分の一にある。《黄帝占》にいう、狼星はまた「夷将」とも名づく。この星の顔色は黄白を以て宜しとし、光芒なく、また揺動せざれば、天下の安寧・兵事の起らざるを主る。この星が色紅にして形大きく、光芒を四に射ち、揺動し色を変じれば、天下の動乱・大兵の興起を主り、盗賊は道路に出没し、君主は安寧を得ず、百姓は憂苦する。《荊州占》にいう、狼星は秦の地と南方の夷人に対応する。それは名を「候」といい、また「天紀」とも名づき、また「天陵」とも呼ばれる。狼は賊盗の象で、弧は上天の弓で、以て盗賊を防備する。ゆえに弧星が狼星に射向かい、箭矢が端直であれば、狼星はあえて揺動せず、そうであればすなわち盗賊なく、兵事も興起しない。もし狼星が揺動して、明亮碩大で芒角が衆多にして色を変じ、その常態を失えば、胡人が大挙して兵を興し征討するを主る。
《紀曆樞》曰:“狼星,為野將。”宋均曰:“狼星,為羊角。”(鄭玄曰:狼星主羊。狼在於未,未為羊也。)巫咸曰:“狼星盛,兵弩貴;小,兵弩賤。金官也。”《黃帝占》曰:“狼星盛,兵弩貴;小,兵弩賤。”《元命苞》曰:“狼星變色,盜賊萌。”石氏曰:“狼星色赤而光明,芒角長大,天下兵起,將軍有死者,期二年。”巫咸曰:“狼星易其處,不如其故,天下飢,兵士滿野,其國凶荒,期不出年。”郗萌曰:“狼星白芒,百徒聚天下。”又占曰:“狼星躁走,為人主不靜,不居其宮,馳騁天下。”《荊州占》曰:“狼星芒角多,多盜賊;芒角少,少盜賊。”《荊州占》曰:“狼星非其故,人相食。”《石氏贊》曰:“狼星在參東南,有常;芒角變動,為憂兵。”
《紀暦枢》にいう、狼星は在野の将領である。宋均はいう、狼星は羊角を象徴する。原書の小注に鄭玄を引いていう、狼星は羊を主る——狼星が地支の「未」に配するがためで、未は十二属相の中でまさに羊である。巫咸はいう、狼星の光が盛んであれば、兵器・弓弩の価銭は貴く、星形が細小であれば、兵器・弓弩の価銭は賤く、それは五行において金官に属する。《黄帝占》の言うところはこれと同じ:狼星の光が盛んであれば、兵器・弓弩の価は貴く、星が小さければ、兵器・弓弩の価は賤い。《春秋元命苞》にいう、狼星が色を変じれば、盗賊はまさに萌生する。石氏はいう、狼星が色紅にして光明で、芒角がまた長くまた大きければ、天下の兵の起きるを主り、将軍の中に人死亡するあり、応期は二年。巫咸はいう、狼星が本位を移易し、その常態を失えば、天下の饑饉を主り、兵士は原野に布満し、その国家は凶険荒歉で、応期は一年を出ず。郗萌はいう、狼星に白色の芒角が生出すれば、天下に徒衆が大批に聚集して事を起こすを主る。また一条の占辞にいう、狼星が躁動奔走すれば、君主が安静できず、宮中に留まることを肯んぜず、天下に駆騁せんとすることを主る。《荊州占》にいう、狼星の芒角が多ければ、盗賊はすなわち多く、芒角が少なければ、盗賊はすなわち少ない。《荊州占》にまたいう、狼星がその常態を失えば、人の相食するを主る。《石氏賛》にいう、狼星は参宿の東南に在り、自ずから常度がある。一旦芒角が変動すれば、すなわち兵事のまさに起こらんとする憂患の兆である。
弧星占 二十八
石氏曰:“弧九星,在狼東南。”(西星入井十六度,去極百二十二度少,在黃道外五十二度半也。)石氏曰:“弧星者,天弓也,以備賊盜,狼星為奸寇,弧星為司其非,其矢常欲直,狼則不敢動,天下安寧,無兵起,若矢不直,弧其不張,天下多盜賊,兵大起,國不寧。”《黃帝占》占:“弧星,主弓矢之府,以備非常;其星大而齊明,其色黃潤,則四方安靜,天下無兵;其生色變,不如其常,天下皆兵,弓矢大貴,人主不安。”
石氏はいう、弧は九つの星で、狼星の東南に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は井宿十六度に入り、北天極から百二十二度又四分の一、黄道以外五十二度半にある。石氏はいう、弧星はすなわち上天の弓で、以て賊盗を防備する。狼星は奸邪の寇盗で、弧星はすなわちその不軌を司察する。弧上の箭矢は常に端直を以て宜しとし、そうであれば狼星はすなわちあえて妄動せず、天下は安寧し、兵事の興起なし。もし箭矢が直ならず、弧弓もまた張き開かざれば、天下に盗賊多く、兵事大いに起き、国家は寧からざるを主る。《黄帝占》にいう、弧星は弓箭の府蔵を主掌し、以て非常の変に備える。この星が碩大にして一律に明亮で、顔色が黄潤であれば、四方の安静・天下に兵事なきを主る。もしそれが光色変異してその常態を失えば、天下に遍く兵戈あり、弓箭の価格は騰貴し、君主は安寧を得ざるを主る。
《荊州占》曰:“弧星主武官,弧張,迎戰者不勝;弧動,先用兵吉,後者凶。”《黃帝占》曰:“狼旗七星屈曲者,夷狄弱可攻。”《洛書》曰:“狼弧張,害及胡。”《尚書緯》曰:“黑帝亡也,狼弧張。”《春秋緯》曰:“狼弧張,四年之後,天下永亂。”《焦延壽傳》曰:“天弓張,天下盡兵,主與臣相謀。”郗萌曰:“有兵,若弧星張,先起兵者利,後起兵者不利。”《荊州占》曰:“弧星青黑,有大憂。”《荊州占》曰:“弧矢動搖,明大多芒,變色,不如常者;多盜賊,胡兵起。”《石氏贊》曰:“弧在東南,陰謀張也。”
《荊州占》にいう、弧星は武官を主掌する。弧弓が張き開けば、迎戦する方は勝つことができない。弧星が揺動すれば、先に兵を動かす方は吉利で、後に兵を動かす方は凶険である。《黄帝占》にいう、狼旗の七星が屈曲して直ならざれば、夷狄の勢い弱く、進攻すべきを主る。《洛書》にいう、狼星と弧星がいっせいに張き開けば、禍害は北方の胡人に波及するであろう。《尚書緯》にいう、水徳を主る黒帝がまさに衰亡せんとすれば、狼星と弧星はすなわち張き開くであろう。《春秋緯》にいう、狼弧が張き開けば、四年の後、天下は長く動乱に陥るであろう。《焦延寿伝》にいう、天弓が張き開けば、天下に至るところ兵を用いるを主り、君主と臣下は相互に算計する。郗萌はいう、一旦兵事あれば、もし弧星が張き開くときは、先に兵を発する方は利あり、後に兵を発する方は利なし。《荊州占》にいう、弧星が青黒色を呈すれば、大きな憂患あるを主る。《荊州占》にまたいう、弧矢が揺動し、明亮碩大にして芒角が衆多で、光色が変異し、その常態を失えば、盗賊衆多・胡人が兵を興すを主る。《石氏賛》にいう、弧星は東南方に在り、陰謀の張布する象である。弧矢の九星は狼星の東南に在り、形は一張の箭を搭えた弓のごとく、箭鋒は正しく狼星を指す。ゆえに歴代の占家はつねに弧・狼の両星を合わせて見る。
老人星占 二十九
石氏曰:“老人星,在弧南。”(入井十九度。去極百三十三度半,在黃道外七十五度太。)《黃帝占》曰:“老人星。一名壽星;色黃明大而見,則主壽昌,老者康,天下安寧;其星微小,若不見,主不康,老者不強,有兵起。”郗萌曰:“老人,南極星也,立秋二十五日,晨見丙午之間。”(以秋分見南方,春分而沒,出於丙,入於丁。)巫咸曰:“老人星,木官也。”《春秋元命苞》曰:“直弧比地(晉灼注《天官書》曰:比地,近地也。)有一大星,曰南極老人,見則主安,不見則兵革起,常以秋分候之南郊,以慶主令天下。”
石氏はいう、老人星は弧星の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:井宿十九度に入り、北天極から百三十三度半、黄道以外七十五度又四分の三にある。《黄帝占》にいう、老人星はまた「寿星」とも名づく。それが色黄で明亮碩大にして出現すれば、寿命の昌隆・老人の康健・天下の安寧を主る。この星が微小で、さらには出現しなければ、君主が安康ならず、老人が強健ならず、兵事の興起あるを主る。郗萌はいう、老人はすなわち南極星で、立秋の後二十五日に、清晨に丙・午の二つの方位の間に出現する。原書の小注にいう、それは秋分の時に南方に見え、春分の時に至って隠没し、丙の位より升り、丁の位より落ちる。巫咸はいう、老人星は五行において木官に属する。《春秋元命苞》にいう、正しく弧星に対して地平に貼近し(原書小注に晋灼の《天官書》注を引いていう、「比地」とはすなわち地面に靠近する)、一つの大星あり、南極老人と呼ぶ。それが出現すれば、天下の安定を主り、出現しなければ、兵革の興起を主る。通常は秋分の時に南郊に至ってそれを観候し、以て君上のために慶を称え、天下に号令する。
《春秋緯》曰:“老人星見,則治平,主壽;老人星亡,則君危,若世夭。”《春秋文耀鉤》曰:“王者安靜,則老人星見。”《春秋運斗樞》曰:“王政和平,則老人星臨其國,萬民壽。”石氏曰:“老人星明,主壽昌,天下多賢士。”又占曰:“老人星色慾黃潤,王者、老人吉;其色青,主有憂,老人疾;色若黑白,主有,老人多死。各以五色占吉凶。”《孫氏瑞應圖》曰:“王者承天,則老人星臨其國。”
《春秋緯》にいう、老人星が出現すれば、政治の平和・君主の長寿を主る。老人星が隠没して見えなければ、君主の危殆を主り、あるいは世人の短命である。《春秋文耀鈎》にいう、君王が清静にして擾さなければ、老人星は出現する。《春秋運斗枢》にいう、君王の政事が和平であれば、老人星はその国を照臨し、万民は長寿する。石氏はいう、老人星が明亮すれば、寿命の昌隆を主り、天下の賢士は衆多である。また一条の占辞にいう、老人星の顔色は黄潤を以て宜しとし、そうであれば君王と老人はいずれも吉利である。それが色青であれば、憂患あるを主り、老人は病む。色黒あるいは色白であれば、君主に事あり、老人に死亡多きを主る。要するに青・赤・黄・白・黒の五種の顔色に按じてそれぞれ吉凶を推占する。《孫氏瑞応図》にいう、君王が天意を秉承できれば、老人星はその国を照臨する。
稷星占 三十
石氏曰:“稷五星,在七星南。”(西星入柳十四度少,去極百四十八度,在黃道外六十八度少也。)祖暅曰:“上稷,農正也;稷者,稷也;取乎百穀之長,以為長也。”《黃帝占》曰:“稷星,主五穀豐耗,其星溫溫而明,歲大熟,五穀成;其星不明,若亡不見,歲不熟,天下饑荒,人民流亡,去其鄉。”石氏曰:“稷星不見,歲飢也。”《石氏贊》曰:“稷在張南時報功。”
石氏はいう、稷は五つの星で、七星宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は柳宿十四度又四分の一に入り、北天極から百四十八度、黄道以外六十八度又四分の一にある。祖暅はいう、上稷は農官の長である。「稷」とはすなわち穀物の中の稷で、それを百穀の首とする意を取り、用いて官長の名とする。《黄帝占》にいう、稷星は五穀の豊歉を主掌する。この星の光色が温潤にして明亮であれば、その年は大熟で、五穀は成熟する。この星が明亮でなく、さらには隠没して見えなければ、その年は歉収で、天下は饑饉し、百姓は流亡して家郷を離れる。石氏はいう、稷星が見えなければ、その年はまさに饑饉が閙ぐ。《石氏賛》にいう、稷星は張宿の南に在り、時に按じて農功を報告する。
開元占経 巻六十九
甘氏中官占 五
天皇大帝占 一
甘氏曰:“天皇大帝一星,在鉤陳口中。”《黃帝占》曰:“天皇大帝,名耀魄寶,主天女象,下出命符。”《河圖洛書》曰:“以授天子,立五禮。”《春秋緯》曰:“大帝紫宮,不言不動搖,以斗運度推精,使五帝脩名號。”《元命苞》曰:“帝位明達,羽翮秀良,則光大,色度和同,天下太平,國號中央。”(宋均曰:“帝,大帝之精也;皇,大帝之星。)《甘氏贊》曰:“天皇大帝,秉萬神圖。”
甘氏はいう、天皇大帝はただ一つの星で、鉤陳の囲合する口の中に在る。《黄帝占》にいう、天皇大帝は名を「耀魄宝」といい、天上の女官の象を主掌し、下に向かって天命の符信を頒出する。《河図洛書》にいう、天帝はこの符命を天子に授与し、これに拠って五種の礼制を確立する。《春秋緯》にいう、大帝は紫宮に居り、一言をも発せず、また揺動もせず、ただ北斗の運行の度数に凭って精気を推布し、五方の天帝をして各々おのれの名号を修明せしめる。《春秋元命苞》にいう、帝位が明朗通達し、羽翼が秀美精良であれば、星光はすなわち盛大で、光色と躔度はいずれも和諧一致し、天下の太平・国号の中央に定まるを主る。原書の小注に宋均を引いていう、いわゆる「帝」とは、大帝の精気で、いわゆる「皇」とは、大帝の星体である。《甘氏賛》にいう、天皇大帝は万神の図籍を執掌する。
四輔星占 二
甘氏曰:“輔四星,抱北極樞。”郗萌曰:“四輔去,君臣失禮,輔臣有誅者。”《甘氏贊》曰:“四輔機權,北權樞也。”
甘氏はいう、四輔は四つの星で、北極の枢紐の星を環抱する。郗萌はいう、四輔の星が位を離れて去れば、君臣の間に礼数を失うを主り、輔政大臣の中に誅殺される人があるであろう。《甘氏賛》にいう、四輔は機要の権柄を掌握し、北天の枢軸のあるところである。
華蓋星占 三
甘氏曰:“華蓋七星;杠九星;凡十六度,在大帝上。”《荊州占》曰:“正上柱蓋得,名曰槓星;次蓋大星者,母也;其中央者,身也;母星下二寸者,妻子也;若此星有變,各有所主災也;母星下有二寸,有小星,不當見,見即有急,太子不得代立,若有異姓欲立,近期一年,中期二年,遠期三年而起,天下煩亂,五穀大貴,田宅無價。”《甘氏贊》曰:“華蓋張光,掩翳帝舡;玄橑周槓,捶植距跌。”
甘氏はいう、華蓋は七つの星、蓋柄の「杠」は九つの星、合計十六の星で、位は天皇大帝の上に在る。《荊州占》にいう、正上方に華蓋を支撑するそれらの星を、杠星と名づく。華蓋に緊く挨着するあの大星は、母星である。居中の一つは、身星である。母星より以下二寸の処のものは、妻子星である。これらの星にもし変異あれば、各々相応の災禍を主管する。母星の下二寸の処に本来見えるべからざる小星が現われ、一旦見えれば、すなわち急変あるを主り、太子は大位を承継できず、異姓の人があって自ら立たんと欲する。近ければ応期一年、中ばなれば応期二年、遠ければ応期三年にしてすなわち発動し、その時天下は煩擾動乱し、五穀の価格は暴漲し、田地・房宅は賤くして価なきに至る。《甘氏賛》にいう、華蓋は光華を張開し、天帝の舟船を遮覆す。深色の椽木は蓋杠を環繞し、槌撃して栽立し、支撑して穏固にして傾かず。
五帝内座占 四
甘氏曰:“五帝內座五星,在華蓋下。”《甘氏贊》曰:“內座設席。”
甘氏はいう、五帝内座は全部で五つの星で、位は華蓋の下に在り、東・南・西・北・中の五方の天帝が紫微宮内の座次である。《甘氏賛》にいう、内座の職任は席位を鋪設し、天帝のために坐次を安排する。
六甲星占 五
甘氏曰:“六甲六星,在華蓋槓傍。”《春秋緯》曰:“六甲中為輔,包羅物類,為神戶。”(六甲所以紀陽,陽而紀時,故在槓旁,以佈政授民。)《甘氏贊》曰:“六甲中候,出入有須。”
甘氏はいう、六甲は六つの星で、華蓋の蓋杠のそばに在る。《春秋緯》にいう、六甲は中に居って輔佐に充当し、天下の万物の種類を包羅し、衆神の出入りする門戸である。原書の小注にいう、六甲は用いて陽気を紀録し、陽気の運行にまた用いて時節を紀定する。ゆえにそれは蓋杠のそばに列し、これに藉って政令を頒布し、時を民に授ける。《甘氏賛》にいう、六甲は中に居って節候を観候し、出入り進退はいずれも各々待つところがある。
天柱星占 六
甘氏曰:“天柱五星,在紫微宮中,近東垣。”《甘氏贊》曰:“天柱立政,朔望懸書。”(天柱立政教,懸圖法之所也,常以朔望施禁令於柱,以示百僚。)
甘氏はいう、天柱は五つの星で、紫微宮の中に在り、東面の藩垣に近い。《甘氏賛》にいう、天柱は政教を樹立し、初一・十五にあうごとに柱上に文書を懸掛する。原書の小注にいう、天柱は政教を樹立し図籍・法令を懸掛する処所で、通常は朔日・望日に禁令を柱上に張貼し、以て百官に暁示する。
柱下史占 七
甘氏曰:“柱下史一星,在北極東北。”《甘氏贊》曰:“柱下史記過,密移東廚。”(廚,書藏也。)
甘氏はいう、柱下史はただ一つの星で、北極の東北に在る。《甘氏賛》にいう、柱下史は君主の過失を記録し、さらに暗中に記録を移送して東厨に収存する。原書の小注にいう、ここの「厨」とは、蔵書の府庫である。
女史星占 八
甘氏曰:“女史一星,在柱下史北。”(女史,婦人微者也,主傳漏也。)《甘氏贊》曰:“女史傳漏,動記時。”
甘氏はいう、女史はただ一つの星で、柱下史の北面に在る。原書の小注にいう、女史は宮中の地位が低微の婦人で、漏刻の時辰を伝報することを主掌する。《甘氏賛》にいう、女史は漏刻を伝報し、時に随って時辰を記す。
尚書星占 九
甘氏曰:“尚書五星,在紫微宮門內,東南維。”《甘氏贊》曰:“尚書納言,夙夜諮謀。”
甘氏はいう、尚書は五つの星で、紫微宮門以内の東南の角上に在る。《甘氏賛》にいう、尚書は君主に替わって臣下の言論を承受し伝達し、日夜国事のために咨詢謀劃し章奏を擬議する。
陰徳占 十
甘氏曰:“陰德二星,在尚書西。”《文耀鉤》曰:“紫微宮前,列直鬥口三星,隨北端銳,若見若不見,曰陰德,為天一剛。”(《天官書》《天文志》並云:三星武曰天一,案《圖薄志》二星。)《運斗樞》曰:“陰德主正經。”《春秋緯》曰:“陰德功,臣主爭伐相謀。”《運斗樞》曰:“陰德浮,近臣恣,庶雄謀,天子咸,並相謀。”(宋均曰:浮猶見也,陰德星,常微,令著明也。)焦延壽曰:“陰德星明,太子伐主,若有女主治天下者。”《赫連圖》曰:“陰德滅,聖人即紀。”《甘氏贊》曰:“陰德惟惠,周民賑撫。”
甘氏はいう、陰徳は二つの星で、尚書の西面に在る。《春秋文耀鈎》にいう、紫微宮の前に正しく斗口に対して三つの星を排列し、北端に随って漸次に尖鋭になり、時に隠れ時に現われ、これを陰徳と呼び、天一の剛健の気である。原書の小注にいう、《史記・天官書》と《漢書・天文志》はいずれもこの三つの星を天一と称すというが、《図薄志》に拠ればただ二つの星のみである。《春秋運斗枢》にいう、陰徳は常道を匡正することを主掌する。《春秋緯》にいう、陰徳が功を建てれば、臣下が君主と争闘攻伐し彼此算計するを主る。《運斗枢》にまたいう、陰徳の星が浮顕すれば、近臣が恣意に妄為し、衆多の豪強が不軌を図謀し、天子は制せられ、君臣は互相に猜算するを主る。原書の小注に宋均を引いていう、「浮」とはすなわち顕現で、陰徳星はもともと常に微弱であるのに、今はかえって明顕に変じた。焦延寿はいう、陰徳星が明亮すれば、太子が君主を討伐するを主り、あるいは女主が天下を統治する。《赫連図》にいう、陰徳星が隠滅すれば、聖人はまさに出て綱紀を整頓せんとす。《甘氏賛》にいう、陰徳は専ら恩惠を主り、百姓を周済し、賑救し撫恤する。
天床占 十一
甘氏曰:“天床六星,在紫微宮門外。”《甘氏贊》曰:“天床寢舍,(一本雲寢室)解息燕休。”
甘氏はいう、天床は六つの星で、紫微宮門の外に在る。《甘氏賛》にいう、天床は寝臥の居舍で(原書小注:一種の本は「寝室」と作る)、天帝に衣を解き安息し、閒居休憩することを供する。
天理星占 十二
甘氏曰:“天理四星,在北斗魁口中。”《樂緯》曰:“天理,貴人之牢也。”《合誠圖》曰:“天理,主司三公。”巫咸曰:“北斗魁中,天理,主貴者,水官也。”《援神契》曰:“天理敕修,糾中情。”《甘氏贊》曰:“天理執平,首鞫魁頭。”
甘氏はいう、天理は四つの星で、北斗の斗魁の開口の中に在る。魁口とはすなわち斗魁の四星が囲合して成るあの缺口である。《楽緯》にいう、天理は貴人を関押する牢獄である。《春秋合誠図》にいう、天理は三公を考察することを主掌する。巫咸はいう、北斗の斗魁の当中の天理は、貴人の罪罰の事を主管し、五行において水官に属する。《孝経援神契》にいう、天理は飭い修めて明かにし、人心の中の実情を糾察する。《甘氏賛》にいう、天理は公平を執掌し、およそ貴人に罪あれば、いずれも先ず斗魁の内で審判を受け罪が定まる。
内厨星占 十三
甘氏曰:“內廚二星,在紫微宮西南角外,大宮之內,飲食廚也。”《甘氏贊》曰:“內廚優宴,房誦說虞。”
甘氏はいう、内厨は二つの星で、紫微宮の西南角の外・大宮の範囲以内に在り、飲食を供応する厨房である。《甘氏賛》にいう、内厨は豊厚の宴饗を備弁し、殿房の中には歌詠談笑あり、賓主を娯悦せしめる。
内階星占 十四
甘氏曰:“內階六星,在文昌北。”《合誠圖》曰:“內階星,主明堂。”(宋均曰:階星,內階也。)《甘氏贊》曰:“內階朱戶,顯寵念慮。”
甘氏はいう、内階は六つの星で、文昌星の北面に在る。内階は宮中に登降する階梯に象を取る。《春秋合誠図》にいう、内階星は明堂の事を主掌する。原書の小注に宋均を引いていう、ここにいう階星とは、すなわち内階である。《甘氏賛》にいう、内階は朱漆の宮門に通向し、恩寵を顕揚し下情を体察し思慮が周至なる所である。
天厨星占 十五
甘氏曰:“天廚六星,在紫微宮東北維外。”《甘氏贊》曰:“天廚咸饌,百宰若疏。”
甘氏はいう、天厨は六つの星で、紫微宮の東北角の外に在り、天帝の膳食の出る所である。《甘氏賛》にいう、天厨は各色の肴饌を備弁し、百官・宰臣の進める蔬食をも一併せて斉える。
策星占 十六
甘氏曰:“第一星,在王良前。”巫咸曰:“策星,天子兵馬,金官。”(案豫章《烈士傳》曰:周勝字叔達,南昌人,為侍御史,桓帝當南郊,平明應出。勝仰觀曰:主御者策星,令宮車出,必策馬。星悉不動,明必不出,至四更,皇子卒,遂止也。)郗萌曰:“策星,主天子之僕御。”《甘氏贊》曰:“策執御右,螣蛇先驅。”
甘氏はいう、策星は第一の星で、王良の前に在る。巫咸はいう、策星は天子の兵馬を主掌し、五行において金官に属する。原書の小注が豫章《烈士伝》を考按していう、周勝は字を叔達といい、南昌の人で、官は侍御史に任じた。漢の桓帝がまさに南郊に至って天を祭らんとし、儀注に按じて天明の時分に出るべきであった。周勝が天象を仰観して後にいう、御駕を主管するは策星で、宮車がもし出るとなれば、必ず馬に策して路を急がねばならぬ。今策星が全然動かざれば、天明の時に車駕は必ず出られぬと知る。四更の時分に至って、皇子が去世し、郊祀はここに停办した。郗萌はいう、策星は天子の車夫・御者を主掌する。《甘氏賛》にいう、策星は右に在って鞭を執りて車を駕し、螣蛇星の由る前に道を開かせる。
伝舎星占 十七
甘氏曰:“傳舍九星,在華蓋上,近河傍,舍賓客之館舍也。”巫咸曰:“傳舍,水官也。”焦延壽曰:“傳舍星入紫微宮垣間,胡人來入漢宮害上,若胡兵大起。”《甘氏贊》曰:“傳舍止客。”
甘氏はいう、伝舎は九つの星で、華蓋の上に在り、天河の辺に靠近し、往来の賓客を安置する館舎で、人間の沿途に設置する駅に譬える。巫咸はいう、伝舎は五行において水官に属する。焦延寿はいう、伝舎星が紫微宮の藩垣の間に侵入すれば、胡人が漢家の宮廷に闖入して君上を加害するを主り、あるいは胡人が大挙して兵を興す。《甘氏賛》にいう、伝舎は賓客を留住する処所である。
造父星占 十八
甘氏曰:“造父五星,在傳舍南河中。”郗萌曰:“造父,一名西橋,一名司馬星,御道僕。”《黃帝占》曰:“造父星移處,兵起,車騎滿野,馬御。又曰:造父亡,馬大貴。”《甘氏贊》曰:“造父洗馬,轡勒御鑣。”
甘氏はいう、造父は五つの星で、伝舎の南面の天河の中に在る。郗萌はいう、造父はまた「西橋」とも名づき、また「司馬星」とも名づき、御道を執掌する僕夫である。《黄帝占》にいう、造父星が本位を移離すれば、兵事の興起を主り、車騎は原野に布満し、馬匹は駕御の用に徴される。またいう、造父星が隠没して見えなければ、馬の価は大いに貴し。《甘氏賛》にいう、造父は天帝のために馬匹を洗刷し、轡勒を執り、馬鑣を控える。
車府星占 十九
甘氏曰:“車府七星,在天津東、近河傍。”(車府,主車官也。)《甘氏贊》曰:“車府撰御。”
甘氏はいう、車府は七つの星で、天津の東面に在り、天河の辺に靠近する。原書の小注にいう、車府は車輿を主管する官署である。《甘氏賛》にいう、車府は車馬を備弁し、天帝の駕御に供する。
人星占 二十
甘氏曰:“人星五星,在車府東南。”(一曰臥星,主治萬民。)《元命苞》曰:“臥星主夜行,一度齊記以防淫。”巫咸曰:“人星,土官也。”焦延壽曰:“人星不具,王者有子,不成而死,星盡不見;有人傳相驚以詔事,若有詐偽詔者,又曰:婦人大亂,後大兵起。”又曰:“臥星立,則天子明,死民。”《甘氏贊》曰:“人星優遊,乃爾寧諸。”
甘氏はいう、人星は五つの星で、車府の東南に在る。原書の小注にいう、それはまた卧星とも呼ばれ、万民を治理することを主掌する。《春秋元命苞》にいう、卧星は夜間の行走の事を主管し、同一の法度に按じて斉整に記録し、以て淫乱を防止する。巫咸はいう、人星は五行において土官に属する。焦延寿はいう、人星の星数が全からなければ、君王に子が長じ大きくならずして夭亡するを主る。これらの星が全部隠没して見えなければ、人ありて詔令を輾転に伝布して彼此を驚擾し、あるいは偽造の詔書が現われるを主る。またいう、婦人の大乱を主り、随いて大兵が興起する。またいう、卧星が直立すれば、天子はすなわち聖明で、しかも百姓に死亡あり。《甘氏賛》にいう、人星は安閒自得で、衆人はここに安寧を得る。
内杵星占 二十一
甘氏曰:“內杵三星,在人星傍。”
甘氏はいう、内杵は全部で三つの星で、位は人星のそばに在り、宮内の舂米に用いる木杵を象徴し、近そばの臼星と配して用を成す。
臼星占 二十二
甘氏曰:“臼四星,近人星東南。”《論語讖》曰:“杵臼七星,主給庖。”郗萌曰:“杵臼,主軍糧食。”《黃帝占》曰:“天杵臼星不具,民賣其釜甑,去其處。”郗萌曰:“天臼之星眾,則歲樂;星疏,則歲飢。”又曰:“杵臼離,黎民飢。”陳卓曰:“杵臼星不具,民失杵臼。”《甘氏贊》曰:“杵臼充舂,主給養廚。”
甘氏はいう、臼は四つの星で、人星の東南に靠近す。それは上一条の内杵と相配し、合わせて一套の舂米の器具を成す。《論語讖》にいう、杵と臼は合共で七つの星で、庖厨に供給するを主る。郗萌はいう、杵臼は軍中の糧食を主掌する。《黄帝占》にいう、天上の杵臼の星数が全からなければ、百姓はまさに鍋釜・甑甗を売変し、原住の処を離れる。郗萌はいう、天臼の星が衆多であれば、その年は歓楽豊足し、星光が稀疏であれば、その年はまさに饑饉が閙ぐ。またいう、杵と臼が相離れれば、百姓はまさに飢える。陳卓はいう、杵臼の星数が全からなければ、百姓はまさに舂米の杵臼を失う。《甘氏賛》にいう、杵臼は舂米の器に充当し、厨中の食糧を供給するを主る。
扶筐星占 二十三
甘氏曰:“扶筐七星,在天津北。”《元命苞》曰:“扶筐主藏,蓋量入知息耗。”郗萌曰:“扶筐主將作事。”焦延壽曰:“扶筐近織女,若不正,皆為天下府藏空開。”《甘氏贊》曰:“扶筐採葉,翊養玄羞。”
甘氏はいう、扶筐は七つの星で、天津の北面に在る。《春秋元命苞》にいう、扶筐は府庫・儲蔵を主掌し、おおよそ収入を量度して増益と耗損を察知する。郗萌はいう、扶筐は興造・工役の事を主管する。焦延寿はいう、扶筐は織女星に靠近し、もし排列が端正でなければ、いずれも天下の府庫が空虚にして敞開するを主る。《甘氏賛》にいう、扶筐は筐を持ちて桑葉を采摘し、供養を輔助し、精美の祭品を進献する。
司命星占 二十四
甘氏曰:“司命二星,在虛北。”《詩緯》曰:“司命執刑,行罰。”《元命苞》曰:“司命舉過,滅除不詳。”甘氏曰:“司命繼嗣,移正朔。”郗萌曰:“司命,主百鬼。”又曰:“司命與輿鬼司候。”
甘氏はいう、司命は二つの星で、虚宿の北面に在る。司命はもともと人間の寿数を主掌する神で、天上はその名を取って以て星を名づく。《詩緯》にいう、司命は刑法を執掌し、懲罰を施行する。《春秋元命苞》にいう、司命は人の過失を検挙し、不祥の事を消滅除去する。甘氏はいう、司命は後嗣を接続し正朔・暦法を変更することを主掌する。郗萌はいう、司命は衆鬼の事を主管する。またいう、司命は輿鬼星とともに人間の善悪を司察伺候する。
司禄星占 二十五
甘氏曰:“司祿二星,在司命北。”又曰:“司祿,增年延德。”
甘氏はいう、司禄は二つの星で、位は司命の北面に在る。甘氏にまたいう、司禄は爵位・俸禄を主掌し、人のために年寿を增添し徳澤・福慶を延續できる。
司危星占 二十六
甘氏曰:“司危二星,在司祿北。”又曰:“危,驕逸亡下。”
甘氏はいう、司危は二つの星で、司禄の北面に在る。甘氏にまたいう、司危は危亡の征兆を主掌し、人がもし驕横放縦であれば、すなわち下民の擁戴を失って敗亡を招致する。
司非星占 二十七
甘氏曰:“司非二星,在司危北。”又曰:“司非,以祛多私。”《甘氏贊》曰:“四司續功,桑麻襄陸。”
甘氏はいう、司非は二つの星で、司危の北面に在る。甘氏にまたいう、司非は是非を糾挙するを主り、以て種種の偏私を祛除する。《甘氏賛》にいう、司命・司禄・司危・司非のこの四司は相継いで功を建て、桑麻をして高原・平陸に遍布せしめる。
敗瓜星占 二十八
甘氏曰:“敗瓜五星,在匏瓜傍。”《甘氏贊》曰:“敗瓜熟爛,遺種畜葅。”
甘氏はいう、敗瓜は五つの星で、匏瓜星のそばに在る。《甘氏賛》にいう、敗瓜は熟して爛れ落ちた瓜で、瓜の種を留め、また腌して菹菜を作り貯存して備用とする。
河鼓左旗星占 二十九
甘氏曰:“河鼓左旗九星,在河鼓傍。”《甘氏贊》曰:“左旗幽谷,阻險隱逃。”
甘氏はいう、河鼓の左旗は九つの星で、河鼓星のそばに在る。《甘氏賛》にいう、左旗は幽深の山谷に譬え、地勢は阻絶険要で、隠蔽藏匿に便なり。
天鶏星占 三十
甘氏曰:“天雞二星,在狗國北。”《合誠圖》曰:“天雞主候時。”《荊州占》曰:“天雞非其故,多大水,不通。”《甘氏贊》曰:“雞鳴司旦,審夜察時。”(一本雲省時)
甘氏はいう、天鶏は二つの星で、狗国星の北面に在る。《春秋合誠図》にいう、天鶏は時辰を観候することを主掌する。《荊州占》にいう、天鶏がその常態を失えば、大水が多発するを主り、道路はこれに因って通ぜず。《甘氏賛》にいう、鶏が鳴いて暁を報じ、夜色の深浅を審辨し時刻の早晚を稽察する。原書小注:一種の本は「省時」と作る。
羅堰星占 三十一
甘氏曰:“羅堰三星,在牽牛東。”郗萌曰:“羅堰,主起居。”《甘氏贊》曰:“羅堰紫壅,激內注渠。”
甘氏はいう、羅堰は三つの星で、牽牛の東面に在る。「堰」とは水を攔る土壩で、羅堰は水を蓄えて田を灌ぐの義を取る。郗萌はいう、羅堰は起居の事を主掌する。《甘氏賛》にいう、羅堰は水流を壅遏して塘を蓄成し、さらに激引して溝渠に灌注する。
市楼星占 三十二
甘氏曰:“市樓六星,在市中,臨箕上。”又曰:“樓星,臨市計,食嗇夫。”《合誠圖》曰:“天樓主市賈。”郗萌曰:“市樓,天子市府也。”《授神契》曰:“市樓星動,即賈殊。”甘氏曰:“市樓星不見,政亂。”焦延壽曰:“市樓星不見,兵作於市;若胡人來入漢市,以兵相害。”郗萌曰:“市樓星,陽為金錢;陰為珠玉;星有不備者,天子幣大亂。”又曰:“市樓星,天珠玉,金錢府也;欲其忽然不明,明則賦斂眾。”石氏曰:“市樓亡,天下易政。”《甘氏贊》曰:“律度制令,遍市樓。”
甘氏はいう、市楼は六つの星で、天市垣の中に在り、正しく箕宿の上に当たる。甘氏にまたいう、楼星は市中の計簿を臨視し、市里の食嗇夫を管轄する。《春秋合誠図》にいう、天楼は市場の売買を主掌する。郗萌はいう、市楼は天子の市易の官府である。《孝経授神契》にいう、市楼星が揺動すれば、商賈の価格はすなわち大いに尋常ならざる。甘氏はいう、市楼星が見えなければ、政事の紊乱を主る。焦延寿はいう、市楼星が見えなければ、兵事が市井の中に発生するを主り、あるいは胡人が漢家の市場に闖入し、兵刃を以て相害する。郗萌はいう、市楼星の陽位は金銭を主り、陰位は珠玉を主る。これらの星に斉備せざるがあれば、天子の貨幣が大いに乱れるを主る。またいう、市楼星は上天が珠玉・金銭を存放する府庫である。それは忽然に暗きに変ずるを宜しとし、一旦明亮すれば、すなわち賦税・徴斂が繁重なるを主る。石氏はいう、市楼星が隠没して見えなければ、天下が政令を更改するを主る。《甘氏賛》にいう、度量の律准と制令は、いずれも市楼の由りて遍く統摂され、市中の交易は一体遵行する。
斛星占 三十三
甘氏曰:“斛四星,在市中,斗南。”《論語讖》曰:“天斛星,主量則。”《甘氏贊》曰:“斗斛稱量,尺寸分銖。”
甘氏はいう、斛は四つの星で、天市垣の中・斗星の南面に在る。《論語讖》にいう、天上の斛星は量器の法則を主掌する。《甘氏賛》にいう、斗と斛は以て多寡を称量し、尺寸・分銖の標準もまたこれに由って定出す。
日星占 三十四
甘氏曰:“日一星,在房中道前。”《甘氏贊》曰:“日詔德令,耀生飛鳥也。”
甘氏はいう、日はただ一つの星で、房宿の中道の前に在る。《甘氏賛》にいう、日星は徳教と政令を宣示し、その光耀の及ぶ所は、飛鳥の類の禽属を化生する。
天乳星占 三十五
甘氏曰:“天乳一星,在氐北。”《甘氏贊》曰:“天乳甘露,醴酪充飴。”
甘氏はいう、天乳はただ一つの星で、氐宿の北面に在る。《甘氏賛》にいう、天乳は甘露を降下し、甜酒と乳酪は充盈し、滋味は甘美にして飴糖のごとし。
亢池星占 三十六
甘氏曰:“亢池六星,在亢池北。亢,舟船也;池,水也;亢池,猶度水也。”《黃帝占》曰:“亢池、一名代津;一名亢星。亢星,巨星之兩端也。亢池敗,天下不通。”焦延壽曰:“亢池不居亢度中;則廟有大怪,以主司日見則主命終。”郗萌曰:“亢池,主水道,其星微細則凶,其壞敗宗廟。”《甘氏贊》曰:“亢池不居移徙之家。”
甘氏はいう、亢池は六つの星で、亢池の北面に在る。「亢」は舟船を指し、「池」は水を指し、亢池は水を渡って行くに譬える。《黄帝占》にいう、亢池はまた「代津」とも名づき、また「亢星」とも名づく。亢星は巨星の両端に処る。亢池が敗壊すれば、天下の道路が通ぜざるを主る。焦延寿はいう、亢池が亢宿の度数の中に居らざれば、宗廟に大きな怪異の現わるるを主る。それが主司する日辰に按じて推占し、一旦顕現すればすなわち性命の告終するを主る。郗萌はいう、亢池は水上の道路を主掌し、この星が細微であれば凶で、宗廟を敗壊するであろう。《甘氏賛》にいう、亢池が本位に安居せざれば、主人家はまさに遷徙搬移する。此の条の前文は亢池は「亢池北」に在るといい、底本の文字は訛脱あるに似たり。
漸台星占 三十七
甘氏曰:“漸臺四星,屬織女東足。”(四方高曰臺,下有水曰漸,主晷律呂之事。)《甘氏贊》曰:“漸臺守漏晷吹滅。”
甘氏はいう、漸台は四つの星で、織女星の東足に附属する。原書の小注にいう、四面が高く起つを「台」と呼び、下に水あるを「漸」と呼ぶ。それは日晷と律呂の事を主掌する。《甘氏賛》にいう、漸台は漏壺と晷影を看守し、灯燭の吹滅に至るまでなおその職守を廃さず。
輦道星占 三十八
甘氏曰:“輦道五星,屬織女西足。”《甘氏贊》曰:“輦道逍遙,優遊私行。”
甘氏はいう、輦道は五つの星で、織女星の西足に附属し、天帝が輦に乗って往来する道路である。《甘氏賛》にいう、輦道は天帝に輦に乗りて逍遥し、閒適従容にして私に出行することを供す。
三公星占 三十九
甘氏曰:“三公三星、在北斗柄南。”(三公若今之太尉、司徒、司空也。)石氏曰:“三公星,天子輔臣也,其星欲大明,黃潤澤,有德令;其星赤,皆有兵;蒼白黑,有急喪。”《黃帝占》曰:“三公一星去,天下危;二星去,天下亂;三星去,天下不治。”《甘氏贊》曰:“三公宣德,奉均匡衡。”
甘氏はいう、三公は三つの星で、北斗の斗柄の南面に在る。原書の小注にいう、三公は今の太尉・司徒・司空に譬える。石氏はいう、三公星は天子の輔弼の臣で、これらの星は明亮碩大・色が黄く潤沢なるを以て宜しとし、そうであればすなわち徳政・善令がある。これらの星が紅に発せば、いずれも兵事あるを主る。青蒼・白・黒の色を呈すれば、倉促の喪事あるを主る。《黄帝占》にいう、三公が一つの星を欠けば、天下はすなわち危殆で、二つの星を欠けば、天下はすなわち動乱し、三つの星を欠けば、天下はすなわち治すべき法なし。《甘氏賛》にいう、三公は徳教を宣布し、公允を秉持し権衡を匡正す。
周鼎星占 四十
甘氏曰:“周鼎三星,在攝提西。”《春秋緯》曰:“天鼎,主流亡。”(宋均曰:天鼎,周鼎也。)《甘氏贊》曰:“周鼎酒尊,二簋缶壺。”
甘氏はいう、周鼎は三つの星で、摂提星の西面に在る。《春秋緯》にいう、天鼎は流離・逃亡の事を主掌する。原書の小注に宋均を引いていう、ここにいう天鼎とは、すなわち周鼎である。《甘氏賛》にいう、周鼎は酒を盛る尊器と并列し、さらに二隻の簋および缶・壺の類の礼器を配す。
帝席星占 四十一
甘氏曰:“帝席三星,在大角北。”石氏曰:“帝席不欲明,明則大臣外其心,期三年。”《甘氏贊》曰:“帝席設座,宴旅酢酬。”
甘氏はいう、帝席は三つの星で、大角星の北面に在り、天帝が席を設けて宴飲する処所である。石氏はいう、帝席は明亮するを宜しとせず、一旦明亮すれば、すなわち大臣が心に外向を存し別に図る所あるを主り、応期は三年。《甘氏賛》にいう、帝席は座位を鋪設し、賓旅を宴請し主客が交相に献酬するを供す。
天田星占 四十二
甘氏曰:“天田二星,在右角北。”《甘氏贊》曰:“天田外界,縣邑正邪。”
甘氏はいう、天田は二つの星で、右角星の北面に在る。《甘氏賛》にいう、天田は畿外の田界を標示し、これに拠って県邑の田土の正と不正を核正す。
天門星占 四十三
甘氏曰:“天門二星,在左角南。”《甘氏贊》曰:“天門待客,應對無疑。”
甘氏はいう、天門は二つの星で、左角星の南面に在り、上天の門戸のあるところである。《甘氏賛》にいう、天門は来賓を迎候し、応対答問は従容不迫で、毫も遅疑なし。
平道星占 四十四
甘氏曰:“平道二星,在左右角間。”(平道,主治道之官也。)《甘氏贊》曰:“平道,除道塗轍宣輸。”
甘氏はいう、平道は二つの星で、左角と右角の間に在る。原書の小注にいう、平道は道路を修治することを主管する官署である。《甘氏賛》にいう、平道は道路の清除・車轍の平整を負責し、転運・輸送を暢通せしめる。
進賢星占 四十五
甘氏曰:“進賢一星,在平道西。”甘氏曰:“進賢,卿相舉逸命才。”《甘氏贊》曰:“進賢,鄉里庠序選。”
甘氏はいう、進賢はただ一つの星で、平道の西面に在る。甘氏にまたいう、進賢は卿相が隠逸の士を挙薦し才幹ある人を任命するを主管する。《甘氏賛》にいう、進賢は郷里・学校の中の人才の選抜と挙薦を主持する。
謁者星占 四十六
甘氏曰:“謁者一星,在左執法北,主贊謁之官也。”
甘氏はいう、謁者はただ一つの星で、左執法星の北面に在り、賓客を接引し拝謁を通伝するを主掌する官職である。およそ朝見奏事は、いずれも彼の由りて前に導引伝達す。
三公内座星占 四十七
甘氏曰:“三公內座三星,在謁者東北,朝會宴私之所也。”
甘氏はいう、三公内座は三つの星で、位は謁者の東北に在り、三公が上朝集会し、および退きて私に相い宴飲休憩する処所である。
九卿内座星占 四十八
甘氏曰:“九卿內座三星,在三公北。”《甘氏贊》曰:“三公九卿,贊謁者、諸侯。”
甘氏はいう、九卿内座は三つの星で、三公星の北面に在り、九卿が内朝の座次である。《甘氏賛》にいう、三公と九卿は列を同じくして朝堂に在り、謁者の由りて賛引され、諸侯とともに朝会して礼を行う。
内五諸侯星 四十九
甘氏曰:“內五諸侯五星,在九卿西。”又曰:“五諸侯衛國,故列在帝庭。”《河圖》曰:“五諸侯,主刺奸。”《禮緯》曰:“辟雍之禮得穆穆皇皇和服,則太微諸侯明也。”
甘氏はいう、内五諸侯は五つの星で、九卿の西面に在る。甘氏にまたいう、五諸侯は王室・邦国を衛護す。ゆえに天帝の宮庭の中に陳列する。《河図》にいう、五諸侯は奸邪を糾察することを主掌する。《礼緯》にいう、辟雍の中の礼儀が粛穆堂皇にして上下が和順に弁じられれば、太微垣の中の諸侯星はすなわち明亮する。辟雍は天子の設立する太学である。
太子星占 五十
甘氏曰:“太子一星,在帝座北。”
甘氏はいう、太子はただ一つの星で、位は帝座星の北面に在り、儲君が天上の象徴である。
従官星占 五十一
甘氏賢:“從官一星,在太子西北,從官,侍衛之臣也。”《甘氏贊》曰:“從官常陳,五署列居。”
甘氏はいう、従官はただ一つの星で、太子の西北に在る。いわゆる従官とは、すなわち随侍衛護の臣属である。《甘氏賛》にいう、従官は常に側に陳列し、五署の衛士は次を序して位を列して居守る。
幸臣占 五十二
甘氏曰:“倖臣一星,在帝座東北。”《甘氏贊》曰:“太子倖臣,侍座後聚。”
甘氏はいう、幸臣はただ一つの星で、帝座星の東北に在り、君主の寵幸を受ける近臣を象徴する。《甘氏賛》にいう、太子と幸臣は、いずれも天帝の座位の後に侍立して陪従を聚集す。
明堂星占 五十三
甘氏曰:“明堂三星,在太微西南角外。”《甘氏贊》曰:“明堂顯化,常盡孝慈。”
甘氏はいう、明堂は三つの星で、太微垣の西南角の外に在る。明堂は天子が政を布き、祭祀し、諸侯を朝会する正殿で、天上はその名を取って以て星を名づく。《甘氏賛》にいう、明堂は教化を彰顕し、時時に孝順慈愛の道を尽くす。
霊台星占 五十四
甘氏曰:“靈臺三星,在明堂西,觀候之所也。”《甘氏贊》曰:“靈臺考符,居南密微。”
甘氏はいう、霊台は三つの星で、明堂の西面に在り、天象を観測し気候を伺察する処所である。《甘氏賛》にいう、霊台は上天の降す符応を考察し、位は南方に居して精微・隠密の事を察知す。
勢星占 五十五
甘氏曰:“勢四星,在太陽守北。”《甘氏贊》曰:“勢不專事,相命御之。”(勢者,官也,謂刑餘之人才,不可專事,助宣王命而已。)
甘氏はいう、勢は四つの星で、太陽守星の北面に在る。《甘氏賛》にいう、勢は政事を専断すべからず、丞相と詔命の由りてこれを駕駁す。原書の小注にいう、いわゆる「勢」とは、一種の官職で、宮刑を受けた人を指す。この類の人はこれに政事を専断せしめてはならず、ただ王命を協助宣達するに止まる。
内平星占 五十六
甘氏曰:“內平四星,在中臺南。”《甘氏贊》曰:“內平近決,讞請禮書。”(內平近執法之官,有疑則準案禮律。)
甘氏はいう、内平は四つの星で、中台星の南面に在る。《甘氏賛》にいう、内平は近く就きて案件を裁決し、疑獄に遇えばすなわち礼制・律文を援引して定讞を奏請す。原書の小注にいう、内平は執法の官に貼近し、疑難に遇えば礼律に依って比照して案を断ず。
爟星占 五十七
甘氏曰:“爟四星,在軒轅尾南、柳北。”巫咸曰:“爟,土官也。”《甘氏贊》曰:“爟舉烽表,遠期沉浮。”(爟,烽火,驚急以火相告,日行萬里。)
甘氏はいう、爟は四つの星で、軒轅の尾の南面・柳宿の北面に在る。巫咸はいう、爟は五行において土官に属する。《甘氏賛》にいう、爟星は烽火を挙げて標識と為し、遠方の消息はその起落を借りて伝逓す。原書の小注にいう、爟とはすなわち烽火で、驚急の事に遇えば火光を以て互相に通報し、一日に万里を伝うべし。
酒旗星占 五十八
甘氏曰:“酒旗三星,在軒轅右角。”(酒,酒官也。旗,旗官也。)《元命苞》曰:“酒旗,主上尊大帝,運樞陰陽,滿陳列宿,成德五星,布恩神明,和合四節,並宣曆紀,齊得諸靈合歡,故設酒旗以人侑神。”焦延壽曰:“酒旗不具,天下有燕,大喪,以酒亡。”《甘氏贊》曰:“酒旗燕會,情意歡娛。”
甘氏はいう、酒旗は三つの星で、軒轅の右角に在る。原書の小注にいう、「酒」は酒を掌る官を指し、「旗」は旗を掌る官を指す。《春秋元命苞》にいう、酒旗は天帝に上等の尊酒を進奉することを主掌する。天帝は枢機を運転し陰陽を調理し、列宿を布満し排定し、五星の徳を成就し、神明に恩澤を散布し、四時の節気を調和し、一併せて暦法・紀年を頒行し、衆神をして一斉に歓洽せしむ。ゆえに酒旗を設置し、人をして酒食を以て神霊に勧饗せしむ。焦延寿はいう、酒旗の星数が全からなければ、天下に宴飲の事あるを主り、あるいは大喪あり、酒に因って敗亡を致す。《甘氏賛》にいう、酒旗は宴飲・聚会を主り、情意は歓暢愉悦す。
天尊星占 五十九
甘氏曰:“天尊三星,在東井北。”《甘氏贊》曰:“天尊愍民,憐育幼弧。”(天尊,主盛餤粥,以給貧病也。)
甘氏はいう、天尊は三つの星で、東井宿の北面に在る。《甘氏賛》にいう、天尊は百姓を怜憫し、年幼・孤苦の人を撫育す。原書の小注にいう、天尊は餤餅・粥食を盛放することを主掌し、以て貧窮にして病ある人を周済す。
諸王星占 六十
甘氏曰:“諸王六星,在五車南。”《元命苞》曰:“諸王星,主存亡。”郗萌曰:“諸王,主朝會。”《元命苞》曰:“王星明,則下附從。(宋均曰:不明,下倍畔也。)《甘氏贊》曰:“王星督察,諸侯存亡。”
甘氏はいう、諸王は六つの星で、五車星の南面に在り、分封された諸王の星象である。《春秋元命苞》にいう、諸王星は存亡の事を主掌する。郗萌はいう、諸王は朝会を主掌する。《春秋元命苞》にまたいう、王星が明亮すれば、下面の人はすなわち帰附順従す。原書の小注に宋均を引いていう、王星が明亮でなければ、下面の人はまさに背離叛乱す。《甘氏賛》にいう、王星は諸侯を督察し、彼らの存續と覆滅を主管す。
司怪星占 六十一
甘氏曰:“司怪四星,在鉞前。”(司怪,主占候災祥者也。)《洛書》曰:“司怪集得失。”又曰:“司怪,主人揆靈出微。”焦延壽曰:“司怪星不行宮中,有大怪,若天下多怪物。”《甘氏贊》曰:“司怪誥咎,國無災殃。”
甘氏はいう、司怪は四つの星で、鉞星の前に在る。鉞星は井宿の側に在る。原書の小注にいう、司怪は災禍と祥瑞を占験することを主掌する。《洛書》にいう、司怪は人事の得失を匯集す。またいう、司怪は人に替わって神霊の意を揆度し、隠微の征兆を揭示す。焦延寿はいう、司怪星が宮中に運行せざれば、重大の怪異あるを主り、あるいは天下に怪物多く出る。《甘氏賛》にいう、司怪は災咎を予告し、国家をして災殃を免れしむ。
座旗星占 六十二
甘氏曰:“座旗九星,在司怪東北。”《甘氏贊》曰:“座旗,旗表別異,殊居以旗。”(表,則君世之安立也。)
甘氏はいう、座旗は九つの星で、司怪の東北に在る。《甘氏賛》にいう、座旗は旌旗を以て標識と為して等差を区別し、異なる位次は各々異なる旗号を用う。原書の小注にいう、いわゆる「表」とは、すなわち君主の世系が安然に確立するを得る凭拠である。
天高星占 六十三
甘氏曰:“天高四星,在參旗西,近畢。”《合誠圖》曰:“天高,主齊戒之門。”焦延壽曰:“天高星,近井鉞,大臣斬,不乃高為下,下為高。”《甘氏贊》曰:“天高闕遠,九層望樓。”
甘氏はいう、天高は四つの星で、参旗の西面に在り、畢宿に靠近す。《春秋合誠図》にいう、天高は斎戒の門を主掌し、君主が祭祀を行うに先だちここで斎戒す。焦延寿はいう、天高星が井宿の鉞星に靠近すれば、大臣の斬殺されるを主り、然らざればすなわち高位に在る者は下位に降り、下位に在る者は高位に升る。《甘氏賛》にいう、天高は高遠の宮闕に譬え、九層の高さの望楼である。
礪星占 六十四
甘氏曰:“礪石四星,在五車西。”《甘氏贊》曰:“礪石砥刃,百工卒治。”
甘氏はいう、礪石は四つの星で、五車星の西面に在る。《甘氏賛》にいう、礪石は用いて刀刃を磨砺し、各行の工匠はそれに靠って活計を仕上げて善く成す。
八穀星占 六十五
甘氏曰:“谷擊八星,在五車北。”(八穀:謂稻、黍、稷、大麥、小麥、大豆、小豆、麻子也。)巫咸曰:“八穀星,主土官也。”郗萌曰:“八穀,主候歲。”石氏曰:“八穀,一星不具,則一谷不成;三星已上不具,以食為害。”《甘氏贊》曰:“八穀平衡,聚集王都。”(謂穀粟皆歸集於王都也。)
甘氏はいう、穀撃は八つの星で、五車星の北面に在り、この星官は通称を八穀という。原書の小注にいう、いわゆる八穀とは、稻・黍・稷・大麦・小麦・大豆・小豆・麻子のこの八種の穀物を指す。巫咸はいう、八穀星は土官の事を主掌する。郗萌はいう、八穀は一年の収成を観候するを主る。石氏はいう、八穀の中に一つの星を欠けば、すなわち一種の穀物が熟せず、三つの星以上を欠けば、まさに糧食の短缺に因って災害を醸成する。《甘氏賛》にいう、八穀は持平して衡のごとく、穀物は王都に汇聚す。原書の小注にいう、これは穀粟がいずれも王都に帰聚するを講う。
天讒星占 六十六
甘氏曰:“天讒一星,在捲舌中。”石氏曰:“天讒星明大,則讒佞害,民善,天下二心,諸侯專權誣欺。”《甘氏贊》曰:“捲舌唾水,讒主天醫。”
甘氏はいう、天讒はただ一つの星で、巻舌星の中に在る。石氏はいう、天讒星が明亮碩大であれば、すなわち讒佞の徒が為害し、良善の百姓は損を受け、天下に人は二志を懐き、諸侯は権柄を専擅し誣罔し欺瞞するを主る。《甘氏賛》にいう、巻舌は唾を吐きて水のごとく、讒毀の害は天医に由りて医治すべし。
積水星占 六十七
甘氏曰:“積水一星,在天船中。”石氏曰:“積水星明,則水大出,船行人道,必有淪邑者;星動搖,而行上舟,船摩天。”《甘氏贊》曰:“天船布罔,積水候災。”
甘氏はいう、積水はただ一つの星で、天船星の中に在る。石氏はいう、積水星が明亮すれば、すなわち大水の涌出を主り、船隻は本来人の行くべき道路上を行駛し、必ず城邑の淹没されるあり。この星が揺動すれば、水勢は上漲して舟船を托起し、船身はほとんど天を摩擦せんとす。《甘氏賛》にいう、天船は羅網を張開し、積水星は水災を観候す。
積尸星占 六十八
甘氏曰:“積尸一星,在大陵中。”石氏曰:“大陵中有朽骨,故大陵中有積尸。若其星明大者,有大喪,死人如丘山。”《甘氏贊》曰:“大陵表墓;積尸隨居。”
甘氏はいう、積尸はただ一つの星で、大陵星の中に在る。「積尸」とはすなわち堆積する尸骨である。石氏はいう、大陵の中に朽壊した骸骨を埋む。ゆえに大陵の当中にこそ積尸のこの星ある。この星がもし明亮碩大であれば、すなわち大喪あるを主り、死者は丘山のごとく堆積す。《甘氏賛》にいう、大陵は墳墓を標示し、積尸はすなわち随ってその中に居る。
左更星占 六十九
甘氏曰:“左更五星,在婁東。”(左更,山虞之官,主川澤、林藪、竹林、菜蔬之屬也。)郗萌曰:“左更,主仁之道。”《黃帝》曰:“左更星不具,天下道不通。”焦延壽曰:“左更星不動搖,王者以出,必道亡;其動者,以出吉。”《甘氏贊》曰:“左更采薪,菟圓採茹。”
甘氏はいう、左更是五つの星で、婁宿の東面に在る。左更と右更は婁宿の東西に分列し、一対の相配する星官である。原書の小注にいう、左更は山虞の類の官で、川沢・林藪・竹林・菜蔬の類の物産を主管する。郗萌はいう、左更は仁愛の道を主掌する。《黄帝占》にいう、左更の星数が全からなければ、天下の道路は通暢せず。焦延寿はいう、左更星が揺動せざる時、君王がもしこの時に出行すれば、路上に必ず喪失する所あり。この星が揺動する時に出行すれば、すなわち吉利である。《甘氏賛》にいう、左更は薪柴の采伐を負責し、また兎園の中に蔬茹を采摘して以て膳羞に供す。
右更星占 七十
甘氏曰:“右更五星,在婁西。”(右更,主牧養牛馬之官也。)郗萌曰:“右更,主禮義。”《黃帝占》曰:“右更星不具,天下道不通。”焦延壽曰:“左更不動,右更獨動,王者私出;左右具動,王者千萬官出。”《甘氏贊》曰:“右更僕畜孕重犢駒也。”
甘氏はいう、右更是五つの星で、婁宿の西面に在り、婁宿の東面の左更と相対して列す。原書の小注にいう、右更は牛馬を牧養することを主管する官である。郗萌はいう、右更は礼義の道を主掌する。《黄帝占》にいう、右更の星数が全からなければ、天下の道路は通暢せず。焦延寿はいう、左更が動かずして右更が独り揺動すれば、君王が私に微行して宮を出るを主る。左更・右更が一斉に揺動すれば、君王が千百の官員を率いて出行するを主る。《甘氏賛》にいう、右更は僕役と畜牧を掌管し、母畜をして懐孕し牛犢・馬駒を多産せしむ。
軍南門星占 七十一
甘氏曰:“軍南門一星,在天將軍西南,大將軍之南門也。”《甘氏贊》曰:“軍門營壘,禁攻御暴。”
甘氏はいう、軍南門はただ一つの星で、位は天将軍星の西南に在り、大将軍の営塁の南に向かって開く正門である。《甘氏賛》にいう、軍門は営塁と相連なり、以て敵の進攻を禁絶し外来の暴乱を抵御す。
天潢星占 七十二
甘氏曰:“天潢五星,在五車中。”《合誠圖》曰:“天潢主河梁,所以渡神人,通四方。”《禮緯》曰:“潢星明,天子壽昌,萬民無疾疫災殃。”《甘氏贊》曰:“天潢濟渡,漸池濯高。”
甘氏はいう、天潢は五つの星で、五車星の中に在る。「潢」はもともと水を積む池塘を指す。《春秋合誠図》にいう、天潢は河上の橋梁を主掌し、以て神人を渡送し四方に通達す。《礼緯》にいう、潢星が明亮すれば、天子の長寿昌隆を主り、万民に疫病・災殃なし。《甘氏賛》にいう、天潢は人を渡して河を過ぐるを主管し、漸台の池水は高き処の洗濯に供すべし。
咸池星占 七十三
甘氏曰:“咸池三星,在天潢西北。”《黃帝》曰:“咸池,一名黃龍;一名五潢。”(注云:《天官書》曰:咸池星曰天五潢。一名天津;一名潢池;一名天井;一名天淵;豐際太陰,陰者,蒼龍之舍也,五帝之車也。)《樂葉圖》曰:“咸池,五車天關也。”(宋均曰:五車,咸池別名也。)《春秋緯》曰:“咸池天潢,五帝車舍。”《淮南子》曰:“咸池者,水魚之囿也。”郗萌曰:“咸池者,天子名池也。”《合誠圖》曰:“咸池,主五穀。”焦延壽曰:“咸池星明大,則有龍墮死者,不乃虎狼為人害,若大兵起。”郗萌曰:“咸池者,五車中星也,非其故,國旱。”郗萌曰:“咸池不足,津河道不通。”又曰:“五潢,欲其黃澤明也。”《甘氏贊》曰:“咸池陂澤,鵾雞雁鳥。”
甘氏はいう、咸池は三つの星で、天潢の西北に在る。咸池はもともと古人の伝説する太陽の沐浴する水池で、天上はその名を取って以て星を名づく。《黄帝占》にいう、咸池はまた「黄龍」とも名づき、また「五潢」とも名づく。原書の小注にいう、《史記・天官書》は咸池星を天五潢と呼ぶと講う。それはまた天津とも名づき、また潢池とも名づき、また天井とも名づき、また天淵とも名づく。それは太陰の気の最も盛んなる辺際に処り、しかも陰はすなわち蒼龍の栖止する居舎で、また五方の天帝の車駕のあるところである。《楽葉図》にいう、咸池は五車の天関である。原書の小注に宋均を引いていう、五車とはすなわち咸池の別名である。《春秋緯》にいう、咸池・天潢は五方の天帝が車駕を停放する処所である。《淮南子》にいう、咸池は水族・魚類の栖息する苑囿である。郗萌はいう、咸池は天子の名下の池沼である。《春秋合誠図》にいう、咸池は五穀を主掌する。焦延寿はいう、咸池星が明亮碩大であれば、すなわち龍の地に墜ちて死するあるを主り、然らざればすなわち虎狼が出て人を害し、あるいは大兵の興起あり。郗萌はいう、咸池は五車の当中のあの几颗の星で、それが常態を失えば、その国家はまさに干ばつする。郗萌にまたいう、咸池の星光が足らざれば、渡口と河道は通暢せず。またいう、五潢は色沢が黄潤にして明亮なるを以て宜しとす。《甘氏賛》にいう、咸池は陂塘・沼沢の象で、鵾鶏・大雁の類の水鳥はそこに聚集す。
月星占 七十四
甘氏曰:“月一星,在昴東,主女主,大臣之象也。”《甘氏贊》曰:“月明刑度,光生蟾蜍。”
甘氏はいう、月はただ一つの星で、昴宿の東面に在り、女主の事を主り、また大臣の象徴である。《甘氏賛》にいう、月星は刑罰の法度を彰明し、その光華の中に蟾蜍の形を生出す。
天街星占 七十五
甘氏曰:“天街二星,在昴畢間,近月東。”巫咸曰:“天街,水官也。”《春秋圖》曰:“天街,主伺候。”石氏曰:“天街,陰陽之所分,中國之境界。昴以西,屬外國;畢以東,屬中國也。”石氏曰:“天街者,日月五星,出入之道也。”《甘氏贊》曰:“天街保塞,孔塗道衢。”
甘氏はいう、天街は二つの星で、昴宿と畢宿の間に在り、月星の東辺に靠近す。巫咸はいう、天街は五行において水官に属する。《春秋図》にいう、天街は伺察観候を主掌す。石氏はいう、天街は陰陽の分界のところで、また中原の疆域の界限のあるところである。昴宿より以西は外国に帰属し、畢宿より以東は中国に帰属す。石氏にまたいう、天街は太陽・月亮および歳星・熒惑・填星・太白・辰星のこの五つの行星が出入り往来する通道である。《甘氏賛》にいう、天街は辺塞の関隘を守護し、四通八達の大道の要衝で、華夏と夷狄はこれに由りて途を分かつ。
天阿星占 七十六
甘氏曰:“天阿一星,在昴西,偏高曰阿;亦曜候之處,以察山林之妖也。”《甘氏贊》曰:“天阿察近,岑尉西隅。”
甘氏はいう、天阿はただ一つの星で、昴宿の西面に在る。地勢が偏高のを「阿」と呼ぶ。それもまた星曜を観測し征兆を伺候する処所で、以て山林の中の妖異を察看す。《甘氏賛》にいう、天阿は近く就きて察看し、西辺の角落の高岑の上に守望する尉官のごとし。
開元占経 巻七十
甘氏外官
青丘星占 一
甘氏曰:“青丘七星,在軫東南。”(青丘,南方蠻夷之國號也。)《荊州占》曰:“青丘星非常,動搖;大官有事。”
甘氏はいう、青丘は七つの星で、軫宿の東南に在る。原書の小注にいう、青丘は南方の蛮夷の国の名号で、古書は海外に青丘の国ありと称す。《荊州占》にいう、青丘星に異常が現われ揺動して定まらざれば、朝中の大官に事の発生あるを主る。
《甘氏贊》曰:“南夷蠻貊,大赫青丘。”
《甘氏賛》にいう、南方の夷人・蛮人・貊人のこれら辺遠の族群は、声威赫赫として、いずれも青丘星の統轄に帰す。青丘は天上に南方の遠国を標志する星官で、その明暗と変異を観察すれば、すなわちこれら辺地部族の動静・向背を推知すべし。
折威占 二
甘氏曰:“折威七星,在亢南。”(折威者,獄卒也。)石氏曰:“折威者,天子執法之徒也。”郗萌曰:“折威星不居積卒間,胡兵大興,中國大傷,邊將死。”《甘氏贊》曰:“將威斷獄,棄諸市都。”
甘徳はいう、「折威」は全部で七つの星で、位は二十八宿中の亢宿の南辺に在る。原書の小注が解釈する、折威が指すは牢獄を看守する獄卒である。石申はいう、折威は天子の手下に刑法を執行するあの一班の人を象徴す。郗萌はいう、折威星がもし「積卒」星の間に安処せざれば、すなわち北方の胡人の軍隊が大挙して兵を興し、中原は重き創を被り、辺境を戍守する将領は任の上に死するを預示す。《甘氏賛》にいう、折威は威刑を執掌し獄訟を断決し、処決した罪人を都城市集に弃尸して衆に示す。この一組の星は専ら斬殺・刑戮の事を主る。
陣車占 三
《甘氏贊》曰:“陣車三星,在氐南。”(陣車,猶革車也。)
《甘氏賛》にいう、「陣車」は全部で三つの星で、位は氐宿の南辺に在る。原書の小注にいう、陣車は「革車」に相当し、すなわち皮革を蒙せた兵車である。この三つの星は軍中の戦車を主管し、陣を布きて戦い車駕して出師する象徴である。
騎陣将軍占 四
甘氏曰:“騎陣將軍一星,在騎官中,東端。”(騎陣將軍,將軍騎將之行陣也。)
甘徳はいう、「騎陣将軍」はただ一つの星で、位は「騎官」のこの一組の星の当中・東に靠るあの一端に在る。原書の小注にいう、騎陣将軍は将軍と騎将が騎兵を統率して陣を列して行軍する様子を象徴す。それが主るは騎兵の軍陣の号令・編列と進退である。
車騎星占 五
甘氏曰:“車騎三星,在騎官南。”巫咸曰:“車騎,金官也。”《甘氏贊》曰:“陣車騎部行。”
甘徳はいう、「車騎」は全部で三つの星で、位は「騎官」の南辺に在る。巫咸はいう、車騎は「金官」に属し、五行は金に配し、金は兵戈・殺伐を主る。ゆえにこの組の星は兵事の類に帰す。《甘氏賛》にいう、陣車と車騎は部を分かちて行き、講うは戦車と騎兵が各々隊を成し次を序して前進する軍容の行列である。
糠星占 六
甘氏曰:“糠一星,在箕舌前。”《甘氏贊》曰:“箕主簸揚,糠給大豬。”
甘徳はいう、「糠」はただ一つの星で、位は箕宿の「箕舌」の前方に在る。箕宿の星形は一只の簸箕に似て、箕舌はすなわち簸箕の口沿である。《甘氏賛》にいう、箕宿は揚場して穀を簸るを主管し、簸いて出る糠秕はすなわち取って大猪に喂养す。ゆえに糠星が主るは倉廩の中の糠秕と牲畜の飼料で、穀物の収成・六畜の飼養の類の星象に属す。
農丈人星占 七
甘氏曰:“農丈人一星,在南斗西南。”(農丈人,老農也。)郗萌曰:“農丈人,主歲豐耗,在箕東,歲大熟;在箕西,飢;在箕南,小旱,穰;在箕北,大穰。”《甘氏贊》曰:“先農丈人,執斗與箕。”
甘徳はいう、「農丈人」は一つの星で、位は南斗の西南の方に在る。原書の小注にいう、農丈人とはすなわち年高で経験ある老農である。郗萌はいう、農丈人は一年の収成の豊歉を主る——それが箕宿の東に出現すれば、当年に五穀は大熟し、箕宿の西に出現すれば、まさに饑饉が閙ぎ、箕宿の南に出現すれば、小旱あるもなお豊年に属し、箕宿の北に出現すれば、すなわち大豊収である。《甘氏賛》にいう、先農と農丈人は手に南斗と箕宿を執り、一斗一箕はまさに穀を量り穀を簸る二件の農具である。
狗星占 八
甘氏曰:“狗二星,在南斗魁前。”《荊州占》曰:“狗星不如常,戒御之臣當之。”《甘氏贊》曰:“狗主守內,夾門伏跗。”
甘徳はいう、「狗」は二つの星で、位は南斗の斗魁の前方に在る。《荊州占》にいう、狗星がもし常度を失い平日の様子に似ざれば、災応は警蹕・宿衛を負責する近臣の身に落ちる。《甘氏賛》にいう、狗星は内廷を守衛するを主り、家を看る犬のごとく分かれて門戸の両傍を守り門階の脚下に伏す。ゆえにこの二つの星は専ら宮禁の門衛と警戒を主る。
狗国星占 九
《荊州》曰:“狗國四星,在建星東南。”《黃帝》曰:“狗國星不具,天下有大盜。”《甘氏贊》曰:“狗國,鮮卑烏丸沃沮。”
《荊州占》にいう、「狗国」は全部で四つの星で、位は建星の東南の方に在る。《黄帝占》にいう、狗国の星数がもし斉全ならず其中の几颗を欠けば、天下はまさに大盗を出す。《甘氏賛》にいう、狗国星の対応する所は、塞外の鮮卑・烏丸・沃沮のこの幾つかの東北方の部族の国で、その変異はこれらの外族の身に応ず。
天田星占 十
甘氏曰:“天田九星,在牽牛南。”郗萌曰:“天田如井干狀,在營室南。”《甘氏贊》曰:“天田本農,耕器犁鉏。”
甘徳はいう、「天田」は全部で九つの星で、位は牽牛宿の南辺に在る。郗萌はいう、天田星は井欄のごとき方框の形状に排し、位置は営室宿の南に在る——両家の記する方位は同じからず。《甘氏賛》にいう、天田は農事を以て根本と為し、犁・鋤のこの類の耕田の農具を象徴し、天上に田畝の耕作を主管する星官である。
哭星占 十一
甘氏曰:“哭二星,在虛南。”
甘徳はいう、「哭」は二つの星で、位は虚宿の南辺に在る。虚宿はもともと喪事・哭泣を主る。哭星はその下方に附し、専ら哀を挙げ号哭する象を主る。
泣星占 十二
甘氏曰:“泣二星,在哭星東。”《甘氏贊》曰:“哭泣悲涼,墳墓倚廬。”
甘徳はいう、「泣」は二つの星で、位は哭星の東辺に在る。《甘氏賛》にいう、哭星と泣星は一片の悲凉の気で、対応する所は墳墓と「倚廬」——倚廬とは居喪の人が墓側に搭起する草棚である。両星を合わせて見れば、まさに喪葬・守孝の星象である。
蓋室星占 十三
甘氏曰:“蓋室二星,在危南。”(主蓋治之官也)《甘氏贊》曰:“危蓋屋室,柱樑侏儒。”
甘徳はいう、「蓋室」は二つの星で、位は危宿の南辺に在る。原書の小注にいう、それは営造・修繕の官員を主管す。《甘氏賛》にいう、危宿の一帯は屋室を覆蓋するを主り、房屋の柱・梁と「侏儒柱」を象徴す——侏儒柱とはすなわち大梁の上に架する短柱である。見ゆべし、この一組の星は専ら土木・営建の事を主る。
八魁星占 十四
甘氏曰:“八魁九星,在北落東南。”《甘氏贊》曰:“八魁陷阱,棧門揭翹。”(八魁、主張捕陷阱設機也,棧覆阱也,揭翅為毒熾,使人無踐也。)
甘徳はいう、「八魁」は全部で九つの星で、位は北落星の東南の方に在る。《甘氏賛》にいう、八魁は陥穽を象徴し、および「桟門」「掲翹」のこの類の機関を象徴す。原書の小注が解釈する、八魁は網を張りて獣を捕え穽を掘りて機関を設くを主る。「桟」とは穽の口の上に蓋する遮蔽物で、「掲翹」とはすなわち高く竪起する標識で、毒烈の処を標明して人をして誤りて踏み入れざらしむ。
雷電星占 十五
甘氏曰:“雷電六星,在營室西南。”《甘氏贊》曰:“雷電震音,殷殷動搖。”
甘徳はいう、「雷電」は全部で六つの星で、位は営室宿の西南の方に在る。《甘氏賛》にいう、雷電星は雷霆の震響する声を象徴し、隆隆として響き、万物を震わして動揺せしむ。この一組の星は天上の雷鳴・電閃を主り、また以て号令の威厳と天下を驚動する事を占候す。
雲雨星占 十六
甘氏曰:“雲雨四星,在霹靂南。”《甘氏贊》曰:“雲雨興和,休祁茂孳。”(興,發也;和,善也;休,亦善也。祁雨盛貌孳、草木蕃茂也。)
甘徳はいう、「雲雨」は全部で四つの星で、位は霹靂星の南辺に在る。《甘氏賛》にいう、雲雨は興発して調和し、雨水は豊沛で、草木は繁茂す。原書の小注が字を逐って解釈する、「興」は発動で、「和」は和善調順で、「休」もまた美善の意で、「祁」は雨の下ること盛大なりを形容し、「孳」は草木の蕃衍茂盛である。この一組の星は専ら雲を興し雨を降るを主り、農事の豊歉の繋る所である。
霹靂星占 十七
甘氏曰:“霹靂五星,在土公西南。”《甘氏贊》曰:“霹靂舊塹捽。”(拽拖投也)
甘徳はいう、「霹靂」は全部で五つの星で、位は土公星の西南の方に在る。《甘氏賛》にいう、霹靂が落下すれば、旧有の溝塹をいずれも摔打して七零八落せしむ。原書の小注が「捽」の字を解釈していう、すなわち拽し拖し抛擲するの意である。霹靂星が主るは迅雷・猛撃の象で、突発の震動と摧折を占候す。
土公星占 十八
甘氏曰:“土公二星,在東壁南。”《論語讖》曰:“土公,主豫儲。”
甘徳はいう、「土公」は二つの星で、位は東壁宿の南辺に在る。緯書《論語讖》にいう、土公は「豫儲」を主る、すなわち預め儲備す——およそ宮室を営造し材用を堆積し事先に筹办儲蓄するこの類の事は、いずれもその掌管に帰す。
土公吏星占 十九
郗萌曰:“土公吏,主司過度。”甘氏曰:“土公吏二星,在營室西南,一曰土公,司屏郎設儲。”
郗萌はいう、「土公吏」は過失を稽查し法度の逾越するや否やを監督するを主管す。甘徳はいう、土公吏は二つの星で、位は営室宿の西南の方に在る。一種の説はすなわち直ちにこれを土公と呼び、それを屏藩を守衛する郎官・儲備を設置することを負責する官員と講う。この一組の星は土功・営造と庫儲の類に属す。
鈇鑕星占 二十
甘氏曰:“鈇鑕五星,在天倉西南。”《甘氏贊》曰:“鈇鑕銼鉤後有饒。”(鈇,斧也;鑕,椹也。主斬藁,以飴牛馬。四石為鈞,言斬銼豐饒,盈鈞石也。)
甘徳はいう、「鈇鑕」は全部で五つの星で、位は天倉の西南の方に在る。《甘氏賛》にいう、鈇鑕は草料を鍘切し、鍘して後すなわち豊足の儲備あり。原書の小注が解釈する、「鈇」は斧頭で、「鑕」は下に墊く砧板である。この一組の星は禾秆・藁草を鍘切するを主り、以て牛馬に喂养す。四石を以て一鈞と為し、いわゆる「後に饒あり」とは、鍘切して下る草料が豊足で、鈞石の数に満ちるまで堆積するを講う。
天溷星占 二十一
甘氏曰:“天溷七星,在屏南。”《甘氏贊》曰:“天溷作,杼廁糞丘。”(天溷,廁也。)
甘徳はいう、「天溷」は全部で七つの星で、位は外屏星の南辺に在る。《甘氏賛》にいう、天溷が一たび動作すれば、すなわち厠所を掏挖し糞丘を堆起する景象である。原書の小注にいう、天溷とはすなわち厠所である。この一組の星は宮中の圊溷・汚穢の処を主り、また以て穢乱・不潔の事を占候す。
外屏星占 二十二
甘氏曰:“外屏七星,在奎西。”(外屏,所以障天溷也。)《甘氏贊》曰:“屏蔽擁幢,安溷莫睹。”
甘徳はいう、「外屏」は全部で七つの星で、位は奎宿の西辺に在る。原書の小注にいう、外屏は以て天溷を遮擋する屏障である。《甘氏賛》にいう、屏障は重々に遮蔽し、張き開いた帷幢のごとく囲んで、汚穢の溷厠を安穏に内に挡して人をして見えざらしむ。ゆえに外屏星が主るは遮蔽・隠蔽し体面を維護する事である。
天庚星占 二十三
甘氏曰:“天庚三星,在天倉東南。”(屋積曰倉,露積曰庚。)《甘氏贊》曰:“天庚積穀,草茂身拊。”
甘徳はいう、「天庚」は全部で三つの星で、位は天倉の東南の方に在る。原書の小注が分辨する、屋頂に蓋われて堆放するを「倉」と呼び、露天に堆積するを「庚」と呼ぶ。《甘氏賛》にいう、天庚は穀物を堆積し、禾草は茂盛で、摞みて以て拍打して垛を成すべし。この一組の星が主るは野外露天の穀堆と積儲である。
芻藁星占 二十四
甘氏曰:“芻藁六星,在天苑西。”郗萌曰:“芻藁,一曰天積;天積,天子之藏府也。”《黃帝占》曰:“天積中星盛,則百庫之藏存;中星無,百庫之藏散出。”郗萌曰:“芻藁星見,芻臺賤,不即芻藁貴。”又曰:“天積中星繁,則歲豐穰,民乃安寧;星希,則貨財散出。”
甘徳はいう、「芻藁」は全部で六つの星で、位は天苑の西辺に在る。郗萌はいう、芻藁はまた「天積」と呼ばれ、天積はすなわち天子の庫蔵・府庫である。《黄帝占》にいう、天積の当中の星光が盛明であれば、各処の倉庫の儲蔵は保たれ、当中の星がもし見えなければ、各処の倉庫の儲蔵はまさに散失して出る。郗萌はいう、芻藁星が顕現すれば、草料はすなわち便宜で、もし顕現せざれば、芻藁はすなわち漲価す。彼にまたいう、天積の当中に星数が繁密であれば、年成は豊足で、百姓はこれに因って安寧す。星数が稀疏であれば、財貨はまさに散失して外流す。
《甘氏贊》曰:“芻藁甸服,納輊總輸。”(生草曰芻,禾稗曰藁,故《禹貢》曰:百里賦納總二百里納輊。刈藁曰總,刈穗曰輊,謂甸服入之,以供牛馬之食也。)
《甘氏賛》にいう、芻藁の一星は「甸服」の地に応じ、そこは「輊」と「総」のこの二様の草料を繳納す。原書の小注が解釈する、新たに割く青草を「芻」と呼び、禾秆・稗秆を「藁」と呼ぶ。ゆえに《尚書・禹貢》に記す、王畿百里の内の賦税は「総」を繳納し、二百里の内は「輊」を繳納す。整棵の禾秆を割下するを「総」と呼び、ただ穗子のみを割くを「輊」と呼び、講うは甸服の地がこれらを王朝に送り進め、以て牛馬の草料に供給するである。
天園星占 二十五
甘氏曰:“天園十三星,在天苑南。”郗萌曰:“天園中小勾曲星明,果熟,苑馬牛物羊皆善。”又曰:“天苑南,牛馬櫪也;其中小星,櫪槽也;不見者,牛馬羊多死傷者。”《甘氏贊》曰:“天園草實,菜茹畜儲。”(生曰菜,熟曰蓄,茹儲果薪也。)
甘徳はいう、「天園」は全部で十三の星で、位は天苑の南辺に在る。郗萌はいう、天園の当中のあの曲がって鉤形を成す小星がもし明亮であれば、果実は成熟し、苑囿の中の馬・牛・羊などの牲畜もいずれも健やかである。彼にまたいう、天苑の南は牛馬の馬廐で、その中の小星はすなわち馬廐の中の食槽である。これらの小星がもし見えなければ、牛・馬・羊はまさに死傷多し。《甘氏賛》にいう、天園には草木・果実が生え、また腌蔵した菜蔬と儲備あり。原書の小注が解釈する、生鮮のを「菜」と呼び、煮熟して腌えたを「蓄」と呼び、「茹儲」が指すは儲存した果実と薪柴である。
九州殊口星占 二十六
甘氏曰:“九州殊口九星,在天節下。”《黃帝占》曰:“九州殊口,一名勾風;凡九星,在參間,常以十月、十一月候;若一星不具,其國凶;三星已上不具,兵起,天下亂。”巫咸曰:“九州,外官也。”郗萌曰:“九州殊口,主聚議。”
甘徳はいう、「九州殊口」は全部で九つの星で、位は天節星の下方に在る。《黄帝占》にいう、九州殊口はまた「勾風」と呼ばれ、一合で九つの星で、参宿の間に在り、通常は十月・十一月のこの二つの月の裡に観測すべし。もし一つの星を欠いて斉全ならざれば、対応するあの国家に凶事あり。三つ以上に欠ければ、まさに兵を興し武を動かし、天下は大いに乱れる。巫咸はいう、九州殊口は「外官」に属し、すなわち四方の外域の事務を掌管する官署である。郗萌はいう、九州殊口は群臣が聚集して議事するを主る。
《甘氏贊》曰:“九州殊口重譯辭。”(九州殊口,能曉方言之官,九州言語不同,要荒蠻夷,重譯乃通也。)
《甘氏賛》にいう、九州殊口が主るは層層に転訳する言辞である。原書の小注が解釈する、九州殊口が指すは各方の方言に通暁する訳官である。九州の各地は言語が同じからず、要服・荒服のそれら辺遠の蛮夷の邦に至っては、さらに幾重の転訳を経てこそ溝通すべし。ゆえにこの一組の星は専ら翻訳・通使と四方の来朝する辞令の往還を主る。
天節星占 二十七
石氏曰:“天節八星,在畢、附耳南。”甘氏曰:“天節小而明,節使忠直;其不明,若不見,奉使無威敬。”《甘氏贊》曰:“天節奉使,專對無疑。”(天節以給使命,靈威德於四海。)
石申はいう、「天節」は全部で八つの星で、位は畢宿と附耳星の南辺に在る。甘徳はいう、天節星が小さくとも明亮であれば、節を持ちて出使する臣子はすなわち忠誠正直である。もしそれが昏暗にして明ならず、さらには隠没して見えざれば、命を奉じて出使する人は威望なく、人に敬重されず。《甘氏賛》にいう、天節は命を奉じて出使するを主り、独りで一面に当たって対答問に応じ、毫も遅疑なし。原書の小注にいう、天節は用いて使命の符節を頒授し、君王の威霊・徳澤を四海に宣布す。
九游星占 二十八
甘氏曰:“九游九星,在玉井西南。”郗萌曰:“九游,一名苑遊,在參西,九星。”石氏曰:“九游,一名司曲;一名天旗;主司五星之過。”《元命苞》曰:“九游,統九州,別邦。”石氏曰:“九游光芒盛,兵起。”《元命包》曰:“九游星明大,則其位多大人;微,則小人臨州。”《甘氏贊》曰:“九游威旗,色盛兵興。”
甘徳はいう、「九游」は全部で九つの星で、位は玉井の西南の方に在る。郗萌はいう、九游はまた「苑游」と呼ばれ、参宿の西に在り、全部で九つの星。石申はいう、九游はまた「司曲」とも名づき、また「天旗」とも名づき、金・木・水・火・土の五星の運行の差失を稽察することを主管す。緯書《元命苞》にいう、九游は九州を統轄し、各々の邦国を分別す。石申はいう、九游の光芒が熾盛であれば、まさに兵を興す。《元命包》にいう、九游星が明亮碩大であれば、それが対応する処には賢能の大人物多く出る。星光が微弱であれば、すなわち小人ありて州郡を治理せん。《甘氏賛》にいう、九游は天上の威武の軍旗で、星色が盛旺であればすなわち兵事の興起を預示す。
軍井星占 二十九
甘氏曰:“軍井四星,在屏東南。”《荊州占》曰:“天井如輪曲,與狼星俱主水旱。”《甘氏贊》曰:“軍井給水,師用不竭。”
甘徳はいう、「軍井」は全部で四つの星で、位は外屏の東南の方に在る。《荊州占》にいう、天井星は車輪のごとく彎曲して排列し、それは天狼星とともに水災と旱災を主管す。《甘氏賛》にいう、軍井は軍中の用水を供給し、軍隊は取りて用いて枯竭せず。この一組の星は専ら行軍・作戦の水源の供応を主る。
水府星占 三十
甘氏曰:“水府四星,在東井南。”巫咸曰:“水府,水官也。”《甘氏贊》曰:“水府堤防,開道激滿。”
甘徳はいう、「水府」は全部で四つの星で、位は東井宿の南辺に在る。巫咸はいう、水府とはすなわち水利を主管する官署である。《甘氏賛》にいう、水府は堤防を修築し水道を開通することを主り、水流をして激涌充盈せしむ。およそ治水・灌溉・防洪のこの類の事務は、いずれもそれに由りて主管す。
四涜星占 三十一
甘氏曰:“四瀆四星,在東井南,轅東。”(四瀆者,江河淮濟之精也。)《甘氏贊》曰:“四瀆受輸,滌源注海。”
甘徳はいう、「四涜」は全部で四つの星で、位は東井宿の南・天轅星の東に在る。原書の小注にいう、四涜は長江・黄河・淮水・済水のこの四条の独り流れて海に入る大川の精気の化するところである。《甘氏賛》にいう、四涜は衆水の匯輸を承受し、源流を滌蕩し、一路に大海に注入す。
闕丘星占 三十二
甘氏曰:“闕丘二星,在南河南。”《元命苞》曰:“闕丘,主滅除之官;毀疏明恩,以帝五常。”(宋均曰:闕丘,主闕墜丘之官也,毀疏過於王,歷則遷之於禮,更立近,明恩情。所在諸星也。)
甘徳はいう、「闕丘」は二つの星で、位は南河の南辺に在る。緯書《元命苞》にいう、闕丘は刑戮・滅除の類の官職を主管し、毀棄し疎遠すべきを毀棄し疎遠し、従って恩徳を彰明し、以て帝王の五常の教を輔成す。原書の小注に漢儒の宋均を引いていう、闕丘は闕失・墜廃の事を主管する官である。およそ毀傷・疏失が王法に超出するあれば、すなわち礼制に依って以て遷改し、別に親近の人を立て、以て恩情を顕明す。指すはこの一帯の幾つかの星である。ここの小注の文字は畧かに訛脱あり、大意はこのごとし。
《甘氏贊》曰:“闕丘雙塾,外屏罘謒。”(闕立門外,象魏也,天子謂之闕,諸侯謂之兩觀,丘高也,塾門西高堂也。天子外屏,罘罳在宮門外,諸侯內屏,罘罳在宮門內,所以別尊卑也。)
《甘氏賛》にいう、闕丘は門外に相対する一双の塾堂に似て、外屏はすなわち宮門前の罘罳のごとし。原書の小注が解釈する、闕は門外に立ち、すなわち法令を懸掛する「象魏」で、天子のを「闕」と呼び、諸侯のを「両観」と呼ぶ。「丘」は高きの意で、「塾」は門の西辺の高堂である。天子の屏は宮門の外に設け、罘罳もまた宮門外に立つ。諸侯の屏は宮門の内に設け、罘罳もまた宮門内に立つ——この種の設置を以て尊卑の等級を区別す。
天狗星占 三十三
甘氏曰:“天狗七星,在狼東北。”《元命苞》曰:“天狗主守賊。”郗萌曰:“天狗非其故,天下有大盜。”《甘氏贊》曰:“野狗向吠,雌雄咸嗥。”
甘徳はいう、「天狗」は全部で七つの星で、位は天狼星の東北の方に在る。《元命苞》にいう、天狗は盗賊を防守するを主る。郗萌はいう、天狗星がもし変じて元来の様子に似ざれば、天下はまさに大盗を出す。《甘氏賛》にいう、野狗は人に向かい狂吠し、雌も雄も一斉に嗥叫す。要に注意すべきは、ここの天狗は二十八宿の外の一組の星官で、後文の流星占の中のあの地に墜ちて声を作し名を「天狗」といった流星とは一回事に非ず。
丈人星占 三十四
石氏曰:“丈人二星,在軍市西南。”
石申はいう、「丈人」は二つの星で、位は軍市の西南の方に在る。丈人は年高の長者を指し、尊長の象徴で、下の子星・孫星と合わせて祖孫三代の相承の星象を成す。
子星占 三十五
石氏曰:“子二星,在丈人東。”
石申はいう、「子」は二つの星で、位は丈人星の東辺に在り、児子のこの輩を象徴し、丈人に緊く挨着し、子が父の側に在って承事するの義を取る。
孫星占 三十六
甘氏曰:“孫二星,在子星東。”《甘氏贊》曰:“丈人杖行,子孫扶持。”
甘徳はいう、「孫」は二つの星で、位は子星の東辺に在る。《甘氏賛》にいう、丈人は拐杖を拄きて行走し、子と孫は両傍に在って搀扶す。丈人・子・孫のこの三組の星は連なって一線を成し、まさに老幼の相承・子孫の孝養の象徴である。
天社星占 三十七
甘氏曰:“天社六星,在弧南。”(昔共工子曰勾龍,能平水土,其精為星,故祀以為社也。)郗萌曰:“天公社者,小人天公祠祀,非私所事也;所祠者,公社主也。”《甘氏贊》曰:“老人天社,理落禱祀。”
甘徳はいう、「天社」は全部で六つの星で、位は弧矢星の南辺に在る。原書の小注にいう、従前に共工氏の児子は名を勾龍といい、よく水土を平治し、彼の精魂は上升して星と成り、ゆえに人々は社を立てて彼を祭祀す。郗萌はいう、いわゆる天公社とは、庶民・百姓が天公を祭祀する処所で、私家の擅りに奉祀すべきに非ず。祭る所はすなわち公社の主である。《甘氏賛》にいう、老人星と天社星は、郷里・村落の祷告と祭祀の事を主管す。
天紀星占 三十八
甘氏曰:“天紀一星,在外廚南。”(天紀,主知禽獸年齒,凡所烹宰,不殺孕,不夭幼,以致繁盛,故處外廚之門也。)《甘氏贊》曰:“紀別少齒,胎夭不屠。”
甘徳はいう、「天紀」はただ一つの星で、位は外厨の南辺に在る。原書の小注にいう、天紀は禽獣の年齢・牙口を辨識することを主管し、およそ宰殺・烹煮あるに、懐孕の母畜を殺さず、幼小の仔畜を殺さず、牲畜をして繁衍興盛ならしむを善しとす。ゆえにそれは外厨の門口に安置す。《甘氏賛》にいう、天紀は牲口の年齒の老少を分辨し、懐胎のと幼弱のは一概に屠宰せず。
外厨星占 三十九
甘氏曰:“外廚六星,在柳南。”《甘氏贊》曰:“外廚烹淪,雞羊犬豬。”
甘徳はいう、「外厨」は全部で六つの星で、位は柳宿の南辺に在る。《甘氏賛》にいう、外厨は烹煮・汆湯を掌管し、鶏・羊・犬・猪のこれら牲牢の肉食を办治す。この一組の星が主るは宮廷の外の庖厨・膳食の事である。
天廟星占 四十
甘氏曰:“天廟十四星,在張南。”(天子之祖廟也)《黃帝占》曰:“天廟星均明,則吉;微細,則凶。”又曰:“星非其故,有凶憂,若白衣之會。”又曰:“有兵,軍食不通。”
甘徳はいう、「天廟」は全部で十四の星で、位は張宿の南辺に在る。原書の小注にいう、これは天子の祖廟である。《黄帝占》にいう、天廟の諸星の光度が均勻にして明亮であれば、すなわち吉兆で、星光が細微暗弱であれば、すなわち凶兆である。またいう、星象がもし変じて元来の様子に似ざれば、すなわち凶険・憂患あり、あるいは「白衣の会」あるべく、すなわち喪服を穿きて聚会する喪事である。またいう、さらに兵禍が興起し、軍中の糧道は通ぜず。
郗萌曰:“天廟星大,色黃潤,則吉;蒼白為憂;青黑,憂在宮中。”《荊州占》曰:“天廟星非其故,有廟殘之事,吏不去則死。”《甘氏贊》曰:“天廟祭祀,示民不怠。”
郗萌はいう、天廟星が碩大で、色沢が黄くして潤えば、すなわち吉利である。蒼白色を呈せば、憂患あるを主る。青黒色を呈せば、憂患はすなわち宮廷の内に応ず。《荊州占》にいう、天廟星がもし変じて元来の様子に似ざれば、すなわち宗廟の残毁する事あり、主管の官吏は職を去らざればすなわち命を喪う。《甘氏賛》にいう、天廟は宗廟の祭祀を主り、以て百姓に示范す:祖考を奉祀するは懈怠すべからず。
東甌星占 四十一
甘氏曰:“東甌五星,在翼南。”(東甌,東越也,今永嘉之永寧縣是也。謂東甌星,無主此地也。)《甘氏贊》曰:“康居穿骨,越裳東甌。”
甘徳はいう、「東甌」は全部で五つの星で、位は翼宿の南辺に在る。原書の小注にいう、東甌はすなわち東越で、即ち今の永嘉郡永寧県の一帯である。ただしそれを東甌星と称するは、実は単にこの一処の地方を主るに非ず(此の句の小注の文字は訛脱あるに似たり)。《甘氏賛》にいう、康居・穿骨・越裳・東甌——これらはいずれも四方の遠国の名号で、一併せてこの一帯の星官の主る所に帰す。
器府星占 四十二
甘氏曰:“器府三十二星,在軫南。”(器府,樂器之府。)《甘氏贊》曰:“器府掌故,管絃絲竹。”
甘徳はいう、「器府」は全部で三十二の星で、位は軫宿の南辺に在る。原書の小注にいう、器府とはすなわち楽器を收藏する府庫である。《甘氏賛》にいう、器府は旧章・典故を掌管し、管・弦・糸・竹の各類の楽器はいずれもそれに由りて收貯され、天上に礼楽の器用を主る星官である。
巫咸中外官
太尊星占 一
巫咸曰:“太尊一星,在中臺北。”《巫咸贊》曰:“太尊一星,職比聖人。”
巫咸はいう、「太尊」はただ一つの星で、位は中台の北辺に在る。《巫咸賛》にいう、太尊のこの一星は、その職位は聖人に比すべく、天上の極めて尊貴なる星官で、宗室・貴戚の中の最も尊顕なるあの一位を主る。
三公星占 二
巫咸曰:“三公在北斗魁第一星西。”《黃帝占》曰:“三公一星去,天下危;一星去;天下亂,三星去,天下不治。”《巫咸贊》曰:“三公星,七政齊同;三公,猶今三公也;和陰陽,齊七政也。”
巫咸はいう、「三公」は北斗の斗魁の第一の星の西辺に在る。《黄帝占》にいう、三公が一つの星を欠けば、天下はすなわち危殆で、さらに一つを欠けば、天下はすなわち大いに乱れ、三つの星が全部見えなければ、天下はすなわち治すべき法なし(原文は両処ともに「一星去」と作す、第二の処は当に「二星去」の誤りなるべし)。《巫咸賛》にいう、三公星が位に在れば、日月と五星のこの「七政」の運行はすなわち斉整一致す。ここの三公とは、今の朝廷の三公の職に譬え、職責は陰陽を調和し七政を斉整するに在り。
大理星占 三
巫咸曰:“大理二星,在紫宮門左星內;大理者,平獄之官也。”《巫咸贊》曰:“大理奏事,南門左陬。”
巫咸はいう、「大理」は二つの星で、位は紫微宮門の左枢星の裏側に在る。大理は獄訟を審理し平決する官である。《巫咸賛》にいう、大理は天子に案情を奏報し、それが居する位置は紫宮の南門の左辺の角落に在る。この二つの星は専ら刑獄の審断の公平なるや否やを主る。
女御星占 四
巫咸曰:“女御四星,在鉤陣星後北,女御,為八十一御妻之象也。”《巫咸贊》曰:“女御禮儀,威容步趨。”
巫咸はいう、「女御」は全部で四つの星で、位は鉤陳星の後方の北に偏る処に在る。女御は周代の後宮の八十一位の御妻を象徴す。《巫咸賛》にいう、女御は後宮の礼儀を主掌し、儀容の荘重・進退の歩趨がいずれも法度に合することを講究す。この一組の星は以て後宮の嬪御の秩序と儀節を占候す。
天相星占 五
巫咸曰:“天相三星,在七星大星北。”石氏曰:“天相者,天丞相也,主服彩色文章。”《巫咸贊》曰:“天相爵服,彩色顯光。”
巫咸はいう、「天相」は全部で三つの星で、位は七星宿のあの大星の北辺に在る。石申はいう、天相とはすなわち天上の丞相で、彩色・紋飾の礼服を主管す。《巫咸賛》にいう、天相は爵位と命服を主り、五彩の文章は顕耀して光あり。ゆえにこの一組の星は既に輔相の臣を占し、また章服の等級の事をも占す。
長垣星占 六
巫咸曰:“長坦四星,在少微西,南北列。”郗萌曰:“長垣在七星北,南星亦在太微西六七尺。”《合誠圖》曰:“長垣主界域。”《巫咸贊》曰:“長垣四星,在城邑相包。”
巫咸はいう、「長垣」は全部で四つの星で(原文は「長坦」と作す、「長垣」の形近の誤りである)、位は少微星の西辺に在り、南北に一列に排す。郗萌はいう、長垣は七星宿の北辺に在り、その南端のあの星もまた太微垣より以西六七尺のところに在る。緯書《合誠図》にいう、長垣は疆界・区域を主管す。《巫咸賛》にいう、長垣のこの四つの星は、一道の囲墻のごとく城邑を環抱し包囲す。
虎賁星占 七
巫咸曰:“虎賁一星,在下臺南。”(虎賁士,以虎皮為冠,示威猛也。)《巫咸贊》曰:“虎賁四騎,室旄頭。”
巫咸はいう、「虎賁」はただ一つの星で、位は下台の南辺に在る。原書の小注にいう、虎賁の武士は虎皮の作れる帽子を戴き、以て威猛を顕示す。《巫咸賛》にいう、虎賁は四騎を配し、営室・旄頭(昴宿)と相応ず——此の句の文字は畧かに脱誤あり。この星は天子の身辺の衛士と武備を主る。
軍門星占 八
巫咸曰:“軍門二星,在青丘西;天子六軍之門也。”《荊州占》曰:“軍門非其故,軍道不通。”《巫咸贊》曰:“軍門營候,虎尾威旗。”
巫咸はいう、「軍門」は二つの星で、位は青丘の西辺に在り、天子の六軍の出入りする営門である。《荊州占》にいう、軍門星がもし変じて元来の様子に似ざれば、行軍の道路はまさに阻塞して通ぜず。《巫咸賛》にいう、軍門は営塁を候望する関口で、門上に虎尾旗と威武の軍旗を張る。この二つの星は専ら軍営の門禁と出師の道を主る。
土司空星占 九
巫咸曰:“土司空四星,在軍門南。”《合誠圖》曰:“土司空,主土城。”石氏曰:“土司空四星,近青丘;司空,水土司察者;星黃潤,則吉。”《巫咸贊》曰:“土司空,主界域,族神,土糞。”
巫咸はいう、「土司空」は全部で四つの星で、位は軍門の南辺に在る。《合誠図》にいう、土司空は土功と城垣を主管す。石申はいう、土司空の四つの星は、青丘に靠近す。司空は水土の事務を稽察する官で、星の色が黄くして潤沢であれば、すなわち吉兆である。《巫咸賛》にいう、土司空は疆界・区域と社稷・族神および土壤・糞壅のこれら農工の事を主管す。
陽門星占 十
巫咸曰:“陽門二星,在庫樓東北。”《巫咸贊》曰:“陽門戍遠,劍戟楯矛。”
巫咸はいう、「陽門」は二つの星で、位は庫楼の東北の方に在る。《巫咸賛》にいう、陽門は遠方の辺地に戍守し、剣・戟・盾・矛のこれらの兵器を配備す。この二つの星が主るは辺関の戍衛と守御の武備である。
頓頑星占 十一
巫咸曰:“頓頑二星,在折威東南;頓頑,亦獄官也;所以與折威相近。”《巫咸贊》曰:“頓頑捕制,察伺獄囚。”
巫咸はいう、「頓頑」は二つの星で、位は折威星の東南の方に在る。頓頑もまた牢獄を掌管する官で、ゆえにその位置は折威星と相隣近す。《巫咸賛》にいう、頓頑は罪人を緝捕し制伏することを負責し、獄中の囚徒を察看伺守す。折威は斬殺を主り、頓頑は拘繫を主り、両者は一に殺し一に囚へ、同じく刑獄の星に属す。
従官星占 十二
巫咸曰:“從官二星,在房星南。”《巫咸贊》曰:“從官二星,主疾病醫。”
巫咸はいう、「従官」は二つの星で、位は房宿の南辺に在る。《巫咸賛》にいう、従官のこの二つの星は、疾病と医薬の事を主り、天上に君王に随侍する医官に相当し、疾疫と診治の得失を占候するはいずれもそれを看る。
天輻星占 十三
巫咸曰:“天輻二星,在房,距西星;天輻,宰乘興之官也。”《元命苞》曰:“天輻,主言祠事,氣有離合,設禱謝。”(宋均曰:離星相遠也;合星相近。)焦延壽曰:“天輻近尾,吉;遠尾,天下有為害者。”《巫咸贊》曰:“天輻陳駕,被軒鸞旗。”
巫咸はいう、「天輻」は二つの星で、房宿の内に在り、西辺のあのを以て距星(方位を量度する基準星)と為す。天輻は君王の車駕を主管する官である(「乗興」は当に「乗輿」と作るべし)。緯書《元命苞》にいう、天輻は祭祀・祷告の言辞を主り、星気に分離と聚合の分別あり、これに拠って祭を設け祷謝す。原書の小注に宋均を引いていう、いわゆる「離」とは、星と星の相距ること較遠で、いわゆる「合」とは、星と星の相互に靠近するである。焦延寿はいう、天輻が尾宿に靠近すれば、吉で、尾宿を遠離すれば、天下にすなわち乱を作し為害する人あり。《巫咸賛》にいう、天輻は車駕を陳列し、軒車と鸞旗を披掛す。
鍵閉星占 十四
巫咸曰:“鍵閉一星,在房東北;鍵閉主鑰,關門之官。”(《天官書》:鈐北一星,牽前。《天文志》曰:常也。)《荊州占》曰:“鍵閉星明,則道大昌;不明,則闇亂,宮門不禁,津樑隔絕。”《巫咸贊》曰:“鍵閉司察,心腹口喉。”
巫咸はいう、「鍵閉」はただ一つの星で、位は房宿の東北に在る。鍵閉は門鑰を掌管し、門を関し錠を落とすを負責する官である。原書の小注にいう、《史記・天官書》は鈐星より以北に一つの星あり、前に牽すと講う。《漢書・天文志》はこれを常態という——ここの小注の文字に脱誤あり。《荊州占》にいう、鍵閉星が明亮すれば、道路はすなわち大いに通暢し、もし明亮でなければ、すなわち昏暗混乱し、宮門は禁衛を失い、渡口と橋梁もまた隔絶して通ぜず。《巫咸賛》にいう、鍵閉は出入りを稽察することを負責し、人の身の上の心腹と口喉のごとく、最も緊要の関口である。
罰星占 十五
巫咸曰:“罰三星,在東咸西,南北列。”《巫咸贊》曰:“罰星受金,罰贖市租。”
巫咸はいう、「罰」は全部で三つの星で、位は東咸の西辺に在り、南北に一列に排す。《巫咸賛》にいう、罰星は金銭を收受し、罰金・贖罪と市場・税租の徴収を主管す。この一組の星が占するは刑贖と徴斂の当を得るや否やである。
列肆星占 十六
巫咸曰:“列肆二星,在天市中斛西北;列肆,列店也。販鬻金玉珠珍,故在市南。”《巫咸贊》曰:“列肆貨販,金玉璣珠。”
巫咸はいう、「列肆」は二つの星で、位は天市垣の中の「斛」星の西北に在る。列肆とはすなわち成排の店鋪で、金玉・珠宝の類の珍貨を販売す。ゆえに市の南辺に設く。《巫咸賛》にいう、列肆は貨物の売買を経営し、交易する所は金・玉・玑・珠のこれら珍宝である。
車肆星占 十七
巫咸曰:“車肆二星,在天市門左星內。”《巫咸贊》曰:“車肆二星,百賈肆區;車肆者,列車服之賈,百品隨類區別也。”
巫咸はいう、「車肆」は二つの星で、位は天市垣門の左枢星の裏側に在る。《巫咸賛》にいう、車肆の二つの星は、衆多の商賈が各々分区する市肆である。いわゆる車肆とは、すなわち車輌と服用の物を陳列する商行で、各種の貨品は類に按じて分区して陳設す。
帛度星占 十八
帛度二星,在宗星東北。《巫咸贊》曰:“帛度賣習,與平者俱。”
「帛度」は二つの星で、位は宗星の東北の方に在る。《巫咸賛》にいう、帛度は布帛の売買と丈量の成習を主り、平准・物価を掌管する官と職を同じくして事を共にす。この二つの星が占するは布帛の尺度と市価の公平なるや否やである。
屠肆星占 十九
巫咸曰:“屠肆二星,在帛度北。”《巫咸贊》曰:“屠肆烹煞盛饌,賓娛樓星,監市斗,食毒夫。”(屠宰之肆,以供侍賓客相娛樂。)
巫咸はいう、「屠肆」は二つの星で、位は帛度の北辺に在る。《巫咸賛》にいう、屠肆は宰殺・烹煮し、豊盛の肴饌を办治し、賓客の宴飲・取楽に供し、傍に楼星あり、また市易を監察する斗星あり、および君のために食を嘗め毒を辨する人あり——この幾句の賛語の文字は畧かに訛脱あり。原書の小注にいう、屠肆とはすなわち屠宰の作坊で、以て賓客を招待し相い娯楽する需を供応す。
奚仲星占 二十
巫咸曰:“奚仲四星,如衡狀,在天津北。”《巫咸贊》曰:“奚仲彌輪,路軨優絝。”(奚仲,車正也,軨在軾前,優絝,覆軨者也。)
巫咸はいう、「奚仲」は全部で四つの星で、一根の秤衡のごとく排列し、位は天津の北辺に在る。《巫咸賛》にいう、奚仲は車輪を遍く造り、車上に路軨と優絝を装す。原書の小注が解釈する、奚仲は夏代に車政を主管した「車正」で、「軨」は車軾の前の欄木で、「優絝」はすなわち軨の上に覆蓋する帷幔である。この一組の星は専ら車を造ると車駕の事を主る。
鉤星占 二十一
巫咸曰:“鉤九星,如鉤狀,在造父北。”《禮含文嘉》曰:“王者賜命,諸侯皆如其德,則陰陽和,風雨時,其九為鉤曲直。”(宋均曰:天之九星,主珍異,今賜諸侯,亦所以顯異之也;應於主珍之星,故為之曲,有直者也。)
巫咸はいう、「鉤」は全部で九つの星で、形状は一只の彎鉤に似て、位は造父の北辺に在る。緯書《礼含文嘉》にいう、帝王が爵命を頒賜し、諸侯の受くる所がいずれも各々の徳行と相称すれば、すなわち陰陽は調和し風雨は時に応じ、この九つの星はすなわち曲あり直ある形状を呈す。原書の小注に宋均を引いていう、天上のこの九つの星は珍奇・異宝を主り、今用いて諸侯に賜うは、まさに彼らの殊異を表彰せんとするにある。それは珍宝を主る星と相応ず。ゆえに彎曲の形に排列し、その中にも端直あり。
《荊州占》曰:“鉤星非其故,地動。”《巫咸贊》曰:“鉤星戒道,傳路宣與。”
《荊州占》にいう、鉤星がもし変じて元来の様子に似ざれば、すなわち地震あるべし。《巫咸賛》にいう、鉤星は出行のために道を清め戒厳し、駅伝の路途の上に詔命を宣布し賞賜を頒授す。ゆえにそれは既に珍宝・賜命を主り、また道路と伝駅の事をも主る。
天桴星占 二十二
巫咸曰:“天桴四星,在河鼓左旗端,南北列。”《黃帝占》曰:“天桴者,一名奚仲;星在河鼓東,天桴前近,河鼓則鼓用。”又曰:“天桴動,桴鼓用。”巫咸曰:“天桴星明,軍鼓鳴。”《荊州占》曰:“天桴星不明,度數改,漏刻失時。”《巫咸贊》曰:“天桴應度,節漏省時;(天桴,鼓槌也。)謂應漏刻時節也。”
巫咸はいう、「天桴」は全部で四つの星で、位は河鼓の左旗の末端に在り、南北に一列に排す。《黄帝占》にいう、天桴はまた「奚仲」と呼ばれる。それは河鼓の東辺に在り、天桴がもし前移して河鼓に靠近すれば、軍中の戦鼓はまさに動用する。またいう、天桴星が移動すれば、鼓槌と戦鼓はまさに用場に派する。巫咸はいう、天桴星が明亮すれば、軍鼓はまさに敲き響かす。《荊州占》にいう、天桴星が明亮でなければ、暦法の度数はまさに更改し、漏刻の計時もまた失准す。《巫咸賛》にいう、天桴は天度と相応じ、漏刻を調節し時辰を審定す——原書の小注にいう、天桴とはすなわち鼓槌である。この句が講うはそれが漏刻・時節と相応ずるを講う。
天鑰星占 二十三
巫咸曰:“天鑰八星,在南斗南杓第二星西。”(天鑰,琯鑰也。)《巫咸贊》曰:“天鑰祀記,稽問莫疑。”
巫咸はいう、「天鑰」は全部で八つの星で、位は南斗の斗杓の南辺第二の星の西方に在る。原書の小注にいう、天鑰とはすなわち「琯鑰」、すなわち門鎖と鑰匙である。《巫咸賛》にいう、天鑰は祭祀の記録簿冊を主り、稽核・査問はいずれも清楚明白で、可疑の処なし。
天淵星占 二十四
巫咸曰:“天淵十星,在鱉東南,九坎間;一名天淵,一名天海,主灌溉之官。”《廣雅》曰:“天淵,轅路寢。”《巫咸贊》曰:“天淵灌溉,盈滿淵區。”
巫咸はいう、「天淵」は全部で十の星で、位は鼈星の東南の方・九坎の諸星の間に在る。それは一名を天淵といい、一名を天海といい、灌溉を主管する官である。《広雅》にいう、天淵はまた「轅路寝」と呼ばれる。《巫咸賛》にいう、天淵は灌溉の事を主管し、水流は充盈して整片の淵池に注満す。およそ水利の蓄泄・田畝の澆灌の豊歉は、いずれもこの一組の星を看る。
斉星占 二十五
齊一星,在九坎東。
斉国の星はただ一つで、位は九坎の東辺に在る。それはこの一組の「十二国星」の頭の一つで、戦国時の斉国の疆域に対応し、およそ今の山東北部の一帯に当たる。この星に一たび変異あれば、災祥はすなわち斉の地に応ず。
趙星占 二十六
趙二星,在齊西北。
趙国の星は二つで、位は斉星の西北の方に在る。それは戦国の趙の地に対応し、およそ今の河北南部と山西中部に当たる。その明暗と動揺を観察すれば、すなわち趙の地の一方の興衰・禍福を推知すべし。
鄭星占 二十七
鄭一星,在趙東北。
鄭国の星はただ一つで、位は趙星の東北の方に在る。それは春秋の鄭国の故地に対応し、今の河南の新鄭の一帯に在り、以て中原の腹心の地区の吉凶を占候す。
越星占 二十八
越一星,在鄭西北。
越国の星はただ一つで、位は鄭星の西北の方に在る。それは越の地に対応し、すなわち今の浙江東部の沿海の一帯で、東南方の浜海の諸国の星象の繋る所である。
周星占 二十九
周二星,在越東北。
周の星は二つで、位は越星の東北の方に在る。それは周天子の王畿の地に対応し、今の河南の洛陽の一帯に在り、主る所は天下の共主の居するあの一片の分野である。
秦星占 三十
秦二星,在周東南。
秦国の星は二つで、位は周星の東南の方に在る。それは秦の地に対応し、即ち関中の一帯で、西方の大国の分野で、西辺の兵事と政令を占候するはいずれもそれに取験す。
代星占 三十一
代二星,在秦東南。
代国の星は二つで、位は秦星の東南の方に在る。それは代の地に対応し、今の河北西北部と山西北部に在り、地は辺塞に鄰する。ゆえに多く胡漢の交兵・辺境の戍守の事を主る。
晋星占 三十二
晉一星,在代西南。
晋国の星はただ一つで、位は代星の西南の方に在る。それは晋の地に対応し、即ち今の山西の中部南部で、春秋の覇主の国の分野である。
韓星占 三十三
韓一星,在晉北。
韓国の星はただ一つで、位は晋星の北の北辺に在る。それは韓の地に対応し、今の河南の中部西部の一帯に在る。韓はもともと晋国より分かれ出でたる。ゆえに星位もまた晋星に緊く挨着す。
魏星占 三十四
魏一星,在韓,近秦星。
魏国の星はただ一つで、すなわち韓星のあの処に在り、秦星に靠近す。それは魏の地に対応し、今の山西南部と河南北部に在る。魏は韓と同じく晋より出で、星位は相い並び、また秦の地の星と相隣る。
楚星占 三十五
楚一星,在魏西南,近鄭星。
楚国の星はただ一つで、位は魏星の西南の方に在り、鄭星に靠近す。それは楚の地に対応し、即ち江漢の流域と淮南の一帯の広大の区域で、南方の大国の分野である。
燕星占 三十六
燕一星,在楚東南,近晉星。巫咸曰:“齊趙諸國,應天列宿,土地九州;其星有變,各為其國。”
燕国の星はただ一つで、位は楚星の東南の方に在り、晋星に靠近す。それは燕の地に対応し、即ち今の河北北部と遼西の一帯である。巫咸が総じていう、斉・趙などのこの一批の国星は、上は天上の列宿と相応じ、下は九州の土地と相配す。いずれか一つの星に変異が発生すれば、災祥はすなわち各々それが主るあの国家に応験す。
離瑜星占 三十七
巫咸曰:“離瑜三星,在代東,南北列。”(離,鵟衣也。瑜,玉飾,此婦人服也。)《巫咸贊》曰:“離瑜玩飾,並見舅姑。”
巫咸はいう、「離瑜」は全部で三つの星で、位は代星の東辺に在り、南北に一列に排す。原書の小注にいう、「離」は鵟鳥の羽毛を以て製る衣飾で、「瑜」は美玉の佩飾で、この二様はいずれも婦人の服用の物である。《巫咸賛》にいう、離瑜は玩賞に供する衣飾・佩件で、婦人は穿戴を斉整し、一同に姑舅に拝見しに往く。この一組の星は専ら婦人の服飾と礼容を主る。
天塁城星占 三十八
巫咸曰:“天壘城十三星,如貫索狀,在哭泣南。”《巫咸贊》曰:“天壘主北夷,丁零匈奴。”
巫咸はいう、「天塁城」は全部で十三の星で、貫索のごとく囲んで一圈を成し、位は哭星・泣星の南辺に在る。《巫咸賛》にいう、天塁城は北方の夷狄を主管し、すなわち丁零・匈奴のこれら部族である。それは天上の辺城・壁塁で、以て北辺の入寇と我が方の防守を占候す。
虚梁星占 三十九
巫咸曰:“虛梁四星,在危南。”(虛梁,園陵也,非人所處,故曰虛梁也。)《巫咸贊》曰:“虛梁宮室,屋室謹禱。”
巫咸はいう、「虚梁」は全部で四つの星で、位は危宿の南辺に在る。原書の小注にいう、虚梁が指すは園陵の墓地で、活人の居住する処所に非ず。ゆえにこれを「虚梁」と呼ぶ。《巫咸賛》にいう、虚梁は宮室・屋宇の形制あれど、実は陵寝で、人々はこれらの屋室の中で謹んで先霊を祭祷す。
天銭星占 四十
巫咸曰:“天錢十星,在北落西北。”《巫咸贊》曰:“天錢藏府,聚眾談誇。”
巫咸はいう、「天銭」は全部で十の星で、位は北落星の西北の方に在る。《巫咸賛》にいう、天銭は銭財を收藏する府庫で、衆人は一処に聚まって財貨を談論夸耀す。この一組の星は国家の銭幣の積貯と貨財の流通・聚散を主る。
天綱星占 四十一
巫咸曰:“天綱一星,在北落西南。”(天綱,大絙索也;以張帳幔,天子游犒,野次所須。)《巫咸贊》曰:“天綱武帳,宮府置衛。”
巫咸はいう、「天綱」はただ一つの星で、位は北落星の西南の方に在る。原書の小注にいう、天綱は粗大の繩索で、以て帳幔を張設す。天子の出巡して軍を犒め、野外に臨時に駐蹕するにいずれもそれを欠かず。《巫咸賛》にいう、天綱は武帳を張起し、宮府はそれに依って警衛を布置す。この星は行幸・駐蹕の帳幕と守衛を主る。
鈇鑕星占 四十二
巫咸曰:“鈇鑕三星,在八魁西北;一曰鈇鉞。”《元命苞》曰:“鈇鑕,主亂行斬,誅枉詐。”郗萌曰:“星欲不明,明若動,皆為鈇鑕用。”又曰:“鈇鑕非其故,兵起,鈇鉞用。”《荊州占》曰:“星非其故,兵將有憂。”《巫咸贊》曰:“鈇鑕拒難,斬伐奸謀。”
巫咸はいう、この一組の「鈇鑕」は全部で三つの星で、位は八魁の西北の方に在り、また「鈇鉞」とも名づく——それは前の甘氏の記した天倉の西南のあの五つの鈇鑕と名は同じくして位は異なり。《元命苞》にいう、鈇鑕は犯乱の人に斬刑を施行することを主り、枉法・欺詐の徒を誅戮す。郗萌はいう、この幾つの星は暗淡不明を以て常態とし、一旦明亮するかあるいは動揺あれば、いずれも鈇鑕がまさに動用し刑を行い人を殺すを預示す。またいう、鈇鑕がもし変じて元来の様子に似ざれば、まさに兵を興し、斧鉞はまさに用場に派する。《荊州占》にいう、星象が変じて元来の様子に似ざれば、兵を帯ぶる将領にすなわち憂患あり。《巫咸賛》にいう、鈇鑕は患難を抵御し、奸邪の図謀を斬除す。
天廐星占 四十三
巫咸曰:“天廄十星,在東壁北,近王良。”《合誠圖》曰:“天廄官,主傳舍。”巫咸曰:“天廄星非其故,有廟戒之事,人主以馬為憂;否則馬疾。”《巫咸贊》曰:“天廄置驛,逐漏馳鶩。天廄主馬,如今驛馬其行,急疾與晷漏競也。”
巫咸はいう、「天廐」は全部で十の星で、位は東壁宿の北辺に在り、王良星に靠近す。《合誠図》にいう、天廐の官は駅站・伝舎を主管す。巫咸にまたいう、天廐星がもし変じて元来の様子に似ざれば、すなわち宗廟の警戒の事あり、君主はまさに馬匹のために愁う。然らざれば、馬はすなわち病を生ぜん。《巫咸賛》にいう、天廐は駅站を設置し、漏刻の刻数を追って飛馳奔走す。天廐は馬政を主管し、今の駅馬の奔行するがごとく、急速なるはほとんど日晷と漏刻と賽走する在り。
天陰星占 四十四
巫咸曰:“天陰五星,在畢柄西。”《巫咸贊》曰:“天陰羽獵,附耳密謀。”
巫咸はいう、「天陰」は全部で五つの星で、位は畢宿の柄部の西辺に在る。《巫咸賛》にいう、天陰は天子の羽林・田猟の事を主り、また附耳星のごとく、耳辺に凑り寄る暗中の密謀を象徴す。ゆえにこの一組の星は既に校猟・講武を占し、また隠秘の謀議をも占す。
開元占経 巻七十一
流星占 一
流星名状 一
《河圖》曰:“諸流星,皆鉤陳之精,天一之御也。流星大如缶若甕,行絕跡,名曰飛星。其跡著天,名曰流星。”孟康曰:“流星,光相連也,大如瓜桃,名曰使星、飛星,主謀事。流星主兵事,使星主行事,以所出入宿占之。”(自上而降曰流,自下而升曰飛。)
《河図》にいう、各種の流星は、いずれも鉤陳星の精気の化するところで、天一の神の駆使する所である。流星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、飛過して痕跡を留めざるを、「飛星」と呼ぶ。飛過した後に痕跡がなお天上に留まるを、こそ「流星」と呼ぶ。孟康はいう、流星は光焰が一条の線に連なるで、大きさが瓜のごとく桃のごとくを「使星」と呼び、また「飛星」とも呼び、謀議の事を主る。流星は兵戈の事を主り、使星は出行して差を办する事を主り、いずれもそれがいずれの宿より飛出でまたいずれの宿に進入するかを看て以て推断す。原書の小注にいう、上より下に降るを「流」と呼び、下より上に升るを「飛」と呼ぶ。
《爾雅》曰:“奔星,謂之彴(便窕切)約。”(流星大時疾,曰奔。)郭璞曰:“彴而約,流星別名也。”石氏曰:“流星如缶甕,初直後白,其前分為兩,是為使星;所之國,受福。”
《爾雅》にいう、奔星は、また「彴約」と作る——「彴」の字の読音は「便」「窕」の二字の反切である。原書の小注にいう、流星の形体が大きくして行動が疾速なるを、すなわち「奔」と称す。郭璞はいう、「彴約」は流星のもう一つの名称である。石申はいう、流星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、初めは笔直にして、その後に白色の尾跡を拖出し、それの前端が二股に分かれるは、これすなわち「使星」である。それが飞向するあの国家は、まさに福慶を承受せん。
《帝覽嬉》曰:“流星夜見光,望之有尾,離離如貫珠,名曰天狗;從所下,兵大起,王者徙都邑,期三年。”巫咸曰:“流星有光,見面墜地,若不至地,望之有足,名曰天狗;所往之鄉,有戰流血,其君失地,期不出三年,災應。”
《帝覧嬉》にいう、流星が夜の裡に光亮を顕し、望むに尾を帯び、一点一点に排列して穿きたる珠串のごとくなるを、この種を「天狗」と呼ぶ。それが降落して対応する処は、まさに大挙して兵を興し、君王は都城を遷移し、応期は三年の内にある。巫咸はいう、流星が光を帯び、迎面に地に墜落し、あるいは地面に落ちざるも、望むに脚を長じたるがごとく、これもまた「天狗」と呼ぶ。それが去るあの方に、戦事の流血あり、そこの国君は土地を丟失し、災応は三年を出ず。
又曰:“大流星,墮破如金,散而有音聲,野雉盡呴,名曰天狗;其所之地,必有戰流血。”班固《天文志》曰:“流星有聲,止地類狗,墮望如火,光炎炎中天。”《天官書》曰:“沖天其下,圓照數頃處,上銳,有黃色,名曰天狗;見則兵起千里、破軍殺將;一曰狀如大鏡。”《玄冥占》曰:“流星夜見,頭足如奮火,名曰天狗;其所下,有兵起,必有戰,期二年。”
巫咸にまたいう、大流星が墜落する時に碎裂して金属の崩散するがごとく、散じてなお響声を帯び、野雉もいずれも驚きて鳴き叫ぶを、これを「天狗」と呼ぶ。それが落到する処は、必ず戦事の流血あり。班固《漢書・天文志》にいう、流星は響声を帯び、地に落到して形状は狗に似て、墜落する時に望むに一団の火のごとく、光焰は炎炎として半空に直沖す。《史記・天官書》にいう、気ありて天に直沖し、その下方は円くして幾頃の地面を照亮し、上端は尖鋭で、黄色を帯び、これを「天狗」と呼ぶ。それが一たび出現すれば、千里の内にまさに兵を興し、軍隊は潰敗し大将は殺される。もう一説はその形状は一面の大鏡に似るという。《玄冥占》にいう、流星が夜の裡に出現し、頭と脚はいずれも騰起する火焰に似るを、これを「天狗」と呼ぶ。それが降落する処はまさに兵を興し、必ず戦事あり、応期は二年。
《黃帝占》曰:“流星大如甕,頭大尾小,長可三四尺,其後形跡皎皎然,赤白色、名曰天棓;見則其國兵起,流血,有死將,期一年,遠三年。”《雒書》曰:“飛星大如缶甕,而行絕跡,色如煙火,墮,名曰天保;此星所往者,其分受福,有利;若有吉事,期不出年。”
《黄帝占》にいう、流星の大きさが瓮のごとく、頭は大きく尾は小さく、長さ約三四尺、身後の痕跡は皎潔分明で、赤白の色を呈するを、これを「天棓」と呼ぶ。それが一たび出現すれば、あの国家はまさに兵を興し流血し、将領の陣亡するあり、近ければ一年に応じ、遠ければ三年に応ず。《雒書》にいう、飛星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、飛行する時に痕跡を留めず、顔色は烟火に似て、墜落して下るを、これを「天保」と呼ぶ。この星が前往する処は、あの一分野は福慶を承受し便利を得る。もし喜慶の事あれば、応期は一年を出ず。
《文耀鉤》曰:“流星有光,夜見牆垣,而有聲音,野雞盡呴;名天保,所止之野,大兵起。”《荊州占》曰:“流星有光黃白,從天墮有音;如炬煙火下地,雞盡鳴,名天保也,所墜國安,有喜,若水。”石氏曰:“流星如缶甕,其後縵縵,白亙天;王者吏均封疆。”《荊州占》曰:“將軍均封疆。”
《文耀鈎》にいう、流星が光を帯び、夜の裡に墻垣をも照見し、しかも声响を発し、野鶏は全て驚きて鳴くを、これを「天保」と呼ぶ。それが停落するあの片の原野は、大挙して兵を興す。《荊州占》にいう、流星の光色が黄白で、天上より墜落してまた響声を帯び、火炬・烟火のごとく地に落到し、鶏も皆驚きて斉鳴くを、これもまた「天保」と呼ぶ。それが墜落するあの国家は安定し、喜事あり、あるいは水患あり。石申はいう、流星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、身後に長長の白気を拖して長空を横貫するは、これは帝王の官吏が疆界を划定・斉整しに往くを預示す。《荊州占》はすなわちいう、将軍が疆界を划定斉整しに往くと。
《海中占》曰:“流星有聲如雷,其音止地,野雞盡呴,名曰天鼓;其所止國,兵大起,必有戰,殭尸滿野,期三年。”巫咸曰:“流星有光青赤,其長二三丈,名曰天雁,將軍之精也,其國起兵,將軍當從星所之。”《荊州占》曰:“流星,其色青,名曰地雁;其所墜者,起兵。”
《海中占》にいう、流星が雷のごとき声音を発し、声响は地面に落到し、野鶏はいずれも驚きて鳴き叫ぶを、これを「天鼓」と呼ぶ。それが停落するあの国家は大挙して兵を興し、必ず戦事あり、僵尸は原野に遍布し、応期は三年。巫咸はいう、流星の光色が青の中に赤を帯び、長さ二三丈を、これを「天雁」と呼び、将軍の精気の化するところである。あの国家はまさに兵を起こし、兵を帯ぶる将軍は当に星の去る方向に順って行動すべし。《荊州占》にいう、流星の顔色が青に発するを、「地雁」と呼ぶ。それが墜落する処は、まさに兵を興す。
《聖洽符》曰:“流星大如甕,其光赤黑,有喙者,名曰頓頑,見則其國有兵,有失地君,期二年。”《荊州占》曰:“飛星大如缶若甕,後皎然白,前卑後高,此為頓頑,其所從者,多死亡,削邑而不戰。”
《聖洽符》にいう、流星の大きさが瓮のごとく、光色は赤の中に黒を帯び、前端に鳥喙のごとき尖角あるを、これを「頓頑」と呼ぶ。それが一たび出現すれば、あの国家にすなわち兵事あり、国君ありて土地を丟失し、応期は二年。《荊州占》にいう、飛星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、後面は白くして皎潔で、前頭は低く後頭は高くを、これすなわち「頓頑」である。それが跟従するあの方は、死亡が衆多で、城邑は削奪されながらも戦いを打ち成さず。
《聖洽符》曰:“飛星如甕。(《荊州占》曰:大而赤,若甕。)後皎然白,長可一丈。(《荊州占》雲;長數丈)其星滅化為雲,周流天下,名曰浩滑。(《荊州占》曰:名曰大滑。《海中占》曰:名曰否顛。)見則其國必有大戰,流血積骨,期一年,遠二年。”
《聖洽符》にいう、飛星の大きさが瓮のごとく——原書の小注に《荊州占》を引いていう、それはまた大きくまた紅くして、一只の瓮に似る——後面は白くして皎潔で、長さ約一丈(小注に《荊州占》を引けばすなわち長さ数丈と作る)。この星が熄滅して後に云気と化し、天下の四処に周流し、名を「浩滑」といい(小注:《荊州占》はこれを「大滑」と称し、《海中占》はこれを「否顛」と称す)。それが一たび出現すれば、あの国家に必ず大戦あり、流血して骨を積み、応期は一年、遠ければ二年。
齊伯曰:“飛星如甕。(《荊州占》曰:如缶若甕。)其後皎然白,前卑後高,名曰浩亢。(《荊州占》曰:名曰降石。)搖頭,乍上、乍下;大飢,人相食。(《荊州占》曰:人食不足。)期三年。”
斉伯はいう、飛星の大きさが瓮のごとく(小注に《荊州占》を引けば作す:缶のごとく瓮のごとし)、それの後面は白くして皎潔で、前頭は低く後頭は高くを、名を「浩亢」といい(小注:《荊州占》はこれを「降石」と称す)。この種の星は一路に頭を揺りて、忽ち升高し、忽ち低落す。大饑饉を主り、人の人を食うに至る(小注に《荊州占》を引けば作す:人の口糧が足らず)。応期は三年。
《荊州占》曰:“飛星大如缶,若甕;後皎然白;星滅後白者曲環如車輪,此謂解銜;其國人相斬,為爵祿;此謂自相齧食。”《荊州占》曰:“流星大如缶,其光赤黑,有喙者;名曰梁星,其所墜之鄉,有兵,君失地。”
《荊州占》にいう、飛星の大きさが缶のごとく、瓮のごとく、後面は白くして皎潔である。星光が熄滅した後、あの道の白気は彎曲盤繞して車輪の形状を成すを、これを「解銜」と呼ぶ。あの国家の人は爵位・俸禄を争奪するために相い殺し、これをすなわち自ら相い啗噬するという。《荊州占》にまたいう、流星の大きさが缶のごとく、光色は赤の中に黒を帯び、前端に鳥喙のごとき尖角あるを、名を「梁星」という。それが墜落するあの方に、兵事あり、国君は土地を丟失す。
《太公陰秘》曰:“凡出軍擊賊,見大流星所指向者,將之用兵,順之行則勝。”又曰:“流星下入軍,營必空,主將無功,避之則吉。”《推度災》曰:“奔星所墜,其下有兵。”《文耀鉤》曰:“流星前如缶盆,後皎然白,其欲入時施,施如金散,此謂使星;其所入宿受福,期一年,遠二年。”
《太公陰秘》にいう、およそ兵を出して敵寇を討伐するに、大流星の指す方向を見れば、将領が兵を用いてそれが去る方向に順って進軍すればすなわち勝ちを取るべし。またいう、流星が下に落ちて軍中に入れば、営塁は必ず空虚で、主将は功を立てることなく、それを避けてこそ吉利なり。《推度災》にいう、奔星が墜落する処は、下方にすなわち兵事あり。《文耀鈎》にいう、流星の前端は缶のごとく盆のごとく、後面は白くして皎潔で、まさに没入せんとして四面に鋪散し、散じて金屑のごとくを、これを「使星」と呼ぶ。それが進入するあの一宿は福慶を承受し、応期は一年、遠ければ二年。
《春秋緯》曰:“大奔星有聲,望之如火光,見則破軍,四方相射。”(案《續漢書》曰:靈帝中平二年,邊章韓遂將數萬騎,寇三輔,五月夜,有流星如火光,長十餘丈,照章遂營中,驢馬盡鳴,賊以為不祥,欲走,董卓聞之喜,明日並兵俱攻,大破之,斬首數千級,章遂敗走。《魏志》曰:司馬宣王圍公孫文懿,夜有大流星,長數十丈,從首山東北墜襄平城東南,及文懿走當流星處,斬之。又近驗前代邊將敗績,多有奔星墜其營中。)
《春秋緯》にいう、大奔星が響声を帯び、望むに一団の火光に似て、それが一たび出現すれば、まさに軍隊の潰敗あり、四方は相い攻射す。原書の案語にいう、《続漢書》に記す、漢の霊帝の中平二年に、辺章・韓遂が几万の騎兵を率いて三輔を進犯した。五月の夜に流星ありて火光のごとく、長さ十幾丈、辺章・韓遂の営中に照り入り、驢馬はいずれも驚きて乱れ叫び、賊衆は不祥と認め、逃げ去らんと打算した。董卓はこれを聞いて大いに喜び、明日に兵を合わせて一斉に進攻し、大いに敵軍を破り、幾千級を斬首し、辺章・韓遂は敗逃した。《三国志・魏志》に記す、司馬宣王(司馬懿)が公孫文懿(公孫淵)を囲攻するに、夜に大流星あり、長さ数十丈、首山の東北より襄平城の東南に墜落した。公孫文懿が出逃するに及んで、ちょうど流星の墜落したあの処所で死し、斬殺された。また近世の事を以て験証すれば、前代の辺将の敗績は、多く半ば奔星が彼らの営中に墜落する有り。
石氏曰:“流星落落,如遺大光,其下有戰傷。”又曰:“赤流星,其後圓如輪,所之國有兵,其將有他意。”甘氏曰:“流星色黃,其後如一疋帛練,所之國,增地,有喜,期一百八十日。”
石申はいう、流星が紛紛として墜落し、一大片の光を遺落するがごとく、それの下方にすなわち戦事の傷亡あり。またいう、赤色の流星は、身後は円くして車輪に似て、それが去る国家に兵事あり、そこの将領は別に異心を存す。甘徳はいう、流星が黄色を呈し、身後の尾跡は一匹の白練帛に似て、それが去る国家は土地を増拓し、喜慶の事あり、応期は百八十日。
班固《天文志》曰:“漢孝昭始,兀中流星下燕萬載宮極東去;(李奇曰:極屋樑也,三輔間名為極,或曰極楝也,尋楝東去也,延篤謂之堂前欄楯也。)法曰:國恐,有誅。其後左將軍與長公主燕刺王,謀作亂,咸伏其罪。”
班固《漢書・天文志》にいう、漢の昭帝の始元年間に(原文は「始元」が「始兀」と訛る)、流星ありて燕の地の万載宮の屋極の上に降り、随いて東に向かって去った。原書の小注に李奇を引いていう、「極」とはすなわち屋梁で、三輔の一帯は屋梁を極と呼び、ある人はまた極はすなわち棟で、「尋楝して東に去る」は屋棟に沿って東に往くを講うといい、延篤はすなわち極は堂前の欄干を指すという。占法にいう、これは国中が恐慌し、誅戮の事あるべしを主る。後に左将軍の上官桀と長公主・燕刺王が合わせて乱を謀り、いずれも法に伏して罪を受けた。
《荊州占》曰:“大流星赤光照地,流而東,吳越部兵;(一書云:齊地部兵。)流而南,楚宋部兵;流而西,秦鄭部兵;流而北,燕趙部兵。”(案《宋天文志》曰:晉孝懷永嘉元年九月辛卯,有大流星自西南流於東北,小者如斗,相隨,天盡赤,聲如雷,是年五月,汲桑殺東燕王勝,遂據河北。十一月始遣和鬱為徵北將軍,鎮鄴西田甄等。大破汲桑,斬於樂凌,於是以甄為汲郡太守,弟蘭鉅鹿太守,小星相隨,小將副帥之象也。司馬越忿魏郡以東平原以南皆黨於桑,悉以賞甄等,於是侵掠桑地,有聲如雷,忿怒之象也。)
《荊州占》にいう、大流星の赤光が地を照らし、東に向かって流れ去るは、呉・越の地に兵を出す(小注:もう一本は斉の地に兵を出すと作る)。南に向かって流れ去るは、楚・宋の地に兵を出す。西に向かって流れ去るは、秦・鄭の地に兵を出す。北に向かって流れ去るは、燕・趙の地に兵を出す。原書の案語にいう、《宋書・天文志》に記す、晋の懐帝の永嘉元年九月辛卯に、大流星ありて西南より東北に飞向し、また斗のごとき大きさの小星が相随し、天空は一片に紅く透り、声响は雷のごとし。この年の五月に、汲桑が東燕王の勝を殺し、ここにおいて河北を占拠した。十一月に、朝廷は始めて和郁を遣わして征北将軍と為し、鄴城を鎮守させ、西辺に田甄らの人が汲桑を大いに破り、これを楽凌に斬殺した。ここにおいて田甄を汲郡太守と任じ、その弟の田蘭を鉅鹿太守と為した——小星が大星に跟随するは、まさに偏将・副帥の象徴である。司馬越は魏郡より以東・平原より以南の地方が皆汲桑に党附するを怨恨し、悉く以て田甄らの人に賞給し、ここにおいてこれらの人は汲桑の旧地を侵掠した。流星に声ありて雷のごとくは、すなわち忿怒の象徴である。
《荊州占》曰:“流星耀然有光,色白,長竟天者,人主之星也;星之所往,人主從之,人主不從,即將軍,若相從之;星如甕者,為發謀起事;大如桃者,為使事也。”《荊州占》曰:“流星之尾,長二三丈,耀然有光競天,其色白者,主使也;其色赤者,將軍使也。”
《荊州占》にいう、流星の光耀が目を奪い、顔色は白に発し、長くして天空の全体を横貫するは、これは君主の星である。星がいずれかに飞向すれば、君主はすなわち随いて前往す。君主がもし去らざれば、すなわち将軍あるいは丞相がそれに随いて行す。星の大きさが瓮のごとくは、謀画を興起し大事を発動するを主る。ただ桃子ほどの大きさのは、出使して差を办する事を主る。《荊州占》にまたいう、流星の尾巴が長さ二三丈、光耀は目を奪って長空を横亙し、顔色が白に発するは、君主の使者で、顔色が赤に発するは、将軍の使者である。
流星昼行 三
《黃帝占》曰:“流星名曰營頭;營頭所之下,流血滂沱,赤地三千里;若過四關,天下道不通,期不出三年。”
《黄帝占》にいう、一種の流星ありて名を「営頭」といい、営頭の降臨する処は、まさに血が流れて滂沱とし、赤地三千里と為る。もしそれが四方の関塞を掠過すれば、天下の道路はまさに断絶して通ぜず、応期は三年を出ず。これは白天に出現する流星の中の最も凶の一種である。
司馬《天文志》曰:“王莽地皇四年六月,莽使司徙王尋、司空王邑將兵;號百萬眾。驅犀象虎狼放之道路,晝有雲氣如壞山,墜其軍上,人皆似壓,所為營頭之星也;是時,光武將數千人,赴昆陽,奔擊二公兵,併力猋發,號呼聲動天地,虎狼豹驚怪散,會天大風,飛屋瓦,雨如注水;二公兵敵敗,自相賊殺者數萬人,競赴滍水,死者委積,滍水為之不流。殺司徙王尋,軍人皆散走,歸本郡;王邑還長安,莽敗,俱訴死。晉大安二年十一月辛已,有星晝隕中天,北下,有聲如雷;明年劉淵、石勒攻掠幷州,多所殘滅,王浚起燕代,百姓塗地。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す、王莽の地皇四年六月に、王莽は司徒の王尋・司空の王邑を遣わして兵を領せしめ、百万の衆と号し、さらに犀・象・虎・狼を駆りて道路上に置いて声勢を壮とした。白天に云気ありて崩れし山のごとく彼らの軍隊の上空に墜落し、人は皆おもむろに圧されるがごとく、これすなわちいわゆる「営頭」の星である。当時、光武帝の劉秀は幾千の人を率いて昆陽に赴き、直ちに王尋・王邑の二公の軍隊に沖し、力を合わせて猛攻し、呼喚の声は天地を驚かし、虎狼・豹獣は驚駭して四散した。また大風に逢い、屋瓦をも刮き飛ばし、大雨は水を傾けるがごとし。二公の軍隊は潰敗し、自ら相い践踏して残殺する幾万の人あり、争って滍水に跳び入り、尸首は堆堆積し、滍水もまたこれに因って流通すること能わず。司徒の王尋は殺され、兵士は皆散走し、各々本郡に帰り、王邑は長安に退回した。王莽は兵に敗れ、君臣は一同に誅に伏した(原文の「訴」は当に「誅」と作るべし)。また記す、晋の恵帝の太安二年十一月辛巳に、星ありて白天に中天に陨落し、北に向かって下墜し、声音は雷のごとし。第二年に劉淵・石勒が并州を攻掠し、残破は極めて多く、王浚が燕・代に兵を起こし、百姓は肝脳を地に塗った。
《洛書摘亡闢》曰:“流星晝行,亡君之誡。”甘氏曰:“星晝行,名曰營首;營首所在,有流血滂沱,則天下不通;一曰大旱,赤地千里;所謂晝行者,日未入也。”巫咸曰:“流星晝行,名曰爭明,其分有兵,國破君亡;期一年,遠三年。”京房曰:“星晝行,唯百姓不安。”《荊州占》曰:“暮若晝,有流星甚大而長,兵從之其後,散,無功。”又曰:“流星晝見,墜邑都中,有王來入都邑者。”《玉曆》曰:“流星晝行,下都邑中。赤;不出二年,外國相有來者;色白,臣謀主,不成,戮死。”
《洛書摘亡辟》にいう、流星が白天に飛行するは、亡国の君の警誡である。甘徳はいう、星が白天に飛行するを、名を「営首」といい、営首の臨む処は、まさに血が流れて滂沱とし、天下の道路は通ぜず。もう一説は大旱にして赤地千里である。いわゆる白天の飛行とは、太陽がまだ山に落ちざる時を指す。巫咸はいう、流星が白天に飛行するを、名を「争明」といい、それが対応する分野はまさに兵事あり、国は破れ君は亡び、応期は一年、遠ければ三年。京房はいう、星が白天に飛行するは、ただ百姓が安寧を得ざるのみ。《荊州占》にいう、傍晚に亮きこと白天のごとく、流星ありて極めて大きくしかも長く、兵衆はそれに随いて動き、随いて潰散し、功なくして返る。またいう、流星が白天に出現し、城邑・都会の中に墜落すれば、すなわち王と称する人ありてこの都邑に進入せん。《玉曆》にいう、流星が白天に飛行し、都邑の中に落到し、顔色が赤に発するは、二年を出ずに、外国の相の前来するあり。顔色が白に発するは、臣下が君主を図謀し、事は成らずして誅殺せらる。
班固《天文志》曰:“成帝元延元年,四月丁酉日,晡時;天清晏,殷殷如雷電,有流星,頭大如缶,長十餘丈,皎然赤白色,從日下東南去;四面或如大盆,或如雞子,耀耀如雨下,至昏止;郡國皆言星隕。《春秋》星隕如雨,王者失勢,諸侯起霸之異也。其後,王莽遂專國政,王氏之興,萌於是也。是時,已有星隕之變,後王莽遂篡國。”
班固《漢書・天文志》にいう、漢の成帝の元延元年四月丁酉のこの日、申の時の前後に、天色は清朗なるも、隠隠として轟き響くこと雷電のごとし。流星ありて出現し、頭の大きさは缶のごとく、長さ十幾丈、皎潔にして赤白色を呈し、太陽の下方より東南に向かって飞去した。四周に散落するは、あるいは大盆に似て、あるいは鶏蛋に似て、閃耀して雨の降るがごとく紛紛として落ち、黄昏に至るまでにやんで止んだ。各郡国はいずれも星の陨るを上報した。《春秋》の記す「星の隕ること雨のごとし」は、帝王が権勢を失い、諸侯が起こって覇を争うの異象である。後に王莽は果して国政を専擅し、王氏の興起は、この時に萌芽した。当時既に星陨の変異が出現し、その後王莽は終に国家を簒奪した。
流星犯日 四
《荊州占》曰:“奔星入日中,有臣欲謀其主,凡流星貫日不中者,臣謀主,事不成而戮死也。”
《荊州占》にいう、奔星が太陽の中に飞入すれば、すなわち臣子ありてその君主を図謀せんと欲す。およそ流星が太陽の旁より穿過して日体に正中せざるも、同じく臣下が君主を図謀するを主り、ただ事は成ること能わず、反って自ら誅殺せらる。
流星犯月 五
《河圖》曰:“天無雲,有流星過月下,若月上,其國有喜。”《洛書》曰:“流星入月中,不出三年,有主憂。”《海中占》曰:“流星入月中,星無光,不出其年,亡國;星出,亡國復立。”《海中占》曰:“使星入月中,女主疾。”《荊州占》曰:“流星入月中,無光,四夷侵中國,不出十月。”又:“奔星入月中,有臣謀其君。又使星入月中,有君失地者。”又曰:“使星入月中,無光,將軍戮,期十年。”
《河図》にいう、天上に云なく、流星ありて月亮の下方より掠過し、あるいは月亮の上方より掠過するは、あの国家に喜事あり。《洛書》にいう、流星が月中に進入するは、三年を出ずに、君主に憂患あり。《海中占》にいう、流星が月中に進入し、星光が随いて消失するは、当年を出ずにまさに亡国す。星がもしまた月中より飞出せば、亡びた国はなお復立すべし。《海中占》にまたいう、使星が月中に進入するは、女主に疾病あり。《荊州占》にいう、流星が月中に進入して光なきは、四方の夷狄はまさに中原を侵犯し、十箇月を出ず。またいう、奔星が月中に進入するは、臣子ありてその君主を図謀す。使星が月中に進入するは、国君ありて土地を丟失せん。またいう、使星が月中に進入して光なきは、将軍はまさに誅戮せられん、応期は十年。
流星犯五星 六
郗萌曰:“流星抵歲星,大臣弒主;一曰相戮死。”又云:“流星抵歲星,歲星沒不見,流星反為歲星,人主死,相出走。”《荊州占》曰:“使星入歲星,色蒼黑,則大農、相國死;赤,歲大病,天下飢;黃白,飢;青,足食。”
郗萌はいう、流星が木星(歳星)に抵触するは、大臣はまさに君主を弑殺せん。もう一説は丞相が誅殺されて死す。またいう、流星が歳星に抵触し、歳星が隠没して見えず、流星は反って歳星の位置を占踞するは、君主はまさに死し、丞相は出逃す。《荊州占》にいう、使星が歳星に進入し、顔色が蒼黒なるは、農事を掌る大農と相国はまさに死せん。顔色が赤に発するは、当年に疫病多く、天下は饑饉す。顔色が黄白なるも、また饑饉を主る。顔色が青に発するは、糧食は充足す。
又:“流星抵熒惑,天子將大將,國旱飢。”又:“使星入熒惑,國多讒臣,天子備火。”《黃帝》曰:“流星抵填星,後忌之。”郗萌曰:“流星抵太白,有喜令。”《天官書》曰:“流星抵太白,太白沒不見,流星反為太白,更國政令,將戮死,有內兵。”又云:“流星抵辰星,辰星沒不見;流星反為辰星,國大亂。”
またいう、流星が火星(熒惑)に抵触するは、天子はまさに大将を任命して出師せしめ、国中は旱災・饑饉す。またいう、使星が熒惑に進入するは、国中に讒佞の臣多く、天子は火災を防備せん。《黄帝占》にいう、流星が土星(填星)に抵触するは、此の後に忌避する所有らん。郗萌はいう、流星が金星(太白)に抵触するは、喜慶の政令あるべし。《史記・天官書》にいう、流星が太白に抵触し、太白が隠没して見えず、流星は反って太白の位置を占するは、国家の政令はまさに更改し、将領は誅殺せられ、さらに内乱の兵禍あるべし。またいう、流星が水星(辰星)に抵触し、辰星が隠没して見えず、流星は反って辰星の位置を占するは、国家はまさに大いに乱れん。
開元占経 巻七十二
流星占 二
流星犯東方七宿 一
流星犯角 一
石氏曰:“流星入在角,兵吏有見者。色赤,以兵繫;色黃,以土功繫;色白,以義繫;色黑,凶死;色青,以憂黜。”《黃帝》曰:“流星入角,宮中有事,貴人多死:一曰臣謀主而戮死,不出一年。”郗萌曰:“流星色赤,如缶,入兩角間而止,有來言兵事者;星前赤後黑,軍敗將死;以四方知所從來者。”又曰:“流星色黃,若白;入角亢間,有貴客來見君廟者。”《荊州占》曰:“流星色白,入兩角間,有諸侯客來者,諸侯有口令。”
石申はいう、流星が角宿の内に飞進するは、兵事を主管する官吏にすなわち行跡の敗露するあり。星色が赤に発するは、兵事に因って拘繫せらる。星色が黄に発するは、土木の工役に因って拘繫せらる。星色が白に発するは、道義の事に因って拘繫せらる。星色が黒に発するは、凶死を主る。星色が青に発するは、憂患の事に因って貶黜せらる。《黄帝占》にいう、流星が角宿に進入するは、宮中にまさに事を出し、貴人の死亡多し。もう一説は臣下が君主を図謀して誅殺せられ、一年を出ず。郗萌はいう、流星の色が赤く、形状は缶に似て、左右両角の間に飞入してすなわち停住するは、人ありて兵事を報告しに来る。星の前端が赤に発し後端が黒に発するは、軍隊の潰敗・将領の陣亡を主る。それが東西南北のいずれの方より来たるかに拠りて、兵禍のいずこより来たるかを判断すべし。またいう、流星の色が黄あるいは色が白く、角宿と亢宿の間に飞進するは、すなわち貴客ありて君王の宗廟を拝謁しに来る。《荊州占》にいう、流星の色が白く、両角の間に飞進するは、すなわち諸侯の賓客の到来あり、諸侯は別に口頭伝達の命令あり。
石氏曰:“流星從他宿入角,有鄰邦之使者。”又曰:“流星入角間,關梁不通;有軍,邊境不通。”甘氏曰:“流星出兩角間,天子大使出。”郗萌曰:“流星色黃,出右角而東,極望人主有出遊者也。”又曰:“使星出入天門間,宮移疾。”《荊州占》曰:“流星色青,出左角而東,軍憂而兵敗績;黑而光,出在角,邦多疾病;若死亡。”石氏曰:“臣欲弒其主,而戮死。”郗萌曰:“流星抵角,角不動而散,散而復合;不出其年,其國宮中有大事,貴人多死者。”又曰:“流星比於右角,流而東,軍無戰功,二國終相和也。”
石申はいう、流星が別の宿より角宿に飞進するは、すなわち隣邦の使者の到来あり。またいう、流星が両角の間に進入するは、関隘・橋梁は阻塞して通ぜず。もし軍隊あれば、辺境の道路もまた通ぜず。甘徳はいう、流星が両角の間より飞出するは、天子の大使はまさに出行せん。郗萌はいう、流星の色が黄く、右角より飞出して東に向かい、目力の尽くる処まで一直に望むは、君王に外出・巡游の事あるを主る。またいう、使星が天門の間に出入りするは、宮室の遷徙は来ること急なり。《荊州占》にいう、流星の色が青く、左角より飞出して東に向かうは、軍中に憂あり、作戦は失利す。もし黒に発して光ありて、角宿に出現するは、あの邦国は疾疫多く、あるいは死亡あり。石申はいう、これは臣下がその君主を弑殺せんと欲し、反って誅殺せらるを主る。郗萌はいう、流星が角宿に抵触し、角宿は動かずして流星は散開し、散開して後にまた重ねて聚合す。当年を出ずに、あの国家の宮中にまさに大事を出し、貴人の死亡多し。またいう、流星が右角に緊く挨いて東に向かって流れ去るは、軍隊は戦功を立てることなく、両国は最終に講和せん。
流星犯亢 二
石氏曰:“流星入亢,主宗廟事,有使者受命天廟;色赤,言兵;黃、言土;白、義;青、言憂;黑、言死。”《海中占》曰:“流星入亢中,倖臣有自殺者,期一者。”郗萌曰:“流星色黃,若白;入角亢間,有貴客來見君廟者。”又曰:“流星色黑,出亢;憂臣以口舌中事自殺,期一月,若一年。”石氏曰:“流星出亢,使臣出;以五色占之,國多兵也。”
石申はいう、流星が亢宿に進入するは、宗廟の事を主り、使者ありて天廟に任命を接受す。星色が赤に発するは兵事を主り、黄に発するは土工を主り、白に発するは義事を主り、青に発するは憂患を主り、黒に発するは死喪を主る。《海中占》にいう、流星が亢宿の中に飞進するは、寵幸の臣に自殺するあり、応期は一年(原文の「期一者」は当に「期一年」と作るべし)。郗萌はいう、流星の色が黄あるいは色が白く、角宿と亢宿の間に飞進するは、すなわち貴客ありて君王の宗廟を拝謁しに来る。またいう、流星の色が黒く、亢宿より飞出するは、憂患は臣下が口舌・是非に因って自殺するに在り、応期は一箇月、あるいは一年。石申はいう、流星が亢宿より飞出するは、使臣の外出を主り、さらに五色に按じて分別して占断す。もまた国中に兵事多きを主る。
流星犯氐 三
《黃帝》曰:“流星入氐,兵起;若國有大水。”石氏曰:“流星入氐,國相疾。流星出亢入氐中,人相食,有病從帶以下。”甘氏曰:“流星入氐,主有疾;一曰國亡。”石氏曰:“流星抵氐,國多淫女。”
《黄帝占》にいう、流星が氐宿に進入するは、まさに兵を興す。あるいは国中に大水を発す。石申はいう、流星が氐宿に進入するは、国相に病あり。流星が亢宿より飞出して氐宿の中に進入するは、人の人を食うを主り、また腰帯以下の部位の疾病を流行す。甘徳はいう、流星が氐宿に進入するは、君主に病あり。もう一種の説は国家の滅亡である。石申はいう、流星が氐宿に抵触するは、国中に淫乱の女子多し。
流星犯房 四
石氏曰:“流星入房,不出其年,主國有大喪。”甘氏曰:“流星蛇曲入房,臣殺主代王,輔臣亡;王者以赦除災,年中銷。”郗萌曰:“流星入房,王者忠臣輔弼者亡,人主以赦除咎,期二年。流星出左服,若右服,君使之諸侯,以馬為幣。”石氏曰:“流星在房,國貴人多死。流星抵房,遠鄉貢異獸班頭馬,其國君亡。”《海中占》曰:“流星絕鉤鈐,主有奔馬則敗。”
石申はいう、流星が房宿に進入するは、当年を出ずに、君主の国にまさに大喪あるべし。甘徳はいう、流星が蛇のごとく彎曲して房宿に飞進するは、臣子が君主を殺害しこれに取って代わり、輔政の大臣は死亡するを主る。君王がもし大赦を以て災殃を消除すれば、年内に化解すべし。郗萌はいう、流星が房宿に進入するは、君王の忠臣・輔弼の人はまさに死し、君主は大赦を以て咎殃を消除し、応期は二年。流星が左服星あるいは右服星より飞出するは、君主が使者を派して諸侯国に前往せしめ、馬匹を以て聘礼と為す。石申はいう、流星が房宿に停るは、国中の貴人の死亡多し。流星が房宿に抵触するは、遠方はまさに奇異の獣類と斑紋頭の馬を進貢し、あの国家の国君はまさに死せん。《海中占》にいう、流星が鉤鈐星を横断するは、馬の驚逸して奔突するありを主り、すなわち事を敗らん。
流星犯心 五
石氏曰:“流星犯心,大人憂,臣欲伐主,兵大起宮中,不出一年,遠二年。”郗萌曰:“流星犯乘明堂星,皆為大人憂,為內亂,欲伐君,近期十月,遠期三年;犯乘守太子星,太子憂;犯乘守庶子星,庶子有憂。”《荊州占》曰:“流星犯乘明堂,若不死,則去。”《黃帝》曰:“流星入心,不出其年,國有大喪,一曰弒主,期不出三年。”又曰:“使星出房,大如雞,色赤如血,入心,人主遇賊,其出心也,行道遠人主,賊人於千里之外。”
石申はいう、流星が心宿を侵犯するは、大人物に憂患あり、臣下は君主を攻伐せんと欲し、宮中は大いに兵禍を起こし、一年を出ず、遠ければ二年。郗萌はいう、流星が明堂星を侵犯あるいは凌圧するは、いずれも大人物に憂あるを主り、内乱を主り、人ありて君主を攻伐せん、近ければ十箇月に応じ、遠ければ三年。太子星を侵犯・凌圧あるいは守住するは、太子に憂あり。庶子星を侵犯・凌圧あるいは守住するは、庶子に憂あり。《荊州占》にいう、流星が明堂星を侵犯・凌圧するは、当事の人は死せずとも、また放逐せられん。《黄帝占》にいう、流星が心宿に進入するは、当年を出ずに、国中に大喪あり。もう一説は君主を弑殺する、応期は三年を出ず。またいう、使星が房宿より飞出し、大小は鶏に似て、顔色は赤くして血に似り、随いて心宿に進入するは、君主が刺客に遭遇するを主る。もしこれが心宿より飞出せば、沿路に君主を離れることますます遠く、すなわち行刺する人は千里の外に在り。
郗萌曰:“流星入心,不出其年,臣弒其主,不成,戮死。”又:“流星入心,不出其年,大臣相賊。”巫咸曰:“流星入心,有使來者;赤色,言兵;黃、言土;白,言義;青,言憂;黑,言凶。出心,大臣出使,以五色占之。”石氏曰:“流星出入心,遠國使來;星大,大國使;星小,小國使。”又:“流星起心南行,越君死。”郗萌曰:“流星起心,至北斗,趙君死。流星抵心,不出一年,國有大喪。使星入天子宮,留十月,有來聘。”
郗萌はいう、流星が心宿に進入するは、当年を出ずに、臣下が君主を弑殺し、事は成らずして誅殺せらる。またいう、流星が心宿に進入するは、当年を出ずに、大臣の間は互いに残り害す。巫咸はいう、流星が心宿に進入するは、使者の到来あり。色赤は兵事を主り、色黄は土工を主り、色白は義事を主り、色青は憂患を主り、色黒は凶禍を主る。もし心宿より飞出せば、すなわち大臣の出使で、同じく五色に按じて分別して占断す。石申はいう、流星が心宿に出入りするは、遠方の国に使者の前来あり。星大ききは、大国の使者で、星小さきは、小国の使者である。またいう、流星が心宿に起こりて南に向かって飛行するは、越国の国君はまさに死せん。郗萌はいう、流星が心宿に起こりて、一直に北斗に飛至するは、趙国の国君はまさに死せん。流星が心宿に抵触するは、一年を出ずに、国中に大喪あり。使星が天子の宮垣に進入し、十箇月停留するは、すなわち外国の聘問しに来るあり。
流星犯尾 六
《聖洽符》曰:“流星入尾,妃后有憂,若有黜者:一曰賊人女當有暴貴者。”又:“流星入尾,前青而後白,人主死;從酉至黃昏,期六十日;將軍行,從夕至人定,期九十日,將軍行。”石氏曰:“流星入尾,色青黑,故臣有敗身者;流星出尾,色青黑,臣有逃者。”
《聖洽符》にいう、流星が尾宿に進入するは、妃后に憂患あり、あるいは廃黜せらるるあり。もう一説は仇家の女子の中に驟然に顕貴となる有らん。またいう、流星が尾宿に進入し、前端は青に発し後端は白に発するは、君主はまさに死せん。もし酉の時より黄昏の間に出現すれば、応期は六十日、将軍はまさに出行せん。もし入夜より人定の間に出現すれば、応期は九十日、将軍はまさに出行せん。石申はいう、流星が尾宿に進入し、顔色が青黒なるは、旧臣の中に身敗名裂するあり。流星が尾宿より飞出し、顔色が青黒なるは、臣子ありて出逃す。
流星犯箕 七
巫咸曰:“流星入箕,宮人有來者,及有獻女者。”(甘伯曰:期一年。)《百二十占》曰:“流星入箕,客有來者。”巫咸曰:“流星出箕,宮人有出者。”(甘伯曰:期一年。)《百二十占》曰:“流星出箕,大臣有棄捐者。”
巫咸はいう、流星が箕宿に進入するは、宮人の到来あり、また人ありて女子を進献す(原書の小注に甘伯を引いていう、応期は一年)。《百二十占》にいう、流星が箕宿に進入するは、賓客の到来あり。巫咸はいう、流星が箕宿より飞出するは、宮人の外出あり(原書の小注に甘伯を引いていう、応期は一年)。《百二十占》にいう、流星が箕宿より飞出するは、大臣の中に棄置せられ用いられざるあり。
流星犯北方七宿 二
流星犯南斗 一
《感精符》曰:“流星入南斗,有使來入國者;色赤,兵;黃,土;白,義;青,憂;黑,死。”《海中占》曰:“流星入南斗,當有鄰國使來,不出百八十日。”《二十八宿山經》云:“有流星入斗散絕;穀貴,四年之中,異姓為主,人民勞。”石氏曰:“流星出南斗,大臣有出使者,以五色占之。”郗萌曰:“流星從南斗走北斗,其國有赦令;期在正月、二月中。”
《感精符》にいう、流星が南斗に進入するは、使者ありて国に前来す。色赤は兵事を主り、色黄は土工を主り、色白は義事を主り、色青は憂患を主り、色黒は死亡を主る。《海中占》にいう、流星が南斗に進入するは、当に隣国の使者の到来あるべく、百八十日を出ず。《二十八宿山経》にいう、流星ありて南斗に飞進して散滅断絶するは、穀価の騰貴を主り、四年の内に異姓の人の君主を為すあり、百姓は労苦す。石申はいう、流星が南斗より飞出するは、大臣の中に出使するあり、五色に按じて分別して占断す。郗萌はいう、流星が南斗より北斗に奔向するは、あの国家はまさに赦令を頒布し、応期は正月・二月の中に在り。
流星犯牽牛 二
《荊州占》曰:“流星干牽牛,大將出,期八十日。”《文曜鉤》曰:“流星入牽牛,當有鄰國使者來,不出百八十日。”郗萌曰:“流星入牽牛,客有四足蟲為幣來者;色青,道病;色黑,道死,不至。”《荊州占》曰:“流星色赤,入天鼓,將受命於主;出天鼓,將出;如星所之,以占四方。”《百二十占》曰:“流星出牽牛,遠使出也;期百八十日,遠一年。”
《荊州占》にいう、流星が牽牛宿を干犯するは、大将はまさに出師し、応期は八十日。《文曜鈎》にいう、流星が牽牛に進入するは、当に隣国の使者の到来あるべく、百八十日を出ず。郗萌はいう、流星が牽牛に進入するは、賓客ありて四足の牲畜を帯びて礼幣と為して前来す。星色が青に発するは、来使は途中に病む。星色が黒に発するは、来使は路上に死し、到ること能わず。《荊州占》にいう、流星の色が赤く、天鼓星に飞進するは、将領がまさに君主より任命を接受するを主る。天鼓より飞出するは、将領のまさに出征するを主る。星の去る方向に按じて、四方の兵事を占断す。《百二十占》にいう、流星が牽牛より飞出するは、遠行の使者の出発で、応期は百八十日、遠ければ一年。
《宋天文志》曰:“晉安帝隆安五年二月甲寅,流星色赤,眾多西行,經牽牛、虛、危、天津、閣道,貫太微、紫宮;占曰:‘星者,庶民類,眾多西行,民將西流之象。經行天子廷,主弱臣強,諸侯兵不制。’五年三月,孫恩攻高雅之。五月,侵吳郡;內史袁嵩出戰,為賊所殺。六月,孫恩至京口,高雅之擊破之,恩進軍蒲州,於是內外戒嚴,營陣七守,柵斷淮口。十月,司馬元顯大治水軍,將以伐桓玄。元興元年,孫恩在臨海,人眾餓死散亡,恩亦投水死,吳郡吳興,戶口減半,又流奔而西者,不可計。十月,桓玄遣將擊劉軌,破走之,二年,玄纂位,遷帝尋陽。”
《宋書・天文志》に記す、晋の安帝の隆安五年二月甲寅に、赤色の流星ありて群れを成して西に向かって飛行し、牽牛・虚・危・天津・閣道を経過し、一直に太微垣と紫微宮を貫穿した。占辞にいう、星は庶民の類の象徴で、衆星が西に向かって飛行するは、まさに百姓がまさに西に遷り流亡せんの徴象である。それが天子の宮廷を経行するは、すなわち君弱く臣強き・諸侯の軍隊が節制を受けざるを主る。この年の三月に、孫恩が高雅之を進攻した。五月に呉郡を侵犯し、内史の袁嵩は出戦して賊衆に殺された。六月に孫恩は京口に打ち至り、高雅之はこれを撃破し、孫恩は転じて蒲州に進軍し、ここにおいて内外に戒厳し、営陣は厳かに防守を加え、木栅を以て淮口を攔断した。十月に、司馬元顕は大規模に水軍を整治し、桓玄を討伐せんことを準備した。元興元年に、孫恩は臨海に退き、部衆は餓死・流散し、孫恩もまた自ら水に投じて死した。呉郡・呉興の両地の戸口は半分に減少し、別に流亡して西に奔逃するは、数え尽くすこと能わざるほど多し。この年の十月に、桓玄は将領を派して劉軌を攻打し、これを撃破し逐走した。元興二年に、桓玄は位を簒い、晋の安帝を尋陽に遷した。
流星犯須女 三
石氏曰:“流星入須女,天子有納美女者;若出須女,女御有使者;干須女,貴女下獄;期百八二日。”《文曜鉤》曰:“流星抵須女,女主有逆謀於君,有戮死者,期不出一年,遠二年。”
石申はいう、流星が須女宿に進入するは、天子はまさに美女を納娶せん。もし須女宿より飞出せば、女御の中に使者を充当するあり。もし須女宿を干犯せば、貴族の女子はまさに獄に下らん、応期は百八十日(原文の「百八二日」は当に「百八十日」の誤りなるべし)。《文曜鈎》にいう、流星が須女宿に抵触するは、女主は君主に叛逆の図謀を懐き、人ありてこれに因って誅殺せられん、応期は一年を出ず、遠ければ二年。
流星犯虚 四
《文曜鉤》曰:“流星入虛,人主大憂,臣下相賊,拔邑若國亡,期三年。”石氏曰:“流星入虛;色青,哭泣事;色黃白,有來受賜者。”郗萌曰:“奔星以乙丑日流入須女、虛、危之間,為民流。”占曰:“流星色赤;若蒼黑,入虛危,有拔邑。又流星數從虛危中出者,貴人往求醫藥。”石氏曰:“流星出虛,臣有出使者。”
《文曜鈎》にいう、流星が虚宿に進入するは、君主に大憂患あり、臣下は互いに残り害し、城邑は攻拔せられ、あるいは国家は滅亡し、応期は三年。石申はいう、流星が虚宿に進入し、顔色が青に発するは、哭泣の喪事を主る。顔色が黄白なるは、人ありて賞賜を接受しに前来す。郗萌はいう、奔星が乙丑のこの日に須女・虚・危の三宿の間に飞入するは、百姓の流亡を主る。占辞にいう、流星の顔色が赤に発し、あるいは蒼黒にして、虚宿・危宿に飞入するは、すなわち城邑の攻拔せらるるあり。また流星が屢々虚・危の中より飞出するは、貴人の医を求め薬を問いに往くを主るという。石申はいう、流星が虚宿より飞出するは、臣下の中に出使するあり。
流星犯危 五
石氏曰:“流星入危,小人乘君子位。”甘氏曰:“流星入危,天下不安,期一年。”巫咸曰:“流星入危,天下不安,其國有憂,下欲謀上;期百八十日,遠一年。”《百二十占》曰:“流星入危,蓋房之事,出危,發屋之事;色赤,火發;色黑,水發;色青,憂發,色黃,以好發。”
石申はいう、流星が危宿に進入するは、小人が君子の位置を窃据す。甘徳はいう、流星が危宿に進入するは、天下は安からず、応期は一年。巫咸はいう、流星が危宿に進入するは、天下は安からず、あの国家に憂患あり、下位に居る人は上位に在る人を図謀せんと欲す。応期は百八十日、遠ければ一年。《百二十占》にいう、流星が危宿に進入するは、房を蓋い屋を修むる事あるを主る。危宿より飞出するは、屋を拆く事あるを主る。星色が赤に発するは、事は火災に因って起こる。色黒は、水患に因って起こる。色青は、憂患に因って起こる。色黄は、すなわち喜慶・嗜好の事に因って起こる。
石氏曰:“流星入危中,若從危出;不出一年,大水,萬民飢,賣畜生財物,不能自食。”郗萌曰:“流星入危,色赤,以人為幣;之危右,以兵為幣;之危左,色青,以圭為幣,白,以四足蟲為幣;黃,以貝為幣。”石氏曰:“流星抵危,色赤,為兵,期一年;黃,土功;白,喪,期一年;黑,死;有分國。”又云:“流星成對,抵危,中國與北狄交兵。”
石申はいう、流星が危宿の中に飞進し、あるいは危宿より飞出するは、一年を出ずにまさに大水を発し、万民は饑饉し、牲畜・財物を皆売り尽くしてもなお自ら養うこと能わず。郗萌はいう、流星が危宿に進入し、顔色が赤に発するは、人口を以て礼幣と為す。危宿の右辺に飞向するは、兵器を以て礼幣と為す。危宿の左辺に飞向して色青なるは、玉圭を以て礼幣と為す。色白なるは、四足の牲畜を以て礼幣と為す。色黄なるは、貝幣を以て礼幣と為す。石申はいう、流星が危宿に抵触し、色赤は兵事を主り、応期は一年。色黄は土木の工役を主る。色白は喪事を主り、応期は一年。色黒は死亡を主り、しかも国土はまさに分割せられん。またいう、流星が双を成して対を成して危宿に抵触するは、中原はまさに北方の狄人と交戦せん。
流星犯営室 六
《帝覽嬉》曰:“流星入營室,其君淫泆,宮中有憂;若有變事。”郗萌曰:“奔星以冬至前後三日入營室中,國有急事。”石氏曰:“流星入營室,有使者來。赤、言兵;黃,土;白,義;青,客凶;黑、客死。”《黃帝占》曰:“流星,一曰奔星,出營室,人主去其國;若有內亂,兵起宮中,王者有憂。”
《帝覧嬉》にいう、流星が営室宿に進入するは、そこの国君は淫佚・放縦し、宮中に憂患あり、あるいは変故を出さん。郗萌はいう、奔星が冬至の前後三日の内に営室宿の中に飞進するは、国中に急事あり。石申はいう、流星が営室に進入するは、使者の到来あり。色赤は兵事を主り、色黄は土工を主り、色白は義事を主り、色青は来客に凶あり、色黒は来客はまさに死せん。《黄帝占》にいう、流星(また奔星と呼ぶ)が営室より飞出するは、君主はまさにその国家を離れん。あるいは内乱が発生し、兵禍は宮中より起こり、君王に憂患あり。
郗萌曰:“流星出營室,有使,以五色占之。”石氏曰:“流星同上。”《北官候》曰:“大奔星,色赤,流抵營室,有凶;其國貴人有死者。上旬見,為老年;來月上旬死;中旬見,為中年,來月中旬死;下旬見,為盛壯,來月下旬死。”
郗萌はいう、流星が営室より飞出するは、使者の出行あるを主り、五色に按じて分別して占断す。石申の説法は上と同じ。《北官候》にいう、大奔星の顔色が赤に発し、飞去して営室に抵触するは、凶事あり。あの国家の貴人の中に死亡するあり。もし上旬に出現すれば、年老いた人に応じ、下箇月の上旬に死す。中旬に出現すれば、中年の人に応じ、下箇月の中旬に死す。下旬に出現すれば、壮年の人に応じ、下箇月の下旬に死す。
流星犯東壁 七
石氏曰:“流星干東壁,大國分兵。”《荊州占》曰:“流星犯東壁,能文章者死。”石氏曰:“流星出入東壁,主文章者有憂。”又曰:“入之,有祭廟之事。”郗萌曰:“使星從西壁出,入東壁;人主用故臣。”(營室一名西壁)石氏曰:“流星抵東壁,有大臣往使四夷。”
石申はいう、流星が東壁宿を干犯するは、大国はまさに兵を分かたん。《荊州占》にいう、流星が東壁を侵犯するは、文章に擅長の人はまさに死せん。石申はいう、流星が東壁に出入りするは、文章・図籍を主管する人に憂患あり。またいう、流星が東壁に飞入するは、宗廟を祭祀する事あり。郗萌はいう、使星が西壁より飞出し、東壁に進入するは、君主はまさに旧臣を起用せん。原書の小注にいう、営室はまた西壁と呼ぶ。石申はいう、流星が東壁に抵触するは、大臣ありて四方の夷狄に出使せん。
流星犯西方七宿 三
流星犯奎 一
郗萌曰:“流星入奎,有破軍死將。”《甄曜度》曰:“流星入奎,有溝瀆之事,若有使來之國者;使出之他國,不出百八十日,當以沖日為期。”劉壘曰:“流星流入奎,有溝瀆之事於國內;出奎,有溝瀆之事於國外。”
郗萌はいう、流星が奎宿に進入するは、軍隊の潰敗・将領の陣亡の事あるべし。《甄曜度》にいう、流星が奎宿に進入するは、渠を開き溝を挖くの類の水土の工程あり、あるいは使者ありて本国に前来す。もし使者が別国に出使するは、百八十日を出ずに、当にそれと相冲する日を以て応期と為すべし。劉塁はいう、流星が奎宿に飞進するは、渠を開き溝を挖く事は国内に於て行る。奎宿より飞出するは、渠を開き溝を挖く事は国外に於て行る。
《宋書天文志》曰:“晉成帝咸康三年六月辛未,有流星大如二斗魁,色青赤,耀地,出奎中沒婁北;占曰:‘為民飢,五穀不藏。’是月,大旱。”又:“宋文帝元嘉七年十二月丙戍,有流星頭如甕,尾長二十餘丈,大如數十斛船,色赤,有光耀人面,從天船西行,比奎北大星,南過至東壁止。其年索虜寇青州,殺刺史,掠居民。遣徵南大將軍檀道濟討伐,經宿乃敗。”
《宋書・天文志》に記す、晋の成帝の咸康三年六月辛未に、流星ありて大きさは二つの斗魁のごとく、顔色は青の中に赤を帯び、光は地面を照らし、奎宿の中より飞出し、婁宿の北に没入した。占辞にいう、百姓の饑饉を主り、五穀は収蔵すべきなし。この月に果して大旱であった。また記す、宋の文帝の元嘉七年十二月丙戌に、流星ありて頭の大きさは瓮のごとく、尾巴の長さは二十余丈、全体の大きさは一艘の几十斛の船のごとく、顔色は赤に発し、光亮は人の面孔を照見し、天船星より西に向かって飛行し、奎宿の北辺の大星に挨着して、南に向かって掠過し、東壁宿に至りてこそ止住した。この年に索虜(北魏)が青州を進犯し、刺史を殺死し、居民を擄掠した。朝廷は征南大将軍の檀道済を派して往きて討伐せしめたが、一夜を過ぎてすなわち敗績を告げた。
流星犯婁 二
石氏曰:“流星入婁,有聚眾之事於國內;一曰白衣之會,大人為亂,期三年。”《百二十占》曰:“流星入婁,有聚眾之事。”《流星占》曰:“流星抵婁,貴賤相謀。”
石申はいう、流星が婁宿に進入するは、国内に人衆を聚集する事あり。もう一説は喪服を穿きて聚会する喪事あり、大人物は乱を作し、応期は三年。《百二十占》にいう、流星が婁宿に進入するは、衆を聚むる事あり。《流星占》にいう、流星が婁宿に抵触するは、尊貴の人と卑賤の人は互いに図謀す。
流星犯胃 三
《聖洽符》曰:“流星入胃,有穀粟之稅入;若出之,則有出粟。”石氏曰:“流星入胃,保倉之事入於其國內;流星出胃,保倉之事出於其國外。”
《聖洽符》にいう、流星が胃宿に進入するは、穀粟の租税の収め入るるあり。もしこれが胃宿より飞出せば、すなわち糧食の調撥し出るあり。石申はいう、流星が胃宿に進入するは、倉廩を看守する事は国内に於て行る。流星が胃宿より飞出するは、倉廩を看守する事は国外に於て行る。胃宿はもともと倉廪の穀を積むを主る。ゆえに専ら糧儲の出入りに応ず。
流星犯昴 四
《文曜鉤》曰:“流星入昴,四夷交兵,白衣之會;若貴人有急下獄,期三年;若出昴,士眾滿野;若他國有使至;期百八十日,遠一年。”石氏曰:“流星入昴,貴人有繫囚者。”
《文曜鈎》にいう、流星が昴宿に進入するは、四方の夷狄は交々に兵を用い、さらに喪服を穿きて聚会する喪事あるべし。あるいは貴人の緊急に獄に下せらるるあり、応期は三年。もしこれが昴宿より飞出せば、すなわち兵士は原野に遍布するを主り、あるいは別国に使者の到来あり、応期は百八十日、遠ければ一年。石申はいう、流星が昴宿に進入するは、貴人の中に拘繫せられ囚と為るあり。
《論語讖》曰:“堯率舜等遊於首山,觀於河,有五老遊於河渚,五老曰:‘《河圖》將來,告帝期’;二老曰:‘《河圖》將來,告帝謀’;五老曰:‘《河圖》將來,告帝書’;龍銜玉苞,金泥玉檢,封盛書;五老飛為流星,上入昴。”《甄曜度》曰:“流星出昴,胡兵起,士眾滿野;若邊國有死王,期一年,遠二年。”韓楊曰:“流星成對抵昴,中國與四夷交兵。”
《論語讖》にいう、帝尭は虞舜らの人を帯領して首山を巡游し、黄河の辺に至りて觀覧するに、五位の老人が河中の洲渚の上に游玩するを見た。五老はいう、《河図》はまさに降臨せんとして、帝尭に天命の期数を告ぐ。二老はいう、《河図》はまさに降臨せんとして、帝尭に籌謀の事を告ぐ。五老にまたいう、《河図》はまさに降臨せんとして、帝尭に図書を告ぐ。ここにおいて龍ありて玉製の書匣を衔えて出で、金泥を以て封緘し玉検を以て印を加え、裏面にあの巻の図書を盛る。あの五位の老人はすなわち随いて飛び化して流星と成り、上に向かって昴宿に飞入した。《甄曜度》にいう、流星が昴宿より飞出するは、胡人はまさに兵を起こし、兵士は原野に遍布す。あるいは辺地の国に君王の死去するあり、応期は一年、遠ければ二年。韓楊はいう、流星が双を成して対を成して昴宿に抵触するは、中原はまさに四方の夷狄と交戦せん。
流星犯畢 五
《荊州占》曰:“流星干犯畢,邊兵大戰。”《黃帝》曰:“流星入畢中而復不出;其星小,小赦;其星大,大赦。”《海中占》曰:“流星入畢,其君有大憂,先起兵者,兵破亡,若有逐相,以其入日占,期百八十日,遠一年。”
《荊州占》にいう、流星が畢宿を干犯するは、辺境の軍隊はまさに大戦あるべし。《黄帝占》にいう、流星が畢宿の中に飞進して再び飞出せざるは、あの星が小さきは、小赦あり。あの星が大ききは、大赦あり。《海中占》にいう、流星が畢宿に進入するは、そこの国君に大憂患あり。先に兵を動かす方は、軍隊はまさに潰敗滅亡し、あるいは丞相の駆逐せらるるあり。それが飞入したあの日の干支に按じて以て占断し、応期は百八十日、遠ければ一年。
郗萌曰:“奔星以己巳日流而之參濁,其國有流民。”(濁謂畢也)《西官候》曰:“流星入畢,貴人有囚繫者。”《百二十占》曰:“流星入畢,有兵革之謀;出畢,有畋獵之事。”石氏曰:“流星出畢。邊軍大戰,貴人多有繫囚者。”
郗萌はいう、奔星が己巳のこの日に参宿の「濁」の処に飞向するは、あの国家に流亡の百姓あり。原書の小注にいう、いわゆる「濁」とは、指すはすなわち畢宿である。《西官候》にいう、流星が畢宿に進入するは、貴人の中に囚禁せらるるあり。《百二十占》にいう、流星が畢宿に進入するは、兵を興し武を動かすの図謀あり。畢宿より飞出するは、すなわち田猟の事あり。石申はいう、流星が畢宿より飞出するは、辺境の軍隊はまさに大戦あるべく、貴人の中に拘繫せられ囚と為る多し。
流星犯觜 六
《荊州占》曰:“流星干犯觜,其國兵起,破亡。”石氏曰:“流星入觜,太子使也,外宿中來,則外也;四十丈至一百丈,將軍使;十丈至三十丈,小使者;皆不出一年。流星入觜中,有師旅之事於國內。”《荊州占》曰:“流星入觜中,大臣有倍其主者。”《玄冥占》曰:“流星入觜中,大臣叛主,大兵聚,車馬將急行,人主有憂;期百八十日,若一年。”《百二十占》曰:“流星出觜,有師旅之事於國外;一曰兵罷也。”
《荊州占》にいう、流星が觜宿を干犯するは、あの国家はまさに兵を興し、破敗・滅亡に至らん。石申はいう、流星が觜宿に進入するは、太子の使者を主る。もしこれが別の宿より飞進して来るは、すなわち外来の使者である。星の長さが四十丈より百丈に至るは、将軍の使者で、十丈より三十丈に至るは、低階の小使者で、いずれも一年を出ずして応験す。流星が觜宿の中に飞進するは、国内に軍旅の事あり。《荊州占》にいう、流星が觜宿の中に飞進するは、大臣の中にその君主を背叛するあり。《玄冥占》にいう、流星が觜宿の中に飞進するは、大臣は君主を叛離し、大軍は聚集し、車馬はまさに緊急に出動し、君主に憂患あり。応期は百八十日、あるいは一年。《百二十占》にいう、流星が觜宿より飞出するは、国外に軍旅の事あり。もう一説は兵事はこれに就いて罷休す。
流星犯参 七
《流星占》曰:“使星色赤,若蒼黑,於參傍行;人死於中央,縣令死。”《黃帝占》曰:“流星入參,不出其年,兵起,先起者破,一曰客軍破。”(案《績漢書天文志》曰:孝和永元年正月辛亥,有流星起參,長四丈,有光,色黃白。二月,流星起天棓,東北行三丈所滅,色青白。壬申夜,有流星起太微東蕃,長三丈。三月丙辰,流星起天津。壬戍,有流星起天將軍,東北行。參為邊兵,天棓為兵,太微天廷,天津為水,天將軍為兵,流星起之皆為兵。其年六月,遣車騎將軍竇憲等出朔方,日逐王等八十一部降,凡三十餘萬人,追單于至四海,是歲七月,又雨水,漂人民,是其應也。)
《流星占》にいう、使星の顔色が赤に発し、あるいは蒼黒にして、参宿の旁に飛行するは、人ありて中央の地に死し、県令はまさに死せんを主る。《黄帝占》にいう、流星が参宿に進入するは、当年を出ずにまさに兵を興し、先に兵を動かす方は潰敗す。もう一説は客軍(遠道より来たりて攻むる方)が潰敗す。原書の案語にいう、《続漢書・天文志》に記す、漢の和帝の永元元年正月辛亥に、流星ありて参宿に起こり、長さ四丈、光あり、顔色は黄白。二月に、流星ありて天棓に起こり、東北に向かって三丈飛行してすなわち熄滅し、顔色は青白。壬申の夜に、流星ありて太微垣の東藩に起こり、長さ三丈。三月丙辰に、流星ありて天津に起こる。壬戌に、流星ありて天将軍に起こり、東北に向かって飛行す。参宿は辺兵を主り、天棓は兵を主り、太微は天上の朝廷で、天津は水を主り、天将軍は兵を主る。流星がこれらの星に起こるは、いずれも兵事を主る。この年の六月に、朝廷は車騎将軍の竇憲らを派して朔方に出兵せしめ、日逐王ら八十一部は帰降し、共に三十余万人で、一直に単于を四海に追撃した。この年の七月にまた大水を下り、百姓を漂没した——これらはいずれもあの幾次の流星の応験である。
《聖洽符》曰:“流星入參中,不出其年,國有破軍。”《文耀鉤》曰:“流星入參,有兵起,客軍破;若出參,中國之米粟大賤,一曰先起兵者亡,後起兵者昌,期二年。”石氏曰:“流星入參,國內均衡石之事;色青黑,不出其年,兵起。”郗萌曰:“流星赤,之參正星,若之伐正星;出右,以兵為幣;之左,以人為幣,之右;以金帛為幣;一曰兵,一曰幣。”
《聖洽符》にいう、流星が参宿の中に飞進するは、当年を出ずに、国中に軍隊の潰敗あり。《文耀鈎》にいう、流星が参宿に進入するは、兵事の興起あり、客軍は潰敗す。もしこれが参宿より飞出せば、中原の米粟はすなわち大いに便宜なり。もう一説は先に兵を起こす方は滅亡し、後に兵を起こす方は昌盛し、応期は二年。石申はいう、流星が参宿に進入するは、国内にまさに権衡・斗石を校平する事あるべし。星色が青黒なるは、当年を出ずにまさに兵を興す。郗萌はいう、流星が赤に発し、参宿の正星に飞向し、あるいは伐星の正星に飞向す。右辺より飞出するは、兵器を以て礼幣と為す。左辺に飞向するは、人口を以て礼幣と為す。右辺に飞向するは、金帛を以て礼幣と為す。一説は兵事を主り、一説は貢幣を主る。
《文耀鉤》曰:“流星出參,象弓矢,兵大起。”郗萌曰:“流星色赤,從東方來,至伐而止,此來兵大敗吾軍也。奔星以己巳日流而之參濁之間,其國有流民。流星出南門,以刺參,不出十六年,有一國王兼有天下;南門,東井也。流星出參,國粟米賤。”石氏曰:“流星出參,有均衡石之事於國外。”《黃帝占》曰:“使星守參右,穀貴;參左,五穀賤。”
《文耀鈎》にいう、流星が参宿より飞出し、形状は弓箭に似るは、大挙して兵を興せん。郗萌はいう、流星の顔色が赤に発し、東方より飞来し、伐星に至りてすなわち停住するは、これは来犯の兵がまさに我が軍を大いに敗るの征象である。奔星が己巳日に参宿と「濁」(即ち畢宿)の間に飞至するは、あの国家に流亡の百姓あり。流星が南門より飞出し、直ちに参宿を刺すは、十六年を出ずに、一国の王ありて天下を兼并せん。いわゆる南門とは、指すは東井宿である。流星が参宿より飞出するは、国中の粟米は価賤し。石申はいう、流星が参宿より飞出するは、国外にまさに権衡・斗石を校平する事あるべし。《黄帝占》にいう、使星が参宿の右辺に守るは、穀価は昂貴し。参宿の左辺に守るは、五穀は価賤し。
流星犯南方七宿 四
流星犯東井 一
《荊州占》曰:“流星干犯東井,大臣謀其國,有兵,期百八十日也。”石氏曰:“流星入東井,其國君死。”甘氏曰:“流星入東井,有水令;從來者,其分國亡。”巫咸曰:“流星入東井,其國若以水亡;其分民飢,期三年。”郗萌曰:“流星入東井,水與城等。”
《荊州占》にいう、流星が東井宿を干犯するは、大臣はその国家を図謀し、兵事あるべく、応期は百八十日。石申はいう、流星が東井に進入するは、あの国家の国君はまさに死せん。甘徳はいう、流星が東井に進入するは、水に関する政令あり。もしこれが別処より飞来するは、それが対応する分野の国はまさに滅亡せん。巫咸はいう、流星が東井に進入するは、あの国家は或いは水災に因って亡びん。それの分野の内の百姓は饑饉し、応期は三年。郗萌はいう、流星が東井に進入するは、洪水はまさに城墻と同じく高きに漲らん。
《百二十占》曰:“流星入東井,有水事於國中。”《黃帝占》曰:“流星出柳入東井,人主浮舟。”郗萌曰:“流星出入東井,所之國大水。”《百二十占》曰:“流星出東井,有水事於國外;一曰水有絕者。”
《百二十占》にいう、流星が東井に進入するは、国中に水に関する事あり。《黄帝占》にいう、流星が柳宿より飞出して東井に進入するは、君主はまさに船を乗りて漂行せん。郗萌はいう、流星が東井に出入りするは、それが去る国家に大水あり。《百二十占》にいう、流星が東井より飞出するは、国外に水に関する事あり。もう一説は水源に断絶するあり。東井はもともと水衡を主る。ゆえにこの一宿の流星占は多く水事の上に応ず。
流星犯輿鬼 二
《感精符》曰:“流星犯輿鬼,中國與南蠻通,四夷來貢;一曰有宗廟祠祀事。”《百二十占》曰:“流星入輿鬼,有祠事於國內。”《五星總占》曰:“流星交抵輿鬼,中國與南蠻交兵。”郗萌曰:“奔流星抵輿鬼,貴人有戮死。”又曰:“奔星有光如火散,且行輿鬼,上大臣得賜,期六月。”
《感精符》にいう、流星が輿鬼宿を侵犯するは、中原は南方の蛮族と相通じ、四方の夷狄は前来して進貢す。もう一説は宗廟の祭祀の事あり。《百二十占》にいう、流星が輿鬼に進入するは、国内に祭祀の事あり。《五星総占》にいう、流星が交錯して輿鬼に抵触するは、中原はまさに南方の蛮族と交戦せん。郗萌はいう、奔・流星が輿鬼に抵触するは、貴人の中に誅殺せらるるあり。またいう、奔星が光を帯び、火花の四散するがごとく、しかも輿鬼の上方より飞过するは、大臣が賞賜を得るを主り、応期は六箇月。
流星犯柳 三
《荊州占》曰:“流星干犯柳,周國當之,期九十日。”《聖洽符》曰:“流星入柳,名木有來者;若出,名木有出者。”《百二十占》曰:“流星抵柳,名山林有國受伐者。”
《荊州占》にいう、流星が柳宿を干犯するは、災応は周の地に落ち、応期は九十日。《聖洽符》にいう、流星が柳宿に進入するは、名貴の木材の運び入るるあり。もしこれが飞出するは、すなわち名貴の木材の運び出るあり。《百二十占》にいう、流星が柳宿に抵触するは、名山・大林の中に国家に砍伐せらるるあり。
流星犯七星 四
郗萌曰:“流星干七星,國有兵,不出百八十日。”《黃帝占》曰:“流星入七星,客有以急使來者;若出之,王者有吉事出使;期百八二日,若一年。”《宋書天文志》曰:“流星大如斗,出柳北行,尾十餘丈,入紫宮沒,尾後餘光良久乃滅;占曰:‘天下凶,有兵喪,天子惡之。’武帝、文穆後,相繼崩。”
郗萌はいう、流星が七星宿を干犯するは、国中に兵事あり、百八十日を出ず。《黄帝占》にいう、流星が七星宿に進入するは、賓客ありて緊急の使者を派して前来す。もしこれが中より飞出するは、すなわち君王に吉慶の事ありて人を派して出使せしむ。応期は百八十日、あるいは一年(原文の「百八二日」は当に「百八十日」と作るべし)。《宋書・天文志》に記す、流星ありて大きさは斗のごとく、柳宿より飞出して北に向かって行き、尾の長さは十幾丈、紫微宮に飞入して隠没し、尾後の余光は久しきを過ぎてこそ消失した。占辞にいう、天下に凶事あり、兵禍と喪事あるべく、天子はまさにこれがために憂悪せん。後に武帝と文穆皇后は相継いで去世した。
流星犯張 五
石氏曰:“流星入張,有使來納幣者;又云:諸侯有謀者,若有人君使人於諸侯;一曰天下有遷徙之民,期三年。”郗萌曰:“流星入張,諸侯有來賜吾君近臣者;出張,君賜諸侯臣。”石氏曰:“流星出張,諸侯有受賜者。”
石申はいう、流星が張宿に進入するは、使者ありて聘幣を送納しに前来す。またいう、諸侯の中に不軌を図謀する人あり、あるいは君主は人を派して諸侯に出使せしむ。もう一説は天下に遷徙・流亡の百姓あり、応期は三年。郗萌はいう、流星が張宿に進入するは、諸侯の中に我が君主の近臣に前来して賞賜するあり。張宿より飞出するは、すなわち君主が諸侯の臣に賞賜す。石申はいう、流星が張宿より飞出するは、諸侯の中に賞賜を接受するあり。
流星犯翼 六
《荊州占》曰:“流星干犯翼,國君大臣有憂,遠期百八十日。”《黃帝占》曰:“流星入翼,貴人有繫者。”石氏曰:“流星入翼,倍海國有來使者,以神鳥為貢;色黃,無故;青,道病死;黑,死不至。”《海中占》曰:“流星入翼,其國用兵,大臣有憂;若抵翼,天下尊諸侯,期百八十日。”(《玉曆》曰:一年。)石氏曰:“流星出翼,倍海國受賜。流星抵左翼,天下尊諸侯。”
《荊州占》にいう、流星が翼宿を干犯するは、国君と大臣に憂患あり、最遠の応期は百八十日。《黄帝占》にいう、流星が翼宿に進入するは、貴人の中に拘繫せらるるあり。石申はいう、流星が翼宿に進入するは、海外の国に使者の到来あり、神異の鳥類を以て貢品と為す。星色が黄に発するは、一路に平安無事。青に発するは、来使は途中に病死す。黒に発するは、来使は死し、到ること能わず。《海中占》にいう、流星が翼宿に進入するは、あの国家はまさに兵を用い、大臣に憂患あり。もし翼宿に抵触せば、天下は諸侯を尊崇し、応期は百八十日(原書の小注に《玉曆》を引いていう、応期は一年)。石申はいう、流星が翼宿より飞出するは、海外の国は賞賜を接受す。流星が左翼に抵触するは、天下は諸侯を尊崇す。
《宋書天文志》曰:“晉孝武太元六年十月乙卯,有奔星東南經翼軫,聲如雷。《星說》曰:‘光遊相連曰流,絕跡而去曰奔。’占:‘楚地有兵,軍破民流。’十二月,苻堅,荊州刺吏梁成,襄陽太守閻震,率眾伐竟陵,桓右虜擊,大破之,生擒震,斬首七千,生獲萬人。聲如雷,將帥怒之象也。七年九月,朱綽擊襄陽,拔將六百餘家而還。”
《宋書・天文志》に記す、晋の孝武帝の太元六年十月乙卯に、奔星ありて東南に向かい翼宿・軫宿を経過し、声音は雷のごとし。《星説》に講う、光焰が游動し相い連なるを「流」と呼び、痕跡を留めずして一掠して過ぐるを「奔」と呼ぶ。占辞にいう、楚の地に兵事あり、軍隊は潰敗し百姓は流亡す。この年の十二月に、苻堅の手下の荊州刺史の梁成・襄陽太守の閻震が衆を率いて竟陵を進攻し、桓石虔(原文は「桓右虜」と作る)が迎撃し、大いに敵軍を破り、閻震を活捉し、七千を斬首し、一万の人を生擒した。星の声が雷のごとくは、まさに将帥の震怒の象徴である。太元七年九月に、朱綽が襄陽を進攻し、六百余家の人口を擄取して回った。
流星犯軫 七
《黃帝占》曰:“流星入軫,兵喪並起,國以車為幣,王者能以善令,則無咎,期三年。”石氏曰:“流星入軫,有來使者,一曰為貴人多係者;流星出軫,臣有出使者,以車為幣。”郗萌曰:“流星入長沙,天下逃亡無處者。”
《黄帝占》にいう、流星が軫宿に進入するは、兵禍と喪事は一併せて発生し、国家は車輌を以て礼幣と為さん。君王がもし善政・良令を頒行すれば、災禍を招来せず、応期は三年。石申はいう、流星が軫宿に進入するは、使者の到来あり。もう一説は貴人の多く拘繫せらる。流星が軫宿より飞出するは、臣下の中に出使するあり、車輌を以て礼幣と為す。郗萌はいう、流星が長沙星に進入するは、天下の逃亡の人に安身する処なし。
開元占経 巻七十三
流星占 三
流星犯摂提 一
《黃帝占》曰:“流星入攝提,外國當以兵為使來者,若有急;流星出之,王者以兵出使,各以五色占。”
《黄帝占》にいう、流星が摂提星に進入するは、外国はまさに兵を帯びる使者を派して前来せん、あるいは緊急の軍情あるべし。流星が摂提より飞出するは、すなわち君王が兵を帯びる使者を派して外出せしむ。以上はいずれもさらに星の五色に按じて分別して吉凶を占断す。
流星犯大角 二
《黃帝占》曰:“流星抵破大角,兵大起,四塞有急,若刺大角過,王者失位;期三年。”
《黄帝占》にいう、流星が大角星に抵触し冲破するは、大挙して兵を興し、四方の辺塞はいずれも緊急の軍情あり。もしそれが大角を直刺して穿って過ぎれば、君王はまさに帝位を失わん。応期は三年。大角は帝王の座星である。ゆえにそれを犯すは最も重し。
石氏曰:“流星抵大角,有兵起,大將出,人主憂;期百八十日。流星觸破大角,四兵合,有急。刺大角,主失位,裂之,尤甚。流星發大角,盛光明耀,大將出;破大角,亡;不吉。”
石申はいう、流星が大角に抵触するは、兵事の興起あり、大将は出師し、君主に憂患あり、応期は百八十日。流星が大角に触破するは、四方の兵馬は会合し、情勢は緊急なり。大角を直刺するは、君主はまさに位を失わん。もし大角を沖裂せば、禍を為すことさらに厳重なり。流星が大角より発し、光芒が盛大にして明耀なるは、大将の出師を主る。もし大角を冲破せば、すなわち敗亡を主り、不吉の象である。
流星犯梗河 三
陳卓曰:“流星入梗河,王者誅夷國,不出三年。”《玉曆》曰:“流星入犯梗河,王者誅四夷,若邊兵起,一曰蠻王死,期一年,遠二年。”
陳卓はいう、流星が梗河星に進入するは、君王はまさに夷狄の国を誅滅し、三年を出ず。《玉曆》にいう、流星が飞入して梗河を侵犯するは、君王はまさに四方の夷狄を征討し、あるいは辺境に兵を興さん。もう一説は蛮族の王はまさに死せん、応期は一年、遠ければ二年。
流星犯招摇 四
《黃帝占》曰:“流星起招搖,其所向者,兵在焉;又曰賊寇大敗。”石氏曰:“流星入抵招搖,四夷兵來,邊兵大敗;若王敗,敵有憂,期一年。”
《黄帝占》にいう、流星が招摇星より起飞するは、それが指向するあの方にすなわち兵事あり。またいう、賊寇の大敗を主るという。石申はいう、流星が飞入して招摇に抵触するは、四方の夷狄の軍隊が来犯し、辺境の軍隊は大敗す。もし我が方の敗れに非ざれば、すなわち敵方に憂患あり、応期は一年。
流星犯玄戈 五
《聖洽符》曰:“流星入抵玄戈,夷欲入中國,戰大敗,流星所抵,兵徙來,期不出二年。”
《聖洽符》にいう、流星が飞入して玄戈星に抵触するは、夷狄は中原に侵入せんと欲し、交戦すればまさに大敗せん。流星の抵触したあの方向は、すなわち兵馬の遷移して来る方向で、応期は二年を出ず。
流星犯天槍 六
齊伯曰:“流星入天槍,外夷來侵,防戍有急者;邊境憂。”
斉伯はいう、流星が天槍星に進入するは、外族の夷狄は前来して入侵し、辺防の戍守に緊急の情況あり、辺境の一帯に憂患あり。天槍はもともと天上の兵器の星である。ゆえに流星がそれを犯すは専ら辺警に応ず。
流星犯天棓 七
《甄曜度》曰:“流星入天棓,兵大起,五丈長,國有兵,王者憂,期二年。”陳卓曰:“流星入天棓,諸侯多訟地者,部分不均平也。出,四夷安。”
《甄曜度》にいう、流星が天棓星に進入するは、大挙して兵を興さん。もし星の長さが五丈ならば、国中に兵事あり、君王に憂患あり、応期は二年。陳卓はいう、流星が天棓に進入するは、諸侯の間に多く土地を争訟するあり、起因は疆界の分划の均平ならざるに在り。もし流星が天棓より飞出せば、すなわち四方の夷狄は安定す。
流星犯女床 八
《海中占》曰:“流星入女床,後宮有憂,貴女當有暴誅者;期百八十日。”
《海中占》にいう、流星が女床星に進入するは、後宮に憂患あり、貴族の女子の中にまさに突然誅殺せらるるあらん。応期は百八十日。女床はもともと後宮の嬪御の位を主る。ゆえに災応は宮闈の女眷の身の上に落つ。
流星犯七公 九
《玄冥》曰:“流星入七公,人主信讒佞,誅忠直諫者,凶人起兵,義人入獄,期一年。”石氏曰:“流星經七公,當有兵將出。”《文曜鉤》曰:“流星入抵七公,有兵起,大將出,一曰輔臣有誅,不出二年。”
《玄冥占》にいう、流星が七公星に進入するは、君主は讒佞の言を聴信し、忠直にして敢えて諫むる人を誅殺し、凶悪の徒は兵を起こして乱を作し、仗義の人は反って獄に下せられ、応期は一年。石申はいう、流星が七公を経過するは、当に兵を帯びる将領の出師あるべし。《文曜鈎》にいう、流星が飞入して七公に抵触するは、兵事の興起あり、大将は出師す。もう一説は輔政の大臣に誅殺せらるるあり、二年を出ず。
流星犯貫索 十
巫咸曰:“流星入貫索,天下有獄事,多有死者,一曰臣有入獄者,期一年。”(案《異苑》曰:田鎮之夜,傍階墀走,忽值流星入貫索天獄也,舊傳若見此者,必致死兵,要應,拔頭仰瞻須星,出則無禍矣;鎮懼,潛語其婦,散髮屋上,兄霄起,見上有物,謂是怪鳥,引弓射之,應弦而墜,乃其弟也。)
巫咸はいう、流星が貫索星に進入するは、天下に獄訟の事あり、死人は多し。もう一説は臣下の中に獄に下せらるるあり、応期は一年。原書の案語にいう、《異苑》に記す、田鎮之が夜に階段に沿って走动するに、忽然として流星が貫索に飞入するに遇上った——貫索とはすなわち天上の牢獄である。旧時に相い伝う、およそこの種の星象を見る人は、必ず兵刃の禍を招来す。化解せんと欲せば、すなわち頭巾を脱ぎ去りて頭を仰ぎてあの星を望み、それが飞出するを待てばすなわち禍なかるべし。田鎮之は心の裡に害怕し、悄々として妻子に告げ、自ら頭髪を披散して屋頂に爬り上った。彼の兄の田霄は身を起こし、屋上に一個の東西あるを見て、怪鳥と認め、弓を拉いて射去し、弦に応じて落ち、墜ちて来たはなんと自らの弟であった。
陳卓曰:“流星入貫索中,女主死,若有兵。”又曰:“使星入天牢,有赦。”(案檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武大元三年三月庚辰,夜流星大如三斗器,尾長三丈,從七公西行至招搖,須臾轉還,東行至貫索而沒,六月,苻堅遣其子丕等十萬餘人,五道寇襄陽,四年正月辛酉,大赦天下。)
陳卓はいう、流星が貫索の中に飞進するは、女主はまさに死し、あるいは兵事あり。またいう、使星が天牢星に進入するは、まさに赦令あるべし。原書の案語にいう、檀道鸞《晋陽秋》に記す、晋の孝武帝の太元三年三月庚辰に、夜の裡に流星ありて大きさは三斗の器皿に似て、尾の長さは三丈、七公星より西に向かって招摇に飞至し、片刻の後にまた折り返して来り、東に向かって貫索に飞至してこそ隠没した。この年の六月に、苻堅はその子の苻丕らを派して十幾万の人を率い、五路に分かれて襄陽を進犯せしめた。太元四年正月辛酉に、朝廷は天下を大赦した——まさに「使星が天牢に入れば赦あり」の占と相合す。
《春秋緯》曰:“大流星赤黃,出貫索中者,怪獲死者,女子也。”石氏曰:“大奔星赤黃,出貫索中,其國貴女有死者。”《荊州占》曰:“流星絕連貫索,國城屠。”
《春秋緯》にいう、大流星が赤黄色を呈し、貫索の中より飞出するは、怪異が擒獲せらるる事あるを主り、死するは女子である。石申はいう、大奔星が赤黄色で、貫索の中より飞出するは、あの国家の貴族の女子の中に死亡するあり。《荊州占》にいう、流星が横穿して貫索の諸星を貫断するは、あの国家の城池はまさに屠戮を遭わん。
流星犯天紀 十一
《黃帝占》曰:“流星入天紀,大臣為亂,兵起宮中,妃后有出者,期二年。”
《黄帝占》にいう、流星が天紀星に進入するは、大臣は乱を作し、兵禍は宮中に起こり、妃后の中に遣出せらるるあり、応期は二年。ここの天紀は貫索の一帯の星官で、前の甘氏の記した外厨の南のあの一つの天紀と名は同じくして位は異なり、混じて看るべからず。
流星犯織女 十二
石氏曰:“流星入織女,貴女有憂,若有白衣女來者;一曰后族當有出者,期不出百八十日,遠則一年。”司馬彪《天文志》曰:“孝明永平七年正月戊子,流星大如杯,從織女西行,照地;織女,天之貴女,流星出之,女王憂;其月癸卯,光烈皇后崩。”巫咸曰:“流星入織女,有使從諸侯所來者;出織女,有使之諸侯。”韓楊曰:“流星入織女,有白衣女子會;其出也,賊將出。”石氏曰:“流星入織女,有大水。”
石申はいう、流星が織女星に進入するは、貴族の女子に憂患あり、あるいは白衣を穿く女子の前来するあり。もう一説は后族・外戚の中に人ありて遣出せらるるべく、応期は百八十日を出ず、遠ければ一年。司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の明帝の永平七年正月戊子に、流星ありて大きさは杯子に似て、織女星より西に向かって飛行し、光は地面を照らした。織女は天上の貴女で、流星がそこより飞出するは、女主に憂あるを主る。すなわちこの月の癸卯の日に、光烈皇后の陰氏が去世した。巫咸はいう、流星が織女に進入するは、使者ありて諸侯の彼処より前来す。織女より飞出するは、すなわち使者ありて諸侯に前往す。韓楊はいう、流星が織女に進入するは、白衣を穿く女子の聚会あり。もし飞出するは、すなわち賊寇はまさに出現せん。石申はいう、流星が織女に進入するは、大水あるべし。
《黃帝占》曰:“流星出織女,有白衣會,為賊兵吏凶,淫內。”《宋書天文志》曰:“穆帝永和十年四月癸未,流星大如斗,色赤黃。出織女,沒造父,有聲如雷。占曰:‘燕齊有兵,民流。’昇平元年,慕容雋遂據臨潼,盡有幽並青冀之地,綠河諸將,漸奔散,河津隔絕矣。”
《黄帝占》にいう、流星が織女より飞出するは、喪服を穿くの聚会あり、賊兵と官吏に於てはいずれも凶兆で、さらに宮内の淫乱を主る。《宋書・天文志》に記す、晋の穆帝の永和十年四月癸未に、流星ありて大きさは斗に似て、顔色は赤黄、織女より飞出し、造父星に没入し、声音は雷のごとし。占辞にいう、燕・斉の一帯に兵事あり、百姓は流亡す。升平元年に至って、慕容儁はここにおいて臨潼を占拠し、幽州・并州・青州・冀州の地を尽く得て、黄河に沿って駐守する各路の将領は漸々に奔逃・潰散し、黄河の渡口もまた隔絶して通ぜずとなった。
流星犯天市 十三
石氏曰:“流星入天市,色蒼白,萬物貴;赤,必大災,民多疾。”又云:“大臣有罪,戮於市者;若市吏有憂者。”巫咸曰:“流星入天市,亂度量,不平,執命者死。”郗萌曰:“流星入天市而出,死罪復生。”《玉曆》曰:“流星入天市,若有死罪,當戮入市而得免者;不出二年。”
石申はいう、流星が天市垣に進入し、星色が蒼白なるは、万物は騰貴す。星色が赤に発するは、必ず大災あり、百姓は疾病多し。またいう、大臣が罪を犯し、市上に於て処死せらるを主る。あるいは市易を管理する官吏に憂患あり。巫咸はいう、流星が天市に進入するは、度量衡は紊乱して公ならず、政令を執掌する人はまさに死せん。郗萌はいう、流星が天市に飞進してまた飞出去るは、死罪を判決された人はなお命を活くべし。《玉曆》にいう、流星が天市に進入するは、もし死罪の人ありて本当に市上に押赴して処決すべきが、かえって赦免を獲得すべく、二年を出ずして応験す。
司馬彪《天文志》曰:“孝明永平元年四月丁酉,流星大如斗,起天市樓,西南行,光照地,流星為使天市,為外兵西南行,為西南夷;是時益州發兵擊姑復,蠻夷大牟替陵斬首,傳諸雒陽。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の明帝の永平元年四月丁酉に、流星ありて大きさは斗に似て、天市垣の市楼星に起こり、西南に向かって飛行し、光亮は地を照らした。流星は使者を主り、天市は外来の兵を主り、それが西南に向かって飛行するは、すなわち西南方の夷人の身の上に応ず。当時、益州は兵を発して姑復を攻打し、蛮夷の首領の大牟替陵は斬首せられ、首級は雒陽に伝送された。
流星犯帝座 十四
甘氏曰:“流星抵帝座,諸侯兵起,臣謀主;若貴人變更政,期年。”
甘徳はいう、流星が帝座星に抵触するは、諸侯はまさに兵を起こし、臣下は君主を図謀せん。あるいは貴人ありて擅りに政令を変更す。応期は一年。帝座は天市垣の中の天帝の居する位で、流星がそれを犯すは、最も君臣の間の僭越に応ず。
流星犯候 十五
《聖洽符》曰:“流星抵候星,有兵起,近臣相攻;夷狄內侵;王者有憂。”
《聖洽符》にいう、流星が候星に抵触するは、兵事の興起あり、君主の近臣は互いに攻訐し、夷狄は内地に侵入し、君王に憂患あり。候星はもともと候望・伺察を主る。それが一たび侵犯せられれば、内外の警備はすなわち皆失う。
流星犯宦者 十六
齊伯曰:“流星入宦者,左右臣不寧,若有憂;一曰當有被黜者,期一年。”
斉伯はいう、流星が宦者星に進入するは、君主の左右の近侍は安寧を得ず、あるいは憂患あり。もう一説は当中に人ありて貶黜せらるるべし、応期は一年。
流星犯斗星 十七
郗萌曰:“流星抵斗星,權量不平,市吏有憂;一曰五穀貴,斗不用事。”
郗萌はいう、流星が天市垣の中の斗星に抵触するは、権衡・量器は公平ならず、市易を管理する官吏に憂患あり。もう一説は五穀の価は貴しく、斗斛の量は形同して虚設し、用場に派さず。
流星犯宗正 十八
《海中占》曰:“流星入宗正,左右貴臣多死,若帝宗后族有黜者,期百八十日,遠一年。”
《海中占》にいう、流星が宗正星に進入するは、君主の左右の貴臣は死亡多く、あるいは皇族・宗室と后族の中に貶黜せらるるあり、応期は百八十日、遠ければ一年。
流星犯宗人 十九
《甄曜度》曰:“流星入宗人,親戚臣為亂,若宗中有變事,親戚離別,期不出年。”
《甄曜度》にいう、流星が宗人星に進入するは、身が親戚たる臣子はまさに乱を作し、あるいは宗族の中に変故が発生し、親戚は彼此に離散・分別し、応期は一年を出ず。
流星犯宗星 二十
《玄冥》曰:“流星抵宗星,王者宗族不相親,宗室相疑,以親為疏。”
《玄冥占》にいう、流星が宗星に抵触するは、君王の宗族の間は再び親睦せず、宗室は彼此に猜疑し、もとは至親なるに、反って疏遠の外人と作して看待す。
流星犯東咸 二十一
《黃帝占》曰:“流星入抵東咸,后出入不得時,淫泆自恣;一曰女主亂宮,王者憂;期一年,遠二年。”
《黄帝占》にいう、流星が飞入して東咸星に抵触するは、皇后の出入りは時宜に合せず、淫佚・放縦して任意に妄為す。もう一説は女主が宮廷を擾乱し、君王に憂患あり。応期は一年、遠ければ二年。
流星犯天江 二十二
石氏曰:“流星入天江,有大水,河海溢,人民飢。”
石申はいう、流星が天江星に進入するは、まさに大水あるべく、江河と海水は泛濫・漫溢し、百姓は饑荒を遭う。天江はもともと水道・津梁を主る。ゆえにそれが犯せられれば専ら水患に応ず。
流星犯建星 二十三
《玉曆》曰:“流星入建星,關道不通,若有使來者;一曰兵起,四塞民多盜賊,不出三年。”陳卓曰:“流星入建星,天下謀亂,赤者昌。”
《玉曆》にいう、流星が建星に進入するは、関隘の道路は阻塞して通ぜず、あるいは使者の到来あり。もう一説はまさに兵を興し、四方の辺塞の百姓は盗賊多く、三年を出ず。陳卓はいう、流星が建星に進入するは、天下に人ありて謀反し乱を作す。もし流星の顔色が赤に発すれば、すなわちあの一方は反って昌盛す。
流星犯天弁 二十四
甘氏曰:“流星入天弁,糴大貴,人民飢;若抵犯之,有兵起,將士行,期二年。”
甘徳はいう、流星が天弁星に進入するは、糴価(糧食を買い入れる価銭)は大いに漲り、百姓は饑饉す。もしこれが抵触し侵犯するは、すなわち兵事の興起あり、将士は出行し、応期は二年。天弁はもともと天市垣の中の市易を主る星官である。ゆえにそれが犯せられれば先ず糧価の上に応ず。
流星犯河鼓 二十五
《海中占》曰:“流星入河鼓,有兵起,大將出;若抵之,有死將,隨其所犯將當之,期一年,遠二年;大星,為大將;小星,為小將。”郗萌曰:“使星入河鼓,大將亡其旗鼓。”石氏曰:“流星出河鼓,兵出;入河鼓,兵入。”又曰:“流星入河鼓,所入將驚死;出河鼓,所出將廢。”
《海中占》にいう、流星が河鼓星に進入するは、兵事の興起あり、大将は出師す。もしこれがそれに抵触するは、すなわち将領の陣亡あり、それが侵犯したはいずれの一顆なるかに按じて、すなわち相応するあの位の将領が承当し、応期は一年、遠ければ二年。大星は大将の身の上に応じ、小星は偏将の身の上に応ず。郗萌はいう、使星が河鼓に進入するは、大将はまさにその旗鼓を丟失せん。石申はいう、流星が河鼓より飞出するは、兵馬の出境で、河鼓に飞入するは、兵馬の入境である。またいう、流星が河鼓に飞入するは、入る所の処の将領はまさに驚懼して死せん。河鼓より飞出するは、出る所の処の将領はまさに罷廃せられん。
《宋書天文志》曰:“宋明帝太始二年六月巳卯,竟夜有流星百餘,西南行,有一大如甌,尾大餘黑色,從河鼓出,南行至尾沒,占曰:天下鼓出,其年四方反叛,內兵出,大帥親戎。”
《宋書・天文志》に記す、宋の明帝の泰始二年六月己卯に、整整たる一夜に百余の流星ありて西南に向かって飛行し、その中の一つの大きさは甌に似て、尾部は粗大にして黒色を呈し、河鼓より飞出し、南に向かって尾宿に飞至して隠没した。占辞にいう、天下は戦鼓斉く鳴り、この年に四方は反叛し、内地は兵を出し、主帥はまさに自ら兵を領して作戦せん。
流星犯離珠 二十六
《聖洽符》曰:“流星入離珠,兵宮中起,其宮人有罪及誅者。”
《聖洽符》にいう、流星が離珠星に進入するは、兵禍は宮中に起こり、そこの宮人に罪を獲て誅殺せらるるに至るあり。離珠はもともと後宮の珠玉・服玩を主る。ゆえに災応は宮人の身の上に落つ。
流星犯匏瓜 二十七
齊伯曰:“流星入匏瓜,天下有憂,若有獻果者;中有藥,不可食,防備之,期百八十日。”《甄曜度》曰:“流星出匏瓜,食官有憂;一曰魚鹽價千倍。”
斉伯はいう、流星が匏瓜星に進入するは、天下に憂患あり、あるいは人ありて果品を進献す。果の中に毒薬を掺し、食用すべからず、防備を加えるを須う、応期は百八十日。《甄曜度》にいう、流星が匏瓜より飞出するは、膳食を掌管する官に憂患あり。もう一説は魚塩の価銭はまさに上千倍に漲らん。
流星犯天津 二十八
《帝覽嬉》曰:“流星入漢中而不出,士卒不可以涉;星若絕漢,即可涉;三日內雨則不吉。”石氏曰:“流星入天津,必有大使,隨星所之,期一年。”《海中占》曰:“流星入天津,水道不通,梁塞若津渡有憂。”
《帝覧嬉》にいう、流星が天河(銀漢)の中に飞入して再び飞出せざるは、士卒は水を渉り河を渡るべからず。星がもし天河を横断して過ぎれば、すなわち渡るべし。三日の内に雨が降れば、すなわち不吉利なり。石申はいう、流星が天津星に進入するは、必ず大使の出行あり、星の去る方向に随って応験し、応期は一年。《海中占》にいう、流星が天津に進入するは、水道は通ぜず、橋梁は堵塞し、あるいは渡口に憂患あり。
石氏曰:“流星出北斗,人主使於諸侯。”郗萌曰:“流星入漢中不出,軍不可渡水,先渡者不還。”又曰:“使星入河津,有大眾行者。”《荊州占》曰:“流星入漢中,貴人有戮死者,若溺死。”
石申はいう、流星が北斗より飞出するは、君主はまさに使者を派して諸侯の彼処に往かしめん。郗萌はいう、流星が天河の中に飞入して出でざるは、軍隊は水を渡るべからず、先んじて河を渡る人は帰り来らず。またいう、使星が河津に進入するは、大批の人馬のまさに出行するあり。《荊州占》にいう、流星が天河の中に飞入するは、貴人の中に誅殺せらるるあり、あるいは淹死するあり。
流星犯螣蛇 二十九
《玄冥》曰:“流星入螣蛇,雨水為害,魚鹽貴,水物不成,期不出年。”
《玄冥占》にいう、流星が螣蛇星に進入するは、雨水は災を成し為害し、魚と塩の価銭は騰貴し、水中に出産する物は皆長じ成ること能わず、応期は一年を出ず。
流星犯王良 三十
《文曜鉤》曰:“流星入王良,天下有急,關津不通;有兵起,及牛馬多死。”陳卓曰:“流星入王良,天下兵盡起。”
《文曜鈎》にいう、流星が王良星に進入するは、天下に緊急の事あり、関隘と渡口は阻塞して通ぜず。兵事の興起あり、しかも牛馬の死亡多し。陳卓はいう、流星が王良に進入するは、天下の兵馬は全てまさに起こらん。王良はもともと善く御する臣・車騎を主る星である。ゆえにそれが犯せられれば兵馬の上に応ず。
流星犯閣道 三十一
巫咸曰:“流星入閣道,王者有憂,左右有謀,道中有伏兵,若道不通,期百十日,遠一年。”
巫咸はいう、流星が閣道星に進入するは、君王に憂患あり、左右の近臣は心に図謀を懐き、道路の中に埋伏する兵あり、あるいは道路は阻塞して通ぜず、応期は百一十日、遠ければ一年。閣道は天子の出行の複道である。ゆえに専ら行幸の途中の安危に応ず。
流星犯附路 三十二
《帝覽嬉》曰:“流星抵附路,太僕有憂,若馬多死,若馬大出,期二年。”
《帝覧嬉》にいう、流星が附路星に抵触するは、太僕に憂患あり、あるいは馬匹は大批に死亡し、あるいは馬匹は大批に出動し、応期は二年。附路は閣道に緊く挨き、太僕は輿馬を掌管す。ゆえに災応はすなわち馬政の上に落つ。
流星犯天将軍 三十三
《黃帝占》曰:“流星入天將軍,大將出,士卒用;若抵犯之,將有憂;星所之,兵所來,期三年。”石氏曰:“流星入天將軍,大將驚出。”
《黄帝占》にいう、流星が天将軍星に進入するは、大将はまさに出師し、士卒はまさに征調・動用せん。もしこれが抵触し侵犯するは、将領に憂患あり。星の飞向する方位は、すなわち兵馬の来犯する方位で、応期は三年。石申はいう、流星が天将軍に進入するは、大将はまさに驚惶して出動せん。
(案司馬彪《天文志》曰:孝和永元元年正月辛卯,有流星起參,長四丈,有光,色黃白。二月,流星起天棓,東北行,三丈,所滅色青白。壬申夜,有流星起太微東蕃,長三丈。
原書の案語にいう、司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の和帝の永元元年正月辛卯に、流星ありて参宿に起こり、長さ四丈、光あり、顔色は黄白。二月に、流星ありて天棓に起こり、東北に向かって三丈飛行し、熄滅する時の顔色は青白。壬申の夜に、流星ありて太微垣の東藩に起こり、長さ三丈。この段の案語は前の参宿の条の下に引く所と同じ一事で、ここに重出す。案語の文字は本分片の末尾に至って中断し、未完の部分は次の分片に見る。
三月丙辰,流星起天津。壬戍,有流星起天將軍,東北行。參為邊兵,天棓為兵,太微為天庭,天津為水,天將軍為兵,流星起之為兵。其六月,漢車騎將軍竇憲執金吾,耿康度遼,將軍鄧陟出朔方,並進,兵臨私渠北鞮海,斬虜首萬餘級,獲生口牛馬羊百萬差別,日逐王至西海,是歲七月,又雨水,漂人民也。)
この年の三月丙辰の日に、流星ありて「天津」の星官より升起し、壬戌の日に、また流星ありて「天将軍」の星官より升起し、東北方に向かって飞去した。星占の分職に按じて講えば、「参宿」は辺地の屯兵を主り、「天棓」は兵戈を主り、「太微」は天上の朝廷で、「天津」は水道を主り、「天将軍」は兵事を主る。流星がこの幾処より発起するは、いずれもまさに干戈を動かすの征兆である。この年の六月に到りて、漢朝の車騎将軍の竇憲・執金吾の耿康・度遼将軍の鄧陟は朔方より出師し、幾路も併進し、兵鋒は直ちに私渠北鞮海に抵り、敵虜の首級一万余を斬り得て、俘獲の人口と牛馬羊は各々百万を以て計り、多寡は等しからず、日逐王は一に西海に退いた。この年の七月に、また大雨を下り水を積み、百姓の廬舎・田産を皆漂没した。以上の一段は上文を承接する原書の小注で、漢代の実例を挙げて以て前の占辞を験証す。
流星犯大陵 三十四
石氏曰:“流星入大陵,有土功,事墳陵之役,若抵之,國有大喪,大人當之,期不出三年。”
《石氏星経》にいう、流星が「大陵」の星官に飞入するは、人間にまさに土木の工程を興し、しかも墳塋・陵墓の類の差役を営造せん。もし流星が径直に大陵に衝撞すれば、国中にまさに重大の喪事あり、君主あるいは位が極めて尊貴の人の身の上に応じ、応験期は三年を出ず。大陵の八星は胃宿の北に在り、もともと死喪と積尸を主る。ゆえに占辞は全て墳陵と国喪の上に落つ。
流星犯天船 三十五
《玉曆》曰:“流星入天船,天下大水,舟船用,若津道不通,有急事。”
《玉曆》にいう、流星が「天船」の星官に飞入するは、天下にまさに大水を発し、舟船はまさに用場に派せん。あるいは渡口・水道は壅塞して通ぜず、朝廷に緊急の公事ありて办らん。天船の九星は大陵の北・天河の中に横列し、もともと水道・舟楫と津渡を主る。ゆえに流星がそれを犯すは、応験は皆水患と船運の上に落つ。
流星犯巻舌 三十六
甘氏曰:“流星入捲舌,有讒言亂主者;若有口舌於君,倖臣有憂。”
《甘氏星経》にいう、流星が「巻舌」の星官に飞入するは、朝中に讒言を進め君主を迷惑する人が出現せん。あるいは人ありて君の前に是非を搬弄し他人を構陥し、寵幸を受くる近臣はこれに因って憂患を招来す。巻舌の六星は昴宿の北に在り、形状は一条の巻曲する舌頭に似て、もともと口舌と讒佞を主る。ゆえに占辞は専ら讒譖の禍を講う。
流星犯五車 三十七
《黃帝占》曰:“流星入五車,天下兵,車騎發,先起者昌;若抵之,其所主五穀貴;期二年,遠三年。”郗萌曰:“流星入五車;以甲子日中粟車,期三十日,粟貴;丙午日中麥車;期二十日,麥貴;戊寅日中豆車;期二十七日,豆貴;庚申日中蕢車;期二十日,蕢貴;壬戍日中黍車;期十日,黍貴;以月所見流星之處,則縣邑之市為貴矣。”
《黄帝占》にいう、流星が「五車」の星官に飞入するは、天下にまさに戦事あり、兵車・騎兵は紛紛として出動し、先んじて難を発する方は反って昌盛す。もし流星が五車に直撞すれば、それが主管するあの一種の穀物はまさに漲価し、近ければ二年・遠ければ三年に応験す。郗萌はいう、流星が五車に飞入するは、日辰と射中したはいずれの一輌なるかを看るべし——甲子日に粟を主るあの一輌を射中すれば、三十天の内に粟価は騰貴す。丙午日に麦を主るあの一輌を射中すれば、二十天の内に麦価は騰貴す。戊寅日に豆を主るあの一輌を射中すれば、二十七天の内に豆価は騰貴す。庚申日に蕢(麻類)を主るあの一輌を射中すれば、二十天の内に麻価は騰貴す。壬戌日に黍を主るあの一輌を射中すれば、十天の内に黍価は騰貴す。さらに当月の流星の出現した方位に按じて以て推せば、あの一方の州県の集市の上に、糧価はすなわち上揚せん。五車の五星は五帝の車舍で、各々一穀を主り、また兼ねて兵車と府庫を主る。ゆえに占辞は既に兵戎を講い、また糧価を講う。
石氏曰:“流星出五車,色白,諸侯以兵憂;色黃,受賀;色赤,寇兵車騎滿野;青黑,多死者,各以其日占。”
《石氏星経》にいう、流星が五車より射出するに、もし白色ならば、諸侯はまさに兵事のために愁えん。もし黄色ならば、すなわち人に称賀せらるる喜慶あり。もし赤色ならば、寇兵と車騎は原野に布满す。もし青黒色ならば、人の死亡多し。いずれの国・いずれの方に応ずるに至っては、各々流星の出現したあの一天の日辰の分野に按じて以て推断す。
流星犯天關 三十八
石氏曰:“流星入抵天關,天下有急兵,關道不通,若多盜賊,人民憂,期百八十日,遠一年。”
《石氏星経》にいう、流星が飞入して「天關」星に衝撞するは、天下にまさに緊急の軍情あり、関隘の道路は阻塞して通ぜず。あるいは盗賊は四起し、百姓は惶惶として安からず。近ければ百八十天・遠ければ一年の内に応験す。天關の一星は五車の南・畢宿の東に在り、関梁・辺塞の開閉を主る。ゆえに流星がそれを犯すは、占するはまさに関塞と道路の事である。
流星犯南河 三十九
巫咸曰:“流星犯南河,蠻兵起,防戍有憂;一曰流星入南河,為旱,邊兵。”《宋天文志》曰:“宋武大明八年四月,有流星大如五斗甌;赤色有光照面,尾長一丈餘,從參北出,東行,直下經東進,過南河沒。占曰:‘民飢,吳越有兵。’明年,四方賊起,王師水陸位伐義興吳陵,大戰,殺傷千計。”
巫咸はいう、流星が「南河」を侵犯するは、南方の蛮夷はまさに兵を起こし、辺を戍る将士に憂患あり。もう一種の説法は流星が南河に飞入するは旱災を主り辺境の用兵を主るという。南河の三星は北河と井宿を挟み、南面の門戸の戍衛である。《宋書・天文志》に記す、劉宋の孝武帝の大明八年四月に、一顆の流星ありて大きさは五斗の容量の瓦盆に似て、赤色、光亮は人の面を照見し、尾の長さは一丈余、参宿の北より射出し、東に向かって飛行し、一に低垂して東進を経過し、南河を越えて隠没した。当時の占辞にいう、「百姓はまさに饑荒あり、呉越の地に兵事あり」。第二年に至って、四方の盗賊は蜂起し、朝廷の軍隊は水陸の両路に分かれて義興・呉陵を進討し、一場大戦し、殺傷は千を以て計った。
流星犯北河 四十
巫咸曰:“流星入北河,胡兵起,來入中國,若關梁不通;一曰流星入北河,為水;為飢;皆期二年。”《黃帝》曰:“流星絕兩河間,天下大難,路不通。”石氏曰:“南河北河,有流星絕兩河戍間,有客抵之,天下大亂,親戚不恤。”
巫咸はいう、流星が「北河」に飞入するは、胡人の兵馬はまさに事を起こし、中原に侵入し、あるいは関隘・橋梁は阻断して通ぜず。もう一種の説法は流星が北河に入るは水災を主り饑荒を主る、いずれも二年の内に応験す。北河の三星は北面の門戸で、南河と同じく井宿の両旁の戍衛と為す。ゆえに占辞は胡兵と関梁の上に帰す。《黄帝占》にいう、流星が南河と北河の間を横穿するは、天下に大難あり、道路は断絶す。《石氏星経》にいう、南河・北河のこの二組の戍星の間に、もし流星ありて横貫して過ぎ、また客星ありて来たりてそれに衝撞すれば、天下はまさに大いに乱れ、骨肉・至親の間に至ってももはや相い顧恤せず。
流星犯五諸侯 四十一
石氏曰:“流星出五諸侯,有大喪,以星所入日占其國。”《玉曆》曰:“流星入五諸侯,輔臣有憂,若有黜者;一曰諸侯兵有謀主,期不出年。”石氏曰:“赤流星出,諸侯有叛者;其中星散絕,諸侯坐其殃咎。”
《石氏星経》にいう、流星が「五諸侯」の星官より射出するは、人間にまさに大喪あり、いずれの国に応ずるは、流星が宿に入ったあの天の日辰に按じて推定す。五諸侯の五星は東井の北に在り、天子に替わりて疑难を辨じ過失を挙ぐるを主り、また列国の諸侯と輔政の大臣を象徴す。《玉曆》にいう、流星が五諸侯に飞入するは、輔政の臣に憂患あり、あるいは人ありて罷黜せらる。もう一種の説法は諸侯の軍中に人ありて君主を図謀し、一年の内に応験す。《石氏星経》にまたいう、赤色の流星ありて中より射出するは、諸侯の裡に反叛する人あるべし。もし五諸侯の当中の星が散乱・断絶せば、諸侯はまさにこの場の災禍のために罪を担わん。
流星犯積水 四十二
甘氏曰:“流星入抵積水,有大水,舟船用,民大飢。”
《甘氏星経》にいう、流星が飞入して「積水」星に衝撞するは、人間にまさに大水あり、舟船はまさに用場に派し、百姓は水患に因って大飢に陷入せん。積水の一星は五車の東南に在り、もともと水を蓄えると酒醴を醸造するの事を主る。ゆえに流星がそれを犯すは、占するは水患および水患に由る帯來の饑荒である。
流星犯積薪 四十三
《聖洽符》曰:“流星抵積薪,天下以薪蒿為憂,若廚官有罪者。”
《聖洽符》にいう、流星が「積薪」星に衝撞するは、天下はまさに柴薪・蒿草の匱乏のために愁えん。あるいは膳食を掌管する厨官は事に因って罪を獲る。積薪の一星は積水の東に在り、柴薪を收聚して以て庖厨の用に供するを主る。ゆえに占辞は薪炭と厨官の身の上に落つ。
流星犯水位 四十四
齊伯曰;“流星入水位,天下有水,河海溢流,五穀不成,流民大飢,期三年。”
斉伯はいう、流星が「水位」の四星に飞入するは、天下にまさに水災あり、江河・海水は泛濫して外に溢れ、五穀は成熟すること能わず、百姓は流離して所を失い大飢に陥り、三年の内に応験す。水位の四星は東井の東に在り、水衡・水官の職を主り、専ら一方の水旱を候す。
流星犯軒轅 四十五
《甄曜度》曰:“流星入軒轅,后妃有亂,女主有逆謀,天子宜防之,期三年。”郗萌曰:“流星散入軒轅間,女主宮多讒亂。”《荊州占》曰:“流星大如瓷,出東陵西下,必有積血。”
《甄曜度》にいう、流星が「軒轅」の星官に飞入するは、后妃の間にまさに変乱を生出し、女主は叛逆の図謀を暗蔵し、天子は当に預め防備すべし、三年の内に応験す。軒轅の十七星は形は騰龍に似て、后妃と皇室の女眷の象徴である。郗萌はいう、流星が散乱して軒轅の諸星の間に飞入するは、女主の宮中に讒言と内乱多し。《荊州占》にいう、流星の大きさが瓷器に似て、東陵より射出し西に向かって低垂墜落するは、必ず血が流れて積を成すの殺伐あるべし。
流星犯少微 四十六
郗萌曰:“流星入抵少微,賢良集,道術出;一曰能人多來者。”
郗萌はいう、流星が飞入して「少微」の星官に衝撞するは、賢良の士は朝廷に聚集し、方術・道芸を懐抱する人もまた随いて出仕す。もう一種の説法は才能ある人が紛紛として前来して帰附す。少微の四星は太微垣の西に在り、処士と隠居して未だ仕えざる賢者を主る。ゆえに流星がそれを犯すは、反って賢を挙げ士を納るの好事の上に応ず。
開元占経 巻七十四
流星占 四
流星犯石氏中官
流星犯太微 一
《黃帝占》曰:“奔星入太微中,其國有亂。”《海中占》曰:“流星入太微,有兵起,外國當以兵至,及有使來者,不出其年。”郗萌曰:“使星入天官,留十日,有叛者。”《荊州占》曰:“奔星入太微宮內,有亂近西相也,近東將也。”石氏曰:“奔星入太微天庭,避之,吉;不避者,危死;所謂避者,從左來,避之右;右來,避之左。”
《黄帝占》にいう、奔星が「太微」垣の中に飞入するは、あの一国にまさに禍乱あるべし。太微垣は天上の朝廷で、垣墻は左右の執法と上相・上将らの星に由りて囲み成り、ゆえにまた天庭と称す。《海中占》にいう、流星が太微に飞入するは、まさに兵事の興起あり、外邦はまさに兵を挙げて前来し、あるいは外邦の使者の到達なるべく、此の一年を出ずに応験す。郗萌はいう、使星が天庭の官に飞入し、十天停留するは、すなわち反叛する人あるべし。《荊州占》にいう、奔星が太微宮の内に飞入するは、変乱あるを主り、西辺に靠近するは丞相の身の上に応じ、東辺に靠近するは将帥の身の上に応ず。《石氏星経》にいう、奔星が太微の天庭に射入するは、躲避すること能くするを吉と為し、躲避すること能わざるはすなわち傾危して死に至るの禍あり。いわゆる「避」とは、指すは星が左辺より来れば、すなわち右辺に向かって閃き開き、右辺より来れば、すなわち左辺に向かって閃き開く。
《黃帝》曰:“流星出太微東門,大兵起,大臣為亂,貴人多死者;若有謀,近期一年,中二年,遠三年。流星出太微,大臣有外事,以所之野命其方。”石氏曰:“奔星出太微中,有立王,若從王。流星出太微南門,其眾貴臣有死者。”《海中占》曰:“流星出太微端門,天子之使出;各以所之野命其國,期不出年。”
《黄帝占》にいう、流星が太微垣の東門より射出するは、まさに大規模の戦事あり、大臣は乱を作し、貴人の中に死亡する多し。もし人ありて不軌を図謀するは、近ければ一年・中は二年・遠ければ三年に応験す。流星が太微より射出するは、大臣が命を奉じて出外して事を办るを主り、流星の飞往する分野に按じて以ていずれの方に応ずるかを断定す。《石氏星経》にいう、奔星が太微垣の中より射出するは、新王の擁立せらるるあり、あるいは人ありて新主に帰附す。流星が太微の南門より射出するは、そこが主る衆多の貴臣の中に死亡するあるべし。《海中占》にいう、流星が太微垣の端門より射出するは、天子が使者を派遣して出行するの象徴である。各々流星の飞去する分野に按じて以ていずれの国に応ずるかを断定し、一年を出ずに応験す。
《荊州占》曰:“流星出太微天庭之門者,天子使也;以所之野命其東西南北;星來者,使復命。奔星出太微,中國失君。”《玉曆》曰:“流星出太微天庭,天下兵起,將士大出,王者有憂;期三年,災必應。”石氏曰:“流星出太微天庭,大將出。”
《荊州占》にいう、流星が太微・天庭の門の中より射出するは、天子の使者の出行を象徴す。流星の往く分野に按じて、出使の方向は東・西・南・北のいずれの一面なるかを定む。もし流星が天庭に向かって飞来するは、すなわち使者が朝に回りて命に復するを象徴す。奔星が太微より射出するは、中原はまさに君主を失わん。《玉曆》にいう、流星が太微・天庭より射出するは、天下に兵起こり、将士は大批に出征し、君王に憂患あり、三年の内に災禍は必ず応験す。《石氏星経》にいう、流星が太微・天庭より射出するは、大将が命を奉じて出師するを主る。
《荊州占》曰:“流星大而赤,數出入天宮庭,如浮船伏,有賊臣在傍,人主備,不可出遊。”《荊州占》曰:“流星縱橫經行太微中,主弱臣強,四夷不制,期三月。”石氏曰:“流星犯抵左右執法,東相西將,各以所犯,皆當誅;以其入日命其國,皆不出三年。”
《荊州占》にいう、流星がまた大きくまた紅く、屢々天庭に出入りし、形状は浮船の水面に伏するに似るは、これは賊臣ありて君主の身辺に潜伏するの征兆で、君主は厳かに戒備を加え、外出して游幸すべからず。《荊州占》にまたいう、流星が縦横に交錯して太微垣の中を穿行するは、君弱く臣強きを主り、四方の夷狄は管束を受けず、三箇月の内に応験す。《石氏星経》にいう、流星が左執法・右執法を侵犯・衝撞するは、東辺は丞相を主り西辺は将帥を主り、各々犯した所のいずれの一顆なるかを看て、あの一位は皆当に誅戮を遭うべし。流星が垣に入ったあの天の日辰に按じていずれの国に応ずるかを断定し、いずれも三年を出ず。
流星犯黄帝座 二
石氏曰:“流星入太微,犯黃帝座,大人易,其東西犯者皆死亡。”《黃帝》曰:“流星入太微,抵於帝座,天下亂,臣弒主,國易政,期不出三年。”
《石氏星経》にいう、流星が太微垣に飞入し、「黄帝座」を侵犯するは、君主の位はまさに更換し、流星に由りて東西両側より犯され到ったあの幾顆の星の主る臣僚は皆まさに死亡せん。黄帝座の一星は太微垣の正中に居り、すなわち天子の位である。《黄帝占》にいう、流星が太微に飞入し、帝座に直抵するは、天下はまさに乱れ、臣子は君主を弑殺し、国家は朝を改め政を換え、三年を出ずに応験す。
流星犯四帝座 三
巫咸曰:“流星入太微,犯四帝座,輔臣有誅,執法者憂,貴人多死,期二年。”
巫咸はいう、流星が太微垣に飞入し、「四帝座」を侵犯するは、輔政の大臣はまさに誅戮を遭い、刑法を掌管する執法の官は憂患に陥り、貴人の死亡多く、二年の内に応験す。四帝座は黄帝座の四面に環列する四つの星で、分かちて四方の帝を主り、輔臣・執法の職と相応ず。
流星犯屏星 四
《玄冥占》曰:“流星抵屏星,尚書有憂,若有死者,期百八十日,遠一年。”
《玄冥占》にいう、流星が「屏星」に衝撞するは、文書・政令を掌管する尚書の官に憂患あり、あるいはその中に人ありて死亡す、近ければ百八十天・遠ければ一年の内に応験す。屏星は太微垣の内に在り、帝座を遮蔽する屏障で、機要・近侍の職と相応ず。
流星犯郎位 五
巫咸曰:“流星入抵郎位,守衛之臣有誅;若左右為亂,若戮有死者,期一年,遠二年。”
巫咸はいう、流星が飞入して「郎位」の星官に衝撞するは、宿衛を担任する郎官はまさに誅戮を遭わん。あるいは君主の左右の近臣は乱を作し、あるいは人ありて殺されて死す、近ければ一年・遠ければ二年に応験す。郎位の十五星は太微垣の帝座の東北に在り、宿衛・侍従の官の班位である。
流星犯郎将 六
齊伯曰:“流星抵郎將,則將有誅;若大臣為亂,王者戒慎左右,不出其年。”
斉伯はいう、流星が「郎将」星に衝撞するは、郎官を統領する将領はすなわちまさに誅戮を遭わん。あるいは大臣は乱を作し、君王は当に身辺の近侍に対して格外に戒備・謹慎すべく、此の一年を出ずにすなわち応験せん。郎将の一星は郎位の北に在り、宿衛を統率する武官を主る。
流星犯常陳 七
《甄曜度》曰:“流星入守常陳,衛人有罪者誅,人主憂,期百八十日,遠一年。”
《甄曜度》にいう、流星が飞入して「常陳」の星官に留守するは、宿衛の士の中に罪ある人はまさに処死せられ、君主はこれがために憂慮し、近ければ百八十天・遠ければ一年の内に応験す。常陳の七星は帝座の北に在り、形は天子の護衛・儀仗に似て、武賁の衛士を主る。
流星犯三台 八
《海中占》曰:“流星入上臺,司命大臣有罪,若有死;流星出之,近臣有出者,期二年。”《玄冥占》曰:“流星入中臺,司中奸臣來近主者;流星出中臺,奸臣有出者。”甘氏曰:“流星入下臺,司祿大臣有賜爵封者;流星出之,臣有罪出走,色黑死;皆期二年。”《黃帝》曰:“流星走三臺者,大將出。”《辯終備》曰:“奔星入三能,天下感,兵禍聚隅,感動也。”
《海中占》にいう、流星が「上台」の二星に飞入するは、司命を主る大臣に罪あり、あるいは人ありて死亡す。流星が上台より射出するは、すなわち近臣の中に人ありて外調して朝を出る、二年の内に応験す。《玄冥占》にいう、流星が「中台」に飞入するは、司中の職を主る奸臣はまさに君主に向かって靠拢せんとす。流星が中台より射出するは、すなわち奸臣の中に人ありて逐い出せらる。《甘氏星経》にいう、流星が「下台」に飞入するは、司禄を主る大臣はまさに封爵の賞賜を得せん。流星が下台より射出するは、すなわち臣子ありて罪を獲て出逃す。もし星色が黒に発せばすなわち死亡の象である。これらは皆二年の内に応験す。三台の六星は両両に並び列し、上より下にして上台・中台・下台と為り、また三能と呼び、分かちて司命・司中・司禄を主る。《黄帝占》にいう、流星が三台の間に奔走するは、大将の出師を主る。《弁終備》にいう、奔星が三能に飞入するは、天下は震動して安からず、兵禍は一隅に聚集す。「感」とはすなわち震動の意である。
流星犯相星 九
《文曜鉤》曰:“流星抵相星,大兵起,大將出,輔相有變。”
《文曜鈎》にいう、流星が「相星」に衝撞するは、まさに大規模の戦事あり、大将は命を奉じて出征し、輔政・丞相の位置に変故が発生す。相星の一星は北斗の南に在り、百官を総領し君王を輔佐するを主る。ゆえに流星がそれを犯せばすなわち宰輔の身の上に応ず。
流星犯太陽守 十
巫咸曰:“流星抵太陽守,有兵起,將軍出,期三年。”
巫咸はいう、流星が「太陽守」星に衝撞するは、まさに兵事の発動あり、将軍は兵を領して出征し、三年の内に応験す。太陽守の一星は相星の西に在り、大臣と大将の守御の任を主る。ゆえに占辞は兵戎・征伐の上に帰す。
流星犯天牢 十一
《黃帝占》曰:“流星入天牢,貴人有繫者,其多下獄;人民多有罪,期不出年。”《黃帝》曰:“常以丑未日,候流星入天牢者,有赦。”《荊州占》曰:“流星出紫宮,奔走入天牢,天子以赦解之。”《黃帝》曰:“天牢中有一使星出者,小赦;二星出,赦在關內;三星出,赦天下。”《荊州占》曰:“流星入貴人之天牢,太僕名臣有繫者;其色黃白,無故;青憂;黑凶;赤以金煞之日出赦,獄中繫者出。”
《黄帝占》にいう、流星が「天牢」の星官に飞入するは、貴人の中に拘押せらるるあり、しかも多半はまさに獄に下らん。百姓の中にもまた獲罪の人多く、一年を出ずに応験す。天牢の六星は北斗の魁の下に在り、貴人を関押する牢獄である。《黄帝占》にまたいう、通常は丑日・未日に守候し、もし流星が天牢に飞入するを見れば、朝廷にまさに赦令あるべしを主る。《荊州占》にいう、流星が紫宮より射出し、一路に天牢に奔入するは、天子は大赦を用いて以てこの一天象を消解せん。《黄帝占》にいう、天牢の中より一顆の使星が射出するは、小赦である。二顆射出するは、赦免の範囲は関内に限る。三顆射出するは、すなわち天下を大赦す。《荊州占》にいう、流星がこの貴人を関押する天牢に飞入するは、太僕の類の名臣の中に人ありて拘押せらる。流星の色が黄白ならば、すなわち事なし。色青は、憂あり。色黒は、凶と為る。色赤は、すなわち金気の粛殺の日に赦令を頒下し、獄中の囚繫の人は放出を得る。
流星犯文昌 十二
《黃帝占》曰:“流星若奔星入文昌宮,其國有亂。”石氏曰:“流星入文昌,其國失政,宮庭有兵;若內亂,期二年。奔星出文昌,宮內亂。”《荊州占》曰:“奔星出文昌宮,國去其君;一曰國失君。”
《黄帝占》にいう、流星あるいは奔星が「文昌」宮に飞入するは、あの一国にまさに禍乱あるべし。文昌の六星は北斗の魁の前に横列し、天子の六府で、分かちて上将・次将・貴相らの文武の要職を主る。《石氏星経》にいう、流星が文昌に飞入するは、あの一国の政令は序を失い、宮廷の中に刀兵を動かす。もし外患に非ざれば、すなわち内乱で、二年の内に応験す。奔星が文昌より射出するは、宮廷の内部に乱を生ず。《荊州占》にいう、奔星が文昌宮より射出するは、国家はまさにその君主を失わん。もう一種の説法は国中に君なく依るべきなし。
班固《天文志》曰:“孝成帝建始元年九月戊子,有流星出文昌,白色,光燭地,長可四丈,大一圍,動搖如龍蛇形,有頃,長可五六丈,四圍,所屈折委曲,貫索宮西北、斗西北、子亥間,後屈如環,北方不合,留一刻所。占曰:文昌為上將、貴相。是時,帝舅王鳳為大將軍,其後宣帝舅子王商為丞相,皆貴臣任政,鳳妒商譖而罷之,商自殺,屬親皆廢黜。”
班固《漢書・天文志》に記す、漢の成帝の建始元年九月戊子の日に、流星ありて文昌より射出し、白色、光亮は地面に映照し、長さ約四丈、粗さ約一囲、揺擺・晃动して龍蛇の形状に似た。しばらく過ぎて、長さは五六丈に長くなり、粗さは四囲に至り、屈折・盤曲し、貫索宮の西北・北斗の西北および子位と亥位の間を穿過し、末端は彎曲して環形を成し、北面は合攏せず、一刻ほど停留した。当時の占辞にいう、文昌は上将と貴相を主る。あの時、成帝の舅父の王鳳は大将軍を任じ、その後宣帝の舅家の児の王商は丞相を做し、いずれも貴戚・重臣が朝政を掌理した。王鳳は王商を忌恨し、讒言を進めて彼を罷免し、王商は自殺し、彼の親属もまた全て廃黜せられた。
司馬彪《天文志》曰:“孝靈二年四月,有流星,出文昌,入紫宮,蛇行,有尾無目,赤色有光,炤垣牆;占曰:文昌主上將、貴相。後六年,司徒劉邵為中常侍曹節所譖,下獄死。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の霊帝の在位の第二年四月に、流星ありて文昌より射出し、紫宮に飞入し、蜿蜒として蛇行のごとく、尾ありて头目なし、赤色にして光を帯び、墻垣をも照亮した。当時の占辞にいう、文昌は上将と貴相を主る。此の後の第六年に、司徒の劉邵は中常侍の曹節に讒を進め構陥せられ、獄に下りて死した。
流星犯北斗 十三
《黃帝占》曰:“大流星入北斗,天下亂,大發兵,將軍出;期六月,若一年。”(案司馬彪《天文志》曰:光武建武十年三月癸卯,流星如月,從太微出,入北斗魁第六星,色白,傍有小星射者千餘枚,滅則有聲如雷,食頃止。是時,光武帝使吳漢發卒三萬人擊蜀。成帝公孫述十二年二一月,護軍高午刺述洞胸,死。屠蜀城,滅述妻子宗族。孝靈光和元年四月癸丑,流星犯軒轅第二星,東北行入北斗魁中,至中平元年黃巾賊起,上遣中郎將皇甫蒿等征之,斬首千餘萬級。)
《黄帝占》にいう、大流星が「北斗」に飞入するは、天下はまさに乱れ、朝廷は大挙して兵を発し、将軍は兵を領して出征し、半年あるいは一年の内に応験す。北斗の七星は天帝の乗ずる車駕で、中央に居りて四方に臨制す。ゆえに流星がそれを犯すは、直ちに天下の治乱と兵権の上に応ず。以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に按るに、光武帝の建武十年三月癸卯の日に、流星ありて大きさは月亮に似て、太微より射出し、北斗の魁の第六の星に飞入し、白色、旁に上千枚の小星の迸射あり、熄滅する時に雷のごとき声響を発し、約一頓の飯の工夫ほどにしてこそ止んだ。当時、光武帝は呉漢を派して三万の士卒を征発して蜀の地を攻打せしめた。成家の皇帝の公孫述の十二年十一月に到りて、護軍の高午は一槍にして公孫述の胸膛を刺穿し、公孫述は即座に身死し、漢軍は蜀城を屠滅し、公孫述の妻子・児女と宗族は尽く誅滅せられた。漢の霊帝の光和元年四月癸丑の日に、流星は軒轅の第二星を侵犯し、東北に向かって北斗の魁の中に飞入した。中平元年に到って黄巾の賊は事を起こし、皇帝は中郎将の皇甫嵩らを派して征討せしめ、斬首は千万を以て計った。
石氏曰:“流星入北斗魁中,失名人。流星夜有光,入北斗,大臣有繫者,以五色占之。”郗萌曰:“大流星色青,入北斗魁中,大臣有繫者,有憂也。大流星入北斗魁中失明者;繫者斬死。”
《石氏星経》にいう、流星が北斗の魁の中に飞入するは、国家はまさに名望ある人物を失わん。流星が夜に光芒を帯びて北斗に飞入するは、大臣の中に拘押せらるるあり、具体の吉凶は流星の五色に按じて推断す。郗萌はいう、大流星が青色を呈し北斗の魁の中に飞入するは、大臣の中に拘押せらるるあり、しかも憂患を帯ぶ。大流星が北斗の魁の中に飞入してかえって光芒を消失するは、あの拘押せられた人はまさに斬殺せられん。
(案班固《天文志》曰:成帝綏和元年正月辛未,有流星從東南入北斗,長數十丈,二刻所止。其年十一月庚子,定陵侯淳于長坐執左遒下獄死。郗萌曰:“奔星入北斗中,中國使匈奴。”案班固《天文志》曰:“成帝陽朔四年閏月庚午,飛星大如缶,西南入北斗下。明年,鴻嘉元年正月,匈奴單于離陶莫畢死,五月甲午,遣中郎將楊興使吊。)
以下は原書の小注:班固《漢書・天文志》の記載に按るに、漢の成帝の綏和元年正月辛未の日に、流星ありて東南方より北斗に飞入し、長さ数十丈、約二刻の工夫にしてこそ停止した。当年の十一月庚子の日に、定陵侯の淳于長は罪に因って拘執せられ獄に下りて死した。郗萌はいう、奔星が北斗の中に飞入するは、中原がまさに使者を派して匈奴に前往せんを主る。また班固《漢書・天文志》の記載に按るに、成帝の陽朔四年閏月庚午の日に、飞星ありて大きさは瓦缶に似て、西南方より北斗の下に飞到した。第二年、すなわち鴻嘉元年正月に、匈奴の単于の離陶莫皋は死去し、五月甲午の日に、漢朝は中郎将の楊興を派して出使して喪を弔わしめた。
《荊州占》曰:“大流星入北斗魁中,大臣背叛,流星使星入北斗魁中,臣有繫者;星出,繫者出。大流星入北斗魁中,貴人囚;青黑、憂;赤黑、死;赤、兵死。”郗萌曰:“流星入應星中,天下有赦。”石氏曰:“流星出北斗,人主使人與諸侯;色黃白,有賀事;青黑、有憂事;赤,有兵;期二年。”
《荊州占》にいう、大流星が北斗の魁の中に飞入するは、大臣はまさに背叛せん。もし使星が魁の中に飞入するは、すなわち臣子の中に拘押せらるるあり、星が魁の中より射出するは、拘押せられた人はすなわち釈放を得る。大流星が北斗の魁の中に飞入するは、貴人はまさに獄に下らん。星色が青黒は憂患を主り、赤黒は死亡を主り、純赤はすなわち兵禍に死す。郗萌はいう、流星が応星の中に飞入するは、天下にまさに赦令あるべし。《石氏星経》にいう、流星が北斗より射出するは、君主が人を派して諸侯国に前往するを主る。星色が黄白は、称賀の喜事あり。青黒は、憂患の事あり。赤色は、兵事あり。二年の内に応験す。
石氏曰:“流星出北斗魁中,人主左右有繫死者;流星出北斗魁中,若東西不出,期年兵起;流星出北斗魁中,大將軍出;以星日占知所之。”郗萌曰:“大流星出北斗後,尾長數丈,將出。流星黃白,出北斗魁中,有赦令。”
《石氏星経》にいう、流星が北斗の魁の中より射出するは、君主の身辺の近臣に拘押せられて死に至るあり。流星が北斗の魁の中より射出して、もし東にも向かわず西にも飞去せざれば、一年の内に兵事あるべし。流星が北斗の魁の中より射出するは、大将軍の出師を主る。兵鋒の向かう所はいずれの方なるかに至っては、流星の出現した日辰と飛行の方向に按じて推断す。郗萌はいう、大流星が北斗の後より射出し、尾の長さ幾丈は、将帥の出征を主る。流星が黄白色を呈して北斗の魁の中より射出するは、朝廷にまさに赦令あるべし。
《荊州占》曰:“大流星出北斗魁中,不出其年,兵起,占星所之者,使星出北斗東行,齊趙負兵;(《玉曆》云:齊、魯、鄭。)出北斗南行,荊魏負兵;(《玉曆》云:為荊州、楚、韓。)出北斗西行,秦鄭負兵;(《玉曆》云:秦、晉、魏。)出北斗北行,楚趙負兵。”(《玉曆》云:燕、趙、皆不出三年。)
《荊州占》にいう、大流星が北斗の魁の中より射出するは、此の一年を出ずにすなわち兵事あり。流星の飞去する方向を看て以てどこに応ずるかを断定すべし:使星が北斗より射出して東に向かって飛ぶは、斉・趙の地が兵禍を承受す(原書の小注:《玉曆》は斉・魯・鄭と作る)。北斗より射出して南に向かって飛ぶは、荊・魏の地が兵禍を承受す(原書の小注:《玉曆》は荊州・楚・韓と作る)。北斗より射出して西に向かって飛ぶは、秦・鄭の地が兵禍を承受す(原書の小注:《玉曆》は秦・晋・魏と作る)。北斗より射出して北に向かって飛ぶは、楚・趙の地が兵禍を承受す(原書の小注:《玉曆》は燕・趙と作り、ならびにいずれも三年を出ずして応験すと講う)。
《玄冥》曰:“流星出部星,天子伐諸侯,天下將太平,期二年。”京房曰:“流星於北斗傍,明如炬火,長六七丈,(一本云:六七尺。)如繒布,賊臣專制天下,期三年。”郗萌曰:“流星從南斗至北斗者,赦令;期正月、二月。”《荊州占》曰:“使星守北斗,天下亂。”
《玄冥占》にいう、流星が「部星」より射出するは、天子はまさに兵を出して諸侯を討伐し、此の後天下は太平に趨き、二年の内に応験す。北斗の七星は各々専名あり、第七星の揺光はすなわち部星である。京房はいう、流星が北斗の旁に出現し、明るさは火炬に似て、長さ六七丈(原書の小注:一本は六七尺と作る)、形状は一匹の繒布に似るは、これは賊臣が天下の権を専擅するの征兆で、三年の内に応験す。郗萌はいう、流星が南斗より一に北斗に飞到するは、朝廷が赦令を頒下するを主り、正月・二月に応ず。《荊州占》にいう、使星が北斗に停留して去るを肯ぜざるは、天下はまさに乱れん。
郗萌曰:“大流星拂北斗廡,不出其年,有戮死臣,期三年。奔星以冬至前後十日之內繫北斗柄,天下當之,期六十日。”郗萌曰:“大流星抵北斗柄,破之,大臣有憂,期六月。流星抵北斗,天下大發兵。使星抵北斗,東行;不出其年,臣有戮死者。”《荊州占》曰:“流星不入北斗魁中,居其傍,貴人有避宮者。”
郗萌はいう、大流星が北斗の廊廡を擦過する——すなわち斗魁の外側の輔弼が相い挟むあの一帯——は、此の一年を出ずにすなわち大臣の殺せらるるあり、三年の内に応験す。奔星が冬至の前後十天の内に北斗の斗柄に牽連するは、天下は皆この場の災殃を承受し、六十天の内に応験す。斗柄は号令を発し征伐するを主り、冬至はまた一歳の気機が初めて動く時である。ゆえにこの二処が相い犯するは、占辞は断じて格外に急迫なり。郗萌はまたいう、大流星が斗柄を衝撞してならびにそれを冲破するは、大臣に憂患あり、六箇月の内に応験す。流星が北斗を衝撞するは、天下は大挙して兵を発す。使星が北斗を衝撞してまた東に向かって飞去するは、此の一年を出ずに臣子の中に殺せらるるあるべし。《荊州占》にいう、流星はならびに北斗の魁の中に飞進せず、ただその旁に停止するは、貴人の中に宮禁を避出するあり。魁に入らざればすなわち禍は身に及ばず。ゆえにただ宮を避くるを講いて誅戮を講わず。
《黃帝》曰:“流星抵正星,大人遇賊憂;流星出正星,執政者易,期一年。”甘氏曰:“大流星抵法星左右,其有光者,男君疾;無光者,女主疾;若出法星,兵起,若有變事,期一年,遠二年。”《荊州占》曰:“流星抵法星,法星色青,三日有兵,期不出四月;色青白,九月有兵;期不出十月;而起期以春也,不出月,大變,變易國名。”
《黄帝占》にいう、流星が「正星」——すなわち北斗の第一星の天枢——に衝撞するは、君主はまさに賊害の憂いに遭遇せん。流星が正星より射出するは、執政の大臣はまさに更替し、一年の内に応験す。《甘氏星経》にいう、大流星が「法星」——すなわち北斗の第二星——に衝撞し、その左右にもし流星の光を帯ぶるあれば、男主は病あり。もし光を帯びざれば、女主は病あり。もしこれが法星より射出するは、すなわち兵事の発動あり、あるいは変故の発生あり、近ければ一年・遠ければ二年に応験す。《荊州占》にいう、流星が法星に衝撞し、法星が青色を現出するは、三天の内に兵事あり、最も遅くも四箇月を出ず。青白色を現出するは、九箇月後に兵事あり、最も遅くも十箇月を出ず、しかして難を発する期は春天に在り。もし一箇月を出ざれば、すなわち大変故あり、国号に至っても皆更更改せん。
《聖洽符》曰:“流星抵令星,有兵起,天下不安;若出令星,王者使諸侯,行令四方。”齊伯曰:“流星抵伐星,蠻夷以水兵來入國;若出伐星,天子出使於蠻夷,蠻夷和;若抵破伐星,人多死,期一年,遠二年。”石氏曰:“流星抵殺星,無光五日,君疾;有光十日,女主死。”
《聖洽符》にいう、流星が「令星」——すなわち北斗の第三星——に衝撞するは、まさに兵事の興起あり、天下は安寧を得ず。もしこれが令星より射出するは、すなわち君王はまさに使者を派して諸侯国に往かしめ、四方に向かって政令を頒行せん。斉伯はいう、流星が「伐星」——すなわち北斗の第四星——に衝撞するは、蛮夷はまさに水軍を帯びて国境に侵入せん。もしこれが伐星より射出するは、すなわち天子は使を遣わして蛮夷に前往し、蛮夷はこれに因って和を講じ順に帰す。もし流星が伐星を撞破せば、人の死亡多く、近ければ一年・遠ければ二年に応験す。《石氏星経》にいう、流星が「殺星」——すなわち北斗の第五星——に衝撞し、流星の光なきは、五天の内に君主は生病す。流星の光あるは、十天の内に女主は死亡す。
甘氏曰:“流星抵危星,五穀不成,人君有憂;若出危星,天子出行令。”《荊州占》曰:“流星多抵危星,其色赤,有兵,期一歲;黃有土功事;白,有喪,期一歲;黑,有分國。危星不明,流星數抵之,五穀不成;國相去,君有憂。”
《甘氏星経》にいう、流星が「危星」——すなわち北斗の第六星——に衝撞するは、五穀は成熟すること能わず、君主に憂患あり。もしこれが危星より射出するは、すなわち天子はまさに政令を頒行せん。《荊州占》にいう、流星が屢々危星に衝撞し、星色が赤は、兵事あり、一年の内に応験す。色黄は、土木の工程あり。色白は、喪事あり、亦た一年の内に在り。色黒は、すなわち国土の分裂の事あり。危星は本身は暗淡にして明ならず、また流星に屢々衝撞せられ、五穀は成らず。国中の丞相は位を離れて出走し、君主はこれがために憂愁す。
郗萌曰:“大流星數抵部星,王者忌之。”《荊州占》曰:“流星抵部星,色赤,有大憂;有士封爵,列侯有令,若兵器有怪,黃有喜。”石氏曰:“流星入輔星,相官不洽,天子制之,星出輔星;相免,若死。”
郗萌はいう、大流星が屢々「部星」——すなわち北斗の第七星の揺光——に衝撞するは、君王は当にこの種の天象を忌諱すべし。《荊州占》にいう、流星が部星に衝撞し、星色が赤は、大憂患あり、亦た士人ありて爵位を封ぜらるる・列侯が詔令を接するを主り、あるいは兵器の上に怪異が出現す。もし星色が黄ならば、すなわち喜慶の事あり。《石氏星経》にいう、流星が「輔星」に飞入するは、丞相と百官は協調すること能わず、天子は出面して裁抑す。もし流星が輔星より射出するは、丞相は免職せらるるに非ざればすなわち身死す。
流星犯紫宮 十四
《黃帝占》曰:“流星入紫宮,有大喪,大兵起,將軍有戮死者,期三年。”(案司馬彪《天文志》曰:孝章建初二年九月甲寅,流星過紫宮,長數丈,散為三,滅。後四年六月癸丑,明德皇后崩。孝和永元七年下月丁未,有流星起天津入紫宮中,滅,色青黃,有光。十二月巳卯,流星起文昌入紫宮,後竇太后,崩,隴西羌反。
《黄帝占》にいう、流星が「紫宮」に飞入するは、人間にまさに大喪あり、大規模の戦事は興起し、将軍の中に殺せらるるあり、三年の内に応験す。紫宮はすなわち紫微垣で、天帝の居住する宮禁である。ゆえに占辞は直ちに宮廷に応ず。以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に按るに、漢の章帝の建初二年九月甲寅の日に、流星ありて紫宮を経過し、長さ数丈、三道に散裂して後に熄滅した。四年の後の六月癸丑の日に、明徳の馬皇后は駕崩した。漢の和帝の永元七年に、下月の丁未の日に、流星ありて天津より升起し、紫宮の中に飞入して熄滅し、色は青黄、光を帯びた。同年の十二月己卯の日に、また流星ありて文昌より升起し紫宮に飞入し、その後竇太后は駕崩し、隴西の羌人は反叛した。
《宋天文志》曰:宋前廢帝永光元年六月壬午,有流星前赤後白,入紫宮,明年會稽太守,尋陽王子房、廣州刺吏袁墨遠、雍州刺史袁顗、青州刺史沈文秀並叛,昭太后崩。明年,太始二年三月甲寅,流星從五車出。至紫宮西藩沒,其年四方反叛。內兵大出,六師親戎。昭太后崩,大將殷孝祖為南賊所殺也。)
《宋書・天文志》に記す、劉宋の前廃帝の永光元年六月壬午の日に、流星ありて前段は赤色・後段は白色、紫宮に飞入した。第二年に、会稽太守の尋陽王の劉子房・広州刺史の袁墨遠・雍州刺史の袁顗・青州刺史の沈文秀は一同に反叛し、昭太后は駕崩した。また一年を過ぎて、泰始二年三月甲寅の日に、流星ありて五車より射出し、紫微垣の西藩に飞到して隠没した。この年に四方は反叛し、朝廷の内軍は大挙して出動し、天子は自ら六軍を統率した。昭太后は駕崩し、大将の殷孝祖は南方の叛軍に殺された。以上は原書の小注である。
石氏曰:“流星入紫宮,主憂;天下多死者,臣犯主;又曰:入紫宮,使者憂;又曰:入紫宮,使者復命,名曰使星,諸侯有來使者。”班固《天文志》曰:“孝昭元平元年三月丙戍,流星出翼軫東北,干太微紫宮,始出小,旦入大,有光入,有聲如雷,三鳴止;占曰:流星入紫宮,天下大凶。其年四月癸未,宮車晏駕。”
《石氏星経》にいう、流星が紫宮に飞入するは、君主に憂患あり、天下に死亡の人多く、臣子は君主を冒犯す。また一説は流星が紫宮に入るは使者に憂あるを主るという。また一説は流星が紫宮に入るは使者が朝に回りて命に復するの象で、こうのような星を使星と呼び、諸侯が使者を派して前来するを主る。班固《漢書・天文志》に記す、漢の昭帝の元平元年三月丙戌の日に、流星ありて翼宿・軫宿の東北より射出し、太微と紫宮を衝犯し、剛に出現する時は形体は小さく、まさに到らんとする時に変大し、光を帯びて飞入し、雷のごとき響声を発し、三回鳴ってこそ止んだ。占辞にいう、流星が紫宮に入るは、天下は大凶なり。この年の四月癸未の日に、昭帝は駕崩した。
《荊州占》曰:“流星入紫宮,水旱不調。”(案韋昭《洞記》曰:當靈帝嘉平二年,有流星出文昌,入紫宮。六月,北海水溢,司空楊賜免也。)《荊州占》曰:“奔星入紫宮中,大亂;一曰為其國有亂;其出也,國去其君。”(案《中興書》曰:安帝隆安五年三月甲寅,有流星赤色,眾多西行,歷牽牛、虛、危、天津、閣道、貫索、太微、紫宮,桓玄篡位之應。)
《荊州占》にいう、流星が紫宮に飞入するは、水旱は調を失す。原書の小注:韋昭《洞記》の記載に按るに、漢の霊帝の熹平二年に、流星ありて文昌より射出し、紫宮に飞入した。この年の六月に、北海の一帯に大水が泛濫し、司空の楊賜は免職せられた。漢家の旧制は三公を以て上は天変に応じ、水災に遇えばすなわち司空を策免す。ゆえにこの条の応験は楊賜の身の上に落つ。《荊州占》にまたいう、奔星が紫宮の中に飞入するは、天下は大いに乱れん。もう一種の説法はあの一国に乱あり。もしこれが紫宮より射出するは、すなわち国家はまさにその君主を失わん。原書の小注:《中興書》の記載に按るに、晋の安帝の隆安五年三月甲寅の日に、赤色の流星ありて群れを成して西に向かって飛行し、牽牛・虚・危・天津・閣道・貫索・太微・紫宮を経過し、これはすなわち桓玄の簒位の応験である。群星は諸宿を歴遍して帝居に終わるを、星家は認めてまさに帝座の人に凌歴せらるるの象と為す。
《荊州占》曰:“使星入紫宮,匈奴起兵。”陳卓曰:“奔星入紫宮,天下大亂;若有奇令。”石氏曰:“流星出紫宮,天子之急使也;青,憂;赤,有兵;黃,有土功;白,有喪;一曰義;黑,有水事;皆以所之分野命其國;星復入者,使復命也,不出其年。”《海中占》曰:“流星出紫宮,人主宮殿空,若有徙王,不則出走,期三年。”《荊州占》曰:“流星出紫宮中,奔入天牢中,天子以赦應之。”
《荊州占》にいう、使星が紫宮に飞入するは、匈奴はまさに兵を起こさん。陳卓はいう、奔星が紫宮に飞入するは、天下は大いに乱れ、あるいは朝廷はまさに反常の詔令を頒出せん。《石氏星経》にいう、流星が紫宮より射出するは、天子の派出する緊急の使者を象徴す。星色が青は、憂患を主る。赤は、兵事あり。黄は、土木の役あり。白は、喪事あり、もう一説は行義の事を主る。黒は、水患あり。いずれの国に応ずるは、皆流星の飞往する分野に按じて推定す。もしこの顆の星がまた紫宮に飞回せば、すなわちあれは使者が朝に回りて命に復し、此の一年を出ずに応験す。《海中占》にいう、流星が紫宮より射出するは、君主の宮殿はまさに空虚となり、あるいは君王の遷徙あり、然らざればすなわち出奔して外に在り、三年の内に応験す。《荊州占》にいう、流星が紫宮より射出し、一路に天牢に奔入するは、天子は大赦を用いて以てこの天象に対応せん。
《宋書天文志》曰:“宋文帝元嘉二十年二月二十四日乙未,流星大如桃,出天津,入紫宮;須臾有細流星,或五或三相續,又有一大流星從紫宮出,入北斗魁;須臾又有一大流星出貫索中,經天市,諸流星並向西北行,至曉不可稱數。流星占並云:天子之使;又曰庶民惟星,星流民散之象。至二十七年,索虜破青、翼、徐、兗、豫六州,民死大半。”《荊州占》曰:“使星出入紫宮,有空國,王徙。”
《宋書・天文志》に記す、宋の文帝の元嘉二十年二月二十四日乙未に、流星ありて大きさは桃子に似て、天津より射出し、紫宮に飞入した。片刻の後にまた細小の流星あり、五顆の一群あるいは三顆の一群にして接連して降り下った。また一顆の大流星ありて紫宮より射出し、北斗の魁に飞入した。片刻の後に再び一顆の大流星ありて貫索の中より射出し、天市垣を経過した。これらの流星は皆西北の方向に向かって飞去し、天亮するに至るまで、多くして数え尽くすこと能わず。各家の流星占は皆いう、流星は天子の使者を象徴す。またいう、百姓は星辰に比し、星辰の流散はすなわち百姓の離散の象である。元嘉二十七年に到りて、北方の魏軍は青・冀・徐・兗・豫らの六州を攻破し、百姓は一大半を死した。《荊州占》にいう、使星が紫宮に出入りするは、国中の空虚・君王の遷徙を主る。
流星犯北極 十五
《黃帝占》曰:“使星色白,入北極,天下兵聚;一曰國有大變,若有稱兵。”石氏曰:“流星入北辰,天下道塞;出北辰,天下安。”焦延壽曰:“流星入北辰,兵大起。”《黃帝占》曰:“流星出北辰,地動。”石氏曰:“使星出北極,兵不在外者罷,若兵聚境外,期不出年。”《荊州占》曰:“使星色赤,出北極,兵罷於外。”石氏曰:“當以戊日占有流星出北極,天子德令安天下。”《黃帝》曰:“流星抵北極,國有大喪,天下兵起非一國,將軍戰死;若大臣破戮,期不出三年。”
《黄帝占》にいう、使星が白色を呈し「北極」に飞入するは、天下の兵馬は聚集す。もう一説は国中に大変故あり、あるいは人ありて兵を挙ぐ。北極の五星は天の中枢に居り、帝王の正位である。《石氏星経》にいう、流星が北辰に飞入するは、天下の道路は阻塞す。北辰より射出するは、天下は安寧す。焦延寿はいう、流星が北辰に飞入するは、兵事は大いに起こる。《黄帝占》にいう、流星が北辰より射出するは、まさに地震あるべし。《石氏星経》にいう、使星が北極より射出するは、外に在りて征戦する軍隊に非ざるは罷兵し、あるいは兵馬は境外に聚集し、一年を出ずに応験す。《荊州占》にいう、使星が赤色を呈して北極より射出するは、外に在る軍隊はまさに罷兵せん。《石氏星経》にいう、当に戊日に占候すべく、もし流星が北極より射出するを見れば、天子が徳政の詔令を以て天下を安定するを主る。《黄帝占》にいう、流星が北極に衝撞するは、国中に大喪あり、天下に兵起こりてしかも一国に止まらず、将軍は沙場に戦死す。あるいは大臣は誅戮せられ、三年を出ずに応験す。
石氏曰:“流星抵北極而止,色前赤後白,有來言兵事者,成;前白後黃,人主立太子,有裂地者;色赤而前黃銳,有來吾國而死者;色白而前後皆銳,有來言開關而和者;若兵罷,四方皆然。”甘氏曰:“流星入鉤陳,必有迫劫主者;其臣謀其主;若兵起宮中,期二年。”
《石氏星経》にいう、流星が北、流星が北極に衝到してすなわち停住して動かざるに、もし前段は赤色・後段は白色なれば、人ありて前来して兵事を議論し、しかも議は成り得る。もし前段は白色・後段は黄色なれば、君主はまさに太子を冊立し、ならびに土を裂き人を封ずるの事あるべし。もし通体は赤色にして前端は黄にして尖鋭なれば、人ありて本国に来り到るもここに於て死せん。もし通体は白色にして前後の両端は皆尖鋭なれば、人ありて前来して関塞を開放し和を好み盟を結ぶを商議せん。罷兵の一事に至っては、四方の情形もまた皆これに照らして推断す。《甘氏星経》にいう、流星が「鈎陳」に飞入するは、必ず人ありて君主を逼迫・劫持し、臣子はその君主を図謀し、あるいは兵変は宮禁の中に発生し、二年の内に応験す。
流星犯天一太一 十六
《聖洽符》曰:“流星犯抵天一太一者,五穀成熟,人民安樂,天下太平,鄰國寧。”
《聖洽符》にいう、流星が「天一」「太一」の両星を侵犯・衝撞するは、反って吉兆である:五穀は豊熟し、百姓は安とし居りて快楽し、天下は太平し、隣国もまた随いて安寧す。天一・太一の両星は紫微垣の門の外に在り、天帝の神主で、戦闘を主り人の吉凶を知るを主る。ゆえに流星がそれを犯すは兵禍を主らずして豊楽を主る。
