Libo

兰台妙选

明 · 西窗老人

作盤ガイド: 八字作盤

上篇 もと琴堂次に出づ、もっぱら納音・地支で象を取る

八字命理典籍

初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。

蘭臺妙選

上篇 もと琴堂次に出づ、もっぱら納音・地支で象を取る

一、総論:三命の根基、格局の真偽と取象の法

人稟三命。天元、地元、人元謂之三命,數周六旬。自甲子起,至癸亥,每甲管十支辰,共六十日也。

人が禀受する命理は三つの層から成る。天干を「天元」、地支を「地元」、納音を「人元」とし、この三者を合わせて「三命」という。三命の推演は六十甲子を一つの周天とし、甲子から数えて癸亥で締めくくる。「甲」字を頭とする旬はそれぞれ十の干支を統べ、六甲が連なってちょうど六十位となるので、合計六十日を一周という。

雖仗根基之穩。如春木、夏火、秋金、冬水土,於四季各得其時生旺,此謂根基穩固也。

命を見るには根基の穩固に依るのが当然である。いわゆる「根基」とは、日主の五行が当令の時に生まれているかどうかである。春に生まれた木、夏に生まれた火、秋に生まれた金、冬に生まれた水、そして四季の月に分旺する土は、それぞれ自らの節令で生発して旺相となる。これを根基穩固という。

未饒格局之真。格者,取用於生月,何神為用,以定其格;局者,支辰見申子辰、亥卯未、巳酉丑者,謂之局者是也。

しかし根基が穩固なだけでは貴を論ずるに足らず、なお格局が純真かどうかを見なければならない。いわゆる「格」とは、生月から用神を取ることで、月令の中でいずれの神が用いられるかを見て、その命の格を定める。いわゆる「局」とは、地支の会合を見ることで、地支に申子辰・亥卯未・巳酉丑の類の三合が揃えば、「局」を成すという。

有祿馬之往來,反居貧賤。祿者,官;馬者,財也。失地反賤。

命に明らかに「禄」と「馬」が往来して照応しているのに、かえって貧賤に身を置くことがある。これは「禄」が官星を指し、「馬」が財星を指すからである。官星と財星が無気失地の処に落ちれば、功名や財帛をもたらさないばかりか、かえって貧賤を主る。

坐凶煞之交互,卻主光榮。凶煞者,七煞、羊刃、傷官也。有制得地,反主榮貴。

命に凶煞が交錯して並び見えるのに、かえって顕赫の栄耀を主ることがある。いわゆる「凶煞」とは、七煞・羊刃・傷官の類である。凶煞はこれを制伏する神が管束し、かつ自らが得地有気の処に坐すれば、凶を化けて用とし、かえって栄華顕貴を主る。

蓋緣格局高而凶煞伏藏。如甲以庚為煞,遇丙火制服,藏於地支之下,謂之藏。

上の二句がかえって栄顕を主りうるのは、まさに格局そのものが高く、凶煞が潜伏して隠れて虐げないからである。たとえば甲木は庚金を七煞とするが、丙火が出て庚金を克制し、庚金がまた地支の下に収まって天干に透出しないとき、これを「蔵」という。

根基弱而貴神向用。如甲木生於秋八月,為基弱之地。酉中辛為官貴,無傷,可以向用。

根基が衰弱であっても、取りうる貴神があれば、同じく格を成しうる。たとえば甲木が秋の八月に生まれると、金旺・木衰でまさに根基薄弱の地である。しかし八月の酉中に蔵する辛金は甲木の正官の貴気であり、冲克の損傷を受けていなければ、この一点の官貴を取って用神とすることができる。

是故馬化龍駒奔鳳闕,器業崢嶸。午屬馬,辰屬龍,酉為鳳。以此取象,人得丙午、壬辰合酉,可以類此。

だから駿馬が龍駒と化して、まっすぐ鳳闕に奔るという。「鳳闕」は宮門の代称で、この句全体は命主の器識と功業が高く峻で不凡であり、朝廷に出入りできることを語る。取象の根拠は地支の生肖にある。午は馬、辰は龍、酉は鳳である。命に丙午・壬辰を得、さらに酉と会すれば、この象に合し、その他同類の干支もこれに類推できる。

蛇化青龍入天池,功名赫奕。巳屬蛇,辰屬龍,丙午丁未為天池。巳人得辰而為青龍,更逢丙午丁未,則騰躍必矣。亦須得時者為榮。若生居閉蟄之時,止是虛名虛譽而已。若辰見巳,反為以大就小。經云:蛇生龍穴則進,龍生蛇穴則退。

蛇が青龍と化して天池に昇るは、功名の顕赫を主る。巳は蛇、辰は龍であり、納音が天河水の丙午・丁未がすなわち「天池」である。巳年生の人が柱中に辰を得れば、蛇は青龍に化し、さらに丙午・丁未に逢えば、騰躍して直ちに上るのは必然である。ただし生がその時を得てこそ栄顕となる。虫蛇が閉蟄する冬令に生まれれば、虚名虚誉にすぎない。逆に辰命が巳を見るのは、龍が退いて蛇となるので、大をもって小に就く類である。経書にいう、蛇が龍穴に生まれるは進み、龍が蛇穴に生まれるは退く、と。

耀日月之光則寶劍沖於牛斗。斗牛,丑宮也。如壬申日,柱中得丑為妙。金性至申酉而至剛,故以壬申癸酉劍鋒金以取其象,金即寶劍也。二十八宿丑則屬牛分野,以壬申癸酉而得丑,為劍氣沖牛斗。柱中若乙丑為正;若得癸丑,則為劍之匣矣。己丑丁丑則非。癸丑為匣,納音屬木論。

剣気が上に日月の光を耀かし、まっすぐ牛斗二宿に冲るは、命主の鋒芒が外に露れ、光焰が人を照らすことをいう。「牛斗」とは丑宮のことである。たとえば壬申日生の人は、四柱の中にさらに一つの丑字を得るのが最も妙である。金性は申・酉の二位に行って至剛となるので、納音が剣鋒金の壬申・癸酉を象に取り、金がすなわち宝剣である。二十八宿のうち、丑はちょうど牛宿の分野に当たり、壬申・癸酉がさらに丑を見れば、剣気が上に牛斗に冲ることになる。柱中に乙丑を得るのが正格である。癸丑を得たなら、剣を蔵する匣となるだけである。己丑・丁丑はいずれもこの格に合しない。癸丑が剣匣にしかなれないのは、その納音が木に属するので、木として論じなければならないからである。

逞江河之量則靈槎入於天河。槎猶枯木之象。無根之木得丙午丁未為妙。甲木乃陽木,無根可言,槎也。雖五行之內無土,並不生旺者為正;若有土栽培,則不漂流於水也。天河,即丙午丁未是也。若本無根之木,而得丙午丁未,於柱中正合此格,定斷以湖海之士,逞江河之量,信不誣矣。

江河のごとき器量を展布しうるのは、霊槎が天河に浮入ったからで、この句は命主の胸襟が浩濶で拘束されないことを形容する。「槎」とは無根の枯木の形象である。無根の木は丙午・丁未を得るのが最も妙である。甲木は陽木で、浮泛して根というべきものがなく、まさに一本の木筏のようである。五行の中に土が見えず、木自体もまた生旺しないものが正格である。もし土が来て栽培すれば、木は岸に根づき、もはや水に随って漂流しない。「天河」とは納音が天河水の丙午・丁未である。もともと無根の木命が柱中に丙午・丁未を得れば、ちょうどこの格に合し、江湖湖海の士、江河を懐に抱く量と断ずるのは、まさに誤りなかろう。

兔入月宮,卯年親於己未。卯之肖為兔,己未是為月之宮也。若卯年生人,見己未是月宮也;己未生人得卯時亦可借用。但月雖遇夜方明,亦須要辛卯,方謂之玉兔。

玉兔が月宮に入るとは、卯年生の人が己未と親しく相会することをいい、清貴で文名あることを主る。卯の生肖は兎であり、己未は納音が天上火で太陰に配され、まさに月の宮位である。だから卯年生の人が柱中に己未を見れば、兎が月宮に入ることになる。逆に己未年生の人が卯時を得ても、この格を借用できる。ただし月は夜になって初めて明らかになるので、用いる卯は辛卯でなければならず、こそ「玉兔」と称するに足る。

麟逢鳳沼,辰命跨於金牛。酉宮為金牛。辰為龍,為麟,為龍池;酉為雞,為鳳沼。金牛乃酉上所配之星也。若辰命得酉,為麟逢鳳沼;酉人得辰亦可借用。

麒麟が鳳凰の居る池沼に来るとは、辰年の命が金牛に跨ることを指し、祥瑞が会聚して貴きこと言えない象である。酉宮がすなわち「金牛」である。辰は龍であり麟であり、また龍池ともいう。酉は鶏であり鳳であり、また鳳沼ともいう。金牛は酉位に配された星名である。辰年命の人が柱中に酉を得れば、麟が鳳沼に逢うことになる。酉年生の人が辰を得ても、この格を借用できる。

二、納音取象の諸格:珠槎日月、桑柳成林

榮慶雙親,必要子歸母腹。五行生我者為父母是也,我生為子孫。母,腹胎也。且如以金生水,則金為水之母,水為金之子也;木生火,則木為火之母,火為母之子孫也。所謂母腹者,胎宮、長生宮皆是。金在卯,須得己卯,己卯屬土,土能生金;又如木在酉,須得乙酉,乙酉屬水,水能生木;木生在亥,須得癸亥,癸亥屬水,水能生木,此謂子歸母腹。餘皆仿此。若金生人遇丁卯、乙巳,木生人遇癸酉、辛亥,則是胎中受克,生時是鬼也,非貧則夭之命。水火土命皆仿此。

両親に栄耀と喜慶をもたらす命は、必ず「子帰母腹」の象に合しなければならない。五行の中で我を生ずるは父母、我が生ずるは子孫である。「母腹」とは母の胎腹である。たとえば金が水を生ずれば、金は水の母、水は金の子である。木が火を生ずれば、木は火の母、火は木が生じた子孫である。いわゆる「母腹」とは、胎宮と長生宮の二つの位置を指す。金が卯位に行けば己卯を得なければならず、己卯の納音は土に属し、土は金を生ずる。木が酉位に行けば乙酉を得なければならず、乙酉の納音は水に属し、水は木を生ずる。木の長生は亥にあり、癸亥を得なければならず、癸亥の納音は水に属し、水はやはり木を生ずる。これを「子帰母腹」という。その他の五行はすべてこの法に照らして推す。逆に金命の人が丁卯・乙巳に遇い、木命の人が癸酉・辛亥に遇えば、胎中ですでに克を受けており、臨した生時が鬼煞となるので、貧寒でなければ短寿である。水命・火命・土命も一概にこれに倣って推し断ずる。

休垂後裔則是水繞花堤。休,美也。兩木在內,兩水在外者是。凡有根蒂枝葉者,謂之花,五行之木皆可引用。命中若得兩木在內,兩水在外,木不至於火炎,水不至於飄蕩,便為水繞花堤之格。蓋水之性本清,花之色本豔,性與色兩相宜;水之德本智,木之德本仁,仁與智者相會相資相德,無藩籬之捍隔,則生福有基,慶源無涯矣。

美善が後代の子孫にまで垂れるのは、「水繞花堤」の象に依る。「休」はここでは美しいことをいう。この格の姿は、二つの木が内に居り、二つの水が外に居る。およそ根蔕と枝叶のあるものはすべて花と称し、五行中の木はいずれも借用できる。命に二木が内にあり二水が外にあれば、木は火に烤炙されることなく、水は泛濫して漂蕩することなく、水繞花堤の格を成す。水性はもとより清く、花色はもとより艶やかで、清と艶が相い映える。水徳は智、木徳は仁であり、仁と智が相会し、相い滋養し、相い成し遂げ、中間に藩籬の阻隔がなければ、福を生ずるに根基があり、喜慶の源頭も綿綿として尽きない。

藏珠於淵海之中,癸亥喜逢於甲子。亥子北方為海之地。甲子乙丑,有名無形之珠也,東方朔以蚌蛤名之。癸亥三元俱屬水,所以為淵源。故癸亥乃淵源之水,謂之藏珠於海也。

明珠を淵海の中に深く蔵するとは、癸亥が甲子に喜び逢うことをいい、蘊藉が深厚で軽々しく外に露れないことを主る。亥・子は北方に居り、海水の在る地である。甲子・乙丑の納音は海中金で、名あって形なき珠であり、漢代の東方朔は蚌蛤をもってこれを呼んだ。癸亥は天干・地支・納音の三元がすべて水に属するので、淵源の水と称する。癸亥が淵源の水である以上、甲子の珠がその中に蔵すれば、珠を海に蔵すという。

騰身於雲漢之上,寶劍為化於青龍。壬申癸酉為寶劍,壬申癸酉生人得壬辰時,乃化為龍。庚辰甲辰亦可引用。若戊辰水必化,丙辰雖化而未免蟠於泥矣,二者不合此格。

身が銀河雲漢の上に騰るは、宝剣が青龍と化したのであり、命主が一挙に飛昇して地位が驟然と顕達することを形容する。壬申・癸酉の納音は剣鋒金で、すなわち宝剣である。壬申・癸酉生の人が壬辰時を得れば、剣は龍に化する。庚辰・甲辰も引用できる。戊辰に至っては、水に一遇すれば化け去って本質を失う。丙辰は化けうるとはいえ、泥沼の中に盤屈するを免れない。この二位はいずれもこの格に合しない。

壬辰逢癸亥而龍躍天門。亥為天門。辰則為龍,亥則為干,合為天。或者一見辰生人得亥時,便為龍躍天門,不知龍與天門皆當得其正為佳,取壬辰為水。

壬辰が癸亥に遇えば、龍が天門に躍るとなり、一躍して顕要の位に登ることを主る。亥がすなわち天門である。辰は龍、亥は乾位に属し、乾はすなわち天である。辰年生の人が亥時を得たと見るや、すぐに龍躍天門と断ずる者がいるが、龍と天門がそれぞれその正を得てこそ良いのを知らない。龍となるには納音が水に属する壬辰を取らねばならず、これでこそこの格に当たる。

己未遇酉宮則月生滄海。己酉見己未,太陰入廟在未,故己未火象於太陰。(酉)為入夜之時,又為滄海之宮。若己未生人而得酉時,正合此格。乙酉、癸酉、辛酉為妙,己酉、丁酉次之。

己未が酉宮に遇えば、明月が滄海の中から昇るとなり、晩歳に輝きが生じ清名が遠く播まることを主る。己酉が己未を見るに、太陰の入廟はまさに未位にあるので、己未は天上火ながら、取象は太陰の月に帰する。酉は日が落ちて夜に入る時であり、また滄海の在る宮位である。己未年生の人が酉時を得れば、まさにこの格に合する。配する酉は乙酉・癸酉・辛酉を妙とし、己酉・丁酉はやや劣る。

蚌珠照月而烺然爍眾。甲子乙丑為蚌蛤之榮,月宮乃己未是也。蓋蚌蛤採太陰之華,二者最喜相見。甲子乙丑生人得己未時,正合此格。若己未生人得甲子乙丑時,亦可引用取之。

蚌中の珠が月光に映え、光明皎潔にして衆人を照らす。甲子・乙丑の納音は海中金で、蚌蛤の含む光華である。月宮とは己未を指す。蚌蛤は太陰の精華を吸采して初めて珠を結ぶので、この二者は最も相見るを喜ぶ。甲子・乙丑生の人が己未時を得れば、まさにこの格に合する。己未生の人が甲子・乙丑時を得ても、借りて取用できる。

金馬嘶風而卓爾超群。風取巽宮也,巳為是。午為馬,庚午甲午為金馬,巳為巽風。庚午甲午生人得巳時,乃合此格,辛巳為最,餘則福輕。若本生驛馬在日,而時宮見巳,亦可引用。又如申子辰馬在寅,得壬寅屬金,是為金馬,而逢巳時,亦為此格。餘皆仿此。

金馬が風に向かって長嘶し、卓然として同輩の上に超え出る。「風」は巽宮に取り、巽は地支では巳である。午は馬であり、納音が金に属する庚午・甲午がすなわち金馬、巳は巽風である。庚午・甲午生の人が巳時を得れば、この格に合し、そのうち辛巳を配するのが最も良く、その他の巳は福気がやや軽い。本命の駅馬が日柱に落ち、時柱に巳を見る場合も引用できる。またたとえば申子辰の三合の駅馬は寅にあり、壬寅を得て納音が金に属すれば、同じく金馬と算し、さらに巳時に逢えば、やはりこの格と算する。その他はこれに照らして類推できる。

雲龍風虎帶順者,早擢甲科。雲龍風虎者,寅卯辰巳也。寅為虎,卯為雷,辰為龍,巳為風。但得寅卯辰巳一順為妙,則力重;倒亂者則力輕,斷分貴賤。

雲は龍に従い、風は虎に従う。四支が順次に排列する人は、年若くして甲科に及第できる。いわゆる雲龍風虎とは、寅・卯・辰・巳の四支を指す。寅は虎、卯は雷、辰は龍、巳は風である。四字が寅卯辰巳の順序どおりに一順に並ぶのが最も妙で、力量は厚重である。順序が転倒錯乱すれば力量は軽く、貴賤高下はこれによって分かれる。

爭鬥伏降更貴者,少登天府。爭鬥伏降者,下四位克生年。一爭,二斗,三降,四伏。又云:獨力不怕,更有貴神助之,大富大貴,坐空則福輕。

争・斗・降・伏の四者が俱に備わり、かつ貴気を帯びる人は、年少にして朝廷の枢要の位に登る。「天府」とはすなわち朝廷を指す。いわゆる争闘降伏とは、以下の各柱の位が年柱を剋しに来ることである。一が争、二が闘、三が降、四が伏である。別の説では、単独の一位が来て剋すだけでは惧るるに足らず、さらに貴神の相助があれば、かえって大富大貴を主る。ただし空亡の上に坐せば、福分は軽くなる。

日月分秀兮,有澤潤生民之德。戊午己未天上火,(火)在天上,故戊午得太陽正位,己未得太陰正位。然日明於晝,月明於夜,日月各自分權。蓋太陽出入於卯酉,晦於戌,故戊午生人須得亥子丑為應格。二者若晦而不明,則何以言福?惟日月各自分權,明則為福也。

太陽と月がそれぞれその位に居って秀を競うとき、命主には恩沢が百姓に潤い及ぶ徳がある。戊午・己未の納音は天上火で、火が天に懸かっているので、戊午は太陽の正位を得、己未は太陰の正位を得る。ただし太陽は白昼に明るく、月は夜に明るく、日月はそれぞれ一段の光明を分掌する。太陽は卯位から昇り酉位から落ち、戌位に至れば昏暗となるので、戊午生の人は亥・子・丑といった夜分の位を得てこそ格に応ずる。両者が昏晦して明らかでなければ、何をもって福を論ぜんか。ただ日月がそれぞれ権を分かちてともに顕明であるとき、初めて福と算する。

桑柳成林兮,懷任重致遠之才。壬子癸丑為桑柘,壬午癸未為楊柳。若壬子癸丑生人得壬午癸未,壬午癸未生人得壬子癸丑時,皆合格。亦要當時為榮,若凋零衰朽,雖成材必不成材矣。

桑樹と楊柳が林木に成長するとは、命主が重任を担当し遠路を行き通す才干を懐くことをいう。壬子・癸丑の納音は桑柘木、壬午・癸未の納音は楊柳木である。壬子・癸丑生の人が壬午・癸未を得るか、壬午・癸未生の人が壬子・癸丑時を得れば、いずれも合格と算する。ただし生がその時を得てこそ栄盛が見られる。草木が凋零衰朽する節令に逢えば、本来成材すべきものもついに材を成さない。

脫體化神,超凡入聖。六十花甲子之體,各有大小,各有輕重,各有入聖。金命,甲子乙丑壬寅癸卯庚辰辛巳甲午乙未,得壬申癸酉庚戌辛亥;木命,壬子癸丑壬午癸未庚申辛酉戊戌己亥,得庚寅辛卯戊辰己巳;土命,庚子辛丑丙辰丁巳庚午辛未戊申己酉,得丙戌丁亥戊寅己卯:此三者皆為脫體化神。如火命,丙寅丁卯甲辰乙巳丙申丁酉甲戌乙亥,得戊子己丑戊午己未;水命,丙子丁丑甲寅乙卯壬辰癸巳壬戌癸亥,而得丙午丁未,則為超凡入聖。要之有所變化者,皆有所成就,非若拘拘自守、執一不通而無超達也。

