Libo

大方広円覚修多羅了義経

唐 · 佛陀多罗译 · 第1巻 / 5

大唐・罽賓(現在のカシミール一帯)の三蔵・佛陀多羅による漢訳。

仏家典籍

短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。

大唐、罽賓三藏佛陀多羅譯

大唐・罽賓(現在のカシミール一帯)の三蔵・佛陀多羅による漢訳。

如是我聞:

私はこのように聞いた。

一時,婆伽婆入於神通大光明藏,三昧正受,一切如來光嚴住持,是諸眾生清淨覺地;身心寂滅平等本際,圓滿十方不二隨順,於不二境現諸淨土。與大菩薩摩訶薩十萬人俱,其名曰文殊師利菩薩、普賢菩薩、普眼菩薩、金剛藏菩薩、彌勒菩薩、清淨慧菩薩、威德自在菩薩、辯音菩薩、淨諸業障菩薩、普覺菩薩、圓覺菩薩、賢善首菩薩等,而為上首;與諸眷屬皆入三昧,同住如來平等法會。

ある時、婆伽婆(世尊の音写尊号)は神通大光明蔵に入り、三昧(心を一処に集中させて散らさない定境)において正受していた。これは一切の如来が光明をもって荘厳し住持する境地であり、すなわち諸衆生の清浄な覚の地である。身心は寂滅し、平等な本際にあって十方に円満し、不二に随順して、不二の境に諸々の浄土を現じていた。大菩薩摩訶薩十万人とともに在った。その名は文殊師利菩薩(菩提薩埵の略称で、覚りを求めまた衆生を度する者)、普賢菩薩、普眼菩薩、金剛蔵菩薩、弥勒菩薩、清浄慧菩薩、威徳自在菩薩、弁音菩薩、浄諸業障菩薩、普覚菩薩、円覚菩薩、賢善首菩薩などで、上首とされた。諸々の眷属とともに皆三昧に入り、如来の平等な法会に同住していた。

於是文殊師利菩薩在大眾中即從座起,頂禮佛足右遶三匝,長跪叉手而白佛言:「大悲世尊!願為此會諸來法眾,說於如來本起清淨因地法行,及說菩薩於大乘中發清淨心,遠離諸病,能使未來末世眾生求大乘者不墮邪見。」作是語已五體投地,如是三請終而復始。

すると文殊師利菩薩は大衆の中で座から立ち上がり、仏の足を頂礼し、右に三匝して長跪し合掌して仏に言った。「大悲の世尊よ!願わくはこの会に来た諸々の法衆のために、如来の本起の清浄なる因地の法行を説き、また菩薩が大乗において清浄心を発し諸々の病を遠離することを説き、未来の末世の衆生で大乗を求める者が邪見に堕ちないようにしてください。」この言葉を終えて五体投地し、このように三度請い、終わりから始まりへと繰り返した。

爾時,世尊告文殊師利菩薩言:「善哉!善哉!善男子!汝等乃能為諸菩薩諮詢如來因地法行,及為末世一切眾生求大乘者,得正住持不墮邪見。汝今諦聽!當為汝說。」時,文殊師利菩薩奉教歡喜,及諸大眾默然而聽。

その時、世尊は文殊師利菩薩に告げて言った。「善哉!善哉!善男子よ!あなたたちは諸菩薩のために如来の因地の法行を諮問し、また末世の一切衆生で大乗を求める者のために、正しく住持して邪見に堕ちないようにできる。今よく諦聴せよ!あなたのために説こう。」その時、文殊師利菩薩は教えを奉じて歓喜し、諸々の大衆も黙然として聴いた。

「善男子!無上法王有大陀羅尼門,名為圓覺,流出一切清淨真如菩提涅槃及波羅蜜教授菩薩。一切如來本起因地,皆依圓照清淨覺相,永斷無明方成佛道。云何無明?善男子!一切眾生從無始來種種顛倒,猶如迷人四方易處,妄認四大為自身相,六塵緣影為自心相;譬彼病目見空中花及第二月。善男子!空實無花,病者妄執。由妄執故,非唯惑此虛空自性,亦復迷彼實花生處,由此妄有輪轉生死,故名無明。善男子!此無明者非實有體,如夢中人夢時非無,及至於醒了無所得;如眾空花滅於虛空,不可說言有定滅處,何以故?無生處故。一切眾生於無生中,妄見生滅,是故說名輪轉生死。善男子!如來因地修圓覺者,知是空花,即無輪轉,亦無身心受彼生死,非作故無,本性無故。彼知覺者猶如虛空,知虛空者即空花相,亦不可說無知覺性。有、無俱遣,是則名為淨覺隨順。何以故?虛空性故,常不動故,如來藏中無起滅故,無知見故,如法界性究竟圓滿遍十方故;是則名為因地法行。菩薩因此於大乘中發清淨心,末世眾生依此修行不墮邪見。」