開元占経 巻七十五
流星占 五
流星犯石氏外官 一
流星犯庫楼 一
《黃帝占》曰:“流星入庫樓,庫兵發用事;車騎出,流星出之,兵大起,隨星所之,兵所從往;期三年。”郗萌曰:“流星出天庫,所之邑,受兵。使星出入天庫樓,天下空虛,兵盡出。”
《黄帝占》にいう、流星が「庫楼」に飞入するは、武庫の裡の兵器はまさに啓封・動用し、兵車・騎兵は前線に開赴せん。もし流星が庫楼より射出するは、兵事は大いに起こり、流星の飞往するいずれの方なるかは、すなわち軍隊の進兵の所向で、三年の内に応験す。庫楼の十星は角宿の南に在り、天子が兵車・甲仗を貯蔵する武庫である。郗萌はいう、流星が天庫より射出するは、それが飞到するいずれかの城邑は、そこはまさに兵禍を遭受せん。使星が天庫楼に出入りするは、天下の府庫はこれがために空虚となり、兵器は全部調発し出去す。
流星犯南門 二
石氏曰:“流星入南門,西夷兵起,關道不通,國有憂。”《荊州占》曰:“流星南門甚眾,大臣有外事。”
《石氏星経》にいう、流星が「南門」に飞入するは、西方の夷狄はまさに兵を起こし、関塞の道路は阻断して通ぜず、国中に憂患あり。南門の二星は庫楼の南に在り、天上の外門で、守御・門禁を主る。《荊州占》にいう、流星が南門の一帯に出現するが甚だ多きは、大臣に出外して办理する公事あるを主る。
流星犯平星 三
《玉曆》曰:“流星入平星,執令臣有憂;若有罪,星若出之,臣有黜者;期百八十日。”
《玉曆》にいう、流星が「平星」に飞入するは、法令を執掌する臣子に憂患あり、あるいは事に因って罪を獲る。もし流星が平星より射出するは、すなわち臣子の中に罷黜せらるるあり、百八十天の内に応験す。平星の二星は庫楼の北に在り、刑獄を評議し賞罰を持平するを主り、人間の廷尉の職に相当す。
流星犯騎官 四
甘氏曰:“流星入騎官,有兵起,騎士將出,有憂;若馬多死,期一年,遠二年。”石氏曰:“流星抵騎官,兵起;星所止,知之。”
《甘氏星経》にいう、流星が「騎官」に飞入するは、まさに兵事の発動あり、騎兵と将領はまさに開出し、しかも憂患を帯ぶ。あるいは馬匹は大批に死亡し、近ければ一年・遠ければ二年に応験す。騎官の二十七星は氐宿の南に在り、天子の宿衛の騎兵である。《石氏星経》にいう、流星が騎官に衝撞するは、兵事は発動す。いずれの処に応ずるに至っては、流星の墜落し停住する方位を看ればすなわち推知すること能う。
流星犯積卒 五
《聖洽符》曰:“流星入積卒,兵士大行,若將死;一曰近臣有誅者,期不出二年。”(案《晉陽秋》曰:大元元年三月丁巳,流星大如斗椀,赤色,尾長二丈,起心星南五丈,經積卒。九月,秦王符堅屠涼州,虜刺史張天錫,車騎桓沖,屯軍淮泗。)
《聖洽符》にいう、流星が「積卒」に飞入するは、兵士はまさに大挙して出動し、あるいは将領は死亡す。もう一種の説法は近臣の中に誅殺せらるるあり、二年を出ずに応験す。積卒の十二星は房宿の南に在り、聚集して発を待つ士卒を象徴す。以下は原書の小注:《晋陽秋》の記載に按るに、太元元年三月丁巳の日に、流星ありて大きさは斗に似て・碗に似て、赤色、尾の長さは二丈、心宿の南より五丈の処に升起し、積卒を経過した。この年の九月に、前秦の王の苻堅は涼州を攻屠し、涼州刺史の張天錫を俘獲した。東晋の車騎将軍の桓冲はすなわち淮水・泗水の一帯に兵を屯した。
流星犯亀星 六
齊伯曰:“流星入龜星,天下有水,珠玉貴;流星出之,天下大旱,五穀貴,期不出年。”郗萌曰:“流星出龜星,色青黑,所之國大水;赤黃,所之國大旱。”
斉伯はいう、流星が「亀星」に飞入するは、天下に水災あり、珠玉の価格は騰貴す。流星が亀星より射出するは、天下は大旱し、五穀の価は貴しく、一年を出ずに応験す。亀星の五星は尾宿の南に在り、卜筮と水沢の物を主る。郗萌はいう、流星が亀星より射出し、星色が青黒は、それが飞往するあの一国に大水あり。星色が赤黄は、それが飞往するあの一国は大旱す。
流星犯傅説 七
《甄曜度》曰:“流星抵傅說,王者有子孫之憂;若出之,宮中有子孫之喜;期不出百八十日。”
《甄曜度》にいう、流星が「傅説」星に衝撞するは、君王に子孫の方面の憂患あるべし。もし流星が傅説より射出するは、宮中にかえって丁を添うの喜事あり、百八十天を出ずに応験す。傅説の一星は尾宿の後に在り、殷の高宗の賢相の傅説の名を取る。星家は以てそれが子嗣と祈嗣の事を主ると為す。
流星犯魚星 八
《海中占》曰:“流星抵魚星,天下水,魚鹽貴;星若出之,天下旱,魚行人道。”
《海中占》にいう、流星が「魚星」に衝撞するは、天下にまさに水患あり、魚と塩の価格は騰貴す。もし流星が魚星より射出するは、天下は大旱し、水は枯れて魚が人の走る道路の上にまで爬るに至る。魚星の一星は尾宿の下・天河の中に在り、魚類・水族と漁塩の利を主る。
流星犯杵星 九
《玄冥》曰:“流星入杵星,五穀大貴,其歲杵不用事。”
《玄冥占》にいう、流星が「杵星」に飞入するは、五穀の価格は大いに漲り、あの一年に杵臼は用場に派さず、すなわち舂くべき穀なし。杵星の三星は箕宿の南に在り、臼星と相配し、糧を舂くの事を主る。ゆえに流星がそれを犯せばすなわち穀価の上に応ず。
流星犯鱉星 十
《文曜鉤》曰:“流生入鱉星,國有大水;色赤,出鱉,其國大旱。”郗萌曰:“大流星出鱉星,色青黑,為大水;赤黃,為大旱;視其所之,以命邑。”
《文曜鈎》にいう、流星が「鱉星」に飞入するは、国中に大水あり。もし星色が赤に発してしかも鱉星より射出するは、あの一国はすなわち大旱す。鱉星の十四星は南斗の南・天河の中に在り、水中の介甲の族を主る。ゆえに専ら水旱に応ず。郗萌はいう、大流星が鱉星より射出し、星色が青黒は、大水を主る。星色が赤黄は、大旱を主る。さらにそれが何方に飞往するかを看て、すなわち応験をあの一座の城邑に断ず。
流星犯九坎 十一
巫咸曰:“流星入九坎,有水旱之變;從南入,則大旱;從北入,則大水。”
巫咸はいう、流星が「九坎」に飞入するは、まさに水旱の変異あるべし。南面より飞入するは、大旱を主る。北面より飞入するは、大水を主る。九坎の九星は牽牛の南に在り、沟渠・塘堰を象徴し、水を蓄え水を泄し田畝を灌溉するを主る。ゆえに専ら一方の水旱を候す。
流星犯敗臼 十二
《帝覽嬉》曰:“流星入敗臼,天下有急發米粟之事,杵臼用,期一年。”
《帝覧嬉》にいう、流星が「敗臼」に飞入するは、天下にまさに緊急に米粟を調発するの事あり、杵臼はまさに日夜に糧を舂き用場に派せん、一年の内に応験す。敗臼の四星は虚宿・危宿の南に在り、杵星と相配し、米を舂くと倉儲・転輸の事を主る。
流星犯羽林 十三
《黃帝占》曰:“流星入羽林,兵大起,士卒發用,將軍有出者;期三年。”石氏曰:“流星色赤,入大牢東,君起兵;入其西,太子起兵;入其北,諸侯起兵;出大牢,兵隨所之。流星色赤,入天軍之南,天子死;入其西,太子死;入其北,諸侯多死。流星色黃白,入天軍之西,天子立太子;入其中,天子立侯王,不則受賜。流星色白,入天軍之南,后憂疾;入其北,諸侯憂疾。”《春秋緯》曰:“使星出入羽林,兵起。”
《黄帝占》にいう、流星が「羽林」に飞入するは、兵事は大いに起こり、士卒は征発・調用せられ、将軍の中に命を奉じて出征するあり、三年の内に応験す。羽林の四十五星は営室の南に在り、天子の禁衛の軍で、ゆえにまた天軍と呼ぶ。《石氏星経》にいう、流星の色が赤にして大牢の東面に飞入するは、君主は兵を起こす。それの西面に飞入するは、太子は兵を起こす。それの北面に飞入するは、諸侯は兵を起こす。もし大牢より射出すれば、兵鋒はすなわち流星の飞去する方向に随う。流星の色が赤にして天軍の南面に飞入するは、天子は死す。それの西面に飞入するは、太子は死す。それの北面に飞入するは、諸侯は死亡多し。流星の色が黄白にして天軍の西面に飞入するは、天子は太子を冊立す。天軍の中に飞入するは、天子は侯王を分封し、然らざればすなわち人ありて賞賜を得る。流星の色が白にして天軍の南面に飞入するは、皇后は憂病す。それの北面に飞入するは、諸侯は憂病す。《春秋緯》にいう、使星が羽林に出入りするは、兵事の興起を主る。
流星犯北落 十四
石氏曰:“流星抵北落,天下有兵,北夷寇虜入塞,大將出,鈇鑕用,期百八十日,遠一年,若二年。”
《石氏星経》にいう、流星が「北落」に衝撞するは、天下にまさに兵事あり、北方の夷狄の寇虜は辺塞に侵入し、大将は命を奉じて出征し、斧鉞・刀鑕の類の刑具は皆まさに動用し、近ければ百八十天・遠ければ一年あるいは二年の内に応験す。北落師門の一星は羽林軍の南に在り、天軍の営門で、非常を候察するを主る。ゆえに流星がそれを犯せばすなわち辺寇と出師の上に応ず。
流星犯土司空 十五
《玉曆》曰:“流星抵土司空,其國有兵,土功起;若抵破司空,國有喪,期三年。”
《玉曆》にいう、流星が「土司空」に衝撞するは、あの一国にまさに兵事あり、しかも土木の工程を興起せん。もし流星が土司空を撞破せば、国中にすなわち喪事あり、三年の内に応験す。土司空の一星は奎宿の南に在り、土功を営造し田疇・水利の事を主管す。ゆえに占辞は先ず土功を講う。
流星犯天倉 十六
石氏曰:“流星色赤,入天倉中,兵內起,其犯破,天倉旱,若火起,出天倉粟,以兵出。流星色黃白,入天倉中,歲飢;出入天倉,歲大飢,出谷。”甘氏曰:“流星入天倉,天下飢,谷散出,若發粟於民,有轉谷之事。”
《石氏星経》にいう、流星の色が赤にして「天倉」の中に飞入するは、兵変は内部より発生す。もしそれが天倉を冲破せば、あの一帯にすなわち旱情あり、あるいは倉中に火起こり、倉裡の粟米は運び出せらるるは、あれは軍需に充てて兵に随いて出る。流星の色が黄白にして天倉の中に飞入するは、この一年は饑荒す。もし天倉に進進・出出すれば、この一年は大饑し、まさに倉を開いて穀を出さん。天倉の六星は婁宿の南に在り、穀米を儲蔵する倉廩である。《甘氏星経》にいう、流星が天倉に飞入するは、天下は饑荒し、穀米は散放し出去り、あるいは百姓に向かって糧を発して賑済し、漕穀を転運するの事あり。
流星犯天囷 十七
《聖洽符》曰:“流星入天囷,有兵起,谷當出,有軍糧之急;期百八二日,若一年。”
《聖洽符》にいう、流星が「天囷」に飞入するは、まさに兵事の興起あり、倉中の穀子はまさに調運し出去り、軍糧は喫緊・告急し、百八十二天あるいは一年の内に応験す。天囷の十三星は胃宿の南に在り、円形の穀倉で、天倉・天廩と同じく穀米を積儲するを主る。
流星犯天廩 十八
齊伯曰:“流星入天廩,其國大飢,五穀不成,人民飢死,米粟當有出廩者,期不出二年。”
斉伯はいう、流星が「天廩」に飞入するは、あの一国は大饑し、五穀は成熟すること能わず、百姓は餓死し、倉廩の中の米粟は勢い必ず開き出して賑済せんとし、二年を出ずに応験す。天廩の四星は昴宿の南に在り、祭祀に用いる粢盛を貯蔵するを主り、また一年の豊歉を総じて候す。
流星犯天苑 十九
《甄曜度》曰:“流星入天苑,有兵起,馬出行,若多死;一曰禽獸多死。”石氏曰:“流星色赤,入天苑中,牛馬多傷;出天苑中,牛馬多以兵事出者。流星色黃,入天苑中,牛馬野禽獸蕃息。流星色蒼白、黑,入天苑中,牛馬野禽獸多死;出天苑、牛馬以全出者。流星入天苑,馬之事出,天苑名馬出,幣入四足獸,有幣者。流星入天苑,名馬有入者;出天苑,名馬有出者。”
《甄曜度》にいう、流星が「天苑」に飞入するは、まさに兵事の興起あり、馬匹は牽き出されて使用せらる、あるいは大批に死亡す。もう一種の説法は禽獣の死亡多し。天苑の十六星は昴宿・畢宿の南に在り、天子が牛馬・禽獣を畜養する苑囿である。《石氏星経》にいう、流星の色が赤にして天苑の中に飞入するは、牛馬は傷損多し。天苑より射出するは、牛馬は兵事に因って征調せられて出去ること多し。流星の色が黄にして天苑の中に飞入するは、牛馬と野生の禽獣は繁衍・興旺す。流星の色が蒼白あるいは黒に発して天苑の中に飞入するは、牛馬と野生の禽獣は大批に死亡す。もしこれが天苑より射出するは、牛馬は完好に牽き出すこと能う。流星が天苑に飞入するは、馬と関ある事はすなわち発生せん:苑中の名馬は牽き出され、而して四足の牲畜を以て聘幣と為して送り入れらる、人ありてこれに因って財幣を得る。流星が天苑に飞入するは、名馬の国に進献するあるを主る。流星が天苑より射出するは、名馬の国境を送り出すあるを主る。
流星犯参旗 二十
《海中占》曰:“流星入參旗,兵大起,弓弩用;流星出之,將軍出,兵士行,期二年。”郗萌曰:’使星出入天弓,匈奴兵起。”
《海中占》にいう、流星が「参旗」に飞入するは、兵事は大いに起こり、弓弩はまさに用場に派せん。流星が参旗より射出するは、将軍は出征し、士卒は開抜し、二年の内に応験す。参旗の九星は参宿の西に在り、また天弓と呼び、弓弩・威射と盗賊を候察するを主る。郗萌はいう、使星が天弓に出入りするは、匈奴の兵馬はまさに事を起こさん。
流星犯玉井 二十一
《黃帝占》曰:“流星入玉井中,皆為強國失地;出玉井,強國得地。”郗萌曰:“有大流星循伐以下入玉井中,不出其年,水與城等,以星小大退疾占之。”《玄冥》曰:“流星入玉井,國以水為憂;若疾,國失地;若出之,大水溢流,有溺死者,期不出二年。”《荊州占》曰:“流星出玉井,將出。”
《黄帝占》にいう、流星が「玉井」の中に飞入するは、いずれも強国が土地を失去するを主る。玉井より射出するは、すなわち強国は土地を獲得す。玉井の四星は参宿の左足の下に在り、水を汲みて以て庖厨に供するを主り、星家はそれを用いて水を候す。郗萌はいう、大流星ありて伐星の以下に順って玉井の中に飞入するは、此の一年を出ずに洪水は城墻と同じ高さに漲らん。水勢の大小と退くの快慢は、流星の大小・飛行の疾徐に按じて推断す。《玄冥占》にいう、流星が玉井に飞入するは、国家はまさに水患のために愁えん。もし来勢が急疾ならば、国家はさらに土地を失去せん。もし流星が玉井より射出するは、すなわち大水は泛濫して外に溢れ、人ありて溺死し、二年を出ずに応験す。《荊州占》にいう、流星が玉井より射出するは、将帥の出征を主る。
流星犯屏星 二十二
《文曜鉤》曰:“流星入屏星,執法臣有戮死者,人民多疾;若有死,不出其年。”
《文曜鈎》にいう、流星が「屏星」に飞入するは、法令を執掌する臣子の中に殺せらるるあり、百姓は疾病を生ずる多し。もし死亡が出現すれば、此の一年を出ずにすなわち応験す。此処の屏星の二星は廁星の南に在り、穢処を遮蔽する屏障で、太微垣の内のあの一組の屏星と名は同じくして位は同じからず。
流星犯廁星 二十三
巫咸曰:“流星入廁星,天下大飢,人相食;一曰若大水,陷廁中,有謀兵。”
巫咸はいう、流星が「廁星」に飞入するは、天下は大饑し、人が人を食うに至る。もう一種の説法はもし大水に逢い、廁星を水中に陥没せば、人ありて兵を興さんと図謀す。廁星の四星は屏星の北・参宿の右に在り、圊溷の事を主り、星家はそれを借りて以て疾疫と饑饉を候す。
流星犯天矢 二十四
石氏曰:“流星抵天矢,人民多疾,若多死,天下飢。流星色黃,吉;青白,多疾;黑,多飢。”
《石氏星経》にいう、流星が「天矢」に衝撞するは、百姓は疾病を生ずる多く、あるいは大批に死亡し、天下は饑荒す。流星の色が黄は、吉と為る。色青白は、疾病多し。色黒は、饑荒多し。天矢の一星は廁星の南に在り、穢濁の聚まる処で、ゆえに専ら疾疫と饑饉に応ず。
流星犯軍市 二十五
《玉曆》曰:“流星入軍市,兵大起,大將出,軍飢,絕糧,市散,期二年。”
《玉曆》にいう、流星が「軍市」に飞入するは、兵事は大いに起こり、大将は出征し、軍中は饑困し、糧道は断絶し、市集は離散し、二年の内に応験す。軍市の十三星は参宿の東南に在り、軍中の互いに交易する市集で、軍需・給養を主る。
流星犯野鶏 二十六
甘氏曰:“流星入軍市,抵野雞,將離散,士卒死亡,先起兵者殃,期三年。”
《甘氏星経》にいう、流星が軍市に飞入し、またその中の「野鶏」星に衝撞するは、将帥の所部は離散し、士卒は死亡し、先んじて兵を発する方はまさに殃を遭わん、三年の内に応験す。野鶏の一星は軍市の中に在り、野味の供給を主り、また軍中の伏候・警戒を主る。
流星犯狼星 二十七
《黃帝占》曰:“流星抵破狼星,秦國有殃,先起兵者亡,期一年,遠二年。”石氏曰:“流星抵狼星,其國兵大起,大將有千里之行,將軍有死者。”
《黄帝占》にいう、流星が「狼星」に衝撞しならびに撞破するは、秦の地はまさに殃を遭い、先んじて兵を起こす方は滅亡し、近ければ一年・遠ければ二年に応験す。狼星の一星は東井の東南に在り、色は白にして芒角あり、侵掠・劫奪を主り、分野は秦に属す。《石氏星経》にいう、流星が狼星に衝撞するは、あの一国は兵事大いに起こり、大将に千里の遠征の行あり、将軍の中に戦死する人あり。
流星犯弧星 二十七
齊伯曰:“流星入弧星,天下兵起,諸侯相攻,弓弩用,車騎出;一曰弓矢貴,秦負兵,期不出百八十日,遠一年。”
斉伯はいう、流星が「弧星」に飞入するは、天下に兵起こり、諸侯は互いに攻伐し、弓弩はまさに動用し、兵車・騎兵は戦場に開赴せん。もう一種の説法は弓箭の価は貴しく、秦の地は兵禍を承受し、最も快くも百八十天を出ず、遠ければ一年に応験す。弧矢の九星は狼星の東南に在り、形状は一张の箭を搭えた弓に似て、箭鏃は正しく狼星に対して向き、盗賊を防備し非常を警戒するを主る。
司馬彪《天文志》曰:“光武建武十一年十二月已亥,大流星如缶,出柳西南行,入弧且滅,分為千餘,如遺火狀;須臾,有聲隱隱如雷。柳為周,弧為秦、蜀,大流星出柳入弧者,是大使從周入蜀。時光武使大司馬吳漢發南陽,三萬人乘船泝江而上,擊蜀成帝公孫述,又命將軍成等平武都邑郡。十二年二月,吳漢又擊述,大司馬謝豐斬首五千餘級,十一月丁丑、漢護軍高午刺述洞胸,其夜死;明日,漢入屠蜀城,誅述大將公孫晃等,所殺數萬人,滅述妻子、宗族萬餘人。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す、光武帝の建武十一年十二月己亥の日に、大流星ありて瓦缶のごとき大きさで、柳宿より射出して西南に向かって飛行し、弧星に飞進してまさに熄滅せんとする時に、一千余の顆に散裂し、遺落の火星のごとし。片刻の後に、隠隠として雷のごとき声響を発した。柳宿の分野は周の地で、弧星の分野は秦・蜀で、大流星が柳宿より射出して弧星に飞入するは、大員ありて使を奉じて周の地より蜀の地に入るを象徴す。当時、光武帝は大司馬の呉漢を派して南陽の三万人を征発し、船に乗りて江を溯って上り、蜀の地を割拠する成家の皇帝の公孫述を攻打せしめ、また将軍の成某らに命じて武都らの郡県を平定せしめた。建武十二年二月に、呉漢は再び公孫述を進撃し、成家の大司馬の謝豊の以下の首級五千余を斬り下した。十一月丁丑の日に、呉漢の護軍の高午は一槍にして公孫述の胸膛を刺穿し、当の夜に公孫述は身死した。第二天に、呉漢は城に入りて蜀都を屠滅し、公孫述の大将の公孫晃らを誅殺し、殺したるは幾万の人あり、公孫述の妻子・児女と宗族の一万余人もまた一併せて滅ぼされた。
流星犯老人星 二十九
《荊州占》曰:“使星出入老人星,老人有疾憂。”《海中占》曰:“流星抵老人,天下多病,老人不安;一曰大兵起,老者行。”
《荊州占》にいう、使星が「老人星」に出入りするは、年の高き人はまさに疾病・憂患あるべし。老人星とはすなわち南極老人星で、弧矢の南に在り、国家の寿祚と人の長寿を主り、歴来、秋分の日に南郊に於て守候す。《海中占》にいう、流星が老人星に衝撞するは、天下に疾病多く、老年の人は安寧を得ず。もう一種の説法は大規模の戦事が興起し、年老いた人に至ってもまさに征発せられて路に上らん。
流星犯天稷 三十
《玄冥》曰:“流星入天稷,五穀散出,谷不熟,天下飢,人民流亡,去其鄉。”
《玄冥占》にいう、流星が「天稷」に飞入するは、倉中の五穀はまさに散放し出去るも、田裡の穀子はかえって成熟すること能わず、天下は饑荒し、百姓は流亡して自らの家郷を離れん。天稷の五星は七星宿の南に在り、農事・稼穡を主り、農官の象徴である。ゆえに流星がそれを犯すは専ら一年の年成に応ず。
流星犯甘氏中官 二
流星犯天理 一
《荊州占》曰:“流星入天理貴人之牢,太僕名臣有繫者也。青憂;赤,以金殺之;黃白,無故;黑,凶。流星出魁中,赦繫獄者,天理也。”
《荊州占》にいう、流星が「天理」のこの貴人を関押する牢獄に飞入するは、太僕の類の名臣の中に人ありて拘押せらる。流星の色が青は、憂患を主る。色赤は、すなわち金気の粛殺の時に人を処死す。色黄白は、事なし。色黒は、凶と為る。流星が斗魁の中より射出するは、獄中の囚繫の人を赦免するを主り、これもまた天理星の主る所の事である。天理の四星は北斗の魁の中に在り、甘氏の立てた中官で、専ら貴人の刑獄を主る。
流星犯咸池 二
《黃帝占》曰:“流星出咸池中,星所之者,兵起。”石氏曰:“流星入咸池,大水。”郗萌曰:“使星舍咸池,有喪。”
《黄帝占》にいう、流星が「咸池」の中より射出するは、それが飞往するあの一方にまさに兵事を発生せん。咸池の三星は五車の中に在り、もとは水草・魚囿の象で、ゆえにまた水を主る。《石氏星経》にいう、流星が咸池に飞入するは、大水を主る。郗萌はいう、使星が咸池に停宿して去るを肯ぜずは、喪事あるを主る。
流星犯甘氏外官 三
流星犯哭星 一
《黃帝占》曰:“出入哭星,有哭泣事。”
《黄帝占》にいう、流星が「哭星」に出入りするは、人間にまさに号哭・悲泣の喪事あるべし。哭星の二星は虚宿の南に在り、泣星と並び列し、本身就是哭喪の象で、ゆえにこの条の占辞は極めて簡にして、直ちに哭泣に断ず。
流星犯水符 二
郗萌曰:“有大流星,赤黃色,出水府,所之邑大旱。”郗萌曰:“有大流星,青色,出水府,所之邑大水。”
郗萌はいう、大流星ありて赤黄色を呈し、「水府」より射出するは、それが飞往するあの座の城邑にまさに大旱あるべし。郗萌はまたいう、大流星ありて青色を呈し、水府より射出するは、それが飞往するあの座の城邑にまさに大水あるべし。水府の四星は東井の西南に在り、水利・堤防を掌管する官署で、ゆえに同じく一星の射出にして、旱に非ざればすなわち涝で、全て顔色を看て以て分別す。
流星犯巫咸中外官 四
流星犯長垣 一
《帝覽嬉》曰:“流星入長垣中,匈奴兵起,來侵中國,人主有憂。”《荊州占》曰:“使星入長垣,匈奴起兵。”
《帝覧嬉》にいう、流星が「長垣」の中に飞入するは、匈奴の兵馬はまさに事を起こし、前来して中原を侵犯し、君主はこれがために憂慮す。長垣の四星は少微の西に在り、疆界の垣墻を象徴し、内外を分隔し四夷の出入りを候察するを主る。《荊州占》にいう、使星が長垣に飞入するは、匈奴はまさに兵を起こさん。
流星犯天淵 二
郗萌曰:“大流星色青黑,出天淵,所之邑大水。大流星色赤黃,出天淵,所之邑大旱。”
郗萌はいう、大流星が青黑色を呈し「天淵」より射出するは、それが飞往するあの座の城邑にまさに大水あるべし。大流星が赤黄色を呈して天淵より射出するは、それが飞往するあの座の城邑にまさに大旱あるべし。天淵の十星は鱉星の東南に在り、灌溉と沟池の蓄泄を主る。ゆえに守候するはまさに一方の水旱である。
流星犯廐 三
陳卓曰:“使星出入天廄,天下有驚。”
陳卓はいう、使星が「天廐」に出入りするは、天下にまさに驚擾して安からざるの事あるべし。天廐の十星は閣道の北に在り、天子が馬を畜う馬廐で、伝駅と車馬を主る。ゆえに星光がここに进出するは、駅騎の奔馳・四方の震動に応ず。
開元占経 巻七十六
雑星占
星昼見 一
甘氏曰:“星與日並出,名曰女嫁星。與日爭光,武且弱,文且強,女子為主而昌。在邑為喪,野為兵。”《辨終備》曰:“星晝見,虹不藏,臣人生,海失常,主淫於色酒湎沉,慎失職,出遊遨。”甘氏曰:“明星奪日光,天下有立王。”《呂氏春秋》曰:“武王勝殷,將二虜而問焉曰:‘若國有妖乎?’二虜對曰:‘國有妖,星晝見。’”
《甘氏星経》にいう、星辰が太陽と一同に白昼に出現するは、この顆の星を「女嫁星」と呼ぶ。それが太陽と光を争うは、武力が衰弱して文治が転じて強く、女子が権に当たりて国家は昌盛することを象徴す。この種の星象が城邑の上に出現するは喪事を主り、郊野の上に出現するは兵事を主る。《弁終備》にいう、星辰は白昼に見え、虹霓は隠れるを肯ぜず、臣子は擅りに坐して大なり、海水は常度を失う——これは皆君主が女色に沉溺し酒漿に耽湎し、怠惰して職を失い、ただ外出して游楽することに因る。《甘氏星経》にいう、明亮の星辰が日光を奪去するは、天下にまさに新王の擁立せらるるあるべし。《呂氏春秋》に記す、周の武王が殷商に戦勝し、二名の俘虜を帯い来りて彼らに詢問していう、「汝らの国中に妖異あるか」。二名の俘虜は回答していう、「国中に妖異あり、星辰は白天に出現す」。
甘氏曰:“星無故常晝見者,名女王,不出三年,大水浩洋,若有女王立。”京氏曰:“晝星見,人臣有奸心,上不明,臣下縱橫修撰。”《孝經雌雄圖》曰:“一星晝見者,君子失國,亡道;入邊為虜。”《魏氏圖》曰:“一星晝見者,君子失國,亡世,當敗必死。”《雌雄圖》曰:“二星晝見者,皇后失勢,以刑死;一曰公亡刑,則失度,為羌狄所賊。又曰:有白衣間詐在宮中。”
《甘氏星経》にいう、星辰が無縁無故に常に白昼に出現するは、これを「女王」と呼び、三年を出ずに大水は浩蕩として泛濫し、あるいは女主が朝に臨み国に当たるあり。京房はいう、白昼に星を見るは、臣子は奸邪の心を懐き、君上は明察すること能わず、臣下はすなわち縦横に捭闔し政令を擅改す。《孝経雌雄図》にいう、一顆の星が白昼に見ゆるは、位に在る君子は国家を失い治国の道を喪失す。もし辺地に逃入れば、すなわち俘虜に淪落す。《魏氏図》にいう、一顆の星が白昼に見ゆるは、君子は国家を失い世系を断絶し、一旦敗亡すれば必ず身死す。《雌雄図》にいう、二顆の星が白昼に見ゆるは、皇后は勢いを失い刑を処せられて死す。もう一種の説法は三公は刑賞の柄を喪失し、ここにおいて政令は度を失い国家は羌狄に侵害せらる。またいう、宮中に白衣を穿く人ありて暗裡に詐を行う。
《魏氏圖》曰:“三星晝見者,君有亡邦,有羌人入界,欲為天子;一曰:臣有憂,其世絕。”又曰:“參其與辰俱見,天下有兵,二邦相攻,血流。”《孝經內記》曰:“三星在日上下者,外人慾殺,奸在後宮。”又曰:“三星在左右者,臣欲殺君,與將軍共為一心。”《雌雄圖》曰:“三星晝見者,臣有大憂;公卿為夷狄賊所害。”又曰:“四星及五星晝見者,王侯為外界人所殺;一日君弟有死憂。”《內記》曰:“四星在日上下者,王侯欲伐,國政之憂。”《魏氏圖》曰:“北斗晝見者,君死亡,絕後嗣也。”
日は君の象で、星は臣民の象で、星があえて日と光を争うは、占う所はすなわち皆臣強くして君を凌ぎ・内朝が政を干するの類の事で、しかも星を見ること多ければ多いほど事情はますます重し。《魏氏図》にいう、三顆の星が白昼に見ゆるは、君主に亡国の禍あり、羌人ありて境を越えて入侵し、自立して天子と為らんと図謀す。もう一種の説法は臣子に憂患あり、その家世はこれより断絶す。またいう、参宿と辰宿が一同に顕現するは、天下に兵あり、両国は互いに攻伐し、血は流れて河を成す。《孝経内記》にいう、三顆の星が太陽の上下に出現するは、外人は行刺を図謀し、奸情はすなわち後宮に出ず。またいう、三顆の星が太陽の左右に出現するは、臣子は君主を弑殺せんと欲し、しかも将軍と心を同じくして合謀す。《雌雄図》にいう、三顆の星が白昼に見ゆるは、臣子に大憂患あり、公卿は夷狄・賊寇に害せらる。またいう、四顆の星ないし五顆の星が白昼に見ゆるは、王侯は境外の人に殺せらる。もう一種の説法は君主の弟に死亡の憂いあり。《孝経内記》にいう、四顆の星が太陽の上下に出現するは、王侯は征伐を図謀し、国政は人を憂慮せしむ。《魏氏図》にいう、北斗が白昼に見ゆるは、君主は死亡し、後嗣は断絶す。
恒星不見 二
楊泉《物理論》曰:“凡無名之星,一見一不見,唯二十八宿,度數有常,故曰恆星。”《左氏傳》曰:“魯莊公七年四月辛卯夜,恆星不見。”(恆,常也,謂常見之星也。辛卯,四月五日夜,月光尚微,蓋時無雲,日光不以昏沒也。夜中星隕如雨。如,而也。夜半乃有雲,星落而且如雨,其數多也,皆記異也;日光不匿,恆星不見,雲夜中者,以水漏也。)
楊泉《物理論》にいう、およそ名号なき星は、時に出現し時に隠没し、ただ二十八宿の運行の度数のみ常規あり、ゆえに「恒星」と称す。《左氏伝》に記す、魯の荘公の七年四月辛卯の日の夜裡に、恒星は見えず。以下は原書の小注:「恒」とはすなわち常で、指すは平日に常々見ること能うあれらの星である。辛卯は四月の初五の夜晚で、月光はなお甚だ微弱で、当時は天上に雲なく、日光は入暮に因って完全に隠没してはいなかった。経文は続けて「夜中星隕如雨」といい、「如」はここでは「而」に当たって講ず。半夜にしてこそ雲が起こり、星辰は墜落してしかも密集して雨のごとくは、数量の多きを講う。これらは皆史官が異象を記載するの筆法である。日光は隠れず恒星は見えずと、しかして事は夜半に在るというは、あれは漏刻の計時に按じて推定し出たるである。
《傳》曰:“恆星不見,夜明也,星隕如雨,與雨偕也。偕,俱也。”《穀梁傳》曰:“常星者,在位人君之類,不見者,無君之象也。”《公羊傳》曰:“恆星佈列四方,助天為光明,諸侯之象。不見者,象諸侯之背叛,不佐王者奉順法度。”《春秋緯》曰:“恆星不見,言周制絕滅,眾耀隕亂。”《運斗樞》曰:“蒼帝行失則列星滅。”《洛罪級》曰:“恆星不見,主嚴法度消。”《助佐期》曰:“列星不見,精無耀,天子失敗,諸侯橫暴。”
以下は《春秋》の三伝と緯書の、魯の荘公の七年のあの一条の経文に対する各家の解説である。《左伝》の伝文にいう、恒星が見えざるは、夜色がかえって明亮するがためである。星隕如雨とは、流星が雨水と一同に落下するを講い、「偕」とはすなわち一同の意である。《穀梁伝》にいう、常星は位に在る君主の類の象徴で、常星が見えざるは、すなわち君無きの征象である。《公羊伝》にいう、恒星は四方に布列し、上天を助けて光明を発出し、諸侯の象徴である。恒星が見えざるは、諸侯の背叛を象徴し、もはや王者を輔佐せず法度を奉行せず。《春秋緯》にいう、恒星が見えざるとは、周朝の制度は断絶・毀滅し、衆星の光耀は隕落・散乱することを講う。《運斗枢》にいう、東方の蒼帝の徳行に失あれば、列星はすなわち隠滅す。《洛罪級》にいう、恒星が見えざるは、厳明の法度の消亡を主る。《助佐期》にいう、列星が見えざるは、精気は光耀を失い、天子は敗亡し、諸侯は横行・暴虐す。
董仲舒曰:“常星,二十八舍,人君之象也,眾星者,萬民之類也,列宿不見,象諸侯微也。”許慎曰:“眾星者,庶民之象也,與列宿俱亡,中國微滅也。”鄭玄曰:“恆星,謂列舍,特天子之正也;不見者,諸侯乘天子禮義法度;又,夜明象諸侯,概然將強大也。”《河圖舍占篇》曰:“將失政不法,則星亡。”《尚書中侯準讖哲》曰:“煌煌之滅,(闕)失權流頓斬,恆星滅。”
董仲舒はいう、常星とはすなわち二十八宿で、君主の象徴である。衆星はすなわち万民の類の象徴である。列宿が見えざるは、諸侯の衰微を象徴す。許慎はいう、衆星は庶民の象徴で、もし列宿と連ねて一斉に消失せば、すなわちあれは中原の衰微・淪滅である。鄭玄はいう、恒星の指すは列宿の星舍で、専ら天子の正位に属す。恒星が見えざるは、諸侯が天子の礼義・法度を僭越したである。再び、夜色の明亮は諸侯の気燄の囂張・まさに坐大せんを象徴す。《河図舍占篇》にいう、将帥が政を施して当を失い法度を守らざれば、星はすなわち隠没す。《尚書中侯準谶哲》にいう、煌煌の星光は隠滅し(此処の底本に闕文あり)、君主は権柄を失い、流放・頓挫・斬戮の事は随いて来り、恒星は隠滅す。漢儒の経を解する通例は、二十八宿を以て君主に配し、衆小星を以て万民に配す。ゆえに同じく「恒星不見」の一象にして、董仲舒・許慎・鄭玄は各々諸侯の衰微・中原の淪替・諸侯の僭礼の三層の意思に落とした。
星斗占 三
《呂氏春秋》曰:“至亂之化,有星斗。”班固《天文志》曰:“辰星與他星相遇而斗,天下大亂。”
《呂氏春秋》にいう、世道が乱れて極処に至って生ずる変化は、天上にすなわち星辰が相い斗うの異象が出現す。班固《漢書・天文志》にいう、辰星すなわち水星は、別の星と相遇して彼此に争闘するは、天下は大いに乱れる。いわゆる「星斗」とは、指すは両星が逼近して相い犯し光芒が相い薄れて格闘のごときを、ゆえに別に一条を立てて雑星の占の裡に帰す。
衆星揺動 四
《洪範天文星變占》曰:“漢武元光中,天星盡搖,上問侯星;對曰:星搖,民勞也。後征伐四夷,百姓勞於兵革也。”
《洪範天文星変占》に記す、漢の武帝の元光の年間に、天に満つる星辰は皆揺動し、皇帝は候星を掌る官員に詢問した。候星官は回答していう、星辰の揺動は、百姓の労苦の征兆です。その後、武帝は四方の夷狄を征伐し、百姓は果たして兵役・戦伐に疲れた。
開元占経 巻七十七
客星占 一
瑞星
宋均曰:“景星大而中空。”孟康曰:“景星者,有赤方氣與青方氣相連,赤方氣中有兩黃星,青方中一黃星,凡三星合,為景也。”(案《蜀志》曰:後主景耀元年,史官言星見,於是大赦,改年為景耀也。)《天官書》曰:“天晴而見景星,景星者,德星也;其狀無常,常出有道之國。”《瑞應圖》曰:“景星者,大星也;狀如半月,生於晦朔,助月為明;王者不私人,則見。又曰:德及幽隱,則出。”又曰:“景星者,星之精也,光從月出,出於西方,王者不私人以官,使賢者在位,則景星出見,佐月為明。”
宋均はいう、景星は形体は巨大にして中間は空虚なり。孟康はいう、いわゆる景星とは、一団の赤色の方気と一団の青色の方気が相い連なり、赤気の中に二顆の黄星あり、青気の中に一顆の黄星あり、三星は合わさって一となり、すなわち景星と呼ぶ。原書の小注:《蜀志》の記載に按るに、蜀の後主の景耀元年に、史官は奏報して星の出現ありといい、ここにおいて天下を大赦し、年号を景耀に改めた。《史記・天官書》にいう、天色が晴朗の時に景星が出現し、景星とはすなわち徳星で、その形状に定則なし、常に道ある国家に出現す。《瑞応図》にいう、景星は一顆の大星で、形状は半月の亮に似て、晦日・朔日の前後に生出し、月亮を助けて照明す。君王が人を用いて私情を徇らざれば、それはすなわち出現す。またいう、恩徳が幽隠の人に施及すれば、それはすなわち出現す。またいう、景星は衆星の精華で、光は月亮の裡より発出し、西方に出現す。君王が官職を親近の人に私授せず、賢者を位に在らしめれば、景星はすなわち顕現し、月亮を輔助して光を発す。
班固《天文志》曰:“天晴而見景星。”(占六十日晴,精明亡。)《河圖》曰:“黃帝治,景星見於北斗也。”《尚書中侯握河紀》曰:“堯即位去年,景星出翼,鳳凰止庭。”鄭玄注曰:“景,大也,明也;翼,朱鳥宿也。”又曰:“帝執德恭,聰明密微,思心清靜,在庭從宜,仁推度符,移序精和,天地休通,五行相化,景星出攝提。”
班固《漢書・天文志》にいう、天色が晴朗の時に景星が出現す。原書の小注:占候は六十天の晴日を以て限りと為さんを須う、これを過ぎれば精光はすなわち消失す。《河図》にいう、黄帝が世を治するの時に、景星は北斗に出現した。《尚書中侯握河紀》にいう、尭が位に即くの前一年に、景星は翼宿に出現し、鳳凰は宮庭に停落した。鄭玄は注を作していう、「景」とは大の意で、また明の意でもある。翼は南方の朱鳥の七宿の一である。またいう、帝王が徳行を持守して恭謹し、隠微に於て聡明にして細察し、思慮は清静にして、朝政を処置して各々其の宜を得、仁心を以て符命を推求し、順次に移易して精気は調和し、天地は美善にして通暢し、五行は互いに化育すれば、景星はすなわち摂提に出現す。
《含文嘉》曰:“王者序長幼,各得其正,則房心有德,星應之。”《合誠圖》曰:“天子精耀,心墳務德,則景星窺。”(宋均曰:墳,盛也,窺猶見也。)《禮稽命徵》曰:“王者制禮作樂,得天心,則景星見。”《感精符》曰:“王者德上感皇天,則景星也。”《孔演圖》曰:“天子以賢舉,則景星效於天。”《春秋緯》曰:“《周圖變書》云:赤雀所銜,蜀,下授文王於豐殿之(闕)剽天子精耀,招神任理(闕)有響心順務德,則景星見,鸞鳳下。”
《含文嘉》にいう、君王が長幼の次序を排定し、各々その正を得れば、房宿・心宿はすなわち徳象を現出し、徳星はこれと相い応ず。《合誠図》にいう、天子の精誠は光耀し、心志は盛大にして勉力して徳を修すれば、景星はすなわち窺然として出現す。原書の小注:宋均はいう、「坟」は盛大の意で、「窺」はすなわち見に等しい。《礼稽命徴》にいう、君王が礼を制し楽を作し、天心に合すれば、景星はすなわち出現す。《感精符》にいう、君王の徳行が上は皇天を感動すれば、すなわち景星あり。《孔演図》にいう、天子が賢能に按じて人才を挙用すれば、景星はすなわち天上に顕效す。《春秋緯》にいう、《周図変書》に講う、赤雀の銜える丹書は、豊邑の殿上に於て周の文王に授予し(此処の底本に闕文あり)、天子の精誠は光耀し、神明を招致し道理を任用し(此処の底本にまた闕文あり)、感応の心ありて理に順い徳に勉めれば、景星はすなわち出現し、鸞鳳もまた随いて飞下す。
《元命包》曰:“仁義茂盛,賢俊彰明,神符感出,景星守參。”《感精符》曰:“堯時,氣充盛,上感皇天,故景星見。”《孝經內事》曰:“天子行孝德,則景星出。”《援神契》曰:“王者德至天,則景星見。”《白虎通》曰:“景星者,大星也,月或不見,景星恆見,可以夜作,有補於人。”《帝王世紀》曰:“舜時,景星見於房。”《坤靈圖》曰:“至德之萌,黃景索於北斗,必以戊己日,其光無芒,行久無武,動軍,莫之敢拒。”
《元命包》にいう、仁義は盛行し、賢才・俊士は顕達・彰明し、神奇の符瑞は感応して出れば、景星はすなわち参宿を守る。《感精符》にいう、尭の時代に、和気は充盛し、上は皇天を感動し、ゆえに景星は出現す。《孝経内事》にいう、天子が孝徳を施行すれば、景星はすなわち出現す。《援神契》にいう、君王の徳行が上は天に達すれば、景星はすなわち出現す。《白虎通》にいう、景星は一顆の大星で、月亮は時に見ること能わずとも、景星は常に見るべく、人はその光を借りて夜裡に労作すること能く、百姓に対して甚だ補益あり。《帝王世紀》にいう、舜の時代に、景星は房宿に出現した。《坤霊図》にいう、極盛の徳が剛に萌発するの時に、黄色の景光は北斗に索繞し、必ず戊日・己日に出現し、その光に芒角なし、行軍は長久にして武を用いず、一旦兵を興せば、敢えて抵当する人なし。
《含文嘉》曰:“宮室之禮得,則虛、危有德星應。”又曰:“居喪以禮,則德星應在虛、危。”《稽命徵》曰:“禮得其宜,則虛、危有德星見。”《含文嘉》曰:“宮室之禮得,營室有德星應。”又曰:“居喪以禮,則德星應輿鬼。”又曰:“天子穆穆,諸侯皇皇,則少微有德星。”又曰:“殯喪之禮以其時,則三階平正,有德星出入其間。”
いわゆる徳星は併し固定の某の一顆の星に非ず、およそ人事が礼に合して天象が祥を呈すれば、いずれの宿に応ずればすなわちいずれの宿に徳星ありと講う。虚宿・危宿は宗廟の祭祀と死喪を主り、営室は宮室の営造を主り、輿鬼は祠事を主り、少微は賢士を主り、三階は等級の次序を主る。ゆえに以下の各条は礼制と星宿を一々に配属す。《含文嘉》にいう、宮室の礼制が当を得れば、虚宿・危宿にすなわち徳星ありてこれと相い応ず。またいう、居喪して礼に依りて行うこと能ければ、徳星はすなわち虚宿・危宿に応ず。《稽命徴》にいう、礼制の施行が宜に合すれば、虚宿・危宿にすなわち徳星の出現あり。《含文嘉》にいう、宮室の礼制が当を得れば、営室宿に徳星の相応あり。またいう、居喪して礼に依りて行えば、徳星は輿鬼宿に応ず。またいう、天子の儀容は端穆にして、諸侯の気度は堂皇なれば、少微星はすなわち徳星を現出す。またいう、殯葬の礼は皆時節に按じて挙行され、三階の星は平正・斉整なれば、徳星ありてその間に出入す。
又曰:“天子祫禘,巡狩有度,考功責實,外內之制,各得其宜,四方之事,無蓄滯,上下交通,則山澤出靈龜、寶石;麒麟至苑囿,六畜繁多,天苑有德星應。”(案申穎《秦書》:苻堅建元六年四月,天苑有大星,色甚白,占者以為太平之祥,乃立望氣臺於宮左,冬十一月,平燕國,擒慕容。)《含文嘉》曰:“天子行鄉射飲酒之禮,得其宜,則曰大德;天苑,左右角,皆有大德星應。”《海中占》曰:“德星守建星,君臣俱明,天下更平,五穀更興。”
《含文嘉》にまたいう、天子が祫祭・禘祭を挙行し、巡狩に一定の法度あり、功績を考核し実効を責求し、朝廷の内外の制度は各々その宜を得、四方の政事に積圧・滞留なく、上下の情意は通達すれば、すなわち山沢の中にすなわち霊亀・宝石を産出し、麒麟は苑囿に来り、六畜は繁盛・衆多し、天苑星に徳星ありてこれと相い応ず。原書の小注:申潁《秦書》の記載に按るに、苻堅の建元六年四月に、天苑に一顆の大星が出現し、顔色は甚だ白く、占候の人は以て太平の祥瑞と認め、ここにおいて宮殿の左側に望気台を建起した。この年の冬の十一月に、前秦は燕国を平定し、慕容氏を擒獲した。《含文嘉》にいう、天子が郷射礼と郷飲酒礼を挙行し、行い宜に合せば、すなわち大徳と呼ぶ。天苑と左角・右角は、皆大徳星ありてこれと相い応ず。《海中占》にいう、徳星が建星を守るは、君臣は皆清明にして、天下は重ねて太平に帰り、五穀は重ねて興旺す。
宋均曰:“含譽瑞星,光耀侶慧。”《援神契》曰:“喜則含譽射。”
宋均はいう、含誉は一種の瑞星で、その光芒は彗星と相似す。含誉は形状は彗に似ると雖も、本質はすなわち祥瑞で、妖彗と全く同じからず。《援神契》にいう、上天に喜慶あれば、含誉星はすなわち光芒を射出す。
客星名状 二
《黃帝占》曰:“客星者,周伯、老子、王蓬絮、國皇、溫星,凡五星,皆客星也,行諸列舍,十二國分野;各在其所臨之邦,所守之宿,以占吉凶。”又曰:“客星大而色黃煌煌然,名曰周伯,見其國兵起,若有喪,天下大飢,人民流亡,去其鄉。”又曰:“客星明大白淳然,名曰老子,所出之國,為飢,為凶,為善,為惡,為喜,為怒,常出見,則兵大起,人主有憂,王者以赦除咎,則災消。”
《黄帝占》にいう、いわゆる客星とは、周伯・老子・王蓬絮・国皇・温星あり、全部で五種で、皆客星に属す。それらは二十八宿の各舎を行経し、十二国の分野に対応す。各々それが臨む邦国・守る星宿に按じて以て吉凶を占断す。またいう、客星は形体が大にして顔色は黄く、光芒は煌煌として、名を「周伯」といい、それがいずれの国に出現すれば、あの一国はすなわちまさに兵を起こし、あるいは喪事あり、天下は大饑し、百姓は流亡して家郷を離る。またいう、客星は明亮・碩大にして白きこと純浄なり、名を「老子」といい、それがいずれの国に出現すれば、あの一国はあるいは饑荒・あるいは兇険・あるいは善事あり・あるいは悪事あり・あるいは喜あり・あるいは怒あり。もし常々出現せば、すなわち兵事は大いに起こり、君主に憂患あり、君王は大赦を用いて以て咎殃を消除せば、災禍はすなわち化解す。
又曰:“客星狀如粉絮,拂拂然,名曰王蓬絮,見則其國兵起,若有喪,白衣會,其邦飢亡。”《荊州占》曰:“王蓬絮星,色青而熒熒然,所見之國,風雨不如節,焦旱,物不生,五穀不登,多蝗蟲。”《黃帝》曰:“客星出而大,其色黃白,望之上有芒角,名曰國皇;見則兵大起,國多變,若有水飢,人主惡之,人多疾。”
またいう、客星は形状は一団の粉絮に似て、蓬鬆として飄拂し、名を「王蓬絮」といい、それが一旦出現すれば、あの一国はすなわちまさに兵を起こし、あるいは喪事あり素服の聚会あり、あの邦国は饑荒・敗亡す。《荊州占》にいう、王蓬絮星は顔色は青に発して閃爍して定まらず、それがいずれの国に出現すれば、そこは風雨は時を失い、焦枯・干旱し、草木は生えず、五穀は熟せず、蝗虫は災を成す。《黄帝占》にいう、客星が出現して形体は碩大、顔色は黄白、望み上ぐれば頂端に芒角あり、名を「国皇」という。それが一旦出現すれば、兵事は大いに起こり、国内に変故多く、あるいは水災・饑荒あり、君主はこの種の星を悪み、人は疾病を生ずる多し。
又曰:“客星色白而大,狀如風動搖,名曰溫星,常出四隅;出東南,天下有兵,將軍出於野;出東北,有千里暴兵;出西北,亦如之;出西南,其國兵喪並起,若大水,人飢。”石氏曰:“溫星出東南,為大將軍服屈,不能發者,出於東北,暴骸三千里;出西亦然。”
またいう、客星は顔色は白にして形体は大、様子は風に吹かれて揺擺して定まらざるに似て、名を「温星」といい、常に四方の角落に出現す。東南に出現するは、天下に兵あり、将軍は郊野に出征す。東北に出現するは、千里に波及する暴発の兵あり。西北に出現するは、亦た是れのごとし。西南に出現するは、あの一国は兵事と喪事は一同に発生し、あるいは大水あり、百姓は饑餓す。《石氏星経》にいう、温星が東南に出現するは、大将軍は屈服・受制して兵を発すること能わざるを主る。東北に出現するは、暴露の尸骸は三千里に綿延す。西方に出現するは亦た是れのごとし。
《黃帝》曰:“客星見其分,若留止,即以其色占吉凶;星大事大,星小事小;星色黃,得地;色白,有喪;色青,有憂;色黑,有死;色赤,有兵;各以五色占之,皆不出三年。”巫咸曰:“客星入列宿中外官者,各以其所部舍官名,為其事;所之者,為其謀;其下之國,皆受其禍;以所守之舍,為其期;以五氣相賊者,為其使。”
《黄帝占》にいう、客星が某の分野に出現し、もし停留して去らざれば、すなわちその顔色に按じて吉凶を占断す。星大なればすなわち事は大、星小なればすなわち事は小。星色が黄は、土地を得。色白は、喪事あり。色青は、憂患あり。色黒は、死亡あり。色赤は、兵事あり。各々五色に按じて以て推占し、皆三年を出ずに応験す。巫咸はいう、客星が列宿および中官・外官の星座に進入するは、各々それが入る所の星舎と官名に按じて、応験するはいずれの類の事なるかを判定す。それが飞往する方向に按じて、図謀する所の事を判定す。それの下方の対応する国家は、皆この場の禍患を承受す。それが守る所の星舎に按じて、応験の期限を推定す。五行の気の相克・相賊の関係に按じて、それは誰の使者なるかを推定す。
客星犯月 三
《河圖》曰:“日月與大星晝並見,是謂爭明;大國弱,小國強。”《河圖》曰:“大客星流入月中無光,當有與君俱並兵死者。”又曰:“客星入月中,有破觸月,臣弒主,有內亂。”《洛書》曰:“客星入月中,有破軍。”又曰:“大星入月中,臣弒主。”又曰:“大星入月,月無光,其國再伐而亡;一曰其國當者滅亡,四夷來侵。”
《河図》にいう、太陽・月亮と大星が白昼に一同に顕現するは、これを「争明」と呼び、大国は転じて弱く小国は転じて強くなるを主る。《河図》にまたいう、大客星が月輪の中に流入して光芒を失去するは、人ありて君主と一同に兵禍に死せん。またいう、客星が月の中に飞入し、その中に月体を冲破・触損するあるは、臣子の君主を弑殺し国内に変乱が発生するを主る。《洛書》にいう、客星が月の中に飞入するは、軍隊の撃破せらるるあるを主る。またいう、大星が月の中に飞入するは、臣子は君主を弑殺す。またいう、大星が月輪に飞入し、月亮は光芒を失去するは、あの一国は両次の討伐を経て滅亡す。もう一種の説法は衝に当たる其の一国は滅亡し、四方の夷狄は前来して侵犯す。
又曰:“居月,見,不出三年,人主死,不死,國有殃。”又曰:“星見月中,不出其年,主憂。”又曰:“月未中。而日星入之,有賊人為政者在東方,文者長,武者亡;月過中而星入之,有賊人為政者在西方,武者長,文者亡。”又曰:“他星入月中,兵將起,他國有來降者。”
《洛書》にまたいう、客星が月の旁に停居して形体を現出するは、三年を出ずに君主は死亡す。即便に死せずとも、国中に災殃あり。またいう、星が月輪の中に出現するは、此の一年を出ずに君主に憂患あり。またいう、月亮がなだ中天に升らざるに、すでに星ありて月の中に侵入せば、すなわち権を当て乱を作す賊人は東方に在り、文臣は勢いを得て武臣は敗亡す。月亮が中天を過ぎてこそ星の侵入あるは、権を当て乱を作す賊人は西方に在り、武臣は勢いを得て文臣は敗亡す。またいう、別の星が月の中に飞入するは、兵事はまさに発動せん、別国に前来して帰降するあり。
《高宗》曰:“星入月中,將有大兵。”《海中占》曰:“星入月中,其國戎,有憂,一曰不出三年,臣勝其主。”京氏曰:“星入月中,臣賊其主,奪其家。”又曰:“月中有星,天下有賊,星多者,賊多。”又曰:“星入月中,大臣謀伐其主,主令不行。”《荊州占》曰:“星入月,其國有喪。”又曰:“星入月中,有破軍殺將。”又曰:“大客星入月中,月無光,其國滅亡,四夷來侵;期五月,若十月。”又云:“客星貫月,其國內亂,大臣死。”
月は太陰の精で、后妃・大臣の象と為り、客星が月の中に侵入するは、すなわち外来の勢力が内廷に闖入する。ゆえに以下の諸家の占する所は、多半は臣子の君を欺き・軍を破り将を殺すの上に落つ。《高宗》にいう、星が月の中に飞入するは、まさに大規模の兵事あるべし。《海中占》にいう、星が月の中に飞入するは、あの一国はまさに干戈を動かし、しかも憂患あり。もう一種の説法は三年を出ずに臣子の勢力は君主に壓り過ぐ。京房はいう、星が月の中に飞入するは、臣子はその君主を残害し、その家業を侵奪す。またいう、月輪の中に星あるは、天下に盗賊あり、星多ければすなわち賊多し。またいう、星が月の中に飞入するは、大臣は君主を討伐せんと図謀し、君主の号令は行わるること能わず。《荊州占》にいう、星が月輪に飞入するは、あの一国に喪事あり。またいう、星が月の中に飞入するは、軍隊の破られ・将領の殺せらるるを主る。またいう、大客星が月の中に飞入し、月亮は光芒を失去するは、あの一国は滅亡し、四方の夷狄は前来して侵犯し、五箇月あるいは十箇月の内に応験す。またいう、客星が月輪を横貫するは、あの一国は内乱し、大臣は死亡す。
《洛書》曰:“星在月右角者,秦氏、丁氏為奸,在西宮中。”又曰:“星在月右角,竇氏,宋氏為奸,在東宮中。星在月上者,鄧氏,司馬氏為奸,在南宮中。星在月下者,趙氏,李氏為奸,在後宮中。星在月兩角,劉氏為奸,敗。”《孝經內記》曰:“月在星角者,臣與黃門僮女人陰奸為賊,兩星在月角者,臣與人君作奸;一星在月中,臣與君婦女共作奸謀;一星在月下者,後宮列女要臣為奸也。”
以下の各条は月輪の上下・左右の四つの方位を東・西・南・後の四宮に分配し、再び方位に按じて奸を為すはいずれの一家の外戚なるかを断出す——是れ漢人が星象を以て姓氏を験するの旧法である。《洛書》にいう、星が月の右角に在るは、秦氏・丁氏が西宮の中に於て奸を為すを主る。またいう、星が月の右角に在るは、竇氏・宋氏が東宮の中に於て奸を為すを主る。星が月の上方に在るは、鄧氏・司馬氏が南宮の中に於て奸を為すを主る。星が月の下方に在るは、趙氏・李氏が後宮の中に於て奸を為すを主る。星が月の両角に在るは、劉氏が奸を為して終に敗亡するを主る。《孝経内記》にいう、月が星の角の上に在るは、臣子が黄門・僮僕・婦人と暗裡に通奸して害を為すを主る。二顆の星が月角に在るは、臣子が国君と一同に奸を作すを主る。一顆の星が月輪の中に在るは、臣子が君主の妻妾と共同に奸事を図謀するを主る。一顆の星が月の下方に在るは、後宮の衆女が要臣を勾結して奸を為すを主る。
《河圖》曰:“星在月陰,負海國有勝;星出月下,芒相爍也,君死,人飢。”京氏曰:“星與月同光,臣下作亂,人民非上,令不行。”甘氏曰:“星食月,其國相死。”《洛書》曰:“星毀月,下司上。”
《河図》にいう、星が月亮の背陰の一面に在るは、海に靠る国家は勝を取る。星が月亮の下方に出現し、両者の芒角は互いに閃射するは、君主の死亡・百姓の饑荒を主る。京房はいう、星が月と一様に明亮なるは、臣下は乱を作し、百姓は君上を非議し、政令は行わるること能わず。《甘氏星経》にいう、星が月亮を蝕掉するは、あの一国の丞相は死亡す。《洛書》にいう、星が月体を毀傷するは、下位の人が上位の人を窺伺・凌駕するを主る。
客星犯歳星 四
《荊州占》曰:“歲星與他星合,人主不安。”又曰:“歲星與他星薄之,主有謀。又曰:有賊。”又曰:“客星與歲星斗,不出其年,強國易相。”巫咸曰:“他星守歲星,越有憂;一雲城邑有憂。”甘氏曰:“有星守歲星,人主有憂。”《春秋緯》曰:“歲星與他星會而斗,因破他星,人主不寧;他星薄破之,主有謀賊害。”
《荊州占》にいう、歳星すなわち木星は、別の星と相合すれば、君主は安寧を得ず。またいう、歳星が別の星に逼近して相い薄れるは、人ありて不軌を図謀するを主る。またいう、賊害あるを主る。またいう、客星が歳星と争闘するは、此の一年を出ずに強国はまさに丞相を更換せん。巫咸はいう、別の星が歳星に留守するは、越の地に憂患あり。もう一種の説法は城邑に憂患あり。《甘氏星経》にいう、星ありて歳星に留守するは、君主に憂患あり。《春秋緯》にいう、歳星が別の星と会合して争闘し、もし歳星が対方を冲破せば、君主は安寧を得ず。もし別の星が逼近してならびに歳星を冲破せば、君主にすなわち謀害せらるるの危険あり。
客星犯熒惑 五
石氏曰:“熒惑與他星會而斗者,皆為禍。”《荊州占》曰:“熒惑與他星會而斗,天下兵起;他星破熒惑,為禍;熒惑破他星,會事,雖有不能為禍。”又曰:“熒惑與他星合,相陵而斗,二星相近者,其殃大;相遠,其殃小。”
《石氏星経》にいう、熒惑すなわち火星は、別の星と会合して争闘するは、皆禍患を主る。《荊州占》にいう、熒惑が別の星と会合して争闘するは、天下に兵を興す。別の星が熒惑を冲破するは、禍を成す。熒惑が別の星を冲破するは、ただ事の会合するあるのみで、縦し変故あっても禍を成すに至らず。またいう、熒惑が別の星と相合し、彼此に欺陵し争闘するは、両星の靠り近いこと越すれば災殃はますます大、相隔たること遠ければ災殃はますます小。
客星犯太白 六
甘氏曰:“有星入太白中,強國以戰亡。”又曰:“有星入金星,天子伐諸侯,武士大將死。”郗萌曰:“縣亂,星出也;常出太白之旁,相去三四寸所;星出,天下大亂。又星從他所來之太白旁,居與往來,亦為使,其事急;又太白與他星過於四方,必有大敗。又太白與他星遇,太白避他星,兵畏;他星避太白,兵成。”
《甘氏星経》にいう、星ありて太白すなわち金星の中に飞入するは、強国は戦争に因って滅亡す。またいう、星ありて金星に飞入するは、天子は諸侯を討伐し、武士と大将は戦死す。郗萌はいう、一種の星ありて「県乱」と呼び、それの出現する時は常に太白の旁に在り、相距ること三四寸ほど。この種の星が一旦出現すれば、天下は大いに乱れる。また星ありて別の処より飞来して太白の旁に停り、あるいは居留しあるいは往来して定まらず、亦た使星に算作し、事情の緊急を主る。またもし太白が別の星と四方の常界を越出せば、必ず大敗あり。またもし太白が別の星と相遇して、太白が対方を躲避するは、兵を用いる者は畏怯するを主る。対方が太白を躲避するは、兵を用いるは成功するを主る。
客星犯辰星 七
巫咸曰:“有星入水星,天下大水,大理、御史官多死。”班固《天文志》曰:“辰星與他星遇,而天下亂。”石氏曰:“辰星與他星會,光相薄,用為害;不相及,雖同會,不為害。”《荊州占》曰:“辰星與他星會,破之,刑事行;他星不破,刑事不害。”石氏曰:“辰星出,與他星遇而斗,天下大亂。”
巫咸はいう、星ありて水星に飞入するは、天下に大水あり、刑獄を掌る大理と監察を掌る御史の類の官員は死亡多し。班固《漢書・天文志》にいう、辰星が別の星と相遇すれば、天下はすなわち乱れる。《石氏星経》にいう、辰星が別の星と会合し、光芒が互いに逼薄するは、すなわちまさに害を成さん。もし光芒が併し相い及ばざれば、同じ一舎に処すると雖も、亦た害を成さず。《荊州占》にいう、辰星が別の星と会合しならびに対方を冲破するは、刑罰の事はすなわちまさに施行せん。もし対方を冲破せざれば、刑事もまた害を為すに至らず。《石氏星経》にいう、辰星が出現し、別の星と相遇して争闘するは、天下は大いに乱れる。
開元占経 巻七十八
客星占 二
犯東方七宿
客星犯角 一
甘氏曰:“客星干犯兩角間,白者,軍起不戰,邦有大喪;其色赤,戰,所指必有破軍侵城,期七十日,或三年。”石氏曰:“他星入左角,兵吏有來擊者。色赤,皆以兵擊;黃,皆以土訟:白,皆以義;黑,皆以死;青,皆以憂。”巫咸曰:“客星入左角,獄多死囚。”《荊州占》曰:“黃星若白星入左角,里有受咎者,又曰獄官吉;入右角,尉有喜。”
《甘氏星経》にいう、客星が左角・右角の間を侵犯し、もし白色なれば、軍隊は兵を起こして交戦せず、邦国に大喪あり。もし赤色なれば、すなわちまさに交戦し、客星の芒角の指す所の地方は必ず軍隊の撃破せられ・城邑の侵奪せらるるあり、七十天あるいは三年の内に応験す。角宿の両星は蒼龍の角で、また天上の門戸で、左角は刑獄の理を主り、右角は将帥の兵を主る。《石氏星経》にいう、別の星が左角に飞入するは、兵を帯びる官吏ありて前来して攻撃す。星色が赤は、皆兵戈を以て相い攻む。色黄は、皆因りて田土を争訟す。色白は、皆道義を以て相い争う。色黒は、皆死喪の事に因る。色青は、皆憂患の事に因る。巫咸はいう、客星が左角に飞入するは、獄中に死囚多し。《荊州占》にいう、黄星あるいは白星が左角に飞入するは、郷里に人ありて咎を受け罪を獲る。もう一種の説法は獄官はかえって吉利す。もし右角に飞入するは、すなわち県尉に喜事あり。
《荊州占》曰:“赤星入左角,兵吏有攻者也;黃,訟土事;白,以好訟;青,以憂訟;黑,以死訟。”石氏曰:“白星入右角,兵吏有易者;青,以憂去;黃,以好去;白,以義去;黑,以死去。”《海中占》曰:“赤星入右角,兵吏有置兵軍受命者。”夏氏曰:“客星入角,五穀傷,蝗蟲生。”郗萌曰:“黑星入右角,兵吏有以喪置兵者;色黃若白,以好置兵;青,以憂置兵。”又曰:“客星入角,將相后族家有收戮者。”
《荊州占》にいう、赤星が左角に飞入するは、兵を帯びる官吏ありて前来して攻打せん。色黄は、田土の訟と為る。色白は、交好に因って訟を生ず。色青は、憂患に因って訟を生ず。色黒は、死喪に因って訟を生ず。《石氏星経》にいう、白星が右角に飞入するは、兵を帯びる官吏はまさに更換せん。色青は、憂患に因って職を去る。色黄は、交好に因って職を去る。色白は、道義に因って職を去る。色黒は、死亡に因って職を去る。《海中占》にいう、赤星が右角に飞入するは、兵を帯びる官吏の中に命を奉じて軍隊を部署するあり。夏氏はいう、客星が角宿に飞入するは、五穀は損を受け、蝗虫は滋生す。郗萌はいう、黒星が右角に飞入するは、兵を帯びる官吏の中に喪事に因って軍隊を部署するあり。色黄あるいは色白は、交好に因って軍隊を部署す。色青は、憂患に因って軍隊を部署す。またいう、客星が角宿に飞入するは、将相と外戚の家に拘捕・誅戮せらるるあり。
石氏曰:“赤星從兩角間過,不入亢中,有兵;色白、有過客;色黑,有過喪。”郗萌曰:“有星出亢,入兩角間,君有使諸侯,有口令;色赤,言兵,黃、言土;白、言義;青、言憂;黑、言凶。”石氏曰:“他星出左角,獄吏易者;色赤,以兵;色黃,以好去;色白,以義去;色黑,以死;色青,為憂。”郗萌曰:“有星出左星,與星相迫,大如缸,赤如血,其名為禍星,三日三夜不入,命曰動兵,三年而國亡,以其日占之。”又曰:“黃白星出左角,獄嗇夫受梃;色青,有大憂;色黑,有死者。”
《石氏星経》にいう、赤星が左右両角の間より穿過して亢宿の中に進入せざるは、兵事あるを主る。色白は、過路の客人あり。色黒は、過路の喪事あり。郗萌はいう、星ありて亢宿より射出し、両角の間に飞入するは、君主が使者を派して諸侯国に往かしめ、ならびに口頭の伝達する命令あるを主る。色赤は、議する所は兵事である。色黄は、田土の事である。色白は、道義の事である。色青は、憂患の事である。色黒は、兇険の事である。《石氏星経》にいう、別の星が左角より射出するは、獄吏はまさに更換せん。色赤は、兵事に因る。色黄は、交好に因って去る。色白は、道義に因って去る。色黒は、死亡に因る。色青は、憂患と為る。郗萌はいう、星ありて左辺のあの顆の星より射出し、それと逼近して相い迫り、大きさは缸に似て紅きこと血のごとき、この顆の星の名を「禍星」といい、三天三夜に隠没することを肯ぜず、これを「動兵」と呼び、三年の後に国家は滅亡し、それが出現したあの天の日辰に按じて推占す。またいう、黄白色の星が左角より射出するは、獄中の嗇夫はまさに杖責を受けん。色青は、大憂患あり。色黒は、人ありて死亡す。
石氏曰:“有星出右角,有驚將;色赤,將不勝;青,憂;黃,將去;白,不戰;黑,將死。”《海中占》曰:“大赤星出右角,國門有出兵;左角,國入兵。”郗萌曰:“黃星出右角,國有驚,(一雲兵驚)不戰受地;星白者,不戰而進;色黑青者,戰不勝,凶。”《荊州占》曰:“赤星出右角,(郗萌曰:出右角,入左角也。)將有攻吏者,國有驚;其星不搖散,不統絕,戰勝。”巫咸曰:“客星出角,臣謀其主,賊從外來,天下大亂,將相將有誅者。”
《石氏星経》にいう、星ありて右角より射出するは、まさに将帥を驚動せしむるの事あるべし。色赤は、将帥は取勝すること能わず。色青は、憂患あり。色黄は、将帥は職を離る。色白は、交戦に至らず。色黒は、将帥は死亡す。《海中占》にいう、大赤星が右角より射出するは、国門はまさに兵を出さん。左角より射出するは、すなわち兵ありて国の中に進入す。郗萌はいう、黄星が右角より射出するは、国中に驚擾あり(原書の小注:一説は兵驚という)、交戦せずして土地を受得するを須う。星色が白は、戦わずして進兵すること能う。星色が黒あるいは青は、交戦して勝たず、凶と為る。《荊州占》にいう、赤星が右角より射出するは(原書の小注:郗萌はいう、いわゆる右角より出ずとは、すなわち左角に入るである)、将帥の中に官吏を攻撃するあり、国中は驚擾す。もしこの顆の星が揺動せず散乱せず、統緒は断絶せざれば、すなわち取勝すること能う。巫咸はいう、客星が角宿より射出するは、臣子はその君主を図謀し、賊寇は外面より打来し、天下は大いに乱れ、将相の中にまさに誅殺せらるるあるべし。
《海中占》曰:“赤星出角亢間,國邑有圍者。”郗萌曰:“大赤星若白星,出角亢,國有大盜,黃星出北,止天門中,天下兵,在外者罷,客星出角,兵大起,期不出二年。”《荊州占》曰:“赤星出兩角間,國有恐,人民驚;又曰:經兩角間,軍道塞。”《二十八宿山經注》曰:“有客星如半席,出於角亢,則其年韓土有死兵,公使大臣謀,死,多災殃。”
《海中占》にいう、赤星が角宿と亢宿の間より射出するは、国都・城邑に囲困せらるるあり。郗萌はいう、大赤星あるいは白星が角宿・亢宿より射出するは、国中に大盗あり。黄星が北面より射出し、天門の中に停るは、天下に兵あり、しかして外に在りて征戦する軍隊はかえってまさに罷兵せん。客星が角宿より射出するは、兵事は大いに起こり、二年を出ずに応験す。《荊州占》にいう、赤星が両角の間より射出するは、国中は恐惧し、百姓は驚慌す。またいう、もし両角の間を横経するは、軍隊の行進の道路は阻塞す。《二十八宿山経注》にいう、客星ありて大きさは半张の席子に似て、角宿・亢宿より射出するは、あの一年に韓の地に人ありて兵禍に死し、公室は大臣を派して謀議せしめ、その人は身死し、災殃は甚だ多し。
郗萌曰:“赤星經兩角間,國門閉,可以觀邑門之閉開也;星白,軍在外,道塞。赤星從兩角間過,不入亢中,有過兵。黃白星數就右角,若左角;兵使,有受地者。赤星大如鋒矢,赤如雞血,數就右角,若左角,兵使遇賊。”《黃帝占》曰:“大黃星之兩角間,有貴客來見,君廟將有事。”《海中占》曰:“黃星起右角,之左角,尉理受執。”《黃帝》曰:“赤星止兩角間,國門閉,其食道絕。”
郗萌はいう、赤星が両角の間を横経するは、国門は関閉し、城邑の門戸の開閉の上より験看すべし。星色が白は、すなわち軍隊は外に在り、道路は阻塞す。赤星が両角の間より穿過して亢宿の中に進入せざるは、過境の兵あるを主る。黄白色の星が屢々右角あるいは左角に靠近するは、兵を帯びる使者の中に人ありて土地を封ぜらるるを主る。赤星の大きさは箭鏃に似て紅きこと鶏血のごとく、屢々右角あるいは左角に靠近するは、兵を帯びる使者が賊寇に遭遇するを主る。《黄帝占》にいう、大黄星が両角の間に出現するは、尊貴の客人ありて前来して朝見し、君主の宗廟にまさに祭祀の事あるべし。《海中占》にいう、黄星が右角に升起し、左角に向かって飛ぶは、県尉と獄吏の拘執せらるるを主る。《黄帝占》にいう、赤星が両角の間に停止するは、国門は関閉し、糧を運ぶ道路は断絶す。
陳卓曰:“客星舍角,天下有陷地。”郗萌曰:“客星入舍右角,小人有兵,多恐,兵起不用。”石氏曰:“客星守左角,色赤,天下大旱,五穀不成。”郗萌曰:“客星守左角,獄吏多冤。”石氏曰:“客星守右角,有大水。”巫咸曰:“客星守右角,(一曰色赤)多暴虐事。”郗萌曰:“客星守南角間,赦,(一雲黃星守兩角間)不盡出,期不出四十日。”班固《天文志》云:“客星守南角間,奸人在宮庭。”《黃帝占》曰:“大祝星守角,白,天下中隔不通。”
以下の諸条は客星の角に「舎」し角に「守」るを講う、すなわち停宿して去らず、一犯して即過ぐるより重し、ゆえにさらに左角・右角と南角を分かちて以て断ず。陳卓はいう、客星が角宿に停宿するは、天下に土地の陷塌するの災異あり。郗萌はいう、客星が右角に入宿するは、小人は手の中に兵を握り、恐慌を生ずる多く、兵は起こると雖も未だ動用に及ばず。《石氏星経》にいう、客星が左角に留守し、色が赤は、天下は大旱し、五穀は熟せず。郗萌はいう、客星が左角に留守するは、獄吏の審案は冤枉多し。《石氏星経》にいう、客星が右角に留守するは、大水あり。巫咸はいう、客星が右角に留守するは(原書の小注:一説は色赤という)、暴虐の事多し。郗萌はいう、客星が南辺の一角の間に留守するは、赦令あるを主る(原書の小注:一説は黄星が両角の間に留守するという)、併し赦は尽くことを得ず、四十天を出ずに応験す。班固《漢書・天文志》にいう、客星が南角の間に留守するは、奸人ありて宮庭に潜伏するを主る。《黄帝占》にいう、大祝星が角宿に留守し、色が白は、天下は中道に阻隔して通ぜず。
石氏曰:“客星守角,強臣寵取國勢;他星守角,獄多訟。”巫咸曰:“客星守角,五穀不登,大旱,不生草木。”郗萌曰:“守角,臣謀其主,一曰賊臣從外人。”又:“客星守角,大旱,五穀不成,焦旱不生;一曰:色赤,守角有兵。”又:“客星守角,天庭大臣有亂者,凶。一曰:入天庭十日,天下大亂。”又:“客星逆行守左角,穀貴。”《荊州占》曰:“客星犯守角,大旱,五穀不登,富人貧。”又:“赤星留守兩角間,有兵,國閉;青,有大獄事,白、有義來者;黃,有土功,黑,有凶,人主有殃。”
《石氏星経》にいう、客星が角宿に留守するは、強横の臣は寵幸を憑りて国家の権勢を攫取す。別の星が角宿に留守するは、獄中に訴訟多し。巫咸はいう、客星が角宿に留守するは、五穀は熟せず、大旱し、草木は生えず。郗萌はいう、客星が角を守るは、臣子はその君主を図謀す。もう一種の説法は賊臣が外面より進入す。またいう、客星が角を守るは、大旱し、五穀は成らず、焦枯・干旱して草木は長ぜず。もう一種の説法は星色が赤に発して角を守れば、すなわち兵事あり。またいう、客星が角を守るは、天庭の中の大臣に乱を作するあり、凶と為る。もう一種の説法は客星が天庭に入りて十天満つるは、天下は大いに乱れる。またいう、客星が逆行して左角に留守するは、穀価は騰貴す。《荊州占》にいう、客星が角宿を侵犯しならびに留守するは、大旱し、五穀は熟せず、富人は窮に変ず。またいう、赤星が両角の間に停留・守候するは、兵事あり、国門は関閉す。色青は、大きな獄訟の事あり。色白は、道義を講ずる人の前来あり。色黄は、土木の工程あり。色黒は、凶と為り、君主に災殃あり。
客星犯亢 二
甘氏曰:“客星干犯亢中,國不安,兵起,政亂,期一年。”石氏曰:“有星出入角間入亢;色赤,有過兵;白,有過客;黑,有過喪。”《海中占》曰:“客星數入亢,國疾疫;出亢,疾已。”夏氏曰:“客星入亢,人流亡。”郗萌曰:“客星入亢天庭十日,天下大亂。又客星入亢,有小旱,期三十日。又曰:旱。又曰:有小水,八穀水傷。又曰:五穀不登,為後年。”(一書云:五穀豐,人有禮讓。)又曰:“客星入亢,兵戰,士卒行,不出九年。又曰:天下大亂。”
《甘氏星経》にいう、客星が亢宿の中を干犯するは、国家は安からず、兵事は興起し、政令は紊乱し、一年の内に応験す。亢の四星は角宿の北に在り、天子の内朝で、また天庭と呼び、兼ねて疾疫と礼法を主る。《石氏星経》にいう、星ありて両角の間に进出して後に亢宿に飞入す:色赤は、過境の兵あるを主る。色白は、過路の客人あり。色黒は、過路の喪事あり。《海中占》にいう、客星が屢々亢宿に飞入するは、国中に疾疫が流行す。亢宿より飞出するは、疫病はすなわち止息す。夏氏はいう、客星が亢宿に飞入するは、百姓は流亡す。郗萌はいう、客星が亢宿のこの天庭に飞入して十天満つるは、天下は大いに乱れる。またいう、客星が亢宿に飞入するは、小旱あり、三十天の内に応験す。またいう、旱を主る。またいう、小水あり、各種の穀物は水に淹损せらる。またいう、五穀は熟せず、第二年に応ず。原書の小注:もう一部の書は五穀の豊収と作り、人人は礼を知り謙譲す。またいう、客星が亢宿に飞入するは、兵戈は交戦し、士卒は開抜し、九年を出ずに応験す。またいう、天下は大いに乱れる。
《荊州占》曰:“客星入亢中,天下有德令;色白,期秋;赤,期夏,黃,期六十日;黑,期百二十日。”又:“有星出氐,入亢中而散,人主有病,從蒂而上。”《東官候》曰:“赤星入亢,有宗廟事,色黑,廟中有喪;色青,見血;白,有兵,女主有喪。”《百二十占》曰:“他星入亢,有來使者,受命於廟;色赤;言兵;黃,言土;白,言義;青,言憂;黑,言憂客。”
《荊州占》にいう、客星が亢宿の中に飞入するは、天下にまさに恩を施す徳政の詔令あるべし。星色が白は、秋天に応ず。色赤は、夏天に応ず。色黄は、六十天の内に応験す。色黒は、百二十天の内に応験す。またいう、星ありて氐宿より射出し、亢宿の中に飞入して後に散开するは、君主に病あり、病勢は腰腹より上に向かって蔓延す。《東官候》にいう、赤星が亢宿に飞入するは、宗廟の祭祀の事あり。色黒は、廟中に喪あり。色青は、まさに血光を見ん。色白は、兵事あり、女主に喪あり。《百二十占》にいう、別の星が亢宿に飞入するは、使者ありて前来し、宗廟の裡に於て使命を接受す。色赤は、議する所は兵事である。色黄は、田土の事である。色白は、道義の事である。色青は、憂患の事である。色黒は、使客の憂事である。
石氏曰:“有星出亢,有出者使,以色占;赤,言兵;黃,言土,白,言義;青,使者憂;黑,使者凶;一曰:多兵。”郗萌曰:“有星暴出亢,愛臣以口舌事自殺,期一月,若一年。”又:“黃星白星出廟以北,中人有受賜者。”又:“黑星出廟北,而南入廟,女主有客事者;有廟之事。”又:“客星出入亢,五穀不登,為後年。”石氏曰:“有星經兩角間入亢,諸侯客有來者,廟將有事,有口令。”《海中占》曰:“大赤星從角就亢,人主遇賊。”郗萌曰:“客星與亢合,相為亂,國易政。”《黃帝》曰:“赤星集亢氐間,廊廟間有陳兵。”
《石氏星経》にいう、星ありて亢宿より射出するは、人ありて命を奉じて出使するを主り、星の顔色に按じて占断す:色赤は、議する所は兵事である。色黄は、田土の事である。色白は、道義の事である。色青は、使者に憂あり。色黒は、使者は凶に遇う。もう一種の説法は兵多きを主る。郗萌はいう、星ありて突然として亢宿より射出するは、寵を受くる臣子は口舌に因って禍を招き自殺し、一箇月あるいは一年の内に応験す。またいう、黄星・白星が宗廟の星の北に出現するは、宮中の人に賞賜を受くるあり。またいう、黒星が廟星の北より射出し、南に向かって廟星に飞入するは、女主に賓客を接待するの事あり、あるいは宗廟の事あり。またいう、客星が亢宿に進進・出出するは、五穀は熟せず、第二年に応ず。《石氏星経》にいう、星ありて両角の間を横経して亢宿に飞入するは、諸侯の賓客に前来するあり、宗廟にまさに祭事あり、ならびに口頭の伝達する詔令あるべし。《海中占》にいう、大赤星が角宿より亢宿に靠向するは、君主は賊害に遭遇す。郗萌はいう、客星が亢宿と相合し、彼此に擾乱するは、国家は政令を改換す。《黄帝占》にいう、赤星が亢宿と氐宿の間に聚集するは、廊廟の間にまさに兵甲を陳列せん。
《海中占》曰:“客星出亢,若守之;其國大旱,五穀傷,貴人去其鄉,人民流亡;若芒角變色,地動為害,期三年。”《黃帝》曰:“客星守亢,國臣不詳。”巫咸曰:“客星守亢,有德令。”郗萌曰:“客星守亢,天下通,臣有謀其主者,軍敗不成,多蟲蝗,糴貴,絲貴,有奇令。又客星守亢,下田傷。”《東官侯》曰:“客星守亢,則五穀頻不成,糴貴。”《荊州占》曰:“客星留守亢,色赤、旱;青黃,人去其鄉;黃,無他害;黑,人民流徙,貴人憂;芒角變色,地動搖宮。”《海中占》曰:“客星犯守,國多妖祥。”
《海中占》にいう、客星が亢宿より射出し、あるいは亢宿に停留・守候するは、あの一国は大旱し、五穀は傷を受け、貴人は家郷を離れ、百姓は流亡す。もしそれが芒角して色を変ずれば、さらに地震の為害あり、三年の内に応験す。《黄帝占》にいう、客星が亢宿に留守するは、国中の臣子は本分に安んぜず。巫咸はいう、客星が亢宿に留守するは、恩を施す徳政の詔令あり。郗萌はいう、客星が亢宿に留守するは、天下の道路は通ずと雖も、臣子の中にかえって君主を図謀するあり、軍隊は敗仗を打ちて成功すること能わず、蝗虫は災を成し、米価は騰貴し、糸価は騰貴し、さらに反常の詔令あるべし。またいう、客星が亢を守るは、低窪の田裡の庄稼は損を受く。《東官侯》にいう、客星が亢宿に留守するは、五穀は連ねて歉収し、米価は騰貴す。《荊州占》にいう、客星が亢宿に停留・守候し、色が赤は、旱を主る。色が青黄は、百姓は家郷を離る。色黄は、別の禍害なし。色黒は、百姓は流徙し、貴人に憂あり。もし芒角して色を変ずれば、すなわち地震は宮室を揺動す。《海中占》にいう、客星が亢宿を侵犯しならびに留守するは、国中に妖異の象多し。
客星犯氐 三
甘氏曰:“客星干入氐中,後宮有亂,暴兵動;期百八十日,遠三年。”《黃帝占》曰:“有客星入氐,色白,即將嗇夫受賜,色黃,遷;色青黑,不死則凶。”又:“客星入氐,日食、地震,糴貴,石百五十,有奇令。”(一云:糴石千五百,谷為玉。)石氏曰:“客星入氐,棺槨貴。”甘氏曰:“客星入氐,(《文曜鉤》云:守氐。)邊邦有獻女者。”《海中占》曰:“大赤星入氐,卒大出。”郗萌曰:“客星數入氐,有疾;(一云:沒巴)數出,疾已。”陳卓曰:“客星入氐,兵從邊起;若後宮亂,暴兵動,五穀不成。”《荊州占》曰:“客星入氐,麥麻羊貴。”
《甘氏星経》にいう、客星が干犯しならびに氐宿の中に飞入するは、後宮に変乱が発生し、兵事を暴発し、百八十天・遠ければすなわち三年の内に応験す。氐の四星は亢宿の南に在り、天子の寝宮で、また后妃の居所でもある。ゆえに占辞は先ず後宮を講う。《黄帝占》にいう、客星ありて氐宿に飞入し、色が白は、すなわちまさに嗇夫の類の小吏に賞賜を受くるあるべし。色黄は、すなわち人ありて升遷す。色青黒は、死亡に非ざればすなわち兇険なり。またいう、客星が氐宿に飞入するは、日食・地震あり、米価は騰貴し、毎石は百五十銭に漲り、ならびに反常の詔令あり。原書の小注:一説は毎石は一千五百銭に漲り、穀子は玉のごとく貴し。《石氏星経》にいう、客星が氐宿に飞入するは、棺槨の価は貴し。《甘氏星経》にいう、客星が氐宿に飞入するは(原書の小注:《文曜鈎》は氐宿に留守と作る)、辺地の邦国に女子を進献するあり。《海中占》にいう、大赤星が氐宿に飞入するは、士卒は大批に出動す。郗萌はいう、客星が屢々氐宿に飞入するは、国中に疾疫あり(原書の小注:一作は没巴)。屢々飞出するは、疾疫はすなわち止息す。陳卓はいう、客星が氐宿に飞入するは、兵事は辺境より挑起せらる。あるいは後宮は乱を作し、兵事を暴発し、五穀は熟せず。《荊州占》にいう、客星が氐宿に飞入するは、麦・麻と羊の価格は騰貴す。
《黃帝》曰:“客星出氐,(一云:入氐。)色黃白,與兩星齊,期十日而赦;去兩星二尺,期百日有赦。”《黃帝》曰:“有星在氐,若有疾於國外。”《文曜鉤》曰:“客星出氐,人主憂病;一曰有德令,若邊國有獻女者。”郗萌曰:“有星入氐中而散,人主有疾,從帶下則上。”《荊州占》曰:“有星入氐中,人主有疾,從帶而下。”石氏曰:“客星起氐中,天子不安宮,移徙,女失坐。”
《黄帝占》にいう、客星が氐宿より射出するは(原書の小注:一作は氐宿に飞入)、色が黄白にして氐宿の中の両顆の星と並斉するは、十天の内に赦令あり。もしあの両顆の星に距ること二尺なれば、百天の内に赦令あり。《黄帝占》にいう、星ありて氐宿に停るは、国境の外に疾疫あるを主る。《文曜鈎》にいう、客星が氐宿より射出するは、君主は憂愁して生病す。もう一種の説法は徳政の詔令あり、あるいは辺地の国に女子を進献するあり。郗萌はいう、星ありて氐宿の中に飞入して後に散开するは、君主に病あり、腰帯の以下より上に向かって蔓延す。《荊州占》にいう、星ありて氐宿の中に飞入するは、君主に病あり、腰帯の処より下に向かって蔓延す。《石氏星経》にいう、客星が氐宿の中より升起するは、天子は宮裡に於て安寧を得ず、まさに別の処に遷徙し、后妃もまたその座位を失わん。
郗萌曰:“客星乘氐下星,馬牛大貴。”《黃帝》曰:“客星逆行入貫氐中央,日月薄食。”郗萌曰:“客星逆入貫氐中,大人奪執失威,大臣乘國之權。”又:“客星逆乘滅氐,有土功事。”《黃帝》曰:“有星守氐;色黑,大水,其國有復王;白,廊廟有憂;黃,有喜;赤,有兵,在廟中,近臣謀弒貴人。”《文曜鉤》曰:“客星守氐,人主憂,帶下病。”石氏曰:“客星守氏,有謀臣欲危其主。”
郗萌はいう、客星が氐宿の下方のあの顆の星の上に凌駕するは、馬と牛の価格は大いに漲る。《黄帝占》にいう、客星が逆行して氐宿の中央に飞入しならびに貫穿するは、まさに日食・月食あるべし。郗萌はいう、客星が逆行して氐宿の中に貫入するは、君主は権柄を奪われ威勢を失い、大臣は国家の権力を窃据す。またいう、客星が逆行して凌駕しならびに氐宿を掩滅するは、土木の工程の事あるを主る。《黄帝占》にいう、星ありて氐宿に留守す:色黒は、大水、あの一国に復位する王あり。色白は、朝廷に憂あり。色黄は、喜慶あり。色赤は、兵事あり、もし宗廟の中に応ずれば、すなわち近臣が貴人を弑殺せんと図謀す。《文曜鈎》にいう、客星が氐宿に留守するは、君主は憂愁し、腰帯以下の疾病を患う。《石氏星経》にいう、客星が氐宿に留守するは、謀臣ありてその君主を危害せんと欲す。
巫咸曰:“客星守氐,兵起國亡,天下受圖而俱起,亡軍。”《海中占》曰:“客星守氐,有德令。”郗萌曰:“客星守氐,天下中外不通,馬不急行,國易政。”(案《後魏志武紀》曰:桓帝時有黃星,見於楚宋之分,遼東殷 善天文,言後五十歲當有真人起豐沛間,其鋒不可當,至五十年,而太祖破袁紹,天下莫敵。)《荊州占》曰:“客星守氐,木器布帛倍價。”郗萌曰:“客星逆守乘滅氐,諸侯王坐法者誅絕,無後。”
巫咸はいう、客星が氐宿に留守するは、兵起こり国亡び、天下の人は図谶を接受して一同に事を起こし、軍隊は覆没す。《海中占》にいう、客星が氐宿に留守するは、徳政の詔令あり。郗萌はいう、客星が氐宿に留守するは、天下の内外は通ぜず、馬匹は疾行すること能わず、国家は政令を改換す。原書の小注:《後魏書》の帝紀の記載に按るに、桓帝の時に黄星ありて楚・宋の分野に出現し、遼東人の殷某(底本は此処に一字を缺く)は天文に精通し、五十年の後に当に真人ありて豊・沛の間より興起し、鋒芒は抵当すべからずといった。五十年の頭に到りて、魏の太祖は果たして袁紹を撃破し、天下に敵する人なし。《荊州占》にいう、客星が氐宿に留守するは、木器と布帛は一倍に漲価す。郗萌はいう、客星が逆行して留守し、凌駕しならびに氐宿を掩滅するは、諸侯王の中に刑法に触犯して誅絶して嗣を滅ぼせらるるあり。
客星犯房 四
《河圖》曰:“客星干房,失春政,不法。”甘氏曰:“客星干犯房,王國空,兵起人飢,骨肉相殘。”《黃帝》曰:“客星入房,糴石千錢,人多餓死,相食,多移去其田宅;皆期後年。”石氏曰:“客星入房,輸食有入者;出房,輸食有出者。赤星入房,國名寶用,龍馬貴;客星入房,諸侯有獻馬者;糴貴。”郗萌曰:“赤星就房,國圍。”又曰:“入房馬貴;出房,名寶有出者。客星入左服,若右服,其有來獻馬者;出左右服,人君使諸侯,以馬為幣。客星入房,有大臣弒其君者。”
《河図》にいう、客星が房宿を干犯するは、春季の政令が当を失して法度に合せざるを主る。房の四星は天子が政を布く明堂で、また天駟の馬で、車駕と農時を主る。《甘氏星経》にいう、客星が房宿を干犯するは、王国は空虚し、兵起こりて百姓は饑餓し、骨肉・至親は互いに残殺す。《黄帝占》にいう、客星が房宿に飞入するは、米価は毎石一千銭に漲り、人は餓死多く、人が人を食うに至り、許多の人は自らの田宅を遷離す、皆第二年に応ず。《石氏星経》にいう、客星が房宿に飞入するは、糧食の輸入あり。房宿より射出するは、糧食の輸出あり。赤星が房宿に飞入するは、国中の名貴の宝物は動用せられ、龍馬の価は貴し。客星が房宿に飞入するは、諸侯に馬匹を進献するあり、米価は騰貴す。郗萌はいう、赤星が房宿に靠近するは、国都は囲まる。またいう、房宿に飞入するは、馬価は貴し。房宿より飞出するは、名貴の宝物に輸出するあり。客星が左服あるいは右服に飞入するは、前来して馬を献ずるあるべし。左服・右服より射出するは、すなわち君主は使者を派して諸侯国に往かしめ、馬を以て聘幣と為す。客星が房宿に飞入するは、大臣ありてその君主を弑殺す。
又曰:“入天府,天下有變更之令,若有急令。客星入天廄之中,滿三日而去,有赦。”《荊州占》曰:“白星入房下,北門有攻戰排門者,在於近臣;期百二十日。客星入天府,有德令;一曰:有賊人;一曰:有兵發;一曰:天下且有大喪。”韓揚曰:“白星入房,赦。”《黃帝》曰:“客星出,(《玉曆》云:出若守之。)在陽,為旱、為喪、為飢;在陰,為兵、為水、亦為飢。”
天府と天廐は皆房宿の近旁に在り、天府は府庫・財賦を主り、天廐は車馬・伝駅を主る。ゆえに以下の幾条はなお房宿の下に繫げると雖も、占するは府蔵と馬政である。郗萌はまたいう、客星が天府に飞入するは、天下に旧制を変更する詔令あり、あるいは緊急の号令あり。客星が天廐の中に飞入し、三天満ちてこそ離去するは、赦令あるを主る。《荊州占》にいう、白星が房宿の下に飞入するは、北門にまさに攻戦して門戸を推排するの事あり、近臣の身の上に応じ、百二十天の内に応験す。客星が天府に飞入するは、徳政の詔令あり。もう一説は賊人あり。もう一説は兵事の発動あり。もう一説は天下にまさに大喪あるべし。韓楊はいう、白星が房宿に飞入するは、赦を主る。《黄帝占》にいう、客星が射出するは(原書の小注:《玉曆》は射出あるいは留守と作る)、もし房宿の南面に在れば陽に属し、旱を主り喪を主り饑を主る。北面に在れば陰に属し、兵を主り水を主り、亦た饑荒を主る。
班固《天文志》曰:“漢孝武元光元年六月,客星見於房。二年十一月,單于將十萬騎入武州,漢遣兵三十萬以待之。”郗萌曰:“客星出房,近臣謀主,若暴死,期一年。”又:“有星出房左,為父,次為太子;出房右,為母,次為長女。”《荊州占》曰:“青星出右驂,若左驂而散;人主為牛奔敗。”郗萌曰:“客星在表之北,多水,去下田,耕高田;在表之南,多旱,去高田,耕下田。客星在中道,天下太和,馬貴,一曰牛貴。客星舍房左右,群臣有奪地者。又曰:吞藥死者。”
班固《漢書・天文志》に記す、漢の武帝の元光元年六月に、客星は房宿に出現した。元光二年十一月に、匈奴の単于は十万の騎兵を率いて武州に進入し、漢朝は三十万の兵馬を派出して迎撃した。郗萌はいう、客星が房宿より射出するは、近臣は君主を図謀し、あるいは人ありて暴死し、一年の内に応験す。またいう、星ありて房宿の左側より射出するは、父親に応じ、その次は太子に応ず。房宿の右側より射出するは、母親に応じ、その次は長女に応ず。《荊州占》にいう、青星が右驂より射出し、あるいは左驂より射出して後に散开するは、君主は牛馬の奔逸に因って挫敗を受けん。郗萌はいう、客星が表星の北に在るは、水多きを主り、当に低田を放棄して改めて高田を耕すべし。表星の南に在るは、旱多きを主り、当に高田を放棄して改めて低田を耕すべし。客星が房宿の中道を走るは、天下は太平・和洽し、馬価は貴しく、もう一説は牛価は貴し。客星が房宿の左右に停宿するは、群臣の中に土地を奪占するあり。またいう、人ありて薬を吞みて自尽す。
石氏曰:“客星守房左驂,馬貴。客星守房,宮有謀臣,臣欲無其主。”巫咸曰:“客星守房,糴貴。”郗萌曰:“客房,天下有急令且恐,治馳道;又曰馬疾;一曰:人主以馬為憂。”《海中占》曰:“客星犯鉤鈐,主有奔馬之敗。”石氏曰:“客星犯鉤鈐,王宮大亂,不出三年。”
《石氏星経》にいう、客星が房宿の左驂に留守するは、馬価は騰貴す。客星が房宿に留守するは、宮中に図謀を心懐く臣子あり、臣子はその君主を除掉せんと欲す。巫咸はいう、客星が房宿に留守するは、米価は騰貴す。郗萌はいう、客星が房宿に停るは、天下に緊急の号令ありしかも人心は恐慌し、まさに夫を征して馳道を修治せん。またいう、馬匹は疫を生ず。もう一種の説法は君主は馬の事のために愁える。《海中占》にいう、客星が「鉤鈐」を侵犯するは、馬を驚かして奔逸して敗を致すの事あるを主る。鉤鈐の両星は房宿の側に附き、天子の鎖鑰・關鍵である。《石氏星経》にいう、客星が鉤鈐を侵犯するは、王宮は大いに乱れ、三年を出ずに応験す。
客星犯心 五
石氏曰:“有星入心,諸侯有來使者;星出心,君使人於諸侯;色赤,言兵也;色黃,言土功;色白,言義;色青,言使者憂;色黑,言客凶。”甘氏曰:“赤星入心,留回之,天子不有喪,當兵死。”夏氏曰:“客星入心,有德令。”郗萌曰:“客星入天子之宮十日,成勾己,天下有大赦。客星入太子宮,太子益官。(一本云:太子不得代。)黑星出房而入心,近臣謀主;若暴死,期一月中。客星入心,丞相憂疾;又曰:大赦,期三月。
《石氏星経》にいう、星ありて心宿に飞入するは、諸侯に使者を派して前来するあり。星が心宿より射出するは、君主はまさに人を派して諸侯国に往かしめん。色赤は、議する所は兵事である。色黄は、土木の功である。色白は、道義の事である。色青は、使者に憂あり。色黒は、使客は凶に遇う。心宿の三星は天王の明堂で、中央のあの顆の大星は天王と為り、前の一星は太子と為り、後の一星は庶子と為る。《甘氏星経》にいう、赤星が心宿に飞入し、停留・盤旋して去るを肯ぜざるは、天子は喪事あるに非ざれば、すなわちまさに兵禍に死せん。夏氏はいう、客星が心宿に飞入するは、徳政の詔令あり。郗萌はいう、客星が天子の宮に飞入して十天満つる、勾曲の形に弯まるは、天下に大赦あり。客星が太子の宮に飞入するは、太子は官属を增添す(原書の小注:一本は太子は位を継ぐことを得ずと作る)。黒星が房宿より射出して心宿に飞入するは、近臣は君主を図謀し、あるいは人ありて暴死し、一箇月の内に応験す。客星が心宿に飞入するは、丞相は憂愁して生病す。またいう、大赦を主る、三箇月の内に応験す。
赤星入心右星,太子有兵;入心左星,庶子有兵。青黑星入心右星,玉子有憂,若有罪;入左星,庶子有憂,若有罪。黃白星入心右星,太子受賜;入左星,庶子受賜。”甘氏曰:“客星出心,天下大旱,兵起滿野,車騎用,國易政,期三年。”郗萌曰:“客星出心中央星以南,若左右有抵罪而走者;黃白,無故;青,憂;黑,死;赤,以兵隨之。”
赤星が心宿の右辺の星に飞入するは、太子に兵事あり。心宿の左辺の星に飞入するは、庶子に兵事あり。青黒色の星が心宿の右辺の星に飞入するは、王子に憂患あり、あるいは罪を獲る。左辺の星に飞入するは、庶子に憂患あり、あるいは罪を獲る。黄白色の星が心宿の右辺の星に飞入するは、太子は賞賜を得る。左辺の星に飞入するは、庶子は賞賜を得る。《甘氏星経》にいう、客星が心宿より射出するは、天下は大旱し、兵起こりて原野に遍布し、兵車・騎兵は皆まさに動用し、国家は政令を改換し、三年の内に応験す。郗萌はいう、客星が心宿の中央の大星の南より射出するは、左右に罪を獲て逃亡する人あるを主る。星色が黄白は、事なし。色青は、憂あり。色黒は、死亡あり。色赤は、すなわち兵禍ありて随いて来る。
又曰:“心上有一星,去心一尺所,有中謀;下有星,去心一尺所,有外謀;星多謀多,星少謀少;謀多者,謂人多也;上下俱星,中外俱有謀;星遠人遠,星近人近;近期百日,中期在沖月,遠期在一年中。”《荊州占》曰:“以四月、五月在心尾間,至七月八月,大蟲從東南來。”《黃帝》曰:“有星大如疋布,貫尾判心下星,諸侯有來附兵於君者。”郗萌曰:“客星舍心,兵起。客星逆乘滅心,有謀易君者,宮內有亂謀,權在宗家,得執大臣。”
郗萌はまたいう、心宿の上方に一顆の星あり、心宿に距ること一尺ほど、内部に陰謀あるを主る。下方に星あり、心宿に距ること一尺ほど、外部に陰謀あるを主る。星多ければすなわち謀多く、星少なければすなわち謀少なし。いわゆる謀多しとは、講ずるはその事に参与する人の多きである。上下ともに星あれば、すなわち内外ともに陰謀あり。星の離るること遠ければ、事を謀る人もまた遠処に在り、星の離るること近ければ、事を謀る人はすなわち近旁に在り。近ければ百天の内に応験し、中等はこれと相い衝く月分に応じ、遠ければ一年の内に応ず。《荊州占》にいう、四月・五月に客星が心宿と尾宿の間に在れば、七月・八月に到りて、大虫ありて東南方より来らん。《黄帝占》にいう、星ありて大きさは一匹の布に似て、尾宿を貫穿し心宿の下方の星を分開するは、諸侯に兵を帯びて前来して君主に帰附するあるを主る。郗萌はいう、客星が心宿に停宿するは、兵事は興起す。客星が逆行して凌駕しならびに心宿を掩滅するは、人ありて君主を更換せんと図謀するを主り、宮内に乱を作すの密謀あり、権柄は宗室の家に落ち、大臣に至ってもまた彼らに挟制せらる。
《黃帝》曰:“客星守心,不過三旬,有善令。赤星大如鋒矢,赤如雞血,入守心,人主遇賊,其出心也;行道甚遠,人主戮於千里之外。”《聖洽符》曰:“客星守心,五十日不去,兵大起,國有喪;人民飢亡,糴貴十倍;期不出百八十日,遠一年。”巫咸曰:“客星守心,糴貴人飢;兵臣謀,有奸臣,成鉤己,有德令;期三月、十月,稷、布大貴。”
《黄帝占》にいう、客星が心宿に留守して三十天を過ぎざれば、すなわち善政の詔令あり。もし赤星の大きさは箭鏃に似て紅きこと鶏血のごとく、心宿に飞入しならびに留守するは、君主は賊害に遭遇す。もしそれがまた心宿より射出し、飛行の路途は甚だ遠ければ、すなわち君主は千里の外に於て殺せられん。《聖洽符》にいう、客星が心宿に留守し、五十天に去るを肯ぜざるは、兵事は大いに起こり、国中に喪あり。百姓は饑餓・流亡し、米価は十倍に漲る。最も快くも百八十天を出ず、遠ければ一年の内に応験す。巫咸はいう、客星が心宿に留守するは、米価は騰貴し、百姓は饑餓す。兵を掌る臣子は図謀を生出し、朝中に奸臣あり。もし客星が鈎曲の形に弯まれば、すなわち徳政の詔令あり。三月・十月に応じ、穀子と布帛は大いに漲価す。
郗萌曰:“客星守心,有大土功,有大喪;大人當之;又曰人疾。客星守心中央星,大人憂;守太子,太子得立;守庶子,庶子誅。客星守心,赤為亡兵;青黑、為憂。客星守心二十日,谷大貴。”《荊州占》曰:“赤星守心,大軍兵滿野,車騎用,布帛貴,娟女運谷。
郗萌はいう、客星が心宿に留守するは、大規模の土木の工程あり、大喪あり、君主の身の上に応ず。またいう、人に疾病あるを主る。客星が心宿の中央の大星に留守するは、君主に憂あり。前の太子星に留守するは、太子は継立を得る。後の庶子星に留守するは、庶子は誅せらる。客星が心宿に留守し、色が赤は、兵禍に死するを主る。色が青黒は、憂患を主る。客星が心宿に留守して二十天満つるは、穀価は大いに漲る。《荊州占》にいう、赤星が心宿に留守するは、大軍の兵馬は原野に布满し、兵車・騎兵は皆まさに動用し、布帛の価は貴く、女子に至ってもまさに軍隊のために糧草を転運せん。
三年易改。”《雜候集》曰:“他星守心,其國亡邑,有善令。”《天旬占》曰:“客星守心,蜚蝗大起,糴大貴十倍,萬人飢,流亡在道,下有謀反逆者。”石氏曰:“客星犯守心,宮鍾大鳴,劍戟大橫,大臣相疑,天下兵起,心變期急,近期七日,中期七十日,遠期百八十日。”《荊州占》曰:“客星犯乘守心者,大旱,天下備火,近期十日,遠期三年。”
(上条の占辞を承く)三年の内に政局は改易す。《雑候集》にいう、別の異星が「心」宿に停留して去るを肯ぜざるは、あの邦国はまさに城邑を喪失するも、朝廷は寛厚の政令を頒下せん。《天旬占》にいう、「客星」——忽然として出現し、些時を過ぎてまた隠没して見えざる異星で、古人はそれを天庭に闖入する賓客と看作り、今の講う新星・超新星の類は皆それに属し、その中にまた周伯・老子・王蓬絮・国皇・温星らの種類を分かつ——が心宿に停留するは、飛蝗は災を成して大いに起こり、糧価は暴漲して平時の十倍に至り、千万を成す人は餓え、老を扶え幼を携えて道路上に流落し、臣下に反逆を図謀するあり。石氏はいう、客星が侵逼しならびに心宿に停留するは、宮中の大鐘は故なく轟鳴し、刀剣・戈戟は街市に横行し、大臣の間は互いに猜忌し、天下は兵を興す。心宿は一旦変あれば、応験の来ること極めて急し:近きは七天、中は七十天、最も遠きは百八十天。《荊州占》にいう、客星が侵犯し、凌乗しならびに心宿に停留するは、まさに大旱あり、天下は厳かに火を防ぐを加えるべし、近ければ十天に応験し、遠ければ三年に応験す。
客星が尾宿を犯す 其の六
《黃帝占》曰:“客星入尾,歲飢,人相食,多死者。”《聖洽符》曰:“客星入尾,大水;其入之,順行,有德;逆行,凶。”石氏曰:“客星入尾,北夷大飢,來降。客星入尾,人多移徙。”
《黄帝占》に曰く:客星が「尾」宿に入る――尾宿は東方蒼龍七宿の第六宿で、九星からなり、形は龍の尾に似て、後宮の嬪妃を司り、また風雨・水旱を司る――その年に飢饉があり、人は飢えて互いに食い合い、死ぬ者が多い。《聖洽符》に曰く:客星が尾宿に入るのは、大水の兆し。入るとき列宿の順序に順って進めば徳政ある吉象で、逆らって逆行すれば凶象である。石氏に曰く:客星が尾宿に入れば、北方の異族が大飢饉に遭い、降伏して来る。また曰く:客星が尾宿に入れば、百姓は大勢で他郷へ移り住む。
又曰:“入天司空,多土功事,有尾之禽大貴,天下大水;黑星若蒼星入尾,故臣有來使者。白星入尾、箕,邊城將侯,司空死之。客星入尾,皇后有以珠玉簪珥惑天子者。客星入尾,多風;一曰:水祥;一曰:雨降。客星入尾,宮人惡之。”《荊州占》曰:“客星入尾,天下大振;一東一西、一南一北,男不得耕,女不得織。”
石氏はまた曰く:客星が「天司空」星に入れば、土木の工役が頻繁になり、尾のある禽獣の値が高騰し、天下に大水が起こる。黒色または青色の客星が尾宿に入れば、旧臣が使者を遣わして来る。白色の客星が尾宿・箕宿に入れば、辺城の守将や封侯、および土木を掌る司空の類の官が、そのために命を落とす。客星が尾宿に入れば、皇后の中に珠玉の簪珥の類で天子を惑わす者が出る。客星が尾宿に入れば、大風が多く起こる。一説に水害の先兆、一説に大雨が降るとある。客星が尾宿に入れば、宮中の嬪妃・宮人はこれを不祥と見なす。《荊州占》に曰く:客星が尾宿に入れば、天下が大いに震動する。客星が東に西に、南に北にと定まらず遊行すれば、男は安んじて耕すことができず、女は安んじて織ることができない。
客星が箕宿を犯す 其の七
《黃帝占》曰:“客星守箕,多土功事;又曰:守箕北,小熟;守箕東,大熟;守箕南,小飢;守箕西,大飢。”石氏曰:“客星守箕,天下飢;色赤,則為兵。”郗萌曰:“客星入箕,民流亡;若出箕,宮人出。”
《黄帝占》に曰く:客星が「箕」宿に留まって去らない――箕宿は東方蒼龍七宿の末宿で、四星が簸箕の形に並び、八方の風を司り、また口舌の是非と異族の事を司る――土木の工役が多くなる。また曰く:箕宿の北に留まれば、年成は小さく実る。箕宿の東に留まれば、大豊作。箕宿の南に留まれば、小さな飢饉。箕宿の西に留まれば、大飢饉である。石氏に曰く:客星が箕宿に留まれば、天下に飢饉が起こる。客星の色が赤ければ、兵事の兆しである。郗萌に曰く:客星が箕宿に入れば、民は流亡する。もし客星が箕宿から抜け出れば、宮中の人が宮外に放たれる。
《荊州占》曰:“客星入箕,多風暴雨,宮女不安;或外國有使來;一曰:官木用。”武密曰:“客星入箕,則有風雨。”《天文總論》曰:“客星入箕,有土功事;守箕,則秋冬水災。”《天文錄》曰:“客星出於箕,民飢,大臣有見棄者;入箕,北夷飢。”
《荊州占》に曰く:客星が箕宿に入れば、暴風雨が多く起こり、宮女は心安らかでなく、あるいは外国の使者が来る。一説に、官府が木材を大量に徴用するとある。武密に曰く:客星が箕宿に入れば、風雨がある。《天文総論》に曰く:客星が箕宿に入れば、土木工事が興る。箕宿に留まって去らなければ、秋冬の二季に水害がある。《天文録》に曰く:客星が箕宿の中から抜け出れば、民は飢え、大臣の中に君主に見捨てられる者が出る。箕宿に入れば、北方の異族に飢饉が起こる。
開元占経 巻七十九
客星占 其の三
北方七宿を犯す
客星が南斗を犯す 其の一
甘氏曰:“客星干犯南斗度,其國必亂;兵大起,期一年。”陳卓曰:“客星干犯南斗,王者疾病,臣謀其君,子謀其父,弟謀其兄,是謂無理,諸侯不通,天下易政,期百八十日,遠不出一年。”《黃帝占》曰:“客星入南斗中三尺,三日不去,城郭閉道不通,貴人坐之。”又曰:“入鐵鉞,外兵擒,士卒殺傷其將,外國來降。”(《北官候》曰:國來而不降。)
甘氏に曰く:客星が「南斗」の星度に侵り犯す――南斗は北方玄武七宿の第一宿で、六星が斗の形に並び、爵位・俸禄と人の寿数を司り、分野は呉越の地に対応する――その邦国は必ず乱れ、大挙して兵が起こり、一年の内に応験する。陳卓に曰く:客星が南斗に侵り迫れば、君王は病を患い、臣下は君主を謀り、子は父を謀り、弟は兄を謀る。これを綱常の失序という。諸侯は朝廷と通問しなくなり、天下は政権を易え、百八十日の内に応験し、遠くとも一年を出ない。《黄帝占》に曰く:客星が南斗の中三尺のところに入り、三日間去らなければ、城門は閉ざされ道路は断たれて通じず、顕貴の人がこれによって罪を得る。また曰く:客星が「鉄鉞」星に入れば、外にいる兵将が敵に擒えられ、士卒がかえって自分の主将を殺傷し、外国が降伏して来る。(原書の小注:《北官候》に曰く、国が来るが降伏はしない、と。)
《河圖》曰:“有星入南斗,有君來見吾君者。”《聖洽符》曰:“小赤星氣交入南斗建中,此揚見精者,宮人子方生,非其子也。”石氏曰:“有星入南斗,諸侯客有來見天子者;出斗,天子使人之諸侯;色青,皆言憂;赤,皆言兵;黃,皆言土;白,皆言義;黑,皆言凶。客星入南斗中三日三夜,天下有赦,期三月。”
《河図》に曰く:異星が南斗に入れば、他国の君主が来て我が君に朝見する者がある。《聖洽符》に曰く:細小な赤色の客星が、星気を交差させて南斗と「建」星の間に入るのは、精気が上騰して顕れる徴候であり、宮人の産んだ子は、実は君主の骨肉ではない。石氏に曰く:異星が南斗に入れば、諸侯あるいは賓客の中に天子に朝見しに来る者がある。異星が南斗から抜け出れば、天子が人を遣わして諸侯の国へ使いする。客星が青色なら、報じるのは皆憂患。赤色なら皆兵事。黄色なら皆土木の事。白色なら皆義挙。黒色なら皆凶事である。客星が南斗の中に入り、三日三夜留まれば、天下に大赦があり、三ヶ月の内に応験する。
巫咸曰:“客星入南斗,諸侯不通天子,且有舉兵伐父者,弟攻其兄。”夏氏曰:“客星入南斗,諸侯相攻伐。”郗萌曰:“客星入南斗,多盜賊;以十一月、四月入斗中,天下赦,無餘囚;期六十日,遠期六月。”陳卓曰:“客星入南斗中,谷不登,人相攻。”石氏曰:“客星出南斗,兵革大起,有大水,天下飢,人相食;一曰關梁不通,期二年。”
巫咸に曰く:客星が南斗に入れば、諸侯は天子に通問・朝聘しなくなり、しかも兵を挙げて父を討つ者が現れ、弟が兄を攻める事もある。夏氏に曰く:客星が南斗に入れば、諸侯同士が互いに攻伐する。郗萌に曰く:客星が南斗に入れば、盗賊が多い。もし十一月あるいは四月に斗の中に入れば、天下に大赦があり、牢獄に囚人を残さず、六十日の内に応験し、遠くとも六ヶ月。陳卓に曰く:客星が南斗の中に入れば、穀物は実らず登場せず、人々は互いに攻撃し合う。石氏に曰く:客星が南斗から抜け出れば、兵戈が大いに起こり、また大水が発し、天下は飢饉となり、人は飢えて互いに食い合う。一説に関隘・橋梁が阻まれて通じず、二年の内に応験するとある。
《宋書天文志》曰:“晉孝武太元二年三月,客星在南斗,至六月乃沒;占曰:有兵;一曰有赦。是後雍兗冀常有兵役,十二月、正月大赦;八月又赦。”郗萌曰:“赤白星暴出南斗魁前,宮室兵起,中魁,神將軍坐之,戮死。”《帝覽嬉》曰:“客星居南斗,道不通。”
《宋書・天文志》に記す:東晋の孝武帝・太元二年三月、客星が南斗に現れ、六月に至ってやっと隠没した。占辞に曰く兵事の兆し、一説に大赦とある。この後、雍州・兗州・冀州の一帯は年がら年中征役が絶えず、この年の十二月と翌年正月に二度大赦し、八月にまた赦した。郗萌に曰く:赤白色の客星が突然南斗の斗魁の前に現れれば、宮室の内に兵変が起こる。もし斗魁の真ん中に当たれば、「神将軍」の職にある者がこれによって罪を得て、誅戮されて死ぬ。《河図帝覧嬉》に曰く:客星が南斗に留まり居れば、道路は塞がれて通じない。
《黃帝占》曰:“客星守南斗,五穀登,賤,貴於後冬。”《文耀鉤》曰:“客星守南斗五十日,大臣有謀,兵大起,國易政,王者有憂,期三年。”《黃帝》曰:“客星守南斗,其君不親信其臣,有兵興。”石氏曰:“客星守南斗,天下有喜福,五穀熟。”
《黄帝占》に曰く:客星が南斗に留まって去らなければ、五穀は豊かに実り登場し、糧価は下がるが、この年の冬以後にはまた高くなる。《文耀鈎》に曰く:客星が南斗に五十日も留まれば、大臣に密かな企てがあり、大挙して兵が起こり、国は政令を易え、君王に憂患があり、三年の内に応験する。《黄帝占》に曰く:客星が南斗に留まれば、その君主は臣下を親しみ信じず、戦事が興る。石氏に曰く:客星が南斗に留まれば、天下に喜び福祥の事があり、五穀が熟する。
郗萌曰:“客星守南斗,諸侯謀,王者役軍,人皆走;又曰:大旱,宮廟有火之憂,人多疾疫。”又曰:“客星守南斗,天下易政;一曰:兵官憂;一曰以水飢。”班固《天文志》曰:“元帝初元元年四月,客星大如瓜,色青白,在南斗第二星東,可四尺;其五月,渤海水大溢。”《荊州占》曰:“客星守天庫,兵革起。”
郗萌に曰く:客星が南斗に留まれば、諸侯は密かに謀り、君王は軍役を征発し、百姓は四散して逃げる。また曰く大旱があり、宮殿・宗廟に失火の憂いがあり、人は疫病に罹る者が多い。郗萌はまた曰く:客星が南斗に留まれば、天下の政局は更易する。一説に兵を掌る官に憂患あり、一説に水害によって飢饉となる。班固《漢書・天文志》に記す:漢の元帝・初元元年四月、客星が現れ、大きさは瓜のようで、色は青白く、南斗第二星の東約四尺のところにあった。この年の五月、渤海の海水が大いに溢れて岸に上がった。《荊州占》に曰く:客星が「天庫」星に留まれば、兵戈が起こる。
客星が牽牛を犯す 其の二
陳卓曰:“客星犯牽牛,有犧牲之事。”石氏曰:“客星中犯牽牛,吳越兵自立,三年而滅;期不出一年,遠三年中。”《彗要占》曰:“客星干犯牽牛,中國起兵。”《黃帝占》曰:“客星入牽牛,諸侯有兵。”又曰:“入天鼓,外國來降。”
陳卓に曰く:客星が「牽牛」宿を侵犯する――牽牛は北方玄武七宿の第二宿で、六星からなり、祭祀に用いる犠牲を司り、また関隘・橋梁を司り、分野は呉越の地に対応する――牲を宰って祀る事がある。石氏に曰く:客星が真ん中から牽牛を犯せば、呉越の一帯で兵を擁して自立し王となる者が出て、三年の後に滅びる。応験は一年を出ず、遠くとも三年の中である。《彗要占》に曰く:客星が牽牛に侵り迫れば、中原で兵が起こる。《黄帝占》に曰く:客星が牽牛に入れば、諸侯の間に兵事が起こる。また曰く:客星が「天鼓」星に入れば、外国が降伏して来る。
郗萌曰:“客星入牽牛,大臣外交諸侯;赤黃白,成;青黑,敗。”又曰:“有星入牽牛,諸侯客有來,以四足蟲為幣者;出牽牛,君使之諸侯,以四足蟲為幣;色青,皆道疾;黑,死不至。”《荊州占》曰:“客星入牽牛,有兵發而行。”
郗萌に曰く:客星が牽牛に入れば、大臣は密かに諸侯と結ぶ。客星が赤・黄・白色なら、その事は成る。青・黒色なら、その事は必ず敗れる。また曰く:異星が牽牛に入れば、諸侯の遣わした賓客が訪れ、牛馬の類の四足の畜生を見舞いの贈り物とする。異星が牽牛から抜け出れば、君主が人を遣わして諸侯の国へ使いし、同じく四足の畜生を贈り物とする。客星が青色なら、使者は皆途中で病む。黒色なら、使者は途中で死んで到着しない。《荊州占》に曰く:客星が牽牛に入れば、軍隊が出発して路に上る。
甘氏曰:“客星出牽牛,有兵起,大將出;若關梁不通,若地大動,馬牛貴三倍,期二年。”巫咸曰:“客星出牽牛,其國兵起,大將出;若關梁不通,多死,期不出一年。”陳卓曰:“客星出牽牛,兵北行。”郗萌曰:“客星舍牽牛,臣謀其主,五穀不登。”
甘氏に曰く:客星が牽牛から抜け出れば、戦事が興り、大将が兵を率いて出征する。あるいは関隘・橋梁が阻まれて通じず、あるいは大地震が起こり、牛馬の値は平時の三倍に上がり、二年の内に応験する。巫咸に曰く:客星が牽牛から抜け出れば、その邦国は兵を興し、大将が出征する。あるいは関梁が通じず、死者が多く、応験は一年を出ない。陳卓に曰く:客星が牽牛から抜け出れば、軍隊は北方へ進発する。郗萌に曰く:客星が牽牛に宿れば、臣下は君主を謀り、五穀は実らず登場しない。
《續漢書天文志》曰:“孝明永平九年正月戊申客星出牽牛,長八尺,歷建星至房南滅,見五十日。牽牛主吳越,房心為宋,後廣陵王荊與沈涼楚王英顏忠,各謀逆事覺,皆自殺。廣陵屬吳彭城,古宋地。”
《続漢書・天文志》に記す:漢の明帝・永平九年正月戊申の日、客星が牽牛に現れ、星芒の長さは八尺あり、「建」星を掠めて房宿の南に至ってやっと隠滅し、前後五十日見えた。牽牛の分野は呉越に対応し、房宿・心宿の分野は宋の地に対応する。のちに広陵王劉荊と沈涼、楚王劉英と顔忠が、それぞれ叛逆を企て、事が露見して、皆自殺して果てた。広陵は呉の地に隷し、彭城は古の宋国の故地である。
石氏曰:“守牽牛,越有善象,獻中國。”石氏曰:“赤星守牽牛,人民為亂。”郗萌曰:“客星守牽牛,王者外其大臣。”又曰:“客星守若入牽牛,盜賊在江海,歲多水。”(案司馬彪《天文志》曰:孝順永建六年十二月壬申,客星芒氣長二尺餘。西南指,色蒼白,在牽牛六度。後一年,會稽海賊部曾於等,殺長吏,拘奪吏民。楊州六郡逆賊章河等,犯四十九縣,大攻吏人也。)《地軸占》曰:“客星守牽牛,地大動。”《海中占》曰:“客星出入守牽牛,馬貴,價三倍。”
石氏に曰く:客星が牽牛に留まれば、越の地に馴良な象が現れ、中原の朝廷に献上される。石氏はまた曰く:赤色の客星が牽牛に留まれば、人民が乱を起こす。郗萌に曰く:客星が牽牛に留まれば、君王は大臣を疎んじる。また曰く:客星が牽牛に留まりあるいは入れば、江海の一帯に盗賊が横行する――牽牛の分野はちょうど呉越に当たるので、江に臨み海に沿う地に応じる――この年また水害が多発する。(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》を案ずるに、漢の順帝・永建六年十二月壬申の日、客星の芒気は長さ二尺余り、西南を指し、色は青白く、牽牛の六度にあった。一年を過ぎて、会稽の海賊・部曾于らが地方長官を殺し、吏民を拘禁し劫掠した。揚州六郡の叛賊・章河らは四十九県を犯し、官吏と百姓を大いに攻め殺した。)《地軸占》に曰く:客星が牽牛に留まれば、大地は激しく震動する。《海中占》に曰く:客星が出入して牽牛に留まれば、馬の値が上がり、平時の三倍に達する。
客星が須女を犯す 其の三
陳卓曰:“客星干犯須女,鄰國有以奇女來進侍者;妾近為後。”石氏曰:“客星入須女,諸侯有進女侍者。”陳卓曰:“客星入須女,麻貴;諸侯有兵,江淮道路不通。”郗萌曰:“客星入須女,留不去,天下諸侯王有不通者;一曰:父子不通。”《荊州占》曰:“客星入須女,有嫁女娶婦事多;絲帛絮貴。”
陳卓に曰く:客星が「須女」宿に侵り迫る――須女はまた婺女ともいい、北方玄武七宿の第三宿で、四星からなり、布帛の裁製と嫁娶の事を司る――隣国が秀でた女子を送り入れて宮中に侍させる。寵愛される姫妾は皇后に進位する。石氏に曰く:客星が須女に入れば、諸侯の中に女子を進献して役使に供する者がある。陳卓に曰く:客星が須女に入れば、麻の値が上がる。諸侯の間に兵事があり、江淮の一帯の道路は阻まれて通じない。郗萌に曰く:客星が須女に入り、留まって去らなければ、天下の諸侯王の中に朝廷と往来を断つ者がある。一説に父子の間が隔たって通じない。《荊州占》に曰く:客星が須女に入れば、娘を嫁がせ嫁を娶る慶事が多い。糸・帛・綿絮の値が上がる。
《帝覽嬉》曰:“客星出須女,宮人有謀,女王憂,兵起宮門;若貴人有死,期一年,遠二年。”石氏曰:“客星出須女,有嫁女事;黃白,吉;青黑,凶;赤,憂。”郗萌曰:“客星暴出須女,女主戮罪;期一年。”又:“客星舍須女,留不去,有奇令。”《百二十占》云:“他星出須女,御女有出者。”
《河図帝覧嬉》に曰く:客星が須女から抜け出れば、宮人に密かな企てがあり、女君主はこれに憂え、宮門のところに兵変が起こる。あるいは顕貴の人に死亡があって、一年の内に応験し、遠くとも二年。石氏に曰く:客星が須女から抜け出れば、娘を嫁がせる慶事がある。客星が黄白色なら吉、青黒色なら凶、赤色なら憂患の兆し。郗萌に曰く:客星が突然須女から出れば、女主人は罪によって誅戮され、一年の内に応験する。また曰く:客星が須女に宿り、滞留して去らなければ、朝廷は尋常ならざる詔令を下す。《百二十占》に曰く:別の異星が須女から抜け出れば、天子のそばに侍御する女官の中に宮外に放たれる者がある。
《黃帝》曰:“赤星守須女,女子之喪。”《孝經內記》曰:“客星守須女,有奇女降,絲絮布帛貴。”甘氏曰:“赤星守須女,人民為亂。”甘氏曰:“客星守須女南,有獻女;賤女暴貴。”郗萌曰:“客星守須女,女子亂其國,亡其政。赤星守須女,有急兵,食貴,人自賣者;一雲女妾為妻。”陳卓曰:“客星守須女,糴貴。”《北官侯》曰:“青星入須女,多以兵事死者。”《百二十占》云:“他星入須女,守之,天下有內美女者。”《荊州占》曰:“有黑星出須女,有喪。”
《黄帝占》に曰く:赤色の客星が須女に留まれば、女子の喪事がある。《孝経内記》に曰く:客星が須女に留まれば、秀でた女子が人世に生まれ降り、糸・綿・布・帛の値が上がる。甘氏に曰く:赤色の客星が須女に留まれば、人民が乱を起こす。甘氏はまた曰く:客星が須女の南に留まれば、女子を進献する者がある。身分の低い女子が忽然として貴ばれる。郗萌に曰く:客星が須女に留まれば、女子がその邦国を掻き乱し、その政権を亡ぼす。赤色の客星が須女に留まれば、緊急の戦事があり、食糧が高騰し、身を売って活を求める者が出る。一説に姫妾が嫡妻に扶正される。陳卓に曰く:客星が須女に留まれば、糧価が上がる。《北官侯》に曰く:青色の客星が須女に入れば、兵禍で死ぬ者が多い。《百二十占》に曰く:別の異星が須女に入って留まり去らなければ、天下に宮中へ美女を進献する者がある。《荊州占》に曰く:黒色の客星が須女から抜け出れば、喪事がある。
客星が虚宿を犯す 其の四
郗萌曰:“客星干犯虛中,哭泣之事;有井田之法,改制之事。”《黃帝占》曰:“客星入虛,有軍在外大飢,將離散,卒死亡,天下有大令。”石氏曰:“客星虛中,主出將;有二客星,天下無處主。客星入虛中,色赤,有遊客入國;色黃白,吉;色青黑,有凶事。”
郗萌に曰く:客星が「虚」宿の中に侵り迫る――虚宿は北方玄武七宿の第四宿で、二星からなり、哭泣・葬喪を司り、また墳墓・廟堂を司る――哭泣して葬を営む事がある。また井田の類の田制を推行し、制度を更改する動きが現れる。《黄帝占》に曰く:客星が虚宿に入れば、外で戦う軍隊が大飢饉に遭い、将は離散し、士卒は死亡し、天下に重大な号令が下される。石氏に曰く:客星が虚宿の中に居れば、君王が将を遣わして出征する兆し。もし同時に二つの客星が現れれば、天下に身を安んじ立命する君主がなくなる。客星が虚宿の中に入り、色が赤ければ、遊歴する賓客が国境に入る。色が黄白なら吉象。色が青黒なら凶事がある。
郗萌曰:“客星入虛,種貴,糴大貴;又曰天府有德令,期十一月。客星入虛中,三日環之,有赦;期七十日。客星入虛,大人當之。客星入虛、危;色赤,有贄客來者;色白,有無幣客來者;赤星入虛,糴貴,人有自賣者。”《荊州占》曰:“客星入虛,天下大亂,政急,大人憂,其國飢。”
郗萌に曰く:客星が虚宿に入れば、種子の値が上がり、糧価が大いに上がる。また曰く府庫を掌る「天府」星に寛厚な政令が下され、十一ヶ月の内に応験する。客星が虚宿の中に入り、三日間巡り廻れば、大赦があり、七十日の内に応験する。客星が虚宿に入れば、尊貴に位する大人物がこの象を承当する。客星が虚宿・危宿に入り、色が赤ければ、見舞いの贈り物を携えた賓客が来る。色が白ければ、贈り物を持たない賓客が来る。赤色の客星が虚宿に入れば、糧価が上がり、身を売って活を求める者が出る。《荊州占》に曰く:客星が虚宿に入れば、天下は大いに乱れ、政令は苛急となり、上に位する者は憂え、その邦国は飢饉に襲われる。
《百二十占》曰:“他星入虛、危;青若黑,有以喪事使者。”石氏曰:“有星入虛、危,色青黑,有哭泣之事。客星出虛,大臣為亂,兵大起,國有喪,天下有哭泣之事,期三年。”(案司馬彪《天文志》曰:孝安末初三年十一月甲午,客星見西方,色蒼白,在虛危南至胃昴,至建光元年三月癸己,鄧太后崩。)
《百二十占》に曰く:別の異星が虚宿・危宿に入り、色が青または黒なら、喪事によって遣わされる使者がある。石氏に曰く:異星が虚宿・危宿に入り、色が青黒なら、哭泣して葬を営む事がある。客星が虚宿から抜け出れば、大臣が乱を起こし、大挙して兵が興り、国に喪があり、天下に哭泣の事があって、三年の内に応験する。(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》を案ずるに、漢の安帝・末初三年――「末初」は「元初」の誤りであろう――十一月甲午の日、客星が西方に現れ、色は青白く、虚宿・危宿の南から胃宿・昴宿にまで延びた。建光元年三月癸巳の日に至り、鄧太后が崩じた。)
郗萌曰:“客星入虛,君使人之諸侯。赤,無幣,青黑,有告喪者。客星出入虛,天子自將兵於野。客星舍天府,天下有急行,期十月。”石氏曰:“夏三月,視虛中,有奇星一在虛,邦不居其處;有奇星二,將死;有奇星三,相死;有奇星四,將軍敗;有奇星五,大凶。”
郗萌に曰く:客星が虚宿に入れば、君主は人を遣わして諸侯の国へ使いする。客星が赤色なら、使者は贈り物を携えない。青黒色なら、喪を告げに来る者がある。客星が虚宿に出入すれば、天子は自ら兵を率いて野に戦う。客星が「天府」星に宿れば、天下に緊急の行動があり、十ヶ月の内に応験する。石氏に曰く:夏の三ヶ月に虚宿の中を観察し、もし異星が一つ虚宿にあれば、邦国はその地に安んじて居ることができない。異星が二つあれば、将が死ぬ。三つあれば、宰相が死ぬ。四つあれば、将軍が敗れる。五つあれば、大凶の象である。
司馬彪《天文志》曰:“客星在虛危,為喪。”《孝經章句》曰:“客星守虛,臣亂其上而不知;又曰:國君死,或有德令。”甘氏曰:“客星守,其國兵。”《玉曆》曰:“客星守虛,三十日不去,其國君死;若大臣有戮,兵喪並起,期百八十日,遠一年。”《百二十占》曰:“他星守虛,有謀。”
司馬彪《続漢書・天文志》に曰く:客星が虚宿・危宿に現れるのは、喪事の兆しである。《孝経章句》に曰く:客星が虚宿に留まれば、臣下は君上を乱して、君上はいまだ覚えない。また曰く国君が死ぬか、あるいは寛厚な政令がある。甘氏に曰く:客星が留まって去らなければ、その邦国に兵事がある。《玉歴》に曰く:客星が虚宿に留まり三十日去らなければ、その邦国の君主は死ぬ。あるいは大臣が誅戮され、兵禍と喪事がともに起こり、百八十日の内に応験し、遠くとも一年。《百二十占》に曰く:別の異星が虚宿に留まれば、陰謀がある。
石氏曰:“客星出虛而守之,其國君死;若大臣有戮,期百八十日,遠一年。”巫咸曰:“客星犯守虛,近一年,遠二年;當有哭泣之事。”郗萌曰:“國有哭臨之事。”陳卓曰:“客星犯守虛,天下有謀。”
石氏に曰く:客星が虚宿から抜け出た後またそこに留まれば、その邦国の君主は死ぬ。あるいは大臣が誅戮され、百八十日の内に応験し、遠くとも一年。巫咸に曰く:客星が虚宿を侵犯して留まれば、近くは一年、遠くは二年の内に応験し、まさに哭泣して葬を営む事があるべし。郗萌に曰く:国中に集まって哀を挙げ哭臨する事がある。陳卓に曰く:客星が虚宿を侵犯して留まれば、天下に不轨を企てる者がある。
客星が危宿を犯す 其の五
郗萌曰:“客星犯危,國有哭泣之事。”(案《宋書天文志》曰:魏明帝景初二年十月癸己。客星見危。逆行在離宮北,卷蛇南,三年正月,明帝崩。)一曰:多雨水,五穀不收,人相食於道。”《荊州占》曰:“客星入危,有土功,王者築宮室;不出一年,大水;不出三年,大飢,萬人無食。”
郗萌に曰く:客星が「危」宿を犯す――危宿は北方玄武七宿の第五宿で、三星からなり、房屋の営造を司り、また墳墓・葬喪を司る――国中に哭泣して葬を営む事がある。(原書の小注:《宋書・天文志》を案ずるに、魏の明帝・景初二年十月癸巳の日、客星が危宿に現れ、離宮の北、卷蛇の南を逆行した。景初三年正月に至り、明帝が崩じた。)一説に客星が危を犯すのは雨水が多すぎる兆しで、五穀は収穫されず、人は飢えて路上で互いに食い合う。《荊州占》に曰く:客星が危宿に入れば、土木工程があり、君王は宮室を大いに築く。一年を出ずに大水があり、三年を出ずに大飢饉となり、万人が食うものがない。
《百二十占》曰:“他星入危,有蓋屋之事;色赤,大變;青,憂。”甘氏曰:“客星出危,大臣被刑,法官有憂,國多水災,有土功,王者築宮室;期不出年。”甘氏曰:“赤星出危,以火廢國。”郗萌曰:“客星出危中,大水,一曰大飢。”甘氏曰:“客星出危,王者遷都,其國更立侯王。”
《百二十占》に曰く:別の異星が危宿に入れば、屋宇を営造する事がある。異星の色が赤ければ、大きな変故の兆し。色が青ければ、憂患の兆し。甘氏に曰く:客星が危宿から抜け出れば、大臣は刑罰を被り、法を掌る官に憂患があり、国中に水害が多く発し、また土木を興して君王は宮室を営建し、応験は一年を出ない。甘氏はまた曰く:赤色の客星が危宿から抜け出れば、火災によって邦国が敗亡する。郗萌に曰く:客星が危宿の中から抜け出れば、大水の兆し、一説に大飢饉。甘氏に曰く:客星が危宿から抜け出れば、君王は都城を移し、その邦国は侯王を立て替える。
郗萌曰:“客星守危,天下必有易政更令。客星守危,人主失勢奪土,強臣專國,命在臺族;又曰:具有大風,有所危敗;又曰:不出三年,王者蓋屋治宮,天下匠工起,多土功;又曰:人流亡。”郗萌曰:“客星守危,國政危。”巫咸曰:“客星入守危,糴大貴,不出三年。”
郗萌に曰く:客星が危宿に留まれば、天下は必ず政権を易え法令を更める。客星が危宿に留まれば、君主は権勢を失い土地を奪われ、強横な臣子が国政を独り占めし、国運の命脈は権貴の世族の手に落ちる。また曰く大風が起こり、危害と損壊をもたらす。また曰く三年を出ずに、君王は屋宇を大いに蓋い宮殿を修治し、天下の工匠は皆征発され、土木工程が繁重となる。また曰く人民は流亡する。郗萌はまた曰く:客星が危宿に留まれば、国の政局は岌として危ない。巫咸に曰く:客星が危宿に入って留まれば、糧価が大いに上がり、三年を出ずに応験する。
《荊州占》曰:“客星守危,若彗星干之,王侯有死者;王改服,不出百八十日。”(《黃帝占》曰:以日入命其國。)《黃帝占》曰:“客星入守危;若出危,大飢,人食貴,為後年。”郗萌曰:“客星守墳墓,人主有哭泣之聲。”
《荊州占》に曰く:客星が危宿に留まり、あるいは彗星が危宿に侵り迫れば、王侯の中に死亡する者がある。君王はこれのために喪服に改め、百八十日を出ずに応験する。(原書の小注:《黄帝占》に曰く、客星の現れた日の日辰によってどの邦国に応じるかを判定する。)《黄帝占》に曰く:客星が危宿に入って留まり、あるいは危宿から抜け出れば、大飢饉となり、食糧は高騰し、翌年に応じる。郗萌に曰く:客星が「墳墓」星に留まれば、君主の家に哭泣の声が伝わる。
客星が営室を犯す 其の六
郗萌曰:“客星犯營室,國且有宗廟哭泣事。”《黃帝占》曰:“奇星入營室中者,天子有憂。”《河圖》曰:“客星入營室;順行,有德;逆行,凶。”《聖洽符》曰:“黑星起廟南,入廟北,女主有死者;死者,廢廟之事。若出廟以北行中,人有鳩死者;或曰廟祭之事。黑星出月入廟,人主有藥死,不然有藥人主者。”
郗萌に曰く:客星が「営室」宿を犯す――営室はすなわち室宿で、北方玄武七宿の第六宿、二星からなり、宮室と宗廟の営建を司る――国中に宗廟で哭泣して葬を営む事がある。《黄帝占》に曰く:奇異の星が営室の中に入れば、天子に憂患がある。《河図》に曰く:客星が営室に入り、順行すれば徳政の兆し、逆行すれば凶。《聖洽符》に曰く:黒色の客星が「廟」星の南から起こり、廟星の北に入れば、女主人の中に死ぬ者がある。その死は宗廟を廃する類の禍事に属する。もし廟星から抜け出て北の方へその中を行けば、人に鴆毒で殺される者がある。あるいは宗廟の祭祀に関する事という。黒色の客星が月の中から出て廟星に入れば、君主は薬を服して死ぬか、さもなくば人が毒薬をもって君主を害する。
巫咸曰:“客星入營室,天下有兵;又曰:人民流食千里。”《海中占》曰:“客星入營室,有軍,軍中大飢,將離散,士卒死亡。”郗萌曰:“客星入營室,外夷兵起,貸倉,多飢死者。客星入營室,邊外起兵,此為外夷之事。客星入營室,國亂,去其主。奇星入營室,不盜即賊,大亂。又曰:無兵兵起,有兵兵罷;星大,軍皆大;星小,軍皆小。黑星起廟北;而南入;女主惡之。客星從東壁入西壁,廟若城郭有起者。赤星入廟,人臣謀主。”
巫咸に曰く:客星が営室に入れば、天下に兵事がある。また曰く人民は千里の外に流れて食を求める。《海中占》に曰く:客星が営室に入れば、軍が出動し、軍中に大飢饉が起こり、将は離散し、士卒は死亡する。郗萌に曰く:客星が営室に入れば、外族が兵を興し、官府は倉を開いて貸し出し、飢え死ぬ者が多い。客星が営室に入れば、辺境の外で兵が起こる。これは外族方面の事である。客星が営室に入れば、国は大いに乱れ、民はその君主を離れ去る。奇異の星が営室に入れば、盗みでなければ劫掠で、大いに乱れる。また曰く:もともと兵事のなければ兵が起こり、もともと兵事のあれば兵が罢む。星が大きければ軍も大きく、星が小さければ軍も小さい。黒色の客星が廟星の北から起こり、転じて南へ行き入れば、女主人はこれを不祥とする。客星が東壁から西壁へ穿ち入れば、宗廟あるいは城郭に営建がある。赤色の客星が廟星に入れば、人臣が主を謀る。
《荊州占》曰:“他星入營室,諸侯有來使者;出營室,君使人之諸侯;色赤,皆言兵;白,皆言義;黃,皆言土;青,皆有憂;黑,皆凶。”又:“奇星入營室,有陰雨,垣牆無立者。”又:“黑星出入廟,廟上有死者,不死者見血。起廟北而南入,女主有死者,有廟廢之事。”
《荊州占》に曰く:別の異星が営室に入れば、諸侯が使者を遣わして来る。営室から抜け出れば、君主が人を遣わして諸侯の国へ使いする。異星が赤色なら、報じるのは皆兵事。白色なら皆義挙。黄色なら皆土木の事。青色なら皆憂患。黒色なら皆凶事である。また曰く:奇異の星が営室に入れば、連綿たる陰雨があり、垣牆は泡れ崩れて一堵も立っているものがない。また曰く:黒色の客星が廟星に出入すれば、宗廟で人の死ぬ者があり、死ななくても血を見る。廟星の北から起こって南へ行き入れば、女主人の中に死ぬ者があり、宗廟の廃される事がある。
《聖洽符》曰:“白星出廟正南,廷有兵;或曰赤亦然。客星出營室,國有土功,人大飢,大臣為亂,兵大起,士卒亡。”(齊伯曰:期一年,不二年。)《春秋緯》曰:“星赤黃,出營室中,名曰怪獲;主奇去其國,貴人有死者;上旬見,其年髮半白,來月上旬死;中旬見,其年鬢白,來月中旬死,偏任後,雄烈之毒也;下旬見,其年盛壯,來月下旬死,將用事,毒害流。”
《聖洽符》に曰く:白色の客星が廟星の正南に現れれば、朝廷の中に兵変がある。あるいは赤色も同様という。客星が営室から抜け出れば、国中に土木が大いに興り、人民は大いに飢え、大臣が乱を起こし、大挙して兵が興り、士卒は亡ぶ。(原書の小注:斉伯に曰く、一年の内に応験し、二年には延びない。)《春秋緯》に曰く:赤黄色の星が営室の中に現れるのを「怪獲」と名づけ、奇異の士が本国を去り、顕貴の人に死ぬ者がある兆し。上旬に現れれば、髪の半分白くなった類の人に応じ、来月の上旬に死ぬ。中旬に現れれば、鬢の斑白の類の人に応じ、来月の中旬に死ぬ。これは後宮を偏愛し、雄猛暴烈の気の釀し出した毒害である。下旬に現れれば、ちょうど壮年の類の人に応じ、来月の下旬に死ぬ。これは権臣がまさに政を当たり、毒害が流布する徴象である。
郗萌曰:“客星出西壁,若東壁;城郭有壞者。赤星出廟上,正南抵庭,有兵作,廟上有兵。白星出廟以北,中人有受賜者。”《黃帝》曰:“赤星從東壁之西壁,臣有戮其主。”《聖洽符》曰:“赤星在營室,有死者;不死者見血。”郗萌曰:“客星舍營室,其國且作宗廟,多土功事;留不去,匈奴有兵來。”
郗萌に曰く:客星が西壁あるいは東壁から抜け出れば、城郭に崩壊するものがある。赤色の客星が廟星の上に現れ、正南に向かって庭星に抵れば、兵事が発作し、宗廟の上にも刀兵がある。白色の客星が廟星の北に現れれば、宮中の近侍に賞賜を受ける者がある。《黄帝占》に曰く:赤色の客星が東壁から西壁へ移れば、臣下の中に自分の君主を誅殺する者がある。《聖洽符》に曰く:赤色の客星が営室に留まれば、人の死ぬ者があり、死ななくても血を見る。郗萌に曰く:客星が営室に宿れば、その邦国は宗廟を修建し、土木の事が多い。もし滞留して去らなければ、匈奴が兵を発して来る。
石氏曰:“客星守離宮,兵起,人君有憂;一曰有急。”甘氏曰:“客星守營室;有軍者,客降,主得人地。”郗萌曰:“客星守營室,亂出其城郭之事,有奇星守東壁,天子為軍自守;一曰:天下搖動,在西方。”《黃帝》曰:“客星入若守東壁,諸侯相謀。”郗萌曰:“客星入若守東壁,天下且有大喪,白衣滿野。”
石氏に曰く:客星が「離宮」星に留まれば、戦事が起こり、君主に憂患がある。一説に緊急の事故がある。甘氏に曰く:客星が営室に留まれば、交戦中の両方で、客軍の側が降伏し、主軍の側が人口と土地を得る。郗萌に曰く:客星が営室に留まれば、城郭を壊す乱事が起こる。もし奇異の星が東壁に留まれば、天子は軍をもって自ら守る。一説に天下が動揺して安らかでなく、事は西方に応じる。《黄帝占》に曰く:客星が東壁に入りあるいは留まれば、諸侯同士が互いに謀る。郗萌に曰く:客星が東壁に入りあるいは留まれば、天下に大喪があり、白衣の人が野に満ちる。
開元占経 巻八十
客星占 其の四
西方七宿を犯す
客星が奎宿を犯す 其の一
石氏曰:“客星犯奎,國有溝瀆之事。”《黃帝占》曰:“客星犯入奎,破軍殺將。”《甄曜度》曰:“客星亂芒而角,入奎;有破軍殺將,王者有憂,人主當之,期三年。”石氏曰:“客皇入奎,外夷起兵,麻貴。”甘氏曰:“客星入奎,強國奪地,變爭兵起,白衣自立,擾中國。”
石氏に曰く:客星が「奎」宿を犯す――奎宿は西方白虎七宿の第一宿で、十六星からなり、溝渠・水道を司り、あわせて武庫・兵事を司り、分野は魯の地に対応する――国中に溝渠・水道を開鑿する工役がある。《黄帝占》に曰く:客星が奎宿に侵犯し入れば、軍隊は敗れ、将は殺される。《甄曜度》に曰く:客星の芒が乱れて角を帯び、奎宿に入れば、軍の敗れ将の殺される事があり、君王に憂患があり、君主自身がこの象を承当し、三年の内に応験する。石氏に曰く:客星(原書は「客皇」と作る)が奎宿に入れば、外族が兵を興し、麻の値が上がる。甘氏に曰く:客星が奎宿に入れば、強国が土地を侵奪し、変故・争闘と兵禍がともに起こり、平民百姓の中に兵を擁して自立する者が出て、中原を攪擾する。
郗萌曰:“客星入奎,刀劍布帛貴。赤星入奎,兵起,期十年;一曰,出奎,國兵出;一曰數入奎,國兵聚。客星入奎西,夷有兵來,到而還。客星入奎,諸山水澮。”荊州曰:“客星入奎、邊兵大動,土功大起。”陳卓曰:“客星入奎,武庫之臣且有罪。”《西官候》曰:“客星入奎;赤,邊兵大動;黑,天下溝渠之事;黃,土功大起。”
郗萌に曰く:客星が奎宿に入れば、刀剣と布帛の値が上がる。赤色の客星が奎宿に入れば、戦事が起こり、十年の内に応験する。一説に客星が奎宿から抜け出れば、国中の軍隊が出発する。一説に客星がたびたび奎宿に入れば、国中の軍隊が集結する。客星が奎宿の西部に入れば、外族の軍が押し寄せ、辺境に至ってまた引き返す。客星が奎宿に入れば、各所の山間に洪水が溝壑を抉り出す。《荊州占》に曰く:客星が奎宿に入れば、辺境の軍隊が大いに動き、土木工程が大いに興る。陳卓に曰く:客星が奎宿に入れば、武庫を掌る臣がまさに罪を得る。《西官候》に曰く:客星が奎宿に入り、色が赤ければ辺兵が大いに動く。黒ければ天下に溝渠を開く事がある。黄なら土木工程が大いに興る。
石氏曰:“有星入奎,有無所受命而來使者。”《荊州占》曰:“有星入奎,有陂瀆之事於國中;出奎,有劍瀆之事於國外。黃星入奎,宮有土功事,宮中有變。”《西官候》曰:“赤星入奎,兵聚,有敗軍。”巫咸曰:“客星出奎,邊兵大起,白衣立為王,刀劍大出。出奎,國兵出;入奎,國兵聚。”
石氏に曰く:異星が奎宿に入れば、命を受けずに勝手に来た使者が現れる。《荊州占》に曰く:異星が奎宿に入れば、国中に陂塘を築き溝渠を開く工役がある。異星が奎宿から抜け出れば、国外に刀兵と溝瀆の事がある。黄色の客星が奎宿に入れば、宮中に土木工程が起こり、宮廷の内に変故がある。《西官候》に曰く:赤色の客星が奎宿に入れば、軍隊が集結し、敗戦を喫する。巫咸に曰く:客星が奎宿から抜け出れば、辺境で大いに兵が興り、平民が擁立されて王となり、刀剣が大量に鞘を脱する。客星が奎宿から抜け出れば、国中の軍隊が出発する。奎宿に入れば、国中の軍隊が集結する。
《荊州》曰:“星赤黑,出奎,有敗軍。”《西官候》曰:“赤星出奎,外夷動兵。”石氏曰:“有星出奎,有無受命,矯使者。”巫咸曰:“赤星逆行,從婁至奎,有兵。”郗萌曰:“客星舍奎,留不去,飢;一曰:繒帛貴。”《黃帝占》曰:“赤星守奎,糴賤。”
《荊州占》に曰く:客星の色が赤黒く、奎宿から抜け出れば、敗戦を喫する。《西官候》に曰く:赤色の客星が奎宿から抜け出れば、外族が兵馬を動かす。石氏に曰く:異星が奎宿から抜け出れば、君命を受けず王命を假托した使者が現れる。巫咸に曰く:赤色の客星が逆行して婁宿から奎宿に至れば、兵事がある。郗萌に曰く:客星が奎宿に宿り、滞留して去らなければ、飢饉の兆し。一説に繒帛の値が上がる。《黄帝占》に曰く:赤色の客星が奎宿に留まれば、糧価が下がる。
郗萌曰:“客星守奎,糴賤,賊臣在側,其事敗;又曰:謀臣有巧偽惑天子者:一曰:國以佞亡。”又:“客星守奎,天下修兵,臣有國者。客星守奎,有殺霜不時下者;一曰:牛疾疫;一曰六畜貴。”《荊州占》曰:“客星守奎,王者憂,大人當之;又曰:魯國起兵。”《玄冥占》曰:“客星守奎,強國爭起兵,有白衣自立動國。”
郗萌に曰く:客星が奎宿に留まれば、糧価は下がるが、乱を起こす臣子が君主のそばにいて、その企てはついに露見する。また曰く謀臣の中に巧詐虚偽をもって天子を惑わす者がある。一説に邦国は佞人を信じたために亡びる。郗萌はまた曰く:客星が奎宿に留まれば、天下は兵備を整え、臣子の中に地に拠って一国を擅りにする者がある。客星が奎宿に留まれば、時に合わない粛殺の霜が降りる。一説に牛が疫病に罹る。一説に六畜の値が上がる。《荊州占》に曰く:客星が奎宿に留まれば、君王は憂え、上に位する大人物がこの象を承当する。また曰く魯の地で兵が起こる。《玄冥占》に曰く:客星が奎宿に留まれば、強国が争って兵を興し、平民が兵を擁して自立して邦国を動かす。
客星が婁宿を犯す 其の二
石氏曰:“客星干犯婁,國有大兵,四時紀祠;婁主苑牧,給享祠天;以奉宗考,王者以承天,諸占遠不出三年。”《黃帝占》曰:“客星入婁,糴大貴,在後年。”石氏曰:“客星入婁,外夷兵起,有聚眾之事。”郗萌曰:“客星入婁中,三日環之,天下有赦,贖作,期七十日。赤星入婁,兵起,期十年。”
石氏に曰く:客星が「婁」宿に侵り迫る――婁宿は西方白虎七宿の第二宿で、三星からなる――国中に大きな戦事があり、四季に時を按じて祭祀を行う。婁宿は苑囿・牧養を主管し、祭天に用いる牲牢を供給し、もって祖先を奉祀し、君王はこれによって天を承く。以上の各条の占辞は、遠くとも三年を出ずに応験する。《黄帝占》に曰く:客星が婁宿に入れば、糧価が大いに上がり、翌年に応じる。石氏に曰く:客星が婁宿に入れば、外族が兵を興し、人衆を聚集する事がある。郗萌に曰く:客星が婁宿の中に入り、三日間巡り廻れば、天下に大赦があり、資を出して罪を贖いあるいは労役をもって罪に抵えることを許し、七十日の内に応験する。赤色の客星が婁宿に入れば、戦事が起こり、十年の内に応験する。
《荊州》曰:“客星入婁,旱千里,有火災,其國燔燒,金銀用,倉庫虛,天下人民多疾病。”《百二十占》:“他星入婁,有聚眾於國內。”石氏曰:“客星出於婁,邊城和。”《荊州占》曰:“客星出婁,有罷眾之令。”《西官候》曰:“有星出婁,有白服眾事。”《百二十占》曰:“他星出婁,有罷眾於國外。”
《荊州占》に曰く:客星が婁宿に入れば、千里の地が旱に遭い、また火災があり、その邦国は焼かれ、金銀は大量に耗用され、倉庫は空虚となり、天下の人民は疾病に罹る者が多い。《百二十占》に曰く:別の異星が婁宿に入れば、国内に人衆を聚集する事がある。石氏に曰く:客星が婁宿から抜け出れば、辺境の城邑は安和する。《荊州占》に曰く:客星が婁宿から抜け出れば、衆を罷め散らす詔令がある。《西官候》に曰く:異星が婁宿から抜け出れば、衆が素服を着る葬喪の事がある。《百二十占》に曰く:別の異星が婁宿から抜け出れば、国外に人衆を罷め散らす事がある。
石氏曰:“客星守婁,人民亂;一曰:有聚眾之事。”郗萌曰:“客星守婁,天下大虛,臣有惑天子,奪主之權者;歲多獄訟,布帛貴;又曰:有縱諸侯來附其君,不成:一曰:多獄訟。又曰:客星入,若守婁,其國且燔燒囷倉。”《海中占》:“客星出婁而守之,天下欲有分奪國者;一曰:欲奪王國邊境侵地,期一年,遠二年。”郗萌曰:“客星守犯婁,天下欲分社稷者;白衣自立者,牛馬貴;一曰:有白衣之聚。”
石氏に曰く:客星が婁宿に留まれば、人民が乱を起こす。一説に人衆を聚集する事がある。郗萌に曰く:客星が婁宿に留まれば、天下は大いに空虚となり、臣子の中に天子を惑わし君主の大権を奪う者がある。この年、官司・訴訟が多く、布帛の値が上がる。また曰く諸侯を縦してその君主に帰附させるもついに成らない事がある。一説に訴訟の繁多を主る。また曰く:客星が婁宿に入りあるいは留まれば、その邦国の円囷・方倉は焚毀される。《海中占》に曰く:客星が婁宿から抜け出てまたそこに留まれば、天下に邦国を分裂・奪取しようとする者がある。一説に王国の辺境を奪い土地を侵そうとする者があり、一年の内に応験し、遠くとも二年。郗萌に曰く:客星が婁宿に留まり侵犯すれば、天下に社稷を瓜分しようとする者がある。平民が兵を擁して自立する者が出て、牛馬の値が上がる。一説に平民百姓の衆を聚める事がある。
客星が胃宿を犯す 其の三
石氏曰:“客星干犯胃,五穀不成,倉庫空虛。”《海中占》:“客星犯胃,有軍發之事。”陳卓曰:“客星犯胃,倉粟用。”石氏曰:“有星入胃,有葆食之事入;出胃,葆食之事出者;又曰:客星入胃,王者有倉之事;其有出胃,中有出穀粟事。”
石氏に曰く:客星が「胃」宿に侵り迫る――胃宿は西方白虎七宿の第三宿で、三星からなり、倉廩の積貯を司り、天上の糧倉である――五穀は実らず、倉庫は空虚となる。《海中占》に曰く:客星が胃宿を犯せば、兵を発して出征する事がある。陳卓に曰く:客星が胃宿を犯せば、倉中の粟米が動用される。石氏に曰く:異星が胃宿に入れば、糧を貯めて庫に入れる事がある。異星が胃宿から抜け出れば、貯えた糧を庫から出す事がある。また曰く:客星が胃宿に入れば、君王に糧倉を整治する挙がある。客星が胃宿から抜け出れば、穀粟を放ち出す挙がある。
郗萌曰:“客星入胃中,三日一環之,期七十日,赦。又曰:五穀大貴,天下無聚物。”《荊州》曰:“有星入胃,王者有廩倉之事。”《百二十占》曰:“客星入胃,飲食之事入;出之,飲食之事出。”《黃帝》曰:“客星出胃入廂,人主食藥死。一曰:有藥人主者。”《荊州》曰:“客星出胃,有出穀粟事。”
郗萌に曰く:客星が胃宿の中に入り、三日で一周廻れば、七十日の内に応験して大赦がある。また曰く五穀の値が大いに上がり、天下に蓄え聚めるべき物資がない。《荊州占》に曰く:異星が胃宿に入れば、君王に倉廩を整治する挙がある。《百二十占》に曰く:客星が胃宿に入れば、飲食の物の入庫を主る。胃宿から抜け出れば、飲食の物の出庫を主る。《黄帝占》に曰く:客星が胃宿から抜け出て傍らの廪廂に入れば、君主は薬を服して死ぬ。一説に人が毒薬をもって君主を害する。《荊州占》に曰く:客星が胃宿から抜け出れば、穀粟を放ち出す事がある。
《玄冥占》曰:“客星出胃,王者備四夷;強臣陵國,有大兵,天下發粟金銅之事,期百八十日,遠年。”《孝經章句》:“赤星守胃,國無事。”甘氏曰:“客星守胃,強臣陵國。”郗萌曰:“客星守胃,留不去,天下飢。”《荊州》曰:“客星守胃,天下有發粟事,金銅貴。”郗萌曰:“有星入,若守胃,有奇令。”又曰:“客星垂滅若守胃,國官之倉有兵,焚燒其倉。”
《玄冥占》に曰く:客星が胃宿から抜け出れば、君王は四方の外族に備える。強横な臣子が国を陵駕し、大規模な戦事があり、天下に粟米を発放し金銅を徴調する挙があり、百八十日の内に応験し、遠くとも一年。《孝経章句》に曰く:赤色の客星が胃宿に留まれば、国は平安で事がない。甘氏に曰く:客星が胃宿に留まれば、強横な臣子が国を陵駕する。郗萌に曰く:客星が胃宿に留まり、滞留して去らなければ、天下は飢饉となる。《荊州占》に曰く:客星が胃宿に留まれば、天下に粟米を発放する事があり、金と銅の値が上がる。郗萌に曰く:異星が胃宿に入りあるいは留まれば、尋常ならざる政令がある。また曰く:客星がまさに熄えようとする時に胃宿に留まれば、国の官倉のあるところに刀兵があり、倉廩が焚き毀される。
客星が昴宿を犯す 其の四
《黃帝占》曰:“客星入天獄中二月,天下有赦,期五月。”石氏曰:“客星入昴,有白衣之會於國內。又曰:貴人有繫囚者;昴濁之間,天街也;若客星守之,天下有謀慮。”郗萌曰:“客星入昴,天下且有大喪;又曰:眾獄,且妄殺不辜,以誤主上。客星入昴畢間,諸侯有謀上者;又曰:留三日,赦;不留,有憂。客星從昴陽入,有客。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天獄」星の中に入ること二ヶ月に達すれば、天下に大赦があり、五ヶ月の内に応験する。石氏に曰く:客星が「昴」宿に入る――昴宿は西方白虎七宿の第四宿で、今人のいう昴星団に当たり、牢獄・刑罰を司り、また西方の外族を司る――国内に素服を着る喪の会がある。また曰く:顕貴の人に拘繫され獄に入れられる者がある。昴宿と「濁」(畢宿のそばの附星)の間がすなわち「天街」であり、もし客星がそこに留まれば、天下に密かに謀りごとをする者がある。郗萌に曰く:客星が昴宿に入れば、天下に大喪がある。また曰く牢獄は人で満ち、しかも罪なき人を妄りに殺して、もって君上を誤らせる。客星が昴宿と畢宿の間に入れば、諸侯の中に君上を謀る者がある。また曰く客星が三日留まれば大赦があり、留まらなければ憂患がある。客星が昴宿の南面の陽位から入れば、賓客が来る。
《荊州》曰:“客星入天獄中,有德令;水帛出,民去本土,就丘邑。”《西官候》曰:“客星暴,出胃入昴,中國大人暴死,期一年。”《百二十占》曰:“他星入昴,貴人有德令;若出昴;兵眾滿野。”司馬彪《天文志》曰:“孝明永平十四年正月戊子,客星出昴六十日;昴主邊兵,後漢遣奉車都尉顯親侯竇固等,將兵三千餘人擊匈奴。”
《荊州占》に曰く:客星が天獄星の中に入れば、寛厚な政令がある。大水が泛濫して官府は布帛を放って賑済し、民は本土を去り、地勢の高い丘邑に移る。《西官候》に曰く:客星が突然現れ、胃宿から出て昴宿に入れば、中原の地位尊貴の人が暴亡し、一年の内に応験する。《百二十占》に曰く:別の異星が昴宿に入れば、顕貴の人が寛厚な政令を下す。もし昴宿から抜け出れば、兵馬が野に満ちる。司馬彪《続漢書・天文志》に記す:漢の明帝・永平十四年正月戊子の日、客星が昴宿に現れ、六十日にわたった。昴宿は辺境の兵事を司り、のちに漢は奉車都尉・顕親侯の竇固らを遣わし、兵三千余人を率いて匈奴を撃たせた。
石氏曰:“有星出昴,兵眾滿野,非喪則會也。”郗萌曰:“客星從昴陰出,有走主。客星居昴北,有別離之國,奪地死者。客星入若留昴,王者絕嗣,同姓有起入為主者。客星舍昴不去,天下囚多,則盜賊並起;若留十餘日不去,回紇內相賊,國家兵起,回紇來降。有星入舍昴南,糴一貴一賤。”
石氏に曰く:異星が昴宿から抜け出れば、兵馬が野に満ち、喪事でなければ会盟である。郗萌に曰く:客星が昴宿の北面の陰位から出れば、逃走する君主がある。客星が昴宿の北に居れば、分崩離析する邦国があり、土地を奪われて命を落とす者が出る。客星が昴宿に入りあるいは滞留すれば、君王は後嗣を絶ち、同姓の宗室の中に起ち入って君を継ぐ者がある。客星が昴宿に宿って去らなければ、天下に囚人が多く、ここにおいて盗賊がいっせいに起こる。もし十余日滞留して去らなければ、回紇の内部が自ら相い賊し、国家は兵を興し、回紇は降伏して来る。異星が昴宿の南に入って宿れば、糧価は忽ち貴く忽ち賤い。
《聖洽符》曰:“他星守昴,漁獵起。”石氏曰:“客星守昴,萬民亂。”甘氏曰:“客星守昴,有詐稱王命者,不出百八十日。”郗萌曰:“客星守昴,讒臣有蔽主德者;又曰:有謀以藥害上者;又曰:囚徙有聚兵弩攻獄者。”《西官候》曰:“客星守昴,執法臣誅。”《客星占》曰:“客星守昴,朔地殃,天下多亂獄。”《百二十占》曰:“他星守昴,萬民憂。”
《聖洽符》に曰く:別の異星が昴宿に留まれば、漁猟の事が起こる。石氏に曰く:客星が昴宿に留まれば、万民が乱を起こす。甘氏に曰く:客星が昴宿に留まれば、王命を詐称して事を行う者があり、百八十日を出ずに応験する。郗萌に曰く:客星が昴宿に留まれば、讒を進める臣子が君主の徳を蔽う者がある。また曰く毒薬をもって君上を害しようと謀る者がある。また曰く囚徒と流刑の人の中に、兵器・弓弩を集めて牢獄を攻める者がある。《西官候》に曰く:客星が昴宿に留まれば、法令を執る臣が誅される。《客星占》に曰く:客星が昴宿に留まれば、朔北の地が殃を受け、天下に冤乱の獄案が多い。《百二十占》に曰く:別の異星が昴宿に留まれば、万民が憂える。
《文曜鉤》:“客星出昴,若犯守之,當有詐稱王令,詭命中國,若有妾言讒諛者,必有自敗。”郗萌曰:“有星入守昴,金器刀劍貴。”《荊州》曰:“客星犯守昴,讒諛賊臣在內,諸侯謀上;一曰:有白衣徙聚謀慮。”
《文曜鈎》に曰く:客星が昴宿から抜け出、あるいは侵犯して留まれば、まさに王命を詐称し、詭偽の号令をもって中原を欺く者があるべし。もし姫妾の讒を進め媚を献ずる者があれば、その人は必ず自ら敗亡する。郗萌に曰く:異星が昴宿に入って留まれば、金属の器皿と刀剣の値が上がる。《荊州占》に曰く:客星が昴宿を侵犯して留まれば、讒を進め媚を献ずる奸臣が朝廷の内におり、諸侯は君上を謀る。一説に平民が移り集まり、密かに謀りごとをする。
客星が畢宿を犯す 其の五
《黃帝占》曰:“有星入畢中而復出,其星小,小赦;星大,大赦。”《聖洽符》曰:“客星入畢,順行,有德;逆行,凶。”石氏曰:“客星入畢,人主獵;一曰:“有以獵惑人主者;一曰:兵起,邊兵大動;一曰:羊貴。”又曰:“大赤星入畢口,天下大赦;期十五日,若三十日,六十日,將相有大憂。”
《黄帝占》に曰く:異星が「畢」宿の中に入ってまた出る――畢宿は西方白虎七宿の第五宿で、八星からなり、形は狩りに用いる長柄の網に似て、田猟を司り、あわせて辺兵と雨水を司る――その星が小さければ小規模の赦免、その星が大きければ大赦である。《聖洽符》に曰く:客星が畢宿に入り、列宿の順序に順って進めば徳政の吉象、逆らって倒行すれば凶象である。石氏に曰く:客星が畢宿に入れば、君主は狩りに出る。一説に田猟をもって君主を惑わす者がある。一説に戦事が起こり、辺境の軍隊が大いに動く。一説に羊の値が上がる。石氏はまた曰く:大きく赤い客星が畢宿の網口に入れば、天下に大赦がある。十五日、あるいは三十日、六十日の内に、将相に大きな憂患がある。
郗萌曰:“客星入畢,多獄事,一曰:貴人有繫囚者。黃星入畢,三夜常見,相死;九十日,后死;百二十日,大人當之。客星入畢中二月,天下有赦除責,期五月。客星入畢口,與兩股齊者,有走主;又曰期四十日,兵發;率一日八十日,兵罷;其去也,視其東南西北所往,及其所近宿,或受兵。客星入畢中,與兩股齊,期四十日,兵發直一星,期二十日兵發;居期十日,兵發。”
郗萌に曰く:客星が畢宿に入れば、牢獄の事が多い。一説に顕貴の人に拘繫され獄に入れられる者がある。黄色の客星が畢宿に入り、三夜連ねて見えれば、宰相が死ぬ。九十日に至れば皇后が死ぬ。百二十日に至れば、上に位する大人物がこの象を承当する。客星が畢宿の中に入ること二ヶ月なら、天下に大赦があり債負を免除し、五ヶ月の内に応験する。客星が畢宿の網口に入り、網の両股と並べば、逃走する君主がある。また曰く四十日の内に兵が発し、一日を八十日に折合せば兵事は罢む。客星の去るとき、その東南西北のいずれへ往くか、およびどの宿に近づくかを視るべく、その方はあるいは兵禍を受ける。客星が畢宿の中に入り、網の両股と並べば、四十日の内に兵が発する。ちょうどその中の一星に対すれば、二十日の内に兵が発する。居て動かなければ、十日の内に兵が発する。
《荊州占》曰:“客星入畢,四夷兵起,併為盜。”《西官候》曰:“客星入畢中,率一日為十日,諸侯、女主當之,君有憂;先起兵者凶。”《百二十占》:“他星入畢,有兵革謀。”《春秋緯》曰:“赤星出濁,大卒出。”《孝經章句》曰:“客星出濁,中國人為亂,有走君;在濁傍,有讒臣在傍者;入濁,兵起。”
《荊州占》に曰く:客星が畢宿に入れば、四方の外族が兵を興し、ともに盗となり乱をなす。《西官候》に曰く:客星が畢宿の中に入れば、一日を十日に折合して応期を推算し、諸侯と女主がこの象を承当し、君主に憂患がある。先に手を出して兵を起こす方は凶。《百二十占》に曰く:別の異星が畢宿に入れば、兵を動かす企てがある。《春秋緯》に曰く:赤色の客星が「濁」星から出れば、大勢の士卒が出動する。《孝経章句》に曰く:客星が濁星から出れば、中原に乱を起こす人があり、逃走する君主がある。濁星の傍らに留まれば、君主のそばに讒を進める臣子がいる。濁星に入れば、戦事が起こる。
巫咸曰:“客星出畢,邊兵為亂,四裔兵起,疆宇靡寧,天下飢,必有亡國,近一年,遠二年。”郗萌曰:“客星出畢,邊有兵,車馬有急行。”《荊州占》曰:“客星出畢,人主好畋獵。”郗萌曰:“客星從畢,赤黑,陰出,有走主。”《西官候》曰:“客星居畢中,不時出,主喪。”郗萌曰:“客星入畢中,留不去,馬貴;一曰牛貴。”
巫咸に曰く:客星が畢宿から抜け出れば、辺境の駐軍が乱を起こし、四方の辺遠の族が兵を興し、疆宇は安らかでなく、天下は飢饉となり、必ず亡びる国があり、近くは一年、遠くは二年で応験する。郗萌に曰く:客星が畢宿から抜け出れば、辺境に兵事があり、車馬に緊急の出行がある。《荊州占》に曰く:客星が畢宿から抜け出れば、君主は田猟を好む。郗萌に曰く:客星が畢宿を経て、色が赤黒く、北面の陰位から出れば、逃走する君主がある。《西官候》に曰く:客星が畢宿の中に居り、久しく時に出なければ、喪事の兆し。郗萌に曰く:客星が畢宿の中に入り、滞留して去らなければ、馬の値が上がる。一説に牛の値が上がる。
《黃帝占》曰:“客星守畢,歲大飢。”石氏曰:“客星守畢,大臣有謀者,邊有謀臣;一曰讒臣蔽主之德。”甘氏曰:“客星守畢,外國稱王,詐來不可信,外臣謀叛,與近臣通姦。”郗萌曰:“客星守畢,大臣憂,多陰謀,其事不成;一曰:有土功,風雨不時,穀貴;又曰:有走主。客星飛守畢,有德令。客星守畢,天子絕嗣無後。”(案《宋書天文志》曰:晉惠帝永興元年五月、客星守畢,光熙元年惠帝崩、終無繼嗣也。)
《黄帝占》に曰く:客星が畢宿に留まれば、この年大飢饉となる。石氏に曰く:客星が畢宿に留まれば、大臣の中に密かに企てを生ずる者があり、辺境にも異志を抱く臣子がある。一説に讒を進める臣子が君主の徳を蔽う。甘氏に曰く:客星が畢宿に留まれば、外国が自立して王を称し、詐りに帰附を言い、その実は軽く信ずべからず、外にいる臣子は叛乱を謀り、君主の近臣と密かに結び通じる。郗萌に曰く:客星が畢宿に留まれば、大臣は憂え、陰謀は多いが、事はついに遂げられない。一説に土木を興し、風雨は時を失し、穀の値が上がる。また曰く逃走する君主がある。客星が飛び掠めて畢宿に留まれば、寛厚な政令がある。客星が畢宿に留まれば、天子は子嗣を絶ちて後がない。(原書の小注:《宋書・天文志》を案ずるに、晋の恵帝・永興元年五月、客星が畢宿に留まった。光熙元年に至り恵帝が崩じ、ついに継位する子嗣がなかった。)
又曰:“星守畢,后族可收者;一曰:霜天下;一曰:諸侯有謀慮,一曰:溝水大出。”《荊州占》曰:“客星守畢,王者大將出。”《黃帝占》曰:“客星入若守畢,有福,有德令。”陳卓曰:“客星犯守畢,大臣有誅者,無兵兵罷。”石氏曰:“視其東西,知其往國受兵。河海盈溢,人民多流亡。”郗萌曰:“客星守附耳,兵;一曰:邊兵尤甚。”
郗萌はまた曰く:客星が畢宿に留まれば、皇后の外戚の中に収捕して罪に問うべき者がある。一説に天に霜が降る。一説に諸侯が密かに謀る。一説に溝渠の水が溢れ出る。《荊州占》に曰く:客星が畢宿に留まれば、君王の大将が出征する。《黄帝占》に曰く:客星が畢宿に入りあるいは留まれば、福があり、寛厚な政令が下される。陳卓に曰く:客星が畢宿を侵犯して留まれば、大臣の中に誅殺される者があり、もともと兵事のなければ兵を罢め休戦する。石氏に曰く:客星の東に偏るか西に偏るかを観察すれば、その往く方の邦国が兵禍を受けることを知る。江河湖海は漲り溢れ、人民は多く流亡する。郗萌に曰く:客星が「附耳」星に留まれば、兵事の兆し。一説に辺境の兵禍がことに甚だしい。
客星が觜觽を犯す 其の六
《荊州占》曰:“客星干犯觜觽,其國破亡。”《黃帝占》曰:“客星入觜觽,車馬有急,期四月、五月。”郗萌曰:“客星入觜觽,有大喪。”《荊州占》曰:“有星入觜觽,色青,凶;赤,有喪;黃若白,吉喜;黑,死;若有水災,穀糴百倍。”
《荊州占》に曰く:客星が「觜觽」宿に侵り迫る――觜觽はすなわち觜宿で、西方白虎七宿の第六宿、三星からなり、形は虎の首の角毛に似て、衆を聚めて自ら保つことと出行の事を司る――その邦国はまさに破滅する。《黄帝占》に曰く:客星が觜觽に入れば、車馬に緊急の調動があり、四月・五月の内に応験する。郗萌に曰く:客星が觜觽に入れば、大喪がある。《荊州占》に曰く:異星が觜觽に入り、色が青ければ凶、赤ければ喪事、黄あるいは白なら吉慶、黒ければ死亡の兆し。あるいは水害があり、糧価は平時の百倍に上がる。
《黃帝占》曰:“赤白星入觜觽,若暴出觜中,臣與外臣謀殺其王;星遊行,先覺不得成,不行、不明,不覺,期一月。”石氏曰:“星明,期三月。”《百二十占》曰:“他星入觜觽,有葆旅之事於國內,星出觜,有葆旅之事於國外;一曰:兵罷。”
《黄帝占》に曰く:赤白色の客星が觜觽に入り、あるいは觜觽の中から突然出れば、朝内の臣子と外にいる臣子が合謀してその君王を殺す。客星が遊移して行けば、陰謀はあらかじめ覚られて遂げられない。客星が移動せず光色も明るくなければ、陰謀は覚られず、一ヶ月の内に応験する。石氏に曰く:客星が明るければ、三ヶ月の内に応験する。《百二十占》に曰く:別の異星が觜觽に入れば、国内に衆を聚めて自ら保ち、伴に遠く行く事がある。異星が觜觽から出れば、国外にこの類の事がある。一説に兵を罢め休戦する。
巫咸曰:“客星出觜觽,國有大喪,若有侵王欲為君王者;若有水災,穀貴,糴百倍,人多餓死;期不出三年。”陳卓曰:“客星食觜觽,食太貴。”石氏曰:“客星守觜觽,魏有良臣輔國土,在西南二千里。”甘氏曰:“客星守觜觽,西戎動,侵土欲為君王者;崇禮以制義,則國安。”郗萌曰:“客星入守觜觽,牛馬有急行。”郗萌曰:“客星犯若守觜觽,若國破亡;一曰:食貴;一曰:有大喪。”
巫咸に曰く:客星が觜觽から抜け出れば、国中に大喪があり、あるいは王権を侵奪して自ら君王とならんとする者がある。あるいは水害があり、穀の値は貴く、糧価は平時の百倍に上がり、飢え死ぬ者が多い。応験は三年を出ない。陳卓に曰く:客星が觜觽を侵蝕すれば、食糧の値は甚だ貴い。石氏に曰く:客星が觜觽に留まれば、魏の地に国家を輔佐する賢良の臣が現れ、西南二千里のところにいる。甘氏に曰く:客星が觜觽に留まれば、西方の戎族が動き、土地を侵して自ら君王とならんとする者がある。もし礼制を崇び義をもって裁断すれば、国家は安らかになる。郗萌に曰く:客星が觜觽に入って留まれば、牛馬に緊急の調動がある。郗萌はまた曰く:客星が觜觽を侵犯しあるいは留まれば、その邦国はあるいは破滅する。一説に食糧が貴い。一説に大喪がある。
客星が参宿を犯す 其の七
《黃帝占》曰:“有星入參中央;星色白,縣令有賜,若伐;色青黑,縣令有罪。”夏氏曰:“客星入參,五穀貴。”《百二十占》:“他星入參,有衡石之事於國內;星出,有衡石之事于都外;色青黑,不出一年,兵大起,國之邊境壞。”石氏曰:“客星入參中,邊有暴兵起,邊地圍而壞。”
《黄帝占》に曰く:異星が「参」宿の中央に入る――参宿は西方白虎七宿の末宿で、七星からなり、将帥の征伐と辺境の兵事を司り、分野は魏の地に対応する――異星の色が白ければ、県令は賞賜を受けるか、あるいは兵を出して討伐する。色が青黒なら、県令は罪を得る。夏氏に曰く:客星が参宿に入れば、五穀の値が貴くなる。《百二十占》に曰く:別の異星が参宿に入れば、国内に権衡・度量を校正する事がある。異星が抜け出れば、都城の外にこの類の事がある。異星の色が青黒なら、一年を出ずに大挙して兵が起こり、その邦国の辺境は破られる。石氏に曰く:客星が参宿の中に入れば、辺境に突然戦事が起こり、辺地は囲まれて破られる。
郗萌曰:“客星入伐,有兵不足以傷;又曰:入天尉中十日,宮中有自殺者;入其陽,為男;入其陰,為女;皆期三十日。”郗萌曰:“有星入伐,有斬刈之事於國內;若出伐,有斬刈之事於國外;色赤。以兵斬刈,色白,白衣斬刈。”
郗萌に曰く:客星が「伐」星に入れば、戦事があるが傷亡をもたらすには足りない。また曰く:客星が「天尉」星の中に入ること十日なら、宮中に自殺する者がある。天尉の南面の陽位に入れば男子に、北面の陰位に入れば女子に応じ、いずれも三十日の内に応験する。郗萌はまた曰く:異星が伐星に入れば、国内に斬刈の事がある。異星が伐星から抜け出れば、国外に斬刈の事がある。異星の色が赤ければ兵器による斬刈、色が白ければ平民百姓の斬刈されることである。
石氏曰:“赤星出參中央星,邊有兵,縣令自將兵。客星出參邊,有暴兵起,邊城有圍,客軍入國,若有戰,期不出二年。”郗萌曰:“有星出參中者,大臣有憂;一星出,則一人有憂;二星出,則二人有憂,三星出,則三人憂。客星出參斧鉞,兵出;入斧鉞,兵入。”《荊州》曰:“客星出參而環繞之,邊城兵起。”
石氏に曰く:赤色の客星が参宿の中央の星のそばから出れば、辺境に兵事があり、県令は自ら兵を率いる。客星が参宿の辺側から出れば、突然戦事が起こり、辺城が包囲され、敵軍が国境に攻め入り、あるいは会戦があって、応験は二年を出ない。郗萌に曰く:異星が参宿の中から出れば、大臣に憂患がある。一星現れれば一人に憂があり、二星現れれば二人に憂があり、三星現れれば三人に憂がある。客星が参宿の「斧鉞」星から出れば、軍隊が出発して征する。斧鉞星に入れば、軍隊は班師して帰る。《荊州占》に曰く:客星が参宿から出てその四周を繞行すれば、辺城に戦事が起こる。
石氏曰:“赤星出參,武卒用;若守之天尉中,媵嫡相距。客星在伐;色黑,為水。”郗萌曰:“客星在伐,色黃,為土功;色白,為喪。”甘氏曰:“客星守參,亡地。”郗萌曰:“客星守參,有小兵,大臣有執主之命者;若讒臣有女子惑天子者,一曰老人多死,馬貴。又曰:更易君;色白,為死;赤,為兵;黃,為易位;黑,為憂;蒼,為小喜;又曰:旱,糴貴。”石氏曰:“客星守參,魏多君子。”巫咸曰:“客星入守參,諸侯國當之。”郗萌曰:“客星守伐,誅大臣。”
石氏に曰く:赤色の客星が参宿から出れば、武士・兵卒が徴用される。もし天尉星の中に留まれば、妾と嫡妻が互いに争い拮抗する。客星が伐星に留り、色が黒ければ水害の兆し。郗萌に曰く:客星が伐星に留り、色が黄なら土木工程、色が白なら喪事の兆し。甘氏に曰く:客星が参宿に留まれば、土地を喪う。郗萌に曰く:客星が参宿に留まれば、小規模の戦事があり、大臣の中に君主の号令を把る者がある。あるいは讒を進める臣子の中に女子をもって天子を惑わす者があり、一説に老人が多く死に、馬の値が上がる。また曰く君主を更え替える。客星の色が白ければ死亡、赤なら兵事、黄なら易位、黒なら憂患、青なら小さな喜びの兆し。また曰く旱害を主り、糧価が上がる。石氏に曰く:客星が参宿に留まれば、魏の地に君子が多く出る。巫咸に曰く:客星が参宿に入って留まれば、諸侯の国がこの象を承当する。郗萌に曰く:客星が伐星に留まれば、大臣を誅殺する。
開元占経 巻八十一
客星占 其の五
南方七宿を犯す
客星が東井を犯す 其の一
郄萌曰:“客星犯東井,國有土功事,小兒妖言。客星犯乘守東井,此日國亂兵起。”《荊州》曰:“客星干犯東井,其國用兵,大臣誅,期八十日。”黃帝曰:“客星入東井,五穀不收,糴大貴。客星出北斗,入東井,有邑將治陂堤及水事。”《孝經章句》曰:“客星入天渠,道塗不通,以水為敗。”
郄萌に曰く:客星が「東井」宿を犯す――東井はすなわち井宿で、南方朱雀七宿の第一宿、八星からなり、水事と法令を司り、分野は秦の地に対応する――国中に土木工程があり、小児の間に妖言が流れる。客星が東井を侵犯し、凌乗して留まれば、この日から国中が大いに乱れ兵を興す。《荊州占》に曰く:客星が東井に侵り迫れば、その邦国は兵を用い、大臣は誅殺され、八十日の内に応験する。黄帝占に曰く:客星が東井に入れば、五穀は収穫されず、糧価が大いに上がる。客星が北斗から出て東井に入れば、城邑が陂塘・堤堰および各種の水利工事を修治する。《孝経章句》に曰く:客星が「天渠」星に入れば、道路は阻まれて通じず、水によって事を敗る。
司馬彪《天文志》曰:“孝安永初元年八月戊申,客星在東井、弧星西南,是時羌反,斷隴道,遣帥將左右羽林北軍五校及諸郡兵征之。是歲,郡國四十一郡,三百一十五所,雨水四瀆溢,傷秋稼,壞城郭,殺人之甚也。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す:漢の安帝・永初元年八月戊申の日、客星が東井宿と弧星の西南に現れた。この時、羌人が反逆して隴山一帯の通道を断ち、朝廷は将帥を遣わして左右の羽林・北軍五校および各郡の兵馬を率いて征討させた。この年、全国の四十一の郡国・三百一十五か所が雨水の災いを受け、江・河・淮・済の四瀆が溢れ、秋の作物を損い、城郭を壊し、溺死する人が甚だ多かった。
石氏曰:“有星入東井,有客以水令來者。”郄萌曰:“客星出柳入井,主浮船。又曰:入東井,君失政,臣為亂,大人當之。一曰:宮中有大憂。”《荊州》曰:“客星入東井,貴人死,若有奇令,多失火,火神從天下,妖祥自地出。”《西官候》曰:“客星入東井,貴人有疾者。”《百二十占》:“他星入東井,有水事於國內。”
石氏に曰く:異星が東井に入れば、水利に関する命令を奉じた賓客が来る。郄萌に曰く:客星が柳宿から出て井宿に入れば、舟を浮かべて行く事を主る。また曰く:客星が東井に入れば、君主は政柄を失い、臣下が乱を起こし、上に位する大人物がこの象を承当する。一説に宮中に大きな憂患がある。《荊州占》に曰く:客星が東井に入れば、顕貴の人が死ぬか、あるいは尋常ならざる政令があり、火災が多発し、火神が天から降り、妖異の徴候が地中から出る。《西官候》に曰く:客星が東井に入れば、顕貴の人の中に病む者がある。《百二十占》に曰く:別の異星が東井に入れば、国内に水利方面の事がある。
黃帝曰:“客星出東井,宮中火起,大人為亂,兵大起,將軍有憂,若白衣有自立者,其國必破,期三年。”《百二十占》曰:“他星出東井,有水事於邦外。”郄萌曰:“客星出東井,水潦且至。”《荊州》曰:“客星經絕東井,名水有絕者。”黃帝曰:“客星入東井中,留十日而成勾己,有贖罪之令,期十月;客星守東井,水。”
黄帝占に曰く:客星が東井から出れば、宮中に火が起こり、上に位する大人物が乱を起こし、大挙して兵が興り、将軍に憂患があり、あるいは平民が兵を擁して自立し、その邦国は必ず敗れ、三年の内に応験する。《百二十占》に曰く:別の異星が東井から出れば、国外に水利方面の事がある。郄萌に曰く:客星が東井から出れば、大水がまさに至らんとする。《荊州占》に曰く:客星が横切って東井を截断すれば、名ある河川の中に断流するものがある。黄帝占に曰く:客星が東井の中に入り、十日滞留して勾曲・盤旋の形を成せば、罪を贖うことを許す詔令があり、十ヶ月の内に応験する。客星が東井に留まれば、水害の兆し。
石氏曰:“客星守東井,有旱蟲,人多疾;一曰:貴人死,以其國占之。”甘氏曰:“客星守東井,有白衣自立者,其國破,不出年中。”巫咸曰:“客星留守東井四十日已上,貴人女有懷子而化為水者。”郄萌曰:“客星守東井,多失火者;一曰:大臣為亂;一曰:三十日已上,貴人女有懷子而死者;一曰:百川皆溢;又曰:天子以酒為憂。貴人有族者,男子不得耕,女子不得織。”
石氏に曰く:客星が東井に留まれば、旱害と虫害があり、人は病む者が多い。一説に顕貴の人が死に、いずれの国に応じるかはその対応する分野を見て判断する。甘氏に曰く:客星が東井に留まれば、平民が兵を擁して自立する者があり、その邦国は敗れ、一年の内を出ずに応験する。巫咸に曰く:客星が東井に滞留すること四十日以上なら、顕貴の家の女子の中に身ごもって胎が水と化す者がある。郄萌に曰く:客星が東井に留まれば、失火する者が多い。一説に大臣が乱を起こす。一説に三十日以上留まれば、顕貴の家の女子の中に懐妊して死ぬ者がある。一説に百川が皆溢れる。また曰く天子は酒をもって憂患とす。顕貴の家に族滅される者があり、男子は安んじて耕すことができず、女子は安んじて織ることができない。
《荊州》曰:“客星守東井,貴人有疾者。”《玉曆》曰:“客星守東井左右,秦以飢,相有罪咎,齊以聞,梁有火災。”《西官候》曰:“客星守東井,色赤,宮中憂,留二十日,貴人女有死不得子者;色黑,為大水、舟船事,有水令。”《巫咸》曰:“客星出東井而守之,宮中火起,大人為亂,王者以舟船為急,河海溢,土功並起,人無食,白衣有自立者,其國破,期三年。”焦延壽曰:“客星入越,大臣多斬者。”
《荊州占》に曰く:客星が東井に留まれば、顕貴の人の中に病む者がある。《玉歴》に曰く:客星が東井の左右の両側に留まれば、秦の地はこれによって飢え、宰相は罪を得、斉の地はこれを聞き上げ、梁の地は火災がある。《西官候》に曰く:客星が東井に留まり、色が赤ければ宮中に憂患があり、二十日留まれば、顕貴の家の女子の中に難産で死に子を得ない者がある。色が黒なら、大水と舟船の事を主り、治水の詔令がある。巫咸に曰く:客星が東井から出てまたそこに留まれば、宮中に火が起こり、上に位する大人物が乱を起こし、君王は舟船の事を急務とし、江河湖海は氾濫し、土木工程がともに起こり、人は食うものなく、平民が兵を擁して自立する者があり、その邦国は敗れ、三年の内に応験する。焦延寿に曰く:客星が越の地に対応する分野に入れば、大臣の中に斬られる者が多い。
客星が輿鬼を犯す 其の二
甘氏曰:“客星犯輿鬼,國有非次自立者,必敗亡。”石氏曰:“有星入輿鬼,有詛盟鬼神祠祀之事於國內。”(《南官候》曰:於國外。)夏氏曰:“客星入天尸,帝王亡,天下多病。”郄萌曰:“客星入天尸,民多死;一曰:有大喪。客星入輿鬼,人相食。他星入輿鬼,鈇鑕用,大臣誅。客星入天尸,金玉府中,三日一環之,有赦。”
甘氏に曰く:客星が「輿鬼」宿を犯す――輿鬼はすなわち鬼宿で、南方朱雀七宿の第二宿、四星からなり、中に一団の白気があって「積屍気」と呼ばれ、死喪・祭祀を司り、分野は秦の地に対応する――国中に次序に従わず勝手に即位する者が出て、その人は必ず敗亡する。石氏に曰く:異星が輿鬼に入れば、国内に呪詛・盟誓・鬼神の祠祀の事がある。(原書の小注:《南官候》に曰く、事は国外にある。)夏氏に曰く:客星が「天尸」星に入れば、帝王は亡び、天下に疾病が多い。郄萌に曰く:客星が天尸に入れば、民は多く死ぬ。一説に大喪がある。客星が輿鬼に入れば、人は飢えて互いに食い合う。別の異星が輿鬼に入れば、鉄鑕の類の刑具が用いられ、大臣が誅殺される。客星が天尸と金玉の府の中に入り、三日で一周すれば、大赦がある。
陳卓曰:“有星入輿鬼,有軍,若大人憂。”《百二十占》曰:“他星入輿鬼,有祀事於國內;出鬼,有祀事於國外。”巫咸曰:“客星出輿鬼,其國有喪;出南,為人君;出北,為女主;左,為太子;右,為庶子;若守四星,隨其所犯發之,期不出三年。”《荊州》曰:“客星入輿鬼,留三十日以上,天下金玉用易錢。”
陳卓に曰く:異星が輿鬼に入れば、軍事の行動があり、あるいは上に位する大人物に憂患がある。《百二十占》に曰く:別の異星が輿鬼に入れば、国内に祭祀の事がある。鬼宿から抜け出れば、国外に祭祀の事がある。巫咸に曰く:客星が輿鬼から出れば、その邦国に喪事がある。南面から出れば君主に、北面から出れば女主に、左から出れば太子に、右から出れば庶子に応じる。もし鬼宿の四つの星に留まれば、それが侵犯した星によって推断し、応験は三年を出ない。《荊州占》に曰く:客星が輿鬼に入り、三十日以上滞留すれば、天下は金玉を取って銭貨に換える。
黃帝曰:“客星守輿鬼,人君有大憂;一曰:貴人有大憂。”《孝經章句》曰:“客星守輿鬼,在其中央,主喪亡,棺木貴,倍其價。”石氏曰:“客星守輿鬼,秦有奸臣欲危其主。”甘氏曰:“客星守輿鬼,五十日不去,國有大喪,兵大起,將軍戰于野,多有死者,期不出一年。”
黄帝占に曰く:客星が輿鬼に留まって去らなければ、君主に大きな憂患がある。一説に顕貴の人に大きな憂患がある。《孝経章句》に曰く:客星が輿鬼に留まり、しかもちょうど鬼宿中央の「積屍気」に落ちれば、死喪を主り、棺木の値は平常の倍に上がる。石氏に曰く:客星が輿鬼に留まれば、秦の地――鬼宿の分野はちょうど秦に当たる――に奸臣が現れ、その君主を危うくしようとする。甘氏に曰く:客星が輿鬼に留まること五十日にして去らなければ、国中に大喪があり、大挙して兵が興り、将軍は野外で交戦し、死傷する者が多く、応験は一年を出ない。
巫咸曰:“客星守輿鬼。南,男子多死;守北,女子多死;守西,長老貴人多死;守東北一星,棺木貴,鐵器、魚鹽大貴,皆三倍。”郄萌曰:“客星守輿鬼,馬貴;一曰牛貴;又曰多土功事。皆變易更政。男子不得耕。女子不得織。”《荊州》曰:“客星守輿鬼東北星,棺木貴;守東南星,五穀貴;守西南星,金錢貴;守西北星,鐵器、魚鹽百倍。”
巫咸に曰く:客星が輿鬼の南に留まれば男子が多く死に、北に留まれば女子が多く死に、西に留まれば年長の顕貴の人が多く死に、東北の一星に留まれば棺木が値上がりし、鉄器と魚塩も大いに値上がりして、皆平時の三倍に達する。郄萌に曰く:客星が輿鬼に留まれば、馬の値が上がる。一説に牛の値が上がる。また曰く土木の事が多い。これらは皆変革と政令の更改をもたらす。男子は安んじて耕すことができず、女子は安んじて織ることができない。《荊州占》に曰く:客星が輿鬼の東北の星に留まれば棺木が値上がりし、東南の星に留まれば五穀が値上がりし、西南の星に留まれば金銭が値上がりし、西北の星に留まれば鉄器と魚塩は平時の百倍に上がる。
《玉曆》曰:“客星守輿鬼,秦有疾。”《南官候》曰:“客星守輿鬼,入鈇鑕,有兵罷;客星守輿鬼,陣兵不戰。”黃帝曰:“客星出若守輿鬼西,若從西入輿鬼,老人死;出,若守東,若從東入,丁少年死。”黃帝曰:“客星出若守輿鬼南,若從南入輿鬼,男子死;出,若守北,若從北入,女子死。”荊州曰:“客星干犯守輿鬼,天下有大喪,陽為君,陰為後,左為太子,右為貴臣;又隨所守主闕,王者發之,不出七十日。”
《玉歴》に曰く:客星が輿鬼に留まれば、秦の地に疾疫がある。《南官候》に曰く:客星が輿鬼に留まって「鉄鑕」星に入れば、兵を罢める事がある。客星が輿鬼に留まれば、両軍は陣を対して交戦しない。黄帝占に曰く:客星が輿鬼の西から出るかそこに留まるか、あるいは西から輿鬼に入れば、老人が死ぬ。東から出るか、東に留まるか、あるいは東から入れば、壮丁と少年が死ぬ。黄帝占はまた曰く:客星が輿鬼の南から出るかそこに留まるか、あるいは南から輿鬼に入れば、男子が死ぬ。北から出るか、北に留まるか、あるいは北から入れば、女子が死ぬ。《荊州占》に曰く:客星が輿鬼に侵り迫って留まれば、天下に大喪がある。南面の陽位は君主に、北面の陰位は皇后に、左は太子に、右は貴臣に応じる。またその留まるところの主管する宮闕に随って判断し、君王はこれによって号令を発し、七十日を出ずに応験する。
客星が柳宿を犯す 其の三
荊州曰:“客星干犯柳,周國當之,期九十日。”黃帝曰:“客星入柳,道路不通。”郄萌曰:“客星入柳,兵從澤起。又曰:大師有喪,色黃有喜。”《荊州》曰:“客星入柳,兵大起,人大恐,布帛綿絮貴。”《南官候》曰:“客星入柳,有兵發行;色赤,怒,左右。地大動。”《百二十占》曰:“他星入柳。名木有來入者。”
《荊州占》に曰く:客星が「柳」宿に侵り迫る――柳宿は南方朱雀七宿の第三宿で、八星からなり、形は朱雀の口に似て、草木と御膳・飲食を司り、分野は周の地に対応する――周の地がこの象を承当し、九十日の内に応験する。黄帝占に曰く:客星が柳宿に入れば、道路は阻まれて通じない。郄萌に曰く:客星が柳宿に入れば、戦事は水沢の地から起こる。また曰く:軍中の主帥に喪事がある。客星の色が黄なら喜び事がある。《荊州占》に曰く:客星が柳宿に入れば、大挙して兵が興り、人の心は大いに恐慌し、布帛・綿絮の値が上がる。《南官候》に曰く:客星が柳宿に入れば、軍隊が出発して路に上る。色が赤ければ、震怒を主り、君主の左右の近臣に応じる。また大地震が起こる。《百二十占》に曰く:別の異星が柳宿に入れば、名貴な木材が運び込まれる。
《孝經章句》曰:“蒼星出柳,諸侯有死者。”郄萌曰:“赤星出柳,執法者遇賊;蒼星出柳,殺邊諸侯。”《荊州》曰:“客星出柳,兵大起,諸侯有死者,其國當之;一曰有大水,人主遊船,天下大飢,人民流亡,不出年,遠二年。”《百二十占》曰:“他星出柳,名木有出者。”
《孝経章句》に曰く:青色の客星が柳宿から出れば、諸侯の中に死亡する者がある。郄萌に曰く:赤色の客星が柳宿から出れば、法令を執る官が賊害に遭う。青色の客星が柳宿から出れば、辺地の諸侯が殺される。《荊州占》に曰く:客星が柳宿から出れば、大挙して兵が興り、諸侯の中に死亡する者があり、それはその邦国がこの象を承当するのである。一説に大水があり、君主は舟に乗って遊楽し、天下は大飢饉となり、人民は流離して所を失い、一年を出ずに応験し、遠くとも二年。《百二十占》に曰く:別の異星が柳宿から出れば、名貴な木材が運び出される。
郄萌曰:“客星出入柳,人多移徙;又曰:出入天相,天子變更其令。柳中有奇星,臣蔽主明,有北軍之恥。客星舍柳,天下有大兵,期二月,若五月。”《荊州》曰:“客星經柳,山林有不伐者。”黃帝曰:“客星守柳,庫兵大發,天下人為王者治道。”
郄萌に曰く:客星が柳宿に出入すれば、百姓は大量に移徙する。また曰く客星が「天相」星に出入すれば、天子はその政令を更改する。柳宿の中に奇異の星が現れれば、臣下は君主の聖明を蔽い、朝廷は北軍の戦敗の恥を蒙る。客星が柳宿に宿れば、天下に大きな戦事があり、二ヶ月あるいは五ヶ月の内に応験する。《荊州占》に曰く:客星が柳宿を横切れば、山林の中に伐採を禁ずるところがある。黄帝占に曰く:客星が柳宿に留まれば、武庫の兵器が大量に発給され、天下の人は皆徴発されて君王のために道路を修治する。
《孝經章句》曰:“客星守柳,庫兵發,諸侯有死者。”郄萌曰:“客星守柳,南宮有變;一曰牛貴,又曰羌夷起,變天下,弓弩聚。”《荊州》曰:“客星守柳。天下絲麻羊貴。”《百二十占》曰:“客星守柳,大人棄其糧。”郄萌曰:“客星舍柳,先得地,後失之;又曰:犯守柳,王者賜邊客。”
《孝経章句》に曰く:客星が柳宿に留まれば、武庫の兵器が発給され、諸侯の中に死亡する者がある。郄萌に曰く:客星が柳宿に留まれば、南宮に変故がある。一説に牛の値が上がる。また曰く羌人らの外族が事を起こし、天下を攪動し、弓弩が大量に集まる。《荊州占》に曰く:客星が柳宿に留まれば、天下の糸・麻と羊が値上がりする。《百二十占》に曰く:客星が柳宿に留まれば、上に位する大人物はその糧貯を棄てる。郄萌に曰く:客星が柳宿に宿れば、先ず土地を得て、後にこれを失う。また曰く客星が柳宿を侵犯して留まれば、君王は辺地より朝し来た賓客に賞賜する。
客星が七星を犯す 其の四
《荊州》曰:“客星干犯七星,其國有大兵,不出百八十日。”石氏曰:“有星入七星,有客以急事來使者;出七星,君使人以急事出者;星色青,言憂色;赤,言兵;黃,言土;白,言義;黑,皆使者凶。”郄萌曰:“客星入七星,有立太子者,若有奇令。又曰:色青為疾,白為喪。”
《荊州占》に曰く:客星が「七星」宿に侵り迫る――七星はすなわち星宿で、南方朱雀七宿の第四宿、七星からなり、形は朱雀の頸に似て、急事と衣裳・文繍を司り、分野は周の地に対応する――その邦国に大きな戦事があり、百八十日を出ずに応験する。石氏に曰く:異星が七星に入れば、緊急の事のために使いを遣わした賓客が来る。七星から抜け出れば、君主が緊急の事のために人を遣わして出使する。異星の色が青なら、報じるのは憂患。赤なら兵事。黄なら土木の事。白なら義挙。黒なら、使者は皆凶に遭う。郄萌に曰く:客星が七星に入れば、太子を冊立する事があり、あるいは尋常ならざる政令がある。また曰く:色が青なら疾病を主り、白なら喪事を主る。
《玉曆》曰:“客星守七星,布帛麻臬貴,津樑絕。”《南官候》曰:“客星守天都,山水會,河水決,水且至,人流亡,去其鄉。”《百二十占》曰:“他星守柳,天下變更。”郄萌曰:“客星出入天都,人多流亡。一曰:止水溢。又曰:黑星結,若就七星,大人憂。”司馬彪《天文志》曰:“客星居七星,為死喪。”
《玉歴》に曰く:客星が七星に留まれば、布・帛・麻・枲の値が上がり、津渡・橋梁は絶える。《南官候》に曰く:客星が「天都」星に留まれば、山の洪と河水が会し、河堤は決口し、大水がまさに至らんとして、百姓は流離してその郷を去る。《百二十占》に曰く:別の異星が柳宿に留まれば、天下に変革がある。郄萌に曰く:客星が天都星に出入すれば、百姓は大量に流亡する。一説に蓄えた静水が溢れ出る。また曰く:黒色の客星が凝結して塊を成し、あるいは七星に近づけば、上に位する大人物に憂患がある。司馬彪《続漢書・天文志》に曰く:客星が七星に居れば、死喪の兆し。
郄萌曰:“客星舍七星,留不去,左右宮中以火為憂。”(一本云:國家喜,天雨五穀在宮中。)郄萌曰:“客星舍天都,五穀不成。”黃帝曰:“客星守七星三十日,天下變更,水大出,道路不通。”石氏曰:“客星守七星,周有大賢。”
郄萌に曰く:客星が七星に宿り、滞留して去らなければ、君主の左右の近臣と宮中は皆火災に愁う。(原書の小注:別の一つの本に作く、国家に喜慶の事があり、天が五穀を降らして宮中に降る、と。)郄萌はまた曰く:客星が「天都」星に宿れば、五穀は実らない。黄帝占に曰く:客星が七星に留まること三十日なら、天下に変革があり、大水が溢れ出て、道路は阻まれて通じない。石氏に曰く:客星が七星に留まれば、周の地に大賢が現れる。
郄萌曰:“客星守七星三十日,天子憂,廷中有賊,必易政。一曰:有德令。又曰:其國顯。一曰:必有客事,有土功,菽麻不收,若小豆貴。一曰:馬貴。一曰:鹽貴。客星守七星,天子必易政。一曰:兵大起。又曰:道路多水潦。又曰:溝渠道路不通。一曰:水大出。”《荊州》曰:“客星守七星三十日,河水決,人去其鄉。”石氏曰:“客星出七星而守之,(甘氏曰:守三十日。)族欲自立王者,不親其子。客星若不時去,人主有憂,大臣有誅,期不出年。”
郄萌に曰く:客星が七星に留まること三十日なら、天子は憂え、朝廷の中に賊を蔵し、必ず政令を改易する。一説に寛厚な政令がある。また曰くその邦国はまさに顕達する。一説に必ず外来の賓客の事があり、また土木を興し、豆類と麻は収穫されず、あるいは小豆が値上がりする。一説に馬が値上がりする。一説に塩が値上がりする。客星が七星に留まれば、天子は必ず政令を改易する。一説に大挙して兵が興る。また曰く道路上に水が積みて潦となる。また曰く溝渠と道路が阻まれて通じない。一説に大水が溢れ出る。《荊州占》に曰く:客星が七星に留まること三十日なら、河堤が決口し、人はその郷を去る。石氏に曰く:客星が七星から出てまたそこに留まれば、(原書の小注:甘氏に曰く、三十日留まる。)宗族の中に自立して王とならんとする者が出て、君主の子を親しまなくなる。客星がもし久しく時に去らなければ、君主に憂患があり、大臣の中に誅殺される者があり、応験は一年を出ない。
客星が張宿を犯す 其の五
《孝經章句》曰:“黃星出張中,君且獵;黑星就之,君死。”石氏曰:“有星入張,有賜客之事;出張,軍使賜諸侯。又曰:入張,國治宗廟,期二十日,國有憂,男子有急。”巫咸曰:“客星入張,人遷徙,天下變,更令,糴貴。”郄萌曰:“客星入張,諸侯有來賜吾君近臣者;出張,賜諸臣。”
《孝経章句》に曰く:黄色の客星が「張」宿の中に現れれば――張宿は南方朱雀七宿の第五宿で、六星からなり、形は朱雀の嗉嚢に似て、珍宝と宗廟・宴饗・賞賜を司り、分野は周の地に対応する――君主はまさに狩りに出る。黒色の客星がそれに近づけば、君主は死ぬ。石氏に曰く:異星が張宿に入れば、賓客を賞賜する事がある。張宿から抜け出れば、軍中の使者が諸侯を賞賜する。また曰く:異星が張宿に入れば、国中に宗廟を修治する挙があり、二十日の内に国中に憂患があり、男子に緊急の事がある。巫咸に曰く:客星が張宿に入れば、人民は移徙し、天下は変動し、政令を更改し、糧価が上がる。郄萌に曰く:客星が張宿に入れば、諸侯の中に来て我が君の近臣に賞賜する者がある。張宿から抜け出れば、君主が群臣に賞賜する。
《荊州》曰:“客星入張,政急,人民苦,死邊。”《春秋圖》曰:“客星出張,白衣同姓有自立者,天下更令,有徙人,若使人於諸侯。”郄萌曰:“客星出入張,兵起,期百八十日。一曰:天子改政令。客星舍張,留不去,前將軍謀,有陰兵起。”黃帝曰:“客星守張,天下人遠去。一曰:人有千里之行。”
《荊州占》に曰く:客星が張宿に入れば、政令は苛急となり、人民は苦しみ、辺地に死す。《春秋図》に曰く:客星が張宿から出れば、平民あるいは同姓の宗室の中に兵を擁して自立する者があり、天下は政令を更め、移徙される人があり、あるいは人を遣わして諸侯に使いする。郄萌に曰く:客星が張宿に出入すれば、戦事が起こり、百八十日の内に応験する。一説に天子が政令を改易する。客星が張宿に宿り、滞留して去らなければ、前将軍に密かな企てがあり、秘密裏に調集した兵馬が起こる。黄帝占に曰く:客星が張宿に留まれば、天下の人は遠く他郷へ去る。一説に人の千里の行がある。
《孝經章句》曰:“客星守張,在其中,糴石三百,遊在其旁,石百,有急令。”石氏曰:“客星守張,楚周有隱士。”《海中占》:“客星守張不去,滿三十日,有亡國,死亡,臣殺其主,小人謀貴,禍及嗣子,期三年。”郄萌曰:“客星守張,小人有欺君者,禍及嗣子。又曰:先起兵者利,後起兵者不利。一曰:食中有毒,鄰國有來獻食物者,天子酒大出,天子以為憂敗。一曰:客有憂。又曰:弓大貴。一曰:糴大貴。一曰:粟貴。一曰:人憂食,國大飢。”
《孝経章句》に曰く:客星が張宿に留まり、ちょうど宿の中にあれば、糧価は一石につき三百銭に上がる。張宿のそばに遊移すれば、一石につき百銭に上がり、緊急の詔令が出る。石氏に曰く:客星が張宿に留まれば、楚の地と周の地に隠居して仕えない賢士が現れる。《海中占》に曰く:客星が張宿に留まって去らず、三十日に満てば、邦国の滅亡・人員の死傷があり、臣下はその君主を殺し、小人は顕貴を謀り、禍患は継位の太子に及び、三年の内に応験する。郄萌に曰く:客星が張宿に留まれば、小人の中に君主を欺く者があり、禍患は継位の太子に及ぶ。また曰く:先に兵を起こす方は利あり、後に兵を起こす方は利なし。一説に飲食の中に毒があり、隣国に食物を進献しに来る者があり、天子の酒は大量に支出され、天子はこれによって憂え事を敗る。一説に賓客に憂患がある。また曰く弓の値が大いに上がる。一説に糧価が大いに上がる。一説に粟が値上がりする。一説に人々は食うことに愁え、国中は大飢饉となる。
《玉曆》曰:“客星守張,邑多變在外。”《南官候》曰:“客星守張,五穀貴,有賜之事。”甘氏曰:“客星出張,若守之,白衣同姓自立者。”郄萌曰:“客星入若守張,有亡國,死王。又曰:相憂。一曰:相大疾。”陳卓曰:“客星犯守張,天子以酒為憂。”
《玉歴》に曰く:客星が張宿に留まれば、城邑に変故が多く、その変故は外地に生ずる。《南官候》に曰く:客星が張宿に留まれば、五穀が値上がりし、賞賜の事がある。甘氏に曰く:客星が張宿から出るか、あるいは張宿に留まれば、平民あるいは同姓の宗室が兵を擁して自立する者がある。郄萌に曰く:客星が張宿に入りあるいは留まれば、邦国の滅亡・君王の死去がある。また曰く宰相に憂患がある。一説に宰相が重病を患う。陳卓に曰く:客星が張宿を侵犯して留まれば、天子は酒をもって憂患とす。
客星が翼宿を犯す 其の六
《荊州占》曰:“客星干犯翼,國有用兵,大臣有憂,遠百八十日。”《孝經章句》曰:“蒼星出翼,五穀風雕。”石氏曰:“有星出翼,使人於負海之國;有星入翼,負海客有來使者,皆以鳥為幣。色黃白,無故;青,道病;黑,死不至。”
《荊州占》に曰く:客星が「翼」宿に侵り迫る――翼宿は南方朱雀七宿の第六宿で、二十二星からなり、形は朱雀の翼に似て、楽舞と遠方の賓客を司り、分野は楚の地に対応する――国中に兵を用いる事があり、大臣に憂患があり、遠くとも百八十日に応験する。《孝経章句》に曰く:青色の客星が翼宿から出れば、五穀は大風に摧かれ彫傷される。石氏に曰く:異星が翼宿から出れば、君主が人を遣わして海に負う国に使いする。異星が翼宿に入れば、浜海の国の賓客が使者を遣わして来る。双方とも禽鳥を見舞いの贈り物とする。異星の色が黄白なら、道中何事もなく平穏。青なら、使者は路で病む。黒なら、使者は半途で死んで到着しない。
巫咸曰:“客星出翼,將軍謀反,兵大起,必有戰,邊有大急,同姓諸侯有自立者,若大水,五穀傷,人民飢,去其鄉,期三年。”《百二十占》曰:“他星出翼,倍海國有受賜者。”郄萌曰:“客星出入翼,多風雨,河決,水且至,道路不通。一曰:五穀不成,人多流亡。”《孝經章句》曰:“客星守翼,人多流亡,水且至,道塗不通,兵大起。”
巫咸に曰く:客星が翼宿から出れば、将軍が謀反し、大挙して兵が興り、必ず戦があり、辺境に軍情の急があり、同姓の諸侯の中に兵を擁して自立する者がある。あるいは大水があり、五穀は損なわれ、百姓は飢饉となり、やむなく郷を去り、三年の内に応験する。《百二十占》に曰く:別の異星が翼宿から出れば、「倍海」すなわち海に背く国々に朝廷の賞賜を受ける者がある。郄萌に曰く:客星が翼宿に出入すれば、風雨が頻繁で、河堤は決口し、大水がまさに至らんとし、道路は阻まれて通じない。一説に五穀は実らず、百姓は大量に流亡して所を失う。《孝経章句》に曰く:客星が翼宿に留まれば、百姓は大量に流亡し、大水がまさに至らんとし、道路は阻まれて通じず、また大挙して兵が興る。
石氏曰:“客星守翼,君弱臣強,四夷王。”郄萌曰:“客星守翼,將軍謀反,兵大起。一曰:國更其服。又曰:有大令,若邊有大急。一曰:有一國之戰。一曰:名山有崩者。一曰:五穀雨傷。一曰:歲大風大水。一曰:有大令。”《荊州》曰:“客星守翼,歲大飢。”《南官候》曰:“客星守翼,有自立者,同姓王侯必有權臣。客星明大守翼,大水,江河決溢,道路不通,魚龍游於陸道。客星守翼,羽毛旗幟貴。”
石氏に曰く:客星が翼宿に留まれば、君主は弱く臣下は強く、四方の外族は王を称す。郄萌に曰く:客星が翼宿に留まれば、将軍が謀反し、大挙して兵が興る。一説に邦国はその服色を更える。また曰く重大な号令があり、あるいは辺境に緊急の軍情がある。一説に一国の内の戦がある。一説に名山の中に崩壊するものがある。一説に五穀は雨水に傷められる。一説にこの年、大風と大水が多い。一説に重大な号令がある。《荊州占》に曰く:客星が翼宿に留まれば、この年大飢饉となる。《南官候》に曰く:客星が翼宿に留まれば、兵を擁して自立する者があり、同姓の王侯の中に必ず権を擅にする臣が現れる。客星が明るく大きくて翼宿に留まれば、大水があり、江河は決口・氾濫し、道路は阻まれて通じず、魚と龍が陸上の道に遊ぶ。客星が翼宿に留まれば、羽毛と旗幟の値が上がる。
客星が軫宿を犯す 其の七
《海中占》:“客星干犯軫,近期百八十日,遠期一年。”黃帝曰:“赤星入軫,輕車入;出軫,輕車出。”石氏曰:“有星入軫,諸侯有來使者,以車為幣;出軫,君使人之諸侯,皆車為幣。”郄萌曰:“客星入軫,有土功,若五穀大貴。”《百二十占》曰:“他星入軫,有使者以車為幣,貴人多係者。一曰:無處車繫馬。或曰:野無車馬。”
《海中占》に曰く:客星が「軫」宿に侵り迫る――軫宿は南方朱雀七宿の末宿で、四星からなり、形は車輿に似て、車駕と風を司り、分野は楚の地に対応する――近くは百八十日、遠くは一年の内に応験する。黄帝占に曰く:赤色の客星が軫宿に入れば、軽車が駆け入る。軫宿から出れば、軽車が駆け出る。石氏に曰く:異星が軫宿に入れば、諸侯が使者を遣わして来て、車輌を見舞いの贈り物とする。軫宿から抜け出れば、君主が人を遣わして諸侯の国に使いし、同じく車輌を贈り物とする。郄萌に曰く:客星が軫宿に入れば、土木を興すか、あるいは五穀の値が大いに上がる。《百二十占》に曰く:別の異星が軫宿に入れば、車輌を贈り物とする使者があり、顕貴の人は多く拘繫される。一説に車を停め馬を繋ぐところがない。あるいは野外に車馬が見えないという。
《文耀鉤》曰:“客星出軫,若有白衣自立者,大國多害,若有喪,兵革起天下,有逃主,近期不出一年,遠三年。”《荊州》曰:“赤星出軫,軍出。”《百二十占》曰:“他星出軫,有使者以車馬為幣,以冬三月視軫中。”黃帝曰:“赤星守軫,車馬有急行。客星守軫,車馬貴。”石氏曰:“客星守軫,川谷不通而車貴。一曰:守軫轄若長沙,車官使有憂。”
《文耀鈎》に曰く:客星が軫宿から出れば、あるいは平民が兵を擁して自立する者があり、大国は害を多く受け、あるいは喪事があり、兵戈は天下に遍く起こり、逃走する君主があり、近くは一年を出ず、遠くは三年の内に応験する。《荊州占》に曰く:赤色の客星が軫宿から出れば、軍隊が出征する。《百二十占》に曰く:別の異星が軫宿から出れば、車馬を贈り物とする使者があり、冬の三ヶ月に軫宿の中の様子を観察すべし。黄帝占に曰く:赤色の客星が軫宿に留まれば、車馬に緊急の調動がある。客星が軫宿に留まれば、車馬が値上がりする。石氏に曰く:客星が軫宿に留まれば、河川・山谷は阻まれて通じず車輌が値上がりする。一説に軫宿の「轄」星あるいは「長沙」星に留まれば、車駕を掌る官に憂患がある。
甘氏曰:“客星守軫,國有自立者,大國多害。”郄萌曰:“有星守軫,為車事。客星守軫,兵大起,邊境尤甚。一曰:名山有崩者。一曰:若白黃,有外憂;蒼,為臣。一曰:赤黃,外憂;黑蒼,讒臣。一曰:有土功之事。一曰:五穀大貴。”石氏曰:“客星犯守軫,天下有山崩,若水溢,出之地中。”郄萌曰:“客星入長沙,天下無處士。一曰:天下有逃王。一曰:兵盡散出之。”
甘氏に曰く:客星が軫宿に留まれば、国中に兵を擁して自立する者があり、大国は害を多く受ける。郄萌に曰く:異星が軫宿に留まれば、車駕の事を主る。客星が軫宿に留まれば、大挙して兵が興り、辺境はことに甚だしい。一説に名山の中に崩壊するものがある。一説に客星が白黄色なら外来の憂患を主り、青色なら臣子に応じる。一説に赤黄色は外来の憂患を主り、黒青色は讒を進める臣子を主る。一説に土木の事がある。一説に五穀の値が大いに上がる。石氏に曰く:客星が軫宿を侵犯して留まれば、天下に山崩があり、あるいは大水が氾濫し、地中より湧き出る。郄萌に曰く:客星が「長沙」星に入れば、天下に隠居して仕えない士がなくなる。一説に天下に逃走する君王がある。一説に兵馬が尽く散り出て去る。
開元占経 巻八十二
客星占 其の六
客星が石氏中官を犯す 上
客星が摂提を犯す 其の一
郄萌曰:“客星入攝提座,謀臣在側,聖人受制。”郄萌曰:“客星當攝提口,將受主俸,不為主用。”郄萌曰:“客星舍攝提角,不去,國家有喜。一曰:天下必有開倉者。”《河圖聖洽符》曰:“客星出攝提,若守之,天下大亂,人君自將兵,君臣謀,兵起宮中,不出其年。”
郄萌に曰く:客星が「摂提」の星座に入る――摂提は六星あり、左右それぞれ三つで大角を挟み、時を紀り節を建て四方を統領する――権謀の臣が君主のそばに蟠踞し、聖明の君主はかえってその牽制を受ける。郄萌はまた曰く:客星が摂提の開口のところに当たれば、将は君主の俸禄を領受しながら、君主のために用いられようとしない。郄萌はまた曰く:客星が摂提の星角に宿り去らなければ、国家に喜慶がある。一説に天下に必ず倉を開いて糧を放つ挙がある。《河図聖洽符》に曰く:客星が摂提から出るか、あるいはそこに留まれば、天下は大いに乱れ、君主は自ら兵を率い、君臣は互いに計り合い、宮中に兵変が起こり、その年を出ずに応験する。
客星が大角を犯す 其の二
甘氏曰:“客星出大角,大兵起,天下亂,若守之二十日以上,王者惡之,國易政,期三年。”《海中占》曰:“客星出入大角,天下亂,兵大起,臣謀其主,不則天下出水,入城郭,煞人民,期百日。” (郄萌曰:期三十日。)
甘氏に曰く:客星が「大角」星から出る――大角は東方蒼龍の角で、古人は天王の帝座と視て、君主の威徳を司る――大挙して兵が興り、天下は動乱する。もし客星が大角に二十日以上留まれば、君王はこれを悪兆とし、国家は政令を改易し、三年の内に応験する。《海中占》に曰く:客星が大角に出入すれば、天下は動乱し、大挙して兵が興り、臣下は君主を謀る。さもなくば天下に大水が出て城郭に漫れ入り、人民を溺死させ、百日の内に応験する。(原書の小注:郄萌に曰く、三十日の内に応験する。)
郄萌曰:“客星入中大角,天角,天子之席,有奇令。”郄萌曰:“客星舍抵大角,留不去,國家有大責。”石氏曰:“他星守大角,諸侯有謀上者。”郄萌曰:“客星守大角,天下有憂。”郄萌曰:“客星守大角,太子耗衰。”郄萌曰:“客星入座,謀臣在側,聖人受制。”
郄萌に曰く:客星が大角の正中に入れば――大角はまた「天角」ともいい、天子の坐席である――尋常ならざる詔令がある。郄萌はまた曰く:客星が宿して大角に抵り、滞留して去らなければ、国家は重大な責難を受ける。石氏に曰く:別の異星が大角に留まれば、諸侯の中に君上を謀る者がある。郄萌に曰く:客星が大角に留まれば、天下に憂患がある。郄萌はまた曰く:客星が大角に留まれば、太子の気数は損耗し衰える。郄萌はまた曰く:客星が帝座に入れば、権謀の臣が君主のそばに蟠踞し、聖明の君主はかえってその牽制を受ける。
客星が梗河を犯す 其の三
《海中占》曰:“客星干犯梗河,天子慎邊,四裔不靖。”《荊州占》曰:“有星入天矛,天下兵起。”陳卓曰:“客星入梗河,天下兵起。”石氏曰:“黃白星出天矛,天子用兵。”《玉曆》曰:“客星出梗河,北兵為亂,侵陵中國,人主有憂,期二年。”(按司馬《天文志》曰:孝明帝永平四年八月辛酉,客星出梗河西北,指貫索,七十日去梗河,為北兵至。五年十一月北匈奴七千騎,入五原塞,又入雲中,至原陽也。)
《海中占》に曰く:客星が「梗河」星に侵り迫る――梗河は三星、大角の北にあり、また「天矛」ともいい、胡兵と辺防を司る――天子は辺を慎んで防ぎ、四方の辺遠の族は安らかでない。《荊州占》に曰く:異星が天矛に入れば、天下に兵が起こる。陳卓に曰く:客星が梗河に入れば、天下に兵が起こる。石氏に曰く:黄白色の客星が天矛から出れば、天子は兵を用いる。《玉歴》に曰く:客星が梗河から出れば、北方の兵馬が乱を起こし、中原を侵凌し、君主に憂患があり、二年の内に応験する。(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》を案ずるに、漢の明帝・永平四年八月辛酉の日、客星が梗河の西北に現れ、貫索を指し、七十日を過ぎてやっと梗河を離れた。これは北兵の至らんとする兆候である。永平五年十一月、北匈奴の七千騎が五原塞に闖入し、また雲中に攻め入り、原陽にまで至った。)
石氏曰:“黃白星走天矛,正中之,有軍,兵罷;無軍,天子有獻兵者;星赤,兵內起,大將為亂;蒼白,將有疾;黑,將死;三夜不去,天子多戮者。”石氏曰:“客星舍梗河,主在東之君,人民相師長,強者為虎狼,小民為魚肉。”《海中占》曰:“客星舍梗河,陰陽不和,天下大風,樹木皆倒。”《天官書》曰:“客星守天矛,若出之,北兵大動,有喪。”石氏曰:“客星出入,若守梗河,朔兵大起。”
石氏に曰く:黄白色の客星が天矛に奔り、ちょうど中れば、軍が外にあれば兵を罢め休戦し、軍が外になければ、天子に兵器を進献しに来る者がある。客星が赤ければ、国内に兵変が起こり、大将が乱を起こす。青白なら、将が病む。黒なら、将が死ぬ。三夜連ねて去らなければ、天子は多くの人を誅戮する。石氏はまた曰く:客星が梗河に宿れば、東方の君主に応じ、百姓は互いに強者を師長とし、強横は虎狼となり、小民は宰割されるがままの魚肉となる。《海中占》に曰く:客星が梗河に宿れば、陰陽は和せず、天下に大風が吹き、樹木は皆倒れる。《天官書》に曰く:客星が天矛に留まるか、あるいは天矛から出れば、北方の兵馬が大いに動き、喪事がある。石氏に曰く:客星が梗河に出入するか、あるいは梗河に留まれば、北方に大挙して兵が興る。
客星が招揺を犯す 其の四
石氏曰:“客星干犯招搖,朔兵大來,不出一年。”韓楊曰:“客星入招搖,南夷王且操奇物來降國者。”《黃帝占》曰:“客星出招搖,朔兵來。一曰:夷狄勝,若旱多風。”石氏曰:“客星出招搖,兵革大起,朔兵為亂,若單于死,期一年。”黃帝曰:“客星當天庫,天下兵革。”石氏曰:“客星當天庫,將受主命,不為主用。”
石氏に曰く:客星が「招揺」星に侵り迫る――招揺は一星、梗河の北にあり、胡兵を司り、また北方の辺事を司る――北方の兵馬が大挙して来犯し、一年を出ずに応験する。韓楊に曰く:客星が招揺に入れば、南方の外族の君王がまさに珍奇の物を携えて国に帰降し来る。《黄帝占》に曰く:客星が招揺から出れば、北方の兵馬が来る。一説に外族が勝つか、あるいは天旱にして風が多い。石氏に曰く:客星が招揺から出れば、兵戈が大いに起こり、北方の兵馬が乱を起こすか、あるいは単于が死に、一年の内に応験する。黄帝占に曰く:客星が「天庫」星に当たれば、天下に兵戈が起こる。石氏に曰く:客星が天庫に当たれば、将は君主の命令を受けながら、君主のために用いられようとしない。
石氏曰:“客星走招搖,北兵來。”黃帝曰:“客星居招搖間,北兵起。”郄萌曰:“客星舍匈奴星,(按招搖無匈奴之名,郄萌曰此,當以招搖主北兵,以入招搖占中國,兼錄之也。)人面龍身,留十餘日不去,占主內相賊,國家兵起,敵人來降。”石氏曰:“客星守招搖,北主死,其民亂。”石氏曰:“客星守招搖,蠻夷君死民亂。”班固《天文志》曰:“客星守招搖,蠻夷有亂。”
石氏に曰く:客星が招揺に奔れば、北方の兵馬が来る。黄帝占に曰く:客星が招揺の間に居れば、北方に兵が起こる。郄萌に曰く:客星が「匈奴」星に宿る(原書の小注:按ずるに招揺に匈奴の名はなく、郄萌がかくいうは、招揺が北方の兵事を主るので、客星の招揺に入るを借りて中原の事を占うがゆえに、あわせて収録する)――その星は人面にして龍身、十余日滞留して去らなければ、占断は主たる方の内部が自ら相い賊し、国家は兵を興し、敵人は帰降し来る。石氏に曰く:客星が招揺に留まれば、北方の君主は死に、その民は乱を起こす。石氏はまた曰く:客星が招揺に留まれば、蛮夷の君主は死に民は乱を起こす。班固《漢書・天文志》に曰く:客星が招揺に留まれば、蛮夷の地に動乱がある。
客星が玄戈を犯す 其の五
陳卓曰:“客星干犯玄戈,占單于大敗,期二年。”《黃帝占》曰:“客星出玄戈,敵兵大敗,若有死王,期二年。”《荊州占》曰:“客星守玄戈,天子死。”石氏曰:“客星守玄戈,北兵來。”
陳卓に曰く:客星が「玄戈」星に侵り迫る――玄戈は一星、招揺の北にあり、天上の兵戈で、北方の戦事を司る――占断は単于の大敗で、二年の内に応験する。《黄帝占》に曰く:客星が玄戈から出れば、敵方の軍隊は大敗するか、あるいは死ぬ君王があり、二年の内に応験する。《荊州占》に曰く:客星が玄戈に留まれば、天子は死ぬ。石氏に曰く:客星が玄戈に留まれば、北方の兵馬が来る。
客星が天槍を犯す 其の六
郄萌曰:“客星入天槍,天下有飢兵。”《荊州占》曰:“客星入天槍,有大戰。”石氏曰:“客星出天槍,邊外有急,機槍用,有兵起,大將出,期一年。”
郄萌に曰く:客星が「天槍」星に入る――天槍は三星、北斗の斗杓の東北方にあり、天上の兵器である――天下に飢饉による兵乱がある。《荊州占》に曰く:客星が天槍に入れば、大規模の会戦がある。石氏に曰く:客星が天槍から出れば、辺境の外に緊急の軍情があり、弩機・長槍の類の兵器が用いられ、戦事が起こり、大将が出征し、一年の内に応験する。
客星が天棓を犯す 其の七
石氏曰:“客星干犯天棓,兵大起,期二年。”焦延壽曰:“有星入天棓,大兵當起。”《玉曆》曰:“客星出天棓,兵大起,下謀上,大人有戮者,期二年。”
石氏に曰く:客星が「天棓」星に侵り迫る――天棓は五星、女床の北にあり、天上の棍棒の兵器で、外来の禍患を防ぐことを司る――大挙して兵が興り、二年の内に応験する。焦延寿に曰く:異星が天棓に入れば、大きな戦事がまさに起こらんとする。《玉歴》に曰く:客星が天棓から出れば、大挙して兵が興り、下は上を謀り、上に位する大人物の中に誅戮される者があり、二年の内に応験する。
客星が女床を犯す 其の八
石氏曰:“客星干犯女床,貴人暴誅,期百八十日。”郄萌曰:“有星入女床,有異女來誤我王。”《荊州占》曰:“客星入女床,若動搖,女有大行,若天下女子有憂。”甘氏曰:“客星出女床,若守之,強臣執政,貴人有暴誅者,期百八十日。”《荊州占》曰:“客星守女床,後宮女凶。”
石氏に曰く:客星が「女床」星に侵り迫る――女床は三星、天紀の東北にあり、後宮の妃嬪・御女を司る――顕貴の人は突然誅殺され、百八十日の内に応験する。郄萌に曰く:異星が女床に入れば、異邦の女子が来て我が王を誤らせる。《荊州占》に曰く:客星が女床に入るか、あるいはそこで揺れて明滅すれば、宮中の女子に遠行があり、あるいは天下の女子に憂患がある。甘氏に曰く:客星が女床から出るか、あるいはそこに留まれば、強横な臣子が朝政を把り、顕貴の人の中に突然誅殺される者があり、百八十日の内に応験する。《荊州占》に曰く:客星が女床に留まれば、後宮の女子は凶に遭う。
客星が七公を犯す 其の九
《河圖聖洽符》曰:“客星出七公,及守之,將相有憂,御臣受戮,若議人有罪,直言者凶。”《黃帝占》曰:“客星守七公,為饑民,君不安。”
《河図聖洽符》に曰く:客星が「七公」星から出るか、およびそこに留まる――七公は七星、貫索の西北にあり、天上の三公の位で、政事を議論する――将相に憂患があり、侍御の臣は誅戮される。あるいは罪を議して案を定めるとき、直言して進諫する人がかえって凶に遭う。《黄帝占》に曰く:客星が七公に留まれば、飢餓の流民が現れ、君主は安らかでない。
客星が貫索を犯す 其の十
石氏曰:“客星干犯貫索,不有大赦,必有大獄,民叛,篡弒君,不過三年。”石氏曰:“客星入貫索,天下多死人。”石氏曰:“他星入貫索二日,有喪。”《荊州占》曰:“黃星入貫索,諸侯有以地坐法者。”《黃帝占》曰:“有星出貫索中,有救。星大,大赦;星小,小赦。”《荊州占》曰:“客星出貫索,其國亡土邑。”
石氏に曰く:客星が「貫索」星に侵り迫る――貫索は九星が連綴して環を成し、天上の牢獄で、もっぱら貴人の囚繫を司る――大赦でなければ必ず大案があり、百姓は叛乱し、位を簒い君を弑する者があり、三年を過さず応験する。石氏はまた曰く:客星が貫索に入れば、天下に死ぬ人が多い。石氏はまた曰く:別の異星が貫索に入ること二日なら、喪事がある。《荊州占》に曰く:黄色の客星が貫索に入れば、諸侯の中に土地の事で法令に触れる者がある。《黄帝占》に曰く:異星が貫索の中から出れば、救助を主る。その星が大きければ大赦、その星が小さければ小赦である。《荊州占》に曰く:客星が貫索から出れば、その邦国は土地・城邑を喪う。
齊伯曰:“客星入貫索,大臣有謀,下有反者,貴人多下獄,一日守之,十日有大赦,期一年。”(按司馬彪《天文志》曰:孝明皇帝永平四年八月辛酉,客星出梗河西北,指貫索,七十日去。貫索,貴人之牢。陵鄉侯梁松怨望,懸飛書誹謗朝廷,下獄死,妻子家屬徙九真也。)
斉伯に曰く:客星が貫索に入れば、大臣に密かな企てがあり、臣下に反叛する者があり、顕貴の人は大勢で牢獄に投ぜられる。客星が一日留まれば、十日の内に大赦があり、一年の内に応験する。(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》を案ずるに、漢の明帝・永平四年八月辛酉の日、客星が梗河の西北に現れ、貫索を指し、七十日を過ぎてやっと去った。貫索は貴人を収める牢獄である。のちに陵郷侯・梁松が心に怨恨を抱き、匿名の文書を張り出して朝廷を誹謗し、獄に下されて死し、妻子・家属はことごとく九真郡に流された。)
客星が天紀を犯す 其の十一
《黃帝占》曰:“客星入天紀,有拘主。”《黃帝占》曰:“客星入天紀,諸侯舉兵,國政亂。”《甄耀度》曰:“客星出天紀,大臣執權,兵宮中,人主有憂,若強臣相戮,期不出二年。”郄萌曰:“客星行紀星,有饑民,君不安。”石氏曰:“他星守紀星,君不安,有饑民。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天紀」星に入る――天紀は九星、貫索の東北にあり、綱紀・法度を司り、また万物の名数を司る――拘囚される君主がある。《黄帝占》はまた曰く:客星が天紀に入れば、諸侯は兵を挙げ、国家の政局は混乱する。《甄耀度》に曰く:客星が天紀から出れば、大臣は権柄を執り、宮中に刀兵が動き、君主に憂患がある。あるいは強横な臣子が互いに殺し合い、応験は二年を出ない。郄萌に曰く:客星が紀星を行経すれば、飢餓の流民が現れ、君主は安らかでない。石氏に曰く:別の異星が紀星に留まれば、君主は安らかでなく、飢餓の流民が現れる。
客星が織女を犯す 其の十二
石氏曰:“客星犯織女,天子女誅死。”陳卓曰:“客星干犯織女,后族為亂,貴女有誅者,期三年。”郄萌曰:“客星入織女,為旱。”郄萌曰:“客星入織女、貫索、須女者,皆等。須女主帛絮,貫索主麻縷,織女主布帛及五彩,皆貴,各守其價,十日一倍,二十日再倍,三十日三倍,皆以四時相執。守南,南方貴;守北,北方貴;守西,西方貴;守東,東方貴;守中,中貴。所守,其國皆貴。其餘星皆仿此。”
石氏に曰く:客星が「織女」星を犯す――織女は三星、天紀の東端にあり、天上の女工の神で、瓜果・糸帛と珍宝を司る――天子の娘は誅殺されて死ぬ。陳卓に曰く:客星が織女に侵り迫れば、皇后の外戚が乱を起こし、顕貴の女子の中に誅殺される者があり、三年の内に応験する。郄萌に曰く:客星が織女に入れば、旱害の兆し。郄萌はまた曰く:客星が織女・貫索・須女に入るは、占法は皆同じである。須女は帛と綿絮を主管し、貫索は麻と線縷を主管し、織女は布帛および五彩の物を主管する。客星が臨めばこれらは皆値上がりし、それぞれ客星の留まる時日によって値を推算する。十日留まれば一倍に上がり、二十日留まれば倍に、三十日留まれば三倍に上がる。いずれも四季の物候を参照して把握する。客星が南に留まれば南方の貨物が貴く、北に留まれば北方が貴く、西に留まれば西方が貴く、東に留まれば東方が貴く、中に留まれば中部が貴い。その留まる方の邦国は皆物価が上がる。其余の各星は皆これに仿う。
《荊州占》曰:“奇星入織女,有兵,十年乃解。一曰:人主攻一家、一國,若族之。”石氏曰:“赤星入織女,主攻一國,殘之。又曰:接客來,黃星入,女子受地者;黑星入,淫婦憂;青星入,以憂來者。”石氏曰:“客星入織女,有女使者,若中守棄犯之,女君誅,若有婦女之事。”石氏曰:“黑星出織女,女子多懷子死。”
《荊州占》に曰く:奇異の星が織女に入れば、戦事があり、十年にしてやっと解ける。一説に君主はある一家・ある一国を攻め、さらにはその宗族を夷滅する。石氏に曰く:赤色の客星が織女に入れば、君主は一国を攻めてこれを残破する。また曰く:賓客が来る。黄色の客星が入れば、女子に地を受け封ぜられる者がある。黒色の客星が入れば、淫乱の婦人に憂患がある。青色の客星が入れば、来る人は憂いを帯びて来る。石氏はまた曰く:客星が織女に入れば、女性の使者がある。もしそれが織女の中に留まり、離れ去りまた侵犯すれば、女君は誅殺されるか、あるいは婦女方面の事故がある。石氏はまた曰く:黒色の客星が織女から出れば、女子は懐妊して死ぬ者が多い。
《海中占》曰:“客星出織女,若入之,后族為亂,若誅臣;一曰貴女有誅者,各以五色占。白為喪,赤為兵,黑為水,黃為旱,青為飢。”《荊州占》曰:“客星出織女,宮人逃。”(一書曰:青星。)《黃帝占》曰:“客星出入織女,絲絮布帛貴,在後年。”石氏曰:“客星出入(郄萌曰:守)織女,有誅臣降王。”郄萌曰:“客星在織女下,兵起,必戰,不出十日。”
《海中占》に曰く:客星が織女から出るか、あるいは織女に入れば、皇后の外戚が乱を起こすか、あるいは臣子が誅殺される。一説に顕貴の女子の中に誅殺される者があり、それぞれ客星の五色によって占断する。白は喪事、赤は兵事、黒は水害、黄は旱害、青は飢饉を主る。《荊州占》に曰く:客星が織女から出れば、宮人が逃亡する。(原書の小注:別の一書に青色の星と云う。)《黄帝占》に曰く:客星が織女に出入すれば、糸・綿・布・帛が値上がりし、翌年に応じる。石氏に曰く:客星が織女に出入すれば(原書の小注:郄萌は「留まる」と作る)、誅殺される臣子と帰降する君王がある。郄萌に曰く:客星が織女の下に留れば、戦事が起こり、必ず交戦し、十日を出ずに応験する。
郄萌曰:“客星舍織女,後宮有以梁死者。”石氏曰:“他星守織女,女有憂,若有嫁娶之事。”石氏曰:“他星守織女,乍出乍入,前後左右,回惑其色,色青為飢,赤為兵,黃為旱,白為喪,黑為水。”郄萌曰:“客星守織女,山搖地動,若牛疾。”《荊州占》曰:“客星守織女,有女子使來者。色青,憂以來;赤,有奇客來;黃白,宮女有喜。”
郄萌に曰く:客星が織女に宿れば、後宮の中に梁に吊るして死ぬ者がある。石氏に曰く:別の異星が織女に留まれば、女子に憂患があり、あるいは嫁娶の事がある。石氏はまた曰く:別の異星が織女に留まり、忽ち出で忽ち入り、忽ち前に忽ち後に、忽ち左に忽ち右に、光色は変幻して定まらず、色が青なら飢饉、赤なら兵事、黄なら旱害、白なら喪事、黒なら水害を主る。郄萌に曰く:客星が織女に留まれば、山は揺れ地は動き、あるいは牛が病に染まる。《荊州占》に曰く:客星が織女に留まれば、女性の使者が来る。客星の色が青なら、来る人は憂いを帯びて来る。赤なら、奇異の賓客が来る。黄白なら、宮女に喜慶がある。
客星が天市垣を犯す 其の十三
《文曜鉤》曰:“客星入天市垣,兵大起,斧鉞用,大臣當有斬者,近期一年,遠期三年。”石氏曰:“客星入天市垣,色黑,市使死。”石氏曰:“客星入天市,黃白,市使憂;黑,死;以日占何國。”石氏曰:“客星入天市,聚者皆起,或不得耕食,大兵橫流,期三年。”
《文曜鈎》に曰く:客星が「天市垣」に入る――天市垣は三垣の一つで、二十二星が牆のごとく環列し、天上の集市で、貿易・交易と百姓の聚居を司る――大挙して兵が興り、斧鉞の類の刑具が用いられ、大臣の中に斬られるべき者があり、近くは一年、遠くは三年の内に応験する。石氏に曰く:客星が天市垣に入り、色が黒ければ、集市を掌る官吏は死ぬ。石氏はまた曰く:客星が天市に入り、黄白なら市を掌る官吏に憂患があり、黒なら死ぬ。客星の現れた日の日辰によってどの国に応じるかを占う。石氏はまた曰く:客星が天市に入れば、聚居する人は皆遷動し、ある人は耕して糊口することができず、大規模の兵禍が四処に横流し、三年の内に応験する。
石氏曰:“客星入天市,大臣誅,有戮卿;一曰:有戮王,皆期一年,遠三年。”(按班固《天文志》曰:孝宣地節元年七月癸酉,客星入天市,芒炎東南指,其色白,是時楚王延壽謀逆自殺。地節二年,故將軍翟告夫人顯,將軍霍禹、范明友、奉車霍山及諸昆弟嬪婚為侍中,諸曹、九卿、郡守皆謀反,夷族,伏其辜也。)
石氏に曰く:客星が天市に入れば、大臣は誅され、公卿の殺される者がある。一説に王侯の殺される者があり、皆一年の内に応験し、遠くとも三年。(原書の小注:班固《漢書・天文志》を案ずるに、漢の宣帝・地節元年七月癸酉の日、客星が天市に入り、光芒は東南を指し、その色は白かった。この時、楚王・劉延寿は叛逆を謀って自殺した。地節二年、前朝の将軍家の事が告発され、夫人の顕・将軍の霍禹・范明友・奉車都尉の霍山、および霍氏の諸兄弟と姻親を結んで侍中に任じた者たち、また諸曹・九卿・郡守が、皆謀反を企てて、ついに宗族を夷滅され、その罪に服した。)
郄萌曰:“客星入市中,兵犯外城。”郄萌曰:“客星入天市中,糴石三百,居市門者石五百五十,亦曰遊市旁者石百。”郄萌曰:“赤星入天市,棄市滿天下。”郄萌曰:“黃白星入天市。嗇夫不遷即賜。”郄萌曰:“客星遁,或若填星所發,入市中而出外,死罪復生。”郄萌曰:“赤星長尋,集天市中,有兵。”郄萌曰:“青黑星出天市,嗇夫不死即免。”
郄萌に曰く:客星が天市の中に入れば、敵兵は外城を犯す。郄萌はまた曰く:客星が天市の中に入れば、糧価は一石につき三百銭に上がる。市門のところに居れば一石五百五十銭、市のそばに遊移すれば一石百銭ともいう。郄萌はまた曰く:赤色の客星が天市に入れば、処刑されて街市に棄屍される人が天下に満ちる。郄萌はまた曰く:黄白色の客星が天市に入れば、集市を管理する嗇夫は昇遷するか賞賜を受けるかである。郄萌はまた曰く:客星が隠没して見えなくなり、あるいは填星(土星)の発したるがごとき様に、天市の中に入ってまた市の外に出れば、死罪を判された人が生きる道を再び得る。郄萌はまた曰く:赤色の客星の長さが一尋に達し、天市の中に集まれば、兵事がある。郄萌はまた曰く:青黒色の客星が天市から出れば、集市を管理する嗇夫は死ななくても免職される。
司馬彪《天文志》曰:“孝靈中平五年六月丁卯。客星如三升梡,出貫索西南,南行入天市,至尾。占曰:為貴人喪。明年四月,宮車晏駕。”謝承《後漢書》曰:“吳郡周敞師事京房,房為石顯所諧,繫獄,謂敞曰:吾死後三十日,客星必出天市,即吾無辜也。後果如言,敞上書陳其枉。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す:漢の霊帝・中平五年六月丁卯の日、一つの客星が現れ、大きさは三升容の木碗のようで、貫索の西南から出て、南へ行って天市に入り、尾宿にまで至った。占辞に顕貴の人に喪事ありと主る。翌年四月、霊帝が崩じた。謝承《後漢書》に記す:呉郡の人・周敞は京房に師事していた。京房は石顕に讒害され、牢獄に繋がれて、周敞にいった。わたしの死後三十日、客星は必ず天市に現れる。それがわたしの冤罪無辜の証である。のち果してその言のごとくなり、周敞は上書してその冤情を陳した。
《荊州占》曰:“客星出入天市,旗兵大起,大將斬。”《玄冥》曰:“客星出天市,執令者死,大臣誅,有貴人多市死者,期二年。”郄萌曰:“客星入若守天市,執令者死。”郄萌曰:“太白星入若守天市,天下亂。” 郄萌曰:“太白星入若守天市,度量不平,市亂。”
《荊州占》に曰く:客星が天市に出入すれば、旌旗の兵馬が大挙して興り、大将は斬られる。《玄冥占》に曰く:客星が天市から出れば、法令を執る者は死に、大臣は誅殺され、顕貴の人の中に街市で処刑される者が多く、二年の内に応験する。郄萌に曰く:客星が天市に入りあるいは留まれば、法令を執る者は死ぬ。郄萌はまた曰く:太白星すなわち金星が天市に入りあるいは留まれば、天下は動乱する。郄萌はまた曰く:太白星が天市に入りあるいは留まれば、度量衡は公平でなくなり、集市の秩序は乱れる。
客星が帝座を犯す 其の十四
石氏曰:“客星干犯帝座,人民大亂,官朝徙大臣,期三年。”《荊州占》曰:“客星入帝座,留不去,則有貴人變更令。”《荊州占》曰:“赤星入帝座,朝廷有兵。”《河圖帝覽嬉》曰:“客星出帝座,若守之不去,則有貴人變更法令,大臣為亂,人主不安。”
石氏に曰く:客星が「帝座」星に侵り迫る――帝座は一星、天市垣の正中にあり、天帝の居する位で、人間の君主に対応する――百姓は大いに乱れ、朝廷の官署は大臣を遷調し、三年の内に応験する。《荊州占》に曰く:客星が帝座に入り、滞留して去らなければ、顕貴の人が政令を変更することがある。《荊州占》はまた曰く:赤色の客星が帝座に入れば、朝廷の中に兵変がある。《河図帝覧嬉》に曰く:客星が帝座から出るか、あるいはそこに留まって去らなければ、顕貴の人が法令を変更し、大臣が乱を起こし、君主は安らかでない。
客星が天候を犯す 其の十五
《荊州占》曰:“客星入天候星,士卒罷,人有急行。”石氏曰:“客星出候星,天下亂,人民相攻,士卒出,有急行。”石氏曰:“客星守候星,候者憂。”石氏曰:“客星守候星,外客欲為主也。”《荊州占》曰:“客星守候星,天下大亂。”
《荊州占》に曰く:客星が「天候」星に入る――候星は一星、帝座の東にあり、天象を観察し吉凶を伺う――士卒は罷遣されて郷に帰り、人は緊急の行程がある。石氏に曰く:客星が候星から出れば、天下は大いに乱れ、人民は互いに攻撃し、士卒は出動して、緊急の行軍がある。石氏はまた曰く:客星が候星に留まれば、伺望の職にある人に憂患がある。石氏はまた曰く:客星が候星に留まれば、外来の賓客が主人の位に代わらんとする。《荊州占》に曰く:客星が候星に留まれば、天下は大いに乱れる。
客星が宦者を犯す 其の十六
石氏曰:“客星干犯宦者,宦者滅亡。”郄萌曰:“客星舍宦者星,左右貴人有不長者。”《玉曆》曰:“客星出守宦者星,左右貴人有不廢者,不能守其貴;一曰:有讓位者。”
石氏に曰く:客星が「宦者」星に侵り迫る――宦者は四星、帝座の西にあり、宮中に給事する内侍を司る――宦官は滅亡に遭う。郄萌に曰く:客星が宦者星に宿れば、君主の左右の顕貴の人の中に、その地位を長く保てない者がある。《玉歴》に曰く:客星が宦者星から出てそこに留まれば、君主の左右の顕貴の人は廃黜されなくてもその尊貴を守ることができない。一説に位を譲る者がある。
客星が宗人を犯す 其の十七
《河圖聖洽符》曰:“客星出宗人,帝族親多死者;一曰:王者不親宗族。”郄萌曰:“客星舍宗人,留不去,有貴人死者。”
《河図聖洽符》に曰く:客星が「宗人」星から出る――宗人は四星、宗星の西南にあり、帝王の宗族・親属と宗廟の礼儀を司る――帝室の宗親の中に死ぬ者が多い。一説に君王はその宗族を親しまない。郄萌に曰く:客星が宗人に宿り、滞留して去らなければ、顕貴の人に死亡がある。
客星が宗正を犯す 其の十八
《荊州占》曰:“客星守宗正,更號令。”甘氏曰:“客星出宗正,守之不去,左右宗族倖臣多死,不出其年。”
《荊州占》に曰く:客星が「宗正」星に留まる――宗正は二星、帝座の東南にあり、皇族の事務を掌る宗正の官を象する――朝廷は号令を更改する。甘氏に曰く:客星が宗正から出て、またそこに留まって去らなければ、君主の左右の宗族と寵を得た臣は死亡する者が多く、その年を出ずに応験する。
客星が宗星を犯す 其の十九
《聖洽符》曰:“客星出宗星,帝族親多死者;一曰:王者不親宗族。”石氏曰:“客星守宗星,宗人不和。”
《聖洽符》に曰く:客星が「宗星」から出る――宗星は二星、候星の東にあり、宗廟と宗室の事を司る――帝室の宗親の中に死ぬ者が多い。一説に君王はその宗族を親しまない。石氏に曰く:客星が宗星に留まれば、宗族の人は互いに和睦しない。
客星が東西咸を犯す 其の二十
齊伯曰:“客星出東西咸,女主自恣,若淫泆;一曰:貴人女有憂,若有黜者,不出其年。”《荊州占》曰:“客星守東西咸,人主淫泆失道。”
斉伯に曰く:客星が「東咸」「西咸」から出る――東咸・西咸はそれぞれ四星、房宿の南北両側に分列し、天上の淫佚を防ぐ門戸である――女主は恣肆に放縦し、あるいは淫乱の行いがある。一説に顕貴の家の女子に憂患があり、あるいは廃黜される者があり、その年を出ずに応験する。《荊州占》に曰く:客星が東咸・西咸に留まれば、君主は淫乱にして徳を失い、正道に背く。
客星が天江を犯す 其の二十一
《黃帝占》曰:“客星入天江,河津關絕道不通;一曰:河津吏有憂。”《甄曜度》曰:“客星出天江,有大水,河海溢,津關塞,民多飢。”陳卓曰:“客星干歷天江,大兵攻王國,王者以赦除之,則國豐年。”《黃帝占》曰:“客星守天江星一日,津河吏有憂。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天江」星に入る――天江は四星、尾宿の北にあり、江河の津渡を司る――渡口・関隘は絶たれて道路は通じない。一説に渡口を掌る官吏に憂患がある。《甄曜度》に曰く:客星が天江から出れば、大水があり、江河湖海は泛溢し、渡口・関卡は塞がれ、民は飢饉に遭う者が多い。陳卓に曰く:客星が天江に侵り迫って経過すれば、大軍は王国を攻め、君王がもし大赦をもってこの象を解消すれば、国はかえって豊年となる。《黄帝占》に曰く:客星が天江星に一日留まれば、渡口・河防を掌る官吏に憂患がある。
客星が建星を犯す 其の二十二
陳卓曰:“客星干犯建星,王失道,忠言者誅,賢士逃亡。”《海中占》曰:“客星入建星,(郄萌曰:守)有熹福,谷大熟。”郄萌曰:“客星入建星,君不親其大臣。”郄萌曰:“赤星入建星,人主謀兵,兵罷;出建星,軍乃戰。”郄萌曰:“赤星入建星,津河水大出,橋樑不通。”
陳卓に曰く:客星が「建星」に侵り迫る――建星は六星、南斗の北にあり、天上の都門で、旗鼓と関隘・橋梁を司る――君王は正道に背き、直言して進諫する人は誅殺され、賢能の士は逃亡する。《海中占》に曰く:客星が建星に入れば(原書の小注:郄萌は「留まる」と作る)、喜慶の福祥があり、穀物は大いに熟する。郄萌に曰く:客星が建星に入れば、君主はその大臣を親しまない。郄萌はまた曰く:赤色の客星が建星に入れば、君主は兵を用いることを謀るも、ついに兵を罢めて戦わない。客星が建星から出れば、軍はまさに戦う。郄萌はまた曰く:赤色の客星が建星に入れば、渡口・河道に大水が漫れ出て、橋梁は絶えて通じない。
《海中占》曰:“客星出建星,君不親其大臣,上下相疑,主令不行。”郄萌曰:“客星舍建星,留不去,即有大兵,馬大貴。”郄萌曰:“客星守建星,人民安。”郄萌曰:“客星入守建星,人臣自臨府事。”《玄冥》曰:“客星中而守之,天下道塞,多有盜賊,關梁不通,期二年。”
《海中占》に曰く:客星が建星から出れば、君主はその大臣を親しまず、上下は互いに猜疑し、君主の号令は行き渡らない。郄萌に曰く:客星が建星に宿り、滞留して去らなければ、すなわち大きな戦事があり、馬の値が大いに上がる。郄萌はまた曰く:客星が建星に留まれば、百姓はかえって安寧である。郄萌はまた曰く:客星が建星に入って留まれば、臣子は越権して自ら官府に臨み、もともと彼の主ずべきでない政務を署理する。《玄冥占》に曰く:客星がちょうど建星の中にあってそこに留まれば、天下の道路は塞がれ、盗賊は多く、関隘・橋梁は通じず、二年の内に応験する。
客星が天弁を犯す 其の二十三
《文曜鉤》曰:“客星出天弁,若守之,有囚徒兵起;一曰:五穀傷,大貴。”
《文曜鈎》に曰く:客星が「天弁」星から出るか、あるいはそこに留まる――天弁は九星、建星の北にあり、集市の官長を象して、貨物の交易を掌る――囚徒が衆を聚めて兵を動かし乱を起こす。一説に五穀は損なわれ、値が大いに上がる。
客星が河鼓を犯す 其の二十四
《黃帝占》曰:“客星入河鼓,色赤有兵,黃則天下安,蒼則不用。”
《黄帝占》に曰く:客星が「河鼓」星に入る――河鼓は三星、牽牛の北にあり、今人のいう牽牛郎星とその両側の二星で、天上の戦鼓であり、軍旅・征伐を司る――客星の色が赤なら兵事があり、黄なら天下は安定し、青なら兵を動かすに及ばない。
郄萌曰:“有星入河鼓,有兵,三軍出之野。”郄萌曰:“大星入河鼓,有兵,三將軍出。”郄萌曰:“火星入河鼓,天下鼓出。”郄萌曰:“大赤星入河鼓星,大將驚,蒼黑,憂;黃,更地;黑,入之死。”《荊州占》曰:“客星入河鼓,兵吏驚。”《黃帝占》曰:“客星出河鼓,兵出;入河鼓,兵入。”巫咸曰:“客星出河鼓,旗鼓大用,有兵起,將軍立旗幟;一曰:穀貴,軍絕糧,不出其年。”
郄萌に曰く:星が「河鼓」に入れば、天下に干戈があり、三つの軍隊が郊野に赴く。「河鼓」は三星、天の河のかたわらに横たわり、中央の大星は天上の大将軍で、左右の二星は左将軍・右将軍であり、軍中の旗鼓・号令を主管する。郄萌はまた曰く:大きな星が河鼓に侵すれば、兵事が発動し、三人の将軍が兵を率いて出征する。郄萌はまた曰く:火星が河鼓に侵すれば、天下の戦鼓は皆抬げ出されて用いられる。郄萌に曰く:赤色の大星が河鼓の諸星に入れば、主将は驚く。星の色が青黒なら憂患を主り、黄なら封地を更え替え、黒なら入犯する人は身が死ぬ。《荊州占》に曰く:客星が河鼓に入れば、兵を掌る官吏は驚き不安となる。《黄帝占》に曰く:客星が河鼓から外へ行けば兵馬は境を出、外から内へ河鼓に入れば兵馬は境に入る。巫咸に曰く:客星が河鼓に現れれば、旗幟・戦鼓が大規模に動用され、戦事が起こり、将軍は自分の旗幟を立てる。一説に穀の値が騰貴し、軍は糧を絶ち、応験はその年を出ない。
石氏曰:“大赤星若出河鼓,所守之國將驚,若受令出。”郄萌曰:“客星舍河鼓,中國有鐘鼓之音,若立旗幟。”石氏曰:“客星守河鼓,三將軍食絕。”郄萌曰:“客星守河鼓,將軍戰亡,有奪鼓者。”《荊州占》曰:“客星守河鼓,兵革起,旗鼓用。”《黃帝占》曰:“客星中犯乘守河鼓,所中犯者誅,若有罪。”
石氏に曰く:赤色の大星がもし河鼓から出れば、河鼓の対応するその封国の将は驚擾されるか、あるいは命を奉じて出征する。郄萌に曰く:客星が河鼓に宿して留まれば、中原の地に鐘鼓の音が響くか、あるいは旗幟を立てて兵を発する。石氏に曰く:客星が河鼓に留まれば、三人の将軍の軍糧は絶える。郄萌に曰く:客星が河鼓に留まれば、将軍は疆場に戦死し、人に軍鼓を奪われる事も現れる。《荊州占》に曰く:客星が河鼓に留まれば、兵戈の事が起こり、旗鼓が用をなす。《黄帝占》に曰く:客星がその中に貫入し、干犯し、凌乗し、あるいは河鼓に留まれば、侵犯されたその星官の主る人は誅殺されるか、あるいは罪を得る。
客星が離珠を犯す 其の二十五
《荊州占》曰:“客星犯離珠,後宮凶。”《玉曆》曰:“客星出離珠,若守之,後宮凶,若宮人有罪誅者,期二年。”
《荊州占》に曰く:客星が「離珠」を犯せば、後宮に凶事が出る。「離珠」は四星、須女星の北にあり、後宮の珠玉・宝飾を主管する星官で、星象に変動があれば、応験は嬪妃・女御の側に落ち、外朝の政事には渉らない。《玉歴》に曰く:客星が離珠に現れ、あるいはそこに留まって守れば、後宮は凶险に遭うか、あるいは宮中の人が罪によって処刑され、応験の期限は二年である。
客星が匏瓜を犯す 其の二十六
石氏曰:“客星干犯匏瓜,政亂,近臣相譖,宮有戮死者,以赦除咎。”《黃帝占》曰:“客星入匏瓜,有大憂,若魚鹽價十倍。”石氏曰:“客星色青,入匏瓜,諸侯有來獻果者,中有藥,不可食。”石氏曰:“客星色赤,入匏瓜,人主攻一邑,族之。”石氏曰:“客星色白,入匏瓜,有喪。”石氏曰:“有星色黑,入匏瓜中若外,皆為魚鹽貴;出匏瓜,君使人賜諸侯果。”
石氏に曰く:客星が「匏瓜」を冲犯すれば、朝政は紊乱し、近臣は互いに讒を進めて陥れ合い、宮中に殺される人があり、大赦をもってこの災咎を解消すべし。「匏瓜」は五星、離珠の北にあり、後宮の瓜果・菜蔬を主管し、ゆえにその占辞は多く飲食の類の事に応じる。《黄帝占》に曰く:客星が匏瓜に入れば、大きな憂患があり、あるいは魚塩の値が十倍に上がる。石氏に曰く:客星が青色を呈して匏瓜に入れば、果物を進献しに来る諸侯があり、果の中に毒薬が交じっていて食べてはならない。石氏に曰く:客星が赤色を呈して匏瓜に入れば、君主は兵を出して一つの城邑を攻め、その宗族を誅滅する。石氏に曰く:客星が白色を呈して匏瓜に入れば、喪事がある。石氏に曰く:星が黒色を呈して匏瓜の中に入るか匏瓜の外に留まるかは、いずれも魚塩の値の貴いことを主る。もし匏瓜から出れば、君主が人を遣わして諸侯に果物を賞賜する。
《黃帝占》曰:“客星色赤,出匏瓜,天下有遊兵而不戰。”《黃帝占》曰:“客星白,(一本曰:色青也。)出匏瓜,君使人遺諸侯果。”甘氏曰:“客星出匏瓜,人主憂,備毒藥,若諸侯獻果,中有藥,不可食,防備之,若食憂,期三年。”
《黄帝占》に曰く:客星が赤色を呈して匏瓜から出れば、天下に遊動して往来する兵馬があるが、真に交戦はしない。《黄帝占》に曰く:客星が白色(原書の小注:別の一つの本に「色青」と作る)を呈して匏瓜から出れば、君主は人を遣わして諸侯に果物を饋送する。甘氏に曰く:客星が匏瓜に現れれば、君主に憂患があり、あらかじめ毒薬に備えなければならない。もしこの時に諸侯が果物を進献すれば、果の中に毒薬が蔵されていて口に入れてはならず、必ず厳重に防備すべく、万一誤って食えば禍殃を生じ、応験の期限は三年である。
《黃帝占》曰:“有星出入匏瓜,若在其下,皆為食官有憂。”《黃帝占》曰:“客星守匏瓜,山搖。”《黃帝占》曰:“有星守匏瓜,有食有憂。”石氏曰:“客星守匏瓜,山谷多水。”《黃帝占》曰:“客星入若守匏瓜,備奸人獻食物,有毒藥也。”
《黄帝占》に曰く:星が匏瓜に出たり入ったりするか、あるいは匏瓜の下に留まるかは、いずれも御膳を掌る「食官」に憂患があることを主る。《黄帝占》に曰く:客星が匏瓜に留まれば、山岳はこれに揺れる。《黄帝占》に曰く:星が匏瓜を守れば、飲食の一事に憂患を生ずる。石氏に曰く:客星が匏瓜を守れば、山谷の間に雨水が溢れて災いを成す。《黄帝占》に曰く:客星が匏瓜に入るかあるいは守れば、奸人の食物を進献するに備えねばならず、その食物の中に毒薬が下されている。
客星が天津を犯す 其の二十七
石氏曰:“客星干犯天津,賊斷王道。”《黃帝占》曰:“客星入天津中,若守之,津河道不通。”《聖洽符》曰:“客星出天津,天下關絕,不通,若津吏有憂罪者。”郄萌曰:“客星入天津,諸侯不通,天下備道,修橋樑。”
石氏に曰く:客星が「天津」を冲犯すれば、賊寇が王者の往来する道路を截断する。「天津」は九星、銀河を横断し、天上の渡口で、河渡・舟梁の類の水上の事を主管する。《黄帝占》に曰く:客星が天津の中に入るか、あるいは留まって守れば、渡口と河道は絶えて通じない。《聖洽符》に曰く:客星が天津に現れれば、天下の関隘は阻絶し、往来は通じず、あるいは渡口を掌る官吏が罪を得て憂える。郄萌に曰く:客星が天津に入れば、諸侯の間の音信・道路は通じず、天下は道路を整治し、橋梁を修理してもってこれに応ずる。
郄萌曰:“客星入河中,貴人有溺死者。”郄萌曰:“客星守天津,水道不通,若船貴;一曰:津河吏有憂。”《荊州占》曰:“客星守天津,津不可渡。”石氏曰:“他星守犯天津,津河為敗。”
郄萌に曰く:客星が天の河の中に入れば、貴人の中に溺れ死ぬ者がある。郄萌に曰く:客星が天津に留まれば、水路は通じず、あるいは船の値が騰貴する。一説に渡口・河道を掌る官吏に憂患がある。《荊州占》に曰く:客星が天津に留まれば、渡口は通行できない。石氏に曰く:別の変異の星が天津に留まるか冲犯すれば、渡口・河道は敗壊の事を生じ、舟楫は行わず、水路の転輸もこれに随って阻まれる。
客星が螣蛇を犯す 其の二十八
《荊州占》曰:“客星守螣蛇,水雨為災。”石氏曰:“他星守犯螣蛇,水物不成,水蟲為敗。”
《荊州占》に曰く:客星が「螣蛇」に留まれば、雨水は災害を醸す。「螣蛇」は二十二星、営室の北にあり、螣蛇は伝説上の雲を興して雨を致す水物で、ゆえにこの星官の占辞は多く水患を主る。石氏に曰く:別の変異の星が螣蛇に留まるか冲犯すれば、水中の産する物は熟さず、水の中の虫豸は災いを成して害を為す。およそこれらは皆水気の失序の徴象である。
客星が王良を犯す 其の二十九
郄萌曰:“客星入王良,將士皆亡。”《甄曜度》曰:“客星出王良,天下有急,關津不通,兵起,若馬多死,期二年。”石氏曰:“客星守王良,津河不通。”
郄萌に曰く:客星が「王良」に入れば、将士は皆亡ぶ。「王良」は五星、奎宿の北にあり、王良は古にもっとも駕をよくした人で、この星は天子の御者であり、車馬・騎乗および橋梁・津渡を主管する。《甄曜度》に曰く:客星が王良に現れれば、天下に緊急の事があり、関隘・渡口は通じず、兵事が起こるか、あるいは馬匹は大批に死亡し、応験の期限は二年である。石氏に曰く:客星が王良に留まれば、渡口・河道は通じない。
郄萌曰:“客星守王良,天下有急,馬大動;一曰:疾病。”郄萌曰:“赤星守王良,兵起;一曰:守王良,天下大水,橋樑不通。”《海中占》曰:“客星入王良而守之,天下兵起,車騎行,人主憂,將軍有死者,期三年。”
郄萌に曰く:客星が王良に留まれば、天下に急難があり、馬匹は大批に調動される。一説に疫病が発生する。郄萌に曰く:赤色の星が王良に留まれば、兵事が起こる。一説に王良に留まるは天下の大水を主り、橋梁は絶えて通じない。《海中占》に曰く:客星が王良に入って留まって守れば、天下に兵事が起こり、車馬・騎兵は四出して奔走し、君主に憂患があり、将軍の中に戦死する者があり、応験の期限は三年である。王良は車騎を主るとともに、また天の河を跨ぐので、その占辞は馬政にも言及し、橋梁・水道にも言及する。
客星が閣道を犯す 其の三十
陳卓曰:“客星干犯閣道,王者居正殿,不私行,則災自消。”《玄冥》曰:“客星出閣道,有驚戒之事,若道中有伏兵,人主備左右,慎女兵。”
陳卓に曰く:客星が「閣道」を冲犯すれば、君王はただ正殿に端居して私に出行しなければ、災禍は自ずから消解する。「閣道」は六星、王良の北にあり、天子が紫宮から別宮へ往来する複道で、ゆえに占辞は出行の一事に落ちる。《玄冥》に曰く:客星が閣道に現れれば、人を驚かし戒めさせる変故があり、あるいは道路の中に兵馬が埋伏して、君主は左右の近侍を防ぎ、ことに宮中の女兵を慎むべし。
客星が附路を犯す 其の三十一
陳卓曰:“客星干犯附路,道不通,天下半隔,期一年。”焦延壽曰:“有星入附路,兵大起。”郄萌曰:“有星入附路,馬賤。”巫咸曰:“客星出附路,若守之,太僕有憂,若以馬罪;一曰:馬當賤,期不出一年。”
陳卓に曰く:客星が「附路」を冲犯すれば、道路は通じず、天下は半ば互いに隔絶し、応験の期限は一年である。「附路」は一星、閣道の南にあり、閣道のそばの輔路で、ともに道路・車行を主る。焦延寿に曰く:星が附路に入れば、兵事が大いに起こる。郄萌に曰く:星が附路に入れば、馬の値が下がる。巫咸に曰く:客星が附路に現れるか、あるいは留まって守れば、天子の輿馬を掌る「太僕」に憂患があるか、あるいは馬政上の事で罪を得る。一説に馬の値がまさに下がらんとして、応験は一年を出ない。
客星が天将軍を犯す 其の三十二
《河圖帝覽嬉》曰:“客星出將軍,將軍有憂,若黜者,若軍吏不忠,有過罪者。”石氏曰:“有星守天將軍,大將軍有憂;一曰:軍吏不安,以飢為敗。”
《河図帝覧嬉》に曰く:客星が「天将軍」に現れれば、将軍に憂患があるか、あるいは罷黜に遭い、あるいは軍中の官吏が忠ならず、過失の罪責を犯す。「天将軍」は十二星、婁宿の北にあり、中央の大星がすなわち天上の大将で、征伐の事を主管する。石氏に曰く:星が天将軍に留まれば、大将軍に憂患がある。一説に軍吏の人心は安らかでなく、糧が欠けて飢えるために敗を致す。
客星が大陵を犯す 其の三十三
《荊州占》曰:“客星入大陵,若守之,君有大陵功之令。”《黃帝占》曰:“客星出大陵,有土功墳陵之事,若犯積尸,國有大喪,人主當之,期三年。”石氏曰:“他星若入守大陵,有土功事。”
《荊州占》に曰く:客星が「大陵」に入るか、あるいは留まって守れば、君主は陵墓の工役を大いに興す命令を下す。「大陵」は八星、胃宿の北にあり、葬喪・塚墓を主管し、その中にまた「積屍」一星がある。《黄帝占》に曰く:客星が大陵に現れれば、土木の工役と墳陵の営造の事がある。もし積屍星を侵犯すれば、国中に大喪があり、君主に応じ、期限は三年である。石氏に曰く:別の星がもし大陵に入って留まれば、土木の工役の事がある。
客星が天船を犯す 其の三十四
郄萌曰:“客星入天船,水大至。”石氏曰:“客星出天船,天下大水,舟船用,若有船事,期不出年。”郄萌曰:“客星守天船,有兵;一曰:王船有事,不出一年。”
郄萌に曰く:客星が「天船」に入れば、大水がまさに至らんとする。「天船」は九星、大陵の北にあり、天の河の中に横たわり、水を渡り船を行くことを主管する。石氏に曰く:客星が天船に現れれば、天下に大水があり、舟船が用をなすか、あるいは船に関する事故が現れ、応験はその年を出ない。郄萌に曰く:客星が天船に留まれば、兵事がある。一説に王家の船に事があり、一年を出ずに応験する。
客星が巻舌を犯す 其の三十五
《玉曆》曰:“客星出捲舌,若守之,天下有妄言惑其君者,君信讒臣,罪無辜者。”
《玉歴》に曰く:客星が「巻舌」に現れ、あるいは留まって守れば、天下に虚妄の言を造作して国君を惑わす人があり、国君は讒を進める臣子を聴き信じて、罪なき人に罪罰を蒙らせる。「巻舌」は六星、昴宿の北にあり、形は巻曲した舌に似て、口舌・讒佞を主管し、星の中にまた「天讒」という一星があるので、この星官の占辞はもっぱら妖言と讒毀に応じる。
(按班固《天文志》曰:元帝二年五月,客星見昴分,居捲舌東,可五尺,青白色,炎長三寸,其年十二月,鉅鹿都尉謝君男詐為神人,論死,父免官。孟康注曰:姓謝,名君。男,兒也,不紀其名,直言男者也。”
(原書の小注:班固《漢書・天文志》の記載を案ずるに、漢の元帝二年五月、客星が昴宿の分野に現れ、位置は巻舌の東、長さ約五尺、色は青の中に白を帯び、光焔の長さは三寸であった。この年十二月に至り、鉅鹿郡の都尉・謝君の息子が神人を假冒して詐りを行い、死罪を判され、彼の父もこれによって官を免ぜられた。孟康が注を作っていう:この人は姓が謝、名が君。「男」は息子の義で、史書はその名を記さないので、「男」とだけ書いたのである。)
客星が五車を犯す 其の三十六
石氏曰:“客星干犯五車,兵滿野,天下半傾,百姓徙居,去其土,期三年。”《黃帝占》曰:“客星入五車,色黃,人主受賀;色白,言義;色赤,言兵;色青,言愛;色黑,大人當之。”《海中占》曰:“客星入五車,所守土穀貴。”郄萌曰:“客星入五車,糴倍價;一曰:車倍價,皆為後年。”郄萌曰:“客星入五車,為赦。”
石氏に曰く:客星が「五車」を冲犯すれば、兵馬は郊野に布満し、天下は半ば傾覆・動揺し、百姓は移徙・流亡してその郷土を去り、応験の期限は三年である。「五車」は五星、畢宿の東北にあり、五方の天帝の車舎で、兵甲・車騎を主管し、同時に五穀の豊凶をも主る。《黄帝占》に曰く:客星が五車に入り、星の色が黄なら、君主は朝賀を受ける。星の色が白なら信義の事を主る。星の色が赤なら兵戈を主る。星の色が青なら恩愛・和睦を主る。星の色が黒なら君主・大人に応じる。《海中占》に曰く:客星が五車に入れば、それの守るその方の土地の穀の値は騰貴する。郄萌に曰く:客星が五車に入れば、糴米の値は倍に上がる。一説に車の値が倍に上がり、いずれも二年に応じる。郄萌に曰く:客星が五車に入れば、赦令を主る。
《荊州占》曰:“客星入五車,人相食,若大水,溝瀆溢。”《黃帝占》曰:“有星出五車,色白,君使人諸侯,以車為戒;色黃,受賀;赤,言兵,車騎滿路;色黑,多死者;以其日占期。”郄萌曰:“客星出五車,兵出;入五車,兵入。”《玄冥》曰:“客星出五車,天下兵起,車騎滿野,將相有憂,五穀大貴,人民飢,期百八十日,中一年,遠三年。”
《荊州占》に曰く:客星が五車に入れば、人は互いに食い合うか、あるいは大水が発して溝渠・河道は漫溢する。《黄帝占》に曰く:星が五車に現れ、星の色が白なら、君主は使者を遣わして諸侯に往かせ、車馬の事をもって戒めとす。星の色が黄なら朝賀を受ける。赤なら兵戈を主り、車騎は道路に充満する。星の色が黒なら死者は衆多である。応験の遅速は、客星の現れたその日の干支によって推算する。郄萌に曰く:客星が五車から出れば兵馬は外に出、五車に入れば兵馬は境に入る。《玄冥》に曰く:客星が五車に現れれば、天下に兵事が起こり、車馬・騎兵は郊野に布満し、将相に憂患があり、五穀の値は騰貴し、人民は飢え、近くは百八十日、中は一年、遠くは三年に応験する。
郄萌曰:“客星出入五車,以守五車,可取者。客星出入蕡車,取蕡;出入麥車,取麥;出入豆車,取豆;出入黍粟車,取黍粟;出入稻米車,取稻米;出以其行,為粟,其出入中行,石二百;出入外行,石百錢。”