本来の形体を脱して神明と化し、凡俗を超越して聖境に入るとは、命局に変化を起こしえてついに大器を成すことを語る。六十甲子の本体にはそれぞれ大小があり、それぞれ軽重があり、またそれぞれ聖に入る一路がある。金命の甲子・乙丑・壬寅・癸卯・庚辰・辛巳・甲午・乙未は、柱中に壬申・癸酉・庚戌・辛亥を得る。木命の壬子・癸丑・壬午・癸未・庚申・辛酉・戊戌・己亥は、庚寅・辛卯・戊辰・己巳を得る。土命の庚子・辛丑・丙辰・丁巳・庚午・辛未・戊申・己酉は、丙戌・丁亥・戊寅・己卯を得る。この三类を「脱体化神」という。火命の丙寅・丁卯・甲辰・乙巳・丙申・丁酉・甲戌・乙亥は戊子・己丑・戊午・己未を得、水命の丙子・丁丑・甲寅・乙卯・壬辰・癸巳・壬戌・癸亥は丙午・丁未を得る。この類を「超凡入聖」という。要するに命の中に変化を起こしうるものはみな成就があり、一隅に拘り一端に執して通変を知らぬ者のように、ついに超抜顕達の日がないのとは異なる。

攀龍附鳳,志氣沖霄。辰為龍宮,酉為鳳沼,以辰合酉,皆可以攀龍麟而附鳳翼。但其中有(乙)酉見庚辰,或庚辰見乙酉則非,蓋乙與庚合,辰與酉合,乙祿卯,刃在辰,庚祿申,刃在酉,辰酉二位中,有紫暗大煞故也。當推詳其外有無刑煞,若其外刑煞重,則為凶命也。

龍鱗に攀じ鳳翼に附して、志気が雲霄に冲るとは、命主が貴人に倚仗して身を通顕に致しうることをいう。辰は龍宮、酉は鳳沼であり、辰をもって酉に合するのは、いずれも攀龍附鳳と算する。ただしその中で乙酉が庚辰を見、または庚辰が乙酉を見るのは算しない。乙と庚は相合し、辰と酉は相合するが、乙の禄は卯にあり羊刃は辰にあり、庚の禄は申にあり羊刃は酉にあるので、辰酉のこの二位の中にまさに「紫暗大煞」が蔵されているからである。だからまた柱外に刑煞があるかどうかを細かく見なければならない。柱外の刑煞が重ければ、かえって凶命となる。

龍虎包承。辰為龍,寅為虎,命有寅中藏巳,或有丑,或有卯,或有巳,中藏寅辰,皆合此格。

龍と虎が前後に包裹して承接するは、命局の気象が雄壮で左右に護りあることを主る。辰は龍、寅は虎である。命中に寅があって寅内に巳を蔵するか、あるいは柱中に丑・卯・巳があって、その間に寅と辰を夾蔵するものは、いずれもこの格に合する。

鳳凰戀祿。天干三字同,而一字異者,為三干鳳凰,如三甲一乙、三乙一甲之類。年月日時之中皆藏寅辰,有鳳凰而又見祿,合此格。

鳳凰が禄位を眷戀して去らないは、食禄が安穩で清貴の名あることを主る。天干の四字のうち三字が同じく一字が異なるものを「三干鳳凰」といい、たとえば三つの甲に一つの乙を配し、三つの乙に一つの甲を配する類である。年・月・日・時の中にまたいずれも寅と辰を蔵し、鳳凰の象があるうえに禄神を見れば、この格に合する。

崑山片玉。金生人見戊寅是也,或戊寅生人而得一金,皆合此格,二金三金非。

崑崙山上の一片の美玉とは、その質地が純粹で稀有にして貴ぶべきを喩える。金命生の人が柱中に戊寅を見ればそうである。あるいは戊寅生の人が柱中に一位の金を得ても、いずれもこの格に合する。金が二位・三位に及べば、算しない。

桂林一枝,得之者勳高覆載之中,職處朝廷之上。己未生人,於秋月而見之乙未,乃合此格。乙未生人,而得己未亦是,二木三木者非。

桂樹が林を成す中で独り一枝を折るとは、この格を得た人の功勲が天覆地載の間に高く、職位が朝廷の上に居ることをいう。己未生の人が秋月に生まれて柱中に乙未を見れば、この格に合する。乙未生の人で己未を得ても、同じく算する。木が二位・三位に及べば、かえって合しない。

丙丁入於干戶,乃駕海之長虹。丙丁生人見乙亥辛亥是也。丁乃南方朱雀之神,賦炎上之性,造化借用為虹。干戶,即亥上是也,乙亥與辛亥為正。丁生人得辛亥,乃為此格。

丙丁の火が乾戸に入れば、大海に横たわる長虹となる。命主の気象が宏濶で声名が遠く達することを形容する。丙丁生の人が柱中に乙亥あるいは辛亥を見ればそうである。丁は南方朱雀の神で、炎上の性を禀受するので、術家はこれを借りて取象して彩虹とする。「乾戸」とは亥位で、配するに乙亥・辛亥を正とする。丁年生の人が辛亥を得れば、まさにこの格である。

庚辛值於巽宮,為嘯風之猛虎。庚辛之位屬金,為西方白虎之象。巳為風,若庚辛生得巳時,合此格,辛巳乙巳亦為妙。

庚辛の金が巽宮に遇えば、風に臨んで長嘯する猛虎となり、威勢が凛然として人に敬畏せしめることを主る。庚辛は金に属し、西方白虎の象である。巳は巽風である。庚辛日干生の人が巳時を得れば、この格に合し、配するに辛巳・乙巳が最も妙である。

烈風雷雨,多利民濟物之心。烈風雷雨者,乃戊子己丑,丙午丁未。戊己有寅,寅中有箕,箕星好風;酉中有畢,畢星好雨。更如{加}卯,春夏生顯,秋冬虛貴。

疾風迅雷、大雨滂沱の象は、人に利民済物の心腸多きことを主る。いわゆる烈風雷雨とは、納音が霹靂火の戊子・己丑と、納音が天河水の丙午・丁未を指す。戊己が寅を見れば、寅中に箕宿があり、箕星は風を好む。酉中に畢宿があり、畢星は雨を好む。さらに一つの卯位を加え、春夏に生まれれば顕達し、秋冬に生まれれば虚貴にすぎない。

源遠流清,稟秀德真儒之氣。源遠流清者,水命見寅卯為源遠,納音見金為流清,若有土則虛名。

源は遥かに遠く流れは澄清なるは、命主が秀異の徳行、真儒の気象を禀有することをいう。いわゆる源遠流清とは、水命の柱中に寅・卯を見るを源遠とし、納音に金が来て水を生ずるを見るを流清とする。柱中に土があって攪濁すれば、虚名一つに落ちるだけである。

三奇拱貴,則勳業超群。乙丙丁乃天上之三奇,甲戊庚乃地下之三奇,壬癸辛乃人中之三奇。乙己人拱鼠猴,丙丁人拱豬雞,甲戊人拱牛羊,壬癸人拱兔蛇,庚辛人拱馬虎,其中帶三奇全,而拱貴者,亦合此格,其貴非常。

三奇がさらに貴人を夾拱すれば、功勲事業は衆人の上に超え出る。乙丙丁は天上の三奇、甲戊庚は地下の三奇、壬癸辛は人中の三奇である。貴人の分配は、乙己日干は子鼠と申猴を拱し、丙丁日干は亥猪と酉鶏を拱し、甲戊日干は丑牛と未羊を拱し、壬癸日干は卯兎と巳蛇を拱し、庚辛日干は午馬と寅虎を拱する。命中に三奇が斉備し、しかも天乙貴人を夾拱すれば、この格に合し、貴気は尋常ではない。

五福集祥,則偉人間出。年月日時胎,各出一旬者,止有四旬者則非。

五種の福気が匯聚して祥瑞を成せば、偉人が世に間出する。これには年・月・日・時に胎元を加えた五つの位置が、それぞれ異なる旬から出ることを要する。ただ四旬を占めるだけなら、この格に合しない。

雲凝薄露,逢寅卯而方榮。丙午丁未人居冬月,是為霜露。若年月上俱帶嚴凝之氣,則造化天寒。忽於日時見寅卯,則溫和之氣可解此凍,合此格。

雲気が凝りて薄い霜露と成り、寅卯に遇ってこそ栄発が見られる。丙午・丁未の納音天河水の人が冬月に生まれると、水気が凝結して霜露となる。年・月の両柱がいずれも厳寒凝冱の気を帯びていれば、造化全体が一面の天寒となる。忽然として日・時の上に寅卯を見れば、春木温和の気がちょうどこの氷凍を解くので、この格に合する。

月照寒潭,遇申酉而必貴。己未為月,水生仲秋之後,謂是寒潭。己未生人得水,須有申酉方可言貴,蓋四時之月,秋月最明;四時之水,秋水最清也。

月光が寒潭に映じ、申酉に遇えば必ず顕貴となる。己未は取象を月とする。水が仲秋以後に生まれれば、これを寒潭と称する。己未生の人が柱中に水を得ても、なお申・酉の二位があってこそ貴を論じうる。四季の月は秋月が最も明るく、四季の水は秋水が最も清いので、月明水清、二つ相い映えて初めてこの格を成すからである。

鳳舞順風,而威震千里。酉宮為鳳,巳宮為風,酉人得巳,及生於五月,乃鳳舞順風。然風不謂之風,而謂之順風者,須是丁巳乙巳己巳,方為合格。又須五行中無刑煞,無沖擊,無破潰,方可。若其中不爭,則酉見巳為破碎,巳見酉為捲簾,二煞鮮有不為凶者矣。

鳳凰が順風に乗って舞い、威名が千里之外を震動する。酉宮は鳳、巳宮は風である。酉年生の人が巳を得、かつ五月に生まれれば、鳳舞順風である。単に風といわず「順風」というのは、配する巳が丁巳・乙巳・己巳でなければ合格と算しないからであり、さらに五行の中に刑煞なく、冲击なく、破損なくて初めて用いられる。柱中が彼此相安ずることができなければ、酉が巳を見て「破碎」と成り、巳が酉を見て「巻簾」と成り、この二つの煞に凶を主らぬものは稀である。

三、天門帝闕と官星貴人の諸格

馬驟天廷,而官封萬鍾。馬即驛馬,乾為天廷,即亥宮也。如巳酉丑生人馬在亥,而得辛亥,正合此格也。餘亥主福則輕,辛亥得金氣故也。

駅馬が天廷に馳せ至れば、官は高く俸禄は万鐘である。「馬」とは駅馬、「天廷」とは乾位を指し、すなわち亥宮である。たとえば巳酉丑年生の人は駅馬が亥にあり、柱中にさらに辛亥を得れば、まさにこの格に合する。その他の亥は福分がやや軽い。辛亥だけが金気を兼ね得て格局が厚重になるからである。

風雨作霖,有尊主庇民之德。巳為巽,巽是風,丙午丁未是雨,或有龍有水有云是也,亦可言雨。此格生秋間,萬物有賴,大造化之格局。春雨如常,三冬雨反主單寒貧賤之徒。

風調い雨順じて甘霖と化すは、命主に君上を尊奉し百姓を庇蔭する徳あることをいう。巳は巽に属し、巽はすなわち風である。丙午・丁未の納音は天河水で、すなわち雨である。柱中に龍・水・雲のあるものも、いずれも雨と見なしてよい。この格は秋に生まれれば、万物がまさに雨露の滋潤に頼るので、大造化の格局に属する。春に生まれれば雨水は尋常であり、三冬に生まれれば、雨はかえって人に孤寒貧賤を主る。

地天交泰,負經邦論道之才。申為坤,坤為地,亥為天門,是干,乾為天,天位於上,地位於下,上下之勢然也,而在易則為否,非交泰之象。必地在上,天在下,陰陽之氣方為通接交泰,乃合此格者也。

地気と天気が交感して泰と成るは、命主に邦国を経理し、坐して道を論ずる才具あることをいう。申は坤に属し、坤は地である。亥は天門で乾に属し、乾は天である。天が上にあり地が下にあるのはもとより自然の勢いであるが、《周易》ではそれはちょうど《否》卦であって、交泰の象ではない。必ず地が上にあり天が下にあってこそ、陰陽二気が上下に通接して《泰》と成るので、このようにして初めてこの格に合する。

龍虎拱門,名登天府。五行中以對[為]沖為天門。如酉人對沖是卯,則卯為之門,不見卯而得寅辰,一則為龍,一則為虎,是合此格也。

龍と虎が両旁から門戸を拱衛するは、名が朝廷に登ることを主る。五行の中では本命の对冲の位をもって天門とする。たとえば酉年生の人の对冲は卯であり、卯がすなわちその門である。柱中に卯が見えないのに、寅と辰を得て、一つは龍・一つは虎が中間の卯門を虚虚しく拱すれば、これがこの格に合する。

貴人捧印,文占甲科。印即墓庫也。火以戌為印,木以未為印,金以丑為印,水土以辰為印。丙申丁酉生人以豬雞為貴,得酉與亥,拱一戊戌,為火之正印;壬辰癸巳生人以兔蛇為貴,得巳與卯,拱一庚辰,為水之正印,乃合此格。其它仿此而推。

貴人が官印を手に捧げれば、文場に必ず甲科を占める。「印」とは五行の墓庫である。火は戌を印とし、木は未を印とし、金は丑を印とし、水と土は辰を印とする。丙申・丁酉生の人は亥猪・酉鶏を天乙貴人とし、柱中に酉と亥を得て、中間に戊戌を虚拱すれば、まさに火の正印である。壬辰・癸巳生の人は卯兎・巳蛇を貴人とし、柱中に巳と卯を得て、中間に庚辰を虚拱すれば、まさに水の正印である。これらはいずれもこの格に合し、その他はこれに照らして類推する。

更逢官星入局,重紫重金。若值貴煞相扶,三公三少。少者,少傅,少保,少師也。既合前印之格,更帶官星入局,貴人與刑煞相扶,則貴不可言。入局乃得地,如賈侍郎,辛酉生命,既合龍虎拱門,而寅為貴,丙屬火,火生人為得地。又如姚尚書,丙申庚寅乙酉丁亥,既合貴人捧印格,丙丁豬貴為吉神,二位夾扶,丙用癸為官,癸屬水,水臨官在亥,為得地,故為美備。

上記の格局の上にさらに官星が入局に遇えば、重ね重ねの紫綬、累々たる金印となる。さらに貴人と煞神がともに扶助するに逢えば、位は三公三少に至れる。「三少」とは少傅・少保・少師を指す。すでに前の貴人捧印の格に合したうえに、また官星の入局を帯び、貴人と刑煞が互いに扶持しあえば、その貴気は言い尽くしようがない。いわゆる「入局」とは得地のことである。たとえば賈侍郎は辛酉年命で、すでに龍虎拱門の格に合し、寅はその貴人であり、丙は火に属すので、火命の人にとってまさに得地である。またたとえば姚尚書は、八字が丙申・庚寅・乙酉・丁亥で、すでに貴人捧印の格に合し、丙丁は亥猪を貴として吉神を成し、二位が左右に夾扶する。丙はまた癸をもって官星とし、癸は水に属し、水の臨官はちょうど亥の上にあるので、同じく得地である。ゆえに格局は完備して欠けるところがない。

官居五府,蓋為五行入垣。五行金木水火土,垣即墓庫也。金人乙丑,水人壬辰,木人癸未,火人甲戌,土人丙辰,皆為入垣。或年月日時胎各帶庫,或本命一路皆逢印庫,不為鬼庫者,乃合此格也。

官が五府の列に居るのは、五行がそれぞれ自らの垣に入ったからである。五行とは金・木・水・火・土で、「垣」とは墓庫である。金命の人が乙丑を得、水命の人が壬辰を得、木命の人が癸未を得、火命の人が甲戌を得、土命の人が丙辰を得るのは、いずれも入垣という。あるいは年・月・日・時・胎がそれぞれ一つの庫を帯びるか、あるいは本命が一路すべて印庫に逢い、しかもこれらの庫が身を剋する鬼庫でなければ、この格に合する。

位入三槐,必是三奇逢德。天上三奇甲戊庚,地下三奇乙丙丁,人中三奇壬癸辛。命帶三奇,逢天月二德者,其富貴位入槐庭。如乙丙丁生於正月,甲戊庚生於十二月,壬癸辛生於六月者是也。

位が三槐に列するには、必ず三奇がまた徳神に遇うことを要する。周代の宮廷の外には槐の木を三株植え、三公が朝見するとき槐に面して立ったので、「三槐」「槐庭」はいずれも宰輔の位を指すのに用いられる。天上の三奇は甲戊庚、地下の三奇は乙丙丁、人中の三奇は壬癸辛である。命に三奇を帯びてまた天徳・月徳に逢う者は、富貴で槐庭に位を入れうる。たとえば乙丙丁が正月に生まれ、甲戊庚が十二月に生まれ、壬癸辛が六月に生まれるのは、いずれも三奇が徳に逢うものに属する。

三臺驛馬遇祿,而榮拜玉堂。本命連珠,得三位者,為臺星。四位而虛一度位者,亦是。有三臺而無祿馬,猶可言貴。若更帶祿馬,尤為妙也。

三台星と駅馬がさらに禄神に逢えば、翰林玉堂に栄えて登りうる。本命から地支が連珠して三位相連なるを揃えたものが台星である。四位のうち一位を虚しく欠くものも、同じく算する。命に三台があって禄馬がなくても、なお貴を論じうる。さらに禄馬を帯びれば、それはなお妙である。

十干官星見貴,而上超金闕。十干,乃甲乙丙丁戊己庚辛壬癸是也。如年月日時胎帶甲乙丙丁癸之類。是甲官辛,丙官癸,丁官壬,癸官戊。則十干皆帶官星也。更見天乙貴人,豈不謂之美哉。

十干それぞれの官星がまた貴人を見れば、金闕の上に超升して天子の近側に進身しうる。十干とは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸を指す。たとえば年・月・日・時・胎がそれぞれ甲・乙・丙・丁・癸の類の天干を帯びるとき、甲は辛をもって官とし、丙は癸をもって官とし、丁は壬をもって官とし、癸は戊をもって官とする。こうして十干はいずれも官星を帯びる。さらに天乙貴人を見れば、美しさの上にさらに美しさを加えるではないか。

龍居滄海,早得路於青雲。辰為龍,壬戌癸亥為滄海,辰生人得壬戌癸亥,乃合此格。但春夏秋間得此格,為伏藏無用。惟冬生妙,乃當藏即藏也。

龍が滄海の中に潜居するは、早年にすでに青雲の路上で志を得ることをいう。辰は龍であり、壬戌・癸亥の納音は大海水で、すなわち滄海である。辰年生の人が柱中に壬戌・癸亥を得れば、この格に合する。ただし春・夏・秋の三時に生まれてこの格を得ても、ただひたすら伏蔵して施展するところがない。ただ冬に生まれたものが最も妙で、冬令はもともと潜蔵すべきときであり、まさに蔵すべきときに蔵するからである。

虎臥荒丘,少脫身於白屋。寅為虎,辰戌丑未為土家三位,故借為荒丘。若寅生人,有辰戌丑未者,皆合於此格。若二位一位者,主福亦輕,不得大福。

虎が荒丘の上に臥するは、年少にして白屋寒門を脱しうることをいう。「白屋」とは平民の居る茅屋を指す。寅は虎である。辰・戌・丑・未はいずれも土に属し、土の本家の位であるので、借りて荒丘とする。寅年生の人で柱中に辰戌丑未のあるものは、いずれもこの格に合する。ただ二位または一位を占めるだけなら、福分も軽く、大福は得られない。

月桂芬芳,而蜚聲寰宇。己未得四木為吉。己未為月,三四木為桂,若己未生人,下得四木拱集,如月中仙桂芬芳,乃合此格。更要秋生方為貴也。

月中の桂花が芬芳を散じ、声名が寰宇に伝わる。己未は四位の木を見るを吉とする。己未は取象を月とし、三四位の木がすなわち桂樹である。己未生の人が柱下に四木の簇擁を得れば、月宮の仙桂が芬芳を吐くようで、この格に合する。なお秋に生まれなければならず、そうして初めて真に顕貴となる。

官貴引從,而簉羽鴛行。簉,音鎦,沖也。鴛行,如鴛鳥分序而立,如臣立於君側。如壬寅見己丑己卯,壬寅見己卯為貴人,壬用己為官星,以卯為前引,以丑為後從,乃合此格也。正合壬貴兔卯藏。

官星と貴人が一前に一後に引導随従すれば、命主は鴛鷺の行に廁るを得る。「簉」の読みは「鎦」と同じで、旧注は冲と訓す。「鴛行」とは群臣が鴛鳥のごとく序列して列を成し、君王の身側に侍立することをいう。たとえば壬寅が己丑・己卯を見れば、壬は卯を見て天乙貴人とし、壬はまた己をもって官星とし、卯が前で引導し、丑が後ろで随従するので、まさにこの格に合し、またちょうど「壬の貴は卯兎にあり」の口訣に応ずる。