「善男子よ!無上法王に大陀羅尼(総持。善を持して失わない呪文または法門)の門があり、名を円覚(円満した覚性。本経の説く、人々に本具し十方に周遍する覚り)という。そこから一切の清浄真如、菩提、涅槃(煩悩が止まり、もはや生死を流転しない境地)および波羅蜜(「彼岸に到る」の意。生死の此岸から解脱の彼岸へ渡ること)が流出し、菩薩を教授する。一切如来の本起の因地は、皆円照の清浄な覚相に依り、永く無明を断じて仏道を成ずる。無明とは何か。善男子よ!一切衆生は無始以来種々に顛倒し、方角を迷う者が四方を取り違えるように、妄りに四大(地・水・火・風)を自身の相と認め、六塵(色・声・香・味・触・法)の縁影を自心の相と認める。譬えれば病んだ目が空の花と第二の月を見るようなものだ。善男子よ!空には実には花はなく、病める者が妄りに執するのである。妄執のゆえに、ただ虚空の自性を惑うのみならず、また実の花の生ずる処をも迷い、このゆえに妄りに生死を輪転するので、名づけて無明という。善男子よ!この無明は実有の体ではない。夢中の人が夢の時は無くはなく、覚めるに及んで得るところが無いようなものだ。衆の空花が虚空に滅するが如く、その定まった滅処を言うことはできない。何故か。生ずる処が無いからだ。一切衆生は無生の中に妄りに生滅を見るので、説いて輪転生死と名づける。善男子よ!如来の因地に円覚を修する者は、これが空花と知れば、すなわち輪転無く、身心が生死を受けることも無い。作って無いのではなく、本性がもとより無いのだ。彼の知覚する者は虚空の如く、虚空を知る者はすなわち空花の相であり、また知覚の性が無いとも言うことはできない。有・無を倶に遣り除けることが、すなわち名づけて浄覚随順という。何故か。虚空の性であるがゆえに、常に動かないがゆえに、如来蔵(衆生に本具し、如来たりうる覚性)の中に起滅が無いがゆえに、知見が無いがゆえに、法界の性のように究竟円満して十方に遍じるがゆえだ。これを名づけて因地の法行という。菩薩はこれによって大乗の中に清浄心を発し、末世の衆生はこれに依って修行して邪見に堕ちない。」

爾時,世尊欲重宣此義而說偈言:

その時、世尊はこの義を重ねて宣べんと欲して偈を説いた。

「文殊汝當知,一切諸如來,

「文殊よ、まさに知るべし、一切の諸如来は、

從於本因地,皆以智慧覺,

本因地に従って、皆智慧の覚をもって、

了達於無明。知彼如空花,

無明を了達す。彼が空花の如しと知れば、

即能免流轉,又如夢中人,

すなわち流転を免る。また夢中の人が、

醒時不可得。覺者如虛空,

覚める時は得ること能わざるが如し。覚る者は虚空の如く、

平等不動轉,覺遍十方界,

平等にして動転せず、覚は十方界に遍し、

即得成佛道。眾幻滅無處,

すなわち仏道を成ずることを得ん。衆の幻は滅して処無く、

成道亦無得,本性圓滿故。

成道にも亦得ること無し、本性円満なるが故なり。

菩薩於此中,能發菩提心,

菩薩この中において、能く菩提心を発し、

末世諸眾生,修此免邪見。」

末世の諸衆生、これを修して邪見を免れん。」

於是普賢菩薩在大眾中即從座起,頂禮佛足右遶三匝,長跪叉手而白佛言:「大悲世尊!願為此會諸菩薩眾,及為末世一切眾生修大乘者,聞此圓覺清淨境界,云何修行?世尊!若彼眾生,知如幻者,身心亦幻,云何以幻還修於幻?若諸幻性,一切盡滅,則無有心,誰為修行?云何復說修行如幻?若諸眾生本不修行,於生死中常居幻化,曾不了知如幻境界,令妄想心云何解脫?願為末世一切眾生,作何方便漸次修習,令諸眾生永離諸幻。」作是語已五體投地,如是三請終而復始。