郄萌に曰く:客星が五車に出没し、しかも五車に留まるのは、利を取り蓄積するのに拠るべき徴候である。五車はそれぞれ一種の穀物を主る。客星が「蕡車」に出没すれば麻子を蓄え、「麦車」に出没すれば麦を蓄え、「豆車」に出没すれば豆を蓄え、「黍粟車」に出没すれば黍と粟を蓄え、「稲米車」に出没すれば稲米を蓄えるべし。それの現れる行位によって、その穀物は価を動かす。中間の行に出没すれば一石につき二百銭、外側の行に出没すれば一石につき百銭である。
《黃帝占》曰:“客星守五格休左者,軍大發;守休右,留十日,天下有喪,大亂。”郄萌曰:“客星守五車。兵革起。”《海中占》曰:“客星入五車,犯守之,大人有憂,車騎發用,將軍出令,國易政,期三年。”
《黄帝占》に曰く:客星が「五格」に留まって左に歇まれば、大挙して兵を発する。留まって右に歇まり、しかも十日滞留して去らなければ、天下に喪事があり、大乱が出る。郄萌に曰く:客星が五車に留まれば、兵戈の事が起こる。《海中占》に曰く:客星が五車に入り、冲犯してそこに留まれば、君主・大人に憂患があり、車馬・騎兵は徴発・動用され、将軍は号令を発し、国中は政令を更易し、応験の期限は三年である。
客星が天関を犯す 其の三十七
《黃帝占》曰:“客星入天關,諸侯不通,民多相攻,且有兵,子伐父,弟伐兄,是謂不理,各去其鄉。”郄萌曰:“客星入天關,民多疾病。”郄萌曰:“有星入天關,天下有急;一曰:關市不通。”《荊州占》曰:“客星入天關,多盜賊,道路不通。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天関」に入れば、諸侯の間の往来は絶え、百姓の間に攻殺が多く、しかも兵事があり、子は父を攻め、弟は兄を攻める。これを綱紀の失序という。人は皆その郷里を去る。「天関」は一星、五車の南・畢宿のそばにあり、関隘の開閉と往来の通塞を主管する。郄萌に曰く:客星が天関に入れば、百姓は疾病に罹る者が多い。郄萌に曰く:星が天関に入れば、天下に急難がある。一説に関口と集市は通じない。《荊州占》に曰く:客星が天関に入れば、盗賊は衆多で、道路は塞がれて通じない。
石氏曰:“他星入天關,兵戰不勝。”石氏曰:“客星出天關門,天下起兵不戰。”《孝經章句》曰:“客星守天關,羊馬牛大貴,不出三年,有德令。”《荊州占》曰:“客星守天關,諸侯不通,期十二日。又曰:民飢。又:有自責者。”
石氏に曰く:別の変異の星が天関に入れば、兵を用いて戦って勝つことができない。石氏に曰く:客星が天関の門戸から出れば、天下は兵を起こして真に交鋒しない。《孝経章句》に曰く:客星が天関に留まれば、羊・馬・牛の値が大いに上がり、三年を出ずに仁徳を施す号令が頒下される。《荊州占》に曰く:客星が天関に留まれば、諸侯の間の往来は絶え、応験の期限は十二日。また曰く民は飢える。また曰く咎を引いて自責する者がある。
客星が南河界を犯す 其の三十八
石氏曰:“客星出南河界,有男喪事於外;入南河界,有男喪事於內。”石氏曰:“客星出南河,有喪事於外,皆為男喪;暈三重,必有降城;一曰:客星干犯兩界間,天子出走,大臣執威,王者以赦除咎。群臣尊負,天子以寡。”
石氏に曰く:客星が「南河界」から出れば、境外に男子の喪事がある。南河界に入れば、境内に男子の喪事がある。「南河」は三星、「北河」の三星とともに東井を挟み、天上の門闕で、南河は南方を主り、北河は北方を主り、ともに関梁の往来を主管する。石氏に曰く:客星が南河から出れば、外に喪事があり、皆男の喪である。もし客星の外周に三重の光暈があれば、必ず帰降する城邑がある。一説に客星が南北両河の間を冲犯すれば、天子は出奔して外にあり、大臣は威権を把り、君王は大赦をもって災咎を解消すべし。群臣は自ら尊び負い、天子はこれによって孤立・寡助となる。
《黃帝占》曰:“客星守南河界,有水。”《荊州占》曰:“客星守南河界,民多溫病。”齊伯曰:“客星出南河,若守之,蠻夷兵道不通;一曰:入南河界,為旱災,天下大飢,期二年。”郄萌曰:“客星行南河界中,若守之,皆為旱。”
《黄帝占》に曰く:客星が南河界に留まれば、水患がある。《荊州占》に曰く:客星が南河界に留まれば、民は温熱の時疫に患う者が多い。斉伯に曰く:客星が南河に現れ、あるいは留まって守れば、四方の蛮夷は兵を興し道路は通じない。一説に南河界に入るは旱害を主り、天下は大いに飢饉となり、応験の期限は二年である。郄萌に曰く:客星が南河界の中を行経するか、あるいはそこに留まるかは、いずれも干ばつを主る。
郄萌曰:“客星入北河界。從東入,九十日有兵;從西入,六十日有喪。”郄萌曰:“客星他所來,入北河界間,諸侯有奸。”《甄曜度》曰:“客星出北河,朔兵動,關道塞,其國有憂;一曰:入北河,為水、飢,期一年。”《黃帝占》曰:“北河界多客星,朔兵起。”
郄萌に曰く:客星が「北河界」に入り、東から入れば九十日の内に兵事があり、西から入れば六十日の内に喪事がある。郄萌に曰く:客星が別のところから飛び来て北河界の間に入れば、諸侯の中に不轨を図る者がある。《甄曜度》に曰く:客星が北河に現れれば、北方の兵馬は調動し、関口・道路は塞がれ、その分野の国に憂患がある。一説に北河に入るは水害と飢饉を主り、応験の期限は一年である。《黄帝占》に曰く:北河界の一帯に客星が多ければ、北方の兵事が起こる。
郄萌曰:“北河界下多小星者,民不治,將不明,多有失職。”郄萌曰:“客星若赤星,守北河界,臣賊主;一曰:大臣誅。”《荊州占》曰:“客星守北河界,后有乳疾。”郄萌曰:“客星見南北河界間,奸人在中。”《帝覽嬉》曰:“大客星居兩界間,天下有難,道在天門中,邦家不通。”
郄萌に曰く:北河界の下に小星が密布すれば、民は治められず、将帥は昏昧にして明らかならず、官吏は職を失う者が多い。郄萌に曰く:客星あるいは赤色の星が北河界に留まれば、臣下は君主を賊せんとする。一説に大臣が誅殺される。《荊州占》に曰く:客星が北河界に留まれば、皇后に乳房の疾病がある。郄萌に曰く:客星が南河と北河の両界の間に現れれば、奸人がその中に混在する。《帝覧嬉》に曰く:大客星が南北両界の間に居れば、天下に患難がある。この通路はちょうど天上の門戸に当たるので、邦国の間はこれによって隔絶して通じない。
客星が五諸侯を犯す 其の三十九
石氏曰:“客星干犯五諸侯,王室大亂,兵起,天子宗廟不祀。”《海中占》曰:“客星出五諸侯,大臣有憂,若執法者有罪;一曰:議臣有黜者。”郄萌曰:“客星守五諸侯,天下大亂。”
石氏に曰く:客星が「五諸侯」を冲犯すれば、王室は大いに乱れ、兵事が起こり、天子の宗廟は祭祀を絶つ。「五諸侯」は五星、東井の北にあり、封建を受け国を建てる諸侯を象して、あわせて糾察・挙劾と不測の予防を司る。《海中占》に曰く:客星が五諸侯に現れれば、大臣に憂患があるか、あるいは刑法を執る官が罪を得る。一説に議政に与る臣子に罷黜される者がある。郄萌に曰く:客星が五諸侯に留まれば、天下は大いに乱れる。
郄萌曰:“客星守五諸侯,天子親屬失位,大水行,五穀大貴,天下民多死於道旁者,秦國尤甚。”《荊州占》曰:“客星守五諸侯,諸侯亡地;一曰:諸侯有憂,秦國受重殃。”
郄萌に曰く:客星が五諸侯に留まれば、天子の宗室・親属は爵位を失い、大水が横行し、五穀の値は騰貴し、天下の百姓は道ばたに飢え死ぬ者が多く、秦の地の分野はその害を受けることことに甚だしい。《荊州占》に曰く:客星が五諸侯に留まれば、諸侯は封地を喪う。一説に諸侯に憂患があり、秦国は深重の禍殃を蒙る。
客星が積水を犯す 其の四十
石氏曰:“客星干犯積水,兵起宮門,宗廟毀絕,大臣有憂。”巫咸曰:“客星出積水,天下大水,溝渠溢,有攻堤防之事,期不出年。”
石氏に曰く:客星が「積水」を冲犯すれば、兵変は宮門の内に起こり、宗廟は毀壊して祀を絶ち、大臣に憂患がある。「積水」は一星、北河の西北にあり、水を蓄えることを主管し、宗廟の祭祀と酒醴の用に供するので、その占辞は水事に及ぶとともに宗廟にも及ぶ。巫咸に曰く:客星が積水に現れれば、天下に大水があり、溝渠は漫溢し、堤防を急修する事があり、応験はその年を出ない。
客星が積薪を犯す 其の四十一
石氏曰:“客星干犯積薪,有亂臣在宗廟。”石氏曰:“客星出積薪,有憂,若以薪蒿之事而致罪者。”
石氏に曰く:客星が「積薪」を冲犯すれば、乱を起こす臣子が宗廟の中に混じっている。「積薪」は一星、積水の東にあり、柴薪を堆積することを主管し、宗廟の炊爨の需に供するので、その占辞も宗廟に牽連する。石氏に曰く:客星が積薪に現れれば、憂患があるか、あるいは人に柴草の類の事によって罪を致す者がある。
客星が水位を犯す 其の四十二
石氏曰:“客星干犯水位,水道不通,伏兵在水中,以水為害。”《荊州占》曰:“客星守水位而川流溢。”《玉曆》曰:“客星出水位,天下以水為令,法官有憂,若臣下有謀,兵起,期三年。”
石氏に曰く:客星が「水位」を冲犯すれば、水路は通じず、伏兵は水の中に蔵れて、水をもって害を施す。「水位」は四星、東井の東にあり、水衡・川瀆の事を主管する。《荊州占》に曰く:客星が水位に留まれば、江河・川流は漫溢する。《玉歴》に曰く:客星が水位に現れれば、天下は治水のために政令を頒下し、法禁を掌る官に憂患があるか、あるいは臣下に密かな企てがあり、兵事が起こり、応験の期限は三年である。
開元占経 巻八十三
客星占 其の七
客星が石氏中官を犯す 下
客星が軒轅を犯す 其の四十三
石氏曰:“客星干犯軒轅,近者誅滅宗族,王者以赦除咎。”(按司馬彪《天文志》曰:孝明帝永平十四年正月戊子,客星出昴,六十日,在軒轅右角稍滅。軒轅右角為貴相,昴為獄事,客星守之,為大獄。是時考楚事未竟,司徒虞延與楚王英黨與交,皆伏誅也。)
石氏に曰く:客星が「軒轅」を冲犯すれば、近臣は誅殺されて連坐して族を滅ぼされ、君王は大赦をもってこの災咎を解消すべし。「軒轅」は十七星、七星宿の北にあり、形は黄龍の体のごとく、后妃の象で、その中の大星がすなわち女主である。(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載を案ずるに、漢の明帝・永平十四年正月戊子の日、客星が昴宿に現れ、六十日を経て、軒轅右角のあたりでしだいに隠没した。軒轅右角は貴相の位で、昴宿は刑獄の事を主り、客星がそこに留まるは大獄の興ることを主る。この時、楚王の謀逆の一件の追究はまだ済まず、司徒・虞延は楚王劉英の党与と交があって、皆誅伏された。)
郄萌曰:“有星入軒轅,有遠來者。”郄萌曰:“有星入東陵,有夷從外來降者。”郄萌曰:“客星入軒轅,有女子惑天子者。”《荊州占》曰:“客星入軒轅,美人有經死者。”焦延壽曰:“青黑星出入軒轅,皆為諸夫人有子不成。”司馬彪《天文志》曰:“客星出軒轅,後宮失勢。”
郄萌に曰く:星が軒轅に入れば、遠方から来る人がある。郄萌に曰く:星が軒轅のそばの「東陵」に入れば、外族が境外から帰降しに来る。郄萌に曰く:客星が軒轅に入れば、天子を惑わす女子がある。《荊州占》に曰く:客星が軒轅に入れば、宮中の美人に縊れて自ら死ぬ者がある。焦延寿に曰く:青黒色の星が軒轅に出没するは、いずれも諸夫人の生んだ子が育たないことを主る。司馬彪《続漢書・天文志》に曰く:客星が軒轅に現れれば、後宮は恩寵の勢を失う。軒轅の大星はすなわち女主の位である以上、この数条の占辞はいずれも天子の姫妾と子嗣に落ちる。
郄萌曰:“客星舍軒轅之旁,美人有懸死者。”《荊州占》曰:“客星守軒轅,獄中有女子飲藥死者。”郄萌曰:“客星守軒轅,女主不安;一曰:有憂。”《洛書甄曜度》曰:“客星出軒轅,若守之,各隨其所守后妃嬪夫人近者當之;一曰:守之三日,美人有經者。”
郄萌に曰く:客星が軒轅のそばに宿して留まれば、美人の中に自縊して死ぬ者がある。《荊州占》に曰く:客星が軒轅に留まれば、牢獄の中に毒薬を服んで死ぬ女子がある。郄萌に曰く:客星が軒轅に留まれば、女主は安らかでない。一説に憂患がある。《洛書甄曜度》に曰く:客星が軒轅に現れ、あるいは留まって守れば、それの守る星に随って、后・妃・嬪・夫人の中のその星に応ずる人がこの災禍を受ける。一説に客星が三日守れば、宮中の美人に縊れる者がある。
(按司馬彪《天文志》曰:孝和永元十三年十一月乙丑,軒轅第四星間出客星,色青黃。軒轅為後宮,星出之為失勢。其十四年六月辛卯,陰皇后廢。)石氏曰:“客星出軒轅,若犯守之,發五將之兵。”石氏曰:“他星守軒轅,所起者有憂。”齊伯曰:“客星犯守軒轅大星。女主逆天子,若女主與傍人通,宜防之。”
(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載を案ずるに、漢の和帝・永元十三年十一月乙丑の日、軒轅第四星の間に客星が現れ、色は青の中に黄を帯びていた。軒轅は後宮を主り、星がそこに現れるは失勢の兆である。翌年すなわち永元十四年六月辛卯の日、陰皇后は廃黜された。)石氏に曰く:客星が軒轅に現れ、あるいは冲犯してそこに留まれば、五人の将軍の兵を徴発する。石氏に曰く:別の変異の星が軒轅に留まれば、客星の起こったところに対応するその一位に憂患がある。斉伯に曰く:客星が軒轅の大星を冲犯し留まれば、女主は天子に逆らうか、あるいは女主がそばの人と私通するので、これを防ぐべし。
客星が少微を犯す 其の四十四
石氏曰:“客星干犯少微,白衣聚者凶,術士不顯,智者逃亡,期三年。”郄萌曰:“有星入少微,奸臣亂。”石氏曰:“客星出少微,道術士用,用功者隨其能,王者用之。”
石氏に曰く:客星が「少微」を冲犯すれば、まだ出仕しない白衣の士が集まって凶事が出て、方術の士は顕達を得ず、智謀ある人は逃亡し、応験の期限は三年である。「少微」は四星、太微垣の西南にあり、士大夫の位で、また「処士星」ともいい、在野の賢士と方術の人を主管する。郄萌に曰く:星が少微に入れば、奸臣が乱を起こす。石氏に曰く:客星が少微に現れれば、道術を通ずる人は任用を得、功労ある人はそれぞれ才能に随って任を受け、君王は彼らを起用する。
郄萌曰:“客星守少微,處士憂。”《黃帝占》曰:“客星入中犯乘守少微,宰相易。又曰:女主有憂。”石氏曰:“客星入中犯乘守少微,五官亂,宰相有憂。”
郄萌に曰く:客星が少微に留まれば、隠居して仕えない処士に憂患がある。《黄帝占》に曰く:客星がその中に貫入し、冲犯し、凌乗し、あるいは少微に留まれば、宰相は更え替えられる。又曰く女主に憂患がある。石氏に曰く:客星がその中に貫入し、冲犯し、凌乗し、あるいは少微に留まれば、五官の職事は紊乱し、宰相に憂患がある。
客星が太微を犯す 其の四十五
郄萌曰:“客星中犯左右執法,左右執法誅,若有罪。”《黃帝占》曰:“客星入端門,出西門,天下大水,民人飢。”石氏曰:“客星入端門,其國有臣謀。”石氏曰:“客星入端門,出東門,天下大旱,五穀不成。”甘氏曰:“客星入端門,仍出端門,其國有大患,天下大亂,易主,以色占;出左掖門,其國有憂;出東門,其國旱;出左掖門,其國大亂;出西門,其國大水。”
郄萌に曰く:客星が貫入して「左執法」「右執法」の二星を冲犯すれば、刑法を掌る左右執法の官は誅殺されるか、あるいは罪を得る。「太微」は天子の南宫の朝廷で、南面の正中は「端門」、端門の両側は左掖門・右掖門、東西にそれぞれ門戸があり、左右執法は端門の内に挟まっている。《黄帝占》に曰く:客星が端門から入り、西門から出れば、天下に大水があり、民人は飢える。石氏に曰く:客星が端門から入れば、その分野の国に密かに企てる臣子がある。石氏に曰く:客星が端門から入り、東門から出れば、天下は大いに旱して五穀は熟さない。甘氏に曰く:客星が端門から入り、また端門から出れば、その国に大きな禍患があり、天下は大いに乱れて君主を更え、具体的な吉凶はさらに星色によって占断する。左掖門から出ればその国に憂患があり、東門から出ればその国は旱し、左掖門から出ればその国は大いに乱れ、西門から出ればその国に大水がある。
郄萌曰:“有星入端門,賊鈔主,稱王命。”石氏曰:“客星入左掖門,出右掖門,其國有喪。”石氏曰:“客星入右掖門,其國有客。”石氏曰:“客星入左右門。出東西門。國有大喪。貴臣有死者。”甘氏曰:“客星入太微右掖門。出端門。小國亡;出左掖門。其國有小事;出東門,其國大亡;仍出右掖門,其國有客為刑事;出西門,大國以微亡。”
郄萌に曰く:星が端門から入れば、賊寇が君主を劫掠し、しかも王命を仮託して事を行う。石氏に曰く:客星が左掖門から入り、右掖門から出れば、その国に喪事がある。石氏に曰く:客星が右掖門から入れば、その国に外来の賓客がある。石氏に曰く:客星が左右掖門から入り、東西二門から出れば、国中に大喪があり、貴臣の中に身死する者がある。甘氏に曰く:客星が太微の右掖門から入り、端門から出れば、小国は滅亡する。左掖門から出ればその国に小さな変故があり、東門から出ればその国は大挙して滅亡し、なお右掖門から出ればその国に外来の人が刑獄の事をもって端を発し、西門から出れば大国は衰微によって亡ぶ。
《荊州占》曰:“客星入左掖門,出端門,其國滅亡;仍出左掖門,其國大傷;出東門,其國大喪;出右掖門,其國大逆無道;出西門,其國流血百里。”石氏曰:“客星入東西門,出左右掖門,其國有兵,軍有出者,倖臣有憂,皆不出一年。”
《荊州占》に曰く:客星が左掖門から入り、端門から出れば、その国は滅亡する。なお左掖門から出ればその国は大いに損傷を受け、東門から出ればその国に大喪があり、右掖門から出ればその国に大逆無道の事が現れ、西門から出ればその国は血が百里に流れる。石氏に曰く:客星が東門・西門から入り、左右掖門から出れば、その国に兵事があり、軍は開拔して出征し、君主の寵幸の臣に憂患があり、これらは皆一年の内に応験する。
甘氏曰:“客星入東門,出端門,其國有憂;出左掖門,其國所作不成;仍出東門,其國有臣結謀;出右掖門,其國大亡;出西門,其國有殃。”《荊州占》曰:“客星入東門,出東門,其國有大喪。”《黃帝占》曰:“客星入西門,出東門,其邦兵起,臣謀主;入東門,出西門,大國微亡;守之不去,楚國凶殃。”
甘氏に曰く:客星が東門から入り、端門から出れば、その国に憂患がある。左掖門から出ればその国の為す所の事は成らず、なお東門から出ればその国に結党して企てる臣子があり、右掖門から出ればその国は大挙して滅亡し、西門から出ればその国に禍殃がある。《荊州占》に曰く:客星が東門から入り、また東門から出れば、その国に大喪がある。《黄帝占》に曰く:客星が西門から入り、東門から出れば、その邦国は兵事が起こり、臣子は君主を謀る。東門から入り、西門から出れば、大国は衰微して亡ぶ。もし留まって去らなければ、楚国は凶殃を受ける。
甘氏曰:“客星入西門,出端門,其國大亂;出左掖門,其國不為用;出東門,其國不祥;出右掖門,其國大敗;仍出西門,其國有兵。”郄萌曰:“客星入西門,出端門,(一書云:出左掖門。)其國大不熟。”郄萌曰:“客星入太微西門,出東門,有憂喪。”
甘氏に曰く:客星が西門から入り、端門から出れば、その国は大いに乱れる。左掖門から出ればその国は号令が行用されず、東門から出ればその国に不祥の事が現れ、右掖門から出ればその国は大敗し、なお西門から出ればその国に兵事がある。郄萌に曰く:客星が西門から入り、端門から出れば(原書の小注:別の一つの本に「左掖門から出る」と作る)、その国は庄稼が大いに凶作となる。郄萌に曰く:客星が太微の西門から入り、東門から出れば、憂患の喪事がある。
郄萌曰:“他星入太陰門,後宮有賊。”《荊州占》曰:“客星入太陰西門,出太陰東門,其國大水,天下大亂。”《荊州占》曰:“他星入太陰門,兵起動天下。”《荊州占》曰:“客星入西門,出西門,其國有兵謀。”陳卓曰:“客星入干太微,帝宗后族為亂,亡社稷。”
郄萌に曰く:別の変異の星が「太陰門」に入れば、後宮の中に乱を起こし人を害する者がある。太陰門は太微垣の陰に属する一面の門戸で、ゆえにその占はもっぱら後宮に応じる。《荊州占》に曰く:客星が太陰の西門から入り、太陰の東門から出れば、その国に大水があり、天下は大いに乱れる。《荊州占》に曰く:別の変異の星が太陰門に入れば、兵事が起こって天下を震動する。《荊州占》に曰く:客星が西門から入り、また西門から出れば、その国に兵を用いる企てがある。陳卓に曰く:客星が太微に侵入して冲犯すれば、皇帝の宗室と皇后の外戚が乱を起こし、社稷は覆る。
《河圖帝覽嬉》曰:“客星入太微廷中,出端門,天下大亂,王者憂,國易政,期三年。”(按何法盛《中興書》曰:晉安帝元興元年十月,有客星也白如粉絮,出太微垣西,至十二月,入太微,占曰:兵入天子庭。二年十二月,桓玄肆逆,放帝后於尋陽。)
《河図帝覧嬉》に曰く:客星が太微の朝廷の中に入り、また端門から出れば、天下は大いに乱れ、君王に憂患があり、国中は政令を更易し、応験の期限は三年である。(原書の小注:何法盛《晋中興書》の記載を案ずるに、晋の安帝・元興元年十月、粉絮のごとく潔白な客星があり、太微垣の西に現れ、十二月に至って太微垣に入った。占辞にこれは兵馬が天子の朝廷に闖入する象であるという。元興二年十二月、桓玄は公然と叛逆し、安帝と皇后を尋陽に放逐した。)
石氏曰:“他星入太微,色白而澤者,赦。”石氏曰:“客星入太微宮,二旬若三旬,有小赦,期六月。”石氏曰:“他星入四輔,臣為亂。”《海中占》曰:“客星入太微中,火大起,有客賊來入國,守之十日不去,其災成。在陽為男主,在陰為女主,不出四十日。”
石氏に曰く:別の変異の星が太微に入り、星色が潔白にして沢のあるは、赦令を主る。石氏に曰く:客星が太微宮に入り、二十日あるいは三十日留まれば、小規模の赦免があり、期限は六ヶ月である。石氏に曰く:別の変異の星が「四輔」に入れば、輔弼の臣が乱を起こす。《海中占》に曰く:客星が太微の中に入れば、大火が燃え起こり、外来の賊寇が国境に侵入する。もし十日留まって去らなければ、この災禍は坐実する。客星が陽に属する側にあれば男主に応じ、陰に属する側にあれば女主に応じ、四十日を出ずに分かれる。
郄萌曰:“赤黃星狀如帚入太微,婦女喜;出太微,天子賜諸侯美女。”郄萌曰:“客星入天子宮,丞相憂疾。”郄萌曰:“客星入天子宮十日,而成鉤已,天下有大赦,奴婢下賤人妻妾長庸,期三月,若六月。”
郄萌に曰く:赤黄色で形状が箒のような星が太微に入れば、婦女に喜慶の事がある。このような星が太微から出れば、天子は美人を諸侯に賞賜する。郄萌に曰く:客星が天子の宮に入れば、丞相は憂えて疾となる。郄萌に曰く:客星が天子の宮に入って十日満ち、行跡が曲がって鉤を成せば、天下に大赦があり、奴婢・身分の低い人・妻妾および長年雇われる傭工は皆寛免の列に入り、期限は三ヶ月あるいは六ヶ月である。
《荊州占》曰:“客星入太微宮中一旬,宮中有自煞者,期四十日。在陽為男,在陰為女。陽,黃座南也;陰,黃座北也。入二旬,有救,期六月。”《荊州占》曰:“青星入太微,有客來。”《荊州占》曰:“星正赤,入太微中,兵起。”陳卓曰:“星正赤,入太微中,廟有兵。”
《荊州占》に曰く:客星が太微宮の中に入って十日留まれば、宮の中に自殺する人があり、期限は四十日である。客星が陽に属する側にあれば男子に応じ、陰に属する側にあれば女子に応じる。いわゆる陽とは黄帝座より南、いわゆる陰とは黄帝座より北である。もし二十日留まれば、転圜して救う余地があり、期限は六ヶ月である。《荊州占》に曰く:青色の星が太微に入れば、賓客が到来する。《荊州占》に曰く:星色が正しく赤くして太微の中に入れば、兵事が起こる。陳卓に曰く:星色が正しく赤くして太微の中に入れば、宗廟の地に兵禍がある。
《荊州占》曰:“赤黃星潤澤入太微中,天子有喜,以其所抵率言抵座星也,如劍者,男子喜。”《荊州占》曰:“客星入太微庭中,有一星,天子出將兵;有二星,天下無處主;有三星,天下散亡。”《荊州占》曰:“客星入太微,所中乘守者有殃。”
《荊州占》に曰く:赤黄にして潤沢の星が太微の中に入れば、天子に喜事がある。それの抵触した位置を見て判断するが、大抵は帝座星に抵ったことをいう。星の形が剣のごときは男子に喜びを主る。《荊州占》に曰く:客星が太微の庭院の中に入り、もし一顆だけなら、天子は自ら兵を率いて出征する。もし二顆なら、天下に安んじて処する主がいない。もし三顆なら、天下は離散して敗亡する。《荊州占》に曰く:客星が太微に入り、それに貫入され、凌乗され、あるいは停守されたその一顆の星の主る人は禍殃を受ける。
《玄冥占》曰:“客星入太微庭中,帝宗后族為亂,欲謀殺主,宮門有伏兵,期三月。”《天官書》曰:“客星出天庭,有奇令。”《荊州占》曰:“赤星出庭中,有立王,若徙王;又曰:火起。”《荊州占》曰:“赤黃星出太微中,天子用金錢賜諸侯王。”
《玄冥占》に曰く:客星が太微の庭院の中に入れば、皇帝の宗室と皇后の外戚が乱を起こし、君主を謀殺せんとし、宮門の内外に兵馬が埋伏し、期限は三ヶ月である。《史記・天官書》に曰く:客星が天庭に現れれば、非常の号令が頒下される。太微はもともと天子の朝廷なので、また天庭とも称する。《荊州占》に曰く:赤色の星が庭院の中に現れれば、新たに立つ王があるか、あるいは改封・遷徙する王がある。又曰く火災が起こる。《荊州占》に曰く:赤黄色の星が太微の中に現れれば、天子は金銭をもって諸侯王に賞賜する。
《荊州占》曰:“星黃如獸,出太微中,天子用畜賜諸侯王;一曰:氣類獸及蜚,皆客喜也。”《荊州占》曰:“有星如拳正圓,出太微中,天子用壁玉賜諸侯王。”陳卓曰:“客星出太微,有兵喪。”
《荊州占》に曰く:星色が黄を発して形状が走獣のごとく、太微の中に現れれば、天子は牲畜をもって諸侯王に賞賜する。一説に雲気の形状が走獣あるいは飛ぶ虫に似るは、いずれも賓客の臨門する喜事を主る。《荊州占》に曰く:大きさが拳のごとく形体が円い星があり、太微の中に現れれば、天子は璧玉をもって諸侯王に賞賜する。陳卓に曰く:客星が太微に現れれば、兵事と喪事がある。
(按《宋書天文志》曰:魏文帝黃初三年九月甲辰,客星見太微左掖門內,十月,孫權叛命,帝自南征,前驅臨江,破其將呂範等,是後累有徵。後七年五月,文帝崩。甘露四年十月丁丑,客星又見太微中,轉東南行,歷軫宿,積七日滅,景元元年,高貴被害。)
(原書の小注:《宋書・天文志》の記載を案ずるに、魏の文帝・黄初三年九月甲辰の日、客星が太微左掖門の内に現れた。十月に至り、孫権は臣命を背き、文帝は自ら南征して、前駆は長江に進抵し、孫権の将・呂範らを破り、この後たて続けに征伐の役があった。七年過ぎて黄初七年五月、文帝が去った。魏の甘露四年十月丁丑の日、客星がまた太微の中に現れ、転じて東南に向かって運行し、軫宿を経て、前後七日にして隠没した。景元元年、高貴郷公・曹髦は害に遇った。)
《黃帝占》曰:“凡客星出入太微,各以其日,占知州國,所出皆不出百日,中一年,遠三年,災必應。”《黃帝占》曰:“客星出入太微,人主有憂,大臣為謀,有反者,兵起宮中;一曰:執政臣有戮者,期一年。”
《黄帝占》に曰く:およそ客星が太微に出没するは、皆その現れた日の干支によって、どの州どの国に応ずるかを推知する。それの主る応験は、近くは百日を出ず、中は一年、遠くは三年で、災禍は必ず兑现する。《黄帝占》に曰く:客星が太微に出没すれば、君主に憂患があり、大臣は密かに企て、反を谋る人があり、兵変は宮廷の内に起こる。一説に執政の大臣の中に殺される者があり、期限は一年である。
《海中占》曰:“客星入太微,天下大亂,兵大起,臣謀其主,不則天下大水,入城郭,煞人民。”(郄萌曰:期三十日。)《荊州占》曰:“客星出入太微,大水入城,傷人民,期三十日。”《荊州占》曰:“客星舍太微宮,天下有聖女子,在燕代。”
《海中占》に曰く:客星が太微に入れば、天下は大いに乱れ、兵事が大いに起こり、臣子はその君主を謀る。そうでなければ天下に大水があり、水は城郭に漫れ入り、百姓は溺れ死ぬ。(原書の小注:郄萌に曰く、期限は三十日。)《荊州占》に曰く:客星が太微に出没すれば、大水は城に灌ぎ入り、百姓を傷つけ、期限は三十日である。《荊州占》に曰く:客星が太微宮に宿して留まれば、天下に異稟ある女子が現れ、燕・代のあたりに応ずる。
《荊州占》曰:“客星舍太微南蕃,留不去,魯有謀者;舍西蕃,留不去,王者洩妖言在楚國。”郄萌曰:“客星中太微宮者,不出三十日,(一本云:三日也。)必有大赦。”《黃帝占》曰:“客星守太微東蕃,若西蕃將相星者,皆為人君有憂。”
《荊州占》に曰く:客星が太微の南面の垣牆に宿し、滞留して去らなければ、魯の地に不轨を企てる人がある。西面の垣牆に宿し、滞留して去らなければ、君王のそばから妖妄の言が漏れ出て、楚国に応ずる。郄萌に曰く:客星が太微宮に貫入するは、三十日を出ず(原書の小注:別の一つの本に「三日」と作る)、必ず大赦がある。《黄帝占》に曰く:客星が太微の東面の垣牆に留まるか、あるいは西面の垣牆上の将星・相星に留まるかは、いずれも君主に憂患があることを主る。
石氏曰:“客星守太微宮,臣煞主。”《玉曆》曰:“客星出太微,犯守將相,左右執法,隨其所守犯,皆有誅,期二年。”甘氏曰:“太微中有一客星,天子自將兵;有二客星,天下亂,民散走;有三客星,天下大亂,守之三十日,君死國亡,期三年,遠五年。”
石氏に曰く:客星が太微宮に留まれば、臣子は君主を弑殺する。《玉歴》に曰く:客星が太微に現れ、将星・相星および左右執法の星を冲犯して留まれば、それの守犯したその一顆に随って、その官は皆誅殺され、期限は二年である。甘氏に曰く:太微の中に客星が一顆現れれば、天子は自ら兵を統べる。客星が二顆現れれば、天下は動乱し、百姓は四散して逃亡する。客星が三顆現れれば、天下は大いに乱れ、もし三十日留まれば、君主は身が死に国家は滅亡し、期限は三年、遠くは五年である。
客星が黄帝座を犯す 其の四十六
《文曜鉤》曰:“客星入太微,犯黃帝座,天子有憂,臣謀主;至座而還,謀不成,反受其殃;守犯三十日已上,臣謀成,期不出一年。”《荊州占》曰:“客星舍五帝座,有聖人與君並治,在蜀秦。”石氏曰:“蒼白星抵座,天子有喪憂;抵座旁,臣有反之者。”
《文曜鈎》に曰く:客星が太微に入り、「黄帝座」を冲犯すれば、天子に憂患があり、臣子は君主を謀る。もし客星が帝座に至って折り返せば、この陰謀は成らず、事を謀る人はかえって自らその禍を受ける。もし冲犯して留まることが三十日以上なら、臣子の企ては得て、応験は一年を出ない。黄帝座は太微垣の正中にあり、天子の位である。《荊州占》に曰く:客星が五帝座に宿れば、非常の人が君主と分庭してともに治め、蜀・秦のあたりに応ずる。石氏に曰く:青白色の星が帝座に抵れば、天子に喪事・憂患がある。帝座のそばに抵れば、臣子の中に反逆する者がある。
(按《幽明錄》曰:漢武帝微行,過主人家,家有婢,國色,帝悅焉,仍留宿夜,與婢臥。有書生亦家宿,善天文,忽見客星移掩帝座,甚逼,書生大驚懼,連呼咄咄,不覺聲高。仍見一男子操刀將欲入戶,聞書生聲急,謂為已故,遂縮走,客星應時即退。帝聞其聲異而召問之,書生具說所見,乃悟曰:此人是婢婿,將欲肆其凶於朕。乃召羽林,語主人曰:朕,天子也。於是擒奴,而伏誅,厚賜書生。
(原書の小注:《幽明録》の記載を案ずるに、漢の武帝は微服して出行し、一つの人家に投宿した。その家に一人の婢女がいて、容貌は絶色で、武帝はたいそう喜んで、そこに留まって夜を過ごし、その婢女と同寝した。その時もう一人の書生がこの家に借宿していて、天文に精通していたが、忽ち客星が移って来て帝座を掩い、たいそう迫っているのを見て、書生は大いに驚き惧れ、「咄咄」と声を連呼して、思わず声が高くなった。すなわち一人の男子が刀を提げてまさに屋に入らんとするのが見え、書生の急ぐ叫声を聞いて、事はすでに露見したと思い、退き縮めて逃げ去り、客星も声に応じてすぐ退いた。武帝はその叫声が異なのを聞き、書生を召して問うと、書生は見た星象を一々説明した。武帝はこれで悟っていうには、あの人はあの婢女の婿で、朕に毒手を下そうとしたのだ、と。そこで羽林の衛士を召し、主人にいうには、朕は天子なり、と。すぐその奴僕を擒えて死刑に処し、またあの書生に厚く賞した。
《後漢書》曰:嚴遵,字子陵,會稽餘姚人。世祖為書生時,與遵遊學,及即位,見遵,遵長揖不拜,上留遵俱寢,遵以足加世祖,其夜客星犯天子宿,明晨,太史奏其異,詔曰:朕友人嚴遵與朕具臥之耳。)
また《後漢書》の記載を案ずるに:厳遵、字は子陵、会稽郡余姚県の人。光武帝がまだ書生だった時、かつて厳遵とともに遊学し、光武帝が即位するに及んで厳遵を召見すると、厳遵は長揖するばかりで下拜しなかった。皇上は厳遵を留めて同じ榻に臥すと、厳遵は足を光武帝の体の上に載せた。その夜、客星は天子の星宿を侵犯した。翌朝、太史がこの異象を奏上すると、皇上は詔を下していうには、それは朕の旧友・厳遵が朕と同じ床に寝ただけのことだ。以上はいずれも原書の小注の引く旧事である。)
石氏曰:“有赤星,銳如劍,抵座星,天子以兵驚;一曰災驚。”《荊州占》曰:“黑星抵座左右,旁大臣有死者。”《荊州占》曰:“黃白星大如拳正圓,抵座旁者,臣有獻美人者。”郄萌曰:“黑星抵留座星者,曰天子惡之。”
石氏に曰く:赤色の星があり、鋒鋩は鋭くて利剣のごとく、帝座星に抵れば、天子は兵禍によって驚く。一説に災変によって驚く。《荊州占》に曰く:黒色の星が帝座の左右に抵れば、帝座のそばの諸星の主る大臣の中に身死する者がある。《荊州占》に曰く:黄白色の星で、大きさは拳のごとく形体が円く、帝座のそばに抵れば、美人を進献する臣子がある。郄萌に曰く:黒色の星が帝座星に抵って滞留して去らぬは、これを天子がそれを悪むといい、君主が忌みを受けることを主る。
客星が四帝を犯す 其の四十七
巫咸曰:“客星犯四帝,輔臣有亂,若有反;一曰:若左右輔臣有謀,期百八十日。”
巫咸に曰く:客星が「四帝」を冲犯すれば、輔政の大臣の中に乱事が出るか、あるいは反を谋る人がある。一説に君主の左右の輔弼の臣に密かな企てがあり、応験の期限は百八十日である。四帝は太微垣の中の黄帝座の四方に環衛する四位の天帝の座で、輔臣の位に対応するので、変異は輔弼の近臣に応ずる。
客星が屏星を犯す 其の四十八
石氏曰:“客星有中犯乘守屏星者,為君臣失禮而輔臣有誅者,若免罷去。”
石氏に曰く:客星がその中に貫入し、冲犯し、凌乗し、あるいは「屏星」に留まるがあれば、君臣の間に礼数を失することを主り、これによって輔弼の臣に誅殺される者があるか、あるいは免免職・罷黜されて去る。屏星は太微垣・端門の内にあり、もともと帝座を遮蔽し、内外を分隔する屏障なので、それが一たび変異すれば、応験は君臣の分際と礼数に落ちる。
客星が郎位を犯す 其の四十九
陳卓曰:“客星干犯郎位,大臣失勢。”《黃帝占》曰:“客星入郎位,大臣為亂。”石氏曰:“客星入郎位,多死者。”《荊州占》曰:“赤星入郎位,兵起,若大憂;出郎位,多用兵遠出者。”
陳卓に曰く:客星が「郎位」を冲犯すれば、大臣は権勢を失う。「郎位」は十五星、太微・帝座の東北にあり、宿衛・侍従の官の居る位次である。《黄帝占》に曰く:客星が郎位に入れば、大臣が乱を起こす。石氏に曰く:客星が郎位に入れば、死ぬ人が多い。《荊州占》に曰く:赤色の星が郎位に入れば、兵事が起こるか、あるいは大きな憂患がある。郎位から出れば、兵を率いて遠く出征する人が多い。
《荊州占》曰:“黑星入郎位,多有罪者。”《荊州占》曰:“蒼白星入郎位,有亂者。”《荊州占》曰:“蒼白黑星出郎位,多死者。”《玉曆》曰:“客星出郎位,守衛臣有謀者,人主有憂,將相有誅者;一曰:外夷有反者,期二年。“
《荊州占》に曰く:黒色の星が郎位に入れば、罪を得る人が多い。《荊州占》に曰く:青白色の星が郎位に入れば、乱を起こす人がある。《荊州占》に曰く:青白色と黒色の星が郎位から出れば、死ぬ人が多い。《玉歴》に曰く:客星が郎位に現れれば、宿衛を務める臣子の中に不轨を企てる者があり、君主に憂患があり、将相の中に誅殺される者がある。一説に境外の夷族に反逆する者があり、応験の期限は二年である。
《荊州占》曰:“客星入中郎位,大臣為亂,戒左右。”《黃帝占》曰:“客星守郎位,元士有憂;又曰:名官位,不死必去。”《荊州占》曰:“客星守郎位,其將憂也。”
《荊州占》に曰く:客星が郎位の中に貫入すれば、大臣が乱を起こし、君主は左右の近侍を警戒すべし。《黄帝占》に曰く:客星が郎位に留まれば、「元士」の位に居る下級の官員に憂患がある。又曰く名位にある人は死ななくても必ず離職する。《荊州占》に曰く:客星が郎位に留まれば、これらの郎官を統領する将に憂患がある。
客星が郎将を犯す 其の五十
《黃帝占》曰:“有星入郎將,色青黑,嗇夫不死則免;黃則遷,白則受賜。”《荊州占》曰:“有星入郎將,大臣亂,政不行。”石氏曰:“客星守郎將,大臣為亂。”
《黄帝占》に曰く:星が「郎将」に入り、星色が青黒なら、一方を主管する「嗇夫」の類の小吏は死ななくても免職される。星色が黄なら昇遷を得る。星色が白なら賞賜を受ける。郎将は一星、郎位の北にあり、衆の郎官を統領する武官の位である。《荊州占》に曰く:星が郎将に入れば、大臣が乱を起こし、政令は行き通らない。石氏に曰く:客星が郎将に留まれば、大臣が起こって乱を為す。
甘氏曰:“客星出郎將,輔臣有誅,將相有罪,若有黜者,期一年。”甘氏曰:“客星入犯守郎將,將誅。”
甘氏に曰く:客星が郎将に現れれば、輔政の大臣の中に誅殺される者があり、将相は罪を得るか、あるいは罷黜される者があり、応験の期限は一年である。甘氏に曰く:客星が郎将に入り、冲犯して留まれば、兵を率いる将は誅殺される。
客星が常陳を犯す 其の五十一
石氏曰:“他星犯常陳,王者誅之,近期百八十日,遠期三年。”《聖洽符》曰:“客星出常陳,守衛者有誅,若左右兵起,王者有憂,期不出年。”
石氏に曰く:別の変異の星が「常陳」を冲犯すれば、君王は誅戮を施行し、近くは百八十日、遠くは三年に応験する。「常陳」は七星、帝座の北にあり、形は天子の羽林の護衛のごとく、宮廷の宿衛兵を主管する。《聖洽符》に曰く:客星が常陳に現れれば、宿衛を務める人に誅殺される者があるか、あるいは君主の左右に兵変が起こり、君王に憂患があり、応験はその年を出ない。
客星が三台を犯す 其の五十二
石氏曰:“黃白星入三能,貴人有賜爵者;蒼星出三能,貴人奪爵。”(按司馬彪《天文志》曰:孝安永安四年六月甲子,客星大如李,蒼白芒,氣長二尺,西南指上階,星降,太尉張瑀、司空張敏,皆免官也。)
石氏に曰く:黄白色の星が「三能」に入れば、貴人の中に爵位を賜わる者がある。青色の星が三能から出れば、貴人は爵位を奪われる。「三能」はすなわち三台で、六星が両々相並び、上台は司命、中台は司中、下台は司禄で、三公の象である。(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載を案ずるに、漢の安帝・永安四年六月甲子の日、客星の大きさは李のごとく、青白色の芒角を帯び、気の長さは二尺、西南の方に上階の星を指して、星象は下降し、続いて太尉・張瑀、司空・張敏は皆官を免ぜられた。)
郄萌曰:“有星出三能,爵令行。”郄萌曰:“客星舍三能,左右群臣有不正者,露當降也。”郄萌曰:“客星舍三能,留十餘日不去,王侯有不通者,深渠,當修城郭,決此,三臺之過也。”
郄萌に曰く:星が三能に現れれば、封爵の命令は施行を得る。郄萌に曰く:客星が三能に宿れば、君主の左右の群臣の中に行いの正しくない者があり、彼らの劣跡はまさに敗露せんとする。郄萌に曰く:客星が三能に宿り、十余日滞留して去らなければ、王侯の間に阻隔して通じない者があり、この時溝渠を深く掘り、城郭を修葺して、これらの事を決断して成し遂げるべし。成らざれば、三台の官の過失である。
《黃帝占》曰:“客星入三臺,若守之,大臣多戮,若貴人多病瘧死者。”《帝覽嬉》曰:“客星出三臺,若守之,主誅大臣,貴人有死者,不出百八十日。”郄萌曰:“客星守天柱,大人戒左右,趣治兵弩。”郄萌曰:“他星犯守三臺,有兵喪;一曰:水為災害。”
《黄帝占》に曰く:客星が三台に入るか、あるいは留まって守れば、大臣は多く殺戮されるか、あるいは貴人の中に瘧疾に患って死ぬ者が多い。《帝覧嬉》に曰く:客星が三台に現れ、あるいは留まって守れば、君主は大臣を誅殺し、貴人の中に身死する者があり、百八十日を出ない。郄萌に曰く:客星が「天柱」すなわち三台の一帯に留まれば、君主・大人は左右の近侍を警戒し、急いで兵器・弓弩を整治すべし。郄萌に曰く:別の変異の星が三台を冲犯して留まれば、兵事・喪事がある。一説に水が災害を成す。
石氏曰:“有星入司命,色蒼,民憂喪事;白潤澤,婦女多傷;黑,嬰兒死。”甘氏曰:“有星入司命,近臣抵罪者。色青,有憂;黃白,無故;黑,死。”石氏曰:“蒼星出司命,王者病死。”甘氏曰:“青若黑星入司命中,奸人有出者。”
石氏に曰く:星が「司命」に入り、星色が青なら、百姓は喪事に愁える。星色が白く潤沢なら、婦女は傷亡する者が多い。星色が黒なら、嬰児は夭折する。司命は三台の上台の二星で、寿命を主管する。甘氏に曰く:星が司命に入れば、近臣の中に罪を抵当して罰を受ける者がある。星色が青なら憂患があり、黄白なら平安無事、黒なら死亡を主る。石氏に曰く:青色の星が司命に現れれば、君王は病によって死ぬ。甘氏に曰く:青色あるいは黒色の星が司命の中に入れば、奸人がその中から出て行く者がある。
石氏曰:“有星入司祿,大臣爭榮。”甘氏曰:“有星入司祿,色黃若白,近臣有易爵者;出司祿,色青,近臣有抵罪而走者;黑,則死。”
石氏に曰く:星が「司禄」に入れば、大臣の間は栄寵を争い合う。司禄は三台の下台の二星で、爵禄を主管する。甘氏に曰く:星が司禄に入り、星色が黄あるいは白なら、近臣の中に爵位を更換する者がある。司禄から出て、星色が青なら、近臣の中に罪を得て逃走する者がある。星色が黒なら、それは死亡の兆である。
客星が相星を犯す 其の五十三
陳卓曰:“客星干犯相星,輔相憂,不出一年,天下變更其令,民多移徙。”
陳卓に曰く:客星が「相星」を冲犯すれば、君主を輔佐する宰相に憂患があり、一年を出ずに天下は政令を更改し、百姓は遷徙・流移する者が多い。相星は北斗の南・文昌の下にあり、宰相の位で、百官を総領するので、それが一たび変異すれば、応験は宰相と朝廷の法令に落ちる。
客星が天牢を犯す 其の五十四
《黃帝占》曰:“有星入天牢,斧鑕用,諸侯有獻地者;出天牢,王賜諸侯地;色青,皆以兵;黃白,皆以好;一曰:星出南,為獻地。”《海中占》曰:“客星入天獄,有德令。”郄萌曰:“有大星入天牢,有赦,期二十日。”
《黄帝占》に曰く:星が「天牢」に入れば、腰斬の刑具は用をなし、諸侯の中に土地を献納する者がある。天牢から出れば、君王は諸侯に土地を賜う。星色が青なら、皆兵事による。星色が黄白なら、皆修好に出づる。一説に星が南から出るは献納の土地を主る。天牢は六星、北斗魁の下にあり、貴人を囚禁する牢獄を主管する。《海中占》に曰く:客星が天獄すなわち天牢に入れば、仁徳を施行する号令がある。郄萌に曰く:大きな星が天牢に入れば、赦免を主り、期限は二十日である。
郄萌曰:“客星入天牢,必有戮卿。”《荊州占》曰:“客星入天牢,貴人有繫者,有戮君。”《荊州占》曰:“客星入天牢,其國得邑土;出天牢,為亡邑土也。”石氏曰:“有奇星守天牢二十日已上,天下大赦。”
郄萌に曰く:客星が天牢に入れば、必ず処刑される公卿がある。《荊州占》に曰く:客星が天牢に入れば、貴人の中に拘繫されて獄に下る者があり、また殺される封君がある。《荊州占》に曰く:客星が天牢に入れば、その分野の国は城邑・土地を得る。天牢から出れば、城邑・土地を喪失する。石氏に曰く:異常の星が天牢に二十日以上留まれば、天下は大赦を行う。
石氏曰:“客星守天牢,一年,大魚死;一曰:人相食。”《荊州占》曰:“客星守天牢,鈇鑕用,以其初守日占國。”巫咸曰:“客星出天牢,若守之,有貴臣多下獄者,期不出一年。”郄萌曰:“常以五子日候天牢,中有變星,期不出十日,赦。”
石氏に曰く:客星が天牢に留まれば、一年の内に大魚は死亡する。一説に人は互いに食い合う。《荊州占》に曰く:客星が天牢に留まれば、腰斬の刑具は用をなし、それの留まり始めた日の干支によってどの国に応ずるかを推断する。巫咸に曰く:客星が天牢に現れ、あるいは留まって守れば、多くの貴臣が牢獄に投じられ、応験は一年を出ない。郄萌に曰く:平常甲子・丙子・戊子・庚子・壬子の五つの子の日に天牢を観察し、もしその中に変異の星が現れれば、十日を出ずに赦令がある。
客星が文昌を犯す 其の五十五
石氏曰:“客星干犯文昌,則附臣受殃,近期三年,遠期六年。”韓楊曰:“客星入文昌,有女子惑天子者。”《文曜鉤》曰:“客星出文昌,其國失政,人主有憂,臣受其殃。”石氏曰:“客星出文昌,其國失君政。”石氏曰:“客星守文昌,有兵,君不安。”
石氏に曰く:客星が「文昌」を冲犯すれば、君主に依附する近臣は禍殃を受け、近くは三年、遠くは六年に応験する。文昌は六星、北斗魁の前にあり、形は半月のごとく、天上の六府で、上将・次将・貴相・司禄・司命・司寇の職を分掌する。韓楊に曰く:客星が文昌に入れば、天子を惑わす女子がある。《文曜鈎》に曰く:客星が文昌に現れれば、その分野の国は政事が失序し、君主に憂患があり、臣子は禍殃を受ける。石氏に曰く:客星が文昌に現れれば、その国は君主の政令を喪失する。石氏に曰く:客星が文昌に留まれば、兵事があり、君主は安らかでない。
《黃帝占》曰:“有星入將星,色蒼,將有憂;一曰:故臣有抵罪。”《黃帝占》曰:“黃星入將星,受封;黑,將死。”《黃帝占》曰:“大赤星入將星,提鼓之將驚。”《黃帝占》曰:“有星入相星,色黃若白,皆為故臣有賜爵者。”
《黄帝占》に曰く:星が文昌の「将星」に入り、星色が青なら、将に憂患がある。一説に旧臣の中に罪を抵当して罰を受ける者がある。《黄帝占》に曰く:黄色の星が将星に入れば、封賞を受けることを主る。星色が黒なら、将は死ぬ。《黄帝占》に曰く:赤色の大星が将星に入れば、軍鼓を掌る将は驚く。《黄帝占》に曰く:星が「相星」に入り、星色が黄あるいは白なら、いずれも旧臣の中に爵位を賜わる者があることを主る。
《荊州占》曰:“有星入司命中,色蒼,廷臣有憂;黃,故臣有賜爵者;白,近臣有抵罪者;黑,近臣死。出司命,色赤,王者疾困。”《黃帝占》曰:“客星出司命、司中、司祿,近臣抵罪走者。色黃白,無故;青,憂;黑,死。”
《荊州占》に曰く:星が司命の中に入り、星色が青なら、朝廷の臣に憂患がある。星色が黄なら、旧臣の中に爵を賜わる者がある。星色が白なら、近臣の中に罪を抵当する者がある。星色が黒なら、近臣は身が死ぬ。もし司命から出て、星色が赤なら、君王は病が重く困憊する。《黄帝占》に曰く:客星が司命・司中・司禄の三か所に現れれば、近臣の中に罪を抵当して出逃する者がある。星色が黄白なら平安無事、青なら憂患、黒なら死亡である。
郄萌曰:“客星出司命,有加命於群生;一曰:有下命者。”石氏曰:“有星入司命中,為內亂。”《黃帝占》曰:“有星入司命中,色蒼,近臣有憂;一曰:近臣有棄捐者。”《荊州占》曰:“有星入司中,色蒼者有賊。”郄萌曰:“青黑星若入司中,奸人有入者;出司中,奸人有出者。”
郄萌に曰く:客星が司命に現れれば、衆生に恩命を加える措置がある。一説に詔命の頒下される者がある。石氏に曰く:星が司命の中に入れば、内部に乱を生ずることを主る。《黄帝占》に曰く:星が司命の中に入り、星色が青なら、近臣に憂患がある。一説に近臣の中に棄置されて用いられない者がある。《荊州占》に曰く:星が司中に入り、星色が青なら人を害する賊子を主る。郄萌に曰く:青色あるいは黒色の星がもし司中に入れば、潜入する奸人がある。司中から出れば、外に逃げる奸人がある。
石氏曰:“有星入司祿中,色黃若白,近臣有易爵者。”郄萌曰:“客星入司祿,色青黑,近臣有奪爵者。”郄萌曰:“客星出司祿,有下賞者。”
石氏に曰く:星が司禄の中に入り、星色が黄あるいは白なら、近臣の中に爵位を更換する者がある。郄萌に曰く:客星が司禄に入り、星色が青黒なら、近臣の中に爵位を奪われる者がある。郄萌に曰く:客星が司禄に現れれば、賞賜の頒下される者がある。
客星が北斗を犯す 其の五十六
郄萌曰:“客星入北斗魁上若下,色青黑,人主大憂;赤,有大客,境外與中國爭兵;黃白,人主有賀,期皆六十日,若百二十日,人主避舍東方,十日而賜功,應之。”郄萌曰:“有星入北斗魁中,大人有繫者,一曰:人主左右有囚者;色黃白,無故;色青黑,有憂,死,不出;色赤,斬。”
郄萌に曰く:客星が北斗魁の上方あるいは下方に入り、星色が青黒なら、君主に大きな憂患がある。星色が赤なら、強大な外来者があり、境外は中原と争戦する。星色が黄白なら、君主に慶賀すべき事がある。この数種の応験の期限は皆六十日あるいは百二十日である。君主は正寝を避けて東方に移り居り、十日過ぎてから功ある人を賞して、もって星象に応合する。北斗は七星、帝王の車駕で、中央を運転して四方に号令する。郄萌に曰く:星が北斗魁の中に入れば、君主・大人のそばに拘繫される者がある。一説に君主の左右に獄に下る人がある。星色が黄白なら平安無事、星色が青黒なら憂患があり、さらに身が死んで獄を出ることを得ず、星色が赤なら斬刑を主る。
《荊州占》曰:“有星出庭,入北斗魁中,二千石有繫者;色青,憂;黑,死;赤,有斬事。”《荊州占》曰:“大星入北斗,貴臣誅,若係者。”《黃帝占》曰:“客星出北斗魁中,天子自將兵,國憂傾危,社稷不安,民多苦,期一年。”
《荊州占》に曰く:星が太微天庭から出て北斗魁の中に入れば、俸禄二千石の郡守の級の官員の中に拘繫される者がある。星色が青なら憂患を主り、黒なら死亡を主り、赤なら斬首の事がある。《荊州占》に曰く:大きな星が北斗に入れば、貴臣は誅殺されるか、あるいは拘繫されて獄に下る。《黄帝占》に曰く:客星が北斗魁の中に現れれば、天子は自ら兵を統べ、国家は憂危に傾覆し、社稷は安らかでなく、百姓は多く困苦を受け、期限は一年である。
石氏曰:“有星集北斗旁,不入北斗中,名貴人有憂,以五色占之。”郄萌曰:“有星出北斗魁,天下赦。星大,赦大;星小,赦小,期九十日,當至。”齊伯曰:“客星出北斗旗間,兵大起,東騎行,若貴臣有誅,人主憂。旗者,紫宮北斗兩間。”
石氏に曰く:星が北斗のそばに集まって北斗の中に入らぬは、名望ある貴人に憂患があることを主り、具体的な吉凶は青・赤・黄・白・黒の五色によって占断する。郄萌に曰く:星が北斗魁に現れれば、天下は赦免を行う。星体が大きければ赦の範囲が大きく、星体が小さければ赦の範囲が小さい。期限は九十日で、時に至れば必ず来る。斉伯に曰く:客星が北斗の旗星の間に現れれば、兵事が大いに起こり、東方の騎兵が出動するか、あるいは貴臣が誅殺され、君主に憂患がある。いわゆる旗とは、紫宮と北斗との間のあの一帯の星域を指す。
《海中占》曰:“客星出入北斗,天下大亂,兵大起,臣謀主,不則天下大水,入城郭,煞人民,期百日。”(郄萌曰:期三十日也。)郄萌曰:“有星離北斗柄中央,色青,相有憂;赤者,兵事;黃白,有赦,若相遇賊;黑者,死。”
《海中占》に曰く:客星が北斗に出没すれば、天下は大いに乱れ、兵事が大いに起こり、臣子は君主を謀る。そうでなければ天下に大水があり、水は城郭に灌ぎ入り、百姓は溺れ死に、期限は百日である。(原書の小注:郄萌に曰く、期限は三十日なり。)郄萌に曰く:星が斗柄の中央の一星に附着し、星色が青なら、宰相に憂患がある。星色が赤なら兵事を主る。星色が黄白なら赦令を主るか、あるいは宰相が悪人に遇う。星色が黒なら死亡を主る。
甘氏曰:“客星見北斗魁中,色赤,楚當之;青,齊當之;黃,衛當之;黑,燕當之;白,秦當之;各以五色,知其分野吉凶。”《荊州占》曰:“有星見北斗魁中,有死者;色赤,楚君當之。”《荊州占》曰:“變星見北斗魁中,天子當之。”石氏曰:“大星去北斗中,如赤鳥,其頭黑,天下有兵。”
甘氏に曰く:客星が北斗魁の中に現れ、星色が赤なら楚の地に応じ、星色が青なら斉の地に応じ、星色が黄なら衛の地に応じ、星色が黒なら燕の地に応じ、星色が白なら秦の地に応ずる。皆五色によってそれの落ちるどの分野かを分かち、もって吉凶を推知する。《荊州占》に曰く:星が北斗魁の中に現れれば、身死する人がある。星色が赤なら、楚国の君に応ずる。《荊州占》に曰く:変異の星が北斗魁の中に現れれば、天子に応ずる。石氏に曰く:大きな星が北斗の中を離れて、形状は一羽の赤色の鳥のごとく、鳥の頭は黒ければ、天下に兵事がある。
《甄曜度》:“客星居北斗旁,帝王有憂;若有不出者,兵大起,士卒用,各以五色占之;去北斗一尺,期一年;二尺,期二年。”郄萌曰:“客星守北斗,天下必有大事,若大變;守斗後,道不通,水。”郄萌曰;“客星守北斗七星,人君大變。”(一書云:有憂。)
《甄曜度》に曰く:客星が北斗のそばに居れば、帝王に憂患がある。もし滞留して出ざる者あれば、兵事が大いに起こり、士卒は徴調され、具体的な吉凶はそれぞれ五色によって占断する。客星が北斗に距ること一尺なら期限は一年、二尺なら期限は二年である。郄萌に曰く:客星が北斗に留まれば、天下に必ず大事があるか、あるいは大きな変故が出る。斗柄の後に留まれば、道路は通じず、また水患がある。郄萌に曰く:客星が北斗七星に留まれば、君主は大きな変故に遭う。(原書の小注:別の一つの本に「憂患がある」と作る。)
《荊州占》曰:“有星入正星,大人遇賊;出正星,為政者易。”《荊州占》曰:“有星抵正星,有客。色青,以禽獸為幣;黃,以綾羅為幣;赤,以錢為幣;白,以人若兵劫為幣;黑,以金為幣;色白蒼,以羊為幣;正星上左右,以馬牛魚鹽為幣;色黑左右,以五穀為幣。”
《荊州占》に曰く:星が「正星」に入れば、君主・大人は悪人に遇う。正星から出れば、執政の人は更え替えられる。北斗七星はそれぞれ名号があり、第一星を正星、第二星を法星、第三星を令星、第四星を伐星、第五星を煞星、第六星を危星、第七星を部星という。《荊州占》に曰く:星が正星に抵れば、外来の賓客がある。星色が青なら禽獣をもって贄礼とし、黄なら綾羅をもって贄礼とし、赤なら銭をもって贄礼とし、白なら人口あるいは兵威の劫掠する所をもって贄礼とし、黒なら黄金をもって贄礼とし、白に青を帯びた色なら羊をもって贄礼とし、正星の上方左右に抵れば馬・牛・魚・塩をもって贄礼とし、色が黒を発して左右に抵れば五穀をもって贄礼とする。
《荊州占》曰:“有星出法星,若入法星,主當之。”郄萌曰:“有星入令星,執法者死;出令星,執法者逐於諸侯。”《荊州占》曰:“有星入伐者,蠻夷以水兵至;出伐星,天予與蠻夷和。”《荊州占》曰:“有星抵伐星而舍之者,人多死。”《荊州占》曰:“有星抵伐星,有光,女主疾;有光而環伐星,君疾。”
《荊州占》に曰く:星が法星に現れ、あるいは法星に入れば、君主に応ずる。郄萌に曰く:星が令星に入れば、法令を執る官は死ぬ。令星から出れば、執法の官は諸侯の国に放逐される。《荊州占》に曰く:星が伐星に入れば、四方の蛮夷は水兵を帯いて到来する。伐星から出れば、天子は蛮夷と和を講ずる。《荊州占》に曰く:星が伐星に抵ってそこに宿せば、人は多く死亡する。《荊州占》に曰く:星が伐星に抵って光芒を帯びれば、女主は病む。光芒が伐星を環り繞けば、君主は病む。
郄萌曰:“有星入煞星,大臣主馬者死,期一旬;出煞星,大臣走。”《荊州占》曰:“有星入危星,易政;出危星,天子出令不行。”《荊州占》曰:“有星入部星,諸侯兵起,子攻父,弟攻兄。”郄萌曰:“客星入輔星,有善令。”《荊州占》曰:“有星入輔星,色青,相有罪,若免;色赤,相受兵,若將兵;黃白,相有賜,若有喜;黑,相死,若免。”
郄萌に曰く:星が煞星に入れば、馬政を掌る大臣は死に、期限は十日である。煞星から出れば、大臣は出奔する。《荊州占》に曰く:星が危星に入れば、政令は更改する。危星から出れば、天子の発した号令は行き通らない。《荊州占》に曰く:星が部星に入れば、諸侯は兵を興し、子は父を攻め、弟は兄を攻める。郄萌に曰く:客星が「輔星」に入れば、善政の号令がある。輔星は開陽星のそばにあり、丞相の象である。《荊州占》に曰く:星が輔星に入り、星色が青なら、宰相は罪を得るか、あるいは免職される。星色が赤なら、宰相は兵権を受けるか、あるいは兵を率いて出征する。星色が黄白なら、宰相は賞賜を受けるか、あるいは喜事がある。星色が黒なら、宰相は身が死ぬか、あるいは免職される。
客星が紫微宮を犯す 其の五十七
《玉曆》曰:“客星犯紫微宮,有大喪,若守之十日已上,災必應,期百二十日。”(按《洪範天文星辰變占》曰:漢昭元鳳四年九月,客星在紫微宮中樞極間,後三年,昭帝崩也。)
《玉歴》に曰く:客星が「紫微宮」を犯せば、大喪がある。もし十日以上留まれば、災禍は必ず兑现し、期限は百二十日である。紫微宮は天帝の居する宮垣で、人間では天子の宮禁に対応する。(原書の小注:《洪範天文星辰変占》の記載を案ずるに、漢の昭帝・元鳳四年九月、客星が紫微宮の中の天枢と北極の間に現れ、この後三年過ぎて、昭帝が去った。)
石氏曰:“客星入紫微宮,天子有急兵起宮中,必有死王,若有逃走之主,期不出百八十日。”
石氏に曰く:客星が紫微宮に入れば、天子に緊急の難があり、兵変は宮廷の内に起こり、必ず殺される封王があるか、あるいは外に出奔する君主があり、応験は百八十日を出ない。
(按班固《天文志》曰:宣帝黃龍元年三月,客星居王良東,廣可九尺,長丈餘,西指,出閣道間,至紫宮。其十二月,宮車晏駕。司馬彪《天文志》曰:孝章元和元年四月丁巳,客星晨出東方,在胃八度,長三尺,歷閣道,入紫宮,留四十日,滅閣道。紫宮,天子之宮也。客星犯,謂之大喪。後四年,章帝崩。
(原書の小注:班固《漢書・天文志》の記載を案ずるに、漢の宣帝・黄龍元年三月、客星が王良の東に居り、幅約九尺、長さ一丈余、芒角は西方を指し、閣道の間から出て、紫宮にまで達した。この年十二月、宣帝は崩じた。司馬彪《続漢書・天文志》に曰く:漢の章帝・元和元年四月丁巳の日、客星は清晨東方に現れ、位は胃宿の八度、長さ三尺、閣道を経て紫宮に入り、四十日滞留して閣道のあたりで隠没した。紫宮は天子の宮室で、客星がそれを侵犯するは大喪の兆という。この後四年過ぎて、章帝が去った。
《宋書天文志》曰:晉太康元年四月,客星在紫宮,太康末,武帝耽晏遊,多疾病,是月乙酉,帝崩。永平元年,賈后誅楊駿及其黨與,皆夷三族。楊太后亦見煞,是年又誅汝南王亮、太保衛瓘、楚王偉海西。太和四年二月,客星見紫微宮西垣,至七月乃滅。六年,桓溫廢帝也。)
《宋書・天文志》に曰く:晋の太康元年四月、客星が紫宮に現れた。太康末、晋の武帝は宴飲・遊楽に耽り、屡々病に患い、その月乙酉の日、武帝が去った。永平元年、賈后は楊駿およびその党与を誅殺し、皆三族を夷滅され、楊太后もまた殺害に遭った。この年また汝南王・司馬亮、太保・衛瓘、楚王・司馬瑋を誅殺した。太和四年二月、客星が紫微宮の西垣に現れ、七月に至ってようやく隠没した。太和六年、桓温は皇帝を廃黜した。)
《荊州占》曰:“客星入紫微宮,國有大變;一曰:為兵起,得地。”(按班固《天文志》曰:孝昭元鳳四年九月,客星去紫微宮中樞極間。其五年六月,發三輔郡國少年濟北軍也。)
《荊州占》に曰く:客星が紫微宮に入れば、国に大きな変故がある。一説に兵事が起こって土地を得ることを為す。(原書の小注:班固《漢書・天文志》の記載を案ずるに、孝昭・元鳳四年九月、客星が紫微宮の中の枢極の間にあった。その五年六月、三輔の郡国の少年を発して済北軍に赴かせた。)
《荊州占》曰:“赤星入紫宮,天下亂;一曰:為天下無人,其中列大夫多死罪者;入其旁,有亂臣。”《荊州占》曰:“黃星入紫宮,人主益地,天下有喜,期十日。”《荊州占》曰:“有赤星若黑星入紫宮,從其陽入,有客兵,期六十日,至;從其陰入,有走王。”
《荊州占》に曰く:赤色の星が紫宮に入れば、天下は動乱する。一説に天下に用うべき人がなく、紫宮の中に列する大夫の位に対応する官員は死罪を判される者が多い。もし紫宮のそばに入れば、乱を起こす臣子がある。《荊州占》に曰く:黄色の星が紫宮に入れば、君主は疆土を増益し、天下に喜事があり、期限は十日である。《荊州占》に曰く:赤色あるいは黒色の星が紫宮に入り、それの陽に属する側から入れば、外来の兵馬があり、期限六十日で時に至れば必ず来る。それの陰に属する側から入れば、外に出奔する封王がある。
《黃帝占》曰:“客星出紫宮,天下大亂,臣煞其主,王者有憂,國有大變,期不出年。”石氏曰:“有星如拳正圓,及如獸狀,出紫宮,天子用壁玉賜諸侯王。”石氏曰:“客星守紫宮,臣煞主。”《荊州占》曰:“客星在旗間,車騎起。”
《黄帝占》に曰く:客星が紫宮に現れれば、天下は大いに乱れ、臣子はその君主を弑殺し、君王に憂患があり、国中に大きな変故があり、応験はその年を出ない。石氏に曰く:大きさが拳のごとく形体が円い星、あるいは形状が走獣のごとき星が紫宮に現れれば、天子は璧玉をもって諸侯王に賞賜する。石氏に曰く:客星が紫宮に留まれば、臣子は君主を弑殺する。《荊州占》に曰く:客星が旗星の間にあれば、車馬・騎兵は出動する。
客星が北極・勾陳を犯す 其の五十八
石氏曰:“客星入北極,天下道塞。”《黃帝占》曰:“客星出北辰,天子出德令,安天下。”《黃帝占》曰:“赤星出天樞,天下兵盈野,罷。”郄萌曰:“客星出北極,而所之國大敗,四方皆然。”
石氏に曰く:客星が「北極」に入れば、天下の道路は塞がれる。北極は五星、紫微宮の中にあり、天の枢紐で、人君の象である。《黄帝占》に曰く:客星が北辰に現れれば、天子は仁徳を施行する号令を頒下し、天下を安定させる。《黄帝占》に曰く:赤色の星が天枢に現れれば、天下の兵馬は郊野に盈ち、その後兵を罢める。郄萌に曰く:客星が北極に現れれば、それの指すその国は大敗し、四方の諸国は皆これに照らして推断する。
石氏曰:“他星見北極,帝王驚,宗室亂,王者修郊祀,奉宗廟,大赦天下,則災消。”《荊州占》曰:“客星舍極,四夷若胡王有喪。”《荊州占》曰:“客星守極,大臣誅。”《荊州占》曰:“客星(一本云:赤星)守天樞極,兵聚一國,有更君、易幣。”
石氏に曰く:別の変異の星が北極に現れれば、帝王は驚き、宗室は乱を生じる。君王がただ郊天の祀を整飭し、宗廟を恭奉し、天下を大赦すれば、災禍は消解できる。《荊州占》に曰く:客星が北極に宿れば、四方の夷族あるいは胡人の王に喪事がある。《荊州占》に曰く:客星が北極に留まれば、大臣は誅殺される。《荊州占》に曰く:客星(原書の小注:別の一つの本に「赤星」と作る)が天枢と北極に留まれば、兵馬は一つの国に聚集し、君主を更換し、銭幣を改易する事がある。
石氏曰:“客星守天樞,國有大憂。”石氏曰:“客星出北辰,犯守大星,天下道塞,兵大起,臣欲謀主,兵聚一國,人主有變,期不出年。”《黃帝占》曰:“客星犯乘守北辰主星,大人當之;一曰:有大喪;一曰:有反者。”
石氏に曰く:客星が天枢に留まれば、国中に大きな憂患がある。石氏に曰く:客星が北辰に現れ、北極の大星を冲犯して留まれば、天下の道路は塞がれ、兵事が大いに起こり、臣子は君主を謀らんとし、兵馬は一つの国に聚集し、君主に変故があり、応験はその年を出ない。《黄帝占》に曰く:客星が北辰の主星を冲犯し、凌乗し、あるいは留まれば、君主・大人に応ずる。一説に大喪がある。一説に反を谋る人がある。
《荊州占》曰:“客星犯乘守太子星,太子有罪若死。”《荊州占》曰:“客星中犯乘守庶子星,庶子有罪若死。”石氏曰:“赤星入勾陳,兵內亂,大司馬戮死;出勾陳,大戰有功。”石氏曰:“黑星入勾陳,大司馬溺軍中。”
《荊州占》に曰く:客星が太子星を冲犯し、凌乗し、あるいは留まれば、太子は罪を得るか、あるいは身が死ぬ。北極五星の中で、第一星は太子、第二星は帝王、第三星は庶子である。《荊州占》に曰く:客星が庶子星に貫入し、冲犯し、凌乗し、あるいは留まれば、庶子は罪を得るか、あるいは身が死ぬ。石氏に曰く:赤色の星が「勾陳」に入れば、軍中に内乱が発生し、大司馬は処刑されて死ぬ。勾陳は六星、紫宮の中にあり、天子の後宮であり、また六軍の将軍をも主る。もし勾陳から出れば、大戦して功を建てることを主る。石氏に曰く:黒色の星が勾陳に入れば、大司馬は軍中で溺れて死ぬ。
石氏曰:“黃白星入勾陳,將不戰,兵去外,罷。”石氏曰:“蒼白星入勾陳,大司馬有喪;出勾陳,軍破,將有憂。”《荊州占》曰:“赤星入勾陳,必有迫劫主者。”《荊州占》曰:“客星入正妃,國有大憂。”陳卓曰:“客星入正妃,有大喪。”
石氏に曰く:黄白色の星が勾陳に入れば、将帥は交戦せず、兵馬は境外に撤し、これにて兵を罢める。石氏に曰く:青白色の星が勾陳に入れば、大司馬に喪事がある。勾陳から出れば、軍隊は潰敗し、将領に憂患がある。《荊州占》に曰く:赤色の星が勾陳に入れば、必ず君主を迫脅し劫する人がある。《荊州占》に曰く:客星が「正妃」の星に入れば、国中に大きな憂患がある。陳卓に曰く:客星が正妃の星に入れば、大喪がある。
《荊州占》曰:“客星入黃龍之位,有黜妃,臣煞主。”齊伯曰:“客星出勾陳,國有大變,后妃有憂,若女主有黜者,不出一年。”石氏曰:“客星入勾陳,若犯之,宮中有變臣殺其主,王者有憂。”
《荊州占》に曰く:客星が黄龍の位次に入れば、廃黜される妃嬪があり、臣子は君主を弑殺する。斉伯に曰く:客星が勾陳に現れれば、国中に大きな変故があり、后妃に憂患があるか、あるいは女主の中に廃黜される者があり、一年を出ずに応験する。石氏に曰く:客星が勾陳に入るか、あるいは勾陳を犯せば、宮中に変乱が出て、臣子はその君主を殺害し、君王に憂患がある。
客星が天一・太一を犯す 其の五十九
《荊州占》曰:“客星入天一座,五穀大貴。”《甄曜度》曰:“客星出天一太一,五穀貴,人民飢;一曰:若有旱災。”《黃帝占》曰:“他星曆天一,則宮門閉,王者內不安,近臣亂,不出三年。”
《荊州占》に曰く:客星が「天一」の座に入れば、五穀の値が大いに上がる。天一・太一の両星は紫宮門の外にあり、天帝の神で、戦伐を主管し、また人間の吉凶を知ることができる。《甄曜度》に曰く:客星が天一・太一に現れれば、五穀は騰貴し、人民は飢える。一説に旱災がある。《黄帝占》に曰く:別の変異の星が天一を経過すれば、宮門は閉鎖して通じず、君王は内廷で安らかでなく、近臣が乱を起こし、三年を出ずに応験する。
開元占経 巻八十四
客星占 其の八
客星が石氏外官を犯す
客星が天庫楼を犯す 其の一
《黃帝占》曰:“客星入天庫,以飢兵起。”石氏曰:“客星入天庫,糴大貴,為後年。”《天官書》曰:“客星入天庫,邊郡之兵起,此為外夷之事。”郄萌曰:“客星犯天庫,五穀大貴,入庫中,糴石百;處其旁,石五十。”郄萌曰:“客星入天庫,牛馬有行。”郄萌曰:“客星入天庫,兵起,十年亂。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天庫」に入れば、飢饉によって兵事が起こる。庫楼は十星、角宿の南にあり、兵車と武庫を主管し、天庫はその中の一星である。石氏に曰く:客星が天庫に入れば、糴米の値が大いに上がり、二年に応ずる。《史記・天官書》に曰く:客星が天庫に入れば、辺郡の兵事が起こり、これは外族に関する事である。郄萌に曰く:客星が天庫を犯せば、五穀の値が大いに上がる。庫の中に入れば米は一石につき百銭、庫のそばに処れば一石につき五十銭。郄萌に曰く:客星が天庫に入れば、牛馬は駆り立てられて調運される。郄萌に曰く:客星が天庫に入れば、兵事が起こり、動乱は十年続く。
《荊州占》曰:“客星入天庫,有兵發行。”《黃帝占》曰:“客星出庫樓,兵車用,若守之,邊兵大起,庫兵出,車騎行,期二年,遠三年。”《荊州占》曰:“客星入若守之天庫,外夷兵起;一曰:官兵憂。”《黃帝占》曰:“客星入若乘守天庫,兵車出用。”
《荊州占》に曰く:客星が天庫に入れば、兵馬が開拔して出征する事がある。《黄帝占》に曰く:客星が庫楼に現れれば、兵車は用をなす。もし留まって守れば、辺境の兵事が大いに起こり、武庫の中の兵器は搬出され、車馬・騎兵は出動し、期限は二年、遠くは三年である。《荊州占》に曰く:客星が天庫に入るかあるいは留まれば、境外の夷族は兵を興す。一説に官軍に憂患がある。《黄帝占》に曰く:客星が天庫に入り、凌乗し、あるいは留まれば、兵車は出して用いられる。
客星が南門を犯す 其の二
石氏曰:“客星出南門,若守之,關梁塞,道路不通,人民憂。”石氏曰:“南門中有小星三芒者,則兵車出。”
石氏に曰く:客星が「南門」に現れ、あるいは留まって守れば、関隘・橋梁は塞がれ、道路は通じず、人民は憂困する。南門は二星、庫楼の南にあり、天上の外門で、関隘の守衛を主管する。石氏に曰く:南門の中に三つの芒角を帯びた小さな星が現れれば、兵車はまさに出る。
司馬彪《天文志》曰:“孝靈中平二年十月癸亥,客星出南門中,大如半筵,五色喜怒稍小。至後年六月,乃消。占曰:為兵。至六年,司隸校尉袁紹誅滅中官大將軍部曲將吳匡,攻煞車騎將軍何苗,死者合數千人。”
司馬彪《続漢書・天文志》に曰く:漢の霊帝・中平二年十月癸亥の日、客星が南門の中に現れ、大きさは半張の筵のごとく、光色は五彩に変幻して明暗は定まらず、その後しだいに小さくなり、翌年六月に至ってようやく消えた。占辞にこれは兵禍の象であるという。中平六年に至り、司隸校尉・袁紹は宦官を誅滅し、大将軍・何進の部曲将・呉匡らは車騎将軍・何苗を攻め殺し、死んだ人は合わせて数千に及んだ。
客星が平星を犯す 其の三
石氏曰:“客星出平星,賦斂之臣憂而有退罪者,若庫吏不忠,當有廢出,期不出一年。”
石氏に曰く:客星が「平星」に現れれば、賦税の徴収を掌る臣子に憂患があり、その中に罪を得て退職する者があるか、あるいは庫吏が職守に忠ならず、廃黜されて逐い出されるべきで、応験は一年を出ない。平星は二星、庫楼の北にあり、平準の法度と徴斂の事を主管するので、変異は賦税・銭粮の官員に応ずる。
客星が騎官を犯す 其の四
石氏曰:“他星入騎官,有喜。”《玉曆》曰:“客星出騎官星,若守之,有兵起,將軍有出者。”石氏曰:“客星守騎官,將出有憂。”《荊州占》曰:“客星守騎官,士卒發用。”
石氏に曰く:別の変異の星が「騎官」に入れば、喜事を主る。騎官は二十七星、氐宿の南にあり、天子の宿衛の騎兵である。《玉歴》に曰く:客星が騎官に現れ、あるいは留まって守れば、兵事が起こり、将軍の中に兵を率いて出征する者がある。石氏に曰く:客星が騎官に留まれば、将は出征して憂患がある。《荊州占》に曰く:客星が騎官に留まれば、士卒は徴発・動用される。
客星が積卒を犯す 其の五
石氏曰:“他星守積卒,主兵臣誅。”石氏曰:“客星出守積卒,兵士為亂,近臣有誅,士卒多死。”
石氏に曰く:別の変異の星が「積卒」に留まれば、兵事を掌る臣子は誅殺される。積卒は十二星、房宿の南にあり、聚集した衛士で、守衛を主管する。石氏に曰く:客星が積卒に現れてそこに留まれば、兵士は乱を起こし、近臣の中に誅殺される者があり、士卒は多く死亡する。
客星が亀星を犯す 其の六
郄萌曰:“客星入龜星,小憂,無傷也;又曰:天下大倉發。”甘氏曰:“客星出龜星,珠玉貴,寶物不入;若守之,君臣不和,上下乖離。”
郄萌に曰く:客星が「亀星」に入れば、小さな憂患があるだけで、大きな損傷はない。又曰く天下の大倉が開倉して粮を放つ。亀星は五星、尾宿の南にあり、亀は水中の物で、また卜筮に用いられるので、その占は水事と宝貨を兼ね及ぶ。甘氏に曰く:客星が亀星に現れれば、珠玉の値が貴く、宝物は運び入れることができない。もし留まって守れば、君臣の間は和を失い、上下は互いに乖離する。
客星が傅説を犯す 其の七
聖洽符曰:“客星守傅說,王者後宮少子孫,若有絕後者。”
《聖洽符》に曰く:客星が「傅説」に留まれば、君王の後宮は子孫が少なく、さらに後嗣を絶つ者がある。傅説は一星、尾宿の後にあり、傅説はもともと殷の高宗の賢相で、伝えるところでは死後天に昇ってこの星と化し、子嗣を求めることと後代の綿延を主管するので、その占辞はもっぱら子孫の一事に応ずる。
客星が魚星を犯す 其の八
齊伯曰:“客星出魚星,鹽魚貴再倍;若守之,搖動,大貴五倍;一曰:有大水,期不出一年。”
斉伯に曰く:客星が「魚星」に現れれば、塩と魚の値は二倍に上がる。もし留まって守って、しかも星光が揺動して定まらなければ、五倍に大いに上がる。一説に大水が発して、応験は一年を出ない。魚星は尾宿の後にあり、位は天の河の中に当たり、水族の象なので、その占辞はもっぱら魚塩と水患を主る。
客星が杵星を犯す 其の九
《甄曜度》曰:“客星出杵星而守之,天下兵起,有稅米粟之事。”
《甄曜度》に曰く:客星が「杵星」に現れてそこに留まれば、天下に兵事が起こり、米粟を徴収する事がある。杵は三星、箕宿の南にあり、米を舂く木杵の象で、粮食の舂擣を主管するので、その変異は米粟の徴斂に応ずる。
客星が鼈星を犯す 其の十
《黃帝占》曰:“客星守鱉星,有白衣之會。”石氏曰:“有星入鱉星,有水令。”《海中占》曰:“客星出守鱉星,有白衣之眾聚,若天下有水,水物不成,期百八十日,遠一年。”
《黄帝占》に曰く:客星が「鼈星」に留まれば、白衣を着る喪事の集会がある。鼈は十四星、南斗の南にあり、水中の介甲の物で、水族を主管する。石氏に曰く:星が鼈星に入れば、治水の政令がある。《海中占》に曰く:客星が鼈星に現れて留まれば、白衣を着た人衆が聚集して喪を執るか、あるいは天下に大水があり、水中の産する物は熟さず、期限は百八十日、遠くは一年である。
客星が九坎を犯す 其の十一
郄萌曰:“有星入九坎,天下有憂。”《玄冥》曰:“客星出九坎,有水旱之災。出陽則旱,出陰則水。”
郄萌に曰く:星が「九坎」に入れば、天下に憂患がある。九坎は九星、牛宿の南にあり、溝渠の灌漑と蓄泄の事を主管する。《玄冥》に曰く:客星が九坎に現れれば、水旱の災がある。陽に属する側から出れば旱を主り、陰に属する側から出れば涝を主る。
客星が敗臼を犯す 其の十二
《文曜鉤》曰:“客星守敗臼,天下兵起,有軍糧之急,米粟之憂,期二年。”石氏曰:“他星守敗臼,以飢兵起。”
《文曜鈎》に曰く:客星が「敗臼」に留まれば、天下に兵事が起こり、軍粮は急を告げ、米粟は不足して憂え、応験の期限は二年である。敗臼は四星、虚宿・危宿の南にあり、臼は米を舂く器具で、臼にして「敗」と言えば、それ自体が凶歉の象である。石氏に曰く:別の変異の星が敗臼に留まれば、飢饉によって兵事が起こる。
客星が羽林を犯す 其の十三
郄萌曰:“客星守羽林,若天陣,兵大起。”郄萌曰:“客星守天陣,將兵吏憂。”郄萌曰:“赤星守羽林二十日,臣弒主。”
郄萌に曰く:客星が「羽林」に留まるか、あるいは「天陣」に留まれば、兵事が大いに起こる。羽林は四十五星、営室の南にあり、天上の禁軍である。天陣はすなわち壘壁陣で、羽林の北にあり、軍営・壁壘の象である。郄萌に曰く:客星が天陣に留まれば、兵を統べる官吏に憂患がある。郄萌に曰く:赤色の星が羽林に二十日留まれば、臣子は君主を弑殺する。
郄萌曰:“客星入壘壁,有兵。”石氏曰:“黃白星入天軍南,天子立后。”巫咸曰:“客星出羽林,兵大起,有亡國,若守之久,將軍有謀主者,有憂,期不出三年。”
郄萌に曰く:客星が壘壁陣に入れば、兵事がある。石氏に曰く:黄白色の星が天軍の南に入れば、天子は皇后を冊立する。天軍とは羽林の諸星の総称である。巫咸に曰く:客星が羽林に現れれば、兵事が大いに起こり、覆亡する国家がある。もし留まることが日久しければ、将軍の中に君主を企てる者があって、憂患を生じ、応験は三年を出ない。
客星が北落を犯す 其の十四
石氏曰:“黃白星入北落,天子有喜。”石氏曰:“黃星出北落,天子使出。”石氏曰:“赤星出北落,中兵起。”
石氏に曰く:黄白色の星が「北落」に入れば、天子に喜事がある。北落はすなわち北落師門で、一星、羽林の西南にあり、天軍の門戸で、偵候して非常の変を主管する。石氏に曰く:黄色の星が北落に現れれば、天子は使者を派遣して外出させる。石氏に曰く:赤色の星が北落に現れれば、内地に兵事が起こる。
石氏曰:“客星出北落,邊夷虜兵起,來入關塞,若關吏有憂。”郄萌曰:“客星中犯乘守若北落星,斗,光芒相及者,為兵覆軍,煞大將。”
石氏に曰く:客星が北落に現れれば、辺地の夷狄の兵馬が起こり、関塞を越えて侵入するか、あるいは関を守る官吏に憂患がある。郄萌に曰く:客星が北落の星に貫入し、冲犯し、凌乗し、あるいは留まってそれと斗い、互いの光芒が交接すれば、兵禍が全軍を覆没し、大将を殺すことを主る。
客星が土司空を犯す 其の十五
《荊州占》曰:“客星入土司空,多土功,男不得耕,女不得織,天下大疾。”韓楊曰:“客星入土司空,有土徭之事。”
《荊州占》に曰く:客星が「土司空」に入れば、土木の工役は繁多し、男子は田に下りて耕作できず、女子は家で紡織できず、天下は大いにその苦を受ける。土司空は一星、奎宿の南にあり、水土の営造の事を主管する。韓楊に曰く:客星が土司空に入れば、土木の徭役を徴発する事がある。
《玉曆》曰:“客星出土司空,外臣有憂,夷狄兵起,若土功之事,人民飢苦、多病。”郄萌曰:“客星守土司空,宮有土功,若哭泣之事。”石氏曰:“客星入守土司空,旱。”
《玉歴》に曰く:客星が土司空に現れれば、外にいる臣子に憂患があり、夷狄は兵を興すか、あるいは土木を大いに興し、百姓は飢困・労苦して疾病が叢生する。郄萌に曰く:客星が土司空に留まれば、宮中に土木の工事を動かすか、あるいは哀を挙げて哭泣する事が現れる。石氏に曰く:客星が土司空に入って留まれば、干ばつを主る。
客星が天倉を犯す 其の十六
《黃帝占》曰:“客星入天倉,糴石一千五百,谷如玉。”郄萌曰:“客星入天倉,糴石千,歲大飢,五穀如金玉,能有谷,為君卿。”郄萌曰:“客星入天倉,匈奴王且操奇物來進中國。”郄萌曰:“周伯星流入天倉,糴賤。以春入,夏賤;以夏,入秋賤;秋入,冬賤;冬入,春賤。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天倉」に入れば、米は一石につき千五百銭に上がり、穀は玉のごとく貴い。天倉は六星、婁宿の南にあり、穀物を収納する倉廩である。郄萌に曰く:客星が天倉に入れば、米は一石につき千銭、この年は大いに飢饉となり、五穀は金玉のごとく貴く、穀を蓄えられる家は富が公卿に比する。郄萌に曰く:客星が天倉に入れば、匈奴の王はまさに奇珍・異物を携えて中原に進献しに来る。郄萌に曰く:瑞星の中の「周伯星」が天倉に流入すれば、米の値は下がる。春に流入すれば夏に下がり、夏に流入すれば秋に下がり、秋に流入すれば冬に下がり、冬に流入すれば春に下がる。
郄萌曰:“老人星流入天倉,糴大貴。春入,夏貴;夏入,秋貴;秋入,冬貴;冬入,春貴。”石氏曰:“客星入天倉,粟發,出兵滿野,期三年。”《黃帝占》曰:“客星出入天倉,有發粟之事;出之,有出粟;入之,有入粟;不出其年,必有兵。”
郄萌に曰く:「老人星」が天倉に流入すれば、米の値は大いに上がる。春に流入すれば夏に上がり、夏に流入すれば秋に上がり、秋に流入すれば冬に上がり、冬に流入すれば春に上がる。これは周伯星の天倉に入るとちょうど相反する。石氏に曰く:客星が天倉に入れば、倉の中の粟米は調発されて出て、兵は郊野に満ちて出て、期限は三年である。《黄帝占》に曰く:客星が天倉に出没すれば、倉を開き粟を発する事がある。天倉から出るは、粮食の運出を主る。天倉に入るは、粮食の収入を主る。その年を出ずに、必ず兵事がある。
郄萌曰:“客星在天倉,天下貧,倉粟出。”《黃帝占》曰:“客星當天倉戶,將吏受主俸,不為主用。”石氏曰:“客星守天倉,馬大貴。”郄萌曰:“客星入若守天倉,有兵,道不通。”
郄萌に曰く:客星が天倉にあれば、天下は貧困し、倉の中の粟米は放ち出されて賑済する。《黄帝占》に曰く:客星が天倉の門戸に正当すれば、将吏たちは君主の俸禄を領くも、君主のために力を尽くそうとしない。石氏に曰く:客星が天倉に留まれば、馬の値が大いに上がる。郄萌に曰く:客星が天倉に入るかあるいは留まれば、兵事があり、道路は塞がれて通じない。
客星が天囷を犯す 其の十七
郄萌曰:“客星入天囷,匈奴且操奇物來進中國。”齊伯曰:“客星出天囷,若守之,天下大旱,民飢,人相食,若有粟令,期二年。”
郄萌に曰く:客星が「天囷」に入れば、匈奴はまさに奇珍・異物を携えて中原に進献しに来る。円形の穀倉を囷といい、天囷は十三星、胃宿の南にあり、粮を儲える円廩である。斉伯に曰く:客星が天囷に現れ、あるいは留まって守れば、天下は大いに旱し、民は飢え、人は互いに食い合うか、あるいは朝廷は粟米を調運する命令を下し、応験の期限は二年である。
客星が天廩を犯す 其の十八
石氏曰:“有星入天廩中,色青,天下多憂;赤,大旱,有火;黃白,歲熟。”甘氏曰:“客星出天廩,天下粟貴,民以飢流亡,去其鄉,粟當出廩,期一年,遠二年。”
石氏に曰く:星が「天廩」の中に入り、星色が青なら、天下に憂患が多い。星色が赤なら、大いに旱し、また火災が起こる。星色が黄白なら、年成は豊熟する。天廩は四星、昴宿の南にあり、黍稷の類の穀物を貯蔵し、もっぱら祭祀・饗献の用に供する。甘氏に曰く:客星が天廩に現れれば、天下の粟米は騰貴し、民は飢饉によって流亡し、その郷里を去り、倉廩の中の粟米は放ち出されて賑済すべきで、期限は一年、遠くは二年である。
石氏曰:“客星守天廩,馬大貴。”石氏曰;“他星犯天廩,天下亂。”郄萌曰:“客星守天廩,粟發用。”
石氏に曰く:客星が天廩に留まれば、馬の値が大いに上がる。石氏に曰く:別の変異の星が天廩を犯せば、天下は動乱する。郄萌に曰く:客星が天廩に留まれば、廩の中の粟米は調発されて動用される。
客星が天苑を犯す 其の十九
郄萌曰:“客星入天苑,畜多傷。”《荊州占》曰:“客星入天苑,禽獸多死。”《玉曆》曰:“客星守天苑,畜物不孳,禽獸多死,以馬起兵,邊賊入境;一曰:牧馬多死,期三年。“石氏曰:”他星犯守天苑,兵起,馬死。“
郄萌に曰く:客星が「天苑」に入れば、牲畜は多く傷損する。天苑は十六星、昴宿・畢宿の南にあり、天子が禽獣・牛馬を畜養する苑囿である。《荊州占》に曰く:客星が天苑に入れば、禽獣は大量に死亡する。《玉歴》に曰く:客星が天苑に留まれば、畜物は繁殖できず、禽獣は大量に死亡し、馬匹の事によって兵を興し、辺地の賊寇は境内に侵入する。一説に牧養の馬匹は多く死亡し、応験の期限は三年である。石氏に曰く:別の変異の星が天苑を冲犯して留まれば、兵事が起こり、馬匹は死亡する。
(按司馬彪《天文志》曰:孝順陽嘉元年閏月戊子,客星氣白,廣二尺,長五尺,起天苑西南,東北指,歷天苑,抵參伐。天苑主馬牛,為外軍;色白為兵。
(原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載を案ずるに、漢の順帝・陽嘉元年閏月戊子の日、客星の気色は潔白で、幅二尺、長さ五尺、天苑の西南方から起こり、芒角は東北を指し、天苑を経て、参宿の伐星に抵った。天苑は馬牛を主管し、また境外の軍隊を象し、星色が潔白なれば兵事を主る。
是時敦煌大守徐由使疏勒王磐等二萬人入於關界,虜獲斬首三百餘級,烏桓校尉耿畢使烏桓親僕都尉戎朱魔等出寨,抄鮮卑,斬首,獲生口、財物,鮮卑怨恨,抄遼東代郡,殺傷吏民。是後西戎北狄為寇害,以馬牛起兵,馬牛亦死傷於兵中,十餘年乃息也。)
この時、敦煌太守・徐由は疏勒王・磐ら二万人を派して関界に入らせ、俘獲・斬首三百余級し、烏桓校尉・耿曄は烏桓の親僕都尉・戎朱魔らを派して塞を出させ、鮮卑を抄掠し、首級と俘虜・財物を獲た。鮮卑はこれによって恨みを懐き、反対に遼東と代郡を抄掠し、官吏・百姓を殺傷した。この後、西戎・北狄はたて続けに寇害を為し、皆馬牛の利によって兵を起こし、馬牛もまた戦事の中で死傷し、前後十余年にしてようやく平息した。)
客星が参旗を犯す 其の二十
郄萌曰:“客星入天宮,天下有變,弓弩皆張。”《黃帝占》曰:“星出入天弓,必有削主。”《河圖聖洽符》曰:“客星出守參旗,天下兵起,大將軍行出,弓弩用,人主憂,期百八十日,遠期一年。”石氏曰:“客星守參,負海不安,兵起。”
郄萌に曰く:客星が天宮に入れば、天下に変故があり、弓弩は皆張って発を待つ。参旗は九星、参宿の西にあり、また天旗・天弓ともいい、弓弩・征伐を主管する。《黄帝占》に曰く:星が天弓に出没すれば、必ず封地を削奪される君主がある。《河図聖洽符》に曰く:客星が参旗に現れて留まれば、天下に兵事が起こり、大将軍は兵を率いて出征し、弓弩は用をなし、君主に憂患があり、期限は百八十日、遠くは一年である。石氏に曰く:客星が参宿に留まれば、海に瀕する一帯は安らかでなく、兵事が起こる。
客星が玉井を犯す 其の二十一
《黃帝占》曰:“客星入玉井中者,皆為強國失地;出玉井,強國得地。”郄萌曰:“客星入玉井,天下有喪。”《荊州占》曰:“客星出玉井,將出。”齊伯曰:“客星出玉井,其軍已出,為憂,若有水敗;若入守之三日,其歲大水。”
《黄帝占》に曰く:客星が「玉井」の中に入るは、皆強国が土地を喪失することを主る。玉井から出れば、強国は土地を得る。玉井は四星、参宿の左足の下にあり、水漿・膳羞の供給の事を主管する。郄萌に曰く:客星が玉井に入れば、天下に喪事がある。《荊州占》に曰く:客星が玉井に現れれば、将は出征する。斉伯に曰く:客星が玉井に現れれば、すでに出発した軍隊は憂患があるか、あるいは水に淹れられて敗を受ける。もし客星が玉井に入って三日留まれば、その年は大水が発する。
客星が屏星を犯す 其の二十二
石氏曰:“客星入天屏,四足大疾。”《海中占》曰:“客星出天屏,輔臣有憂,若人民多疾病,四足畜多死。”石氏曰:“客星出入天屏,大人疾,主汙辱。”郄萌曰:“客星出入天屏,人民疾疫。”
石氏に曰く:客星が「天屏」に入れば、四足の牲畜は大量に病に患う。屏は二星、天廁の南にあり、廁溷を遮蔽する屏障なので、その占辞は多く疾病・穢悪の事を主る。《海中占》に曰く:客星が天屏に現れれば、輔政の大臣に憂患があるか、あるいは百姓は多く疾病を生じ、四足の家畜は大量に死亡する。石氏に曰く:客星が天屏に出没すれば、君主・大人は病に患い、また汚辱を蒙ることを主る。郄萌に曰く:客星が天屏に出没すれば、百姓の中に疫病が流行する。
客星が天廁を犯す 其の二十三
《黃帝占》曰:“客星入天廁,天下大飢,人相食,民移去國,君子賣衣,小人賣妻妾;一曰:賣子而食。”《黃帝占》曰:“客星入天廁,主病帶下。”石氏曰:“黃白星入天廁,天子有喜,奇物見。”石氏曰:“蒼白星入天廁,天子有陰病。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天廁」に入れば、天下は大いに飢饉となり、人は互いに食い合い、民は移徙して本国を離れ、士人は衣物を売り、平民は妻妾を売る。一説に児女を売って飯に換える。天廁は四星、屏星の北にあり、古人は廁中の候によって疾病を察知したので、この星官は疾疫と飢饉を兼ね主る。《黄帝占》に曰く:客星が天廁に入れば、君主は病み、患うのは下部の帯下の類の疾患である。石氏に曰く:黄白色の星が天廁に入れば、天子に喜事があり、奇異の物が現れる。石氏に曰く:青白色の星が天廁に入れば、天子は隠秘の疾に患う。
石氏曰:“有星入天廁,色青,有憂;赤,有兵;白,為旱;黑,為凶。”石氏曰:“赤星入天廁,有內兵起。”石氏曰:“黑星入天廁,天子當之。”郄萌曰:“周伯星流入天廁,歲糴大賤,民有餘食。以春入,夏賤;夏入,秋賤;秋入,冬賤;冬入,春賤;終歲同焉,糴無處也。”
石氏に曰く:星が天廁に入り、色が青なら憂患があり、赤なら兵事があり、白なら旱を為し、黒なら凶を為す。石氏に曰く:赤色の星が天廁に入れば、境内に兵変が発生する。石氏に曰く:黒色の星が天廁に入れば、天子に応ずる。郄萌に曰く:瑞星の中の周伯星が天廁に流入すれば、この年は米の値が大いに下がり、百姓の家に余粮がある。春に流入すれば夏に下がり、夏に流入すれば秋に下がり、秋に流入すれば冬に下がり、冬に流入すれば春に下がる。一年じゅう皆このようで、米は賤くて売買する所がないほどである。
郄萌曰:“老人星流入天廁,為飢。以春入,夏飢;夏入,秋飢;秋入,冬飢;冬入,春飢。”郄萌曰:“客星入天廁,若有流水,水大出。”《玄冥》曰:“客星出有天廁,王者有憂,廁中有謀兵,若大人陷廁,宜防備之。”
郄萌に曰く:老人星が天廁に流入すれば、飢饉を主る。春に流入すれば夏に飢饉となり、夏に流入すれば秋に飢饉となり、秋に流入すれば冬に飢饉となり、冬に流入すれば春に飢饉となる。郄萌に曰く:客星が天廁に入り、もし同時に流水の象があれば、大水はまさに泛滥して出る。《玄冥》に曰く:客星が天廁に現れれば、君王に憂患があり、廁の中に行刺を企てる兵刃が埋伏しているか、あるいは君主・大人が廁に陥ることがあるので、あらかじめこれを防備すべし。
客星が天矢を犯す 其の二十四
石氏曰:“客星出天矢而守之,天下民多病,若多死,以五色占之;色黃,吉;青白,疾;黑,死。”
石氏に曰く:客星が「天矢」に現れてそこに留まれば、天下の百姓は多く疾病を生じるか、あるいは大量に死亡し、具体的な吉凶は五色によって占断する。色が黄なら吉、青白なら疾、黒なら死である。天矢は一星、天廁の下にあり、古人は排泄の物を観察して疾病を測知したので、この星はもっぱら疫疾を候する。
客星が軍市を犯す 其の二十五
郄萌曰:“客星入軍市,大飢,將離散,士卒死亡。”《荊州占》曰:“他星守軍市,兵起。”《玉曆》曰:“客星出軍市,若入守之,軍市中人飢,將離散,士卒死亡,期一年。”
郄萌に曰く:客星が「軍市」に入れば、軍中は大いに飢饉となり、将士は離散し、士卒は死亡する。軍市は十三星、参宿の東南にあり、軍中の交易の集市で、軍資・粮秣を主管する。《荊州占》に曰く:別の変異の星が軍市に留まれば、兵事が起こる。《玉歴》に曰く:客星が軍市に現れ、あるいは入って留まれば、軍市の中の人は飢え、将士は離散し、士卒は死亡し、応験の期限は一年である。
客星が狼星を犯す 其の二十六
石氏曰:“客星守狼弧,夷狄將來降。”郄萌曰:“客星守狼弧,邦失大臣,色赤者得,青黑者亡也。”《荊州占》曰:“客星守狼星,狗大貴。”《荊州占》曰:“客星守狼星,色黃潤,有大喜;黑,有大憂。”
石氏に曰く:客星が「狼」星と「弧」星に留まれば、夷狄はまさに帰降しに来る。狼は一星、東井の東南にあり、侵掠・擄掠を主る。弧は九星、狼星の東南にあり、すなわち天弓で、もっぱら狼星に備えるために設けられた。郄萌に曰く:客星が狼・弧の二星に留まれば、国家は大臣を失う。星色が赤なら保つことを得、青黒なら喪失する。《荊州占》に曰く:客星が狼星に留まれば、狗の値が大いに上がる。《荊州占》に曰く:客星が狼星に留まり、星色が黄にして潤沢なら、大喜の事があり、黒なら大憂の事がある。
《荊州占》曰:“客星守狼星,有圍城之急,以入日占何國。”甘氏曰:“客星出狼星,若守之,天下起兵,多盜賊,將相多死,若有千里之行,期一年,中二年,遠三年。”
《荊州占》に曰く:客星が狼星に留まれば、城を囲まれる急難があり、客星の入ったその日の干支によってどの国に応ずるかを推断する。甘氏に曰く:客星が狼星に現れ、あるいは留まって守れば、天下は兵を起こし、盗賊は衆多で、将相は多く死亡するか、あるいは千里の遠行の役があり、近くは一年、中は二年、遠くは三年に応験する。
客星が弧星を犯す 其の二十七
郄萌曰:“客星入弧星,將有南夷來降中國者,亦為蜀。”石氏曰:“他星守弧,野將死。”石氏曰:“客星守弧,主將弱。”郄萌曰:“客星守弧,外夷大飢。”又曰:“有兵若弧星張,先起兵者利,後起兵者不利。”
郄萌に曰く:客星が弧星に入れば、南方の夷族が中原に帰降しに来る者があり、また蜀の地に応ずることもある。石氏に曰く:別の変異の星が弧に留まれば、野にあって兵を統べる将は死ぬ。石氏に曰く:客星が弧に留まれば、主将の勢力は衰弱する。郄萌に曰く:客星が弧に留まれば、境外の夷族は大いに飢饉となる。また曰く、兵事がある時、もし弧矢が張って指す所があれば、先に兵を動かす方が利あり、後に兵を動かす方は利なし。
郄萌曰:“客星出弧,兵出;入弧兵,入。”郄萌曰:“客星舍弧,秋雨,五穀不成。”又曰:“舍弧左右,群臣有伺其君者。”巫咸曰:“客星出弧,若入之,其國有兵,大人驚,貴人多死,士卒出行,不出其年。”
郄萌に曰く:客星が弧星から出れば、兵馬は境を出る。弧星に入れば、兵馬は境に入る。郄萌に曰く:客星が弧星に宿れば、秋は多雨で、五穀は熟し成らない。また曰く、弧星の左右に宿れば、群臣の中にその君主を窺い伺う者がある。巫咸に曰く:客星が弧星に現れ、あるいは弧星に入れば、その分野の国に兵事があり、君主・大人は驚き、貴人は多く死亡し、士卒は開拔して遠く行き、応験はその年を出ない。
客星が老人星を犯す 其の二十八
石氏曰:“他星犯老人星,天下老者憂,兵起。”郄萌曰:“有星入老人,為政不和。”《黃帝占》曰:“客星出老人星,有兵起,老人不安,若老人者行;若守之久,命曰扶老人,其國安,老人昌。”
石氏に曰く:別の変異の星が「老人星」を冲犯すれば、天下の老人に憂患があり、兵事が起こる。老人は一星、弧星の南にあり、すなわち南極老人星で、人の寿考の長短を主管する。郄萌に曰く:星が老人星に入れば、施政は和順を得ない。《黄帝占》に曰く:客星が老人星に現れれば、兵事が起こり、老人は安らかでなく、あるいは老人は道に流徙する。もし客星が留まることが日久しければ、これを「扶老人」と称し、その分野の国は安定し、老人は昌栄の福を享ける。
石氏曰:“客星入若守老人星,天下民疾;一曰:兵起,老人行。”
石氏に曰く:客星が老人星に入るかあるいは留まれば、天下の百姓は疾病を生ずる。一説に兵事が起こり、老人は路に流徙せざるを得ない。
客星が天稷を犯す 其の二十九
石氏曰:“有星入天稷,有祀事於國內;出天稷,有祀事於國外。”《海中占》曰:“客星守天稷,五穀散出,其歲憂,人民飢;一曰:守之久,社稷不安。”
石氏に曰く:星が「天稷」に入れば、国内に祭祀を執り行う事がある。天稷から出れば、国境の外で祭祀を執り行う。天稷は五星、七星宿の南にあり、農官・后稷を象して、農事・稼穡と稷神の祀を主管する。《海中占》に曰く:客星が天稷に留まれば、五穀は四散して流れ出て、この年に憂患があり、人民は飢える。一説に留まることが日久しければ、社稷は安らかでない。
客星が甘氏中官を犯す 二
客星が五帝内座を犯す 其の一
郄萌曰:“客星犯紫宮中帝座,大臣犯主。”
郄萌に曰く:客星が紫宮の中の帝座を冲犯すれば、大臣は君主を冒犯する。五帝内座は五星、華蓋の下・紫微宮の中にあり、五方の天帝の内廷での座位で、太微垣の黄帝座と内外相応するので、その変異は君臣の間の僭越を指し示す。
客星が天理を犯す 其の二
《荊州占》曰:“客星犯天理,天下多獄,廷尉亦坐之。”郄萌曰:“有星入天理,禁不明。”《荊州占》曰:“有星入天理,大臣有誅者。”
《荊州占》に曰く:客星が「天理」を犯せば、天下の獄訟は繁多し、刑獄を掌る廷尉は自らもこれによって連坐して罪を得る。天理は四星、北斗魁の中にあり、貴人を関押する牢獄である。郄萌に曰く:星が天理に入れば、禁令は明らかでない。《荊州占》に曰く:星が天理に入れば、大臣の中に誅殺される者がある。
客星が内階を犯す 其の三
《黃帝占》曰:“客星犯守內階,奸臣在左右。”
《黄帝占》に曰く:客星が「内階」を冲犯して留まれば、奸邪の臣が君主の左右にいる。内階は六星、文昌の北にあり、天皇大帝の内廷の階陛で、近臣の升降・出入のところなので、この変異はもっぱら身の回りの近侍の臣に応ずる。
客星が天厨を犯す 其の四
《荊州占》曰:“客星守天廚,天下大飢,人相食,若流亡,去其國,君子賣衣,小人賣妻;又曰:食官有食變。”
《荊州占》に曰く:客星が「天厨」に留まれば、天下は大いに飢饉となり、人は互いに食い合うか、あるいは流離・逃亡して本国を離れ、士人は衣物を売り、平民は妻子を売る。又曰く御膳を掌る食官が飲食の上で変故を出す。天厨は六星、紫微宮の東北にあり、盛饌・庖厨の事を主管するので、飢饉と飲食の変は皆ここから象を取る。
客星が策星を犯す 其の五
陳卓曰:“客星近策星,王者不出宮,下有謀亂,不過七十日。”
陳卓に曰く:客星が「策星」に迫れば、君王は宮を出るべからず、臣下に乱を企てる人があり、七十日を過ぎずに応験する。策は一星、王良のそばにあり、王良が車を駕するに執る馬鞭で、車駕の出行に関するので、それが一たび変異すれば、占辞は君主に宮中に安んじて外出するなと勧める。
客星が伝舎を犯す 其の六
《黃帝占》曰:“客星守傳舍,備奸使。”《洛書摘亡闢》曰:“客星守傳舍,邦有憂,大使轉粟相食,天下苦,若自河之東受劍戟之客。”
《黄帝占》に曰く:客星が「伝舎」に留まれば、奸許を懐く使者に備えなければならない。伝舎は九星、北極に近く、賓客の往来して歇宿する館舎で、接待と使命の往還を主管する。《洛書摘亡辟》に曰く:客星が伝舎に留まれば、邦国に憂患があり、朝廷の大使は奔走して粟米を転運して相济し、天下は困苦するか、あるいは黄河の東から刀兵を手にした不速の客が来る。
客星が造父を犯す 其の七
郄萌曰:“有星入造父,材官騎士出。”郄萌曰:“赤星入造父中,車馬貴。”《黃帝占》曰:“客星守造父,兵起。”郄萌曰:“客星守司馬,地大動。”
郄萌に曰く:星が「造父」に入れば、材官と騎士の二類の兵が出動する。造父は五星、伝舎の南にあり、造父はもともと周の穆王の御者で、この星は御馬・車駕を主管する。郄萌に曰く:赤色の星が造父の中に入れば、車馬の値は騰貴する。《黄帝占》に曰く:客星が造父に留まれば、兵事が起こる。郄萌に曰く:客星が「司馬」の星に留まれば、大地は劇しく震動する。
客星が人星を犯す 其の八
焦延壽曰:“有星入人星,天下有詔符傳相驚。”
焦延寿に曰く:星が「人星」に入れば、天下に詔書と符伝が往来して急に伝達され、人の心を驚擾させる。人星は五星、車府の南にあり、黎民・百姓の象で、衆庶を安んずることを主るので、それが一たび変異すれば、驚動するのは天下の人である。
客星が杵臼を犯す 其の九
石氏曰:“客星守杵臼,歲飢,民費其財。”《黃帝占》曰:“客星守杵臼,天下會聚米粟;一曰:民失杵臼。”石氏曰:“有星入杵臼,天下有急。”郄萌曰:“有星入守杵臼,兵起,人聚。”
石氏に曰く:客星が「杵臼」に留まれば、年成は飢饉となり、百姓は家財を費し尽くす。杵と臼は米を舂く器具で、この星は穀物の舂擣を主管するので、その占は多く米粮に応ずる。《黄帝占》に曰く:客星が杵臼に留まれば、天下は米粟を聚斂する。一説に百姓は杵臼さえ失って舂く穀がない。石氏に曰く:星が杵臼に入れば、天下に急難がある。郄萌に曰く:星が杵臼に入って留まれば、兵事が起こり、人衆は聚集する。
客星が天鶏を犯す 其の十
《天官書》曰:“客星入天雞,西北之夷且來下降。”郄萌曰:“客星守天雞,雞夜鳴,天下盡有驚。”《荊州占》曰:“客星守天雞,山摧,若大水。”
《史記・天官書》に曰く:客星が「天鶏」に入れば、西北方の夷族はまさに帰降しに来る。天鶏は二星、狗国の北にあり、晨を司り時を報じ、また異なる鳥を主る。郄萌に曰く:客星が天鶏に留まれば、人間の鶏は夜に鳴き、天下は至るところ驚きを受ける。《荊州占》に曰く:客星が天鶏に留まれば、山岳は崩摧するか、あるいは大水が発する。
客星が亢池を犯す 其の十一
郄萌曰:“客星守亢池,有盜宗廟者。”
郄萌に曰く:客星が「亢池」に留まれば、宗廟の中の器物を盗む人がある。亢池は六星、亢宿の北にあり、賓客の迎送と舟船の渡水の事を主管する。亢宿はもともと朝廷・疏廟に近いので、この星に変があれば宗廟の失窃に応ずる。
客星が天田を犯す 其の十二
郄萌曰:“客星入天田,天焦旱,五穀不登,多蟲蝗。”
郄萌に曰く:客星が「天田」に入れば、天気は亢旱して焚くがごとく、五穀は歉収して登場できず、蝗虫の害が大量に発生する。天田は角宿の北にあり、天子の畿内の籍田の象で、農耕を主管するので、旱涝・虫蝗の類の農事の災は皆ここから応験する。
客星が天門を犯す 其の十三
郄萌曰:“客星入天門,諸相有謀慮。”
郄萌に曰く:客星が「天門」に入れば、各位の輔相は心中に別な企て・算段がある。天門は二星、平道の南・角宿のそばにあり、天上の朝覲の往来の門戸で、公卿・大臣はここから出入するので、変異は輔相に応ずる。
客星が平道を犯す 其の十四
郄萌曰:“客星守平道,諸侯不朝,奸人橫行。”
郄萌に曰く:客星が「平道」に留まれば、諸侯は朝観に来ず、奸邪の人は横行して忌憚しない。平道は二星、角宿の間にあり、道路を修平することを主管し、天子の出行する御道である。道路に一たび阻梗があれば、朝観の礼数はこれに随って廃弛する。
客星が酒旗を犯す 其の十五
《春秋緯》曰:“客星守酒旗,飲食失度。”《荊州占》曰:“客星守酒旗,天下大酺,有酒,害財物,若賜爵宗室。”
《春秋緯》に曰く:客星が「酒旗」に留まれば、飲食・起居は節度を失う。酒旗は三星、軒轅右角の南にあり、宴饗・酒食を主管する。《荊州占》に曰く:客星が酒旗に留まれば、天下は普く聚飲を賜り、酒食は豊足で、これによって財物を耗損するか、あるいは宗室の子弟に爵を賜る。
客星が天高を犯す 其の十六
《荊州占》曰:“客星入天高,有奇令。又曰:入天高中十日,成勾己,有贖罪之令。”郄萌曰:“客星從天高陰出,有兵;一曰:有走主、亡臣;從陽入,有賜害之殃;一曰:有客兵入者。”郄萌曰:“客星守天高,宮中有火憂,有火神從天下,若妖祥自地出。”
《荊州占》に曰く:客星が「天高」に入れば、非常の号令が頒下される。又曰く天高の中に入って十日満ち、行跡が曲がって鉤を成せば、罪を贖うことを許す詔令がある。天高は四星、畢宿の南にあり、高く登って遠くを望み、氛気を観察する台榭である。郄萌に曰く:客星が天高の陰に属する側から出れば、兵事がある。一説に出奔する君主・亡命の臣子がある。陽に属する側から入れば、賞賜によって招く祸害がある。一説に外来の兵馬が境に入る者がある。郄萌に曰く:客星が天高に留まれば、宮中は火患に憂え、火神が天から降るか、あるいは妖異の兆が地下から湧き出る。
客星が礪石を犯す 其の十七
《荊州占》曰:“客星守礪石,兵動,百工用。”
《荊州占》に曰く:客星が「礪石」に留まれば、兵馬は調動し、各行の工匠は皆忙しくなる。礪石は四星、五車の西にあり、礪石はもともと刀刃を磨ぐ石で、兵器の淬礪と百工の事を主管するので、それが一たび変異すれば、兵を動かすことと工を興すことに応ずる。
客星が八穀を犯す 其の十八
石氏曰:“客星入八穀,天下谷大貴,以飢戰,主失位。”
石氏に曰く:客星が「八穀」に入れば、天下の穀の値は大いに上がり、飢饉によって戦事が起こり、君主は君位を失う。八穀は八星、五車の北にあり、八種の穀物の一年の豊歉を占候するのに用いられるので、その占辞は年成と穀の値に直ちに指す。
客星が五潢を犯す 其の十九
《黃帝占》曰:“客星入五潢,兵起,車道不通,天下大亂,易政;一曰:貴人死。”郄萌曰:“有星入五潢,兵大起。”郄萌曰:“客星留天潢中,人主以水為害,若井為害,以入日占國。”
《黄帝占》に曰く:客星が「五潢」に入れば、兵事が起こり、車の行く道路は通じず、天下は大いに乱れ、政令は更易する。一説に貴人が身死する。五潢はすなわち天潢で、五星、五車の中にあり、天上の池沼で、水を蓄えることを主管する。郄萌に曰く:星が五潢に入れば、兵事が大いに起こる。郄萌に曰く:客星が天潢の中に滞留すれば、君主は水によって害を受けるか、あるいは井によって害を受け、客星の入ったその日の干支によってどの国に応ずるかを推断する。
客星が咸池を犯す 其の二十
《黃帝占》曰:“客星入咸池,大人憂。”《荊州占》曰:“客星入咸池,人君死,天下水。”
《黄帝占》に曰く:客星が「咸池」に入れば、君主・大人に憂患がある。咸池は三星、五車の中にあり、天上の魚を養う池で、水沢・魚産を主管する。《荊州占》に曰く:客星が咸池に入れば、人君は身が死に、天下は水災を鬧かす。
客星が天街を犯す 其の二十一
郄萌曰:“客星入天街,內有賊人。”
郄萌に曰く:客星が「天街」に入れば、境内に人を害し乱を起こす者がいる。天街は二星、昴宿と畢宿の間にあり、天子の行経する大道で、また華夏と夷狄の分界である。街の内は中国に属し、街の外は四夷に属するので、賊人が境内にいるというのである。
客星が甘氏外官を犯す 三
客星が青丘を犯す 其の一
《荊州占》曰:“客星守青丘,土官有事。”
《荊州占》に曰く:客星が「青丘」に留まれば、土地を掌る官は事が出る。青丘は七星、軫宿の東南にあり、東南方の蛮夷の国の名号で、疆土・封域に関するので、変異は土地の官に応ずる。
客星が車騎を犯す 其の二
《天官書》曰:“客星入車騎星,西羌且來降。”
《史記・天官書》に曰く:客星が「車騎」の星に入れば、西の辺の羌人はまさに帰降しに来る。車騎は三星、騎陣将軍の南にあり、車馬・騎兵を主管する。この星は西方に応ずるので、占辞に西羌が降りに来るという。
客星が狗国を犯す 其の三
韓楊曰:“客星入狗國,其王且操奇物來下中國。”郄萌曰:“客星犯守狗國,皆為天下有大道。”
韓楊に曰く:客星が「狗国」に入れば、そこの君王はまさに奇珍・異物を携えて中原に帰附しに来る。狗国は四星、建星の東南にあり、鮮卑・烏桓・沃沮の類の北方の外族を象する。郄萌に曰く:客星が狗国を冲犯して留まれば、いずれも天下の政教が清明で大道が通行することを主る。
客星が天田を犯す 其の四
郄萌曰:“有星入天田,天下有變。”
星が「天田」に入れば、天下に変故が出る。これは郄萌の占辞である。ここの天田は甘氏外官に属し、前の角宿の北の天田とはそれぞれ別の星官で、いずれも耕稼・田疇に象を取る。星象が一たび変われば、天下の農事と民生はこれに随って動揺する。
客星が哭泣を犯す 其の五
郄萌曰:“守星守哭泣星,人主有哭泣之聲。”
郄萌に曰く:守候の星が「哭泣」の星に留まれば、君主のそばに哀を挙げて哭泣する声が響く。哭・泣の二星は虚宿の南にあり、もっぱら喪事・悲号を主るので、客星がこれを犯せば、占辞は哭声を直ちに指す。
客星が八魁を犯す 其の六
郄萌曰:“有星入八魁,天下多盜賊。”
郄萌に曰く:星が「八魁」に入れば、天下に盗賊が衆多である。八魁は九星、狗国の東南にあり、もともと網を張って禽獣を捕る器具の象で、引き延ばして奸盗を捕捉する事とするので、それが一たび変異すれば、盗賊が滋生して羅網がその効を収められないことを主る。
客星が天溷を犯す 其の七
郄萌曰:“有星入天溷,上溺下蒙。”
郄萌に曰く:星が「天溷」に入れば、上の位にいる人は汚溺に陥り、下の位にいる人は穢濁を蒙る。天溷は七星、外屏の南にあり、天上の廁圂で、もともと汚穢に象を取るので、この変異は上下が皆穢気に染まることをいう。
客星が九州殊口を犯す 其の八
郄萌曰:“有星入九州殊口,九州之民憂水事。”《黃帝占》曰:“客星守九州口,負海國不安,兵起。”郄萌曰:“客星守九州口,天下凶。”
郄萌に曰く:星が「九州殊口」に入れば、九州の百姓は水患に愁える。九州殊口は六星、天壘城の南にあり、各方の異族の言語を通訳する官員の象である。《黄帝占》に曰く:客星が九州殊口に留まれば、海に瀕する一帯の国は安らかでなく、兵事が起こる。郄萌に曰く:客星が九州殊口に留まれば、天下に凶事がある。
客星が天節を犯す 其の九
郄萌曰:“客星入天節,奚契丹有憂。”《荊州占》曰:“客星守天節,臣有憂。”
郄萌に曰く:客星が「天節」に入れば、東北の奚と契丹の二族に憂患がある。天節は八星、畢宿の下にあり、使臣が命を奉じて出行するに執る符節である。《荊州占》に曰く:客星が天節に留まれば、臣子に憂患がある。
客星が九游を犯す 其の十
《荊州占》曰:“客星守九游,憂諸侯之兵,若禽獸多疾。”
《荊州占》に曰く:客星が「九游」に留まれば、諸侯の兵を挙げることを憂えるか、あるいは禽獣は多く疾病を生ずる。九游は九星、玉井の西南にあり、天子の旌旗に垂れる旒飾で、旌旗の指す所すなわち兵事のある所なので、その変異はまず諸侯の兵馬に応ずる。
客星が軍井を犯す 其の十一
《荊州占》曰:“客星守軍井,軍以水為憂。”《黃帝占》曰:“客星入守天井,大水。”
《荊州占》に曰く:客星が「軍井」に留まれば、軍中は水に愁える。軍井は四星、玉井の東南にあり、軍中の水を汲む所で、行軍の成敗は往々にして水源の有無に係る。《黄帝占》に曰く:客星が天井に入って留まれば、大水を発することを主る。
客星が水府を犯す 其の十二
《荊州占》曰:“客星守水府,江河決溢。”郄萌曰:“有星入水府,天下洪水。”
《荊州占》に曰く:客星が「水府」に留まれば、江河は決口して漫溢する。水府は四星、東井の西南にあり、水事を掌る官府で、堤塘・溝瀆を主管する。郄萌に曰く:星が水府に入れば、天下は洪水を発する。
客星が天狗を犯す 其の十三
《黃帝占》曰:“客星入天狗中,國多大暴風雨。又曰:北夷人飢,來降。”《荊州占》曰:“客星入天狗,多土功,北夷大飢。”《荊州占》曰:“客星守天狗,守禦之臣作亂。”
《黄帝占》に曰く:客星が「天狗」の中に入れば、国中に狂風・暴雨が多い。又曰く北方の夷族は飢饉となり、帰降しに来る。天狗は七星、狼星の北にあり、犬が吠えて守る義を取り、守御と盗賊を主管する。《荊州占》に曰く:客星が天狗に入れば、土木の工役は繁多し、北方の夷族は大いに飢饉となる。《荊州占》に曰く:客星が天狗に留まれば、守衛を務める臣子が起こって乱を為す。
客星が丈人を犯す 其の十四
郄萌曰:“有星入丈人,明臣不得通。”
郄萌に曰く:星が「丈人」に入れば、賢明の臣子は上に君に達することを得ない。丈人は二星、軍市の西南にあり、年高徳劭の長者の象で、子星・孫星と相次ぐ。長老の位が侵されれば、正人の言路はこれに随って壅塞する。
客星が天社を犯す 其の十五
《黃帝占》曰:“有星入天社,有祠事於國內;出天社,有祠事於國外。”
《黄帝占》に曰く:星が「天社」に入れば、国内に祭祀を執り行う事がある。天社から出れば、国境の外で祭祀を執り行う。天社は六星、弧星の南にあり、土地の神の位次で、人間の社祭はこれによって象を取るので、その占辞はもっぱら祠祀に応ずる。
客星が天紀を犯す 其の十六
《荊州占》曰:“客星守天紀,國政亂。”
《荊州占》に曰く:客星が「天紀」に留まれば、国家の政事は紊乱する。天紀は九星、貫索の東にあり、万物の綱紀・条理を主管し、また民間の怨訟を評理することをも主る。綱紀の星が犯を受ければ、政令は自ずから失序する。
客星が天廟を犯す 其の十七
甘氏曰:“客星犯守天廟,軍道不通;一曰:有兵;又曰:馬多死。”甘氏曰:“客星中犯乘守天廟,有白衣之會。”《荊州占》曰:“客星中犯乘守天廟,祠官有憂。”
甘氏に曰く:客星が「天廟」を冲犯して留まれば、行軍の道路は通じない。一説に兵事がある。また曰く馬匹は大量に死亡する。天廟は十四星、張宿の南にあり、天子の宗廟の象である。甘氏に曰く:客星が天廟に貫入し、冲犯し、凌乗し、あるいは留まれば、白衣を着る喪事の集会がある。《荊州占》に曰く:客星が天廟に貫入し、冲犯し、凌乗し、あるいは留まれば、祭祀を掌る祠官に憂患がある。
客星が東甌を犯す 其の十八
甘氏曰:“客星入東甌,其王且操金玉來下中國。”
甘氏に曰く:客星が「東甌」に入れば、そこの君王はまさに金玉・宝貨を携えて中原に帰附しに来る。東甌は五星、翼宿の南にあり、東南方の東甌の国で、閩越の一帯に応ずるので、その占辞は外邦の入貢を多くいう。
客星が巫咸中外官を犯す 四
客星が天相を犯す 其の一
郄萌曰:“客星出入天相,天子變更其令。”
郄萌に曰く:客星が「天相」に出没すれば、天子はその政令を更改する。天相は三星、輔相の位で、天子を佐助して号令を発する。輔相の星に客星が往来すれば、朝廷の号令はこれに随って変動する。
客星が長垣を犯す 其の二
郄萌曰:“赤星入長垣,胡人大凶。”
郄萌に曰く:赤色の星が「長垣」に入れば、胡人は大凶に遭う。長垣は四星、少微の西南にあり、形は一筋の長い牆のごとく、疆界を画し外寇を屏蔽する藩籬で、もっぱら胡人に関する辺事を主る。
客星が軍門を犯す 其の三
《荊州占》曰:“客星犯軍門,軍道大通。”
《荊州占》に曰く:客星が「軍門」を犯せば、行軍の道路は大いに通暢する。軍門は二星、軍営の門戸で、出入と号令を主管する。ここの占辞は別条と異なり、かえって客星の犯を道路の開通の兆とする。
客星が陽門を犯す 其の四
郄萌曰:“有星入陽門,五兵藏。”
郄萌に曰く:星が「陽門」に入れば、五種の兵器は皆収蔵される。陽門は二星、庫楼の東北にあり、要冲を把守する門戸である。兵器が庫に入って用いられなければ、まさに干戈の止息の象である。いわゆる五兵とは、戈・殳・戟・酋矛・夷矛の類の兵刃を指す。
客星が鈎星を犯す 其の五
《荊州占》曰:“客星守鉤星,地動。”
《荊州占》に曰く:客星が「鈎星」に留まれば、大地は震動する。鈎星は形が曲鈎のごとく、鈎連して維系する象である。維系の星が客星に守られれば、地脈はその固結を失うので、地震に応ずる。
客星が天桴を犯す 其の六
《荊州占》曰:“客星守天桴,度數改,漏刻失時。”
《荊州占》に曰く:客星が「天桴」に留まれば、暦法の度数は更改し、漏壺・刻箭の計時は準を失う。天桴は四星、河鼓の東にあり、桴とは鼓を撃つ槌で、更鼓の報時を主管するので、それが一たび変異すれば、人間の時刻・節候はこれに随って錯乱する。
客星が天淵を犯す 其の七
《荊州占》曰:“客星守天淵,天下水出,地動,若海魚出;一曰:守三淵,水與城等。”
《荊州占》に曰く:客星が「天淵」に留まれば、天下は大水が泛濫し、大地は震動するか、あるいは海の中の魚が水面に浮かび出る。一説に三か所の淵星に留まれば、水勢は城牆と同じほど高くなる。天淵は十星、鼈星の東南にあり、天上の深い潭で、溝渠・灌漑を主管するので、その占はもっぱら水を主る。
客星が天壘城を犯す 其の八
郄萌曰:“客星入天壘城,北夷王且操奇馬進中國。”
郄萌に曰く:客星が「天壘城」に入れば、北方の夷族の君王はまさに異種の良馬を牽いて中原に進献しに来る。天壘城は十三星、虚宿・危宿の南にあり、丁零・匈奴の類の北方部族の城壘を象するので、その占辞は多く北狄の向背に関する。
客星が鈇鑕を犯す 其の九
《黃帝占》曰:“客星入鈇鑕,外兵擒殺其將,士卒亂傷,外國來降。”郄萌曰:“有星入鈇鑕,諸侯有來獻地者;出鈇鑕,則獻地諸侯。色青,皆以憂;赤,皆以兵;黃,皆以好。”
《黄帝占》に曰く:客星が「鈇鑕」に入れば、境外の軍隊はその将領を擒殺し、士卒は乱の中に傷亡し、外国は帰降しに来る。鈇鑕は腰斬に用いる刀と砧板で、この星はもっぱら斬戮の刑を主る。郄萌に曰く:星が鈇鑕に入れば、諸侯の中に土地を献納しに来る者がある。鈇鑕から出れば、朝廷が土地を諸侯に賜う。星色が青なら皆憂患に出づり、赤なら皆兵事による、黄なら皆修好に出づる。
郄萌曰:“客星入鈇鑕星,鈇鑕用,以日占其國。”郄萌曰:“客星中犯棄鈇鑕,皆為兵將憂。”
郄萌に曰く:客星が鈇鑕の星に入れば、腰斬の刑具は用をなし、客星の入ったその日の干支によってどの国に応ずるかを推断する。郄萌に曰く:客星が貫入して冲犯した後にまたこれを棄てて去るは、いずれも兵を率いる将領に憂患があることを主る。
客星が天厩を犯す 其の十
《黃帝占》曰:“有大星入天廄,馬有驚。”郄萌曰:“客星入天廄,不滿三日,馬為之賤。”郄萌曰:“有星入天廄,廄車出行。”
《黄帝占》に曰く:大きな星が「天厩」に入れば、馬匹は驚く。天厩は十星、天子の車馬の厩苑を主管し、およそ馬政・車駕の事は皆ここから象を取る。郄萌に曰く:客星が天厩に入り、三日に満たず留まれば、馬の値はこれによって下がる。郄萌に曰く:星が天厩に入れば、厩の中の車馬は出行する。
郄萌曰:“客星入天廄之中,滿三日而去,有救。”《黃帝占》曰:“客星出,若守天廄,有驚戒之事。”
郄萌に曰く:客星が天厩の中に入り、三日満ちて去れば、事はなお転圜して救う余地がある。《黄帝占》に曰く:客星が天厩に現れ、あるいはそこに留まれば、人を驚かし戒めさせる事が発生する。
開元占経 巻八十五
妖星占 上
妖星の主る所 其の一
《黃帝占》曰:“妖星者,五行之氣,五星之變。如見,其方以為災殃,各以其日五色占知何國,吉凶決矣。以見無道國、失禮邦,為兵、為飢、水、旱、死亡之征也。”
《黄帝占》に曰く:いわゆる「妖星」とは、五行の気の鬱結して化する所であり、また五星の失常の生ずる変異である。それが一たび現れれば、所在のその方は災に遭い、それぞれその現れた日の干支と青・赤・黄・白・黒の五色によって、どの国に応ずるかを推知し、吉凶は断定できる。妖星はつねに無道の国・礼を失う邦に現れ、兵禍・飢饉・水災・旱災および死亡の先兆である。
《黃帝占》曰:“凡妖星所出,形狀不同,為殃如一。其出,不過一年,若三年,必有破國、屠城,其君死亡,天下大亂,兵士行,戰死於野,積尸縱橫,餘殃盡為水、旱、兵、飢、疾、疫之殃。”石氏曰:“妖星之狀不相類,其殃一也。其出,不過三月,必有破國亂君,伏死其辜,殃之不盡,當有旱、飢、暴、疾、疫矣。”
《黄帝占》に曰く:およそ妖星の現れるは、形状はそれぞれ同じでないが、齎らす禍殃は同じである。それが現れてから、一年を出ず、あるいは三年に、必ず国が攻め破られ、城が屠戮され、その君主は死亡し、天下は大いに乱れ、兵士は戦場に赴いて郊野に戦死し、屍は縦横に積まれる。残りの余殃も、所詮は水・旱・兵・飢・疾病・瘟疫のこの数種である。石氏に曰く:妖星の形状は互いに似ないが、招く禍殃は一致する。それが現れてから、三ヶ月を出ずに、必ず国が攻め破られ、君主は昏乱して、罪によって法に伏して死ぬ。災殃がもし発洩し尽くさなければ、続いて旱災・飢饉・暴乱・疾病および瘟疫がある。
甘氏曰:“凡妖星出見,長大,災深期遠;短小,災淺期近。三尺至五尺,期百日;五尺至一丈,期一年;一丈至三丈,期三年;三丈至五丈,期五年;五丈至十丈,期七年;十丈以上,期九年。審以察之,其災必應。”
甘氏に曰く:およそ妖星が現れて、形体が長く大きいは、災禍が深重で応験の日は遠い。形体が短く小さいは、災禍が軽浅で応験の日は近い。長さ三尺から五尺は期限百日、五尺から一丈は期限一年、一丈から三丈は期限三年、三丈から五丈は期限五年、五丈から十丈は期限七年、十丈以上は期限九年である。仔細に観測して審辨すれば、その災禍は必ず兑现する。
天棓占 其の二
《河圖》曰:“歲星之精,流為天棓。”甘氏曰:“天棓,一名覺星。”甘氏曰:“天棓,本類星,末銳,長四丈。”班固《天文志》曰:“歲星贏而東南。”盂康曰:“歲星見東方,行疾則不見,不見則變為妖星也。”
《河図》に曰く:歳星の精気は流散して、「天棓」と化する。棓とは棍棒で、その形状の粗く直きが杖のごときを取る。甘氏に曰く:天棓はまた「覚星」ともいう。甘氏に曰く:天棓の形状は、根部は一つの星に似て、末梢は鋭く、全長は四丈。班固《漢書・天文志》に曰く:歳星は運行が超前して東南に偏する。孟康が注を作っていう:歳星はもともと東方に現れるべきで、行度が速すぎれば見えなくなり、見えない時は、それは変じて妖星となる。
石氏曰:“見彗星。”甘氏曰:“不出三月,乃生彗,本類星,末類彗,長二丈,盈而東北。”
石氏に曰く:この時彗星を見る。甘氏に曰く:三ヶ月を出ずに、彗状の芒尾を生じ、根部は一つの星に似て、末梢は彗帚に似て、全長は二丈、運行は超前して東北に偏する。
石氏曰:“見覺星。”甘氏曰:“不出三月,乃生天棓,本類星,末銳,長四丈也。”《春秋緯》曰:“天棓主滅兵。”《春秋潛潭巴》曰:“天棓主奮爭。”(《河圖》曰:分爭。)甘氏曰:“天棓出,其國凶,不可舉事、用兵。又曰:期三月,必有破軍、拔城。”《潛潭巴》曰:“棓槍出仲孟,芒交,若相棓,宰將伐主,天下大亂。”甘氏曰:“天棓出,期三月,必有破軍、拔城,人君伏,死其罪。”甘氏曰:“客天棓見,女主用事,其本者,為主人。”
石申に曰く:まず「覚星」と呼ばれる予兆の気を見る。甘徳に曰く:このような気を見てから、三ヶ月を出ずに「天棓」という妖星を生じ、その根部は一つの尋常の星に似て、末梢は鋭く、通り長は四丈である。《春秋緯》に曰く:天棓の主る所は兵禍を消滅することである。《春秋潜潭巴》に曰く:天棓の主る所は激烈な争闘である。(原書の小注:《河図》はここを「分争」と作る。)甘徳に曰く:天棓が一たび現れれば、それの対応するその国に凶険があり、大事を興すことも、兵を出して戦うこともしてはならない。彼はまた曰く、三ヶ月を期限として、必ず軍隊が撃破され、城池が陥落する事が現れる。《潜潭巴》に曰く:天棓と天槍が仲月・孟月に現れ、両星の鋒鋩は交錯し、あたかも互いに棓杖をもって相撃つがごときは、宰輔・大将が君主を討伐せんとすることを予示し、天下はまさに大いに乱れる。甘徳に曰く:天棓が現れ、三ヶ月を期として、必ず軍隊は潰敗し、城邑は陥り、君主もまた首を垂れて罪を認めて死ぬ。甘徳はまた曰く、もし見えるのが外来の「客天棓」なら、女主が臨朝して権を掌ることを主る。もし見えるのが本位のあの一顆なら、本国の君主が自ら権を当ることを主る。
天槍 其の三
《河圖》曰:“歲星之精,流為天槍。”《春秋合誠圖》曰:“天槍主捕制。”《春秋緯》曰:“歲星退而西南,三月生天槍,陽沈變萌,戰亂兵行,諸侯大橫,所見國無用兵。”班固《天文志》曰:“歲星縮而西南。”孟康曰:“歲星當伏西方,行遲早沒,變為妖星也。”
《河図》に曰く:木星(古は「歳星」と称す)の精気は外に泄れて流散し、「天槍」という妖星と化する。《春秋合誠図》に曰く:天槍は緝捕と制裁の事を主管する。《春秋緯》に曰く:歳星が運行退縮して西南に偏し、三ヶ月を過ぎて天槍を生ずる。この時陽気は沈み、変異の象は萌発し、戦乱が興り兵馬が出動し、諸侯は大いに横行し、およそ天槍の照見する国は皆兵を用いるべきでない。班固《漢書・天文志》に曰く:これはすなわち「歳星縮して西南」で、歳星の行度が足らず西南に偏することである。孟康が解説していう:歳星はもともと西方に潜伏して見えないはずで、いまそれの行きが遅く、早く沈没して、変じて妖星となった。
石氏曰:“見攙雲如牛。”甘氏曰:“不出三月,乃生天槍,左右銳長數丈,縮西北。”石氏曰:“見槍雲如馬。”甘氏曰:“不出三月,乃生天槍,本類星,末銳,長丈。”《河圖》曰:“天槍主改修。”甘氏曰:“天槍在西北,本類星,末銳,一丈。”甘氏曰:“天槍見,則女主有用事者,其本為主人。”巫咸曰:“天槍出,國有功。”
石申に曰く:まず形状が牛に似た「攙雲」を見る。甘徳に曰く:このような雲気を見てから三ヶ月を出ずに天槍を生じ、それは左右の両端が皆鋭く、長さは数丈、西北の方に縮まる。石申はまた曰く:まず形状が馬に似た「槍雲」を見る。甘徳に曰く:見てから三ヶ月を出ずに天槍を生じ、その根部は一つの星に似て、末梢は鋭く、長さ約一丈。《河図》に曰く:天槍は更改と修治の事を主管する。甘徳に曰く:天槍は西北方に現れ、根部は星に似て、末梢は鋭く、長さ一丈。甘徳はまた曰く:天槍が一たび現れれば、女主が臨朝して権を当ることを主る。もし見えるのが本位のあの一顆なら、本国の君主が自ら権を当ることを主る。巫咸に曰く:天槍が現れれば、国家に成す功業がある。
班固《天文志》曰:“孝文後二年正月壬寅,天槍夕出西南。占曰:為兵、喪、亂。其六年十一月,匈奴入上郡雲中,漢起三軍,以衛京師。”(按劉向《洪範》曰:文帝崩,吳楚七國反者也。)郄萌曰:“歲星與日月同宿,八十日(闕)天槍出婺女,至胃,為天槍。”
班固《漢書・天文志》に記す:漢の文帝・後元二年正月壬寅の日、天槍は夕方に西南方に現れた。占辞にこれは兵禍・喪事・動乱を主るという。後元六年十一月に至り、匈奴は上郡と雲中郡に侵入し、漢は三つの大軍を調動してもって京城を保衛した。(原書の小注:按するに劉向《洪範五行伝》に曰く、この後文帝は崩じ、呉楚の七国はまた兵を起こして反逆した。)郄萌に曰く:歳星が太陽・月と同じ一宿に処り、八十日(ここは底本に闕文あり)、天槍は婺女宿から現れて胃宿にまで延び、これを天槍と称す。
天猾 其の四
《河圖》曰:“歲星之精,流為天猾。”《河圖》曰:“”《春秋緯》曰:“天猾主招亂者。”《春秋緯》曰:“人主自恣,不備古王,逆天暴物,則天猾起,如眾馬,斗於邦,地躍瓊,曰反光。”
《河図》に曰く:歳星の精気は流散して「天猾」という妖星と化する。《河図》に別の一つの引文あり(ここは底本に脱文があり、引書の名だけが残り、占辞はすでに亡んだ)。《春秋緯》に曰く:天猾は乱を起こす人を招くことを主管する。《春秋緯》はまた曰く:君主が恣睢に放縦し、古代の聖王に法らず、天道に逆らい万物を暴虐すれば、天猾は起こる。その形状は成群の馬匹のごとく、国土の上空で相斗い、地面上には玉の光が跳ね、こうした光景を「反光」と称す。
天冲 其の五
《河圖》曰:“天沖,歲星之精,流為之。”劉向《洪範》曰:“天沖,其狀如人,蒼衣赤首,不動,其名曰天沖。”《春秋潛潭巴》曰:“天沖主滅位。”《春秋運斗樞》曰:“沖星出,臣謀主,武卒廢,天子亡。”《運斗樞》曰:“天沖抱極泣帝前,血濁霧下天下憲。”(宋均曰:抱,猶向也;極,北辰也;泣,言有淚眾也;帝,大帝,即北辰也。血濁如霧,霧濁如血。)
《河図》に曰く:天冲は歳星の精気の流散して化成したものである。劉向《洪範五行伝》に曰く:天冲の形状は一人のごとく、青色の衣裳を着て紅色の頭を頂き、天上に停まって動かず、その名を天冲という。《春秋潜潭巴》に曰く:天冲は君位を覆滅せしめることを主管する。《春秋運斗枢》に曰く:天冲星が一たび現れれば、君主を企てる臣子があり、武士兵卒は廃棄して用いられず、天子はこれによって敗亡する。《運斗枢》はまた曰く:天冲は北極に向き、天帝座の前で哭泣し、混濁した血は霧と化して降り、天下はまさに厳刑・峻法を行わんとす。(原書の小注:宋均が解説していう、「抱」はすなわち向く義、「極」は北辰を指し、「泣」は涙が多いことをいい、「帝」は大帝すなわち北辰を指す。いわゆる血の濁るが霧のごとく、霧の濁るが血のごときとは、血と霧が混ざり一色と成して、互いを分かちえないことをいう。)
国皇 其の六
《河圖》曰:“歲星之精,流為國皇。”《春秋運斗樞》曰:“機星散為國皇。”巫咸曰:“國皇之星,大而赤,類南極老人星也。”《春秋緯》曰:“國皇主滅奸。”《春秋合誠圖》曰:“國皇主內冠,一曰主內難。”《春秋考異郵》曰:“國皇星見則兵起,天下急。”
《河図》に曰く:歳星の精気は流散して「国皇」という妖星と化する。《春秋運斗枢》に曰く:北斗第三星・天璣(「機星」)の精気が散じて、も国皇と化する。巫咸に曰く:国皇という星は大きくして紅く、見たところたいそう南方の低空のあの明るい南極老人星に似ている。《春秋緯》に曰く:国皇は奸邪を剷除することを主管する。《春秋合誠図》に曰く:国皇は内部の寇乱を主り、別の一説は内部の禍難を主るという。《春秋考異郵》に曰く:国皇星が一たび現れれば、兵事はまさに起こり、天下の形勢は危急となる。
司馬彪《天文志》曰:“孝靈光和中,國皇星見東南角,去地一二丈,如炬火狀,十餘日,不見。占曰:國皇為內亂,外內有兵喪。其後黃巾賊張角燒州郡,朝廷遣將討平,斬首十餘萬級。中平年,宮車晏駕,大將軍何進令司隸校尉袁紹私募兵千餘人,陰射洛陽城外,竊呼幷州牧董卓,使將兵至京都,共誅中官,對戰南北,宮及闕下,死者數千人,燔燒宮室,遷都西京。及司徒王允與將軍呂布誅卓,卓部曲將郭汜、李催提兵攻長安,公卿百官吏民戰死者亦且萬人,天下之亂,皆自內發。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す:漢の霊帝・光和年間、国皇星は東南方の天角に現れ、地面から一二丈ほどしか高くなく、形状は一本の火炬のごとく、十数日後にようやく隠没して見えなくなった。占辞に国皇は内乱を主り、朝廷の内外は皆兵禍と喪事があるという。後に黄巾軍の首領・張角は州郡の官府を焼き、朝廷は将領を派遣して討伐して平定し、斬首は十余万人。中平年間に至り、霊帝は崩じ、大将軍・何進は司隸校尉・袁紹に命じて千余人の兵士を私に招募し、密かに洛陽城外に屯駐させ、また私に并州牧・董卓を召して、彼に兵を率いて京に入らせ、ともに宦官を誅殺させた。双方は南宫・北宮の間で交戦し、皇宮と宮門の下に死者は数千人、宮室は焚毀され、ついに西京・長安に遷都した。司徒・王允と将軍・呂布が董卓を殺すに及んで、董卓の部将・郭汜・李傕はまた兵を率いて長安を攻め、公卿・百官と吏民の戦死する者もまたほぼ一万人。こうした天下の大乱は、全て朝廷の内部から引き起こされたのである。
巫咸曰:“國皇星所指,其下起兵,兵強;或曰:其沖不利。”石氏曰:“國皇星入天庫,兵起亡地。”《荊州占》曰:“國皇入紫宮,國有大變,兵起。又曰:人主有憂。”《荊州占》曰:“國皇星入紫宮,兵起,得地。”
巫咸に曰く:国皇星の芒尖の指す方向、その下の分野はまさに兵を興し、しかも兵力は強盛である。別の一説に、それと相冲するその方は己に不利である。石申に曰く:国皇星が天庫の星区に侵入すれば、兵事が起こってしかも土地を喪失する。《荊州占》に曰く:国皇が紫微宮に入れば、国家に大きな変故があり、兵事が起こる。又曰く、これは君主に憂患があることを主る。《荊州占》に別の一条曰く、国皇星が紫微宮に入れば、兵事が起こるが、土地を奪い得る。
反登 其の七
《河圖》曰:“歲星之精,流為反登。”《春秋緯》曰:“反登主夷分。”《春秋緯》曰:“皆少陽之精,司徒之類,青龍七宿之域,有謀反,若恣虐為害,主失春政者,以出時沖為期,皆主君征也。”
《河図》に曰く:歳星の精気は流散して「反登」という妖星と化する。《春秋緯》に曰く:反登は夷滅と分裂を主管する。《春秋緯》はまた曰く:以上のこの一組の妖星は皆少陽の気の精華の化する所で、司徒の類の職守に属し、東方の青龍七宿の管轄する天区に対応する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは暴虐を放縦し生民を危害し、あるいは君主が春季に施行すべき政令を荒廃すれば、この類の星象が現れる。応験の期限は、それの現れた時に冲する方位と時節によって推算し、皆君主が兵を出して討伐することを主る。
析旦 其の八
《河圖》曰:“熒惑之精,流為析旦。”(或曰:招旦。)《春秋緯》曰:“析旦主弱符。”《春秋緯》曰:“析旦橫出,濁百尺,為相誅滅。”
《河図》に曰く:火星(古は「熒惑」と称す)の精気は流散して「析旦」という妖星と化する。(原書の小注:一説に「招旦」と作る。)《春秋緯》に曰く:析旦は符命を削弱することを主管し、すなわち君主の天に受命する根基を動揺させる。《春秋緯》はまた曰く:析旦は横に天上に現れ、混濁した光気の長さは百尺に達し、これは宰相の級の大臣が誅殺・剷除されることを主る。
蚩尤旗 其の九
《河圖》曰:“熒惑之精,流為蚩尤旗。”(按《皇覽塚墓記》曰:蚩尤塚在東郡壽張縣闕鄉城中,高七丈。民常十月祠之,有赤氣出,如絳帛,民名為蚩尤旗。《述徵記》曰:須昌縣闕鄉有蚩尤冢,或云:上代民以十月旦祠之,輒有赤氣,如一疋絳,謂蚩尤旗也。《漢書》:武帝建元六年、元狩四年,並有長星見。班固《五行志》曰:為蚩尤之旗也。)
《河図》に曰く:熒惑の精気は流散して「蚩尤旗」という妖星と化する。(原書の小注:按するに《皇覧・塚墓記》に曰く、蚩尤の墳塚は東郡寿張県闕郷城中にあり、高さ七丈。百姓はつねに十月に彼を祭祀し、祭祀の時に紅色の雲気が冒出し、一幅の深紅の綢帛のごとく、百姓はこれを蚩尤旗と称した。《述征記》に曰く、須昌県闕郷に蚩尤塚があり、ある人は上代の百姓は十月初一に祭祀し、毎回赤気が升起して一匹の絳色の布のごとく、それを蚩尤旗という、と語る。《漢書》に記す、漢の武帝・建元六年と元狩四年には、いずれも長星の現れるがあった。班固《漢書・五行志》に曰く、それはまさに蚩尤の旗である。)
《春秋運斗樞》曰:“旋星散為蚩尤旗。”《說苑》曰:“蚩尤旗,五星盈縮之所生也。”巫咸曰:“蚩尤之旗,類彗而後曲象旗。”夏氏曰:“四望無雲,獨見赤雲,蚩尤旗也。”《荊州占》曰:“蚩尤星如箕,可長二丈,末有星。”《呂氏春秋》曰:“亂國之主,象邪並積,有雲若桓藿,以長,黃上白下,其名曰蚩尤旗。”《春秋緯》曰:“蚩尤旗,誅逆國。”《春秋緯合誠圖》曰:“蚩尤之旗出,平四野。”《河圖提》曰:“帝將怒,則蚩尤旗出。”《論語摘輔象》曰:“虐王反度,則蚩尤旗出。”《洛書》曰:“旗刺旋,主備臣邊,雄侯之賢,主過出,兵馬驚。”
《春秋運斗枢》に曰く:北斗第二星・天璇(「旋星」)の精気が散じて蚩尤旗と化する。《説苑》に曰く:蚩尤旗は五大行星の運行の超前あるいは後れの生じた変異の気である。巫咸に曰く:蚩尤の旗の様子は彗星に似るが、尾部は彎曲して、形状は一面の旗子に似る。夏氏に曰く:四方を望んで皆雲がないのに、ただ一片の紅雲を見れば、それは蚩尤旗である。《荊州占》に曰く:蚩尤星は形状が簸箕に似て、長さ約二丈、末端にはまた一つの星を帯ぶ。《呂氏春秋》に曰く:国を治めること昏乱の君主が位にあれば、各種の邪悪の徴象は一斉に積聚し、天上に一種の雲が現れて、形は高い豆の葉のごとく、たいそう長く引き、上面は黄色を呈し下面は白色を呈し、その名を蚩尤旗という。《春秋緯》に曰く:蚩尤旗は叛逆の国を誅討することを主る。《春秋緯・合誠図》に曰く:蚩尤の旗が現れれば、四方の原野を蕩平する。《河図提》に曰く:天帝がまさに怒らんとすれば、蚩尤旗は現れる。《論語摘輔象》に曰く:暴虐の君王が法度に違反すれば、蚩尤旗は現れる。《洛書》に曰く:旗星の芒刺は回旋して定まらず、臣子の辺地で事を生ずるに備えることを主る。雄傑の士の中に賢能の者が顕露し、君主の過失は暴露し、兵馬は驚擾して安らかでない。
《黃帝占》曰:“蚩尤旗,本類星而後委曲,其象旗幡,長可二三丈,見則王者鼓旗,大行征伐,四方兵大起,不然國有大喪,王者亡,期三年,中五年,遠七年。”
《黄帝占》に曰く:蚩尤旗の根部は一つの星に似て、後ろに彎曲する一段を拖え、全体の形状は一面の旗幡に似て、長さ約二三丈。それが一たび現れれば、帝王は鼓を撃ち旗を挙げて大挙して征伐し、四方の兵事は紛紛として興ることを主る。もしそうでなければ、国家に大喪があり、帝王はまさに死なんとする。応験の期限は、近くは三年、中は五年、遠くは七年である。
(按《洪範五行傳》曰:武帝建元六年八月,長星出東方,長竟天。占曰:是蚩尤旗,見則王者征伐四方。自是之後,兵討四夷,連二十年。元狩四年四月,長星復出西北,是時擊胡狄。司馬彪《天文志》曰:孝獻初平三年九月,蚩尤旗長十餘丈,色白,出角亢之南,其後丞相曹公征伐天下且三十年。《魏志》曰:高貴卿公正元元年十一月,有白氣出南斗側,廣數丈,長竟天。景王問王肅,肅對曰:蚩尤之旗也,東南其有亂乎。二年正月,毋丘儉等據淮南以叛,大將軍司馬師討平之,自後征淮南,西平巴蜀。是歲吳主孫亮五鳳元年,太平三年,孫琳盛兵圍宮,廢亮為會稽王,孫琳主淮南、江東,同揚州地。故於時變見吳楚之分,則魏之淮南多與吳同災,是以毋丘儉以為已應,遂起兵而敗。三年,即魏甘露二年,諸葛誕又反淮南,吳遣朱異救之,及城陷,誕眾誅滅。《魏氏春秋》曰:正始元年十一月,蚩尤旗見於箕,東吳兵死沒各數萬人,車騎將軍黃權死之兆也。)
(原書の小注:按するに《洪範五行伝》に曰く、漢の武帝・建元六年八月、長星が東方に現れ、長さは全天を横貫した。占辞にこれはすなわち蚩尤旗で、一たび現れれば帝王が四方を征伐することを主るという。あれから後、漢は兵を出して四方の夷狄を討伐し、連続して二十年戦った。元狩四年四月、長星はまた西北方に現れ、この時ちょうど匈奴と北狄を攻めていた。司馬彪《続漢書・天文志》に曰く、漢の献帝・初平三年九月、蚩尤旗の長さは十余丈、色は白を発し、角宿・亢宿の南面に現れた。後に丞相・曹操は天下を征伐することほぼ三十年。《魏志》に曰く、高貴郷公・正元元年十一月、白色の雲気が南斗星のそばから升り、幅数丈、長さは全天を横貫した。景王・司馬師が王粛に問うと、王粛は答えていう、これは蚩尤の旗で、東南方はおそらく変乱があるであろう。第二年正月、毋丘倹らは淮南に拠って反逆し、大将軍・司馬師は兵を出して討平した。この後魏はまた淮南を征討し、西に巴蜀を平げた。この年は呉主・孫亮の五鳳元年。太平三年に至り、孫綝は重兵を出動して皇宮を包囲し、孫亮を廃して会稽王とした。孫綝の控制した淮南・江東は魏の淮南と同じ揚州の分野に属するので、この時の天象の変異は呉・楚の分野に顕れ、魏の淮南もまた呉と同じく災に遭うことが多かった。このため毋丘倹はこの天象は己に応ずると認めて、兵を起こしてついに敗れたのである。太平三年はすなわち魏の甘露二年で、諸葛誕はまた淮南で反逆し、呉は朱異を派遣して救援させた。城池が陥落するに及んで、諸葛誕の一味は全て誅滅した。《魏氏春秋》に曰く、正始元年十一月、蚩尤旗が箕宿に現れ、この後魏・呉の双方はそれぞれ数万の兵士が戦陣して亡んだが、これもまた車騎将軍・黄権の死の予兆であった。)
《黃帝占》曰:“蚩尤旗出北斗,長二三丈,本有星,其上委曲,見則天下亂,大兵起,天子自將兵,旗鼓用,不然國有大喪,期百八十日,中一年,遠三年。”《春秋緯》曰:“蚩尤之旗見,則山崩。”《春秋緯》曰:“蚩尤之旗,五精離芒,天運大兵,垂其彗,後曲而前長,四方並亂,天下滅兵,群猾動,帝坐於堂。見則五寇行,主不正暴,必有反兵,期五年,天子憂,不以亡,則九年凶。加於斗宿,天子囂囂,出於列位,勉正四方。”
《黄帝占》に曰く:蚩尤旗は北斗の一帯から現れ、長さ二三丈、根部には一つの星があり、上端は彎曲する。それが一たび現れれば、天下はまさに動乱し、大規模の戦事が興り、天子は自ら兵を統べ、旗鼓は斉しく用をなす。もしそうでなければ、国家に大喪がある。応験の期限は、近くは百八十日、中は一年、遠くは三年である。《春秋緯》に曰く:蚩尤の旗が現れれば、山崩がある。《春秋緯》はまた曰く:蚩尤の旗は五星の精気の離散して吐き出す鋒芒で、天は一場の大戦を運作せんとする。それは彗尾を垂れ、後段は彎曲して前段は修長である。それが一たび現れれば、四方は一斉に動乱し、天下は兵刃をもって相滅し、奸猾の徒は紛紛として事を起こし、天子はなお殿堂に安坐する。この象はすでに見えれば、五方の寇盗は横行し、君主は端正でなくして暴虐で、必ず叛軍の興ることがあり、期限は五年。天子に憂患があり、亡国に至らなくても、第九年に至ってなお凶険がある。もしこの星象が斗宿に加臨すれば、天子は恐々として安んじず、朝班に列する者は四方を匡正することに奮い立たなければならない。
《春秋緯》曰:“蚩尤伐矜、誅逆、滅患。蚩尤起,天下之兵,合禍紛紛。”《春秋緯潛潭巴》曰:“蚩尤之旗,主伐叛。又曰:主惑亂。”《春秋運斗樞》曰:“蚩尤之旗見,則山崩,后族擅權。”《春秋運斗樞》曰:“蚩尤旗干太微,法式滅,帝死於野。”《春秋緯考異郵》曰:“蚩尤旗見,則王者伐枉逆。”《鉤命決》曰:“旗刺滯,咄咀出,匿謀合。”(旗,蚩尤旗也。)夏氏曰:“蚩尤旗,所見之方,其下有兵,四方盡有,天下有兵。”郄萌曰:“蚩尤旗守軫,赤,哭禮。”《荊州占》曰:“蚩尤旗見,則兵大起,不然有喪。”
《春秋緯》に曰く:蚩尤旗は驕矜を討伐し、叛逆を誅除し、禍患を消滅することを主る。蚩尤旗が一たび起これば、天下の兵禍は汇合し、災殃は紛紛として来る。《春秋緯・潜潭巴》に曰く:蚩尤の旗は叛乱を討伐することを主る。又曰く、それは迷惑と禍乱を主る。《春秋運斗枢》に曰く:蚩尤の旗が現れれば、山崩があり、外戚・后族は大権を専擅する。《春秋運斗枢》はまた曰く:蚩尤旗が太微垣を冲犯すれば、国家の法度・制度はまさに廃滅し、帝王は荒野に死ぬ。《春秋緯・考異郵》に曰く:蚩尤旗が現れれば、帝王が邪枉・叛逆の人を討伐することを主る。《鈎命決》に曰く:旗星の芒刺は凝滞して散ぜず、怨怒・咒罵の声が出現し、暗中の陰謀はまさに結託している。(原書の小注:ここの「旗」は蚩尤旗を指す。)夏氏に曰く:蚩尤旗がどの方に現れるか、その方の地面に兵禍があり、もし四方に皆現れれば、それは天下に皆兵禍がある。《荊州占》に曰く:蚩尤旗が現れれば、大規模の戦事があるか、そうでなければ喪事がある。
昭明 其の十
《河圖》曰:“熒惑之精,流為昭明。”(《荊州占》曰:填星之變,為昭明也。)《黃帝占》曰:“昭明者,五星之變,出於西方,名曰昭明,金之氣也。”《春秋合誠圖》曰:“赤彗分為昭明。昭明,滅光也。(宋均曰:滅主之光明也。)象如太白吐芒,故以為起霸之徵,期七年。”《春秋運斗樞》曰:“機星散為昭明。”
《河図》に曰く:熒惑の精気は流散して「昭明」という妖星と化する。(原書の小注:《荊州占》に曰く、昭明は土星「填星」の変異の生ずる所である。)《黄帝占》に曰く:昭明は五星の変異の気の成す所で、西方に現れ、名は昭明といい、金の気に属する。《春秋合誠図》に曰く:紅色の彗気は分化して昭明を出す。「昭明」の含義は光を滅ぼすことである。(原書の小注:宋均に曰く、君主の光明を滅ぼすことをいう。)その形状は金星(太白)が鋒芒を吐くに似るので、これを霸主の興起の兆とし、応験期は七年である。《春秋運斗枢》に曰く:北斗第三星・天璣(「機星」)の精気が散じて、も昭明と化する。
《黃帝占》曰:“西方有星,望之,去地可丈,而白有光,其類太白,數動,察之,中赤,是謂西方之野星,名曰昭明,出兵大起,其出也,下有喪;出南,則西方邦失地。”《黃帝占》曰:“昭明星出入畢中,有屠國。”《河圖》曰:“昭明茀心,天子三公,殺主必成。”《洛書兵鈐勢》曰:“昭明見,霸者生。”《春秋運斗樞》曰:“昭明有角,亡征也。”《春秋緯》曰:“昭明改德。”《春秋緯合誠圖》曰:“昭明所起,期七年,天子奪於,州牧去,所出下發。”
《黄帝占》に曰く:西方の天上に一つの星があり、望み上げると地を去ること約一丈、色は白にして光があり、たいそう太白金星に似て、閃動は頻繁で、細かく見ればその中心は紅い。これはすなわち西方の原野の星で、名は昭明という。それが一たび現れれば、兵事は大規模に興る。それの出た方位の下に喪事がある。もし南方に偏して現れれば、西方の邦国は土地を喪失する。《黄帝占》はまた曰く:昭明星が畢宿の中を出入すれば、一国を屠滅する事がある。《河図》に曰く:昭明の彗芒が心宿を掃い犯せば、天子と三公の間に変を生じ、君主を弑殺する企ては必ず得る。《洛書兵鈐勢》に曰く:昭明が現れれば、覇を唱う人が世に出る。《春秋運斗枢》に曰く:昭明に角芒が生ずれば、それは亡国の兆である。《春秋緯》に曰く:昭明は徳教を更改することを主る。《春秋緯・合誠図》に曰く:昭明の興る所、応験期は七年で、天子の権柄は人に奪われ、州牧は撤換され、星の出た方位の下に変事が発生する。
《春秋緯考異郵》曰:“昭明星見,則國滅,賢主立。”《春秋緯考異郵》曰:“昭明如太白,不行。”《春秋緯潛潭巴》曰:“昭明起有德。”巫咸曰:“昭明所起,國起兵,多變。”巫咸曰:“西方有星,大而白,有角目下視,名曰昭明,金之精,出則兵大起;若守房星,國有大喪,必有屠城;昭明下,則為天狗,所下者大戰流血;星出非其方,有兵,沖則不利,期不出三年。”
《春秋緯・考異郵》に曰く:昭明星が現れれば、旧の邦国は滅亡し、賢明の君主は興立する。《考異郵》はまた曰く:昭明の様子は太白金星に似るが、もとの所に停まって移動しない。《春秋緯・潜潭巴》に曰く:昭明が興るは徳ある人のまさに出づることをいう。巫咸に曰く:昭明の興るところ、その国はまさに兵を起こし、しかも変故は頻仍である。巫咸はまた曰く:西方に一つの星があり、大きくして白く、角芒を生じ、眼のごとく下を俯視し、名は昭明といい、金の精気である。それが一たび現れれば、兵事は大規模に興る。もしそれが房宿に滞留すれば、国家に大喪があり、必ず城を屠る禍が発生する。昭明が落下して来れば、「天狗」と変じ、天狗の落ちる所には大戦があり血は河を流す。この星がもしその在るべき方位に現れなければ、兵事を主り、それと相冲する方は不利である。応験の期限は三年を過ぎない。
郄萌曰:“昭明星見,大人凶。”郄萌曰:“昭明出,兵大起。”郄萌曰:“昭明星守心,大有喪。”郄萌曰:“昭明星見虛中,天下無兵兵起,有兵兵罷,大臣為謀。”《天官書》曰:“昭明大而白,無角,乍上乍下,(孟康曰:形如三足幾,上有九彗上向也。)所出國起兵,多變。”《荊州占》曰:“昭明星出營室中,大臣為亂,無兵兵起,有兵兵罷。”
郄萌に曰く:昭明星が現れれば、尊位に居る大人物に不利である。郄萌はまた曰く:昭明が一たび出れば、兵事は大規模に興る。郄萌はまた曰く:昭明星が心宿に滞留すれば、大きな喪事がある。郄萌はまた曰く:昭明星が虚宿の中に現れれば、天下にもともと戦事のなければ兵を起こし、もともと戦事のあるはかえって兵を罢め、同時に大臣は密かに企てる。《史記・天官書》に曰く:昭明は大きくして白く、角芒を帯びず、上がったり下がったりして移動する。(原書の小注:孟康に曰く、その形状は一張の三足の小几に似て、上には九道の彗芒が上を向いている。)それがどの国に現れるか、その国はまさに兵を起こし、しかも変故は多い。《荊州占》に曰く:昭明星が営室宿の中に現れれば、大臣は乱を起こす。もともと兵事のなければ兵を起こし、もともと兵事のあるはかえって兵を罢める。
司危 其の十一
《河圖》曰:“熒惑之精,流為司危。”《春秋合誠圖》曰:“白彗之氣,分為司危。司危,平非也,以為乖事之徵。”《春秋運斗樞》曰:“機星散為司危。”孟康曰:“司危星,大而有毛,兩角。”《荊州占》曰:“司危類太白,數動,察之,赤。”《洛書》曰:“司危出,強國盈。”《春秋緯潛潭巴》曰:“司危,主擊強侯兵也。”
《河図》に曰く:熒惑の精気は流散して「司危」という妖星と化する。《春秋合誠図》に曰く:白色の彗気は分化して司危を出す。「司危」の意味は是非を評断することで、これを事の乖違の徴兆とする。《春秋運斗枢》に曰く:北斗・天璣星の精気が散じて司危と化する。孟康に曰く:司危という星は形体が大きく、周囲に毛芒を帯び、また二つの角を生じている。《荊州占》に曰く:司危の様子は太白金星に似て、閃動は頻繁で、細かく見れば紅色である。《洛書》に曰く:司危が現れれば、強国の気勢はちょうど満ちている。《春秋緯・潜潭巴》に曰く:司危は強横の諸侯を攻撃する兵事を主管する。
《合誡圖》曰:“司危如太白有目,以為乖事之徵,見則主失法,期八年,豪傑起,天子以不義失國,有聲之臣行主德也。”(宋均曰:聲,名稱也。)《春秋緯考異郵》曰:“司危見,則其下國殘賊。”《天官書》曰:“司危星,出正西方之野,星去地可六七丈,而白類太白;一曰:見,兵起,強。”《天官書》曰:“司危出非其方,下有兵,沖不利。”《荊州占》曰:“司危出,則兵起,其下為喪。”
《合誠図》に曰く:司危は太白金星に似て眼のごとき形状を帯び、これを事の乖違の徴兆と見なす。それが一たび現れれば、君主が法度を喪失することを主り、応験期は八年で、豪傑の士は紛紛として興り、天子は行事の不義によって国家を失い、名望ある臣子が君主の徳政を代行する。(原書の小注:宋均に曰く、「声」とは名声・名望のことである。)《春秋緯・考異郵》に曰く:司危が現れれば、それの対応するその国は残害される。《史記・天官書》に曰く:司危星は正西方の原野の上に現れ、地を去ること約六七丈、色は白にして太白金星に似る。一説にそれが一たび現れれば兵を起こし、兵勢は強盛である。《天官書》はまた曰く:司危がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事があり、それと相冲する方は不利である。《荊州占》に曰く:司危が現れれば、兵を起こし、その下に喪事がある。
天攙 其の十二
《河圖》曰:“熒惑之精,流為天攙。”《春秋緯》曰:“歲星退如西北,三月生天挽。”郄萌曰:“星出,其狀白小數動,是謂攙星,一名斬星。”孫炎曰:“攙槍,妖星別名也。”(尸子曰:彗星為攙槍也。)《春秋緯潛潭巴》曰:“天攙主煞時。”甘氏曰:“天攙見,女主用事者,其本為主人。”甘氏曰:“天攙出西南,長數丈,左右銳,出而易處。”巫咸曰:“天攙出,其國內亂。”
《河図》に曰く:熒惑の精気は流散して「天攙」という妖星と化する。《春秋緯》に曰く:歳星が退行して西北に偏し、三ヶ月を過ぎて「天挽」を生ずる(ここの「挽」はすなわち上文の「攙」で、指す所はやはり天攙である)。郄萌に曰く:星が現れて、その形状は白くて細かく閃動は頻繁なは、これを攙星といい、また斬星とも名づける。孫炎に曰く:「攙槍」は妖星の別の呼称である。(原書の小注:《尸子》に曰く、彗星はすなわち攙槍である。)《春秋緯・潜潭巴》に曰く:天攙は粛殺の時を主管する。甘徳に曰く:天攙が現れれば、女主が臨朝して権を当ることを主る。もし見えるのが本位のあの一顆なら、本国の君主が自ら権を当ることを主る。甘徳はまた曰く:天攙は西南方に現れ、長さは数丈、左右の両端は皆鋭く、出現した後にはまた位置を移換する。巫咸に曰く:天攙が一たび出れば、その国は内乱がある。
京房曰:“天攙出,其下相攙,為亂、為兵,赤地千里,枯骨藉藉。”(按班固《天文志》曰:孝文後二年正月壬寅,天攙夕出西南,後匈奴入上郡雲中,漢其軍以衛京師也。)郄萌曰:“攙星出,即出,兵起,出於東方,國益,鄉皆然。”班固《天文志》曰:“天攙出,為兵喪。”《河圖》曰:“太陽之精,赤鳥七宿之域,有謀反,若悖心,為虐害,主失政者,期如占,皆以類名之也。”
京房に曰く:天攙が一たび現れれば、その下方の人々は互いに攙扶して奔逃し、動乱を主り兵禍を主り、赤地は千里に寸草も生えず、枯骨は地に狼藉する。(原書の小注:按するに班固《漢書・天文志》に曰く、漢の文帝・後元二年正月壬寅、天攙は夕方に西南方に現れた。後に匈奴は上郡・雲中に侵入し、漢は軍隊を出して京城を保衛した。)郄萌に曰く:攙星が一たび現れれば、すぐ応験し、兵事が興る。もし東方に現れれば、その国はかえって増益があり、郷ごと所ごとに皆このようである。班固《漢書・天文志》に曰く:天攙が現れれば、兵禍と喪事を主る。《河図》に曰く:これは太陽の精気の化する所で、南方の赤鳥七宿の天区に対応する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは悖逆の心を懐き暴虐を施行し、あるいは君主が政事を荒廃すれば、応験の期限は前の占法に依って推算し、これらの妖星は皆それぞれの類によって命名されたのである。
五残 其の十三
《河圖》曰:“五殘,主奔亡。”《河圖》曰:“填星之精,流為五殘。”《春秋運斗樞》曰:“旋星散為五殘。”《春秋合誠圖》曰:“蒼彗散為五殘,如辰星出角,陽失德,故生角。五殘者,五分也,故為殘毀敗之徵。”(宋均曰:五殘五分,彗一本而五枝也。)期九年,奸興,三九二十七,亂大不可禁。”
《河図》に曰く:五残は逃亡・奔散を主る。《河図》はまた曰く:土星(填星)の精気は流散して「五残」と化する。《春秋運斗枢》に曰く:北斗・天璇星の精気が散じて五残と化する。《春秋合誠図》に曰く:青色の彗気が散じて五残と成り、それは水星(辰星)のごとく角芒を生ずる。これは陽気が徳を失うがゆえに、角を長じたのである。いわゆる「五残」とは、五枝に分かつる義で、これによって残毀・敗亡の徴兆とする。(原書の小注:宋均に曰く、五残すなわち五分とは、彗尾が一つの根本から五条の枝杈に分かれることをいう。)応験期は九年で、奸邪の事が興り、三九二十七年に至れば、動乱の大きさはもはや禁じ得ない。
《黃帝占》曰:“五殘者,五行之變,出於東方,名曰五殘,木之氣也。”宋均曰:“五殘,一曰五鋒。”巫咸曰:“五殘星,出正東方之野,星狀類辰星,可去地六七丈,大而白。”《春秋合誠圖》曰:“五殘主乖亡。”郄萌曰:“五殘,兵星也。”《黃帝占》曰:“東方有星,望之,去地可六丈,大而赤,察之,中青。(孟康曰:星表青氣如有暈也。)其類歲星,是謂東方之野星,名曰五殘,出則兵大起,其出也,下有喪;北出,則東方邦失地。”
《黄帝占》に曰く:五残は五行の気の変異の成す所で、東方に現れ、名は五残といい、木の気に属する。宋均に曰く:五残はまた「五鋒」ともいい、この名もまたそれの五枝に分かれ、枝端の鋭きが鋒刃に似るに就いてのものである。巫咸に曰く:五残星は正東方の原野の上に現れ、形状は水星のごとく細かく閃爍し、地を去ること約六七丈、大きくして白い。《春秋合誠図》に曰く:五残は乖違・敗亡を主る。郄萌に曰く:五残は兵事を主る星である。《黄帝占》に曰く:東方に一つの星があり、望み上げると地を去ること約六丈、大きくして紅く、細かく見れば中心は青色を呈す。(原書の小注:孟康に曰く、星の外周には一層の青気があり、光暈を帯ぶがごとし。)それはたいそう歳星に似て、これはすなわち東方の原野の星で、名は五残という。それが一たび現れれば、兵事は大規模に興る。それの出た方位の下に喪事がある。もし北方に偏して現れれば、東方の邦国は土地を喪失する。以上の諸家の記す所は、色はあるいは白といい、あるいは赤に青を帯ぶといい、形状はあるいは水星に比し、あるいは歳星に比し、出異って一でないが、まさにそれはもともと行星の気の変ずる所で、常星ではないがゆえである。
《河圖》曰:“五殘出,則宰司馬之輩萌。”《河圖》曰:“五殘出,四蕃虐,天子有急兵。”《洛書洛罪級》曰:“五殘六賊出,禍合天下,逆侵關樞。”《洛書兵鈐勢》曰:“五殘起,野亂成。”《洛書》曰:“五鋒星出翌,白帝亡也。”《尚書緯運期授》曰:“白帝亡也,五殘出。”《春秋緯考異郵》曰:“五殘備急。”《考異郵》曰:“五殘見,則主誅政、去伯。”郄萌曰:“五殘見,則國殘,起奔繫亡。”《天官書》曰:“五殘所出非其方,為其下有兵,沖不利。”《荊州占》曰:“五殘大而赤,數動,察之而青。”《荊州占》曰:“五殘出則兵起,其下為喪。”
《河図》に曰く:五残が現れれば、宰相・司馬の類の重臣はまさに異心を萌さんとする。《河図》はまた曰く:五残が現れれば、四方の藩国は暴虐で、天子に緊急の兵事がある。《洛書洛罪級》に曰く:五残と六賊がともに現れれば、禍乱は汇合して天下に遍く、叛逆の徒は朝廷の枢要を侵犯する。《洛書兵鈐勢》に曰く:五残が興れば、田野の間の動乱はまさに醸成せんとする。《洛書》に曰く:五鋒星が翼宿に現れれば、西方の白帝の国の滅亡を主る。《尚書緯・運期授》に曰く:白帝の国がまさに亡びんとする時、五残は現れる。《春秋緯・考異郵》に曰く:五残は急難に備えることを主る。《考異郵》はまた曰く:五残が現れれば、君主が弊政を誅除し、霸主を廃黜することを主る。郄萌に曰く:五残が現れれば、国家は残破し、百姓は奔逃・流亡し、囚繫されて死ぬ。《史記・天官書》に曰く:五残がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事を主り、それと相冲する方は不利である。《荊州占》に曰く:五残は大きくして紅く、閃動は頻繁で、細かく見れば青色である。《荊州占》はまた曰く:五残が現れれば兵を起こし、その下に喪事がある。
六賊 其の十四
《黃帝占》曰:“六賊者,五行之氣,出於南方,名曰六賊,火之氣也。”孟康曰:“六賊星,形如彗。”《黃帝占》曰:“南方有星,望之,去地六丈,赤而數動,察之有光,其類熒惑,是謂南方之野星,名曰六賊,出則兵起,其國亂。其出也,下有喪;出東方,則南方邦失地。”巫咸曰:“六賊星見,出正南方之野,星去地可六丈,大而赤,數動有光。”《天官書》曰:“六賊星所出非其方,為其下有兵,沖不利。”
《黄帝占》に曰く:六賊は五行の気の変異の成す所で、南方に現れ、名は六賊といい、火の気に属する。孟康に曰く:六賊星の形状は彗星に似る。《黄帝占》に曰く:南方に一つの星があり、望み上げると地を去ること六丈、色は紅にして閃動は頻繁で、細かく見れば光芒を帯び、たいそう火星に似て、これはすなわち南方の原野の星で、名は六賊という。それが一たび現れれば、兵事が興り、その国は動乱する。それの出た方位の下に喪事がある。もし東方に偏して現れれば、南方の邦国は土地を喪失する。巫咸に曰く:六賊星が現れるは、正南方の原野の上にあり、地を去ること約六丈、大きくして紅く、閃動は頻繁にして光あり。《史記・天官書》に曰く:六賊星がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事を主り、それと相冲する方は不利である。ここにいう「野星」とは、四方の原野の低空に現れて、二十八宿の常星の列に属さない変異の星を指す。いわゆる「冲」とは、それと正相対するあの方位を指す。
獄漢 其の十五
《河圖》曰:“填星之精,散為獄漢。”《春秋運斗樞》曰:“權星散為獄漢。”《黃帝占》曰:“咸漢者,五行之氣,出於北方,名曰咸漢,水之氣也。”班固《天文志》曰:“獄漢,一名曰咸漢。”《天官書》曰:“獄漢星,出正北方之野,星去地可六丈,大而赤,數動,察之中青。”孟康曰:“獄漢,青中赤表,下有三彗縱橫。”《春秋合誠圖》曰:“獄漢主逐王。”《春秋潛潭巴》曰:“獄漢主刺王。”
《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「獄漢」という妖星と化する。《春秋運斗枢》に曰く:北斗の中の玉衡(「権星」)の精気が散じて獄漢と化する。《黄帝占》に曰く:咸漢は五行の気の成す所で、北方に現れ、名は咸漢といい、水の気に属する。班固《漢書・天文志》に曰く:獄漢はまた咸漢ともいう。《史記・天官書》に曰く:獄漢星は正北方の原野の上に現れ、地を去ること約六丈、大きくして紅く、閃動は頻繁で、細かく見れば中心は青色を呈す。孟康に曰く:獄漢は中は青にして表は赤く、下方にまた三条の彗芒が縦横に交錯する。《春秋合誠図》に曰く:獄漢は君王を駆逐することを主る。《春秋潜潭巴》に曰く:獄漢は君王を行刺することを主る。この星が「獄」を名とするは、もともと刑獄・囚繫の義を取る。諸家は「獄漢」「咸漢」の二名の間でしばしば互用するが、実は同一の妖星を指す。
《黃帝占》曰:“北方有星,望之,可去地六丈,大而赤,數動,察之,中青黑,其類辰星,謂北方之野星,名曰咸漢,出則兵起,其出也,下有喪;出西,則北方之邦失地。”《洛書兵鈐勢》曰:“獄漢動,諸侯驚。”《春秋運斗樞》曰:“獄漢出,陰精橫。”《天官書》曰:“獄漢所出非其方,為其下有兵,沖不利。”《荊州占》曰:“獄漢出則兵起,其下為喪。”
《黄帝占》に曰く:北方に一つの星があり、望み上げると地を去ること約六丈、大きくして紅く、閃動は頻繁で、細かく見れば中心は青黒色、たいそう水星に似て、これは北方の原野の星で、名は咸漢という。それが一たび現れれば、兵事が興る。それの出た方位の下に喪事がある。もし西方に偏して現れれば、北方の邦国は土地を喪失する。《洛書兵鈐勢》に曰く:獄漢が一たび動けば、諸侯はこれがために震驚する。《春秋運斗枢》に曰く:獄漢が現れれば、陰気の精は横行して節制を受けない。《史記・天官書》に曰く:獄漢がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事を主り、それと相冲する方は不利である。《荊州占》に曰く:獄漢が現れれば兵を起こし、その下に喪事がある。
大賁 其の十六
《河圖》曰:“填星之精,散為大賁。”《河圖》曰:“大賁出,主暴沖也。”
《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「大賁」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:大賁が一たび現れれば、暴烈の冲撞・抵触の事を主り、すなわち強横の勢が正面から相犯し、兵争はこれによって起こる。
炤星 其の十七
《河圖》曰:“填星之精,散為炤星。”《河圖》曰:“炤星主滅邦。”又曰:“炤星見,主滅亡。”
《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「炤星」という妖星と化する(「炤」はすなわち照で、それの光が人を照らすことを指す)。《河図》はまた曰く:炤星は邦国を覆滅せしめることを主る。また一条に曰く:炤星が一たび現れれば、滅亡の事が発生することを主る。
絀流 其の十八
《河圖》曰:“填星之精,散為絀流。”《春秋緯》曰:“絀流主伏逃。”《河圖》曰:“絀流動,天下嗷,主自理,無所逃。”
《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「絀流」という妖星と化する。《春秋緯》に曰く:絀流は隠伏と逃亡を主る。《河図》はまた曰く:絀流が一たび動けば、天下の百姓は嗷々として哀号する。この時君主はみずから政事を整飭するほかなく、もう別の躲避すべき所はない。
茀星 其の十九
甘氏曰:“茀星出東南,本有星,末類茀,所當之國,是受其殃。”京房曰:“茀星三角,三年消;五角,五年消;七角,七年消;九角,九年消。”
甘徳に曰く:茀星は東南方に現れ、根部に一つの星があり、末梢は帚のごとく散じる。それに正対するあの国は、この災殃を受けなければならない。京房に曰く:茀星に三つの角を生ずるは三年後に消散し、五つの角は五年に消散し、七つの角は七年に消散し、九つの角は九年にしてようやく消散する。
開元占経 巻八十六
妖星占 中
旬始占 其の二十
《河圖》曰:“填星之精,散為旬始。”《春秋運斗樞》曰:“樞星散為旬始。”《說苑》曰:“旬始五星,盈縮之所生也。”《廣雅》曰:“旬始,妖氣也。”(徐廣曰:旬始,蚩尤也。)巫咸曰:“旬始出於北斗傍,伏如雄雞,其怒青黑,象伏鰲。”(李奇曰:怒當為孥。晉灼曰:孥,雌也;或曰怒則青色。按司馬長卿《大人賦》曰:垂旬始以為慘兮,槥彗星以為髯。謂此星也。)
《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「旬始」という妖星と化する。《春秋運斗枢》に曰く:北斗第一星・天枢(「枢星」)の精気が散じて旬始と化する。《説苑》に曰く:旬始は五大行星の運行の超前あるいは後れの生じた変異である。《広雅》に曰く:旬始は一種の妖気である。(原書の小注:徐広に曰く、旬始はすなわち蚩尤である。)巫咸に曰く:旬始は北斗のそばに現れ、そこに伏して一羽の雄鶏に似る。それが怒る時は青黒色を呈し、様子は一隻の趴伏した大きな鼈に似る。(原書の小注:李奇に曰く、「怒」の字は「孥」と作るべきである。晋灼に曰く、「孥」は雌の義である。あるいはそれが怒れば青色に変ずるという。按するに司馬相如(字は長卿)《大人賦》に「旬始を垂れて以て惨と為さんや、彗星を槥して以て髯と為す」といえば、講ずる所はこの星である。)
《春秋合誠圖》曰:“黃彗分為旬始。旬始者,令起也,狀如雄雞,土含陽以文,白接精象雞,故以為立主之題,十年,聖人起伏。”(宋均注曰:接,理也;題,識也。土含文來,故其氣理為雞,取其知時,土數十也,起作也。)《春秋合誠圖》曰:“旬始主爭兵。”《春秋考異郵》曰:“旬始主亂。”《春秋潛潭巴》曰:“旬始主招橫。”《春秋考異郵》曰:“旬始其下,必有滅亡,五奸爭治,暴骨積骸,以子續食。見則臣亂、兵作、諸侯為虐。”
《春秋合誠図》に曰く:黄色の彗気は分化して旬始を出す。「旬始」の含義は号令の興起で、その形状は一羽の雄鶏に似る。これは土気が陽気を涵蓄して文采を成し、白色の気脈が交結して精を成し、形貌似が鶏に似るので、これを新君を確立する標識とし、十年を過ぎて聖人は起って有為となる。(原書の小注:宋均の注に曰く、「接」は条理の意、「題」は標識の意である。土気が文采を涵蓄して来るので、その気脈は鶏形を結び、鶏が時辰を知る義を取る。土の成数は十。「起」はすなわち興作である。)《春秋合誠図》はまた曰く:旬始は争闘の兵事を主る。《春秋考異郵》に曰く:旬始は動乱を主る。《春秋潜潭巴》に曰く:旬始は横逆の禍を招くことを主る。《春秋考異郵》はまた曰く:旬始の対応する所は、必ず滅亡の事があり、五種の奸邪の人が治権を争奪し、屍骨は暴露して積まり、甚だしくは子を易えて食する地歩に至る。それが一たび現れれば、臣下が乱を起こし、兵禍が興り、諸侯が暴虐を施行することを主る。
《黃帝占》曰:“常以戊戌(巫咸曰:戊己)視五車中,有奇怪曰旬始,狀如鳥有喙而見者,明則兵大起。攻戰當其首者,破死,欲為之,左右勿逆。”《黃帝占》曰:“旬始見天庫中,所向兵弗能當。”《黃帝占》曰:“旬始出見北斗,聖人受命,天子壽,主者有福。”《文曜鉤》曰:“旬始見,行起北斗傍,期六十日,兵大起,上將軍出,帝自臨兵,期不出年。”
《黄帝占》に曰く:つねに戊戌の日に(原書の小注:巫咸は戊日・己日という)五車の星区の中を観察し、もし奇異・反常の星象があれば、それを旬始という。その形状は一羽の鳥のごとく尖った喙を帯び、もし顕れて明らかなら、兵事は大規模に興る。作戦する時それの頭部の方向に正対して進攻する方は、撃破されて死ぬ。それに順おうと欲すれば、左右の両側から兵を用い、その頭に迎えて正面から逆らうなかれ。《黄帝占》はまた曰く:旬始が天庫の星区の中に現れれば、それの指向する方は兵鋒鋭くして当たりえない。《黄帝占》はまた曰く:旬始が北斗の一の一帯に現れれば、聖人が天命を受け、天子は寿ぎ、権を当る人に福があることを主る。《文曜鈎》に曰く:旬始が現れ、北斗のそばに沿うて運行し、六十日を期として兵事は大いに起こり、上将軍は出征し、皇帝は自ら軍旅を督臨し、応験は一年を出ない。
《春秋緯》曰:“聚變並集,旬始昭,天下有滅主,五奸爭治。”《春秋緯運斗樞》曰:“闢之失樞,旬始出於五諸侯。”《孝經章句》曰:“有妖星在東井陰,名曰旬始,旬始出,主失國,入井則霜。”郗萌曰:“旬始出建星,水災並行,邊境起兵者,備水、盜賊。”班固《天文志》曰:“旬始如鱉,見,群猾橫盜。”《玄冥占》曰;“有星,狀如雄雉,其色赤黃,名曰旬始,見則天下有兵,其國不寧,期三年。”石氏曰:“常以戊戌日,(一曰戊己)視天軍中,有旬始星,狀如烏,見者兵大起,攻戰向其首者破,為之左旋乃戰,常勿逆也。”
《春秋緯》に曰く:各種の変異は一斉に聚集し、旬始は明らかに顕現して、天下に君主の滅ぶことがあり、五種の奸邪の人が治権を争奪する。《春秋緯・運斗枢》に曰く:君主が枢要の徳を失えば、旬始は五諸侯の星の附近に現れる。《孝経章句》に曰く:妖星が東井宿の陰位に現れ、名は旬始という。旬始が一たび出れば、君主が国家を失うことを主る。それがもし井宿に入れば、霜を降らす。郗萌に曰く:旬始が建星に現れれば、水災は同時に発生し、辺境は兵を起こす。このような星象に遭えば水患と盗賊に備えなければならない。班固《漢書・天文志》に曰く:旬始の形状は鼈に似て、一たび現れれば、奸猾の徒は成群して横行して劫掠する。《玄冥占》に曰く:一つの星があり、形状は雄の雉に似て、色は赤黄、名は旬始という。それが一たび現れれば、天下に兵事があり、その国は安らかでなく、応験期は三年。石申に曰く:つねに戊戌日に(原書の小注:一説に戊日・己日)天軍の星区の中を観察し、もし旬始星があって、形状は烏鴉に似れば、それを見れば兵事は大規模に興る。作戦する時それの頭部の方向に向かって進攻する方は撃破され、左に回旋して然る後に接戦すべく、万々も正面から逆らうなかれ。
撃咎 其の二十一
《河圖》曰:“填星之精,散為擊咎。”《河圖》曰:“擊咎出,臣弄主;一曰臣禁主。”《河圖》曰:“擊咎主大兵。”《文曜鉤》曰:“擊咎守軫,耀百尺,為相誅滅。”《河圖》曰:“土精斗七星之域,以長四方,八卦之內,司空之位,有謀反若盜虐者,期如上占。”
《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「撃咎」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:撃咎が現れれば、臣下が君主を股掌の間に玩弄することを主る。別の一説は臣下が君主を鉗制する。《河図》はまた曰く:撃咎は大規模の兵事を主る。《文曜鈎》に曰く:撃咎が軫宿に滞留し、光耀の長さは百尺に達し、宰相の級の大臣が誅滅されることを主る。《河図》に曰く:これは土の精気で、北斗七星の管轄する天区に対応し、四方を統領し、八卦の内を包挙し、司空の職位に属する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは劫掠・暴虐の事を行えば、応験の期限は前の占法に依って推算する。
天杵 其の二十二
《河圖》曰:“太白之精,散為天杵。”石氏曰:“天杵主牂羊。”
《河図》に曰く:金星(古は「太白」と称す)の精気は散逸して「天杵」という妖星と化する。石申に曰く:天杵は牂羊の事を主り、すなわち牛羊・牲畜の類の災異を主る。
天拊 其の二十三
《河圖》曰:“太白之精,散為天拊。”《河圖》曰:“天拊主擊殃。”
《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「天拊」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:天拊は撃って災殃を降すことを主り、すなわち上天が刑罰をもって下界を懲創する。
伏霊 其の二十四
《河圖》曰:“太白之精,散為伏靈。”《河圖》曰:“伏靈主領讒。”郗萌曰:“伏靈出,天下亂復治。”
《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「伏霊」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:伏霊は讒を進める人を統領することを主り、すなわち讒佞の徒が勢を得て道に当たる。郗萌に曰く:伏霊が一たび現れれば、天下はまず乱れ、然る後また安定に帰る。
大敗 其の二十五
《河圖》曰:“太白之精,散為大敗。”《河圖》曰:“大敗主開街。”韓楊曰:“大敗出,擊咎謀。”
《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「大敗」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:大敗は街道を開闢することを主り、兵禍を過ぎて城邑が残破し道路が洞開することを指す。韓楊に曰く:大敗が一たび現れれば、禍心を包蔵する企てを撃破することを主る。
司奸 其の二十六
《河圖》曰:“太白之精,散為司奸。”《河圖》曰:“司奸主見妖。”
《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「司奸」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:司奸は奸邪を顕露せしめることを主り、種種の妖異の事はこれによって人の前に暴露する。
天狗 其の二十七
《河圖》曰:“太白之精,散為天狗。”《黃帝占》曰:“天狗者,五星氣合,變出西南,金火氣合,名曰天狗。”孟康曰:“天狗星有毛,旁有短彗,下有如狗刑者。”(按《三秦記》曰:驪山西有白鹿原,周平王時白鹿出是原,原上有狗枷保秦,襄公時,有天狗枷來下,長保其上,有賊,天狗則吠而護之,故一保無患也。)抱朴子曰:“有黑氣如牛馬入其軍者,名天狗下食血,其軍必敗。”(《廣雅》曰:天狗,妖氣也。)《河圖》曰:“天狗主候兵。”《春秋緯》曰:“天狗主討賊。”《春秋緯》曰:“天狗流,五將開。”
《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「天狗」という妖星と化する。《黄帝占》に曰く:天狗は五星の気の交合・変異して出る所で、西南方に現れ、金気と火気の交合して成る所で、名は天狗という。孟康に曰く:天狗星は毛芒を帯び、そばに短い彗尾があり、下方に犬のごとき刑状がある。(原書の小注:按するに《三秦記》に曰く、驪山の西面に白鹿原があり、周の平王の時白鹿がこの原に現れた。原の上に「狗枷」があって秦国を保佑し、秦の襄公の時天狗枷が降りて来て、久しくその上を守り、一たび盗賊があれば、天狗は吠えて護衛したので、堡全体が平安無事であった。)葛洪《抱朴子》に曰く:黒気があって牛馬のごとくにしてある軍隊に入るは、これを天狗が下降して血肉を吸食するといい、その軍隊は必ず敗戦する。(原書の小注:《広雅》に曰く、天狗は一種の妖気である。)《河図》に曰く:天狗は兵情を偵察することを主る。《春秋緯》に曰く:天狗は賊寇を討伐することを主る。《春秋緯》はまた曰く:天狗が流墜すれば、五路の将領は同時に出動する。
石氏曰:“西北有星,長三丈而出,水金氣交,名曰天狗。”(《荊州占》曰:西北三星,大而白,名曰天狗,見則大兵起,天下飢,人相食。按《辛氏秦州記》:乞伏韓歸獵於康狼州,見天上如有十丈餘絳,直下山川,草木皆赤,相氣者云:天狗下。後遂破呂保是也。)石氏曰:“天狗所下之處,必有大戰,破軍殺將,伏尸流血,天狗食之,皆期一年,中二年,遠三年,各以其所下之國,以占吉凶。”
石申に曰く:西北方に一つの星があり、長さ三丈にして現れ、水気と金気の交会して成る所で、名は天狗という。(原書の小注:《荊州占》に曰く、西北方に三つの星があり、大きくして白く、名は天狗という。一たび現れれば大規模の戦事があり、天下は飢饉し、甚だしくは人は人を食う。按するに辛氏《秦州記》に曰く、乞伏韓帰は康狼州で狩猟し、天上に十余丈の絳紅の光気のごときがあり、山川の間に直に落ち、草木は皆紅色に映じた。望気を識る人がいう、これは天狗の下降である。後に彼は果たして呂保を攻破した。)石申に曰く:天狗の降る所は、必ず大戦が発生し、軍隊は撃破され将領は殺され、屍は野に横たわり血は河を流し、天狗は来てこれらの血肉を吞食する。応験の期限は、近くは一年、中は二年、遠くは三年で、それぞれそれの降るあの国によって吉凶を占断する。
郗萌曰:“西北有三大星,出如日狀,名曰天狗。天狗出入相食;一曰昭明下,則為天狗,天狗所下,兵大起,流血。”郗萌曰:“星出,其狀赤白有光,下即為天狗,其下小,小有足,所下之地,必流血,國易政。”
郗萌に曰く:西北方に三つの大星があり、現れる時形状は太陽に似て、名は天狗という。天狗の出没する所は互いに吞食の禍がある。別の一説に、昭明星が落下して来れば天狗と成り、天狗の降る所は兵事が大いに起こり、血は河を流す。郗萌はまた曰く:星が現れて、その形状は赤白にして光を帯び、墜落して来ればすなわち天狗である。それの下部は比較的小さく、小さい所にはまた脚のごとき形状を帯びる。それの降る所は、必ず血が河を流し、国家は朝を改め政を換る。
(按《山海經》曰:“金門之山,有赤犬,名曰天犬,其所下有兵。”郭璞注曰:“《周書》云:天狗所止地盡傾,餘光飛天為流星,長數十丈,其疾如風,聲如雷,走如電。吳楚七國反時過樑野。”《洪範五行傳》曰:“七國之兵戰於梁地,故狗先降梁壘,以見其象也。狗者,守圍之類也。天狗所降,以戒守圍。”班固《天文志》曰:“孝文帝后二年八月,天狗下樑野,是歲誅反者周殷長安市,吳楚攻梁,梁王堅守,遂伏尸流血其下。七年六月,文帝崩。”)
(原書の小注:按するに《山海経》に曰く:「金門の山に赤色の犬あり、名は天犬といい、それの降る所に兵事あり。」郭璞の注に曰く:「《周書》にいう、天狗の停落する所は土地が尽く塌陷し、残りの光は天に飛び上がって流星と成り、長さ数十丈、疾きこと風のごとく、声は雷のごとく、走るは電のごとし。呉楚の七国が反逆した時、それは梁国の原野を過ぎた。」《洪範五行伝》に曰く:「七国の軍隊は梁地で交戦したので、天狗はまず梁国の営壘の上に降りてもって徴象を顕示した。狗は囲を守る類の動物で、天狗の降るは、まさに人に囲を守り敵を禦ぐよう警戒するのである。」班固《漢書・天文志》に曰く:「漢の文帝・後元二年八月、天狗は梁国の原野に降落した。この年、長安の街市上で謀反の周殷を処死した。後に呉楚は梁国を攻め、梁王は堅守し、屍の横たわり血の流れるはついにここで応験した。後元七年六月、文帝は崩じた。」)
班固《天文志》曰:“哀帝定平元年正月丁未,日出時,有著天白氣,廣如一疋布,長十餘丈,西南行,讙如雷,西行一刻而止,名曰天狗。傳曰:言不從,則有狗禍。到其四年正月、二月、三月,民相驚動,讙譁奔走,傳行詔禱祠西王母。”《兵書》曰:“兩敵相望,其雲氣如牛馬狀,頭低尾仰,名曰天狗,勿與戰。”《荊州占》曰:“天狗犯弧星,大將有千里之行,若貴人多死。”
班固《漢書・天文志》に記す:漢の哀帝・定平元年正月丁未、日出る時、一道の白気が天に附着し、幅は一匹の布のごとく、長さ十余丈、西南方に移動し、喧響は雷のごとく、西に行くこと一刻にしてやっと止まった。これを天狗という。《洪範五行伝》に曰く:君主の言令が聴従されなければ、狗の類の妖禍がある。第四年の正月・二月・三月に至り、百姓は互いに驚擾し、喧嘩して奔走し、転転として詔令を伝えて西王母を祭祀した。《兵書》に曰く:両軍が壘を対し相望んで、もし雲気が牛馬の形を呈し、頭は低く尾は高ければ、それを天狗といい、相手と交戦してはならない。《荊州占》に曰く:天狗が弧矢星を侵犯すれば、大将に千里遠征の行があることを主るか、あるいは貴人が多く死亡する。
天残 其の二十八
《河圖》曰:“太白之精,散為天殘。”《春秋緯》曰:“天殘主貪殘。”
《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「天残」という妖星と化する。《春秋緯》に曰く:天残は貪婪・残虐の事を主り、すなわち位にある者が聚斂して度がなく、生民を戕害する。
卒起 其の二十九
《河圖》曰:“太白之精,散為卒起。”《河圖》曰:“卒起見,禍無時,諸變有萌者,臣運柄。”《河圖》曰:“卒起主虐亡,河少陰之精,大司馬之類,白虎七宿之域,有謀反,若戾虐為害,主失秋政者,期如上占,禍應之。”
《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「卒起」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:卒起が一たび現れれば、禍患は随時発作するおそれがあり、定時がない。種種の変異はすでに萌生し、これはすなわち臣下が権柄を窃取する徴兆である。《河図》はまた曰く:卒起は暴虐・敗亡を主り、それは少陰の気の精華で、大司馬の類の職守に属し、西方の白虎七宿の天区に対応する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは乖戻・暴虐して生民を危害し、あるいは君主が秋季に施行すべき政令を荒廃すれば、応験の期限は前の占法に依って推算し、災禍はこれに照らして応験する。
枉矢 其の三十
《河圖稽耀鉤》曰:“辰星之精,散為枉矢。”《荊州占》曰:“填星之精,變為枉矢。”《春秋運斗樞》曰:“幾星散為枉矢。”《說苑》曰:“枉矢之星,盈縮之所生也。”《鴻範五行傳》曰:“枉矢者,弓弩之象也。枉矢之所觸,天下之所伐,滅亡之象也。”巫咸曰:“枉矢,類大流星,色蒼黑,蛇行,望之,如有毛目,長數丈著天。”
《河図稽耀鈎》に曰く:水星(古は「辰星」と称す)の精気は散逸して「枉矢」という妖星と化する。《荊州占》に曰く:填星の精気は変異して枉矢と成る。《春秋運斗枢》に曰く:北斗・天璣(「幾星」)の精気が散じて枉矢と化する。《説苑》に曰く:枉矢という星は、五星の運行の超前あるいは後れの生じたものである。《洪範五行伝》に曰く:枉矢は弓弩の象徴である。枉矢の冲触する所は、天下人が共同で討伐する対象で、それは滅亡の徴象である。巫咸に曰く:枉矢は一顆の大流星に似て、色は青黒く、蛇のごとく蜿蜒して游走し、望み上げるとあたかも毛と目を生じたがごとく、長さ数丈、天に贴附する。
《春秋合誠圖》曰:“枉矢主反萌,黑彗分,為枉矢。枉矢者,射星也,水流蛇行;含明,故有毛目;陰合於四,故長四;又水生木,其怒青黑,水滅火,其精沉,故以為謀反之徵;在所流,受者滅,皆為天子之祥;陰道於六,期六年,萌二十四年,天子以兵亡,所已議見起。”
《春秋合誠図》に曰く:枉矢は叛乱の萌発を主り、黒色の彗気が分化して出て、枉矢と成る。いわゆる枉矢とは、すなわち射星で、それは水のごとく流動し、蛇のごとく爬行する。内に光明を含むがゆえに、毛と目があると見える。陰数は四に合するので、その長は四丈。水は木を生ずるがゆえに、それが怒る時は青黒色を呈す。水は火を滅し、その精気は沈下するので、これを謀反の徴兆とする。それがどこに流れるか、それを受ける方は滅亡し、これらは皆天子に関する徴兆である。陰道は六に成るので、応験期は六年、醸醸は二十四年に達し、天子は兵禍によって亡び、もとより暗中に議論し謀る人は勢に乗じて事を起こす。
《春秋緯》曰:“枉矢主射愚;又曰:枉矢流,射所謀。”《河圖》曰:“枉矢東流天下恐。”《洛書》曰:“枉矢出,夏桀滅。”《尚書中候》曰:“夏桀無道枉矢射。”《河圖真紀鉤》曰:“人君邪暴專已,則枉矢動。”《洛書說徵示》曰:“枉矢射心,山崩火燔宮。”《洛書洛罪級》曰:“枉矢射,主以兵去。”《易緯辨終備》曰:“枉矢流,隱謀合,國雄逃。”《詩緯》曰:“枉矢流,天降喪亂。”《詩緯含神霧》曰:“白之亡,枉矢流。”《尚書運期授》曰:“白之亡也,枉矢射參。”《尚書緯》曰:“枉矢流,天射王。”
《春秋緯》に曰く:枉矢は愚頑の人を射殺することを主る。又曰く、枉矢が流墜するは、暗中に企てる人を射るのである。《河図》に曰く:枉矢が東に流墜すれば、天下は驚恐する。《洛書》に曰く:枉矢が一たび出れば、夏の桀は滅亡する。《尚書中候》に曰く:夏の桀は無道で、枉矢は来て彼を射る。《河図真紀鈎》に曰く:君主が邪僻・暴虐で、断を専にし行を独りすれば、枉矢は動く。《洛書説征示》に曰く:枉矢が心宿に向かって射れば、山崩し、大火は宮室を焚焼する。《洛書洛罪級》に曰く:枉矢が射て出れば、君主が兵禍によって位を失うことを主る。《易緯辨終備》に曰く:枉矢が流墜すれば、暗中の陰謀はすでに結託し、国中の豪雄は出逃する。《詩緯》に曰く:枉矢が流墜すれば、天は喪乱を降す。《詩緯含神霧》に曰く:白帝の国がまさに亡びんとすれば、枉矢は流墜する。《尚書運期授》に曰く:白帝の国がまさに亡びんとする時、枉矢は参宿に向かって射る。《尚書緯》に曰く:枉矢が流墜するは、それは天が君王を射殺するのである。以上に引いた各家の緯書は、反復して枉矢を弑逆の象と見なす。矢はもともと筆直なるべきが、それはかえって蛇のごとく蜿蜒して屈曲するので、従来君臣が皆その正道を失う凶兆と見做される。至る所夏の桀・白帝の類を挙げるは、前代の亡国の君を持ってこの星象を印証するのである。
《春秋緯》曰:“黃之亡,有枉矢下流到地上,屬天下以兵亡,天子凶。”《春秋緯》曰:“枉矢芒,臣不忠。民不良。”《春秋緯》曰:“枉矢或東或西,五穀不升,民流亡。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢或南或北,無聚眾伐敵國。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢守虛,卑國以實,尊國虛。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢守填星,民多事,其大芒也黃,德昌。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢黑,軍士不勇,疾流腫。”
《春秋緯》に曰く:黄帝の国がまさに亡びんとする時、枉矢が下に流墜して地面に到るは、これは天下が兵禍によって亡び、天子に凶険があることを予示する。《春秋緯》はまた曰く:枉矢に芒角を生ずれば、臣子が忠ならず、百姓が良ならないことを主る。《春秋緯》はまた曰く:枉矢が忽ち東忽ち西に流動すれば、五穀は歉収し、百姓は流離・逃亡する。《春秋潜潭巴》に曰く:枉矢が忽ち南忽ち北に流動すれば、衆を聚集して敵国を討伐してはならない。《春秋潜潭巴》はまた曰く:枉矢が虚宿に滞留すれば、卑弱の国家は転じて充実し、尊貴の国家はかえって空虚となる。《春秋潜潭巴》はまた曰く:枉矢が填星のそばに滞留すれば、百姓は事多し。もしそれの大芒が黄色を呈せば、かえって徳政の昌盛を主る。《春秋潜潭巴》はまた曰く:枉矢が黒色を呈せば、軍中の士卒は勇敢でなく、疾病は流行し、腫疾に患う。
《春秋緯運斗樞》曰:“枉矢出,射所誅。”《春秋運斗樞》曰:“黃帝行失,則枉矢出,射所謀,謀易失樞之主,故以枉矢射之。”《春秋考異郵》曰:“枉矢見,則謀反之兵合。”《考異郵》曰:“枉矢而流射伐,秦以亡。”《春秋漢含孳》曰:“枉矢流,主見射。”《春秋佐助期》曰:“枉矢流射,黜滅不祥。”《孝經鉤命決》曰:“亂蔣蔣,枉矢出。”《孝經援神契》曰:“枉矢射,匿謀強。”《論語摘輔像》曰:“虛王反度,則枉矢合。”
《春秋緯・運斗枢》に曰く:枉矢が現れるは、誅除されるべき人を射るのである。《春秋運斗枢》はまた曰く:黄帝の類の君主が行事に失あれば、枉矢は現れ、図みを懐く人を射る。彼らの謀る所はあの枢要の徳を喪失した君主に取って代わることなので、天は枉矢をもって彼らを射る。《春秋考異郵》に曰く:枉矢が現れれば、謀反の軍隊はまさに集結する。《考異郵》はまた曰く:枉矢が流墜して討伐の地に射れば、秦はこれによって亡んだ。《春秋漢含孳》に曰く:枉矢が流墜すれば、君主が射られることを主る。《春秋佐助期》に曰く:枉矢が流墜して射て出れば、不祥の人を黜退して消滅せんとするのである。《孝経鈎命決》に曰く:世の道が乱紛紛たる時、枉矢は現れる。《孝経援神契》に曰く:枉矢が射て出れば、暗中の陰謀の勢力が強盛を主る。《論語摘輔像》に曰く:位を虚しくする君王が法度に違反すれば、枉矢は聚合して至る。
《海中占》曰:“枉矢類流星,望之有毛目,長可一疋布,皎皎著天,見則大兵起,大將出,弓弩用,期三年。”石氏曰:“枉矢射心,地陷備虛狼。”郗萌曰:“枉矢出東井,邊境起兵,火災並行,受者備火、盜賊。”《說苑》曰:“秦二世立,枉矢夜光。”郗萌曰:“枉矢射參,秦以亡。一曰帝亡。”班固《天文志》曰:“枉矢所觸,天下之所伐射,滅亡之象也。”
《海中占》に曰く:枉矢は流星に似て、望み上げれば毛と目があり、長さは一匹の布のごとく、皎々として天に贴り、それが一たび現れれば、大規模の戦事が興り、大将は出征し、弓弩は用をなし、応験期は三年である。石申に曰く:枉矢が心宿に向かって射れば、地面は塌陷し、虚宿・狼星の方位の災禍に備えなければならない。郗萌に曰く:枉矢が東井宿に現れれば、辺境は兵を起こし、火災は同時に発生する。この象に応ずる所は火患と盗賊に備えなければならない。《説苑》に曰く:秦の二世が位に就いた時、枉矢は夜に光を放った。郗萌に曰く:枉矢が参宿に向かって射れば、秦はこれによって亡ぶ。一説に帝王の死亡を主る。班固《漢書・天文志》に曰く:枉矢の冲触する所は、天下人が共同で討伐・射撃する対象で、それは滅亡の徴象である。
(按《宋書天文志》曰晉元帝大典三年四月壬辰,枉出虛危,沒翼軫。永昌元年三月,王敦率江荊之眾來攻京都,六軍距戰,敗績,於是殺護軍將軍周頡、尚書令刁協、驃騎將軍戴弼,又鎮北將軍劉隗出奔。四月,又殺湘州刺史譙土承,鎮南將軍甘卓。閏十一月,元帝崩。間一年,敦亦梟,枉矢之應。)
(原書の小注:按するに《宋書・天文志》に曰く、晋の元帝・大典三年(すなわち大興三年)四月壬辰、枉矢は虚宿・危宿の一帯から現れ、翼宿・軫宿で隠没した。永昌元年三月、王敦は江州・荊州の兵衆を率いて京城を攻めに来て、朝廷の六軍は応戦して敗績し、ここに護軍将軍・周顗・尚書令・刁協・驃騎将軍・戴弼は殺され、鎮北将軍・劉隗は出奔して逃亡した。四月、また湘州刺史・譙土承と鎮南将軍・甘卓を殺した。閏十一月、元帝は崩じた。一年を隔てて、王敦もまた梟首して衆に示した。これはまさに枉矢の星象の応験である。)
班固《天文志》曰:“枉矢流,以亂伐亂。”(按《宋書天文志》曰:晉元康六年六月丙午,夜有枉矢在斗魁,東南行,是後趙王殺張華,廢賈后,以理太子之冤,遂自篡,以至屠城。光熙元年五月,枉矢西南流,是時司馬越西破河間,奉迎大駕,尋收繆胤和緩等,肆其無君之心,天下惡之,及死,而石勒焚其尸柩也。)
班固《漢書・天文志》に曰く:枉矢が流墜すれば、乱をもって乱を伐つことを主る。(原書の小注:按するに《宋書・天文志》に曰く、晋の恵帝・元康六年六月丙午、夜中に枉矢が北斗魁星の一帯にあり、東南方に向かって運行した。この後趙王・司馬倫は張華を殺し、賈后を廃黜し、太子の冤を申り替えると称して、続いて自ら位を簒い、遂に城を屠る禍を醸した。光熙元年五月、枉矢は西南に流墜し、この時司馬越は西に河間王を撃破し、鑾駕を迎え奉って京に還した。間もなくまた繆胤・和緩らを収捕し、肆意にその君上を目にない心を逞しくし、天下の人は皆彼を悪んだ。彼が死ぬに及んで、石勒は彼の屍柩を焚焼した。)
班固《天文志》曰:“項羽救鉅鹿,枉矢西流。占曰:枉矢所觸,天下之所伐射,滅亡象也。物莫直於矢,今蛇行,不能直矢而枉者,執矢者亦不正,以象項羽執政亂也。羽遂合從,坑秦人,屠咸陽。”
班固《漢書・天文志》に記す:項羽が鉅鹿を救援した時、枉矢は西に流墜した。占辞に曰く:枉矢の冲触する所は、天下人が共同で討伐・射撃する対象で、滅亡の徴象である。物は矢より直なるはなく、いまそれは蛇のごとく彎曲して爬行し、矢の筆直を保つこと能わず枉曲となれるは、矢を執る人もまた端正ならざるを説明し、項羽が政権を執掌して行事が悖乱なるを象徴するのに用いる。項羽は後に果たして諸侯を聯合し、秦軍の降卒を坑殺し、咸陽を屠戮した。
司馬彪《天文志》曰:“孝靈中平中夏,流星赤如火,長三四尺,起河鼓,入天市,牴觸宦者,星色白,長二三尺,後尾再屈,食頃乃滅,狀似枉矢。占曰:枉矢流發,其官射。所謂矢,當直,而枉者,操矢者邪枉人也。中平六年,大將軍何進謀盡誅中宦,中宦覺,於省中殺進,俱兩破滅,天下由此遂大壞亂。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す:漢の霊帝・中平年間の夏、流星が火のごとく紅く、長さ三四尺、河鼓星から升り、天市垣に入り、宦者星に抵触した。星色は白に転じ、長さ二三尺、尾部は二度彎曲し、約一頓飯のほどにしてやっと熄滅した。形状はたいそう枉矢に似る。占辞に曰く:枉矢が流墜して射て出れば、それの冲するあの官署を射るのである。いわゆる矢はもともと筆直なるべきが、いま枉曲するは、矢を操る人はすなわち邪枉の徒であるという。中平六年、大将軍・何進は宦官を尽く誅殺せんと企て、宦官は察覚して、禁省の中に何進を殺した。双方は両敗倶亡し、天下はこれからすなわち大いに壊れ大いに乱れた。
破女 其の三十一
《河圖》曰:“辰星之精,散為破女。”《河圖》曰:“破女見,群臣皆誅。”《河圖》曰:“破女主勝之符。”
《河図》に曰く:辰星の精気は散逸して「破女」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:破女が一たび現れれば、群臣は皆誅戮に遭うことを主る。《河図》はまた曰く:破女は敵を克ち勝ちを取る符応の星を主る。
拂枢 其の三十二
《河圖》曰:“辰星之精,散為拂樞。”《河圖》曰:“拂樞動,亂駭擾,無調時。”《河圖》曰:“拂樞主制時。”
《河図》に曰く:辰星の精気は散逸して「拂枢」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:拂枢が一たび動けば、動乱・驚擾は四起し、政令・措置にはもう時宜に合うものがない。《河図》はまた曰く:拂枢は時令を宰制することを主る。
滅宝 其の三十三
《河圖》曰:“辰星之精,散為滅寶。”《河圖》曰:“滅寶起,相得之。”《河圖》曰:“滅寶主伐之。”
《河図》に曰く:辰星の精気は散逸して「滅宝」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:滅宝が一たび興れば、宰相の級の大臣はこの上に応ずる。《河図》はまた曰く:滅宝は兵を興して討伐することを主る。
繞綎 其の三十四
《河圖》曰:“辰星之精,散為繞綎。”《春秋緯》曰:“繞綎主亂孳。”
《河図》に曰く:辰星の精気は散逸して「繞綎」という妖星と化する(「綎」はもともと佩帯の糸繩を指し、この星は繩のごとく纏繞するによって名を得る)。《春秋緯》に曰く:繞綎は禍乱が枝蔓のごとく滋生・繁衍することを主る。
驚悝 其の三十五
《河圖》曰:“辰星之精,散為驚悝。”《河圖》曰:“驚悝主相署。”
《河図》に曰く:辰星の精気は散逸して「驚悝」という妖星と化する(「悝」は憂懼の意で、星名は驚恐・憂懼の義を取る)。《河図》はまた曰く:驚悝は宰相の級の官署の更易・任置を主る。
大奮祀 其の三十六
《河圖》曰:“辰星之精,散為大奮祀。”《河圖》曰:“大奮祀主招邪。”韓楊曰:“大奮祀出,主安之。”《河圖》曰:“太陰之精,玄武七宿之域,有謀反,若恣虐為害,主失冬政者,期如上占,禍應之。”《春秋緯》曰:“五精潛潭,皆以類逆所犯,行失時,指下,臣承類者乘而害之,皆滅亡之征也,入天子宿,主滅諸侯,五伯謀。”
《河図》に曰く:辰星の精気は散逸して「大奮祀」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:大奮祀は邪僻を招引することを主る。韓楊に曰く:大奮祀が一たび現れれば、君主はその主る禍患を安撫する術を設けなければならない。《河図》に曰く:これは太陰の気の精華で、北方の玄武七宿の天区に対応する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは暴虐を放縦し生民を危害し、あるいは君主が冬季に施行すべき政令を荒廃すれば、応験の期限は前の占法に依って推算し、災禍はこれに照らして応験する。《春秋緯》に曰く:五星の精気は潜蔵・隠没し、皆それぞれその類に按って対応する対象を冲犯する。行度は時を失い、芒尖は下に指し、臣下の中にこの類の星象に承応する人は乗じて君上を加害し、これらは皆滅亡の徴兆である。もしそれが天子の居する星宿に入れば、諸侯が消滅され、五覇が中より謀ることを主る。
天鋒 其の三十七
宋均曰:“天鋒彗,象矛鋒者也。”《春秋合誠圖》曰:“天鋒主從橫。”宋均曰:“天下橫從,則天鋒星見。”《洪範五行傳》曰:“漢昭帝始元元年,鋒星出西方,出天市東門,行過河鼓,入營室中。占曰:有亂臣戮死。後左將軍上官桀子驃騎將軍安與燕王謀反,誅死。”
宋均に曰く:天鋒は彗星の一種で、形状は長矛の鋒刃に似る。《春秋合誠図》に曰く:天鋒は合縦・連横の事を主る。宋均はまた曰く:天下の人が縦横・捭闔して党を結び相争えば、天鋒星は現れる。《洪範五行伝》に記す:漢の昭帝・始元元年、鋒星は西方に現れ、天市垣の東門から出て、河鼓星を過ぎ、営室宿の中に入った。占辞に乱臣が処死されんとするがある。後に左将軍・上官桀の子・驃騎将軍・上官安は燕王と謀を合せて反逆し、誅殺されて死んだ。
燭星 其の三十八
石氏曰:“燭星狀如太白,其出也不行,則見不久而滅。”孟康曰:“燭星上有三彗,上出。”石氏曰:“燭星所出邑反。”甘氏曰:“燭星出東方,其所出者,兵不勝;出南方,有兵,王者亡地;出西方,其國有喪,兵勝;出北方,其所出者,兵勝。”《天官書》曰:“燭星所燭者,城邑亂。”《荊州占》曰:“燭星所出,有大盜不成。”《荊州占》曰:“燭星青,有憂事,不吉;赤,有華事;黃,蓋地;白,有歡事。”班固《天文志》曰:“孝昭五年四月,燭星見奎婁間。占曰:有土功,胡人死,邊城和。六年,築遼東玄菟郡,二月,度遼將軍范明友擊烏丸還。”
石申に曰く:燭星の形状は太白金星に似て、それが現れた後もとの所に停まって移動しないので、身を現して間もなく熄滅する。孟康に曰く:燭星の上には三条の彗芒があり、上に向かって伸び出す。石申に曰く:燭星がどの城邑に現れるか、その城邑はまさに叛乱する。甘徳に曰く:燭星が東方に現れれば、星の出た方は作戦して勝を得ない。南方に現れれば、兵事があり、君王は土地を喪失する。西方に現れれば、その国に喪事があるが、作戦は勝を得る。北方に現れれば、星の出た方は作戦して勝を取る。《史記・天官書》に曰く:燭星に照らされた所は、城邑はまさに動乱する。《荊州占》に曰く:燭星の出た所は、大盗が事を起こすも成せない。《荊州占》はまた曰く:燭星の色が青なら、憂愁の事があり吉でない。赤なら、華美の事がある。黄なら、光気が大地を覆うことを主る。白なら、歓慶の事がある。班固《漢書・天文志》に記す:漢の昭帝・始元五年四月、燭星が奎宿と婁宿の間に現れた。占辞に土木を興修する事があり、胡人は死亡し、辺城は安和であるという。第二年、朝廷は遼東・玄菟郡を修筑した。二月、度遼将軍・范明友は烏丸を撃破して班師して還った。
蓬星 其の三十九
《荊州占》曰:“蓬星,一名王星,狀如夜火之光,多即至四五,少即一二;一曰:蓬星在西南,修數丈,左右銳,出而易處。”《聖洽符》曰:“有星,其色黃白,方不過三尺,名曰蓬星,見則天下道術士當有出者,布衣之士貴,天下太平,五穀成,人民寧,期一年,遠二年。”甘氏曰:“蓬星出北斗,諸侯有奪地,以地亡,有兵起星所房者,期不出三年。”郗萌曰:“蓬星出太微中,天子立王,期不出三年。”
《荊州占》に曰く:蓬星はまた王星と名づけ、形状は夜の火光に似て、多い時は四五顆に達し、少ない時は一二顆に過ぎない。一説に、蓬星は西南方に現れ、長さ数丈、左右の両端は鋭く、出現した後にはまた位置を移換する。《聖洽符》に曰く:一つの星があり、色は黄白、見方は三尺を過ぎず、名は蓬星という。それが一たび現れれば、天下に道術に精通した人の世に出るべきがおり、平民の出身の士人は尊崇を受け、天下は太平し、五穀は豊収し、人民は安寧し、応験期は一年、遠くは二年である。甘徳に曰く:蓬星が北斗に現れれば、諸侯に土地を奪われる者があり、また土地によって敗亡する者がある。蓬星の滞留する星宿の対する所に兵事が興り、応験は三年を出ない。郗萌に曰く:蓬星が太微垣の中に現れれば、天子は諸侯王を冊立し、応験は三年を出ない。
班固《天文志》曰:“漢昭帝始元中,漢宦者梁成恢及燕王候星者吳莫如,見蓬星出西方天市東門,行過河鼓,入營室中。恢曰:蓬星出,六十日,不出三年,下有亂臣,戮死於市。”班固《天文志》曰:“孝景中三年六月壬戌,蓬星在房南,去房可二丈,大如二斗器,色白;癸亥,在心東北,可長丈所;甲子,在尾北,可六丈;丁卯,在箕北,近漢,稍小且去時大如桃;壬申,去,凡十日。占曰:蓬星出,必有亂臣,房心間,天子宮也。是時梁王欲為漢嗣,使人殺漢諍臣袁盎,漢誅梁大臣,斧鉞用,梁王恐懼,布車入關,伏斧鉞謝罪,然後得免。”
班固《漢書・天文志》に記す:漢の昭帝・始元年間、漢の宦官・梁成恢と燕王の手下の星象を望候する呉莫如とは、皆蓬星が西方の天市垣の東門から出て、河鼓星を過ぎ、営室宿の中に入るのを見た。梁成恢に曰く:蓬星が現れれば、六十日の内・遅くとも三年を出ずに、下に乱臣があって街市の上で処死される。班固《漢書・天文志》はまた記す:漢の景帝・中元三年六月壬戌、蓬星は房宿の南面にあり、房宿を去ること約二丈、大きさは二斗の容量の器皿のごとく、色は白を発した。癸亥日は心宿の東北に移り、長さ約一丈。甲子日は尾宿の北面にあり、約六丈。丁卯日は箕宿の北面にあり、銀河に近く、やや小さくなったが、隠れ去る時なお桃の大きさほどあった。壬申日に消失し、前後して計十日。占辞に曰く:蓬星が現れれば、必ず乱臣がある。房宿・心宿の間はまさに天子の宮廷である。この時梁王は漢の継嗣と成らんと欲し、人を遣って敢えて直諫する大臣・袁盎を刺殺した。漢は梁国の大臣を誅殺し、斧鉞の刑を動用した。梁王は惶恐し、布車に乗って関に入り、斧鉞の下に伏して罪を謝し、これにてやっと禍を免れた。
《荊州占》曰:“蓬星出北斗魁中,王者坐賊死,若大臣諸侯有受誅者。”《荊州占》曰:“蓬星出,見於東方、東南、東北,不大旱則大水,五穀不收,糴貴十倍,人相食。”《荊州占》曰:“蓬星出司命,王者疾死。”何法盛《中興書》曰:“晉孝武太元二十年九月,有蓬星如粉絮,東南行,歷女虛危,至哭星。明年而烈宗崩。”韓楊曰:“蓬星出北斗中,大臣諸侯有受兵者。”
《荊州占》に曰く:蓬星が北斗魁星の中に現れれば、君王が賊人に殺害されて死ぬことを主るか、あるいは大臣・諸侯に誅戮に遭う者がある。《荊州占》はまた曰く:蓬星が現れ、東方・東南・東北に顕れれば、大旱でなければ大涝で、五穀は歉収し、粮を買う値は十倍に貴し、甚だしくは人は人を食う。《荊州占》はまた曰く:蓬星が司命星に現れれば、君王が病を患うて死ぬことを主る。何法盛《晋中興書》に曰く:晋の孝武帝・太元二十年九月、蓬星があって一団の粉白の絮に似て、東南方に向かって運行し、女宿・虚宿・危宿を経て、哭星に達した。第二年に孝武帝(廟号は烈宗)はすなわち崩じた。韓楊に曰く:蓬星が北斗の中に現れれば、大臣・諸侯に兵禍を受ける者があることを主る。
長庚 其の四十
司馬遷《天官書》曰:“長庚,如一疋布著天。”(此長庚非《詩》所謂西有長庚者。)《天官書》曰:“長庚見則兵起。”
司馬遷《史記・天官書》に曰く:長庚という妖星は、一匹の布が天に贴附するに似る。(原書の小注:ここの長庚は、《詩経・小雅・大東》のいう「西に長庚あり」のあの金星ではない。)《天官書》はまた曰く:長庚が一たび現れれば、兵事はまさに興る。
四填 其の四十一
巫咸曰:“四填星,出陽,去地六丈餘。”司馬遷《天官書》曰:“四填出地可四丈。”《荊州占》曰:“四填星,大而赤,去地二丈,當以夜半子時出。”《荊州占》曰:“四填星見,十月而兵起。”又曰:“四填星見,四隅皆為兵起其下。”
巫咸に曰く:四填星は陽位に現れ、地面を距ること六丈余。司馬遷《史記・天官書》に曰く:四填星は地を去ること約四丈。《荊州占》に曰く:四填星は大きくして紅く、地を去ること二丈、夜半・子時に当たって現れるべきである。《荊州占》はまた曰く:四填星が一たび現れれば、十ヶ月を過ぎて兵事はまさに興る。また一条曰く:この星の名を「四填」というは、四方の角隅に分填する義を取る。およそそれがどの角隅に顕現するか、その角隅の下方の地面は兵事を興す。
地維蔵光 其の四十二
《黃帝占》曰:“地維藏光者,五行之氣,出於四季,土之氣也。”《荊州占》曰:“有星出,大而赤,去地二三丈,如月始出,是謂地維藏光。”《黃帝占》曰:“四隅有星,望之,可去地四丈,而赤黃搖動,其類填星,是謂中央之野星,出於四隅,名曰地維藏光。出東北隅,天下大水;出東南隅,天下大旱;出西南隅,則有兵起;出西北隅,則天下亂,兵大起。”《天官書》曰:“地維藏光見,下有亂者亡,有德者昌。”
《黄帝占》に曰く:地維蔵光は五行の気の成す所で、四季の末の辰・戌・丑・未月に現れ、土の気に属する。《荊州占》に曰く:星が現れて、大きくして紅く、地を去ること二三丈、剛に升りたる月のごときは、これを地維蔵光という。《黄帝占》に曰く:四方の角隅に星があり、望み上げると地を去ること約四丈、赤黄色にして揺動・閃爍し、たいそう填星に似て、これは中央の原野の星で、四隅に現れ、名は地維蔵光という。それが東北角から現れれば、天下に大水がある。東南角から現れれば、天下に大旱がある。西南角から現れれば、兵事を興す。西北角から現れれば、天下は動乱し、大規模の戦事が興る。《史記・天官書》に曰く:地維蔵光が現れれば、その下の乱を起こす人は滅亡し、徳ある人は昌盛する。それの名を「地維」とするは、古人が四隅を大地を維系する繩紐としたによる。名を「蔵光」とするは、その光が斂じて揚げず、ただ地平の近くで顕露するをいう。
女帛 其の四十三
《黃帝占》曰:“女帛者,五星氣合之變,出東北,木水氣合也。”石氏曰:“東北有星,長三丈而出,水水氣交,名曰女帛,見則天下兵起,若有大喪。”《荊州占》曰:“東北有三丈星出,名曰女帛,女帛出,天下有大喪。”
《黄帝占》に曰く:女帛は五星の気の交合・変異の成す所で、東北方に現れ、木気と水気の交合に由来する。石申に曰く:東北方に一つの星があり、長さ三丈にして現れ、水気と水気の交会して成る所で、名は女帛という。それが一たび現れれば、天下はまさに兵を起こすか、あるいは大喪がある。《荊州占》に曰く:東北方に一つの長さ三丈の星が現れ、名は女帛という。女帛が一たび出れば、天下に大喪がある。
盗星 其の四十四
《黃帝占》曰:“盜星,五星氣合之變,出東南,木火氣合也。”石氏曰:“東南有星,長三丈而出,木火氣交,名曰盜星。”《荊州占》曰:“東南有三星出,名曰盜星,見則天下有大盜,多寇賊。”
《黄帝占》に曰く:盗星は五星の気の交合・変異の成す所で、東南方に現れ、木気と火気の交合に由来する。石申に曰く:東南方に一つの星があり、長さ三丈にして現れ、木気と火気の交会して成る所で、名は盗星という。《荊州占》に曰く:東南方に三つの星が現れ、名は盗星という。それが一たび現れれば、天下はまさに大盗を出し、寇賊は四処に横行し、劫掠の事は接続して絶えない。この星の名を「盗星」とする所以は、まさに劫奪・侵掠の義を取るのである。
積陵 其の四十五
《黃帝占》曰:“積陵者,五星氣合之變,出西北,金水氣合也。”石氏曰:“西南有星,長三丈而出,(《荊州占》曰:有三星乃大星出。)金水氣合,名曰積陵,見則其下隕霜,兵水並起,五穀不成,人民飢。”(《荊州占》曰:天下谷十倍。)
《黄帝占》に曰く:積陵は五星の気の交合・変異の成す所で、西北方に現れ、金気と水気の交合に由来する。石申に曰く:西南方に一つの星があり、長さ三丈にして現れ(原書の小注:《荊州占》に曰く、三つの星があり、そのうちの一つの大星が現れた)、金気と水気の交合して成る所で、名は積陵という。それが一たび現れれば、その下にまさに霜を降らし、兵禍と水患はともに発生し、五穀は熟さず、人民は飢饉する。(原書の小注:《荊州占》に曰く、天下の粮の値は十倍に騰る。)
瑞星 其の四十六
《黃帝占》曰:“瑞星者,五星氣合之變,出與金木水火合,於四隅也。”石氏曰:“四隅有星,大而赤,察之,中黃,數動,長可四丈,此土之氣,效於四季,名曰四隅瑞星,所出兵大起,有土功。正月出,十月起兵;二月出,十一月起兵;三月出,七月起兵;四月出,九月起兵;皆期三年,中五年,遠七年。”
《黄帝占》に曰く:瑞星は五星の気の交合・変異の成す所で、土気と金・木・水・火の気の相合したものが、四方の角隅に現れる。石申に曰く:四隅に星があり、大きくして紅く、細かく見れば中心は黄色を呈し、閃動は頻繁で、長さ約四丈。これは土の気で、四季の末の月に応験し、名は四隅瑞星という。それがどの方に現れるか、そこの兵事は大規模に興り、また土木を興修する事がある。正月に現れたは十月に兵を起こし、二月に現れたは十一月に兵を起こし、三月に現れたは七月に兵を起こし、四月に現れたは九月に兵を起こす。応験期はいずれも近くは三年、中は五年、遠くは七年である。
昏昌 其の四十七
《黃帝占》曰:“有星出西北,氣青赤,以環之,中赤外青,名曰昏昌,見則天下兵起,國易政,先起者昌,後起者亡。高十丈,亂一年;高二十丈,亂二年;高三十丈,亂三年。”
《黄帝占》に曰く:星が西北方に現れ、青・紅の両色の気がそれを環繞し、中は紅にして外は青、名は昏昌という。それが一たび現れれば、天下はまさに兵を起こし、国家は政権を改換する。先に事を起こす人は昌盛し、後に事を起こす人は敗亡する。それが高さ十丈なら動乱は一年続き、二十丈なら動乱は二年、三十丈なら動乱は三年である。
華星 其の四十八
甘氏曰:“有星出西北,狀如有環,名之曰華星,華星見西南,諸侯有失地西北國。”
甘徳に曰く:星が西北方に現れ、形状は一つの円環を帯ぶがごときは、これを華星と称す。華星がもし西南方に顕現すれば、西北方のあの諸国の諸侯は土地を喪失する。
白星 其の四十九
郗萌曰:“有如星非星,狀如削瓜,有勝兵,名曰白星,白星出,為男喪。”
郗萌に曰く:一種の天象があり、星に似て星にあらず、形状は一個の皮を削いだ瓜に似て、勝を得る兵勢を主り、名は白星という。白星が一たび現れれば、男子に喪亡の事があることを主る。
菟昌星 其の五十
石氏曰:“西北菟昌之星,其有青赤環之有殃;青為水,此星見,天下易。”
石申に曰く:西北方の菟昌の星、もし青色・紅色の気がそれを環繞すれば、災殃がある。その中の青色は水患を主る。この星が一たび現れれば、天下はまさに改換・更易する。
格沢 其の五十一
《黃帝占》曰:“格澤者,炎火之狀,(《天官書》曰:格澤,星也。)上黃下白,從地而上,下大上銳,見則不種而獲,(《天官書》曰:不有土功,必有大客至。)必有大客,鄰國來者,期一年,遠二年。”《廣雅》曰:“格澤,妖氣也。”《玉曆》曰:“格澤,氣赤如火,炎炎中天,上下同色,東西絙天,若於南北,長可四五里,此熒惑之變見,兵起其下,伏尸流血,期三年。”《史記天官書》曰:“格澤星者,如炎火之狀,黃白起地,而下大上銳。其見也,不種而獲,不有土功,必有大客。”
《黄帝占》に曰く:格沢の形状は升騰する火焔に似て(原書の小注:《天官書》に曰く、格沢は一つの星である)、上部は黄を発し下部は白を発し、地面から向かって升り、下は粗大にして上端は鋭い。それが一たび現れれば、耕さなくても収穫があることを主り(原書の小注:《天官書》に曰く、もし土木を興修する事がなければ、必ず大きな賓客が到来する)、必ず大きな賓客があり、すなわち隣国の来使で、応験期は一年、遠くは二年である。《広雅》に曰く:格沢は一種の妖気である。《玉暦》に曰く:格沢の気は紅くして火のごとく、熊熊として燃えて中天に直ちに冲し、上下の色は一致し、東西は天空を横貫する。もし南北の走向なら、長さ約四五里。これは熒惑の変異の顕現する所で、その下に兵事を興し、屍は横たわり血は流れ、応験期は三年である。《史記・天官書》に曰く:格沢星は升騰する火焔の状のごとく、黄白色、地面から升り起こり、下は粗大にして上端は鋭い。それの現れるは、耕さなくても収穫があることを主る。もし土木を興修する事がなければ、必ず大きな賓客が到来する。
帰邪 其の五十二
巫咸曰:“如星非星,如雲非雲,名曰歸邪。”(李奇曰:邪音蛇。孟康曰:有兩赤彗,上向,上有蓋,狀如氣,下連星。)司馬遷《天官書》曰:“歸蛇見,必有歸國者。”
巫咸に曰く:一種の天象があり、星に似て星にあらず、雲に似て雲にあらず、名は帰邪という。(原書の小注:李奇に曰く、「邪」は「蛇」と読む。孟康に曰く、それは二条の紅色の彗芒が上に向かって伸び出し、上端に華蓋のごときものがあり、形状は雲気のごとく、下面は一つの星に連なる。)司馬遷《史記・天官書》に曰く:帰蛇が一たび現れれば、必ず本国に帰附しに来る人がある。
蒙星 其の五十三
蕭子顯《晉書》曰:“明帝大明三年十二月,夜有赤氣如牙旗,長短四面,西南最多,(按《天文占》,此為蒙星,一曰刀星,亂之象。)大興末及此再見,王敦、蘇峻之禍,其應切矣。”
蕭子顕《晋書》に記す:晋の明帝・大明三年十二月、夜中に紅色の気があって軍中の牙旗に似て、長短四面に分布し、西南方を最多とした。(原書の小注:按するに《天文占》、これはすなわち蒙星で、また刀星ともいい、動乱の象である。)大興の末年とこの回とは前後して二度現れ、後に王敦・蘇峻の禍が相次いで発生し、応験は極めて貼切であった。
《宋書天文志》曰:“宋孝武大明三年正月,夜通天薄雲,四方生赤黃氣,長三尺,乍沒乍見,尋皆消滅。占曰:名蒙星,一曰刀星,天下有兵,戰鬥流血。時南兗州刺史竟陵王誕尋據廣陵反,遣車騎大將軍沈慶之領羽林勁兵及豫州刺史宗谷、徐州刺史劉道降象軍,攻戰及屠城,城內男女道降,梟斬靡遺。七年正月,夜又通天薄雲,四方合,有八氣,蒼白色,長二三尺,乍見乍沒,亦名曰蒙星,一名刀星。占曰:天下有兵。後二年,帝崩,大臣將相誅滅,皇子被害,昭太后崩,四方兵起,公遣諸軍,推鋒外討。”
《宋書・天文志》に記す:南朝の宋の孝武帝・大明三年正月、夜中に天に満つるは皆薄雲で、四方に赤黄色の気を生じ、長さ三尺、忽ち隠れ忽ち現れ、間もなく皆消散した。占辞にこれを蒙星といい、また刀星ともいい、天下に兵事があり、交戦して血を流すことを主るという。この時南兗州刺史・竟陵王・劉誕は間もなく広陵に拠って反逆し、朝廷は車騎大将軍・沈慶之を遣わして羽林の精兵を統領させ、豫州刺史・宗谷・徐州刺史・劉道降の軍隊に会して往きて攻戦し、城を屠るに至り、城中の男女は梟首・斬殺され、ほとんど免れる者なし。大明七年正月、夜にまた天に満つるは薄雲で、四方の雲気は会合し、八道の気が現れ、青白色、長さ二三尺、忽ち現れ忽ち隠れ、も蒙星と名づけ、一名刀星という。占辞に天下に兵事があるという。この後二年、孝武帝は崩じ、大臣・将相は誅滅され、皇子は害を受け、昭太后は逝去し、四方は兵を興し、朝廷は各路の軍隊を派出し、鋒を揮いて外に向かって討伐した。この気の名を「蒙星」とする所以は、その気色が蒙昧・晦暗にしてあるがなきがごとき義を取る。またそれが条を成して排列して形は刀刃に似るによって、別名を「刀星」という。前後の二度の顕現はいずれも兵乱をもって応験したので、史官は特にこれを記したのである。
開元占経 巻八十七
妖星占 下
《孝経雌雄図》の三十五妖星
天垣 其の一
天垣星(在角宿中)出月左方,日在甲寅,歲星將出而不出,其與日合二十日,其未出二日,必有災雲,蒼赤黑色三物,厭日之光,青色之星,有兩青方,在其旁出,而生天垣之星,所指之國,國消主死,政星變色而青,期三年。
天垣星(原書の小注:位は角宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が甲寅の位に行き当たり、歳星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること二十日。それが現れるにあと二日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、青・赤・黒の三色を呈し、日光を尽く遮蔽する。この時青色の星のそばに二片の青色の方形の気があり、それのそばから生じて、ついに天垣星を生成する。それの芒尖の指すあの国は、国勢は消亡し君主は死去する。同時に「政星」は色を変じて青を発す。応験期は三年。
天楼 其の二
天樓星(在亢宿中)出月左方,日在甲寅,歲星將出而不出,其與日合三十日,其未出三日,必有災雲,蒼赤黑色三物,厭日之光,青色之星,有兩青方,在其旁出,而生天樓之星,長八十尺,(一本:八丈)所指之國,穀糴大貴,法星變色而青,期三年。
天楼星(原書の小注:位は亢宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が甲寅の位に行き当たり、歳星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること三十日。それが現れるにあと三日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、青・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時青色の星のそばに二片の青色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天楼星を生成し、長さ八十尺(原書の小注:別の版本は八丈と作る)。それの芒尖の指すあの国は、粮食の価格は大いに騰る。同時に「法星」は色を変じて青を発す。応験期は三年。
天榬 其の三
天榬星(在氐宿中)出月左方,日在甲寅,歲星將出而不出,其與日合四十日,其未出四日,必有災雲,蒼赤黑色三物,厭日之光,青色之星,有兩青方,在其旁出,而生天榬星,(一本:長十丈)所宿之國,有立王,(一本云:地)令星變色而青,期三年。
天榬星(原書の小注:位は氐宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が甲寅の位に行き当たり、歳星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること四十日。それが現れるにあと四日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、青・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時青色の星のそばに二片の青色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天榬星を生成する(原書の小注:別の版本はそれの長さ十丈という)。それの停宿するあの国は、別に君王を立てんとす(原書の小注:別の版本はここを「地」と作る)。同時に「令星」は色を変じて青を発す。応験期は三年。
首若 其の四
首若(一本:真若)星(在房宿中)出月左方,日在甲寅,歲星將出而不出,其與日合五十日,其未出五日,必有災雲,蒼赤黑色三物,厭日之光,青色之星,有兩青方,在其旁出,而生首若之星,六七尺,(一本:六丈)所指之國,亡地,煞星變色而青,期二年,或三年。
首若星(原書の小注:別の版本は「真若」と作る。位は房宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が甲寅の位に行き当たり、歳星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること五十日。それが現れるにあと五日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、青・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時青色の星のそばに二片の青色の方形の気があり、そばから生じて、ついに首若星を生成し、長さ六七尺(原書の小注:別の版本は六丈と作る)。それの芒尖の指すあの国は、土地を喪失する。同時に「煞星」は色を変じて青を発す。応験期は二年、あるいは三年。
天荊 其の五
天荊星(在心宿中)出月左方,日在甲寅,歲星將出而不出,與日合六十日,其未出六日,必有災雲,蒼赤黑色三物,厭日之光,青色之星,有兩青方,在其旁出,而生天荊之星,所指之國亡,戰不勝,主死,伐星變色而青,期三年。
天荊星(原書の小注:位は心宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が甲寅の位に行き当たり、歳星が現れるべきが現れない時、太陽と合すること六十日。それが現れるにあと六日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、青・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時青色の星のそばに二片の青色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天荊星を生成する。それの芒尖の指すあの国は滅亡し、作戦して勝を得る能わず、君主は死去する。同時に「伐星」は色を変じて青を発す。応験期は三年。
天根 其の六
天根星(在尾宿中)出月左方,日在甲寅,歲星將出而不出,其與日合七十日,其未出七日,必有災雲,蒼赤黑色三物,厭日之光,青色之星,有兩青方,在其旁出,而生天根之星,所指之國,大亡地,戰,敗星變色而青,期三年。
天根星(原書の小注:位は尾宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が甲寅の位に行き当たり、歳星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること七十日。それが現れるにあと七日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、青・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時青色の星のそばに二片の青色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天根星を生成する。それの芒尖の指すあの国は、大きく土地を喪失し、兵を興して交戦する。同時に「敗星」は色を変じて青を発す。応験期は三年。
天槍星 其の七
天槍星(在箕宿中)出月左方,日在甲寅,歲星將出而不出,其與日合八十日,其未出八日,必有災雲,蒼赤黑色三物,厭日之光,青色之星,有兩青方,在其旁出,而生天槍之星,長數丈,所指之國,有兵、大軍破,應星變色而青,期一年。
天槍星(原書の小注:位は箕宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が甲寅の位に行き当たり、歳星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること八十日。それが現れるにあと八日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、青・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時青色の星のそばに二片の青色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天槍星を生成し、長さ数丈に達す。それの芒尖の指すあの国は、兵禍があり、大軍は撃破される。同時に「応星」は色を変じて青を発す。応験期は一年。
端下 其の八
端下星(在斗宿中)出月左方,日在壬寅,辰星將出而不出,其與日合二十日,其未出二日,必有災雲,黑黃青色三物,厭日之光,黑色之星,有兩黑方,在其旁出,而生端下之星,所指之國,大破、將死,政星變色而黑,期六月。(一本云:或十二月、一月)
端下星(原書の小注:位は斗宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が壬寅の位に行き当たり、水星(辰星)が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること二十日。それが現れるにあと二日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黒・黄・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黒色の星のそばに二片の黒色の方形の気があり、そばから生じて、ついに端下星を生成する。それの芒尖の指すあの国は、大いに撃破され、主将は戦死する。同時に「政星」は色を変じて黒を発す。応験期は六ヶ月。(原書の小注:別の版本に曰く、あるいは十二ヶ月・一ヶ月と作る。)
商若 其の九
商若(一本云:天蒿)星(在牛宿中)出月左方,日在壬寅,辰星將出而不出,其與日合二十五日,其未出二日,必有災雲,黑黃青色三物,厭日之光,黑色之星,有兩黑方,在其旁出,而生商若之星,長三四尺,所指之國,大水敗、兵起,法星變色而黑,期一年。
商若星(原書の小注:別の版本は「天蒿」と作る。位は牛宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が壬寅の位に行き当たり、辰星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること二十五日。それが現れるにあと二日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黒・黄・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黒色の星のそばに二片の黒色の方形の気があり、そばから生じて、ついに商若星を生成し、長さ三四尺。それの芒尖の指すあの国は、大水に冲毀され、しかも兵事が興る。同時に「法星」は色を変じて黒を発す。応験期は一年。
天杵 其の十
天杵(一本云:天林)星(在女宿中)出月左方,日在壬寅,辰星之變而不出,其與日合三十六日,其未出三日,必有災雲,黑黃青色三物,厭日之光,黑色之星,有兩黑方,在其旁出,而生天杵之星,長七八尺,所指之國,軍破、將死,令星變色而黑,期一年。
天杵星(原書の小注:別の版本は「天林」と作る。位は女宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が壬寅の位に行き当たり、辰星が変異を発して現れない時、それは太陽と合すること三十六日。それが現れるにあと三日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黒・黄・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黒色の星のそばに二片の黒色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天杵星を生成し、長さ七八尺。それの芒尖の指すあの国は、軍隊は撃破され、主将は戦死する。同時に「令星」は色を変じて黒を発す。応験期は一年。
天麻 其の十一
天麻星(在虛宿中)出月左方,日在壬寅,辰星將出而不出,其與日合三十五日,其未出五日,必有災雲,黑黃青色三物,厭日之光,黑色之星,有兩黑方,在其旁出,而生天麻之星,長七八尺,(一本云:四五尺)所指之國,破亡,煞星之變色而黑,期六月。
天麻星(原書の小注:位は虚宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が壬寅の位に行き当たり、辰星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること三十五日。それが現れるにあと五日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黒・黄・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黒色の星のそばに二片の黒色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天麻星を生成し、長さ七八尺(原書の小注:別の版本は四五尺と作る)。それの芒尖の指すあの国は、破敗して滅亡する。同時に「煞星」は変異を発して色は黒に転ず。応験期は六ヶ月。
天杖 其の十二
天杖(一本:天社)星(在危宿中)出月左方,日在壬寅,辰星將出而不出,其與日合四十日,其未出四日,必有災雲,黑黃青色三物,厭日之光,黑色之星,有兩黑方,在其旁出,而生天杖之星,長十餘丈,勾曲,所指之國,兵、主死,伐星變色而黑,期二年。
天杖星(原書の小注:別の版本は「天社」と作る。位は危宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が壬寅の位に行き当たり、辰星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること四十日。それが現れるにあと四日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黒・黄・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黒色の星のそばに二片の黒色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天杖星を生成し、長さ十余丈、形体は彎曲して鈎のごとし。それの芒尖の指すあの国は、兵禍があり、君主は死去する。同時に「伐星」は色を変じて黒を発す。応験期は二年。
天攙星 其の十三
天攙星(在室宿中)出月左方,日在壬寅,辰星將出而不出,其與日合四十五日,其未出四日,必有災雲,黑黃青色三物,厭日之光,黑色之星,有兩黑方,在其旁出,而生天攙之星,長五六尺,所指之國,破亡,危星之變色而黑,期三年。
天攙星(原書の小注:位は室宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が壬寅の位に行き当たり、辰星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること四十五日。それが現れるにあと四日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黒・黄・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黒色の星のそばに二片の黒色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天攙星を生成し、長さ五六尺。それの芒尖の指すあの国は、破敗して滅亡する。同時に「危星」は変異を発して色は黒に転ず。応験期は三年。
天英 其の十四
天英星(在壁宿中)出月左方,日在壬寅,辰星將出而不出,其與日合五十日,其未出五日,必有災雲,黑黃青色三物,厭日之光,黑色之星,有兩黑方,在其旁出,而生天英之星,長一十丈,所指之國,軍破亡地,應星變色而黑,期三年。
天英星(原書の小注:位は壁宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が壬寅の位に行き当たり、辰星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること五十日。それが現れるにあと五日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黒・黄・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黒色の星のそばに二片の黒色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天英星を生成し、長さ十丈。それの芒尖の指すあの国は、軍隊は潰敗し土地を喪失する。同時に「応星」は色を変じて黒を発す。応験期は三年。
白旧 其の十五
白舊星(在奎宿中)出月左方,日在庚寅,太白將出而不出,其與日合十日,其未出一日,必有災雲,白赤黑色三物,厭日之光,白色之星,有兩白方,在其旁出,而生白舊之星,所指之國,亡地主死,政星變色而白,期一年。
白旧星(原書の小注:位は奎宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が庚寅の位に行き当たり、金星(太白)が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること十日。それが現れるにあと一日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、白・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時白色の星のそばに二片の白色の方形の気があり、そばから生じて、ついに白旧星を生成する。それの芒尖の指すあの国は、土地を喪失し君主は死去する。同時に「政星」は色を変じて白を発す。応験期は一年。
星 其の十六
星(在婁宿中)出月左方,日在庚寅,太白將出而不出,其與日合二十日,其未出二日,必有災雲,白赤黑色三物,厭日之光,白色之星,有兩白方,在其旁出,而生 星,所指之國,亡,必有大喪,有水災,法星變色而白,期一年。
この星(原書の小注:位は婁宿の中に在り。星名は底本にすでに脱がれ、正文中には空缺を留める)は月の左方から現れる。太陽が庚寅の位に行き当たり、太白が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること二十日。それが現れるにあと二日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、白・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時白色の星のそばに二片の白色の方形の気があり、そばから生じて、ついにこの星を生成する(ここは底本に星名の脱文あり)。それの芒尖の指すあの国は滅亡し、必ず大喪があり、また水災を伴う。同時に「法星」は色を変じて白を発す。応験期は一年。
糞星 其の十七
糞(一本:牆星)星(在胃宿中)出月左方,日在庚寅,太白將出而不出,其與日合三十日,其未出三日,必有災雲,白赤黑色三物,厭日之光,白色之星,有兩白方,在其旁出,而生糞星,長十餘丈,(一本:丈餘)所指之國,內亂,令星變色而白,期一年。
糞星(原書の小注:別の版本は「牆星」と作る。位は胃宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が庚寅の位に行き当たり、太白が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること三十日。それが現れるにあと三日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、白・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時白色の星のそばに二片の白色の方形の気があり、そばから生じて、ついに糞星を生成し、長さ十余丈(原書の小注:別の版本は一丈余と作る)。それの芒尖の指すあの国は、内乱があらんとす。同時に「令星」は色を変じて白を発す。応験期は一年。
林若 其の十八
林若(一本作彗)星(在昴宿中)出月左方,日在庚寅,太白將出而不出,其與日合四十日,其未出四日,必有災雲,白赤黑色三物,厭日之光,白色之星,有兩白方,在其旁出,而生林若之星,長十餘丈,(一本:七尺)所指之國,破亡死喪,煞星變色而白,期一年。
林若星(原書の小注:別の版本は「若」の字を「彗」と作る。位は昴宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が庚寅の位に行き当たり、太白が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること四十日。それが現れるにあと四日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、白・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時白色の星のそばに二片の白色の方形の気があり、そばから生じて、ついに林若星を生成し、長さ十余丈(原書の小注:別の版本は七尺と作る)。それの芒尖の指すあの国は、破敗・滅亡し、死喪は相次ぐ。同時に「煞星」は色を変じて白を発す。応験期は一年。
若彗 其の十九
若彗星(在畢宿中)出月左方,日在庚寅,太白將出而不出,其與日合五十日,其未出五日,必有災雲,白赤黑色三物,厭日之光,白色之星,有兩白方,在其旁出,而生若彗之星,長七八尺,所指之國,內亂亡地,伐星變色而白,期三年。
若彗星(原書の小注:位は畢宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が庚寅の位に行き当たり、太白が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること五十日。それが現れるにあと五日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、白・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時白色の星のそばに二片の白色の方形の気があり、そばから生じて、ついに若彗星を生成し、長さ七八尺。それの芒尖の指すあの国は、内部は動乱し土地を喪失する。同時に「伐星」は色を変じて白を発す。応験期は三年。
帚星 其の二十
帚星(在觜宿中)出月左方,日在庚寅,太白將出而不出,其與日合六十日,其未出六日,必有災雲,白赤黑色三物,厭日之光,白色之星,有兩白方,在其旁出,而生帚星,長四尺,所指之國,內亂亡地,危星變色而白,期六月。(一本:六年)
帚星(原書の小注:位は觜宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が庚寅の位に行き当たり、太白が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること六十日。それが現れるにあと六日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、白・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時白色の星のそばに二片の白色の方形の気があり、そばから生じて、ついに帚星を生成し、長さ四尺。それの芒尖の指すあの国は、内部は動乱し土地を喪失する。同時に「危星」は色を変じて白を発す。応験期は六ヶ月。(原書の小注:別の版本は六年と作る。)
若星 其の二十一
若星(在參宿中)出月左方,日在庚寅,太白將出而不出,其與日合七十日,其未出七日,必有災雲,白赤黑色三物,厭日之光,白色之星,有兩白方,在其旁出,而生若星,所指之國,大敗、戰不勝,應星變色而白,期二年。
若星(原書の小注:位は参宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が庚寅の位に行き当たり、太白が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること七十日。それが現れるにあと七日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、白・赤・黒の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時白色の星のそばに二片の白色の方形の気があり、そばから生じて、ついに若星を生成する。それの芒尖の指すあの国は、大敗を受け、作戦して勝を得る能わず。同時に「応星」は色を変じて白を発す。応験期は二年。
蚩尤 其の二十二
蚩尤星(在井宿中)出月左方,日在丙寅,熒惑將出而不出,其與日合三十日,其未出三日,必有災雲,赤青黃色三物,厭日之光,赤色之星,有兩赤方,在其旁出,而生蚩尤之星,長十七丈,(一本:丈餘)其下有大戰,政星變色而赤,期二年。