三奇暗合,而仗憲漕臺。庚辛壬暗合乙丙丁,己癸乙暗合甲戊庚,丁戊丙暗合壬癸辛,皆為三奇暗合,造化得之最清,惟支辰重濁沖擊者則破。

三奇が暗中に会合すれば、命主は節を杖にし憲台・漕台の類の監察と転運の重任を執りうる。庚辛壬が乙丙丁に暗合し、己癸乙が甲戊庚に暗合し、丁戊丙が壬癸辛に暗合するのは、いずれも三奇暗合と算する。命局がこれを得れば最も清貴である。ただ地支が重濁でしかも互いに冲击することを惧れる。そうであれば格局は破壊される。

四、干支連絡と四時清景の諸格

一氣為根,則刺史吏部。年月日時,皆水皆土皆木皆火皆金,但木須向榮,遇清中和氣;火須自焰,不致火炎;土須厚重,始能持載;金須不剛不柔,無太過不及之患;水須有歸,不至於氾濫無統,方合此格。

四柱が同一の気から出て互いに根柢と成るとき、刺史・吏部の類の職守に任じうる。年・月・日・時の四柱の納音がすべて水、あるいはすべて土・すべて木・すべて火・すべて金であるのを、いずれも一気を根とするという。ただし木は栄発の地に向かい、清和中正の気に遇わなければならない。火は自ら光を発しえて、炎烈に過過ぎざることを要する。土は厚重で、こそ万物を承載しうる。金は剛ならず柔ならず、太过と不及の弊なきことを要する。水は帰宿する処があって、泛濫して統束なきに至らぬことを要する。このようにして初めてこの格に合する。

拔茅連茹兮,愈堅愈固。天干地支,虛一夾一者是也。如甲年丙月戊日庚時,中連乙丁己;如子年寅月辰日午時,中自連卯丑巳。是謂既拔茅而茹自連。若年生月,月生日,日生時,自上接下者,亦是也。

「拔茅連茹」の語は《周易・泰卦》の「茅を拔くに茹、其の汇を以てす」に出る。一株の茅草を拔き起こせば、牽連する根鬚がともに引き出される。同類が相い引き、根基が拔くほどに牢となるを喩える。この格は天干地支が一位を虚しくし一位を夾みて相銜するものを指す。たとえば甲年・丙月・戊日・庚時は、中間に乙・丁・己が暗連する。またたとえば子年・寅月・辰日・午時は、中間に丑・卯・巳が自然と連なる。これを、茅草を拔き起こせば茹根が自ら相牽連するという。もし年が月を生じ、月が日を生じ、日が時を生じて、上から下へ一路相接するものも、この格に属する。

暗燈添油兮,彌久彌明。甲辰乙巳覆燈之火,可借為油,甲辰乙巳生人入夜而遇水,合此格。日生者非。

昏暗の灯盞に油を添えるは、点すほどに久しく、また点すほどに明るくなる。命主の後福が綿長なるを喩える。甲辰・乙巳の納音は覆灯火で、水を借りて灯油に充てることができる。甲辰・乙巳生の人が入夜以後に生まれて柱中に水に遇えば、この格に合する。白昼に生まれたものは算しない。

金櫃藏珠,早繁華於黃屋。金命之祿馬,中央一辰是也。如辛巳生人得戌,是辛祿在酉,馬在亥,不見酉亥,只在日時有戌,乃為合格。蓋戌後有亥馬,戌前有酉祿,雖不見祿馬,而祿馬藏於其中是也。

金櫃の中に明珠を収蔵するは、早くより黄屋の下に繁華を享け尽くすことをいう。「黄屋」とは天子の車駕上の黄繒の車蓋で、帝王の身側を借指する。この格は金命の禄と馬の中間に夾まる一位を取る。たとえば辛巳生の人が戌を得れば、辛の禄は酉にあり駅馬は亥にあり、柱中にあえて酉と亥が見えず、ただ日・時の上に戌がある。これが合格である。戌の後ろはすなわち亥の馬、戌の前はすなわち酉の禄であるので、禄馬は面を露さないが、いずれもこの一位のうちに蔵されているからである。

燈花拂劍,植勳業於楓宸。壬申癸酉為寶劍,甲辰乙巳為燈,壬申癸酉生人得甲辰乙巳,或甲辰乙巳生人得壬申癸酉,皆合於此格也。

灯花の光焰が剣鋒を軽く拂うは、命主が楓宸の下に功勲を樹立しうることをいう。「楓宸」とはもと漢代に殿前に楓樹を多く植えた宮廷を指し、ここでは朝廷を代指する。壬申・癸酉の納音は剣鋒金で、すなわち宝剣である。甲辰・乙巳の納音は覆灯火で、すなわち灯である。壬申・癸酉生の人が柱中に甲辰・乙巳を得、あるいは甲辰・乙巳生の人が柱中に壬申・癸酉を得れば、いずれもこの格に合する。

月白風清。四時皆有月,而不如秋月之明。四時皆有風,而不如秋風之清。人命生居秋,而見己未與巳巽,或巳生人於秋而得己未,或己未生人於秋而見巳,皆合此格。

月色は皎白にして風気は清爽とは、命局の清朗にして喜ぶべきを形容する。四季にいずれも月はあるが、秋月の明るさには及ばない。四季にいずれも風はあるが、秋風の清さには及ばない。人命が秋に生まれて柱中に己未の月と巳位の巽風を見るか、あるいは巳年生の人が秋に生まれて己未を得るか、あるいは己未生の人が秋に生まれて巳を見れば、いずれもこの格に合する。

花紅柳綠。四時皆有花柳,皆不及於春也。人命生於春三月見木,若得壬午癸未為妙。壬午癸未楊柳也。或壬午癸未生於春是也。

紅花と緑柳が交わり映え照らすは、人に風華秀発たることを主る。四季にいずれも花があり柳があるが、いずれも春には及ばない。人命が春三月に生まれて柱中に木を見、もし壬午・癸未を得れば最も妙である。壬午・癸未の納音はまさに楊柳木だからである。あるいはもともと壬午・癸未生の人で、かつ春に生まれれば、これもこの格である。

得及時者,官爵至於卿監。遇貴神者,名位顯於華途。以二格喜其及時,不喜其失時;喜其遇貴,不喜其背貴。既得及時,而復遇貴,貴全顯矣。

生がその時を得た者は、官爵は卿監に至るをなしうる。また貴神に遇えば、名位は清華の仕途に顕達する。上の月白風清と花紅柳緑の二格は、生が時に逢うを喜び、時を失うを忌み、貴人に遇うを喜び、貴人に背くを忌む。すでに生がその時を得、また貴神に遇えば、貴気はことごとく完全に顕現する。

魁星指南,有攬轡登車之能。甲辰乙巳丙午丁未戊申己酉庚戌辛亥壬子癸丑,此十位皆位魁星。此一旬生人,而得南方巳午未之日時,正合此格。亦須參酌生旺貴人神殺之輕重,稍為有用,皆可言貴。使於四方,必不辱君命矣。

魁星が南方を指すは、命主に轡を攬り車に登って天下を澄清する幹才あることをいう。「攬轡登車」は《後漢書》の范滂の故事に出る。彼が一たび任に就くや吏治を澄清する志を抱いたという。甲辰・乙巳・丙午・丁未・戊申・己酉・庚戌・辛亥・壬子・癸丑のこの十位は、いずれも魁星に属する。この旬に生まれた人がまた巳・午・未といった南方の日・時を得れば、まさにこの格に合する。なお生旺と貴人神煞の軽重を斟酌し、ややもすれば用いられるところを見れば、いずれも貴を論じうる。このような人が四方に出使すれば、必ず君命を辱めない。

玉兔東生,負升堂入室之學。卯為兔,辛卯癸卯為玉兔。辛卯癸卯生人居東方者,乃為此格。若己未生人,而得辛卯癸卯,格局尤正。

玉兔が東方より昇るは、命主に升堂入室の深厚な学問あることをいう。「升堂入室」は《論語・先進》に出る。孔子が子路はすでに堂に登ったがまだ室に入っていないと言ったことに、後人はこれを借りて造詣が浅きより深きに入り、直ちに精微に抵るを形容する。卯は兎であり、辛卯・癸卯がすなわち玉兔である。辛卯・癸卯生の人で東方の位に居る者が、この格である。もし己未生の人が柱中に辛卯・癸卯を得れば、格局はことさら純正である。

水火既濟,何憂雁塔功名。火之性炎上,水之性潤下。若火在上而水在下,則上下相違,而在卦以為既濟。蓋上者年月,下者日時。以其天干為上,地支為下者,則謬矣。

水火が交済して《既済》と成れば、雁塔題名の功名を何ぞ愁えん。唐代に進士が及第したのち慈恩寺の大雁塔に題名したので、「雁塔功名」は科第の登科を指すのに用いられる。火性は炎上し、水性は潤下する。火が上にあり水が下にあり、上下が相互に往来すれば、卦象の上で《既済》と定まる。ここでいう上とは、年・月の両柱を指し、いう下とは、日・時の両柱を指す。もし天干をもって上とし地支をもって下として見るならば、それは誤りである。

棣萼芬芳,定有蟬聯富貴。年為本,日為主,此言其本與主。年為兄,月為弟,日為兄,時為弟,此言其年主月日生時。人命中年月一體,日時一體,合而言之,止出二位。

棠棣の花と萼が互いに扶承して芬芳なれば、命中に必ず接続して断えぬ富貴がある。「棣萼」は《詩経・小雅・常棣》に出て、兄弟が相親しみ相助けるを喩えるのに用いられる。年柱を本とし日柱を主とするのは、本と主に就いていうのであり、年を兄とし月を弟とし、日を兄とし時を弟とするのは、年月日時の先後に就いていうのである。人命の中で年と月が一体に合し、日と時が一体に合し、合わせていえば、二組に分かれるにすぎない。

透頂連榮,而挺生賢輔。本命以一辰為頂,一位透出,一位相連,互換不絕者,乃合此格。以年遁月,以月遁日,以日遁時,上不至於干,下不至於枯,連榮之謂也。

頂上より透出して一路相連なって栄発すれば、輔弼の賢才を挺生しうる。本命はその中の一位を取って頂とし、一位は天干に透出し、一位は彼此相連なり、往来互換して断絶せざれば、この格に合する。年より月を遁出し、月より日を遁出し、日より時を遁出して、上は干竭に至らず、下は枯槁に至らぬ。これを連栄という。

異香滿路,而間產英豪。年月日時之天干,間年月日時之地支,為天干貴人者,為此格。所謂袞衣補闕,滿路異香。若年干之貴,列於月日時中,不相凌犯者,亦合此格。

奇異の香気が一路に瀰漫すれば、その間に必ず英豪を出す。年・月・日・時の天干と年・月・日・時の地支が相間に排列し、しかも地支がちょうど天干の貴人であれば、この格を成す。古人はこの種の命を形容して、衮衣を身に著け朝政の闕失を弥補し、過ぎる処に一路異香満ちるという。もし年干の貴人が月・日・時の中に分列し、彼此また相凌犯せざれば、同じくこの格に合する。

楊柳拖金。壬午癸未為楊柳木,生於三春而得一金,乃合此格。失時而帶重者,非也,不為拖金。

楊柳の枝條に一縷の金色を牽き拖するは、富貴と柔秀とを兼ね具えるを喩える。壬午・癸未の納音は楊柳木で、春三月に生まれて柱中に一位の金を得れば、この格に合する。もし時令を失うか、帯びる金が重すぎれば、算しないので、金を拖すともいえない。

石榴噴火。庚申辛酉為石榴木,生於九夏,三個月共有九十日,而得其一火,乃合此格。失時而得火多者,非也。謂榴噴火,正在五月。

石榴の花開くこと火を噴くがごとくは、命局の艶発して目を奪うを形容する。庚申・辛酉の納音は石榴木で、盛夏に生まれ、夏の三か月は合わせて九十日、柱中に一位の火を得れば、この格に合する。もし時令を失うか、得る火が多すぎれば、算しない。いわゆる石榴噴火とは、まさに五月に榴花が満開となる折を指す。

蒼松冬秀。歲寒松柏之後凋也。庚寅辛卯之木,非其它比也,蓋其它之木,春而榮,夏而茂,秋而死,冬而迫於隆冬之氣。獨松柏之木,四時不改其色,枝幹長青,須在三冬之景,愈見蒼翠。故庚寅辛卯生人,一路皆屬於冬令,尤為勁節之操。

蒼松が冬日にかえって秀色を顕すは、人に寒を歴ても改めぬ操守あるを喩える。《論語・子罕》に、歳寒しきのち松柏の凋むこと後きを知る、といえるは、まさにこの意である。庚寅・辛卯の納音は松柏木で、他の木とは異なる。他の木は春に栄発し、夏に繁茂し、秋に枯死し、冬にさらに厳寒に逼られる。ただ松柏のみが四季に色を改めず、枝幹は長に青く、三冬の景象に至るほど、いよいよ蒼翠を顕す。ゆえに庚寅・辛卯生の人が、一路すべて冬令の中を行くとき、ことさら節操の剛勁が見える。

丹桂秋香。己未生人得木,是丹桂生於秋月,乃為此格。蟾宮有桂,非木則無以借用,生於他時,則不芬芳。所謂秋風生桂枝,得之者科名有分,生不遇時,不在此例。

丹桂が秋に芬芳を吐くは、科第に分あることを主る。己未生の人が柱中に木を得れば、丹桂が秋月に長ずるとなり、この格に合する。月宮の中にもとより桂樹があり、木がなければ象を借るに由がない。他の季節に生まれても、桂は香を開かない。いわゆる秋風が桂枝を吹き生ぜしむるとき、この格を得た人は科名に分がある。生が時に逢わなければ、この例に入らない。

聚精會神,而玉帶金魚。水為精,火為神,水火得地,乃精神俱足,亦為合格。然所謂神者,乃五行英靈之氣,自生自旺者是也。故精神聚會者,無不顯達也。如火居巳午未,水居亥子丑之地,而無克害者,亦可以語此例也。

精と神が一処に聚合すれば、命主は玉帯を繋ぎ金魚を佩びうる。唐宋の時、三品以上の官は玉帯を繋ぎ金魚袋を佩びたので、「玉帯金魚」は高官顕爵を代指するのに用いられる。水は精、火は神であり、水火がそれぞれ地を得れば、精神はいずれも充足し、これも合格と算する。ただしいわゆる「神」とは、五行の英霊の気を指し、すなわち自生自旺の一路である。ゆえに精神が聚会する人に、顕達せぬ者はない。たとえば火が巳・午・未に居り、水が亥・子・丑の地に居り、彼此にまた克害なければ、同じくこの例に照らして論じてよい。

寒谷回春,而錦鞍繡勒。木生居三冬,受嚴凝之氣所撓,極無生意。當困阻之時,而忽得寅卯辰三春之令,乃為寒谷回春之象,發達最易者也。

寒冷の山谷が再び春に回るは、命主が錦鞍繍轡を得て衆人の前に顕耀するをいう。木が三冬に生まれれば、厳寒凝冱の気に困られて、ほとんど生意がない。まさに困頓阻滞の際にあって、忽然として寅・卯・辰の三春の節令を得れば、寒谷回春の象となり、この種の人は最も発達しやすい。

極妙者,雲騰雨施。子為坎,坎為雲,丙子壬子為雲,丙午丁未為雨,而丙午丁未生人,得丙子壬子,丙子壬子生人,得丙午丁未,皆合此格。但春月不宜休囚,夏月不宜太旺,三秋最喜有氣,冬則為憂死敗。春而休囚,則必妨於農事;夏而太旺,則未必不失於淫;秋而有氣,則能救蘇萬物;冬而死敗,則必至於作寒。要之此格,惟秋月得之者為最奇。

最も妙なる一格は雲騰雨施で、語は《周易・乾卦》の「雲行き雨施し、品物形を流る」に本づく。子は坎に属し、坎は雲である。丙子・壬子は取象を雲とし、丙午・丁未の納音は天河水で、取象を雨とする。丙午・丁未生の人が丙子・壬子を得、あるいは丙子・壬子生の人が丙午・丁未を得れば、いずれもこの格に合する。ただし春月は休囚を宜とせず、夏月は太旺を宜とせず、三秋は最も気有るを喜び、冬はその死敗を惧れる。春の休囚は必ず農事を妨害し、夏の太旺は淫潦に流れるを免れず、秋の気有りは万物を救活しえ、冬の死敗は必ず厳寒を致す。要するにこの格はただ秋月にこれを得るをもって最も奇特とする。

最奇者,綠繞紅圍。綠謂柳,紅謂木也,柳乃壬午癸未楊柳也,紅謂庚申辛酉石榴木,凡木皆可。人命得壬午癸未,在年與時,其它木在月日,是為綠繞在外,紅圍在內,合此格者可取。

最も奇なる一格は緑繞紅囲である。緑は柳を指し、紅は花木を指す。柳はすなわち壬午・癸未の楊柳木、紅はすなわち庚申・辛酉の石榴木で、その他の木もいずれも充用できる。人命が壬午・癸未を得て年柱と時柱に落ち、他の木が月柱と日柱に落ちれば、緑が外に環繞し紅が内に簇擁するとなり、この格に合する者は取用できる。

貴人登於月臺,筆下文章燦星斗。貴人者,天乙貴人。月臺者,即己未是也。甲戊庚生人得己未時,合此格。更若貴人互換,尤妙。

貴人が月台に登れば、筆底の文章は星斗のごとく燦爛たる。「貴人」とは天乙貴人を指し、「月台」とはすなわち己未である。甲・戊・庚の日干生の人が己未時を得れば、この格に合する。貴人がさらに彼此互換して相見ることができれば、なお妙である。

黑煞朝於北斗,胸中志氣蓋乾坤。壬癸乃元武,為黑煞,北斗乃是丑,壬癸生人得丑時,乃合此格。癸人得兩丑,更佳其它。刑煞則未必為福者也。

黒煞が北斗に朝拱すれば、命主の胸中の志気は天地を籠罩するに足る。壬癸は北方玄武に属し、すなわち黒煞である。北斗の臨む地支は丑である。壬癸生の人が丑時を得れば、この格に合する。癸日生の人で二つの丑を得る者は、その他に比べてなお佳い。帯びるのが刑煞であれば、必ずしも福ではない。

拱揖端門,早遇九重之詔。五行以午為端門,子為帝座。子午生人,若日時虛拱,午前有巳,午後有未,則為一拱一揖,而端門清肅,子人得之榮達。

左右に拱手作揖して端門の前に侍立すれば、早年に天子九重の詔命を領しうる。五行は午をもって端門とし、子をもって帝座とする。子・午年生の人が、日・時の両柱で虚虚しくその位を拱し、午前に巳があり午後に未があれば、一辺拱し一辺揖して、端門は粛然として整潔である。子年生の人がこの象を得れば、栄顕通達を主る。

會同帝闕,進端一品之榮。亥位乃為帝宮也,後乎亥,則有戌酉申;前乎亥,則有子丑寅。若亥生人,而左右前後,會同貴氣於本命,乃為此格。本命非亥,而年月日時,虛夾一亥,亦可借用。

群貴が帝闕の前に会同すれば、一品の栄に晋升しうる。亥位がすなわち帝宮である。亥の後ろに戌・酉・申があり、亥の前に子・丑・寅がある。亥年生の人が、前後左右の貴気がことごとく本命の上に会聚すれば、この格である。本命は亥でないが、年・月・日・時の間に亥を虚夾し出すものも、借用できる。

墨池泉湧,而器識淵源。墨池,癸巳是也。泉湧,水長生是也。如金命人得癸已,乃合此格。更得吉神扶助者,必然貴矣。

墨池の水が泉のごとく噴涌するは、命主の器局識見が淵深にして本有ることをいう。「墨池」とは癸巳を指し、「泉涌」とは水の長生の地を指す。たとえば金命の人が柱中に癸巳を得れば、この格に合する。さらに吉神の扶助を得れば、必ず顕貴となる。

學海波深,而才華超卓。學海者,水命人見申子辰全是也。無土有金即貴。

学問が海のごとく波瀾深広で、才華は卓然として群を超える。いわゆる「学海」とは、水命の人が柱中に申・子・辰の三合斉備を見ることである。ただ土が来て混濁させることがなく、金が来て相生すれば、貴顕を主る。