すると普賢菩薩は大衆の中で座から立ち上がり、仏の足を頂礼し、右に三匝して長跪し合掌して仏に言った。「大悲の世尊よ!願わくはこの会の諸菩薩衆のために、及び末世の一切衆生で大乗を修する者のために、この円覚の清浄な境界を聞いて、如何に修行すべきかを説いてください。世尊よ!もし彼の衆生が幻の如しと知るならば、身心も幻であり、如何に幻をもって還って幻を修するのか。もし諸々の幻性が一切尽きて滅するならば、すなわち心無く、誰が修行する者となるのか。どうしてまた修行も幻の如しと説くのか。もし諸衆生が本より修行せず、生死の中に常に幻化に居して、曾て幻の如き境界を了知せず、妄想の心をいかにして解脱せしめるべきか。願わくは末世の一切衆生のために、いかなる方便をもって漸次修習すべきか、諸衆生をして永く諸幻を離れしめることを説いてください。」この言葉を終えて五体投地し、このように三度請い、終わりから始まりへと繰り返した。

爾時,世尊告普賢菩薩言:「善哉!善哉!善男子!汝等乃能為諸菩薩及末世眾生,修習菩薩如幻三昧,方便漸次,令諸眾生得離諸幻。汝今諦聽!當為汝說。」時,普賢菩薩奉教歡喜,及諸大眾默然而聽。

その時、世尊は普賢菩薩に告げて言った。「善哉!善哉!善男子よ!あなたたちは諸菩薩及び末世の衆生のために、菩薩の如幻三昧の修習と方便漸次を問い、諸衆生をして諸幻を離れることを得せしめる。今よく諦聴せよ!あなたのために説こう。」その時、普賢菩薩は教えを奉じて歓喜し、諸々の大衆も黙然として聴いた。

「善男子!一切眾生種種幻化,皆生如來圓覺妙心,猶如空花從空而有,幻花雖滅空性不壞;眾生幻心還依幻滅,諸幻盡滅覺心不動。依幻說覺亦名為幻,若說有覺猶未離幻,說無覺者亦復如是。是故,幻滅名為不動。善男子!一切菩薩及末世眾生,應當遠離一切幻化虛妄境界,由堅執持遠離心故,心如幻者亦復遠離,遠離為幻亦復遠離,離遠離幻亦復遠離,得無所離即除諸幻。譬如鑽火兩木相因,火出木盡灰飛煙滅;以幻修幻亦復如是,諸幻雖盡不入斷滅。善男子!知幻即離,不作方便;離幻即覺,亦無漸次。一切菩薩及末世眾生依此修行,如是乃能永離諸幻。」

「善男子よ!一切衆生の種々の幻化は、皆如来の円覚妙心から生ずる。譬えれば空花が空から有るが如く、幻花は滅するとも空性は壊れない。衆生の幻心は還って幻に依って滅し、諸幻が尽き滅しても覚心は動かない。幻に依って覚を説くのもまた幻と名づけ、もし覚有りと説くも猶お幻を離れず、覚無しと説く者もまた同じである。ゆえに、幻の滅することを名づけて不動という。善男子よ!一切菩薩及び末世の衆生は、一切の幻化虚妄の境界を遠離すべきである。堅く遠離の心を執持するがゆえに、幻の如き心もまた遠離し、遠離することも幻としてまた遠離し、遠離の幻を離れることもまた遠離して、離るること無きを得ればすなわち諸幻を除く。譬えれば鑽火(火を起こすために木を擦ること)の二本の木が相依り、火が出て木が尽き灰となり煙が滅するが如し。幻をもって幻を修するもまた同じで、諸幻は尽きるとも断滅に入らない。善男子よ!幻を知ればすなわち離れ、方便を作さない。幻を離れればすなわち覚りであって、漸次もない。一切菩薩及び末世の衆生がこの修行に依れば、かくのごとくして乃ち永く諸幻を離れることができる。」

爾時,世尊欲重宣此義而說偈言:

その時、世尊はこの義を重ねて宣べんと欲して偈を説いた。

「普賢汝當知,一切諸眾生,

「普賢よ、まさに知るべし、一切の諸衆生は、

無始幻無明,皆從諸如來,

無始の幻の無明、皆諸如来の、

圓覺心建立。猶如虛空花,

円覚の心に建立せり。譬えば虚空の花の、

依空而有相,空花若復滅,

空に依って相有るが如く、空花若し復た滅するも、

虛空本不動。幻從諸覺生,

虚空は本より動かず。幻は諸の覚より生じ、

幻滅覺圓滿,覺心不動故。

幻滅して覚円満す、覚心動かざるが故なり。

若彼諸菩薩,及末世眾生,

若し彼の諸菩薩、及び末世の衆生は、

常應遠離幻,諸幻悉皆離。

常に幻を遠離すべし、諸幻悉く皆離れん。

如木中生火,木盡火還滅,

木の中に火を生ずるが如く、木尽きて火還って滅す、

覺則無漸次,方便亦如是。」

覚れば則ち漸次無し、方便も亦かくの如し。」

於是普眼菩薩在大眾中即從座起,頂禮佛足右遶三匝,長跪叉手而白佛言:「大悲世尊!願為此會諸菩薩眾及為末世一切眾生,演說菩薩修行漸次,云何思惟?云何住持?眾生未悟作何方便普令開悟?世尊!若彼眾生無正方便及正思惟,聞佛如來說此三昧心生迷悶,則於圓覺不能悟入。願興慈悲,為我等輩及末世眾生假說方便。」作是語已五體投地,如是三請終而復始。

すると普眼菩薩は大衆の中で座から立ち上がり、仏の足を頂礼し、右に三匝して長跪し合掌して仏に言った。「大悲の世尊よ!願わくはこの会の諸菩薩衆及び末世の一切衆生のために、菩薩の修行の漸次を演説してください。如何に思惟し、如何に住持すべきか。衆生が未だ悟らない時、いかなる方便をもって普く開悟せしめるべきか。世尊よ!もし彼の衆生に正しい方便と正しい思惟が無ければ、仏如来がこの三昧を説くのを聞いて心に迷悶を生じ、円覚において悟入することができないでしょう。願わくは慈悲を興して、我等の輩及び末世の衆生のために、仮に方便を説いてください。」この言葉を終えて五体投地し、このように三度請い、終わりから始まりへと繰り返した。

爾時,世尊告普眼菩薩言:「善哉!善哉!善男子!汝等乃能為諸菩薩及末世眾生,問於如來修行漸次、思惟、住持乃至假說種種方便,汝今諦聽!當為汝說。」時,普眼菩薩奉教歡喜,及諸大眾默然而聽。

その時、世尊は普眼菩薩に告げて言った。「善哉!善哉!善男子よ!あなたたちは諸菩薩及び末世の衆生のために、如来に修行の漸次・思惟・住持乃至種々の方便を仮説することを問う。今よく諦聴せよ!あなたのために説こう。」その時、普眼菩薩は教えを奉じて歓喜し、諸々の大衆も黙然として聴いた。

「善男子!彼新學菩薩及末世眾生,欲求如來淨圓覺心,應當正念遠離諸幻,先依如來奢摩他行,堅持禁戒,安處徒眾,宴坐靜室,恆作是念:『我今此身四大和合,所謂髮毛、爪齒、皮肉、筋骨、髓腦、垢色皆歸於地,唾涕、膿血、津液、涎沫、痰淚、精氣、大小便利皆歸於水,暖氣歸火,動轉歸風。四大各離,今者妄身當在何處?』即知此身畢竟無體,和合為相,實同幻化。四緣假合,妄有六根;六根、四大中外合成,妄有緣氣,於中積聚,似有緣相假名為心。善男子!此虛妄心若無六塵則不能有,四大分解無塵可得,於中緣塵各歸散滅,畢竟無有緣心可見。

「善男子よ!彼の新学の菩薩及び末世の衆生で、如来の浄円覚心を求めようと欲する者は、正しく念じて諸幻を遠離すべきである。まず如来の奢摩他(止。心を寂静にする)の行に依り、禁戒を堅持し、徒衆を安処し、静室に宴坐して、恒にこの念を作す。『我が今この身は四大の和合であり、いわゆる髪・毛・爪・歯・皮・肉・筋・骨・髄・脳・垢色は皆地に帰し、唾・涕・膿・血・津液・涎沫・痰・涙・精気・大小便は皆水に帰し、暖気は火に帰し、動転は風に帰す。四大が各々離れれば、今の妄身は一体何処に在るべきか。』すなわちこの身が畢竟体無く、和合を相とし、実に幻化に同じと知る。四縁が仮合して、妄りに六根有り。六根・四大が中外を合成して、妄りに縁の気有りて、その中に積聚し、縁相あるが如く見えて仮に名づけて心とする。善男子よ!この虚妄の心は六塵無くんば有ること能わず。四大が分解すれば塵得るべからず、その中の縁塵は各々帰して散滅し、畢竟に縁心の見えべきもの無し。