蚩尤星(原書の小注:位は井宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が丙寅の位に行き当たり、火星(熒惑)が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること三十日。それが現れるにあと三日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、赤・青・黄の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時紅色の星のそばに二片の紅色の方形の気があり、そばから生じて、ついに蚩尤星を生成し、長さ十七丈(原書の小注:別の版本は一丈余と作る)。それの下方の地面に大戦があらんとす。同時に「政星」は色を変じて紅を発す。応験期は二年。
赤若 其の二十三
赤若(在鬼宿中)出月左方,日在丙寅,熒惑將出而不出,其與日合四十日,其未出四日,必有災雲,赤青黃色三物,厭日之光,赤色之星,有兩赤方,在其旁出,而生赤若之星,其下有死亡、流血、戰敗,法星變色而赤,期二年。
赤若星(原書の小注:位は鬼宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が丙寅の位に行き当たり、熒惑が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること四十日。それが現れるにあと四日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、赤・青・黄の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時紅色の星のそばに二片の紅色の方形の気があり、そばから生じて、ついに赤若星を生成する。それの下方の地面に死亡・流血と戦敗の事があらんとす。同時に「法星」は色を変じて紅を発す。応験期は二年。
天雀 其の二十四
天雀(一本:赤雀。在柳宿中)出月左方,日在丙寅,熒惑將出而不出,其與日合五十日,其未出五日,必有災雲,赤青黃色三物,厭日之光,赤色之星,有兩赤方,在其旁出,而生天雀之星,所指之國,敗亡,令星變色而赤,期三年。
天雀星(原書の小注:別の版本は「赤雀」と作る。位は柳宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が丙寅の位に行き当たり、熒惑が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること五十日。それが現れるにあと五日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、赤・青・黄の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時紅色の星のそばに二片の紅色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天雀星を生成する。それの芒尖の指すあの国は、敗亡して覆滅する。同時に「令星」は色を変じて紅を発す。応験期は三年。
天惑 其の二十五
天惑(在星宿中)出月左方,日在丙寅,熒惑將出而不出,其與日合六十日,其未出六日,必有災雲,赤青黃色三物,厭日之光,赤色之星,有兩赤方,在其旁出,而生天惑之星,三角,(一本云:四角)長三尺,下旱,有兵起,所指之國亡,煞星變色而赤,期一年,遠二年。
天惑星(原書の小注:位は星宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が丙寅の位に行き当たり、熒惑が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること六十日。それが現れるにあと六日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、赤・青・黄の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時紅色の星のそばに二片の紅色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天惑星を生成し、三つの角を帯び(原書の小注:別の版本は四つの角という)、長さ三尺。それの下方は旱災に遭い、兵事が興り、芒尖の指す国は滅亡する。同時に「煞星」は色を変じて紅を発す。応験期は一年、遠くは二年。
官張 其の二十六
官張星(在張宿中)出月左方,日在丙寅,熒惑將出而不出,其與日合七十日,其未出七日,必有災雲,赤青黃色三物,厭日之光,赤色之星,有兩赤方,在其旁出,而生官張之星,三角而勾,所指之國,主死,伐星變色而赤,期一年。
官張星(原書の小注:位は張宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が丙寅の位に行き当たり、熒惑が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること七十日。それが現れるにあと七日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、赤・青・黄の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時紅色の星のそばに二片の紅色の方形の気があり、そばから生じて、ついに官張星を生成し、三つの角を帯びて彎曲して鈎のごとし。それの芒尖の指すあの国は、君主が死去する。同時に「伐星」は色を変じて紅を発す。応験期は一年。
晋若 其の二十七
晉若之星(在翼宿中)出月左方,日在丙寅,熒惑將出而不出,其與日合八十日,其未出八日,必有災雲,赤青黃色三物,厭日之光,赤色之星,有兩赤方,在其旁出,而生晉若之星,所指之國,破亡,危星變色而赤,期三年,若四年。
晋若星(原書の小注:位は翼宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が丙寅の位に行き当たり、熒惑が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること八十日。それが現れるにあと八日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、赤・青・黄の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時紅色の星のそばに二片の紅色の方形の気があり、そばから生じて、ついに晋若星を生成する。それの芒尖の指すあの国は、破敗して滅亡する。同時に「危星」は色を変じて紅を発す。応験期は三年、あるいは四年。
天陰 其の二十八
天陰星(在軫宿中)出月左方,日在丙寅,熒惑將出而不出,其與日合九十日,未出九日,必有災雲,赤青黃色三物,厭日之光,赤色之星,有兩赤方,在其旁出,而生天陰之星,所指之國亡,應星變色而赤,期三年。
天陰星(原書の小注:位は軫宿の中に在り)は月の左方から現れる。太陽が丙寅の位に行き当たり、熒惑が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること九十日。それが現れるにあと九日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、赤・青・黄の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時紅色の星のそばに二片の紅色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天陰星を生成する。それの芒尖の指すあの国は滅亡する。同時に「応星」は色を変じて紅を発す。応験期は三年。
折若 其の二十九
折若(一本云:彗)出月左方,日在戊寅,填星將出而不出,其與日合四十日,其未出四日,必有災雲,黃赤青色三物,厭日之光,黃色之星,有兩黃方,在其旁出,而生折若之星,長五尺,所指之國亡,政星變色而黃,期六年,遠九年。
折若星(原書の小注:別の版本は「彗」と作る)は月の左方から現れる。太陽が戊寅の位に行き当たり、土星(填星)が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること四十日。それが現れるにあと四日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黄・赤・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黄色の星のそばに二片の黄色の方形の気があり、そばから生じて、ついに折若星を生成し、長さ五尺。それの芒尖の指すあの国は滅亡する。同時に「政星」は色を変じて黄を発す。応験期は六年、遠くは九年。
天拂 其の三十
天拂星出月左方,日在戊寅,填星將出而不出,其與日合五十日,其未出五日,必有災雲,黃赤青色三物,厭日之光,黃色之星,有兩黃方,在其旁出,而生天拂之星,所指之國兵,法星變色而黃,期三年。
天拂星は月の左方から現れる。太陽が戊寅の位に行き当たり、填星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること五十日。それが現れるにあと五日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黄・赤・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黄色の星のそばに二片の黄色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天拂星を生成する。それの芒尖の指すあの国に兵禍がある。同時に「法星」は色を変じて黄を発す。応験期は三年。
天翟 其の三十一
天翟星出月左方,日在戊寅,填星將出而不出,其與日合六十日,其未出六日,必有災雲,黃赤青色三物,厭日之光,黃色之星,有兩黃方,在其旁出,而生天翟之星,四角而勾,中央有星,長四尺、五尺,所指之國,小敗,令星變色而黃,期二年,或三年。
天翟星は月の左方から現れる。太陽が戊寅の位に行き当たり、填星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること六十日。それが現れるにあと六日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黄・赤・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黄色の星のそばに二片の黄色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天翟星を生成し、四つの角を帯びて彎曲して鈎のごとく、中央にまた一つの星があり、長さ四尺から五尺。それの芒尖の指すあの国は、小さい敗績がある。同時に「令星」は色を変じて黄を発す。応験期は二年、あるいは三年。
天枢 其の三十二
天樞星出月左方,日在戊寅,填星將出而不出,其與日合七十日,其未出七日,必有災雲,黃赤青色三物,厭日之光,黃色之星,有兩黃方,在其旁出,而生天樞之星,三角而勾,所指之國,戰敗,煞星變色而黃,期一年,或二年。
天枢星は月の左方から現れる。太陽が戊寅の位に行き当たり、填星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること七十日。それが現れるにあと七日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黄・赤・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黄色の星のそばに二片の黄色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天枢星を生成し、三つの角を帯びて彎曲して鈎のごとし。それの芒尖の指すあの国は、作戦して失敗する。同時に「煞星」は色を変じて黄を発す。応験期は一年、あるいは二年。
天従 其の三十三
天從星出月左方,日在戊寅,填星將出而不出,其與日合八十日,其未出八十日,必有災雲,黃赤青色三物,厭日之光,黃色之星,有兩黃方,在其旁出,而生天從之星,長六七尺,(一本云:七八尺)所指之國亡,伐星變色而黃,期二年,或三年。
天従星は月の左方から現れる。太陽が戊寅の位に行き当たり、填星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること八十日。それが現れるにあと八十日を差す時(底本はここを「八十日」と作り、上下の各条の「合若干日・未出若干日」の体例に合わず、たぶん「八日」の誤りであろう。姑く底本に依る)、天上に必ず災異の雲気があり、黄・赤・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黄色の星のそばに二片の黄色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天従星を生成し、長さ六七尺(原書の小注:別の版本は七八尺と作る)。それの芒尖の指すあの国は滅亡する。同時に「伐星」は色を変じて黄を発す。応験期は二年、あるいは三年。
天罰 其の三十四
天罰(或作伐)星出月左方,日在戊寅,填星將出而不出,其與日合九十日,其未出九日,必有災雲,黃赤青色三物,厭日之光,黃色之星,有兩黃方,在其旁出,而生天罰之星,所指之國中見大敗,危星變色而黃,期二年,或五年。
天罰星(原書の小注:「罰」の字はある本子は「伐」と作る)は月の左方から現れる。太陽が戊寅の位に行き当たり、填星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること九十日。それが現れるにあと九日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黄・赤・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黄色の星のそばに二片の黄色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天罰星を生成する。それの芒尖の指すあの国の境内に大敗が現れんとす。同時に「危星」は色を変じて黄を発す。応験期は二年、あるいは五年。
天社 其の三十五
天社(一本:天上)星出月左方,日在戊寅,填星將出而不出,其與日合一百日,其未出十日,必有災雲,黃赤青色三物,厭日之光,黃色之星,有兩黃方,在其旁出,而生天社之星,天下大亂,所指之國亡,應星變色而黃,期一年。
天社星(原書の小注:別の版本は「天上」と作る)は月の左方から現れる。太陽が戊寅の位に行き当たり、填星が現れるべきが現れない時、それは太陽と合すること百日。それが現れるにあと十日を差す時、天上に必ず災異の雲気があり、黄・赤・青の三色を呈し、日光を遮蔽する。この時黄色の星のそばに二片の黄色の方形の気があり、そばから生じて、ついに天社星を生成する。それが一たび現れれば、天下はまさに大いに乱れ、芒尖の指すあの国は滅亡する。同時に「応星」は色を変じて黄を発す。応験期は一年。
開元占経 巻八十八
彗星占 上
彗孛を候する法 其の一
《黃帝占》曰:“候彗星之法,當以五寅之日,視甕水中,見兩方氣在日旁,則彗將出矣。其與北斗之星各有所主,乃視氣之五色相象而定之。其彗星之出,以寅日見日旁,有青方氣在日旁,此歲星之精將欲為彗;以寅日見赤方氣在日旁,此熒惑之精將為彗;各以五色氣候之,是則五星將欲為彗之變,先見其氣,後見其彗,彗星見而長,天子死,五都亡,賤人昌,無道之君受其殃,期不出三年。”
《黄帝占》に曰く:彗星を観候する方法は、甲寅・丙寅・戊寅・庚寅・壬寅のこの五つの寅日に当たり、甕に盛った水の映した天象を察看すべきである。もし二片の方形の気が太陽のそばに在ると見れば、それは彗星がまさに現れんとするのである。これらの気は北斗の諸星とそれぞれ主る所があり、気の五色のどれを呈し、どの星と相応するかを見て、これに依って判定する。彗星のまさに出る時、寅日に太陽のそばに青色の方気を見れば、これは歳星の精気がまさに彗星と変じんとするのである。寅日に太陽のそばに紅色の方気を見れば、これは熒惑の精気がまさに彗星と変じんとするのである。その余は各々五色の気によって観候し、これはすなわち五星がまさに彗星と変じんとする徴で、まずその気を顕現し、然る後にその彗を顕現する。彗星が身を現してしかもたいそう長く拖れば、天子が死亡し、五方の都城は淪陥し、卑賤の人がかえって勢を得、無道の君主はこの災殃を受けなければならず、応験は三年を出ない。
石氏曰:“候彗災應之法,各以十二辰所出之地,各屬相連,沖破之下,當有兵誅,假令彗星出室、壁而依戌地,奎本魯分,室、壁沖分,沖於寅尾,箕燕分,破於辰,角亢鄭分,明魯有兵,誅於此國,他皆仿此。”
石申に曰く:彗星の災禍がどこに応ずるかを推断する方法は、それぞれ十二辰の対応する地面の分野に按って、互いに相属し相连の関係を排し出し、およそ相冲・相破の位置の下に落ちれば、兵禍・誅殺があるべきである。たとえば彗星が室宿・壁宿に現れて戌位に依附するなら、奎宿はもともと鲁国の分野で、室宿・壁宿はまさにそれと相冲する。冲する所は寅位の尾宿で、尾宿・箕宿は燕国の分野である。破は辰位にあり、辰位の角宿・亢宿は鄭国の分野である。これによって鲁国に兵禍があらんとし、誅戮はこの国に応ずることを知る。その余の各例は皆これに倣って类推する。
巫咸曰:“歲星行東、行南,六十日不還,以初去日,六月,彗星出;東北,六十日不還,以初去日,六月,棓星出;西北,六十日不還,以初出日,六月,攙星出;西南,六十日不還,以初去日,六月,槍星出;乍東乍西,乍南乍北,天狗出,必有兵革。”巫咸曰:“辰星出四季,彗星出。”郗萌曰:“太白與日共合同舍,七十日生彗星。”郗萌曰:“熒惑守箕,三月彗星出。”
巫咸に曰く:歳星が東に行き南に行き、六十日を過ぎても本位に帰らないは、それが最初に位を離れた日から算えて、六ヶ月後に彗星が現れる。東北に行き、六十日帰らないは、最初に位を離れた日から算えて、六ヶ月後に天棓星が現れる。西北に行き、六十日帰らないは、最初に現れた日から算えて、六ヶ月後に天攙星が現れる。西南に行き、六十日帰らないは、最初に位を離れた日から算えて、六ヶ月後に天槍星が現れる。もしそれが忽ち東忽ち西、忽ち南忽ち北に乱行すれば、天狗はまさに現れ、必ず戦乱・兵革がある。巫咸はまた曰く:辰星が四季の末の月に現れれば、彗星は現れる。郗萌に曰く:太白が太陽と会合同じ一宿に処れば、七十日の後に彗星を生ずる。郗萌はまた曰く:熒惑が箕宿に滞留すれば、三ヶ月後に彗星が現れる。
《荊州占》曰:“歲星逆行過度宿者,則生彗星。一日,天棓;二日,天槍;三日,天攙;四日,茀星;此四者皆為彗。”《陳卓占》曰:“熒惑守心,期三十日,彗星出。”陳卓曰:“填星守熒惑,期三十日,彗星出。”齊伯曰:“填星出入以舍斗,五十日不下,彗星出。”
《荊州占》に曰く:歳星が逆行してその在るべき宿度を超越すれば、彗星を生ずる。第一は天棓といい、第二は天槍といい、第三は天攙といい、第四は茀星という。この四者は皆彗星の類に属する。《陳卓占》に曰く:熒惑が心宿に滞留し、三十日を期として、彗星は現れる。陳卓はまた曰く:填星が熒惑のそばに滞留し、三十日を期として、彗星は現れる。斉伯に曰く:填星が出入して斗宿に停り、五十日を過ぎても下に移動しなければ、彗星は現れる。
彗孛の名状占 其の二
《春秋文耀鉤》曰:“辰星散為茀。”《說苑》曰:“攙、槍、彗、棓,皆五星盈縮之所生。”《荊州占》曰:“彗星者,君臣失政,濁亂三光,五逆錯變,氣之所生也。”《呂氏通紀》曰:“彗星者,天地之之旗也。”《淮南鴻烈》曰:“彗星者,天之忌也。”
《春秋文耀鈎》に曰く:辰星の精気が散じて、茀星と成る。《説苑》に曰く:天攙・天槍・彗星・天棓は、皆五星の運行の超前あるいは後れの生じたものである。《荊州占》に曰く:彗星とは、君臣が政事を荒廃し、日・月・星の三光を攪濁・擾乱し、五種の逆乱の事が交錯して変生し、この乖戻の気によって生成したものである。《呂氏通紀》に曰く:彗星は天地の間の旗幟である。《淮南鴻烈》(すなわち《淮南子》)に曰く:彗星は上天の忌む徴象である。
《春秋演孔圖》曰:“海精死,彗星出。”《春秋考異郵》曰:“鯨魚死,彗星合。”(《淮南子》曰:彗星出。宋均曰:是將有兵相煞之祥也。)《春秋考異郵》曰:“臣之恣,地動,星孛。”京房曰:“君為禍,則彗星出。”鄭玄曰:“彗星主掃除。”
《春秋演孔図》に曰く:海中の霊物が死去すれば、彗星は現れる。《春秋考異郵》に曰く:鯨魚が死去すれば、彗星は聚合して顕現する。(原書の小注:《淮南子》に曰く、この時彗星は現れる。宋均に曰く、これはまさに兵禍が互いに残殺する徴兆である。)《春秋考異郵》はまた曰く:臣下が放縦・専恣すれば、地震が発生し、星孛が現れる。京房に曰く:君主が禍乱を招けば、彗星は現れる。鄭玄に曰く:彗星は旧物を掃除することを主る。
石氏曰:“凡彗星有四名:一名孛星,二名拂星,三名掃星,四名彗星,其狀不同,為殃如一。其出,不過三月,必有破國、亂君,伏死其辜,餘殃不盡,當為飢、旱、疾、疫之災。其星日行一尺,二十日而入,此彗星之行也。”
石申に曰く:およそ彗星には四種の名称がある。第一は孛星といい、第二は拂星といい、第三は掃星といい、第四は彗星という。それらの形状は同じでないが、齎らす災殃は同じである。それらが一たび現れれば、三ヶ月を過ぎずに、必ず国家が破亡し君主が昏乱して、罪を伏して死ぬ。余殃が尽きなければ、また接続して飢饉・旱災・疾病・瘟疫の類の災禍が発生する。この星は毎日一尺を運行し、二十日にして隠没して見えなくなる。これが彗星の行度である。
文穎注《漢書》曰:“孛、彗、長三星,其占略同,然其形象小異。孛,芒短,其光四出,蓬蓬孛孛也;彗,其光芒長,參參如掃彗;長星,其光芒有一直指,或竟天,或十丈,或一二丈,無常也。大法,孛彗星多為除舊佈新,改易君上,亦為火災,長星多為兵革。”
文頴が《漢書》に注していう:孛星・彗星・長星のこの三種の星は、占断の含義はおおむね同じであるが、形状はやや差異がある。孛星は芒尾が短く、光は四面に散射して、蓬蓬・孛孛として一団に聚る。彗星は光芒が長く、参差して披拂して一把の箒に似る。長星は光芒はただ一道が某方を直指し、あるいは全天を横貫し、あるいは十丈、あるいは一二丈で、長短に定準がない。大体の法則は、孛星・彗星は多く除旧・布新し、君上を更換することを主り、また火災をも主る。長星は多く戦乱・兵革を主る。
(《史記淮南王傳》曰:建元六年,彗星見,淮南王安心怪之,或說王曰:先吳軍起時,彗星長數尺然,尚流血千里,今彗星長竟天,天下兵當大起。王心以為上無子,天下有變,諸侯並爭,愈益治攻戰具,遂謀反。)《黃帝占》曰:“彗星出見,本類星,長可二三尺,其炎如氣,黃白孛孛然,名孛星,見則天下兵起,臣謀其主,必有亡國,期不出三年。”
(原書の小注:《史記・淮南王伝》に曰く、漢の武帝・建元六年、彗星が現れ、淮南王・劉安は心にこれを怪異の兆と覚えた。ある人が王に説いていう:昔呉国が兵を起こした時、彗星はわずかに数尺しかなかったのに、なお血流千里であった。いま彗星は長くして全天を横貫し、天下の兵事は必ず大いに起こるであろう。淮南王は心に皇上に子がなく、天下に変故があって、諸侯はまさに一斉に相争わんとするを思い、ここにいよいよ加緊して攻戦の器械を造り立て、ついに反逆を企てた。)《黄帝占》に曰く:彗星の現れる時、根部は一つの尋常の星に似て、長さ約二三尺、その火焔は一団の気のごとく、黄白色にして蓬勃して四射し、名は孛星という。それが一たび現れれば、天下はまさに兵を起こし、臣子は君主を企て、必ず国家の滅亡するがあり、応験は三年を出ない。
《黃帝占》曰:“彗星出見,本類星,長可一丈,其炎頭散下垂,狀如毛拂,名曰拂星,見則天下亂,兵大起,強臣有謀,有走主,其君失地,近一年,中三年,遠五年。”《黃帝占》曰:“彗星出見,可二丈,至三丈,形如竹木枝條,名曰掃星,三丈已上至十丈,名曰彗星,彗掃同形,長短有差,殃災如一,見則掃除凶穢,必有滅國,臣弒其君,大兵起,國易政,無道之君當之,期三年,中五年,遠九年。”
《黄帝占》に曰く:彗星の現れる時、星体の本体は一つの尋常の星に似て、光尾はおよそ一丈ほどの長さで、火焔のごとき頭部は披散して開けて下に低く垂れ、形状はあたかも一把の毛払子に似て、こういうのは名を「拂星」という。それが一たび露見すれば、天下はまさに動乱し、大規模の戦争が興り、権勢の煊赫の臣子は密かに不軌を企て、流亡して外に在る君主が現れ、国君は疆土を喪失する。応験は最も早く一年の内、中は三年、最も遅く五年である。《黄帝占》はまた曰く:彗星が現れて、光尾が長さ二丈乃至三丈に達し、形状は竹木の枝条に似るは、こういうのは名を「掃星」という。三丈以上から十丈に至るは、これを「彗星」と称する。彗と掃は形状は同じく、ただ長短の差別があるのみで、齎らす災殃は全然同じである。それの現れるは凶悪・汚穢の気を掃除せんとして、必ず国家の滅亡するがあり、臣子がその君主を弑殺し、大戦が爆発し、国家は政令を改換し、無道の君主はこの分の災禍を承当しなければならない。応験期は三年、中は五年、最も遠く九年である。
石氏曰:“掃星者,逆氣之所致也,枝條長短如彗星之形,出居二十八宿及中外官三日、七日,或三十日,或五十日,常不滅,彗孛出而即滅,掃除凶穢,除故布新,故言掃星。”董仲舒曰:“孛星者,彗星之屬也,偏指曰彗,芒氣四出曰孛,孛者,孛孛然也,謂之孛者,言其闇昧不明之貌也。一說云:孛即彗也,彗星所敝為孛。春秋言:星孛者。皆彗敝也。”
石氏に曰く:掃星とは、天地の間の逆乱の気の積聚して招致する所で、それの光芒は枝条のごとく伸展し、長短の形状は皆彗星と同じである。それが現れた後に二十八宿および中官・外官の各星座の間に停留して、あるいは三日、あるいは七日、あるいは三十日、あるいは五十日で、つねに久しく散じない。彗星・孛星は往々にして一たび露見すればすなわち消失する。それの職司は凶悪・汚穢を掃除し、陳旧を除き更新を布すので、これを「掃星」と称する。董仲舒に曰く:孛星は彗星の同類である。光芒が一側に偏って伸び出るを「彗」と呼び、芒気が四面に向かって噴射するを「孛」と呼ぶ。いわゆる「孛」とは、すなわち孛孛然として涌動する様子である。これにこの名を与える所以は、それの昏暗・不明なる形貌を形容するのである。別の一種の説に、孛はすなわち彗で、彗星の光芒の遮蔽・掩暗するあの一部分をすなわち孛と称す。《春秋》のおよそ「星孛」を記載する所は、いずれも彗光の遮蔽をいう。
(按《史記》曰:齊景公三十二年,彗星見,景公坐柏寢,嘆曰:“堂堂,誰有此乎。”群臣皆泣,晏子笑,公怒,晏子曰:“臣笑群臣諛甚。”景公曰:“彗星出東北,當齊分野,寡人以憂。”晏子曰:“君高臺深池,賦斂如弗得,刑罰恐弗勝,孛星將出,彗星何懼。”平公曰:“可禳否?”晏子曰:“使神可祝而來,亦可禳而去也。百姓苦怨以萬數,而君令一人讓之,安能勝眾口乎?”推此言則孛之為災,踰於此也。)
原書の小注:《史記》に拠れば、斉の景公三十二年、彗星が現れた。景公はちょうど柏寝台に坐して、嘆息していう:「このように堂皇たる基業は、日後誰に帰有せんか。」群臣は聴いて皆涙を落したが、ただ晏嬰だけは笑を発し、景公はこれがために怒った。晏嬰に曰く:「臣の笑うは群臣の阿諛するのあまりに過分なるである。」景公に曰く:「彗星は東北方に出て、ちょうど斉国の分野に当たる。ゆえに寡人は憂慮する。」晏嬰に曰く:「あなたは高台を築き深池を掘り、賦税の徴斂は収め足らぬを恐れ、刑罰の施用は用い尽くせぬを恐れ、このように照らして行けば、彗星よりもっと凶い孛星さえまさに出ようとする。区区たる彗星に何の惧れることがあろう。」斉の君はまた問う(原文はここを「平公」と作るが、たぶん「景公」の訛である):「禳祭を挙行して消災することができようか。」晏嬰に曰く:「もし鬼神が真に祝祷して招き来たりえれば、それはまた禳祭して駆り去りもしえよう。百姓の怨苦は万をもって計り、あなたはただ一人を遣ってあなたに替わって天に謝過せしめるに、どうして千万の口の怨声に敵しえよう。」これによって推想すれば、孛星の主る災禍は、彗星よりなお厳重である。
劉向《鴻範傳》曰:“孛星者,非孛星,惡氣之所生也,內不有大亂,則外有大兵。其所以孛孛曖曖者,亂之象也,不明之表,又參然孛焉,兵之類也,故聖人名曰孛,孛者,猶有所妨蔽,有所傷害也。”《荊州占》曰:“彗星,其象如竹彗樹木,枝條長短無常。”
劉向《鴻範伝》に曰く:孛星は真の星体ではなく、天地の間の邪悪の気の凝結して生じたものである。それが一たび現れれば、国内に大乱が発生しなければ、国外に大戦がある。それの孛孛として涌動し、暧昧・昏暗の様子を顕す所以は、まさに禍乱の徴象、政令の晦暗・不明の外在の表現である。さらに芒気の紛然・参差して四射するを加えれば、それは兵象に属する。ゆえに古代の聖人はこれに「孛」の名を与えた。「孛」の意は、すなわち妨蔽する所、傷損・残害する所がある。《荊州占》に曰く:彗星の形象は竹枝の扎て成る帚に似、また樹木の枝条に似て、光芒の長短は定準なし。
《黃帝占》曰:“彗星出行犯守外舍,當先知逆順,入宿深淺,去之遠近、久速,觀其五色,察其動靜,及以喜、怒、揚、變色,皆為殃咎。守之,去速,災輕;守之久,災重;各隨所在之宿命其國,以占吉凶。”《黃帝占》曰:“彗孛所干,歷百日以上,期三年;百五十日以上,期五年;二百日以上,期七年。”
《黄帝占》に曰く:彗星が運行して本宿以外の星座を冲犯・留守する時、占験する人はまずそれの運行の方向の逆か順か、ある宿に入るの深か浅か、その宿を離れるの遠か近か・速か慢かを弁明し、またそれの青赤黄白黒の五色の中のどれを顕すかを観察し、それの動か静かを審察し、およびそれの呈する喜・怒・揚芒・変色などの種種の状態を、これらは悉く災殃・咎害を主る。留守の時間が短く去るの速いは、災禍は軽し。留守するの久しきは、災禍は重し。それの所在する星宿によって相応の諸侯国を指認し、これに依って吉凶を推占する。《黄帝占》はまた曰く:彗星・孛星が某所を冲犯し、前後して百日を経る以上のは、応験期は三年。百五十日以上のは、応験期は五年。二百日以上のは、応験期は七年。
《黃帝占》曰:“彗星出見,其國大人亡。見一旬,期三月十日;見三十日,將當之,期三年;見五十日,相當之,期五年;見七十日,人主當之,期七年,若九年,災必應。”《春秋緯》曰:“諸彗內官,皆為內謀,曝骨將將,死尸滿溪,血流千里,出外宿,不加內官,禍小起。”
《黄帝占》に曰く:彗星が現れれば、それの対応するあの国に顕貴の大人物の死亡がある。十日現れたは、応験期は三ヶ月と十日。三十日現れたは、将帥がこの災禍を承当し、応験期は三年。五十日現れたは、宰相が承当し、応験期は五年。七十日現れたは、国君本人が承当し、応験期は七年、あるいは九年で、災禍は必ず応験する。《春秋緯》に曰く:およそ彗星が中官の各座に侵入するは、皆宮廷の内部に陰謀があることを主り、白骨は累累として野に暴露し、死屍は谿谷に満ち、血は千里に流れる。もしただ外周の宿次に現れ、中官の諸座に逼近しなければ、禍患の発作は比較的小さい。
《巫咸占》曰:“彗星入列宿中外者,各以其所部舍官名,為其事所之者,為其謀,其下之國,皆受其禍,以所守之舍為其期,以五氣相賊者為其決。”《海中占》曰:“彗長五尺,以至一丈,期三月,若十月;一丈以至三丈,期三年;三丈以至五丈,期五年;五丈以至十丈,期七年;十丈以上,期九年。”《荊州占》曰:“彗星見久,災深大;其短淺,為災小。”
《巫咸占》に曰く:彗星が二十八宿および中官・外官の諸座に入るは、それぞれそれの入ったあの宿・あの座の星官の名号に按って事を断じる。星芒の指向する所は、すなわち事情の発生する所である。星の侵犯する星官は、すなわち陰謀の針対する対象である。これらの星官の下に轄する国家は、皆この禍患を受けなければならない。それの留守する宿次によって応験の時日を推定し、さらに五行の気の相克・相害の関係をもって最終の結果を判定する。《海中占》に曰く:彗光の長さ五尺から一丈のは、応験期は三ヶ月、あるいは十ヶ月。一丈から三丈のは、応験期は三年。三丈から五丈のは、応験期は五年。五丈から十丈のは、応験期は七年。十丈以上のは、応験期は九年。《荊州占》に曰く:彗星の現れる時間が長いは、災禍は深重。光芒が短小・浅淡のは、災禍は軽微。
《黃帝占》曰:“彗星者,所以除舊佈新,掃滅凶穢。其象若竹彗樹木,枝條長大而見,則災深期遠;短小而見,則災淺期近;皆為兵、飢、水、喪,亡國之殃。”(按班固《天文志》:始皇之時,十五年間彗星四見,久者八十日,長或竟天,後秦遂以兵內兼六國,外攘四夷,死人如亂麻。)
《黄帝占》に曰く:彗星の職司は、旧を除き新を布し、凶悪・汚穢の気を掃滅するにある。それの形象は竹箒・樹枝条のごとき。枝条が粗く長くして現れるは、災禍は深重にして応験の年限も遠い。短小にして現れるは、災禍は軽浅にして応験の年限も近い。総じて兵禍・飢饉・水患・喪事を主り、亡国の災殃である。原書の小注:班固《天文志》に拠れば、秦の始皇が位にある時、十五年の間に彗星が四度現れ、持続の最も久しいのは八十日に達し、光尾は長くしてほとんど全天を横貫した。この後秦は果たして内には兵力をもって六国を呑并し、外には四方の夷狄を駆逐し、死んだ人は散乱した麻のごとく多かった。
韋昭《洞紀》曰:《洛書兵鈐勢》曰:“彗星出,野骨捐。”《春秋演孔圖》曰:“彗星出則國樞蹶。”《演孔圖》曰:“彗星東出,長八丈,天下更政。”《春秋文曜鉤》曰:“彗星孛,填街塞路,九州粉擊。庶人為主。”
韋昭《洞紀》は以下の数家の占辞を転録した。《洛書兵鈐勢》に曰く:彗星が現れれば、屍骨は荒野に拋棄される。《春秋演孔図》に曰く:彗星が現れれば、国家の中枢はまさに傾覆する。《演孔図》はまた曰く:彗星が東方から現れ、光尾の長さ八丈に達すれば、天下は政権を改換する。《春秋文曜鈎》に曰く:彗星・孛星が現れれば、難を避ける人は街巷に満ち道路を塞ぎ、九州の内は互いに攻撃し混戦して一片と成り、平民・百姓はついに君主を為した。
《春秋運斗樞》曰:“彗星見,後曲象旗,則王者伐枉逆。”《春秋運斗樞》曰:“星之孛,臣威孳,兵粉擊,滅國謀。”《春秋保乾圖》曰:“星孛,備強國黜臣所欲。”又曰:“星孛,兵變。”
《春秋運斗枢》に曰く:彗星が現れ、尾部は彎曲して一面の飄揚する旗幟に似るは、それは帝王がまさに邪枉・叛逆の人を討伐せんとする徴兆である。《春秋運斗枢》はまた曰く:星孛が現れるは、臣下の威権が日に滋長し、兵戈は交相い攻撃し、人の国家を滅亡せんと企てる者がある。《春秋保乾図》に曰く:星孛が現れれば、君主は強国の来たり犯すに備え、かつ非分の想いを懐く臣子を罷黜せねばならない。又曰く:星孛が現れれば、兵乱・変故を主る。
石氏曰:“彗星出而長,名曰白旗,喪氣也,當視旗之所指、所掃,沖破之下,必有兵喪,其國滅亡,大人受殃,各以沖互為期。前互為近期,沖破為中期,後互為遠期,皆不過五七九,災必應。”
石氏に曰く:彗星が現れて光尾の特別に長いは、名を「白旗」といい、喪亡の気に属する。占験する時はこの面の「旗」が何方に指し、何処を掃うかを見るべく、およそそれに正冲・直破された分野の下は、必ず戦事と喪事があり、あの国はまさに滅亡し、顕貴の大人物は禍殃を受ける。応験の時日は各々「冲」位と「互」位に按って推算し、前互に落ちれば応験は最も近く、正冲・直破は中に居り、後互に落ちれば最も遠い。ただし皆五年・七年・九年を超えず、災禍は必ず応験する。
石氏曰:“掃出,狀如上有烏,赤色,此謂有憂;黑者,群臣有賊。掃所在之下,主亡國。”石氏曰:“掃出,狀如小木,長三丈,其本有黑,二三丈,其本有赤,見居四維,此謂為謀,其歲兵發。”
石氏に曰く:掃星が現れて、形状は頂端に一羽の烏鴉の栖むに似て、色沢が赤を発するは、憂患があることを主る。色沢が黒を発するは、群臣の中に賊を為し乱を作す人があることを主る。掃星の臨む分野の下の国家は、亡国を主る。石氏はまた曰く:掃星が現れて、形状は一株の小樹に似て、長さ三丈にして根部に黒色を帯ぶ、あるいは長さ二三丈にして根部に赤色を帯び、東北・東南・西南・西北のこの四維の方位に現れるは、これを人の乱を作さんと企てるといい、その年にすなわち戦事が爆発する。
石氏曰:“掃出,狀如直竹,長二三丈,其尾銳,白色,此謂天下喪,天子死亡,國朝不慶,諸侯亡。”石氏曰:“掃出,狀如直竹,長二三丈,赤色尾銳,此謂出急令,兵戰,以見諸侯不德。”石氏曰:“掃出,諸侯誅,皆在其國受殃,指亦然。”
石氏に曰く:掃星が現れて、形状は一本の筆直の竹竿に似て、長さ二三丈、尾端は鋭く、白色を呈するは、これは天下に喪があり、天子が死亡し、朝廷は慶典を挙行すること能わず、諸侯は身が亡ぶことを主る。石氏はまた曰く:掃星が現れて、形状は一本の直竹に似て、長さ二三丈、赤色にして尾端は鋭きは、これは国家が緊急の号令を頒下し、兵戎は交戦し、これによって諸侯の徳を失うを顕現することを主る。石氏はまた曰く:掃星が現れれば、諸侯の誅されるを主り、およそ星の臨むあの国は皆災を受け、星芒の指向する方位もまた同様である。
石氏曰:“蓬掃出見者,飢,有兵,亡地。四方蓬掃出,其狀如太白,蓬長三丈,指樂掃見,兵起大亂;渠掃見者,禾稼就;蒲掃見,兵起於境上,軍戰不勝;杵掃出,大將起,反,人主凶;竹掃見,為兵。”
石氏に曰く:蓬草に似た掃星が現れるは、飢饉を主り、戦事があり、国土を喪失する。四方に皆蓬掃が現れて、その光色は太白金星に似て、蓬形の光芒は長さ三丈。その中に、楽掃が現れれば、兵禍が興り天下は大いに乱れる。渠掃が現れれば、禾稼はかえって成熟して豊収する。蒲掃が現れれば、戦事は辺境の上に発生し、軍隊は作戦して勝を得る能わず。杵掃が現れれば、大将は兵を起こして反逆し、君主に凶険がある。竹掃が現れれば、兵事を主る。
甘氏曰:“彗茀見,則女主有用事者,其本為主人。”甘氏曰:“彗掃,水之精,出則不過一年,天下水及有飢。星所在宿,其邦尤甚。”甘氏曰:“彗星春夏出為飢、水;秋冬出為人主自將兵,若大喪。又曰:冬春見為小凶,夏秋為大凶。”
甘氏に曰く:彗星・孛星が現れれば、女主が臨朝して政を当たる者があり、星体の本体の対応するはまさにあの権を掌る主人である。甘氏はまた曰く:彗掃は水の精気の化する所で、一たび現れれば、一年を出ずに天下に水災があり飢饉を伴生する。星の所在するあの宿の対応する邦国は、害を受けることことに甚だしい。甘氏はまた曰く:彗星が春夏の两季に現れるは、飢饉と水患を主る。秋冬の两季に現れるは、君主が自ら兵を統べて出征するか、あるいは国喪を主る。又曰く:冬春に現れるは小凶と算え、夏秋に現れるは大凶とする。
甘氏曰:“彗星,其枝條長,為兵、為喪;短,為水、為飢。其見一旬,期三月。”京房曰:“彗星出,為飢、兵,臣下失中和,故出彗掃除之。”
甘氏に曰く:彗星のあの枝条のごとき光芒が長いは、兵禍を主り喪事を主る。光芒が短いは、水災を主り飢饉を主る。それが十日現れたは、応験期は三ヶ月である。京房に曰く:彗星が現れるは、飢饉と兵乱を主り、これは臣下が中正・平和の道に背离するがゆえに、天は彗星を降してもってこれを掃除するのである。
(按韋昭《洞記》曰:漢安帝四年三月,彗星見。四年,渤海鮮卑磨懷反,掠遼東三縣地。平原賊起,攻宮寺長吏,西羌匈奴侵邊,又旱也。)劉向《鴻範傳》曰:“彗星者,天所以去無道而建有德也。”
原書の小注:韋昭《洞記》に拠れば、漢の安帝四年三月、彗星が現れた。同じ年、渤海の一帯の鮮卑人・磨懐は反逆して、遼東の三県の土地を搶掠した。平原郡の盗賊は蜂起して、官府・衙署を攻め、地方の長吏を殺害した。西羌と匈奴は辺境を侵扰し、また旱災に遭った。劉向《鴻範伝》に曰く:彗星とは、上天が無道の君を除き有德の人を扶立するに用うる憑拠である。
(按《春秋左氏傳》曰:昭公二十六年,齊有彗星,齊侯使禳之,晏子曰:無益也,只取誣焉。天道不諂,不貳其命,若之何禳之?且天之彗也,以除穢也,君無穢德,又何禳焉?若德之穢,禳之何損?乃止。)
原書の小注:《春秋左氏伝》に拠れば、魯の昭公二十六年、斉国の上空に彗星が現れ、斉侯は人を遣って禳祭を挙行して消災せんと欲した。晏嬰は勧止していう:これは用がなく、ただ天を欺く名を落とすのみである。天道は諂媚によって改変せず、またすでに発した命令を更改せず、どうして禳除しえよう。しかも天の彗星を降すは、もともと汚穢を掃除するためである。国君にもし汚穢の徳行がなければ、また何を禳除せん。もし徳行が果して汚穢なら、禳祭はまた何を減損しえよう。斉侯はここにやめた。
郗萌曰:“彗星短,為飢,為兵;向下,為土功,所見之邦當之。”《荊州占》曰:“彗星昏見,其國受兵。一曰:必亡國滅軍,不然必有死主。”
郗萌に曰く:彗星の光芒が短いは、飢饉を主り兵禍を主る。光芒が下方に向かって指すは、大いに土木の工程を興すことを主り、これらは皆星の現れたあの邦国によって承当する。《荊州占》に曰く:彗星が黄昏の時分に現れれば、それの対応する国家は兵禍を受ける。別の一説に、必ず国が亡び軍が滅び、そうでなければ一定に君主の死去がある。
(按《晏子春秋》曰:景公謂晏子曰:寡人聞彗星出,其所向之國當之。今彗星向吾國,我是以悲。晏子曰:君穿池欲深廣,為臺欲高大,誅戮如仇讐,又將出彗星,寧可拒乎。公乃填陂池,滅臺樹,薄賦斂,緩刑罰,三十七日,彗星亡矣。韋昭《洞紀》曰:周貞定王七年,彗星見。八年,貞定王崩。周元王二年,彗星見,其年魯哀公卒。《幽明錄》曰:晉太元末,長星見,孝武心惡之,夜在華林園中飲酒,因舉杯屬星曰:長星,勸爾一杯酒,自古又何時有萬歲天子耶?帝亦尋崩也。)
原書の小注:《晏子春秋》に拠れば、斉の景公は晏嬰に謂っていう:寡人は聞く、彗星が現れれば、それの指向する国家が災禍を承当する。いま彗星はまさにわが国を指し、われはこれによって憂傷する。晏嬰に曰く:国君あなたは池を掘るに深く広からんを欲し、台を築くに高く大ならんを欲し、臣民を殺戮するは仇讐に対するがごとく、このように照らして行けば、またもっと凶い彗星を招き出さんとし、どこで抵当しえよう。景公はここに陂池を填め、台榭を拆毀し、賦税を軽減し、刑罰を放寛し、三十七日を過ぎて、彗星はすなわち消失した。また韋昭《洞紀》に拠れば、周の貞定王七年に彗星が現れ、第二年に貞定王は去世した。周の元王二年に彗星が現れ、その年に魯の哀公は去世した。《幽明録》に記す:東晋・太元の末年、長星が現れ、孝武帝は心にそれを悪み、夜中に華林園で飲酒し、酒杯を挙げてあの星に向かっていう:長星や、われはあなたに一杯の酒を勧める。古来またいつか万歳して死なざる天子があったか。間もなく孝武帝もすなわち去世した。
《荊州占》曰:“彗星出,必有反者,兵大起,其國亂亡。一曰:不出一歲,天下大水,其邦尤甚。”《荊州占》曰:“彗星見,則敵國兵起,得人者勝。”
《荊州占》に曰く:彗星が現れれば、必ず反逆する人があり、大規模の戦争が爆発し、あの国は動乱に陥りて滅亡する。別の一説に、一年を出ずに、天下に大水が発生し、星の対応する邦国の害を受けるはことに甚だしい。《荊州占》はまた曰く:彗星が現れれば、敵国はまさに兵を挙げて犯し来たり、両軍は相争い、人心・賢才を得る方が勝つ。
(按《尉繚子》曰:昔楚將軍城父、公子心與齊人未合戰。其日,夜彗星出,柄在齊,柄之所在勝,不可擊。子心曰:彗星何知?以彗斗者固倒而勝焉。而列之,明日與齊人戰,大破之。)
原書の小注:《尉繚子》に拠れば、昔楚国の将軍・城父と公子心は斉国の軍隊と相持して、いまだ交戦せず。その日の夜、彗星が現れ、彗柄は斉軍の一方に指向した。占法に按れば、彗柄の所在する一方が勝つので、出撃すべきでない。公子心はかえっていう:彗星が何を知るか。帚を持って人と搏闘するは、もともと倒れて柄を握ればこそ便宜を占める。ここに旧のごとく陣を列し、第二天斉軍と交戦して、斉軍を大いに破った。
《玉曆》曰:“彗星出見,是謂天地相靡,其分受兵,必有亡國,若有死主,期不出三年。”(按韋昭《洞記》曰:周赧王十年、十二年、十九年,彗星見,後秦取周之地,彗星之應也。)
《玉暦》に曰く:彗星が現れるは、これを天地の気が互いに摩蕩するといい、星の臨むあの分野は兵禍を受け、必ず国家の滅亡するがあり、あるいは君主の死去があり、応験は三年を出ない。原書の小注:韋昭《洞記》に拠れば、周の赧王十年・十二年・十九年に三度彗星が現れ、後に秦は周室の土地を奪取した。これはまさにあの数回の彗星の応験である。
《巫咸占》曰:“彗星有出者,皆是五星之象,以其所出宿,以命五行所屬之象。出於木宿,歲星之象;出於火宿,熒惑之象;出於土宿,填星之象;出於金星,太白之象;出於水宿,辰星之象;見於二十八宿中外官,變色、揚芒、怒而與五星合斗,此皆大兵之沖,破國之殃,臣凌其君,下不伏上,天下不順,故致此災,審以五色察之,決知存亡之事。”
《巫咸占》に曰く:およそ彗星の現れるは、皆五星の気の化する形象で、それの現れた宿次に依拠して、それの五行の所属する象を判定する。木に属する宿次に現れるは、歳星の象。火に属する宿次に現れるは、熒惑の象。土に属する宿次に現れるは、填星の象。金に属する宿次に現れるは、太白の象。水に属する宿次に現れるは、辰星の象。それが二十八宿および中官・外官の各座の間に身を現し、顔色を変換し光芒を張揚し、怒冲冲として五星と会合して争闘するは、これらは皆大戦・交鋒の徴兆、国を破る災殃で、臣子が君主を欺凌し、下位の者が上位の者に服従せず、天下が順でないことを説明し、因ってこのような災禍を招来する。仔細に五色に按って審察すれば、すなわち国家の存亡の結局を判定することができる。
《海中占》曰:“凡彗有色,白黑為男主,赤黃為女主,皆為人君、女主死之之殃。”《河圖》曰:“蒼彗,主滅不義,少陽之精,司徒之類,蒼龍七宿之域,有謀反,若恣虐為害,主失春政者,以出時沖為期,皆主君之敗也,大人滅。”
《海中占》に曰く:およそ彗星が顔色を顕すは、白色と黒色は男性の君主に応じ、赤色と黄色は女主に応じ、皆国君あるいは女主の死亡の災殃を主る。《河図》に曰く:青色の彗星は、不義の人を誅滅することを主り、それは少陽の精気の凝り成る所で、人事の上では司徒の類に帰属する。それが東方の蒼龍七宿の区域に現れれば、あの分野に人の謀反するを主り、あるいは人の恣虐して害を為すがあり、あるいは君主が春季に行うべき政令を荒廃する。応験の時日はそれの現れた時の正冲する方位に按って推算し、総じて皆君主の敗亡・顕貴の大人物の覆滅を主る。
《春秋緯》曰:“蒼彗木精,出見而生芒,主逆陽,失天常,則日蝕明消,此星出,期三年,五侯破天子,若兵。”《春秋緯合誠圖》曰:“蒼彗破神明。”
《春秋緯》に曰く:青色の彗星は木の精気の化する所で、現れて芒角を生じ、陽道に違逆し天常を失うことを主る。一たびこのようになれば、日食はすなわち発生し、日光はこれに随って消損する。この星が現れれば、応験期は三年で、五方の諸侯が天子を攻破するか、あるいは兵禍が興る。《春秋緯合誠図》に曰く:青彗が現れれば、神明の徳を毀破する。
《河圖》曰:“黑彗,主涿州,太陰之精,玄武七宿之域,有謀反,若恣虐為害,主失冬政者,期如上占,禍應之。入天子之宿,主滅諸侯位,五伯謀。”
《河図》に曰く:黒色の彗星は、涿州の一帯の北方の分野に応ずるを主り、それは太陰の精気の凝り成る所である。それが北方の玄武七宿の区域に現れれば、あの分野に人の謀反するを主り、あるいは人の恣虐して害を為すがあり、あるいは君主が冬季に行うべき政令を荒廃し、応験の時日は上文のいう占法と同じで、禍事はこれに随って来る。もしそれが天子の居する宿次に侵入すれば、諸侯の位の削滅せらるを主り、五覇の類の強臣は心に図みを存する。
《春秋緯》曰:“彗水精,賊起則水決江河,期二年。其出赤,世以水害亡。水害者,以類發難也,近四,遠八,以其禍行。”《河圖》曰:“白彗,主斬強,少陰之精,大司馬之類,白如上占,禍應之。”《春秋緯》曰:“白彗金精,如鋒刃,長四丈,見則將軍逆,期二年,兵作。”
《春秋緯》に曰く:彗星は水の精気の化する所で、一たび賊寇が興起すれば、江河はまさに決口して泛濫し、応験期は二年。それが現れて赤色を呈するは、あの世は水害によって亡ぶ。いわゆる水害とは、同類の気が相感じて引き起こす禍難で、近くは四年、遠くは八年、禍事の進程に随って逐次応験する。《河図》に曰く:白色の彗星は、強横の人を斬殺することを主り、それは少陰の精気の凝り成る所で、人事の上では大司馬の類に帰属する。白彗の占法は上文と同じで、禍事はこれに随って応験する。《春秋緯》に曰く:白彗は金の精気の化する所で、形状は刀鋒・剣刃に似て、長さ四丈、一たび現れれば将軍の叛逆を主り、応験期は二年、兵事は発作する。
《春秋合誠圖》曰:“白彗主臣權,一曰:專權。”《河圖》曰:“赤彗,主滅五卿,太陽之精也,朱鳥七宿之域,有謀反,若恣虐為害,主失夏政者,期如上占,皆類名之。”《河圖》曰:“赤彗火精,如火耀,長七尺,賊起強,圖恣虐。期三年。”《春秋合誠圖》曰:“赤彗滅五卿。”
《春秋合誠図》に曰く:白彗が現れれば、臣下が君権を窃奪することを主る。別の一説に大臣が権柄を専擅することを主る。《河図》に曰く:赤色の彗星は、五卿を誅滅することを主り、それは太陽の精気の凝り成る所である。それが南方の朱鳥七宿の区域に現れれば、あの分野に人の謀反するを主り、あるいは人の恣虐して害を為すがあり、あるいは君主が夏季に行うべき政令を荒廃し、応験の時日は上文の占法と同じで、皆同類に按って事を命名し断ずる。《河図》はまた曰く:赤彗は火の精気の化する所で、火焔のごとく耀眼で、長さ七尺、強横の賊寇の興起を主り、恣に暴虐を行うを図り、応験期は三年。《春秋合誠図》に曰く:赤彗が現れれば、五卿は誅滅される。
《河圖》曰:“黃彗,主女亂,皆土精,斗七星之域,以張四方,八卦之內,司空之類,有謀反,若恣虐為害者,期如上占。”《春秋緯》曰:“黃彗如正見,(一本云:如重雲)則主女害妃嬪,有以色擢上,奪於后妃,期一年,彗星孛見於四方。”
《河図》に曰く:黄色の彗星は、女子の乱を作すことを主り、それらは皆土の精気の凝り成る所である。それが北斗七星の区域に現れ、光芒は四方に張布し、八卦の内を籠罩し、人事の上では司空の類に帰属する。あの分野に人の謀反するを主り、あるいは人の恣虐して害を為すがあり、応験の時日は上文の占法と同じである。《春秋緯》に曰く:黄彗がもし端正に顕現すれば(原書の小注:別の本は「重雲のごとし」と作る)、女子が妃嬪を加害することを主り、美色に凭って抜擢され上位して、后妃の寵位を奪う者があり、応験期は一年。末句の「彗星孛して四方に見ゆ」は、たぶん下文の彗孛が四方に出づるを分論する標目で、抄写者によって引文に并入された。
《黃帝占》曰:“彗星出東方,諸侯有起霸者,若有兵、飢。”(按韋昭《洞記》曰:漢武元狩三年春,有星孛於東方,匈奴入右北平、定襄,煞掠數千人。後元二年七月,有星孛於東方,冬,匈奴入朔方,煞掠人民。《吳志》曰:嘉禾五年十月,彗星見東方,都陽賊彭旦等為亂。《晉朝雜事》曰:武帝太康二年九月,彗星見東方,十一月,鮮卑磨懷反,掠遼東三縣地。)
《黄帝占》に曰く:彗星が東方に現れれば、諸侯の中に起って覇を唱う人があり、あるいは兵禍・飢饉が発生する。原書の小注:韋昭《洞記》に拠れば、漢の武帝・元狩三年の春、星孛が東方に現れ、続いて匈奴は右北平・定襄の両郡に侵入し、数千人を殺掠した。後元二年七月、また星孛が東方に現れ、その年の冬に匈奴は朔方に侵入し、百姓を殺掠した。《呉志》に記す:呉・嘉禾五年十月、彗星が東方に現れ、都陽の賊寇・彭旦らが乱を起こした。《晋朝雑事》に記す:晋の武帝・太康二年九月、彗星が東方に現れ、十一月に鮮卑人・磨懐は反逆して、遼東の三県の土地を搶掠した。
《河圖》曰:“彗星出東方,河逆決,將相代主,有與天子並治者。”(按《古洪範天文星辰變占》:魯哀公十三年冬十一月,有星孛於東方,其後楚滅陳國,田氏篡齊,六卿分晉也。)《易坤靈圖》曰:“彗星自東方出,蒼萌,動功。”
《河図》に曰く:彗星が東方に現れれば、黄河はまさに倒灌して決口し、将相は君主に取って代わり、天子と肩を竝べて権を掌る人がある。原書の小注:《古洪範天文星辰変占》に拠れば、魯の哀公十三年冬十一月、星孛が東方に現れ、この後楚は陳国を滅ぼし、田氏は斉国を簒奪し、六卿は晋室を瓜分した。《易坤霊図》に曰く:彗星が東方から現れ、青色の萌芽の光を泛かべ、土木の功を興動することを主る。
《春秋緯》曰:“彗星出東方,爭明光,見全代蒼,北,皆天子之異,大小之類,各應其邦。”《春秋感精符》曰:“星孛於東方,言陰爭陽,臣代主,以兵相滅,以勢相乘,天下變易,帝位久空,人人僥倖,布衣縱橫,禍未定息,主滅亂起,陰動爭明之異也。”
《春秋緯》に曰く:彗星が東方に現れ、日月と光明を争う。およそ東方に遍く現れて蒼龍の位を代表するは、および北方に現れるは、皆天子の災異に属し、事情に大と小とがあり、各々相応の邦国に応ずる。《春秋感精符》に曰く:星孛が東方に現れるは、陰気が陽気と争うことを講り、臣子が君主に取って代わり、互いに兵戈をもって相滅し、権勢をもって相凌し、天下は朝を改め代を換え、帝位は久しく空懸し、人の心は皆僥倖を存し、布衣・平民は縦横して一時を為し、禍乱は平息すること能わず、君主は覆滅して乱事は迭か起こる。これは陰気が躁動して陽と明を争う異象である。
(按韋昭《洞記》曰:漢武建元六年八月,有星霎孛於東方,長竟天門,後越王邪攻南越,趙王恢擊之,未至越,人殺邪。)《春秋運期授》曰:“蒼帝亡也,大(闕)亂,彗東出。”《春秋保乾圖》曰:“彗星出東,君臣爭明。”
原書の小注:韋昭《洞記》に拠れば、漢の武帝・建元六年八月、星孛が東方に閃現し、光尾は長くして直ちに天門に抵り、後に越王・邪は南越を進攻し、趙王・恢は兵を領して討伐した。まだ越地に至らずして、越人はすなわち邪を殺した。《春秋運期授》に曰く:蒼帝がまさに亡びんとして、天下は大(ここは底本に闕文あり)乱、彗星は東方から現れる。《春秋保乾図》に曰く:彗星が東方に現れれば、君臣が互いに光明を争うことを主る。
《春秋緯》曰:“星茀於東方,將軍謀主,主兵去,代主治,行天子之權。”巫成曰:“彗星出東方,其下發兵,與天子爭,人主亡。”京房曰:“星孛於東,則骨肉慾篡;近北,邊國入;於西,則兵大起,蠻貊戰;經東,西方民病,不救之,則致日蝕,既不謀。”《荊州占》曰:“彗星出東方,將軍有謀人主者。”
《春秋緯》に曰く:星孛が東方に現れれば、将軍は君主を企て、君主の兵権は奪われ、将軍は君主に代わって国を治め、天子の権柄を行使する。巫成に曰く:彗星が東方に現れれば、その下に臨む分野はまさに兵を発し、天子と相争い、君主は身が亡ぶ。京房に曰く:星孛が東方に現れれば、骨肉の至亲に位を簒奪せんと欲する者がある。北方に近ければ、辺地の国が侵入する。西方に現れれば、大規模の戦争が爆発し、蛮貊の人は来り戦う。東方を掠めれば、西方の百姓は病を生じ、もし救治を加えなければ、日食を招致し、事はあの時に至ってすでに籌謀の由なし。《荊州占》に曰く:彗星が東方に現れれば、将軍に君主を企てる者がある。
《黃帝占》曰:“彗星出北方,將軍有謀,欲代其主,若臣行不順而致。”(《洪範天文星辰變占》曰:漢武建元六年六月,有星孛於北方,及淮南王安反,服誅。)《易坤靈圖》曰:“彗星自北方出,色黑,動功。”《春秋緯》曰:“彗掃星出北方,諸侯起霸。”
《黄帝占》に曰く:彗星が北方に現れれば、将軍は心に異図を懐き、その君主に取って代わらんと欲し、あるいは臣子の行事の悖逆によって招致するを主る。原書の小注:《洪範天文星辰変占》に曰く、漢の武帝・建元六年六月、星孛が北方に現れ、後に淮南王・劉安は反逆を企て、法に伏して誅された。《易坤霊図》に曰く:彗星が北方から現れ、色沢は黒を発し、土木の功を興動することを主る。《春秋緯》に曰く:彗掃星が北方に現れれば、諸侯の中に起って覇を唱う人がある。
郗萌曰:“彗星出北方,長八九丈,名勉功;勉功出,天下更致。”石氏曰:“掃在北,狀如雞,聖人受兵,強國發兵,諸侯爭權,人主凶。”《黃帝占》曰:“彗掃茀出西方,天下有兵,夷狄大勝,中國大敗。”
郗萌に曰く:彗星が北方に現れ、長さ八九丈のは、名を「勉功」という。勉功が一たび現れれば、天下はまさに帰属を改換する。石氏に曰く:掃星が北方に現れ、形状は一羽の鶏に似て、聖人が兵禍を受け、強国は兵を発し、諸侯は権柄を争奪し、君主に凶険があることを主る。《黄帝占》に曰く:彗・掃・孛が西方に現れれば、天下に兵事があり、夷狄は大いに勝を獲し、中原は大いに敗る。
(按《宋書天文志》曰:晉成帝咸和四年七月,星孛於西北,二十散日滅,十二月,郭默殺江州刺史劉胤,荊州刺史陶侃討默,明年斬之,石勒又始僭號。)《易坤靈圖》曰:“彗星自西方出,白萌,動功。”《春秋運斗樞》曰:“彗星出西方,如鉤,長可四丈,名曰天攙。”
原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、晋の成帝・咸和四年七月、星孛が西北方に現れ、二十余日後に消散した。十二月、郭黙は江州刺史・劉胤を殺害し、荊州刺史・陶侃は兵を出して郭黙を討伐し、第二年に彼を斬首し、石勒もまたこの時に僭号して帝を称し始めた。《易坤霊図》に曰く:彗星が西方から現れ、白色の萌芽の光を泛かべ、土木の功を興動することを主る。《春秋運斗枢》に曰く:彗星が西方に現れ、形状は一隻の鈎に似て、長さ約四丈、名を「天攙」という。
《晉書》曰:“彗星出西方,長可二三丈,名曰天槍,受之者,其國方有土功。”《洪範天文星辰變占》曰:“漢宣帝地節元年正月,有星孛於西方,去太白二丈所。占曰:太白為大將軍,彗孛加之,掃滅象也。明年,大將軍霍光薨,後二年,光家夷滅。”《荊州占》曰:“彗星出西方,命曰天棓。”
《晋書》に曰く:彗星が西方に現れ、長さ約二三丈のは、名を「天槍」といい、この星象を受ける国家は、境内にまさに大いに土木を興す。《洪範天文星辰変占》に曰く:漢の宣帝・地節元年正月、星孛が西方に現れ、太白星を距ること二丈ほど。占辞に曰く:太白は大将軍を主り、彗孛はその上に加臨し、掃蕩・滅除の象である。第二年、大将軍・霍光は去世した。さらに二年を過ぎて、霍光の一家は夷滅された。《荊州占》に曰く:彗星が西方に現れるは、名を「天棓」という。
《黃帝占》曰:“彗掃星出南方,天下大亂,無有君上,兵飢並起。”《易坤靈圖》曰:“彗星自南方出,赤萌,動功。”石氏曰:“彗星出東南,其本類星,末類彗,長可二三丈,至一丈,名曰天槍,受之者,其國內亂,兵起宮中,王者憂之。”
《黄帝占》に曰く:彗掃星が南方に現れれば、天下は大いに乱れ、依帰すべき君上なく、兵禍と飢饉は一斉に発作する。《易坤霊図》に曰く:彗星が南方から現れ、赤色の萌芽の光を泛かべ、土木の功を興動することを主る。石氏に曰く:彗星が東南方に現れ、星身は一つの尋常の星に似て、星末は彗に似て、長さ約二三丈、あるいはただ一丈、名を「天槍」といい、この星象を受ける国家は内乱があらんとし、兵禍は宮廷の中から発起し、君王はこれがために憂慮する。
甘氏曰:“彗星出東南方,狀茀,長一丈,所受之者,其國有喪、內亂。”甘氏曰:“彗掃東,東南國大人死,七十日,主當之;五十日,相當之;四十日,將當之。”《荊州占》曰:“彗星出東南,長二丈以上,為其國內亂。”
甘氏に曰く:彗星が東南方に現れ、形状は孛に似て、長さ一丈、この星象を受ける国家は喪事があり内乱がある。甘氏はまた曰く:彗掃が東方に現れれば、東南方の国家に顕貴の大人物の死亡がある。七十日現れたは、君主が承当する。五十日は、宰相が承当する。四十日は、将帥が承当する。《荊州占》に曰く:彗星が東南方に現れ、長さ二丈以上のは、あの国家の内乱を主る。
《春秋運斗樞》曰:“彗星出東北,名曰天棓。”石氏曰:“彗星出東北,其本類星,末類彗,長可四五尺,若一丈,名曰天攙,受之者,其國有戮死者,大臣貴人當之。”甘氏曰:“掃星見東北,名曰天棓,受之者,其國君有戮。”
《春秋運斗枢》に曰く:彗星が東北方に現れるは、名を「天棓」という。石氏に曰く:彗星が東北方に現れ、星身は一つの尋常の星に似て、星末は彗に似て、長さ約四五尺、あるいは一丈に至り、名を「天攙」といい、この星象を受ける国家は殺される人があり、大臣・貴人がこの災禍を承当する。甘氏に曰く:掃星が東北方に現れるは、名を「天棓」といい、この星象を受ける国家は、国君に殺戮の禍がある。
石氏曰:“彗星出西北,本類星,末類彗,長可四五尺,至一丈,名曰天棓,受之者大亂,兵大起,若女主有憂,有大水,其年民飢。”巫咸曰:“彗星出西北,如鉤,長可四五丈,名曰天攙,受之者,國內亂。”《荊州占》曰:“彗掃出西北,其本類星,末類帚,長三丈以上,其內亂。”
石氏に曰く:彗星が西北方に現れ、本体は星に似て、末は彗に似て、長さ約四五尺、一丈に至り、名を「天棓」といい、この星象を受ける国家は大いに乱れ、大規模の戦争が爆発し、あるいは女主に憂患があり、大水が発生し、その年百姓は飢饉に遭う。巫咸に曰く:彗星が西北方に現れ、形状は一隻の鈎に似て、長さ約四五丈、名を「天攙」といい、この星象を受ける国家は内部が動乱する。《荊州占》に曰く:彗掃が西北方に現れ、星身は一つの星に似て、星末は帚に似て、長さ三丈以上のは、あの国家の内乱を主る。
(按《魏志》曰:毋丘儉為鎮東都督,日與揚州刺史文欽善,正元二年正月,有彗星數十丈,西北竟天,起於吳楚之分,儉欽喜以為己祥,遂矯太后詔,罪狀大將罕司馬景王移諸郡國,降兵大反。)
原書の小注:《魏志》に拠れば、毋丘倹は鎮東都督を担任し、平日に揚州刺史・文欽と交好した。正元二年正月、長さ数十丈の彗星が現れ、西北方で天際を横貫し、呉楚の分野から起った。毋丘倹・文欽は欣喜してこれは己に応ずる祥兆と認め、ついに太后の詔書を仮託し、大将軍・司馬景王の罪状を歴数し、各郡国に檄を伝え、率いる所の収降の兵衆を挙げて大いに反逆した。
石氏曰:“彗星出西南,本類星,末類彗,長可二三丈,名曰掃星,受之者,其國兵大起,將相有死者,邦易政,人主有憂。”(按韋昭《洞記》曰:漢景二年,有星孛於西南,四月壬午,太后薄氏崩也。)石氏曰:“掃出西南,有本類星,末類彗,長三丈以上,其國有土功。”
石氏に曰く:彗星が西南方に現れ、星身は一つの尋常の星に似て、星末は彗に似て、長さ約二三丈、名を「掃星」といい、この星象を受ける国家は兵禍が大いに起こり、将相の中に死亡する人があり、邦国は政令を改換し、君主に憂患がある。原書の小注:韋昭《洞記》に拠れば、漢の景帝二年、星孛が西南方に現れ、四月壬午日、薄太后は去世した。石氏はまた曰く:掃星が西南方に現れ、星身は一つの星に似て、星末は彗に似て、長さ三丈以上のは、あの国家が大いに土木を興すことを主る。
《春秋緯》曰:“彗星出中央,正在人上,(一本:長四丈)命曰天罰,受者國有喪。”石氏曰:“彗星出中央,正在人上,其本類星,末類彗,星長可五六尺,至一丈,名曰天戈,天下兵也,人主亡,受者其國有大喪,人民飢亡,凡五彗出見,皆期三年,中五年,遠七年、九年。”《荊州占》曰:“彗星見中央,正出人上,長三四丈以上,其國內喪。”
《春秋緯》に曰く:彗星が中天に現れ、まさに人の頭上に当たり(原書の小注:別の本は「長さ四丈」と作る)、名を「天罰」といい、この星象を受ける国家は喪事がある。石氏に曰く:彗星が中天に現れ、まさに人の頭上に当たり、星身は一つの尋常の星に似て、星末は彗に似て、星光は長さ約五六尺、一丈に至り、名を「天戈」といい、天下に兵を興すことを主り、君主は身が亡び、この星象を受ける国家は大喪があり、百姓は飢餓して死亡する。以上の五種の彗星が現れるは、応験期は皆三年、中は五年、最も遠く七年・九年。《荊州占》に曰く:彗星が中天に現れ、まさに人の頭上に出て、長さ三四丈以上のは、あの国家に内喪があることを主る。
《魏氏圖》曰:“帚星東去,西南指,海中兵起,欲敗中國也;西去而東指,羌胡入界,煞人災也;南去而北指者,天下人死半邦也;北去而南指,天下水沒城郭,地陷崩也。”《魏氏圖》曰:“東行西指,越兵大起,得所出國,民排患也。”《魏氏圖》曰:“南行西北指者,其國大豐。”
《魏氏図》に曰く:帚星が東に運行して芒は西南を指すは、海上に兵事が興り、中原を撃破せんと図る。西に運行して芒は東を指すは、羌胡は辺界に侵入し、人を殺す災を醸す。南に運行して芒は北を指すは、天下は人口の半分を死せんとす。北に運行して芒は南を指すは、天下に大水が発して城郭を淹没し、地面は塌陷して崩裂する。《魏氏図》はまた曰く:東に運行して芒は西を指すは、越地の兵禍は大いに起こり、星の出たあの国を得ることを得、百姓はこれに藉って禍患を排除する。《魏氏図》はまた曰く:南に運行して芒は西北を指すは、あの国は大いに豊収を獲る。
《孝經內紀》曰:“彗星東北行,西南指者,所出國中,大要為亂也。”《魏氏圖》曰:“西行東指者,國塞,外兵入國,為大起兵。”《魏氏圖》曰:“北行南指者,其國中禍大起也。”《魏氏圖》曰:“西行東南指者,國中大惡為亂。”
《孝経内紀》に曰く:彗星が東北に運行して芒は西南を指すは、星の出たあの国の裡に、大体において変乱が発生せんとす。《魏氏図》に曰く:西に運行して芒は東を指すは、国境は閉塞し、外来の軍隊は国内に攻め入り、大規模の戦争を醸成する。《魏氏図》はまた曰く:北に運行して芒は南を指すは、あの国の内部の禍乱は大いに起こる。《魏氏図》はまた曰く:西に運行して芒は東南を指すは、国中に大悪の事が禍乱を醸成する。
《孝經雌雄圖》曰:“彗星四出,(按圖丈橫如十字,而四尾並散也。)滿天下,有知之士,就高而居之也;無知之士,流為糞土,耕于山脅。”《彗星圖》曰:“蒺藜星出,天下大旱,赤地五百里,無生草也,兩彗俱見,彗有芒角五。”
《孝経雌雄図》に曰く:彗星の芒気が四面に向かって伸出し(原書の小注:図の上の画く所に按れば、縦横は交差して十字のごとく、四条の尾芒は一斉に散開する)、天下に満ち布けば、見識ある人は高い所に遷って居住し、見識なき人は糞土に淪し、ただ山腰の上に到って耕種するほかない。《彗星図》に曰く:蒺藜星が現れれば、天下は大旱し、方円五百里は赤地として一片、寸草も生えない。両顆の彗星がともに現れて、彗の身は五道の芒角を帯ぶ。
《孝經雌雄圖》曰:“兩彗俱見者,天子歲再赦。”(一曰:北向指者,一歲再赦也。)《孝經內記》曰:“二彗星起,南指者,所出國大血流道。”《洛書摘亡闢》曰:“三彗俱起,海內少男子。”《春秋元命包》曰:“彗星四出,滅六王。”《洛書摘亡闢》曰:“彗星四出,滅六王。”《荊州占》曰:“彗星四出竟天,人主亡征也。”
《孝経雌雄図》に曰く:両顆の彗星がともに現れれば、天子は一年の内に二度大赦する(原書の小注:別の一説、彗芒の北方に指向するは、一年に二度大赦する)。《孝経内記》に曰く:二顆の彗星が升って芒は南を指すは、星の出たあの国は血が道に満ちて流れる。《洛書摘亡辟》に曰く:三顆の彗星がともに升れば、四海の内は男丁が稀少である。《春秋元命包》に曰く:彗星の芒気が四出すれば、六位の王侯を滅せんとす。《洛書摘亡辟》もまた曰く:彗星の芒気が四出すれば、六位の王侯を滅せんとす。《荊州占》に曰く:彗星が四面に芒を出して全天を横貫するは、君主の滅亡の徴兆である。
《洛書》曰:“五彗並出,太白入午,白虹貫能,主省,尚可治。”《春秋緯》曰:“五彗俱出,聖君起則獲麟,執授紀。”巫咸曰:“五彗俱出,侯稱王,天下大亂,兵起四方,諸侯同謀,人主亡,除舊佈新,掃去凶殃,更立明君,天下大昌,期百八十日,遠一年。”又曰:“五彗出東方,人主坐之,聖人起亦然。”
《洛書》に曰く:五顆の彗星が一斉に現れ、太白星が午位に入り、白虹はその間を横貫し(「貫能」の「能」の字は底本に疑いて訛誤あり)、この時君主がもし自省して徳を修めれば、局面はなお挽回しうる。《春秋緯》に曰く:五彗がともに現れて、もし聖君が興起すれば、すなわち麟を獲る祥瑞があり、聖君は天命を受けて紀綱を執掌する。巫咸に曰く:五彗がともに現れれば、諸侯は僭号して王を称し、天下は大いに乱れ、四方に兵を興し、諸侯は合謀し、君主は身が亡ぶ。これは同時にまた除旧・布新し、凶殃を掃り去り、明君を改立し、天下の大昌の徴兆でもあり、応験期は百八十日、最も遠く一年。又曰く:五彗が東方に現れれば、君主がこの分の災禍を承当し、聖人が興起する時もまた同様の星象である。
《荊州占》曰:“五彗俱出,天下兵起,人主亡。”《春秋緯》曰:“彗星五芒,禍之極效之征也。”《春秋考異郵》曰:“彗星之芒臨京都,主以賞罰不行,偏任見犯。”
《荊州占》に曰く:五彗がともに現れれば、天下に戦争が興り、君主は身が亡ぶ。《春秋緯》に曰く:彗星が五道の芒角を帯ぶは、禍患が極点に到り災応が格外に顕著の徴兆である。《春秋考異郵》に曰く:彗星の芒角が京城に逼臨すれば、国君は賞罰を施行すること能わず、一方に偏聴・偏任し、以って正道が侵犯せらるを致すを主る。
開元占経 巻八十九・彗星占中
彗星の昼見 其の一
《彗星圖》曰:“彗星晝見,所臨國下當為河,天地合矣。”(按孫盛《晉陽秋》曰:惠帝大安元年夏四月,彗星晝見,不行其占也。)
《彗星図》に曰く:彗星が白昼に現れるは、それの臨照する国土は一片の河沢と化せんとして、これは天地の陰陽の気が混じりて分かれない徴象である。原書の小注:孫盛《晋陽秋》に拠れば、晋の恵帝・大安元年夏四月、彗星が白日に現れ、あの次はこの条の占辞に依って応験しなかった。
彗星の日を犯す 其の二
《孝經雌雄圖》曰:“彗在日傍,子欲殺父。”又曰:“四彗在日中,君有德,天下歡,以大豐盛也。”石氏曰:“彗星守日,候精星也,天下大亂,兵革大起,君臣並謀,天子亡,期不出三年。”《玉曆》曰:“彗星貫日,臣殺君,子謀父,貫日過,事必然,期百日,遠一年。”
《孝経雌雄図》に曰く:彗星が太陽のそばに現れるは、子が父を殺さんと欲するを主る。又曰く:四道の彗芒が日の中に現れるは、君主に徳があり、天下は歓欣し、これによって年成が大いに豊盛するを主る。石氏に曰く:彗星が太陽の近くに留守するは、それは日精に伺候する星で、天下が大いに乱れ、兵革が大いに興り、君臣は各々図みを懐き、天子は身が亡ぶことを主り、応験は三年を出ない。《玉暦》に曰く:彗星が太陽を横貫するは、臣子が君主を弑殺し、子が父を企てるを主る。日面を貫きて過ぐれば、事は必ず発生し、応験期は百日、最も遠く一年。
彗星の月を犯す 其の三
《河圖聖洽符》曰:“彗星入月中,必有破車、死將,兵大起,其國以火災,此三年大飢。”《洛書》曰:“彗星入月中,必有亡軍亡將,起以北國。”《海中占》曰:“彗星入月中,兵大起,有臣欲弒其君者,十二年大飢。”《海中占》曰:“彗星入月中,星無光,不出其年亡國;星出,亡國復立。”
《河図聖洽符》に曰く:彗星が月輪の中に侵入すれば、必ず兵車の壊れ、将領の戦死するがあり、大規模の戦争が爆発し、あの国はまた火災に遭い、この後三年に大飢饉を鬧ぐ。《洛書》に曰く:彗星が月輪の中に侵入すれば、必ず軍隊の覆没し、将領の命を喪うがあり、事は北方の国に起る。《海中占》に曰く:彗星が月輪の中に侵入すれば、大規模の戦争が爆発し、臣子にその君主を弑殺せんと欲する者があり、十二年の間大飢饉を鬧ぐ。《海中占》はまた曰く:彗星が月輪の中に侵入し、もし星光が隠没して見えなければ、その年を出ずに国家の滅亡するがある。もし星光が再び透き出れば、すでに亡びた国はなお復立しうる。
《河圖》曰:“彗星角襲月,臣弒其主。”(按《戰國策》曰:唐睢謂秦王曰:專諸判王僚,彗星襲月也。)甘氏曰:“彗星在月首,必有大兵起者,將軍死,有失地君,不出二年。”
《河図》に曰く:彗星の芒角が月亮を掩襲するは、臣子がその君主を弑殺するを主る。原書の小注:《戦国策》に拠れば、唐睢は秦王に謂っていう:昔専諸が呉王僚を刺殺した時、天上はまさに彗星が月亮を掩襲する象であった。甘氏に曰く:彗星が月亮の前端に現れるは、必ず大戦が爆発し、将軍は戦死し、国土を喪失する君主があり、二年を出ずに応験する。
《文曜鉤》曰:“彗星之行掩月,五星拂而遏,兵大起,必有戰有死將,臣專政,逐其主,王者憂,期三年。”《孝經雌雄圖》曰:“彗星在月中,臣當坐,君子死,憂。”齊伯曰:“彗星貫月,天下有大兵,臣殺主,若女主當之,期一年,遠二年。”
《文曜鈎》に曰く:彗星の運行が月亮を掩蔽し、また五星を払いてその行を阻遏するは、大規模の戦争が爆発し、必ず交戦があり、将領の陣亡するがあり、臣子は朝政を専擅し、その君主を駆逐し、君王はこれがために憂慮することを主り、応験期は三年。《孝経雌雄図》に曰く:彗星が月輪の中に入るは、臣子が罪を得て連坐し、君子が死亡し、挙国が憂惧することを主る。斉伯に曰く:彗星が月亮を横貫するは、天下に大戦があり、臣子が君主を弑殺し、あるいは女主がこの災禍を承当し、応験期は一年、最も遠く二年。
彗星の五星を犯す 其の四
《黃帝占》曰:“彗星出入太白,長可五六丈,金火之兵大用,大戰流血,天下更政,期三年,遠五年。”石氏曰:“掃星出守五星,候稱皇,天下起兵,諸侯並謀,天子亡。”
《黄帝占》に曰く:彗星が太白星の附近に出入・往来し、長さ約五六丈のは、金・火の二気の司る兵器が大量に動用され、大戦に流血し、天下は政権を改換することを主り、応験期は三年、最も遠く五年。石氏に曰く:掃星が現れて五星の側に留守するは、これは帝を称する君に伺候する星象で、天下に兵を興し、諸侯は一斉に企て、天子は身が亡ぶことを主る。
彗星の東方七宿を犯す 其の五
角・彗孛が角を犯す
甘氏曰:“彗孛干犯兩角間,白者,軍起不戰,邦有大喪;其色赤,戰芒所指,必有破軍侵城,期七十日,或三年。”(按《宋書天文志》曰:魏甘露二年十一月,彗星見角,色白。景元元年,高貴卿公帥左右兵襲晉文王,未及戰,為成濟所害。哀帝興寧元年八月,有星孛於角、亢,入天市。三年正月,皇后王氏崩;二月,哀帝崩;三月,慕容攻洛陽,沈勁等戰死。)
角宿は東方の蒼龍七宿の頭の一宿で、分野は鄭地・兗州の一帯に対応する。甘氏に曰く:彗星・孛星が角宿の両星の間を冲犯し、星色が白を発するは、軍隊が集結するが交戦せず、邦国に大喪があることを主る。星色が赤を発するは、すなわち芒角の指向する所に必ず軍隊の撃破され、城池の侵奪されるがあり、応験期は七十日、あるいは三年。原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、魏・甘露二年十一月、彗星が角宿に現れ、色は白かった。景元元年に至り、高貴郷公は左右の侍衛の兵を率いて晋文王・司馬昭を襲撃したが、まだ交戦せずして成済に殺された。晋の哀帝・興寧元年八月、星孛が角宿・亢宿に現れ、天市垣に入った。興寧三年正月、皇后・王氏は去世した。二月、哀帝は去世した。三月、慕容氏は洛陽を進攻し、沈勁らは戦死した。
石氏曰:“彗星出角,天下大亂,更政易王,暴兵起,必有戰,期三年,中五年,遠九年。”陳卓曰:“彗星出角,天子起兵王廷,谷大貴,大疾疫。”韓楊曰:“彗星出角,後黨恣,外連禍。”郗萌曰:“彗星出入角,長可七八尺,天下更政,金火之兵大用。”
石氏に曰く:彗星が角宿に現れるは、天下は大いに乱れ、政令を改換し君王を更易し、暴乱の兵が興起し、必ず戦事があり、応験期は三年、中は五年、最も遠く九年。陳卓に曰く:彗星が角宿に現れるは、天子が朝廷の上に兵を興し、穀価が大いに騰り、大疫が流行する。韓楊に曰く:彗星が角宿に現れるは、后妃の一党が恣意に妄為し、外に連なって禍と成る。郗萌に曰く:彗星が角宿に出入・往来し、長さ約七八尺のは、天下は政権を改換し、金・火の気の司る兵器が大量に動用される。
亢・彗孛が亢を犯す
《黃帝占》曰:“彗孛星干犯亢,國有昏亂,釋舊布新,易帝王,近期百八十日,遠一年。”甘氏曰:“彗茀干犯亢,中國不安,兵起政亂,期一年。”巫咸曰:“彗星出亢,天下大飢,其國有兵,人民多疫,人相食,期不出三年。”
亢宿は東方の蒼龍七宿の第二宿で、分野は角宿と同じく鄭地・兗州に属する。《黄帝占》に曰く:彗星・孛星が亢宿を冲犯するは、国内に昏乱が現れ、旧制を捨棄し新政を頒布して帝王を更換せんとして、応験の近いは百八十日、遠いは一年。甘氏に曰く:彗孛が亢宿を冲犯するは、中原が安寧を得ず、兵事が興起し政局は混乱し、応験期は一年。巫咸に曰く:彗星が亢宿に現れるは、天下に大飢饉があり、あの国に戦事があり、百姓は多く疫病に染まり、さらに人が人を食らう惨状が発生し、応験は三年を出ない。
(按檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武帝寧康二年三月丙戌,彗星出氐、亢,移及角、軫、翼、張,長十丈,東北指。十一月,天門逆賊攻郡,殺吏民。威遠將軍桓石虔破羌賊姚萇於墊江。三年正月丁未,八月,大赦天下。太元二年九月,符堅屠涼州,虜刺史張天錫,車騎沖發三州,吏民移,諸流民悉居淮南也。)
原書の小注:檀道鸞《晋陽秋》に拠れば、晋の孝武帝・寧康二年三月丙戌、彗星が氐宿・亢宿に現れ、また角宿・軫宿・翼宿・張宿に移り、長さ十丈、芒は東北を指した。その年十一月、天門郡の叛賊は郡城を攻め、官吏・百姓を殺害した。威遠将軍・桓石虔は墊江で羌人・姚萇を撃破した。寧康三年正月丁未、八月に至り、朝廷は天下を大赦した。太元二年九月、苻堅は涼州を屠戮し、刺史・張天錫を虜にし、車騎将軍・桓沖は三州の人力を徴発し、吏民は遷徙し、各路の流民は悉く淮南の一帯に安置された。
《荊州占》曰:“彗星出亢,天子失德,天下大飢,有水、兵、疫。”(按《宋書天文志》曰:魏景元三年十一月壬寅,慧星見亢,色白,長五丈,積四十五日滅。鍾會、鄧艾伐蜀克之,會、艾反亂。)陳卓曰:“彗星出亢,為兵喪,五穀不成。”
《荊州占》に曰く:彗星が亢宿に現れるは、天子が徳を失い、天下に大飢饉があり、水災・兵禍と疫病がある。原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、魏・景元三年十一月壬寅、彗星が亢宿に現れ(底本は「彗」を「慧」と訛る)、色は白、長さ五丈、四十五日を持続して消散した。その後鍾会・鄧艾は蜀を伐って勝を克え、すなわち鍾会・鄧艾もまた相次いで叛乱した。陳卓に曰く:彗星が亢宿に現れるは、兵禍と喪事を主り、五穀は成熟すること能わない。
氐・彗孛が氐を犯す
《黃帝占》曰:“彗孛干犯氐,大臣殺其主,兵大起,更政,近期百六十日,遠期一年。”陳卓曰:“彗孛干犯氐,大赦,天子失德,糴大貴。”甘氏曰:“彗茀干入氐中,後宮有亂暴兵,不出百八十日,遠三年。”
氐宿は東方の蒼龍七宿の第三宿で、角・亢と同じく鄭地・兗州の分野である。《黄帝占》に曰く:彗星・孛星が氐宿を冲犯するは、大臣がその君主を殺害し、大規模の戦争が爆発し、政令を改換し、応験の近いは百六十日、遠いは一年。陳卓に曰く:彗孛が氐宿を冲犯するは、朝廷は大赦を行い、天子は徳を失い、粮を買う価格は大いに騰る。甘氏に曰く:彗孛が氐宿の中に侵入するは、后宮に変乱が発生し暴兵が驟く起こり、百八十日を出ず、最も遠く三年。
《黃帝占》曰:“彗星入氐、房間,綺綺索索,如冬木無葉,從風而倚,此星出為兵戎,此歲星之變見,不過一年。”石氏曰:“彗星出氐,天子不安,有大赦,中宮有亂暴兵起,不出百八十日。”石氏曰:“彗星出氐中,天下大赦,其滅民大疾惡,糴大貴,有兵事。”石氏曰:“彗星起氐中,天子不安,宮移徙,必失座。”
《黄帝占》に曰く:彗星が氐宿と房宿の間に侵入し、光影は綺麗にして蕭索、冬の葉を落し尽くした樹木が風に随いて傾倚するに似る。こういう星の現れるは兵戎の事を主り、歳星の変化の顕現する異象に属し、応験は一年を過ぎない。石氏に曰く:彗星が氐宿に現れるは、天子は安寧を得ず、大赦を挙行せんとして、中宮に変乱が発生し暴兵が驟く起こり、百八十日を出ない。石氏はまた曰く:彗星が氐宿の中に現れるは、天下に大赦があり、その地の百姓は厳重の疾疫・悪疾を受け、粮価は大いに騰り、また戦事がある。石氏はまた曰く:彗星が氐宿の中から升れば、天子は安寧を得ず、宮室は移徙し、必ずもとの坐守の位を失う。
(按《宋書天文志》曰:宋少帝景初元年十月戊午,有星孛於氐北,尾長三四丈,西北指,貫攝提,向大角,東行日長六七尺,十餘日滅。明年五月,徐羨之等廢帝。)
原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、宋の少帝・景初元年十月戊午、星孛が氐宿の北に現れ、尾の長さ三四丈、芒は西北を指し、摂提星を横貫し、大角星を直指し、東に運行して毎日六七尺を増長し、十余日後に消散した。第二年五月、徐羨之らはすなわち少帝を廃黜した。
房・彗孛が房を犯す
甘氏曰:“彗茀干犯房,王國有兵起,民飢,骨肉相殘也。”石氏曰:“茀從房出,天子絀行,為無道,諸侯舉兵守國。”甘氏曰:“彗星出房,大兵起,水旱不調,人多飢死,去其宅田。一曰:人相食,期不出二年。”
房宿は東方の蒼龍七宿の第四宿で、心宿と同じく宋地・豫州の分野である。甘氏に曰く:彗孛が房宿を冲犯するは、王者の国に戦事の興起するがあり、百姓は飢饉し、骨肉の至亲は互いに残殺する。石氏に曰く:孛星が房宿の中から出るは、天子の徳行は貶損され、行事は無道で、諸侯は紛紛として兵を挙げてその国を自守する。甘氏はまた曰く:彗星が房宿に現れるは、大規模の戦争が爆発し、水旱は失調し、多くの人が飢餓して死に、迫られて自家の房屋・田地を捨棄する。別の一説に人が人を食らう惨事が発生し、応験は二年を出ない。
郗萌曰:“彗星出房中,國大飢,有兵擅興在道旁,矛戟在野,戰鬥不止,蜚蟲橫下。”陳卓曰:“彗星出房,山崩。”《尚書中候》曰:“星孛房,四邦災。”(按《春秋》:魯昭公十年冬,有星孛於大辰,魯大夫申須曰:諸侯其有火災乎。明年五月,宋、衛、陳、鄭四國同日火。)
郗萌に曰く:彗星が房宿の中に現れるは、国内に大飢饉があり、擅に兵を興す人があって、隊伍は道のそばに列し、矛戟は原野に横陳し、戦闘は止まず、飛虫は群を成して撲落する。陳卓に曰く:彗星が房宿に現れるは、山崩を主る。《尚書中候》に曰く:星孛が房宿に現れるは、四つの邦国が災を遭う。原書の小注:《春秋》に拠れば、魯の昭公十年の冬、星孛が大辰に現れ、魯国の大夫・申須に曰く:諸侯はおそらく火災があろう。第二年五月、宋・衛・陳・鄭の四国は果たして同じ日に火を起した。
《考異郵》曰:“彗孛貫房,王室大亂。”《荊州占》曰:“彗孛星於房,赤帝之後受命,人主凶,有亡國。”郗萌曰:“彗星如房,後百二十日火。”《甄曜度》曰:“彗星守房,天下有喪,戴麻鏘鏘,天子亡,不出其年。”
《考異郵》に曰く:彗孛が房宿を横貫するは、王室は大いに乱れる。《荊州占》に曰く:彗孛が房宿に現れるは、赤帝の後裔が天命を受け、当今の君主に凶険があり、国家の滅亡するを主る。郗萌に曰く:彗星が房宿に侵臨すれば、この後百二十日に火災がある。《甄曜度》に曰く:彗星が房宿に留守するは、天下に喪があり、孝を服する人の麻衣は鏘鏘として鳴り、天子は身が亡び、その年を出ずに応験する。
《春秋緯演孔圖》曰:“彗星守房、心,天下有喪。一曰:天子亡。一曰:大人憂。”《詩緯含神霧》曰:“蒼之亡,彗出房。”石氏曰:“彗孛干犯鉤鈐,王宮大亂,不出三年。”
《春秋緯演孔図》に曰く:彗星が房宿・心宿に留守するは、天下に喪がある。別の一説は天子が身を亡ぶ。又一説は顕貴の大人物に憂患がある。《詩緯含神霧》に曰く:蒼帝がまさに亡びんとする時、彗星はすなわち房宿に現れる。石氏に曰く:彗孛が鈎鈐星を冲犯する(鈎鈐は房宿のそばにあり、宮門の錠鑰を主る)、王宮の大乱を主り、三年を出ずに応験する。
心・彗孛が心を犯す
《堯圖變書》曰:“大辰有孛,主謀見煞,必有立王相射伐。”《春秋緯》曰:“星茀干大辰,國分為二,大夫制君。”《春秋緯潛潭巴》曰:“有星茀干大辰,受命之君大振兵旅,爭於野。”《春秋緯演孔圖》曰:“彗星賊起入大辰,天帝謀易王。”
心宿はすなわち古人のいわゆる「大辰」で、東方の蒼龍七宿の第五宿、分野は宋地・豫州に属する。《堯図変書》に曰く:大辰に孛星が現れるは、謀る人は殺され、必ず人の自立して王を称し互いに攻伐するがある。《春秋緯》に曰く:孛星が大辰を冲犯するは、国家は二に分裂し、大夫は国君を挟制する。《春秋緯潜潭巴》に曰く:孛星に大辰を冲犯するあり、天命を受ける君主は大いに軍旅を整頓し、郊野で決戦する。《春秋緯演孔図》に曰く:彗星は賊寇の興起を象徴し、それが大辰に侵入するは、天帝が意をもって君王を更換せんとするである。
《春秋感精符》曰:“孛星賊起,光入大辰者,將有陰謀,以邪犯正,與天子爭勢居位者,大臣謀主,兩王並立,周分之異也。”《易緯》曰:“彗星守大辰,東方之疫,天子亡。”《春秋緯》曰:“彗星守大辰,天子哭。”(按《宋書天文志》曰:魏青龍四年十月甲申,有孛星於大辰,長三丈。景初元年,皇后毛氏崩。)
《春秋感精符》に曰く:孛星は賊寇の興起を主り、それの光の大辰に侵入するは、まさに陰謀が発生せんとして、邪僻をもって正統を冲犯し、天子と権勢を争い君位を争う人があり、大臣は君主を企て、両王は竝び立つ。これは周室の分裂の類の異象である。《易緯》に曰く:彗星が大辰に留守するは、東方に疫病が発生し、天子は身が亡ぶ。《春秋緯》に曰く:彗星が大辰に留守するは、天子は哭泣する。原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、魏・青龍四年十月甲申、孛星が大辰に現れ、長さ三丈。景初元年に至り、皇后・毛氏は去世した。
《黃帝占》曰:“彗星出心,兵起宮中,劍戟交鋒,大臣相疑,有戮死者,近七日,中七十日,遠八十日。”《春秋運斗樞》曰:“孛星守心,主位分,大臣謀上,天子凶。”《玄冥》曰:“彗星出心,若守之,天子有喪,德令不出,蝗蟲大起,民大飢流亡,去其鄉,期一年,遠二年。”
《黄帝占》に曰く:彗星が心宿に現れるは、兵禍は宮中から興起し、剣戟は交鋒し、大臣は互いに猜疑し、殺される人があり、応験の近いは七日、中は七十日、遠いは八十日。《春秋運斗枢》に曰く:孛星が心宿に留守するは、君位は分割され、大臣は君上を企て、天子に凶険がある。《玄冥》に曰く:彗星が心宿に現れ、あるいはそこに停留・守候するは、天子に喪があり、恩を施す詔令は発布し出られず、蝗虫は大いに起こり、百姓は大いに飢えて流亡し、故郷を離れ、応験期は一年、最も遠く二年。
司馬彪《天文志》曰:“孝桓延禧四年五月辛酉,客去營室,稍順行,生芒,長五尺,所至心,一轉為彗,為大喪,後年鄧後以憂死也。”《宋書天文志》曰:“安帝義熙十一年五月甲申,彗星出天市,掃帝位,在房、心北,房、心,宋之分野,占曰:得彗柄者興,除舊佈新,宋興之象也。”
司馬彪《天文志》に曰く:漢の桓帝・延熹四年五月辛酉、客星は営室を離れ、緩々として順行して、芒角を生じ、長さ五尺、心宿に行き到る時、一変して彗星と成り、大喪を主った。第二年、鄧后は憂憤によって死んだ。《宋書・天文志》に曰く:晋の安帝・義熙十一年五月甲申、彗星が天市垣に現れ、帝座星を掃い、位置は房宿・心宿の北に在り。房・心は宋国の分野で、占辞に曰く:彗柄を得る方が興盛するは、これは除旧・布新し、劉宋がまさに興らんとする徴象である。
《玄冥》曰:“彗星出心,若守之,大水,五穀不成。”石氏曰:“彗孛犯守心,宮鍾大鳴,劍戟交橫,大臣相疑,天下兵起,心變期急,近期七日,中期七十日,遠期百八十日。”
《玄冥》に曰く:彗星が心宿に現れ、あるいはそこに停留・守候するは、大水を発することを主り、五穀は成熟すること能わない。石氏に曰く:彗孛が心宿を冲犯し留守するは、宮中の鐘は自ずから大いに鳴り、剣戟は縦横に交錯し、大臣は互いに猜疑し、天下に兵を興す。心宿は一たび変異あれば、応験は最も急促で、近くは七日、中は七十日、最も遠く百八十日。
尾・彗孛が尾を犯す
《合誠圖》曰:“掃出尾、箕間,狀如蓬首掃,臣專權。”陳卓曰:“彗星出尾宿,兵革罷弊,天下大飢,君子賣衣,小人賣妻,歲多大風大雨。”《海中占》曰:“彗星出入尾,后相貴臣誅,兵起宮門,宮人走出,國易政,期一年,中二年,遠三年。”
尾宿は東方の蒼龍七宿の第六宿で、箕宿と同じく燕地・幽州の分野である。《合誠図》に曰く:掃星が尾宿・箕宿の間に現れ、形状は一把の蓬乱の帚に似るは、臣下が権柄を専擅することを主る。陳卓に曰く:彗星が尾宿に現れるは、兵革の事は国力を疲弊せしめ、天下に大飢饉があり、君子は衣裳を売り変え、小人は妻子を売り変え、一年の中に大風・大雨を多くする。《海中占》に曰く:彗星が尾宿に出入・往来するは、皇后・丞相および貴臣は誅され、兵禍は宮門に起こり、宮人は四散して逃出し、国家は政令を改換し、応験期は一年、中は二年、最も遠く三年。
(按《洪範天文志星辰變占》曰:漢文後七年九月,星孛於西方,其本直尾、箕,末指虛、危,長丈餘,及天漢,十六日不見,後三年吳楚七國同時皆反也。)石氏曰:“彗星孛干犯守尾,后有以珠玉簪珥惑天子者,諸讒大起,后相貴臣誅,宮人出走,兵起宮門,多土功,近期百八十日,遠一年。”
原書の小注:《洪範天文志星辰変占》に拠れば、漢の文帝・後元七年九月、星孛が西方に現れ、星身はまさしく尾宿・箕宿を対し、末梢は虚宿・危宿を指し、長さ一丈余、天河に触れ、十六日後に隠没した。この後三年、呉楚の七国は同時に反逆した。石氏に曰く:彗星・孛星が尾宿を冲犯し留守するは、后宮の中に珠玉・簪珥をもって天子を迷惑する人があり、各種の讒言は紛として起こり、皇后・丞相および貴臣は誅され、宮人は出逃し、兵禍は宮門に起こり、土木を大いに興し、応験の近いは百八十日、遠いは一年。
箕・彗孛が箕を犯す
石氏曰:“彗星出箕,夷狄為亂,大兵起,天下大旱,糴貴十倍,人多餓死,死者大半,期二年。”《海中占》曰:“彗星出箕,天下大飢,大臣有見棄捐者。”《河圖聖洽符》曰:“彗星出入箕,天下大旱,穀貴,人民飢死,十有五死。”《聖洽符》曰:“彗星守箕,東夷下溼與水軍將為亂。”
箕宿は東方の蒼龍七宿の末の一宿で、東北の夷狄の事を主り、分野は燕地・幽州に属する。石氏に曰く:彗星が箕宿に現れるは、夷狄は乱を作し、大規模の戦争が爆発し、天下に大旱があり、粮価は十倍に上騰し、多くの人が餓死し、死んだ者は過半に達し、応験期は二年。《海中占》に曰く:彗星が箕宿に現れるは、天下に大飢饉があり、大臣の中に棄置・斥退される人がある。《河図聖洽符》に曰く:彗星が箕宿に出入・往来するは、天下に大旱があり、穀価は騰貴し、百姓は飢餓して死に、十人のうち五人が死せんとす。《聖洽符》に曰く:彗星が箕宿に留守するは、東夷の低窪の水郷の地と水軍の将領は起って乱を作せんとす。
彗孛の北方七宿を犯す 其の六
斗・彗孛が南斗を犯す
甘氏曰:“彗孛干犯南斗度,其國必亂,兵大起,期一年。”陳卓曰:“彗茀長干犯南斗,王者病疾,臣謀其君,子謀其父,弟謀其兄,是謂無理,諸侯不通,天下易政,大亂兵起,期百八十日,遠不出一年。”
南斗は北方の玄武七宿の頭の一宿で、分野は呉越・揚州に属する。甘氏に曰く:彗孛が南斗の宿度を冲犯するは、あの国は必ず動乱し、大規模の戦争が爆発し、応験期は一年。陳卓に曰く:長長たる彗孛が南斗を冲犯するは、君王は病疾を患い、臣子はその君主を企て、子はその父を企て、弟はその兄を企て、これを綱紀の全くなしと謂う。諸侯の間は互いに往来を通ぜず、天下は政令を改換し、大いに乱れて兵を興し、応験期は百八十日、最も遠く一年を出ない。
(按《宋書天文志》曰:晉武帝太康八年九月,星孛干犯南斗,長數十丈,十餘日滅。太康末,武帝躭晏遊,多病疾,是月乙酉,帝崩。永平元年,賈后誅楊駿及其黨與,皆夷三族。楊太后亦殺,是年又誅汝南王亮,太保衛瓘,楚王偉,王室兵喪之應也。)
原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、晋の武帝・太康八年九月、星孛が南斗を冲犯し、長さ数十丈、十余日後に消散した。太康の末年、武帝は宴飲・游楽に沈湎し、疾病に纏われ、その月乙酉日に去世した。永平元年、賈后は楊駿およびその党羽を誅殺し、皆三族を夷滅され、楊太后もまた殺害を遭った。この年また汝南王・司馬亮・太保・衛瓘・楚王・司馬瑋を誅殺した。これらはまさに王室の兵禍・喪乱の応験である。
《春秋緯》曰:“彗星出南斗,天下有勢皆謀。”《孝經雌雄圖》曰:“彗星出南斗中,宮中失火,燒寶。”甘氏曰:“彗星出南斗,大臣謀反,兵水並起,天下亂,將軍有戰,若流血;星若滅斗,其國主亡;若星明,反臣受殃,近三年,中五年,遠七年。”
《春秋緯》に曰く:彗星が南斗に現れるは、天下およそ権勢ある人は皆心に図みを懐く。《孝経雌雄図》に曰く:彗星が南斗の中に現れるは、宮中は火を失い、珍宝を焼失する。甘氏に曰く:彗星が南斗に現れるは、大臣は反逆を企て、兵禍と水災は一斉に発作し、天下は動乱し、将軍は兵を領して作戦し、さらに流血する。もし星光が斗宿の光を掩滅すれば、あの国の君主は身が亡ぶ。もし星光が明亮なら、反逆の臣子は殃を受ける。応験の近いは三年、中は五年、最も遠く七年。
《荊州占》曰:“彗星出南斗,天下皆謀上。”石氏曰:“彗星茀於斗、房,赤帝之後受令,人主凶,有亡國。”
《荊州占》に曰く:彗星が南斗に現れるは、天下の人は皆君上を企てる。石氏に曰く:彗星・孛星が斗宿と房宿に現れるは、赤帝の後裔が天命を受け、当今の君主に凶険があり、国家の滅亡するを主る。
牛・彗孛が牛を犯す
甘氏曰:“彗茀干犯牽牛,吳越兵自立,三年而滅。”(陳卓云:期一年,遠三年。)《彗要占》曰:“彗茀干犯牽牛,中國起兵。”《荊州占》曰:“彗入天鼓,有兵。”《荊州占》曰:“彗星干牽牛、須女之間,狀如彗,其本有四星壘然,此星出,為兵,此辰星變見,不過一年,兵大起,國飢。”
牽牛はすなわち牛宿で、北方の玄武七宿の第二宿、南斗と同じく呉越・揚州の分野に属する。甘氏に曰く:彗孛が牽牛を冲犯するは、呉越の地に兵を擁して自立する人があり、三年後に消滅せらる。原書の小注:陳卓に曰く、応験期は一年、最も遠く三年。《彗要占》に曰く:彗孛が牽牛を冲犯するは、中原に戦事が興起する。《荊州占》に曰く:彗星が天鼓星に侵入するは、兵事があることを主る。《荊州占》はまた曰く:彗星が牽牛と須女の間を冲犯し、形状は彗に似て、星身の下に四つの星が層畳して排列するは、こういう星の現れるは兵事を主り、辰星の変化の顕現する異象に属し、応験は一年を過ぎず、大規模の戦争が爆発し、国内は飢饉を鬧ぐ。
《海中占》曰:“彗星出牽牛,四夷兵起,邊境為亂,來侵中國,人主有憂,期一年,中二年,遠三年。”(司馬彪《天文志》曰:孝章建初元年八月庚寅,彗星出天市,長二尺,所行稍入牽牛三度,積四十日稍滅。彗出天市,為外軍。牽牛為異越。是時,蠻夷陳縱等反,安夷長宋延為西羌所殺,校尉馬防行車騎將軍徵西羌,又阜陵王延子男魴謀反,大逆天道,得不誅,廢為侯。)
《海中占》に曰く:彗星が牽牛に現れるは、四方の夷狄は兵を興し、辺境は動乱し、来たりて中原を侵犯し、君主に憂患があり、応験期は一年、中は二年、最も遠く三年。原書の小注:司馬彪《天文志》に曰く、漢の章帝・建初元年八月庚寅、彗星が天市垣に現れ、長さ二尺、運行の中に漸く牽牛の三度に入り、四十日を経て慢慢と消散した。彗星の天市に出づるは、外軍を主る。牽牛は呉越の地を主る。この時、蛮夷・陳縦らは反逆し、安夷県長・宋延は西羌に殺され、校尉・馬防は行車騎将軍の名義をもって西羌を征討した。また阜陵王・劉延の子・劉魴は反逆を企て、大逆不道であったが、死を免れることを得て、侯に貶められた。
陳卓曰:“彗星牽牛,改元易號之象也。”(按班固《天文志》曰:哀帝建平二年,彗出牽牛七十餘日,《傳》曰:彗,所以掃舊布新也。牽牛,日月五星所從起,曆數之元,三正之始。彗而出之,政吏之象也。而出久者,其事大也。其六月甲子,夏賀良等建言,當改元、易號,增漏刻,詔書改建平二年為大初元德元年,號曰陳聖劉太平皇帝,漏刻以百二十為度,八月丁巳,悉復蠲除之,賀良及黨與皆伏誅、流放,其後年,有王莽篡國之禍。《宋書天文志》曰:晉惠帝永康元年十二月,彗出牽牛之西,指天市,明年,趙王篡位改元,尋為大兵所滅也。)又曰:“多兵,糴貴,牛大死。”《春秋聖洽符》曰:“彗星牽牛,北夷驕奢,治將為亂。”
陳卓に曰く:彗星が牽牛に現れるは、改元・換号の象徴である。原書の小注:班固《天文志》に拠れば、漢の哀帝・建平二年、彗星が牽牛に現れて七十余日を經た。《伝》に曰く:彗星は旧を掃い新を布くに用いる。牽牛のこの宿は、日月・五星の運行の起点、歴数推算の開端、夏商周の三正の起始である。彗星がここに現れるは、政令・官吏のまさに変らんとする象で、現れるの久しきは、事情の重大なるを説明する。この年六月甲子、夏賀良らは改元・換号し、漏刻を増設すべきを建言し、詔書はここに建平二年を改めて太初元徳元年と為し、皇帝は「陳聖劉太平皇帝」と号し、漏刻は百二十刻をもって度と為した。八月丁巳、これらの措置は全部廃除され、夏賀良およびその党羽はあるいは法に伏して処死され、あるいは流放を遭った。第二年、すなわち王莽の簒国の禍が発生した。《宋書・天文志》に曰く:晋の恵帝・永康元年十二月、彗星が牽牛の西に現れ、芒は天市垣を指した。第二年、趙王・司馬倫は位を簒奪して改元し、間もなく大軍に消滅せられた。陳卓はまた曰く:兵事が頻仍し、粮価は騰貴し、牛は大いに死亡することを主る。《春秋聖洽符》に曰く:彗星が牽牛に現れるは、北方の夷狄は驕横・奢侈し、その治下はまさに乱を作せんとす。
須女・彗孛が須女を犯す
石氏曰:“彗弟干犯須女,鄰國有以奇女來侍省。”石氏曰:“彗孛干犯須女,其邦兵起,女為亂,若妾遷為後,王者無信,大亂,期不出三年,退女所親,天下安寧矣。”
須女はすなわち女宿で、北方の玄武七宿の第三宿、分野は斉地・青州に属する。石氏に曰く:彗孛(底本は「彗弟」と作るが、「弟」はたぶん「茀」の字の訛)が須女を冲犯するは、隣国に奇異の女子を献じて宮省に侍奉せしむる人がある。石氏はまた曰く:彗孛が須女を冲犯するは、あの邦国は戦事を興起せんとして、女子は乱を作し、あるいは姫妾が正されて皇后と為り、君王は人に信を失い、天下は大いに乱れ、応験は三年を出ない。もし寵幸する女子およびその親党を斥退しうれば、天下はすなわち安寧を得る。
《感精符》曰:“彗星出須女,其國大兵起,女主為亂,王者惡之,將軍戮死,若以戰亡,期不出三年。”(按檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武寧康二年正月丁巳,有星孛於女、虛,芒長四尺,西南指。太元二年五月,苻堅遺偽帥毛當符,寇逼西涼州,虜刺史西平公張天錫,送于堅所。冬十月,車騎桓沖遣諮議參軍淮南太守劉波沈舟淮泗,乘虛設計,以送涼州,又發三州官吏,移救流民,悉置淮南也。)
《感精符》に曰く:彗星が須女に現れるは、あの国に大規模の戦争が爆発し、女主は乱を作し、君王はこれがために厭悪し、将軍は殺され、あるいは沙場に戦没し、応験は三年を出ない。原書の小注:檀道鸞《晋陽秋》に拠れば、晋の孝武帝・寧康二年正月丁巳、星孛が女宿・虚宿に現れ、芒の長さ四尺、西南に指向した。太元二年五月、苻堅は偽帥・毛当・符某を遣わして西涼州を進逼せしめ、刺史・西平公・張天錫を虜にし、苻堅の所に押し送った。その年冬十月、車騎将軍・桓沖は咨議参軍・淮南太守・劉波を遣わして淮水・泗水に船を沈めて陣を設け、虚に乗じて計を定めてもって涼州を救援した。また三州の官吏を徴発し、流民を遷徙・救助して、悉く淮南に安置した。
巫咸曰:“彗星出須女之間,辰星之變也。”陳卓曰:“彗星出須女,帝以女亡,有水災,糴大貴,鹽貴。”
巫咸に曰く:彗星が須女の一帯に現れるは、これは辰星の変化の顕現する異象である。陳卓に曰く:彗星が須女に現れるは、帝王は女子の故によって敗亡し、水災があり、粮を買う価格は大いに騰り、塩価もまた昂貴である。
虚・彗星孛が虚を犯す
郗萌曰:“彗星干犯虛中,有哭泣之事,牆垣無立者,有井田之法,改制之事。”《荊州占》曰:“彗星干犯虛,宗廟起兵。”陳卓曰:“彗星孛犯干虛,其國野戰流血,星芒角所指,兵所積也。”甘氏曰:“彗星孛於虛,其國亡。”
虚宿は北方の玄武七宿の第四宿で、女宿・危宿と同じく斉地・青州の分野に属する。郗萌に曰く:彗星が虚宿の中を冲犯するは、哭泣・喪亡の事を主り、牆垣は倒塌して一堵の留存なく、また井田の類の法令を推行し、制度を変更する事が発生する。《荊州占》に曰く:彗星が虚宿を冲犯するは、宗廟の所在する地に戦事が興起する。陳卓に曰く:彗孛が虚宿を冲犯するは、あの国は野戦に流血し、星芒の尖角の指向する方向は、すなわち兵力の屯聚する所である。甘氏に曰く:彗孛が虚宿に現れるは、あの国は滅亡する。
《帝覽嬉》曰:“彗星出虛,兵大起,天子自將兵於野,大戰流血,其芒炎所指,國必亡,期三年,遠五年。”《春秋緯運斗樞》曰:“彗孛出虛、危間,大司空行誅。”郗萌曰:“彗星出虛、危間,天下亂。”《荊州占》曰:“彗星出虛、危間,司空行謀。”陳卓曰:“彗星出虛,大水,期三年。”
《帝覧嬉》に曰く:彗星が虚宿に現れるは、大規模の戦争が爆発し、天子は自ら兵を領して原野に征戦し、大戦に流血する。星芒の火焔の指向する方向は、あの国は必ず滅亡し、応験期は三年、最も遠く五年。《春秋緯運斗枢》に曰く:彗孛が虚宿・危宿の間に現れるは、大司空は誅戮を執行せんとす。郗萌に曰く:彗星が虚宿・危宿の間に現れるは、天下は動乱する。《荊州占》に曰く:彗星が虚宿・危宿の間に現れるは、司空は心に図みを懐く。陳卓に曰く:彗星が虚宿に現れるは、大水を主り、応験期は三年。
《玉曆》曰:“彗星出虛、危之間,其國有叛臣,兵大起,將軍出行,國易政,期三年。”(按《宋書天文志》曰:晉惠帝永康二年四月,彗星見齊分,是時,齊王向起兵討趙王倫,倫滅,向擁兵不朝,專權淫奢,明年誅死。宋武永初三年二月辛已,有星孛於虛、危,繞河津,掃河鼓。占曰:為兵喪。五月宮車晏駕,明年,遣軍救青司,二月,太后蕭氏崩。)
《玉暦》に曰く:彗星が虚宿・危宿の間に現れるは、あの国に叛臣があり、大規模の戦争が爆発し、将軍は出征し、国家は政令を改換し、応験期は三年。原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、晋の恵帝・永康二年四月、彗星が斉国の分野に現れた。この時斉王(底本は「向」と作るが、たぶん斉王・冏を指す)は兵を起こして趙王・司馬倫を討伐し、司馬倫が消滅せられた後、彼は兵を擁して朝せず、権を専らにして奢淫し、第二年に誅殺せられた。宋の武帝・永初三年二月辛巳、星孛が虚宿・危宿に現れ、河津星を環繞し、河鼓星を掃い、占辞に兵禍と喪事を主るといった。五月に武帝は晏駕し、第二年に軍を遣わして青州・司州を救援し、二月に蕭太后は去世した。
危・彗孛が危を犯す
石氏曰:“彗孛干犯危,其國有叛者,兵起,大將軍出。”甘氏曰:“彗星出危,天下亂,司空行誅,有土功之事,兵大起,期二年。”《玄冥》曰:“彗星出危,其國有叛臣,兵大起,將軍出,國易政,若大水,民飢,期三年。”陳卓曰:“彗星出孛於危,帝必易,有大水,糴大貴。”
危宿は北方の玄武七宿の第五宿で、分野は同様に斉地・青州に属する。石氏に曰く:彗孛が危宿を冲犯するは、あの国に叛乱する者があり、兵禍が興起し、大将軍は出征する。甘氏に曰く:彗星が危宿に現れるは、天下は動乱し、司空は誅戮を執行し、土木の工程の事があり、大規模の戦争が爆発し、応験期は二年。《玄冥》に曰く:彗星が危宿に現れるは、あの国に叛臣があり、大規模の戦争が爆発し、将軍は出征し、国家は政令を改換し、あるいは大水を発し、百姓は飢饉し、応験期は三年。陳卓に曰く:彗星・孛星が危宿に現れるは、帝位は必ず更易し、大水があり、粮価は大いに騰る。
営室・彗が室を犯す
甘氏曰:“彗孛干犯營室,先起兵者弱,不可以戰,戰必亡地,主將必亡去之,近期百八十日,遠二年。”《聖洽符》曰:“彗星出營室,有大水。”(按韋昭《洞記》曰:漢成建始元年正月,有星孛於營室,三年秋,關內大水也。)《聖洽符》曰:“彗星出營室,天下兵大起。”
営室はすなわち室宿で、北方の玄武七宿の第六宿、分野は衛地・并州に属し、天官の中では宮室と后宮の事を主る。甘氏に曰く:彗孛が営室を冲犯するは、先に兵を動かす方が勢は弱く、交戦すべからず、交戦すれば必ず土地を喪失し、主将は必ず敗亡して出走し、応験の近いは百八十日、遠いは二年。《聖洽符》に曰く:彗星が営室に現れるは、大水を主る。原書の小注:韋昭《洞記》に拠れば、漢の成帝・建始元年正月、星孛が営室に現れ、建始三年秋、関中の一帯に大水を発した。《聖洽符》はまた曰く:彗星が営室に現れるは、天下に兵禍が大いに起こる。
齊伯曰:“彗星出室、壁間,兵大起,若有大喪,有亡國死王,期不出三年。”(按司馬《天文志》曰:孝順帝永和六年二月丁巳,彗星見東方,長六七尺,色青白,西南指營室及墳墓星,後四年,孝順帝崩。《宋天文志》曰:宋武永初三年十一月戊午,有星孛於室壁,少帝景平元年正月乙卯,有星孛於東壁。白色,二丈餘,拂天苑,二十日滅,是年兵救青司,二月,太后蕭氏崩。)
斉伯に曰く:彗星が室宿・壁宿の間に現れるは、大規模の戦争が爆発し、あるいは大喪があり、国家の滅亡し君王の死去するがあり、応験は三年を出ない。原書の小注:司馬彪《天文志》に拠れば、漢の順帝・永和六年二月丁巳、彗星が東方に現れ、長さ六七尺、色沢は青白、芒は西南方の営室および墳墓星を指した。この後四年、順帝は去世した。《宋書・天文志》に曰く:宋の武帝・永初三年十一月戊午、星孛が室宿・壁宿に現れ、少帝・景平元年正月乙卯、また星孛が東壁に現れ、白色、長さ二丈余、天苑星を払い、二十日後に消散した。この年兵を出して青州・司州を救援し、二月に蕭太后は去世した。
《黃帝占》曰:“彗星出營室,天下亂,易政。”(按《宋書天文志》曰:魏嘉平三年十一月癸亥,有星孛於營室,積九十日,正元二年二月,李豐、豐弟兗州刺吏翼後父、光祿大夫張緝等謀亂,皆伏誅,皇后亦廢,其九月,帝廢為齊王,高貴鄉公代立也。)
《黄帝占》に曰く:彗星が営室に現れるは、天下は動乱し、政令を改換する。原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、魏・嘉平三年十一月癸亥、星孛が営室に現れ、九十日を持続した。正元二年二月、李豊とその弟の兗州刺史・李翼、皇后の父・光禄大夫・張緝らは乱を企て、全部法に伏して誅され、皇后もまた廃黜せられた。その年九月、皇帝は斉王に廃せられ、高貴郷公が継立した。
郗萌曰:“以五色占其吉凶。”《黃帝占》曰:“孛見營室中,後宮且有亂;一曰:有德令。”(按《洪範天文志星辰變占》曰:漢成建始元年正月,有星孛於營室,青白色,長六七丈,廣尺餘。占曰:營室為後宮,懷妊之官,彗星加之,將害人性。其後許皇后坐祝詛廢,趙飛鶯為皇后,弟為昭儀,害兩皇子,卒皆徙伏辜,家屬於遼西也。)
郗萌に曰く:彗孛の顕す五種の顔色に按ってそれの吉凶を占断すべきである。《黄帝占》に曰く:孛星が営室の中に現れるは、后宮はまさに変乱が発生せんとす。別の一説は恩を施す詔令を主る。原書の小注:《洪範天文志星辰変占》に拠れば、漢の成帝・建始元年正月、星孛が営室に現れ、青白色、長さ六七丈、広さ一尺余。占辞に曰く:営室は后宮を主り、懐孕・生育を掌る星官で、彗星はその上に加臨し、まさに人の性命を傷害せんとす。この後許皇后は詛呪の事によって罪を得て廃せられ、趙飛燕(底本は「飛鶯」と作る)は皇后に立てられ、彼女の妹は昭儀と為り、两位の皇子を害死し、最終に皆法に伏して罪を得、家属は遼西に遷された。
郗萌曰:“諸孛氣在營室,民人疾疫、死亡。”《河圖》曰:“彗起芒,臨營室,以告咎。”《荊州占》曰:“彗星干守營室,則五校三車動,兵不戰,牛馬驚不出,七十日。”石氏曰:“彗星犯守營室,先起兵者不可以戰,必亡地,期三年,遠六年。”
郗萌に曰く:各種の孛気が営室に停留するは、百姓は疾疫・死亡を遭う。《河図》に曰く:彗星が芒角を生じ、営室に逼臨するは、これは上天がもって咎害を宣告するのである。《荊州占》に曰く:彗星が営室を冲犯し留守すれば、五校営と三車の衆は皆調動せんとして、兵を調うも交戦せず、牛馬は驚いて圏を出るを肯せず、期を七十日と為す。石氏に曰く:彗星が営室を冲犯し留守するは、先に兵を動かす方は交戦すべからず、必ず土地を喪失し、応験期は三年、最も遠く六年。
壁・彗星孛が東壁を犯す
石氏曰:“彗茀干犯東壁,其國起兵,火災廟堂,四門流血,天下隔。”《荊州占》曰:“彗孛干犯東壁,文章者死。”郗萌曰:“諸孛氣入東壁,人民疾疫,多死亡。”
東壁はすなわち壁宿で、北方の玄武七宿の末の一宿、天官の中では図書・文章を主り、分野は室宿と同じく衛地・并州に属する。石氏に曰く:彗孛が東壁を冲犯するは、あの国は戦事を興起し、廟堂は火災に遭い、四方の城門は血が流れて河を成し、天下は阻隔して通ぜない。《荊州占》に曰く:彗孛が東壁を冲犯するは、文章・著述を掌る人は死せんとす。郗萌に曰く:各種の孛気が東壁に侵入するは、百姓は疾疫を遭い、死亡が多い。
巫咸曰:“彗星出東壁,王者起兵,毀壞宗廟,四門伏兵,流血滂滂,人民惶惶,莫知其殃,近期一年,中期三年,遠五年。”《荊州占》曰:“彗星出東壁,大水,民流於道。”
巫咸に曰く:彗星が東壁に現れるは、君王は兵を興し、宗廟を毀壊し、四方の城門は皆軍隊を埋伏し、血は滂滂として流れ、人民は惶惶として安んぜず、その災殃のどこから来るかを知らず、応験の近いは一年、中は三年、最も遠く五年。《荊州占》に曰く:彗星が東壁に現れるは、大水を主り、百姓は道路に流離する。
彗孛の西方七宿を犯す 其の七
奎・彗孛が奎を犯す
甘氏曰:“彗星干犯奎度,其國君出戰,大飢,人相食,國無繼嗣,近期一年,遠三年。”石氏曰:“彗星出西北,舉兵伐中國,其下食石千錢,天下大水。”《海中占》曰:“彗星出奎,有大兵起,四夷來伐中國,郡君出戰,天下大飢,有水災,期三年,遠五年。”
奎宿は西方の白虎七宿の頭の一宿で、分野は魯地・徐州に属し、天官の中ではまた武庫・兵器を主る。甘氏に曰く:彗星が奎宿の宿度を冲犯するは、あの国の君主は兵を出して作戦し、大飢饉があり、人は人を食らい、国君に後嗣がなく、応験の近いは一年、遠いは三年。石氏に曰く:彗星が西北方に現れるは、人の兵を挙げて中原を討伐するを主り、その下の分野は粮価は一石千銭に高まり、天下は大水を発する。《海中占》に曰く:彗星が奎宿に現れるは、大戦が爆発し、四方の夷狄は来たりて中原を討伐し、郡国の君は兵を出して作戦し、天下に大飢饉があり、水災があり、応験期は三年、最も遠く五年。
《河圖》曰:“杵彗出貫奎,庫兵悉出,禍在強侯,外夷相應,首謀期三年,遠九年。”(按《宋書天文志》曰:晉惠帝元康五年四月,有星孛於奎,到軒轅、太微,經三臺、大陵。占曰:奎為魯,又為庫兵,軒轅為後宮,太微天子廷,三臺為三公,大陵有積尸、死喪之事。明年,武庫火,西羌反;後五年,司空張華遇禍,賈后廢死,魯公賈謐誅;又明年,趙王倫篡位,於是三公興兵討倫,士民戰死十餘萬人也。)
《河図》に曰く:杵形の彗星が現れて奎宿を横貫するは、武庫の中の兵器は全部調出され、禍事は強横の諸侯に応じ、外族の夷狄は起って呼応し、首たりて企てる者の応験期は三年、最も遠く九年。原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、晋の恵帝・元康五年四月、星孛が奎宿に現れ、軒轅・太微に行き到り、また三台・大陵を経過した。占辞に曰く:奎は魯地を主り、また武庫・兵器を主る。軒轅は后宮を主る。太微は天子の朝廷。三台は三公を主る。大陵は積屍星があり、死喪の事を主る。第二年、武庫は火を失い、西羌は反逆した。この後五年、司空・張華は禍に遇い、賈后は廃せられて死し、魯公・賈謐は誅された。また明年、趙王・司馬倫は位を簒奪し、ここに三公は兵を興して司馬倫を討伐し、士人・百姓の戦死は十余万に達した。
《荊州占》曰:“彗星守奎,魯國兵起。”《宋書天文志》曰:“晉成帝成康二年正月辛巳,彗星夕見西方,在奎,占曰:為兵喪,奎又邊兵。四年,石虎伐慕容晃,不克,既退,晃追擊之,又破,麻秋時,晃稱藩,邊兵之應也。”
《荊州占》に曰く:彗星が奎宿に留守するは、魯国は戦事を興起する。《宋書・天文志》に曰く:晋の成帝・咸康二年正月辛巳、彗星が傍晚に西方に現れ、位置は奎宿に在り。占辞に曰く:兵禍と喪事を主り、奎宿はまた辺地の兵事を主る。咸康四年、石虎は慕容皝を討伐したが、勝を得る能わず、兵を退いた後、慕容皝は追撃し、また彼を撃破した。麻秋が兵を領する時に至り、慕容皝は朝廷に藩を称した。これはすなわち辺兵の応験である。
婁・彗孛が婁を犯す
石氏曰:“彗孛干犯婁,國有大兵,四時絕祠,遠不出三年。”陳卓曰:“彗孛干犯婁,臣奪君位,近期一年,遠三年。”《海中占》曰:“彗星出婁,國有大兵,四時絕祠,有亡國,先旱後水,人民飢、死,五穀大貴,糴無價,期一年,遠二年。”陳卓曰:“彗星出婁,六畜疫。”
婁宿は西方の白虎七宿の第二宿で、奎宿と同じく魯地・徐州の分野に属する。石氏に曰く:彗孛が婁宿を冲犯するは、国内に大戦があり、四季の祭祀は断絶し、最も遠く三年を出ずに応験する。陳卓に曰く:彗孛が婁宿を冲犯するは、臣子は君位を奪取し、応験の近いは一年、遠いは三年。《海中占》に曰く:彗星が婁宿に現れるは、国内に大戦があり、四季の祭祀は断絶し、国家の滅亡するがあり、先に旱し後に涝し、百姓は飢餓して死に、五穀の価格は大いに騰り、さらに銭があっても粮を買えず、応験期は一年、最も遠く二年。陳卓に曰く:彗星が婁宿に現れるは、六畜は瘟疫を発生する。
胃・彗孛が胃を犯す
石氏曰:“彗茀干犯胃,五穀不成,倉庫空虛。”甘氏曰:“彗干犯胃,其國兵起,不出三年。”《黃帝占》曰:“彗星出胃、昴之間,狀如竹竿而細,此星出,為兵戎,此太白之變見,不過一年,其國兵起,若有喪。”
胃宿は西方の白虎七宿の第三宿で、天官の中では倉廩・積儲を主り、分野は依然として魯地・徐州に属する。石氏に曰く:彗孛が胃宿を冲犯するは、五穀は成熟すること能わず、倉庫は空虚である。甘氏に曰く:彗星が胃宿を冲犯するは、あの国は戦事を興起し、三年を出ずに応験する。《黄帝占》に曰く:彗星が胃宿と昴宿の間に現れ、形状は竹竿に似て細長のは、こういう星の現れるは兵戎の事を主り、太白の変化の顕現する異象に属し、応験は一年を過ぎず、あの国は兵を興し、あるいは喪事がある。
巫咸曰:“彗星出胃,大臣為亂,天下兵起,五穀不升,人民飢餓,京都國倉,悉皆空虛,期三年,中五年,遠七年。”郗萌曰:“彗星出胃、昴之間,狀如竹彗,為兵災,若火。”《荊州占》曰:“彗星出胃、昴之間,大國起兵。”
巫咸に曰く:彗星が胃宿に現れるは、大臣は乱を作し、天下に兵を興し、五穀は収穫を欠き、人民は飢餓し、京城と国家の粮倉は悉く皆空虚で、応験期は三年、中は五年、最も遠く七年。郗萌に曰く:彗星が胃宿と昴宿の間に現れ、形状は竹箒に似るは、兵災を主り、あるいは火災を主る。《荊州占》に曰く:彗星が胃宿と昴宿の間に現れるは、大国はまさに兵を興さんとす。
昴・彗孛が昴を犯す
甘氏曰:“彗星孛干犯昴度,大臣亂國,兵大驚,期一年。”《春秋運斗樞》曰:“彗星孛出昴、畢間,大邦起王。”甘氏曰:“彗星出見昴,有喪。”巫咸曰:“彗星出昴,大臣為亂,君弱臣強,邊兵大起,天子憂之,人民驚恐,國有憂主,期一年,中二年,遠三年。”
昴宿は西方の白虎七宿の第四宿で、胡人の兵を主り、分野は趙地・冀州に属する。甘氏に曰く:彗孛が昴宿の宿度を冲犯するは、大臣は国家を禍乱し、兵馬は大いに驚擾を受け、応験期は一年。《春秋運斗枢》に曰く:彗孛が昴宿・畢宿の間に現れるは、大邦の内に起って王を称する人がある。甘氏に曰く:彗星が昴宿に現れるは、喪事を主る。巫咸に曰く:彗星が昴宿に現れるは、大臣は乱を作し、君は弱く臣は強く、辺地の兵禍は大いに起こり、天子はこれがために憂慮し、百姓は驚恐し、国内の君主に憂患があり、応験期は一年、中は二年、最も遠く三年。
(按司馬彪《天文志》曰:光武建武十五年正月丁未,彗星見昴,稍西北,行入營室,犯離宮,三月乙未,至東壁滅,見四十九日。彗星為兵,又除穢;昴為胡兵。至十一月,定襄都尉陰承反,太守隨誅之,盧芳從匈奴入,居高柳。至十六年十月,芳降,上璽綬。一曰:昴為獄事。是時大司徒歐陽歙以事繫獄,踰歲死。離宮,妃后之所居,彗星犯之,是除宮也。是時,郭后已疏,至十七年十月,遂廢為中山太后也。)
原書の小注:司馬彪《天文志》に拠れば、漢の光武帝・建武十五年正月丁未、彗星が昴宿に現れ、漸く西北に移動し、営室に入り、離宮を冲犯した。三月乙未、東壁に行きて消散し、前後して四十九日現れた。彗星は兵事を主り、また汚穢を掃除することを主る。昴宿は胡人の兵を主る。十一月に至り、定襄都尉・陰承は反逆し、太守はすなわち彼を誅殺した。盧芳は匈奴に随いて塞に入り、高柳を占拠した。建武十六年十月に至り、盧芳は降伏し、印璽・綬帯を献上した。別の一説に、昴宿は刑獄の事を主る。この時大司徒・欧陽歙は事によって獄に下り、一年を過ぎて獄中に死した。離宮は妃后の居住する所で、彗星がそれを冲犯するは、すなわち宮掖を清除せんとする。この時郭后はすでに疎遠せられ、建武十七年十月に至り、ついに中山太后に廃せられた。
郗萌曰:“彗星出昴,色赤,邊有大兵謀反,天子有憂。”郗萌曰:“彗星出昴,赦。”
郗萌に曰く:彗星が昴宿に現れ、色沢が赤を発するは、辺地に大批の軍隊が反逆を企て、天子に憂患がある。郗萌はまた曰く:彗星が昴宿に現れるは、朝廷が赦令を頒行するを主る。
畢・彗孛が畢を犯す
《荊州占》曰:“彗孛犯畢,必有死丈夫數萬人。”甘氏曰:“彗孛干犯畢,邊兵寇,中國亡,近期一年,遠期五年。”《荊州占》曰:“彗星干犯畢,邊軍大戰。”陳卓曰:“彗孛干犯畢,中原流血。”
畢宿は西方の白虎七宿の第五宿で、昴宿と同じく趙地・冀州の分野であり、天官の中では辺地の兵事と田猟を主る。《荊州占》に曰く:彗孛が畢宿を冲犯するは、必ず数万の男子の死亡するがある。甘氏に曰く:彗孛が畢宿を冲犯するは、辺地は兵寇の侵扰を受け、中原は危亡し、応験の近いは一年、遠いは五年。《荊州占》はまた曰く:彗星が畢宿を冲犯するは、辺境の軍隊は大戦する。陳卓に曰く:彗孛が畢宿を冲犯するは、中原は流血する。
《黃帝占》曰:“彗星畢、觜之間,小而長,狀如直竿,上有星壘壘然,此星出,為兵戎,此鎮星之變見,不過一年,兵起宮中,女主有殃。”石氏曰:“彗星出畢,大兵起,馬貴。其星內指,邊兵勝;其星落地,兵破。”巫咸曰:“彗星出畢,突厥為寇,亂中國,邊兵戰,有流血,若有亡主、死將,期三年,遠五年。”
《黄帝占》に曰く:彗星が畢宿と觜宿の間に現れ、星形は細かくて長く、一本の直竿に似て、上に星が層々として堆積するは、こういう星の現れるは兵戎の事を主り、鎮星の変化の顕現する異象に属し、応験は一年を過ぎず、兵禍は宮中から興起し、女主は殃を受ける。石氏に曰く:彗星が畢宿に現れるは、大戦が爆発し、馬価は昂貴する。それの星芒が内に向かって指すは、辺地の軍隊は獲勝する。星光が地面に墜落するは、軍隊は撃破される。巫咸に曰く:彗星が畢宿に現れるは、突厥は入寇し、中原を擾乱し、辺地の軍隊は交戦し、流血の事があり、あるいは君主の敗亡・将領の戦死があり、応験期は三年、最も遠く五年。
《黃帝占》曰:“彗孛守畢柄,侯邑益土,守畢口中,邦相為亂,邑易政,邑君、大臣當之。”《黃帝占》曰:“彗星出附耳,庶雄起,陪臣反。”司馬彪《天文志》曰:“孝獻建安五年十月辛亥,有星孛於大梁,冀州分也,時袁紹在冀州,其年十一月,紹軍為曹公所破,七年夏,紹死,後公遂取冀州。”
《黄帝占》に曰く:彗孛が畢宿の柄部に留守するは、諸侯の封邑が土地を增添することを主る。畢口の中に留守するは、邦国の相が乱を作し、封邑は政令を改換し、邑君と大臣がこの災禍を承当することを主る。《黄帝占》はまた曰く:彗星が附耳星に現れるは、民間の豪雄が興起し、陪臣は叛乱することを主る。司馬彪《天文志》に曰く:漢の献帝・建安五年十月辛亥、星孛が大梁に現れ、あれは冀州の分野であった。この時袁紹は冀州を拠有し、この年十一月、袁紹の軍隊は曹公に撃破され、建安七年夏、袁紹は病死し、後に曹公はついに冀州を奪取した。
觜・彗星孛が觜を犯す
石氏曰:“彗星干犯觜觽,國兵起,天下動擾,期一年,遠三年。”《荊州占》曰:“彗星干犯觜觽,其國兵起,破亡。”甘氏曰:“彗星出觜觽,其國兵起,有失地、死王,天下民流,大臣出戰,下有亡國,期三年,遠五年。”石氏曰:“彗星出觜觽,谷大貴,大臣出戰,期七月。”
觜觽はすなわち觜宿で、西方の白虎七宿の第六宿、分野は魏地・益州の一帯に属する。石氏に曰く:彗星が觜觽を冲犯するは、国内は戦事を興起し、天下は動揺・騒擾し、応験期は一年、最も遠く三年。《荊州占》に曰く:彗星が觜觽を冲犯するは、あの国は戦事を興起し、破敗して滅亡する。甘氏に曰く:彗星が觜觽に現れるは、あの国は戦事を興起し、土地を喪失し君王の死亡する事があり、天下の百姓は流離し、大臣は出征して作戦し、下に国家の滅亡するがあり、応験期は三年、最も遠く五年。石氏はまた曰く:彗星が觜觽に現れるは、穀価は大いに騰り、大臣は出征して作戦し、応験期は七ヶ月。
劉向《洪範傳》曰:“彗星見觜觽,必有破國、亂君,伏死其辜者。”(按《漢書天文志》曰:景帝中二年三月丁酉,彗星夜見西北,色白,長丈,在觜觽,旦去,益小,十五日不見。觜觽,梁也。是時,梁王恐懼,伏斧鉞謝罪,然後得免也。)
劉向《洪範伝》に曰く:彗星が觜觽に現れるは、必ず国家の攻破され、君主の昏乱するがあり、また人の罪によって法に伏して死する者がある。原書の小注:《漢書・天文志》に拠れば、漢の景帝・中元二年三月丁酉、彗星が夜に西北方に現れ、色は白、長さ一丈、位置は觜觽に在り。明け方にはすなわち隠れ、この後いよいよ小さくなり、十五日後にもはや見えなくなった。觜觽が対応するは梁国である。この時梁王は恐懼して、斧鉞の下に伏して罪を謝し、然る後に禍を免れることを得た。
参・彗孛が参を犯す
石氏曰:“彗孛干犯參,其國邊兵大敗,其君亡,近期一年,遠期三年。”《黃帝占》曰:“彗星出參伐,天子更政。”甘氏曰:“彗星出參,大兵蔽地,大臣謀反,后有憂,天子躬甲斧鉞大用,兵馬馳道,弓弩恆張,期三年,遠五年。”
参宿は西方の白虎七宿の末の一宿で、觜宿と同じく魏地・益州の分野であり、誅殺と辺将の事を主る。石氏に曰く:彗孛が参宿を冲犯するは、あの国の辺防の軍隊は大いに敗れ、その君は敗亡し、応験の近いは一年、遠いは三年。《黄帝占》に曰く:彗星が参宿の伐星に現れるは、天子は政令を改換する。甘氏に曰く:彗星が参宿に現れるは、大軍は地を覆い蔽い、大臣は反逆を企て、皇后に憂患があり、天子は自ら甲を披き斧鉞を大いに動かし、兵馬は道路に馳騁し、弓弩は長く張りて解かず、応験期は三年、最も遠く五年。
(《漢書五行志》曰:元延三年,星孛及攝提、大角,從參至辰,並亡世嗣,王莽篡也。)《荊州占》曰:“彗出於參、東井之間,上柱煞,伐長吏。”《黃帝占》曰:“彗星與熒惑並見於參,天子更政;一曰:天子受政。”石氏曰:“彗星見參伐,大國君不吉。”郗萌曰:“彗茀星流入參,若出參,其年兵起。”
原書の小注:《漢書・五行志》に曰く、漢の成帝・元延三年、星孛は摂提・大角に侵及し、参宿から大辰に至るまで延伸し、ともに皇統の嗣を絶つを預示し、後に果たして王莽の漢を簒ぐ事があった。《荊州占》に曰く:彗星が参宿と東井の間に出るは、上柱の類の重臣の殺され、長吏の討伐せらるを主る。《黄帝占》に曰く:彗星と熒惑がともに参宿に現れるは、天子は政令を改換する。別の一説は天子が政権を承受する。石氏に曰く:彗星が参宿の伐星に現れるは、大国の君主は不吉である。郗萌に曰く:彗孛が参宿に流入し、あるいは参宿の中から出るは、その年に戦事が興起する。
(按班固《天文志》曰:元帝初元五年四月,彗星出西北,赤黃白色,長八尺,所後數日,長丈餘,東北指參分,後二年餘,西羌反,左將軍奉世擊平之。)
原書の小注:班固《天文志》に拠れば、漢の元帝・初元五年四月、彗星が西北方に現れ、赤黄白色を呈し、長さ八尺。数日を過ぎて、長さ一丈余に長じ、芒は東北方の参宿の分野を指した。二年余以後、西羌は反逆し、左将軍・馮奉世は兵を領してこれを討平した。
彗孛の南方七宿を犯す
東井・彗孛が東井を犯す
《黃帝占》曰:“彗孛干犯東井,大使出,野有兩軍相當,不出三年。”甘氏曰:“彗星干犯東井,其國兵起。”
東井はすなわち井宿で、南方の朱鳥七宿の頭の一宿、分野は秦地・雍州に属する。《黄帝占》に曰く:彗孛が東井を冲犯するは、朝廷が重大の使節を派出することを主り、郊野の上に両軍が対塁し、三年を出ずに応験する。甘氏に曰く:彗星が東井を冲犯するは、あの国は戦事を興起する。
(按車類《秦書》曰:符堅九年四月,有客星出尾、箕,長十餘丈,狀如彗而未曲,或名蚩尤旗,拂於東井,自夏及冬不滅。太史令張益、孟光奏彗起尾、箕,尾箕,燕分,而拂東井,東井,秦分。燕首兆,亂於秦,東胡鮮卑,歷世稱燕,今慕容煒父子兄弟亡處而不報,聖朝職爵,鱗次執權,乘勢馳輪躍馬,貴榮莫與為二,宜少抑退,除其渠帥,夫蝮蛇螫手,壯夫解腕,玄象告兆,事應無差,堅不納,後慕容氏遂稱王於燕地。)
原書の小注:車頻《秦書》に拠れば、苻堅九年四月、客星が尾宿・箕宿に現れ、長さ十余丈、形状は彗に似て末端は彎曲し、ある人はこれを「蚩尤旗」と称し、東井を払掃し、夏から冬に至るまで消散しなかった。太史令・張益・孟光は上奏していう:彗星は尾・箕に起り、尾・箕は燕の分野で、それが東井を払掃し、東井は秦の分野である。徴兆はまず燕地に現れ、禍乱はしかも秦国に応ずる。東胡の鮮卑は歴世して自ら燕を称し、いま慕容暐の父子・兄弟は亡命して投じ来たりて報いるを知らず、本朝の官爵は鱗次して櫛比して大権を手に握り、勢に乗じて車を馳せ馬を躍らし、尊貴・栄寵は人の比ぶるところなく、少しく抑退すべく、その渠帥を除くべきである。毒蛇が手を螫せば、壮士はすなわち腕を断じて自ら救う。天象はすでに徴兆を顕示し、事情の応験に差錯はない。苻堅は納れず、後に慕容氏は果たして燕地で王を称した。
《荊州占》曰:“彗星干犯東井,則大臣謀,其國用兵,期百八十日。”石氏曰:“彗星出東井,其國兵大起,車騎滿野,有軍大戰,將軍有死者,若大臣有誅,期三年,中六年,遠九年。”
《荊州占》に曰く:彗星が東井を冲犯すれば、大臣は心に図みを懐き、あの国は兵力を動用し、応験期は百八十日。石氏に曰く:彗星が東井に現れるは、あの国は兵禍が大いに起こり、車馬は原野に満ち、軍隊は大戦を展開し、将軍の中に戦死する人があり、あるいは大臣の誅されるがあり、応験期は三年、中は六年、最も遠く九年。
郗萌占曰:“掃出東井,上莖煞漸漸長,上白下赤,狀如矛刃,此為兵災,乃太白之變。”陳卓曰:“彗星出東井,民人讒言,國政崩壞,天下大水。”陳卓曰:“彗在東井,大人死;見三十日,兵將當之;見五十日,相當之;時見七十日,主當之。”
郗萌の占辞に曰く:掃星が東井に現れ、上端の茎状の光芒は漸漸と伸長し、上部は白を発し下部は赤を発し、形状は矛頭・刀刃に似るは、これは兵災を主り、太白の変化の顕現する異象である。陳卓に曰く:彗星が東井に現れるは、百姓の間に讒言が紛として起こり、国政は崩壊し、天下は大水を発する。陳卓はまた曰く:彗星が東井に停るは、顕貴の大人物は死亡する。三十日現れたは、兵を帯ぶ将領が承当する。五十日現れたは、宰相が承当する。七十日現れたは、君主が承当する。
鬼・彗孛が輿鬼を犯す
石氏曰:“彗孛干犯輿鬼,大兵橫行,近期一年,遠三年;天子小赦除咎。”石氏曰:“彗星出輿鬼,國有大兵,戰死於野,骸骨滿坑,人民疾病,死者縱橫,期不出三年;王者以赦除咎,則災消矣。”
輿鬼はすなわち鬼宿で、南方の朱鳥七宿の第二宿、東井と同じく秦地・雍州の分野に属し、天官の中では祠祀と死喪を主る。石氏に曰く:彗孛が輿鬼を冲犯するは、大軍は横行し、応験の近いは一年、遠いは三年。天子が小赦を頒行すれば、咎害を消除しうる。石氏はまた曰く:彗星が輿鬼に現れるは、国内に大戦があり、将士は原野に戦死し、骸骨は坑谷に満ち、百姓は病に染まり、死んだ者は縦横に斃れ、応験は三年を出ない。君王が赦令をもって咎害を消除すれば、災禍はすなわち化解しうる。
石氏曰:“彗星出輿鬼,名曰喪樓,皆以赦解,應之。”《荊州占》曰:“彗星出輿鬼,有喪。”陳卓曰:“彗星出輿鬼,人民疾病,死者半,棺木貴。”
石氏に曰く:彗星が輿鬼に現れるは、こういうのは名を「喪楼」といい、皆赦令に凭って化解し、やっと対応し得る。《荊州占》に曰く:彗星が輿鬼に現れるは、喪事を主る。陳卓に曰く:彗星が輿鬼に現れるは、人民は病に染まり、死ぬ者は半分に達し、棺木の価格は昂貴する。
柳・彗孛が柳を犯す
甘氏曰:“彗孛干犯柳,國誅大臣,兵喪併發,外臣凌主,天下傾危,期三年。”(按班固《天文志》曰:孝武建元三年三月,有星孛於注、張,歷太微,干紫宮,至於天潢。其後,濟東膠西江都王皆坐法,削黜,自殺,淮南衡山謀反而誅之。)
柳宿は南方の朱鳥七宿の第三宿で、古称は「咮」、朱鳥の喙と為り、分野は周地・三河の一帯に属する。甘氏に曰く:彗孛が柳宿を冲犯するは、国家は大臣を誅殺し、兵禍と喪事は一斉に発作し、外臣は君主を欺凌し、天下は傾危し、応験期は三年。原書の小注:班固《天文志》に拠れば、漢の武帝・建元三年三月、星孛が注(柳)宿・張宿に現れ、太微垣を経歴し、紫宮を干犯し、天潢星に至った。この後、済東王・膠西王・江都王は皆法令に触犯して爵を削られ廃黜され、自殺し、淮南王・衡山王は反逆を企てて誅された。
《荊州占》曰:“彗星干犯柳,周國當之,期九十日。”《黃帝占》曰:“彗星出張、注之間,狀如吹之火且燃,此星出,有兵災,此熒惑之變見,一過一年,兵起國亡。”巫咸曰:“彗星出柳,國誅大臣,兵喪並起,強臣凌主,天下傾危,其國大旱,民以飢死,期三年,遠五年。”
《荊州占》に曰く:彗星が柳宿を冲犯するは、周地がこの災禍を承当し、応験期は九十日。《黄帝占》に曰く:彗星が張宿と注(柳)宿の間に現れ、形状は吹き動かされてまさに燃えんとする火に似るは、こういう星の現れるは兵災があり、熒惑の変化の顕現する異象に属し、一年を過えずして、兵禍は興起し国家は滅亡する。巫咸に曰く:彗星が柳宿に現れるは、国家は大臣を誅殺し、兵禍と喪事は一斉に興起し、強臣は君主を欺凌し、天下は傾危し、あの国は大いに旱し、百姓は飢餓によって死に、応験期は三年、最も遠く五年。
陳卓曰:“彗星出柳,有兵,臣凌主,大旱,穀貴。”《詩緯含神霧》曰:“彗星守咮,南夷將為亂。”(按司馬彪《天文志》曰:孝明永平八年六月壬午,長星出柳、張三十七度,犯軒轅,刺天船、大陵,微氣至上階,凡五十六日去。柳,周也。是歲,受雨水郡十四,傷稼。)
陳卓に曰く:彗星が柳宿に現れるは、兵事を主り、臣子は君主を欺凌し、大いに旱し、穀価は昂貴する。《詩緯含神霧》に曰く:彗星が咮宿に留守するは、南方の夷人はまさに乱を作さんとす。原書の小注:司馬彪《天文志》に拠れば、漢の明帝・永平八年六月壬午、長星が柳宿・張宿の間の三十七度の処に現れ、軒轅を冲犯し、天船・大陵に刺向し、微弱の光気は上階星に延伸し、前後して五十六日にやっと去った。柳宿が対応するは周地である。この年、雨水に遭って災と成った郡は十四个あり、庄稼は損害を受けた。
七星・彗星が七星を犯す
甘氏曰:“彗星干犯七星,邦有亂臣,國主不定,兵起宮殿,貴臣戮,大臣相疑,近期七十日,遠期百八十日。”《荊州占》曰:“彗星干犯七星,其國有大兵,不出百八十日。”《河圖》曰:“彗孛出七星,天子與聖葉,期三年,聖人出。”
七星はすなわち星宿で、南方の朱鳥七宿の第四宿、朱鳥の頸項と為り、分野は柳宿と同じく周地に属する。甘氏に曰く:彗星が七星を冲犯するは、邦国に乱臣があり、国主の位は安定せず、兵禍は宮殿の内に起こり、貴臣は殺され、大臣は互いに猜疑し、応験の近いは七十日、遠いは百八十日。《荊州占》に曰く:彗星が七星を冲犯するは、あの国に大戦があり、百八十日を出ずに応験する。《河図》に曰く:彗孛が七星に現れるは、天子が聖徳と相合するを主り、応験期は三年、聖人が世に出ることがあらん。
甘氏曰:“彗星出七星,國有叛臣,人主不安,兵起宮中,大臣戮死,貴人當誅,若有水災,民飢,期不出三年,遠三年。”
甘氏に曰く:彗星が七星に現れるは、国内に叛臣があり、君主は安寧を得ず、兵禍は宮中から興起し、大臣は処死され、貴人は誅すべく、あるいは水災が発生し、百姓は飢饉を鬧ぎ、応験は三年を出ず、最も遠くも三年である。
(按《宋書天文志》曰:魏齊王正始六年八月戊午,彗星見七星,長二丈,色白,進至張,積二十三日滅。七年十月癸亥,又見軫,長一丈,積一百五十六日滅。九年二月,又見昴,長六尺,色青白,芒西南指,七月又見翼,長三尺,進至軫,積四十二日滅。嘉平元年,司馬懿誅曹爽兄弟及其黨與,皆夷三族,京師嚴兵,實始剪魏。三年,誅楚王彪,又襲王陵於淮南。淮南,東楚也。幽魏諸王於鄴。)
原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、魏の斉王・正始六年八月戊午、彗星が七星に現れ、長さ二丈、色は白、前行して張宿に至り、二十三日を持続して消散した。正始七年十月癸亥、また軫宿に現れ、長さ一丈、百五十六日を持続して消散した。正始九年二月、また昴宿に現れ、長さ六尺、色沢は青白、芒は西南を指した。七月また翼宿に現れ、長さ三尺、前行して軫宿に至り、四十二日を持続して消散した。嘉平元年、司馬懿は曹爽の兄弟およびその党羽を誅殺し、皆三族を夷滅し、京師は兵を陳べて戒厳し、実にこれより曹魏を剪除し始めた。嘉平三年、楚王・曹彪を誅殺し、また淮南で王凌を襲撃した。淮南はすなわち東楚の地である。この後魏国の諸王を鄴城に幽禁した。
郗萌曰:“掃星出七星、張之間,狀如布,從風如靡,此星為兵戎,熒惑之變也。”郗萌曰:“彗星出七星、張之間,狀如欻之火且燃,為兵,熒惑之變也。”
郗萌に曰く:掃星が七星と張宿の間に現れ、形状は一幅の布に似て、風に随いて披靡するは、こういう星は兵戎の事を主り、熒惑の変化の顕現する異象である。郗萌はまた曰く:彗星が七星と張宿の間に現れ、形状は倏忽に点じてまさに燃え盛らんとする火に似るは、兵事を主り、これもまた熒惑の変化の顕現する異象である。
張・彗孛が張を犯す
甘氏曰:“彗孛干犯張,其國外內用兵,王徙宮,天下半亡。”石氏曰:“彗星出張,天下大亂,有兵,王者徙宮殿,天下半亡,人民惶惶,無有聊生;見五十日,期三年;七十日,期五年;百日,期七年;百五十日,期九年;必發。”
張宿は南方の朱鳥七宿の第五宿で、朱鳥の嗉嚢と為り、分野は周地・三河に属する。甘氏に曰く:彗孛が張宿を冲犯するは、あの国は外にも内にも兵を用い、君王は宮室を遷徙し、天下は半分を折損する。石氏に曰く:彗星が張宿に現れるは、天下は大いに乱れ、兵事があり、君王は宮殿を遷徙し、天下は半分を折損し、百姓は惶恐して安んぜず、聊か生を賴むことなし。五十日現れたは、応験期は三年。七十日は、五年。百日は、七年。百五十日は、九年。必ず発作する。
(按司馬彪《天文志》曰:王莽地皇三年十一月,有星孛於張,東南行,五日不見。後一年正月,光武起兵春陵,會下鄉,新市賊張卬、王常及更始兵亦至,俱攻破南陽,斬莽前隊大夫甄阜、屬正樑丘賜等,煞其士眾數萬人,更始立為天子,至河南都洛陽,西入長安,敗死,光武興於河北,復都洛陽。)
原書の小注:司馬彪《天文志》に拠れば、王莽・地皇三年十一月、星孛が張宿に現れ、東南に向かって運行し、五日後に見えなくなった。この後一年の正月、光武帝は舂陵に兵を起こし、下江の一路に会合し、新市の張卬・王常および更始の兵馬もまた到着し、ともに南陽を攻破し、王莽の前隊大夫・甄阜・属正・梁丘賜らを斬殺し、彼らの士卒数万人を殲滅した。更始は天子に立てられ、河南に到りて洛陽に都を建て、西に入りて長安に至り、最終に兵に敗れて死し、光武帝は河北に興起し、再び洛陽に都を建てた。
陳卓曰:“彗星出張,大旱,谷石三千,粟尤甚。”《宋天文志》曰:“魏明帝景初二年八月,彗孛星見張,長三尺,逆西行,三十一日滅。占曰:為兵喪。張,周分野,洛邑惡之。其十月,斬公孫淵。明年正月,明帝崩。晉武帝太康二年八月,有星又孛於張,四年三月戊申,孛於西南,四年三月癸壬,齊王攸薨,四月戊寅,任城王陵薨,五月己亥,琅琊王佃薨,十一月戊午,新都王該薨。”
陳卓に曰く:彗星が張宿に現れるは、大旱を主り、穀価は一石三千銭、粟価の騰るはことに甚だしい。《宋書・天文志》に曰く:魏の明帝・景初二年八月、彗孛星が張宿に現れ、長さ三尺、逆行して西に向かい、三十一日後に消散した。占辞に兵禍と喪事を主るといった。張宿は周の分野で、洛邑はその害を受けんとす。その年十月、公孫淵を斬った。第二年正月、明帝は去世した。晋の武帝・太康二年八月、また星孛が張宿に現れた。太康四年三月戊申、星孛が西南方に現れた。四年三月癸壬、斉王・司馬攸は去世した。四月戊寅、任城王は去世した。五月己亥、琅琊王は去世した。十一月戊午、新都王は去世した。
翼・彗孛が翼を犯す
《黃帝占》曰:“彗星干翼,國用兵,大臣有憂,遠期百八十日。”甘氏曰:“彗孛干犯翼,其國有大兵,芒所指降伏,近期三年,遠期七年。”《孝經鉤命決》曰:“天子失禮,則孛於翼。”《黃帝占》曰:“彗星出翼、軫之間,天下皆謀上,國有大喪,人主死亡,必有大兵,期不出三年。”
翼宿は南方の朱鳥七宿の第六宿で、朱鳥の羽翼と為り、分野は楚地・荊州に属する。《黄帝占》に曰く:彗星が翼宿を冲犯するは、国家は兵力を動用し、大臣に憂患があり、最も遠く百八十日に応験する。甘氏に曰く:彗孛が翼宿を冲犯するは、あの国に大戦があり、星芒の指す一方は降伏し、応験の近いは三年、遠いは七年。《孝経鈎命決》に曰く:天子が礼を失えば、孛星はすなわち翼宿に現れる。《黄帝占》はまた曰く:彗星が翼宿と軫宿の間に現れるは、天下の人は皆君上を企て、国家に大喪があり、君主は死亡し、必ず大戦があり、応験は三年を出ない。
《春秋運斗樞》曰:“孛掃出翼、軫之間,天下有勢皆謀。”石氏曰:“彗星出翼,其國有喪,以水為飢,民多流亡,視芒所指,必有降伏,期三年,遠六年。”
《春秋運斗枢》に曰く:孛星・掃星が翼宿と軫宿の間に現れるは、天下およそ権勢ある人は皆心に図みを懐く。石氏に曰く:彗星が翼宿に現れるは、あの国に喪事があり、水災によって飢饉を鬧ぎ、百姓は多く流亡する。星芒の何方を指すかを見れば、あの方に必ず降伏する人があり、応験期は三年、最も遠く六年。
(按《宋書天文志》曰:魏明帝太和六年十一月丙寅,有星孛於翼,近太微上將星。明年,孫權有遼東之敗,權又自向合肥新城,遣全琮攻六安,皆不克而去。又明年,諸葛亮入秦川,據渭南,司馬懿距之,孫權遣步陳諸葛瑾等臨江夏江口,孫韶張承等向廣陵淮陰,權以大眾圍新城,以應亮,於是帝自東征,權及諸將乃退。太和六年十二月,陳王桓薨,青龍元年夏,北海王甦薨,三年正月,太后郭氏崩也。)
原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、魏の明帝・太和六年十一月丙寅、星孛が翼宿に現れ、太微垣の上将星に近づいた。第二年、孫権は遼東に挫敗を遭い、孫権はまた自ら合肥新城を進攻し、全琮を遣わして六安を攻打せしめたが、皆克えずして撤去した。さらに一年、諸葛亮は秦川に入り、渭南を拠守し、司馬懿は兵を領して抵御した。孫権は歩隲・諸葛瑾らを遣わして江夏江口を進逼せしめ、孫韶・張承らは広陵・淮陰に向かい、孫権は大軍を率いて新城を包囲してもって諸葛亮に策応した。ここに明帝は自ら東征し、孫権および諸将はやっと兵を退いた。太和六年十二月、陳王は去世した(底本は「陳王桓」と記す)。青龍元年夏、北海王は去世した(底本は「北海王甦」と記す)。青龍三年正月、郭太后は去世した。
郗萌曰:“彗茀出翼、軫之間,狀如布,從風而靡,為兵災,熒惑之變也。”石氏曰:“彗星守翼,大臣謀反,五穀貴。”
郗萌に曰く:彗孛が翼宿と軫宿の間に現れ、形状は一幅の布に似て、風に随いて披靡するは、兵災を主り、熒惑の変化の顕現する異象である。石氏に曰く:彗星が翼宿に留守するは、大臣は反逆を企て、五穀の価格は昂貴する。
軫・彗孛が軫を犯す
甘氏曰:“彗孛干犯軫,兵喪並起,期百八十日,遠一年。”(按《宋書天文志》曰:晉武帝太始四年正月丙戌,彗星見軫,青白色,二月,皇大后王氏崩,十月,吳將施續寇江夏,或寇襄陽,後將軍田章、荊州刺史胡烈等破卻之。司馬彪《天文志》曰:孝獻建安十二年十月辛矛,有星孛於鶉首,荊州分野,時荊州牧劉表專據荊州,益州從事周群以為荊州牧將死而失主。明年秋,表卒,子琮自代,曹公將攻荊州,琮懼,舉軍詣公降也。)
軫宿は南方の朱鳥七宿の末の一宿で、朱鳥の尾と為り、分野は翼宿と同じく楚地・荊州に属する。甘氏に曰く:彗孛が軫宿を冲犯するは、兵禍と喪事は一斉に興起し、応験期は百八十日、最も遠く一年。原書の小注:《宋書・天文志》に拠れば、晋の武帝・泰始四年正月丙戌、彗星が軫宿に現れ、色沢は青白。二月、皇太后・王氏は去世した。十月、呉国の将領・施績は江夏を進犯し、別の一路は襄陽を進犯し、後将軍・田章・荊州刺史・胡烈らは彼らを撃退した。司馬彪《天文志》に曰く:漢の献帝・建安十二年十月辛卯、星孛が鶉首に現れ、あれは荊州の分野である(按して分野の旧説は鶉首はもともと秦に属す、ここは底本は荊州に系す)。この時荊州牧・劉表は独り荊州を拠有し、益州の従事・周群は荊州牧がまさに死去して荊州は主を失わんと認めた。第二年秋、劉表は去世し、子・劉琮は接任した。曹公はまさに荊州を進攻せんとして、劉琮は惧れ、全軍を率いて曹公の所に詣りて降伏した。
巫咸曰:“彗星出軫,天子崩,兵喪並起,滿宮門,車馬無主,民無定君,期三年,中五年,遠九年,王者以赦除咎,則消矣。”
巫咸に曰く:彗星が軫宿に現れるは、天子は晏駕し、兵禍と喪事は一斉に興起し、宮門に充塞し、車馬は主人を失い、百姓は確定の君主なく、応験期は三年、中は五年、最も遠く九年。君王が赦令をもって咎害を消除すれば、災禍はすなわち消散する。
開元占経 巻九十・彗星占下
彗孛の石氏中官を犯す 其の一
彗孛が摂提を犯す 其の一
石氏曰:“彗星出攝提,天下亂,帝自將兵於野,兵起宮中,王者有憂,期不出二年。”郗萌曰:“彗星出攝提,主迷惑,群下爭起。”
摂提は石氏中官に属し、共に六星、大角星の左右に分列し、時節を建立し暦数を釐正することを主り、君主を輔佐する重臣を象徴する。石氏に曰く:彗星が摂提に現れるは、天下は動乱し、帝王は自ら兵を領して原野に征戦し、兵禍は宮中から興起し、君王に憂患があり、応験は二年を出ない。郗萌に曰く:彗星が摂提に現れるは、君上が昏惑して明でないことを主り、群臣・属下は争って事を起こす。
彗孛が大角を犯す 其の二
齊伯曰:“彗孛出大角傍,可六七丈,天下大亂,兵大起,國易政,期三年,中五年,遠七年。”(按《洪範五行傳》曰:秦始皇帝三十七年五月,彗星出於大角,其長七尺,以東北入於女御,有一大星與星斗於宮中。三月五月,彗星盡,大星乃亡,始皇以六月乙壬死於沙丘,及西南行至咸陽,乃禍諸子女,官及九卿皆死以兵,天下大亂,起而攻,秦遂亡。又曰:五月,彗星出於鶉首,十五餘日,漢三年十月,有彗星出於大角,旬餘乃入,是時項籍為楚王霸主,諸侯天下歸心於漢,楚將滅,故彗除位也。)
大角は摂提の二星の間の一顆の大星で、天王の座位と為り、君主の威権を主る。斉伯に曰く:彗孛が大角のそばに現れ、長さ約六七丈のは、天下は大いに乱れ、大規模の戦争が爆発し、国家は政令を改換し、応験期は三年、中は五年、最も遠く七年。原書の小注:《洪範五行伝》に拠れば、秦の始皇帝三十七年五月、彗星が大角に現れ、長さ七尺、東北に向かって女御星に入り、別に一顆の大星がそれと宮中で相い闘った。三月・五月の間に至り、彗星は完全に消失し、あの大星はやっと隠没した。始皇は六月乙壬日に沙丘に死し、霊柩は西南に行きて咸陽に至り、続いて禍は諸の子女に及び、百官と九卿は皆刀兵に死し、天下は大いに乱れ、群雄は竝び起って秦を攻め、秦朝はここに滅亡した。又曰く:五月、彗星が鶉首に現れ、十五余日を歴た。漢三年十月、彗星が大角に現れ、十余日後にやっと隠没した。この時項籍は身は楚王として諸侯に覇を称えたが、天下の諸侯の人心は漢室に帰向し、楚はまさに亡びんとしたので、彗星は来たりて彼の君位を掃除するのであった。
郗萌曰:“彗星出入角,可七八丈,天下更政。”《鉤命決》曰:“天子失仁,則彗守大角。”黃帝曰:“彗星犯守大角,大兵起,國不安,天子失御,有亡國,更政令。”《洛書說微示》曰:“彗星貫,坐亂起。”荊州曰:“彗星孛大角,人主亡。”
郗萌に曰く:彗星が大角に出入・往来し、長さ約七八丈のは、天下は政権を改換する。《鈎命決》に曰く:天子が仁徳を失えば、彗星はすなわち大角に留守する。黄帝に曰く:彗星が大角を冲犯し留守するは、大戦が爆発し、国家は安んぜず、天子は統御の権を失い、国家の滅亡するがあり、政令は更改する。《洛書説微示》に曰く:彗星が大角を横貫するは、帝座の処にまさに乱事を生じんとす。《荊州占》に曰く:彗孛が大角に現れるは、君主は身が亡ぶ。
彗孛が梗河を犯す 其の三
《海中占》曰:“彗孛干犯梗河,天子慎邊防亂中國。”陳卓曰:“彗孛干犯梗河,北兵為敗。”巫咸曰:“彗星出梗河,四夷兵為敗,中國有邊患,若守之,王者誅四夷,期三年。”
梗河は共に三星、大角の北にあり、胡人の兵と辺地の守御を主る。《海中占》に曰く:彗孛が梗河を冲犯するは、天子は辺防を謹慎し、外患が中原を擾乱するを提防すべし。陳卓に曰く:彗孛が梗河を冲犯するは、北方の軍隊は敗戦を喫せんとす。巫咸に曰く:彗星が梗河に現れるは、四方の夷狄の軍隊は敗戦を喫せんとし、中原は辺境の患がある。もし彗星がそこに停留・守候すれば、君王はまさに兵を出して四夷を征討せんとして、応験期は三年。
彗孛が招揺を犯す 其の四
陳卓曰:“彗孛干犯招搖,邊兵大動,期一年。”石氏曰:“彗星出招搖,突厥入寇,守之勝。”黃帝曰:“攻胡,星孛招搖。”(《天官書》曰:漢兵伐大宛,星孛招搖也。)石氏曰:“彗星守招搖,犯北主,期出三年。”班固《天文志》曰:“漢孝武太初中,星孛於招搖,其後漢兵擊大宛,斬其王。”
招揺は梗河の北にあり、胡兵と征伐の事を主る。陳卓に曰く:彗孛が招揺を冲犯するは、辺地の兵馬は大いに調動し、応験期は一年。石氏に曰く:彗星が招揺に現れるは、突厥は入寇する。もし星がそこに停留・守候すれば、すなわち我方は獲勝する。黄帝に曰く:胡人を進攻せんとする徴兆は、すなわち星孛が招揺に現れることである。原書の小注:《天官書》に曰く、漢朝の軍隊が大宛を討伐する以前、星孛が招揺に現れた。石氏に曰く:彗星が招揺に留守するは、北方の主を冲犯し、応験期は三年の内にある。班固《天文志》に曰く:漢の武帝・太初の年間、星孛が招揺に現れ、この後漢軍は大宛を攻打し、大宛国王を斬殺した。
彗孛が玄戈を犯す 其の五
陳卓曰:“彗孛干犯玄戈,主戰,單于大敗,期二年。”《玉曆》曰:“彗星出玄戈,北方兵起,單于大敗,其國破亡,期一年,遠三年。”
玄戈は招揺の北にあり、北方の兵事と征伐を主る。陳卓に曰く:彗孛が玄戈を冲犯するは、戦事を主り、単于は大いに敗れ、応験期は二年。《玉暦》に曰く:彗星が玄戈に現れるは、北方は戦事を興起し、単于は大いに敗れ、彼の国は破亡し、応験期は一年、最も遠く三年。
彗星が天槍を犯す 其の六
甘氏曰:“彗星出天槍,王者備四夷,防捍邊境,若有驚恐,人民憂。”陳卓曰:“彗星守天槍,鈇鉞大用,誅殺不當,多梟首之民。”
天槍は共に三星、北斗の斗杓の末端にあり、天子の兵器の星象である。甘氏に曰く:彗星が天槍に現れるは、君王は四方の夷狄に備え、辺境の守御を加固すべきである。辺地は一たび驚恐の事があれば、百姓もまたこれに随いて憂惧する。陳卓に曰く:彗星が天槍に留守するは、斧鉞は大量に動用され、誅殺は失当し、梟首・示衆せらる百姓は多い。
彗孛が天棓を犯す 其の七
《聖洽符》曰:“彗星出天棓,兵大起,五仗用,國有憂,期二年。”陳卓曰:“彗星守天棓,兵四起。”
天棓は共に五星、女床の北にあり、同じく天子の兵器の星象である。《聖洽符》に曰く:彗星が天棓に現れるは、大規模の戦争が爆発し、五種の兵器は一斉に動用され、国家に憂患があり、応験期は二年。陳卓に曰く:彗星が天棓に留守するは、四方は戦事を興起する。
彗孛が女床を犯す 其の八
石氏曰:“彗孛干犯女床,貴人暴誅,期百八十日。”齊伯曰:“彗星犯女床,貴人有憂,若有暴誅者;一曰:貴女有罪者,期百八十日,遠一年。”
女床は共に三星、紀星の東にあり、后宮の嬪妃・女御を主る。石氏に曰く:彗孛が女床を冲犯するは、貴人は突然誅殺せられ、応験期は百八十日。斉伯に曰く:彗星が女床を冲犯するは、貴人に憂患があり、あるいは人の突然誅殺せられるがあり。別の一説に身分の尊貴の女子が罪を獲るがあり、応験期は百八十日、最も遠く一年。
彗星が七公を犯す 其の九
《甄曜度》曰:“彗星出七公,忠言者凶,議人下獄,政令不行,王者信讒,邪臣在側,其國憂敗。”
七公は共に七星、貫索の西にあり、天子の三公の位を象徴し、朝政の議論を主る。《甄曜度》に曰く:彗星が七公に現れるは、忠言を進める人は凶険があり、朝政を参議する人は監獄に投げ込まれ、政令は行い通らず、君王は讒言を聴信し、奸邪の臣は側に侍立し、あの国は憂患して敗亡する。
彗孛が貫索を犯す 其の十
《春秋緯》曰:“彗星出貫索,大臣憂有反者。”《海中占》曰:“彗星出貫索,必有反臣殺君,若有大赦,期百日,遠一年。”《孝經內記》曰:“彗星在天獄,諸侯作禍。”
貫索はまた天獄と呼ばれ、共に九星、連綴して環のごとく、刑獄・囚繋の事を主る。《春秋緯》に曰く:彗星が貫索に現れるは、大臣は憂惧し、その中に反逆せんとする人がある。《海中占》に曰く:彗星が貫索に現れるは、必ず叛臣が君主を弑殺し、あるいは朝廷が大赦を頒行し、応験期は百日、最も遠く一年。《孝経内記》に曰く:彗星が天獄に停るは、諸侯はまさに禍乱を製造せんとす。
郗萌曰:“彗星出攝提,主迷惑,群下爭起。”
郗萌に曰く:彗星が「摂提」に現れるは、主上が昏昧・迷惑して是非を明弁すること能わず、下の群臣・百官はすなわち紛紛として権を争って起つ。摂提の六星は大角の両そばに分列し、もともとは天子に替わって時節を建立し方位を端正する星官で、いま彗星に侵扰せられ、朝廷の綱紀の失序・上下の相争いに応ずる。
彗孛が大角を犯す 其の二
齊伯曰:“彗孛出大角傍,可六七丈,天下大亂,兵大起,國易政,期三年,中五年,遠七年。”(按《洪範五行傳》曰:秦始皇帝三十七年五月,彗星出於大角,其長七尺,以東北入於女御,有一大星與星斗於宮中。三月五月,彗星盡,大星乃亡,始皇以六月乙壬死於沙丘,及西南行至咸陽,乃禍諸子女,官及九卿皆死以兵,天下大亂,起而攻,秦遂亡。又曰:五月,彗星出於鶉首,十五餘日,漢三年十月,有彗星出於大角,旬餘乃入,是時項籍為楚王霸主,諸侯天下歸心於漢,楚將滅,故彗除位也。)
斉伯に曰く:彗星あるいは孛星が「大角」のそばに現れ、長さ六七丈に達するは、天下はまさに大乱があり、兵禍は大いに起こり、国家は政令を改換する。近いは三年に応験し、中は五年に応験し、遠いは七年に応験する。大角の一星は天王の座位なので、彗孛がそれを侵犯すれば、応ずる所は直ちに人君に指す。(以下は原書の小注:《洪範五行伝》に記す、秦の始皇帝三十七年五月、彗星が大角に現れ、長さ七尺、東北の方向に向かって「女御」星に入り、別に一顆の大星が宮中でそれと相い闘った。三月・五月の間に至り、彗星は完全に消尽し、あの大星はやっと隠没した。秦の始皇は六月乙壬日に沙丘に死し、霊柩は西南に行きて咸陽に至り、続いて禍乱は諸の公子・公主に波及し、官員と九卿は皆兵刃の下に死し、天下は大いに乱れ、四方は兵を起こして秦を攻め、秦朝はここに滅亡した。また記す:五月、彗星が鶉首の次に現れ、十余日を経た。漢王三年十月、彗星が大角に現れ、十几天后にやっと隠没した。この時項籍は身は楚王として諸侯に覇を称えたが、各路の諸侯と天下の人心は皆漢室に帰向し、楚国はまさに覆滅せんとしたので、この顆の彗星は来たりて彼の君位を掃除するのであった。)
郗萌曰:“彗星出入角,可七八丈,天下更政。”《鉤命決》曰:“天子失仁,則彗守大角。”黃帝曰:“彗星犯守大角,大兵起,國不安,天子失御,有亡國,更政令。”《洛書說微示》曰:“彗星貫,坐亂起。”荊州曰:“彗星孛大角,人主亡。”
郗萌に曰く:彗星が角宿の間に出没し、長さ七八丈に達するは、天下はまさに政令を改換せんとす。《鈎命決》に曰く:天子が仁徳を喪失すれば、彗星はすなわち大角に停留する。黄帝に曰く:彗星が大角を侵犯して停留するは、大規模の戦事が興起し、国家は安寧を得ず、天子は天下を駕御する権柄を失い、亡国の禍があり、政令もまたこれに随って更改する。《洛書説微示》に曰く:彗星が大角を貫穿するは、帝王の座位の所在する処にすなわち変乱を生ずる。《荊州占》に曰く:彗星が孛気をもって大角を冲犯するは、君主はまさに死去せんとす。
彗孛が梗河を犯す 其の三
《海中占》曰:“彗孛干犯梗河,天子慎邊防亂中國。”陳卓曰:“彗孛干犯梗河,北兵為敗。”巫咸曰:“彗星出梗河,四夷兵為敗,中國有邊患,若守之,王者誅四夷,期三年。”
《海中占》に曰く:彗星・孛星が「梗河」を冲犯するは、天子は辺疆を謹慎に守備し、外敵が中原を擾乱するを防止すべきである。梗河の三星は大角の北にあり、胡人の兵事を主る。陳卓に曰く:彗孛が梗河を冲犯するは、北方の軍隊は敗戦を喫せんとす。巫咸に曰く:彗星が梗河に現れるは、四方の夷狄の兵馬はまさに打敗せられんとし、中原にもまた辺境の禍患がある。もし彗星が滞留して去らなければ、すなわち王者が兵を出して四夷を討伐する象で、三年の内に応験する。
彗孛が招揺を犯す 其の四
陳卓曰:“彗孛干犯招搖,邊兵大動,期一年。”石氏曰:“彗星出招搖,突厥入寇,守之勝。”黃帝曰:“攻胡,星孛招搖。”(《天官書》曰:漢兵伐大宛,星孛招搖也。)石氏曰:“彗星守招搖,犯北主,期出三年。”班固《天文志》曰:“漢孝武太初中,星孛於招搖,其後漢兵擊大宛,斬其王。”
陳卓に曰く:彗孛が「招揺」を冲犯するは、辺境の兵馬は大いに調動し、一年の内に応験する。招揺の一星は北斗の斗柄の外にあり、玄戈と同じく兵事と辺地の夷狄を主る。石氏に曰く:彗星が招揺に現れるは、突厥はまさに境に入りて劫掠せんとす。彗星がその上に停留すれば、すなわち中原の一方は取勝する。黄帝に曰く:兵を出して胡人を攻打する時、孛星に招揺に現れるがある。(原書の小注:《史記・天官書》に記す、漢朝が兵を派して大宛を討伐し、まさに孛星が招揺を犯すに逢った。)石氏に曰く:彗星が招揺に停留するは、北方の主を冲犯し、三年の内に応験する。班固《漢書・天文志》に曰く:漢の武帝・太初の年間、孛星が招揺に現れ、その後漢兵は大宛を攻打し、大宛国王を斬殺した。
彗孛が玄戈を犯す 其の五
陳卓曰:“彗孛干犯玄戈,主戰,單于大敗,期二年。”《玉曆》曰:“彗星出玄戈,北方兵起,單于大敗,其國破亡,期一年,遠三年。”
陳卓に曰く:彗孛が「玄戈」を冲犯するは、戦事を主り、匈奴の単于是まさに大敗せんとして、二年の内に応験する。玄戈の一星は招揺の北面にあり、同じく兵戈の象に属し、もっぱら北方の辺夷に応ずる。《玉暦》に曰く:彗星が玄戈に現れるは、北方は戦事を興起し、単于は大いに敗れ、彼の国は破滅して覆亡し、近いは一年に応験し、遠いは三年に応験する。
彗星が天槍を犯す 其の六
甘氏曰:“彗星出天槍,王者備四夷,防捍邊境,若有驚恐,人民憂。”陳卓曰:“彗星守天槍,鈇鉞大用,誅殺不當,多梟首之民。”
甘氏に曰く:彗星が「天槍」に現れるは、王者は四方の夷狄に備え、辺境の守衛を加固すべく、然らざればまさに驚擾・恐慌の事があり、百姓は憂苦する。天槍の三星は北斗の斗柄の端・紫微垣のそばにあり、天上の兵器の象である。陳卓に曰く:彗星が天槍に停留するは、刀斧の刑は大量に動用され、誅殺は失当し、斬首・示衆せらる百姓は多い。
彗孛が天棓を犯す 其の七
《聖洽符》曰:“彗星出天棓,兵大起,五仗用,國有憂,期二年。”陳卓曰:“彗星守天棓,兵四起。”
《聖洽符》に曰く:彗星が「天棓」に現れるは、大規模の戦事が興起し、五種の儀仗・兵器は皆動用せんとして、国家に憂患があり、二年の内に応験する。天棓の五星もまた紫微垣の外にあり、天槍と同じく天子の棍棒・兵仗と為る。陳卓に曰く:彗星が天棓に停留するは、四方は皆兵事の発作するがある。
彗孛が女床を犯す 其の八
石氏曰:“彗孛干犯女床,貴人暴誅,期百八十日。”齊伯曰:“彗星犯女床,貴人有憂,若有暴誅者;一曰:貴女有罪者,期百八十日,遠一年。”
石氏に曰く:彗孛が「女床」を冲犯するは、顕貴の人は驟然として処死せられ、百八十日の内に応験する。女床の三星は紀星の北にあり、后宮の嬪妃・侍御を主る。斉伯に曰く:彗星が女床を侵犯するは、貴人に憂患があり、あるいは突然誅殺せられる者があり。別の一説に、貴族の婦女の中に罪を獲る人があり、百八十日の内に応験し、遠いは一年に応験する。
彗星が七公を犯す 其の九
《甄曜度》曰:“彗星出七公,忠言者凶,議人下獄,政令不行,王者信讒,邪臣在側,其國憂敗。”
《甄曜度》に曰く:彗星が「七公」に現れるは、忠言を進める人がかえって殃を受け、議政に参与する人は牢獄に投げ込まれ、政令は推行すること能わず、王者は讒言を聴信し、奸邪の臣は左右に侍立し、あの国は憂患に陥りて敗亡する。七公の七星は貫索の西にあり、天子の議政する大臣の象徴なので、彗星がそれを犯せば、応ずる所は皆言路と刑獄の上に落ちる。
彗孛が貫索を犯す 其の十
《春秋緯》曰:“彗星出貫索,大臣憂有反者。”《海中占》曰:“彗星出貫索,必有反臣殺君,若有大赦,期百日,遠一年。”《孝經內記》曰:“彗星在天獄,諸侯作禍。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「貫索」に現れるは、大臣に憂患があり、その中に謀反する人があらんとす。貫索の九星はまた「天獄」と呼ばれ、天上の牢獄である。《海中占》に曰く:彗星が貫索に現れるは、必ず叛臣が君主を弑殺し、あるいは国家が大赦を頒行せんとして、百日の内に応験し、遠いは一年に応験する。《孝経内記》に曰く:彗星が天獄の中に停るは、諸侯はまさに兵を興して乱を作し、禍患を醸成せんとす。
彗孛が東西咸を犯す 其の二十一
《文曜鉤》曰:“彗星出東咸,女主淫溢自恣,宮門不禁,若貴女有憂。”
《文曜鈎》に曰く:彗星が「東咸」に現れるは、女主は淫乱・放縦して恣意に妄為し、宮門の出入の禁令は形同虚設と化し、あるいは貴族の婦女に憂患がある。東咸・西咸は各々四星、房宿の両そばに分列し、もともとは淫佚を防範する門戸なので、彗星がそれを侵犯すれば、宮闈の防の敗壊に応ずる。
彗孛が天江を犯す 其の二十二
巫咸曰:“彗星出天江,天下大水,舟船用,五穀不登,其歲人相食,期三年。”陳卓曰:“彗孛干歷天江,大兵攻王國,王者以赦除之,則國豐平。”
巫咸に曰く:彗星が「天江」に現れるは、天下に大水を発し、舟船は大いに用を派し、五穀は収穫を欠き、その年の百姓は飢餓して互いに残食するほどに至り、三年の内に応験する。天江の四星は尾宿の北にあり、もっぱら水事を主る。陳卓に曰く:彗孛が天江を冲犯し経歴するは、大軍が王畿の国を進攻せんとして、王者がもし赦令を頒下してもってそれを消解すれば、国家はなお豊足・太平たりえよう。
彗孛が建星を犯す 其の二十三
陳卓曰:“彗孛干犯建星,王失道,忠言者誅,賢士逃亡。”黃帝曰:“彗星出建星,道路不通,多盜賊,子攻父,弟攻兄,守之則有大兵,將軍出行,期一年,遠三年。”
陳卓に曰く:彗孛が「建星」を冲犯するは、君王は治国の正道を失い、忠言を進める人がかえって誅殺され、賢能の士は外に逃亡する。建星の六星は南斗の北にあり、天子の都門と旗鼓の象である。黄帝に曰く:彗星が建星に現れるは、道路は阻塞して通ぜず、盗賊は众多で、子は父を攻め、弟は兄を攻める。もし彗星が滞留して去らなければ、大規模の兵禍があり、将軍は兵を領して出征し、近いは一年に応験し、遠いは三年に応験する。
彗孛が天弁を犯す 其の二十四
《帝覽嬉》曰:“彗孛出天弁,寶玉大貴,若糴貴五倍,萬物不興,其國飢。”郗萌曰:“彗星入若守天弁者,皆為囚徒起兵。”
《帝覧嬉》に曰く:彗孛が「天弁」に現れるは、珠宝・玉器の価格は暴騰し、あるいは粮価は五倍に上騰し、万物は生長・興旺すること能わず、あの分野の国家は飢饉を鬧ぐ。天弁の九星は建星の北にあり、市集の交易を主管する官署である。郗萌に曰く:彗星が天弁に入るあるいは天弁に停留するは、皆囚徒が衆を聚めて兵を起こすを主る。
彗孛が河鼓を犯す 其の二十五
郗萌曰:“彗星入河鼓,且有兵。”黃帝曰:“彗星出河鼓,天下兵起,大將出謀,旗鼓立,若守之,有死將;守中星,大將死;守旁兩星,小將死;期一年,中三年,遠五年。”《春秋緯》曰:“彗星出河鼓,鼓鳴,武士發,天子賦。”
郗萌に曰く:彗星が「河鼓」に入るは、まさに兵事の発生せんとす。河鼓の三星は牽牛の北にあり、天上の鼓と将軍の象で、中間の一星は大将、両そばの両星は左右の裨将である。黄帝に曰く:彗星が河鼓に現れるは、天下に戦事が興起し、大将は出て軍機を謀画し、軍旗・戦鼓は一斉に樹立する。もし彗星が滞留して去らなければ、すなわち将領の陣亡するがあり、中間のあの星に停れば、大将は戦死する。そばの両星に停れば、副将は戦死する。近いは一年に応験し、中は三年、遠いは五年。《春秋緯》に曰く:彗星が河鼓に現れるは、戦鼓は擂き鳴らし、武士は徴発され、天子は百姓に軍賦を徴収する。
彗孛が離珠を犯す 其の二十六
石氏曰:“彗孛犯離珠,後宮為亂,若宮人有誅;守之陽,為大旱;陰,為大水,五穀不登,人民飢。”
石氏に曰く:彗孛が「離珠」を侵犯するは、后宮に変乱が発生し、あるいは宮中の侍女・内人に誅殺せられるがある。離珠の五星は須女の北にあり、后妃の佩ぶ珠飾の象徴である。彗星がもしそれの陽に属する南側に停留すれば、大旱を主る。陰に属する北側に停れば、大水を主り、五穀は収穫を欠き、百姓は飢餒する。
彗孛が匏瓜を犯す 其の二十七
石氏曰:“彗星干犯匏瓜,政亂,近臣相譖,宮有戮死者,王者以赦除咎。”《玉曆》曰:“彗星出匏瓜,人主因食瓜而亡,若果中有藥害其君,若食官憂。”《玉曆》曰:“彗星守匏瓜,魚鹽貴十倍,果物不成。”
石氏に曰く:彗星が「匏瓜」を冲犯するは、朝政は紊乱し、君主の身辺の近臣は互いに讒を進み構陷し、宮中に殺戮せられて死する人があり、王者は赦令を頒行してもって災咎を消除すべきである。匏瓜の五星は離珠の北にあり、瓜果と后宮の膳食を主る。《玉暦》に曰く:彗星が匏瓜に現れるは、君主は瓜を食うによって命を喪い、あるいは果実の中に毒薬を入れられて国君を加害し、あるいは膳食を掌る官員に憂患がある。《玉暦》はまた曰く:彗星が匏瓜に停留するは、魚と塩の価格は十倍に騰り、瓜果の類は皆結実しない。
彗孛が天津を犯す 其の二十八
石氏曰:“彗星犯天津,賊斷王道。”郗萌曰:“彗星干犯入漢中,有亡國,當其野者變之。”甘氏曰:“彗星出天津,關津不通,若關吏有憂,若守之,天下大亂,津河隔塞,有旱災,期三年。”《洛書摘亡闢》曰:“彗星見漢中,亡君之戒。”何法盛《中興書》曰:“安帝隆安四年十一月,星孛於貫索,及天市,中天津。其時元顯輔政,刑署不中,故掃貫索;發徭無度,故掃天市;建士失節,故掃天津;天津,合通萬川,利闊梁也;天市,貨財帛,周百姓也;貫索,平察刑獄,無枉濫也;而元顯皆反之,天若曰掃除穢惡,令改革也,顯不悛,遂致覆滅。”
石氏に曰く:彗星が「天津」を侵犯するは、まさに賊寇に王者の往来する通道を截断せられんとす。天津の九星は銀河を横に跨ぎ、渡口と橋梁の象である。郗萌に曰く:彗星が冲犯して銀河の中に入るは、国家の滅亡するがあり、まさにあの片の分野の地方に当たって変故を出さんとす。甘氏に曰く:彗星が天津に現れるは、関隘・渡口は通ぜず、あるいは関を守る官吏に憂患があり。もし彗星が停留して去らなければ、天下は大いに乱れ、河津は阻隔・堵塞し、また旱災があり、三年の内に応験する。《洛書摘亡辟》に曰く:彗星が銀河の中に現れるは、国君の敗亡の警戒である。何法盛《中興書》に曰く:晋の安帝・隆安四年十一月、孛星が貫索に現れ、また天市に至り、さらに天津の中に至った。この時司馬元顕は朝政を輔理し、刑罰・断案はその平を得ず、ゆえに天象は貫索を掃った。徭役の徴発は節度なく、ゆえに天市を掃った。士人の選立は法度を違失し、ゆえに天津を掃った。天津は万川を匯通し橋梁の往来を便利する星官である。天市は貨物・財帛を流通し百姓を周済する星官である。貫索は刑獄を公平に審察し人を冤滥を受けざらしむる星官である。元顕の作為は処処にこれと相反し、上天はあたかも汚穢・邪悪を掃除し彼に改革せしめんと謂うがごとくであった。元顕は悔改むるを肯せず、ついに覆滅を招致した。
彗孛が王良を犯す 其の二十九
《運斗樞》曰:“彗星出王良,好遊馳,奉車反。”齊伯曰:“彗星出王良,兵馬大動,車騎行天下,有急馬多死;一曰:水道不通,津開塞,期二年,遠三年。”《宋書天文志》曰:“魏陳留王咸熙二年五月,彗星見王良,丈餘,色白,東南指,積十二日滅。占曰:王良,天子御駟,彗星掃之,禪伐之表,除舊佈新之象,白色為喪,王良,東壁宿,又幷州之分野。八月,晉王薨,十二月,帝遜位於晉。”
《運斗枢》に曰く:彗星が「王良」に現れるは、君主は出遊・馳騁を貪好し、車駕を掌る奉車の官はまさに反逆せんとす。王良の五星は奎宿の北にあり、天子の車夫と駟馬の象である。斉伯に曰く:彗星が王良に現れるは、兵馬は大いに調動し、車騎は天下に奔走し、事情が緊急の時は馬匹は大批に斃倒する。別の一説に、水路は通ぜず、渡口は時に開き時に塞ぎ、二年の内に応験し、遠いは三年に応験する。《宋書・天文志》に曰く:魏の陳留王・咸熙二年五月、彗星が王良に現れ、長さ一丈余、顔色は白を発し、尾は東南を指し、十二日を累積してやっと消失した。占辞に曰く:王良は天子の駕御する駟馬で、彗星がそれを掃い過ぐるは、禅譲と征伐の表徴であり、また除旧・布新の象である。白色は喪事を主る。王良は東壁宿に隷属し、また并州の分野である。この年八月に晋王・司馬昭は去世し、十二月に魏帝はすなわち晋に位を譲った。
彗孛が螣蛇を犯す 其の三十
陳卓曰:“彗孛干犯螣蛇,水道不通,天下隔,期二年。”《聖洽符》曰:“彗星出螣蛇,以水雨為害,大水出,萬物不成,民人飢;一曰:水蟲為敗。”
陳卓に曰く:彗孛が「螣蛇」を冲犯するは、水路は通ぜず、天下の往来は阻隔し、二年の内に応験する。螣蛇の二十二星は営室の北にあり、水中の飛蛇の象で、主る所は多く水事にある。《聖洽符》に曰く:彗星が螣蛇に現れるは、まさに洪水・霖雨によって災を成し、大水が氾濫し、万物は成熟すること能わず、百姓は飢饉する。別の一説に、水中の虫害が庄稼を敗壊せしむる。
彗孛が閣道を犯す 其の三十一
陳卓曰:“彗星干犯閣道,王者居正殿,不私行,則災自消。”《甄曜度》曰:“彗星出閣道,天下津不通,兵大起,御道有伏兵,欲謀其主,王者宜備之。”
陳卓に曰く:彗星が「閣道」を冲犯するは、王者はただ正殿に端居し私に出行しなければ、災禍は自ずから消解する。閣道の六星は王良のそばにあり、天子が紫宮から別の処に通ずる複道である。《甄曜度》に曰く:彗星が閣道に現れるは、天下の渡口は通ぜず、大規模の戦事が興起し、御用の道路上に兵士を埋伏し、君主を加害せんと企て、王者は厳かに備えるべきである。
彗孛が附路を犯す 其の三十二
陳卓曰:“彗孛干犯附路,道不通,天下半隔,期一年。”《海中占》曰:“彗孛出附路,天下大飢,車騎滿野,道中縱橫,人主臨兵,期三年。”
陳卓に曰く:彗孛が「附路」を冲犯するは、道路は通ぜず、天下は半分の地方が互いに隔絶し、一年の内に応験する。附路の一星は閣道に傍依し、複道のそばの副路である。《海中占》に曰く:彗孛が附路に現れるは、天下は大いに飢饉を鬧ぎ、車馬・騎兵は郊野に満ち、道路上の人馬は縦横に雑乱し、君主は親しく軍中に臨み、三年の内に応験する。
彗孛が天将軍を犯す 其の三十三
《玄冥占》曰:“彗星出天將軍,兵大起,將軍出,旗陳立,若守之,大將死,若有誅,期不出二年。”
《玄冥占》に曰く:彗星が「天将軍」に現れるは、大規模の戦事が興起し、将軍は兵を領して出征し、軍旗と陣列は一斉に擺開する。もし彗星が停留して去らなければ、大将は戦死し、あるいは将領に誅戮を遭う者有り、二年を出ずに応験する。天将軍の十二星は婁宿の北にあり、中に居る大星はすなわち天上の大将である。
彗孛が大陵を犯す 其の三十四
《文曜鉤》曰:“彗星出大陵,國有大喪,有土功、墳陵之事,若守之,天子崩,明審,期不出三年,遠五年。”《春秋緯》曰:“彗星出大陵,天子以不慈見犯,復出之,將反。”
《文曜鈎》に曰く:彗星が「大陵」に現れるは、国家に大喪があり、土木の工程と墳墓・陵寝を営建する事を興起せんとす。もし彗星がその上に停留すれば、天子は晏駕し、この占は明白にして験あり、三年を出ずに応験し、遠いは五年に応験する。大陵の八星は胃宿の北にあり、陵墓と死喪を主る。《春秋緯》に曰く:彗星が大陵に現れるは、天子は慈愛ならざるによって冒犯せられる。彗星がもし再び現れれば、臣下はまさに反逆せんとす。
彗孛が天船を犯す 其の三十五
《春秋緯》曰:“彗星出舟星,外夷侵。”巫咸曰:“彗星出天船,天下大水,舟船用事,若外夷來侵,水兵起,期一年。”(按司馬彪《天文志》曰:漢孝明帝永平三年六月丁卯,彗星出天船北,長二尺,所稍北行,至亢南,百三十五日去,是歲,伊洛水溢,到津城門,壞伊橋,郡七、縣三十二,皆大水。《宋書天文志》曰:晉穆帝昇平二年五月丁亥,彗星出天船,在胃宿中。四年五月,天下皆大水。)
《春秋緯》に曰く:彗星が舟星に現れるは、外族の夷狄はまさに犯し来たらんとす。巫咸に曰く:彗星が「天船」に現れるは、天下に大水を発し、舟船は大いに用を派し、あるいは外族が来たりて侵扰し、水上の戦事が興起し、一年の内に応験する。天船の九星は大陵の北にあり、銀河の中に横陳するので、もっぱら水事に応ずる。(以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の明帝・永平三年六月丁卯、彗星が天船の北に現れ、長さ二尺、少しずつ北に移行し、亢宿の南に到達し、百三十五日後に去った。この年伊水・洛水は氾濫し、津城門に漲り至り、伊橋を冲壊し、七つの郡・三十二の県は皆大水を遭った。《宋書・天文志》に記す、晋の穆帝・升平二年五月丁亥、彗星が天船に現れ、位置は胃宿の中に在り。升平四年五月、天下は普く大水を発した。)
彗孛が五車を犯す 其の三十六
石氏曰:“彗孛干犯五車,兵滿野,天下半傾,百姓徙居,去其土,期三年。“黃帝曰:”彗星出五車,兵大起,車騎行,有攻戰,糴大貴,人民飢。彗若守之,先起兵者昌,後起兵者亡,期三年。“《春秋緯》曰:”彗星出五車,谷霜,兵起,主賣位,天下賢名起。“
石氏に曰く:彗孛が「五車」を冲犯するは、兵馬は原野に満ち、天下は半分が傾覆し、百姓は遷徙・流離し、自分の郷土を離れ、三年の内に応験する。五車の五星は畢宿の東北にあり、天子の五種の兵車と倉廩の象である。黄帝に曰く:彗星が五車に現れるは、大規模の戦事が興起し、車騎は出動し、攻伐・戦闘が発生し、粮価は暴騰し、百姓は飢餓する。彗星がもし停留して去らなければ、すなわち先に兵を動かす方が昌盛し、後に兵を動かす方が敗亡し、三年の内に応験する。《春秋緯》に曰く:彗星が五車に現れるは、穀物は霜害に遭い、戦事が興起し、君主は官を売り爵を鬻ぎ、ここに天下の賢者の名声はかえって興起する。
彗孛が巻舌を犯す 其の三十七
《帝覽嬉》曰:“彗孛出捲舌,人主用讒言,誅忠臣,貴人有戮死者;一曰:民多言訟,不出年。”《春秋緯》曰:“彗星出捲舌,主以聽讒之,主遇殺,大臣反。”(按《宋書天文志》曰:宋文帝元嘉二十八年五月,彗星見捲舌,入太微,過帝座,犯上相,拂屏,出端門,滅翼軫。三十年,天子巫蠱咒咀事覺,遂以殺逆害朝臣。孝建元年,荊江二州反,皆夷滅。捲舌咒咀之象,彗之所起,是其應也。)
《帝覧嬉》に曰く:彗孛が「巻舌」に現れるは、君主は讒言を採信し、忠臣を誅殺し、顕貴の人の中に殺戮せられて死する者あり。別の一説に、民間に口舌・争訟の事多く、一年を出ずに応験する。巻舌の六星は昴宿の北にあり、口舌・讒譖と巫祝・詛呪を主る。《春秋緯》に曰く:彗星が巻舌に現れるは、君主は讒を聴信するによって殺害に遇い、大臣は起って反逆する。(以下は原書の小注:《宋書・天文志》に記す、宋の文帝・元嘉二十八年五月、彗星が巻舌に現れ、太微垣に入り、帝座を越え、上相星を冲犯し、屏星を払い、端門から穿出し、最終に翼宿・軫宿の間で消失した。元嘉三十年、天子が巫蠱・詛呪を行った事情は敗露し、ここに弑逆し朝臣を殺害する禍乱を醸した。孝建元年、荊州・江州の両地は反逆し、皆剿滅せられた。巻舌はもともと詛呪の象で、彗星がここから端を発するは、まさにそれの応験である。)
彗孛が天関を犯す 其の三十八
石氏曰:“彗星出天關,兵大起,道路不通,民多盜賊,必有關塞之事,人主有憂。”《玄冥占》曰:“彗星出天關而守之,天下道絕,國多盜賊,關梁不通,人主有憂,期一年,遠二年。”
石氏に曰く:彗星が「天関」に現れるは、大規模の戦事が興起し、道路は阻断して通ぜず、民間の盗賊は众多で、必ず関隘の閉塞の事があり、君主に憂患がある。天関の一星は五車の南・畢宿と觜宿の間にあり、日月・五星の出入・往来する門戸である。《玄冥占》に曰く:彗星が天関に現れかつ停留して去らなければ、天下の道路は断絶し、国中の盗賊は众多で、関卡・橋梁は通ぜず、君主に憂患があり、近いは一年に応験し、遠いは二年に応験する。
彗孛が南北河戍を犯す 其の三十九
《海中占》曰:“彗星出南河,蠻越兵起,邊域有憂,若關吏有罪者。”郗萌曰:“彗星出天高,廟臣反,名侯王起。”《海中占》曰:“彗星守南河,為大旱;出北河,夷為亂,來侵中國,若守,胡軍敗。又曰:守北河,為大水,期不出三年。”石氏曰:“朝鮮之伐,星拂河戍。”(按班固《天文志》曰:漢武帝元封中,星孛干河戍,其後漢兵擊拔朝鮮北,為樂浪、玄菟郡。“石氏曰:”彗孛干兩戍間,天子出走,大臣親盛亡王者以赦咎。”
《海中占》に曰く:彗星が「南河」に現れるは、南方の蛮越の地に兵事が興起し、辺境の地区に憂患があり、あるいは関を守る官吏の中に罪を獲るがある。南河の三星と北河の三星は東井の南北の両側に挟まり、天上の両処の関戍である。郗萌に曰く:彗星が天高に現れるは、宗廟の臣は反逆し、著名の侯王は兵を起こす。《海中占》に曰く:彗星が南河に停留するは、大旱を主る。北河に現れるは、夷狄は乱を作し、来たりて中原を侵犯する。もしその上に停留すれば、すなわち胡人の軍隊は敗亡する。又曰く:北河に停留するは、大水を主り、三年を出ずに応験する。石氏に曰く:朝鮮を討伐したあの役は、まさに星光に河戍を払わるるあり。(以下は原書の小注:班固《漢書・天文志》に記す、漢の武帝・元封の年間、孛星が河戍を冲犯し、その後漢兵は朝鮮の北部を攻取し、楽浪郡と玄菟郡と為した。)石氏に曰く:彗孛が南河・北河の両戍の間を冲犯するは、天子は出奔・逃亡し、大臣の親党の勢力は強盛で、王者は赦令を頒行してもって災咎を消解すべきである。
彗孛が五諸侯を犯す 其の四十
石氏曰:“彗孛干犯五諸侯,王室大亂,兵起,天子宮廟不祀。”《春秋緯》曰:“彗星出五諸侯,州牧反,九州合謀。”《玉曆》曰:“彗星出五諸侯,執政臣有謀,若有被戮者,貴人當之,人主有憂,期一年,遠二年。”(司馬彪《天文志》曰:孝獻建安十七年十二月,有星孛於五諸侯,時周群以為西方專據土地者皆將失亡,是時益州劉璋據益州,漢中太守張魯別據漢中,韓遂據涼州,宋建別據抱罕。明年冬,曹公之偏將擊涼州,十九年獲宋建,韓遂逃於羌中,病死,其年秋璋失益州,二十年秋,公攻漢中,魯降也。)
石氏に曰く:彗孛が「五諸侯」を冲犯するは、王室は大いに乱れ、戦事が興起し、天子の宮室・宗廟は祭祀を断つ。五諸侯の五星は東井の北にあり、外に分封せらる諸侯を象徴する。《春秋緯》に曰く:彗星が五諸侯に現れるは、州牧は反逆し、九州の長官は合謀して乱を作す。《玉暦》に曰く:彗星が五諸侯に現れるは、執政の大臣は心に図みを懐き、あるいは誅戮せらる人があり、顕貴の人に応じ、君主に憂患があり、近いは一年に応験し、遠いは二年に応験する。(以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の献帝・建安十七年十二月、孛星が五諸侯に現れた。この時周群は西方のあの各々土地を割拠する人は皆まさに敗亡せんと認めた。あの時劉璋は益州を占拠し、漢中太守・張魯は別に漢中を拠り、韓遂は涼州を占拠し、宋建は別に枹罕を拠った。第二年冬、曹公の偏将は涼州を進攻した。建安十九年宋建を擒獲し、韓遂は羌人の地に逃げ入り、病死した。同年秋劉璋は益州を失った。二十年秋、曹公は漢中を進攻し、張魯は降伏した。)
彗孛が積水を犯す 其の四十一
石氏曰:“彗星干犯積水,兵起宮門,宗廟毀絕,大臣有憂。”
石氏に曰く:彗星が「積水」を冲犯するは、兵禍は宮門の内から発起し、宗廟は毀され祭祀は断絶し、大臣に憂患がある。積水の一星は北河の西北にあり、もともと酒を醸しと祭祀に用うる水を主るので、彗星がそれを犯せば、応験は宗廟の祭享の事の上に落ちる。
彗孛が積薪を犯す 其の四十二
石氏曰:“彗孛干犯積薪,有亂臣在宗廟。”
石氏に曰く:彗孛が「積薪」を冲犯するは、乱を作す臣子が宗廟の中に混迹す。積薪の一星は積水の東にあり、炊爨と祭祀に用うる柴薪を供給することを主り、積水と同じく宗廟の事に応ずる。
彗孛が水位を犯す 其の四十三
石氏曰:“彗孛干犯水位,水道不通,伏兵在水中,以水為害。”甘氏曰:“彗孛出水位,天下以水為憂,有兵起,五穀不成,人民飢。”
石氏に曰く:彗孛が「水位」を冲犯するは、水路は通ぜず、伏兵が水中に蔵れ、水に藉って禍害を製造する。水位の四星は東井の東にあり、水事を主る。甘氏に曰く:彗孛が水位に現れるは、天下は水患のために憂愁し、また戦事が興起し、五穀は成熟すること能わず、百姓は飢餓する。
彗孛が軒轅を犯す 其の四十四
石氏曰:“彗孛干犯軒轅,近臣誅,滅宗族,王者以赦除咎。”黃帝曰:“彗孛出軒轅,皇后有憂,若失勢,宮人不安,人主有憂。”《春秋緯》曰:“彗星入軒轅,后族亂。”《運斗樞》曰:“彗孛出軒轅,女妃為寇。”石氏曰:“彗星犯軒轅,天下大亂,易王,以五色占期。”《黃帝占》曰:“彗星入軒轅,若守之,天下大亂,易王,宮門當閉,若女主死,期三年,遠五年。”
石氏に曰く:彗孛が「軒轅」を冲犯するは、君主の近臣は誅殺され、宗族は誅滅を遭い、王者は赦令を頒行してもって災咎を消除すべきである。軒轅の十七星は七星の北にあり、形状は黄龍の体のごとく、后妃と后族の事を主る。黄帝に曰く:彗孛が軒轅に現れるは、皇后に憂患があり、あるいは権勢を失い、宮中の人心は安んぜず、君主にもまた憂患がある。《春秋緯》に曰く:彗星が軒轅に入るは、后族は乱を作す。《運斗枢》に曰く:彗孛が軒轅に現れるは、妃嬪の為害は寇仇のごとし。石氏に曰く:彗星が軒轅を侵犯するは、天下は大いに乱れ、君王を改換し、彗星の青赤黄白黒の五種の顔色に依って応期を推定しうる。《黄帝占》に曰く:彗星が軒轅に入り、あるいはその上に停留するは、天下は大いに乱れ、君王を改換し、宮門は閉すべく、あるいは女主は死去し、三年の内に応験し、遠いは五年に応験する。
彗孛が少微を犯す 其の四十五
石氏曰:“彗孛干犯少微,白衣聚者凶,術士不顯,智者逃亡,期三年。”巫咸曰:“彗星出少微,多能臣有死者,若上臣有罪;一曰:法令臣有誅者。”石氏曰:“彗星出少微,士夫起。”《宋書天文志》曰:“魏黃初六年十月乙未,有星孛於少微,歷軒轅。占曰:孛彗為喪,除舊佈新之象,是時帝軍廣陵,辛壬,親御甲冑,跨馬觀兵,明年五月,文帝崩。”
石氏に曰く:彗孛が「少微」を冲犯するは、まだ仕えぬ平民が聚まり起つは凶を主り、方術の士は顕達を得ず、智謀ある人は外に逃亡し、三年の内に応験する。少微の四星は太微垣の西南にあり、処士と士大夫の象である。巫咸に曰く:彗星が少微に現れるは、多才幹の臣子の中に死去するがあり、あるいは上層の大臣が罪を獲る。別の一説に、法令を掌る臣子に誅殺せらるがある。石氏に曰く:彗星が少微に現れるは、士人は起って政に参ずる。《宋書・天文志》に曰く:魏の文帝・黄初六年十月乙未、孛星が少微に現れ、軒轅を経過した。占辞に曰く:孛星と彗星は喪事を主り、除旧・布新の象である。この時魏の文帝は広陵に軍を駐え、辛日・壬日に自ら甲冑を披掛し、馬に跨りて軍隊を検閲した。第二年五月、文帝はすなわち晏駕した。
彗孛が太微を犯す 其の四十六
《春秋緯》曰:“彗星茀干太微,天子亂。”陳卓曰:“彗孛干入太微,帝宗后族為亂,亡社稷;一曰:所犯者亡。”《聖洽符》曰:“彗星入太微庭中,臣謀主,有兵起,王者災社稷,其國憂,期百八十日,遠一年。” 郗萌曰:“赤黃星,狀如帚,入太微,婦女喜心;出太微,天於賜諸侯美女。”《春秋緯》曰:“彗若出犯執法,御史反。”《運斗樞》曰:“彗孛出若干太微,法式滅,帝死於野。”《春秋緯》曰:“彗星出而茀太微,天下亂,不過三五,必易政,以色占期。”
《春秋緯》に曰く:彗星が孛気をもって「太微」を払掃・冲犯するは、天子は政を失いて乱を生ず。太微垣は天子の南宮の朝廷で、五帝の座と三公・九卿の位次は皆その中に列す。陳卓に曰く:彗孛が太微を冲犯し入るは、帝室の宗親と后族は乱を作し、社稷は傾覆す。別の一説に、冲犯せらるあの星の主る人は敗亡する。《聖洽符》に曰く:彗星が太微の庭院の中に入るは、臣下は君主を図み、戦事の興起するがあり、王者は社稷を災せしめ、あの国は憂患に陥り、百八十日の内に応験し、遠いは一年に応験する。郗萌に曰く:赤黄色の星、形状は帚に似て、太微に入れば、婦女は心に歓喜す。太微から出れば、天子はまさに諸侯に美女を賞賜せんとす。《春秋緯》に曰く:彗星がもし現れて執法星を冲犯すれば、御史は反逆する。《運斗枢》に曰く:彗孛が現れあるいは太微を干犯するは、法度・典章は毀滅し、皇帝は郊野に死す。《春秋緯》に曰く:彗星が現れて太微を払掃するは、天下は大いに乱れ、三年五年を過ぎずして、必ず政権を改換し、彗星の顔色に依って応期を推定しうる。
(按司馬彪《天文志》曰:孝靈光和五年七月,彗星出下臺,東南行入太微,至太子、倖臣,二十餘日而消。彗入太微,天下易主。至中平六年,宮車晏駕。孝獻建安二十三年三月,彗孛晨見東方,二十餘日,夕出西方,犯歷五車、東井、五諸侯、文昌、軒轅、后妃、太微,鋒炎指帝座。二十五年正月,魏文帝受禪。)《玉曆》曰:“彗星出太微,帝宗后族為亂,大臣弒主,謀在親戚御臣,王者有憂,期三年。”石氏曰:“彗星出太微中,宮火大起,殺人。”甘氏曰:“彗星出太微天庭中,有立王,若徙王。”《孝經雌雄圖》曰:“彗在太微,君害臣。”《玉曆》曰:“彗星犯太微,天子妃后去,宮人不安,女主有憂。”
(以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の霊帝・光和五年七月、彗星が下台星に現れ、東南に行きて太微垣に入り、太子星と幸臣星に至り、二十余日後に消失した。彗星が太微に入るは、天下が君主を改換するを主る。中平六年に至り、霊帝は晏駕した。漢の献帝・建安二十三年三月、彗孛が清晨に東方に現れ、二十余日後にまた傍晚に西方に現れ、順に五車・東井・五諸侯・文昌・軒轅・后妃・太微を冲犯し経過し、鋒芒は直ちに帝座を指した。建安二十五年正月、魏の文帝は禅譲を受けた。)《玉暦》に曰く:彗星が太微に現れるは、帝室の宗親と后族は乱を作し、大臣は君主を弑殺し、陰謀は皇親と近侍の臣から出で、王者に憂患があり、三年の内に応験する。石氏に曰く:彗星が太微の中に現れるは、宮中は大いに火災を起こし、人を焼き殺す。甘氏に曰く:彗星が太微の天庭の中に現れるは、まさに新王が擁立せらるか、あるいは君王が遷徙せらる。《孝経雌雄図》に曰く:彗星が太微に在るは、君主は臣下を加害する。《玉暦》に曰く:彗星が太微を侵犯するは、天子の妃后は去り、宮人は安んぜず、女主に憂患がある。小注の中の「宮車晏駕」は天子の去世の諱称で、「受禅」はすなわち前朝の君主が位を譲り新朝の天子が即位するを指す。
彗孛が黄帝座を犯す 其の四十七
石氏曰:“彗孛如粉絮,入太微,犯守帝座,國有崩喪,大臣立主。(石氏曰:王者以赦除咎。)天下大亂,兵起;若犯守四帝,輔臣有誅,執政者亡,期三年。”石氏曰:“彗星如粉絮,犯座星,兵喪並起。”又:“大彗茀干犯座星,王者亡,子孫不昌,王者循孝於天,奉宗廟郊祠,則災除。”《洛書說徵示》曰:“彗指帝座四旁,中大亂。”《荊州占》曰:“星銳如劍,正赤,直抵座星,天子驚兵;一曰:驚火。”又云:“星如苴帚,抵座星旁,左右諸臣兵起,內亂。”陳卓曰:“星狀如帚,正赤,抵聖座星,婦女兵。”
石氏に曰く:彗孛の形状は散乱の棉絮に似て、太微に入り、帝座を冲犯して停留するは、国家に崩駕の大喪があり、大臣によって新君を擁立せねばならない。(原書の小注:石氏に曰く、王者は赦令をもって災咎を消除しうる。)天下は大いに乱れ、戦事が興起する。もし四帝の座を冲犯して停留すれば、輔政の大臣は誅され、執政する人は敗亡し、三年の内に応験する。石氏に曰く:彗星が形は棉絮のごとく、帝座星を冲犯するは、兵禍と喪事は一斉に発生する。又曰く:大彗星が孛気をもって帝座星を払掃・冲犯するは、王者は死亡し、子孫は昌盛すること能わず。王者がもし天に循って孝を行い、宗廟と郊祀を恭奉すれば、災禍はすなわち消除しうる。《洛書説征示》に曰く:彗星が帝座の四周を指向するは、宮廷の中は大いに乱れる。《荊州占》に曰く:星芒は鋭くして剣のごとく、純たる赤色、直ちに帝座星に抵るは、天子はまさに兵禍の驚擾を有らんとす。別の一説に、火災に驚く。又曰く:星は一束の草に扎てる帚に似て、帝座星のそばに抵近するは、左右の近臣は兵を起こし、内乱を醸成する。陳卓に曰く:星の形状は帚に似て、純たる赤色、聖座星に抵近するは、まさに婦人によって起る兵禍を有らんとす。
彗孛が屏星を犯す 其の四十八
《玉曆》曰:“彗星出屏星,守衛臣有謀,若有罪,執法者當之。”
《玉暦》に曰く:彗星が「屏星」に現れるは、守衛を負責する臣子は心に図みを懐き、あるいは罪を獲る人があり、執法を掌る官員に応ずる。屏星の四星は太微垣の端門の内にあり、もともとは内外を遮蔽する屏障なので、それの応験は宿衛と執法の官の身上に落ちる。
彗孛が郎位を犯す 其の四十九
陳卓曰:“彗孛干犯郎位,臣失勢。”《運斗樞》曰:“彗出郎位,郎官謀反,天子因官郎位所主之官也。”《玉曆》曰:“彗星出郎位,左右守衛為亂,若有謀者,人主驚,備之。”
陳卓に曰く:彗孛が「郎位」を冲犯するは、臣子は権勢を失う。郎位の十五星は太微垣の帝座の東北にあり、皇帝を宿衛する郎官を象徴する。《運斗枢》に曰く:彗星が郎位に現れるは、郎官は謀反する。天子はまさに郎位の主るこの批の官員に依って宿衛に充任するがゆえに。《玉暦》に曰く:彗星が郎位に現れるは、左右の守衛の臣は乱を作し、あるいは不軌を図る人があり、君主はこれがために震驚し、備えを加えるべきである。
彗孛が郎将を犯す 其の五十
《玉曆》曰:“彗星出郎將,大將有誅,若有罪;一曰:大臣為亂,有兵起。”
《玉暦》に曰く:彗星が「郎将」に現れるは、大将は誅殺せられ、あるいは罪を獲る。別の一説に、大臣は乱を作し、戦事の興起するがある。郎将の一星は郎位の北にあり、郎官を統領し宿衛を掌る将領である。
彗孛が常陳を犯す 其の五十一
甘氏曰:“彗星出常陳,若守之,王者出,誅左右守衛之臣;一曰:若防守者有死,期三年。”
甘氏に曰く:彗星が「常陳」に現れ、あるいはその上に停留するは、王者は自ら出面し、左右の守衛の臣を誅殺する。別の一説に、防守を担任する人の中に死去するがあり、三年の内に応験する。常陳の七星は帝座の北面にあり、形状は天子の護衛・儀仗のごときなので、応験は皆宿衛の臣の身上に落ちる。
彗孛が三台を犯す 其の五十二
黃帝曰:“彗星出上臺司命,有兵起,大臣三公有自出者,若守之,貴臣有誅,上公有憂,期百八十日,遠一年。”黃帝曰:“彗星出中臺司中,軒臣有謀,兵大起,貴人當出。彗若守之,中公有罪,若憂,誅。”黃帝曰:“彗出下臺司祿,近臣有罪,若憂死。若守之,貴人多死,下公當之,將憂,皆不出三年。”
黄帝に曰く:彗星が上台の司命の二星に現れるは、戦事の興起するがあり、三公・大臣の中に自ずから出走する者あり。もし彗星がその上に停留すれば、顕貴の臣子は誅殺され、上公に憂患があり、百八十日の内に応験し、遠いは一年に応験する。三台の六星は両々として相并び、文昌から下りて太微に斜列し、天子の天に登る階梯ともなり、また三公を象徴する。黄帝に曰く:彗星が中台の司中の二星に現れるは、近臣は心に図みを懐き、大規模の戦事が興起し、貴人はまさに出走せんとす。彗星がもしその上に停留すれば、中公は罪を獲り、あるいは憂惧・誅せらる。黄帝に曰く:彗星が下台の司禄の二星に現れるは、近臣は罪を獲り、あるいは憂惧して死す。もしその上に停留すれば、貴人は多く死亡し、下公に応じ、彼はまさに憂患を有らんとす。これらは皆三年を出ずに応験する。
《運斗樞》曰:“彗星出三臺西,相反;出其中,太尉反;出其東,大司馬反。”(按韋昭《洞紀》曰:漢靈帝光和五年,彗星出下臺,十月,太尉許盛免。)《孝經內記》曰:“彗在三臺,臣害君者也。”《宋書天文志》曰:“晉惠帝大安二年三月,彗見東方,指三公。占曰:兵喪之象,三臺為三公。是年冬,成都、河間攻洛陽,三年正月,東海王越、長沙王反,張方討之。”《雌雄圖》曰:“彗星出三臺,有陰謀、奸軌起;一曰:宮中火起;一曰:臣害君,禍大起。”
《運斗枢》に曰く:彗星が三台の西に現れるは、丞相は反逆する。三台の中間に現れるは、太尉は反逆する。三台の東に現れるは、大司馬は反逆する。(以下は原書の小注:韋昭《洞紀》に記す、漢の霊帝・光和五年、彗星が下台に現れた。この年十月、太尉・許盛は免職せられた。)《孝経内記》に曰く:彗星が三台に在るは、臣下が君主を加害する象である。《宋書・天文志》に曰く:晋の恵帝・太安二年三月、彗星が東方に現れ、三公の位を指向した。占辞に曰く:これは兵禍と喪事の象で、三台はすなわち三公である。この年冬、成都王・河間王は兵を発して洛陽を進攻した。太安三年正月、東海王・司馬越と長沙王は事を起こし、張方は兵を領して討伐した。《雌雄図》に曰く:彗星が三台に現れるは、陰謀と奸邪・不法の事が興起する。別の一説に、宮中は火を起こす。又一説に、臣下は君主を加害し、大禍が発作する。
彗孛が相星を犯す 其の五十三
陳卓曰:“彗孛干犯相星,輔相憂,不出一年,天下變更其令,民多移徙。”
陳卓に曰く:彗孛が「相星」を冲犯するは、輔政の宰相に憂患があり、一年を出ずして、天下はまさに政令を変更し、百姓は多く遷徙・流移せんとす。相星の一星は北斗の斗魁の南面にあり、天子を輔佐し万機を総理する宰相の象である。
彗孛が天牢を犯す 其の五十四
《雌雄圖》曰:“彗星出天牢,諸侯作禍相賊害。”《荊州占》曰:“彗星出天牢,豪傑中外俱起。”齊伯曰:“彗星出天牢,貴人多下獄者,若大臣有戮,其國亡,期百八十日,遠一年。”
《雌雄図》に曰く:彗星が「天牢」に現れるは、諸侯は乱を作し禍を生じ、互いに残害する。天牢の六星は北斗の魁星の下にあり、貴人を関押する監獄である。《荊州占》に曰く:彗星が天牢に現れるは、豪杰の士は朝廷の内外に一斉に事を起こす。斉伯に曰く:彗星が天牢に現れるは、顕貴の人は多く牢獄に投げ込まれるがあり、あるいは大臣に殺戮を遭うがあり、あの国は滅亡し、百八十日の内に応験し、遠いは一年に応験する。
彗孛が文昌を犯す 其の五十五
石氏曰:“彗孛干犯文昌,則輔臣受殃,近期三年,遠期六年。”《運斗樞》曰:“彗星出文昌上將星,大將軍反;出次將,左右將軍反;出貴相,大司徒反;出司祿,得勢大臣反;出司命,天下有權者俱反,亂尤甚。”《合誠圖》曰:“彗星出而茀文昌,天下大亂政,以色占。”甘氏曰:“彗星出文昌,若守之,天下大亂,大臣受殃,國易政,各以五色占之,近期一年,中二年,遠三年。”
石氏に曰く:彗孛が「文昌」を冲犯すれば、輔政の臣はすなわち殃を受けんとし、近いは三年に応験し、遠いは六年に応験する。文昌の六星は北斗の魁星の前にあり、半月のごとく排列し、順に上将・次将・貴相・司禄・司命・司寇と為り、天下の文治の政を総管する。《運斗枢》に曰く:彗星が文昌の上将星に現れるは、大将軍は反逆する。次将星に現れるは、左右の将軍は反逆する。貴相星に現れるは、大司徒は反逆する。司禄星に現れるは、権を当たり勢を得る大臣は反逆する。司命星に現れるは、天下の権を掌る人は一斉に反逆し、動乱はことに厳重である。《合誠図》に曰く:彗星が現れて文昌を払掃するは、天下の政局は大いに乱れ、それの顔色に依って推断しうる。甘氏に曰く:彗星が文昌に現れ、あるいはその上に停留するは、天下は大いに乱れ、大臣は殃を受け、国家は政令を改換する。各々青赤黄白黒の五色に依って分けて推占し、近いは一年に応験し、中は二年、遠いは三年。
彗孛が北斗を犯す 其の五十六
《春秋緯》曰:“星茀於北斗中,有雄聖人受命天子。”《潛潭巴》曰:“星孛於北斗,璇璣更授,天子起走。”《感精符》曰:“孛賊入北斗中者,大國結謀,伐天子,運樞行之主號,諸侯爭權,天下皆叛,兵合禍,構逆亂之變也。”《辨終備》曰:“彗入北斗,帝宮空。”(按韋昭《洞紀》曰:頃王六年,彗星入北斗,晉趙有率諸侯平周亂,立王子班,是為匡王。)《宋書天文志》曰:“義熙十四年五月壬子,孛於北斗魁中,癸亥,彗星出太微,西柄起上相星,下芒衡,長至十餘丈,進掃北斗紫微中。占曰:彗出太微,社稷亡,天下易王;入北斗紫微,帝宮空;一曰:得聖主。是年,宋高祖受宋公。恭帝元熙元午七月,晉帝遜位,高祖入宮也。”
《春秋緯》に曰く:孛星が北斗の中を払掃するは、まさに雄杰の聖人に天命を受けて天子を為さんとす。北斗の七星は天の中央に居り、四方を臨制し、帝王の車駕と政令の出づる所である。《潜潭巴》に曰く:孛星が北斗に現れるは、天上の璇玑の権は他人に改授され、天子は出奔・逃走する。《感精符》に曰く:孛気の賊が北斗の中に侵入するは、大国が合謀して天子を討伐する象で、斗枢の運行する号令は人に窃拠され、諸侯は権柄を争奪し、天下は皆起って背叛し、兵禍は交幷し、叛逆・変乱を醸成する。《辨終備》に曰く:彗星が北斗に入るは、帝王の宮室はまさに空しくならんとす。(以下は原書の小注:韋昭《洞紀》に記す、周の頃王六年、彗星が北斗に入り、晋・趙の両国は諸侯を率いて周室の乱を平定し、王子班を擁立し、これを周匡王と為した。)《宋書・天文志》に曰く:晋の安帝・義熙十四年五月壬子、孛星が北斗の魁星の中に現れ、癸亥日、彗星は太微から出て、西面の柄は上相星から端を発し、芒尾は下方の衡星に垂れ、長さは十余丈に至り、一路掃いて北斗と紫微垣の中に入った。占辞に曰く:彗星が太微から出るは、社稷は滅亡し、天下は君王を改換する。北斗・紫微に入るは、帝王の宮室は空虚と成る。別の一説に、聖明の主を得ることがあらん。この年、宋の高祖・劉裕は宋公に封ぜられた。恭帝・元熙元年七月、晋帝は位を退き、高祖は宮中に入り居った。
《感精符》曰:“星孛入北斗,兵大起,將有以外制權、以兵為政者。”《坤靈圖》曰:“至德之萌,黃星孛於北斗,必以戊己日,其光無芒,文行,無武功事,莫之敢拒者。”《漢含孳》曰:“彗星入北斗,強國亂。”《鉤命決》曰:“周襄王不能事其母,孛入北斗。”甘氏曰:“彗茀流入北斗魁中,得名人;其不入北斗魁,失名人。”劉向《鴻範傳》曰:“孛入於北斗,邪亂之臣將弒其君。”京房曰:“星孛入北斗,則大臣叛。”郗萌曰:“赤星入北斗,中國使匈奴。”
《感精符》に曰く:孛星が北斗に侵入するは、大規模の戦事が興起し、まさに人の朝廷の外から権柄を挟制し、兵力に凭って国政を主持する者があらんとす。《坤霊図》に曰く:至徳のまさに興らんとする萌兆は、黄色の孛星が北斗に現れ、必ず戊日・己日に現れ、それの光は鋒芒なく、文徳の行に属し、武功の事を主らず、人の敢えてそれに抗拒するはなし。《漢含孳》に曰く:彗星が北斗に入るは、強大の国家は乱を生ず。《鈎命決》に曰く:周の襄王はその母をよく奉事すること能わざれば、ここに孛星は北斗に入る。甘氏に曰く:彗星の孛気が北斗の魁星の中に流入するは、名士を得ることを得。その斗魁に入らなければ、すなわち名士を失わんとす。劉向《洪範五行伝》に曰く:孛星が北斗に入るは、邪僻して乱を作す臣がまさにその君主を弑殺せんとす。京房に曰く:孛星が北斗に入れば、すなわち大臣はまさに叛変せんとす。郗萌に曰く:赤色の星が北斗に入るは、中原はまさに使者を派して匈奴に出使せんとす。
《荊州占》曰:“彗星流入北斗,諸侯戮。春夏,期三月;秋冬,期一年。”黃帝曰:“彗星出北斗。長可八九尺。天下更政、易王。暴兵卒起,期百八十日,若一年。”《春秋緯》曰:“彗星出北斗九星中,九卿反,如星所主,其政毀,其人亂。”《潛潭巴》曰:“彗星芒出於斗樞,天子亡,諸侯息。”《雌雄圖》曰:“彗星出北斗中,宮中火起。”石氏曰:“彗星出北斗,長可七八尺,天下大亂,國易政,有兵起,若大戰,先起者亡,中起者殃,後起者昌,期三年,中五年,遠九年。”
《荊州占》に曰く:彗星が北斗に流入するは、諸侯は誅戮を遭う。春夏に発生すれば、三ヶ月の内に応験する。秋冬に発生すれば、一年の内に応験する。黄帝に曰く:彗星が北斗に現れ、長さ約八九尺、天下は政令を改換し君王を更立し、突発の兵禍は驟然として起こり、百八十日の内に応験し、あるいは一年に応験する。《春秋緯》に曰く:彗星が北斗の九星の中に現れるは、九卿は反逆する。犯する星の主管する所の何れであれ、あの方面の政事はすなわち敗壊し、あの類の人はすなわち乱を作す。《潜潭巴》に曰く:彗星の鋒芒が北斗の枢星から射出するは、天子は死亡し、諸侯は止息する。《雌雄図》に曰く:彗星が北斗の中に現れるは、宮中は火を起こす。石氏に曰く:彗星が北斗に現れ、長さ約七八尺、天下は大いに乱れ、国家は政令を改換し、戦事の興起するがある。もし大戦が発生すれば、先に兵を動かすは敗亡し、中に居りて兵を動かすは殃を受け、後に兵を動かすは昌盛し、近いは三年に応験し、中は五年、遠いは九年。
《海中占》曰:“彗星出北斗,大臣謀反,兵大起。”(按《洪範天文星象變占》曰:漢武建元三年三月,有星孛於王良,芒自太微,經斗內,至天漢,其後濟東王、膠東王、江都王皆坐法削黜自殺,衡山王反,誅之也。)又曰:“若入斗魁,大臣誅死,若被誅,三日乃占。春夏期三年,秋冬期一年。”《魏氏圖》曰:“帚星出於斗中者,宮中失火燒寶。”郗萌曰:“彗星出北斗,長可八九丈,名曰勉功,勉功出,天下更政。”
《海中占》に曰く:彗星が北斗に現れるは、大臣は反逆を企て、大規模の戦事が興起する。(以下は原書の小注:《洪範天文星象変占》に記す、漢の武帝・建元三年三月、孛星が王良に現れ、光芒は太微から起り、斗宿の内を経過し、直ちに銀河に抵った。その後済東王・膠東王・江都王は皆法を犯して封爵を削奪されて自殺し、衡山王は反逆を企て、誅された。)又曰く:もし彗星が斗魁に入れば、大臣は誅殺せられて死し、あるいは処治を遭い、三日の後を待ってやっと推断しうる。春夏は三年に応験し、秋冬は一年に応験する。《魏氏図》に曰く:帚形の星が斗の中に現れるは、宮中は火を失い、珍宝を焼失する。郗萌に曰く:彗星が北斗に現れ、長さ約八九丈のは、名を「勉功」という。勉功が一たび出れば、天下は政令を改換する。いわゆる「三日乃ち占う」は、彗星の斗魁に入りて停留して三日に満つるを待ち、この占はやっと成立するを謂う。「勉功」はすなわちこの類の長彗の専名である。
《荊州占》曰:“彗星出北斗之中,反而入北斗後,將得大臣;其出北斗,亡大臣;其一西一東,害於侯公;一南一北,戒在金革;一入一贏,天下不寧。”《荊州占》曰:“彗星出北斗中,聖人受命。”《玄冥》曰:“彗星出北斗,必有大戰流血;若入斗中,得名將;不入斗中,失名將;各以其日占知其國,不出其年。”石氏曰:“孛星出北斗中。大臣諸侯有受地。”巫咸曰:“彗星見於北斗,天下更政。”《洪範傳》曰:“孛星見北斗中。大臣諸侯有受誅者。一曰:受兵。”
《荊州占》に曰く:彗星が北斗の中から出て、振り返ってまた北斗の後に入るは、まさに賢能の大臣を得んとす。ただ出て再び北斗に入らなければ、すなわち大臣を失わんとす。彗芒が一頭は西に一頭は東にあるは、侯公に害を為す。一頭は南に一頭は北にあるは、警戒は兵革の事に在る。一頭は斗に入り一頭は外に露れるは、天下は安寧を得ない。《荊州占》はまた曰く:彗星が北斗の中に現れるは、聖人の天命を承受する象である。《玄冥占》に曰く:彗星が北斗に現れるは、必ず大戦・流血があり。もし斗中に入れば、名将を得ることを得。斗中に入らなければ、すなわち名将を失う。各々それの現れた日辰に按って何れの国に応ずるを推断し、この年を出ずに応験する。石氏に曰く:孛星が北斗の中に現れるは、大臣と諸侯に封土を受くるがある。巫咸に曰く:彗星が北斗に現れるは、天下は政令を改換する。《洪範伝》に曰く:孛星が北斗の中に現れるは、大臣と諸侯に誅殺せらるがあり。別の一説に、兵禍を遭受せんとす。
《甄曜度》曰:“彗孛貫北斗,下有傑王,五軍合。”《演孔圖》曰:“彗星守北斗,天帝謀易王。”《春秋緯》曰:“彗星守北斗,強國發,諸侯爭天下。”《海中占》曰:“彗孛守北斗,強國發兵,大臣爭權,大人有憂,國易其主,天下不寧,守之三日以上,大臣當誅,期三年,遠五年。”(按《左氏傳》:魯文公十四年七月,星孛於北斗,周內史叔服曰:不出七年,宋、齊、晉之君皆將死亂。後十六年,宋襄夫人使昭公田孟諸而弒之,十八年,齊閻職反,邴歜弒懿公於申池,宣公二年,晉趙穿弒靈公於桃園。杜預曰:史服但言事,不論其占。服虔曰:晉趙盾弒靈公也。)《春秋緯》曰:“彗星出輔星,庶雄起,陪臣反。”
《甄曜度》に曰く:彗孛が北斗を貫穿するは、下界にまさに杰出の王者が出て、五路の軍隊は会合せんとす。《演孔図》に曰く:彗星が北斗に停留するは、天帝は人間の君王を更換せんと意を企む。《春秋緯》に曰く:彗星が北斗に停留するは、強国は兵を興し、諸侯は天下を争奪する。《海中占》に曰く:彗孛が北斗に停留するは、強国は兵を出し、大臣は権を争い、大人物に憂患があり、国家は君主を改換し、天下は安寧を得ない。三日以上停留すれば、大臣は誅すべく、三年の内に応験し、遠いは五年に応験する。(以下は原書の小注:《春秋左氏伝》に記す、魯の文公十四年七月、孛星が北斗に現れ、周朝の内史・叔服がいう:七年を出ずして、宋・斉・晋の三国の国君は皆変乱に死せんと。後十六年、宋の襄夫人は人を指して昭公が孟諸で猟するに乗じて彼を殺せしめ、十八年、斉の閻職は反逆し、邴歜は申池で斉の懿公を弑殺し、宣公二年、晋の趙穿は桃園で晋の霊公を弑殺した。杜預に曰く:叔服はただ事情を叙するのみで、占辞を論断せず。服虔に曰く:あれは晋の趙盾の霊公を弑殺したである。)《春秋緯》に曰く:彗星が輔星に現れるは、众多の豪杰が興起し、陪臣は反逆する。輔星の一星は北斗の第六星・開陽のそばにあり、丞相の象である。「陪臣」は諸侯の家臣を指し、位次は天子の臣の以下で、陪臣の反逆は、すなわち権柄が一路下って最も末の一層に移ったである。
彗孛が紫宮を犯す 其の五十七
《感精符》曰:“星孛於紫宮,將有陰謀反者。”陳卓曰:“星孛於紫宮,有大變,拔兵上殿;一曰:入紫微宮,有奇令。”《春秋緯》曰:“彗星入紫微宮,其國謀反。”黃帝曰:“彗星出而抵紫宮,天下大亂。”荊州曰:“彗星出長垣,邊反。”又曰:“彗星而抵紫宮,天下易政。”(按司馬彪《天文志》曰:孝靈中平五年二月,彗星出奎,逆行入紫微宮,復出,六十餘日乃消。占曰:天下易主。明年,宮車晏駕。韋昭《洞紀》曰:漢黃龍元年三月,有星孛於王良、閣道,入紫宮,十二月,宣帝崩。)
《感精符》に曰く:孛星が「紫宮」に現れるは、まさに人の暗中に反逆を図謀するあらんとす。紫微垣は天帝の居する宮廷で、衆星は環繞・護衛するので、ここの変異は皆直ちに至尊に応ずる。陳卓に曰く:孛星が紫宮に現れるは、大の変故があり、人の兵器を持して殿堂に闖り上がるあり。別の一説に、孛星が紫微宮に入るは、まさに非常の令を頒出せんとす。《春秋緯》に曰く:彗星が紫微宮に入るは、あの国に謀反する人あり。黄帝に曰く:彗星が現れて紫宮に抵近するは、天下は大いに乱れる。《荊州占》に曰く:彗星が長垣に現れるは、辺地は反逆する。又曰く:彗星が紫宮に抵近するは、天下は政権を改換する。(以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の霊帝・中平五年二月、彗星が奎宿から出て、逆行して紫微宮に入り、続いてまた退出し、六十余日にやっと消失した。占辞に曰く:天下は君主を改換する。第二年、霊帝は晏駕した。韋昭《洞紀》に記す、漢の宣帝・黄龍元年三月、孛星が王良・閣道に現れ、紫宮に入り、この年十二月、宣帝は晏駕した。)
《黃帝占》曰:“彗星出紫宮,入守之,宮中有兵,天下大亂,有亡主,國易政,以五色占其國,期百八十日,中一年,遠三年。”(按司馬彪《天文志》曰:孝獻建安九年十月,有星孛於東井、輿鬼,入軒轅太微。十一年正月,有星孛北斗,首入斗中,尾貫紫宮及北辰。占曰:彗掃太微紫宮,人主易位。其後魏文帝受禪。司馬彪《天文志》曰:孝章建初元年十二月戊寅,彗星出婁二度,長八九尺,稍入紫微宮中,百六十日消滅,大人忌。後四年六月癸壬,明德皇后崩。)《荊州》曰:“彗星守天子宮,有亂天子之政者。”
《黄帝占》に曰く:彗星が紫宮に現れ、かつその中に入りて停留して去らなければ、宮中に兵変が発生し、天下は大いに乱れ、君主の敗亡するがあり、国家は政令を改換する。それの五色に依って何れの国に応ずるを推断し、百八十日の内に応験し、中は一年、遠いは三年。(以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の献帝・建安九年十月、孛星が東井・輿鬼に現れ、軒轅と太微に入った。十一年正月、孛星が北斗に現れ、頭部は斗中に伸入し、尾部は紫宮と北極を貫穿した。占辞に曰く:彗星が太微と紫宮を掃い過ぐるは、君主はまさに人を換えんとす。その後魏の文帝は禅譲を受けた。司馬彪《続漢書・天文志》はまた記す、漢の章帝・建初元年十二月戊寅、彗星が婁宿の二度に現れ、長さ八九尺、漸々紫微宮の中に入り、百六十日後に消散し、これは大人物の忌む所である。この後四年六月癸壬日、明徳皇后は去世した。)《荊州占》に曰く:彗星が天子の宮垣に停留するは、まさに天子の政令を擾乱する人の出現せんとす。
彗孛が北極・鉤陳を犯す 其の五十八
《春秋緯》曰:“彗星入樞,名人起相誅,天下亂。”《玄冥》曰:“彗星出北辰,臣謀弒主,有自立王;彗耀刺下,為寇害,期一年。”《春秋緯》曰:“彗星入樞,期八年,五霸起,帝主亡。”《荊州》曰:“彗星㓨天樞,五精之類謀。”黃帝曰:“彗星入守北辰,除舊佈新,三王立,五旗生,有端命之應,名人起兵,天下大亂,君臣相誅,期不出百八十日,中一年,遠三年。”石氏曰:“彗星出鉤陳,臣弒其主;若入守鉤陳,倖臣亂宮,若有誅者,期不出一年,遠三年。”
《春秋緯》に曰く:彗星が天枢に入るは、知名の士は紛として起りて互いに誅殺し、天下は大いに乱れる。北極の五星と鉤陳の六星は同じく紫微垣の中にあり、天帝の正位と后宮の象徴である。《玄冥占》に曰く:彗星が北辰に現れるは、臣下は君主の弑殺を図謀し、人の自ら立って王と為るあり。彗光の鋒芒が下に向かって刺射するは、寇と為り害を為し、一年の内に応験する。《春秋緯》に曰く:彗星が天枢に入るは、八年を期とし、五覇は興起し、帝王は死亡する。《荊州占》に曰く:彗星が天枢を刺犯するは、五方の精霊の類は皆異謀を起こした。黄帝に曰く:彗星が北辰に入り停留するは、除旧・布新の象で、三王は竝び立ち、五方の旗号は竝び出て、開創・受命の征応があり、知名の士は兵を起こし、天下は大いに乱れ、君臣は互いに誅殺し、百八十日を出ずに応験し、中は一年、遠いは三年。石氏に曰く:彗星が鉤陳に現れるは、臣子はその君主を弑殺する。もし鉤陳に入り停留すれば、すなわち寵を受く近臣は宮闈を擾乱し、あるいは誅せらる人があり、一年を出ずに応験し、遠いは三年に応験する。
彗孛が天一・太一を犯す 其の五十九
黃帝曰:“彗孛干歷天一,則宮門不閉,王者內不安,近臣亂,不出三年。”
黄帝に曰く:彗孛が「天一」を冲犯し経過すれば、宮門はすなわち閉ざし得ず、王者は宮中に安寧を得ず、近臣は乱を作し、三年を出ずに応験する。天一・太一の両星は紫微宮門の外にあり、天帝の神霊で、戦伐の吉凶の事を主る。
彗星が石氏外官を犯す 其の二
彗孛が天庫楼を犯す 其の一
《春秋緯》曰:“彗孛出天庫樓,兵動驚,主泣血,下不聽。”石氏曰:“彗星出庫樓,天下兵起,車騎滿野,庫兵用;一曰:民以飢,兵起,期三年。”
《春秋緯》に曰く:彗孛が「天庫楼」に現れるは、兵馬は調動し挙国は驚擾し、君主は悲痛して血を泣き、下の人は聴命を肯せない。庫楼の十星は角宿の南にあり、兵車と兵器を儲蔵する武庫である。石氏に曰く:彗星が庫楼に現れるは、天下に戦事が興起し、車騎は原野に満ち、武庫の中の兵器は皆動用せんとす。別の一説に、百姓は飢饉によって兵を起こし、三年の内に応験する。
彗孛が南門を犯す 其の二
《玉曆》曰:“彗星出南門,有兵起,兵器用,若道路不通。”
《玉暦》に曰く:彗星が「南門」に現れるは、戦事の興起するがあり、兵器はまさに用を派せんとし、あるいは道路は阻塞して通ぜない。南門の二星は庫楼の南面にあり、天上の外門で、守衛と往来・出入を主る。
彗孛が平星を犯す 其の三
齊伯曰:“彗星出平星,執法臣憂,政令不行,國失綱紀。”石氏曰:“彗星平星,主以峻法為過,海內亂。”
斉伯に曰く:彗星が「平星」に現れるは、法令を執掌する臣子に憂患があり、政令は推行すること能わず、国家は綱紀を喪失する。平星の二星は庫楼の北面にあり、刑法を平理し獄訟を公断することを主る。石氏に曰く:彗星が平星を侵犯するは、君主は刑法の苛酷によって過失を鋳成し、四海の内は動乱する。
彗孛が騎官を犯す 其の四
《春秋緯》曰:“彗星出騎官,英雄起,天子憂。”甘氏曰:“彗星出騎官,士卒發用,兵騎出,若守之,將軍若有死者,期三年。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「騎官」に現れるは、英雄・豪杰は事を起こし、天子に憂患がある。騎官の二十七星は氐宿の南にあり、天子の騎兵の衛隊である。甘氏に曰く:彗星が騎官に現れるは、士卒は徴発・調用され、騎兵は出動する。もし彗星がその上に停留すれば、将軍の中に陣亡するがあり、三年の内に応験する。
彗孛が積卒を犯す 其の五
《甄曜度》曰:“彗星出積卒,為謀;星去疾,謀不成;若守之,主將有憂。”《春秋緯》曰:“彗星出積卒,衛士併為亂禍不成。”
《甄曜度》に曰く:彗星が「積卒」に現れるは、人の不軌を図謀するあり。もし彗星の去るが疾ければ、図謀は逞しくせらること能わず。もし停留して去らなければ、主将に憂患がある。積卒の十二星は房宿の南にあり、聚集・屯駐する士卒である。《春秋緯》に曰く:彗星が積卒に現れるは、衛士は一斉に乱を作すも、禍乱は終に成らない。
彗孛が亀星を犯す 其の六
《文曜鉤》曰:“彗星出龜星,珠玉有出者,寶物大貴;若守之,君臣不和,上下乖離。”
《文曜鈎》に曰く:彗星が「亀星」に現れるは、珠玉の類の土を出で世に現れるがあり、宝物の価格は大いに騰る。もし彗星がその上に停留すれば、君臣は和睦せず、上下は互いに乖離する。亀星の五星は尾宿の南にあり、もともとは卜筮に用うる霊亀の象なので、宝貨と上下の相通ずる事に関渉する。
彗孛が傅説を犯す 其の七
《春秋緯》曰:“彗星出傅說,主以祠非其神,失禮,為內外所謀,巫祝起,天下匿,讒在宮中。”石氏曰:“彗星出傅說,王者後宮少子孫;若守之,有絕祀之君。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「傅説」に現れるは、君主は祭るべからざる神を祭祀し、礼制を違失し、よって朝廷の内外の人に図謀せられ、巫祝の流は勢に乗じて興起し、天下の賢者は隠匿して出でず、讒人は宮中に充斥する。傅説の一星は尾宿の後にあり、子を求め嗣を継ぐ事を主る。石氏に曰く:彗星が傅説に現れるは、王者の后宮の子孫は稀少である。もし彗星がその上に停留すれば、宗祀を断絶する君主があらん。
彗孛が魚星を犯す 其の八
《春秋緯》曰:“彗星出魚星,後黨反。”《玉曆》曰:“彗星出魚星,天下大水,海魚出,名水溢;若守之,天下大旱,魚行人道,不出其年。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「魚星」に現れるは、后妃の党羽は反逆する。魚星の一星は尾宿の後・銀河の中にあり、陰事と水族を主る。《玉暦》に曰く:彗星が魚星に現れるは、天下に大水を発し、海魚は岸上に游出し、各処の水流は氾濫する。もし彗星がその上に停留すれば、天下はかえって大いに旱し、魚は竟に人の歩く道路上に游行し、この年を出ずに応験する。
彗孛が杵星を犯す 其の九
甘氏曰:“彗星出杵星,歲大飢,有兵起,民以米粟為憂,若絕軍糧。”
甘氏に曰く:彗星が「杵星」に現れるは、この年は大いに飢饉を鬧ぎ、戦事の興起するがあり、百姓は米粮のために愁え、あるいは軍粮は断絶する。杵星の三星は箕宿の北にあり、もともとは米を舂く木杵で、臼星と相配するので、もっぱら糧食の事に応ずる。
彗孛が鱉星を犯す 其の十
《聖洽符》曰:“彗星出鱉星,有大水,白衣之會,若有水令,若守之,其國大旱。”
《聖洽符》に曰く:彗星が「鱉星」に現れるは、まさに大水があり、また喪事の聚会があり、あるいは朝廷が水を治する政令を頒下せんとす。もし彗星がその上に停留すれば、あの国はかえって大いに旱する。鱉星の十四星は南斗の南にあり、水中の物なので、主る所は皆水旱の間に落ちる。
彗孛が九坎を犯す 其の十一
齊伯曰:“彗星出九坎,有水旱之災;出南,則大旱;出北,則大水。”
斉伯に曰く:彗星が「九坎」に現れるは、まさに水災あるいは旱災を有らんとす。それの南に現れるは、すなわち大旱である。それの北に現れるは、すなわち大水である。九坎の九星は牽牛の南面にあり、灌漑の溝渠と蓄水の坎池なので、もっぱら水旱の事を主る。
彗孛が敗臼を犯す 其の十二
《甄曜度》曰:“彗星出敗臼,天下有急兵,當於米粟之事,國有憂,期二年。”
《甄曜度》に曰く:彗星が「敗臼」に現れるは、天下に緊急の兵事があり、まさに米粮の事に応じ、国家に憂患があり、二年の内に応験する。敗臼の四星は虚宿・危宿の南面にあり、破損の舂臼で、それ自体が倉儲の敗壊の象徴である。
彗孛が羽林を犯す 其の十三
《春秋緯》曰:“彗星出羽林,軍人謀反。”《海中占》曰:“彗孛出羽林,兵起宮中,臣弒其主,大人被甲,有亡國;若守之三十日,國破主亡,期三年。”《春秋緯》曰:“彗星出壘城,校尉以反軍成。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「羽林」に現れるは、軍中の将士は謀反する。羽林の四十五星は営室の南面にあり、天子の禁衛の軍である。《海中占》に曰く:彗孛が羽林に現れるは、兵変は宮中に発生し、臣子はその君主を弑殺し、尊貴の人もまた甲を披いて自衛し、国家の滅亡するがあり。もし彗星が三十日停留すれば、国は破れ君は亡び、三年の内に応験する。《春秋緯》に曰く:彗星が塁壁陣の城に現れるは、校尉はその部を率いて反逆して事成る。
彗孛が北落を犯す 其の十四
《玄冥占》曰:“彗星出北落,若守之,兵起大戰,若殺大將,人主自將兵於外,四夷作亂,期三年,遠五年。”
《玄冥占》に曰く:彗星が「北落」に現れ、もしその上に停留すれば、兵事は興起して大戦が発生し、あるいは大将を斬殺し、君主は自ら兵を領して外に征戦し、四方の夷狄は乱を作し、三年の内に応験し、遠いは五年に応験する。北落師門の一星は羽林の南面にあり、軍営の北辺の門戸で、非常の事を候望することを主る。
彗孛が土司空を犯す 其の十五
《文曜鉤》曰:“彗星出土司空,兵大起,有土功事,若營室;一曰:大將憂,期一年。”
《文曜鈎》に曰く:彗星が「土司空」に現れるは、大規模の戦事が興起し、土木の工程の事があり、あるいは宮室を営建する。別の一説に、大将に憂患があり、一年の内に応験する。土司空の一星は危宿の南面にあり、土木の営造と溝洫・水利の政を主る。
彗孛が天倉を犯す 其の十六
巫咸曰:“彗星出天倉,兵革大起,粟大出,天下民飢,以粟為憂,若有轉輸之事。”《海中占》曰:“彗星出天倉,天下粟出,若守之久,國無儲糧,人民飢,期三年。”
巫咸に曰く:彗星が「天倉」に現れるは、兵戈は大いに興起し、倉中の粟米は大量に運出し、天下の百姓は飢餓し、糧食のために愁え、あるいは転運・漕輸の事がある。天倉の六星は婁宿の南面にあり、穀物を儲蔵する倉廩である。《海中占》に曰く:彗星が天倉に現れるは、天下の粟米は外に向かって流散する。もし彗星が久しく留まりて去らなければ、国家は儲備の粮なく、百姓は飢餓し、三年の内に応験する。
彗孛が天囷を犯す 其の十七
巫咸曰:“彗星出天囷,倉庫虛空,無儲積,有出粟,天下大飢,人民流移,期二年。”
巫咸に曰く:彗星が「天囷」に現れるは、倉庫は空虚で、積蓄なく、ただ倉を開いて粮を放つを得、天下は大いに飢饉を鬧ぎ、百姓は流離・遷徙し、二年の内に応験する。天囷の十三星は胃宿の南面にあり、円形の穀倉で、天倉と同じく積儲を主る。
彗孛が天廩を犯す 其の十八
《帝覽嬉》曰:“彗星出天廩,其國大飢,倉粟出廩,人飢死,其分兵起,期不出三年。”
《帝覧嬉》に曰く:彗星が「天廩」に現れるは、あの国は大いに飢饉を鬧ぎ、倉裡の粟米は粮廩から搬出され、餓死する人があり、あの一分野はまた兵事を興起せんとして、三年を出ずに応験する。天廩の四星は昴宿の南面にあり、黍稷を収蔵し祭祀の粮を供給する廩倉である。
彗孛が天苑を犯す 其の十九
《春秋緯》曰:“彗星入天苑,都護反。”黃帝曰:“彗星出天苑,兵大起,馬多發,牧畜不蕃,多有死者;一曰:禽獸獐鹿多死。”(按司馬彪《天文志》曰:孝安永初三年十二月乙亥,彗起天苑南,東北指,長六七丈,色蒼。天苑為外兵起。是後羌兵討賊杜季貢,又使烏丸擊鮮卑,又使中郎將任尚護羌校尉馬賢擊虜,皆降之。)
《春秋緯》に曰く:彗星が「天苑」に入るは、都護は反逆する。天苑の十六星は昴宿・畢宿の南面にあり、天子の禽獣を牧養する苑囿である。黄帝に曰く:彗星が天苑に現れるは、大規模の戦事が興起し、馬匹は大批に徴発され、牧養の牲畜は繁殖すること能わず、多く死亡する。別の一説に、獐鹿の類の禽獣は多く死亡する。(以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の安帝・永初三年十二月乙亥、彗星が天苑の南面から升起し、尾は東北を指し、長さ六七丈、顔色は青蒼。天苑は外族の兵を興すを主る。この後朝廷は羌兵を調して叛賊の杜季貢を討伐し、また烏丸を派して鮮卑を攻撃せしめ、また中郎将・任尚と護羌校尉・馬賢を派して虜寇を攻打せしめ、皆彼らを降服せしめた。)
彗孛が参旗を犯す 其の二十
《春秋緯》曰:“彗星出天弓,暴骨將死,死尸滿溪,流血千里。”石氏曰:“彗星出參旗,天下大亂,兵起,弓弩用,大將出,有變;一曰:弓弩大貴,期三年。”
《春秋緯》に曰く:彗星が天弓に現れるは、屍骨は原野に暴露し、将領は戦死し、死屍は渓谷に填満し、流血は千里。参旗の九星はまた天弓と呼ばれ、参宿の西面にあり、弓弩と旌旗の象徴である。石氏に曰く:彗星が参旗に現れるは、天下は大いに乱れ、戦事が興起し、弓弩は用を派し、大将は出征し、変故があらん。別の一説に、弓弩の価格は暴騰し、三年の内に応験する。
彗孛が玉井を犯す 其の二十一
《玉曆》曰:“彗星出玉井,兵大起,強國失地;一曰:彗守玉井,天下大水,河海溢流,民多沒死。”
《玉暦》に曰く:彗星が「玉井」に現れるは、大規模の戦事が興起し、強国は土地を喪失する。別の一説に、彗星が玉井に停留するは、天下に大水を発し、江河・湖海は氾濫・漫流し、百姓は多く淹死する。玉井の四星は参宿の左足の下にあり、水泉の事を主る。
彗孛が屏星を犯す 其の二十二
甘氏曰:“彗星出屏星,大臣有戮,國有憂;一曰:彗守屏,人民疾疫,有移國。”
甘氏に曰く:彗星が「屏星」に現れるは、大臣は殺戮を遭い、国家に憂患がある。別の一説に、彗星が屏星に停留するは、百姓は疫病を発生し、国都を遷徙する事があらん。ここの屏星の二星は玉井の南面にあり、厕星と相隣り、溷厕を遮蔽する屏障で、太微垣の内の屏星と同じ一処ではない。
彗孛が厕星を犯す 其の二十三
《聖洽符》曰:“彗孛出廁,大人有憂,若廁有謀兵欲害主;一曰:彗星入廁,天下飢,人相食,期二年。”
《聖洽符》に曰く:彗孛が「厕星」に現れるは、大人物に憂患があり、あるいは人の厕所の中に兵変を謀画し君主を加害せんと図るあり。別の一説に、彗星が厕星に入るは、天下は飢饉し、百姓は互いに残食し、二年の内に応験する。厕星の四星は屏星の東面にあり、宮中の溷厕で、君主の起居・飲食に相関する。
彗孛が矢星を犯す 其の二十四
齊伯曰:“彗星出矢星,若守之,貴人多患腹而死,若人民多死,以五色占;黃則吉,青白疾,黑死。”
斉伯に曰く:彗星が「矢星」に現れ、もしその上に停留すれば、顕貴の人は多く腹疾を患いて死し、あるいは百姓は大量に死亡する。彗星の五色に依って推断しうる。色の黄なるは吉と為し、色の青・色の白は疾病を主り、色の黒は死亡を主る。矢星は弧矢の当に中る箭鏃で、もともと天上の箭と為り、鋒芒の指す所にすなわち傷害を主る。
彗孛が軍市を犯す 其の二十五
《甄曜度》曰:“彗孛出軍市,大兵起,軍糧絕,天下大飢,將士離散,兵多死亡,期二年。”
《甄曜度》に曰く:彗孛が「軍市」に現れるは、大規模の戦事が興起し、軍粮は断絶し、天下は大いに飢饉を鬧ぎ、将士は離散・潰逃し、士兵は多く死亡し、二年の内に応験する。軍市の六星は参宿の東南にあり、軍中の交易する市集で、軍資・粮秣の調度を主る。
彗孛が野鶏を犯す 其の二十六
《海中占》曰:“彗星守野雞,大將死,軍市破,諸侯相攻,有亡國,期三年。”
《海中占》に曰く:彗星が「野鶏」に停留するは、大将は戦死し、軍市は破敗し、諸侯は互いに攻伐し、国家の滅亡するがあり、三年の内に応験する。野鶏の一星は軍市の中にあり、もともとは野物が市集に闖入る象で、まさに軍中の変故に応ずる。
彗孛が狼星を犯す 其の二十七
黃帝曰:“彗星出狼星,國有急兵,名將出行,將軍有憂,若守之,必有千里之行,大戰流血,死者大半,期三年,中五年,遠七年。”《運斗樞》曰:“彗星出狼弧,主恣侵為過,外夷反。”
黄帝に曰く:彗星が「狼星」に現れるは、国家に緊急の兵事があり、名将は兵を領して出征し、将軍に憂患がある。もし彗星がその上に停留すれば、必ず千里の遠征の挙があり、大戦・流血し、死んだ者は半ばを過ぎ、三年の内に応験し、中は五年、遠いは七年。狼星の一星は東井の東南にあり、色は白くして鋒芒あり、侵掠と野心を主る。《運斗枢》に曰く:彗星が狼星と弧矢の間に現れるは、君主は侵伐を放縦して過失を鋳成し、外族の夷狄は反逆する。
彗孛が弧星を犯す 其の二十八
石氏曰:“彗星出弧星,弓矢大用,大兵起,其國亂驚,人民不寧,多盜賊。”(按司馬彪《天文志》曰:孝靈光和三年冬,彗星出狼弧,東行至於張,反去。後四年,京都發兵,擊黃巾賊。)
石氏に曰く:彗星が「弧星」に現れるは、弓箭は大量に動用され、大規模の戦事が興起し、あの国は動乱・驚擾し、百姓は安寧を得ず、盗賊は众多である。弧矢の九星は狼星の東南にあり、形状は張開する弓のごとく、箭はまさに天狼を指している。(以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の霊帝・光和三年の冬、彗星が狼星・弧矢の間に現れ、東に行きて張宿に至り、また折り返して去った。この後四年、京城は兵を発し、黄巾賊を討伐した。)
彗孛が老人星を犯す 其の二十九
巫咸曰:“彗星出老人,其色黃,王者昌,若守之,赤彗三芒,人主受殃,老者不康。”
巫咸に曰く:彗星が「老人星」に現れ、それの色が黄を発するは、王者は昌盛する。もし彗星がその上に停留し、しかも赤色で三道の鋒芒を帯ぶ彗であれば、君主はすなわち殃を受け、年老の人は安康を得ない。老人星の一星は弧矢の南面にあり、寿考・長久と国家の太平・安寧を主る。
彗孛が天稷を犯す 其の三十
《海中占》曰:“彗星出天稷,歲大飢,五穀不成,人民流亡,社稷不安。”
《海中占》に曰く:彗星が「天稷」に現れるは、この年は大いに飢饉を鬧ぎ、五穀は成熟すること能わず、百姓は流離・逃亡し、社稷は安寧を得ない。天稷の五星は七星の南面にあり、百穀の長と為り、農事と立国の根本を象徴する。
彗星が甘氏中官を犯す 其の三
彗星が天理を犯す 其の一
《春秋緯》曰:“彗星出天理,大司空斬,將逐天子。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「天理」に現れるは、大司空は斬殺され、将領は天子を駆逐する。天理の四星は北斗の魁星の中にあり、貴人の牢獄と刑理を掌管する星官なので、応験は大臣の刑戮の上に落ちる。
彗孛が策星を犯す 其の二
彗孛星近策星,王者不宜出宮,下有謀亂,不過七十日。
彗星・孛星が「策星」に靠近するは、王者は宮を離れて外出すべからず、臣下に変乱を謀画する人あり、七十日を過ぎずに応験する。策星の一星は王良のそばにあり、御者の手中の馬鞭で、もっぱら車駕の出行を主るので、彗孛がそれに逼近すれば、警戒はすなわち乗輿の上に落ちる。
彗星が造父を犯す 其の三
陳卓曰:“彗星入造父,若守之,僕御謀弒主,有斬死者,兵盡起。”
陳卓に曰く:彗星が「造父」に入り、もしその上に停留すれば、車駕を掌る僕御の臣は君主の弑殺を図謀し、斬殺せられて死する人があり、兵禍は全面に爆発する。造父の五星は伝舎の南面にあり、周の穆王のために車を駕した造父に名を取り、もっぱら御官と車馬を主る。
彗孛が卧星を犯す 其の四
《春秋緯》曰:“彗星出臥星,尚書反。人星,一名臥星也。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「卧星」に現れるは、尚書は反逆する。人星は又名を卧星といい、両個の名称の説くは同一の星官で、車府の南面にあり、安居・静処の事を主るので、それの変異は近侍の文書の臣の身上に応ずる。
彗孛が扶筐を犯す 其の五
陳卓曰:“彗星出扶筐,將作反。”
陳卓に曰く:彗星が「扶筐」に現れるは、将作大匠は反逆する。扶筐の七星は天紀の東北にあり、桑を采み葉を盛る筐器で、蚕桑を勧課する事を主る。「将作」は将作大匠を指し、土木の営造を掌管する官である。
彗星が酒旗を犯す 其の六
《春秋緯》曰:“彗星出酒旗,主以酒過,為相所害。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「酒旗」に現れるは、君主は酒に沈湎して過失を犯し、輔相に害せらる。酒旗の三星は軒轅の右角の南面にあり、宴饗・酒食の礼を主るので、彗星がそれを犯せば、応験は酒を縦んで徳を失うの上に落ちる。
彗孛が諸王を犯す 其の七
《春秋緯》曰:“彗星出諸王星,諸侯稱王皇,以南吳楚,北燕趙,東齊宋,西秦晉。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「諸王星」に現れるは、諸侯は僭越して王を称し皇を称す。分野の対応は、南方は呉・楚に応じ、北方は燕・趙に応じ、東方は斉・宋に応じ、西方は秦・晋に応ずる。諸王の六星は五諸侯の北面にあり、分封の諸王の象徴である。
彗孛が司怪を犯す 其の八
《春秋緯》曰:“彗星出司怪,主多妖祥,僻偽起,大臣侯王代主位。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「司怪」に現れるは、君主の治下に妖異の徴兆多く、邪僻・虚偽の事は興起し、大臣あるいは侯王は君主の位を取代する。司怪の四星は井宿の鉞星のそばにあり、もっぱら天地・日月・星辰と草木・鳥獣の種種の怪異を主る。
彗星が天高を犯す 其の九
《春秋緯》曰:“彗星出天高,廟臣反,名王起,改號。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「天高」に現れるは、宗廟を掌管する臣子は反逆し、著名の王侯は事を起こし、名号を更改する。天高の四星は畢宿の東南にあり、高に登り遠くを望む台観なので、それの応験は宗廟と名号の更易に牽連する。
彗孛が天演を犯す 其の十
《春秋緯》曰:“彗星出天演,但聞之將反。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「天演」に現れるは、ただ風声・伝聞の及ぶ処に、すでに反逆せんとする人がある。天演の一星は甘氏の立てた中官に属し、それの変異はもっぱら叛謀がまず伝言の中に顕露するに応ずる。
彗孛が天街を犯す 其の十一
《運斗樞》曰:“彗星出天街,五侯並起,天子自理。”《海中占》曰:“彗星出天街,內有賊人。”
《運斗枢》に曰く:彗星が「天街」に現れるは、五方の侯伯は一斉に事を起こし、天子はただ自ら政務を処理するを得。天街の二星は畢宿と昴宿の間にあり、華夏と夷狄の分界の路である。《海中占》に曰く:彗星が天街に現れるは、内部に奸賊の人を潜蔵す。
彗孛が甘氏外官を犯す 其の四
彗孛が鈇鑕を犯す 其の一
《春秋緯》曰:“彗星出斧,淫兵多,主以妄誅,將鑕之臣反。”
《春秋緯》に曰く:彗星が斧鉞の星に現れるは、濫用の兵事は多く、君主は乱かに誅殺し、あのまさに刑砧に押上げられんとする臣子は起って反逆する。鈇鑕の五星は八穀の西北にあり、人を斬るに用うる斧と砧板なので、もっぱら刑戮の事に応ずる。
彗孛が闕丘を犯す 其の二
《春秋緯》曰:“彗星出闕丘,帝滅。”
《春秋緯》に曰く:彗星が「闕丘」に現れるは、帝王は覆滅する。闕丘の二星は南河の南面にあり、宮門の両そばの双闕の土丘で、天子の門闕を象徴するので、彗星がそれを犯せば、直ちに至尊の傾覆に応ずる。
彗孛が巫咸中外官を犯す 其の五
彗孛が長垣を犯す 其の一
甘氏曰:“彗星出長垣,大臣謀反,兵起宮中,天下有亂,亡國,人主有憂,期不出二年。”《春秋緯》曰:“彗星出長垣,邊反。”
甘氏に曰く:彗星が「長垣」に現れるは、大臣は反逆を企て、兵変は宮中に発生し、天下は動乱し、国家の滅亡するがあり、君主に憂患があり、二年を出ずに応験する。長垣の四星は少微の西面にあり、辺境を防守する垣墻の象である。《春秋緯》に曰く:彗星が長垣に現れるは、辺地は反逆する。
彗孛が天厩を犯す 其の二
陳卓曰:“彗星出天廄,守之,天下名廄有失火者,若移徙;一曰:天下廄車馬有怪。”《春秋緯》曰:“彗星出廄官,法令違,法度數起變,臣執主勢。”
陳卓に曰く:彗星が「天厩」に現れ、もし停留して去らなければ、天下の著名の馬厩に火を失うあり、あるいは遷移を要す。別の一説に、天下の馬厩の中の車馬は怪異を出現す。天厩の十星は王良の北面にあり、天子の車馬を主る。《春秋緯》に曰く:彗星が厩官に現れるは、法令は違棄され、法度は屡屡変動し、臣下は君主の権勢を把持する。
開元占経 巻九十一
風占
候風法
凡候風,必於高平暢達之地,立五丈竿,以雞羽八兩為葆,屬竿上,候風吹羽葆平直則占。亦可竿首作盤,作三足烏於盤上,兩足連上而外立,一足繫下而內轉,風來則烏轉,廻首向之,鳥口街花,花旋則占之。羽必用雞,取其屬巽而能知時;羽重八兩,以相八風;竿長五丈,以法五音;烏者,日中之精,巢居知風鳥,為其首也。
およそ候風は、必ず高く敞して平坦で四面が通暢する地方を選び、五丈の高の竿を竪立し、八両の重の鶏毛をもって「羽葆」に扎り、竿の頂に繫げ、風が羽葆を吹きて平直に成るを待ってすなわち占を起こしうる。また竿の頂に一個の円盤を安じ、盤の上に一隻の三足烏を作ることもできる。両隻の脚は上に連ねて外に向かって立定し、一隻の脚は下に繫げて内に向かって旋回しえ、風が一たび来れば烏はすなわち転動し、頭を回して風に向かう。烏鳥の口中は花を銜え、花が旋転し起ればすなわちこれに拠って推占する。羽毛は必ず鶏毛を用い、それが八卦の中に「巽」に属し時令を感知しうるを取る。羽の重は八両で、八方の風に対応するを用る。竿の高は五丈で、宮・商・角・徴・羽の五音に取法するを用る。烏においては、太陽の中の精気の化する所で、また巢居して風信を預知しうる鳥なので、それを竿の首に安ずる。
今按古書云:立三丈五尺竿,以雞羽五兩繫其端,羽平則占。然則長短輕重,惟其適宜,不在過泥,但須出眾中不被隱蔽,有風即動,直而不激,便可占候。羽毛必須五兩以上,八兩以下,蓋羽重則難舉,輕則易平,時常占候,必須用鳥,行車權設,取便用羽。作葆之法,取雞羽,中破之,取其毛多處,以細繩緊縛,內中灸之,長三四尺許,屬竿上,其觸鹿扶搖,四轉五復之風,各以形狀占之。
いま古書の説を考察するに:三丈五尺の竿を竪立し、五両の鶏毛を竿の端に繫げ、羽毛が吹き平らげられればすなわち占を起こす。これで見れば竿の長短・羽の軽重は、ただ適宜であればよく、過分に拘泥するを要せず、ただ周囲より高く出で遮蔽せられず、風あればすなわち動き、吹き直らげられてしかも劇しく翻騰するに至らなければ、もって候風に用いうる。羽毛は必ず五両以上・八両以下とせねばならない。あまりに重ければ吹き起し難く、あまりに軽ければまた吹き平らげ易くして準を失うがゆえに。平日に長く候風するは、必ず三足烏のあの一套の装置を用いねばならない。行軍の車上に臨時に設けるは、すなわち羽葆を用るを便とする。羽葆を制作する方法は、鶏毛を取り、中間から剖開し、毛の多い部分を選び、細縄をもって緊かに扎縛し、裏面に火をもって烤炙して形を定め、長さ三四尺ほどと為し、竿に繫げる。あの地に貼って掠め、盤旋して直上し、四面に回転・反復する風においては、各々それらの形状に按って分けて推占する。
風の名状
《爾雅》曰:“風而雨土曰霾,陰而風曰噎,日出而風為暴,迴風為飄,焚輪謂之頹,扶搖謂之焱。”
《爾雅》に曰く:風を刮らしつつ塵土を降らすを、「霾」という。天色が陰晦しつつ風を起こすを、「噎」という。太陽が出た後に忽然と風を刮らすを、「暴」という。旋子を打つ風を、「飄」という。上から下に向かって輪状に巻成る旋風を、「頹」という。下から上に向かって盤旋して直上する旋風を、「焱」という。これは歴代の風占が各種の風に立てた正名である。
李淳風曰:“按占風之家,多雲發石、折木、揚沙、走石等語,若每占中俱著此語,其文至繁,今輒以一家例之。古云發屋、折木、揚沙、走石,今謂之怒風,多為不吉之象。一日之內三轉移方,古云四轉五復,今謂之亂風,亂風者,狂亂不定之象。無雲睛爽,忽起大風,不經刻而止絕,絕復忽起,古云暴風卒起,乍有乍無,今謂之暴風,暴風主有卒暴事。
李淳風に曰く:占風の各家を考察するに、多く「発石」「折木」「揚沙」「走石」の類の字眼を用う。もし毎条の占辞の裏に皆この話を写せば、文字はあまりに繁瑣なので、いま一律に一家の説に按って名目を統一する。古書の謂う屋根を掀翻し、樹木を折断し、沙土を揚起し、石塊を吹走らすは、いま統して「怒風」と称し、多くは不吉の象である。一日の内に三回方向を改換するは、古書は「四転五復」と呼び、いま「乱風」と称す。いわゆる乱風は、すなわち狂乱して定ならざる象である。天上に雲なく晴朗・清爽にして、忽然と大風を刮り起こし、一刻を経ずして断絶し、断絶した後にまた忽然と刮り起こすは、古書は「暴風卒起、乍有乍無」と呼び、いま「暴風」と称す。暴風は突発・急暴の事を主る。
鳴條擺樹,蕭蕭有聲,今謂之飄風,善惡依經旨。迅風觸塵蓬勃,古云觸塵蓬勃,今謂之勃風。迴旋羊角,古云扶搖羊角,今謂之迴風,迴風者,旋風也,迴風卒起而圓轉扶搖,有如羊角,向上轉輪,有自上而下者,有自下而上者,或平條長,或磨地而起,總謂之迴風,亦專有占。古云清涼溫和,塵埃不起,今謂之和風。古云闇冥昏濁寒克者,今謂之霾噎。
枝条を吹きて響き作らしめ樹木を揺せ、蕭蕭として声ありは、いま「飄風」と称し、それの吉凶は経文の本旨に依って判断する。疾風が塵土を巻動し塵埃が蓬勃して起るは、古書は「触塵蓬勃」と呼び、いま「勃風」と称す。盤旋して羊角に似たるは、古書は「扶揺羊角」と呼び、いま「回風」と称す。回風はすなわち旋風で、それは驟然として起こり、円転・盤旋し、形状は羊角に似て上に向かって輪形に旋り、あるは上から下に、あるは下から上に、あるは平かに引きて長条を成し、あるは地面に貼って巻き起こる。総じて「回風」と名づけ、また別に専門の占法がある。古書の謂う清凉・温和にして塵埃を起こさざる風は、いま「和風」と称す。古書の謂う昏暗・渾濁にして寒気の人を逼る風は、いま「霾噎」と称す。
凡風,和暢清悅,溫涼適時,埃塵不起,人情恬淡,是謂祥風;天色晦暝,雲氣昏濁,風聲寒慘,埃壒蓬勃,是謂災風;風勢紛雜,交亂乍起乍止,深藏莫測,其聲聒耳,是謂小人魅惑風;風勢暴起,南北不定,離合氛埃,是謂上下不寧風;風勢冥冥,白日陰慘,黃霧四合,是謂政化未明風;風勢慼慼,南北雜亂,高下蓬勃,是謂大兵將至風;風勢凜烈,人懷戰悚,是謂刑罰怪刻風;風聲啾唧惶切,令人悲慘,為大喪風;風聲欻欻,如火奔馳,乍起乍息,為旱火風;連風冥晦,四日五日,人皆悲傷,為大水殺人風。