明有龍虎,暗有風雷。辰龍,寅虎,巳風,卯雷。凡命中帶寅午辰者是。明有龍虎,寅與辰拱得卯,辰與午拱得巳,暗拱風雷,得之者無有不貴。若明帶風雷,暗藏龍虎亦貴。

明るい処に龍あり虎あり、暗き処に風あり雷あり。辰は龍、寅は虎、巳は風、卯は雷である。およそ命中に寅・午・辰を帯びるものがそうである。寅と辰が明処に擺されて龍虎となり、中間に卯を虚拱する。辰と午の間に巳を虚拱する。これが暗拱の風と雷である。この格を得て貴からぬ者はない。逆に明処に風雷を帯び暗処に龍虎を蔵すれば、同じく貴を主る。

顯帶官星,隱藏祿馬。官星宜顯不宜隱,祿馬隱者反妙。如癸丑生得戊戌,是癸用戊為官,戊與癸合,拱得亥子,是癸祿在子,丑馬在亥,合此格。

官星は顕露に帯び出すべく、禄馬は隠蔵せよ。官星は顕を宜とし隠を宜とせず、禄馬はかえって隠蔵を妙とする。たとえば癸丑年生の人が戊戌を得れば、癸は戊をもって正官とし、戊はまた癸と相合し、戌と丑の間に亥・子の二位を虚拱する。そして癸の禄はまさに子にあり、丑年の駅馬はまさに亥にあるので、これがこの格に合する。

職位何愁不顯,進修豈患無成。以上之格,取青紫如拾芥,又奚患棲遲而無成就者哉。

職位は顕達せぬを何ぞ愁えん、進徳修業にまた成就なきを安んぞせん。上のこれらの格局は、公卿の青綬紫綬を取ること、身を俯せて草芥を拾うがごとく容易く、何ぞ必ずしも淹滞して遇わず、終身成就なきを憂えんや。

干清坤夷,設施不苟。戌亥為干,申為坤。干必清,坤必夷。干而遇雲霄風雨,則不清矣;坤而遇刑煞沖戰,則不夷矣。惟干無撓於上,坤無撓於下,上下帖然而安,方合於此格。

乾位は清朗、坤位は平夷なれば、行事の措置は苟且ならず。戌・亥は乾に属し、申は坤に属する。乾は必ず清を要し、坤は必ず平を要する。乾位が雲霄風雨の象に遇えば清ならず、坤位が刑煞冲戦に遇えば平ならず。ただ乾が上にあって攪擾なく、坤が下にあって侵撓なく、上下が安帖妥當にして初めてこの格に合する。

天清地實,抱負非凡。天輕清於上,地重濁於下。天而不虛,何以著日月星之取照?地而不實,何以載不齊之萬物?如何謂之虛?有空是也。何謂之實?無空是也。如壬申生人見辛亥,是壬申乃甲子旬無亥,所以為天虛;辛亥乃甲辰旬有申,所以為地實。若天地並歸,生換空亡者則非也。

天は清虚、地は充実を要すれば、抱負は自ら非凡なり。天は軽清にして上に居り、地は重濁にして下に居る。天が虚空ならずんば、何をもって日月星辰をその中に照耀せしめん。地が充実ならずんば、何をもって参差不斉の万物を承載せん。如何にしてか虚とす。空亡あればすなわち虚である。如何にしてか実とす。空亡なければすなわち実である。たとえば壬申生の人が辛亥を見れば、壬申は甲子旬に属し、この旬はちょうど戌亥を空ずるので、柱上の亥は天虚と算する。辛亥は甲辰旬に属し、この旬は申を空ぜぬので、柱下の申は地実と算する。もし天と地がともに空亡に落ち、あるいは生ずる処にまた空亡を換え来たるときは、この格に合しない。

雷雨迎春逢辰卯,而沾濡萬物。震為雷,畢為雨,丙午丁未亦為雨,有雷雨生居十二月之間,此乃有迎春之意。若寅卯辰在日時,乃合此格,謂將進之氣。

雷声が春雨と相迎え、さらに辰・卯に逢えば、恩沢は万物に沾濡する。震卦は雷、畢宿は雨であり、丙午・丁未の納音天河水もまた雨と算する。命中に雷あり雨ありて十二月の間に生まれれば、まさに新春を迎える意を含む。もし寅・卯・辰がまた日・時の両柱に落ちれば、この格に合し、これを将に進気せんとする象という。

扶桑出日見巳午,而光照四方。戊午日,卯為扶桑之地,以午生人於卯月,日時或得巳午,正合此格。蓋造物本由其漸,卯則方明,至巳午則普照天下,有駸駸嚮明之意。人命得此格,前程豈不光遠哉。

太陽が扶桑の樹上より昇り、さらに巳・午を見れば、光輝は四方に普照する。戊午は取象を日とし、卯は扶桑の在る地である。午年生の人が卯月に生まれ、日・時の上にまた巳あるいは午を得れば、まさにこの格に合する。造化はもとより循序漸進である。卯位に行けば天は初めて放亮し、巳・午に行けば天下に普照して、一路明に向かい日に益々盛大なる意がある。人命がこの一格を得れば、前程は豈に光明遠大ならずや。

畢烏登於日宮,貴鄰五府。癸酉辛酉為畢烏,戊午為太陽之宮,癸酉辛酉生人而得戊午,或戊午生人而得辛酉癸酉,皆合此格。若乙酉丁酉則非謂之畢烏也。

畢宿の烏が太陽の宮に飛び上れば、貴位は五府に比隣しうる。癸酉・辛酉は取象を畢烏とし、戊午は太陽の宮位である。癸酉・辛酉生の人が柱中に戊午を得、あるいは戊午生の人が柱中に辛酉・癸酉を得れば、いずれもこの格に合する。もし乙酉・丁酉に換えれば、畢烏と称するに足らない。

箕豹隱於山谷,名冠百僚。寅為豹,又為山,若寅生人,而又得寅時,乃合此格。但庚寅喜甲寅丙寅,壬寅喜戊寅,格局為妙。寅為艮,艮為山,乃取之。

南山の豹が山谷の中に隠伏して、名声は百官を壓倒す。豹は霧中に蔵れてのちその文采を成しうるは、まさに人がまず隠れてのち顕れるを喩える。寅は豹であり、また山である。寅年生の人がさらに寅時を得れば、この格に合する。その中で庚寅は甲寅・丙寅を配するを喜び、壬寅は戊寅を配するを喜べば、格局こそ妙と算する。寅は艮に属し、艮はすなわち山で、取象はまさにこれに由る。

五、真武・勾陳・金轝・火土の四格

真武當權。壬癸乃北方合煞之神,壬癸人但得子巳丑者,乃合此格。蓋子正北方。巳中有蛇。丑中有龜。真武當權。知是人才而分端。

真武の神が権柄を執掌す。真武は北方の神で、その形象は亀蛇合体である。壬癸は北方会合煞気の神で、壬癸日干生の人は柱中に子・巳・丑を得さえすれば、この格に合する。子はまさに北方に当たり、巳中に蛇あり、丑中に亀ありて、亀蛇は具足す。真武がすでに権に当たれば、その人の材具は端正にして威権を握るを知るべし。

勾陳得位。戊己為勾陳,正帶夾拱,皆貴格。得位不虧,小信以成仁。

勾陳の神がそれぞれその位を得る。戊己は中央土に属し、すなわち勾陳である。正帯であれ夾拱であれ、いずれも貴格と算する。勾陳が位を得て損うるところなければ、その人は細微な信実の処から仁徳を成就しうる。

金轝引從。從,去聲。甲人祿在寅,辰為金轝,命前三辰為引,命後三辰為從,更兼拱夾,祿在驛馬,共帶三奇者,此為極品之貴格也。

金轝が前に引導し後に随従して、儀衛は煊赫たり。「従」の字は去声に読み、随従と解す。甲日生の人は禄が寅にあり、寅の後の辰がすなわち金轝である。本命の前三位を引とし、本命の後三位を従とし、さらに拱夾の勢いを加え、禄と駅馬が同じ一位に処り、また一わたり三奇を帯びる。これが極品の貴格である。

火土入堂。甲辰乙巳為覆燈火,丙戌丁亥為屋上土,甲辰乙巳生人見丙戌丁亥全,合此格。夜生者貴。日生者則非。入此四格,持旌節之權,秉兵符之任,已上四格,人命帶之,兼得貴神祿馬扶助,必為出將入相。

灯火と屋土が同じく一堂に入る。甲辰・乙巳の納音は覆灯火、丙戌・丁亥の納音は屋上土である。甲辰・乙巳生の人が柱中に丙戌・丁亥の斉備を見れば、この格に合する。夜に生まれたを貴とし、昼に生まれたは算しない。およそ真武当権・勾陳得位・金轝引従・火土入堂のこの四格に入る者は、旌節の権を持し兵符の任を掌りうる。以上の四格を人命が帯びて、また貴神と禄馬の扶助を得れば、必ず出でては将となり入りては相となる。

水居湖海之中,稟汪洋之碩量。子為湖,壬戌癸亥為水,海者,若水命人得子,又得壬戌癸亥,則志量汪洋,施設宏大,前程久遠。

水が湖海の中に居るは、汪洋のごとき宏大な器量を禀有することをいう。子は湖であり、壬戌・癸亥の納音は大海水で、すなわち海である。水命の人が柱中にすでに子を得、また壬戌・癸亥を得れば、志向器量は汪洋のごとく、施為は宏濶で、前程は久遠である。

火震雷霆之地,著烜赫之威尊。卯為雷霆之地,凡火命人,若生巳午而得卯時,乃合此格。若休囚死絕,或遇水深,雖卯時不能濟。當以生旺取之,主威勢之權衡。

火が雷霆の地に震動するは、烜赫の威厳尊貴を顕す。卯は雷霆の在る地である。およそ火命の人が巳・午の月に生まれてまた卯時を得れば、この格に合する。もし火が休囚死絶に処るか、あるいは水勢の深すぎるに遇えば、卯時があるとて救済は及ばない。つねに生旺の処に就いて取用してこそ、威勢と権衡を主る。

武跨將壇,雖繁劇而其神不亂。凡命中帶凶神惡煞,得為有用者,皆可言武。非特以武以生,為言也。子午卯酉是也,若子午卯酉生人,時宮帶煞有用,乃武跨將壇,最主為人能剖繁治劇之政事。

武将が拝将の壇に跨れば、事務がどんなに繁重緊急でも心神は慌てない。およそ命中に凶神悪煞を帯びて能く有用に化すものは、いずれも武を論じうるのであって、単に武藝をもって出身することを指すのではない。取る地支は子・午・卯・酉である。子午卯酉年生の人が、時柱に煞を帯びて煞がまた我が用に能くなれば、すなわち武跨将壇で、最もその人の繁難を剖決し棘手の政務を治めうることを主る。

貴臨印綬,縱富貴而其志不驕。天干為陰,陰生陽,陽生陰為印綬。如甲見癸,乙見壬,丙見乙,丁見甲之類。是以甲為陽木,癸為陰水,陰水生為陽木是也。貴即天乙貴人,命中若得印綬,下帶貴人者,雖貴極品,亦不易其所守。

貴人が印綬の上に臨めば、たとい富貴でも驕矜しない。天干は陰陽に分かれ、陰が陽を生じ陽が陰を生ずるものが印綬である。たとえば甲が癸を見、乙が壬を見、丙が乙を見、丁が甲を見る類である。甲は陽木、癸は陰水で、陰水が陽木を生ずるので、癸は甲の印綬である。「貴」とはすなわち天乙貴人。命中に印綬を得、下にまた貴人を帯びれば、たとい貴が極品に至っても、おのが守る操行を改易しない。

六、槐庭棘寺、天関地軸と台閣の諸格

德合雙鴛,坐槐庭而佈政。天干地支神,遇合為鴛,若雙合者,則謂之雙鴛合。命中干支帶雙合,而上有天德月德,或加臨官,乃為此格。一位見合而見德者,格局不正也。

徳神と双鴛の合が併見すれば、命主は槐庭に坐鎮して政令を頒布しうる。「槐庭」とは三公の府署を指し、この句全体は命主が三公に位列して朝政を掌理することをいう。天干と地支が相遇して合を成せば、これを「鴛」という。干支が両重とも合を成せば、「双鴛合」と称する。命中の干支が双合を帯び、上にまた天徳・月徳があるか、あるいはさらに臨官の位を加えるものこそ、この格である。ただ一位の相合しかなくて徳神を見るものは、格局が純正ではない。

官星四干,居棘寺以輸忠。四干者,乃年月日時四位之天干也。生者,乃官星遇長生有氣之謂。如甲用辛為官,而得辛巳;辛用丙為官,而得丙寅之類。凡官星休囚歇滅者,非也。

四柱の天干がことごとく官星を帯びれば、命主は棘寺に身を居して忠誠を竭くしうる。「棘寺」とは大理寺の別称で、古に外朝に九棘を種えて九卿の位を定めたので、後世それによって刑獄を掌る大理寺を棘寺と称す。いわゆる「四干」とは、年・月・日・時の四位の天干を指し、いわゆる「生」とは、官星が長生に遇って気有ることをいう。たとえば甲が辛をもって官星とし辛巳を得、辛が丙をもって官星とし丙寅を得る類である。およそ官星が休囚歇滅の地に落ちるものは、いずれもこの格に合しない。

天關地軸,建元萬卷詩書。乾為天關,坤為地軸,干中有亥,坤中有申,若辛亥見戊申,正合此格,春夏大貴。

天に関門あり地に枢軸ありで、命主は胸中に万卷の詩書を蔵し、建元開基の任に堪う。乾は天関、坤は地軸である。乾位の中に亥を含み、坤位の中に申を含む。柱中に辛亥が戊申を見れば、まさにこの格に合し、春夏に生まれればことさら大貴である。

日精月華,動地三臺宰輔。卯酉為日月之精華,日月交陰之地,卯酉生人在於秋月,必主大貴,宰輔之職也。

日の精と月の華が一処に会聚すれば、声勢は地を動かし、位は三台宰輔に至る。卯と酉は日月精華の在る処であり、また日月の交替、陰陽の更迭の地である。卯・酉年生の人がまた秋月に生まれれば、必ず大貴を主り、宰輔の職に任じうる。

位極功高,列四方之正位。子午卯酉,為極四方之正位;寅申巳亥,為東南西北之四維。若命中帶四方正位,或帶四維造化者,無不貴顯。若缺一借一,與夫缺一符用,皆可合此格。雖辰戌丑未,亦可借用仿此。

位が人臣に極まり功業が崇高なるは、四方の正位を占め尽くしたからである。子・午・卯・酉は四方の正中の位、寅・申・巳・亥は東南西北の四維の位である。命中に四正を帯び斉えるか、四維を帯び斉えれば、貴顕せぬはない。たとい一位を缺いて一位を借りて補うか、一位を缺いて他の神をもって相符して用とすれば、同じくこの格に合しうる。辰・戌・丑・未の四庫に至るまで、同じくこの法に照らして借用できる。

名昭位著,轉一氣之洪鈞。年月日皆屬冬令,而時上忽然得寅,乃合此格。木人與水人為最,火人次之。蓋木逢春則生旺,水逢東則順流,火寅則名健,至於金則絕休,土則死病。

名声が昭著にして地位が顕赫なるは、一気の洪鈞を轉動するに依る。「洪鈞」とはもと万物を陶鋳する大鈞を指し、宰輔が大政を執掌するを借喩する。年・月・日の三柱がことごとく冬令に属し、時柱の上に忽然として一つの寅を得れば、この格に合する。木命の人と水命の人が最も相い宜しく、火命の人はこれに次ぐ。木は春に逢えば生旺し、水は東に向かえば順流し、火は寅の上に至って強健と称す。金が寅に行けば絶して休し、土が寅に行けば死して病すので、いずれも相い宜しくない。

雙門夾祿,得之者鳳閣鸞臺。如癸生人,祿在子,而亥丑謂之夾祿。且如癸酉生人見丙子,又辛亥乙丑是也。祿居子,馬居亥,庫居丑,正謂雙門夾祿也。

両扇の門戸が禄位を夾まえば、この格を得た人は鳳閣鸞台に入りうる。鳳閣はすなわち中書省、鸞台はすなわち門下省で、いずれも宰相が政を議する所である。たとえば癸日生の人は禄が子にあり、亥と丑が一前に一後に子を夾む。これを夾禄という。またたとえば癸酉生の人が丙子を見、さらに辛亥・乙丑を加えれば、禄は子に坐り、駅馬は亥に坐り、墓庫は丑に坐る。これがまさにいわゆる双門夾禄である。

三秀盈門,遇之者玉堂金闕。年月日時,多帶天月二德三奇者是也。

三様の秀気が門庭に充満すれば、遇う人は玉堂金闕に出入りしうる。指すのは年・月・日・時の中に天徳・月徳と三奇を多く帯びることである。

活祿兼於活馬,入格則麟閣標名。祿之旺,馬之生,更得天德相助者,乃合此格者也。

活禄にさらに活馬を兼ね、格に入れば麒麟閣上に名を留めうる。漢宣帝はかつて功臣の像を麒麟閣に図画し、後世これをもって功臣の最高の栄典を指す。いわゆる活禄活馬とは、禄が旺地に処り馬が長生の地に処ることである。さらに天徳の相助を得れば、この格に合する。

大煞並於喜神,入局則鳳池顯貴。正月大煞居戌,同位合此格者,更得貴神之助,主功名顯達。

大煞と喜神が一処に併び、局に入れば鳳池の上に顕貴しうる。鳳池はすなわち鳳凰池で、中書省の在る所であり、枢要の職を代指する。正月の大煞は戌位に居る。煞と喜神が同じ一位に居してこの格に合するものが、さらに貴神の相助を得れば、功名顕達を主る。

蒼龍駕海,而金印懸腰。甲辰戊辰為蒼龍,壬戌癸亥為海,甲辰戊辰生人,而得壬戌癸亥;壬戌癸亥生人,而得甲辰戊辰,皆合此格也。

蒼龍が大海の上に凌駕すれば、命主は腰間に金印を懸く。甲辰・戊辰は取象を蒼龍とし、壬戌・癸亥の納音は大海水で、すなわち海である。甲辰・戊辰生の人が柱中に壬戌・癸亥を得、あるいは壬戌・癸亥生の人が柱中に甲辰・戊辰を得れば、いずれもこの格に合する。

朱雀騰空,而旌旗翳目。空,虛空也。非空亡也。丙丁火,乃南方朱雀之神也。若丙丁得巳午未之地,乃謂之朱雀騰空。丙丁生人得巳午,臨於日時,方合此格。可以言貴。

朱雀が長空に騰飛し、旌旗は日を蔽い眼目を遮る。儀衛の盛んなるを形容する。ここの「空」は天空虚空の空であって、空亡の空ではない。丙丁は火に属し、まさに南方朱雀の神である。丙丁が巳・午・未の地を得れば、これを朱雀騰空という。丙丁生の人が巳・午を得て日・時の両柱に臨めば、こそこの格に合し、貴を論じうる。

三元集旺,產超卓之英才。三元,即天干,地支,納音。此為天元,地元,人元也。命中帶五行自旺之氣,若四孟四季,則無自旺也。

三元の旺気が一処に聚れば、超群卓越の英才を産出しうる。「三元」とはすなわち天干・地支・納音で、また天元・地元・人元とも称す。この格は命中に五行の自旺の気を帯びることを要する。もし寅申巳亥の四孟あるいは辰戌丑未の四季の位に落ちれば、自旺というべきものはない。

四字俱生抱出群之大器。四字,乃年月日時納音四位,乃命中帶自生,居於四位,乃合此格者。如水生亥,火生寅主貴。惟寅申巳亥有此格局。四仲四季則無自生之理。

四柱の納音がことごとく長生の上に坐すれば、命主は抜萃の大器局を懐抱する。「四字」とは年・月・日・時の四位の納音を指す。命中に自生の気を帯びて、しかも四位がことごとく然りであってこそ、この格に合する。たとえば水の長生は亥にあり、火の長生は寅にあり、いずれも貴を主る。ただ寅・申・巳・亥のこの四孟の位のみがこのような格局を有し、子午卯酉の四仲と辰戌丑未の四季には自生の理がない。

桂林鳳隱,佩印乘軒。己未生人而見兩木,是為桂林。酉為鳳,其中帶酉,方為鳳隱。若有二木,非己未不可,謂之桂林。要見己未生酉時,方合此格。

鳳凰が桂林の中に隠棲すれば、命主は官印を佩び高車に乗る。己未生の人が柱中に两位の木を見れば、桂林を成す。酉は鳳で、柱中に酉を帯びてこそ鳳隠と算す。ただ两位の木があって己未がなければ、桂林と称するに足らない。つねに己未生の人が酉時を得て、方にこの格に合する。

