Libo

永嘉証道歌

唐 · 玄觉 · 第1巻 / 2

唐の慎水の沙門玄覚撰

仏家典籍

短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。

唐慎水沙門玄覺撰

唐の慎水の沙門玄覚撰

君不見。絕學無為閒道人。不除妄想不求真。

見たことがないか。あのもはや学ぶべきこともなく、作為することもない閑散の道人は、妄想を断とうともせず、真如を求めようともしない。

無明實性即佛性。幻化空身即法身。法身覺了無一物。

無明の真実の体性は、まさにそのまま仏性であり、この虚仮の空身は、まさにそのまま法身である。法身を覚り尽くせば、その中に一つの物も得るべきものがない。

本源自性天真佛。五陰浮雲空去來。

本源の自性は天然本元の仏である。色・受・想・行・識の五陰は浮雲のように、空の中を去来する。

三毒水泡虛出沒。證實相無人法。剎那滅卻阿鼻業。

貪・瞋・癡の三毒は水泡のように、虚しく生じては消える。いったん実相を証すれば、「我」もなければ「法」もなく、刹那の間に阿鼻地獄に堕ちる悪業を滅尽する。

若將妄語誑眾生。自招拔舌塵沙劫。

私がもし妄語で衆生を欺くなら、おのずから塵沙劫数の長さの抜舌の報いを招くだろう。

頓覺瞭如來禪。六度萬行體中圓。夢裡明明有六趣。

頓然と如来禅を覚れば、六度万行は皆この本体の中に円満に具足する。夢の中には明明と六趣輪廻があるが、

覺後空空無大千。無罪福無損益。

覚めた後は空々漠々として、大千世界さえもない。罪もなければ福もなく、損もなければ益もない。

寂滅性中莫問覓。比來塵鏡未曾磨。今日分明須剖析。

寂滅の本性の中では、さらに問い尋ね追い求めてはならない。昔は塵を積んだこの鏡を拭ったことがなかったが、今日はきっぱりと分かれて明らかにしなければならない。

誰無念誰無生。若實無生無不生。

誰が無念なのか。誰が無生なのか。もし真に無生ならば、生でないものは何もない。

喚取機關木人問。求佛施功早晚成。放四大莫把捉。

木で作ったからくり人形を呼んで問うてみよ。功を用いて仏を求めるのがいつ成るか。地・水・火・風の四大を放下して、死に物狂いで掴まないでよい。

寂滅性中隨飲啄。諸行無常一切空。

寂滅の本性の中では、縁に随って飯を喫し水を飲むだけである。一切の造作遷流は皆無常で、一切は空であり、

即是如來大圓覺。決定說表真僧。有人不肯任情徵。

これこそが如来の大円満の覚である。私が言うのは確定して疑いのない説で、真の僧とは何かを表明するものである。肯んじない者があれば、存分に質問に来るがよい。

直截根源佛所印。摘葉尋枝我不能。

直截に根源を截断するのは、仏が印可されたことである。葉を摘み枝を探すような枝末の工夫は、私にはできない。

摩尼珠人不識。如來藏裡親收得。六般神用空不空。

摩尼宝珠を人は知らないが、実は如来蔵の中に自ら納められている。六根の神妙な作用は、空といえば空でない。

一顆圓光色非色。淨五眼得五力。

あの一顆の円らかな光は、色といえば色ではない。肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の五眼を浄く修め、信・進・念・定・慧の五つの力を得る。