およそ風は、和暢・清爽にして人をして愉悦せしめ、温涼は時令に合い、塵埃は起らず、人心は恬静・淡泊なるを、「祥風」と謂う。天色は晦冥し、雲気は昏濁し、風声は寒冷・凄惨し、塵土は蓬勃して飛揚するを、「災風」と謂う。風勢は紛雑し、交し、交錯・錯乱し、忽ち起こり忽ち止み、深蔵して測り難く、声は聒噪して耳に剌しむるを、「小人魅惑風」と謂う。風勢は驟然として起こり、忽ち南し忽ち北して飄忽して定ならず、塵霧は時に聚り時に散ずるを、「上下不寧風」と謂う。風勢は昏昏・沈沈として、大白天も陰暗・凄惨にして、黄霧は四面を合囲するを、「政化未明風」と謂う。風勢は急促・緊迫し、南北は雑乱し、高処・低処も皆塵土は飛揚するを、「大兵将至風」と謂う。風勢は凛冽・猛烈にして、人は心に戦慄を懐くを、「刑罰怪刻風」と謂う。風声は啾唧として安んぜず急切・惶恐にして、人をして心情の悲惨ならしむるを、「大喪風」と為す。風声は欻欻として響き、火焰の奔馳するがごとく、忽ち起こり忽ち息むを、「旱火風」と為す。連日風を刮らし天色は晦暗にして、一連して四五日、人は皆心に悲傷すを、「大水殺人風」と為す。
凡吉祥之風,日色清明,風勢和緩,從歲月日時德上來,或乘王相而來,去地稍高,不揚塵沙,人心喜悅,是謂祥風,人君德令下施之應。凡凶災之風,日色白濁,天氣昏寒,風聲叫怒,飛沙卷塵,乘刑殺而至,當詳五音,定八方,觀其起止,占之。
およそ吉祥の風は、日色は清朗・明浄にして、風勢は和緩し、年・月・日・時の「徳」の位から吹き来り、あるいは五行の旺相の気に乗じて来て、地を離れて稍高く、塵沙を揚起せず、人心は歓喜・愉悦する。これを祥風と謂い、人君が徳政を施行し恩令を下達する感応である。およそ凶災の風は、日色は白を発して渾濁し、天気は昏暗・寒冷し、風声は呼嘯して怒吼するがごとく、飛沙・塵を巻き、刑殺の位に乗じて来る。この種の風に遇えば、まさに宮・商・角・徴・羽の五音を細審し、八方の所属を定準し、それが何時に起り何時に止るかを観察し、これに拠って推占すべきである。
今略諸家寒克白濁為例:諸稱寒克白濁,今謂之災氣;諸稱清明溫和,謂之和風;諸稱大風寒冥冥,日無光,沉沒霧氣,今雲昏氣。
いま各家の謂う「寒克白濁」の一類の説を帰幷して通例と成す:およそ寒克白濁と称するを、いま統して「災気」と称す。およそ清明・温和と称するを、「和風」と称す。およそ大風・寒冷にして天色は昏暗し、太陽は光なく、霧気に呑没せらると称するを、いま「昏気」と称す。
諸例
《黃帝占》曰:“凡風之動,皆不安之象也。若在山川、海濱、空穴之間,風所出處,皆不可占之,以為常式;若在宮宅、城營之內、戰陣之所,風勢異常,楊沙走石,日光昏濁,則必占之。凡人君理順四時,則春無悽風,夏無苦雨。先王之治,以天下為家,兆民為子,風起異常,用意察之,若紛錯、交橫、離合,氛埃相注,此風之應,必在人主。”
《黄帝占》に曰く:およそ風の動くは、皆安寧を得ざる徴象である。もし山川・海辺・洞穴の間に発生すれば、あれはもともと風の生発する処なので、皆もって推占すること能わず、もって常規の占例と為すこと能わない。もし宮室・住宅・城池・営塁の内および交戦・布陣の地方に発生し、風勢は尋常に異にして、沙を揚げ石を走らし、日光は昏暗・渾濁すれば、すなわち必ず推占せねばならない。およそ人君が国家を治理して四時に順応しえれば、春天は凄厲の寒風なく、夏天は為害の苦雨ない。先王は天下を治め、天下をもって自家と為し、万民をもって自分の子女と為した。風の起るが反常であれば、すなわち心を用いて体察せねばならない。もし風が紛乱・交錯し、縦横に往来し、忽ち合し忽ち散じ、塵霧は一路相随って灌注すれば、この種の風の応験は必ず君主の身上に落ちる。
李淳風曰:“巽為風,風占災異最驗。凡候風,須築高二十四尺,於上設竿,令其四達無隱,則遠近皆知,斯剋不爽矣。凡鳴條以上,怒風起止,皆詳其五音,與歲月日時,刑德、合沖、墓殺,五刑生克,王相囚死,以言吉凶,仍以六情推之,萬不失一。凡年月日時,四殺五墓,風從上來,白濁昏寒,皆為凶風,其日三刑最急,坐不及起,有賊來,暴至若行,即防伏兵,平時無兵,防人謀害;
李淳風に曰く:巽卦は八卦の中に風を主り、風をもって災異を占断するは最も霊験である。およそ候風は、まず二十四尺の高の台を築起し、台上に竿を立て、それをして四面通達にして遮蔽を受けず、遠近も皆見えるを得さしめ、こうすれば推断は差錯を出さない。およそ「鳴条」以上に達する風は、怒風の興起と停止に至るまで、皆それの属する五音を細審し、年・月・日・時の刑と徳・合と衝・墓と殺、および五刑の生克・王相囚死の旺衰に配合し、これに拠って吉凶を論断し、さらに「六情」をもって推演すれば、すなわち万に一を失わない。およそ年・月・日・時の四殺・五墓の所在するに、風があの方位から吹き来り、日色は白を発して渾濁し、天気は昏暗・寒冷すれば、皆凶風に属す。その中当日に三刑に逢うは最も急迫で、坐して起つに及ばずして禍事は到る。まさに賊寇の襲来せんとするがあり。もし行軍の途中に驟然と遇えば、すなわち伏兵を防備せねばならない。平時に兵事なくとも、また人の加害を図謀するを防がねばならない。
凡年月日時,刑殺五墓,風起,日色白濁,日氣昏寒,興兵動栗,逢之急整武備。凡兩軍相當,以分主客,以日辰所得納音為客,以時下十二時辰與風所來方為主。若日辰納音能克時辰及方,為客勝;時下支神及風來方能克納音,則客敗,主人勝。尋常家居,亦以此分內外。凡惡風、黑風、三刑、沖破、墓殺風,當日有大雨及三日內有大雨,其災皆散。一曰:宮日風,當日雨;徵風,三日雨;羽風,五日雨;商風,七日雨;角風,九日雨;但依日數得雨,皆解。凡風自沖來,為殃、為喪、為火、為兵、為大人死,以占何國,若當時有大雨,即不占。凡風滾雨及風後降雨,皆雨氣也,不占。
およそ年・月・日・時の刑殺と五墓の位に起る風は、日色は白を発して渾濁し、日気は昏暗・寒冷すれば、兵を興し衆を動かし人心は戦慄するを主り、遇えばすなわち急いで武装を整備せねばならない。およそ両軍が対塁するは、まず主と客を分清せねばならない。日辰の配得する納音をもって「客」と為し、当下の十二時辰と風の来る方位をもって「主」と為す。もし日辰の納音が時辰と風来の方を克制しえれば、すなわち客方の取勝である。もし当下の地支の神と風来の方が納音を克制しえれば、すなわち客方は敗れ主人は勝つ。平常の家居もまたこの方法をもって内外を分かつ。およそ悪風・黒風、および三刑・衝破・墓殺の風は、当天に大雨を下るあるいは三日の内に大雨を下れば、災禍は皆消散する。別の一説に、宮日の風は、当天に雨を下ればすなわち解する。徴日の風は、三日の内に雨を下る。羽日の風は、五日の内に雨を下る。商日の風は、七日の内に雨を下る。角日の風は、九日の内に雨を下る。ただこの日数の内に雨を得れば、皆解消しうる。およそ風が衝位から吹き来るは、災殃を主り喪事を主り火災を主り兵禍を主り大人物の死亡を主り、これに拠って何れの国に応ずるを推占しうる。もし当時に大雨を下れば、すなわち推占を要しない。およそ風が雨を裹みて来るあるいは風の後に随いて雨を降らすは、皆雨気の致す所で、占断を作さない。
凡風從太歲上來,鳴條擺樹而天色清爽,日光明盛,著體清涼溫和者,祥風也,天子有德,令法不私,大臣畏慎,國昌民安之象;若風勢蓬勃,揚塵蔽天,著人寒慘,日白無光,兼刑帶殺,則為國有暴令,月建為大臣,日為令長,時來為民;凡風溼熱,逼人著地,走石吹沙,鳴條落葉,為囚風,以日辰占,何國饑荒人不安;風勢和緩,不揚塵土,氣色清溫,日光皎潔,以日辰占,何國歲美人安;凡風起歲月日時德上,鳴條落葉,及宮日、宮時、天門、乾上發風,皆吉風;五音之日,風起歲月日時刑上,黑色勃勃然,經刻冥冥,不見人形,是謂妖風,宮日為君,以下四日,為大臣死其分,下不熟,民災,以日占國。
およそ風が太歳の所在する方位から吹き来り、枝条を吹きて響き作らしめ樹木を揺せて、しかも天色は清爽にして、日光は明亮し、身に吹き着て清凉・温和なるは、これは祥風で、天子に徳あり法令は公正・無私にして、大臣は敬畏・謹慎し国家は昌盛し百姓は安寧するを象徴する。もし風勢が蓬勃し、塵土を揚げて天を蔽い日を遮り、人に吹き着いて寒冷・凄惨にして、太陽は白を発して光なく、また刑殺の気を兼帯すれば、すなわちあれは国家がまさに暴虐の政令を有らんとす。月建の位は大臣に応じ、日辰の位は県令・長官に応じ、時辰の吹き来るは百姓に応ずる。およそ風がまた湿りまた熱して、地面に貼って人を逼り、石を走らし沙を吹き、枝条を吹きて響き作らしめ樹葉を飄落せしむるを、「囚風」と謂い、日辰をもって何れの国が飢饉し人心が安んぜざるを推占する。風勢は和緩し、塵土を揚げず、気色は清朗・温潤にして、日光は皎潔すれば、すなわち日辰をもって何れの国が年成豊美にして人民は安楽するを推占する。およそ風が年・月・日・時の徳位に起り、枝条を吹きて響き作らしめ樹葉を飄落せしめ、および宮日・宮時・天門・乾位の上に発する風は、皆吉風である。五音の日に逢い、風が年・月・日・時の刑位に起り、色は黒くして勃勃然として翻巻し、一刻を経てもなお昏暗にして、人形も見清むこと能わざるを、「妖風」と謂う。宮日は君主に応じ、あと四日は順に類推し、大臣は所属の分野に死し、下は五穀は熟せず、百姓は災を遭うを主る。依然として日辰をもって何れの国に応ずるを推占する。
干徳
甲丙戌庚壬為陽,陽德自處;甲德在甲,丙德在丙,戌德在戍,壬德在壬,此謂自處。乙丁己辛癸為陰,陰德在陽;乙德在庚,丁德在壬,己德在甲,辛德在丙,癸德在戊,此謂在陽,取合為德也。
甲・丙・戊・庚・壬は陽干に属し、陽干の「徳」はすなわち自身に落ちる。甲の徳は甲に在り、丙の徳は丙に在り、戊の徳は戊に在り、壬の徳は壬に在り。これを「自処」と謂う。乙・丁・己・辛・癸は陰干に属し、陰干の徳は陽干の上に寄托する。乙の徳は庚に在り、丁の徳は壬に在り、己の徳は甲に在り、辛の徳は丙に在り、癸の徳は戊に在り。これを「在陽」と謂い、それと相合するあの天干を取って徳位と為す。底本のここの「戌」「戍」の二字は、皆「戊」の形近の訛りで、いま依然として原様に照らして文を録す。
支徳
歲月日時在巳,德在子;在壬,德在午;在寅,德在未;在卯,德在甲;在辰,德在酉;在巳,德在戌;在午,德在亥;在未,德在子;在申,德在壬;在酉,德在寅;在戌,德在卯;在亥,德在辰;以次順行前五辰是也。
年・月・日・時の地支が巳に在れば、徳位は子に在る。丑に在れば、徳位は午に在る。寅に在れば、徳位は未に在る。卯に在れば、徳位は申に在る。辰に在れば、徳位は酉に在る。巳に在れば、徳位は戌に在る。午に在れば、徳位は亥に在る。未に在れば、徳位は子に在る。申に在れば、徳位は丑に在る。酉に在れば、徳位は寅に在る。戌に在れば、徳位は卯に在る。亥に在れば、徳位は辰に在る。総の規律は、本支から算起し、順に前に向かって順数して第五個の辰位に至れば、すなわちそれの支徳の所在である。底本の中に「壬」「甲」と作る処は、順行五辰の法に拠れば「丑」「申」と為すべきで、いま依然として原文を存す。
月干徳
寅午戌,月德在丙;亥卯未,月德在甲;申子辰,月德在壬;巳酉丑,月德在庚。
月份が寅・午・戌に逢えば、月徳は丙に在る。亥・卯・未に逢えば、月徳は甲に在る。申・子・辰に逢えば、月徳は壬に在る。巳・酉・丑に逢えば、月徳は庚に在る。これは三合の結成する火・木・水・金の四局に按り、各々本局の所属する陽干を取って月徳の所在と為す。
三合
申子辰,亥卯未,寅午戌,巳酉丑。
三合は共に四組あり:申・子・辰は合して水局と成り、亥・卯・未は合して木局と成り、寅・午・戌は合して火局と成り、巳・酉・丑は合して金局と成る。風を占う時にそれをもって地支の間の会合・聚力する関係を判断する。
六合
寅亥,子丑,卯戌,辰酉,巳申,午未。
六合は六対の相合する地支で、寅と亥は合し、子と丑は合し、卯と戌は合し、辰と酉は合し、巳と申は合し、午と未は合す。およそ風の来る方位が日辰と六合を構成するは、互いに和順・相亲するを主る。
徳干合
甲己,乙庚,丙辛,丁壬,戊癸。
天干の相合は共に五対:甲と己は合し、乙と庚は合し、丙と辛は合し、丁と壬は合し、戊と癸は合す。上文に陰干の徳は「合」を取って徳と為すと説くは、すなわちこの五組の配合を指す。
歳月日時殺
寅午戌,殺在丑;巳酉壬,殺在辰;申子辰,殺在未;亥卯未,殺在戌。
年・月・日・時が寅・午・戌に逢えば、殺は丑に在る。巳・酉・丑に逢えば、殺は辰に在る。申・子・辰に逢えば、殺は未に在る。亥・卯・未に逢えば、殺は戌に在る。四組の殺位は皆辰・戌・丑・未のこの四個の墓庫の辰の上に落ち、各々本局の墓庫より順に推して得る。風が殺位から吹き来れば、すなわち凶を主る。底本の「巳酉壬」の「壬」はまさに「丑」字の訛りと為すべし。
吟呻殺
四孟月,在酉;四仲月,在巳;四季月,在丑。
「吟呻殺」の定位は、正月・四月・七月・十月のこの四個の孟月は、殺は酉に在る。二月・五月・八月・十一月のこの四個の仲月は、殺は巳に在る。三月・六月・九月・十二月のこの四個の季月は、殺は丑に在る。風が吟呻殺の所在する方位から吹き来るは、呻吟・愁苦の事を主る。
歳月日時刑
子刑卯,卯為刑下,子為刑上;丑刑戌,戌為刑下,未為刑上;寅刑巳,巳為刑下,申為刑上;卯刑子,子為刑下,卯為刑上;辰刑辰,巳刑申,申為刑下,寅為刑上;午刑午,未刑壬,壬為刑下,戌為刑上;申刑寅,寅為刑下,巳為刑上;酉刑酉,戌刑未,未為刑下,丑為刑上;亥刑亥。凡刑下來者,禍淺;刑上來者,災深;自刑者,兼刑上刑下,其災尤深。謂之三刑者,刑上、刑下、自刑也。
地支の相刑する配列は、子は卯を刑し、卯は「刑下」と為し、子は「刑上」と為す。丑は戌を刑し、戌は刑下と為し、未は刑上と為す。寅は巳を刑し、巳は刑下と為し、申は刑上と為す。卯は子を刑し、子は刑下と為し、卯は刑上と為す。辰は辰を自刑す。巳は申を刑し、申は刑下と為し、寅は刑上と為す。午は午を自刑す。未は丑を刑し、丑は刑下と為し、戌は刑上と為す。申は寅を刑し、寅は刑下と為し、巳は刑上と為す。酉は酉を自刑す。戌は未を刑し、未は刑下と為し、丑は刑上と為す。亥は亥を自刑す。およそ風が刑下の方位から吹き来るは、禍患は較べて浅い。刑上の方位から吹き来るは、災殃は深重である。自刑に属するは、刑上と刑下の両重を兼ね、災禍はことに深重である。いわゆる「三刑」は、すなわち刑上・刑下・自刑のこの三種である。底本の「未刑壬、壬は刑下と為す」の「壬」は「丑」と作るべし。
五墓
亥卯未,木墓在未;寅午戌,火墓在戌;申子辰,水墓在亥;巳酉丑,金墓在丑;土墓在辰。
亥・卯・未は三合して木局と成り、木の墓は未に在る。寅・午・戌は三合して火局と成り、火の墓は戌に在る。申・子・辰は三合して水局と成り、水の墓は亥に在る。巳・酉・丑は三合して金局と成り、金の墓は丑に在る。土の墓は辰に在る。この五処は合して「五墓」と称し、風が墓位から吹き来るは、気数が衰敗し事情が成り難きを主る。按ずるに通行の三合の法は、水局の墓はまさに辰に在るべく、底本は「亥」と作り、いま依然として原文に照らす。
干刑
甲刑戊,乙刑己,丙刑庚,丁刑辛,戊刑壬,己刑癸,庚刑甲,辛刑乙,壬刑丙,癸刑丁。
天干の相刑する配列は、甲は戊を刑し、乙は己を刑し、丙は庚を刑し、丁は辛を刑し、戊は壬を刑し、己は癸を刑し、庚は甲を刑し、辛は乙を刑し、壬は丙を刑し、癸は丁を刑す。皆四位を相隔てて両々として相刑し、陽干は陽干を刑し陰干は陰干を刑す。風を占う時にそれをもって日干と風来の方の相犯するや否やを判断する。
衝破
十二支沖:子沖午,午沖子,丑沖未,未沖丑,寅沖申,申沖寅,卯沖酉,酉沖卯,辰沖戌,戌沖辰,巳沖亥,亥沖巳。
十二地支の相衝は、子は午に衝き午は子に衝き、丑は未に衝き未は丑に衝き、寅は申に衝き申は寅に衝き、卯は酉に衝き酉は卯に衝き、辰は戌に衝き戌は辰に衝き、巳は亥に衝き亥は巳に衝く。相衝する両支は十二辰盤の上にまさに互いに相対し、前文の謂う「風が衝より来る」は、すなわち風が日辰と相対するあの方位から吹き来るを指す。
五音六属法
五音:一言宮,三言徵,五言羽,七言商,九言角。六屬:庚屬震,辛屬巽,戊屬坎,己屬離,丙屬艮,丁屬兌。子午屬庚,壬未屬辛,寅申屬戊,卯酉屬己,辰戌屬丙,巳亥屬丁。
五音と数目との相配は、数が一に至るは宮と為し、数が三に至るは徴と為し、数が五に至るは羽と為し、数が七に至るは商と為し、数が九に至るは角と為す。六属は天干と卦位の配合で、庚は震卦に属し、辛は巽卦に属し、戊は坎卦に属し、己は離卦に属し、丙は艮卦に属し、丁は兌卦に属す。地支はさらにこの六干に分属す。子と午は庚に属し、丑と未は辛に属し、寅と申は戊に属し、卯と酉は己に属し、辰と戌は丙に属し、巳と亥は丁に属す。これは納音の数を起こす根柢である。底本の「壬未は辛に属す」の「壬」は「丑」と作るべし。
乾主甲子、壬午。甲為陽日之始,壬為陽日之終,子為陽辰之始,午為陽辰之終。乾初在子,則四在午。乾主陽,內子外午,內為始,外為終也。坤主乙未、癸壬。乙為陰日之始,癸為陰日之終,壬為陰辰之始,未為陰辰之終。坤為初在未,四在丑。坤主陰,故內主未,外主壬。震主庚子、庚午。震為長男,乾初九主甲,對於庚,故震主庚,以父授子,故主子午,與父同也。巽主辛丑、辛未。箕為長女,坤初主乙,乙與辛對,故巽主辛,以母授女,故主壬未,與母同也。
乾卦は甲子・壬午を主る。甲は陽日の開端で、壬は陽日の終末である。子は陽辰の開端で、午は陽辰の終末である。乾卦の初爻は子に在れば、すなわち第四爻はすなわち午に在る。乾卦は陽を主り、内卦は子を納れ外卦は午を納れ、内は始と為し外は終と為す。坤卦は乙未・癸丑を主る。乙は陰日の開端で、癸は陰日の終末である。丑は陰辰の開端で、未は陰辰の終末である。坤卦の初爻は未に在り、第四爻は丑に在る。坤卦は陰を主り、ゆえに内卦は未を主り外卦は丑を主る。震卦は庚子・庚午を主る。震は長男と為り、乾卦の初九は甲を納れ、甲と庚とは相対し、ゆえに震は庚を納る。父より子に伝うるにより、ゆえに同じく子・午の両辰を主り、父卦と相同じ。巽卦は辛丑・辛未を主る。巽は長女と為り、坤卦の初爻は乙を納れ、乙と辛とは相対し、ゆえに巽は辛を納る。母より女に伝うるにより、ゆえに同じく丑・未の両辰を主り、母卦と相同じ。底本の「癸壬」「外主壬」「箕為長女」「主壬未」の諸処は、分別して「癸丑」「外主丑」「巽為長女」「主丑未」と作るべし。
坎主戊寅、戊甲。坎主中男。故主中干、中辰。離主巳卯、巳酉。離為中女,亦主中干、中辰。艮主丙辰、丙戊。艮為少男,乾上主壬,對丙,故主丙辰、丙戌,是第五配兌主丁巳、丁亥。兌為少女,坤上主癸,對丁,故主丁巳、丁亥,是第六配。以地十二辰合十干,以十干所屬者命之,以其言數納其音,以主一日,日辰相配,共得一音,此納音之法也。
坎卦は戊寅・戊申を主る。坎は中男と為り、ゆえに中に居る天干と中に居る地支を納る。離卦は己卯・己酉を主る。離は中女と為り、同じく中に居る天干と地支を納る。艮卦は丙辰・丙戌を主る。艮は少男と為り、乾卦の上爻は壬を納れ、壬と丙とは相対し、ゆえに丙辰・丙戌を納る。これは第五組の配合である。兌卦は丁巳・丁亥を主る。兌は少女と為り、坤卦の上爻は癸を納れ、癸と丁とは相対し、ゆえに丁巳・丁亥を納る。これは第六組の配合である。総じて言えば、地上の十二辰を取って天上の十干に配り、十干の各々の所属する卦に按って命定し、さらに配する所の数に依ってそれの音を納出し、もってこの一日を主管せしめ、日と辰は互いに相配して共に一個の音を得る。これを納音の法と謂う。底本の「戊甲」「巳卯・巳酉」「丙戊」は、「戊申」「己卯・己酉」「丙戌」と作るべし。
納音
甲子、壬申、甲午、庚辰、壬寅、庚戌為陽商。乙壬、癸酉、辛亥、乙未、辛巳、癸卯為陰商。丙寅、戊子、甲辰、甲戌、丙申、戊午為陽徵。丁卯、己丑、乙巳、乙亥、丁酉、己未為陰徵。戊辰、庚寅、壬午、壬子、戊戌、庚辰為陽角。己巳、辛卯、癸未、癸丑、己亥、辛酉為陰角。庚午、丙戌、戊申、戊寅、庚子、丙辰為陽宮。辛未、丁亥、己酉、己卯、辛丑、丁巳為陰宮。甲申、壬辰、丙午、甲寅、丙子、壬戌為陽羽。乙酉、癸巳、丁未、丁丑、乙卯、癸亥為陰羽。凡言宮、商、角、徵、羽日,皆依此。
甲子・壬申・甲午・庚辰・壬寅・庚戌のこの六個の日辰は陽商に属す。乙丑・癸酉・辛亥・乙未・辛巳・癸卯は陰商に属す。丙寅・戊子・甲辰・甲戌・丙申・戊午は陽徴に属す。丁卯・己丑・乙巳・乙亥・丁酉・己未は陰徴に属す。戊辰・庚寅・壬午・壬子・戊戌・庚辰は陽角に属す。己巳・辛卯・癸未・癸丑・己亥・辛酉は陰角に属す。庚午・丙戌・戊申・戊寅・庚子・丙辰は陽宮に属す。辛未・丁亥・己酉・己卯・辛丑・丁巳は陰宮に属す。甲申・壬辰・丙午・甲寅・丙子・壬戌は陽羽に属す。乙酉・癸巳・丁未・丁丑・乙卯・癸亥は陰羽に属す。およそ下文に宮日・商日・角日・徴日・羽日と説くは、皆この表に依照して推定する。この表は六十甲子を五音に按って陰陽の十組に分かち、毎組は六個の日辰である。風を占う時にまず当日の日辰が何れの音に属するを査し、さらに風が何れの音の方位から吹き来るを見て、両者相配合してやっと「宮動徴」「羽動角」の類の占例を定出しうる。底本の「乙壬」はまさに「乙丑」の訛りと為すべし。
地十二辰五音法
子主陽宮土,主帝王;丑為陽徵火,主旱、主火災、主宮寺、主口舌;寅為陽徵火,主旱、主火、主烽燧;卯為陽羽水,主雨霖、主水、主霧;辰為陽商金,主大將軍、主吏士;巳為陽角木,主疾病、主憂患;午為陽宮土,主后妃;未為陰徵火,主庶人、主土功、主蜚蟲、主詔誥、主書檄、主旱;申為陰徵火,主郵驛、尉侯、主旱、火;酉為陰羽水,主霜雪、主雷電、主沉陰、主雹;戌為陰商金,主小將、主兵刃;亥為陰角木,主死喪、哭泣。李先生曰:“自午至巳,皆為陰律所生,故為陽;自午至亥,皆為陽律所生,故為陰。”
子は陽宮に属し五行は土、帝王を主る。丑は陽徴に属し火と為り、旱災を主り火災を主り宮室・寺観を主り口舌・是非を主る。寅は陽徴に属し火と為り、旱を主り火を主り辺境の烽燧を主る。卯は陽羽に属し水と為り、久雨を主り水患を主り霧を主る。辰は陽商に属し金と為り、大将軍を主り吏員・士卒を主る。巳は陽角に属し木と為り、疾病を主り憂患を主る。午は陽宮に属し土と為り、后妃を主る。未は陰徴に属し火と為り、平民・百姓を主り土木の工程を主り飛虫の害を主り詔書・誥命を主り文書・檄令を主り旱を主る。申は陰徴に属し火と為り、郵駅・伝逓を主り尉官・候吏を主り旱と火を主る。酉は陰羽に属し水と為り、霜雪を主り雷電を主り久陰を主り冰雹を主る。戌は陰商に属し金と為り、偏裨の小将を主り兵刃を主る。亥は陰角に属し木と為り、死喪と哭泣を主る。李先生に曰く:子から巳に至るは、皆陰律の生ずる所に由り、ゆえに陽と称す。午から亥に至るは、皆陽律の生ずる所に由り、ゆえに陰と称す。この表は十二地支を五音・五行に分派し、かつ各々主る所の人事・物象を系し、風がある一辰の方位から吹き来れば、すなわちあの一辰の主る事と当日の日辰の音を取って互いに参照し、これに拠って災祥が何人・何事の上に落ちるかを断定する。底本の前の「自午至巳」の「午」は「子」と作るべし。
五音相動風占
宮日,風從子午宮來,為宮動宮,主人君出行,急風暴起急出,有急令;慢風慢出,有喜令;以干占,知遠近。宮日,風從陽宮來,山陵崩壞,人君出行,地動、旱、有土功;風從陰宮來,地震裂,若后出行,又為旱。又曰:陽宮之日,風從子午宮來,君出行;陰宮之日,風從子午宮來,后出行。宮日,風從子午宮來,時加子午,為重宮,君欲行,大臣走,又為風雨不調。
宮日にあたり、風が子の位または午の位という二つの宮音の方角から吹いてくるのを「宮動宮」といい、君主の出行を主る。風が急に暴発すれば、急いで出かけ、緊急の政令がある。風が緩やかに吹けば、ゆったりと出かけ、喜びの詔令がある。さらに天干で占えば、道のりの遠近や速さが分かる。宮日に風が陽宮の方から吹けば、山陵が崩れ、君主が出行し、地動・旱魃・土木の工事がある。風が陰宮の方から吹けば、地が震え裂け、あるいは皇后が出行し、また旱魃を主る。別の説では、陽宮に属する日に風が子・午の宮位から吹けば君主の出行、陰宮に属する日に風が子・午の宮位から吹けば皇后の出行である。宮日に風が子・午の宮位から吹き、時刻がちょうど子・午に加臨するのを「重宮」といい、君主が行こうとすれば大臣が逃げ去り、また風雨が調わないことを主る。
宮日,風從丑、未寅申徵來,為宮動徵,有火燭,有土功,寶物出,有兵。時加徵,為重徵,有義兵行,有土功,有詔令,謂之義風。宮日,風從卯酉來,為宮動羽,且有大雨,不則大臣出走,若復為旱,宮君羽臣,君怒臣走,宮土羽水,土盛水衰,水衰則火起,故復為旱也。時加羽,為重羽,即有雨,五穀成。
宮日に、風が丑・未・寅・申という四つの徴音の方角から吹いてくるのを「宮動徴」といい、火烛の災いがあり、土木の工事があり、宝物が現れ、兵事もある。時刻がさらに徴位に加臨するのを「重徴」といい、義をたっとぶ軍隊が出動し、土木の工事があり、詔令が下され、この種の風を「義風」と呼ぶ。宮日に風が卯・酉の方から吹いてくるのを「宮動羽」といい、大雨がある。そうでなければ大臣が出走するか、かえって旱となる。宮音は君に属し、羽音は臣に属するゆえ、君主が怒れば臣下が逃げる。宮は土に属し、羽は水に属し、土が盛んになれば水が衰え、水が衰えれば火が起こるので、また旱に転じるのである。時刻が羽位に加臨するのを「重羽」といい、たちまち雨が降り、五穀が実る。
宮日,風從辰戌商來,為宮動商,有兵行,且有客兵來。時加辰戌,為重商,有兵殃。宮日,風從巳亥角來,為宮動角,有兵戰,人主憂,客兵傷,有喪。從陽商來,邊兵戰,有大喪。宮為土、為君,角為木,土動木,不勝,故君凶;木主哭泣,故主喪。時加巳亥,為重角,君不昌,有大喪。
宮日に、風が辰・戌という二つの商音の方角から吹いてくるのを「宮動商」といい、軍隊が出発し、しかも外来の客兵が来ることを主る。時刻がさらに辰・戌に加臨するのを「重商」といい、兵禍が災いをなす。宮日に風が巳・亥という二つの角音の方角から吹いてくるのを「宮動角」といい、兵戦があり、君主に憂いがあり、客兵が傷つき、喪事もある。もし陽商の方から吹けば、辺境に戦事があり、大きな喪がある。宮は土に属し君に属し、角は木に属する。土が動いて木を制しようとしても勝てないので君主に凶があり、木は哭泣を主るので喪を主る。時刻が巳・亥に加臨するのを「重角」といい、君主が栄えず、大きな喪がある。
宮日,大風從乾來,有暴雨、湧水,若風不揚塵,氣色和暢,日光明盛,不寒慘者,國有善令;艮來,山陵崩壞,人君出行,水湧地裂;巽來,蝗蟲生,害五穀;坤來,有土功,走獸為害。己上,時加宮則占。徵日,風從陽宮來,土功起,大旱,火災頓起宮寺;風從陰宮來,太子有疾。時加徵,為重徵,有土功,火災起。
宮日に、大風が乾の方から吹いてくれば、暴雨と洪水の氾濫を主る。もし風が塵を巻き上げず、気色が和らぎ、日光が明るく、吹きつけても寒く惨めでなければ、国家に善い政令がある。艮の方から吹けば、山陵が崩れ、君主が出行し、大水が湧き地が裂ける。巽の方から吹けば、蝗虫が発生して五穀を害する。坤の方から吹けば、土木の工事があり、走獣が災いをなす。以上はいずれも、時刻が宮位に加臨してはじめて占いが立つ。徴日にあたり、風が陽宮の方から吹けば、土木の工事が起こり、天下が大旱し、宮室や寺観に突然火事が起こる。風が陰宮の方から吹けば、太子に疾病がある。時刻が徴位に加臨するのを「重徴」といい、土木の工事があり、火災が起こることを主る。
徵日,風從壬寅陽徵來,有火災,君有恐,走獸為人害,宮寺多焚;從王相來,歲太旱,又多火災。風從未申陰徵來,人君憂,走獸為火災,一曰:六畜多死。時加丑寅未申,為重徵,國四門閉,為火事。徵日,風從陽商來,有急兵,人主出,以兵自守,期七日,若七十日;從陰商來,有急兵戰;一曰:風從陽商來,輔臣強,大臣死,民有殃,以日占國。
徴日に、風が丑・寅という二つの陽徴の方角から吹いてくれば、火災があり、君主が恐れ、走獣が人を害し、宮室寺観の多くが焼かれる。もし旺相の方から吹けば、その年は大旱で、火災も多い。風が未・申という二つの陰徴の方角から吹けば、君主に憂いがあり、走獣が火災を引き起こす。別の説では、六畜が多く死ぬ。時刻が丑・寅・未・申に加臨するのを「重徴」といい、国都の四門が閉じられるのは、まさに火事のためである。徴日に風が陽商の方から吹けば、緊急の兵事があり、君主が出て行き、兵力をもって自ら守り、七日あるいは七十日のうちに応ずる。陰商の方から吹けば、緊急の戦事がある。別の説では、風が陽商から吹けば、輔政の臣が強横になり、大臣が死に、民が災いを受ける。日辰で占ってどの国に応ずるかを知る。底本の「壬寅陽征」の「壬」は「丑」の誤りとすべきである。
徵日,風從陽羽來,四鄰有事,寶物出,陰盛於陽,且有雷電、霜雹,諸侯大臣多失,多火,四夷有兵;從陰羽來,寶物出,多震雷,四夷有事。徵日,風從陽角來,有兵,邊有急,金克木,木子火,反克金,故有兵,亦為有喪;從陰角來,邊有驚火,一曰:邊兵大起,春有喪。
徴日に、風が陽羽の方から吹いてくれば、四方の隣国に事があり、宝物が現れ、陰気が陽気を圧し、しかも雷電と霜雹を伴い、諸侯・大臣の多くが位を失い、火災が頻発し、四方の夷狄が兵を興す。陰羽の方から吹けば、宝物が現れ、雷震が頻繁で、四方の夷狄に事がある。徴日に風が陽角の方から吹けば、兵事があり、辺境に急がある。金は本来木を克するが、木の生む子は火で、火がかえって金を克するので兵があり、また喪をも主る。陰角の方から吹けば、辺境に火の警報がある。別の説では、辺境で大挙して兵が起こり、春に喪事がある。
羽日,風從陽宮來,人持財物聚,君有吏令,遠兵起,土功興,將受命,有集會,有寒雪雹;風從陰宮來,暴寒傷物,有水,有土功,兵集。羽日,風從陽宮來,國有兵,有急令,臣有憂,關梁塞,道路不通;從陰徵來,邊兵憂。
羽日に、風が陽宮の方から吹いてくれば、人々が財物を持って集まり、君主が官吏を差遣する命令を下し、遠方で兵事が起こり、土木の工事が始まり、将領が命を受けて出征し、会盟や集会の事があり、さらに寒い雪と雹がある。風が陰宮の方から吹けば、暴寒が万物を傷つけ、水患があり、土木の工事があり、兵馬が集まる。羽日に風が陽宮の方から吹けば(文脈からすると陽徴とすべきである)、国の中に兵事があり、緊急の政令があり、臣下に憂患があり、関隘や橋梁が塞がれて道路が通じない。陰徴の方から吹けば、辺境の駐軍に憂患がある。
羽日,風從羽來,有白衣聚,有大喪、大寒、雪雹,期五日,若五十日,且有大雨;雨從南方來,國有憂,人多病;雨從北方來,賊聚水中,且有雪雹,陽羽,日應;陰羽,夜應。羽日,風從商來,有兵圍城不戰,邊有急,關梁不通,大雨,客兵不利。金水,子母和,故不戰;羽為角,除害,象臣為君討賊,故動必大雨,不出戰故也。
羽日に、風が羽音の方から吹いてくれば、素服の群衆が集まり、大喪・大寒と雪雹があり、五日あるいは五十日以内に応じ、しかも大雨がある。雨が南方から来れば国家に憂患があり、人々に病気が多い。雨が北方から来れば、賊寇が水中に集まり、また雪雹がある。陽羽に属すれば昼に応じ、陰羽に属すれば夜に応ずる。羽日に風が商音の方から吹けば、軍隊が城を囲んで戦わず、辺境に急があり、関隘・橋梁が通じず、天に大雨が降り、客兵に不利である。金と水は母と子の関係で互いに和するので戦わない。羽水はまた角木を生み養い、角木のために害を除く。これは臣子が君主に代わって賊を討つ象に似るので、この風が動けば必ず大雨があり、出て戦わないのもそのためである。
羽日,風從角來,邊有兵,圍城,城破。一曰:兵不解。時加己亥,為重角,有圍城,有大喪。商日,風從陽宮來,戒太子忌怒人臣,有急兵。宮土,商金,母憂其子,故為太子,亦為人主有疾。從陰宮來,庶子有憂,有急變,兵起北方。
羽日に、風が角音の方から吹いてくれば、辺境に兵事があり、敵軍が城を囲み、城が破られる。別の説では、城を囲む兵が解散しない。時刻が巳・亥に加臨するのを「重角」といい、城を囲む事があり、大喪がある。商日に、風が陽宮の方から吹いてくれば、太子に戒めて臣下を激怒させないようにせよ、緊急の兵事がある。宮は土に属し、商は金に属し、土は金の母で、母が子のために憂えるので太子に応じ、また君主に疾病があることも主る。陰宮の方から吹けば、庶出の子に憂患があり、緊急の変故が起こり、兵事は北方に起こる。
商日,風從徵來,國邑受令,兵行,將在外,兵還,不戰,臣受兵令而行。徵為號令,商為兵,商受徵克,故兵退;一曰:小旱。時加徵,為重徵,有火,有大旱。商日,風從羽來,大雨水,歲大荒,國憂亂,有兵起東方。羽水從金生,故有大兵、大水之事。
商日に、風が徴音の方から吹いてくれば、国都や城邑が政令を受け、軍隊が出発し、将領が外にあって、やがて軍を率いて帰り戦わない。臣下が出兵の命令を奉じてはじめて動く。徴は号令を主り、商は兵を主る。商は徴に克たれるので兵は退く。別の説では、小さな旱がある。時刻が徴位に加臨するのを「重徴」といい、火災があり、大旱がある。商日に風が羽音の方から吹けば、大雨が水害となり、その年は大いに荒れ、国家は憂い乱れ、兵事は東方に起こる。羽は水に属し、金から生まれるので、大兵と大水の事がある。
商日,風從陽商來,有白衣聚眾,且有大水,關梁不通,大將出,忌外兵,邑有小寇,人主憂,國門四閉,兵在西方;從陰商來,國有大殃,粟貴,國有兵,風怒,期七日,七十日,有急令,兵大起。商為金,二金並行,故有大喪;一曰:商日,風從商來,大臣死。
商日に、風が陽商の方から吹いてくれば、素服の群衆が集まり、しかも大水があり、関隘・橋梁が通じず、大将が出征する。外来の兵を警戒せよ。城邑の中に小規模な寇盗があり、君主に憂いがあり、国都の四門が閉じられ、兵事は西方にある。陰商の方から吹けば、国家に大きな災殃があり、穀物の値が上がり、国の中に兵事があり、風の勢いが狂い荒れ、七日あるいは七十日以内に応じ、緊急の政令があり、大規模な戦事が起こる。商は金に属し、二重の金気が並行するので大喪がある。別の説では、商日に風が商音の方から吹けば、大臣が死ぬことを主る。
商日,風從陽角上來,有猝兵,有急令;從陰角上來,有喪,土功作。角日,風從陽宮上來,兵從中起,君憂,國門四閉;從陰宮來,有大喪,貴人多疾病,有土功。宮為君,角主喪無,故有大喪。
商日に、風が陽角の方から吹いてくれば、突発の兵事があり、緊急の政令がある。陰角の方から吹けば、喪事があり、土木の工事が興る。角日に、風が陽宮の方から吹いてくれば、兵変が内部から起こり、君主に憂いがあり、国都の四門が閉じられる。陰宮の方から吹けば、大喪があり、貴人に疾病が多く、土木の工事がある。宮音は君を主り、角音は喪亡を主るので、大喪がある。
角日,風從徵上來,大臣災,亦防火,蟲生,粟貴;一曰:吏拾人財,有兵,倉粟、寶物出。角日,風從羽上來,有大雨,土功興,邊有兵,卿大夫多口舌疾病,亦為夷人相爭。
角日に、風が徴音の方から吹いてくれば、大臣が災いに遭い、また火災を防ぐべきで、虫の害が発生し、穀物の値が上がる。別の説では、官吏が民の財をかき集め、兵事があり、倉の粟米と庫の宝物が流出する。角日に風が羽音の方から吹けば、大雨があり、土木の工事が起こり、辺境に兵事があり、卿大夫に口舌の是非と疾病が多く、また夷人どうしが互いに争うことをも主る。
角日,風從商來,有急兵;一曰:臣不忠。角日,風從陽角來,邊兵起,人主憂,有賊至,戰不勝,多死;從陰角來,有兵,有大喪;一曰:遠喪至。時加角,有喪,有邊兵戰,盜賊起,粟貴,民飢,野多死人。角主死喪,重角尤甚也。
角日に、風が商音の方から吹いてくれば、緊急の兵事がある。別の説では、臣下が忠でない。角日に風が陽角の方から吹けば、辺境で兵が起こり、君主に憂いがあり、賊寇が来犯し、交戦しても勝てず、死傷が多い。陰角の方から吹けば、兵事があり、大喪がある。別の説では、遠方の喪の知らせが届く。時刻がさらに角位に加臨すれば、喪事があり、辺境に戦事があり、盗賊が四方に起こり、穀物の値が上がり、民が飢え、野に死人が多い。角音はもともと死喪を主り、「重角」に逢えばなおさら酷い。
開元占経巻九十二
雨占
雨者,陰陽和而天地氣交之所為也。太清之世,十日一雨,雨不破塊。京房曰:“太平之時,一歲三十六雨,是為休徵,時若之應,凡雨三日以上,為霖,久雨謂霪。”
雨とは、陰陽が調和し、天地の二気が交感して生じるものである。太平清明の世では、十日ごとに一度雨が降り、その雨の勢いは土の塊をも打ち砕かないほど柔らかい。京房はいう。「天下太平のとき、一年に三十六回雨が降る。これがすぐれた瑞兆であり、四時の風雨が時令に順う応えである。凡そ三日以上降り続く雨を「霖」といい、久しく止まない雨を「霪」という。」
雑占
天無雲而雨,謂之天泣,其占為國易政,若出軍逢之,其軍必不還。《河圖》曰:“主急恚怒,則無雲而雨。”《抱朴子》曰:“無雲而雨,是謂雨血,將軍當揚兵、講武,以應之。雨大,軍中尤甚者,將軍敗死。”京房曰:“人君進無德樹為功,則無雲而雨。”
天に雲がないのに雨が降るのを「天泣」といい、その占いは国家が政権を改めることを示す。もし軍を出してこれに遭えば、その軍は必ず帰ってこない。《河図》にいう。「君主が性急で怒りっぽければ、雲がないのに雨が降る。」《抱朴子》にいう。「雲なく雨が降るのを「雨血」といい、将軍は軍容を整え武事を講じてこれに応ずべきである。雨が大きく、軍営の中でとりわけ酷ければ、将軍は敗れて死ぬ。」京房はいう。「人君が徳のない者を登用し、それを功業とすれば、雲がないのに雨が降る。」
正月
一日有風雨,三月穀貴;一曰:正月一日風雨,其年大惡;微風小雨,年小惡;風悲鳴,疾作災起;又曰:正月一日風雨,米貴,蠶傷;風雨從四方來,兵起;正月一日無風而雨,歲中,下田麥成,禾黍小貴;正月上旬雨卯,穀貴一倍;中旬雨卯,穀貴十倍;正月晦日雨風兼至,糴貴禾惡。
正月朔日に風と雨があれば、三月に穀物の値が上がる。別の説では、正月朔日に風雨が交われば、その年の作柄はきわめて悪い。微風と小雨だけなら年成はやや悪い。風が凄まじく悲鳴するようであれば、疾病が発し災いが起こる。またいう。正月朔日に風が吹き雨が降れば、米の値が上がり、蚕事が損なわれる。風雨が四方八方から押し寄せれば、兵事が起こる。正月朔日に風がなく雨だけ降れば、その年のうちに低田の麦は実り、禾黍の値はやや高い。正月上旬に卯日に雨が降れば、穀物の値は一倍上がる。中旬に卯日に雨が降れば、穀物の値は十倍上がる。正月の晦日に風と雨がいっしょに来れば、糴穀は高く禾稼は悪い。
二月
一日風雨,穀貴禾惡;二日、七日、八日、九日,當雨不雨,道中有餓死人;九日至十五日,當雨不雨,兵起;十七、十八日,當雨不雨,蟲冬不蟄;十九、二十日,當雨不雨,三月大旱;二十六日至二十八日,當雨不雨,有逆風從東來,損物。二月晦日風雨,多疾病、死亡。
二月朔日に風が吹き雨が降れば、穀物の値が上がり禾稼が悪い。初二・初七・初八・初九に降るべき雨が降らなければ、道中に飢え死にする人が出る。初九から十五まで降るべき雨が降らなければ、兵事が起こる。十七・十八に降るべき雨が降らなければ、虫が冬になっても蟄伏しない。十九・二十に降るべき雨が降らなければ、三月に大旱がある。二十六から二十八まで降るべき雨が降らなければ、逆風が東から吹き、作物万物を損なう。二月の晦日に風雨があれば、疾病と死亡が多い。
三月
一日雨,井泉空;二日雨,澤無餘;三日雨,水旱不時;四日雨,變易治;五日雨,溝瀆滂;六日雨,壞垣牆;七日雨,決堤防;八日雨,乘船行;九日雨,難可期。三月一日風雨,民疾病,百蟲生,其日雷雨,有旱。三月一日至三日,當雨不雨,秋多大霧,道有餓死人;七日,當雨不雨,穀貴;九日至十五日,不雨,兵在外者罷;十八日至二十日,當雨不雨,角蟲死,天下民有恐;二十三日至二十七日,當雨不雨,冬蟲不蟄,民病。三月辰日雨,百蟲生;未日雨,百蟲死;三月三日小雨,蠶善,大雨,蠶惡;三月十六日雨,桑柘賤。
三月朔日に雨が降れば、井泉が涸れる。初二に雨が降れば、池沢にも余水がない。初三に雨が降れば、水旱が時を失する。初四に雨が降れば、政治が変わる。初五に雨が降れば、溝渠が溢れる。初六に雨が降れば、垣牆が壊れる。初七に雨が降れば、堤防が決壊する。初八に雨が降れば、船に乗って行かねばならない。初九に雨が降れば、災情は期し難い。三月朔日に風雨があれば、民は病み、あらゆる虫が発生する。その日に雷と雨があれば、さらに旱がある。三月朔日から三日まで降るべき雨が降らなければ、秋に大霧が多く、道に飢え死にする人が出る。七日に降るべき雨が降らなければ、穀物の値が上がる。九日から十五まで雨が降らなければ、外で兵を用いている部隊は引き揚げる。十八から二十まで降るべき雨が降らなければ、角のある虫獣が死に、天下の民に恐れがある。二十三から二十七まで降るべき雨が降らなければ、冬虫が蟄伏せず、民は病む。三月に辰日に雨が降れば、百虫が発生し、未日に雨が降れば、百虫が死ぬ。三月三日に小雨が降れば蚕はよく、大雨なら蚕は悪い。三月十六日に雨が降れば、桑・柘の値が安くなる。
春甲寅乙卯日,雨入地五寸,谷小貴,若不貴,至夏大貴;春甲申至己壬日雨,庚寅至癸巳日雨,皆為谷大貴;春甲申雨,其年五穀熟;春甲乙日俱不雨,民不耕。
春に甲寅・乙卯の日に雨が降れば、雨は地に五寸滲み込み、穀物の値はやや上がる。もしその時上がらなければ、夏に必ず大きく上がる。春に甲申から己丑までの日に雨が降るか、庚寅から癸巳までの日に雨が降れば、いずれも穀物の値が大きく上がる。春に甲申の日に雨が降れば、その年は五穀が熟する。春に甲日・乙日ともに雨が降らなければ、民は耕作できない。底本の「己壬」は「己丑」の誤りとすべきである。
四月
一日風雨,米貴,麥惡,赤地千里;四月二日、三日有雨,其年五穀熟;四月四日至七日,當雨不雨,蟄蟲冬出,民自恣,不安其處;十一日至十四日,當雨不雨,歲惡;十八日,當雨不雨,大旱,冬溫;二十一日,當雨不雨,兵起東北千里;三十日,當雨不雨,有大風傷屋。四月四日雨,五穀貴;五日六日雨,宜旱麥;四日至七日風,大豆熟。四月晦日雨,至五月朔大飢,其年大水,麥惡,蝗生。
四月朔日に風が吹き雨が降れば、米の値が上がり、麦が悪く、赤地千里となる。四月初二・初三に雨があれば、その年は五穀が熟する。四月初四から初七まで降るべき雨が降らなければ、蟄伏する虫が冬にかえって這い出し、民は放恣でその処に安んじない。十一から十四まで降るべき雨が降らなければ、年成がとても悪い。十八に降るべき雨が降らなければ、大旱で冬がかえって温かい。二十一に降るべき雨が降らなければ、東北の千里の外で兵事が起こる。三十に降るべき雨が降らなければ、大風が家屋を損なう。四月初四に雨が降れば五穀が高く、初五・初六に雨が降れば旱地の麦によい。初四から初七まで風が吹けば大豆が熟する。四月の晦日に雨が降れば、五月朔には大きな飢饉となり、その年は大水があり、麦が悪く、蝗虫が発生する。
五月
一日風雨,米大貴,人食草木;一曰牛貴。五月四日至七日。當雨不雨。大旱,蟲生;十一日至十七日,當雨不雨,西方千里外,人疫病;二十日,當雨不雨,草木枯死;二十三日,當雨不雨,乳母多病;二十六日,當雨不雨,大旱,風,至秋九月多雨;二十九日三十日,當雨不雨,大暑熱。五月上辰日有雨,蝗蟲發;一曰:蟲隨雨下,食禾;巳日雨,同。五月晦日風雨,米貴,不則在其沖。
五月朔日に風が吹き雨が降れば、米の値が暴騰し、人々は草木で飢えをしのぐ。別の説では、牛の値が上がる。五月初四から初七まで降るべき雨が降らなければ、大旱で虫害が発生する。十一から十七まで降るべき雨が降らなければ、西方の千里の外で疫病が起こる。二十に降るべき雨が降らなければ、草木が枯死する。二十三に降るべき雨が降らなければ、乳母に病が多い。二十六に降るべき雨が降らなければ、大旱で風も吹き、秋の九月に雨が多くなる。二十九・三十に降るべき雨が降らなければ、酷い暑さとなる。五月上旬に辰日に雨があれば蝗虫が発生する。別の説では、虫が雨とともに降って禾苗を食う。巳日に雨が降れば、状況は同じである。五月の晦日に風雨があれば米の値が上がる。その月に応じなければ、それと相沖する月に応ずる。
六月
一日有風雨,米貴;六月三日、四日、六日,當雨不雨,角蟲多死;四日至二十日,當雨不雨,牛貴;二十日至二十二日,當雨不雨,下田水,人少食;二十三日至二十四日,當雨不雨,合凍;二十七日,當雨不雨,下田水,人飢。六月晦日風雨,來年春,穀貴。
六月朔日に風と雨があれば、米の値が上がる。六月初三・初四・初六に降るべき雨が降らなければ、角のある虫獣が多く死ぬ。初四から二十まで降るべき雨が降らなければ、牛の値が上がる。二十から二十二まで降るべき雨が降らなければ、低い田が水に浸かり、人々の食が少なくなる。二十三から二十四まで降るべき雨が降らなければ、気候が反常して凍結する。二十七に降るべき雨が降らなければ、低い田が水に浸かり、民が飢える。六月の晦日に風雨があれば、来年の春に穀物の値が上がる。
夏甲乙丙丁日俱無雨,人不耕;甲申至己壬日雨,麥貴;夏甲申日雨,米大貴;夏丙寅、丁卯日雨,秋穀貴一倍;夏三月內辰日雨,百蟲生;未日雨,蟲死;夏甲子、庚辰、辛巳日雨,蟲死,有雷亦然。
夏に甲・乙・丙・丁の諸日とも雨が降らなければ、人は耕作できない。甲申から己丑までの日に雨が降れば、麦の値が上がる。夏に甲申の日に雨が降れば、米の値が暴騰する。夏に丙寅・丁卯の日に雨が降れば、秋に穀物の値が一倍上がる。夏の三か月のうちに辰日に雨が降れば百虫が発生し、未日に雨が降れば虫が死ぬ。夏に甲子・庚辰・辛巳の日に雨が降れば虫が死ぬ。これらの日に雷が鳴っても効験は同じである。底本の「己壬」は「己丑」の誤りとすべきである。
七月
一日大風雨,米貴,人多疾疽者;一曰:來春穀貴;七月七日大雨,糴倍貴,小雨,糴大賤;七月二十二日,當雨不雨,有大水;二十三日、二十四日,當雨不雨,大風害物;二十五日,當雨不雨,兵起外國。七月晦日風雨,穀貴。
七月朔日に大風が吹き大雨が降れば、米の値が上がり、瘡疽の病を患う人が多い。別の説では、来春に穀物の値が上がる。七月初七に大雨が降れば、糴穀の値は倍に上がる。小雨だけなら糴穀は大いに安くなる。七月二十二に降るべき雨が降らなければ、大水がある。二十三・二十四に降るべき雨が降らなければ、大風が作物万物を害する。二十五に降るべき雨が降らなければ、外国で兵事が起こる。七月の晦日に風雨があれば、穀物の値が上がる。
八月
一日風雨,穀貴;其日陰雨,宜麥,布貴,麻子大貴,占至三日而止;其日睛無雲,麥不實。八月一日,當雨不雨,有大雷風;二日至五日,當雨不雨,秋大霜,民病;八日至十五日,當雨不雨,多大寒;十九日,當雨不雨,民多妖言;二十一日,當雨不雨,牛貴二倍;二十六日,當雨不雨,冬多大雷;八月九日,有雨,牛貴一倍。
八月朔日に風が吹き雨が降れば、穀物の値が上がる。その日が陰雨なら麦に適し、布の値が上がり、麻の実の値が暴騰する。この占いは初三までを推し量る。その日が晴れて雲がなければ、麦は実りが充実しない。八月朔日に降るべき雨が降らなければ、大きな雷と風がある。初二から初五まで降るべき雨が降らなければ、秋に大きな霜が降り、民は病む。初八から十五まで降るべき雨が降らなければ、厳寒が多い。十九に降るべき雨が降らなければ、民間に妖しい流言が多い。二十一に降るべき雨が降らなければ、牛の値が二倍上がる。二十六に降るべき雨が降らなければ、冬に大きな雷が多い。八月初九に雨があれば、牛の値が一倍上がる。
八月晦日風雨,來年有水、有旱。京房曰:“八月晦日昏而雨,繒帛貴;人定時雨,貴人賤,賤人貴;夜半雨,米貴,嬰兒多損;雞鳴雨,兵起;一曰:夜半雨,雨所建,寇賊起;雞鳴雨,兵事急,民徙其鄉。”
八月の晦日に風雨があれば、来年は水患もあれば旱もある。前漢の占候家・京房はいう。八月晦日の黄昏どきに雨が降れば、絹織物の「繒帛」の値が上がる。「人定」(夜九時から十一時ごろ、人々が休む時刻)に雨が降れば、貴い人が賤しくなり、賤しい人が貴くなる。「夜半」(夜十一時から翌午前一時ごろ)に雨が降れば、米の値が上がり、嬰児の夭亡が多い。「鶏鳴」(午前一時から三時ごろ)に雨が降れば、戦事が起こる。別の説では、夜半に雨が降り、雨がその月の斗柄の指す方に建てば、その方に寇賊が起こる。鶏鳴に雨が降れば、兵事が急を告げ、民は郷里を移って避難する。
九月
一日雨,麻子貴十倍;二日雨,貴五倍;一曰:九月一日風雨,來年春旱、夏水。九月一日,當雨不雨,霜早降,殺物,人棄妻子;十二日,當雨不雨,民多死;二十日,當雨不雨,天下有恐。九月晦日有風雨,有水,歲惡。
九月朔日に雨が降れば、麻の実の値は平時の十倍に上がる。初二に雨が降れば五倍に上がる。別の説では、九月朔日に風雨があれば、来年の春は旱し、夏は水が多い。九月朔日に降るべき雨が降らなければ、霜が早く降りて作物草木を凍死させ、民は妻子を捨てるほど困窮する。十二に降るべき雨が降らなければ、民に死が多い。二十に降るべき雨が降らなければ、天下に恐るべき事がある。九月の晦日に風雨があれば、その年に水患があり、年成が悪い。
十月
一日有風雨,年內旱,來年夏多水,麻子貴;一曰:其歲惡;一曰:十月一日大雨,米大貴,小雨,小貴;十月二日雨,麻子貴五倍;十月三日,當雨不雨,兵起西北方;七日至十日,當雨不雨,江河決,水逆流;十三日至十五日,當雨不雨,多大風,寒;十九日,當雨不雨,小兒病;二十五日,當雨不雨,冬溫無水,連年疾病。十月晦日風雨,穀貴五倍,人多死。
十月朔日に風雨があれば、その年のうちに旱があり、来年の夏に水が多く、麻の実の値が上がる。別の説では、その年の年成が悪い。また別の説では、十月朔日に大雨が降れば米の値が大きく上がり、小雨なら小さく上がる。十月初二に雨が降れば、麻の実の値は五倍に上がる。十月初三に降るべき雨が降らなければ、西北の方に兵事が起こる。初七から初十まで降るべき雨が降らなければ、江河が決壊し、水が逆流する。十三から十五まで降るべき雨が降らなければ、大風が多く起こり、気候は厳寒となる。十九に降るべき雨が降らなければ、小児に病が多い。二十五に降るべき雨が降らなければ、その冬は温かく水が少なく、連年疫病がある。十月の晦日に風雨があれば、穀物の値は五倍に上がり、民の死が多い。
十一月
一日風雨,人多死;十一月四日,當雨不雨,大旱;八日至十一日,當雨不雨,乳母多死;十六日,當雨不雨,民多死亡,貧者富,富者貧。十一月晦日風雨,春旱,穀貴五倍。京房曰:“十一月雨,水橫流,天下飢。”又曰:”冬大雨水,君死國亡。”
十一月朔日に風雨があれば、民の死が多い。十一月初四に降るべき雨が降らなければ、大旱がある。初八から十一まで降るべき雨が降らなければ、乳を与える婦人の死が多い。十六に降るべき雨が降らなければ、民の死亡が多く、貧者は富み、富者は貧しくなって貧富が入れ替わる。十一月の晦日に風雨があれば、来春は旱し、穀物の値は五倍に上がる。京房はいう。「十一月に雨が降れば、大水が横流し、天下に飢饉が起こる。」またいう。「冬に大雨が降って水害となれば、国君が死に社稷が亡びる兆しである。」
十二月
一日風雨,來年春旱,夏多雨,穀貴;二日、四日至六日,當雨不雨,大旱;九日至十三日,當雨不雨,多大霧;二十日,當雨不雨,有角蟲為賊;二十七日,當雨不雨,有大風雷。十二月晦日風雨,春旱。
十二月朔日に風雨があれば、来年の春は旱し、夏に雨が多く、穀物の値が上がる。初二および初四から初六まで降るべき雨が降らなければ、大旱がある。初九から十三まで降るべき雨が降らなければ、大霧が多い。二十に降るべき雨が降らなければ、角のある虫豸が災いをなして稼を害する。二十七に降るべき雨が降らなければ、大風と雷がある。十二月の晦日に風雨があれば、来春は旱する。
冬壬寅、癸卯日雨,春谷大貴;甲申至己丑日雨,米大貴;庚寅至癸巳日風雨,米賤,收穀者折閱。
冬に壬寅・癸卯の両日に雨が降れば、来春に穀物の値が大きく上がる。甲申から己丑までの日に雨が降れば、米の値が大きく上がる。庚寅から癸巳までの日に風雨があれば、米の値は安くなり、穀物を買い溜めする者は損をする(「折閲」は値を下げて元本を欠く意)。
干支占雨
春雨甲子,六十日旱;夏雨甲子,四十日旱;秋雨甲子,四十日澇;冬雨甲子,二十七日寒雪。春雨甲申,五穀熟;夏雨甲申,五禾大美;秋雨甲申,六畜死;冬雨甲申,人多死。春雨乙卯,夏糴貴;夏雨丁卯,秋糴貴;秋雨辛卯,冬糴貴;冬雨癸卯,來春糴貴。
春に甲子の日に雨が降れば、それから六十日間旱する。夏に甲子の日に雨が降れば、それから四十日間旱する。秋に甲子の日に雨が降れば、それから四十日間水が溢れる。冬に甲子の日に雨が降れば、それから二十七日間寒く雪が降る。春に甲申の日に雨が降れば五穀が熟する。夏に甲申の日に雨が降れば、あらゆる禾稼が大いによく育つ。秋に甲申の日に雨が降れば、牛・馬・羊・鶏・犬・豕の「六畜」が多く死ぬ。冬に甲申の日に雨が降れば、民の死が多い。春に乙卯の日に雨が降れば、夏に糴穀の値が上がる(「籴」は糧を買い入れる意)。夏に丁卯の日に雨が降れば、秋に糧の値が上がる。秋に辛卯の日に雨が降れば、冬に糧の値が上がる。冬に癸卯の日に雨が降れば、来春に糧の値が上がる。
《黃帝占》曰:“春不欲雨乙卯,夏不欲雨丁卯,秋不欲雨辛卯,冬不欲雨癸卯,以此四日,占民安否,若其日雨,則疾疫起。凡四時卯日雨,皆主穀價;雨一卯,斛百文;雨二卯,斛二百文;雨三卯,斛三百;雨四卯。斛金一斤。正五、九月,殺在丑;二、六、十月,殺在戌;三、七、十一月,殺在未;四、八、十二月,殺在辰,以此日雨,雨所建,賊犯之,期六十日。凡壬戌癸亥日雨,以乘甲子,旬乃止,賤人伐貴者。”
《黄帝占》にいう。「春は乙卯の日に雨が欲しくなく、夏は丁卯の日に、秋は辛卯の日に、冬は癸卯の日に雨が欲しくない。この四日をもって民の安否を占い、もしその日に雨が降れば、疾疫が流行する。凡そ四時の卯日に雨が降れば、いずれも穀物の値段を主る。一つの卯日に雨が降れば一斛が百文、二つの卯日に雨が降れば一斛が二百文、三つの卯日に雨が降れば一斛が三百文、四つの卯日とも雨が降れば一斛が黄金一斤となる。正月・五月・九月は「殺」の神が丑にあり、二月・六月・十月は殺神が戌にあり、三月・七月・十一月は殺神が未にあり、四月・八月・十二月は殺神が辰にある。これらの日に雨が降り、雨がその月の斗建の指す方に落ちれば、賊寇が侵犯してきて、応期は六十日以内である。凡そ壬戌・癸亥の両日に雨が降れば、甲子の日に乗じて連なり、一旬を満たしてはじめて止む。これは卑賤の者が尊貴の者を伐つ兆しである。」
《京房占》曰:“諸寅卯日,有小雨,小急;大雨,大急;丙午日雨,有圍城;戊午日雨,霖三日止,其下大戰;乙卯日雨,旱,有兵起東方;丁卯雨,旱,有兵起南方;己卯雨,旱,有兵起中央;辛卯雨,旱,有兵起西方;癸卯雨,旱,有兵起北方。立春雨,復五穀;立秋雨,害五穀。”
《京房占》にいう。「凡そ寅日・卯日に小雨が降れば小さな急難があり、大雨が降れば大きな急難がある。丙午の日に雨が降れば、城を囲む事がある。戊午の日に雨が降れば、三日連なってはじめて止み、その下に対応する所で大戦がある。乙卯の日に雨が降れば旱を主り、東方に兵事が起こる。丁卯の日に雨が降れば旱を主り、南方に兵事が起こる。己卯の日に雨が降れば旱を主り、中央の地に兵事が起こる。辛卯の日に雨が降れば旱を主り、西方に兵事が起こる。癸卯の日に雨が降れば旱を主り、北方に兵事が起こる。立春の日に雨が降れば五穀が蘇り豊かに実り、立秋の日に雨が降ればかえって五穀を害する。」
天鏡占
天雨三日以上不絕,陰謀興。《漢五行志》:“文帝后三年,大雨,晝夜不絕,四十五日以上不絕,其後新垣平謀反。”
天に雨が降って三日以上絶えなければ、陰謀が起こることを主る。《漢書・五行志》に記す。「漢の文帝の後元三年、大雨が昼夜絶えず、四十五日以上続いても止まず、その後に方士の新垣平の謀反事件が起こった。」
凡雨作,於四時旺相之日,草木得之,莫不榮茂;其死囚休廢之日,雖有雨,不能生物也。凡泰和之世,雷雨必作於巳午陰生之後,至夜而止者,吉;若作於子丑寅卯,至丙而晴者,為亂,為兵,亡民失國。
凡そ雨が降るとき、四季で五行が「旺」「相」の日にあたれば、草木はこの雨を得て茂らないものはない。「死」「囚」「休」「廃」の日にあたれば、雨が降っても万物を滋生できない(旺・相・休・囚・死は五行が四季につれて消長する強弱の次第である)。凡そ太平で和順の時世では、雷雨は必ず巳時・午時に陰気が初めて生じたあとに発し、夜になると止むのが吉である。もし雷雨が子・丑・寅・卯の時刻に発して「丙」に至って晴れるなら(古人は一夜を甲・乙・丙・丁・戊の五更に分け、丙は三更)、これは禍乱を主り、兵災を主り、民が流亡し国を失うことを示す。
凡先風後雨,為順;先雨後風,為逆;雨止而風雷不止,雲霧不散者,國亂人災。凡先雷後雨,其雨必小;先雨後雷,雨必大也。
凡そ先に風が起こり後に雨が降るのは「順」であり、先に雨が降り後に風が起こるのは「逆」である。雨が止んだのに風雷が止まず、雲霧が散らなければ、国が乱れ民に災いがあることを主る。凡そ先に雷が鳴り後に雨が降れば、その雨は必ず小さい。先に雨が降り後に雷が鳴れば、雨は必ず大きい。
易候:凡占雨,以晦、朔、弦、望,雲氣四塞者,皆雨;東風,則當日雨;黑氣如牛彘者,有暴雨;黑氣如水牛,不出三日,大雨;黑氣如群羊,奔如飛鳥,五日必雨;黑雲氣如浮船,雨;蒼黑雲如櫛綿,蔽日月,五日內雨;雲如兩人提鼓、持桴,有暴雨;四望見青白雲,名曰天塞之,雲雨之征也。
《易》家の候雨の法。凡そ雨を占うには、毎月の晦日(末日)・朔日(一日)・上弦・下弦と望日(十五日)を取って見る。雲気が四方に天空を塞ぎ満ちれば、いずれも雨が降る。これらの日に東風が吹けば当日に雨が降る。黒い気が牛や豚の形をしていれば暴雨がある。黒い気が水牛のようなら三日を出ずして大雨がある。黒い気が群れた羊のようで飛ぶ鳥のように奔れば、五日以内に必ず雨が降る。黒い雲気が水に浮かぶ船のようなら雨を主る。青黒い雲が櫛や綿絮のように日月を蔽えば、五日以内に雨が降る。雲の形が二人が一人は鼓を提げ一人は鼓槌を持つようであれば(「桴」はすなわち鼓槌)、暴雨がある。四方を望んで青白い雲が見えれば、これを「天塞」といい、雨の降りそうな徴候である。
《尚書大傳》曰:“五嶽之雲,觸石而出,皆不崇朝而雨。”京房曰:“諸六甲日,無雲,一旬少雨;月離畢之陰,則雨;離畢之陽,無雨;日傍有赤雲如冠珥,不有大風,必有大雨。”
《尚書大伝》にいう。「五岳の山の雲は、山石に触れて湧き出れば、いずれも一朝を経ずして雨が降る(「崇朝」は夜明けから朝食までの間を指す)。」京房はいう。「甲子・甲戌・甲申・甲午・甲辰・甲寅という六甲の日に天に雲がなければ、この一旬は雨が少ない。月が畢宿の陰面(南側)に行けば雨が降り、畢宿の陽面(北側)に行けば雨が降らない。日の傍らに赤い雲が冠や耳飾りのように上に戴き傍らに垂れていれば(上にあるを「冠」、側にあるを「珥」という)、大風が起こるか、必ず大雨が降る。」
東方朔占
子日東風,卯日雨;壬日東風,辰日雨;寅日東風,巳日雨。卯日東風,午日雨;辰日東風,未日雨;巳日東風,申日雨。午日東風,即日雨;未日東風,申日雨;申日東風,子日雨。酉日東風,壬日雨;戌日東風,寅日雨;亥日東風,辰日雨。
子の日に東風が吹けば卯の日に雨が降り、壬の日に東風が吹けば辰の日に雨が降り、寅の日に東風が吹けば巳の日に雨が降る。卯の日に東風が吹けば午の日に雨が降り、辰の日に東風が吹けば未の日に雨が降り、巳の日に東風が吹けば申の日に雨が降る。午の日に東風が吹けばその日に雨が降り、未の日に東風が吹けば申の日に雨が降り、申の日に東風が吹けば子の日に雨が降る。酉の日に東風が吹けば壬の日に雨が降り、戌の日に東風が吹けば寅の日に雨が降り、亥の日に東風が吹けば辰の日に雨が降る。(この一節は本来十二地支の日を配するもので、文中の二箇所の「壬日」は地支の日名の伝写による訛りであろう。底本はこのままなので改補しない。)
又曰:甲子日雨,丙寅止;乙丑雨,丁卯止;丙寅雨,即日止;丁卯雨,夕止;戊辰雨,夜半止;己巳雨,立止;庚午日雨,辛未止;辛未日雨,戊寅止;壬寅日雨,即日止;癸酉日雨,甲戌止;甲戌日雨,即時止;己卯日雨,立止;庚辰日雨,即止;辛巳日雨,癸未止;壬午日雨,即日止;癸未日雨,甲申止;甲申日雨,即止;乙酉日雨,丙戌止;丙戍日雨,夕止;丁亥日雨,即時止;
またいう。甲子の日に降る雨は丙寅の日に止み、乙丑の日に雨が降れば丁卯の日に止み、丙寅の日に雨が降ればその日に止み、丁卯の日に雨が降れば夕方に止み、戊辰の日に雨が降れば夜半に止み、己巳の日に雨が降ればすぐに止み、庚午の日に雨が降れば辛未の日に止み、辛未の日に雨が降れば戊寅の日に止み、壬寅の日に雨が降ればその日に止み、癸酉の日に雨が降れば甲戌の日に止み、甲戌の日に雨が降ればその時に止み、己卯の日に雨が降ればすぐに止み、庚辰の日に雨が降ればすぐに止み、辛巳の日に雨が降れば癸未の日に止み、壬午の日に雨が降ればその日に止み、癸未の日に雨が降れば甲申の日に止み、甲申の日に雨が降ればすぐに止み、乙酉の日に雨が降れば丙戌の日に止み、丙戌の日に雨が降れば(底本はここで「戌」を「戍」と書く)夕方に止み、丁亥の日に雨が降ればその時に止む。
戊子日雨,庚寅止;己丑日雨,壬辰止;庚寅日雨,即時止;辛卯日雨,止;壬辰日雨,辛壬止;癸巳日雨,夕止;甲午日雨,即時止;乙未日雨,丁酉止;丙申日雨,夕止;丁酉日,己亥止;戊戌日,辛壬止;己亥日,即止;庚子日,壬辰止;辛丑日,壬寅止;壬寅日,即止;癸卯日,即時止;
戊子の日に雨が降れば庚寅の日に止み、己丑の日に雨が降れば壬辰の日に止み、庚寅の日に雨が降ればその時に止み、辛卯の日に雨が降ればすぐに止み、壬辰の日に雨が降れば「辛壬」の日に止み、癸巳の日に雨が降れば夕方に止み、甲午の日に雨が降ればその時に止み、乙未の日に雨が降れば丁酉の日に止み、丙申の日に雨が降れば夕方に止み、丁酉の日に雨が降れば己亥の日に止み、戊戌の日に雨が降れば「辛壬」の日に止み、己亥の日に雨が降ればすぐに止み、庚子の日に雨が降れば壬辰の日に止み、辛丑の日に雨が降れば壬寅の日に止み、壬寅の日に雨が降ればすぐに止み、癸卯の日に雨が降ればその時に止む。(文中の二箇所の「辛壬」は干支相配の例に合わず、伝写の脱訛であろう。底本はそのまま存録する。)
甲辰日,即止;乙巳日,丙午止;丙午日,即止;丁未日,即時止;戊申日,庚戊止;己酉日,辛亥止;庚戌日,即止;辛亥日,癸壬止;壬子日,癸丑止;癸壬日,即時止;甲寅日,即止;乙卯日,丙辰止;丙辰雨,丁巳止;丁巳雨,即時止;戊午日,即止;己未日,即止;庚申日,即止;辛酉日,即時止;壬戌日,即止;癸亥日,即時止;
甲辰の日に雨が降ればすぐに止み、乙巳の日に雨が降れば丙午の日に止み、丙午の日に雨が降ればすぐに止み、丁未の日に雨が降ればその時に止み、戊申の日に雨が降れば「庚戊」(庚戌とすべき)の日に止み、己酉の日に雨が降れば辛亥の日に止み、庚戌の日に雨が降ればすぐに止み、辛亥の日に雨が降れば「癸壬」の日に止み、壬子の日に雨が降れば癸丑の日に止み、「癸壬」の日に雨が降ればその時に止み、甲寅の日に雨が降ればすぐに止み、乙卯の日に雨が降れば丙辰の日に止み、丙辰の日に雨が降れば丁巳の日に止み、丁巳の日に雨が降ればその時に止み、戊午の日に雨が降ればすぐに止み、己未の日に雨が降ればすぐに止み、庚申の日に雨が降ればすぐに止み、辛酉の日に雨が降ればその時に止み、壬戌の日に雨が降ればすぐに止み、癸亥の日に雨が降ればその時に止む。
子日雨,立止,不止,寅日止;丑日雨,寅日止,不止,至卯止;寅日雨,即止,不止,卯止;卯日,即止,不止,巳止;辰日雨,巳止;巳日雨,未止,不止,申止;
以下は地支の単日で推算する。子の日に雨が降ればすぐに止み、止まなければ寅の日に止む。丑の日に雨が降れば寅の日に止み、止まなければ卯の日に至って止む。寅の日に雨が降ればすぐに止み、止まなければ卯の日に止む。卯の日に雨が降ればすぐに止み、止まなければ巳の日に止む。辰の日に雨が降れば巳の日に止む。巳の日に雨が降れば未の日に止み、止まなければ申の日に止む。
午日雨,立止,不止,至十日陰;未日雨,申止,不止,戌止;申日雨,夕止,見日,不見日,久陰;酉日雨,立止,不止,久陰;戌日雨,立止,不止,久陰;亥日雨,立止,不止,大陰;此其大概也。
午の日に雨が降ればすぐに止み、止まなければ十日まで陰が続く。未の日に雨が降れば申の日に止み、止まなければ戌の日に止む。申の日に雨が降れば夕方に止んで日が見える。日が見えなければ長い陰天となる。酉の日に雨が降ればすぐに止み、止まなければ長い陰天となる。戌の日に雨が降ればすぐに止み、止まなければ長い陰天となる。亥の日に雨が降ればすぐに止み、止まなければ連日の大きな陰天となる。以上は雨の止むのを候する大略の法を述べたものである。
開元占経巻九十三
候星善悪雲気占
元日祥瑞
《漢魏鮮正月朔旦八風占》云:“風南來,大旱;西南來,小旱;西來,有兵;西北來,有胡兵,胡豆成;北方來,為中歲;東北來,為上歲;東來,大水;東南來,人病,歲惡。八風各與其沖對課,多勝少,疾勝徐。自旦至食時,為麥;食時至日昳,為稷;昳至晡時,為黍;晡時至下晡,為菽;下晡至日沒,為麻。風從北來,宜客;南來,為主吉;西來,宜客;東來,宜主;西北來,宜客;東南來,宜主;西南來,有謀不成;東北來,主客俱不利。若風熱冷異常,或暴急昏濁,又當以八卦暴風占之。”
漢代の魏鮮の《正月朔旦八風占》にいう。「正月朔日の早朝、風が南から来れば大旱、西南から来れば小旱、西から来れば兵事あり、西北から来れば胡人の兵馬があり胡豆が豊作、北から来れば中くらいの年成、東北から来れば上の年成、東から来れば大水、東南から来れば民に病が多く年成が悪い。八方の風はそれぞれ真正面から来る風と比較考校し(「冲」はすなわち相対する方角)、多く来る風が少ない風に勝ち、急に来る風が徐々に来る風に勝つ。夜明けから朝食までの間の風は麦に応じ、朝食から「日昳」(日が西に傾く午後一・二時)までの風は稷に応じ、日昳から「晡時」(午後三時から五時)までの風は黍に応じ、晡時から「下晡」までの風は豆類の「菽」に応じ、下晡から日没までの風は麻に応ずる。風が北から来れば客方(出兵して攻める側)に利があり、南から来れば主方に吉があり、西から来れば客方に利があり、東から来れば主方に利があり、西北から来れば客方に利があり、東南から来れば主方に利があり、西南から来れば図ることがあっても成らず、東北から来れば主客ともに利がない。もし風の冷熱が常と異なり、あるいは急激で猛烈で天色が昏濁するなら、さらに八卦で暴風を占う法をもって推断すべきである。」
《京房占》:“正月朔日候八風:從乾來,有憂兵;坎來,有大水;艮來,人疾疫,歲內有蟲蝗;震來,陽氣干,歲大旱,有喪;巽來,年內多風,傷五穀;離來,歲旱,大熱,多火災;坤來,有疾疫,道上多死人;兌來,有兵事。”
《京房占》にいう。「正月朔日に八方の来風を候察する。風が乾の位(西北)から来れば憂うべき兵事があり、坎の位(正北)から来れば大水があり、艮の位(東北)から来れば民に疫病が生じ年内に蝗虫の災いもあり、震の位(正東)から来れば陽気が亢燥して一年大旱し、しかも喪事があり、巽の位(東南)から来れば年内に風が多く五穀を傷つけ、離の位(正南)から来れば一年が旱して酷熱で火災が多く、坤の位(西南)から来れば疫病が流行して道に死人が多く、兌の位(正西)から来れば兵事がある。」
八節日気候
立春正月節,其日睛明少雲,歲熟;陰則旱,蟲傷禾豆。風從乾來,暴霜殺物,谷猝貴;坎來,冬大寒,胡兵內擾;艮來,五穀熟;震來,氣洩,物不成;巽來,多風、蟲;離來,旱傷物;坤來,春寒,六月水,人多愁土功;兌來,旱、霜,兵起。
立春は正月の節気である。この日が晴れて雲が少なければ年成は熟し、陰ならば旱を主り、虫が禾稼や豆を傷つける。風が乾の位(西北)から来れば、突然の厳霜が作物を凍死させ穀物の値が急に上がる。坎の位(正北)から来れば、冬が酷寒で胡人の兵馬が境内を擾す。艮の位(東北)から来れば五穀が熟す。震の位(正東)から来れば陽気が外に泄れて作物が育たない。巽の位(東南)から来れば大風と虫害が多い。離の位(正南)から来れば旱が作物を傷つける。坤の位(西南)から来れば春が寒く六月に水が出て、民は徭役や土木の事に愁える。兌の位(正西)から来れば旱と霜があり兵事が起こる。
春分二月中,其日東方有青雲,歲熟;晴明,物不成。風從乾來,歲多寒,金鐵倍貴;坎來,豆菽不成,民飢病;艮來,夏不熱,米貴一倍;震來,五穀成,亦無盜賊;巽來,蟲生,四月多暴寒;離來,五月先水、後旱;坤來,小水,人多瘧疾;兌來,春寒,八月國有憂,有兵。
春分は二月の中気である。この日に東方に青い雲があれば年成は熟し、晴れて雲がなければ作物がかえって育たない。風が乾の位(西北)から来れば一年に寒さが多く、金属や鉄器の値が倍に上がる。坎の位(正北)から来れば豆類が実らず民は飢え病む。艮の位(東北)から来れば夏が暑くならず米の値が倍に上がる。震の位(正東)から来れば五穀が実り盗賊もいない。巽の位(東南)から来れば虫害が発生し四月に急な寒さが多い。離の位(正南)から来れば五月に先に水があって後に旱する。坤の位(西南)から来れば小さな水患があり民に瘧疾が多い。兌の位(正西)から来れば春が寒く八月に国家に憂患があり兵事がある。
立夏日,南方有赤雲,歲豐;清明,則旱。風從乾來,其年凶、飢,夏霜,麥不刈;坎來,多雨水,魚行人道;艮來,山崩地動,人疫;震來,雷不時,擊物;巽來,其年大熟;離來,夏旱,禾焦;坤來,萬物夭傷;兌來,蝗蟲大作。
立夏の日に南方に赤い雲があれば年成は豊かで、清らかに晴れていれば旱を主る。風が乾の位(西北)から来ればその年は凶で飢饉となり、夏に霜が降り麦は刈り取れない。坎の位(正北)から来れば雨水が多く魚が人の通る道を泳ぐ。艮の位(東北)から来れば山が崩れ地が動き民に疫が生じる。震の位(正東)から来れば雷が時に合わず鳴り物を撃つ。巽の位(東南)から来ればその年は大いに熟す。離の位(正南)から来れば夏が旱して禾苗が焦げる。坤の位(西南)から来れば万物が夭れ傷つく。兌の位(正西)から来れば蝗虫が大いに起こって害をなす。
夏至日,南方有赤氣,則熟;晴明,則旱。風從乾來,寒傷萬物;坎來,寒署不時,夏日多寒;艮來,山水暴出;震來,八月人多疾;巽來,九月風,落草木;離來,五穀熟;坤來,六月雨水橫流;兌來,秋多雨霜。
夏至の日に南方に赤い気があれば年成は熟し、晴れて明るければ旱を主る。風が乾の位(西北)から来れば寒さが万物を傷つける。坎の位(正北)から来れば寒暑が時を失し夏に寒さが多い。艮の位(東北)から来れば山の水が暴れ出る。震の位(正東)から来れば八月に人に病が多い。巽の位(東南)から来れば九月に風が吹き草木を落とす。離の位(正南)から来れば五穀が熟す。坤の位(西南)から来れば六月に雨水が横流して災いをなす。兌の位(正西)から来れば秋に雨と霜が多い。
立秋日,有白雲及小雨,則吉;晴明,物不成。風從乾來。甚寒。多雨;坎來。冬多雪。多陰寒;艮來,秋氣不和;震來,秋多雨雹,人不和,草木再榮;巽來,內兵猝起;離來,兵戎不利,多旱;坤來,五穀熟;兌來,兵起,將行。
立秋の日に白い雲と小雨があれば吉で、晴れて明るければ作物が育たない。風が乾の位(西北)から来ればとても寒く雨が多い。坎の位(正北)から来れば冬に雪が多く陰寒が多い。艮の位(東北)から来れば秋の気が和しない。震の位(正東)から来れば秋に雨と雹が多く人が和せず草木が反常して再び花を咲かせる。巽の位(東南)から来れば内部の兵変が突然起こる。離の位(正南)から来れば用兵に不利で旱が多い。坤の位(西南)から来れば五穀が熟す。兌の位(正西)から来れば兵事が起こり将帥が出征する。
秋分日,西方有白雲,則善;晴明,物不成。風從乾來,人多相掠;坎來,多寒;艮來,十二月多陰寒;震來,人疫,再花,不實;巽來,十月多風;離來,兵動國南七百里;坤來,土功興;兌來,五穀大收。
秋分の日に西方に白い雲があれば良く、晴れて明るければ作物が育たない。風が乾の位(西北)から来れば人が互いに掠め合う。坎の位(正北)から来れば寒さが多い。艮の位(東北)から来れば十二月に陰冷が多い。震の位(正東)から来れば人に疫が生じ草木が反常して再び花を咲かせるが実らない。巽の位(東南)から来れば十月に風が多い。離の位(正南)から来れば国都の南七百里の所で兵事が動く。坤の位(西南)から来れば土木の工事が興る。兌の位(正西)から来れば五穀が大いに収穫される。
立冬日,晴明,小寒,人君吉,天下喜。風從乾來,君令行,天下安;坎來,冬雪殺走獸;艮來,地氣淺,人多病;震來,人不安居,多寒;巽來,冬溫,明年夏旱;離來,明年五月大疫;坤來,水泛溢,魚鹽倍多;兌來,妖言為幻,兵在山澤。
立冬の日に晴れて明るく、やや寒さがあれば、人君は吉で天下は喜ぶ。風が乾の位(西北)から来れば君主の政令が行われ天下が安まる。坎の位(正北)から来れば冬の雪が走獣を凍死させる。艮の位(東北)から来れば地気が浅く人に病が多い。震の位(正東)から来れば人が安居できず寒さが多い。巽の位(東南)から来れば冬が温かく明年の夏が旱する。離の位(正南)から来れば明年の五月に大疫がある。坤の位(西南)から来れば大水が氾濫し魚塩の産出がかえって倍加する。兌の位(正西)から来れば妖妄の言が人心を幻惑し、兵禍が山林川沢の間に起こる。
冬至日,有雲,雪寒,明年大豐;晴明,物不成。風從乾來,強國有憂,多寒;坎來,歲美,人安;艮來,正月多陰;震來,雷不發,大雨並;巽來,百蟲害物;離來,冬溫,乳母多死,水旱不時,人疫;坤來,蟲傷苗,多水;兌來,明年秋雨,兵起。
冬至の日に雲があり雪が降って寒ければ、明年は大豊作となる。晴れて明るければ作物が育たない。風が乾の位(西北)から来れば強国に憂患があり寒さが多い。坎の位(正北)から来れば年成が良く人民が安んじる。艮の位(東北)から来れば正月に陰天が多い。震の位(正東)から来れば鳴るべき雷が鳴らず大雨が続いて降る。巽の位(東南)から来ればあらゆる虫豸が作物を害する。離の位(正南)から来れば冬が温かく乳を与える婦人の死が多く水旱が時を失し人に疫が生じる。坤の位(西南)から来れば虫が苗を傷つけ水が多い。兌の位(正西)から来れば明年の秋に雨が多く兵事が起こる。
立夏,巽卦,王風從乾來,為一逆,小凶。立春,艮卦,王風從坤來,為二逆,兵起。立秋,坤卦,王風從艮來,為三逆,谷無實。立冬,乾卦,王風從巽來,為四逆,人去其鄉。
以下は当令の卦と来風が相冲する「逆」の象を述べる。立夏は巽卦が当令し、本来は東南の風が吹くべきところ、当権の風が乾の位(西北)から吹いてくる。これが「一逆」で小さな凶を主る。立春は艮卦が当令し、本来は東北の風が吹くべきところ、風が坤の位(西南)から吹いてくる。これが「二逆」で兵事の起こることを主る。立秋は坤卦が当令し、本来は西南の風が吹くべきところ、風が艮の位(東北)から吹いてくる。これが「三逆」で穀物が実らないことを主る。立冬は乾卦が当令し、本来は西北の風が吹くべきところ、風が巽の位(東南)から吹いてくる。これが「四逆」で民が郷里を離れて逃げることを主る。
秋分,兌卦,王風從震來,為五逆,帶刀入市。冬至,坎卦,王風從離來,為六逆,人民潰散。夏至,離卦,王風從坎來,為七逆,臣子為亂。春分,震卦,王風從兌來,為八逆,殿上有刺客。
秋分は兌卦が当令し、本来は西の風が吹くべきところ、当権の風が震の位(正東)から吹いてくる。これが「五逆」で、人々が刀を帯びて市に入る、動乱が間近なことを主る。冬至は坎卦が当令し、本来は北の風が吹くべきところ、風が離の位(正南)から吹いてくる。これが「六逆」で、人民が潰散し逃亡することを主る。夏至は離卦が当令し、本来は南の風が吹くべきところ、風が坎の位(正北)から吹いてくる。これが「七逆」で、臣子が乱を起こすことを主る。春分は震卦が当令し、本来は東の風が吹くべきところ、風が兌の位(正西)から吹いてくる。これが「八逆」で、殿堂の上に刺客が現れることを主る。
七十二候当候不候
正月
是月也,東風解凍,蟄蟲始振,魚陟負冰,獺祭魚,候雁北,草木萌動。孟春行夏令,則雨水不時,草木早落,國時有恐;行秋令,則其民大疫,焱風暴雨總至,藜莠蓬蒿並興;行冬令,則水潦為敗,雪霜大摯,首種不入。
この月には、東には、東風が氷凍を解かし、蟄伏の虫豸が動き始め、魚が水面に近い薄氷の下に浮かび上がり、水獺が捕った魚を岸に並べて供物のように陳し、候雁が北へ帰り、草木が芽生えて育つ。これらが今月に応ずべき物候であり、応ずべきが応じないのを「当候不候」という。孟春の月に夏の政令を誤って行えば、雨水が時令に合わず、草木が早く凋落し、国中に時々惊恐の事がある。秋の政令を誤って行えば、民に大いに疫病が起こり、狂暴な風雨がいっしょに至り、藜・莠・蓬・蒿という悪草がいっしょに蔓延する。冬の政令を誤って行えば、水がたまって禾稼を敗り、雪霜がひどく降り、真っ先に播いた種が土に入って育たない。
二月
桃始華,倉庚鳴,鷹化為鳩,玄鳥至,雷乃發聲。始電。仲春行秋令,則其國大水,寒氣總至,寇戎來征;行冬令,則陽氣不勝,麥乃不熟,民多相掠;行夏令,則國乃大旱,暖氣早來,蟲螟為害。
桃の花が咲き始め、倉庚(黄鶯)が鳴き、鷹が鳩に化し(古人は春に鷹隼が減り鳩が増えるのを見てこの説を立てた)、燕が飛来し、雷が鳴り始め、稲妻も出始める。仲春の月に秋の政令を誤って行えば、国の中に大水があり、寒気がいっしょに襲い来て、敵寇が兵を興して伐ってくる。冬の政令を誤って行えば、陽気が陰気に勝てず、麦が熟せず、民が多く互いに掠め合う。夏の政令を誤って行えば、国の中が大旱し、暖気が早く来て、螟虫が災いをなす。
三月
桐始華,田鼠化為鴽,虹始見,萍始生,鳴鳩拂其羽,戴勝降於桑。季春行冬令,則寒氣時發,草木皆肅,國有大恐;行夏令,則民多疾疫,時雨不降,山陵不收;行秋令,則天多沉陰,淫雨早降,兵革並起。
桐の花が咲き始め、田鼠が鴽鳥に化す(「鴽」は鶉の類の小鳥)、虹が現れ始め、浮萍が生じ始め、鳴く鳩が羽を払い、戴勝鳥が桑の木に降りる。季春の月に冬の政令を誤って行えば、寒気が時々発し、草木がことごとく蕭索し、国中に大きな惊恐がある。夏の政令を誤って行えば、民に疫病が多く、時の雨が降らず、山地丘陵は一粒も収穫がない。秋の政令を誤って行えば、天に沈陰が多く、長雨が早く降り、兵戈の乱がいっしょに興る。
四月
螻蟈鳴,蚯蚓出,王瓜生,苦菜秀,靡草死,麥秋至。盂夏行秋令,則苦雨數來,五穀不滋,四鄙入保;行冬令,則草木早枯,後乃大水,敗其城郭;行春令,則蝗蟲為敗,暴風來格,秀草不實。
螻蛄が鳴き、蚯蚓が地面を出て、王瓜の蔓が生じ、苦菜が花を咲かせ、陰を好む靡草が枯れ死に、麦の熟す「麦秋」が至る。孟夏の月(底本は「孟」を「盂」と書く)に秋の政令を誤って行えば、苦雨がしきりに降って止まず、五穀が滋長せず、四方の辺邑の民は城堡に退いて自ら守らねばならない。冬の政令を誤って行えば、草木が早く枯れ、そのあと大水が出て城郭を壊す。春の政令を誤って行えば、蝗虫が災いをなして稼を敗り、暴風が襲い来て、穂を出した作物が実らない。
五月
螳螂生,鳩始鳴,反舌無聲,鹿角解,蜩始鳴,半夏生。仲夏行冬令,則雹凍傷谷,道路不通,暴兵來至;行春令,則五穀晚熟,百螣時起,其國乃飢;行秋令,則草木零落,果實早成,民殃於疫。
螳螂が孵って生まれ、伯労が鳴き始め、百鳥の声をよく真似る反舌鳥が声を出さなくなり、鹿の角が解け落ち、蝉が鳴き始め、薬草の半夏が生える。仲夏の月に冬の政令を誤って行えば、雹や寒凍が穀物を傷つけ、道路が通じず、凶暴な兵馬が襲い来る。春の政令を誤って行えば、五穀の成熟が遅れ、苗を食う害虫「螣」が時々起こり、国の中が飢饉となる。秋の政令を誤って行えば、草木が零落し、果実が早く熟し、民が疫病の殃を受ける。
六月
溫風至,蟋蟀居壁,鷹始摯,腐草為螢,土潤溽暑,大雨時行。季夏行春令,則谷實鮮落,國多風欬,民乃遷徙;行秋令,則丘隰水潦,禾稼不熟,乃多女災;行冬令,則風寒不時,鷹隼早鷙,四鄙入保。
温かい風が吹き来て、蟋蟀が野を離れ壁に棲み、鷹が獲物を搏つことを学び始め、腐草が蛍を化生し(古人は腐草の間から蛍が飛び出すのを見てこの説を立てた)、土地が湿って暑気が蒸しこもり、大雨が時にしたがって降る。季夏の月に春の政令を誤って行えば、穀粒が少なく早く脱落し、国の中に風邪ひき咳の疾が多く、民はそのため流れて郷を去る。秋の政令を誤って行えば、高地も低地も一面に水がたまり、禾稼が熟せず、また婦女の災いが多い。冬の政令を誤って行えば、風寒が時令に合わず、鷹隼が早くも猛く搏殺し、四方の辺邑の民は城堡に退いて自ら守らねばならない。
七月
涼風至,白露降,寒蟬鳴,鷹乃祭鳥,天地始肅,禾乃登。孟秋行冬令,則陰氣大勝,介蟲敗谷,戎兵乃來;行春令,則其國乃旱,陽氣復還,五穀不實;行夏令,則其國火災,寒熱不節,民多瘧疾。
涼風が吹き来て、白露が降り、寒蝉が鳴き、鷹が捕った鳥を並べて供物のように陳し、天地の気が粛殺し始め、禾稼が登場して収穫される。孟秋の月に冬の政令を誤って行えば、陰気が大いに勝ち、甲のある虫豸が穀物を荒らし、敵兵がやって来る。春の政令を誤って行えば、国の中が旱し、陽気が再び帰って来て、五穀が実らない。夏の政令を誤って行えば、国の中に火災があり、寒熱が節度を失い、民に瘧疾が多い。
八月
鴻雁來,玄鳥歸,群鳥養羞,雷始收聲,蟄蟲壞戶,水始涸。仲秋行春令,則秋雨不降,草木生榮,國乃大恐;行夏令,則其國乃旱,蟄蟲不藏,五穀復生;行冬令,則風災數起,收雷先行,草木早死。
鴻雁が飛来し、燕が帰って行き、群鳥が越冬の食物を蓄え(「羞」は美味な食物を指す)、雷が響きを収め始め、蟄伏の虫豸が土で穴の口を塞ぎ、水が涸れ始める。仲秋の月に春の政令を誤って行えば、秋雨が降らず、草木が反常して萌え茂り、国の中に大きな惊恐がある。夏の政令を誤って行えば、国の中が旱し、蟄虫が伏蔵せず、五穀が反常して再び萌え出る。冬の政令を誤って行えば、風災がたびたび起こり、雷の声が早く収まり、草木が早く枯死する。
九月
鴻雁來賓,雀入大水為蛤,菊有黃華,豺乃祭獸,草木黃落,蟄蟲咸俯,季秋行夏令,則其國大水,冬藏殃散,民多鼽嚏;行冬令,則國多盜賊,邊境不寧,土地分裂;行春令,則暖風來至,民氣解惰,師興不居。
後れて来る鴻雁が賓客のように到来し、雀が海に入って蛤に化し(古人は深秋に雀が減り蛤が増えるのを見てこの説を立てた)、菊が黄色い花を開き、豺が捕った獣を並べて供物のように陳し、草木が黄く枯れ落ち、蟄虫が皆頭を垂れて伏蔵する。季秋の月に夏の政令を誤って行えば、国の中に大水があり、冬に貯蔵した物資が殃を受け散失し、民に鼻づまり・くしゃみの疾が多い。冬の政令を誤って行えば、国の中に盗賊が多く、辺境が安まらず、国土が分裂する。春の政令を誤って行えば、暖風が吹き来て、民気が弛み怠け、兵事がたびたび興って安居できない。
十月
水始冰,地始凍,雉入大水為蜃,虹藏不見,天氣上升,地氣下降,閉塞而成冬。盂冬行春令,則凍閉不密,地氣上洩,民多流亡;行夏令,則國多暴風,方冬不寒,蟄蟲復出;行秋令,則霜雪不時,小兵時起,土地侵削。
水が氷り始め、地が凍り始め、雉が海に入って大きな蛤「蜃」に化し(これも古人の説)、虹が隠れて見えず、天の陽気が上昇し地の陰気が下降し、天地が閉塞して冬となる。孟冬の月(底本は「孟」を「盂」と書く)に春の政令を誤って行えば、封凍が緻密でなく、地気が上に泄れ、民に流亡が多い。夏の政令を誤って行えば、国の中に暴風が多く、冬であるべきなのに寒くなく、蟄虫がまた這い出る。秋の政令を誤って行えば、霜雪が時令に合わず、小規模な兵事が時々起こり、国土が侵奪され削られる。
十一月
鶡鴠不鳴,虎始交,荔挺出,蚯蚓結,麈角解,水泉動。仲冬行夏令,則其國乃旱,氛霧賓賓,雷乃發聲;行秋令,則天時雨汁,瓜瓠不成,國有大兵;行春令,則蟲螟為敗,水泉咸竭,民多疾癘。
寒号鳥「鶡鴠」が鳴かなくなり、虎が交尾し始め、馬藺草「荔」が新芽を出し、蚯蚓が縮こまって結ばれ、麋鹿の角が解け落ち(底本は「麋」を「麈」と書く)、地下の泉水が動き始める。仲冬の月に夏の政令を誤って行えば、国の中が旱し、霧気が昏として満ち、雷があろうことか鳴り響く。秋の政令を誤って行えば、天から雨雪交じりの「雨汁」が降り、瓜や瓠が育たず、国の中に大きな兵禍がある。春の政令を誤って行えば、螟虫が災いをなして稼を敗り、泉水が皆涸れ、民に疫癘が多い。
十二月
雁北鄉,鵲始巢,雉雊,雞乳,徵鳥厲疾,水澤腹堅。季冬行秋令,則白露蚤降,介蟲為妖,四鄰入保;行春令,則胎夭多傷,國多痼疾,命之曰逆;行夏令,則水潦敗國,時雪不降,冰凍消釋。
大雁が北へ向かって飛び、鵲が巣を作り始め、雉が鳴いて番を求め、家鶏が卵を抱いて雛を育て、遠く飛ぶ鷹隼が猛く速く搏ち、水沢が中心まで堅く凍る。季冬の月に秋の政令を誤って行えば、白露が早すぎて降り(「蚤」は「早」に同じ)、甲のある虫豸が怪をなして災いとなり、四隣の民は城堡に退いて自ら守らねばならない。春の政令を誤って行えば、胎児・幼児に夭傷が多く、国の中に治りにくい痼疾が多く、これを「逆」と名づける。夏の政令を誤って行えば、水がたまって国家を敗り、時の雪が降らず、氷凍がかえって解消する。
開元占経巻九十四
雲気雑占
帝王気
天子氣,內赤外黃,正四方,鬱鬱蔥蔥,所發之處,當有王者;若天子欲有遊,往其地,亦先發此氣,遠近數里,如法計之,吉凶以日辰生克,決期以支干數法。又曰:天子氣,如城門,隱隱在氣霧中,又多在晨昏見。又曰:天子氣,如千石倉,在氣霧中。又曰:天子氣,五色如山鎮。又曰:天子氣,如高樓,在霧中。
天子の気は、内側が赤で外側が黄色、四方を正しく正対して、濃く葱々としている。それが起こる所には、王と称する者が現れるはずである。もし天子が出行・遊幸しようとするなら、行く先の地にもあらかじめこの気が発し、範囲は遠近数里に及ぶので、占法にしたがって推算すればよい。吉凶は日辰干支の相生相克で判断し、応ずる期日は干支の数で推定する。別の説では、天子気の形は城門のようで、はっきりと霧気の中に現れ、しかも多くは清晨と黄昏に見える。別の説では、天子気は千石の糧を容れる大きな倉のようで、霧気の中にある。別の説では、天子気は五色を備え、一方を鎮める大山のようである。別の説では、天子気は高楼のようで、霧の中に現れる。
又曰:氣象青衣人垂手,在日西,天子氣也。又曰:敵上氣如龍馬,雜色鬱鬱沖天者,帝王之氣,不可擊;若在吾軍,必得天助。又曰:氣如龜如鳳,五色,隨王時發者,天子氣也。
別の説では、気の形が青衣の人が両手を垂れたようで、日の西に現れるのが天子気である。別の説では、敵軍の上空の気が龍や馬のようで、雑色が濃く天に冲するのは帝王の気であり、撃ってはいけない。この気が我が軍の上にあれば、必ず天の助けを得る。別の説では、気の形が亀や鳳のようで、五色を備え、五行の王る時令に随って発するのが天子気である。
范增曰:“吾使人望沛公,其氣沖天,五色相摻,皆為龍虎,此非人臣氣也。”
項羽の謀士・范増はいった。「私は人を遣わして沛公・劉邦の頭上の雲気を望ませた。その気は天に冲し、五色が交じり合って、ことごとく龍虎の形を結んでいた。これは人臣となる者の気ではない。」
《洛書》曰:“蒼帝起,青雲扶日;赤帝起,赤雲扶日;黃帝起,黃雲扶日;白帝起,白雲扶日;黑帝起,黑雲扶日。一曰:蒼帝氣如人向日,拳手而倪首,一手在後;赤帝氣如象火光,如覆薁狀,立在日下;黃帝氣如馬,在日下;白帝氣如虎,在日下;黑帝氣如船,在日下。青紫氣自地屬,天其地有貴女。凡帝王氣發,常以四時王相時日相生之日,相生之日,其國大昌。”
《洛書》にいう。「東方の木徳を主る蒼帝が興れば、青雲が日を扶する。南方の火徳を主る赤帝が興れば、赤雲が日を扶する。中央の土徳を主る黄帝が興れば、黄雲が日を扶する。西方の金徳を主る白帝が興れば、白雲が日を扶する。北方の水徳を主る黒帝が興れば、黒雲が日を扶する。」別の説では、蒼帝の気は人が日に向かい、手を拱いて頭を垂れ、一方の手をうしろにしているようである。赤帝の気は火光のようで、また伏せた野葡萄「薁」の状のようで、日の下に立つ。黄帝の気は馬のようで、日の下にある。白帝の気は虎のようで、日の下にある。黒帝の気は船のようで、日の下にある。青紫の気が地から天までつながっていれば、その地に高貴な女子がいる。凡そ帝王の気が発するのは、常に四時で五行が「王」「相」の時日および五行相生の日である。相生の日に現れれば、その国は大いに昌える。
賢人気
賢人氣,視四方,常有大雲,五色具者,其下賢人隱也。青雲潤澤蔽日,在日西北,為舉賢良。
賢人の気を望む法。四方を観察して、常に大きな雲があって五色を備えていれば、その雲の下に賢人が隠れ住んでいる。青色の雲が潤沢して明るく、日を蔽う位置が日の西北方にあれば、朝廷がまさに賢良の士を挙用しようとしていることを主る。
将軍気
將軍之氣,如龍如虎,在殺氣中,兩軍相當,若發軍上,則其將猛銳欲動也,吉凶以日辰決之;若無軍在外,亦當有暴兵起。
将軍の気は、形が龍や虎のようで、粛殺の気の中にある。両軍が対峙するとき、この気がどちらかの軍営の上空から発すれば、その方の主将が勇猛鋭利で、まさに攻撃を発動しようとしていることを示す。具体的な吉凶は当日の干支で判定する。もし当時に軍隊が外に出ていなければ、それでも突然起こる兵事があることを予示する。
城營上氣如火煙,或如山林、竹木,或白色而有赤氣繞之,或紫黑如門樓,或上黑下赤如旌旗,或如張弓弩,或如塵埃,本大而高,首銳而卑,或如囷倉,正白,見日益明,或白如粉沸,或如夜火光照人,此皆猛將氣也。
城池・営塁の上空の気が火の煙のよう、あるいは山林・竹木のよう、あるいは白色で赤気が繞り、あるいは紫黒色で門楼のよう、あるいは上が黒く下が赤くて旌旗のよう、あるいは張り開いた弓弩のよう、あるいは揚がった塵埃のように根もとが太く高く聳えて頂端が鋭く低く垂れ、あるいは円形の穀倉「囷」のように純白で日を見るほど明るく、あるいは白くて沸き立つ粉のよう、あるいは夜の火光が人を照らすよう。これらは皆、猛将の気である。
軍上氣,黃白而轉澤者,將有盛德,不可擊;軍上氣發,漸漸如云,變作山形者,將有深謀,不可擊,若在吾,速戰,大勝。軍上氣黑下,赤氣在前者,將精悍不可當;軍上氣如交蛇向人,此猛將氣也,不可當,若在吾軍,戰必大勝;赤氣上與天連,軍中必有良將;軍上氣,青白而高者,將勇,大戰;前白後青而高者,將弱而士勇;前大後小,將怯不明;軍上氣青而疏散者,其將怯弱,可擊。
敵軍の上空の気が黄白色で転じて潤沢ならば、主将の徳行が深厚で、撃ってはいけない。軍上の気が発して徐々に雲のように広がり、山の形に変われば、主将に深遠な謀略があり、撃ってはいけない。この気が我が方にあれば、速やかに戦うべきで、大勝を得られる。軍上の気の下部が黒く、赤気が前にあるならば、主将は精悍で当たり難い。軍上の気が二匹の蛇が交じり合って人に向かって来るようであれば、これは猛将の気で、当たり難い。我が軍の上空にあれば、交戦すれば必ず大勝する。赤気が上って天に連なれば、軍中に必ず良将がいる。軍上の気が青白く高く聳えるならば、主将は勇武で、大戦がある。前が白く後が青く高いならば、主将は懦弱だが士卒は勇敢である。前部が大きく後部が小さいならば、主将は怯懦で事理に暗い。軍上の気が青くて疎らに散らばるならば、その将は怯弱で、撃ってよい。
兵気
勝兵氣,上與天連,或如火光,或如山堤上有林木,或如埃塵粉沸,其色黃白,或如旌旗,無風而揚,揮勢指敵,或白氣粉沸如樓,緣以赤氣,或如人持斧向敵,或如蛇舉頭向敵,或如埃塵,前卑後高,或如牛馬,頭低尾昂,或如旌旗,如鋒刃向人,或有人如牽牛,或如乳虎,或如疋帛,或如覆舟,或氣似堤覆,前後皆白,此皆雄兵猛士之氣,不可擊,若在我軍上,急戰,大勝。
勝つ軍の気は、上って天に連なり、あるいは火光のよう、あるいは山堤の上に林木が生えたよう、あるいは塵埃・粉末が沸き立って色は黄白、あるいは旌旗のように風がなくても自ら揚がり、揮う勢いが敵を指し、あるいは白気が楼のように沸き立ち縁に赤気をめぐらし、あるいは人が斧を挙げて敵に向かうよう、あるいは蛇が頭を昂げて敵に向かうよう、あるいは塵埃のように前が低く後が高く、あるいは牛馬のように頭が低く尾が昂く、あるいは旌旗のように刀鋒・剣刃のように人に向かい、あるいは人が牛を牽くよう、あるいは乳を与える母虎のよう、あるいは一匹の絹帛のよう、あるいは覆った船のよう、あるいは気が倒れた堤防のように前後とも白い。これらは皆、雄兵・猛士の気であり、撃ってはいけない。我が軍の上にあれば、急いで戦えば、大勝を得られる。
軍上氣,黃白色潤澤重厚者勝;軍上發黃氣,將士精勇,不可擊,若在吾軍,可戰;軍營上有赤黃氣上達於天者,不可擊;軍上有五色氣上與天連,此天應之軍,不可擊;軍上氣,上小下大,其軍士日增益,不可擊;軍上氣,遙望如鬥雞,赤白相隨,在雲中,得天助,不可擊;軍上氣,上銳,其色黃白圓而澤者,其將勇猛,士卒能強戰,不可擊。
軍営上空の気が黄白色で潤沢・厚重ならば、その方が勝つ。軍上に黄気を発すれば、将士は精悍勇武で、撃ってはいけない。この気が我が軍にあれば、戦うことができる。軍営上に赤黄の気が上って天に達すれば、撃ってはいけない。軍上に五色の気が上って天に連なれば、これは上天が感応して護る軍で、撃ってはいけない。軍上の気が上が小さく下が大きければ、その軍の兵員は日々増え、撃ってはいけない。軍上の気を遠望して二羽の闘鶏のように赤白二色が相逐い、雲の中に現れれば、これは天助を得たもので、撃ってはいけない。軍上の気の頂端が鋭く、色が黄白で円く潤沢ならば、その将は勇猛で士卒は力を尽くして戦え、撃ってはいけない。
雲如日月,而有赤氣繞之,似日月暈,或有光者,所見之城邑,不可攻;雲氣如伏虎居上,或如華蓋,或如杵形向外,或如赤馬,或如山嶽,皆不可攻;敵上有氣或雲,如中天至而及我軍,常有此而不變者,不可攻;軍上常有氣者,難攻;有雲狀如鳥飛去者,其國戰勝;兩軍相當,敵上有氣如飛烏徘徊,或來而高者,兵精,難擊;夜視彼軍,上有黑氣出,上有赤氣,臨我軍上,彼強我弱,弱能破強,小能擊大,大戰大勝,小戰小勝。
雲の形が日や月のようで赤気が繞り、日暈・月暈のよう、あるいは光を帯びていれば、この雲の覆う城邑は攻めてはいけない。雲気が伏せた虎のように上に蟠踞し、あるいは「華蓋」(帝王の車の傘蓋)のよう、あるいは杵が外に向かう形、あるいは赤い馬、あるいは高山大岳のようであれば、皆攻めてはいけない。敵方の上に気または雲があって、中天から直に下って我が軍の上空に及び、長くこのまま変わらなければ、攻めてはいけない。軍営上空に常に気があれば、攻め難い。雲の形が鳥が飛び去るようならば、その国は戦に勝つ。両軍が対峙し、敵軍の上に気があって飛ぶ烏が徘徊するよう、あるいは我が方へ来て位置が高ければ、敵兵は精鋭で、撃ち難い。夜に相手の軍営を見て、上に黒気が出て、赤気が我が軍の上空に臨むならば、相手が強く我が弱いが、弱は能く強を破り、小は能く大を撃ち、大戦なら大勝、小戦なら小勝となる。
望四方,有赤氣如鳥在黑氣中,或如黑人在赤氣中,或如赤杵在烏氣中,或如人十十五五有行列,或狀如旌旗在烏氣中,有赤雲氣在前者,其兵精銳,不可當;雲氣三匹帛,前橫後大,在軍上者,戰勝。
四方を望んで、赤気が鳥のように黒気の中にあり、あるいは黒衣の人が赤気の中にいるよう、あるいは赤い杵が烏気の中にあるよう、あるいは人が十人ずつ五人ずつの群れで行列を成すよう、あるいは形が旌旗で烏気の中に立つようであって、赤い雲気が前にあって導く。こうした兵馬は精鋭で、当たり難い。雲気が三匹の絹帛のように、前は横に広がり後は大きく、軍営上空に現れれば、戦に勝つ。
敗兵氣,囚廢枯散,如馬肝色,或如死灰,或如偃魚,或如偃蓋,或乍見乍聚乍散,如霧始起,或如群羊、如群豬在氣霧中,皆衰亂也。
敗軍の気は、衰囚・廃棄・枯槁・渙散の様相を帯び、あるいは馬肝のような暗紫色、あるいは燃え尽きた死灰のよう、あるいは倒れた魚、あるいは倒れた車蓋、あるいは忽ち現れ忽ち集まり忽ち散ずるように、霧が始めて起こるようなぼんやりした様子、あるいは群れた羊・群れた豚が気霧の中に伏しているよう。これらは皆、衰敗・混乱の徴象である。
軍上氣,如死蛇,如擊牛,如雙蛇垂頭,如蜚鳥四散,如決堤垣,如壞屋,如人無頭,如人相指,如驚鹿相逐,如兩雞相向,或如人頭,如揚灰,如卷席,如縣衣,如匹布亂攘,如人相隨,或如粉如塵,勃勃如煙,或五色雜亂,東西南北不定,或如群鳥亂飛,或紛紛如轉蓬,或如敗船,或如臥人無手足,或如覆車雜亂不起者,皆敗軍之氣,擊之必克。
軍営上空の気が、死んだ蛇のよう、撃たれた牛のよう、二匹の蛇が頭を垂れたよう、飛ぶ鳥が四方に散って逃げるよう、決壊した堤防や塀のよう、壊れた家屋のよう、頭のない人のよう、人々が互いに指さすよう、驚いた鹿が互いに追い合うよう、二羽の鶏が向かい合って闘うよう、あるいは一個の人頭のよう、揚がった灰のよう、巻き上げた蓆のよう、懸けた衣服のよう、一匹の布が乱れ翻るよう、人が一人ずつ従うよう、あるいは粉のよう塵のよう勃々として煙のよう、あるいは五色が雑然として東西南北に定まらず、あるいは群鳥が乱れ飛ぶよう、あるいは紛々として風に転がる蓬草のよう、あるいは敗れた船のよう、あるいは臥した人に手足がないよう、あるいは覆った車が雑然として起き上がれないよう。これらは皆、敗軍の気であり、撃てば必ず勝てる。
軍上氣,上大下小者,士卒日減;軍上十日無氣發者,其軍必敗;十日無氣,而忽有赤白氣乍出即滅者,外聲欲戰而實欲退散;黑雲氣如壞山,墮軍上,名曰營頭之氣,其軍必敗散;軍上氣,如火光夜照人者,軍士散亂;軍上氣出而半絕者,欲敗;漸盡者,走;一絕一敗,再絕再敗,三絕三敗;在東發白氣者,災深;
軍営上空の気が上が大きく下が小さいならば、士卒は日に減る。軍営上空に十日連続して気の発するのがなければ、その軍は必ず敗れる。十日間気がなく、忽ち赤白の気が一瞬出てすぐ消えれば、相手は口では戦うと言いながら実は撤退・潰散を図っている。黒い雲気が崩れた山のように墜ちて軍営の上に覆えば、「営頭の気」と名づけ、その軍は必ず敗散する。軍上の気が火光のように夜人を照らすならば、軍士は散乱する。軍上の気が出て中途で半分絶えれば、敗れようとしている。気が徐々に尽きれば、士卒は逃げる。一度絶えれば一敗、二度絶えれば二敗、三度絶えれば三敗となる。東に白気を発すれば、災いが深い。
軍上有氣,如雙蛇守日,急往擊之,大勝,勿疑;軍上有赤氣炎降於天,士卒聚亂,將死;赤氣如火光從天流下入軍,軍亂,將死;軍上氣蒼蒼,須臾散,擊之必勝,若在我軍,宜嚴備固守;軍上氣,前高後卑者,敗;軍上有黑氣如牛形,或如馬形,從氣霧中漸漸入軍,名曰天狗食血,其軍敗散;
敵軍の上に気があって、二匹の蛇が日を守るようであれば、急いで往って撃てば大勝する。疑うな。軍上に赤気が炎のように天から降れば、士卒は集まって乱れ、将は死ぬ。赤気が火光のように天から流れ下って軍に入れば、軍は大いに乱れ、将は死ぬ。軍上の気が青蒼として、しばらくして散れば、撃てば必ず勝つ。この気が我が軍の上にあれば、厳重に備えて堅く守って出るべきでない。軍上の気が前が高く後が低いならば、敗を主る。軍上に黒気が牛の形または馬の形で、気霧の中から徐々に軍に入るのを「天狗食血」と名づけ、その軍は敗散する。
軍上氣,蒼黑亂者,士卒飢;兩軍相當,十里之內,三里之外,望彼軍上氣高,而前後白青散者,敗氣也,急擊之;雲氣如人頭,臨軍上,戰大敗,流血滿谷;雲如雞如兔,臨營上者,軍敗走;雲氣蓋道,蔽蒙晝晦者,飯不暇食,炊不暇熟,宜急去之,不然必敗;軍上氣黑而卑,如樓狀,軍不移,必敗;軍上氣,先青而漸變黑者,其將欲死散;
軍上の気が蒼黒く乱れていれば、士卒は飢える。両軍が対峙して、十里以内・三里以外から彼の軍上の気が高く、前後が白青で散逸していれば、これは敗気で、急いで撃て。雲気が人頭のように軍の上に臨めば、戦えば大敗し、流血が谷に満ちる。雲が鶏や兎のように営塁の上に臨めば、軍は敗れて走る。雲気が道を蓋い、天日を蔽って昼が夜のように晦ければ、飯も食う暇がなく、炊事も煮える暇がない。急いで去るべきで、さもなくば必ず敗れる。軍上の気が黒く低く、楼の形のようで、軍が移らなければ、必ず敗れる。軍上の気がはじめ青で徐々に黒に変われば、その将は死に、部衆は潰散しようとしている。
軍之氣,如燔生蘋之煙,前雖銳而後必退,得便擊之,勝;黑氣臨營,或聚或散,如烏將宿者,必有雲如鳥,其出如虻,其國戰不勝;敵上有雲氣,如丹蛇者,擊之勝;有雲氣如尾,在氣霧中,臨軍上者,中人與外人通;軍行,有白氣如豬,來臨者,軍大驚,宜備之;
軍の気が、水気を帯びた青草を焚く煙のようで、初めは鋭いが後には必ず退く。便を得て撃てば、勝てる。黒気が営塁に臨み、時に集まり時に散じ、烏が巣に帰ろうとするようであれば、必ず雲が鳥形のように伴い、飛び出るときは虻のように細かくなる。その国は戦に勝てない。敵方の上に雲気があって赤い蛇のようであれば、撃てば勝てる。雲気が尾のように気霧の中に隠れて軍の上に臨めば、軍中の人が外の敵と通じていることを示す。軍が行くとき、白気が豚のように臨んで来れば、全軍が大いに驚き擾されるので、あらかじめ備えるべきである。
日暈,有氣如死蛇屬暈者,將死,兩軍相當,不利先舉;日暈,旁有赤雲,如縣鍾,其下將死;日月暈,有背氣,所臨者敗;軍上有白虹,及曲霓者,敗;白虹及霓入營者,敗;日暈,氣薄惡,及後至先去,其下軍敗;日暈,有四缺,在外軍悉敗散;凡日月暈與氣,以先有者為發,先去者為散;軍上有日旁虹霓,不可逆之,若得其逆,宜徙去之。
日に暈が生じ、気が死んだ蛇のように暈環に連なれば、将は死ぬ。両軍が対峙してこの天象に遭えば、先に手を出す方が不利である。日暈の傍らに赤雲があって、懸けた鐘の形をしていれば、その下の将は死ぬ。日暈・月暈に外へ反背する「背気」があれば、それに臨まれる方が敗れる。軍営上空に白虹または曲がった霓が現れれば、敗を主る。白虹と霓が営中に直入すれば、敗を主る。日暈の気が稀薄で醜悪なり、あるいは後に現れて先に散ずれば、その下の軍は敗れる。日暈が四か所欠ければ、外にある軍はことごとく敗散する。凡そ日月の暈と気は、先に現れた方を「発」、先に散ずる方を「散」とする。軍営上空に日傍の虹霓があれば、それに逆らって進兵してはいけない。もしすでにそれに逆らう方位にいるならば、移り去って避けるべきである。
降氣,如人十十五五,皆低叉手,或如人叉手相向,或氣如黑山,以黃為綠者,皆降伏之氣也。白氣如鳥,趣入屯營,連絡不絕,而須臾下者,當有他國來降。
帰降の気の様子は、人が十人ずつ五人ずつの群れで皆頭を垂れ手を拱き、あるいは人々が手を拱き合って向かい立つよう、あるいは気が黒い山のように黄色から緑に転ずる。これらは皆、帰降・臣服の気である。白気が鳥のように疾く飛んで屯営に入り、連なって絶えず、しばらくして下れば、他国が来て降るはずである。
暴兵氣,白如瓜蔓連結,部隊相逐,須臾罷而復出,或至八九,而來不斷者,有急賊猝至,宜防之;白氣如仙人衣,千萬連結,部隊相逐,罷而復興,如是者,當有千里兵來,宜備之;黑氣從彼來之我軍者,欲襲我也,敵人吉,宜備不宜戰,敵還,從而擊之,必得小勝。
突発の兵事の気は、白くて瓜の蔓が一本一本連なったようで、一隊一隊が互いに追従い、しばらくやんではまた出て、八九次にも連なって来る勢いが絶えなければ、急兵・盗賊が突然到来するので、防ぐべきである。白気が仙人の衣裳のように、千条万縷が連なり、一隊ずつ互いに追従い、やんでは再び興る。この気が現れれば、千里之外の兵馬が襲い来るので、戒めるべきである。黒気が彼方から我が軍に来れば、敵は我が方を襲おうとしている。このとき敵方が吉で、我が方は厳防すべきで戦うべきでない。敵が退けば、従って撃てば、必ず小勝を得られる。
天色蒼茫,而有此氣,依支干日數,內無風雨,則所發之方,時則凶時剋日,則自消散,此氣所發之方,當有使告急,一人來,則氣一條,依數計之,若散滿一方,則有眾來,依日支干數,內有風雨,則伏。
天色が蒼茫としてこの気が現れれば、干支の日数で応期を推算する。この期間に風雨がなければ、気の発した方は値凶の時にあたり、それを克する日辰に至れば、気は自ずと消散する。この気の発した方向には、使者が来て急を告げるはずである。一人来れば気は一条で、条数で人数を推算する。もし気が散って一方に満ちれば、大勢の人馬が来る。なお日辰干支の数で応期を推定し、この期間に風雨があれば、事は潜伏して発しない。
闕氣,如人持刀盾,或有雲如坐人赤色,所臨城邑有猝兵至,驚怖,須臾去;赤氣如人持節,兵來未息;雲如方虹,或如赤虹,其下有暴兵;雲氣如旌旗,其下兵暴起;雲氣如虎躍,如人行,色白而悴者,暴兵起;雲如人行止而不崩,有暴兵;白氣如帶道竟天,有暴兵。
「闕気」の様子は、人が刀と楯を持つよう、あるいは雲が坐した人で赤色を呈し、それに臨まれる城邑は兵馬が突然到来し、一時惊恐して、しばらくして去る。赤気が人が符節を持つようであれば、兵馬が来てもまだ息まない。雲が方形の虹、あるいは赤い虹のようであれば、その下に突発の兵事がある。雲気が旌旗のようであれば、その下に兵事が驟起する。雲気が虎が躍るように人が歩くようで、色が白く枯槁していれば、突発の兵事がある。雲が人が歩き止まりするように崩れなければ、突発の兵事がある。白気が帯のように道を横ぎって天を貫けば、突発の兵事がある。
候敵氣,上有雲,下亦有雲者,兵必至;白虹所出,必有暴兵流血;赤雲如火,所向兵至;雲氣如匹布著天,經丑未者,天下多兵,赤者尤甚;有雲如胡人列陳,天下兵起;白氣廣五六丈,東西竟天,天下兵起;有雲如豹,四五枚,相聚,其國兵大起;雲如狗,四五以上相聚,兵起四方;
敵の気を候察する法則。上に雲があり下にも雲があれば、兵馬は必ず到来する。白虹の現れた所には、必ず突発の兵事と流血の禍がある。赤雲が火のようで、それが指す方位に兵馬が到来する。雲気が一匹の布のように天に貼り、丑位と未位(東北から西南に至る線)を経れば、天下に兵事が多く、赤いのはなおさら甚だしい。雲が胡人が陣を列するようであれば、天下に兵事が興る。白気が広さ五六丈で東西に天を貫けば、天下に兵事が興る。雲が豹のように四・五片集まっていれば、その国で兵事が大いに起こる。雲が狗のように四・五片以上集まっていれば、四方に兵が起こる。
清明無雲,獨有赤雲赫然者,所見之地,兵起;四望無雲,獨有黑雲極天,名曰天溝,天下兵起,雲半天則兵半,起三日內有雨,則災解;壬子日,候四方無雲,獨有雲如旌旗,其下兵起,若遍四方,則天下盡有兵;雲氣一道,上白下黃,或白色如疋布,長數丈,或上黃下白如旗狀,長二三丈,或長氣純赤而委曲一道如布帛,皆謂之蚩尤旗,見則兵大起。
天色が清朗で雲がないのに、ただ一片の赤雲が赫々として懸かっていれば、それが現れた地に兵が起こる。四面を望んでも雲がないのに、ただ黒雲が天を貫けば、「天溝」と名づけ、天下に兵が起こる。雲が天の半分を占めれば兵禍も半分に及ぶだけで、気が起こってから三日以内に雨が降れば、災いは解消する。壬子の日に候望して、四方に雲がないのにただ雲が旌旗のようであれば、その下に兵が起こり、このような雲が四方に遍くあれば、天下の至る所に兵がある。一道の雲気が上は白く下は黄、あるいは白色で一匹の布のように長さ数丈、あるいは上は黄で下は白く旗の形で長さ二三丈、あるいは長い気が純赤で婉曲して布帛のような一道。これらを皆「蚩尤旗」といい、現れれば兵事が大いに起こることを主る。
風雲気
風雨氣,如魚龍行,其色蒼潤,或黃氣蔽日昏慘,或如積土,或如累盆,黃色潤厚,朝東夕西,壓日,或奄之,皆風雨之氣也。朝視日上,有黑雲氣,如霧壓日,日光旁射,其色慘淡黃白者,其日有風雨;晚日欲入有之,則其夜有風雨;
風雨の気は、魚や龍が遊行するようで、色は蒼く潤沢、あるいは黄気が日を蔽って天色が昏惨、あるいは積み上げた土のよう、あるいは重ねた盆のように黄色で潤い厚く、朝は東に夕は西にあって、日を圧しあるいは全く覆い隠す。これらは皆、風雨の気である。朝に日の上を見て、黒い雲気が霧のように日を圧し、日光が傍から斜めに射して、色が惨淡として黄白ならば、その日に風雨がある。夕方に日が入ろうとしてこの気があれば、その夜に風雨がある。
雲氣如亂穰,大風將至,視所從來避之;雲甚厚而潤大,雨必暴至;四始之日,有黑雲氣如陣,厚重而潤者,多雨;日始出,有暈氣如車蓋,在日上者,其日雨;日上下有黑雲氣,如蛟龍者,必有風雨;雲氣如黑蛇沖日,其下有大雨水;月初生,色黃者多晴,色青多雨,色潤白者大雨;
雲気が散らばった禾稈のようであれば、大風が間もなく至る。どの方向から来るかを見極めて避けるべきである。雲がとても厚く潤沢して大きければ、雨は必ず暴れて至る。立春・立夏・立秋・立冬という「四始」の日に、黒い雲気が軍陣のように厚重で潤沢であれば、この後雨が多い。日が出始めるとき、暈気が車蓋のように日の上にあれば、その日は雨である。日の上下に黒い雲気が蛟龍のようであれば、必ず風雨がある。雲気が黒い蛇のように日に冲れば、その下に大雨・積水がある。月が生まれ始めるとき、色が黄ならば晴れが多く、色が青ならば雨が多く、色が潤白ならば大雨を主る。
蒼雲氣入北斗,多大風;黃雲氣蔽北斗,明日雨;白氣掩北斗,不過三日,雨;青雲氣掩北斗,五日內雨;天無雲而白,斗上下獨有雲,五日內大雨;日入,後有白光如氣,自地至天,直入北斗,所歷星皆失色,其夜必有大風;太白出,氣長數丈,多風雨,所指處,兵大起;辰星出,氣長一丈,大雨水。
青い雲気が北斗に入れば、大風が多い。黄い雲気が北斗を蔽えば、明日は雨である。白気が北斗を掩えば、三日を過ぎずに雨が降る。青い雲気が北斗を掩えば、五日以内に雨が降る。天に雲がなく白くて、ただ北斗の上下にだけ雲があれば、五日以内に大雨がある。日が入った後に白光が気のように地から天まで貫き、まっすぐ北斗に入り、経た星宿が皆光色を失えば、その夜に必ず大風がある。太白星(金星)が現れて、数丈の長い気を帯びれば、風雨が多く、気の指す所に兵事が大いに起こる。辰星(水星)が現れて、一丈の長い気を帯びれば、大雨・積水を主る。
九土異気
海旁蜃氣象樓臺,廣野氣成宮闕。自華以南,氣上黑下赤;嵩高三河,氣正赤;恆山之北,氣青;渤海之間,氣正黑;江淮之間,氣皆白。
海辺の蜃気は楼台の形に凝り、空曠な原野の気は宮殿・門闕の形に結ぶ。華山以南の気は上が黒く下が赤い。嵩山の高処と河東・河内・河南の「三河」の地の気は純赤色である。恒山以北の気は青色を呈する。渤海一帯の気は純黒色である。長江・淮河の間の気は皆白色である。
東海,氣如篔簦;河水,氣如引布;江漢,氣勁如杼;濟水,氣如黑純;渭水,氣如狼白尾;淮南,氣如白羊,一曰如帛;少室,氣如白兔青尾;恆山,氣如黑牛青尾;東夷,氣如樹;西夷,氣如室屋;南夷,氣如闍臺,或如舟船、幡旗;北夷,氣如群羊,如穹廬。
東海の気は高い竹傘「篔簦」のよう。黄河の気は引き開いた一幅の布のよう。長江・漢水の気は勁く直して織布の梭「杼」のよう。済水の気は黒い絲縧のよう。渭水の気は狼の白い尾のよう。淮南の気は白羊のよう、別の説では絹帛のよう。少室山の気は白兎に青い尾を帯びたよう。恒山の気は黒い牛に青い尾を帯びたよう。東方の夷人の地の気は樹のよう。西方の夷人の地の気は屋宇のよう。南方の夷人の地の気は高台楼観「闍台」のよう、あるいは舟船・幡旗のよう。北方の夷人の地の気は群れた羊のよう、また氈帳「穹廬」のようである。
韓雲如布,周雲如車輪,秦雲如行人,衛雲如犬,魏雲如鼠,齊雲如絳衣,越雲如龍,蜀雲如囷,宋雲如車,吳雲如日。當其地而見者,不占。
韓の地の雲は布のよう、周の地の雲は車輪のよう、秦の地の雲は行く人のよう、衛の地の雲は狗のよう、魏の地の雲は鼠のよう、斉の地の雲は深紅の衣裳のよう、越の地の雲は龍のよう、蜀の地の雲は円形穀倉「囷」のよう、宋の地の雲は車のよう、呉の地の雲は日のようである。ただしその地でその地のあるべき雲を見れば、それは常態に属し、占断しない。
開元占経巻九十五
角宿雲気干犯占
雲氣如刀劍,出兩角間,有陰謀,天子無出殿廷,期不出三十日;青氣入角,天子有疾,出之禍除。赤氣入左角,兵起;右角,國兵驚,戰不利;赤氣入角而波揚者,有火災,如行者將奔命;赤氣從兩角過,入亢,有過兵;赤氣從北斗直過兩角間,回,有過兵;白氣出入兩角,戰不勝;白氣從兩角過,入亢者,有過客;
雲気の形が刀剣のように、角宿の左右二星の間から出てくれば、陰謀があることを主り、天子は殿廷を出てはいけない。応期は三十日を超えない。青色の気が角宿に入れば、天子に病があり、気が出て行けば禍は除かれる。赤気が左角星に入れば、兵事が起こる。右角星に入れば、国の兵馬が驚き擾れ、戦に不利である。赤気が角宿に入って波のように翻れば、火災があり、気が歩く状をなせば、将帥は奔走して命を奉じ出征する。赤気が両角の間を過って亢宿に入れば、通過する兵馬がある。赤気が北斗からまっすぐ両角の間を過って折り返れば、通過する兵馬がある。白気が両角の間を出入りすれば、戦に勝てない。白気が両角の間を過って亢宿に入れば、通り過ぎる客がある。
蒼氣入左角,有兵,兵敗;蒼雲氣出右角,兵在外者戰有憂;蒼白雲氣出入兩角,兵有大敗;黑雲氣出入兩角,用兵,偏將敗,有水災;黑氣從兩角過,入亢,有過兵;黃氣入兩角間,天子有祠祀事;黃白氣潤澤入角,王者得地。
青気が左角星に入れば、兵事があり、しかも兵が敗れる。青い雲気が右角星から出れば、外で征戦する軍隊は戦に憂患がある。青白の雲気が両角の間を出入りすれば、用兵に大敗がある。黒い雲気が両角の間を出入りすれば、用兵のとき副将が不利で、水災もある。黒気が両角の間を過って亢宿に入れば、通過する兵馬がある。黄気が両角の間に入れば、天子に祭祀の事がある。黄白の気が潤沢して明るく角宿に入れば、王者は土地を得る。
亢宿雲気干犯占
雲氣青色入亢,人疫;出氐入亢,人君有疾;黑雲氣入亢,有水災,一曰有使出外言水事;(《荊州占》曰:人多瘧疾)黑氣出氐入亢,君有疾,死;赤雲氣入亢,廊廟間有陳兵,赤而揚波,大人憂,大疫;黃白雲氣入亢,有治事;白雲氣入亢,有土功,人疾病。
青色の雲気が亢宿に入れば、民に疫が生じる。氐宿から出て亢宿に入れば、人君に病がある。黒い雲気が亢宿に入れば、水災があり、別の説では使者が外に出て治水の事を談ずる(ここで原書の小注は《荆州占》を引いていう:民に瘧疾が多い)。黒気が氐宿から出て亢宿に入れば、君に病があり、しかも死ぬ。赤い雲気が亢宿に入れば、朝廷の殿廊の間に兵衛を陳列し、気が赤くて波のように揚がれば、大人に憂いがあり、かつ大疫がある。黄白の雲気が亢宿に入れば、政務を治める事がある。白い雲気が亢宿に入れば、土木の工事があり、民が病む。
氐宿雲気干犯占
雲氣入氐,黃白色,有土功;黑色,大水;赤,有內兵;蒼白色,疫疹大行;白色,天下疫久不散,宮中有女喪;黑氣入氐、房間,天子遣使於諸侯,有口令。
雲気が氐宿に入るとき、黄白色ならば土木の工事がある。黒色ならば大水を主る。赤ならば内部の兵乱がある。蒼白色ならば疫病・疹疾が大いに流行する。白色ならば天下の疫気が長く散らず、宮中に女子の喪事がある。黒気が氐宿と房宿の間に入れば、天子は使者を諸侯に遣わし、口頭で伝える詔令がある。
房宿雲気干犯占
雲氣入房,赤黃潤澤,名寶入;出房,國寶有出者;黃雲氣入房,外國入貢;黑雲氣出房,宮中有憂;黑氣入房,諸侯有使來言口令之事,且有大水;赤雲氣入房,宮中內亂,大兵起;赤雲狀如人,入房,后有娠,不然奸事起;赤雲氣如波揚入房,宮中火災,兵起廟廷,人主杌揑不安;紅雲氣入房,諸侯王有死者,期三年;
雲気が房宿に入るとき、赤黄色で潤沢ならば、これを「宝入」といい、珍宝の進献を主る。気が房宿から出れば、国家の宝物に流失するものがある。黄色の雲気が房宿に入れば、外国が貢を入れに来る。黒い雲気が房宿から出れば、宮中に憂患がある。黒気が房宿に入れば、諸侯に使者が来て口頭の詔令の事を伝え、かつ大水がある。赤い雲気が房宿に入れば、宮中に内乱が生じ、大きな兵禍が起こる。赤雲の形が人のように房宿に入れば、皇后に身ごもりがあり、さもなくば奸邪の事が起こる。赤い雲気が波のように翻揚して房宿に入れば、宮中に火災があり、兵禍が宗廟・朝廷の間に起こり、君主は杌陧として安まない。深紅の雲気が房宿に入れば、諸侯王の中に死ぬ者があり、応期は三年以内である。
蒼白雲氣入房,將相憂;白氣如大道,入房,委蛇入漢,國有大水,兵起宮中,人民流亡,飢死路旁,尸骸不收,不過二年,帝王崩,婦女傭客不還;雲氣如帶,經兩角間,入房,關門閉,再經之,兵起,三經之,天下不通。
青白の雲気が房宿に入れば、将帅・宰相に憂患がある。白気が大路のように房宿に入り、また逶迤として銀河に伸びれば、国の中に大水があり、兵禍が宮中に起こり、人民は流離・逃亡し、路傍で餓死し、骸骨を収めて葬る者もなく、二年を出ずして帝王が崩じ、婦女が外に出て傭ぎ客として帰家できない。雲気が帯のように角宿の二星の間を経て房宿に入れば、関隘・城門が閉じられ、二度経れば、兵事が起こり、三度経れば、天下の道路が阻絶して通じない。
心宿雲気干犯占
雲氣出心,青色,天子使人於諸侯;赤色,有兵將出;赤黃氣出心,王就國;黑雲氣入心,天子憂;入左星,庶子憂;入右星,太子憂;一曰:黑氣入心右星,庶子受賜祿;白氣入心,天子左右臣作亂兵起;白氣入心左星,太子受賜;赤氣入心,有立王;赤氣出心,南行,天子左右有亡去者;
雲気が心宿から出るとき、青色ならば天子は人を諸侯に遣わす。赤色ならば兵馬が出ようとする。赤黄の気が心宿から出れば、封を受けた王が自らの封国に赴く。黒い雲気が心宿に入れば、天子に憂いがある。心宿の左星に入れば、庶子に憂いがある。右星に入れば、太子に憂いがある。別の説では、黒気が心宿の右星に入れば、庶子が賜禄を受ける。白気が心宿に入れば、天子の身辺の近臣が乱を起こして兵禍が興る。白気が心宿の左星に入れば、太子が賞賜を受ける。赤気が心宿に入れば、新たな王が立てられる。赤気が心宿から出て南に行けば、天子の身辺に逃亡して去る者がある。
赤雲氣鋒銳正刺心,天子憂;蒼白氣入心中星,天子憂;黃氣入心,天子有子孫喜;入右星,太子喜;黃白雲氣潤澤如匹布,正抵心下,外國有來歸者;雲氣狀如彗帚,色赤如血,入心,天子遇賊;出心,天子有殺伐;若出遠則穀貴,殺伐人於千里之外。
赤い雲気が鋒刃のように鋭く、まっすぐ心宿を刺せば、天子に憂いがある。青白の気が心宿の中星に入れば、天子に憂いがある。黄気が心宿に入れば、天子に子孫の面での喜事がある。右星に入れば、太子に喜びがある。黄白の雲気が潤沢して一匹の布のようにまっすぐ心宿の下に抵れば、外国が来て帰附する者がある。雲気の形が箒のように、色が血のように赤く、心宿に入れば、天子は賊害に遭う。心宿から出れば、天子は誅殺・征伐を行う。もし気が遠く出れば、穀物の値が上がり、誅殺される人は千里之外にいる。
尾宿雲気干犯占
青雲氣入尾,故臣有來歸者;出尾,臣有死者;白氣入尾,故臣有謀來歸而受誅者;黑氣入尾,故臣有來歸骸骨者;赤黃氣入尾,有使來言兵事;黑氣出尾,人民流亡;青氣出尾,臣作亂;赤黃氣出尾,君遣使於諸侯,言兵事。
青色の雲気が尾宿に入れば、旧来の臣子が来て帰附する者がある。気が尾宿から出れば、臣子の中に死ぬ者がある。白気が尾宿に入れば、旧臣が謀って帰り来ようとしてかえって誅殺される者がある。黒気が尾宿に入れば、旧臣の遺骸が送り返されて葬られる者がある。赤黄の気が尾宿に入れば、使者が来て兵事を談ずる。黒気が尾宿から出れば、人民は流離・逃亡する。青気が尾宿から出れば、臣子が乱を起こす。赤黄の気が尾宿から出れば、君主が使者を諸侯に遣わして兵事を談ずる。
箕宿雲気干犯占
黃白雲氣入箕,蠻夷有使來;黃雲氣入箕,有獻美女者;變而色黑,道死不至;色蒼,道上為風所覆;蒼白雲氣入箕,其國有災;出之,災除;黃白雲氣出箕,天子使者出;一曰:宮中美人有出者;赤雲氣出箕,兵出;入之。兵入。
黄白の雲気が箕宿に入れば、四方の蛮夷に使者が到来する。黄色の雲気が箕宿に入れば、美女を献ずる者がある。気が中途で黒色に変われば、女を献ずる人は道で死んで到着しない。気が青色に変われば、道中で大風に覆される。青白の雲気が箕宿に入れば、その国に災いがある。気が出て行けば、災いは除かれる。黄白の雲気が箕宿から出れば、天子の使者が外出する。別の説では、宮中の美人に遣い出される者がある。赤い雲気が箕宿から出れば、兵馬が出動する。箕宿に入れば、兵馬が入境する。
斗宿雲気干犯占
蒼白雲氣入南斗,多大風;赤雲氣入斗,兵起如波揚,大旱,多大災;黃白雲氣入斗,諸侯來見天子,不則有使者來貢;黑氣入斗,宗廟中有大憂;赤氣入南斗,外兵入;出斗,內兵出;黃白氣出斗,天子使人於諸侯;赤氣入北斗,還向南斗,不出一年,其下有流血,將死,營空,客勝主人。
青白の雲気が南斗に入れば、大風が多い。赤い雲気が斗宿に入れば、兵事が起こり、気が波のように翻揚すれば、また大旱・大きな災いが多いことを主る。黄白の雲気が斗宿に入れば、諸侯が来て天子に朝見し、さもなくば使者が来て貢ぐ。黒気が斗宿に入れば、宗廟の中に大きな憂患がある。赤気が南斗に入れば、外来の兵馬が入境する。斗宿から出れば、内部の兵馬が出征する。黄白の気が斗宿から出れば、天子は人を諸侯に遣わす。赤気が北斗に入り、また折り返して南斗を指せば、一年を出ずして、その下に対応する所に流血があり、主将が戦死し、営塁は空しく、客方が主方に勝つ。
牛宿雲気干犯占
蒼白雲氣入牛,牛多死;出之,則災消;蒼白雲氣橫貫牛宿,有兵喪,除舊佈新;黃白雲氣入牛,牛蕃息;一曰:諸侯有以四足蟲入貢者;黑雲氣入牛,天下牛多死;赤雲氣入牛,牛馬多以漕輓死者;出之,則兵出;赤雲氣如波揚入牛,有兵,大戰,牛馬大損;白氣入牛,有兵喪。
青白の雲気が牛宿に入れば、牛が多く死ぬ。気が出て行けば、災いは消える。青白の雲気が牛宿を横断すれば、兵禍・喪事があり、旧を除き新を布く、王朝の交代を主る。黄白の雲気が牛宿に入れば、牛群が繁衍し生息する。別の説では、諸侯に四足の畜生をもって貢ぐ者がある。黒い雲気が牛宿に入れば、天下の牛が多く死ぬ。赤い雲気が牛宿に入れば、牛馬が漕運・引船の労役で多く死に、気が牛宿から出れば、兵馬が出動する。赤い雲気が波のように翻揚して牛宿に入れば、兵事があり、大戦となり、牛馬が大量に損なわれる。白気が牛宿に入れば、兵禍・喪事がある。
虹出牽牛之度,有崩城,期二年。
虹が牽牛星の占める度数に現れれば、城池が崩壊する事があり、応期は二年以内である。
女宿雲気干犯占
雲氣黃白色,入女,國有嫁娶事;蒼白雲氣入女,天下女子多疾病;出之,則災消;赤雲氣入女,婦人多產死者;一曰:多兵死;白氣入女,女子多疾疫;黑氣入女,天下多女子之喪;黃雲氣出入須女,天下女子多喜事。
黄白の雲気が女宿に入れば、国の中に婚姻の事がある。青白の雲気が女宿に入れば、天下の女子に疾病が多く、気が出て行けば、災いは消える。赤い雲気が女宿に入れば、婦人に難産で死ぬ者が多く、別の説では、兵禍で死ぬ者が多い。白気が女宿に入れば、女子に疫病が多い。黒気が女宿に入れば、天下に女子の喪事が多い。黄色の雲気が須女(すなわち女宿)を出入りすれば、天下の女子に喜びの事が多い。
虚宿雲気干犯占
雲氣入虛,蒼白色,有哭泣;出之,禍除;黃雲氣入虛,天子以喜,起廟祀祠;黃白雲氣入虛,亨氣也,天子敬祀宗廟;赤雲氣入虛,有火災;一曰:有兵在廟中;出虛,有兵廟外;白氣入虛,有無幣之客來;出虛,有使出外;黑氣入虛,有水災;一曰:廟圯;雲氣如立虹出虛,天下大虛,多火災。
雲気が虚宿に入るとき、青白色ならば、哭泣の事がある。気が出て行けば、禍は除かれる。黄色の雲気が虚宿に入れば、天子は喜事によって廟を建て祭祀を行う。黄白の雲気が虚宿に入れば、これは亨通の気で、天子は恭しく宗廟を祭祀する。赤い雲気が虚宿に入れば、火災があり、別の説では、宗廟の中に兵事が起こる。気が虚宿から出れば、兵事は宗廟の外にある。白気が虚宿に入れば、礼物を持たない客が到来する。虚宿から出れば、使者が外出する。黒気が虚宿に入れば、水災があり、別の説では、宗廟が倒壊する。雲気が立った虹のように虚宿から出れば、天下は大いに空虚・乏しくなり、火災が多い。
危宿雲気干犯占
蒼白雲氣入危,天子大造宮室;青氣入危,國憂,有損屋;赤雲氣入危,有土功,蓋屋之事大作;一曰:宮中有兵憂;赤氣出危,以火發屋;一曰:有火災;黑氣出危,北鄉大水,人流亡東鄉,其國君死,百草不實,西鄉人主憂、死、喪,南鄉有疾疫,期不出其年,遠明年;
青白の雲気が危宿に入れば、天子は大いに土木を興して宮室を造る。青気が危宿に入れば、国家に憂いがあり、屋屋に損壊がある。赤い雲気が危宿に入れば、土木の工事があり、家を蓋う事が大いに興る。別の説では、宮中に兵禍の憂いがある。赤気が危宿から出れば、失火によって家屋を壊す。別の説では、火災がある。黒気が危宿から出るとき、北に向かえば、大水・人民の流亡を主り、東に向かえば、その国の君主が死に、百草が実らず、西に向かえば、君主に憂い・死喪があり、南に向かえば、疫病が流行する。応期は当年を出ず、遅くとも明年である。
黑氣入危,自北來,大水;西來,死君;東來,稻粟不實;南來,有兵;皆不出一年;白氣出入危,其國有兵;黃雲氣出入危,皆為土功興;一曰:黃氣出危,國有喜;白氣及黑氣入危者,皆有死喪、哭泣事;青黑氣出入危,皆有水災。
黒気が危宿に入るとき、北から来れば大水を主り、西から来れば君主が死に、東から来れば稲・粟が実らず、南から来れば兵事がある。これらの応期はいずれも一年を出ない。白気が危宿を出入りすれば、その国に兵事がある。黄色の雲気が危宿を出入りすれば、いずれも土木の工事の興ることを主る。別の説では、黄気が危宿から出れば、国の中に喜事がある。白気および黒気が危宿に入れば、いずれも死喪・哭泣の事がある。青黒の気が危宿を出入りすれば、いずれも水災がある。
室宿雲気干犯占
黃雲氣入室,有土功事;蒼白雲氣入室,大人憂、喪;黃白雲氣潤澤入室,諸侯有使來;若出室,天子有使出外,皆言宗廟之事;赤氣入室,有兵;赤雲氣如大道,來室上下,人主不可出宮,有逆臣,有疾病,不出三年,其土大飢,有軍在外,則有大戰、流血、暴尸;
黄色の雲気が室宿に入れば、土木の工事の事がある。青白の雲気が室宿に入れば、大人に憂患・喪事がある。黄白の雲気が潤沢して明るく室宿に入れば、諸侯に使者が到来する。もし室宿から出れば、天子に使者が外出する。両者が談ずるのは皆、宗廟の事である。赤気が室宿に入れば、兵事がある。赤い雲気が大路のように室宿の上下に来れば、人主は宮門を出てはいけない。叛逆の臣があり、かつ疾病があり、三年を出ずして、その方の土地が大いに飢饉する。もし軍隊が外にあれば、大戦・流血があり、屍骸が野に暴かれる。
赤氣如波揚入室,兵入宮,有亡國;黑氣入室,大人有死喪;青氣入室,其國憂;雜氣入室,人多暴死;有氣明潤光澤,如日月之彩,出入室中,男子之祥;黃氣光明潤澤,出入室,國有喜。
赤気が波のように翻揚して室宿に入れば、兵馬が宮廷に攻め入り、亡国の禍がある。黒気が室宿に入れば、大人に死喪がある。青気が室宿に入れば、その国に憂患がある。雑多な色の気が室宿に入れば、人に暴死が多い。気が明るく潤沢して光彩が日月のようであれば、室宿の中を出入りするのは、男子が生まれる吉兆である。黄気が光明・潤沢して室宿を出入りすれば、国の中に喜事がある。
壁宿雲気干犯占
蒼白雲氣入壁,大人憂死喪;出之,禍除;赤雲氣入壁,有兵;赤雲氣入壁,如波揚,兵火併起,大臣有燒死者;赤氣從西壁入東壁,兵氣也,天子手殺其臣;黑氣入壁,有破國、亡主;一曰:有大水;黃雲氣入壁,天子裂土建侯。(陳卓曰:烈士出。)青雲氣入壁,有兵起;黃白雲氣入壁,外國入貢;一曰:天子立廟,期一年。
青白の雲気が壁宿に入れば、大人に憂患・死喪がある。気が出て行けば、禍は除かれる。赤い雲気が壁宿に入れば、兵事がある。赤い雲気が壁宿に入って波のように翻れば、兵禍と火災がいっしょに起こり、大臣の中に焼死する者がある。赤気が西壁星から東壁星に入れば、これは兵気で、天子は自らの手でその臣を殺す。黒気が壁宿に入れば、国が破れ君が亡びる事があり、別の説では、大水がある。黄色の雲気が壁宿に入れば、天子は土を裂いて諸侯を分封する(ここで原書の小注は晋の人・陳卓を引いていう:節烈の士が現れる)。青い雲気が壁宿に入れば、兵事が起こる。黄白の雲気が壁宿に入れば、外国が貢を入れに来る。別の説では、天子が宗廟を建て、応期は一年以内である。
奎宿雲気干犯占
蒼白雲氣出奎,有兵;入奎,天下婦人多災;赤雲氣入奎,有兵入;出之,兵出;一曰:有疾病;赤氣入奎,有偽使;一曰:有無所受命而來者;赤氣出奎,有詐出使者;黃雲氣入奎中,有貢珠玉珍寶者;一曰:天子納后夫人;黃氣出奎,璽寶有出者;一曰有出宮人,不則后妃有黜者;赤氣入奎,天下婦人多血疾;黑氣入奎,有疾疫,三日夜不出,大人憂之,出則禍除。
青白の雲気が奎宿から出れば、兵事がある。奎宿に入れば、天下の婦人に災殃が多い。赤い雲気が奎宿に入れば、兵馬が入境する。奎宿から出れば、兵馬が出征する。別の説では、疾病がある。赤気が奎宿に入れば、偽りの使者がある。別の説では、命を受けずに勝手に来る者がある。赤気が奎宿から出れば、詐りて命を奉じたと称して出使する者がある。黄色の雲気が奎宿の中に入れば、珠玉・珍宝を貢ぐ者がある。別の説では、天子が皇后・夫人を娶る。黄気が奎宿から出れば、璽印・宝物に流失するものがある。別の説では、宮人が遣い出され、さもなくば后妃の中に廃黜される者がある。赤気が奎宿に入れば、天下の婦人に血疾が多い。黒気が奎宿に入れば、疫病が流行し、三昼夜散らなければ、大人はこれを憂える。気が出れば、禍は除かれる。
婁宿雲気干犯占
青黑雲氣入婁,有兵疫;出之,則禍除;白氣入婁,人民受賜;黃氣入婁,貴人受賜;黑氣入婁,有水,有白衣之會;黑氣出婁,紛紛如轉蓬始至,大人食中毒;一曰:大水且至;赤雲氣如劍鋒入婁,宗廟苑牧中兵起;青氣入婁,有兵憂。
青黒の雲気が婁宿に入れば、兵禍と疫病がある。気が出て行けば、禍は除かれる。白気が婁宿に入れば、百姓が賞賜を受ける。黄気が婁宿に入れば、顕貴の人が賞賜を受ける。黒気が婁宿に入れば、水患があり、かつ喪事がある(「白衣之会」は白衣を着て喪に赴く集まりを指す)。黒気が婁宿から出るとき、紛々として風に転がる蓬草がやっと漂い着くようであれば、大人の飲食に中毒の事がある。別の説では、大水がまさに至る。赤い雲気が剣鋒のように婁宿に入れば、宗廟と苑囿・牧場の中に兵事が起こる。青気が婁宿に入れば、兵事の憂いがある。
胃宿雲気干犯占
蒼白雲氣入胃,國以喪糴粟;青黑氣出胃,兵起;赤雲氣出胃,以兵出粟;黑氣入胃,倉粟敗腐;蒼白氣出胃,以喪出粟;黑氣如轉蓬出胃,大人食中毒死,且有大水;黃白雲氣明澤入胃,大人入國,倉庫充實;出之,有出粟賑民之事;赤雲氣入胃,以兵糴粟。
青白の雲気が胃宿に入れば、国家は喪事のために糧食を買い入れる。青黒の気が胃宿から出れば、兵事が起こる。赤い雲気が胃宿から出れば、用兵のために糧食を運び出す。黒気が胃宿に入れば、倉の中の粟米が敗れ腐る。青白の気が胃宿から出れば、喪事のために糧食を運び出す。黒気が風に転がる蓬草のように胃宿から出れば、大人が飲食で中毒して死に、かつ大水がある。黄白の雲気が明るく潤沢に胃宿に入れば、大人が朝に入り国に帰り、倉庫が充実する。気が胃宿から出れば、倉を開いて糧を放ち百姓を賑済する事がある。赤い雲気が胃宿に入れば、用兵のために糧食を買い入れる。
昴宿雲気干犯占
蒼白雲氣入昴,人疾疫,多死,妖言大起;出,則禍除;黑氣入昴,北地災;蒼赤雲氣入昴,人疾疫,多妖言,不則龍見;赤雲氣入昴,有軍令,白衣將兵;一曰:天子自將,民眾鼓下;赤氣出昴,軍在野處;青黑氣出昴,有兵,且有大水;黃白氣潤澤入昴,天子白衣會;出昴,白衣會罷。昴黑有珥,兵息。
青白の雲気が昴宿に入れば、民に疫病が生じ死ぬ者が多く、妖妄の言が大いに起こる。気が出て行けば、禍は除かれる。黒気が昴宿に入れば、北方の地に災いがある。青赤の雲気が昴宿に入れば、民に疫病が生じ、妖言が多く、さもなくば龍が現れる。赤い雲気が昴宿に入れば、軍令が下され、官職に就かない平民が兵を率いる。別の説では、天子が自ら兵を率い、民衆が軍鼓の下に集まる。赤気が昴宿から出れば、軍隊は野外に駐屯する。青黒の気が昴宿から出れば、兵事があり、かつ大水がある。黄白の気が潤沢して明るく昴宿に入れば、天子に喪事の集会がある。昴宿から出れば、喪事の集会が罷む。昴宿が黒くなり傍らに耳飾り状の「珥」の気があれば、兵事は止まる。
畢宿雲気干犯占
蒼白雲氣入畢,歲不收;出,則禍除;赤雲氣入畢,兵起;赤氣如波揚,大旱,有火災;黃白氣入畢,其歲美;出畢,則授民田;一曰:黃氣帶白入畢,天子有太子喜,兵在外者解;一曰:其歲有大人生;黃白氣出畢,有拜將;赤氣出畢,將軍兵出;黑氣入畢,相亂政,將死;白氣入畢,相死;出,則禍除;赤氣入附耳,兵起;出之,將軍兵出;蒼白氣入附耳,將軍死;黃白氣入附耳,天下無兵,安;黃白氣出附耳,有拜將;黑氣入附耳,將死。
青白の雲気が畢宿に入れば、その年は収穫がない。気が出て行けば、禍は除かれる。赤い雲気が畢宿に入れば、兵事が起こる。赤気が波のように翻揚すれば、大旱を主り、火災がある。黄白の気が畢宿に入れば、その年の年成が良い。畢宿から出れば、朝廷は田地を民に授ける。別の説では、黄気が白を帯びて畢宿に入れば、天子に太子を立てる喜事があり、外で征戦する軍隊は甲を解くことができる。また別の説では、その年に大人が生まれる。黄白の気が畢宿から出れば、将帅を拜任する事がある。赤気が畢宿から出れば、将軍が兵を率いて出征する。黒気が畢宿に入れば、宰相が政務を乱し、将帅が死ぬ。白気が畢宿に入れば、宰相が死ぬ。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が附耳星に入れば、兵事が起こる。気が出れば、将軍が兵を率いて出征する。青白の気が附耳星に入れば、将軍が死ぬ。黄白の気が附耳星に入れば、天下に兵事がなく、安寧・太平である。黄白の気が附耳星から出れば、将帅を拜任する事がある。黒気が附耳星に入れば、将帅が死ぬ。
觜宿雲気干犯占
蒼白雲氣入觜,天子有葆旅之事;出之,則禍除;赤雲氣入觜,兵起;赤氣如揚波入觜中,兵入國,火隨之;出觜,則兵隨之出;黃白氣潤澤入觜,有神寶入;一曰:有負寶玉來獻天子者;白氣入觜,民食葆旅;白氣出觜,有葆旅之事於國外;黑氣入觜,大人憂,遠將戮,趙地有災;出之,禍除;黃雲氣出觜,國兵隨之出;入觜,國兵入。
青白の雲気が觜宿に入れば、天子に糧草・人衆を屯聚する事がある(「葆旅」は糧草を蓄積し衆を屯聚することを指す)。気が出て行けば、禍は除かれる。赤い雲気が觜宿に入れば、兵事が起こる。赤気が波のように揚がって觜宿の中に入れば、兵馬が国境に攻め入り、火災がそれに随う。気が觜宿から出れば、兵馬がそれに随って出征する。黄白の気が潤沢して明るく觜宿に入れば、神異の宝物が朝に献じ入れられる。別の説では、宝玉を負って来て天子に献ずる者がある。白気が觜宿に入れば、民は備蓄の糧食で日を過ごす。白気が觜宿から出れば、糧草・人衆を屯聚する事が国境の外に起こる。黒気が觜宿に入れば、大人に憂いがあり、遠方の将帅が誅戮され、趙の地に災いがある。気が出て行けば、禍は除かれる。黄色の雲気が觜宿から出れば、国家の兵馬がそれに随って出動する。觜宿に入れば、国家の兵馬が入境する。
参宿雲気干犯占
蒼白雲氣入參,臣為亂;蒼白氣出參伐而環繞,天子自將兵巡邊;蒼白雲氣入伐,大將憂,有斬刈之事;蒼白氣出伐,以白衣行斬刈事;蒼氣入參,邊境有憂;赤雲氣入參,內兵起,將軍為亂,誅;赤雲氣如波揚入參,邊城倉庫焚;赤氣出參中央,邊有大兵;
青白の雲気が参宿に入れば、臣子が乱を起こす。青白の気が参宿の伐星から出て環り繞って去らなければ、天子は自ら兵を率いて辺境を巡視する。青白の雲気が伐星に入れば、大将に憂いがあり、斬殺の事がある。青白の気が伐星から出れば、官職に就かない平民が斬殺を執行する。青気が参宿に入れば、辺境に憂患がある。赤い雲気が参宿に入れば、内部に兵変が起こり、将軍が乱を起こして誅される。赤い雲気が波のように翻揚して参宿に入れば、辺城の倉庫が焼かれる。赤気が参宿の中央から出れば、辺境に大きな兵事がある。
赤氣入伐,有斬刈,將軍憂;黑氣入參,大水,將軍死,氣銳如鋒,大人當之;黑氣出參,有兵,有水災,將軍憂;黑氣出伐,以水伐國;白氣入參,天下用兵,一曰天子有陰病;黃白氣入參,大將受賜;黃氣出伐,將軍戰勝。
赤気が伐星に入れば、斬殺の事があり、将軍に憂いがある。黒気が参宿に入れば、大水を主り、将軍が死ぬ。この気が鋭く鋒刃のようであれば、大人がこの災いを承当する。黒気が参宿から出れば、兵事があり、水災があり、将軍に憂いがある。黒気が伐星から出れば、水の勢いを凭じて他国を伐つ。白気が参宿に入れば、天下は兵を用いる。別の説では、天子に陰の病がある。黄白の気が参宿に入れば、大将が賞賜を受ける。黄気が伐星から出れば、将軍は戦に勝つ。
井宿雲気干犯占
青雲氣出井,大如井口,上拂參而行入河中,大水沒城郭,期二十日,遠三十日;蒼白氣出井,有水令;入井,民大疫;黑氣入井,民疾病,多死喪,天下大水,道無行車;黃白雲氣入井,有客來言水澤事;赤雲氣入井,大水,不則疾疫,亦為旱;蒼白雲氣入井,有喪,女主惡之;白氣入井,大雨水;赤氣入井,有兵,一曰:水賊起;赤氣入井,天子以水行兵;黃氣出井,天子以澤泉之利養民;恆以正月朔夜,候東井中,或上下有雲氣潤澤,則其歲多潦。
青色の雲気が井宿から出て、大きさが井口のように、上って参宿を拂って銀河の中に行き入れば、大水が城郭を没することを主り、応期は二十日、遅くとも三十日である。青白の気が井宿から出れば、水利に関する政令がある。井宿に入れば、民に大疫が起こる。黒気が井宿に入れば、民が病み、死喪が多く、天下に大水があって、道に車馬が通らない。黄白の雲気が井宿に入れば、客人が来て水沢の事を談ずる。赤い雲気が井宿に入れば、大水を主り、さもなくば疫病で、また旱を主ることもある。青白の雲気が井宿に入れば、喪事があり、女主がこれを悪む。白気が井宿に入れば、大雨・積水を主る。赤気が井宿に入れば、兵事があり、別の説では、水上の盗賊が起こる。赤気が井宿に入れば、天子は水路を凭じて兵を用いる。黄気が井宿から出れば、天子は川沢・泉水の利をもって民を養う。いつも正月朔日の夜に、東井宿の中を候望し、その上下に雲気が潤沢であれば、その年は水潦が多い。
鬼宿雲気干犯占
黑氣入鬼,大人、皇后皆有憂;白氣入鬼,人疾病;赤雲氣入鬼,大旱,有火災;黃氣入鬼,有土功。
黒気が鬼宿に入れば、大人と皇后がともに憂患を持つ。白気が鬼宿に入れば、民が病む。赤い雲気が鬼宿に入れば、大旱を主り、火災がある。黄気が鬼宿に入れば、土木の工事の事がある。
柳宿雲気干犯占
赤雲氣入柳,有火災;出柳,大旱;黃雲氣入柳,期五十日,有赦,一曰:黃氣入柳,天子造宮室,土木大興;黃氣出,有赦;黑氣入柳,天子宮廟木腐敗;黑氣如鋒刀刺柳,三夜不散,大人憂;白氣出柳,國有憂兵出;白氣入柳,天子造宮室;蒼白氣入柳,有憂;黃白氣出柳,天子出美木作室;入柳,得美木。
赤い雲気が柳宿に入れば、火災がある。柳宿から出れば、大旱を主る。黄色の雲気が柳宿に入れば、応期は五十日で、赦令がある。別の説では、黄気が柳宿に入れば、天子は宮室を造り、土木が大いに興る。黄気が出れば、赦令がある。黒気が柳宿に入れば、天子の宮廟の木材が腐朽・敗壊する。黒気が刀鋒のように柳宿を刺して三夜散らなければ、大人に憂いがある。白気が柳宿から出れば、国の中に憂うべき兵事が起こる。白気が柳宿に入れば、天子は宮室を造る。青白の気が柳宿に入れば、憂患がある。黄白の気が柳宿から出れば、天子は美しい木材を運び出して宮室を造る。柳宿に入れば、美しい木材を得たのである。
星宿雲気干犯占
蒼白雲氣入七星,大人憂;蒼白雲氣出七星,天子有急使出;其氣回曲而不正,有亡臣;赤雲氣入七星中,兵氣也,若有客來,必有兵隨之;赤雲氣如波揚入七星中,火氣也,宮中有火災,四曲、五曲,后妃惡之;赤氣出七星,天子使出,亦有兵隨之出;黃氣彷佛入七星,外有貢獻;黃氣出七星,天子有賜於諸侯;氣見而大風隨之者,有赦;黃白氣潤澤入七星,遠人來貢;黑氣入七星。賢人多死;出之,禍除;白氣入七星,國有死喪;雲如蜚鳥啄七星,大人有憂。
青白の雲気が七星(すなわち星宿)に入れば、大人に憂いがある。青白の雲気が七星から出れば、天子に緊急の使者が派出される。この気が盤曲して端直でなければ、逃亡する臣がいる。赤い雲気が七星の中に入れば、これは兵気で、もし客人が来れば、必ず兵馬がそれに随って至る。赤い雲気が波のように翻揚して七星の中に入れば、これは火気で、宮中に火災があり、気が四道・五道に曲折すれば、后妃がこれを悪む。赤気が七星から出れば、天子の使者が外出し、兵馬もそれに随って出動する。黄気がおぼろげに七星に入れば、外に進貢の物がある。黄気が七星から出れば、天子は諸侯に賞賜する。気が現れた後に大風が随うならば、赦令がある。黄白の気が潤沢して明るく七星に入れば、遠方の人が来て貢ぐ。黒気が七星に入れば、賢人に死が多い。気が出て行けば、禍は除かれる。白気が七星に入れば、国の中に死喪がある。雲が飛ぶ鳥が七星を啄むようであれば、大人に憂いがある。
張宿雲気干犯占
蒼白雲氣入張,庭中觴客有憂;變出之,禍除;赤雲氣出入張,天子用兵賜物;白氣入張,大客有憂;黃氣潤澤入張,天子因喜賜客;黃白氣出張,天子命使賜諸侯;赤黃氣入張,有憂;出張,天子用兵;黑氣入張,徘徊而散,其分有水災;黑氣入張而轉繞之,或如刀劍刺之,天子防客;赤雲氣如揚波入張,天子宮中大哭。
青白の雲気が張宿に入れば、宮廷の中で宴を設けて賓客をもてなす事に憂患がある。気が変じて散出すれば、禍は除かれる。赤い雲気が張宿を出入りすれば、天子は兵を用い財物を賞賜する。白気が張宿に入れば、重要な賓客に憂患がある。黄気が潤沢して明るく張宿に入れば、天子は喜びに因って賓客を賞賜する。黄白の気が張宿から出れば、天子は使者に命じて諸侯を賞賜させる。赤黄の気が張宿に入れば、憂患がある。張宿から出れば、天子は兵を用いる。黒気が張宿に入って徘徊した後に散ずれば、それに対応する分野に水災がある。黒気が張宿に入って回り繞り、あるいは刀剣のようにそれを刺せば、天子は賓客を防ぐべきである。赤い雲気が波を揚げるように張宿に入れば、天子の宮中で大いに哭する声がある。
翼宿雲気干犯占
赤雲氣入翼,有暴客入國境;赤氣出翼,其國兵出,隨氣所之;蒼白氣入翼,太常之官憂之;黃氣潤澤入翼,諸侯來貢物;黃氣出翼,天子遣使於諸侯;黃白氣入翼,外國入貢;一曰:白氣若黑氣入翼,正抵其星,三夜不去,宗廟有憂,大人恐,兵大起。
赤い雲気が翼宿に入れば、凶暴な外敵が国境に侵入する。赤気が翼宿から出れば、その国の兵馬が出動し、気の指す方向に随って進発する。青白の気が翼宿に入れば、宗廟・礼儀を掌る太常の官がこれを憂える。黄気が潤沢して明るく翼宿に入れば、諸侯が来て物を貢ぐ。黄気が翼宿から出れば、天子は使者を諸侯に遣わす。黄白の気が翼宿に入れば、外国が貢を入れに来る。別の説では、白気または黒気が翼宿に入り、まっすぐ翼宿の星に抵って三夜去らなければ、宗廟に憂患があり、大人は恐れ、兵事が大いに起こる。
軫宿雲気干犯占
蒼白雲氣入軫,王者不可行幸宮觀;出之,其禍除;蒼雲圍軫,亡國之戒;黃白雲氣潤澤入軫,諸侯入貢,以車為幣;出軫,天子以車賜諸侯;赤雲氣入軫,兵從中起;赤雲氣如波揚入軫,車庫火災,兵且起,有大喪;赤氣出軫,將出,兵行;白氣入軫,有大喪;黑氣入軫,大人憂;黑氣如鼠入軫中,天子有墜車、墮馬、落床之厄;黑氣四散入軫,及迴繞之,天下大水,車不用。
青白の雲気が軫宿に入れば、君王は出行して宮観を巡幸してはいけない。気が出て行けば、その禍は除かれる。青い雲が軫宿を囲めば、亡国の戒めである。黄白の雲気が潤沢して明るく軫宿に入れば、諸侯が朝に入り貢を奉り、車駕を礼币とする。気が軫宿から出れば、天子は車駕をもって諸侯を賞賜する。赤い雲気が軫宿に入れば、兵事が内部から起こる。赤い雲気が波のように翻揚して軫宿に入れば、車庫が火にかかり、兵事がまさに起こり、大きな喪事もある。赤気が軫宿から出れば、将帅が出動し、兵馬が出発する。白気が軫宿に入れば、大きな喪事がある。黒気が軫宿に入れば、大人に憂いがある。黒気が鼠のように軫宿の中に入れば、天子は車から墜ち、馬から堕ち、床榻から落ちる厄がある。黒気が四散して軫宿に入り、および回り繞れば、天下に大水があり、車馬が通行できない。
開元占経巻九十六
雲気犯列宿占
大角
黑氣奄大角,久而不散,主命者惡之;蒼白氣入,國有大喪;黃白氣如月近大角,乍明乍暗;青雲一道,如千尋槍竿,沖大角而過,天子棟樑拆。
黒気が大角星を掩い、久しく散らなければ、天命を掌る君主はこれを悪む。青白の気が大角に入れば、国の中に大きな喪事がある。黄白の気が月のように大角星に近づき、忽ち明るく忽ち暗い。一道の青雲が千尋の長さの槍竿のように(八尺を一尋とする)、まっすぐ大角星を冲して過れば、天子の棟梁の臣が折損する。
進賢
蒼白氣入進賢,相黜,野逸憂;白氣入,賢士喪;黑氣入,賢士憂;黃氣入,賢士有恩賜。
青白の気が進賢星に入れば、宰相が罷黜され、山野の隠逸の士にも憂患がある。白気が入れば、賢士に喪亡がある。黒気が入れば、賢士に憂いがある。黄気が入れば、賢士が恩賞を得る。
庫楼
赤氣直如千尋槍竿,沖庫樓,天子自將兵,兵大動,中外震驚,武庫官憂,天下不安。
赤気が筆直に千尋の長さの槍竿のように庫楼星を冲れば、天子は自ら兵を率い、兵馬が大挙して動き、朝廷内外がことごとく震驚し、武庫を掌る官に憂いがあり、天下が安まらない。
拆威
蒼白氣入拆威中,大臣為亂,兵起,天子失威;出之,則禍除。赤氣入拆威中,大臣反天子;出,將兵。黃白氣入拆威,外國有來求和親者;出拆威,天子有德令。黑氣入,天子惡之,出,則禍除。
青白の気が拆威星の中に入れば、大臣が乱を起こし、兵事が興り、天子は威権を失う。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が拆威星の中に入れば、大臣が天子に反く。気が出れば、将帅が兵を率いて出征する。黄白の気が拆威星に入れば、外国に来て和親を求める者がある。拆威星から出れば、天子は恩を施す徳政の詔令を頒布する。黒気が拆威星に入れば、天子はこれを悪む。気が出て行けば、禍は除かれる。
陽門
赤氣入陽門,邊兵起,有戰。
赤気が陽門星に入れば、辺境に兵事が起こり、戦闘が発生する。
騎官
蒼白氣入騎宮,騎將死;赤氣出,騎兵大出;赤氣入,騎士憂;黑氣入,軍中有疾病。
青白の気が騎官星に入れば(底本はここで「官」を「宮」と書く)、騎兵を統べる将領が死ぬ。赤気が騎官星から出れば、騎兵が大挙して出動する。赤気が入れば、騎士に憂いがある。黒気が入れば、軍中に疾病が流行する。
従官
黃氣入,巫醫受爵。
黄気が従官星に入れば、祈祷・医薬を主掌する巫医の官が爵位を受ける。
天江
赤氣出天江,將軍出野;青氣入天江,大水;黃白氣入天江,天子用兵;出之,兵罷。
赤気が天江星から出れば、将軍は郊野に軍を出す。青気が天江星に入れば、大水を主る。黄白の気が天江星に入れば、天子はまさに兵を用いる。気が出て行けば、兵事は罷む。
傅説
赤氣入傅說,巫祝之官受戮。
赤気が傅説星に入れば、祝祷を掌る巫祝の官が殺戮を受ける。
魚星
赤氣入魚星,車騎滿,軍大動,將軍憂;黃氣出魚星,天子用事,起兵;入之,兵罷。
赤気が魚星に入れば、車馬・騎兵が原野に満ち、大軍が動員され、将軍に憂いがある。黄気が魚星から出れば、天子は挙事する所があり、兵を興して出動する。黄気が魚星に入れば、兵事は罷む。
亀星
赤氣入龜星,巫卜之官有誅。
赤気が亀星に入れば、巫術・卜筮を掌る官が誅戮される。
鼈星
赤黑氣入鱉星,有白衣會,天下易政。
赤黒の気が鼈星に入れば、喪事の集会があり(「白衣会」は素服を着て喪に会することを指す)、天下は政権を改易する。
九坎
赤雲氣入九坎,天下大旱;黑氣入,大水。
赤い雲気が九坎星に入れば、天下が大旱する。黒気が入れば、大水を主る。
河鼓
蒼白氣入河鼓,將有憂,軍在外則天子之軍敗,將死;出之,則禍除。赤氣入河鼓,兵起,客軍入;赤氣出河鼓,軍出,將軍戰不勝。黃白氣入,有以眾來降者;出之,將有喜。黑氣入,將死;青氣入,將憂。
青白の気が河鼓星に入れば、将帅に憂いがある。もし軍隊が外にあれば、天子の軍隊は敗れ、将は戦死する。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が河鼓星に入れば、兵事が起こり、客方の軍隊が入境する。赤気が河鼓星から出れば、我が方の軍隊が出征し、将軍は戦に勝てない。黄白の気が河鼓星に入れば、衆を率いて来て降る者がある。気が出れば、将帅に喜事がある。黒気が入れば、将帅が死ぬ。青気が入れば、将帅に憂いがある。
織女
蒼白雲氣入織女,女主憂病,一曰:人主憂;出,則禍除。赤氣入,有以女子故而家受誅者;赤氣入,女子多死,外兵;黑氣入,王者為女所害,一曰;女子多病死;白氣入,女有喪;黃白氣入,天子以女幸一家;出之,天子外得美女。
青白の雲気が織女星に入れば、女主は憂えて病む。別の説では、人主に憂いがある。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が織女星に入れば、女子の故によって家が誅戮される者がある。赤気が入れば、女子に死が多く、外来の兵禍もある。黒気が織女星に入れば、君王は女子に害される。別の説では、女子に病死が多い。白気が入れば、女子に喪事がある。黄白の気が織女星に入れば、天子は女子の故によってある家を寵幸する。気が出れば、天子は外から美女を得る。
天津
蒼白氣入天津中,君有水憂;赤氣入,大旱;黃氣入,天子有德令;赤氣出,兵起;黑氣入,大水;天津漢中有黑氣獨居,大若席,名曰雲漢,不滿三日,遲不出五日,大雨;黑氣狀如舡,若一匹布,維河津間,不出十日,大雨。
青白の気が天津星の中に入れば、君主に水患の憂いがある。赤気が入れば、大旱を主る。黄気が入れば、天子は恩を施す徳政の詔令を頒布する。赤気が天津から出れば、兵事が起こる。黒気が入れば、大水を主る。天津星のある銀河の中に黒気が独り停まって、大きさが一席のようで、「雲漢」と名づくものがあれば、三日を満たず、遅くとも五日を出ずして、大雨がある。黒気の形が船のよう、あるいは一匹の布のようで、天河と天津の間に維ぎ繋がるものは、十日を出ずして大雨がある。
敗臼
赤氣入敗臼,人主凶;黑氣入,天下人災。
赤気が敗臼星に入れば、君主に凶がある。黒気が敗臼星に入れば、天下の人が災いを受ける。
瓠瓜
蒼白氣入瓠瓜,瓜果不可食;出瓠瓜,其禍除。赤氣入,天子攻一邑,殘之;黃白氣出,天子以果賜諸侯;黑氣入,天子食果致害。
青白の気が瓠瓜星に入れば、瓜果は食べることができない。気が瓠瓜星から出れば、その禍は除かれる。赤気が入れば、天子はある城邑を攻めてこれを残破する。黄白の気が出れば、天子は果品をもって諸侯を賞賜する。黒気が入れば、天子は果品を食べて害を受ける。
天塁城
赤氣奄入壘城,北夷驚,有疾疫。
赤気が掩い天塁城星に入れば、北方の夷人は驚いて安まらず、かつ疫病が流行する。
羽林軍
蒼白氣入羽林軍,有憂;入其南,若入羽林,直南出,皆為后有憂;入其北,諸侯憂;出之,則禍除。赤氣出羽林,兵隨之,凶;赤氣入,兵起;入其東,後起兵;入其西,太子起兵;入其北,諸侯起兵;黃氣入,天子入軍中;黃白氣出羽軍南,后有所獻;出其北,太子有獻;黑氣入,兵起大戰;入其南,天子忌之;入其西,太子忌之;入其北,諸侯憂。
青白の気が羽林軍星に入れば、憂患がある。それの南辺に入り、あるいは羽林軍に入ってまっすぐ南辺から穿ち出れば、いずれも皇后の憂いを主る。それの北辺に入れば、諸侯に憂いがある。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が羽林軍から出れば、兵馬がそれに随って動き、凶を主る。赤気が入れば、兵事が起こる。それの東辺に入れば、皇后が兵を起こす。それの西辺に入れば、太子が兵を起こす。それの北辺に入れば、諸侯が兵を起こす。黄気が入れば、天子は自ら軍中に臨む。黄白の気が羽林軍の南辺から出れば、皇后は献ずる所がある。それの北辺から出れば、太子は献ずる所がある。黒気が入れば、兵事が起こり大戦がある。それの南辺に入れば、天子はこれを忌み防ぐ。それの西辺に入れば、太子はこれを忌み防ぐ。それの北辺に入れば、諸侯に憂いがある。
北落師門
蒼白氣入北落,有疾疫;赤氣出,兵出;赤氣入,外兵入;黃氣入,中使至,軍有喜;黑氣入,將死。
青白の気が北落師門星に入れば、疫病が流行する。赤気が北落から出れば、兵馬が出征する。赤気が入れば、外来の兵馬が入境する。黄気が入れば、宮中から派出された使者が至り、軍中に喜事がある。黒気が入れば、将帅が死ぬ。
螣蛇
黑氣出入天蛇,天下大水。
黒気が螣蛇星(正文は「天蛇」と書く)を出入りすれば、天下に大水がある。
天廐
蒼白氣入天廄,馬有驚。
青白の気が天廐星に入れば、馬匹が驚扰を受ける。
王良
蒼白氣入王良,天子憂墜車馬,奉車憂;出之,禍除。赤氣入王良,太僕奉車誅;赤氣中駟馬,內亂兵起;赤氣出,車騎滿野;黃氣入,奉車拜賜,天子有喜,諸侯有獻馬者,一曰:有神馬見;黃氣出,奉車受命,行德令,一曰:天子出車馬賜諸侯王;黑氣入,奉車太僕死。
青白の気が王良星に入れば、天子は車から墜ち馬から堕ちる事を憂え、御車を掌る奉車の官にも憂いがある。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が王良星に入れば、太僕と奉車の官が誅戮される。赤気が王良星の傍の駟馬星に正しく中れば、内乱が発生し兵事が起こる。赤気が出れば、車馬・騎兵が原野に満つ。黄気が入れば、奉車の官は拜し賞賜を受け、天子に喜事があり、諸侯に馬を献ずる者がある。別の説では、神異の馬が現れる。黄気が出れば、奉車の官は命を奉じて出行し、徳政の詔令を伝え布く。別の説では、天子は車馬を出して諸侯王を賞賜する。黒気が入れば、奉車都尉と太僕が死ぬ。
附路
蒼白氣入附路,太僕憂之;出附路,禍除。赤氣入,太僕有鈇鉞之誅;赤氣出,兵起;黃白氣入,太僕拜賜;出之,有德令;黑氣入,太僕死。
青白の気が附路星に入れば、太僕はこれを憂える。気が附路星から出れば、禍は除かれる。赤気が入れば、太僕は斧鉞を身に加えられる誅戮を受ける。赤気が出れば、兵事が起こる。黄白の気が入れば、太僕は拜し賞賜を受ける。気が出れば、恩を施す徳政の詔令がある。黒気が入れば、太僕が死ぬ。
閣道
白氣入閣道,有急事在內;白氣出,人主有疾病;黃氣入,天子有喜。
白気が閣道星に入れば、宮禁の内に緊急の事がある。白気が閣道から出れば、人主に疾病がある。黄気が閣道に入れば、天子に喜事がある。
天大将軍
蒼白氣入天將軍,軍中有疾疫,兵多將死;赤氣出,兵多出;赤氣入,兵將皆有凶,軍在外,防客兵來。
青白の気が天大将軍星に入れば、軍中に疫病が流行し、士卒と将領に死が多い。赤気が出れば、兵馬が大批に出動する。赤気が入れば、士卒と将領がともに凶であり、軍隊が外にあれば、客方の兵馬の来襲を防ぐべきである。
土司空
黃雲氣入土司空,土工大作,有建國、徙都之事。
黄色の雲気が土司空星に入れば、土木の工事が大挙して興り、新しい国を建て、国都を徙す事がある。
天倉
蒼白氣入天倉,歲不熟;出之,禍除。赤氣入,兵內起,有火災;赤氣出,以兵出粟;赤氣如波揚入之,大旱,火大起;黃白氣入,天下大熟;蒼黑氣入,天下不熟。
青白の気が天倉星に入れば、その年は穀物が熟さない。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が入れば、兵事が内部から起こり、かつ火災がある。赤気が出れば、用兵のために糧食を運び出す。赤気が波のように翻揚して天倉に入れば、大旱を主り、火災が大いに起こる。黄白の気が入れば、天下が大豊作である。青黒の気が入れば、天下の穀物が熟さない。
天廩
赤氣入天廩,大旱,有火災;黑氣入廩,粟腐敗;黃白氣入,歲豐;黃白氣出,天子出粟賑民;黑氣出,大水傷谷;蒼白氣入,蟲大生;出之,則禍除。赤氣出,天子以用兵出粟。
赤気が天廩星に入れば、大旱を主り、火災がある。黒気が天廩に入れば、倉の中の粟米が腐敗する。黄白の気が入れば、年成が豊かである。黄白の気が出れば、天子は倉を開いて糧を放ち百姓を賑済する。黒気が出れば、大水が穀物を損傷する。青白の気が入れば、虫害が大量に滋生する。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が出れば、天子は用兵のために糧食を運び出す。
大陵
蒼白氣入大陵,天下多死喪;赤氣入,天下兵起,多以兵死;黑氣入,大疫。
青白の気が大陵星に入れば、天下に死喪が多い。赤気が入れば、天下に兵事が起こり、兵刃で死ぬ人が多い。黒気が入れば、大きな疫病がある。
積尸
黑氣入積尸,天下人大疫死。
黒気が積尸星に入れば、天下の人が大批に疫病で死ぬ。
天舡
赤氣入天舡,不出一年,有自立者,一曰:不出九十日,水中兵戰;赤氣出,水兵起;蒼白氣入,有殃,天子不可乘舡;出之,禍除;赤黑氣入,天子戒乘舡;黃白氣入,天子幸舡有喜,必有神,狀若光景,處舡上者;青氣或黑氣,舟師勿行。
赤気が天舡星に入れば、一年を出ずして、自ら立って王となる者がある。別の説では、九十日を出ずして、水上に兵戦がある。赤気が出れば、水軍が兵を興す。青白の気が入れば、災殃があり、天子は船に乗ることができない。気が出て行けば、禍は除かれる。赤黒の気が入れば、天子は船に乗る事を戒慎すべきである。黄白の気が入れば、天子が舟船に臨幸して喜び慶びがあり、必ず神異が現れ、形は光影のように船上に止まる。もし青気または黒気が入れば、水軍は出行してはいけない。
芻藁
赤雲氣入天積,積中火起;赤氣入,天子用火;出,散貨;黃白氣入,天子自喜,多出貨財;出之,天子有喜,出貨財。
赤い雲気が芻藁星(正文は「天積」と称す)に入れば、積み集めた草料の中に火が起こる。赤気が入れば、天子は火攻を用いる。気が出れば、財貨を散らす。黄白の気が入れば、天子は自ら喜び慶びがあり、多くの財貨を支出する。気が出れば、天子に喜事があり、財貨を支出する。
天苑
蒼白氣入天苑,牛馬畜獸疫;出之,則禍除;赤氣入,牛馬多死傷;赤氣出,牛馬以兵事出;黃白氣入,牛馬禽獸蕃息;黑氣入,牛馬死;出之,禍除。
青白の気が天苑星に入れば、牛馬・家畜・野獣が疫を生ずる。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が入れば、牛馬に死傷が多い。赤気が出れば、牛馬は兵事によって調出される。黄白の気が入れば、牛馬・禽獣が繁衍し生息する。黒気が入れば、牛馬が死ぬ。気が出て行けば、禍は除かれる。
五車
蒼白氣入五車,兵大起,民流亡;赤氣入,兵起,大戰;赤氣出,兵車大出。
青白の気が五車星に入れば、兵事が大いに起こり、民は流離・逃亡する。赤気が入れば、兵事が起こり、大戦がある。赤気が出れば、兵車が大批に出動する。
天潢
蒼白黑氣入天潢,有死喪憂;出之,則禍除;赤氣入,兵內起;赤氣出,兵出戰;赤氣出入如揚波者,兵庫焚;黃氣入,若出之,天子有喜,有兵則兵罷。
青白色と黒色の気が天潢星に入れば、死喪・憂患がある。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が入れば、兵事が内部から起こる。赤気が出れば、兵馬が出征して戦う。赤気が出入りして波のように揚がるものは、兵器庫が焚かれる。黄気が入るか出るかすれば、天子にいずれも喜事がある。もともと兵事があれば、兵事は罷む。
咸池
蒼白氣入咸池,水蟲多死,一曰:池中魚多飛亡;黑氣入,大水;赤氣出,旱;黃白氣入,天子有喜;出,則有神魚見。
青白の気が咸池星に入れば、水中の魚虫に死が多い。別の説では、池の中の魚が多く躍り出て逃散する。黒気が入れば、大水を主る。赤気が出れば、旱を主る。黄白の気が入れば、天子に喜事がある。気が出れば、神異の魚が現れる。
天関
黃氣入天關,四方來貢玉帛。
黄気が天関星に入れば、四方の国が来て玉器と繒帛を貢ぐ。
天高
白氣出天高,早霜傷稼。
白気が天高星から出れば、霜が早く降りて、稼を損傷する。
参旗
赤氣出參旗,不出一年,西戎來,欲盜中國,若侵地,不出三年,天下煩擾,百姓多憂;青氣出入,同上。
赤気が参旗星から出れば、一年を出ずして、西方の戎人が来て、中原を劫掠しようと図る。もし彼らが土地を侵し占めれば、三年を出ずして、天下は紛扰して安まらず、百姓に憂患が多い。青気が参旗星を出入りすれば、占断は上と同じである。
天園
白氣出天園,兵起。
白気が天園星から出れば、兵事が起こる。
玉井
青氣從參下入玉井中,不出三年,人不飲食井;黃氣入,三日不去,軍在外絕水;白氣入,兵起;赤黃氣潤澤入之,有軍來降。
青気が参宿の下方から玉井星の中に入れば、三年を出ずして、人は井水を飲用できなくなる。黄気が玉井に入り、三日去らなければ、外の軍隊は水を断たれる。白気が入れば、兵事が起こる。赤黄の気が潤沢して明るく玉井に入れば、軍隊が来て降る。
屏星
黑氣入屏星,大疫。
黒気が屏星に入れば、大きな疫病が流行する。
天厠
蒼白氣入天廁,天子有陰病;青氣入,內兵起;黑氣入,天子憂;白氣入,天子有陰病;赤氣入,有兵;赤雲氣出天廁,禍除;黃白氣出入,皆為有喜。
青白の気が天厠星に入れば、天子に陰の病がある。青気が入れば、内部に兵変が起こる。黒気が入れば、天子に憂いがある。白気が入れば、天子に陰の病がある。赤気が入れば、兵事がある。赤い雲気が天厠星から出れば、禍は除かれる。黄白の気が天厠を出入りすれば、いずれも喜事があることを主る。
南北両河
蒼白氣入兩河戍間,兵大起,道不通;出河戍,則禍除;入北河,則邊兵動,又為疾疫,夷主死;赤氣出兩河間,天子用兵於諸侯;黃白氣入河戍間,隨河行,天子出德令,天下有難,道路不通。
青白の気が南河・北河の両戍の間に入れば、兵事が大いに起こり、道が通じない。気が河戍から出れば、禍は除かれる。気が北河に入れば、辺境の兵馬が動き、また疫病の流行を主り、夷人の君長が死ぬ。赤気が両河の間から出れば、天子は諸侯に兵を用いる。黄白の気が両河戍の間に入り、河星の走向に順って行けば、天子は徳政の詔令を頒布するが、天下に患難があり、道路は通じない。
五諸侯
蒼白氣入五諸侯,諸侯有黜死者。
青白の気が五諸侯星に入れば、諸侯の中に廃黜されあるいは死ぬ者がある。
積水
蒼白氣入積水,天下水災。
青白の気が積水星に入れば、天下に水災がある。
積薪
赤氣入積薪,火焚積聚。
赤気が積薪星に入れば、大火が屯積の物資を焼き払う。
水位
黑氣入水位,大水;赤氣入,大旱。
黒気が水位星に入れば、大水を主る。赤気が水位星に入れば、大旱を主る。
軍市
赤氣入軍市,軍中大驚。
赤気が軍市星に入れば、軍中が大いに驚扰する。
闕丘
赤氣入闕丘,宮中火災,天子不安其居。
赤気が闕丘星に入れば、宮中に火災が発生し、天子は自分の居所で安まらない。
狼星
赤氣入天狼,胡兵入塞,民大恐憂。
赤気が天狼星に入れば、胡人の兵馬が辺塞を越えて入侵し、百姓は大いに恐慌し憂懼する。
弧矢
赤氣入弧矢,天下驚恐,一曰:邊陲有警;黑氣入弧,胡中疫作。
赤気が弧矢星に入れば、天下は驚恐して安まらない。別の説では、辺疆に警報がある。黒気が弧星に入れば、胡人の境内で疫病が発作する。
老人
白氣奄入老人,王者國絕。
白気が掩い老人星に入れば、君王の国祚は断絶する。
天紀
黑氣奄入天紀,禽獸大疫,六畜死耗。
黒気が掩い天紀星に入れば、禽獣に大いに疫病が起こり、牛・馬・羊・鶏・犬・豕の「六畜」が死亡し損耗する。
爟星
赤氣入之,天下烽火舉動。
赤気が爟星に入れば、天下の烽火が挙燃して警を報じ、戦事が四方に起こる。
酒旗
赤氣入酒旗,天子以酒喪身。
赤気が酒旗星に入れば、天子は酒を飲むがゆえに命を失う。
軒轅
蒼白氣入軒轅,後宮憂,有疾疫;赤氣入,宮憂火。
青白の気が軒轅星に入れば、後宮に憂患があり、かつ疫病が流行する。赤気が軒轅星に入れば、宮中は火災を憂えるべきである。
天相
黃氣入天相,相臣有喜;黑氣入天相,相臣死,不則有疾病;蒼白氣入,相臣憂;赤氣入,相臣憂;赤氣出,相出師。
黄気が天相星に入れば、宰相の臣に喜事がある。黒気が天相星に入れば、宰相の臣が死ぬ、さもなくば病む。青白の気が入れば、宰相の臣に憂いがある。赤気が入れば、宰相の臣に憂いがある。赤気が出れば、宰相は兵を率いて出征する。
器府
赤氣入器府,天下樂廢。
赤気が器府星に入れば(器府は楽器を主掌する)、天下の音楽の事が廃弛して行われなくなる。
石氏中外宮占
大理
黃雲氣入大理,刑法官有遷。(巫咸曰:有赦。)黑氣入大理,決獄不平,刑,受誅。
黄色の雲気が大理星に入れば、刑法を掌る官に遷升がある(ここで原書の小注は巫咸を引いていう:赦令がある)。黒気が大理星に入れば、案件の裁きが公平でなく、用刑の失当によって誅罰を受ける。
六甲
黃雲氣入六甲,術士用;黃白氣入,太史受爵賜;黑氣入,太史憂。
黄色の雲気が六甲星に入れば、方術の士が任用される。黄白の気が入れば、天文・暦法を掌る太史が爵位を封じられ賞賜を得る。黒気が入れば、太史に憂いがある。
内厨
黑氣入內廚,飲食防毒。
黒気が内厨星に入れば、宮中の飲食に毒を入れる者を防ぐべきである。
北斗
雲氣五采入北斗,天子立太子,近期百日,遠二年。
五彩の雲気が北斗に入れば、天子は太子を立てる。近い応期は百日、遠いのは二年以内である。
輔星
黃白雲氣集輔星,相有喜;赤氣入輔星,相受斧鉞之誅;蒼白氣入輔星,相有憂;白氣入輔星,相黜;黑氣入輔星,相死。
黄白の雲気が輔星に集まれば、宰相に喜事がある。赤気が輔星に入れば、宰相は斧鉞を身に加えられる誅戮を受ける。青白の気が輔星に入れば、宰相に憂いがある。白気が輔星に入れば、宰相は罷黜される。黒気が輔星に入れば、宰相が死ぬ。
天理
赤雲氣入天理,兵大起,相出師。
赤い雲気が天理星に入れば、兵事が大いに起こり、宰相は兵を率いて出征する。
相星
黃白氣入天相,將相有喜;黑氣入,將相憂死。
黄白の気が相星(正文は「天相」と書く)に入れば、将帅・宰相に喜事がある。黒気が入れば、将帅・宰相に憂患・死亡がある。
勢星
黃氣入勢,中官受賜;赤氣出入,中官反;黑氣入,中官憂。
黄気が勢星に入れば、宮中の宦官が賞賜を受ける。赤気が勢星を出入りすれば、宦官が反を謀る。黒気が入れば、宦官に憂いがある。
三台
黃氣入,將相喜;赤氣入,多敗傷;黑氣入,三公憂,將相死。
黄気が三台星に入れば、将帅・宰相に喜事がある。赤気が入れば、敗亡・傷損が多い。黒気が入れば、三公に憂いがあり、将帅・宰相が死ぬ。
天棓
黃氣入,天子先驅有拜賜者;赤氣入,大人憂。
黄気が天棓星に入れば、天子の先導・開道の官の中に拜し賞賜を受ける者がある。赤気が天棓星に入れば、大人に憂いがある。
天槍
赤氣入天槍,天子驚恐,一曰失位;蒼白氣入,兵起。
赤気が天槍星に入れば、天子は驚恐して安まらない。別の説では、天子は君位を失う。青白の気が天槍星に入れば、兵事が起こる。
玄戈
黑氣入戈,胡兵退;蒼白雲氣入,胡人大疫死;赤氣出,胡兵大起。
黒気が玄戈星に入れば、胡人の兵馬は退く。青白の雲気が入れば、胡人に疫病で死ぬ者が大批に出る。赤気が玄戈星から出れば、胡人の兵馬が大挙して起こる。
招揺
赤氣入招搖正中,有兵內起,大將為亂;赤氣出於招搖,兵起,大戰;黃白氣出,天子以喜用師。
赤気が正中から招揺星に入れば、兵変が内部から起こり、大将が乱をなす。赤気が招揺星から出れば、兵事が起こり、大戦がある。黄白の気が出れば、天子は喜び慶びの事によって軍隊を出動する。
梗河
黑氣出梗河,兵起,大戰;赤氣出梗河,國兵大出;入梗河,大戰;蒼白氣入,將死。
黒気が梗河星から出れば、兵事が起こり、大戦がある。赤気が梗河星から出れば、国家の兵馬が大挙して出動する。梗河星に入れば、大戦がある。青白の気が梗河星に入れば、将帅が死ぬ。
貫索
蒼白氣入貫索中,天子憂,亡地;出,則禍除;赤氣入,有內亂,兵起;赤氣出,內兵出;黃白氣入,天子有喜;黑氣入,大人惡之;赤白氣入,獄多枉死者。
青白の気が貫索星の中に入れば、天子に憂いがあり、また土地を喪失する。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が入れば、内乱が発生し、兵事が起こる。赤気が出れば、内部の兵馬が出動する。黄白の気が入れば、天子に喜事がある。黒気が入れば、大人はこれを悪む。赤白の気が入れば、牢獄の中に冤まえて死ぬ人が多い。
女床
黃氣出入女床,後宮有子,喜;白氣入,後宮有喪;黑氣入,有死者;青氣入,有病;赤氣入,宮中兵起。
黄気が女床星を出入りすれば、後宮に子を生む者があり、喜事である。白気が入れば、後宮に喪事がある。黒気が入れば、死ぬ者がある。青気が入れば、病む者がある。赤気が入れば、宮中に兵事が起こる。
宦者
黃氣入宦者,受賜;赤氣入宦者,誅;黑氣入宦者,死;赤氣出宦者,作奸蔽主。
黄気が宦者星に入れば、宦官は賞賜を受ける。赤気が宦者星に入れば、宦官は誅殺される。黒気が宦者星に入れば、宦官が死亡する。赤気が宦者星から出れば、宦官は奸をなし権を弄して君主を蒙蔽する。
郎位
蒼白氣入郎位,中兵起,一曰:中郎有內亂;出,則禍除;赤氣入,兵起;出郎位,多用兵遠出行;黃白氣入,中郎受賜。
青白の気が郎位星に入れば、宮禁の中に兵変が起こる。別の説では、中郎・宿衛の官に内乱が発生する。気が出て行けば、禍は除かれる。赤気が入れば、兵事が起こる。赤気が郎位星から出れば、兵を用いて遠征・出行する事が多い。黄白の気が入れば、中郎の官は賞賜を受ける。
霊台
青黑氣入,有大風雨,期三日,遠七日;黃氣入,太史喜;赤白氣入,太史有憂。
青黒の気が霊台星に入れば、大風雨があり、応期は三日、遅くとも七日である。黄気が入れば、太史に喜事がある。赤白の気が入れば、太史に憂いがある。
少微
蒼白氣入少微,賢士憂,一曰:大臣黜;赤氣入,宰臣謀叛。
青白の気が少微星に入れば、賢士に憂いがある。別の説では、大臣が罷黜される。赤気が少微星に入れば、宰輔の臣が叛乱を謀る。
長垣
蒼白氣入長垣,胡兵起;赤氣入,胡兵入,有火災;赤氣出,邊兵起。
青白の気が長垣星に入れば、胡人の兵馬が起こる。赤気が入れば、胡人の兵馬が入境し、かつ火災がある。赤気が出れば、辺境に兵事が起こる。
摂提
青雲氣入攝提,九卿有憂;黃氣入,九卿有賞;赤氣入,戈盾用事;黑氣入,大臣誅。
青色の雲気が摂提星に入れば、九卿の官に憂いがある。黄気が入れば、九卿が賞賜を受ける。赤気が入れば、干戈・盾牌の事が当に行われ、兵戎がまさに用いられようとする。黒気が入れば、大臣が誅殺される。
開元占経巻九十七
猛将軍陣勝負雲気占
太公曰:凡興軍動眾陳兵,天必見其雲氣,示之以安危,故勝則可逆知也。其軍中有知曉時氣者,厚寵之,常令清朝,若日午,察彼軍及我軍上氣色,皆須記之,若軍上氣不盛,加警備守,輒勿輕戰,戰則不足,守則有餘。
姜太公はいう:およそ兵を興し衆を動かし陣を布くとき、天は必ず相応の雲気を現し、もって安危を示すから、勝負はあらかじめ推し知ることができる。軍中にもし時気の術に通暁する者があれば、厚く寵信して重用し、常に清晨、あるいは日の正午に、敵軍および我が軍の上空の気色を観察させ、皆いちいち記録させるべきである。もし我が軍の上空の気が盛んでなければ、警戒・防守を加え固め、けっして軽々しく戦ってはいけない。このような時は攻めるには兵力が足らず、守るには余裕がある。
察氣者,軍之大要,常令三五人,參馬登高若臨下察之,進退以氣為候。
雲気を観察することは、用兵の第一の大要である。軍中は定めて三五人を配置し、馬に乗って高い所に登り、あるいは高い所から臨んで察し、進兵するか退兵するかは、いずれも雲気の現す徴象を判断の依拠とすべきである。
賢将気
凡興兵動眾,忌大風雷而陰不見日。
およそ兵を発し、大勢の人馬を動員するには、狂風・迅雷に遭い、天色が陰晦して太陽が見えない日を最も忌む。このような天象は出師が利あらずと主り、避けるべきである。
凡氣初出如甑,上氣勃勃,上積為霧,霧為陰險,氣為虹霓,若暈珥之屬,如不積不結,散漫一方,不能為災,必和雜殺氣,森森然疾起,乃可論占。常以平旦、下晡、日出沒時候之,期內有風雨,災不成;或有黑氣如幢,出於營中,上黑下黃,敵欲來求戰,無誠實言,及九日內必覺,備之吉;或日月陰沉無光,不雨,或十日晝夜無光,不見日月,名曰蒙,日久陰不雨,下謀上也。
雲気が初めて立ち上るとき、形は飯を蒸す甑のようで、気の塊が上で滾々と翻り、積み集まって霧となる。霧は陰謀・凶険を主る。気が虹霓を結び、あるいは日の傍の暈・珥の類の光象に化するのも、皆同じ類である。もしこの種の気が積もらず凝らず、ただ散漫に一方に敷いているだけならば、災いをなすことはできず、これに拠って占断する必要はない。必ず「殺気」と混雑し、森然と急に湧き起こってこそ、論占することができる。観測の時刻は通常「平旦」(夜が明けたばかりの頃)、「下晡」(申の刻の夕方)、および日出・日没の各時を取る。もし応験の期限内に風雨が降れば、災いは成らない。もし黒気が軍中の幢幡のように営塁の中から現れ出て、上半が黒く下半が黄ならば、これは敵が来て挑戦しようとしており、口では誠実の言がなく、遅くとも九日以内に必ず覚り、あらかじめ戒備すれば吉である。もし日月が陰沈して光亮なく、天がまた雨を降らせず、あるいは十日続けて昼夜昏暗で日月が見えなければ、これを「蒙」と名づける。久しく陰りて雨が降らなければ、下位にある者が上位の者を謀ることを主る。
凡敵軍上氣黃白潤澤者,將有威德;或軍上氣發,漸漸如云,變作山形,將有深謀;或敵上氣黑中,赤在前者,將精悍;皆不得擊。凡氣上與天連,軍中將賢良也。
敵の営塁の上方の雲気が黄白色で潤って光沢があれば、相手の主将は威と徳を兼ね備えていることを説明する。もし敵営の上方の気が昇騰し、次第に雲のように敷き、また山嶺の形に変われば、相手の主将は胸中に深遠な謀画があることを説明する。もし敵営の上方の気が黒色で、赤気が前に居れば、相手の主将は精明・強悍であることを説明する。この三種の気象に遭えば、いずれも兵を出して攻めてはいけない。およそ雲気が上って天と相連なれば、その軍隊の中の将領は賢良の人であることを説明する。
猛将気
凡氣,如龍如虎,或如火煙之形,或如火光之狀,或如山林,或如塵埃,頭尖而卑,或氣黑如門上樓,皆猛將氣也。
雲気の形が龍のよう、虎のよう、あるいは火の燃える煙の形、あるいは火焔の光の状、あるいは連綿たる山林のよう、あるいは揚がった塵埃のようで頂が尖り位置が低く伏し、あるいは気色が黝黒で城門上の楼閣のようなものは、いずれも主将が勇猛な「猛将気」である。
凡敵上氣青而疏散者,將怯弱;若前大後小者,將怯不明。凡軍上氣,渾渾圓長,赤氣在其中,或有氣如赤杵在黑雲中,皆有伏兵;或兩軍相當,赤氣在前後左右者,有伏兵,隨氣所在防之;或有雲,絞絞綿綿,此以車騎為伏兵;或有雲,如布席之狀,此以步卒為伏兵;或有雲,如山嶽,在外有伏兵,不可不審也。
敵営の上方の気が青色で稀薄・散乱していれば、相手の主将は怯懦・軟弱であることを説明する。もし気の前部が大きく後部が小さければ、相手の主将は怯えて心に明らかさがない。およそ軍営の上方の気が渾厚で円長、中に赤気を挟み、あるいは気が一本の赤色の木杵のように黒雲の中に立つものは、いずれも伏兵を設けていることを示す。両軍が対塁する時、赤気が前後左右のどの面に現れたか、その面に伏兵があり、気のある方位に随って防備すべきである。もし雲気が絞り結ばれ連綿と絶えなければ、車騎をもって伏兵としたのである。もし雲が敷き開いた蓆のようであれば、歩卒をもって伏兵としたのである。もし雲が山岳のように高く大きければ、伏兵は外囲に設けられている。これらは皆、仔細に審察しないではいられない。
降城気
凡降城之氣如人,十十五五,皆叉手低頭,降之象;或有氣,上黃下白,名曰喜氣,所臨之軍,欲求和退;若風不蓬勃,旌旗暈暈,順風而揚舉,或向敵終日,軍行有功,勝候也。
城池がまさに降服しようとする時、上方の雲気は人の形のように、三五成群し、十人十人が一カ所に集まり、皆手を拱き頭を低くする。これは投降の徴象である。もし気が上半黄、下半白であれば、「喜気」と名づけ、それに覆われたその軍隊は和を求め兵を退こうとしている。もし風勢が狂乱せず、旌旗が舒展して光彩があり、風に順って高く揚がり、あるいは終日敵方を指向すれば、これは出兵して功を立て、必ず勝利を得る徴候である。
勝軍気
凡敵軍上氣如山堤上林木,不可與戰,在吾軍,大勝;或如火光,亦大勝;或敵上白氣坌沸如樓,綠以赤氣者,兵勁不可擊,在吾軍,必大勝。
敵軍の上方の気が山岡・堤岸上の列をなす林木のようであれば、それと交戦してはいけない。この気が我が軍の上方に現れれば、大勝を主る。気が火光のようであれば、同じく大勝を主る。もし敵営の上方の白気が蓬勃と翻り湧いて一座の高楼のようで、また赤気に纏われていれば、相手の兵勢は強く勁く、攻撃してはいけない。この気が我が軍の上方に現れれば、必ず大勝する。
或敵上氣黃白厚潤而重者,勿與戰;或遙視軍上雲如鬥雞,赤白相隨在氣中,得天助,不可擊。
もし敵営の上方の気が黄白色で、厚く潤い重ければ、彼と交戦してはいけない。もし遥かに相手の軍営の上方の雲が二羽の闘鶏のように見え、赤色と白色が気の中に一前に一後に相随っていれば、相手は天の佑助を得ており、攻撃してはいけない。
兩軍相當,上有氣如蛇舉頭向敵者,戰必勝。
両軍が勢均力敵に対峙する時、自陣の上空にもし気が一条の蛇のように高く頭を昂げて敵の陣地に正対していれば、気勢が主動して迫ることを説明し、交戦すれば必ず勝つ。
軍営気
凡軍營上有五色氣,上與天連,此應天之軍,不可擊;有赤黃氣於天,亦不可攻;或有雲如日月,而赤氣繞之,如日暈狀有光者,所見之地大勝,不可攻也;敵上氣如虎狀,其軍亦不可攻也。
軍営の上方に五色の気が現れ、上って天と相連なれば、これは天命に応う軍隊で、攻撃してはいけない。天に赤黄の気があれば、進攻してはいけない。もし雲が日のよう、月のようで、赤気がそれを環り繞り、形が日暈のように光彩を発すれば、この気の現れる方は大勝を主り、攻めに行ってはいけない。敵営の上方の気の形が猛虎のようであれば、その軍隊も同じく進攻してはいけない。
若逆風來應,氣旁勃,牙旗陰折,不見日,旌旗激揚,敗候也;若雲氣從敵所來,終日不止,吾軍不可出,出則不利;若風雲俱來,此為敗候,在急也。
もし風が逆らって吹き来て応じ、気が傍から横に冲し翻り、主将の牙旗が故なく折れ、天色が陰晦して太陽が見えず、旌旗が吹かれて乱れ揚がるならば、これは敗亡の徴候である。もし雲気が敵方の方から圧し来て、終日止まなければ、我が軍は出戦してはいけない。出戦すれば必ず不利である。もし風と雲がいっしょに湧き来れば、これも敗候で、しかも事は急迫して来る。
凡敵上氣,色如馬肝,如死灰,或類偃蓋,敗徵;或黑氣如壞山墮軍上者,軍必敗;或軍上氣昏發,連夜照人,則軍士散亂;或軍上氣,有五色雜亂,東西南北不定者,其軍必敗;或軍上有赤氣,炎炎降天,將死,眾亂;或軍上有黑氣,如牛馬形,從氣霧中下,漸漸入軍,名曰天狗下食血,敗軍也;或有雲氣蓋道,蒙蔽盡山,此敗候也。
敵営の上方の気の色が馬肝のよう、あるいは死灰のよう、あるいは倒さに覆った車蓋に類すれば、敗亡の徴である。黒気が崩れた山のように軍営の上方に墜ちれば、その軍隊は必ず敗れる。軍営の上方の気が昏暗に立ち昇り、几夜も連なって人影を照らせば、士卒は離散し混乱する。軍営の上方の気が五色雑乱し、忽ち東忽ち西、忽ち南忽ち北に飄忽として定まらなければ、その軍隊は必ず敗れる。軍営の上方に赤気が炎炎として天から降れば、主将が死に、部衆が大いに乱れる。軍営の上方に黒気があり、形が牛馬のように、気霧の中から降り、次第に営中に入れば、これを「天狗下食血」と名づけ、軍を敗らせるものである。雲気が道路を覆い蓋い、山全体を蒙蔽してしまうのも、敗亡の徴候である。
城中気
凡城中有白氣如旗者,不可攻;或有黃雲臨城,有大喜慶;或有青色如牛頭觸人者,其城不可攻屠;或城中氣出東方,其色黃,此天鉞也,不可伐,伐者死;或城上氣如火煙,主人慾出戰,其氣無極者,不可攻;或氣如杵,從城中向外者,內兵突出,主人勝,不可攻;或城上有雲,分為兩彗狀者,攻不可得。
城の中に旗のように立つ白気があれば、城を攻めてはいけない。黄雲が城の上に臨み覆うものがあれば、城中に大きな喜び慶びの事がある。青色の気が牛の頭で人を突くように冲き出るものがあれば、その城は攻め破り屠ることができない。城中の気が東方から現れ出て、その色が黄ならば、これは「天鉞」と名づき、討伐してはいけない、討伐する者は死ぬ。城上の気が火の煙のようであれば、城を守る側が出戦しようとしていることを説明し、その気が極まりなく続くならば、進攻してはいけない。気が木杵のように城中から外に向かって伸び出れば、城内の兵が突出して来ることを説明し、守る側が勝つので、進攻してはいけない。城上の雲が二条の彗尾の形に分かれるものは、攻めても獲ることができない。
囲城気
凡攻城圍邑,過旬日不雷雨者,城有輔助,疾去之,勿攻也,此皆勝氣,
およそ城を攻め邑を囲んで、旬日を過ぎても雷雨が降らなければ、その城は神祇の扶助があることを説明し、速やかに退き去るべきで、攻めてはいけない。以上は皆、相手方の「勝気」に属する。
凡攻城圍邑,赤氣在城上,黃氣四面繞之,城中有大將死,城降;城上有赤氣如飛鳥,擊之可破矣;或有氣出入者,人慾逃;或有氣如灰,氣出如覆其車上者,士多病,城屠;或城上無雲氣,士卒散;或城營上有赤雲,狀如聚人頭,下多死喪、流血,
城を攻め邑を囲む時、赤気が城上に止まり、黄気が四面からそれを環り繞っていれば、城中に大将が死に、城池が降服する。城上に飛ぶ鳥のような赤気があれば、それを撃てば破ることができる。気が出たり入ったりするものがあれば、城の中の人が逃げようとしている。気が灰燼のようで、現れ出ては車の上に覆うようなものは、守軍の士卒に病が多く、城は攻め破られ屠られる。城上に雲気がなければ、士卒は潰散する。城頭や営塁の上に赤雲があり、形が多くの人頭が集まり合ったようであれば、その下に死喪・流血の事が多い。
凡攻城,有白氣繞城而入者,急攻,可得;若有曲蛇從城外入城者,三日內,城屠,此皆敗氣。
城を攻める時、白気が城を繞ってそれから城の中に潜り入るものがあれば、急いで攻め、獲ることができる。もし蛇のように曲がった気が城外から城中に入れば、三日以内に城は攻め破られ屠られる。以上は皆、守る側の「敗気」に属する。
凡敵上有雲,如車蓋,不可擊;若有雲如雙青蛇,雲去,可擊,大勝。
敵営の上方に車蓋のように張り開いた雲があれば、攻撃してはいけない。もし二条の青蛇のような雲があれば、この雲が散ってから攻撃し、大勝することができる。
伏兵気
伏兵氣如幢節,在黑雲中,轉高銳,不可擊;城營上見有雲,如雄雞,城必降;邊城雲如蛟龍,所見處軍將失魄。
伏兵の気は形が儀仗の幢幡と符節のようで、黒雲の中に隠れ、ますます高く鋭くなり、攻撃してはいけない。城頭・営塁の上に雄鶏のような雲が現れれば、その城は必ず降服する。辺城の上空の雲が蛟龍のようであれば、雲が現れたその一カ所の軍の将は魂胆を失う。
敵上有雲,長如引素,如陣前銳,或白黑色,有謀;青色,有兵;赤色,有反;黃色,急去。
敵営の上方の雲が長く、引き開いた一匹の白絹のようで、前端が軍陣のように鋭い。この雲がもし白色または黒色ならば、相手に謀略があることを主る。青色は、まさに戦事があることを主る。赤色は、反逆があることを主る。黄色は、速やかに撤離すべきである。
敵上有氣如牽牛,未可擊;有雲如坐人,赤色,所臨必有卒兵來至驚恐,須臾而去。
敵営の上方に牽牛星のような気があれば、まだ攻撃してはいけない。端坐した人形のような雲があり、色が赤ければ、それが覆う所に必ず突然至った軍隊があり、一場の驚恐を引き起こすが、しばらくして退き去る。
軍気
凡占軍氣,與敵相對,將當訪軍中善相氣者,厚籠之,留令清朝若日中時,察彼軍及我軍上氣,皆紙筆錄記,上將軍,將軍察之,若我軍上氣不善,但警備鎮守,勿接戰。
およそ軍気を占望するにあたり、敵軍と対峙する時、主将は軍中で相気に長じた者を訪ね求め、優厚な待遇でこれを籠絡し、彼を留めて清晨あるいは正午の時に敵軍と我が軍の上方の雲気を観察させ、一律に紙筆で記録し、主将に呈報させ、主将が審断する。もし我が軍の上方の気が良くなければ、ただ戒備を強め、営塁を堅守し、出て接戦してはいけない。
敵在東、在南、在西、在北,每庚子日,及辰戌午未,登五丈高臺,去一里,占百人以上,便有氣。氣如塵埃,前卑後高者,將士精銳,不可擊;氣如堤阪,前後摩地,避之勿擊;見彼軍上氣,如塵埃粉沸,其色黃白,如旗幡暉暉然,無風而動,將士勇猛,不可擊;我軍如此,亦不用戰。
敵軍が東にあっても、南にあっても、西にあっても、北にあっても、庚子の日にあたり、および辰・戌・午・未の各時に、五丈の高い観台に登り、敵から一里ほど離れた所で望めば、駐屯する人数が百人以上であれば、上方に気がある。気が揚がった塵埃のようで、前が低く後が高ければ、相手の将士は精鋭で、攻撃してはいけない。気が長い堤の斜面のようで、前後とも地面に貼って拖いていけば、それを避けて攻撃してはいけない。相手の軍営の上方の気が細塵の飛び沸くようで、色が黄白、また旗幡のように光耀として閃き、風がないのに自ら揺れ動くのを見れば、相手の将士は勇猛で、攻撃してはいけない。この気が我が軍の上方に現れた場合も、同じく出戦の用はない。
凡對敵,或有氣來甚卑,不蔭覆人,上下掩構蓋道者,大賊必至,食不及飽,嚴備之。
敵と対峙する時、もし気が非常に低く圧して来て、低くて人身を蔭い覆うこともできず、上下交錯して遮蔽し、道路まで蓋ってしまうならば、大股の敵兵が必ず来襲し、来るのが急で飯も食べ飽きないほどだから、厳しく戒備すべきである。
軍勝気
凡雲起,王相者吉,凶死者凶,有勝無,實勝虛,高勝下,澤勝枯,長勝短,厚勝薄。我軍在西,賊軍在東,西高東下,西厚東薄,西澤東枯,西長東短,則我軍勝也。
およそ雲気が立ち起こる時、「王」「相」という当令して旺な気の位に処れば吉で、「凶」「死」という衰敗の位に処れば凶である。双方の気を比較するに:気あるは気なきに勝ち、充実は虚薄に勝ち、高は下に勝ち、潤沢は干枯に勝ち、長は短に勝ち、厚は薄に勝つ。仮に我が軍が西辺にあり敵軍が東辺にあって、西辺の気が高く東辺の気が低く、西辺が厚く東辺が薄く、西辺が潤沢で東辺が干枯し、西辺が長く東辺が短ければ、すなわち我が軍が勝つのである。
両軍気
兩軍相對,遙見軍上有氣,紛紛勃勃,如煙如塵,賊凶敗;軍上下日無氣者,其軍必敗;若我軍無氣,將修德撫士眾,存問寒暑,警誡固守;有赤色氣如火,從天下,入軍,軍亂將死;有黑氣如牛豬者,瓦解之氣,軍必敗;有白氣如瓜蔓連結部隊相隨,須臾罷而復出,及至八九而不斷者,賊必至,嚴守之;若雨氣濛濛圍城,有入處者,外兵當敗;入若有出者,內兵當突出。
両軍が相対する時、遥かに相手の軍営の上方の気が紛乱して翻り、煙のようでもあり塵のようでもあるのを望見すれば、これは敵方が凶で敗亡の象である。軍営の上下に終日気がなければ、その軍隊は必ず敗れる。もし気がないのが我が軍ならば、主将は徳を修め、士卒を撫し、寒く暑くとも慰め問い、厳しく警戒し堅守して出ない。赤色の気が火のように天から降りて軍中に入れば、軍中は大いに乱れ、主将が死ぬ。黒気の形が牛や豚のようであれば、これは土崩瓦解の気で、その軍隊は必ず敗れる。白気が瓜蔓のように一本一本連結し、部隊に随って行き、しばらく散じてまた現れ、八九次に及んでも絶えないものがあれば、敵兵が必ず至ることを説明し、厳しく防守すべきである。もし雨気が蒙蒙として城を囲み、城の中に潜り入る所があれば、城外の兵が敗れる。気が潜り入った後また出るものがあれば、城内の兵が突出して来ることを説明する。
凡氣安,則軍安也;氣動搖,則軍不安;氣四散去,軍破且敗。其氣如群羊,擊之必大克。
軍営の上方の気が安定すれば、軍隊は安定する。気が動揺して定まらなければ、軍隊は安まらない。気が四方に散って去れば、軍隊は潰散し敗亡する。相手の気が群れの羊のように散漫で紀なければ、それを攻撃すれば必ず大いに克つ。
兩軍相當,有氣如飛鳥徘徊,在我城上,或來而高者,兵銳,不可擊;兩軍相去十里內,三里外,軍上無氣,是死兵,擊之必大勝也;兩車欲戰,視彼軍氣,氛氳如焚,生軍之煙者,初必精銳不可當,待其氣散,擊之必勝;其氣黑,出如山,帶黃,是謝氣,敵人自降。
両軍が対峙し、気が飛鳥のように我が方の城上を徘徊し、あるいは遠くから漂い来て位置が高ければ、来る兵は精鋭で、攻撃してはいけない。両軍の相距るが十里以内・三里以外で、相手の軍営の上方に気がなければ、これを「死兵」と名づけ、それを攻撃すれば必ず大勝する。両方がまさに交戦せんとするとき、相手の軍気を見て、氤氳として弥漫し燃えているようで、活人の軍の生ずる炊煙のようであれば、相手は初め必ず精鋭で当たり難く、その気が散ずるを待ってから攻撃すれば、必ず勝つ。相手の気が黒く、出てくることが山のようで、黄色を帯びていれば、これは「謝気」で、敵人は自ら降伏する。
敗軍気
軍敗之氣,如群鳥亂飛,疾伐之,必大勝;氣乍明乍暗,皆有詐謀;氣過旬不散,城有大輔,疾去之,勿攻;凡敵上氣,如雙蛇、飛鳥、如缺垣、如壞屋、如人無頭、如驚獐、如走鹿相逐、如雞相向,皆為敗軍殺將之氣;敵上氣如困倉正白,見日益明者,將士猛銳,不可擊之;敵上氣黑,中有赤氣在前,精悍不可當;敵上氣如轉蓬者,擊之立破。
軍隊の敗亡の気は群れの鳥が乱れ飛ぶようで、急いでそれを討伐すれば、必ず大勝する。気が忽ち明るく忽ち暗ければ、皆、相手に別途欺詐の図謀があることを説明する。気が旬日を過ぎても散らなければ、その城は強大な扶助があることを説明し、速やかに退き去り、進攻してはいけない。およそ敵営の上方の気が、形が二条の蛇のよう、飛鳥のよう、欠けた牆垣のよう、崩れた房屋のよう、頭のない人のよう、驚いた獐のよう、奔り相逐う鹿のよう、二羽の鶏が相対して闘うようであれば、皆、軍隊が敗れ主将が殺される気である。敵営の上方の気が円い穀倉のようで純白、太陽を見ればますます明るければ、相手の将士は勇猛・精鋭で、それを攻めてはいけない。敵営の上方の気が黒く、中に赤気が前に居れば、相手は精悍で当たり難い。敵営の上方の気が風に転がる蓬草のようであれば、それを攻撃すれば立ちどころに破れる。
游兵気
遊兵氣,如彗雲掃除,或數百丈,萬萬無根本,敗軍之氣;如破車、如人無足無臂,若下,輕其將,妖怪並作,眾口相惑,當修德審令,繕礪鋒甲,勒誠誓士,以避天怒,然後復擇吉日,祭牙旗,具太牢之饌,震鼓鐸之音,誠心啟請,以備天問,觀其祥應矣。若人馬喜躍,旌旗皆前指,金鐸之聲揚以清,鞞鼓之音宛以鳴,此得神明之助持,以安眾心。乃可用矣。
游動する兵の気は彗星の長い尾が天空を掃うようで、あるものは数百丈に達し、浩浩茫茫として根柢がなく、これは敗軍の気である。気の形が破れた車のよう、足も腕もない人のようで、もしまた低く垂れ下がれば、士卒が自分の主将を軽慢し、妖異・怪事がいっしょに発生し、衆人が紛々と議論し互いに惑うことを示す。この時は徳を修め、号令を審定し、兵刃・甲冑を繕い磨き、士卒に誠信を申し明かし誓って約束し、もって天の震怒を避けるべきである。そして後また吉日を選択し、主将の牙旗を祭祀し、牛羊豕の三牲の揃った太牢の饌を備え、鼓鐸の音を震い響かせ、誠心をもって祷告して命を請い、天の垂問を待って、それのどんな祥応を示すかを観る。もし人馬が歓び踊り、旌旗が皆前方を指し、金鐸の声が揚がりて清く、鞞鼓の音が宛轉として鳴れば、これは神明の扶助・保持を得て、衆人の心を安んずることができる。こうして初めて兵を用いることができる。
開元占経巻九十九
山崩
《尚書中候》曰:“山崩水潰,納小人。”《運斗樞》曰:“山崩者,大夫排主,陽毀失基。”《考異郵》曰:“山者,君之位也,崩毀者,陽失制度,為臣所犯毀。”《春秋緯保乾圖》曰:“山崩,道散。”又曰:“山崩,修北斗七政之事,輔豪傑除惡之毒。”董仲舒《對災異》曰:“山者,陰類,崩者,忠貞離,叛臣蔽主之善,使恩澤不流,怒恚壅隔,民人乖散之象也。任賢良,使忠貞,以救之。”《地鏡》曰:“山崩,人君位消、政暴,不出三年,有兵奪之。”
《尚書中候》はいう:「山が崩れ水が潰決するのは、君主が小人を容れ入れた応験である。」《運斗枢》はいう:「山崩は、大夫が君主を排し、陽に属する側が毀壊して根基を失ったのである。」《考異郵》はいう:「山は君主の地位を象徴し、崩毀は陽に属する君主が法度を失い、臣下に侵犯・毀損されたことを示す。」《春秋緯保乾図》はいう:「山崩は、治国の道が涣散したのである。」またいう:「山崩に遭えば、北斗の主する日月五星・七政の事を整飭し、豪傑を扶助して奸悪の毒害を除去すべきである。」董仲舒の《対災異》はいう:「山は陰の類に属し、崩塌は、忠貞の士が離散し、叛臣が君主の善政を遮蔽して、恩沢が下に流れず、怨怒・憤恨が壅塞・隔絶し、これは百姓が心を離れ散乱する徴象である。補救の法は賢良を任用し、忠貞の人を起用することである。」《地鏡》はいう:「山崩は、君主の権位が消損し、政令が暴虐であることを主り、三年を出ずして、兵事が来てその権位を奪う。」
京房《易傳》曰:“山崩,陰棄陽,弱勝強,天壁亡。”又曰:“國山崩,君爭政,女戚五年敗。”又曰:“邑山崩,邑有戰,主亡,或大水。”京房《對災異》曰:“山者,三公之位,臺輔之德也。乃興雲出雨,漫溉萬物,助天成功。今崩去者,此謂大臣懷叛不忠也。”《地鏡》曰:“山春崩,國有伐城;夏崩,天下有水,國主亡;秋崩,有大兵;冬崩,年中大飢。”
京房の《易伝》はいう:「山崩は、陰が陽を棄て、弱が強を圧倒し、天然の屏障が亡失しようとしているのである。」またいう:「国都の近くの山が崩れれば、君臣が政柄を争い、外戚・女寵が五年以内に敗亡することを主る。」またいう:「城邑の近くの山が崩れれば、その城邑に戦事があり、城主が死亡し、あるいは大水が発生する。」京房の《対災異》はいう:「山は三公の位次・台輔の大臣の徳を象徴する。それは雲を興し雨を出し、あまねく万物を溉灌して、天が功業を成すのを助ける。いま崩壊して去るのは、これは大臣が叛意を懐き忠でないと謂うのである。」《地鏡》はいう:「山が春に崩れれば、国の中に城を攻める戦事がある。夏に崩れれば、天下に大水があり、国君が死亡する。秋に崩れれば、大きな兵事がある。冬に崩れれば、一年のうちに大きな飢饉がある。」
京房《易妖占》曰:“山以春崩,亡邑,有拔城;以秋崩,人主惡之;以夏崩,人主有亡,天下大水;以冬崩,多飢,兵興。”又曰:“山崩絕,輔臣去。”又曰:“山以二月崩,其邑戰;以八月崩,有兵;以十一月崩,此降民從而行。”《河圖秘徵篇》曰:“侯恣權則邑土崩。”《春秋經》:“魯僖公十四年,沙麓崩,卜偃曰:將有大咎。幾亡國。”《穀梁傳》曰:“林屬於山,曰麓。沙,其名也。”《公羊傳》曰:“沙麓,河上邑也。”
京房の《易妖占》はいう:「山が春に崩れれば、城邑を喪失し、城池が攻め拔かれる。秋に崩れれば、君主はこの徴兆を悪む。夏に崩れれば、君主に死亡の危があり、天下に大水が発する。冬に崩れれば、飢饉が多く、兵事が起こる。」またいう:「山が崩れて断絶すれば、輔政の大臣が去る。」またいう:「山が二月に崩れれば、その城邑に戦事がある。八月に崩れれば、兵事がある。十一月に崩れれば、これは百姓が他に帰降して随って遷徙するのである。」《河図秘征篇》はいう:「諸侯が放恣に権を専らにすれば、封邑の土地は崩壊する。」《春秋経》に記す:「魯の僖公十四年、沙麓が崩れ、晋の太卜・卜偃はいう:大きな災咎があろう、ほとんど国を亡ぼさんとする。」《穀梁伝》は解していう:「樹林が山に連なるのを麓という。沙は、この山麓の名称である。」《公羊伝》はいう:「沙麓は、黄河の辺の一つの城邑である。」
班固《天文志》曰:“沙麓者,地沙山名也。震而麓崩,不書震,舉重者也。”杜預曰:“沙麓,山名也。陽平元城縣東有沙麓山。”劉向《洪範傳》曰:“崩者,陷而下也。麓在山下,平地臣象,陰位也。崩者,散落,皆叛不事上之類也。夫山者,君之表也;麓者,臣之象也。故沙麓崩,臣將叛也。沙麓卑地,無崩頹而崩,其異甚矣。”
班固の《漢書・天文志》はいう:「沙麓とは、その地の一座の沙山の名である。地震して山麓が崩れたのに、《春秋》は崩のみ記して震を記さないのは、その中の分量の重い者を挙げて記したのである。」杜預はいう:「沙麓は山名である。陽平郡元城県の東に沙麓山がある。」劉向の《洪範伝》はいう:「崩とは、陥落して下ることである。麓は山の下にあり、平地に属し、臣子の象徴で、陰に属する位次に処する。崩とは、散落することで、皆、叛離して君上に事奉しようとしない類に属する。それ山は君主の標志、麓は臣子の象徴だから、沙麓が崩れれば、臣子がまさに叛乱しようとしているのである。沙麓はもとより低平の地で、崩塌・傾頽すべき形勢がないのに崩れたのだから、この変異はことさら甚だしい。」
《春秋》:“魯成公五年,梁山崩。”《穀梁傳》曰:“壅河,三日不流,晉君率群臣素服而哭之,河乃流。”《左傳》曰:“晉侯以傳召伯宗,伯宗闢重曰:‘闢傳。’重人曰:‘待我,不如捷之速也。’問其所,曰:‘絳人也。’問絳事焉,曰:‘梁山崩,將召伯宗謀之。’問將若之何,曰:‘山有朽壞而崩,可若何?國主山川,故山崩川竭,君為之不舉,降服、乘縵、撤樂、出次、祝幣,史辭以禮焉,其如此而已。雖伯宗若之何?”伯宗請見之,不可,遂以告而從之。”
《春秋》に記す:「魯の成公五年、梁山が崩れた。」《穀梁伝》はいう:「崩れた土石が黄河を壅塞し、三日河水が流れず、晋の国君は群臣を率いて素服を着てそのために痛哭し、河水は乃ちまた流通した。」《左伝》に記す:晋侯は駅車をもって大夫の伯宗を召して入見させ、伯宗は路上で積載の車に避けさせ、「駅車に道を譲れ」と喝した。重車を赶る者はいう:「私が退くのを待つよりは、あなたが傍から近道を行く方が速い。」伯宗は彼がどこの人か問い、答えていう:「絳都の人である。」伯宗はすなわち絳都に何事かあるか問い、その人はいう:「梁山が崩れ、国君は伯宗を召して対策を商議しようとしている。」伯宗はまたどうするつもりか問い、その人はいう:「山はもとより朽壊して崩塌することがあり、どうしようか。国家は山川を主とするから、山崩・川竭の時は、国君はそのために盛饌を撤し、服飾を降損し、文飾を加えない車に乗り、音楽を撤除し、正寝を離れ別の所に居し、幣帛を陳して祭祀し、太史に礼に拠って辞を致させる。かくのごとくのみである。伯宗を召しても、どうなろうか。」伯宗は彼に晋侯に見えよと請うも、その人は肯んぜず、伯宗はすなわちこの一話を報告し、晋侯はそれに照らして行った。
《洪範傳》曰:“山者,陽之位,君之象也;水者,陰之表也,民之類也;崩者,壞沮也;壅者,不得其所也。天若語曰:人君權威重,將崩壞不治,百姓將不得其所也。至於以喪禮泣之,縞素哭泣,然後流,喪亡之象也。”劉歆曰:“梁山,晉望也。古者三代命祀,祭不越望,吉凶禍福不是過也。國主山川,山崩川竭,亡之征也。”“漢文帝元年,齊楚之山二十九,同日俱大發水大潰。”《洪範傳》曰:“山者,君之象,一曰:諸侯位也;水者,陰之類。言眾盛強,沮潰敗君之效也;一曰:諸侯沮,俱自壞敗也。”
《洪範伝》はいう:「山は陽に属する位次に処し、君主の象徴である。水は陰の外なる表れで、百姓の類に属する。崩とは、壊損・沮喪である。壅とは、それぞれその所に安んずることができないことである。天はあたかも告げていうようだ:君主の権威が重すぎ、まさに崩壊して收拾することができず、百姓はまさにそれぞれその所を得られなくなろうとしている、と。喪礼をもってそれを哭祭し、白色の喪服を着て哭泣し、その後に河水が流通するに至ったのは、これは喪亡の象徴である。」劉歆はいう:「梁山は晋が祭望する名山である。古は夏・商・周の三代が祀典を定め、祭祀は本国の境内の名山大川を越えず、吉凶・禍福もこの範囲を出ない。国家は山川を主とし、山崩・川竭は亡国の徴兆である。」また記す:「漢の文帝元年、斉の地・楚の地の二十九座の山が、同日にことごとく大いに洪水を発し山体が大潰した。」《洪範伝》はいう:「山は君主の象徴で、別の説では諸侯の位次である。水は陰の類に属する。これは衆庶の勢力が盛強で、君主を冲き潰し敗る応験を謂う。別の説では諸侯が潰敗し、皆みずから壊敗・敗亡するのである。」
《東方朔別傳》載:“漢孝武帝時,未央宮前殿鍾無故自鳴,三日三夜不止,於是帝召太史待詔方朔問之,曰:‘恐有兵氣。’帝更問於東方朔曰:‘夫銅者,土之子;土者,銅之母。以陰陽氣類言之,子母相感動,山恐有崩墮者,是以鍾先為之鳴。故《易》曰:鳴鶴在陰,其子和之。精之至也。’帝曰:‘應在幾日?’朔曰:‘在後五日內。’居三日,南郡太守上書言山崩,丞相以聞,帝曰:‘善。’賜朔帛三十匹。”《考異郵》曰:“山之亡,主沉溺。”
《東方朔別伝》に記す:漢の武帝の時、未央宮前殿の大鐘が故なく自ら鳴り響き、三日三夜止まなかった。武帝は太史待詔を召して問い、答えていう:「おそらく兵事の気があります。」武帝はまた転じて東方朔に問い、東方朔はいう:「銅は土の生む子で、土は銅の母です。陰陽の同類相感について言えば、子と母の間は互いに感動し、山に大概崩塌・墜落するものがあるから、鐘が先にそのために鳴るのです。故に《周易》中孚卦九二爻辞に『鳴鶴在陰、其子和之』といい、精誠の感応が極まったことを講ずるのです。」武帝は問う:「応験は几日以内か。」東方朔はいう:「この後五日以内です。」三日を居て、南郡太守が上山崩を報じ、丞相が奏報し、武帝はいう:「善い。」東方朔に絹帛三十匹を賞賜した。《考異郵》はいう:「山の崩毁・消失は、君主の沈淪・覆没を主る。」
山移動 山亡 山鳴 山出光 山石生血
《地鏡》曰:“山徙,是謂德重,直臣去,佞人用,政在女主,不出五年,有走王。”又曰:“山無故自徙,天下兵,社稷亡。”又曰:“山徙,是謂非分,不出三年,四方兵起。”又曰:“山石忽自動,及相拘累,及大小移轉,或溼或血,為天下兵亂。”《地鏡》曰:“山無故亡,人君失位。”《地鏡》曰:“山無故晝夜有聲如哭,天下兵喪。”《春秋潛潭巴》曰:“山有長光,臣下不良。”《地鏡》曰:“山有長光,臣不祥。”《地鏡》曰:“石忽生赤如血,諸侯不助時,父子絕。”
《地鏡》はいう:「山が位置を移動するのは、これを『徳重』と謂い、正直な臣子が去り、奸佞の人が任用され、政権が女主の手に落ち、五年を出ずして、出奔・逃亡する君王があることを主る。」またいう:「山が故なく自ら遷移すれば、天下に兵事があり、社稷が亡びる。」またいう:「山が遷移するのは、これを『非分』と謂い、三年を出ずして、四方が皆兵を起こす。」またいう:「山石が忽然として自ら移動し、あるいは互いに牽連して堆積し、あるいは大小に位置を転換し、石上が或は湿潤し或は血色を滲ませるのは、皆、天下の兵乱を主る。」《地鏡》はいう:「山が故なく消失すれば、君主は君位を失う。」《地鏡》はいう:「山が故なく昼夜、哭泣のような声を発すれば、天下に兵災・喪乱がある。」《春秋潜潭巴》はいう:「山の上に長い光が現れれば、臣下が善良でないことを主る。」《地鏡》はいう:「山の上に長い光が現れれば、臣子に不祥の事があることを主る。」《地鏡》はいう:「石が忽然として血のような赤色を生じれば、諸侯が時に助けようとせず、父子の間の恩義が断絶することを主る。」
山石変化 石生水中
《地鏡》曰:“山中見異類物,非人所常見者,各有形名音聲,皆為其邑大水,或飢,兵革行,邑亡。”又曰:“山忽化為人形,及六畜飛鳥形,皆天下虛。”又曰:“石化為人,君絕祠。”又曰:“石如人形,庶雄持政;如禽形,諸侯興兵誅行;形如飛鳥,外戚女主近臣謀反。”又曰:“山忽生於石上,邑出主;石生正方,三公外謀,不出三年,逆兵起。”又曰:“石生重累,不出五年,相謀逆且成。”
《地鏡》はいう:「山の中に異類の怪物が現れ、人々が平常見ることのできるものでなく、各々の形状・名目と鳴き声を持つものは、皆、その城邑に大水が発し、あるいは飢饉が起こり、兵戈が興り、城邑が滅亡することを主る。」またいう:「山が忽然として人の形に変じ、および六畜・飛鳥の形に変ずれば、皆、天下の空虚を主る。」またいう:「石が人形に変ずれば、君主の宗廟の祭祀が断絶することを主る。」またいう:「石が人形に似れば、平民の中の豪強が政権を把持することを主る。禽鳥の形に似れば、諸侯が兵を起こして討伐することを主る。形が飛鳥のようであれば、外戚・女主と近臣が反を謀ることを主る。」またいう:「山が忽然として石の上から生え出れば、その城邑に君主が出る。石が方正の形に長なれば、三公が外で図謀し、三年を出ずして、叛乱の兵事が発生する。」またいう:「石が重々畳々と生長すれば、五年を出ずして、宰輔が逆を謀る事が成り遂げられようとする。」
又曰:“石生,往往如聚,不出五年,兵謀行。”地鏡曰:“石生水中,上見者,近相謀逆,與女主連,不出八年,兵行。”
またいう:「石が生長して出るのが、往々堆り聚まったようであれば、五年を出ずして、用兵の図謀が施行される。」《地鏡》はいう:「石が水中に生じて水面に露出し見えるものは、近臣が互いに叛逆を図謀し、しかも女主と相勾連し、八年を出ずして、兵を動かすことを主る。」
石生廟邑 冢自声音 冢自移併陥与冢樹自死
《地鏡》曰:“石生於都邑,人君去故就新,不出三年,易政。”又曰:“石生於宗廟中,人君不行先王法度,不出三年,易主。”又曰:“石生而隕墜,雄烈敗。”《地鏡》曰:“冢自音聲,天下大兵起。”《地鏡》曰:“冢自動,天下分破。”又曰:“冢自陷,天下移。”又曰:“冢樹自死,天下易主。”
《地鏡》はいう:「石が都邑の中に生じれば、君主が旧を捨て新に就くことを主り、三年を出ずして、政権が更易する。」またいう:「石が宗廟の中に生じれば、君主が先王の法度を遵行しないことを主り、三年を出ずして、君主が更換する。」またいう:「石が生じてまた隕墜すれば、豪雄・剛烈の人が敗亡することを主る。」《地鏡》はいう:「墳冢が自ら声を発すれば、天下に大きな兵事が起こる。」《地鏡》はいう:「墳冢が自ら移動すれば、天下が分裂・破碎する。」またいう:「墳冢が自ら陥没すれば、天下が改朝换代する。」またいう:「墳上の樹が自ら枯死すれば、天下が君主を更換する。」
光
《河圖》曰:“聖人起,昌光見。”《漢書郊祀志》曰:“武帝封禪,夜有光,晝有白雲,起封中。”《元命苞》曰:“有瑤光貫月,感女樞,生顓頊。女樞見此而意感也。”《河圖》曰:“瑤光如虹貫月,正白,感女樞,出房之宮,生帝顓頊。”《漢武帝禪儀》曰:“天封之禪,晝有白氣,夜有赤光。”《漢書郊祀志》曰:“武帝幸汾陰,汾陰男子公孫傍洋等見汾陰傍有光如繹,上遂立后土祠於汾陰。”又:“郊太一祠,上有光。封禪太山,其夜有光。”又曰:“宣帝祀世宗廟,神光興於殿旁,神光又興於房中,如燭狀。廣川國世宗廟殿上有鍾音,房大開,夜有光,殿上晝明。”
《河図》はいう:「聖人が興起する時、昌盛の光が顕現する。」《漢書・郊祀志》に記す:「漢の武帝が封禅を行った時、夜に光があり、昼に白雲があり、皆封壇の中から立ち起こった。」《元命苞》はいう:「北斗の瑶光星の光が月を貫き、女枢を感応させ、顓頊を生ませた。女枢はすなわちこの光を見て心に感じたのである。」《河図》はいう:「瑶光星の光が虹のように月を貫き、純白で、女枢を感応させ、房宿の主する宮から出て、顓頊帝を生ませた。」《漢武帝禅儀》はいう:「天を封ずる禅礼を行う時、昼に白気があり、夜に赤光があった。」《漢書・郊祀志》に記す:「武帝は汾陰に臨幸し、汾陰の人・公孫傍洋らが汾陰の傍に抽き出した糸のような光があるのを見て、武帝はここに汾陰に後土祠を立てた。」また記す:「郊で太一祠を祭祀する時、上に光があった。泰山に封禅する時、その夜にも光があった。」またいう:「漢の宣帝が世宗廟を祭祀した時、神光が殿の傍から起こり、また室の中から起こり、燭火の形のようであった。広川国の世宗廟の殿上に鐘の音があり、房の門が大いに開き、夜に光があり、殿上は昼のように明るかった。」
《東觀漢記》曰:“安帝私在郡第,數有神光照耀室內。”又曰:“李軼等語讖曰:言劉氏當復起,李氏為輔。遂市兵弩、絳衣、赤幘,歸舊廬,望見廬南有若火光,以為人持火,呼之,光遂熾,曈曈赫然,上屬天,有頃不見,異之。”張勃《吳錄》曰:“武烈皇帝,姓孫氏,名堅,字文臺,吳郡富春人。漢季世,墓上數有光雲五色,上燭天。”
《東観漢記》に記す:「漢の安帝がまだ藩国の私第に住んでいた時、しばしば神光が室内を照耀した。」また記す:「李軼らが谶語を伝えていう:劉氏はまさに再び興り、李氏はその輔佐となる、と。ここにおいて兵器・弓弩・絳色の衣服と赤色の頭巾を買い、旧屋に帰り、遥かに屋南に火光のようなものがあるのを望見し、人が火把を挙げていると思い、声を出して呼ぶと、その光はかえってますます熾盛になり、明るく赫然として人を照らし、上って一直線に天に連なり、しばらくして見えなくなり、衆人は皆奇異に思った。」張勃の《呉録》に記す:「武烈皇帝は孫の姓で名は堅、字は文台、呉郡富春の人である。漢の末世、彼の家の墓の上にしばしば五色の光雲が現れ、上って天空を照らした。」
《天源記》曰:“武王呂光子世明王,以石氏建武四年夜,有光曜舉舍,異之,名曰光。”《異苑》曰:“孫堅喪父,行葬地,忽有一人曰:‘君欲為百世諸侯,欲為四世帝乎?’曰:‘欲為帝。’此人因揭一處而沒,既葵,冢上常有怪。”《抱朴子》曰:“有赤光如火從天來下入,軍亂,將死。”郗萌曰:“有光如日月見虛,為男子之祥。”又曰:“有光如蛟龍見宮室,為女子之祥。”《後秦記》曰:“姚襄將與符廣眉戰,謂將軍王欽盧曰:‘吾數行,常有異光引吾前,狀如導驅,數日,忽復不見,意惡之,此何祥也?’欽盧不對,即與眉戰,死於陳。”
《天源記》に記す:「武王・呂光の子の世明王は、石氏・後趙の建武四年の夜に、光が屋舎全体を曜ったので、家人は奇異に思い、彼に光と名づけた。」《異苑》に記す:「孫堅は父が死に、埋葬の地を察しに行くと、忽然として一人の人が彼にいう:『あなたは百世の諸侯になりたいか、それとも四世の皇帝になりたいか。』孫堅はいう:『皇帝になりたい。』この人はすなわち一箇所を指し示して見えなくなった。安葬した後、墳の上に常に怪異が現れた。」《抱朴子》はいう:「赤光が火のように天から降って軍中に入れば、軍中が大いに乱れ、主将が死亡することを主る。」郗萌はいう:「光が日月のように虚宿に現れれば、男の子が生まれる吉兆である。」またいう:「光が蛟龍のように宮室に現れれば、女の子が生まれる吉兆である。」《後秦記》に記す:「姚襄がまさに苻広眉と交戦せんとして、将軍の王欽盧にいう:『わたしはたびたび出行するに、常に異光がわたしの前を導き、様子は前方で導引・駆馳するようであるが、この数日、忽然としてまた見えなくなった。心に好ましくなく思うが、これはどんな徴兆か。』王欽盧は答えなかった。即座に広眉と交戦し、姚襄は陣中で死んだ。」
開元占経巻一百
醴泉 河出
《瑞應圖》曰:“醴泉者,水之精也。王者得地理則出,有仙人以爵酌之。”《運斗樞》曰:“旋星得則醴泉出。”《地鏡》曰:“河徙,是謂陰反,不出五年,有叛臣,兵行,民流亡。河徙一里至三里,是謂失政,且有謀臣;河徙至五里、十里,女主執政,外戚有背叛;河徙十里已上,人君失道,政在下臣。流水忽易道,君易賢。”
《瑞応図》はいう:「醴泉は水の精華である。君王の治理が地理に合致すれば、醴泉は湧き出し、また仙人が酒爵をもってそれを酌み取る。」《運斗枢》はいう:「北斗第二星・旋星の運行が当を得れば、醴泉が湧き出る。」《地鏡》はいう:「黄河が道を改め遷移するのは、これを『陰反』と謂い、五年を出ずして、叛臣があり、兵事が起こり、百姓が流亡する。黄河が一里から三里の間遷移するのは、これを『失政』と謂い、図謀を懐く臣子があろう。黄河が五里・十里に遷移すれば、女主が朝政を執掌し、外戚の中に背叛する者があることを主る。黄河が十里以上に遷移すれば、君主が治道を失い、政権が下の臣子の手に落ちることを主る。流水が忽然として河道を改換すれば、君主が任用する賢臣を更換することを主る。」
水涌溢及竭
《地鏡》曰:“河盈溢,不出三年,國有憂;水忽自盈起,君凶,且大水。”《運斗樞》曰:“帝壯而奪勢,水決壞山。”注云:“壯年健時見奪勢,故水決壞山,言陰奸行,君危也。”《漢書》曰:“武帝建始二年,北宮井水溢出,王莽之征也。水流庭,霍氏遂亂。”王隱《晉書》曰:“大興元年,河水竭斷百餘步,兩頭深淺如故,中絕不流。”《後魏書》曰:“前廢帝普大元年,司徒府、大倉前井並溢,占曰:民遷流之象。永熙三年十月,都遷於鄴地。”
《地鏡》はいう:「黄河の水が満ちて漫溢すれば、三年を出ずして、国家に憂患がある。水が忽然として自ら漲り起これば、君主に凶事があり、しかも大水が発することを主る。」《運斗枢》はいう:「帝王が壮盛の年にあって権勢を奪われれば、水は冲決して山体を毀壊する。」その注文はいう:「壮年にして身が力強く健やかな時にかえって権を奪われるから、水が冲決して山を壊す。これは陰邪・奸悪の事が横行し、君主の処境が危険であることを謂う。」《漢書》に記す:「武帝の建始二年、北宮の井水が溢れ出た。これは王莽が権を簒う徴兆である。井水が庭に流れ込み、霍氏の一族が引き続き乱をなした。」王隠の《晋書》に記す:「東晋の大興元年、黄河の水が枯竭して百余歩断絶し、両頭は深浅が旧のごとく、中間は絶えて流れなかった。」《後魏書》に記す:「前廃帝の普泰元年、司徒府と太倉の前の井がいっしょに溢水し、占者はいう:これは百姓が遷徙・流亡する象徴である、と。永煕三年十月、都城は果たして鄴の地に遷った。」
《地鏡》曰:“井水流出地,若理絕者,臣驕猾,兵方起。”京房《易候》曰:“湧水無處,必流殺人七日,七年聖人滅。”《晉中興徵書祥說》曰:“咸安九年,濤水入石頭,殺人,俄而海西公廢。大元十三年十二月戊子,濤水入石頭,毀大船,沈殺人,己亥,江水湧起建康、秣陵,江淹,沒殺人,陰旺之應也。”崔鴻《十六國春秋北燕錄》曰:“龍城東溝竭涸積年,夏四月,溝中墳起,有聲,俄而泉湧出,閩尚曰:溝中墳起,所謂深谷為陵,泉湧出所謂百川沸騰,陰旺之所致也,國及家井自沸溢,君將亡覆之,期三十日,水忽自竭,邑虛,不吉。都邑中水無故自絕及易處者,邑人徙亡。”
《地鏡》はいう:「井水が地面に漫流し、もし水の紋理が断絶して連ならなければ、臣下が驕横・狡猾で、兵事がまさに起こらんとすることを主る。」京房の《易候》はいう:「大水が所なく乱れ湧けば、必ず泛流して人を淹れ殺し、七日以内に見え、七年以内に聖人が滅亡する。」《晋中興征書祥説》に記す:「咸安九年、潮水が石頭城に湧き入り、人を淹れ殺し、まもなく海西公が廃黜された。太元十三年十二月戊子の日、潮水が石頭城に湧き入り、大船を毀壊し、人を沈め殺した。己亥の日、江水が建康・秣陵一帯に湧き起こり、江水が漫溢し、人を没し殺した。これは皆、陰気が過旺な応験である。」崔鴻の《十六国春秋・北燕録》に記す:「竜城の東の溝が涸れて積年となり、夏の四月、溝の中の地面が隆起し、声響を発し、たちまち泉水が湧き出た。閔尚はいう:溝の中の地面が隆起するのは、いわゆる『深谷為陵』。泉水が湧き出るのは、いわゆる『百川沸騰』。皆、陰気の過旺が致す所である。国中と人家の井が自ら沸騰・漫溢すれば、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。水が忽然として自ら枯竭すれば、城邑が空虚になることを主り、不吉である。都邑の中の水が故なく自ら断絶しあるいは処所を改換するものは、邑の中の人が遷徙・逃亡することを主る。」
河壅
《地鏡》曰:“河大壅,下臣執政,或主大水色變,不出六年,易王,女主亡。”《漢書五行志》曰:“水,北方,終藏萬物者也,其於人道,命終而形藏,精神放越,聖人為宗廟,以收魂氣,春秋祭祀,以終孝道。若不敬鬼神,政令逆,則水失其性,百川逆溢,壞縣鄉邑,溺人民,及淫雨傷稼,是水不潤下。”《尚書大傳》曰:“簡宗廟,不禱祠,廢祭祀,逆天時,則水不潤下。”
《地鏡》はいう:「黄河が大規模に壅塞すれば、下の臣子が朝政を把持することを主り、あるいは大水を発して水色が変異することを主り、六年を出ずして、君王を更換し、女主が敗亡する。」《漢書・五行志》はいう:「水は北方に属し、万物を終えて蔵する者である。人事の道について言えば、人の性命が終結して形体が土中に蔵され、精神は放れて散逸し、聖人はこのために宗廟を建立して魂気を収聚し、春秋の二季に祭祀して、これをもって孝道を終え尽くす。もし鬼神を敬奉せず、政令が乖逆ならば、水はその本性を失い、百川が逆行・漫溢し、県・郷・城邑を冲壊し、百姓を溺れさせ、加えて久雨が稼を傷つける。これが『水不潤下』である。」《尚書大伝》はいう:「宗廟を怠慢し、祷告・祠祭せず、祭祀を廃棄し、天時に背けば、『水不潤下』が現れる。」
《潛潭巴》曰:“河水逆流,怨氣甚。”《地鏡》曰:“水逆流,是謂道逆,不出二年,兵從女主起。”《國語》曰:“靈王二十年,谷、洛二水斗,毀王宮。”又曰:“水忽不流,婦人惑,政亂令廢,不出五年,亡國;水一年不流,有反臣。”《漢五行志》曰:“谷、洛斗,劉向以謂近火、沴水,以《傳》推之,四瀆比諸侯,洛其次,卿大夫象,卿大夫將分爭,以危王室也。”《地鏡》曰:“流水忽停,天下飢;停水流,天下兵。”《續漢書》曰:“桓帝永興二年,彭城泗水增長逆流,永壽元年六月,洛水溢至津,城門流物,是時皇后兄冀秉政,疾忠直,後遂誅滅。”
《潜潭巴》はいう:「河水が倒流すれば、民間の怨気が極めて重いことを主る。」《地鏡》はいう:「水が逆らって流れるのは、これを『道逆』と謂い、二年を出ずして、兵事が女主の所から挑まれる。」《国語》に記す:「周の霊王二十年、穀水・洛水の二つの水が相冲激し、王宮を毀壊した。」またいう:「水が忽然として止まって流れなければ、婦人が惑乱し、政事が紛乱して号令が廃弛し、五年を出ずして、国家が滅亡する。水が一年流れなければ、反叛の臣子があろう。」《漢書・五行志》はいう:「穀水・洛水が相冲激したことについて、劉向はこれが火気に近く水気を沴したと認め、《洪範伝》に拠って推せば、四瀆を諸侯に比し、洛水は次いで一等、卿大夫の象徴で、卿大夫がまさに分裂し争って、もって王室を危くすることを主る。」《地鏡》はいう:「流動する水が忽然として止まれば、天下に飢饉が起こる。もとより止まっていた水が忽然として流れれば、天下に兵事がある。」《続漢書》に記す:「漢の桓帝永興二年、彭城の泗水が暴漲して倒流した。永寿元年六月、洛水が漫溢して渡口に至り、城門口に雑物が漂った。この時、皇后の兄・梁冀が朝政を執掌し、忠直の士を憎み、後にとうとう誅滅された。」
水赤
京房《易候》曰:“宮水化為血,七月,七年,聖人滅。”《古今注》曰:“安帝延平六年,河東水化為血。”《異苑》曰:“勃勃虜都長安,端門外井人常宿汲停水壅,中夜砰磕有聲,視水如血,中有丹魚,長三尺而有赤光,國尋滅。”京房《易候》曰:“水自赤,光如血,其國有流血。”《地鏡》曰:“水赤如血,邑有流血。”《晉朝雜事》曰:“元康六年,彭城泗水赤如血。”
京房の《易候》はいう:「宮中の水が血に変ずれば、七箇月以内に応験し、七年以内に聖人が滅亡する。」《古今注》に記す:「漢の安帝延平六年、河東の水が血に変わった。」《異苑》に記す:「赫連勃勃が長安を占拠して都とした時、端門外の人々が常に水を汲みに来る井が、水を壅積して流れず、夜半に砰然として音が響き、その水を見れば血のようで、中に一条の赤い魚がおり、長さ三尺にして赤光を発し、その政権はまもなく滅亡した。」京房の《易候》はいう:「水が自ら赤く変じ、光色が血のようであれば、その国家に流血の事があろう。」《地鏡》はいう:「水が血のように赤ければ、その城邑に流血の禍があろう。」《晋朝雑事》に記す:「元康六年、彭城の泗水が血のように赤かった。」
京氏《對災異》曰:“河水赤者,獄有冤恨,誅殺不當,則致河水赤也。其救也,正獄刑,解疑罪。”京房《易傳》曰:“君湎於酒,淫於色,賢人潛,國家危,厥異流水赤。”《漢五行志》曰:“秦武王三年,渭水赤。”《漢書》曰:“廣陵王胥宮中池水變,魚死,王為事誅。”《後魏書》曰:“太祖登國中,河南有虎七,臥於河側,三日及去,後一年,蚍蜉白鹿盡渡河北,後一年,河水赤如血,此衛辰滅亡之應,及誅其族類,悉投之河,其地遂空。”《地鏡》曰:“井水赤,邑虛,相攻,主亡。”
京氏の《対災異》はいう:「河水が赤く変ずるのは、獄訟の中に冤屈・怨恨があり、誅殺が当を得ないから、河水の赤変を招いたのである。その補救は、獄訟・刑罰を端正し、疑罪に対しては放免を行うことである。」京房の《易伝》はいう:「君主が酒に沈湎し、女色に荒淫すれば、賢人は隠退し、国家は危険になり、その変異は流水が赤くなることである。」《漢書・五行志》に記す:「秦の武王三年、渭水が赤くなった。」《漢書》に記す:「広陵王・劉胥の宮中の池水が変色し、魚が皆死に、後に劉胥は事によって罪を獲て誅された。」《後魏書》に記す:「北魏の太祖登国年間、黄河の南岸に七匹の虎が河辺に臥し、三日を過ぎてから去った。一年の後、蚍蜉と白鹿が皆黄河の北に渡った。さらに一年の後、河水が血のように赤くなった。これは衛辰が滅亡する応験で、彼の族人を誅殺し、死体を皆黄河に投げ込むに及んで、その土地はすなわち人烟なく空しくなった。」《地鏡》はいう:「井水が赤く変ずれば、城邑が空虚になり、互いに攻伐し、城主が死亡することを主る。」
水黄濁 水清 水無魚 水自臭
《地鏡》曰:“君井若黃濁,政令不明;清水忽自濁,天下將死;國及家井濁,皆君主將亡覆之,期三十日。”《易乾鑿度》曰:“孔子曰:天之將降喜,應河水清三日。清變白,白變赤,赤變黑,黑變黃,各三日,河水安,天下乃清。”《續漢書》曰:“延熹九年,濟陰東郡、濟北平原,河水清,襄揩上言:河者,諸侯之象;清者,陽明之徵。豈諸侯有窺京都計邪?其明年,桓帝晏駕,徵解漬亭侯為漢嗣,是為孝靈皇帝。”《地鏡曰》:“澤泉水無魚,天王無居。”《地鏡》曰:“國及家井臭,君將亡覆之,期三十日。”《吳志》曰:“諸葛恪將誅,盥漱,聞水腥臭,侍者授衣,衣服亦自夭。恪怪其故,易衣,易水,其臭如初。”
《地鏡》はいう:「君主の宮中の井水がもし黄濁ならば、政令が清明でないことを主る。清水が忽然として自ら濁れば、天下に死喪があろうことを主る。国中と人家の井水が濁れば、皆、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。」《易乾鑿度》はいう:「孔子がいう:天がまさに喜び慶びを降さんとすれば、黄河の水が三日清いことに応験として現れる。清から白に変じ、白から赤に変じ、赤から黒に変じ、黒から黄に変じ、各三日で、河水が安定すれば、天下は乃ち清平となる。」《続漢書》に記す:「漢の桓帝延熹九年、済陰・東郡と済北・平原の一帯で黄河の水が清かった。襄楷は上書していう:黄河は諸侯の象徴で、水清は陽気が昌明の徴兆です。まさか諸侯に京城を窺い伺う図謀でもあるのではありませんか、と。第二年、桓帝は晏駕し、朝廷は解涙亭侯を征召して漢室を継がせ、これが孝霊皇帝である。」《地鏡》はいう:「湖沢・泉水の中に魚がなければ、天子に安んじ居る所がないことを主る。」《地鏡》はいう:「国中と人家の井水が臭ければ、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。」《呉志》に記す:「諸葛恪がまさに誅殺されようとする時、顔を洗い口を漱ぐと、水に腥臭い匂いがあるのを嗅いだ。侍者が衣服を捧げると、衣服も自ら臭気を放った。諸葛恪はその故を怪しみ、衣服を換え、水を換えても、その臭気は先前と同じであった。」
水出高山 水出朝市 水沸
《禮記威儀》曰:“君乘土而王,其政太平,則蒙水出於山。”京房《易候》曰:“水無故高山上出,邑亡,起兵。”《地鏡》曰:“山石崖有水出,主有謀不成;水忽自出山上,兵且作。”《地鏡》曰:“水忽出於朝市,兵且作。”京房《易候》曰:“水無故市中出,邑兵大作。”
《礼記威儀》はいう:「君主が土徳を承けて王と称し、その政事が太平に達すれば、蒙水が山の中から流れ出る。」京房の《易候》はいう:「水が故なく高山の上から現れ出れば、城邑が滅亡し、兵事が興起することを主る。」《地鏡》はいう:「山間の石崖に水が流出すれば、人に図謀があって事成らないことを主る。水が忽然として自ら山の上から流出すれば、兵事がまさに発生せんとすることを主る。」《地鏡》はいう:「水が忽然として朝廷あるいは市集から現れ出れば、兵事がまさに発生せんとすることを主る。」京房の《易候》はいう:「水が故なく市の中から現れ出れば、城邑に兵戈が大いに起こることを主る。」
《地鏡》曰:“君井湧沸,宗廟失墮。”單子曰:“夏桀德衰,岱山泉沸。”京房《易候》曰:“泉水沸,此謂賤人將貴,王者不顧骨肉,不親九族,厥德已,泉湧沸。”京房《對災異》曰:“江河沸者,有聲無實,此為執政者懷奸不公,眾邪並聚,則致此災。不救,必有叛君謀其政也。令百官舉公直,選有德,置於政。井水沸者,謂人君好用讒邪所致也。”《崖頭易林》曰:“井水沸,不可安居。”
《地鏡》はいう:「君主の宮中の井水が翻り湧き沸騰すれば、宗廟が守りを失い傾頽することを主る。」単子はいう:「夏の桀は徳が衰頽し、泰山の泉水が沸騰した。」京房の《易候》はいう:「泉水が沸騰するのは、これは卑賤の人がまさに顕貴にならんとし、君王は骨肉を顧念せず、九族を親厚せず、彼の徳はここに尽きたから、泉水が湧沸するのである。」京房の《対災異》はいう:「江河が沸騰するのは、声勢はあるが実効がないことで、これは政を執る者が奸邪を懐き、事をなすに公平でなく、衆多の邪佞が集まり聚って、ようやくこの災異を招く。補救を加えなければ、必ず君主に背叛しその政権を謀る者がある。補救の法は百官に公正・正直の士を薦挙させ、徳ある者を選抜して、政務の位置に安置することである。井水が沸騰するのは、君主が讒佞・邪僻の人を任用するのを好むが故に致したことを謂う。」《崖頭易林》はいう:「井水が沸騰すれば、安んじ居ることができない。」
水中火出 水鳴 水出異物 井自出 井中気出 沢枯 火不炎上
京房《對災異》曰:“水中火出,何?所謂陰氣溢,亡陽施也。女妃無陽,則敵氣溢,至水中火出。不救,有天殃,陰害陽。其救也,正妃妾,率後宮,施命令,誥四方,嫁貞女,賜鰥寡,此災即消。”《地鏡》曰:“澤水忽自鳴,百姓哀;若作金聲,土地分裂;國及家井有音聲,皆君主將亡覆之,期三十日。”《地鏡》曰:“凡水中忽見異物,皆為大旱。”
京房の《対災異》はいう:「水の中に火が現れ出るのは、なんの故か。いわゆる陰気が盛んすぎて外に溢れ、陽気の施化が亡失したのである。后妃の位にそれと相配する陽気がなければ、陽と敵する陰気が外に溢れ、水の中に火が現れ出るに至る。補救を加えなければ、天の降す災殃があり、陰気が陽気を傷害する。その補救の法は、妃妾の名分を端正し、後宮を統率し、命令を頒布し、四方に告諭し、貞潔の女子に婚嫁を執り行い、鰥夫・寡婦を賑済すれば、この災異は即座に消解する。」《地鏡》はいう:「湖沢の水が忽然として自ら声響を発すれば、百姓が哀苦することを主る。もし金属のような声を発すれば、土地が分裂することを主る。国中と人家の井に声響があれば、皆、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。」《地鏡》はいう:「およそ水の中に忽然として異物が現れれば、皆、大旱を主る。」
《瑞應圖》曰:“井不鑿自成,王者清淨,則出流,有仙人至之徵。”《地鏡》曰:“井中氣直上叩天,而王走民間,國大衰損,兵起。”京房曰:“澤枯歲貧,國易臣,不出三年,客辭。”《尚書大傳》曰:“棄法律,逐功臣,殺冢子,妾為妻,則火不炎上。”(君上行此四者,為天南宮之政官,於地,為火無故燔熾為害,是不上。)《漢五行志》曰:“讒夫昌,邪勝正,則火失其性,宗廟宮館災,是火不炎上也。”
《瑞応図》はいう:「井が凿らずして自然に形成されるのは、君王が清静・無為であれば、泉水は自ずから湧流し、これは仙人がまさに至らんとする徴兆である。」《地鏡》はいう:「井の中の気が筆直に上に冲って天を叩けば、君王が民間に流落し、国勢が大いに衰損し、兵事が興起することを主る。」京房はいう:「湖沢が干枯すれば、年成が貧薄で、国の中で政を執る臣子を更換し、三年を出ずして、客居の臣が辞去する。」《尚書大伝》はいう:「法律を廃棄し、功臣を駆逐し、嫡長子を殺害し、妾を立てて正妻とすれば、『火不炎上』が現れる。」原書の小注はいう:君主がこの四つの事を行えば、天では南宮の政官に対応し、地では火が故なく燃え熾って害をなす。これが火が上に向かって本性に順わないことである。《漢書・五行志》はいう:「讒言を進める者が勢いを得て、邪が正を圧倒すれば、火はその本性を失い、宗廟・宮館に火災が発生する。これが『火不炎上』である。」
火無煙
《南燕錄》曰:“慕容超大正五年,南郊柴燎焰起而煙不出,靈臺張光令私於中書侍郎王景暉曰:煙者,國之種,今火旺煙滅,國其亡乎。”
《南燕録》に記す:「南燕の慕容超大正五年、南郊で柴を積み燔いて天を祭るに、火焔が騰り上がったのに煙が出なかった。天象を観るを掌る霊台令・張光は私に中書侍郎・王景暉にいう:煙は国家の種苗です。いま火が旺なのに煙が滅しているのは、国家はおそらく亡びるのではないでしょうか、と。」南郊で柴を燔くのは天子が天を祭る大礼で、煙気が上って天に達して初めて礼が成る。火が盛んなのに煙がなければ凶兆と見なされる。
開元占経巻一百零一
霜占
《元命包》曰:“陰陽凝為霜。”《易坤卦》曰:“初六,履霜堅水至。象曰:履霜堅水,陰始凝也。馴致其道,至堅水也。”《禮記月令》曰:“季秋之月,霜始降,百工休。孟冬行秋令,則雪霜不時。”《考異郵》曰:“霜者陰精,冬令也。四時相代,以霜收殺,霜之為言亡也,物以終也。”曾子曰:“陰氣勝,凝為霜。”《地鏡》曰:“視屋上瓦,獨無霜者,其下有寶藏。”《援神契》曰:“霜挫物。”京房曰:“凡候霜下早晚,若正月一日雷,知七月一日霜下;若二月一日雷,即知八月一日霜下。”
《元命包》はいう:「陰気と陽気が凝結すれば霜となる。」《周易・坤卦》はいう:「初六、履霜堅水至。象辞はいう:履霜堅水は、陰気が凝まり始めたのである。その道に順馴して進めば、堅水に至る。」ここの「堅水」は通行本では「堅冰」としており、足の下に霜を踏めば、堅い氷が結ぶ時節がまもなく来ることを知ると謂うのである。《礼記・月令》はいう:「季秋の九月、霜が降り始め、百工は停歇する。孟冬の十月にもし秋に属する政令を施行すれば、雪と霜は時節に合わずして至る。」《考異郵》はいう:「霜は陰の精気で、冬の時令に属する。四季が輪番で交替し、霜によって収斂・粛殺する。霜という字の意味は亡で、万物がここに終結する。」曽子はいう:「陰気が陽気に勝れば、凝結して霜となる。」《地鏡》はいう:「屋上の瓦を察して、ただ一カ所だけ霜のない所があれば、その下に宝蔵が埋まっている。」《援神契》はいう:「霜は万物を挫傷することができる。」京房はいう:「およそ降霜の早晚を推候するに、もし正月一日に雷が鳴れば、七月一日に霜が降ることを知る。もし二月一日に雷が鳴れば、すなわち八月一日に霜が降ることを知る。」
又曰:“霜者,刑罰行也。霜者,所以成萬物也。刑罰者,所以誅惡人者也。刑一以懲十,殺一以全萬。非聖君居位,則刑罰妄行,誅殺不當,故天應以殞霜,於春於夏。臣依公結私,誅殺無罪,霜下在土;卻忠臣,依公結私,以緩有罪,霜附木;殺罰不由上,霜見風而飛;此皆刑罰不法之應。”
またいう:「霜とは、刑罰の施行である。霜は万物を促成するためのもので、刑罰は悪人を誅除するためのものである。一人に刑を加えれば十人を警戒することができ、一人を処死すれば一万の人を保全することができる。もし聖明の君主が位に居らなければ、刑罰は胡乱に施行され、誅殺が当を得なくなるから、天は降霜をもって応え、春にあっても夏にあってもそうする。臣子が公事を假借して私党を結び、罪なき人を誅殺すれば、霜は土の上に降る。忠臣を斥退し、公事を假借して私党を結び、かえって罪ある人を寛縦すれば、霜は樹木に附着する。殺戮・刑罰が君上に由らず行われれば、霜は風に随って飛散する。これらは皆、刑罰が法度に合わない応験である。」
又曰:“霜下,或未見日而欲曦者,此人君以喜怒行刑罰也;霜或見日而不曦,此人君執法堅不可犯也;霜或天陰不見星而有霜者,此臣下擅行誅罰也。興兵妄誅,厥災其霜殺五穀;誅不原情,茲謂不仁,冬先雨乃殞霜;有芒角,賢聖遭害,其霜附木,不下地。”《考異郵》曰:“穆公即位,仲夏霜殺草,日不消。僖公即位,殞霜不殺草,梅李實。不殺草者,臣威強;梅李大樹,此果為實,是君不能伐也。定公即位,殞霜殺菽;菽者,稼最強,季氏之萌也。”
またいう:「霜が降って、あるものはまだ太陽を見ずに消融しようとするのは、これは君主が一時の喜怒によって刑罰を施行するのである。あるものは太陽を見ても消融しないのは、これは君主が法を執して堅く犯し難いのである。あるものは天が陰って星が見えないのに霜が降るのは、これは臣下が勝手に誅罰を施行するのである。兵を興して胡乱に誅殺すれば、その災異は霜が降って五穀を殺すことである。罪を判じて実情を推究しなければ、これを不仁と謂い、冬は先に雨が降って然る後に霜が降る。霜が芒角を結べば、賢人・聖者が迫害を受けることを主り、この種の霜は樹木に附して地面に降りない。」《考異郵》はいう:「魯の穆公が即位し、仲夏に霜が降って野草を殺し、太陽が照っても消えなかった。魯の僖公が即位し、霜が降っても草を殺さず、梅樹・李樹はかえって果実を結んだ。霜が草を殺さないのは、臣下の威権が強すぎるからである。梅・李は大樹で、この時かえって結実したのは、君主がこれを裁抑することができないからである。魯の定公が即位し、霜が降って豆の苗を殺した。豆は稼の中で最も強健なもので、季氏の勢力の萌生を象徴する。」
《天鏡》曰:“霜非時而殺草,是時而不殺,併為蟲蝗,是謂大飢;春隕霜殺草木,是謂陰隆,臣強君弱,下不事上。”京房曰:“春下霜七日,七年聖人滅。”《春秋命曆序》曰:“桀無道,夏隕霜。”《師曠占》曰:“春夏一日,有霜雲者,君父治政,大嚴大苦大殺,天以示之。何以言之,霜威殺萬草,坐大殺也,見變如此,宜損威殺,重人命。”
《天鏡》はいう:「霜が降るべき時でないのに降って草を殺し、降るべき時にかえって草を殺さないのは、いっしょに虫蝗の害を招き、これを大飢饉と謂う。春に霜が降って草木を殺すのは、これを『陰隆』と謂い、臣が強く君が弱く、下にある者が上にある者に事奉しようとしないことを主る。」京房はいう:「春に七日連続して霜が降れば、七年以内に聖人が滅亡する。」《春秋命暦序》はいう:「夏の桀は道なく、夏に霜が降った。」《師曠占》はいう:「春・夏の或る日に霜と霜雲が現れるのは、これは君父が政事を治めるのがあまりに厳厲・苛酷で殺伐が重すぎるのを、天がそれをもって示すのである。なにをもってこう謂うか。霜の威力は百草を殺すことができ、まさに大いに殺戮するに対応する。こうした変異を見れば、威刑・殺伐を損減し、人の性命を重くすべきである。」
京氏曰:“夏霜,君死國亡;霜下或無芒者,此人君行刑罰,而哀恕其人也;霜下或無芒者,此人君觀過,刺不深也;芒或旁指者,此人君旁言而刑人也;霜下或芒嚴者,此人君刺過深克者;芒或向下者,或如露微者,此人君盡欲加法一姓服屬也;霜下,或同類之物或不死,此人君知人有罰同,獨有所緩不誅,有以平法誅者;霜下或翩翩狀如雪者,此人君知人有罪,不以為意也,亦不出於狴牢也;霜或止於樹頭而不下地者,此下請決罪而上不下也;霜下,或有澤於物者,此人君欲殺直而下卻之也;霜下,晝夜不明而隕霜者,皆君臣誅,或心疑而逕行之,霜亦隨之於春;霜下,或重其日溫者,此行誅或依法深淺,故其日溫也;霜不下而物自以寒死者,此邪臣執法周密,眾人不知,物不得霜而死也;夜雨雪且為霜,為人君率臣重以為嚴也。”
京氏はいう:「夏に霜が降れば、君主が死に国家が亡ぶことを主る。霜が降って芒刺のないものは、これは君主が刑罰を施行しながら刑を受ける人に対してなお哀怜・寛恕の心を存するのである。霜が降って芒刺のないものは、また君主が過錯の表面のみ見て、指摘が深くないこともありうる。芒刺が傍に偏指すれば、これは君主が傍人の言を聴いて人に罪を定めるのである。霜の芒刺が森厳ならば、これは君主が過失を指摘するのが深すぎて刻苛である。芒刺が下に向かうか、あるいは細微で露水のようなものは、これは君主が一心に刑法を或る一姓の親族全体に加えようと欲するのである。霜が降って、同類の物が或は死なないのは、これは君主が或る人は同じく処罰を受けるべきと知りながら、偏に或る人には緩にして誅せず、別の或る人には平常の法度に依って処死するのである。霜が降って軽く飄々として雪のようなものは、これは君主が或る人に罪があると知りながら、心に留めず、また彼を牢獄に入れもしないのである。霜が樹の梢に止まるだけで地面に降りないものは、これは下が罪案の判決を請うて上が批复しないのである。霜が降って、物の上に落ちて水沢に化するものは、これは君主が正直の人を殺そうと欲して下が彼を駁り返したのである。霜が降って、昼夜昏暗・不明で霜が降るものは、皆、君臣が誅されることを主り、あるいは心に疑いを存して直ちに照らして行えば、このような霜もまた引き続き春に降る。霜が降って、その日がかえって温暖なものは、これは刑を行うに法条に依って軽重を分けたから、その日は温暖なのである。霜が降らないのに万物が自ら寒冷で凍死するのは、これは奸邪の臣が法を執して周密で、衆人は皆知らず、万物は霜に遭わずして死んだのである。夜に雪が降りしかも霜に結ぶのは、これは君主が臣下を率いて刑罰を加重して厳を求めたのである。」
雪