「善男子!彼之眾生幻身滅故幻心亦滅,幻心滅故幻塵亦滅,幻塵滅故幻滅亦滅,幻滅滅故非幻不滅;譬如磨鏡垢盡明現。善男子!當知身心皆為幻垢,垢相永滅十方清淨。善男子!譬如清淨摩尼寶珠,映於五色隨方各現,諸愚痴者見彼摩尼實有五色。善男子!圓覺淨性現於身心隨類各應,彼愚痴者說淨圓覺實有如是身心自相,亦復如是;由此不能遠於幻化。是故我說身心幻垢,對離幻垢說名菩薩;垢盡對除,即無對垢及說名者。

(仏は続けて言った。)「善男子よ!彼の衆生は幻身が滅するがゆえに幻心も滅し、幻心が滅するがゆえに幻塵も滅し、幻塵が滅するがゆえに幻滅も滅し、幻滅が滅するがゆえに非幻は滅しない。譬えれば鏡を磨いて垢が尽きれば明らかさが現れるが如し。善男子よ!まさに身心は皆幻垢なることを知るべし。垢相が永く滅すれば十方清浄なり。善男子よ!譬えば清浄な摩尼宝珠が五色に映じて方に随って各々現ずれば、諸々の愚痴なる者は彼の摩尼に実に五色有りと見る。善男子よ!円覚の浄性が身心に現じて類に随って各々応ずれば、彼の愚痴なる者が浄円覚に実にかかる身心の自相有りと説くも、またかくの如し。このゆえに幻化を遠ざかること能わず。ゆえに我は身心を幻垢と説き、幻垢を離れる対治に対して名づけて菩薩という。垢尽きて対治も除かれれば、すなわち対治する垢も説名する者も無し。

「善男子!此菩薩及末世眾生,證得諸幻滅影像故,爾時便得無方清淨,無邊虛空覺所顯發。覺圓明故顯心清淨,心清淨故見塵清淨,見清淨故眼根清淨,根清淨故眼識清淨,識清淨故聞塵清淨,聞清淨故耳根清淨,根清淨故耳識清淨,識清淨故覺塵清淨;如是乃至鼻、舌、身、意亦復如是。善男子!根清淨故色塵清淨,色清淨故聲塵清淨,香、味、觸、法亦復如是。善男子!六塵清淨故地大清淨,地清淨故水大清淨,火大、風大亦復如是。善男子!四大清淨故,十二處、十八界、二十五有清淨。彼清淨故,十力、四無所畏、四無礙智、佛十八不共法、三十七助道品清淨,如是乃至八萬四千陀羅尼門一切清淨。善男子!一切實相性清淨故一身清淨,一身清淨故多身清淨,多身清淨故如是乃至十方眾生圓覺清淨。善男子!一世界清淨故多世界清淨,多世界清淨故如是乃至盡於虛空圓裹三世一切平等清淨不動。

(仏は続けて言った。)「善男子よ!この菩薩及び末世の衆生が、諸幻の滅した影像を証得するがゆえに、その時すなわち方無き清浄を得て、辺なき虚空を覚が顕発する。覚が円明なるがゆえに心の清浄を顕し、心が清浄なるがゆえに見塵清浄なり。見が清浄なるがゆえに眼根清浄なり。根が清浄なるがゆえに眼識清浄なり。識が清浄なるがゆえに聞塵清浄なり。聞が清浄なるがゆえに耳根清浄なり。根が清浄なるがゆえに耳識清浄なり。識が清浄なるがゆえに覚塵清浄なり。かくのごとく乃至鼻・舌・身・意もまたかくの如し。善男子よ!根が清浄なるがゆえに色塵清浄なり。色が清浄なるがゆえに声塵清浄なり。香・味・触・法もまたかくの如し。善男子よ!六塵が清浄なるがゆえに地大清浄なり。地が清浄なるがゆえに水大清浄なり。火大・風大もまたかくの如し。善男子よ!四大が清浄なるがゆえに、十二処(眼耳鼻舌身意の六根と色声香味触法の六塵)、十八界(六根・六塵・六識)、二十五有(三界の二十五種の生存形態)清浄なり。彼が清浄なるがゆえに、十力・四無所畏・四無礙智・仏十八不共法・三十七助道品(四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八正道)清浄なり。かくのごとく乃至八万四千陀羅尼門一切清浄なり。善男子よ!一切の実相性が清浄なるがゆえに一身清浄なり。一身が清浄なるがゆえに多身清浄なり。多身が清浄なるがゆえにかくのごとく乃至十方の衆生の円覚清浄なり。善男子よ!一世界が清浄なるがゆえに多世界清浄なり。多世界が清浄なるがゆえにかくのごとく乃至虚空に尽くして三世を円裹し一切平等に清浄にして不動なり。