唯證乃知難可測。鏡裡看形見不難。水中捉月爭拈得。

これは親証した者だけが知ることで、測り知ることは難しい。鏡の中に形像を見ることは見易いが、水中の月を撈ろうとしても、どうして撈れるものか。

常獨行常獨步。達者同遊涅槃路。

常に独りで行き、常に独りで歩む。達する者たちは皆ともに涅槃の路を歩んでいる。

調古神清風自高。貌顇骨剛人不顧。窮釋子口稱貧。

格調は古く素朴で、精神は清朗で、風骨は自ずから高い。面容は憔悴して骨気は剛いが、誰も取り合わない。貧しい出家人は貧を口にするが、

實是身貧道不貧。貧則身常披縷褐。

実は身は貧しても道は貧しない。貧しいのは身に常に破れた布衣を纏うことだが、

道則心藏無價珍。無價珍用無盡。利物應機終不悋。

道は心中に無価の珍宝を蔵している。この無価の珍宝は用いて尽きず、衆生を利益し、機に随い縁に応じて、終始惜しむことがない。

三身四智體中圓。八解六通心地印。

法身・報身・化身の三身、および識を転じて成る四種の智慧は皆この本体の中に円満し、八解脱・六神通は皆心地上の印証である。

上士一決一切了。中下多聞多不信。但自懷中解垢衣。

上等の根器の者は一断決すれば一切了当するが、中下の根器の者は聞くほどかえって信じない。ただ自ら懐中のあの垢れた衣を解けばよい。

誰能向外誇精進。從他謗任他非。

誰が外に向かって自分の精進を誇ろうか。毀謗に任せ、非議に任せよ。

把火燒天徒自疲。我聞恰似飲甘露。銷融頓入不思議。

それは火把を掲げて天を焼くようなもので、徒らに自分を疲れさせるだけだ。私はそれを聞いてちょうど甘露を飲むようで、一銷一融して、たちまち不可思議の境地に入る。

觀惡言是功德。此即成吾善知識。

悪言を功徳と見れば、悪言を言う者が私の善知識となる。

不因訕謗起冤親。何表無生慈忍力。宗亦通說亦通。

譏諷毀謗によって敵と親とを分かたなければ、どうして無生の慈忍の力を顕せようか。宗旨は通達し、言説も通達し、

定慧圓明不滯空。非但我今獨達了。

定と慧は円満明徹して、「空」に滞留することもない。これは私だけがいま独りで通達したのではない。

恆沙諸佛體皆同。師子吼無畏說。百獸聞之皆腦裂。

恒河沙数の諸仏は、本体が皆同じである。師子吼のように畏れなく説くと、百獣は聞いて皆脳を裂き胆を喪い、

香象奔波失卻威。天龍寂聽生欣悅。

香象は奔って逃げ威風を失い、天竜は静かに聴いて歓喜を生ずる。

遊江海涉山川。尋師訪道為參禪。自從認得曹谿路。

江海を游び、山川を跋渉して、師を尋ね道を訪ねたのはただ参禅のためであった。曹溪という道を認めてからはじめて、

了知生死不相關。行亦禪坐亦禪。語默動靜體安然。

生死が私と関わりないことを了知した。歩く時は禅であり、静かに坐る時も禅である。語るのも、黙るのも、動くのも、静かなのも、本体は終始安らかである。

縱遇鋒刀常坦坦。假饒毒藥也閒閒。

たとい刃先に遇っても心は坦々とし、たとい毒薬を与えられても従容としている。

我師得見然燈佛。多劫曾為忍辱仙。

我が本師釈迦はかつて然灯仏に親しく見え、多くの劫の中で忍辱仙人であったこともある。

幾迴生幾迴死。生死悠悠無定止。自從頓悟了無生。

何回生まれ、何回死んだことか。生死は悠悠として定まりがない。頓然と無生の理を悟ってからは、

於諸榮辱何憂喜。入深山住蘭若。岑崟幽邃長松下。

栄辱に何の憂いと喜びとがあろうか。深山に入り、蘭若(清浄な修行の処)に住し、高く峻く幽かな長松の下で、

優遊靜坐野僧家。閴寂安居實蕭灑。

優游自在に静かに坐って山野の僧の居処にあって、寂かに安居して、実に洒落である。

覺即了不施功。一切有為法不同。住相佈施生天福。