《元命包》曰:“陰陽凝為雪。”《氾勝書》曰:“雪者,五穀之精。”曾子曰;“陰氣勝,則凝為雪。”《穆天子傳》曰:“雪盈數尺,年豐。”《八節占》曰:“冬有積雪,歲美人和。”又曰:“冬祁寒,降雪盈尺,年豐歲稔之候。”董仲舒曰:“太平之世,雪不封條,凌彌毒害而已。”《考異郵》曰:“庚辰,大雪深七尺,並者丈四尺。”京房曰:“雪附木者,此人君聽言殺忠臣也;雪未至地而復上,久而復下,此人君欲寬死罪;雪而溫者,此人君脫有罪。凡雪者,陰氣盛也,小人繫公結私,以脅其主而專其權,二月、九月而不已,此執法權正引邪以成賊理,故雪厚,為旱;薄,則為水;皆一百九十二日。”
《元命包》はいう:「陰気と陽気が凝結すれば雪となる。」《氾勝之書》はいう:「雪は五穀の精華である。」曽子はいう:「陰気が陽気に勝てば、凝結して雪となる。」《穆天子伝》はいう:「雪が数尺積もれば、豊年である。」《八節占》はいう:「冬に積雪があれば、年成が良く人事が和順である。」またいう:「冬に極寒で、雪が降って一尺積もれば、これは年豊かに穀が熟れる徴候である。」董仲舒はいう:「太平の世では、雪は樹枝を封じ圧せず、ただ氷凌が多少侵害するだけである。」《考異郵》はいう:「庚辰のこの日、大雪が深さ七尺、併せ集めた所は一丈四尺あった。」京房はいう:「雪が樹木に附着するのは、これは君主が讒言を聴き信じて忠臣を殺害するのである。雪がまだ地面に至らずしてまた上に飄い、久しくしてまた降るのは、これは君主が死罪を寛赦しようと欲するのである。雪が降って天気がかえって暖かいのは、これは君主が罪ある人を開脱しようとするのである。およそ雪が降るのは、皆、陰気が盛んな表れで、小人が公事に牽連して私党を結び、もって君主を脅迫して権柄を独り占めする。二月・九月に到っても止まなければ、これは法を執る者が公権を把持し、邪佞を引き入れて害をなす理を形成する。故に雪が厚く降れば、旱を主り、薄く降れば、水を主る。応験は皆一百九十二日以内である。」
《天鏡》曰:“春雨雪不消,妻黨專政,擅持君威,天下飢,民死亡。”《易通卦驗》曰:“乾得坎之寒,則夏雨雪。”《天鏡》曰:“夏雨雪,必有大喪,天下兵起。”《詩推度災》曰:“違天地,絕人倫,則夏雨雪。”《晉朝雜事》曰:“太康七年,河陰雨赤雪二頃。”京房《易候》曰:“夏雨雪,國殃,必有喪,司馬為亂。”又曰:“君死國亡。”《天鏡》曰:“秋雨雪,百姓多死,草木零落,天下大喪。雪下,厚三尺以上,大兵方起。”
《天鏡》はいう:「春に雪が降って消融しなければ、妻族が権を専らにし、勝手に君主の威柄を把持し、天下が飢饉し、百姓が死亡することを主る。」いわゆる妻党とは、皇后の一族の外家を指す。《易通卦験》はいう:「乾卦が坎卦の寒気を感受すれば、夏に雪が降る。」《天鏡》はいう:「夏に雪が降れば、必ず大きな喪事があり、天下に兵事が興起する。」《詩推度災》はいう:「天地の道に背き、人倫の常を断絶すれば、夏に雪が降る。」《晋朝雑事》に記す:「太康七年、河陰の一帯に赤い雪が降り、二頃の地を覆った。」京房の《易候》はいう:「夏に雪が降れば、国家に殃禍があり、必ず喪事があり、兵を掌る司馬の官が乱をなす。」またいう:「君主が死に国家が亡ぶことを主る。」《天鏡》はいう:「秋に雪が降れば、百姓に死が多く、草木が凋落し、天下に大きな喪事がある。雪の降るが厚さ三尺以上になれば、大きな兵事がまさに興起せんとする。」
雹
《考異郵》曰:“陰陽專精,凝合生雹。雹之言合也。”董仲舒曰:“雹者,陰氣脅陽也。”京房曰:“凡雹過大,人君惡聞其過也,抑賢不與共位,小人取利,布幣私施,所愛人專,施不普,當雨不雨,天反下雹,人有釁則嚴威集,人慾惑其君,故雹傷生。雹或殺飛鳥者,此人君信讒佞之言,行謫罰於廢人。”《月令》曰:“仲夏行冬令,則雹凍傷谷。”《感精符》曰:“大臣擅法,則雨雹。”
《考異郵》はいう:「陰気と陽気が各々精華を専らに聚め、凝り合わさって雹を生ずる。雹という字の意味は合である。」董仲舒はいう:「雹とは、陰気が陽気を脅迫するのである。」京房はいう:「およそ雹が大きすぎて降るのは、君主が自分の過失を聞くのを悪み、賢人を圧制して彼らと位を共にしようとせず、小人がこれに乗じて利を取り、財貨を散して私に施し与え、寵愛する人が独り占めし、恩の施しが普く及ばないからである。雨の降るべき時に降らず、天はかえって氷雹を降す。人事に嫌隙があれば、厳酷の威罰が集まり来る。或る人がその君主を惑わそうと欲すれば、雹は生物を傷害する。雹が或は飛鳥を打ち殺すのは、これは君主が讒佞の言を聴き信じて、すでに廃黜された人に対してもなお貶謫の責罰を加えるのである。」《礼記・月令》はいう:「仲夏の五月にもし冬に属する政令を施行すれば、氷雹が凍って穀物を傷つけることがある。」《感精符》はいう:「大臣が勝手に法令を操れば、雹が降る。」
京房曰:“雹下,或毀瓦,碎破車,殺馬牛者,此人君任小人,伐其人;雹下盡剝樹木之枝,又害五穀者,此人君賦斂酷,民有殺者;雹下,或多狀如積雪者,此臣欲弒君也;雹下,或盡敗人禾稼者,此人君因春夏庶人有罪,執殺之;雹下,或霜俱降者,此人君私邪人從後退而誅之;雹下,極地而曎者,此人君私施邪人而下成之;雹下,或狀如積水者,此臣欲殺人君;雹下,或多芒,狀如雪者,此人君欲害人而甚者;雹下,或如梨實者,此人君大亂庶人而惡甚者;雹下,或與風俱降者,此人君施大亂其寒過度罰深;雹下,或狀如珠者,此人君欲害人而甚也。”
京房はいう:「雹が降って、あるものは屋瓦を毀壊し、車輛を砕き、馬牛を打ち殺すのは、これは君主が小人を任用して他人を残害するのである。雹が降って樹木の枝を剥ぎ尽くし、また五穀を損害するのは、これは君主が賦税の徴斂を苛酷にして、百姓の中に害されて死ぬ者があるのである。雹が降って多く積もった雪のようなのは、これは臣下が君主を弑殺しようと欲するのである。雹が降って人の稼をことごとく毀壊するのは、これは君主が春夏の時に乗じて百姓に罪があれば、彼らを捕えて処死するのである。雹が降って同時に霜も降るものは、これは君主が私に邪佞の人に親しみ、事が済んで後にまた彼らを退斥・誅除するのである。雹が地面に落ちてすぐ化けてしまうのは、これは君主が私に邪佞の人に恩を施して下が彼のためにそれを促成したのである。雹が降って形が積水のようなものは、これは臣下が君主を殺害しようと欲するのである。雹が降って芒刺が多く形が雪のようなものは、これは君主が人を害そうと欲してしかも甚だしく害するのである。雹が降って梨のように大きいのは、これは君主が大いに百姓を撹乱して悪行が甚だしいのである。雹が降ってまた同時に風が吹くものは、これは君主の施政が大いに乱れて寒罰が過度で刑責が深すぎるのである。雹が降って形が珠のようなものは、これも君主が人を害そうと欲してしかも甚だしく害するのである。」
《漢書五行志》曰:“大雨雹,常寒之罰。武帝元封三年十二月,雨雹,大如馬頭;宣帝地節四年,山陽、濟陰雨雹,如雞子,深二尺五寸,殺二十餘人,皆霍氏誅征也。”《續漢書五行志》曰:“孝安永初三年,雨雹,大如雁子,傷稼。是時,鄧太后專陽政。”《晉中興書》曰:“太和三年四月,雨雹,是時海西昏亂,相龍朱實等淫逆。太元二十一年四月,雨雹,是時王道子輔政,奸佞競進,烈宗不能禁絕,王室大亂。”《天鏡》曰:“夏雨雹,民飢。”
《漢書・五行志》はいう:「大きな氷雹が降るのは、常寒の罰である。漢の武帝元封三年十二月に雹が降り、大きさは馬頭のようであった。漢の宣帝地節四年、山陽・済陰の一帯に雹が降り、鶏卵のように大きく、深さ二尺五寸積もり、二十余人を打ち殺した。これらは皆、霍氏の一族がまさに誅滅されようとする徴兆である。」霍氏はすなわち霍光の一族で、宣帝の時に外戚として権を専らにし、後に族誅された。《続漢書・五行志》に記す:「漢の安帝永初三年に雹が降り、大きさは雁卵のようで、稼を傷害した。この時、鄧太后は女主の身をもってもともと君主に属する政権を独り占めしていた。」《晋中興書》に記す:「太和三年四月に雹が降った。この時、海西公は昏乱で、相竜・朱実らは淫佚・悖逆であった。太元二十一年四月に雹が降った。この時、会稽王・司馬道子が輔政し、奸佞の徒が競い合って進用され、烈宗・孝武帝は禁絶することができず、王室は大いに乱れた。」《天鏡》はいう:「夏に雹が降れば、百姓が飢饉する。」
氷
《地鏡》曰:“冰以春冰,有兵,其歲不成;冰夏冰,胡兵將起,人民無病而死,大飢,民流;秋冰,下臣憂,大兵起。”《左傳》:“成公十六年春正月,雨木冰,寒過節,冰著樹也。”《谷粱傳》曰:“陰陽失度,時寒過節,雨而木冰,志異也,根枝折。”《墨子》曰:“三苗大亂,天命殛之,夏冰。”京房曰:“夏水冰凍者,國君有疾病,民流亡,五穀不成,人民飢。”《說苑》曰:“秦始皇即位,夏凍。”《地鏡》曰:“水三月至八月忽有冰者,大兵喪。”
《地鏡》はいう:「春に氷が結べば、兵事があり、その年は稼が成らない。夏に氷が結べば、胡人の兵馬がまさに興起し、百姓は病なくても死に、大いに飢饉して、民は流亡する。秋に氷が結べば、下位の臣子に憂患があり、大きな兵事が起こる。」《左伝》に記す:「魯の成公十六年春正月、雨が降って木に氷が着く。これは寒気が時節を超過したので、氷が樹に附着したのである。」《穀梁伝》はいう:「陰陽が常度を失い、当令の寒気が節度を超過し、雨が降って樹木に氷が結ぶ。これは変異を記したもので、樹の根と枝が皆折られた。」《墨子》はいう:「三苗が大いに乱れ、天が彼らを誅滅せよと命じ、夏に氷が結んだ。」京房はいう:「夏に水が氷に結ぶのは、国君に疾病があり、百姓が流亡し、五穀が成らず、人民が飢えることを主る。」《説苑》に記す:「秦の始皇が即位し、夏なのに凍えた。」《地鏡》はいう:「三月から八月の間に水が忽然として氷を結ぶものは、大きな兵災・喪乱があることを主る。」
《漢書五行志》曰:“劉歆云:陽強不下通,陰弛不上達,故雨而木為冰。木,曲直也。劉向以為:水,陰之隆;木,少陽,貴臣象。此人將有害,則陰氣脅木。叔孫喬如出奔,公子偃誅死,公見執辱之異也。”或曰:“長老名木,水為木介,介甲兵象也。”《晉中興書》曰:“大興三年二月,雨木冰,其後有王敦之難。”京房《易候》曰:“夏而凍,其鄉有流亡。”《地鏡》曰:“水冬不冰,易王,或飢兵。”
《漢書・五行志》に記す:「劉歆はいう:陽気が強盛で下に貫通できず、陰気が鬆弛して上に通達できないから、雨が降って樹木が氷に結ぶ。木の徳性は曲がることも直なることもできる。劉向は認めるに:水は陰気の極盛、木は少陽に属し、貴臣の象徴である。貴臣にまさに禍害があらんとすれば、陰気は木に属する象を脅迫する。後に叔孫僑如が出奔し、公子偃が誅されて死に、成公が拘執されて辱められたのが、この変異の応験である。」或る人はいう:「年高・徳劭の人を木と称し、水が木に凝るのを木介と呼び、介はすなわち甲で、甲兵の象徴である。」《晋中興書》に記す:「大興三年二月、雨が降って樹木に氷が結んだ。その後、王敦の乱が発生した。」京房の《易候》はいう:「夏なのに凍えれば、その地方に流亡の事がある。」《地鏡》はいう:「水が冬になっても氷が結ばなければ、君王を更換し、あるいは飢饉・兵禍があることを主る。」
寒
京房曰:“有德遭險,茲謂逆命,厥異寒。”《洪範五行傳》曰:“聽之不聰,是謂不謀,厥罰恆寒。”《晉中興書》曰:“大興四年冬,大寒,民凍死。是時,王敦肆亂而天子不能禁,任意,專殺戮,及忠良。”京房《易候》曰:“夏有遺冬,人民行訴;夏而欠寒,其國有急;冬而不凍澤,其鄉有疾疫;冬至後十日不凍者,人君不行,刑不嚴;一曰:緩死罪,不誅。”
京房はいう:「徳ある人がかえって険難に遭うのは、これを天命に違逆すると謂い、その変異は異常な寒冷である。」《洪範五行伝》はいう:「事を聴くに聡敏でないのは、これを善く謀らないと謂い、その罰は常に寒冷である。」《晋中興書》に記す:「大興四年の冬に大寒があり、百姓が凍死した。この時、王敦は肆図に乱をなして天子は禁止することができず、彼は意のままに妄為し、殺戮を専らにし、忠良の士にまで及んだ。」京房の《易候》はいう:「夏にまだ冬の寒気が残留していれば、百姓は出て訴えに行く。夏に暑いべきなのにかえって寒ければ、その国家に急難がある。冬に湖沢が凍らなければ、その地方に疾疫がある。冬至以後十日たっても氷が結ばないのは、君主の政令が推行できず、刑罰が厳でない。別の説では、死罪を寛緩して誅殺を加えない。」
霧
《元命包》曰:“陰陽亂為霧。”《莊子》曰:“騰水上溢,故為霧。”《爾雅》曰:“地氣發,天不應,曰霧。”董仲舒曰:“太平之世,霧不塞望。”東方朔曰:“凡霧氣,不順四時,逆相交錯,微風小雨,為陰陽氣亂之象,從寅至辰巳上,周而復始,為逆者不成,積日不解,晝夜昏暗,天下欲分離。”《京房易候》曰:“甲乙有霧,疾疫;丙丁有霧,旱;戊己有霧,鄰國有城拔,無軍,有土功事;庚辛有霧,兵;壬癸有霧,為水。冬霧及其門,日懸而霧,馬馳人起,不雨霧曰兵所走。”
《元命包》はいう:「陰気と陽気が錯乱すれば霧となる。」《荘子》はいう:「水気が昇騰して上に漫溢するから、霧となる。」《爾雅》はいう:「地気が昇発して、天気がそれに応じないのを霧という。」董仲舒はいう:「太平の世では、霧は人の視野を塞がない。」東方朔はいう:「およそ霧気は、四季の常度に順応せず、逆行して交錯し、また微風・小雨がある。これは陰陽の二気が錯乱する徴象である。寅の時から辰の時・巳の時に及び、周而復始すれば、叛逆を図謀する者が事成らないことを主る。もし连日散らず、昼夜昏暗ならば、天下がまさに分裂・離析せんとすることを主る。」《京房易候》はいう:「甲の日・乙の日に霧があれば、疾疫を主る。丙の日・丁の日に霧があれば、旱を主る。戊の日・己の日に霧があれば、隣国に城池が攻め拔かれることを主り、もし兵を動かさなければ、土木の工事の事がある。庚の日・辛の日に霧があれば、兵事を主る。壬の日・癸の日に霧があれば、水災を主る。冬の霧が門前に漫じ、太陽がすでに高く懸かっても霧が散らなければ、馬が馳せ人が起つ・兵事が騒動することを主る。雨を降らせずして霧を起こすのは、兵衆が奔走することを謂う。」
《帝王世紀》曰:“黃帝五十年秋七月庚申,天大霧三日三夜,霧除,帝遊洛水之上,見大魚負圖書,今《河圖帝視萌》篇是也。”《河圖》曰:“山,冬大霧十日以上不除者,山崩之候也。山,水脈也。”郗萌曰:“凡霧四合,有虹各見其方,隨四時凶氣,青黃更相掩。”《運斗樞》曰:“四獨霧下,天下寬。”《晉書天文志》曰:“晝霧夜明,臣志得伸。”《孝經洞寶冊》曰:“世無道,皇不用孝,法去兵經,五霧並起,蒼蒼鬱鬱淫淫,蔽四方。”
《帝王世紀》に記す:「黄帝五十年秋七月庚申の日、天に大霧が三日三夜降った。霧が除いた後、黄帝は洛水の上を游賞し、大魚が図書を負って現れるのを見た。それが現在の《河図帝視萌》篇である。」《河図》はいう:「山上に冬に大霧が起こり、十日以上散らないのは、山がまさに崩塌せんとする徴候である。山とは、水気の脈絡である。」郗萌はいう:「およそ霧が四面から合囲し、また虹が各々の方位に現れれば、四季の主する凶気に随って占断し、青色と黄色が交替して掩映する。」《運斗枢》はいう:「四方に独り霧が降れば、天下は寛舒である。」《晋書・天文志》はいう:「昼に霧があり夜が明朗ならば、臣子の志向が伸ばすことができることを主る。」《孝経洞宝冊》はいう:「世に道なく、君王が孝道を行わず、法度が廃弛し兵書が廃置されれば、五色の霧がいっしょに湧き起こり、蒼蒼鬱鬱・淫淫として絶えず、四方を遮蔽する。」
《天鏡》曰:“天雨霧如黃土,百姓勞苦、奔亡、不安,名曰黃霧。”《漢書元后傳》曰:“成帝時,王大弟封侯,其夏,黃霧四塞終日。”《晉中興書》曰:“大寧元年,黃霧四塞,王敦之應。成和元年,大霧,步武不相見,會稽王道子專政之應也。”《陸機別傳》曰:“機被誅日,大風折木,天地霧合。”《兵書》曰:“白霧四面圍城,必有兵到城下,不出其日。”《史記》曰:“上至平城,匈奴圍王,七日大霧,漢使人來往,胡不覺。”《抱朴子》曰:“白霧四面圍城,不出百日,大兵至城下。”
《天鏡》はいう:「天から降る霧が黄土の色のようであれば、百姓が労苦し、奔逃・流亡し、安寧を得ないことを主る。この種の霧を『黄霧』と呼ぶ。」《漢書・元后伝》に記す:「漢の成帝の時、王氏の諸弟が侯に封ぜられ、その年の夏、黄霧が終日弥漫して四塞した。」《晋中興書》に記す:「太寧元年、黄霧が四塞した。これは王敦が乱をなす応験である。咸和元年に大霧があり、半步の距離でも互いに見えなかった。これは会稽王・司馬道子が権を専らにする応験である。」《陸機別伝》に記す:「陸機が殺された日、大風が樹木を折り、天地の間は霧気が合囲した。」《兵書》はいう:「白霧が四面から城池を囲めば、必ず兵馬が城下に開き、当日を出ずして至る。」《史記》に記す:「皇上が平城に至り、匈奴に囲まれた時、七日の大霧で、漢の使者は霧の中を往来しても、匈奴人は皆察しなかった。」《抱朴子》はいう:「白霧が四面から城を囲めば、百日を出ずして、大軍が城下に開き至る。」
《黃帝》曰:“霧者,百邪之氣,陰來昌陽,奸臣擅君權立威。”《荊州占》曰:“晝霧夜明,臣志得伸;夜霧晝明,臣志不伸;霧終日終時,君有憂色;黃,小雨。”郗萌曰:“霧從夜半至日中不解,遂上為霧,君不悟,行邪政於百姓,過日中而似雨,強氣所避。”《河圖》曰:“霧乍散,臣欲謀君,為逆者不成,自亡。”《荊州占》曰:“凡霧氣四方俱起,百步不見人,名曰昏,不有破國,必有滅門。”甘氏曰:“霧,秋以庚申、辛酉日,氣色白,東行為利客,先舉兵者勝,後舉兵者敗。”巫咸曰:“霧,夏以丙丁、巳午日,赤黃氣,西行為利客,主人凶。”《海中占》曰:“霧,冬以壬癸、亥子日,氣青黑色,南行,興軍動眾。”
《黄帝》はいう:「霧は諸々の邪気の結んだもので、陰気が来て陽気を侵奪し、奸臣が君権を擅り奪い個人の威勢を立てることを主る。」《荊州占》はいう:「昼に霧があり夜が明朗ならば、臣子の志向が伸ばされることを主る。夜に霧があり昼が明朗ならば、臣子の志向が伸ばされないことを主る。霧が終日・終時散らなければ、君主が憂いの色を帯びることを主る。霧の色が黄であれば、小雨があることを主る。」郗萌はいう:「霧が夜半から日中まで散解せず、引き続き上に昇騰して霧となるのは、これは君主が覚悟せず、百姓に邪僻の政令を施行するのである。日中を過ぎて雨の降りそうになるのは、強盛の気に回避されたのである。」《河図》はいう:「霧が忽ち散じ忽ち起これば、臣下が君主を図謀しようとすることを主り、乱をなす者は事成らず、自ら亡びる。」《荊州占》はいう:「およそ霧気が四方からいっしょに湧き起こり、百歩以外に人が見えなければ、これを『昏』と名づけ、国家の破亡があるか、必ず家族の滅門がある。」甘氏はいう:「霧が秋季に庚申・辛酉の日に現れ、気色が白を発し、東に向かって行くのは、客軍に利あり、先に兵を起こす方が勝ち、後に兵を起こす方が敗れる。」巫咸はいう:「霧が夏季に丙丁の日・巳午の日に現れ、気が赤黄色を呈し、西に向かって行くのは、客軍に利あり、守る方は凶である。」《海中占》はいう:「霧が冬季に壬癸の日・亥子の日に現れ、気が青黒色を呈し、南に向かって行くのは、師を興し衆を動かすことを主る。」
露
《元命包》曰:“陰陽散為露。”曾子曰:“陽勝則散為露。”蔡氏《月令》曰:“露者,陰液也,曎為露。”《論衡》曰:“露,秋氣所生也。”《易通卦驗》曰:“立秋,白露下。”《元命包》曰:“露以潤草。”《運斗樞》曰:“天樞得則甘露濁。”《五經通義》曰:“和氣津凝,為露從地出。”《禮運》曰:“聖王所以為而弗悖也,天降甘露,地出醴泉。”《命曆序》曰:“桀紂無道,露冬下。”《呂氏春秋》:“伊尹說湯曰:水之美者,三危之露;和之美者,雩揭之露,其色紫。”《地鏡》曰:“圖視山川,多露無霜者,其下有美玉。”《瑞應圖》云:“耆老得敬,則柘受甘露;尊賢愛老,不失細微,則竹葦受甘露。”
《元命包》はいう:「陰気と陽気が消散すれば露となる。」曽子はいう:「陽気が陰気に勝てば、散じて露となる。」蔡氏の《月令章句》はいう:「露は陰の津液で、融け釈して露となる。」《論衡》はいう:「露は秋気の生ずる所である。」《易通卦験》はいう:「立秋のこの節気に、白露が降りる。」《元命包》はいう:「露は草木を潤すために用いられる。」《運斗枢》はいう:「北斗第一星・天枢の運行が当を得れば、甘露が濃厚になる。」《五経通義》はいう:「和気の津液が凝聚し、露となって地の上から生ずる。」《礼記・礼運》はいう:「聖王の為す所が常理に悖らないのは、天が甘露を降し、地が醴泉を湧き出すからである。」《命暦序》はいう:「夏の桀・商の紂は道がなく、露が冬に降った。」《呂氏春秋》に記す:「伊尹は商の湯を説いていう:水の中で最も美しいのは三危山の露。味を調えるに最も美しいのは雩掲山の露で、その色は紫を発する。」《地鏡》はいう:「図に拠って山川を察し、露が多くて霜のない地方は、その下に美玉が蔵されている。」《瑞応図》はいう:「年高の人が敬重を得れば、柘の樹が甘露を受ける。賢者を尊崇し老人を愛護し、細微の処も遺漏しなければ、竹と芦が甘露を受ける。」
霾 噎(噎、于計切、陰にして風なり)
《爾雅》曰:“風而雨土,為霾。”郝萌曰:“凡天地四方,昏蒙若下塵,十五日以上,或一月,或一時,雨不沾衣而有土,名曰霾。故曰:天地霾,君臣乖,若不大旱,外人來。”《爾雅》曰:“陰而風為噎。”《說文》曰:“噎,天地陰沉也。”《紀年》曰:“帝辛受時,周大噎。周昭王十九年,天大噎,雉兔皆震。惠成王元年,晝晦。十六年,邯鄲四噎,室多壞,民多死。”
《爾雅》はいう:「風が吹きまた塵土が落ちるのを霾とする。」郝萌はいう:「およそ天地四方が昏蒙として塵を下すがごとく、十五日以上続き、あるいは一箇月、あるいは一時節続き、落ちるものは衣裳を沾さずに泥土を帯びれば、これを『霾』と名づける。故にいう:天地に霾が起これば、君臣が乖違することを主り、もし大旱を鬧らさなければ、外敵の到来がある。」《爾雅》はいう:「天が陰ってまた風が吹くのを噎という。」《説文解字》はいう:「噎とは、天地が陰沈することである。」《竹書紀年》に記す:「帝辛・紂が位に在る時、周の地に大噎があった。周の昭王十九年、天に大噎があり、雉と兎が皆驚き震動した。梁の恵成王元年、白昼が昏暗であった。十六年、邯鄲に四面の昏噎があり、房屋に毀壊が多く、百姓に死亡が多かった。」
霰
《說文》曰:“霰,稷雪也。從雨,散聲。”《釋名》曰:“霰,星也。水雪相搏,如星而霰。”曾子曰:“陰之專氣為霰。”《爾雅》曰:“霰為消雪。”郭璞注云:“霰水雪雜下,故為消雪也。”《毛詩》曰:“如彼雨雪,先集維霰。”注云:“霰,暴雪也。或云:雪上遇溫氣而搏之,霰也。”
《説文解字》はいう:「霰とは、稷米のような雪粒である。字形は雨に従い、散が声である。」《釈名》はいう:「霰とは星である。水と雪が相撃搏し、粒が星子のようだから、霰と呼ぶ。」曽子はいう:「陰気が専らに凝聚すれば霰となる。」《爾雅》はいう:「霰は消雪である。」郭璞の注はいう:「霰は水と雪が雑り合って降るから、消雪と呼ぶ。」《毛詩》はいう:「あの雪の降る前のように、先に集まるのは霰である。」注文はいう:「霰は急遽の雪である。別の説では、雪が上層で暖気に遭って搏し結ばれて粒となるのが霰である。」
霽
《說文》曰:“霽者,雨止也,雲罷貌。”《晉中興徵祥說》曰:“咸和四年,陰霖五十餘日,蘇峻滅後,乃霽。”《魏略五行志》曰:“延康元年,大霖雨五十餘日,魏有天下乃霽,將受大祚之應也。”
《説文解字》はいう:「霽とは、雨が止むことで、雲が散開する貌である。」《晋中興征祥説》に記す:「咸和四年、陰雨が連綿と五十余日続き、蘇峻が消滅されて後、天は乃ち晴れた。」《魏略・五行志》に記す:「延康元年、大雨が連なり五十余日降り、魏が天下を取得して後に天は乃ち晴れた。これはまさに大命を承けようとする応験である。」
蒙
《釋名》曰:“蒙,日不明,蒙,濛濛然也。”京房曰:“臣私祿及親,茲謂罔闢,厥異蒙行。善不請於上,茲謂祚福,蒙一日五起五解,闢不謀臣,臣闢異道,上蒙下霧;立嗣子疑,茲謂動欲,蒙赤,日不明;利邪以食,茲謂閉上,蒙大起,日不見,若雨不雨,十二日解;祿生於下,茲謂誣君,蒙微而小雨,已乃大雨;下相攘善,茲謂盜明,蒙黃濁;下陳功於上,茲謂不知,蒙微而赤,風鳴條,夜復蒙,不解。”
《釈名》はいう:「蒙とは、太陽が明るくないこと。蒙とは、蒙蒙として昏暗の様子である。」京房はいう:「臣子が俸禄を私に親属に分けるのは、これを君主を目にかけないと謂い、その変異は蒙気が流行することである。好事を行って君上に禀報しないのは、これを福分を窃取すると謂い、蒙気は一日の内に五次興起し五次消解する。君主が臣下と商議せず、君と臣が各々その道を行えば、上は蒙・下は霧となる。継嗣の子を立てるに猶豫・不決なのは、これを心が動き欲が生ずると謂い、蒙気は赤を発し、太陽が明るくない。邪佞の利のために食禄を聚斂するのは、これを君上を蒙蔽すると謂い、蒙気が大いに起こり、太陽が見えず、雨が降りそうで降らず、十二日にして消解する。俸禄が下から私に生ずるのは、これを君主を欺罔すると謂い、蒙気は輕微で小雨を降らせ、続いて大雨を降らせる。下が互いに他人の善行を攘奪するのは、これを光明を窃取すると謂い、蒙気は黄を発して渾濁する。下が君上に自分の功労を陳述するのは、これを君上が情を知らないと謂い、蒙気は輕微で赤を発し、風が吹いて樹枝を鳴らし、夜にまた蒙が起こり、消散しない。」
《春秋潛潭巴》曰:“大蒙三十日,群猾起。”《抱朴子》曰:“若蒙氣圍城,或入於城,則外兵得入;若蒙氣從內出,主人出戰。”《尚書中候》曰:“桀無道,地吐黃,黃是蒙也。”《禮記月令》曰:“仲冬行夏令,氣蒙冥冥。”《演孔圖》曰:“猾待期,則赤蒙沾冠。”《黃帝占》曰:“凡連陰十日,晝不見日,夜不見月,亂風四起,欲雨而無雨,名曰蒙,臣謀君。故曰:久陰不雨,臣謀主。”郗萌曰:“濛霧者,邪氣也,陰來沖陽,奸臣謀君,在天為蒙,在人為霧。日月不見,為蒙;前後人不相見,為霧。”《荊州占》曰:“夜蒙晝明,臣謀政;晝霧夜明,臣得伸志。”
《春秋潜潭巴》はいう:「大蒙が三十日続けば、群れたる奸猾の徒がまさに発難せんとする。」《抱朴子》はいう:「もし蒙気が城池を囲み、あるいは城の中に潜り入れば、城外の兵が攻め入ることができる。もし蒙気が城内から外に現れ出れば、城を守る側が出戦するのである。」《尚書中候》はいう:「夏の桀は道がなく、大地が黄気を吐き、この黄気が蒙である。」《礼記・月令》はいう:「仲冬の十一月にもし夏に属する政令を施行すれば、気は蒙蒙として昏暗になる。」《演孔図》はいう:「奸猾の徒が時機を待てば、赤色の蒙気が人の衣冠を沾す。」《黄帝占》はいう:「およそ陰天が十日連なり、昼に太陽が見えず、夜に月が見えず、乱風が四方から起こり、雨が降りそうでまた降らなければ、これを『蒙』と名づけ、臣下が君主を図謀することを主る。故にいう:久しく陰って雨が降らないのは、臣下が君主を図謀するのである。」郗萌はいう:「蒙と霧は皆、邪気で、陰気が来て陽気を冲犯し、奸臣が君主を図謀することを主る。天にあるのを蒙と呼び、人の間にあるのを霧と呼ぶ。日月が見えないのが蒙。前後の人が互いに見えないのが霧である。」《荊州占》はいう:「夜に蒙が起こり昼が明朗ならば、臣下が政権を図謀することを主る。昼に霧が起こり夜が明朗ならば、臣子が志向を伸ばすことができることを主る。」
開元占経巻一百零二
雷
《易說卦》曰:“震為雷,動萬物者,莫疾乎雷。”《河圖始開圖》曰:“陰陽相薄為雷。”《河圖帝通紀》曰:“雷,天地之鼓也。”《洪範五行傳》曰:“雷者,諸侯之象也。”《河圖》曰:“黃帝以雷精起。”《尚書中候》曰:“秦穆公出狩,天震大雷,下有火,化為白雀,銜丹書,集公車。”《史記》曰:“高祖母劉媼,嘗息大澤之陂,夢與神遇,時雷霆冥晦,見蛟龍於其上,已而有娠,遂產高祖。”《元命包》曰:“陰陽為雷。”
《周易・説卦伝》はいう:「震卦は雷を象徴し、万物を鼓動するのに、雷より迅疾なものはない。」《河図始開図》はいう:「陰気と陽気が相迫撃すれば雷となる。」《河図帝通紀》はいう:「雷は天地の鼓である。」《洪範五行伝》はいう:「雷は諸侯の象徴である。」《河図》はいう:「黄帝は雷の精気に凭って興起した。」《尚書中候》に記す:「秦の穆公が外出して狩猟した時、天に大雷が震響し、下に火があり、白雀に化して、丹書を銜え、穆公の車に集まった。」《史記》に記す:「漢の高祖の母・劉媼は、かつて大沢の岸辺で休息し、夢に神と遇い、その時雷電が交り作り天色が晦暗で、蛟龍が彼女の上に現れ、この後妊娠し、すなわち高祖を産んだ。」《元命包》はいう:「陰気と陽気が相激して雷となる。」
京房曰:“凡雷者,陰陽合和,震動萬物,使各戴其元而起,故雷以動,聞百里,或聞七十里,或聞五十里,或聞二十里,各應其德而起,以應人君行之動靜。或雨且雷,和氣令雷,聲或殷殷轢轢,風雨微,皆陰陽和,利稼之雨,象君臣百姓和合也。”《論衡》曰:“圖畫之士,圖雷之狀,累累如連鼓形,又圖一人若力士之容,謂之雷公。”京房曰:“雷者,月當有效於消息,以為主聲聞於人,雷之為政,大壯始,君臣強,從解起。”《風俗通》曰:“雷已發聲,作醬,令人腸中雷鳴,故雷不作醬也。”
京房はいう:「およそ雷は、陰陽の二気が交合・調和し、万物を震動し、万物をして各々その元気を頂いて生発せしめる。故に雷が一たび発動すれば、あるものは百里以内に聞こえ、あるものは七十里、あるものは五十里、あるものは二十里で、各々その徳の厚薄に拠って発作し、もって君主の行事の動静に対応する。ある時は一方で雨を降らせ一方で雷を鳴らすのは、和気が雷に声を発せしめるので、雷の声が殷殷隆隆として、風雨は皆大きくなく、これは皆、陰陽が調和し稼に利ある雨で、君臣・百姓が和睦・融洽するのを象徴する。」《論衡》はいう:「画を描く士が雷の様子を描く時、累々として連なった鼓の形に描き、また一人の人を力士の模様に描き、彼を雷公と称する。」京房はいう:「雷は毎月の消息・盈虚の中に応験を顕すべく、その声を人間に伝える。雷の主する政事は、大壮卦から始まり、君臣が皆強盛で、続いて解卦から発動する。」《風俗通》はいう:「雷がすでに声を発した後に醤を作ると、人の腹の中に雷鳴のように鳴り響くことがあるから、雷が鳴る時は醤を作らない。」
京房曰:“雷起乾宮,人民多疾病;雷起坎宮,國邑多雨;雷起艮宮,禾好枲長,五穀賤;雷起震宮,五穀暴貴,多傷;雷起箕宮,雨霜傷五穀;雷起離宮,夏少水,旱,蝗蟲;雷起坤宮,蝗蟲害五穀;雷起兌官,兵起,銅鐵貴;雷起水門,流潦滂沱;雷起天門,人不安;雷起石門,蝗蟲食,大凶;雷起木門,棺木貴,歲大熟;雷起風門,霜禾傷;雷起金門,銅鐵貴;雷起火門,夏旱,蝗蟲食;雷起土門,五穀賤,魚不長;雷起鬼門,人民常暴死。
京房はいう:ここの乾・坎・艮・震・離・坤・兌は八卦の配する方位で、箕は箕宿の当たる方位を指す。水門・天門以下の諸々の「門」は、式盤の上に五行・八方に拠って立てた門戸の名である。雷が乾宮の方位から発すれば、百姓に疾病が多い。坎宮から発すれば、国邑に雨が多い。艮宮から発すれば、禾苗が良く育ち麻が高く伸び、五穀の値が賤い。震宮から発すれば、五穀の値が暴騰し、損傷が多い。箕宮から発すれば、雨・霜が五穀を損傷する。離宮から発すれば、夏に水が少なく、旱し、蝗虫が生ずる。坤宮から発すれば、蝗虫が五穀を危害する。兌宮から発すれば、兵事が興起し、銅・鉄の値が貴い。雷が水門から発すれば、積水が滂沱として災いをなす。天門から発すれば、人心が安まらない。石門から発すれば、蝗虫が稼を食い、大凶である。木門から発すれば、棺木の値が貴く、年成が大熟する。風門から発すれば、霜が凍って禾を傷つける。金門から発すれば、銅・鉄の値が貴い。火門から発すれば、夏に旱し、蝗虫が苗を食う。土門から発すれば、五穀の値が賤く、魚が成長しない。鬼門から発すれば、百姓に常に暴死がある。
春始雷東方,東方五穀盡熟,人民蕃殖,以夜雷,歲半熟;雷始南方,歲小旱,夜雷,大旱,糴倍,種不成;雷始西方,谷小熟,有蟲,夜雷,六畜病;雷始西方,五穀不熟,有曝骨其野,馬牛大病,夜雷,赤地千里,糴貴;雷始北方,海水出,百川皆流溢,五穀不成,夜雷,百川皆溢。春不雷而霜,樹木以風落,皆為人疾病。
以下もなお京房の言である:春に第一声の雷が東方で鳴り響けば、東方の五穀が皆熟れ、人口が繁衍する。もし夜に雷を鳴らせば、年成は半分しか熟れない。第一声の雷が南方から起これば、年成に小旱があり、もし夜に雷を鳴らせば、大旱で、糧価は倍加し、種子も成り立たない。第一声の雷が西方から起これば、穀物は僅かに収穫があるが虫害を生ずる。もし夜に雷を鳴らせば、六畜が病む。第一声の雷が西方から起これば(底本重出)、五穀が熟さず、野外に暴露の白骨があり、馬牛に大病がある。もし夜に雷を鳴らせば、赤地千里で、糧価が貴い。第一声の雷が北方から起これば、海水が漫出し、百川が皆泛濫・漫溢し、五穀が成らない。もし夜に雷を鳴らせば、百川が全て漫溢する。春に雷を鳴らさずして霜が降れば、樹木は風に枝葉を落とされ、これらは皆、人が疾病を生ずることを主る。
春三月,甲子、己壬、戊寅、辛卯、戊午,有雷霹靂石,其下有兵;春夏甲子、丙寅、戊子,有雷殺人,有將軍在外大戰,期不出三十日;夏三月,雷電不聞,多疾病,害五穀;夏三月甲子、己壬、戊寅、辛卯,疾風雷,其在城壞軍,在外大戰。戊子雷,雲露變,土易民,以其雷入月深淺,日當一月,或當一歲,不出其月,必有亡國、死王;庚子雷,必有惡令,期不出三十日,或日有令;庚午日雷,不出其月,兵起;甲子雷,亦兵矣。春己壬、丁壬,夏甲午、壬戌、己亥、丁未,冬甲寅。
以下もなお京房の説を承ける:春季三月の中に、甲子・己壬・戊寅・辛卯・戊午のこれらの日にあたり、雷が石を劈き裂けば、その下に兵事がある。春夏の交に甲子・丙寅・戊子の日にあたり、雷が人を撃ち殺せば、将軍が外にあって大戦することを主り、期限は三十日を出ない。夏季三月に雷電の声が聞こえなければ、疾病が多く、五穀を損害する。夏季三月に甲子・己壬・戊寅・辛卯の日にあたり、疾風・迅雷が起これば、城中では軍隊を毀壊し、外では大戦がある。戊子の日に雷を鳴らせば、雲気・露水が変異し、土地は主を易え百姓は遷徙する。雷がこの月に入る深浅に拠って推算し、一日をもって一箇月に当てることもでき、一年に当てることもでき、当月を出ずして、必ず亡国・死王の事がある。庚子の日に雷を鳴らせば、必ず暴虐の政令があり、期限は三十日を出ず、あるいは当日に号令が頒下される。庚午の日に雷を鳴らせば、当月を出ずして、兵事が興起する。甲子の日に雷を鳴らせば、また兵事を主る。春の己壬・丁壬の日、夏の甲午・壬戌・己亥・丁未の日、冬の甲寅の日も、皆、この類の応候の日に属する。
又曰:春戊寅,夏戊申,冬戊子,不雨而雷,雷之所建有所將流血。戊子雷,雨三日止,其下大戰,不雨而雷,外兵必歸,不雨而雷,兵起必阻。王者動事不時,正月大雷;動事不明,但雷而不電。當雷不雷,太陽弱,此君弱臣強,臣奪君政,故春分之後,雷不發聲,君當揚威武,退強臣,正治道,當發聲矣。人神德隆,雷鳴盛春。秋分雷,春分不雷;秋分不雷,春分雷。春過一日,秋亦過一日。春雷不發,秋雷不藏,君死國亡。冬雷上朔,皆為所當之鄉,骸骨盈野,夜雷亦然。冬雷者,陽氣之盛應之,各以雷之日,知何方鳴。東方各以其辰為方。冬三月,有大雷聞千里者,人君絕令;霹霹者,以兵去;溫者,以弱去矣。天冬雷,地必震,教令撓,則冬雷,民飢。冬雷不蟄,茲謂自藏,萬物化不成。”
またいう:春の戊寅の日、夏の戊申の日、冬の戊子の日に、雨を降らせずして雷を鳴らせば、雷の指す方位にまさに流血があろう。戊子の日に雷を鳴らし、三日雨を降って止めば、その地に大戦がある。雨を降らせずして雷を鳴らせば、外の軍隊は必ず回師する。雨を降らせずして雷を鳴らせば、兵を興すも必ず阻まれる。君王が事を挙げて時宜に合わなければ、正月に大雷が鳴る。事を挙げて明智でなければ、雷を鳴らすだけで電を発しない。雷の鳴るべき時に鳴らないのは、太陽の気が衰弱で、これは君が弱く臣が強く、臣下が君主の政権を奪ったからである。故に春分以後に雷がなお声を発しなければ、君主は威武を振揚し、強横の臣を斥退し、治国の道を端正すべきで、そうすれば雷は声を発する。人と神の徳が隆盛ならば、雷は盛春の時節に鳴り響く。秋分に雷を鳴らせば、春分に雷を鳴らさない。秋分に雷を鳴らさなければ、春分に雷を鳴らす。春が一日推遅すれば、秋も一日推遅する。春雷が発せず、秋雷が蔵せなければ、君主が死に国家が亡ぶことを主る。冬に朔日に雷を鳴らせば、皆、雷の対するその地方に応じ、骸骨が野に満ちる。夜に雷を鳴らすのも同じである。冬に雷を鳴らすのは、陽気の過盛の応験で、各々雷を鳴らす日辰に拠れば、どの方が鳴り響くかを知ることができる。東方の各々はそれの属する辰位をもって方位を定める。冬季三月の中に、大雷が千里の外にまで響くものは、君主の政令が断絶することを主る。霹靂するものは、兵事がそれに随って去る。温和な雷は、勢い弱く收まる。天に冬雷があれば、地に必ず地震がある。教化・政令が撹乱すれば、冬雷が起こり、百姓が飢饉する。冬に雷を鳴らして虫豸が蟄伏しなければ、これを自蔵と謂い、万物の化生は成就できない。」
《天官書》云:“無雲而雷,是謂天狗,所當之國,必有甲兵,王國偏虛。冬雷而星下,胡蠻之王死中野;不雷而星下,其國兵起。又曰:冬雷而星不下,當日之國王死其所;冬雷屈折,不及三年,有兵喪,有更政;天無雲而雷者,此君無恩澤於百姓,國將易君,萬人不靜,小人失命,雷聲掩掩,狀如欲息,雨疏無風,此人君深念憂百姓。又曰:雷或一聲而止,此人君出令重也。雷而不雨,此人君欲動,其事無補於百姓,有風,令行;無風,令不行。
《史記・天官書》はいう:雲なくして雷を鳴らすのは、これを「天狗」と謂い、それが対応する国家に必ず甲兵の事があり、王国はこれによって偏枯・空虚となる。冬に雷を鳴らして星が墜落すれば、胡蛮の君王が荒野で死ぬ。雷を鳴らさずして星が墜落すれば、その国家に兵事が興起する。またいう:冬に雷を鳴らして星が墜落しなければ、当値するその日の主する国家の君王が彼自身の処所で死ぬ。冬雷が曲折・断続すれば、三年に及ばずして、兵事・喪乱があり、政権の更替がある。天に雲なくして雷を鳴らすのは、これは君主が百姓に恩沢なく、国家がまさに君主を更換し、万民が安寧を得ず、小人が命を喪うことを示す。雷の声が隠隠として、止まらんと欲する様で、雨が疏らで風がなければ、これは君主が深く百姓を憂念するのである。またいう:雷が一声のみ響いて止むのは、これは君主の発する号令が厳重である。雷を鳴らして雨を降らせないのは、これは君主が挙動せんと欲するが、その事は百姓に対して補益がない。同時に風があれば、号令は推行できる。風がなければ、号令は推行できない。
雷風雨霹靂丘陵者,逆先人之令;雷或霹靂,大風甚雨,發屋折木,此皆小人處位,賢士隱;雷雨大風霹靂,此皆人君用讒言,刑殺正人。上下不和,歲少雷。雷不雨者,有聲無實也,士走。霹靂,破害也。賢人興道,雷止其處,不然夜半雷,一聞其聲,若電無雷,皆為人君絕令,一名枉矢。雷或霆,此人君動令,下不蔽欺明君。雷,蛟龍出,國有賢士,止言不詘者,陰中陰也。
雷・風・雨・霹靂が丘陵の上に打つのは、先人の法令に背逆したのである。雷が時に霹靂を挟み、大風・暴雨で、房屋を掀き倒し樹木を折れば、これは皆、小人が高位を窃び据え、賢士が隠退したのである。雷雨・大風に霹靂を加えるのは、これは皆、君主が讒言を聴用し、正直の人を刑殺したのである。上下が和睦しなければ、一年の中に雷が少ない。雷を鳴らして雨を降らせないのは、声があって実がなく、士人が出走することを主る。霹靂とは、破壊・損害である。賢人が正道を興せば、雷は彼のある所で止まる。さもなくば夜半に雷を鳴らし、一声を聞くだけで再び聞かず、あるいは電はあって雷がなければ、皆、君主の政令が断絶することを主り、この情形をまた「枉矢」と名づける。雷が時に霆に化するのは、これは君主が号令を発布し、下が明君を蒙蔽・欺瞞できないのである。雷を鳴らす時に蛟龍が現れれば、国の中に賢士があることを主る。言を進めて屈従しようとしない者は、陰の中の陰である。
雷之發聲,於坎多水,於艮山崩,於震多風,於箕必大風起,於離大旱,於坤土功,於兌兵起,於乾天象。雷聲或格格,雨下籍籍,此人君施,百姓侮之。雷聲深轢轢,狀如欲伏,雨疏無風者,此人君深憂念百姓。入震卦,雷一聞聲後不復聞,若有電無雷,皆為人君絕令,亦名枉矢。雷如聚火而徙,此人君且絕之象。雷電皆生火,有所擊,極陰生陽也。雷或霹靂無風雨者,此皆剛柔不均,激氣並作,此君臣相忿爭,惡令暴出。雷或霹靂甚大風雨俱至者,此皆亂令大作,以動百姓。雷聲或在南,或在北,或在西,或在東,此人君為政不知所去就也。先雷後雨,不溼土;先雨後雷,屋舍崩潰。”
雷が声を発するのに、坎位では水が多く、艮位では山崩を主り、震位では風が多く、箕位では必ず大風が起こり、離位では大旱を主り、坤位では土木の工事を主り、兌位では兵事の興起を主り、乾位では天象の変異を主る。雷の声が格格と響き、雨の降るが紛紛籍籍たるのは、これは君主が施為する所がありながら百姓が彼を軽侮するのである。雷の声が深く隆隆として、伏せんと欲する様で、雨が疏らで風がなければ、これは君主が深く百姓を憂念するのである。震卦の時位に入ると、雷は一声を聞いた後再び聞かず、あるいは電はあって雷がなければ、皆、君主の政令が断絶することを主り、また「枉矢」と名づく。雷が聚まった火のように移動するのは、これは君主がまさに政令を断絶せんとする象徴である。雷と電は皆火を生じることができ、およそ撃つ所があれば、陰が極まりて陽を生ずる。雷が霹靂を挟んで風雨がないものは、これは皆、剛柔が均ならず、激蕩の気がいっしょに発作し、君臣が互いに忿争い、暴虐の号令が突然発せられることを主る。雷が霹靂を挟んで狂風・暴雨がいっしょに至るものは、これは皆、乱命が大いに行われ、もって百姓を驚扰するのである。雷の声がある時は南に、ある時は北に、ある時は西に、ある時は東にあるのは、これは君主が政事を処理するに取るべき捨てるべきを知らないのである。先に雷を鳴らして後に雨を降らせば、雨は泥土を沾すことができない。先に雨を降らせて後に雷を鳴らせば、屋舎が崩塌する。」
《師曠占》曰:“春雷始起,其音柏柏格格霹靂者,謂雄雷,旱氣也。其鳴依依音音不大霹露者,謂雌雷,水氣也。春不雨,有雷音在地中,其所有兵起其下。”《禮記月令》曰:“春日夜分,雷乃發聲,有不戒其客止者,生子不備必有凶災。”《天鏡》曰:“冬震,兵飢。”《晉中興書》曰:“昇平二年十一月,雷,是時皇太后臨朝,政舒緩。”《洪範五行傳》曰:“秦二世元年,無雲而雷。雷,陽也;雲,陰也。有雲然後有雷,有臣然後有君也。無雲而雷,示君獨處,無人民也。”
《師曠占》はいう:「春に雷が鳴り始め、その音が柏柏格格として霹靂を帯びるのを雄雷と謂い、旱気を主る。その鳴くが依依音音として大きく霹靂を伴わないのを雌雷と謂い、水気を主る。春に雨を降らせずして、雷の音が地中に轟くものは、その対応する所の下に兵事が興起する。」《礼記・月令》はいう:「春に日夜が平分する時節に、雷は乃ち声を発する。もし禁戒を聴かず房事を止息しようとしない者があれば、生まれる子は肢体が全からず、かつ必ず凶災がある。」《天鏡》はいう:「冬に雷震すれば、兵事・飢饉を主る。」《晋中興書》に記す:「升平二年十一月に雷が鳴った。この時、皇太后が朝に臨んで政を聴き、政令は寛緩であった。」《洪範五行伝》に記す:「秦の二世元年、雲なくして雷が鳴った。雷は陽に属し、雲は陰に属す。雲あって然る後に雷があり、臣あって然る後に君がある。雲なくして雷が鳴るのは、君主が孤立して独り処り、百姓の擁戴がないことを示す。」
《河圖》曰:“臣僭大者不犯主,則雷電擊朝。”京氏《五星占》曰:“人君承用節度,即雷風以節;暴行威福,則雷霆擊人。其救也,議獄緩死,則災消矣。”京氏《對災異》曰:“雷鳴,連而不絕者,此謂人君政事,民不恐懼。”又曰:“雷電俱出,或先鳴而後電者,此謂執法貪苛。”
《河図》はいう:「臣子が僭越して甚だしくてもなお直接君主を冒犯しなければ、雷電は朝廷を撃つ。」京氏の《五星占》はいう:「君主が法度を秉承し遵用すれば、雷と風は皆節度がある。暴虐に威罰・恩賞を施行すれば、雷霆は人を撃つ。その補救の法は獄案を審議し死刑を寛緩すれば、災異は消解する。」京氏の《対災異》はいう:「雷の鳴るが連なって絶えないのは、これは君主が政事を処理して、百姓が畏懼しないと謂う。」またいう:「雷と電が同時に現れ、あるいは先に雷が鳴って後に電が閃くのは、これは法を執る者が貪婪・苛刻であると謂う。」
霹靂占
《春秋繁露》曰:“霹靂者,金氣也,其音商,故應以霹靂。”《說文》曰:“震,霹靂振物也。”《釋名》曰:“霹靂,折也。所歷皆破折;震,戰也,所擊輒破,若攻戰也。”《范子計然》曰:“天者變化,行精氣者也。令者,謂暴風雨霹靂也。”《晉朝雜事》曰:“元康七年,霹震破城南高媒石。高媒,中宮求子像也。賈后妒忌,將殺懷愍,天怒,霹靂之,賈后將誅應也。”
《春秋繁露》はいう:「霹靂は金気に属し、それは五音の中で商に配するから、霹靂をもって相応ずる。」《説文解字》はいう:「震とは、霹靂が万物を振動することである。」《釈名》はいう:「霹靂とは折ることで、およそそれの経歴する所は皆破撃し折る。震とは戦うことで、およそそれに撃たれるものはすぐに破裂し、攻戦のようである。」《范子計然》はいう:「天とは変化して測るべからず、精気を運行する者である。いわゆる『令』とは、暴風・暴雨と霹靂を指す。」《晋朝雑事》に記す:「元康七年、霹靂が城南の高禖石を震い破った。高禖とは、中宮が子を生むことを祈るために立てた神像である。賈后が妒忌して、まさに懐愍太子を殺害しようとし、天が怒り震え、霹靂をもってそれを撃った。これは賈后がまさに誅殺されようとする応験である。」
《搜神記》曰:“扶風楊道和,夏于田中,值天雷雨,止桑樹下,霹震擊之,道和以鋤格,折其左股,遂落地不得去,赤如丹,目如鏡,手如牛,角長三尺餘,狀如六畜,頭似彌猴。”《續搜神記》曰:“吳興人章狗者,五月中於田中耕,以飯蘿置菰裡,晚飢求食而飯已盡,如此非一。後日於菰中伺之,見一大蛇偷食其飯,狗即以鑊刈之,蛇便走去,狗乘船逐之,至一坂,有穴,蛇便入穴,但聞啼哭人云:斫某甲。或云:當何如?或言:符雷公,命霹靂殺奴。須臾雲雨四合,震電傷狗,狗於是跳梁大罵云:天公,我貧窮展力耕墾,蛇來偷食我飯,罪應在蛇,反更來霹靂,許是無知,雷公若來,今當以鑊斫汝腹破!須臾,雲雨輒開,乃更還霹靂向穴,諸蛇死者數十。”
《捜神記》に記す:「扶風の人・楊道和は、夏に田の中にいて、天の雷雨に遭い、桑樹の下に避けたところ、霹靂が彼を撃ち、道和は鍬頭をもってこれを格し、雷神の左股を折った。雷神はすなわち地に落ちて去ることができず、身は赤く丹砂のよう、目は鏡のよう、手は牛蹄のよう、角は三尺余の長さ、形は牲畜のよう、頭は獼猴に似ていた。」《続捜神記》に記す:「呉興の人・章狗は、五月中に田の中で耕作し、飯を盛った籮筐を菰草叢の中に置いたところ、夕方に飢えて飯を取りに行くと飯はすでに食べ尽くされており、こうしたことが一度ならずあった。後日彼は菰草の中に隠れて守候し、一条の大蛇が彼の飯を偸食するのを見て、章狗はすなわち鑊刃をもってそれを刈ると、蛇はすなわち逃げ去り、章狗は船に乗って追いかけ、一カ所の坡地に追い至ると、そこに洞穴があり、蛇はすなわち洞穴に潜り込んだ。中から人が啼哭していうのが聞こえた:某人を斫り傷つけた、と。あるいはいう:どうすべきか。あるいはいう:符を雷公に発し、彼に霹靂をもってこの奴を打ち殺させよ、と。片刻の間に雲雨が四面から合攏し、雷電が章狗を撃ち傷つけた。章狗はここにおいて跳ね起きて大いに罵っていう:天公よ、わたしこの貧窮の者は力を尽くして耕墾し、蛇が来てわたしの飯を偸食した。罪は蛇にあるべきなのに、かえってまた来てわたしに霹靂を撃つとは!これを見ればまことに事理に明らかでない。雷公がもし再来すれば、わたしは今日鑊刃をもって汝の腹を劈き開くぞ!片刻の間に、雲雨はすなわち散開し、雷電は転じて戻りてあの洞穴を撃ち、洞穴の中で撃ち殺された蛇は数十条に及んだ。」
《天鏡》曰:“雷霆擊宮庭中,大夫欲逆,不出五年,交兵流血。”《合誠圖》曰:“霹靂擊於殿,女宮急。”《潛潭巴》曰:“霹靂擊宮室,君情洩,下有謀起。”《天鏡》曰:“雷霆擊宗廟,是謂天戒人君暴雲,不出八年,削地奪國。”《春秋繁露》曰:“王言,下不從革,而秋多霹靂。”《天鏡》曰:“雷電擊貴人、從官、車騎,此乃人君惑於佞人,失眾和。”《漢獻帝紀》曰:“初平二年,無雲而霹靂殺人。”《天鏡》曰:“雷霆擊貴人正殿,此謂重陽之戒,此佞人持政,不出六年,地削君亡。”《晉中興書》曰:“元興三年秋,永安王皇后自巴陵將設威儀入宮,天大雷震,人馬一時俱悚。”《續晉陽秋》曰:“大元年,震含章殿四柱,殺內侍二人。”
《天鏡》はいう:「雷霆が宮庭の中を撃てば、大夫が叛逆しようと欲することを主り、五年を出ずして、交兵して流血する。」《合誠図》はいう:「霹靂が殿の上を撃てば、女宮に急難があることを主る。」ここの「女宮」は後宮・嬪御の居る所を指す。《潜潭巴》はいう:「霹靂が宮室に撃ち中れば、君主の心事が外に洩れ、下に陰謀が興起することを主る。」《天鏡》はいう:「雷霆が宗廟に撃ち中れば、これを上天が君主の暴虐を戒めると謂い、八年を出ずして、土地を削奪し国家を喪失する。」《春秋繁露》はいう:「君王が言を発して、下が聴従して改易しようとしなければ、秋に霹靂が多い。」《天鏡》はいう:「雷電が貴人・侍従の官と車騎に撃ち中れば、これは君主が佞人に迷惑され、衆人の和睦を失ったのである。」《漢献帝紀》に記す:「初平二年、雲なくして霹靂が人を撃ち殺した。」《天鏡》はいう:「雷霆が貴人の正殿に撃ち中れば、これを『重陽の戒』と謂う。正殿は至尊の居る所で陽に属し、雷霆もまた陽に属し、両陽が相加重なれば、故に重陽と称する。これは佞人が朝政を把持する徴象で、六年を出ずして、地を削り君を亡ぼす。」《晋中興書》に記す:「元興三年の秋、永安王皇后が巴陵から儀仗を備えて宮に入ろうとした時、天に大雷が震響し、人と馬が一時に皆驚悚して安まなかった。」《続晋陽秋》に記す:「太元年間、雷が含章殿の四柱を震い、内侍二人を撃ち殺した。」
電
《河圖》曰:“激陽為電。”《易稽覽圖》曰:“陰陽和合,其電耀耀也,其光長。”《元命包》曰:“陰陽激為電。”《河圖》曰:“大電繞樞星,炤郊野,感符寶而生黃帝。”《天官書》曰:“電者,陰陽之動也。”《莊子》曰:“陰氣伏於黃泉,陽氣上通於天,陰陽交爭,故為電。”《釋名》曰:“電,殄也,乍見則殄威也。”京房曰:“電生火,有所擊,極陰生陽之象。”董仲舒曰:“太平世,電不眗目,霣示光耀而已。”
《河図》はいう:「陽気が激発を受ければ電となる。」《易稽覧図》はいう:「陰気と陽気が調和・交合すれば、その電光は耀耀として目を奪い、光帯が長い。」《元命包》はいう:「陰気と陽気が相激して電となる。」《河図》はいう:「大電が北斗の枢星を環り繞り、郊野を照らして、附宝を感応させて黄帝を生ませた。」《史記・天官書》はいう:「電とは、陰陽の二気の運動である。」《荘子》はいう:「陰気は黄泉の下に潜伏し、陽気は上って天に通達し、陰陽が交じり争うから、電となる。」《釈名》はいう:「電とは殄で、一閃して即ち逝き、威勢もまたこれに随って殄滅する。」京房はいう:「電は火を生ずることができ、およそ撃つ所があれば、皆、陰が極まりて陽を生ずる象徴である。」董仲舒はいう:「太平の世では、電光は人の目を刺さず、ただ一点の光耀を垂れ示すだけである。」
霆
京房曰:“凡霆者,金餘氣也,金者,內鏡而外冥,人君即位,乃先敬讓,而內尚賊心,陰行眾物,舉事發微,自以為明,虛言妄據,深依以考,凡事亦自以為能矣。故無雲而霆,霆或為火者,此人君以暴罰也;霆或聚火者,光起而從,此人君將聚之象也;霆或中天而見,此人君自以為明也;霆或將如交蛇,光明之而一正者,此人君行明行直;霆或正赤,下至地而復上者,此人君聽讒言也;
京房はいう:およそ霆は、皆、金の余気である。金の性質は内が鏡のように明るく外が幽暗である。君主が即位したばかりの時、まず恭敬・謙譲の様子を出すが、内心はなお残害の心を懐き、暗いうちに種々の手段を施行し、一挙一動が皆細微の処から発動して、自ら明察と思い、空言を吐いて恣に拠り、深く依托して他人を考劾し、凡事にも自ら能と思う。故に雲なくして霆を打つ現象が現れる。霆が時に火に化するのは、これは君主が暴虐の刑罰を用いるのである。霆が時に火に聚まるのは、光が起こればすなわち随って上がり、これは君主がまさに聚斂せんとする象徴である。霆が時に半天空に現れるのは、これは君主が自ら明察と思うのである。霆が時に交り纏う蛇のようで、光明で端正なのは、これは君主が行事に明白・正直なのである。霆が時に純赤色で、地面に下ってまた返って上がるのは、これは君主が讒言を聴信するのである。
霆或東西南北,皆有霆者,此人君行役,不避四時也;霆或正直而長,光明者,此人君行微,人不知曲直;霆或正黃澤者,此人君行明,雖得事實,取其中也;或霧而霆者,此人君默行,不得事實,而亂不息,下將不制;霆瞬瞬暉暉者,此人君質,不知自明也;霆或奕奕明之而復息者,此人君譏問內直言之事;霆或無雲而以昏數見者,此人君誠以微言而以害人也,一云:默言;霆或將如蝶蛇,明久而微正者,此人君行不明,莫有非也;天陰不雨,但為霆者,此人君陰行,欲以來事實也。”
霆が時に東西南北の四方に皆あるのは、これは君主が労役を征発し、四季の農時を避けないのである。霆が時に端正で長く、光明が人を照らすのは、これは君主が行事に隠微で、他人が曲直を分け識ることができないのである。霆が時に正黄で潤沢の色を呈するのは、これは君主が行事に明白で、事情の実情を掌握しながらも、なおその中道を取るのである。時に霧が起こってまた霆を打つのは、これは君主が暗中に行事し、実情を掌握することができず、これによって禍乱が息まず、下がまさに節制を受けなくならんとするのである。霆が閃々爍々として忽ち明るく忽ち滅するのは、これは君主が質朴で、自ら明察を求めることを知らないのである。霆が奕奕と発亮してまた即座に熄滅するのは、これは君主が私下で直言・進諫の事を査問するのである。霆が時に雲がなくて昏暗の中に屢々現れるのは、これは君主がまさに隠微の言語をもって人を害せんとするのである。別の説では、黙して言わずに行事するのである。霆が時に蝶蛇の様子で、久しく明るくして僅かに端正なのは、これは君主が行事に明らかでなく、しかも敢えて彼の非を指摘する者がいないのである。天が陰って雨を降らせず、ただ霆を打つだけなのは、これは君主が暗中に行事し、これを藉りて事の実情を招こうと欲するのである。」
開元占経巻一百零三
暦法
上元甲子,距今麟德元年甲子,歲積二十六萬九千八百八十,算外。上元甲子,距今大唐開元二年甲寅,歲積二十六萬九千九百三十,算外。章歲,三萬九千五百七十一。總法,一千三百四十。章月,四十八萬九千四百二十八。半總,六百七十。章閏,一萬四千五百七十六。辰率,三百三十五。閏分,一千二百一十四。(奇八)奇率,一十二。歷周,四十四萬三千七十七。旬周,六十。月法,二十九日,餘七百一十一。弦法,七日,餘五百一十二。(奇九)氣法,一十五日,餘二百九十二。(奇十)曆法,二十七日,餘七百四十三。(奇一)
上元甲子のこの起算点から麟徳元年甲子歳まで推して、累積の年数は二十六万九千八百八十年、いわゆる「算外」とは、末年を内に計えないことを謂う。上元甲子から大唐開元二年甲寅歳まで推して、累積の年数は二十六万九千九百三十年、同じく末年を内に計えない。以下は本暦が推歩に用いる各項の常数である:章歳三万九千五百七十一、総法一千三百四十(各項の分数が共用する分母)、章月四十八万九千四百二十八、半総六百七十(総法の半分)、章閏一万四千五百七十六、辰率三百三十五、閏分一千二百一十四(原書の小注:奇は八)、奇率十二、暦周四十四万三千零七十七(月行・遅疾が一周するのに用いる数)、旬周六十(干支が一周する数)、月法二十九日・余七百一十一(一つの朔望月の長さ)、弦法七日・余五百一十二(朔から上弦までの間の長さ、原書の小注:奇は九)、気法十五日・余二百九十二(一つの節気の長さ、原書の小注:奇は十)、暦法二十七日・余七百四十三(原書の小注:奇は一)。
推朔端術:置上元甲子距今所求年,算以章月乘為歲分,章歲除為積月,餘為閏餘。以閏餘減歲分為朔分,總除為積日,餘為小餘。(以天正小餘滅朔分,餘為總實。)求次朔,以月法加;求閏餘,以閏餘加;求弦,以弦法各加其朔;得上弦,以次轉加望,下弦,及來月朔。
朔日の起点を推求する方法:上元甲子から求めるその年までの累積年数を列し、章月をもって乗じて「歳分」を得、更に章歳をもって除して「積月」を得、除し尽くせない余数がすなわち「閏余」である。閏余をもって歳分を減じて「朔分」を得、総法をもって朔分を除して「積日」を得、除し尽くせないのがすなわち「小余」である。(原書の小注:天正の月の小余をもって朔分を滅じ、余る所がすなわち「総実」である。)次の朔日を推求するには、月法を一つ加える。閏余を推求するには、閏余を一つ加える。弦日を推求するには、各々その月の朔に弦法を一つ加え、先ず上弦を得、順次さらに加えれば、望・下弦および来月の朔が得られる。
推入曆術,以歷周去總實,餘以變奇率乘之,滿變小餘。加其餘,總法除為日,不盡為餘命日,算外。即所求年天正恆朔入曆日及餘。
入暦を推求する方法:暦周をもって総実を去り、余る数を更に変奇率をもって乗じ、一変に満てばすなわち小余として、それを余数の上に加える。然る後に総法をもって除して「日」を得、除し尽くせないのを「余」として、日数は順次命名して末の一位は内に計えない。こうして得たのが、求めるその年の天正の月の恒朔の入暦日数および余数である。
求次朔及弦望準前術,(滿歷日及餘奇則去之)求夜半入曆,各以其恆小餘減。
次の朔日および上弦・望・下弦の入暦を推求するには、皆、前の方法に比照して行う。(原書の小注:入暦の日数と余・奇が一周に満てば、それを減じ去る。)夜半の入暦を推求するには、各々それの恒朔の小余をもって減ずる。
推中氣術,各以閏餘加其恆朔小餘,即其氣節,以氣法加。
中気を推求する方法:各々閏余をその月の恒朔の小余の上に加えれば、すなわちその月の気節の在所が得られる。次の気を推すには、さらに気法を一つ加える。
推加時術,各以六乘其小餘,辰率除,殘以五乘四百二,除為辰殘。又以六乘,如前除為刻分。命時起子半算,即加時所在辰及刻分。
加時を推求する方法:各々六をもってそれの小余を乗じ、更に辰率をもって除す。残った数を五をもって乗じ、四百零二をもって除して辰の余数を得る。さらに六をもって乗じ、前の办法に照らして除せば、すなわち刻分が得られる。時辰は子の時の正中から起算し、末の一位は計えず、こうして加時のある時辰および刻分が得られる。
求定氣術,冬夏二至,即以恆氣為定,自外各以氣下消息數,息減、消,加其恆氣小,(滿若不足,進退其日。)各得所求。(加者為盈氣,減者為縮氣。定其盈縮所在,故曰定氣。)
定気を推求する方法:冬至・夏至のこの二つの至日は、直ちに恒気をもって定気とする。そのほかの各節気は、各々その気の下に列する消息数を用いて調整し、「息」に属すれば減じ、「消」に属すれば加え、加減は皆それの恒気の小余の上に落とす。(原書の小注:小余が満つあるいは足らなければ、日数を前あるいは後に一日進退する。)こうして各々求める定気が得られる。(原書の小注:加えたのを盈気と謂い、減じたのを縮気と謂う。盈縮の在所を定めようとするから、故に定気と名づける。)
推日中影及消息盈縮定數術,各置其所入氣後氣數,互相減,餘以乘所入,如算十五,以各減其數為定。(前少加之,前多減之,其求入曆,定遲速及星者仿此,入氣十五,算者如十六。)
日中の影の長さおよび消息・盈縮の定数を推求する方法:各々入った気とその後の一気の数値を列し、前後で互いに減じ、得た差をさらにすでに入った日数を乗じて、十五で除し、得た数を用いて各々本気の数を減ずれば、すなわち定数である。(原書の小注:前の数が小さければ加え、前の数が大きければ減ずる。入暦を推求し、遅速を推定しおよび星を推すのは、皆この办法に倣う。入気が十五に満てば、計算する時は十六に拠って算する。)
推朔弦望盈縮經辰所入術,各以其日所入盈縮,定積。盈加縮減其恆經辰所入,餘即各所求。
朔・弦・望の盈縮・経辰の所入を推求する方法:各々その日の入った盈縮の定数を累積し、盈ならば加え縮ならば減じ、それの恒定の経辰の所入の数の上に加減し、余る所がすなわち各々求める数である。
推朔弦望定遲速術,置所入日遲速數,分後日數,互相減,餘以入曆日,餘乘以總法,除得以加減遲速數為定。
朔・弦・望の定遅速を推求する方法:入ったその日の遅速数を列し、それの後の一日の数と前後で互いに減じ、余る数に入暦の日余を乗じ、更に総法をもって除し、得た数を遅速数の上に加減すれば、すなわち定数である。
推定朔弦望術,各以其日遲速盈縮定數,歷速減遲加,氣盈如縮,減恆小餘,滿若不足,進退其日,命以甲子,算外,即各所求。
定朔および定弦・定望を推求する方法:各々その日の遅速の定数と盈縮の定数を用い、暦行について言えば、速は減じ遅は加え、気行について言えば、盈は縮と同じく処理し、皆用いて恒朔の小余を加減する。小余が満つあるいは足らなければ、日数を前あるいは後に一日進退し、更に甲子の紀日をもって命名し、末の一位は計えず、すなわち各々求める定朔・定弦・定望が得られる。
推定月大小術,其定朔日名,十干與來月同者,大;不同者,小;月無中氣者,為閏。(若正月交,有時正見者,消息前後各一兩月,以定月以之大小,今虧在晦二,其弦望亦隨事消息,月朔大小若過類三者,觀定小餘,近夜半者,量定其弦望,以五乘定小餘,秒法除為刻,即各其辰所入刻數,皆減其晨刻,不盡為辰後刻,不滿前刻者,從前日注於嗣後。)
月の大小を推求する方法:定朔のその日の日名を見て、十干が来月の定朔の天干と同じならば、この月は大月である。同じでなければ、小月である。一箇月の中に中気のないものは、閏月と定める。(原書の小注:もし正月の交朔の時に、時に月象を正しく見ることができれば、前後各一両箇月の中で消息の調整をし、これに拠って各月の大小を定める。いま虧欠が晦日の二に落ち、弦・望もまた情形に随って消息・進退する。月朔の大小がもし連続して三類を過ぎれば、定小余を見て、夜半に近いものは、酌量してそれの弦望を定める:五をもって定小余を乗じ、秒法をもって除して刻数を得れば、すなわち各々その時辰の入る刻数で、皆それの晨刻を減じ、減じ尽くせないのを辰後刻とする。前刻に満たないものは、前の日から注して次の日に至る。)
推土王術,置四季之節,加大餘十二,小餘二百三十五,即各其氣后土王日。
土王の用事日を推求する方法:四季の末の節気を列し、大余十二・小余二百三十五を加えれば、すなわち各季のその節気の後の土王の用事の日が得られる。
推沒日術,氣小餘一千四百七巳上,以九十乘之;又以十五乘小分,從以減沒分十二萬二千三百五十七。
没日を推求する方法:節気の小余が一千四百零七以上のものは、九十をもってそれを乗じ、さらに十五をもって小分を乗じ、両者を併せて、没分十二万二千三百五十七を減ずる。この術の下文はまだ完せず、後に接続する。
麟徳暦経・推歩術(前巻を承く)
餘,以沒法一千七百五十七,除為日,不盡為餘,以日數加氣大餘,即各氣內沒日。
上の文に承けて求めた余数を、《麟徳暦》の定める「没法」1757をもってそれを除する:得た商を整日数とし、除し尽くせない部分を余分に留める。更にこの整日数をその節気の「大余」(暦元から累積してその気に至る整日数)の上に加えれば、得る所がすなわちこの気の内に「没日」が落ちる日である。いわゆる「没」とは、暦法の中で日分を凑合するために虚設した日名で、節気の零余が一定の数量に積れば、すなわち一つの「没日」を折出して標記し、実際に太陽の出沒する一日とは計えない。この条はただ没日を推す術の下半截で、前の「某の数を置き、某の数をもって乗ず」余数を求める歩驟は上の節にあり、この片はここから接続する。
推每定氣初日夜半日所在定度術,各以其定小餘,減其氣日度分,命以宿次,即其夜半日度及分。求次日,日加一度,又各以其日躔差率,進加退減度分數。
各定気の初日の夜半の太陽のある実際の黄道度数を推求する方法:その気の「定小余」、すなわち修正を経た後の一整日に足らない那部分の余分を取り、それをもってその気の当日の太陽のある度数と分数を減じ、余る所を更に二十八宿の次第に拠って順次累減し、どの宿の内に落ちるに減じ至れば、それがすなわち夜半の時の太陽のある宿度と分である。次日の度数を推すには、前日の基礎の上に一度を加える。ほかにまた各々当日の「日躔差率」(太陽の実際の行度が平均行度に対する改正数)に拠って調整し、進すべきはこの度分を加え、退すべきは減じ下ろす。
推朔望加時所在度術,各以定小餘,加其日夜半日度分,即加時所在。推朔望加時月所在度術,朔加時日所在,為合朔。日月同度,加其望日,加時度一百八十二分百三十四四十二。
合朔と望の発生する時刻の太陽のある度数を推求する方法:当日の「定小余」を取り、それをその日の夜半の太陽のある度数と分の上に加えれば、得る所はすなわち「加時」(すなわち合朔あるいは望が実際に発生する那刻)の太陽のある処である。合朔と望の時の月のある度数を推求する方法:合朔の那刻の太陽のある度数が、すなわち合朔の処である。合朔の時に日月はまさに同一度にあるからである。もし望日の月の位置を求めれば、この基礎の上にさらに182度134分42(原文は「一百八十二分百三十四四十二」と作る)を加える。すなわち半箇の周天で、望の時に日月は恰好天を隔てて相対するからである。
推朔定日夜半月所在度術,各以其定小餘,乘所入曆日離程總法而一,為夜半後分,以六十七除,為度。餘,為度分。以減其日加時所在夜及分,命以宿度。求次日各以離程加。(若至其朔,即別起其端,端不得團前而加之。)
定朔のその日の夜半の時に月のある度数を推求する方法:その日の「定小余」を取り、入った遅疾暦のその日の「離程」(その日に月が当に行るべき分数)を乗じ、更に「総法」のこの分母をもって除し、商を夜半以後に月がすでに行った分とする。この分数を67をもって除し、商に度数を得、除し尽くせないのを度下の分に留める。それをもってその日の加時の月のある度数と分を減じ、余る所を更に二十八宿の次第に拠って累減すれば、すなわち夜半の月のある宿度が得られる。次日を推すには、各々次日の「離程」を加える。(原書の小注:もし推算して次の朔日に至れば、すなわち別に頭緒を起こして重ねて起算し、新しい一轮の数目は前の一轮の上に接続して累加を続けてはいけない。)
推定氣日晝夜漏及日出沒時,倍其氣晨前刻及分,分漏法從刻為日不見漏,以減百刻為日見漏,加日見漏五刻,為晝漏刻,以晝漏刻減百刻,餘為夜時刻。四刻十二分加晨前漏刻,命起於刻算外,即日出晨刻,以日見漏加日出辰刻,以次如前,即日沒所在晨刻。(以二十五日除夜漏,得每更一算之數,以二刻三十六分加日沒晨刻,即甲夜,即卯晨。又以更籌數加之,得甲夜一籌數,以次累滿,晨去之,即五更籌所當晨刻及分也,以配二十一前夜漏漏法。)
各定気の昼夜の漏刻および日出・日没の時刻を推求する方法:まずその気の「晨前刻」の刻数と分数を一倍に加え、その中の分を「漏法」のこの分母に拠って刻に折算し、得る所がすなわち「日不見漏」、すなわち太陽が地平以下にある時長である。百刻をもってそれを減じ、余数がすなわち「日見漏」、すなわち太陽が地平以上にある時長である。さらに日見漏に五刻を加えて、昼漏刻とする。昼漏刻をもって百刻を減じ、余る所がすなわち夜間の刻数である。別に四刻十二分を取って晨前漏刻の上に加え、刻数から起算して本刻は内に計えず、得る所がすなわち日出の時刻である。更に日見漏を日出の時刻の上に加え、前の办法に照らして順次推し去れば、すなわち日没のある時刻である。(原書の小注:二十五をもって夜漏を除し、每一更の占める刻分の数を得る。二刻三十六分を日没の時刻の上に加えれば、すなわち甲夜の起点で、すなわち卯前の晨である。更に順次一筹の刻分を加えれば、すなわち甲夜第一筹の時刻が得られ、かくのごとく筹を逐えて累加し、一昼夜に満てば減じ去り、ここにおいて五更の各筹の当たる刻と分は皆求められ、もって前に列した夜漏・漏法と相配する。この句の「二十一前」は当に脱訛があるべきである。)
推昏明去中星度術,每日求其晝夜漏刻數,以乘歲實二百,乘總法而除之,得昏去其中星度。以減周天度,餘為晨去中星度。以昏明去中星度,加其晨所在,即各其日中星度數。(其梗概粗舉者,加其夜半日度,亦各其中中星宿度。)因求次日者,各置其日刻差七十三乘之,二百八十八而一,為度差,滿十為度。冬至後加,夏至後減,隨日加減,各得每日去中度。晨昏所距,日在黃道,中星準度以赤道。
黄昏と拂暁の時に中星を距る度数を推求する方法:每日まず当日の昼漏・夜漏の刻数を求め、それをもって「歳実」(一歳の日分の総数)を乗じ、更に200をもって「総法」を乗じて除数として除せば、得る所がすなわち黄昏の時に中星を距る度数である。周天の度数をもってこの数を減じ、余数がすなわち拂暁の時に中星を距る度数である。昏・明に中星を距る度数を各々当日の拂暁の太陽のある度の上に加えれば、すなわちその日の中星の度数が得られる。(原書の小注:大概を求めて細かく算しないのは、それを夜半の太陽のある度の上に加えても、また各々当時の中星・宿度が得られる。)もし次日に順推せんとすれば、当日の刻差73を取って乗じ、288をもって除し、得る所を「度差」と呼び、十に満てば一度に進む。冬至以後は加とし、夏至以後は減とし、日を逐えて加減し下れば、每日の中星を距る度数が得られる。注意すべきは:晨昏の距る所は太陽のある黄道を准とし、中星自体の度数は赤道を准とし、両者の拠る坐標は同じでない。
麟徳暦経・月行遅疾離程表
歷日、離程、速數;歷日、離程、遲數。一日九百八十五,增一百四十四,速初;一十五日百一十,增一百一十八,遲二十九。二日九百七十四,增一百一十七,速一百三十四;十六日八百一十九,增一百一十五,遲一百五十七。三日九百六十二,增九十九,速二百五十一;十七日八百三十三,增九十五,遲二百七十二。四日九百四十八,增七十八,速三百五十;十八日八百四十六,增七十四,遲三百六十七。
以下は月行・遅疾暦の表で、共に六欄あり、前三欄は月行が速い前半月、後三欄は月行が遅い後半月である。欄名は順次:暦日(遅疾暦に入った第几日)、離程(その日に月が当に行るべき分数)、速数(平行より速い累積の差数)。暦日・離程・遅数(平行より遅い累積の差数)。第一日の離程985分、平行より多い144、速数は「速初」と記しすなわち起算の端。第十五日の離程810分(原文は「百一十」と作り、上におそらく「八」の字を脱す)、増118、遅数29。第二日の離程974、増117、速数134。第十六日の離程819、増115、遅数157。第三日の離程962、増99、速数251。第十七日の離程833、増95、遅数272。第四日の離程948、増78、速数350。第十八日の離程846、増74、遅数367。
五日九百三十三,增五十六,速四百二十八;十九日八百六十一,增五十二,遲四百四十一。六日九百一十八,增四十三,速四百八十四;二十日八百七十七,增二十八,遲四百九十三。七日九百二,增九,速五百一十七;二十一日八百九十三,增四,遲五百二十一。八日八百八十六,減一十四,速五百二十六;二十二日九百九,減二十,遲五百二十五。九日八百七十,減三十八,速五百十二;二十三日九百二十五,減四十四,遲五百五。
第五日の離程933分、増56、速数は累積して428。第十九日の離程861分、増52、遅数は累積して441。第六日の離程918、増43、速数484。第二十日の離程877、増28、遅数493。第七日の離程902、増9、速数517。第二十一日の離程893、増4、遅数521。第八日の離程886、改めて減14、速数526。第二十二日の離程909、減20、遅数525。第九日の離程870、減38、速数512。第二十三日の離程925、減44、遅数505。見るべきは、第七・八日の間に「増」が転じて「減」となり、速数と遅数もまた各々頂に到りて後に回落し、これはまさに月行が最疾から平行に転ずる転折の処である。
十日八百五十四,減六十二,速四百七十四;二十四日九百四十一,減六十八,遲四百六十一。十一日八百三十九,減八十五,速四百一十二;二十五日九百五十,減八十九,遲三百九十三。十二日八百二十六,減百四,速三百二十七;二十六日九百六十八,減百八,遲三百四。十三日八百一十五,減百二十一,速二百二十三;二十七日九百七十九,減百二十五,遲百九十六。十四日八百八,初減一百二,末減二十九,速一百二;二十八日九百八十五,減百三十四,初減七十一,遲七十一。
第十日の離程854分、減62、速数474。第二十四日の離程941、減68、遅数461。第十一日の離程839、減85、速数412。第二十五日の離程950、減89、遅数393。第十二日の離程826、減104(原文は「百四」と作る)、速数327。第二十六日の離程968、減108、遅数304。第十三日の離程815、減121、速数223。第二十七日の離程979、減125、遅数196。第十四日の離程808、この日は前後の両段に分けて計算し、前段は減102、後段は減29、速数102。第二十八日の離程985、減134、前段は減71、遅数71。第十四・二十八の両日は遅疾暦の首尾が交接する処で、故に「初」「末」の両段に分けて数を取らねばならず、整日をもって一概に論じることはできない。
二十日氣中影消息數,盈縮數,晨前刻,(及分)昏去中度,定日度,及寄冬十一月,一丈二尺七寸五分,息初先盈,末三十刻八十二度二分,斗十二度。
この一行は二十四気表の欄目名と第一行のデータを連ねたもので、底本はすでに残欠・錯乱している。欄目は大体順次:気名・中影(正午に測る日影の長短)・消息数(日影が気を逐えて伸縮する数)・盈縮数(その気の実際と平均との差)・晨前刻および分・昏去中度(黄昏の時に中星を距る度数)・定日度(その気の太陽のある定度)。存する一行は冬至のある十一月に属す:中影一丈二尺七寸五分、日影はここから「息」に転じ入り(長から短に転ず)、盈縮数は起初は盈、晨前刻三十刻、昏去中度八十二度二分、太陽の定度は斗宿十二度にある。首の二字「二十」の下は当に「四気」を脱し、「及寄」は当に「冬至」の類で、その余の二十三気の整块のデータは全て脱失し、校補する由がない。
麟徳暦経・赤道宿度と黄道宿度
赤道度:斗二十六,牛八,女十四,虛十,危十七,室十六,壁九,北方九十八度。斗分三百二十八。奎十六,婁十三,胃十四,昴十一,畢十六,觜二,參九,西方八十度。井三十三,鬼四,柳十四,星七,張十八,翼十八,軫十八,南方一百一十二度。角十二,亢九,氐十五,房五,心五,尾十八,箕十一,東方七十五度。
以下は二十八宿の赤道上の距度を列し、すなわち毎宿の占める赤道の度数である。北方・玄武の七宿:斗宿26度、牛宿8度、女宿14度、虚宿10度、危宿17度、室宿16度、壁宿9度、合計北方98度。斗宿の外にまた斗分328があり、周天の余分を斗宿の下に寄せる零数である。西方・白虎の七宿:奎16度、婁13度、胃14度、昴11度、畢16度、觜2度、参9度、合計西方80度。南方・朱雀の七宿:井33度、鬼4度、柳14度、星7度、張18度、翼18度、軫18度、合計南方112度。東方・蒼龍の七宿:角12度、亢9度、氐15度、房5度、心5度、尾18度、箕11度、合計東方75度。四方を相加して365度となし、斗分を加えればすなわち一周天を成す。
黃道度:斗二十四及分,牛七,女十一,虛十,危十六,室十八,壁十,北方九十六度。奎十七,婁十三,胃十五,昴十一,畢十六,觜三,參十,西方八十三度。井三十三,鬼四,柳十四,星七,張十七,翼十九,軫十八,南方一百九度。角十二,亢十,氐十六,房五,心五,尾十八,箕十,東方七十七度。
以下は二十八宿の黄道上の距度を列す。黄道と赤道が斜交するから、同一の宿が両道の上に占める度数は同じでなく、故に別に一表を立てる。北方七宿:斗24度にまた零分あり、牛7度、女11度、虚10度、危16度、室18度、壁10度、合計北方96度。西方七宿:奎17度、婁13度、胃15度、昴11度、畢16度、觜3度、参10度、合計西方83度。南方七宿:井33度、鬼4度、柳14度、星7度、張17度、翼19度、軫18度、合計南方109度。東方七宿:角12度、亢10度、氐16度、房5度、心5度、尾18度、箕10度、合計東方77度。前の条の日躔を推すに黄道度を用い、中星を推すに赤道度を用いるのは、すなわちこの二枚の表に拠って各々数を取るのである。
麟徳暦経・交会蝕術
終率:一千九十三萬九千三百一十三。奇率:三百。約終:三萬六千四百六十四。奇:一百一十三。交中:一萬八千二百三十二。奇:五十六半。虧朔:三千一百六。奇:一百八十六。望實:一萬九個七百八十五。奇:一百五十。後準:一千五百五十三。奇:九十三半。前準:一萬六千六百七十八。奇:二百六十三。
以下は交食を推算するのに用いる几箇かの常数である。「終率」10939313は、交点月の総分数である。「奇率」300は、余分の下の更に細かい一級の分母である。「約終」36464、奇113は、終率を約簡した後の交終分である。「交中」18232、奇56半は、恰好約終の半で、すなわち日月が一つの交点から別の一つの交点まで行る分数である。「虧朔」3106、奇186は、一箇の朔望月と交終との差で、もってこの朔から次の朔の入交分を推すのに用いる。「望実」19785(原文は「一万九个七百八十五」と作り、「个」は当に「千」の字の訛)、奇150は、朔から望を推すに加える分数である。「後准」1553、奇93半、「前准」16678、奇263は、交前・交後に蝕限に入ることができるかを判断する二つの界限値である。
推泛交分術,置總實,以終率去之,不足去者,奇率乘之,滿,終率又去之,奇率約之,為天正恆朔夜半入交分。不盡為奇。(以天正恆朔小餘,朔泛交分,交加分,即天正恆。)
「泛交分」(修正を加えない入交の分数)を推求する方法:まず「総実」、すなわち暦元から累積して求める年に至る総分数を摆し、「終率」10939313をもって連ねて去り、一つの終率に足らなくなるまで去る。残った数がもし更に去るに足らなければ、「奇率」300をもってそれを乗じ、乗じ満ちた後に更に終率をもって減じ、最後に奇率をもって約簡し、得る所がすなわち天正月の恒朔の夜半の時の入交分で、除し尽くせない部分を「奇」とし、すなわち分より更に小さい一級の零数である。(原書の小注:天正恒朔の小余・朔の泛交分と交加分の三者を相加すれば、すなわち天正恒朔の入交の数が得られる。)「天正」とは冬至のある十一月を指し、暦家の推歩は皆この月から起算する。
求望泛交分,以望實加之,求以朔者,以虧朔加之,滿,約終去之。推朔望定交分術,以六十一乘定遲速數七十,七十七除之,所得為限數及入氣盈縮,加減泛交分,為定交分。
望日の泛交分を求めるには、朔の泛交分の上に「望実」19785を加える。次の朔に順推するには、「虧朔」3106を加える。一つの「約終」36464に加え満てばすなわちそれを減じ、一終に足らない余数のみ留める。朔・望の「定交分」を推求する方法:61をもってその日の定遅速数を乗じ、更に70・77をもって相除し(原文「以六十一乘定遅速数七十、七十七除之」は文に訛脱あり、当に六十一を乗じ七十七を除すの意)、得る所を「限数」と称す。それをその気の入気・盈縮数と併せて泛交分を加減し、加うべきは加え減ずべきは減じ、得る所がすなわち「定交分」、すなわち修正後の日月の交点を距る実際の分数である。
推入蝕限術,入交定分,如交中已下為月在外道,交中已上,以交中減之,餘為月在內道。內外分如後準巳上,前準已上者,為入蝕限,望則月蝕朔入限。月在裡者,蝕入限如後準已下,為交後分,前準已上,反減交中,餘為交前分。置前後分,以一百一十二約之,為去交時數。
蝕限に入るか否かを推求する方法:得た入交定分を見て、もし「交中」18232以下ならば、すなわち月が黄道の外に行るので「外道」と称す。もし交中以上ならば、一つの交中を減じ、余る所は月が黄道の内に行ることを示し「内道」と称す。内道・外道を論ぜず、得た分がもし「後准」1553以上・「前准」16678以上ならば、すなわち蝕限に入ったと算し、望日に限に入れば月食があり、朔日に限に入れば日食がある。月が内道にある者は、その蝕限に入る分がもし後准以下ならば、すなわち「交後分」と呼び、すなわち交点を過ぎて間もない。もし前准以上ならば、かえって交中をもってそれを減じ、余る所を「交前分」と呼び、すなわちまさに交点に到らんとする。得た交前分あるいは交後分を112をもって約せば、すなわち「去交時数」が得られ、すなわち交点を距ることあと何時辰かである。
推日月蝕所在辰術,如求律氣,應加時法,得加時所去辰。月在沖辰蝕。昔非正見者,於日出及日沒前十二刻半內其初末,以候之。
日食・月食がどの時辰に発生するかを推求する方法:前の節気の加時を推求する办法に照らして算し、余分を時辰に折算すれば、すなわち食の発生する那刻のある時辰が得られる。月食はまた太陽のある時辰の「冲」、すなわち相対する那辰を見ねばならない。月食の時に日月は相望で、月はまさに太陽の対面にあるからである。およそ正中の天にあらず正面に見え難いものは、日出以後と日没以前の各十二刻半の時段の内で、その虧損の開始と復円の終了を守候して観測すべきである。
求月在表朔蝕,準夏至初去交前後二百四十八分為初準已下,加則午正前後七刻內者蝕。又夏至前後,每一日損初準二分,畢於前後九十四日,各為每日變準。若變已下加時如前者蝕,又以末準六十,減初準及變準,餘以十八約之,為刻準,以算。
月が黄道の表(外道)にある時の朔日に日食が起こるかを推求する:夏至の日を基準とし、交点を距る前後248分を「初准」と定める。およそ去交分が初准以下で、かつ合朔の加時が正午の前後七刻以内に落ちるものは、日食が発生する。夏至から前後に推して、一日を過ぎるごとに初准の上に2分を減じ、前後各九十四日まで減じ尽くし、日を逐って得たのを各々当日の「変准」と称す。およそ去交分が当日の変准以下で、加時がまた上の条件に合えば、同様に食する。また「末准」60を取り、それをもって初准と変准を減じ、余る所を18をもって約し、得数を「刻准」と称して、次の推算に供する。
午正前後七刻數,百時準加時去時準內去交,如末準已下,前蝕。又置末準,每一刻加十八,為差準。加時刻去午正前後,如差準刻已下去交分,如差準已下者,甚蝕。秋分至春分,去交如末準已下,加時南方三辰者,二蝕。
正午の前後七刻を基数とし、刻准と相配し、およそ合朔の加時が時准の内に落ち、去交分がまた末准60以下のものは、日食は午前に発生する。また末准を取り、一刻多くなるごとに18を加え、得る所を「差准」と称す。もし合朔の加時が正午前後を距る刻数が差准の刻数以下で、同時に去交分も差准以下ならば、それは食が甚だ深い。秋分から春分までのこの半年の間、去交分がもし末准以下で、加時がまた南方の巳・午・未の三辰の内に落ちれば、日食は二ほど見られる。この段の文字は底本の訛脱が多く、「百时准」「前蝕」「二蝕」の諸処は皆あまり通じず、算法の大意に依って疏解するだけである。
求月在裡朔不蝕,準夏至日,去交一千三百七十三初為準,初準已上,加時午正前後十八刻,內或不蝕。又夏至後,每一日益初準一分半,畢前後九十四日,各為每日變準。以初準減變準,餘,十而一為刻準,以減午正前後十八刻,餘為時準。去交在變準已上,加時準,內或不蝕。
月が黄道の裏(内道)にある時の朔日に日食が起こらない条件を推求する:夏至の日を基準とし、去交1373を「初准」と定める。およそ去交分が初准以上で、合朔の加時がまた正午の前後十八刻以内に落ちるものは、日食が発生しない可能性がある。夏至以後、一日を過ぎるごとに初准の上に1分半を加え、前後各九十四日まで加え尽くし、日を逐って得たのを各々当日の「変准」とする。初准をもって変准を減じ、余る所を10をもって除して「刻准」を得、更にそれをもって正午前後の十八刻を減じ、余る所を「時准」と称す。およそ去交分が当日の変准以上で、加時がまた時准の内に落ちれば、また食しない可能性がある。この条は上の条と正しく相対する:一条はその必食を定め、一条はその食しうるを定める。
推月蝕分術,置去交前後定分,冬交前皆去二百二十四;春交後去一百,交前去二百;夏不問前後去五十;秋交後去二百,交前去一百,不足去,蝕既。有蝕者,以減後準一百四而一,餘,半已下為半弱,半已上為半強,命以十五滿限,得月蝕之大分。
月食の食分の多少を推求する方法:まず交前あるいは交後の定分を摆し、更に四季に拠って各々一定数を扣除する。冬季は交前・交後を論ぜず皆224を減ずる。春季は交後に100を減じ、交前に200を減ずる。夏季は交前・交後を分たず一律に50を減ずる。秋季は交後に200を減じ、交前に100を減ずる。もし定分が減ずるに足らなければ、月がまさに交点にあることを示し、それは「蝕既」、すなわち皆既食である。およそなお余数の算すべきあるものは、それをもって「後准」1553を減じ、余る所を104をもって除す。除した後に残る零頭は、半箇の除数に満たないのを「半弱」と記し、半箇の除数を超えるのを「半強」と記す。月輪の全径を十五分と定め、得た数を十五分の内に置いて称説すれば、すなわちこの月食の「大分」が出て、すなわち十五分の几を食い去ったかである。
月在內道蝕,(初起東南,蝕甚西南。)月在外道蝕。(初起東北,食甚西北。十三分巳上正東起,皆據正南而言之。)
月食の起亏と食甚の方位は、月が内道に行るか外道に行るかに随って異なる。月が黄道の内に行って月食が発生するものは、(原書の小注:亏損は月輪の東南角から始まり、食が最深に至る時は西南。)月が黄道の外に行って月食が発生するものは、(原書の小注:亏損は東北角から始まり、食が最深に至る時は西北。もし食分が十三分以上ならば、正東から亏損が始まる。以上に言う方位は、皆、観測者が正南に面向して見る所を准とする。)内・外道を分ける所以は、月が交点の南側からか北側からか地影を穿つかで、地影が先ず月輪のどの辺に接触するかが決まるからである。
推日食分術,月在內道,冬至畢雨水,秋分畢大雪,以五百五十八為差。(日入春分巳後,日損六分,畢芒種。)日夏至初日無差。(自後日益六分,畢白露。)
日食の食分の多少を推求する方法:月が黄道の内に行る時、冬至から雨水まで、秋分から大雪までのこの二段の時節は、一律に558を取って「差」(扣減の定数)とする。(原書の小注:春分に入って以後、每日この差の上に6分を減じ、芒種まで減じ尽くす。)夏至のその日に至れば、差は恰好減じ尽くして零となる。(原書の小注:夏至以後、每日更に6分を増じ、白露まで増じ尽くす。)この差は節気に随って連続して消長し、冬の半年に最大で夏至に最小であることが見える。日食の条件が一年の中の黄白の交角関係に随って変わることを反映する。
置去交前後定分,皆以差減,不足減,反減差為不蝕餘。小滿畢小暑,加時午正前後七刻外,去不蝕餘,一時三刻內即加一時。大寒畢立春,交前五時外。大暑畢立秋立後五時外,皆去不蝕餘,一時五時內,即加一時。月在外道,冬至初日無差,自後日益六分,為畢雨水。自入春畢白露,皆以五百二十二為差。(自入秋分巳後,日損六分,畢大雪,所損為差。)
交前あるいは交後の定分を摆し、一律に上に求めた差をもって減ずる。もし定分が減ずるに足らなければ、かえって差をもって定分を減じ、余る所を「不蝕余」と称し、まだどれだけ足らないか蝕に入るを示す。小満から小暑まで、合朔の加時が正午前後七刻以外のものは、不蝕余を扣去する。もし加時が一時三刻以内ならば、更に一時を加える。大寒から立春まで、交前五時以外の者を取る。大暑から立秋まで、立秋後五時以外の者を取る。この二段は皆同様に不蝕余を扣去し、もし一時から五時の内にあれば、また一時を加える。月が黄道の外に行る時、冬至のその日は差が零で、この後每日6分を増じ、雨水まで増じ尽くす。入春から白露まで、一律に522をもって差とする。(原書の小注:秋分に入って以後、每日6分を減じ、大雪まで減じ尽くし、減じた後の余数がすなわち当日の差である。)
以差加去交定分,為蝕分,以減後準,餘,為不食分。各置差十五約之,以減一百四,餘,為定法,以除不餘分,得為分餘,半法已上為半強,已下為半弱,以減十五,餘。為蝕之大分。
上に求めた差を去交の定分に加え、得る所を「蝕分」と称す。更に「後准」1553をもってそれを減じ、余る所がすなわち「不食分」、すなわち月輪の遮掩されない部分である。別にあの差を取り、15をもって約し、約して得た数を104の中から減じ、余る所を「定法」とし、すなわち每一分の値する分数である。定法をもって不食分を除し、得る所がすなわち不食の分数である。除した後に残る零頭は、定法の半を超えるのを「半強」と記し、一半に足らないのを「半弱」と記す。最後に15をもってこの不食の分数を減じ、余る所がすなわちこの日食の「大分」、すなわち日輪の十五分の中に食い去られたのが几分である。
月在內道日蝕。(初起西南,蝕甚東北。)月在外道日蝕。(初起西南,食甚東南。十三分已上正西起,亦據正南方而言之也。)
月が内道にあって日食するもの。(原書の小注:亏損は日輪の西南角から始まり、食が最深に至る時は東北。)月が外道にあって日食するもの。(原書の小注:亏損は西南角から始まり、食が最深に至る時は東南。もし食分が十三分以上ならば、正西から亏損が始まる。これらの方位も皆、観測者が正南の方に面向して見る所を准とする。)日食は月が日を掩うもので、月は西から東へ太陽を追及するから、亏損は常に西の辺から先に起こり、月食が東から先に亏れるのと正しく相反する。
推日月蝕虧初及復末時刻術,置朔望蝕大分為率,五已下增二,已上增三,十已上增四,十三分已上增五,為蝕用刻。以四乘,十除,得減蝕甚刻為虧初。又六乘,十而一,以加蝕甚刻,為復末辰刻。(其日蝕甚初末更籌,因其日月所入辰刻及分,依前定氣所遇夜刻更籌術,求其初末及其時更籌。)
日食・月食の初亏および復円の時刻を推求する方法:まず朔望に得た食の「大分」をもって基数とし、食分が五分以下は2を加え、五分以上は3を加え、十分以上は4を加え、十三分以上は5を加え、得る所を「蝕用刻」と称し、すなわちこの食の全程の占める刻数である。それをもって4を乗じ10を除し、得る所を食甚の時刻の上から減じれば、すなわち初亏の時刻である。更にそれをもって6を乗じ10をもって一とし、得る所を食甚の時刻に加えれば、すなわち復円の時刻である。前に四・後に六として均分しない所以は、食既の後に復円が僅かに緩やかだからである。(原書の小注:その日の食甚・初亏・復円が各々第几更の第几筹にあるかは、日月の入った時辰の刻分に依拠し、前の定気の遇う夜刻・更筹を推す办法に照らして求めれば、すなわち初末が各々何の更の何筹にあるかを定めることができる。)
麟徳暦経・五星術
歲星:率,五十三萬四千四百八十二。奇,四十五。伏分,二萬四千三十一。奇,二十二半。熒惑:率,一百四萬五千八十。奇,六十。伏分,九萬七千九十。奇,六十。填星:率,五十萬六千六百二十三。奇,二十九。伏分,二萬四千八百四十一。奇,六十四半。太白:率,七十八萬二千四百四十九。奇,九。伏分,五萬六千二百二十四。奇,五十四半。辰星:率,一十五萬五千二百七十八。奇,六十六。伏分,二萬六百九十九。奇,三十三。
以下は五星の推歩に用いる二つの基本常数を列す。「率」はその星の一箇の会合周期の総分数、「伏分」はその星が伏して見えない那一段の分数、「奇」は分以下の更に細かい一級の零数である。歳星(木星):率534482、奇45。伏分24031、奇22半。熒惑(火星):率1045080、奇60。伏分97090、奇60。填星(土星):率506623、奇29。伏分24841、奇64半。太白(金星):率782449、奇9。伏分56224、奇54半。辰星(水星):率155278、奇66。伏分20699、奇33。後の平見・定見を推すには、皆この二組の数を用いて除し、減じる。
木終日:三百九十八。餘,一千一百六十二。奇,四十五。火終日:七百七十八。餘,一千二百二十。奇,六十。土終日:三百七十八。餘,一百三。奇,二十九。金終日:五百八十三。餘,一千二百二十九。奇,九。夕見:伏二百五十六日。晨見:伏三百二十七日。餘、奇、同終分奇。水終日:百一十五。餘,一千一百七十八日。奇,六十六。夕見:伏五十二日。晨見:伏六十三日。餘、奇、同終分奇。
以下は上の「率」を日数に折算して「終日」と称し、すなわち一箇の会合周期の歴する整日数で、その下に余分と奇を帯びる。木星の終日398日、余1162、奇45。火星の終日778日、余1220、奇60。土星の終日378日、余103、奇29。金星の終日583日、余1229、奇9。その中で黄昏に西方に見える一段は伏を連ねて共に256日、清晨に東方に見える一段は伏を連ねて共に327日で、両段の余と奇は終分の奇と同じ。水星の終日115日、余1178、奇66。夕見は伏を連ねて52日、晨見は伏を連ねて63日で、余と奇もまた終分の奇と同じ。金・水の二星は太陽に附するから、晨・夕の両段に分けて記さねばならず、木・火・土の三星はその必要がない。
推五星平見術,各以伏分減總實,餘以其星率去之。餘反減率餘總法,約為日。不盡,為餘奇,即所求年天正恆朔夜半後晨夕見,見日算及餘奇。(天正定朔進退日者,進減加一日為定朔半夜後星平見日及餘奇,其金水二星,知得夕平見,其滿晨見伏日及餘奇者去之,餘為晨平見之。)命起天正定月大小,去之,不滿月,命日,算外,即各所求。
五星の「平見」(改正を加えない初見の日)を推求する方法:各々その星の伏分をもって総実を減じ、余る所をその星の率をもって連ねて去り、一率に足らなくなるまで去る。更に余る所を反転して率を減じ、残った数を「総法」をもって約簡して日数とし、除し尽くせないのを余と奇とすれば、すなわち求めるその年の天正十一月の恒朔の夜半以後、その星が晨見するか夕見するかの日数と余奇である。(原書の小注:もし天正の定朔が恒朔に比べて進退があれば、進は減じ退は一日を加えて、すなわち定朔の夜半以後のその星の平見の日数と余奇となる。金・水の二星は先に求得するのは夕見で、もし得る所がすでに晨見連伏の日数と余奇に満てば、この一段を減じ去り、余る所がすなわち晨見の平見の日である。)最後に天正月に拠って起算し、各月の大小に依って月を逐えて減じ、一箇月に満たなくなるまで減じ、残ったのを日に拠って計数し、起算の日は内に計えず、すなわち各々求める平見の日期が得られる。
推五星定見術,各置其星平見所入氣,計日損益,滿半總為日;不滿為分,以損益所加減。訖,餘以加減平見日及分,為半其日消息定數;息減消加之,即其定見分。
五星の「定見」(改正を経た後の初見の日)を推求する方法:各々その星の平見の日の進入したその節気を取り、下文に列する各気の加減の条例に拠って、日を逐えて応損・応益の数を計算する。「半総」のこの分母に累積して満てばすなわち一日に折り、満たないのを分に留める。日を逐えた損益の数を条例に照らして加うべきは加え減ずべきは減じ、算え終わって後、余る所を更に平見の日数と分を加減し、すなわちその日の「消息定数」(節気に随って伸縮する改正数)が得られる。およそ「息」に属するは減じ、「消」に属するは加え、加減し畢わって、得る所がすなわちその星の定見の日と分である。
歲星:(初見,去日起十四度)見入冬至,(旱小寒)減六日。(已後日損十七分)春分初日,平。(已後日加八十五分)立夏畢小滿,加六日。(已後日損八十九分)夏至畢立秋,加四日。(已後日損百七十八分)自白露初日,平。(已後日減五十三分)小雪畢大雪,減六日。
歳星の定見の改正条例。(原書の小注:木星の初見の時、太陽を距ること十四度。)平見が冬至に落ちるものは、(原書の小注:小寒に至る。)六日を減ずる。(原書の小注:この後每日この減数の上に17分を損ず。)春分の前日に至り、改正は零で、平に依り加えず減ぜず。(原書の小注:この後每日85分を加える。)立夏から小満まで、六日を加える。(原書の小注:この後每日89分を損ず。)夏至から立秋まで、四日を加える。(原書の小注:この後每日178分を損ず。)白露の初日から、また平に帰す。(原書の小注:この後每日53分を減ず。)小雪から大雪まで、六日を減ずる。いわゆる依平とは、平見がすなわち定見で改正の要がないこと。いわゆる若干日を加減するとは、実際に見える日が平見よりもそれだけの日数だけ推遅あるいは提前することを謂う。
熒惑:(初見,去日十七度。)見入冬至初日,減二十七日。(已後日損六十三分)大寒初日,平。(自後日加四十二分)雨水畢穀雨,加二十七日。(自入立夏已後,日損一百九十八分。)立秋,平。(自入處暑已後,減百九十八分。)小雪畢大雪,減二十七日。
熒惑の定見の改正条例。(原書の小注:火星の初見の時、太陽を距ること十七度。)平見が冬至の初日に落ちるものは、二十七日を減ずる。(原書の小注:この後每日63分を損ず。)大寒の初日に至り、改正は零に帰し、平に依る。(原書の小注:この後每日42分を加える。)雨水から穀雨まで、二十七日を加える。(原書の小注:立夏に入って以後、每日198分を損ず。)立秋に至り、平に依る。(原書の小注:処暑に入って以後、每日198分を減ず。)小雪から大雪まで、二十七日を減ずる。火星の改正の幅度は最大で、前後二十七日に達しうる。地を距ること近く視行度の変化が劇烈だからで、木星の僅か六日の差とは大いに異なる。
填星:(初見,去日十七度。)見入冬至,(初日)減四日。(自後日益八十九分)大寒畢春分,減八日。(自入清明已後,日損五十九分。)小暑初,依平。(自後日加八十九分)白露初日,加八日。(自後日損七十分)秋分,加四日。(自後寒露已後,日損五十九分。)小雪初日,依平。(自後日減八十七份)
填星の定見の改正条例。(原書の小注:土星の初見の時、太陽を距ること十七度。)平見が冬至に落ちるものは、(原書の小注:すなわち初日。)四日を減ずる。(原書の小注:この後每日89分を益す。)大寒から春分まで、八日を減ずる。(原書の小注:清明に入って以後、每日59分を損ず。)小暑の初、平に依り加えず減ぜず。(原書の小注:この後每日89分を加える。)白露の初日、八日を加える。(原書の小注:この後每日70分を損ず。)秋分、四日を加える。(原書の小注:寒露以後、每日59分を損ず。)小雪の初日、平に依る。(原書の小注:この後每日87分を減ず。末の字「份」は当に「分」と作るべし。)土星は行が最も遅く、一年に一宿の余を行るのみだから、改正の数は木・火の間に介する。
太白:初見,(加八日,自後日損,去日十一度。)夕見,入冬至初日,依平。(自後日減一十分)驚蟄畢春分,減九日。(自入清明已後,日損一十分。)芒種,依平。(自入夏至後,日加一百分。)處暑畢秋分,減九日。(自入寒露已後,日損一百分。)大雪,依平。(自入大寒已後,日加六十七分。)立春畢立夏,加三日。(自入小滿已後,日損六十七分。)
太白の定見の改正条例、まず黄昏に西方に見える一段を謂う。(原書の小注:初見は八日を加え、この後日を逐えて逓損す。初見の時、太陽を距ること十一度。)夕見の平見が冬至の初日に落ちるものは、平に依り加えず減ぜず。(原書の小注:この後每日10分を減ず。)啓蟄から春分まで、九日を減ずる。(原書の小注:清明に入って以後、每日10分を損ず。)芒種に至り、平に依る。(原書の小注:夏至に入って以後、每日100分を加える。)処暑から秋分まで、九日を減ずる。(原書の小注:寒露に入って以後、每日100分を損ず。)大雪に至り、平に依る。(原書の小注:大寒に入って以後、每日67分を加える。)立春から立夏まで、三日を加える。(原書の小注:小満に入って以後、每日67分を損ず。)
晨見,入冬至,依平。(自入大寒已後,日加六十七分。)大雪,依平。晨見,入冬至,依平。(自入大寒已後,日加六十七分。)立春畢立夏,加三日。(自入小滿已後,日減六十七分。)夏至,依平。(自入小暑已後,日減六十七分。)立秋畢立冬,減三日。(自入小雪已後,日損六十七分。)
続いて太白の清晨に東方に見える一段を謂う。晨見の平見が冬至に落ちるものは、平に依る。(原書の小注:大寒に入って以後、每日67分を加える。)大雪に至り、平に依る。この下に晨見の条文が一度重出する:晨見が冬至に落ちるものは、平に依る。(原書の小注:大寒に入って以後、每日67分を加える。)立春から立夏まで、三日を加える。(原書の小注:小満に入って以後、每日67分を減ず。)夏至に至り、平に依る。(原書の小注:小暑に入って以後、每日67分を減ず。)立秋から立冬まで、三日を減ずる。(原書の小注:小雪に入って以後、每日67分を損ず。)「晨見入冬至依平、自入大寒已後日加六十七分、大雪依平」の一句は底本に重複して衍出し、当に伝写の誤復で、今なお照録して刪らない。
辰星:(初見,去日十七度。)夕見,冬至畢清明,依平。穀雨畢芒種,減二日。夏至畢大暑,依平。立秋畢霜降,應見不見,其在立秋及霜降二氣之內,夕去日十八度外,三十六度內,有木火土金星已上者夕見,立冬畢大雪,依平。
辰星の定見の改正条例、まず黄昏に西方に見える一段を謂う。(原書の小注:水星の初見の時、太陽を距ること十七度。)夕見の平見が冬至から清明の間にあるものは、平に依り加えず減ぜず。穀雨から芒種まで、二日を減ずる。夏至から大暑まで、平に依る。立秋から霜降まで、理の上では見るべきなのに実際には見られない。もし立秋・霜降のこの二つの気の内にあって、黄昏の時に水星が太陽を距ること十八度以外・三十六度以内で、天空中にまた木・火・土・金の諸星の中の一顆以上が同時に現れていれば、水星もまた黄昏に見ることができる。立冬から大雪まで、平に依る。水星は日を距ることが最も近く、最も見え難いから、条例の中に特に「応見不見」の一項があり、また他星の同現を藉りてその見えるか否かを定める。
晨見,入冬至,減四日。小寒畢大寒,依平。立春畢啟蟄,減三日。(其在啟蟄氣內,去日度如前,晨無木火土金一星已上者,不見。)雨水畢立夏,應見不見。(其在立夏氣內,去日度如前,有木火金一星已上者,亦見。)小滿畢寒露,依平。霜降畢立冬,加一日。小雪畢大雪,依平。
続いて辰星の清晨に東方に見える一段を謂う。晨見の平見が冬至に落ちるものは、四日を減ずる。小寒から大寒まで、平に依る。立春から啓蟄(すなわち驚蟄)まで、三日を減ずる。(原書の小注:もし啓蟄のこの気の内にあって、太陽を距る度数が前に謂うと同じで、清晨の天空に木・火・土・金の諸星の中の一顆以上の同現がなければ、見られない。)雨水から立夏まで、理の上では見るべきなのに実際には見られない。(原書の小注:もし立夏のこの気の内にあって、太陽を距る度数が前と同じで、木・火・金の諸星の中の一顆以上が同現すれば、また見ることができる。)小満から寒露まで、平に依る。霜降から立冬まで、一日を加える。小雪から大雪まで、平に依る。
推星見所在度術,置星定見日夜半日所在宿度,算及分,以定見餘,加其夜半度分,乃以其星初見去日度數,晨減,夕加之,即星初見辰所在宿度。
五星の初見の時のある宿度を推求する方法:まずその星の定見のその日の夜半の時の太陽のある宿度を摆し、その下の分を連ね、更に定見の余分を取り、この夜半の度分の上に加え、然る後にその星の初見の時の太陽を距る度数(前の各条の小注に記する十四度・十七度・十一度等)に拠って、晨見は太陽のある度の上から減じ、夕見は加え上去せば、すなわちその星の初見の那刻のある宿度が算得される。晨減・夕加の所以は、晨見の星は太陽の西にあり日に先だって出、夕見の星は太陽の東にあり日に後れて沒するからである。
轉求次日夜半星行所至,各以一日所行度及分,順行逆減之,有小分以日率為母,小分滿母,去從行分一,行分滿半,總去,從度一,其行有益疾益遲者,副置一日行分,各以其差疾益遲,損乃加之。留者因前,逆則依減,得每日所至。(其五星後順流退所終日度,各依伏求其去日遠近消息日度之率,以定伏日所在,若注歷,其日月及金水等,皆棄其分。)
順推して第二天の夜半にその星が行り至る処を求めるには、各々それの一日の行る度と分に拠って推算し、順行は加え上去せ、逆行は減じ下ろす。その中の小分は「日率」をもって分母とし、小分が一母に満てばすなわち行分一に進み、行分が「半総」に満てばすなわち一度に進む。およそその星の行度に漸疾・漸遲の別あれば、すなわち別に一份の一日行分を摆し、各々それの日を逐えた増減の差数に拠って、漸疾は加え漸遲は減じ、然る後に正数に併入する。「留」(停まって動かない)の日に遇えば、すなわち前の日の度数を沿用して変えず、逆行に遇えば、数に照らして減ずる。こうして日を逐えて推し去れば、すなわち每日の至る位置が得られる。(原書の小注:五星が後段に順行・逆行の終了する時の日数と度数は、各々伏見の法に依り、それの太陽を距る遠近の消息の日度の率を参照して、もって伏に入る日の在所を定める。もし暦書に編入して頒行すれば、すなわち日月と金・水の諸星の零分は一概に舎去して記さない。)
推平行度分,置定度,率以半總乘,有分者從之,以日率除,所得為一日行分。求差行初日行度分術,置定日,率減一,以所差分乘;半之,為差率,益疾,以差率減;益遲,以差率加,平行分,即初日行分。
平行の時の每日行る度の分数を推求する方法:この一段の定度の総数を摆し、「半総」のこの分母をもって乗じ、もし度の下に別に分あればすなわち併せて加え入れ、更にこの一段の日率をもって除せば、得る所がすなわち一日に行るべき分数で、これは均匀に行度する算法である。差行(日を逐えて加速あるいは減速)の初日の行る度の分数を推求する方法:この一段の定日の日率を摆し、一を減じ、日を逐えて相差る分数をもってそれを乗じ、更に半分を取り、得る所を「差率」と称す。およそこの一段が行るほど速くなるものは、すなわち平行分をもって差率を減じ、行るほど遅くなるものは、すなわち平行分をもって差率を加える。得る所がすなわち初日の行分である。この後日を逐えて差る所の分に拠って逓増あるいは逓減し、末日に至りて恰好総度と相合する。
麟徳暦経・五星の行度と熒惑の変率
歲星:初順,差行(先疾日益遲一分)一百一十四日。行一十八度。(五百九十四分)前留二十六日。旋退,差行(先遲益疾二分)四十二日。退六度十二分,又退(先疾益遲二分)四十二日,退六度。(十二分)後留二十五日。後順,差行(先遲日益疾一分)一百一十四日。行一十八度。(五百九十四分,日盡而夕伏。)
歳星の一箇の会合周期内の行度の分段。初見の後まず順行し、差行を作る(原書の小注:起初行ること速く、以後每日1分ずつ減慢す)、114日を歴て、共に18度を行る(原書の小注:別に零分594あり)。続いて「前留」26日で、停まって動かない。然る後に頭を掉げて逆行し、また差行を作る(原書の小注:起初行ること遅く、以後每日2分ずつ加快す)、42日を歴て、6度12分を退す。更に逆行し(原書の小注:起初速く後に每日2分ずつ減慢す)、また42日を歴て、6度を退す(原書の小注:別に12分あり)。続いて「後留」25日。最後に転じて順行し、差行を作る(原書の小注:起初遅く後に每日1分ずつ加快す)、114日を歴て、18度を行る(原書の小注:別に594分あり、日数が走り尽くればすなわち黄昏の時に伏して見えない)。
熒惑:(前日加加減度率,加疾率行限,減率。)前遲日率,度率,退,(率度率)後留,(日率)後疾。(日率行限)冬至(二百四十三依平),百六十五,六十,二十五,六十三,二十二,十三(二百一十平行),一百三,十二。小寒(二百二十二依平平行),一百五十五,同前,同前,同前,二十六,十五(一百九十五正行),一百四十一,十七。
熒惑の一星は行度の変化が最大で、二十四気に拠って各々一行のデータを立てなければならない。表の首に列する欄目は:前疾の日率と度率(併せて何时に加減し何时に行限するかを注明)、前遲の日率・度率、逆行の率と度率、後留の日率、後疾の日率と行限。以下気を逐って列し、およそ「同前」と作るものは、すなわち上の一気に載せたと同じで、重出しない。冬至の一行:前疾243、平に依り加減せず。以下順次165・60・25・63・22・13(小注210、平行を作る)・103・12。小寒の一行:222、平に依り平行を作る。以下は155、其余の三項は同前、26・15(小注195、正行を作る)・141・17。この表は底本の訛脱・錯簡が甚だ多く、数字と欄目はすでに一一対応し難い。今原貌を照録し、僅かにその体例を疏すのみ。
大寒(二百二十五依平行,一百四十七加四),五十五,二十,同前,二十二,二十五(一百八十八日平行一百二九十四)。立春(二百一十八減二一百四十同前),六十,二十五,同前,十八,同前(一百六十八平行),九十。雨水(二百三減七差行二百一十五平),同前,八百六十七,同前,同前。
大寒の一行:225、平に依り平行を作り、147加四。以下は55・20、一項は同前、22・25(小注188日に平行を作り、一百二九十四、この数はすでに訛れ)。立春の一行:218、減二、140、同前。以下は60・25、同前、18、同前(小注168に平行を作る)・90。雨水の一行:203、減七、差行を作り、215平に依る。以下同前・867、其余の両項は同前。三気の中、前疾の日率は225から逓減して203に至り、熒惑が冬から春に入り、順行の日数が気を逐えて縮短するのが見える。「八百六十七」の一数は全表の量級と合わず、当に訛誤があるべし。
驚蟄(二百一十五差行,一百三十二同前),同前,同前,同前,十九(一百六十五平行),同前,八十三。春分(一百九十五差行一百一十七平),同前,同前,同前(四百六十三),同前(十七),十八(百六十七差行),八十八。清明(一百八十八日前差行一百一十加二),同前,同前,同前,同前,二十三(一百七十二差行),九十三。
驚蟄の一行:215、差行を作り、132同前。以下三項は同前、19(小注165に平行を作る)・同前・83。春分の一行:195、差行を作り、117平に依る。以下三項は同前(小注463)・同前(小注17)・18(小注167に差行を作る)・88。清明の一行:188日、前に差行を作り、110加二。以下四項は同前、23(小注172に差行を作る)・93。この三気は前疾の日率が215から188に降り、末欄の数は83から93に升り、一降一升で、まさに熒惑が冬至以後の遲行から逐次夏季の疾行に転向する過渡である。
穀雨(一百八十四百一十八同前差行),同前,二十四,同前,同前,同前(一百七十六一百七十七,九十八,九十八)。立夏(同前同前差行同前加四十),同前,二十三,同前,同前,同前(一百八十九,度行六十六日),一百一十一。小滿(九日同前差行,同前同前),同前,同前,同前,同前,同前,(一百四同前),一百,二十六。
穀雨の一行:184・118、同前、差行を作る。以下同前・24、其余の三項は同前(小注176・177・98・98)。立夏の一行:各項は同前、差行を作り、同前加四十。以下同前・23、三項は同前(小注189、半度をもって六十六日を行る)・111。小満の一行:九日、同前、差行を作り、同前同前。以下各項は皆同前(小注104同前)・100・26。この三気の中に「同前」が最も多く、熒惑が春末夏初のこの一段で、各分段の日率・度率の変化が大きくなく、表中に個別の欄目の上で僅かに増損を作るのみであることを説明する。
芒種(一百七十三平差,九十五同前),二十四,同前,同前,同前,同前,(二百一十九十四日同前,二百四十一,一百五十五)。夏至(一百七十一六日同前平差行,九十三同前),同前,二十五,同前,同前,同前,(十日,同前同前),同前。小暑(一百七十四平差行,九十六平),同前,同前,六十,十四,同前,(五日二百五十三半度行五十日),一百七十五。
芒種の一行:173、平行と差行を相兼ね、95同前。以下24、四項は同前(小注219、十四日同前、241・155)。夏至の一行:171、六日、同前、平行・差行を相兼ね、93同前。以下同前・25、三項は同前(小注十日、同前同前)・同前。小暑の一行:174、平・差行、96平に依る。以下両項は同前、60・14・同前(小注五日、253、半度の率をもって五十日を行る)・175。夏至の前後に前疾の日率は171に降り、全表の最小をなし、まさに熒惑が一年の中で順行の日数が最も短く行度が最も急なる時である。
大暑(一百七十九平差行,一百加四),同前,同前,五十六,十二,同前,(一百六十三同前),一百八十五。立秋(一百八十四平平行,一百六平),同前,同前,五十七,十一,同前,(同前行半度二十日),同前。處暑(九十九半度行,加五十六日,一百一十一平),同前,同前,同前,同前,(同前平行),同前。
大暑の一行:179、平行・差行を相兼ね、100加四。以下両項は同前、56・12・同前(小注163同前)・185。立秋の一行:184、平行。106平に依る。以下両項は同前、57・11・同前(小注同前、半度の率をもって二十日を行る)・同前。処暑の一行:99、半度の率をもって行り、五十六日を加え、111平に依る。以下四項は同前(小注同前、平行を作る)・同前。夏至以後、前疾の日率は171から184に回升し、末欄の数は175から185に升り、熒惑の行度が急から緩に転ずる開始である。
白露(二百一十四加十半度行四十四日,一百一十六平),同前,同前,(同前十二日六十三),十七,同前,(同前平行),同前。秋分(二百三十三半度行,同前同前),百五十四半,同前,(同前二十),同前,(五十一日,二百五十五平行),一百七十七。寒露(二百四十七同前平行,一百六十五同前平行),七十五,三十,(同前九日六十六,同前二十),四,(二百五十五平行),一百六十七。
白露の一行:214、加十、半度の率をもって四十四日を行り、116平に依る。以下両項は同前(小注同前、十二日63)・17・同前(小注同前、平行を作る)・同前。秋分の一行:233、半度の率をもって行り、両項は同前。以下154半・同前(小注同前20)・同前(小注五十一日、255に平行を作る)・177。寒露の一行:247、同前、平行を作り、165同前に平行を作る。以下75・30(小注同前九日66、同前20)・4(小注255に平行を作る)・167。前疾の日率は白露の214から一路寒露の247に升り、熒惑が秋に入って以後、順行の日数が明らかに引き延ばされる。
霜降(二百五十六八百二十五十九平差行,二百五十六,二百一百二十九,一百七十八一百八十一加四),六十,二十五,(同前同前六日一百三七十,二百二十五平行),一百五十七。立冬(十三日同前平平行,同前同前,同前),十七,(同前十二日六十七,同前二十一,二百二十五平行),一百四十七。
霜降の一行:256・825・19、平行・差行を相兼ね、256、200・129、178・181、加四。以下60・25(小注同前同前、六日、103・70、225に平行を作る)・157。立冬の一行:十三日、同前、平行、各項は同前。以下17(小注同前十二日67、同前21、225に平行を作る)・147。霜降の一行の数字は最も叢雑で、「八百二十五十九」「一百三七十」の諸数は上下の各気と皆相接せず、明らかに底本の錯簡・衍奪に係り、校補する由がない。今原様に照らして迻録する。
小雪(二百五十八平平行,同前同前),同前,同前,(同前八日六十三,同前十七),同前,(二百一十五平行),一百三十七。大雪(二百五十平平行,一百七十二平),同前,二十,同前,同前,同前,(二百五平行),一百二十七。
小雪の一行:258、平行、両項は同前。以下両項は同前(小注同前八日63、同前17)・同前(小注215に平行を作る)・137。大雪の一行:250、平行、172平に依る。以下同前・20、三項は同前(小注205に平行を作る)・127。ここに至りて二十四気の一周が排し尽くされる:前疾の日率は冬至の243から夏至の171に減じ、更に小雪の258に升りて復び降し、末欄の数はすなわち12から185に升りまた127に降り返り、一年の中に往复して消長し、冬至の起点に帰る。熒惑の視行度が日距の遠近に随って変わる実際と相合する。
前留,十三(前疾減日率者,以其數分益,比留及後遲日益。前疾加日率者,以其數分減,比留及後遲日益。) 後順,遲差行(先遲日益疾二分)六十日。行二十五度。(前疾加度者,此遲依數減之,為定疾無加度者,此遲入秋分至立冬,減三度,入立冬減五度,後留,定日縮十三日者,以所縮日數,加此遲日率之。)
熒惑の「前留」は十三日である。(原書の小注:およそ前疾の一段が日率を減じた者は、すなわち減じた数を後に補い、留と後遲の日数の上に加える。およそ前疾の一段が日率を加えた者は、すなわち加えた数を扣り返し、同様に留と後遲の上で折算する。)「後順」の一段は遲差行を作る(原書の小注:起初行ること遅く、以後每日2分ずつ加快す)、60日を歴て、25度を行る。(原書の小注:およそ前疾の一段が度数を加え過ぎた者は、この遲段はすなわち数に照らして減じ返し、これが定数である。もし前疾が度を加えなければ、すなわちこの遲段は秋分から立冬に入るに三度を減じ、立冬に入るに五度を減ずる。後留の一段、もし定日が十三日縮短した者は、すなわち縮んだ日数をこの遲段の日率の上に補加する。)
推熒惑平率及變率術,各以其所入氣數,與後氣數互減,餘計日以加減本率,皆為平率。(其後疾變率,與前遲盈縮,六十日,行二十五度,退行六十三日十五度者,以所盈縮日度,盈減,縮加之,唯退行度,即盈加縮減其差行者,前疾先疾,後疾先遲,各日益遲疾,分餘,皆平行,後疾分,日盡而夕伏。)
熒惑の平率と変率を推求する方法:各々その星の進入した那一気の表列の数を取り、次の一気の表列の数と彼此相減じ、余る所を日数に拠って分攤し、もって本気の率を加減し、得る所がすなわち「平率」である。(原書の小注:後疾の変率に至っては、前遲の一段の盈縮と関連する。前遲は本60日に25度を行り、逆行は本63日に15度を退す。およそ盈縮ある者は、すなわち盈じた縮んだ日と度に拠って、盈は減じ縮は加え、唯だ逆行の度数は相反し、盈は加え縮は減ずる。その中で差行を作る者は、前疾の一段は先に速くして後に漸く遅く、後疾の一段は先に遅くして後に漸く速く、各々日を逐えた増減の分に拠って推算し、分が尽きた後は皆平行に帰す。後疾の一段の日分が走り尽くれば、熒惑はすなわち黄昏の時に伏して見えない。)
填星:初順,差行(先疾,日益遲半分。)八十三日,行七度。(二百九十分)前留三十六日。旋退,差行(先遲,日益疾退半分。)五十一日。退三度。(三十分)又退(先疾,日益遲退半分。)五十一日。退三度。(三十分)後留三十六日。後順,差行(先遲,日益疾半分。)八十三日。行七度。(二百九十分日盡而夕伏)
填星の一箇の会合周期内の行度の分段。初見の後まず順行し、差行を作る(原書の小注:先に速く、日ごとに半分ずつ遲くなる)、83日を歴て、7度を行る(原書の小注:別に290分あり)。続いて「前留」36日で動かない。然る後に逆行し、差行を作る(原書の小注:先に遅く、日ごとに半分ずつ速く退行す)、51日を歴て、3度を退す(原書の小注:別に30分あり)。更に退行し(原書の小注:先に速く、日ごとに半分ずつ遅く退行す)、また51日を歴て、3度を退す(原書の小注:別に30分あり)。続いて「後留」36日。最後に順行し、差行を作る(原書の小注:先に遅く、日ごとに半分ずつ速くなる)、83日を歴て、7度を行る(原書の小注:別に290分あり、日数が尽きればすなわち黄昏に伏して見えない)。土星は行が最も遅く、一周期に十四度の余を行るのみだから、留の日数は木星より更に長い。
太白:夕見,疾順(入冬至畢立夏,入立秋畢大雪。)一百七十二日。行二百六度。(自入小滿後十日益一度,為定度,初入白露畢春分,差行先疾,自益遲二分,自餘平行。)夏至畢小暑,一百七十二日,行二百九度。(自入大暑已後,五日損一度半,氣盡。)啟蟄畢芒種,七日行七度。(自入夏至後五日,益一,畢於小暑。)寒露初日,二十三日行二十三度。(自後六日損一,畢於小暑。)
太白の黄昏に西方に見える一段の行度。まず疾順(原書の小注:冬至から立夏まで、立秋から大雪までの両段の時節に適用)、172日を歴て、206度を行る。(原書の小注:小満に入って以後、每十日に一度を増じて定度とする。初入白露から春分まで、差行を作り、先に速くして後に每日2分ずつ益遲し、其余の時は皆平行を作る。)夏至から小暑まで、172日を歴て、209度を行る。(原書の小注:大暑に入って以後、每五日に一度半を減じ、気尽まで減ず。)啓蟄から芒種まで、七日に七度を行る。(原書の小注:夏至に入って以後五日ごとに一を益し、小暑に畢るまで。)寒露の初日より、二十三日に二十三度を行る。(原書の小注:この後六日ごとに一を損じ、小暑に畢るまで。)いわゆる夕見とは、金星が太陽の東に行り、日が落ちた後に西天に現れる一段で、この時それは順行して疾く、一日の行る所はほぼ一度余に近い。
順遲,差行(先疾日益遲八分,前疾加度,過二百六度者,唯數損此度。)四十二日行十十度。夕留七日,夕退,西行十日,退五度。(日盡而夕伏)
続いて順遲に転じ、差行を作る(原書の小注:先に速くして後に每日8分ずつ益遲し、前疾の一段がもし度を加え過ぎて206度を超えた者は、すなわち数に照らしてこの段の中で減じ返す)、42日を歴て、十度を行る(原文は「十十度」と作り、「十」の字を一つ衍す)。然る後に「夕留」七日で、停まって動かない。更に「夕退」に転じ、西に向かって十日逆行し、5度を退す。(原書の小注:日数が走り尽くればすなわち黄昏の時に伏して見えない。)金星が疾から遲に転じ、遲から留に転じ、留から退に転ずるのは、まさにそれが漸々太陽に追近し、まさに日と下合して太陽の西の辺に転じ去ろうとする過程で、退行五度の後にすなわち日光の中に沒入する。
晨見,(初退)西行十日。退五度。(日退半度)晨留七。順遲,差行(冬至畢立夏大雪畢氣盡)四十二日。行三十度。(先遲,日益疾八分,自入小滿已後,率十日損一度,畢芒種。)夏至畢寒露,四十二日行二十七度。(差行依前,自入霜降已後,氣數益一度,畢於小雪。)
太白の清晨に東方に見える一段の行度。(原書の小注:起初はなお逆行。)西に向かって十日行り、5度を退す。(原書の小注:每日半度を退す。)続いて「晨留」七日。然る後に順遲に転じ、差行を作る(原書の小注:冬至から立夏まで、大雪から気尽までの両段に適用)、42日を歴て、30度を行る。(原書の小注:先に遅くして後に每日8分ずつ益疾し、小満に入って以後、每十日に一度を減ずる率に拠って逓減し、芒種に減り畢る。)夏至から寒露まで、42日を歴て27度を行る。(原書の小注:差行の法は前に依る。霜降に入って以後、每一気に一度を増じ、小雪に増じ畢る。)金星の退行は五度のみで、五星の中で逆行が最も短い。それが内惑星で、逆行は下合の前後にのみ発生するからである。
平行。(冬至畢氣盡,立夏畢氣盡。)十三日,行十三度。(自行一度,自入小寒已後六日,益日及度各一,畢於啟蟄,入小滿,後七日損日及度各一,畢立秋。)雨水初日,二十三日行二十三度。(各後六日損度各一,畢於穀雨。)處暑畢寒露,無此平行。(自霜降後五日,益日及度各一,畢大雪。)度行一百七十二日行二百六。(前遲行,損不滿三十度者,此疾依數益之,處暑寒露差行先遲,日益疾一分,盡餘平行,日盡而晨伏。)
続いて平行の一段。(原書の小注:冬至から気尽まで、立夏から気尽までの両段に適用。)十三日を歴て、十三度を行る。(原書の小注:每日一度を行る。小寒に入って以後每六日に日と度を各々一増じ、啓蟄に増じ畢る。小満に入り、後に每七日に日と度を各々一損じ、立秋に減り畢る。)雨水の初日より、二十三日に二十三度を行る。(原書の小注:各々この後六日ごとに度を一損じ、穀雨に畢る。)処暑から寒露まで、この一段の平行がない。(原書の小注:霜降以後五日ごとに日と度を各々一益し、大雪に畢る。)最後は疾行で、172日に206度を行る。(原書の小注:前の順遲の一段がもし減じて三十度に満たない者は、この疾段はすなわち数に依りて補益す。処暑・寒露の時は差行を作り、先に遅くして後に每日1分ずつ益疾し、分が尽きた後に平行に帰し、日数が走り尽くればすなわち清晨に伏して見えない。)
辰星:夕見,順行,十二日行二十一度六分。(日行一度,五百三分。)大暑畢處暑,十二日行一十七度一十分。(日行一度,二百八十分。)平行七日,行七度。(自入暑後二日,損日及度各一,入立秋無此平行。)順遲,行六日,行七度。(四月行二百二十四分,疾行分一十七度者,無此遲行。)夕留五日。(日盡而夕伏)
辰星の黄昏に西方に見える一段の行度。まず順行し、十二日に21度6分を行る。(原書の小注:每日一度のほか503分を行る。)大暑から処暑までのこの一段は、十二日に17度10分を行る。(原書の小注:每日一度のほか280分を行る。)続いて平行七日、七度を行る。(原書の小注:大暑に入って以後二日ごとに日と度を各々一損じ、立秋に入ればこの一段の平行がない。)更に順遲に転じ、六日行り、七度を行る。(原書の小注:每日224分を行る。もし前の疾行の一段が17度を行ったのみの者は、この一段の遲行がない。)最後に「夕留」五日。(原書の小注:日数が走り尽くればすなわち黄昏の時に伏して見えない。)水星は日に附することが最も近く、一見の期は二十余日を過ぎないから、各段の日数は皆極めて短い。
晨見,留五日,行二度。(四日行二百四分,自入大寒畢行於啟蟄,無遲行。)順遲行六日,平行七日,行七度。(日行一度,入大寒已後二日,損日及度各一,入立春無平行。)順,疾行十二日,行二十一度。(六日一行度,五百三分。)前無遲行者,十二日,行一十七度一十分。(日行一度,二百八十分,各日盡而夕伏。)
辰星の清晨に東方に見える一段の行度。まず留して五日、二度を行る。(原書の小注:四日に204分を行る。大寒から啓蟄に行り畢るこの一段は、遲行がない。)続いて順遲に六日行り、更に平行七日、七度を行る。(原書の小注:每日一度を行る。大寒に入って以後二日ごとに日と度を各々一損じ、立春に入ればこの平行がない。)然る後に転じて順行して疾く、十二日に21度を行る。(原書の小注:每日一度のほか503分を行る。)もし前に遲行のない者は、すなわち十二日に17度10分を行る。(原書の小注:每日一度のほか280分を行る。各々日数が走り尽くれば、すなわち伏して見えない。)末の句は「夕伏」と作り、晨見と合わず、当に「晨伏」と作るべく、底本に誤りあり。
開元占経巻一百零四
算法
臣等謹案,《九執曆》法,梵天所造,五通仙人承習傳授,肇自上古,百博義二月春分朔,於時曜躔婁宿,道歷景止,日中氣和,庶物漸榮,一切漸長,動植歡喜,神祗交泰,棹茲令節,命為曆元。
臣・瞿曇悉達ら謹んで按ずるに:《九執暦》のこの一套の暦法は、相伝えて梵天の創製した所で、五種の神通を具えた仙人が代々承習・伝授し、起源は極めて古遠である。それは「百博義」の二月・春分の合朔の日をもって起点とする。その時、太陽はまさに婁宿に行り、日影は恰好暦法の定める処に止まり、昼夜は均平・寒暑は調和し、万物は漸々繁茂し、一切が生長・舒展し、動物・植物は歓欣しないものなく、天神・地祇は交泰・相通ずる。この吉美の時節を重んずるが故に、それを暦元と定め、すなわち一切の推算の起算の日とした。いわゆる「九執」とは、日・月と五星に更に羅睺・計都を加えて共に九曜とし、この暦は九曜が時日を執掌することに因って名づけられた。
竊稽開設法數,建立章率,述而不作,信而好古,竊簡易之智陳,得希夷之妙術,河帶山礪,久而逾新,藏往知來,挹而靡竭。嘗試言之,蓋以其國人多好道,苟非其氣,雖曰子弟,終不傳也。臣等謹憑天旨,專精鑽仰,凡在隱秘,咸得解通,今削除繁冗,開明法要,修仍舊貫,緝綴新經,備列算術,目標如左,自作口訣,亦題目,附本章。
臣らはこの暦の設立した各種の法数・建立した章率を考究するに、《論語》の謂う所の「述べて作らず、信じて古を好む」だけで、それを原様に伝述して妄改を敢えてしない。その中に取る所は簡易・明白の道理、得る所は幽微・難見の妙術である。たとえ黄河が衣帯の如く細く、泰山が砺石に磨されようとも、この法は歴時が久しいほど愈々その新が見られ、既往を推知し将来を預知しうるが故に、挹しても竭きない。試みにその所以然を論ずれば、天竺の国人は道を好む者が多く、もし同気相求の人に非ざれば、自家の子弟と雖も、終に伝授を肯んじない。臣らは謹んで天子の旨を奉じ、専心して鑽研・仰求し、およそ隠秘の処は、皆一々に解通した。今繁冗を刪去し、法要を闡明し、なお旧来の条貫に依って整理し、綴合してこの新経を成し、各種の算術を後に備列し、条目は以下に列するが如く、每条は各々口诀を撰し、また題目を標し、本章の内に附する。
算字法:樣(一字、二字、三字、四字、五字、六字、七字、八字、九字)點,右天竺算法,用上件九個字,乘除其字,皆一舉禮而成。凡數至十,進入前位,每空位處,恆安一點,有間咸記,無由輒錯,運算便眼,趁須先及歷度。
数を記する字の法:样式は上の如く(原書の小注:一字・二字・三字・四字・五字・六字・七字・八字・九字)、別に一点がある。以上は天竺の算法で、ただこの九箇の数字を用い、乗ずるも除するも皆一笔で書き成し、中国のように算筹を摆る必要がない。およそ数が十に満てばすなわち前の一位に進み、空位に逢うごとにすなわちそこに一点を安んじて標記とし、位と位の間は皆分明に記されるから、錯乱することがない。こうして運算すれば一目瞭然で、ちょうどまずそれを用いて暦度を推算するのに適する。ここに記する所は、まさに印度の数字と十進位値制および点を用いて零位を表す写法で、中国典籍の中で最早の一段の実録である。
右天竺度法,三百六十。權符管律,更無奇剩。(中國勝五度四分度一,今斗(闕)家術源天竺,則棄沒日,不入曆度。中國則收沒日,推日曆度。由是度數不合,彼此有異。又凡稱沒者,虛數之謂也。所以二十四氣,遇沒十六日移節,在漏刻,遇沒,十日移然。天地所產,人最靈焉,骸骨之數,有法象乎,玩同管律,理亦詳矣。)
以上は天竺の度法で、一周天を360度に分け、恰好律管の数と相合し、零余の分数がない。(原書の小注:中国の周天の度数はそれより五度・四分度の一多い。如今天竺の一系の算法は「没日」を舎棄して暦度に計えず、中国は没日を收め入れて、これに拠って日を逐えた暦度を推算する。これによって両家の度数は対せず、彼此に異あり。およそ「没」と称するは、皆虚設の数の謂である。だから二十四気の中、没日に遇えば、十六日に一度節を移し、漏刻の上では、没日に遇えば、十日に一度移す。天地の生む所、人をもって最も霊秀と為し、人身の骸骨の数もまた自ら法象があるようで、律管の数と同じく、その中の道理もまた詳備である。)
推積日及小餘章:(閏及甲子算、七曜直等,在術中。)上古積年,數太繁廣,每因章首,遂便刪除,務從簡易,用舍隨時。今起明慶二年丁巳歲二月一日,以為歷首,至開元二年甲寅歲,置積年五十七算。(甲子五十算)術曰:置積年。(假令推開元二年甲寅歲,事置五十七算為積年;若推向前一年癸丑歲,事即減一算;若推向其年三月五日事,既歷後一年,乙卯歲事,即加一算,他皆仿此。)
積日と小余を推求するこの章。(原書の小注:閏月・甲子干支の推算および七曜の值日などの法は、皆本術の中に含まれる。)上古から起算する積年は、数目が余りに繁大だから、章の首を立つるごとに便ち加えて刪削し、務めて簡易を求め、取舍は時に随って定める。今明慶二年丁巳歳の二月一日を暦首として起算し、開元二年甲寅歳に至り、積年を57と定める。(原書の小注:甲子干支の起算の数は50。)術文はいう:まず積年を摆せ。(原書の小注:たとえば開元二年甲寅歳の事を推せば、すなわち57を摆して積年とする。もし前の一年・癸丑歳の事を推せば、すなわち一算を減ず。もしあの年の三月五日の事を推せば、すでに後の一年・乙卯歳の事に歴んだから、すなわち一算を加える。其余の各例は皆この類に推す。)
以十二乘之,加自入年已來所積月。(假令推其年三月五日事,即歷起二月一日為首,於二乘訖數上,更加一算,即是加入年所經一個月了。)加訖,重張位下,以七乘之;恆加一百三十二,以二百二十八除之,得閏月。(不盡,為閏餘,既未滿閏,棄之。)以閏月加上位,為積月,以三十乘之,加自入月已來所經日;(假令推三月五日事,即於三十乘訖數上,更五算,即是加入月所經五日了。)
積年に12を乗じ、更に本年に入って以来すでに過ぎた月数を加える。(原書の小注:たとえばあの年の三月五日の事を推せば、本暦は二月一日を歳首とするから、12を乗じ畢わった後の数の上に更に一算を加え、これがすなわち本年のすでに過ぎた一箇月を加え入れたのである。)加え畢わった後、別に下位に同じ数を一份重ねて摆し、7をもってそれを乗じ、更に132を固定に加え、然る後に228をもって除し、得た商がすなわち閏月数である。(原書の小注:除し尽くせないのを閏余とする。すでに一箇の閏に満たないから、舎去して用いない。)閏月数を上位の積月の上に加えれば、すなわち総積月である。更に30をもって乗じ、今月に入って以来すでに過ぎた日数を加える。(原書の小注:たとえば三月五日の事を推せば、すなわち30を乗じ畢わった後の数の上に更に五算を加え、これがすなわち入月のすでに過ぎた五日を加え入れたのである。)
重張位下位,十一乘之,恆加差四百二十九,一百六十九以七百三除之,得自入曆已來所經小月。(其小月,梵雲欠夜。)不盡為小餘。(其小,梵雲小月餘。)以小月減上位,為積月。其小餘及積日,各列為位,又置積日,以六十除,棄之餘。從庚申算上命之,得甲子之次,又置積日,以七除,棄之餘,從熒惑月,命得之七曜直日次。(一算為熒惑,二算為辰星,三算為歲星,四算為太白,五算為填星,算定為日。)其七曜直用事法,別具本占。
更に下位に一份を重ねて摆し、11をもって乗じ、差数429を固定に加え(原文のその下にまた「一百六十九」あり、当に校語あるいは衍文)、703をもって除し、得る所がすなわち入暦以来経過した小月数である。(原書の小注:小月は、梵語で「欠夜」と呼ぶ。)除し尽くせないのを小余とする。(原書の小注:この小余は、梵語で「小月余」と呼ぶ。)小月数をもって上位の数を減じれば、すなわち積月が得られる。得た小余と積日は、各々一位に摆して列す。更に積日を取り、60をもって除し、整商を舎去して余数のみ留め、庚申から起算して数え下れば、すなわち当日の甲子干支の次第が得られる。また積日を取り、7をもって除し、同様に商を舎て余を留め、熒惑から起算して数え下れば、すなわち七曜の值日の次第が得られる。(原書の小注:一は熒惑すなわち火曜、二は辰星すなわち水曜、三は歳星すなわち木曜、四は太白すなわち金曜、五は填星すなわち土曜。算え定まればすなわち当日に值日する曜である。)七曜の值日・用事の占法に至っては、別に本書の関係する占辞に見る。
推中日章:凡在梵曆,大例分積滿六十,成一度;其度積滿三十,成一相;其相積滿十二,乘棄之,他皆仿此。(其相,梵音呼為星施,是聚義也。承前或譯為次,或譯為辰,今從相也;其度,梵音呼為薄伽,承前譯為大分,今從度也;其分,梵音呼為立多,承前譯為小分,今從分也。)
中日を推求するこの章。およそ天竺暦法の中では、通例は:分が60に積み満てば便ち一度に進み、度が30に積み満てば便ち一相に進み、相が12に積み満てば便ち一周を去って重ねて起算し、以下の各処は皆この類に推す。(原書の小注:「相」は梵音で「星施」と読み、聚合の義である。先前ある人は「次」と訳し、ある人は「辰」と訳したが、今「相」を採用する。「度」は梵音で「薄伽」と読み、先前は「大分」と訳したが、今「度」を採用する。「分」は梵音で「立多」と読み、先前は「小分」と訳したが、今「分」を採用する。)いわゆる十二相とは、すなわち黄道十二宮で、每相三十度、全周三百六十度で、中国の十二次で周天三百六十五度・四分度の一とする分法と同じでない。
術曰:置積日重張位,下位以十二乘,以九百除之,得沒度。(其沒度,中國在曆法為沒日者是也。)不盡十五,除之,得沒分。恆加差三十分,(其分薄六十成一度)以沒度減上積日,又每退積日一,置為六十分,以沒分減之;減餘列為中日分位,其減訖積日,以三百六十除之,得自入曆已來所經年;棄之(假令置積年五十七算,還只除得五十七。)餘,以三十除之,得相,不盡為度。其相及度,與前所列中日分並之,置為日中位。(置位皆三重,從戴而列之,其下位列分,其中位列度,其上位列相,他皆仿此。)
術文はいう:積日を摆し、別に下位に一份を重ねて摆す。下位に12をもって乗じ、900をもって除し、得る所がすなわち「没度」である。(原書の小注:この没度は、中国暦法の中の謂う所の没日である。)除し尽くせなければ更に15をもって除し、「没分」を得、併せて差の30分を固定に加える。(原書の小注:ここの分は、60に満てば便ち一度を成す。)没度をもって上位の積日を減じ、減ずるに足らない時は、積日を一日退るごとにすなわち60分に折り作し、更に没分をもってそれを減ず。余る所を「中日分」の位に摆し作る。減じ畢わった後の積日は、360をもって除し、得る所がすなわち入暦以来経過した年数で、それを舎去する。(原書の小注:たとえば積年57を摆せば、還りて除して得るもなお57である。)余る所を30をもって除し、相を得、除し尽くせないのを度とする。得た相と度を、前に列した中日分と合併し、「中日」の位に摆し作る。(原書の小注:位を摆すは一律に三重を作り、下から上へ層々に相畳す:下位に分を列し、中位に度を列し、上位に相を列す。以下の各処は皆この類に推す。)
推中月章:術曰:置小餘重張位,下位二十五餘之,得者加上位;加訖,以六十除之,得度;不盡為分,其度分列為位;又置自入月已來所經日,(假令前推積日,加自入月五算,推此亦須準前數置止算。)以十二除之,以三十除之,得相,不盡為度。以其相及度,與前所列度及分並之,又與中日並之,置為中月位。
中月を推求するこの章。術文はいう:小余を摆し、別に下位に一份を重ねて摆す。下位に25をもって除し、得た者を上位の上に加える。加え畢わって更に60をもって除し、度を得、除し尽くせないのを分とし、この度と分を一位に摆し作る。更に今月に入って以来経過した日数を摆し(原書の小注:たとえば前に積日を推した時、入月の五日を加えたなら、この一歩を推すにもまた前の数目に照らして摆し止めるべし)、12をもって除し、更に30をもって除し、相を得、除し尽くせないのを度とする。得た相と度を、前に列した度と分と合併し、更に中日の数と併せて、「中月」の位に摆し作る。中日は太陽の平行の位置、中月は月の平行の位置で、両者は皆まだ遲疾の改正を加えていない。
推高月章:術曰:置積日,以九除之,得度;餘以六十乘之,依前除之,謂亦九除也,得分;其度以三百六十除,棄之餘以三十除之,得相,不盡為度,其相及度兼分列為位。又置積日,以六十除之,得分,(其分滿六十,成一度。)以其分並前所列分位,恆加差十八相二十六度四十一分,一相十三度四十五分,置為高月位。
高月を推求するこの章。術文はいう:積日を摆し、9をもって除し、度を得る。余る所を60をもって乗じ、なお前法に依りて除し(原書の小注:すなわちなお9をもって除す)、分を得る。得た度を360をもって除し、整商を舎去し、余数を30をもって除し、相を得、除し尽くせないのを度とし、この相・度を分に連ねて一位に摆し作る。更に積日を摆し、60をもって除し、分を得(原書の小注:ここの分は60に満てば便ち一度を成す)、それを前に列した分位に併入する。最後に差数の18相26度41分および1相13度45分を固定に加え、「高月」の位に摆し作る。いわゆる高月とは、月の遠地点の位置で、それを中月と相較してこそ、月行の遲疾を求めることができる。
推月藏章:(承前或譯為月損益率)術曰:置中月,以高月減之,(如不是減於月中相位,上更加十二相藏之。)減訖,置為月藏位。推日藏章:(承前或譯為日損益率)術曰:置中日,減二相二十度,(如不足減,於中月相位上更加十二相減之也,他皆仿此。)減訖,置為日藏位。
月蔵を推求するこの章。(原書の小注:先前ある人は「月損益率」と訳した。)術文はいう:中月を摆し、高月をもってそれを減じ(原書の小注:もし減ずるに足らなければ、すなわち中月の相位の上に更に十二相を加えて然る後減ず)、減じ畢わって得た所を、「月蔵」の位に摆し作る。日蔵を推求するこの章。(原書の小注:先前ある人は「日損益率」と訳した。)術文はいう:中日を摆し、2相20度を減じ(原書の小注:もし減ずるに足らなければ、すなわち相位の上に更に十二相を加えて然る後減ず。以下の各処は皆この類に推す)、減じ畢わって得た所を、「日蔵」の位に摆し作る。「蔵」とはすなわち遠地点を距る角距で、日蔵・月蔵はまさに後に盈縮・遲疾の改正を求める所拠の引数である。
推定日章:日段六:第一段,(三十五)第二段,(三十二)第三段,(二十七)第四段,(二十二)第五段,(十三)第六段,(五)右一段,每管十五度,兩段管一相,凡在六段,用管三相。
定日を推求するこの章。太陽の改正数は六段に分ける。各段の数値は:第一段35、第二段32、第三段27、第四段22、第五段13、第六段5。以上の每一段は十五度を管し、両段で一相三十度を合管し、六段で共に三相九十度を管し、すなわち遠地点から近地点までの四分の一周である。この六箇の数が段を逐えて逓減するのは、まさに太陽の盈縮の改正の增量が拐点に近づくほど小さいことを示し、一張の一次差逓減の改正表である。
術曰:置日藏,若相及度位俱定,唯有分者;置分,以第一段三十五乘之,以九百除之,得分。(凡此分滿六十成一度)恆視日藏位,(相定及一二三四五相者,命曰羖首;六七八九十及十一相者,命曰秤首。又,凡在梵曆,相定是一相法一相,是二相法二相,是法,他皆仿此。)得羖首,即以此度分損中日位;得秤首,即以此分益中日位。(以度損益度以損益分)如是損益訖,置為定日位。
術文はいう:日蔵を摆し、もし相位と度位が俱に定まって分のみ残れば、すなわちこの分を取り、第一段の35をもって乗じ、900をもって除し、得る所を分とする。(原書の小注:およそここの分は60に満てば一度を成す。)つねに日蔵のある相位を察する:(原書の小注:相位が零および一・二・三・四・五相のものを「羖首」と名づけ、六・七・八・九・十および十一相のものを「秤首」と名づく。また、およそ天竺暦の中では、相位が一相と定まればすなわち一相の法に照らし、二相と定まればすなわち二相の法に照らす。以下は皆この類に推す。)およそ羖首に属すれば、すなわち得た度と分をもって中日を損じ、およそ秤首に属すれば、すなわち得た度と分をもって中日を益す。(原書の小注:度は度を損益し、分は分を損益す。)こうして損益し畢わって、得る所をすなわち「定日」の位に摆し作る。すなわち太陽の改正を経た後の実際の位置である。羖首はすなわち白羊宮の首、秤首はすなわち天秤宮の首で、まさに黄道上の相対する両点である。
推定月章:(承前為月或)月段六:第一段,(七十七)第二段,(七十一)第三段,(六十一)第四段,(四十七)第五段,(三十)第六段,(十)右一段,每管十五度,兩段管一相,凡在六段,用管三相。術曰:置月藏,若相及度位俱定,唯有分者;置其分,以第一段七十七乘之,以九百除之,得分。(凡此分滿六十成一度)恆視月藏位,(相定段一二三四五相者,命曰羖首;六七八九十及十一相者,命曰秤首。)得羖首,即以此度分損中月位;得秤首,即以此度分益中月位;如是損益訖,置為定月位。
定月を推求するこの章。(原書の小注:先前の訳名は「月或」。)月の改正数も六段に分ける:第一段77、第二段71、第三段61、第四段47、第五段30、第六段10。每一段は十五度を管し、両段で一相を管し、六段で共に三相を管する。術文はいう:月蔵を摆し、もし相位と度位が俱に定まって分のみ残れば、すなわちその分を取り、第一段の77をもって乗じ、900をもって除し、得る所を分とする。(原書の小注:およそここの分は60に満てば一度を成す。)つねに月蔵のある相位を察する:(原書の小注:相位が零および一・二・三・四・五相のものを「羖首」と名づけ、六・七・八・九・十および十一相のものを「秤首」と名づく。)およそ羖首を得れば、すなわちこの度分をもって中月の位を損じ、秤首を得れば、すなわちこの度分をもって中月の位を益す。こうして損益し畢わって、得る所を「定月」の位に摆し作る。月の六段の数は太陽より一倍余大きい。まさに月行の遲疾の差が日行の盈縮の差より遥かに大きいからである。
敘三相已下藏例:(日與月並同此法)置藏位,(若相定位,其度不滿十五兼有入者,而置其度,以六十乘之內分,在梵曆,是名通作分也,亦以第一段乘之,以九百除之,得分;其分命用,並亦準前。)置藏位,(若有十五度已上者,直將除棄十五度訖,十乘度內分也,他皆仿此。以次第二段乘之,準前除也,他皆仿此。以此第二段乘之,準前除之。凡言準前者,用舊術也;今亦用九百除之,他皆仿此。得分,其分加上位,不滿六十成一度,其度及分命用,並已準前。)
以下に蔵数が三相以下の時の各種の取段の例を叙述する。(原書の小注:日蔵と月蔵は皆同一の办法を用いる。)蔵位を摆す:(原書の小注:もし相位がすでに定まり、度数が十五に満たずまた別に零分があれば、すなわちこの度を取り、60をもって乗じて更に分を納れる——天竺暦の中でこれを「通作分」と呼ぶ——もまた第一段の数をもって乗じ、900をもって除し、分を得る。この分をどう称説・使用するかは、併せて前に照らす。)更に蔵位を摆す:(原書の小注:もし度数が十五以上の者は、直ちに十五を減じ去り畢わって、更に前に照らして度を乗じ開き分を納れ、以下は皆この類に推す。然る後に改めて第二段の数をもって乗じ、なお前法に照らして除す。およそ「准前」と言うは、皆旧術を沿用するを指す。今も一律に900をもって除す。以下は皆この類に推す。得る所を分とし、この分を上位の上に加え、60に満たなければ便ち一度を成さず、その度と分をどう称説・使用するかは、併せて前に照らす。)
置藏位,(若有一相十五度已下者,直除去一相訖,即併到第一段,第二段為上位餘,通分,內子以次段乘之,自餘命用,並亦準前。)置藏位,(若有一相十五度已上者,直除訖,一相兼十五訖,即並第一段,訖至第三段,為之位,旬餘命用,並亦準前。)置藏位,(若有二相十五度已下者,除訖,二相訖,而開列第一段,迄至第四段,為上位,自餘命用,並亦準前。)置藏位,(若有二相十五度已下者,有除訖二相兼十五度訖,即列第一段迄至第五段為上位,自餘命用,並亦準前。)置藏位,(若有三相更無餘度分者,直棄三相訖,即並列第一段迄至第六段為上位,自餘命用,並亦準前。)
更に蔵位を摆す:(原書の小注:もし一相また十五度以下の者は、直ちに一相を減じ去り畢わって、すなわち第一段と第二段の数を相併して上位とし、余る所を通折して分とし、更に下一段の数をもって乗じ、其余の称説・使用は併せて前に照らす。)更に蔵位を摆す:(原書の小注:もし一相また十五度以上の者は、すなわち一相に連ねて十五度を減じ畢わって、すなわち第一段から第三段までの数を相併して上位とし、其余の称説・使用は併せて前に照らす。)更に蔵位を摆す:(原書の小注:もし二相また十五度以下の者は、二相を減じ畢わって、すなわち第一段から第四段までの数を排列・相併して上位とし、其余は前に照らす。)更に蔵位を摆す:(原書の小注:もし二相また十五度以上の者は、すなわち二相に連ねて十五度を減じ畢わって、すなわち第一段から第五段までの数を相併して上位とし、其余は前に照らす。この条の前の二字はなお「已下」と作り、上の条と重出し、当に「已上」の訛。)更に蔵位を摆す:(原書の小注:もし恰好三相で余る度分のない者は、径直に三相を去り畢わって、すなわち第一段から第六段までの数を全数相併して上位とし、其余は前に照らす。)この一整套の办法は、実際には六段の改正数を引数の大小に拠って段を逐えて累加し、その累積値を取るので、後世の暦法の累差表の用法と同じである。
敘三相已上藏例:(日與月並用此法,凡在梵曆,(闕)皆仿此。)置藏位,(若有三四五相者,別置六相,以減之,減餘相度分至於排段命用,並亦準前。此承前(闕)云:傍五六相,以本減傍,去上張下,命用者是也。)置藏位,(如有六七八相者,直棄六相,餘相度分至於排段,命用,並亦準前。)置藏位,(如有九十及十一相者,別置十二相減之,減餘相度分至於排段,命用,並亦準前。)
以下に蔵数が三相以上の時の取段の例を叙述する。(原書の小注:日蔵・月蔵は皆この一套を用い、およそ天竺暦の中で、ここに欠文あり、其余は皆この類に推す。)蔵位を摆す:(原書の小注:もし三・四・五相の者は、別に六相を摆してそれを減じ、減じた余の相・度・分は、前に照らして排段して数を取り称説・使用する。これが承前に謂う所の:旁に五・六相を列し、本数をもって旁列の数を減じ、上位を去って下位を摆き、然る後に称説・使用する者である。)蔵位を摆す:(原書の小注:もし六・七・八相の者は、径直に六相を去り、余る相・度・分は前に照らして排段・使用する。)蔵位を摆す:(原書の小注:もし九・十および十一相の者は、別に十二相を摆してそれを減じ、余る相・度・分は前に照らして排段・使用する。)こうすれば、引数が十二相の中のどの一段に落ちようとも、皆零から三相の範囲内に折り返して表を查することができる。改正数は一周の内で対称に往复するからである。
推晝刻及夜刻章:(梵曆晝夜刻,共有六十刻,凡一刻即六十分。)刻段三:第一段,(一百六十)第二段,(一百三十二)第三段,(五十四)右一段,每管一相,凡在三段,用管三相。(至於排段別位,受及乘除,敘例命用,亦同前定日法。)術曰:置定日,若相空,即置其度,通作分;以第一段一百六十乘之,以一千八百除之,得分。(其分滿六十成一刻)其分一,六十除之,得刻,不盡為分,恆加三十刻,置為夜刻分位。
昼刻と夜刻を推求するこの章。(原書の小注:天竺暦は一昼夜を共分して六十刻とし、每一刻はまた六十分に分かれ、中国の百刻制と同じでない。)刻の改正数は三段に分ける:第一段160、第二段132、第三段54。以上の每一段は一相を管し、三段で共に三相を管する。(原書の小注:排段・位次を別摆する・どう数を取り乗除する・条例をどう称説・使用するかに至っては、皆前の定日を推す法と同じ。)術文はいう:定日を摆し、もし相位が零ならば、すなわちその度数を取って通折して分とし、第一段の160をもって乗じ、1800をもって除し、得る所を分とする。(原書の小注:ここの分は60に満てば便ち一刻を成す。)その分を一にして60をもって除し、刻を得、除し尽くせないのを分とし、更に三十刻を固定に加え、「夜刻分」の位に摆し作る。三十刻はまさに六十刻の半で、すなわち昼夜が均平の時の夜の長さである。
又恆別置六十刻,以所置刻及減之,減餘刻及分,置為短刻分位。(凡春分後,晝漸長,夜漸短,其長刻晝也,短刻夜也,春分羖首也;秋分後,夜漸長,晝漸短,其長刻夜也,其短刻晝也,秋分秤首也。)其長刻及其短刻及分,合置為全晝全夜刻位。其全晝全夜刻及分,並各半之置為半晝半夜位。(置定日,若有一相,直棄一相,即列第一段,一百六十為上位,餘通作分,以第二段一百二十乘,以一千八百除,自餘命用,並亦準前。置定日,若有二相,亦直棄二相,並列第一段,第二段二百九十為上位,餘通作分,以第三段五十四乘之,以一千八百除之,自餘命用,並亦準前。)
また固定に別に六十刻を摆し、上に得た刻数をもってそれを減じ、余る刻と分を「短刻分」の位に摆し作る。(原書の小注:およそ春分以後、白昼は漸々長く夜は漸々短くなれば、すなわち長い一份は昼・短い一份は夜で、春分は羖首に属す。秋分以後、夜は漸々長く白昼は漸々短くなれば、すなわち長い一份は夜・短い一份は昼で、秋分は秤首に属す。)長い一份と短い一份および各自の分を、合わせて「全昼全夜刻」の位に摆し作る。更に全昼・全夜の刻と分を各々半分を取り、「半昼半夜」の位に摆し作る。(原書の小注:定日を摆し、もし一相あれば、直ちに一相を去り、第一段の160を列して上位とし、余る所を通折して分とし、第二段の数をもって乗じ、1800をもって除し、其余の称説・使用は併せて前に照らす。定日を摆し、もし二相あれば、また直ちに二相を去り、第一段と第二段を併せて290を列して上位とし、余る所を通折して分とし、第三段の54をもって乗じ、1800をもって除し、其余は前に照らす。ここの第二段の数は「一百二十」と作り、前文に列した「一百三十二」と合わず、当に訛脱があるべし。)
推月域章:(承前或譯為明量,確據梵音,呼為勃夜,其義雲月食限也。謂每經一晝一夜,月行吞得度數之量也。譯為域者,亦得劑域之限也。此月域內兼日行,分合在其中。)術曰:置今日定月,以昨日定月減之,餘通作分,凡置為月域位。(又法置七百九十為本位,又取通,乘月段以九乘之訖,直棄一位,餘者恆視月藏三四五六七八相者,命曰蟹首;九十十一兼相位,定及一二相,命曰龜首。)蟹首益本位,龜首損本位,即是月域。
月域を推求するこの章。(原書の小注:先前ある人は「明量」と訳した。確かに梵音に拠れば、「勃夜」と読み、その義は月の食限を謂い、すなわち一昼夜を経るごとに月の行って吞する度数の量である。「域」と訳するのは、また限剤・界域の義を取る。この月域の内に兼ねて日行を含み、日月の两者の分数が皆その中に合する。)術文はいう:今日の定月を摆し、昨日の定月をもってそれを減じ、余る所を通折して分とし、すなわち「月域」の位に摆し作る。(原書の小注:別に一法あり:790を摆して本位とし、更に通数を取って月の段数を乗じ、9をもって乗じ畢わった後、径直に一位を舎去する。余る者はすなわちつねに月蔵を察し、およそ三・四・五・六・七・八相にあるものを「蟹首」と名づけ、九・十・十一相および相位が零と一・二相のものを「龜首」と名づく。)蟹首に属すればすなわち本位の上に加え、龜首に属すればすなわち本位の上から減じ、得る所がすなわち月域、すなわち月の一昼夜の実際の行度である。
推日域章:(承前譯為日法,明量其義,日以減卻日行分,故標日為前也。)日行分法,(相位定及一相、二相、三相,行分五十七;四相,行分五十八;五相,行分五十九;六相,行分六十;七相、八相、九相,行分六十一;十相,行分六十;十一相,行分五十九。)術曰:恆視定月相位,以前行分,於月域數內(假令相位空,即於月域數內減卻行分五十七,他皆仿此。)減訖,置為日域位。
日域を推求するこの章。(原書の小注:先前は「日法」と訳し、明量の義を取る。月域の中から太陽の行分を減じ去るから、「日」の字を前に標す。)太陽の每日行る分の法は以下の如し:(原書の小注:相位が零および一相・二相・三相のものは行分57、四相は行分58、五相は行分59、六相は行分60、七相・八相・九相は行分61、十相は行分60、十一相は行分59。)術文はいう:つねに定月のある相位を察し、上表に列する行分を取り、月域の数の中から減ずる。(原書の小注:たとえば相位が零ならば、すなわち月域の数の中から行分57を減じ去る。以下は皆この類に推す。)減じ畢わって得た所を、「日域」の位に摆し作る。日域は実際には月が太陽に相対して一昼夜に行る度数で、まさに合朔と交食の時刻を推求する基本の速度である。
推宿刻章:(宿法,於此術中,凡是宿,平等為八百分,天竺每以月臨宿,占其日一,即休咎仍取其宿用事,又唯用二十七宿,命婁為始,失牛,終奎。其牛宿,恆著吉祥之時,不拘諸宿之例,別有占算法。)術曰:置定月,通作分,(謂三十乘內度,六十乘度內分,他皆仿此。)以八百除之,得已通宿次,餘者是用宿。(假令除得為婁二百,胃三百,即是已過宿次,餘者是所臨畢宿用事也,他皆仿此。)以六十乘之,以月域除之,得宿刻。又乘,又除,(謂亦以六十乘,亦以月域除,他皆仿此。)得分,置其刻及分,為宿刻位。
宿刻を推求するこの章。(原書の小注:本術の用いる宿法は、每一宿を一律に平分して八百分とする。天竺人はつねに月の臨む宿をもって当日の吉凶を占い、すなわち那一宿を取って用事とする。またただ二十七宿を用い、婁宿をもって起首とし、牛宿を去り、奎宿に至って終わる。その中の牛宿はつねに吉祥の時を主り、諸宿の通例の拘束を受けず、別に一套の占算の法がある。)術文はいう:定月を摆し、通折して分とし(原書の小注:すなわち30をもって相を乗じて度を納れ、60をもって度を乗じて分を納る。以下は皆この類に推す)、800をもって除し、得た商がすなわちすでに行り過ぎた宿数で、余る者がすなわち当前に臨む宿である。(原書の小注:たとえば除して婁宿二百・胃宿三百を得れば、あれはすでに過ぎた宿次で、余る者はすなわちまさに臨んでいる畢宿が用事している。以下は皆この類に推す。)余数を60をもって乗じ、月域をもって除し、宿刻を得る。更に乗じ、更に除し(原書の小注:すなわちまた60をもって乗じ、また月域をもって除す。以下は皆この類に推す)、分を得る。この刻と分を摆し出せば、すなわち「宿刻」の位である。
推宿斷章:術曰:置半(闕)刻及分,兼全晝刻及分,以宿刻及分減之;先減夜刻,(謂從夜半子時,向亥申至於戌酉而減之。)如夜刻盡,餘以減晝刻,(亦謂從酉向申未等而有減之也。)如減夜不盡,即直只減夜,不減晝也。知夜晝俱盡,入以減往夜刻。(謂從卯向寅丑等而減之也)如減往夜全刻亦盡,餘以減往晝刻。(謂從酉向申等而減之也)凡減晝夜刻,至所止處,是正著兩宿界中央刻時,(謂已遇宿位未所臨宿之初也)以此時名宿斷時,置其刻及分,為宿斷位。
宿断を推求するこの章。術文はいう:半夜の刻と分を摆し(ここに底本は一字を欠き、当に「半夜」の「夜」)、更に全昼の刻と分を合し、前に求めた宿刻と分をもってそれを減ず。まず夜刻を減ず(原書の小注:すなわち夜半の子の時から、亥・戌・酉の方向に向かって逆推して減ず)。夜刻が減り尽くれば、余る所を更に昼刻を減ず(原書の小注:すなわち酉から申・未などの時に向かって逆推して減ず)。もし夜刻を減じてなお尽きなければ、すなわち直ちに夜刻のみ減じ、昼刻を動かす必要がない。もし昼夜が俱に尽きたと知れば、すなわち入りて前の夜の刻を減ず(原書の小注:すなわち卯から寅・丑などの時に向かって逆推して減ず)。もし前夜の全刻もまた尽きれば、余る所を前の日の昼刻を減ず(原書の小注:酉から申などの時に向かって逆推して減ず)。およそこうして昼夜の刻を減じ、減じて停まる処に至れば、まさに両宿の交界の中点の時刻で(原書の小注:すなわちすでに過ぎた宿とまさに臨まんとする宿の分界の初め)、この時刻を「宿断時」と呼び、その刻と分を摆し出せば、すなわち「宿断」の位である。
推節刻章:(或譯為著蝕時,或譯為日節,中國名為加時,梵雲即初,詳意義如竹以節隔其間。今日一晝一夜(闕)其昨日一晝一夜相分,每刻之處,亦如竹節,由是名焉。)術曰:置定月,以定日減之,(如不足減,於定月相位上更加十二相減之。)減餘通作分,以七百二十除棄之,(其棄者,是加自入月已來日,若少於本數,名未來節數,若多於本數,名過去節數。)餘者名為節除,以六十乘,以日域除之,得節刻,不盡,又乘,又除,(凡言又乘又除,皆是依前數乘之,依前數除之。今此以六十乘,以日域除,他皆仿此。)得分,置其刻及分,為節刻位。
節刻を推求するこの章。(原書の小注:この名目はある人は「著蝕時」と訳し、ある人は「日節」と訳し、中国は「加時」と呼び、梵語の音訳は「即初」。その義を細かに窮めれば、たとえば竹が節をもって一段一段を隔てるが如し:今日の一昼夜と昨日の一昼夜が彼此分界し、每一刻のある所もまた竹節の如きで、これに因って名を得た。)術文はいう:定月を摆し、定日をもってそれを減じ(原書の小注:もし減ずるに足らなければ、すなわち定月の相位の上に更に十二相を加えて然る後減ず)、余る所を通折して分とし、720をもって除して整商を舎去する。(原書の小注:舎去する所は、すなわち入月以来の日数を加えたもの。本数より少なければ「未来節数」と名づけ、本数より多ければ「過去節数」と名づく。)余る者を「節除」と称し、60をもって乗じ、日域をもって除し、節刻を得、除し尽くせなければ更に乗じ更に除し(原書の小注:およそ「又乗又除」と言うは、皆前の数に依りて乗じ、前の数に依りて除す。今ここはすなわち60をもって乗じ、日域をもって除す。以下は皆この類に推す)、分を得る。この刻と分を摆し出せば、すなわち「節刻」の位である。
推節斷章:(謂正著蝕時也,亦是往日今日每兩界中央分判檢劑節斷之處也。)術曰:置半夜刻及分,兼全晝刻及分,以節刻及分,一如取宿斷法,減之,至所止刻,為節斷刻時。(謂正著蝕時也)置其刻及分,為節斷位。
節断を推求するこの章。(原書の小注:いわゆる節断とは、すなわちまさに交蝕に当たる那刻で、また昨日と今日の両界の間の画分・検定する節界の処である。)術文はいう:半夜の刻と分を摆し、全昼の刻と分を合し、更に前に求めた節刻と分をもってそれを減ず。減法は全く宿断を取る办法に照らし、減じて停まる那刻に至れば、すなわち「節断刻時」である。(原書の小注:すなわちまさに交蝕に当たる時。)その刻と分を摆し出せば、すなわち「節断」の位である。宿断が定めるのは月の臨む両宿の交界、節断が定めるのは則ち日月の相合・相望する確切の時刻で、両者は取法が同じにして求める所が各々異なる。
推均分章:(承前或譯為月度分法,在梵曆,此術九妙,朔下日月相及度分算三位,並均;望即度及分二位,均;弦即準只分一位,均;推得朔望均分路日月交蝕。)根法,(置定月以日定,減之,減餘有六相者,棄有有相,餘通作分,名為過去根法,如減餘,通五相者,別置六相減之,減餘作分,名為未來根法。)術曰:置根法以六十乘之,以日減除之;如是過去,以除得數損之日分;如是未來,以除得數益定日分。又以除得數加根法,以六十除之,得度不盡,為分;如是過去,損定月度分;如是未來,益定月度分。日月度分均平齊等,即並列之,置為均分位。
均分を推求するこの章。(原書の小注:先前ある人は「月度分法」と訳した。天竺暦の中でこの術は極めて精妙である:合朔の下では、日月の相・度・分の三位を皆斉しく取り、望日は則ち度と分の两位を斉しく取り、上下弦は則ちただ分の这一位を斉しく取るのみ。これに拠って朔望の斉しく取る処を推し出せば、便ち日月の交蝕を知りうる。)まず「根法」を謂う:(原書の小注:定月を摆し、定日をもってそれを減じ、余る所がもしすでに六相に満てば、すなわち六相を舎去し、残ったのを通折して分とし、「過去根法」と呼ぶ。もし余る所が通計して五相の内ならば、別に六相を摆してそれを減じ、余る所を分に折り作し、「未来根法」と呼ぶ。)術文はいう:根法を摆し、60をもって乗じ、更に日行分をもって除す。もし過去ならば、すなわち除して得た数をもって定日の分を損じ、もし未来ならば、すなわちそれをもって定日の分を益す。更に除して得た数を根法の上に加え、60をもって除し、度を得、除し尽くせないのを分とする。もし過去ならば、すなわち定月の度分を損じ、もし未来ならば、すなわち定月の度分を益す。日月の度分が均平・斉等するに及んで、便ち併せて列し、「均分」の位に摆し作る。
又法:置節刻位,通作分,列為根法。術曰:置根法,以定日行分,(謂日域術中,相法之下,所標五十七等是也。)乘之,以三千六百除之,得分;其餘損益,定日分。(其損益法,損之而得均者,即便損之;益之而得均者,即便益之。)又置根法,以日域乘之,以三千六百除之,得分;其分又以六十除之,得度,不盡為分;以其度及分損益,定月度分。(日若益之,月亦益之;日若損之,月亦損之。)如是損益訖,置為均分法。(俱損俱益,是均分也;一損一益,非均分也。)
別に一法:節刻の位を摆し、通折して分とし、根法に列し作る。術文はいう:根法を摆し、定日の行分をもってそれを乗じ(原書の小注:すなわち日域術の中の相法の下に標した57等の数)、3600をもって除し、分を得る。その余をもって定日の分を損益す。(原書の小注:損益の准則は:減じて日月を斉しく取りうる者はすなわち便ち減じ、加えて日月を斉しく取りうる者はすなわち便ち加える。)更に根法を摆し、日域をもって乗じ、3600をもって除し、分を得る。その分を更に60をもって除し、度を得、除し尽くせないのを分とし、その度と分をもって定月の度分を損益す。(原書の小注:太陽のあちらが加えれば、月のこちらも加え、太陽のあちらが減ぜば、月のこちらも減ず。)こうして損益し畢わって、「均分法」に摆し作る。(原書の小注:日月が同じく減じあるいは同じく加えてこそ、均分と算え、一辺減じ一辺加えるは、均分でない。)
九執暦・日月蝕法
推阿修章:(承前或譯為風,或譯為蝕神,梵之日呼為羅睺。《釋典》所云:“羅睺,阿修王,即此臣靈也。”又《河圖》云:“暗虛值月,則月蝕;值星,則星亡;亦謂此怪靈也。”又諸曜則巡宿順行,其阿修則巡宿逆轉,掩蔽日月,以亦交蝕。)
阿修を推求するこの章。(原書の小注:この名目は先前ある人は「風」と訳し、ある人は「蝕神」と訳し、梵語では「羅睺」と称す。仏典《釈典》はいう:羅睺は阿修羅王で、指す所はこの神霊である。《河図》もまたいう:暗虚が月に遇えば、すなわち月食が発生し、星辰に遇えば、星辰は隠沒して見えない。謂う所もまたこの一種の怪異の霊である。また、諸曜は皆二十八宿に沿って順行し、唯だ阿修は宿に沿って逆転し、それが日月を遮掩し、これによっりて交蝕を造成する。)今日の天文学をもって見れば、いわゆる阿修・羅睺とは、まさに黄白の二道の交点である。交点は黄道上で逆行し、日月が交点の附近に行ってこそ交食が発生しうる。古人が神霊の名をもって記録したのは、実は一箇の精確に推算しうる天文量である。
術曰:置積日,以六千七百九十四除之,得為已過遍數,棄之,餘以十二乘之,準前除之。(謂亦以六千九百九十四除之也)得相;餘以十三乘之,準前除之,得度;餘以六十乘之,準前除之,得分;列為前位。又別置五相二十四度四十分,以其前位減之,(若不足減,於五相位上,更加十二相,減之。)減訖,餘相度分,置為阿修位。
術文はいう:積日を摆し、6794をもって除し、得た商は阿修がすでに転じ過ぎた周数で、舎去して用いない。余る所を12をもって乗じ、なお前法に照らして除し(原書の小注:すなわちなお6794をもって除す。小注は「六千九百九十四」と作り、当に筆誤)、相を得る。余る所を13をもって乗じ、前法に照らして除し、度を得る。余る所を更に60をもって乗じ、前法に照らして除し、分を得る。この相・度・分を前位に列し作る。更に別に5相24度40分を摆し、前位の数をもってそれを減じ(原書の小注:もし減ずるに足らなければ、すなわち五相の上に更に十二相を加えて然る後減ず)、減じ畢わって余る相・度・分を「阿修」の位に摆し作る。除数6794日は、まさに交点が逆行して一周するのに需る日数で、今測の交点の退行周期の十八年余と相合する。
敘日月蝕法:凡算蝕者,先置均分及阿修位,從前蝕之後,斗至六個月白博義,(天竺每月二博義,從月初至十五日,為白博義,從十六日至月盡,為黑博義。其博義,譯雲翅也。)十五日,月當交蝕之限,從前蝕後,斗至六個月黑博義,(月盡日也)日當交蝕之限,月或個月白博義蝕,或五個月白博義蝕,或十四日蝕,或十六日蝕。日或七個月蝕,或五個月蝕,或十六日蝕,日或七個月蝕,或五個月蝕。
以下に日月の交蝕の法を総叙する。およそ交蝕を推算するには、まず均分と阿修の两位を摆す。前回の交蝕以後、満六箇月の白博義を数え(原書の小注:天竺は每月を二箇の博義に分け、月初から十五日までを白博義とし、十六日から月尽までを黒博義とする。「博義」は漢語に訳せばすなわち「翅」)、第十五日に至り、まさに月食の発生すべき界限である。前回の交蝕以後、満六箇月の黒博義を数え(原書の小注:すなわち月尽の日)、まさに日食の発生すべき界限である。月食はある時は六箇月の白博義を隔てて食し、ある時は五箇月の白博義を隔てて食し、ある時は十四日に食し、ある時は十六日に食す。日食はある時は七箇月を隔てて食し、ある時は五箇月を隔てて食し、ある時は十六日に食す。文中の「或个月」の上に「六」の字を脱し、末の句にまた一度重出し、皆底本の誤りである。
又,日蝕初虧,皆在西方,月蝕初虧,皆在東方,蝕既者,雖亦帶隅,正方之數俱多也。(其正方,謂東西方也。)蝕鮮者,雖亦帶隅,正方之數小也。又蝕所從方,進而虧黑,還於其方,退而放明也。又蝕色初至如煙,於時亦如煙,又蝕不盡,缺處黑;如盡,外赤色,中赤黑色。
また、日食の起亏は皆西の辺にあり、月食の起亏は皆東の辺にある。およそ食の深いものは、角隅に偏るけれども、正方の占める分数はつねに多い。(原書の小注:いわゆる正方とは、正東と正西を指す。)およそ食の浅いものは、角隅を帯びるけれども、正方の占める分数はすなわち小さい。また、食はつねに或る一方から進み入り、これによっりて漸々亏れ漸々黒くなり、更に原来の那一方から退出して復明する。また、食色は剛に来た時は煙気の如く、食の去る時もまた煙気の如し。食い尽くさないものは、缺えた処は黒色を呈し、食い尽くすものは、外圈に赤色を現れ、中央に赤黒色を現す。この一段に記する日月食の色象と起亏の方位は、肉眼の実測に靠って積累した経験で、前の純粋に算術を用いて推歩する各章と互いに表裏を為す。
推間量府章:(日月有蝕,無蝕,及起虧方隅,並在此術中。)置均分,以阿修減之,(如不足減,加十二相於均分相位上減之。)記減,得羖首,為北行;(若得北行,其有日蝕,初起西北;其有月蝕,初起東南。)得秤首,為南行。(若得南行,其有日蝕,初起西南;其有月蝕,初起東北。)
間量府を推求するこの章。(原書の小注:日月が食あるか食ないか、および起亏がどの方隅にあるかは、皆この術に拠って決まる。)均分を摆し、阿修をもってそれを減じ(原書の小注:もし減ずるに足らなければ、すなわち均分の相位の上に十二相を加えて然る後減ず)、減じ畢わって得た所が、もし羖首に落ちれば、すなわち北行である。(原書の小注:もし北行を得れば、それの日食は西北の角から起亏し、月食は東南の角から起亏する。)もし秤首に落ちれば、すなわち南行である。(原書の小注:もし南行を得れば、それの日食は西南の角から起亏し、月食は東北の角から起亏する。)均分が阿修を減ずるは、実際には日月と交点との角距を求めるので、その正負が月を交点の北からか南からか通らせることを決め、これによっりて起亏の方位を決める。
餘者,置為間量府。(凡有蝕法減阿修訖,餘者即是間量府也。如十二度已下,月即有蝕;十二度已上,無蝕。凡日蝕法減阿修訖,餘者即是間量府也。兼有日成間量訖,有十二度已上,日即有蝕;十二度已下,無蝕。)如其加十二相,減阿修者還,卻置十二相減訖蝕者,置為間量府;如其減阿修有六相已上者,置棄六相,餘者置為間量府;如其減阿修訖,有五相已上者,別置六相減之,減訖,餘者置為間量府。
減じた後の余る所を、「間量府」に摆し作る。(原書の小注:およそ月食の法に拠って阿修を減じ畢わった後、余る所がすなわち間量府である。もし十二度以下ならば、月はすなわち食し、十二度以上ならば、食しない。およそ日食の法に拠って阿修を減じ畢わった後、余る所もまた間量府である。併せて日の成した間量を合して、もし十二度以上ならば、日はすなわち食し、十二度以下ならば、食しない。)もしそれが十二相を加えて阿修を減じた者を還すは、更に十二相を摆して減じ畢わった食の者を、「間量府」に摆し作る。もしそれが阿修を減じて六相以上ある者は、六相を摆して棄て、余る者を間量府に摆し作る。もしそれが阿修を減じ畢わって五相以上ある者は、別に六相を摆してそれを減じ、減じ畢わって、余る者を間量府に摆し作る。この几条は皆、角距を最小の一段の範囲に折り返して、表を查しやすくするためである。
推月間量命段法:(凡一段,管三度四十五分,每八段管一相,總有二十四段,用管三相。其段下側注者,是積段,併成三數。)第一段,(二百二十五)第二段,(二百二十四,並四百四十九。)第一相;第三段,(二百二十二,六百七十一。)第四段,(一百一十九,並八百九十。)第五段,(二百一十五,一千一百五。)第六段,(二百一十,並一千三百一十五。)第七段,(二百五,並一千五百二十)第八段,(一百九十九,並一千七百一十九。)
月間量の段を取る法を推求する:(原書の小注:およそ一段は三度四十五分を管し、每八段で一相を管し、総計二十四段で、三相九十度を管する。各段の下に側注する数は、累積の数で、段を逐えた数を加え合わせて成したもの。)第一段225。第二段224、累積449、以上は第一相。第三段222、累積671。第四段219、累積890(原文は「一百一十九」と作るが、累積の差に拠れば当に「二百一十九」で、底本は「二」の字を脱す)。第五段215、累積1105。第六段210、累積1315。第七段205、累積1520。第八段199、累積1719。段を逐えた数は225から緩緩と逓減し、累積数は則ち一路に上昇する。これはまさに一張の角距に拠って分段した改正・累加表である。
第九段,(一百九十一,並一千九百一。)第十段,(一百八十三,並二千九十三。)第二相;第十一段,(一百七十四,並二千二百六十七。)第十二段,(一百六十四,並二千四百三十一。)第十三段,(一百五十四,並二千五百八十五。)第十四段,(一百四十三,並二千七百二十八。)第十五段,(一百三十一,並二千八百五十九。)第十六段,(一百一十九,並二千九百七十八。)第十七段,(一百六,並三千八十四。)第十八段,(九十三,並三千一百七十七。)第三相;第十九段,(七十九,並三千二百五十六。)第二十段,(六十五,並三千三百二十一。)第二十一段,(五十一,並三千三百七十二。)第二十二段,(三十七,並三千四百九。)第二十三段,(二十二,並三千四百三十一。)第二十四段。(七,並三千四百三十八。)
第九段191、累積1901(第八段の1719に191を加えて照れば当に1910であるべきに、底本は「一千九百一」と作り、おそらく一字を脱す)。第十段183、累積2093、以上は第二相。第十一段174、累積2267。第十二段164、累積2431。第十三段154、累積2585。第十四段143、累積2728。第十五段131、累積2859。第十六段119、累積2978。第十七段106、累積3084。第十八段93、累積3177、以上は第三相。第十九段79、累積3256。第二十段65、累積3321。第二十一段51、累積3372。第二十二段37、累積3409。第二十三段22、累積3431。第二十四段7、累積3438。二十四段の数は225から7まで逓減し、累積は3438に至って止まる。この3438はまさに天竺の算法の中で半径の当たる分数で、全表は実に一張の正弦表である。
術曰:置間量府,通作分,以二百二十五除之,得者為段。以其段下並數列為上位,(假令除得一,其第一段下無並,即直列二百二十五為上位;如其除得二,即例側注並數四百四十九為上位;如其除得三,例側注並數六百七十一為上位。他皆仿此。)餘,以次段乘之。(假令除得三,例側注並數為上位訖,即以第四段二百一十九乘之,他皆仿此。)以二百二十五除之,得者並上位,置為間量命。(非月蝕用之)
術文はいう:間量府を摆し、通折して分とし、225をもって除し、得た者がすなわち段数である。その段の下に注する累積数を取って上位に列す。(原書の小注:たとえば除して一を得れば、第一段の下に累積数がなく、直ちに225を列して上位とする。もしそれが除して二を得れば、すなわち側注の累積数449に例って上位とする。もしそれが除して三を得れば、側注の累積数671に例って上位とする。以下は皆この類に推す。)除した後の余る所を、次の段の数をもって乗ず。(原書の小注:たとえば除して三を得れば、側注の累積数に例って上位とし畢わって後、すなわち第四段の219をもって乗ず。以下は皆この類に推す。)更に225をもって除し、得た者を上位に併し、「間量命」に摆し作る。(原書の小注:月食でなくてもまたこの一法を用いる。)この一整套の算法は、正弦表の中に整段に拠って値を取り、零頭は比例に拠って内挿するに等しく、後世の線形補間と完全に一致する。
推月間量法:術曰:置間量命,以四乘之,置為初位;又列置四萬三千四十一,以月域除之,得者(假令除得五十一,即以五十一除初位。)以除初位,得度,不盡,六十乘之,依前除之,得分,置為月間量位。(如推日蝕例算日間星法)
月間量を推求する方法。術文はいう:間量命を摆し、4をもって乗じ、初位に摆し作る。また別に43041を列摆し、月域をもってそれを除し、得た者(原書の小注:たとえば除して51を得れば、すなわち51をもって初位を除す)、この商をもって初位を除し、度を得、除し尽くせなければ、60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、分を得、「月間量」の位に摆し作る。(原書の小注:もし日食を推すに日間量の法を算すれば、またこの様子に照らす。)月間量の表示する所は、交蝕の時に月心と日心との間の視距離で、それを後の月量・阿修量と相較すれば、すなわち食分の多少を定めることができる。
推月量法:術曰:置月域,以二乘之,以四十九除之,得度,不盡,以六十乘之,依前除之,得分,置是月量位。推阿修量法:術曰:置月域,以五乘之,以四十八除之,得度,不盡,以六十乘之,依前除之,得分,置為阿修量位。推阿修及月全位半位法:置阿修量與月量,並之為全位;又半之,為半位;其全位、其半位,各列為位。
月量を推求する方法。術文はいう:月域を摆し、2をもって乗じ、49をもって除し、度を得、除し尽くせなければ、60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、分を得、この「月量」の位に摆す。阿修量を推求する方法。術文はいう:月域を摆し、5をもって乗じ、48をもって除し、度を得、除し尽くせなければ、60をもって乗じ、前法に照らして除し、分を得、「阿修量」の位に摆し作る。阿修および月の全位・半位を推求する方法:阿修量と月量を摆し、それを併せて「全位」とし、またそれを半として「半位」とし、その全位・その半位は、各々位に列し作る。月量は月輪の視径に相当し、阿修量は掩わるる影の視径に相当し、両者の和の半は、まさに恰好相切する時の両心の距離である。
推蝕經刻法:(謂初虧至復滿所經刻數也)術曰:置量,自相乘,(先以度自相乘,列為上位,又以分自相乘,以三上除之,加上位,凡三十分從度者,謂收半已上也。)又置半位,亦自相乘,(亦如收分法為之)置半位相乘訖數減之,減餘以開方除之,(其開方,梵音雲根法也。)得者,以六十乘之,又以日域除之,得刻;不盡,又乘又除,得分;其刻及分,二乘之,(謂位分也)置為虧滿刻法。
交蝕の経る刻数を推求する方法。(原書の小注:初亏から復円までの経歴する刻数を指す。)術文はいう:量数を摆し、自ら相乗し(原書の小注:まず度をもって自乗し、上位に列し、また分をもって自乗し、三十をもってそれを除し、上位の上に加える。およそ三十分に満てば度に従るは、半以上を收めると謂う)、また半位を摆し、また同様に自乗す(原書の小注:分を收める法も上と同じくこれを為す)。半位の相乗し畢わった数を摆してそれを減じ、減じた余を開方して除し(原書の小注:その開方は、梵音で「根法」と謂う)、得た者を60をもって乗じ、また日域をもって除し、刻を得、除し尽くせなければ、更に乗じ更に除し、分を得る。その刻と分を二に乗じ(原書の小注:その位分を謂う)、「亏満刻法」に摆し作る。これは実際には先に両心距の平方の差を求め、開方して半弦を得、更に時間に折算するので、今日の勾股を用いて食延を求める思路と一致する。
(又以其數加節斷刻上,節斷是,若初虧得此刻,通至復滿時。)推月規法:(此術中,備載日月虧缺多少,及蝕既深淺等事。)術曰:置月量半,準其數,或用綎,或用木,為規限,繞作光明壇。又置間量,準其數,或以綎,或以木,從光明壇正中心向蝕方引出至末際,置為位。
(原書の小注:またこの数を節断の刻の上に加える。節断はすなわち食甚の時である。もし初亏から算え起こしてこの刻数を得れば、便ち復円の時に通推することができる。)月規を推求する方法。(原書の小注:この術の中に、日月の亏缺の多少および蝕既の深淺などの事を備載する。)術文はいう:月量の半を摆し、その数に准じて、あるいは綖を用い、あるいは木条を用いて半径とし、環り繞って一箇の円を画き、「光明壇」と呼び、月輪を代表する。更に間量を摆し、その数に准じて、あるいは綖あるいは木条をもって、光明壇の正中心から起亏の方向に向かって引き出して末端に至り、その位置を摆して定める。いわゆる月規とは、すなわち作図の法を用いて交蝕の情形を画き出し、もって繁複の計算に代えるのである。
又起末際位,據為正中心,置阿修量半,準其數,或用綎,或用木,為規限,繞作黑暗壇,據黑暗壇掩著處,以定虧缺多少,蝕既深淺,一如其事。(若推日蝕掩規,置月量半,為光明壇,以日成間量府,得作間量者,為間量。以月量半,為黑暗壇,自餘算術,並同月規法。)
更にさっき引き出した末端を新しい正中心とし、阿修量の半を摆し、その数に准じて、あるいは綖あるいは木条をもって半径とし、環り繞って別の一箇の円を画き、「黒暗壇」と呼び、掩わるる影を代表する。黒暗壇が光明壇を掩い著した那一部分を見れば、すなわち亏缺の多少・蝕既の深淺を定めることができ、実際に見る所と完全に相符する。(原書の小注:もし日食の掩規を推せば、すなわち月量の半をもって光明壇とし、日の成した間量府の得た間量をもって間量とし、更に月量の半をもって黒暗壇とする。其余の算法は皆月規の法と同じ。)両円の相掩う重畳の部分がすなわち食分で、これは一種の図をもって算に代える直観の办法である。
推蝕甚法:(謂蝕後更停,經一刻,或二刻,或半刻,方始退蝕放明也。)術曰:置阿修量半,以月量半減之,餘又以月間量減之,(如其減間量盡,為蝕盡;如其減不盡,為蝕不盡。若盡即有蝕甚法,若不盡則無蝕甚法。)減餘,以六十乘之,以日域除之,得刻,不盡,又乘又除,得分,其刻及分,二乘之,(謂倍也)置為蝕甚刻位。
蝕甚を推求する方法。(原書の小注:食既の後に更に一刻・二刻あるいは半刻停留し、然る後に退蝕して復明するを指す。)術文はいう:阿修量の半を摆し、月量の半をもってそれを減じ、余る所を更に月間量をもって減ず。(原書の小注:もしそれが間量を減じ尽くせば、すなわち皆既食で、もし減じ尽くせなければ、すなわち皆既食でない。尽くしうればすなわち蝕甚のこの一歩があり、尽くせなければすなわち蝕甚のこの一歩がない。)減じた後の余る所を60をもって乗じ、日域をもって除し、刻を得、除し尽くせなければ、更に乗じ更に除し、分を得る。その刻と分を二に乗じ(原書の小注:その倍を取るを謂う)、「蝕甚刻」の位に摆し作る。この一段に求める所は、まさに皆既食の持続する時間、すなわち食既から生光までの間の一段である。
推蝕刻位:(謂左右用行數推步,蝕隅畔劑並圖如左。)術曰:置間量,以九十乘之,以半位除之,得度,置為蝕行法。蝕行法:度二十分州。度二十分州。
蝕刻位を推求する。(原書の小注:左右の両辺が皆行数を用いて推歩し、交蝕の角隅の界限は図と併せて下に附するを謂う。)術文はいう:間量を摆し、90をもって乗じ、半位をもって除し、度を得、「蝕行法」に摆し作る。以下は蝕行法に附する図である:図の上下の両処に各々「度二十分州」と標し、「州」は当に「分」の下の重文符号の訛で、二十度二十分の類の分划を指す。この図は伝写の中にすでに残欠し、方位と度数の零星の標注のみ残り、原様はすでに復元し難い。
右先為八方,訖東西正中加一晝,各中通,以成十方。諸方各置四十五度,其東西二分頭加一中晝,便是各半其方,即東西各四半方也。各置二十二度三十分,言觸從北虧者,是從中道北入也;言從南虧者,是從中道南入也者。度四十五,西,度四十五。南度四十五,度四十五北。度四十五,東,度四十五。
上の図はまず八箇の方位を画き、更に正東・正西の両処に各々一条の中線を加え、各々中を貫通して、十箇の方位を合成する。每一方は各々四十五度を占め、東西の両頭に各々一条の中線を加えれば、すなわち那一方を各々両半に分かち、ここにおいて東西は各々四箇の半方を得る。毎半方は各々二十二度三十分を占める。およそ北の辺から亏れ起こると謂うは、中線の北から進み入るを指し、南の辺から亏れ起こると謂うは、中線の南から進み入るを指す。図上に標注するは:西の辺の左右は各々四十五度。南・北の両辺は各々四十五度。東の辺の左右は各々四十五度。全円は四十五度に八を乗じて正しく三百六十度に合し、これは交蝕の起亏の方位角を八方十位に画分して記録するのである。
度二十分州。度二十分州。若從東北隅入,月蝕即從東中道北行,以蝕行減方數盡,則蝕初之分。(南入法準此)若從西北隅入,日蝕即從西中道北行,以蝕行減方數盡,即蝕初之分。(南入法準此)
図の下に更に「度二十分州」の両行を標し、図上に標したと同じ。およそ東北の角から進み入れば、月食はすなわち東方の中線から北に推して行き、蝕行の数をもって这一方の度数を減じ、減り尽くす処が、便ち起亏のある分度である。(原書の小注:南から進み入るは、この办法に准って推す。)およそ西北の角から進み入れば、日食はすなわち西方の中線から北に推して行き、同様に蝕行の数をもって这一方の度数を減じ、減り尽くす処が便ち起亏のある分度である。(原書の小注:南から進み入るもまたこの办法に照らす。)月食は東から先に亏れ、日食は西から先に亏れるから、両者の拠る中線は一は東にあり、一は西にある。
推日量法:術曰:置日行分,(謂日減術先所標五十七等數)以六十乘之,以十一除之,得度,餘以六十乘之,依前除,得分,置為日量法。推日蝕法:(凡雲日蝕,太白從月,星伐阿修星;又並日月二為半位,其所用間量之,並以日間為之,日蝕術算,亦同月蝕也。)術曰:置節斷刻位,通作分,謂六十乘刻內分也,別置之,為刻分位。
日量を推求する方法。術文はいう:日行分を摆し(原書の小注:すなわち前の日域術の中に標した57等の数)、60をもって乗じ、11をもって除し、度を得、余る所を60をもって乗じ、なお前に依りて除し、分を得、「日量法」に摆し作る。日食を推求する方法。(原書の小注:およそ日食と謂うは、太白が月に随って行き、星が阿修の星を侵すの致す所である。また日・月の両者を併せてその半位を取り、用いる間量は一律に日間量を取る。日食の算法は、其余の部分は皆月食と同じ。)術文はいう:節断の刻位を摆し、通折して分とし、すなわち60をもって刻を乗じて更に分を納れ、別に一処に摆して、「刻分」の位とする。
推日上星駟法:術曰:置定日,以半夜刻及全晝刻並之,並訖,所行刻以減定日分行,減訖,置為日蝕出位。又別置三十度,以日出位度及分減分,(其減分法,退一度,破為六十分而減之。)減餘,通作分,置為上虛駟。
日上の星駟を推求する方法。術文はいう:定日を摆し、半夜の刻数と全昼の刻数を併せ、併せ畢わって、行った刻数をもって定日の行分を減じ、減じ畢わって、「日蝕出」の位に摆し作る。すなわち日出の時に太陽のある処である。更に別に三十度を摆し、日出位の度と分をもって分を減じ(原書の小注:その分を減ずる法は、一度を退して、六十分に破りて然る後減ず)、減じた後の余る所を通折して分とし、「上虚駟」に摆し作る。「駟」はここに黄道上の一段の区画を指し、上虚駟はすなわち日出の点から本相の末端までの間になお空いている那一段である。
段法:第一段,(一百九十八)第二段,(二百三十二)第三段,(二百九十)第四段,(三百五十一)第五段,(二百六十)第六段,(三百五十八)右六段,從上向下,為羖首次;從下向上,為秤首;及置上虛駟,恆視日出相,得羖首、秤首次第;(假令日出相定,即得羖首也,謂即須用羖首第一段乘也,他皆仿此。)
段を取る法:第一段198、第二段232、第三段290、第四段351、第五段260、第六段358。以上の六段は、上から下へ数えて羖首の次第とし、下から上へ数えて秤首の次第とする。上虚駟を摆し畢わった後、つねに日出の時のある相を察し、それが羖首に属するか秤首に属するかの次第を判定する。(原書の小注:たとえば日出の時の相位がすでに零と定まれば、あれはすなわち羖首に属し、すなわち須く羖首の第一段の数をもって乗ずべし。以下は皆この類に推す。)第五段の数は第四段よりかえって小さく、段を逐えて逓増の勢いと合わず、底本に誤りあるを疑う。
其段乘之,以一千八百除之,所得者,謂所得數也。以減刻分位,成減為一相,即以一相加日出相位。(日出位中度及分並棄之)即以次段減段,令用羖首第段棄上虛駟訖,即第刻分位乘三十,段二百三十二減之,又以一相準前加日出相位,又以其次段減刻分位,成減,又以一相加日出相位,視刻分位數,堪更減之,他皆仿此。至不成減止,餘刻分位不成減,雲餘也。
定まった那一段の数をもって乗じ、1800をもって除し、得る所がすなわち応用の数である。それを取って刻分位を減じ、減じて一次を成せば、すなわち一相を算え、即座に一相を日出の相位の上に加える。(原書の小注:日出位の中の原有の度と分は併せて舎去する。)続いて改めて次の段の数をもって減ず:まず羖首の定めた段数に拠って上虚駟を扣除し畢われば、すなわち刻分位に三十を乗じ、更に第二段の232をもってそれを減ず。減じて成った後、前に照らして更に一相を日出の相位の上に加える。かくのごとく更に次の段をもって刻分位を減じ、減じて成ればまた一相を加え、つねに刻分位になおどれだけ残るかを見て、減じうれば引き続き減じ、以下は皆この類に推し、減ずるに足らなくなるまで至る。残って更に減じうべからざる那一部分の刻分位を、「余」と呼ぶ。
以三十乘,以所至段除,能止,從羖首加三相於星相位訖,即取決四段除之,他皆仿此。得此度不盡,以六十乘,依前除,得分,以所得度及分,並加日出位,加訖,即是節斷。恆減三相,減訖,(羖首為北行,秤首為南行。)日間如是量府三相已上,準減相例為如之,為其相定及三相已下,總通作分,謂三十乘內度,六十乘度也。一如前推月間量命法為之,置為月間量命,以一百四十六數除之,所得為度,餘以六十乘之,依前除之,所得為分,置為位。恆觀月間量府,若羖首減,謂隨方眼法。隨方眼法:(其隨方眼,中國用三十五分也。)
この余数を30をもって乗じ、減じ至った那一段の数をもって除し、除して停まることができるまでにする。もし羖首の序に照らしてすでに星の相位の上に三相を加え満てば、すなわち第四段の数を取ってそれを除す。以下は皆この類に推す。得たのを度とし、除し尽くせなければ60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、分を得る。得た度と分を併せて日出位の上に加え、加え畢わればすなわち「節断」である。この後固定に三相を減じ、減じ畢わって(原書の小注:羖首に属するを北行と為し、秤首に属するを南行と為す)、日間量府がもし三相以上あれば、すなわち前に相を減ずる通例に照らして之を為し、もしその相位が零および三相以下ならば、すなわち全数を通折して分とし、すなわち30をもって相を乗じて度を納れ、60をもって度を乗じて分を納る。この後全く前に月間量命を推す法に照らして之を為し、「月間量命」に摆し作り、146をもって除し、得る所を度とし、余る所を60をもって乗じ、前法に照らして除し、得る所を分とし、一位に摆して成す。つねに月間量府を察し、もし羖首に属すればすなわち減ず。これがいわゆる随方眼の法である。随方眼法:(原書の小注:この随方眼は、中国は三十五分を用いる。)本巻はここに至って止まり、その下の応有の日食の掩規の諸術は、底本はすでに残欠して全からず。
若秤首以加隨方眼法之置以位,為中命,置中命又一如前命法為之,置為後命,月域乘之,以五萬一千五百六除之,所得為度,餘以六十乘之,依前除之,所得分。所得度及分,恆視間量府,(謂均分,減阿修訖,間量府也。)得羖首減之,(亦為均分,減阿修訖,間量府也。)得秤首加之,(亦謂如均分,間量府也。)減阿修訖,置為日間量;(如十一度已下,有蝕;十一度已上,無蝕。)
もし秤首にあればすなわち随方眼の法を加えて之を一位に置き、「中命」とし、中命を置き、また一たび前の命法に照らして之を為し、「後命」に置き作る。月域をもってそれを乗じ、51506(五万一千五百六)をもって除し、得る所を度とし、余を60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、得る所を分とする。得た度と分は、つねに「間量府」(両天体の間の度距。原書の小注に説明する:ここに指すは均分の後、阿修を減じた時の分の存する間量府)を察する:ある宮がもし「羖首」(白羊宮の宮首)ならば、すなわち間量府の中からこの度分を減じ去り(小注も同様に阿修を減じた後の間量府を指す)、ある宮がもし「秤首」ならば、すなわちこの度分をその上に加える(小注:また均分の後の間量府に就いて謂う)。阿修を減じ畢わった後、得る所を便ち「日間量」に安置し、すなわち日輪の視径の量度である。原書の小注はここに蝕限の判拠を点明する:得る所が十一度以下にあれば、蝕あり。十一度以上にあれば、蝕なし。
又並日月二量為全位,復半之,為半位,置半位自相至,又置日間量,亦自相乘訖,即以半位數內減卻日成數,成減有蝕,不成減無蝕,餘並一如蝕中敘。(凡在歷大側,如其分不足減,退度一,置為六十分而減之;如其度不足,退相一,置為三十度而減之;如其相不足減,加十二相而減之。)
更に日・月の二つの「量」(日輪と月輪の視径の量度)を相加して「全位」を合成し、更に半として「半位」を得。この半位がすなわち日月の両半径の和である。半位を自乗一次し、また日間量を置いてまた自乗し畢わって、即ち半位の自乗して得た数の中から日間量の自乗して得た数を減じ去る:減じ得られれば、すなわち蝕あり。減じ得られなければ、すなわち蝕なし。其余の推算の次第は、一概に《九執暦》の月食を推す那一節に叙する办法に照らして行う。原書の小注はここに借位の法を交代する:およそ暦表の両側で運算する時、もし分数が減ずるに足らなければ、すなわち度の上から一度を退借し、六十分に化作して然る後減ず。もし度数が減ずるに足らなければ、すなわち宮(相)の上から一宮を退借し、三十度に化作して然る後減ず。もし宮数が減ずるに足らなければ、すなわちまず十二宮(黄道の一周は十二宮)を加えて、然る後減ず。
置上虛駟,恆日出相,依羖首、秤首次第,(假令日出相定,即得羖首也,謂即用羖首第二段乘也,他皆仿此。)以其段乘之,以一千八百除之,所得者,(謂所除得數也)以減刻分位,成減,為一相,即以一相加日出相位,(其日出位所有度及分並棄之)又即以次段減刻分位,(假令用羖首第一段乘上虛駟訖,即用以第二段二百三十二減之,他皆仿此。)成減,又以一相加日出相位,又以次段分減刻位,成減,又以一相加日出相位;
「上虚駟」のこの数を安置し、つねに「日出相」(日出の時に太陽のある宮)と配合して取用し、羖首・秤首の先後の次第に拠って各宮の段数を取る。原書の小注は例を挙げていう:もし日出相がすでに定まり、取る所が羖首ならば、すなわち羖首の第二段の数をもって乗ず。其余の各宮は皆この办法に倣う。その段数をもって上虚駟を乗じ、更に1800をもって除し、得た商(小注:すなわち除して出したあの数)を、取って「刻分位」を減ず。もし減じ動かせば、すなわち一宮を算え、即座にこの一宮を日出の相位の上に加える(小注:日出位の上の原有の度と分は一概に舎去して用いない)。続いて即ち次の段の数をもって刻分位を減ず(小注:たとえば先前に羖首の第一段をもって上虚駟を乗じ畢われば、この一歩はすなわち第二段の二百三十二をもってそれを減ず。其余は此に倣う)。なお減じ動かせば、すなわち更に一宮を日出の相位の上に加える。更にまた次の段の分数をもって刻位を減じ、なお減じ動かせば、また一宮を日出の相位の上に加える。
每視刻分位數,堪更減段者,恆教此法,減而加之,至不成減止,餘以三千乘,以所至段除之,日得度,不盡,六十乘,依前除之,得分,以此度及分並加日出位,(其日出位度分先並棄之,令以此度加及分,置之。)加訖,即是節斷著也。
每一歩を為すごとに皆刻分位の上に残る数を察する:ただなお一段を更に減じうれば、始終この办法に照らして行い、一段を減ずれば便ち一宮を加え、一直に減じ動かせなくなるまで為し続ける。残った余数に3000をもって乗じ、更に最後に減じ至った那一段の数をもって除し、度を出し得、除し尽くせない部分を60をもって乗じ、前法に照らして更に一度除し、分を出す。この度と分を併せて日出位の上に加え(原書の小注:日出位の上の原有の度分は先前すでに舎去したから、今すなわちここに算え出した度と分をその上に安置する)、加え畢わって得る結果が、すなわち「節断著」である。
其節斷著恆減三相,減訖,(得羖首,為北行;得秤首,為南行。)置為日間量府。如其有三相已上,(謂日間量府有三相已上也)準減相例(其例在定日術後者是也)為之;如其三相已下,總通作分,(謂三十乘相內度,六十乘度內分也。)
求めた節断著は、例に照らして三宮を減ずべく、減じ畢わって(原書の小注:結果が羖首に落ちるは、北行と為し、秤首に落ちるは、南行と為す)、それを「日間量府」に安置し、すなわち太陽の一側の度距である。もし得る所が三宮以上あれば(小注:謂う所は日間量府が三宮以上ある)、すなわち宮を減ずる通例に依りて処理する(小注:あの通例は「定日術」の後に載する)。もし得る所が三宮以下ならば、すなわち宮・度・分を一総に通算して分とし(小注:三十をもって宮数を乗じて度の中に併入し、更に六十をもって度数を乗じて分の中に併入する)。
如推月間量命法為之,置為日間量命,以一百四十六除之,得度;餘以六十乘之,依前除之,得分;恆視日間量府,若得羖首,即以此度分數內減卻隨方;(其隨方眼,中國用三十五分。)若得秤首,即以此度分數內更並隨方眼,置為中命;置中命,又再更一如前命法為之,置為後命;
以下は「月間量」を推す命法に照らして之を為し、得る所を「日間量命」に安置し、146をもって除し、度を出し得、余数を60をもって乗じ、前法に照らして更に一度除し、分を出す。つねに日間量府の落ちる何の宮かを察する:もし羖首に落ちれば、すなわちこの度分の数の中から「随方」の改正を減じ去る(原書の小注:随方眼のこの一項は、中国では三十五分を取る)。もし秤首に落ちれば、すなわちこの度分の数の上に更に随方眼を併し入れ、加減し停当して、「中命」に安置す。更に中命を前の命法に照らして重ねて算え、「後命」に安置す。
置後命,以月城乘之,以五萬一千五百六十六除之,得度,餘以六十乘,依前除之,得分;恆視間量府,(得均分,減阿修訖,間量府也。)得羖首,以此度分損之;(謂損其減阿修訖,間量府也。)得秤首,以此度分益之;(謂其減益阿修訖,間量府也。)如此損益訖,置為日間量位。
後命を取出し、「月城」をもってそれを乗じ、更に51566をもって除し、度を出し得、余数を60をもって乗じ、前法に照らして更に一度除し、分を出す。つねに間量府を察し(原書の小注:ここに指すは均分の後、阿修を減じた時の分の存する間量府):羖首に落ちるは、すなわちこの度分をもってそれを損減し(小注:損減する所は阿修を減じた後の間量府)、秤首に落ちるは、すなわちこの度分をもってそれを增益す(小注:增益する所も同様に阿修を減じた後の間量府)。こうして一損一益を為し畢わって、得る所を便ち「日間量位」に安置す。
其間量數,有十一度已下,日即占蝕;十一度已上,又並日月二量為全位,又半之,占無蝕;為半位,置半位自相乘,又置日間量亦自相乘,即以半位數,謂有相乘訖數也。內減卻日間量數,謂自相訖數也。成減,有蝕;不成減,無蝕。自餘術理咸悉,一如月蝕中術。
その間量の数がもし十一度以下あれば、日はすなわち蝕ありと占し、十一度以上あれば、すなわち蝕なしと占す。このほかなお日・月の両量を相加して「全位」を合成し、更に半として「半位」を得る。半位を自乗一次し、また日間量を置いてまた自乗し、然る後に半位の自乗の数を取り(小注:自ら相乗し畢わった後のあの数を指す)、その中から日間量の自乗の数を減じ去る(小注:同様に自ら相乗し畢わった後のあの数を指す):減じて成れば、蝕あり。減じて成らなければ、蝕なし。そのほかの術理の次第は、全て月蝕を推す那一節の算法と同じである。
開元占経巻一百零五
古今暦の積年および章率
古今曆積年及章率:古今曆上元已來,至今開元二年甲寅歲積。《黃帝曆》上元辛卯,至今二百七十六萬八百六十三算外。章歲十九,章閏七,章月二百三十五,蔀歲七十九,蔀月九百四十,蔀日二萬七千七百五十九,元法四千五百六十,紀法一千五百二十,蝕月一百三十五,蝕法二十三,蝕歲五百一十三,蝕數一千八十一。
この篇は古今の各家の暦法の積年と章率を総列する:各暦の定めた「上元」(推歩の起算の暦元の年)から算え起こして、当今の開元二年甲寅のこの年に至るまでに、各々どれだけの年を積んだか。《黄帝暦》の上元は辛卯年に起こり、開元二年に至って共に2760863年を積み、「算外」と謂うは得た数が当年を内に計えないを謂う。その章歳は十九年、章閏は七(十九年の中に七箇の閏月を安排)、章月は二百三十五箇月、蔀歳は七十九年、蔀月は九百四十箇月、蔀日は二万七千七百五十九日、元法は四千五百六十、紀法は一千五百二十、蝕月は一百三十五、蝕法は二十三、蝕歳は五百一十三、蝕数は一千八十一。
《顓頊曆》上元乙卯,至今二百七十六萬一千一十九算外。章歲十九,章閏七。《夏曆》上元乙丑,至今二百七十六萬五百八十九算外。章歲十九,章閏七。《殷曆》上元甲寅,至今二百七十六萬一千八十算外。章歲十九,章閏七。《周曆》上元丁巳,至今二百七十六萬一千一百三十算外。章歲十九,章閏七。《魯曆》上元庚子,至今二百七十六萬一千三百三十四算外。章歲十九,章閏七。
《顓頊暦》の上元は乙卯年に起こり、開元二年に至って共に2761019年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《夏暦》の上元は乙丑年に起こり、共に2760589年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《殷暦》の上元は甲寅年に起こり、共に2761080年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《周暦》の上元は丁巳年に起こり、共に2761130年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《魯暦》の上元は庚子年に起こり、共に2761334年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。この五家は前の《黄帝暦》に連ねて、すなわち旧時に称した「古六暦」で、皆十九年七閏の章法を用いる。
前漢劉歆《三統曆》上元庚戌,至今一十四萬三千九百三十四算外。章歲十九,章閏七,日法八十一,統法一千五百三十九,朔望會一百三十五,元法四千六百一十七。冬至牛初,歲星一百四十四年起一次,歲數一百四十四,周數一百四十五。
西漢の劉歆の造った《三統暦》は、上元は庚戌年に起こり、開元二年に至って共に143934年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。日法八十一、すなわち一日を八十一分に分けるから、この暦にまた「八十一分律暦」の称あり。統法一千五百三十九、朔望会一百三十五、元法四千六百一十七。それは冬至点を牵牛初度に定め、また歳星(木星)を每一百四十四年に超辰一次と定め、歳数一百四十四、周数一百四十五とする。
後漢《四分曆》上元庚辰,至今九千九百九十五算外。元法四千五百六十,紀法一千五百二十,紀月一萬八千八百,蔀法七十六,蔀月九百四十,章法十九,章月二百四十五,周天一千四百六十一,日法四,蔀日二萬七千七百五十九,沒數二十一,通法四百八十七,沒法七,(亦為章閏)日餘一百六十八,中法三十三,大周三十四萬三千三百三十五,月周一千一十六。
東漢の行った《四分暦》は、上元は庚辰年に起こり、開元二年に至って共に9995年を積み、当年を計えず。元法四千五百六十、紀法一千五百二十、紀月一万八千八百、蔀法七十六、蔀月九百四十、章法十九、章月二百四十五、周天一千四百六十一——一歳は三百六十五・四分の一日で、四をもって日法として通ずれば恰好この数を得、「四分」の名はすなわちこれに由る。日法四、蔀日二万七千七百五十九、没数二十一、通法四百八十七、没法七(原書の小注:この数は同時にすなわち章閏の数)、日余一百六十八、中法三十三、大周三十四万三千三百三十五、月周一千一十六。
吳劉洪《乾象曆》上元己丑,至今七千八百八十五算外。乾法一千一百七十八歲,會通七千一百七十一,紀法五百八十九,周天二十一萬五千一百三十,通法四萬三千二十六,通數三十一,日法一千四百五十七,歲中十二,餘數三千九十,章歲十九,沒法一百三,章閏七,會數四十七,會歲八百九十三,章月二百三十五,會率一千八百八十三,朔望合數九百四十一,會月一萬四千四十五,紀月七千二百八十五,元月一萬四千五百七十,月周七千八百七十四,小周二百五十四。
三国の呉の人・劉洪の造った《乾象暦》は、上元は己丑年に起こり、開元二年に至って共に7885年を積み、当年を計えず。乾法一千一百七十八年、会通七千一百七十一、紀法五百八十九、周天二十一万五千一百三十、通法四万三千二十六、通数三十一、日法一千四百五十七、歳中十二(一年に十二箇の中気あり)、余数三千九十、章歳十九年、没法一百三、章閏七、会数四十七、会歳八百九十三年、章月二百三十五、会率一千八百八十三、朔望合数九百四十一、会月一万四千四十五、紀月七千二百八十五、元月一万四千五百七十、月周七千八百七十四、小周二百五十四。この暦は始めて月行の遲疾と交食の周期を推算に納れ、中土の暦法のこの一門における開創の功が甚だ大きい。
魏韓詡《黃初曆》上元壬午,至今三萬二千七十二算外。章歲一十九,章閏七,紀法二千八百八十三,斗分一千二百五,周天一百七十八萬三千五百,日法一萬二千七十九,經六千四百九,月法三十五萬六千七百。
曹魏の韓詡の造った《黄初暦》は、上元は壬午年に起こり、開元二年に至って共に32072年を積み、当年を計えず。章歳一十九年、章閏七、紀法二千八百八十三。斗分一千二百五、指す所は周天の日数の整日の外に余る零分で、暦家はこれを藉りて一歳の実を定める。周天一百七十八万三千五百、日法一万二千七十九、経六千四百九、月法三十五万六千七百。
魏楊偉《景初曆》上元壬辰,至今四千五百二十三算上。元法一萬一千五十八,紀法一千八百四十三,紀月二萬二千七百九十五,章歲十九,章月二百三十五,章閏七,通數一十三萬四千六百三十,日法四千五百五十九,餘數九千六百七十,周天六十七萬三千一百五十紀日,歲中一十二,氣法一十二,沒分六萬七千三百一十五,沒法九百六十七,月周二萬四千六百三十八,通法四十七,會通七十九萬一百一十,朔望合數六萬七千三百一十五,入交限數七十二萬二千七百九十五,通周一十二萬五千六百二十一,周日日餘二千五百二十八,周虛二千三十一,斗分四百五十五。
曹魏の楊偉の造った《景初暦》は、上元は壬辰年に起こり、開元二年に至って共に4523年を積み、「算上」と謂うは得た数が当年を併せて内に計えるを謂い、前の各条の「算外」と正しく相対す。元法一万一千五十八、紀法一千八百四十三、紀月二万二千七百九十五、章歳十九年、章月二百三十五、章閏七、通数一十三万四千六百三十、日法四千五百五十九、余数九千六百七十、周天六十七万三千一百五十紀日、歳中一十二、気法一十二、没分六万七千三百一十五、没法九百六十七、月周二万四千六百三十八、通法四十七、会通七十九万一百一十、朔望合数六万七千三百一十五、入交限数七十二万二千七百九十五(日月の交蝕を推すのに用いる限数)、通周一十二万五千六百二十一、周日日余二千五百二十八、周虚二千三十一、斗分四百五十五。
晉劉智《正歷》上元甲子,至今九萬七千八百五十算外。章歲十九,章閏七,紀日一百四萬九百五十三,交會通六百一十萬九千一百七十四,紀歲二千八百五十,冬至斗二十一,紀月三萬五千二百五十,餘一萬八千七百三。《姜岌曆》上元甲子,至今八萬四千一百七十算外。章歲十九,章閏七,紀二千四百五十一,斗分六百五,日法六千六十三,經餘三千二百一十七,歷餘三千三百六十二,冬至在斗十七。
西晋の劉智の造った《正暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に97850年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七、紀日一百四万九百五十三、交会通六百一十万九千一百七十四、紀歳二千八百五十年、冬至の日は南斗二十一度にあり、紀月三万五千二百五十、余一万八千七百三。《姜岌暦》の上元も同様に甲子年に起こり、開元二年に至って共に84170年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七、紀二千四百五十一、斗分六百五、日法六千六十三、経余三千二百一十七、暦余三千三百六十二。その定めた冬至の日は南斗十七度にあり。
《梁趙曆》上元甲寅,至今六萬一千七百四十算上。元法四十三萬二千,紀法七萬二千,蔀法七千二百,章歲六百,章月七千四百二十一,(亦曰時法)章閏二百二十二,周天二百六十二萬九千七百五十九,(亦曰通數)餘數三萬七千七百五十九,斗分一千七百五十九,日法八萬九千五十二,(亦曰蔀日)月周九萬六千二百五十二,小周八千二十二,會數一百七十三,度餘二萬七千七百一十九,會虛六萬一千三百三十三,交會差一百四十七,度餘三千三百一十一,遲疾差六百餘四千五百三十,周日二十七日,餘四萬九千三百八十,周虛三萬九千六百七十二。
《梁趙暦》の上元は甲寅年に起こり、開元二年に至って共に61740年を積み、「算上」は当年をも計える。元法四十三万二千、紀法七万二千、蔀法七千二百、章歳六百年、章月七千四百二十一(原書の小注:この一項をまた時法と呼ぶ)、章閏二百二十二、周天二百六十二万九千七百五十九(小注:また通数と呼ぶ)、余数三万七千七百五十九、斗分一千七百五十九、日法八万九千五十二(小注:また蔀日と呼ぶ)、月周九万六千二百五十二、小周八千二十二、会数一百七十三、度余二万七千七百一十九、会虚六万一千三百三十三、交会差一百四十七、度余三千三百一十一、遲疾差六百・余四千五百三十、周日二十七日・余四万九千三百八十、周虚三万九千六百七十二。
宋何承天《元嘉曆》上元庚辰,至今五千九百七十四算外。章歲十九,章閏七,紀法六百八,日法九百五十二,歷餘四百一十七,經歷三百九十九,度法三百四,度分七十五,會月九百三十九,會數一百六十,雨水室二度。
劉宋の何承天の造った《元嘉暦》は、上元は庚辰年に起こり、開元二年に至って共に5974年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七、紀法六百八、日法九百五十二、暦余四百一十七、経暦三百九十九、度法三百四、度分七十五、会月九百三十九、会数一百六十。この暦は雨水のこの節気の時に太陽を営室二度に定める。
宋祖沖之《大明曆》上元甲子,至今五萬二千一百九十算外。元法五十九萬二千三百六十五,紀法三萬九千四百九十一,章歲三百九十一,章月四千八百三十六,小周五千二百二十七,章閏一百四十四,閏法十二,月周五十二萬七千九百二十七,日餘十六萬九千七百七十五,月法十一萬六千三百二十一,日法三千九百三十九,歲分一千四百四十二萬三千八百四,歲餘九千五百八十九,餘數二十萬七千四十四,沒分三百六十萬五千九百五十一,沒法五萬一千七百六十一,周天一千四百四十二萬四千六百六十四,度分一萬四百四十九,差八百六十,行分法二十三,小分法一千七百一十七,通周七十二萬六千八百一十,會周七十一萬七千七百七十七,通法二萬六千三百七十七。
劉宋の祖沖之の造った《大明暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に52190年を積み、当年を計えず。元法五十九万二千三百六十五、紀法三万九千四百九十一、章歳三百九十一年、章月四千八百三十六、小周五千二百二十七、章閏一百四十四——祖沖之は十九年七閏の旧章を廃去し、改用して三百九十一年に一百四十四閏を安排し、これは彼が暦法の上で最も著名な一項の改作である。閏法十二、月周五十二万七千九百二十七、日余十六万九千七百七十五、月法十一万六千三百二十一、日法三千九百三十九、歳分一千四百四十二万三千八百四、歳余九千五百八十九、余数二十万七千四十四、没分三百六十万五千九百五十一、没法五万一千七百六十一、周天一千四百四十二万四千六百六十四、度分一万四百四十九、差八百六十(すなわち歳差の数で、歳差を暦法の推算に引入するもこの暦に始まる)、行分法二十三、小分法一千七百一十七、通周七十二万六千八百一十、会周七十一万七千七百七十七、通法二万六千三百七十七。
梁武《大同歷》上元甲子,至今一百二萬五千八百七十算外。章歲六百一十九,日法一千五百三十六,紀法三萬九千六百一十六。後魏張龍祥《正光曆》上元壬子,至今一十六萬七千九百四十二算外。章歲五百五,章閏一百八十六,章月六千二百四十六,蔀法六千六十,斗分一千四百七十七,紀法六萬六百,統法十二萬一千二百,元法三十六萬三千六百,日法七萬四千九百五十二,周天分二百二十一萬三千三百七十七,氣法二十四,經月大餘二十九,(小餘三萬九千七百六十九)會數一百七十三餘二萬三千二百八,含通一千二百九十八萬九千九百四,周日二十七,餘四萬一千五百六十二,通周二百六萬五千二百六十六,小周六千七百五十一,月周八萬一千一十二。
梁の武帝の時に行った《大同暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に1025870年を積み、当年を計えず。章歳六百一十九年、日法一千五百三十六、紀法三万九千六百一十六。後魏の張竜祥の造った《正光暦》は、上元は壬子年に起こり、開元二年に至って共に167942年を積み、当年を計えず。章歳五百五年、章閏一百八十六、章月六千二百四十六、蔀法六千六十、斗分一千四百七十七、紀法六万六百、統法十二万一千二百、元法三十六万三千六百、日法七万四千九百五十二、周天分二百二十一万三千三百七十七、気法二十四、経月大余二十九(原書の小注:小余三万九千七百六十九)、会数一百七十三・余二万三千二百八、含通一千二百九十八万九千九百四、周日二十七・余四万一千五百六十二、通周二百六万五千二百六十六、小周六千七百五十一、月周八万一千一十二。
東魏《興和曆》上元甲子,至今二十九萬四千一百七十算外。章歲五百六十二,度法一萬六千八百八十,章閏二百七,斗分四千一百一十七,日法二十萬八千五百三十,餘十一萬六百四十七,周天六百一十五萬八千一十七,歷餘一十萬五千六百三十一,會數一百七十三,日餘六萬七千一百一十七,木終餘一萬五千六百八,火終餘一萬五千一百四十三,土終餘九百八十一,金終餘一萬四千五百二,水終餘一萬四千八百一十八,冬至斗。
東魏の行った《興和暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に294170年を積み、当年を計えず。章歳五百六十二年、度法一万六千八百八十、章閏二百七、斗分四千一百一十七、日法二十万八千五百三十、余十一万六百四十七、周天六百一十五万八千一十七、暦余一十万五千六百三十一、会数一百七十三、日余六万七千一百一十七。以下は五星の一終の後に余る分数である:木星の終余一万五千六百八、火星の終余一万五千一百四十三、土星の終余九百八十一、金星の終余一万四千五百二、水星の終余一万四千八百一十八。その定めた冬至の日は南斗宿にあり。
《劉孝孫曆》上元甲子,至今四十三萬五千二百三十算外。章歲六百一十九,元法一十六萬九百四十,紀法九千四十七,日法一千一百四十四,歲餘一千九百六十六,虛分六千四百七,差分五百九,度法二萬四千一百四十一,行分三十九,會月二千一十三,會率三百四十一,周法三萬四千三百二十,歷朔差分六萬七千四百四十二,冬至命度,起危前五度。
《劉孝孫暦》の上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に435230年を積み、当年を計えず。章歳六百一十九年、元法一十六万九百四十、紀法九千四十七、日法一千一百四十四、歳余一千九百六十六、虚分六千四百七、差分五百九、度法二万四千一百四十一、行分三十九、会月二千一十三、会率三百四十一、周法三万四千三百二十、暦朔差分六万七千四百四十二。それは冬至の命ずる度数を、危宿の前の五度から起算する。
齊宋景《天保曆》上元甲子,至今一十一萬六百九十算外。元法一百四十一萬九千六百,紀法二千三萬六千六百,蔀法三萬三千六百六十,(亦名日度法)章歲六百七十六,(亦名日度法)章閏二百四十九,(亦名閏法)章中八千一百一十二,章月八個三百六十一,日法二十九萬二十六百三十五,周天八百六十四萬一千六百八十五,(亦名通數,亦名蔀法,亦名沒分。)餘數一十二萬四千八十七,(亦名沒分)斗名五千七百八十七,歲中十二,氣法二十四,
北斉の宋景の造った《天保暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に110690年を積み、当年を計えず。元法一百四十一万九千六百、紀法二千三万六千六百、蔀法三万三千六百六十(原書の小注:この一項をまた日度法と呼ぶ)、章歳六百七十六年(小注:また日度法と呼ぶ)、章閏二百四十九(小注:また閏法と呼ぶ)、章中八千一百一十二、章月八箇三百六十一——「八个」は当に「八千」の訛で、底本はかくのごとく、今なお照録して改めず。日法二十九万二十六百三十五、この数も底本にまた衍誤あり。周天八百六十四万一千六百八十五(小注:また通数と呼び、また蔀法と呼び、また没分と呼ぶ)、余数一十二万四千八十七(小注:また没分と呼ぶ)、斗名五千七百八十七、歳中十二、気法二十四。
會數一百七十三,餘九萬一千五十八,會通五千七十一萬六千九百一十三,會虛二十七萬一千五百七十七,周日二十七,餘一十六萬二千二百六十一,通周八百六萬三千四百六,周虛一十三萬三百七十四,小周九千三十七,月周三十一萬六千二百九十五,望十四,餘二十二萬三千九百五十三半,交限數一百五十八,餘一十五萬九千七百三十九半,經月二十九,餘一十五萬五千二百七十二,虛分十三萬七千三百六十三。
以下は《天保暦》の交会と月行の各項の常数である:会数一百七十三、余九万一千五十八。会通五千七十一万六千九百一十三、会虚二十七万一千五百七十七。周日二十七・余一十六万二千二百六十一、これは月行・遲疾が一周するのに歴る日数と余分。通周八百六万三千四百六、周虚一十三万三百七十四、小周九千三十七、月周三十一万六千二百九十五。望十四・余二十二万三千九百五十三半、これは朔から望に至る日数と余分。交限数一百五十八・余一十五万九千七百三十九半、これは日月が交蝕しうるかを判定する界限。経月二十九・余一十五万五千二百七十二、これは一箇の平朔望月の日数と余分。虚分十三万七千三百六十三。
周甄鸞《天和曆》上元甲寅,至今八十七萬五千九百四十算外。章歲三百九十一,章閏一百四十四,蔀法三萬三千四百六十,日法二十九萬一百六十,朔餘一十九萬三千九百九十一,斗分五千七百三十一,會餘九萬三千五百一十六,歷餘一十六萬八百三十,冬至日在斗十五度。周馬顯《景寅元曆》上元景寅,至今四萬一千六百八十八算外。章歲四百四十八,章閏一百六十五,斗分三千一百六十七,蔀法一萬三千九百九十二,日法五萬三千五百六十三,(亦曰蔀會法)歷餘二萬九千六百九十三,會日一百七十三,會餘一萬六千六百一十九,冬至日在斗十二度。
北周の甄鸞の造った《天和暦》は、上元は甲寅年に起こり、開元二年に至って共に875940年を積み、当年を計えず。章歳三百九十一年、章閏一百四十四(祖沖之の閏周を沿用)、蔀法三万三千四百六十、日法二十九万一百六十、朔余一十九万三千九百九十一、斗分五千七百三十一、会余九万三千五百一十六、暦余一十六万八百三十。その定めた冬至の日は南斗十五度にあり。北周の馬顕の造った《景寅元暦》は、上元は景寅年に起こり(唐の人は高祖・李淵の父・李昞の名諱を避け、およそ「丙」の字は皆「景」と改書す。ここの景寅はすなわち丙寅)、開元二年に至って共に41688年を積み、当年を計えず。章歳四百四十八年、章閏一百六十五、斗分三千一百六十七、蔀法一万三千九百九十二、日法五万三千五百六十三(原書の小注:また蔀会法と呼ぶ)、暦余二万九千六百九十三、会日一百七十三、会余一万六千六百一十九。その定めた冬至の日は南斗十二度にあり。
隋《張賓曆》上元甲子,至今四百一十二萬九千一百三十算外。元法六百一十七萬七千六百,紀法一百二萬九千六百,蔀法十萬二千九百六十,(亦名度法)章歲四百二十九,章閏一百五十八,章月五千三百六,通月五百三十七萬二千二百九,日法十八萬一千一百二十,(亦曰周法)虛分八萬五千三百九十一,朔時法一萬五千六百一十,周天分三千七百六十萬五千四百六十三,(亦曰沒分)餘數五十三萬九千八百六十三,(亦曰沒法)歲中十二,斗分三萬五千六十三,氣法二十四,氣時法八千五百八十,
隋代の張賓の造った暦法は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に4129130年を積み、当年を計えず。元法六百一十七万七千六百、紀法一百二万九千六百、蔀法十万二千九百六十(原書の小注:また度法と呼ぶ)、章歳四百二十九年、章閏一百五十八、章月五千三百六、通月五百三十七万二千二百九、日法十八万一千一百二十(小注:また周法と呼ぶ)、虚分八万五千三百九十一、朔時法一万五千六百一十、周天分三千七百六十万五千四百六十三(小注:また没分と呼ぶ)、余数五十三万九千八百六十三(小注:また没法と呼ぶ)、歳中十二、斗分三万五千六十三、気法二十四、気時法八千五百八十。この暦は常数が極めて繁密で、以下に交会・交食・遲疾の三類に分けて続けて列す。
會月一千二百九十七,會率二百二十二,合數一百一十半,會分一十一億八千七百二十五萬八千一百八十九,會通六十九億六千七百七十五萬五千七十三,(亦曰交數)會日法四千二十萬四千三百二十,會日一百七十三,餘五萬六千一百四十三,小分一百一十,會虛一十二萬五千七百七十六,小分一百一十一,會日限一百五十八,會九萬八千八百三十八,小分二百二十半,朔望合日數十四,餘一十三萬九千二百二十四,小分一百一十半,
《張賓暦》の交会を推すのに用いる各数:会月一千二百九十七、会率二百二十二、合数一百一十半(「半」は二分之一を帯びるを謂い、下同)。会分一十一億八千七百二十五万八千一百八十九、会通六十九億六千七百七十五万五千七十三(原書の小注:また交数と呼ぶ)。会日法四千二十万四千三百二十、会日一百七十三・余五万六千一百四十三・小分一百一十。会虚一十二万五千七百七十六・小分一百一十一。会日限一百五十八、会九万八千八百三十八・小分二百二十半。朔望合日数十四・余一十三万九千二百二十四・小分一百一十半、これは朔から望までに歴る日数と余分。
交法五億一千二百一十萬四千八百三,分法二千八百一十五,陰陽曆一十三,餘三萬二百六十三,小分二千三百二十八,歷合二十七,餘三萬八個六百七,小分一千八百四十一,朔差二,餘五萬七千九百二十二,小分九百七十四,望差一,餘二萬八千九百六十一,小分一千八百九十四半,蝕限十二,餘八萬一千三百三,小分四百三十三半,定差四萬四千五百四十八,通周五百一萬二千六百九十九,餘歲一萬三千八百九十七,限三千入百一十三,周日二十七,餘十萬八百五十九,(亦名小大法)周虛八萬一千六十一,通率七,差虛十三萬七千三百七十二,轉率二百四十,分率七百五十八,日周一百三十七萬六千四百,小周五千七百三十五,朔望合數十四,度餘一十三萬九千二百二十四半。
《張賓暦》の交食と月行・遲疾を推すのに用いる各数:交法五億一千二百一十万四千八百三、分法二千八百一十五。陰陽暦一十三・余三万二百六十三・小分二千三百二十八、これは月行が黄道の南北に出入り一次するのに歴る日数。暦合二十七・余三万八箇六百七(「八个」は当に「八千」の訛、底本はかくのごとく)・小分一千八百四十一。朔差二・余五万七千九百二十二・小分九百七十四。望差一・余二万八千九百六十一・小分一千八百九十四半。蝕限十二・余八万一千三百三・小分四百三十三半、およそ交に入るものがこの限の内にあってこそ蝕が見えうる。定差四万四千五百四十八。通周五百一万二千六百九十九、余歳一万三千八百九十七、限三千入百一十三(「入」は当に「八」の訛)。周日二十七・余十万八百五十九(原書の小注:また小大法と呼ぶ)。周虚八万一千六十一、通率七、差虚十三万七千三百七十二、転率二百四十、分率七百五十八。日周一百三十七万六千四百、小周五千七百三十五。朔望合数十四、度余一十三万九千二百二十四半。
《張曹玄曆》上元甲子,至今一百四十二萬七千七百五十算外。章歲四百一十,章閏一百五十一,日法一千一百四十四,度法四萬二千六百四十,朔餘六百,斗分一萬八千八百六十六,歲差五百三,周法二千五百四十八,餘一千四百一十三,冬至命度虛,(初五,後七。)交會通一千六十四萬六千七百二十九,(比古會日)朔差九十萬七千五十七。(比古會數)劉焯《皇極曆》上元甲子,至今一百萬八千九百五十算外。章歲六百七十六,度法九萬三千二百八十八,日法一千二百四十二,餘六百五十九,歲餘二萬二千八百一十三,歲差一千四百二十三,會月二千七百二十九,會率四百六十五,周法二千二百六十三,餘一千二百五十五。
《張曹玄暦》の上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に1427750年を積み、当年を計えず。章歳四百一十年、章閏一百五十一、日法一千一百四十四、度法四万二千六百四十、朔余六百、斗分一万八千八百六十六、歳差五百三、周法二千五百四十八、余一千四百一十三。それは冬至の命ずる度数を虚宿に落とす(原書の小注:起初は五、その後は七)。交会通一千六十四万六千七百二十九(小注:古暦の会日の一項に相当)、朔差九十万七千五十七(小注:古暦の会数の一項に相当)。隋代の劉焯の造った《皇極暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に1008950年を積み、当年を計えず。章歳六百七十六年、度法九万三千二百八十八、日法一千二百四十二・余六百五十九、歳余二万二千八百一十三、歳差一千四百二十三、会月二千七百二十九、会率四百六十五、周法二千二百六十三・余一千二百五十五。
傅仁均《戊寅歷》上元戊寅,至今一十六萬四千四百三十六算外。章歲六百七十六,(亦名行分法)章閏二百四十九,章月八千六百六十一,月法三十八萬四千七十五,日法一萬三千六,時法六千五百三,度法九千四百六十四,(亦名氣法)氣時法一千一百八十三,歲分三百四十五萬六千六百七十五,歲餘二千三百一十五,周天分三百四十五萬六千八百四十五,斗分二千四百八十五半,沒分七萬六千八百一十五,沒法一千一百三,歷日二十七,歷日餘一萬六千六十四,歷周七十九萬八千二百,曆法二萬八千九百六十八,餘數四萬九千六百三十五。
唐初の傅仁均の造った《戊寅暦》は、上元は戊寅年に起こり、開元二年に至って共に164436年を積み、当年を計えず。この暦は唐朝が開国して後に頒行した第一部の暦である。章歳六百七十六年(原書の小注:また行分法と呼ぶ)、章閏二百四十九、章月八千六百六十一、月法三十八万四千七十五、日法一万三千六、時法六千五百三、度法九千四百六十四(小注:また気法と呼ぶ)、気時法一千一百八十三。歳分三百四十五万六千六百七十五、歳余二千三百一十五。周天分三百四十五万六千八百四十五、斗分二千四百八十五半。没分七万六千八百一十五、没法一千一百三。暦日二十七・暦日余一万六千六十四、暦周七十九万八千二百、暦法二万八千九百六十八、余数四万九千六百三十五。
《神龍曆》上元乙巳,至今四十一萬四千三百七十算外。母法一百,旬周六十,辰法八刻三十三分二十半。期周三百六十五日,餘二十四,奇四十八。氣法十五日,餘二十一,奇八十五少半。月法二十九日,餘五十三,奇六。候法五日,餘七,奇二十八。遊分四,望法十四日,餘七十六,奇五十三。弦法七日,餘三十八,奇二十六半。閏差十日,餘八十七,奇七十六。沒數九十一,餘三十一,奇十二。沒法一,餘三十一,奇十二。日周法二十七日,餘五十五,奇四十五,小分五十九。日差法一百,餘九十七,奇六十,小分四十一。天周三百六十五,度餘二十五,奇七十一,小分七十一。
《神竜暦》の上元は乙巳年に起こり、開元二年に至って共に414370年を積み、当年を計えず。この暦は一百をもって母法とし、およそ余数は皆百分に拠って計える。旬周六十、すなわち六十干支をもって一輪とする。辰法八刻三十三分二十半、これは一箇の時辰の当たる刻分である。期周三百六十五日・余二十四・奇四十八、これは一回帰年の長さ。気法十五日・余二十一・奇八十五少半、これは一箇の節気に歴る日数。月法二十九日・余五十三・奇六、これは一箇の朔望月の長さ。候法五日・余七・奇二十八、これは一候の日数。游分四。望法十四日・余七十六・奇五十三、これは朔から望に至る日数。弦法七日・余三十八・奇二十六半、これは朔から上弦に至る日数。閏差十日・余八十七・奇七十六。没数九十一・余三十一・奇十二。没法一・余三十一・奇十二。日周法二十七日・余五十五・奇四十五・小分五十九。日差法一百・余九十七・奇六十・小分四十一。天周三百六十五・度余二十五・奇七十一・小分七十一、これは周天の度数。
交周法二十七日,餘二十一,奇二十二,小分十六七分。交差法二日,餘二十一,奇八十三,小分八十三三分。交中十三日,餘六十,奇六十一,小分八三分半。陽前限十二日,餘四十四,奇六十九,小分十六七分。陽後限一日,餘十五,奇九十一,小分九十一六分半。陰前限二十六日,餘十五,奇三十,小分二十五分半。歲星合法三百九十三日,餘八十六,奇七十九,小分八十。熒惑合法七百七十九日,餘九十一,奇五十五,小分四十五。鎮星合法三千七十九日,餘八,奇四,小分八十。太白合法五百八十三日,餘九十一,奇七十七,小分七十。中合法二百九十日,餘九十五,奇八十八,小分八十五。辰星合法一百一十五日,餘八十七,奇九十五,小分七十。中合法五十七日,餘九十三,奇九十七,小分八十五。
以下は《神竜暦》の交食と五星を推すのに用いる各数。交周法二十七日・余二十一・奇二十二・小分十六七分、これは月行の一箇の交点月の長さ。交差法二日・余二十一・奇八十三・小分八十三三分。交中十三日・余六十・奇六十一・小分八三分半、これは交点月の半。陽前限十二日・余四十四・奇六十九・小分十六七分。陽後限一日・余十五・奇九十一・小分九十一六分半。陰前限二十六日・余十五・奇三十・小分二十五分半:この几项は月行が黄道の内外で蝕が見えうる前後の界限。歳星(木星)の合法三百九十三日・余八十六・奇七十九・小分八十。熒惑(火星)の合法七百七十九日・余九十一・奇五十五・小分四十五。鎮星(土星)の合法三千七十九日・余八・奇四・小分八十。太白(金星)の合法五百八十三日・余九十一・奇七十七・小分七十、中合法二百九十日・余九十五・奇八十八・小分八十五。辰星(水星)の合法一百一十五日・余八十七・奇九十五・小分七十、中合法五十七日・余九十三・奇九十七・小分八十五。いわゆる合法とは、すなわちその星が太陽と一会合してから再び会合するまでに歴る日数。
李淳風見行《麟德曆》上元甲子,至今二十六萬九千九百三十算外。章歲三萬九千五百七十一,總法一千三百四十,章月三十八萬九千四百二十八,半總六百七十,章閏一萬四千五百七十六,辰率三百三十五,閏分一千二百一十四奇八,奇率一十二。歷周四十四萬三千七十七,旬周六十。月法二十九日,餘七百一十一。弦法七日,餘五百一十二,奇九。氣法十五日,餘二百九十二,奇十。曆法二十七日,餘七百四十三,奇。
李淳風の造った、当今なお施行中の《麟徳暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に269930年を積み、当年を計えず。章歳三万九千五百七十一、総法一千三百四十、章月三十八万九千四百二十八、半総六百七十(すなわち総法の半)、章閏一万四千五百七十六、辰率三百三十五、閏分一千二百一十四奇八、奇率一十二。この暦は古来の章・蔀・紀・元の諸法を廃去し、一に総法をもって通率と為し、暦家の一大の変革である。暦周四十四万三千七十七、旬周六十。月法二十九日・余七百一十一、すなわち一朔望月の長さ。弦法七日・余五百一十二・奇九、これは朔から弦に至る日数。気法十五日・余二百九十二・奇十、これは一節気の日数。暦法二十七日・余七百四十三・奇若干、これは月行・遲疾が一周する日数。
開元占経巻一百零六
星図
二十八宿の星座・古今の同異
東方・青龍の七宿一
角二星,十二度,夾左角星,去極九十一度,鄭分。舊南星在赤道內一度,今測其南星正押赤道。亢四星,距西第二星,去極八十度,鄭分。舊南第二星在赤道外,今測在赤道內二度。氐四星,十五度,距西南星,去極九十四度,宋分。古今同。
角宿は二星があり、黄道十二度を占め、測量する時は左角を挟むあの一顆をもって距星(一宿の中で量度の起こる所の標準星)とし、北天極を距ること九十一度、分野は鄭に属す。旧図の載せる南面のあの星は赤道の内に一度で、如今実測すれば、この南星は正しく赤道線に押し当たる。亢宿は四星があり、西辺の第二星をもって距星とし、北天極を距ること八十度、分野は鄭に属す。旧図の載せる南面の第二星は赤道の外にあり、如今実測すれば赤道の内に二度。氐宿は四星があり、十五度を占め、西南のあの星をもって距星とし、北天極を距ること九十四度、分野は宋に属す。この宿の星象と度数は古今の載せる所が同じである。
房四星,鉤鈐二星,五度,距西南第二星,去極一百八度,宋分。古今同。心三星,古今同,五度,距前第一星,去極一百八度半,宋分。尾九星,神宮一星,十八度,距本第二星,去極一百二十四度,燕分。舊去極一百二十度,又三星入河,今去極一百二十四度,有六星入河,又距星傍有一星,舊不載,按古《經贊》云:「神宮一星,在尾第二星傍,主解衣之內室。」既有古贊,今附入其天河,審視天河曲邪、中絕,與舊不同,並依天改正。箕四星,十一度,距西北星,去極一百二十四度,燕分。舊四星,並在河內,審視天南二星出河,其天河與舊不同,今並依天改正。
房宿は四星があり、別に鈎鈐の二星を附し、五度を占め、西南の第二星をもって距星とし、北天極を距ること一百八度、分野は宋に属す。古今の載せる所が同じ。心宿は三星があり、古今の載せる所が同じく、五度を占め、最前の一星をもって距星とし、北天極を距ること一百八度半、分野は宋に属す。尾宿は九星があり、別に神宮の一星を附し、十八度を占め、本宿の第二星をもって距星とし、北天極を距ること一百二十四度、分野は燕に属す。旧図はそれを北天極を距ること一百二十度と記し、また三星が銀河の中にあると謂う。如今実測すれば極を距ること一百二十四度、河の中に六星あり。また距星の傍に別に一顆の星があり、旧図はかつて著録せず、古本の《経讚》を考するに:「神宮の一星は、尾宿の第二星の傍にあり、解衣の内室を主管す。」すでに古讚にこの一条あれば、如今便ちそれを附入す。その那一段の天河に至っては、詳細に審視すれば、その彎曲・斜行と中間の断絶する処は皆旧図と同じでなく、一概に実測の天象に依って改正する。箕宿は四星があり、十一度を占め、西北のあの星をもって距星とし、北天極を距ること一百二十四度、分野は燕に属す。旧図は四星が皆銀河の内にあると謂う。天象を審視すれば、南面の二星はすでに河の外に出で、その那一段の天河もまた旧図と同じでなく、如今併せて実測に依って改正する。
北方・玄武の七宿二
南斗六星,二十六度四分度之一,距魁南第四星,去極一百一十六度,吳分。舊柄第二星在黃道內,又魁二星出河,今測在黃道外,魁四星出河。牽牛六星,八度,距中央大星,去極一百一十度,吳分。舊南二星入南斗度,一星在奉牛度,今視天三星並在牽牛度,元不入斗。又舊去極一百六度,今測一百一十度。
南斗は六星があり、二十六度・四分度の一を占め、斗魁の南面の第四星をもって距星とし、北天極を距ること一百一十六度、分野は呉に属す。旧図は斗柄の第二星が黄道の内にあり、斗魁にまた二星が銀河の外に出ると謂う。如今実測すれば、あの星は黄道の外にあり、斗魁の河に出るは四星ある。牵牛は六星があり、八度を占め、中央のあの大星をもって距星とし、北天極を距ること一百一十度、分野は呉に属す。旧図は南面の二星がすでに南斗宿の度内に入り、別の一星は牵牛の度内にあると謂う。如今天象を仰観すれば、この三星は皆牵牛の度内にあり、元来かつて南斗の度に入らない。旧図はまたそれを北天極を距ること一百六度と記し、如今実測すれば一百一十度である。
須女四星,十二度,古今同,去極一百六度,趙分。虛二星,十度,古今同,距南星,去極一百四度,齊分。危三星,墳墓四星,古今同,十七度,距西南星,去極九十九度,齊分。營室二星,離宮六星,十六度,距南星,去極八十五度,衛分。古今同。東壁二星,九度,距南星,去極八十六度,衛分。古今同。
須女は四星があり、十二度を占め、古今の載せる所が同じく、北天極を距ること一百六度、分野は趙に属す。虚宿は二星があり、十度を占め、古今の載せる所が同じく、南面のあの星をもって距星とし、北天極を距ること一百四度、分野は斉に属す。危宿は三星があり、別に墳墓の四星を附し、古今の載せる所が同じく、十七度を占め、西南のあの星をもって距星とし、北天極を距ること九十九度、分野は斉に属す。営室は二星があり、別に離宮の六星を附し、十六度を占め、南面のあの星をもって距星とし、北天極を距ること八十五度、分野は衛に属す。古今の載せる所が同じ。東壁は二星があり、九度を占め、南面のあの星をもって距星とし、北天極を距ること八十六度、分野は衛に属す。古今の載せる所もまた同じ。