「善男子!虛空如是平等不動,當知覺性平等不動;四大不動故,當知覺性平等不動;如是乃至八萬四千陀羅尼門平等不動,當知覺性平等不動。善男子!覺性遍滿清淨不動。圓無際故,當知六根遍滿法界;根遍滿故,當知六塵遍滿法界;塵遍滿故,當知四大遍滿法界;如是乃至陀羅尼門遍滿法界。善男子!由彼妙覺性遍滿故,根性、塵性無壞無雜;根、塵無壞故,如是乃至陀羅尼門無壞無雜;如百千燈光照一室,其光遍滿無壞無雜。善男子!覺成就故,當知菩薩不與法縛,不求法脫,不厭生死,不愛涅槃,不敬持戒,不憎毀禁,不重久習,不輕初學。何以故?一切覺故,譬如眼光曉了前境,其光圓滿得無憎愛,何以故?光體無二無憎愛故。

(仏は続けて言った。)「善男子よ!虚空がかくのごとく平等不動なる時、まさに覚性が平等不動なるを知るべし。四大が不動なるがゆえに、まさに覚性が平等不動なるを知るべし。かくのごとく乃至八万四千陀羅尼門が平等不動なる時、まさに覚性が平等不動なるを知るべし。善男子よ!覚性は遍満して清浄にして不動なり。円に際なきがゆえに、まさに六根が法界に遍満するを知るべし。根が遍満するがゆえに、まさに六塵が法界に遍満するを知るべし。塵が遍満するがゆえに、まさに四大が法界に遍満するを知るべし。かくのごとく乃至陀羅尼門が法界に遍満す。善男子よ!彼の妙覚性が遍満するがゆえに、根性・塵性は壊れず雑ならず。根・塵が壊れざるがゆえに、かくのごとく乃至陀羅尼門も壊れず雑ならず。百千の灯の光が一室を照らせば、その光遍満して壊れず雑ならざるが如し。善男子よ!覚が成就するがゆえに、まさに菩薩は法に縛られず、法の脱を求めず、生死を厭わず、涅槃を愛せず、持戒を敬せず、毀禁を憎まず、久習を重んぜず、初学を軽んぜざるを知るべし。何故か。一切覚りなるがゆえに、譬えば眼の光が前境を暁了して、その光円満にして憎愛を得ざるが如し。何故か。光の体は二無く憎愛無きが故なり。

「善男子!此菩薩及末世眾生,修習此心得成就者,於此無修亦無成就。圓覺普照寂滅無二,於中百千萬億不可說阿僧祇恆河沙諸佛世界,猶如空花亂起、亂滅,不即、不離,無縛、無脫;始知眾生本來成佛,生死、涅槃猶如昨夢。善男子!如昨夢故,當知生死及與涅槃無起、無滅、無來、無去,其所證者無得、無失、無取、無捨,其能證者無作、無止、無任、無滅,於此證中無能、無所,畢竟無證亦無證者,一切法性平等不壞。善男子!彼諸菩薩如是修行,如是漸次,如是思惟,如是住持,如是方便,如是開悟,求如是法,亦不迷悶。」

(仏は続けて言った。)「善男子よ!この菩薩及び末世の衆生がこの心を修習して成就を得れば、これにおいて修も成就も無し。円覚は普く照らして寂滅にして二無し。その中の百千万億不可説阿僧祇(無数)恒河沙の諸仏世界は、空花の乱起・乱滅するが如く、不即・不離、無縛・無脱なり。ここに初めて衆生は本来成仏せるを知り、生死・涅槃は昨夢の如し。善男子よ!昨夢の如きがゆえに、まさに生死及び涅槃は起もなく滅もなく、来もなく去もなく、証する所は得もなく失もなく、取もなく捨もなく、能く証する者は作もなく止もなく任もなく滅もなく、この証において能も所もなく、畢竟に証無くまた証者も無く、一切法性は平等にして壊れざるを知るべし。善男子よ!彼の諸菩薩はかくのごとく修行し、かくのごとく漸次し、かくのごとく思惟し、かくのごとく住持し、かくのごとく方便し、かくのごとく開悟し、かくのごとき法を求めて、また迷悶せず。」

爾時,世尊欲重宣此義而說偈言:

その時、世尊はこの義を重ねて宣べんと欲して偈を説いた。

「普眼汝當知,一切諸眾生,

「普眼よ、まさに知るべし、一切の諸衆生は、

身心皆如幻,身相屬四大,

身心皆幻の如く、身の相は四大に属し、

心性歸六塵。四大體各離,

心の性は六塵に帰す。四大の体は各々離れ、

誰為和合者?如是漸修行,

誰か和合する者ぞ。かくのごとく漸に修行して、

一切悉清淨。不動遍法界,

一切悉く清浄なり。不動にして法界に遍く、

無作止任滅,亦無能證者。

作・止・任・滅無く、亦能証の者も無し。

一切佛世界,猶如虛空花,

一切の仏世界、虚空の花の如く、

三世悉平等,畢竟無來去。

三世悉く平等、畢竟に来去無し。

初發心菩薩,及末世眾生,

初発心の菩薩、及び末世の衆生、

欲求入佛道,應如是修習。」

仏道に入らんと欲求せば、応にかくのごとく修習すべし。」

於是金剛藏菩薩在大眾中即從座起,頂禮佛足右遶三匝,長跪叉手而白佛言:「大悲世尊!善為一切諸菩薩眾宣揚如來圓覺清淨大陀羅尼因地法行漸次方便,與諸眾生開發矇昧;在會法眾承佛慈誨,幻翳朗然,慧目清淨。世尊!若諸眾生本來成佛,何故復有一切無明?若諸無明眾生本有,何因緣故,如來復說本來成佛?十方異生本成佛道,後起無明;一切如來,何時復生一切煩惱?唯願不捨無遮大慈,為諸菩薩開秘密藏,及為末世一切眾生,得聞如是修多羅教了義法門永斷疑悔。」作是語已五體投地,如是三請終而復始。

すると金剛蔵菩薩は大衆の中で座から立ち上がり、仏の足を頂礼し、右に三匝して長跪し合掌して仏に言った。「大悲の世尊よ!よく一切の諸菩薩衆のために如来の円覚清浄の大陀羅尼・因地の法行・漸次の方便を宣揚し、諸衆生とともに蒙昧を開発しました。会の法衆は仏の慈誨を承って、幻翳朗然として慧目清浄となりました。世尊よ!もし諸衆生が本来成仏しているならば、何故にまた一切の無明があるのですか。もし諸々の無明が衆生に本有ならば、いかなる因縁をもって、如来はまた本来成仏と説くのですか。十方の異生が本より仏道を成じて後に無明を起こしたならば、一切如来はいつの時にかまた一切の煩悩を生ずるのですか。ただ願わくは無遮の大慈を捨てずに、諸菩薩のために秘密蔵を開き、及び末世の一切衆生のために、かくのごとき修多羅(契経)の教の了義法門を聞いて永く疑悔を断ぜしめてください。」この言葉を終えて五体投地し、このように三度請い、終わりから始まりへと繰り返した。

爾時,世尊告金剛藏菩薩言:「善哉!善哉!善男子!汝等乃能為諸菩薩及末世眾生,問於如來甚深秘密究竟方便,是諸菩薩最上教誨了義大乘,能使十方修學菩薩及諸末世一切眾生,得決定信,永斷疑悔。汝今諦聽!當為汝說。」時,金剛藏菩薩奉教歡喜,及諸大眾默然而聽。

その時、世尊は金剛蔵菩薩に告げて言った。「善哉!善哉!善男子よ!あなたたちは諸菩薩及び末世の衆生のために、如来の甚深秘密究竟の方便を問う。これは諸菩薩の最上の教誨・了義の大乗であり、十方の修学の菩薩及び諸々の末世の一切衆生をして、決定の信を得て永く疑悔を断ぜしむることができる。今よく諦聴せよ!あなたのために説こう。」その時、金剛蔵菩薩は教えを奉じて歓喜し、諸々の大衆も黙然として聴いた。

「善男子!一切世界始終生滅,前後有無,聚散起止,念念相續,循環往復,種種取捨,皆是輪迴。未出輪迴而辨圓覺,彼圓覺性即同流轉;若免輪迴,無有是處。譬如動目能搖湛水;又如定眼猶迴轉火;雲駛月運,舟行岸移亦復如是。善男子!諸旋未息,彼物先住尚不可得;何況輪轉生死垢心曾未清淨,觀佛圓覺而不旋復?是故汝等便生三惑。

(仏は続けて言った。)「善男子よ!一切世界の始終・生滅・前後・有無・聚散・起止、念々相続き循環し往復して、種々に取捨するのが、みな輪廻である。まだ輪廻を出離せぬうちに円覚を認辨すれば、その円覚性もまた流転に随う。もしこれをもって輪廻を免れようとすれば、その道理は無い。譬えば目を動かせば澄んだ水を揺がせることができるが如く、また定まった目で見れば火輪がなお回転するが如く、雲が馳せれば月が走ると覚え、船が走れば岸が移ると覚えるも、これも同じである。善男子よ!諸般の旋転がまだ止息せぬうちに、外物を先に止まらせることすら得べからず。いわんや生死を輪転する垢心が未だ清浄ならざるに、仏の円覚を観てどうして旋転に随わざることがあろうか。ゆえにあなたたちはこの三種の疑惑を生ずるのである。