一たび覚れば了当で、さらに功を用いることはなく、これは一切の有為の法と全く異なる。相に執着して布施を行えば、天に生まれる福報を得るだけで、

猶如仰箭射虛空。勢力盡箭還墜。

仰いで虚空に箭を射るようなもので、力が尽きれば箭はなお落ちて来て、

招得來生不如意。爭似無為實相門。一超直入如來地。

招く来生はやはり意に如わない。どうして無為実相という法門に及ぶことがあろうか。一躍すればそのまま如来の境地に直入する。

但得本莫愁末。如淨瑠璃含寶月。

根本を得れば、枝末を愁うことはない。浄い瑠璃の中に一輪の宝月を含んでいるようである。

既能解此如意珠。自利利他終不竭。

この如意珠を領会できるなら、自利利他は永く竭きない。

江月照松風吹。永夜清宵何所為。佛性戒珠心地印。

江上に月が照り、松間に風が吹く。長夜清宵に何をするのか。仏性はあの戒珠で、心地上の印証である。

霧露雲霞體上衣。降龍缽解虎錫。兩鈷金環鳴歷歷。

霧露雲霞は身上の衣裳である。竜を降した鉢、虎の闘いを解いた錫杖、杖頭の二股の金環が鏗鏗と鳴る。

不是標形虛事持。如來寶杖親蹤跡。

これは見せかけで虚しく持っているのではなく、如来の宝杖が親しく伝えた蹤跡なのである。

不求真不斷妄。了知二法空無相。無相無空無不空。

真を求めず、妄を断ぜず、真妄の二法が皆空で無相であることを知る。無相・無空でもあり、不空でもない。

即是如來真實相。心鏡明鑒無礙。

これこそが如来の真実の相である。心という鏡は明徹で、一切を照らして碍げなし。

廓然瑩徹周沙界。萬象森羅影現中。一顆圓光非內外。

空闊にして瑩徹、恒沙の世界に及ぶ。森羅万象の影は皆その中に現れ、あの一顆の円光は内とも外ともいえない。

豁達空撥因果。莽莽蕩蕩招殃禍。

「空」を無所有と理解して因果を撥るならば、茫茫蕩々として禍殃を招く。

棄有著空病亦然。還如避溺而投火。捨妄心取真理。

「有」を捨てて「空」に執するのも病は同じで、水に沈むのを逃れてかえって火に投じるようなものだ。妄心を捨てて真理を取るのも、

取捨之心成巧偽。學人不了用修行。

この取と捨の心自体が機巧虚偽となる。道を学ぶ者がこの理を知らずに用功修行すれば、

深成認賊將為子。損法財滅功德。莫不由斯心意識。

深く賊を子と認めてしまう。法財を損耗し功徳を滅するのは、みなこの心・意・識によるのである。

是以禪門了卻心。頓入無生知見力。

ゆえに禅門はこの心を了断して、頓然と無生の知見の力に契入する。

大丈夫秉慧劍。般若鋒兮金剛焰。非但空摧外道心。

大丈夫は智慧の剣を手にする。それは般若の鋒刃、金剛の火焔である。それは外道の心を摧破するだけでなく、

早曾落卻天魔膽。震法靁擊法鼓。

すでに天魔の胆をも落とした。法雷を震わせ、法鼓を撃ち、

佈慈雲兮灑甘露。龍象蹴踏潤無邊。三乘五性皆醒悟。

慈悲の雲を布き、甘露を洒る。竜象の踏み行くところ、潤沢すること無辺。声聞・縁覚・菩薩の三乗と五種の根性の人が皆これにより醒悟する。

雪山肥膩更無雜。純出醍醐我常納。

雪山の肥膩の草は純粋で雑らず、それを喫した牛は醍醐ばかりを出す。この上味を私は常に受用する。

一性圓通一切性。一法遍含一切法。一月普現一切水。

一つの性が円融して一切の性に貫徹し、一つの法が遍く一切の法を含摂する。一輪の月が遍く一切の水に現れ、

一切水月一月攝。諸佛法身入我性。

一切の水の中の月影はまた皆この一輪の月に帰摂する。諸仏の法身は我が自性に入り、

我性同共如來合。一地具足一切地。

我が自性もまた如来と合する。修証のいずれの地も一切の地を具足し、

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