西方・白虎の七宿三
奎十六星,距西南大星,去極七十度,魯分。舊去極七十七度,今測七十度,又舊星並均,今視天即有疏有密,大小不等。婁宿,古今同,三星,十二度,距中央大星,去極八十度,魯分。昴,古今同,七星,十一度,距西南第一星,去極七十四度,趙分。畢,古今同,八星,附耳一星,十六度,距左股第一星,去極七十八度,趙分。觜,古今同,三星,二度,距西南星,去極八十四度,晉魏分。參,古今同,十星,九度,距中央西星,去極九十四度,晉魏分。
奎宿は十六星があり、西南のあの大星をもって距星とし、北天極を距ること七十度、分野は魯に属す。旧図はそれを極を距ること七十七度と記し、如今実測すれば七十度である。旧図はまた衆星を疎密均匀に画き、如今天象を仰観すれば、実には疎あれば密あり、星の大小・明暗も各々相等しくない。婁宿は古今の載せる所が同じく、三星あり、十二度を占め、中央のあの大星をもって距星とし、北天極を距ること八十度、分野は魯に属す。昴宿は古今の載せる所が同じく、七星あり、十一度を占め、西南の第一星をもって距星とし、北天極を距ること七十四度、分野は趙に属す。畢宿は古今の載せる所が同じく、八星あり、別に耳の一星を附し、十六度を占め、左股の第一星をもって距星とし、北天極を距ること七十八度、分野は趙に属す。觜宿は古今の載せる所が同じく、三星あり、二度を占め、西南のあの星をもって距星とし、北天極を距ること八十四度、分野は晋魏に属す。参宿は古今の載せる所が同じく、十星あり、九度を占め、中央より西に偏るあの星をもって距星とし、北天極を距ること九十四度、分野は晋魏に属す。西方の七宿は本当は胃宿を連ねて共に七位を成すべきに、ここに底本は独り胃宿の一条を欠き、当に伝写の脱漏。
南方・朱雀の七宿四
東井八星,鉞一星,三十三度,距南轅西頭,去極七十度,秦分。《星經》云:「去極七十度。」其距星,舊在黃道內一度,又八星並在河,今以儀測,在黃道外一度,又北轅二星出河。輿鬼四星,四度,距西南,去極六十八度,秦分。舊積尸、積兵帛、積金玉等四星正指四方,今積尸等並全出黃道內,又外四星斜指四隅。
東井は八星があり、別に鉞の一星を附し、三十三度を占め、南轅の西端のあの星をもって距星とし、北天極を距ること七十度、分野は秦に属す。《星経》はいう:「北天極を距ること七十度。」その距星は、旧図は黄道の内に一度と記し、また八星が全て銀河の中にあると謂う。如今渾儀をもって実測すれば、距星は黄道の外に一度、北轅にまた二星が河の外に出る。輿鬼は四星があり、四度を占め、西南のあの星をもって距星とし、北天極を距ること六十八度、分野は秦に属す。旧図は積尸・積兵帛・積金玉などの四星が正しく東西南北の四方を指すと謂う。如今見れば、積尸等の星は全て黄道の内にあり、外のあの四星は則ち東北・東南・西北・西南の四隅を斜めに指す。
柳八星,十五度,距西頭第三星,去極七十七度,周分。舊西南口頭欠一星,東頭尾後加一星,添滿八星。今視天尾後無星,其星本在口邊,今改正。星七星,七度,距中央大星,去極九十一度,周分。舊去極九十七度,距星合在赤道外六度,舊在赤道內一度,今測去極九十度,星正押赤道。
柳宿は八星があり、十五度を占め、西端の第三星をもって距星とし、北天極を距ること七十七度、分野は周に属す。旧図は西南の口頭の処に一星を画き少なくし、却って東端の尾後に一星を添え、強いて八星の数を凑足させた。如今天象を仰観すれば、尾後に星がなく、あの一顆は本から口辺にあり、現在これに拠って改正する。星宿は七星があり、七度を占め、中央のあの大星をもって距星とし、北天極を距ること九十一度、分野は周に属す。旧図はそれを極を距ること九十七度と記し、その距星は赤道の外に六度あるべきに、旧図は却って赤道の内に一度に画いた。如今実測すれば極を距ること九十度、この星は正しく赤道線に押し当たる。
張宿,古今同,六星,十八度,距前第一星,去極九十七度,周分。翼二十二星,十八度,距中央西星,去極九十九度,楚分。舊距前第一星,按《經》今距中央西星,今測正距中央西星;又星有遠近、斜曲,小異。軫四星,長沙一星,轄二星,十七度,距西北星,去極九十八度,楚分。舊距西南星,即與《經》旨乖舛,今測取西北星即得確傳度數,如中央距星,併合赤道外。
張宿は古今の載せる所が同じく、六星あり、十八度を占め、最前の一星をもって距星とし、北天極を距ること九十七度、分野は周に属す。翼宿は二十二星があり、十八度を占め、中央より西に偏るあの星をもって距星とし、北天極を距ること九十九度、分野は楚に属す。旧図は最前の一星を取って距星としたが、《星経》の謂う所に按すれば、如今応に中央より西に偏るあの星を取るべし。実測の結果は、正しく《星経》と相合し、すなわち中央より西に偏るあの星をもって距と為す。また衆星の間に遠き近きあり、あるいは斜めあるいは曲り、旧図と小なりと雖も出入あり。軫宿は四星があり、別に長沙の一星・轄の二星を附し、十七度を占め、西北のあの星をもって距星とし、北天極を距ること九十八度、分野は楚に属す。旧図は西南のあの星を取って距星とし、《星経》の本旨と相違舛す。如今実測すれば、西北のあの星を取ってこそ確実に伝わる度数を得。中央の距星に至っては、則ち皆赤道の外に合する。
開元占経巻一百零七
星図二
石氏中官の星座・古今の同異
攝提,古今同,六星,夾大角。大角,同,一星。梗河,三星,大角北,西星曲向南,今視西星亦端直。招搖,古今同,一星,梗河北。玄戈,古今同,一星,招搖北。天槍,古今同,三星,北斗柄東。天棓,古今同,五星,女床東北。女床,古今同,三星,天紀星北。七公,古今同,七星招搖東。貫索,古今同,九星,七公前。
以下に座を逐えて石申夫一家の伝えた中官(三垣の内の星官)の諸座と実測の天象の異同を覈対す。摂提は、古今の載せる所が同じく、共に六星、大角の両旁に分列す。大角もまた旧説と同じく、一星。梗河は三星、大角の北にあり。旧図は西辺のあの星を彎曲して南に向くと画き、如今天象を仰観すれば、この西星もまた端正・笔直である。招揺は古今の載せる所が同じく、一星、梗河の北にあり。玄戈は古今の載せる所が同じく、一星、招揺の北にあり。天槍は古今の載せる所が同じく、三星、北斗の斗柄の東にあり。天棓は古今の載せる所が同じく、五星、女床の東北にあり。女床は古今の載せる所が同じく、三星、天紀星の北にあり。七公は古今の載せる所が同じく、七星、招揺の東にあり。貫索は古今の載せる所が同じく、九星、七公の前にあり。
天紀,九星,貫索東。舊在尾箕度,今測東三星入南斗度,近織女。織女,古今同,三星,天紀星東端。天市垣,二十二星,房心東北端。舊東垣從南門第一星至第五星並在赤道外,今測從門頭星至第三星在赤道外,餘星在赤道內;又東垣第二星、第六星在河裡,舊圖並不入市,又審視天河,一差入市。
天紀は九星、貫索の東にあり。旧図はそれを尾宿・箕宿の度内に定め、如今実測すれば、東面の三星はすでに南斗宿の度内に入り、織女に近づく。織女は古今の載せる所が同じく、三星、天紀星の東端にあり。天市垣は二十二星、房宿・心宿の東北の一端にあり。旧図は東垣が南門の第一星から第五星まで皆赤道の外にあると謂う。如今実測すれば、ただ門頭星から第三星までが赤道の外にあり、其余の各星は皆赤道の内にある。また東垣の第二星と第六星は実に銀河の中にあり、旧図は一概にそれらを市垣の中に画き入れず。更に那一段の天河の走向を審視すれば、旧図と一位を差違し、正しく市垣の内に入るに当たる。
帝座,古今同,一星,在市中。候,古今同,一星,帝座東南。宦者,古今同,四星,帝座西。斗,五星,在宦者西南。舊斗星口仰兼背斛,今視天,鬥口向下覆斛。宗正,古今同,二星,帝座東南。宗人,舊在河外,今在河內,四星,宗正東。宗星,舊兩星相去遠,今測兩星相去近,二星,宗人北。東咸,古今四星,房東北。
帝座は古今の載せる所が同じく、一星、天市垣の中にあり。候は古今の載せる所が同じく、一星、帝座の東南にあり。宦者は古今の載せる所が同じく、四星、帝座の西にあり。斗は五星、宦者の西南にあり。旧図は斗口が上に仰ぎ、斛星に背き向くと画き、如今天象を仰観すれば、斗口は下に向いて斛星の上に覆う。宗正は古今の載せる所が同じく、二星、帝座の東南にあり。宗人は旧図は銀河の外に定め、如今実に河の内にあり、共に四星、宗正の東にあり。宗星は旧図は両星の相離るること甚だ遠く画き、如今実測すれば両星の相離るること甚だ近く、共に二星、宗人の北にあり。東咸は古今ともに四星を作し、房宿の東北にあり。
西咸,舊四星,並在房星西赤道外北一度,今測在房星西北,三星在赤道內房度,一星在赤道外氐一度。四星,房西北。天江,古今同,四星,在尾北。建星,舊五星,在黃道內,兼一星,又一星在黃道外,今測六星並在黃道內,元不入河。六星,在南斗北。
西咸は、旧図は四星が皆房宿の西・赤道の外に偏りて北一度と謂う。如今実測すれば房宿の西北にあり、その中の三星は赤道の内・房宿の度に属し、一星は赤道の外・氐宿の一度に属す。共に四星、位は房宿の西北にあり。天江は古今の載せる所が同じく、四星、尾宿の北にあり。建星は、旧図は五星が黄道の内にあり、別に一星あり、また一星が黄道の外にあると謂う。如今実測すれば六星は皆黄道の内にあり、元来かつて銀河に入らない。共に六星、位は南斗の北にあり。
天弁,舊大小遠近並均,又偃勢覆向下,今測有疏密,大小不均,其偃勢仰向上,又視天河,與舊不同。九星,在建星北。河鼓,舊三星,並旗六星,併入河。又旗南四星在赤道外。今測河鼓唯北一星及旗三星入河,又旗南唯三星在赤道外,視天河正當河差。河鼓並旗,十二星,在牽牛北。
天弁は、旧図は衆星の大小・遠近を一律に均匀と画き、また俯伏して下に向くの勢に画し成した。如今実測すれば、衆星は疎あれば密あり、大小は斉一でなく、その伏勢は実には上の方に仰ぐ。また那一段の天河を見れば、また旧図と同じでない。共に九星、位は建星の北にあり。河鼓は、旧図は三星に旗の六星を連ねて皆銀河の中にあり、また旗南の四星は赤道の外にあると謂う。如今実測すれば、河鼓はただ北面の一星および旗の三星が河の中にあり、旗南もただ三星が赤道の外にあり、天河の走向を観察すれば、正しく旧図と一位を差違す。河鼓に旗を連ねて、共に十二星、位は牵牛の北にあり。
離珠,舊在須女,又在須女北橫列,今測在牽牛度,又在須女西北豎立。五星,在須女西北。匏瓜,舊並在河中,又近天津。今測在河外,又去津遠,又視天河,與舊不同。五星,在離珠北。天津,舊並在虛度,仍豎,唯二星出河。今測向西北,東南斜指,入牽牛女虛等度,及有六星出河,又視天河,有斷絕委曲不同。九星,在虛北,河中。
離珠は、旧図は須女宿の内に定め、また須女の北に横向に排列すると画した。如今実測すれば牵牛宿の度内にあり、また須女の西北に竪向に排列する。共に五星、位は須女の西北にあり。匏瓜は、旧図は全て銀河の中にあり、また天津に近いと謂う。如今実測すれば河の外にあり、天津を離るるも遠く、また那一段の天河を見れば、同様に旧図と同じでない。共に五星、位は離珠の北にあり。天津は、旧図は全て虚宿の度内にあり、なお竪列を作し、ただ二星が河の外に出ると謂う。如今実測すればそれは西北から東南へ斜めに指し、牵牛・須女・虚等の宿の度に跨り入り、河の外に出るは六星あり、また天河を見れば、断絶の処あり、曲折の処あり、皆旧図と同じでない。共に九星、位は虚宿の北、まさに銀河の中に処る。
螣蛇,舊八星出河,今視唯尾末二星出河。二十二星,在奎北,河中。閣道,舊北四星出河,今測北二星出河,六星,在王良北。附路,古今同,一星,閣道傍。天大將軍,舊星並均圓,曲向上。今測星有出入不均。十一星,在婁北。大陵,古今同,八星,在胃北。天舡,舊四星,出河,今在河內。九星,在大陵北,河中。
螣蛇は、旧図は八星が銀河の外に出ると謂い、如今天象を仰観すれば、ただ尾末の二星が河に出る。共に二十二星、位は奎宿の北、銀河の中に処る。閣道は、旧図は北面の四星が河の外に出ると謂い、如今実測すればただ北面の二星が河に出る。共に六星、位は王良の北にあり。附路は古今の載せる所が同じく、一星、閣道の傍にあり。天大将軍は、旧図は衆星を均匀・渾円に画き、屈曲して上に向く。如今実測すれば、衆星は参差不斉で、均匀でない。共に十一星、位は婁宿の北にあり。大陵は古今の載せる所が同じく、八星、胃宿の北にあり。天舡は、旧図は四星が河の外に出ると謂い、如今実に河の内にあり。共に九星、位は大陵の北、銀河の中に処る。
捲舌,舊北二星入河,今並在河外。六星,在昴北。五車,舊東北及西北星入河,今出河。又西北柱,舊雙星向上,今測向下,又車北柱,舊雙星在東北,今向西北。五車三柱,十四星。在畢東北端。天關,古今同,一星,五車南,參西北。
巻舌は、旧図は北面の二星が銀河の内にあると謂い、如今皆河の外にあり。共に六星、位は昴宿の北にあり。五車は、旧図は東北と西北の星が銀河の内にあると謂い、如今皆河の外に出る。また西北の那一柱は、旧図は双星を上に向くと画き、如今実測すれば下に向く。また車北の那一柱は、旧図は双星を東北にと画き、如今則ち西北に指向す。五車に三柱を連ねて、共に十四星、位は畢宿の東北の一端にあり。天関は古今の載せる所が同じく、一星、五車の南・参宿の西北にあり。
南河、北河,南河舊在河內,西二星入前實沉次,今測不入河亦不入前次,復在河外,又在後鶉首次。北河舊在鶉首次,今測二星入前實沉次。六星,夾東井。五諸侯,舊東頭第一星在黃道外,今測在黃道內四度。又舊東頭第二星曲向南,今乃曲向北,又與第三星相近。五星,在東井北,近北河。
南河・北河の二座:南河は旧図で銀河の内に定め、西辺の二星は前の実沈の次(十二次は古人が周天を十二段に分けた名目で、実沈と鶉首は隣接する)に入ると謂う。如今実測すれば、それは河の内にもなく、また前の実沈の次にも入らず、かえって河の外にあり、かつ後の鶉首の次に落ちる。北河は旧図で鶉首の次に定め、如今実測すれば二星が前の実沈の次に入る。両河は共に六星、東井の両旁に分列す。五諸侯は、旧図は東端の第一星が黄道の外にあると謂い、如今実測すれば黄道の内に四度。また旧図は東端の第二星を屈曲して南に向くと画いたが、如今は却って屈曲して北に向き、かつ第三星と相靠近す。共に五星、位は東井の北、北河に近し。
積水、積薪,二星,舊在鶉首次,今並在前實沉次。積水,一星,北河西北。積薪,一星,積水東南。水位,舊南二星入河,今四星並在河外。四星,東井東,南北列。軒轅,舊尾漸斜向上,其右角在黃道內,今測其尾勢迤邐向西,其左角出黃道外半度,不在內。十七星,在七星大星北。少微,同,四星,太微西,南北列。
積水・積薪の二座は各々一星で、旧図は鶉首の次に定め、如今は皆前の実沈の次にあり。積水は一星、北河の西北にあり。積薪は一星、積水の東南にあり。水位は、旧図は南面の二星が銀河の内にあると謂い、如今は四星が皆河の外にあり。共に四星、位は東井の東、南北に列を成す。軒轅は、旧図はその尾部が漸漸斜めに上に指すと画き、その右角は黄道の内にある。如今実測すれば、その尾勢は逶迤して西に向かい、その左角は黄道の外に半度出で、内にはない。共に十七星、位は星宿の大星の北にあり。少微は旧説と同じく、四星、太微垣の西、南北に列を成す。
太微,古今同,十星,在翼、軫北。黃帝座,舊四星,去黃帝座近遠並相侶,今有近有遠不等。黃帝座,一星,在太微中。四帝,四星,夾黃帝座。內屏,古今同,四星,在黃帝座南。郎位,舊取端正均配行列,今有偏,並不均。十五星,在帝座東北。郎將,古今同,一星,郎位東北。常陳,古今同,七星,如畢狀,帝座北。三臺,古今同,六星,兩兩而居,起文昌列,抵太微。
太微垣は古今の載せる所が同じく、十星、翼宿・軫宿の北にあり。黄帝座の一節:旧図は四帝の星が黄帝座を距る遠近を彼此相当と画き、如今実測すれば則ち近き遠きあり、斉一でない。黄帝座は一星、太微垣の中にあり。四帝は四星、黄帝座の両旁に分列す。内屏は古今の載せる所が同じく、四星、黄帝座の南にあり。郎位は、旧図は端正・均稱の行列を取って画き、如今見れば星位に偏斜あり、均せず。共に十五星、位は帝座の東北にあり。郎将は古今の載せる所が同じく、一星、郎位の東北にあり。常陳は古今の載せる所が同じく、七星、形は畢宿の網の如く、位は帝座の北にあり。三台は古今の載せる所が同じく、六星、両々相併びて居り、文昌から起って排列し下り、直に太微垣に抵る。
相星、太陽守二座,舊重四相當,今太陽守在相星西南。相,一星,北斗南。太陽守,一星,相星西南。天牢,舊均圓,近中臺,今其星北斗魁下兼有疏有密。文昌,古今同,六星,北斗魁前。北斗,古今同,七星輔一星,在太微北。紫微宮垣兩蕃,舊在婁、昴、畢、井、柳、張、軫等度,今測在胃、畢、井、鬼、七星、張、軫等度。十五星,東蕃八,西蕃七,北斗北。北極,古今同,五星。鉤陳,六星,皆在紫微宮中。天一、太一,舊並在軫度,今俱在翼度。天一,一星,紫微宮門外右星南。太一,一星,天一星南,相近。
相星と太陽守の二座:旧図は二者を重畳して彼此相当と画き、如今は太陽守は実に相星の西南にあり。相は一星、北斗の南にあり。太陽守は一星、相星の西南にあり。天牢は、旧図は均匀・渾円に画き、かつ中台に近づき、如今あの几颗の星は北斗の斗魁の下にあり、兼ねて疎あれば密あり。文昌は古今の載せる所が同じく、六星、北斗の斗魁の前にあり。北斗は古今の載せる所が同じく、七星に輔星一顆を加え、位は太微垣の北にあり。紫微宮の東西の両蕃(すなわち紫微垣の两道の垣墻)は、旧図は婁・昴・畢・井・柳・張・軫等の宿の度に定め、如今実測すれば胃・畢・井・鬼・星・張・軫等の宿の度にあり。共に十五星、東蕃は八星、西蕃は七星、位は北斗の北にあり。北極は古今の載せる所が同じく、五星。鈎陳は六星、北極と同在して紫微宮中にあり。天一・太一の二座は、旧図は皆軫宿の度に定め、如今は俱に翼宿の度にあり。天一は一星、紫微宮門外の右星の南にあり。太一は一星、天一星の南にあり、両星は相近い。
開元占経巻一百零八
星図三
石氏中官の星座・古今の同異(続)
庫樓,古今同,十星。五柱,十五星,沖四星,凡二十九星,在角南。北落師門,古今同,一星,羽林西南。土司空,舊在奎度,天溷東南,視天在東壁度。一星,奎南。土司空,新《圖》溷西南。南門,古今同,二星,庫樓南。平星,古今同,二星,庫樓北。
庫楼は古今の載せる所が同じく、十星。別に五柱の十五星・衝の四星あり、合計二十九星、位は角宿の南にあり。北落師門は古今の載せる所が同じく、一星、羽林の西南にあり。土司空は、旧図は奎宿の度・天溷の東南に定め、天象を仰観すれば却って東壁宿の度にあり。一星、位は奎宿の南にあり。土司空の一座は、新《星図》はそれを天溷の西南に画く。南門は古今の載せる所が同じく、二星、庫楼の南にあり。平星は古今の載せる所が同じく、二星、庫楼の北にあり。
天倉,舊二星在奎度,三星在婁度。今五星在奎度,一星在婁度。六星,在婁南。騎官,舊三三又列並均,今其星有疏密,有橫堅,亦有斜不均。二十七星,在氐南。天囷,古今同,十三星,在胃南。天廩,舊四星並在赤道內,西北東南列。今三星在赤道外,又西南東北列。四星,在昴南。
天倉は、旧図は二星が奎宿の度・三星が婁宿の度にあると謂い、如今実測すれば五星が奎宿の度にあり、ただ一星が婁宿の度にあり。共に六星、位は婁宿の南にあり。騎官は、旧図は三顆三顆に成列し、一律に均匀と画き、如今あの星々は疎あれば密あり、横列するもあれば竪立するもあり、また斜めに出ずるもあり、斉整でない。共に二十七星、位は氐宿の南にあり。天囷は古今の載せる所が同じく、十三星、胃宿の南にあり。天廩は、旧図は四星が皆赤道の内にあり、西北から東南に排列すると謂い、如今実測すれば三星が赤道の外にあり、かつ西南から東北に排列す。共に四星、位は昴宿の南にあり。
積卒,古今同,十二星,房心南。龜星,舊四星入河,一星出河。審視天,唯一星入河,四星出河,又天河曲直,與舊不同。五星,在尾南。天苑,古今同,十六星,昴畢南。傅說,古今同,一星,在尾後。魚星,舊在傅說東南,今測在傅說東北,其天河斷絕曲斜,與舊不同。一星,在尾,河中。
積卒は古今の載せる所が同じく、十二星、房宿・心宿の南にあり。亀星は、旧図は四星が銀河の内・一星が河の外に出ると謂い、天象を審視すれば、ただ一星が河の内にあり、四星は皆河の外に出で、また那一段の天河の曲直の走向もまた旧図と同じでない。共に五星、位は尾宿の南にあり。天苑は古今の載せる所が同じく、十六星、昴宿・畢宿の南にあり。傅説は古今の載せる所が同じく、一星、尾宿の後にあり。魚星は、旧図は傅説の東南に定め、如今実測すれば傅説の東北にあり。那一段の天河はあるいは断絶し、あるいは曲折・斜行し、旧図と同じでない。一星、位は尾宿、銀河の中に処る。
杵星,古今同,三星,在箕南。參旗,古今同,九星,在參西。一名天弓。玉井,古今同,玉井,四星,在參左足下。天屏,古今同,二星,玉井南。鱉星,舊在南斗度,又在斗魁東南。今測在箕度,又在斗魁西,唯東一星入南斗度。十四星,南斗南。廁星,古今同,四星,在屏東。天矢,古今同,一星,在廁南。
杵星は古今の載せる所が同じく、三星、箕宿の南にあり。参旗は古今の載せる所が同じく、九星、参宿の西にあり、一名を天弓と謂う。玉井は古今の載せる所が同じく、玉井のこの一座は共に四星、参宿の左足の下にあり。天屏は古今の載せる所が同じく、二星、玉井の南にあり。鼈星は、旧図は南斗宿の度に定め、また斗魁の東南にあると謂い、如今実測すれば箕宿の度にあり、また斗魁の西にあり、ただ東辺の一星が南斗の度に入る。共に十四星、位は南斗の南にあり。厠星は古今の載せる所が同じく、四星、天屏の東にあり。天矢は古今の載せる所が同じく、一星、厠星の南にあり。
軍市,舊在廁正東,又星並均圖。今測在東北,其星有相近,亦有疏闊。十三星,參東南。九坎,舊在斗牛女度,今在斗牛度,不至女宿。九星,牽牛南。狼星,古今同,一星,參東南。敗臼,舊在須女危度,今測唯在虛度。四星,虛危南。弧星,舊全座並在河外,今測東頭一星入河,並疏密、大小不依象。九星,東南。
軍市は、旧図は厠星の正東に定め、また衆星を一律に均匀と画き、如今実測すれば厠星の東北にあり、あの星々は彼此相靠近するもあり、また相隔たること疏闊なるもあり。共に十三星、位は参宿の東南にあり。九坎は、旧図は南斗・牵牛・須女の三宿の度に跨り、如今はただ南斗・牵牛の二宿の度にあり、須女宿には至らない。共に九星、位は牵牛の南にあり。狼星は古今の載せる所が同じく、一星、参宿の東南にあり。敗臼は、旧図は須女・危の二宿の度に定め、如今実測すればただ虚宿の度にあり。共に四星、位は虚宿・危宿の南にあり。弧星は、旧図は整座が皆銀河の外にあると謂い、如今実測すれば東端の一星はすでに河の中に入り、しかも衆星の疎密・大小は皆旧図の画く形象に依らない。共に九星、位は東南にあり。
壘壁陳,東頭第一星入東壁度,又西頭五星入危度。今測不入東壁度,又西頭六星入危度。其羽林,舊八星,絡東壁距道,入壁度。三三又對,南北分為五行,西一星入危度。審視,不絡東壁度,西九星入危度,南北只有四行,亦有不相入者。羽林四十五星,壘壁十二星,凡五十七星,室壁南。老人,古今同,一星,在弧南。稷星,古今同,五星,七星南。
塁壁陳は、旧説は東端の第一星が東壁宿の度に入り、西端の五星は危宿の度に入ると謂い、如今実測すれば併せて東壁の度に入らず、西端の危宿の度に入るは六星である。羽林の一座に至っては、旧説は八星が東壁の距道の上に連絡し、東壁の度に入り、三顆三顆にして両々相対し、南北に分れて五行を作し、西面の一星は危宿の度に入ると謂う。審視すれば、それは東壁の度に連絡せず、西面の危宿の度に入るは九星で、南北はただ四行あり、その中にまた彼此に相銜接せざるもあり。羽林は四十五星、塁壁は十二星、合計五十七星、位は営室・東壁の二宿の南にあり。老人は古今の載せる所が同じく、一星、弧星の南にあり。稷星は古今の載せる所が同じく、五星、星宿の南にあり。
開元占経巻一百零九
星図四
甘氏中官・古今の同異
天皇大帝,古今同,一星,鉤陳口中。四輔,古今同,四星,抱北極樞。華蓋,古今同,七星,杠九星,凡十六星,大帝上。周鼎,古今同,三星,攝提西。帝席,古今同,三星,在角南。平道,古今同,二星,左右角間。五帝內座,古今同,五星,華蓋上。六甲,古今同,六星,華蓋傍。天柱,古今同,五星,紫微宮中,近東垣。
以下に座を逐えて甘徳一家の伝えた中官の諸座と実測の天象の異同を覈対す。天皇大帝は古今の載せる所が同じく、一星、鈎陳の開いた口の中にあり。四輔は古今の載せる所が同じく、四星、北極の枢心を環抱す。華蓋は古今の載せる所が同じく、七星、別に杠の九星あり、合計十六星、位は天皇大帝の上にあり。周鼎は古今の載せる所が同じく、三星、摂提の西にあり。帝席は古今の載せる所が同じく、三星、角宿の南にあり。平道は古今の載せる所が同じく、二星、左角・右角の間にあり。五帝内座は古今の載せる所が同じく、五星、華蓋の上にあり。六甲は古今の載せる所が同じく、六星、華蓋の傍にあり。天柱は古今の載せる所が同じく、五星、紫微宮中にあり、東垣に近づく。
進賢,古今同,一星,平道西。謁者,古今同,一星,左執法東北。三公內座,古今同,三星,謁者東北。九卿內座,古今同,三星,三公北。柱下史,舊《經》雲在北極東南斗度,審視在北極東北牽牛度。一星,北極東北。女史,舊《圖》在南斗度,今測在須女度,當柱下史北,與紫宮東垣南第六星相近。一星,柱下史北,近紫微東垣第六星內。
進賢は古今の載せる所が同じく、一星、平道の西にあり。謁者は古今の載せる所が同じく、一星、左執法の東北にあり。三公内座は古今の載せる所が同じく、三星、謁者の東北にあり。九卿内座は古今の載せる所が同じく、三星、三公内座の北にあり。柱下史は、旧《星経》はそれを北極の東南・南斗宿の度に在りと謂い、天象を審視すれば却って北極の東北・牵牛宿の度にあり。一星、位は北極の東北にあり。女史は、旧《星図》は南斗宿の度に定め、如今実測すれば須女宿の度にあり、正しく柱下史の北に当たり、紫微宮の東垣の南面の第六星と相靠近す。一星、位は柱下史の北にあり、紫微の東垣の第六星の内に逼近す。
五諸侯,古今同,五星,九卿西。太子,古今同,一星,黃帝座東北。從官,古今同,一星,太子西北。倖臣,古今同,一星,太子東北。尚書,古今同,五星,紫微宮門內。東維、陰德,古今同,二星,尚書西。天床,舊《圖》普闊促均齊,視天,乃狹長,兼有明暗。六星,紫宮門外。天理,古今同,四星,北斗魁中。內廚,古今同,二星,紫微宮西南角外。明堂,古今同,三星,太微西南角外。
五諸侯は古今の載せる所が同じく、五星、九卿内座の西にあり。太子は古今の載せる所が同じく、一星、黄帝座の東北にあり。従官は古今の載せる所が同じく、一星、太子の西北にあり。幸臣は古今の載せる所が同じく、一星、太子の東北にあり。尚書は古今の載せる所が同じく、五星、紫微宮門の内にあり。東維・陰徳の二座は古今の載せる所が同じく、各々二星、尚書の西にあり。天床は、旧《星図》はこの一座を寛狭・疎密を一律に均斉と画き、天象を仰観すれば、その形は却って狭長で、衆星はまた明あれば暗あり。共に六星、位は紫微宮門の外にあり。天理は古今の載せる所が同じく、四星、北斗の斗魁の中にあり。内厨は古今の載せる所が同じく、二星、紫微宮の西南角の外にあり。明堂は古今の載せる所が同じく、三星、太微垣の西南角の外にあり。
靈臺,古今同,三星,明堂西。勢星,古今同,四星,太陽守西北。內平,舊雲在中臺南,舊《圖》在軒轅腹,又在柳七星度,今測在中臺南,張七度,復與《星經》同。四星,中臺南。耀星,舊《圖》在軒轅腹內,今測在軒轅尾南,近柳北四星。內階,《經》雲在文昌北,舊《圖》安星在八穀北,畢、觜、東井等度,其星又闊促。今測在文昌北,東井柳度,又狹長,兩相近,亦與《星經》本文同。六星,文昌北。
霊台は古今の載せる所が同じく、三星、明堂の西にあり。勢星は古今の載せる所が同じく、四星、太陽守の西北にあり。内平は、旧説は中台の南に在りと謂い、旧《星図》は却ってそれを軒轅の腹部に画き、また柳宿・星宿の度に定め、如今実測すれば中台の南・張宿の七度にあり、かえって《星経》の謂う所と相合す。共に四星、位は中台の南にあり。耀星は、旧《星図》は軒轅の腹内に画き、如今実測すれば軒轅の尾部の南にあり、柳宿の北の四星に近づく。内階は、《星経》は文昌の北に在りと謂い、旧《星図》は却って星位を八谷の北・畢宿・觜宿・東井等の度に安んじ、衆星をまた寛窄不匀に画いた。如今実測すれば文昌の北・東井と柳宿の度にあり、その形は狭長にして両々相近く、また《星経》の本文と相合す。共に六星、位は文昌の北にあり。
天廚,舊在虛危度,並闊促均齊。今測在南斗、牽牛、須女、虛等度,又狹長,明暗不等。酒旗,古今同,三星,軒轅右角南。天尊,古今同,三星,東井北。諸王,古今同,六星,五車南。司怪,舊《圖》端列,南第一星出河,審視天,並在河內,又向西曲。四星,在鉞星前。座旗,舊《經》在司怪西北,舊《圖》及視天並司怪東北。九星。
天厨は、旧図は虚宿・危宿の度に定め、星位を寛窄一律に均斉と画き、如今実測すれば南斗・牵牛・須女・虚等の宿の度に跨り、その形は狭長にして衆星の明暗も相等しくない。酒旗は古今の載せる所が同じく、三星、軒轅の右角の南にあり。天尊は古今の載せる所が同じく、三星、東井の北にあり。諸王は古今の載せる所が同じく、六星、五車の南にあり。司怪は、旧《星図》は端正に一列を作し、南面の第一星は銀河の外に出ると画いた。天象を審視すれば、衆星は皆河の内にあり、しかも西に向かって彎曲す。共に四星、位は鉞星の前にあり。座旗は、旧《星経》は司怪の西北に在りと謂い、旧《星図》の画く所および仰観して見る所は、皆司怪の東北にあり。共に九星。
天高,古今同,四星,參旗西,近畢。策星,舊《圖》在河外,今在河內。一星,王良前。傳舍,舊《圖》在奎、婁度,今測在東壁、奎、婁、胃等度,九星。華蓋上,近河傍。造父,古今同,五星,鉤星南,河中。礪石,古今同,四星,五車南。八穀,古今同,八星,五車北。天讒,古今同,一星,捲舌中。積水,古今同,一星,天船中。積尸,古今同,一星,大陵中。車府,古今同,七星,天津東,近河傍。
天高は古今の載せる所が同じく、四星、参旗の西にあり、畢宿に近づく。策星は、旧《星図》は銀河の外に画き、如今実に河の内にあり。一星、位は王良の前にあり。伝舎は、旧《星図》は奎宿・婁宿の度に定め、如今実測すれば東壁・奎・婁・胃等の宿の度に跨り、共に九星、位は華蓋の上にあり、銀河の傍に緊靠す。造父は古今の載せる所が同じく、五星、鈎星の南にあり、銀河の中に処る。礪石は古今の載せる所が同じく、四星、五車の南にあり。八谷は古今の載せる所が同じく、八星、五車の北にあり。天讒は古今の載せる所が同じく、一星、巻舌の中にあり。積水は古今の載せる所が同じく、一星、天船の中にあり。積尸は古今の載せる所が同じく、一星、大陵の中にあり。車府は古今の載せる所が同じく、七星、天津の東にあり、銀河の傍に緊靠す。
人星,古今同,五星,車府東南。臼杵,古今同,三星,人星傍。臼星,古今同,四星,人星東南。左更,古今同,五星,在婁東。右更,古今同,五星,在婁西。軍南門,舊在天將大軍西,近奎北。以儀測,在天將軍南,如奎正東。一星,天將軍西南。天潢,舊四星東西列,一星在北。審視天,四星南北列,一星在西,五星在五車中。
人星は古今の載せる所が同じく、五星、車府の東南にあり。臼杵は古今の載せる所が同じく、三星、人星の傍にあり。臼星は古今の載せる所が同じく、四星、人星の東南にあり。左更是古今の載せる所が同じく、五星、婁宿の東にあり。右更是古今の載せる所が同じく、五星、婁宿の西にあり。軍南門は、旧図は天大将軍の西・奎宿の北に近づくと定め、渾儀をもって実測すれば、却って天大将軍の南にあり、正しく奎宿の正東に当たる。一星、位は天大将軍の西南にあり。天潢は、旧図は四星を東西に成列し・一星は北にと画き、天象を審視すれば、四星は南北に成列し・一星は西にあり。共に五星、皆五車の中にあり。
扶匡,舊在須女度,東北西南行列,又在子規外。審視天,在南斗度,東南北行列,又在子規內,唯一星在規外。司命,古今同,二星,在虛北。司祿,古今同,二星,司命北。司危,古今同,二星,司祿北。司非,古今同,二星,司危北。敗瓜,舊四星入河,一星出河,又橫。審視天,並在河外,又豎。五星,匏瓜傍。
扶匡は、旧図は須女宿の度に定め、東北・西南向に排列を作し、また子規(北極の周囲の常に顕れて隠れないあの一圈)の外にあると謂い、天象を審視すれば、実に南斗宿の度にあり、東・南北向に排列を作し、しかも子規の内にあり、ただ一星が圈の外に落ちる。司命は古今の載せる所が同じく、二星、虚宿の北にあり。司禄は古今の載せる所が同じく、二星、司命の北にあり。司危は古今の載せる所が同じく、二星、司禄の北にあり。司非は古今の載せる所が同じく、二星、司危の北にあり。敗瓜は、旧図は四星が銀河の内・一星が河の外に出ると謂い、また横列を作した。天象を審視すれば、五星は皆河の外にあり、しかも竪立す。共に五星、位は匏瓜の傍にあり。
咸池,舊《圖》在五車中,近東,今測近西,附金柱。三星,天潢西北。月星,古今同,一星,在昴東。天沖,舊《圖》絡黃道,今在黃道北。二星,昴、畢間,近月星東。天河,古今同,一星,在昴西。河鼓左旗,舊九星併入河,今測三星出河。九星,河鼓左傍。天雞,古今同,二星,狗國北。羅堰,古今同,三星,牽牛東。
咸池は、旧《星図》は五車の中に偏りて東の一側に画き、如今実測すれば西に偏り、金柱に緊附す。共に三星、位は天潢の西北にあり。月星は古今の載せる所が同じく、一星、昴宿の東にあり。天衝は、旧《星図》はそれが黄道に跨絡すると画き、如今実に黄道の北にあり。共に二星、位は昴宿と畢宿の間、月星の東に近づく。天河は古今の載せる所が同じく、一星、昴宿の西にあり。河鼓の左旗は、旧図は九星が皆銀河の内にあると謂い、如今実測すれば三星が河の外に出る。共に九星、位は河鼓の左側にあり。天鶏は古今の載せる所が同じく、二星、狗国の北にあり。羅堰は古今の載せる所が同じく、三星、牵牛の東にあり。
市樓,舊在赤道外,今測在赤道內。六星,在市中,臨箕上。斛星,古今同,四星,在市中,斗南。日星,古今同,一星,房中道前。天乳,古今同,一星,在氐北。亢池,古今同,六星,在亢北。漸臺,古今同,四星,屬織女東足。輦道,舊星並均,南斗度,又在河外。今其星有遠有近,南二星入牽牛度,又入河。五星,屬織女西足。三公,古今同,三星,在北斗西南。
市楼は、旧図は赤道の外に定め、如今実測すれば赤道の内にあり。共に六星、位は天市垣の中にあり、箕宿の上に臨む。斛星は古今の載せる所が同じく、四星、天市垣の中・斗星の南にあり。日星は古今の載せる所が同じく、一星、房宿の中道の前にあり。天乳は古今の載せる所が同じく、一星、氐宿の北にあり。亢池は古今の載せる所が同じく、六星、亢宿の北にあり。漸台は古今の載せる所が同じく、四星、織女の東足に連属す。輦道は、旧図は衆星を一律に均稱と画き、南斗宿の度に定め、また銀河の外にあると謂う。如今あの星々は遠き近きあり、南面の二星はすでに牵牛宿の度に入り、かつ河の中に進入す。共に五星、織女の西足に連属す。三公は古今の載せる所が同じく、三星、北斗の西南にあり。
開元占経巻一百一
星図
二十八宿
甘氏外官一
青丘,古今同,七星,在軫東南。折威,古今同,七星,在亢南。陣車,古今同,三星,在氐南。騎陣將軍,古今同,一星,騎官中東端。糠星,古今同,一星,箕舌前。車騎,古今同,三星,騎官南。農丈人,舊在狗星西南,今在狗星西。一星,南斗西南。狗星,古今同,二星,南斗魁前。狗國,古今同,四星,建星東南。
以下に甘徳一家の伝えた外官(三垣の外・二十八宿の南の諸座)と実測の天象の異同を覈対す。青丘は古今の載せる所が同じく、七星、軫宿の東南にあり。折威は古今の載せる所が同じく、七星、亢宿の南にあり。陣車は古今の載せる所が同じく、三星、氐宿の南にあり。騎陣将軍は古今の載せる所が同じく、一星、騎官の一列の東端にあり。糠星は古今の載せる所が同じく、一星、箕舌の前にあり。車騎は古今の載せる所が同じく、三星、騎官の南にあり。農丈人は、旧図は狗星の西南に定め、如今実に狗星の正西にあり。一星、位は南斗の西南にあり。狗星は古今の載せる所が同じく、二星、南斗の斗魁の前にあり。狗国は古今の載せる所が同じく、四星、建星の東南にあり。
天田,古今同,九星,牽牛南。哭星,古今同,三星,在虛南。泣星,古今同,二星,在哭東。蓋屋,二星,在危南。八魁,舊三星在營室度,六星在危度,今並在營室度。九星。北落東南。雷電,古今同,營室西南。雲雨,古今同,四星,霹靂西南。霹靂,古今同,五星,土公西南。土公,古今同,二星,東壁南。土公吏,古今同,二星,營室西南。
天田は古今の載せる所が同じく、九星、牵牛の南にあり。哭星は古今の載せる所が同じく、三星、虚宿の南にあり。泣星は古今の載せる所が同じく、二星、哭星の東にあり。蓋屋は二星、危宿の南にあり。八魁は、旧図は三星が営室宿の度・六星が危宿の度にあると謂い、如今は皆営室宿の度にあり。共に九星、位は北落師門の東南にあり。雷電は古今の載せる所が同じく、位は営室の西南にあり。雲雨は古今の載せる所が同じく、四星、霹靂の西南にあり。霹靂は古今の載せる所が同じく、五星、土公の西南にあり。土公は古今の載せる所が同じく、二星、東壁の南にあり。土公吏は古今の載せる所が同じく、二星、営室の西南にあり。
鈇鑕,古今同,五星,天蒼西南。天溷,古今同,七星,外屏南。外屏,古今同,七星,在奎南。天庾,古今同,三星,天倉東南。芻藁,古今同,六星,天苑西。天園,古今同,十三星,天苑南。九州殊口,古今同,九星,天節下。天節,古今同,八星,畢、附耳下星南。九游,古今同,玉井西南。軍井,《經》雲玉井東南,舊在屏南,今在屏東。四星。
鈇鑕は古今の載せる所が同じく、五星、天蒼の西南にあり。天溷は古今の載せる所が同じく、七星、外屏の南にあり。外屏は古今の載せる所が同じく、七星、奎宿の南にあり。天庾は古今の載せる所が同じく、三星、天倉の東南にあり。芻藁は古今の載せる所が同じく、六星、天苑の西にあり。天園は古今の載せる所が同じく、十三星、天苑の南にあり。九州殊口は古今の載せる所が同じく、九星、天節の下にあり。天節は古今の載せる所が同じく、八星、畢宿と附耳の下星の南にあり。九游は古今の載せる所が同じく、位は玉井の西南にあり。軍井は、《星経》は玉井の東南に在りと謂い、旧図は天屏の南に定め、如今実に天屏の東にあり。共に四星。
水府,舊在東井南河外,今在河內。四星,東井南。四瀆,一星入河,三星出河,今三星入河,一星出河。四星,東井南轅東。闕丘,舊在南河東南赤道外,今在南河南赤道內。二星,南河南。天狗,古今同,七星,狼東北。三坐,舊並在西北斜列,今並在東北斜列。丈人,二星,軍井西南。子,二星,丈人東。孫,二星,在子東。天社,古今同,六星,在弧南。天記,古今同,一星,外廚南。外廚,舊近河,又東西俠,今去河遠,臨赤道,又東西潤。六星,柳南。天廟,舊並引行正直,今有曲直。十四星,在張南。東甌,古今同,五星,在翼南。
水府は、旧図は東井の南・銀河の外に定め、如今実に河の内にあり。共に四星、位は東井の南にあり。四瀆は、旧図は一星が銀河の内・三星が河の外に出ると謂い、如今は三星が河の内・一星が河の外に出る。共に四星、位は東井の南轅の東にあり。闕丘は、旧図は南河の東南・赤道の外に定め、如今実に南河の南・赤道の内にあり。共に二星、位は南河の南にあり。天狗は古今の載せる所が同じく、七星、狼星の東北にあり。丈人・子・孫の三座は、旧図は皆西北向に斜列を作し、如今は皆東北向に斜列を作す。丈人は二星、軍井の西南にあり。子は二星、丈人の東にあり。孫は二星、子座の東にあり。天社は古今の載せる所が同じく、六星、弧星の南にあり。天記は古今の載せる所が同じく、一星、外厨の南にあり。外厨は、旧図はそれを銀河に近づき、東西の方向もまた狭窄と画き、如今は銀河を離るることすでに遠く、赤道に臨み、東西の方向は則ち寛闊と見ゆ。共に六星、位は柳宿の南にあり。天廟は、旧図は衆星を一概に端直の一行を成すと画き、如今は則ち曲あれば直あり。共に十四星、位は張宿の南にあり。東甌は古今の載せる所が同じく、五星、翼宿の南にあり。
巫咸中官二
大尊,舊在中臺西,子規外。今在中臺北,子規內。一星,中臺北。三師,古今同,三星,北斗魁第一星西。大理,古今同,二星,紫微宮門老星內。御女,古今同,四星,鉤陳後北。天相,古今同,三星,七星大星北。長垣,舊在黃道外有二星,今並在黃道內。四星,少微西,南北列。
以下に巫咸一家の伝えた中官の諸座と実測の天象の異同を覈対す。大尊は、旧図は中台の西・子規圈の外に定め、如今実に中台の北・子規圈の内にあり。一星、位は中台の北にあり。三師は古今の載せる所が同じく、三星、北斗の斗魁の第一星の西にあり。大理は古今の載せる所が同じく、二星、紫微宮門の老星の内にあり。御女は古今の載せる所が同じく、四星、鈎陳の後に偏りて北にあり。天相は古今の載せる所が同じく、三星、星宿の大星の北にあり。長垣は、旧図は二星が黄道の外にあると謂い、如今は四星が皆黄道の内にあり。共に四星、位は少微の西にあり、南北に列を成す。
虎賁,古今同,一星,下臺南。軍門、土司空二座,舊並在軫星南,今在軫星西南,近翼。軍門二星,青邱西。土司空四星,軍門南。陽門,古今同,二星,庫樓東北。頓頑,古今同,二星,折威東南。從官,古今同,二星,房星南。天輻,古今同,二星,房距星西。鍵閉,古今同,一星,房東北。罰星,古今同,三星,東咸北列。
虎賁は古今の載せる所が同じく、一星、下台の南にあり。軍門と土司空の二座は、旧図は皆軫宿の南に定め、如今実に軫宿の西南にあり、翼宿に近づく。軍門は二星、青丘の西にあり。土司空は四星、軍門の南にあり。陽門は古今の載せる所が同じく、二星、庫楼の東北にあり。頓頑は古今の載せる所が同じく、二星、折威の東南にあり。従官は古今の載せる所が同じく、二星、房宿の南にあり。天輻は古今の載せる所が同じく、二星、房宿の距星の西にあり。鍵閉は古今の載せる所が同じく、一星、房宿の東北にあり。罰星は古今の載せる所が同じく、三星、東咸の北に列を成す。
列肆,古今同,二星,天市中,斛西北。車肆,古今同,二星,天市門左星內。帛度,古今同,二星,宗星東北。屠肆,古今同,二星,帛度北。奚仲,舊三星在虛度,一星入女度,其星在子規外豎立。今三星在牽牛度,一星在南斗度,泊子規,東南、西北斜列。四星如衡狀,天津北。鉤星,古今同,九星如鉤狀,造父北。
列肆は古今の載せる所が同じく、二星、天市垣の中・斛星の西北にあり。車肆は古今の載せる所が同じく、二星、天市垣門内の左星の内にあり。帛度は古今の載せる所が同じく、二星、宗星の東北にあり。屠肆は古今の載せる所が同じく、二星、帛度の北にあり。奚仲は、旧図は三星が虚宿の度・一星が須女宿の度に入ると謂い、衆星は子規圈の外に竪立す。如今実測すれば三星は牵牛宿の度・一星は南斗宿の度にあり、子規圈に緊貼して、東南・西北向に斜列を作す。共に四星、形状は一支の衡杆の如く、位は天津の北にあり。鈎星は古今の載せる所が同じく、九星、形状は鈎の如く、位は造父の北にあり。
天桴,舊在赤道外,今在赤道內,四星,河鼓左旗端,南北列。天鑰,古今同,八星,南斗柄第二星西。天淵,古今同,十星,在鱉東南,九坎間。一名三泉。齊,一星,九坎東,沖星東北。趙,二星,在齊西北。鄭,一星,在趙東北。越,一星,在鄭西北。周,二星,在趙東北。秦,二星,在周東。代,二星,在周東南。晉,一星,在周西南。韓,一星,在晉北。魏,一星,在韓北,近秦星。楚,一星,在魏西南,近鄭星。燕,一星,在楚東南,近晉星。
天桴は、旧図は赤道の外に定め、如今実に赤道の内にあり。共に四星、位は河鼓左旗の一端にあり、南北に列を成す。天鑰は古今の載せる所が同じく、八星、南斗の斗柄の第二星の西にあり。天淵は古今の載せる所が同じく、十星、鼈星の東南・九坎の間にあり、一名を三泉と謂う。以下は列国をもって名と為す十二座である:斉は一星、九坎の東・衝星の東北にあり。趙は二星、斉星の西北にあり。鄭は一星、趙星の東北にあり。越は一星、鄭星の西北にあり。周は二星、趙星の東北にあり。秦は二星、周星の東にあり。代は二星、周星の東南にあり。晋は一星、周星の西南にあり。韓は一星、晋星の北にあり。魏は一星、韓星の北にあり、秦星に近づく。楚は一星、魏星の西南にあり、鄭星に近づく。燕は一星、楚星の東南にあり、晋星に近づく。
秦趙等十二星座,舊《圖》並須女度,今齊、鄭、趙、越、周等五座在須女度,又列位不同。璃瑜,古今同,三星,在代東南北外。天壘城,古今同,十三星,如貫索狀,哭泣西。虛梁,古今同,四星,在危南。天錢,古今同,十星,在北落東北。天網,古今同,一星,在北落西南。斧鉞,古今同,三星,在八魁西北。東廄,舊絡東壁距道,又在河外,今測絡奎距道仍北,三星入河,不絡東壁距道。十星,東壁北,近王良。天陰,舊騎赤道,今測近黃道,五車、畢柄西。
秦・趙等の十二座は、旧《星図》は一概に須女宿の度に定め、如今はただ斉・鄭・趙・越・周等の五座がなお須女宿の度にあり、しかも排列の位次もまた旧図と同じでない。璃瑜は古今の載せる所が同じく、三星、代星の東南に偏りて北の外にあり。天塁城は古今の載せる所が同じく、十三星、形状は貫索の如く、位は哭星・泣星の西にあり。虚梁は古今の載せる所が同じく、四星、危宿の南にあり。天銭は古今の載せる所が同じく、十星、北落師門の東北にあり。天網は古今の載せる所が同じく、一星、北落師門の西南にあり。斧鉞は古今の載せる所が同じく、三星、八魁の西北にあり。東厩は、旧図はそれが東壁の距道に連絡し、また銀河の外にあると謂い、如今実測すればそれは奎宿の距道に連絡してかつ北方に偏り、三星が河の中に入り、東壁の距道には連絡しない。共に十星、位は東壁の北、王良に近づく。天陰は、旧図はそれが赤道に跨騎すると画き、如今実測すれば黄道に近づき、位は五車と畢柄の西にあり。
開元占経巻一百一十一
八谷占
八谷の生長
《神農》曰:禾生於棗,出於上黨羊頭之山右谷中,生七十日秀,六十日熟,凡一百三十日成,忌於寅卯;黍生於榆出於大梁之山左谷中,生六十日秀,四十日熟,凡一百日成,忌於丑;大豆生於槐,出於沮石之山谷中,九十日華,六十日熟,凡一百五十日成,忌於卯。
《神農》の書はいう:禾(すなわち粟)は棗と同気にして生まれ、産地は上党の羊頭山の右の山谷の中にあり、種を下して後七十日に穂を抽き、更に六十日に成熟し、前後共に一百三十日にして成る。忌む所の日辰は寅日と卯日である。黍は楡と同気にして生まれ、産地は大梁の山の左の山谷の中にあり、六十日に穂を抽き、四十日に成熟し、前後共に一百日にして成る。忌む所の日辰は丑日である。大豆は槐と同気にして生まれ、産地は沮石の山の山谷の中にあり、九十日に華を開き、六十日に成熟し、前後共に一百五十日にして成る。忌む所の日辰は卯日である。いわゆる「某の木に生ず」とは、この一種の穀とあの一種の草木とが同じ一気を禀け、気類が相通ずるを謂い、故にその栄枯・貴賤は互いに占験しうる。
小豆生於李,出於農石之山谷中,生六十日華,五十日熟,凡一百一十日成,忌於卯;秫生於楊,出於農石之山谷中,七十日秀,六十日熟,凡一百三十日成,忌於午;蕎麥生於杏,出於長石之山谷中,生二十四日秀,五十日熟,凡七十五日成,忌於子;麻生於荊,出於農石之山谷中,生七十日秀,六十日熟,凡一百三十日成,忌於未、午、辰、亥日;小麥生於桃,出於須石之山谷中,生三百日秀,三十日熟,凡三百三十日成,忌於子;稻生於柳,出於農石之山谷中,生八十日秀,七十日熟,凡百五十日成,忌於亥。
小豆は李と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、六十日に華を開き、五十日に成熟し、共に一百一十日にして成る。忌む所は卯日である。秫(黏粟)は楊と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、七十日に穂を抽き、六十日に成熟し、共に一百三十日にして成る。忌む所は午日である。蕎麦は杏と同気にして生まれ、産は長石の山の山谷の中にあり、二十四日に穂を抽き、五十日に成熟し、共に七十五日にして成る。忌む所は子日である。麻は荊と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、七十日に穂を抽き、六十日に成熟し、共に一百三十日にして成る。忌む所は未日・午日・辰日・亥日である。小麦は桃と同気にして生まれ、産は須石の山の山谷の中にあり、三百日に穂を抽き、三十日に成熟し、共に三百三十日にして成る。忌む所は子日である。小麦は冬を越す物なるが故に、歴る日数は独り長い。稲は柳と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、八十日に穂を抽き、七十日に成熟し、共に一百五十日にして成る。忌む所は亥日である。
五穀,生長日種者多實;以老死日種者無實,又難生;以忌日種之,一人不食。禾生於已,疾於酉,長於子,老於戌,惡於丙丁,忌於寅卯;黍生於寅,疾於午,長於丙丁,老於戌,死於申,惡於壬,忌於丑;豆生於申,疾於子,長於壬,老於丑,惡於甲乙,忌於丙丁;麥生於酉,疾於卯,長於辰,老於午,死於已,惡於戌,忌於子。
五穀の中、およそ「生」の日・「長」の日に種を下す者は、結実は必ず多く、「老」の日・「死」の日に種を下す者は、結実しないのみならず、苗を出すことすら難く、もし忌む所の日に種を下せば、収穫は一人をも養うことを得ない。禾の生の日は巳にあり(底本は「巳」を「已」と訛る)、病の日は酉にあり、長の日は子にあり、老の日は戌にあり、悪む所は丙丁、忌む所は寅卯である。黍の生の日は寅にあり、病の日は午にあり、長の日は丙丁にあり、老の日は戌にあり、死の日は申にあり、悪む所は壬、忌む所は丑である。豆の生の日は申にあり、病の日は子にあり、長の日は壬にあり、老の日は丑にあり、悪む所は甲乙、忌む所は丙丁である。麦の生の日は酉にあり、病の日は卯にあり、長の日は辰にあり、老の日は午にあり、死の日は巳にあり、悪む所は戌、忌む所は子である。
太歲在四季,葶藶子熟時,可種禾豆;夏至時,可種黍麻;夏至後百五十日,地氣上時,可種麥。(丑辰未戌是也)太歲在四仲,椹熟時,可種禾豆;夏至,可種黍糜;夏至後九十日,地氣上,可麥。(子午卯酉是也)太歲在四孟,以蠶臥起時,可種禾豆;夏至前五十日,可種稻黍糜;夏至後八十日,地氣上,可種麥。(寅申巳亥是也)
太歳が四季の年に落つれば(原書の小注:すなわち丑・辰・未・戌の四支の年)、葶藶の子の熟する時に至り、禾と豆を種くべし。夏至の前後に至り、黍と麻を種くべし。夏至以後一百五十日・地気の上がる時に至り、麦を種くべし。太歳が四仲の年に落つれば(小注:すなわち子・午・卯・酉の四支の年)、桑の椹の熟する時に至り、禾と豆を種くべし。夏至に至り、黍と糜を種くべし。夏至以後九十日・地気の上がる時に、麦を種くべし。太歳が四孟の年に落つれば(小注:すなわち寅・申・巳・亥の四支の年)、春蚕の眠りて復び起つ時に至り、禾と豆を種くべし。夏至以前の五十日に、稲・黍と糜を種くべし。夏至以後八十日・地気の上がる時に、麦を種くべし。
八谷の陰陽の相衝
《黃帝占》曰:「谷有陰陽,沖位相當,王相廢休,名在其鄉。」《黃帝要經》曰:「春夏為陽,秋冬為陰,陰當合賤,陽當合貴,春夏賤為順,秋冬貴為逆。」《黃帝占》曰:「稻與小麥為陰陽,稻賤時,小麥貴,十五日反之,亦等;黍與小豆為陰陽,黍賤時,小豆貴;麻與大麥為陰陽,麻賤時,大麥貴,大麥賤時,麻貴;粟與大豆為陰陽,粟賤,大豆貴,大豆賤,粟貴。」
《黄帝占》はいう:「穀物は各々陰陽に分れ、衝する两位は彼此に対当し、王・相・廃・休のこの四種の盛衰の名は、各々それの属する方位に係る。」《黄帝要経》はいう:「春夏は陽に属し、秋冬は陰に属す。陰に属する時節は応に賎価を配すべく、陽に属する時節は応に貴価を配すべし。故に春夏に価賎しきは順、秋冬に価貴しきは逆である。」《黄帝占》はまたいう:「稲と小麦とは互いに陰陽と為り、稲価の賎しき時は小麦すなわち貴く、十五日を過ぎて則ち反転して、両者の価はまた持平す。黍と小豆とは互いに陰陽と為り、黍の賎しき時は小豆すなわち貴し。麻と大麦とは互いに陰陽と為り、麻賎しき時は大麦貴く、大麦賎しき時は麻貴し。粟と大豆とは互いに陰陽と為り、粟賎しければ則ち大豆貴く、大豆、大豆賎しければ則ち粟貴し。」
八谷の貴賤および歳・雑物・蚕の善悪を候す
《黃帝占》曰:「粟常以建戌之月下旬二十五日下價為本,以建亥之月上旬上價為末,乘本貴之一錢以五,並本價,以為來年春夏極貴定,即亥月與戌月平者,更以建子之月乘亥月價,見一貴之,一貴之以三,皆並本價,以為來年春夏極貴,各在其沖月,即冬三月皆不貴,各平,平者來年春不復貴矣。
《黄帝占》はいう:粟価を推す办法は、つねに斗柄の戌を建する月(夏暦の九月)下旬の二十五日の最低価を取って「本」とし、亥を建する月(十月)上旬の最高価を取って「末」とす。末価が本価より貴しきこと一銭ごとに、すなわち五をもって相乗じ、更に本価を併せ入れ、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。もし亥月の価が戌月と持平すれば、すなわち更に子を建する月(十一月)の価をもって亥月の価に乗じ、貴しき一銭を見るごとに、すなわち三をもって相乗じ、同様に本価に併入し、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。応験する時は、各々それと相衝するあの月にあり。もし冬季の三箇月が穀価は皆漲らず各自持平すれば、価すでに持平すれば、来年の春もまた復び貴からざるなり。
黍常以建酉之月下旬二十五日下價為本,以建戌之月上價上旬為末,本一錢貴之以五,並本價,以為來年春夏極價定,即冬三月平,平者春夏不復貴。麻常以建戌之月下旬二十五日價為本,以建亥之月上旬價為末,末乘其本一錢貴之以五,並本價,以為來年春夏價定,即冬三月皆平,平者春夏不復貴。
黍価を推す办法は、つねに酉を建する月(八月)下旬の二十五日の最低価を取って本とし、戌を建する月(九月)上旬の最高価を取って末とす。本価より貴しきこと一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。もし冬季の三箇月が価格持平すれば、来年の春夏もまた復び貴からざるなり。麻価を推す办法は、つねに戌を建する月下旬の二十五日の価を取って本とし、亥を建する月上旬の価を取って末とす。末価をもってその本価に乗じ、貴しき一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来年の春夏の価を定める。もし冬季の三箇月が皆持平すれば、春夏もまた復び貴からざるなり。
大豆常以建亥之月下旬二十五日下價為本,以建子之月上旬上價為末,末乘其本一錢貴之以五,並本價,以為來年春夏極價定矣,即冬三月皆平,平者春夏不復貴。麥常以建午之月下旬二十五日下價為本,以建未之月上旬上價為末,末乘本一錢貴之五,並本價,以為來冬春價極責定矣,夏秋三月平,平者冬不復貴。」
大豆価を推す办法は、つねに亥を建する月下旬の二十五日の最低価を取って本とし、子を建する月上旬の最高価を取って末とす。末価をもってその本価に乗じ、貴しき一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。もし冬季の三箇月が皆持平すれば、春夏もまた復び貴からざるなり。麦価を推す办法は、つねに午を建する月下旬の二十五日の最低価を取って本とし、未を建する月上旬の最高価を取って末とす。末価をもって本価に乗じ、貴しき一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来冬から来春までの最高価を定める(底本の「極責」は当に「極貴」の訛)。もし夏秋の三箇月が価格持平すれば、冬に至ってもまた復び貴からざるなり。
《師曠占》曰:「常以正月一日迄十二日,以占十二月,以日易月。每歲黃氣,其氣為差歲,風從西來,西南來,皆為穀貴;從東,即穀賤。」《黃帝占》曰:「正月上卯日候風,其有寒風者,谷小貴;若至沖,必貴矣。其卯日不風寒而溫者,即中平也。春雨甲申,五穀熟;夏雨甲申,五穀大好。」《神農占》曰:「正月上朔有風雨,三月穀貴,石五百錢。」
《師曠占》はいう:つねに正月の初一から十二日までのこの十二日を用い、各々一年の十二箇月の豊歉を占候し、一日をもって一箇月に当てて見る。每年に現わる黄気は、気色がもし正ならざれば、すなわち年成の参差不斉を主り、正月の内に風が西方より来たり、西南方より来たれば、皆穀価の騰貴を主り、風が東方より来たれば、穀価すなわち賎し。《黄帝占》はいう:正月の頭の一箇の卯日に風を候し、もし寒風の刮るあれば、穀価は小貴し。卯と相衝する月に至れば、必ず大貴なり。あの卯日に寒風刮らずして天気温和なれば、年景はすなわち中平である。春に甲申の日に雨下れば、五穀は成熟す。夏に甲申の日に雨下れば、五穀は大好なり。《神農占》はいう:正月の初一に風あれば雨あれば、三月に至りて穀価は必ず貴く、每石は五百銭に売らん。
《黃帝占》曰:「春雨甲寅、乙卯,入地五寸,糴小貴,若不貴,夏穀貴。正月丙丁為朔,穄黍貴;戊己為朔,粟貴;庚辛為朔,麻稻貴;甲乙為朔,大小麥貴;壬癸為朔,大小豆貴。正月三日,當風不風,則莫不同者,謂無黍。」《東方朔占》曰:「正月朔日雨,歲中,下田麥成,禾黍小貴。」《沛公占》曰:「常以正月,甲辰先至,大麥貴;丙辰先至,黍貴;戊辰先至,粟貴;庚辰先至,大豆貴;壬辰先至,小豆貴。正月一日得寅,貴,盡十二日,以占十二月。」
《黄帝占》はいう:春に甲寅・乙卯の日に雨下り、雨水が地下に浸み入ること五寸なれば、糧価は小漲す。もし当時漲らざれば、夏に至りて穀価は必ず貴し。正月の初一が丙日・丁日に逢えば、穄と黍は貴し。戊日・己日に逢えば、粟は貴し。庚日・辛日に逢えば、麻と稲は貴し。甲日・乙日に逢えば、大麦・小麦は貴し。壬日・癸日に逢えば、大豆・小豆は貴し。正月の初三、本当に風あるべきに竟に風なければ、各処の年景は便ち歉薄ならざるはなく、これは黍の絶収せんことを謂う。《東方朔占》はいう:正月の初一に雨下れば、一年の中に低窪の田の麦子は成熟することを得、禾と黍の価は則ち小ありて上揚す。《沛公占》はいう:つねに正月の内にどの辰日が先に至るかを見る——甲辰が先に至れば、大麦は貴く、丙辰が先に至れば、黍は貴く、戊辰が先に至れば、粟は貴く、庚辰が先に至れば、大豆は貴く、壬辰が先に至れば、小豆は貴し。正月の初一がもし寅日に逢えば、穀価の騰貴を主り、初一から数えて十二日に満てば、すなわちこの十二日を用いて十二箇月の貴賤を分占す。
《黃帝占》曰:「正月晦,二月朔,有風雨,稻惡,糴貴;二月晦,三月朔,有風雨,其年大水,麥惡;十二月晦,正月朔,風雨,春旱;三月晦,四月朔,有風雨,春糴貴;四月晦,五月朔,有風雨,其年大水,麥惡;五月晦,六月朔,有風雨,春旱;六月晦,七月朔,有風雨,春糴貴;七月晦,八月朔,有風雨,歲糴貴。」
《黄帝占》はいう:正月の末日と二月の初一に風あれば雨あれば、稲子は歉薄し、糧価は騰貴す。二月の末日と三月の初一に風あれば雨あれば、この年は大水を発し、麦子は歉薄す。十二月の末日と正月の初一に風あれば雨あれば、春は旱せんとす。三月の末日と四月の初一に風あれば雨あれば、春の糧価は貴し。四月の末日と五月の初一に風あれば雨あれば、この年は大水を発し、麦子は歉薄す。五月の末日と六月の初一に風あれば雨あれば、春は旱せんとす。六月の末日と七月の初一に風あれば雨あれば、春の糧価は貴し。七月の末日と八月の初一に風あれば雨あれば、全年の糧価は皆貴し。
《東方朔占》曰:「三月得己朔,大麥熟;庚朔,禾熟,兵賊起;辛朔,下田不收;壬朔,赤地千里,米穀貴;癸朔,熟。三月有三卯,大豆好,無三卯,旱,種禾。四月丙午,夏苗長,四月無三卯,旱,種麻。」《京房占》曰:「五月無三卯,旱,種大豆;六月無三卯,穄不好。」《神農占》曰:「八月有三卯,麥大善,無三卯,麥不善。」《京房占》曰:「八月無三卯,旱,種麥。」
《東方朔占》はいう:三月の初一が己日に逢えば、大麦は成熟す。庚日に逢えば、禾は熟すると雖も兵禍・盗賊は併せて起る。辛日に逢えば、低窪の田は顆粒の収なし。壬日に逢えば、赤地千里にして米穀は騰貴す。癸日に逢えば、年成は成熟す。三月の内に三箇の卯日あれば、大豆の生えること好し。三箇の卯日なければ、旱を主り、改めて禾を種くに宜し。四月に丙午の日に逢えば、夏苗は滋長す。四月に三箇の卯日なければ、旱を主り、改めて麻を種くに宜し。《京房占》はいう:五月に三箇の卯日なければ、旱を主り、大豆を種くに宜し。六月に三箇の卯日なければ、穄の生えること好からず。《神農占》はいう:八月に三箇の卯日あれば、麦子は大善。三箇の卯日なければ、麦子は善ならず。《京房占》はいう:八月に三箇の卯日なければ、旱を主り、麦を種くに宜し。
《黃帝占》曰:「四月朔日,風起,東來,雞鳴至日出,禾黍畝三斛;至日中,畝二十斛;至夜半,畝三十斛,以中田準之。」《黃帝占》曰:「夏至,以五月朔日至者,其國大驚,谷小貴;四月五日、六日至者,谷大貴;十日、十二日至者,五穀大貴;二十七日、二十九日至者,國王大驚;以晦日至者,國有大喪;六月朔至者,人民相食,及五年事,四月至上。」
《黄帝占》はいう:四月の初一に風起り、風が東方より吹き来り、鶏鳴の時から直に日出に至るまで刮けば、禾黍は每亩に三斛を収むべし。日中に至るまで刮けば、每亩に二十斛。夜半に至るまで刮けば、每亩に三十斛——これは皆中などの田地を准として折算す。《黄帝占》はまたいう:夏至のこの節気、もし五月の初一に落てば、その国は大いに驚擾を受け、穀価は小貴し。四月の初五・初六に落てば、穀価は大貴し。初十・十二に落てば、五穀の価格は大貴し。二十七・二十九に落てば、国君は大いに驚擾を受く。月末の最後の一日に落てば、国中に大喪あり。六月の初一に落てば、百姓は竟に人相食むに至り、その応験は五年の内に及ぶ。大抵夏至は四月に落つるをもって上と為す。
又云:「夏至在天門,土國大驚;在地戶,穀雨五穀大貴;在人門,為三公群臣大夫。穀貴,必察之二日之中。」又:「五六月晦朔日夏至者,賣田宅,穀貴十倍,人民相食,其歲惡,田宅雖賤,慎勿取之。立夏戊子,大風自北來,糴石三百倍貴。」
またいう:夏至が天門(西北の乾位)の位に落てば、その国土は大いに驚擾を受け、地戸(東南の巽位)に落てば、穀雨以後に五穀は大貴し、人門(西南の坤位)に落てば、応験は三公・群臣・大夫の身に在り。およそ穀価の騰貴を占するには、必ずこの前後の二日の内に仔細に察看すべし。またいう:五月・六月の月末あるいは月初に夏至を交る者は、人々は田宅を変売せんとし、穀価は十倍に貴く、百姓は人相食み、この一年の年成は極めて悪し。田宅は縦い価賎しきと雖も、切に買い入るること勿れ。立夏のこの一日がもし戊子に逢い、また大風が北方より吹き来たれば、糧価は每石に三百倍に貴からんとす。
《黃帝要經》曰:「春雨乙卯,夏糴貴;夏雨丁卯,秋糴貴;秋雨辛卯,冬糴貴;冬雨癸卯,春糴貴。倍,雨一卯,斛百文;雨二卯,斛二百;雨三卯,斛三百;雨四卯,斛一斤金。」《沛公占》曰:「三月一日乙卯,荊楚賤;得丁卯,周秦貴;得己卯,燕趙貴;得辛卯,韓魏貴;得癸卯,梁魯貴。」
《黄帝要経》はいう:春に乙卯の日に雨下れば、夏の糧価は貴し。夏に丁卯の日に雨下れば、秋の糧価は貴し。秋に辛卯の日に雨下れば、冬の糧価は貴し。冬に癸卯の日に雨下れば、春の糧価は貴し。漲価は倍に拠って推算す:一箇の卯日に雨下れば、每斛は一百文を漲じ、二箇の卯日に雨下れば、每斛は二百、三箇の卯日に雨下れば、每斛は三百、四箇の卯日に雨下れば、每斛は竟に黄金の一斤に抵当す。《沛公占》はいう:三月の初一に乙卯に逢えば、荊楚の一帯は糧価賎しく、丁卯に逢えば、周・秦の地は貴く、己卯に逢えば、燕・趙の地は貴く、辛卯に逢えば、韓・魏の地は貴く、癸卯に逢えば、梁・魯の地は貴し。
《神農占》曰:「凡蟲食李,則黍貴;食棗,粟貴;食杏,麥貴;食荊,麻貴;食桑,絲貴。正月上朔日,風從東來,植米善;風從南來,植黍善;風從北來,稚禾善。四月四日,風從東來,植豆善;西來,四日至七日,中善;七日至十日,稚禾善;十四日無風,不可種豆。從冬至日到來年滿六十日,有大風雨,折樹木,麥大善。從平朔至食時,植麥善;至日中,中麥善;至日入,稚麥善;常以夏至後九十日,可種。
《神農占》はいう:およそ虫が李樹を啃食すれば、黍はすなわち貴く、棗樹を啃食すれば、粟は貴く、杏樹を啃食すれば、麦は貴く、荊条を啃食すれば、麻は貴く、桑樹を啃食すれば、絲は貴し——これはまさに前文の「禾は棗に生じ」「黍は楡に生ず」の道理で、穀と草木とは同気に相通じ、草木が傷を受ければ、それの応ずる穀物は便ち歉薄して価貴し。正月の初一、風が東方より吹き来たれば、早種の米は生えること好し。風が南方より来たれば、早種の黍は生えること好し。風が北方より来たれば、晩種の禾は生えること好し。四月の初四、風が東方より吹き来たれば、早種の豆は生えること好し。風がもし西方より来たれば、初四から初七の間に刮り起これば、中期に種きし所は好し。初七から初十に刮り起これば、晩種の禾は好し。十四日に至るまでなお風なければ、すなわち豆を種くに宜しからず。冬至のこの日から算え起こして、来年に満六十日の内に、もし大風大雨あって樹木を吹き折れば、麦子は大好なり。風がもし天の明けんとする時から直に朝飯を喫する時に至るまで刮けば、早種の麦は好し。日中に至るまで刮けば、中期に種きし麦は好し。日落に至るまで刮けば、晩種の麦は好し。種を下す時節に至っては、つねに夏至以後の九十日をもって宜しと為す。
四月朔日,風從東來,從平明至辰時,植黍善;至日中,中黍善;至日入,稚黍善。正月朔日,日清明,蠶善。”《京房占》曰:“正月一日候風,平明和調不風,植稼蠶善;日中和調,中稼稚蠶善;至暮無風,五穀桑蠶滋茂,人民六畜無病。”《沛公占》曰:“正月一日,平明溫不風,早蠶善;日中不風,中蠶善;日入不風,稚蠶善;終日不風,植稚皆善。”《東方朔》曰:“正月朔日,當溫更風雨者,米大貴,蠶傷;風起西方,來年兵革貴。”
四月の初一のこの日、風が東方より吹き来たれば:天の剛に亮きた時から辰時(午前七時より九時)まで刮けば、早種の黍子の収成は好し。正午に至るまで刮けば、中期に種を下しし黍子の収成は好し。日落に至るまで刮けば、晩種の黍子の収成は好し。正月の初一に日色が晴朗・明浄なれば、この一年は蚕を養うこと順利なり。」《京房占》はいう:「正月の初一に風候を守候すべし、天の剛に亮きた時に気候が温和・平順にして風を起こさざれば、早種の庄稼と早蚕は皆好し。正午に至ってなお和順なれば、中期に種を下しし庄稼と中蚕は皆好し。傍晚に至って始終風なければ、五穀・桑樹・蚕事は皆繁茂せんとし、百姓と牛馬羊鶏犬豕の六畜は皆病を生ぜず。」《沛公占》はいう:「正月の初一に天の剛に亮きた時に暖和にして風を起こさざれば、早蚕は好し。正午に風なければ、中蚕は好し。日落の時に風なければ、晩蚕は好し。一整天を通じて皆風を起こさざれば、早種・晩種は一概に皆好し。」《東方朔》はいう:「正月の初一は本当に暖に転ずべきに、却って風を刮り雨を下らす者は、米価は大漲し、蚕事は損傷を受く。風が西方より刮り起これば、来年は兵禍に因りて兵器・甲仗の価銭は昂貴せん。」
《京房》曰:“太歲在寅,歲中三十日大陰,蠶不登,菽麥昌,人民食四升;太歲在卯,中調和,豆麥昌,人民食五升,旱四十日,在六月;太歲在辰,歲中旱三十日,六月大風,旱六十日,歲人病,豆成;太歲在巳,小兵起,大麥登,四十日旱,在六月,百物賤,不宜早蠶,晚者成,五穀熟;太歲在午,五百日旱,蠶登,百穀不為,晚蠶傷,兵革起,六畜、小兒死;太歲在未,十月小兵,豆登,麥惡,旱,蠶不成,晚者好,旱六十日,在二月;太歲在申,蠶登,麥熟,五穀,旱五十日,人多病,兵革起,早蠶不成,晚者好;太歲在酉,兵起,人病,早蠶不登,晚者好,六畜傷,六月、七月旱;太歲在戌,兵起,蠶不登,肉賤,牛馬貴,高山旱,人飢,米斗七十文;太歲在亥,兵起,人飢,人多病憂,在四十日,在州,旱七十日,豆麥好,五穀成,蠶子如星;太歲在子,水旱不時,五穀不成,旱三十三日,在六月,西方米麥暴貴;太歲在丑,有兵起,早蠶不成,晚者好,人民不安。”
《京房》はいう:「太歳(紀年に用いる歳陰の神)が寅位に行る年は、一年の中に三十天の陰気の過盛あり、蚕は豊収せず、豆類と麦子は茂盛し、百姓は每人毎日に糧を食むこと四升(この類の占辞は「几升を食む」を用いて年成の豊歉と耗用を標記す)。太歳が卯にあれば、年中に気候は調和し、豆麦は茂盛し、百姓は五升を食み、四十天の旱情あり、六月に応ず。太歳が辰にあれば、年中に旱三十天、六月に大風を刮り、また六十天を旱し、この年に人は多く病を生じ、豆子は収成あり。太歳が巳にあれば、小規模の兵事あり、大麦は豊収し、四十天を旱し、六月に応じ、百物の価は賎しく、早蚕を養うに宜しからず、晩蚕は成ることを得、五穀は成熟す。太歳が午にあれば、旱情は五百天に長く(日数はおそらく訛誤あり、要するに旱期は極めて久しい)、蚕事は豊収するも百穀は結実せず、晩蚕は損を受け、兵禍は興起し、六畜と幼児は多く死す。太歳が未にあれば、十月に小さき兵事あり、豆子は豊収し、麦子は歉収し、天は旱し、蚕は成らず、晩蚕は好し、六十天を旱し、二月に応ず。太歳が申にあれば、蚕事は豊収し、麦子は成熟し、五穀は穫あり、五十天を旱し、人は多く疾病し、兵禍は興起し、早蚕は成らず、晩蚕は好し。太歳が酉にあれば、兵を興し、人は病を生じ、早蚕は収せず、晩蚕は好し、六畜は損を受け、六月・七月は干と旱す。太歳が戌にあれば、兵を興し、蚕は豊収せず、肉価は便宜にして牛馬は昂貴し、高山の一帯は干と旱し、人に飢荒あり、米は每斗に七十文を値す。太歳が亥にあれば、兵を興し、人に飢荒あり、病多く憂多くして、期は四十天を為し、応験は州郡に在り、七十天を旱し、豆麦の生えることは好し、五穀は成熟し、蚕種は満天の星の如くに多し。太歳が子にあれば、水旱は時を失し、五穀は成らず、三十三天を旱し、六月に応じ、西方の米麦の価格は暴漲す。太歳が丑にあれば、兵事の興起するあり、早蚕は成らず、晩蚕は好し、百姓は安寧を得ず。」
《黃帝占》曰“太歲在亥,名曰天空,糴法當貴;太歲在丑,名曰陰盡陽起,可取陽谷,陽穀者,粟也;太歲在巳,名曰地空,糴法當貴;太歲在未,名曰陽盡陰起,可取陰谷,陰谷者,黍也;太陰乘寅,旱水晚旱,蠶禾菽麥昌,人食四升;太陰乘卯,禾稻菽麥黍昌,人食二升;太陰乘辰,早旱,晚水,人飢,豆昌,麥熟,民食二升;太歲乘巳,小兵動,蠶麥昌,二升;太陰乘午,大旱,蠶成,稻菽麥昌,禾不為,二升;太歲乘未,小兵起,蠶稻昌菽麥不為,三升;太陰乘酉,大兵,民疫,蠶菽麥皆不成,民食七升,大耗;太陰乘亥,有兵,麥禾善,五升;太陰乘子,天大霧,歲水大出,稻麥蠶禾昌,民食三升;大陰乘丑,歲小兵,早蠶不登,稻疾菽不成,麥昌,民食三升。”
《黄帝占》はいう:「太歳が亥に在る年は、名づけて『天空』と謂い、糧を買う占法に拠れば、糧価は応に昂貴すべし。太歳が丑にあれば、名づけて『陰尽・陽起』と謂い、陽穀を買い進むべく、陽穀とは粟を指す。太歳が巳にあれば、名づけて『地空』と謂い、糧を買う占法に拠れば、糧価は応に昂貴すべし。太歳が未にあれば、名づけて『陽尽・陰起』と謂い、陰穀を買い進むべく、陰穀とは黍を指す。太陰(太歳と相対して行る歳神)が寅位に行り至れば、先に旱して後に涝し、後期にまた旱し、蚕・禾・豆・麦は皆興旺し、每人の日食は四升。太陰が卯に行り至れば、禾・稲・豆・麦・黍は皆興旺し、每人の日食は二升。太陰が辰に行り至れば、前期は旱し、後期は涝し、人に飢荒あり、豆子は興旺し、麦子は成熟し、百姓の日食は二升。太歳が巳に行り至れば、小股の兵事の発動あり、蚕と麦は興旺し、日食は二升。太陰が午に行り至れば、大いに旱し、蚕は成ることを得、稲・豆・麦は興旺し、禾は結実せず、日食は二升。太歳が未に行り至れば、小さき兵事の興起あり、蚕と稲は興旺するも豆麦は結実せず、日食は三升。太陰が酉に行り至れば、大さなる兵事あり、百姓は瘟疫に遭い、蚕・豆・麦は皆成らず、百姓の日食は七升、耗費は極めて大なり。太陰が亥に行り至れば、兵事あり、麦と禾の生えることは好し、日食は五升。太陰が子に行り至れば、天は大霧を降し、この年は大水に氾濫し、稲・麦・蚕・禾は皆興旺し、百姓の日食は三升。太陰が丑に行り至れば、この年に小さき兵事あり、早蚕は収せず、稲子は病を生じ・豆子は成らず、麦子は興旺し、百姓の日食は三升。」
《黃帝占》曰:“正月一日、二日雨,民食二升;三日、四日雨,民食四升;五日、六日雨,民食六升;七日、八日雨,民食一升;十日雨,不占。”《師曠占》曰:“正月七日,風從西北來,起荊地,弱來,人民霖變訟,六畜貴,谷亦貴,過度,歲不善。”《京房占》曰:“正月初一日為雞,二日為狗,三日為羊,四日為豬,五日為牛,六日為馬,七日為人,八日為谷,和調不風寒,即人不病,六畜不死亡。”
《黄帝占》はいう:「正月の初一・初二に雨下れば、百姓は每人の日食は二升。初三・初四に雨下れば、日食は四升。初五・初六に雨下れば、日食は六升。初七・初八に雨下れば、日食は一升。初十に雨下れば、占断を作さず。」《師曠占》(春秋の楽師・師曠に托名した占候の書)はいう:「正月の初七日、風が西北の方より吹き来たり、荊楚の地に発端し、来勢は微弱なれば、百姓は連綿の陰雨に因りて変故・争訟を生じ、六畜の価は貴く、穀価もまた貴し。もし風勢が過猛なれば、この一年の年景は好からず。」《京房占》はいう:「正月の初一日は鶏に属し、初二は狗に属し、初三は羊に属し、初四は猪に属し、初五は牛に属し、初六は馬に属し、初七は人に属し、初八は穀に属す。どの一日か気候が和順にして風を刮らず寒冷ならざれば、属するあの一類はすなわち吉利にして、人は病を生ぜず、六畜もまた死亡せず。」これがすなわち古俗の正月初七をもって『人日』と為す由来である。
郗萌曰:“常以正月朔日暮,候東井,上有雲,歲水潦,務耕山田、高處。”《東方朔》曰:“常以正月一日夜半子時,候東方,有黃色雲者,春大赦;南方有黃雲者,夏有赦;西方有黃雲者,秋有赦;北方有黃雲者,冬有赦;雜者,皇太子有赦;有黑雲雜者,必有皇后若女子之赦。”《京房易占》曰:“正月一日,雲氣五色備且精神,十二律氣各具,歲則天下太平。風雨從西北起,糴貴。”
漢代の占候家・郗萌はいう:「つねに正月の初一の傍晚に東井宿(南方朱雀の七宿の首で、水を主る)を望観し、井宿の上方に雲気あれば、この一年に水涝あり、応に力を尽くして山田と高処の田地を耕すべし。」《東方朔》はいう:「つねに正月の初一の夜半の子時に東方を望観し、黄色の雲気の現わるる者は、春に大赦あり。南方に黄雲の現わるるは、夏に赦あり。西方に黄雲の現わるるは、秋に赦あり。北方に黄雲の現わるるは、冬に赦あり。黄雲に別色の雑る者は、皇太子を赦免す。黒雲の其間に夾雑するは、必ず皇后あるいは宮中の女子に関渉する赦令あり。」《京房易占》はいう:「正月の初一、雲気の五色が斉備してしかも鮮明にして神采あれば、十二律の対応する節気の気もまた各自に具足し、この一年は天下は太平なり。もし風雨が西北の方より刮り起これば、糧価は昂貴す。」
《神農》曰:“正月有甲子,糴初貴後賤。”《沛公》曰:“正月,甲寅先至,棺木貴;丙寅先至,絲帛貴;壬寅先至,魚鹽貴;各三倍。正月朔日,大風發屋、折木、揚沙、動石,其歲惡;風從東方來,人民多疾病;風從南方來,大旱;風從西方來,六畜死亡傷;風從北方來,下田不收,高田好。常從冬至後卻數,到來年正月上午,滿五十日,食足;不滿,一日之月,過一日,長一月。”
《神農》(神農氏に托名した農占の書)はいう:「正月の内に甲子の日に遇えば、糧を買う行情は先に貴くして後に賎し。」《沛公》はいう:「正月の内に、甲寅の日が最も先に至れば、棺木の価は貴く、丙寅の日が最も先に至れば、絲帛の価は貴く、壬寅の日が最も先に至れば、魚鹽の価は貴し。漲幅は各々三倍に達す。正月の初一、大風が屋頂を掀翻し・樹木を吹き折り・沙塵を揚げ・石塊を撼動せば、この一年の年景は悪劣なり。風が東方より来たれば、百姓は多く疾病す。風が南方より来たれば、大いに旱す。風が西方より来たれば、六畜は死傷す。風が北方より来たれば、低窪の田地は収成なく、高処の田地はかえって好し。つねに冬至以後より下に推算し、来年の正月の上旬の午日に至り、もし五十天に満てば、口糧は充足す。五十天に満たざる者は、一天少なければ一箇月の口糧を少なくし、一天多ければ、一箇月の口糧を多くす。」
《神農》曰:“正月上辛,溫者善,風寒者不好。”《黃帝占》曰:“常以正月、八月夜,候月在昴東,年中大喜;月在昴西,歲多雨;月在昴北,其年大惡;月在昴南,其年大旱。”《京房》曰:“正月、八月候月在參東,大善;在參西,多水蟲;在參北,大惡。”《黃帝占》曰:“春不欲雨乙卯,夏不欲雨丁卯,秋不欲雨辛卯,冬不欲雨癸卯,以此四卯日雨者,人民多病。”
《神農》はいう:「正月の上旬の辛日、天気が温暖なればすなわち吉利にして、風を刮り寒冷なればすなわち好からず。」《黄帝占》はいう:「つねに正月と八月の夜に月亮を望観す:月が昴宿の東にあれば、この一年に大喜慶あり。月が昴宿の西にあれば、この一年に雨多し。月が昴宿の北にあれば、この一年は極めて悪劣なり。月が昴宿の南にあれば、この一年に大いに旱す。」《京房》はいう:「正月・八月に月亮を望観して参宿の東にあれば、大いに吉なり。参宿の西にあれば、水中の虫害は多し。参宿の北にあれば、大いに凶なり。」《黄帝占》はいう:「春は乙卯の日に雨下るを欲せず、夏は丁卯の日に雨下るを欲せず、秋は辛卯の日に雨下るを欲せず、冬は癸卯の日に雨下るを欲せず。この四箇の卯日に雨下る者は、百姓は多く疾病を生ず。」
《黃帝占》曰:“常以正月一日,夜半子時至明,視北方,有黑雲,七月水四丈七尺;青雲,必有疾病流行,燕趙當之;赤黃雲,人民大飢,國多刑獄;白雲,素服之變;赤雲,國有喜,母子同光,女有昌。視南,有赤雲,當大旱,赤地千里,五月炎旱,六月有風雨,發屋折木;有白雲,國有大喪,天子失喪坐;有黑雲,大水,不出其年五月;有青雲者,大吉,婦女謀內。視西方,有白雲,秋有兵,內相走,宮鐘不鳴,劍戟交鋒;有青雲,大凶,君克臣必死,物在市,不出其年九月;黑雲者,大吉,利。
《黄帝占》はいう:「つねに正月の初一、夜半の子時から直に天亮に至るまで望む。北方を望めば:黒雲の現わるるは、七月の内に洪水は四丈七尺に達せんとす。青雲の現わるるは、必ず疾疫の流行あり、燕・趙の一帯に応ず。赤黄色の雲の現わるるは、百姓は大いに飢荒を鬧し、国中に刑獄は繁多す。白雲の現わるるは、素服を穿いて喪を挙ぐる変故有り。赤雲の現わるるは、国家に喜慶あり、母と子は一同に顕耀し、女子は昌盛す。南方を望めば:赤雲の現わるるは、将に大旱せんとし、赤地は千里にして、五月は酷熱・干と旱し、六月に風あれば雨あり、屋を掀き樹を折る。白雲の現わるるは、国に大喪あり、天子はその位を失う。黒雲の現わるるは、大水を発し、この一年の五月を出でず。青雲の現わるる者は、大いに吉なり、宮中の婦女は内に事を謀りて成るを得。西方を望めば:白雲の現わるるは、秋に兵事あり、朝廷の内部に宰輔は出奔し、宮中の鐘は更に鳴らず、刀剣・戈戟は相交る。青雲の現わるるは、大いに凶なり、君主は臣下を克伐し、臣は必ず死し、その応験の物は市上に陳して、この一年の九月を出でず。黒雲の現わるる者は、大いに吉なり、利あり。」
秋雨甲申,六畜多死;冬雨甲申,人民疾病。九月晦,十月朔,有風雨,其歲惡,有小水;十月晦,十一月朔,有風雨,人民多死。四月一日、二日得酉,人民大樂;三日、四日得酉,人民悅和;五日、六日得酉,人民多疾病;七日、八日得酉,人民多病;九日、十日得酉,人民多流;十一日、十二日得酉,人民自相食,大凶。”
秋に甲申の日に雨下れば、六畜は多く死す。冬に甲申の日に雨下れば、百姓は病を生ず。九月の最後の一日と十月の初一に風あれば雨あれば、この一年の年景は悪劣にして、小さき水患ありてあらん。十月の最後の一日と十一月の初一に風あれば雨あれば、百姓は多く死亡す。四月の初一・初二に酉日に逢上れば、百姓は大いに歓楽す。初三・初四に酉日に逢えば、百姓は和悦す。初五・初六に酉日に逢えば、百姓は多く疾病す。初七・初八に酉日に逢えば、百姓は多く病す。初九・初十に酉日に逢えば、百姓は多く他郷に流散す。十一・十二に酉日に逢えば、百姓は自ら相殘食し、大いに凶なり。」この一段は干支の日と月末月初の相交る日を用いて年景を推す:甲申は五行に属して金にして、秋冬は本より金水が令に当たり、更に雨水に逢えばすなわち寒濕の太過なり。晦朔の交接の際に風あれば雨あれば、則ち節気が転関の処に序を失するを謂い、故に一概に凶と断ず。
京房曰:“五月朔日,當熱而風雨者,米貴,人食草木。風從北方來,禾大敗,人民相食。”《黃帝占》曰:“立夏後五日,虹始出者,萬物皆實。冬至後一日、二日得酉,其歲半熟;三日、四日得酉,人民大樂;五日、六日得酉,田禾大熟;七日、八日得酉,大惡;九日得酉,五穀大貴;十日、十一二日得酉,五穀大成,傷害六畜,寇賊多興;十三日得酉,人民相戰,大凶災,八方俱沸沸。酉者金,兵之本,收成之元首。”
京房はいう:「五月の初一は本当に炎熱なるべきに、却って風を刮り雨を下らす者は、米価は昂貴にして、人は草木を食んで飢を充たす。風が北方より吹き来たれば、禾稼は大敗にして、百姓は相食す。」《黄帝占》はいう:「立夏以後の第五天、虹が始めて出現する者は、万物は皆結実せんとす。冬至以後の第一天・第二天に酉日に逢上れば、この一年は半分の収成あるのみ。第三・第四天に酉日に逢えば、百姓は大いに歓楽す。第五・第六天に酉日に逢えば、田の内の禾稼は大熟す。第七・第八天に酉日に逢えば、年景は極めて悪し。第九天に酉日に逢えば、五穀の価格は大漲す。第十天・第十一・十二天に酉日に逢えば、五穀は大豊収するも、六畜は損を受け、盗賊は四起す。第十三天に酉日に逢えば、百姓は互相いに攻戦し、大さなる凶灾あり、八方は皆紛擾して寧まらず。酉は五行に属して金にして、金は兵器の本にして、また収成の首要の神なり。」
京房曰:“冬至後一日有壬,無雨;二日有壬,稚再生;三日、四日有壬,上下皆熟;五日、六日有壬,溝渠溢,苗易治;七日、八日有壬,水橫流;九日、十日有壬,無立牆;過十日有壬,還一等,至後三日、七日有壬,苗難治。”
京房はいう:「冬至以後の第一天に壬日に遇えば、来年は雨なし。第二天に壬日に遇えば、晩種の庄稼は再び生長することを得。第三・第四天に壬日に遇えば、高田・低田は皆成熟することを得。第五・第六天に壬日に遇えば、溝渠は漲満して溢出し、禾苗は料理し易し。第七・第八天に壬日に遇えば、大水は横流す。第九・第十天に壬日に遇えば、水は墻すら立つるを得ざるに大なり。十天を過ぎて後に壬日に遇えば、水勢はすなわち一等を退回す。冬至後の第三日・第七日に壬日に遇えば、禾苗は料理し難し。」壬は十干の中に水に属すから、それの出現の早晩を用いて来年の水勢の大小を推測す。
《黃帝占》曰:“青車木位,甲寅之精,不周風至,一曰賊風至,棺木貴,葦蓆賤;廣莫風至,材木貴,葵韭賤;條風至,蔥薤賤,芻藁貴;明庶風至,梏朽賤,蒲席貴;清明風至,棺木賤,葦蓆貴;景風至,材木賤,葵韮貴;涼風至,芻藁賤,蔥薤貴;閶闔風至,蒲席賤,梏朽貴。火車,丙寅之精,不周風至,枲麻絡賤,黃白綠貴;廣莫風至,纑縷賤,錦繡貴;條風至,布縷賤,繒帛貴;明庶風至,綿皮革賤,絓絮貴;清明風至,黃白綠賤,枲麻絡貴;景風至,錦繡絓賤,纑貴;涼風至,繒席賤,布縷貴;閶闔風至,絓絮賤,綿皮革貴。
《黄帝占》はいう:「青車は木の方位に属し、甲寅の日の精気の主る所である。八風の中、不周風(西北風)の吹き来たるは、一説に賊風の到ると謂い、棺木は漲価し、葦席は跌価す。広莫風(北風)の吹き来たるは、木材は漲価し、葵菜・韭菜は跌価す。条風(東北風)の吹き来たるは、葱と薤は跌価し、草料・柴薪は漲価す。明庶風(東風)の吹き来たるは、朽木は跌価し、蒲席は漲価す。清明風(東南風)の吹き来たるは、棺木は跌価し、葦席は漲価す。景風(南風)の吹き来たるは、木材は跌価し、葵韭は漲価す。涼風(西南風)の吹き来たるは、草料・柴薪は跌価し、葱薤は漲価す。閶闔風(西風)の吹き来たるは、蒲席は跌価し、朽木は漲価す。火車は丙寅の日の精気の主る所である:不周風の吹き来たるは、麻類の繊維は跌価し、黄白緑の各色の染帛は漲価す。広莫風の吹き来たるは、麻縷は跌価し、錦繍は漲価す。条風の吹き来たるは、布縷は跌価し、繒帛は漲価す。明庶風の吹き来たるは、絲綿と皮革は跌価し、粗絲綿絮は漲価す。清明風の吹き来たるは、黄白緑の各色の染帛は跌価し、麻類の繊維は漲価す。景風の吹き来たるは、錦繍と粗絲は跌価し、麻縷は漲価す。涼風の吹き来たるは、繒帛・席具は跌価し、布縷は漲価す。閶闔風の吹き来たるは、粗絲綿絮は跌価し、絲綿・皮革は漲価す。」
土車,戊寅之精,不周風至,稻賤,秫術麥貴;廣莫風至,小豆賤,黍貴;條風至,大豆賤,粟貴;明庶風至,大麥賤,麻縑貴;清明風至,秫與小麥賤,稻貴;景風至,黍賤,小豆貴;涼風至,粟賤,大豆貴;閶闔風至,麻縑賤,大麥貴;金車,庚寅之精,不周風至,鐵器賤,鉛錫貴;廣莫風至,膠漆賤,黃金貴;條風至,珠璣賤,銅器貴;明庶風至,玉器賤,田宅貴;清明風至,鉛錫賤,鐵器貴;景風至,黃金賤,膠漆貴;涼風至,銅器賤,珠璣貴;閶闔風至,田宅賤,玉器貴;
土車は、戊寅の日の精気の主る所である:不周風(西北風)の吹き来たるは、稲米は跌価し、黏高粱と麦子は漲価す。広莫風(北風)の吹き来たるは、小豆は跌価し、黍子は漲価す。条風(東北風)の吹き来たるは、大豆は跌価し、粟米は漲価す。明庶風(東風)の吹き来たるは、大麦は跌価し、麻布・細絹は漲価す。清明風(東南風)の吹き来たるは、黏高粱と小麦は跌は跌価し、稲米は漲価す。景風(南風)の吹き来たるは、黍子は跌価し、小豆は漲価す。涼風(西南風)の吹き来たるは、粟米は跌価し、大豆は漲価す。閶闔風(西風)の吹き来たるは、麻布・細絹は跌価し、大麦は漲価す。金車は、庚寅の日の精気の主る所である:不周風の吹き来たるは、鉄器は跌価し、鉛錫は漲価す。広莫風の吹き来たるは、膠と漆は跌価し、黄金は漲価す。条風の吹き来たるは、珠玉は跌価し、銅器は漲価す。明庶風の吹き来たるは、玉器は跌価し、田地・房宅は漲価す。清明風の吹き来たるは、鉛錫は跌価し、鉄器は漲価す。景風の吹き来たるは、黄金は跌価し、膠漆は漲価す。涼風の吹き来たるは、銅器は跌価し、珠玉は漲価す。閶闔風の吹き来たるは、田地・房宅は跌価し、玉器は漲価す。
水車,壬寅之精,不周風發,鹽豉賤,海錯貴;廣莫風至,雞犬賤,鯉魚貴;條風發,豬豚賤,生魚貴;明庶風發,牛馬賤,羊羔貴;清明風發,海魚賤,鹽豉貴;景風發,鯉魚賤,雞犬貴;涼風發,生魚賤,豬豚貴;閶闔風至,羊羔賤,牛馬貴。凡五寅之風,所從吹本鄉來之處賤,風往所沖之處為貴。一日分出時,終日,貴在六十日;從日入至夜半,貴在二旬中;從夜半至雞鳴平明,貴在一時。
水車は、壬寅の日の精気の主る所である:不周風(西北風)の刮り起これば、鹽と豆豉は跌価し、海産は漲価す。広莫風(北風)の吹き来たるは、鶏犬は跌価し、鯉魚は漲価す。条風(東北風)の刮り起これば、猪豚は跌価し、鮮魚は漲価す。明庶風(東風)の刮り起これば、牛馬は跌価し、羊羔は漲価す。清明風(東南風)の刮り起これば、海魚は跌価し、鹽豉は漲価す。景風(南風)の刮り起これば、鯉魚は跌価し、鶏犬は漲価す。涼風(西南風)の刮り起これば、鮮魚は跌価し、猪豚は漲価す。閶闔風(西風)の吹き来たるは、羊羔は跌価し、牛馬は漲価す。およそこの五箇の寅日の風は、風の従り来たるあの方位の属する物はすなわち便宜にして、風の吹き向かい・正面に衝撃するあの方位の属する物はすなわち昂貴す。風が一天の中のどの時辰に起るかにもまた分別あり:日出から起こりて一整天を刮けば、漲価は六十天の内に応ず。日落から夜半に至るまで刮けば、漲価は二十天の内に応ず。夜半から鶏鳴・天亮に至るまで刮けば、漲価はただ一箇の時辰の間に応ず。
常以庚寅之日,候五車,金星動,故有耗,其物金鐵貴;動而不明,即貴;有大風寒,折木發屋,即大貴;大風寒大貴,小風寒小貴,其溫即賤,不風寒自如。常以壬寅之日,候五車,水星主船筏、六畜、水中自行者,故水車星動,微黑,即貴水物;有大風寒,折木發屋者,大貴;大風寒大貴,小風寒小貴,不風寒自如。
つねに庚寅のこの一天に五車星を観察す:金車の星が動揺すれば、故に耗損あるべく、金銀・鉄器の一類の東西は漲価す。星が動きて光色が明ならざるも、また漲価の兆である。もし大し大風・厳寒あって、樹木を吹き折り・屋頂を掀翻せば、すなわち大漲なり。風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。つねに壬寅のこの一天に五車星を観察す:水星は船筏・六畜および水中に自ら行るを得る魚鼈の属を主管するが故に、水車の星が動揺して色澤が微かに黒ければ、水産の物はすなわち漲価す。もし大風・厳寒あって、樹木を吹き折り・屋頂を掀翻する者は、すなわち大漲なり。風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。
常以甲寅之日,候五車,木星立柱材、木苗、蘆薪、苛茅,故木車星動,微青,即貴;有風寒,折木發屋,大風寒大貴,小風寒小貴,其溫即賤,不風寒自如。常以丙寅之日,候五車,火星主蟲採、繒帛、皮革,色赤,動,即貴;有大風,發屋折木,大風寒大貴,小風寒小貴,其溫即賤,不風寒自如。常以戊寅之日,候五車,土星主土公、田宅、五穀,其星赤黃,有柱動,即穀貴;有大風寒,發屋折木,大風寒大貴,小風寒小貴,溫即賤,不風寒自如。
つねに甲寅のこの一天に五車星を観察す:木星は柱を立てる木材・樹苗・芦柴・茅草を主管するが故に、木車の星が動揺して色澤が微かに青ければ、この東西はすなわち漲価す。もし風寒あって、樹木を吹き折り・屋頂を掀翻せば、風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。つねに丙寅のこの一天に五車星を観察す:火星は蚕を養い絲を採る・繒帛・皮革を主管し、その色は赤紅にして、星体が動揺すれば、この東西はすなわち漲価す。もし大風あって、屋を掀き樹を折れば、風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。つねに戊寅のこの一天に五車星を観察す:土星は土地の神・田地・房宅・五穀を主管し、その星の色は赤黄にして、星柱が動揺すれば、穀価はすなわち上漲す。もし大風・厳寒あって、屋を掀き樹を折れば、風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。
開元占経巻一百一十二
竹木草薬占
草木の休征
朱草
《孫氏瑞應圖》曰:“朱草者,草之精也。聖人之德,無所不至,則生。”《鶡冠子》曰:“惟聖人能正其音,調其聲,故德上及泰清,下及泰寧,中及萬靈,朱草生。”《尚書大傳》曰:“德先地序,則朱草生。”《淮南子》曰:“太清之世,流黃出,朱草生。”《春秋運斗樞》曰:“璇星得則朱草生。”《尚書侯》曰:“文命得成,俊乂在官,朱草生郊。”《魏略》曰:“文帝欲禪,朱草生於文昌殿側。”《大戴禮》曰:“朱草生,日生一葉,至十五日止,十六日,落一葉。”
孫氏《瑞応図》(もっぱら祥瑞の徴応を記録した図籍)はいう:「朱草は百草の精華である。聖人の徳が到らぬ所なく至れば、それは生ずる。」《鶡冠子》はいう:「ただ聖人のみ能くその音を正しくし、その声を調えるが故に、徳沢は上は泰清の天に達し、下は泰寧の地に及び、中は万物の霊に遍く及ぶが故に、朱草はこれに因りて生ず。」《尚書大伝》(漢代の伏生の一派が《尚書》を解説した書)はいう:「徳教が先に上に行なわれ、地道が下に序あれば、朱草はすなわち生ず。」《淮南子》はいう:「太清のあの清明・渾朴なる時代は、流黄のこの宝玉は出で、朱草もまた生い出ず。」《春秋運斗枢》(漢代に天象の符応を講じた緯書)はいう:「北斗第二星の天璇が運行してその常度を得れば、朱草はすなわち生ず。」《尚書侯》はいう:「文徳の教令が成就することを得、才徳の出衆した人が皆官位にあれば、朱草は便ち郊野に生ず。」《魏略》はいう:「魏の文帝・曹丕が将に漢室の禅譲を受けんとする時、朱草が文昌殿の傍に生じた。」《大戴礼》はいう:「朱草は生長し、毎日に一片の葉を長出し、第十五日に至って止まり、十六日より、毎日に一片の葉を落とす。」これは朱草の栄落を朔望月の盈虚に配合し、もってそれが天に応ずる瑞なるを見んとするものである。
嘉禾
《春秋感精符》曰:“德淪於地,則嘉禾生。”《春秋運斗樞》曰:“璇星得則嘉禾液。”
《春秋感精符》(漢代の春秋緯の一つで、人事と天象の感応を講ず)はいう:「君王の徳沢が大地に浸潤すれば、すなわち嘉禾を長出せん。」《春秋運斗枢》はいう:「北斗第二星の天璇が運行してその常度を得れば、嘉禾は便ち滋潤・飽満す。」いわゆる嘉禾とは、一本の禾茎の上に数穂を併生した穀子で、古人はそれを至徳の感召して来た豊年の祥瑞と看作す。
福草
《禮斗威儀》曰:“君乘木而王,福草生於廟中。”《瑞應圖》曰:“福草者,宗廟齋敬,則生宗廟中。”
《礼斗威儀》(漢代の礼緯で、北斗をもって王者の威儀に配す)はいう:「君主が木徳を承けて王と称せば、福草はすなわち宗廟の中に生ず。」《瑞応図》はいう:「いわゆる福草とは、宗廟の祭祀に斎戒・恭敬なる時、宗廟の内に生ずる一種の瑞草である。」古人は五行の徳をもって王朝に配し、「木を乗じて王たる」はすなわち木徳をもって命を受くるを謂い、木は春の生発を主るが故に、その応験は草木の瑞の上に落ちる。
芝草
《運斗樞》曰:“瑤光得則陵出芝草。”《瑞應》曰:“芝草者,親近耆老養有道,則生。”《地鏡》曰:“敬事耆老,不失舊故,則芝草生。”
《春秋運斗枢》はいう:「北斗第七星の瑶光が運行してその常度を得れば、丘陵の上に芝草を長出す。」《瑞応図》はいう:「芝草のこの瑞草は、君主が年高の徳ある老人に親近し、道ある士を奉養する時にのみ生長するのである。」《地鏡》(一つの望気・相地の書で、もっぱら地上の物象の顕示する吉凶を講ず)はいう:「恭敬に年老の人に事え、故旧を棄てざれば、芝草はすなわち長出せん。」三条は皆芝草の出現を敬老・尊賢に係り、見るべくしてそれの応ずる所は君主の人に待る德行であって、単純の物産ではない。
禾の連理
《地鏡》曰:“不失民心,則木連理生。”
《地鏡》はいう:「君主が民心を失わざれば、すなわち連理木を生ぜん。」連理木は二株の樹の枝幹が一処に長到りて合して一と為るを謂い、古人はそれを上下同心・遠近の帰一なる祥瑞と看作す。この条の標目は「禾連理」と作すも引く所の文は「木連理」を謂い、知るべくして禾と木の連理は占家の見れば同一類の徴応に属す。
木が本を同じくして枝を異にす
京房曰:“有木同本而異枝,是華光,國有吉昌,五穀登,他民歸國。”《京房傳》曰:“樹同本異末,君有度,諸侯朝。”
京房はいう:「ある樹が同じ根本にして各々不相同なる枝條を分かつは、これを『華光』と謂い、国家に吉慶・昌盛の事あり、五穀は豊収し、別国の百姓もまた帰附に来らん。」《京房伝》はいう:「樹木が同じ根本にして末梢が分岐するは、君主の行事に法度あり、諸侯の朝見に来たる徴応である。」本を同じくして枝を異にするは、根本が一に帰し、枝葉が各々その所を得るの象を取るが故に、吉と断ず。
木の卒長
《地鏡》曰:“國治,樹木卒長自大,其君方有嘉。”京房《易傳》曰:“木成,員圍以上,一夜長數丈,當有臣強於君。”
《地鏡》はいう:「国家が治理してよければ、樹木は忽然と自ら高く大きく長ずるは、この君主は方に喜慶の事あらんとす。」京房《易伝》はいう:「樹木がすでに長成し、囲の粗さが一抱以上なるに、一夜の間に数丈を猛長するは、則ち君主よりも勢力強き臣子を出現せんとす。」同じく樹木の暴長なるも、一は吉と断じ、一は凶と断ず。その分別はまさに樹の初長かすでに成材かに在り。初長にして茂盛なるは生機なり、成材して復び暴長するは便ち僭越・過分の象である。
木が君の屋上および朝廷に生ず
《地鏡》曰:“木卒生人屋室上,其地出聖人。”京房《易傳》曰:“木生於君屋上及朝廷,其君有聖子。”
《地鏡》はいう:「樹木が忽然と人家の屋頂の上に長ずるは、この地方は聖人を出さんとす。」京房《易伝》はいう:「樹木が君主の屋頂の上あるいは朝廷の中に長ずるは、この君主は聖明の子を有さん。」屋上・朝廷は本より草木の生長する処にあらず、反常の事にして占家は吉と断ずるは、それが至尊の地に出現すればを以て、応ずる所は人材の瑞である。
木が木に生じおよび木の枝を垂る
《地鏡》曰:“木生木,國益土。”又曰:“木生枝盡向下者,大吉。”
《地鏡》はいう:「一本の樹の上にまた別の一本の樹を長出するは、国家は将に疆土を増広せん。」またいう:「樹の上に生じ出ずる枝條が尽く朝下に低垂するは、大いに吉なり。」樹の上に樹を生ずるは、その増益の象を取るが故に、開疆を主り、枝條が低垂するは、その謙下の象を取るが故に、大いに吉と断ず。
木が偃ねて自ら起ちおよび木の実有るに生ず
京房曰:“有偃木而起,歲有大吉。木生有實,其邑有慶。”
京房はいう:「すでに倒伏した樹がまた自ら新たに立ち起くるは、この年に大吉の事あり。樹木が生長して果実を結ぶは、この城邑は将に喜慶あらん。」倒木が復び起つは、敗れて復び興るの象なり。生じて実有るは、功の成る験あるが故に、両者は皆祥瑞の一類に属す。
竹木の咎徴
竹木の自ら死する・疾疫・時に非ざる枯落
《地鏡》曰:“竹柏枝遍一百里,是謂陰消,陽國必亡。”又曰:“竹柏夏枯,王侯失位。”又曰:“樹木非其時而枯,是謂金克伐,不出一年,暴兵外國來。”又曰:“凡樹忽生死,主易,兵將至。”又曰:“社樹自死,世主國君亡。”京房曰:“有木夏落葉,有兵喪。”京房《易侯》曰:“秋葉落七十步,人民移徙,大飛揚,人民離鄉。”《地鏡》曰:“木葉非時落,去本七十步,國有兵,民棄故鄉。”
《地鏡》はいう:「竹子と柏樹の枝條が連綿として遍く一百里に及ぶは、これを『陰消』と謂い、陽に属するあの国家は必ず滅亡せん。」竹柏は本より陰類にして、陰類が極処まで盛なるは、まさに陽気の消尽されたる象なり。またはいう:「竹子と柏樹が夏天に枯死するは、王侯は爵位を丢せんとす。」またはいう:「樹木がその時に到らずして枯萎するは、これを『金克伐』と謂い、一年を出でずして、外国の凶暴の兵は将に打ち来たらんとす。」またはいう:「およそ樹木が忽然と生長し、忽然と死去するは、主上は更換せんとし、兵禍は将に至らん。」またはいう:「社壇の上の神樹が自ら枯死するは、当世の君主は亡国せんとす。」京房はいう:「樹木が夏天に葉を落とすは、兵禍と丧事あり。」京房《易侯》はいう:「秋の落葉が七十歩の遠きに吹き出されるは、百姓は将に遷徙せん。落葉の飛揚するが又高く遠ければ、百姓はすなわち家乡を離れんとす。」《地鏡》はいう:「樹葉が時に到らずして落ち、樹身を離るること七十歩に達するは、国中に兵事あり、百姓は故郷を抛棄せん。」
木が生じて復び死す
京房《易侯》曰:“枯楊生荑,斷枯復生,天闢當之。”《地鏡》曰:“竹葦樹木,枯死忽復生,輔臣執政,流其令。”又曰:“枯木冬生,《易》謂陰陽易位,不出二年,國有喪,小人近,君子亡。”又曰:“木實當死者反生,世主凶。”京房《易傳》曰:“木枯而生,不及二年,國有大喪,上貪色,以寵人為主。”又曰:“枯楊生花,國後當之。”
京房《易侯》はいう:「枯干した楊樹が新たに嫩芽を抽出し、枯死を斬られた樹がまた活転するは、天子の身に応ず。」(「枯楊生荑」は本より《周易・大過》九二の爻辞にして、占家は爻辞を借りて占を立つ。)《地鏡》はいう:「竹子・芦葦と樹木が枯死した後に忽然とまた活転するは、輔政の大臣が朝政を把持して、自らその号令を擅りに頒行す。」またはいう:「枯木が冬天に萌生するは、《易》の内に陰陽の位置を換えたと称し、二年を出でずして、国中に丧事あり、小人は君主に親近することを得、君子は害を受けて亡ぶ。」またはいう:「樹木が結実した後に本当に枯死すべきが、かえって新たに生長するは、当世の君主に凶禍あり。」京房《易伝》はいう:「樹木が枯死してまた活くるは、二年に及ばずして、国に大喪あり、君上は女色を貪戀し、寵幸する所の人を以て主宰と為す。」またはいう:「枯楊が花を開き出ずるは、国母の皇后の身に応ず。」
木の冬に栄ゆ
《地鏡》曰:“木冬生,有兵,民流。一曰:君失政。又曰:木冬華,當生,反死。”京房曰:“木冬生,王者不平,有卿相出走。”又曰:“有木冬榮,黍不成。”又曰:“木冬生,國後當之。”
《地鏡》はいう:「樹木が冬天に生発するは、兵事あり、百姓は流散す。一説に、君主が政柄を失掉したと。またはいう:樹木が冬天に開花するは、本当に生長すべき時節に到ってかえって枯死す。」京房はいう:「樹木が冬天に生発するは、王者の政令は平ならず、公卿・宰相の出奔するあらんとす。」またはいう:「樹木の冬天に開花するあるは、黍子は成熟するを得ず。」またはいう:「樹木が冬天に生発するは、国母の皇后の身に応ず。」冬天は本より万物の収蔵の時にして、草木はかえって生発・開花するは、時序の倒錯に属するが故に、咎徴に列す。
木の再び栄ゆ
《地鏡》曰:“木一歲再花實,有兵,民流。”又曰:“木再榮,世主墮子,姬女致兵之象。”又曰:“桃再花,夏有霜;杏再花,夏有電;李再花,春有霜;榆再莢,有寬令,當死反生。”又曰:“木春冬再作實,世主凶;秋夏再花實,鄰國逼之。”京房曰:“木歲再花,國後當之。”又曰:“木一歲再實,鄰國來其國。”又曰:“木再榮於夏,後亡,國有喪,若五穀不熟,百姓罷作。”
《地鏡》はいう:「樹木が一年の内に両度に開花・結実するは、兵事あり、百姓は流散す。」またはいう:「樹木が両度に繁栄するは、当世の君主は子嗣を喪失せんとし、これは姬妾・女子を寵幸して兵禍を招来するの象である。」またはいう:「桃樹が二度に開花するは、夏天に霜を下さん。杏樹が二度に開花するは、夏天に閃電を打たん。李樹が二度に開花するは、春天に霜あらん。楡樹が二度に莢を結ぶは、寛赦の詔令ありてあらん、本当に処死すべきがかえって命を活せん。」またはいう:「樹木が春天と冬天に両度に結実するは、当世の君主に凶あり。秋天と夏天に両度に開花・結実するは、隣国が来たりて相逼せん。」京房はいう:「樹木が一年の内に両度に開花するは、国母の皇后の身に応ず。」またはいう:「樹木が一年の内に両度に結実するは、隣国の人は本国に来たるを要せん。」またはいう:「樹木が夏天に再度に繁栄するは、皇后は将に死せんとし、国中に丧事あり。あるいは五穀が熟せざれば、百姓は農事を停止せん。」
桑穀が朝廷に自生しおよび木が土に入らずして生ず
《地鏡》曰:“桑谷俱生於廟廷,世主廢賢,用不肖。”又曰:“木生,不入土而獨立,天下危。”
《地鏡》はいう:「桑樹と構樹が一同に宗廟の庭院の内に長ずるは、当世の君主は賢人を廃棄し、無才・無徳の輩を任用す。」またはいう:「樹木が生長し、根が土の内に扎入らずして孤零と直立するは、天下は危殆なり。」桑穀が朝廷に共生するは、殷代の太戊の時の有名なる灾異の故事にして、占家はその例を沿用し、それを朝政の荒廃の応験と当作す。根が土に入らざるは、則ちその依托すべき根本なきの象を取る。
木が道の中に卒生しおよび木の卒枝
《地鏡》曰:“木卒生道中,君失治,九宮廢。”又曰:“木無故一夜十枝聚生,邑將虛。”
《地鏡》はいう:「樹木が忽然と道路の当中に長ずるは、君主は治道を失掉し、九宫(明堂の九間の正室で、朝廷の号令を発する所在を象徴す)は荒廃す。」またはいう:「樹木が無故に一夜の間に十根の枝條を聚生するは、この城邑は将に空虚・無人と変ぜんとす。」道路は本より人馬の通行する処にして、樹はかえってその中を堵塞するは、まさに政令の壅塞・不通なる象である。
木の葉を傷ふおよび木が自ら鳴く
《地鏡》曰:“木生一枝,偏無葉,歲惡,民飢。”又曰:“木忽自鳴,主死;自鳴,作金聲者,主地方分裂。”
《地鏡》はいう:「樹木が一根の枝條を長出し、偏えにこの一根が葉を生を生ぜざるは、年景は悪劣にして、百姓は飢荒せん。」またはいう:「樹木が忽然と自ら声響を発出するは、主上は死せんとす。自ら声を発して金属の音の如くに聞ゆるは、国土は分裂せんと主る。」木は本より声なし、無故にして鳴くはすでに反常なり。鳴きて金石の声を作すは、さらに金の木を克する来たるなり。故に断語もまた則ち更に重し。
木の哭泣および血を出し併せて歯を生ず
《地鏡》曰:“樹木泣,天下有兵。”《京房飛候》曰:“樹哭,實邑虛,虛邑實。”《地鏡》曰:“木無故血出,及汁流出地,邑敗,有兵。”京房曰:“伐木有血,侯王有憂。”又曰:“林木生齒,有兵起。”
《地鏡》はいう:「樹木が人の如くに哭泣・流涙するは、天下に兵事あり。」《京房飛候》はいう:「樹木が哭声を発出するは、原本の人烟の稠密なる城邑は空虚に変ぜんとし、原本の空虚なる城邑はかえって充実して起こらん。」《地鏡》はいう:「樹木が無故に血を流出し、あるいは樹汁が满地に淌れるは、城邑は敗亡し、兵事あり。」京房はいう:「樹木を砍伐する時に血を流出するは、侯王に憂患あり。」またはいう:「林中の樹木が歯を長出するは、兵事の興起あり。」草木は本来に血なく歯なし、一旦これ有れば、便ち物類の本性を失するなり。占家は一概に兵象と断ず。
楡莢が落ちず
京房曰:“榆莢不落,國受大咎。”
京房はいう:「楡樹の莢果が時に到ってなお脱落を肯ぜざるは、国家は大さなる灾殃を遭受せんとす。」楡莢は春に生じ夏に落つるは各々その時あり。落つべくして落ちざるは、すなわち去るべき者が去らず、謝るべき者が謝ぜざるなり。故に大なる禍殃と占す。
竹の実・枝を反す
《地鏡》曰:“竹實,眾鳥群行,不出二年,大飢。”又曰:“竹忽實而枯,主易,民飢。”又曰:“國中竹皆盡枯,地失。”
《地鏡》はいう:「竹子が子実を結ぶは、衆鳥は群れを成して飛来して啄食し、二年を出でずして、大さなる飢荒あらんとす。」またはいう:「竹子が忽然と結実して随いて枯死するは、主上は更換し、百姓は飢を捱せん。」またはいう:「国中の竹子が皆尽く枯すは、国土は将に喪失せんとす。」竹子は多年を経て始めて一度結実し、結実した後に随いて枯死するは、本よりその常性なり。占家はこの成片なる枯竭を看作して地気の衰敗・年穀の登らざる先兆と為す。
黍穄に疣を生ず
《京房易傳》曰:“黍生疣,大君有憂,相去亡;穄生疣,大君憂,大臣死。”
《京房易伝》はいう:「黍子の上に賚瘤を長出するは、大君に憂患あり、宰相は離職・出走せんとす。穄子(黏らざる黍)の上に賚瘤を長出するは、大君に憂あり、大臣は死亡せん。」穀物が疣を生ずるは、本体の外に無用の賚余の物を多出するなり。占家は便ち用いて朝廷の上に多余にして有害なる人事の出現したるに比附す。
蓬葉が生ず
《京房易傳》曰:“蓬葉繁興,歲不熟。”
《京房易伝》はいう:「蓬蒿の葉子が格外に繁茂に長ずるは、この年に庄稼は熟せず。」蓬は田間の野草にして、野草が地力を奪い去りて独り盛なるは、禾稼は自然と歉収す。占家はこれに由りて年成の好からざるを推知す。
開元占経巻一百一十三
人および神鬼占
人の名体
《春秋說題辭》曰:“人者,仁也。以心合也。(宋均曰:與他相偶合也。)《易》曰:立人之道,曰仁與義。”《春秋繁露》曰:“人有三百六十六節。耳目之明,日月之象;外有四支,副時數也;乍視乍暝,副晝夜也;乍哀乍樂,副陰陽也。。”《白虎通》曰:“人有五藏六府,所應五行六合也。”《大戴禮》曰:“天地人,一二三,三三九,九九八十一,主日,日數十,故人十月而生,人生期晬,然後行,三年,頭然後合焉。”《孝經援神契》曰:“頭圓法天,足方象地,五藏象五行,四支法四時,九竅法九州,兩目法日月,肝仁、肺義、脾信、心禮、膽斷、腎智、旁光,鬚髮象星辰,節象月歲,腸法經緯。”
《春秋説題辞》(漢代の春秋緯の一つで、もっぱら経文の名義を解釈す)はいう:「いわゆる人とは、すなわち仁なり、心をもって人と相合す。」(原書の小注:宋均はいう、他人と両々配合するの義である。)「《易》の内にいう:人道を確立するを、これを仁と義と謂う。」《春秋繁露》(董仲舒の天人の相副を論じた書)はいう:「人の身上に三百六十六箇の骨節あり、一年の日数と相当す。耳の聡く目の明るきは、日月の象なり。身外に四肢あり、四時の数と相副す。しばらく眼を開きしばらく目を閉づるは、昼夜と相副す。しばらく悲哀ししばらく歓楽するは、陰陽と相副す。」《白虎通》はいう:「人に五臓六腑あり、対応する所は五行と六合なり。」《大戴礼》はいう:「天・地・人は分別に一・二・三に配し、三三に九を得、九九に八十一と為り、日を主管す。日の数目は十なり。故に人は十月を懐胎して出生す。人は生まれて一週歳に満ちて、然る後に始めて歩くことを得。三歳に到って、頭頂の囟門は始めて合攏せん。」《孝経援神契》はいう:「頭は円なり、天に取法す。足は方なり、地に取象す。五臓は五行に取象し、四肢は四時に取法し、九竅は九州に取法し、両只の眼睛は日月に取法す。肝は仁に配し、肺は義に配し、脾は信に配し、心は礼に配し、胆は決断を主り、腎は智慧を主り、この外にまた膀胱あり。須髪は星辰に取象し、骨節は月と歳に取象し、腸子は天地の経緯に取法す。」
人の瑞
真人
《禮斗威儀》曰:“君乘土而王,其政太平,黃真人遊於後池。”(宋均注曰:黃,土色;遊於後宮之池,則黃帝問道於玄女素女是也。)孫氏《瑞應圖》曰:“真人者,黃帝時遊於池,王者著德不貪貨利,則金人乘金船,遊王后池。”又曰:“王者德至,則金人遊於池。”
《礼斗威儀》はいう:「君主が土徳を承けて王と称し、政治が太平なれば、黄色の真人は後宮の池上に遨游す。」(原書の小注:宋均の注はいう、黄は土の顔色なり。後宮の池中に遨游するは、すなわち黄帝が玄女・素女に道を問うあの一類の事である。)孫氏《瑞応図》はいう:「いわゆる真人とは、黄帝の時に池上に遨游した神人である。君王がその徳を彰明にして財貨の利を貪図らざれば、すなわち金人ありて金船に乗り、王の後池に游せん。」またはいう:「王者の德行が極処に到れば、すなわち金人ありて池中に游ぶ。」
玉女
《禮含文嘉》曰:“禹卑宮室,盡力溝洫,百穀用成,玉女敬降養。”(宋均注云:玉女,有人如玉色也,天降精,生玉女,使能養人,美女玉色,養以延壽也。)
《礼含文嘉》(漢代の礼緯の一つ)はいう:「大禹は簡陋なる宮室に住み、力を尽くして溝洫を疏通し、百穀はこれに因りて豊成し、玉女は便ち恭敬に降りて彼を奉養す。」(原書の小注:宋均の注はいう、玉女とはすなわち膚色が玉の如き人である。上天が精気を降下し、玉女を生出して、彼女に能く人を奉養せしむ。美女は玉の一般の容色を生得し、君王を奉養してもって寿命を延長す。)
賢聖が進む
《春秋繁露》曰:“君恩及倮蟲,城郭充實,則賢聖皆進。”鄭玄注《論語》云:“周公相成王,致太平時,四乳而生八子,皆有賢行,和氣之所致也。”
《春秋繁露》はいう:「君主の恩沢が倮虫(羽毛・鱗甲なき一類にして、人はすなわち倮虫の長なり)に施及し、城郭の内に戸口が充実すれば、賢人・聖者は便ち皆朝に進用せん。」鄭玄の《論語》注はいう:「周公が成王を輔佐して太平を招致した時、婦人ありて四度分娩して八箇の児子を生下し、個々に皆賢徳の行為あり。これは天地の和気の感召して来たる所である。」《論語》の記する所の「周に八士あり」は、旧説はまさに一母の生ずる四対の孿生の兄弟である。
長人が見ゆ
《魏志》曰:“咸熙二年,晉太子昭封襄武縣,言有大人見,長三丈,餘跡長三尺二寸,白巾,著黃單衣,黃巾,柱杖,或雲今當太平。”
《魏志》はいう:「魏の元帝の咸熙二年、晋の太子(司馬)昭の封じたる襄武県は上報していう:巨人の出現するありと。身の高さは三丈、遺したる足跡の長さは三尺二寸、頭上に白巾を裹み、身に黄色の単衣を著け、また黄巾を係え、拐杖を柱く。ある人はこれを今将に天下は太平せんとすることを預示すと謂う。」これはまさに魏晋の易代の際の事にして、その後に司馬氏は魏禅を受けて晋を建て、当時の人は便ち長人の現身を附会して改朝换代の符瑞と為す。
人の怪
長人が国に入る
京房曰:“君暴亂,疾有道,厥妖長狄入國。”《左傳》:“文公十一年,敗狄於咸。”《谷粱》、《公羊傳》曰:“長狄也,兄弟三人,一者之魯,一者之齊,一者之晉,煞之,身橫九畝,(五丈四尺)斷其首而載之,眉見於軾。何以書?記異也。劉向以為,時周室衰微,三國為大,可責者也。天戒若曰:不行禮義,大為夷狄之行,將致危亡。其後三國皆有篡逆之禍,近下人伐上之痾也。”
京房はいう:「君主が暴虐・昏乱にして、道ある人を忌恨すれば、相応する妖異はすなわち身量の奇高なる長狄の国境に進入するなり。」《左伝》の記はいう:「魯の文公十一年、咸の地に於て狄人を打敗せり。」《谷梁伝》《公羊伝》はいう:「これは長狄なり、兄弟三人あり、一つは魯国に到り、一つは斉国に到り、一つは晋国に到る。それを殺し、尸身は横躺して九畝を占め(原書の小注:折合して五丈四尺)、その頭を斬って車上に装載すれば、眉毛はなお車前の横木より高し。なんの故にこの事を記するや。異常の象を記載するを為すなり。劉向は以為す、当時に周王室は衰微し、魯・斉・晋の三国の勢力は最も大にして、応に責備を受くべき者なり。上天の告誡は髣髴として謂う:礼義を推行せず、一味に夷狄の行径を做せば、将に危亡を招致せんと。後に三国は皆簒弑・叛逆の禍を発生せり。これは在下の者の在上の者を討伐する病象に属す。」
《史記》:“秦始皇帝二十六年,有大人長五丈,足跡六尺,皆夷狄服,凡十二人,見於臨洮。天戒若曰:大為夷狄之行,將受其禍。是歲秦始皇初並六國,反患以為瑞,銷天下兵器,作金人十二像之,自言賢聖,燔《詩》、《書》,坑儒士,奢媱暴虐,務欲廣地,南戍五嶺,北築長城,以備胡越,塹山填谷,西自臨洮,東至大連,東西徑數千里,故大人見於臨洮,明禍亂之起也,後十四年而秦亡。”
《史記》の記はいう:「秦の始皇帝二十六年、身の高さ五丈の巨人あり、脚印の長さは六尺、皆夷狄の衣服を著け、一共に十二人、臨洮に出現せり。上天の告誡は髣髴として謂う:一味に夷狄の行径を做せば、将にその禍患を承受せんと。この年に秦の始皇は剛に六国を併呑し、かえってこの場の禍患を当作して祥瑞と為し、天下の兵器を銷熔し、十二箇の金人を鋳成して彼らに仿照し、自ら賢聖と称し、《詩》《書》を焚焼し、儒生を坑殺し、奢侈・淫佚・残虐・苛虐にして、一心に疆土を開拓せんと欲し、南辺に五嶺を戍守し、北辺に長城を修築し、用いて胡人と越人を防備し、山岡を塹断し、溝谷を填平し、西は臨洮より起り、東は大連に至り、東西は数千里を横貫す。故に巨人が臨洮に現身するは、まさに禍乱のこれに由りて起るを表明す。その後十四年にして秦朝はすなわち滅亡せり。」
人が走りて宮室に入る
《春秋潛潭巴》曰:“有人入宮之禍,極效之驗也。”又曰:“有人走入宮,不知其名,大水為災,國驚,群猾並謀。”《漢書五行志》曰:“成帝建始三年七月丁未,渭上女子陳持弓,年九歲,言大水至,走入城,入未央宮尚方掖門,殿門門內諸衛戶者莫見,至鉤盾省乃見,民驚走上城,此下將篡國,因女寵有宮室之象也。後王氏兄弟父子,五侯秉權,至莽卒篡天下。”
《春秋潜潭巴》(漢代の春秋緯の一つ)はいう:「外人の宮禁に闖入する禍事は、灾異の極処に応験する証験である。」またはいう:「人ありて宮中に跑り入り、誰もその姓名を知らざるは、将に大水ありて灾を為し、举国は驚擾し、一群の奸猾の徒は同時に作乱を図謀せん。」《漢書・五行志》はいう:「漢の成帝の建始三年七月丁未日、渭水辺に名を陳持弓と謂う女子あり、年紀はわずかに九歳、大水は将に来たると謂い、京城に跑り入り、未央宮の尚方掖門に闖入す。殿門以内の門を守る衛士は竟に一人も彼女を見ず、鉤盾署に到って始めて人に発覚せられたり。百姓は驚慌し、紛紛として城墻の上に跑上す。これは在下の者が将に国柄を簒奪し、女寵に凭借して宮室を占拠するの象なり。後に王氏一門の兄弟・父子は五人が侯を封ぜられ権を秉り、王莽に到って終に天下を簒奪せり。」
又曰:“成帝綏和二年八月庚申,鄭通裡男子王褒,衣絳衣小冠,帶鉤,入北司馬殿東門,上前殿,入非常室,解帷組結佩之,曰:天帝令我居此署。長業等收縛考問,褒故公車大誰卒。(應劭曰:在司馬殿門掌權呵也。)病狂易,不自知入宮。後王莽篡之象。”
またはいう:「成帝の綏和二年八月庚申日、鄭県通里の男子・王褒は、絳色衣を著け小冠を戴き、帯鈎を係え、北司馬門の殿東門に闖入し、前殿に登上り、非常室に進入し、帷帳の上の絲帯を解きて結を打ちて身に佩びていう:天帝は我にこの官署に住ましめんと命ず。長業等は彼を捆り挙げて審問せば、原来王褒は从前に公車署の『大誰卒』を当过りき。(原書の小注:応劭はいう、すなわち司馬殿門に盤査・喝問を掌管する差役である。)彼の害する所は癲狂病にして、自らもどうして宮に進入したかを知らず。これは後の王莽の簒位の先象である。」
《續漢書》云:“靈帝光和中,洛陽男子以弓箭射闕北,吏收考問,辭居貧負責,無所聊生,因買弓箭以射闕,近射妖也。其後車騎將軍何苗與兄大將軍進,部曲相疑,對相攻擊,戰於闕下,苗死敗,殺數千人,洛陽宮室因火延燒盡。”《風俗通》曰:“靈帝光和元年,南宮中黃門寺,有一男子長九尺,白衣,中黃門吏呵問:汝何等人?白衣妄入宮曰:我梁伯夏,天使我為天子。吏欲收取,忽不見。董卓之應也。”
《続漢書》はいう:「漢の霊帝の光和中、洛陽に一箇の男子ありて弓箭を用いて宮闕の北面を射し、官吏は彼を捕え去りて審問せば、彼は供称して、家は窮にして債を負い、活き下きることを得ず、これに因りて弓箭を買いて宮闕を射るに至れりと。これは『射妖』の一類に近し。後に車騎将軍・何苗と彼の兄の大将軍・何進の両家の部曲は互相いに猜忌し、彼此に攻撃し、宮闕の下に於て交戦し、何苗は兵を敗れて殺され、数千人が死し、洛陽の宮室もまた大火に延焼して殆ど尽きたり。」《風俗通》はいう:「霊帝の光和元年、南宮の中黄門の官署の内に、一箇の男子ありて身の高さ九尺、一身に白衣なり。中黄門の吏員は喝問していう、汝は何人なれば白衣を著けて擅自に宮に闖入するやと。彼はいう、我は梁伯夏と叫び、上天は我を派して天子を做らしめんとすと。吏員は彼を捕えんと欲せば、彼は忽然としてすなわち見えず。これは董卓の乱政の応験である。」
王陵《晉書惠帝紀》曰:“齊王同為大司馬,十二月,有白頭老公入司馬府,大呼:有大兵起,不出甲子旬。即收都衛考,竟殉於內,外演。”《晉漢春秋》曰:“齊王同輔政大安元年,有一婦詣大司馬門,求寄產,吏乃詰之,婦曰:待我截臍便去。言訖不見,有位者聞而惡焉,至二年而同被誅。”
王陵《晋書・恵帝紀》はいう:「斉王の冏(本書は『同』と作す)が大司馬に出任す。十二月の内に、白頭の老翁ありて大司馬府に闖入し、高声に喊びていう、大兵将に起こらんとし、甲子のこの一旬を出でずと。当に都衛に収捕・拷問せられ、最後に府内に死すれども、消息は外面に伝揚し出でたり。」《晋漢春秋》はいう:「斉王の冏が政を輔する太安元年、一箇の婦人ありて大司馬府の門前に来たり、地方を借りて生産せんことを求む。吏員は彼女を盤問せば、婦人はいう、我を待ちて臍帯を剪断せば便ち去らんと。話す已んで人はすなわち見えず。位ある者は聞きて後に深く悪と為し、第二年に到って司馬の冏は果して誅殺せられたり。」
訛言
《漢書王莽傳》曰:“建國元年,長安狂女子碧,呼道中:高皇帝大怒,趣歸我國,不者九月殺汝。莽收捕殺之。”《幽州錄》曰:“吳郡張茂度在益州時,忽有人道朝廷誅徐羨之、傅亮、謝晦三人,遂傳紛紜,張推問造言之主,問何由言此,答曰:實無所承,恍惚不知言之耳。張鞭之,傳者遂息,後乃驗,日月正與符同。”
《漢書・王莽伝》はいう:「始建国元年、長安に発狂した女子ありて名を碧と謂い、路の上に高喊していう、高皇帝は大いに震怒し、速やかに我が国家を還帰せよ、然らざれば九月の内に汝を殺さんと。王莽は彼女を捕え挙げて殺せり。」《幽州録》はいう:「呉郡の人・張茂度が益州の任上に在る時、忽然と人ありて朝廷が徐羡之・傅亮・謝晦の三人を誅殺したと伝説し、すなわちち流言は紛紛たり。張茂度は謡を造る人を追查し、彼に問うてなんに凭りてかくの如く講ずるやと。あの人は回答して、実に来路ある所なく、恍恍惚惚としてすなわち説き出づるのみと。張茂度は彼を鞭打せり、伝言はこれに始めて平息す。後に事情は竟に応験し、日期・月份すら伝うる所と相合せり。」
沈約《宋書》曰:“大明二年,民築治廣陵城,劉誕出巡行,有人楊聲大罵,曰:大兵尋至,何以辛苦百姓?使執之,問其本末,答曰:夷姓名孫,家在海陵,天公與佛道共議,欲燒此間人民,道佛苦諫,強得至今,大禍將至,何不立六慎門?誕問:六慎雲何?答曰:古言,禍不過六慎門。誕以其言狂悖,殺之。又五軍士忽狂,見鬼驚怖啼哭,曰:外軍圍城,城上張白布帆。執錄二十餘日乃散,築城之日,雲霧晦暝,白虹臨門,連蜀城內。”
沈約《宋書》はいう:「大明二年、百姓は広陵城を修築・整治す。竟陵王・劉誕は出でて巡行せば、人ありて声を揚げて大罵していう、大軍はすぐに至らん、なんの故にまた百姓を苦累するやと。劉誕は人に彼を捕えしめ、彼の来歴・始末を問えば、あの人は回答していう、我は姓を夷、名を孫とし、家は海陵にあり。天公と仏道は一同に商議して、この一帯の百姓を焼死せしめんと欲せり。仏道は苦苦に勧諫して、始めて勉めて今日に拖延す。大禍は将に至らん、なんの故に『六慎門』を立起せざるやと。劉誕は問う、六慎とはなんぞやと。回答していう、古話にいう、禍患は六慎門を過ぎずと。劉誕は彼の言語を狂悖と認め、彼を殺せり。別に五名の軍士ありて忽然と発狂し、鬼を見て驚恐・啼哭していう、外面の軍隊は城を囲めり、城頭の上に白布帆を張れりと。彼らは二十余天を拘押せられて始めて散去せり。城を築くあの日、雲霧は昏暗にして、白色の虹霓は城門の上に圧し、直に城内に連入せり(『蜀城』は当に城中の一処の地名)。」
童謡
《漢書五行志》曰:“言之不從,是謂不義,時則有詩妖,君亢陽而虐,臣畏刑而箝口,則怨謗之氣,發於歌謠,故有詩妖。”《鴻範五行傳》曰:“下既非君上之刑,畏嚴刑而不敢正言,則先發於歌。歌,口事也。氣逆則惡言至,或有怪謠,以此占之,故曰詩妖。古者人君必視人民,聽其歌謠,以省國政。”
《漢書・五行志》はいう:「言語が理に順うこと能わざるは、これを不義と謂い、あの時にすなわち『詩妖』を出現せんとす。君主は剛愎・暴虐にして亢盛の陽の如く、臣下は刑罰を害怕して口を閉じて言わず、ここに於て怨恨・毀謗の気は歌謡の内に発泄す。故に詩妖あり。」《鴻範五行伝》(漢代に《尚書・洪範》に依りて灾異を推説した書)はいう:「下の人は本より君上の刑政を非議するも、厳刑を害怕して直言すること敢えず、すなわち先ず歌唱の内に発泄し出ず。唱歌は口舌の事なり。気機が悖逆すれば、悪言はすなわち随いて来たる。時にまた古怪の歌謡を出現するあり、占家は便ちこれに拠りて推断す。故に詩妖と謂う。古の君主は必ず民情を察看し、百姓の歌謡を傾聴して、用いて国政を省察す。」
《左傳》曰:“僖公五年,晉侯伐虢,八月甲午,圍上陽,問卜偃曰:吾其濟乎?對曰:克之。公曰:何時?對曰:童謠有雲,丙之晨,龍尾伏辰,(龍尾,尾星也。日月之會曰辰,日在尾,故尾星伏而不見也。)均服振振,取虢之旗,(戎事上下同服。振振,盛貌;旗,軍之旌旗也。)鶉之賁賁,天策焞焞,火中成軍,虢公其奔。
《左伝》はいう:「魯の僖公五年、晋の献公は虢国を討伐し、八月甲午日に上陽城を包囲せり。卜偃に問うていう、我はこの回に事を成すことを得るやと。回答していう、能く攻下せんと。献公はいう、いつの時ぞやと。回答していう、童謡の内に唱えていう、丙の日の清晨、竜尾星は日月の交会する処に隠伏す(原書の小注:竜尾とはすなわち尾宿なり。日月の交会を辰と謂い、太陽が尾宿に行れば、故に尾星は隠伏して見えず)、将士は一色の戎装を著け、軍容は盛壮にして、虢国の旗幟を奪取せん(原書の小注:兵事の中に上下は同様の服色を著く。振振は盛壮の様子なり。旗は軍中の旌旗なり)、鶉火の星は光彩閃耀し、天策星は暗淡・無光にして、鶉火星が南方の正中に行るを待って、軍事は便ち成功を告げ、虢公はすなわち将に出奔せんとす。」
(鶉,鶉火星也;賁賁,鳥星之體也;天策,傅說星;時近日,星微;焞焞,無光耀也。言丙子平旦,鶉火中,軍事有成功也。此已上皆童謠言也,童子未有念慮之惑,而會成嬉戲之言,似有所憑者,其言或中或否,博覽之士,能懼思之人,兼而志之,以為炯戒,以為將來之驗,有益於世救。)其九月、十月之交?(以星驗之,知九月、十月之交,謂夏之九月、十月也。交,晦朔交會。)丙子旦,日在尾,月在策,(是夜日月合朔於尾,月行疾,故至且過,在策。)鶉火中,必是時也。冬十二月丙子朔,晉滅虢,虢公丑奔京師。”(周之十二月,夏之十月也。)
(原書の小注:鶉は鶉火星を指す。賁賁は鳥星の体貌を形容す。天策はすなわち傅説星にして、当時に太陽に近づき、星光は微弱なり。焞焞は光耀なき様子なり。これは丙子の日の天剛に亮きた時に、鶉火星は正しく南方の中天に当たり、軍事は将に成功有らんとすることを謂う。以上は皆童謡の内の話である。児童の心里には未だ思慮の成見なく、凑合して嬉戯の言を成し、却って所の凭依あるかの如し。この類の話はあるは応験し、あるは験ならず、見聞の広博なる士と能く戒惧の心を存する人はそれらを一併に記下来し、当作して明白の鑑戒、当作して将来の検証と為し、世事を救助するに益あらんとす。)卜偃は続いていう、大抵九月・十月の交あたりか。(原書の小注:星象を用いて検証すれば、知るべくして九月・十月の交にして、夏暦の九月・十月を指す。交は月末・月初の交接の時なり。)丙子の日の清晨、太陽は尾宿にあり、月は天策星にあり(原書の小注:この夜に日月は尾宿に於て合朔し、月の行るは疾きが故に、時に到ってすでに越過し、天策に行れり)、鶉火星は南方の中天に当たり、必ずこの時なり。冬の十二月丙子の朔日、晋国は虢国を滅掉し、虢公の丑は周天子の京師に出奔せり。」(原書の小注:周暦の十二月はすなわち夏暦の十月である。)
《左傳》曰:“文成之世,童謠曰:‘鸜之鵒之,公出辱之。鸜鴒之羽,公在外野,往饋之馬。鸛鵒跦跦,公在乾侯,徵褰與襦。鸜鵒之巢,迄哉搖搖,稠父喪勞,宋父以驕。鸜鵒鸜鵒,往歌來哭。’至昭公時,鸜鵒來巢,公攻李氏,敗,出奔在外野,次乾侯。八年,薨於外,歸葬。魯昭公名稠,公子宋立,是為定公。”
《左伝》はいう:「魯の文公・成公の年代、童謡ありて唱えていう、『鸜鵒や鸜鵒、国君は出奔して屈辱を受く。鸜鵒の羽毛や、国君は野外に流落して、人ありて馬を彼に送る。鸜鵒は跳ね蹦蹦として、国君は乾侯に困りて、また人に衣袴を討要せざるを得ず。鸜鵒は窩を作り起こし、国君は遥かに走りて飘摇・不定にして、稠父は外に労苦して死し、宋父はこれに因りて驕矜せり。鸜鵒や鸜鵒、去る時は歌を唱えて、帰る時はただ哭のみ』と。魯の昭公の時に到って、鸜鵒は果して飛来して巣を築き、昭公は季氏(本書は『李氏』と作す)を進攻し、兵は敗れ、出奔して野外に流落し、乾侯に住せり。八年の後に外地に死し、霊柩は始めて運回して安葬せらる。魯の昭公は名を稠と謂い、後に公子の宋は即位し、これがすなわち魯の定公なり。」歌謡の内の『稠父』『宋父』は、まさにこの两位の国君を指す。
《異苑》曰:“秦世有童謠云:‘秦始皇,奄僵僵,開吾戶,擄吾床,飲吾酒,唾吾漿,食飲以為糧,張弓射東牆,前至沙丘當滅亡。’始皇既坑儒焚典,乃發孔子墓,欲取經傳,壙既啟,悉如謠者之言。又言謠文藏在冢壁,始皇甚惡之,反問之,還沙丘而修別路,見群小兒輦沙為阜,問之,云:‘沙丘也。’從此得疾而殂。”
《異苑》(南朝の劉敬叔の撰した志怪の書)はいう:「秦代に童謡ありて唱えていう、『秦の始皇、直挺挺として、我が門を開き、我が床を掳め、我が酒を飲み、我が漿に唾き、これらの吃喝を口粮と為し、弓を張って東墻を射り、沙丘に走到れば則ち滅亡すべし』と。秦の始皇は儒生を坑殺し・典籍を焚毀した後に、また孔子の墳墓を挖開し、内の経伝を取出さんと欲せり。墓室は一たび打開せられ、情形は竟に歌謡の謂う所と全く同じなり。またはいう、あの段の謡辞はすなわち墓壁の上に写蔵せりと。始皇は非常に悪み、かえってその事を追問せり。回程に特に沙丘を繞開して別路を修めしが、一群の小孩の車に沙を推して小丘を堆みたるを見、彼らに問えば、回答していう『これは沙丘なり』と。これより彼は病を得て死せり。」
《漢書五行志》曰:“元帝時童謠云:‘井水溢,滅灶煙。灌玉堂。流金門。’至成帝建始二年三月戊子,北宮中井泉水溢出南流,象春秋時有鸛鵒之謠,而後有來巢之驗。井水,陰也;灶煙,陽也;玉堂、金門,至尊之居,象陰盛而滅陽,竊有宮室之應也。王莽生於元帝初元,四年成帝封為三公輔政,因以篡位。”
《漢書・五行志》はいう:「元帝の時に童謡ありて唱えていう、『井水は漫溢し、灶烟を滅し、玉堂を淹れ、金門に流る』と。成帝の建始二年三月戊子日に到って、北宮中の井泉は果して湧出して南に流れ去れり。これは春秋の時に先ず鸜鵒の謡ありて、後に鸜鵒の来巢する応験あるの如し。井水は陰に属し、灶烟は陽に属す。玉堂・金門は至尊の居住する処なり。これは陰気の盛にして陽気を撲滅し、人ありて宮室を窃拠するの応験なり。王莽は元帝の初元年間に生まれ、成帝四年に彼を封じて三公として政を輔せしめ、彼は便ちこれに凭りて帝位を簒奪せり。」歌謡の内の井水と灶烟、玉堂と金門と両々対挙するは、まさに陰陽の消長と宮室の主を易うるのこの二重の意象を用いて、外戚の大位を窃拠するを預告す。
又曰:“成帝時童謠曰:‘燕燕尾涎涎,張公子,時相見。木門倉琅根,燕飛來,啄皇孫。皇孫死,燕啄矢。’其後帝為微行出遊,常與富平侯張放俱稱富平侯家人,過河陽公主作樂,見舞者趙飛燕而幸之,故曰:燕燕尾涎涎,美好貌也;張公子,謂富平侯也;木門倉琅根,謂宮門銅鍰,(服虔曰:門銅樞也。應劭曰:門銅鋪首環也。蘇林曰:鍰音環。)言將尊貴也;後遂立為皇后。弟昭儀賊害後宮,皇子卒,皆伏辜,所謂‘燕飛來,啄皇孫,皇孫死,燕啄矢。’者也。”
またはいう:「成帝の時に童謡ありて唱えていう、『燕子や燕子、尾巴は光溜溜、張公子、時時に来たりて相見す。木門の蒼青の門環の根、燕子は飛来して、皇孫を啄傷す。皇孫は死せり、燕子は糞を啄む』と。後に成帝は微服して出游し、つねに富平侯・張放と同行し、皆自ら富平侯家の人と称せり。河陽公主家を路過して宴飲・作楽し、歌舞する趙飛燕を見て便ち彼女を寵幸せり。故にいう、『燕燕尾涎涎』は彼女の姿容の美好なるを形容す。『張公子』は指す所は富平侯・張放なり。『木門倉琅根』は指す所は宮門の上の銅環なり(原書の小注:服虔は門上の銅枢と謂い、応劭は門上の銅鋪首の環と謂い、蘇林はいう、鐶は環と読む)、これは彼女の将に顕貴ならんとすることを謂う。後に果して皇后に立てられたり。彼女の妹の趙昭儀は後宮を残害し、皇子は連続して夭亡し、事の発覚して後に皆法に伏せり。これがすなわち歌謡の内の謂う所の『燕飛来、啄皇孫、皇孫死、燕啄矢』なり。」
又曰:“成帝時,童謠曰:‘邪徑敗良田,讒言亂善人。桂樹花不實,黃爵巢其巔。昔為人所羨,今為人所憐。’桂樹赤色,漢家象;花不實,無繼嗣也。王莽自謂黃象,黃爵巢其巔,象也。”《續漢書》曰:“更始時,南陽有童謠,曰:‘諧不諧,在赤眉;得不得,在河北。’是時更始在長安,世祖為大司馬,平定河北,更始大臣並見煞,是更始之不諧,在赤眉也,世祖由河北興。”
またはいう:「成帝の時に童謡ありて唱えていう、『斜めに挿む小路は良田を毀壊し、讒を進む話は善人を攪乱す。桂樹は花を開くも結果せず、黄雀は樹頂の上に窩を做る。从前は人に羨まれ、如今は人に憐れまる』と。桂樹は赤色にして、漢家の象なり。開花して結実せざるは、後嗣なきなり。王莽は自ら黄色の徳に応ずと謂い、黄雀が樹頂に巣を築くは、まさに彼の漢室を取代するの象なり。」《続漢書》はいう:「更始帝の時、南陽に童謡ありて唱えていう、『成るか成らぬか、赤眉を見よ。得るか得ぬか、河北に在り』と。当時に更始帝は長安にあり、世祖の光武帝は大司馬に任ぜられて河北を平定す。更始の大臣は一斉に殺され、これがすなわち更始の成らざる所以にして、赤眉軍の身に応じ、世祖はまさに河北より興起せり。」
又曰:“世祖建武中,蜀童謠曰:‘黃牛白腹,五銖當復。’是時公孫述僭號於蜀,時人竊言:‘莽稱黃,述欲繼之。故稱白腹;五銖,漢家貨,明當復也。’述遂誅滅。”又曰:“順帝之末,京都童謠曰:‘直如弦,死道邊;曲如鉤,反封侯。‘案順帝即世,孝質短祚,大將軍梁冀貪,樹疏幼李固,以為清河,雅性聰明,敦詩悅禮,加以屬親,立長則順,置善則固,而冀私白太后,策免固,因徵蠡吾侯,遂即至尊,固由是結怨,幽斃於獄,暴尸道路,而太尉胡廣封安樂鄉侯,司徒趙戒廚亭侯,司空袁陽安國亭侯。”
またはいう:「世祖の建武年間、蜀地に童謡ありて唱えていう、『黄牛に白い肚、五銖銭は帰来すべし』と。当時に公孫述は蜀中に於て僭号して帝と称し、時人は私下に議論していう、『王莽は自ら黄徳に応ずと謂い、公孫述は彼に接続せんと欲し、故に白腹と謂う。五銖銭は漢家の銭幣にして、分明に漢室の当に復すべしと謂う』と。後に公孫述は果して誅滅せられたり。」またはいう:「順帝の末年、京城に童謡ありて唱えていう、『正直にして弓弦の如きは、路辺に倒死す。彎曲して鈎子の如きは、かえって侯を封ぜらる』と。按ずるに:順帝は去世し、質帝は位に在ること短促にして、大将軍・梁冀は権を貪り、疏远にして年幼なる宗室を扶植せんと欲せり。李固は以為す、清河王は秉性が聡明にして、《詩》を篤好し礼を喜愛し、加えるにまた近親なり。年長を論ずれば彼を立つるを以て始めて理に順い、賢善を論ずれば彼を立つるを以て始めて穏当なりと。しかるに梁冀は私下に太后に禀白し、策書を用いて李固を罷免し、改めて蠡吾侯を徴召して、彼を帝位に登らしめたり。李固はこれに因りて仇怨を結び、幽禁されて獄中に死し、尸首は路旁に暴露せられ、太尉の胡広はかえって安楽郷侯を封ぜられ、司徒の趙戒は厨亭侯を封ぜられ、司空の袁陽は安国亭侯を封ぜられたり。」歌謡の譏る所は、まさにこの事なり。
又曰:“桓帝之時,京都童謠曰:‘城上烏,尾畢逋。父為吏,子為徒。一徒死,百乘車。車班班,入河間。河間奼女工數錢,以錢為室金為堂,石上慊慊舂黃梁,梁下有懸鼓,我欲擊之丞卿怒。’案此謠皆謂為政貪也。
またはいう:「桓帝の時、京都に童謡ありて唱えていう、『城上の烏、尾は畢逋と翹る。父は吏を為し、子は徒を為す。一徒死して、百乗の車。車は班班と、河間に入る。河間の姹女は数銭に工し、銭を以て室を為し、金を以て堂と為す。石の上に慊慊として黄梁を舂き、梁の下に懸鼓あり、我は之を撃たんと欲するも丞卿は怒る』と。按ずるにこの謡は皆政を為す者の貪なるを謂う。
‘城上烏,尾畢逋’者,處高利獨,食不與下共,謂人主多聚斂也;‘父為吏,子為徒’者,言蠻夷將叛逆,父既為軍吏,其子又為卒徒,往擊之也;‘一徒死,百乘車’者,言前一人往討廣既死矣後,又遣百乘車往也;‘車班班,入河間’者,言桓帝將崩,鑾輿班班,入河間迎靈帝也;‘河間奼女工數錢,以錢為室金為堂’者,言靈帝既立,其母永樂太后,好聚金錢以為堂室也;‘石上慊慊舂黃梁’者,永樂雖積金錢,猶慊慊常若不足,使人舂黃粱而食之也;‘梁下有懸鼓,我欲擊之丞卿怒’者,永樂教靈帝,使賣官受錢,所祿非其人,天下忠篤之士怨望,欲擊懸鼓以求見丞卿;主鼓者亦復諂順,怒而止我也。”
『城上の烏、尾は畢逋と翹る』とは、烏鴉が高処を占めて独りその利を享け、食を得て下と共にすることを肯ぜざるを謂い、人主の多く聚斂するを比喩す。『父は吏を為し、子は徒を為す』とは、蛮夷の将に叛逆せんとすることを言い、父はすでに軍吏を為り、その子はまた卒徒を為し、俱に往きて之を撃たんとす。『一徒死して、百乗の車』とは、先前に遣わして討伐せしめし人はすでに戦死した後、また百乗の兵車を発して再往せしめたりと言う。『車は班班と、河間に入る』とは、桓帝が将に駕崩せんとし、皇帝の車駕が一輌接一輌と河間に開進して霊帝を迎えしを言う。『河間の姹女は数銭に工し、銭を以て室を為し、金を以て堂と為す』とは、霊帝が即位して後、その母の永楽太后が金銭を聚斂して堂屋を営造することを好むを言う。『石の上に慊慊として黄梁を舂く』とは、永楽太后は金銭を積下せりと雖も、心里はなお慊慊として常に足らざるが若くを覚え、また人をして黄粱を舂きて之を食わしめんとするを言う。『梁の下に懸鼓あり、我は之を撃たんと欲するも丞卿は怒る』とは、永楽太后が霊帝を教唆して官を売りて銭を受けしめ、禄位を授くる所は皆その得べき人にあらず、天下の忠厚・篤実の士は怨望を心に懐き、あの懸鼓を撃ちて以て丞卿に見えんことを求めんと欲す。鼓を掌る者もまた一味に阿諛・順従して、怒りて我を拦止せり。」この一段は史家の歌謡に対し逐句に作す所の解説にして、桓帝・霊帝の両朝の聚斂・征伐・迎立と売官の几件の事を、一々に謡辞の上に坐実せしめたり。
又曰:“獻帝踐祚之初,京都童謠曰:‘千里草,何青青;十日卜,不得生。’案千里草,為董;十日卜,為卓;青青,暴強之貌;不得生者,亦旋破亡也。”《魏略》曰:“令狐愚字公冶,太原人。為兗州刺史,愚見吳未平而齊王芳年少,又聞楚王有智勇,初東郡有謠云:‘白馬出河,妖馬夜過,官權矧鳴呼,粟馬皆應。’明日見跡,大如斛,行數里,還入河中。又有謠言:‘白馬素羈西南馳,其誰乘者來虎騎。’愚既聞此謠,又聞大司馬楚王小字來虎,故遂與其舅王陵陰謀立楚王,愚病死後,發覺,刀割愚棺而戮尸焉。”
またはいう:「献帝が祚に践むの初め、京都に童謡ありて唱えていう、『千里の草、何ぞ青青たる。十日の卜、生を得ず』と。按ずるに千里草の三字は合わせて『董』と為り、十日卜の三字は合わせて『卓』と為る。青青は暴烈・強横の様子なり。生を得ずとは、彼もまたすぐに破亡せんとすることを謂う。」《魏略》はいう:「令狐の愚は字を公冶と謂い、太原の人。兗州刺史を為す。愚は呉が未だ平らがず、而も斉王の芳は年少なるを見、また楚王の智勇あるを聞く。初めに東郡に謡ありていう、『白馬は河中より出で、妖馬は夜に過ぎ、官の馬は嘶鳴・呼叫し、粟色の馬は皆来たりて応和す』と。明日に蹄印を見れば、大きさは斛の如くにして、数里を走出して、また河の中に還入せり。また謡言ありていう、『白馬に素色の籠頭を配して西南に奔馳し、之に乗るは誰ぞや、来虎の騎兵なり』と。愚はすでにこの謡を聞き、また大司馬・楚王の小名が来虎と謂うを聞き、故にすなわち彼の舅の王陵と暗中に密謀して楚王を擁立せんとす。令狐の愚は病死して後に事情は敗露し、官府は刀を用いて彼の棺木を劈きて尸を戮せり。」
《吳志》曰:“初興年中,吳中童謠曰:‘黃金車斑斕,昌門出天子。’昌門,吳西郭門也,夫差所作也,其後孫氏興焉。”《異苑》曰:“義熙中,童謠云:‘長作掃帚樞作把,掃除洛中迎琅琊。’及十一年,晉大軍至洛,修復園陵時,封琅邪王也。”《中興徵祥說》曰:“大和中,童謠曰:‘青青御路楊,白馬紫縷韁,汝非皇太子,那得甘露漿。’又曰:‘鳳凰生一雛,天下莫不喜。本言是馬駒,何悟成龍子。’是時海西公寵愛殿中常侍相龍等,因共為亂,生子男三人,海西以為己子,將欲立之,既而被廢,以馬韁殺三子。三子死之明日,南方獻甘露焉。”
《呉志》はいう:「初興の年中、呉中に童謡ありていう、『黄金の車は斑斕多彩、昌門より天子を出さん』と。昌門は呉国の都城の西面の外郭門にして、夫差の作る所なり。その後に孫氏は果してここより興起せり。」《異苑》はいう:「義熙の年中、童謡にいう、『長きは掃帚を做り、枢は把柄を做り、洛中を掃除して琅邪を迎えん』と。十一年に及び、晋の大軍は洛に至り、先帝の園陵を修復す。時に琅邪王を封じたり。」《中興征祥説》はいう:「太和の年中、童謡にいう、『青青たる御路の楊、白馬に紫縷の繮、汝は皇太子に非ず、那れぞ甘露漿を得ん』と。またいう、『鳳凰は一雛を生み、天下に喜ばざる莫し。本言は是れ馬駒なりと、何ぞ悟らん竜子と為るを』と。この時に海西公は殿中の常侍・相竜等を寵愛し、これらの人は便ち共に淫乱し、男子三人を生み、海西は以て己の子と為し、将に立てて継嗣と為さんと欲す。すなわち己は廃黜せられ、あの三箇の孩子は馬の繮繩を用いて勒殺せられたり。三子の死せし明日、南方は甘露を進献せり。」
《中興徵祥說》曰:“隆和中,謠曰:‘昇平不滿斗,隆和那得久。’哀皇聞而惡之,改為興寧。又謠曰:‘雖復改興寧,只自無聊生。’尋哀帝中藥,不識萬幾。”《異苑》曰:“石勒末年,謠曰:‘一杯水,食者吉。石勒死,人不知。不信我語視鹽池,三月忽變而生壘。’七月而勒死,池還如先。”又曰:“符堅城中謠曰:‘河水濁復清。符詔死新城。‘又謠曰:’肩不過項。’及其南侵,其相王猛諫曰:‘童謠有雲肩不過項,此不宜遠行之征也。’不從,果敗於壽春之項城。”
《中興征祥説》はいう:「隆和の年中、謡にいう、『升平は斗に満たず、隆和は那れぞ久しきを得ん』と。哀皇は聞きて之を悪み、改めて興寧と為す。また謡にいう、『復び興寧に改むと雖も、ただ自ら聊生なし』と。尋いで哀帝は薬を服して中し、万几を識る能わず。」《異苑》はいう:「石勒の末年、謡にいう、『一杯の水、食う者は吉。石勒は死す、人は知らず。我が語を信ぜざれば塩池を視よ、三月に忽然と変じて塁を生ぜん』と。七月にして勒は果して死し、池はまた先の如くに還れり。」またはいう:「苻堅の城中の謡にいう、『河水は濁りて復び清まる。苻の詔は新城に死せん』と。また謡にいう、『肩は項を過ぎず』と。彼の南侵に及び、その相の王猛は諫めていう、『童謡に肩は項を過ぎずと云うあり、これは遠行すべからざるの徴なり』と。從わず、果して寿春の項城に敗れたり。」
人が角を生じおよび地より自ら出づ
京房曰:“權臣專政,厥妖人生角。”《漢書五行志》曰:“景帝二年九月,膠東人年七十餘生角,角有毛。角,兵象;老人,吳王象也;年七十七,國象也。時膠西、濟南、臨淄、膠東四王謀反,連楚趙,凡七國。”《華陽國志》云:“李勢未亡之前,涪陵有民頭生角,長三寸,凡三截之。”《京房易傳》曰:“人自地出,君有憂,民散流,國亡地。”
京房はいう:「権臣が朝政を独攬すれば、相応する妖異はすなわち人の頭上に角を長ずるなり。」《漢書・五行志》はいう:「景帝二年九月、膠東に七十歳余りの人ありて頭上に角を長出し、角の上にまた毛を生ぜり。角は兵戈の象なり。老人は呉王の象なり。年紀の七十七は国数の象なり。時に膠西・済南・臨淄・膠東の四位の諸侯王は謀反し、また楚・趙の両国を串連し、一共に七国なり。」《華陽国志》はいう:「成漢の李勢が未だ国を亡ぼさざる前、涪陵に一民ありて頭に角を生じ、長さは三寸にして、前後に一共に三度截去せり。」《京房易伝》はいう:「人ありて地の中より鑽出するは、君主に憂患あり、百姓は流散し、国家は土地を喪失せん。」
男が女に化す
《春秋潛潭巴》曰:“小人聚,天子弱,則丈夫化為女子。”京房曰:“丈夫化為婦人,茲謂柔勝強,陰勝陽,邦必亡。”又曰:“男化為女,有異姓來其國。”《蜀王本紀》曰:“武都丈夫化為女子,顏色美好,蓋山精也。蜀王取為後,后死,蜀王於武都擔土,於成都葬之,故地號曰武擔。以石鏡一,表其墓。”《漢書五行志》曰:“哀帝建平三年,豫章有男子化為女子,嫁為人婦,生子。長安陳鳳言:陽變為陰,將無繼嗣,自相生之象,生一子,將復一世絕也。”
《春秋潜潭巴》はいう:「小人が聚集して党を成し、天子の勢が弱ければ、男子はすなわち女子に変化せん。」京房はいう:「男子が婦人に変化するは、これを柔の剛に勝ち・陰の陽に勝つと謂い、国家は必ず滅亡せん。」またはいう:「男が女に変ずるは、異姓の人のこの国家に進入する有らん。」《蜀王本紀》はいう:「武都に一箇の男子ありて女子に変化し、容貌は美好なり。蓋し山中の精怪ならん。蜀王は彼女を娶りて王后と為し、王后の死して後、蜀王は武都より土を挑担して運来し、彼女を成都に葬れり。故にあの地方を『武担』と謂い、また一面の石鏡を立てて墓の標志と為せり。」《漢書・五行志》はいう:「哀帝の建平三年、豫章に男子ありて女子に変化し、人家に嫁いで妻子を為り、また児子を生めり。長安の人・陳鳳はいう、陽が陰に変成するは、将に継嗣なからんとし、これは自ら自を生ずるの象なり。一箇の児子を生下すれども、一代を過ぐるもなお旧来の如く後を絶たんとす。」男女の形体の互相転変は、灾異家の見る所に於ては陰陽の位を失する極端の例証なり。故に歴代の史志は皆鄭重に記録を加えたり。
女が男に化す
《春秋潛潭巴》曰:“賢人去位,天子獨居,則女化為丈夫。”京房曰:“女子化為男子,茲謂陰昌,賤人為政,其邦必亡。”又曰:“君將絕嗣,則君妻化為男。”《紀年》曰:“晉定公二十五年,西山女子化為丈夫,與之妻,能生子。其年,鄭一女生四十人,二十人死。”《史記》曰:“魏襄王三年,魏有女子化丈夫。”《續漢書五行志》曰:“獻帝建安七年,越嶲有女子化為男子,時周群上言:‘哀帝時亦有此,將有代易之事。’至二十五年,帝封山陽公。”
《春秋潜潭巴》はいう:「賢人が職位を離れ、天子が孤立・無輔なれば、女子はすなわち男子に変化せん。」京房はいう:「女子が男子に変化するは、これを陰気の昌盛と謂い、卑賤の人が政を執れば、この国家は必ず滅亡せん。」またはいう:「君主が将に嗣を絶たんとすれば、国君の妻子はすなわち男子に変化せん。」《竹書紀年》はいう:「晋の定公二十五年、西山に女子ありて男子に変化し、彼に妻を娶らしむれば、能く児子を生むことを得。こ年に、鄭国に一婦人ありて四十箇の孩子を生下し、その中の二十箇は死せり。」《史記》はいう:「魏の襄王三年、魏国に女子ありて男子に変化せり。」《続漢書・五行志》はいう:「献帝の建安七年、越嶲に女子ありて男子に変化せり。当時に周群は上書していう、『哀帝の時にもまたこの種の事を出せり。将に改朝换代の事あらん』と。建安二十五年に到って、献帝はすなわち降封せられて山陽公と為れり。」男が女に化するに相対して、この一類の記載の占する所は陰気の陽位を侵奪するなり。故に断語は大多に卑賤の者の権を当て、宗嗣の断絶する上に帰す。
人が生まれて能く言う
《京房易傳》曰:“言之不知,則人生而能言,天使代其言也。”又曰:“人生而能言,言善則善,言惡則惡,此國之徵。”《地鏡》曰:“多有讒賊,人生而言。”
《京房易伝》はいう:「言語が当を失して省察することを知らざれば、すなわち嬰児ありて一生下来すれば便ち話すことを得。あれは上天が彼を派して人君に代わりて発言せしむるなり。」またはいう:「嬰児が生下来すればすなわち能く話すは、説く所が好話なればすなわち吉に応じ、説く所が悪話なればすなわち凶に応ず。これは一国の徴兆である。」《地鏡》はいう:「朝中に讒を進め人を害する輩多ければ、すなわち嬰児が一たび地に落ちれば話すの怪事を出現せんとす。」
人が生まれて能く行う
京房曰:“人生而行,其國大昌,其君有憂。又曰:自受其殃,黔首散亡。”《地鏡》曰:“王事急,民欲流亡,國有兵,則人生而能行。”
京房はいう:「嬰児が一生下来すれば能く走路するは、この国家は大いに昌盛するも、その君主には却って憂患あり。またはいう:君主は自身が灾殃を承受し、百姓は流散・逃亡せん。」(「黔首」は秦漢の間の平民・百姓に対する称呼である。)《地鏡》はいう:「王家の差役・徴発が急迫にして、百姓は将に流亡せんとし、国中に兵事あれば、すなわち嬰児が生下来して便ち行走することを得るの怪事を出現せんとす。」
人が相食む
《續漢書五行志》曰:“靈帝建寧三年,河內婦食夫,河南夫食婦。”《異苑》曰:“後漢桓帝元嘉元年,任城民婦生兒即自取食之,又謂姑曰天使如此,我亦行死尸僵者。門閭安欹者失,半覆則盡滅。言畢而匍匐,復產一兒而兩頭。五人楊難自王仇池,分國之應也。”
《続漢書・五行志》はいう:「霊帝の建寧三年、河内に妻子が丈夫を食らうあり、河南に丈夫が妻子を食らうあり。」《異苑》はいう:「後漢の桓帝の元嘉元年、任城に一箇の民婦ありて孩子を生下せばすなわち自ら彼を取りて食らい、また婆母に対していう、これは上天が我にかくの如くせしむるなり、我もまた将に死去して、僵卧の尸首と為らんとすと。門戸の安穏・端正なる人家はその安を失い、半ば傾覆するはすなわち尽く滅尽せん。話す已みて便ち地に匍匐し、隨いて後にまた一箇の両頭を長ずる嬰児を生下せり。これがすなわち楊難が仇池に於て自立して王と為り、国土の分裂するの応験なり。」
人が異形の子を生む
《天鏡》曰:“婦女一時生三男,不出三年,外國來;生三女,國有陰私。”《春秋潛潭巴》曰:“人生五首,猾大起。”京房曰:“人生子,首在背,天下易鄉。”《天鏡》曰:“人生兩首,不出三年,上帝命王徵四方,布令天下。”又曰:“人生四頭兩目,世主大哀;人生多頭,君王有咎,民顛沛流亡。”《地鏡》曰:“天下憂,主凶,民流亡,則人生有四目。”《天鏡》曰:“人生三目,橫兵並起為害。”京房曰:“人生子,有一目,其國不寧。”
《天鏡》(《地鏡》と同類の占候の書にして、もっぱら天地間の物象の示す徴応を記す)はいう:「婦人が一胎に三箇の男孩を生下するは、三年を出でずして、外国の人馬はすなわち到来せんとす。一胎に三箇の女孩を生ずるは、国中に隠秘の私情・丑事あり。」《春秋潜潭巴》はいう:「生下せし人に五箇の頭あるは、奸猾の徒は大批に興起せんとす。」京房はいう:「生下せし孩子は頭が背の上に長ずるは、天下は方向を改換せんとす。」《天鏡》はいう:「生下せし人に両箇の頭あるは、三年を出でずして、上帝は君王に命じて四方を征討し、天下に向かって号令を頒布せしめん。」またはいう:「生下せし人に四箇の頭・両只の眼睛あるは、当世の君主は大いに哀痛す。生下せし人の頭が甚だ多きは、君王に灾咎あり、百姓は顛沛・流亡せん。」《地鏡》はいう:「天下に憂患あり、君主に凶険あり、百姓は流亡すれば、すなわち人ありて生下来して四只の眼睛を長ぜん。」《天鏡》はいう:「生下せし人に三只の眼睛あるは、四面の兵禍は一斉に興起して害を為せん。」京房はいう:「生下せし孩子にただ一只の眼睛あるは、この国家は安寧を得ず。」
《春秋演孔圖》曰:“崇高將亡,陰不承陽,怨望生,則十口之人出。”京房曰:“人生有二口以上,國主見驚以兵。”《天鏡》曰:“人生兩口,五穀不登,百姓喪亡。”京房曰:“人生子,舌長,天下有兵;人生子,有一耳,是謂不聰;人生有三耳以上,是謂多方,其國無王。又曰:是謂多聰,國事無定;人生子,有一手,是謂不壽,其國有咎;人生有三臂,有反臣;人生有三手以上,臣謀主;人生三足,是謂非常,天下有兵。”
《春秋演孔図》(漢代の春秋緯の一つで、孔子の名に托して符命を講ず)はいう:「崇高なる王業は将に敗亡せんとし、陰気は更に陽気に順承せず、怨恨の心が滋生すれば、すなわち十張の嘴を長ずる人を出現せんとす。」京房はいう:「人は生下来して両張の嘴以上あるは、国主は兵事に驚擾せられん。」《天鏡》はいう:「生下せし人に両張の嘴あるは、五穀は熟せず、百姓は喪亡せん。」京房はいう:「生下せし孩子は舌頭が格外に長きは、天下に兵事あり。生下せし孩子にただ一只の耳朵あるは、これを『不聡』と謂う。生下せし人に三只の耳朵以上あるは、これを『多方』と謂い、この国家に真の君王なし。また一説に、これを『多聡』と謂い、国事に定准なし。生下せし孩子にただ一只の手あるは、これを『不寿』と謂い、この国家に灾咎あり。生下せし人に三条の臂膀あるは、反叛の臣有らんとす。生下せし人に三只の手以上あるは、臣下は君主を図謀す。生下せし人に三只の脚あるは、これを『非常』と謂い、天下に兵事あり。」
《天鏡》曰:“人生多足,是謂大役,其國東西移走;人生有三足,不出二年,國有兵喪。”京房曰:“人生子,有一足,是謂不行,國主亡;人生子,有三十指,民流亡;人生子,有二鼻,有民謀其主;人生有二背,臣反主亡。”《天鏡》曰:“人生兩身,世主被殃,民人散亡;人生兩腹,不出三年,歲大熟,民食足。”京房曰:“人生子,有三腹,其國分;人生有二腹,是謂惡祥,國主以仇亡;人生子目在首上及後,天子亡。”
《天鏡》はいう:「生下せし人の脚が甚だ多きは、これを『大役』と謂い、この国家の百姓は東奔・西走せんとす。生下せし人に三只の脚あるは、二年を出でずして、国中に兵禍と丧事あり。」京房はいう:「生下せし孩子にただ一只の脚あるは、これを『不行』と謂い、国主は亡なんとす。生下せし孩子に三十根の指头あるは、百姓は流亡す。生下せし孩子に両箇の鼻子あるは、百姓ありてその君主を図謀せん。生下せし人に両箇の脊背あるは、臣下は反叛して君主は滅亡せん。」《天鏡》はいう:「生下せし人に両箇の身子あるは、当世の君主は灾殃を遭受し、百姓は離散・逃亡す。生下せし人に両箇の肚腹あるは、三年を出でずして、年成は大熟にして、百姓の口糧は充足せん。」京房はいう:「生下せし孩子に三箇の肚腹あるは、この国家は分裂せんとす。生下せし人に両箇の肚腹あるは、これを悪兆と謂い、国主は仇敵に因りて亡ぶ。生下せし孩子は眼睛が頭頂の上あるいは脳後に長ずるは、天子は亡なんとす。」
《天鏡》曰:“人生目著腹,五穀豐,橫兵起。”京房曰:“人生子,目在項背,天子不安;人生子,目在臂及手,天下有大事;人生子,目在腋下,天下不相見;人生子,目在陰,天子亡位;人生子,目在踵及足,是謂下視,天下大兵;人生子,口在首上,及在後,國主亡。”
《天鏡》はいう:「生下せし人の眼睛が肚腹の上に長ずるは、五穀は豊収するも、四出の兵禍の興起有らん。」京房はいう:「生下せし孩子の眼睛が頚項・脊背に長ずるは、天子は安寧を得ず。眼睛が臂膀と手の上に長ずるは、天下に大事あり。眼睛が腋下に長ずるは、天下の人は彼此に相往来せず。眼睛が下陰の処に長ずるは、天子は帝位を失掉す。眼睛が脚跟と脚の上に長ずるは、これを『下視』と謂い、天下に大兵あり。生下せし孩子は嘴が頭頂の上あるいは脳後に長ずるは、国主は亡なんとす。」眼と口の生じて位置を錯るは、占家の取る所は「司る所の位を失う」の義なり。目は視を主り、錯生すれば則ち視聴は正ならず。口は言語・飲食を主り、錯生すれば則ち号令と養生の道は皆乱れんとす。
《天鏡》曰:“人生子,兩口在背,國無兵,人民行,五穀昌。”京房曰:“人生子,口在肢,臣主亡;人生子,口在腹旁,天下有兵,一曰為天德,五穀豐熟;人生子,口在節,天下民大飢流亡;人生子,鼻在背及項,天下不寧;人生子,鼻在首前,太子有殃;人生子,鼻在腹,天下大荒;人生子,鼻在四肢節,天子亡;人生子,鼻在陰,是謂不恆,天子降;人生子,耳在首上及前後,天下有兵,民流亡,國君喪;人生子,耳在腹,天下兵;人生子,耳在背及肩項,天下有憂;人生子,耳在四肢及手足,有反主者;人生子,腹在背,天下飢;人生子,腹在手上前後,天下民飢,兵作;人生子,腹在四肢足,天下有大兵,又曰天子易;人生子,四肢在背,天下亂於兵;人生子,陰在首,天下大亂;在背,天子無後;人生子,陰在腹,天下有大事。”
《天鏡》はいう:「生下せし孩子に両張の嘴ありて背の上に長ずるは、国中に兵事なく、百姓は安然と行走し、五穀は昌盛せん。」京房はいう:「生下せし孩子は嘴が四肢の上に長ずるは、臣と主は皆亡なんとす。嘴が肚腹の両旁に長ずるは、天下に兵事あり、別の一説はこれを天徳の象と為し、五穀は豊熟せん。嘴が骨節の上に長ずるは、天下の百姓は大飢荒にして流亡せん。生下せし孩子は鼻子が脊背と頚項の上に長ずるは、天下は安寧せず。鼻子が頭の前面に長ずるは、太子に灾殃あり。鼻子が肚腹の上に長ずるは、天下は大荒なり。鼻子が四肢の骨節の上に長ずるは、天子は亡なんとす。鼻子が下陰の処に長ずるは、これを『不恒』と謂い、天子は降位す。生下せし孩子は耳朵が頭頂あるいは頭の前後に長ずるは、天下に兵事あり、百姓は流亡し、国君に喪あり。耳朵が肚腹の上に長ずるは、天下に兵あり。耳朵が脊背・肩膀・頚項の上に長ずるは、天下に憂患あり。耳朵が四肢と手脚の上に長ずるは、君主に反叛する人有らんとす。生下せし孩子は肚腹が背後に長ずるは、天下は飢荒す。肚腹が手の上あるいは身の前後に長ずるは、天下の百姓は飢を捱き、兵禍は興起す。肚腹が四肢と脚の上に長ずるは、天下に大兵あり、別の一説は天子は更換す。生下せし孩子は四肢が背の上に長ずるは、天下は兵事に因りて乱る。生下せし孩子は下陰が頭の上に長ずるは、天下は大乱す。背の上に長ずるは、天子に後嗣なし。下陰が肚腹の上に長ずるは、天下に大事あり。」この一長段は口・鼻・耳・腹・四肢・下陰を逐一に躯体の異位に配するなり。生ずる所の位置が頭首に愈々近づけば、応験する事はすなわち愈々天子に関渉し、四肢の末梢に愈々近づけば、応験するはすなわち愈々臣下と百姓なり。
《京房易候》曰:“人生子,足小,此謂下約,不出三年,邦消亡。”《漢書五行志》曰:“平帝元始六年六月,長安女子生兒,兩頭異頸,面相向,四臂共胸,尻上有目,長二寸所,若六畜首目在下,茲謂亡上,政將變更。凡妖之作,以譴失正,各象其類。二首,下不一也;手多,所任邪也;足少,下不勝任也。”
《京房易候》はいう:「生下せし孩子の脚が格外に小さきは、これを『下約』と謂い、三年を出でずして、国家は消亡せん。」《漢書・五行志》はいう:「平帝の元始六年六月、長安に一箇の女子ありて嬰児を生下し、両箇の頭は両条の頚に分かれ、両張の臉は相対向し、四条の臂膀は一箇の胸膛に連なり、尾骨の上にまた眼睛を長じ、約二寸の長さなり。もし六畜の頭と眼睛が下面に長ずれば、これを『亡上』と謂い、政局は将に変更せんとす。およそ妖異の発生するは、皆正道を失う行為を譴責するを用い、各々それの対応する一類を象徴す。両箇の頭は、下の人の統一する能わざるを謂う。手の多きは、任用する所が皆邪佞の人なるを謂う。脚の少なきは、下の人が職任を担い能わざるを謂う。」
《風俗通》曰:“靈帝光和二年,洛陽上西門外女子生兒,兩頭異肩,四臂共胸,俱前向,以為不祥,隨地棄去,朝廷變亂,上下無別,二頭之象也。”《春秋運斗樞》曰:“人主不省山川之祠、州土之位。不應天府,斬伐無度,懷山絕渠,則人生大頭。”《天鏡》曰:“人生子,頭如囊者,主有咎凶。”又曰:“人生頭大,不出三年,將有大師來伐其國。”又曰:“人生無頭,世主方凶。”
《風俗通》はいう:「霊帝の光和二年、洛陽の上西門の外に一箇の女子ありて嬰児を生下し、両箇の頭は両辺の肩に分かれ、四条の臂膀は一箇の胸膛に連なり、俱に前方に向く。家の内の人は不祥と認め、随手に地上に棄去せり。後に朝廷は変乱し、上下は分かれず、正に両箇の頭の象に応ぜり。」《春秋運斗枢》はいう:「君主が山川の祭祀・州土の位次を省察せず、天府の常度に順応せず、砍伐に節制なく、山陵を壅塞し溝渠を断絶すれば、すなわち人ありて生下来して頭が格外に大ならん。」《天鏡》はいう:「生下せし孩子の頭が口袋の一般なるは、主上に灾咎・凶険あり。」またはいう:「生下せし人の頭が甚だ大なるは、三年を出でずして、将に大軍ありて来たりてこの国家を討伐せんとす。」またはいう:「生下せし人に頭なきは、当世の君主は正に凶有らんとす。」
京房曰:“人生子,無目,其國主暴死;人生子,無口,其國主見賊,又曰多疾。”《春秋運斗樞》曰:“上弊下塞,則人無唇。”京房曰:“人生子,無唇,是謂不祥,國主死亡;人生子,無耳,天子不聰。”《天鏡》曰:“人生而無口鼻耳,世主凶,其國年熟;人生子,無鼻,其國主疾病;人生子,無足,歲大飢;人生子,無手,主有客兵至;人生子,無手掌,世主大憂疾病;人生無足,世有喪征也;人生無足,不出三年,其國空。”
京房はいう:「生下せし孩子に眼睛なきは、この国主は暴死せん。生下せし孩子に嘴なきは、この国主は殺害を遭わん、別の一説は多病なり。」《春秋運斗枢》はいう:「上に在る者が昏蔽し、下に在る者が壅塞すれば、すなわち人ありて生下来して嘴唇なからん。」京房はいう:「生下せし孩子に嘴唇なきは、これを不祥と謂い、国主は死亡せんとす。生下せし孩子に耳朵なきは、天子は下情を聞くことを得ず。」《天鏡》はいう:「生下来して口・鼻・耳なきは、当世の君主に凶険あり、而もこの国家の年成は却って好し。生下せし孩子に鼻子なきは、この国主は疾病を生ぜん。生下せし孩子に脚なきは、年成は大飢なり。生下せし孩子に手なきは、主上は外来の軍隊の打至る有らん。生下せし孩子に手掌なきは、当世の君主に大憂患と疾病あり。生下せし人に脚なきは、世間に喪亡の徴兆あり。生下せし人に脚なきは、三年を出でずして、その国家は空虚せんとす。」
京房曰:“人生子,無指,天子有更令;人生子,無腹,其國年大熟;人生子,無四肢,其國主君臣有反者;人生子,無陰,其國主無後;人生子,無尻,國主以仇亡。”《天鏡》曰:“人生子,無頭,不出三年,有大師來伐其國;人生子,無骨,其國主昌。”《魏志》:“公孫述時,襄平北市有人生肉,長圍,各數尺,有頭目口喙,無手足,而動搖,此赤眚也。占曰:有形不成,有體無聲,其滅亡必也。”
京房はいう:「生下せし孩子に手指なきは、天子は号令を変更する事有らん。生下せし孩子に肚腹なきは、その国の年成は大熟せん。生下せし孩子に四肢なきは、この国家の君臣の中に反叛の人有らん。生下せし孩子に下陰なきは、この国主に後嗣なし。生下せし孩子に臀部なきは、国主は仇敵に因りて亡ぶ。」《天鏡》はいう:「生下せし孩子に頭なきは、三年を出でずして、大軍ありて来たりてその国を討伐せん。生下せし孩子に骨頭なきは、その国主は昌盛せん。」《魏志》の記はいう:「公孫氏の時(襄平は遼東郡の治所の在る処)、襄平の北市に人ありて一塊の肉を生下し、長さと囲とは各々数尺、頭・眼・嘴・喙を長ずるも手脚なく、而も動揺す。これは『赤眚』の一類に属す。占辞にいう、形状有るも人形を成さず、身体有るも声音を発する能わざれば、その滅亡は必ずなりと。」
人が六畜を生む
京房曰:“人生六畜,是謂更有王,天下易主;人生馬,百姓勞苦;人生彘犬,人君失道;人生彘,貴人牽義,民不義;人生六畜形人面者,天子不聰;人生六畜,口在手之上及腹,天下有大兵;人生六畜,口在腹背胸,天下有反者;人生子,人形六畜面,更天子;人生六畜,口在陰,天下有惡天子;人生六畜,耳在手上,天下有憂,又云有反者;人生六畜,耳在四肢,天下有兵,一曰天下大荒;人生六畜,耳在腹及胸,天下有反臣;人生六畜,耳在陰,群臣常謀天下;人生六畜,四肢在腹及首,天下大亂;
京房はいう:「人が六畜を生下するは、これを別に新王の出現有りと謂い、天下は主人を換えんとす。人が馬を生下するは、百姓は労苦す。人が猪狗を生下するは、君主は治道を失掉す。人が猪を生下するは、貴人は牽強附会に道義を講じ、百姓は却って道義を守らず。六畜の形を生下して人面を帯ぶるは、天子は下情を聞くことを得ず。六畜を生下して嘴が手の上あるいは肚腹の上に長ずるは、天下に大兵あり。六畜を生下して嘴が腹・背・胸の上に長ずるは、天下に反叛の人あり。生下せし孩子が人身にして六畜の面なるは、天子は更換せんとす。六畜を生下して嘴が下陰の処に長ずるは、天下に暴悪の天子あり。六畜を生下して耳朵が手の上に長ずるは、天下に憂患あり、また一説に反叛者有りと。六畜を生下して耳朵が四肢の上に長ずるは、天下に兵あり、一説に天下は大荒なりと。六畜を生下して耳朵が腹の上および胸の上に長ずるは、天下に反叛の臣あり。六畜を生下して耳朵が下陰の処に長ずるは、群臣はつねに天下を図謀す。六畜を生下して四肢が腹の上および頭の上に長ずるは、天下は大乱す。」
人生六畜,有三首以上,天下樂昌;人生六畜,有兩身,天下有重兵;人生六畜,有三目以上,天下有亂臣;人生六畜,有一目,國令不行;人生六畜,有兩口以上,天下有兵;人生六畜,有三耳以上,天下有大事;人生六畜,有一耳,國主不聰;人生六畜,有兩鼻以上,有謀反者;人生六畜,有一足,天下無主;人生六畜,有二足,天下有大憂;人生六畜,陰在首上,天子失位;人生六畜,有二陰以上,國主多子;人生六畜,有四肢無節,天下有不善者;人生六畜,有二尾以上,國有大事;人生六畜,有毛無羽,天子失位;人生六畜,有羽無毛,天子無朝之者;人生六畜,身半有毛,半無毛,國有大事;
「六畜を生下して三箇の頭以上有るは、天下は安楽・昌盛す。六畜を生下して両箇の身子有るは、天下に重兵あり。六畜を生下して三只の眼睛以上有るは、天下に作乱の臣子あり。六畜を生下してただ一只の眼睛有るは、国家の号令は行われず。六畜を生下して両張の嘴以上有るは、天下に兵あり。六畜を生下して三只の耳朵以上有るは、天下に大事あり。六畜を生下してただ一只の耳朵有るは、国主は下情を聞くことを得ず。六畜を生下して両箇の鼻子以上有るは、謀反の人あり。六畜を生下してただ一只の脚有るは、天下に主なし。六畜を生下してただ両只の脚有るは、天下に大憂あり。六畜を生下して下陰が頭頂の上に長ずるは、天子は位を失す。六畜を生下して両箇の下陰以上有るは、国主は子多し。六畜を生下して四肢に関節なきは、天下に不良の人あり。六畜を生下して両条の尾巴以上有るは、国中に大事あり。六畜を生下して毛有りて羽なきは、天子は位を失す。六畜を生下して羽有りて毛なきは、天子に朝に来たる人なし。六畜を生下して半身に毛有り・半身に毛なきは、国中に大事あり。」この一串の占辞の推法は:畜体のある処に一件を多出するは、多くは僭越・反叛と大事を主り、ある処に一件を缺少するは、多くは損亏・絶後と不聡を主る。毛羽・骨節の錯乱に至っては、則ちその本類に非ずして常を失うの義を取る。
人生六畜,無面,天下兵作;人生六畜,無首,天下無主,天子失位;人生六畜,無目,社稷亡;人生六畜,無口,天下大飢,重有大兵;人生六畜,無鼻,天下有災;人生六畜,無耳,天子無令臣;人生六畜,無腹,天下大飢,重以大兵;人生六畜,無四肢,天子無忠臣;人生六畜,無陰,天子無後;人生六畜,無骨筋肉,天下昌;人生六畜,無尾,是謂無後,近臣反殺主;人生六畜,無毛,天下貧,民飢。”《地鏡》曰:“兵起則人生牛馬。”
「六畜を生下して面孔なきは、天下は兵事を興起す。六畜を生下して頭なきは、天下に主なく、天子は位を失す。六畜を生下して眼睛なきは、社稷は滅亡す。六畜を生下して嘴なきは、天下は大飢荒にして、また大兵を加う。六畜を生下して鼻子なきは、天下に灾あり。六畜を生下して耳朵なきは、天子に奉命して行事すべき臣子なし。六畜を生下して肚腹なきは、天下は大飢荒にして、また大兵を以てす。六畜を生下して四肢なきは、天子に忠臣なし。六畜を生下して下陰なきは、天子に後嗣なし。六畜を生下して骨・筋・肉なきは、天下は昌盛す。六畜を生下して尾巴なきは、これを『無後』と謂い、近侍の臣は反叛して君主を殺害す。六畜を生下して毛なきは、天下は貧困にして、百姓は飢を捱く。」《地鏡》はいう:「兵事の興起するは、すなわち人ありて牛馬を生下せん。」
人が野獣・飛鳥を生む
《天鏡》曰:“人生野獸,國君兄弟分別,不出一年,夷狄內侵。”京房曰:“人生野獸,天下不通;人生野獸,有他變形,天下大兵,凶亡。”《京房易候》曰:“人生飛鳥,茲謂不祥,司馬將兵,上卿亡;人生子,形如飛鳥面者,非常兵行;人生子,人面飛鳥形者,大水行,兵戰;人生飛鳥,有人形體者,天下分。”《天鏡》曰:“人生飛鳥,君憂,小民散流。”
《天鏡》はいう:「人が野獣を生下するは、国君とその兄弟は分離せんとし、一年を出でずして、夷狄は内に向かって入侵す。」京房はいう:「人が野獣を生下するは、天下は上下通ぜず。人が野獣を生下してまた別に変形有るは、天下に大兵あり、凶険・死亡せん。」《京房易候》はいう:「人が飛鳥を生下するは、これを不祥と謂い、司馬は将に兵を領して出征し、上卿は死亡せんとす。生下せし孩子の形体が飛鳥の如くにして鳥面を帯ぶるは、非常の兵事の発生有らんとす。生下せし孩子が人面にして飛鳥の形なるは、大水は横流し、兵戈は交戦せん。飛鳥を生下して人の形体を帯ぶる有るは、天下は分裂せんとす。」《天鏡》はいう:「人が飛鳥を生下するは、君主に憂あり、小民は散流す。」野獣は地に属し、飛鳥は天に属す。人が却ってこれらの東西を生下するは、人道と禽獣の道の相混ずるなり。故に断辞は兵乱・分裂・流散の几件事を出でず。
人が五穀・草木・雑物を生む
京房曰:“人生子,盡為五穀,國民昌;人生子,盡為草木,國主死;人生子,盡為石,兵強;人生他物,非人所見聞者,皆為天下有兵。”
京房はいう:「生下せし孩子が尽く五穀なるは、国中の百姓は昌盛す。生下せし孩子が尽く草木なるは、国主は死せんとす。生下せし孩子が尽く石頭なるは、兵力は強盛す。別の東西を生下し、人の従来に見聞したことなき者は、一概に皆天下に兵事あるを主る。」この一類の占辞の着眼する処は、生ずる所の物がどの一行に属するかに在り、更に五行の生克に拠りて人事の吉凶を推出す。
人が龍蛇・虫魚を生む
《地鏡》曰:“國君見伐則人生龍。”京房曰:“人生龍,有異姓來相,其國君將亡;人生子,人面而龍蛇形者,天下有兵。”《紀年》曰:“今王四年,碧陽君之諸御產二龍。人生子,人形而龍蛇面者,天下飢,其兵合;人生蛇、蜂、蠆,天下有並民;人生蛇、蜥蜴,國破,有喪,君走;人生子,魚為首者,有大水。”
《地鏡》はいう:「国君が将に討伐を遭わんとすれば、すなわち人ありて龍を生下せん。」京房はいう:「人が龍を生下するは、異姓の人ありて宰相を做りに来らん、この国君は将に滅亡せんとす。生下せし孩子が人面にして龍蛇の形なるは、天下に兵事あり。」《竹書紀年》はいう:「今王四年、碧陽君の侍妾は二条の龍を生下せり。生下せし孩子が人形にして龍蛇の面なるは、天下は飢荒し、各処の兵馬は会合せん。人が蛇・蜂・蠍を生下するは、天下に人民を兼并する事あり。人が蛇と蜥蜴を生下するは、国家は破敗し、丧事あり、国君は出走す。生下せし孩子が魚を以て頭と為すは、大水有らんとす。」
人が死して更生す
《天鏡》曰:“人死復生,國有大病,五穀死,兵起。”京房曰:“子不三年,改父之道,則為私,厥妖人死更生。”《左傳》曰:“晉殺秦諜於繹,七日復生。”《續漢書五行志》曰:“獻帝初平中,長沙人姓桓死,棺斂月餘,其母聞棺中有聲,發之,遂生。至陰為陽,下人為上,其後曹公由匹庶起也。”又曰:“獻帝建安四年,武陵宛縣女子李娥年六十餘,死於城外,已四十年,行人聞冢中有聲,發出,遂活。”《京房易傳》曰:“死人復行,五穀不登,兵革大起。”
《天鏡》はいう:「人が死してまた活転するは、国中に大さなる疫病あり、五穀は枯死し、兵禍は興起す。」京房はいう:「子を為る者が三年に到らずして父の成法を更改するは、あれは徇私なり、相応する妖異はすなわち死人の復生なり。」《左伝》はいう:「晋国は繹の地に於て秦国の間諜を殺せり、七天を過ぎて彼はまた活転せり。」《続漢書・五行志》はいう:「献帝の初平年間、長沙に一箇の姓を桓とする人ありて死し、棺に入り装殮して一月余り、その母は棺の中に响声あるを聞き、之を打開すれば、人は竟に活きたり。これは至陰が至陽に変じ、在下の者が在上の者に変ずるの象なり。後に曹操は便ち平民の中より起家せり。」またはいう:「献帝の建安四年、武陵の宛県に一箇の女子・李娥あり、六十余歳、城外に死し、すでに四十年、過路の人は墳の中に声音あるを聞き、挖開せば、彼女はすなわち活きたり。」《京房易伝》はいう:「死人が新たに起きて行走するは、五穀は熟せず、兵戈は大いに起こらん。」
女が赤毛を生ず
《京房易傳》曰:“人君尊卑無別,則女生赤毛。”
《京房易伝》はいう:「君主が尊卑・上下の分別なからしむれば、すなわち女子ありて身の上に紅毛を長出せん。」尊卑の序を失うは本より人事の乱なり。占家は以為す、その応験はすなわち人の身の上の異状の中に顕露すと。
神の瑞
西王母
《帝王世紀》曰:“舜時,群瑞畢臻,崑崙之北,玉山之神,人身虎首豹尾,蓬頭戴勝,執几杖皓然,白石城金室而居,南有青鳥,常為取食,名曰西王母,慕舜之德,來獻白環及貢益地圖。”《瑞應圖》曰:“王者承先王法度,無遺失,則來。黃帝時,西王母使使乘白鹿來獻白環。”《大戴禮》曰:“舜以天德嗣堯,布恩散德,日月出入,莫不率俾,西王母來獻玉琯。”(《異苑》云:零陵文學奚景,於舜廟下得玉琯,即舜時西王母所獻玉琯也。《漢律曆志》注云:西王母獻舜白玉管,以玉為管也。)
《帝王世紀》はいう:「虞舜の時、各種の祥瑞は一斉に出現す。崑崙山の北・玉山の上のあの神は、人の身子・老虎の頭・豹の尾巴にして、頭髪は蓬乱し、頭上に玉勝を戴き、几杖を手執り、鬚眉は皓白にして、白石の砌たる城・黄金の造れる屋に住す。城の南に青鳥あり、つねに彼女の為に食物を取来る。彼女の名は西王母と謂い、虞舜の德行を仰慕し、前に来たりて白玉環を進献し、併せて『益地図』を貢上せり。」《瑞応図》はいう:「君王が能く先王の法度を承襲して遺漏なからしむれば、西王母はすなわち前に来たらん。黄帝の時、西王母は使者を遣わして白鹿に乗らしめて白玉環を献せしめたり。」《大戴礼》はいう:「虞舜は天徳に凭りて堯の帝位を継承し、恩沢を布施し・徳恵を散播し、日月の出入する照す処、服従・聴命せざる莫し。西王母は便ち前に来たりて玉管を進献せり。」(原書の小注:《異苑》はいう、零陵郡の文学官・奚景は舜廟の下に玉管を得たり、すなわち舜の時の西王母の献じたあの支の玉管なり。《漢書・律暦志》の注はいう、西王母は舜に白玉管を献ず、これは玉を用いて成したる管子なり。)
四海の神
《金匱》曰:“武王伐紂,都洛邑,陰寒雨雪一十餘日,深丈餘。甲子朔旦,有五丈夫乘馬車,從兩騎,至王門外,欲謁武王。武王將出見之,太公曰:‘不可,雪深丈餘,五丈夫車騎無跡,恐是聖人。’太公乃持一器粥,出門而進五車兩騎曰:‘王方未出,天寒,故進熱粥以禦寒,而不知長幼從何來。’兩騎曰:‘先進南海君,次進東海君,次北海君,次西海君,次河伯、雨師、風伯。’粥既畢,使者告太公,太公謂武王曰:‘此四海之神,王可見之。南海神曰祝融,東海神曰勾芒,北海神曰玄冥,西海神曰蓐收,河伯名為憑,雨師名詠,風伯名飛廉,請以名前。’五神皆驚,相視而嘆,祝融等皆拜焉。武王曰:‘天陰遠來,何以教之?’四海曰:‘天代立周,謹來受命,請勅風伯等,各奉其職。”
《金匱》にいう。「周の武王が商の紂を討伐し、洛邑に都を定めたとき、天気が陰寒で雨雪が十数日降り続き、積雪の深さは一丈余りに達した。甲子の朔日の早朝、五人の男子が馬車に乗り、後ろに二人の騎士を従えて王宮の門外に至り、武王に謁見を求めた。武王がまさに出て会おうとすると、太公が言った。『いけません。雪の深さが一丈余りあるのに、この五名の車馬には痕跡が残っていません。おそらく神聖なる方々でしょう。』太公はそこで熱い粥一器を持ち、門を出て五台の車と二人の騎士をもてなして言った。『大王はまだしばらくお出になりません。天が寒いので、まず熱粥を進めて寒さを防いでいただきます。ただ、皆様の長幼の順と、どこからいらしたのかが分かりません。』二人の騎士が言った。『まず南海君に進め、次に東海君、次に北海君、次に西海君、それから河伯・雨師・風伯に進めよ。』粥を進め終わると、使者が太公に報告し、太公は武王に言った。『これは四海の神です。大王はお会いになることができます。南海の神は祝融、東海の神は勾芒、北海の神は玄冥、西海の神は蓐収といいます。河伯の名は凭、雨師の名は詠、風伯の名は飛廉です。どうか名前のとおりに一々お呼びください。』五神は皆驚き、顔を見合わせて嘆じ、祝融らは皆礼を拝した。武王が言った。『天が陰っているのに遠くから来られたが、何か教えはあるか。』四海の神が言った。『天は周に代わって立たせようとしており、私たちは謹んで命を受けに来ました。どうか風伯らにそれぞれの職守を奉じさせるよう敕してくだされ。』」
《墨子》曰:“鄭繆公晝處廟,有神入門而左,鳥身素服三純,面狀正方,繆公乃懼,神曰:‘無奔,帝享汝明德,使錫壽十年,使君昌。’公問神名,神曰:‘勾芒。’”《國語》:“夏之興也,融降於崇山。”(融,祝融也;崇高,山也;夏居陽城,高山所近也。)
《墨子》にいう。「鄭の繆公が昼間、宗廟にいたとき、神が門から入ってきて左へ向かった。鳥の身に素衣で三つの縁飾りがあり、顔は四角かった。繆公は大いに恐れたが、その神が言った。『逃げるな。帝はあなたの明徳を嘉享し、私に十年の寿を賜らせ、あなたの国を昌えさせるためである。』繆公がその名を尋ねると、神は言った。『勾芒である。』」《國語》にいう。「夏が興ったとき、祝融が崇山に降りた。」(原書小注:融とは祝融である。崇高とは山の名である。夏は陽城に都し、その高山に近かった。)
登山の神
《管子》曰:“桓公北征孤竹,未至卑耳溪十里,援弓將射,未敢發,見人長尺而人物具,冠,右祛衣,走馬前,疾。管仲曰:‘臣聞登山之神,有俞兒者,長尺,人物具焉,伯王之君興則見。且走馬前,導也;右祛,示從右涉。’至溪,如所言,公拜馬前曰:‘仲父之聖若此。’對曰:‘夷吾聞聖人先知無形,非有形而後知,臣非聖人,臣承教者也。’”
《管子》にいう。「斉の桓公が北へ孤竹国を征伐したとき、卑耳の渓まであと十里のところで、弓を引いて射ようとしたが矢を放てずにいた。身の丈一尺で形貌と五官がすべて具わった人が、冠をかぶり右の襟をまくり上げて、馬の前を疾走するのを見たからである。管仲が言った。『私が聞くに、登山の神のうちに俞児という者がおり、身の丈一尺で形貌が具わっています。覇王の業を成さんとする君主が興るときにのみ現れます。また、馬の前を走るのは道案内をするためで、右の襟をまくるのは右から渉って渓を渡れという示しです。』渓に至ると果たしてその言のとおりであった。桓公は馬の前で下拜して言った。『仲父の聖明はこのようなものか。』管仲は答えて言った。『夷吾が聞くに、聖人は事にまだ形跡のないうちに先んじて知るもので、形跡ができてから知るのではありません。私は聖人ではなく、教えを承けている者にすぎません。』」
神女
《瑞應圖》曰:“美女者,蓋神女也。君德被遠則至,周穆王時持酒來酌之。”
《瑞應圖》にいう。「いわゆる美女とは、おそらく神女である。君主の徳の恩沢が遠くまで及べば来るのであり、周の穆王の時には酒を捧げて穆王に酌ぎ奉った。」《瑞應圖》はもっぱら祥瑞を記す書であり、神女の降臨さえも君徳が遠く及んだ応験とみなすのである。
神怪
神が吟嘯する
《淮南子》曰:“夏桀亂四時之政,黃神吟嘯,鬼神失其常。”
《淮南子》にいう。「夏の桀が四時の政の次第を乱したとき、黄神が長く吟嘯の声を発し、鬼神はみなその常度を失った。」四時の政は本来天に順って行うべきものであり、人君がその次序を乱した以上、神明でさえその本位に安んじられず、吟嘯の怪异が起こったのである。
神が莘に降る
《左傳》:“莊公三十二年,有神降於莘。(有神聲以接人莘虢地)惠王問內史過曰:‘是何故?’對曰:‘周之將興,明神降之,鑑其德也;將亡,神又降之,觀其惡也。故有得神以興,亦有以亡,虞夏商周皆有之。’王曰:‘若之何?’對曰:‘以其物享焉,其至之日,亦其物也。’(享,祭也,若以甲乙日至,祭先脾,玉用蒼,服尚青,以此而祭也。)
《左傳》に記す。「魯の荘公三十二年、神が莘の地に降りた。(原書小注:神が声を発して人と接した。莘は虢国の地である。)周の恵王が内史過に問うていう。『これは何の故か。』答えていう。『周がまさに興らんとする時は、明神が降りてその徳を鑑みます。まさに亡びんとする時も、神が降りてその悪を見るのです。ゆえに神を得て興ることもあれば、それによって亡びることもあり、虞・夏・商・周の各代に皆これがありました。』恵王が言った。『ではどうすればよいか。』答えていう。『それに相応しい物をもって祭ります。神の至った日の日辰に属するものが、すなわち用いるべき物です。』(原書小注:享とは祭りである。もし甲乙の日に至ったなら、祭りにはまず脾臓を薦め、玉は青色を用い、服色は青を尚び、そのようにして祭る。)
王從之,內史通往聞虢請命,(聞虢請於神求賜土田之命)反曰:‘虢必亡矣。虐而聽於神。’神居莘六月,虢公使祝應、宗區、史嚚享焉,神賜之土田。(祝,大祝也;宗,宗人也;史,大史也;應、區、嚚,人名也。)史囂曰:‘虢其亡乎。吾聞之,國將興,聽於民;(政順民心)將亡,聽於神。(求福於神)神,聰明正直而一者也。依人而行,(唯德是興)虢多涼德,其何土之能得。’”(涼,薄也;謂晉二年滅虢也。)
恵王はその言に従った。内史過が出向くと、虢国が神に命を求めていると聞き、(原書小注:虢が神に土田を賜る命を祈っていると聞いた)帰って言った。『虢は必ず亡びます。暴虐で道に背きながら、もっぱら神に聴き従っているのですから。』神は莘に六箇月留まり、虢公は太祝の応・宗人の区・太史の嚚を遣わして祭らせたところ、神は虢に土田を賜った。(原書小注:祝は太祝、宗は宗人、史は太史である。応・区・嚚はいずれも人名である。)史嚚(ここでは本書は『史嚣』と作る)が言った。『虢は亡びるのでしょう。私が聞くに、国がまさに興らんとする時は民に聴き従い、(原書小注:政令が民心に順う)まさに亡びんとする時は鬼神に聴き従います。(原書小注:神に福を求める)神とは聡明・正直で一を貫く者であり、人の徳に依って行うのです。(原書小注:有德の者のみを興す)虢は徳が薄いこと甚だしく、いったい何の土地を得られるでありましょうか。』」(原書小注:凉は薄いという意。晋の献公二年に虢を滅ぼしたことをいう。)
回禄神 蓐権神
《國語》曰:“夏之亡也,回祿信於耹隧。”(回祿,火神;再宿為信;耹隧,地名也。)又曰:“虢公夢在廟(虢公,王季之子,文王之弟。虢,虢公丑也;廟,室廟也。)有神,人面、白毛、虎爪、執鉞,於西阿,(西榮也)公懼而走,神曰:‘無走,帝命曰:使晉襲於爾門。’(帝,天也;襲,入也。)公拜稽首,覺,召史囂占之,對曰:‘如君之言,則蓐權也,天之刑神,(刑殺神也)天事官成。”(官成禍福,各以官象成也。)公使囚之,且使國人賀夢。(欲轉吉,故使賀也。)舟之僑(大夫也)告其諸族曰:‘眾謂虢不久,吾乃今知之。”(以其賀夢)其適晉,六年虢亡。”
《國語》にいう。「夏が亡びたとき、回禄が耹隧に二夜連泊した。」(原書小注:回禄は火神である。二泊することを『信』という。耹隧は地名である。)またいう。「虢公が夢に自分が廟中にいるところを見た。(原書小注:虢公は王季の子・文王の弟である。ここでいう虢は虢公丑を指す。廟は宗廟の殿室である。)神人がおり、人の顔・白い毛・虎の爪で大斧を執り、西の軒下に立っていた。(原書小注:西の屋翼である)虢公が恐れて走ろうとすると、神が言った。『走るな。帝の命にいう、晋をしてお前の門に入らせる。』(原書小注:帝は天を指す。襲は入ることである。)虢公は拝して稽首し、覚めてから史嚚を召してこの夢を占わせた。答えていう。『君のお言葉どおりなら、あれは蓐権、すなわち西方で刑殺を掌る天神の蓐収です。(原書小注:刑殺を主る神である)天の事はそれぞれ司る官が成し遂げます。』(原書小注:官成禍福とは、禍福が各々その司る官象によって成るということ。)ところが虢公は彼を囚えてしまい、さらに国人にこの夢を賀させた。(原書小注:凶を吉に転じようとして賀させたのである。)舟之僑(原書小注:虢国の大夫)がその族人たちに告げていう。『皆が虢は久しくないというが、私は今日になって初めて本当に知った。』(原書小注:虢公がこの夢を賀したため)こうして彼は晋に奔り、六年後に虢は亡びた。」
神が璧を届ける
《史記》:“秦始皇三十六年秋,使者從關東夜過華陰平舒道,有人持璧遮使者曰:‘為吾遺鎬池君,(服虔曰:水神也。張晏曰:武王居鎬,鎬池君則武王也。武王伐商,故神雲始皇荒淫若紂矣,今亦可伐也。孟康曰:長安西南有鎬池也。)言曰:今年祖龍死。’(蘇林曰:祖,始也;龍,人君之象,謂始皇也。)使者問其故,因忽不見,置其璧去。使者奉璧,具以聞,始皇默然良久,曰:‘山鬼固不過知一歲事也。’退言曰:‘祖龍者,人之先也。’使御府視璧,乃二十八年行度江所沉璧也,三十七年,始皇崩於沙丘。”
《史記》にいう。「秦始皇三十六年の秋、使者が関東から夜、華陰の平舒道を過ぎたとき、人が玉璧を持って使者を遮り言った。『これを私のために鎬池君に贈ってくれ。』(原書小注:服虔はいう、鎬池君は水神である。張晏はいう、周の武王が鎬に居したので、鎬池君とは武王である。武王が商を討ったので、神は始皇が紂のように荒淫であり、今また討つべきであると言ったのである。孟康はいう、長安の西南に鎬池がある。)言うには『今年、祖龍が死す。』(原書小注:蘇林はいう、祖は始まりの意。龍は人君の象で、始皇を謂う。)使者がその故を問うと、その人は忽然と見えなくなり、その璧を置いて去った。使者は璧を奉げて帰り、事の次第をことごとく奏上した。始皇は久しく黙然としてから言った。『山鬼はもともと一年の事しか知り得ぬものだ。』退いて言うには『祖龍とは人の先祖のことだ。』御府にその璧を検させると、二十八年に巡行して江を渡ったときに沈めたあの璧であった。三十七年、始皇は沙丘で崩した。」
神が降りても形が見えない
《吳志孫權傳》曰:“太元元年五月,臨海羅陽縣有神自稱王表,周旋民間,語言飲食與人無異,然不見形,又有一婢名紡績。是月遣中書郎李崇,齎輔國將軍羅陽王印綬,迎王表。李崇既至,與崇及所在郡守令長談論,崇等無以易,所過山川,遣婢與其神相聞。秋七月,崇與表至,權於蒼龍門外為立第舍,表說水旱小事,往往有驗。十一月,權祭郊還,寢疾。二年二月,表亡,至四月,權薨。”
《呉志・孫権伝》にいう。「太元元年五月、臨海郡羅陽県に神がおり、自らを王表と称し、民間を周旋して、言語・飲食は人と異なるところがなかったが、形が見えず、また紡績という名の婢が一人いた。その月、中書郎の李崇を遣わし、輔国将軍・羅陽王の印綬を齎して王表を迎えさせた。李崇が到着すると、王表は李崇および在所の郡守・県令・長と談論したが、李崇らはこれを説き伏せることができなかった。山川を過ぎるたびに、その婢を遣わしてその地の神と音信させた。秋七月、李崇と王表が到着し、孫権は蒼龍門の外に彼のために第舎を建てた。王表の言う水旱の小事はしばしば験があった。十一月、孫権が郊祭より還ると、寝疾した。二年二月、王表は消え失せ、四月に至って孫権は薨じた。」
池神が現れる
《幽明錄》曰:“晉武帝於殿上窗下,清曙忽見一人,著白幃黃絹單衣,舉身沾溼,自稱是華林園中池水神,名曰淋泠君也,若善見待,有福佑。時帝飲已醉,取常佩刀空擲之,刀空過無礙,神忽曰:‘不以往事垂接,當令知所過。’居少時而暴崩。”
《幽明録》にいう。「晋の武帝が殿上の窓下にいたとき、清明な暁に忽然として一人の人を見た。白い帷帽を着け黄絹の単衣を着て、全身が濡れそぼち、自らを華林園の中の池水の神で、名を淋泠君というと称し、もしよく待遇してくれれば福佑があると言った。時に帝はすでに酔っており、常に佩びている刀を取って空しくそれを投げたが、刀は空しく通り過ぎて障るものがなかった。神は忽ち言った。『私を礼をもって接遇しないなら、自らの過ちを知らしめよう。』少しの間をおいて武帝は暴崩した。」
鬼怪
鬼が見える
《天鏡》曰:“鬼見官府及私宅內,失土地之象。”《國語》曰:“周之衰也,杜伯射王於鄗。”(注云:常昭曰:鄗,鄗京也;杜國,伯爵,陶唐氏之後也。)《春秋》曰:“宣王殺杜伯而不辜,後三年,宣王會諸侯,田於囿,日中,杜伯起於道右,朱衣,冠,操朱弓矢,射宣王,中心折脊而死也。”
《天鏡》にいう。「鬼が官府や私宅の内に現れるのは、土地を失う象である。」《國語》にいう。「周が衰えたとき、杜伯が鄗で王を射た。」(原書小注:常昭がいう、鄗とは鄗京である。杜は国名で、伯爵であり、陶唐氏の後裔である。)《春秋》にいう。「宣王が杜伯を罪なくして殺し、三年後、宣王が諸侯を会して囿で田狩をした。日の中頃、杜伯が道の右より起こり、朱衣・朱冠を着け、朱の弓矢を操り宣王を射て、心に中り脊を折りて死した。」
《左傳》曰:“莊公八年十二月,齊侯遊於姑棼,遂田於貝丘,(姑棼、貝丘,皆齊地;田,獵也。)見大豕,從者曰:‘公子彭生也。’(公見大豕而從者見彭生,皆妖鬼也。)公怒曰:‘彭生敢見!’射之,豕人立而啼,公懼,墜於車,傷足,喪屨。”《漢書五行志》曰:“高後八年三月,自灞工還枳道,見物如蒼狗,撠高後腋,怒,見趙王如意為祟,遂病腋,傷而崩。先是,後殺如意。”
《左傳》にいう。「荘公八年十二月、斉侯が姑棼に遊び、遂に貝丘で田狩をした。(原書小注:姑棼・貝丘はいずれも斉の地である。田は狩りである。)大きな猪を見ると、従者が言った。『公子の彭生です。』(原書小注:公が見たのは大猪で、従者が見たのは彭生であり、いずれも妖鬼の仕業である。)公が怒って言った。『彭生、あえて現れるな!』これを射ると、猪は人のように立ち上がって啼いた。公は恐れて車から墜ち、足を傷めて履を失った。」《漢書・五行志》にいう。「高后八年三月、灞上から枳道に還るとき、蒼犬のような物を見た。それが高后の腋を撠いたので、怒って占わせると、趙王如意が祟りをなしていると見えた。遂に腋が病み、その傷で崩じた。それ以前に、后は如意を殺していた。」
鬼が人の屋に物を投げる
《天鏡》曰:“鬼擲人屋,扣門戶,如賊盜劫人,不出一年,民人疾病。”
《天鏡》にいう。「鬼が人家の屋に物を投げ、門戸を叩き、賊盗が人を劫するがごときときは、一年を出ずして民人が疾病する。」鬼は本来形がないのに、人間の盗賊のような振る舞いをするのだから、占家はこれを疫癘がまさに行わんとする先兆とするのである。
鬼が呼ぶ
《墨子》曰:“夏桀之時,鬼呼於國。”《天鏡》曰:“鬼呼,大人當之,是謂喪亡,不出一年,天下爭地,一曰哭祖,民分散。”《述異記》曰:“呂光永康二年,有鬼叫于都衛曰:‘兄弟相滅,百姓斃,兩口絕祀。’吏尋聲視之,則靡所見。是年,光死,嬌子紹立,五日,紹庶兄纂篡紹自立;明年,纂弟車騎大將軍常山公征伐屢有戰功,疑纂不已,帥聚攻纂,所殺無窮,常酗,遊走無度;明年,因醉為從弟超所殺,超推兄隆為主,姚興因臖遣叔父征西將軍隴西公碩德伐之,隆師徒撓敗,乃稱蕃於姚氏,三年,遂為姚氏所滅。”
《墨子》にいう。「夏の桀のとき、鬼が国で呼んだ。」《天鏡》にいう。「鬼が呼ぶは、大人に当たるもので、これを喪亡と謂う。一年を出ずして天下が地を争う。一説に祖を哭して民が分散すという。」《述異記》にいう。「呂光の永康二年、鬼が都の衛で叫んでいう。『兄弟相い滅び、百姓斃れ、両口の祀を絶つ。』吏が声を尋ねて視たが、何も見えなかった。その年、光が死し、嬌子の紹が立ったが五日にして、紹の庶兄の纂が紹を簒して自立した。明年、纂の弟・車騎大将軍常山公は征伐して屡々戦功を立てたが、纂を疑うこと已まず、衆を率いて纂を攻め、殺すこと窮まりなく、常に酩酊して遊走に度なし。明年、醉に因って従弟の超のために殺され、超は兄の隆を推して主とした。姚興はこの機に因り叔父の征西将軍・隴西公の碩徳を遣わしてこれを伐たせ、隆の軍は撓敗し、乃ち姚氏に蕃と称した。三年、遂に姚氏のために滅ぼされた。」
鬼が吟じ哭く
《墨子》曰:“夏桀之時,鬼叫於國;商紂之亡,有鬼宵吟。”董仲舒《五行逆順》曰:“人君簡宗廟,不禱祝,咎及於外,則鬼夜哭。”京房曰:“國虛空,人君有尸祿,則鬼夜哭。”《晉陽秋》曰:“符堅未敗,常安市鬼夜哭一月乃止。”京房曰:“鬼夜哭,國將亡。”
《墨子》にいう。「夏の桀のとき、鬼が都で号叫した。商の紂がまさに亡びようとしたとき、鬼が夜に吟哦した。」董仲舒《五行逆順》にいう。「君主が宗廟を怠り、祷祝の礼を行わなければ、災咎が外に及んで、鬼が夜に哭く。」京房がいう。「国庫が空虚で、君主の下に俸禄を白取して事を行わない者があれば、鬼が夜に哭く。」《晋陽秋》にいう。「苻堅がまだ敗亡しないうち、長安の市に鬼が夜哭し、一箇月でやっと止んだ。」京房がいう。「鬼が夜に哭けば、その国はまさに亡びんとする。」
開元占經 卷一百十四
器服の休咎・城邑宮殿の怪异を占う
器用の休徴
琅玕 白玉 白玉の赤文
《孝經援神契》曰:“神靈孳液,百寶為用,則琅玕景。”(宋均曰:事神明得理,則琅玉有光景也。)《禮稽命徵》曰:“王者得理制,則澤谷之中有白玉出。”《禮稽命徵》曰:“王者制禮作樂,改損祭器,得鬼神之助,則有白玉赤文,像其威儀之狀。”
《孝経援神契》にいう。「神霊が滋育して潤い沢すれば、種々の珍宝が皆人に用いられ、琅玕は光采を発する。」(原書小注:宋均がいう、神明に事えて道理に合えば、琅玕の美玉に光影がある。)《礼稽命徴》(漢代の礼緯の一つ)にいう。「王者が治国の法度を得れば、山沢・溪谷の中に白玉を出す。」《礼稽命徴》がまたいう。「王者が礼楽を制定し、祭器を改易増損して、鬼神の助佑を得れば、赤色の文様を帯びた白玉が現れ、その文様は彼の威儀の形に髣髴とする。」
玉英 玉斝 玉典
《瑞應圖》曰:“王者五常並循,則玉英見。”又云:“王者服飾不侈,則出。”又:“自正飾服,不瑜祭服,乃出。”《孝經援神契》曰:“玉英石華,王者尊卑不失其服,則見。”又曰:“神靈孳液,則有玉英。”(宋均曰:玉有英華也。)《瑞應圖》曰:“玉斝者,師曠時來至,雜紫綬。”又云:“王者慈仁,則玉典見。”
《瑞應圖》にいう。「王者が仁・義・礼・智・信の五常を併せ遵えば、玉英が現れる。」またいう。「王者の服飾が奢侈でなければ、それが現れる。」またいう。「自ら衣飾を端正にし、祭服の規格を僭越しなければ、それこそが現れる。」《孝経援神契》にいう。「玉英と石華という二つの瑞物は、王者が尊卑上下それぞれその服制を失わなければ現れる。」またいう。「神霊が滋育して潤い沢せば、玉英がある。」(原書小注:宋均がいう、玉に光華があるという意である。)《瑞應圖》にいう。「玉斝という瑞器は、師旷の時代に来たり、上にはなお紫色の綬帯を雑えて飾っていた。」またいう。「王者が仁慈であれば、玉典が現れる。」
玉璜
《尚書大傳》曰:“周文至磻溪,見呂尚釣魚,文王拜,尚云:‘望釣得玉璜,剜曰:姬受命,佐撿德,合於令,昌來提。”(鄭玄云:釣得魚,魚中得玉璜也。佐撿,猶助;提者,取也。半璧曰璜。)《瑞應圖》曰:“王者循五常,則出。”
《尚書大傳》にいう。「周の文王が磻渓に来て、呂尚が釣りをしているのを見て、文王は彼に礼を行った。呂尚が言った。『我が呂望は玉璜一つを釣り得て、その上に刻まれていた、「姫氏が天命を受け、彼の徳業を輔佐する者があり、天令に合い、昌(文王の名は昌)が来て取り用いる」と。』」(原書小注:鄭玄がいう、魚を釣り得て、魚の腹の中から玉璜を得たのである。佐捡とは輔助の意、提とは取ることである。半分の玉璧を璜という。)《瑞應圖》にいう。「王者が五常に遵えば、玉璜が現れる。」
玉璧 玉瓮
《瑞應圖》曰:“王者賢良美德,則白玉出。”《中興徵祥說》曰:“王者不隱其過,則玉壁見。愍帝建武元年,江寧民虞迪墾地得白玉麒麟璽一枚,文曰:長壽萬年。安帝義熙十二年,左沖兵陳陽於淮水中得玉璽一枚。”《瑞應圖》曰:“玉甕者,聖人應也。不汲自盈,王者飲食不流離下賤,則出。”
《瑞應圖》にいう。「王者が賢良で美德があれば、白玉が現れる。」《中興征祥説》にいう。「王者が自らの過失を隠諱しなければ、玉璧が現れる。晋の愍帝の建武元年、江寧の百姓の虞迪が土地を墾くとき白玉の麒麟印玺一枚を得て、印文は『長寿万年』であった。安帝の義熙十二年、左衝の兵士の陳陽が淮水の中で玉玺一枚を得た。」《瑞應圖》にいう。「玉瓮は聖人が世に応ずる瑞物である。汲まずして自ずから満ち盈ち、王者の飲食が下賤の所に流散しなければ、それが現れる。」《中興征祥説》はもっぱら東晋一朝の符瑞を記すので、通行の説の後に、また愍帝・安帝の両朝で玉玺を得た実例を挙げたのである。
玄珪
《尚書璇璣鈐》曰:“玄珪則出,刻曰延喜。”(禹功既成,天配以玄珪也。)《瑞應圖》曰:“王者勤苦,以憂天下,厚人薄己,卑宮室而盡力乎溝洫,則玄珪出。禹時天以賜禹。”又云:“四海會同,則玄珪出。”
《尚書璇璣鈐》(漢代の尚書緯の一つ)にいう。「玄珪が現れ、その上に『延喜』の二字が刻まれる。」(原書小注:大禹の治水の功業が既に告成したので、天はこれに配して玄珪を賜った。)《瑞應圖》にいう。「王者が勤労刻苦し、天下人のために憂え、人を厚くして自らを薄くし、簡陋な宮室に住んで全力を尽くして溝渠を疏浚すれば、玄珪が現れる。大禹のとき、まさに天がこれを禹に賜ったのである。」またいう。「四海の諸侯が一同に来朝すれば、玄珪が現れる。」
金車 金勝 銀瓮
《瑞應圖》云:“王孝至孝,仁德廣施,則金車出。舜時見於帝廷。”《孝經援神契》曰:“金勝者,象人所鏤勝而金色,四夷來即出。”《瑞應圖》曰:“世無盜賊凶人,則金勝出。”又曰:“浸潤不行,奸盜靜謐,綈繡不用,則見。”《晉中興徵祥說》曰:“金勝者,仁寶也。不斷自成,光若水月,四夷賓服,則出。穆帝永和元年,陽穀民得金勝一枚,長五寸,狀如織勝,後桓溫平蜀路,此四方來服之應也。”《瑞應圖》曰:“王者宴不及醉,則銀甕出。”
《瑞應圖》にいう。「君王の孝行が極まり、仁徳が広く施行されれば、金車が現れる。虞舜のとき、それはかつて帝王の庭に現れた。」《孝経援神契》にいう。「いわゆる金勝とは、形が人の鏤刻した花勝に似て金色を呈し、四方の夷族が来り帰附するときにそれが現れる。」《瑞應圖》にいう。「世間に盗賊・凶徒がなければ、金勝が現れる。」またいう。「讒言の浸潤が行き通らず、奸邪・盗窃の事が平息し、細綾の繍衣が濫用されなくなれば、それが現れる。」《晋中興征祥説》にいう。「金勝は仁徳の宝である。裁断を経ずして自ずから形を成し、光沢は水中の月のごとく、四方の夷族が賓服すれば、それが現れる。晋の穆帝の永和元年、陽谷の百姓が金勝一枚を得、長さ五寸で、形は織機の花勝に似ていた。後に桓温が蜀への道を平定したが、これこそ四方が来服した応験である。」《瑞應圖》にいう。「王者が宴飲して沉醉に至らなければ、銀瓮が現れる。」
明珠 明月珠 珠英 珠鏡 地珠
《禮記威儀》曰:“君棄金而王,其政象平,則海出明珠。”《援神契》曰:“王者德至淵泉,則海出明珠。”(珠可照間也)《瑞應圖》曰:“明月珠者,介鱗之物,魚鹽之稅,通乎什一,則海出明珠,以給王者。”《禮記威儀》曰:“君棄土而王,其政太平,遠方神獻其珠英。”(有神聖,故以其地所生來獻。
《礼記威儀》にいう。「君主が金徳を承けて王となり、その政事が平正得体であれば、海の中に明珠を出す。」《援神契》にいう。「王者の徳沢が深淵源泉に達すれば、海の中に明珠を出す。」(原書小注:明珠は暗きを照らし得る。)《瑞應圖》にいう。「いわゆる明月珠は、甲介・鱗類が産する物である。魚塩に徴す賦税が十に一つを取る常法に通行すれば、海の中に明珠を出して王者の用に供する。」《礼記威儀》にいう。「君主が土徳を承けて王となり、その政事が太平であれば、遠方の神が珠英を進献す。」(原書小注:かの所に神聖の物あるが故に、その地の出産する物を持ちて来りて進献す……)
舜時西王母獻益地圖、玉琯者是也。)《援神契》曰:“神靈孳液,百寶為用,則珠鏡見。”(事神明得理,則火珠有光耀,可為鏡。)《瑞應圖》曰:“王者以才為寶,則地珠出。”
(前段の原書小注の末句を承ける)指す所はすなわち虞舜が位にあるとき西王母が来りて益地図と玉琯を進献したという類の事である。漢代の緯書《孝経援神契》がいう:神霊の潤沢の気が不断に滋生蕃衍すれば、天下の百物の宝は皆人に用いられ、そこで「珠鏡」という祥瑞が現れる。原書小注の解釈では:神明に奉事することが皆正理に合えば、火珠が光耀を発し、取りて鏡として照らすことができるという。《瑞應圖》はもっぱら歴代の祥瑞を記し、それがいう:君王が人才を真の宝とし、金玉を宝としなければ、地下に「地珠」が生ずる。
大貝
《禮記威儀》曰:“君棄金而王,其政蕩平,則海出大貝。”《援神契》曰:“德至淵泉,則江出大貝。”《運斗樞》云:“先德則江吐大貝。”《瑞應圖》云:“王者不貪財寶,則海出大貝,大可盈車。”又曰:“王者不匱,則出。”
礼緯《礼記威儀》にいう:君王が黄金への貪求を抛ちて徳をもって王と為れば、政事は寛平坦蕩となり、大海は「大貝」を送り出す。漢代の緯書《孝経援神契》にいう:君王の徳沢が深く淵泉の下に達すれば、長江は大貝を湧き出す。漢代の緯書《春秋運斗枢》にいう:凡事徳行を前頭に置けば、長江は大貝を吐き出す。《瑞應圖》にいう:君王が財宝を貪らなければ、大海は大貝を送り出し、大きいこと一輌の車に満つるほどである。《瑞應圖》がまたいう:君王が施与に吝かでなく国用が匱乏しなければ、大貝が現れる。上古は貝をもって貨幣とし、大貝が海より出で人に貪られないとは、まさに「君、聚斂せず」の応験である。
瑠璃碧
《援神契》云:“王者行政,神明得理,則琉璃碧見。”《瑞應圖》曰:“王者不多取妻妾,則碧琉璃見。”
《孝経援神契》にいう:君王が政令を施行し、神明に事えて皆正理に合えば、「瑠璃碧」が現れる。《瑞應圖》にいう:君王が妻妾を広く納れず、女色に沉溺しなければ、碧瑠璃が現れる。瑠璃碧とは青碧色の宝玉で、古人は遠国の産する珍異の物と見なし、緯書はこれを用いて君主の内政清明・後宮有節に応験させたのである。
蘇胡鈎
《援神契》曰:“王者要誓信,則蘇胡鉤出。”《瑞應圖》曰:“王者棄玩好之物,則蘇胡成其鉤而出。”
《孝経援神契》にいう:君王が人と盟約・誓詞を結んで皆信を守り渝らなければ、「蘇胡鈎」という宝器が現れる。《瑞應圖》にいう:君王が玩賞取楽のための奇巧の物を抛棄すれば、蘇胡は自ずから鈎形に結ばれて現れる。蘇胡鈎は緯書に載せられた一種の瑞物で、鈎連相合・信約不解の義を取るので、用いて君王の誠信の徳に応験させるのである。
珊瑚鈎
《瑞應圖》曰:“王者敬信,則珊瑚鉤見。”
《瑞應圖》にいう:君王が身を持して恭敬、人に接して誠信であれば、「珊瑚鈎」が現れる。珊瑚は海底に生え、古人は極めて得難い宝物と認めた。もしまた天然に鈎形を結ぶならば、さらに異瑞に属する。それゆえこれを持ちて君主の敬慎守信という徳目に対応させたのである。
神鼎
《瑞應圖》曰:“神鼎者,質文之精也。知凶知吉,知存知亡,能重能輕,能不炊而沸,不汲而滿,中五味。黃帝作三鼎,象三辰;大禹治水,收天下美銅,以為九鼎,象九州也。王者興則出,衰則去。”
《瑞應圖》にいう:神鼎とは質朴と文采という二つの気数が凝り成した精華である。それは能く凶を知り、能く吉を知り、国の存と亡を予知する。能く自ら重くなり、能く自ら軽くなる。火を生ぜずして自ら沸騰し、水を汲まずして自ら盛り満ち、鼎の中に自ずから五つの滋味を調和させる。黄帝は三つの鼎を鋳造し、もって日・月・星の三辰を象徴させた。大禹は治水の功を成し、天下の精銅を収めて九つの鼎を鋳成し、もって九州を象徴させた。王朝が興盛すれば神鼎は現れ、王朝が衰敗すれば神鼎は隠れ去る。
《說苑》曰:“漢孝武帝時,汾陰得寶鼎而獻甘泉宮,群臣上壽賀,皆曰得周鼎,侍中吾丘壽王曰:‘周德始於后稷,長於公劉,大於太王,成於武王,顯於周公,德澤上暢於天,下漏於泉,上天報應,鼎為周出。今漢自高祖以繼周,昭德顯行,六合和同,至陛下而愈盛,天照有德而寶鼎自至,所以遺漢,此漢鼎,非周鼎也。’上曰:‘善。’群臣皆稱萬歲,賜壽王黃金十斤。”
劉向《説苑》に記す:漢武帝のとき、汾陰の地で宝鼎一つを得て、甘泉宮に進献し、群臣が杯を挙げて寿を祝い賀して、皆これは周朝の九鼎を得たのだと言った。侍中の吾丘寿王だけが言った。「周朝の徳業は后稷に発端し、公劉に滋長し、太王に壮大し、武王に成就し、周公に光顕し、徳沢は上は天に通じ、下は泉壤に滲み、天がこれに報いたので、宝鼎は周朝のために出たのです。今、漢朝は高祖より周徳を接続し、徳業・政教を昭明に著わし、天下六合は和睦して一統し、陛下の手に至ってますます興盛しています。天は有德の君を照鑑し、宝鼎は自ら来たのです。これは天が漢朝に賜ったもので、ゆえにこれは漢の鼎であり、周の鼎ではありません。」武帝が言った。「よく言った。」群臣は皆万歳を呼び、武帝は吾丘寿王に黄金十斤を賞賜した。
《晉中興徵祥說》云:“王德盛則神鼎見。神鼎者,仁器也。不炊而沸,不汲而滿,煙熅之氣,自然而生,世亂則藏於深山,文明則應運而至,故禹鑄寶鼎以擬之。成帝咸康八年,陽穀民劉珪夜見光,取,得鼎一枚,外圍四寸,此文明之應也。”
東晋の祥瑞を記す《晋中興征祥説》にいう:君王の徳業が隆盛であれば、神鼎が現れる。神鼎は仁徳の器である:火を生ぜずして自ら沸き、水を汲まずして自ら満ち、氤氳の霧気が自ずから生ずる。世が昏乱すれば、それは深山に藏匿し、政治が清明で文采あれば、運に応じて来る。ゆえに大禹は宝鼎を鋳造してそれに比擬したのである。晋の成帝の咸康八年、陽谷県の百姓の劉珪が夜に光を望み見て、往きて拾い取り、鼎一只を得、外囲四寸。これこそ政教文明の応験である。
丹甑
《援神契》曰:“丹甑者,不炊而自熱,五穀豐穰則見。”《瑞應圖》云:“王者棄淫汙之物,則丹甑出。”又曰:“化行年豐,即出。”
《孝経援神契》にいう:いわゆる「丹甑」とは、火を焚かずして自ら熱する赤色の蒸器で、五穀が豊収して倉に満つる年にそれが現れる。《瑞應圖》にいう:君王が淫邪汚穢の物を摒弃すれば、丹甑が現れる。《瑞應圖》がまたいう:教化が通行し年成が豊稔であれば、それが現れる。甑はもともと飯を蒸す炊具であり、炊がずして自ら熱するのは、まさに「食、民に足る」の祥兆を取るのである。
瓶瓮
《瑞應圖》云:“瓶甕,不汲自滿,王者清廉則出。”又曰:“接於末賤則出。”
《瑞應圖》にいう:祥瑞としての瓶瓮は、汲みに行かずして自ら盛り満ち、君王が清廉で貪らなければ、それが現れる。《瑞應圖》がまたいう:君王が尊を屈して地位の卑微低賤な人と結び交われば、それが現れる。瓶瓮はもともと日常の水を盛る器であり、自ら満ちて竭きないのは、まさに「上は聚斂せず、下は匱乏せず」の義を取るのである。
白裘
《瑞應圖》曰:“王者以身率先人,惡衣服而致美乎黻冕,則獻白裘。禹時,渠搜民乘白馬來獻。”(《禹貢》渠搜,山名,西夷衣皮,見禹功成,皆來服也。)又云:“王者政本五行,教民種植,以事其先,則獻白裘。”又云:“王者德茂,不恥惡衣,則四夷來獻白裘。黃帝時,南夷乘白鹿來獻白裘。”
《瑞應圖》にいう:君王が自らをもって表率となり衆人の先頭を行き、平日は粗悪な衣服を着て、華美は尽く祭祀の黻衣・冕服に用いれば(《論語》がまさにこの句をもって大禹を称美した)、遠方より白裘を進献す。大禹のとき、渠捜の民が白馬に騎りて来りて進献した。原書小注:《尚書・禹貢》にいう渠捜は山の名で、西方の夷人は獣皮の衣服を着ており、大禹の治水功成を見て、皆来りて帰服したのである。《瑞應圖》がまたいう:君王が施政に五行を根本とし、百姓を教えて時令に依りて種植させ、収成をもって祖先に奉事すれば、遠人は白裘を進献す。またいう:君王が徳業茂盛にして、身に粗衣を着ることを以て恥とせずれば、四方の夷族は来りて白裘を進献す。黄帝のとき、南方の夷人は白鹿に騎りて来りて白裘を進献した。
器服の咎徴
鐘が自ら移る 鐘が自ら鳴る 鐘が鳴らない
《天鏡》曰:“鍾自鳴、移處,君不安,不出年。”《春秋潛潭巴》曰:“天子鍾自鳴,下土動兵。”《兵書》曰:“鍾無音,士卒怒,欲攻戰。”
占候書《天鏡》にいう:鐘が故なく自ら鳴り響き、自ら位置を移すのは、君王の地位が安穩ならざるを主り、応験は一年を出ず。漢代の緯書《春秋潜潭巴》にいう:天子の鐘が自ら鳴れば、下方の州国はまさに兵を興さんとす。《兵書》にいう:鐘を敲いて声出さざるは、士卒の心中に憤懣あり、急ぎて出でて戦い攻めんと欲することを主る。
鼓が自ら鳴る 鼓が鳴らない
《潛潭巴》曰:“庫兵動,鼓自鳴。”《天鏡》曰:“鼓忽夜鳴,有敵人來。”《兵書》曰:“金鼓無故自鳴軍中,當罷且有功名。”《兵書》曰:“金鼓無故忽無音響者,邑且降。”《漢書五行志》云:“李陵擊匈奴,夜擊鼓起士,不鳴。陵曰:‘吾士氣少衰而鼓不起,何耶?軍中是有女子乎?’搜軍中,得卒妻,皆斬之。”
《春秋潜潭巴》にいう:武庫の中の兵器に動の象あれば、鼓は自ら鳴り響く。《天鏡》にいう:鼓が忽然として夜に響くは、敵が来り犯すを主る。《兵書》にいう:軍中の金鉦・戦鼓が故なく自ら鳴り響くは、戦事がまさに罷み休み、かつ功名あるを主る。《兵書》がまたいう:金鉦・戦鼓が故なく忽然として声響を発せざるは、この城邑がまさに降せんとするを主る。《漢書・五行志》に記す:李陵が匈奴を進撃したとき、夜に鼓を撃ちて士卒を召集したが、鼓は擂れども響かなかった。李陵がいう:「我が軍の士気がやや衰え、鼓すら起こせぬとは、これは何の故か。軍中にまさか女子が蔵れているのではないか。」こうして軍中を捜索し、軍に随う士卒の妻子を見出し、ことごとく処斬した。
角が自ら鳴る 角が鳴らない 巾箱の中に鼓角の声あり
《天鏡》曰:“國君角自鳴,有伐者。”《天鏡》曰:“角吹而不鳴,不宜征伐。”《異苑》曰:“晉孝武大元末,每聞巾箱中有鼓吹鼙角之聲。”又曰:“護軍府軍鎧甲錚錚有聲,遭王敦之變。”
《天鏡》にいう:国君の号角が自ら鳴るは、人来りて討伐するを主る。《天鏡》がまたいう:号角を吹いても声を発せざるは、兵を出して征伐するに適わず。劉敬叔《異苑》に記す:晋の孝武帝の太元末年、常に巾箱の中に鼓吹と鼙鼓・号角の声が伝わり出るのを聞いた。又いう:護軍府の中の軍用鎧甲が錚錚と響き、後に王敦の叛乱の変に遭った。
刀剣が自ら抜け自ら鳴る
京房曰:“君刀劍無故自拔,與其室相去,君且殺。”《地鏡》曰:“刀劍無故自拔出,及光有聲者,憂兵傷,若有血汗。”京房云:“君刀劍無故自鳴,他人無聞者,而君獨聞之,妻妾且殺其君。”《兵書》曰:“將軍劍無故自鳴,他人不聞,己獨聞之,此名婦為人殺之象。”
京房がいう:君主の刀剣が故なく自ら鞘を出て、剣鞘を脱離するは、君主がまさに殺害されんとするを主る。占候書《地鏡》にいう:刀剣が故なく自ら抜き出て、しかも光を放ち声あるは、憂慮・兵禍・傷損を主り、あるいは剣上に血のごとき汗漬が滲み出る。京房がいう:君主の刀剣が故なく自ら鳴り響き、旁人は皆聞こえず、唯だ君主のみ聞こえるは、妻妾がまさに君主を謀殺せんとするを主る。《兵書》にいう:将軍の佩剣が故なく自ら鳴り響き、别人は聞こえずして自ら独り聞こえるは、これを「婦のために人に殺さる」の象と謂い、まさに婦人の手に死せんとするである。
豹尾を忘る
《晉中興書》曰:“海西公初即位,忘設豹尾。聖人所以豹變也,而海西豹變之日,非所忘之時。天戒若曰,怠其豹尾,亦不能終也。”
《晋中興書》に記す:海西公(晋の廃帝・司馬奕)が即位したばかりのとき、豹尾を陳設するのを忘れた。豹尾とは天子の鹵簿儀仗の末尾の旗飾である。《周易・革卦》にいう「君子豹変」――聖人はまさにこの焕然たる更新をもって大業を成就するのであり、海西公が「豹変」して改元し、まさに気象を更新すべき日に、豹尾を忘れてよい時であるはずがなかった。天が警を示すはあたかもいうがごとく:自らの豹尾さえ懈怠して遺漏するなら、この位もまた最後まで坐ることはできまいと。後に彼は果たして桓温に廃黜された。
車が奔る
《天鏡》曰:“國君車奔,不出三年,有喪事。”
《天鏡》にいう:国君の乗ずる車駕が故なく驚奔して失控するは、応験三年を出ず、国中に喪事あり。車駕は君主の威儀の寄托する所であり、車奔とはすなわち御者がすでに駕馭し得ないことで、正に上の位ある者がその国を自持し得ないことに対応する。
鼎が淪む
《墨子》曰:“桀無道,九鼎淪。”
《墨子》にいう:夏の桀が荒淫無道のとき、九州を象徴する九鼎は沈没して見えなくなった。鼎は国を伝える重器であり、鼎が一たび沈淪すれば、国祚がまさに他人の手に移らんとすることを意味する。
鼎が震う
《洪範五行傳》曰:“周烈王二十三年,鼎震,金失也。金震,木動之也。鼎者,宗廟之器。鼎震,木沴金失之象。”
漢代に灾異を講じた《洪範五行傳》にいう:周の烈王二十三年、鼎に震動が発生し、これは五行のうちの「金」が常性を失ったのである。金が震動する所以は、木気に激盪されたからである。鼎は宗廟の礼器で、五行に金に属す。鼎の震うは、すなわち木気が金気を侵害して金にその本性を失わせた徴象である。
冶鉄が飛ぶ
《漢書五行志》曰:“武帝徵和二年春,涿郡鐵官銷鐵皆飛去。其三月,涿郡太守劉屈氂為丞相。後月,巫蠱事忽興,帝女陽石公主與太僕公孫敬聲下獄死。掘蠱太子宮,太子與母皇后議,恐不能自明,乃殺江充,舉兵與丞相屈氂戰,死者數萬人,太子敗走,至湖自殺。明年,屈氂復坐祝詛,腰斬,妻梟首。
《漢書・五行志》に記す:漢武帝の征和二年の春、涿郡の鉄官が熔練した鉄がことごとく飛散して去った。その年三月、涿郡太守の劉屈氂が丞相に升任した。一箇月を過ぎて、巫蠱の禍が忽然と興り、武帝の娘・陽石公主と太仆の公孫敬声が獄に下され処死された。人ある者が太子の宮中に巫蠱の木偶を掘り出し、太子は母の衛皇后と議し、ただ自ら清白を明らかにし得ぬを恐れ、こうして江充を殺し、起兵して丞相劉屈氂と交戦し、死者数万人。太子は兵敗して出逃し、湖県に至り自殺した。第二年、劉屈氂はまた祝詛の罪を以て腰斬され、妻子は梟首して衆に示された。
成帝河平二年正月,沛郡鐵官鑄鐵不下,隆如雷聲,又如鼓音,工十三人驚走,竟還視地,地陷數尺,爐分十二,爐中銷鐵散如流星。時王鳳為大司馬大將軍秉政,丞相王商與鳳有隙,鳳譖之,免官自殺。”
漢の成帝の河平二年正月、沛郡の鉄官が鉄を鋳るとき鉄水が下りて来ず、隆隆として雷のごとき声を発し、また鼓音のごとくもあり、十三名の工匠が驚駭して奔逃した。振り返って地面を見ると、地はすでに数尺陥れ込み、熔炉は十二塊に裂け、炉中の熔化した鉄は四散飛濺して流星のごとくであった。当時王鳳が大司馬大将軍の身分をもって朝政を執掌し、丞相の王商と王鳳には嫌隙があり、王鳳が讒言を進めて彼を中傷し、王商は免官の後自殺した。
竈と釜が鳴る
《地鏡》曰:“宮中灶及釜甑鳴響者,不出一年,有大喪。”郭璞《洞林》曰:“卷令施安上家,釜九鳴,旬月之中,尋有九喪。”
《地鏡》にいう:宮中の竈および鉄釜・瓦甑が声響を発するは、応験一年を出ず、大喪あり。郭璞《洞林》に記す:卷県の県令・施安上の家で、鉄釜が連続して九度鳴り、一箇月の内に、続けざまに九場の喪事が発生した。
臼の中に水が出る
《京房易傳妖占》曰:“臼水出,大臣咎。”《地鏡》曰:“水忽出臼中,臣為咎,且將大水。”《帝王世紀》曰:“初力牧之後曰摯,其母曰始朵,居伊水之濱,夢神告己曰:‘臼出水而遠走,無顧。’及明,視臼中有水,即告鄰而走,東十里乃顧,其地盡為水矣。”
《京房易傳妖占》にいう:臼の中に水が湧き出るは、大臣に咎殃あるを主る。《地鏡》にいう:水が忽然として臼の裏より冒き出るは、臣下が禍に遭うを主り、しかも大水の灾あらんとす。皇甫謐《帝王世紀》に記す:初め力牧の後代を摯という、その母の名を始朵という、伊水の岸に住み、夢に神明が己に告げていう:「臼の裏に水出れば遠く逃れ去れ、回頭して顧みるな。」天明に至るを待ち、臼の中を見れば果して水あり、すなわち隣里に告げ、足を拔きて走り、東へ十里を出でて始めて回顧すれば、その地はすでにことごとく一片の汪洋と化していた。
《伏侯古今注》曰:“成帝建始二年,太原祁安縣民石臼中水出如流,狀稍益,至滿臼,民夜謠曰:‘水大出,走上城。’後三年,女子陳持弓聞謠言,大水至,走入掖門,至省中,官吏大驚,上城。”
伏无忌《古今注》に記す:漢の成帝の建始二年、太原郡祁安県の百姓の家の石臼の中に水が冒き出ること泉流のごとく、水勢は漸々増大し、石臼に灌ぎ満つるに至った。百姓が夜に謡諺を唱うていう:「大水が湧き出るぞ、速く城墻の上へ逃げろ。」三年の後、女子の陳持弓という者が謡言を聴信し、大水が至ったといい、一路掖門に奔り込み、直ちに禁省の中に闖入し、官吏は大いに驚駭し、紛紛として城墻に登った。
秤と斗が小さく改められる
《天鏡》曰:“人君改小秤、衡、斗、桶,是謂裂德,五穀不入倉,民流亡,大飢。”
《天鏡》にいう:君主が秤・衡・斗・桶という度量衡器を一律に小さく改め、もって百姓より多く取らんとするは、これを「裂徳」と謂い、即ち自らの徳行を割裂し損壊するものである。其の結果は五穀が倉に収まらず、百姓は流亡して所を失い、大飢饉を釀成する。
飲食が自ら亡く
《京房傳》曰:“君飲食無故自亡,君且失位,凶。”
《京房傳》にいう:君主の飲食が故なく自ら消失して見えなくなるは、君主がまさに君位を失わんとするを主り、凶兆である。飲食は養生立命の根本であり、故なく亡するは、立国の凭借とする所が人に奪われたことを象徴する。
床が自ら動く 床が自ら亡く 帳幕が自ら動く
《京房傳》曰:“君床無故自動,君且移居。”《兵書》曰:“將軍坐床無故自動,臣下欲殺之。”又曰:“君床無故自亡去,君且去。”《兵書》曰:“將軍帳幕無故自動,人散走,各歸其鄉。”
《京房傳》にいう:君主の床が故なく自ら晃動するは、君主がまさに居処を遷移せんとするを主る。《兵書》にいう:将軍の坐床が故なく自ら晃動するは、臣下が彼を謀殺せんと欲することを主る。《京房傳》がまたいう:君主の床が故なく自ら消失して去るは、君主がまさに此の地を離れんとするを主る。《兵書》にいう:将軍の帳幕が故なく自ら擺動するは、人馬が潰散奔逃し、各々郷里に回帰することを主る。
羽扇
《晉中興書》曰:“舊為羽扇柄者,剜木以象骨,用十毛,取全數也。中興初,王敦始改用長柄,使下出可提,減其羽,用八。識者以為柄使可執用,是敦執國柄之象也;毛減用八者,是羽翮損少之應也。”
《晋中興書》に記す:旧時、羽扇を作る扇柄は、木を剜削して獣骨の模様と為し、羽毛を十根用い、十を満数と取る義であった。東晋の中興の初め、王敦が始めて長柄に改用し、柄の下端を伸出させて手提と為し得るようにし、また羽毛を減少して、唯だ八根を用いた。有識之士はこれを認めていう:柄を改めて手執し得る様と為すは、正に王敦が国柄を手執して朝政を專擅する象徴である。羽毛を八根に減ずるは、則ち羽翼が折損減少する応験である。
幓頭
《晉中興徵祥說》曰:“太元中,人不復著幓頭,亦服妖也,象人君獨立無親戚也。”《天鏡》曰:“人君及民,無故違國制,服上古之服,是謂悖德,君臣有反政。”又曰:“好作大衣,下臣悅。”又曰:“無故小其衣服,不出三年,邊有急兵,若外國來降服,後大凶。”又曰:“好小衣,臣自用。”
《晋中興征祥説》にいう:太元年間、人々は「幓頭」という束髪の頭巾を戴かなくなった。これも「服妖」に属し、君主が孤立無援で親族の依頼すべきがないことを象徴する。《天鏡》にいう:君主と百姓が故なく国の服制に違背し、上古様式の衣服に改穿するは、これを「悖徳」と謂い、君臣の間に政令反覆の乱象あるを主る。《天鏡》がまたいう:寛大な衣裳を作ることを好むは、下面の臣子が歓悦して帰心するを主る。又いう:故なく衣服を小さく改めるは、応験三年を出ず、辺境に緊急の兵事あり、あるいは外国が来り降服し、此の後大凶あり。又いう:小さな衣服を穿ることを好むは、臣下が自ら主張を作して專擅に行事するを主る。
又曰:“人君好為短小之衣,兵革,不出六年,邊城有相犯,君弱臣強。”又曰:“好著黃者,太平;好著白,兵;好著青,年中熟。”京氏云:“民人皆好素服者,民多喪,期三年。眾人好學諸侯之服,而高其衣服,不出五年,失民。”
《天鏡》がまたいう:君主が短小の衣服を穿ることを好むは、兵革の禍を起こすを主り、六年を出ず、辺城の間に相互侵犯し、君弱臣強の局面を形成す。又いう:世人が黄色を穿ることを好むは、天下太平を主る。白色を穿ることを好むは、兵事あるを主る。青色を穿ることを好むは、年成の中等の収熟を主る。京房がいう:百姓が皆素白の衣服を穿るを愛するは、民間に喪事多きを主り、期限三年。衆人が競い合い諸侯の服制を仿效し、自らの衣着を僭越の地步に抬高するは、五年を出ず、君主はまさに民心を失わんとす。
假髻
《左傳》曰:“鄭子臧好聚鷸冠,(張晏曰:鷸鳥,赤足黃文,以其毛飾冠。韋昭曰:鷸禽,翠鳥也。)鄭文公惡之,使賊殺之。劉向以為近服妖者也。一曰:非獨為子臧之身,亦文公戒也。初,文公不禮晉文,又犯周天子命而伐滑,不尊敬上,其後晉文伐鄭,幾亡國。”
《左傳》に記す:鄭国の子臧は鷸冠を搜集することを好んだ。原書小注:張晏がいう、鷸とは紅脚黄紋の鳥で、人はその羽毛を取りて冠を装飾す。韋昭がいう、鷸という禽鳥は即ち翠鳥である。鄭文公は彼のそうすることを厭悪し、刺客を派して彼を殺した。劉向はこれを「服妖」に近いと認めた。別の一説:この事は子臧一人に応じたのみならず、また鄭文公への警戒でもある。初め文公は晋の文公に無礼を為し、また周天子の命令に違抗して滑国を攻め、上の位ある者を尊敬せず、後に晋文公が兵を発して鄭を伐ち、鄭国はほぼ亡国となった。本条の標目は「假髻」と題するが、引く所は実に鷸冠の事で、同じく首服僭異の服妖の一類に属する。
冠が墜つ
《漢書五行志》曰:“昭帝時,昌邑王賀遣中大夫之長安,多治仄注冠(應劭曰:今法冠是也。李奇曰:一雲高山冠,本齊冠也,謁者服之也。)賜大臣,後又以冠奴。劉向以為近服妖也,時王賀狂悖,聞天子不豫,弋獵馳騁如故,與騶奴、宰人遊居娛戲,驕慢不敬。冠者,尊服;奴者,賤人。賀無故好作非常之冠,暴尊象也,以冠奴者,當自至尊墜至賤也。”
《漢書・五行志》に記す:漢の昭帝のとき、昌邑王の劉賀は中大夫を長安に派し、大量に「仄注冠」を制作させた。原書小注:應劭がいう、仄注冠とは今の法冠である。李奇がいう、別の一説に高山冠と呼び、もとは斉国の冠制で、謁者の戴く所である。劉賀はこれらの冠を大臣に賞賜し、後にまた取りて奴僕に戴らせた。劉向はこれを「服妖」に近いと認めた。当時劉賀は狂妄悖乱で、天子の病重を聞くも、照舊射獵して馬を馳せ、馬を養う奴僕・膳を掌る厨人と厮混して玩乐し、驕慢にして恭ならず。冠は尊貴なる者の服飾、奴は卑賤の人。劉賀が故なく常制に合わぬ冠を作るを愛するは、これは尊貴の物を糟蹋する象徴である。冠を取りて奴僕に戴らしむるは、則ち彼自らが至尊の位より至賤の地に跌落せんことを預示す。
冠衣が改変す
《續漢書》曰:“靈帝光和四年,作列肆於宮,綵女為商販,更盜竊帝著尚服,飲食宴觀以為樂,又於西園與狗著進賢冠,帶綬,又駕四驢車,帝躬自操轡馳騁。此服妖也,後天下亂。”《搜神記》曰:“晉中興,著幘者以帶縛項,下逼上,上無地也。”
司馬彪《續漢書》に記す:漢の霊帝の光和四年、宮中に成排の店舗を開設し、宮女に商販の扮装をさせ、彼此偷窃して楽しみと為した。霊帝も自ら商賈の服色に換え、その中に飲食宴飲・観看して楽しみと為した。彼はまた西園に狗に進賢冠を戴らせ、印綬を繋ぎ、還って四頭の驢の牽く車を駕し、自ら繮繩を握りて馳騁した。これ即ち服妖であり、後に天下大乱した。干宝《搜神記》にいう:東晋の中興の後、頭巾を戴く人は帯をもって脖子に捆縛し、これは下が上を逼迫し、上が容身する所なき象徴である。
《續漢書五行志》曰:“獻帝建安中,男子之衣好為長身而下甚短,女子好為長裙而上甚短,時益州從事黃嗣以為服妖,是陽無下而陰無上,天下未欲平也,後遂大亂。”《搜神記》曰:“吳景帝以後,衣服之制,長上短下,又積領五六而裳居二一,故歸命放情於上,百姓惻於下之象也。晉興後,服上儉下豐,又為長裳以張之,蓋上衰弱,下放縱也。”
《續漢書・五行志》に記す:漢の献帝の建安年間、男子の衣服は上身が甚だ長く下擺が極めて短く流行し、女子は長裙が流行して上衣が極めて短かった。当時益州の従事・黄嗣はこれを服妖と認めた:陽に属する男子には下部なく、陰に属する女子には上部なしとは、天下がまだ太平しようとせぬを説明し、後に果して大乱した。《搜神記》にいう:孫呉の景帝以降、衣服の形制は上長下短に変わり、衣領は層層として五六重に畳ねて下裳は三分之一しか占めず、それゆえ帰命侯・孫皓が上に在りて恣意に放縦し、百姓が下に在りて憂傷悲苦する徴象があった。晋朝が興起して以降、服式はまた上身儉窄・下身寛绰に変わり、還って長裳を作りてこれを撐げ開かしめ、これは上在りて衰弱し、下在りて放縦する象徴である。
衣服に血の汗が滲む 衣服が自ら亡く 衣服に光あり 衣が自ら匣より出る
《兵書》曰:“將軍衣無故自汗血,臣下欲殺之。”京房曰:“君朝服無故自亡,君有事,臣大凶。”《兵書》曰:“衣無故自亡,將且死,人家亦然。”《異苑》曰:“晉惠帝羊皇后將入宮,衣中忽有光若火,後藩王構兵,四廢四立,及洛陽失御,復為劉曜所嬪。”
《兵書》にいう:将軍の衣服が故なく血のごとき汗漬を滲み出すは、臣下が彼を謀殺せんと欲することを主る。京房がいう:君主の朝服が故なく自ら丢失するは、君主に変故あり、臣下に大凶あるを主る。《兵書》にいう:衣服が故なく自ら丢失するは、将領がまさに死せんとするを主り、尋常人家に此の事現るるも亦同じ。《異苑》に記す:晋の恵帝の羊皇后がまさに入宮せんとするとき、衣服の裏に忽然として火のごとき光を発した。後に諸藩王が起兵して混戦し、彼女は四度廃され四度復立し、洛陽の失守に至って、また劉曜に納められ妃嬪と為った。
《漢書》曰:“平帝元始元年二月乙未,義陵寢衣在匣中,忽出在床上。”又曰《王莽傳》:“杜陵便殿乘輿,宮府衣在藏中,忽自倒去外堂上,良久委地,莽惡之。”
《漢書》に記す:漢の平帝の元始元年二月乙未日、義陵の寝殿に匣に収めたる衣服が、忽然として自ら床上に跑り出た。《漢書・王莽傳》がまた記す:杜陵の便殿の乗輿車服は、もと宮府庫中に収蔵せしが、忽然として自ら翻倒し外堂上に跑り出で、久しきを過ぎて始めて地上に落ちた。王莽はこれを以て心に厭悪を生じた。
綬帯に光あり
《天鏡》曰:“印綬有光者,免官;帶有光,賀事。”
《天鏡》にいう:印綬が光亮を発するは、官職を免去するを主る。衣帯が光亮を発するは、喜ばしく賀すべき事あるを主る。印綬は官位の凭信であり、光が綬より発するは、即ち官位に変動あらんとする兆頭である。
履が改変す
《搜神記》曰:“昔初作履者,婦人員頭,男子方頭。員者順之義,蓋作者之意,所以別男女也。履者,所履踐而行者也。太康初,婦人皆方頭履,言去其從,與男女無別。”
《搜神記》にいう:昔、初めて鞋子を制作したとき、婦人の鞋は円頭に作り、男子の鞋は方頭に作った。円は柔順の義を取る。見れば制作者の用意は、鞋頭をもって男女を区別せんとするにあった。鞋とは、人に践踏せられて行走する物を供するものである。晋の武帝の太康初年、婦人は皆方頭の鞋に改穿し、これは彼女らが女子従順の道を去り、男女の間にもう区別なきを説明する。
履が自ら足に着く 履が自ら亡く
京氏曰:“君履無故自著於君足,有遠行。”京氏曰:“君履無故自亡,君且不復,遠行。”《天鏡》曰:“人君履無故夜亡,其處近臣為踐。”
京房がいう:君主の鞋が故なく自ら君主の足に套るは、まさに遠行あらんとするを主る。京房がまたいう:君主の鞋が故なく自ら丢失するは、君主が一たび去りて再び回らず、まさに遠行して返らざる事あらんとするを主る。《天鏡》にいう:君主の鞋が故なく夜に丢失するは、その地の近臣が人に践踏欺凌せらるるを主る。
敗屩が自ら聚る
《搜神記》曰:“元康之末,以至於太安之間,江淮之域有敗屩自聚於道,多者至四五十量,余嘗視之,時人散而去之,明日悉復,或見狸銜而聚之,說者曰:‘屩,人之賤服,處於下,當勞辱下民之象;敗者,疲斃之象;道者,地理四方所以交通,王命所由。敗屩聚道,民罷病,將構聚為亂。’後張昌逆亂。”
干宝《搜神記》に記す:晋の恵帝の元康末年より太安年間に至るまで、江淮一帯に破れた草鞋が自ら道路上に聚まり、多いときは四五十双に達した。私はかつて親しく往きてこれを見た。当時人ある者がこれを蹴散らして丢き去ったが、翌日またことごとく原の処に聚り回った。また人ある者は狐狸がこれを銜えて来て堆く積むのを見た。解説する人がいう:草鞋は人の穿く下賤の物で、最も下面に処り、正に労苦し辱めを受ける下層の百姓の象徴である。破敗とは疲弊困斃の象徴である。道路とは大地の四方が依りて交通し、王命が此より伝布する所である。破れた草鞋が道路に聚集するは、即ち百姓が疲敝して病み、まさに糾合聚衆して乱を作さんとするものである。後に果して張昌の叛乱が発生した。
城邑・宮殿の怪
邑が壅塞して山を成す
《地鏡》曰:“邑無故壅成山,是謂陽反為陰,君淫,為婦人所謀,不出一年,兵起。”
《地鏡》にいう:城邑が故なく壅塞堆積して一座の山を成すは、これを「陽反りて陰と為る」と謂い、即ち陽に属する城邑が反りて陰に属する丘阜と変ずることで、君主の淫乱にして婦人に算计せらるるを主り、応験一年を出ず、兵禍興起す。
邑が没して池と為る
又曰:“邑沒為池,是謂侵陽,人主徵發無道,不出一年,兵馬興。”
《地鏡》がまたいう:城邑が陥没して一片の水池と化すは、これを「侵陽」と謂い、即ち陰に属する水が陽に属する位置を侵奪したもので、君主が賦役を徴発するに毫も法度なきを主り、応験一年を出ず、兵馬まさに興動せんとす。
門が崩壊す
京氏曰:“上下咸悖,厥妖城門壞。”《天鏡》曰:“君門傾,君不安上。”《洪範五行傳》曰:“秦世,都門無故崩。都門者,秦東郭門,通山東者也,亦崩者,象趙高殺二世時,外降,政內敗。一曰:西郭莫崩,而東獨然又先崩者,象山東兵至,滅壞出二世不踰,楚漢之兵皆自都門而入,此皆內不平,外不敬之所致。”
京房がいう:上下ともに理に背き妄行すれば、その妖異は城門の崩壊に表れる。《天鏡》にいう:君主の門が傾斜するは、君主が上位に在りて安穩を得ざるを主る。《洪範五行傳》にいう:秦朝の時、都門が故なく崩塌した。いわゆる都門とは、秦の都の東面の外城の門で、山東に通ずる要道である。それさえ崩塌するは、趙高が秦の二世を殺すとき、外に対して敵に降り、内に対して政事敗壊することを象徴す。別の一説:西面の外城の門は皆崩れず、唯だ東面のこの一座が先に崩れたるは、山東の兵馬がまさに至らんとし、秦の覆滅は二世の身を出ざるを象徴す。後に楚漢の軍隊は皆都門より攻め入った。これらは皆内部不和・外部不敬の招く所である。
《漢書五行志》曰:“景帝三年十二月,吳二城門傾,大船自覆。劉向以為近金沴木,木動也。先是吳王濞以太子死於漢,稱疾不朝,陰與楚王戊謀為逆亂。城猶國也,其一門名曰楚門,一門名曰魚門,吳地以船為家,以魚為食,天戒若曰與楚所謀,傾國覆家。吳地以王不悟,正月與楚俱舉兵,身死國亡。”
《漢書・五行志》に記す:漢の景帝三年十二月、呉国の二つの城門が傾倒し、大船が自ら翻覆した。劉向はこれを金気が木気を侵害し、木動の変に属すると認めた。この前、呉王の劉濞は太子が漢廷に死したが故に、病を託して入朝せず、暗中に楚王の劉戊と叛乱を図謀した。城は即ち国に等しく、呉国のこの二門は一を楚門・一を魚門と名づく。呉の地は船を以て家とし、魚を以て食と為す。天が警を示すはあたかもいうがごとく:楚国と合謀すれば、まさに国家を傾覆し家業を翻覆せんと。呉王は省悟すること能わず、正月に楚国と一同に起兵し、結果身死し国滅した。
又曰:“宣帝時,大司馬霍禹所居第門自壞,時禹內不順,外不敬,見戒不改,卒受滅亡之誅。”又曰:“哀帝時,大司馬董賢第門自壞,時賢以私愛居大位,賞賜無度,驕慢不敬,大失臣道,見戒不改,後賢夫妻自殺,家徙合浦。”《續漢書》曰:“桓帝延熹五年,太學門無故自壞,裴楷以為,太學者教化所居,其門自壞,文德將衰,教化廢也。是後,天下遂至大亂。”
《漢書・五行志》がまたいう:漢の宣帝の時、大司馬の霍禹の住む宅第の大門が自ら倒塌した。当時霍禹は内心馴順せず、上に対して恭敬せず、警戒を見ても悔改せず、終に滅族の誅を遭った。又いう:漢の哀帝の時、大司馬の董賢の宅第の大門が自ら倒塌した。当時董賢は皇帝の私寵を凭りて高位に居り、賞賜は毫も限度なく、驕慢不敬で、臣と為る道を大いに失い、警戒を見ても悔改せず、後に董賢の夫妻は自殺し、家屬は合浦に遷徙せられた。《續漢書》に記す:漢の桓帝の延熹五年、太学の門が故なく自ら倒塌した。裴楷は認めていう:太学は教化の在る所であり、その門が自ら壊れたるは、文徳がまさに衰落し教化が廃棄せらるるを説明す。此の後天下は果して大乱に陷入した。
《魏志》曰:“黃初二年春,文帝幸許昌城,南門無故自崩,帝心惡之,遂不入,還洛陽。五月,帝崩。”《晉中興徵祥說》曰:“元興二年,大桁門層屋自壞。桁門者,蓋古之雞門,都城之門也,王者所由出入。是孝安靜默,警蹕之響,未嘗至於雞門。而桓玄之篡,乘間也。”
《魏志》に記す:黄初二年の春、魏の文帝は許昌城に駕臨し、南門が故なく自行崩塌したので、文帝は心に厭悪し、便ち城に入らず、径自に洛陽に返回した。五月に至り、文帝は駕崩した。《晋中興征祥説》にいう:元興二年、大桁門の重楼が自ら倒塌した。桁門は大概古代の鶏門で、都城の城門で、君王は此より出入す。当時晋の安帝は沈黙無為で、清道戒厳の声響は従来曽て鶏門に至らず。而るに桓玄の簒位は、正にこの空隙に乗じて下手したのである。
門關が折る 門鑰が自ら亡く
《地鏡》曰:“城門關無故自折,將有賊至,為人所開,邑敗。”京氏曰:“君門戶自亡,其君且殺。”《漢書五行志》曰:“咸帝元延元年,長安章城門牡自亡,函谷關決,門牡自亡。(晉灼曰:牡出龠也。孟康曰:決門,聚落門也。)谷永對曰:‘章城通路寢之路,函谷關阻山東之險,城門關守國之固,固將去焉,故牡飛。’”
《地鏡》にいう:城門の門閂が故なく自ら折断するは、まさに賊寇の到来ありて城門が人に開かれ、城邑は因りて敗亡するを主る。京房がいう:君主の門戸が自ら見えなくなるは、この君主がまさに殺害されんとするを主る。《漢書・五行志》に記す:漢の成帝の元延元年、長安の章城門の門牡が自ら見えなくなり、函谷関の関門が開裂し、門牡も同じく自ら見えなくなった。原書小注:晋灼がいう、牡とは鎖孔の中より脱出する那一部分である。孟康がいう、「決門」とは聚落の門を指す。谷永が回答していう:「章城門は直達して路寝に通ずる大道に通じ、函谷関は山東の険要を拠守す。城門と門閂は一国が依りて堅固とする凭借である。今この堅固さがまさに去らんとするゆえ、門牡こそ飛び去ったのです。」
門が自ら開閉す
《天鏡》曰:“晝夜門自開閉,方有大兵至,大憂。”《京房傳》曰:“君門戶無故自闔,臣殺其君。”又曰:“國門無故夜自開,且有晝閉之憂。”《天鏡》曰:“殿閣門夜自開,其下方有大兵。”《地鏡》曰:“人家門戶無故自開自閉,有力兵事。”《京房傳》曰:“城門無故不可開,邑有憂。”又曰:“君門無故不可開者,君凶,人家亦然。”《地鏡》曰:“凡門無故不可開,是謂戒過,不出三年,必有兵從近城郭起。”
《天鏡》にいう:門が白天黑夜に自ら開き自ら関るは、正に大軍まさに至らんとし、大なる憂患あるを主る。《京房傳》にいう:君主の門戸が故なく自ら関閉するは、臣下がその君主を弑殺するを主る。又いう:国都の門が故なく夜に自ら打開するは、まさに白天に門を閉じて戒厳する憂患あらんとするを主る。《天鏡》にいう:殿閣の門が夜に自ら打開するは、その下方に正に大軍あるを主る。《地鏡》にいう:民家の門戸が故なく自ら開き自ら閉るは、強力の兵事あるを主る。《京房傳》にいう:城門が故なく打ち開かれざるは、この城邑に憂患あるを主る。又いう:君主の門が故なく打ち開かれざるは、君主に凶険あり、尋常人家も亦同じ。《地鏡》にいう:凡そ門が故なく打ち開かれざるは、これを「戒過」と謂い、上天が其の過失を警戒するもので、応験三年を出ず、必ず兵禍が附近の城郭より興起す。
《洪範五行傳》曰:“燕王明光宮臥內,三戶閉不可開,王使二十餘人疏戶,終不開,久甚。王意以為內有人,使奴踞屋視內,中無人。小臣者趙聖推戶,戶開,視其戶不開。夫戶,以出入屋室者也。無故不開,且不居也。”
《洪範五行傳》に記す:燕王の明光宮の卧室の内に、三扇の門が関まりて打ち開かれず、燕王は二十余人を派して門枢を疏通せしめたが、始終打ち開く能わず、僵持すること甚だ久しかった。燕王は心の内に人が蔵れていると以為し、奴僕を叫んで屋頂に蹲らせて裏を查看せしめたが、屋中に人はいなかった。小臣の趙聖という者が上がって一推すれば、門は即ち開いた。再びその門を検査するに、門自体に打ち開かれざる毛病はなかった。門とは、もと人の屋室に出入するを供するものである。故なく打ち開かれざれば、即ちこの屋はまさに人の居ることなからんことを預示す。
屋室が自ら壊る
《干寶晉紀》曰:“武帝大熙元年,太廟梁折。四月,世祖崩。”《晉中興徵祥說》曰:“大興二年,吳郡米廡無故壞。米廡,貨糴之屋;無故自壞,天戒若曰五穀踴貴,無所糴買,不復須屋。是歲,人大飢,餓死者十二三萬。”又云:“王敦在武昌架屋,五間已構五木,一宿梁墜地,栿在柱上,甚危,無幾作亂,敦滅。”
干宝《晋紀》に記す:晋の武帝の太熙元年、太廟の大梁が折断した。四月、世祖武帝が駕崩した。《晋中興征祥説》にいう:大興二年、呉郡の米を儲する廊屋が故なく倒壊した。米廡は糴米を売買する屋である。それが故なく自ら壊れるは、天が警を示すにあたかもいうがごとく:五穀の価格が飛漲し、根本的に糴買する処なく、則ちこの屋を用るに及ばずと。この年、人々は大いに飢饉し、餓死する者十二三万。又いう:王敦が武昌に房屋を搭建し、五間の屋にすでに五根の木料を架したが、一夜に大梁が墜地し、横木が柱子上に圧し、十分に危険であった。没だ久しからずして彼は起兵して乱を作し、王敦は終に覆滅した。
殿の名の妖異
《晉中興徵祥說》曰:“烈宗起清暑殿,識者非之:‘清暑,楚聲。今起殿以楚之聲為號,非吉祥。’後桓楚篡。”《續陽秋》曰:“桓玄在姑熟起齋,畫為龍,名曰盤龍齋,及敗,劉毅居之,毅小字盤龍。”
《晋中興征祥説》にいう:晋の孝武帝(廟号は烈宗)が清暑殿を興建したとき、見識ある者が非議していう:「清暑」とは楚地の声調である。今殿を造るに楚声を以て命名するは、吉祥の兆頭ではない。後に果して桓玄が号を楚と建てて簒位する事があった。檀道鸞《續晋陽秋》に記す:桓玄が姑熟に書斎を営建し、斎中に龍を畫き、名を取りて盤龍斎と曰した。彼の兵敗に及び、劉毅が此に住み入り、而して劉毅の小名は正に盤龍と呼ばれた。
城郭・宮闕に声あり崩側す
《天鏡》曰:“城郭宮闕廷棟樑頭鳴,不出二年二月,國亡削地。”京氏曰:“邑城門無故夜鳴,邑有大喪,人家亦然。”《地鏡》曰:“邑城門忽夜鳴者,將有兵喪。”《王莽傳》曰:“天鳳二年,朱鳥門鳴,晝夜不絕也。(雲雲)”王隱《晉書》曰:“城有聲,若牛出許昌城,此應主為愍懷太子。”《潛潭巴》曰:“宮柱自鳴,下土諸侯號有聲。”
《天鏡》にいう:城郭・宮闕の殿廷の棟梁の頂端が鳴響を発するは、応験二年零二箇月を出ず、国家が覆亡して土地が削減さる。京房がいう:城邑の城門が故なく夜に鳴響するは、城邑に大喪あるを主り、尋常人家も亦同じ。《地鏡》にいう:城邑の城門が忽然として夜に鳴響するは、まさに兵禍と喪事あらんとするを主る。《漢書・王莽傳》に記す:天鳳二年、朱鳥門が鳴響し、昼夜停まらず(原書は此処を「云云」を以て下文を省略す)。王隠《晋書》に記す:城墻が声響を発し、牛が許昌城中より走り出るがごとく、この異象は愍懐太子の身に応じた。《春秋潜潭巴》にいう:宮中の柱子が自ら鳴響するは、下方の州国の諸侯が号令を発して声あり、擅自に号令するを主る。