「善男子!譬如幻瞖妄見空花,幻翳若除,不可說言:『此瞖已滅,何時更起一切諸翳?』何以故?瞖花二法非相待故。亦如空花滅於空時,不可說言虛空何時更起空花?何以故?空本無花非起滅故。生死涅槃同於起滅,妙覺圓照離於花瞖。善男子!當知虛空非是暫有亦非暫無,況復如來圓覺隨順,而為虛空平等本性。

(仏は続けて言った。)「善男子よ!譬えば幻翳が妄りに空花を見れば、幻翳が除かれた時、『この翳はすでに滅した。いつの時にかまた一切の諸翳を起こさん』とは言うべからず。何故か。翳と花の二法は互いに相待って有るのではないからだ。また空花が空に滅する時、虚空がいつの時にかまた空花を起こすとは言うべからず。何故か。空はもとより花無く、起滅あること非ざればなり。生死・涅槃は起滅に同じく、妙覚円照は花翳を離れたり。善男子よ!まさに虚空は暫く有るのでも暫く無いのでもないことを知るべし。いわんや如来の円覚は随順して、虚空平等の本性と為るをや。

「善男子!如銷金鑛,金非銷有;既已成金不重為鑛,經無窮時金性不壞。不應說言本非成就,如來圓覺亦復如是。善男子!一切如來妙圓覺心本無菩提及與涅槃,亦無成佛及不成佛,無妄輪迴及非輪迴。

(仏は続けて言った。)「善男子よ!金鉱を銷錬するが如く、金は銷錬によってあるのではない。すでに金と成れば、もはや鉱石に変わり返ることなく、無窮の時を経て金性は壊れない。本来成就せぬと説くべからず。如来の円覚もまたかくの如し。善男子よ!一切如来の妙円覚心は、もとより菩提および涅槃無く、また成仏および不成仏無く、妄輪廻および非輪廻無し。

「善男子!但諸聲聞所圓境界身心語言皆悉斷滅,終不能至彼之親證所現涅槃,何況能以有思惟心測度如來圓覺境界。如取螢火燒須彌山,終不能著;以輪迴心生輪迴見,入於如來大寂滅海,終不能至。是故我說一切菩薩及末世眾生,先斷無始輪迴根本。善男子!有作思惟從有心起,皆是六塵,妄想緣氣,非實心體,已如空花。用此思惟辨於佛境,猶如空花復結空果,展轉妄想無有是處。善男子!虛妄浮心多諸巧見,不能成就圓覺方便。如是分別,非為正問。」

(仏は続けて言った。)「善男子よ!ただ声聞(仏の語を聞いて解脱を証する者)の円成する境界に就いて言えば、身心・言語は皆断滅し、畢竟に彼らの自ら証得して現ずる涅槃に至ること能わず。いわんや思惟ある心をもって如来の円覚境界を測度せんことをや。譬えば蛍火をもって須弥山を焼かんとすれども、畢竟に焼くこと能わざるが如し。輪廻の心をもって輪廻の見を生じ、如来の大寂滅海に入るも、畢竟に至ること能わず。ゆえに我は一切菩薩及び末世の衆生は先に無始輪廻の根本を断ずべしと説く。善男子よ!造作ある思惟は有心より起り、皆六塵・妄想の縁気にして、真実の心体に非ず、すでに空花の如し。この思惟をもって仏境を認辨するは、空花がまた空果を結ぶが如く、展転妄想してその道理無し。善男子よ!虚妄の浮心は巧見多くして、円覚の方便を成就すること能わず。かくのごとき分別は正問に非ず。」

爾時,世尊欲重宣此義而說偈言:

その時、世尊はこの義を重ねて宣べんと欲して偈を説いた。

「金剛藏當知,如來寂滅性,

「金剛蔵よ、まさに知るべし、如来の寂滅性は、

未曾有終始。若以輪迴心,

未だ曾て終始有らず。若し輪廻の心をもって、

思惟即旋復,但至輪迴際,

思惟すれば即ちまた旋転し、但だ輪廻の辺際に至るのみ、

不能入佛海。譬如銷金鑛,

仏海に入ること能わず。譬えば金鉱を銷錬するが如く、

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