海藏龍潛,膏車秣馬。藏去聲。海藏者,壬戌癸亥是也。辰為龍,壬戌癸亥生人得辰時,乃為此格。蓋海藏非龍則人得以玩,龍非海則無以藏形,可以相有而不可以相無也。

大海が深く蔵して蛟龍が潜伏するは、命主が膏車秣馬のごとく整装して発を待つことをいう。「蔵」の字は去声に読み、蘊蔵と解す。「海蔵」とは納音大海水の壬戌・癸亥を指し、辰は龍である。壬戌・癸亥生の人が辰時を得れば、この格である。海の中に龍がなければ、人の玩賞に任せて畏るるに足らず、龍に海がなければ、形を蔵する処なし。両者は互いに依存しうるが、一つを欠くべからずである。

入格者佩印乘軒,及時者名登顯位。此言前二格,各得其時入格乃貴。桂林鳳隱宜於秋,海藏龍潛宜於冬,方言福。

格に入れば官印を佩び高車に乗り、また生がその時を得れば名は顕位に登る。これは前の桂林鳳隠と海蔵龍潜の両格に就いていうのである。それぞれ生が時に逢い、かつ格に入ってこそ貴と算す。桂林鳳隠は秋に生まるるを宜とし、海蔵龍潜は冬に生まるるを宜とする。このようにしてこそ福を論じうる。

雷霆得門,遇之則名利超升。戊子己丑靂霹火,為雷霆之象。卯為雷門,生於春夏月也。如戊子己丑生人見卯,卯生人見戊子己丑,及生於春夏,正合此格。不宜水多,生於秋冬,則不及時矣。

雷霆が出入りの門戸を見つけたとき、遇う人は名利が超升する。戊子・己丑の納音は霹靂火で、まさに雷霆の象である。卯は雷門で、なお春夏の月に生まれなければならない。たとえば戊子・己丑生の人が柱中に卯を見、あるいは卯年生の人が柱中に戊子・己丑を見て、しかも春夏に生まれれば、まさにこの格に合する。この格は水が多いを宜としない。もし秋冬に生まれれば、その時を得たと算せない。

福生有基,逢之則貲金滿屋。四位集福於帝座,主發於四方是也。不逢凶神惡煞,此乃大富之格也。

福気の生発に根基があれば、逢う人は金銀が屋に満つ。四柱の位が福気をことごとく帝座の上に汇聚すれば、財源が四方より発することを主る。ただ凶神悪煞に逢わなければ、これが大富の格である。

三奇會於龍虎,葉贊扶持。三奇者,乙丙丁,甲戊庚,壬癸辛是也。命中帶三奇,而支神有寅有辰者不同,順與亂皆可。況三奇入廟在辰,故合此格。

三奇と龍虎が会合するは、衆人が協力して賛助扶持あることを主る。三奇とは乙丙丁・甲戊庚・壬癸辛のこの三組を指す。命中に三奇を帯びて、地支にまた寅あり辰あれば、この格に属する。三奇の排列が順でも乱でも、いずれも算しうる。まして三奇の入廟の地はまさに辰の上にあるので、この格に合する。

四德見於旌旗藩宣屏翰。以亡神劫煞為旌旗。天月二德凡兩見為四德,旌旗為亡神劫煞是也。如亥卯未亡神在寅,劫煞在申,則是寅為旌,申為旗。如巳酉丑亡神在申,劫煞在寅,則是申為旌,寅為旗。餘皆仿此。如四季帶亡劫,見兩天月二德,則合此格也。

四徳と旌旗が併見すれば、命主は出でて藩鎮宣撫となり、朝廷の屏障干城と作りうる。この格は亡神・劫煞をもって旌旗に充てる。天徳・月徳がそれぞれ両重を見るを四徳と称す。たとえば亥卯未年は亡神が寅にあり劫煞が申にあれば、寅を旌とし申を旗とする。巳酉丑年は亡神が申にあり劫煞が寅にあれば、申を旌とし寅を旗とし、その他はこれに照らして類推する。もし辰戌丑未の四季の命が亡神劫煞を帯びて、また両重の天月二徳を見れば、この格に合する。

胸中豪邁,貴人居詞館之中。天乙居詞館,乃五行臨官是也。如木臨官在寅,庚辛人得之;水土臨官在亥,丙丁人得之,其它仿此。若不見天乙貴人,又得福星貴人,天官貴人,太極貴人,皆可引用。

胸襟が豪邁開濶なるは、貴人が詞館に住したからである。いわゆる天乙居詞館とは、貴人が五行の臨官の位に落ちることを指す。たとえば木の臨官は寅にあり、寅はまさに庚辛日干の天乙貴人であるので、庚辛の人がこれを得ればそうである。水と土の臨官は亥にあり、亥はまさに丙丁日干の貴人であるので、丙丁の人がこれを得ればそうである。その他はこれに照らして類推する。もし柱中に天乙貴人が見えず、福星貴人・天官貴人・太極貴人を得るものも、いずれも引いて取用できる。

筆底縱橫,魁星入垣局之內。魁星,得甲辰一旬於位,皆垣局,即五行之正庫是也。甲辰乙巳得甲戌,丙午丁未得壬辰,戊申己酉得丙辰,庚戌辛亥得乙丑,壬子癸丑得癸未,皆為魁星入垣,合此格也。此外並無。

筆下の文思が縱横に馳騁するは、魁星が垣局に入ったからである。魁星とは甲辰のこの旬の十位を指す。いわゆる「垣局」とは、五行の正庫である。甲辰・乙巳が甲戌を得、丙午・丁未が壬辰を得、戊申・己酉が丙辰を得、庚戌・辛亥が乙丑を得、壬子・癸丑が癸未を得る。これらを魁星入垣といい、この格に合する。これ以外に、他の例はない。

貴人在玉堂之上,咫尺龍顏。壬癸生人見卯為貴人,須得癸卯,乃為玉堂。壬癸生人見癸卯,正合此格。

貴人が玉堂の上に立てば、天子と咫尺の間に居る。壬癸日干生の人が卯を見るを天乙貴人とし、なお癸卯でなければならず、こそ玉堂と算す。壬癸生の人が柱中に癸卯を見れば、まさにこの格に合する。

文星入詞館之中,從容鳳闕。乙亥丁巳為文星。如乙亥生人見丁巳,丁巳生人見乙亥,最為妙也。

文星が詞館の中に入れば、命主は从容として鳳闕に出入りしうる。乙亥・丁巳を文星とする。乙亥生の人が柱中に丁巳を見、あるいは丁巳生の人が柱中に乙亥を見れば、最も美妙である。

一旬內,三位四位,為公為卿。年月日時在旬內是也。又兼逢官星,又見貴人,納音相生,正合此格。

同一の旬の内で三位・四位を占めれば、位は公卿に至りうる。いうのは年・月・日・時がいずれも同一の旬の中に落ちることである。もしさらに官星に兼ね逢い、また貴人を見て、しかも納音が彼此相生すれば、まさにこの格に合する。

五行中,自生自旺,不富即貴。金辛巳自生,癸酉自旺,木己亥自生,辛卯自旺,水甲申自生,丙子自旺,火丙寅自生,戊午自旺,土戊申自生,庚子自旺。若命帶自生自旺,便見亨通。若休囚死絕者,必不發福。

五行の中で能く自生自旺するものは、富ならずんば貴なり。金は辛巳をもって自生とし癸酉をもって自旺とし、木は己亥をもって自生とし辛卯をもって自旺とし、水は甲申をもって自生とし丙子をもって自旺とし、火は丙寅をもって自生とし戊午をもって自旺とし、土は戊申をもって自生とし庚子をもって自旺とする。命裡に自生自旺を帯びれば、亨通を望みうる。もし休囚死絶の地に落ちれば、必ず福を発しえない。

得天地之和氣者,早充觀國之光。寅卯辰為天地中和之氣。命中年月日時帶卯辰寅,三位俱全者,正合此格。四位而間一位者,則非。更若木人與火人得此,絕妙。如水命人,福輕。會金人得之,未必為福。三春水盛金衰火旺土贏。

天地中和の気を秉受する人は、早年に上国を観光して仕途に進身しうる。「観国之光」は《周易・観卦》に出て、君王に覲見して朝に出仕することを指す。寅・卯・辰は天地中和の気である。命中の年・月・日・時が卯・辰・寅の三位を帯び斉えるものは、まさにこの格に合する。もし四位の中に一位の間隔があれば、算しない。木命の人と火命の人がこの格を得るは最も妙で、水命の人がこれを得れば福気は軽く、金命の人がこれを得れば必ずしも福ではない。春三月のうちは水が盛んで金が衰え、火が旺んで土が弱いからである。

居坎離之正位者,高預南宮之選。子宮為坎之正位,午宮為離之正位,以甲子生人,而得甲午丙午戊午時。或庚子生人,而得甲午庚午時。壬子生人,而得丙午時。是子喜見午,格局尤正。甲午生人,而得丙子戊子時。丙午生人,而得壬子戊子時。戊午生人,而得戊子庚子時。庚午生人得甲子丙子庚子時,是午見子,格局亦正。其餘摘出者,未必合格。況子為水之所鍾,午為火之所鍾,子午中水火坎離相會者,極妙也。

坎離の正位に居る人は、南宮の選に高中しうる。南宮とは尚書省礼部を指し、唐宋の進士考試は礼部が主したので、「南宮之選」はすなわち登第である。子宮は坎の正位、午宮は離の正位である。甲子生の人が甲午・丙午・戊午時を得、庚子生の人が甲午・庚午時を得、壬子生の人が丙午時を得る。これは子が午を見るを喜ぶのであり、格局はことさら純正である。甲午生の人が丙子・戊子時を得、丙午生の人が壬子・戊子時を得、戊午生の人が戊子・庚子時を得、庚午生の人が甲子・丙子・庚子時を得る。これは午が来て子を見るのであり、格局もまた正である。これ以外に別に摘取するものは、必ずしも合格しない。まして子は水気の鍾聚する処、午は火気の鍾聚する処で、子午の中に水火坎離が相会し、極めて美妙である。

一旬包裹,獨操千里之權。如甲寅見癸亥,甲子見癸酉之類。

一旬の首尾が中間を包裹すれば、命主は千里の地の権柄を独掌する。たとえば甲寅が癸亥を見、甲子が癸酉を見る類は、いずれも旬首と旬末が相見て、中間の几位をことごとく内に包む。

一路連珠,早擅四方之譽。天干地支相連,故云天干十脈之調勻,地支相連如珠璣。

一路に排して連珠のごときは、早年に四方の声譽を享ける。これは天干と地支が彼此相連なることをいう。天干の十位は脈絡が調匀で、地支は一位接一位として、串に繋げた珠璣のごとし。

七、旬位数理の諸格

虛一時用者,文主臺諫,武居將壇。如甲子見壬申,數內,八十內缺一位,九位與癸合是也。

一位を虚しく出して恰も時に応じて取用しうるものは、文なら台諫の職を主り、武なら将壇の位に据る。たとえば甲子が壬申を見れば、甲子より順に数えて壬申に至るはまさに第九位で、その間に恰恰一位を虚しく缺き、しかもこの一位が癸と相合する。これが虚一為用である。

得一分三者,生當封侯,死宜廟食。如甲寅祿,五行中,寅午戌馬居申,申子辰馬居寅,凡祿神數,三合是也。

一位を得て三処に分應する人は、生きて侯に封ぜられ、死して廟食の祭を享くべし。たとえば甲の禄は寅にある。五行の中で寅午戌の駅馬は申にあり、申子辰の駅馬は寅にある。およそ禄神の居る数が三合の局とまさに貫通するものが、得一分三である。

五星七星拱揖,輕清者學士翰林,重濁者胄子武弁。如甲子見戊辰,為五星拱揖,見庚午為七星拱揖,餘皆仿此。

五星・七星が前後に拱揖して相向かうとき、気象の軽清なるは学士翰林と作り、気象の重濁なるは胄子武弁と作る。たとえば甲子が戊辰を見れば、甲子より数えて恰も第五位で、五星拱揖といい、庚午を見れば恰も第七位で、七星拱揖といい、その他はこれに照らして類推する。

四位八位包藏,有用者名士大夫,無用者富家巨室。丙寅至己巳,為四位包藏,癸酉為八位包藏,餘皆仿此。

四位・八位が彼此包蔵すれば、世に用いられるは名士大夫と成り、世に用いられざるも富家巨室となる。丙寅より数えて己巳に至るは恰も四位で、四位包蔵といい、癸酉に至るは恰も八位で、八位包蔵といい、その他はこれに照らして類推する。

蚌珠吸月華兮見水,位極公卿。甲戌為蚌珠,己未為月華,癸亥或下逢一位水,合此格。

蚌中の珠が月華を吸取して、さらに水を見れば、位は公卿に極めうる。甲戌は取象を蚌珠とし、己未は取象を月華とする。柱中にさらに癸亥があって、あるいは下に一位の水に逢えば、この格に合する。

螢火照水濱兮遇秋,貴為卿監。丙申丁酉為螢火,下逢一水是也,生於秋夜,正合此格。多則氾濫,若非及時,則為賤格。詩曰:螢因腐草出,難近太陽飛,若見三秋月,冬生囊聚奇。此至微至妙。

蛍火が水辺に映じて、また秋令に生を逢えば、貴は卿監に至るをなしうる。丙申・丁酉の納音は山下火で、取象を蛍火とし、下にまた一位の水に逢えばそうであり、秋夜に生まれればまさにこの格に合する。水が多すぎれば泛濫と成り、もしまた生が時に逢わなければ、賤格に落成する。詩にいう、蛍火は腐草の裡より化生して出で、太陽に近づいて飛ぶこと難し。能く三秋の月色に遇い、あるいは冬夜に蛍を聚めて書を照らすがごときは、そこに奇を顕す。と。この一格は最も精微玄妙である。

三十六大貴,值之者,黃甲標名。自本生年至時,順數三十六位是也。蓋三十六者,乃陰陽至貴之數,人命獲之,豈不貴哉。

三十六位は大貴の数で、遇う人は金榜に題名す。宋代の進士榜は黄紙をもって書写したので、「黄甲」と称す。本生年より順に数えて時柱に至り恰も三十六位なれば、この格である。三十六は陰陽至貴の数で、人命がこれを得れば、貴ならざるの理があらんや。

二十四統全,得之者,青雲穩步。一歲有二十四氣,自立春以始,積五日則為一候,積三候則為一氣,二氣則為一月,所以一年統為七十二候二十四氣。命中一年數至時,得二十四位是也。蓋自始而終,包含生施大德,合此格大貴。

二十四の数が統攝周全なれば、この格を得た人は青雲の路上を歩歩として上る。一年に二十四節気あり。立春より始め、五日を積して一候とし、三候を積して一気とし、両気をもって一月とするので、一年に共に七十二候・二十四気を統べる。命中に年柱より数えて時柱に至り恰も二十四位を得れば、この格である。この一路は自ら始まり自ら終わり、生養施化の大徳を涵盖するので、この格に合するは大貴を主る。

七日來復,喜氣候之循環。自本命順數至第七位是也。如甲子見庚午,乙丑見辛未,丙寅見壬申之類。蓋七日之氣,若離一陰必就一陽,若離二陰必就二陽,若離三陰必就三陽,以其相對而分合,此者,皆是有貴也。

七日ののち陽気が来復するを、喜ぶは気候の循環往复して息まざるなり。「七日来復」は《周易・復卦》に出る。この格は本命より順に数えて第七位に至る。たとえば甲子が庚午を見、乙丑が辛未を見、丙寅が壬申を見る類である。七日の気機は、一分の陰を離れれば必ず一分の陽を上り、二分の陰を離れれば必ず二分の陽を上り、三分の陰を離れれば必ず三分の陽を上る。それ両両相対して分合に序あるがゆえに、およそこの象に合うものはいずれも貴を主る。

六位後先,喜陰陽之對偶。六位者,即本命數至第六位是也。如甲子得己巳,乙丑得庚午,為先六位。己巳得甲子,庚午得乙丑,為後六位。蓋一為陽,二為陰,數至於六,乃三陰三陽,不偏多。主榮貴。

六位に先後を分かつを、喜ぶは陰陽の双を成し配偶するなり。いわゆる六位とは、本命より数えて第六位に至ることである。たとえば甲子が己巳を得、乙丑が庚午を得れば、これを先六位という。己巳が甲子を得、庚午が乙丑を得れば、これを後六位という。一を陽とし二を陰として、数えて六に至れば恰も三陰三陽で、両辺偏倚せぬがゆえに、栄貴を主る。

大衍虛一,常人必無。大衍之數五十,其用四十九之數,得之者,合於大衍。自本命數至四十九位是也。

大衍の数はその一を虚しくするは、尋常の人には絶えてこの格なし。《周易・繫辞》に大衍の数は五十とし、実際に取用するは四十九のみである。この数を得る者は、まさに大衍の義に合する。本命より数えて第四十九位に至れば、この格である。

天地中分,奇才以產。五行以乾為天,以支為地。所謂中分者,支干各分一半是也。如甲子生甲午是,甲子至癸巳,三十之數已足。甲午再起一半。天於是中分。地於是中分。乙丑見乙未,丙寅見丙申,皆是天地中分之格也。

天と地がそれぞれ中間より両半に分かれれば、奇才を産出しうる。五行は天干をもって天とし、地支をもって地とする。いわゆる中分とは、干と支がそれぞれ半を占めることである。たとえば甲子生の人が甲午を得れば、甲子より癸巳に数えてすでに三十の数に満ち、甲午は恰も別に後の半を起こす。天はここに分かれ、地もまたここに分かれる。乙丑が乙未を見、丙寅が丙申を見るは、いずれも天地中分の格に属する。

體一用一猶一元默運之初。體者,本命也。月則自年而遁,日則自月而生,時則自日而起,是年為體,月為用。月為體,日為用。日為體,時為用也。統而言之,其端皆起於本命。月日時同出一辰,是體一而用亦一也。

体はただ一つ、用もまたただ一つで、元気が混沌の初めに默默として運転するがごとし。「体」とは本命を指す。月は年より遁出し、日は月より生じ、時は日より起こる。年を体とし月を用とし、月を体とし日を用とし、日を体とし時を用とす。総べていえば、端緒はすべて本命より発する。月・日・時が同じく一辰より出る。これが体は一にして用もまた一である。

居三隔三,象三才既分之後。一生二,二生三,三生萬物,故數至於三者,無窮之生施也。所謂居三陽者,自本命順數至第三位者是也。如丙寅得戊辰,戊辰見庚午,庚午見壬申之類。蓋一而二,二而三,是天地人三才之既分也。三才既居,造化以成,萬物之原,人茲以立,人命合此三數,安得不為奇哉。

三に居りてまた三をもって隔つるは、三才すでに分かれたるのちに取象する。《老子》に一生二、二生三、三生万物といい、ゆえに数えて三に至れば、無窮の生養施化を含む。いわゆる居三陽とは、本命より順に数えて第三位に至ることで、たとえば丙寅が戊辰を得、戊辰が庚午を見、庚午が壬申を見る類である。一より二に、二より三に至るは、まさに天・地・人の三才がすでに分立したもの。三才がすでに位に就けば、造化はここに成り、万物は本原を有し、人もこれによって立つ。人命がこの三の数に合すれば、何ぞ奇特と算せざらん。

一旬中睦集和氣,麟閣標名。年月日時,共出一旬者是也。又為一旬包裹喚天格。探真歌云:四位循環共一旬,還同兄弟一家人,玉堂厚祿數千戶,金榜題名顯二親。合得者宜此斷。

同一の旬の中に和睦して和気を聚むれば、麒麟閣上に名を留めうる。年・月・日・時が同じく一旬より出るを指し、すなわち前にいうた一旬包裹であり、また天格とも作す。《探真歌》にいう、四柱が循環して同じく一旬の内に在れば、兄弟が一家に同居するがごとし。玉堂の上に厚禄数千戸、金榜に題名して双親を顕耀するに足る、と。およそこの一格に合するものは、みなこれに照らして断ずる。

十三位炳現魁星,鳳池顯職。自本命數至第十三位是。如甲子生人得丙子,乙丑生人得丁丑之類,皆是十三位。但見魁星,惟甲辰一旬十位是也。餘則無之。十三位,恰如甲辰旬中十三位尤妙。

数えて第十三位にして魁星昭然と顕現すれば、鳳池の上に顕職に居りうる。本命より数えて第十三位に至ればそうである。たとえば甲子生の人が丙子を得、乙丑生の人が丁丑を得る類は、いずれも十三位に属する。ただし真に魁星を見るには、ただ甲辰のこの旬の十位のみが算しうるのであって、その他の各旬にはない。ゆえに数えて十三位に満ちて、かつ恰も甲辰旬中に落つるものは、ことさら美妙である。

二儀貴顯,學問淵源。本命相連一位,日辰相連一位,皆為二儀。如甲子見乙丑,庚午見辛未,乙亥見丙子,辛巳見壬午,丙戌見丁亥,戊子見己丑,是兩位連珠,而遇天乙貴人,乃二儀貴偶。若二偶連珠,丙前見亥,見鬼煞,乃貼身鬼位,反主生禍。須是貴偶,方為吉也。