《天鏡》曰:“宮殿廷門自鳴,動搖有聲音,不出三年,有流血交兵,從近臣親戚起。”《京房傳》曰:“邑君屋無故自動,動而大聲者,邑且虛。”《天鏡》曰:“君府門閣自鳴,強兵方至。”京氏曰:“君室中無故有人聲,且有大奸。”又曰:“君室殿無故有哭聲,國家大凶。”又曰:“賤人將貴,則城復于隍。”
《天鏡》にいう:宮殿の廷門が自ら鳴響し、搖動して声音を発するは、応験三年を出ず、流血交兵の禍あり、しかも近臣と親戚の中間より発起す。《京房傳》にいう:城邑の主の屋宇が故なく自ら晃动し、晃动して巨響を発するは、この城邑がまさに空虚と変らんとするを主る。《天鏡》にいう:君主の府第の門閣が自ら鳴響するは、強敵の兵馬が正に到来せんとするを主る。京房がいう:君主の居室の中に故なく人の說話する声あるは、まさに大奸の人出でんとするを主る。又いう:君主の宮室・殿堂に故なく哭声あるは、国家の大凶を主る。又いう:卑賤の人がまさに顕貴せんとすれば、城墻は倒塌して城壕の裏に回填す。
社が鳴りおよび自ら移る
《潛潭巴》曰:“里社鳴,此裡有聖人,其響百姓歸之,天子走。”(鳴則教令行善,湯放桀也。響鳴之怒。)京房曰:“社鳴,實邑虛,虛邑實。”又曰:“里社鳴,聖人出。”又曰:“社樹自移,君有大行,有凶,移來,國昌。”
《春秋潜潭巴》にいう:里中の社壇が鳴響を発すれば、この里中に聖人が世に出る。鳴響の及ぶ所、百姓は皆来り帰附し、天子は出走するのみ。原書小注:社鳴とは即ち教令が通行し善道が推広し得ること、商湯が夏桀を放逐したがごときである。いわゆる「響」とは、鳴声の中に憤怒の気を含むを指す。京房がいう:社壇が鳴響するは、原本充実なる城邑が空虚に転じ、原本空虚なる城邑が充実に転ずるを主る。京房がまたいう:里社が鳴響するは、聖人が世に出るを主る。又いう:社壇の神樹が自ら移り去るは、君主に遠行の大事あるを主り、凶兆である。もし移り来れば、則ち国家が昌盛するを主る。
市が驚きおよび泉が出る
《天鏡》曰:“民人市驚,大兵至,失政之象也。”京房曰:“市人無故自驚者,春驚,期一年;夏驚,期二年;秋驚,期三年;冬驚,期四年。案《握鏡》曰:叛兵起,失政之象也。”又曰:“天不雨,糴肆自出泉,百姓亂。”又曰:“糴肆無故自出泉,民人相食;君肆無故自出泉,將軍與相為亂。一曰:國內亂,期三年。”
《天鏡》にいう:集市の百姓が故なく驚乱するは、大軍まさに至らんとするを主り、これは政令失当の象徴である。京房がいう:集市の人が故なく自相驚擾し、春に驚擾すれば応期一年、夏に驚擾すれば応期二年、秋に驚擾すれば応期三年、冬に驚擾すれば応期四年。また按ずるに《握鏡》にいう:これは叛兵の興起を主り、失政の象徴である。京房がまたいう:天が雨を降さずして、糶米の店舗が自ら泉水を冒き出すは、百姓が乱を作すを主る。又いう:糶米の店舗が故なく自ら泉水を冒き出すは、百姓が相食するを主る。君主の市肆が故なく自ら泉水を冒き出すは、将軍と丞相が一同に乱を作すを主る。別の一説:国内の動乱を主り、応期三年。
城・廟・宮殿が濡湿す
京房曰:“天不雨,廟自濡者,其國大飢,人主當之。”《天鏡》曰:“人君宮殿門牆潤濡,不出一年,獄失囚。”又曰:“宮殿及垣牆無故汁出,如水濯之狀,不出八十日,亡國。”《述異記》曰:“宋臨王子項在荊州,永光元年,所住庭柘折,棟裂,並自濡,溼汁滴地。明年,被誅。”京房曰:“天不雨而城自濡者,其國大潰亂,相當之。”
京房がいう:天が雨を降さずして、宗廟が自ら潮湿して水を滲するは、この国家が大いに飢饉し、君主がこの灾禍を承受するを主る。《天鏡》にいう:君主の宮殿の門と墻が潤湿して水を滲するは、応験一年を出ず、牢獄が囚犯を走失する。又いう:宮殿および垣墻が故なく汁液を滲み出し、水に洗われたがごときは、応験八十日を出ず、国家滅亡す。《述異記》に記す:宋の臨王子項が荊州に在り、永光元年、彼の住む院中の柘樹が折断し、屋棟が開裂し、同時に自行滲湿し、汁液が地面に滴落した。第二年、彼は即ち誅殺せられた。京房がいう:天が雨を降さずして城墻が自ら潮湿するは、この国家が大いに潰乱し、宰相がこの灾禍を承受するを主る。
宮殿が自動す
《天鏡》曰:“人君宮闕宮廷門戶無故自動,不出期年,有流民,且交兵。”京房曰:“君宮室無故自動者,且為兵墟。”
《天鏡》にいう:君主の宮闕・宮廷の門戸が故なく自ら晃動するは、応験一年を出ず、流民が出現し、しかも交兵して戦うことあり。京房がいう:君主の宮室が故なく自ら晃動するは、ここがまさに兵火の後の廃墟と変らんとするを主る。
宮殿が臭し
《天鏡》曰:“宮殿中及宮府間,聞腐臭,不出一年,有暴喪,若婦人暴死。”又曰:“宮殿聞血腥腐臭,是謂(闕),不出一年,有大水,流血。”又曰:“宮殿中聞焦臭,是謂移妖,不出一年,以火為災。”又曰:“宮殿聞臭,是謂陽動,不出一年,宗廟社稷移徙。”
《天鏡》にいう:宮殿の中および宮内の官府の間に腐臭の気を嗅ぐは、応験一年を出ず、暴亡の喪あり、あるいは婦人の猝死あり。又いう:宮殿の裏に血腥い腐臭を嗅ぐは、これを某々の妖と謂う(原書此処字欠く)、応験一年を出ず、大水あり、流血の禍あり。又いう:宮殿の裏に焦げ臭い気を嗅ぐは、これを「移妖」と謂い、応験一年を出ず、火を以て灾を成す。又いう:宮殿の裏に臭気を嗅ぐは、これを「陽動」と謂い、応験一年を出ず、宗廟・社稷は皆遷移す。
宮室の柱に芝生ず
《握鏡》曰:“宮室屋木無故生芝者,白為喪,赤為血及火,青為獄,黑為賊,黃為吉。”
《握鏡》にいう:宮室の屋木に故なく霊芝の類の菌蕈が生えるは、色を按じて分かち占う:白色は喪事を主り、赤色は流血と火災を主り、青色は牢獄の事を主り、黒色は盗賊を主り、黄色は吉兆である。
宮殿に点生ず
《地鏡》曰:“宮室中壁,無故生點者,白為喪,赤為血及火,青為獄,玄為虛耗亡遺,黃為吉。”
《地鏡》にいう:宮室の裏の墻壁に故なく斑点が生ずるは、同じく色を按じて分かち占う:白色は喪事を主り、赤色は流血と火災を主り、青色は牢獄の事を主り、黒色は耗損・空虚にして財物が散失するを主り、黄色は吉兆である。
宮殿の瓦自ら堕つ
《潛潭巴》曰:“宮瓦自墮,諸侯強凌,主身不祥。”
《春秋潜潭巴》にいう:宮室の瓦片が自ら墜落するは、諸侯が強横に朝廷を欺凌し、君主自身に不祥の事あるを主る。瓦が屋上に覆うは、譬えば臣子が君上を拱衛するがごとし。瓦が一たび墜落すれば、即ち護衛する者の离散の象徴である。
宮殿の柱自ら鳴る
又曰:“宮室柱自鳴,下土諸侯號有聲。”
《春秋潜潭巴》がまたいう:宮室の柱子が自ら鳴響するは、下方の州国の諸侯が号を発して尊を称し、声勢が外に露われるを主る。柱子は屋宇を撑持する根本であり、柱が先ず自鳴するは、正に国家を支撑する諸侯が先んじて声を出す事に応ずる。
開元占經 卷一百十五
鳥の休征
鳳凰
《尚書考靈曜》曰:“通天文者明,審地理者昌,鳳凰下之。”《地鏡》曰:“鳳凰,赤精。顓頊德。”《尚書中候》曰:“堯即政,鳳凰巢阿閣。”《禮斗威儀》曰:“君乘土德而王,其政太平,鳳凰集於苑林。”京房曰:“鳳凰來儀,翩翩其羽,茲謂休德。”《抱朴子》曰:“古者太平之世,鳳凰常居其國而生光。”《淮南子》曰:“鳳凰之翔,至德也。”《禮稽命徵》曰:“父子、君臣、夫婦,尊卑有別,鳳凰至,飛翔,盛於明堂。”
書緯《尚書考霊曜》にいう:天文に通暁する君主は聖明にして、地理を審察する君主は昌盛し、鳳凰は即ち彼の為に降臨す。《地鏡》にいう:鳳凰は赤色の精にして、応ずる所は顓頊の徳である。《尚書中候》にいう:唐堯が即位して政を主れば、鳳凰は即ち阿閣の上に巣を築いた。礼緯《礼斗威儀》にいう:君主が土徳を承けて王と称し、政事が太平なれば、鳳凰は苑囿・林木の間に聚集す。京房がいう:鳳凰が来りて儀容を展げ、翩翩として羽翼を舒展するは、これを美善の徳の応験と謂う。葛洪《抱朴子》にいう:古の太平の世には、鳳凰は常にその国に留居して光彩を放った。《淮南子》にいう:鳳凰が高翔し得るは、国に至徳あるが為である。礼緯《礼稽命徴》にいう:父子・君臣・夫婦の間に尊卑各々分際あれば、鳳凰は飛来し、盤旋して飛舞し、明堂の上に極めて興盛す。
鸞
《京房易候》曰:“鸞見於國,天下大安。”《中候》曰:“周公歸政於成王,鸞凰見。”
《京房易候》にいう:鸞鳥が国中に現れるは、天下が大いに安定するを主る。《尚書中候》にいう:周公が政権を成王に交還すると、鸞鳥と鳳凰が出現した。鸞は鳳凰の類の神鳥で、古人はこれが太平の世に応じて至ると認め、故に政を帰し賢に譲るの日に始めて現身する。
白烏
《地鏡》曰:“條庶感,則白烏來。”《瑞應圖》曰:“白烏者,宗廟肅則至。”
《地鏡》にいう:政令が条理分明にして庶民が之に感化せられれば、白烏が飛来す。《瑞応図》にいう:白烏という瑞鳥は、宗廟の祭祀が荘厳恭敬なるときに到来する。烏は本より反哺し、孝を以て著わるゆえ、その瑞応は専ら宗廟の事に属す。
白燕
《京房易妖占》曰:“山見白燕,其君且得貴女。”《地鏡》曰:“妾媵有制,白燕來巢。”
《京房易妖占》にいう:山中に白燕が出現するは、この君主が尊貴の出の女子を娶るあたらんを主る。《地鏡》にいう:妾媵の名分と数目が制度に合せば、白燕が飛来して巣を築く。燕は雛を育てる鳥なるがゆえ、その応験は多く後宮の嫁娶・生育の事に落着す。
朱雀
《地鏡》曰:“赤雀銜書,文王德。”《瑞應圖》曰:“赤雀者,王者動應於天時,則銜書來。”
《地鏡》にいう:赤雀が丹書を銜えて飛来するは、応ずる所は周の文王の徳である。《瑞応図》にいう:赤雀という瑞鳥は、君王の一挙一動が皆天時に合応するときに、符命の書を銜えて飛来する。
黄雀
《禮稽命徵》曰:“祭五嶽四瀆得其宜,則黃雀集。”
礼緯《礼稽命徴》にいう:五岳と四瀆への祭祀が皆応に有るべき礼数に合せば、黄雀が成群して飛来聚集す。五岳・四瀆は山川の主にして、祭祀が宜しきを得れば地祇が順応し、黄雀は便ち之に随って至る。
白鳩
《瑞應圖》曰:“白鳩,王者養耆老,尊道德,不以新失舊,則至。”
《瑞応図》にいう:白鳩という瑞鳥は、君王が年高徳劭の長者を奉養し、道徳を尊崇し、寵信する新人の故に旧臣を棄てざれば、即ち飛来す。古代に老人に賜る手杖の頂端は即ち鳩の形に雕られ、故に白鳩は専ら養老敬賢の徳に応ずる。
玉鵝
又云:“玉雞者,王者德令神明則出。”
《瑞応図》がまたいう:玉鶏という瑞物は、君王の徳政と号令が皆神明に通達すれば、即ち出現す。本条の標目は「玉鵝」と題して引文は「玉鶏」と作るは、当に同一の祥瑞の異名か、或いは伝写の時やや出入あるものとすべし。
比翼鳥
《地鏡》曰:“王者德綦高遠,則比翼鳥來至。”
《地鏡》にいう:君王の徳行が極めて高遠なれば、比翼鳥が飛来す。比翼鳥は伝説に両隻が翼を並べて始めて飛行し得るといい、取る所は上下が相輔きて彼此相い棄てざるの義である。
三足烏
又曰:“王者德不任卜筮,則三足鳥來。”
《地鏡》がまたいう:君王が徳を以て国を治めて専ら卜筮に倚仗して決断せざれば、三足烏が飛来す。三足烏は日中の烏にして至陽の精たり。故に用いて君徳の昭明にして鬼神に惑わざるに応ずる。
鷃が園の樹に巣す
京房曰:“鷃巢園樹,歲安熟。”
京房がいう:鷃雀が園中の樹上に巣を築くは、この年が平安にして五穀豊熟するを主る。鷃は小鳥にして、専ら安穩の処を択びて巣を営む。それが肯んじて来りて巣を築くは、正に歳事に驚擾なきを説明す。
鳥の咎征
鸞の三指
《地鏡》曰:“鸞三指,其下不以德,所下之國,有易王。”
《地鏡》にいう:鸞鳥が落地するとき三箇の爪趾の痕のみ留めるは、それが降臨する所は徳を以て招いたのではないことを説明す。この如くなれば、それが降落したその国家は君王を改換す。
鵲が宮闕に巣しおよび軍に巣す
又曰:“鵲巢門殿上,賢據代之,世主衰失之象。”京氏曰:“鵲巢軍旗鼓上,將軍死。”
《地鏡》がまたいう:喜鵲が宮門・殿宇の上に巣を築くは、賢能の人あるがその位を占拠して之に取代するを主り、これは当世の君主が衰败して国を失うの象徴である。京房がいう:喜鵲が軍中の旗幟と戦鼓の上に巣を築くは、将軍の死亡を主る。
鶴が樹に巣す
又曰:“鶴巢樹,此謂失教,邑亡,歲苦,人多死。”
京房がまたいう:鶴が樹上に巣を築くは、これを「失教」と謂い、即ち教化が廃弛して其所を失う。城邑が敗亡し、年成が艱苦にして人口に死亡多きを主る。鶴は本より水沢の間に棲息するものが、今反って樹上に登りて巣を営むは、その常処を離れたれば、故に上下の失序に応ずる。
燕の群れおよび市朝の樹
京房曰:“燕群鬥,外內飢於寇,國兵起。”《地鏡》曰:“玄鳥群見,水大興,女主持政,兵革且起,不出四年,王道絕。”京房曰:“燕自經市朝之樹,為政者凶。”
京房がいう:燕子が成群して相い闘うは、国内国外ともに寇乱の因りて飢荒に陥り、国中に兵禍を興起せんとするを主る。《地鏡》にいう:玄鳥(即ち燕子)が成群して出現するは、大水の興発し、女主が朝政を執掌し、兵革まさに発作せんとするを主り、応験四年を出ず、王道は即ち断絶す。京房がいう:燕子が自ら集市または朝廷の樹上に吊死するは、政を当る人に凶禍あるを主る。
燕が土を銜ふ
京房曰:“燕銜土出之,國益土。”又曰:“燕銜土出置之,邑中虛。”
京房がいう:燕子が外より土を銜えて入り来るは、国家が疆土を増拓するを主る。京房がまたいう:燕子が土を銜えて出でて別の処に丢くは、城邑の中が空虚と変ずるを主る。土は疆土の象徴にして、銜えて入るは即ち増益、銜えて出るは即ち耗損である。
燕雀が闘ふ
《地鏡》曰:“雀與燕共斗,內寇亂,此國兵起。”京房曰:“燕與雀斗,賤人為寇。”
《地鏡》にいう:雀と燕が互相争闘するは、内部に寇乱ありてこの国家が兵禍を興起せんとするを主る。京房がいう:燕と雀が相い闘うは、卑賤の人が起ちて乱を作し寇と為るを主る。両者ともに簷下の小鳥にして、同処して相い攻むは、正に内部の自相残り害するの象を取る。
鶏が時に非ずして鳴く
《易通卦驗》曰:“萬民聞雞鳴,皆翹首、結帶、正衣裳。”京房曰:“雞無故夜鳴,必有急令。”又曰:“雞據棲而鳴,邑令不遷乃免也。”《地鏡》曰:“雞昏鳴者,世主任女人為政方亂。”又曰:“雞夜鳴,天子適有急令,戎馬興。”京房曰:“雞夜半中鳴,有軍軍罷,若有驚亡,將軍妻死。”
易緯《通卦験》にいう:万民が鶏の声を聴けば、皆頭を抬げて起き上り、衣帯を繋ぎ正し、衣裳を整正す。京房がいう:鶏が故なく夜に啼叫するは、必ず緊急の政令の下る有るべし。又いう:鶏が棲架に蹲って啼叫するは、本邑の長官が調任せられるか免職せられるかするを主る。《地鏡》にいう:鶏が黄昏の時に啼叫するは、当世の君主が婦人を任用して朝政に干与せしめ、乱象まさに始まらんとするを主る。又いう:鶏が夜裏に啼叫するは、天子に恰好緊急の命令あり、兵馬将に興らんとするを主る。京房がいう:鶏が半夜裏に啼叫するは、すでに出動した軍隊の将に兵を罷めんとし、あるいは驚乱・逃亡の事あり、将軍の妻子が死亡するを主る。
又曰:“雞晨昏鳴,人民有事。人定鳴,且戰;夜半鳴,流血滂沱。”又曰:“雞不以時鳴,國當之。”《地鏡》曰:“雞飛及走且鳴,天子退聲。”又曰:“雌雞作雄雞鳴。女主亂政。家則妻妾奸謀。女人憂。”京房曰:“雌雞非時而雄鳴者,家大傷。”
京房がまたいう:鶏が清晨と黄昏に啼叫するは、百姓に事故あるを主り、人定の時分に啼叫するは、まさに開戦せんとするを主り、半夜に啼叫するは、流血滂沱たるを主る。又いう:鶏が時辰に按じず啼叫するは、全国がこの灾咎を承受するを主る。《地鏡》にいう:鶏が辺り飛び辺り走りて一路啼叫するは、天子の声威の退減するを主る。又いう:母鶏が雄鶏の啼きを学ぶは、女主が朝政を扰乱するを主り、民家に在りては妻妾が暗中に奸謀し、婦人に憂患あるを主る。京房がいう:母鶏が時令に按じずして雄鶏の啼声を発するは、この一家が大いに損傷を受くるを主る。
鶏が栖に上らずおよび下らず
《地鏡》曰:“雞不肯上棲,上樹者凶。”又曰:“雞日中不下棲,女主亂政,家則妻妾奸謀,女人憂。”《京房易候》曰:“雞逐日不下樹,其邑必有水憂。”
《地鏡》にいう:鶏が棲架に帰るを肯ぜずして、却って樹上に飛び上るは、これは凶兆である。又いう:鶏が正午に到りても棲架より下らざるは、女主が朝政を扰乱するを主り、民家に在りては妻妾が暗中に奸謀し、婦人に憂患あるを主る。《京房易候》にいう:鶏が数日を連ねて樹を下らざるを肯ぜざれば、この城邑は必ず水患の憂いあり。
雌鶏に冠・距生ず
《地鏡》曰:“雌雞摔腹生冠距,女主亂政,家則妻妾奸謀,女人憂。”《河圖》曰:“雞有六指,殺人。”
《地鏡》にいう:母鶏が腹を挺して勢いを作し、鶏冠と脚距を生長して雄鶏の模様と変ずるは、女主が朝政を扰乱するを主り、民家に在りては妻妾が暗中に奸謀し、婦人に憂患あるを主る。《河図》にいう:鶏に六箇の脚指が生えたるは、人を殺すの禍あるを主る。
鶏と野鳥とが闘ひ戯る
京房曰:“雞與野鳥飛走,入人堂而斗若戲,其君不復居,人主亡。”又曰:“雞與野鳥斗,其邑亂臣弒君,大臣相戮,流血滂沱。”又曰:“雞鳥相鬥,其國殺大臣,有喪邑,流血。”《地鏡》曰:“雞與野鳥斗,君殺,國亂。”
京房がいう:鶏と野鳥が一斉に飛び走り、人家の堂上に闖入して互相争闘するか或いは嬉戯するは、この君主が再び其の位に安居する能わず、君主まさに亡びんとするを主る。又いう:鶏と野鳥が相い闘うは、この城邑の中に乱臣が君主を弑殺し、大臣が彼此屠戮し、流血滂沱たるを主る。又いう:鶏と鳥が相い闘うは、この国家が大臣を誅殺し、城邑に喪事あり、流血の禍発生するを主る。《地鏡》にいう:鶏と野鳥が相い闘うは、君主が殺され、国家大いに乱るるを主る。
鶏が翼を鼓さずおよび井を窺ふ
《京房易候》曰:“雞不鼓翼,國受大咎。”《地鏡》曰:“雞窺井,牢獄事。”
《京房易候》にいう:鶏が更に翅翼を振動せざるは、国家が大いなる灾咎を蒙受するを主る。《地鏡》にいう:鶏が頭を探して井中を窺看するは、牢獄の事あるを主る。井は深く且つ暗く、鶏が往きて窺看すれば、因りて囚繋・幽禁の象を取る。
鶏が自ら飛翔すおよび五色
《地鏡》曰:“雞無故自飛翔去家,有蠱。”《河圖》曰:“雞有五色,殺人。”又曰:“玄雞頭,食病人。”
《地鏡》にいう:鶏が故なく自ら飛び去って人家を離るるは、家中に蠱祟の患あるを主る。《河図》にいう:鶏の身に五種の雑色を現ずるは、人を殺すの禍あるを主る。又いう:黒鶏の頭は、取りて病人に食せしむべく、禳解の法と為す。
鶏が自ら来りおよび自ら死す
《地鏡》曰:“他雞無故飛來不去,家者暴死。”又曰:“雞無故自死,家虛耗。”
《地鏡》にいう:他家の鶏が故なく飛来して且つ去らざるを頼るは、この一家に猝死する人あるを主る。又いう:鶏が故なく自ら死掉するは、この家の財物が耗損し、家道が空虚なるを主る。
鵲と烏鳥と淫す
又曰:“雞與烏鳥淫,世主內亂,外臣有謀,橫兵方起。”
《地鏡》がまたいう:鶏と烏鳥が交合するは、当世の君主の内廷が淫乱にして、外朝の臣子が陰謀を心懐き、蠻横の兵禍まさに興起せんとするを主る。本条の標目は「鵲と烏鳥と淫す」と題して、引文は則ち「鶏と烏鳥と淫す」と作るは、仍お上文の鶏占に承けて言うものである。
鶏が子を生じて形異なり
京房曰:“雞生子不完,其邑憂。”又曰:“雞不卵,生子無羽而獸形,邑虛。”又曰:“雞不卵而生子非雞形者,邑有大水。”又曰:“雞不卵而生子,為六畜,邑有兵作。”又曰:“雞不卵而生子為鼠者,邑有大害。”
京房がいう:鶏が生み下す雛子の形体が完整ならざるは、この城邑に憂患あるを主る。又いう:鶏が蛋を下さず、径に羽毛なき獣形を作る物を生出すは、城邑が空虚に変ずるを主る。又いう:鶏が蛋を下さずして鶏形ならざる物を生出すは、城邑に大水あるを主る。又いう:鶏が蛋を下さずして生出するは六畜の形状なるは、城邑に兵事の発作あるを主る。又いう:鶏が蛋を下さずして老鼠を生出すは、城邑に大灾害あるを主る。
又曰:“雞不卵而生子為野獸形者,邑有大憂。”又曰:“雞不卵而生子,有六畜,邑有憂。”又曰:“雞卵中盡為蟲、蛇、蜂、蠅,國邑虛。”《地鏡》曰:“雞生子雜異形,皆為兵水憂。”
京房がまたいう:鶏が蛋を下さずして野獣の形状の物を生出すは、城邑に大憂患あるを主る。又いう:鶏が蛋を下さずして生出したる物の中に六畜の形あるは、城邑に憂患あるを主る。又いう:鶏蛋の裏面が尽く虫・蛇・蜂・蠅と変ずるは、国家の城邑が空虚なるを主る。《地鏡》にいう:鶏が生み下す雛子の形状が雑乱怪異なるは、皆兵禍と水災の憂いを主る。
開元占經 卷一百十六
雉が宮門上に立ちおよび宮に入りて君室上に止まる
京房曰:“雉無故立宮闕門上,其主且去宮殿。”又曰:“雉無故巢邑君屋上,且大事,宮虛。”京房曰:“雉止君屋上,為虛不可居,君當之。”《地鏡》曰:“雉入宮室,其主去宮。”京房云:“雉無故入人室庭,家虛。”
京房がいう:野鶏が故なく宮闕の門上に停まるは、ここの君主がまさに宮殿を離れんとするを主る。又いう:野鶏が故なく城邑の主の屋頂上に巣を築くは、まさに大事の発生あらんとし、宮室が空に変ずるを主る。京房がいう:野鶏が君主の屋上に停まるは、此処がまさに空虚となりて居住すべからざるを主り、君主がこの灾咎を承当す。《地鏡》にいう:野鶏が宮室に飛び入るは、ここの君主が宮廷を離れんとするを主る。京房がいう:野鶏が故なく人家の堂庭に進入するは、この一家が空虚と変ずるを主る。
雉が相い戲れおよび木上に巣し竝びに宮中に自死す
《地鏡》曰:“雉無故相戲,其主且去宮;雉自死宮中,其主去宮。”京房曰:“雉無故巢木上,水大至。”
《地鏡》にいう:野鶏が故なく相互に嬉戯するは、ここの君主が宮廷を離れんとするを主り、野鶏が自ら宮中に死するは、ここの君主が宮廷を離れんとするを主る。京房がいう:野鶏が故なく樹上に巣を築くは、大水まさに到来せんとするを主る。
雀が木に巣しおよび地に穴す
《京房易候》曰:“雀巢於木,茲謂傷祿,必有棄職。”《地鏡》曰:“雀皆巢木上,大兵起。”京房曰:“雀無故巢木,歲大水,兵起。”又曰:“雀無故穴其地,邑有兵。”
《京房易候》にいう:雀鳥が樹上に巣を築くは、これを「傷禄」と謂い、即ち俸禄の道が損傷を受け、必ず官を棄て職を離れる人あらん。《地鏡》にいう:雀鳥が皆樹上に到りて巣を築くは、大規模の兵事の興起を主る。京房がいう:雀鳥が故なく樹上に巣を築くは、当年に大水あり、併せて兵禍の興起あるを主る。又いう:雀鳥が故なく地上に洞を掘るは、城邑に兵事あるを主る。
雀が見えずおよび客雀来る
京房曰:“雀不見,歲飢。”《地鏡》曰:“客雀從他所來,歲中穀貴,民移徙。”又曰:“陽雀大,眾多,先水後旱,冬有兵,君無恩。”又曰:“水雀銜魚置宮寺室上,不出三年,水出壞邑。”又曰:“水雀下竹,女主執政,憂,有水出。”又曰:“水雀下楊柘,君行陰道,不出三年,軍行。”《遁甲至哉鈐》曰:“赤雀不見則無賢,白雀不降則無後嗣。”
京房がいう:雀鳥が踪影を見せざるは、当年の飢饉を主る。《地鏡》にいう:外来の雀鳥が別の処より飛来するは、この年の穀価が昂貴にして百姓が遷徙・流移するを主る。又いう:陽雀が個頭大きく且つ数量衆多なるは、先ず澇れて後に旱し、冬に兵事あり、君主が下に対して恩沢なきを主る。又いう:水雀が魚を銜えて宮殿・官寺の屋頂上に置くは、応験三年を出ず、大水が泛滥して城邑を毀壞す。又いう:水雀が竹子上に落着くは、女主が政を執り、憂患あり、大水の涌出あらんを主る。又いう:水雀が楊樹・柘樹上に落着くは、君主が陰柔・隠秘の道を施行するを主り、応験三年を出ず、軍隊は即ち出動す。遁甲の書《至哉鈐》にいう:赤雀が出現せざれば、即ち国中に賢人なし。白雀が降臨せざれば、即ち君主に後嗣なし。
鳩が巣を移す
京房曰:“邑鳩巢去樹木之地,若室上,謂去常居,亡地且兵。”
京房がいう:城邑の裏の斑鳩が巣を樹木上より遷り去り、或いは屋頂上に遷るは、これを平常の居処を離棄すると謂い、国家がまさに土地を喪失し、且つ将に兵禍あらんとするを主る。
鵲が城室および木上に集り鳴く
《地鏡》曰:“鵲集城上及室上,鳴而泣,皆為兵且起,邑將虛。”
《地鏡》にいう:喜鵲が城頭と屋頂上に聚集し、辺り鳴き辺り哭泣の声を作すは、皆兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。喜鵲は本より喜びを報ずる鳥なり、今反って悲声を発するがゆえ、占にて凶兆と為す。
鵲が夜鳴きおよび群れて井に飲む
京房曰:“鵲夜鳴,且必有甲兵。”《地鏡》曰:“鵲夜飛鳴,兵且起,邑將虛。”又曰:“鵲群飲井中,兵且起,邑將虛。”
京房がいう:喜鵲が夜裏に鳴叫するは、必ず甲兵の事あるを主る。《地鏡》にいう:喜鵲が夜裏に辺り飛び辺り叫ぶは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。又いう:喜鵲が成群して井中に飲みに至るは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。
鵲が群れて地に下り集りおよび軍に巣す
又曰:“鵲群下集地,兵起,邑將虛。”京房曰:“鵲巢軍起資,屋空虛。”
《地鏡》がまたいう:喜鵲が成群して飛び下りて地面上に聚集するは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。京房がいう:喜鵲が軍中の輜重・物資の上に巣を築くは、営屋が空虚にして軍衆が离散するを主る。
鵲が相い闘ひおよび自ら死す
《地鏡》曰:“鵲相鬥死,為兵起,邑將虛。”又曰:“鵲自死宮中,兵起,邑虛。”京房曰:“鵲無故自死宮中,主死。”又曰:“鵲無故自死君宮室門上,有喜;及屋上,亦然。”
《地鏡》にいう:喜鵲が相い闘って死するは、兵禍の興起し、城邑まさに空虚とならんとするを主る。又いう:喜鵲が自ら宮中に死するは、兵禍の興起し、城邑が空虚なるを主る。京房がいう:喜鵲が故なく自ら宮中に死するは、君主の死亡を主る。又いう:喜鵲が故なく自ら君主の宮室の門上に死するは、反って喜慶の事あるを主り、屋頂上に死するも、占法は亦同じ。
伯勞鳥が鳴き聚る
《地鏡》曰:“博勞斗屋上及呼不止,不出六十日,禍起。”京房曰:“伯勞鳥鳴,為怪,君室凶。”又曰:“伯勞鳥聚軍中,歲大水。”又曰:“伯勞鳥聚軍中,大水且至。”
《地鏡》にいう:伯勞鳥が屋頂上に相い闘い、或いは叫喚して止まざるは、応験六十日を出ず、禍事まさに発生せんとす。京房がいう:伯勞鳥の鳴叫は、妖怪の象に属し、君主の居室に凶あるを主る。又いう:伯勞鳥が軍中に聚集するは、当年に大水あるを主る。又いう:伯勞鳥が軍中に聚集するは、大水まさに到来せんとするを主る。
鳥が軍に集り巣す
京房曰:“鳥巢軍旗鼓上,將軍死。”又曰:“烏集聚軍中,將軍出令增秩應之。”
京房がいう:鳥が軍中の旗幟と戦鼓の上に巣を築くは、将軍の死亡を主る。又いう:烏鴉が成群して軍中に聚集するは、将軍は命令を頒下し、将士の秩禄・賞賜を増加して以てこの異象を消解すべし。
鴝鵒が宮室に巣す
《地鏡》曰:“鴝鵒巢宮室,不出三年,夷狄內侵。”
《地鏡》にいう:八哥(鴝鵒)が宮室の中に巣を築くは、応験三年を出ず、夷狄がまさに内に向かって侵犯せんとす。鴝鵒は本より中原の宮室に有るべき鳥に非ず、それが来りて巣を築くは、正に外物が内地に侵入するの象を取る。
鸛鵲が宮室上に鳴き巣す
又曰:“鸛鵲鳴人君屋上及巢屋,大水且至,民流散,國將亡。”又曰:“鸛鵲巢門殿上,賢據代之,世主衰失之象。”
《地鏡》がまたいう:鸛鵲が君主の屋頂上に鳴叫し、或いは屋上に巣を築くは、大水まさに至らんとし、百姓が流離・失散し、国家まさに滅亡せんとするを主る。又いう:鸛鵲が宮門・殿宇上に巣を築くは、賢能の人あるがその位を占拠して之に取代するを主り、これは当世の君主が衰败して国を失うの象徴である。
鳥が宮闕上に巣す
《地鏡》曰:“野鳥巢宮室,不出三年,夷狄內侵。”又曰:“鳥巢城上及其下,不出一年,憂,被圍。”京房曰:“鳥無故巢於門上及殿下,宮邑且虛;其屋巢者,為不終歲,無兵者兵作。”
《地鏡》にいう:野鳥が宮室の中に巣を築くは、応験三年を出ず、夷狄がまさに内に向かって侵犯せんとす。又いう:鳥が城頭或いは城下に巣を築くは、応験一年を出ず、憂患あり、城池が囲困を遭う。京房がいう:鳥が故なく宮門上或いは殿堂の下に巣を築くは、宮室・城邑まさに空虚とならんとするを主り、若し是れ屋上に巣を築くは、則ちこの一年を撑え過ぐる能わず、本より兵事なき処にも兵事を生ずるを主る。
衆鳥が城邑の門闕に鳴き泣く
《地鏡》曰:“鳥鳴君門上,作人聲,君亡。”又曰:“眾鳥集木上,鳴而泣,兵且起,邑將虛。”京房曰:“眾鳥皆無故自立城,泣人家室上者,國且圍,家亦然。”又曰:“飛鳥無故泣而立於野及木上,鳴而相應,邑有大兵。”又曰:“眾鳥無故立城,泣邑門上,其邑且虛。”又曰:“鳥鳴門闕上,如人音,邑且亡。”又曰:“眾鳥群鳴城上,聲習習,實邑。”又曰:“眾鳥鳴回,軍中必暴戰,不出三四日中。”
《地鏡》にいう:鳥が君主の門上に鳴叫し、人に似たる声音を発するは、君主の亡故を主る。又いう:衆鳥が樹上に聚集し、鳴叫して哭泣の声を帯ぶるは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。京房がいう:衆鳥が皆故なく城墻上に立ち、人家の屋頂に対して悲鳴するは、国家の将に囲困せられんとするを主り、尋常人家も亦同じ。又いう:飛鳥が故なく悲鳴して野外或いは樹上に立ち、鳴声が彼此相い応和するは、城邑に大兵あるを主る。又いう:衆鳥が故なく城上に立ち、城邑の門に対して悲鳴するは、この城邑まさに空虚とならんとするを主る。又いう:鳥が門闕上に鳴叫し、声音が人の説話に似たるは、城邑まさに滅亡せんとするを主る。又いう:衆鳥が成群して城上に鳴叫し、声音が習々として和順なるは、反って城邑の充実を主る。又いう:衆鳥が盤旋して鳴叫するは、軍中に必ず猝然の戦事あり、三四日の内を出ざるを主る。
衆鳥が夜鳴く
京房曰:“眾鳥夜鳴,且必有甲兵。”《地鏡》曰:“眾鳥夜鳴,為兵且起,邑將虛。”
京房がいう:衆鳥が夜裏に鳴叫するは、必ず甲兵の事あるを主る。《地鏡》にいう:衆鳥が夜裏に鳴叫するは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。鳥は本より夜に入りて安栖すべきもの、夜裏に反って鳴叫するは、正に驚擾・不安の象である。
鳥が止り入りて宮闕・城邑に宿す
京房曰:“鳥無故群立君門上者,其君死。”又曰:“眾鳥集止城上,內向則邑見圍,外向邑大兵行。”又曰:“眾鳥棲城上,內向則凶,外向破於兵。”又曰:“日有非常之鳥來宿於邑,此謂斂吏,邑有兵。”
京房がいう:鳥が故なく成群して君主の門上に立つは、この君主の死亡を主る。又いう:衆鳥が聚集して城墻上に停まり、頭が裏に向かうは、城邑の囲困せられるを主り、頭が外に向かうは、城邑に大軍の出動あるを主る。又いう:衆鳥が城上に棲息し、頭が裏に向かえば則ち凶にして、頭が外に向かえば則ち兵禍に敗れん。又いう:白天に反常の鳥有りて来りて城邑の中に宿するは、これを「斂吏」と謂い、城邑に兵事あるを主る。
又曰:“飛鳥皆無故自入宿邑中及附木身,不大凶即邑虛。”又曰:“野鳥飛入君室,其邑虛,亡之他方。”又曰:“鳥無故群宿邑中,其邑虛。”《地鏡》曰:“非常鳥來宿邑中,此名斂殃,流血滂沱。”(鳥或黃身黑翼白頭股赤啄足也)《地鏡》曰:“野鳥飛入宮,其君方去。”
京房がまたいう:飛鳥が皆故なく自ら入り来りて城邑の中に宿し、或いは樹身に附着するは、大凶ならざれば城邑が空に変ずるなり。又いう:野鳥が君主の居室に飛び進むは、この城邑が空虚にして、人々が別の処へ逃亡せんとするを主る。又いう:鳥が故なく成群して城邑の中に宿するは、この城邑が空虚なるを主る。《地鏡》にいう:反常の鳥が来りて城邑の中に宿するは、これを「斂殃」と謂い、流血滂沱を主る。原書小注:この種の鳥は或いは黄身・黒翅・白頭にして、腿股と喙足は皆赤色を作す。《地鏡》がまたいう:野鳥が宮中に飛び進むは、この君主が正に去らんとするを主る。
鳥が宮中に死しおよび宮殿・城邑に集る
京房曰:“眾鳥無故自死宮中,其君死。”《地鏡》曰:“眾鳥自死宮中,兵起,邑虛。”又曰:“飛鳥群聚宮殿中,主失國,無從主。”又曰:“眾鳥集城及室上,鳴而泣,皆為兵且起,國將虛。”
京房がいう:衆鳥が故なく自ら宮中に死するは、この君主の死亡を主る。《地鏡》にいう:衆鳥が自ら宮中に死するは、兵禍の興起し、城邑が空虚なるを主る。又いう:飛鳥が成群して宮殿の中に聚集するは、君主が国家を失い、国中に主と為る人なきを主る。又いう:衆鳥が城頭と屋頂上に聚集し、鳴叫して哭泣の声を帯ぶるは、皆兵禍まさに起らんとし、国家まさに空虚とならんとするを主る。
鳥が宮邑上を翔る
《地鏡》曰:“鴻鳥之屬翔府國宮府上,兩時以上或至三日,群謀將起,大兵將至。”又曰:“野鳥群翔邑上,邑且虛;市上,亦然。”又曰:“飛鳥俱翔障日,臣下有謀,宜警之。邑中終歲無鳥,兵起。”
《地鏡》にいう:鴻雁の類の大鳥が官府・国都の宮室・府署の上空を盤旋し、両箇の時辰以上を持続し、甚だしきは三日を連続するは、群小の合謀まさに発動せんとし、大軍まさに到来せんとするを主る。又いう:野鳥が成群して城邑の上空を盤旋するは、城邑まさに空虚とならんとするを主り、集市の上空を盤旋するも、占法は亦同じ。又いう:飛鳥が一斉に盤旋して日光を遮蔽するは、臣下に陰謀あり、戒備を加うべきを主る。城邑の中に一年を整へて鳥を見ざるは、兵禍の興起を主る。
鳥が市に飛舞しおよび井に飲む
京房曰:“飛烏無故飛舞於市,邑且有兵。”《地鏡》曰:“眾鳥群下飲井中,兵且起,邑將虛。”
京房がいう:飛鳥が故なく集市の上空に翻飛して起舞するは、城邑にまさに兵事あらんとするを主る。《地鏡》にいう:衆鳥が成群して飛び下りて井中に飲むは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。
鳥が井中に巣しおよび地に集る
《地鏡》曰:“大鳥巢井中,賊弒君。”又曰:“眾鳥群下集地,兵且起,邑將虛。”
《地鏡》にいう:大鳥が井中に巣を築くは、賊人ありて君主を弑殺するを主る。又いう:衆鳥が成群して飛び下りて地面上に聚集するは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。井は幽深・隠蔽の処にして、大鳥が内に入りて巣を営むは、正に奸人が内に潜伏するの象を取る。
鳥が闘ひ死しおよび獣と闘ふ
《地鏡》曰:“眾鳥相鬥死,為兵且起,邑將虛。”又曰:“飛鳥與四足斗,橫兵方起。”京房曰:“飛鳥與野獸斗,國有殃。”
《地鏡》にいう:衆鳥が互相争闘して死するは、兵禍まさに起らんとし、城邑まさに空虚とならんとするを主る。又いう:飛鳥と四足の走獣とが相い闘うは、蠻横の兵禍まさに興起せんとするを主る。京房がいう:飛鳥と野獣とが相い闘うは、国家に灾殃あるを主る。
鳥の形異なり
京房曰:“眾飛鳥有人形,為兵。”又曰:“眾飛鳥為獸形,見即大人憂。”又曰:“眾飛鳥為六畜形,見則有兵。”
京房がいう:衆多の飛鳥の中に人形を具えるもの出現するは、兵事あるを主る。又いう:衆多の飛鳥の中に走獣の形状を作すもの出現するは、一出現すれば即ち大人物に憂患あるを主る。又いう:衆多の飛鳥の中に六畜の形状を作すもの出現するは、一出現すれば即ち兵事あるを主る。
鳥が故墟に集りおよび冬に卵す
京房曰:“故墟無人,眾鳥集之,必復居。”《地鏡》曰:“眾鳥冬生於此,不祥,君有禍。”京房曰:“有白文鳥居野,不及三年,有死君,此旱祥也。”
京房がいう:荒廃の旧城にすでに人烟なきに、衆鳥が却って彼の処に聚集するは、この地に必ず再び人の居住する有るを主る。《地鏡》にいう:衆鳥が冬天に此処に於て卵を産み雛を育てるは、不祥の兆にして、君主に禍あるを主る。京房がいう:白色の花紋を帯びた鳥有りて野外に棲居するは、三年至らずして、即ち君主の死亡あり、これは亦旱灾の兆頭である。
野鳥が邑に入りおよび却飛す
《地鏡》曰:“野禽鳥入人家,勿煞之,有殃。”又曰:“鳥卻飛,世主失國。”《黃帝占》曰:“天下有鳥,毛羽五色者,雄名曰最,雌名曰極,此鳥見,天下大凶。”(小見可,若普見,天下大災。)
《地鏡》にいう:野生の禽鳥が人家に飛び進むは、それを殺す勿れ、殺せば灾殃あらん。又いう:鳥が倒退して飛ぶは、当世の君主が国家を喪失するを主る。《黄帝占》にいう:天下に一種の鳥あり、羽毛に五色具備し、雄の名を「最」と呼び、雌の名を「極」と呼ぶ。この種の鳥が一たび出現すれば、天下大凶なり。原書小注:小範囲にのみ出現するは未だ緊要ならず、若し到る処に皆見えなば、天下にまさに大灾あらんとす。
鳥が軍資に巣しおよび軍中に集る
京房曰:“鳥巢軍資,屋空虛。”又曰:“鳥集聚軍中,將出令增秩應之。”又曰:“鳥集軍中,人皆不知其名,此為勞軍,必敗。”又曰:“野鳥群入軍室,必滅。”又曰:“眾鳥群飛軍上。太多,戰必敗,兵且罷。”又曰:“軍中入飛鳥止軍上,萬數止其上,將軍應死。”
京房がいう:鳥が軍中の輜重・物資の上に巣を築くは、営屋の空虚を主る。又いう:鳥が成群して軍中に聚集するは、主将は命令を頒下し、秩禄・賞賜を増加して以てこの異象に応対すべし。又いう:鳥が軍中に聚集して、衆人皆その名字を叫び得ざるは、これを「労軍」と謂い、この軍が必ず敗るるを主る。又いう:野鳥が成群して軍営の屋舎に飛び進むは、この軍が必ず殲滅せらるるを主る。又いう:衆鳥が成群して軍営の上空に飛翔し、数量の過多なるは、出戦すれば必ず敗れ、軍隊まさに罷散せんとするを主る。又いう:軍中に鳥が飛び進みて営上に停まり、万を以て計る上頭に停まるは、将軍が応に死亡すべきを主る。
獣占
獣の休征
麒麟
《京房易傳》曰:“麒麟,鹿身,牛尾,馬蹄,有五彩,腹下黃,高丈二尺,毛長。”《瑞應圖》曰:“麟者,仁獸也。牡曰麒,牝曰麟。羊頭,鹿身,牛尾,馬蹄,黃色圓頂,頂有一角,角瑞戴。含仁戴義,音中鍾呂,牡鳴曰遊聖,牝鳴曰歸和,春鳴曰(闕),夏鳴曰(闕),秋鳴曰(闕),冬鳴曰(闕)。
《京房易傳》にいう:麒麟は鹿に似たる身、牛に似たる尾、馬に似たる蹄を長し、身に五彩の花紋あり、腹下は黄色を呈し、高一丈二尺、毛は甚だ長し。《瑞応図》にいう:麟は仁徳の獣にして、雄を麒と呼び、雌を麟と呼ぶ。それは羊頭・鹿身・牛尾・馬蹄にして、黄色の円頂に頂上に一角を生じ、角端にまた祥瑞を象徴する軟肉を頂く。それは心に仁愛を含み、頭に道義を戴き、鳴声は鐘呂の音律に合す:雄の鳴声を「游聖」と呼び、雌の鳴声を「帰和」と呼び、春の鳴声を某々と呼び(原書此処字欠く)、夏の鳴声を某々と呼び(字欠く)、秋の鳴声を某々と呼び(字欠く)、冬の鳴声を某々と呼ぶ(字欠く)。
五色主青,五音主玉,食義禾之實,飲珠之精,步中規,行中矩,遊必擇土,翔而後處,不踐生蟲,不折生草,不群居,不侶行,不食不義,不飲汙池,不入陷穿,不經羅網,斌斌乎文章,申申乎其樂。王者德及幽隱,不肖斥退,賢者在位,則至。”又曰:“明王動則有儀,靜則有容,則見。”
(《瑞応図》が続けていう:)それは五色の中に青を主と為し、五音の中に玉声を主と為す。食べるは義理に合う嘉禾の実にして、飲むは珠玉の精気である。歩を挙げれば円規に合し、行けば方矩に合し、游走すれば必ず潔浄の土地を択び、盤桓して審視したる後に始めて足を落とす。活きたる虫豸を踩踏せず、生長しつつある草木を折断せず、成群して居らず、伴を結びて行かず、義理に合わざる物を食せず、汚濁の池塘の水を飲まず、陥穽・洞穴に落ちず、張設の羅網を経ず。文采は斌彬として観るべく、神态は申々として自ら楽しむ。君王の徳沢が幽隠・無聞の処に施及し、不肖の徒が斥退せられ、賢能の人が位に在れば、それは到来す。《瑞応図》がまたいう:聖明の君王は動けば則ち礼儀に合し、静なれば則ち自ら容度あり、それは出現す。
《晉中興徵祥說》曰:“麟者,應也,蓋與聖為期應也。角上有肉,示不傷也。”魯子曰:“麟,毛蟲之精,陽氣所生。”《鶡冠子》云:“麟,陰之精。”《抱朴子》云:“麟,獸之聖也,壽二千歲焉。”《說文》云:“麟者,仁獸也。麇身,牛尾,狼蹄,肉角,一角,角端有肉。王者至仁則出。今幷州有麟,大小如鹿,非[角耑]也。”
《晋中興征祥説》にいう:麟は即ち「応」の義にして、大概聖人と相い約して来りて応験を作すものである。それは角上に軟肉を生じ、用いて他の物を傷害せざるを表示す。魯子がいう:麟は毛虫(獣類)の精華にして、陽気の生ずる所より出づ。《鶡冠子》にいう:麟は陰気の精華である。《抱朴子》にいう:麟は獣中の聖者にして、寿命は二千歳。《説文解字》にいう:麟は仁徳の獣にして、麇に似たる身、牛に似たる尾、狼に似たる蹄、肉質の角にして、一箇のみを生じ、角尖に肉あり。君王が至仁徳なれば、それは出現す。今并州にもまた麟と呼ばるる獣あり、大小は鹿に似たるも、あの真の瑞応の神獣に非ず(原書此処に僻字「[角耑]」を用いたり)。
《禮記》曰:“王者之嘉。”又曰:“聖王用水火金木,飲食必時,頒爵位必當,年德無昆蟲之災,凶飢妖孽之疾,則天不愛道,地不愛寶,人不憂情,則麒麟在近郊。”《春秋感精符》曰:“麒一角者,明海內共一主也。王者不刳胎,不剖卵,則出於郊。”又曰:“王者德旁流四表,則麒麟至。”《春秋考異郵》曰:“王者功平則麟至。”
《礼記》にいう:麟は君王の嘉瑞である。又いう:聖明の君王は水火金木を用いるに皆其の宜を得、飲食は必ず時令に依り、爵位を頒授するに必ず得当にして、年成と徳教ともに好く、昆虫の為害なく、凶年・飢饉と妖孽の作祟する禍患なければ、則ち上天はその道を吝嗇らず、大地はその宝を吝嗇らず、人もまた憂鬱の情を懐かず、麒麟は即ち近郊に出現す。《春秋感精符》にいう:麒は一角のみを生ずるは、海内が共同して一位の君主を尊奉するを表明す。君王が孕獣の胎を剖かず、鳥卵を打破せざれば、それは郊野に出現す。又いう:君王の徳沢が旁溢して四方の外に流布すれば、麒麟は到来す。《春秋考異郵》にいう:君王の功業が平正なれば、麟は到来す。
《禮記威儀》曰:“君乘金而王,其政象平,則麒麟在郊。麟,木精也。”(文子曰:主有積德者,天興之,地助之,鬼神輔佑之,則麒麟在郊。)何休注《公羊傳》曰:“麟角戴肉,設武備而不為害,所以為仁也。上有聖帝明王,天下太平,乃至。”孫卿子曰:“王者好生惡殺,則麒在郊野。”《春秋繁露》曰:“恩及羽蟲,則麒麟至。”蔡氏《月令章句》云:“視聽孔修,則麒麟至。”
礼緯《礼記威儀》にいう:君主が金徳を承けて王と称し、政事の気象が公平なれば、麒麟は郊外に出現す。麟は木気の精である。原書小注:《文子》にいう、君主に積累の徳行あれば、上天は彼を興せしめ、大地は彼を助け、鬼神は彼を輔佑して、麒麟は郊外に出現す。何休が《公羊傳》を注していう:麟の角上に肉を頂くは、譬えば武備を設置しても以て人を加害するに用いざるがごとし、故にこれを仁と称す。上に聖帝・明王あり、天下太平にして、始めて到来す。孫卿子(荀子)がいう:君王が生養を愛好し殺戮を悪みざれば、麒は郊野に出現す。董仲舒《春秋繁露》にいう:恩沢が羽族に施及すれば、麒麟は到来す。蔡邕《月令章句》にいう:君主の視聴が極めて修明なれば、麒麟は到来す。
《尚書中候》曰:“黃帝時,麒麟在圃。”(麒似馬無角,麟似麋而一角。)《漢書》曰:“武帝元狩元年,幸雍祠五畤,獲白麟,作《白麟之歌》。”應劭注云:“武帝獲白麟,為瑞,乃鑄黃金為麟趾,以協嘉社焉。”(案:晉武帝時,白麟再見。)
《尚書中候》にいう:黄帝の時、麒麟は苑囿の中に出現した。原書小注:麒は馬に似て角なく、麟は麋に似て一角を生ず。《漢書》に記す:漢の武帝の元狩元年、雍地に駕臨して五畤を祭祀し、白麟を猟獲し、因りて《白麟の歌》を創作した。応劭が注を作りていう:武帝が白麟を猟獲し、祥瑞と認め、於是黄金を鋳造して麟足の形状を作り、用いてこの嘉美の祭典に配合した。原書小注:按ずるに、晋の武帝の時、白麟はまた一たび出現した。
白沢
《瑞應圖》曰:“黃帝巡於東海,白澤出,能言語,達知萬物之精,以戒於民,為除災害,賢君德及幽遐則出。”(《抱朴子》云:黃帝窮神知奸者,出於白澤之辭也。)
《瑞応図》にいう:黄帝が巡行して東海に至り、白沢が出現した。それは人の話を講じ能く、万物・精怪の底細に通暁し、用いて百姓に告誡し、人の為に灾害を消除す。賢明の君主の徳沢が幽深・遐遠の地に及べば、それは出現す。原書小注:《抱朴子》にいう、黄帝が鬼神を窮究し奸邪を識破し得たるは、皆白沢の説く所の話の裏より得たり。
飛黄
《淮南子》曰:“黃帝治天下物,無分爭之心,日月星辰不失行,風雨時,五穀熟,於是飛黃伏皂。”又曰:“天下有道,飛黃服皂。”注云:“飛黃出西方,狀如狐,背上有角,乘之壽三千歲,伏皂歷而食焉。”郭璞注《山海經》云:“乘黃即飛黃也。《周書》:‘乘黃似狐,背有兩肉角也。’”《瑞應圖》云:“王者輿服有度,秣馬不過所乘,則地出乘黃。”
《淮南子》にいう:黄帝が天下の万物を治理し、人人に争奪の心なく、日月星辰の運行は常度を失わず、風雨調順にして五穀成熟し、於是神馬「飛黄」もまた馬槽の裏に俯首・伏した。又いう:天下に道あれば、飛黄は馬槽の下に馴服す。注文にいう:飛黄は西方に出で、形状は狐狸に似て、背上に角を生じ、それに騎れば三千歳を活くべし、それは馬槽の辺に伏して草料を食む。郭璞が《山海經》を注していう:乗黄は即ち飛黄である。《周書》にいう:「乗黄は狐狸に似て、背上に両箇の肉角あり。」《瑞応図》にいう:君王の車馬・服飾が皆法度に合い、飼養する馬が実際の乗用の数目を超えざれば、大地は乗黄を出現す。
騊駼
《瑞應圖》曰:“騊駼者,幽獸也。明王在位則來,為時除災害。”又曰:“德盛則至。”《山海經》曰:“有獸,異狀如馬,名曰騊駼。”
《瑞応図》にいう:騊駼は北方の幽遠の地の産する獣である。聖明の君王が位に在れば、それは前来して、当世の為に灾害を消除す。又いう:君徳が隆盛なれば、それは到来す。《山海經》にいう:一種の獣あり、形状が奇異にして馬に近似し、名を騊駼という。
駃騠
又曰:“駃騠者,后土之獸也,自能言語,王者仁孝於民,則出。禹治水有功而來。”
《瑞応図》がまたいう:駃騠は后土の生ずる神獣にして、自ら人の話を会す。君王が百姓に対して仁愛・孝養の政を施行すれば、それは出現す。大禹が水を治めて功有りしとき、それは来た。
周市
《瑞應圖》曰:“周市者,神獸名也,星宿之變而見,王者德盛則至。”
《瑞応図》にいう:周市は一種の神獣の名にして、星宿の気の変化より形を現す。君王の徳業が隆盛なれば、それは到来す。
角端
又曰:“角端,日行萬八千里,能言,曉四夷之語。明君聖主在位,明達方外幽隱之事,則角端奉書而來。”
《瑞応図》がまたいう:角端は一日に一万八千里を走り得て、人の話を会し、四方の夷族の言語に通暁す。聖明の君主が位に在り、域外・幽隠の事に通達し得れば、角端は文書を捧げて前来して進献す。
獬豸
《說文》曰:“獬豸,似牛一角。古者決訟,命觸不直者。”《瑞應圖》曰:“獬豸,王者獄訟平則出。”《神異經》曰:“獬豸毛青似熊,性忠直,見人斗則觸不直者,聞人論則咋不正者。”《論衡》曰:“獬豸者,一角之羊也,性知有義。皋陶治獄,其罪疑者,令羊觸之,有罪則觸之,無罪則不觸,斯蓋天生一角聖獸,助獄為驗,故皋陶跪座事之,則神奇瑞應也。”
《説文解字》にいう:獬豸は牛に似て一角のみを生ず。古に訟案を判決するに、即ちそれを命じて理なき一方を頂触せしめた。《瑞応図》にいう:獬豸は君王の獄を断じ訟を聴くに公平なるときに出現する。《神異經》にいう:獬豸は毛色は青く形貌は熊に似て、性情は忠厚・正直にして、人の争闘を見れば往きて理なき一方を頂触し、人の争弁を聴けば往きてその説話正しからざる一方を咬む。王充《論衡》にいう:獬豸は一種の独角の羊にして、天性として道義を懂得す。皋陶が刑獄を治理し、罪状の疑わしきに遇えば、この隻羊をして頂触せしめた:真に罪あれば即ち頂き、罪なければ即ち頂かず。この大概是れ上天の生出したる独角の聖獣にして、用いて獄を断ずるを輔助し、験証と為すものなれば、故に皋陶は跪坐して之を奉事したり。これは即ち神奇の瑞応である。
兕
《瑞應圖》曰:“兕知曲直,王者獄訟無偏,則出。”郭璞注《山海經》云:“兕似青牛色,一角,重三十斤。”
《瑞応図》にいう:兕は是非・曲直を辨別し得て、君王の獄を断じ訟を聴くに偏私なければ、それは出現す。郭璞が《山海經》を注していう:兕は形状は牛に似て毛色は青を発し、一角を生じ、角の重さ三十斤。
犀角が通を戴く
《援神契》曰:“神靈孳液,百寶為用,則犀角戴通。”注曰:“案《交州記》云:‘犀毛如豕,蹄有三甲,頭如馬,有二角,鼻上角長,額上角短,浮著肉,不連骨也。’《南州異物志》云:‘犀如象大,色正烏,似亳豬神者,角有光耀,白日視之凡犀,暗夜視之,皆烽光從甲中出,望如炬火,以角冒地,飛鳥走獸皆驚,或一角、兩角、三角。”
《孝經援神契》にいう:神霊の潤沢の気が滋生し止まざれば、天下の百物の宝は皆人の為に用いらるべく、犀角上に貫通する白紋を頂出す。注文にいう:按ずるに《交州記》の記載に:「犀の毛は猪毛に似て、蹄上に三塊の甲あり、頭は馬に似て、両角を生じ、鼻上の角は長く、額上の角は短く、只だ浮着して肉上に生じ、並びに骨頭と相連ならず。」《南州異物志》に記す:「犀の大きさは象に似て、顏色は純黒、様子は毫猪に似る。その中に霊性あるは、角上に光耀を帯び、白天に看れば尋常の犀角と同じく、暗夜に至りて看れば、皆烽火に似たる光有りて角甲の中より透り出で、望み上ぐれば火炬のごとし。角を以て地に触れれば、飛鳥・走獣は皆驚駭して奔逃す。犀には一角を生ずるあり、両角あり、三角あり。」
《抱朴子》曰:“通天犀,角有一白理,如綎者,以盛米置群雞中,雞輒驚,故名曰駭雞犀。得其通天,以刻為魚,銜以入水,當為開方三尺,所得氣息。”《淮南子》云:“犀置狐穴,狐不敢復居。”郭璞注《山海經》云:“犀角似象,食棘,口中常流血。案平帝、章帝時,黃支國獻犀牛。章帝時,日南獻白犀也。”
《抱朴子》にいう:通天犀の角上に一道の白色の紋理あり、綬帯上の糸繩の如く底まで貫通す。この種の角を以て米を盛りて鶏群の中間に放れば、鶏は即刻驚きて敢へて啄み来らず、故に「駭鶏犀」と呼ぶ。通天犀角を得て、それを刻んで魚の形状と為し、口中に銜えて水に入れば、水はそれの為に三尺見方の一塊を分かち、人はその中に在りて尚呼吸すべき気あり。《淮南子》にいう:犀角を狐狸の洞裏に放れば、狐狸は敢へて再び住み入らず。郭璞が《山海經》を注していう:犀角は象牙に似て、犀は刺ある棘を食べ、口中常に流血す。按ずるに、漢の平帝・漢の章帝の時、黄支国が犀牛を進献した。章帝の時、日南郡が白犀を進献した。
白象
《援神契》曰:“神靈孳液,百寶為用,則白象素。象色白如素也。”《瑞應圖》曰:“王者政教得於四方,則白象至。”(得字當作行)又曰:“王者自養有道,則白象負不死藥來。”
《孝經援神契》にいう:神霊の潤沢の気が滋生し止まざれば、天下の百物の宝は皆人の為に用いらるべく、白象は即ち白きこと生絹の如し。所謂「素」とは、象の顏色の白きこと染色せざる白絹に似たるを説く。《瑞応図》にいう:君王の政令・教化が四方に行き通ずれば、白象は到来す。原書小注:「得」の字は当に「行」と作るべし。《瑞応図》がまたいう:君王が自身を調養するに法度あれば、白象は不死の薬を背負して前来す。
騶虞
毛萇注《詩》曰:“騶虞,義獸也。白虎玄文,不食生物,有至信之德,則應之。”
毛萇が《詩經》に傳を作りていう:騶虞は仁義の獣にして、白色の虎身にして黒色の花紋を帯び、活きたる生物を食せず。君王が極めて誠信の徳を具備すれば、それは之に応じて来る。
白虎
《援神契》曰:“王者德至鳥獸,則白虎動。”《晉中興徵祥說》曰:“王者仁而不害,則白虎見。白虎者,仁獸也。虎而白色,縞身如雪,無雜毛,嘯則風興。昔召公化行陝西之國,騶虞應焉。”《宋書符瑞志》云:“王者不暴虐,則白虎而不害。”《感精符》云:“將興,白虎戲朝。”(戲湯朝也)《括地象》曰:“聖王感期而興,則有玉虎晨鳴,雷聲於四野。”
《孝經援神契》にいう:君王の徳沢が鳥獣に施及すれば、白虎は動作する所有り。《晋中興征祥説》にいう:君王が仁愛にして物を加害せざれば、白虎は出現す。白虎は仁徳の獣にして、虎にして毛色は純白、通身は縞素として雪の如く、一根の雑毛もなく、一声長嘯すれば即ち風起るあり。従前、召公が陜西の国に教化を推行すると、騶虞は即ち之に応じて来た。《宋書・符瑞志》にいう:君王が暴虐を行わざれば、白虎は出現して人を傷害せず。《春秋感精符》にいう:王業まさに興起せんとすれば、白虎は朝廷上に嬉戯す。原書小注:商湯の朝廷上に嬉戯するを指す。《河図括地象》にいう:聖明の君王が天命の期に感応して興起すれば、即ち玉虎有りて清晨に鳴叫し、雷声は四野に响彻す。
白麞
《瑞應圖》曰:“王者德茂,則白麞見。”注云:“案宋文帝時,華林園白麞生二子皆白,又元帝時,白鹿再見。宋文帝、孝武帝並獲白鹿。何法盛、沈約皆以白鹿附白麞焉。”
《瑞応図》にいう:君王の徳業が茂盛なれば、白麞は出現す。注文にいう:按ずるに劉宋の文帝の時、華林園の白麞が両隻の小麞を産みて皆白かりき。又晋の元帝の時、白鹿は両度出現した。宋の文帝・孝武帝もまた皆白鹿を猟獲した。何法盛・沈約は皆白鹿を白麞のこの条の下に附した。
五色鹿
又云:“天鹿,純靈之獸,五色光耀,王者孝道備,則至。”
《瑞応図》がまたいう:天鹿は純粋の霊異の獣にして、五色の毛は光彩として人を照らす。君王の孝養の道が完備にして欠くるなければ、それは到来す。
白鹿
《禮記威儀》曰:“君乘水而王,其政和平,則北海輸白鹿。”《援神契》曰:“王者德至鳥獸,則白鹿見。”《晉中興徵祥說》曰:“白鹿者,仁獸也。王者明惠及下,則見。色若霜雪白,牝牡不與紫鹿為群。”注云:“案周平王時,白鹿見。漢章帝西巡日,白鹿見於臨平觀。”《天鏡》曰:“王者仁明則白鹿至。”又曰:“愛民人,白鹿見。”
礼緯《礼記威儀》にいう:君主が水徳を承けて王と称し、政事が和順・平允なれば、北海は白鹿を送り来る。《孝經援神契》にいう:君王の徳沢が鳥獣に施及すれば、白鹿は出現す。《晋中興征祥説》にいう:白鹿は仁徳の獣にして、君王が明察にして恩惠が百姓に下及せば、それは出現す。その毛色は白きこと霜雪の如く、雌雄ともに紫鹿と混群せず。注文にいう:按ずるに周の平王の時、白鹿は出現した。漢の章帝が西巡した日、白鹿は臨平観に出現した。《天鏡》にいう:君王が仁愛・明察なれば、白鹿は到来す。又いう:君王が百姓を愛惜すれば、白鹿は出現す。
赤熊
《瑞應圖》曰:“王者奸宄息,則赤熊入國。”注云:“案宋文帝時,白熊見。”沈約《符瑞志》曰:“附赤熊。”
《瑞応図》にいう:君王の治下に内奸・外宄が皆已に止息せば、赤熊は国中に進入す。注文にいう:按ずるに劉宋の文帝の時、白熊は出現した。沈約《宋書・符瑞志》にいう:白熊を赤熊のこの条の下に附す。
赤羆
《瑞應圖》曰:“王者遠佞人,除奸猾,則赤羆見。”《天鏡》曰:“王者武功遏亂,則赤羆出。”
《瑞応図》にいう:君王が諂佞の小人を疏遠し、奸猾の徒を鏟除すれば、赤羆は出現す。《天鏡》にいう:君王が武功を凭りて禍乱を遏止すれば、赤羆は出現す。
白狼
《瑞應圖》曰:“王者仁德明哲,則白狼見。”又曰:“王者進退依法度,則至。周宣王得之而犬戎服。”《尚書璇璣鈐》曰:“白狼銜鉤入殿朝。”(注云:鉤,縛束之要。案《帝王世紀》曰:湯得天下要地,有神麞白狼銜鉤入殿朝。)
《瑞応図》にいう:君王が仁徳にして明達・睿智なれば、白狼は出現す。又いう:君王の一進一退が皆法度に依拠すれば、それは到来す。周の宣王が白狼を得ると、犬戎は因りて帰服した。書緯《尚書璇璣鈐》にいう:白狼が鈎を銜えて殿廷に入りて朝見す。原書小注:鈎とは、捆縛・束結の關鍵の物である。按ずるに《帝王世紀》にいう:商湯が天下の要害の地を取得すると、神麞・白狼が鈎を銜えて殿廷に入りて朝見した。
白狐
《瑞應圖》曰:“王者仁智明,則白狐出。”又曰:“王者仁智動唯法度,則見。”《天鏡》云:“王者德和,則白狐來。”
《瑞応図》にいう:君王が仁愛・明智なれば、白狐は出現す。又いう:君王が仁智にして一挙一動が只だ法度に依れば、それは現身す。《天鏡》にいう:君王の徳政が和洽なれば、白狐は来たる。
玄狐
又曰:“成王時太平,則玄狐見。”
《天鏡》がまたいう:周の成王の時、天下太平にして黒狐が出現した。玄狐は色黒く、北方の瑞に属し、緯書はそれが太平・無事の世に応じて来ると認む。
文狐
《禮斗威儀》曰:“君乘火而王,其政訟平,則南海輸文狐。”《瑞應圖》曰:“王者德及禽獸,則南海輸文狐。”
礼緯《礼斗威儀》にいう:君主が火徳を承けて王と称し、政事上に訟を聴くに公平なれば、南海は花紋ある文狐を送り来る。《瑞応図》にいう:君王の徳沢が禽獣に施及すれば、南海は文狐を送り来る。
九尾狐
《援神契》曰:“德至鳥獸,則狐九尾。”宋均注云:“王燕嘉賓,則狐九尾也。”《淮南子》曰:“狐九尾者,九配得其所,子孫繁息,明後當旺也。”《瑞應圖》曰:“六合一統,則九尾狐見。一云:王者不傾於色,則至。文王得之,東夷服。”
《孝經援神契》にいう:徳沢が鳥獣に施及すれば、狐は九条の尾巴を生長す。宋均が注を作りていう:君王が嘉賓を宴饗すれば、狐は九尾を現出す。《淮南子》にいう:狐が九尾を生ずるは、九種の配偶が各々其の所を得、子孫が繁衍・生息し、後世の君主が応に興旺すべきを表明するを象徴す。《瑞応図》にいう:天下の六合が統一すれば、九尾狐は出現す。別の一説:君王が女色の為に傾倒せざれば、それは到来す。周の文王が九尾狐を得ると、東夷は因りて帰服した。
《呂氏春秋》曰:“禹年三十未娶,行於塗山,思時晚慕失制,乃曰:‘吾之娶必有應焉。’乃見白狐九尾而造於禹,禹曰:‘白者,服也;九尾,其徵矣。塗山人歌曰:綏綏白狐,九尾厖厖,成家成室,我都彼昌。’禹因娶塗山氏女。”
《吕氏春秋》に記す:大禹は三十歳にして仍お妻を娶らず、塗山を行経し、年歳已に晩く婚娶の事が常制を失せりと思い、乃ちいう:「我が婚事は必ず征兆の応験あらん。」於是一隻の九尾の白狐が自らの面前に来るを見た。禹がいう:「白色とは、服従・帰順の象徴である。九条の尾巴とは、即ちあの応験の兆頭である。塗山人の歌謡に唱う:緩々として来たる白狐や、九条の尾巴は蓬蓬として;家を成し室を立つる人や、我が一族はまさに昌盛せん。」大禹は於是塗山氏の女児を娶った。
陳思王《上九尾狐表》曰:“黃初元年十一月二十三日,於甄城縣北,見眾狐數十首在後,大狐在中央,長七八尺,赤紫色,舉頭樹尾,尾甚長大,林叢有之,甚多,然後知九尾狐。斯誠聖王德正,和氣所應也。”
陳思王曹植《上九尾狐表》にいう:黄初元年十一月二十三日、甄城県の北面にて、数十隻の狐狸が後に随い、一隻の大狐が正中に居り、身長七八尺、毛色は赤紫、頭を抬げて尾巴を竪て、尾巴は極めて長く極めて大きいのを見た。林叢の間にこの様の狐は尚お多く、これにて始めてそれが九尾狐なるを認識した。これは実に聖明の君王の徳行が端正にして、和気の感召して来たる応験である。
赤兎
《瑞應圖》曰:“王者德茂,則赤兔見。”
《瑞応図》にいう:君王の徳業が茂盛なれば、赤兎は出現す。兎は月中の精にして、毛色が赤に転じて現身す。古人はこれを君徳の隆盛の応験と認めたり。
白兎
《晉中興徵祥說》曰:“白兔,仁獸也。王者尊敬耆老,則見。”《天鏡》曰:“人君好務貧,則白兔見。”《瑞應圖》曰:“王者敬事耆老,則白兔見。”又云:“王者應事疾,則見。”注云:“《春秋元命包》曰:兔者,月明之精也。《玉策記》曰:兔百歲則色白也。”
《晋中興征祥説》にいう:白兎は仁徳の獣にして、君王が年高徳劭の長者を尊敬すれば、それは出現す。《天鏡》にいう:君主が尽力して貧困の人を周恤するを楽しめば、白兎は出現す。《瑞応図》にいう:君王が恭敬して耆老を奉事すれば、白兎は出現す。又いう:君王が事務に応対して敏捷にして滞らざれば、それは出現す。注文にいう:《春秋元命包》にいう、兎は月中の光明の精華である。《玉策記》にいう、兎は百歳に活きれば毛色は即ち白に転ず。
一角獣
《瑞應圖》曰:“天下太平,則一角獸至。”又云:“六合同歸,則一角獸至。”
《瑞応図》にいう:天下太平なれば、独角獣は到来す。又いう:天下の六合が共同して一統に帰向すれば、独角獣は到来す。角は一角のみを生ずるは、取る所は正に天下が共同して一位の君主を奉戴するの義である。
三角獣
又云:“王者法度修明,三統得所,則三角獸至。”《天鏡》曰:“王者承先法度,無所造次,則三角獸至。”
《瑞応図》がまたいう:君王の法度が修明にして、夏・商・周三代の正統が皆各々其の所を得れば、三角獣は到来す。《天鏡》にいう:君王が先王の法度を承襲し、軽率に妄動せざれば、三角獣は到来す。
比肩獣
《瑞應圖》曰:“王者德及幽隱,鰥寡得所,則比肩獸至。”
《瑞応図》にいう:君王の徳沢が幽隠・告ぐるなき人に施及し、鳏夫・寡婦が皆安頓を得れば、比肩獣は到来す。比肩獣は両両として肩を並べて始めて行走し得、取る所は彼此扶助し相い遺棄せざるの義である。
六足獣
又云:“王者謀及眾庶,則六足獸至。”
《瑞応図》がまたいう:君王が政事を謀画するに平民・百姓の意見に谘詢し及べば、六足獣は到来す。足多ければ則ち行走するに遠く、下情の上に通達し得るを象徴す。
獣の咎征
麒麟が執せらる
《春秋合誠圖》曰:“蒼帝將亡,則麒麟見紲。”《公羊傳》曰:“襄公十有四年春,西狩獲麟。麟者,仁獸,有王者則至,無王者則不至,有以告者,有麕而角者。孔子曰:‘孰為來哉?’反袂拭面,涕沾袍,曰:‘吾道窮矣。’”《五經異義公羊說》:“孔子獲麟,天命絕周,天下叛去為賊。”
《春秋合誠図》にいう:蒼帝(東方の帝)がまさに敗亡せんとすれば、麒麟は繩索に拴係せられたる様子を現出す。《公羊傳》に記す:襄公十四年の春、西の辺に狩猟して麒麟を捕獲した(通行本《公羊傳》は哀公十四年に係る)。麟は仁徳の獣にして、聖王が位に在れば即ち来り、聖王が位に在らざれば即ち来らず。人有りて前来して報告していう:麕に似て角を生じたる怪獣を捉えたり。孔子がいう:「それは誰が為に来たるか。」於是衣袖を翻して面孔を擦拭し、眼涙は外袍に沾湿し、いう:「我が道は尽頭に走り至ったり。」《五經異義》の載する所の公羊家の説法:孔子の麟を獲たるは、天命が已に周朝を断絶し、天下の人が紛紛として叛離して乱を作し賊と為るを標志す。
狸力
《山海經》曰:“岠山有獸,其狀如豚有距,其音如狗吠,其名曰狸力,見則其縣多土功。”
《山海經》にいう:岠山上に一種の獣あり、形状は小猪に似て鶏距の如き爪を生じ、叫声は狗吠に似て、名を狸力という。それが一たび出現すれば、その県はまさに土木の工程を大興せんとす。
猾褢
又云:“堯光之山,有獸如人而彘鬣,其名曰猾褢。(滑懷兩音,或曰署袞)其音如斫木。(如人斫木聲)見則其縣有大繇。(謂作役也,或曰其縣亂。)”
《山海經》がまたいう:堯光山上に一種の獣あり、様子は人に似て猪の如き鬣毛を長し、名を猾褢という。原書小注:「滑懐」の両音に読み、一説に「署袞」と読む。それが発する声音は木を砍るに似る。原書小注:人が木材を砍伐する声響の如し。それが一たび出現すれば、その県に大規模の徭役あり。原書小注:繇は即ち労役を指す。別の一説はその県にまさに動乱の発生せんとすることをいう。
朱厭
又云:“小次之山,有獸焉,其狀如猿而白首赤足,名曰朱厭,見則為兵。”
《山海經》がまたいう:小次山上に一種の獣あり、形状は猿猴に似て白頭・紅脚にして、名を朱厭という。それが一たび出現すれば、即ち兵事の発生あるを主る。
犰狳
又云:“餘我之山,有獸,狀如兔,鳥喙鴟目蛇尾,見人則眠,名曰犰狳。(仇餘兩音)其鳴自叫,見則螽蝗為敗。”
《山海經》がまたいう:余我山に一種の獣あり、形状は兎子に似て、鳥の嘴・鴟鴞の如き眼・蛇の如き尾巴を長し、人を見れば即ち躺下して死を装い、名を犰狳という。原書小注:「仇余」の両音に読む。それが鳴叫する声は自らの名字を呼ぶに似る。それが一たび出現すれば、即ち螽斯・蝗虫が灾を成して庄稼を敗壞す。
朱儒
又云:“耿山有獸,狀如狐而魚翼,其名朱儒,自呼,見國有恐。”
《山海經》がまたいう:耿山に一種の獣あり、形状は狐狸に似て魚鰭の似たる翅翼を長し、名を朱儒という。鳴叫するときは自らの名字を呼喊するに似る。それが一たび出現すれば、国中に恐慌の事あり。
蜚
又云:“太山有獸焉,其名蜚,行水則竭,行草則死,見則大疫。”
《山海經》がまたいう:太山に一種の獣あり、名を蜚という。それが水面を走り過ぐれば水は即ち乾涸し、草地を走り過ぐれば草は即ち枯死す。それが一たび出現すれば、まさに大瘟疫の発生せんとす。
象
《運斗樞》曰:“變江淮之祠,斬伐無度,則瑤光不明,象負車奔。象八足,陰敖翔。”注云:“象,太陰之物。八足,是欲行之八方之遠。臣如此,自恣之甚也。”《東觀漢記》曰:“桓帝延熹五年,有驚馬逸象入宮殿,國災。”
《春秋運斗樞》にいう:江淮一帯の祠祀を擅改し、林木を砍伐するに節制なければ、北斗第七星の瑶光は昏暗にして明らかならず、象は車を背負して狂奔せん。象が八隻の脚を生出すは、本より陰類に属して却って傲然として四方を遨游す。注文にいう:象は太陰の物である。八隻の脚を生ずるは、八方の遠き処を走り遍えんと欲するなり。臣子が此の如くなるは、即ち放縦・自恣の極に至れるなり。《東観漢記》に記す:漢の桓帝の延熹五年、驚きたる馬と逃逸したる象有りて宮殿に闖入せり。国家に灾禍あるを主る。
白虎が執せらる 虎が道を断ちて国に入る 虎が人を食ふ 虎が魚を銜ふ 虎が相い食ふ
《合誠圖》曰:“白帝亡,則白虎執。”京房曰:“虎斷道,邊國謀。”又曰:“白虎入國邑,野人為政,危其宗人。”《地鏡》曰:“虎入國,國將空荒。”《京房易傳》曰:“君行無道,將害民庶,虎食人。”《運斗樞》曰:“君失恩於小民,則虎銜魚。”《地鏡》曰:“虎相食,不出三年,國荒。”
《春秋合誠図》にいう:白帝(西方の帝)がまさに敗亡せんとすれば、白虎は擒獲せらる。京房がいう:老虎が道路を攔断するは、辺境の国に陰謀あるを主る。又いう:白虎が国都・城邑に闖入するは、草野の人が起ちて政を執り、君主の宗族に危及するを主る。《地鏡》にいう:老虎が国中に進入するは、国家まさに空虚・荒廃せんとするを主る。《京房易傳》にいう:君主の行事が道なく、まさに黎民・百姓を残害せんとすれば、老虎は人を食う。《春秋運斗樞》にいう:君主が小民に対して恩徳を失えば、老虎は魚を銜えて走る。《地鏡》にいう:老虎が互相呑食するは、応験三年を出ず、国家が荒残す。
虎に牛尾あり口目なし
《河圖說徵示》曰:“主無德,則虎牛尾無口目,名曰亂朝。”
《河図説征示》にいう:君主に徳行なければ、即ち牛尾を拖き、口眼なき怪虎が出現す。この種の怪物の名を「乱朝」と曰い、正に朝政の昏乱の象徴である。
虎に両口あり
《潛潭巴》曰:“有虎兩口,君出走,諸侯絀。”注云:“虎可畏,今復兩口,象大臣欲有所咀嚼也。”《地鏡》曰:“世主方起,大臣遘罪,則虎有兩口。”
《春秋潜潭巴》にいう:両張の嘴を長したる老虎が出現するは、君主の出逃し、諸侯が貶黜を遭うを主る。注文にいう:老虎は本より可怕なるものが、今また一張の嘴を多出するは、大臣の呑噬せんと欲する有るを象徴す。《地鏡》にいう:当世の君主が剛に興起するに、大臣が却って罪を獲り譴を遭うれば、即ち両張の嘴の老虎が出現す。
虎に両足あり
《晉雜事記》曰:“太康六年,南陽獻兩足虎。”注云:“干寶曰:虎,金精;南陽,火也。金入火刑,王室亂妖也。”王隱《晉書》曰:“中宗詔問王隱曰:‘荊州送兩足虎,其徵何為也?’隱曰:‘謹案先臣銓傳,太康時兩足虎,因作詩以諷,銓意以晉金行也,金在西方,其獸為虎,虎有四足,猶國有四方,無半勢而又見獲,將有愍懷之禍也。”
《晋雑事記》に記す:太康六年、南陽が一隻の両条腿の老虎を進献した。注文にいう:干宝が以為するに、虎は金気の精にして、南陽は則ち火に属す。金が火中に入りて刑克を受くるは、これは王室まさに乱れんとするの妖異である。王隠《晋書》に記す:晋の中宗(元帝)が詔を下して王隠に問うていう:「荊州が両足虎を送り来たるは、これは何の征兆ぞ。」王隠が回答していう:「謹んで按ずるに先父王銓の傳記に、太康年間に両足虎が出現し、彼は因りて詩を作りて諷諫した。王銓の用意の在る所は:晋朝は金徳に属し、金位は西方に居り、配する所の獣は即ち虎である。虎は四隻の脚あり、譬えば国家に四方あるがごとし。今只だ一半の勢を残し、且つまた人に捕獲せられたるは、まさに愍懐太子の如き禍事の発生せんとするなり。」
麈が宮に入る
《晉中興徵祥說》曰:“興寧元年十月,麈入於東海王宮。麈,主也,將為天下主之徵。後哀帝崩,東海王即位。”
《晋中興征祥説》にいう:興寧元年十月、麈鹿有りて東海王の府第に闖入せり。麈は即ち「主」の諧音を取り、これはまさに天下の主と為らんとするの征兆である。後に晋の哀帝が駕崩し、東海王は果して即位した。
麋が国に入る
《京房易候》曰:“麋入都而國虛。”又曰:“麋見於邑,有臣戮。”又曰:“糜入市,邑有憂。”《地鏡》曰:“麋入國,國方見屠。”《洪範五行傳》曰:“莊公十七年冬,多麋。牝獸之淫,莫大於麇。麇,迷也。莊公悅鄭詹之言,取齊淫女。劉歆以為毛蟲之孽,劉向以為麋色青,近青祥。”
《京房易候》にいう:麋鹿が都城に進入するは、国家の空虚を主る。又いう:麋鹿が城邑に出現するは、臣子の誅戮せらるる有るを主る。又いう:麋鹿が集市に闖入するは、城邑に憂患あるを主る。《地鏡》にいう:麋鹿が国中に進入するは、国家が正に屠戮を遭受せんとするを主る。《洪範五行傳》にいう:魯の荘公十七年の冬、麋鹿は甚だ多かりき。雌獣の中の淫乱なるは、麇に過ぐるはなく、麇は即ち「迷」の義である。魯の荘公は鄭詹の話を聴信し、斉国の淫女を娶った。劉歆はこれを毛虫の孽と認め、劉向は則ち麋の毛色が青を発し、青祥の類に近しと認めたり。
候鹿の角解す
《易通卦驗》曰:“鹿者,獸中陽也。獸者,陰,貴臣之象。鹿應陰。解角者,夏至太陽始屈,陰陽相向,君臣之象,今失節不解,陰不變陽,臣不承君之象,故為貴臣作奸。”
易緯《通卦験》にいう:鹿は獣類の中の陽に属する一種である。獣は本身は陰に属し、貴臣の象徴なり、而るに鹿は陰類の中に在りて陽に応ず。所謂「解角」とは、夏至已後に太陽が始めて屈退し、陰陽が彼此交替するに因り、正に君臣の関係の象徴である。今節候は已に至れども鹿が角を脱せざれば、即ち陰が順変して陽に従ふ能わず、臣が君主を承奉する能わざるの象なれば、故に貴臣の奸を作し上に犯すに応ずる。
鹿が宮に入る
《京房易候》曰:“鹿入宮都而國虛。”《論衡》曰:“漢中王築宮樓未成,鹿走上階,其後果薨。”
《京房易候》にいう:鹿が宮城・都邑に闖入するは、国家の空虚を主る。王充《論衡》に記す:漢中王が宮楼を修築して未だ完工せざるに、鹿有りて階梯の上に跑り、後に彼は果して去世した。
熊が宮に入る
《漢書》曰:“昌邑王賀,聞人聲曰熊,視而見大熊,左右莫見,王以問郎中令龔遂,遂曰:‘熊,山野之獸,而來入宮室,王獨見之,此天戒大王,恐宮將空虛之象也。’賀不改悟,後卒失國。”
《漢書》に記す:昌邑王劉賀が人有りて「熊」と喊ぶを聴き、一看すれば果して一頭の大熊を見たるも、左右の侍従は皆見えざりき。劉賀はこの事を把して郎中令の龔遂に問ふ。龔遂がいう:「熊は山野の裏の野獣なり、今却って宮室に闖入し、且つ只だ大王一人のみ見えたるは、これは上天が大王を警戒するにして、恐らくは宮室まさに空虚とならんとするの征象なり。」劉賀は悔改・省悟するを肯ぜず、後に終に封国を失掉した。
狼が国に入り軍を繞る
《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,有狼入國。”《京房易候占》曰:“君失春政則蒼狼入於邑,君失秋政則白狼入於邑,君失冬政則黑狼見於邑。”又曰:“狼逐家人犬者,夷狄且來入君邑中。”又曰:“狼鳴於邑中,邑且空;狼伏邑中,有兵。”又曰:“赤狼見於國,不出三年,必有大禍,野人為政。”《抱朴子》曰:“有狼狐繞軍而鳴者,軍敗。”
《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異の中に、「狼が国中に進入する」の一項あり。《京房易候占》にいう:君主が春季に施す可き政令を荒廃すれば、青狼は城邑に進入し、秋季に施す可き政令を荒廃すれば、白狼は城邑に進入し、冬季に施す可き政令を荒廃すれば、黒狼は城邑に出現す。又いう:狼が人家の狗を追逐するは、夷狄がまさに君主の城邑の中に侵入せんとするを主る。又いう:狼が城邑の中に嗥叫するは、城邑まさに空虚とならんとするを主り、狼が城邑の中に伏臥するは、兵事あるを主る。又いう:赤狼が国中に出現するは、応験三年を出ず、必ず大禍あり、草野の人が起ちて政を執る。《抱朴子》にいう:狼と狐有りて軍営を繞りて嗥叫するは、この軍隊が敗亡するを主る。
狼が人を食ふ
又曰:“君無道則狼食人。”
《抱朴子》がまたいう:君主の行事が道なければ、狼は人を食う。これは《京房易傳》の説く所の「君主無道なれば則ち虎が人を食ふ」と同一の義例にして、皆上天が猛獣を以て人を噬めて以て人主の暴虐に応験するものである。
狐に一頭両身あり
《災異圖》曰:“王公不祗上命,刻暴百姓,人民吁嗟,則一頭兩身狐見。”
《灾異図》にいう:王公が上の命令を恭敬して奉行せず、百姓に対して苛刻・暴虐にして、人民をして愁嘆連連たらしめば、即ち一箇の頭に両箇の身子の狐狸が出現す。
五狐が室に入り屋に上る
京房曰:“狐逐家人犬者,夷狄且來入君邑中。”又曰:“狐入室,必有大喪,將出室不居。”《地鏡》曰:“狐入室,有暴喪,上屋亦然,以淫危主。”
京房がいう:狐狸が人家の狗を追逐するは、夷狄がまさに君主の城邑の中に侵入せんとするを主る。又いう:狐狸が居室に進入するは、必ず大喪あり、主人まさにこの間の屋より遷出して再び居住せざらんとするを主る。《地鏡》にいう:狐狸が居室に進入するは、暴亡の喪事あるを主り、屋頂上に爬上するも占法は同じく、淫乱の事に因りて君主に危及するを主る。
狸に三頭あり
《河圖說徵示》曰:“狸三頭,名曰孽孽,見則女害。”
《河図説征示》にいう:野猫が三箇の頭を長すは、名を「孽孽」と曰う。それが一たび出現すれば、女子に因りて引き起こす禍害あるを主る。
獺が魚を祭らず
《通卦驗》曰:“獺不祭魚,國多盜賊。”
易緯《通卦験》にいう:孟春の時節に到りたるに、水獺が捕獲したる魚を岸上に陳列して祭祀の如くせざれば、国中の盗賊衆多なるを主る。獺が魚を祭るは先に薦して後に食し、取る有り譲る有りの義を取る。節候が失常なれば、人心もまた廉恥の言ふ可きなし。
兎に両頭あり
《運斗樞》曰:“女兩舌則兔兩頭。”
《春秋運斗樞》にいう:女人が両面の詞を搬弄し、言語が反覆すれば、即ち両箇の頭の兎子が出現す。兎は陰に属し、婦人と同類なれば、故に婦の言が一ならざれば、兎は便ち両箇の頭を生出して之と相応ず。
兎が雉を生む
《呂氏春秋》曰:“亂國之妖。有兔生雉。”
《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異の中に、「兎子が野鶏を生出する」の一項あり。走獣にして飛禽を生出するは、物類がその本性を喪失せるなれば、故に亡国の妖に列す。
兎が宮に入る
《握鏡》曰:“兔上城及入宮中,不出一年,主死。”京房曰:“兔入於王宮,其君亡。”京房曰:“兔無故入宮,宮潰其宮矣,家亦然。”
《握鏡》にいう:兎子が城墻上に爬上し或いは宮中に闖入するは、応験一年を出ず、君主が死亡す。京房がいう:兎子が王宮に進入するは、この君主の敗亡を主る。京房がまたいう:兎子が故なく宮中に進入するは、この宮室まさに潰敗せんとするを主り、尋常人家も亦同じ。
兎が宮城に止まる
又曰:“兔止城上,邑必虛;入宮殿生子,其宮且空,生草木矣。”又曰:“兔無故入宮殿生子者,宮有憂。”又曰:“兔無故宿及守之,其邑君死,兵小行。”王隱《晉書》曰:“王后在薊時,有謠曰:‘出城門,以望戶,中有伏尸王彭祖。’有野狐踞后府門,後為石勒所殺。”
京房がまたいう:兎子が城墻上に停まるは、城邑の必ず空虚なるを主り、宮殿の裏に跑進して崽を生ずるは、この宮室まさに荒空となりて草木の長ずるに満つべきを主る。又いう:兎子が故なく宮殿に進入して崽を生ずるは、宮中に憂患あるを主る。又いう:兎子が故なく此処に住宿して且つ守りて去らざるは、この城邑の君主が死亡し、小規模の兵事あるあらんを主る。王隠《晋書》に記す:王后が薊城に在りしとき、歌謡有りて唱う:「城門を走り出で、門戸を望向すれば、裏頭に王彭祖の屍首の躺れるあり。」また野狐有りて王后の府第の門口に蹲踞せり、後に王后は石勒に殺害せられた。
鼠が群れて行く
京房曰:“鼠群行,有水,期一年。”又曰:“鼠無故群,不居穴,眾聚,居殿中者,其君死。”《地鏡》曰:“鼠無故群行,不畏人,晝為飢,夜為兵。”又曰:“鼠群行入廷,豪侵弱。”又曰:“或道中有兵喪。”
京房がいう:老鼠が成群して出行するは、水災あり、応期一年を主る。又いう:老鼠が故なく一群に聚成し、洞穴の裏に待たず、堆を成して聚集し、甚だしきは殿堂の中に聚居するに至るは、この君主の死亡を主る。《地鏡》にいう:老鼠が故なく成群して出行し、毫も人を怕れず、白天に出現すれば飢饉を主り、夜裏に出現すれば兵事を主る。又いう:老鼠が成群して朝廷に跑進するは、豪強が弱小を欺凌するを主る。又いう:若し是れ道路の中に出現するは、則ち兵禍・喪乱あるを主る。
鼠が却行す
京房曰:“鼠無故卻退而前尾者,邑有憂。”
京房がいう:老鼠が故なく倒退して走り、尾巴を前に朝せしむるは、この城邑に憂患あるを主る。行止が顛倒するは、正に人事の上下の錯位なるこの一点に応ずる。
鼠が朝市に鳴く
京房曰:“鼠無故群相隨,朝夕鳴,邑且為湖澤,期一年至。”又曰:“鼠無故朝時及暮時當朝邑門而泣,邑且空虛。”又曰:“鼠相鬥,其君死。”《地鏡》曰:“鼠無故自向城若市朝而大鳴,皆為兵喪。”又曰:“鼠聚朝廷市衢中而鳴,地方屠裂。”又曰:“鼠泣唶唶,為兵喪,在家人凶。”
京房がいう:老鼠が故なく成群して相い随い、早より晩まで鳴叫するは、この城邑まさに湖沢と変らんとし、応期一年の内を主る。又いう:老鼠が故なく清晨或いは黄昏の時に城邑の門に対して悲鳴するは、城邑まさに空虚とならんとするを主る。又いう:老鼠が互相争闘するは、この君主の死亡を主る。《地鏡》にいう:老鼠が故なく城墻或いは市朝に対して大声に鳴叫するは、皆兵禍と喪乱を主る。又いう:老鼠が朝廷と街市の中に聚集して鳴叫するは、この一方の土地がまさに屠戮・分裂を遭わんとするを主る。又いう:老鼠が唶唶として悲鳴するは、兵禍・喪乱を主り、若し民家に在れば則ち家人に凶あるを主る。
鼠が朝市に舞ふ
京房曰:“鼠無故舞於朝市,其邑有大喪。”又曰:“鼠無故舞邑門外,厥君亡於廷中道上,其邑有大兵。”《地鏡》曰:“鼠無故舞戲,遊走大道,君當之,若家主當之。”
京房がいう:老鼠が故なく朝廷或いは集市の上に舞動するは、この城邑に大喪あるを主る。又いう:老鼠が故なく城門の外に舞動するは、この君主が朝廷の中或いは道路の上に死し、この城邑に大兵あるを主る。《地鏡》にいう:老鼠が故なく舞蹈・嬉戯し、大道上に游走するは、君主がこの灾禍を承当するを主り、若し民間に在れば則ち一家の主に由りて承当す。
鼠が土を積む
京房曰:“鼠無故皆自積土,大水且至,水去,邑飢。”《兵書》曰:“鼠藪軍中,將有謀反意。”又曰:“野鼠在此中者,軍必敗。”
京房がいう:老鼠が故なく皆自ら泥土を堆積するは、大水まさに到来せんとするを主り、水が退去するを待てば、城邑は即ち飢饉を鬧す。《兵書》にいう:老鼠が軍営の中に窩を聚めるは、将領が謀反の意を心懐くるを主る。又いう:野鼠が軍営の裏に出現するは、この軍隊が必ず敗るるを主る。
鼠が木上に巣す
京房曰:“鼠無故巢木上,邑且大水。”《漢書》:“成帝建始四年,長安城南,有鼠銜黃蒿棲柏葉,上民家柏及榆樹為巢,時議臣以為恐有水災,穴而登木,象賤人將為顯貴之位。”
京房がいう:老鼠が故なく樹上に窩を做るは、城邑にまさに大水あらんとするを主る。《漢書》に記す:漢の成帝の建始四年、長安城の南に老鼠有りて黄蒿を銜え、柏樹の葉間に栖み、民家の柏樹と楡樹に爬上して窩を做った。当時政を議する大臣は恐らく水灾あらんと認めた。老鼠は本より地下に穴居すべきものが樹梢に登るは、正に卑賤の人がまさに顕貴の位を窃據せんとするを象徴す。
鼠が木実・五穀を食ふ
《潛潭巴》曰:“鼠食木果,眾臣不任,害賢人也。”《對災異》曰:“人君斥賢任佞,眾讒在朝,而鼠群行,食五穀。”《地鏡》曰:“鼠食木實,上樹,邪臣害賢,俗敗也。”又曰:“人君用刑深刻,吏為陰賊,上下無德,則群鼠害禾穀。”
《春秋潜潭巴》にいう:老鼠が樹上の果実を啃食するは、衆臣がその職に称せず、賢人を残害するを主る。《対灾異》にいう:君主が賢良を排斥し奸佞を任用し、讒言を進める人が衆多に朝廷に充斥すれば、即ち老鼠有りて成群して出行し五穀を吃掉す。《地鏡》にいう:老鼠が樹上の果実を吃し、樹上に爬到するは、奸邪の臣が賢良を残害し、風俗が因りて敗壞するを主る。又いう:君主が刑を用いるに苛刻・深文にして、官吏が暗中に百姓を残害し、上下ともに徳行を失去せば、即ち群鼠有りて禾穀を糟蹋せん。
鼠が狸を逐ふ
京房曰:“眾鼠逐狸,茲謂有傷,臣代其王,思為亂天闢亡。”又曰:“鼠無故逐狸狗,是謂反祥,臣且殺其君。”又曰:“眾鼠逐狸,殺其君,大臣亡。或曰:諸侯以婦女誅異姓,來相國者也。”
京房がいう:衆鼠が反って野猫を追逐するは、これを「有傷」と謂い、臣子がその君王に取代し、乱を作すを図謀し、上天の立てたる君主を敗亡せしむるを主る。又いう:老鼠が故なく野猫と狗を追逐するは、これを「反祥」と謂い、即ち吉凶の象が顛倒し、臣下まさに君主を弑殺せんとするを主る。又いう:衆鼠が野猫を追逐するは、君主の殺され、大臣の敗亡を主る。別の一説:諸侯が婦女の事を借りて異姓を誅殺し、前来して相国を担任する人がこの象に応ずるを主る。
鼠が闘ひおよび子を生みて子を殺す
《地鏡》曰:“鼠斗宮殿上,為兵喪;自殺其子,亦然。”京房曰:“鼠無故皆自相殺,斬其首道中者,兵作。”又曰:“鼠斗殿上,其君死。”又曰:“鼠生子宮中而不穴,宮且空。”又曰:“鼠無故殺其子,若自出穴,其子死於穴中,其邑且虛。”
《地鏡》にいう:老鼠が宮殿上に争闘するは、兵禍・喪乱を主り、老鼠が自ら亲生の幼崽を咬死するも、占法は亦同じ。京房がいう:老鼠が故なく互相残殺し、頭を咬断して道路の中間に丢くは、兵事の発作を主る。又いう:老鼠が殿堂上に争闘するは、この君主の死亡を主る。又いう:老鼠が宮中に崽を生じて洞を打たざるは、宮室まさに空虚とならんとするを主る。又いう:老鼠が故なく自らの幼崽を咬死し、或いは自ら洞外に爬出して幼崽が洞中に死するは、この城邑まさに空虚とならんとするを主る。
鼠が殿・冠帯・履に穴す
京房曰:“鼠無故穴殿上宮中,其君死。”地鏡曰:“鼠無故常穴人履冠帶,其身危。”
京房がいう:老鼠が故なく殿堂上・宮室中に洞を打つは、この君主の死亡を主る。《地鏡》にいう:老鼠が故なく常に人の鞋子・冠帽と衣帯を咬穿するは、この人自身に危険あるを主る。
鼠が殿上の地を嚙み門戸を穿ち褥席上に宿す
京房曰:“鼠無故齧殿上及寢廟中地,其君死。”又曰:“鼠無故穿殿上及室中,邑舍空。”又曰:“鼠穿門戶,外內通明,大喜。”又曰:“鼠穿門戶,下徹外,有遷者。”又曰:“鼠無故自常宿褥席中,身死。”
京房がいう:老鼠が故なく殿堂上と寝廟の中の地面を啃咬するは、この君主の死亡を主る。又いう:老鼠が故なく殿堂上と居室の中に洞孔を鑽穿するは、城邑の房舎が空虚なるを主る。又いう:老鼠が門戸を咬穿し、内外を貫通して透亮せしむるは、大喜の事あるを主る。又いう:老鼠が門戸を咬穿し、下より直通して外面に至るは、家中に遷徙せんとする人有るを主る。又いう:老鼠が故なく常に被褥・蓆子の当中に睡るは、主人の身の死亡を主る。
鼠が殿上に交る
又曰:“鼠交殿上,其君死。”
京房がまたいう:老鼠が殿堂の上に交配するは、この君主の死亡を主る。殿堂は至尊の地にして、穢物が却って此に於て淫を行えば、故に占にて君主の喪と為す。
鼠が雑物を嚙む
京房曰:“鼠齧人杖,主被傷。”又曰:“鼠齧馬蹄,行破亡;鼠齧履頭,家有喪,急去之。”又曰:“鼠齧牛角及蹄,不行。”又曰:“鼠齧冠,即其身死,若有喪。”又曰:“鼠齧人帶,有利吏被選斷之獄辭連。”又曰:“鼠齧刀劍,奴妾不祥,後有殃。”又曰:“鼠齧宮府文書,曳尾,官府有赦。”又曰:“鼠齧衣背上,唯有喪。”又曰:“鼠齧上袵,有利囊得財。”
京房がいう:老鼠が人の手杖を咬むは、主人まさに傷を受けん。又いう:老鼠が馬蹄を咬むは、出行の破敗・損亡を主り、老鼠が鞋頭を咬むは、家中有喪を主り、急ぎ鞋を丢棄すべし。又いう:老鼠が牛角と牛蹄を咬むは、車馬が行き通らず、事情が弁じ成らざるを主る。又いう:老鼠が冠帽を咬むは、この人の身死するか、或いは喪事あるを主る。又いう:老鼠が人の衣帯を咬むは、選任せらるる吏員に対して利ありと主るも、却って断案の獄辭の中に牽連さる。又いう:老鼠が刀剣を咬むは、奴婢・姫妾が不祥にして、此の後に灾殃あるを主る。又いう:老鼠が官府の文書を咬み、還りて尾巴を拖きて走るは、官府にまさに赦令あらんとするを主る。又いう:老鼠が衣服の背部を咬むは、只だ喪事あるを主る。又いう:老鼠が衣襟の上部を咬むは、利あり、囊中の財を得るを主る。
又曰:“鼠齧人鼻,且有喪;齧人頭,男子傷,洗浴吉;鼠齧人者,有謀賊人;鼠齧人足,有行事,去而吉;鼠齧人頰,必被辱若喪;齧人手指,奴婢死;鼠齧人耳目,有欲為賊者;鼠齧人髮,是謂御者女子大賊;
京房がまたいう:老鼠が人の鼻を咬むは、まさに喪事あらんとするを主り、人の頭を咬むは、男子が傷を受くるを主り、洗浴を一番すれば則ち吉に転ず。老鼠が人を咬むは、人有りて自らに加害せんと図謀するを主る。老鼠が人の脚を咬むは、出行の事あり、この地を離るれば則ち吉なるを主る。老鼠が人の面頰を咬むは、必ず屈辱を受くるか或いは喪あるべし。人の手指を咬むは、奴婢の死亡を主る。老鼠が人の耳朵と眼睛を咬むは、人有りて賊を作し窃を行わんと欲するを主る。老鼠が人の頭髪を咬むは、これを「御者」の応と謂い、女子有りて大害と為るを主る。
鼠齧人織布帛傷衣,喪;鼠齧祭物,家喪;鼠齧宮中樹木枝葉,家有賊;鼠齧床蓆中央,夫婦雜敘。鼠為怪凶者,傷丈夫,為之燒鐵門戶,無咎。”《地鏡》曰:“鼠齧人衣,有鬥爭事。”
老鼠が人の織る布帛を咬み、衣服を咬壞するは、喪事あるを主る。老鼠が祭祀に用うる供物を咬むは、家中有喪を主る。老鼠が宮中の樹木の枝葉を咬むは、家裏に盗賊あるを主る。老鼠が床蓆の正中を咬むは、夫婦の間の尊卑が錯乱するを主る。老鼠が怪を作して凶象を成すは、男主人を傷るあらん。この種の情形に遇えば、焼き紅せし鉄を用いて門戸を烙て以て禳解せば、即ち灾禍なからん。《地鏡》にいう:老鼠が人の衣服を咬むは、争闘・訴訟の事あるを主る。
五股・翼・九足
《運斗樞》曰:“廢江淮山瀆之祠,則瑤光不明,股翼九足。”
《春秋運斗樞》にいう:江淮一帯の山川・河瀆の祠祀を廃棄すれば、北斗第七星の瑶光は昏暗にして明らかならず、併せて胯上に翼を生じ、九隻の脚を長したる怪獣が出現せん。
猬に冠生ず
又曰:“女舌,蝟生冠。”
《春秋運斗樞》がまたいう:婦人が口舌を搬弄して外事に干与すれば、刺猬は即ち冠を生出せん。刺猬は本より冠なきものが、忽然として冠を生ずるは、正に牝鶏の晨を司るの類の僭越の象である。
獣が地より出づ
《握鏡》曰:“凡四足獸從土中出,殃至;六足獸上無齒,主增地。”
《握鏡》にいう:凡そ四足の走獣が土中より鑽出するは、灾殃の到来を主る。六隻の脚の獣にして上顎に牙歯なきは、反って君主の疆土を増拓するを主る。
野獣が宮邑に入る
《京房易候》曰:“野獸入居室,茲謂不轉德,室不居。”京房曰:“野獸大小入邑中及王朝廷,若大道上,邑有大害,君亡地,有流血;野獸無故入邑,居朝廷門及宮府中及邑,廷且虛,家無人;野獸群鳴,邑中且空虛;野獸自經於市中,邑且大歲凶;
《京房易候》にいう:野獣が人の居室に進入するは、これを「不轉徳」と謂い、即ち徳行が推行・流転する能わざること、この間の屋は再び住む可からざるを主る。京房がいう:野獣が大小を論わず城邑の中に闖入し、王の朝廷に闖上し、或いは大道上に出現するは、城邑に大害あり、君主が土地を喪失し、流血の禍あるを主る。野獣が故なく城邑に闖進し、朝廷の門・宮府の中および城邑の裏に盤踞するは、朝廷まさに空虚となり、家中に人なからんとするを主る。野獣が成群して鳴叫するは、城邑の中まさに空虚とならんとするを主る。野獣が自ら集市の当中に吊死するは、城邑まさに大凶の年あらんとするを主る。
野獸入軍中,將軍大戰,必敗,急祭祀鬼神以救之;野獸鳴軍中,大邦小,小邦大;野獸生子邑中者,其邑大虛。”《地鏡》曰:“野獸入宮門及寺門,用事者罷;野獸入城郭,臣下迷惑,有兵;野獸上城入宮中,不出一年,主死。”
野獣が軍営の中に闖入するは、将軍が若し人と大戦せば必ず失敗し、急ぎ鬼神を祭祀して以て禳救すべきを主る。野獣が軍中に鳴叫するは、大国が小に変じ、小国が大に変ずるを主る。野獣が城邑の中に崽を生ずるは、この城邑が大いに空虚なるを主る。《地鏡》にいう:野獣が宮門と官寺の門に闖入するは、権を当て事を弁ずる人が罷黜せらるるを主る。野獣が城郭に闖進するは、臣下が迷惑・失措し、兵事あるを主る。野獣が城墻上に爬上し、宮中に進入するは、応験一年を出ず、君主が死亡す。
野獣が邑中に死す
《京房易妖占》曰:“野獸無故自死邑中門者,國且空。”《天鏡》曰:“野獸自死在市道側、邑中,兵方大起。”
《京房易妖占》にいう:野獣が故なく自ら城邑の門口に死するは、国家まさに空虚とならんとするを主る。《天鏡》にいう:野獣が自ら集市・道旁或いは城邑の中に死するは、兵禍が正に大いに起らんとするを主る。
野獣が却行す
《握鏡》曰:“野獸卻行,君當為臣。”
《握鏡》にいう:野獣が倒退して行走するは、君主が反って臣下の位に居らんとするを主る。倒れて走れば則ち前後が向きを易へ、正に上下が顛倒するの事に応ずる。
野獣が六畜・飛鳥と交りおよび闘ふ
《地鏡》曰:“野獸與飛鳥斗,兵作;野獸與家畜來鬥,他國來伐國。”《握鏡》曰:“野獸來與家六畜交,此人君淫於外國婦女,以淫為行,且失國;野獸與馬交,國淫亂。”京房曰:“有四足與飛鳥斗,有兵作,大臣去。”又曰:“野獸來與家畜斗,有鄰國來伐,國將亡。”
《地鏡》にいう:野獣と飛鳥とが相い闘うは、兵事の発作を主る。野獣が跑来して家畜と争闘するは、別の国家の前来して本国を討伐するを主る。《握鏡》にいう:野獣が跑来して家中の六畜と交配するは、君主が外国の婦女の身上に恣意に淫乱し、淫蕩を以て行事と為し、まさに国家を失去せんとするを主る。野獣と馬とが交配するは、国中の淫乱を主る。京房がいう:四足の獣有りて飛鳥と相い闘うは、兵事の発作あり、大臣が離去するを主る。又いう:野獣が跑来して家畜と争闘するは、隣国の前来して討伐し、国家まさに滅亡せんとするを主る。
野獣が子を生じて形異なり
京房曰:“野獸生子,有人形者,且易其主;野獸生子,為螽蟲,如蜂形,天下且更令;野獸生子,為彘,走入君室,邑且亡,社稷為人所攻;野獸生子,為蛇者,其邑有大事;野獸生子,其足多者,邑有憂;野獸生子,足少者,邑有喪;野獸生子,其口多者,邑有兵;
京房がいう:野獣の生み下す崽が人の形状を帯びるは、まさに君主を更換せんとするを主る。野獣の生み下す崽が螽虫にして形状は蜂に似たるは、天下まさに法令を更改せんとするを主る。野獣の生み下す崽が猪にして、且つ君主の居室に跑進するは、城邑まさに滅亡し、社稷が人に攻奪せらるるを主る。野獣の生み下す崽が蛇なるは、この城邑に大事あるを主る。野獣の生み下す崽の脚が特に多きは、城邑に憂患あるを主る。生み下す崽の脚が特に少なきは、城邑に喪事あるを主る。生み下す崽の嘴が特に多きは、城邑に兵事あるを主る。
野獸生子,其目多者,邑君憂;野獸生子,其目少者,邑有急兵;野獸生子,無目者,其邑有憂;野獸生子,無耳鼻,其邑有兵;野獸生子,耳鼻多者,其邑有行兵;野獸生子,耳鼻少者,邑有大兵起;野獸生子,無尾者,邑無後;野獸生子,其形不居其處者,皆為兵事。”
野獣の生み下す崽の眼睛が特に多きは、城邑の君に憂あるを主る。生み下す崽の眼睛が特に少なきは、城邑に緊急の兵事あるを主る。生み下す崽に眼睛なきは、この城邑に憂患あるを主る。生み下す崽に耳朵・鼻子なきは、この城邑に兵事あるを主る。生み下す崽の耳鼻が特に多きは、この城邑に出兵の事あるを主る。生み下す崽の耳鼻が特に少なきは、城邑に大兵の興起あるを主る。生み下す崽に尾巴なきは、城邑が後嗣を絶つを主る。生み下す崽の形体の各部分が皆応に有るべき位置上に長ぜざるは、これら皆兵事を主る。
開元占經 卷一百十七
牛の休征
金牛
《瑞應圖》云:“王者土地開闢,則金牛見。”注云:“案《交州記》曰:九真群居風山,有金牛時時見,光照數十里。又武昌郡,有金牛岡,岡邊石上有牛跡焉。又《羅浮山記》云:增城縣有牛潭,潭側有圓石,金牛出時,盤此石上,有周靈潛往掩擊,得金繅三尺許。牛出水時,有五色光。又吳與巴及淮南,並有金牛,皆帶金繅也。”
《瑞応図》にいう:君王が疆土を開拓すれば、金牛は出現す。注文にいう:按ずるに《交州記》の記載に、九真郡の群居風山に金牛あり、時時現身し、光は数十里を照らす。又武昌郡に金牛岡あり、岡辺の石頭上に牛の足迹を留む。又《羅浮山記》にいう:增城県に一箇の牛潭あり、潭辺に一塊の円石あり、金牛が出て来るときは即ちこの塊の石頭上に盤踞す。周霊と呼ぶ人有りて悄然として前往して襲取し、三尺来長の金繅を奪得した。金牛が水を出るとき、身上に五色の光を放つ。此の外、呉地・巴地および淮南にも、皆金牛あり、身上に皆金繅を帯びる。
牛に上齒あり
《地鏡》曰:“世主治而增地,則牛有上齒。”
《地鏡》にいう:当世の君主の治理が方有りて疆土を増拓すれば、牛は即ち上排の牙歯を生出す。牛は本より上顎に歯なきものが、忽然として上歯を生出するは反常の相なり。此処は却って前文の「六足獣の上に歯なく、地を増すを主る」と相対して、同じく疆を開き土を拓くの応験に帰入す。
牛の咎征
牛が舞ふ
《握鏡》曰:“牛忽舞戲軍中,軍罷,還鄉。”《天鏡》曰:“牛如舞,其國將亡。”
《握鏡》にいう:牛が忽然として軍中に舞動・嬉戯するは、軍隊が兵を罷め、将士が故郷に返回するを主る。《天鏡》にいう:牛が跳舞の様子を做出するは、この国家まさに滅亡せんとするを主る。
牛が悲鳴す
《潛潭巴》曰:“宮殿中有牛悲鳴,政教衰,諸侯並。牛者,兵之符也。”注云:“牛有角,兵象也。鳴,喻教令也。”京房曰:“牛無故夜皆鳴,且有暴兵;牝牛善牡鳴,及於大道上,邑有大兵。”《運斗樞》曰:“主憂下愁,陰類逆,則牛哭于田。”
《春秋潜潭巴》にいう:宮殿の中に牛の悲鳴有るは、政教の衰败し、諸侯が相互に兼併するを主る。牛は兵事の符験である。注文にいう:牛の頭上に角を生ずるは、兵器の象である。牛の鳴くは、則ち政教・号令を比喻す。京房がいう:牛が故なく夜裏に一斉に鳴叫するは、まさに突発の兵事あらんとするを主る。母牛が偏愛して雄牛の如き吼叫を発し、しかも大道上に叫ぶは、城邑に大兵あるを主る。《春秋運斗樞》にいう:君主が憂慮し下民が発愁し、陰に属する一類が皆悖逆・失常なれば、牛は即ち田里に哀哭す。
牛が能く言ふ
《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,牛能人言。”京房曰:“牛能言,如其言,占吉凶。”《搜神記》曰:“晉太安中,江夏郡功曹張駃乘牛忽言曰:‘天下方亂,吾甚疾焉,乘我何之?’駃懼,中道而反,犬又曰:‘歸何早也?’安陸縣有善卜者,駃從人占之,曰:‘大凶,非惟一家之禍,亦天下將有兵亂也。’
《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異の中に、「牛が人の話を説き得る」の一項あり。京房がいう:牛が能く口を開きて説話するは、即ちその説く所の内容に按じて吉凶を占断す。干宝《搜神記》に記す:晋の太安年間、江夏郡の功曹張駃の騎る所の牛が忽然として口を開いていう:「天下正に大いに乱れんとす、我は甚だこの世道を厭悪す、汝は我に騎りて何の処に到らんとするか。」張駃は害怕し、半路上に即ち折返して家に帰った。家裏の狗がまた口を開いていう:「怎様に回来するこの早きぞ。」安陸県に卜筮を擅む人有りて、張駃は人を托して彼に向いて占を求め、その人がいう:「大凶なり。これは只だ汝の一家の禍事のみならず、亦天下にまさに兵乱あらんとするを預示す。」
後一郡皆破亡。駃還,牛又人立行,百姓聚觀者眾,其秋,張昌亂一郡,殘傷者大半,駃家族滅。”
これは上一条の占例の結末である:後に全郡が皆破败を遭い、百姓は流亡した。駃が家中に帰ると、あの頭の牛はまた人に似て直立して行走し、聚拢して囲観する百姓は甚だ多かった。当年の秋に至り、張昌がこの郡に起兵して乱を作し、郡中の百姓の殺傷せられたるは一半を過ぎ、駃の一家・宗族もまた誅滅を遭った。占家は「牛が人を作して立ちて行く」を牛禍の先兆と視なし、随後の兵乱・滅族と一々相応した。
牛が地中より出づ 牡牛が子を生む
《天鏡》曰:“牛從土中出者,不出千日,有兵,民流亡。”京房曰:“牛自地中出,邑中有兵,小民破亡,君有喪,不出三年。”《天鏡》曰:“牛從地中出,不出二年,有大殃。”京房曰:“牡牛有子,其君無後。”
《天鏡》は一箇の専ら物類・灾異・占候を記する書にして、それがいう:土裏より鑽出する牛は、一千日を超えずして、即ち兵事あり、百姓が流散・逃亡す。西漢の易学家京房がいう:牛が地下より冒出するは、城邑の中にまさに兵事あらんとし、小民が家を破りて逃亡し、国君が喪事に遭遇し、これらは皆三年を出ず。《天鏡》がまたいう:牛が地裏より出るは、二年を出ずして、大いなる灾殃あるあらん。京房がいう:公牛が竟も小牛を産下するは、この君主がまさに後嗣を断絶せんとするを預示す——雄性が子を生ずるは陰陽顛倒の象なれば、故に「無后」の上に応ずる。
牛が子を生じて形異なり
《運斗樞》曰:“人君七政錯壅,下懵暗,上不明,則牛五頭,不能行。(宋均注云:五頭,喻五方不肯趁上命也。)”京房曰:“牛生子一首二身,其邑分;牛生子二頭,天下分,胡氏之象也。”《天鏡》曰:“牛兩頭,軍分為兩。”
緯書《春秋運斗樞》にいう:君主が「七政」(日月五星の主ずる各項の政務)を処理するに錯乱・壅塞し、下に在る臣民は昏昧にして、上に在る君主は明察ならざれば、即ち五箇の頭にして行走する能わざる怪牛が出現す。原書小注に東漢の宋均の解釈を引く:五箇の頭とは、五方の諸侯が朝廷の号令を遵奉するを肯ぜざるを比喻す。京房がいう:母牛が一箇の頭両箇の身子の犢子を生下するは、この城邑まさに分裂せんとす。両箇の頭の犢子を生下するは、天下まさに分裂せんとし、これは「胡氏」の類の外族が坐りて大なるの象徴である。《天鏡》にいう:牛に両箇の頭を長ずるは、軍隊が両支に分裂するあらん。
《搜神記》曰:“元帝大興中,割晉陵郡封少子以嗣太傅東海王,俄而世子母石婕好疾病,使郭璞筮之,遇明夷之既濟,曰:‘世子不宜裂土分國,以致患悔,母子並貴之咎也。法,所封內當有牛生一子兩頭者,見此物則疾瘳矣。’其七月,曲河縣陳門,牛生子兩頭,郡縣圖其形而上之,元帝以示石氏,石氏見而有間,或問其故:‘晉陵土,上所以受命之邦也。凡物莫能兩大,使世子並其方,其氣莫以取之,故致兩頭之妖,以為警也。’”
干宝《搜神記》に記す:東晋の元帝の大興年間、朝廷は晋陵郡を画り出して小さい児子を分封し、彼をして太傅・東海王の封国を承継せしめた。没だ久しからずしてこの世子の生母石婕妤が病を生じ、元帝は郭璞を請じて占筮せしめ、《明夷》卦を得て《既済》卦と変ず。郭璞がいう:世子は土を裂きて別に封国を立つべからず、因りて憂患・悔吝を招来す。これは母子が同時に顕貴なるの帯ぶる所の咎征である。占法に按ずれば、封ぜられたる境内に応に母牛の一頭両箇の脳袋の犢子を生下する有るべく、こやつを見れば病は即ち好し。当年七月、曲河県の陳門に果して牛有りて両頭の犢子を生下せり。郡県はその形状を画きて上報し、元帝は把りて石婕妤に看せしむるに、彼女は一見すれば病は即ち軽減した。人有りてこれは何の故ぞと問うに、回答していう:晋陵のこの土地は、皇上が天命を承受する根本の邦なり。凡そ物に両者同時に壮大すること能ふ有るなし。今世子をしてこの一方を兼有せしむれば、彼の処の地気は承受する処なく、故に両頭の怪牛の妖異を招致して、用いて警を示すなり。
《河圖說徵示》曰:“人主失國無民,見牛四角二足。”京房曰:“牛生八足,上有三首,邑增地;君任邪佞,則牛兩頭八足二尾。”又曰:“牛生子三角,其邑且有兵;牛生三目以上,邑有賊臣;臣多口,則牛四目在背;牛生子三鼻,其邑有兵;牛生子,鼻一孔,邑作事不成;君臣不聽事,則牛一耳;牛生子三耳以上,邑大亂;
緯書《河図説征示》にいう:君主まさに国家を失い百姓を失わんとすれば、即ち四隻の角両隻の脚の怪牛が出現す。京房がいう:牛が八隻の脚・頭上に三箇の脳袋を生下するは、この城邑まさに土地を増広せんとす。君主が邪僻・奸佞の人を任用すれば、即ち両頭・八足・両尾の怪牛が出現す。又いう:牛の生む犢子が三隻の角を長ずるは、この城邑にまさに兵事あらんとす。犢子が三隻以上の眼睛を長ずるは、城邑の裏に人を害する奸臣あり。臣下が口舌・是非多ければ、即ち四隻の眼睛が背上に長ずる牛が出現す。犢子が三箇の鼻子を長ずるは、この城邑にまさに兵事あらんとす。犢子の鼻子が一箇の孔のみなるは、城邑が事を弁じ成らざる。君臣ともに政事を理せざれば、即ち一隻の耳朵のみの牛が出現す。犢子が三隻以上の耳朵を長ずるは、城邑まさに大乱せんとす。
人君眾惡同志,至德潛隱,興徭役,奪民時,則牛生五蹄;民人徭三月,邑有賊臣,則牛二尾;牛生子,三陰已上,君多子;牛生子,目在腹下及旁,邑且有事;牛生子,口在腹下及在頭上,邑有大事;牛生子,口在四肢,邑君亡;牛生子,口在背,其邑臣口舌;牛生子,耳在腹下,民大飢;牛生子,耳鼻在腹及背,其君相謀傷;牛生子,鼻在四肢上,邑有大賊;
君主が一群の悪人と同心・同志にして、徳行最高の賢人を隠没して用いず、徭役を大興して百姓の農時を侵奪すれば、即ち牛有りて五隻の蹄子を生出せん。百姓の服役が三箇月に長く、城邑の裏に人を害する奸臣あれば、即ち牛有りて両条の尾巴を生出せん。牛の生む犢子に三箇以上の生殖器有るは、君主の子嗣衆多を主る。犢子の眼睛が腹下或いは身体の両旁に長ずるは、城邑にまさに事変あらんとす。犢子の嘴が腹下或いは頭頂上に長ずるは、城邑に大事あり。嘴が四肢上に長ずるは、邑君まさに死亡せんとす。嘴が背上に長ずるは、この城邑の臣下に口舌・争訟多し。犢子の耳朵が腹下に長ずるは、百姓大いに飢荒を鬧す。耳朵・鼻子が腹部と背上に長ずるは、この国君と輔相とがまさに相い謀害せんとす。犢子の鼻子が四肢上に長ずるは、城邑に大盗賊あり。
牛生子,足在腹,邑徙;牛生子,尾在腹,邑大徭;牛生子,尾在四肢,邑君易;牛生子,無首,邑無令,君不吉;牛生子無鼻,民太息;牛生子,無尾,民貧士弱;牛生子,無毛有羽,邑君亡;牛生子無陰,其君無子;君無子,則牛無陰;牛生子無足,其邑谷不成;牛生子,足在背,邑且有大兵;兵行徭役,奪民時,厥妖牛生五足;牛生子三足,其邑君有久疾。”
犢子の脚が腹部に長ずるは、城邑まさに遷徙せんとす。尾巴が腹部に長ずるは、城邑の徭役が繁重なり。尾巴が四肢上に長ずるは、邑君まさに更換せんとす。犢子に頭なきは、城邑の政令が行われず、国君は吉ならず。犢子に鼻子なきは、百姓が愁苦・嘆息す。犢子に尾巴なきは、百姓が貧困にして士人が衰弱す。犢子が毛を長ぜずして羽毛を長ずるは、邑君まさに死せんとす。犢子に生殖器なきは、この君主に児子なし——君主に子なきは、亦牛の陰なき上に応ずるなり。犢子に脚なきは、この城邑は五穀が熟せず。脚が背上に長ずるは、城邑にまさに大いなる兵事あらんとす。兵を用い且つ徭役を徴発して百姓の農時を侵奪すれば、その妖異は即ち牛が五隻の脚を生出するなり。犢子が三隻の脚のみなるは、この邑君に久しく治らざる疾病あるあらん。
《災異圖》曰:“王、公侯、刺史不祗上命,克暴百姓,則牛八足。”《漢書五行志》曰:“秦文公五年,遊朐衍,有獻五足牛者,劉向以為近牛禍也。先是文惠王初都咸陽,廣大宮室。足者,止也,戒秦建,止奢泰也。”又曰:“景帝中元六年,梁孝王田北山,有獻牛,足生背上者,劉向以為近牛禍。先是孝王驕奢,起苑方三百里,宮館閣道相連,欲求為漢嗣。足出於背,下奸上之象也。”
《灾異図》にいう:諸侯王・公侯・州刺史が朝廷の号令を敬奉せず、百姓に対して苛刻・残暴せば、即ち八隻の脚の牛が出現す。《漢書・五行志》に記す:秦の文公五年、文公が朐衍一帯に出游したとき、人有りて一頭の五隻脚の牛を献上せり。劉向はこれを「牛禍」に近しと認めた。この前、秦の恵文王が剛に咸陽に都を定め、宮室を広建せり(此処の底本の紀年は前後倒置し、恵文王は実は文公の後に在り、姑くその旧を存す)。「足」には「止」の義あり、秦国の営建は応に奢侈・過度を停止すべきを告誡するなり。又記す:漢の景帝の中元六年、梁の孝王が北山に田猟したとき、人有りて一頭の脚が背上に長ずる牛を献上せり。劉向はこれを牛禍に近しと認めた。この前、梁の孝王は驕横・奢侈にして、方円三百里の苑囿を修起し、宮室・楼館と閣道と相連じ、還りて漢朝の皇位の継承人と為るを謀求せんと欲した。脚が背上に長ずるは、正に下に在る者が上に在る者を干犯するの象徴である。
《異苑》曰:“晉永嘉中,曲阿陳文家牛生兩頭犢。建武中,曲阿牛生犢,一軀兩頭。永昌元年,江北郭洗牛生兩頭八足。咸和元年,護軍營牛生兩頭六足。太元中,蜀人獻動角牛,奮頭則角耳搖。石虎時,牸牛水道在腹下。宋元嘉中,倉穀王石豐家,牛生尾在額上。元嘉十四年十月,東陽留元子家,牛生兩頭,犢墮地,便剿健善走,元子射之,乃死,以呈郡守,荀伯子餘親睹焉。”《廣漢戴道》:“周元嘉中,牛生犢有腳而無脊骨也。”
劉敬叔《異苑》に記す:西晋の永嘉年間、曲阿の陳文の家の牛が両箇の頭の犢子を生下せり。東晋の建武年間、曲阿にまた牛有りて犢を生み、一箇の身子両箇の頭なりき。永昌元年、江北の郭洗の家の牛が両頭八足の犢子を生下せり。咸和元年、護軍営の牛が両頭六足の犢子を生下せり。太元年間、蜀地の人が一頭の「動角牛」を進献し、それが一たび頭を搖れば、角と耳朵は皆跟随して晃动した。後趙の石虎が位に在りしとき、母牛有りて尿道が腹下に長ぜり。劉宋の元嘉年間、倉谷王石豊の家の牛が生下したる犢子は、尾巴が額頭上に長ぜり。元嘉十四年十月、東陽の留元子の家の牛が両箇の頭の犢子を生下し、小牛は一たび落地すれば即ち矫健にして善く走り、留元子はそれを射死せしめ、郡守に送呈し、荀伯子と我とは皆親しく見て過ごしたり。《廣漢戴道》にいう:周の元嘉年間、牛有りて生下したる犢子は、腿脚有るも脊骨なかりき。
牛が人を生む
京房曰:“牛生人,民流亡;牛生人,一身二首,其邑昌;牛生人,一身三首,其邑有兵;牛生人,一身二首,無口三鼻,一鼻在項,一鼻在頰,其邑有兵不遠;牛生人,一身一首,無目一耳,相臣有兵;牛生人,一身二首,無目三耳,一耳在項,一耳在頰,其邑有兵;牛生人,一身三首,一鼻在項,一鼻在頰,女人治其政;
京房がいう:牛が人形の怪胎を生下するは、百姓が流散・逃亡す。生下したる人形が一箇の身子両箇の頭なるは、この城邑は反って昌盛す。一箇の身子三箇の頭なるは、城邑に兵事あり。一箇の身子両箇の頭にして嘴なく三箇の鼻子を長じ、一箇の鼻子が頸項に長じ、一箇が面頰に長ずるは、城邑に兵事あり、期は遠からず。一箇の身子一箇の頭にして眼睛なく一隻の耳朵のみなるは、輔相・大臣にまさに兵禍を遭わんとす。一箇の身子両箇の頭にして眼睛なく三隻の耳朵あり、一隻は頸項に在り、一隻は面頰に在るは、城邑に兵事あり。一箇の身子三箇の頭にして、一箇の鼻子が頸項に在り、一箇が面頰に在るは、女人に由りて政事を主持せらるるに由るべし。
牛生人,一身二首,無耳三口,一口在頰,民飢;牛生人,一身二首,無耳,三口以上,一口居頂,一口居頰,人民飢;牛生人,一身三首,二口無耳,一口在頂,民驚兵,君亂亡;牛生人,一身二首,無耳三口,一口在頰,一口在股上,民且大驚,其邑有亂,亡;牛生人,一身三首,三耳無目,一耳居頂,一耳居頰,其邑有兵,民多流亡;
牛の生ずる人形が一箇の身子両箇の頭にして耳朵なく三張の嘴あり、一張の嘴が面頰上に長ずるは、百姓が飢饉す。一箇の身子両箇の頭にして耳朵なく三張以上の嘴あり、一張は頭頂に在り、一張は面頰に在るは、百姓が飢饉す。一箇の身子三箇の頭・両張の嘴にして耳朵なく、一張の嘴は頭頂に在るは、百姓が兵事に驚擾せられ、国君は昏乱・敗亡す。一箇の身子両箇の頭にして耳朵なく三張の嘴あり、一張は面頰に在り、一張は大腿上に在るは、百姓まさに大いに驚恐を受け、この城邑に変乱の発生して覆亡に至らん。一箇の身子三箇の頭・三隻の耳朵にして眼睛なく、一隻の耳朵は頭頂に在り、一隻は面頰に在るは、この城邑に兵事あり、百姓に流散・逃亡多し。
牛生人,三頭三面,有軍行;牛生人,一首四面,其君亡地;牛生人,一首二口,其邑大飢;牛生人,一首一鼻,邑民貧;牛生人,一首,三目以上,天下有爭者;牛生人,一首,三耳以上,邑治且亂;牛生人,一首一面,天下有爭者;牛生人,一身,項以上無,其邑有兵;牛生人,二首以上,其臣有反者,又云:邑有大疾。牛生人,三足以上,民多相讒;牛生人,三臂以上,其邑兵行;牛生人,三陰以上,其國有謀臣;
牛の生ずる人形に三箇の頭三張の臉有るは、まさに軍隊の出動あらんとす。一箇の頭四張の臉なるは、この君主まさに土地を喪失せんとす。一箇の頭両張の嘴なるは、この城邑大いに飢ゆ。一箇の頭一箇の鼻子なるは、城邑の百姓が貧困す。一箇の頭にして三隻以上の眼睛有るは、天下に争奪の事あり。一箇の頭にして三隻以上の耳朵有るは、城邑の治理がまさに混乱に陥入せんとす。一箇の頭一張の臉なるは、天下に争奪の事あり。只だ身子有りて頸項以上は空として所有なきは、この城邑に兵事あり。両箇以上の頭有るは、臣下の中に人有りて反叛し、別の一説は城邑に大いなる疫病あるをいう。牛の生ずる人形に三隻以上の脚有るは、百姓に多く相い讒毀す。三条以上の手臂有るは、この城邑まさに兵を出さんとす。三箇以上の生殖器有るは、この国家に心に図謀を懐ける臣子あり。
牛生人,目在腋下,其君且凶;牛生人,目在腹,天下諸侯雜居;目在背,其邑有大臣反;牛生人,目在足下,此謂不親,其邑有大謀;牛生人,鼻在腋下,主令不行;牛生人,鼻在足,民哭;牛生人,鼻在腹,其邑谷不成;牛生人,鼻在背,其民多;牛生人,口在腹下,邑有火;牛生人,口在背,邑得利,臣有凶事;牛生人,腹在脛,邑有飢;牛生人,陰在背腹,其君有大事;
牛の生ずる人形は、眼睛が腋下に長ずるは、この君主まさに凶険あらんとす。眼睛が腹部に長ずるは、天下の諸侯が雑処・錯居す。眼睛が背上に長ずるは、この城邑に大臣有りて謀反す。眼睛が脚底に長ずるは、これを「不親」と呼び、城邑の中に大いなる陰謀あり。鼻子が腋下に長ずるは、君主の号令が推行する能わざるなり。鼻子が脚上に長ずるは、百姓まさに哭泣せんとす。鼻子が腹部に長ずるは、この城邑は五穀が熟せず。鼻子が背上に長ずるは、あの処に人口衆多なり。嘴が腹下に長ずるは、城邑に火災あり。嘴が背上に長ずるは、城邑は利を獲るも、臣下に却って凶事あり。肚腹が小腿上に長ずるは、城邑に飢荒あり。生殖器が背上或いは腹上に長ずるは、この君主まさに大事の発生あらんとす。
牛生人,無鼻,邑有喪;牛生人,無耳,有鬼驚人者,相主走;牛生人,無足,其邑不種;牛生人,無臂,其邑疾;牛生人,無體,其邑有事;牛生人,無腹,其邑飢;牛生人,人身而六畜面者,此則不吉,臣下不受命;牛生人,人身而鳥頭面者,邑有兵;牛生人,人面而六畜身者,此謂不祥,其邑有兵;牛生人,人面而犬身,其邑苦;牛生人,人面而野獸身者,邑有亡地;牛生人,人面魚身,邑有水;牛生人,人身而蟲蛇面者,其邑亡地;牛生人,人面而蟲蛇身者,此邑皆空。”
牛の生ずる人形に鼻子なきは、城邑に喪事あり。耳朵なきは、鬼怪有りて人を驚擾し、輔相と君主ともに奔逃して出でん。脚なきは、この城邑に耕種する人なし。手臂なきは、この城邑に疾疫の流行あり。軀体なきは、この城邑に事変あり。肚腹なきは、この城邑に飢荒を鬧す。人の身子にして六畜の面孔を長ずるは、これは吉利ならず、臣下が君命を接受するを肯肯ぜざるなり。人の身子にして鳥の頭臉を長ずるは、城邑に兵事あり。人の面孔にして六畜の身子を長ずるは、これを不祥と呼び、この城邑に兵事あり。人の面孔にして狗の身子なるは、この城邑が困苦す。人の面孔にして野獣の身子なるは、城邑まさに土地を喪失せんとす。人の面孔にして魚の身子なるは、城邑に水災あり。人の身子にして虫蛇の面孔なるは、この城邑まさに土地を喪失せんとす。人の面孔にして虫蛇の身子なるは、この城邑まさに空虚にして人なからんとす。
牛が六畜を生む
《天鏡》曰:“牛生六畜,兵且作,其君不安。”京房曰:“邑更主,則牛生六畜;牛生六畜,其邑女子為主;君不安宅,則牛生馬;牛生馬,兵將作,人零落,不安宅;牛生六畜人形者,其邑更主;牛生六畜,一身一首,其君亡;牛生六畜,二鼻以上,其君有兵;牛生六畜,二口以上,邑有兵;牛生六畜,三耳三口以上,邑亡地;牛生六畜,無目,其邑令不行;牛生六畜,無四肢,主不治。”
《天鏡》にいう:牛が別の六畜を生下するは、兵事まさに起らんとし、この君主は安寧を得ざるべし。京房がいう:城邑まさに主人を更換せんとすれば、即ち牛が六畜を生むを出現す。牛が六畜を生むは、この城邑まさに女子に由りて政を当らしめらるべし。君主が安宅に住らざれば、即ち牛が馬を生むを出現す。牛が馬を生むは、兵事まさに起らんとし、人口が凋零し、居処に安からざるなり。牛の生ずる六畜に人形を帯びるは、この城邑まさに主人を換えんとす。牛の生ずる六畜が一箇の身子一箇の頭なるは、この君主まさに死亡せんとす。両箇以上の鼻子有るは、この君主に兵事あり。両張以上の嘴有るは、城邑に兵事あり。三隻の耳朵・三張の嘴以上有るは、城邑まさに土地を喪失せんとす。眼睛なきは、この城邑は政令が行われず。四肢なきは、君主は国家を治理する能わず。
牛が野獣・飛鳥を生む 牛が魚を生む
牛生野獸,天下不通;牛生野獸似人形,其邑有兵;兵大作,則牛生鼠;國有兵、水,則牛生飛鳥;牛生飛鳥鳴者,有他變,且為兵、水。京房曰:“天下虛,則牛生魚。”
牛が野獣を生下するは、天下の道路が阻隔して通ぜず。牛の生ずる野獣の形が人身に似たるは、この城邑に兵事あり。兵事が大いに起れば、即ち牛が老鼠を生むを出現す。国家に兵禍と水災あれば、即ち牛が飛鳥を生むを出現す。牛の生下したる飛鳥が還りて鳴叫し得るは、別に別の変故有り、且つ兵禍と水災の発生せんとするなり。京房がいう:天下が空虚・凋敝なれば、即ち牛が魚を生むを出現す。
牛が五穀・屎中の金鉄石木草土布帛を生む 牛疫
京房曰:“牛生五穀,其邑昌,且大穰;牛生土及屎土,邑地大昌;牛生金鐵,其邑有兵;兵強主武,則牛生石;牛屎生草木,其君死;牛屎布帛,其君有令。”《握鏡》曰:“牛大疫,觔革動,主用兵雜城郭,不出三年,有大殃。”
京房がいう:牛が五穀を生出するは、この城邑が昌盛にして、且つ五穀が大豊収す。牛が泥土を生出するか屎の中に土を帯びるは、城邑の土地が大いに興旺す。牛が金鉄を生出するは、この城邑に兵事あり。兵力が強盛にして君主が武を尚べば、即ち牛が石頭を生むを出現す。牛屎の裏に草木を生出するは、この君主まさに死せんとす。牛屎の裏に布帛が出現するは、この君主まさに政令の頒布あらんとす。《握鏡》にいう:牛が大批に瘟疫を発生するは、弓弩・甲胄を制作する筋革が之に随い調動し、君主が兵を用い、戦事が城郭に波及し、三年を出ずして、大いなる灾殃あるあらんを主る。
開元占經 卷一百十八
馬の休征
神馬
《援神契》曰:“王者德至山陵,則澤出神馬。”(宋均注云:神馬巡守四方。《典略》曰:神馬者,河之精也。)《晉中興書徵祥說》曰:“孝武帝大元十四年六月,寧朔州刺史賈統上言:晉寧須池縣,此月辛亥,有馬二匹出於河上,一白一烏,盤戲相逐河水上,從卯至巳,乃沒。”
緯書《孝経援神契》にいう:君王の徳沢が山陵に施及すれば、水沢の中に即ち神馬を現出す。原書小注に東漢の宋均の話を引いていう:神馬は巡行して四方を守護す。又《典略》を引いていう:神馬は黄河の精気の化する所である。《晋中興書・征祥説》に記す:晋の孝武帝の太元十四年六月、寧朔州刺史の賈統が上奏していう:晋寧郡の須池県に、本月辛亥のこの日、両匹の馬有りて河上に出現し、一匹は白色、一匹は黒色にして、水面上に盤旋・嬉戯し、互相追逐し、卯時より巳時まで一直に鬧し、始めて水中に没入して見えず。
龍馬
《尚書中候》曰:“堯勵德匪懈,萬民和欣,龍馬銜甲,赤文綠色,龜背袤廣九尺,五色,頦下有赤文似字。”注云:“龍形象馬,赤熛怒之使,甲所以藏圖,王者有仁德,則龍馬見也。其文赤色而綠地也。”《瑞應圖》曰:“龍馬者,仁馬也,河水之精。高八尺,長頭,身有鱗甲,骼上有翼,旁有垂毛,鳴聲嚘咿,蹈水不沒,有明王則見。”又曰:“王者不儲秣馬,則龍馬、乘黃、澤馬、白馬朱髦並集矣。”
緯書《尚書中候》にいう:唐堯が徳を修むるに勉力して毫も懈怠せず、万民が和洽・歡欣せば、於是龍馬有りて口に甲匣を銜えて出で、甲上は赤色の花紋に緑色の底子を配せり。又有りて神龜は、背甲の長さ・寛さ九尺にして、五色繽斑し、下頦の下に文字の如き紅色の紋路あり。原注が解釈していう:龍の形体は馬に似て、それは南方の赤帝「赤熛怒」の使者である。甲匣は用いて河図を收藏するものである。君王に仁徳あれば、龍馬は出現し、その紋は紅色にして、底子は緑色である。《瑞応図》にいう:龍馬は仁厚の馬にして、黄河水の精気の化する所、高さ八尺、頭は長く、身上に鱗甲あり、肩胛上に翅膀を生じ、両旁に長毛を垂れ、叫べば声は「嚘咿」の如く、水を踏んで行って沈まず、聖明の君王有りて始めて現身す。又いう:君王が良馬の為に精飼料を屯積せず、名馬を以て玩好と為さざれば、龍馬・乗黄・沢馬・白馬朱鬣は便ち一斉に聚り来る。
騰黄 飛兎 腰褭 沢馬 玉馬 駮馬
《瑞應圖》曰:“騰黃者,神馬也,其色黃,王者德被四方,則至。一名吉光,乘之壽三千歲,以馬無死時。”又曰:“飛兔者,馬名也,日行三萬里。禹治水有功,勤勞歷年,救民之害,天眷其德而至。”又曰:“腰褭者,神馬也,與赤兔同應。”應劭注《漢書》云:“腰褭,古駮馬,赤喙玄身,日行一萬五千里。”
《瑞応図》にいう:騰黄は神馬にして、毛色は黄、君王の徳沢が四方を覆えば、それは来たる。それはまた「吉光」と名づき、人がそれに乗れば三千歳を活くべし、この種の馬の本身に死する時なきが故なり。又いう:飛兎もまた馬の名にして、一日に三万里を奔るべし。大禹が水を治めて功有り、年を連ねて労苦し、百姓の水患を解除したれば、上天はその徳行を眷念し、飛兎は便ち来た。又いう:腰褭は神馬にして、赤兎と一同に瑞に応じて至る。東漢の応劭が《漢書》を注していう:腰褭は即ち古代の説く所の駮馬にして、紅嘴・黒身、一日に一万五千里を跑るべし。
又曰:“王者愛人而賤馬,則澤馬來。”又曰:“王者勞,來百姓,則至。”隨巢子曰:“夏后之興,方澤出馬。”《瑞應圖》曰:“王者精明尊賢,則玉馬至。”又曰:“師曠時,玉馬出。”又曰:“世治則西王母獻岱駮馬。”《禮斗威儀》曰:“君乘火而王,其政和平,則南河輸駮馬。”(注曰:駮馬者,黃赤色馬也。)《天鏡》曰:“王者不傷禽獸。則駮馬見。”
《瑞応図》がまたいう:君王が百姓を愛惜して良馬を看重せざれば、沢馬は来たる。又いう:君王が百姓を慰労し招徠すれば、それは来たる。《随巣子》にいう:夏后氏の興起するとき、四方の水沢の裏に神馬が出現した。《瑞応図》にいう:君王が明察にして賢人を尊崇すれば、玉馬は来たる。又いう:晋国の楽師・師曠が世に在りしとき、玉馬は曽て出現した。又いう:世道が太平なれば、西王母は即ち岱山の駮馬を進献す。《礼斗威儀》にいう:君主が火徳を以て王と称し、政事が和平なれば、南河は駮馬を送り来る。原書小注:駮馬は黄の中に赤を帯びた馬である。《天鏡》にいう:君王が禽獣を傷害せざれば、駮馬は現身す。
白馬朱鬣 青馬白鬣
《瑞應圖》曰:“明王在上,則白馬朱鬣至。”又曰:“王者乘服有度,則白馬朱鬣。”又曰:“白馬朱鬣者,任用賢良則出。”《禮記威儀》曰:“周王白馬朱鬣。”《天鏡》曰:“王者資服有制,則青馬白鬣來。”
《瑞応図》にいう:聖明の君王が上に在れば、白身・紅鬣の馬は来たる。又いう:君王の車馬・服御に節度あれば、即ち白馬朱鬣を出現す。又いう:白馬朱鬣という瑞馬は、君王が賢良の士を任用して始めて出現する。《礼記威儀》にいう:周王は曽て白馬朱鬣を獲得した。《天鏡》にいう:君王の財用・服飾に制度あれば、青身・白鬣の馬は来たる。
馬の咎征
馬が牛・狐に化しおよび地中より出づ
京房曰:“馬化為牛,君且無強兵也。”《紀年》曰:“周宣王三十三年,有馬化為狐。”《京房易傳》曰:“馬出地中,國有兵,民散亡。又曰:軍喪,不出三年。”
京房がいう:馬が変化して牛と為るは、この君主まさに強大の軍隊なからんとす。《竹書紀年》に記す:周の宣王三十三年、馬有りて狐狸と変成せり。《京房易傳》にいう:馬が地下より鑽出するは、国家に兵事あり、百姓が离散・逃亡す。又いう、軍隊にまさに喪敗あらんとし、皆三年を出ず。
馬が毛を変ず
京房曰:“馬一夜改毛,易政。”又曰:“馬一夜變毛,名曰易衣,君且小憂,有馬之家家長死。”又曰:“馬一夜變易毛色,南鄉更為北鄉,東鄉更為西鄉,政且有變。”《握鏡》曰:“馬忽易色,君憂。一曰馬忽變易赤色,主有大喪。”
京房がいう:馬が一夜の間に毛色を改換するは、政局の更替を主る。又いう:馬が一夜の間に毛を変ずるは、これを「易衣」と呼び、君主にまさに小さい憂患あらんとし、この匹の馬を養う人家の家長は死せん。又いう:馬が一夜の間に毛色を改変し、朝南の変じて朝北と為り、朝東の変じて朝西と為るは、政事にまさに変動あらんとす。《握鏡》にいう:馬が忽然として毛色を改換するは、君主に憂患あり。一説に馬が忽然として赤色と変ずるは、国家に大喪あるを主る。
馬が悲鳴す 馬が能く言ふ
《潛潭巴》曰:“天子馬行而鳴,天號無聲,故馬應之而鳴。”《天鏡》曰:“馬鳴,踏地不食,必遠行千里,若國君所乘馬,主伐他國;主乘馬夜悲鳴,國有外賊。”京房曰:“馬無故一夜皆鳴,且有大兵來者。”又曰:“馬能言,如其言吉,則吉;言凶,則凶。”《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,馬乃言。”
緯書《春秋潜潭巴》にいう:天子の馬が辺り行走し辺り嘶鳴するは、上天の号令の本身に声なきに因り、故に馬に由りて応和して声を発せしむるなり。《天鏡》にいう:馬が嘶鳴し、地を蹬んで肯んじて草を食わざるは、必ず千里を遠行せん。若し是れ国君の乗ずる所の馬が此の如くなれば、まさに別の国を征伐せんとするを主る。君主の乗騎が夜裏に悲鳴するは、国家に外来の敵寇あり。京房がいう:馬が故なく一夜の間に斉声に嘶鳴するは、まさに大軍の開来あらんとす。又いう:馬が能く口を開きて人の話を説くは、それの説くが若し吉利の話なれば、応験は即ち吉、説くが凶の話なれば、応験は即ち凶なり。《吕氏春秋》にいう:乱国に出現する妖異は、即ち馬が口を開きて説話するのこの一類あり。
馬が宮殿に入る
《潛潭巴》曰:“有馬入宮,大臣不從行不忠,其有聲也,臣名於天下,主令不行,輕見虜。”注云:“馬,地精,陰也。從人,無所不之。今忽入宮,臣欲奪主位,居其宮之祥也。有聲,是日而鳴聲者,欲行主教令也。”
《春秋潜潭巴》にいう:馬有りて宮中に闖入するは、大臣が君命に服従せず、行事が忠ならざるを主る。若しその馬が還りて声を出して嘶鳴せば、あの位の臣子はまさに名を天下に動かし、君主の号令は推行する能わず、軽易に人に俘獲せらるべし。原注が解釈していう:馬は地気の精華にして、陰に属す。それは人に順従し、また到らざる処なし。今忽然として宮中に闖入するは、臣下が君位を奪取し、宮室を占據せんと欲するの先兆である。所謂「有声」とは、当日に鳴叫して声を出すを指し、象徴する所はこの位の臣子が位を越えて号令を発し、君主の教令を代行せんと欲することである。
京房曰:“馬走入君宮,有兵事,大憂。”《異苑》曰:“後趙建武十四年,有妖馬一匹,色青,尾燋燎,自中陽走闕下,是歲,虎死,國亂。”《晉陽秋》曰:“咸康八年,有馬色赤如血,自宣陽門直入殿前,走出不知所之。”《二石偽事》曰:“石混說建武十四年時,忽有斕馬一匹,有四目,繫著殿中,十餘日,突去,不知所在。”
京房がいう:馬が奔跑して君主の宮室に闖入するは、兵事あるあらん、君主に大いなる憂患あり。《異苑》に記す:後趙の建武十四年、一匹の妖馬が出現し、青色にして、尾巴は火に焼け焦げたるが如く、中陽より一直に宮闕の下まで跑った。この年、石虎が死去し、国中大いに乱れたり。《晋陽秋》に記す:東晋の咸康八年、一匹の馬有りて顏色は赤紅にして血の如く、宣陽門より径直に殿前まで闖り、随後に跑り出でて、往く所を知らざりき。《二石偽事》に記す:石混が説くに建武十四年のとき、忽然として一匹の斑斕の馬が出現し、四隻の眼睛を長じ、殿中に拴られ、十数日を過ごし、突然に跑り去りて、去向を知らざりき。
馬に角生ず
《地鏡》曰:“馬忽生角,其君以兵攻國,破亡。”《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,馬乃生角。”京房曰:“下不順政,厥妖馬生角,茲謂賢士不足。”又曰:“天子親伐,馬生角。”《洪範五行傳》曰:“文帝十二年,有馬生角於吳,在耳前,上向,右角長三寸,左角長二寸,皆大二寸。劉向以為,馬不當生角,猶吳主不當舉兵向上也。”
《地鏡》にいう:馬が忽然として角を生出するは、この君主まさに兵を用いて別の国を攻打せんとし、結果は破败・滅亡す。《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異は、即ち馬に角を生ずるのこの一類あり。京房がいう:下に在る人が政令に順従せざれば、その妖異は馬に角を生ずるなり、これを賢士は任用するに足らざると謂う。又いう:天子まさに親ら出征せんとすれば、馬は角を長ずべし。《洪範五行傳》に記す:漢の文帝十二年、呉地に馬有りて角を生出し、角は耳朵の前に生じ、上に向かって竪起し、右角の長さ三寸、左角の長さ二寸にして、皆二寸の粗さあり。劉向が以為するに、馬は本より角を生ずべからず、正に呉王が応に兵を挙げて朝廷に指向すべからざるが如し。
又曰:“咸帝綏和二年二月,大廄馬生角左右耳前,圍長各一寸。是時王莽為大司馬,害上之萌,自此始矣。”《晉紀》曰:“隆安四年,梁州刺史郭詮,送馬生角,桓玄之應也。”《趙書》曰:“前趙臨涇縣,馬生角在耳,長七寸,搖之則動。”
《洪範五行傳》がまた記す:漢の成帝の綏和二年二月、太僕・大廐の馬が左右の両耳の前に角を生出し、囲長は各々一寸(底本の「咸帝」は「成帝」の訛)。当時王莽が正に大司馬を担任し、君上を謀害するの苗头は、この時より開始した。《晋紀》に記す:東晋の隆安四年、梁州刺史の郭詮が一角を長じた馬を送り来たり、これは桓玄の簒乱の応験である。《趙書》に記す:前趙の臨涇県に馬有りて耳朵上に角を生じ、長さ七寸、一たび搖れば即ち晃动した。
牡馬が駒を生む
京房曰:“方伯分威,厥妖牡馬生駒。”《史記》:“秦昭王二十年,牡馬生駒而死,非類妄生而死,猶秦恃力強得天下而還自滅之象也。”《漢書五行志》曰:“哀帝建平二年,定襄牡馬生駒三足,隨群飲食,太守以聞。馬,國之武用;三足,不任用之象。後侍中董賢年二十二為大司馬,居上公之位,天下不宗。哀帝暴崩,成帝母王太后召弟子新都侯王莽入,收賢印綬,賢自殺,莽因代之。”
京房がいう:一方の諸侯の長が君主の威権を分奪せば、その妖異は即ち公馬が駒を産するなり。《史記》に記す:秦の昭王二十年、公馬が馬駒を生下して随即死去せり。同類に非ざるに胡乱に子を産し、産み下せば即ち死するは、正に秦国が武力を倚仗して天下を強取し、最終に反って自ら滅亡を取るの象徴の如し。《漢書・五行志》に記す:漢の哀帝の建平二年、定襄郡に公馬有りて三隻脚の馬駒を生下し、還りて馬群に随って水を飲み草を食むこと能き。太守はこの件の事を朝廷に上報した。馬は国家の武備の用にして、三隻脚は任用に堪えざるの象徴である。後に侍中の董賢は二十二歳にして即ち大司馬を做し、位は上公に居るも、天下の人は却って彼を推重せず。哀帝が突然に去世すると、成帝の母・王太后は甥の新都侯王莽を召して朝に入れ、董賢の印綬を收回し、董賢は自殺し、王莽は於是彼の位置に取代した。
馬が子を生じて形異なり
京房曰:“馬生子,一目,其君弱;馬生子,三目以上,臣制主令;馬生子,二口以上者,其令多亂;馬生子,三鼻以上,民流亡;馬生子,三耳以上,其民人多死者;馬生子,二匹以上,民流亡;馬生子,三足,其邑主且有不祥;馬生子,二陰以上,有兵;馬生子,目在腹下及在旁,其邑有兵;馬生子,目在四支,其邑俘囚;馬生子,目在陰,其邑大弱,主亡;馬生子,目在背,民流亡,不從令;
京房がいう:馬の生下したる駒子が一隻の眼睛のみなるは、この君主が孱弱なり。三隻以上の眼睛なるは、臣下が君主の号令を把持す。両張以上の嘴有るは、君主の政令に多く混乱あり。三箇以上の鼻子なるは、百姓が流散・逃亡す。三隻以上の耳朵なるは、あの処の百姓に死亡多し。一胎に両匹以上を生下するは、百姓が流亡す。三隻の脚のみなるは、この城邑の君主にまさに不祥あらんとす。両箇以上の生殖器有るは、兵事あるあらん。駒子の眼睛が腹下或いは身体の両旁に長ずるは、この城邑に兵事あり。眼睛が四肢上に長ずるは、この城邑の人は俘を為し囚と為るべし。眼睛が生殖器上に長ずるは、この城邑大いに衰弱し、君主は敗亡す。眼睛が背上に長ずるは、百姓が流亡し、号令を聴かざるなり。
馬生子,口在背,邑民大去其君;馬生子,口在腹,邑飢,五穀大貴;馬生子,耳鼻在四支者,兵作;馬生子,耳鼻在腹及背,臣謀叛上,敗績;馬生子,足在首,失邑君;馬生子,足在背,人主有行;馬生子,及在腹,主勞民飢;馬生子,尾在首足,谷不成;馬生子,尾在背,其君搖;馬生子,尾在腹,臣謀反;馬生子,無目,其邑君久疾;馬生子,無口鼻,其邑君無子;馬生子,無耳,主失位;馬生子,無足,主失位。”
馬の生ずる駒子は、嘴が背上に長ずるは、城邑の百姓が大批にその君主を離棄す。嘴が腹部に長ずるは、城邑が飢饉し、五穀の価格が暴漲す。耳朵・鼻子が四肢上に長ずるは、兵事が興起す。耳朵・鼻子が腹部と背上に長ずるは、臣下が君上に背叛するを図謀し、終に敗亡に致す。脚が頭上に長ずるは、この位の邑君を失掉せんとす。脚が背上に長ずるは、君主にまさに出行の事あらんとす。腹上に長ずるは、君主が労苦し百姓が飢餓するを主る。尾巴が頭上或いは脚上に長ずるは、五穀が熟せず。尾巴が背上に長ずるは、この君主が動揺・不安なり。尾巴が腹部に長ずるは、臣下が反叛を図謀す。駒子に眼睛なきは、この城邑の君主が久しく病みて愈えず。嘴と鼻子なきは、この城邑の君主に児子なし。耳朵なきは、君主まさに位を失わんとす。脚なきは、君主も同じく位を失わんとす。
《古今注》曰:“漢哀帝大初四年中,張幼卿有馬生子,一身三頭九口,各有言,民皆書之戶上。”《華陽國志》曰:“蜀李特將亡,馬生駒,一頭二身,著六牙,一牡。”《異苑》曰:“李勢時,有馬生駒,一頭二身六腳,身中有牝牡。”
崔豹《古今注》に記す:漢の哀帝の太初四年間、張幼卿の家に馬有りて駒子を生下し、一箇の身子に三箇の頭九張の嘴、毎張の嘴は皆能く説話し、百姓は皆その話を把って自家の門戸上に写した(以て禳解と為す)。《華陽国志》に記す:成漢の李特がまさに敗亡せんとする快きとき、馬有りて駒を生み、一箇の頭両箇の身子にして、六顆の牙を長じ、一匹の公駒なりき。《異苑》に記す:李勢が位に在りしとき、馬有りて駒を生み、一箇の頭両箇の身子六条の腿にして、同一の身上に雌雄の両性を兼有せり。
馬が人を生む
京房曰:“上無天子,諸侯相伐,民流,百姓勞,厥妖馬生人。馬生人,一身有兩頭以上,邑有反者,兵大作;馬生人,一首三顙以上,邑相撓亂;馬生人,一首兩顙以上,邑有大兵;馬生人,一身而兩首無目,一耳居顙以上,且有兵;馬生人,一身三首以上,三耳以上,無目,一耳居顙上,是謂不祥,天下有兵,民流亡;馬生人,一身兩首九口,鼻居項,天下大飢,民流亡;馬生人,一身兩首以上,無耳無口,二鼻以上,一鼻著項,一鼻著顙,天下有兵喪;
京房がいう:上に天子の統摂なく、諸侯が互相攻伐し、百姓が流散・労苦すれば、その妖異は即ち馬が人形を生下するなり。馬の生ずる人形が一箇の身子にして両箇以上の頭有るは、城邑の中に人有りて反叛し、兵事が大いに起る。一箇の頭にして三箇以上の額頭有るは、城邑の上下が互相扰乱す。一箇の頭両箇の額頭以上なるは、城邑に大いなる兵事あり。一箇の身子両箇の頭にして眼睛なく、一隻の耳朵が額上に長ずるは、まさに兵事あらんとす。一箇の身子三箇の頭以上・三隻の耳朵以上にして眼睛なく、一隻の耳朵が額上に長ずるは、これを不祥と呼び、天下に兵あり、百姓が流亡す。一箇の身子両箇の頭九張の嘴にして、鼻子が頸項上に長ずるは、天下大いに飢え、百姓が流亡す。一箇の身子両箇の頭以上にして、耳朵なく嘴なくして両箇以上の鼻子あり、一箇の鼻子は頸項に貼り、一箇は額頭に貼るは、天下に兵禍・喪乱あり。
馬生人,一身兩首,邑無主;馬生人,一身而兩面以上,其邑大不祥;馬生人,三首以上,邑爭凶;馬生人,一身三耳以上,其邑亂;馬生人,一首兩鼻以上,邑民貧;馬生人,有臂無首足,邑有兵,不勝,凶;馬生人,三臂以上,邑君有惡疾;馬生人,三足以上,其邑勞;馬生人,三腹以上,無足,邑有大喪;馬生人,三陰以上,臣謀其主;
馬の生ずる人形が一箇の身子両箇の頭なるは、城邑が主人を失去す。一箇の身子にして両張以上の臉有るは、この城邑大いに不祥なり。三箇以上の頭有るは、城邑が争奪に因りて凶に致す。一箇の身子にして三隻以上の耳朵有るは、この城邑が動乱す。一箇の頭にして両箇以上の鼻子有るは、城邑の百姓が貧困す。手臂有るも頭と脚なきは、城邑に兵事あり、打ち勝つ能わず、凶を主る。三条以上の手臂有るは、邑君に悪疾を害せん。三隻以上の脚有るは、この城邑が労苦・不安なり。三箇以上の肚腹有りて脚なきは、城邑に大喪あり。三箇以上の生殖器有るは、臣下がその君主を図謀す。
馬生人,首在腋下,主賊殺其臣;馬生人,首在足下,邑君私,社稷亡;馬生人,首在背,民大勞苦;馬生人,首在陰,其君亡地;馬生人,目在腋下,其君喪;馬生人,目在背,邑有大兵,流亡;馬生人,目在腹,若喉顙,人主有亡地;馬生人,目在足下,此謂下視,欲謀其上;馬生人,口在腹,邑有兵,民且飢;馬生人,口在背,邑有大事,民絕食;
馬の生ずる人形は、頭が腋下に長ずるは、君主まさにその臣子を残殺せんとす。頭が脚下に長ずるは、邑君が偏私・不公にして、社稷は因りて滅亡す。頭が背上に長ずるは、百姓が極めて労苦す。頭が下体に長ずるは、この君主まさに土地を喪失せんとす。眼睛が腋下に長ずるは、この君主に喪事あり。眼睛が背上に長ずるは、城邑に大いなる兵事あり、百姓が流亡す。眼睛が腹部に長じ、或いは咽喉・額頭上に長ずるは、君主まさに土地を失掉せんとす。眼睛が脚下に長ずるは、これを「下視」と呼び、下位に在る人がその君上を図謀せんと欲するを主る。嘴が腹部に長ずるは、城邑に兵事あり、百姓まさに飢餓せんとす。嘴が背上に長ずるは、城邑に大事あり、百姓は口粮を断絶す。
馬生人,鼻在腹下,主令不行;馬生人,鼻在足下,民相從哭;馬生人,鼻在腹下,其邑谷不成;馬生人,鼻在背,邑民勞;馬生人,鼻在陰,邑君鬼神不享;馬生人,耳在背,民不相從,邑有兵;馬生人,耳在腹,其邑弱主治不行;馬生人,耳在陰,賢者不上通;馬生人,腹在跨,其邑大飢,君亡地;馬生人,陰在上,其君無子;馬生人,陰在背腹,民飢,臣下大謀其主;馬生人,四支在首及項,其君失位;
馬の生ずる人形の鼻子が腹下に長ずるは、君主の号令が推行する能わざるなり。鼻子が脚下に長ずるは、百姓が相い継ぎて哭泣す。鼻子が腹下に長ずるは、この城邑は五穀が熟せず。鼻子が背上に長ずるは、城邑の百姓が労苦す。鼻子が下体に長ずるは、邑君が祭祀するに鬼神は来りて享用せず。耳朵が背上に長ずるは、百姓が互に服従せず、城邑に兵事あり。耳朵が腹部に長ずるは、この城邑の君は弱く、治理は推行する能わず。耳朵が下体に長ずるは、賢能の士は君主に上達する能わず。肚腹が胯上に長ずるは、この城邑大いに飢え、君主は土地を喪失す。生殖器が上身に長ずるは、この君主に児子なし。生殖器が背上・腹上に長ずるは、百姓が飢餓し、臣下が大いにその君主を図謀す。四肢が頭上と頸項上に長ずるは、この君主まさに位を失わんとす。
馬生人,無首,其君大疾;馬生人,無目,其國失令亡;馬生人,無口,天下大飢;馬生人,無鼻,其邑有喪;馬生人,無耳,其邑有鬼驚人主;馬生人,無手足,其邑不穀;馬生人,無臂,邑有兵,兵敗;馬生人,無腹,邑亡,有兵,民飢;馬生人,人身而畜面者,民飢,主易;馬生人,人面而六畜身者,是不祥,邑有兵;馬生人,人面野獸身者,邑有大客及兵;馬生人,人身而野獸面,天下有亡邑;馬生人,人面鳥身,是謂不祥,邑有兵;馬生人,人身而蟲蛇面者,邑且亡;馬生人,人面而蟲蛇身者,謂邑虛及有兵;馬生人,人身而蛇龍面,其邑有弱主不治;馬生人,人面而龍蛇身者,民流亡。”
馬の生ずる人形に頭なきは、この君主まさに大病を害せんとす。眼睛なきは、この国家は政令が失效し、終に覆亡に至る。嘴なきは、天下大いに飢荒を鬧す。鼻子なきは、この城邑に喪事あり。耳朵なきは、この城邑に鬼怪有りて君主を驚擾す。手脚なきは、この城邑は五穀を収めず。手臂なきは、城邑に兵事あり且つ敗仗を吃す。肚腹なきは、城邑が覆亡し、又兵事あり、百姓が飢餓す。人の身子にして家畜の面孔を長ずるは、百姓が飢餓し、君主が更換す。人の面孔にして六畜の身子を長ずるは、これは不祥の象にして、城邑に兵事あり。人の面孔にして野獣の身子なるは、城邑にまさに大批の外来の人と兵禍あらんとす。人の身子にして野獣の面孔なるは、天下に城邑の淪亡あり。人の面孔にして鳥の身子なるは、これを不祥と呼び、城邑に兵事あり。人の身子にして虫蛇の面孔なるは、城邑まさに覆亡せんとす。人の面孔にして虫蛇の身子なるは、城邑の空虚且つ兵事あるを主る。人の身子にして蛇龍の面孔なるは、この城邑の君主は孱弱にして、国事を治理する能わず。人の面孔にして龍蛇の身子なるは、百姓が流散・逃亡す。
《洪範五行傳》曰:“秦孝公二十一年,有馬生人。占曰:‘畜生非其類,子孫必有非其姓者。’後始皇蓋呂不韋子也。”《史記》曰:“秦孝公有馬生人,劉向以為皆馬禍也。孝公始用商君攻守之法,東侵諸侯,其象將以兵革抗極成功而還自害也。”
《洪範五行傳》に記す:秦の孝公二十一年、馬有りて人を生下せり。占辭にいう:牲畜の産下するは自らの同類に非ざれば、子孫の裏に必ず本姓ならざる人あるあらん。後に秦の始皇は大概呂不韋の児子なり。《史記》に記す:秦の孝公の時に馬の人を生ずる有り、劉向はこれらを皆「馬禍」に属すと認めた。孝公は始めて商鞅の攻守の法を採用し、東に向かって諸侯を侵奪した。この征象の説くは、秦国がまさに兵革の力を以て極に至るまで抗争し、功業を成就し、最後に反って自らその害を取るなり。
馬が六畜を生む
京房曰:“馬生六畜,君有大事。馬生羊,邑安。”又曰:“國無憂,民大安,馬生牛,人安,五穀蕃。馬生六畜,一首兩身,其君且逐;馬生六畜,二口以上,天下有作兵者;馬生六畜,二鼻以上,民大飢;馬生六畜,三耳三目以上,君失社稷亡;馬生六畜,無首,人君失位;馬生六畜,無四支,其君不安;馬生六畜,無目,臣塞君之善,上令不行;馬生六畜,無鼻口,天下有兵;馬生六畜,無耳,天子失忠臣;馬生六畜,無陰者,女主治。”
京房がいう:馬が別の六畜(牛・羊・猪・狗・鶏の類)を生下するは、君主にまさに大事あらんとす。馬が羊を生むは、城邑が安寧す。又いう:国家に憂患なく、百姓が十分に安定せば、即ち馬が牛を生むを出現し、人民の安居し五穀の繁盛するを主る。馬の生ずる六畜が一箇の頭両箇の身子なるは、この君主まさに国を逐出せらるべし。両張以上の嘴有るは、天下に人有りて兵を興し乱を作す。両箇以上の鼻子有るは、百姓が大いに飢荒を鬧す。三隻の耳朵・三隻の眼睛以上有るは、君主が社稷を喪失して敗亡す。頭なきは、君主まさに位を失わんとす。四肢なきは、この君主は安寧を得ず。眼睛なきは、臣下が君主の善政を壅塞し、上の号令が推行せざるを主る。鼻子と嘴なきは、天下に兵事あり。耳朵なきは、天子が忠直の臣を失去す。生殖器なきは、まさに女主に由りて国政を執掌せらるべし。
馬が野獣・飛鳥を生む 馬が魚虫を生む
京房曰:“馬生野獸,有他變,民盡為兵;馬生野獸,天下不通;馬生飛鳥,民不安,有反臣;馬生飛鳥,有他變形者,皆為兵喪。”又曰:“馬生魚,邑主憂。又云:大水至,谷不成。馬生蟲蛇及蜂蚊者,其邑流亡。”
京房がいう:馬が野獣を生下するは、別に別の変故有り、百姓まさに尽く徴発せられて兵と為るべし。馬が野獣を生むは、天下の道路が阻隔して通ぜず。馬が飛鳥を生むは、百姓が安せず、反叛の臣子あり。馬の生ずる飛鳥の形体がまた別に怪変あるは、皆兵禍と喪乱を主る。又いう:馬が魚を生むは、邑君に憂患あり。別の一説は大水まさに至らんとし、五穀が熟せざるをいう。馬が虫蛇および蜂・蚊の類を生出するは、この城邑の人まさに流散・逃亡せんとす。
馬が五穀・金銭・鉄石・土・草木を生む
京房曰:“馬生五穀,歲樂昌;馬生金錢,其邑臣有欲賊主者;馬生石,其邑強;馬生土,其邑增地;馬生草木,其君疾;馬生布帛者,政令且更。”
京房がいう:馬が五穀を生出するは、この一年が歓楽・昌盛す。馬が金銭を生出するは、この城邑の臣子の裏に君主を謀害せんと欲する人あり。馬が石頭を生出するは、この城邑が強盛す。馬が泥土を生出するは、この城邑まさに土地を増広せんとす。馬が草木を生出するは、この君主まさに病を生じんとす。馬が布帛を生出するは、政令まさに更改せんとす。
開元占經 卷一百十九
羊・犬・豕の占
羊の休征
玉羊現る
《瑞應圖》曰:“鐘律調,五音當節,則玉羊見。師曠時。”
《瑞応図》にいう:鐘律が調諧し、宮・商・角・徵・羽の五音が皆節度に合せば、玉羊という祥瑞は即ち出現す。これは晋国の楽師・師曠が世に在りしとき曽て有りし事である。
羊疫 夷羊 羊に両口 羊に六頭 羊に多角
《漢書五行志》曰:“視之不明,是謂不哲,時則有羊禍,多疫死,及為怪。”《國語》曰:“商之亡也,夷羊在牧。”(賈逵注曰:夷羊,神獸也。《貨食傳》曰:羊,揚也。許慎注《淮南子》曰:大羊也。牧,商牧野。)
《漢書・五行志》にいう:君主が事物を看るに明察ならざれば、これを「不哲」と謂い、於是即ち「羊禍」あり、羊が大批に疫を染みて死去し、および種種の怪異を出現す。《国語》にいう:商朝まさに亡びんとするとき、夷羊が牧野に出現した。原書小注に東漢の賈逵を引いていう:夷羊は神獣である。《貨殖傳》を引いていう:羊は即ち「揚」の義である。許慎の《淮南子》を注するを引いていう:夷羊は一種の大羊である。「牧」とは、商朝の牧野を指す。
《天鏡》曰:“羊一頭兩口,其年不熟,民飢亡。”《災異圖》曰:“王侯二千石不祗上命,克暴,百姓吁嗟,則一羊六頭。”《異苑》曰:“石虎建武初,秦州南安虞大柳摩獻六角及四角羊各十。山羌中有三角、五角羊,又旄牛有一角,皆其類也。江陵黃丘村有羊兩頭,一頭下,不能鳴。”
《天鏡》にいう:羊が一箇の頭両張の嘴なるは、この一年に庄稼が熟せず、百姓が飢餓・流亡す。《灾異図》にいう:諸侯王と二千石の郡守が朝廷の号令を敬奉せず、苛刻・残暴にして、百姓が嘆息・怨嗟すれば、即ち一隻の羊に六箇の頭を長ずるを出現す。《異苑》に記す:後趙の石虎の建武初年、秦州南安の人虞大柳摩が六角羊と四角羊を各々十隻進献せり。山中の羌人の彼の処に三隻角・五隻角の羊あり、又只だ一隻角を長じたる旄牛あり、皆同一類の怪異に属す。江陵の黄丘村に一隻の羊有りて両箇の頭を長じ、その中の一箇の頭は下に朝き、鳴叫する能わざりき。
羊に四耳 羊に足なし 羊が犬馬を生む
《河圖》曰:“黑羊四耳,目在腋下,名孽,見即有起王。”《天鏡》曰:“羊無後足,前吉後凶。”又曰:“羊無前足,先憂後悅。”《晉中興徵祥說》曰:“咸和元年,司徒府羊產無後足,其後蘇峻作逆。”《天鏡》曰:“羊生犬,國被外賊。”又曰:“羊生馬,天下將兵起。”
《河図》にいう:黒羊が四隻の耳朵を長じ、眼睛が腋下に生ずるは、この種の怪物の名を「孽」と曰い、それが一たび出現すれば即ち人有りて兵を起し王と称せん。《天鏡》にいう:羊に後脚なきは、先ず吉にして後に凶なるを主る。又いう:羊に前脚なきは、先ず憂愁して後に喜悦するを主る。《晋中興征祥説》に記す:咸和元年、司徒府の羊が後脚なき羊羔を産下せり、その後蘇峻は即ち起兵して叛乱した。《天鏡》にいう:羊が狗を生下するは、国家まさに外敵の侵犯を遭わんとす。又いう:羊が馬を生下するは、天下にまさに兵事の興起あらんとす。
犬の咎征
犬の狂疾
《洪範五行傳》曰:“犬禍者,西方也,以口守言之類也,言氣毀則犬傷疾矣,故曰犬傷禍也。旱歲,犬多狂死,或言氣亂則犬為怪,以期占之。”京房曰:“佞臣在側,則犬妖生,歲多蝗蟲。任佞則群物盡傷,犬妖則軍兵將至。”又曰:“犬能言,吉凶如其言。”又曰:“犬呼其主,主且亡。”《天鏡》曰:“犬作人音聲,世主移。”
《洪範五行傳》にいう:「犬禍」は西方に属し、狗は口を以て守衛するに因り、言語の一類と相応す。君上の言語の気が敗壞すれば、狗は即ち傷を受け病を生ず。故に犬傷の禍と呼ぶ。旱年に逢えば、狗は多半発狂して死す。或いはあるもの説くは言語の気が錯乱すれば、狗は即ち怪異と化す。これに拠りて応験の日期を推占すべし。京房がいう:奸佞の臣が君主の身辺に在れば、即ち犬妖を生出し、この一年に蝗虫多し。佞人を任用すれば、万物は皆損傷を受け、犬妖を出現すれば則ち軍隊の兵禍まさに至らんとす。又いう:狗が能く口を開きて人の話を説くは、吉凶は即ちその説く所に按じて応験す。又いう:狗がその主人を呼喚するは、主人まさに死去せんとす。《天鏡》にいう:狗が人の声音を発するは、当世の君主まさに更換せんとす。
犬が群れて嗥ゆ 犬が自ら子を食ふ 犬が反哺す 犬が子を負ふ 犬が鼠を嚙まず
《淮南子》曰:“夏桀在位,亂四時之政而萬物失所,犬群嗥,起淵。”《運斗樞》曰:“七政亂,主見禁,則天下犬嗥。”《天鏡》曰:“犬嗥街巷中,不出其年,有賊在邑;犬群嗥街巷中,不出其年,外內戒嚴,君臣交兵,從朝廷起;二犬嗥,眾犬和,兵必起;犬群嗥城池,不出三年三月,國內虛空;犬嗥屋上,國有喪;犬嗥門巷中,其邑不寧。”
《淮南子》にいう:夏桀が位に在り、四時の政令を扰乱し、万物は皆安処を失い、群狗は一斉に嗥叫し、妖気は深淵より興起した。緯書《春秋運斗樞》にいう:七政が紊乱し、君主が人に挟制・禁錮せられれば、天下の狗は皆嗥叫し起る。《天鏡》にいう:狗が街巷の中に嗥叫するは、この一年を出ずして、城邑の裏に盗賊を出現せん。群狗が街巷の中に嗥叫するは、この一年を出ずして、内外が戒厳し、君臣が相い動兵し、禍事は朝廷の内部より発起す。両隻の狗が嗥叫し、衆狗が跟随して応和すれば、必定兵事を興起す。群狗が城池に対して嗥叫するは、三年零三箇月を出ずして、国内は空虚・凋敝す。狗が屋頂上に嗥叫するは、国家に喪あり。狗が門巷の中に嗥叫するは、この城邑は安寧を得ざるなり。
京房曰:“犬晨夜嗥堂室上,家且有喪,邑亦然。”《天鏡》曰:“犬群嗥,暮嗥室中,男若女必喜;朝嗥室中,長女死。”《墨子》曰:“三苗大亂,天命傾覆,則犬嗥於市中。”《天鏡》曰:“犬逆吠,其主必遠行,若國君遠征,傷將亦傷兵。”《京房易傳》云:“犬群嗥,國將亡。”
京房がいう:狗が清晨或いは深夜に堂屋に対して嗥叫するは、この家にまさに喪事あらんとし、一城の内も亦同じ。《天鏡》にいう:群狗が嗥叫するに、若し傍晚に屋中に於て叫ばば、家裏の男子或いは女子に必ず喜事あり。若し清晨に屋中に於て叫ばば、長女まさに死せん。《墨子》にいう:三苗が大いに乱れ、天命まさに傾覆せんとするとき、狗は即ち市集の中に嗥叫した。《天鏡》にいう:狗が迎面して倒れて人を吠ゆるは、その主人は必ず遠行せんとす。若し是れ国君の家の狗なれば、則ち国君の遠征し、将領が傷を受け、士卒もまた傷を受くるを主る。《京房易傳》にいう:群狗が一斉に嗥叫するは、国家まさに滅亡せんとす。
《天鏡》曰:“犬自食子,國無盜賊。”又曰:“犬子初生,反哺其母,國有義。”又曰:“犬負其子走,來入城池中,其國不征伐,鄰國歸;犬負其子入巷,民去其鄉。”京房曰:“犬無故皆見鼠不動,邑且有賊臣,公不禁下。”
《天鏡》にいう:母狗が自ら亲生の小狗を吃掉するは、国中に反って盗賊なからん。又いう:小狗が剛に出生して反ってその母を哺養するは、国中に節義の風あり。又いう:狗がその小狗を背負して奔跑し、城池の中に進入するは、この国家は必ずしも兵を用いて征伐せずとも、隣国は自ら来り帰附せん。狗が小狗を背負して里巷に進入するは、百姓が自らの郷土を離れん。《京房》がいう:一群の狗が故なく老鼠を見て皆動かざるは、城邑に人を害する奸臣を出現し、而上に在る公卿は下属を約束する能わざるを主る。
犬が宮門に聚る 犬が水中に浴す 犬が地中より出づ
京氏曰:“犬死,無故當邑門及宮門,聚如尸,皆大凶。”又曰:“犬無故相從浴水中,兵大作。”又曰:“犬自地中出,邑大水,君且貧。”《晉書徵祥說》曰:“興平二年,吳郡府舍地中得犬子二頭,一雄一雌,太守張懋聞齋內床下犬子聲,地自坼,見有二犬,取而養之,皆成。尋而懋為洗克所害。”(注云:《夏鼎志》曰:掘地而得狗,名曰假。《尸子》曰:地中有犬,名地狼也。)
京房がいう:狗が故なく城門口と宮門口に死して、堆聚すること陳尸の如きは、皆大凶なり。又いう:狗が故なく成群して相い随い水裏に到りて洗浴するは、兵事が大いに起る。又いう:狗が地下より鑽出するは、城邑まさに大水を発せんとし、君主まさに窮困に陷入せんとす。《晋書征祥説》に記す:興平二年、呉郡の官署・房舎の地下に両隻の小狗を得、一雄一雌なりき。太守の張懋が書斎の内の床下に小狗の叫声あるを聴き、地面が自行して裂开し、見れば両隻の狗有りて、取り来りて飼養し、皆養い大きくせり。没だ久しからずして張懋は即ち洗克に殺害せられた。原書小注に《夏鼎志》を引いていう:地を挖りて狗を得るは、名を「假」と曰う。《尸子》を引いていう:地下に狗有るは、名を「地狼」と曰う。
又曰:“晉孝武帝大元中,廬江灊縣何旭家忽聞地中有犬子聲,即於聲處掘之,見一狗母,狀甚贏瘦,走入菰中,不知所在。視其處,有犬子二頭,一雄一雌,取而養之,雌死雄活。及長,為犬善噬野獸。其後,地裡中為蠻所沒。安帝隆安中,輔國將軍孫無終家既陽中,地中聞犬子聲,尋穴地有坼,犬子皆白色,一雄一雌,取而養之,皆死。後無終為桓玄所誅。”
《晋書征祥説》がまた記す:晋の孝武帝の太元年間、廬江郡の灊県の何旭の家に忽然として地下に小狗の叫声あるを聴き、即ち声の出る処に就きて挖掘すれば、一隻の母狗を見、その様子は十分に瘦弱にして、茭白の叢裏に跑進して去向を知らざりき。再び原処を看るに、両隻の小狗あり、一雄一雌にして、取り来りて飼養すれば、母は死に、公は活下来り、長大して後に野獣を撲咬するに善き好狗と成れり。後にあの一帯の地方は蛮人に占據せられた。晋の安帝の隆安年間、輔国将軍の孫無終の家が既陽に在り、地下に小狗の叫声あるを聴き、随即地を掘れば、地面は裂开し、小狗は皆白色にして、一雄一雌、取り来りて飼養すれば、皆死せり。後に孫無終は桓玄に殺害せられた。
犬が冠を戴く
京房曰:“君不正,臣欲篡,厥妖狗冠出朝門。”《漢書五行志》曰:“昌邑王賀為王時,見白犬冠方出,冠而無尾,此服妖,示犬禍。龔遂曰:‘天戒在君也。’賀既廢死,不得置後,犬無尾征也。”《續漢書五行志》曰:“熹平中,省內冠狗帶綬,以為娛樂,有一狗突出,走入司徒府門,或見之者,莫不驚怪。靈帝寵用便嬖西園賣官,實狗而冠也。”
京房がいう:君主の行事が正ならざれば、臣下は簒奪せんと欲し、その妖異は即ち帽子を戴いた狗が朝門の裏より走り出づるなり。《漢書・五行志》に記す:昌邑王劉賀が諸侯王を做るとき、一隻の白狗が方帽子を戴いて出るを見、帽子を戴いて尾巴なかりき。これは「服妖」に属し、犬禍を預示す。龔遂がいう:これは上天の君王に対する告誡である。劉賀は後に廃黜せられて死し、後嗣を立つる能わざりき。正にあの隻の狗の尾巴なきの征兆に応ぜり。《續漢書・五行志》に記す:漢の霊帝の熹平年間、宮禁の内に狗に帽子を戴かせ、印綬を繋いで、以て楽しみを取ると為せり。一隻の狗有りて突然に窜出し、司徒府の大門に跑進し、見る人は無きも驚駭・詫異せざらんとするなし。霊帝は近幸の小人を寵信し、西園に於て公開に官を売り、実際に正に「狗にして冠を戴く」の写した照である。
犬に角生ず 犬に両首あり 犬が宮室に入り淫連す 犬と豕と交る
《天鏡》曰:“犬生角,世主增地。”京房曰:“犬生角,必人主失政,小人進用。”《漢書五行志》曰:“文帝后元五年,齊城門外有狗生角,齊悼惠王亡後,帝分齊地,立其庶子七人皆為王,兄弟並強,有亢陽心,故犬禍見。犬,守衛;角,兵家;在前,向上也。犬不當生角,猶諸侯不當舉兵向京師也。”
《天鏡》にいう:狗が角を生出するは、当世の君主まさに土地を増広せんとす。京房がいう:狗に角を生ずるは、必定君主の政事が失当にして、小人が進用せられたるなり。《漢書・五行志》に記す:漢の文帝の後元五年、斉国の城門外に狗有りて角を生出せり。この前に斉の悼惠王は已に死し、文帝は斉地を分割し、その七人の庶子を立てて皆諸侯王を做らしめ、兄弟は同時に強盛にして、驕亢・僭越の心を懐きたれば、故に犬禍は出現す。狗とは、守衛を主る。角とは、兵家の象に属す。角が頭前に生ずるは、上に向かって衝犯するの様子である。狗は本より角を生ずべからず、正に諸侯が応に兵を挙げて京師に指向すべからざるが如し。
《運斗樞》曰:“狗兩首,人行銜刀。”宋均注云:“狗為人吠守,而設兩頭,且主行銜刀兵,是宿衛之臣欲判自作主而妖也。”《地鏡》曰:“犬入室中淫連,君亡之象。”《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,犬彘乃連。”注云:“案《漢書五行志》曰:景帝三年,邯鄲狗與彘交,悖亂之氣,近犬豕禍也。比時趙王遂悖亂,與吳楚謀為逆,遣使匈奴求助,卒伏誅。”京房曰:“人君夫婦不嚴,厥妖狗與豕交,茲謂反德,國有兵革。”
《春秋運斗樞》にいう:狗に両箇の頭を長ずるは、人たちの出行に皆口に刀刃を銜えて防身するを主る。宋均が注解していう:狗は本より人に替わりて吠えて門を守るにして、今却って両箇の頭を生出し、而且主として出行するに刀兵を銜帯するは、これは宿衛の臣が君上に背离し、自ら主を為すを欲するの妖異である。《地鏡》にいう:狗が屋裏に跑進して交尾して相連なるは、君主が敗亡するの征象である。《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異は、即ち狗と猪と交配するのこの一類あり。原注にいう:《漢書・五行志》の記載を査するに、漢の景帝三年、邯鄲に狗と猪と交配する有り、これは悖逆・錯乱の気の生ずる所にして、犬豕の禍に近し。当時趙王劉遂は悖逆・昏乱にして、呉・楚と合謀して反叛し、還りて使者を派して匈奴に援を求め、最終に誅せられた。京房がいう:君主と后妃との間に荘重・自持せざれば、その妖異は即ち狗と猪と交配するなり、これを「反徳」と呼び、国家に兵革の禍あるあらん。
犬が子を生じて形異なり
京氏曰:“犬生子,三耳以上,邑且有亂臣;犬子生,一目,邑有臣事二主者;犬生子,三目以上,邑有大臣謀主;犬生子,有二口,邑有憂;犬生子,鼻一孔,邑有兵;犬生子,有二鼻,邑且有兵;犬生子,三足以上,其邑主有公侯;犬生子,有五足以上,其邑且大卒行;犬生子,有二陰,君多子;犬生子,有二尾以上,邑有徙亡;
京房がいう:狗の生ずる崽子に三隻以上の耳朵有るは、城邑に乱を作す臣子を出現せん。狗崽に只だ一隻の眼睛なるは、城邑の裏に臣子有りて同時に両人の主人に事奉す。狗崽に三隻以上の眼睛有るは、城邑に大臣有りて君主を図謀す。狗崽に両張の嘴有るは、城邑に憂患あり。狗崽の鼻子が一箇の孔のみなるは、城邑に兵事あり。狗崽に両箇の鼻子有るは、城邑にまさに兵事あらんとす。狗崽に三隻以上の脚有るは、この城邑の主人まさに公侯を封ぜられんとす。狗崽に五隻以上の脚有るは、この城邑にまさに大批の士卒の出征あらんとす。狗崽に両箇の生殖器有るは、君主の子嗣の衆多するを主る。狗崽に两条以上の尾巴有るは、城邑に遷徙・流亡の事あり。
犬生子,口在背,邑有反臣;犬生子,口在陰,邑臣強,主命弱,令不行;犬生子,口在四足,臣殺其君;犬生子,口在腹下及腹旁,邑大憂;犬生子,口在腹,民大飢;犬生子,口在四支,其邑君亡;犬生子,有鼻在四支,邑有兵;犬生子,足在腹,邑有徙亡;犬生子,足在背,邑有大咎;犬生子,足在首,邑君且有大仇;犬生子,尾在腹,邑有大臣殺君;犬生子,尾在背四支,邑有三主爭者;犬生子,無尾,邑大臣殺君;犬生子,無目,邑主病;犬生子,無口鼻,民飢;犬生子,無足,谷不成;犬生子,無尾,邑民貧。”
狗の生ずる崽子は、嘴が背上に長ずるは、城邑に反叛の臣子あり。嘴が下体に長ずるは、城邑の臣下が強横にして、君主の命令は軟弱にして、政令は推行し下らざるなり。嘴が四隻の脚上に長ずるは、臣子はその君主を弑殺せんとす。嘴が腹下或いは腹部の両側に長ずるは、城邑に大いなる憂患あり。嘴が腹部に長ずるは、百姓まさに大いなる飢荒を鬧さんとす。嘴が四肢上に長ずるは、この城邑の君主まさに死亡せんとす。鼻子が四肢上に長ずるは、城邑に兵事あり。脚が腹部に長ずるは、城邑の人まさに遷徙・流亡せんとす。脚が背上に長ずるは、城邑に大いなる灾咎あり。脚が頭上に長ずるは、この位の邑君まさに大いなる仇を結ばんとす。尾巴が腹部に長ずるは、城邑に大臣有りて国君を弑殺す。尾巴が背上或いは四肢上に長ずるは、城邑にまさに三箇の主人有りて互相争奪せんとす。狗崽に尾巴なきは、城邑の大臣まさに君を弑せんとす。眼睛なきは、邑君まさに病を生じんとす。嘴と鼻子なきは、百姓が飢餓す。脚なきは、五穀の成熟する能わざるなり。尾巴なきは、城邑の百姓が貧困す。
犬が人を生む
京氏曰:“犬生人,其邑君失位,兵行;犬生子,人形不具,其邑有兵;犬生子,人之形而物各不居其所者,主亡;犬生人之形而六畜身,主亡,大有咎;犬生人之形而飛鳥身,邑大水;犬生人之形而野獸身,此有亡主;犬生人之形而魚身者,邑大水;犬生人之形而鼠形者,其邑虛。”
京房がいう:狗が人形の怪胎を生下するは、この城邑の君主まさに位を失い、還りて兵を用いんとす。狗の生ずる崽子が人形を作すも肢体が全からざるは、この城邑に兵事あり。狗の生ずる崽子が人の形状にして各処の器官が皆応るべき位置上に在らざるは、君主が敗亡す。狗の生ずるは人の形状にして六畜の身子なるは、君主が敗亡し、大いなる灾咎あり。人の形状にして飛鳥の身子なるは、城邑に大水を発す。人の形状にして野獣の身子なるは、国中に君主の亡故する有るを主る。人の形状にして魚の身子なるは、城邑に大水を発す。人の形状にして老鼠の形体なるは、この城邑まさに空虚にして人なからんとす。
犬が六畜を生む 犬が鼠・魚を生む 犬が野獣を生む 犬が飛鳥・蜂・蛇を生む
京氏曰:“犬生六畜,其邑易命,有大事;犬生六畜,一首二身,邑有廢;犬生六畜,兩身,邑且二君流;犬生六畜,兩口以上,邑大臣亂;犬生六畜,三鼻,其邑有亂臣;犬生六畜,有人形者,邑易主;犬生六畜,無首,其邑有大事;犬生六畜,無耳,邑不用事;犬生六畜,無目,其邑兵行;犬生六畜,無口鼻,民流亡,作兵;犬生六畜,無四支,邑不治,有兵;犬生六畜,無陰,主且暴死;犬生豕,歲大熟,民樂。”《天鏡》曰:“狗生豕,吉,不出三年,國安樂。”
京房がいう:狗が別の六畜を生下するは、この城邑まさに天命を改換し、大事の発生せんとす。生下したる六畜が一箇の頭両箇の身子なるは、城邑にまさに廃立の事あらんとす。両箇の身子を生下するは、城邑にまさに両位の君主の出奔・流亡あらんとす。両張以上の嘴有るは、城邑の大臣が乱を作す。三箇の鼻子有るは、この城邑に乱を作す臣子あり。人形を帯びるは、城邑まさに主人を更換せんとす。頭なきは、この城邑に大事あり。耳朵なきは、城邑の政事に主持する人なし。眼睛なきは、この城邑まさに兵を出さんとす。嘴と鼻子なきは、百姓が流散・逃亡し、且つ戦事を興起す。四肢なきは、城邑は治理すること能わざるにして、又兵事あり。生殖器なきは、君主まさに暴死せんとす。狗が猪を生むは、この一年に五穀大いに熟し、百姓は安楽す。《天鏡》にいう:狗が猪を生むは吉兆にして、三年を出ずして、国家は安寧・快楽す。
京氏曰:“犬生子為鼠,歲虛,民流亡;犬生子為魚,邑有大水。”《地鏡》曰:“犬生野獸,大夫有外謀,不出三年,君且亡國。”京氏曰:“犬生野獸,邑有大咎;犬生野獸人形者,邑有大兵。”京房曰:“犬生飛鳥,雖有人形及不具,皆為大兵及大水;犬生子為蜂,天下更令;犬生子為蜂蛇,其邑民人流。”
京房がいう:狗の生下したる崽子が老鼠なるは、年成が空虚にして、百姓が流亡す。生下したる崽子が魚なるは、城邑に大水あり。《地鏡》にいう:狗が野獣を生下するは、大夫の中に人有りて外に於て勾結して図謀し、三年を出ずして、君主まさに国を亡ぼさんとす。京房がいう:狗が野獣を生むは、城邑に大いなる灾咎あり。狗の生ずる野獣が人形を帯びるは、城邑に大いなる兵事あり。京房がまたいう:狗が飛鳥を生むは、人形を帯びると否と、肢体の斉全なると否とを論ぜず、皆大いなる兵事と大水とを主る。狗の生下したる崽子が蜂なるは、天下まさに政令を更改せんとす。狗の生ずる崽子が蜂なり、蛇なりせば、この城邑の百姓まさに流散せんとす。
犬が宮室・道路に矢溺す 犬が金石・雑物を矢る
京氏曰:“犬矢宮室中殿堂上,三日以上,邑空虛;犬矢王門中,其主有喜;犬矢王門外,邑主有憂;犬矢邑社,不及大神,五日以上,邑亡;犬皆群溺於邑門外及內,兵作,人家亦然;犬無故大道矢而行,邑大凶;群犬無故皆矢大道中,兵行;犬矢人民床蓆上,其殃大;犬矢井中,家虛,邑亦然;犬無故溺人,其人不出三歲,亡。”
京房がいう:狗が宮室の殿堂上に屎を拉し、連続して三日以上なるは、城邑まさに空虚せんとす。狗が王宮の門内に屎を拉するは、この家の主人に喜事あり。王宮の門外に屎を拉するは、城邑の主に憂患あり。狗が城邑の社壇上に屎を拉し、穢気は尚未大神に触れず、連続して五日以上なるは、城邑まさに覆亡せんとす。群狗が皆城門外或いは城門内に尿を撒くは、兵事が興起し、尋常の人家の門前も此の如きは亦同じ。狗が故なく辺り行走し辺り大路上に屎を拉するは、城邑大凶なり。群狗が故なく皆大路の中間に屎を拉するは、まさに軍隊の出動あらんとす。狗が人の床席上に屎を拉するは、この家の灾殃は甚だ大なり。狗が井裏に屎を拉するは、この家が敗落・空虚し、一城も亦是の如し。狗が故なく人に向かって尿を撒くは、この人は三年を出ずしてまさに死せんとす。
又曰:“犬矢石,其邑臣強君弱;犬矢金鐵,邑兵大作;犬矢土,邑愈墜;(墜地也)犬矢五穀,邑昌,歲成;犬矢布帛,邑有暴政;犬矢草木,邑人有喪。”
京房がまたいう:狗が石頭を拉出するは、この城邑は臣強く君弱し。金鉄を拉出するは、城邑の兵事が大いに起る。泥土を拉出するは、この城邑の土地は日に益々増広せん(原書小注:「墜」は即ち「地」の義)。五穀を拉出するは、城邑が昌盛し、年成が豊収す。布帛を拉出するは、城邑に暴虐の政令あり。草木を拉出するは、城邑の中の人にまさに喪事あらんとす。
豕の咎征
豕が能く言ふ 豕が自ら子を食ふ 豕が自ら尾を食ふ
京氏曰:“豕能言,吉凶如其言。豕晝同時俱鳴,此謂哭主,歲不成。”又曰:“豕自食其子,家破。”又曰:“豕反自食其尾,家富,歲且凶。”
京房がいう:猪が能く口を開きて人の話を説くは、吉凶は即ちその説く所に照らして応験す。白日に群猪が同一の時刻に一斉に嚎叫するは、これを「哭主」と呼び、この一年に庄稼の熟せざるを主る。又いう:母猪が自ら亲生の猪崽を吃掉するは、この家まさに破败せんとす。又いう:猪が反って自らの尾巴を啃食するは、この家は富起来るも、年成はまさに凶荒あらんとす。
豕が屋に登り宮に入る
京氏曰:“豕之屋上,其邑得賢士;豕入君室中,其社稷邑君且亡。”《漢書五行志》曰:“昭帝元鳳元年,燕王宮永巷中豕出圈,壞都灶,銜鬴六七枚置殿前。劉向以為,灶者,生養之本,豕陳鬴於庭,灶將不用,宮室廢矣。燕王不改,卒伏誅。”《地鏡》曰:“野豬入宮室中,其軍將圍,小人失宅。”京氏曰:“豕無故入君室屋,且有女憂,為亂。”又曰:“赤彘見於國,不出三年,必有大禍,野人為政。”
京房がいう:猪が屋頂上に跑上るは、この城邑まさに賢士を獲得せんとす。猪が君主の居室に闖入するは、此の処の社稷と邑君と皆まさに敗亡せんとす。《漢書・五行志》に記す:漢の昭帝の元鳳元年、燕王の宮中の永巷裏の猪が圏欄を衝出し、公用の大灶を毀壞し、還りて六七口の鍋を銜えて殿前に放到せり。劉向が以為するに、灶は生養の本にして、猪が鍋を庭中に陳列するは、灶まさに用いられざり、宮室まさに廃棄せんとするの預兆である。燕王は悔改するを肯ぜず、最終に誅せられた。《地鏡》にいう:野猪が宮室の中に闖入するは、軍隊まさに囲困せられ、小民は居所を失わんとするを主る。京房がいう:猪が故なく君主の屋室に闖入するは、まさに女子に由りて起る憂患有りて、禍乱を醸成せんとす。又いう:紅色の猪が国中に出現するは、三年を出ずして、必定に大禍有りて、まさに草野の人に由りて政権を執掌せらるべし。
豕が子を生じて形異なり
《災異圖》曰:“王侯、刺史、二千石令長不祗上命,則豕一頭兩身六腳。”《古今注》曰:“哀帝大初三年,長安彘生兩頭三目,一目在項中。”京氏曰:“豕生子,有角,其邑有福祿;豕生子,有二口以上,其邑且安;豕生子,鼻一穴,郡有九侯;豕生子,三足,其歲不熟;豕生子,五足以上,其邑有大咎,兵;豕生子,一陰,其邑分,無後;豕生子,目在四支,其邑兵行,得地;豕生子,目在腹下及旁,邑有大咎;
《灾異図》にいう:諸侯王・州刺史・二千石の郡守と県令長が朝廷の号令を敬奉せざれば、即ち一箇の頭両箇の身子六条の腿の猪を出現す。崔豹《古今注》に記す:漢の哀帝の太初三年、長安に母猪有りて両箇の頭三隻の眼睛の小猪を生下し、その中の一隻の眼睛は頸項の中間に長ぜり。京房がいう:猪の生ずる崽子に角を長ずるは、この城邑に福禄あり。崽子に両張以上の嘴有るは、この城邑まさに安寧を得んとす。崽子の鼻子が一箇の孔のみなるは、本郡まさに九人の侯を封ぜられる人を出さんとす。崽子に只だ三隻の脚なるは、この一年に庄稼が熟せず。崽子に五隻以上の脚有るは、この城邑に大いなる灾咎と兵禍あり。崽子に只だ一箇の生殖器なるは、この城邑まさに分裂し、君主に後嗣なからんとす。崽子の眼睛が四肢上に長ずるは、この城邑まさに兵を出さんとし、且つ土地を得るべし。眼睛が腹下或いは身体の両旁に長ずるは、城邑に大いなる灾咎あり。
豕生子,口在背,邑主弱,群臣奪,王令不行;豕生子,口在腹,其邑飢;豕生子,口在四肢,民飢,兵作,邑亡;豕生子,口在陰,邑有大謀;豕生子,耳鼻在腹及背,臣謀其主;豕生子,耳鼻在四肢及在首上,兵作邑中;豕生子,足在首上,亡社稷;豕生子,足在其腹,邑有大事;豕生子,足在背,其民勞於兵;豕生子,尾在腹及首,邑有大事;豕生子,無口,其邑亂;豕生子,無目,其邑臣奪主令;豕生子,無尾,其邑兵弱;豕生子,無尾有羽,邑亡。”
猪の生ずる崽子は、嘴が背上に長ずるは、城邑の主は孱弱にして、群臣が権を奪い、王命は推行する能わざるなり。嘴が腹部に長ずるは、この城邑に飢荒を鬧す。嘴が四肢上に長ずるは、百姓が飢餓し、兵事が興起し、城邑は因りて覆亡す。嘴が下体に長ずるは、城邑の中に大いなる陰謀あり。耳朵・鼻子が腹部と背上に長ずるは、臣下がその君主を図謀す。耳朵・鼻子が四肢上或いは頭頂上に長ずるは、城邑の中に兵事を興起す。脚が頭頂上に長ずるは、社稷まさに滅亡せんとす。脚が腹部に長ずるは、城邑に大事あり。脚が背上に長ずるは、あの処の百姓は兵役に苦しまるべし。尾巴が腹部或いは頭上に長ずるは、城邑にまさに大事の発生あらんとす。猪崽に嘴なきは、この城邑が動乱す。眼睛なきは、この城邑の臣下が君主の号令を奪取す。尾巴なきは、この城邑の兵力が衰弱す。尾巴なきにして羽毛を生ずるは、城邑が覆亡す。
豕が人を生む
京氏曰:“豕生人之形,即純行,聖人且行兵;不純行,其邑失社稷;豕生人而有六畜形者,此邑亂亡;豕生人形而有飛鳥者,其邑大水;豕生人形而有野獸形者,其邑兵;豕生人形,如物各有不居其位,邑失地。”
京房がいう:猪が人の形状を生下するに、若し形体が純一・完整なれば、聖人まさに兵を出さんとするを主る。若し形体が駁雑・不純なれば、この城邑まさに社稷を喪失せんとす。猪の生ずる人形にして兼ねて六畜の形体を帯ぶるは、この城邑が動乱・敗亡す。人形にして兼ねて飛鳥の形体を帯ぶるは、この城邑に大水を発す。人形にして兼ねて野獣の形体を帯ぶるは、この城邑に兵事あり。猪の生ずる人形が各処の器官皆応るべき位置上に在らざるは、城邑まさに土地を喪失せんとす。
豕が六畜を生む
京氏曰:“豕生六畜,其邑易主。”《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,有豕生狗。”《天鏡》曰:“豕生狗,不出三年,國王走於野中死。”京氏曰:“豕生犬,其君走,謀於野中;豕犬形不具,邑有兵,諸兵數起;豕生六畜,有人形,邑且更令;豕生六畜,一首二身,邑分;
京房がいう:猪が別の六畜を生下するは、この城邑まさに主人を更換せんとす。《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異に、猪の狗を生ずるのこの一類あり。《天鏡》にいう:猪が狗を生むは、三年を出ずして、国王まさに出奔して荒野の中に死せんとす。京房がいう:猪が狗を生むは、この君主まさに出奔し、草野の中に於て国を復するを謀劃せんとす。猪の生ずる狗の形体が不完全なるは、城邑に兵事あり、各方の兵禍が屢屢興起す。猪の生ずる六畜が人形を帯びるは、城邑まさに政令を更改せんとす。生ずる六畜が一箇の頭両箇の身子なるは、城邑が分裂す。
豕生六畜,二鼻以上,邑有兵行;豕生六畜,二口以上,其邑亡地,臣亂;豕生六畜,三鼻三目以上,其邑大恐;豕生六畜,無首,其邑不安;豕生六畜,無目,邑令不行;豕生六畜,無耳,其邑君且不聽政;豕生六畜,無口鼻,其邑民流亡;豕生六畜,無陰,其邑無嗣子;豕生六畜,無四肢,其君不治。”
猪の生ずる六畜に両箇以上の鼻子有るは、城邑まさに兵を出さんとす。両張以上の嘴有るは、この城邑まさに土地を喪失し、臣下が乱を作さんとす。三箇の鼻子・三隻の眼睛以上有るは、この城邑大いに恐慌す。頭なきは、この城邑は安寧を得ざるなり。眼睛なきは、城邑の政令が行われず。耳朵なきは、この城邑の君主はもはや政事を聴理せざらん。嘴と鼻子なきは、この城邑の百姓が流散・逃亡す。生殖器なきは、この城邑の君主に継嗣の児子なし。四肢なきは、この位の君主は国家を治理する能わざるなり。
豕が野獣・虫・魚・飛鳥・蜂・蛇を生む
《運斗樞》曰:“人主以不孝仁之名侵犯大道,則豕生鹿。”(大道者,君政也。)京氏曰:“豕生野獸,其邑民飢,有兵;豕生飛鳥,其邑水;豕生魚,其邑大水災;豕生蟲蠅,其邑流亡。”
《春秋運斗樞》にいう:君主が不孝・不仁の名声を背負して治国の大道を侵犯すれば、即ち猪が鹿を生むを出現す。原書小注:所謂「大道」とは、君主の政教を指す。京房がいう:猪が野獣を生下するは、この城邑の百姓が飢餓し、並びに兵事あり。猪が飛鳥を生むは、この城邑に水灾あり。猪が魚を生むは、この城邑に大いなる水灾あり。猪が虫と蝿とを生出するは、この城邑の人まさに流散・逃亡せんとす。
豕が金石・草木を矢る
京氏曰:“豕矢金鐵,邑兵大作;豕矢土,邑增土;豕矢石,邑大兵強,勝四方也;豕矢五穀,歲成熟;豕矢草木,其邑有喪。”
京房がいう:猪が金鉄を拉出するは、城邑の兵事が大いに起る。猪が泥土を拉出するは、城邑が土地を増広す。猪が石頭を拉出するは、城邑の兵力が強盛にして、四方に戦勝する能わし。猪が五穀を拉出するは、この一年に五穀が成熟す。猪が草木を拉出するは、この城邑に喪事あり。
開元占經 卷一百二十
龍・魚・虫・蛇の占
龍・龜・魚・虫の瑞
龍
《瑞應圖》曰:“王者承天命,而天道四通,而悉達無益之術藏,而世無浮言,言吉則河出龍圖。”《援神契》曰:“天子孝,則大龍負圖也。”《禮記》曰:“聖王用水火金木必時,頒爵位必當,年得無水旱之災,妖孽之疾,則龍在宮沼。”《天鏡》曰:“凡龍春見,無殃咎。”
《瑞応図》にいう:君王が天命を承受し、天道が四方に向かって暢通し、事事が通達し、益なき方術は皆收藏して用いず、世上に虚浮の談なく、言語の出る所は皆吉道に合せば、黄河に即ち龍図を出現す。緯書《孝経援神契》にいう:天子が孝順なれば、即ち大龍有りて図書を背負して出現す。《礼記》にいう:聖王が水・火・金・木を取用するに必ず時令に依り、爵位を頒授するに必ずその人を得、暦年に水旱の灾・妖孽の疾なければ、龍は即ち宮中の池沼の裏に出現す。《天鏡》にいう:凡そ龍が春天に出現するは、灾殃・咎害を主らざるなり。
《瑞應圖》曰:“青龍,水之精也,乘雲而上下,不處淵泉。王者有仁,則出。”又曰:“君子在位,不有斥退,則見。”《禮稽命徵》曰:“王者得禮之制,則山澤谷之中有赤龍。”《瑞應圖》曰:“黃龍者,五龍之長也。不混池魚,德及淵泉,則黃龍應和氣而遊池沼。”蔡氏《月令章句》曰:“智聽政事,則黃龍見。”《瑞應圖》曰:“王者精察賢德,則白龍見。”
《瑞応図》にいう:青龍は水の精気の化する所にして、雲に乗りて上下・往来し、常には深淵の中に居らず。君王に仁徳あれば、それは出現す。又いう:君子が位に在りて排斥・貶退を遭わざれば、青龍は現身す。《礼稽命征》にいう:君王が礼制の正道を得れば、山沢・谿谷の中に即ち赤龍の出現あり。《瑞応図》にいう:黄龍は青・赤・黄・白・黒の五色の龍の首領にして、君王が池裏の魚を攪擾せず、恩徳を深淵に施及せば、黄龍は和気に応じて池沼の間に游ぐ。東漢の蔡邕《月令章句》にいう:君主が明智に政事を聴理すれば、黄龍は即ち出現す。《瑞応図》にいう:君王が精心に賢者の徳行を明察すれば、白龍は即ち出現す。
《河圖》曰:“黃龍負鱗甲成字,以授黃帝。帝令侍臣寫之,以示天下。”注:“《魏文帝雜事》曰:黃帝錄圖,五龍舞河,此應聖賢之符也。”《尚書中候》曰:“河出龍圖,赤文像字,以授軒轅。”《元命包》曰:“唐帝遊河渚,赤龍負圖以出,圖赤色,如錦床,赤玉為匣,白玉為檢,黃珠為泥,玄玉為鑑,章曰:天皇大帝,合神制署,天上帝孫,伊堯龍潤,涓圖在唐典。右尉舜等百二十臣,發視之,藏之大麓。”
《河図》にいう:黄龍が文字を排成したる鱗甲を背負して、それを黄帝に授けた。黄帝は侍臣に命じて抄録せしめ、天下に公示した。原注に《魏文帝雑事》を引いていう:黄帝が河図を録写するとき、五条の龍が黄河の上に飛舞し、これは聖賢に応合するの符瑞である。《尚書中候》にいう:黄河に龍図を出現し、紅色の花紋は文字の如く、軒轅黄帝に授けた。緯書《春秋元命包》にいう:唐堯が巡游して黄河の沙洲に至るに、赤龍が図書を背負して水面に浮出した。図は紅色にして、一張の錦床の如く、赤玉を以て匣を做し、白玉を以て封検を做し、黄珠を以て封泥を做し、玄玉を以て鏡鑑を做せり。その上の文辭に寫するは:天皇大帝が衆神を會合して官署を制定し、天上帝の子孫、堯は龍沢の潤育を受け、選定せる所の図書は唐の典册の中に載す。右尉・舜等一百二十位の臣子が開きて看過し、随後にそれを大麓の中に收藏した。
《運斗樞》曰:“舜為天子,東巡至寽中月,臨觀,(注云:臨河觀望月或為丹字也)五采負圖,出置舜前。圖黃,為匣如櫃,長三尺,廣八寸,厚一寸四分,而連有石,白玉為檢,黃金為匣,黃芝為泥,封兩端,章曰:天皇帝符璽。五字廣長各三寸,深四分,鳥文。舜與三公、大司空禹等三十人發視,玄色而綈狀,可卷舒,長四十二尺,廣九尺,中有七十二帝地形之制,天文分度之差。”(注云:黃帝含樞紐之使也,故龍匣皆黃,四合者有道相入也。有戶,言可開闔也。)
《春秋運斗樞》にいう:舜が天子を做し、東巡して寽中に至り、某月に河に臨みて觀望し(原書小注:「臨河觀望」の「月」字は或いは當に「丹」字と作るべし)、五彩の物有りて図書を背負して浮出し、舜の面前に放ち置かれた。図は黄色にして、櫃子の如き匣の裏に装い、長さ三尺、寛さ八寸、厚さ一寸四分、并びて一塊の石頭を連ね、白玉を以て封検を做し、黄金を以て匣を做し、黄芝を以て封泥を做し、両端を封じ、その上の文辭は「天皇帝符璽」なり。この五箇の字の長さ・寛さは各々三寸、刻みの深さ四分、用いる所は鳥形の篆文なり。舜と三公・大司空の禹等三十人が開きて看るに、図は黒色にして、質地は細繒の如く、巻き起し展開する可く、長さ四十二尺、寛さ九尺、裏面に七十二位の帝王の地形の規制と天文の分度の差数とを記せり。原書小注にいう:黄龍は中央の帝「含樞紐」の使者なれば、図を盛る龍匣は皆黄色を用いる。「四合」とは、四面に通道有りて彼此相通ずるを説く。「有戸」とは、匣子が開合する可きを説く。
《尚書中候》云:“舜沉璧,黃龍負卷舒圖,出水壇畔,赤文綠字也。”《大戴禮》曰:“顓頊端拱以有謀,疏通以知事,養財以任地,履時以象天,依鬼神以制義,治氣以教民,潔誠以祭祀,乘龍而至四海,動靜之物,大小之神,日月所照,莫不祗屬。”又曰:“帝嚳妙日月而送迎之,明鬼神而教事之,春夏乘龍,秋冬乘馬。”
《尚書中候》にいう:舜が玉璧を水の中に沈めて祭告せば、黄龍が巻舒する可き図書を背負して、水中より出でて祭壇の旁に在り、図上は紅色の花紋・緑色の文字なり。《大戴礼記》にいう:顓頊は端然として拱手し胸中に謀略有り、事理を通達して政事を洞悉し、財物を蓄養して以て地の利を尽くし、時令を遵循して以て上天に取法し、鬼神に依託して以て義法を制定し、気化を調理して以て百姓を教導し、潔浄・誠敬にして以て祭祀を挙行した。彼は龍に乗りて巡行して四海まで至り、凡そ動くも静なるも万物、大小の神霊、只だ日月の照る所に在れば、恭敬して帰附せざるなし。又いう:帝嚳は能く精妙に日月の出没を推算して之に迎送を加え、鬼神を明察して恭敬に事奉し、春夏は龍に乗りて出行し、秋冬は馬に乗りて出行した。
《括地圖》曰:“禹平天下,二龍降之,禹御龍行域,既周而還。”注:“《神虛記》曰:禹乘二龍,郭裡而為御。”《尚書中候》曰:“周公攝命七年,歸政成王,沉璧於河,榮光幕河,青雲浮至,青龍御玄甲,臨壇吐圖而去。”注云:“周公攝政,歸美成王,制禮作樂,天下治和,榮光五色,從河水出,幕覆其上,浮雲從榮光中來。青龍者,蒼帝靈威仰之使也;玄甲,所以裡圖也。”
《括地図》にいう:大禹が天下を平定するに、两条の龍が降臨し、禹は龍に駕して四方を巡行し、走り遍くして後に帰來せり。原注に《神虚記》を引いていう:禹は両条の龍に乗り、郭里に由りて彼の為に駕車せしめた。《尚書中候》にいう:周公が王命を摂行して七年の後、政権を成王に交還し、黄河に璧を沈めて祭告せば、五色の榮光が帷幕の如く河面に籠罩し、青雲が浮湧して來り、青龍が玄色の甲匣を駕して、祭壇の前に來りて図書を吐出し、然る後に去った。原注が解釈していう:周公が攝政して、美名を成王に歸し、礼を制し楽を作して、天下は太平・和洽した。五色の榮光は河水の中より昇起し、帷幕の如く水面上に覆えり。浮雲は榮光の中より生出す。青龍は、東方の蒼帝「霊威仰」の使者である。玄甲は、用いて図書を包裹するものである。
蛟
《山海經》曰:“禱過之山,虎蛟,魚身蛇尾,音鴛鴦。”注云:“似蛇四腳,龍之屬也。”《說文》曰;“魚滿千頭,蛟來為之長,率魚而飛,置苛韭水,即蛟去。”《淮南子》曰:“蛟龍寢於淵,而卵乳於陵。”注云:“許慎曰:蛟鱉屬乳,謂卵自乳者也。”《文子》曰:“王有道德者,天與之,地助之,鬼神輔之,則蛟龍宿其沼。”注云:“《山海經》言:蛟龍,蛇而四腳,小頭細頸,頸有白嬰,大者十數圍也。”
《山海經》にいう:禱過の山に一種の「虎蛟」有りて、魚の身子に蛇の尾巴、叫声は鴛鴦に似たり。原注にいう:それは形は蛇に似て四隻の脚有り、龍の一類に属す。《説文》にいう:魚が一千条に聚満せば、蛟は即ち来りてそれらの首領を為し、群魚を率領して騰躍す。水中に苛草と韭菜とを放上すれば、蛟は即ち離去す。《淮南子》にいう:蛟龍は深淵の中に睡るも、高地に到りて卵を産み孵化す。原注に許慎を引いていう:蛟は鱉の如く卵を産み孵化す、これはそれが卵に由りて自ら孵出するを説く。《文子》にいう:君王に道徳有れば、上天は彼に給与し、大地は彼を輔助し、鬼神は彼を扶持し、蛟龍は即ち彼の池沼の裏に棲宿す。原注に《山海經》を引いていう:蛟龍の形状は蛇に似て四隻の脚有り、小頭・細頸にして、頸上に一圈の白紋有り、大なるは十几囲の粗さ有り。
玉龜 龜が図を負ふ 玄龜が書を負ふ
《瑞應圖》曰:“玉龜者,為聖國出,師曠時至,以錄讖書。”《禮稽命徵》曰:“制禮作樂,改損祭器,有鬼神之助,則龜負圖。”又曰:“刑殺當其罪,賞錫其功,立事得禮之宜,則龜負象戴。”《白虎通》曰:“德至淵泉,洛出龜書。”《禮含文嘉》曰:“伏羲德洽上下,故地應以龜書,伏羲乃象以作卦。”《尚書中候》曰:“黃帝東巡至洛,龜書咸赤文綠字,以授軒轅。”注云:“虛龜負書所出,黃帝咸則也。”
《瑞応図》にいう:玉龜は聖明の国家の為に出現するなり、師曠が世に在りしとき曽て来至し、用いて讖書を記録す。《礼稽命征》にいう:君主が礼を制し楽を作し、祭器の規格を減省し、鬼神の幇助を得れば、即ち神龜有りて図書を背負して出現す。又いう:刑罰・誅殺が皆罪行と相當し、賞賜が皆その功労に酬答し、事務を興辦するに礼の分寸に合せば、即ち神龜有りて図象を負載して出現す。《白虎通》にいう:徳沢を深淵に施及せば、洛水に即ち龜書を出現す。《礼含文嘉》にいう:伏羲の徳行が天上・地下に沾溉したれば、故に大地は龜書を以て彼に回応し、伏羲は便ちその図象に取法して八卦を画き出せり。《尚書中候》にいう:黄帝が東巡して洛水に至るに、龜書の上は皆紅色の花紋・緑色の文字にして、軒轅黄帝に授けた。原注にいう:これは霊龜が書を負りて水より出づるの処にして、黄帝は一概に之を取りて法と為せり。
《尚書中候》曰:“唐帝沉璧於洛水,龜負書出,背甲赤文成字,止壇也。”又曰:“湯沉璧於河,黑龜出,赤文題。”又曰:“周公沉璧,玄龜青純。”注云:“何休解:純,綠也,謂綠純千歲龜也,含光刻背甲書,止洛於壇,赤文似字,周公視,周王乃視,龜留不去。周公援筆以世文而寫之,書成,文消,龜去。”《宋書符瑞志》曰:“玄龜洛書者,天符也。王者德至淵泉,則出。”
《尚書中候》にいう:唐堯が玉璧を洛水に沈めば、神龜が書を負りて浮出し、背甲の上に紅色の花紋が文字を排成し、祭壇上に停まれる。又いう:商湯が玉璧を黄河に沈めば、黒龜が浮出し、甲上に紅色の花紋の題写したる字あり。又いう:周公が璧を沈めば、玄龜を出現し、邊縁は青色を呈せり。原注に何休の解釋を引く:「純」は即ち緑色にして、邊縁の緑を泛んだる千年の老龜を説く。それは口に光華を含み、背甲の上に文書を刻み、洛水の祭壇上に停まり、紅色の花紋の形は文字の如し。周公が先に看て、周王が随後に再び看るも、龜は停留して去るを肯ぜず。周公は筆を提起し、当世の通行する字体を以てそれを抄録せり。抄み終わる後、甲上の文字は随即消失し、龜もまた離去せり。《宋書・符瑞志》にいう:玄龜の負う所の洛書は、上天の符命にして、君王の徳沢を深淵に施及せば、それは出現す。
虚龜五色 龜が宮沼に在る
《瑞應圖》曰:“虛龜者,玄文五色,神虛之精也。上隆法天,下平象地,能見存亡,明於吉凶,不偏不黨,唯義是從,其惟龜乎,書龜從此謂也。虛者,德之精也;龜者,久也,能明於久遠事。王者不偏不黨,尊耆老,不失舊故,則神龜出。”
《瑞応図》にいう:霊龜の身上は黒色の花紋・五彩の色にして、乃ち神霊・虚明の気の精華である。それは背甲が上に隆れて、天に取法し、腹甲が下に平らかにして、地を象徴す。能く存亡を預見し、吉凶を明察し、偏私せず、結党せず、唯だ義に是の從う——能く此の如くなるは大概龜のみあらん。占卜の書の謂う所の「書龜」、説く所は正にこれである。「虚」とは、徳の精微なり。「龜」は即ち「久」の義にして、能く久遠の事情を明察す。君王が偏私せず、結党せず、年高の長者を尊敬し、故旧を遺棄せざれば、神龜は出現す。
又曰:“虛龜似鱉而長,合五行之精,三百歲遊於藕葉之上,千歲遊於蒲上,進一尺二寸。王者奉順后土承天,則見。”《宋書符瑞志》曰:“王者德澤湛清,畋獵順時,則出。五色鮮明,龜三百歲遊於蓮葉上,三千歲常遊於卷耳之上。禹卑宮室,虛龜見。”《春秋禮演圖》曰:“文命將興,龜穴蓮。”《禮記》曰:“聖王用民必順,頌爵當時,無水旱之災,妖孽之疫,則龜在宮池。”
《瑞応図》がまたいう:霊龜の形状は鱉に似て身子は較長にして、五行の精気を聚合し、三百歳に活くれば能く藕葉の上面に游ぎ、一千歳に活くれば菖蒲の上面に游ぎ、身の長さは一尺二寸に増す。君王が后土を恭奉し、上天に承順すれば、それは現身す。《宋書・符瑞志》にいう:君王の徳沢が澄澈・清明にして、田猟が時令に依れば、それは出現す。それは五色鮮明にして、三百歳の龜は蓮葉の上に游ぎ、三千歳の龜は常に卷耳の上に游ぐ。大禹が簡陋の宮室に住まえば、霊龜は便ち出現した。《春秋礼演図》にいう:文命(大禹の名)まさに興起せんとするに、龜は蓮の下に穴を做せり。《礼記》にいう:聖王が百姓を役使するに必ず農時に順応し、爵位を頒授するに時宜に切合し、水旱の灾・妖孽の疫なければ、龜は即ち宮中の池裏に出現す。
毛龜 四眼・六眼・八眼の龜
《宋書符瑞志》曰:“宋文帝三獲白龜,孝武帝獲毛龜,明帝獲四眼龜、六眼龜、八眼龜,前書不載,當時並以為嘉祥,今附於龜瑞之末,並戴(戴當作載)其形,以示將來也。”
《宋書・符瑞志》にいう:宋の文帝は三度白龜を獲得し、孝武帝は毛龜を獲得し、明帝は四眼龜・六眼龜・八眼龜を獲得せり。これらは前代の史書には皆著録せざるも、当時に於て皆美好の祥瑞と為され、今それらを龜類の祥瑞の末尾に附し、且つその形状を併せて記録して、用いて後人に昭示す。(原書夾注:「戴」字は當に「載」と作るべし、即ち記載の義。)
比目魚 黄魚が躍出す 白魚が舟に入る 神魚が河に舞ふ
《瑞應》曰:“王者明照出遠,則比目魚見。”注云:“《爾雅》曰:狀如牛脾,細鮮,紫色,兩片相合,乃行。”《尚書中候》曰:“湯沉璧於洛水,黃魚雙躍,出濟千潭,玄鳥隨魚出,示止,化為玄玉。赤勒日,玄精太乙,受神命伐,天下服。”注云:“黃,土色,明土歸湯;玄鳥,葉光紀之使;天乙,湯名。天命之伐桀也。”
《瑞応図》にいう:君王の明察が能く遠方に照及せば、比目魚は即ち出現す。原注に《爾雅》を引いていう:それは形状は牛の脾臓の如く、鱗は細かく色は鮮やかにして、紫色を呈し、两片が合せて始めて游動する能わし。《尚書中候》にいう:商湯が玉璧を洛水に沈めば、两条の黄魚が一斉に躍出し、千潭を越えて來り、玄鳥が魚に随って躍出し、停止するを示意し、随即黒玉と化成せり。上に紅色を以て刻して説く:玄精・太乙は神明の命を承受して前往して討伐し、天下は帰服せり。原注が解釋していう:黄は土の色にして、土徳の湯に歸するを表明す。玄鳥は北方の黒帝「葉光紀」の使者である。天乙は湯の名である。これは上天が彼に命じて夏桀を討伐せしむるなり。
《尚書中候》曰:“周武王渡於孟津,中流,白魚躍入於王舟,王俯取魚,魚長三尺,赤文,有字題目下頰右,曰:姬發遵昌,王燔以告。天有火自天,流為赤烏。”注云:“孟津,南河津名也;右助,天告以伐紂之意;姬,周姓,遵循也;昌,文王名,言武王之業也。宋均注《元命包》曰:燔魚祭天,煙火光化為赤烏。烏,日中陽物,有光明而能照也。”《漢書》曰:“宣帝詔云:朕飭躬齊精,所為百姓,未濟大河,天氣清淨,神魚舞河,朕之德懼不能任。”
《尚書中候》にいう:周の武王が孟津を渡るに、船が河中に行き至れば、白魚が武王の船裏に跳入せり。武王は身を俯せて魚を拿起すれば、魚の長さ三尺、紅色の花紋を帯び、眼睛の下の右頰上に字を題せり。寫する所は「姬發遵昌」なり。武王は魚を焚焼して以て上天に祭告せば、天上に火が降下し、流轉して赤烏と化成せり。原注が解釋していう:孟津は南河の渡口の名である。所謂「右助」とは、上天がこれを借りて紂を伐つの意を告知するなり。「姬」は周朝の姓、「遵」は遵循、「昌」は周の文王の名にして、武王が文王の功業を継承するを説く。宋均が《春秋元命包》を注していう:魚を焚きて天を祭れば、煙火の光が赤烏と化成す。烏は太陽の中の陽性の物にして、光明有りて能く普照す。《漢書》に記す:漢の宣帝が詔を下していう:朕は自身を整飭し、齋戒・精誠にして、為す所の事は皆百姓の為である。尚未大河を渡らざるに、天気は清朗・潔浄にして、神魚が河中に舞躍す、朕の徳行は只だ担当する能わざるを恐る。
赤蛇 大螾 大螻
《禮稽命徵》曰:“王者得禮之制,則澤谷必有赤蛇。”《東觀漢記》云:“安帝生,赤蛇盤於妝席之間。”《呂氏春秋》曰:“黃帝時,天見大螾,黃帝曰:土氣勝。故其色尚黃,其事則王。”注曰:“螾,蚯蚓也。”《帝王世紀》曰:“黃帝得螾如虹。”應劭云:“神螾,大五六圍,長十餘丈也。”《呂氏春秋》曰:“黃帝時,天見大螻,黃帝曰:土氣勝。故其色尚黃,其事則王。”
《礼稽命征》にいう:君王が礼制の正道を得れば、水沢・山谷の中に必ず赤蛇を出現す。《東觀漢記》にいう:漢の安帝が出生するとき、赤蛇有りて梳妝の蓆子の間に盤繞せり。《吕氏春秋》にいう:黄帝のとき、上天が巨大の蚯蚓を顕現せば、黄帝がいう:これは土気が上風を占むるなり。故に彼は黄色を崇尚し、行事は土徳に取法して王と称せり。原注にいう:「螾」は即ち蚯蚓である。《帝王世紀》にいう:黄帝は一条の虹の如き大なる蚯蚓を獲得せり。応劭がいう:神蚯蚓は五六囲の粗さ、十几丈の長さあり。《吕氏春秋》がまたいう:黄帝のとき、上天が巨大の螻蛄を顕現せば、黄帝がいう:これは土気が上風を占むるなり。故に彼は黄色を崇尚し、行事は土徳に取法して王と称せり。
野蚕が蛹を成す
《後漢書》曰:“光武建武元年六月己未,即皇帝位,大赦天下,野蠶生,麻尤盛,野蠶成蛹,被于山阜,民獲其利非一。”《吳志》曰:“孫權黃龍三年,夏有野蠶蛹,大如卵,由卷野稻自生,改為禾興縣。”
《後漢書》に記す:光武帝の建武元年六月己未、皇帝の位に登り、天下を大赦せり。この一年に野蚕が自生し、麻は格外に茂盛に長じ、野蚕が蚕蛹を結成し、山岡に遍布し、百姓が中より得る所の好処は一端に止まらざりき。《呉志》に記す:孫權の黄龍三年、夏に野蚕の蛹を出現し、大きさは鳥蛋の如し。由卷県の野生の稲が自行して生長したれば、因りて由卷を改名して禾興県と為せり。
龍・龜・魚・虫の怪
雲なきに龍出づ 黄龍墜つ 龍に五色あり
《天鏡》曰:“大兵將至,大水為害,則無雲龍出。”《春秋合誠圖》曰:“黃帝將亡,則黃龍墜。”《握鏡》曰:“君失木行,則春青龍見,國被兵,其鄉散亡,青狼、豕亦然;失火行,則夏赤;失金則秋白失;失水則冬黑;失土則四季黃。皆如上占。”又曰:“蒼龍見,國有凶;黃龍見,國有喪;白龍見,有兵;黑龍見,有憂凶。”
《天鏡》にいう:大軍まさに到来し、大水まさに灾を成さんとすれば、即ち龍有りて雲なき天気の裏に出現す。《春秋合誠図》にいう:土徳を以て王と称する黄帝まさに敗亡せんとすれば、黄龍は即ち墜落す。《握鏡》にいう:君主が木行の徳に違失せば、春天に即ち青龍の出現有りて、国家が兵禍を遭受し、あの一方の百姓は离散・逃亡し、青色の狼・青色の猪を出現するも亦同じ。火行に違失せば、夏天に赤色の出現あり。金行に違失せば、秋天に白色の出現あり。水行に違失せば、冬天に黒色の出現あり。土行に違失せば、四季の末に黄色の出現あり。皆上の説法に照らして占断す。又いう:蒼龍が出現するは、国家に凶事あり。黄龍が出現するは、国家に喪事あり。白龍が出現するは、まさに兵事あらんとす。黒龍が出現するは、憂患・凶険あり。
龍が邑の社・廷・廟に見ゆ
京房曰:“山見龍,過於邑,邑遷;赤龍見於國,不出三年,必有大禍,野人為政。”《天鏡》曰:“龍見於社稷,必有大戰流血;龍從宮中出,讒人聚,其國亡。”《地鏡》曰:“龍下朝廷,人君不順四時,行出不時,龍以冬出當道,或斗邑中,或乳國中,或見上腹下背,有大戰,主憂。”(春夏秋出,不占。)
京房がいう:山上に龍が出現し、城邑を経過するは、この城邑まさに遷移せんとす。紅色の龍が国中に出現するは、三年を出ずして、必定に大禍有りて、まさに草野の人に由りて政権を執掌せらるべし。《天鏡》にいう:龍が社稷壇上に出現するは、必定に大戦・流血あり。龍が宮中より出ずるは、讒を進む小人が聚集し、この国家まさに滅亡せんとす。《地鏡》にいう:龍が朝廷上に降落するは、君主が四時に順応せず、挙動が時宜に合わざるに因る。龍が冬天に出現して路上に擋さるか、或いは城邑の中に争鬥し、或いは国中に子を産み、或いは現身するに腹を上に背を下にするは、皆大戦有りて君主に憂あるを主る。原書小注:龍が春・夏・秋に出現するは、占断を作さざるなり。
《墨子》曰:“昔三苗大亂,天命殛之,龍生於太廟。”《異苑》曰:“會稽有獨姥,常織蘆布為業,以義熙初,曬綪於庭,忽疾風雷雨山陰,縣東魏家堂屋上有一蒼龍,長數丈,須臾而散成綪,從風飄亂。姥先以大甕著階下,有頃,天雨蘆綪滿甕,視之,悉是蘆綪。爾日,郭中有曝曬者,莫不失之,後有盧龍之難,尋自散走,咸謂是其應矣。”
《墨子》にいう:従前三苗が大いに乱れ、上天が人に命じて彼らを誅滅せしめば、於是龍有りて太廟の裏に生じた。《異苑》に記す:會稽に一位の孤身の老婦有りて、素より蘆布を織るを以て業と為せり。義熙の初年、彼女は庭中に紅く染めたる布を曬晾す。忽然として狂風が大作し、雷雨が驟降し、山陰県の東面の魏家の堂屋の頂上に一条の蒼龍を出現し、長さは数丈、片刻の間に散開して紅布と化し、風に随いて飄散・零乱せり。老婦は元来一つの大甕を階級の下に放ち置き、一會兒を過ごし、天上より蘆布が落下して甕を装満し、一見すれば、全是蘆布なりき。あの日、城郭の中に凡そ外に於て物を曬晾するは、丢失せざるなかりき。後に「盧龍の難」(即ち義熙年間の盧循の乱)を発生し、あれらの物も久しからずして亦自行して散失し、人たちは皆これが正にその応験であると説いた。
龍が井中に見ゆ
《潛潭巴》曰:“龍從井中出,下為猾,謀慮大兵,不本而出。”注云:“龍從井出,聖人在下位,今而見勢稍大,欲猾亂時主祥也。”京房曰:“井出龍若馬,君不守宗廟。”又曰:“有德遭害,厥妖龍見井中。”又曰:“君行暴惡,黑龍從井中出。”《漢書五行志》曰:“惠帝二年正月癸酉旦,有兩龍見於蘭陵廷東里溫陵井中,至乙亥夜去。劉向以為,龍貴象而困於庶人井中,象諸侯將有幽執之禍。其後呂太后幽殺趙王,諸呂亦終誅滅。”
《春秋潜潭巴》にいう:龍が井裏より出づるは、下位に在る人が狡黠に乱を作し、大いなる兵事を図謀し、正道に循わずして頭を出すを主る。原注が解釋していう:龍が井中より出づるは、聖人の下位に処るを象徴す。今形跡を顕露し、声勢が漸々壮大するは、当世の君主を扰乱せんと欲するの先兆である。京房がいう:井裏に龍或いは馬を出現するは、君主は宗廟を守る能わざるなり。又いう:徳有る人が迫害を遭えば、その妖異は即ち龍が井中に出現するなり。又いう:君主の行事が暴虐・凶惡なれば、黒龍は即ち井裏より出づ。《漢書・五行志》に記す:漢の惠帝二年正月癸酉の清晨、両条の龍有りて蘭陵県衙の東里温陵の井中に出現し、乙亥の日夜に至りて始めて離去せり。劉向が以為するに、龍は尊貴の象徴にして、却って平民の井裏に困せられ、諸侯にまさに幽禁・拘執の禍患あらんとするを象徴す。後に呂太后が趙王を幽禁して殺害し、呂氏の一族は最終に亦誅滅を遭えり。
《魏志》曰:“高貴鄉公正元元年冬十月戊戌,黃龍見於鄴井中。甘露元年正月辛丑,青龍見軹縣井中。二年二月,青龍見溫縣井中。三年,黃龍仍見頓丘冠軍陽夏縣界井中。四年正月,黃龍二見寧陵縣界井中。”注:“《漢晉春秋》曰:是非龍,人乃咸以為吉祥。帝曰:‘龍者,君德也,上不在天,下不在地,掩而數居於井,非嘉兆也。’乃作《潛龍詩》以自諷焉。司馬文王見而惡之,五年五月己丑,高貴鄉公卒。時年二十。”
《魏志》に記す:高貴鄉公曹髦の正元元年冬十月戊戌、黄龍が鄴城の井中に出現せり。甘露元年正月辛丑、青龍が軹県の井中に出現せり。二年二月、青龍が温県の井中に出現せり。三年、黄龍がまた頓丘・冠軍・陽夏の幾県の境内の井中に出現せり。四年正月、两条の黄龍が寧陵県の境内の井中に出現せり。原注に《漢晋春秋》を引いていう:これらは本より真の龍に非ざるも、人たちは却って皆吉祥と為せり。高貴鄉公がいう:龍は君主の徳行を象徴し、今それは上には天に飛騰する能わず、下には田野に顕現する能わず、反って屢屢井底に屈居す、これは好き兆頭に非ず。於是《潜龍詩》を作りて以て自ら諷喻せり。司馬昭がこの詩を見て十分に厭惡し、五年五月己丑、高貴鄉公は殺害せられ、年僅かに二十歳なりき。
又曰:“帝見威權日去,不勝其忿,遂帥僮僕數百,摻鼓而出。文王弟十七騎校尉伸入,遇帝於東門,左右訶之,伸眾奔走。中護賈充入逆帝,戰南闕下,帝自用劍,眾欲退,太子舍人成濟前刺帝,刃出於背。陳留王景元元年十二月甲申,黃龍見華縣井中。三年二月,青龍見軹井。咸熙二年十一月壬戌,詔群公卿士,奉皇帝璽綬策,禪位於晉嗣王。”
《漢晋春秋》がまたいう:高貴鄉公は威権が一日一日と旁落するを眼看し、憤懣を忍ぶ能わず、即ち僮僕数百人を率領し、鼓を擂きて宮を衝出せり。司馬昭の弟・屯騎校尉の司馬伷が宮に進み、東門に於て皇帝に碰上し、皇帝の左右が彼を呵斥すれば、司馬伷の部衆は四散・奔逃せり(底本は「十七騎校尉伸」と作る)。中護軍の賈充が宮に入りて迎撃し、南闕の下に交戦し、皇帝は親ら劍を持ち、衆人はまさに退却せんとするに、太子舍人の成濟が上前して皇帝を刺殺し、刀刃は背後より穿出せり。陳留王の景元元年十二月甲申、黄龍が華県の井中に出現せり。三年二月、青龍が軹県の井中に出現せり。咸熙二年十一月壬戌、詔を下して群公卿士に皇帝の璽綬と策書とを捧げ、晋の嗣王に禅位せしめた。
《晉陽秋》曰:“太原五年,龍見武庫井中。帝觀,有喜色,百官將賀,劉毅以為不祥。孫楚上事曰:‘頃聞武庫井中有二龍,群官或謂之禎祥而稱賀,或有謂之非祥無所賀,可謂楚既失之,而齊亦未為得也。而龍守鱗翼,潛於重淵,或仰攀雲漢,遊於蒼昊。而今蟠於坎井,同雄於蛙蝦,豈獨管庫之士,或有隱伏期役之賢,沒於行伍,故龍見光景,有所感悟耶?’”
《晋陽秋》に記す:太康五年、龍有りて武庫の井中に出現せり。晋の武帝は親ら往きて看るに、面に喜色有り、百官はまさに道賀せんとするも、劉毅は却って祥瑞に非ずと認めた。孫楚が書を上していう:近頃聞くに武庫の井中に両条の龍あり、群臣或いは之を禎祥と為して称賀し、或いは祥瑞に非ず・称賀すべからざると説く。これを説けば楚の国は固然失当にして、斉の国も亦未だ必ずしも得当ならず、両説は皆周全ならず。龍は本よりその鱗甲・羽翼を珍守し、重淵の下に深潜し、或いは雲漢に攀上し、蒼天に於て遨游すべし。今却って浅井の中に蟠曲し、蛙・蝦と同じく処りて雄を称す。豈に只だ倉庫を掌管する低微の士の裏に於てのみ、或いは還りて隠伏して遇わず、労役に困せられる賢才が行伍の間に埋没し、故に龍が此般の光景を現出して、人をして感悟有らしめるか。
《異苑》曰:“謝晦家室各宅,南路上有古井,以元嘉二年,汲者忽見二龍,甚分明,行道住觀者莫不嗟異。有人入井看,乃是磚,隱起龍形,泉從邊出,澆灌殊駛。後晦等皆伏法,《淮南》所謂井見而貴臣拘者也。”
《異苑》に記す:謝晦の一家は各々宅第有りて、南面の路上に一口の古井あり。元嘉二年、水を打つ人が忽然として两条の龍を見、形象は十分に清晰にして、路過して停まりて觀看する人は無きも驚嘆・称奇せざらんとするなし。人有りて井中に下りて察看すれば、元来は磚上に隱々として凸起したる龍形にして、泉水は旁より湧出し、灌注すること特別に湍急なりき。後に謝晦等の人は皆法に伏して殺せられ、これは即ち《淮南子》の説く所の「井中に龍を見て貴臣が拘囚せらる」である。
龍が人を逐ふ
《洪範五行傳》曰:“秦文公大獵,有龍出逐文公,公射得之。龍逐人,非所當也;射而得之,非所當射得也;射為射妖,龍為龍孽,皆瞀亂之君所致也。龍者,天之象,陽之表,超乎眾也;射,兵革之禍也。龍傷獲,為擒滅之患,是國且有兵,將擒獲也。文公感悟,改行自新,因居汧之陰,子孫繁昌。”
《洪範五行傳》に記す:秦の文公が大規模に田猟するに、龍有りて出でて文公を追逐し、文公は一箭を射て中ててそれを擒獲せり。龍が人を追逐するは、それの応に為すべきの事に非ず。龍を射て竟に射得する能うも、亦人の応に射獲すべきの物に非ず。射は、「射妖」に属す。龍は、「龍孽」に属す。皆昏瞶・錯乱の君主の招致する所である。龍は上天の象徴・陽気の表征にして、超然として衆物の上に出づ。射は、則ち兵革の禍の象徴である。龍が射傷せられ擒獲せらるるは、擒せられ滅せらるるの禍患有るを主り、この国家にまさに兵事あり、人有りて生擒せらるべきを説く。秦の文公は感悟有りて、行事を改易し、心を洗い自ら新にし、於是汧水の南岸に居住せり。子孫は繁衍・昌盛した。
龍の斗ふ 龍の死す
《考異郵》曰:“龍鬥則主將易。”宋均曰:“龍,君象;斗則將爭也。”《潛潭巴》曰:“日月食之,則蛟龍群鬥。”京房曰:“龍鬥邑中,曆數日不止,人主且分比兵為憂。”《漢書五行志》曰:“《左傳》昭公十九年,龍鬥於鄭時門之外洧淵。劉向以為近龍孽也,鄭小國,攝乎晉楚之間,重以強吳,鄭當其衝,不純修德,將斗三國,以自危亡。是時子產任政,內惠於民,外善辭令,以交三國,鄭卒亡患。此純以德消變之效也。”(按《春秋經》即鄭定公也)
《春秋考異郵》にいう:龍の相い斗えば、将帥まさに更換せんとするを主る。宋均が解釋していう:龍は君主の象徴にして、相い斗えば即ちまさに争奪あらんとするを意謂す。《春秋潜潭巴》にいう:日食・月食を発生すれば、蛟龍は即ち成群して相い斗う。京房がいう:龍が城邑の中に相い斗い、一連の幾日も停止せざるは、君主まさに分兵・比兵の事に因りて憂慮せんとす。《漢書・五行志》に記す:《左傳》の昭公十九年、龍が鄭国の時門外の洧淵の中に相い斗えり。劉向はこれを「龍孽」に近しと以為す。鄭は小国にして、晋・楚の間に夾処し、加上強大の呉国、鄭国は正に要衝に當る。若し専一に徳を修めざれば、即ち三箇の大国と相い争い、自ら危亡を取る。当時子産が政を執り、内には民に惠を施し、外には辞令を善用して三国と結交し、鄭国は終に禍患を免れた。これは純に徳行を用いて灾変を消解するの功效である。原書夾注:《春秋》の経文に按ずれば、此処の指す所は鄭の定公である。
《續漢書五行志》曰:“桓帝延熹元年,河內野王山有死龍,長可數十丈,襄楷以為龍者帝王瑞。天鳳中,黃山宮有死龍,漢兵誅王莽,此易代之徵,後魏代漢。”
《續漢書・五行志》に記す:漢の桓帝の延熹元年、河內郡の野王県の山中に死龍を出現し、長さ約数十丈なりき。襄楷は龍を以て帝王の祥瑞と為す:当年王莽の天鳳年間、黄山宮に死龍有りて、随後に漢軍は即ち王莽を誅滅せり。死龍は改朝・換代の征兆にして、後に曹魏は果して漢朝に取代した。
霊龜が執せらる 龜に文なし 井を穿ちて龜を得
《合誠圖》曰:“玄帝將亡,則靈龜執。”《堯錄書》曰:“玄帝之將終也,水不流下,則龜無文。”《世語》曰:“晉長沙王從封長沙至國,穿井入地四丈,得大石,其中有靈龜,而長二尺餘,長沙王誅之象也。”
《春秋合誠図》にいう:水徳を以て王と称する玄帝まさに敗亡せんとすれば、霊龜は即ち人に捕獲・拘執せられん。《堯録書》にいう:玄帝まさに終結せんとするとき、水はもはや下に向かって流れず、龜の背上にも亦花紋なからん。《世語》に記す:西晋の長沙王が長沙に受封し、封国に到達し、井を挖きて地下四丈に到るに、一塊の大石頭を得、石の中に霊龜有りて、長さ二尺余。これは長沙王まさに誅殺せらるるの征象である。
《車頻奏書》曰:“苻堅建元十三年,高陸縣民穿井得龜,其大三尺六寸,背文負八卦古字。堅藏之太卜,因而養之。十六年而堅死,今取其骨,稽問吉凶,名曰客龜。太卜佐齊魯,夢客龜言:我歸江南,不過,死於秦魯。自解曰:龜三萬六千歲而終之,必有災國之徵。”
《車頻奏書》に記す:前秦の苻堅の建元十三年、高陸県の百姓が井を挖きて一隻の龜を得、大きさ三尺六寸、背上の花紋は八卦形の古字を排成せり。苻堅は太卜に交して收藏せしめ、即ち官署の裏に養い起した。養い到ること第十六年にあの隻の龜は死し、於是其の甲骨を取りて以て吉凶を占問し、「客龜」と称せり。太卜の属官の齊魯が夢に客龍が説くを見るに:我は江南に回帰せんと欲するも、過去する能わず、只だ秦の国の魯某の此の処に死する能うのみ。齊魯は自ら解釋していう:龜は本より三万六千歳まで活くべくして終るに、今非命にして死するは、必定国家にまさに灾禍の発生あらんとするの征兆である。
巨魚見ゆ 丹魚見ゆ
京房曰:“海數見巨魚,邪人進,賢者疏。”《漢書五行志》曰:“靈帝熹平二年,東萊海出大魚二,長八九丈,高二丈餘。明年,中山王暢、任城王博並薨。”《異苑》曰:“勃勃虜都長安端門外,甕水有聲,視水如沸,有丹魚長三尺,有赤光,國尋滅。”
京房がいう:海上に屢屢巨魚を出現するは、邪佞の人が進用を得、賢能の人が疏遠せらるるを主る。《漢書・五行志》に記す:漢の霊帝の熹平二年、東萊郡の海中に両条の大魚を出現し、長さ八九丈、高さ両丈余。第二年、中山王劉暢・任城王劉博が相い継ぎて去世せり。《異苑》に記す:赫連勃勃が長安に都を建すに、端門外の甕の中の水が响声を発し、看れば沸騰するが如く、水裏に一条の三尺長の紅魚あり、赤光を閃しき。没だ久しからずして彼の国家は即ち滅亡した。
河魚が逆上しおよび人を生む 魚が偃行す
京房曰:“眾逆同志,厥妖河魚逆上。”《洪範五行傳》曰:“秦始皇八年,河魚逆水上,劉向以為魚孽。魚,陰類,民象也;逆水上,民將不從君令,為逆行也。”《京房易候》曰:“下無臣,大人不實,則魚生人。”《運斗樞》曰:“天下將亂,則魚偃,無足行。”宋均曰:“魚潛伏,今見且偃行,是弱而降,自恣無所畏也。”
京房がいう:衆人が叛逆して心志が相同なるは、その妖異は即ち河裏の魚が逆流して上るなり。《洪範五行傳》に記す:秦の始皇八年、黄河の裏の魚が水に逆いて上りせり。劉向はこれを「魚孽」と認めた。魚は陰類に属し、百姓の象徴である。水に逆いて上るは、百姓まさに君主の号令に服従せず、悖逆の事を做出せんとするを説く。《京房易候》にいう:下に職に称る臣子なく、上位に居る人が誠実ならざれば、即ち魚の人を生ずるを出現す。《春秋運斗樞》にいう:天下まさに大いに乱れんとすれば、魚は即ち仰卧し、脚なきも能く爬行す。宋均が解釋していう:魚は本より水底に潜伏すべし、今現身して且つ仰面に爬行するは、これは柔弱の物が反って其上に居り、放縱・恣肆にして畏懼する所なきなり。
魚の飛ぶ 魚が屋上に見ゆ
京氏曰:“魚飛者,治國無禮義,則魚飛。水有淵奧,即魚居焉;國無禮義,民去焉;故魚飛,不救,有虛邑。其救也,安民治業,定禮興樂。”又曰:“魚入師中,司馬將戰勝;魚飛集於司馬鼓上,司馬當之。”《地鏡》曰:“魚飛入路中,兵作。”又曰:“魚飛去水,國有暴兵。”
京房がいう:所謂魚飛とは、国を治むるに礼義を講ぜざれば、魚は即ち飛起せん。水中に深邃の処有りて、魚は始めてその間に栖居す。国家に礼義なければ、百姓は即ちそれを離れて去る。故に魚飛を出現して挽救せざるを加えざれば、即ち城邑の空虚あるあらん。挽救の办法は、百姓を安定し、生業を整治し、礼制を制定し、楽教を振興するなり。又いう:魚が軍隊の中に跳进するは、司馬まさに勝仗を打たんとするを主る。魚が飛落して司馬の戦鼓の上に在るは、凶咎は則ち司馬本人の身上に応ずべし。《地鏡》にいう:魚が飛落して路の中間に在るは、兵事が興起す。又いう:魚が水を離れて飛起するは、国家に突発の兵禍あり。
《漢書五行傳》曰:“聽之不聰,是謂不謀,君嚴寒氣動,故有魚孽;魚去水而飛,極陰之孽也。”《京房易傳》曰:“青魚去水,飛入道,兵將起。”《握鏡》曰:“魚忽出屋上,死道中,皆有兵奔敗。”《魏志》曰:“齊王正始中,有二魚長尺,集於武庫之屋,有司以為吉祥。王肅曰:‘魚生於淵,而居於屋,介鱗之物,失其所也。邊將其殆有棄甲之變。’而後,果有東闕之敗。”
《漢書・五行傳》にいう:事を聴くに聡敏ならざれば、これを「不謀」と謂い、君主の厳酷の寒気が発動すれば、故に「魚孽」あり。魚が水を離れて飛起するは、陰気が極点に達して生ずるの妖孽である。《京房易傳》にいう:青魚が水を離れ、飛落して道路上に在るは、兵事まさに起らんとす。《握鏡》にいう:魚が忽然として屋頂上に出現し、或いは路の中間に死すは、皆軍隊の奔潰・敗亡あるを主る。《魏志》に記す:魏の斉王の正始年間、両条の一尺長の魚有りて武庫の屋頂上に落ち、主管の官員は之を以て吉祥と為せり。王肅がいう:魚は深淵に生ず、今却って屋上に居る、この種の甲を披り鱗を帯びる物が応に処すべきの所在を離れたり、邊境の将領は恐らくまさに兜鍪を丢き甲を棄てるの変故あらんとす。後に果して「東闕の敗」(即ち東關の役の失利)を発生せり。
五色蛇 蛇に翼・足あり
《淮南萬畢術》曰:“君失春政,則倉蛇見於邑,即歲多禍;君失夏政,則赤蛇見;君失秋政,則白蛇見;君失冬政,則黑蛇見。”京房曰:“玄蛇冬出,則君凶。”《河圖》曰:“蛇四足四翼,各群立見,則兵作。”《合誠圖》曰:“白帝將亡,則蛇有足,伏如人。”《京氏易傳》曰:“青蛇見足,軍中將罷。”
《淮南萬畢術》にいう:君主が春季の政令に違失せば、青色の蛇は即ち城邑に出現し、この一年に禍患多し。夏季の政令に違失せば、紅蛇が出現す。秋季の政令に違失せば、白蛇が出現す。冬季の政令に違失せば、黒蛇が出現す。京房がいう:黒蛇が冬天に出るは、君主に凶あるを主る。《河図》にいう:蛇に四隻の脚・四隻の翅膀を長じ、成群して顕現すれば、兵事まさに興起せんとす。《春秋合誠図》にいう:金徳を以て王と称する白帝まさに敗亡せんとすれば、蛇は即ち脚を生出し、趴伏すること人の如くならん。《京氏易傳》にいう:青蛇が脚を現出するは、軍中の将領まさに罷免せらるべし。
蛇が都邑・宮廟に入る
《禮記威儀》曰:“賤人為君,則蛇入都。”《潛潭巴》曰:“朝有大蛇,親屬無道,將何為?”宋均注曰:“蛇。陰物而性蠶燕,今而在朝,是親屬或欲為無道;何為,言不成也。”《呂氏春秋》曰:“妖孽生,國有遊蛇,蛇一西一東。”《漢書五行志》曰:“皇之不極,是謂失德,則有蛇孽。”《災異圖》曰:“外鎮王侯不祗上命,克暴百姓,則龍蛇見。”京氏曰:“蛇群聚大道上,邑有急兵;蛇聚於國,必有圍城;黃蛇見於邑,旱;長蛇見,大水。”《淮南萬畢術》曰:“君室無故見蛇,君且去;蛇無故在床上,君非其子。”
《礼記威儀》にいう:卑賤の人が君主を做れば、蛇は即ち都城に進入す。《春秋潜潭巴》にいう:朝廷上に大蛇を出現するは、宗室・親属の行事が道ならざればにして、彼らはまた何の事を成す能わんや。宋均が注解していう:蛇は陰性の物にして、本性は隱伏・潜蔵す。今却って朝堂に出現するは、これは親属の中に人有りて道なきの事を行わんと欲す。所謂「将に何をか為さん」とは、彼らが終に事を成す能わざるを説く。《吕氏春秋》にいう:妖孽が產生すれば、国中に即ち游動する蛇あり、一条は西に向かい、一条は東に向かう。《漢書・五行志》にいう:君道は中正の極を建立する能わざれば、これを失徳と呼び、即ち「蛇孽」あるあらん。《灾異図》にいう:外鎮の王侯が朝廷の号令を敬奉せず、百姓に苛暴なれば、即ち龍蛇を出現す。京房がいう:蛇が成群して大路上に聚集するは、城邑に緊急の兵事あり。蛇が国都に聚集するは、必定に囲城を遭遇せん。黄蛇が城邑に出現するは、旱を主る。長蛇が出現するは、大水を主る。《淮南萬畢術》にいう:君主の居室に故なく蛇を出現するは、君主まさに離去せんとす。蛇が故なく床上に盤るは、君主の立つる所が親生の子に非ざるを主る。
《漢書五行志》曰:“《左傳》文公十六年,有蛇自泉宮出入於國,如先君之數。劉向以為,泉宮,在囿中,公母姜氏嘗居之;蛇從之出,象宮將不居也;又蛇入國,將有女憂也;如先君之數者,公母將薨之象。公惡之,乃毀泉臺。後二年薨,公子遂殺文公之二子惡、視,而主宣公,文夫人歸於齊。”
《漢書・五行志》に記す:《左傳》の文公十六年、蛇有りて泉宮より出でて国都に進入し、条数は魯国の暦代の先君の数目と相同なりき。劉向が以為するに、泉宮は苑囿の中に在り、魯の文公の母姜氏は曽て彼の処に居住せり。蛇が彼の処より出ずるは、此の宮がまさに人の居住なからんとするを象徴す。蛇がまた国都に進入するは、まさに女子に由りて起る憂患あらんとす。条数が先君の数目と相同なるは、文公の母まさに去世せんとするの征象である。文公はこの件の事を厭惡し、即ち泉台を拆毀せり。兩年を過ごし姜氏が去世し、公子遂が文公の両人の児子の惡と視とを殺し、宣公を擁立し、文公の夫人は只好斉国に回帰せり。
《搜神記》曰:“魯定公元年,秋有九蛇繞柱,占曰:以為九世廟不祀。乃立煬宮。”《會稽典錄》曰:“淳于翼,字叔通,除洛陽市。長桓帝即位,有大蛇見德陽殿上,翼占曰:以蛇有鱗甲,兵之應也。”《晉徵祥說》曰:“大寧中,武昌有大蛇居神寺神樹上,出頭從人受食。”(案《京房易妖占》曰:大蛇見神寺,不出三年,有大兵,國有大憂。時王敦作逆。)
《搜神記》に記す:魯の定公元年の秋、九条の蛇有りて柱子上に纏繞せり。占者は以為すに、これは九代の先君の廟がもはや祭祀を受けざるに因ればにして、於是煬宮を修立せり。《會稽典錄》に記す:淳于翼は、字は叔通にして、洛陽の市長に任命せられた。桓帝が位に即くとき、大蛇有りて徳陽殿上に出現し、淳于翼が占断していう:蛇身に鱗甲有り、これは兵事の応験である。《晋征祥説》に記す:太寧年間、武昌に大蛇有りて神廟の神樹上に住み、頭を探出して人たちの喂食を接受せり。原書夾注:《京房易妖占》を査するにいう、大蛇が神廟に出現するは、三年を出ずして、大いなる兵事有りて、国家に大いなる憂患あり。当時正に王敦が起兵して叛乱するに値せり。
《晉惠帝起居注》曰:“齊有大蛇,長三百餘步,又負二蛇,長十餘步,過市,市人悉逐觀之,繇齊城北門,入漢景祠,須臾不復見。”《京房易傳》曰:“蛇見將軍營中,師罷;出,則中軍將軍得志,或曰得士。”
《晋惠帝起居注》に記す:斉地に大蛇有りて、長さ三百余歩、背上に還りて两条の小蛇を駄負し、長さ十几歩。それが集市を経過すれば、市上の人は皆追い逐いて觀看し、随後に斉城の北門より進入し、漢の景帝の祠廟に入りて、片刻の間に即ち見えざりき。《京房易傳》にいう:蛇が将軍の営中に出現するは、軍隊まさに解散せんとす。蛇が営裏より出ずるは、中軍将軍は即ち志を得る能く、別の一説は賢士を得る能くをいう。
蛇が君室に鳴く 蛇が市廷に交る・腹に冲す 蛇の斗ふ
《淮南萬畢術》曰:“為死事則蛇鳴君室。”京房曰:“蛇鳴君室,凶。”《地鏡》曰:“蛇交於市及廷中者,不出三年,必有亡主,各以其國君應之。”《運斗樞》曰:“君失政,臣挾私,期(期字當作則)蛇沖巴。”(巴,腹蟲也。)《河圖》曰:“大蛇朝市路群鬥,又去不去,霸者當路。”《淮南萬畢術》曰:“蛇無故斗於君室,後必爭立。小死,小不勝;大死,大不勝;小大皆死,皆不立也。”
《淮南萬畢術》にいう:まさに死喪の事あらんとすれば、蛇は即ち君主の屋裏に鳴叫す。京房がいう:蛇が君主の屋裏に鳴叫するは、凶を主る。《地鏡》にいう:蛇が集市上或いは朝廷の中に交尾するは、三年を出ずして、必定に君主の敗亡有りて、各々所在の国の君主に按じて応験す。《春秋運斗樞》にいう:君主の政事が失当にして、臣下が私意を心に懐けば、蛇は即ち腹中の虫に衝撞す(原書夾注:「期」字は當に「則」と作るべし。又注:「巴」とは、即ち腹虫である)。《河図》にいう:大蛇が朝廷・集市の路上に成群して相い斗い、行かんと欲して肯んじて行かざるは、称霸する人の路上に擋さるるを主る。《淮南萬畢術》にいう:蛇が故なく君主の屋中に相い斗うは、此の後に必定君位を争奪するの事あり。小蛇が死するは、年幼の一方が勝する能わざるなり。大蛇が死するは、年長の一方が勝する能わざるなり。大小が皆死すれば、即ち両方とも立つる能わざるなり。
《漢書五行志》曰:“《左傳》鄭厲公時,有內蛇與外蛇斗鄭南門中,內蛇死。劉向以為,先是鄭厲公劫相祭仲,而逐昭公代立,後厲公奔出。公復入,弟子儀代立。厲公自外劫大夫傅瑕,使戮子儀,此外蛇殺內蛇之象。”《趙書》曰:“前趙時,安定太守邵琨上言,蛇與鼠斗於郡門而蛇自死。”
《漢書・五行志》に記す:《左傳》の記す所の鄭の厲公のとき、内蛇と外蛇と有りて鄭国の南門の中に相い斗い、内蛇は咬死せられた。劉向が以為するに、この前に鄭の厲公は国相の祭仲を脅迫し、鄭の昭公を赶走して自立して君と為り、後に厲公は自ら外に出奔せり。昭公が復位して国に帰り、その弟の子儀がまた接替して君と為れり。厲公は外より大夫の傅瑕を脅迫して、彼をして子儀を殺せしめ、これは正に外蛇が内蛇を咬死するの象徴である。《趙書》に記す:前趙のとき、安定太守の邵琨が上奏して説くに、蛇と老鼠とが郡府の門前に相い斗い、結果は蛇が自ら死せり。
蛙の聚る 蛙と蝦蟆と斗ふ
《易辨終備》曰:“蛙聚,大盜出。”《運斗樞》曰:“妃色惑主,蛙累入邦門。”《漢書》曰:“武帝元鼎五年秋,蛙與蝦蟆群鬥,是歲四將軍眾十萬征南越。”
《易辨終備》にいう:青蛙が成群して聚集するは、まさに大盗賊を出現せんとす。《春秋運斗樞》にいう:妃嬪が美色を以て君主を迷惑せば、青蛙は即ち接連して断えず国門に進入す。《漢書》に記す:漢の武帝の元鼎五年の秋、青蛙と蛤蟆とが成群して相い斗えり。この一年、四位の将軍が十万の大軍を率領して南越を征討せり。
蚯蚓の出るを候す 蜈蚣が邑に入る 蟻が土を聚む 螳蜋の生るを候す 蜩の鳴くを候す
《周書時訓》曰:“立夏後五日,蚯蚓出,不出則臣奪後令;冬至之日,蚯蚓結,不結則君政不行。”京房曰:“見山蝍蛆入於邑,內殺。”(《廣雅》曰:蜈蚣也。)又曰:“蟻無故當道,若門戶,城聚土,水且傷人。”
《逸周書・時訓解》にいう:立夏の後の五日、蚯蚓は土より出づ。若し出でざれば、即ち臣下が王后の号令を奪取するを主る。冬至のこの日、蚯蚓は蜷結して団と為す。若し蜷結せざれば、即ち君主の政令の推行する能わざるを主る。京房がいう:山裏の蜈蚣が城邑に爬進するを見るは、内部に殺戮の事あるを主る。原書夾注に《廣雅》を引いていう:蝍蛆は即ち蜈蚣である。又いう:螞蟻が故なく路上に擋さるか、或いは門戸の処に堵塞し、土を堆積して小城を成すは、大水まさに人を傷害せんとするを主る。
《易通卦驗》曰:“螳蜋,搏蟬之蟲,乘虛而殺物,自隱蔽而有所害,捕搏之象也;奸人性陰邪,行令失節,所生武官,不務詰奸,故為奸猾事發。”《月令》云:“小暑至,螳螂生。”《周書》曰:“夏至後五日,蜩始鳴,不鳴則貴臣放逸;立秋之日,寒蜩不鳴。”《通卦驗》曰:“遁上九候,蟬始鳴,蟬不鳴,人臣力爭,國多妖言。”
《易通卦驗》にいう:螳螂は蝉を捕るの虫にして、虚に乗じて別の生物を殺害し、自らの形跡を隱蔽して暗中に加害す、「捕搏」の象徴である。奸人の秉性は陰険・邪僻にして、政令を施行するに節度を失い、設置せる所の武官はまた奸惡を査究するに尽力せざれば、故に奸猾の事の発作有り。《礼記・月令》にいう:小暑が到来すれば、螳螂は出生す。《逸周書》にいう:夏至の後の五日、蝉は始めて鳴叫す。若し鳴かざれば、即ち顕貴の大臣が放縱・逸楽するを主る。立秋のこの日、寒蝉は鳴かざるなり。《易通卦驗》にいう:《遁》卦の上九爻の値する所の物候は蝉の始めて鳴くなり。蝉が鳴かざれば、臣下が極力に権を争い、国中に妖妄の言多きを主る。
螻蛄が朝廷に集る 蚯蚓・螻蛄が軍中に見ゆ 螻蛄の大きさ牛の如し
《京房易飛候》曰:“螻蛄集朝廷,厥咎黜。”又曰:“蚯蚓螻蛄見,軍中尤多,師將罷,有謀者不久;地生諸蟲,將軍急去,大凶。”《抱朴子》曰:“螻蛄見,軍尤生多,有軍罷,又宜備叛。”京氏曰:“螻蛄大如牛,長一丈,見,邑且有賤人貴。”
《京房易飛候》にいう:螻蛄が朝廷上に聚集するは、その咎征は人有りて罷黜せらるるなり。又いう:蚯蚓・螻蛄が出現し、而も軍営の中に特別に多きは、軍隊まさに解散し、不軌を図謀する人も亦支撐する久しからざるを主る。地裏に各種の虫子を生出するは、将軍は応に急いで撤離すべきを主り、然らざれば大凶なり。《抱朴子》にいう:螻蛄が出現し、軍中に生ずること尤も多きは、軍隊まさに解散せんとするを主り、還りて叛変を防備すべし。京房がいう:螻蛄の大きさ牛の如く、長さ一丈に達するは、それが一たび出現すれば、城邑の中にまさに出身の低賤なる人の顕貴と為り起るあらん。
蜂が苗を食ふ 蜂が国に生ず 蜂が軍中に入る 蛾が飛びて日を蔽ふ
《五行傳》曰:“秦昭王委事太后弟穰侯為丞相,弟謙蕩君皆用事私門,權傾公朝。三十八年,上郡大飢,山東盡死,民無所食,蜂食民苗。蜂食民苗者,赤祥之災也。能飛揚之類,赤挾毒火之色也。不當食苗,象不當位也,故見災以蜚之蜂,見挾毒物之害也。天意若曰:君不明臣,下若蜂蔓而奪民,將為國家害也。”
《五行傳》にいう:秦の昭王は政事を太后の弟・穰侯に委託し、彼を任じて丞相と為し、太后の其の他の幾位の弟も亦皆私門を以て権を當り、権勢は朝廷に圧倒せり。昭王三十八年、上郡は大いに飢荒し、崤山の以東に餓死すること数無し、百姓は以て食する所なく、而も蜂がまた百姓の禾苗を吃掉せり。蜂の禾苗を吃するは、「赤祥」の灾に属す。蜂は能く飛揚するの一類にして、赤は毒火を挾帯するの色である。蜂は本より禾苗を吃すべからず、あれらの人が本よりその位に居るべからざるを象徴す。故に灾異を顕示するに飛ぶ能き蜂を用い、毒を挾む物有りて害を為すを表明す。上天の意思は説かんとするが如し:君主は臣下を明察する能わず、下の人たちは蜂群の如く蔓延して百姓を侵奪し、まさに国家の禍害と為らんとす。
《天鏡》曰:“蜂生國,舍內空,亡象。”《兵書》曰:“軍行,蜂群飛,蜂及蜜蜂尤多者,必大戰道路,防之。”又曰:“軍中有蜂鳴移,主將敗,士卒亡矣。”《漢書元帝紀》曰:“建昭元年春三月,上幸雍祠五畤,秋八月,有白蛾飛蔽日,從東都至軹道。(注:“如淳曰:《三輔黃圖》:長安城東北次門號曰宣平城門,其外郭曰東都門也。”)冬,河間王元有罪廢遷房陵。”
《天鏡》にいう:蜂が国中に巢を做るは、屋舎が空虚にして人なく、これは敗亡の征象である。《兵書》にいう:軍隊が行進するに蜂が成群して飛舞し、大蜂と蜜蜂とが特別に多きは、必定道路上に大戦を発生せん、防備すべし。又いう:軍中に蜂有りて鳴叫して遷移するは、将領まさに戦敗し、士卒まさに死亡せんとするを主る。《漢書・元帝紀》に記す:建昭元年の春三月、皇帝が雍地に到りて五畤を祭祀せり。秋八月、白色の蛾有りて飛舞して太陽を遮蔽し、東都門より轵道まで一直せり。原書夾注に如淳を引いていう:《三輔黄図》に記す、長安城の東北の第二座の門は号して宣平城門と曰い、その外郭門は即ち東都門と呼ぶ。この年の冬、河間王劉元は罪に因りて廃せられ、房陵に遷往せり。
蝗の生ず
《五行傳》曰:“介蟲者,小蟲有甲能蜚揚之類,陽氣所生,於《春秋》為象蟲,今謂之蝗,皆其類也,曰介蟲之孽也。”《說文》曰:“蝗,螽也。旱氣動象,至使乞貸,則生螣。舊說螟、螣、蟊、賊,一種蟲也。如言寇、盜、奸、宄,內外言之耳,故捷為文學曰:此四種,皆蝗也。”《禮月令》曰:“孟夏行春令,則蝗蟲為災。”《春秋緯》曰:“愁精所感,擾氣所生,螽冬生,天不能滅,地不能藏。”《潛潭巴》曰:“生蝗蟲,兵大起,行千里。”
《五行傳》にいう:所謂「介虫」とは、甲殻を身に披き、飛揚する能きの小虫の一類にして、陽気に由りて生ずる所なり。《春秋》の裏には象虫と称し、今は蝗と呼び、皆同類に属し、之を「介虫之孽」と称す。《説文》にいう:蝗は即ち螽である。旱気の発動するの征象、百姓を逼迫して債を挙げ貸を求むるに至りて、即ち螣を生出す。旧説に螟・螣・蟊・賊は同一種の虫にして、譬えば寇・盗・奸・宄を説くが如く、不過内外の異なる角度より分別して称呼するのみ。故に犍為郡の文学の官が説く:この四種は皆蝗である。《礼記・月令》にいう:孟夏の月に春天の政令を施行すれば、蝗虫はまさに灾を成さんとす。《春秋緯》にいう:愁苦の精の感召する所、扰乱の気の生成する所、螽は冬天に出生し、天はそれを消滅する能わず、地はそれを收藏する能わず。《春秋潜潭巴》にいう:蝗虫を生出するは、兵事が大いに起り、軍を行うこと千里なり。
《五行傳》曰:“君行暴虐,而賦稅貪叨無厭,以師動眾,取邑治城而失眾心,則蟲為害。”《爾雅》曰:“蝗蟲食苗心曰螟,食苗葉曰蟘,食苗根曰蟊,食苗節曰賊。”董仲舒《對災異》曰:“佞臣居位,貪叨之徵,邪人在位,則蝗蟲食菜;君用臣才不任職,則蟲食莖;君用佞人在朝,則蟲食節;君用奸賊在位,則蟲食根。”《禮月令》:“仲春行夏令,蟲蝗為害。”
《五行傳》にいう:君主の行事が暴虐にして、賦税を徴収するに貪得無厭にして、師を興し衆を動かし、城邑を攻取し、城池を修治して人心を失去せば、虫は即ち灾を成す。《爾雅》にいう:蝗虫の禾苗の心を吃するを「螟」と呼び、禾苗の葉を吃するを「蟘」と呼び、禾苗の根を吃するを「蟊」と呼び、禾苗の節を吃するを「賊」と呼ぶ。董仲舒《對灾異》にいう:佞臣が高位に居るは、これは貪婪の征象である。邪僻の人が位に在れば、蝗虫は即ち菜蔬を吃す。君主の任用する臣子の才具がその職に称えざれば、虫は即ち禾莖を吃す。君主が佞人を任用して朝に在らしめば、虫は即ち禾節を吃す。君主が奸賊を任用して位に在らしめば、虫は即ち禾根を吃す。《礼記・月令》にいう:仲春の月に夏天の政令を施行すれば、虫蝗はまさに灾を成さんとす。
《說文》曰:“螟蟲食穀心,從冥聲,吏冥冥犯法,即生螟。”《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,有螟集其國,其年凶。”《淮南子》曰:“政惡生孽,蟲食心。”京房曰:“吏為貪狼,多螟螣;宮室奢,蟲食菜。”《漢書五行志》曰:“《春秋》魯哀公十二年十二月,螟。十三年九月,螟。十二月,螟。劉向以為,春用田賦,冬而螟。此三螟皆虐取民之效。”
《説文》にいう:螟は穀の心を吃するの虫にして、字は「冥」より声を得る——官吏が昏昧・不明にして法度に触犯すれば、即ち螟を生出す。《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異に、螟虫が国中に聚集する有り、この一年は即ち凶荒なり。《淮南子》にいう:政事が敗壞すれば即ち妖孽を生出し、虫が来りて禾の心を吃す。京房がいう:官吏が貪婪して狼の如くなれば、即ち螟・螣を多く生出す。宮室が奢侈なれば、虫は即ち菜蔬を吃す。《漢書・五行志》に記す:《春秋》の載する所の魯の哀公十二年十二月に螟を生じ、十三年九月に螟を生じ、十二月にまた螟を生じたり。劉向が以為するに、春天に按田畝の賦を徴すを推行せば、冬天に即ち螟を生ず。この三次の螟灾は皆苛虐に百姓を搾取するの招来する所の応験である。
《春秋漢含孳》曰:“魯室履畝而稅,貪恣太過,則蝝生。”《漢書五行志》曰:“劉歆以為,蝝,媲蠢之有翼,(音蚍蜉)食穀為災。黑,青也。董仲舒以為,蝝,螟始生也。是時初稅畝,亂先王制,故應是而蟓生。”《詩推度災》曰:“在下不臣,蟲食葉。貸者,伐也。小臣為政事,變其法,故立字貸,與伐同其變,臣欲殺也。”京房曰:“得無節,蟲食葉。”
《春秋漢含孳》にいう:魯国の王室が田畝に按じて税を徴し、貪婪・放縱すること太过なれば、即ち蝝を生出す。《漢書・五行志》に記す:劉歆が以為するに、蝝は翅膀を長じたる蚍蜉の類(原書夾注:読音は「蚍蜉」と同じ)にして、穀物を吃して灾を成す。その色は黒、即ち青色である。董仲舒が以為するに、蝝は螟の剛に生出せる幼虫である。当時魯国は始めて「税畝」の法を行い、先王の旧制を扰乱したれば、故に之に応じて蝝を生ぜり。《詩推度灾》にいう:下位に在る人が臣道を守らざれば、虫は即ち禾の葉を吃す。「貸」は即ち「伐」の義である。小臣が政事を主持して、原有の法度を改動したれば、故に字を造して「貸」を作す——「伐」と同じく変改を表示し、臣下が君上を謀害せんと欲するなり。京房がいう:取用に節制なければ、虫は即ち禾の葉を吃す。
《說文》曰:“野蟲食草根者也。吏抵,冒取民,則生[蟲弟]。”京房曰:“臣安祿,厥災蟲食根;不絀無德,蟲食本;害忠孝,蟲食根。”《握鏡》曰:“螟蟲食根,咎在女主社稷。”《毛詩義禮》曰:“蟊長而細,或說云:蟊,螻蛄也。螻蛄食苗根,為人患。”《詩推度災》曰:“傷苗食之賊也。”京房曰:“與公侯爭,蟲食蛬,傷忠臣,蟲食蛬。”《史記》:“秦始皇四年十月,螟蟲從東方來,蔽天,如嚴雪。是歲天下失苽瓠。”
《説文》にいう:これは野地の裏に草の根を吃するの虫にして、官吏が法紀に抵触し、強く百姓の財物を取れば、即ちこの種の虫を生出す(原書は此の字を「虫弟」と作る)。京房がいう:臣下が俸禄を貪れば、その灾異は虫が禾根を吃するなり。徳なきの人を斥退せざれば、虫は即ち禾本を吃す。忠孝の士を傷害すれば、虫も亦禾根を吃す。《握鏡》にいう:螟虫が禾根を吃するは、咎征は女主と社稷との上に応ずべし。《毛詩義礼》にいう:蟊虫の身子は長にして細し。別の一説は蟊は即ち螻蛄と以為し、螻蛄は禾苗の根を吃して、人の禍患と為る。《詩推度灾》にいう:禾苗を傷害し、禾苗を吞食するは即ち「賊」である。京房がいう:公侯と相い争えば、虫は即ち禾稈を吃す。忠臣を傷害すれば、虫も亦禾稈を吃す。《史記》に記す:秦の始皇四年十月、螟虫が東方より飛来し、天空を遮蔽し、密なること鵞毛の大雪の如し。この一年、天下の瓜瓠は皆失収せり。
《漢書五行志》曰:“景帝中元三年秋,蝗,匈奴寇邊。武帝元光五年秋,蝗,五將眾三十萬伏馬邑,又四將征匈奴。元鼎五年秋,蝗,四將征南越。元封六年秋,蝗,兩將征朝鮮。太初元年夏,蝗從東方飛至敦煌。三年秋,復蝗,其年貳師徵大宛,天下奉其役連年。徵和三年秋,蝗,四年,夏蝗,先是一年,三將連眾十餘萬征匈奴,貳師七萬人沒不還。平帝元始二年秋,蝗偏天下,是時王莽秉政。”《漢書》:“王莽地皇三年夏,蝗從東方來,蔽天,至長安,入未央宮緣殿。四年,漢兵斬莽。”
《漢書・五行志》に記す:漢の景帝の中元三年の秋に蝗灾を発生し、匈奴が邊境に入侵せり。武帝の元光五年の秋に蝗灾、五位の将軍が三十万の兵を統領して馬邑に埋伏し、又有りて四位の将軍が出征して匈奴を討てり。元鼎五年の秋に蝗灾、四位の将軍が南越を征討せり。元封六年の秋に蝗灾、两位の将軍が朝鮮を征討せり。太初元年の夏、蝗虫が東方より敦煌まで一直に飛来せり。三年の秋にまた蝗灾を発し、この一年に貳師将軍が大宛を征討し、天下は年を連ねてこの場の戦役の徭役を供応せり。征和三年の秋に蝗灾、四年の夏にまた蝗。この前の一年、三位の将軍が連兵十数万を以て匈奴を征討し、貳師将軍の所部の七万人は陥没して還らざりき。平帝の元始二年の秋、蝗虫は天下に遍布し、当時は正に王莽の執政なりき。《漢書》に記す:王莽の地皇三年の夏、蝗虫が東方より飛来し、天を遮り日を蔽い、長安に至り、未央宮に飛進し、殿宇に沿いて爬り満たせり。第四年、漢軍は即ち王莽を斬殺せり。
《續漢書五行志》曰:“安帝永初四年夏,蝗,是時西羌寇亂,軍眾徵,距之連年。五年夏,九州蝗。六年三月,去年蝗處復蝗子生。七年二月,郡國蝗。順帝永建五年,郡國十二蝗,是時鮮卑寇朔方,用眾征之。永和元年秋七月,偃師蝗。去年年冬,烏桓寇沙南,用眾征之。”《續漢書五行志》曰:“桓帝永興元年七月,郡國三十二,大蝗,是時梁冀秉政。”《東觀漢記》曰:“馬稜伯威為廣陵太守,連年有蝗,穀貴,稜奏罷強官,薄賦稅,蝗蟲飛入海中,化為魚蝦。”
《續漢書・五行志》に記す:漢の安帝の永初四年の夏に蝗灾、当時は西羌が入寇して乱を作し、朝廷は年を連ねて兵を発して抵御せり。五年の夏、九州に皆蝗灾を発せり。六年三月、去年の蝗を生ぜし地方にまた蝗子を孵出せり。七年二月、各郡国に蝗灾。順帝の永建五年、十二の郡国に蝗灾、当時は鮮卑が朔方を侵擾し、朝廷は兵を発して征討せり。永和元年の秋七月、偃師に蝗灾。上一年の冬、烏桓が沙南に入寇し、朝廷も亦兵を発して征討せり。《續漢書・五行志》がまた記す:桓帝の永興元年七月、三十二の郡国に大いに蝗灾を鬧し、当時は正に梁冀の権を専らするなりき。《東觀漢記》に記す:馬稜は、字は伯威にして、廣陵太守を做り、年を連ねて蝗灾、穀価が騰貴せり。馬稜は上奏して豪強の出身の属官を罷免し、賦税を減軽せば、蝗虫は即ち海中に飛入し、魚蝦と化成せり。
《晉中興徵祥說》曰:“元帝大興二年,徐州及揚州之西江郡蝗。三年,冀州蝗。皆胡肆暴之徵。武帝太元十六年五月,棠邑界有蝗,廣千里,長三十里許,從南來,其飛蔽天,害苗稼,是時官以賄成,皆入私庫,貪私苟得之征也。”《趙書》曰:“石勒十四年五月,飛蝗穿地而生,二十日化如蠶,七八日而臥,四日蛻則飛,周遍河朔,百草無遺,唯不食三豆及麻。”
《晋中興征祥説》に記す:晋の元帝の大興二年、徐州および揚州西部の江郡に蝗灾を発生せり。三年、冀州に蝗灾。これらは皆胡人の肆行・暴虐するの征兆である。孝武帝の太元十六年五月、棠邑の境内に蝗有りて、寛さ一千里、長さ三十里ほどにして、南面より飛来し、飛ぶ時は天を遮り日を蔽い、庄稼を損害せり。当時官位は皆賄賂を行うに由りて取得し、賦入は皆私庫に進入したれば、これは貪私・苟得の征兆である。《趙書》に記す:後趙の石勒の十四年五月、飛蝗が地面を穿透して孵出し、二十日の後に蚕の如くに長じ、再び七八日を過ごして伏臥して動かず、又四日を過ごして皮を蜕けば即ち飛ぶ能く、黄河の以北に遍布し、百草は一も幸免するなく、只だ三種の豆子と麻とを吃せざるのみ。
蜮の生ず 蠅の蔽ふ 蚊・虻の興る 虻の大きさ牛の如く・蠛蠓が野に滿つ
《春秋漢含孳》曰:“妃黨縱橫,佞人潛世,則蜮生。”《春秋》:“魯莊公十八年秋,有蜮。”注云:“蜮,短狐也,蓋以含沙射人為災也。”《漢書五行志》曰:“莊公十八年有蜮,劉向以為蜮生南越之地,多淫婦人,男女同川,淫女為主,亂氣所生,故宣武名之蜮。(蜮由惑也,謂之短弧。)是時莊公將取齊之淫女,故蜮至。”《五行傳》曰:“《詩》云:‘為鬼為蜮,則不可得。’蓋氣精也。”《詩義禮》曰:“一名射景,如鱉三足。”
《春秋漢含孳》にいう:后妃の党羽が縦横に事を用い、佞人が世に潜蔵すれば、即ち蜮を生出す。《春秋》に記す:魯の荘公十八年の秋、蜮を出現せり。注にいう:蜮は即ち短狐にして、大概それが沙を含みて人を射て灾を成すが故なり。《漢書・五行志》に記す:荘公十八年に蜮有りて、劉向は蜮を以て南越の地に産生すと為す。あの処に淫蕩の婦人が多く、男女は同一の条の河裏に洗浴し、淫女を以て主と為す。これは乱気の生ずる所にして、故にそれを蜮と称す(原書夾注:蜮は「惑」に由りて名を得、亦短弧と呼ぶ)。当時魯の荘公はまさに斉国の淫女を迎娶せんとしたれば、故に蜮は即ち来た。《五行傳》にいう:《詩經》に講する「鬼を為し蜮を為せば、則ち捉摸する無き」は、大概気の化する所の精怪である。《詩義礼》にいう:蜮は又名を射影と曰い、形状は鱉に似て三隻の脚有り。
《紀年》:“晉獻公二年春,周惠王居於鄭,鄭人入王府,多取玉,玉化為蜮射人。”《古今注》曰:“成帝建始元年六月,蒼蠅萬數,集白虎門朝坐處,蔽地。”《漢書》:“昌邑王賀夢青蠅矢,積西階東河,五六石,以屋瓦覆,發視之,青蠅矢也。以問龔遂,遂曰:‘階下左側讒人眾多,願皆放之。’賀不用其言,卒至於廢。”
《竹書紀年》に記す:晋の獻公二年の春、周の惠王は鄭国に避居し、鄭国の人は王室の府庫に闖進し、許多の玉を拿走せり。あれらの玉は後に蜮と化して人を射ん。《古今注》に記す:漢の成帝の建始元年六月、成千上万隻の蒼蠅が白虎門の朝に臨み座に就く処に聚集し、地面に遮満せり。《漢書》に記す:昌邑王劉賀が夢に蒼蠅の糞便が西階の東辺に堆積し、五六石の多き有りて、上は屋瓦を以て蓋えり。掀開して一見すれば、果して蒼蠅の糞なりき。彼はこの件の事を以て龔遂に問うに、龔遂がいう:陛下の左右の讒を進む小人が太多なり、望みに彼らを皆放逐して出で去らしめん。劉賀はその話を聴かず、終に廃黜せらるるの下場に落ちた。
《詩推度災》曰:“逆天地,絕人倫,則蚊虻興。”《兵書》曰:“軍行逢虻尤多者,必大戰道路,防之。”《考異郵》曰:“陳涉即亡,景駒為主,項羽誅嬰,都制九塞,自稱楚王,地生神虻,大如牛。”《淮南子》:“衰世,飛蛩滿野。”許慎曰:“蛩,蠛蒙也。”
《詩推度灾》にいう:天地に違逆し、人倫を断絶すれば、蚊子と牛虻とは即ち大量に興起す。《兵書》にいう:軍隊が行進するに牛虻の特別に多きに遇上するは、必定道路上に大戦を発生せん、防備すべし。《春秋考異郵》にいう:陳渉が剛に死し、景駒が立てられて主と為り、項羽が秦の王子嬰を誅殺し、九処の険塞を控制し、自ら楚王と称せり。当時地裏に神虻を生出し、大きさは牛の如し。《淮南子》にいう:衰乱の世に、飛蛩が原野に布満す。許慎が解釋していう:蛩は即ち蠛蒙にして、亦蠛蠓なり。
蟄虫が藏らず 虫に両足あり 飛虫が反つて墜つ 虫が宗廟に生ず
《春秋繁露》曰:“木干水,冬蟄蟲不藏;土乾水,蟄蟲冬出。”《潛潭巴》曰:“蟲兩足赤口,諸侯強。”《五經異義公羊說》:“后夫人之家,專權擅勢,秉持國政,蠶食百姓,則蟲飛反墜。”《握鏡》曰:“甲蟲無故生宗廟中,不出三年,臣背叛,兵興,國憂,亡天下;蟲無故自死,用刑暴,戕害過。”京房曰:“軍行道,逢蟲蛇怒,必大戰,吏兵與馬,賊將死,以君大就,五校亂錯,故致以怪。”
《春秋繁露》にいう:木気が水気を干犯すれば、冬天に蟄虫は肯んじて潜蔵せざらん。土気が水気を干犯すれば、蟄虫は冬天に土を出でん。《春秋潜潭巴》にいう:虫に両隻の脚を長じ、紅嘴巴なるは、諸侯の強横なるを主る。《五経異義》の載する所の公羊家の説法:太后と夫人の娘家が権を専らして勢を擅ね、国政を把持し、蚕が桑葉を食するが如く百姓を侵奪すれば、飛虫は即ち反って墜落せん。《握鏡》にいう:甲虫が故なく宗廟の中に生ずるは、三年を出ずして、臣下が背叛し、兵事が興起し、国家に憂患有りて、以て天下を喪失す。虫が故なく自行して死去するは、刑を用うるに残暴にして、殺傷が過度なるを主る。京房がいう:軍隊が路上に行進して、虫蛇の怒りて相い向かうに遇うは、必定に大戦有りて、官兵と馬匹および敵方の将領は皆死傷せんとす。君主が大いに兵を興し、五校の軍が錯乱・失序するに因りて、故に此の如きの怪異を招致す。