二儀が偶を成して顕貴となれば、学問は自ら淵源ある。「二儀」とは、本命と相隣る一位が相連なり、日辰と相隣る一位が相連なるをいう。たとえば甲子が乙丑を見、庚午が辛未を見、乙亥が丙子を見、辛巳が壬午を見、丙戌が丁亥を見、戊子が己丑を見るは、いずれも两位の連珠である。もしさらに天乙貴人に遇えば、二儀貴偶と成る。ただし两位は連珠なりといえども、丙の前に亥を見れば、それは鬼煞に撞著して貼身の鬼位と成り、かえって禍を生ず。つねに貴偶を配成してこそ、吉利と算す。

八位官星,文章俊邁。本命順數入八宮,得官星是。如甲子生得辛未,甲寅生得辛酉,庚申生得丁卯,庚寅生得丁酉,是為八位官星。此格得之者,多居侍從之列,非尋常之可比也。

第八位の上に官星坐すれば、文章は俊逸超邁なり。本命より順に数えて第八宮に入りて官星を得ればそうである。たとえば甲子生の人が辛未を得、甲寅生の人が辛酉を得、庚申生の人が丁卯を得、庚寅生の人が丁酉を得れば、これらを八位官星という。この格を得た人は多くは侍従の列に位し、尋常の人の比喩しうるところにあらず。

火明木秀,逢春月以為榮。一氣所至,則金鼠登魁;斗柄所指,則火生逢寅。三陽交泰,萬物生輝,火至此光輝發越,木至此敷榮茂盛。夫東方木色青,南方火色赤,青赤相間,則文華。如戊午則見辛卯,己未則見庚寅,命中有木與火,生居三春,乃火明木秀。生居夏,則火太炎,木巳死。秋則並歸死絕,冬則無氣。

火に光明あり木に秀気ありて、さらに春月に逢えば栄発を見る。一気の流行する所に至れば、甲子金鼠は魁首に登る。北斗の斗柄の指す所に、火は寅位に生を受く。三陽交泰の際、万物は光輝を生じ、火はここに至って光焰発越し、木はここに至って敷栄茂盛する。東方は木に属してその色は青、南方は火に属してその色は赤。青と赤とが交相間雑して、文采華美と成る。たとえば戊午が辛卯を見、己未が庚寅を見れば、命中にすでに木ありまた火ありて、しかも春三月に生まるるは、すなわち火明木秀である。もし夏に生まれれば、火は太過炎烈にして木もまた死地に至る。秋に生まれれば、木火は併せて死絶に帰す。冬に生まれれば、さらに生気は皆無である。

金白水清,遇秋天則為貴。三秋令,西方白帝司令。當此時,以金則白,以水則清。本命中有二金在下,二水在上。或一金三水,一水三金,相間生於秋月,則貴。春夏冬間,金未必白,水未必清,不合此格。

金色は潔白にして水質は清澄なるは、秋に遇えば貴を主る。秋三月は西方白帝の当令で、まさにこの時に当たり、金は白を顕し水は清を顕す。本命の中に两位の金が下にあり两位の水が上にあるか、あるいは一金に三水を配し一水に三金を配して、彼此相間にしてしかも秋月に生まれれば、貴を主る。もし春・夏・冬の三時に生まれれば、金は必ずしも白ならず水は必ずしも清ならずして、この格に合しない。

虎臥鳳闕,附鳳非難。寅為虎,酉為鳳,寅生人見酉,酉生人見寅時,乃合此格。況寅宮有箕星,酉宮有畢星,箕星好風,畢星好雨,生逢其時,有風雨作霖之象。若虎憎雞觜短,以其元辰日論之,則差之毫釐,謬以千里。

虎が鳳闕の前に臥して、鳳凰に攀附するは難からず。寅は虎、酉は鳳である。寅年生の人が柱中に酉を見、あるいは酉年生の人が寅時を得れば、この格に合する。まして寅宮に箕宿あり、酉宮に畢宿ありて、箕星は風を好み畢星は雨を好むので、もしまた生がその時に逢えば、風雨成霖の気象がある。俗諺のいう虎が鶏の嘴の短きを憎むというは、それは元辰日に就いていうのであって、両者は混じて一談にするべからず。一たび混ぜば、毫釐を差えて千里を謬る。

魚躍龍池,攀龍誠易。魚即亥,亥乃雙魚也。龍即辰,辰屬龍。亥生人得壬辰時,乃合此格。辰人得亥則非,亥遇辰亦非。然以龍嫌豬面黑,果時無刑戰,有官星貴人,此魚躍龍池格無疑也。

魚が龍池に躍入れば、攀龍附鳳は実に易し。「魚」とは亥を指し、亥の星象はまさに双魚である。「龍」とは辰を指し、辰の生肖は龍に属す。亥年生の人が壬辰時を得て、こそこの格に合する。辰年生の人が亥を得るは算せず、亥が他の辰に遇うも算しない。俗説に龍は猪の面の黒きを嫌うというは、ただ時柱の上に刑戦なく、また官星貴人の相扶あらば、それは確かに魚躍龍池の格で、疑慮するに及ばない。

三奇三合,為邦家柱石之臣。三合寅午戌,三奇見前,干帶三奇,支帶三合最好。三奇乃陰陽精氣,見在三才者也。況支逢三合,有忽然相契之義,其福氣渾涵,相資相得,豈不為貴哉。

三奇と三合が併見すれば、命主は邦国の柱石の臣である。三合はたとえば寅午戌のごときで、三奇はすでに前文に見えたり。天干が三奇を帯び地支が三合を帯ぶるは、最も上好である。三奇は陰陽の精気で、天・地・人の三才の間に顕現する。まして地支にまた三合に逢い、期せずして然りて彼此相契る意を含む。こうあれば福気は渾厚涵蓄して、互相資助し互相成全する。何ぞ貴ならざらん。

重蓋重金,作廟堂瑰偉之客。辰戌丑未為蓋。命帶二金,則重一金,此格極貴。或乙丑乙未庚辰生見庚戌,或庚戌生見乙丑乙未,互相見之,不畏刑沖。

華蓋重叠・金気重叠なれば、廟堂の上の瑰奇偉岸の人物と作りうる。辰・戌・丑・未はいずれも「蓋」と算す。命中に两位の金を帯びて、さらに一位の金を重ねれば、この一格は極貴である。たとえば乙丑・乙未・庚辰生の人が柱中に庚戌を見、あるいは庚戌生の人が柱中に乙丑・乙未を見れば、両相照応して、たとい刑冲ありとも怕れない。

五星朝北,虛斗宿而名動縉紳。五星,即五行金木水火土也。即非五星,北方正位,北辰躔斗牛分野之宮,視子尢重。命有戌有子有寅,虛拱一丑,乃五星朝北。更帶五行全,格局乃為貴。

五星が北方に朝拱して、斗宿の位を虚拱すれば、名声は縉紳の列を驚動す。「五星」とはすなわち五行の金・木・水・火・土である。この格の重んずる所は単に五星にあらずして、北方の正位にあり。北辰の行う斗牛分野の宮は、子位より看るよりも重し。命中に戌あり子あり寅ありて、中間に丑を虚拱すれば、すなわち五星朝北である。もしさらに五行斉備を帯びれば、格局こそ貴と算す。

萬派流東,拱雷門而聲振天地。千源萬派,無非水也。朝宗之勢,未始不一。蓋天高西北,地陷東南,水自西北以發源,自東南而順注。天上有星皆拱北,世間無水不朝東。命中若三四水俱朝東,日時虛拱卯位,乃合此格。

万道の支流が一斉に東に注ぎ、雷門を拱して声勢が天地を震動す。千源万派は、それをいえばみな水であり、それらが大海に奔赴する勢いは、従来一にして同じ。天は西北に傾きて高く、地は東南に陥りて低し。ゆえに水は西北より発源して、東南に向かって順流下る。天上の星宿はみな北極に拱向し、世間の江河は東に朝せざるなし。命中に三四位の水ありて一斉に東に向かい、日・時の間にまた卯位を虚拱せば、この格に合する。

故陰陽之理,欲探其端倪,而造化之機,當識其變通。五行或隱而顯,四柱或晦而明,或無生旺而壽康,或乏貴官而顯達,勢若難辨,理或易曉,格局可據。如對鏡以別妍醜,機緘悉露;若臨水以照鬚眉,斯理一融,至神自悟。

このゆえに陰陽の理は、それの端倪を探究すべく、造化の機枢は、それの変通を認識すべし。五行は時に隠より転じて顕となり、四柱は時に晦より転じて明となる。あるいは生旺なきに長寿康健なるあり、あるいは貴人官星を缺きて照様顕達するあり。形勢を看れば分辯し難きがごとく、道理を論ずれば実に明白なり易し。格局には憑拠の依るべきあり。鏡に対して美醜を分かつがごときは、機関内情ことごとく顕露し、また水に臨みて須眉を照見するがごとし。この一層の道理を一たび融會貫通すれば、最も精微の処は自ら豁然と領悟す。

中篇 もっぱら悪煞疾病、夭折貧愚の類を論ず

命中貴賤,格分細微。詳究淵源之旨,洞知造化之規。窮四柱之興衰,深明得失;括五行之進退,便曉盈虧。純粹全而高明,駁雜深而微賤。數切推於順逆,殺要詳而通變。

命の貴と賤とは、分別は格局の細微の処に在り。詳細に其中の淵源の旨趣を推究し、造化の規矩を透徹に了解すべし。四柱の興衰を窮究すれば、得失を深く明らめ、五行の進退を総括すれば、盈虧を通暁す。気象の純粹周全なるは高明なり、駁雑深重なるは卑微なり。数は切実に順逆を按じて推し、煞は詳盡に通変に就いて看よ。

人謂鬼人,而生必乖時;物謂鬼物,而殺反破吉。煞中逢鬼,謂乖時也。生時遇眾煞所聚,反克年干,是吉位逢凶,謂鬼物也。日時生吉時之宮,反惡煞沖刑剋害。珞琭子曰:人有鬼人,物有鬼物,此之謂也。

人の中にいわゆる「鬼人」ありて、生まれて必ず時運に乖違す。物の中にいわゆる「鬼物」ありて、煞気はかえって吉神を破壊す。煞の中にまた鬼に逢うを、乖時という。生時の処に衆煞聚集して、かえって年干を克傷すれば、これは吉位が凶に遇うのであり、これを鬼物という。日・時はもと吉時の宮に生まれて、かえって悪煞の冲刑克害を受く。《珞琭子三命消息賦》にいう、人に鬼人あり、物に鬼物あり、講ずるはまさにこの道理である。

八、悪煞刑傷、鬼臨破敗の象

甲辛帶煞而傷體,刺面懸針;刑刃逢凶而克身,分尸鋒劍。甲辛二字為懸針,更逢巳酉二字,乃配字。或更日克本主者,為刺面懸針之格。刑刃者,三刑上帶羊刃,在煞宮刑剋本生身命者,為分尸鋒劍之格,刑死不見尸。

甲・辛の両字が煞を帯びて形体を傷損するは、面を刺して軍に充る懸針の厄を主る。三刑羊刃がまた凶に逢いて身を克すは、身を鋒刃の下に分つを主る。甲・辛の二字は筆画が針の懸垂するがごときゆえに、「懸針」という。さらに巳・酉の二字に逢えば、まさにそれと相配の字である。もし日柱がまた来て本命の主を克せば、刺面懸針の格と成る。いわゆる「刑刃」とは、三刑の上にまた羊刃を帯び、煞宮に落ちて本生身命を刑克すれば、分尸鋒劍の格と成り、横死して尸首全からず。

或有降福以就禍,或有降尊以就卑。必先富後貧,先貧後富。祿馬貴人逢死絕,氣衰不能逢旺中之鬼,氣囚不能救生旺之財。降福就禍者,吉中有凶。降尊就卑者,先旺後衰,先明後晦,先通後塞。謂火焰光即晦,木葉落無蔭。

あるいは福位より跌落成して禍となり、あるいは尊位より降落して卑となる。このようの命は必ず先に富みて後に貧し、あるいは先に貧して後に富む。禄・馬・貴人が死絶に逢えば、気衰えて旺地裡の鬼煞に抵えず、気囚えて生旺の処の財を救いえず。いわゆる降福就禍とは、吉の中に凶を蔵するなり。いわゆる降尊就卑とは、先に旺えて後に衰え、先に明らかにして後に暗く、先に通じて後に塞がるなり。まさに火焰の最も亮しきに燒き至るや随って昏暗となり、樹葉の落ち尽くしたるのちは再び蔭を遮る能わざるがごとし。

白虎銜尸則殞身塗炭,元武披髮則明鏡塵埃。白虎者,甲乙下有庚辛者。庚辛金乃白虎煞也。元武者,壬癸水。命中見寅卯辰者,必主凶危。

白虎が口に尸首を銜ぶは、身を塗炭の中に喪うを主る。玄武が髪を披きて散ずは、明鏡の塵に蒙り光彩ことごとく失うを主る。いわゆる白虎とは、甲乙の下に庚辛ありて、庚辛の金がすなわち白虎煞である。いわゆる玄武とは、壬癸の水である。命中にもしさらに寅・卯・辰を見れば、必ず凶險危亡を主る。

信失禮虧,仁空義塞,風動燈滅,水湧土潰。土主信,火主禮,土火受沖,同歸空絕,故謂之信失禮虧。木仁金義,木困而受制,金困而受克,故謂之仁空義塞。甲辰乙巳,乃燈光之火。木多招風,或甲乙不可動。犯則風動燈滅,一土孤虛,四水浮泛,必有崩塌之禍,則水湧土潰。犯此格此局者,貧者流,富者夭,或在僧道之命,亦主荒迷性惡之類。

信義喪失して礼数虧缺し、仁徳落空して義気壅塞す。風一たび動けば灯は滅し、水一たび涌けば土は崩る。土は信を主り、火は礼を主る。土と火とが冲を受けて同じく空絶に帰すゆえに、信失礼虧という。木は仁を主り、金は義を主る。木は困せられて制を受け、金は困せられて克を受くゆえに、仁空義塞という。甲辰・乙巳の納音は覆灯火で、灯上の一点の光である。木多ければ風を招くべしゆえに、甲乙の木は再び動かすべからず。一動すれば風起きて灯滅す。一位の土孤单虚弱にして、四面水勢浮泛せば、必ず崩塌の禍あり。これがすなわち水涌土潰である。この種の格局を犯す人は、貧なれば流落の輩に淪落し、富むも夭折を免れず。たとい僧道の命に入るとも、多くは荒唐迷亂・性情乖惡の流である。

破刑之體,而陰鬼躡足;蕩產之家,而干鬼臨頭。胎克時,時剋日,日克月,月克年,下克上,謂之陰鬼躡足。干鬼壬癸全,或見胎干克時,時干剋日,日干克月,月干克年,故謂之干鬼臨頭,此為極凶之兆。後學宜細推之。

形体が破れ刑せられるは、陰鬼が脚下に緊く尾行するなり。家産が蕩尽して余りなきは、干鬼が当頭に壓し来たるなり。胎が時を克し、時が日を克し、日が月を克し、月が年を克して、一路下より上を克するを、陰鬼躡足という。天干上の鬼煞が壬癸斉備するか、あるいは胎干が時干を克し、時干が日干を克し、日干が月干を克し、月干が年干を克するを、干鬼臨頭という。これは極凶の兆で、後学の人は子細に推詳すべし。

天誅神殛,而殺犯雷公;火焚水淹,而鬼截根蒂。雷公煞者,正二三月在寅,四五六月在亥,七八九月在申,十十一十二月在巳,犯之者重重克身。五行煞重者,疑被殛死。鬼絕根蒂者,五行死絕逢鬼是也。

上天に誅戮され神明に殛殺されるは、煞が雷公を犯すなり。火に焚かれ水に淹れて亡ぶは、鬼煞が根蔕を截断するなり。雷公煞の起法は、正・二・三月は寅に、四・五・六月は亥に、七・八・九月は申に、十・十一・十二月は巳に在り。これを犯す人は重ね重ね克を受く。五行の中で煞気が重すぎるものは、多くは雷殛に死す。いわゆる鬼絶根蔕とは、五行がすでに死絶の地に至ってまた鬼煞に逢うことである。

仇讎金煞,富貴定不長年;火煨骷髏,疲廢必無鶴髮。仇讎金煞者,二酉二巳,乃蛇須殃咎,雞須分碎是也。一木四火,乃火煨骷髏,是乖中不乖,和中反乖,必然夭死者也。

仇を結ぶ金煞を帯ぶれば、たとい富貴あれども定めて久しく活きえず。火煨髑髏を犯せば、衰疲廃棄の身は必ず鶴髮の年を待たず。いわゆる仇讐金煞とは、柱中に二つの酉・二つの巳あるなり。蛇は必ず殃咎に遭い、鶏は必ず分碎せらる。一位の木に四位の火を配するは、すなわち火煨髑髏。乖違なるがごとく見えて偏に乖違せず、和順なるがごとく見えてかえって乖違す。この種の人は必ず短命にして死す。

木衰火炎兮,有心而無力;金寒水冷兮,有力而無心。木衰而不能當旺火之光,火上木下,富貴極夭。木上火下,貧而無福。金寒水冷者,謂四位庚辛見一壬生冬,或納音四金一水,冬月而無氣也。

木衰えて火炎なるは、その人に心有りて力なし。金寒くして水冷なるは、その人に力ありて心なし。木がすでに衰弱せば、旺火の光焰を承受しえず。火が上にあり木が下にあるは、たとい富貴でも極めて夭折しやすし。木が上にあり火が下にあるは、貧窮にして福なし。いわゆる金寒水冷とは、四位の庚辛の上に一位の壬を見て冬に生まれ、あるいは納音の四位の金に一位の水を配して、また冬月に生まれて全く生気なきものである。

白虎焚身兮,寧無徒刑;青龍退鱗兮,豈逃汨沒。白虎,庚辛金也。交於離,丙丁為白虎焚身,且如一庚三丙,一辛三丁,至重者。青龍,甲乙是也。怕見壬申癸酉,金損氣也。

白虎が火に焚かれて身を焼かるれば、豈に徒刑を免れんや。青龍が鱗甲を褪去せば、何ぞ沈淪埋没を逃れんや。白虎とは庚辛の金を指し、離位に行って丙丁と相交われば、すなわち白虎焚身である。たとえば一位の庚に三位の丙を配し、一位の辛に三位の丁を配するは、最も重し。青龍とは甲乙の木を指し、最も壬申・癸酉の剣鋒金を見るを怕る。金が木気を損傷せんとするがゆえに。

鰥寡孤獨而最殃,破刑傷滯而災深。孤神曰孤宿之神,曰鰥寡,曰孤獨,四位俱刑,鰥夫寡婦,獨女獨子是也。空亡克身也破,金神曰刑,羊刃曰傷,三刑曰滯。

鰥・寡・孤・独の四者は最も災殃を招き、破・刑・傷・滞の四者は禍患ことに深し。孤神とはすなわちいわゆる孤宿の神で、また鰥寡ともいい、また孤独ともいう。四柱の位がことごとく刑を受くるは、鰥夫寡婦・独女独子を主る。空亡が来て身を克するも破と作し、金神を刑と作し、羊刃を傷と作し、三刑を滞と作す。

五行怕奪紀綱,四干最嫌繁冗。紀綱者,謂下三壬一亥,三甲一未,三辛一丙之類。分奪,秀氣不專也。繁冗者,謂下一壬三亥,一甲三未,一辛三丙,是繁冗不勻,而無秀氣也。

五行は最も紀綱の分奪せらるるを怕れ、四干は最も頭緒の繁冗なるを嫌う。いわゆる紀綱とは、下に三つの壬が一つの亥に配し、三つの甲が一つの未に配し、三つの辛が一つの丙に配する類を指す。衆多が来て一つを分奪すれば、秀気は専一ならず。いわゆる繁冗とは、一つの壬に三つの亥を配し、一つの甲に三つの未を配し、一つの辛に三つの丙を配するを指す。これは繁雑にして勻称ならず、同じく秀気を生ぜず。

印破馬破,必是巧胥滑吏;刃橫刑截,豈非市井屠沽。印破馬破,指正印被沖破刑剋。前刃後刑,更怕相(克)。刃橫刑截者,如乙卯鼠[水],前有庚辰,後有庚子,乃市井屠沽之輩也。

印が冲破され馬が冲破されれば、必ず機巧滑頭の胥吏となる。羊刃が横行し刑煞が截断せば、豈に市井の屠戸酒保と成らざらんや。印破馬破とは、正印が冲破刑克せらるるを指す。前に羊刃あり後に刑煞あれば、さらに彼此相克するを怕る。いわゆる刃横刑截とは、たとえば乙卯の納音が水に属する命が、前に庚辰あり後に庚子あれば、それは市井屠沽の輩である。

耗鬼值殺,而財若浮雲;天中絕跡,而家無儋石。耗鬼值殺者,劫殺同大耗,或六害三刑,同耗克身也。貧當夭壽,貴反刑傷。天中者,甲戌乙亥墓絕之火。又見甲申乙酉水,日時逢空帶鬼煞,天中絕跡之謂也。

耗鬼がまた煞に値すれば、錢財は浮雲のごとく留め難し。天中に絶迹すれば、家に一石の存糧もなし。いわゆる耗鬼値煞とは、劫煞と大耗が同じ一位に居るか、あるいは六害・三刑が大耗とともに来て身を克することである。このようの命は、貧なれば短寿、貴なればかえって刑傷に遭う。いわゆる「天中」とは、甲戌・乙亥のこの墓絶の火が、また甲申・乙酉の水を見、日・時が空亡に逢いて鬼煞を帯ぶる。これを天中絶迹という。

九、貧夭疾厄と格破局傷の象

自縊兮懸絲帛影;自殘兮截命傷魂。若自縊,命中帶戌亥。有患惡煞重疊者,是自殘。如辛酉生見庚戌,後見壬申,前羊刃,後亡煞,皆克生年,誠可畏也。

自縊の命は、懸絲垂帛の影を映す。自殘の命は、性命を截断し魂魄を傷損す。自縊に就いていえば、命中に戌・亥の两位を帯ぶることである。もしまた悪煞が重重に疊加に逢えば、それは自殘の象である。たとえば辛酉年生の人が柱中に庚戌を見、後ろにまた壬申を見れば、前に羊刃あり後に亡神煞ありて、いずれも来て年柱を克傷す。実に畏るべし。

局內有傷,格中有破,朱門餓莩,貧死夭亡。遇此格者,家徒四壁。若無救者,壽豈長年。局內有傷,謂五行自旺處,逢鬼相剋,福身刑空破敗。格中有破者,合前貴格,重逢貴煞相沖是也。朱門餓莩者,入格之命,下見三空四空,三刃四刃,三劫四劫之類。生於華屋,死於窮途,必主九流僧道,藝術之士也。

局裡に傷あり格裡に破あれば、たとい朱門大戸でも飢餓して、ついに貧困して死し短命して亡ぶ。この種の格に遇うは、家に四壁のみ。もしさらに救神なければ、壽数は豈に久しからんや。いわゆる局内有傷とは、五行がもとより自旺すべき処に偏に鬼が来て相克し、福神と身宮とがまた刑・空・破敗を受くること。いわゆる格中有破とは、前の貴格に合したるに、重重貴煞の相冲に逢うこと。いわゆる朱門餓莩とは、もとより格に入りたる命が、下に三重四重の空亡、三重四重の羊刃、三重四重の劫煞の類を見ること。華屋の中に生まれて、窮途の上に死す。多くは九流僧道・方技藝術の士に淪落す。

燭影當風,豈有長久富貴;丘壑滯水,何須去問功名。甲辰乙巳,燈燭之火,怕戊辰己巳,巽風或下有木,木能招風,風動燈滅。丘壑者,辰戌丑未是也。更不宜壬癸水多,謂之水入丘壑,則不流也。

燭光がまさに風口に對すれば、何ぞ久しき富貴あらん。死水が丘壑の中に積れば、すなわち更に功名を問うに及ばず。甲辰・乙巳の納音は覆灯火で、灯燭の光である。最も戊辰・己巳のこの巽風の位を怕れ、あるいは下に木あれば、木は能く風を招き、風一たび動けば灯は滅す。いわゆる丘壑とは、辰・戌・丑・未の四庫を指す。ここはさらに壬癸の水の多きを宜とせず、水が丘壑に流れ入れば、これを停滞不流という。

羊刃重重而克命,溝壑土埋;金神疊疊以傷身,陣前分首。大抵羊刃之煞,最可畏也。三重克身帶煞,必主征伐而終。金神亦為煞中之要,二重克身,必主牢獄征伐而死無疑。

羊刃が重重疊疊に命を克すれば、尸骨は溝壑の中に埋めんとす。金神が層層累累に身を傷れば、頭顱は陣前に斷ぜんとす。大抵羊刃のこの一煞は最も畏るべし。三重に身を克してまた煞を帯ぶるは、必ず征戦に死す。金神もまた衆煞中の要なる者で、両重に身を克するは、必ず牢獄あるいは征戦に死す。これは疑いなし。

蛟龍失水,華摛彈鼓之人;鳳凰焚巢,浪流失業之士。辰生人,見辰戌丑未四時,荒丘之地,納音無水,則龍失水無歸。鳳凰乃酉字,納音火多,則有鳳凰焚巢之禍也。

蛟龍が水を失えば、ただ彈弦擊鼓して藝を賣り生を謀る人に淪す。鳳凰が巢穴を燒かれれば、ただ漂泊流浪して生業を失う士と作す。辰年生の人が柱中に辰・戌・丑・未の四季の位を見るは、それは荒丘の地で、納音にまた水なければ、龍は水を失って歸依する所なし。鳳凰とは酉字を指し、もし納音の火が多すぎれば、鳳凰焚巢の禍あり。

太陽損明,戊午不禁於水溢;太陰薄食,己未豈堪於土多。戊午太陽火,水多則損明,水克火也。己未太陰水,土多則薄蝕相剋也。

太陽が光明を損ずるは、戊午が大水の泛濫に堪えざるなり。太陰が薄蝕を受くるは、己未が重土の掩埋に禁えざるなり。戊午は取象を太陽の火とし、水が多ければ光明は損を受く。水は能く火を克するがゆえに。己未は取象を太陰とし、土が多すぎれば、土に侵克せられて虧蝕を生ず。

夫妻反目,刃劫臨於日宮;父子悖逆,劫刃坐於時位。日逢羊刃,則夫妻反目。時逢羊刃劫煞,則父子悖逆。如更相剋,尢為重害。據理而推。

夫妻が反目して仇と成るは、羊刃と劫煞が日宮に臨むなり。父子が悖逆不和なるは、劫煞と羊刃が時位に坐するなり。日柱が羊刃に逢えば、夫妻は反目す。時柱が羊刃劫煞に逢えば、父子は悖逆す。もし彼此さらに相克せば、害處ことに深重なり。理に依りて細推すべし。

根苗薄淺,則家貲劈若虀粉;財庫空虛,則衣食輕於繳繒。根苗者,如木命人見火多,為火飛煙滅。水命人土多,則壅塞不通。金命人水多,則金瀋水底,火命人土多,則晦暗不明。土命人火盛,則土崩而不能載物。財庫空虛者,財庫在空亡是也。

根苗の淺薄なるは、家財が齏粉に剁成せられたるがごとく零落す。財庫の空虚なるは、衣食は一層の薄繒のごとく輕薄なり。いわゆる根苗とは、たとえば木命の人が火の多きを見れば、すなわち火飛煙滅。水命の人が土の多きを見れば、すなわち壅塞不通。金命の人が水の多きを見れば、金は水底に沈む。火命の人が土の多きを見れば、すなわち晦暗不明。土命の人が火の盛んを見れば、土は崩散して萬物を載せえず。いわゆる財庫空虚とは、財庫が空亡の上に落つるなり。

威而不猛者,祿貴有害;屈而不伸者,造化無情。威而不猛者,謂祿馬貴人,有空煞空亡之害。屈而不伸者,謂煞{神}四墓,伏藏不能伸舒。干支各不相綴也。

威名ありて威猛ならざるは、禄神貴人が損害を受くるなり。屈曲して伸展しえざるは、造化が彼に對して無情なり。いわゆる威而不猛とは、禄・馬・貴人が空煞空亡に害せらるるなり。いわゆる屈而不伸とは、煞神が辰戌丑未の四墓の中に落ちて、伏藏して舒展しえず、干と支とが彼此また相連綴せざるなり。

寒冰凍結,畢世天涯;絕跡滅形,終身多疾。寒冰者,或壬癸命,見子丑亥全者,生於冬月,乃北方煞,凍結凝滯也。絕跡者,年沖月破,互換空亡,羊刃克身,命有沖擊之患,此二格最不好,女多淫亂,男多疾病。

寒冰が凍結して解けざるは、一世天涯に漂泊す。絶迹滅形するは、終身疾病に纏わる。いわゆる寒冰とは、壬癸の命が子・丑・亥の斉備を見て冬月に生まるるなり。これは北方の煞で、凍結凝滞を主る。いわゆる絶迹とは、年柱が冲を受け月柱が破られ、彼此空亡を互換し、羊刃がまた来て身を克して、命裡に冲擊の患滿つるなり。この両格は最も良からず。女子は多く淫亂に失し、男子は多く疾病に苦しむ。

龍蟠泥沙,多招危辱;鬼投母腹,幼必離親。辰生人,四柱納音而無水者是也。故龍無水而不能活,無變化之意。鬼投母腹,年月日時四水,而胎無一土者是也。

龍が泥沙の中に蟠曲するは、多く危難屈辱を招く。鬼が母腹裡に投ずるは、幼年に必ず双親と別離す。龍蟠泥沙とは、辰年生の人の四柱納音の中に一点の水もなきを指す。龍に水なければ活きるを成さず、すなわち騰躍變化の余地なし。鬼投母腹とは、年・月・日・時の四柱がことごとく水で、胎元の裡に一点の土もなきを指す。

劍殞鋒芒,勾陳失力,源清流濁,天乙星嗔,若無救援之神,必是摽掠之輩,更臨空煞,終始窮寒。壬申癸酉,見火多必殞。劍鋒勾陳,即戊己也。戊忌甲,己忌乙,如見木多亦畏之。源清流濁者,水命下見土多也。水輕土重,如壬輕戊重,癸輕己重,水被土濁故也。天乙生嗔者,甲寅見丑,甲申見未也。此謂之天乙生嗔。

寶劍が鋒芒を折り、勾陳が氣力を失い、源頭は清きに下流混濁なれば、天乙貴人もまたこれがために怒を動かす。もし救援の神なければ、必ず搶掠をもって生とする輩。さらに空亡凶煞に臨めば、頭より尾まで一世窮寒なり。壬申・癸酉の納音は劍鋒金で、火の多きを見れば必ず折損す。劍鋒と相對する勾陳はすなわち戊己で、戊は甲を忌み己は乙を忌み、木の多きを見るも同じく畏るべし。いわゆる源清流濁とは、水命の下に土の多きを見るなり。水輕くして土重ければ、たとえば壬弱く戊強く、癸弱く己強ければ、水は土に攪渾せらる。いわゆる天乙生嗔とは、甲寅が丑を見、甲申が未を見るなり。これを天乙生嗔という。

裸身帶花,女播淫奔,而男迷酒色。咸池乃桃花煞,更在沐浴之地是也。

赤身にしてまた花を帯ぶれば、女子は私奔の聲を傳え、男子は酒色に沈迷す。いわゆる「花」とは、すなわち咸池桃花煞である。もしそれがまた沐浴の地に落ちれば、まさにこの象に合す。

飛廉值煞,男犯徒流,而女落風塵。飛廉,正五九酉,二六十三七十一卯,四八十二午,周而復始。見煞更帶之者,不宜也。男子見之主犯凶惡,女人亦不宜也。

飛廉がまた煞に値すれば、男は徒刑流放を犯し、女は風塵に淪落す。飛廉の起法は、正月・五月・九月は酉に、二月・六月・十月と三月・七月・十一月は卯に、四月・八月・十二月は午に在り、このごとく周而復始す。柱中にすでに煞を見てまた飛廉を帯ぶるは、最も宜しからず。男子がこれを見れば凶惡を犯すを主り、女子がこれを見るも同じく不吉なり。

貲財淺薄,而黑煞臨門;父母刑傷,而梟神入命。逢黑煞,乃壬癸二字,帶煞是命前五辰為宅,命後五辰為墓。黑煞不可入墓也。宅墓受煞,落梁塵以呻吟。梟神者,二重三重倒食是也。若克年於納音重。

資財の淺薄なるは、黑煞が門戸に臨むなり。父母が刑傷に遭うは、梟神が命中に進入するなり。いわゆる黑煞とは、すなわち壬・癸の二字が煞を帯ぶるなり。本命の前の第五位を宅とし、本命の後の第五位を墓とす。黑煞は萬萬墓に入るべからず。宅と墓とが一たび煞を受くれば、屋梁に塵を積み家道零落して、呻吟嘆息を餘りにすのみ。いわゆる梟神とは、兩重三重の倒食である。もしそれが來て年干を克せば、納音の上に害することことに重し。

探陰陽並格局,等分有象之幽元,旁燭無窮之造化。用之則百發百中,明之則萬舉萬通。究此精微,留傳後世。留心博考,音旨分明,驗往察來,賢愚可見。

陰陽と格局を探究し、等を分かち類を辨じ、有象の中の幽微なる本原に窮まり、傍ら無窮無尽の造化を照らす。これを用いれば百發百中し、明白にすれば萬舉萬通する。この一層の精微の處を研究し盡くして、後世に留傳せん。後人がただ留心して廣博に考究せば、音義旨趣は自ら分明となり、既往を驗證し將來を推察して、賢と愚とは一目で瞭然たる。

下篇

且夫神機妙論,默契精微。談元虛以言人物,即本經而照是非。必三元可據,四柱堪憑。格清為臺閣之臣,局妙居鈞衡之任。

この一篇の講ずる所は、神妙なる機要の論で、精微の理と默然として相契る。玄虛の處より人物を談じ、本經に依據して是非を照察す。つねに三元に據あり、四柱に憑るべきあらんことを要す。格局の清純なるは、台閣の臣と作り、局面の精妙なるは、宰輔鈞衡の任に居る。

日輪當表,毫光豈被猛風吹。戊午為日輪,巳午為當表。如戊午生於五月,又逢巳午日時,謂有輝光於天下。如有毫光,風吹不得也。人命得之,有貴祿則為文官,有吉煞則為貴神,亦有威權聲名。

太陽がまさに中かりける表位に高く懸かれば、その一線の毫光は豈に猛風の吹き熄す所ならんや。戊午は取象を日輪とし、巳・午の两位は當表の處である。たとえば戊午生の人が五月に生まれ、また巳・午の日と時に逢えば、光輝が天下に照臨するなり。すでにこのごとき毫光あれば、風もまたこれを吹き動かさず。人命がこの格を得れば、貴禄を帶ぶるは文官と作り、吉煞を帶ぶるは貴神と成る。同じく威權と聲名と有り。

人立畫橋,沉影不隨流水去。己亥木逢壬寅金,又逢丙午,或癸亥水,為駕海畫橋,此格得之,可以言貴也。

人が畫橋の上に立てば、水中の沈影は流水に随って漂い去らず。安然として自ら守り、世情に遷らざるを喩う。己亥の納音平地木が壬寅の納音金に遇い、また丙午に逢うか、あるいは癸亥の水に逢えば、海上に横跨する畫橋なり。この格を得るは貴を論じうる。

桃花滾浪,龍門宜三月之先登;桂影橫波,鳳闕占季秋之早步。庚申為桃花,生於春月,有水多為奇,遇貴神祿馬,必龍門之一跳。高登桂影者,辛卯辛酉木人見巳{己}未,即水多者,或丙午癸亥皆是。故八月半以前為妙,已後則福輕也。

桃花が波に随いて翻滾すれば、三月の内に先んじて龍門を躍り越ゆるを宜とす。桂影が清波に横映すれば、季秋の時に早く鳳闕に踏み登るを宜とす。傳えいう、三月桃花の水漲する時、鯉魚が龍門を躍り越ゆればすなわち化して龍となると。ゆえに借りて科第を比喩す。庚申は取象を桃花とし、春月に生まれて水多きは最も奇なり。もしさらに貴神禄馬に遇えば、必ず一躍して龍門を跳過しうる。高く桂影に登るに至っては、辛卯・辛酉の木命の人が己未を見るなり。すなわち水多きの一路であり、あるいは丙午・癸亥を見るもいずれも算す。ゆえに八月半以前に生まるるを最も妙とし、八月半以後は福氣が輕し。

風生粉籟,若夏月必是清閒。太陽盛暑之時,能喜風蔭。己巳為生風,逢庚寅,更值夏月,若遇祿馬貴人,則為極貴大臣,旁招賢士。若命宮無祿馬貴人,亦是鄉閭顯達之人,若生不當時,及死絕帶凶煞者,為下賤之人也。

微風が吹き動いて細碎の聲籟を生ずれば、もし夏月に生まれん、必ず一生清閒を主る。烈日盛暑の時、最も喜ぶは風の来ると樹蔭なり。己巳は取象を生風とし、柱中に庚寅に逢い、またまさに夏月に當たり、もしさらに禄馬貴人に遇えば、極貴の大臣となり、能く賢士を廣く招きうる。命宮中にたとい禄馬貴人なくとも、鄉里の間の顯達の人物である。もし生が時に逢わず、あるいは死絕の地に落ちて凶煞を帶ぶれば、下賤の人と成る。

水結池塘,生冬月必然濁溢。冬天丙午丁未天河水,生逢庚午辛未,土高有水多,又是夜生,為水結池塘,有水土之怨,人生遇者,生必嫉[妒],殘害宗支,為人沉毒。生春夏乃佳,可以滋生潤物,又不可水多,遇寅卯為淋漓之患,傷義之人。

水が積して池塘と成れば、もし冬月に生まれん、必ず污濁して外に溢る。冬天の丙午・丁未の納音は天河水で、柱中にまた庚午・辛未の路旁土に逢えば、土高く水多く、加うるに夜に生まれれば、水結池塘と成り、水と土とが互いに怨を結ぶ。人命がこれに遇えば、生性は必ず嫉妬し、同宗支屬を殘害し、人と為りて陰沈狠毒なり。春夏に生まれればこそ良く、なお滋生して物を潤しうる。ただし水多きも能わず、寅・卯に遇えば淋漓止まざるの患ありて、義氣を傷損する人と成る。

文星入於河漢,得時者為仕途清政之人,失時者為濁世勞力之輩。丁巳乙亥為文星,乙亥生人見丙午丁未,遇八月生,則眾星明朗,謂得時必清政之人。若生餘月皆是失時。於丙子見丁丑癸亥亦是。要生於秋月,無不貴也。

文星が銀河天漢に入れば、生がその時を得たるは、仕途上の政聲清白の人なり。生が時を得ざれば、ただ濁世中の勞苦出力の輩なり。丁巳・乙亥を文星とす。乙亥生の人が柱中に丙午・丁未を見、また八月に逢いて生まれれば、衆星明朗にして時を得たと算し、必ず政聲清白の人なり。その余の月に生まれれば、いずれも失時と算す。丙子が丁丑・癸亥を見るも、またこの象に屬す。つねに秋月に生まれてこそ、貴ならざるなし。

一聲平地,播四海之威名;一德昇天,清四方之德化。一聲平地者,言雷也。為正東艮寅甲卯乙,辰巽己(巳)亥者,雷也。獨乙卯真雷,乙屬木,木旺卯,又卯為雷。以乙卯生人,三四月,逢辛未戊申己亥,其必播四海之威名。秋季只虛名之兆,冬月生人有貴人,亦是虛名之兆。一德昇天者,言天月二德遇乙丙丁,為昇天。乙丙丁人遇天德,亦為昇天,或四月逢辛未戊申己亥者,必播四海之名,秋季即虛名之兆。冬月生人有貴人,亦是虛名之兆。命值此格者名標萬里,德化四方,為人間享福之人,人惜民。心中不藏事,無嫉(妒),與人善處。蓋十二月內,皆有天德昇天,當詳之。

平地に一聲の驚雷ありて、威名は四海に傳遍す。一徳が天に上通すれば、徳化は四方を清正す。いわゆる一聲平地とは、雷をいう。正東方の艮・寅・甲・卯・乙、および辰・巽・巳・亥は、いずれも雷象を取りうる。その中でただ乙卯のみが真雷なり。乙は木に屬し木は卯に旺んじ、しかも卯位それ自体がまた雷なればなり。乙卯生の人が三四月に生まれ、柱中に辛未・戊申・己亥に逢えば、必ず威名は四海に遠播す。秋季に生まれれば虚名の兆のみ、冬月に生まれればたとい貴人あれども、虚名に過ぎず。いわゆる一徳昇天とは、天徳・月徳が乙・丙・丁に遇えば昇天と算するをいう。乙丙丁日干の人が天徳に遇うも、同じく昇天なり。あるいは四月の裡に辛未・戊申・己亥に逢うも、また必ず名は四海に播らん。秋季は虚名の兆のみ、冬月生の人はたとい貴人あれども、虚名なり。命中にこの格に值する人は名は萬里に標り徳は四方に化する、人間の福を享くる人なり。百姓を愛惜し、心中に城府を蔵さず、嫉妒を生ぜず、人と和善に相處す。十二か月の内に各々天徳昇天の位あり。細かに分辨すべし。

帝旺親於帝座,生居坎離者,參朝謁帝之人。凡人遇坎離,上逢旺氣,臨於帝座,同貴人祿馬,命上定是參朝大臣。何以知之?蓋坎離子午,為陰陽之初,陰陽造化,子午運用,遍歷四時,為萬物之始,故為子為午,為冬為夏,為正南北。人遇之,為朝而南,故聖人端北面南,坐子面午,是謂明堂也。然子見午為水火既濟。惟子午二字欣逢於帝座,旺加臨貴祿之神,以此為貴顯之人也。貴人喜,則為臺主談笑。貴人怒,則為宰相紀年。水人遇之,得其正者,真不怒而威,為卿相之貴。

帝旺と帝座と相親しみ、また坎離の位に生まるるは、朝に參し帝に謁する人物なり。およそ人が坎離に遇い、上にまた旺氣に逢い、帝座に臨み、さらに貴人禄馬と会合すれば、命裡は定めて參朝の大臣なり。何をもって見えん。坎離はすなわち子午で、陰陽の開端なり。陰陽造化はみな子午より運轉し、遍く四時を歷て、萬物の始と為る。ゆえに子と午とは、一は冬、一は夏、一は正北に在り、一は正南に在り。人がこの象を得れば、すなわち正南に朝向する勢いあり。古の聖人は端坐して北面して南に朝し、子に坐して午に面す。これを明堂という。子が午を見ればまた水火既濟と成る。ただ子午の二字が欣然として帝座に會し、旺氣がさらに貴人禄神に加臨せば、すなわち貴顯の人なり。貴人が喜悅せば、彼は台省の中に談笑自如す。貴人が震怒すれば、彼もまた宰輔の身をもって鎮定持重す。水命の人が遇い、かつその正位を得れば、真に怒らずして自ら威あり、卿相の貴あらん。

官祿會於官星,格在子午者,拜書受恩之客。子午,是明堂。祿元當卯,丁祿在午。六丁生人見壬午,六己生人見甲午,六癸生人見戊午,此為明堂。上近真祿星會官,更吉神相聚,德合同臨,豈不貴哉。

官禄と官星と相会し、格局がまた子午に落つるは、詔書を拜受し身に君恩を承くる人なり。子午はすなわち明堂なり。禄元はもとより卯に在るべしとすれども、丁の禄は午に在り。六丁日生の人が壬午を見、六己日生の人が甲午を見、六癸日生の人が戊午を見れば、これらはいずれも明堂と算す。上にまた真禄に貼り近づき、禄星と官星と相会し、さらに吉神聚集・徳合同臨を加えれば、何ぞ貴ならざらん。

天澤生逢仲夏,用辛亥者,入格則德潤乾坤。天澤,天河水也。仲夏,五月也。蓋天河之水,冬月為水結道途,故傷物,無所不折。惟夏月為天澤,丙午丁未人,生於五六月,逢辛亥者是。辛亥乃天門也。得其全,謂之天門降天澤。故有德潤乾坤。四月逢丙午丁未辛亥尢妙。蓋四月用辛亥為天德,極好。起例以天德三壬四辛是也。

天澤の水が仲夏に生に逢い、また辛亥を取用するは、格に入れば徳澤は乾坤に潤い及ぶ。「天澤」とはすなわち天河水、「仲夏」とはすなわち五月なり。天河の水は冬月に至れば道路上に結氷し、因りて萬物を摧傷して折らざるなし。ただ夏月のみこれが天澤と成る。丙午・丁未の人が五・六月に生まれて柱中に辛亥に逢うはそうなり。辛亥はすなわち天門で、両者俱に備われば、天門が天澤を降すという。ゆえに徳が乾坤を潤す象あり。四月の裡に丙午・丁未に逢いさらに辛亥を加うるはことに妙なり。四月は辛亥をもって天徳とするがゆえに、極めて良し。天徳の起例は三月は壬を用い四月は辛を用ゆ。

月華生於仲秋,用甲辰者,入格則光輝天下。月華,是己未也。仲秋,八月也。見甲辰,更當近夜之時。燈火配作金運(蓮),八月又是金白之時,故金運(蓮)得此時,或八月十五日前是也。己未逢甲辰,己用甲為官星,甲辰逢己未,甲與己合,見未貴人,二者皆大貴公卿。小者為監司,故謂之光輝天下。八月十五日以後,雖貴不顯,皆時不奇。

月華が仲秋に生じ、また甲辰を取用するは、格に入れば光輝は天下に照耀す。「月華」とはすなわち己未、「仲秋」とはすなわち八月なり。柱中に甲辰を見、またまさに夜に近き時に當たれば、覆燈の火は金蓮を配成す。八月はもとより金氣潔白の時なれば、金蓮がこの時節を得るは最も良く、ことに八月十五以前に在り。己未が甲辰に逢えば、己は甲をもって官星とす。甲辰が己未に逢えば、甲と己とは相合し、また未を見れば貴人なり。この兩種はいずれも大貴を主りて公卿に至り、小さきも監司に至るをなしうる。ゆえに光輝天下という。もし八月十五以後なれば、たとい貴でも顯れず。みな時節の奇ならざるに因る。

日合辛卯,成功烜赫貫山河。日在戊午,是生夏逢辛卯。松柏潔苑地,輪光穿入枝。是謂日合。辛卯逢巽地巳時,必為山河節度之臣。不全者無貴。下輩之人,趕腳之命。

日と辛卯と相合すれば、功業は烜赫にして山河を貫通す。日とは戊午を指し、すなわち夏に生まれて柱中に辛卯に逢うなり。辛卯の納音は松柏木で、松柏は潔く庭苑の中に立ち、日輪の光は枝葉を穿透して灑落す。これを日合という。辛卯がさらに巽地の巳時に逢えば、必ず一方の山河を執掌する節度の臣なり。もし配合全からずんば貴と言うべきなく、ただ下等の人物、脚を趕いて生を謀るの命なり。

月時庚寅,慈性明靈光世寶。己未生人,於八月之時,月兔清潔,光射星河,遇庚寅之木,倒影壓江波,故有慈性明靈之寶。中秋尢妙,十五以後不佳矣。

月と時上の庚寅と相配すれば、その人は慈善明慧にして、世間を照耀する珍寶なり。己未生の人が八月に生まれれば、月中の玉兔は清潔にして、月光は星河に直射す。さらに庚寅松柏の木に遇えば、樹影は江波の上に倒壓す。ゆえに慈性明慧の寶ありとす。中秋に生まるるはことに妙なり。八月十五以後は良からず。

吉逢羊刃,身屬武職鎮邊疆;吉遇懸針,掌握兵符威華夏。羊刃逢祿馬生旺之神,入格輕清者,必為武帥之臣。重濁者,教習槌棒,干僕之命。五行四柱無氣者,盲目愚奸之人。懸針遇吉,貴人祿馬生旺喜神,兼格局清者,為兵權武將之臣,濁者教習拳手,干僕之命。凶神犯者,必是徒(徙)流之輩。

吉神と羊刃と相逢えば、その身は武職に歸して邊疆を鎭守す。吉神と懸針と相遇えば、兵符を掌握して威は華夏を震す。羊刃が禄馬と生旺の神に遇い、格に入りて氣象輕清なるは、必ず兵を統ぶる武帥と為る。氣象重濁なるは、棍棒の技を教習し人に驅使せらるるの命に過ぎず。四柱五行に全く生氣なきは、盲目愚昧姦猾の人なり。懸針が吉神に遇い、また貴人・禄馬・生旺喜神あり、兼ねて格局清純なるは、兵權を掌る武將なり。氣象渾濁なるは、ただ人に拳脚を教え人に役使せらるるの命なり。もし凶神に犯されば、必ず徒刑流放の輩なり。

本乎天者,觀於賢人之心;本乎地者,會於眾人之見。本乎天,謂天干合起祿馬貴人吉神,入格者,進招賢者,為長善遏惡之人。本乎地,謂祿馬吉神,地支官貴入格者,為鄉閭能幹事務,和氣之人也。

天を本とするは、賢人の用心を體察しうる。地を本とするは、衆人の識見を會合しうる。いわゆる本乎天とは、天干の上に禄・馬・貴人これらの吉神を合起すなり。格に入る人は能く賢才を進用招納し、善行を助長し惡行を遏止する人なり。いわゆる本乎地とは、禄馬吉神と地支官貴と相配するなり。格に入る人は鄉里の間に幹練に任事し、人と為りて和氣なり。

廣揚碩德,只緣龍虎會風雲。辰龍,寅虎,巽風,卯云,四字全,更帶祿馬貴人,主慈善心德,與佛同也。

徳望の廣大傳揚なるは、ただ龍虎が風雲に會上するに因る。辰は龍、寅は虎、巽は風、卯は雲なり。この四字斉備して、さらに禄馬貴人を帶ぶれば、その人の心地慈善にして、徳行は佛家のごとくあるを主る。

大闡經綸,善為斗牛見月露。丑為斗牛之星,如己丑遇己未,生於夏末秋初,其人大闡經綸,掌乾坤於筆下,為國家棟樑之材。己丑為天上真牛斗之巢。夏末秋初,天清月明。己未丁未為月露,得金為最貴也。

經綸の才を大展するは、妙は斗牛の間に月色と清露とを見るに在り。丑は斗・牛の二宿の在る所なり。たとえば己丑が己未に遇い、また夏末秋初に生まれれば、その人は能く經綸を大展し、天地を筆下に收めて、國家棟梁の材と成る。己丑はまさに天上真の牛斗の巢なり。夏末秋初は、天清くして月明なり。己未・丁未は取象を月露とし、もしさらに金の相配を得れば、最も貴し。

十、遇と不遇:貧富貴賤の辨

格清失逢於祿馬,判為平作之人;局妙陷屈於貴人,斷是道途之士。此言人命遇與不遇之說也。或逢祿貴而無格,只作富人。無氣只尋常人。或入格真,而少祿馬相催,亦是平作道途之人。

格局は清なれど禄馬を錯過せば、ただ平常營生の人と判じうるのみ。局面は妙なれど貴人の下に屈陷せば、ただ道途に奔波する士と斷じうるのみ。これは人命に遇と不遇の分別あるを講ず。あるいは禄と貴に逢いて格局なければ、ただ富人のみ。もしさらに氣なければ、尋常の人に過ぎず。あるいは格局は眞に入れども、禄馬の催發を缺けば、同じく平常營生・道途を奔走する人のみ。

三刑逢木墓,化為曲尺之星;三奇逢戊辰,亦作剪針之子。木庫未,帶辰戌丑未全,為曲尺之星,加貴人扶,必為大臣。三奇或遇戊辰,反為惡弱之兆。緣辰中有水,戊(戌)中有火,水火交馳,陶鎔變化。如有三奇到,為剪匠或雕木之人也。

三刑が木の墓庫に遇えば、化して曲尺の星と成る。三奇が戊辰に遇えば、また剪を操り鍼を把る人と成る。木庫は未に在り、柱中に辰・戌・丑・未の四庫斉備すれば、すなわち曲尺の星なり。もしさらに貴人の扶助を加えれば、必ず位は大臣に至りうる。三奇がもし戊辰に遇えば、かえって凶弱の兆と成る。辰中に水を含み戌中に火を含み、水火が交相馳騁して、爐冶陶鎔のごとく變化定まらざるがゆえに。このような情形下には、たとい三奇の到位あれども、裁剪の匠人あるいは木を雕る工匠に過ぎず。

三奇勿遇,文章空負不成名;六合正逢,家貲實若藏珍寶。進修之士不遇三奇,雖有文章,功名不遂。乙丙丁,甲戊庚,六奇如遇,更得入格,功名可望。得天干地支合於日時,為六合,必主富足藏珍之命也。

三奇に遇わざれば、たとい文章あれども空しく辜負して名を成さず。まさに六合に逢うは、家財は珍寶を藏するがごとく殷實なり。進徳修業の士が三奇に遇わざれば、文章あれども、功名は成就し難し。乙丙丁と甲戊庚のこの六位の奇星が能く遇い、また格に入るを得れば、功名は指望あり。天干地支が相合して日・時の両柱に落つるは、すなわち六合で、必ず富足藏珍の命なり。

吉命更逢刑煞,無成破敗之徒。入格者,反倒煞重,流浪之士,無成敗害之人。

吉命がもしさらに刑煞に逢えば、またただ一事成ることなく終に破敗に歸する人なり。もとより格に入りたる命が、かえって煞氣過重なれば、流落漂泊の士と成り、一事成ることなくして多く敗損を招く。

正格又值破空,斯濫窮途之哭。人命入格,反被空亡沖破,遇煞逢凶,為窮途哭人,無破則一生迍邅。

純正の格局がまた破損と空亡に碰えば、窮途に淪落して痛哭するの地步に至る。人命はもとより格に入りたるに、かえって空亡に冲破され、また煞に遇い凶に逢えば、窮途慟哭の人と成る。大破なくとも、一生は坎坷にして行き難し。

五行枯淡,而性情卑微;四柱秀榮,而為人慷慨。人命生不當時,無氣死絕,祿背馬{回},貴人空(虛),謂五行枯淡,必為言不敢言,行不敢行,立不敢立,性情卑小。如四柱有氣,入格者,是星會生旺,而為人慷慨,秀榮俊偉。

五行の枯槁淡薄なるは、性情は卑怯細小なり。四柱の秀麗栄發なるは、人と為りて慷慨大方なり。人命が生れて時に逢わず、五行無氣にして死絶に落ち、禄は背離して馬は回頭し、貴人また空に落ちれば、これを五行枯淡という。その人は必ず言うべきを言うこと敢えてせず、為すべきを為すこと敢えてせず、立身すべき處に敢えて立たず、性情卑弱なり。もし四柱に氣ありてまた格に入り、衆星が生旺の地に會すれば、その人は慷慨磊落・秀發英偉なり。

才滿三峽,文章居詞館之中。三峽,水急也。學問淵源,才捷如三峽水也。人逢天河大海潤下,更逢己亥最榮。蓋水臨官,謂之詞館之中也。

才思が充沛して三峽の水のごとければ、文章は詞館の中に居る。三峽は水流の湍急なるを形容す。学問に淵源あれば、才思敏捷にして三峽の江水のごとし。人命が天河水・大海水の類の潤下の水に逢い、さらに己亥に逢えば最も榮顯なり。亥はまさに水の臨官の地なればなり。これを身に詞館の中に居るという。

學富三(場),文星在學堂之上。人能勤學篤志,必文章星在學堂。海中金,白鑞金,劍鋒金,遇丁巳時乃是。更加吉星,貴人祿馬,必主文章。

學問富贍にして科場の三試に應ずるに足るは、文星が學堂の上に坐するなり。人能く勤學篤志せば、必ず文章の星が學堂に落つるなり。海中金・白鑞金・劍鋒金のこれらの金命が、丁巳時に遇えばそうなり。もしさらに吉星と貴人禄馬を加えれば、必ず文章出衆を主る。

命推祿馬,格判臺根。發運各得其時,審察洞乎消息。人命以財官印為本,官乃扶身,財為養命之源。或行運遇之,皆為發達。況印以資身,要消詳強弱,為福為禍。宜推本主之興衰,可以辨貧賤富貴矣。

命を論ずるに禄馬を推し、格を定むるに台根を判ずべし。運を發するに各々その應到の時あり、審察するに消長を透徹に掌握せねばならず。人命は財・官・印をもって根本とす。官は能く身主を扶助し、財は養命の源頭で、行運がこれらに遇えばいずれも發達を主る。まして印はまた能く身主を資養す。つねに仔細に身の強弱を斟酌して、こそ福か禍かを知る。まず本命の主の興衰を推し、然るのち貧賤富貴は分辨し明らかなり。

為富為貴,乃上下以咸和。若滯若迍,本祿源之相戰。如春木,夏火,秋金,冬水,得四時之相旺,亦得上下咸和,可以圖富貴。如木生於秋,火生於冬,金生於夏,水而逢土,土又遭木,皆為受制之地,安可以求通達哉。

能く富み能く貴しきは、上下彼此和順なるなり。滯塞迍邅なるは、根子は禄と源とが互相交戰するに在り。たとえば春の木・夏の火・秋の金・冬の水は、各々四時の旺氣を得、上下また和順なれば、富貴を圖謀しうる。反して木が秋に生まれ、火が冬に生まれ、金が夏に生まれ、水がまた土に逢いて克せられ、土がまた木に遭いて克せられれば、いずれも受制の地に落ち、何ぞ通達を談ぜんや。

運籌帷幄,必然貴祿兼全;掌握藩垣,善是煞權同到。命有貴人祿馬相生,身旺無沖刑破者,主運籌於帳眼,決勝於千里。煞權者,偏官將星羊刃亡神劫煞之類,皆主威權之職。

帷幄の中に運籌しうるは、必ず貴人と禄神と兩全せるなり。一方の藩垣を掌握しうるは、妙は煞と權とが俱に到位するに在り。命中に貴人・禄馬相生し、身旺にして冲刑破損なきは、その人が帳幕の内に運籌し千里之外に決勝するを主る。いわゆる煞權とは、偏官・將星・羊刃・亡神・劫煞の類を指し、いずれも威權の職を主る。

禪(撣)腕飛龍之輔,攘拳搏虎之能,風光顯赫於鄉閭,聲價主持於帝座。解使戎夷率服,能令草莽歸降。文章茂拔萃之才,談論吐珠璣之賦。富饒鄉郡,德潤方隅。可謂一人有慶,兆民賴之。是以聯珠附馬,石崇排金闥之筵。聯珠者,根枝不斷。附祿馬者,乃大富,如石崇。有奇異之寶。

衣袖を掸い起して飛龍の君を輔佐せんとし、臂を振って虎を搏ちて其の能を顯し、風光は鄉里に顯赫し、聲價は朝廷に見重せらる。能く戎狄夷族をして一斉に歸服せしめ、能く草野の寇をして盡く歸降せしむ。文章に出類拔萃の才あり、談吐に珠璣のごとき辭賦を吐く。一鄉一郡を富饒ならしめ、徳澤は一方に潤い及ぶ。真に一人福ありて萬民これに賴るというべし。ゆえに聯珠にさらに禄馬を附せば、晋代の石崇が金門の内に大いに華筵を開くがごとし。いわゆる聯珠とは、根と枝とが相連なりて斷えざるなり。禄馬を附するは大富を主り、石崇のごとく、家に奇異の珍寶を藏す。

互換逢方,武帝送窮船之日。互換,交遇天地之間,有財者大富。但心不足,必效武帝,為天子送窮船也。

干支互換にしてまた方位交會に逢えば、漢武帝が窮船を送り出すの日のごとし。いわゆる互換とは、天と地の間に交相遭合するなり。命裡に財あれば大富しうる。ただ人心は知足し難く、ついに武帝に效法して、天子のために窮船を送り出し、窮困を打ち發して門を出さしむ。

水人火局,當招六路之財。如水人,居寅午戌火局者,必招陸路之財。如作商旅,財上見才,必因傷而成。財逢空,必因高而敗財。餘仿此推之。

水命の人が火局に遇えば、六路より財を招き來たるべし。たとえば水命の人が柱中に寅午戌の火局に居れば、必ず陸路の財を招致しうる。もし經商行旅なれば、財上にまた財を見て、往々にして一番の損傷を經てこそ成就を得る。財が空亡に逢えば、必ず高きを求むるに因りて破敗を致す。その余はこれに照らして類推す。

甲人巳午,必達鈞衡之任。甲見己,為大財合,更帶馬官星,其人必達仕途也。餘仿此。

甲日の人が巳・午に遇えば、必ず鈞衡の任を為しうる。甲が己を見るは大財の相合で、もしさらに駅馬と官星を帶ぶれば、その人は必ず仕途上に通達す。その余はこれに照らして類推す。

陰陽未兆,一氣化生。著三才,遍歷於四時,播四象,化根於萬命。分別貴賤,使學者無不精明。撰述真機,令智士可以易見,用貽後代,慎勿輕傳,雖顯諸仁,宜藏諸用也。

陰陽いまだ兆を分かたざるの時、一氣はすでに萬物を化生せり。それ顯立して三才と為し、遍く四時を歷し、布散して四象と為し、化して萬命の根本と作る。本書は貴賤を分別して、學者をして精め通じ明らめざるなからしめ、其中の真機を撰述して、智ある士をして看懂し易からしむ。これは後代に留むるもので、切に易く人に傳うべからず。これを仁徳に顯現せしむると雖も、さらにこれを實用に藏すべし。

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